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政治と選挙Q&A「国政政党 地域政党 二連(三連)ポスター」に関する裁判例(27)平成22年 4月28日 東京地裁 平20(行ウ)642号 難民の認定をしない処分取消等請求事件

政治と選挙Q&A「国政政党 地域政党 二連(三連)ポスター」に関する裁判例(27)平成22年 4月28日 東京地裁 平20(行ウ)642号 難民の認定をしない処分取消等請求事件

裁判年月日  平成22年 4月28日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平20(行ウ)642号
事件名  難民の認定をしない処分取消等請求事件
裁判結果  一部却下、一部棄却  文献番号  2010WLJPCA04288012

要旨
◆ミャンマー連邦国籍の原告が、難民不認定処分及び在特不許可処分を受け、また、不法入国に該当すると認定され、それに対する異議の申出に理由がない旨の裁決及び退令処分を受けたため、当該不認定処分の取消し、裁決及び退令処分の無効確認、在特不許可処分の取消し又は無効確認を求めた事案において、在特不許可処分の取消しに係る訴えは出訴期間の経過のために却下とし、また、原告の母国での活動からは迫害されるおそれは認められず、本邦においてCNC-Japan等の一般メンバーになったとしても、具体的な活動をしておらず、ZNCのメンバーとして資金援助をしているとしても、迫害のおそれは認められない等として、その他の請求を棄却した事例

参照条文
出入国管理及び難民認定法24条1号

裁判年月日  平成22年 4月28日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平20(行ウ)642号
事件名  難民の認定をしない処分取消等請求事件
裁判結果  一部却下、一部棄却  文献番号  2010WLJPCA04288012

東京都豊島区〈以下省略〉
原告 X
訴訟代理人弁護士 濱野泰嘉
同 伊藤和夫
同 渡邉彰悟
東京都千代田区〈以下省略〉
被告 国
代表者兼処分行政庁 法務大臣千葉景子
処分行政庁 東京入国管理局長髙宅茂
処分行政庁 東京入国管理局主任審査官小出賢三
指定代理人 福光洋子
同 大宮由紀枝
同 壽茂
同 幸英男
同 江田明典
同 中嶋一哉
同 権田佳子
同 岡本充弘
同 髙﨑純

 

 

主文

1  本件訴えのうち,東京入国管理局長が平成18年8月29日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分の取消しを求める訴えを却下する。
2  原告のその余の訴えに係る請求をいずれも棄却する。
3  訴訟費用は,原告の負担とする。

 

