政治と選挙Q&A「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 公報 広報」に関する裁判例(55)平成23年 7月12日 東京地裁 平20(行ウ)682号・平21(行ウ)537号・平22(行ウ)48号 退去強制令書発付処分取消等請求事件(第1事件)、在留特別許可をしない処分無効確認請求事件(第2事件)、難民の認定をしない処分取消請求事件(第3事件)
裁判年月日 平成23年 7月12日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平20(行ウ)682号・平21(行ウ)537号・平22(行ウ)48号
事件名 退去強制令書発付処分取消等請求事件(第1事件)、在留特別許可をしない処分無効確認請求事件(第2事件)、難民の認定をしない処分取消請求事件(第3事件)
裁判結果 請求棄却 文献番号 2011WLJPCA07128004
要旨
◆スリランカ民主社会主義共和国の国籍を有し、タミル語を母語とするイスラム教徒である原告が、法務大臣から受けた難民不認定処分、入管局長から受けた異議の申出に理由がない旨の裁決、入管主任審査官から受けた退去強制令書発付処分の取消しを求めるとともに、入管局長から受けた在特不許可処分の無効確認を求めた事案において、認定事実によれば、原告の難民該当性は認められないから、本件難民不認定処分は適法であり、また、難民該当性が認められず、送還禁止原則違反の問題も生じない原告につき、入管局長が在留特別許可を付与しなかったことが裁量権の逸脱、濫用になるとはいえないから、本件在特不許可処分も適法であり、さらに、原告には退去強制事由が認められ、出国命令対象者に該当しないから、異議の申し出に理由がないとした本件裁決は適法であり、適法な裁決を受けてなされた本件退令処分も適法であるとして、原告の請求を全部棄却した事例
参照条文
行政事件訴訟法3条2項
行政事件訴訟法3条3項
行政事件訴訟法3条4項
行政事件訴訟法30条
出入国管理及び難民認定法2条3号の2
出入国管理及び難民認定法24条4号ロ
出入国管理及び難民認定法49条
出入国管理及び難民認定法50条
出入国管理及び難民認定法53条3項(平21法79改正前)
出入国管理及び難民認定法61条の2
出入国管理及び難民認定法61条の2の2
出入国管理及び難民認定法61条の2の6
難民の地位に関する条約33条
拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約3条1項
裁判年月日 平成23年 7月12日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平20(行ウ)682号・平21(行ウ)537号・平22(行ウ)48号
事件名 退去強制令書発付処分取消等請求事件(第1事件)、在留特別許可をしない処分無効確認請求事件(第2事件)、難民の認定をしない処分取消請求事件(第3事件)
裁判結果 請求棄却 文献番号 2011WLJPCA07128004
平成20年(行ウ)第682号 退去強制令書発付処分取消等請求事件(第1事件)
平成21年(行ウ)第537号 在留特別許可をしない処分無効確認請求事件(第2事件)
平成22年(行ウ)第48号 難民の認定をしない処分取消請求事件(第3事件)
栃木県栃木市〈以下省略〉
原告 X
同訴訟代理人弁護士 鬼束忠則
木村壮
東京都千代田区〈以下省略〉
被告 国
同代表者兼処分行政庁 法務大臣 A
処分行政庁 東京入国管理局長 B
処分行政庁 東京入国管理局主任審査官 C
同指定代理人 緒方由紀子
小久保裕司
白寄禎
小田切弘明
北村暁
岡本充弘
八木正剛
中山祐子
鈴木功祐
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 第1事件
(1) 東京入国管理局(以下「東京入管」という。)主任審査官が平成20年5月20日付けで原告に対してした退去強制令書(以下「本件退令書」という。)の発付処分(以下「本件退令処分」という。)を取り消す。
(2) 東京入国管理局長(以下「東京入管局長」という。)が平成20年5月20日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)49条1項に基づく異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)を取り消す。
2 第2事件
東京入管局長が平成20年5月20日付けで原告に対してした入管法61条の2の2第2項による在留を特別に許可しない処分(以下「本件在特不許可処分」という。)は無効であることを確認する。
3 第3事件
法務大臣が平成20年5月15日付けで原告に対してした難民の認定をしない処分(以下「本件難民不認定処分」という。)を取り消す。
第2 事案の概要
本件は,スリランカ民主社会主義共和国(以下「スリランカ」という。)の国籍を有する外国人であり,タミル語を母語とするイスラム教徒である原告が,入管法61条の2に基づき難民認定を申請したところ,①法務大臣から本件難民不認定処分を,②東京入管局長から本件在特不許可処分をそれぞれ受けるとともに,東京入管主任審査官から入管法24条4号ロ(不法滞在。なお,同条については何度か改正が行われているが,以下では特に改正の前後を区別して記載しない。)に該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨の認定及び東京入管特別審理官からその認定に誤りがない旨の判定を受けた上,③東京入管局長から本件裁決を,④東京入管主任審査官から本件退令処分をそれぞれ受けたことから,本件難民不認定処分等には原告の難民該当性を看過するなどした違法があると主張して,本件難民不認定処分,本件裁決及び本件退令処分の取消し並びに本件在特不許可処分の無効確認を求めている事案である。
1 前提事実(争いのない事実,顕著な事実並びに末尾記載の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
(1) 原告の身分事項
原告は,1972年(昭和47年)○月○日,スリランカにおいて出生したスリランカ国籍を有する外国人である。
(2) 原告の入国・在留の状況
ア 原告は,平成8年5月1日,シンガポール航空12便で新東京国際空港(現在の成田国際空港。以下「成田空港」という。)に到着し,東京入管成田空港支局入国審査官から,在留資格「就学」,在留期間「6月」とする上陸許可を受け,本邦に上陸した。
イ 原告は,前後2回にわたり,東京入管において次のとおり在留期間更新許可を受けたが,その後在留資格の変更又は在留期間の更新許可を受けないで,在留期限である平成10年5月1日を超えて本邦に不法残留した。
(ア) 平成8年10月29日,在留期間「6月」
(イ) 平成9年7月18日,在留期間「1年」
ウ 原告は,上記イの本邦に適法に在留していた間の平成9年1月12日,再入国許可を受けた上でタイに向けて出国し,同年3月31日,スリランカから本邦に再入国した。また,平成10年4月2日,再入国許可を受けた上でスリランカに向けて出国し,同月30日,スリランカから本邦に再入国した。
(3) 原告の退去強制手続の状況
ア 平成12年10月16日,東京入管横浜支局入国警備官が原告を入管法24条4号ロ(不法残留)該当容疑で立件したことから,東京入管入国警備官は,平成13年11月6日,原告に係る違反調査をした結果,原告が同号ロに該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,平成14年2月4日,東京入管主任審査官から収容令書の発付を受け,同月6日,同令書を執行した上,原告を同号ロ該当容疑者として東京入管入国審査官に引き渡した。
イ 東京入管入国審査官は,平成14年2月6日,原告に係る第1回違反審査をした上,原告の仮放免を許可したところ,同年9月11日,第2回違反審査を行う旨の審査期日通知書を原告の外国人登録上の居住地である茨城県潮来市〈以下省略〉に送付したが,「転居先不明で配達できません」として返戻され,以後原告の所在が不明になった。
(乙8の1・2)
ウ 原告は,平成20年1月24日,栃木県警察小山警察署警察官により入管法違反(不法残留)の容疑により現行犯逮捕され,同年3月25日,宇都宮地方裁判所栃木支部において,入管法違反及び道路交通法違反(無免許運転)により,懲役3年(3年間執行猶予)の判決を宣告され,同年4月9日,同判決が確定した。
エ 東京入管入国警備官は,平成20年1月28日,宇都宮地方検察庁栃木支部から原告を被退去強制容疑者とする通報を受けたことから,同年3月25日,前記アの収容令書を執行し,原告を東京入管収容場に収容した。
オ 東京入管入国審査官は,平成20年3月27日,同年4月3日及び同月4日,原告に係る違反審査をし,同日,原告が入管法24条4号ロに該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨の認定をし,原告にこれを通知したところ,原告は,同日,東京入管特別審理官による口頭審理を請求した。
カ 東京入管特別審理官は,平成20年5月2日,原告について口頭審理を行い,その結果,同日,前記オの東京入管入国審査官の認定は誤りがない旨判定し,原告にこれを通知したところ,原告は,同日,法務大臣に対し,異議の申出をした。
キ 東京入管局長は,平成20年5月20日,原告の上記カの異議の申出には理由がない旨の裁決(本件裁決)をし,その通知を受けた東京入管主任審査官は,同日,原告に本件裁決を通知するとともに,本件退令処分をした。
ク 原告は,平成20年5月20日,東京入管入国警備官により本件退令書の執行を受け,同年6月24日,入国者収容所東日本入国管理センター(以下「東日本センター」という。)に移収されるなどしたが,平成21年12月18日,仮放免許可を受けた。
(4) 原告の難民認定申請手続の経緯
ア 原告は,平成12年3月3日,東京入管横浜支局において,難民認定申請(以下「難民認定申請①」という。)をしたが,平成14年3月13日,法務大臣から難民の認定をしない処分を受け,同年4月2日,その通知を受けた。
イ 原告は,平成20年4月18日,東京入管において,難民認定申請(以下「難民認定申請②」という。)をした。
ウ 東京入管局長は,平成20年5月1日,原告に対し仮滞在を許可しない処分をし,同日,原告にこれを通知した。
エ 法務大臣は,難民認定申請②につき,平成20年5月15日,本件難民不認定処分をし,同月20日,原告にこれを通知した。
オ 東京入管局長は,平成20年5月20日,原告について,入管法61条の2の2第2項の規定による在留特別許可をしない処分(本件在特不許可処分)をし,同日,原告にこれを通知した。
カ 原告は,平成20年5月26日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分について,異議の申立てをした。
キ 平成21年6月15日,東京入管難民調査官は,原告に係る審尋等を実施し,同年9月30日,法務大臣は,上記カの異議の申立てには理由がない旨の決定をし,同年10月16日,原告にこれを通知した。
(5) 本件訴訟の提起等
原告は,① 平成20年11月19日,本件退令処分及び本件裁決の取消しを求めて本件訴訟を提起し,その後,② 平成21年10月21日,本件在特不許可処分の無効確認を求める旨の,③ 平成22年2月5日,本件難民不認定処分の取消しを求める旨の各訴えの追加的併合の申立てをした。
(顕著な事実)
2 争点
(1) 原告の難民該当性
(2) 本件在特不許可処分の無効原因の有無
(3) 本件裁決の適法性
(4) 本件退令処分の適法性
3 争点に関する当事者の主張の要旨
(1) 争点(1)(原告の難民該当性)について
(原告の主張の要旨)
ア 原告の難民該当性に関しては,次のような事情がある。
(ア) スリランカの一般情勢
a スリランカは,1947年(昭和22年),議会選挙により圧倒的な多数派であるシンハラ人による政府が樹立され,それ以降,少数派であるタミル人によりタミル・イーラム解放戦線運動が起こり,1970年代から北・東部地域のタミル人がスリランカからの分離独立を要求するようになった。
そして,1972年(昭和47年),ヒンドゥー教徒のタミル人を中心にタミル・イラーム解放の虎(以下「LTTE」という。)が設立され,そのほかにもEPDP,EPRLF,EROS等の武装組織が設立されてスリランカ政府との間で武装闘争が開始された。
b スリランカ政府とLTTEは,2002年(平成14年)に一旦休戦合意を締結したが,2005年(平成17年)8月以降,再び内戦が激化し,その状況が継続している。
