政治と選挙Q&A「公認 候補者 公募 ポスター 新人 戸別訪問 国政政党 地域政党」に関する裁判例(35)平成19年 2月21日 東京地裁 平17(行ウ)375号・平17(行ウ)376号 退去強制令書発付処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
裁判年月日 平成19年 2月21日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平17(行ウ)375号・平17(行ウ)376号
事件名 退去強制令書発付処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2007WLJPCA02218004
要旨
◆ミャンマー連邦国籍の原告が、本邦に不法入国をしたとの理由で退去強制手続をとられ、その異議申出には理由がないとの裁決及び退去強制令書発付処分並びに難民不認定処分を受けたため、これらの処分の取消しを求めた事案において、原告の兄姉が現在いずれも本国国内で平穏に生活していること、原告の父がかつて国軍に勤務した経験があること、兄のうち一人には軍事政権と深いつながりのある知人がいること、原告自身、現在に至るまで、本国政府当局から身柄を拘束されたり尋問を受けた経験はないといった事情を総合的に考慮すると、本国の一般情勢にあっても、原告は難民に該当しないとして、請求が棄却された事例
参照条文
出入国管理及び難民認定法2条3号の2
難民の地位に関する条約1条
難民の地位に関する議定書1条
裁判年月日 平成19年 2月21日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平17(行ウ)375号・平17(行ウ)376号
事件名 退去強制令書発付処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2007WLJPCA02218004
平成17年(行ウ)第375号 退去強制令書発付処分取消請求事件(第1事件)
平成17年(行ウ)第376号 難民の認定をしない処分取消請求事件(第2事件)
東京都板橋区〈以下省略〉
原告 X
訴訟代理人弁護士 毛受久
同 渡邉彰悟
東京都千代田区〈以下省略〉
被告 国
代表者兼処分行政庁 法務大臣長勢甚遠
第1事件処分行政庁 東京入国管理局主任審査官A
指定代理人 石川貴司
同 小林一秋
同 廣川一己
同 中嶋一哉
同 宮林昭次
同 河村順一
同 村松順也
同 石橋美代子
同 上元哲也
第2事件指定代理人 丸岡敬
久保礼子
同 川畑豊隆
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は,原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 第1事件関係
(1) 法務大臣が平成17年3月15日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法49条1項の規定による異議の申出には理由がないとの裁決を取り消す。
(2) 東京入国管理局主任審査官が同月29日付けで原告に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。
2 第2事件関係
法務大臣が平成15年10月30日付けで原告に対してした難民の認定をしない処分を取り消す。
第2 事案の概要
本件は,本邦に不法入国したとの理由で退去強制手続をとられ,法務大臣から出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)49条1項の規定による異議の申出には理由がないとの裁決を受け,東京入国管理局主任審査官から退去強制令書発付処分を受けた外国人である原告が,難民である自分に対しては在留特別許可が与えられるべきであったからこれらの処分は違法であると主張してその取消しを求めるとともに(第1事件),難民認定申請に対して法務大臣がした難民の認定をしない処分についてもその取消しを求める(第2事件)事案である。
なお,以下においては,入管法の改正につき,平成元年法律第79号によるものを平成元年改正と,平成16年法律第73号によるものを平成16年改正と,平成17年法律第66号によるものを平成17年改正という。
1 難民に関する法令等の定め
法務大臣は,本邦にある外国人からの申請に基づき,その者が難民であるか否かの認定を行う(入管法61条の2第1項)。
入管法上,難民とは,難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条の規定又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条の規定により難民条約の適用を受ける難民のことである(同法2条3号の2)。難民条約1条A(2)及び難民議定書1条1・2によれば,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であつて,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」は難民条約の適用を受ける難民であるから,この定義に当てはまる者が入管法にいう難民ということになる。
2 前提事実(掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
(1) 原告の身上・経歴及び家族の状況(甲62,乙13,27,45,原告本人)
原告は,1959(昭和34)年○月○日,ミャンマー連邦(当時の国名はビルマ連邦社会主義共和国)において出生した,同国国籍を有する男性である(ミャンマー連邦の呼称につき,原告は「ビルマ」とするが,以下においては便宜上「ミャンマー」で統一する。)。
原告の父は,ミャンマーにおいて自動車の輸入販売業を営んでいたが,国軍に勤務していたこともある。父は1999(平成11)年に,母は2001(平成13)年に死亡している。
原告には4人の兄と2人の姉がおり,原告は末っ子である。兄4人はいずれも船員をしていた。現在は,兄姉はすべてミャンマーで平穏に暮らしている。なお,兄のうちの一人は,ミャンマー軍事政権内のBという人物の個人秘書(パーソナルアシスタント)をしていたことのある者を知人として有している。
原告は,ミャンマーの高校を中退した後,家業の自動車輸入販売業を手伝っていたが,その後,後記のとおり,出国して本邦で研修を受けるなどし,さらに,シンガポールで輸出入の仕事に携わったり,タイのバンコクでミャンマー人船員を斡旋する仕事に携わるなどした経験を有する。
(2) 1回目の本邦入出国経過(乙2,3,45)
ア 原告は,昭和59年3月14日,タイのバンコクから航空機で大阪空港に到着し,平成元年改正前の入管法4条1項6号の2所定の在留資格(現行法の「研修」)で在留期間を6月とする上陸許可を受け,本邦に上陸した。自動車関係の研修を受けるのが目的であった。
イ 原告は,同月21日,兵庫県尼崎市〈以下省略〉を居住地,世帯主を原告とする外国人登録法(以下「外登法」という。)に基づく新規登録申請をし,外国人登録証明書の交付を受けた。
ウ 原告は,同年9月7日,在留期間を6月とする在留期間更新許可を受けた。
エ 原告は,昭和60年3月13日,大阪空港からシンガポールへ出国した。
(3) 2回目の本邦入出国経過(乙2,5,11)
ア 原告は,昭和60年6月26日,タイのバンコクから航空機で成田空港に到着し,平成元年改正前の入管法4条1項4号所定の在留資格(現行法の「短期滞在」)で在留期間を90日とする上陸許可を受け,本邦に上陸した。
イ 原告は,同年7月27日,平成元年改正前の入管法4条1項16号,同法施行規則2条3号所定の在留資格(法務大臣が特に在留を認める者)で在留期間を6月とする在留資格変更許可を受けた。
ウ 原告は,同年8月5日,大阪市〈以下省略〉を居住地,世帯主を原告とする外登法に基づく新規登録申請をし,外国人登録証明書の交付を受けた。
エ 原告は,同年9月11日,再入国許可を受けて大阪空港からタイのバンコクへ出国した。
(4) 3回目の本邦入出国経過(乙2,6,7)
ア 原告は,昭和63年2月29日,タイのバンコクから航空機で成田空港に到着し,平成元年改正前の入管法4条1項4号所定の在留資格(現行法の「短期滞在」)で在留期間を30日とする上陸許可を受け,本邦に上陸した。
イ 原告は,同年3月24日及び4月25日,それぞれ在留期間を30日とする在留期間更新許可を受けた。
ウ 原告は,同年5月28日,成田空港からタイのバンコクへ出国した。
(5) 4回目の本邦入出国経過(乙2,8,45)
