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「政治活動 選挙運動」に関する裁判例(29)平成27年12月11日 東京地裁 平26(行ウ)245号 難民の認定をしない処分取消等請求事件

「政治活動 選挙運動」に関する裁判例(29)平成27年12月11日 東京地裁 平26(行ウ)245号 難民の認定をしない処分取消等請求事件

裁判年月日  平成27年12月11日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平26(行ウ)245号
事件名  難民の認定をしない処分取消等請求事件
裁判結果  請求棄却  文献番号  2015WLJPCA12118005

要旨
◆ウガンダ共和国の国籍を有する外国人である原告が、出入国管理及び難民認定法61条の2第1項に規定する難民である旨の認定の申請をしたところ、法務大臣から本件難民不認定処分を受け、東京入国管理局長から同法61条の2の2第2項の規定に基づく在留を特別に許可しない旨の本件在特不許可処分を受けたことから、本件難民不認定処分の取消しと本件在特不許可処分の無効確認を求めた事案において、原告がその政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を抱くような客観的事情が存在するとは認め難く、原告が難民に該当すると認めることはできないから、本件難民不認定処分は適法であるとし、また、本件在特不許可処分について、その基礎とされた重要な事実に誤認があることにより判断が全く事実の基礎を欠くとか、事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるということはできないとして、同処分が違法、無効であるとはいえないとし、原告の請求をいずれも棄却した事例

参照条文
行政事件訴訟法3条2項
行政事件訴訟法3条4項
出入国管理及び難民認定法2条3号の2
出入国管理及び難民認定法61条の2
出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項
出入国管理及び難民認定法施行規則55条1項
難民の地位に関する条約1条A(2)
難民の地位に関する議定書1条2項

裁判年月日  平成27年12月11日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平26(行ウ)245号
事件名  難民の認定をしない処分取消等請求事件
裁判結果  請求棄却  文献番号  2015WLJPCA12118005

東京都墨田区〈以下省略〉
原告 X
同訴訟代理人弁護士 関聡介
同 藤元達弥
東京都千代田区〈以下省略〉
被告 国
同代表者兼処分行政庁 法務大臣 A
処分行政庁 東京入国管理局長 B
被告指定代理人 Cほか別紙指定代理人目録記載のとおり

 

 

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。
2  訴訟費用は原告の負担とする。

 

