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「政治活動 選挙運動」に関する裁判例(89)平成22年10月29日 東京地裁 平19(行ウ)472号 難民の認定をしない処分取消等請求事件、在留特別許可をしない処分取消請求事件

「政治活動 選挙運動」に関する裁判例(89)平成22年10月29日 東京地裁 平19(行ウ)472号 難民の認定をしない処分取消等請求事件、在留特別許可をしない処分取消請求事件

裁判年月日  平成22年10月29日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平19(行ウ)472号・平19(行ウ)493号・平19(行ウ)494号・平19(行ウ)495号・平19(行ウ)496号・平19(行ウ)497号・平19(行ウ)498号・平19(行ウ)715号・平19(行ウ)785号・平20(行ウ)55号・平20(行ウ)132号・平20(行ウ)133号・平20(行ウ)404号・平20(行ウ)405号・平20(行ウ)406号・平20(行ウ)407号・平20(行ウ)408号・平20(行ウ)686号・平20(行ウ)756号・平21(行ウ)367号・平18(行ウ)472号
事件名  難民の認定をしない処分取消等請求事件、在留特別許可をしない処分取消請求事件
上訴等  控訴  文献番号  2010WLJPCA10298019

要旨
〔判示事項〕
◆1 ロヒンギャ族の一員であることから直ちに難民該当性を肯定することはできないとされた事例
◆2 ロヒンギャ族がミャンマー連邦の国籍を有しているとは認められないとしても,出入国管理及び難民認定法53条2項により,前居住地であったミャンマー連邦を送還先として指定することは可能であるとされた事例

裁判経過
控訴審 平成24年 9月12日 東京高裁 判決 平22(行コ)397号 各難民の認定をしない処分取消等請求,在留特別許可をしない処分取消請求控訴事件

評釈
髙橋秀典・訟月 57巻1号1頁

参照条文
出入国管理及び難民認定法61条の2
出入国管理及び難民認定法53条2項

裁判年月日  平成22年10月29日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平19(行ウ)472号・平19(行ウ)493号・平19(行ウ)494号・平19(行ウ)495号・平19(行ウ)496号・平19(行ウ)497号・平19(行ウ)498号・平19(行ウ)715号・平19(行ウ)785号・平20(行ウ)55号・平20(行ウ)132号・平20(行ウ)133号・平20(行ウ)404号・平20(行ウ)405号・平20(行ウ)406号・平20(行ウ)407号・平20(行ウ)408号・平20(行ウ)686号・平20(行ウ)756号・平21(行ウ)367号・平18(行ウ)472号
事件名  難民の認定をしない処分取消等請求事件、在留特別許可をしない処分取消請求事件
上訴等  控訴  文献番号  2010WLJPCA10298019

平成19年(行ウ)第472号,第493号から第498号まで,
第715号,第785号,同20年(行ウ)第55号,第132号及び第133号,
第404号から第408号まで,第686号,第756号,同21年(行ウ)第367号
難民の認定をしない処分取消等請求事件
平成18年(行ウ)第472号 在留特別許可をしない処分取消請求事件

当事者の表示 別紙当事者目録記載のとおり

 

 

主文

1  法務大臣が原告X1に対して平成18年8月4日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
2  福岡入国管理局主任審査官が原告X1に対して平成18年8月11日付けでした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
3  本件訴えのうち,福岡入国管理局長が原告X1に対して平成18年8月7日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分の取消しを求める部分を却下する。
4  福岡入国管理局長が原告X1に対して平成18年8月7日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
5  原告X1のその余の請求を棄却する。
6  法務大臣が原告X9に対して平成18年7月7日付けでした難民の認定をしない処分が無効であることを確認する。
7  東京入国管理局主任審査官が原告X9に対して平成19年6月29日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。
8  東京入国管理局長が原告X9に対して平成18年7月28日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
9  原告X9のその余の請求を棄却する。
10  本件訴えのうち,大阪入国管理局長が原告X2に対して平成18年4月27日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分の取消しを求める部分を却下する。
11  原告X2のその余の請求をいずれも棄却する。
12  本件訴えのうち,東京入国管理局長が原告X3に対して平成18年1月11日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分の取消しを求める部分を却下する。
13  原告X3のその余の請求をいずれも棄却する。
14  本件訴えのうち,東京入国管理局長が原告X4に対して平成18年7月7日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分の取消しを求める部分を却下する。
15  原告X4のその余の請求をいずれも棄却する。
16  本件訴えのうち,東京入国管理局長が原告X5に対して平成18年6月28日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分の取消しを求める部分を却下する。
17  原告X5のその余の請求をいずれも棄却する。
18  本件訴えのうち,東京入国管理局長が原告X6に対して平成18年8月16日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分の取消しを求める部分を却下する。
19  原告X6のその余の請求をいずれも棄却する。
20  本件訴えのうち,東京入国管理局長が原告X7に対して平成18年8月25日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分の取消しを求める部分を却下する。
21  原告X7のその余の請求をいずれも棄却する。
22  本件訴えのうち,東京入国管理局長が原告X8に対して平成18年7月10日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分の取消しを求める部分を却下する。
23  原告X8のその余の請求をいずれも棄却する。
24  本件訴えのうち,東京入国管理局長が原告X18に対して平成19年1月31日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分の取消しを求める部分を却下する。
25  原告X18のその余の請求をいずれも棄却する。
26  その余の原告らの請求をいずれも棄却する。
27  訴訟費用は,原告X1に生じた費用及び原告X9に生じた費用並びに被告に生じた費用の10分の1をいずれも被告の負担とし,その余の原告らに生じた費用及び被告に生じた費用の10分の9を同原告らの負担とする。
(目次)
事実及び理由
第1  請求
第2  事案の概要
1 関係法令の定め等
2 前提事実
(1)  原告X1関係
(2)  原告X2関係
(3)  原告X3関係
(4)  原告X4関係
(5)  原告X5関係
(6)  原告X6関係
(7)  原告X7関係
(8)  原告X8関係
(9)  原告X9関係
(10)  原告X10関係
(11)  原告X11関係
(12)  原告X12関係
(13)  原告X13関係
(14)  原告X14関係
(15)  原告X15関係
(16)  原告X16関係
(17)  原告X17関係
(18)  原告X18関係
(19)  原告X19関係
(20)  原告X20関係
3 争点
4 当事者の主張の概要
第3  当裁判所の判断
1 争点(1)(本件在特不許可処分イからチまで及びソの取消しを求める各訴えの適法性)について
2 争点(2)(本件各難民不認定処分の適法性又は無効事由の有無)について
(1)  ミャンマーの政治情勢
(2)  ミャンマーにおけるロヒンギャ族の状況等
(3)  難民の意義について
(4)  ロヒンギャ族であることを理由とする難民該当性について
(5)  原告らの個別事情に基づく難民該当性について
ア 原告X1について
イ 原告X2について
ウ 原告X3について
エ 原告X4について
オ 原告X5について
カ 原告X6について
キ 原告X7について
ク 原告X8について
ケ 原告X9について
コ 原告X10について
サ 原告X11について
シ 原告X12について
ス 原告X13について
セ 原告X14について
ソ 原告X15について
タ 原告X16について
チ 原告X17について
ツ 原告X18について
テ 原告X19について
ト 原告X20について
(6)  まとめ
3 争点(3)(本件各在特不許可処分の適法性又は無効事由の有無)について
4 争点(4)(本件各裁決の適法性又は無効事由の有無)について
5 争点(5)(本件各退令発付処分の適法性又は無効事由の有無)について
6 結論
別紙 当事者目録
事実及び理由

第1  請求
1  原告X1関係
(1)  主文第1及び2項同旨
(2)  福岡入国管理局長が原告X1に対して平成18年8月8日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X1からの異議の申出には理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
(3)ア(主位的請求)
福岡入国管理局長が原告X1に対して平成18年8月7日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分を取り消す。
イ(予備的請求)
主文4項同旨
2  原告X2関係
(1)  法務大臣が原告X2に対して平成18年4月24日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
(2)  大阪入国管理局長が原告X2に対して平成18年4月25日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X2からの異議の申出には理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
(3)  大阪入国管理局関西空港支局主任審査官が原告X2に対して平成18年4月27日付けでした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
(4)ア(主位的請求)
大阪入国管理局長が原告X2に対して平成18年4月27日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分を取り消す。
イ(予備的請求)
大阪入国管理局長が原告X2に対して平成18年4月27日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
3  原告X3関係
(1)  法務大臣が原告X3に対して平成17年12月26日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
(2)  東京入国管理局長が原告X3に対して平成19年2月7日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X3からの異議の申出には理由がない旨の裁決を取り消す。
(3)  東京入国管理局主任審査官が原告X3に対して平成19年2月7日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。
(4)ア(主位的請求)
東京入国管理局長が原告X3に対して平成18年1月11日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分を取り消す。
イ(予備的請求)
東京入国管理局長が原告X3に対して平成18年1月11日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
4  原告X4関係
(1)  法務大臣が原告X4に対して平成18年6月27日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
(2)  東京入国管理局長が原告X4に対して平成18年7月4日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X4からの異議の申出には理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
(3)  東京入国管理局成田空港支局主任審査官が原告X4に対して平成18年7月7日付けでした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
(4)ア(主位的請求)
東京入国管理局長が原告X4に対して平成18年7月7日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分を取り消す。
イ(予備的請求)
東京入国管理局長が原告X4に対して平成18年7月7日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
5  原告X5関係
(1)  法務大臣が原告X5に対して平成18年6月26日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
(2)  東京入国管理局長が原告X5に対して平成18年6月28日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X5からの異議の申出には理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
(3)  東京入国管理局成田空港支局主任審査官が原告X5に対して平成18年6月28日付けでした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
(4)ア(主位的請求)
東京入国管理局長が原告X5に対して平成18年6月28日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分を取り消す。
イ(予備的請求)
東京入国管理局長が原告X5に対して平成18年6月28日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
6  原告X6関係
(1)  法務大臣臨時代理国務大臣が原告X6に対して平成18年8月14日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
(2)  東京入国管理局長が原告X6に対して平成18年8月16日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X6からの異議の申出には理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
(3)  東京入国管理局成田空港支局主任審査官が原告X6に対して平成18年8月16日付けでした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
(4)ア(主位的請求)
東京入国管理局長が原告X6に対して平成18年8月16日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分を取り消す。
イ(予備的請求)
東京入国管理局長が原告X6に対して平成18年8月16日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
7  原告X7関係
(1)  法務大臣が原告X7に対して平成18年8月18日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
(2)  東京入国管理局長が原告X7に対して平成18年8月25日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X7からの異議の申出には理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
(3)  東京入国管理局成田空港支局主任審査官が原告X7に対して平成18年8月25日付けでした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
(4)ア(主位的請求)
東京入国管理局長が原告X7に対して平成18年8月25日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分を取り消す。
イ(予備的請求)
東京入国管理局長が原告X7に対して平成18年8月25日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
8  原告X8関係
(1)  法務大臣が原告X8に対して平成18年7月7日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
(2)  東京入国管理局長が原告X8に対して平成18年7月10日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X8からの異議の申出には理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
(3)  東京入国管理局成田空港支局主任審査官が原告X8に対して平成18年7月10日付けでした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
(4)ア(主位的請求)
東京入国管理局長が原告X8に対して平成18年7月10日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分を取り消す。
イ(予備的請求)
東京入国管理局長が原告X8に対して平成18年7月10日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
9  原告X9関係
(1)  主文6項から8項までと同旨
(2)  東京入国管理局長が原告X9に対して平成19年6月29日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X9からの異議の申出には理由がない旨の裁決を取り消す。
10  原告X10関係
(1)  法務大臣が原告X10に対して平成18年6月27日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
(2)  東京入国管理局長が原告X10に対して平成18年6月29日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X10からの異議の申出には理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
(3)  東京入国管理局成田空港支局主任審査官が原告X10に対して平成18年6月30日付けでした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
(4)  東京入国管理局長が原告X10に対して平成18年6月30日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
11  原告X11関係
(1)  法務大臣が原告X11に対して平成18年7月7日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
(2)  東京入国管理局長が原告X11に対して平成18年7月10日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X11からの異議の申出には理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
(3)  東京入国管理局成田空港支局主任審査官が原告X11に対して平成18年7月10日付けでした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
(4)  東京入国管理局長が原告X11に対して平成18年7月10日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
12  原告X12関係
(1)  法務大臣が原告X12に対して平成18年8月1日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
(2)  東京入国管理局長が原告X12に対して平成18年8月22日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X12からの異議の申出には理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
(3)  東京入国管理局成田空港支局主任審査官が原告X12に対して平成18年8月22日付けでした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
(4)  東京入国管理局長が原告X12に対して平成18年8月22日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
13  原告X13関係
(1)  法務大臣が原告X13に対して平成18年8月21日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
(2)  東京入国管理局長が原告X13に対して平成18年8月25日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X13からの異議の申出には理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
(3)  東京入国管理局成田空港支局主任審査官が原告X13に対して平成18年8月25日付けでした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
(4)  東京入国管理局長が原告X13に対して平成18年8月25日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