事実及び理由

第1  請求
1  法務大臣が平成18年8月24日付けで原告に対してした難民の認定をしない処分を取り消す。
2  東京入国管理局長が平成18年8月29日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
3  東京入国管理局主任審査官が平成18年8月29日付けで原告に対してした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
4  (主位的請求)
(1)  東京入国管理局長が平成18年8月29日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分を取り消す。
(予備的請求)
(2)  東京入国管理局長が平成18年8月29日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
第2  事案の概要
本件は,ミャンマー連邦(同国は,数次にわたり改称しているが,以下,その改称の前後を区別することなく,「ミャンマー」という。)の国籍を有する外国人である原告が,出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)の規定による難民の認定の申請(以下「本件難民認定申請」という。)をしたところ,①法務大臣から難民の認定をしない処分(以下「本件不認定処分」という。)を受け,②東京入国管理局長から入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分(以下「本件在特不許可処分」という。)を受け,また,③東京入国管理局(以下「東京入管」という。)入国審査官から入管法24条1号(不法入国)に該当する旨の認定を,東京入管特別審理官から同認定は誤りがない旨の判定を,東京入国管理局長から入管法49条1項に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をそれぞれ受け,さらに,④東京入管主任審査官から退去強制令書の発付処分(以下「本件退令処分」という。)を受けたことから,本件不認定処分,本件在特不許可処分,本件裁決及び本件退令処分(以下,併せて「本件各処分等」という。)は,いずれも原告が難民であることを看過したもので違法である等として,本件不認定処分の取消し並びに本件裁決及び本件退令処分の無効確認をそれぞれ求めるとともに,本件在特不許可処分につき,主位的に取消しを,予備的に無効確認を求めている事案である。
1  前提事実(争いのない事実及び顕著な事実並びに掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
(1)  当事者
原告は,○○○○年(昭和○年)○月○日,ミャンマーにおいて出生したミャンマー国籍を有する外国人である。(乙2,3)
(2)  原告の本邦への入国及び在留の状況
ア 原告は,1998年(平成10年)11月ころ,有効な旅券を所持せず,かつ,法定の除外事由がないのに,韓国の釜山から,船籍船名等不詳の大型貨物船により,神戸港に到着し,本邦に不法入国した。(乙6,8,9)
イ 原告は,平成15年3月27日,東京都豊島区長に対し,居住地を同区〈以下省略〉として,外国人登録法(以下「外登法」という。)3条に基づく新規登録の申請を行い,同年5月13日にその登録を,同年6月2日に外国人登録証明書(以下「外登証」という。)の交付を受けた。(乙3)
ウ 原告は,平成16年5月17日,東京都豊島区長に対し,外登法11条1項及び3項に基づく切替交付の申請を行い,同年6月3日,外登証の交付を受けた。(乙3)
エ 原告は,平成17年5月26日,東京都豊島区長に対し,外登法11条1項及び3項に基づく切替交付の申請を行い,同年6月15日,外登証の交付を受けた。(乙3)
オ 原告は,平成18年6月7日,東京都豊島区長に対し,外登法11条1項及び3項に基づく切替交付の申請を行い,同年6月23日,外登証の交付を受けた。(乙3)
カ 原告は,平成19年6月28日,東京都豊島区長に対し,外登法11条1項及び3項に基づく切替交付の申請を行い,同年7月13日,外登証の交付を受けた。(乙3)
キ 原告は,平成20年7月14日,東京都豊島区長に対し外登法11条1項及び3項に基づく切替交付の申請を行い,同年7月30日,外登証の交付を受けた。(乙3)
(3)  原告に係る退去強制手続
ア 原告は,平成18年7月20日,入管法違反被疑事実(不法在留)により警視庁目白警察署警察官に逮捕され,同月26日,東京地方検察庁から入管法62条2項に基づく通報を受けた東京入管主任審査官は,同月27日,入管法24条1号に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして原告に対し収容令書を発付した。(乙4,5)
イ 平成18年7月28日,東京入管入国警備官は,入管法64条1項により原告の引渡しを受け,原告に対する収容令書の執行及び違反調査を行った上,同日,原告を入管法24条1号該当容疑者として東京入管入国審査官に引き渡した。(乙5ないし7)
ウ 東京入管入国審査官は,平成18年7月31日及び同年8月4日,原告に対する違反審査を行い,同日,原告が入管法24条1号に該当する旨の認定をし,原告にこれを通知したところ,原告は,同日,口頭審理を請求した。(乙8ないし10)
エ 東京入管特別審理官は,平成18年8月17日,原告に対する口頭審理を行い,同日,東京入管入国審査官の上記ウの認定は誤りがない旨の判定をし,原告にこれを通知したところ,原告は,同日,法務大臣に対し,異議の申出をした。(乙11ないし13)
オ 入管法69条の2に基づき法務大臣から権限の委任を受けた東京入国管理局長は,平成18年8月29日,上記エの異議の申出は理由がない旨の裁決(本件裁決)をし,東京入管主任審査官にこれを通知した。同日,東京入管主任審査官は,原告に本件裁決を通知するとともに,退去強制令書を発付する処分(本件退令処分)をし,東京入管入国警備官は,同日,同令書を執行し,原告を東京入管収容場に収容した。(乙14ないし17)
カ 原告は,平成18年10月12日,東京入管収容場から入国者収容所東日本入国管理センター(以下「東日本センター」という。)に移収された。(乙17)
キ 東日本センター所長は,平成19年3月6日,原告に対し仮放免を許可し,原告は,同日東日本センターを出所した。(乙17,18)
(4)  原告に係る難民認定手続
ア 原告は,平成18年8月3日,東京入管において,法務大臣に対し,本件難民認定申請をした。(乙19)
イ 入管法69条の2に基づき法務大臣から権限の委任を受けた東京入国管理局長は,平成18年8月7日,原告に対し,仮滞在を許可しない処分をし,同月11日,原告にこれを通知した。(乙20)
ウ 東京入管難民調査官は,平成18年8月11日,原告から事情聴取するなどの調査を行った。(乙21)
エ 法務大臣は,平成18年8月24日,本件難民認定申請について,原告が反政府活動家として迫害を受ける客観的危険性は認められないなどとして,難民の認定をしない旨の処分(本件不認定処分)をし,同月29日,原告にこれを通知した。(乙22)
オ 入管法69条の2に基づき法務大臣から権限の委任を受けた東京入国管理局長は,平成18年8月29日,原告について,入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分(本件在特不許可処分)をし,同日,原告にこれを通知した。(乙23)
カ 原告は,平成18年8月30日,法務大臣に対し,本件不認定処分について,異議申立てをした。(乙24)
キ 東京入管難民調査官は,平成19年12月12日,原告に対する審尋等を実施した。(乙26)
ク 法務大臣は,平成20年4月16日,上記カの異議申立てに対し,原告が迫害のおそれから逃れるために出国し,本件難民認定申請を行ったものとは認められず,本国政府が原告を殊更注視していたものとは認められないなどとして,原告の本件難民認定申請に対する異議申立てを棄却する旨の決定をし,同月30日,原告にこれを通知した。(乙27)
(5)  本件訴訟の提起
原告は,平成20年10月30日,本件訴えを提起した。(顕著な事実)
2  争点
(1)  本件在特不許可処分の取消しの訴えの適法性
(2)  原告の難民該当性の有無
(3)  本件在特不許可処分の適法性又は無効事由の有無
(4)  本件裁決及び本件退令処分の無効事由の有無
3  争点に関する当事者の主張の要旨
(1)  争点(1)(本件在特不許可処分の取消しの訴えの適法性)について
(被告の主張の要旨)
原告が本件在特不許可処分の通知を受けたのは,平成18年8月29日であり,同処分に係る取消訴訟は同日を起算点として6か月以内に提起しなければならないところ,本件訴えは,出訴期間満了日である平成19年2月28日を経過した後に提起されており,不適法である。
(原告の主張の要旨)
原告は,本件在特不許可処分につき,主位的に取消しを,予備的に無効確認を求める。
(2)  争点(2)(原告の難民該当性の有無)について
(原告の主張の要旨)
ア 難民の意義等
(ア) 難民認定行為は,難民であることを有権的に確定する行為であって,裁量行為ではない。
難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)にいう「迫害」とは,「国家の保護の欠如を伴う基本的人権に対する持続的若しくは系統的危害」であるから,生命又は身体の自由に対するものに限られず,広く,経済的・社会的自由,精神的自由に対する抑圧や侵害も検討されなければならない。難民条約の一定の締約諸国の慣行によれば,雇用機会の差別,解雇,職業資格のはく奪,略奪,さく取,私有財産の没収ないし国有化,経済行為に係る制限ないし差別的処遇が迫害に該当するか,迫害措置の一端であるか,あるいは迫害の認定において考慮されなければならない事柄であると解されている。明らかなのは,生存の否定につながる系統的な圧迫,最低限の生活維持を困難ならしめる措置が積極的に認定され得るということである。
「迫害」は,ある個人に対してのみ発現するとは限らず,一般的な抑圧状況の下で,一般的に行われる可能性を有している。そして,申請者の属する集団が一般的に迫害に相当するような処遇を受けているという一般抑圧状況があれば,申請者が運や偶然によって迫害の対象となる見込みは十分にあるのであって,申請者が個別に迫害対象として選別される見込みがあることを根拠をもって説明する必要はない。また,一般的抑圧の状況が,迫害に相当するような処遇とまでは一概にいえない場合でも,申請者の個別状況とあいまって,「十分に理由のある恐怖」を肯定する材料になることは十分に考えられる。
(イ) 難民認定手続における立証責任は,訴訟手続における立証責任とは異質のものである。その理由は,①紛争の解決と難民保護という目的の違い,②対審構造と非対審構造の違い,③事実を主張する者が証拠に近いという経験則に基づく前提が難民認定申請者には当てはまらないという点にある。また,入管法61条の2の3第1項制定当時の政府委員の答弁も,申請者がその難民性を証明する十分な資料を持ち得ないことを前提に,認定機関による資料収集を当然の責務としていた。したがって,同項は,難民認定申請者にまずは立証責任があるという大原則を示すと同時に,申請者がその地位のゆえに十分な資料・情報の収集ができないことをも所与の前提として,認定機関側にこれを調査し収集する責務があることを定めたものと解すべきであり,申請者は自分自身に関する情報の収集を,認定機関は出身国情報や申請者の主張事実の裏付け情報,日本での同種認定事例や他国での認定事例などの調査・情報の収集を負担すべきである。
被告は,同項の解釈について,「十分に理由のある迫害のおそれ」の立証責任は全面的に申請者側が負担するものであると主張しているが,そうした解釈は,難民条約・難民議定書及びその難民保護の趣旨に適合せず,制度的にも根拠がなく,他の締約国の運用とも抵触している上,立法意思にも反している。
また,①訴訟手続における立証基準の理論がそのまま難民認定手続に導入される理論的必然性はないこと,②難民認定制度は紛争の終局的解決を目的とした手続ではないこと,③難民認定機関は弾劾機関ではなく難民の保護援助を目的とした機関であること,④証明対象が恐怖という主観面を含むものであり,かつ,将来の迫害の危険に係る未来予測的性格を有するものであること,⑤立証基準のハードルを高くすることによって保護されない難民が生じることになると失われる法益は極めて重大であることなどや,難民保護の目的,各締約国の実務運用からみれば,難民性の立証基準は,確信すなわち難民であるとの主張が合理的な疑いの余地のない程度にまで立証することを必要としないのはもちろん,均衡の理論すなわち難民である蓋然性が難民でない蓋然性より高いことの立証すら必要ではなく,当該申請者が置かれた状況に合理的な勇気を有する者が立ったときに,帰国をしたら迫害を受けるかもしれないと感じ,国籍国への帰国をためらうであろうと評価し得る場合に,その恐怖に十分な理由があるということができるという基準を採用すべきである。
さらに,難民認定手続が取り扱う保護法益の重要性,難民認定における信ぴょう性判断の持つ重要性から,難民認定機関において信ぴょう性判断を誤りなく行うことが求められるが,その特殊性ゆえに,信ぴょう性判断は困難で専門的な作業となっている。そのため,難民認定を多数取り扱う難民条約の主要締結国において信ぴょう性判断のために留意すべきとして指摘されている点(甲25,41,47,49参照)に注意をして,この判断が行われる必要がある。
(ウ) 以上に基づき,以下の事情にかんがみると,原告は,同人が有する政治的意見等を理由に,ミャンマーに帰国した場合に迫害を受けるという十分に理由のある恐怖を有することは明らかであって,難民に該当すると認められる。
イ ミャンマーの一般情勢
(ア) ミャンマーは,1947年(昭和22年)にイギリスから独立した。1962年(昭和37年),ネィウィンが軍事クーデターによって全権を掌握し,その後,軍と情報組織を用いながら,独自の社会主義思想に基づいて国軍の指導の下に,ビルマ社会主義計画党によってミャンマーを一党支配した。しかし,ビルマ式社会主義は,極端な不振にあえぎ,1987年(昭和62年)には,国連によって後発発展途上国の指定を受けるまでになった。1988年(昭和63年)3月,ヤンゴン工科大学の一部の学生が体制に対して命がけの抵抗を始め,同年8月から同年9月前半にかけて最も高揚した民主化運動は,首都ヤンゴンで連日数十万人の人々がデモや集会に参加する民主化闘争となり,地方都市でも状況は同じで,その嵐は農村部にまで及んだ。しかし,同月18日,国軍の幹部20名から構成される国家法秩序回復評議会(SLORC。以下「SLORC」という。)による軍事政権が全権を掌握し,国軍が全面的に政治権力を行使することになった。
1990年(平成2年)5月27日,複数政党制に基づく総選挙が実施され,国民民主連盟(NLD。以下「NLD」という。)が,書記長アウンサンスーチーを当局による自宅軟禁のために欠きながら,議席の81%を獲得した。ところが,SLORCは,この結果を認めず,政権委譲の無期限延期という態度を取った。1993年(平成5年)1月に制憲国民会議が発足したが,現在に至るも憲法草案の審議が続けられている。
国会の開催に軍政が応じないことから,1998年(平成10年)9月16日,NLDは,当選議員10人から成る国会代表者委員会(CRPP。以下「CRPP」という。)を発足させたが,そのことは,軍事政権のNLD抑圧を一層強め,家族への嫌がらせなどを通じてNLDの党員を脱党させるなど様々な抑圧行為がされている。また,軍事政権は,アウンサンスーチーがヤンゴンから出ることを一切認めず,地方に移動しようとするたびに強制的に自宅に連れ戻されるという事件が3回起き,その後,事実上の自宅軟禁措置が採られた。2001年(平成13年)末の時点で,ミャンマー政府は,1990年選挙のNLD選出の当選議員20名と800名以上のNLD党員を拘束し,1500名以上の政治犯を収監していた。
(イ) 2003年(平成15年)5月30日,ミャンマー北部のディペインで,軍政翼賛団体である連邦連帯開発協会(USDA。以下「USDA」という。)のメンバーが遊説中のアウンサンスーチーらNLD党員・支持者を襲撃するという事件(ディペイン事件)が起き,多数の死傷者が出たほか,アウンサンスーチーら幹部をはじめ,多くのNLD党員が軍施設等に拘束された。アウンサンスーチーは,インセイン刑務所に拘束され,NLDへの弾圧は強化された。その後,アウンサンスーチーは,刑務所から釈放されたものの,現在に至るまで自宅軟禁が続いている。
2004年(平成16年)10月19日,軍事政権の中では穏健派とされていたキンニュン首相が失脚し,後任には,ディペイン事件の計画者とされるソーウィン第一書記が就任し,軍事政権は強硬派で固められ,それまで以上に民主化運動への弾圧のおそれが強まった。
2007年(平成19年)8月,軍事政権は,天然ガスと石油の公定価格を大幅に引き上げ,これに対して抗議行動をした88世代学生グループに対して,同グループはテロリスト集団であるとして,そのメンバーを逮捕するなど弾圧をした。また,不安定な状況を利用してNLDが権力の座に就こうとたくらんでいるとして,同月から同年9月にかけて,軍事政権は,多くのNLD党員の身柄拘束をするなど弾圧を行った。さらに,同月18日,僧侶が国軍から暴力を振るわれたことを契機に全国の僧侶等が抗議行動を行ったところ,デモをしている僧侶が国軍から襲撃を受けるなどし,多数の逮捕者が出たほか,殺害される僧侶等も出た。
(ウ) ミャンマーでは,一般国民や政治活動家が数時間から数週間にわたって行方不明になるということが発生している。これは,反政府活動家等が自由に政治思想を表明することを妨げ,あるいは集会をすることを妨害する目的で,国防情報管理局理事会(DSSI。以下「DSSI」という。)の職員が反政府活動家等を逮捕しているためである。また,当局は,脅迫等を目的に,睡眠・食事の禁止をして長時間尋問を行い,殴る蹴るの暴行を加えることもある。刑務所の状況は,非常に劣悪である。
さらに,SLORCが最高裁判所判事を指名するなど,司法機関は,行政機関から独立しておらず,政治的な裁判は,当局の指図の下に行われている。
広範囲の情報網及び行政手続を通じて,政府は,多くの国民,とりわけ政治的に活動的な人物の移動及び活動を綿密に監視している。治安部隊関係者は,令状なしで私有地等の捜索などを行い,政府は,外国のラジオ放送の電波妨害を試みており,国民は,外国の出版物を購入することが一般的にはできない。
さらに,ミャンマーにおいては,多くの政治囚を生み出すことを可能とする多数の法律(緊急事態法,非合法団体法,印刷出版登録法及びその改正法,1985年ビデオ法など)が存在し,ミャンマー政府はこれらの法律を適用して,反政府活動家を弾圧している。
ミャンマーでは,拷問や虐待が制度化されてきたとされ,軍情報部員,刑務所の看守や警察官は,政治的理由による拘留者を尋問するときに,また,暴動を牽制するための手段として,拷問や虐待を用いている。治安部隊は,情報を引き出したり,政治囚や少数民族の人々を罰したり,軍事政権に批判的な人々に恐怖を植え付ける手段として,拷問を用い続けている。
加えて,現在のミャンマーでは,国外の反政府活動家や,外国で庇護を申請した者すなわち難民認定申請者が帰国すれば,空港到着後すぐに逮捕されて,刑務所に収容され,重い刑を科される状態にある(甲43ないし45)。
(エ) ミャンマー北西部の山岳地帯にあるチン州は,推計50万人のチン民族(以下「チン族」ということがある。)にとっての故郷である。「チン」とは,一般的にミャンマーにある多くの民族集団の1つを指すが,「チン」自体も民族的かつ言語学的に多様で,少なくとも6つの主要な部族集団が確認されており,63の小部族に分類することができる。
ミャンマー独立以降,チン民族の地域では,武装反政府勢力が活動しており,1988年(昭和63年)8月8日の民主化蜂起後,国軍の存在が増大してから,それらの反政府勢力(チン民族戦線(CNF。以下「CNF」という。)とその武装組織であるチン国民戦線(CNA。以下「CNA」という。)が反政府運動の要となった。しかし,長年にわたりチン州を国軍が占領している結果,それらの勢力の活動は大幅に低下した。他方,1990年代における国軍の増強期間に,チン州では,国軍によって,インフラ整備計画や軍事キャンプ建設のための強制労働が行われ,また,日常的な暴力と恣意的な職権濫用が行われた。国軍は,移動の自由を制限することに始まり,強制労働や,特定の作物を栽培するよう強要して食糧の栽培等を制限するなど,国軍は,チンの人々の生活をあらゆる面で管理しており,特に,村長やCNF,CNAなどの反政府民族集団と連絡を取っていると疑われる者を裁判のない死刑の標的としており,また,国家平和開発評議会(SPDC。以下「SPDC」という。)は,政治に異議を唱える者を鎮圧し,村人たちを威圧し,虐げ,基本的自由を制限するため,子どもを含めたチン人共同体のメンバーを日常的に逮捕し,投獄しており,治安部隊は,抑留者を尋問する際,情報を引き出すため,また,軍事政権にとって潜在的脅威であるとみなす者を処罰し,脅迫して,卑しめるために,拷問を用いている。
このように,ミャンマー政府は,チン民族を徹底的に弾圧しているのである。
ウ 原告のミャンマー等における活動
(ア) 原告は,○○○○年(昭和○年)○月○日,父A,母Bの子として,チン州ティディムで出生した,チン民族(そのうちのゾミ民族)に属する者である。原告には,10人のきょうだいがいる。
原告の家族は,ティディムで一番大きな写真館を経営しており,ティディムに住むきょうだいはみな写真館を手伝っており,原告自身も,1982年(昭和57年)に高校を卒業後,写真館の仕事を手伝い,写真の撮影や現像の技術を身に付けた。
(イ) 原告は,高校生のときから民族・政治活動に関心があったが,特定の団体に所属することはなかった。原告は,1988年(昭和63年)8月初旬,大学生が政府に抗議する演説をしているのを聴き,政治活動に参加しようと思い,同月8日にミャンマー全国で民主化運動が起こったときに,ティディムで起きた300人規模のデモに参加した。原告は,デモ行進や演説の写真,軍隊が到着したときの写真,軍人と治安警察が町中を歩いている写真を撮影した。デモの写真を撮影しながらデモに参加していたのは,原告だけであり,原告の活動はとても目立っていた。原告の兄弟の中でも,政治活動の記録写真を撮る活動をしていたのは,原告だけであった。原告は,6回のデモに参加し,約200枚のデモの写真を撮影し,それらの写真を,弁護士であり,後にゾミ民族評議会(ZNC。以下「ZNC」という。)の代表者となるCに渡すといった反政府活動も行った。
原告は,デモに参加したほか,少人数の集まりに参加し,また,ティディムから数km離れた村々に行き,民主化と平和を求めたり,民族問題を訴えたりするビラを配布する活動にも参加した。同年8月の終わりころ,デモ参加中に,原告は,治安警察や軍隊から,棒で胸を突かれるなどの暴行を受け,そのときの傷跡は今でも原告の左胸にはっきりと残っている。
同年9月18日にクーデターが起こってから,ティディムにも軍が進駐してきて,民主化運動ができなくなった。ただ,原告は,軍がやって来た様子,強制労働により駐屯地を建設している様子などを写真撮影した。その後,軍事政権が1990年(平成2年)5月に総選挙を実施すると発表したことで,1988年(昭和63年)10月18日,ティディムでZNCが設立され,原告は,すぐにZNCにメンバーとして参加した。原告は,毎週末,2,3人でティディムから数km離れた村々に行き,教会や知り合いの家などに村人を集め,ZNCに勧誘する組織活動をした。なお,ZNCは,1992年(平成4年),ミャンマー政府によって非合法化され,代表者のCは現在もミャンマーで身柄拘束されている。
(ウ) 原告は,1989年(平成元年)3月ころ,父から,原告の名前がポーターのリストに載っており,ポーターとして連れて行かれる危険があるから逃げた方がよいと言われた。実際,そのころまでに原告と同じようにデモに参加し,目立つ活動をしていた仲間が連行されていた。原告も,デモなどの記録写真を撮影していた人物として,デモなどで目立つ活動をして顔を知られており,ポーターのリストに載っていた可能性が高かったため,原告は,身の危険を感じ,同月インド国境に逃亡した。
原告は,ティディムを出た後,インドのチャンパイに移動し,そこで2か月間滞在し,その後,シャルチに移動し,1992年(平成4年)までそこで写真の現像の仕事を手伝っていた。
原告は,インド国境に逃亡した際に,ミャンマーから脱出してきた学生たちに協力し,また,インド国境への逃亡の状況や軍の駐屯地建設現場,強制労働の状況を写真撮影し,その写真を国境にいる反政府組織に属する人物に渡した。このとき原告が撮影した写真は,その後,インドに逃れたチン民族が発行している雑誌に掲載された。
(エ) 原告は,インド滞在中,友人を介して,ティディムに残る両親と手紙で連絡を取り合っていた。原告は,父からの手紙で,ティディムに戻るのは危険だが,ティディムから24時間ほど離れたヴァンテ村なら安全かもしれない,ヴァンテ村に住むDのところに滞在させてもらうとよいと告げられた。そこで,原告は,1992年(平成4年)にミャンマー国内に戻り,ヴァンテ村のDのところに移った。
しかし,ヴァンテ村に滞在中,原告は,Dから,ティディムの実家に軍情報局が来たことを知らされた。Dによれば,軍情報局は,原告の実家を訪れ,まず原告がいるかを尋ね,不在であると知ると,原告の両親・兄弟に対し原告が1988年(昭和63年)に撮影したデモの様子の写真が残っていないかを尋ね,写真を探したが見付からず,写真館にあった写真及びネガフィルムを没収した。
さらに,1995年(平成7年)3月ころ,ヴァンテ村に滞在中,原告は,再びDから,ティディムの実家に軍情報局が捜索に来たことを知らされた。軍情報局は,このときも原告を捜し,また,原告の撮影した写真を探して,写真及びネガフィルムを没収していった。
(オ) 原告は,再び軍情報局が原告を捜しに実家に来たことを聞いたため,身の危険を感じ,第三国に逃れることにした。原告は,大金を払って旅券をブローカーに手配してもらい,1995年(平成7年)7月にシンガポールに脱出し,そこで約8か月半滞在した。その後,マレーシアやバンコクを行き来していたところ,原告は,バンコクにいるとき,チン族の教会の牧師に出会った。原告が,その牧師にミャンマーに戻ると逮捕される危険があるため,本国に戻れず困っていると伝えると,韓国でユース・カンファレンスがあるから一緒に行こうと誘われた。そこで,原告は,韓国の査証を取得するためバンコクにある韓国大使館に行ったが,ミャンマーに戻らなければ査証は取得できないと言われ,査証を取得するためミャンマーに一時帰国することとした。
原告は,1996年(平成8年)7月12日にミャンマーに一度入国した。原告は,身の危険を感じていたが,ミンガラードン空港の入国管理局の職員に40米ドルを払ったところ,30日以内に出国することを条件に安全を保障してもらうことができた。原告は,韓国の査証を取得して,同年8月1日にミャンマーを出国し,タイを経由して韓国に出国した。その後,原告は,実際にユース・カンファレンスに参加した後(原告は,本国に送還される可能性のあるタイ,マレーシア,シンガポールから他国に脱出するために牧師に誘われて参加したのであって,ユース・カンファレンスの内容について具体的に説明できなくても何ら不思議ではない。),韓国に1年半滞在した(原告の韓国への入国目的に稼働目的が含まれていたとしても,経済的目的があるからといって迫害に対する恐怖心がないとはいえないから,そのことをもって原告の難民該当性は否定されない。)。
なお,被告は,原告が退去強制手続や難民認定申請手続で入管職員に賄賂等の金員を支払った旨の供述を一切していないというが,原告は,「私は,人伝に探した空港の入管職員に連絡を取って,1か月以内に出国するとの約束で」(乙21)と供述しており,これは,一時帰国した際,空港の入管職員に40米ドルを支払って安全を保障してもらったということと同趣旨の供述である(この供述に続いて,原告は,「私は,シンガポールと韓国に行くため,2回本国を出国していますが,空港の手続きで特にトラブルになったことはありません。」と供述しているが,これは,単に空港の手続でトラブルがなかったことを意味するにすぎず,賄賂等の金員の支払があったことと矛盾するものではない。)。そして,原告は,異議申立てに係る申述書の中で,空港の入管職員に40米ドルを支払って安全を保障してもらったことなどを述べているが,この申述書が難民調査から約1か月で作成され,その間,原告が入国管理施設に収容されていたことからすれば,虚偽とはいえず,むしろ原告が難民調査で十分に伝えられなかった事実を表現したものである。
(カ) 1998年(平成10年),韓国の経済が悪化したため,原告も職を失い,教会に避難することを余儀なくされた。韓国に滞在するミャンマー人の中にはミャンマーに帰った人もいたが,原告は,ミャンマーに帰ると逮捕される危険があったため,隣国である日本に逃れることにした。原告は,ブローカーに約210万ウォン(給料3か月分)を支払って,日本に密入国した。
エ 原告の日本における活動
(ア) 原告は,平成12年ころから,在日チン族協会(CNC-Japan。以下「CNC-Japan」という。)が毎年2月20日近くの日曜日に開催するチン民族記念日(チン・ナショナル・デー)のイベントに参加するようになり,その後,CNC-Japanのメンバーとなり,チン族の宗教,民族,政治,社会活動を支持する活動を続けている。
また,在日ビルマ連邦少数民族協議会(AUN-Japan。以下「AUN-Japan」という。)にも参加している。
(イ) 原告は,具体的には,抗議デモなどの団体の活動に参加し,CNC-JapanやAUN-Japanの活動の記録写真を撮影し,団体に写真を渡すという活動をしている。
また,CNC-Japanでは,ミャンマーの各政治団体が共同開催するイベントにCNC-Japanからの代表として参加することもしている。例えば,平成19年5月27日に名古屋で開催された1990年(平成2年)のミャンマー総選挙の17周年記念イベントでは,原告は,CNC-Japanの代表としてCNC-Japanの旗を持ってステージに立った。また,原告は,大使館前の抗議デモの際に,CNC-Japanを代表して街頭で演説することも行っている。