ア 原告は,平成元年3月19日,香港から航空機で成田空港に到着し,平成元年改正前の入管法4条1項4号所定の在留資格(現行法の「短期滞在」)で在留期間を15日とする上陸許可を受け,本邦に上陸したが,その後,在留資格の変更又は在留期間の更新を受けることなく,在留期限である同年4月3日を超えて本邦に不法に残留し,埼玉県内の工場などで不法就労をしていた。
イ 原告は,平成3年1月10日,大阪入国管理局神戸支局において,入管法24条4号ロの退去強制事由(不法残留)に該当するとして退去強制令書の発付を受け,同月23日,成田空港から出国した。
(6) 5回目の本邦入国及びその後の在留状況(乙2,9,12,13,20,46,58)
ア 原告は,平成3年11月26日,シンガポールから航空機で大阪空港に到着し,大阪入国管理局大阪空港出張所入国審査官に対し他人名義のミャンマー旅券を行使し,同入国審査官から「短期滞在」の在留資格で在留期間を90日とする上陸許可の証印を受け,本邦に不法に入国した。
イ 原告は,その後,東京都内の飲食店や愛知県内の工場において継続して不法就労をし,平成16年5月ころからは,東京都港区の飲食店において,日曜日を除くほぼ毎日,月曜日から水曜日までは午前11時30分から午後4時まで,木曜日から土曜日までは午前11時30分から午後11時30分までの間,厨房の仕事をし,月給約20万円の報酬を受けた。また,両親が死亡するまでの間,本国の家族に対し,1年間に1,2回,1回につき5万円から10万円を送金し,2,3か月に1回,本邦で購入した物品を送付した。
ウ 原告は,平成3年12月11日,東京都新宿区〈以下省略〉を居住地として他人名義で外登法に基づく新規登録を申請した。平成14年4月30日には,同区〈以下省略〉を居住地とするなどの変更登録申請をするとともに確認申請をし,同年5月27日,外国人登録証明書の交付を受けた。
新宿区長は,同年11月20日,原告の外国人登録について,他人名義であったものを原告名義にするなどの訂正をし,原告は,同年12月4日,外国人登録証明書の交付を受けた。
(7) 退去強制手続
ア 東京入国管理局入国警備官は,平成15年3月3日,同局において原告に係る違反調査をし,その結果,原告が入管法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして同局主任審査官から収容令書の発付を受け,同月13日,これを執行して原告を同局収容場に収容した上,同法24条1号該当容疑者として同局入国審査官に引き渡した。原告は同日仮放免された。
イ 東京入国管理局入国審査官は,同月13日及び平成16年2月4日,同局において,原告に係る違反審査をし,その結果,平成16年2月4日,原告が入管法24条1号に該当すると認定し,これを原告に通知したところ,原告は特別審理官に対し口頭審理を請求した。
ウ 原告は,平成16年3月31日,東京都文京区△△a丁目b番c号□□204を居住地とする外登法に基づく居住地変更登録申請をし,同年9月14日,同□□301を居住地とする同変更登録申請をした。
エ 東京入国管理局特別審理官は,平成17年1月21日,原告に係る口頭審理をし,その結果,入国審査官の前記認定が誤りがないと判定し,これを原告に通知したところ,原告は,入管法49条1項の規定により法務大臣に対し異議を申し出た。
オ 法務大臣は,同年3月15日,原告からの上記異議の申出には理由がないとの裁決をし(以下「本件裁決」という。),これを東京入国管理局主任審査官に通知した。同主任審査官は,同月29日,これを原告に告知するとともに,送還先をミャンマーとする退去強制令書を発付し(以下「本件退令発付処分」という。),原告を同局収容場に収容した。
原告は,同年7月25日,仮放免された。
(8) 難民認定手続(乙49,52)
ア 原告は,平成14年7月5日,法務大臣に対し難民認定申請をしたが(以下「本件難民認定申請」という。),法務大臣は,平成15年10月30日,下記の理由により難民の認定をしない処分をし(以下「本件不認定処分」という。),同年11月11日,これを原告に告知したところ,原告は,同月14日,異議の申出をした。
記
あなたは,「特定の社会的集団の構成員であること」及び「政治的意見」を理由として迫害を受けるおそれがあると申し立てています。
しかしながら,
① あなたが1988年にタイで反政府デモに参加した後,あなたは何ら問題なく本国に帰国していること
② あなたがデモに参加した顔写真が,BBCのインターネット版記事に掲載されたことで難民性を認識したとの申立てについては,実名が掲載されたわけではなく,本国政府に個別に把握されているとは認められないこと
③ あなたの家族が本国で事情聴取を受けたことや,あなたが帰国すれば迫害を受けるおそれがあると伝えてきた経緯に関する申立てについて,具体性がなく信用性が認められないこと
等からすると,申立てを裏付けるに足りる十分な証拠があるとは認め難く,難民の地位に関する条約第1条A(2)及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認められません。
イ 法務大臣は,平成17年3月15日,下記の理由により上記異議の申出に理由がないとの決定をし,同月29日,これを原告に告知した。
記
あなたの原処分に対する異議申出における申立ては,原処分において申し立てた内容とほぼ同旨を述べるもののほか,迫害に係る新たな事実を申し立てているところ,
① あなたが1988年にタイで反政府デモに参加した後,あなたは何ら問題なく本国に帰国していること
② BBCインターネット版記事及び在京ミャンマー大使館員との会話等に関する申立てからは,あなたが反政府活動家として本国政府に個別に把握されているとは認められないこと
③ あなたの家族が本国で事情聴取を受けたことや,あなたが帰国すれば迫害を受けるおそれがあると伝えてきた経緯に関する申立てについて,具体性がなく信用性が認められないこと
等からすると,「特定の社会的集団の構成員であること」及び「政治的意見」を理由に迫害を受けるおそれがあるというあなたの申立てを裏付けるに足りる十分な証拠があるとは認められず,原処分に誤りはなく,あなたが難民の地位に関する条約第1条A(2)及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認められません。
3 争点
本件の主要な争点は,原告が難民と認められるか否かであり,これに関して摘示すべき当事者の主張は,後記第3「争点に対する判断」において掲げるとおりである。
第3 争点に対する判断
1 ミャンマーの一般情勢(この項では元号ではなく西暦を用いることとする。)掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。
(1) ミャンマーでは,1988年3月以降,首都ヤンゴン(当時の名称はラングーン)において学生らの反政府デモが拡大して警察,軍と衝突し,同年8月8日には民主化を求めるゼネストが全国に展開した。しかし,同年9月18日に軍事クーデターが起こり,国軍幹部から構成される国家法秩序回復評議会(SLORC=State Law and Order Restoration Council)が全権を掌握し,軍事政権が成立した。SLORCは総選挙の実施を公約したが,一方で,1989年7月20日,民主化運動のリーダー的存在となったアウンサンスーチーを国家破壊分子法違反で自宅軟禁とし,その政治活動を禁止した。
1990年5月27日,約30年ぶりに複数政党参加の総選挙が行われ,アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD=National League for Democracy)が議席の約8割を占めて圧勝したが,SLORCはNLDへの政権委譲を拒否した。
1997年11月,SLORCは国家平和開発評議会(SPDC=State Peace and Development Council)に改組されたが,軍事政権の性格に変化はなかった。
(2) ミャンマーでは,国民の権利自由は抑圧された状況にあり,政治活動は厳しく制限されている。その具体的な内容は,米国国務省作成のミャンマー人権状況についてのレポート(Country Reports on Human Rights Practices-2001)(甲16)の以下の記述がおおむね正確に伝えている。
「過去同様,国中で一般市民や政治運動家の数時間から数週間,あるいはそれ以上に及ぶ「失踪」が相次いでおり,多くの人々が行方不明のままである。」「一般的にこのような失踪は,政府による一般市民の拘留による。その目的は,家族への通知なしに行われる尋問である。」「多くの場合,尋問のために拘留された人々は即,釈放となり,家族の元へ帰される。この手法は,たいてい自由な政治表現や集会活動を妨害することを狙いとしている。」