そして,スリランカ国内の報道によれば,内戦終了後の今日においても,スリランカ政府は,政府当局に反対する者,特にイスラム教徒やスリランカ・ムスリム・コングレス(以下「SLMC」という。)に所属する者に対する迫害行為を日常的に行っている。
したがって,タミル人やイスラム教徒は,政府軍やLTTE等により,嫌がらせや脅迫,逮捕,拘禁,拷問,拉致,殺人等の危害を頻繁に加えられている。
c LTTEは,2002年(平成14年)の停戦以降,政治的反対者等に対する200件以上の特定の者を標的にした殺害に関与しており,自らをタミル民族唯一の政治代表団体であると標榜しているから,LTTE以外の政党で活動するタミル人は,LTTEからの暗殺の危険にさらされている。
また,特に原告の居住する東部アンパライ地区は,LTTEと同様自己の組織への強制徴集や拉致,失踪,超法規的殺害に関与しているとされるカルーナ大佐率いるカルーナ派が実質的に支配しており,原告のような東部出身のイスラム教徒に関しては,LTTEに反対する者とみなされたりして人権侵害にさらされる危険が特に高く,国家やLTTEから標的とされる場合には国内での避難は不可能であるとされている。このような危険な状態は,LTTEの敗北によっても直ちに改善されない。
d スリランカ政府は,2009年(平成21年)5月21日,LTTEの最高指導者であるプラバカラン議長の死亡により,内戦の終結宣言をしたが,むしろタミル人の最大組織であったLTTEに勝利した現在では,テロに関与したと疑う者を拘束し,処刑する危険がより高まっている。
(イ) 原告の個別事情
a 原告は,LTTEに所属する人物が多く住むスリランカ東部のアンパライ地区アカライパットゥで生まれたもので,タミル語を母語とするイスラム教徒であり,シンハラ語の会話・読み書きができない。
なお,次兄のDは,イギリスで難民認定を受けてイギリスに在住している。
b 原告は,1978年(昭和53年)から初等教育を受けていた頃,タミル人の組織によって連行されて軍事訓練を強要され,これを拒否すると鉄パイプで殴られるなどの暴行を受けたほか,1985年(昭和60年)4月11日,原告の従兄弟Eが髭を生やしてイスラム教徒であることを誇示したことによりタミル人のテロリストに誘拐されて銃殺されたり,1989年(平成元年)4月には原告の同級生がLTTEに襲われて銃殺されたりした。
また,原告は,1986年(昭和61年)から1990年(平成2年)までの間に,警察等にテロリスト又はテロリストに対する情報提供者との疑いをかけられ,数回,数日間の身柄拘束及びその間の虐待を受けた。
c 原告は,優秀な大学への入学資格を得たが,イスラム教徒として差別されて入学できかったこと等から,1992年(平成4年),イスラム教徒として,スリランカにおけるイスラム教徒の地位向上のため,スリランカ・ムスリム・コングレス(SLMC)に参加し,2000年(平成12年。実質的には1996年(平成8年))までの間,主に大学構内でのビラ配布やSLMCの政策を啓蒙する出版物を作成するなどして,党の宣伝担当書記として熱心に活動した(甲19)。
また,1994年(平成6年)にSLMCの総選挙に立候補した叔父の選挙活動の手伝いを次兄と一緒にしたところ,タミルの反逆者としてテロリストから命を狙われた。
d 原告は,1992年(平成4年)以降も,度々LTTEやEROS等のメンバーから自分たちの組織に加わるよう脅迫的な要請を受けており,同年11月EROSのメンバーにより,1995年(平成7年)3月頃にはLTTEのメンバーにより,キャンプに連行されて監禁されたり暴行を受けたりした。
また,原告は,1994年(平成6年)12月7日,自己所有の不動産をタミル人によって不当に奪われた(甲22)。
e 原告は,LTTEの脅威を感じて叔父と共にコロンボに避難したが,そこでも警察に10日間で少なくとも5回は捕らえられ,うち2回は素手で殴られるなどの暴行を受けたことから,アッダライチェナイに戻ったところ,1995年(平成7年)12月再度LTTEに拉致され,また,警察からLTTEの情報提供者又はメンバーだと言われ,アカライパットゥSTF(特別任務隊)への報告を命じられたことから,政府当局から身の危険を感じ,日本に脱出した。
また,原告は,何らの犯罪行為も行っていないにもかかわらず,政府当局から,テロリスト防止法違反の容疑で逮捕状が発布された(甲20)。
f なお,① 平成9年に原告がスリランカに帰国したのは,原告の持病である喘息が悪化したためであり,しかも当時はまだ上記逮捕状も発布されていなかったことから,政府当局からの迫害の危険性よりもLTTEからの迫害の危険性を重視してコロンボに行ったこと,② 平成10年に原告がスリランカに帰国したのは,普通の生活状態に戻っているというふうに聞いたからであること等に照らすと,これをもって原告の難民該当性を否定することはできない。
イ 以上の事情によれば,原告は,スリランカにおいて,タミル人という人種,イスラム教という宗教及びSLMCの党員としての政治的意見を理由として,① 政府当局から恣意的に逮捕されたり,② (ヒンドゥー教徒のタミル人で構成される)反政府組織LTTEから拉致・殺害されたりして,生命・身体の自由を侵害されるといった迫害を受けるという十分な根拠のあるおそれが存在し,国籍国の保護を受けることができないから,入管法2条3号の2所定の「難民」に該当することは明らかである。
(被告の主張の要旨)
ア 入管法に定める「難民」とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であつて,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」等をいう(入管法2条3号の2,難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条,難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条)。
そして,その「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味し,また,上記のように「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解される。
「難民」と認定されるための要件である「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」とは,単に迫害を受けるおそれがあるという抽象的な可能性が存するにすぎないといった事情では足りず,当該申請者について迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような個別的かつ具体的な事情が存することが必要である。
いかなる手続を経て難民の認定手続がされるべきかについては,難民条約には規定がなく,難民条約を締結した各国の立法政策に委ねられているところ,我が国においては,入管法令の規定や難民認定処分の処分としての性質等に照らし,難民であることの資料の提出義務と立証責任は申請者が原則として負担するものと解され,「合理的な疑いを容れない程度の証明」をしなければならない。
イ しかるに,次の事情を総合すれば,原告が,スリランカにおいて,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような客観的事情が存するとは認められないから,原告の難民該当性を認めることはできない。
(ア) スリランカの一般情勢
a スリランカにおいては,1983年(昭和58年)以降,スリランカ政府と反政府組織であるLTTEの内戦状態が続いてきたが,このような状況も2009年(平成21年)5月には終結しており,現在のスリランカにおいて,タミル人であることやイスラム教徒であるという理由で直ちにその生命,身体に対する危険が生じるといった状況にはなく,スリランカの一般事情は改善されつつあり,更に言えば,原告がスリランカに居住していた1996年(平成8年)当時と比べれば,本件難民不認定処分がされた時点におけるスリランカの一般事情は改善されつつあるといえる(なお,原告主張に係るスリランカの一般情勢のうち,本件難民不認定処分等の各処分後の事情は,これをもって直ちにこれらの処分の違法性判断の基礎事情となるものではない。)。
b 2009年(平成21年)8月現在,① 民族的には,スリランカの総人口約2022万人のうち,約72.9%をシンハラ人が占めるものの,タミル人も約18%を占めていること,② スリランカにおいては,シンハラ語と並んでタミル語が公用語として通用していること,③ 宗教的にも,総人口比で約70%を仏教徒が占めるものの,イスラム教徒も約8.5%を占めていること等に照らすと,タミル人であること又はイスラム教徒であることだけを理由に,直ちに生命,身体に対する危険性が生じている状況にあるとは認め難い。
c 以上によれば,スリランカの一般情勢をもって直ちに原告の難民該当性が基礎付けられるものではない。
(イ) 原告の個別事情
a 原告主張の個別事情(前記(原告の主張の要旨)ア(イ))については,① そもそもその根拠とする書証(甲19~22)の入手経過,入手時期等,その成立に関する具体的事情が現在においてもなお明らかにされておらず,かつ,当該書証の内容自体にも疑念が抱かれる点が存在する上,② 難民認定手続における原告の供述も,当該書証とすら矛盾し,かつ,合理的な理由もないのに著しく変遷していて,その内容は全く信用性に欠けるから,原告主張の個別事情があったとは認められない。
b かえって,次のような原告の難民該当性を否定する事情が存在する。
(a) 原告は,平成8年4月に自己名義の旅券発給を受け,以後平成10年までの間に複数回にわたり本国への一時帰国を繰り返していた。
(b) 原告は,その主張によれば,来日前から難民該当性を基礎付ける事情があったにもかかわらず,平成8年5月1日,在留資格「就学」を取得して本邦に上陸すると,その後2回の在留期間更新許可を受けて本邦への在留を継続しながら,1回目の難民認定申請をしたのは平成12年3月3日であり,これについて難民不認定処分を受けるや所在不明となり,約8年弱もの長期間にわたって本邦に不法残留した後,平成20年1月24日に警察に逮捕され,同年3月25日に東京入管に収容されるや,同年4月18日に2回目の難民認定申請をしたものである。
(c) 原告の本国に居住している家族は,平穏な生活をしている。
なお,原告は,英国在住の次兄が同国で難民認定を受けている旨供述し,東京入管に対し,次兄からの手紙を提出しているが,次兄が英国で難民認定を受けたことを証明する公的文書ではなく,次兄が真に英国で難民認定を受けているのか自体定かではない。
また,本邦在住の三兄は,定住者の在留資格で本邦に在留するが,難民認定申請をして定住者の在留資格を付与された者ではない。
(2) 争点(2)(本件在特不許可処分の違法性・無効原因の有無)について
(原告の主張の要旨)
本件在特不許可処分は,前記(1)(原告の主張の要旨)のとおり原告が「難民」に該当するにもかかわらず,「難民」に該当しないことを前提としてされたものであるから,重大な事実誤認に基づく違法な処分であることは明白であり,無効である。
(被告の主張の要旨)
ア 一般に,行政処分が無効であるというためには,当該処分に重大かつ明白な瑕疵が存在しなければならず,その瑕疵が明白であるか否かは,処分の外形上,客観的に瑕疵が一見して看取し得るか否かにより決せられるべきものであり,「重大かつ明白な瑕疵」の存在に係る主張立証責任は原告にある。
イ 原告は,前記(1)(被告の主張の要旨)イのとおり難民に該当せず,かつ,本邦に上陸するまで我が国と特段の関係を有しなかった者であり,稼働能力を有する成人男性であることに鑑みても,他に在留を特別に認めるべき積極的な理由は見当たらないから,在留を特別に許可すべき事情も存しない。
ウ したがって,本件在特不許可処分は,適法であって,外形上,客観的に一見して看取できるような瑕疵は存在しないから,無効とされるべき理由は存しない。
(3) 争点(3)(本件裁決の適法性)について
(被告の主張の要旨)
ア 在留資格未取得外国人が難民認定申請を行った場合は,難民認定手続の中でその在留の許否の判断を行うこととされ(入管法61条の2の2),難民認定手続の中で難民と認定されなかった者及び難民と認定されたが入管法61条の2の2第1項による在留資格の取得を許可されなかった者は,同条2項により在留特別許可の可否を判断されることから,その退去強制手続の中で法務大臣が異議申出に対する裁決を行う際には,入管法50条1項の適用がないものとされている(入管法61条の2の6第4項)。
したがって,法務大臣は,上記裁決を行うに当たり,専ら,原告が退去強制事由に該当するかどうか及び出国命令対象者に該当しないかどうかに係る特別審理官の判定に対する原告の異議申出に理由があるか否かのみを判断すれば足りるから,原告の主張中,本件裁決に入管法50条1項の適用があることを前提とする部分は,失当である。