さらに,原告は,ミャンマーでのZNCの活動を支援するため,年に2回,年間約3万円ほどの寄付金をZNCの代表に送金している。
オ 原告の次兄の事情
(ア) 原告の次兄であるEは,1988年(昭和63年)の民主化運動で原告と同様にデモに参加し,逮捕・身柄拘束された。Eは,解放された後逃亡し,平成4年から平成14年まで日本に滞在した。日本ではとても元気だった。
(イ) 平成14年6月,Eは,故郷の父の勧めに従い,日本を出国し(その際,ミャンマー大使館や東京入管には,帰国理由を病気のためと虚偽申告した。),ミャンマーに帰国し,ティディムの実家に戻った。しかしながら,Eは,同年8月に軍情報局に逮捕され,同月から2003年(平成15年)2月まで身柄を拘束された。同人は,身柄拘束中,ミャンマーや日本で参加した自身の反政府活動のほか,原告の活動歴などについても脅迫・暴行を伴う厳しい尋問を受けた(このことからすれば,原告は,1988年の民主化運動に関与して写真撮影をした者,インド国境のミャンマー出国・強制労働の様子を写真に撮影し,インドの雑誌に投稿した者,日本において反政府活動を行っている者として,ミャンマー政府に把握され,逮捕すべき対象になっていることが明らかである。)。
(ウ) Eは,2003年(平成15年)3月に釈放された際には,拘束中に激しい暴行を受けたため,精神的にも肉体的にも衰弱し切った状態で,釈放後も食事をほとんど食べることができず,どんどんやせ細り,ずっと寝ているような状態になってしまった。Eは,父母の看病にもかかわらず,2004年(平成16年)9月に死亡した。
カ 旅券の所持及び本国出国に係る事情
(ア) 原告がブローカーに6万チャットを支払って依頼し,旅券を取得したこと(原告は,ブローカーを通じて旅券を取得しているのであって,これが真正なものであると確認することはできない。),出国の際にブローカーの手配があったこと,再入国の際空港の入国管理職員に40米ドル支払い,その職員から30日以内の出国を条件に安全を保障してもらったこと(原告が難民調査官に対し,「私は,人伝に探した空港の入管職員に連絡を取って,1か月以内に出国するとの約束で」と供述しているのは,同じ趣旨を供述したものである。),再出国の際,空港職員に賄賂を支払ったこと(原告が難民調査官に,空港での手続でトラブルになったことはないと供述していることは,賄賂を支払ったことを否定するものではない。)などからすれば,原告がミャンマー政府から正規の手続で旅券を取得し,正規に出国を許可されたわけではないことは明らかである。
(イ) また,仮に,原告が正規の手続で旅券を取得し合法的に出国したとしても,そのことを理由に原告の難民該当性を否定することはできない。そもそも難民認定申請者が正規の旅券の発給を受けて合法的に出国したことが難民該当性と関連性を有しない事実であることは,今日の国際難民法上常識である。また,各国において,難民認定申請者が正規の旅券を取得し合法的に出国したことが難民認定の障害となるという考え方は誤ったものとして退けられている。さらに,難民認定実務において,正規の旅券を所持し合法的に入国した事案においても,多くの難民認定事例があるのである。なかんずく,ミャンマーにおいては,反政府活動家など政府が迫害を加えようとする者はすべからく旅券の発給が拒否され,出国が認められないなどという状況にはないのである。
(ウ) 被告は,原告が一時帰国した事実から,当時,原告が本国政府から反政府活動家として把握され迫害を受けるというおそれを有していなかったことが明らかであるというが,旅券を使用して再出入国した点については,前記(ア)及び(イ)において主張したとおりである上,原告は,再出入国に当たり,空港の入国管理職員あるいは空港職員に賄賂を支払い,安全を保障されていたのであるから,被告の主張は失当である。
キ 原告の主張・供述の信ぴょう性
原告の主張及び供述の基本的内容は,手続の当初からほぼ一貫しており,内容的にも,虚構であるならば容易に思い付き得ないと考えられる程度に具体性・迫真性に富んでいる部分が多く含まれている。細部に置いて多少の矛盾や食い違いが見られるとしても,それは,迅速で形式張らず,口頭の証拠のほとんどを通訳というフィルターを通し,録取担当者自身も伝聞で調書を作成し,申請者の緊張,文化的相違に加え,担当者の情報不足などから混乱や誤解が生じやすいという手続の特殊性や,時間の経過に伴う記憶の変容,希薄化が避け難く,むしろ,幾度となく行われた供述の内容が完全に一致することの方が不自然というべきことからしても,すべて細部における枝葉末節のものであり,この程度の一貫性,合理性の欠如は,原告の主張,供述の根幹部分における信用性を何ら否定するようなものではない。
ク その他の被告の主張に対する反論
被告は,原告が出国後相当期間にわたり,合理的な理由もなく難民認定申請をしていないと指摘するが,原告が難民認定申請制度を知ったのは,来日後の平成15年ころであり,それ以前に難民認定申請をすることは期待し得ない。また,それ以降原告が難民認定申請をしなかったのは,40万円掛かると言われた費用が工面できず,ほかに方法を知らなかったこと,本国の家族に危険が及ぶことを危ぐしたことからであり,原告の次兄が本国帰国後身柄を拘束され,厳しい尋問を受けたことを思えば,原告が難民認定申請をちゅうちょしたことは当然といえる。原告が収容に至るまで難民認定申請をしなかったことは,その難民非該当性を示すものではない。
また,原告の本邦への入国目的の中に稼働目的が含まれるとしても,それが難民該当性の否定につながらないことは既に日本の裁判所が認めるところであり,また,経済的目的があるからといって迫害に対する恐怖心がないとはいえないことは既に主張したとおりである。
(被告の主張の要旨)
ア 難民の意義等
入管法2条3号の2,難民条約1条及び難民議定書1条の「難民」の定義における「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧をいう。また,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」とは,申請者が,迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該申請者の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解すべきである。また,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」とは,迫害を受ける抽象的な可能性があるだけでは足りず,迫害を受けるおそれを抱くといえるような個別具体的な事情が存することが必要である。
そして,難民認定をいかなる手続で行うかについては,難民条約に規定がなく,各締約国の立法政策に委ねられているところ,入管法の規定の仕方,難民認定は,難民の地位に基づく種々の利益的取扱いを受ける要件であり,難民認定処分は授益処分といえること,申請者が難民であることを基礎付ける資料は,一般的に,申請者がそのほとんどを保有していることからすれば,難民であることの立証責任は難民であると主張する者にあるというべきである。さらに,行政事件訴訟法7条は,同法に定めのない事項は民事訴訟の例によると規定しているところ,民事訴訟において主要事実を立証しようとする者は,合理的な疑いを容れることができないほど高度の蓋然性が認められる程度の証明をしなければならないから,申請者は,自己が難民であることについて,上記の程度の証明をしなければならない。原告は,証明の程度を軽減すべきであるというが,特別の定めもないのにそのようなことは許されない。
以上を前提として,以下の事情にかんがみると,原告の本国及び日本における活動内容を理由に,個別具体的な迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような客観的な事情が存するとは認められない。
イ ミャンマーの一般情勢
現在のミャンマーにおいて,政治的意見を理由に迫害を受けるという個別具体的な事情が認められるためには,単にその者が何らかの反政府的活動を行っているというだけでは足りないのであって,積極的な反政府活動を行う団体をその中心的な構成員として組織している人物であれば格別,高い政治意識をもって積極的な反政府活動を行っているとは認められない者,例えば,日本でミャンマー人の民主化団体に所属するものの,その団体の基本的運営方針を決定する上で重要な役割を担っているわけではなく,あるいは政府を批判する政治的デモに参加はするものの,大勢の参加者の一人として参加するにすぎないなど,いわば「その他大勢の活動家」にすぎない者については,ミャンマー政府から迫害の対象とされるという客観的・具体的な危険性は認められず,その政治的意見を理由に迫害を受けるという個別具体的な事情は認められない。
ウ 原告のミャンマー等における活動
原告のミャンマー等における活動に関する上記各主張は,本件不認定処分後における異議申立てに係る申述書(乙25)の記載に基づいてされたものであると認められるところ,これを裏付ける客観的証拠は全くない上,その記載内容は,退去強制手続及び難民認定申請手続における各供述内容と異なる点が多々あり,また,その記載内容自体不自然不合理極まりないことから,原告の主張はいずれも事実であるとは認められない。また,仮に原告の主張するような事情があったとしても,ミャンマー政府が原告を反政府活動家として把握し,迫害の対象として関心を寄せていたと認めることはできない。
エ 原告の日本における活動
原告が主張する本国以外での反政府活動は,日本での活動のみであるところ,原告は,日本での活動内容として,平成12年ころから,CNC-Japanのイベントに参加するようになり,その後,同組織の会員となり,ミャンマー各政治団体が共同開催するイベントにCNC-Japanの代表として参加したり,AUN-Japanの活動に参加するなどし,いずれの活動においても記録写真の撮影やデモを行っている上,ZNCには現在も在籍し,年に2回,年間約3万円を寄付している旨主張している。
しかしながら,本件不認定処分以前に原告が日本で行った反政府活動を裏付ける客観的証拠はない上,原告は,違反調査において「日本ではミャンマー政府に対する反政府活動はおこなっていません。」(乙6),違反審査において「日本に来てからは,何の組織にも加入していませんし,反政府活動もしていません。」(乙9)と各供述し,難民調査においては「私は,ZNCのメンバーとして現在も年2回程度,本国の家族を通じて1回につき3千チャットの資金援助を続けていますが,これを証明できる資料はありません。日本では,デモ活動等に参加したことはありませんが,CNC(在日チン民族協会)のメンバーとは連絡を取り合っています。(中略)私が日本での在留を希望するのは,本国での政治活動を理由に,帰国すれば危険な目に遭う可能性があるからです。」(乙21)と供述していたのにもかかわらず,異議申立てに係る申述書において「わたしは日本に来て以来,チン人の宗教,民族運動,政治運動,社会活動にできるかぎり参加してきました。在日チン族協会(CNC-Japan)の活動や,チン民族記念日の開催支援などの活動に参加してきました。わたしは,ゾミ民族会議(ZNC)の活動方針に賛同し,今日までメンバーとして経済的な支援を続けています。」(乙25)と陳述して上記各供述を不自然に変遷させており,上記陳述内容のうち,当初の供述を変遷させた部分は,本件不認定処分前における日本における活動についての陳述としては全く信用できない。そして,原告が本件不認定処分以前に日本において行った活動として供述していたのは上記資金援助のみであり,これが事実であるとしても,原告が行った資金援助は,年に2回,日本円に換算して約3万円程度にすぎないのであり,この程度の活動をもって,本国政府が原告を反政府活動家として迫害の対象と把握していたとは認め難い。
オ 原告の兄の事情
原告は,平成4年から日本に滞在し平成14年6月に本国に帰国した次兄Eが,同年8月,同人及び原告の反政府活動により軍情報局に逮捕され,2003年(平成15年)2月まで身柄を拘束され,脅迫暴行を伴う尋問を受け,釈放後も精神的肉体的に衰弱し,2004年(平成16年)9月,死亡した旨主張する。
しかしながら,この主張を裏付ける客観的証拠はない上,原告は,退去強制手続においてはEが本国で逮捕されたことについて一切供述しておらず,難民認定申請書にも家族が逮捕,勾留,拘禁その他身体の拘束や暴行等を受けたことはない旨記載していたのであり(乙19),難民調査においても「日本で働いていた次兄が帰国した時に,当局の調べを受けた(中略)次兄は,帰国する前,きちんと税金を納めたにも関わらず,帰国すると税金が足りないと言われ,調べを受けたそうです。(中略)また,次兄は,写真等を見せられ,この人を知っているか,組織を知っているか,どのような活動をしていたのか,等と尋問を受けたと父から聞いています。(中略)10年間日本で働き,5年前に自ら帰国した次兄Eは,2年前に胃癌で他界したと父から聞いてます。」と供述していたのである(乙21)。ところが,原告は,異議申立てに係る申述書において上記供述内容と著しく異なる陳述をするに至っており,これが虚偽であることは明らかである。仮にEが帰国後に本国政府の取調べを受けたとしても,それは,原告の上記供述にもあるように税金を未納していたことによるものであり,また,Eが本国に帰国後,死亡したのは本邦滞在時からの体調不良によるものである可能性が高いといえる。
原告は,難民該当性の事情を作出するためEが帰国後,取調べを受けたことや死亡したことを利用して虚偽の陳述をしたものと認められ,同陳述に基づく原告の上記主張も事実とは認められない。
カ 難民該当性を否定する事情
以下の事情からすれば,原告がミャンマー政府から反政府活動家として迫害を受けるというおそれを有していたとは認められず,かえって,原告が稼働目的で本国を出国し,本邦に不法入国したものであることは明らかである。
(ア) ミャンマーにおいては,反政府活動家に対する旅券発給審査が相当厳格に実施されており,出国手続もまた相当厳格に実施されていることから,ミャンマー政府が反政府活動家として関心を寄せている人物に対して,旅券の発給又は更新をしたり,正規の出国許可をするとは考え難いところ,原告は,ヤンゴンにおいて,1995年(平成7年)4月26日付け発行の真正な原告名義の旅券を取得している(乙2)。このことからすれば,仮に原告が何らかの反政府活動に参加していたとしても,その程度は,正規に旅券が発給される程度,すなわち,ミャンマー政府が関心を寄せない程度のものにすぎなかったと考えられるのであって,そのような程度の活動内容が,原告の難民該当性を裏付け得ないことは明らかである。
なお,原告は,旅券取得について,ブローカーに金銭を支払手続をしてもらったというが,仮にそのような事実があったとしても,ミャンマー政府が原告に対し原告名義の真正旅券を発給したことは事実であり,何ら上記主張を左右するものとはならないし,加えて,原告は,自ら旅券事務所に赴き旅券の申請及び受領を行った旨供述しているから(乙21),少なくとも旅券を取得する時点において,原告は本国政府から反政府活動家として迫害されるおそれを有していなかったものと認められる。
(イ) 原告は,1995年(平成7年)7月6日及び1996年(平成8年)8月1日の2度,正規の手続でミャンマーを出国しているところ(乙2),そもそもミャンマーにおいては,反政府活動家に対する出国手続もまた相当厳格に実施されていることが明らかであるから,仮に,軍事政権が原告を民主化運動家として敵視していることが事実であるとすれば,そのような者に対して出国許可がされるとは考え難い。むしろ,原告が正規に出国した事実は,ミャンマー政府が原告を反政府活動家として把握していなかったことの証左というべきものである。
この点,原告は,1996年(平成8年)7月に本国に一時帰国した際,空港職員に40米ドルを支払って安全を保障してもらったと主張しているが,原告は,退去強制手続及び難民認定申請手続において,本国を出国した際や一時帰国した際,入管職員に賄賂等の金員を支払った旨の供述を一切しておらず,「私は,シンガポールと韓国に行くため,2回本国を出国していますが,空港の手続きで特にトラブルになったことはありません。」(乙21)と供述していた。にもかかわらず,異議申立てに係る申述書において上記主張に沿う陳述をするようになったが,これは難民該当性の事情を作出するため虚偽の陳述をしたものと認められ,同陳述に基づく原告の上記主張も事実とは認められないし,仮に,それが事実であったとしても,原告が出国したという事実からすれば,原告はミャンマー政府から,関心を寄せられているような人物ではなかったと考えられる。
(ウ) 原告は,1995年(平成7年)7月6日に本国を出国後,1996年(平成8年)7月12日に本国に一度帰国しており,このことについて,タイに滞在している際,牧師から韓国のユース・カンファレンスに参加することを誘われ,韓国の査証が必要となったためと主張している。
しかし,この主張も異議申立てに係る申述書の陳述のみに基づくものである上,原告は,ユース・カンファレンスについて「キリスト教の集会」などと説明するのみで,どのようなものであるのか具体的に説明していない点は不審であるのみならず,少なくとも,身の危険を感じて出国した本国に一時帰国してもなお参加しなければならないほど重要なものであったとは考え難い。原告が本国政府から反政府活動家として把握され,帰国すれば,身柄を拘束され,拷問を受けるなどの迫害対象となっていると認識し,身の危険を感じていたとしたら,一時帰国するなどという危険を冒してまで,申請どおり発給されるかわからない韓国の査証を申請するようなことをするはずはなく,真に身の危険を感じて本国を出国した者の行動としては無謀というほかない。原告が一時帰国した事実は,当時,原告が本国政府から反政府活動家として把握され迫害を受けるというおそれを有していなかったことの証左にほかならない。
かえって,原告は,ユース・カンファレンスに2週間参加した後,本邦に不法入国するまで約2年間もの長期間にわたり韓国に不法残留し,プラスチック工場で稼働していた旨供述するなどしており,原告が稼働目的で韓国に入国したことは明らかである。
(エ) 原告は,1995年(平成7年)7月6日にミャンマーを出国後,シンガポール,タイ及びマレーシアに各滞在し,その後,ミャンマーに一時帰国し,1996年(平成8年)8月1日,再度本国を出国し,韓国に滞在し,1998年(平成10年)11月ころ,本邦に不法入国しているところ(乙2,6),本邦に不法入国するまでに各滞在したいずれの国においても庇護を求めたり難民認定申請を行っていない(乙19)。
原告が本国での反政府活動により迫害を受けるおそれがあるという危険を感じて出国したのであれば,本国を出国後,直ちにシンガポールやタイにおいて,入国管理局等の公的機関に庇護を求めたり,難民として保護を求めるための方策や手続について情報を収集しようとするのが通常採るべき行動であるところ,原告にはそのような形跡も一切なく,平成10年11月ころ本邦に不法入国後,平成18年7月20日に警視庁目白警察署警察官に不法在留で逮捕され,東京入管に収容されるまで,約8年もの長期間,庇護を求めたり難民認定申請をしていなかったのであり,このような行動は原告が本国政府から反政府活動家として把握され迫害されることをおそれて出国したものではないことを如実に表しているといえる。
また,そもそも,原告は,本邦に不法入国した経緯について,韓国で稼働していた会社が倒産したことから,日本で稼働することにし,密航した旨供述しているが(乙6,9,21),密航して捕まれば本国に送還されるという危険を冒してまで本邦に不法入国したことは,原告が当時,本国政府から反政府活動家として迫害を受けるおそれがあるという恐怖を有していなかったことにほかならない。
さらに,原告は,本邦で難民認定申請が遅れた理由について,退去強制手続及び難民認定申請手続においては,難民認定の手続のために仕事を休むのは嫌だったため,普通に生活していれば入管や警察に捕まらないと思っていたため,難民認定申請の簡単な手続方法を知らなかったため(乙8,19),平成15年に外国人登録証明書を作ったときに手続を知ったが,40万円掛かると言われ,その費用が工面できなかったため(乙9,19,21)と説明していたのに,本件不認定処分後においては,本国の家族が危険にさらされることを危ぐし,CNC-Japanのメンバーとして名前を公表することで本国の家族に影響が及ぶため(乙25,26)として,難民認定申請をすることにより本国の家族に危害が及ぶなどという自己に都合のよい理由に変更している(なお,原告がCNC-Japanのメンバーになったのは不法在留により逮捕されたときであるから(乙26),CNC-Japanのメンバーになったことは本件難民認定申請をしなかった理由となり得ないことは明らかである。)。
(オ) 原告は,本邦への不法入国の動機が稼働であったことを認めており,そのことは,原告が本邦に不法入国した後,平成11年5月ころから平成12年2月ころまで東京都内(門前仲町)所在の居酒屋で稼働し,同年3月ころから不法在留により逮捕された平成18年7月20日まで東京都内(新宿)所在の飲食店で稼働し(乙9,19,21),本国の家族に年に4,5回,総額200万円くらい送金し(乙9,19),原告の妻子が原告からの仕送りで生活し,子どもの教育のため,妻子はヤンゴンに転居し,子どもに家庭教師を付けている旨(乙21,26)各供述していることからも裏付けられている。
(3)  争点(3)(本件在特不許可処分の適法性又は無効事由の有無)について
(原告の主張の要旨)
原告は,難民条約上の難民に該当し,ミャンマーに戻れば拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があった上,他に送還されるべき国もない。法務大臣及び法務大臣から権限の委任を受けた東京入国管理局長は,難民条約33条1項及び拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(以下「拷問禁止条約」という。)3条1項に定めるノンルフールマン原則を遵守する義務を負っているところ,本件在特不許可処分はこの原則に反したものであるから,裁量権の範囲の逸脱又は濫用の違法があり,取り消されるべきものであり,仮にこれが認められない場合でも,こうした違法は重大であるから,本件在特不許可処分は無効である。
(被告の主張の要旨)
ア 原告は,難民として庇護されるべきものであることを理由に,原告に在留特別許可が付与されるべきであると主張するが,原告は難民とは認められないのであるから,前提において失当である。
また,原告は,平成10年11月ころに来日するまでは,我が国社会と特段の関係を有しなかった者であり,原告が稼働能力を有する成人であることにかんがみても,他に在留を特別に認めるべき積極的な理由は見当たらない。
イ 原告は,予備的に本件在特不許可処分の無効確認を求めているが,そもそも,行政処分が無効であるというためには,当該処分に重大かつ明白な瑕疵が存在しなければならず,その瑕疵が明白であるか否かは,処分の外形上,客観的に瑕疵が一見して看取し得るか否かにより決せられるべきものである。そして,「重大かつ明白な瑕疵」の存在に係る主張立証責任が原告にあることは多言を要しないところである。
しかしながら,本件在特不許可処分にはそもそも瑕疵はなく,かつ,仮に瑕疵があったとしても,その瑕疵が外形上,客観的に一見して看取できるものとはいえないことが明らかであるから,原告の主張には理由がない。
(4)  争点(4)(本件裁決及び本件退令処分の無効事由の有無)について
(原告の主張の要旨)
原告は,難民条約上の難民に該当し,ミャンマーに戻れば拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があり,本国に送還された場合には,難民条約及び拷問等禁止条約に反するだけではなく,拷問,迫害を受けるという人道上到底看過できない事態が生ずるおそれがあるから,原告を強制退去することが著しく不当であることが明らかである。しかるに,東京入国管理局長は,強制退去が著しく不当であるとは認めず,本件裁決をしたのであり,本件裁決が違法であり,この違法が重大であるから,本件裁決が無効であることは明らかである。そして,本件裁決が違法である以上,本件退令処分もその違法を継承して違法であり,その違法は重大であるから,本件退令処分は無効である。
また,本件退令処分は,原告が難民であるのに送還先としてミャンマーを指定しており,入管法53条3項に反するとともに,難民条約33条にも反している。さらに,原告が拷問を受けると信ずるに足りる実質的な根拠があるのに,送還先としてミャンマーを指定しており,拷問等禁止条約3条に反するから,本件退令処分それ自体が入管法及び条約違反により違法であり,この違法は重大であるから,本件退令処分は無効である。
(被告の主張の要旨)
原告は,入管法24条1号(不法入国)に該当し,法務大臣に対する異議の申出は理由がない。退去強制手続において,法務大臣から異議の申出は理由がないとの裁決をした旨の通知を受けた場合,主任審査官は,速やかに退去強制令書を発付しなければならないのであって(入管法49条6項),主任審査官には,退去強制令書を発行するにつき裁量の余地はない。本件裁決は適法であり,本件裁決をした旨の通知を受けた主任審査官による本件退令処分も当然に適法である。原告を難民と認めることはできないから,本件裁決及び本件退令発付処分がノンルフールマン原則等に違反する余地はない。
そして,行政処分が無効であるというためには,当該処分に重大かつ明白な瑕疵が存在しなければならず,その瑕疵が明白であるか否かは,処分の外形上,客観的に瑕疵が一見して看取し得るか否かにより決せられるべきものであって,「重大かつ明白な瑕疵」の存在に係る主張立証責任が原告にあることは既に主張したとおりである。本件裁決及び本件退令発付処分にはそもそも瑕疵はなく,かつ,仮に瑕疵があったとしても,その瑕疵が外形上,客観的に一見して看取できるものとはいえないことは明らかであるから,本件裁決及び本件退令発付処分には無効事由がない。
第3  当裁判所の判断
1  争点(1)(本件在特不許可処分の取消しの訴えの適法性)について
(1)  原告は,平成18年8月29日に本件在特不許可処分の通知を受け,同処分があったことを知ったが(前記前提事実(4)オ),原告が本件訴えを提起したのは,それから6か月を経過した後の平成20年10月30日であったから(同(5)),本件在特不許可処分の取消しの訴えは,行政事件訴訟法14条1項本文所定の出訴期間を経過した後に提起されたものであって,出訴期間を経過したことについて同条1項ただし書にいう「正当な理由」があると認められない限り,不適法となる。
この点に関し,原告は,この「正当な理由」を基礎付ける事情について主張をしていないが,事案の性質にかんがみて検討するに,原告は,本件在特不許可処分の通知を受けた当日である平成18年8月29日に東京入管収容場に収容され(前記前提事実(3)オ),同年10月12日に東日本センターに移収されたところ(同カ),このように原告が身柄拘束を受けていた期間について「正当な理由」を基礎付ける事情の有無を検討する余地があり得るとしても,原告は,平成19年3月6日に仮放免の許可を受けており(同キ),その後,原告が本件訴えを提起するまでに1年半以上の期間があることに加え,本件全証拠によっても,原告が上記仮放免の許可を受けてから6か月以内に取消しの訴えを提起することの障害となるべき客観的な事情の存在を認めることができない以上,原告に上記出訴期間を徒過したことについての「正当な理由」があったと認めることはできない。
(2)  したがって,本件訴えのうち,原告の本件在特不許可処分の取消しを求める訴え(同処分に関する主位的請求に係る訴え)は,不適法であり,却下を免れない。
2  争点(2)(原告の難民該当性の有無)について
(1)  難民の意義等
ア 入管法2条3号の2は,同法における「難民」の意義について,難民条約1条の規定又は難民の地位に関する議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうと規定している。したがって,同法にいう難民とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」をいう。そして,上記の「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するものと解するのが相当であり(これに反する原告の主張は採用することができない。),また,上記にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解される。
イ なお,難民の認定における立証責任の帰属については,入管法61条の2第1項の文理のほか,難民認定処分が授益処分であることなどにかんがみれば,その立証責任は原告にあるものと解すべきである(原告の主張のうち,これに反する部分は採用することができない。)。また,事実の認定において自由心証主義(行政事件訴訟法7条,民訴法247条)によるべきことは通常の場合と同様であり,その立証の程度を通常の場合と比較して緩和すべき理由はない(原告の主張のうち,これらに反する部分は採用することができない。)。
(2)  原告の難民該当性に関する事情
前記前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
ア ミャンマーの一般情勢
(ア) ミャンマーでは,1962年(昭和37年),ネィウィンが軍事クーデターによって全権を掌握し,その後,国軍の指導の下,ビルマ社会主義計画党による一党支配が行われた。1988年(昭和63年)3月,ヤンゴン工科大学の一部の学生が体制に対する抵抗を始め,同年8月8日の多数の民衆(学生・市民ら)による全国での大規模なデモ・集会を契機として同年9月前半にかけて民主化運動が高揚し,首都ヤンゴンで連日のように数十万人の民衆(学生・市民ら)によるデモ・集会が行われ,全国の地方都市や農村でも同様の状況であった。しかし,同年9月18日,SLORCによる軍事政権の成立が宣言され,国軍が全面的に政治権力を行使することになった。