「拷問を禁止する法は存在する。しかし治安警察は囚人や拘留者,一般市民に対して拷問や鞭打ちを日常的に行っており,虐待することさえある。政府が拘留者に対して,脅迫したり混乱させることを目的に,悪質な尋問手法をとることは日常的となっている。」
「刑務所は,一般的にみて劣悪で生命を脅かすような状況にある。」
「拘留の司法決定を行う際に考慮すべき規定というものはなく,日常的にSPDCによる恣意的逮捕や軟禁,拘留が行われている。」
「司法機関は,軍政に対して独立した地位を占めていない。」「公には,イギリス支配時代の法システムの継承を正式としているにもかかわらず,その裁判システムが正常に機能することは稀である。特に政治的な問題を扱う場合,その乖離はひどいものとなっている。」「また,相次ぐ汚職により,裁判システムは,一層公正さを失っている。」
「一般に刑事事件の場合には,弁護代理人によって弁護を受ける権利など,基本的な法手続きに関する権利が顧慮されてきた。しかし,政府が特に敏感になっている政治問題の場合には顧慮されていない。」「また,政治問題に関する裁判は公開されていない。」
「憲法には,権力者が国民の権利を侵害した場合に関する規定が存在しない。軍事政府は,広範な分野にわたって恣意的に市民生活への干渉を行っている。広大な情報ネットワークや行政手続きを通じて,政府は全国民の移動について細かく監視し,多くの国民の活動について詳細に把握している。特に政治的な活動で知られている者については詳しく調べられている。」
(3) NLDの政治活動は特に抑圧を受けており,軍事政権は,これまでに,NLD主催の会議の開催を妨害したり,多数のNLD党員の身柄を拘束したり,アウンサンスーチー自宅前の道路を封鎖するなどして,NLDの集会を妨害している。
アウンサンスーチーは,前記のとおり,1989年7月から軍事政権に自宅に軟禁され,中断を挟んで更に2000年9月から自宅に軟禁された。2003年5月30日には,自宅軟禁を解かれてミャンマー北部を遊説中のアウンサンスーチーその他のNLD幹部らが治安当局に身柄を拘束されるという事件が起こり(ディペイン事件),その後,同幹部らは順次釈放されたが,アウンサンスーチーは現在まで自宅軟禁下に置かれている。
2 難民該当性に関する原告の個別事情についての原告の主張及び供述
原告は,自己が難民であることの理由として,次のように主張し,ほぼそれにそう供述をする(甲62,原告本人)。
(1) 原告は,1988(昭和63)年のミャンマー民主化運動の高揚期にタイのバンコクに滞在していたが,軍が国民に対して発砲し容赦なく弾圧している映像を見て深い衝撃を受け,バンコクのミャンマー人を組織し,ミャンマー大使館前などにおいて,軍事政権を非難するなどのデモを実行した。原告は,デモや集会の趣旨を多数のミャンマー人に伝え反政府活動を組織化するオーガナイザーであった。当時,タイの英字紙(ザ・ネイション)にミャンマー人民主化運動家がそれぞれ自分でサインをした意見広告を掲載したが,その際,原告は運動家の間を回ってサインをとりつけ,自身のサインもした。また,デモ活動中の原告の姿が写った写真がタイの英字紙に掲載された。
当時原告とともに活動していたCは,現在,ミャンマー国外における反政府活動の中心であり,米国に本部を置くビルマ連邦国民連合政府(NCGUB=The National Coalition Government of the Union of Burma)の幹部である。
このように,原告は,タイにおけるミャンマー人コミュニティの中でも知名度が高く,デモや集会の先頭に立って活動をしていたのであり,また,ミャンマー大使館近くの路上で,軍情報部の軍人であるDという人物に罵声を浴びせたことがあった。したがって,原告は,ミャンマー大使館及び軍情報部にその存在を知られていたのである。
(2) 1988(昭和63)年9月にSLORCが政権を掌握し,軍事弾圧が進むと,タイにおける反政府活動も徐々に衰えていった。原告は,タイにおいては不安定な在留資格しかなかったため,ミャンマーから遠く,かつて訪問したことのある国である日本に行くこととし,シンガポールを経て香港に行き,1989(平成元)年3月に4回目の訪日をした後,不法残留を始めた。
この不法残留中も,原告は,在日ビルマ人協会(BAIJ),ビルマ青年ボランティア協会(BYVA)と接触し,常時カンパをし,これらの団体の主催する集会に参加した。
(3) 4回目の訪日は,2年近くの在留の後退去強制となり,原告は1991(平成3)年1月23日に出国したが,バンコクでの反政府活動歴などから帰国に恐怖を感じており,トランジットでバンコクに立ち寄った際,役人に賄賂を渡して滞在許可を受け,逃亡した。
その後バンコクで過ごしていたが,同年夏,父が危篤であるとの連絡があり,原告は捕まる覚悟をして帰国した。ところが,父は危篤ではなく,原告に会いたいとの思いからうその連絡をしたとのことであり,本人が空港に迎えに来ていた。原告は無事に帰国できたが,それは,兄の一人がBの個人秘書であった知人に手を回して原告の安全を確保したからであると聞いた。また,当時は,軍事政権が海外から非難され,NLDへの政権委譲の期待が高まった「雪解け」の時期であり,これも原告が逮捕されなかった原因である。
原告は,ヤンゴンの自宅に10日間ほど滞在したが,かつてバンコクで罵声を浴びせたことのある軍情報部の軍人,Dを見かけたことから,恐怖心を感じ,見つかれば捕まると思い,ミャンマーを離れる決意をした。
原告は,同年9月,正規の出国手続をとらずに国境を越えてタイへ脱出し,バンコクでブローカーから他人名義の旅券を購入し,さらに,シンガポールでブローカーから日本の査証を購入した。
(4) 1991(平成3)年11月26日に他人名義の旅券で5回目の訪日をした後,原告は,反政府活動として,BAIJのデモ行進,大使館前の集会に参加し,また,BYVAのデモ行進,カンパ活動,ミャンマーとタイの国境付近にいるミャンマー人への支援活動(全ビルマ学生民主戦線(ABSDF=All Burma Students Democratic Front)に対する資金援助)などを行った。また,国民民主連盟(解放区)(NLD-LA=National League for Democracy (Liberated Area))日本支部の会合,集会などにも参加した。ただし,両親との間でどこに行っても反政府活動はしないという約束をしていたため,組織に本名で所属してリーダー的な存在になるようなことはできないと考えていた。
なお,原告はこの後反政府活動家のEと知り合い,政治活動をともにしてきた。EはかつてはBAIJの主要メンバーとして,その後はNLD-LA日本支部のメンバーとして一貫して軍事政権と闘ってきた活動家であり,日本で難民と認定されている。また,1999(平成11)年10月にNCGUBのF首相(注・NCGUBは自らを亡命政権と位置付けており,その代表者は「首相」を名乗っている。乙62参照)とCが来日したときは,行動をともにした。
(5) 原告は,2001(平成13)年10月13日,NLD-LA日本支部の会員となった。同年9月までに両親が亡くなり,また,当時の議長から誘われたからである。
原告は,2002(平成14)年5月からの1年間,同支部運営委員会(ワーキングコミッティ)委員を務め,2005(平成17)年5月からもまた1年間同委員を務めた。もちろん,同支部の活動として,大使館前のデモにも100回以上参加している。
個人的には,ABSDFの学生たちに金銭的な援助をしている。さらに,2004(平成16)年には,在日ミャンマー大使館がミャンマー人から税金を徴収することを批判するビラを配布するなどの活動をした。
(6) 原告がミャンマー政府・大使館から反政府活動家として把握されていることは以下の事実から明らかである。
ア 2002(平成14)年5月,イギリス放送協会(BBC)のインターネットのニュースに掲載された写真に原告の姿が写っていた。これは,日本政府によるミャンマーへのODA支援に反対するデモに参加したときのもので,前記Eも一緒に写っていた。Eは,ミャンマー政府・大使館が反政府活動家として常に監視している者であり,同人と一緒に活動している写真の存在は,原告が同国政府・大使館から把握されている重要な証拠である。
イ 同年5月には,テレビ朝日の報道番組でNLD-LA日本支部の事務所の様子が放映されており,これにも原告が映っている。