事実及び理由

第1  請求
1  法務大臣が平成23年1月7日に原告に対してした難民の認定をしない処分(以下「本件難民不認定処分」という。)を取り消す。
2  東京入国管理局長が平成23年1月17日に原告に対してした出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)61条の2の2第2項の規定に基づく在留を特別に許可しない処分(以下「本件在特不許可処分」という。)が無効であることを確認する。
第2  事案の概要等
本件は,ウガンダ共和国(以下「ウガンダ」という。)の国籍を有する外国人の男性である原告が,入管法61条の2第1項に規定する難民である旨の認定の申請をしたところ,法務大臣から本件難民不認定処分を受け,東京入国管理局長から本件在特不許可処分を受けたことについて,これらの各処分はいずれも違法であるとして,本件難民不認定処分の取消しと本件在特不許可処分が無効であることの確認を求める事案である。
1  前提事実(証拠等を掲記しない事実は,当事者間に争いがない。なお,(5)の事実は当裁判所に顕著である。)
(1)  原告の身分事項
原告は,1970年(昭和45年)○月○日,ウガンダにおいて出生した同国の国籍を有する外国人の男性である。
(2)  原告の入国及び在留の状況等
ア 原告は,平成19年6月20日,関西国際空港に到着し,上陸の申請をした。
イ 大阪入国管理局関西空港支局入国審査官は,平成19年6月20日,原告に係る上陸のための審査を行い,その結果,原告が入管法7条1項(平成21年法律第79号による改正前のもの)に規定する上陸のための条件に適合していると認定することができなかったことから,原告を同支局特別審理官に引き渡した。
ウ 大阪入国管理局関西空港支局特別審理官は,平成19年6月20日,原告について口頭審理を行い,その結果,原告の前記アの申請につき入管法7条1項(平成21年法律第79号による改正前のもの)に規定する上陸のための条件に適合していると認定し,入管法10条7項(平成18年法律第43号による改正前のもの)の規定に基づき,原告に対し,在留資格を「短期滞在」,在留期間を「15日」とする上陸許可の証印をした。
エ 原告は,在留期間の末日である平成19年7月5日を超えて本邦に残留した。
オ 原告は,東京都墨田区長に対し,居住地を「東京都墨田区〈以下省略〉」,世帯主を「X」,続柄を「本人」とする外国人登録法(平成21年法律第79号による廃止前のもの。以下「外登法」という。)3条1項の規定に基づく登録の申請をし,平成21年11月5日,その旨の登録を受けた。
(3)  退去強制に関する手続等
ア 東京入国管理局入国警備官は,平成21年11月25日,原告について違反調査を行った。
イ 東京入国管理局入国警備官は,平成21年12月2日,原告が入管法24条4号ロ(不法残留)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,東京入国管理局主任審査官から収容令書の発付を受け,同月4日,同令書を執行した上で,原告を入管法24条4号ロ該当容疑者として東京入国管理局入国審査官に引き渡した。
ウ 東京入国管理局入国審査官は,平成21年12月4日,原告につき審査をし,原告が入管法24条4号ロ(不法残留)に該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨認定し,原告にその旨を通知したところ,原告は,同日,東京入国管理局特別審理官に対し口頭審理の請求をした。
エ 東京入国管理局主任審査官は,平成21年12月4日,原告を仮放免した。
オ 東京入国管理局特別審理官は,平成21年12月15日,原告につき口頭審理を行い,その結果,上記ウの認定は誤りがない旨判定し,原告にその旨を知らせたところ,原告は,同日,法務大臣に対し異議を申し出た。
カ 法務大臣から権限の委任を受けた東京入国管理局長は,平成23年8月24日,上記オの異議の申出が理由がない旨の裁決(本件裁決)をし,その結果を東京入国管理局主任審査官に通知した。
キ 上記カの通知を受けた東京入国管理局主任審査官は,平成23年9月2日,原告に対し,その旨を通知するとともに,退去強制令書を発付し(以下「本件退令発付処分」という。),東京入国管理局入国警備官は,同日,本件退令発付処分に係る退去強制令書を執行した。
ク 東京入国管理局主任審査官は,平成23年9月2日,原告を仮放免した。
(4)  難民の認定の申請に関する手続等
ア 原告は,平成21年9月17日,法務大臣に対し,難民の認定の申請(以下「本件難民申請」という。)をした。
イ 東京入国管理局難民調査官は,平成22年10月1日,原告から事情を聴取した。
ウ 法務大臣は,平成23年1月7日,本件難民申請に対し,本件難民不認定処分をし,同月18日,原告に対しその旨を通知した。
エ 法務大臣から権限の委任を受けた東京入国管理局長は,平成23年1月17日,本件在特不許可処分をし,同月18日,原告に対しその旨を通知した。
オ 原告は,平成23年1月18日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分について異議申立て(以下「本件異議申立て」という。)をした。
カ 東京入国管理局難民調査官は,平成24年12月27日,原告について口頭意見陳述及び審尋の手続(以下「本件審尋」という。)を実施した。
キ 法務大臣は,平成25年8月30日,難民審査参与員の意見を聴いた上で,本件異議申立てを棄却する旨の決定(以下「本件異議申立棄却決定」という。)をし,同年11月29日,原告にその旨を通知した。
(5)  本件訴えの提起
原告は,平成26年5月29日,本件訴えを提起した。
2  争点
(1)  本件難民不認定処分の適法性(争点1)
(2)  本件在特不許可処分の効力(争点2)
3  本件難民不認定処分の適法性(争点1)に関する当事者の主張の要点
(原告の主張の要点)
(1) 難民の意義等について
ア 難民とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」をいう(難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条A(2),難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条2項)。
イ 迫害を受けるおそれを基礎付ける理由について
迫害を受けるおそれを基礎付ける理由は,迫害の危険に寄与するものでなければならないが,唯一あるいは主要な原因でなくともよいと解されている。
国連難民高等弁務官事務所(以下「UNHCR」という。)による難民認定基準ハンドブック(以下「ハンドブック」という。)は,「『特定の社会的集団』は通常,似通った背景,習慣又は社会的地位を有する者から成っている」としており(ハンドブック77項),「特定の社会的集団」は,迫害を受けるおそれ以外に共通の特性を共有する者,あるいは,社会により一つの集団として認識される者の集団として,広く解すべきである。「政治的意見」について,UNHCRは「政府の見解と異なる政治的意見を有すること自体は,難民の地位を主張する根拠とはならず,申請人はそのような意見を有することにより迫害を受けるおそれがあるという恐怖を有することを示さなければならない」とする(ハンドブック80項)。
もっとも,申請人がまだ自らの意見を表明していないとしても,必ずしも政治的意見を理由とする難民と認められないわけではなく,難民申請者の確信の強さによっては,政治的意見を理由とする迫害を受けるおそれが認められる場合もある。
ウ なお,UNHCRは,各締約国の難民条約の適用について監督する機関であり,昭和25年(1950年)12月14日,国連総会で採択された第428号(Ⅴ)号決議により,国際連合難民高等弁務官事務所規程が採択された。同規程は,難民問題への対処について,各国政府とUNHCRの間の協力を要請し,高等弁務官を,難民に対し国際的保護を提供する責務を有する機関として指定し,難民の保護のため国際条約の締結及び批准を促進し,その適用を監督することを要請している。
また,難民条約35条1項は,締約国は,UNHCRの任務遂行に際し,協力することを約束するものとし,UNHCRの条約の適用を監督する責務の遂行に際し,便宜を与えるものとする旨規定している。
UNHCRは,かかる条約適用の監督責務に基づき,難民の地位の認定に関与している締約国政府の職員の指針となることを目的としてハンドブックを発行し,「難民申請における立証責任と立証基準について」を発表し,そのほか,執行委員会による「難民の国際的保護の結論」を多数採択するなどして,各国政府の指針となるべき文書を幾多にもわたり発表し条約の適正な適用を監督してきている。
したがって,難民条約の締約国政府は,かかるUNHCRの発行した指針を十分に尊重して考慮しなければならない。
エ 迫害を受けるおそれについて
「迫害」について,UNHCRが「人種,宗教,国籍,政治的意見又は特定の社会的集団の構成員であることを理由とする生命又は自由に対する脅威は常に迫害にあたると推論される。同様な理由によるその他の人権の重大な侵害もまた迫害であろう。」(ハンドブック59項)としており,ジェームス・C・ハサウェイが「国による保護の懈怠を明らかにする,基本的人権の持続的または組織的侵害」と定義しているように,「迫害」とは,「国による保護の懈怠を明らかにする,基本的人権の持続的または組織的侵害」と解すべきであり,生命又は身体の自由に対する者に限られず,広く,経済的・社会的自由,精神的自由に対する抑圧や侵害も含まれると解すべきである(いわゆる広義説)。
オ 十分に理由のある恐怖があることについて
(ア) 「十分に理由のある恐怖」は,「恐怖」という主観的な感情が認められることに加えて,これが「十分に理由のある」と認められること,すなわち客観的事情により裏付けられていることが必要であるとされており,「十分に理由のある恐怖」には,主観的要素と客観的要素が必要である。
(イ) そして,迫害は,ある個人に対してのみ発現するとは限らず,一般的な抑圧状況の下で,一般的に行われる可能性を有しており,申請者の属する集団が一般的に迫害に相当するような処遇を受けているという一般的な抑圧状況があれば,申請者が運や偶然によって迫害の対象となる見込みは十分にある。
また,一般的な抑圧状況が,迫害に相当するような処遇とまでは一概にいえない場合でも,申請者の個別状況と相まって「十分に理由のある恐怖」を肯定する材料となることは十分に考えられる。
そもそも,迫害主体が当該申請者を個別に把握しているか否かは迫害主体しか知り得ない事実であるため,迫害主体による個別の把握の立証を申請者に求めることは,著しく困難な立証を求めるものであり,明らかに不当である。そこで,「十分に理由のある恐怖」が認められるためには,当該申請者が個別に迫害主体から把握されていることは必要ないと解すべきである。
