政治と選挙Q&A「国政政党 地域政党 二連(三連)ポスター」に関する裁判例(70)平成21年 7月16日 東京地裁 平20(行ウ)525号 難民不認定処分無効確認請求事件
政治と選挙Q&A「国政政党 地域政党 二連(三連)ポスター」に関する裁判例(70)平成21年 7月16日 東京地裁 平20(行ウ)525号 難民不認定処分無効確認請求事件
裁判年月日 平成21年 7月16日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平20(行ウ)525号
事件名 難民不認定処分無効確認請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2009WLJPCA07168007
要旨
◆ミャンマー連邦国籍の原告が、難民不認定処分を受けたため、当該不認定処分の取消しを求めた事案において、仮に原告がベンガル族のイスラム教徒であったとしても、そのことをもって直ちに迫害を受けるおそれがあるとはいえず、母国でデモの支援を行ったとしても、その具体的内容は明らかでなく、ビラ等の配布も政治組織に属して行ったものではなく、本邦での活動も、FWUBCでの具体的な政治活動の事実を認める証拠もなく、原告が主張するSCIでの活動も政治活動に当たらず、NLD‐LA日本支部の構成員であった期間も、わずか3か月余りで、母国政府から積極的な政治活動家として殊更に関心を寄せられ注視されていたとは考えられない等として、請求を棄却した事例
参照条文
難民の地位に関する条約1条
難民の地位に関する議定書1条
裁判年月日 平成21年 7月16日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平20(行ウ)525号
事件名 難民不認定処分無効確認請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2009WLJPCA07168007
東京都新宿区〈以下省略〉
原告 X
訴訟代理人弁護士 戸嶋洋一
東京都千代田区〈以下省略〉
被告 国
代表者兼処分行政庁 法務大臣森英介
指定代理人 折原崇文
同 金田光司
同 髙﨑純
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は,原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
法務大臣が平成18年6月16日付けで原告に対してした難民の認定をしない処分が無効であることを確認する。
第2 事実及び理由
本件は,ミャンマー連邦(以下「ミャンマー」という。)の国籍を有する原告が,法務大臣から,出入国管理及び難民認定法(平成16年法律第73号による改正後のもの。以下「入管法」という。)61条の2第2項に基づく難民の認定をしない処分(以下「本件不認定処分」という。)を受けたところ,本件不認定処分は原告が難民であることを看過した重大かつ明白な瑕疵があると主張して,本件不認定処分が無効であることの確認を求めている事案である。
1 前提事実(争いのない事実,顕著な事実並びに掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
(1) 当事者
原告は,○○○○年(昭和○年)○月○日,ミャンマーにおいて出生したミャンマー国籍を有する外国人男性である。(乙2)
(2) 原告の入国及び在留の状況
ア 原告は,平成7年(1995年)8月5日,タイ王国(以下「タイ」という。)バンコクからノースウエスト航空28便で新東京国際空港(現在の成田国際空港。以下「成田空港」という。)に到着し,東京入国管理局(以下「東京入管」という。)成田空港支局入国審査官から,上陸期間を同日から同月20日までとする乗員上陸許可を受けて本邦に上陸したが,その上陸許可期限を超えて本邦に不法に残留した。(乙1,6)
イ 原告は,平成18年6月2日,東京都新宿区長に対し,居住地を東京都新宿区〈以下省略〉として,外国人登録法(以下「外登法」という。)3条に基づく新規登録申請を行い,外国人登録証明書(以下「外登証」という。)の交付を受けた。(乙1,7)
ウ 原告は,平成19年6月5日,東京都新宿区長に対し,外登法11条に基づく切替交付申請を行い,同月21日,外登証の交付を受けた。(乙1,7)。
エ 原告は,平成20年6月6日,東京都新宿区長に対し,外登法11条に基づく切替交付申請を行い,同月23日,外登証の交付を受けた。(乙1,7)
(3) 原告に係る退去強制手続
ア 警視庁荻窪警察署警察官は,平成18年3月1日,原告を入管法違反容疑で現行犯逮捕し,東京入管入国審査官は,原告が入管法24条6号(不法残留)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,同月2日,収容令書を発付した。(乙1,11,12)
イ 東京入管入国警備官は,平成18年3月2日,入管法65条の規定に基づき,警視庁荻窪警察署警察官から原告の引渡しを受け,原告に対し,収容令書を執行し,違反調査を行った上,同日,原告を入管法24条6号(不法残留)該当容疑者として東京入管入国審査官に引き渡した。(乙1,11ないし13)
ウ 東京入管入国審査官は,平成18年3月3日及び同月20日,原告に対し違反審査を行い,同日,原告が入管法24条6号に該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨の認定をし,原告に同認定を通知したところ,同日,原告は,口頭審理を請求した。(乙1,14ないし16)
エ 東京入管特別審理官は,平成18年3月31日,原告に対し口頭審理を行い,同日,東京入管入国審査官の認定は誤りがない旨の判定をし,原告に同判定を通知したところ,原告は,同日,法務大臣に対し,異議の申出をした。(乙1,17ないし19)
オ 東京入管主任審査官は,平成18年4月13日,原告の仮放免を許可した。(乙1,20)
カ 入管法69条の2に基づき権限の委任を受けた東京入国管理局長は,平成19年7月11日,原告の異議の申出は理由がない旨の裁決をし,同裁決の通知を受けた東京入管主任審査官は,同月18日,原告に対し,同裁決を通知するとともに,退去強制令書を発付し,同日,同退去強制令書に基づき,原告を東京入管収容場に収容した。(乙1,21ないし24)
キ 東京入国管理局長は,平成19年11月20日,原告の仮放免を許可した。(乙1,25)
(4) 原告に係る難民認定申請手続
ア 原告は,平成18年3月10日,法務大臣に対し,難民認定申請(以下「本件難民認定申請」という。)をした。(乙1,26)。
イ 東京入国管理局長は,平成18年3月23日,原告に対し,仮滞在を許可しない処分をし,同月27日,原告に同処分を通知した。(乙1,27)
ウ 東京入管難民調査官は,平成18年3月27日,原告から事情聴取するなど,事実の調査を行った。(乙1,28)
エ 法務大臣は,平成18年6月16日,本件難民認定申請について,下記の理由で,難民の認定をしない処分(以下「本件不認定処分」という。)をし,同年7月5日,原告に通知した。(乙1,29)
記
「 あなたは,「政治的意見」を理由とした迫害を受けるおそれがあると申し立てています。
しかしながら
1 あなたは,本国において,反政府的な内容のビラ配り及び国境地帯の孤児や避難民への衣服・金銭の支援を行った旨申し立てていますが,あなたの供述を前提としても,あなたはいかなる反政府活動組織にも所属しておらず,その活動内容は殊更本国政府から注視される態様であったとは認められないこと,その後,あなたは自己名義旅券の発給を受け,同旅券を行使して本国の出国を許可されていることも併せ考えれば,本国出国時点で,本国政府から反政府活動家として関心を寄せられていたとは認められないこと
2 あなたは,本邦入国後10年以上の長期間にわたって,何ら合理的理由なくして難民認定申請に及んでいないことなどから,迫害から逃れるために本国を出国したとは認められないこと
3 あなたは,本邦において,2003年頃からミャンマー大使館前でのデモに参加していると申し立てていますが,あなたの供述を前提としても,その活動内容は一般参加者の一人としてデモに参加した程度にすぎず,在京ミャンマー大使館に自ら赴いた上で,2005年5月16日付けで自己名義旅券の発給を受けていることも併せ考えれば,旅券取得時点で,本国政府から反政府活動家として関心を寄せられていたとは認められないこと
4 あなたは,2006年3月に国民民主連盟(解放区)日本支部(NLD(LA)JB)のメンバーとなったことを申し立てていますが,単なる一般メンバーであり,仕事が忙しいために具体的な活動は行っていないと述べているところであって,前記本国及び本邦における活動内容と併せ考えても,本国に帰国した場合に,迫害を受ける客観的危険性があるとは認められないこと
等からすると,あなたは,難民の地位に関する条約第1条A(2)及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認められません。」
オ 入管法69条の2に基づき権限の委任を受けた東京入国管理局長は,平成18年6月23日,原告に対し,入管法61条の2の2第2項の規定による在留特別許可をしない旨の決定をし,同年7月5日,原告に通知した。(乙1,30)
カ 原告は,平成18年7月5日,法務大臣に対し,本件不認定処分について,異議申立てをした。(乙1,31)
キ 東京入管難民調査官は,平成19年5月7日,原告に対する審尋等を実施した。(乙1,33)
ク 法務大臣は,平成19年7月9日,原告の異議申立ては理由がないので棄却する旨の決定をし,同月18日,原告に通知した。(乙1,34)
2 争点
本件不認定処分の無効事由の有無(原告の難民該当性の有無)
3 争点に関する当事者の主張
(1) 原告の主張の要旨
原告に係る以下の事情からすれば,原告は,その人種,宗教,政治的意見又は特定の社会集団の構成員であることを理由に,ミャンマー政府から迫害を受けるという十分に理由のある恐怖を有するといえ,これを看過して原告が難民であることの認定をしなかった本件不認定処分は,重大かつ明白な違法があるといえるから,無効である。