14  原告X14関係
(1)  法務大臣が原告X14に対して平成18年8月1日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
(2)  東京入国管理局長が原告X14に対して平成18年8月7日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X14からの異議の申出には理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
(3)  東京入国管理局成田空港支局主任審査官が原告X14に対して平成18年8月7日付けでした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
(4)  東京入国管理局長が原告X14に対して平成18年8月7日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
15  原告X15関係
(1)  法務大臣が原告X15に対して平成18年8月1日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
(2)  東京入国管理局長が原告X15に対して平成18年8月22日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X15からの異議の申出には理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
(3)  東京入国管理局成田空港支局主任審査官が原告X15に対して平成18年8月22日付けでした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
(4)  東京入国管理局長が原告X15に対して平成18年8月22日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
16  原告X16関係
(1)  法務大臣が原告X16に対して平成18年10月6日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
(2)  東京入国管理局長が原告X16に対して平成18年10月17日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X16からの異議の申出には理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
(3)  東京入国管理局成田空港支局主任審査官が原告X16に対して平成18年10月17日付けでした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
(4)  東京入国管理局長が原告X16に対して平成18年10月17日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
17  原告X17関係
(1)  平成18年(行ウ)第472号事件
東京入国管理局長が原告X17に対して平成18年3月3日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分を取り消す。
(2)  平成20年(行ウ)第55号事件
ア 法務大臣が原告X17に対して平成18年2月28日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
イ 東京入国管理局長が原告X17に対して平成19年11月22日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X17からの異議の申出には理由がない旨の裁決を取り消す。
ウ 東京入国管理局主任審査官が原告X17に対して平成19年12月6日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。
18  原告X18関係
(1)  法務大臣が原告X18に対して平成19年1月26日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
(2)  東京入国管理局長が原告X18に対して平成20年5月20日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X18からの異議の申出には理由がない旨の裁決を取り消す。
(3)  東京入国管理局主任審査官が原告X18に対して平成20年5月21日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。
(4)ア(主位的請求)
東京入国管理局長が原告X18に対して平成19年1月31日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分を取り消す。
イ(予備的請求)
東京入国管理局長が原告X18に対して平成19年1月31日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
19  原告X19関係
(1)  法務大臣が原告X19に対して平成18年8月1日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
(2)  東京入国管理局長が原告X19に対して平成18年8月7日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告からの異議の申出には理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
(3)  東京入国管理局成田空港支局主任審査官が原告X19に対して平成18年8月7日付けでした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
(4)  東京入国管理局長が原告X19に対して平成18年8月7日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
20  原告X20関係
(1)  法務大臣が原告X20に対して平成19年4月12日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
(2)  東京入国管理局長が原告X20に対して平成21年2月17日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告X20からの異議の申出には理由がない旨の裁決を取り消す。
(3)  東京入国管理局主任審査官が原告X20に対して平成21年2月18日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。
(4)  東京入国管理局長が原告X20に対して平成19年4月17日付けでした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
第2  事案の概要
本件は,ミャンマー連邦(なお,同国は数次にわたり改称しているが,以下,その改称の前後を区別することなく,「ミャンマー」という。)に居住するロヒンギャ族であると主張する原告らが,出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)の規定による難民の認定の申請をしたところ,①法務大臣から難民の認定をしない処分を受け,②地方入国管理局長から入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分を受け,また,③入国審査官から入管法24条1号(不法入国)に該当する旨の認定を,特別審理官から同認定は誤りがない旨の判定を,地方入国管理局長から入管法49条1項に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決をそれぞれ受け,さらに,④主任審査官から退去強制令書の発付処分を受けたことから,上記の各難民不認定処分,各在留特別許可をしない処分,各裁決及び各退去強制令書発付処分は,いずれも原告らが難民であることを看過したもので違法又は無効である等として,上記の各処分又は各裁決の取消し又は無効確認を求めている事案である。
1  関係法令の定め等
(1)  難民の意義について
ア 入管法2条3号の2は,入管法における「難民」の意義について,難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条の規定又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいう旨規定している。
イ 難民条約1条A(2)は,「1951年1月1日前に生じた事件の結果として,かつ,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であつて,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であつて,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」は,難民条約の適用上,「難民」という旨規定している。
ウ 難民議定書1条2は,難民議定書の適用上,「難民」とは,難民条約1条A(2)の規定にある「1951年1月1日前に生じた事件の結果として,かつ,」及び「これらの事件の結果として」という文言が除かれているものとみなした場合に同条の定義に該当するすべての者をいう旨規定している。
エ 以上によれば,入管法にいう「難民」とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であつて,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」をいうこととなる。
(2)  在留資格に関する許可等
入管法61条の2第1項は,法務大臣は,本邦にある外国人から法務省令で定める手続により申請があったときは,その提出した資料に基づき,その者が難民である旨の認定を行うことができる旨規定し,入管法61条の2の2第2項は,法務大臣は,入管法61条の2第1項の申請をした在留資格未取得外国人について,難民の認定をしない処分をするときは,当該在留資格未取得外国人の在留を特別に許可すべき事情があるか否かを審査するものとし,当該事情があると認めるときは,その在留を特別に許可することができる旨規定する。
(3)  送還先,送還の禁止等
ア 難民条約33条1項は,締約国は,難民を,いかなる方法によっても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない旨規定する。
イ 入管法53条は,1項において,退去強制を受ける者は,その者の国籍又は市民権の属する国に送還されるものとする旨規定し,2項において,1項の国に送還することができないときは,本人の希望により,同項1号から6号までに定められた国のいずれかに送還される旨規定し,その1号には,本邦に入国する直前に居住していた国が,2号には,本邦に入国する前に居住していたことのある国がそれぞれ定められている。そして,同条3項は,法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害すると認める場合を除き,同条1項の国には難民条約33条1項に規定する領域の属する国を含まないものとする旨規定する。
ウ 拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(以下「拷問等禁止条約」という。)3条1項は,締約国は,いずれの者をも,その者に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある他の国へ追放し,送還し又は引き渡してはならない旨規定する。
2  前提事実
本件の前提となる事実は,次のとおりである。当事者間に争いのある事実は,各末尾記載の証拠及び弁論の全趣旨により認定した。その余の事実は,当事者間に争いがない。
(1)  原告X1関係
ア 身分事項
原告X1は,1979年(昭和54年)にミャンマーにおいて出生した外国人である。(甲イ1,乙イ1)
イ 入国の状況
原告X1は,平成18年6月17日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,中国の瀋陽から中国南方航空643便により福岡空港に到着し,本邦に不法入国した。(乙イ1)
ウ 退去強制手続
(ア) 福岡入国管理局(以下「福岡入管」という。)福岡空港出張所入国警備官は,平成18年6月17日,原告X1について違反調査をした結果,同原告が入管法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,同日,福岡入管福岡空港出張所主任審査官から収容令書の発付を受けた。(乙イ1から4まで)
(イ) 福岡入管入国警備官は,平成18年6月17日,前記(ア)の収容令書を執行し,原告X1を福岡入管収容場に収容した。福岡入管入国警備官は,同月19日,同原告を入管法24条1号該当容疑者として福岡入管入国審査官に引き渡した。(乙イ1,イ4及び5)
(ウ) 福岡入管入国審査官は,平成18年6月20日及び同月22日,原告X1について違反審査をし,その結果,同日,同原告が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,福岡入管特別審理官に対し,口頭審理の請求をした。(乙イ1,イ6の1及び2,イ7)
(エ) 福岡入管特別審理官は,平成18年7月4日,原告X1について口頭審理を行い,福岡入管入国審査官の前記(ウ)の認定は誤りがない旨判定し,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,法務大臣に対し,異議の申出をした。(乙イ1,イ8から10まで)
(オ) 福岡入国管理局長(以下「福岡入管局長」という。)は,平成18年8月8日,原告X1の前記(エ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決イ」という。)をし,本件裁決イの通知を受けた福岡入管主任審査官は,同月11日,同原告に本件裁決イを通知するとともに,退去強制令書を発付(以下「本件退令発付処分イ」という。)した。(乙イ1,イ11から14まで)
(カ) 原告X1は,平成18年8月16日,入国者収容所大村入国管理センター(以下「大村センター」という。)に移収された。(乙イ1,イ14)
(キ) 大村センター所長は,平成19年8月23日,原告X1の仮放免を許可した。(乙イ1,イ15)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X1は,平成18年6月28日,福岡入管において,法務大臣に対し,難民認定申請(以下「本件難民申請イ」という。)をした。(乙イ1,イ16)
(イ) 福岡入管難民調査官は,平成18年6月29日及び同月30日,原告X1から事情聴取するなどの事実の調査をした。(乙イ1,イ17の1から3まで)
(ウ) 福岡入管局長は,平成18年7月4日,原告X1に対し仮滞在を許可しない旨の処分をし,同日,同原告にこれを通知した。(乙イ1,イ18)
(エ) 法務大臣は,平成18年8月4日,本件難民申請イについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分イ」という。)をし,同月11日,原告X1にこれを通知した。(乙イ1,イ19)
(オ) 福岡入管局長は,平成18年8月7日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X1について,在留特別許可をしない旨の処分(以下「本件在特不許可処分イ」という。)をし,同月11日,同原告にその旨を通知した。(乙イ1,イ20)
(カ) 原告X1は,平成18年8月11日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分イについて,異議申立てをした。(乙イ1,イ21,イ22)
(キ) 大阪入国管理局難民調査官は,平成19年1月30日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X1に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙イ1,イ23)
(ク) 法務大臣は,前記(カ)の異議申立てについて,平成19年4月10日,異議申立てを棄却する決定をし,同月24日,原告X1にこれを通知した。(乙イ1,イ24)
オ 本件訴えの提起
原告X1は,平成19年7月26日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(2)  原告X2関係
ア 身分事項
原告X2は,1977年(昭和52年)にミャンマーで生まれた外国人である。(甲ロ1,乙ロ1,ロ16の1)
イ 入国の状況
原告X2は,平成18年2月27日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,インドネシア共和国ジャカルタから便名等不詳の航空機で関西国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙ロ1)
ウ 退去強制手続
(ア) 大阪入国管理局(以下「大阪入管」という。)関西空港支局(以下「関空支局」という。)入国警備官は,平成18年2月28日,原告X2について違反調査に着手した。(乙ロ1)
(イ) 関空支局入国警備官は,原告X2が入管法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,平成18年2月28日,関空支局主任審査官から収容令書の発付を受け,同日,同令書を執行し,同原告を関空支局収容場に収容した。(乙ロ1,ロ3)
(ウ) 関空支局入国警備官は,平成18年3月1日及び同月2日,原告X2について入管法24条1号違反容疑で違反調査を実施し,同日,同原告を入管法24条1号該当容疑者として関空支局入国審査官に引き渡した。(乙ロ1)
(エ) 関空支局入国審査官は,平成18年3月2日及び同月28日,原告X2について違反審査を実施し,その結果,同日,同原告が入管法24条1号に該当する旨認定し,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,関空支局特別審理官に対し,口頭審理の請求をした。(乙ロ1,ロ6の2)
(オ) 関空支局特別審理官は,平成18年4月3日,原告X2について口頭審理を実施し,その結果,同日,関空支局入国審査官の前記(エ)の認定は誤りがない旨判定し,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,法務大臣に対して異議の申出をした。(乙ロ1)
(カ) 大阪入国管理局長(以下「大阪入管局長」という。)は,平成18年4月25日,原告X2の前記(オ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決ロ」という。)をした。本件裁決ロの通知を受けた関空支局主任審査官は,同月27日,同原告にその旨を通知するとともに,退去強制令書を発付し(以下「本件退令発付処分ロ」という。),同日,関空支局入国警備官は関空支局において同令書を執行した。(乙ロ1,ロ13の2)
(キ) 原告X2は,平成18年5月10日,関空支局から大村センターに移収された。(乙ロ1)
(ク) 原告X2は,平成19年8月23日,大村センター所長から仮放免を許可された。(乙ロ1,ロ14)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X2は,平成18年3月3日,法務大臣に対し,難民認定申請(以下「本件難民申請ロ」という。)をした。(乙ロ1,ロ15)
(イ) 関空支局難民調査官は,平成18年3月7日,同月9日,同月15日,同月22日及び同月24日,原告X2から事情を聴取するなどの調査をした。(乙ロ1,ロ16の1から5まで)
(ウ) 大阪入管局長は,平成18年3月28日,原告X2に対し仮滞在を許可しない旨の処分をし,同月30日,同原告にこれを通知した。(乙ロ1,ロ17)
(エ) 法務大臣は,平成18年4月24日,本件難民申請ロについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分ロ」という。)をし,同月27日,原告X2にこれを通知した。(乙ロ1,ロ18)
(オ) 大阪入管局長は,平成18年4月27日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X2について,在留特別許可をしない旨の処分(以下「本件在特不許可処分ロ」という。)をし,同日,同原告にその旨を通知した。(乙ロ1,ロ19の1及び2)
(カ) 原告X2は,平成18年4月28日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分ロについて,異議申立てをした。(乙ロ1,ロ20)
(キ) 大阪入管難民調査官は,平成18年10月4日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X2に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙ロ1,ロ22)
(ク) 法務大臣は,前記(カ)の異議申立てについて,平成19年1月16日,異議申立てを棄却する決定をし,同月26日,原告X2にこれを通知した。(乙ロ1)
オ 本件訴えの提起
原告X2は,平成19年7月26日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(3)  原告X3関係
ア 身分事項
原告X3は,1972年(昭和47年)○月○日にミャンマーのアラカン州マウンドーで生まれた外国人である。(甲ハ1,乙ハ3)
イ 入国の状況
原告X3は,平成17年10月24日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,本邦外の不詳地から便名等不詳の航空機で成田国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙ハ1)
ウ 退去強制手続
(ア) 東京入国管理局(以下「東京入管」という。)成田空港支局(以下「成田空港支局」という。)入国警備官は,平成17年10月25日,原告X3について違反調査をした結果,原告X3が入管法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,同日,成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受けた。(乙ハ1,ハ4の1及び2,ハ5)
(イ) 成田空港支局入国警備官は,平成17年10月25日,前記(ア)の収容令書を執行し,同月26日,原告X3を入管法24条1号該当容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。(乙ハ1,ハ5,ハ6)