(ウ) 「十分に理由のある恐怖」が認められるために重要な要素は,申請者の出身国の人権状況,申請者の過去の迫害体験,申請者と同様の状況にある者の状況である。例えば,特定の社会的集団の構成員であることを理由とする迫害のおそれを主張する場合,その同一の社会的集団の構成員であり,できれば同じような立場,地位にある者が本国においてどのような取扱いをされているかが重要である。
カ 立証責任の所在について
UNHCRは,「申請を提出する者に立証責任があるのが一般の法原則である」としながら,「申請人は書類やその他の証拠によって自らの陳述を補強することができないことも少なくなく,むしろ,その陳述のすべてについて証拠を提出できる場合のほうが例外に属するであろう。大抵の場合,迫害から逃走してくる者はごく最少の必需品のみを所持して到着するものであって身分に関する書類すら所持しない例も多い。こうして,立証責任は原則として申請人側にあるけれども,関連するすべての事実を確認し評価する義務は申請人と審査官の間で分かちあうことになる」とし(ハンドブック196項),難民認定の要件たる事実について,申請者と審査官が立証責任を分かち合うことを明示している。
また,入管法も基本的に同様の理解に立っている。すなわち,同法は「法務大臣は,難民の認定(中略)に関する処分を行うため必要がある場合には,難民調査官に事実の調査をさせることができる」(61条の2の14第1項)とし,これを実効あらしめるため「難民調査官は,前項の調査のため必要があるときは,関係人に対し出頭を求め,質問をし,又は文書の提示を求めることができる」(61条の2の14第2項)としており,これらの趣旨は,申請者の陳述だけでは資料として不十分な場合に,難民調査官の調査によってこれを補い,あるいは裏付けることにある。
立証責任は,申請者のみにあるのではなく審査官も負担するものと解すべきである。
キ 立証基準について
難民の要件のうち,「十分に理由のある恐怖」の立証は,将来予測に係るものであり,不可避的に未来予測的・不確定的なものとなるため,そもそも立証が困難である。また,難民条約が保護しようとしているのは,難民の生命,身体などの基本的人権であるところ,難民とされるべき者が難民と認定されずに本国に送還された場合,その者が被る損害は著しく重大となる。送還されて迫害を受けた場合,その人権侵害を回復することは不可能であり,取り返しのきかない重大な結果を招来する。
このように難民の要件の立証には特殊性があるのに,民事訴訟における立証基準をそのまま用い,立証基準を高く設定すれば,難民の要件の立証は著しく困難なものとなり,その結果,真の難民が誤って難民該当性を否定されて送還され,著しく重大な損害を負うことになりかねない。
この点,難民条約締結国は,一致して,英米法の民事の一般的立証基準と言われる「50%以上の蓋然性」は必要がなく,迫害を受ける可能性がごくわずかではない限り,「十分に理由のある恐怖」はあるとしている。また,UNHCRも「難民がその事案のすべてを『立証』できることはまれであって,もしこれを要求するとすれば難民の大半は認定を受けることができないことになろう。それ故,申請人に灰色の利益を与えることが頻繁に必要になる」としている(ハンドブック203項)。
以上により,難民の要件の立証については,立証基準が緩和されるべきであり,迫害を受ける「合理的可能性」,「合理的見込み」又は「現実的見込み」があれば,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」を認めるべきである。
(2) ウガンダの政治状況等
ア ウガンダが1962年(昭和37年)に英国から独立した後,次第に独裁的指導者となっていったミルトン・オボテ(Milton Obote。以下「オボテ」という。)大統領は,1971年(昭和46年),軍司令官イディ・アミン(Idi Amin。以下「アミン」という。)により政権を追われた。しかし,アミンも,数十万人の国民を虐殺し,1978年(昭和53年)にタンザニアに侵攻し,タンザニア軍と亡命したウガンダ人らによって追放された。
イ オボテは,1980年(昭和55年),不正選挙により再び政権に復帰し,反対派,特にウガンダ南部の民族グループを激しく弾圧した。オボテは,1985年(昭和60年),軍事クーデターにより失脚した。
ウ ヨウェリ・カグタ・ムセベニ(Yoweri Kaguta Museveni。以下「ムセベニ」という。)率いる反政府のいわゆる無党派政治組織である国民抵抗軍(National Resistance Army。以下「NRM」という。)が,1986年(昭和61年),権力を獲得した。ムセベニは,NRMのみによる「無党」体制をしき,独裁体制を築いた。
エ 2000年(平成12年)3月,ウガンダにおいて,政党活動が制限されるムーブメント体制を維持するか,複数政党制を採用するかを選択する国民投票が実施され,約70パーセントの票を得てムーブメント体制の維持が支持された。この国民投票は,投票率が低いこと及びムーブメント反対派に対する不正な制約があったことで非難を浴びた。
オ ムセベニは,2001年(平成13年)3月の大統領選挙において再選され,第2期5年間の政権を獲得した。議会選挙は,2001年(平成13年)6月に行われ,過半数の議席を新人が獲得した。したがって,ムーブメント体制の支持者による立法府の支配が続くことはなかった。
カ 選挙監視員は,2001年(平成13年)に実施された大統領選挙及び議会選挙は概して有権者の意思を反映していると判断した。しかし,いずれの選挙も,投票日までに起きた政党活動の制限,暴行事件,投票者に対する脅迫,不正手段といった重大な不法行為によってその有効性が大きく損なわれた。
キ 2005年(平成17年)7月に実施された国民投票の結果,複数政党制政治が採択され,野党が選挙と政府に組み込まれた。
ク 2006年(平成18年)2月,ウガンダにおいて,ムセベニが1986年(昭和61年)に政権を掌握して以来,初めて複数政党による総選挙が実施された。同選挙では,概ね国民の意思が反映されたが,重大な不正行為が行われた。
ケ 大統領選挙において,与党NRMの大統領候補であったムセベニは,投票総数の59.3パーセントを獲得して勝利宣言をし,3期目の任期を務めることになった。選挙委員会の公式発表によると,野党民主変革フォーラム(Forum for Democratic Change。以下「FDC」という。)のキザ・ベシジェ(Kizza Besigye)党首は,37.4パーセントの票を獲得し,その他の候補者の得票率は,いずれも2パーセント未満であった。
コ NRMは,議会選挙でも過半数の議席を獲得した。同選挙における政党別議席数は,NRMが205,FDCが37,ウガンダ人民会議(Uganda People’s Congress。以下「UPC」という。)が9,民主党(以下「DP」という。)が8,CPが1,JEEMAが1,無所属が37,その他が34であった。
サ 2011年(平成23年)に実施された大統領選挙でもムセベニが再選され,議会選挙でもNRMが引き続き過半数議席を獲得し,現在もムセベニ政権が続いている。
(3) DPについて
ア DPは,1954年(昭和29年)に設立され,ウガンダ南部で,ローマカトリック教の強い支持を受けている政党である。
イ DPは,中央集権化や混合経済の提唱者であり,多党制の政治システムを希求しているなどと評されている。
ウ DPは,1980年代初期は,UPC政府に対する主要な野党であったが,NRMが支配する政権下では,UPCとの同盟に引き寄せられていった。ウガンダ青年民主党(Uganda Young Democrats。以下「UYD」という。)は,DPの青年組織である。
エ DPの前党首であるポール・クワンガ・セモゲレレ博士(Dr.Paul Kwanga Ssemogerere。以下「セモゲレレ」という。)の後任として,ジョン・セバーナ・キジト(John Ssebaana Kizito。以下「キジト」という。)が,2005年(平成17年)11月,DPの党首に選ばれ,2006年(平成18年)3月の大統領選挙の候補者に指名された。
(4) DPの党員に対する迫害状況
ア 2001年(平成13年),同年3月に実施される大統領選挙及び同年6月に実施される議会選挙を前に,ウガンダ警察,保安軍により,DPを含む野党勢力の支持者に対する脅迫や恣意的な身柄拘束が数多くされた。
イ DPのグル(Gulu)支部は,2005年(平成17年)3月,ウガンダ軍がDPの幹部を2人拘束したと発表した。これに対し,グルのウガンダ軍当局者は,反政府組織である神の抵抗軍(以下「LRA」という。)との関与の疑いがあったため逮捕したと説明した。UYDの副会長ムカサ・ムビデ(Mukasa Mbidde)は,同月末,「ムセベニ大統領の3期目の任期が提案されていることに対しデモを行った」として逮捕された。
ウ カンパラ警察は,2007年(平成19年)1月6日,政治的集会を行っていたDP支持者を解散させる目的で催涙ガスを発射した。DPの党員であるD,E,F及びGは逮捕され,不法集会に参加したとして起訴された。
カンパラ治安部隊は,同年4月22日,ラジオの対談番組で政府批判を行ったとの理由で,短期間,DPの党員H及びIを拘束した。
エ 複数のDPの党員が2008年(平成20年)に不法集会中の武器の所持で起訴され,UYD副部長のJが2009年(平成21年)に起訴され,19人のDPの党員が同年7月に逮捕された。
オ 以上のように,DPの党員のほか,UYDの構成員に対する迫害は,数多く行われている。
(5) ウガンダ北部における反乱軍の状況
ア LRA等
ウガンダでは,LRA,神の抵抗運動(LRM),民主同盟軍(ADF)及びアルカイダの四つのグループがテロ組織とされており,その他にも反政府の反乱軍が多く存在する。LRAが代表的な反乱軍とされる。
英国内務省の国別報告・ウガンダにおいて,次のとおりの報告がされている。
ウガンダ政府の転覆を目指す非道徳的でカルト的なLRAは,1986年(昭和61年)以降,北部と東部で一般市民の殺害や誘拐を行い,ウガンダ人民防衛軍(Uganda People’s Defence Force。以下「UPDF」という。)は,2002年(平成14年),スーダン政府の許可を得て南スーダンにあるLRAの拠点を対象に軍事攻撃を行った。
ウガンダ軍は,2005年(平成17年),LRAをウガンダ北部から追放した。
LRAは,コンゴ民主共和国(以下「DRC」という。),南スーダン及び中央アフリカ共和国(以下「CAR」という。)の地域住民に残虐行為を繰り返し,ウガンダ政府,DRC,南スーダン及びCARは,2008年(平成20年)12月,DRC北東部でLRAに対し合同軍事作戦を展開し,その後も軍事行動を続けている。
ウガンダ北部では比較的平穏な状態が続いているが,LRAは,DRC北部,南スーダン及びCARで殺害行為や誘拐を操り返している。
イ LRA等の反政府軍のメンバーであると疑われた者に対する迫害状況多数の一般市民が,近年ウガンダ北部において,UPDFにより殺害されている。キャンプの外にいる市民は,一般的に軍から反乱兵か反乱協力者であろうと決め付けられ,しばしば軍によって発砲されている。
ウガンダの治安部隊が反政府軍との関与を疑って一般市民を拷問したり,暴行を加えたりしたというケースの報告がされている。政府は,軍部による暴行に関与した者に対する起訴ができておらず,また北部における軍部の統制がとれていない。