ア 原告の人種・宗教
原告は,ベンガル族のイスラム教徒である。
ミャンマー政府は,イスラム教徒に対し,宗教的建造物の建築規制,宗教教育・改宗活動の制限,宗教施設・宗教学校の破壊,上級公務員への昇進制限,仏教徒とイスラム教徒の暴力的衝突の際のイスラム教徒の恣意的拘束等を行っている。また,ミャンマーにおいては,ベンガル族は,完全な市民権が与えられておらず,まともな職に就くことができず,公務員になることもできず,ミャンマー政府や国軍の大多数を占めるビルマ族から,殺害等の侵害行為を受けてきた。
イ 原告の本国における政治活動
(ア) 原告は,1988年(昭和63年)8月ないし9月に,ミャンマー国内で多数の民主化を求めるデモが行われていた際,シンガポール共和国(以下「シンガポール」という。)に滞在していたことから,同国からデモの参加者に対して金銭的支援をするなど,デモの後方支援を行っていた。
(イ) また,原告は,本国に帰国した後は,ミャンマー政府への抗議活動,反政府的内容のビラの配布,反政府勢力や少数民族への金銭的支援等を行っていた。
1994年(平成6年)末ころ,上記の活動を共にしていた原告の仲間3名が突如として消息不明になったところ,これは,ミャンマー政府がそれらの者の身柄を拘束したためであるとみるのが自然である。
したがって,原告は,上記仲間と同様に,ミャンマー政府によりその身柄を拘束されるおそれがある。原告は,軍情報部からの監視が厳しく,拷問・虐殺等のおそれがあったため,本邦への入国を決意するに至った。
ウ 原告の本邦における政治活動
(ア) FWUBCでの活動
原告は,全ビルマ市民労働組合(FWUBC。以下「FWUBC」という。)に所属して政治活動を行い,平成17年8月27日,役員会議において,反政府活動を行っていくことを明確に宣言した。
FWUBCは,平成14年に組織された,ミャンマーの民主化を労働者の立場から推進していく団体であり,ビルマ労働組合連盟(FTUB。以下「FTUB」という。)の下部組織に当たる。
FTUBは,1988年(昭和63年),ミャンマーにおいて行われたデモに参加して追放されるなどした者達によって,1991年(平成3年)に組織され,平成12年(2000年)に日本支部が開設された。FTUBは,2005年(平成17年)8月28日,ミャンマー政府が非合法団体として宣言し,2006年(平成18年)4月12日,ミャンマー政府がテロリスト集団に当たるものとして宣言した。これにより,FTUBの活動に協力や支援をするだけで,ミャンマーにおいては,禁固刑や罰金刑を科されることになる。
FWUBCはFTUBの下部組織であるから,FWUBCへの協力や支援についても,FTUBと同様の刑を科されるおそれがある。
(イ) SCIでの活動
原告は,国際自己融資の委員会(SCI。以下「SCI」という。)を設立し,会計検査官として資金を募り,愛国退役軍人組織に1500ドルを援助している。
(ウ) NLD-LA日本支部での活動
原告は,平成18年2月5日,国民民主同盟(解放区)日本支部(NLD-LA日本支部。以下「NLD-LA日本支部」という。)に加入し,同年5月14日,同支部の執行委員となった。
(エ) 大使館前でのデモ活動
原告は,平成15年ころから,在日本ミャンマー大使館前で精力的にデモ活動を行っている。
同大使館においては,監視カメラの映像等を本国に送付し,ミャンマー政府は,空港において,上記映像等に基づいて本邦で反政府活動をしたものを検挙しており,原告も,本国に帰国した際には,検挙されるおそれがある。
(オ) 原告の姉が取調べを受けたこと
原告の兄の知らせによれば,原告の姉が,本邦での原告の活動を原因として2回,本国で取調べを受け,原告が帰国した際には連絡をするよう指示されたというのであり,このことは,ミャンマー政府が,原告の本邦での政治活動に関心を抱いていることを示しているといえる。
エ 不法残留者に対する本国の対応
本国においては,ミャンマー政府から,本邦において不法残留した者に対し,厳しく取締りをするよう通達が出ており,原告が帰国した際には,これを理由に処罰されるおそれがある。
オ 被告の主張に対する反論
(ア) 旅券の再発給について
原告は,旅券の取得を目的として,東京入管や在日本ミャンマー大使館に出頭したことがあり,同大使館から旅券の再発給を現実に受けているが,これは,本邦において生活を維持するためには身分証明となる旅券が不可欠であり,かつ,旅券の発給手数料が30万円に減額されたためである。
(イ) 難民認定申請について
原告が,本邦における難民認定申請制度の存在を知ったのは平成16年末のことであり,難民認定申請をしなかったことは不自然ではない。
(ウ) 本邦への入国の目的について
原告は,本国での政治活動により,軍情報部からの監視が厳しくなり,拷問,虐殺等を受けるおそれがあったことから,本邦への入国を決意した。
原告は,難民であるにもかかわらず,本邦において何の援助も受けていなかったことから,その生活をするためにやむを得ず稼働していたものであり,不法就労の目的で入国したものではない。
(2) 被告の主張の要旨
以下の事情を総合すると,原告は,その人種,宗教,政治的意見又は特定の社会的集団の構成員であることによって,ミャンマーに帰国した場合に迫害を受けるという十分に理由のある恐怖を有するとはいえず,したがって原告が難民に該当するとはいえないから,本件不認定処分に違法はない。
ア 原告の宗教について
(ア) 原告は,退去強制手続及び難民認定申請手続において,自身の宗教を仏教であると供述しており,原告がイスラム教徒であるとはいえない。
(イ) 仮に原告がイスラム教徒であるとしても,原告は,難民認定申請に当たって,宗教を迫害を受けるおそれの理由としておらず,イスラム教徒であることにより受ける具体的な迫害の内容も明らかにならない。
原告は,イスラム教徒であるがために,就くことができる職業が限られているとするが,これは「迫害」とはいえない。
また,原告は,ミャンマー政府が,1964年(昭和39年),原告の父が所有していた会社や財産を没収したとするが,その客観的裏付けはない上,これは1962年(昭和37年)のクーデター後の財産の国有化措置に伴いされたことであって,本国内のすべての私企業に対してされたものであるから,イスラム教徒であるがために受けた不利益とはいえない。
イ 原告の本国における活動について
原告が,1988年(昭和63年)8月ころ及び1992年(平成4年)ころからしたとする反政府活動については,同旨の原告の供述は曖昧かつ不自然でその内容が変遷しており信用することができず,そのような活動をしたことを裏付ける客観的証拠もないから,原告がそのような活動をしていた事実はないというべきである。
また,原告が仮にそのような活動をしていたとしても,ミャンマー政府が関心を寄せるような活動とはいえず,原告に対する迫害をするおそれを生じさせるような活動であるとはいえない。
原告は,本邦に入国後の平成14年2月28日及び3月8日に,帰国を希望するとして東京入管へ出頭し,そのころ旅券の再発給を受けるため在日本ミャンマー大使館に赴き,その後再度同大使館に出頭して新たに旅券を取得しているところ,このことは,原告がミャンマー政府から迫害を受けるおそれを有していなかったことを示している。
ウ 原告の本邦における活動について
(ア) FWUBCについて
原告が,FWUBCにおいてした活動の内容は明らかではなく,原告がFWUBCのメンバーとして政治活動をしていたとはいえない。
FWUBCは,本邦で稼働するミャンマー人の労働問題の解決を図る活動をし,政治とは一線を画した活動をしていたというのであるから,そもそも政治活動をする団体であるとはいえず,また,ミャンマー政府がFWUBCのメンバーをFTUBの協力者であるとみているのかどうかも明らかでなく,その構成員に対してミャンマー政府が迫害をするおそれがあるとはいえない。
(イ) SCIについて
SCIの設立は,平成20年3月であるところ,これは本件不認定処分がされた平成18年6月16日から約1年9か月も後のことであるから,SCIにおける原告の活動は,本件不認定処分の適法性に何らの影響もない。
また,ミャンマー政府がSCIを認識しているかも定かでなく,その活動内容に照らしても,ミャンマー政府が殊更注視するような活動をする団体であるとはいえない。
(ウ) NLD-LA日本支部について
原告がNLD-LA日本支部に正式に加入したのは,東京入管に収容された3日後であり,本件不認定処分の日である平成18年6月16日までに,原告がNLD-LA日本支部の正式なメンバーとして活動していた期間は,同年4月13日に仮放免許可を受けてからの2か月間しかなく,それ以前の原告のNLD-LA日本支部における活動は,会議に1回出席したのみである。この程度の活動について,ミャンマー政府が関心を持つはずはない。
(エ) 大使館前でのデモについて
原告の在日本ミャンマー大使館前のデモへの参加に関する供述は具体性を欠き,デモを開始した時期に関する供述も一貫性がなく,信用することができず,他に原告が同デモに参加したことを裏付ける証拠はない。
仮に原告の供述を前提としても,デモにおける原告の活動内容は,一般参加者の一人としてリーダーが言ったシュプレヒコールを挙げた程度であり,参加回数も,約10年の間に4,5回にすぎず,そのような原告に対し,ミャンマー政府が殊更関心を抱くとはいえない。
原告は,平成17年4月ころに参加した在日本ミャンマー大使館前のデモにおいて,大使館職員に写真撮影されたとするが,これを客観的に裏付ける証拠はない上,その直後の同年5月16日に同大使館に出頭して旅券の再発給を受けていることからすれば,ミャンマー政府は,原告に対し特段の関心を持っていなかったといえる。
(オ) 原告の姉の取調べの主張について
原告は,本邦での反政府活動の結果,本国で暮らす姉が2度の取調べを受けたとするが,これを裏付ける客観的証拠はない。