ウ ビルマ連邦国民評議会(NCUB=National Council of the Union of Burma)が2003(平成15)年6月に作成した,同年5月に発生したディペイン事件についてのパンフレットには,出版・配布を担当した者の中に原告の名前がある。
エ 同年10月31日,原告は,在日ミャンマー大使館員である知人と飲食店で会い,話をしたところ,同人と一緒にいた大使館員で軍情報部の人間であるとの噂のある人物が,原告に対し,「おまえ,やって来て騒ぐな。うるさいぞ」と言った。これは大使館前のデモのことをいったものである。翌日,原告は,知人である上記大使館員と会い,これを確認した。
オ 日本に在留していた甥のGが2000(平成12)年ころにミャンマーに帰国した後,電話で話をしたところ,同人は,軍情報部から見せられた写真の中に,NCGUBのF首相と一緒に原告が写っているものがあったので,危ないから帰ってこない方がよいと言った。また,2002(平成14)年5月に来日した兄からも,原告は帰国すれば逮捕されると言われた。
(7) 以上のとおり,原告は,一貫してミャンマー政府に反対し高い政治的意識を持ち民主化を進めてきた反政府活動家であり,ミャンマー政府から,著名な民主化運動家,反政府活動家と行動をともにする不快な存在として個別に把握されている。したがって,帰国すれば生命身体に極めて危険な状態が発生するのであり,原告は,政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する者であり,難民であることは明白である。
3 難民該当性の具体的検討
難民の意義は前記「事案の概要」の1「難民に関する法令等の定め」において述べたとおりである。また,入管法61条の2第1項の文理のほか,難民認定処分が授益処分であることなどにかんがみれば,難民該当性の立証責任は難民認定申請者にあると解すべきである。原告は,自らが難民であることの根拠として「政治的意見」を挙げるから,原告が難民に該当するというためには,「政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」と認められることが必要である。
ここで「迫害」とは,通常人が受忍することができない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命・身体の自由の侵害又は抑圧を意味するもののことをいい,「十分に理由のある恐怖を有する」とは,その者が主観的に迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているだけでなく,通常人がその者の立場に置かれた場合に迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることをいう。この点につき,原告は,「迫害」は生命・身体の自由の侵害又は抑圧に限られず,広く経済的・社会的自由,精神的自由に対する侵害や抑圧も検討されなければならないと主張する。しかし,本件において,生命・身体の自由以外にいかなる利益を原告が侵害又は抑圧されるおそれがあるのかは,原告の主張によっても明らかでない。むしろ原告自身,上記2(7)のとおり,帰国すれば生命身体に極めて危険な状態が発生すると主張しているのである。したがって,「迫害」に関する上記の定義を更に検討する必要は認められない。
以上を前提に,前記前提事実及び前記1認定のミャンマーの一般情勢を踏まえ,上記2の原告の主張及びそれにそう証拠について検討を加えることとする。
(1) 原告が1991(平成3)年の夏にミャンマーに帰国したという時点までの事情
証拠(甲32ないし42,43の1・2,62,乙36ないし42,原告本人)によれば,1988(昭和63)年8月から10月にかけて,タイに在留中のミャンマー人が,当時のミャンマー政権に対する抗議としてタイのミャンマー大使館前でしばしばデモや集会活動をしていたこと,原告はこの活動に参加し,抗議行動をしている原告の姿が写った写真がタイの英字紙に掲載されたことを認めることができる。したがって,原告が当時タイにおいてミャンマー政府に反対する活動をしていたことは認められるが,このことを理由に同国政府から迫害を受けるおそれがあったといえるかどうかは,なお検討を要する。
原告は,その翌年の1989(平成元)年3月19日,4回目の来日をし,「短期滞在」の在留資格で上陸許可を受けて上陸した後,不法残留となった。その後不法就労をしていたが,これが発覚して退去強制の手続をとられ,平成3年1月23日出国した。この間,原告が自己の難民性を訴えて庇護を求める行動に出たことを認めるに足りる証拠はない。この点について,原告は,本人尋問において,当時,難民のことは漠然と知ってはいたが詳しいことまでは知らず,また,1990(平成2)年の選挙結果を受けて軍事政権がNLDに政権を委譲することが期待できたので,難民の主張をすることまではせずに本邦を出国したのであるなどと供述する。しかし,他方で,本人尋問における原告の供述によれば,原告は既に当時から本邦に在留するミャンマー人の反政府活動家のことを知っており,その中には難民認定申請をしている者もいたというのであるから,帰国すれば迫害を受けるおそれがあると原告が考えていたのであれば,それらの者に相談するなどして帰国を免れる行動に出るのが自然である。すぐ後に検討するとおり,原告自身,退去強制となったもののミャンマーに帰国するのは怖かったのでタイへ逃れたと供述しているのであるから,なおさらである。本邦にいる間はそれをしないでただ退去強制の手続に従ったという原告の態度は,原告が迫害を受けるおそれを真に抱いていたことを疑わせるものといわざるを得ない。
次に,原告の供述によれば,原告は,退去強制を受けて本邦を出国したもののミャンマーには帰国せず,タイのバンコクで過ごしていたが,その後しばらくして同じ年の夏に正規の手続でミャンマーに帰国したところ,タイや我が国での行動を特に問題とされることなく入国できたという。この事実は,原告が当時ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがなかったことを端的に示すものということができる。この点について,原告は,当時軍事政権はNLDへ政権委譲しないことを諸外国から非難されており,反政府活動家に対してもあまり強硬な態度には出られなかったのであると主張するが,この主張を裏付けるに足りる事実は認められない。原告はまた,兄のうちの一人が,軍事政権内のBの個人秘書であった人物に手を回して原告の安全を確保したのであるとも主張する。この主張は,迫害のおそれを打ち消すような強力な縁故を原告が有していたことを意味するから,原告にとってはむしろ不利な主張と考えられる。このことを意識してか,原告は,本人尋問においては,兄がだれに対していくら支払って原告の安全を図ってくれたのかは知らないなど,この主張とはそぐわない供述をしている。しかし,本人尋問においてその主張にそぐわない供述をすること自体不自然であるし,もし原告が迫害を受けるおそれを真に抱いていたのであれば,問題なく帰国できたことを疑問に感じ,父や兄にその間の事情を聞いてみるのが当然であると考えられるが,原告はそれをしていないというのである。このことからしても上記本人尋問における原告の供述は不自然である。このような不自然な供述をしなければならないことは,原告の立場を弱めるものといわざるを得ない。
このように,1991(平成3)年の時点において,我が国からの退去強制に原告が素直に従っていること,ミャンマーに正規の手続で帰国し何の問題もなかったことは,いずれも,原告が迫害のおそれを有していたことを否定する事実と位置付けることができる。
翻って,タイにおける原告の活動内容を検討してみると,原告は,本人尋問においては,反政府活動を組織化するオーガナイザーとして活動していたと供述するが,難民認定手続においては,自分は若く経験もなかったので指導者の指示に従って活動していたと供述していたものである(乙46)。退去強制手続の際の供述には「オーガナイザー」という表現が出てくるものの,それは,タイの空港内で寝泊まりしていたミャンマー人を集めて反政府活動のリーダー格のところへ連れて行く役割として述べられているにすぎない(乙18)。その他,難民認定手続及び退去強制手続における原告の供述(乙13,18,20,45ないし48,51)を踏まえると,本人尋問における原告の上記供述をにわかに信じることはできず,ほかに客観的な証拠もないから,原告が当時反政府活動のリーダーとして行動していたとの事実を認めることはできない。タイの英字紙に掲載された写真(甲38,40ないし42,乙36,38,39,41)にしても,原告の名前が表示されているわけではなく,運動のリーダーとして撮影されたというものでもない。英字紙に掲載された意見広告に添付された原告のサイン(乙40)も,原告の名前が特定できるものではない。結局のところ,タイにおける原告の反政府活動がミャンマー政府の関心を引くような程度のものであったことを認めるに足りる客観的な証拠はなく,原告の供述もにわかには信用できないから,これを認めることはできないというべきである。