イ なお,入管法50条1項の在留特別許可については,入管法24条各号の退去強制事由に該当する我が国にとって好ましくない外国人を対象とするものであり,入管法の規定の文言及び出入国管理制度の趣旨に鑑みれば,出入国管理行政全般について国民や社会に対して責任を負う法務大臣又は法務大臣から権限の委任を受けた地方入国管理局長(以下「法務大臣等」という。)の極めて広範な裁量に委ねられており,在留特別許可を付与しないという法務大臣等の判断が裁量権の逸脱濫用に当たるとして違法となり得るのは,法律上当然に退去強制されるべき外国人について,なお我が国に在留することを認めなければならない積極的な理由があったにもかかわらずこれが看過されたなど在留特別許可の制度を設けた法の趣旨に明らかに反するような極めて特別な事情が認められる場合に限られるというべきである(この特別の事情の主張立証責任は原告にある。)。そして,入管法が法務大臣の権限を東京入管局長に委任するに当たりその権限の範囲について何ら制約を設けていないこと等に照らすと,東京入管局長に与えられた裁量権の範囲が法務大臣に与えられた裁量権の範囲より狭い旨の原告の主張は何ら根拠がないというべきである。
ウ 以上を踏まえて本件をみると,原告は,平成10年5月1日を超えて本邦に不法残留するものであり,入管法24条4号ロ所定の退去強制事由に該当するから,法律上当然に退去強制されるべき外国人に該当し,かつ,出国命令対象者に該当しないことは明らかである。
したがって,特別審理官の判定に対する原告の異議の申出には理由がないことは明らかであり,本件裁決は適法である。
(原告の主張の要旨)
ア 東京入管局長は,入管実務において在留特別許可の付与がおおむね画一的に判断されるようになったことから,異議の申出に対する裁決の権限を法務大臣から委任されているにすぎず,国内の政治・経済・社会等の諸事情,国際情勢,外交関係,国際礼譲など諸般の事情を総合的に勘案して的確に判断する立場になく,その裁量の範囲は限定されている。
したがって,本件裁決も,東京入管局長が本来最も重視すべき諸要素,諸価値を不当,安易に軽視し,その結果当然尽くすべき考慮を尽くさず,また,本来考慮に入れるべきではない事項を考慮に入れ,又は本来過大に評価すべきでない事項を加重に評価し,これらのことにより行政庁のこの点に関する判断が左右されたものと認められる場合には,裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法になるというべきである。
イ 難民条約33条は,「締約国は,難民を,いかなる方法によっても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない」として,ノン・ルフールマン原則を採用しているから,我が国において退去強制令書を発付する際にも,その対象者が退去強制先において迫害を受けるおそれがあるか否かを,人道上,基本的かつ最も重視すべき要素として考慮すべきである。
ウ 本件裁決は,前記(1)(原告の主張の要旨)のとおり肯定される原告の難民該当性を考慮せずに判断されたものであるから,在留特別許可の付与に関する東京入管局長の裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用した違法がある。
(4) 争点(4)(本件退令処分の適法性)について
(被告の主張の要旨)
退去強制手続において,法務大臣等から「異議の申出には理由がない」との裁決をした旨の通知を受けた場合,主任審査官は,速やかに退去強制令書を発付しなければならないのであって(入管法49条6項),退去強制令書を発付するにつき全く裁量の余地はないのであるから,本件裁決が適法である以上,本件退令処分も当然に適法であるというべきである。
(原告の主張の要旨)
本件退令処分は,前記(1)(原告の主張の要旨)のとおり原告が難民に該当することを看過したものであって入管法61条の2の2第1項に違反し,また,前記(3)(原告の主張の要旨)イのとおり難民条約33条に違反した違法があり,また,違法な本件在特不許可処分に基づく処分であるという意味でも違法である。
第3 当裁判所の判断
1 争点(1)(原告の難民該当性)について
(1) 難民の意義等
入管法2条3号の2は,入管法における「難民」の意義について,難民条約1条の規定又は難民議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうと規定している。したがって,入管法にいう「難民」とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」をいう。ここでいう迫害は,通常は国籍国の政府その他の国家機関によって行われるが,それ以外の特定の勢力がその主体となっている場合であっても,国籍国の政府において,当該特定の勢力による迫害を故意に認容し,又は効果的な保護を与えることを拒否し,若しくは効果的な保護を与えることができないときには,それも迫害に当たるものと解される。そして,上記の「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧(これに匹敵する基本的な自由の重大な侵害等も含まれ得る。)を意味するものと解するのが相当であり,また,上記にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解される。
なお,難民の認定における立証責任の帰属については,入管法61条の2第1項の文理のほか,難民認定処分が授益処分であることなどに鑑みれば,その立証責任は原告にあるものと解すべきである。
以上の見地から,以下,スリランカ及びタミル人の一般的事情並びに原告の個別的事情を踏まえ,原告の難民該当性について検討する。
(2) スリランカ及びタミル人の一般的事情
ア 掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(ア) スリランカは,1948年(昭和23年)に英連邦内の自治領セイロンとして独立した大統領制を採用する民主主義国であり,面積6万5607km2,人口約2022万人(2008年(平成20年)推計)である。
その民族は,シンハラ人(72.9%),タミル人(18.0%)及びスリランカ・ムーア人(8.0%)により構成され,宗教も仏教徒(70%),ヒンドゥー教徒(10%),イスラム教徒(8.5%)及びローマン・カトリック教徒(11.3%)に分かれており,シンハラ語及びタミル語を公用語とし(1987年(昭和62年)の憲法改正による。),英語を連結語としている。
(乙37,40)
(イ) スリランカは,1948年(昭和23年)の独立後,一貫して選挙による政権交代が行われており,これまでに政権を担ってきたのは,1946年(昭和21年)に結成された知識人,上流階級を基盤とする統一国民党(UNP)と,1951年(昭和26年)に結成された農村部,労働者階級を基盤とするスリランカ自由党(SLFP)であるが,近年はスリランカ南部の貧困層,若者を基盤とするマルクス主義政党人民解放戦線(JVP)やタミル国民連合(TNA)といったシンハラ・タミル双方の民族主義政党が台頭しており,2004年(平成16年)4月の総選挙はSLFPとJVPを中心とした統一人民自由連合(以下「UPFA」という。)が政権を奪取した。もっとも,2005年(平成17年)6月にはJVPが政権を離脱したが,同年11月に就任したラージャパクサ大統領は,民族問題への対応等で国民の支持を集め,2007年(平成19年)1月に野党UNPの幹部議員18名を与党に取り込むなどして,国会の過半数を維持している。
(甲18,乙37,40)
(ウ) LTTEについて
独立前のスリランカ全土においては,これを植民地とした英国が少数民族タミル人を重用して多数派のシンハラ人を統治させる分割統治を実施していたことから,独立後のスリランカにおいては,多数派のシンハラ人を主体とする政府が,シンハラ人優遇政策を採った。
そのため,これに反発したタミル人の過激派は,スリランカ北・東部地域をタミル人のホームランドであるとしてその独立を求め,1972年(昭和47年),LTTEを結成してシンハラ人を主体とする政府と対立した。両者の対立は,1983年(昭和58年)には本格的内戦に発展し,以後双方で7万人以上が死亡している。LTTEは,政府当局との頻繁な衝突によりスリランカ東部・北部の一般市民を戦闘行為に巻き込んだだけでなく,戦闘員の強制的な徴集をしたり,政府支配地域においてすら市民自衛訓練を実施し(政府支配地域では,LTTEの訓練に参加したのではないかと疑われた人々が,強制されて参加した場合であっても,LTTEの支持者であると見なされる可能性があった。),市民の移転の自由を制限するなどしたり,後記の2002年(平成14年)の停戦以降も200件以上の政治的反対者だとみなされたタミル人等を標的とした殺人に関わったりしていた。
スリランカ政府とLTTEは,2002年(平成14年)2月,ノルウェー政府の仲介により停戦合意を締結し,その後6回の和平交渉,2回の直接協議を行ったが,和平に進展はみられず,停戦合意違反が恒常化し,2006年(平成18年)7月末からは戦闘が激化して停戦合意が事実上崩壊した。その後,スリランカ政府軍は,2007年(平成19年)7月,スリランカ東部LTTE支配地域を17年ぶりに奪回し,2008年(平成20年)1月,停戦合意からの脱退を決定して正式に停戦合意を失効させるなど,LTTEを徐々に追い詰め,2009年(平成21年)3月までに,スリランカ北部のキリノッチ,ムライティブ等のLTTE主要拠点を全て奪取し,LTTEの残存勢力を北部海岸地帯に追い込むと,同年5月,LTTEが自らの支配地域に連行した国内避難民(IDP。一時は20万人を超えた。)を全て救出した旨発表した。そして,同年5月18日,LTTEは,指導者であるベルピライ・プラバカラン議長を殺害されて壊滅し,同月19日,スリランカ政府は,ラージャパクサ大統領が議会で戦闘終結を宣言し,今後は多数の国内避難民の再定住や国民和解のための政治プロセスを進めていく旨表明し,同年8月以降2010年(平成22年)2月時点で,スリランカ政府の帰還プログラムにより既に15万人のIDPが避難場所を出ている。
なお,スリランカ政府は,全政党代表者委員会(APRC)の勧告(中央政府と州政府の権限の明確化,権限委譲の実施等を内容とする。)を踏まえ,スリランカ東部において,2008年(平成20年)3月に地方議会選挙,同年5月に東部州評議会選挙を実施し,東部州評議会選挙では2004年(平成16年)にLTTEから分派した武装勢力の政党「タミル人民解放の虎(TMVP)」と選挙協力をした与党UPFAが勝利し,ピラヤンTMVP党首が東部州首席大臣に就任した。
(甲18,乙37,39~43)
(エ) スリランカの治安状況
スリランカでは,2008年(平成20年),コロンボ市内及びその郊外等で一般市民,政治家,閣僚を狙った爆弾テロ事件が散発的に発生し,多数の死傷者が出たほか,LTTEによるとみられる民間バス等を狙った爆弾テロ事件や住民に対する銃撃事件等が起きていたが,2009年(平成21年)5月の戦闘終了後は,LTTE残党によるとみられる爆弾テロやゲリラ的な攻撃も発生しておらず,政府軍及び警察によって国内の治安は保たれている(なお,新聞記事(甲53の1・2,54~59)によれば,なお野党支持者に対する暴力的事件等が起こっていることがうかがわれるが,当該新聞記事によっても,これらの事件については警察が事件調査を行っているようであり,また,当該新聞記事には単なる推測や政府当局に対する批判的意見にとどまると思われるものも含まれているから,上記の点をもって直ちに政府軍及び警察による国内の治安維持がされていないとはいえない。)。
(乙44)