また,原告の本邦における活動にもかかわらず本国の親族が取調べの対象となること,原告には本国に妻子がいるにもかかわらず,姉が取調べを受けること,本件不認定処分後の異議申立てに係る申述書において初めてそのような事実の主張を始めたことは,いずれも不自然である。したがって,原告の供述に信用性はなく,原告の主張を裏付ける証拠はない。
エ 原告の難民該当性を否定する事情
(ア) 原告が旅券の再発給を受けていること
原告は,1995年(平成7年)6月2日,本国において自己名義の旅券を取得しており,平成17年5月16日には,在日本ミャンマー大使館において,同旅券を返納した上,旅券の再発給を受けた。
このように,原告が,旅券の発給・再発給を受けていることは,原告がミャンマー政府から反政府活動家として関心を持たれておらず,また,原告が,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれを感じていなかったことを示しているといえる。
(イ) 原告が稼働目的で本邦に入国したこと
原告は,稼働目的で入国したことを自認している上,本国にいる妻に約400万円,姉に約150万円を送金していること,原告が本国を出国する前に本邦の友人と連絡を取っておらず,本邦に入国後直ちに本邦に滞在する友人に連絡して仕事の状況を聞いていること,原告が本邦において政治活動を開始した時期は本邦に入国後6年が経過した平成13年であること,原告は本邦に入国後すぐに稼働を開始していることからすれば,原告が本国を出国した目的は,本邦において政府の庇護を受けることにはなく,本邦において稼働することにあったといえる。
また,原告は,平成14年2月28日及び同年3月8日に,帰国を希望して東京入管へ出頭している上,同じころ,旅券を取得するため在日本ミャンマー大使館にも出頭しているところ,これらの原告の行動は,本国で迫害を受けるおそれを原告が認識していなかったことを示すものといえる。
(ウ) 長期間にわたり難民認定申請をしていないこと
原告は,平成7年(1995年)8月5日に本邦に上陸してから,合理的理由なく難民認定申請をせず稼働を続け,平成18年3月1日に逮捕された後である同月10日に初めて本件難民認定申請をしたところ,このような行動は,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれを感じている者の行動とはいえない。
第3 当裁判所の判断
1 難民の意義
(1) 入管法2条3号の2は,同法における「難民」の意義について,難民条約1条の規定又は難民の地位に関する議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうと規定している。したがって,入管法にいう「難民」とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」をいう。そして,上記の「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するものと解するのが相当であり,また,上記にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解される。
(2) そして,難民の認定における立証責任の帰属については,入管法61条の2第1項の文理のほか,難民認定処分が授益処分であることなどにかんがみれば,その立証責任は原告にあるものと解すべきである。
2 難民不認定処分の無効原因
行政処分が無効であるというためには,当該処分に重大かつ明白な瑕疵が存在しなければならず,その瑕疵が明白であるか否かは,処分の外形上,客観的に瑕疵が一見して看取し得るか否かにより決せられるべきものであり(最高裁昭和31年7月18日大法廷判決・民集10巻7号890頁参照),「重大かつ明白な瑕疵」の存在に係る立証責任は原告にある(最高裁昭和42年4月7日第二小法廷判決・民集21巻3号572頁)から,本件不認定処分につき,原告の難民該当性の有無の認定に関し,上記の観点から重大かつ明白な瑕疵が存在すると認められるか否かを以下において検討する。
3 難民該当性の検討の基礎事情
前提事実,掲記の証拠及び弁論の全趣旨を総合すると,原告の難民該当性に関し,ミャンマーの一般情勢及び原告に係る個別事情として,次の事実が認められる。
(1) ミャンマーの一般情勢
ア ミャンマーは,1962年(昭和37年),ネウィン将軍がクーデターにより政権を掌握し,軍部による一党独裁政権により統治されてきたが,1988年(昭和63年),全国的に多数の学生・市民が参加してデモ・集会等を行う大規模な民主化運動が次第に拡大し,同年8月8日,その全国的・大規模な民主化運動が同政権を崩壊させた。
しかし,同年9月18日,軍事クーデターにより,軍が組織する国家法秩序回復評議会(SLORC。その後,改称により略称はSPDCとなる。以下,改称の前後を区別せず「SLORC」という。)が全権を新たに掌握し,SLORCによる軍事政権が成立した。
(以上につき,乙43,弁論の全趣旨)
イ SLORCが全権を把握するミャンマー政府は,アウンサンスーチーを代表者としてミャンマーの民主化を目指す政治組織として1988年(昭和63年)に設立された国民民主連盟(NLD。以下「NLD」という。)を政党として登録することを認めたものの,1989年(平成元年),アウンサンスーチーを自宅に軟禁した。SLORCは,1990年(平成2年)に実施された総選挙の結果において,NLDが約8割の議席を獲得したにもかかわらず,民政移管のためには堅固な憲法が必要であるとして,議会を開き政権をNLDに委譲することを拒否した。(乙43,弁論の全趣旨)
ウ アウンサンスーチーは,1995年(平成7年)7月,一時自宅軟禁から解放されたものの,同人の国内遊説は,2003年(平成15年)まで禁止され,同年5月30日,国内遊説中に身柄を拘束され(ディペイン事件),再度自宅軟禁され,本件口頭弁論終結時まで自宅軟禁が続いていた。
ミャンマー政府は,2000年(平成12年)ころから,NLDとの対話を始め,国民的和解を目指す動きも出てきたが,そのような動きは3年ほど続いて頓挫した。このような状況の下で,ミャンマー政府は,主要なNLD指導者に合法的な政治的地位を認めることを拒んでおり,治安維持上の手法等を通じてこれらの者の活動を厳しく制限するなど,国内の政治的自由の制限は引き続き行われている。
(以上につき,乙43,弁論の全趣旨)
エ ミャンマー国外でミャンマーの民主化運動・反政府活動を行っているミャンマー人の活動家によれば,現在,同国外で自分の名前を明らかにしてミャンマーの民主化運動・反政府活動をしているミャンマー人は,タイ王国において少なくとも1万人,ミャンマー及びタイ王国を除く国々で少なくとも1万人の多数にのぼり,その大半は各人の滞在国で仕事をするかたわら空いた時間に政治活動をするというレベルにすぎず,ミャンマーの民主化を目指して活動を行う同国外の団体(民主化団体)も,団体の数が多すぎて運動の統合に支障を生ずるほど,著しく多数にのぼるとされている。(乙43ないし45)
なお,NLD-LAは,1991年(平成3年)2月14日に,セインウインを議長として設立され(現在の議長はウインケッである。),タイのミャンマーとの国境付近のに本部を置き,タイ等の国外を活動地域とする民主化団体であり,NLDを支持する団体の1つではあるが,アウンサンスーチーを中心とした国内で政党として登録された政治組織であるNLDとは異なる別個の国外の民主化団体であって,名称は類似しているがNLDと組織の関連はなく,国内で政党として登録されたものでもない。NLD-LA日本支部は,かかるNLD-LAの日本における支部として,在日ミャンマー人らによって設立されたものである。(乙43,44,弁論の全趣旨)
オ 米国国務省の2006年(平成19年)版報告書によれば,ミャンマー政府は,イスラム教を含む仏教以外の少数派の宗教について,宗教団体による宗教的建造物の建築の制限,宗教教育や改宗に関する活動の制限,宗教施設や宗教学校の破壊,非仏教徒の上級公務員への昇進の拒否をし,軍においても昇進を望む非仏教徒には仏教への改宗を勧めるなどしたと報告されている。
また,同報告書によれば,ミャンマーにおけるベンガル系,インド系,中国系など原住民族とはされない民族の人々は,ビルマ民族と民族的緊張関係にあり,公務員になることができないなど,平等な取扱いがされていないと報告されている。(甲3)
(2) 原告に係る個別事情
ア 原告は,1980年(昭和55年)にミャンマーの高等学校を卒業した後,1985年(昭和60年)ころまで,原告の姉が経営していた印刷業を手伝っていたが,同年から1991年(平成3年)まで船員として稼働し,1988年(昭和63年)8月ころはシンガポールに滞在していた。原告は,1991年(平成3年)ころ本国に帰国した後,適当な仕事が見つからず,姉に扶養され,1993年(平成5年)に同国人の妻と婚姻をした後も,適当な仕事が見つからず,貯金で生活していた。(甲11,乙15)
イ 原告は,1995年(平成7年)8月5日,本邦の港に停泊中の韓国籍のタンカーに乗るため本邦に入国したが,入国直後に宿泊先のホテルから逃亡し,本邦において同様の方法で不法に残留・就労していたミャンマー国籍の友人であるAに架電し,同人のアパートに1週間滞在した。(乙15,28)
ウ 原告は,その後,平成7年から平成8年まで東京都新宿区新大久保所在のアパート,同年から平成13年まで群馬県にある車部品会社の寮,同年から平成15年まで東京都新宿区新大久保所在のアパート,同年から逮捕された平成18年3月1日まで原告肩書地に居住していた。(乙28)
エ 原告は,平成7年から平成8年末まで,東京都新宿区新大久保所在の居酒屋で,同年から平成13年まで群馬県の車部品製作会社で,同年から平成17年末まで東京都台東区上野所在の居酒屋で,平成15年から逮捕された平成18年3月1日まで東京都港区赤坂見附所在の居酒屋においてそれぞれ稼働し,上記上野所在の居酒屋においては時給900円で月約10万円の収入を得,上記赤坂見附所在の居酒屋においては時給950円で月約9万円の収入を得ていた。(乙28)