このように,UPDF等の治安部隊が,LRA等の反政府軍のメンバーであると疑われた者に対し迫害を加えた事例が多く存在する。
(6) 原告に関する事情
ア 原告は,2005年(平成17年)に逃亡を開始するまで,妻及び3人の子(うち2人は前妻との間の子)と同居していた。原告の妻及び子は,現在,原告のいとこらと一緒に,ウガジダで生活している。
イ 原告の父は,生前DPの党員であり,1994年(平成6年),銃を所持していないのに所持したとの容疑で身柄拘束され,5年間刑務所で服役させられ,釈放されて7か月後の1999年(平成11年)10月に死亡した。
ウ 原告の兄K(以下「K」という。)は,ムピギ(Mpigi)県ゴンバ(Gomba)で最大規模の食料雑貨の卸売店を経営しており,原告と一緒に仕事をすることもあった。
Kは,2008年(平成20年)3月,行方不明となり,同年4月,マサカ(Masaka)の茂みで意識不明の状態で発見された。Kは,同年6月27日,「暴行後の腹部鈍的外傷」,「意識不明」との診断を受け,同年8月,死亡した。
(7) 原告がDPの党員であり,政治活動を行っていたことついて
ア 原告は,1996年(平成8年)頃,父の影響によりDPの党員となり,UYDのメンバーとして熱心な政治活動を始めた。
イ 原告は,1999年(平成11年),オールドマサカ(Old Masaka)街ナテテ(Natete)村での選挙において地方レベルでの青年動員者に選ばれ,2001年(平成13年)のウガンダ大統領選挙では,カンパラの原告の自宅から3キロ離れた投票所で投票の監視を行った。
ウ 原告は,2006年(平成18年),UYDの全国会議によりカンパラ地区青年団の議長かつ指導者として選出された。DPは,同年のウガンダ大統領選挙において,UYDと共に,主要な対立候補者としてカンパラの前市長キジトを擁立し,原告は,カンパラ中央選挙区を代表して全国青年選挙運動実行部隊の一員として,選挙運動に参加した。
エ(ア) 原告がDPの党員であることを証するものとして,党員証(甲20。以下「本件党員証」という。)が存在する。本件党員証は,DPの幹部であり,発行権限を有するL氏が発行者となっている。
なお,本件党員証には,党首として元党首のセモゲレレの名前が記載されているが,これは,以前の党員証の体裁をそのまま利用しているにすぎないことや,元党首は長期間党首を務めた非常に有名な人物であるため,党首が変わった後もあえて党員証上の記載を変えていないことなどが理由として考えられるのであって,それを理由に本件党員証が真正なものであることは否定されない。
(イ) 被告は,本件党員証が,2011年(平成13年)9月27日に発行されたものであること及び発行者が広報担当官にすぎない弁護士のL氏とされていることから,真にDPが原告を党員であることを証するものとして発行されたものであるか極めて疑わしいと主張する。
しかし,原告は,2001年(平成13年)の身柄拘束時に党員証を奪われたから,日本に入国した後に本件党員証の再発行を受けたのであるし,L氏は,DPの広報担当官であるが,DPを代表してマスコミ対応を行っているほか,DPの活動に関し,党員証の発行を含む様々な権限を有している。
(8) 原告のウガンダ北部における仕事について
ア 原告は,1998年(平成10年),a社(以下「a社」という。)を設立し,2006年(平成18年)まで,同社のゼネラルマネージャーとして,従業員を2人雇用し,主に建築材料を扱うほか,家庭用品等の物資について小売業,卸売業を営んでいた。
イ a社は,当初はその取引先がほとんどカンパラにあったが,原告が2002年(平成14年)頃,ウガンダ北部やスーダン等の地域に行って顧客開拓を始めてから,ウガンダ西部やDRCに製品や材料の輸出をするようになった。
(9) 1回目(2001年)の身柄拘束について
ア 原告は,2001年(平成13年)3月12日,DPの党員として投票所の監視中に不正行為を止めさせようとしたところ,政府関係者によって身柄を拘束された。
イ 原告は,しばらくの間,暗闇の中で身柄拘束を受けた後,暴力犯罪追跡部隊(Violent Crime Crack Unit。以下「VCCU」という。)によって,その分遣隊本部があるキレカ(Kireka)に移され,そのボスであるMという人物の元に連れて行かれ,Mから尋問を受け,殴られる,蹴られる等の暴行を受けた。原告は,狭い穴に頭から入らされて,銃口の先で足の甲を突かれて負傷し,出血した。また,原告は,目に粉をふりかけられ,その目はしばらくの間見えなくなり,障害が残った。原告は,その後,ゴーダウン(go down)と呼ばれる地下牢で身柄を拘束された。
上記のとおり,原告がVCCUにおいて,銃口の先で足の甲を突かれたことは,現在,原告の足の甲に皮膚の質感が異なる部分があり,傷痕が残っていること(甲21)と整合し,目に粉をふりかけられたことは,原告が平成26年3月に両目が翼状片であり,充血,異物感等の症状があると診断を受けたこと(甲23),原告の両目の黒目の内側部分が一部欠けていること(甲24)と整合する。
ウ 原告は,後日,キタンテ(Kitante)にある軍事諜報部(Chieftaincy of Military Intelligence。以下「CMI」という。)に連れて行かれ,CMI部長のN大佐から尋問を受けた。原告は,尋問中,男性から棒を右目付近に押しつけられ,皮膚が切れて出血した。原告は,左手でその棒を掴んだところ,男性に乱暴に振り払われ,左手の皮膚が切れて出血し,傷が残った。また,原告は,むちで殴られる,脚で蹴られる等の暴行を受けた。原告は,その後,肛門に男性の性器を挿入される,女性に性交渉を強要される等の性的虐待を受けた。
上記のとおり,原告が棒を振り払われた際に左手の皮膚が切れて出血したことは,原告の左手に線状の傷痕が残っていること(甲22)と整合する。
エ 原告は,2001年(平成13年)6月頃,ワキソ県のキゴ(Kigo)刑務所に移され,そこで身柄拘束を受け続けたが,知り合いであるウガンダ政府軍の士官のOを見付け,同人を通じて,関係者に賄賂を支払い,同年8月,釈放された。
オ 原告は,釈放直後の2001年(平成13年)8月21日,ルバガ(Rubaga)病院で診察を受けた。同病院の原告のカルテには,「胸痛,背部痛,体と陰部の痒み,身体への深刻な負傷,視力低下と目の痒み胸痛」との記載や,梅毒の陽性反応が出たとの記載があり,原告が,上記身柄拘束期間中に拷問を受けたことは,明らかである。
カ 原告は,本件異議申立ての際に提出した陳述書(乙27。以下「本件陳述書」という。)において,2001年(平成13年)に「約6ヶ月間拘禁され」と記載しているが,同時に,同年3月12日に身柄拘束され,8月19日に釈放された旨記載しており,「約6ヶ月」というのは,上記期間を指していることは明らかである。
そして,原告は本件審尋において,2月23日から8月18日か19日まで拘束されていた,(選挙について3月に行われたとの指摘に対して)私の記憶では,2月に選挙があり,その日に身柄の拘束があったと答えているところ,以上を比較すると,原告は,大統領選挙当日に身柄を拘束され,2001年(平成13年)8月19日頃に釈放されたという重要部分について一貫した供述を行っているといえる。原告は,本件審尋において,大統領選挙の投票日について間違った供述をしているが,この間違いが生じたのは,原告が緊張していたことが原因であると考えられる。よって,上記間違いを過大に評価し,原告の供述の信用性を否定すべきではない。
キ また,原告の宣誓供述書(甲19。以下「本件宣誓供述書」という。)に上記の2001年(平成13年)の身柄拘束等の記載がないのは,作成時から10年近く前の事件であり,その後も複数回にわたって身柄拘束や暴行を受けていたことから,省略したものと考えられる。
原告がカナダ大使館に送付した手紙(甲26。以下「本件手紙」という。)に同身柄拘束等の記載がないのは,本件手紙が難民申請書ではなく,手紙にすぎないことから,そもそも受けた身柄拘束について,年月日を特定して網羅的に記載しようとはしていなかったからである。
よって,これらは決して2001年(平成13年)の身柄拘束等の存在を疑わせる事情にはならない。
ク 原告の身柄拘束中である2001年(平成13年)5月14日に,原告名義の旅券が発給されているが,これは,原告が,身柄拘束前に申請していた旅券を,原告の仕事上のパートナーであるP氏(以下「P氏」という。)が,当時行方不明となっていた原告の代わりに受領したものである。原告は,2001年(平成13年)8月に釈放された後,P氏から,同旅券を受領した。
以上のとおり,原告の身柄拘束中に旅券が発行されていることには合理的理由がある。
(10) 2回目(2004年)の身柄拘束について
ア 原告は,2004年(平成16年)12月13日朝,自宅に突然入ってきた治安部隊と思われる者たちに身柄拘束された。原告は,ンティンダブコト(Ntinda Bukoto)にあるセイフハウスに連れて行かれ,「どの反乱軍グループに物資供給していたんだ。」,「お前のボスは誰だ。」と尋問を受け,尋問中に殴る,蹴る等の暴行を受けた。
イ 治安部隊と思われる者たちは,4時間後,原告のもとにひどい暴行を受けたKを連れて来て,「お前たちは反政府組織にガソリンや煙草等を供給し,政府側の航空機に破壊行為を行った。」と言って非難した。原告は,これらの者から,天井から吊るされた鉄の棒に縛られ,意識を失うまで電気ショックを与えられる暴行を受けた。
ウ 原告は,5日後,歳入局(URA)局長のQの事務所があるインダストリアル(Industrial)通りに連れて行かれ,翌日,Oを通じて関係者に賄賂を支払い,Kと一緒に釈放された。
(11) 3回目(2005年)の身柄拘束について
ア 原告は,2005年(平成17年)2月26日,商品を仕入れるため,エンテベ国際空港からドバイに出張に行く際,搭乗口に向かう途中で,別室に連れて行かれ,身柄拘束された。
イ 原告は,同日午後6時頃,CMIに連れて行かれ,そこでバケツやホースで水をかけられる暴行を受けた。
ウ 原告は,キタンテ近くのN大佐の事務所に連れて行かれ,そこで2人の武装した男性から尋問され,原告がKや他の商売人たちとDRCやスーダンに近いグルなどで写っている写真等,多くの人々の写真を見せられ,「お前は政府に敵対しているんだろう。」,「海外に行って反政府分子に大勢会っているのだろう。」,「ほかのやつらと会った時にどんなことを話し合うんだ。」と尋問された。
エ 原告は,その後,キブエ(Kibuye)警察署に連れて行かれ,身柄拘束された。原告は,同警察署からOに電話し,Oの協力を得て,身柄拘束を受けてから約3週間後に釈放された。
(12) 4回目(2006年)の身柄拘束について
原告は,2006年(平成18年),DPのカンパラ地区青年団の議長かつ指導者であったところ,ウガンダ大統領選挙の投票日の数日前,約17人と一緒に警察署の前に立って政治について話し合っていた際,ムベヤ(Mbuya)兵舎に連行された。DP幹部が原告らのために嘆願し,原告らは,約2日後,釈放された。