イ 以上の事実によれば,① LTTEは,スリランカ東部のタミル人である一般市民に対し,これまでの政府当局との武力衝突に巻き込んだり,強制的な徴集等をしたり,更には自らを支持せず又は政治的に反対した者を殺害したりするなどの虐待を繰り返してきたことが認められるが,2008年(平成20年)の爆弾テロ等がタミル語を母国語とするイスラム教徒を狙ったものと認めることはできず,他方,スリランカ政府は,これらを放置し,治安維持を放棄していたわけではなく,同年1月にはLTTEとの停戦合意を失効させ,LTTEを追い詰めていき,2009年(平成21年)3月までに,スリランカ東部及び北部のLTTE支配地域を政府軍によって制圧した。しかも,この間,原告の出身地(後記(3)ア(ア)参照)であるスリランカ東部においては,2008年(平成20年)3月及び5月,政府当局により地方議会選挙等も実施された。そして,その後,2009年(平成21年)5月には,LTTEはその指導者を失って壊滅し,大統領の戦闘終結宣言がされたというのであり,以来現在に至るまで政府軍・警察により国内の治安が保たれていることをも併せ考慮すれば,スリランカ政府は,そもそもLTTEによる上記のような虐待を故意に認容したり,効果的な保護を与えることを拒否したりはしていないし,2008年(平成20年)5月の時点において,既にLTTEによるこのような虐待のおそれは認められなくなったか,又は,少なくとも,スリランカ政府がLTTEによるこのような虐待に効果的な保護を与えることができない状態にあるとは認められなくなったといわざるを得ない。また,以上の事実に鑑みると,② 政府当局は,そもそもイスラム教徒であることやタミル人であることのみをもって恣意的に身柄拘束をし,拷問を加えるなどしたことはうかがわれないし,スリランカ東部出身のタミル人でイスラム教徒であることのみを理由として,その生命又は身体の自由を侵害し又はこれを抑圧していることをうかがわせる事情もない(なお,原告自身も,難民認定申請手続において,後記(3)エ(ア)c,(ウ)bのとおり,専らLTTEからの迫害を問題とし,自らがタミル語を話すイスラム教徒であることを理由に政府当局から差別や迫害を受けたことはない旨供述していた。)。
これらの諸点を総合考慮すれば,スリランカにおいては,東部出身のタミル人であることやイスラム教徒であることのみをもって,政府当局から迫害を受けるおそれはなく,政府がLTTEによる虐待に対して効果的な保護を与えないために迫害を受けるおそれもなかったというべきである。
ウ これに対し,原告は,自らがタミル語を母語とするイスラム教徒であることから,シンハラ人で構成される政府当局からもヒンドゥー教徒のタミル人によって構成されるLTTEからも敵視されており,政府当局及びLTTEから迫害を受けるおそれがある旨主張し,これに沿う証拠(甲18,52,原告本人)もある。
確かに,「スリランカ出身の庇護希望者への国際的保護の必要性に関するUNHCRの見解」と題する書面(甲18)には,「広範囲にわたる治安悪化と北部・東部における武力紛争の影響に加え,これら地域出身或いは居住中のタミル人たちは,あらゆる武力紛争当事者によって人権侵害の標的になるという危険にさらされている。政府軍・LTTE・民兵組織・武装集団らの手によって,北部・東部出身のタミル人に対して嫌がらせや脅迫,逮捕,拘禁,拷問,拉致や殺害といった危害が加えられていることが頻繁に報告されている。LTTEとの関係が疑われる人物は,当局や,また政府から支援を受けているといわれる武装集団による人権侵害の危険にさらされている。同様に,LTTEを支持しない人々や政府の支持者や政府親派であるとされた人々は,LTTEによる深刻な人権侵害の危険にさらされる。」,「イスラム教徒は,紛争当事者による人権侵害に晒されている危険が特に高い」などの記載がある。
しかし,甲18の上記記載部分は,2006年(平成18年)12月時点のものであり,前記ア(ウ)のとおり,LTTEは,2007年(平成19年)7月以降,政府軍によって徐々にその支配領域を制圧され,2008年(平成20年)3月及び5月当時,原告の出身地であるスリランカ東部において政府当局により地方議会選挙等が実施される状態になり,2009年(平成21年)3月までにスリランカ北部の支配地域も制圧され,同年5月には壊滅したこと,それ以後,政府軍・警察によりスリランカ国内の治安が保たれていることに照らすと,これをもって原告の上記主張を認めるに足りる的確な証拠であるということはできない。そして,その他の原告の供述に係る前掲証拠についても,的確な裏付けがあるとはいえず,信用性に乏しいといわざるを得ないから,他に原告の上記主張を認めるに足りる証拠はない。
したがって,原告の上記主張を採用することはできない。
(3) 原告の個別的事情
末尾掲記の証拠(ただし,後記オでその信用性を否定した部分を除く。)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実を認めることができる。
ア 原告の出生等
(ア) 原告は,1972年(昭和47年)○月○日,スリランカ東部のアンパライ地区アカライパットゥにおいて,スリランカ人の父母の間の6人きょうだいの5番目として出生した。
(甲52,乙3,12,31,33,34,原告本人)
(イ) 原告は,イスラム教徒であり,母国語であるタミル語及び英語は会話・読み書きとも問題なくできるほか,シンハラ語も会話は可能であり,日本語も日常会話は問題なく,平仮名と片仮名の読み書きができる。
(乙3,12,15)
(ウ) 原告のきょうだいのうち,兄(長男)Fはカタールに,兄(次男)D(以下「D」という。)はイギリスに,兄(三男)G(以下「G」という。)は日本にいるが,兄(四男)H及び妹I並びに原告の母は,いずれもスリランカ在住で連絡先も分かっており,特に母とは3か月に1度電話で連絡していた。
(甲52,乙3,12,34,原告本人)
イ 本国における生活状況
原告は,1991年(平成3年),アッダライチェナイ国立学校を卒業した後,バディカロア東大学に入学すると,SLMCに参加し,宣伝担当の書記として,ビラを作成して配布したり,デモをしたりした。また,原告は,同年から1995年(平成7年)までの間に,LTTEから,度々訓練への参加や資金の提供を求められ,現にLTTEの地下キャンプに連行されてその訓練への参加を強制させられたりLTTEに資金の提供を強制させられたりした。
原告は,同年4月,英語教師の資格を取り,ボランティアで英語の教師をしていたが,兄Gが日本に滞在して日本語学校に行ったことから,家族と相談し,日本で日本語を学び,日本の大学に行こうと考え,本邦に入国しようと決意し,1996年(平成8年)4月,自己名義の旅券を取得し,日本の入国査証(在留資格は就学)を取得した。
(甲29,33,35,52,乙3,12,13,原告本人)
ウ 本邦への入国と本邦において不法残留するに至った経緯
(ア) 原告は,平成8年5月1日,在留資格「就学」,在留期間「6月」とする上陸許可を受け,本邦に上陸した。
(イ) 原告は,本邦に上陸した後,2番目の兄に世話になりながら,日本語学校に入学し,平成8年10月及び平成9年7月,それぞれ在留期間更新許可を受け,その最終在留期限が平成10年5月1日となった。
(甲1)
(ウ) 原告は,日本語学校が冬休みの間にスリランカに一時帰国して家族に会うなどするため,平成9年1月12日,再入国許可を受けた上,タイに向けて出国し,同年3月31日,スリランカから本邦に再入国した。
(乙12)
(エ) 原告は,平成9年12月,日本語学校を卒業し,その後専門学校又は大学への進学を考え,アルバイトをするなどしていた。
(乙3,13)
(オ) 原告は,日本語学校を卒業し,在留資格もなくなることから,スリランカに帰国して今後のことを家族と相談するため,平成10年4月2日,再入国許可を受けた上,スリランカに向けて出国した。
原告は,同月20日,スリランカ人の女性(以下「前妻」という。)と結婚し,同月30日,スリランカから本邦に再入国した。
(乙3,12)
(カ) 原告は,在留期間の更新又は在留資格の変更を受けないで,在留期限である平成10年5月1日を超えて本邦に不法残留した。
エ 本邦において不法残留するに至った後の状況
(ア) 原告は,平成12年3月3日,東京入管横浜支局において,難民認定申請①をし,その申請書(乙30)に要旨次のとおり記載した。
a (本国に戻ると迫害を受ける理由)人権,宗教,政治的意見
b 政府当局によって身体を拘束されたわけではないが,LTTEによって拘束されたことがある。LTTEは,1991年(平成3年)に人を使って私を呼び出し,1992年(平成4年)にも手紙で私を呼び出したが,私に拒否されると,お金を払うよう強要し,30万円以上のお金を取った。同じ年,私は,警察からLTTEのメンバーではないかと疑われ,何度も尋問を受けた。私は,1994年(平成6年),身柄を拘束するという警告を受け,実際に拘束されて拷問を受けた。1995年(平成7年)にも再び身柄を拘束されて拷問にかけられ,お金等も取られた。
c 私が本国に帰国すれば,LTTEがこれを察知し,私の居所を突き止め,私の身体の自由を拘束して活動に加わるよう強要し,拷問を加え,私の財産も危うくなり,私が自分の信念を貫けば生命の危険さえ及ぶであろう。
d 私は本国政府に敵対する政治的意見を表明したり,行動をとったことがない。
e 私は,4月20日に前妻と結婚したところ,にわかに戦争が始まりそうな状態になり,同月24日,私がいた前妻の家に,LTTEがやってきたので,前妻の家族が3時間くらい話をして家の中に入れないようにしている間に逃げ出したが,LTTEは,前妻の家の中に入って私がいないことを確認すると,前妻らに「Xに明日来いと言っておけ。最後のチャンスだぞ」と言い,前妻の家族が「Xはコロンボに行って,いない。お金はいくらでも払うから,許してくれ。」と言ったことから,同月26日,30万円から40万円のお金をLTTEに払うことになった。その間に私は日本に戻った。
(乙30)
(イ) 原告は,平成12年9月27日,東京入管難民調査官の調査を受け,要旨次のとおり供述した。
a 私も,1992年(平成4年)1月頃,LTTEから手紙で呼び出され,LTTEの地下キャンプに連れて行かれ,軍隊のような訓練を受けたが,途中でギブアップした。その際,私は,LTTEから砂を詰めた鉄パイプで殴られ,腕を怪我して右手親指が割れた。
そして,私は,母親がお金を払うことを条件にLTTEから解放され,キャンディ一市内に隠れていたところ,タミル語を話すという理由で政府軍から調べられたので,以後1996年(平成8年)5月までコロンボ,キャンディ,自宅の3か所を転々としていた。その間,LTTEに身柄を拘束されて拷問を受けたこと及び警察や政府軍に逮捕されて勾留されたことはなかった。
b 私は,長兄が1992年(平成4年)から日本に留学生として滞在し,私も学校での点数がよかったので留学する資格があり,日本で進んだテクノロジーを勉強し,帰国して本国のために生かしたかったこと等から,日本へ留学することを決意した。
c 私は,4月20日にスリランカ人女性と正式婚姻し,その翌日,前妻の実家にLTTEが来て前妻の父に,結婚が事実かどうか,日本から帰ってくれば所持金があるだろう,帰国したのなら政府軍との戦闘に婿が必要だと確認しに来たが,私はLTTEに会わずに前妻の家から逃げ,日本に行った。
(乙31)
(ウ) 原告は,平成12年9月29日,難民調査官の調査を受け,要旨次のとおり供述した。
a 私が日本に戻った後も,LTTEは,スリランカに残った前妻のところに何度も来ては私の居場所をしつこく尋ねた。
b 私が迫害を受ける理由,根拠は,人種,宗教及び政治的意見である。スリランカで一番マイナーなイスラム教徒は一番差別されており,人種宗教を原因とする差別に反対したり政党を作ろうとすると逮捕されるが,私個人がタミル語を話すイスラム教徒であることを理由に政府当局から差別や迫害を受けたことはない。問題はLTTEからの迫害で,献金やメンバーになるよう強要されている。
c 政府軍や警察官が逮捕状を執行しての逮捕や身柄拘束をすることはないが,LTTEにメンバーになるように強要,脅迫されるような地域状況の中では,私たちは政府軍や警察官に何度も暴力的に連行され,取調べを受けている。また,政府当局ではないLTTEからは,学校で強制的に授業を受けさせられたことや一度地下キャンプに連行されて暴行を受けたことだけで,それ以外の理由で逮捕されたことはない。
d 本国政府に敵対する政治的意見を表明したり,行動をとったりしたことはない。
e 私がスリランカに帰国したことをLTTEに知られれば,逮捕されるか,銃で撃たれると思う。
(乙32)
(エ) 原告は,平成12年10月16日,入管法24条4号ロ(不法残留)該当容疑で立件され,平成13年11月6日,東京入管入国警備官の違反調査を受け,要旨次のとおり供述した。
a 私は,来日前,大学入試に受かったが,大学がLTTEの支配下にあり,入学した場合にはLTTEの一員として反政府活動を行わなければならないことから,大学には入らず,LTTEの勧誘から逃げていたところ,私の兄が日本で日本語を勉強しないかと誘ってくれたことから,このまま大学にいかずにLTTEから逃げ回るより良いと考え,来日を決意した。
b 私は,1995年(平成7年)に,LTTEとの間で,喘息が治ったらLTTEの活動に参加すると約束していた。
c 私は,1998年(平成10年)4月にスリランカに帰国し,結婚すればLTTEの一員として反政府活動を行わなくてもよいという噂があったことから,同月20日スリランカ人女性と婚姻した。しかし,そのうわさはでたらめで,かえって私がスリランカに帰ってきたことがLTTEにばれてしまい,婚姻の2日後,LTTEの者が家に来て,私の前妻の両親に対して私が約束を守っていないので,本人と直接話がしたい旨告げられた。このままではLTTEの一員として反政府活動を行わなければならないと考え,再度来日した。