オ 原告は,逮捕されるまでに毎月ではないが本国の妻及び姉に月5万円ないし10万円,妻に対し合計400万円,姉に対し合計150万円を送金した。(乙28)
カ 原告は,平成17年5月16日,自ら出頭して在日本ミャンマー大使館から旅券の再発給(有効期限の更新)を受けた。(乙32)
キ 原告は,平成13年からFWUBCに組合員として加入し,平成18年3月5日,NLD-LA日本支部に構成員として正式に加入した(なお,原告の主張に係る同年2月5日は,入会の申請の受理日であり,同年3月5日の執行委員会の承認で正式に加入したものと認められる)。(乙28,32,33)
4 原告の難民該当性に関する検討
(1) 原告の人種・宗教について
ア 原告は,自らがベンガル族のイスラム教徒であることから,本国において人種・宗教を理由に迫害を受けるおそれがあると主張し,これに沿う趣旨の供述(原告本人)をする。
イ(ア) しかし,原告の人種・宗教に係る供述を裏付ける客観的証拠はない上,原告は,難民認定申請書(乙26)には,本国に戻った場合に迫害を受ける理由について「政治的意見」の項目のみを挙げて「人種」及び「宗教」の項目を挙げず,平成18年3月27日の東京入管難民調査官に対する供述(乙28)においても,自らの民族はビルマ族であり,宗教は仏教であると供述していたのであり,その供述内容が著しく変遷していることからすると,原告の人種・宗教に係る供述はにわかに採用することができない。
(イ) 原告は,かかる供述の変遷の理由について,イスラム教徒でありベンガル族であることで今まで差別を受けてきたのであり,また不公平な扱いを受けるおそれがあったので,東京入管難民調査官に対しては虚偽の事実を述べたとの供述(原告本人)をしている。
しかし,本国においてイスラム教徒でありベンガル族であることから受ける迫害から免れるため,本邦において難民認定申請をしようとする際に,あえて迫害を受ける理由となったイスラム教徒でありベンガル族であることを隠蔽するというのは,明らかに不自然・不合理であって,かかる原告の供述もまたにわかに採用することができず,上記(ア)の判断を左右するものとはいえない。
ウ また,仮に,原告がイスラム教徒でありベンガル族であるとの供述を前提として検討したとしても,原告は,イスラム教徒又はベンガル族であることに基づく不利益扱いとして,イスラム教徒であるためにまともな職に就きにくい,ミャンマー政府がモスクを攻撃したり,架空の事実に基づきイスラム教徒を取り締まっている,旅行の際に国民登録証を示すとベンガル族との記載を見られ,侮蔑の意味で「カラー」と呼ばれるなどと供述する(甲11,原告本人)が,これらの原告の供述に係る事実は,仮にそれが真実であったとしても,原告に対する上記1(1)の「迫害」(通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するもの)に該当するということはできない。原告は,原告に関係するイスラム教徒又はベンガル族であることに基づく不利益扱いとして,ネウィンがクーデターにより政権を掌握した際,父親が有していた会社やその他の財産をミャンマー政府に没収されて国有化されたとの供述(乙28,32,原告本人)をするが,これは本国内の私企業すべてに対して行われた財産の国有化の措置である(乙33,原告本人)から,原告の家族がイスラム教徒又はベンガル族であることに基づく上記1(1)の「迫害」であるということはできない。そして,他に,原告がイスラム教徒又はベンガル族であることを理由に上記1(1)の「迫害」を受けたこと又は受けるおそれを基礎付ける事情を認めるに足りる証拠はない。
したがって,仮に,原告が,イスラム教徒又はベンガル族であったとしても,そのことをもって直ちに,ミャンマー政府から人種・宗教を理由に迫害を受けるおそれがあるということはできず,このことは,前記(1)オのミャンマーの一般情勢を考慮しても,左右されるものではない。
エ 以上によれば,原告の人種・宗教について,原告の上記アの主張を裏付ける証拠はなく,また,仮に原告の上記アの主張を前提としたとしても,原告がミャンマー政府から人種・宗教を理由に迫害を受けるおそれがあるということはできないから,原告の上記アの主張を採用することはできない。
(2) 原告の本国における活動について
ア 原告は,本国における政治活動として,①1988年(昭和63年)8月ないし9月に,本国において多数の民主化を求めるデモが行われた際には,シンガポールから金銭的支援をしてデモの後方支援を行い,②1991年(平成3年)に本国に帰国した後は,1992年(平成4年)ころから,反政府的内容のビラの配布や,反政府勢力への資金援助等をしていた旨主張し,同旨の供述(上記①につき,甲11,乙32,原告本人,上記②につき,これらのほか,乙28,33)をしている。
イ ①の活動について
(ア) しかし,原告の①の活動に係る供述を裏付ける客観的証拠はない上,原告は,本件不認定処分に対する異議申立てに係る申述書(乙32)において初めて①の活動に係る供述をし,それ以前においては供述していない(乙26,28参照)ことからすると,原告の①に係る供述をにわかに採用することはできない。
(イ) また,原告の①の活動に係る供述は「私はシンガポールから自分の給料を国内ハンガースタライクしてデモ運動活動をしている人々の所に寄付をしました」(乙32),「88年当時,私はシンガポールにおりました。そして,ビルマで民主化運動が起こった時期に船員仲間と語らって,例えば,ビルマでハンガーストライキをしている御僧侶や学生たちに対して支援をしようということで,皆の働いて得た給料の中から出し合って,ビルマに送金をする,カンパをするというような活動をいたしました。」(原告本人),「(そういった活動をした仲間の人数を問われたことに対し)15人ないし18人くらいだったと覚えております。」(原告本人),「私が指導者,リーダーというふうには表現できません。ただ,私はほかの人に呼びかけたり,あるいは,カンパのときには私自身がほかのメンバーからお金を集めたりという,そういう金銭的な面,財政的な面では,私が中心になって活動をいたしました。」(原告本人)というものである。仮に原告のかかる供述を前提としても,原告が寄付した金額・回数,どのように送金したかなど,原告の活動の具体的内容は一切明らかでなく,原告は本国において活動したものではなく,その当時ミャンマー全土で大規模に展開されていた民主化運動(上記3(1)ア)への多数の参加者の一人としての活動にとどまるものといえ,このような活動は,ミャンマー政府から積極的な反政府活動家として殊更に関心を寄せられて注視されるような活動であるということはできず,これらの活動をもって,原告がミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるということはできない。
(ウ) したがって,原告が①の活動をしたことを裏付ける証拠はない上,①の活動は,原告に対する迫害のおそれを生じさせるような活動とはいえないから,原告の上記アの①の活動に係る主張は採用することができない。
ウ ②の活動について
(ア) 原告は,②の活動に関し,(a)シンガポールから本国に帰国した後,船員仲間とともに,ミャンマー政府を批判する内容の文書を1度に2500枚ないし3000枚印刷し,学生のリーダー格の人物や信用できそうな人などに,目立たないように,1か月半ないし2か月に1度の割合で,回数にして6,7回作成・配布し(乙28,原告本人),(b)国境地帯で活動している反政府活動を続ける学生や活動家,孤児,避難民らに対し,3か月に1回の割合で,1回5万ないし6万チャットの金員を合計12回にわたって送金し,衣料品も送付し(乙28,原告本人),(c)それらをいずれも政治組織には属さずに行った(乙26,28,32)と供述している。
(イ) しかし,原告の②の活動に係る供述を裏付ける客観的証拠はない上,かかる供述を前提としても,原告が1990年(平成2年)に本国に帰国して1995年(平成7年)に来日するまでの時期は,1990年(平成2年)に総選挙でNLDが大勝し(上記3(1)イ),1995年(平成7年)にアウンサンスーチーの自宅軟禁が一時的に解かれる(同ウ)など,民主化運動がなお盛んであったと推認される時期であり,かかる情勢下にあって,上記(a)の供述に係る原告の活動は,一度に配布するビラの枚数,配布の頻度,配布の相手方の点で特に際立つ点があるとはいえず,政治組織に属して行っていたわけでもなく(上記(c)),ビラの具体的内容も不明で,目立たないように行っていたというのであるから,ミャンマー政府に個別的に把握されていたとは考え難く,ミャンマー政府から積極的な反政府活動家として殊更に関心を寄せられて注視されるような活動であったとはいい難い。また,上記(b)の供述の活動についても,そもそも孤児や避難民に対する資金援助等は反政府活動とはいえないものであり,学生や活動家に対する資金援助等についても,原告自身が自ら政治活動をしたわけではなく,送金した金額も決して多額とはいえず(例えば,原告が旅券を取得するためにブローカーに支払った金額が30万チャットというのであり(乙28),原告が送金した金額の合計はその2回分程度にすぎない。),やはり政治組織に属して行っていたわけでもなく(上記(c)),そのような活動が,ミャンマー政府から積極的な反政府活動家として殊更に関心を寄せられて注視されるような活動であるとはいい難い。
(ウ) したがって,原告が②の活動をしたことを裏付ける客観的証拠はない上,②の活動は,原告に対する迫害のおそれを生じさせるような活動とはいえないから,原告の上記アの②の活動に係る主張は採用することができない。
エ この点につき,原告は,本国で一緒に活動をしていた船員仲間の3人が,1994年(平成6年)末ころ急に消息不明となり,これはミャンマー政府によって逮捕・拘束されたと思われる旨の供述(乙28,原告本人)をする。