これに対し,被告は,原告が2005年(平成17年)8月に大統領の任期制限が撤廃されたことを正確に承知していなかったとし,そのような原告が2006年(平成18年)の大統領選挙において,積極的に反政府活動をしていたとは考えられない旨主張する。
しかし,原告は,2005年(平成17年)8月に大統領の任期制限が撤廃されたことを当時から知っていた。原告は,本件陳述書において,「大統領には任期がありましたが,これは2009年に撤廃され」と記載しているが,これは,2005年(平成17年)8月に大統領の任期制限の撤廃が行われた後,2009年(平成21年)にムセベニ大統領が,次期大統領選挙にも立候補することを表明したため,2009年(平成21年)に次期大統領もムセベニになるであろうことが確定的になったという意味で記載したのである。
また,本件審尋において,原告代理人は「日本に来た後で,任期制限が2005年に撤廃されたことを知ったとのことです。」と答えているが,これは,上記原告の認識と異なる。原告代理人は,本件審尋前に本件陳述書を確認した際,2005年(平成17年)に撤廃されているはずの大統領の任期制限について,2009年(平成21年)に撤廃されたと記載されている点を疑問に思い,原告に確認したところ,原告は「2009年に任期の撤廃を知った。」と答えたため,原告代理人が,原告は2009年(平成21年)に大統領の任期制限の撤廃について知ったものと誤解したことが原因である。
(13) Kが行方不明となり,その後死亡していること
Kは,2008年(平成20年)3月に行方不明となり,同年4月に意識不明の状態で発見され,その後病院に入院したが,同年8月に死亡した。
Kは,原告と同様にビジネスをしており,原告と同じ時期に,同じ場所で身柄拘束,拷問を受けていたこともある。そのような,原告に近い立場にいる兄が行方不明となり,暴行を受けた上で死亡したことは,原告の迫害を受ける危険を裏付けるものである。
(14) 来日の経緯について
ア 原告は,4回目の身柄拘束から釈放された後,ンデバ(Ndebba)カトリック教会に住所を移した。原告は,礼拝に行っていたことからR神父を知っており,同神父に相談したところ,同教会に滞在し海外へ逃亡することを勧められた。
イ 原告は,友人を通じ,25万ウガンダ・シリングの賄賂を支払って新しいパスポートを取得し,神父を通じて5000米ドルを支払って日本のビザを取得した。
ウ その後,原告は,ウガンダを出国し,2007年(平成19年)6月20日に来日した。
(15) 来日後の事情について
ア 原告は,来日後,2009年(平成21年)9月17日までの約2年3か月間,難民の認定を申請しなかったが,それは,①ムセベニが大統領の任期を終えて引退することを期待しており,その間だけ日本で隠れようと考えていたところ,ムセベニが2009年(平成21年)に大統領選挙に立候補する予定であることを表明したこと,②2009年(平成21年)9月にカナダへの亡命を求めるため,在日カナダ大使館に本件手紙を送付した後,在日カナダ大使館から届いた手紙により,日本で難民の認定の申請ができることを知らされるまで日本で難民の認定の申請ができることを知らなかったことという合理的な理由のためである。
イ 原告は,2011年(平成13年)5月,恵比寿公園からウガンダ大使館まで,他のウガンダ人らと一緒に,反ウガンダ政府のデモ行進を行う等,来日後も政治活動を行っている。
ウ 原告の来日後の政治活動について,在日ウガンダ大使館員等により,ウガンダ政府に伝わっている可能性が十分にあり,帰国時の迫害の危険性は来日直後と比較して高くなっている。
(16) 原告の難民該当性
ア 原告は,上記のとおり,1996年(平成8年)から2007年(平成19年)まで,ウガンダでDPの党員として政治活動を行ってきた。また,ウガンダ北部において物資の卸売,小売の仕事をしていた。原告は,これらを理由として,政府関係者により,合計4回身柄拘束をされ,多数回の精神的・身体的拷問を受けた。
イ 1回目及び4回目の身柄拘束及び拷問は,原告のDPの党員としての地位,活動が原因であり,2回目及び3回目の身柄拘束及び拷問は,原告の仕事に関連して,当時のウガンダ北部の反乱軍の支持者であると疑われたこと又は原告のDPの党員としての地位,活動が原因である。この点について,原告は,実際にはウガンダ北部の反乱軍に関与していたわけではないが,原告が帰国した際に反乱軍の支持者として政府に把握されていれば,実際の関与の有無に関わらず,原告の生命・身体への危険は変わらない。よって,原告がこれを恐れることには合理的理由があり,原告は「難民」である。
ウ 原告は,以上のとおり,DPの党員として活動してきたこと及びウガンダ北部での仕事により反乱軍の支持者であると疑われたことによって現実に迫害を受けており,政治的意見及び特定の社会的集団の構成員であることを理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のあるおそれが認められる。
なお,ウガンダにおいて,DPの政治活動は公認されており,DPが違法な存在ではないにしても,DPの党員に対する迫害の事例は多く存在し,原告はDPの党員であること及びDP内の地位及び活動内容により,迫害を受ける危険性が高い。
エ よって,原告は,「人種,宗教,国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」のであるから,「難民」に該当する。
したがって,原告を難民として認定しなかった本件難民不認定処分は違法である。
(被告の主張の要点)
(1) 難民の意義等
ア 入管法に定める「難民」とは,難民条約1条又は難民議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうところ(入管法2条3号の2),これらの各規定によれば,難民とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」をいう。そして,この「迫害」とは,「通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧」を意味し,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要である。
イ また,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」とは,単に迫害を受けるおそれがあるという抽象的な可能性が存するにすぎないといった事情では足りず,迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような個別かつ具体的な事情が存することが必要である。
ウ そして,難民であることを主張する原告は,自らが難民に該当することの立証責任を負い,「合理的な疑いをいれない程度の証明」をしなければならない。
(2) ウガンダの政治情勢
ア 政治体制
ウガンダは共和制であり,大統領を国家元首とする。ムセベニは,1986年(昭和61年)1月26日にNRMが権力を獲得した当時,NRMを率いて大統領に就任した。その後,ムセベニは,1996年(平成8年)5月,2001年(平成13年)3月,2006年(平成18年)2月及び2011年(平成23年)2月に実施された各大統領選挙において,いずれも再選され,現在に至っている。
議会は一院制で,国民の直接選挙で選出される議員並びに女性,国軍,障害者,青年及び労働者といった利益団体の代表等で構成されている。
現議会を構成する主要政党として,NRM,野党のFDC,DP,UPC等がある。
イ ウガンダの内政
(ア) ウガンダは,1962年(昭和37年),旧宗主国である英国から独立して以来,度重なるクーデター等が繰り返されたが,現在のムセベニ政権が1986年(昭和61年)に発足してからは政情は安定している。
2000年(平成12年)6月の国民投票では与党のNRMによる一党統治体制が支持されたが,2005年(平成17年)7月の国民投票で複数政党制への回帰が決定された。また,同年8月には議会で憲法が改正され,大統領の任期制限が撤廃された。これらを受けて,2006年(平成18年),複数政党制の下で,議員選挙が実施され,NRMが勝利した。そして,2011年(平成23年)2月に実施された議員選挙でも,NRMが250議席を獲得した。
(イ) 北部地域では,ウガンダ政府とLRAとの戦闘が20年に及び続いたが,2006年(平成18年)8月,ウガンダ政府とLRAは停戦協定を締結し和平交渉が行われた。しかし,LRAが包括和平合意の場に現れず,交渉は物別れに終わった。その後,近隣国と共同の軍事掃討作戦や米国の支援を背景に,LRAはその勢力を縮小し,国外に拠点を移した。2006年(平成18年)8月以降,北部地域の治安回復に伴い,一時は200万人近くに達した国内避難民の大半が帰還し,社会の復興・開発が進められている。
(3) 原告が難民であるとは認められないこと
ア 原告が本国政府から殊更注視されるほどの政治活動を行っていたとは認められないこと
(ア) 原告は,1996年(平成8年)頃からDPの党員となり,1999年(平成11年)には,地方レベルの青年動員者となり,2006年(平成18年)には,カンパラ地区の青年団の議長に選出された旨主張し,原告に係る難民認定手続(以下「本件難民認定手続」という。)においても,これに沿う供述をするとともに,本件党員証を提出する。
(イ) しかしながら,本件党員証は,原告が来日後に申請し,2011年(平成23年)9月27日に発行されたものである上,「発行者」は,広報担当官にすぎない弁護士のL氏とされているなど,真にDPが原告を党員であることを証するものとして発行されたものであるか極めて疑わしいといわざるを得ない。
しかも,党首として元党首であるセモゲレレの名前が記載されているなど,記載内容をみても,真正に作成されたものであるとは認め難い。
したがって,本件党員証を根拠として原告がDPの党員であることを認めることはできないというべきである。
(ウ) 原告は,DPの党員であることを立証するために,本件宣誓供述書を提出する。
しかしながら,本件宣誓供述書には,「2007年1月中に,私は彼の家族から,彼が他の党員とともに再度逮捕され,彼らの居場所はいまだに知られていないという報告を受け取りました。」と記載されているが,原告の主張によっても,原告が同時期に逮捕され,行方不明になっていたということはないのであるから,その内容は到底信用できず,ひいては,本件宣誓供述書によって原告がDPの党員であることを立証し得るものではないというべきである。
(エ) また,上記の点をひとまずおき,原告がDPの党員であるとの主張を前提にしても,原告は,DPにおいて何らかの指導的立場にあったというわけではなく,デモへの参加や勧誘活動などを行っていたにすぎないといえる。そうすると,DPがウガンダにおいて12名もの議員を擁している合法の政党であることを併せ考慮すれば,その程度の活動を理由に,原告がウガンダ政府から殊更に関心を寄せられ,迫害の対象とされていたとは解し難い。