(乙3)
(オ) 原告は,平成14年2月6日,収容令書の執行を受けた上,東京入管入国審査官の違反審査を受け,要旨「スリランカは,現在仏教とイスラムとタミルの勢力が争っている状態で,私の住んでいたところは仏教の勢力とタミルの勢力が争いを激しくしているから,もし帰国すれば大変危険な目に遭う」旨供述するとともに,同日,仮放免許可を受けた。
(乙6)
(カ) 原告は,平成14年3月13日,難民認定申請①につき,法務大臣から難民の認定をしない処分を受け,同年4月2日,その通知を受けたところ,仮放免許可の関係もあって東京入管に出頭して異議申立てをすることも考えたが,前妻を置いて1人で出頭すれば,捕まって収容されるのではないかと考え,東京入管に出頭せず,その当時の外国人登録上の居住地から転居した(なお,東京入管入国審査官は,同年9月11日,原告に対し,その当時外国人登録上の居住地に審査期日通知書を送付したが,「転居先不明」として返戻され,以後その所在が確認できなくなった。)。
(乙11,13)
(キ) 原告は,潮来市内に転居した後,同市内で中古車販売業等を営んでいたが,前妻との仲が険悪になり,平成14年5月中旬には,妊娠中の前妻が1人でスリランカに帰国してしまい,平成17年3月頃,前妻と離婚した(なお,前妻及び原告と前妻との間の子どもは,現在,スリランカにおいて,原告の父が残した土地やココナッツ畑の栽培で得た収入等で生活しており,原告の仕送りなく生活している。)。
(乙11,13)
(ク) 原告は,平成20年1月24日,栃木県警察小山警察署警察官により入管法違反(不法残留)の容疑により現行犯逮捕され,同年3月25日,宇都宮地方裁判所栃木支部において,入管法違反(不法残留)及び道路交通法違反(無免許運転)の罪により懲役3年(3年間執行猶予)の判決を宣告されるとともに(同年4月9日判決確定),上記(オ)の収容令書の執行を受けた。
(ケ) 原告は,平成20年3月27日,東京入管入国審査官の違反審査を受け,要旨「私は,スリランカの社会情勢が悪いため,安全な日本で暮らしたい,交際中の日本人女性とこれから結婚したい,日本で中古自動車業を営んでおり,急に帰国すれば相手会社に多大な迷惑をかけるなどの事情から,このまま日本で生活することを希望する。」と供述した。
(乙11)
(コ) 原告は,平成20年4月3日,東京入管入国審査官の違反審査を受け,要旨次のとおり供述した。
a 私がスリランカに帰国できない理由として,難民認定申請の時に話したとおり,スリランカに問題があり,具体的には,爆弾テロなどがあって治安が悪いこと,タミル人(ヒンドゥー教)とイスラム人(イスラム教)とシンハラ人(仏教)の民族間に,宗教,言葉等に争いがあることである。
b 私は,大学進学を諦め,仕方がなく英語の試験を受けて英語の教師になったが,教える学校が限られてしまうなど自由がなく,2番目の兄が日本で日本語学校に通っていたことから,日本に行って日本語を学び,日本の大学に行きたいと思い,日本に来た。
c 平成10年4月に一時帰国した際,私が車を運転していたとき,後ろから追い越してきた車に止まるよう合図されたので,止まったところ,LTTEのホルダーを持った人物から,事務所に明日にでも来てくれないかと言われた。私は怖くなり,家族と相談し,スリランカを出国するしかないと思い,再度本邦に入国した。
(乙12)
(サ) 原告は,平成20年4月4日,東京入管入国審査官の違反審査を受け,要旨次のとおり供述したところ,東京入管入国審査官から,入管法24条4号ロ(不法残留)に該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨の認定を受けたが,同日,口頭審理の請求をした。
a 私は,平成10年4月にスリランカに一時帰国した際,父母の勧めで同月20日に結婚もしたが,やはりLTTEに強制加入させられそうになるなど危なくて国にはいられないと思い,また,外国に行こうと思ったが,他の国のビザもないので,あと1日で不法残留になることは分かっていたが,日本に戻った。
b 私は,スリランカにはLTTEがいてテロの被害に遭うかもしれず,危険なので帰りたくない。私とスリランカ政府との関係においては,特に問題はない。私がスリランカに帰りたくない理由は,LTTEがスリランカにいる限り平和が訪れないからである。平和になれば,自分の国だから,すぐに帰る。また,日本で中古車販売のビジネスで,私を信用してお金を貸してくれた人たちに大変迷惑を掛けてしまうことになる。
(乙13)
(シ) 原告は,平成20年4月18日,東京入管において,難民認定申請②をし,その申請書(乙33)に要旨「(本国に戻ると迫害を受ける理由)人種,宗教,特定の社会的集団の構成員であること,政治的意見,その他(私たちは,人種及び宗教がLTTEの人々と異なるのに,政府当局からは,同じとみなされ,私の意見がテロリストであると考えられている。)」などと記載した。
(乙33)
(ス) 原告は,平成20年5月1日,東京入管難民調査官の調査を受け,要旨次のとおり供述した。
a 今回の難民認定申請の理由としては,人種がスリランカ・ムーア人であること,宗教がイスラム教スンニ派であること,特定の社会的集団の構成員がSLMC配下のSTUDENT ORGANIZATIONの書記であったことを追加する。
b 私は,1994年から1996年までの間,SLMC配下のSTUDENT ORGANIZATIONの書記であり,学生メンバー約100名を束ねてスリランカにおけるイスラム教徒に対する差別に抗議する内容の活動をしていたため,当時のLTTEからも政府当局からも反対勢力としてみなされるようなった。具体的には,大学構内におけるパンフの配布とか「SLMC」の政策を啓蒙する目的の出版物を作ったりした。
c 反政府活動は,来日してからはないが,本国においては,1992年から1994年までの間に,イスラムの学生40名と共にデモを数回行ったことがあり,その際,私がイスラム人によるテロを目指しているのではないかと疑われ,警察で事情聴取を受けた。
d (呼出状が送付されてから10年近く経過するので,私に係る事件ファイルも削除され,何も問疑されないのではないかとの質問に対し)そうなりますね。私がこの時点で本国に帰国して何も起こらないと思う。難民認定申請をした理由は,私がこれまで日本で中古車販売をしてきて約800万円の借金を返済する義務があることと日本人女性と婚約していることの二つである。
(乙34)
(セ) 原告は,平成20年5月2日,東京入管特別審理官の口頭審理を受け,東京入管特別審理官から入国審査官の上記(サ)の認定に誤りがない旨の判定を受け,同日,法務大臣に対する異議の申出をしたところ,同月20日,東京入管局長から本件裁決を受け,東京入管局長からその通知を受けるとともに,本件退令処分を受け,本件退令書の執行を受けた。
(ソ) 他方,原告は,平成20年5月15日,法務大臣から本件難民不認定処分を受け,同月20日,東京入管局長から本件在特不許可処分を受けたことから,同月26日,本件難民不認定処分について異議の申立てをした。
(タ) 原告は,平成21年6月15日,口頭意見陳述等を行い,要旨次のとおり供述した。
a 私は,タミル語を話すイスラム教徒であることから,1978年(昭和53年)から1979年(昭和54年)にシンハラ人の軍隊から苦痛や被害を受けた。
b 私が学生の頃,タミル人の解放の戦士がやってきて,学生は,彼らの教えを強制的に学ばされた。また,私も軍隊に捕まって拷問をされた。
c 私は,弁論大会や論文大会を組織して,個人的に意見(私達の社会に何が大切かといった一般的なもので政府当局への批判ではない。)を何度も表明した。また,私は,大学に行けることになったが,その大学で勉強するのであれば,LTTEの課す条件に従い,彼らの教えを学び,彼らの訓練も受けなければならない状況であり,このような条件に応じることはできないと拒否して,学ぶ権利があることを表明し,デモを行った。
そのため,私は,タミル人やLTTEだけでなく,政府当局の人間からもテロリストとみなされて捜索された。
d 私は,スリランカ国内にいたら,タミル人のテロリストに捕まって,拷問されて殺される可能性がある。また,政府当局からも捜索令状が出ているので,捕まって拷問を受ける可能性がある。
e 私は1998年(平成10年)4月20日に結婚し,その2日後,警察が捜索令状に基づき捜索しに来た。テロリストはお金を頼ってきたり脅してきたりした。そこで,それらから逃れるため,日本のビザの期限が残っていたので,再び日本に来た。
f 私は,1994年(平成6年)か1995年(平成7年)頃,LTTE(当時はEROS)のメンバーから,「今後は書くことができないようにする」といって,右手親指をペンチで潰された。
g 私は,1996年(平成8年)頃,1週間から10日くらいコロンボにいたとき,警察のパドロールに5回捕まり,警察署に連れて行かれて2回ほど殴られるなどの暴行を受けて釈放されたことがある。
(乙28)
(チ) 原告は,平成21年9月30日,上記(ソ)の異議申立てには理由がない旨の裁決を受け,同年10月16日,その通知を受けた。
オ 事実認定の補足説明
(ア) 原告のシンハラ語の会話能力について
原告は,シンハラ語の会話及び読み書きが全くできない旨主張し,これに沿う証拠(甲28,52,乙27,原告本人)もある。
しかしながら,証拠(乙3,12,15,33)によれば,原告は,退去強制手続において,一貫して,シンハラ語について,読み書きはあまりできないが,日常会話は可能である旨供述し,殊に難民認定申請②の申請書(乙33)には,原告自らシンハラ語についてある程度話すことができる旨記載したと認められるのであるから,これに反する前掲証拠はいずれも信用性に乏しいといわざるを得ない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
(イ) 原告のSLMC参加後における迫害について
a 原告は,SLMCに参加した後,① EROSから自分たちの組織に加わるよう脅迫的な要請を受けた,② 政府当局やタミル人の人種差別や残忍な行為を批判し,このような自分の主張を記載した文書が地元で出版されて広く行き渡るなどした結果,イスラム教徒の権利保障を訴える有名な人物となり,LTTEのキャンプに連行されて金を脅し取られたり,テロリストに襲われて重傷を負ったりした,③ 1994年(平成6年)に,SLMCの総選挙に叔父が立候補したため,その秘書となったDと一緒に市民集会に参加するなど選挙運動の手伝いをしたら,タミルの反逆者としてタミル人のテロリストから命を狙われるようになった,④ 1995年(平成7年)に,コロンボにおいて,警察官からタミル人のテロリスト又はテロリストへの情報提供者と疑われ,警察官に少なくとも5回は捕まり,うち2回は素手で殴られるなどの暴行を受けたなどと主張し,これに沿う内容が記載された文書(甲19),Dの陳述書(甲60)の記載部分及び原告の供述部分(甲52,原告本人)もある。
b このうち,原告の主張①・②については,「原告が,1991年(平成3年)から1995年(平成7年)までの間に,LTTEから,度々訓練への参加や資金の提供を求められ,現にLTTEの地下キャンプに連行されてその訓練への参加を強制させられたりLTTEに資金の提供を強制させられたりした」との限度では,原告が,平成12年3月にした難民認定申請①の当時から,その旨を申請書に記載し(前記エ(ア)b参照)又は供述しており(前記エ(イ)a,(ウ)c,(タ)b参照),その供述内容が前記(2)アで認定した当時のLTTEの活動状況やその他の証拠(甲21,27,37)から認められる事実とも符合することから,前掲各証拠のこれに沿う部分の信用性を否定することはできない(これに反する被告の主張は採用することができない。)。