また,平成元年3月に4回目の来日をしてから平成3年1月に退去強制となるまでの間,本邦において反政府活動をしていたとの原告の主張についても,そのような事実を認めるに足りる的確な証拠は存在しない。
以上の検討によれば,1991(平成3)年1月に本邦から退去強制となった後同年夏にミャンマーに帰国したという時点までの事情をみる限り,原告がその政治的意見を理由に同国政府から迫害を受けるおそれを抱くに足りる客観的事情が存在していたと認めることはできない。
(2) 1991(平成3)年11月に5回目の来日をするまでの事情
原告は,1991(平成3)年夏にミャンマーに帰国した後まもなく,Dという軍情報部の軍人を見かけ,同人に対してはかつてタイのバンコクで罵声を浴びせたことがあったため,その報復のおそれを感じ,恐怖心を抱いたので,正規の手続によらずに出国したと主張する。
しかし,難民認定手続における原告の供述及び本人尋問によれば,原告がバンコクにおいてDに対して罵声を浴びせたのは1回だけであり,しかもDが原告を追いかけてくるようなこともなかったというし,ヤンゴン市内で見かけたときも,Dの方は原告のことに気付いていなかったというのである(乙47)。そうすると,原告の供述を前提にしたとしても,原告の側の一方的な思い込みにより恐怖心を抱いたというにすぎず,Dなる軍人が原告のことを反政府活動家として把握していたことを認めるに足りないのであるから,通常人が原告の立場に置かれた場合に迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していたということはできない。
原告がミャンマーを脱出し1991(平成3)年11月に5回目の来日をした理由として挙げるのは上記Dを巡る事情のみであり,これが迫害のおそれを抱かせる事情として不十分なものであることは上記のとおりであるから,この入国の時点までの事情をみても,原告がその政治的意見を理由にミャンマー政府から迫害を受けるおそれを抱くに足りる客観的事情が存在していたと認めることはできない。
(3) 5回目の来日以後の事情
原告は,1991(平成3)年11月に5回目の来日をした後,本邦においてミャンマー政府に反対する運動に参加していたと主張するが,その一方で,反政府活動をしないことを両親と約束していたため,2001(平成13)年10月にNLD-LA日本支部の会員となるまで,表だった反政府活動はしていなかったと一貫して供述している。実際,NLD-LAの会員となる以前に,原告が本邦において反政府活動を行っていたことを認めるに足りる的確な証拠は存在しない。したがって,1991(平成3)年11月から2001(平成13)年10月までの間,原告は,迫害を受けるおそれを抱く理由となり得るような特筆すべき政治的活動はしていなかったというほかない。
原告は,NLD-LA日本支部の会員となった後,運営委員会(ワーキングコミッティ)の委員になるなどして積極的に同支部の活動を支えたほか,大使館前のデモに参加するなどの反政府活動を行ったと供述する。しかし,原告の供述によっても,NLD-LA日本支部の活動方針を決めるのは中央執行委員会であるというのであり,運営委員会に大きな権限があるとは認められない。原告の述べる活動も,組織の一員としての活動にすぎないといわざるを得ず,組織のリーダーとしての活動を行っているとは認められない。したがって,原告の供述を前提としても,原告の活動は,ミャンマー政府が敵視する程度のものと考えることはできない。
原告はまた,タイとミャンマーの国境付近にいるABSDFの活動家に金銭的援助をしているとも供述するが,これもその性質上表だった政治活動というものではないし,資金援助の額もせいぜい月に5000円というのであるから(乙43,44),これも,ミャンマー政府が敵視するほどのものとはいえない。
NCUBが2003(平成15)年6月に作成した,同年5月に発生したディペイン事件についてのパンフレットに原告の名前があるのは確かであり,このパンフレットの内容はミャンマー政府を批判するものである(甲49)。しかし,このパンフレットの性格,配布された範囲は不明であるから,このパンフレットの存在のみをもって原告を反政府活動家と位置付けるのは困難である。
原告は,2002(平成14)年5月,我が国で難民認定を受けミャンマー政府から敵視されているEとともに反政府活動をしている原告の姿が写った写真がBBCのインターネットのニュースに掲載されたことを指摘し,これは同国政府から原告が反政府活動家として把握されていることの証拠になると主張する。実際,証拠(乙27,28)によれば,原告自身,本件難民認定申請をするに至った大きな契機としてこのBBCのニュースを挙げていることが認められる。しかし,このニュースに掲載された写真を見ても,原告の名前が表示されているわけではなく,また,記事と照らし合わせても,いかなる場面において撮影された写真であるかすら明らかでない(甲47)。したがって,このBBCの写真によって原告のことを反政府活動家として特定することはできないのであるし,ましてやEの同志として活動をしているとはいえないのであるから,原告の上記主張は採用することができない。同年5月に放映されたというテレビ朝日の報道番組で,NLD-LA日本支部の事務所にいる原告が映されたとの原告の主張についても同じことがいえる。この放映内容として原告が提出する証拠(乙34)を見ても,原告を特定する情報は映っておらず,この番組によって原告のことを反政府活動家として特定することはできないからである。
原告は,本人尋問において,甥のGと電話で話をした際,NCGUBのF首相と一緒に原告が写った写真があるから帰ってくるなと言われたと供述する。電話での短い会話であったが,原告は,これを聞いて,Gが日本からミャンマーへ帰国したときに空港で当局者からそのような写真を見せられたか,あるいは軍情報部の者が訪ねてきてそのような写真を見せられたのであろうと考え,いずれにしても軍が原告のことをFの仲間としてとらえているであろうから危険だと感じたというのである。甥の発言を聞いて原告が上記のような推論をし,真に恐怖を感じたのであれば,その恐怖感は,前記のBBCのインターネットの写真を見たときに感じた恐怖感に勝るとも劣らないものと考えられる。反政府活動家の筆頭であるF(甲63の1・2)の仲間であることが軍に実際に把握されていることが分かったのであるから,むしろBBCのインターネットの写真よりも大きな衝撃を原告に与えたものと考えるのが自然である。ところが,原告は,この甥の発言の背景事情についてその後調べようとしたことはうかがわれないし,そもそも,2000(平成12)年ころのことであったというのみで,具体的にいつこの話を電話で聞いたのかすら,明確に供述することができないのである。これらのことを考慮すると,甥の電話を巡る原告の上記供述は不自然なものといわざるを得ず,にわかに信用することはできない。2002(平成14)年に来日した兄から,原告が帰国すれば逮捕されると言われたという点についても同様の疑問があり,容易に信じることはできない。
原告は,2003(平成15)年10月31日,在日ミャンマー大使館員で軍情報部の人間であるとの噂のある人物から,「おまえ,やって来て騒ぐな。うるさいぞ。」などと言われたと主張し,さらに,翌日の11月1日,31日に同席していた別の大使館員(原告の知人)と会話をしてこれを確認し,その内容を秘密に録音したとして,その反訳を証拠として提出する(甲50)。その内容によれば,大使館の玄関に設置されたビデオカメラでデモ参加者等を監視していることや,参加者などの名簿が大使館内で出回っていることなどが分かるというのである。ところが,この録音内容を被告の側で反訳したものを見ると(乙66の1・2),原告の提出した上記反訳とは発言内容が異なり,必ずしも原告の主張を裏付けるものとはなっていない。原告は,被告側の反訳は不正確であるなどと批判するが,そのように決めつける材料は存在しない。少なくとも,被告の側の反訳の提出により,原告の側の反訳の信用性は減殺されたといわざるを得ず,この点に関する原告の主張もまた採用し難いというほかない。