(ウ) 成田空港支局入国審査官は,平成17年10月26日及び同年11月10日,原告X3について違反審査をし,その結果,同日,同原告が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,成田空港支局特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙ハ1,ハ7の1及び2,ハ8)
(エ) 成田空港支局特別審理官は,平成17年11月25日,原告X3について口頭審理を行い,その結果,同日,成田空港支局入国審査官の前記(ウ)の認定は誤りがない旨判定し,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,法務大臣に対して,異議の申出をした。(乙ハ1,ハ9の1,ハ10,ハ11)
(オ) 成田空港支局主任審査官は,平成17年11月28日,原告X3の仮放免を許可した。(乙ハ1,ハ12)
(カ) 成田空港支局長は,平成19年1月26日,原告X3の違反事件を東京入国管理局長(以下「東京入管局長」という。)に移管した。(乙ハ1)
(キ) 東京入管局長は,平成19年2月7日,原告X3の前記(エ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決ハ」という。)をし,本件裁決ハの通知を受けた東京入管主任審査官は,同日,同原告に本件裁決ハを通知するとともに,退去強制令書を発付し(以下「本件退令発付処分ハ」という。),同日,同原告を東京入管収容場に収容した。(乙ハ1,ハ13から16まで)
(ク) 原告X3は,平成19年5月15日,東京入管収容場から入国者収容所東日本入国管理センター(以下「東日本センター」という。)に移収された。
(ケ) 東日本センター所長は,平成19年10月17日,原告X3の仮放免を許可した。(乙ハ17)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X3は,平成17年10月26日,成田空港支局において,法務大臣に対し,難民認定申請(以下「本件難民申請ハ」という。)をした。(乙ハ1,ハ18)
(イ) 東京入管局長は,平成17年10月28日,原告X3に対し仮滞在を許可しない旨の処分をし,同日,同原告にこれを通知した。(乙ハ1,ハ21)
(ウ) 成田空港支局難民調査官は,平成17年10月31日,同年11月8日,同月11日及び同月15日,原告X3から事情を聴取するなどの調査をした。(乙ハ1,ハ19の1から4まで)
(エ) 法務大臣は,平成17年12月26日,本件難民申請ハについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分ハ」という。)をし,平成18年1月13日,原告X3にこれを通知した。(乙ハ1,ハ22)
(オ) 東京入管局長は,平成18年1月11日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X3について,在留特別許可をしない旨の処分(以下「本件在特不許可処分ハ」という。)をし,同月13日,同原告にこれを通知した。(乙ハ1,ハ23)
(カ) 原告X3は,平成18年1月13日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分ハについて,異議申立てをした。(乙ハ1,ハ24)
(キ) 東京入管難民調査官は,平成18年10月27日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X3に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙ハ1,ハ29)
(ク) 法務大臣は,前記(カ)の異議申立てについて,平成19年1月30日,異議申立てを棄却する決定をし,同年2月7日,原告X3にこれを通知した。(乙ハ1,ハ30)
オ 本件訴えの提起
原告X3は,平成19年7月26日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(4)  原告X4関係
ア 身分事項
原告X4は,昭和41年(1966年)○月○日にミャンマーで生まれた外国人である。(甲ニ1)
イ 入国の状況
原告X4は,平成18年5月14日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,本邦外の不詳地から便名等不詳の航空機で成田国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙ニ1,ニ3)
ウ 退去強制手続
(ア) 成田空港支局入国警備官は,原告X4について違反調査をした結果,同原告が入管法24条1号に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,平成18年5月14日,成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受けた。(乙ニ1,ニ4)
(イ) 成田空港支局入国警備官は,平成18年5月15日,原告X4に対して発付された収容令書を執行し,同日,同原告を入管法24条1号該当容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。(乙ニ1,ニ4,ニ5)
(ウ) 成田空港支局入国審査官は,平成18年5月15日及び同年6月5日,原告X4について違反審査をし,その結果,同日,同原告が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,成田空港支局特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙ニ1,ニ6の1及び2,ニ7)
(エ) 成田空港支局特別審理官は,平成18年7月4日,原告X4について口頭審理を行い,その結果,同日,成田空港支局入国審査官の前記(ウ)の認定は誤りがない旨判定し,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,法務大臣に対して,異議の申出をした。(乙ニ1,ニ8から10まで)
(オ) 東京入管局長は,平成18年7月4日,原告X4の前記(エ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決ニ」という。)をし,同月7日,本件裁決ニの通知を受けた成田空港支局主任審査官は,同原告に本件裁決ニを通知するとともに,退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分ニ」という。)。(乙ニ1,ニ11から14)
(カ) 原告X4は,平成18年7月10日,成田空港支局収容場から東日本センターに移収された。(乙ニ1,ニ14)
(キ) 原告X4は,平成19年3月20日,東日本センターから東京入管収容場に移収された。(乙ニ1,ニ14)
(ク) 原告X4は,平成19年3月23日,東京入管収容場から東日本センターに移収された。(乙ニ1,ニ14)
(ケ) 東日本センター所長は,平成19年8月27日,原告X4の仮放免を許可した。(乙ニ1,ニ16)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X4は,平成18年5月15日,成田空港支局において,法務大臣に対し,難民認定申請(以下「本件難民申請ニ」という。)をした。(乙ニ1,ニ17)
(イ) 成田空港支局難民調査官は,平成18年6月6日,原告X4から事情を聴取するなどの調査をした。(乙ニ1,ニ18)
(ウ) 法務大臣は,平成18年6月27日,本件難民申請ニについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分ニ」という。)をし,同年7月7日,原告X4にこれを通知した。(乙ニ1,ニ20)
(エ) 東京入管局長は,平成18年7月7日,原告X4に対し仮滞在を許可しない旨の処分をし,同日,同原告にこれを通知した。(乙ニ1,ニ19)
(オ) 東京入管局長は,平成18年7月7日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X4について,在留特別許可をしない旨の処分(以下「本件在特不許可処分ニ」という。)をし,同日,同原告にこれを通知した。(乙ニ1,ニ21)
(カ) 原告X4は,平成18年7月10日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分ニについて,異議申立てをした。(乙ニ1,ニ22)
(キ) 東京入管難民調査官は,平成19年3月22日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X4に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙ニ1,ニ24)
(ク) 法務大臣は,前記(カ)の異議申立てについて,平成19年5月10日,異議申立てを棄却する決定をし,同月25日,原告X4にこれを通知した。(乙ニ1,ニ25)
オ 本件訴えの提起
原告X4は,平成19年7月26日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(5)  原告X5関係
ア 身分事項
原告X5は,1976年(昭和51年)○月○日にミャンマーで生まれた外国人である。(乙ホ1,ホ2の1)
イ 入国の状況
原告X5は,平成18年5月5日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,本邦外の不詳地から便名等不詳の航空機で成田国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙ホ1,ホ2の1)
ウ 退去強制手続
(ア) 成田空港支局入国警備官は,平成18年5月5日,原告X5について違反調査をした結果,同原告が入管法24条1号に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,同日,成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受けた。(乙ホ1,ホ3)
(イ) 成田空港支局入国警備官は,平成18年5月5日,前記(ア)の収容令書を執行し,同月6日,原告X5を入管法24条1号該当容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。(乙ホ1,ホ3,ホ4)
(ウ) 成田空港支局入国審査官は,平成18年5月6日及び同年6月1日,原告X5について違反審査をし,その結果,同日,同原告が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,成田空港支局特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙ホ1,ホ5の1及び2,ホ6)
(エ) 成田空港支局特別審理官は,平成18年6月20日,原告X5について口頭審理を行い,その結果,同日,成田空港支局入国審査官の前記(ウ)の認定に誤りのない旨判定し,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,法務大臣に対して,異議の申出をした。(乙ホ1,ホ7から9まで)
(オ) 東京入管局長は,平成18年6月28日,原告X5の前記(エ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決ホ」という。)をし,同日,本件裁決ホの通知を受けた成田空港支局主任審査官は,同原告に本件裁決ホを通知するとともに,退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分ホ」という。)。(乙ホ1,ホ10から14まで)
(カ) 原告X5は,平成18年7月6日,成田空港支局収容場から東日本センターに移収された。(乙ホ1,ホ13)
(キ) 原告X5は,平成19年4月25日,東日本センターから東京入管収容場に移収された。(乙ホ1,ホ13)
(ク) 原告X5は,平成19年4月27日,東京入管収容場から東日本センターに移収された。(乙ホ1,ホ13)
(ケ) 東日本センター所長は,平成19年8月27日,原告X5の仮放免を許可した。(乙ホ1,ホ15)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X5は,平成18年5月9日,成田空港支局において,法務大臣に対し,難民認定申請(以下「本件難民申請ホ」という。)をした。(乙ホ1,ホ16)
(イ) 成田空港支局難民調査官は,平成18年5月16日及び同年6月7日,原告X5から事情を聴取するなどの調査をした。(乙ホ1,ホ17の1及び2)
(ウ) 法務大臣は,平成18年6月26日,本件難民申請ホについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分ホ」という。)をし,同月28日,原告X5にこれを通知した。(乙ホ1,ホ19)
(エ) 東京入管局長は,平成18年6月28日,原告X5に対し仮滞在を許可しない旨の処分をし,同日,同原告にこれを通知した。(乙ホ1,ホ18)
(オ) 東京入管局長は,平成18年6月28日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X5について,在留特別許可をしない処分(以下「本件在特不許可処分ホ」という。)をし,同日,同原告にこれを通知した。(乙ホ1,ホ20)
(カ) 原告X5は,平成18年6月29日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分ホについて,異議申立てをした。(乙ホ1,ホ21,ホ22)
(キ) 東京入管難民調査官は,平成19年4月26日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X5に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙ホ1,ホ23)
(ク) 法務大臣は,平成19年10月10日,前記(カ)の異議申立てを棄却する決定をし,同月25日,原告X5にこれを通知した。(乙ホ24)
オ 本件訴えの提起
原告X5は,平成19年7月26日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(6)  原告X6関係
ア 身分事項
原告X6は,1976年(昭和51年)○月○日にミャンマーで出生した外国人である。(甲ヘ1,乙ヘ1)
イ 入国の状況
原告X6は,平成18年6月19日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,本邦外の不詳地から便名等不詳の航空機で成田国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙ヘ1,ヘ2)
ウ 退去強制手続
(ア) 成田空港支局入国警備官は,平成18年6月19日,原告X6について違反調査をした結果,同原告が入管法24条1号に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,同日,成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受けた。(乙ヘ1から3まで)
(イ) 成田空港支局入国警備官は,平成18年6月19日,前記(ア)の収容令書を執行し,同月20日,原告X6を入管法24条1号該当容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。(乙ヘ1,ヘ3及び4)
(ウ) 成田空港支局入国審査官は,平成18年6月20日及び同年7月25日,原告X6について違反審査をし,その結果,同日,同原告が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,成田空港支局特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙ヘ1,ヘ5の1及び2,ヘ6)
(エ) 成田空港支局特別審理官は,平成18年8月8日,原告X6について口頭審理を行い,その結果,同日,成田空港支局入国審査官の前記(ウ)の認定に誤りのない旨判定し,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同月9日,法務大臣に対して,異議の申出をした。(乙ヘ1,ヘ7から9まで)
(オ) 東京入管局長は,平成18年8月16日,原告X6の前記(エ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決ヘ」という。)をし,同日,本件裁決ヘの通知を受けた成田空港支局主任審査官は,同原告に本件裁決ヘを通知するとともに,退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分ヘ」という。)。(乙ヘ1,ヘ10から13まで)
(カ) 原告X6は,平成18年8月23日,成田空港支局収容場から東日本センターに移収された。(乙ヘ1,ヘ13)
(キ) 東日本センター所長は,平成19年8月27日,原告X6の仮放免を許可した。(乙ヘ1,ヘ14)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X6は,平成18年6月21日,成田空港支局において,法務大臣に対し,難民認定申請(以下「本件難民申請ヘ」という。)をした。(乙ヘ1,ヘ15)
(イ) 成田空港支局難民調査官は,平成18年7月21日及び同月29日,原告X6から事情を聴取するなどの調査をした。(乙ヘ1,ヘ16の1及び2)
(ウ) 法務大臣臨時代理国務大臣は,平成18年8月14日,本件難民申請ヘについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分ヘ」という。)をし,同月16日,原告X6にこれを通知した。(乙ヘ1,ヘ18)
(エ) 東京入管局長は,平成18年8月16日,原告X6に対し仮滞在を許可しない旨の処分をし,同日,同原告にこれを通知した。(乙ヘ1,ヘ17)
(オ) 東京入管局長は,平成18年8月16日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X6について,在留特別許可をしない旨の処分(以下「本件在特不許可処分ヘ」という。)をし,原告X6にこれを通知した。(乙ヘ1,ヘ19)
(カ) 原告X6は,平成18年8月16日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分ヘについて,異議申立てをした。(乙ヘ1,ヘ20,ヘ21)
(キ) 東京入管難民調査官は,平成19年10月9日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X6に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙ヘ1,ヘ22)
(ク) 法務大臣は,平成19年12月13日,前記(カ)の異議申立てを棄却する決定をし,同月20日,原告X6にこれを通知した。(乙ヘ23)
オ 本件訴えの提起
原告X6は,平成19年7月26日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(7)  原告X7関係
ア 身分事項
原告X7は,1983年(昭和58年)○月○日にミャンマーで出生した外国人である。(乙ト1)
イ 入国の状況等
(ア) 原告X7は,平成18年6月13日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,中国の瀋陽から中国南方航空627便で成田国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙ト1,ト2)
(イ) 成田空港支局入国審査官は,平成18年6月13日,原告X7の上陸を防止するための措置を中国南方航空有限公司の長に依頼し,その責任において同原告の身柄を成田エアポートレストハウスに留め置かせた。(乙ト1)
ウ 退去強制手続
(ア) 成田空港支局入国警備官は,原告X7について違反調査をした結果,同原告が入管法24条1号に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,平成18年6月29日,成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受けた。(乙ト1,ト3)
(イ) 成田空港支局入国警備官は,平成18年6月30日,前記(ア)の収容令書を執行し,原告X7を入管法24条1号該当容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。(乙ト1,ト4)
(ウ) 成田空港支局入国審査官は,平成18年6月30日及び同年7月24日,原告X7について違反審査をし,その結果,同日,同原告が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,成田空港支局特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙ト1,ト5の1及び2,ト6)
(エ) 成田空港支局特別審理官は,平成18年8月14日,原告X7について口頭審理を行い,その結果,成田空港支局入国審査官の前記(ウ)の認定は誤りがない旨判定し,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同月15日,法務大臣に対して,異議の申出をした。(乙ト1,ト7から9まで)
(オ) 東京入管局長は,平成18年8月25日,原告X7の前記(エ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決ト」という。)をし,同日,本件裁決トの通知を受けた成田空港支局主任審査官は,同原告に本件裁決トを通知するとともに,退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分ト」という。)。(乙ト1,ト10から13まで)
(カ) 原告X7は,平成18年8月31日,成田空港支局収容場から東日本センターに移収された。(乙ト1,ト13)
(キ) 東日本センター所長は,平成19年8月27日,原告X7の仮放免を許可した。(乙ト1,ト14)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X7は,平成18年6月19日,成田空港支局において,難民認定申請(以下「本件難民申請ト」という。)をした。(乙ト1,ト15)
(イ) 成田空港支局難民調査官は,平成18年7月17日及び同年8月4日,原告X7から事情を聴取するなどの調査をした。(乙ト1,ト16の1及び2)
(ウ) 法務大臣は,平成18年8月18日,本件難民申請トについて,難民認定をしない処分(以下「本件難民不認定処分ト」という。)をし,同月25日,原告X7にこれを通知した。(乙ト1,ト18)
(エ) 東京入管局長は,平成18年8月25日,原告X7に対し仮滞在を許可しない旨の処分をし,同原告にこれを通知した。(乙ト1,ト17)