しかしながら,原告の主張①・②のその余の点(特に,原告が,SLMC配下のSTUDENT ORGANIZATIONの書記として,政府当局やタミル人の人種差別や残忍な行為を批判し,このような自分の主張を記載した文書が地元で出版されて広く行き渡るなどした結果,イスラム教徒の権利保障を訴える有名な人物となり,テロリストに襲われて重傷を負ったりしたとの点)は, 原告が,SLMC配下のSTUDENT ORGANIZATIONの書記として,政府当局やタミル人の人種差別や残忍な行為を非難し,自己の主張を記載した文書が地元で出版されて広く行き渡ったことにつき,的確な裏付け証拠がない上,原告も,難民認定申請①の際には,そもそも大学に入っていないとして(前記エ(エ)a参照),このような事実を一切供述せず,むしろ,「原告が本国政府に敵対する政治的意見を表明したり行動を取ったりしたことがない(前記エ(ア)d,(ウ)d)」,「私個人がタミル語を話すイスラム教徒であることを理由に政府当局から差別や迫害を受けたことはない(前記エ(ウ)b)」,「私は,弁論大会や論文大会を組織して,個人的に意見(私達の社会に何が大切かといった一般的なもので政府当局への批判ではない。)を何度も表明した(前記エ(タ)c)」などとこれと相矛盾する供述等をしていたのであり,平成20年5月に至って初めてこの点を供述し始めたこと, 原告が右手を負傷する原因となった行為(砂を詰めた鉄パイプで殴られた,右手親指をペンチでつぶされるなど)に関する供述は著しく変遷していること(前記エ(イ)a,(タ)f参照), 原告の供述に 及び のような供述変遷が生じた理由が合理的に説明されていないことに照らすと,いずれもその信用性が低いといわざるを得ない。
c 原告の主張③については,前記認定事実によれば,原告は,難民認定手続及び退去強制手続において,そのような事実を一切供述してはいなかったのに,本件訴訟の提起後に突然供述し始めたものであって,このような供述経緯について合理的な説明がされておらず,これを裏付けるに足りる的確な証拠もないこと(なお,Dの陳述書(甲60)にも原告の主張③に沿う具体的事情は述べられていない。)に照らすと,原告の主張③に沿う原告の供述部分(甲52,原告本人)は,いずれもその信用性が低いといわざるを得ない。
d 原告の主張④については,前記認定事実によれば,原告は,難民認定手続又は退去強制手続において,当初は,「政府当局によって身体を拘束されたことはない(前記エ(ア)b)」,少なくとも1995年(平成7年)から1996年(平成8年)5月までの間に「警察や政府軍に逮捕されて勾留されたことはない(前記エ(イ)a)」,「私個人がタミル語を話すイスラム教徒であることを理由に政府当局から差別や迫害を受けたことはない(前記エ(ウ)b)」などと供述し,警察官から暴行を受けた旨は一切供述しておらず,むしろ「私とスリランカ政府との関係においては特に問題はない(前記エ(サ)b)」とまで供述していたにもかかわらず,平成20年4月に難民認定申請②をした後から,突然原告の主張④に沿う供述をし始めたものであり(前記エ(タ)g),このような供述変遷に至った合理的な理由が説明されていないことに照らすと,不自然不合理な供述変遷があるから,原告の主張④に沿う原告の供述部分(甲52,乙28,原告本人)は,その信用性が乏しいというべきである。
e したがって,原告の上記主張①~④は,前記bでその信用性を否定することができないとした部分を除き,採用することができない。
(ウ) 原告が本邦に入国した動機・経緯について
原告は,1995年(平成7年)12月にLTTEに拉致され,父が身代金を払ったことによって解放されたが,その後警察署に呼び出され,そのときの応答から警察にLTTEの情報提供者又はメンバーであると疑われ,毎週アカライパットゥSTFに報告に来るよう命令されたことから,政府当局から身を危険を感じるようになり,兄Gの援助を受けて日本に脱出した旨主張し,これに沿う証拠(甲41,52,原告本人)もある。
しかしながら,前掲証拠中の原告の供述部分は,前記認定事実によれば,原告は,難民認定手続又は退去強制手続において,本邦に入国した目的につき,当初日本に留学して進んだテクノロジーを勉強する目的であった旨(前記エ(イ)b),原告の兄から日本で日本語を勉強しないかと誘われて来日を決意した旨(前記エ(エ)a),原告も日本語を学んで日本の大学に行きたいと思った旨(前記エ(コ)b)を供述していたにもかかわらず,上記のとおりその供述を変遷させたものであり,そのような供述変遷に至った合理的な理由も説明されていないから,不自然不合理な供述変遷があり,変遷後の供述内容は信用性に乏しいといわざるを得ない。しかも,「拉致事件のレポート」と題する書面(甲41)は,原告の父が,警察に対し,原告が家を出た後翌日になっても戻ってこないこと及び(原告父の見解として)原告がテロに拉致された可能性があることの報告をしたことを記載したものにすぎず,原告主張の上記事実を直ちに裏付けるものではないことを併せ考慮すれば,前掲証拠は,原告の上記主張を認めるに足りるものとはいえない。
したがって,原告の上記主張を採用することはできない。
(エ) 原告に対する逮捕状(甲20)について
原告は,スリランカにおいて自分に対するテロリスト防止法違反容疑で逮捕状が発付されている旨主張し,これに沿う証拠(甲20,52,原告本人)もある。
確かに,逮捕状とされる文書の写し(甲20)には,O.I.C警察M.O支署に対し,原告に対するテロリスト防止法違反の容疑により1998年(平成10年)8月3日付けで原告の逮捕を許可する旨が記載されている。
しかしながら,本件全証拠によっても,当該文書が真正に成立したと認めるに足りる証拠はない上,同文書の入手経路について,原告は,要旨「J弁護士が逮捕状が発布された後,2000年(平成12年)3月に入手して私の両親のもとに渡した」(甲52),「弁護士のJ氏が私の父に渡してくれた」(原告本人)などとあいまいな供述に終始しており,かえって,前記認定事実エ(サ)bによれば,「私とスリランカ政府との関係においては,特に問題はない」と供述していたこと,スリランカにおいて被疑者が逮捕状の写しを入手しうる法制度が採られていることをうかがわせる資料もないことに鑑みれば,前掲証拠はいずれも信用性に乏しく,原告の上記主張を的確に認めるに足りる証拠とはいえない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
(オ) 原告が1998年(平成10年)4月に再入国した経緯について
原告は,1998年(平成10年)4月に本国に帰国して間もなく,LTTEから組織に参加することを強制されそうになったため,身の危険を感じ,直ちに再来日した旨主張し,これに沿う原告の供述部分(甲52,原告本人)もある。
しかしながら,前記認定事実によれば,原告が同月2日に一度帰国し,同月30日に再度本邦に入国した経緯については,原告の供述が著しく変遷しており(当初LTTEが前妻の家に来たこと等を述べていたが(前記エ(ア)e,(イ)c,(エ)c参照),その後,車の運転中LTTEのホルダーを持った者に停車させられて事務所に来いと言われて怖くなった(前記エ(コ)c),あるいは,警察が捜索令状に基づき捜索しに来たり,テロリストから脅されたりした(前記エ(タ)e)などと供述している。),その供述変遷の理由が合理的に説明されていないことに照らすと,原告の上記供述部分は,いずれも信用性に乏しいといわざるを得ない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
(カ) Dの難民認定について
原告は,兄(次男)Dがイギリスで難民認定を受けた旨主張し,これに沿う証拠(甲45~52,60,原告本人)もある。
しかし,前掲各証拠のうち客観的な証拠は,兄Dがイギリスにおいて難民認定申請をし(甲45,46),又は英国市民として帰化したこと(甲49,51)若しくはその在留資格等(甲48,50の1~12)を示すものにすぎず,イギリスにおいて兄Dに難民認定がされたことを証明するものではなく,本件全証拠によっても,兄Dがイギリスにおいて難民認定を受けたことの公的証明書を取得することができない事情はうかがわれないこと(かえって,上記のようなイギリスでの難民認定申請に関する書類があるにもかかわらず,上記のような公的証明書のみしか提出されないことは,兄Dについて難民認定がされたことに疑いを生じさせるものというほかない。)を併せ考慮すると,兄Dがイギリスで難民認定を受けた旨のDの陳述書(甲60)や原告の供述(甲52,原告本人)の信用性は低いといわざるを得ない。
したがって,原告の上記主張は理由がなく採用することができない。
(4) 原告の難民該当性の検討
以上の事実を踏まえて原告の難民該当性を検討するに,原告は,スリランカにおいて,タミル人という人種,イスラム教という宗教及びSLMCの党員としての政治的意見を理由として,政府当局から恣意的に逮捕されたり,(ヒンドゥー教徒のタミル人で構成される)反政府組織LTTEから拉致・殺害されたりして,生命・身体の自由を侵害されるといった迫害を受けるという十分な根拠のあるおそれが存在する旨主張する。
しかしながら,① 前記(2)アで認定したスリランカの一般的事情によれば,スリランカにおいては,東部出身のタミル人であることやイスラム教徒であることのみをもって,政府当局から迫害を受けるおそれはなく,政府がLTTEによる虐待に対して効果的な保護を与えないために迫害を受けるおそれもなかったことは,前記(2)イのとおりであり,また,② 前記(3)で認定した原告の個別的事情によれば,原告主張に係る迫害を基礎付ける事実として認められるのは,原告が,1991年(平成3年)から1995年(平成7年)までの間に,LTTEによって訓練への参加や資金の提供を強制されたという点のみであり,仮に,これに対して当時のスリランカ政府が効果的な保護を与えなかったために,これが「通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命若しくは身体の自由の侵害若しくは抑圧」又は「これに匹敵する基本的な自由の重大な侵害等」に該当したとしても,前記(2)アで認定したとおり,LTTEは,本件難民不認定処分等がされた平成20年5月当時,政府軍によって徐々にその支配領域を制圧され,原告の出身地であるスリランカ東部では地方議会選挙等が実施される状態になっていたのであり,その後の2009年(平成21年)5月には政府軍によって壊滅させられ,以後政府軍・警察により国内の治安が維持されるに至ったことをも併せ考慮すれば,平成20年5月当時,東部出身者である原告が,スリランカに帰国したとしても,弱体化していたLTTEから,訓練への参加や資金の提供を強制され,かつ,このような虐待に対してスリランカ政府による効果的な保護を与えられないなどの迫害を受けるおそれがあったということはできないから,原告主張に係る上記事実のみからLTTEの原告に対する迫害のおそれを認めることはできない。
以上に加え,③ 上記②のとおり,原告が政府当局から何らの攻撃ないし圧迫を受けたことをうかがわせる事実は認められない上,原告が政府当局からLTTEのメンバー又は情報提供者として把握されていることを的確に認めるに足りる証拠がないこと,④ 前記(3)で認定した事実によれば,原告は,スリランカでLTTEや警察等から迫害を受けるおそれがあったことから日本に上陸したと主張しながら,平成8年5月に本邦に上陸した後,不法残留中の平成12年3月に至るまで難民認定申請をせず,その間の2回にわたりスリランカに一時帰国したのであり,真実LTTEや政府当局からの迫害の恐怖を有する者であれば通常しない言動をしていることをも併せ考慮すると,もはや原告について迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような個別的かつ具体的な事情が存在したと認めるには足りないというべきである。
そうすると,原告の難民該当性を認めることはできないから,これに反する原告の前記主張を採用することはできない。
(5) したがって,本件難民不認定処分は適法である。
2 争点(2)(本件在特不許可処分の違法性・無効原因の有無)について
(1) 原告は,本件在特不許可処分は,原告が難民に該当するにもかかわらず,難民に該当しないことを前提としてされたものであるから,重大な事実誤認に基づく違法な処分であることは明白であり,無効である旨主張する。
しかし,原告は,前記1で判示したとおり,難民に該当するとは認められないから,原告の上記主張に理由がないことは明らかである。
もっとも,原告は,本件裁決の違法事由として難民条約33条違反を指摘していることに鑑み,その点等を含めて本件在特不許可処分が原告に在留特別許可をすべきであったのにこれをしなかった違法があるか否かについて,念のため検討する。
(2)ア 難民は,その生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある国へ送還してはならず(難民条約33条1項,平成21年法律第79号による改正前の入管法53条3項),難民と認められない者であっても,その者に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある国へ送還してはならない(拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約3条1項)とされており,これらはノン・ルフールマン原則と称されている(以下「送還禁止原則」という。)。