以上,種々の観点から検討したとおり,平成3年11月に5回目の来日をした後の原告の行動は,ミャンマー政府から反政府活動家として敵視されるような目立ったものということはできないし,実際に同国政府や軍から反政府活動家として把握されているとする原告の主張を認めるに足りる的確な証拠もない。したがって,この来日後の原告の行動をもって原告の主張する迫害のおそれを基礎付けるには不十分である。
なお,証拠(甲46の1・2,51の1・2,52の1・2,61の1,乙29,35,原告本人)によれば,原告は,NCGUBの幹部であるC,日本で難民認定を受けているEといった著名なミャンマー人反政府活動家と個人的に親しい関係にあることが認められ,原告はこれも自らが難民であることの裏付けであると主張する。しかし,本人尋問における原告の供述によれば,Cはもともと原告の兄の知り合いで,兄から紹介を受け,タイのバンコクに滞在していたときに一緒に過ごしたことがあるが,その後Cが米国に渡ってNCGUBの活動に携わるに至った経緯を原告は知らず,たまたま1999(平成11)年10月にCがFとともに来日した際,旧交を温めたというのであるから,原告とCがその政治的意見によって結び付いた仲間であると認めることはできない。Eにしても,本人尋問における原告の供述によれば,原告が5回目の来日をした後,愛知県で仕事をしていた時に知りあった友人であり,常に政治活動をともにしているという関係にはないというのである。そうすると,原告はこれら著名人との間に親交があると認めることはできるが,必ずしも政治活動の同志というわけではなく,原告自身の活動がこれまで検討してきたとおりさほど目立ったものではないことをも考慮すると,これら著名人と親交があるからといってそれだけで原告がミャンマー政府から迫害の対象とされるとまで認めるのは困難である。
(4) 結論
以上の検討に加え,原告の兄姉が現在いずれもミャンマー国内で平穏に生活していること,原告の父がかつて国軍に勤務していた経験があること,兄のうちの一人には,軍事政権と深いつながりのある知人がいること,原告自身,現在に至るまで,ミャンマー当局から身柄を拘束されたり尋問を受けた経験はないことといった原告固有の事情を総合的に考慮すると,前記1認定のミャンマーの一般情勢にあっても,原告については,1991(平成3)年11月の5回目の来日前においても,その後においても,通常人であればミャンマー政府から迫害を受ける恐怖を抱くであろうといえるような客観的な事情が存在したとは認められない。したがって,政治的意見を理由に同国政府から迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を原告が有するとは認められず,原告は難民に該当しない。
4 本件不認定処分並びに本件裁決及び本件退令発付処分の適法性について
(1) 上記3において検討したとおり原告は難民に該当しないから,本件不認定処分に違法はない。よって,本件不認定処分の取消しを求める原告の請求は理由がない(第2事件関係)。
(2) 難民は,その生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある国へ送還してはならない(難民条約33条1項,入管法53条3項)。難民と認められない者であっても,その者に対する当該属性に着目して拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある国へ送還してはならない(拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約3条1項)。これらを送還禁止原則(ノン・ルフールマン原則)という。
本件裁決及び本件不認定処分が行われた当時においては,退去強制手続の中で入管法49条1項の規定による異議の申出があり,当該外国人に在留特別許可を与えるか否かを判断する際(平成17年改正前の同法50条1項3号),法務大臣は,当該外国人を退去強制としその本国へ送還することが送還禁止原則違反となるか否かを考慮すべきであったのであり,同原則違反となる場合は在留特別許可を与えるべきであったということができる(平成16年改正前の同法61条の2の8参照)。したがって,在留特別許可を与えるか否かについて法務大臣は裁量を有するが,送還禁止原則違反となる事情があるにもかかわらず在留特別許可を与えず,同法49条1項の規定による異議の申出には理由がないとの裁決をするならば,その裁決は裁量権を逸脱又は濫用したものとして違法となる。
原告は,以上を踏まえ,自分は難民であるからミャンマーに帰国するとその政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがある,あるいは拷問を受けるおそれがあると指摘し,それにもかかわらず原告に在留特別許可が与えられなかったことを,専ら本件裁決の違法事由として主張するものである。
しかし,前記3のとおり,原告は難民には該当しないし,また,前記3において原告の難民該当性について検討したところを踏まえれば,原告に対してその属性に着目して拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があるともいえないから,本件において送還禁止原則違反の問題は生じない。したがって,在留特別許可を与えずに本件裁決をしたことにつき法務大臣に裁量権の逸脱又は濫用はなく,本件裁決の違法をいう原告の主張はいずれも理由がない。
次に,本件裁決に違法がない以上,これを前提として行われた本件退令発付処分にも違法があるということはできない。
よって,本件裁決及び本件退令発付処分の取消しを求める原告の請求はいずれも理由がない(第1事件関係)。
(3) 以上のとおり,原告の請求はいずれも理由がないから,これらを棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大門匡 裁判官 関口剛弘 裁判官 倉地康弘)
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政治と選挙の裁判例「公認 候補者 公募 ポスター 国政政党 地域政党」に関する裁判例一覧
(1)平成19年 7月12日 東京地裁 平17(行ウ)63号・平17(行ウ)295号・平17(行ウ)296号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(2)平成19年 7月 3日 東京地裁 平17(行ウ)530号・平17(行ウ)531号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分無効確認請求事件
(3)平成19年 6月21日 東京地裁 平16(ワ)10840号 損害賠償等請求事件
(4)平成19年 6月14日 宇都宮地裁 平15(ワ)407号 損害賠償請求事件
(5)平成19年 6月13日 最高裁大法廷 平18(行ツ)176号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(6)平成19年 6月13日 最高裁大法廷 平18(行ツ)175号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟〕
(7)平成19年 6月 8日 東京地裁 平18(行ウ)14号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(8)平成19年 5月30日 東京地裁 平19(ワ)4768号 損害賠償請求事件
(9)平成19年 5月30日 東京地裁 平17(行ウ)55号・平17(行ウ)132号・平17(行ウ)133号・平17(行ウ)134号 各難民の認定をしない処分取消請求事件
(10)平成19年 5月25日 東京地裁 平17(行ウ)337号・平17(行ウ)338号・平17(行ウ)339号・平17(行ウ)340号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分取消等請求事件
(11)平成19年 5月25日 青森地裁 平17(行ウ)7号 政務調査費返還代位請求事件
(12)平成19年 5月10日 東京高裁 平18(う)2029号 政治資金規正法違反被告事件 〔いわゆる1億円ヤミ献金事件・控訴審〕
(13)平成19年 5月 9日 東京地裁 平18(行ウ)290号 損害賠償等(住民訴訟)請求事件
(14)平成19年 4月27日 東京地裁 平17(行ウ)439号・平18(行ウ)495号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(15)平成19年 4月27日 東京地裁 平14(行ウ)390号・平17(行ウ)328号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分取消請求事件