軍事政権は,1989年(平成元年)7月,民主化運動の指導者的存在となったアウンサンスーチーを自宅軟禁とし,その政治活動を禁止した。1990年(平成2年)5月27日,複数政党制に基づく総選挙が実施され,アウンサンスーチーの率いるNLDが議席の約8割を占めて圧勝した。しかし,SLORCは,この選挙結果を認めず,政権移譲の無期限延期という措置を採った。1993年(平成5年)1月に制憲国民会議が発足したが,憲法草案成案に至らないまま,断続的に審議が続けられた。
1997年(平成9年),SLORCは,SPDCに名称を変更した。
国会の開催に軍政が応じないことから,1998年(平成10年)9月16日,NLDは,当選議員10人から成るCRPP(国会代表者委員会)を発足させたが,そのことは,軍事政権のNLD抑圧の態度を強化させる結果となり,NLDの幹部であるアウンサンスーチーを事実上の自宅軟禁措置とするなど様々な抑圧行為が行われた。
2003年(平成15年)5月30日,ミャンマー北部のディペインで,軍政翼賛団体であるUSDA(連邦連帯開発協会)のメンバーが遊説中のアウンサンスーチーらNLD党員・支持者を襲撃するというディペイン事件が起き,アウンサンスーチーら幹部をはじめ,多くのNLD党員が軍施設等に拘束された。アウンサンスーチーは,インセイン刑務所に拘束され,NLDの本部・支部は閉鎖が命じられた。その後,アウンサンスーチーは,刑務所から釈放されたものの,現在に至るまで基本的に自宅軟禁が続いている。2003年(第58回)国連総会は,ディペイン事件とその後も継続する人権侵害に強い懸念を表明した。
2004年(平成16年)10月19日,軍事政権の中では穏健派とされていたキンニュン首相が失脚し,後任には,ディペイン事件の計画者とされるソーウィン第一書記が就任し,軍事政権は強硬派とされる幹部が支配する状態となった。
2007年(平成19年)8月,軍事政権は,天然ガスと石油の公定価格を大幅に引き上げ,これに対して抗議活動をしたグループに対し,そのメンバーを逮捕するなどの弾圧をした。また,同月から同年9月にかけて,多くのNLD党員が身柄拘束を受けるなどの弾圧を受けた。さらに,同月18日,僧侶が国軍から暴力を振るわれたことを契機に全国の僧侶や学生が抗議行動を行ったところ,デモをしている僧侶が国軍から襲撃を受けるなどし,多数の逮捕者が出たほか,殺害される僧侶等も出た。
(以上につき,甲11ないし19,53)
(イ) ミャンマーでは,DSSI(国防情報管理局理事会)の職員が,反政府活動家が自由に政治思想を表明することを妨げ,あるいは集会をすることを妨害する目的で,反政府活動家の身柄を拘束し,そのため,反政府活動家が数時間から数週間にわたって行方不明になるという事態がしばしば生じている。当局は,反政府活動家に対し,脅迫等を目的に,睡眠・食事の禁止をして長時間の尋問を行い,暴行を加えることもあり,収容施設の状況は劣悪である。
政府は,様々な情報網及び行政手続を通じて,反政府活動家の移動及び活動を監視している。治安部隊関係者は,令状なしで私有地等の捜索などを行い,政府は,外国のラジオ放送の電波妨害を試みており,国民は,外国の出版物を購入することが一般的にはできない。
さらに,ミャンマーにおいては,多くの政治囚を生み出すことを可能とする多数の法律(緊急事態法,非合法団体法,国家保護法,印刷出版登録法及びその改正法,1985年ビデオ法など)が存在し,ミャンマー政府は,これらの法律を適用して,反政府活動家の活動を制限している。
加えて,米ニューヨークに本部を置く非政府組織ヒューマン・ライツ・ウォッチの報告書(甲53)によれば,チン州においては,国軍が,CNF(チン民族戦線)等の反政府民族集団と連絡を取っていると疑われる者等を裁判のない死刑の標的としており,また,軍事政権に脅威を与え異議を唱えると疑われる者は,恣意的に逮捕され,拘束される可能性があり,治安部隊は,抑留者を尋問する際,情報を引き出すために,あるいは,軍事政権にとって潜在的脅威であるとみなす者を処罰し脅迫して卑しめるために,拷問を用い,さらに,チン州一帯の留置場と勾留施設は劣悪な状況にあり,監房は過密状態で,不衛生であり,拘留者には十分な食事,清潔な飲み水,その他の基本的な生活設備は与えられないとされている。
なお,原告は,現在のミャンマーでは,外国で庇護を申請した者すなわち難民認定申請者が帰国すれば,空港到着後すぐに逮捕されて,刑務所に収容され,重い刑を科される状態にあるなどと主張しているが,その証拠として提示する甲第43ないし第45号証(枝番号を含む。)によっても,一般的に難民認定申請者が帰国すると,空港到着後すぐに逮捕され,刑務所に収容され,重い刑を科されるとまで認めることはできず,他にこのことを認めるに足りる証拠はない(甲第43号証の3には,チン人のFがスイスから強制送還されると,到着時に逮捕され,刑務所に収容され,スイスで庇護を申し立てたとしてヤンゴン管区東部地方裁判所から7年の刑(他の罪状と併せて19年の刑)を言い渡されたなどとの記載があるが,同人がどのような反政府活動を行っていた人物であり,これが軍事政権にどのような脅威をもたらしていたのか等の具体的な事実関係は全く明らかではない上,同号証によっても,同人がチューリッヒに違法に渡航したことや政治活動家とのかかわりが当該7年の刑の理由として挙げられているというのであって,単に庇護を申し立てたことのみが当該7年の刑の理由とされているわけではない。かえって,甲第44号証には,難民認定申請をしたがその申請が入れられずミャンマーに送還された者について,軍政に反対しているという理由がない限り,迫害を受ける現実的なリスクに直面することは確認されていないとの記載があり,甲第45号証には,外国で庇護を申請した者について,ミャンマー当局が政権に反抗しているということに気付いた場合には,直ちに投獄される可能性があるとの記載があるのみである。)。
(以上につき,甲11,14,20ないし23,53)
(ウ) ミャンマー国外においては,同国外でミャンマーの民主化・反政府活動を行っているミャンマー人の活動家によれば,現在,同国外で自分の名前を明らかにしてミャンマーの民主化運動・反政府活動をしているミャンマー人は,タイにおいて少なくとも1万人,ミャンマー及びタイを除く国々で少なくとも1万人の多数に上り,その大半は各人の滞在国で仕事をするかたわら空いた時間に政治活動をするというレベルにすぎず,ミャンマーの民主化を目指して活動を行う同国外の団体(民主化団体)も団体の数が多すぎて運動の統合に支障が生ずるほど,著しく多数に上る。
また,ZNCの創設メンバーの1人で,CNC-Japanの創設者・議長であり,かつ,AUN-Japanの創設者の1人で,その創設を主導し,その最高意思決定機関の1人でもあるGは,軍事政権が重視しているのは,最初に誰が動いたかということであり,後に難民認定を受けられると聞いてメンバーに加わったような人間は余り重視していない旨陳述している。
(以上につき,甲54,56,乙39,40)
イ 原告に係る個別事情
(ア) 原告は,○○○○年(昭和○年)○月○日,チン民族の父と母の間の10人きょうだいの第6子として,ミャンマーのチン州ティディムにおいて出生した。原告は,キリスト教徒であり,1981年(昭和56年)にティディム高等学校を卒業し,家業の写真館の手伝いをしていた(なお,原告の陳述書(甲1)には,高等学校を卒業したのは1982年(昭和57年)である旨の記載があるが,原告が自ら記載したとうかがえる難民認定申請書(乙19)の内容(1981年(昭和56年)までティディム高等学校に在籍した旨の記載がある。)や難民調査官の調査(乙21)の際の原告の供述内容(明確に,同年6月にティディム高等学校を卒業した旨を供述している。)に照らし,同陳述書の上記記載を採用することはできない。)。
原告は,本人尋問において,チン州ティディムから1989年(平成元年)3月ころに旅券を持たずにインドに逃亡し,その後,1992年にチン州ヴァンテ村に戻り,1995年まで基本的に同村で生活していた旨,チン州とインドは旅券なしで行き来できる旨を供述している。
(以上につき,甲1,乙9,19,21,原告本人)
(イ) 原告は,1992年(平成4年)ころにチン州ヴァンテ村出身のチン民族の女性と結婚し,妻との間に長男と長女をもうけた。原告の妻は,この子らの教育のため,2001年(平成13年)ころ,この子らともども,教育レベルがチン州に比べて格段に高いヤンゴンに家を借りて移り住み,現在,この子らは,ヤンゴンで公立学校に通い,家庭教師を付けてもらっている(原告は,本人尋問において,出稼ぎをせず,ミャンマーで暮らしていた場合,子どもに教育を受けさせ,子どもを学校に通わせるということは難しいと思う旨を供述している。)。原告の妻子は,主に原告の仕送りによって生活している(なお,原告は,本人尋問において,原告の父親からの援助もある旨を供述しているが,難民調査官の調査(乙21)の際に,ヤンゴンの妻子が原告からの仕送りで生活していることを明確に供述しており,原告の本人尋問における上記供述はそのことを否定する趣旨であるとは解されないことにかんがみれば,原告の妻子は,主に原告の仕送りによって生活していることが明らかであるというべきである。)。また,原告の両親や家業の写真館を継いだ長兄は,ティディムに在住している。
原告の健康状態は良好で,特に問題はない。
(以上につき,乙9,19,21,26,原告本人)
(ウ) 原告は,1995年(平成7年)4月26日に,ヤンゴンにおいてミャンマー政府から真正な旅券(1998年(平成10年)4月25日まで有効。以下「本件旅券」という。)を受給した(原告は,ブローカーを通じて旅券を取得しているなどと主張して,本件旅券がむしろ真正なものではないかのようにいうが,原告がブローカーから本件旅券を渡されたことの証拠はなく,かえって,原告は,旅券事務所に行って本件旅券の申請をし,また,旅券事務所に行って発給された本件旅券を受領したとの趣旨の供述をしている上(乙21),本人尋問において本件旅券が本物であると認めていることのほか,本件旅券に事実と異なる記載があるとは認められず,また,後に認定するように各国の出入国の際にこれが通用していることに照らして,本件旅券がミャンマー政府から発給された真正なものであることは明らかであるというべきであり,原告の上記主張は理由がない。)。そして,1995年(平成7年)7月6日,本件旅券を使用してヤンゴンのミンガラードン空港からミャンマーを出国してシンガポールに入国し,同国のプラスチック工場で工員として稼働した。原告は,本件旅券を使用して,1996年(平成8年)3月11日,シンガポールを出国してタイに入国し,同年4月12日,タイを出国してマレーシアに入国し,さらに,同月14日,マレーシアを出国してタイに入国した。その後,原告は,本件旅券を使用して,同年5月12日にタイを出国してマレーシアに入国し,同月14日にマレーシアを出国してタイに入国し,同年6月13日にタイをいったん出国してマレーシアに入国した後,再度タイに入国し,同年7月12日,タイを出国してヤンゴンのミンガラードン空港に到着し,本件旅券を使用してミャンマーに帰国した。原告は,この間の経緯について,難民調査官に対し,観光目的の査証(いわゆる観光ビザ)でシンガポールに入国しプラスチック工場で働いたが,査証の延長を受けるために仕方なく英語学校にも通っていた,シンガポールで8か月働いた後,タイとマレーシアに4か月ほど滞在したが,思うような仕事が見付からなかったので,同日ミャンマーに帰国したと供述している。
原告は,同月26日,ヤンゴンの韓国大使館において,90日間有効の査証を取得し,本件旅券を使用して,同年8月1日にヤンゴンのミンガラードン空港からミャンマーを出国してタイに入国し,同月3日にタイを出国して韓国に入国した。
その後,原告は,ソウルのプラスチック工場で工員として稼働して,本件旅券や査証の更新等をしないまま1998年(平成10年)11月ころまで韓国に滞在していたが,稼働先の工場が閉鎖されて他に仕事もなかったため,フィリピン人ブローカーの手引きの下に,日本に密入国することにし,同月ころ,有効な旅券を所持せず,かつ,法定の除外事由がないのに,韓国・釜山から,船籍船名等不詳の大型貨物船により,神戸港に到着し,本邦に不法入国した。原告は,難民調査官の調査の際に,観光ビザで韓国に入国し,滞在期間が過ぎた後もプラスチック工場で働いていたが,韓国の景気が悪くなったので,当時,次兄が日本で働いていたこともあり,自分も日本で働こうと決意した,日本に密入国するについて,次兄は,危険が大きいので韓国で別の仕事を見付けた方がよいと反対したが,職を失ったものの,自分にはブローカーに金員を支払えるだけの金銭的な余裕があったので,このチャンスを逃すまいと考え,密航の手続をブローカーに頼んだなどと供述しており(入国審査官の審査においても,同旨と思われる供述をしている。),また,異議申立てに係る申述書(乙25)に,韓国にいるときに難民認定申請をする希望を持っていなかった旨を記載している。
原告は,シンガポールにおいて難民として庇護を求めたことはなく,また,ミャンマー国外にいた1995年(平成7年)から1998年(平成10年)11月ころまでの間,反政府活動をしたことも反政府活動をしている人と接触したこともなかった。
(以上につき,乙2,6,8,9,19,21,原告本人)
(エ) 原告は,本邦入国後,東京・銀座のレストランで働いていた兄Eを頼って,埼玉県川越市にあった同人のアパートで同居を始めた。原告は,平成11年4月か5月ころ,兄Eとともに原告肩書地のマンションの1室に引っ越し,それから,東京都内の居酒屋で調理場の仕事を始め,平成12年2月か3月ころには,東京都内のお好み焼き店の調理場の仕事に移って,以来,平成18年7月に逮捕されるまで,その仕事を続けた。勤務時間は,午前9時30分から午後3時までであるが,人手が足りないときは夜まで働くことがあり,休みは,シフト制で曜日は固定しないものの週1回あり,1か月14万円前後の給与を得ていた(夜まで働けば,1か月24万円前後もらえることもあった。)。
原告は,本国の家族に年に4,5回送金をし,これまでにその合計額は200万円くらいになり,他に,中古のカメラやビデオを換金用に送っていた。
(以上につき,乙9,19,21)
(オ) 原告の次兄であるEは,平成3年12月2日,入国審査官から在留資格「短期滞在」及び在留期間「90日」の上陸許可を受けて本邦に上陸し,以後,1回の在留期間更新許可を受けたが,その後在留期間の更新又は変更を受けることなく,その最終在留期限である平成4年3月16日を超えて引き続き本邦内にとどまっていたところ,平成13年5月24日,東京入管に,不法滞在していることを申告するために,駐日ミャンマー大使館が同月23日に発行した有効期限を同年6月22日とする臨時旅券を携えて出頭し,同年5月31日行われた入国警備官による違反調査の際,本邦に出稼ぎに来て,友人の紹介で居酒屋で働き始め,仕事をするため不法残留した旨,体調が余りよくないので,ミャンマーに帰国する旨,本邦に入国の際に使用したミャンマー旅券は,税金の未払があるためミャンマー大使館に没収されてしまった旨を供述した。Eは,同年6月6月,ミャンマーに送還された。
その後,Eは,2004年(平成16年)9月,ミャンマーにおいて死亡した。
(以上につき,乙21,28ないし30)
(カ) 原告は,平成18年7月20日午前9時10分ころ,仕事に行くために池袋駅へ向かう途中の路上で職務質問を受けたことを端緒として,入管法違反被疑事実(不法在留)により警視庁目白警察署警察官に逮捕され,同月28日,同被疑事件につき起訴猶予処分を受けた上で,同月27日に発付済みであった収容令書の執行を受けて,東京入管収容場に収容され,その後,同年8月3日に至り,本件難民認定申請をした。
なお,原告は,平成15年に難民認定申請のことを知ったと説明しているところ(もっとも,難民認定申請書(乙19)には,1989年(平成元年)から1992年(平成4年)までインドで滞在していた旨の記載に加えて,インドに庇護を求めたことがあるとした上で,難民キャンプに1か月近く滞在し,地域の警察署に連絡した等の記載がある。),入国審査官の1回目の審査の際,今まで難民認定申請の手続をしなかったのは,難民認定の手続のために仕事を休むのは嫌だったこと,普通に生活していれば入国管理局や警察に捕まらないと思っていたこと,難民認定申請の簡単な手続方法を知らなかったことのためである旨供述している(3つ目の理由は,入国審査官の2回目の審査の際の供述(申請するために,弁護士に40万円かそれ以上支払わなければならないと言われたというもの)や難民認定申請書の記載(3年前にお金が掛かってもよければ申請してあげると言う人がいたというもの)と同旨のものと解される。)。
(以上につき,乙5,8,9,19)
(キ) 原告は,本邦において,平成18年7月に警察官に逮捕されるまでに,デモに参加したことはなく,また,チン族の団体のメンバーでもなかった。原告は,逮捕された後,CNC-Japan(在日チン族協会)やAUN-Japan(在日ビルマ連邦少数民族連邦協議会)の一般メンバーとなり,平成19年3月6日,仮放免の許可を受けて東日本センターを出所した後には,各種の集会やミャンマー大使館前等でのデモに参加している。(甲1,5ないし8,10,乙25,26,原告本人)
(3)  原告の難民該当性に関する検討
ア 原告のミャンマー等における活動等について
(ア)a 原告は,1988年(昭和63年)8月8日にミャンマー全国で民主化運動が起こったときに,ティディムで起きた300人規模のデモに参加し,デモ行進や演説の写真,軍隊が到着したときの写真,軍人と治安警察が町中を歩いている写真を撮影した,原告は,6回のデモに参加し,約200枚のデモの写真を撮影し,それらの写真を,弁護士で後にZNCの代表者となるCに渡すといった反政府活動もしたなどと主張しており,原告の陳述書(甲1),審査調書(乙9),難民認定申請書(乙19),供述調書(乙21),異議申立てに係る申述書(乙25)及び口頭意見陳述・審尋調書(乙26)にはこれらに沿う記載があり,また,原告は,本人尋問において同旨の供述をしている。
しかし,①原告は,退去強制手続において,入国警備官に対しては,日本に来る約10年前,ミャンマーで反政府活動をしている学生たちのサポートをしていたことがあったため,ミャンマーに帰国した場合に逮捕される可能性がある旨を供述している一方で(乙6),入国審査官の審査の際には,1988年(昭和63年)の反政府デモに参加したためミャンマーに帰国すると逮捕されるおそれがある,原告が行った活動はミャンマーにおいてデモに参加しただけである旨を供述しており(乙8),これらの供述は,相互に整合的ではない上,原告の上記陳述書等における陳述等とも必ずしも整合するものとはいえない。加えて,②ZNCの代表者C名義(署名入り)の関係者各位あての2006年(平成18年)8月24日付け文書(甲3,乙25。なお,同文書では,同人の住所がヤンゴン市内とされ,その電話番号も記載されている。)には,原告がZNCの政治キャンペーンの写真撮影を行ってきた旨の記載はあるものの(甲第3号証の訳文では,「政治運動の写真撮影」とされているが,同旨であると解される。),1988年(昭和63年)のデモの記録写真等を撮影し,これをCに渡したことについては一切言及していない。また,③原告は,平成18年10月11日に東京入管に提出した異議申立てに係る申述書(乙25)において,原告自身が撮った写真で現在まだ手元に届いていないものがある旨を述べていることに加え,難民審査参与員に対して,Cに渡した写真のネガフィルムの一部はまだティディムの実家にある旨を述べている(乙26)。そして,これらの点をおくとしても,C名義の上記文書は,同人の署名に付された日付やその内容に照らして,本件難民認定申請をした原告の求めに応じて,ヤンゴン在住のCから送られたものと考えられるところ(なお,Gの供述録取書(甲55)にも,Cが現在ヤンゴンに住んでおり,CRPPの声明などをGに送るといった活動をしている旨の記載がある。),これらのことにかんがみれば,原告が渡したというデモの記録写真等をCから送ってもらうことも可能ではないかと考えられるのに,原告のいうデモの記録写真等に当たるものが本件口頭弁論に一切現れていないことも不審であるといわざるを得ない。さらに,④原告は,難民調査官の調査(乙21)において,Cに渡した写真を同人が他国の組織に送ったので,原告の撮影した写真が1992年(平成4年)ころインターネットに掲載されたと聞いた旨,インターネットに写真が掲載されたことでティディムの実家に兵士が調べに来たことを父親から聞き,インターネットに掲載されたことを知った旨などを供述しているが,異議申立てに係る申述書(乙25)では,両親のもとにやってきた軍情報部がそのように告げたということを両親から伝え聞いたことを話しただけで,原告の撮影した写真が本当にインターネットに載っていたのか,それとも雑誌などに載っていたのか分からないなどと述べて,上記調査の際の供述を実質的に変遷させていること,本人尋問においても,インターネットに掲載されたというのは言い間違えで,原告自身はインターネットに掲載されたことを確認していないと供述していること,インターネットが一般的に普及したのは平成7年以降であるとされていること(乙43)に照らしても,Cにデモの記録写真等を渡し,これがインターネットに掲載されたとの原告の上記供述は相当に疑わしいといわざるを得ない。加えてさらに,⑤作成日付が平成21年4月21日である原告の陳述書(甲1)には,ZNCが1992年(平成4年)にミャンマー政府によって非合法組織とされ,Cは現在もミャンマーで身柄拘束されている旨の記載があるが,同人が現在まで身柄拘束中であるとすれば,C名義の上記文書がいかにして作成され,本件口頭弁論に提出されたのかについての不審が生じ,その作成の真正が疑われることになる(原告が提出した陳述書(甲1)とC名義の文書(甲3,乙25)との間には矛盾が存する疑いがある。)といわざるを得ないところ,これらの点について原告が何らの合理的な説明もしていないことに照らしても,原告自身の供述・陳述を始めとする原告の提出した証拠の信用性は概して低いものといわざるを得ない(なお,原告は,一般に,その主張及び供述がほぼ一貫し,具体性・迫真性に富んでおり,多少の矛盾や食い違いが見られるとしても,それらはすべて細部の枝葉末節のものであって,主張及び供述の根幹部分における信用性を何ら否定するものではないなどと主張しているが,以上に説示したところによれば,上記の個別具体的な事項に係る原告の陳述・供述等について所論が到底採用し難いものであることは明らかであるというべきであって,このことは,以下において,個別具体的な事項に係る原告の陳述・供述等の信用性について説示する部分においても同様である。)。
以上に説示したところにかんがみれば,原告の上記陳述書等における,原告がデモ行進や演説の写真,軍隊が到着したときの写真,軍人と治安警察が町中を歩いている写真を撮影し,それらの写真を後にZNCの代表者となるCに渡したなどという部分をにわかに採用することはできず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。
b また,原告は,上記aにおいて掲記した主張に続けて,デモに参加したほか,少人数の集まりへの参加,ティディムから数km離れた村々に行き,民主化と平和を求めたり,民族問題を訴えたりするビラを配布する活動への参加もし,1988年(昭和63年)8月の終わりころ,デモ参加中に,原告は,治安警察や軍隊から,棒で胸を突かれるなどの暴行を受け,そのときの傷跡は今でも原告の左胸にはっきりと残っていると主張しており,その陳述書(甲1)には同旨の記載があり(Cが作成したビラを地方の村で配ったことについては,難民調査官の調査(乙21)においても,供述している。),本人尋問においてもデモをしているときに警官が解散させようとやってきて警棒で胸を突かれて傷を負ったなどとの供述をしている。また,原告は,その傷跡の写真であるとして甲第9号証を提示している(もっとも,原告は,本人尋問において,同号証の写真は,左胸を突かれ痛んでいる箇所を切開する手術を受け,そのときに切開した部分を縫った跡を写したものであると供述している。)。
しかし,原告は,平成18年7月28日に行われた入国警備官の取調べ(乙6),同月31日及び同年8月4日に行われた入国審査官の審査(乙8,9)並びに同月17日に行われた特別審理官の口頭審理(乙11)においては,上記主張のような経過があったことを一切供述していない。また,原告は,難民認定申請書(乙19)において,本国に戻った場合に迫害を受ける理由により逮捕,抑留,拘禁その他身体の拘束や暴行等を受けたことがありますかとの問いに対し,「いいえ」と答えており,同月11日に行われた難民調査官の調査においても,治安警察や軍隊から暴行を受けたといった上記主張の経過があったことについては一切供述していない。さらに,異議申立てに係る申述書(乙25)には,「平和的なデモにより民主化を達成しようとしていた人々に対し,軍は武力で弾圧して,1988年9月18日に国権を奪い,デモ参加者たちを逮捕し迫害したのでした。わたし自身も,取り調べを受け,拷問を受けました。その時に受けた傷は,いまだに左胸上部にはっきり残っています。」との記載があるものの,これは明らかに取調べ中に拷問を受けて受傷したという内容であって,デモ参加中に治安警察や軍隊から暴行を受けたとの原告の上記陳述等とは明らかに矛盾するものといわざるを得ない。以上にかんがみれば,原告の上記陳述等のうち,デモ参加中に治安警察や軍隊から棒で胸を突かれるなどの暴行を受けたなどという部分をにわかに採用することはできず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。
c もっとも,以上に掲記した原告の陳述等を通覧すれば,1988年(昭和63年)8月のデモに参加したほか,民主化等を求めるビラを配布したとの陳述等についてはほぼ一貫しているともいえるが,それらの陳述等を前提に,原告が同月のデモに参加し,また,Cが作成した民主化等を求めるビラを配布する活動に加わったとしても,前記(2)ア(ア)において認定したとおりミャンマー全土において民主化運動が高揚した時期において,せいぜい6,7回,最大で300人から500人規模のデモに参加者の1人として加わり,また,他の民主化運動家が作成したビラを配布したという程度でしかないのであって(乙21参照),原告がミャンマー本国において上記時期にそのような活動をしたとしても,そのことをもって,原告がミャンマー政府から積極的な反政府活動家として殊更に関心を寄せられて注視され,本国に帰国した場合に迫害(前記(1)ア参照)を受けるおそれがあるとは認められないというべきである。
(イ) 原告は,1988年(昭和63年)10月18日,ティディムでZNCが設立されると,すぐにZNCのメンバーとして参加し,毎週末,2,3人でティディムから数km離れた村々に行き,教会や知り合いの家などに村人を集め,ZNCに勧誘する組織活動をしたと主張しており,その陳述書(甲1),難民認定申請書(乙19),難民調査官に対する供述調書(乙21)及び異議申立てに係る申述書(乙25)にはこれに沿う記載があり,原告は,本人尋問において,同旨の供述をしている。
しかし,ZNCは,1989年(平成元年)10月にはミャンマー政府に合法な政治団体として登録され,1990年(平成2年)の選挙において2人の当選者を出した組織であり,また,原告が参加した当時,300人から400人のメンバーがいて,原告は,一般メンバーであり,しかも,ZNCで活動をしていたのは数か月間にすぎないというのであって(乙21,原告本人),これらのことに照らせば,仮に原告の供述等を前提としても,原告は,ZNCにおいて,1990年(平成2年)の選挙に向けてこれから合法な政治団体として登録されようとする前段階において,その政治団体としての勢力拡大に向けた活動に,短期間,一般メンバーの1人として加わっていたにすぎないのであって,その後,仮に1992年(平成4年)にZNCが非合法組織とされたとしても(原告は,そのように陳述・供述しており(甲1,乙21),Gの供述録取書(甲55)にも同旨の記載がある。もっとも,C名義の文書(甲3,乙25)では,ZNCは1993年(平成5年)に政権により解散させられたとしか記載されておらず(甲第3号証の訳文には非合法化されたとされているが,当該部分は,「our party was disbanded by the regime in 1993」との部分を翻訳したものであると解されるところ,その意味は,乙第25号証に添付された同文書の訳文にあるように,1993年(平成5年)に政権によってZNCは解散させられたというものであると解される。),また,同文書にヤンゴン市内の住所や電話番号の記載があることに加え,Gの供述録取書(甲55)にZNCの議長Cが現在ヤンゴンに住んで政治活動をしている趣旨の記載があることに照らしても,この場合の「非合法化」とは,せいぜい政治団体として公的に認められなくなったというまでで,それ以上に,ZNCのメンバーであることによって直ちに処罰されるといったことまでを意味するものであると解することはできないし,ましてや,ZNCがヒューマン・ライツ・ウォッチの報告書(甲53)にいう「反政府民族集団」に当たると解することもできない(同報告書にもそうした趣旨の記載は一切見当たらない。)。),以上のような原告のZNCにおける上記時期の活動から直ちに,原告がミャンマー政府から積極的な反政府活動家として殊更に関心を寄せられて注視され,本国に帰国した場合に迫害(前記(1)ア参照)を受けるおそれがあるとは認められないというべきである。
(ウ) 原告は,1989年(平成元年)3月ころ,父から,原告の名前がポーターのリストに載っており,ポーターとして連れて行かれる危険があるから逃げた方がよいと言われた,デモなどの記録写真を撮影していた人物として,デモなどで目立つ活動をして顔を知られており,ポーターのリストに載っていた可能性が高かったため,原告は,身の危険を感じ,同月インド国境に逃亡したなどと主張しており,その陳述書(甲1)にはこれに沿う記載があり,平成18年8月11日に行われた難民調査官の調査(乙21)の際や,本人尋問においても同旨とみられる供述をしている(もっとも,難民調査官の調査の際には,民主化運動に参加したことにより逮捕されるかもしれないと考えたためインドに逃れたとも供述している。)。