これは,原告とともに活動をしていた仲間が逮捕・拘束されたと推測されることから,自らも逮捕・拘束される危険性があるとの趣旨の供述であると解されるが,原告の供述を前提としても,原告は,自分や仲間の逮捕状は出ていない(乙28),家族を含めて尋問・逮捕等をされたこともない(同),尾行されたり,出入りを見張られるなどされたこともない(原告本人),3人の仲間が消息不明となった理由やその行方は何も分かっておらず,ミャンマー政府に逮捕・拘束されたと考える具体的根拠があるわけではない(同)と供述しており,そもそも原告の船員仲間のミャンマー政府による逮捕・拘束という事実自体の存在を認めることはできない。
そして,船員仲間が消息不明となったとする時期が1994年(平成6年)末ころであるにもかかわらず,原告が出国した時期は1995年(平成7年)8月であり(前提事実(2)),その間8か月以上にわたって隠れて住むようなこともせずに本国に滞在し続けた(乙28)ことからすれば,原告は,本国に滞在中,本国での政治活動を理由としてミャンマー政府から逮捕・拘束されるおそれを認識していなかったといえ,また,原告は,平成17年5月16日,在日本ミャンマー大使館に自ら出頭して旅券の再発給を受けていることからすれば,その当時,本邦においても,本国での政治活動を理由としてミャンマー政府から逮捕・拘束されるおそれを認識していなかったといえ,ミャンマー政府の側でも,原告を逮捕・拘束すべき反政府活動家として殊更に関心を寄せていなかったということができる。
これらのことは,ミャンマー政府は,原告の本国における活動につき,原告に対し,積極的な反政府活動家として殊更に関心を寄せていたわけではないことをうかがわせる事情であるということができ,原告の上記供述は,上記イ及びウの認定判断を左右するに足りるものとはいえない。
(3) 原告の本邦における活動について
ア FWUBCについて
(ア) 原告は,平成13年からFWUBC(全ビルマ市民労働組合)の構成員となって活動していたところ,FWUBCは,平成17年8月27日,役員会議において,反政府活動を行っていくことを明確に宣言したので,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあると主張し,同旨の供述(甲11,原告本人)をする。
原告は,平成13年からFWUBCに所属していたと主張する一方,陳述書(甲11)には,FWUBCは平成14年(2002年)に組織されたと記載しており,原告の主張はこのことからも裏付けを欠くものといえるが,その点は措くとして,原告の供述(甲11,原告本人)を前提とすれば,FWUBCは,平成17年8月27日に反政府活動を行っていくことを明確に宣言するまで,ミャンマー人労働者の権利を守る活動をするなど,政治とは一線を画した活動をしていたというのであり,原告がそのような労働組合的な組織であるFWUBCの組合員である旨の記載のある組合員証(乙32)があり,平成13年から労働組合的な活動をしていたことがあるとしても,それ以上に,原告のFWUBCにおける平成17年8月末以降の具体的な政治活動の事実を裏付ける客観的証拠はなく,原告の供述(甲11,原告本人)も,FWUBCのメンバーとして活動してきたという抽象的な供述のみにとどまり,具体性を欠いており,その供述によっても,原告のFWUBCにおける具体的な政治活動の事実を認めるに足りない。
したがって,原告のFWUBCにおける具体的な政治活動の事実を認めるに足りる証拠はなく,原告がFWUBCにおいて組合員の一人として労働組合的な活動をしていたことがあるとしても,そのことによって,ミャンマー政府から殊更に関心を寄せられて注視され,迫害を受けるおそれがあるということはできない。
(イ) この点に関し,原告は,FWUBCの関連組織であるFTUBが,ミャンマー政府から反政府組織であると宣言されており,FTUBに対する協力や支援をすると刑罰を受けることから,FWUBCへの協力や支援をしても迫害されるおそれがあると主張する。
しかし,FWUBCとFTUBの具体的な関係を示す客観的証拠は存しない上,2005年(平成17年)2月12日にタイ王国のバンコクで将来のミャンマーの民主化運動の在り方などの基本原則を定める会議(基本原則セミナー)が開催され,ミャンマー国外でミャンマーの民主化運動をしている主要な団体である42の団体がこの会議に参加して上記の基本原則を採択したが,FWUBCはこのミャンマーの民主化運動を進める主要な42の団体に含まれていないこと(乙44)に照らせば,ミャンマー政府が,労働組合的な組織としてのFWUBCの活動に殊更に関心を抱いて注視し,その組合員に対して迫害を加えるおそれがあるとは認め難く,また,原告は上記(ア)のとおりFWUBCにおいて具体的な政治活動をした形跡がないことからすれば,原告がFWUBCの組合員の一人として労働組合的な活動をしていたことがあるとしても,そのことのみによって,ミャンマー政府が原告に対し殊更に関心を寄せて注視し続け,迫害をするおそれがあると認めることはできない。
(ウ) したがって,原告のFWUBCに係る上記主張は採用することができない。
イ SCIについて
原告は,SCI(国際自己融資の委員会)を設立して愛国退役軍人組織に資金援助するなどの活動をしていたと主張するが,原告の主張する愛国退役軍人組織の組織・活動の内容は明らかではなく,原告の主張する活動は,そもそも政治活動に当たるとは認め難い。
また,証拠(甲6)によれば,SCIの名称で,ミャンマーの民主化を目指し,ミャンマー人のために資金の提供を呼びかける文書が作成されていることがうかがえるものの,本件全証拠によっても,SCIに実際にどの程度の活動の実体及び参加者があり,資金の使途がどのようなものであるのかは明らかでなく,現在,ミャンマー国外において自らの名前を明らかにして反政府活動をしている者だけでも2万人を超え,民主化団体の数も著しく多数にのぼるとされていること(上記3(1)エ),SCIは上記ア(イ)のミャンマーの民主化運動を進める主要な42の団体に含まれていないこと(乙40)も併せて考慮すれば,SCIに係る活動をもって,原告がミャンマー政府から殊更に関心を寄せられて注視され,迫害を受けるおそれがあるとは認められない。
したがって,原告のSCIに係る上記主張は採用することができない。
ウ NLD-LA日本支部について
原告は,NLD-LA日本支部の構成員となり,同支部の執行委員となったと主張し,同旨の供述(甲11,乙28)をする。
しかし,NLD-LA及びその日本支部の概要は前記(1)エのとおりであるところ,原告の供述を前提としても,原告がNLD-LA日本支部においてした活動は,入会のための申請書を提出して承認され,平成18年5月27日に行われた在日本ミャンマー大使館前でのデモ行進に関する会合に参加したことのみであるというのであり,かつ,原告がNLD-LA日本支部に正式に加入したのは,不法残留の摘発による逮捕の数日後である同年3月5日であり(前記前提事実(3)ア,前記3(2)キ),同年6月16日にされた本件不認定処分までの間に原告がNLD-LA日本支部の構成員であった期間はわずか3か月余にすぎず,さらに原告は同年4月13日に仮放免許可を得るまで収容されていた(前提事実(3)オ)ことからすれば,不法残留の摘発による逮捕の直後に原告がNLD-LA日本支部の構成員となり,執行委員の肩書きを付されたからといって,本件不認定処分当時,ミャンマー政府から積極的な反政府活動家として殊更に関心を寄せられ注視されていたとは考えられない。
したがって,原告のNLD-LA日本支部に係る上記主張は採用することができない。
エ 大使館前でのデモについて
(ア) 原告は,平成15年ころから,在日本ミャンマー大使館前で精力的にデモ活動を行っていた旨主張し,同旨の供述(甲11,乙28)をし,本件難民認定申請及び本件訴訟において,原告の参加したデモを写した写真(甲8,乙32)を提出している。
(イ) しかし,これらのうち,甲11の陳述書の記載に係る平成18年8月30日から平成20年7月19日までのデモへの参加(甲8の写真に係るもの)は,いずれも,平成18年6月16日付けの本件不認定処分がされた後の事情であるから,本件不認定処分の適法性に影響を与え得る事情であるとはいえない。
(ウ) また,原告は,本件不認定処分がされる前に本邦で参加したデモに関し,「2003年ころから在日ミャンマー大使館前で行われたデモに一般参加者の一人として,4~5回参加したことがありました。リーダーが言った言葉「軍事政権打倒」に合わせてシュプレヒコールを挙げたりしました。」(乙28),「ディペイン記念日の時は大勢の人が参加したことは覚えていますが,その他のデモについてはどの様なデモだったのか,デモでどの様なことをしたのか,シュプレヒコールを挙げたこと以外にはよく覚えていません」(同),「これまでに,大使館前のデモには,4回か5回くらい参加したと思います。最初にデモ行ったのいつごろかは覚えていません。最後にデモに行ったのもいつかは覚えていません。」(乙15)と供述しているところ,かかる供述を前提とすれば,原告はデモの多数の一般参加者の一人として,必ずしもデモの内容も十分に理解することなく追随的に参加したといえるにすぎず,その多数の一般参加者の一人としての追随的な参加態様は,上記写真(乙32)に写る原告のデモへの参加状況からもうかがわれるといえる。
したがって,上記デモへの参加につき,原告が,ミャンマー政府から積極的な反政府活動家として殊更に関心を寄せられ注視されるとは考えられない。
(エ) 上記(ウ)の点に関し,原告は,在日本ミャンマー大使館の監視カメラで撮影されたため,本国の空港において,その映像等に基づいて検挙されるおそれがあると主張する。
原告は,ミャンマー政府が,本邦で行われたデモをビデオ撮影し,本国に送付して,デモの参加者が帰国した際にその身柄を拘束しているとの供述(乙12,32)をするが,これを裏付ける客観的証拠はなく,原告の上記供述をにわかに採用することはできない。原告は,「ビルマの民主的声:ビルマニュース」と題するウェブサイト(甲9)にその旨の情報が掲載されていたとするが,当該ウェブサイトに掲載された情報の取材源は「ヤンゴン空港の責任者」,「チェックをされた人」等とされているところ,これらの取材源及び情報の内容の信用性を基礎付ける資料は何ら存在しない以上,そのウェブサイトに掲載された情報を直ちに採用することはできない。