(16)平成19年 4月27日 東京地裁 平14(ワ)28215号 損害賠償請求事件
(17)平成19年 4月27日 仙台地裁 平15(行ウ)8号 政務調査費返還代位請求事件
(18)平成19年 4月26日 東京地裁 平17(行ウ)60号 退去強制令書発付処分無効確認等請求事件
(19)平成19年 4月20日 東京地裁 平15(ワ)29718号・平16(ワ)13573号 損害賠償等請求事件
(20)平成19年 4月13日 東京地裁 平17(行ウ)223号・平18(行ウ)40号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(21)平成19年 4月13日 東京地裁 平17(行ウ)329号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(22)平成19年 4月12日 東京地裁 平17(行ウ)166号 退去強制令書発付処分無効確認等請求事件
(23)平成19年 4月11日 東京地裁 平17(ワ)11486号 地位確認等請求事件
(24)平成19年 3月29日 仙台高裁 平18(行コ)25号 違法公金支出による損害賠償請求履行請求住民訴訟控訴事件
(25)平成19年 3月28日 東京地裁 平17(行ウ)523号・平17(行ウ)534号・平17(行ウ)535号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(26)平成19年 3月28日 東京地裁 平17(行ウ)424号・平17(行ウ)425号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分無効確認請求事件
(27)平成19年 3月27日 岡山地裁 平11(ワ)101号・平13(ワ)257号・平13(ワ)1119号・平13(ワ)1439号・平14(ワ)1177号・平14(ワ)1178号 退職慰労金請求事件、貸金請求事件、損害賠償請求事件、所有権移転登記抹消登記手続等請求事件 〔岡山市民信金訴訟・第一審〕
(28)平成19年 3月23日 東京地裁 平17(行ウ)474号・平17(行ウ)525号・平18(行ウ)118号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分取消等請求事件、訴えの追加的併合申立事件
(29)平成19年 3月23日 東京地裁 平16(行ウ)462号・平17(行ウ)344号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(30)平成19年 3月16日 東京地裁 平17(行ウ)380号・平17(行ウ)381号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分取消等請求事件
(31)平成19年 3月 6日 東京地裁 平17(行ウ)111号・平17(行ウ)113号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分無効確認請求事件
(32)平成19年 2月28日 東京地裁 平16(行ウ)174号・平17(行ウ)162号 退去強制令書発付処分無効確認等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(33)平成19年 2月26日 熊本地裁 平17(わ)55号・平17(わ)113号 贈賄被告事件
(34)平成19年 2月22日 東京地裁 平16(行ウ)479号・平16(行ウ)480号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(35)平成19年 2月21日 東京地裁 平17(行ウ)375号・平17(行ウ)376号 退去強制令書発付処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(36)平成19年 2月 9日 東京地裁 平17(行ウ)154号・平17(行ウ)155号・平17(行ウ)479号・平17(行ウ)480号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、退去強制令書発付処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(37)平成19年 2月 8日 東京地裁 平17(行ウ)22号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(38)平成19年 2月 7日 大阪地裁 平17(わ)7238号・平17(わ)7539号 弁護士法違反、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律違反被告事件
(39)平成19年 1月31日 東京地裁 平16(行ウ)323号・平17(行ウ)469号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(40)平成19年 1月31日 東京地裁 平16(行ウ)396号・平16(行ウ)399号 退去強制令書発付処分無効確認等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(41)昭和27年 4月 4日 佐賀地裁 昭25(行)1号 休職退職取消並びに損害賠償請求事件
(42)昭和27年 1月14日 福岡高裁 昭26(ナ)9号 裁決取消ならびに当選有効確認事件
(43)昭和26年12月25日 福岡高裁 昭26(う)2846号 団体等規正令違反事件
(44)昭和26年12月 3日 大阪高裁 昭26(う)1094号 昭和二五年政令第三二五号違反被告事件
(45)昭和26年11月30日 福岡高裁 昭26(ナ)4号 当選の無効に関する異議申立に対する決定取消請求事件
(46)昭和26年11月20日 名古屋高裁 昭26(ナ)12号 町長選挙に関する選挙無効事件
(47)昭和26年11月 1日 名古屋地裁 昭24(ワ)561号 解雇無効確認請求事件 〔名古屋市職員免職事件〕
(48)昭和26年10月24日 広島高裁松江支部 昭26(う)54号 収賄被告事件
(49)昭和26年10月19日 福岡高裁 昭26(う)2437号 公職選挙法違反被告事件
(50)昭和26年 9月29日 名古屋地裁 昭24(ワ)561号 組合員除名無効確認請求事件 〔名古屋交通組合除名事件〕
(51)昭和26年 9月26日 札幌高裁 昭26(う)365号・昭26(う)366号・昭26(う)367号 国家公務員法違反被告事件
(52)昭和26年 9月 3日 札幌高裁 昭26(う)507号 昭和二五年政令第三二五号違反被告事件
(53)昭和26年 8月24日 高松高裁 昭24(控)1374号・昭24(控)1375号・昭24(控)1376号・昭24(控)1377号・昭24(控)1378号 衆議院議員選挙法違反・虚偽有印公文書作成・同行使等被告事件
(54)昭和26年 8月 7日 札幌高裁 昭26(う)475号 昭和二一年勅令第三一一号違反被告事件
(55)昭和26年 7月 7日 東京地裁 昭25(モ)2716号 仮処分異議申立事件 〔池貝鉄工整理解雇事件〕
(56)昭和26年 6月15日 名古屋高裁 昭26(う)529号 公職選挙法違反事件
(57)昭和26年 5月26日 大阪地裁 昭25(ワ)1824号 解雇無効確認請求事件 〔大阪陶業不当解雇事件〕
(58)昭和26年 5月 9日 広島高裁 昭25(ナ)2号 当選の効力に関する訴訟事件
(59)昭和26年 3月30日 東京高裁 昭25(う)4120号 電車顛覆致死偽証各被告事件 〔三鷹事件・控訴審〕
(60)昭和26年 3月28日 札幌高裁 昭25(う)692号 地方税法違反被告事件
(61)平成18年 6月29日 東京地裁 平16(特わ)973号 国家公務員法違反事件 〔国家公務員赤旗配付事件〕
(62)平成18年 6月20日 京都地裁 平16(行ウ)40号 地労委任命処分取消等請求事件
(63)平成18年 6月13日 東京地裁 平15(行ウ)416号・平16(行ウ)289号 難民の認定をしない処分取消等請求、退去強制令書発付処分取消等請求事件
(64)平成18年 5月15日 東京地裁 平17(ワ)1922号 慰謝料等請求事件
(65)平成18年 4月21日 東京地裁 平16(ワ)7187号 謝罪広告等請求事件
(66)平成18年 3月31日 大阪高裁 平17(行コ)22号・平17(行コ)23号 同和奨学金賠償命令履行請求各控訴事件