(オ) 東京入管局長は,平成18年8月25日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X7について,在留特別許可をしない旨の処分(以下「本件在特不許可処分ト」という。)をし,同原告にこれを通知した。(乙ト1,ト19)
(カ) 原告X7は,平成18年8月28日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分トについて,異議申立てをした。(乙ト1,ト20及び21)
(キ) 東京入管難民調査官は,平成19年10月9日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X7に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙ト1,ト22)
(ク) 法務大臣は,平成19年12月13日,前記(カ)の異議申立てを棄却する決定をし,同月20日,原告X7にこれを通知した。(乙ト23)
オ 本件訴えの提起
原告X7は,平成19年7月26日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(8)  原告X8関係
ア 身分事項
原告X8は,昭和52年(1977年)○月○日にミャンマーのアラカン州マウンドーで生まれた外国人である。(甲チ1,乙チ1)
イ 入国の状況
原告X8は,平成18年5月13日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,本邦外の不詳地から便名等不詳の航空機で成田国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙チ1及び2)
ウ 退去強制手続
(ア) 成田空港支局入国警備官は,平成18年5月13日,原告X8について違反調査をした結果,同原告が入管法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受けた。(乙チ1,チ3)
(イ) 成田空港支局入国警備官は,平成18年5月13日,前記(ア)の収容令書を執行し,同月15日,原告X8を入管法24条1号該当容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。(乙チ1,チ3及び4)
(ウ) 成田空港支局入国審査官は,平成18年5月15日及び同年6月12日,原告X8について違反審査をし,その結果,同日,同原告が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,原告X8にこれを通知したところ,同原告は,同日,成田空港支局特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙チ1,チ5の1及び2,チ6)
(エ) 成田空港支局特別審理官は,平成18年7月6日,原告X8について口頭審理を行い,その結果,成田空港支局入国審査官の前記(ウ)の認定は誤りがない旨判定し,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同月7日,法務大臣に対して,異議の申出をした。(乙チ1,チ7から9まで)
(オ) 東京入管局長は,平成18年7月10日,原告X8の前記(エ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決チ」という。)をし,本件裁決チの通知を受けた成田空港支局主任審査官は,同日,同原告に本件裁決チを通知するとともに,退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分チ」という。)。(乙チ1,チ10から13まで)
(カ) 原告X8は,平成18年7月11日,成田空港支局収容場から東日本センターに移収された。(乙チ1,チ13)
(キ) 原告X8は,平成19年3月20日,東日本センターから東京入管収容場に移収された。(乙チ1,チ13)
(ク) 原告X8は,平成19年3月23日,東京入管収容場から東日本センターに移収された。(乙チ1,チ13)
(ケ) 東日本センター所長は,平成19年8月16日,原告X8の仮放免を許可した。(乙チ1,チ13及び14)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X8は,平成18年5月15日,成田空港支局において,難民認定申請(以下「本件難民申請チ」という。)をした。(乙チ1,チ15)
(イ) 成田空港支局難民調査官は,平成18年6月10日及び同年7月2日,原告X8から事情を聴取するなどの調査をした。(乙チ1,チ16の1及び2)
(ウ) 法務大臣は,平成18年7月7日,本件難民申請チについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分チ」という。)をし,同月10日,原告X8にこれを通知した。(乙チ1,チ18)
(エ) 東京入管局長は,平成18年7月10日,原告X8に対し仮滞在を許可しない旨の処分をし,同原告にこれを通知した。(乙チ1,チ17)
(オ) 東京入管局長は,平成18年7月10日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X8について,在留特別許可をしない旨の処分(以下「本件在特不許可処分チ」という。)をし,同原告にこれを通知した。(乙チ1,チ19)
(カ) 原告X8は,平成18年7月11日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分チについて,異議申立てをした。(乙チ1,チ20)
(キ) 東京入管難民調査官は,平成19年3月22日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X8に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙チ1,チ22)
(ク) 法務大臣は,前記(カ)の異議申立てについて,平成19年5月10日,異議申立てを棄却する決定をし,同月25日,原告X8にこれを通知した。(乙チ1,チ23)
オ 本件訴えの提起
原告X8は,平成19年11月23日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(9)  原告X9関係
ア 身分事項
原告X9は,昭和43年(1968年)○月○日にミャンマーで出生した外国人である。(乙リ1)
イ 入国及び在留の状況
(ア) 原告X9は,平成18年1月20日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,本邦外の不詳地から便名等不詳の航空機で成田国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙リ1及び2)
(イ) 原告X9は,平成18年3月6日,居住地を群馬県館林市〈以下省略〉として外国人登録法(以下「外登法」という。)3条に基づく新規登録を受けた。(乙リ1,リ26の1)
(ウ) 原告X9は,平成18年7月27日,新居住地を群馬県館林市〈以下省略〉として,外登法8条に基づく居住地変更登録を受けた。(乙リ1,リ26の1)
(エ) 原告X9は,平成19年3月9日,新居住地を群馬県館林市〈以下省略〉として,外登法8条に基づく居住地変更登録を受けた。(乙リ1,リ26の2)
(オ) 原告X9は,平成19年12月20日,新居住地を群馬県館林市〈以下省略〉として,外登法8条に基づく居住地変更登録を受けた。(乙リ1)
ウ 退去強制手続
(ア) 成田空港支局入国警備官は,平成18年1月20日,原告X9について違反調査をした結果,同原告が入管法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受けた。(乙リ1から3まで)
(イ) 成田空港支局入国警備官は,平成18年1月20日,前記(ア)の収容令書を執行し,同月22日,原告X9を入管法24条1号該当容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。(乙リ1,リ3及び4)
(ウ) 成田空港支局入国審査官は,平成18年1月22日,原告X9について違反審査を実施した。(乙リ1,リ5の1)
(エ) 東京入管局長は,平成18年2月2日,原告X9の仮滞在を許可した。(乙リ1,リ17)
(オ) 原告X9は,平成19年5月28日,東京入管収容場に再収容された。(乙リ1,リ3)
(カ) 東京入管入国審査官は,平成19年6月1日,原告X9について違反審査をし,その結果,同原告が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,東京入管特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙リ1,リ5の2,リ6)
(キ) 東京入管特別審理官は,平成19年6月20日,原告X9について口頭審理を行い,その結果,東京入管入国審査官の前記(カ)の認定は誤りがない旨判定し,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,法務大臣に対して,異議の申出をした。(乙リ1,リ7から9まで)
(ク) 東京入管局長は,平成19年6月29日,原告X9の前記(キ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決リ」という。)をし,本件裁決リの通知を受けた東京入管主任審査官は,同日,同原告に本件裁決リを通知するとともに,退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分リ」という。)。(乙リ1,リ10から13まで)
(ケ) 原告X9は,平成19年8月6日,東京入管収容場から東日本センターに移収された。(乙リ1,リ13)
(コ) 東日本センター所長は,平成19年10月16日,原告X9の仮放免を許可した。(乙リ1,リ13及び14)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X9は,平成18年1月23日,成田空港支局において,難民認定申請(以下「本件難民申請リ」という。)をした。(乙リ1,リ15)
(イ) 東京入管局長は,平成18年2月2日,原告X9の仮滞在を許可した。(乙リ1,リ17)
(ウ) 成田空港支局難民調査官は,平成18年2月14日,原告X9から事情を聴取するなどの調査をした。(乙リ1,リ16)
(エ) 法務大臣は,平成18年7月7日,本件難民申請リについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分リ」という。)をし,同月28日,原告X9にこれを通知した。(乙リ1,リ18)
(オ) 東京入管局長は,平成18年7月28日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X9について,在留特別許可をしない旨の処分(以下「本件在特不許可処分リ」という。)をし,同原告にこれを通知した。(乙リ1,リ19)
(カ) 原告X9は,平成18年8月3日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分リについて,異議申立てをした。(乙リ1,リ20)
(キ) 東京入管難民調査官は,平成19年3月15日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X9に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙リ1,リ22)
(ク) 法務大臣は,平成19年5月18日,前記(カ)の異議申立てについて,異議申立てを棄却する決定をし,同月28日,原告X9にこれを通知した。(乙リ1,リ23)
オ 本件訴えの提起
原告X9は,平成19年12月27日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(10)  原告X10関係
ア 身分事項
原告X10は,1980年(昭和55年)○月○日にミャンマーで出生した外国人である。(乙ヌ1)
イ 入国の状況
原告X10は,平成18年5月12日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,本邦外の不詳地から便名等不詳の航空機で成田国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙ヌ1及び2)
ウ 退去強制手続
(ア) 成田空港支局入国警備官は,平成18年5月13日,原告X10について違反調査をした結果,同原告が入管法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受けた。(乙ヌ1から3まで)
(イ) 成田空港支局入国警備官は,平成18年5月13日,前記(ア)の収容令書を執行し,同月14日,原告X10を入管法24条1号該当容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。(乙ヌ1,ヌ3及び4)
(ウ) 成田空港支局入国審査官は,平成18年5月14日及び同年6月8日,原告X10について違反審査をし,その結果,同日,同原告が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,成田空港支局特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙ヌ1,ヌ5の1及び2,ヌ6)
(エ) 成田空港支局特別審理官は,平成18年6月22日,原告X10について口頭審理を行い,その結果,成田空港支局入国審査官の前記(ウ)の認定に誤りのない旨判定し,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,法務大臣に対して,異議の申出をした。(乙ヌ1,ヌ7から9まで)
(オ) 東京入管局長は,平成18年6月29日,原告X10の前記(エ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決ヌ」という。)をし,本件裁決ヌの通知を受けた成田空港支局主任審査官は,同月30日,同原告に本件裁決ヌを通知するとともに,退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分ヌ」という。)。(乙ヌ1,ヌ10から13まで)
(カ) 原告X10は,平成18年7月6日,成田空港支局収容場から東日本センターに移収された。(乙ヌ1,ヌ13)
(キ) 原告X10は,平成19年4月25日,東日本センターから東京入管収容場に移収された。(乙ヌ1,ヌ13)
(ク) 原告X10は,平成19年4月27日,東京入管収容場から東日本センターに移収された。(乙ヌ1,ヌ13)
(ケ) 東日本センター所長は,平成19年9月11日,原告X10の仮放免を許可した。(乙ヌ1,ヌ13及び14)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X10は,平成18年5月16日,成田空港支局において,難民認定申請(以下「本件難民申請ヌ」という。)をした。(乙ヌ1,ヌ15)
(イ) 成田空港支局難民調査官は,平成18年6月3日,原告X10から事情を聴取するなどの調査をした。(乙ヌ1,ヌ16)
(ウ) 法務大臣は,平成18年6月27日,本件難民申請ヌについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分ヌ」という。)をし,同月30日,原告X10にこれを通知した。(乙ヌ1,ヌ18)
(エ) 東京入管局長は,平成18年6月30日,原告X10に対し仮滞在を許可しない旨の処分をし,同原告にこれを通知した。(乙ヌ1,ヌ17)
(オ) 東京入管局長は,平成18年6月30日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X10について,在留特別許可をしない旨の処分(以下「本件在特不許可処分ヌ」という。)をし,同原告にこれを通知した。(乙ヌ1,ヌ19)
(カ) 原告X10は,平成18年7月3日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分ヌについて,異議申立てをした。(乙ヌ1,ヌ20)
(キ) 東京入管難民調査官は,平成19年4月26日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X10に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙ヌ1,ヌ22)
(ク) 法務大臣は,平成19年10月16日,前記(カ)の異議申立てについて,異議申立てを棄却する決定をし,同月25日,原告X10にこれを通知した。(乙ヌ1,ヌ23)
オ 本件訴えの提起
原告X10は,平成20年3月7日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(11)  原告X11関係
ア 身分事項
原告X11は,昭和55年(1980年)○月○日にミャンマーで出生した外国人である。(乙ル1)
イ 入国の状況
原告X11は,平成18年5月13日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,本邦外の不詳地から便名等不詳の航空機で成田国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙ル1及び2)
ウ 退去強制手続
(ア) 成田空港支局入国警備官は,平成18年5月14日,原告X11について違反調査をした結果,同原告が入管法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受けた。(乙ル1から3まで)
(イ) 成田空港支局入国警備官は,平成18年5月14日,前記(ア)の収容令書を執行し,同月15日,原告X11を入管法24条1号該当容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。(乙ル1,ル3及び4)
(ウ) 成田空港支局入国審査官は,平成18年5月15日及び同年6月15日,原告X11について違反審査をし,その結果,同日,同原告が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,成田空港支局特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙ル1,ル5の1及び2,ル6)
(エ) 成田空港支局特別審理官は,平成18年7月7日,原告X11について口頭審理を行い,その結果,成田空港支局入国審査官の前記(ウ)の認定に誤りのない旨判定するとともに,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,法務大臣に対して,異議の申出をした。(乙ル1,ル7から9まで)
(オ) 東京入管局長は,平成18年7月10日,原告X11の前記(エ)の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決ル」という。)をし,本件裁決ルの通知を受けた成田空港支局主任審査官は,同日,同原告に本件裁決ルを通知するとともに,退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分ル」という。)。(乙ル1,ル10から13まで)
(カ) 原告X11は,平成18年7月11日,成田空港支局収容場から東日本センターに移収された。(乙ル1,ル13)
(キ) 原告X11は,平成19年7月24日,東日本センターから東京入管収容場に移収された。(乙ル1,ル13)
(ク) 原告X11は,平成19年7月26日,東京入管収容場から東日本センターに移収された。(乙ル1,ル13)
(ケ) 東日本センター所長は,平成19年9月19日,原告X11の仮放免を許可した。(乙ル1,ル13及び14)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X11は,平成18年5月15日,成田空港支局において,難民認定申請(以下「本件難民申請ル」という。)をした。(乙ル1,ル15)
(イ) 成田空港支局難民調査官は,平成18年6月14日及び同年7月2日,原告X11から事情を聴取するなどの調査をした。(乙ル1,ル16の1及び2)
(ウ) 法務大臣は,平成18年7月7日,本件難民申請ルについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分ル」という。)をし,同月10日,原告X11にこれを通知した。(乙ル1,ル18)
(エ) 東京入管局長は,平成18年7月10日,原告X11に対し仮滞在を許可しない旨の処分をし,同原告にこれを通知した。(乙ル1,ル17)
(オ) 東京入管局長は,平成18年7月10日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X11について,在留特別許可をしない旨の処分(以下「本件在特不許可処分ル」という。)をし,同原告にこれを通知した。(乙ル1,ル19)
(カ) 原告X11は,平成18年7月11日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分ルについて,異議申立てをした。(乙ル1,ル20)
(キ) 東京入管難民調査官は,平成19年7月25日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X11に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙ル1,ル22)
(ク) 法務大臣は,前記(カ)の異議申立てについて,平成19年10月16日,異議申立てを棄却する決定をし,同月25日,原告X11にこれを通知した。(乙ル1,ル23)
オ 本件訴えの提起
原告X11は,平成20年3月7日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(12)  原告X12関係
ア 身分事項
原告X12は,1958年(昭和33年)○月○日にミャンマーで生まれた外国人である。(乙ヲ1)
イ 入国の状況
原告X12は,平成18年6月7日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,中華人民共和国の杭州から全日本空輸930便で成田国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙ヲ1)
ウ 退去強制手続
(ア) 成田空港支局入国警備官は,原告X12が入管法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,平成18年6月27日,成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受けた。(乙ヲ1,ヲ3)