しかし,原告は,本件訴状においては,1989年(平成元年)3月ころ,逮捕者リストに原告の名前が載っているので,逮捕の危険があるから逃げた方がよいと言われたなどとして,インド国境に逃亡したなどと主張していたのであり(その後,平成22年2月25日の第6回口頭弁論期日において陳述した同日付け第3準備書面において,前記のとおりに主張を変更した(同準備書面第4章第5の2(4)ア参照)。),異議申立てに係る申述書(乙25)には本件訴状における主張に沿う記載があり,異議申立てに係る口頭意見陳述・審尋の際にも,同旨の供述をしている(乙26)。他方,原告は,平成18年8月4日に行われた入国審査官の審査の際には,1988年(昭和63年)の民主化運動のデモに参加したことと,軍の関係の写真を撮ったこと等から,逮捕されるかもしれないと思い,インドに行ったと供述しているものの,逮捕者リストに名前が載っていると聞いた件もポーターのリストに名前が載っていると聞いた件も一切供述していない(平成18年8月3日付け難民認定申請書(乙19)にも,これらのいずれの件も一切現れていない。)。
以上を通じると,原告は,まず,入国審査官の審査の際には,デモに参加したことなどから逮捕されるかもしれないと思ったとだけ供述していたのに,その1週間後の難民調査官の調査の際には,ポーターのリストに名前が載っていると聞いたとの供述を付加し,さらに,その後,本件不認定処分に対する異議申立ての手続において,それまでの説明を変更して逮捕者リストに名前が載っていると聞いたとした上,本件訴訟の提起に当たり,訴状では逮捕者リストに名前が載っていると聞いたとの主張をそのまま維持したものの,その後,更にポーターのリストに名前が載っていると聞いた旨へとその陳述等を変更したということになる。
この点,原告は,陳述書(甲1)において,口頭意見陳述では逮捕リストと表現したが,これはポーターとして連行されるのも逮捕されるのもほとんど同じと考えていたからであるなどと説明しているが,逮捕されることと軍に労務を提供するポーターとして徴用されることとは事柄の内容が相当異なることは明らかである上,原告自身,異議申立てに係る申述書(乙25)では,逮捕者名簿に自分の名前が載った,ミャンマーに帰国したら逮捕され長期にわたり投獄されるなどと述べる一方で,軍がキャンプの設営に強制労働をもってし,前線への武器運搬には連行したポーターを充て,未成年者を強制的に入隊させているとして,逮捕されることと,ポーターとして徴用されることを明確に区別していること(原告は,難民調査官の調査(乙21)の際にも,ポーターとして荷物を運ぶことと逮捕されることとを区別して供述している。)に照らし,上記説明を採用することはできないといわざるを得ず,他に,このような供述等の変遷が生じた理由についての合理的な説明は見当たらない。そうすると,原告は都合4回にわたり供述等の内容を変更しているところ,そうした供述等の変遷に合理的な理由を認めることができないから,逮捕者リストに名前が載っていると聞いたなどという上記異議申立てに係る申述書(乙25)の記載等はもとより,ポーターのリストに名前が載っていると聞いたなどという上記陳述書(甲1)の記載等もいずれも採用することはできず,他にこれらのことを認めるに足りる証拠はない。
(エ) 原告は,インド国境に逃亡した際に,ミャンマーから脱出してきた学生たちに協力し,また,インド国境への逃亡の状況や軍の駐屯地建設現場,強制労働の状況を写真撮影し,その写真を国境にいる反政府組織に属する人物に渡したところ,このとき原告が撮影した写真が,その後,インドに逃れたチン民族が発行している雑誌に掲載されたなどと主張しており,その陳述書(甲1)には同旨の記載がある(なお,同陳述書には,インド国境に逃亡したとき,1988年(昭和63年)に撮影したデモなどの写真やそのネガフィルムのほとんどを持って行ったとの記載もあるが,それらを誰かに渡した旨の記載はない。)。
しかし,原告は,入国審査官の審査(乙8,9),特別審理官の口頭審理(乙11)及び難民調査官の調査(乙21)においては,インドに逃れた際に誰かに写真あるいはネガフィルムを渡し,それが雑誌に掲載されたという経過があったことを一切供述していない上(難民認定申請書(乙19)にも,インド国境への逃亡の状況等を写真撮影したことはもとより,同国境で誰かに写真を渡し,その写真が雑誌に掲載されたことも,一切現れていない。),異議申立てに係る申述書(乙25)においては,「インドに逃亡したとき,1988年民主化デモや,チン州におけるビルマ軍駐留地,強制労働の様子などを撮影した写真を携え,国境で反政府活動を行っているグループに託しました。これらの写真は,ZOMI SIAMSINやZO LOWKTAといった雑誌に掲載されました。」との記載がある反面,逃亡の際にインド国境への逃亡の状況や軍の駐屯地建設現場等を写真撮影した旨は一切現れておらず,難民審査参与員による審尋(乙26)においても,原告は,1988年(昭和63年)に撮影した写真を国境に逃げた学生に渡した,渡した写真は紙に焼いたものである,ネガフィルムも,一部を家に残したものの,持っていった旨供述しているが,インドに逃亡する途中で写真撮影をして,その写真が雑誌に掲載されたことは一切供述していない。さらに,原告は,本人尋問においては,インドに行くときは,民主化デモや軍人とか軍の施設などを写した写真のネガフィルムを持って行き,ネガフィルムから写真にして使えたら使ってほしいということで,そのネガフィルムをチャンパイにいたチン族の学生に渡した,原告の撮影した写真が雑誌に載ったとしたら軍事政権の目に触れることもあったと思うなどと供述する一方で,逃亡の状況等を写真撮影したことについては一切供述していない。
ところで,原告は,本人尋問において,軍は,ミャンマー国内でやっていることをもし外国に伝えられたりしたら非常に困るというか,それを嫌っているなどと供述している以上,インドで発行されている雑誌に原告が撮影した写真が掲載されたという事実があれば,当初からそうした事実があったことを説明するのが自然ではないかと考えられるのに,以上に説示したとおり,退去強制手続においてはもとより,難民認定申請書(乙19)及び難民調査官の調査(乙21)においてすら,原告が撮影した写真がインドで発行されている雑誌に掲載されたことが一切述べられていない点は極めて不審であるといわざるを得ない。そして,その後,原告は,異議申立てに係る申述書(乙25)において,初めて,原告が撮影した写真がインドで発行されている雑誌に掲載されたことについて言及したものの,当該写真は1988年(昭和63年)に撮影されたデモの写真等であるとされていたところ,これが,陳述書(甲1)では,インドに逃亡する際に撮影した写真に変わり,さらに,本人尋問において,民主化デモの写真等に変わったことに加え,難民審査参与員による審尋(乙26)の際には,紙に焼いた写真を渡したと供述していたものが,本人尋問の際には,ネガフィルムを渡したとの供述に変遷しているのであって,このように不審な点が多いことに加えて,そもそも,原告は,平成18年10月11日付けの異議申立てに係る申述書(乙25)において,原告自身が撮った写真で現在まだ手元に届いていないものを今後提出したいと思っている旨を述べており,それ以来3年以上(原告が仮放免されてからでも2年半以上)が経過しているのに,原告自身が撮ったとする写真は本件口頭弁論に一切現れていないのであって(同申述書には,写真が8枚添付されているが,これが原告が今後提出したいと述べた写真に当たらないことはいうまでもないことであるし,甲第9及び第10号証の各写真は,原告が被写体となっているものであって,上記今後提出したいと述べた写真でないことは明らかである。),他に原告が撮影した写真がインドで発行されている雑誌に掲載されたことについての客観的な裏付けが全くないこと(原告は,軍情報部が実家に捜索に来たときに,原告の撮影した写真が雑誌に載っている等と言われたなどと供述しているが(乙26等),軍情報部が実家に捜索に来たこと自体の客観的な裏付けとなる証拠がない以上,それらの供述をもって上記裏付けとすることができないことはいうまでもないことである。)に照らして,それが1988年(昭和63年)のデモの記録写真等であるか,インド国境への逃亡の状況等の写真であるか否かにかかわらず,原告の撮影した写真がインドで発行されている雑誌に掲載された旨の以上に掲記した原告の供述等はいずれも採用することができず,他にこのことを認めるに足りる証拠はない。
(オ) 原告は,1992年(平成4年)にミャンマー国内に戻り,ヴァンテ村に住むDのところに滞在していたところ,ティディムの実家に軍情報局が複数回にわたって来て,原告を捜し,原告が撮影した写真やネガフィルムを捜索していったと聞き,特に,1995年(平成7年)にも軍情報局が原告を捜しに来たと聞いて身の危険を感じ,第三国に逃れることにしたなどと主張しており,その陳述書(甲1)にはこれに沿う記載がある(原告は,本人尋問においても同旨とみられる供述をしている。)。また,異議申立てに係る申述書(乙25)には,1995年(平成7年)3月,軍情報部が原告を逮捕しようと両親のもとにやって来て,原告を逮捕するといって両親を脅迫したという知らせがもたらされ,実家に帰ってきたら逮捕されるから絶対に帰ってこないよう両親からの伝言があったので,原告は,ティディムには戻らず,ヤンゴンに赴き,国外に出られるようブローカーに大金を支払って旅券を取得した,軍情報部は,その後も家族のもとに幾度も取調べにやって来て,親に対し,軍の安全を脅かすような写真を撮影しないという誓約書に署名をさせ,また,旅行に際しては旅行許可証を取らなければならないと言い渡したなどとの記載がある。
しかし,原告は,難民認定申請書(乙19)において,1993年(平成5年)から1995年(平成7年)までヤンゴンに所在していた旨を記載している上,本国に戻った場合に迫害を受ける理由により原告に対して逮捕状の発付又は手配がされていますかとの問い,及び当該理由により原告の家族は逮捕,抑留,拘禁その他身体の拘束や暴行等を受けたことがありますかとの問いに対し,いずれも「いいえ」と回答している。また,難民調査官の調査(乙21)において,原告は,インドでは写真屋で働きながら生活していたところ,父から帰国して結婚しなさいと言われたので1992年(平成4年)2月ころ本国に戻り,父の勧めで実家から10kmほど離れたヴァンテ村で農業を営むようになり,同村に住んでいた妻と知り合って結婚したが,結婚後も農業しか仕事がなかったことや,過去の政治活動が知られては困ると考えたこと,父から簡単に行ける外国があるかヤンゴンで調べるようにアドバイスを受けたことから,単身ヤンゴンに行き,渡航できる国を探しながらアルバイトをして生活していた,帰国をすれば危険だと考えるようになったのは,日本で働いていた次兄が帰国した際に当局の調べを受けたので父から帰国すると危険だと言われた2002年(平成14年)ころであるなどと供述している上(他方において,原告は,同調査において,1995年(平成7年)にミャンマーを出国する時点あるいはそれ以前の数年間に逮捕されるおそれがあったことなどについては全く言及していない。),原告の本国での政治活動を理由に,本国の家族が取調べを受けたことがあるかとの問いに対し,原告の家族で調べを受けたことがあるのは,日本から帰国した次兄だけである旨答えている。さらに,原告は,本人尋問において,1992年(平成4年)ころから,原告の父親が原告のために旅券の手配をしていた,原告が旅券の取得のためにヤンゴンに初めて行ったのは1993年(平成5年)であるが,ヤンゴンにずっといたわけではなく,ヴァンテ村に住んでいた,ヤンゴンに1週間くらい滞在してヴァンテ村に戻るということを4回しただけであり,ヤンゴンに滞在したときは,日雇い的に物を運ぶような仕事をした,本人がヤンゴンに行った方が旅券の手続が速く進むかもしれないと思ってヤンゴンに行ったが,1992年(平成4年)ころから1995年(平成7年)まで旅券は発給されず,手続が進んでいるという実感も全くなかったところ,同年に軍情報部が実家にまた来たため,やはりこのままミャンマーにいては危ないと思い,自分自身がヤンゴンに行って旅券の入手を急ぐようにした方がいいと考えた,もっとも,原告自身がブローカーに直接会ったことはなく,手配はすべて親せきを通じてしたなどと供述している。
これらを通覧すると,1992年(平成4年)ころから1995年(平成7年)までの原告の所在や,原告がミャンマー政府から旅券の発給を受けて第三国に出国するまでの経過等について,原告の供述等に不合理な変遷があることが明らかであるといわざるを得ない上,本件不認定処分を受けるまでは,1992年(平成4年)ころから1995年(平成7年)までの間に原告が逮捕される具体的なおそれがあったことや家族が原告の政治的活動を理由に取調べを受けたことなどを全く説明していないのに(むしろ,原告は,そうしたことはないとの趣旨の記載を難民認定申請書(乙19)にしている。),異議申立てに係る申述書(乙25)において,突如として,1995年(平成7年)3月に軍情報部が原告を逮捕するために実家に来たなどと述べるようになったことは,極めて不審であるといわざるを得ない。また,原告の陳述書(甲1)や異議申立てに係る申述書(乙25)に記載されているような逮捕の具体的なおそれがあったというのであれば,旅券の手続がなかなか進まなかったというのであり,また,インド国境に近いヴァンテ村に住んでおり,かつ,いったんはインドに逃亡したことがあるというのであるから,再びインドに逃亡しようとするのが自然ではないかと思われるのに,原告は,原告本人尋問の結果から明らかであるように,インドに逃亡しようとしなかったことも,極めて不審である(原告は,本人尋問において,インドでの生活は決して楽ではなく,心理的に大変負担となるような生活であるため,インドに行こうと思わなかったなどと供述しているが,軍情報部が原告を逮捕するために実家に来たというような正に危険が現実化した場合に関する説明として合理的なものとは認められず,上記不審を解消するものではない。)。そして,既に説示したとおり,原告の撮影した写真がインターネットやインドで発行されている雑誌に掲載されたとは認められないことも併せ考えれば,ティディムの実家に軍情報局が複数回にわたって来て,原告を捜し,原告が撮影した写真やネガフィルムを捜索したとか,1995年(平成7年)3月,軍情報部が原告を逮捕しようと両親のもとにやって来たなどという原告の上記陳述書(甲1)の記載等はいずれも採用することができず,他にこのことを認めるに足りる証拠はない。
(カ) なお,前記(2)イ(カ)において認定したとおり,原告の難民認定申請書(乙19)には,1989年(平成元年)から1992年(平成4年)までインドで滞在していた旨の記載に加えて,インドで庇護を求めたことがある旨の記載がある。しかし,ヒューマン・ライツ・ウォッチの報告書(甲53)によれば,生計維持などの日々の生存への障害が原因でチン州からインド・ミゾラムへのチン人の大量流出があるとされており,また,1988年(昭和63年)10月ころ,難民キャンプがインド・ミゾラムのチャンパイに設けられたとされているところ(もっとも,同報告書の内容に照らし,この場合の「難民」は,入管法2条3号の2に規定する「難民」とは同義ではなく,経済的理由による避難民等も含まれる極めて広義のものと解される。),原告の難民認定申請書(乙19)には,上記記載に続けて,一時的に作ってある難民キャンプに1か月近く滞在し,地域の警察署に連絡した旨,衣食住にも問題があり,仕事を探した旨が記載されていることに照らして,原告がインドで庇護を求めたという具体的内容は,上記のとおりの広義の意味での難民(以下「避難民」という。)のキャンプに滞在したことと,地域の警察署に連絡したことを指すものと解され,また,その後,原告は,仕事を探したというのであって,地域の警察に連絡したことから,原告が難民として認定されるに至るなどの何らかの官憲の対応の結果が出たとは認められない。そうすると,難民認定申請書(乙19)の以上に掲記した記載から直ちに原告が入管法2条3号の2に規定する「難民」に該当するということはできないし,同記載から,これまで前記(ア)ないし(オ)において説示したところが左右されるものでもない。
イ 原告の日本における活動等について
(ア) 原告は,平成12年ころから,CNC-Japanが毎年2月20日近くの日曜日に開催するチン民族記念日(チン・ナショナル・デー)のイベントに参加するようになり,その後,CNC-Japanのメンバーとなり,チン族の宗教,民族,政治,社会活動を支持する活動を続け,AUN-Japanにも参加している,具体的には,抗議デモなどの各団体の活動に参加し,CNC-Japan及びAUN-Japanの活動の記録写真を撮影し,団体に写真を渡すという活動をしているほか,CNC-Japanでは,ミャンマーの各政治団体が共同開催するイベントにCNC-Japanからの代表として参加することもしているなどと主張しており,その陳述書(甲1)や異議申立てに係る申述書(乙25)にはこれに沿う記載がある。
もっとも,原告は,前記(2)イ(キ)において認定したとおり,本邦において,平成18年7月に警察官に逮捕されるまでに,デモに参加したことはなく,チン族の団体のメンバーでもなかったのであり,また,原告は,逮捕された後にCNC-Japan及びAUN-Japanの一般メンバーとなり,平成19年3月6日に仮放免の許可を受けて東日本センターを出所した後に,各種の集会やミャンマー大使館前等でのデモに参加するようになったのであるから,上記陳述書(甲1)等の記載は,平成18年7月以後にCNC-Japan及びAUN-Japanの一般メンバーとなり,仮放免後の平成19年3月6日以降,抗議デモなどの団体の活動に参加し,CNC-Japan及びAUN-Japanの活動の記録写真を撮影し,団体に写真を渡すという活動をしているという趣旨であることが明らかである。また,原告は,入国審査官の審査(乙9)において,日本に来てから何の組織にも加入していないし,反政府活動もしていない旨を供述しており,さらに,本人尋問において,入国審査官の審査において上記のように説明する一方で平成12年ころからCNC-Japanのイベントに参加していると陳述書(甲1)に記載した理由を問われて,チン民族の一員として活動には参加している旨を供述している。
これらによれば,原告は,平成12年ころから,年に1回行われるチン民族のイベント(原告が反政府活動をしていないと供述していることに照らし,宗教的・民族的なもので,政治的活動の意味合いはないものと考えられる。)に参加し,また,平成18年7月20日以後同年8月末ころまでにはCNC-Japan及びAUN-Japanの一般メンバーとなった可能性があるものの,本邦入国後平成18年8月末ころまでの間にそれらの団体においてそのメンバーとして具体的な活動をしたことがなかったことは明らかであるというべきところ,このことに,前記(2)ア(ウ)において認定したとおり,①現在,ミャンマー国外で自分の名前を明らかにしてミャンマーの民主化運動・反政府活動をしているミャンマー人は,タイにおいて少なくとも1万人,ミャンマー及びタイを除く国々で少なくとも1万人の多数に上り,その大半は各人の滞在国で仕事をするかたわら空いた時間に政治活動をするというレベルにすぎず,ミャンマーの民主化を目指して活動を行う同国外の団体(民主化団体)も団体の数が多すぎて運動の統合に支障が生ずるほど,著しく多数に上ることや,②ZNCの創設メンバーの1人で,CNC-Japanの創設者・議長であり,かつ,AUN-Japanの創設者の1人で,その創設を主導し,その最高意思決定機関の1人でもあるGが,軍事政権が重視しているのは,最初に誰が動いたかということであり,後に難民認定を受けられると聞いてメンバーに加わったような人間は余り重視していない旨陳述していることを併せ考えれば,以上のような原告の活動をもって,原告がミャンマー政府から積極的な反政府活動家として殊更に関心を寄せられて注視され,本国に帰国した場合に迫害(前記(1)ア参照)を受けるおそれがあるとは認められないというべきである。
なお,平成19年3月以降,原告がCNC-Japan及びAUN-Japanのメンバーとして,抗議デモなどの団体の活動に参加していることは既に説示したとおりであり,また,原告は,そのほか記録写真の撮影等の活動をしているなどと主張していることは上記のとおりであるが,それらは,平成18年8月中にされた本件各処分等の後の事情であることが明らかであって,本件各処分等の適法性又は無効事由の有無の判断において考慮の対象に含まれないというべきである。
(イ) 原告は,ミャンマーでのZNCの活動を支援するため,年に2回,年間約3万円ほどの寄付金をZNCの代表者に送金していると主張しており,その陳述書(甲1)や難民調査官に対する供述調書(乙21),異議申立てに係る申述書(乙25)には同旨の記載がある(難民認定申請書(乙19)やZNCの代表者C名義の文書(甲3,乙25)にもこれに沿うとみられる記載がある。)。
しかしながら,難民調査官に対する供述調書(乙21)によれば,原告のZNCに対する資金援助は,本国の家族を通じて行われているところ,原告の本国の家族がZNCへの資金援助を理由に当局から取調べを受けたことがあるといった事情は一切うかがえないことにかんがみても,ミャンマー政府が原告のZNCへの資金提供について把握しているとは認められないし,仮にこれが把握されているとしたところで,前記ア(ア)aにおいて説示したとおり,ZNCの代表者C名義の文書(甲3,乙25)にヤンゴン市内の住所や電話番号が記載されていることや,Gの供述録取書(甲55)に,Cが現在ヤンゴンに住んでおり,CRPPの声明などをGに送るといった活動をしている旨の記載があることにかんがみ,1992年(平成4年)から本件各処分等の当時まで,Cがミャンマー国内において身柄拘束をされていたとはにわかに認められず(そのことをいう原告の陳述書(甲1)の記載が採用できないことは既に説示したとおりである。),むしろ,Cは,少なくとも本件各処分等の当時にはヤンゴンにいて一定の政治活動を継続していたものとうかがわれることや,前記ア(イ)において説示したところによれば,ミャンマーにおいてZNCのメンバーであることから直ちに処罰されるといった状況にあるとは認められないことに照らして,原告がZNCのメンバーとして上記程度の資金援助をしているとしても,そのことから直ちに,原告がミャンマー政府から積極的な反政府活動家として殊更に関心を寄せられて注視され,本国に帰国した場合に迫害(前記(1)ア参照)を受けるおそれがあるとは認められないというべきである。
ウ 原告の次兄の事情について
原告は,原告の次兄であるEが,1988年(昭和63年)の民主化運動でデモに参加し,逮捕・身柄拘束され,解放された後逃亡し,平成4年から平成14年まで日本に滞在し,同年6月,故郷の父の勧めに従い,ミャンマーに帰国し,ティディムの実家に戻ったが,同年8月に軍情報局に逮捕され,同月から2003年(平成15年)2月まで拘束された,釈放後のEの話によれば,同人は,身柄拘束中,ミャンマーや日本で参加した自身の反政府活動のほか,原告の活動歴などについても脅迫・暴行を伴う厳しい尋問を受けた,Eは,同年3月に釈放された際には,拘束中に激しい暴行を受けたため,精神的にも肉体的にも衰弱し切った状態で,釈放後も食事をほとんど食べることができず,どんどんやせ細り,ずっと寝ているような状態になり,2004年(平成16年)9月に死亡したなどと主張している。
この点,原告の陳述書(甲1)や異議申立てに係る申述書(乙25)には,原告の上記主張とほぼ同旨とみられる記載があり(もっとも,Eが1988年(昭和63年)の民主化運動でデモに参加したことにより逮捕・身柄拘束されたことについての言及はなく,他にこのことの証拠はない。),また,原告は,本人尋問において,Eは,ミャンマー帰国前,全く健康で,何の病気も持っていなかった旨,同人が逮捕されたことは父からの手紙で知った旨,その手紙には,Eが逮捕,投獄され,刑務所に6か月程度収容されていた,その間の食べ物もよくなく,精神的なストレスもあって,健康を害してしまった,そして,厳しい尋問を受け,ストレスが高じて物が食べられないようになり,胃の状態が悪くなり,最後には医師から胃ガンであったと説明を受けたなどとの記載があった旨を供述している(もっとも,別途,原告は,本人尋問において,Eがどうして身柄拘束されて厳しい取調べを受けたと思うかと問われて,チン民族が組織を作って反政府活動を展開している日本からEが帰ってきたことから,日本でのチン民族の動きなどを詳細に聞こうとして尋問をしたのだろうと思うと供述する一方で,Eが1988年(昭和63年)の民主化デモに参加したことや,日本において反政府活動をしたことなどには全く触れていないことに照らせば,原告の本人尋問におけるこれらの供述は,必ずしも上記陳述書(甲1)等の記載と一貫したものとは認められない。)。
他方,原告は,難民調査官の調査(乙21)において,Eが,日本からミャンマーに帰国する前,きちんと税金を納めたにもかかわらず,帰国すると税金が足りないと言われて調べを受け,写真等を見せられ,この人を知っているか,組織を知っているか,どのような活動をしていたのかなどと尋問を受けたと父から聞いている,10年間日本で働き,5年前に自ら帰国したEは,2年前に胃ガンで他界したと父から聞いている等と相応に詳細な事情を供述しているものの,Eが1988年(昭和63年)のデモに参加したことや,海外へ逃亡したこと,本邦において反政府活動を行ったこと,ミャンマーに帰国後逮捕され,半年程度身柄拘束を受けたことはもとより,ミャンマー帰国後,Eが当局から原告に関する尋問を受けたことについて何らの言及もしていない。
以上を通覧すれば,原告のEに関する供述等には明らかに不合理な変遷があり,そもそもにわかには採用できないというべきである(原告は,本人尋問において,父から,最初は,Eが税金をきちんと納めたにもかかわらず,帰国すると税金が足りないと言われたなどと聞いたため,難民調査官の調査の際にそのように供述したといった説明をしているが,別途,Eが健康状態を悪化させて入院をした時点で,父から連絡があってEが日本で活動していたことなどを理由に逮捕されたと聞いたと供述しているところ,それがEが死亡した2004年(平成16年)9月以前のことであるのは明らかである一方,難民調査官の調査が平成18年8月11日に行われたことにかんがみれば,原告の上記説明が原告の供述等における上記の変遷を合理化する余地はない。)。また,その点をおくとしても,Eが,平成13年5月24日,東京入管に,不法滞在していることを申告するために,駐日ミャンマー大使館が同月23日に発行した有効期限を同年6月22日とする臨時旅券を携えて出頭し,同年5月31日行われた入国警備官による違反調査の際,本邦に出稼ぎに来て,友人の紹介で居酒屋で働き始め,仕事をするため不法残留した旨,体調が余りよくないのでミャンマーに帰国する旨,本邦に入国の際に使用したミャンマー旅券は税金の未払があるためミャンマー大使館に没収されてしまった旨を供述したこと,Eが同年6月6月にミャンマーに送還されたことは,いずれも前記(2)イ(オ)において認定したとおりであるところ,これらによれば,Eは,本邦に出稼ぎに来て稼働していたところ,体調がよくないためにミャンマーに帰国することにしたが,そのため,旅券の更新等を受けにミャンマー大使館に行ったものの,税金をすべて支払うことができなかったため(Eが臨時旅券を携えて出頭し,本邦に入国の際に使用したミャンマー旅券は税金の未払があるためミャンマー大使館に没収されてしまったと供述したことにかんがみれば,税金の未払があったことは明らかである。),ミャンマー帰国後に税金を支払うことを約束するなどして,ひとまず帰国に必要な臨時旅券の発給を受けた可能性が高いと考えられるのであって,この可能性を否定するに足りる証拠がないことにかんがみても,原告の上記主張に沿うものとして以上に掲記した陳述書(甲1)等の記載及び原告の供述はいずれも採用することができず,他に原告の上記主張に係る事実を認めるに足りる証拠はない(原告は,異議申立てに係る申述書(乙25)において,1988年(昭和63年)の民主化運動に参加したことによる軍事政権の逮捕を逃れるため,Eは,国外に逃げ,日本に至り,日本にいる間も政治活動やチン民族運動等に携わっていたが,ミャンマーの両親がもう危なくないので帰っておいでというので,2002年6月に帰国したなどと陳述しており,また,難民審査参与員による審尋(乙26)において,Eが自主的にミャンマーに帰った経緯を問われて,父が父なりに調べて,危険ではないと判断し,問題ないと告げて呼び戻したなどと供述しているが,原告は,上記申述書において,別途,ティディムに住む原告の家族は軍の監視下に生活しているなどと陳述していることに照らしても,逮捕を逃れるためにミャンマー国外に逃げ,日本でも政治活動等に携わっていたというEに対し,その父がもう危険ではないと判断し,問題ないと告げて呼び戻したなどという経緯があったとはにわかに考えることはできず,むしろ,以上によれば,上記のとおり可能性が高いとして説示した経緯によってEが帰国したと考える方がはるかに自然であるというべきである。なお,Eがきちんと税金を納めたにもかかわらず,帰国すると税金が足りないと言われて調べを受けたなどとの原告の難民調査官に対する上記供述も,上記のとおりEに税金の未払があったことが明らかであること等に照らし,採用することができない。)。
エ 原告の難民該当性を否定する方向に作用する事情について
(ア) 前記前提事実及び前記(2)並びに掲記のとおり前記ア(カ)において認定した事実によれば,次の事情を指摘することができる。
a 原告は,インドとの国境に近いミャンマーのチン州ティディムで生まれ,1988年(昭和63年)当時,同所で暮らしていた。原告は,本人尋問において,1989年(平成元年)3月ころに旅券を持たずにインドに逃亡し,その後,1992年にチン州ヴァンテ村に戻り,1995年まで,基本的に同村で生活していた旨,チン州とインドは旅券なしで行き来できる旨を供述している。
b 原告は,1995年(平成7年)4月26日に,ヤンゴンにおいてミャンマー政府から本件旅券(1998年(平成10年)4月25日まで有効)を受給した。
c 原告は,本件旅券を使用して,1995年(平成7年)7月6日,ヤンゴンのミンガラードン空港からミャンマーを出国してシンガポールに入国し,プラスチック工場で工員として稼働し,1996年(平成8年)3月11日,シンガポールを出国してタイに入国した後,タイに1か月近く滞在してはマレーシアに出国し,すぐにタイに再入国するということを何度か繰り返した上で,同年7月12日にタイからヤンゴンのミンガラードン空港に到着し,本件旅券を使用してミャンマーに帰国したところ,この間の経緯について,原告は,難民調査官に対し,観光目的の査証(いわゆる観光ビザ)でシンガポールに入国しプラスチック工場で働いたが,査証の延長を受けるために仕方なく英語学校にも通っていた,シンガポールで8か月働いた後,タイとマレーシアに4か月ほど滞在したが,思うような仕事が見付からなかったので,同日ミャンマーに帰国したと供述している(乙21)。