また,上記(ウ)で認定した原告のデモへの参加態様に加え,原告は平成17年4月ころに参加した在日本ミャンマー大使館前のデモにおいて撮影された旨供述している(乙12,32)ところ,その直後の同年5月に原告は自ら同大使館に出頭して旅券の再発給(有効期間の更新)を受けていることに照らせば,原告を含む上記デモの多数の一般参加者の個々人について,ミャンマー政府が,殊更に関心を寄せて注視し続け,本国の空港で個別に識別して迫害を加えるおそれがあるとは考え難い。
したがって,原告の上記主張を認めるに足りる証拠はなく,原告の上記主張は採用することができない。
オ 原告の姉の取調べの主張について
原告は,原告の本邦における活動について,本国に在住する姉が取調べを受けており,ミャンマー政府は原告の本邦における活動について関心を持っている旨主張し,同旨の供述(乙32,33)をする。
しかし,原告のかかる供述を裏付ける客観的証拠はなく,また,原告は,平成18年7月21日に東京入管で,姉の上記趣旨の発言を記した兄からの手紙を受け取ったとの供述(乙32)をしながら,本件口頭弁論終結に至るまで当該手紙を提出せず,原告の供述も,「その手紙にしても,詳しい事情を書けないというようなことがあるらしくて,はっきりした事情は分かりません。…電話をしたところ,とにかく当局はあなたが帰ってきたらすぐに連絡をしろというふうに言っていたから,絶対帰って来ないように,というふうに言われました。」,「(連絡をしろと言われて理由を問われて)なぜということは,理由は言われていないようなんですが…」(いずれも原告本人)等というあいまいなものであり,加えて,原告と本国で同居していた妻ではなく,世帯を異にしていた姉(乙26)のみが取調べを受けるというのも不可解である上,そもそも,上記アないしエのとおり,原告の本邦における活動は,いずれもミャンマー政府から殊更に関心を寄せられて注視されるような活動とはいえないことに照らせば,原告の本邦での政治活動について原告の姉が取調べを受けたとの原告の供述は不自然であって,にわかに採用することはできず,他に原告の上記主張を裏付ける証拠はないから,同主張を採用することはできない。
(4) 不法残留者に対する本国の対応について
原告は,ミャンマー政府は,本邦において不法残留した者を厳しく取締りをするよう通達を出しており,原告が帰国した際には,これを理由に処罰されるおそれがある旨主張する。
しかし,仮にその主張を前提としたとしても,それは,外国に不法残留したことを理由とする制裁であって,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由とする迫害に該当するものとはいえないから,そのことをもって,原告の難民該当性を基礎付けることはできない。
したがって,原告の上記主張は理由がない。
(5) 原告の難民該当性を否定する方向に作用する事情
ア 旅券の再発給について
原告は,平成17年3月15日,自ら在日本ミャンマー大使館に出頭して旅券の再発給(有効期限の更新)を受けている(前記3(2)カ)ところ,旅券は,本国の政府がこれを所持する自国民の身分を証明するとともに外国官憲に対して保護を依頼する文書であり,原告が,本邦に入国後,自ら在日本ミャンマー大使館に出頭し,ミャンマー政府による庇護を受けるべく,かかる旅券の再発給(有効期限の更新)を受けている事実は,原告が,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあると認識していなかったことを推認させる事実であるといえ,したがって,原告がミャンマー政府から迫害を受けるおそれの存在を否定する方向に作用する事情であるということができる。
イ 難民認定申請の時期等について
原告は,平成7年(1995年)8月5日に本邦に入国してから,平成18年3月10日に本件難民認定申請をするまで,約11年半にわたり,難民認定申請をしていない(前提事実(2)ア及び(4)ア)。
原告は,難民認定申請制度を知った時期につき,①平成18年3月20日の東京入管入国審査官に対する供述(乙15)においては,平成15年中ころに友人から聴いて難民認定申請ができることを知り,その友人に手続の方法を聴いたが忙しくて教えてもらえず,手続の方法が分からなかったので申請できなかったと供述し,②平成18年3月27日の東京入管難民調査官に対する供述(乙28)においては,平成15年末ころに友人から聴いて難民認定申請ができることを知ったが,手続の方法が分からず,不法残留していたので捕まるのが怖くて申請できなかったと供述し,③平成21年3月11日の原告本人尋問においては,不法残留のためひっそり暮らしていたのでさして友人もなく情報が伝わって来ず,難民認定申請制度については,平成16年末から平成17年初めにかけてようやく知ったが,これについて更に教えてくれる人たちとなかなか連絡がつかなかったので申請できなかったと供述している。このように,原告は,難民認定申請制度を知った時期に関する供述を,徐々に自己に有利に遅い時期へと変遷させているが,その変遷について合理的な理由の説明はなく,真に人種・宗教並びに本国における政治活動等を理由に本国で迫害を受けるおそれがあるとして本邦に難民としての保護を求めるのであれば,本邦への入国後すぐに同国人の友人に尋ねるなどして難民認定申請制度の存在を知り,速やかにその手続の方法を調べて申請を行うのが自然であるのに,これと反する内容の上記①ないし③の供述は,いずれも不自然であって,上記アの事情を併せ考えると,原告の難民認定申請が遅れた理由が単に手続の不知であるとする原告の上記供述は,にわかに採用し難いといわざるを得ない。
そして,制度の認識の時期に関しては,上記①及び②の約3年前の東京入管での供述の内容及び弁論の全趣旨に照らし,訴訟の経過を踏まえてその時期を殊更に大幅に遅い時期に変遷させた上記③の供述はにわかに採用し難く,上記①及び②の供述(乙15,28)によれば,原告は,遅くとも平成15年末ころまでには難民認定申請制度を知ったものと認めるのが相当である。
このように,原告は,遅くとも平成15年末ころまでには難民認定申請制度を知った以上,真に難民としての保護を要するのであれば速やかに手続の方法を調べて申請を行うのが自然であるのに,不法残留の摘発を受けて逮捕された後の平成18年3月10日まで2年余にわたり(本邦入国時からは約11年半にわたり),難民認定申請をしておらず,その間に,平成17年3月15日に在日本ミャンマー大使館に自ら出頭して旅券の再発給(有効期限の更新)を受けていることからすれば,原告は,本邦入国後も自らを難民と認識しておらず,不法残留の摘発を受けるまで難民認定申請をする意思がなかったものと推認されるといわざるを得ず,このことは,原告がミャンマー政府から迫害を受けるおそれの存在を否定する方向に作用する事情であるということができる。
ウ 本邦への入国の目的について
原告が,(ア)不法残留の摘発により逮捕された直後の平成18年3月中に,「稼働目的で入国しました。」(乙12),「仕事をするために入国したので不法残留しました。」(同),「私は,船員として,韓国のタンカーWHITE PHOENIXで働くために来日しました。」(乙15),「(日本入国の目的は,日本で仕事をすることだったのかとの問いに対し)はい。そうです。」(乙17),「(不法残留した理由を問う質問に対し)日本で仕事をするためです。」(同)等と供述していることに加え,(イ)①平成7年8月5日,船員として乗り継ぎのために本邦に入国したにもかかわらず,すぐに宿泊先のホテルから逃亡し,同様の方法で不法に残留・就労していた同国人の友人と連絡を取り,東京都新宿区内のアパートで居住を始めていること(上記3(2)イ及びウ),②その後,すぐに同所所在の居酒屋で稼働を始め,逮捕された平成18年3月1日まで,居酒屋,車部品製作会社等で稼働し続けていること(同エ)。③これまでに,不定期ではあるものの,本国の妻及び姉に対し月5万円ないし10万円,妻に対し合計400万円,姉に対し合計150万円を送金していること(同オ),④本邦に入国する前の数年間,本国では,適当な仕事が見つからず,単身の間は姉に扶養され,婚姻後は貯金で生活していたこと(同ア),⑤前記イの認定のとおり,平成15年末ころまでに本邦の難民認定申請制度を知ったにもかかわらず,不法残留の摘発で逮捕された直後の平成18年3月10日に本件難民認定申請をするまで,2年余にわたって難民認定申請をしていないこと(前提事実(4)ア),⑥上記3(2)のとおり,原告の本国における活動は,ミャンマー政府から殊更に関心を寄せられ注視され続けるような活動とはいえないことの諸事情に照らすと,(ウ)原告の本邦への入国の目的は,ミャンマー政府からの迫害を免れる目的で入国したものとは認め難く,上記(ア)の当初の供述のとおり,本国での就職難の状況を踏まえて本邦での稼働・就労の目的で入国したものと推認されるといわざるを得ず,このことも,原告がミャンマー政府から迫害を受けるおそれの存在を否定する方向に作用する事情であるということができる。
5 小括
以上に検討したところを総合すれば,本件不認定処分の当時,原告が,ミャンマー政府から,人種・宗教に基づく迫害を受けるおそれを基礎付ける事情はうかがわれず,また,積極的な反政府活動家として殊更に関心を寄せられ注視されていたとは認め難く,前記3(1)のミャンマーの一般情勢を考慮しても,原告がミャンマーに帰国した場合に,通常人が原告の立場に置かれた場合にも,「人種」,「宗教」,「政治的意見」又は「特定の社会的集団の構成員であること」を理由にミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するというべき客観的事情の存在を認めることはできない。