そして,法務大臣等は,在留資格なく本邦に在留し,難民の認定の申請をした外国人について,難民の認定をしない処分をするときは,当該外国人の在留を特別に許可すべき事情があるか否かを審査するものとされるところ(入管法61条の2の2第2項,69条の2),法務大臣等は,この審査に当たり,当該外国人に退去を強制してその本国へ送還することが送還禁止原則違反となるか否かを考慮すべきであり,同原則違反となる場合には在留特別許可をすべきであるということができる。
入管法61条の2の2第2項の在留特別許可の許否の判断において,法務大臣等は,入管法50条1項の在留特別許可の場合と同様に,極めて広範な裁量権を有するが,他方で,上記の送還禁止原則の意義等に照らすと,仮に送還禁止原則違反となる事情があるにもかかわらず在留特別許可を付与しないならば,当該不許可処分は裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるものと解される。
イ これを本件についてみると,前記1で判示した諸事情に鑑みれば,原告が難民に該当するとは認められず,原告がスリランカに帰国した場合に,原告に対し,政府当局による拷問等が行われるおそれ又はLTTEによる拷問等(特に,スリランカ政府によって効果的な保護が与えられないもの)が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があるとも認められないから,本件において送還禁止原則違反の問題は生じない。
ウ また,入管法61条の2の2第2項の在留特別許可の許否の判断は,法務大臣等の極めて広範な裁量に委ねられているところ,前記前提事実及び前記1(3)で認定した事実によれば,原告は,スリランカで生まれ育ち,タミル語を母国語とし,稼働能力を有する成人男性であって,本邦に入国するまで我が国と特段の関係を有せず,スリランカには連絡を取っている母や妹らがいることが認められ,前記1及び上記イで説示したとおり,原告の難民該当性が認められず送還禁止原則違反の問題も生じない以上,法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長が原告に在留特別許可を付与しなかったことが裁量権の範囲の逸脱又は濫用となるとは認め難いというべきである。
(3) したがって,本件在特不許可処分は,適法であり,これに無効事由が存在しないことも明らかである。
3 争点(3)(本件裁決の適法性)について
(1) 本件裁決は,原告の難民該当性を考慮せずに判断されたものであるから,在留特別許可の付与に関する東京入管局長の裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用した違法がある旨主張する。
(2) しかしながら,入管法上,難民の認定の申請をした在留資格未取得外国人については,その在留資格に係る許否は,在留特別許可の許否を含め,難民認定手続の中で判断され(入管法61条の2の2),上記の在留資格未取得外国人で仮滞在の許可を受けていないものの退去強制の手続については入管法50条1項の適用はない(入管法61条の2の6第4項,3項)。
前記前提事実によれば,原告は上記の者に該当するから,その退去強制手続に入管法50条1項の適用はなく,入管法49条1項の規定による異議の申出に対する裁決において在留特別許可の許否についての判断はされない。そして,前記前提事実によれば,原告には入管法24条4号ロ所定の退去強制事由が認められ,かつ,出国命令対象者に該当しないから,原告の入管法49条1項の規定による異議の申出に理由がないとした本件裁決は,適法であると認められる。
(3) したがって,以上の説示に反する原告の上記主張を採用することはできない。
4 争点(4)(本件退令処分の適法性)について
(1) 法務大臣等は,入管法49条1項に基づく異議の申出があったときは,異議の申出に理由があるか否かについての裁決をして,その結果を主任審査官に通知しなければならず(同条3項),主任審査官は,法務大臣等から異議の申出には理由がない旨の裁決をした旨の通知を受けたときは,当該容疑者に対し,速やかにその旨を知らせるとともに,入管法51条の規定による退去強制令書を発付しなければならない(同条6項)。
したがって,前記前提事実及び前記3において判示したことによれば,東京入管主任審査官は,東京入管局長から適法な本件裁決の通知を受けた以上(前提事実(3)キ),入管法上,その通知に従って退去強制令書を発付するほかなく,これを発付するか否かについて裁量権を有するものではないから,本件退令処分も有効である。
(2) これに対し,原告は,本件退令処分は,原告の難民該当性を看過した違法があり,また,違法な本件在特不許可処分に基づく処分であるという意味でも違法であるから,取り消されなければならない旨主張する。
しかし,原告の主張する点が本件退令処分の違法に結びつくか否かはおくとしても,前記1及び2において説示したとおり,原告の難民該当性を否定した本件難民不認定処分及び原告に在留特別許可を付与しなかった本件在特不許可処分はいずれも適法であるから,原告の上記主張を採用することはできない。
5 結語
以上によれば,原告の請求は,いずれも理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担について,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 川神裕 裁判官 林史高 裁判官 菅野昌彦)
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政治と選挙の裁判例「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 公報 広報」に関する裁判例一覧
(1)昭和26年 3月 7日 大阪高裁 昭25(う)2385号 選挙運動の文書図画等の特例に関する法律違反被告事件
(2)昭和26年 3月 3日 金沢地裁 昭25(行)2号 県議会議長辞職許可決議無効事件
(3)昭和26年 2月26日 仙台高裁 昭25(う)1081号 昭和二二年勅令第一号違反事件
(4)昭和26年 2月19日 新潟地裁 昭25(行)14号 休職処分取消請求事件
(5)昭和26年 2月 2日 最高裁第二小法廷 昭25(れ)1505号 公務執行妨害教唆各被告事件
(6)昭和25年12月28日 岐阜地裁 昭25(モ)12号 仮処分異議申立事件 〔電産特別指令確認事件〕
(7)昭和25年12月20日 最高裁大法廷 昭25(れ)1021号 昭和二二年勅令第一号違反被告事件
(8)昭和25年12月20日 高松高裁 昭25(う)794号
(9)昭和25年12月19日 東京地裁 昭25(ワ)2251号 解雇無効確認請求事件 〔東京都職員免職事件〕
(10)昭和25年12月16日 東京地裁八王子支部 昭25(モ)165号 仮処分異義申立事件 〔富士工業工場閉鎖事件〕
(11)昭和25年12月14日 大阪地裁 昭25(ヨ)43号 仮処分申請事件 〔新家工業組合除名事件〕
(12)昭和25年12月13日 東京高裁 昭25(行ナ)12号 商標登録願拒絶査定不服抗告審決取消請求事件
(13)昭和25年12月 8日 最高裁第二小法廷 昭25(あ)2863号 公職選挙法違反・昭和二二年勅令第一号違反被告事件
(14)昭和25年12月 6日 高松高裁 事件番号不詳
(15)昭和25年11月22日 最高裁大法廷 昭25(れ)280号 賭場開張図利被告事件
(16)昭和25年11月10日 岡山地裁 昭24(ワ)107号 組合員除名決議無効確認等請求事件 〔倉敷レーヨン組合除名事件〕
(17)昭和25年10月27日 福岡高裁 事件番号不詳 解職処分無効確認等請求控訴事件 〔熊本電気鉄道事件・控訴審〕
(18)昭和25年10月18日 京都地裁 昭25(行)10号 議会議員除名決議取消請求事件
(19)昭和25年10月 4日 広島高裁 昭25(う)649号 公職選挙法違反・昭和二二年勅令第一号違反被告事件
(20)昭和25年10月 3日 秋田地裁 昭25(行)19号 休職ならびに懲戒免職処分取消請求事件 〔秋田県教員懲戒免職事件〕
(21)平成24年 4月13日 東京地裁 平23(行ウ)73号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(22)平成24年 4月12日 東京地裁 平23(行ウ)48号 難民の認定をしない処分等無効確認請求事件
(23)平成24年 4月10日 東京地裁 平23(行ウ)128号 難民の認定をしない処分等取消請求事件
(24)平成24年 3月27日 和歌山地裁 平19(行ウ)8号 政務調査費返還代位請求事件
(25)平成24年 3月26日 仙台地裁 平19(ワ)1648号・平20(ワ)430号・平20(ワ)1915号・平21(ワ)355号・平21(ワ)896号・平21(ワ)1398号 監視活動停止等請求事件
(26)平成24年 3月23日 東京地裁 平22(行ウ)368号 難民不認定処分取消請求事件
(27)平成24年 3月16日 東京地裁 平21(行ウ)311号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(28)平成24年 2月29日 東京地裁 平21(行ウ)585号 公金支出差止請求事件
(29)平成24年 2月23日 大阪地裁 平21(行ウ)154号 退去強制令書発付処分無効確認等請求事件
(30)平成24年 2月22日 東京地裁 平22(行ウ)445号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(31)平成24年 2月14日 東京地裁 平22(行ウ)323号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(32)平成24年 2月 3日 青森地裁 平20(行ウ)4号 政務調査費返還代位請求事件
(33)平成24年 1月31日 大阪高裁 平23(行コ)96号 政務調査費違法支出損害賠償命令控訴事件
(34)平成24年 1月31日 福岡高裁 平23(行コ)13号 大分県政務調査費返還等請求事件
(35)平成24年 1月27日 東京地裁 平22(ワ)5552号 地位確認等請求事件 〔学校法人尚美学園事件〕
(36)平成24年 1月18日 横浜地裁 平19(行ウ)105号 政務調査費返還履行等代位請求事件
(37)平成24年 1月17日 東京地裁 平21(行ウ)600号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(38)平成24年 1月13日 東京地裁 平23(ワ)4292号 損害賠償等請求事件
(39)平成24年 1月12日 東京地裁 平22(行ウ)251号・平22(行ウ)256号・平22(行ウ)257号・平22(行ウ)258号・平22(行ウ)259号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(40)平成23年12月21日 東京地裁 平21(行ウ)636号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(41)平成23年12月 9日 徳島地裁 平19(行ウ)17号 政務調査費違法支出不当利得返還命令請求事件
(42)平成23年12月 8日 東京地裁 平21(行ウ)341号 観察処分期間更新処分取消請求事件
(43)平成23年12月 6日 東京地裁 平22(行ウ)215号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(44)平成23年11月30日 東京地裁 平22(行ウ)37号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(45)平成23年11月25日 東京地裁 平21(ワ)3923号・平21(ワ)20801号 損害賠償等請求事件、損害賠償請求事件
(46)平成23年10月27日 東京地裁 平20(行ウ)497号・平20(行ウ)530号・平20(行ウ)531号・平20(行ウ)532号・平20(行ウ)533号・平20(行ウ)487号・平20(行ウ)557号・平20(行ウ)690号 難民の認定をしない処分取消等請求事件、在留特別許可をしない処分無効確認請求事件、退去強制令書発付処分取消等請求事件
(47)平成23年10月25日 東京地裁 平21(行ウ)373号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(48)平成23年 9月30日 仙台高裁 平22(行コ)20号 政務調査費返還請求控訴事件
(49)平成23年 9月29日 東京地裁 平22(行ウ)460号 退去強制令書発付処分無効確認請求事件