d 原告は,1996年(平成8年)7月26日,ヤンゴンの韓国大使館において90日間有効の査証(いわゆる観光ビザ)を取得し,本件旅券を使用して,同年8月1日にヤンゴンのミンガラードン空港からミャンマーを出国し,タイを経由して,同月3日に韓国に入国した。その後,原告は,ソウルのプラスチック工場で工員として稼働して,本件旅券や査証の更新等をしないまま1998年(平成10年)11月ころまで韓国に滞在していた。
e 原告は,シンガポールで難民としての庇護を求めたことはなく,また,ミャンマー国外にいた1995年(平成7年)から1998年(平成10年)11月ころまでの間,反政府活動をしたことも反政府活動をしている人と接触したこともない。他方において,原告は,難民認定申請書(乙19)に,1989年(平成元年)から1992年(平成4年)まで滞在していたというインドで避難民のキャンプに1か月近く滞在し,地域の警察署に連絡した旨を記載している(前記ア(カ)において認定したとおりである。)。他方において,原告は,異議申立てに係る申述書(乙25)に,韓国にいるときに難民認定申請をする希望を持っていなかった旨を記載している。
f 原告は,韓国において稼働先の工場が閉鎖されて他に仕事もなかったため,フィリピン人ブローカーの手引きの下に,日本に密入国することにし,1998年(平成10年)11月ころ,有効な旅券を所持せず,かつ,法定の除外事由がないのに,韓国の釜山から,船籍船名等不詳の大型貨物船により,神戸港に到着し,本邦に不法入国した。原告は,難民調査官や入国審査官に対し,観光ビザで韓国に入国し,滞在期間が過ぎた後もプラスチック工場で働いていたが,韓国の景気が悪くなったので,当時,次兄が日本で働いていたこともあり,自分も日本で働こうと決意した,日本に密入国するについて,次兄は,危険が大きいので韓国で別の仕事を見付けた方がよいと反対したが,職を失ったものの,自分にはブローカーに金員を支払えるだけの金銭的な余裕があったので,このチャンスを逃すまいと考え,密航の手続をブローカーに頼んだなどとの趣旨の供述をしている(乙9,21)。
g 原告は,本邦に不法入国した後,東京・銀座のレストランで働いていた兄Eを頼って,埼玉県川越市にあった同人のアパートで同居を始め,平成11年4月か5月ころ,兄Eとともに原告肩書地のマンションの1室に引っ越し,それから,東京都内の居酒屋で調理場の仕事を始め,平成12年2月ころには,東京都内のお好み焼き店の調理場の仕事に移り,以来,平成18年7月に逮捕されるまで,その仕事を続け,1か月14万円前後の給与を得ていた(夜まで働けば,1か月24万円前後もらえることもあった。)。
h 原告は,本国の家族に年に4,5回送金をし,これまでにその合計額は200万円くらいになり,他に,中古のカメラやビデオを換金用に送っていた。また,原告の妻は,子らの教育のため,2001年(平成13年)ころ,子らともども,教育の水準・環境がチン州に比べて格段に優れているヤンゴンに家を借りて移り住み,現在,子らは,ヤンゴンで公立学校に通い,家庭教師を付けてもらっている。原告の妻子は,主として原告の仕送りによって生活しており,原告からの仕送りがあるため,子らがヤンゴンで公立学校に通い,家庭教師を付けてもらうことが可能となったのであり,原告がミャンマーで稼働していたのでは,子らがそうした教育の機会を得ることは困難であった。
i 原告の説明を前提としても,平成15年には難民認定申請のことを知ったというのに,原告が難民認定申請をしたのは,平成18年7月20日に入管法違反被疑事実(不法在留)により逮捕され,その後,起訴猶予処分を受けた上で,収容令書の執行を受けて東京入管収容場に収容された後の,平成18年8月3日のことである。そして,原告は,入国審査官に対し,今まで難民認定申請の手続をしなかったのは,難民認定の手続のために仕事を休むのは嫌だったこと,普通に生活していれば入国管理局や警察に捕まらないと思っていたこと,難民認定申請の簡単な手続方法を知らなかったことのためである旨供述している。
j 原告は,本邦において,平成18年7月に警察官に逮捕されるまでに,デモに参加したことはなく,チン族の団体のメンバーでもなかったが,逮捕後,CNC-Japan(在日チン族協会)及びAUN-Japan(在日ビルマ連邦少数民族連邦協議会)の一般メンバーとなり,平成19年3月6日,仮放免の許可を受けて東日本センターを出所した後には,各種の集会やミャンマー大使館前等でのデモに参加している。
(イ) 前記(ア)aないしcの事情を前提とすれば,原告は,ミャンマー政府(国軍を含む。以下同じ)からの迫害を受けるおそれがあり,これを避けるために逃亡する必要があったと主張するところ,インドとの国境に近いチン州ヴァンテ村で生活しており,チン州とインドは旅券なしで行き来できるというのであり,しかも,インドに1度逃亡したこともあるというのであるから,ミャンマー政府になるべく近付かないようにして,インドに逃亡するのが自然ではないかと思われるのに,かえって,原告は,ミャンマー政府に旅券発給の申請をし,ヤンゴンにおいてミャンマー政府から本件旅券を受給し,その本件旅券を使用して,ヤンゴンのミンガラードン空港からミャンマーを出国しており,原告が逮捕・迫害を受ける危険があると主張するミャンマー政府にあえてより接近する方法によって出国している点は,原告の難民該当性を否定する方向に作用する事情であるといわざるを得ない。
この点に関し,原告は,本人尋問において,インドでの生活は決して楽ではなく,心理的に大変負担となるような生活であるため,インドに行こうと思わなかったなどと供述しているが,これが原告主張の状況の下での行動に関する合理的な説明と認められないことは,前記ア(オ)において説示したとおりである。
また,原告は,ブローカーに6万チャットを支払って依頼し,旅券を取得したことなどから,原告がミャンマー政府から正規の手続で旅券を取得し,正規に出国を許可されたわけではないことは明らかであるとなどと主張しているが,本件旅券がミャンマー政府から発給された真正なものであることは前記(2)イ(ウ)において認定したとおりであるところ,仮にその取得の経緯等が原告の主張するとおりであったとしても,ミャンマー政府に対し真正な旅券の発給を求めて現にこれを受け,これを使用して出国審査を受けて(あるいは,出国審査を受ける危険を冒して),出国するという原告の行動それ自体が,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれを有している者の採る行動としては不審であることに変わりはないといわざるを得ない。
さらに,原告は,正規の手続で旅券を取得し合法的に出国したとしても,そのことを理由に原告の難民該当性を否定することはできないなどとして,るる主張をしているが,正規の手続で旅券を取得し合法的に出国したことの一事をもって難民該当性を否定することができないことは一般論としては首肯し得るとしても,そのことと,以上に説示したところが原告の難民該当性を否定する方向に作用する事情であるということとは何ら抵触するものではないことにかんがみれば,原告の上記主張は結論において原告の難民該当性の認定に資するものではないというべきである。
(ウ) また,前記(ア)cないしeの事情によれば,次の点を指摘することができる。
まず,原告は,ミャンマー政府からの迫害を受けるおそれがあり,これを避けるために逃亡したと主張するものである以上,シンガポールに入国した後,同国で庇護を求めるのが自然ではないかと思われるのに(原告は,本人尋問において,シンガポールに行った際,難民として庇護を求めるといったことは分からなかったと供述しているが,難民認定申請書(乙19)において,インドにおいて避難民のキャンプに滞在し,地域の警察署に連絡した旨を記載していることに照らせば,原告が難民認定制度そのものについての知識を有していなかったとしても,庇護を求める上で特に障害となる事情があったともうかがえない以上,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれを有していることに関してシンガポールの警察署等に行き相談をするといった行動を採ることができたはずではないかと考えられる。),同国において難民として庇護を求めたことはなく,また,反政府活動をしたことも反政府活動をしている人と接触したこともないのであって,かえって,いわゆる観光ビザで入国したというのに,プラスチック工場で工員として稼働を始め,査証の延長を受けるために仕方なく英語学校にも通っていたなどと供述していることに照らすと,原告は,シンガポールに出稼ぎに行った疑いが強く,この疑いを解消するに足りる証拠はない(原告は,本人尋問において,シンガポールに行ったのは仕事をするのが主な目的ではないなどと供述しているが,その供述内容は必ずしも要領を得ず,上記疑いを解消するに足りるものではない。)。
また,原告は,1996年(平成8年)3月11日にシンガポールを出国した後,4か月間ほどタイとマレーシアを行き来きした後(その経過にかんがみて,査証の関係から,可能な範囲でタイに滞在しながら,必要に応じてマレーシアへの出入国を繰り返したものと推認される。)に帰国したが,原告がタイ及びマレーシアのいずれの国でも庇護を求めた事実は認められない上,反政府活動をしたことも反政府活動をしている人と接触したこともないことに加え,この間のことについて,原告は,難民調査官に対し,シンガポールで8か月働いた後,タイとマレーシアに4か月ほど滞在したが,思うような仕事が見付からなかったので,ミャンマーに帰国したと供述していることにかんがみれば,査証の関係上,シンガポールに在留できなくなった原告は,主としてタイにおいて稼働先を探していたが,思うような仕事が見付からなかったために,ミャンマーに帰国した疑いが強く,この疑いを解消するに足りる証拠はない(原告は,本人尋問において,仕事を探してバンコクに行ったということではないなどと供述しているが,シンガポールに在留できなくなったからという以上にタイ(バンコク)に行った理由を説明することができず,到底,上記疑いを解消するに足りるものではない。)。また,以上のことに加えて,せっかく無事に国外に脱出できたというにもかかわらず,すぐにミャンマーに帰国し,再度,原告が逮捕・迫害を受ける危険があると主張するミャンマー政府にあえて接近していることに照らせば(この点に関し,原告は,再出入国に当たり,空港の入国管理職員あるいは空港職員に賄賂を支払い,安全を保障されていたなどと主張しているが,この点に関する本人尋問での説明でも,原告は,余り階級が高くはないチン民族の入国管理職員にお金を渡し,再出入国の配慮をしてもらった,その人にお金を渡せば,多分,軍情報部に逮捕されることはないだろうとは思っていたし,そうする以外に方法がなかったのでそうしたなどと述べるにすぎないのであって,到底,安全が保障されていたという点において納得できる内容ではなく,他に被告の上記主張を裏付けるに足りる証拠はない。),原告は,ミャンマー政府から逮捕・迫害を受ける具体的な危険性があるとの認識・危ぐは有していなかった疑いが強いというべきである。なお,この点に関し,原告は,バンコクにいるとき,チン族の教会の牧師に出会い,その牧師にミャンマーに戻ると逮捕される危険があるため,本国に戻れず困っていると伝えると,韓国でユース・カンファレンスがあるから一緒に行こうと誘われたので,韓国の査証を取得するためバンコクにある韓国大使館に行ったが,ミャンマーに戻らなければ査証は取得できないと言われ,査証を取得するためミャンマーに一時帰国することとしたなどと主張しており,その陳述書(甲1)にはこれに沿う記載があり,本人尋問においても同旨の供述をしている。しかし,そもそも,ヤンゴンの韓国大使館では査証(いわゆる観光ビザ)を取得できたにもかかわらず,何ゆえバンコクの韓国大使館では取得できなかったというのか不審であるし,その点はおくとしても,原告は,逮捕される危険を避けるためミャンマーに戻れず困っていることから韓国行きを誘われたというのに,韓国行きのために逮捕される危険のあるミャンマーに戻るというのでは本末転倒であるというべきであり,そのことに加えて,原告は,本人尋問において,タイにいても知り合いの家に泊めてもらっているような状況なのでそのままではいられないと思ったなどと供述して,韓国行きの必要性を説明しようとしているが,本来,逮捕され迫害を受ける危険から逃れるために出国したという以上,タイの知り合いの家に泊めてもらえるというのであれば,あえて逮捕・迫害を受ける危険を冒してミャンマーに戻ってまでして韓国に行くよりも,タイに留まる方がはるかに自然であるところ,原告が逮捕・迫害を受ける危険を冒してまでして韓国のユース・カンファレンスに参加しなければならなかったとする理由が本件全証拠によっても全く判然としないことにかんがみても,バンコクにおいてチン族の教会の牧師にミャンマーに戻ると逮捕される危険があるため本国に戻れず困っていると伝えると韓国でのユース・カンファレンスに一緒に行こうと誘われたなどという原告の上記陳述・供述を採用することはできず,他にそのことを認めるに足りる証拠はない。
さらに,原告は,ヤンゴンの韓国大使館においていわゆる観光ビザを得て,1996年(平成8年)8月1日にヤンゴンのミンガラードン空港からミャンマーを出国し,タイを経由して,同月3日に韓国に入国し,その後,ソウルのプラスチック工場で工員として稼働して,本件旅券や査証の更新等をしないまま1998年(平成10年)11月ころまで韓国に滞在していたところ,この間に,韓国で庇護を求めた事実は認められないこと(加えて,原告は,異議申立てに係る申述書(乙25)に,韓国にいるときに難民認定申請をする希望を持っていなかった旨を記載しており,このことを併せ考えれば,韓国にいた当時,原告は,難民認定制度を知っていたものの,韓国で難民認定を求める意思を有していなかった疑いが強いといわざるを得ない。)に加え,反政府活動をしたことも反政府活動をしている人と接触したこともないというのであって,これらのことに,前記(イ)で説示したところやシンガポールへの出国からミャンマーへの帰国までの経緯に関して以上に説示したところを総合すれば,原告は,国外に出稼ぎに出るために,本件旅券の受給を受け,これを使用して,シンガポールで8か月ほど稼働した後,査証の関係上,シンガポールを出国せざるを得なくなったため,その後,主としてタイにおいて稼働先を探したものの,思うような仕事を見付けることができなかったため,いったんミャンマーに帰国し,その後,今度は韓国に出稼ぎに行くことにして,ヤンゴンの韓国大使館において当面取得可能ないわゆる観光ビザを得て,本件旅券を使用して韓国に入国し,査証によって認められた滞在期間及び本件旅券の有効期間の経過後も事実上できる限りの期間,稼働を続けた疑いが強く,この疑いを解消するに足りる証拠はない(原告は,本人尋問において,韓国に行った主な目的は仕事ではなかったなどと供述しているが,前示のとおり,韓国行きの経緯に係る供述内容はそれ自体が採用の限りでなく,上記疑いを解消するに足りるものではない。)。
そうすると,原告がミャンマーを出国したのは,ミャンマー政府からの迫害から逃れるためではなく,専ら国外で出稼ぎをするためであった可能性を否定できず,このことは,原告の難民該当性を否定する方向に作用する事情であるといわざるを得ない(なお,原告は,稼働目的などの経済的目的があるからといって迫害に対する恐怖心がないとはいえないから,そのことをもって難民該当性は否定されないなどと主張しているが,以上に説示したところを通覧すれば,原告の言動に迫害に対する恐怖心を有する者のそれとしては種々の著しく不審な点が多い一方で,原告が稼働する目的をもってミャンマー国外に出た疑いが非常に強いことは明らかであって,これらを総合すれば,原告が専ら稼働(出稼ぎ)目的をもってミャンマーを出国した疑いが強いといわざるを得ないから,原告の上記主張は上記の判断を左右するに足りるものではないというべきである。)。
(エ) さらに,前記(ア)d及びfないしhの事情によれば,原告は,韓国を密出国し,本邦に密入国したというべきところ,その密出入国の過程で韓国あるいは本邦の当局に逮捕されるおそれがあり,その場合,ミャンマー本国に送還される危険性があることが十分に考えられるのに(原告の次兄が危険が大きいので韓国で別の仕事を見付けた方がよいと反対したと原告が供述していることに照らせば,原告自身,そうした危険性を十分に認識していたものと推認される。),その危険を冒してこれを決行したものである。また,原告は,本邦入国後,平成11年4月か5月ころから,都内の飲食店での稼働を継続して相当の給与を得て,本国の家族に現金や換金用の中古カメラを送っており,原告の妻子は,主として原告の仕送りによって生活しているというのであり,しかも,2001年(平成13年)ころから,原告の妻子は,子らの教育のためヤンゴンに家を借りて移り住み,現在,子らは,ヤンゴンで公立学校に通い,家庭教師を付けてもらっていて,そうしたことは原告からの仕送りがあるから可能となったのであり,原告がミャンマーで稼働していたのでは,子らがそうした教育の機会を得ることは困難であったところ,原告が,景気が悪くなった韓国を離れ,日本で働くチャンスを逃すまいとして,密航の手続をブローカーに頼んだなどと供述していることや前記(イ)及び(ウ)において説示したところも併せ考えれば,原告は,妻子の生活資金や子らの教育資金等を得るため専ら稼働(出稼ぎ)目的をもって本邦に不法入国した疑いが極めて強いというべきであり,この疑いを解消するに足りる証拠はない(原告は,本人尋問において,仕事をする,お金を稼ぐという目的が第一ではないなどと供述しているが,生きるためには仕事をしなければならない等と述べる以上に何のために日本に来たのかについて積極的な説明を全くしておらず,上記疑いを解消するに足りるものとはいえない。)。
(オ) 加えて,前記(ア)f,i及びjの事情によれば,原告は,平成10年11月ころには本邦に不法入国したのであり,その説明を前提としても,平成15年に難民認定申請のことを知ったというのに,本件難民認定申請をしたのは,入管法違反被疑事実(不法在留)により逮捕され,その後,収容令書の執行を受けて東京入管収容場に収容された後の平成18年8月3日のことであり,しかも,原告は,本邦入国後,同年7月に警察官に逮捕されるまでに,デモに参加したことはなく,チン族の団体のメンバーでもなかったのに,逮捕後,突如として,CNC-Japan及びAUN-Japanの一般メンバーとなり,平成19年3月6日に仮放免の許可を受けて東日本センターを出所した後には,各種の集会やミャンマー大使館前等でのデモに参加するに至っているのであって,このことに,原告が入国審査官に対し,それまで難民認定申請の手続をしなかったのは,難民認定の手続のために仕事を休むのは嫌だったこと,普通に生活していれば入国管理局や警察に捕まらないと思っていたこと等のためである旨を供述していることや,前記(エ)において説示したところを併せ考えれば,原告が逮捕・収容後に本件難民認定申請をし,収容中にCNC-Japan等のメンバーとなり,仮放免後はデモにも参加するようになったのは,思惑に反して警察に逮捕され,東京入管において収容されるに至ったものの,本邦において稼働(出稼ぎ)をしてヤンゴンにいる妻子に対する仕送りをなお続けるため,更に本邦に在留し続ける手段として難民認定を受けることを目的とするものであることが強く疑われるといわざるを得ず,この疑いを解消するに足りる証拠はない(原告は,異議申立てに係る申述書(乙25)に,難民認定申請が遅れたのは様々な状況を見極める必要があったからで,もし原告がCNC-Japanに正式に入会し活動を行うならば,ティディムの軍情報部が家族に更なる危険を及ぼすのではないかと心配していたからであるなどとの申述を記載しているが(原告は,難民審査参与員の審尋(乙26)においても,同旨とみられる供述をしている。),CNC-Japanに入会しなければ難民認定申請をすることができないわけではないことにかんがみても,この申述等をにわかに採用することはできない。)。
オ チン民族出身であること等に係る事情について
なお,本件全証拠によっても,原告及びその家族が,チン民族の出身であることやキリスト教徒であること自体によって,過去に本国において迫害(前記(1)ア参照)を受けたことをうかがわせる事情を認めるには足りず,前記(2)イ(イ)において認定した事実及び弁論の全趣旨によれば,現に,やはりチン民族出身である原告の妻は,原告との間に生まれた子らともどもヤンゴンにおいて平穏に生活を送っており,子らは同所の公立学校に通い,また,家庭教師を付けてもらって水準の高い教育を享受していることが認められるのであって,原告のチン民族の団体における活動に係る主張について前記ア及びイに説示したところを併せ考えれば,原告が本国に帰国した場合に,その人種(チン民族の出身であること)・宗教自体を理由として迫害(前記(1)ア参照)を受けるおそれがあるとも認められないというべきである。
カ 以上に検討したところを総合すれば,本件各処分等の当時,原告がミャンマー政府から積極的な反政府活動家として殊更に関心を寄せられて注視されていたとは認められず(その余の原告の主張を前提としても,この判断は左右されず,他にこのことを認めるに足りる証拠はない。),前記(2)アのミャンマーの一般情勢を勘案しても,原告が,ミャンマーに帰国した場合に,通常人が原告の立場に置かれた場合にも,政治的意見等(特定の社会的集団に属すること又は人種・宗教を含む。)を理由にミャンマー政府から迫害(前記(1)ア参照)を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するというべき客観的事情が存在していたと認めることはできない(なお,甲各号証及び原告本人尋問の結果に現れた平成18年9月以降のミャンマー国内の情勢は,本件各処分等がされた後の事情であり,本件各処分等の適法性又は無効事由の有無の判断において考慮の対象に含まれないというべきである。)。
したがって,原告が入管法2条3号の2に規定する「難民」に該当すると認めることはできず,本件不認定処分に違法があるということはできない。
(4)  以上によれば,争点(2)(原告の難民該当性の有無)に関する原告の主張は,理由がない。
3  争点(3)(本件在特不許可処分の適法性又は無効事由の有無)について
(1)  前記1で検討したとおり,本件在特不許可処分については,主位的請求に係る取消しを求める訴えは不適法であるので,専ら,予備的請求に係る無効確認の訴えについて無効事由の有無を検討することになる。
そして,行政処分が無効であるというためには,当該処分に重大かつ明白な瑕疵が存在しなければならず,その瑕疵が明白であるか否かは,処分の外形上,客観的に瑕疵が一見して看取し得るか否かにより決せられるべきものであり(最高裁昭和25年(オ)第206号同31年7月18日大法廷判決・民集10巻7号890頁参照),「重大かつ明白な瑕疵」の存在に係る主張立証責任は原告にある(最高裁昭和40年(行ツ)第45号同42年4月7日第二小法廷判決・民集21巻3号572頁)から,本件在特不許可処分につき,重大かつ明白な違法が存在するか否かを以下において検討する。
(2)  原告は,原告が難民条約上の難民に該当し,また,ミャンマーに戻れば拷問を受けるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があったので,本件在特不許可処分は,難民条約33条1項及び拷問禁止条約3条1項に定めるノンルフールマン原則に反する違法な処分であり,こうした違法は重大であるから,本件在特不許可処分は無効であると主張する。
難民は,その生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある国へ送還してはならず(難民条約33条1項,入管法53条3項),難民と認められない者であっても,その者に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある国へ送還してはならない(拷問禁止条約3条1項)とされており,これらはノンルフールマン原則と称されている(以下「送還禁止原則」という。)。
そして,法務大臣又はその権限の委任を受けた地方入国管理局長(以下「法務大臣等」という。)は,在留資格なく本邦に在留し,難民の認定の申請をした外国人について,難民の認定をしない処分をするときは,当該外国人の在留を特別に許可すべき事情があるか否かを審査するものとされる(入管法61条の2の2第2項,69条の2)ところ,法務大臣等は,この審査に当たり,当該外国人に退去を強制してその本国へ送還することが送還禁止原則違反となるか否かを考慮すべきであり,同原則違反となる場合には在留特別許可をすべきであるということができる。
入管法61条の2の2第2項の在留特別許可の許否の判断において,法務大臣等は,入管法50条1項の在留特別許可の場合と同様に,広範な裁量権を有するが,他方で,上記の送還禁止原則の意義等に照らすと,仮に送還禁止原則違反となる事情があるにもかかわらず在留特別許可を付与しないならば,当該不許可処分は裁量権の範囲を逸脱し又は濫用したものとして違法となるものと解される。
(3)  これを本件について検討するに,前記2において判断したところによれば,平成18年8月の本件在特不許可処分の当時,原告は,難民に該当したと認めることはできず,また,前記2において難民該当性について検討したところを踏まえれば,原告がミャンマーに帰国した場合に,原告に対しミャンマー政府による拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があったとも認められないから,本件において送還禁止原則違反の問題は生じない。
(4)  また,前記2(2)イにおいて認定した事実に加え,証拠(乙11,21)によれば,原告は,ミャンマーのチン州ティディムで出生・生育し,同所の高等学校を卒業し,家業の写真館の手伝いをしていた稼働能力を有する成年者であり,健康状態は良好で特に問題はなく,妻子はヤンゴンに,両親や家業の写真館を継いだ長兄はティディムに在住しており,原告と妻子及び両親との交流も保たれていることが認められるから,ミャンマーで生活していく上で支障はないと認められ(原告自身,本人尋問において,ミャンマーで生計を立てること自体は可能である旨供述している。),他方,原告は,平成10年11月ころ,韓国から本邦に密入国するまで(入国時35歳)本邦とは何らかかわりがなかったのであるから,本件において難民該当性が認められず送還禁止原則違反の問題も生じない以上,原告に在留特別許可を付与しなかったことが裁量権の範囲の逸脱又は濫用となるとは認め難い。
そして,他に,原告に対し入管法61条の2の2第2項の在留特別許可を付与しなかったことについて裁量権の範囲の逸脱又は濫用に当たると解すべき事情の存在は認められない。
(5)  以上によれば,本件在特不許可処分に重大かつ明白な違法があるということはできないから,争点(3)(本件在特不許可処分の適法性又は無効事由の有無)のうち予備的請求に係る無効事由の有無に関する原告の主張は,理由がない(主位的請求に係る訴えは本案前の事由により不適法であることは,前記1及び前記(1)において既に説示したとおりである。)。
4  争点(4)(本件裁決及び本件退令処分の無効事由の有無)について
(1)  原告は,原告は難民条約上の難民に該当し,また,ミャンマーに戻れば拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があったので,本件裁決及び本件退令処分は,いずれも難民条約33条1項及び拷問禁止条約3条1項に定める送還禁止原則に違反し,違法であり,この違法は重大であると主張する。
しかしながら,前記2において判断したところによれば,本件裁決及び本件退令処分がされた平成18年8月当時,原告は難民に該当したと認めることはできず,また,前記2において難民該当性について検討したところを踏まえれば,その当時,原告がミャンマーに帰国した場合に,原告に対し拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があったとも認められないから,本件裁決及び本件退令処分について送還禁止原則違反の問題は生じないし,その他の諸事情に関して前記3(4)において検討したところも併せ考えると,本件裁決について,法務大臣から権限の委任を受けた東京入国管理局長に裁量権の範囲の逸脱又は濫用があったとは認め難く,本件裁決に違法があるとはいえない。
(2)  そして,法務大臣等は,入管法49条1項に基づく異議の申出があったときは,異議の申出に理由があるか否かについての裁決をして,その結果を主任審査官に通知しなければならず(同条3項),主任審査官は,法務大臣等から異議の申出は理由がない旨の裁決をした旨の通知を受けたときは,当該容疑者に対し,速やかにその旨を知らせるとともに,入管法51条の規定による退去強制令書を発付しなければならない(同法49条6項)。したがって,東京入管主任審査官は,前記前提事実(3)オのとおり東京入国管理局長から適法な本件裁決の通知を受けた以上,入管法上,これに従って退去強制令書を発付するほかなく,これを発付するか否かについて裁量を有するものではないから,本件退令処分にも違法があるとはいえない。
(3)  以上によれば,本件裁決及び本件退令処分に重大かつ明白な違法があるということはできないから,争点(4)(本件裁決及び本件退令処分の無効事由の有無)に関する原告の主張は,理由がない。
第4  結論
よって,本件訴えのうち,本件在特不許可処分の取消しを求める訴えは不適法であるから却下し,原告のその余の訴えに係る請求はいずれも理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担について,行政事件訴訟法7条,民訴法61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岩井伸晃 裁判官 小海隆則 裁判官 新宮智之)