したがって,本件不認定処分の当時において,原告が入管法にいう「難民」に該当するものと認めることはできず,本件不認定処分についてその無効事由となり得る重大かつ明白な瑕疵の存在を認めることはできない。
6 結論
よって,原告の請求は,理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担について,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岩井伸晃 裁判官 本間健裕 裁判官松長一太は,差し支えにつき,署名押印することができない。裁判長裁判官 岩井伸晃)
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政治と選挙の裁判例「国政政党 地域政党 二連(三連)ポスター」に関する裁判例一覧
(1)平成22年11月30日 金沢地裁 平21(行ウ)3号 公金支出差止請求事件
(2)平成22年11月19日 盛岡地裁 平18(行ウ)11号 政務調査費返還請求事件
(3)平成22年11月17日 東京高裁 平22(行ケ)16号 選挙無効請求事件 〔参院選定数訴訟(合憲)・東京高裁〕
(4)平成22年11月17日 東京高裁 平22(行ケ)15号 選挙無効請求事件 〔参院選定数訴訟(合憲)・東京高裁〕
(5)平成22年11月12日 東京地裁 平21(行ウ)126号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(6)平成22年11月 9日 東京地裁 平21(行ウ)542号 政務調査費返還(住民訴訟)請求事件
(7)平成22年11月 9日 東京地裁 平21(行ウ)251号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(8)平成22年11月 2日 東京高裁 平22(行ケ)14号 選挙無効請求事件 〔参院選定数訴訟(合憲)・東京高裁〕
(9)平成22年10月29日 東京地裁 平19(ワ)31252号 損害賠償等請求事件
(10)平成22年10月29日 東京地裁 平19(行ウ)472号・平19(行ウ)493号・平19(行ウ)494号・平19(行ウ)495号・平19(行ウ)496号・平19(行ウ)497号・平19(行ウ)498号・平19(行ウ)715号・平19(行ウ)785号・平20(行ウ)55号・平20(行ウ)132号・平20(行ウ)133号・平20(行ウ)404号・平20(行ウ)405号・平20(行ウ)406号・平20(行ウ)407号・平20(行ウ)408号・平20(行ウ)686号・平20(行ウ)756号・平21(行ウ)367号・平18(行ウ)472号 難民の認定をしない処分取消等請求事件、在留特別許可をしない処分取消請求事件
(11)平成22年10月28日 東京地裁 平19(ワ)31393号 損害賠償請求事件
(12)平成22年10月27日 仙台高裁 平21(行コ)28号 違法公金支出による損害賠償履行請求控訴事件
(13)平成22年10月22日 東京高裁 平22(行ス)76号
(14)平成22年10月 1日 東京地裁 平21(行ウ)132号 難民不認定処分取消等請求事件
(15)平成22年 9月30日 東京地裁 平21(行ウ)231号 報酬支出差止請求事件
(16)平成22年 9月17日 東京地裁 平21(行ウ)226号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(17)平成22年 9月14日 最高裁第三小法廷 平22(ク)760号・平22(許)24号 仮処分命令申立却下決定に対する抗告棄却決定に対する抗告事件
(18)平成22年 7月30日 東京地裁 平21(行ウ)281号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(19)平成22年 7月30日 東京地裁 平20(行ウ)605号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(20)平成22年 6月24日 東京地裁 平21(行ウ)15号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(21)平成22年 6月17日 名古屋高裁 平22(ラ)137号 仮処分命令申立却下決定に対する即時抗告事件
(22)平成22年 6月16日 東京地裁 平22(ワ)221号 損害賠償請求事件
(23)平成22年 6月 8日 東京地裁 平21(行ウ)144号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(24)平成22年 5月31日 東京地裁 平20(ワ)16947号 損害賠償請求事件
(25)平成22年 5月20日 東京地裁 平21(行ウ)99号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(26)平成22年 5月13日 東京高裁 平20(う)2470号 国家公務員法違反被告事件
(27)平成22年 4月28日 東京地裁 平20(行ウ)642号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(28)平成22年 4月27日 札幌高裁 平21(行ケ)1号 衆議院議員選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・札幌高裁・第一審〕
(29)平成22年 4月13日 東京地裁 平20(ワ)34451号 貸金等請求事件
(30)平成22年 3月31日 東京地裁 平21(行ウ)259号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(31)平成22年 3月30日 大阪高裁 平19(ネ)2853号 損害賠償請求控訴事件
(32)平成22年 3月30日 東京地裁 平21(行ウ)256号 医薬品ネット販売の権利確認等請求事件
(33)平成22年 3月29日 東京高裁 平18(う)2351号 国家公務員法違反被告事件
(34)平成22年 3月29日 金沢地裁 平19(行ウ)5号 公金違法支出損害賠償請求事件
(35)平成22年 3月26日 熊本地裁 平19(行ウ)11号 政務調査費返還履行請求事件
(36)平成22年 3月25日 岐阜地裁大垣支部 平20(ワ)253号 損害賠償請求事件
(37)平成22年 3月12日 福岡高裁 平21(行ケ)1号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・福岡高裁・第一審〕
(38)平成22年 3月11日 東京高裁 平21(行ケ)36号 選挙無効請求事件
(39)平成22年 3月11日 東京高裁 平21(行ケ)35号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・東京高裁・第一審〕
(40)平成22年 3月 8日 福岡地裁 平19(行ウ)8号 難民不認定処分取消等請求事件
(41)平成22年 3月 3日 東京地裁 平20(行ウ)412号・平20(行ウ)425号・平20(行ウ)426号・平21(行ウ)79号 退去強制令書発付処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(42)平成22年 2月26日 東京地裁 平20(行ウ)486号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(43)平成22年 2月24日 東京高裁 平21(行ケ)20号・平21(行ケ)21号・平21(行ケ)22号・平21(行ケ)23号・平21(行ケ)24号・平21(行ケ)25号・平21(行ケ)26号・平21(行ケ)27号 各選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・東京高裁・第一審〕
(44)平成22年 2月24日 東京高裁 平21(行ケ)19号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・東京高裁・第一審〕
(45)平成22年 2月 5日 東京地裁 平20(行ウ)713号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(46)平成22年 2月 3日 東京高裁 平21(行ケ)30号 選挙無効請求事件
(47)平成22年 1月29日 東京地裁 平20(行ウ)261号・平20(行ウ)273号・平20(行ウ)274号 難民の認定をしない処分取消等請求事件(第1事件・第2事件)、退去強制令書発付処分取消等請求事件(第3事件)
(48)平成22年 1月27日 東京地裁 平20(ワ)14157号 損害賠償等請求事件
(49)平成22年 1月25日 広島高裁 平21(行ケ)1号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・広島高裁・第一審〕
(50)平成22年 1月22日 東京地裁 平21(行ウ)82号 難民の認定をしない処分無効確認等請求事件
(51)平成22年 1月15日 東京地裁 平20(行ウ)626号・平21(行ウ)2号 在留特別許可をしない処分無効確認請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(52)平成21年12月28日 大阪高裁 平21(行ケ)2号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・大阪高裁・第一審〕
(53)平成21年12月 4日 東京地裁 平20(ワ)7435号・平20(ワ)26797号 建物収去土地明渡請求事件、建物退去土地明渡請求事件
(54)平成21年11月30日 最高裁第二小法廷 平20(あ)13号 住居侵入被告事件 〔葛飾政党ビラ配布事件・上告審〕