(イ) 成田空港支局入国警備官は,平成18年6月28日,原告X12について違反調査を行うとともに,同原告に対して発付された前記(ア)の収容令書を執行し,同月29日,同原告を入管法24条1号該当容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。(乙ヲ1,ヲ2から4まで)
(ウ) 成田空港支局入国審査官は,平成18年6月29日,原告X12について違反審査をし,その結果,同原告が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,同原告にこれを通知したところ,同原告は,成田空港支局特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙ヲ1,ヲ5及び6)
(エ) 成田空港支局特別審理官は,平成18年8月10日,原告X12について口頭審理を行い,その結果,成田空港支局入国審査官の前記(ウ)の認定に誤りのない旨判定するとともに,同原告にこれを通知したところ,同原告は,法務大臣に対して,異議の申出をした。(乙ヲ1,ヲ7から9まで)
(オ) 東京入管局長は,平成18年8月22日,原告X12の前記(エ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決ヲ」という。)をし,本件裁決ヲの通知を受けた成田空港支局主任審査官は,同原告に本件裁決ヲを通知するとともに,退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分ヲ」という。)。(乙ヲ1,ヲ10から13まで)
(カ) 原告X12は,平成18年8月31日,成田空港支局収容場から東日本センターに移収された。(乙ヲ1,ヲ13)
(キ) 東日本センター所長は,平成19年9月11日,原告X12の仮放免を許可した。(乙ヲ1,ヲ13及び14)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X12は,平成18年6月12日,成田空港支局において,難民認定申請(以下「本件難民申請ヲ」という。)をした。(乙ヲ1,ヲ15)
(イ) 成田空港支局難民調査官は,平成18年6月23日,原告X12から事情を聴取するなどの調査をした。(乙ヲ1,ヲ16)
(ウ) 法務大臣は,平成18年8月1日,本件難民申請ヲについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分ヲ」という。)をし,同月22日,原告X12にこれを通知した。(乙ヲ1,ヲ18)
(エ) 東京入管局長は,平成18年8月22日,原告X12に対し仮滞在を許可しない旨の処分をし,同原告にこれを通知した。(乙ヲ1,ヲ17)
(オ) 東京入管局長は,平成18年8月22日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X12について,在留特別許可をしない旨の処分(以下「本件在特不許可処分ヲ」という。)をし,同原告にこれを通知した。(乙ヲ1,ヲ19)
(カ) 原告X12は,平成18年8月24日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分ヲについて,異議申立てをした。(乙ヲ1,ヲ20及び21)
(キ) 東京入管難民調査官は,平成19年11月30日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X12に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙ヲ1,ヲ22)
(ク) 法務大臣は,前記(カ)の異議申立てについて,平成20年2月29日,異議申立てを棄却する決定をし,同年3月7日,原告X12にこれを通知した。(乙ヲ1,ヲ23)
オ 本件訴えの提起
原告X12は,平成20年7月3日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(13)  原告X13関係
ア 身分事項
原告X13は,1976年(昭和51年)○月○日にミャンマーで生まれた外国人である。(甲ワ1,乙ワ1)
イ 入国の状況
原告X13は,平成18年6月18日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,中華人民共和国の大連から中国国際航空951便で成田国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙ワ1)
ウ 退去強制手続
(ア) 成田空港支局入国警備官は,原告X13が入管法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,平成18年7月3日,成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受けた。(乙ワ1,ワ3)
(イ) 成田空港支局入国警備官は,平成18年7月4日,原告X13に対して発付された前記(ア)の収容令書を執行し,同月5日,同原告について違反調査を行い,同原告を入管法24条1号該当容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。(乙ワ1から4まで)
(ウ) 成田空港支局入国審査官は,平成18年7月5日及び同年8月6日,原告X13について違反審査をし,その結果,同日,同原告が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,成田空港支局特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙ワ1,ワ5から7まで)
(エ) 成田空港支局特別審理官は,平成18年8月15日,原告X13について口頭審理を行い,その結果,成田空港支局入国審査官の前記(ウ)の認定に誤りのない旨判定するとともに,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,法務大臣に対して,異議の申出をした。(乙ワ1,ワ8から10まで)
(オ) 東京入管局長は,平成18年8月25日,原告X13の前記(エ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決ワ」という。)をし,本件裁決ワの通知を受けた成田空港支局主任審査官は,同原告に本件裁決ワを通知するとともに,退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分ワ」という。)。(乙ワ1,ワ11から14まで)
(カ) 原告X13は,平成18年8月31日,成田空港支局収容場から東日本センターに移収された。(乙ワ1,ワ14)
(キ) 東日本センター所長は,平成19年10月16日,原告X13の仮放免を許可した。(乙ワ1,ワ14及び15)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X13は,平成18年6月20日,成田空港支局において,難民認定申請(以下「本件難民申請ワ」という。)をした。(乙ワ1,ワ16)
(イ) 成田空港支局難民調査官は,平成18年7月21日,同月25日及び同月26日,原告X13から事情を聴取するなどの調査をした。(乙ワ1,ワ17から19まで)
(ウ) 法務大臣は,平成18年8月21日,本件難民申請ワについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分ワ」という。)をし,同月25日,原告X13にこれを通知した。(乙ワ1,ワ20)
(エ) 東京入管局長は,平成18年8月25日,原告X13に対し仮滞在を許可しない旨の処分をし,同原告にこれを通知した。(乙ワ1,ワ21)
(オ) 東京入管局長は,平成18年8月25日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X13について,在留特別許可をしない旨の処分(以下「本件在特不許可処分ワ」という。)をし,同原告にこれを通知した。(乙ワ1,ワ22)
(カ) 原告X13は,平成18年8月28日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分ワについて,異議申立てをした。(乙ワ1,ワ23及び24)
(キ) 東京入管難民調査官は,平成19年11月12日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X13に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙ワ1,ワ25)
(ク) 法務大臣は,前記(カ)の異議申立てについて,平成20年3月3日,異議申立てを棄却する決定をし,同月25日,原告X13にこれを通知した。(乙ワ1,ワ26)
オ 本件訴えの提起
原告X13は,平成20年7月3日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(14)  原告X14関係
ア 身分事項
原告X14は,昭和40年(1965年)○月○日にミャンマーで生まれた外国人である。(甲カ1)
イ 入国の状況
原告X14は,平成18年6月12日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,本邦外の不詳地から便名等不詳の航空機で成田国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙カ1)
ウ 退去強制手続
(ア) 成田空港支局入国警備官は,平成18年6月12日,原告X14が入管法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受け,同原告に対し同収容令書を執行し,成田空港支局収容場に収容した。(乙カ1及び2)
(イ) 成田空港支局入国警備官は,平成18年6月13日,原告X14について違反調査を実施し,同原告を入管法24条1号該当容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。(乙カ1,カ3及び4)
(ウ) 成田空港支局入国審査官は,平成18年6月13日及び同年7月20日,原告X14について違反審査をし,その結果,同原告が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,同原告にこれを通知したところ,同原告は,成田空港支局特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙カ1,カ5から7まで)
(エ) 成田空港支局特別審理官は,平成18年7月27日,原告X14について口頭審理を行い,その結果,成田空港支局入国審査官の前記(ウ)の認定に誤りのない旨判定するとともに,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同月28日,法務大臣に対して,異議の申出をした。(乙カ1,カ9から11まで)
(オ) 東京入管局長は,平成18年8月7日,原告X14の前記(エ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決カ」という。)をし,本件裁決カの通知を受けた成田空港支局主任審査官は,同原告に本件裁決カを通知するとともに,退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分カ」という。)。(乙カ1,カ12から15まで)
(カ) 原告X14は,平成18年8月18日,成田空港支局収容場から東日本センターに移収された。(乙カ1,カ15)
(キ) 東日本センター所長は,平成19年8月8日,原告X14の仮放免を許可した。(乙カ1,カ15及び16)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X14は,平成18年6月15日,成田空港支局において,難民認定申請(以下「本件難民申請カ」という。)をした。(乙カ1,カ17)
(イ) 成田空港支局難民調査官は,平成18年7月15日,原告X14から事情を聴取するなどの調査をした。(乙カ1,カ18)
(ウ) 法務大臣は,平成18年8月1日,本件難民申請カについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分カ」という。)をし,同月7日,原告X14にこれを通知した。(乙カ1,カ19)
(エ) 東京入管局長は,平成18年8月7日,原告X14に対し仮滞在を許可しない旨の処分をし,同原告にこれを通知した。(乙カ1,カ20)
(オ) 東京入管局長は,平成18年8月7日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X14について,在留特別許可をしない旨の処分(以下「本件在特不許可処分カ」という。)をし,原告X14にこれを通知した。(乙カ1,カ21)
(カ) 原告X14は,平成18年8月8日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分カについて,異議申立てをした。(乙カ1,カ22)
(キ) 東京入管難民調査官は,平成19年10月23日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X14に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙カ1,カ24)
(ク) 法務大臣は,前記(カ)の異議申立てについて,平成19年12月14日,異議申立てを棄却する決定をし,同20年1月8日,原告X14にこれを通知した。(乙カ1,カ25)
オ 本件訴えの提起
原告X14は,平成20年7月3日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(15)  原告X15関係
ア 身分事項
原告X15は,昭和52年(1977年)○月○日にミャンマーで出生した外国人である。(乙ヨ1)
イ 入国の状況
原告X15は,平成18年6月8日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,中国の杭州から日本航空636便により成田国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙ヨ1)
ウ 退去強制手続
(ア) 成田空港支局入国警備官は,平成18年6月28日,原告X15が入管法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受け,同月29日,同収容令書を執行した。(乙ヨ1及び2)
(イ) 成田空港支局入国警備官は,平成18年6月29日,原告X15に係る違反調査をした。(乙ヨ3)
(ウ) 成田空港支局入国警備官は,平成18年6月30日,原告X15を入管法24条1号該当容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。(乙ヨ1,ヨ4)
(エ) 成田空港支局入国審査官は,平成18年6月30日及び同年7月18日,原告X15について違反審査をし,その結果,同原告が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,同原告にこれを通知したところ,同原告は,成田空港支局特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙ヨ1,ヨ5から7まで)
(オ) 成田空港支局特別審理官は,平成18年8月14日,原告X15について口頭審理を行い,その結果,成田空港支局入国審査官の前記(エ)の認定に誤りのない旨判定するとともに,同原告にこれを通知したところ,同原告は,法務大臣に対して,異議の申出をした。(乙ヨ1,ヨ8から10まで)
(カ) 東京入管局長は,平成18年8月22日,原告X15の前記(オ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決ヨ」という。)をし,本件裁決ヨの通知を受けた成田空港支局主任審査官は,同原告に本件裁決ヨを通知するとともに,退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分ヨ」という。)。(乙ヨ1,ヨ11から14まで)
(キ) 原告X15は,平成18年8月31日,成田空港支局収容場から東日本センターに移収された。(乙ヨ1,ヨ14)
(ク) 東日本センター所長は,平成19年8月24日,原告X15の仮放免を許可した。(乙ヨ1,ヨ14及び15)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X15は,平成18年6月12日,成田空港支局において,難民認定申請(以下「本件難民申請ヨ」という。)をした。(乙ヨ1,ヨ16)
(イ) 成田空港支局難民調査官は,平成18年6月28日及び同年7月8日,原告X15から事情を聴取するなどの調査をした。(乙ヨ1,ヨ17及び18)
(ウ) 法務大臣は,平成18年8月1日,本件難民申請ヨについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分ヨ」という。)をし,同月22日,原告X15にこれを通知した。(乙ヨ1,ヨ19)
(エ) 東京入管局長は,平成18年8月22日,原告X15に対し仮滞在を許可しない旨の処分をし,同原告にこれを通知した。(乙ヨ1,ヨ20)
(オ) 東京入管局長は,平成18年8月22日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X15について,在留特別許可をしない旨の処分(以下「本件在特不許可処分ヨ」という。)をし,同原告にこれを通知した。(乙ヨ1,ヨ21)
(カ) 原告X15は,平成18年8月22日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分ヨについて,異議申立てをした。(乙ヨ1,ヨ22)
(キ) 東京入管難民調査官は,平成19年11月5日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X15に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙ヨ1,ヨ24)
(ク) 法務大臣は,前記(カ)の異議申立てについて,平成20年2月14日,異議申立てを棄却する決定をし,同月27日,原告X15にこれを通知した。(乙ヨ1,ヨ25)
オ 本件訴えの提起
原告X15は,平成20年7月3日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(16)  原告X16関係
ア 身分事項
原告X16は,1969年(昭和44年)○月○日にミャンマーで出生した外国人である。(甲タ1,乙タ1)
イ 入国の状況
原告X16は,平成18年8月28日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,インドネシアのジャカルタからガルーダ・インドネシア航空880便により成田国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙タ1)
ウ 退去強制手続
(ア) 成田空港支局入国警備官は,平成18年8月28日,原告X16が入管法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受け,同収容令書を執行した。(乙タ1,タ4及び5)
(イ) 成田空港支局入国警備官は,平成18年8月28日,原告X16に係る違反調査をした。(乙タ4)
(ウ) 成田空港支局入国警備官は,平成18年8月29日,原告X16を入管法24条1号該当容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。(乙タ1,タ6)
(エ) 成田空港支局入国審査官は,平成18年8月29日,原告X16について違反審査をし,その結果,同原告が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,同原告にこれを通知したところ,同原告は,成田空港支局特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙タ1,タ7及び8)
(オ) 成田空港支局特別審理官は,平成18年10月2日,原告X16について口頭審理を行い,その結果,成田空港支局入国審査官の前記(エ)の認定に誤りのない旨判定するとともに,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同月4日,法務大臣に対して,異議の申出をした。(乙タ1,タ9から11まで)
(カ) 東京入管局長は,平成18年10月17日,原告X16の前記(オ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決タ」という。)をし,本件裁決タの通知を受けた成田空港支局主任審査官は,同原告に本件裁決タを通知するとともに,退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分タ」という。)。(乙タ1,タ12から15まで)
(キ) 原告X16は,平成18年10月24日,成田空港支局収容場から東日本センターに移収された。(乙タ1,タ15)
(ク) 東日本センター所長は,平成19年9月19日,原告X16の仮放免を許可した。(乙タ1,タ15及び16)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X16は,平成18年9月4日,成田空港支局において,難民認定申請(以下「本件難民申請タ」という。)をした。(乙タ1,タ17)
(イ) 成田空港支局難民調査官は,平成18年9月19日及び同年9月21日,原告X16から事情を聴取するなどの調査をした。(乙タ1,タ18及び19)
(ウ) 東京入管局長は,平成18年9月26日,原告X16に対し仮滞在を許可しない旨の処分をし,同原告にこれを通知した。(乙タ1,タ20)
(エ) 法務大臣は,平成18年10月6日,本件難民申請タについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分タ」という。)をし,同月17日,原告X16にこれを通知した。(乙タ1,タ21)
(オ) 東京入管局長は,平成18年10月17日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X16について,在留特別許可をしない旨の処分(以下「本件在特不許可処分タ」という。)をし,同原告にこれを通知した。(乙タ1,タ22)
(カ) 原告X16は,平成18年10月19日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分タについて,異議申立てをした。(乙タ1,タ23)
(キ) 東京入管難民調査官は,平成19年11月6日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X16に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙タ1,タ24)
(ク) 法務大臣は,前記(カ)の異議申立てについて,平成19年12月21日,異議申立てを棄却する決定をし,同20年1月10日,原告X16にこれを通知した。(乙タ1,タ25)
オ 本件訴えの提起
原告X16は,平成20年7月3日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(17)  原告X17関係
ア 身分事項
原告X17は,1974年(昭和49年)○月○日,ミャンマーにおいて出生した外国人である。(甲レ46,乙レ1)
イ 入国及び在留の状況
(ア) 原告X17は,平成13年5月21日ころ,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず韓国の釜山から船名不詳のマレーシア船籍コンテナ船により,横浜港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙レ1,レ12の1,レ14)
(イ) 原告X17は,平成17年1月4日,居住地を群馬県館林市〈以下省略〉として,外登法3条に基づく新規登録を受けた。(乙レ1)
(ウ) 原告X17は,平成18年3月22日,居住地を群馬県邑楽郡〈以下省略〉,世帯主をX19として,外登法8条に基づく変更登録を受けた。(乙レ1)
(エ) 原告X17は,平成18年7月3日,居住地を群馬県館林市〈以下省略〉,世帯主をX17として,外登法8条に基づく変更登録を受けた。(乙レ1)
(オ) 原告X17は,平成18年11月24日,居住地を群馬県館林市〈以下省略〉として,外登法8条に基づく変更登録を受けた。(乙レ1)
ウ 退去強制手続
(ア) 東京入管入国警備官は,平成17年6月13日,東京入管において,原告X17に係る違反調査をし,その結果,同原告が入管法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,同年7月4日,東京入管主任審査官から収容令書の発付を受け,同月8日,同収容令書を執行した。(乙レ1,レ13)
(イ) 東京入管入国警備官は,平成17年7月8日,原告X17を入管法24条1号該当容疑者として東京入管入国審査官に引き渡した。(乙レ1)
(ウ) 東京入管入国審査官は,平成17年7月8日,東京入管において,原告X17に係る違反審査をし,その結果,原告X17が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,東京入管特別審理官に対し口頭審理の請求をした。東京入管主任審査官は,同日,同原告を仮放免した。(乙レ1,レ14及び15,レ22)
(エ) 東京入管特別審理官は,平成17年9月1日,原告X17に係る口頭審理をし,その結果,入国審査官の前記(ウ)の認定は誤りがない旨判定するとともに,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,法務大臣に対して,異議の申出をした。(乙レ1,レ16から18まで)
(オ) 東京入管局長は,平成19年11月22日,原告X17の前記(エ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決レ」という。)をし,本件裁決レの通知を受けた東京入管主任審査官は,同年12月6日,同原告に本件裁決レを通知するとともに,退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分レ」という。)。(乙レ1,レ19から21まで,レ23)
(カ) 原告X17は,平成19年12月6日,東京入管収容場に収容されたが,東京入管主任審査官は,同月25日,原告X17の仮放免を許可した。(乙レ1,レ23及び24)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X17は,東京入管において,平成16年10月19日,法務大臣に対し難民認定申請(以下「本件難民申請レ」という。)をした。(乙レ1,レ25)
(イ) 東京入管難民調査官は,平成18年1月10日及び11日,原告X17から事情を聴取するなどの調査をした。(乙レ25及び26)
(ウ) 法務大臣は,平成18年2月28日,本件難民申請レについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分レ」という。)をし,同年3月10日,原告X17にこれを通知した。(乙レ27)
(エ) 東京入管局長は,平成18年3月3日,入管法61条の2の2第2項により,原告X17について,在留を特別に許可しない旨の処分(以下「本件在特不許可処分レ」という。)をし,同月10日,同原告にこれを通知した。(乙レ28)
(オ) 原告X17は,平成18年3月10日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分レについて異議申立てをした。(乙レ1,レ29及び30)
(カ) 東京入管難民調査官は,平成19年7月17日,前記(オ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X17に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙レ31)
(キ) 法務大臣は,前記(オ)の異議申立てについて,平成19年11月15日,異議申立てを棄却する決定をし,同年12月6日,原告X17にこれを通知した。(乙レ33)
オ 本件訴えの提起
原告X17は,平成18年9月11日,平成18年(行ウ)第472号事件に係る訴えを提起し,さらに,同20年1月30日,平成20年(行ウ)第55号事件に係る訴えを提起し,同年2月13日,両事件は併合された。(当裁判所に顕著な事実)
(18)  原告X18関係
ア 身分事項
原告X18は,1956年(昭和31年)○月○日にミャンマーで生まれた外国人である。(甲ソ1,乙ソ1)
イ 入国及び在留の状況
(ア) 原告X18は,平成13年1月1日ころ,有効な旅券又は乗員手帳を所持しないで,かつ,法定の除外事由がないのに,タイ王国から乗船して名古屋港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙ソ5,ソ9及び10,ソ12)
(イ) 原告X18は,平成17年2月7日,居住地を群馬県邑楽郡〈以下省略〉とする外登法に基づく新規登録を受けた。(乙ソ1,ソ3)
(ウ) 原告X18は,平成20年8月13日,居住地を群馬県邑楽郡〈以下省略〉とする外登法に基づく変更登録を受けた。(乙ソ1,ソ3)
ウ 退去強制手続
(ア) 東京入管入国警備官は,平成16年12月13日,同難民調査部門からの通報に基づき,原告X18を入管法24条1号(不法入国)該当容疑で立件した。(乙ソ4)
(イ) 東京入管入国警備官は,平成17年3月9日,原告X18について違反調査をした結果,同原告が入管法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,同月30日,東京入管主任審査官から収容令書の発付を受けた。(乙ソ1,ソ5及び6)
(ウ) 東京入管入国警備官は,平成17年4月5日,前記(イ)の収容令書を執行し,原告X18を入管法24条1号該当容疑者として東京入管入国審査官に引き渡した。(乙ソ6及び7)
(エ) 東京入管主任審査官は,平成17年4月5日,原告X18に対し,仮放免を許可した。(乙ソ8)
(オ) 東京入管入国審査官は,平成17年4月5日及び同年5月17日,原告X18に対して違反審査をした結果,同日,同原告が入管法24条1号に該当する旨を認定し,同原告に対してこれを通知したところ,同原告は,同日,東京入管特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙ソ9から11まで)
(カ) 東京入管特別審理官は,平成17年11月30日,原告X18について口頭審理を行い,その結果,東京入管入国審査官の前記(オ)の認定は誤りがない旨判定するとともに,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,法務大臣に対して,異議の申出をした。(乙ソ12から14まで)
(キ) 東京入管局長は,平成20年5月20日,原告X18の前記(カ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決ソ」という。)をし,本件裁決ソの通知を受けた東京入管主任審査官は,同月21日,同原告に本件裁決ソを通知するとともに,退去強制令書を発付し(以下「本件退令発付処分ソ」という。),同日,同原告を東京入管収容場に収容した。(乙ソ1,ソ15から18まで)
(ク) 東京入管主任審査官は,平成20年6月26日,原告X18の仮放免を許可した。(乙ソ19)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X18は,平成16年12月10日,法務大臣に対し,難民認定申請(以下「本件難民申請ソ」という。)をした。(乙ソ20及び21)
(イ) 東京入管局長は,平成18年5月22日,原告X18に対し仮滞在を許可しない旨の処分をし,同月25日,同原告にこれを通知した。(乙ソ22)
(ウ) 東京入管難民調査官は,平成18年5月25日,原告X18から事情を聴取するなどの調査をした。(乙ソ23)
(エ) 法務大臣は,平成19年1月26日,本件難民申請ソについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分ソ」という。)をし,同年2月15日,原告X18にこれを通知した。(乙ソ24)
(オ) 東京入管局長は,平成19年1月31日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X18について,在留を特別に許可しない旨の処分(以下「本件在特不許可処分ソ」という。)をし,同年2月15日,原告X18にその旨を通知した。(乙ソ25)
(カ) 原告X18は,平成19年2月15日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分ソについて,異議申立てをした。(乙ソ26及び27)
(キ) 東京入管難民調査官は,平成19年12月10日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X18に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙ソ28)
(ク) 法務大臣は,前記(カ)の異議申立てについて,平成20年5月8日,異議申立てを棄却する決定をし,同月21日,原告X18にこれを通知した。(乙ソ29)
オ 本件訴えの提起
原告X18は,平成20年11月21日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(19)  原告X19関係
ア 身分事項
原告X19は,1973年(昭和48年)○月○日にミャンマーで出生した外国人である。(甲ネ1,乙ネ1及び2)
イ 入国及び在留の状況
(ア) 原告X19は,平成18年6月11日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,本邦外の不詳地から便名等不詳の航空機で成田国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙ネ1及び2)
(イ) 原告X19は,平成19年12月11日,群馬県館林市〈以下省略〉を居住地とする外登法3条1項に基づく新規登録を受けた。(乙ネ1,ネ3)
(ウ) 原告X19は,平成21年1月6日,群馬県館林市〈以下省略〉を居住地とする外登法8条2項に基づく変更登録を受けた。(乙ネ1,ネ3)
ウ 退去強制手続
(ア) 成田空港支局入国警備官は,平成18年6月11日,原告X19について違反調査を行い,同原告が入管法24条1号(不法入国)に該当する疑うに足りる相当の理由があるとして,成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受け,同収容令書を執行した。(乙ネ1,ネ4及び5)
(イ) 成田空港支局入港警備官は,平成18年6月12日,原告X19を入管法24条1号該当容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。(乙ネ1,ネ6)
(ウ) 成田空港支局入国審査官は,平成18年6月12日,原告X19に対して違反審査を行い,その結果,同原告が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,同原告にこれを通知したところ,同原告は,成田空港支局特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙ネ1,ネ7及び8)
(エ) 成田空港支局特別審理官は,平成18年7月20日,原告X19について口頭審理を行い,成田空港支局入国審査官の前記(ウ)の認定に誤りのない旨判定するとともに,同原告にこれを通知したところ,同原告は,法務大臣に対して,同月21日付けで異議の申出をした。(乙ネ1,ネ9から11まで)
(オ) 東京入管局長は,平成18年8月7日,原告X19の前記(エ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決ネ」という。)をし,本件裁決ネの通知を受けた成田空港支局主任審査官は,同原告に本件裁決ネを通知するとともに,退去強制令書を発付し(以下「本件退令発付処分ネ」という。),同令書に基づき,同原告を成田空港支局収容場に収容した。(乙ネ1,ネ12から15まで)
(カ) 原告X19は,平成18年8月18日,成田空港支局収容場から東日本センターに移収された。(乙ネ15)
(キ) 東日本センター所長は,平成19年8月24日,原告X19の仮放免を許可した。(乙ネ1,ネ15及び16)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X19は,平成18年6月14日,法務大臣に対し,難民認定申請(以下「本件難民申請ネ」という。)をした。(乙ネ1,ネ17)
(イ) 成田空港支局難民調査官は,平成18年7月14日,原告X19から事情を聴取するなどの調査をした。(乙ネ1,ネ18)
(ウ) 法務大臣は,平成18年8月1日,本件難民申請ネについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分ネ」という。)をし,同月7日,原告X19にこれを通知した。(乙ネ1,ネ19)
(エ) 東京入管局長は,平成18年8月7日,原告X19に対し仮滞在を許可しない旨の処分をし,同原告にこれを通知した。(乙ネ1,ネ20)
(オ) 東京入管局長は,平成18年8月7日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X19について,在留を特別に許可しない旨の処分(以下「本件在特不許可処分ネ」という。)をし,同原告にこれを通知した。(乙ネ1,ネ21)
(カ) 原告X19は,平成18年8月8日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分ネについて,異議申立てをした。(乙ネ1,ネ22及び23)
(キ) 東京入管難民調査官は,平成20年1月31日,前記(カ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X19に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙ネ1,ネ24)
(ク) 法務大臣は,前記(カ)の異議申立てについて,平成20年6月16日,異議申立てを棄却する決定をし,同年7月2日,原告X19にこれを通知した。(乙ネ1,ネ25)
オ 本件訴えの提起
原告X19は,平成20年12月25日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
(20)  原告X20関係
ア 身分事項
原告X20は,1968年にミャンマーで出生した外国人である。(甲ナ1,乙ナ4,ナ31)
イ 入国及び在留の状況
(ア) 原告X20は,平成18年1月14日,有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,本邦外の不詳地から便名等不詳の航空機で成田国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した。(乙ナ1,ナ5)
(イ) 原告X20は,平成18年3月6日,群馬県館林市〈以下省略〉を居住地とする外登法3条1項に基づく新規登録を受けた。(乙ナ1及び2)
(ウ) 原告X20は,平成18年7月12日,群馬県館林市〈以下省略〉を居住地とする外登法8条2項に基づく変更登録を受けた。(乙ナ1及び2)
(エ) 原告X20は,平成19年3月9日,外登法11条1項に基づき,登録証明書の切替交付申請をし,新たに登録証明書の交付を受けた。(乙ナ1及び2)
(オ) 原告X20は,平成20年3月14日,外国人登録法11条1項に基づき,登録証明書の切替交付申請をし,新たに登録証明書の交付を受けた。(乙ナ1及び2)
ウ 退去強制手続
(ア) 成田空港支局入国警備官は,平成18年1月14日,原告X20について違反調査を行い,同原告が入管法24条1号(不法入国)に該当する疑うに足りる相当の理由があるとして,成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受け,同収容令書を執行した。(乙ナ1,ナ5及び6)
(イ) 成田空港支局入港警備官は,平成18年1月15日,原告X20を入管法24条1号該当容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。(乙ナ1,ナ7)
(ウ) 成田空港支局入国審査官は,平成18年1月15日,原告X20について違反審査を行った。(乙ナ1,ナ8)
(エ) 東京入管局長は,平成18年2月2日,入管法61条の2の4の規定に基づき,原告X20の仮滞在を許可し,原告X20は,同日,成田空港支局収容場を出所した。(乙ナ1,ナ6)
(オ) 東京入管入国警備官は,平成21年1月27日,原告X20を東京入管収容場に収容した。(乙ナ1,ナ6)
(カ) 東京入管入国審査官は,平成21年2月2日,原告X20について違反審査を行い,同原告が入管法24条1号に該当する旨の認定を行い,同原告にこれを通知したところ,同原告は,同日,東京入管特別審理官に対し口頭審理の請求をした。(乙ナ1,ナ9及び10)
(キ) 東京入管特別審理官は,平成21年2月13日,原告X20について口頭審理を行い,東京入管入国審査官の前記(カ)の認定に誤りのない旨判定するとともに,同原告にこれを通知したところ,同原告は,法務大臣に対して,異議の申出をした。(乙ナ1,ナ11から13まで)
(ク) 東京入管局長は,平成21年2月17日,原告X20の前記(キ)の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決ナ」という。)をし,本件裁決ナの通知を受けた東京入管主任審査官は,同月18日,同原告に本件裁決ナを通知するとともに,退去強制令書を発付し(以下「本件退令発付処分ナ」という。),東京入管入国警備官は,同日,同令書に基づき,同原告を東京入管収容場に収容した。(乙ナ1,ナ14から17まで)
(ケ) 東京入管主任審査官は,平成21年4月9日,原告X20の仮放免を許可した。(乙ナ1,ナ17及び18)
エ 難民認定手続
(ア) 原告X20は,平成18年1月21日,法務大臣に対し,難民認定申請(以下「本件難民申請ナ」という。)をした。(乙ナ1,ナ19)
(イ) 成田空港支局難民調査官は,平成18年1月30日及び同年10月9日,原告X20から事情を聴取するなどの調査をした。(乙ナ1,ナ20及び21)
(ウ) 東京入管局長は,平成18年2月2日,入管法61条の2の4の規定に基づき,原告X20の仮滞在を許可した。(乙ナ1,ナ6)
(エ) 成田空港支局長は,平成18年4月24日,同年7月27日及び同年10月20日,前記(ウ)の仮滞在の許可に係る仮滞在期間の更新を許可した。(乙ナ1)
(オ) 東京入管入国審査官は,平成19年1月26日,原告X20から事情を聴取するなどの事実の調査を行った。(乙ナ1,ナ22)
(カ) 東京入管局長は,平成19年1月26日から同20年10月1日までの間,前後8回にわたり,前記(ウ)の仮滞在の許可に係る仮滞在期間の更新を許可した。(乙ナ1)
(キ) 法務大臣は,平成19年4月12日,本件難民申請ナについて,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分ナ」という。)をし,同年5月1日,原告X20にこれを通知した。(乙ナ1,ナ23)
(ク) 東京入管局長は,平成19年4月17日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告X20について,在留を特別に許可しない旨の処分(以下「本件在特不許可処分ナ」という。)をし,同年5月1日,同原告にこれを通知した。(乙ナ1,ナ24)
(ケ) 原告X20は,平成19年5月7日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分ナについて,異議申立てをした。(乙ナ1,ナ25から27まで)
(コ) 東京入管難民調査官は,平成20年10月7日,前記(ケ)の異議申立てについて,難民審査参与員立会いの下,原告X20に対し,口頭で意見陳述の機会を与えるとともに,審尋を行った。(乙ナ1,ナ28及び29)
(サ) 法務大臣は,前記(ケ)の異議申立てについて,平成20年12月24日,異議申立てを棄却する決定をし,同21年1月27日,原告X20にこれを通知した。(乙ナ1,ナ30)
オ 本件訴えの提起
原告X20は,平成21年7月27日,同原告に係る本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
3  争点
(1)  本件在特不許可処分イからチまで及びソの取消しを求める各訴えの適法性本件在特不許可処分イからチまで及びソの取消しを求める各訴えは,出訴期間を途過してされた不適法な訴えか。
(2)  本件各難民不認定処分の適法性又は無効事由の有無
原告らは,ロヒンギャ族であること又はそれぞれの個別事情により難民条約上の難民に該当するか。
(3)  本件各在特不許可処分の適法性又は無効事由の有無
原告らが難民条約上の難民に該当することから,本件在特不許可処分が違法又は無効であるといえるか。
(4)  本件各裁決の適法性又は無効事由の有無
原告らが難民条約上の難民に該当することから,本件各裁決が違法又は無効であるといえるか。
(5)  本件各退令発付処分の適法性又は無効事由の有無
原告らが難民条約上の難民に該当することから,本件各退令発付処分が無効であるといえるか。
4  当事者の主張の概要
(1)  争点(1)(本件在特不許可処分イからチまで及びソの取消しを求める各訴えの適法性)について
(被告の主張)
ア 原告X1関係