(67)平成18年 3月30日 東京地裁 平16(特わ)5359号 政治資金規正法違反被告事件 〔いわゆる1億円ヤミ献金事件・第一審〕
(68)平成18年 3月30日 京都地裁 平17(ワ)1776号・平17(ワ)3127号 地位不存在確認請求事件
(69)平成18年 3月29日 東京地裁 平17(行ウ)157号・平17(行ウ)184号・平17(行ウ)185号・平17(行ウ)186号・平17(行ウ)187号・平17(行ウ)188号・平17(行ウ)189号・平17(行ウ)190号・平17(行ウ)191号 国籍確認請求事件 〔国籍法三条一項違憲訴訟・第一審〕
(70)平成18年 3月28日 東京高裁 平17(行ケ)157号・平17(行ケ)158号・平17(行ケ)159号・平17(行ケ)160号・平17(行ケ)161号・平17(行ケ)162号・平17(行ケ)163号 選挙無効請求事件
(71)平成18年 3月23日 名古屋地裁 平16(行ウ)73号・平16(行ウ)76号 退去強制令書発付処分取消請求、難民不認定処分等無効確認請求事件
(72)平成18年 2月28日 東京地裁 平13(行ウ)150号 行政文書不開示処分取消請求事件 〔外務省機密費訴訟〕
(73)平成18年 2月28日 横浜地裁 平16(行ウ)1号 不当労働行為救済命令取消請求事件 〔神奈川県労委(東芝・配転)事件・第一審〕
(74)平成18年 2月 2日 福岡高裁 平17(行コ)12号 固定資産税等の免除措置無効確認等請求控訴事件
(75)平成18年 1月19日 最高裁第一小法廷 平15(行ヒ)299号 違法公金支出返還請求事件
(76)平成18年 1月12日 大分地裁 平15(わ)188号 公職選挙法違反被告事件
(77)平成18年 1月11日 名古屋高裁金沢支部 平15(ネ)63号 熊谷組株主代表訴訟控訴事件 〔熊谷組政治献金事件・控訴審〕
(78)平成17年12月26日 東京地裁 平17(行ウ)11号 不当労働行為救済命令取消請求事件 〔JR西(岡山)組合脱退慫慂事件〕
(79)平成17年12月 1日 東京高裁 平16(行コ)347号 難民の認定をしない処分取消請求控訴事件
(80)平成17年11月15日 東京地裁 平16(ワ)23544号 損害賠償請求事件
(81)平成17年11月10日 最高裁第一小法廷 平17(行フ)2号 文書提出命令申立却下決定に対する抗告棄却決定に対する許可抗告事件 〔政務調査費調査研究報告書文書提出命令事件〕
(82)平成17年10月25日 東京地裁 平16(ワ)14421号 損害賠償請求事件
(83)平成17年 9月15日 東京高裁 平17(ネ)707号 謝罪放送等請求事件
(84)平成17年 9月14日 大阪地裁 平15(行ウ)55号・平15(行ウ)56号・平15(行ウ)57号 所得税賦課決定処分取消請求事件
(85)平成17年 9月 8日 名古屋地裁 平16(行ウ)46号 難民不認定処分取消請求事件
(86)平成17年 8月31日 名古屋地裁 平16(行ウ)48号・平16(行ウ)49号・平16(行ウ)50号 裁決取消等請求各事件
(87)平成17年 8月25日 京都地裁 平16(行ウ)12号 損害賠償請求事件
(88)平成17年 7月 6日 大阪地裁 平15(ワ)13831号 損害賠償請求事件 〔中国残留孤児国賠訴訟〕
(89)平成17年 6月15日 大阪高裁 平16(行コ)89号 難民不認定処分取消、退去強制命令書発付取消等各請求控訴事件
(90)平成17年 5月31日 東京地裁 平16(刑わ)1835号・平16(刑わ)2219号・平16(刑わ)3329号・平16(特わ)5239号 贈賄、業務上横領、政治資金規正法違反被告事件 〔日本歯科医師会事件〕
(91)平成17年 5月30日 名古屋地裁 平15(行ウ)63号 政務調査費返還請求事件
(92)平成17年 5月26日 名古屋地裁 平16(行ウ)40号 岡崎市議会政務調査費返還請求事件
(93)平成17年 5月24日 岡山地裁 平8(行ウ)23号 損害賠償等請求事件
(94)平成17年 5月19日 東京地裁 平12(行ウ)319号・平12(行ウ)327号・平12(行ウ)315号・平12(行ウ)313号・平12(行ウ)317号・平12(行ウ)323号・平12(行ウ)321号・平12(行ウ)325号・平12(行ウ)329号・平12(行ウ)311号 固定資産税賦課徴収懈怠違法確認請求、損害賠償(住民訴訟)請求事件
(95)平成17年 5月18日 東京高裁 平16(行ケ)356号 選挙無効請求事件
(96)平成17年 4月27日 仙台高裁 平17(行ケ)1号 当選無効及び立候補禁止請求事件
(97)平成17年 4月21日 熊本地裁 平16(行ウ)1号 固定資産税等の免除措置無効確認等請求事件
(98)平成17年 4月13日 東京地裁 平15(行ウ)110号 退去強制令書発付処分取消等請求事件 〔国籍法違憲訴訟・第一審〕
(99)平成17年 3月25日 東京地裁 平15(行ウ)360号・平16(行ウ)197号 難民の認定をしない処分取消請求、退去強制令書発付処分等取消請求事件
(100)平成17年 3月23日 東京地裁 平14(行ウ)44号・平13(行ウ)401号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
■「選挙 コンサルタント」に関する裁判例一覧【1-101】
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■「後援会 入会 募集 獲得 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
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■選挙の種類一覧
選挙①【衆議院議員総選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙②【参議院議員通常選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙③【一般選挙(地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙④【特別選挙(国政選挙|地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
(1)政治活動/選挙運動ポスター貼り ☆祝!勝つ!広報活動・事前街頭(単独/二連)選挙ポスター!
勝つ!選挙広報支援事前ポスター 政治選挙新規掲示ポスター貼付! 1枚から貼る事前選挙ポスター!
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(3)今すぐ無料でお見積りのご相談 ☆大至急スピード無料見積もり!選挙広報支援プランご提案
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「政治活動用のポスター貼り代行」や「選挙広報支援プラン」の概算お見積りがほしいというお客様に、選挙ドットウィンの公職選挙法に抵触しない広報支援プランのご提案が可能です。
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(5)選べるドブ板選挙広報支援一覧 選挙.WIN!豊富な選挙立候補(予定)者広報支援プラン一覧!
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アポイントメント獲得代行/後援会イベントセミナー集客代行/組織構築支援/党員募集獲得代行(所属党本部要請案件)/演説コンサルティング/候補者ブランディング/敵対陣営/ネガティブキャンペーン(対策/対応)
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(7)地域密着型ポスターPR広告貼り 地域密着型ポスターPR広告(街頭外壁掲示許可交渉代行)
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(8)貼る専門!ポスター新規掲示! ☆貼!勝つ!広報活動・事前街頭(単独/二連)選挙ポスター!
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(9)選挙立札看板設置/証票申請代行 絶対ここに設置したい!選挙立札看板(選挙事務所/後援会連絡所)
選挙事務所/後援会連絡所届出代行 公職選挙法の上限/立て札看板設置 1台から可能な選挙立札看板設置
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