(オ) また,原告は,来日後も反ウガンダ政府のデモ行進に参加するなど政治活動を継続していることから,原告が本国政府から迫害される可能性は,来日以前よりも高くなっている旨主張する。
しかしながら,原告が上記デモ行進に参加したのは本件難民不認定処分後であるし,また,その参加状況は他のウガンダ人らと共に一度だけ参加したにすぎないのであるから,原告が本国政府から反政府活動家として個別具体的に迫害の対象として把握されているとは到底考えられず,原告の上記主張は理由がない。
イ ウガンダの国内情勢からすれば,DPの党員であることをもって迫害を受けるとは認められないこと
原告がDPの党員であったとしても,そもそも,ウガンダにおいて,DPの政治活動は公認されており,これらの党員は,同国において公然と政治的活動を行うことができる。
すなわち,ウガンダは,2005年(平成17年)に国民投票によって複数政党制に回帰しているところ,DPは,ウガンダにおいて,合法政党として公認され,所属する党員は,公然と政治活動を行うことができるのである。
したがって,原告がDPの党員であるとしても,原告は合法政党との関わりを有していた,あるいは有しているということにすぎず,そのことを理由に,本国政府から政治的敵対者として関心を寄せられるとは到底考えられない。
ウ 小括
以上のとおり,原告がDPの党員として政治活動を行っていたとしても,本国政府が関心を寄せるようなものであったとは認められないのであるから,原告について,個別,具体的な迫害を受けるおそれがある恐怖を抱くような客観的な事情が存するとは認められない。
(4) 原告が本国において4回身柄拘束され,拷問を受けた旨の主張について
ア 2001年(平成13年)の身柄拘束について
(ア) 原告は,2001年(平成13年)3月12日の大統領選挙において,DPの党員として投票所を監視していた際,不正行為を止めさせようとしたところ,政府関係者によって連行され,約5か月間にわたり身柄拘束され,拷問を受けた旨主張する。
(イ) しかしながら,上記身柄拘束等に関する本件陳述書や本件審尋における原告の供述には変遷がみられるところ,身柄を拘束されたという事実は,原告の難民該当性を基礎付ける重大な事情といえるのであるから,拘束された日やその期間について,勘違いや記憶違いが起きるとは考え難く,原告の上記供述は軽々に信用できない。
加えて,本件宣誓供述書には,上記身柄拘束の事実について何ら記載されていないほか,本件手紙にも,同事実について全く記載しておらず,不自然である。
更にいえば,原告が拘束されていたはずの2001年(平成13年)5月4日にウガンダ政府から原告に対して旅券が発給されているところ,原告は,本邦に入国するまでに3回旅券の発給を受け,いずれも自分自身で申請して取得したというのであるから,原告が2001年(平成13年)3月から身柄を拘束されていたとは到底認め難い。
イ 2004年(平成16年),2005年(平成17年)及び2006年(平成18年)の身柄拘束について
(ア) 原告は,2004年(平成16年)12月及び2005年(平成17年)2月に,反政府組織の支持者であると疑われ,政府当局に身柄を拘束され,暴行を受けた旨主張する。
(イ) しかしながら,上記主張を的確に裏付ける証拠は何ら提出されていない上,原告が上記の拘束を受けた後,本国政府から自己名義の旅券の発給を受け,同旅券を用いて,何ら問題なくウガンダから出入国を繰り返していたことや渡航先のケニアにおいて庇護等を求める行動をとらなかったことなどからすれば,上記主張はにわかに信用することができない。
また,仮に,原告の供述を前提とすると,原告はウガンダにおいて一般人を攻撃する等の違法な活動を行う反乱軍との関係を疑われ,政府当局に身柄を拘束されたというのであるから,ウガンダ政府当局が,違法な活動を行う組織との関与を疑って取締り等を行うことは,国内の治安維持,国民の安全を図るために必要な対応ともいうべきであって,かかる事実をもって,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるとはいえない。
ウ 2006年(平成18年)の身柄拘束について
(ア) 原告は,2006年(平成18年)の大統領選挙の投票日の数日前に,他の者たちと政治の話し合いをしていたところ,連行され,2日間にわたり身柄拘束をされた旨主張する。
(イ) しかしながら,そもそも,ウガンダでは,2005年(平成17年)8月の憲法改正により大統領の任期制限が撤廃され,2006年(平成18年)2月に大統領・議会議員選挙が実施され,ムセベニ大統領が3選を果たしているところ,原告は,2005年(平成17年)8月に大統領の任期制限が撤廃されたことを正確に承知していなかったものである。このような原告が,2006年(平成18年)の大統領選挙において,積極的に反政府活動をしていたとは到底考えられないのであって,原告が大統領選挙に関連して政治の話し合いをしていた際に拘束されたとは到底認められない。
仮に,上記事実が真実であったとしても,原告は2日間拘束されたものの,暴行等は受けなかったというのであるから,原告が,生命又は身体に危険を感じるほどの迫害を受けていたとはいえない。
エ 小括
以上のとおり,そもそも,原告が本国において4回にわたり身柄拘束されたとは認め難いか,あるいは,仮に一部事実と認められる部分があったとしても,当該事情が原告について個別具体的な迫害を受けるおそれがある恐怖を抱くような客観的事情とは認められないものであって,いずれにせよ,原告について個別具体的な迫害を受けるおそれがある恐怖を抱くような客観的事情は認められない。
(5) 原告の難民該当性を否定する事情
ア 原告が正規の旅券を用いてウガンダからの出入国を繰り返していたこと
原告は,本国政府からこれまで三度にわたり旅券の発給を受けているところ,旅券とは,外国への渡航を希望する自国民に対して当該国政府が発給する文書であり,その所持人の国籍及び身分を公証するとともに,渡航先の外国官憲にその所持人に対する保護と旅行の便宜供与を依頼し,その者の引取りを保証する文書である。
しかるに,原告が上記のとおり自己名義で本国政府から旅券の発給を受け,何ら問題なく本国から出入国を繰り返していることは,その当時,原告が本国政府から迫害を受ける恐怖を抱いていたという主観的事情も,本国政府が原告を迫害の対象としている客観的事情もなかったことの証左といえる。
したがって,原告が自己名義旅券の発給を受けてウガンダから出入国を繰り返していた事実は,原告の難民該当性を否定する事情の一つといえる。
イ 原告が本邦に入国した後2年2か月以上にわたり難民としての庇護又は保護を求めていなかったこと
(ア) 原告は,平成19年6月20日に本邦に入国してから平成21年9月17日まで,難民としての庇護を求めることも難民認定申請をすることもなかった。
(イ) この点について,原告は,ムセベニ大統領が任期を終えて引退することを期待し,その間だけ日本で隠れようと考えていたこと及び在日カナダ大使館から知らされるまで日本で難民認定申請ができることを知らなかったことから,難民認定申請をしなかったことに合理的な理由がある旨主張する。
(ウ) しかしながら,仮に原告がウガンダ政府による迫害を恐れて本国を出国したのであれば,本邦に入国した後,遅滞なく公の機関に庇護を求め,そうでなくても,難民として保護を求めるための方策や手続についての情報を収集しようとするのが自然かつ合理的な行動であるが,原告がそのような行動をとった形跡はない。
加えて,原告が,ウガンダ政府から迫害を受けていたことを理由に本国を出国したのであれば,関西国際空港において上陸を申請した時に,入国審査官等に対し,自身が難民であると申告したり,難民としての保護を求める方法を尋ねたりするのが自然であるところ,原告は,外国人入国記録カードに,渡航目的を「商用(Business)」の箇所にチェックをするなど,自身の難民該当性について何ら述べていていない。
また,原告が供述するとおり,仮に日本に滞在することを当初計画しておらず,他国へ行く際の通過地点と考えていたとしても,本邦に入国してから2年以上経ってから在日カナダ大使館に連絡しているというのであるから,ウガンダ政府からの迫害をおそれてウガンダを出国したとは到底認め難い。
以上の事情からすると,原告が真に政治的理由でウガンダ政府から迫害を受けていたとは認められないというべきであるし,むしろ,原告がウガンダ政府から迫害を受けるという恐怖を主観的にも抱いていなかったものと認められる。
(エ) 以上のとおり,原告が本邦入国後約2年2か月余りにわたり難民としての庇護や保護を何ら求めなかったことは,原告の難民該当性を否定する事情といえる。
ウ 原告が,二度滞在したケニアにおいて,いずれも難民としての保護を求めず,本国に帰国したこと
原告は,平成18年(2006年)9月11日から同月16日まで及び同年10月8日から同月10日までの間,ケニアに二度滞在していたが,ケニア政府等に庇護等を求める行動をとらず,本国に帰国している。
原告が本国政府による迫害の危険を感じていたのであれば,ケニアに入国した後,直ちに公的機関に庇護を求めるのが自然であるし,それを妨げる事情もなかったと考えられるから,上記のような原告の行動は,真に本国政府から迫害を受けるおそれがあるという切迫した恐怖を感じている者の行動としては明らかに不自然・不合理である。
(6) 以上のとおり,原告には,個別具体的な迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような客観的事情が存するとは認められない上,原告の難民該当性を否定する事情もあることから,原告を難民と認めることはできない。
よって,本件不認定処分は適法である。
4  本件在特不許可処分の効力(争点2)に関する当事者の主張
(原告の主張の要点)
(1) 被告は,難民条約,拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(以下「拷問等禁止条約」という。)の締約国である以上,難民条約33条1項及び拷問等禁止条約3条1項に定めるノンルフールマン原則を遵守する義務を負っていた(入管法53条3項1号,2号)。
(2) 他方,原告は,以上に述べてきたとおり難民条約上の「難民」に該当し,また,ウガンダに送還されれば拷問ないし非人道的な又は品位を傷つける取扱いが行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があった。
(3) したがって,東京入国管理局長は,原告に対し,ノンルフールマン原則を遵守するために在留を特別に許可する処分を行う義務を負っていたにもかかわらず,誤って本件在特不許可処分を行ったものであって,同処分は難民条約33条1項及び拷問等禁止条約3条1項が定めるノンルフールマン原則に反し,重大かつ明白な瑕疵が存在する。
(被告の主張の要点)
(1) 本件在特不許可処分が適法であること