原告X1が本件在特不許可処分イの通知を受けたのは,平成18年8月11日であり,同処分の取消しを求める本件訴えは,出訴期間の終期である同19年2月11日を過ぎて提起された不適法な訴えである。
イ 原告X2関係
原告X2が本件在特不許可処分ロの通知を受けたのは,平成18年4月27日であり,同処分の取消しを求める本件訴えは,出訴期間の終期である同年10月27日を過ぎて提起された不適法な訴えである。
ウ 原告X3関係
原告X3が本件在特不許可処分ハの通知を受けたのは,平成18年1月13日であり,同処分の取消しを求める本件訴えは,出訴期間の終期である同年7月13日を過ぎて提起された不適法な訴えである。
エ 原告X4関係
原告X4が本件在特不許可処分ニの通知を受けたのは,平成18年7月7日であり,同処分の取消しを求める本件訴えは,出訴期間の終期である同19年1月7日を過ぎて提起された不適法な訴えである。
オ 原告X5関係
原告X5が本件在特不許可処分ホの通知を受けたのは,平成18年6月28日であり,同処分の取消しを求める本件訴えは,出訴期間の終期である同年12月28日を過ぎて提起された不適法な訴えである。
カ 原告X6関係
原告X6が本件在特不許可処分ヘの通知を受けたのは,平成18年8月16日であり,同処分の取消しを求める本件訴えは,出訴期間の終期である同19年2月16日を過ぎて提起された不適法な訴えである。
キ 原告X7関係
原告X7が本件在特不許可処分トの通知を受けたのは,平成18年8月25日であり,同処分の取消しを求める本件訴えは,出訴期間の終期である同19年2月25日を過ぎて提起された不適法な訴えである。
ク 原告X8関係
原告X8が本件在特不許可処分チの通知を受けたのは,平成18年7月10日であり,同処分の取消しを求める本件訴えは,出訴期間の終期である同19年1月10日を過ぎて提起された不適法な訴えである。
ケ 原告X18関係
原告X18が本件在特不許可処分ソの通知を受けたのは,平成19年2月15日であり,同処分の取消しを求める本件訴えは,出訴期間の終期である同年8月15日を過ぎて提起された不適法な訴えである。(原告X1,原告X2,原告X3,原告X4,原告X5,原告X6,原告X7,原告X8及び原告X18の主張)
いずれも争う。
(2)  争点(2)(本件各難民不認定処分の適法性又は無効事由の有無)について
(原告らの主張)
ア 難民条約における「迫害」の意義
国連難民高等弁務官事務所(以下「UNHCR」という。)の難民認定基準ハンドブックでは,難民条約上の「迫害」の概念を生命又は身体の自由に対する侵害に限定せず,差別的な措置も,状況によっては迫害に該当するとされている。また,難民条約を批准した諸外国においても,「迫害」は,生命又は身体の自由に対する侵害に限定されておらず,日本政府も,難民条約批准当時,難民条約上の「迫害」を生命又は身体の自由に対する侵害に限定していなかった。さらに,条約は,文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い,誠実に解釈することが求められるところ(条約法に関するウィーン条約31条1項),難民条約上の「迫害」を生命又は身体の自由の侵害に限定しないとする解釈が,迫害という用語の通常の意味にも合致する。これらの諸点に照らすと,難民条約上の「迫害」については,生命又は身体の自由に対する侵害に限定されず,その他の人権の重大な侵害をも含むものというべきである。そして,当該人権侵害が具体的に「迫害」に当たるかについては,国による保護の懈怠を明らかにする,基本的人権の持続的又は組織的侵害か否かを指標とすべきである。
イ 原告らがロヒンギャ族であること
ある者がロヒンギャ族であるか否かについては,その者の使用言語及び生活環境が指標になると解されるところ,原告X17,原告X16及び原告X14以外の原告らは,いずれもロヒンギャ語を母国語として使用しており,原告ら全員が本邦におけるロヒンギャ族団体である在日ビルマロヒンギャ協会(以下「BRAJ」という。)又はアラカンロヒンギャ日本協会(以下「JARO」という。)に加入していることからすれば,原告らがロヒンギャ族であることは明らかである。
ウ ミャンマーにおけるロヒンギャ族の位置付け等
(ア) ミャンマーにおいて1948年に制定された旧国籍法(以下「1948年国籍法」という。)では,ロヒンギャ族でもミャンマーの国籍取得が可能であったが,1982年に制定された新国籍法(以下「1982年国籍法」という。)は,国民を「国民」,「準国民」及び「帰化国民」の3つに分類した上,そのランクごとに国民に付与される法的権利について差異を設けた。そして,ミャンマー政府は,1989年から,全国民に対する,民族,宗教等を記載した新しい身分証明書(以下「国民登録証」という。)の発行を始め,当該国民が,1982年国籍法に規定する国民区分のどの区分の国民に該当するかが容易に判別することができるようにするため,「国民」の国民登録証をピンク色に,「準国民」の国民登録証を青色に,そして「帰化国民」の国民登録証を緑色にそれぞれ色分けした。この国民登録証は,常時携帯することを要し,旅行用のチケットを購入する際,子供を学校に入学させる際,自分の居住地域以外の地域に居住する友人宅等に宿泊する際,求職の際,不動産の購入の際,その他日常的な行動の際に国民登録証の番号を提示しなければならないものとされている。
(イ) ロヒンギャ族は,1982年国籍法3条に規定する国内の民族集団には含まれておらず,1982年国籍法所定の「国民」には当たらないことになる。また,1982年国籍法所定の「準国民」となるためには,1948年国籍法の下で「国籍」を得ていることが必要とされているが,ロヒンギャ族の中には,1948年国籍法の求める国籍取得要件を満たし,かつ,1948年国籍法に基づいて国籍を申請した者はほとんどいない。さらに,1982年国籍法所定の「帰化国民」となるためには,1948年1月4日以前にミャンマーに入国し居住していたという決定的な証拠となる書類を所持しているか,又は,1982年国籍法が求める必要な血筋を証明することが必要となるところ,これらが可能なロヒンギャ族はほとんど存在しない。このように,ロヒンギャ族の大多数は,1982年国籍法による国民区分のいずれの資格も与えられず,不法に滞在する外国人として取り扱われることとなった。そのため,ロヒンギャ族は,国民登録証の取得等に当たり,ロヒンギャ族であることを公的には主張せず,別の民族名を名乗るなどしてミャンマー国民の資格を得ていたが,これによって国民の資格を得たとしても,後にロヒンギャ族であることが露見した場合には,そのことを理由として更なる迫害を受けるおそれに直面することとなる。
(ウ) 1991年にミャンマーからバングラデシュ人民共和国(以下「バングラデシュ」という。)に流出したロヒンギャ族がUNHCRの支援を受けてミャンマーに帰還した際,UNHCRが,ミャンマー政府との合意に基づき,ロヒンギャ族に対し,黄色の「帰還者身分証」を付与したが,これは,所持者がバングラデシュから帰還したことを示すにすぎず,所持者にミャンマー国籍を与えるものではなかった。また,ミャンマー政府は,UNHCRの説得を受けて,1995年,ロヒンギャ族に一時滞在許可証である「一時登録証」(以下「ホワイトカード」という。)を発行し始めたが,ロヒンギャ族全員がホワイトカードを受け取ってはいない上,ホワイトカードは所持者にミャンマー国籍を与えるものではない。さらに,原告らの中には,本人名義又は親族名義の国民登録証を有している者もいるが(原告X14,原告X16,原告X3,原告X12,原告X17),これは,1982年以前に発行されていたものと同じものであって,これには「国籍を証明するものではない」旨が記載されており,上記国民登録証を所持していることをもってその者がミャンマー国籍を有するということはできない。このほか,原告らの中には,1982年国籍法における国民に発行されるピンク色の国民登録証を所持している者がいるが(原告X17及び原告X18),これらはアラカン州(現在は,ラカイン州と名称が変更されているが,以下,名称変更の前後を問わず,「アラカン州」という。)で発行を受けたものでない上,原告X17の国民登録証には民族名としてロヒンギャ族とは記載されておらず,原告X18も,自らがロヒンギャ族であることを隠して国民登録証を取得しているのであるから,それを所持していることをもって,その者がミャンマー国籍を有する者であるとすることはできない。
(エ) ミャンマー政府は,「ロヒンギャ」という名称は,アラカン州の反政府ゲリラが創作したものであり,ミャンマーにはロヒンギャ族という民族は存在しないとしている。また,ミャンマー政府は,ミャンマーから流出したロヒンギャ族がタイ王国(以下「タイ」という。)海軍により公海上に放置された事件において,ロヒンギャ族をバングラデシュからの経済移民であるとしてミャンマー国民ではない旨を表明し,また,ミャンマーのイエミンアウン在香港総領事も,ロヒンギャ族がミャンマー国民ではない旨を述べ,「ロヒンギャは鬼のように醜い」などと発言している。
エ ミャンマーにおけるロヒンギャ族に対する迫害状況等
(ア) 移動の制限
ロヒンギャ族は,ミャンマー国内において,厳しい移動制限を受けており,1990年代初めには,ヤンゴンへの移動を禁じられ,2001年2月以降は,シットウェへの移動も禁止されるようになった。
ロヒンギャ族は,他の民族と異なり,他の村に移動するときにも手数料を支払って移動許可証を得る必要があるとされていて,許可証なく移動した者は,逮捕投獄され,また,その名前が家族票から削除されて元の家に戻ることができなくなる。
このような移動制限の結果,ロヒンギャ族は,他の村での求職や商取引を行うことができないばかりか,親類の葬儀に出席したり,高等教育や高度医療を受けることができなくなり,日常生活に深刻な影響が生じている。
(イ) 婚姻の制限
アラカン州北部に居住するロヒンギャ族に対しては,出生を管理しロヒンギャ族の人口増加を制限するために結婚許可制度が存在し,婚姻するときには5万から30万チャットを支払って国境警備隊(以下「ナサカ」という。)の許可を得なければならないとされている。ミャンマー政府は,ロヒンギャ族に対する結婚許可制度を厳格化しており,2003年には,婚姻許可を求めるロヒンギャ族に対し多額の税を要求し始め,2005年10月からは,宗教指導者以外のイスラム教徒男子に対し,結婚許可を得るために髭を剃ることを求め,夫婦に対し子供を2人より多く持たない旨の宣誓書に署名することを強制するようになった。
(ウ) 土地の没収
ミャンマー政府は,仏教徒が定住するための村(以下「モデル村」という。)を建設する政策を進めているところ,モデル村のほとんどは,ロヒンギャ族の居住地域に仏教徒の入植者を増やして人口動態を変えることなどを目的としてバングラデシュとの国境沿いに建設されている。モデル村がアラカン州北部に建設される場合には,他の地域に建設される場合と異なり,ロヒンギャ族の土地を接収して建設され,ロヒンギャ族が新定住者のための住居や生活施設の建設作業に従事することを強制されている。また,ミャンマー政府は,海老の養殖場,樹木プランテーション,軍の基地建設などのためにロヒンギャ族の土地を没収している。これらの土地の没収の結果,ロヒンギャ族は,生活を維持する機会を奪われることとなり,ロヒンギャ族の貧困と食糧確保の不安定さが増大している。
(エ) 強制労働
ミャンマーでは,全国的に強制労働が行われているが,アラカン州北部においては,ロヒンギャ族を含むイスラム教徒の少数者にのみ強制労働が課せられている。強制労働の内容は,乾季の間は,道路,橋及び基地の整備,レンガ焼きなどであり,雨季の間は,ジャングルの開墾,苗木の植栽,雨によって破損した道路や橋の修繕などである。また,1年を通じて,歩哨任務,軍のためのポーター,駐屯基地での水くみなどの日常業務などが課される。そして,強制労働を拒否した場合には,脅迫や処罰などを受けるほか,強制労働中に暴行を受けることもあり,ほとんどの場合,食事も与えられない。このような強制労働は,ロヒンギャ族に所得の喪失をもたらし,既に貧困状態にある家庭から稼働時間を奪うため,日常的な収入が失われることとなる。
(オ)恣(し)意的な徴税及び財物提供の強要
アラカン州北部のロヒンギャ族には,恣意的な課税が行われ,税の種類や額が恣意的に決定される。また,軽犯罪等による違反行為を理由に逮捕するという形態で金員等の恐喝が行われ,そのような目的の手段として虚偽の非難,告発等が蔓延している。
(カ) 信教の自由の侵害
イスラム教徒であるロヒンギャ族は,その信教の自由を侵害されている。アラカン州北部では,新しいモスクの建設や既存のモスクの拡充又は修繕は許されておらず,2006年7月及び8月には,多数のモスクとマドラサ(イスラム学校)の閉鎖が命じられた。また,ミャンマー政府は,近時,宗教集会に対して新たな規制を実施し,イスラム教徒が礼拝に集まることが困難となっている。
ミャンマーでは,仏教徒によるイスラム教徒に対する暴行等がしばしば行われているところ,アラカン州では,イスラム教徒であるロヒンギャ族に対して日常的に暴行等が行われ,しかも,その暴行等は軍による組織的なものとなっている。例えば,2001年2月にシットウェで発生した暴動では,鎮圧のためにやってきたはずの警察官が,暴行を受けたイスラム教徒によって仏教徒が殺害されたことに気付いて初めて暴動を鎮静化するために空中に発砲するなどの行動に出たが,奏功しなかったため,イスラム教徒を直接射撃し始め,その結果,20人以上のイスラム教徒が死亡したことなどが報告されている。このようにロヒンギャ族は,イスラム教徒であることによっても,厳しい差別を受けている。
(キ) 雇用における差別
ミャンマーでは,ロヒンギャ族が国籍を有しないことを理由に公共サービスで雇用されることはなく,中等教育より上の教育レベルに達した数少ないロヒンギャ族は,医術や工学の学習を禁止されており,教員としての訓練を受けることもできない。それ故,ロヒンギャ族は,教員や看護師等の医療従事者として雇用されることができず,雇用においても差別されている。
(ク) 教育の機会の制限
アラカン州北部の3郡には,2008年において,初等教育施設が448校,中学校が20校,高等学校が12校しかなく,就学年齢にある子供の50%から60%が一度も学校に行ったことがない。
ロヒンギャ族の非識字率は,国家平均が29%であるのに対し,推定で80%に達し,女性の方が高くなっている。また,アラカン州北部では,中等教育以上の教育がシットウェでのみ利用可能であるため,前記のとおり,シットウェへの移動を制限されているロヒンギャ族にとっては,中等教育以上の教育を受けるのは困難である。
(ケ) 医療の利用制限
ロヒンギャ族は,シットウェへの移動を制限されていることから専門医療を受けることができない上,ロヒンギャ族自身は助産婦を含む医療従事者となることができず,他方で,他民族の医療従事者はアラカン州北部での勤務を嫌うため,使用可能な保険施設等がしばしば無人のままになるなど,アラカン州における医療設備は極めて不十分である。また,仏教徒である医者達がロヒンギャ族の患者に対して差別的で偏見に満ちた態度を採るため,ロヒンギャ族は,政府系医療機関の利用を敬遠しがちになっている。このようにロヒンギャ族は,ミャンマー政府によって,ミャンマー国内で他民族であれば受けることのできる医療の享受対象から排除されている。
(コ) 不当かつ重大な刑罰権の行使
ロヒンギャ族については,恣意的な逮捕等人身の自由に対する制約が存在しており,モデル村入植者の殺傷事件において,十分な捜査が行われず,証拠もないまま,ロヒンギャ族の住民が罪に問われ,金員を支払うことができない者は投獄されている。また,ロヒンギャ族と同じイスラム教徒である「カマン民族」と偽証して国民登録証の発行を受けたロヒンギャ族の一家(○○一家)が国籍法違反により懲役10年の刑罰を受けたが,これは,国籍法違反という法令違反に対する刑罰権を適切に行使したものではなく,ミャンマー政府がロヒンギャ族であることを理由に国籍を剥奪し,その状態を利用して不当かつ重大な刑罰を科したのである。
(サ) UNHCRによる帰還事業の評価
ミャンマーからバングラデシュに流出したロヒンギャ族がUNHCRの援助等によりミャンマーに帰還したというのは過去の話であり,2005年7月にはミャンマーへの帰還のプロセスは停止している。また,ロヒンギャ族は,流出先のバングラデシュにおいても劣悪な生活環境を余儀なくされたためにUNHCRの援助等に応じてミャンマーに帰還したにすぎず,ミャンマーにおけるロヒンギャ族の迫害状況が解消したことからミャンマーに帰還したわけではない。しかも,バングラデシュに流出したロヒンギャ族の中には,バングラデシュでの劣悪な生活環境にもかかわらず,なお,バングラデシュに残った者も多く,このことは,ミャンマーにおける迫害状況が,バングラデシュでの劣悪な生活環境よりも更に酷いものであることを意味している。加えて,ミャンマーに帰還したロヒンギャ族の多くは,ミャンマーにおいて再び迫害を受けるなどしたことから,他の国へ流出しており,その一部は,バングラデシュにおける生活環境が劣悪なものであることを承知しながら,再びバングラデシュに流出し,他の者は,バングラデシュにおける生活環境の悪さからタイやマレーシアに流出しており,これらのことは,バングラデシュにおけるロヒンギャ族の生活環境の劣悪さを示すものであるとともに,ミャンマーにおけるロヒンギャ族の迫害状況が上記のようなバングラデシュにおける生活環境よりも更に酷いものであることを表すものである。
オ 原告らの難民該当性を基礎付ける具体的な事情
原告らは,以下のような迫害を受けた経験を有しており,このことは,前記エのミャンマーにおけるロヒンギャ族の迫害状況を裏付けるものであるとともに,原告ら各自の難民該当性を具体的に基礎付けるものといえる。また,原告らの中には,政治活動を行っていたことを理由に迫害を受けるおそれが認められる者もあり,このような事情は,ロヒンギャ族であることとは別に難民該当性を基礎付けるものといえる。
(ア) 原告X1に係る個別事情
a 強制労働
原告X1は,中学1年だった1994年ころから強制労働に従事させられるようになり,学校や市場に行く途中にナサカ又は治安部隊に連行され,レンガや物資のポーター,建設現場や海老の養殖場での作業,木の伐採などをさせられた。強制労働の頻度は,1,2週間に1度くらいで,多いときには,月に4度のこともあり,強制労働の際には,作業が遅いなどの理由で暴力を振るわれることもあった。強制労働では,食料は与えられず,強制労働の場所が居住地の近くであれば,親が食料を運んできてくれるが,遠くのときは,何も食べずに何日も過ごさなければならなかった。また,強制労働の場所が遠いときには,その日のうちに自宅に帰ることができないので,テントを張って地面に寝泊まりした。その際には,ナサカがテントの周囲を見張っていたため,逃げることはできなかった。
また,原告X1の居住していた村では,村の見張りをさせられるほか,村がナフ川のほとりに位置していたため,夜通し川沿いの見張りをさせられ,見張りをさせられた者が寝ていたり,トイレに行くなどして所定の場所にいなかったりした場合には,暴力を振るわれた。
b 財産の略奪
原告X1は,学校の登下校の途中で,ナサカにお小遣いを取られたり,自転車を取られたりすることがあった。買い物に行ったときにもお金を取られた。
c 信教の自由の制限
原告X1は,イスラム教徒としてモスクで祈ることを妨害されており,後記のとおり,2002年2月にはモスクの破壊が行われたため,友人と共に抗議行動に出たのである。
d 人身の自由の制限
原告X1は,2002年2月,モスクを破壊し始めたナサカに抗議し,これを追い払ったところ,数日後,自宅とモスクの間を歩いている途中でナサカに逮捕され,虐待を受けた。原告X1は,水槽に長時間,頭を沈められたり,天井から下がるロープで両手を吊るされて背中や腰を棒や銃で殴られたりし,虐待を受けていない期間は,木の足かせを24時間はめられ,動けない状態にさせられた。原告X1は捕まっている期間中,5日間にわたり,上記のような虐待を受け,逮捕されてから20日後に10万チャットを支払って釈放された。
e 家族に対する迫害等
原告X1の父は,モスクの管理人で国民民主連盟(以下「NLD」という。)の党員であり,1990年の選挙時にはNLDに投票するよう活動し,1988年の民主化運動の隆盛期から1990年の間に6か月間刑務所に入れられていた。同年以後は表立った活動はしていなかったが,村の関係者と政治的な話をしていた。
また,2002年2月に原告X1が逮捕される数日前にその両親が逮捕され,母は,病気だったために3日後に釈放され,同原告は,10万チャットを支払って逮捕から20日後に釈放されたが,父は,釈放されずに2004年ころ死亡した。
さらに,同原告の出国後に,母は,ナサカから何度か事情聴取を受け,兄は,同原告の国外逃亡との関連で,何度も逮捕された。そして,原告X1の出国後,その自宅は壊され,家族は,同じ村の中にある祖父母の家に引っ越さざるを得なかった。
(イ) 原告X2に係る個別事情
a 強制労働
原告X2は,12才のころから何度も強制労働に駆り出され,養魚場の補修,森林の伐採,道路の補修,軍用キャンプの補修などに従事させられた。強制労働に従事させられる場合には,軍が直接家まで来て家を取り囲み逃げられないようにして連行される場合と軍が村のリーダーに指示して必要人数を集めさせる場合とがある。強制労働では,食事は与えられず,いったん駆り出されると2,3日間は強制労働に従事させられ,夜も帰ることは許されなかった。食事が与えられないために作業がはかどらないと,監視役から殴られることも珍しくなかった。また,原告X2の村のほとんどの者はミャンマー語を理解することができないため,ミャンマー語で話す軍人の命令を理解できないことがあり,そのような場合には暴行を加えられ,同原告自身も,軍人キャンプを直しているとき,足で背中を強く蹴られ,その反動で石のころがった道路に倒れこみ,肘を強打したということがあった。もっとも,村のリーダーを通じて集められた場合には,当日帰れるときも多くあり,このときは自分で食事を持っていくことができたが,次の労働のために人が集まらないと,続けて働かされることもあった。
上記のような軍による強制労働のほか,ナサカによる強制労働もあり,そのときは,朝8時ころから夜7時ころまで働かされるのが通常であった。ナサカによる強制労働は,森を伐採して宿舎を建設したり,防壁を造るための石を採取したりしてカワビーというところにあるキャンプに運ぶというのが主なものであり,将校が居住する家の建設のためにレンガを作って運ばされたり,道路建設やキャンプの中の収容施設を造らされたこともあった。
強制労働から逃げ出して殺された者もあり,原告X2に近い人の中にもそのような者がいた。
b 財産の略奪や恣意的な没収
原告X2の家は農業を営んでいたが,作った米は当局に取り上げられるのが常であり,収穫した米のうち半分程度だけ取り上げられることもあれば,不作のときなど全部を取り上げられたこともある。他にも,牛や山羊を取り上げられたこともある。野菜も作っているが,野菜も取り上げられている。
また,ナサカや軍人にお金をそれぞれ毎月払わなければならず,村のリーダーと一緒にナサカや軍人が家まで来て,払わなければそのことは記録に残され,次のときに2倍払うことを強要された。
c 移動の制限