 

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政治と選挙の裁判例「国政政党 地域政党 二連(三連)ポスター」に関する裁判例一覧
(1)平成22年11月30日 金沢地裁 平21(行ウ)3号 公金支出差止請求事件
(2)平成22年11月19日 盛岡地裁 平18(行ウ)11号 政務調査費返還請求事件
(3)平成22年11月17日 東京高裁 平22(行ケ)16号 選挙無効請求事件 〔参院選定数訴訟(合憲)・東京高裁〕
(4)平成22年11月17日 東京高裁 平22(行ケ)15号 選挙無効請求事件 〔参院選定数訴訟(合憲)・東京高裁〕
(5)平成22年11月12日 東京地裁 平21(行ウ)126号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(6)平成22年11月 9日 東京地裁 平21(行ウ)542号 政務調査費返還(住民訴訟)請求事件
(7)平成22年11月 9日 東京地裁 平21(行ウ)251号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(8)平成22年11月 2日 東京高裁 平22(行ケ)14号 選挙無効請求事件 〔参院選定数訴訟(合憲)・東京高裁〕
(9)平成22年10月29日 東京地裁 平19(ワ)31252号 損害賠償等請求事件
(10)平成22年10月29日 東京地裁 平19(行ウ)472号・平19(行ウ)493号・平19(行ウ)494号・平19(行ウ)495号・平19(行ウ)496号・平19(行ウ)497号・平19(行ウ)498号・平19(行ウ)715号・平19(行ウ)785号・平20(行ウ)55号・平20(行ウ)132号・平20(行ウ)133号・平20(行ウ)404号・平20(行ウ)405号・平20(行ウ)406号・平20(行ウ)407号・平20(行ウ)408号・平20(行ウ)686号・平20(行ウ)756号・平21(行ウ)367号・平18(行ウ)472号 難民の認定をしない処分取消等請求事件、在留特別許可をしない処分取消請求事件
(11)平成22年10月28日 東京地裁 平19(ワ)31393号 損害賠償請求事件
(12)平成22年10月27日 仙台高裁 平21(行コ)28号 違法公金支出による損害賠償履行請求控訴事件
(13)平成22年10月22日 東京高裁 平22(行ス)76号
(14)平成22年10月 1日 東京地裁 平21(行ウ)132号 難民不認定処分取消等請求事件
(15)平成22年 9月30日 東京地裁 平21(行ウ)231号 報酬支出差止請求事件
(16)平成22年 9月17日 東京地裁 平21(行ウ)226号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(17)平成22年 9月14日 最高裁第三小法廷 平22(ク)760号・平22(許)24号 仮処分命令申立却下決定に対する抗告棄却決定に対する抗告事件
(18)平成22年 7月30日 東京地裁 平21(行ウ)281号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(19)平成22年 7月30日 東京地裁 平20(行ウ)605号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(20)平成22年 6月24日 東京地裁 平21(行ウ)15号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(21)平成22年 6月17日 名古屋高裁 平22(ラ)137号 仮処分命令申立却下決定に対する即時抗告事件
(22)平成22年 6月16日 東京地裁 平22(ワ)221号 損害賠償請求事件
(23)平成22年 6月 8日 東京地裁 平21(行ウ)144号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(24)平成22年 5月31日 東京地裁 平20(ワ)16947号 損害賠償請求事件
(25)平成22年 5月20日 東京地裁 平21(行ウ)99号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(26)平成22年 5月13日 東京高裁 平20(う)2470号 国家公務員法違反被告事件
(27)平成22年 4月28日 東京地裁 平20(行ウ)642号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(28)平成22年 4月27日 札幌高裁 平21(行ケ)1号 衆議院議員選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・札幌高裁・第一審〕
(29)平成22年 4月13日 東京地裁 平20(ワ)34451号 貸金等請求事件
(30)平成22年 3月31日 東京地裁 平21(行ウ)259号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(31)平成22年 3月30日 大阪高裁 平19(ネ)2853号 損害賠償請求控訴事件
(32)平成22年 3月30日 東京地裁 平21(行ウ)256号 医薬品ネット販売の権利確認等請求事件
(33)平成22年 3月29日 東京高裁 平18(う)2351号 国家公務員法違反被告事件
(34)平成22年 3月29日 金沢地裁 平19(行ウ)5号 公金違法支出損害賠償請求事件
(35)平成22年 3月26日 熊本地裁 平19(行ウ)11号 政務調査費返還履行請求事件
(36)平成22年 3月25日 岐阜地裁大垣支部 平20(ワ)253号 損害賠償請求事件
(37)平成22年 3月12日 福岡高裁 平21(行ケ)1号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・福岡高裁・第一審〕
(38)平成22年 3月11日 東京高裁 平21(行ケ)36号 選挙無効請求事件
(39)平成22年 3月11日 東京高裁 平21(行ケ)35号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・東京高裁・第一審〕
(40)平成22年 3月 8日 福岡地裁 平19(行ウ)8号 難民不認定処分取消等請求事件
(41)平成22年 3月 3日 東京地裁 平20(行ウ)412号・平20(行ウ)425号・平20(行ウ)426号・平21(行ウ)79号 退去強制令書発付処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(42)平成22年 2月26日 東京地裁 平20(行ウ)486号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(43)平成22年 2月24日 東京高裁 平21(行ケ)20号・平21(行ケ)21号・平21(行ケ)22号・平21(行ケ)23号・平21(行ケ)24号・平21(行ケ)25号・平21(行ケ)26号・平21(行ケ)27号 各選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・東京高裁・第一審〕
(44)平成22年 2月24日 東京高裁 平21(行ケ)19号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・東京高裁・第一審〕
(45)平成22年 2月 5日 東京地裁 平20(行ウ)713号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(46)平成22年 2月 3日 東京高裁 平21(行ケ)30号 選挙無効請求事件
(47)平成22年 1月29日 東京地裁 平20(行ウ)261号・平20(行ウ)273号・平20(行ウ)274号 難民の認定をしない処分取消等請求事件(第1事件・第2事件)、退去強制令書発付処分取消等請求事件(第3事件)
(48)平成22年 1月27日 東京地裁 平20(ワ)14157号 損害賠償等請求事件
(49)平成22年 1月25日 広島高裁 平21(行ケ)1号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・広島高裁・第一審〕
(50)平成22年 1月22日 東京地裁 平21(行ウ)82号 難民の認定をしない処分無効確認等請求事件
(51)平成22年 1月15日 東京地裁 平20(行ウ)626号・平21(行ウ)2号 在留特別許可をしない処分無効確認請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(52)平成21年12月28日 大阪高裁 平21(行ケ)2号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・大阪高裁・第一審〕
(53)平成21年12月 4日 東京地裁 平20(ワ)7435号・平20(ワ)26797号 建物収去土地明渡請求事件、建物退去土地明渡請求事件
(54)平成21年11月30日 最高裁第二小法廷 平20(あ)13号 住居侵入被告事件 〔葛飾政党ビラ配布事件・上告審〕
(55)平成21年11月27日 東京地裁 平14(刑わ)3696号・平14(刑わ)4021号 暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件
(56)平成21年11月26日 東京地裁 平21(行ウ)86号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(57)平成21年11月26日 東京地裁 平20(行ウ)629号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(58)平成21年11月26日 東京地裁 平20(行ウ)436号・平20(行ウ)444号・平20(行ウ)445号・平20(行ウ)446号・平20(行ウ)447号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(59)平成21年10月29日 東京地裁 平18(行ウ)529号・平18(行ウ)564号・平20(行ウ)235号・平20(行ウ)237号 在留を特別に許可しない処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(60)平成21年10月28日 京都地裁 平19(ワ)3986号・平20(ワ)797号・平20(ワ)2263号・平20(ワ)3884号・平21(ワ)1575号 損害賠償請求事件
(61)平成21年10月21日 東京地裁 平21(行ウ)61号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(62)平成21年10月 9日 東京地裁 平19(ワ)9718号 損害賠償等請求事件
(63)平成21年 9月30日 最高裁大法廷 平20(行ツ)209号 選挙無効請求事件
(64)平成21年 9月30日 最高裁大法廷 平20(行ツ)196号 選挙無効請求事件
(65)平成21年 9月29日 東京地裁 平19(行ウ)437号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(66)平成21年 8月28日 東京地裁 平19(行ウ)123号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(67)平成21年 8月27日 東京地裁 平20(行ウ)323号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(68)平成21年 8月25日 東京地裁 平20(ワ)16289号 書籍出版等差止請求事件 〔扶桑社教科書差し止め訴訟〕
(69)平成21年 7月22日 東京地裁 平21(ワ)7588号 慰謝料等請求事件
(70)平成21年 7月16日 東京地裁 平20(行ウ)525号 難民不認定処分無効確認請求事件
(71)平成21年 6月30日 東京地裁 平20(行ウ)421号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(72)平成21年 6月25日 東京地裁 平18(ワ)17391号 損害賠償等請求事件
(73)平成21年 6月23日 東京地裁 平20(行ウ)163号・平20(行ウ)167号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(74)平成21年 6月17日 大阪高裁 平20(行コ)159号 政務調査費返還請求行為請求控訴事件
(75)平成21年 6月12日 東京地裁 平20(ワ)27642号 貸金請求事件
(76)平成21年 5月29日 東京地裁 平20(行ウ)150号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(77)平成21年 5月27日 東京高裁 平20(行コ)333号 不当利得返還(住民訴訟)請求控訴事件
(78)平成21年 5月26日 東京地裁 平21(む)1220号 政治資金規正法被告事件
(79)平成21年 5月25日 大阪地裁 平18(行ウ)128号 懲戒処分取消請求事件 〔国・気象衛星センター(懲戒免職)事件〕
(80)平成21年 5月22日 東京地裁 平19(行ウ)309号・平20(行ウ)518号 在留特別許可をしない処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(81)平成21年 5月11日 京都地裁 平21(む)843号 証拠開示命令請求事件
(82)平成21年 4月23日 仙台地裁 平19(ワ)1560号 不当解雇損害賠償等請求事件 〔京電工論旨解雇事件〕
(83)平成21年 4月21日 東京地裁 平20(行ウ)142号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(84)平成21年 3月31日 大阪地裁 平19(行ウ)34号・平19(行ウ)63号・平19(行ウ)77号・平20(行ウ)82号 国際放送実施命令取消等請求(甲~丙事件)、国際放送実施要請違法無効確認等請求(丁事件)事件
(85)平成21年 3月27日 東京地裁 平19(行ウ)178号・平20(行ウ)21号・平20(行ウ)146号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(86)平成21年 3月27日 東京地裁 平18(行ウ)520号・平18(行ウ)524号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(87)平成21年 3月26日 東京地裁 平20(行ウ)134号・平20(行ウ)177号 難民の認定をしない処分取消等請求事件、追加的併合事件
(88)平成21年 3月26日 東京地裁 平19(行ウ)580号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(89)平成21年 3月24日 東京地裁 平19(ワ)23257号 損害賠償請求事件
(90)平成21年 3月23日 名古屋地裁 平18(行ウ)64号 政務調査費返還代位請求事件
(91)平成21年 3月18日 東京地裁 平19(行ウ)305号・平20(行ウ)501号 在留特別許可をしない処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(92)平成21年 2月27日 東京地裁 平18(行ウ)497号 遺族補償給付等不支給処分取消請求事件
(93)平成21年 2月27日 東京地裁 平18(ワ)26458号・平18(ワ)24160号 謝罪広告等請求事件、損害賠償請求事件 〔特高警察関係資料集成事件〕
(94)平成21年 2月25日 東京地裁 平19(行ウ)325号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(95)平成21年 2月25日 東京地裁 平18(行ウ)374号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(96)平成21年 2月16日 東京地裁 平20(ワ)16317号 損害賠償請求事件
(97)平成21年 2月13日 東京地裁 平20(行ウ)144号 難民の認定をしない処分無効確認等請求事件
(98)平成21年 1月29日 東京地裁 平19(行ウ)741号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(99)平成21年 1月27日 横浜地裁川崎支部 平15(ワ)200号 差止等請求事件
(100)平成21年 1月22日 大津地裁 平19(行ウ)10号 公金支出差止め請求事件