入管法61条の2の2第2項に基づく在留資格未取得外国人を対象とする在留特別許可に係る法務大臣等の裁量は極めて広いものであり,適法に在留する外国人を対象とする在留期間更新許可に係る法務大臣等のそれと比べても,質的に格段にその範囲が広いというべきであるから,在留特別許可を付与しないという法務大臣等の判断が裁量権の逸脱,濫用に当たるとして違法とされるような事態は,容易には想定し難いというべきであり,その判断が違法となり得る場合があるとしても,それは法律上当然に退去強制されるべき外国人について,なお我が国に在留することを認めなければならない積極的な理由があったにもかかわらずこれが看過されたなど,在留特別許可の制度を設けた法の趣旨に明らかに反するような極めて特別な事情が認められる場合に限られるというべきである。
原告は,難民に該当せず,平成19年に来日するまでは,我が国とは何らの関わりもなかった者であり,稼働能力を有する成人であることに鑑みれば,原告につき,在留を特別に認めるべき極めて特別な事情は存しないというべきである。
よって,原告に対し在留特別許可を付与しない旨の東京入国管理局長の判断に,裁量権の逸脱,濫用はなく,本件在特不許可処分は適法である。
(2) 本件在特不許可処分に重大かつ明白な瑕疵は認められないこと
行政処分が無効であるというためには,当該処分に「重大かつ明白な瑕疵」が存在しなければならず,その瑕疵が明白であるか否かは,処分の外形上,客観的に瑕疵が一見して看取し得るか否かにより決せられるべきものである(最高裁昭和31年7月18日大法廷判決・民集10巻7号890頁,最高裁昭和44年2月6日第一小法廷判決・税務訴訟資料65号7頁,大阪地裁昭和61年11月26日決定・判例タイムズ633号133頁参照)。
そして,「重大かつ明白な瑕疵」の存在に係る主張立証責任は原告にある(最高裁昭和42年4月7日第二小法廷判決・民集21巻3号527頁参照)。
しかるに,前記(1)のとおり,本件在特不許可処分については,何ら違法な点はなく,処分の外形上,客観的に瑕疵が一見して看取し得るような事情はない。
したがって,本件在特不許可処分に無効事由がないことは明らかである。
第3  当裁判所の判断
1  本件難民不認定処分の適法性(争点1)について
(1)  難民の意義等について
入管法2条3号の2は,同法における「難民」の意義について,難民条約1条の規定又は難民議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうと規定している。このような同法の規定に照らせば,同法にいう難民とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」をいうと解するのが相当である。
そして,上記の「迫害」の意義については,難民条約31条1項が,「締結国は,その生命又は自由が第1条の意味において脅威にさらされていた領域から直接来た難民」について「不法に入国し又は不法にいることを理由として刑罰を科してはならない。」とし,難民条約33条1項が,「締結国は,難民を,いかなる方法によっても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。」としていることに照らすと,「生命又は自由」の侵害又は抑圧をいうと解するのが相当であり,ここにおいて「自由」が「生命」と並置されており,「難民」となり得るのは,迫害を受けるおそれがあるという状況に直面したときに「恐怖を有する」ような場合であると考えられること(難民条約1条A(2)参照)からすれば,この「自由」は,生命活動に関する自由,すなわち肉体活動の自由を意味するものと解するのが合理的である。そして,難民条約は,農業,工業,手工業,商業などの自営業に関して(18条),自由業に関して(19条),また,初等教育以外の教育に関して(22条2項),いずれも,締約国は,「できる限り有利な待遇」を与え,かつ,「いかなる場合にも,同一の事情の下で一般に外国人に対して与える待遇よりも不利でない待遇を与える」ものとしており,動産及び不動産に関する権利に関して(13条),賃金が支払われる職業に関して(17条),公的扶助に関して(23条),また,労働法制及び社会保障に関して(24条)も,類似の定めがあるが,上記のような待遇が外国人に付与されるか否かは,難民条約の締約国の国内法制によるものと考えられることに照らすと,上記の「自由」に経済的自由等が含まれるとは解し難い。そうすると,上記の「迫害」の意義については,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するものと解するのが相当である。また,上記にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解される。
なお,上記の難民該当性に係る各要件については,難民の認定を申請しようとする外国人に対して難民に該当することを証する資料の提出を求めている入管法61条の2第1項及び出入国管理及び難民認定法施行規則55条1項の趣旨に照らし,申請者たる原告が立証すべきものと解するのが相当である。
原告は,上記と異なる主張をするが,原告の主張するように解すべき我が国の法令上の根拠等も格別見出し難いから,採用することができない。
(2)  ウガンダの国内情勢及びDP等について
前提事実,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア ウガンダの政治情勢等
(ア) ウガンダは,1962年(昭和37年),旧宗主国である英国から独立した国家であり,1963年(昭和38年)以降,共和制を採用し,大統領を国家元首としている(乙30,31)。首都はカンパラであり,人口は,2012年(平成24年)当時で3635万人とされている(乙31)。
(イ) ウガンダは,独立して以来,度重なるクーデターにより内政は混乱したが,ムセベニが,1986年(昭和61年),NRMを率いて全土を平定し,大統領に就任した。ムセベニは,1996年(平成8年)5月,2001年(平戊13年)3月,2006年(平成18年)2月及び2011年(平成23年)2月に実施された大統領選において,いずれも再選された(甲7,乙30,31)。
(ウ) ウガンダでは,2005年(平成17年)7月に実施された国民投票により,複数政党制への回帰が決定された。一方,同年8月には,議会で憲法が改正され,大統領の任期制限(三選禁止規定)が撤廃された(甲7,乙30)。
(エ) ウガンダの議会は,一院制で,合計388議席のうち238議席が直接選挙で選出されることとなっており,2011年(平成23年)5月の選挙の結果,NRMが264議席,FDCが34議席,DPが12議席,UPCが10議席となった(乙30)。
イ DP及びDPの党員に対する状況について
(ア) DPは,1954年(昭和29年)に設立され,ウガンダ内部でローマカトリック教の強い支持がある政党などと評されている。DPは,1980年代初期は,UPC政府に対する主要野党となったが,ムセベニ大統領のNRMが支配する政権下においては,UPCとの同盟に引き寄せられている(甲8,9)。
(イ) 2005年(平成17年)11月,セモゲレレの後任として,キジトがDPの党首に選ばれ,2006年(平成18年)3月の大統領選挙の候補者に指名された(甲8)。
(ウ) 2004年(平成16年)と2005年(平成17年)の出来事についての国際人権諸団体報告によれば,ウガンダにおける野党の党員やその支持者は常にハラスメントや安全と自由への脅威と向き合い続けなければならないとされている(甲8)。
(エ) 2005年(平成17年)のニュースによれば,DPの党員に関し,国家の支援により民衆デモを排除したり支援者や党員を逮捕する等の政治的動機によるハラスメントの事件や告発が起きていると発表されている(甲8)。
(オ) また,DPのグル(Gulu)支部は,軍が同党の幹部2人を拘束したと発表し,軍の当局者は,その拘束を認め,LRAとの関与の疑いがあったため逮捕したと説明した。これに加え,UYDの副会長ムカサ・ムビデ(Mukasa Mbidde)は,同月末,「ムセベニ大統領の3期目の任期が提案されていることに対しデモを行った」として逮捕されたとされている(甲8)。
(カ) 米国国務省の2007年人権報告書・ウガンダにおいて,2007年(平成19年)1月6日,カンパラ警察は,政治的集会を行っているDP支持者を解散させる目的で催涙ガスを発射し,DPの党員が逮捕され,不法集会に参加した理由で起訴された,同年4月22日,カンパラ治安部隊は,DPの党員をラジオの対談番組で政府批判を行ったという理由で拘束したなどの報告がされている(甲11)。
(キ) また,米国国務省の2009年人権報告書・ウガンダにおいて,2009年(平成21年)9月12日,カンパラ警察は,暴動の際に暴力活動を扇動したとしてDPの議員を逮捕したなどの報告がされている(甲12)。
ウ ウガンダ北部の状況について
(ア) ヒューマン・ライツ・ウォッチにおいて,多数の一般市民が,2004年(平成16年)及び2005年(平成17年),ウガンダ北部において,UPDFにより殺害されている,キャンプの外にいる市民は,一般的に軍から反乱兵か反乱協力者であろうと決め付けられ,しばしば軍によって発砲されていると報告されている(甲15)。
(イ) また,英国内務省国境警備局が2008年(平成20年)11月21日付けで作成した業務指導覚書・ウガンダにおいて,ウガンダの治安部隊が反政府軍との関与を疑って一般市民を拷問したり,暴行を加えたりしたというケースの報告があるとされている(甲16)。
(3)  原告の難民の該当性について
ア 原告は,DPの党員として活動してきたことなどから,政府関係者により4回にわたり身柄拘束を受けるなど現実に迫害を受けており,政治的意見及び特定の社会的集団の構成員であることを理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のあるおそれが認められる旨主張し,その旨の供述等をする。
イ 原告がDPの党員として活動してきた旨の主張について
(ア) 原告は,DPの党員であることを証する証拠として,本件党員証及び本件宣誓供述書を証拠として提出する。
しかしながら,本件党員証は,原告が来日した後の2011年(平成23年)9月27日に発行されたものとされており,原告がウガンダにいた当時からDPの党員であったことを直接示すものではない。また,本件党員証には,党首としてセモゲレレの名前及び署名が記載されている(甲20)ところ,前記(2)イ(イ)のとおり,セモゲレレは,2005年(平成17年)11月にDPの党首から退いていることからすると,本件党員証には,発行時の党首ではなく前党首の記載がされていることになるのであって,そのような本件党員証が真正に作成されたのかは疑わしいといわざるを得ない。
この点について,原告は,本件党員証にセモゲレレが党首として記載されているのは,セモゲレレが強くて有名な党首であったからである旨供述する(原告本人)が,そのような理由で過去の党首名が党員証に記載されているとは考えにくく,党首の資格を証する文書としておよそ合理的とはいい難い。
したがって,本件党員証によって原告がDPの党員であることを示すものとみることは困難である。
(イ) 次に,本件宣誓供述書についてみると,同宣誓供述書には,原告がDPの党員であり,UYDの全国会議により,カンパラ地区青年団の議長かつ指導者として選出されたなどの記載がある(甲19)。