(50)平成23年 9月16日 東京高裁 平21(ネ)2622号 各損害賠償請求控訴事件
(51)平成23年 9月 2日 東京地裁 平22(行ウ)36号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(52)平成23年 7月25日 東京地裁 平19(行ウ)591号 懲戒処分取消等請求事件
(53)平成23年 7月22日 東京地裁 平22(行ウ)555号・平23(行ウ)61号・平23(行ウ)171号 難民の認定をしない処分取消請求事件、追加的併合申立事件
(54)平成23年 7月19日 東京地裁 平21(行ウ)582号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(55)平成23年 7月12日 東京地裁 平20(行ウ)682号・平21(行ウ)537号・平22(行ウ)48号 退去強制令書発付処分取消等請求事件(第1事件)、在留特別許可をしない処分無効確認請求事件(第2事件)、難民の認定をしない処分取消請求事件(第3事件)
(56)平成23年 7月 8日 東京地裁 平22(行ウ)197号・平22(行ウ)210号・平22(行ウ)211号・平22(行ウ)212号・平22(行ウ)213号 在留特別許可をしない処分取消等請求事件
(57)平成23年 7月 6日 東京地裁 平22(ワ)15626号 除名処分無効確認等請求事件
(58)平成23年 6月29日 東京地裁 平21(ワ)40345号・平22(ワ)36010号 損害賠償等請求事件、不当利得返還請求事件
(59)平成23年 5月26日 神戸地裁 平21(ワ)913号 国家賠償請求事件 〔レッドパージ訴訟〕
(60)平成23年 5月25日 東京地裁 平22(行ウ)156号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(61)平成23年 5月20日 仙台高裁 平22(行コ)8号 政府調査費返還代位請求控訴事件
(62)平成23年 5月18日 東京高裁 平22(行ケ)30号 裁決取消等請求事件
(63)平成23年 5月17日 東京地裁 平21(行ウ)17号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(64)平成23年 5月11日 神戸地裁 平21(行ウ)4号 政務調査費違法支出返還請求事件
(65)平成23年 4月26日 東京地裁 平22(行ウ)162号・平22(行ウ)448号・平22(行ウ)453号 在外日本人国民審査権確認等請求事件(甲事件)、在外日本人国民審査権確認等請求事件(乙事件)、在外日本人国民審査権確認等請求事件(丙事件)
(66)平成23年 4月 6日 大阪地裁 平20(ワ)14355号 損害賠償請求事件 〔目的外支出政務調査費損害賠償請求事件〕
(67)平成23年 3月24日 東京地裁 平20(ワ)17676号 損害賠償等請求事件
(68)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)303号 衆議院議員選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(69)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)268号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(70)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)257号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(71)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)256号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(72)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)235号 選挙無効請求事件
(73)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)234号 選挙無効請求事件
(74)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)207号 選挙無効請求事件
(75)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)206号 選挙無効請求事件
(76)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)203号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(77)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)201号 選挙無効請求事件
(78)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)200号 選挙無効請求事件
(79)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)199号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(80)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)189号 選挙無効請求事件
(81)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)188号 選挙無効請求事件
(82)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)130号 選挙無効請求事件
(83)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)129号 選挙無効請求事件
(84)平成23年 3月17日 名古屋高裁 平22(ネ)496号 損害賠償請求控訴事件
(85)平成23年 3月10日 東京高裁 平21(行コ)181号 懲戒処分取消等請求控訴事件
(86)平成23年 3月 8日 釧路地裁 平20(行ウ)5号 不当利得金返還請求事件
(87)平成23年 3月 8日 釧路地裁 平20(行ウ)1号 損害賠償請求事件
(88)平成23年 3月 4日 東京地裁 平21(行ウ)1号・平21(行ウ)7号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(89)平成23年 2月24日 大分地裁 平19(行ウ)9号 大分県政務調査費返還等請求事件
(90)平成23年 2月18日 東京地裁 平21(行ウ)513号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(91)平成23年 1月31日 東京高裁 平22(行コ)91号 損害賠償請求住民訴訟控訴事件
(92)平成23年 1月28日 福岡高裁宮崎支部 平22(行ケ)1号 選挙無効請求事件 〔参院選定数訴訟(違憲状態)・福岡高裁宮崎支部〕
(93)平成23年 1月26日 広島高裁松江支部 平22(行ケ)1号 選挙無効請求事件 〔参院選定数訴訟(違憲状態)・広島高裁松江支部〕
(94)平成23年 1月21日 福岡地裁 平21(行ウ)28号 政務調査費返還請求事件
(95)平成23年 1月20日 東京地裁 平20(ワ)13385号 損害賠償等請求事件
(96)平成23年 1月19日 宇都宮地裁 平20(行ウ)13号 政務調査費不当利得返還請求事件
(97)平成23年 1月14日 東京地裁 平21(行ウ)279号 在留特別許可をしない処分取消請求事件
(98)平成22年12月16日 東京高裁 平22(行ケ)24号 選挙無効請求事件 〔参院選定数訴訟(違憲状態)・東京高裁〕
(99)平成22年12月16日 広島高裁岡山支部 平22(行ケ)1号 選挙無効請求事件 〔参院選定数訴訟(違憲状態)・広島高裁岡山支部〕
(100)平成22年12月 1日 東京地裁 平21(行ウ)374号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
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■「後援会 入会 募集 獲得 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
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■選挙の種類一覧
選挙①【衆議院議員総選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙②【参議院議員通常選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙③【一般選挙(地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙④【特別選挙(国政選挙|地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
(1)政治活動/選挙運動ポスター貼り ☆祝!勝つ!広報活動・事前街頭(単独/二連)選挙ポスター!
勝つ!選挙広報支援事前ポスター 政治選挙新規掲示ポスター貼付! 1枚から貼る事前選挙ポスター!
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(3)今すぐ無料でお見積りのご相談 ☆大至急スピード無料見積もり!選挙広報支援プランご提案
ポスター掲示難易度ランク調査 ご希望のエリア/貼付箇所/貼付枚数 ☏03-3981-2990✉info@senkyo.win
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(4)政界初!世界発!「ワッポン」 選挙管理委員会の認証確認済みPR型「ウィン!ワッポン」
完全無料使い放題でご提供可能! 外壁街頭ポスター掲示貼付ツール 1枚から対応/大至急/一斉貼付け!
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(5)選べるドブ板選挙広報支援一覧 選挙.WIN!豊富な選挙立候補(予定)者広報支援プラン一覧!
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アポイントメント獲得代行/後援会イベントセミナー集客代行/組織構築支援/党員募集獲得代行(所属党本部要請案件)/演説コンサルティング/候補者ブランディング/敵対陣営/ネガティブキャンペーン(対策/対応)
(6)握手代行/戸別訪問/ご挨拶回り 御用聞きによる戸別訪問型ご挨拶回り代行をいたします!
ポスター掲示交渉×戸別訪問ご挨拶 100%のリーチ率で攻める御用聞き 1軒でも行くご挨拶訪問交渉支援
ご指定の地域(ターゲットエリア)の個人宅(有権者)を1軒1軒ご訪問し、ビラ・チラシの配布およびアンケート解答用紙の配布収集等の戸別訪問型ポスター新規掲示依頼プランです。
(7)地域密着型ポスターPR広告貼り 地域密着型ポスターPR広告(街頭外壁掲示許可交渉代行)
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【対応可能な業種リスト|名称一覧】地域密着型ポスターPR広告(街頭外壁掲示許可交渉代行)貼り「ガンガン注目される訴求型PRポスターを貼りたい!」街頭外壁掲示ポスター新規掲示プランです。
(8)貼る専門!ポスター新規掲示! ☆貼!勝つ!広報活動・事前街頭(単独/二連)選挙ポスター!
政治活動/選挙運動ポスター貼り 勝つ!選挙広報支援事前ポスター 1枚から貼る事前選挙ポスター!
「政治活動・選挙運動ポスターを貼りたい!」という選挙立候補(予定)者のための、選挙広報支援プロ集団「選挙.WIN!」の事前街頭ポスター新規掲示プランです。
(9)選挙立札看板設置/証票申請代行 絶対ここに設置したい!選挙立札看板(選挙事務所/後援会連絡所)
選挙事務所/後援会連絡所届出代行 公職選挙法の上限/立て札看板設置 1台から可能な選挙立札看板設置
最強の立札看板設置代行/広報(公報)支援/選挙立候補者後援会立札看板/選挙立候補者連絡所立札看板/政治活動用事務所に掲示する立て札・看板/証票申請代行/ガンガン独占設置!
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