政治と選挙の裁判例(裁判例リスト)

■「選挙 コンサルタント」に関する裁判例一覧【1-101】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-consultant/

■「選挙 立候補」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-rikkouho/

■「政治活動 選挙運動」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seijikatsudou-senkyoundou/

■「公職選挙法 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kousyokusenkyohou-poster/

■「選挙 ビラ チラシ」に関する裁判例一覧【1~49】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-bira-chirashi/

■「政務活動費 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seimu-katsudouhi-poster/

■「演説会 告知 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/senkyo-seiji-enzetsukai-kokuchi-poster/

■「公職選挙法 ポスター 掲示交渉」に関する裁判例一覧【101~210】
https://www.senkyo.win/kousyokusenkyohou-negotiate-put-up-poster/

■「政治ポスター貼り 公職選挙法 解釈」に関する裁判例一覧【211~327】
https://www.senkyo.win/political-poster-kousyokusenkyohou-explanation/

■「公職選挙法」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kousyokusenkyohou/

■「選挙 公報 広報 ポスター ビラ」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/senkyo-kouhou-poster-bira/

■「選挙妨害」に関する裁判例一覧【1~90】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-bougai-poster/

■「二連(三連)ポスター 政党 公認 候補者」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-2ren-3ren-poster-political-party-official-candidate/

■「個人(単独)ポスター 政党 公認 候補者」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kojin-tandoku-poster-political-party-official-candidate/

■「政党 公認 候補者 公募 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-political-party-official-candidate-koubo-poster/

■「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 議員 政治家」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokuji-kouji-kouei-kousetsu-keijiban-poster-political-party-politician/

■「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 公報 広報」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokuji-kouji-kouei-kousetsu-keijiban-poster-political-party-campaign-bulletin-gazette-public-relations/

■「国政政党 地域政党 二連(三連)ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokusei-seitou-chiiki-seitou-2ren-3ren-poster/

■「国政政党 地域政党 個人(単独)ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokusei-seitou-chiiki-seitou-kojin-tandoku-poster/

■「公認 候補者 公募 ポスター 国政政党 地域政党」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-official-candidate-koubo-poster-kokusei-seitou-chiiki-seitou/

■「政治団体 公認 候補者 告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-political-organization-official-candidate-kokuji-kouji-kouei-kousetsu-keijiban-poster/

■「政治団体 後援会 選挙事務所 候補者 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-political-organization-kouenkai-senkyo-jimusho-official-candidate-poster/

■「政党 衆議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-shuugiin-giin-poster/

■「政党 参議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-sangiin-giin-poster/

■「政党 地方議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-chihou-giin-poster/

■「政党 代議士 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-daigishi-giin-poster/

■「政党 ポスター貼り ボランティア」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-poster-hari-volunteer/

■「政党 党員 入党 入会 獲得 募集 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-touin-nyuutou-nyuukai-kakutoku-boshuu-daikou/

■「政治団体 党員 入党 入会 獲得 募集 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seiji-dantai-nyuutou-nyuukai-kakutoku-boshuu-daikou/

■「後援会 入会 募集 獲得 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kouenkai-nyuukai-boshuu-kakutoku-daikou/


■選挙の種類一覧
選挙①【衆議院議員総選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙②【参議院議員通常選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙③【一般選挙(地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙④【特別選挙(国政選挙|地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)


【資料】政治活動用事前街頭ポスター新規掲示交渉実績一覧【PRドットウィン!】選挙,ポスター,貼り,代行,ポスター貼り,業者,選挙,ポスター,貼り,業者,ポスター,貼り,依頼,タウン,ポスター,ポスター,貼る,許可,ポスター,貼ってもらう,頼み方,ポスター,貼れる場所,ポスター,貼付,街,貼り,ポスター,政治活動ポスター,演説会,告知,選挙ポスター,イラスト,選挙ポスター,画像,明るい選挙ポスター,書き方,明るい選挙ポスター,東京,中学生,選挙ポスター,デザイン


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(7)地域密着型ポスターPR広告貼り 地域密着型ポスターPR広告(街頭外壁掲示許可交渉代行)
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【対応可能な業種リスト|名称一覧】地域密着型ポスターPR広告(街頭外壁掲示許可交渉代行)貼り「ガンガン注目される訴求型PRポスターを貼りたい!」街頭外壁掲示ポスター新規掲示プランです。

(8)貼る専門!ポスター新規掲示! ☆貼!勝つ!広報活動・事前街頭(単独/二連)選挙ポスター!
政治活動/選挙運動ポスター貼り 勝つ!選挙広報支援事前ポスター 1枚から貼る事前選挙ポスター!
「政治活動・選挙運動ポスターを貼りたい!」という選挙立候補(予定)者のための、選挙広報支援プロ集団「選挙.WIN!」の事前街頭ポスター新規掲示プランです。

(9)選挙立札看板設置/証票申請代行 絶対ここに設置したい!選挙立札看板(選挙事務所/後援会連絡所)
選挙事務所/後援会連絡所届出代行 公職選挙法の上限/立て札看板設置 1台から可能な選挙立札看板設置
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申し込み お問合せ 日本語 お問合せ 問い合わせ お問合せ 問合せ ギャラクシー お問い合わせ グラクロ お問い合わせ グラブル お問い合わせ ゲームアイテム名 グラブル お問い合わせ どこ グラブル お問い合わせ モバゲー グラブル お問い合わせ 巻き戻し ゲーム お問い合わせ 書き方 ゲームトレード お問い合わせ ゲオ お問い合わせ ザトール お問い合わせ ザレイズ お問い合わせ シャープ お問い合わせ 050 シャープ お問い合わせ 冷蔵庫 シャドバ お問い合わせ ネタ ズーキーパー お問い合わせ ズーム お問い合わせ ずんどう屋 お問い合わせ ゼクシィ お問い合わせ セディナ お問い合わせ ローン ゼノンザード お問い合わせ ゼロファクター お問い合わせ ゼンハイザー お問い合わせ ゼンリー お問い合わせ ゼンリン お問い合わせ ゾゾタウン お問い合わせ 電話番号 ソフトバンク お問い合わせ 157 ソフトバンク お問い合わせ 24時間 ソフトバンク お問い合わせ 無料 ダイソー お問い合わせ ダイソン お問い合わせ ドコモ お問い合わせ 151 ドコモ お問い合わせ 24時間 ドラクエウォーク お問い合わせ 2-7-4 トレクル お問い合わせ 400 トレクル お問い合わせ 502 ニトリ お問い合わせ 0570 ヌビアン お問い合わせ ネスレ お問い合わせ ノエル銀座クリニック お問い合わせ ノートン お問い合わせ ノーリツ お問い合わせ ノジマ お問い合わせ パスワード お問い合わせ バッファロー ルーター お問い合わせ ぴあ お問い合わせ ピカラ お問い合わせ ピクトリンク お問い合わせ ピグパ お問い合わせ ピザハット お問い合わせ ビセラ お問い合わせ ビックカメラ お問い合わせ ビューカード お問い合わせ ペアーズ お問い合わせ ペイペイ お問い合わせ 電話 ポケコロ お問い合わせ ポケットカード お問い合わせ ポケ森 お問い合わせ ポンタカード お問い合わせ マイナビ お問い合わせ 2021 ムーモ お問い合わせ メルカリ お問い合わせ ページ メルカリ お問い合わせ ログインできない モバイルsuica お問い合わせ ヤマト運輸 お問い合わせ 0570 ゆうパック お問い合わせ 見つからない りそな銀行 お問い合わせ 24時間 ルイヴィトン お問い合わせ ルフトハンザ お問い合わせ るるぶトラベル お問い合わせ ルンバ お問い合わせ ロコンド お問い合わせ 電話 ワイジェイカード お問い合わせ ワイモバイル お問い合わせ 電話 楽天 お問い合わせ 銀行 楽天モバイル お問い合わせ 無料 株式会社アークh.d お問合せ 逆seo対策 株式会社アークhd お問合せ 逆seo 銀だこ お問い合わせ 銀のさら お問い合わせ 銀座カラー お問い合わせ 銀座保険サービス お問い合わせ 劇団四季 お問い合わせ 佐川 お問い合わせ 見方 佐川急便 お問い合わせ 24時間 在留カード お問い合わせ 財宝 お問い合わせ 財務省 お問い合わせ 三井住友銀行 お問い合わせ 24時間 象印 お問い合わせ 税務署 お問い合わせ 全日空 お問い合わせ 全日空 お問い合わせ 電話 全労済 お問い合わせ 造園工事 お問い合わせ 奈良県緑化土木協同組合 大東建託 お問い合わせ 第五人格 お問い合わせ 年金 お問い合わせ 白猫 お問い合わせ 3203 白猫 お問い合わせ 3210 病院 お問い合わせ 崩壊 3rd お問い合わせ 野村證券 お問い合わせ 嵐 5ラ20 お問い合わせ

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