しかしながら,本件宣誓供述書には,その作成者とされるLが宣誓して供述したということが記載されているものの,作成経緯等は不明であり,その内容を直ちに信用することはできない。また,本件宣誓供述書には,原告が2007年(平成19年)1月に,他の党員とともに逮捕され,行方不明になっていた旨の記載があるが,原告は,そのような事実はないと供述しているのであって(原告本人),この点に照らしても,同宣誓供述書に記載された内容をにわかに信用することはできないというべきである。
(ウ) 以上のとおり,本件党員証及び本件宣誓供述書によって,原告がDPの党員であると認めることはできないといわざるを得ない。
(エ) なお,原告は,本人尋問において,DPの党員としての活動について,①「政党のメインオフィスのほうから情報をもらって,それを地区のほうに情報を落としたり,党員の勧誘を行」うこと,②「集会の組織をすること,それから集会に関する情報を収集すること,そしてまた党員を勧誘すること」や,ほかの地区の議長と会議をすることであった旨の供述をするところ,前記(2)ア(エ)のとおり,DPは,2011(平成23年)5月のウガンダ議会の選挙において,12人の所属議員が選任された合法政党であることなどにも照らすと,仮に原告が上記のような活動をしていたとしても,これらの活動によって,原告が,DPの党員として,ウガンダ政府から殊更に注視され,迫害の対象として認識されるような存在であったことが直ちに裏付けられるということは困難である。
ウ 原告が身柄拘束等を受けたとする主張について
(ア) 2001年(平成13年)の身柄拘束について
a 原告は,2001年,(平成13年)3月12日に,DPの党員として投票所の監視中に不正行為を止めさせようとして身柄を拘束され,同日から同年8月まで身柄拘束をされ,拷問等を受けた旨の供述等をし(原告本人,甲29,乙22,27,28),それらを裏付けるものとして,原告の足の甲に傷跡等が残っていること(甲21),原告が平成26年3月に両目が翼状片であり,充血,異物感等の症状があると診断を受けたこと(甲23),原告の両目の黒目の内側部分が一部欠けていること(甲24),原告の左手に線状の傷痕が残っていること(甲22),原告は,2001年(平成13年)8月21日,ルバガ(Rubaga)病院で診察を受け,そのカルテに,「胸痛,背部痛,体と陰部の痒み,身体への深刻な負傷,視力低下と目の痒み胸痛」との記載及び梅毒の陽性反応が出たとの記載があることを挙げる。
b しかしながら,原告が上記供述等を裏付けるものとして主張する傷跡等自体から,第三者による受傷行為等によって生じたものであるか自体必ずしも明らかであるとはいい難い上,仮に第三者による行為が介在していたとしても,どのような状況でかかる受傷行為等を受けたものであるかまで具体的に推認させるものということはできないから,これらの傷跡等は,直ちに原告が供述するような暴行等があったことを裏付けるものとはいえない。
c また,原告は,2001年(平成13年)5月4日に自己名義の旅券の発給を受けていることが認められるところ(乙2),原告がその旅券の発給を受けたときに,原告が主張するような理由で身柄を拘束されていたとは考え難いというほかはなく,前記イに述べたとおり,原告がDPの党員として際立った活動をしていたとは認め難いことにも照らせば,同年3月から8月まで身柄拘束され暴行等を受けていたという原告の上記供述等を直ちに信用することは困難である。
d この点,原告は,仕事上のパートナーであるP氏が原告の代わりに原告の旅券を受領した旨供述する(原告本人)が,原告は,身柄拘束されている間,外部と連絡をとれなかったとも供述しており(原告本人),そうすると,P氏は,身柄拘束されている原告から依頼を受けることもなく代理で原告の旅券を受け取ったということになり,極めて不自然であるというほかはなく,かかる供述を直ちに信用することはできないといわなければならない。
そして,原告は,本人尋問において,身柄拘束中にどのようにして旅券の受領を依頼したのか尋ねられると,旅券を申請するときに「何か緊急事態があった場合,そういうときにケアしてくれる人,やってくれる人を誰か推薦する欄みたいなところがあるんです。そこで彼の名前をその欄に書いています。」と供述するところ,その供述を前提にすると,当局がそのような記載に従い,原告に確認することもなくP氏と連絡をとった上で旅券を交付したということになるのであって,極めて不自然というほかはなく,同供述もやはり信用することはできない。
e 以上によれば,2001年(平成13年)に身柄拘束を受け,暴行を受けたとする原告の供述は信用することができず,かかる事実があったと認めることは困難である。
(イ) その他の身柄拘束について
a 原告は,原告のDPの党員としての地位,活動等を理由として,2004年(平成16年)12月13日,2005年(平成17年)2月26日及び2006年(平成18年)にそれぞれ身柄拘束されたと主張し,その旨供述する。
b しかしながら,上記イで述べたところに加え,原告は,身柄拘束を受けたという2005年(平成17年)2月の後である同年12月2日にウガンダ政府から自己名義の旅券の発給を受け,2006年(平成18年)9月から10月にかけて,二度にわたり,ウガンダからケニアに出国して帰国していることが認められるところ(乙2),前記(ア)cのとおり,原告は,2001年(平成13年)5月4日にも旅券の発給を受けていることや,上記の渡航先のケニアにおいても,難民としての庇護等を求める行動をとったことがうかがわれないこと(なお,この点に関する原告の弁解に合理性があるとはいい難い。)などに照らすと,2004年(平成16年)及び2005年(平成17年)の身柄拘束に関する原告の供述等をにわかに信用することは困難であるし,2006年(平成18年)の身柄拘束についても,これまで述べたところに照らし,前3回の身柄拘束に関するものと同様,その供述をにわかに信用することは困難であるといわざるを得ない上,この身柄拘束に関し,原告は,大統領選挙の投票日の数日前に,政治の話し合いをしていたところ,連行されて2日後に,DPの幹部が嘆願して釈放され,暴行等は受けなかったと述べている(乙22,27)のであって,かかる供述等を前提としても,原告が,生命又は身体に危険を感じるほどの迫害を受けていたとはいえないし,原告がウガンダ政府から殊更に注視され,迫害の対象として認識されるような存在であったことを裏付けるものともいい難い。
エ そして,原告は,前記前提事実のとおり,平成19年6月20日に本邦に上陸し,在留期間の末日である平成19年7月5日を超えてから2年以上経過した平成21年9月17日まで,難民認定申請をすることなく本邦に在留していたのであり,本国政府によって迫害を受け,他国に庇護を求めようとする者の行動として不自然であるといわざるを得ない。
この点について,原告は,ムセベニ大統領が任期を終えて引退することを期待していたことや,在日カナダ大使館から知らされるまで日本で難民認定申請ができることを知らなかったからである旨主張する。しかしながら,在留資格のないまま滞在し,いつになるか分からない大統領の引退を待つというのは,本国への送還を恐れるはずの者の態度として不自然であるし,原告が在日カナダ大使館に連絡をとった時点でも来日してから2年以上が経過していること(甲26),カナダ大使館に連絡をとる以前に,難民として保護を求めるための方策や手続についての情報を収集する機会があったのに,そのようなことをしていないことからすると,原告の上記主張を踏まえても,やはり原告が本国からの迫害を恐れていたとみることは困難である。
オ 以上を踏まえると,原告のその余の主張をみても,原告がその政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を抱くような客観的事情が存在するとは認め難いというべきであって,これらの事情に照らすと,原告が難民に該当すると認めることはできない。
したがって,本件難民不認定処分は適法である。
2  本件在特不許可処分の効力(争点2)について
(1)  難民の認定をしない処分をするときにされる入管法61条の2の2第2項の在留特別許可については,難民の認定の申請をした在留資格未取得外国人の在留を特別に許可すべき事情があるか否かを審査し,当該事情があると認めるときにすることができることとされているほかは,その許否の判断の要件ないし基準とすべき事項は定められていないことに加え,一般に,外国人の出入国の管理及び在留の規制は,国内の治安と善良な風俗の維持,保健・衛生の確保,労働市場の安定等の国益の保持を目的として行われるものであって,このような国益の保持の判断については,広く情報を収集し,その分析の上に立って時宜に応じた的確な判断を行うことが必要であり,高度な政治的判断を要求される場合もあり得ることなどを勘案すれば,同法61条の2の2第2項の規定に基づく在留特別許可をすべきか否かの判断は,法務大臣の広範な裁量に委ねられていると解すべきである。
もっとも,その裁量権の内容は全く無制約のものではなく,その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により判断が全く事実の基礎を欠く場合や,事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかである場合には,法務大臣の判断が裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法になることがあるものと解される。以上に述べたことは,法務大臣から権限の委任を受けた地方入国管理局長が在留特別許可に係る判断をする場合についても,異なるところはないと解される。
(2)  前提事実,証拠及び弁論の全趣旨によれば,原告については,在留期間の末日である平成19年7月5日を超えて不法残留となってから本件難民申請をするまで2年以上の間,不法残留を継続していたのであり,他に原告に有利に解すべき特段の事情も見当たらないことからすると,本件在特不許可処分について,その基礎とされた重要な事実に誤認があることにより判断が全く事実の基礎を欠くとか,事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるということはできない。
そして,原告は,難民に該当することを前提として本件在特不許可処分が違法であると主張するが,原告が難民であると認められないことは,前記1で述べたとおりであり,その主張は前提を欠くものである。
そうすると,本件在特不許可処分が違法であるということはできず,無効であるということはできないというべきである。
第4  結論
以上によれば,原告の請求は,いずれも理由がないからこれらを棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 舘内比佐志 裁判官 荒谷謙介 裁判官 宮端謙一)

 

別紙
指定代理人目録〈省略〉

 

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