(55)平成21年11月27日 東京地裁 平14(刑わ)3696号・平14(刑わ)4021号 暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件
(56)平成21年11月26日 東京地裁 平21(行ウ)86号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(57)平成21年11月26日 東京地裁 平20(行ウ)629号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(58)平成21年11月26日 東京地裁 平20(行ウ)436号・平20(行ウ)444号・平20(行ウ)445号・平20(行ウ)446号・平20(行ウ)447号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(59)平成21年10月29日 東京地裁 平18(行ウ)529号・平18(行ウ)564号・平20(行ウ)235号・平20(行ウ)237号 在留を特別に許可しない処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(60)平成21年10月28日 京都地裁 平19(ワ)3986号・平20(ワ)797号・平20(ワ)2263号・平20(ワ)3884号・平21(ワ)1575号 損害賠償請求事件
(61)平成21年10月21日 東京地裁 平21(行ウ)61号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(62)平成21年10月 9日 東京地裁 平19(ワ)9718号 損害賠償等請求事件
(63)平成21年 9月30日 最高裁大法廷 平20(行ツ)209号 選挙無効請求事件
(64)平成21年 9月30日 最高裁大法廷 平20(行ツ)196号 選挙無効請求事件
(65)平成21年 9月29日 東京地裁 平19(行ウ)437号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(66)平成21年 8月28日 東京地裁 平19(行ウ)123号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(67)平成21年 8月27日 東京地裁 平20(行ウ)323号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(68)平成21年 8月25日 東京地裁 平20(ワ)16289号 書籍出版等差止請求事件 〔扶桑社教科書差し止め訴訟〕
(69)平成21年 7月22日 東京地裁 平21(ワ)7588号 慰謝料等請求事件
(70)平成21年 7月16日 東京地裁 平20(行ウ)525号 難民不認定処分無効確認請求事件
(71)平成21年 6月30日 東京地裁 平20(行ウ)421号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(72)平成21年 6月25日 東京地裁 平18(ワ)17391号 損害賠償等請求事件
(73)平成21年 6月23日 東京地裁 平20(行ウ)163号・平20(行ウ)167号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(74)平成21年 6月17日 大阪高裁 平20(行コ)159号 政務調査費返還請求行為請求控訴事件
(75)平成21年 6月12日 東京地裁 平20(ワ)27642号 貸金請求事件
(76)平成21年 5月29日 東京地裁 平20(行ウ)150号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(77)平成21年 5月27日 東京高裁 平20(行コ)333号 不当利得返還(住民訴訟)請求控訴事件
(78)平成21年 5月26日 東京地裁 平21(む)1220号 政治資金規正法被告事件
(79)平成21年 5月25日 大阪地裁 平18(行ウ)128号 懲戒処分取消請求事件 〔国・気象衛星センター(懲戒免職)事件〕
(80)平成21年 5月22日 東京地裁 平19(行ウ)309号・平20(行ウ)518号 在留特別許可をしない処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(81)平成21年 5月11日 京都地裁 平21(む)843号 証拠開示命令請求事件
(82)平成21年 4月23日 仙台地裁 平19(ワ)1560号 不当解雇損害賠償等請求事件 〔京電工論旨解雇事件〕
(83)平成21年 4月21日 東京地裁 平20(行ウ)142号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(84)平成21年 3月31日 大阪地裁 平19(行ウ)34号・平19(行ウ)63号・平19(行ウ)77号・平20(行ウ)82号 国際放送実施命令取消等請求(甲~丙事件)、国際放送実施要請違法無効確認等請求(丁事件)事件
(85)平成21年 3月27日 東京地裁 平19(行ウ)178号・平20(行ウ)21号・平20(行ウ)146号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(86)平成21年 3月27日 東京地裁 平18(行ウ)520号・平18(行ウ)524号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(87)平成21年 3月26日 東京地裁 平20(行ウ)134号・平20(行ウ)177号 難民の認定をしない処分取消等請求事件、追加的併合事件
(88)平成21年 3月26日 東京地裁 平19(行ウ)580号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(89)平成21年 3月24日 東京地裁 平19(ワ)23257号 損害賠償請求事件
(90)平成21年 3月23日 名古屋地裁 平18(行ウ)64号 政務調査費返還代位請求事件
(91)平成21年 3月18日 東京地裁 平19(行ウ)305号・平20(行ウ)501号 在留特別許可をしない処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(92)平成21年 2月27日 東京地裁 平18(行ウ)497号 遺族補償給付等不支給処分取消請求事件
(93)平成21年 2月27日 東京地裁 平18(ワ)26458号・平18(ワ)24160号 謝罪広告等請求事件、損害賠償請求事件 〔特高警察関係資料集成事件〕
(94)平成21年 2月25日 東京地裁 平19(行ウ)325号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(95)平成21年 2月25日 東京地裁 平18(行ウ)374号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(96)平成21年 2月16日 東京地裁 平20(ワ)16317号 損害賠償請求事件
(97)平成21年 2月13日 東京地裁 平20(行ウ)144号 難民の認定をしない処分無効確認等請求事件
(98)平成21年 1月29日 東京地裁 平19(行ウ)741号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(99)平成21年 1月27日 横浜地裁川崎支部 平15(ワ)200号 差止等請求事件
(100)平成21年 1月22日 大津地裁 平19(行ウ)10号 公金支出差止め請求事件
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■「後援会 入会 募集 獲得 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
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■選挙の種類一覧
選挙①【衆議院議員総選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙②【参議院議員通常選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙③【一般選挙(地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙④【特別選挙(国政選挙|地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
(1)政治活動/選挙運動ポスター貼り ☆祝!勝つ!広報活動・事前街頭(単独/二連)選挙ポスター!
勝つ!選挙広報支援事前ポスター 政治選挙新規掲示ポスター貼付! 1枚から貼る事前選挙ポスター!
「政治活動・選挙運動ポスターを貼りたい!」という選挙立候補(予定)者のための、選挙広報支援プロ集団「選挙.WIN!」の事前街頭ポスター新規掲示プランです。
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【対応可能な業種リスト|名称一覧】地域密着型ポスターPR広告(街頭外壁掲示許可交渉代行)貼り「ガンガン注目される訴求型PRポスターを貼りたい!」街頭外壁掲示ポスター新規掲示プランです。
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「政治活動・選挙運動ポスターを貼りたい!」という選挙立候補(予定)者のための、選挙広報支援プロ集団「選挙.WIN!」の事前街頭ポスター新規掲示プランです。
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選挙事務所/後援会連絡所届出代行 公職選挙法の上限/立て札看板設置 1台から可能な選挙立札看板設置
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