原告X2の村から徒歩で3,4時間のマウンドーに行くにも,村の評議会の議長の許可が必要であり,許可を得るには100から200チャットを支払わなければならないし,許可を得たとしても,途中でナサカに出くわすと,更に金銭を払わなければならず,ナサカの荷物を運ばされることもあった。
d 結婚の制限
結婚をするときにも,ナサカに金銭を支払う必要があり,原告X2の兄や姉は,実際に金銭を支払わされている。結婚する際に金銭を支払わないと,身柄を拘束されて暴行などを受けるため,結婚するときには,どんなに貧しくても,30万チャットを支払わなければならず,余裕があれば更に支払うよう求められる。
e 家族に対する迫害等
原告X2の姉のIの夫Jは,ナサカの本部の用地にするといって,生活の糧にしていた農地を取り上げられてしまい,さらに,頻繁にポーターをさせられていたので,とても生活ができなくなって,現在,マレーシアに居住している。また,妹のKの夫は,反乱組織と関係があると疑われ,5年の刑を受けて現在も刑務所にいると聞いている。
f その他
道を歩いているときに突如軍人の荷物を運搬させられることはよくあり,その場合,次に運搬してくれる人が見つからなければ,軍人キャンプまでずっと運ばなければならなかった。また,市場でロヒンギャ族とアラカン族がけんかになれば,警察はアラカン族の言い分のみを聞くし,塩が多く含まれている土地で花をつくれなど,嫌がらせとしか思えない命令もされている。
(ウ) 原告X3に係る個別事情
a 原告X3が居住していた村は,村民の全員がロヒンギャ族であったところ,ナサカは,村に対し,週に1,2回程度,労働を行う者を出すよう強要してきた。原告X3も,10歳から12歳ころ以降,日常的に藪の伐採や海老の養殖場等で土石を運搬するなどの労働に従事させられ,その際には暴行を受けることも頻繁にあった。
強制労働に連行されると,2,3日の間,パウンザ郡基地に収容されることがあり,その中の小屋で寝泊まりさせられたが,その小屋は,床がなく,むき出しになった土の上に寝ることを余儀なくされた。また,上記の小屋は,軍人に常に監視されている状態であったため,逃げることはできなかった。
b 1991年の夏ころには,バングラデシュとの国境沿いにある海老の養殖場で強制労働をさせられたが,その際,モーターボートに乗って見回りに来た軍人たちが,ボートと川岸との間の泥の地帯に原告X3らを立たせ,その肩に板を乗せて,その上を歩いた。そのため,原告X3は,左の鎖骨を痛めた。また,原告X3は,薪割りをさせられた際に,見回りに来た軍人に斧の刃の裏側で左肩と首の付け根を殴られ,その衝撃で意識を失った。原告X3は,これらの出来事により,左の鎖骨を骨折し,十分な治療を受けることができなかったため,左の鎖骨がずれたままの状態で固まってしまった。
c 1991年10月4日,原告X3は,海老の養殖場に土嚢(のう)を積む作業をさせられたが,その際,重くなった土嚢を運ぶことができなかったことから,軍人から殴られるなどした。原告X3は,前記bの鎖骨骨折のこともあり,その軍人を水の中に突き落とした。
(エ) 原告X4に係る個別事情
a 移動の制限
ロヒンギャ族は,移動を制限されており,原告X4も,マウンドーからシットウェまで行くことができなかったことがある。また,マウンドーまで行くためには,地域の事務所において,お金を払って身分等を示す証明書を発行してもらう必要があり,途中で求められたらその証明書を提示する必要があった。
b 強制労働
原告X4は,強制労働を何度も経験しており,マウンドーに行く途中にある橋を渡るときに軍隊にポーターとして徴用されたことがある。軍隊に連行されると,2,3日間,海老の養殖場等で土を掘る作業などをさせられ,作業の間は,家に帰ることができず,食事が与えられないときもあった。強制労働の現場には監視役が常にいて,逃亡しようとした者に暴行を加えるなどした。
c 財産の没収
原告X4の実家は,農業を営んでおり,農地を所有していたが,1989年ころ,上記農地を含めて周辺の土地がすべて没収された。
d 警察官との口論
原告X4は,1987年ころから,2番目の兄が経営していたコーヒー店でウェイターとして働いていたところ,1988年6月ころ,客としてたびたび来店していた警察官が代金の支払をせずに飲食することを繰り返したため,この警察官に代金を請求した。すると,その警察官は,原告X4に対し,「カラーが俺にお金を要求するのか?」などと述べ,さらに,罵声を浴びせるなどしたため,同原告は,たまらずにこの警察官を押した。ロヒンギャ族の中には,警察官と口論になって射殺された者もいるから,上記のように警察官と口論となった原告X4も,警察官に逮捕されたり,射殺されたりするおそれがある。
(オ) 原告X5に係る個別事情
a ロヒンギャ族であることを理由とする迫害のおそれに関する事情
(a) 強制労働
原告X5は,ミャンマー在住当時,多いときには月に10回くらい,銃を持ったナサカ又は軍隊に連行され,強制労働に従事させられた。強制労働は,ナサカの基地で行われ,泊まりがけで2,3日働かされることもあり,食糧倉庫の床の上で50人くらいが詰め込まれた状態で寝かされるときもあった。強制労働の内容は,木の伐採や水汲み,石を運ぶなどの重労働であり,食事は少量を1日2回しか与えられなかった。
(b) 伯父の財産の没収
原告X5の母は,ロヒンギャ族の著名な指導者であるAFKジラーニ(以下「ジラーニ」という。)の妹であり,同原告は,ジラーニの甥に当たるが,ジラーニは,後記bのとおり,バングラデシュに逃亡し,その後,ジラーニの土地と店が当局に没収された。
(c) 学校等での差別的待遇
原告X5は,学校でも役所でも,どんな事情であっても悪いのはロヒンギャであると決め付けられ続けた。
b 政治活動を理由とする迫害のおそれに関する事情
ジラーニは,ロヒンギャ族の有力な指導者であり,NLDマウンドー支部の議長も務めていたほか,1990年の国政選挙においてNLDの候補者としてマウンドー北部から立候補するなどNLDにおけるロヒンギャ族の中核として活動していた。それ故,ジラーニは,ミャンマー政府から危険視されることになり,1992年10月には,ゴルフ場爆破事件の容疑者として逮捕されそうになったところを間一髪で逃れてバングラデシュに出国した。そして,ジラーニは,バングラデシュ逃亡後も,ロヒンギャの人権問題やNLD指導者の評伝を出版するなどミャンマー政府に反する言論活動を展開している。
原告X5は,1990年の国政選挙にジラーニが立候補した際,その選挙運動を手伝い,支援の呼び掛けに同行したり,演説の時にビラを配布したりした。原告X5は,1992年に16歳でNLDの党員となり,学生を中心としてNLDについて呼び掛けをしたり,バングラデシュにいるジラーニとの間でNLDマウンドー支部の状況などについて手紙のやり取りをしていた。1998年には,ミャンマー当局がNLDマウンドー支部の事務所に立ち入り,事務所の使用及び集会を禁止した。しかし,原告X5らは,当局に隠れてNLDマウンドー支部の活動を継続していた。
原告X5は,2000年1月,深夜,銃を持って自宅に来たミャンマー当局に身柄を拘束されてMI18に連行された。原告X5は,約1週間,MI18に拘禁され,連日,朝から晩まで激しい尋問を受け,当局に隠れてNLDマウンドー支部で集会を行っていること,ジラーニと連絡を取り合っていることなどを指摘された。その際,原告X5は,厳しい拷問を受け,左足を尖った金属の棒で刺されたり,後頭部を軍靴で蹴られるなどした。原告X5は,約1週間の拘禁後に釈放されたが,釈放の際には当局から呼出があったときには出頭するように言われた。しかし,原告X5は,自宅に戻ると危険であると考え,釈放後も自宅に戻らずに友人宅に逃げ,釈放から2週間経過したころに当局が同原告を呼び出すために同原告の自宅に来たため,危険を感じて,バングラデシュに出国した。
(カ) 原告X6に係る個別事情
a 警察による逮捕,財産の没収等
(a) 1995年ころ,原告X6の父がマウンドーで発生した爆発事件(以下「本件爆発事件」という。)の関係者であるとの虚偽の密告により,同原告の家族全員が逮捕された。原告X6は,ロープを束ねたもので殴られるという暴行を受け,また,小さい部屋に大人数が押し込められ,夜も横になることができない環境で13日間を過ごさなければならなかった。
(b) 家族の逮捕を知った原告X6の父は,バングラデシュに逃亡し,警察の取調べに出頭しなかった。そのため,原告X6の父名義の家がミャンマー当局に没収され,また,家族の釈放後,毎日警察が自宅に来て,同原告の父に関して聞き込みをしたり,脅しをかけてきたりした。そのため,原告X6は,警察に5万チャットを払い,「もう来ないでほしい」と言ったことがあった。
(c) 原告X6は,1997年,バングラデシュに逃亡した父と連絡を取っているとの告発を受けた当局によって再び逮捕された。原告X6は,約1か月間にわたり拘留され,父と連絡を取っているのではないかとの尋問を受けて,同原告がこれを否定すると暴行を加えられた。原告X6は,裁判所に連れて行かれることになった際,逃亡しようと考え,「用を足したい。」と言って外に出て,1人だけいた見張りの警察官の頭を近くにあった木の棒で殴り,逃げ出した。
b 強制労働
原告X6の家族は,同原告が幼少の頃から2週間に1度ずつ,1人は必ず警察又はナサカに連行され,ポーターなどの強制労働に従事させられていた。原告X6自身も,1992年ころ,バングラデシュから帰還した人達の住居建設のため,月3回程度,ポーターの仕事に従事させられた。強制労働の時には食事が与えられないため,家族などに差入れをしてもらわなければ食事を取ることもできなかった。また,1995年ころには,3日間程度,軍の物資を運ぶための強制労働に連行された。その際も食事は与えられず,疲れて休んだときには暴力を振るわれた。
c 人身の自由に対する制限
原告X6は,17歳ころ,夜間禁止令(夜10時以降の外出禁止)が出ているときの夜9時ころ,祖母の家から帰る途中で職務質問をされ,長時間質問されているうちに夜10時を過ぎてしまった。そのため,原告X6は,その警察官から「法を犯している」と詰問され,5000チャットを払って解放してもらった。
d 医療を受ける機会の制限
原告X6は,体調不良のためにシットウェの病院で治療を受けなければならなかったが,ロヒンギャ族であるため,移動許可証を取得する必要があった。そのため,原告X6は,ブローカーを使い,賄賂を支払って,移動許可証を取得し,さらに,陸路を行くときには途中の検問所で賄賂を支払った。また,船で行くときも,警察官に賄賂を支払い,払うお金がない場合には,船上で荷物運びをさせられることもあった。
(キ) 原告X7に係る個別事情
a 移動制限
原告X7は,ロヒンギャ族であるため,移動が制限されており,日帰りでの移動には許可を要しないものの,宿泊を伴う移動には許可を要し,しかも,通常,一泊期限の許可証しか取得することができない。また,上記のとおり,日帰りでの移動には許可を要しないものの,その日のうちに帰宅することができないと罰金が課される。さらに,ロヒンギャ族は,シットウェに行くことはできない。
b 強制労働
原告X7は,ミャンマー在住当時,3,4回ほど強制労働に従事させられたことがあり,学校の通学途中にナサカの兵士にいきなり連行され,軍の駐屯地の宿舎などミャンマー政府のオフィスの建設現場などで働かされた。作業中は,常に見張られており,作業がうまくいかなかったときなどには見張りの者に暴力を振るわれた。強制労働は,1日中させられるが,1日で終わらない場合には翌日も来るように命令される。
c 財産権の侵害
原告X7は,通学途中に軍の兵士から金銭を恐喝されたことが何度もある。また,原告X7が強制労働に連行されそうになったときに父が1000から2000チャットを支払うことで許されたことがあった。さらに,原告X7がミャンマーを出国した後,軍の兵士が,同原告の父に対し,同原告を連れ戻すか,又は罰金を支払うかすることを求め,2万チャットを支払った。
d 信教の自由の侵害
イスラム教徒として夜にモスクに行かなくてはならないときに,軍によって止められることがしばしばあった。
e 医療の利用の制限
原告X7は,13,14歳ころから,高熱等マラリアによると思われる症状が出るようになったが,同原告の居住する村にも,近隣のブーディータウンにもマラリアを適切に治療することのできる病院はなかった。シットウェにはマラリアを治療することのできる病院があったものの,原告X7は,ロヒンギャ族であるためシットウェに行くことができず,マラリアの治療を受けることができなかった。
(ク) 原告X8に係る個別事情
a 移動制限
原告X8は,居住地から他の町や村に移動するために金銭を支払って許可を受けなければならなかった。そのため,洋服の生地を販売する仕事をしていた原告X8は,他のビルマ族やラカイン族の人に頼んで仕入れをしてきてもらう方法で商売をせざるを得なかった。
b 強制労働
原告X8は,ナサカの命令で夜間警備の仕事をさせられたことがあり,1か月に3回程度,1晩に4人から5人が見張りに立たされた。また,原告X8は,クーリーとしてキャンプ場で物を運んだり,土を掘ったり,椅子を作るなどの仕事を強制的にさせられたことがある。さらに,原告X8の父は,ポーターとして徴用されそうになったときに金銭を支払って免れたこともあった。
c 財産の剥奪や恣意的な没収
原告X8は,洋服の生地を販売する店を営んでいたが,ナサカの軍人が店頭にある商品の生地を代金を支払わないで持って行ってしまうことが度々あった。また,原告X8は,1997年ころ,父が所有していた農地をナサカに没収されたと聞いたことがある。
d 信教の自由の侵害
原告X8は,イスラム教徒であるが,軍がモスクへの道を恣意的に封鎖してしまうため,モスクの礼拝に自由に行けないことがあった。
e 結婚の制限
原告X8の姉は,同原告がミャンマーを出国した後に結婚したが,ロヒンギャ族は,自由な結婚を制限されており,他の民族では裁判所で手続をすれば結婚することができるのに,ロヒンギャ族が結婚するためには,ナサカの事務所で男女が別々に取調べを受けた上,許可申請書を提出し,許可が出るまで10か月程度待たされる。また,ロヒンギャ族は,民族衣装を着た伝統的な結婚式を挙行することが許されていない。
f 不当な逮捕又は拷問のおそれ
原告X8は,1997年6月又は7月,ナサカの軍人が商品の洋服の生地を持って行こうとしたため,代金を請求したところ,拳銃の銃床で頭を殴られ傷害を受けた。その翌日,原告X8が仕事で店を不在にしていたときに,ナサカが同原告を捜しにやってきて,同原告が不在であったため,代わりに同原告の父をナサカの本部に連行していった。それを見ていた大人たちが隣の店の13歳くらいの子供を使いにして原告X8に父がナサカに連行されたこと及び危険なので帰宅しない方がよいことを伝えた。そこで,原告X8は,叔母(父の妹)のところに約6か月間身を隠した後,ミャンマーを出国した。
父は,ナサカの本部に連行された後,そこに2週間程度収容され,その後,警察の留置場に6か月程度留置された後,国家名誉毀損罪という罪名で裁判にかけられた。原告X8の父は,ナサカの事務所で暴行や虐待を受けたため,失明するに至った。
(ケ) 原告X9に係る個別事情
a ロヒンギャ族であることを理由とする迫害のおそれに関する事情
(a) 強制労働
原告X9は,12歳くらいのころから,1か月に何度も強制労働に従事させられてきた。その際には,軍関係者が自宅にやってきて原告X9を連行したり,通学等の途中で無理矢理連行するなどの方法で徴用された。原告X9が従事させられた強制労働の内容は,海老や鯛などの養殖場及びその堤防の建設や修復,道路工事,ナサカの事務所の建設等であり,時間は朝7時から夜7時ころまでで,その回数は,あまりに多数回にわたるため,同原告自身でも把握することができないほどである。
(b) 財産の略奪及び恣意的な没収
原告X9の村では,ロヒンギャ族の世帯は,毎月,軍が要求してきた額のお金を納めなければならず,同原告の一家も軍にお金を払ってきた。また,原告X9は,マウンドー内にお遣いに行った帰りに軍の兵士に遭遇してしまい,手元に残っていた金銭を全額払ったこともある。
b 政治活動を理由とする迫害のおそれに関する事情
(a) 原告X9は,1988年ころから,政治活動に興味を持って活動してきたが,その後,1989年ころ,設立されたばかりのNLD北部マウンドー支部のメンバーとなった。同支部は,選挙区内にある村ごとに1つのユニットを組織し,ユニットごとに選挙運動を行っていた。原告X9は,ハービィ村のユニットに属し,その中でリーダーに次ぐ2番目のポストであるオーガナイザー(書記長)を務めた。
(b) 原告X9を含むユニットメンバーたちは,1990年の総選挙に向けて,ハービィ村の家々を回り,民主主義実現の必要性を訴えたり,投票を呼び掛ける活動を行った。また,お金に余裕のある家を訪問したときには,NLDへの寄付をお願いしたりもした。選挙当日には,投票所の近くで,投票所に歩いて来る人たちに対し,NLDに投票するようこっそりと呼びかけていた。また,原告X9は,オーガナイザーとして,2回ほど,NLD立候補者アブールファイズ(ABUL FAIZ。現在は,「AFKジラーニ」の名前で活動している。)宅で開かれた代表の会合に行ったことがある。
(c) 原告X9の属するハービィ村のユニットは,選挙が終わった後は活動していなかったが,同原告は,1992年10月ころ,ハービィ村の村長Lから,NLDのメンバー全員に逮捕状が出ていることを聞いた。そこで,原告X9は,ユニットのメンバーと話し合い,NLDメンバーは逮捕の危険があるらしい,マウンドーから逃げたほうが良いのではないか,などと相談をしていた。すると,突然,約15名ほどのナサカの人がやってきて,原告X9らに向かって「逃げるな!」と叫んで同原告らを取り囲み,同原告も含めて28人が捕まった。捕まった原告X9らは,そのままジカンピンにあるナサカの本部に連れて行かれ,2週間にわたって身柄を拘束された。この間,原告X9らは1部屋に閉じ込められ,ナサカの兵士から,毎日,素手,木製の棒,銃などで全身を殴る蹴るなどの執拗な暴行を加えられた。しかし,幸いにも原告X9の一番上の兄がナサカに対して50万チャットの賄賂を支払ってくれたため,同原告は,捕まってから2週間後に釈放された。原告X9と同様ナサカに対して賄賂を支払い,釈放された仲間が7名いた。
(d) 原告X9を含む8名は,釈放される際,ナサカから,1週間後に裁判所に出頭するよう言われた。原告X9は,自宅に戻れば,すぐにナサカが家に来てまた捕まってしまうかもしれないと怖くなり,釈放された日に身を隠すこととし,家の近くにある魚の養殖場の小屋やジャングルの中にある無人の小屋に身を隠して過ごした。そして,毎晩夜中の1時や2時ころになって,家に戻りご飯を食べてしのいだ。
(e) 釈放されて3日目,原告X9は,家族から,賄賂を用意できなかった20名が懲役20年の刑に処せられたことを聞き,釈放から1週間後に裁判所に出頭するよう言われていたものの,その日には裁判所には行かなかった。これに対し,原告X9以外に釈放された7名は裁判所に行き,1週間後また裁判所に来るようにと言われ,指定された日に裁判所に行くと,再び1週間後裁判所に来るようにと言われた。原告X9は,他の7名と異なり,裁判所に出頭しなかったが,釈放から3週間たった日の夜中,原告X9が隠れ先の小屋から自宅にこっそり戻ると,姉は,顔を強張らせながら,「今日裁判所に出頭した7名は,懲役15年を言渡されてそのまま投獄されてしまった,今日のお昼ころには,ナサカが家にやってきて,おまえを探しにきた。」と説明した。なお,この日以前にも,2,3回ナサカが家にやってきて,原告X9の行方を捜していた。家族は,「今は出かけていていませんが,帰ってきたら出頭させますので」と言って何とか逃れていたものの,原告X9は,このままではナサカに捕まえられて投獄されてしまうと確信し,出国を決意し,その日の夜,そのままシットウェまで行き,漁船でタイに逃れた。
(f) 原告X9の出国後,同原告が逃亡したことにより,賄賂を支払った一番上の兄が同原告の身代わりに15年の懲役刑を科せられ,シットウェの刑務所に投獄された。
(コ) 原告X10に係る個別事情
a 強制労働とこれに伴う暴行
原告X10は,1993年ころ(13歳ころ)からクーリーとして強制労働に従事させられ,道路を造ったり,ナサカの家や建物を建設したりした。また,レンガを焼くときに必要な薪を山の中で伐採しナサカの基地まで運ぶこともあり,その際には,1か所の支部で1日又は2日間働かされ,一度,帰宅した後,翌日に再び支部から呼び出されて働かされるという形であった。さらに,海沿いの監視所で夜通し見張りをさせられたこともあり,その際には,バングラデシュの方からボートが接近してきたときはもちろん,それ以外のときも一定の時間が経過すると大声で叫ばなくてはならず,原告X10は,一度,大声で叫ばなかったとして,ナサカにタバコの火を右手親指の付け根辺りに押し付けられたことがあった。
強制労働の中には,上記のクーリーとしてのもののほかにポーターとしてのものもあり,上記のクーリーとしての強制労働は,町や村の中での荷物運びであり,危険が少ないものであるのに対し,ポーターとしての強制労働は,戦闘地域の前線に連行されるもので,危険を伴うものであった。1994年7月ころ,ナサカが,突然,原告X10の自宅に来て,父親をポーターとして連行しようとしたので,同原告が代わって戦闘地域にポーターとして連行されることになったが,同原告は,その連行途中で逃げ出した。そのため,ナサカは,原告X10の父親に暴力を加え,その後,父親を7日間留置した。このことを知った原告X10は,同年10月,バングラデシュに出国した。
b 財産の略奪
原告X10は,市場へ向かう途中,ナサカから身分証明書の提示を求められたが,これを所持していなかったため,所持金を取り上げられたことがあった。また,原告X10がミャンマーに在住時には家族が財産を没収されたことはなかったが,その後,家族所有の農地が没収対象とされたことがあったと聞いた。
c 移動の制限
原告X10の居住していた村では,村人は,村長に金銭を支払って許可をもらわなければ村を出ることができなかった。
(サ) 原告X11に係る個別事情
a 強制労働
原告X11は,ミャンマー在住中,15歳ころから強制労働に従事させられた。強制労働には,1日中働かせるものと2時間から6時間程度働かせるものとがあり,1日中働かせるものは5回くらいしか経験していないが,2時間から6時間程度のものは数多く経験した。強制労働では,道路の工事で石を叩き割る作業,軍の基地の修復作業,荷物運搬などを行い,荷物運搬の作業では,何十kgもある重い荷物を何時間も運ばされ,荷物の重さに耐えきれず転んでしまったことがあり,その時には軍やナサカに暴行を加えられた。また,原告X11は,遠方への荷物運搬をさせられた際,軍やナサカが,弱って身動きの取れなくなった人を人気のないところに置き去りにしたり,逃げ出そうとした人を殴打する場面を目の当たりにしたため,恐怖心に苛まれながらも,軍やナサカを怒らせないよう,必死で働いた。
b 財産の没収
(a) 原告X11一家は,少なくとも10回以上,強制労働を免除してもらうためにナサカや軍に金銭や米を渡したことがあり,金銭であれば1回当たり約500チャット,米であれば1回当たり約10kg(精製前の状態)であった。
(b) また,原告X11一家は,1997年ころ,基地建設のためだと言われ,農地の一部を,ナサカに没収された。
(c) このほかにも,原告X11は,日常的に,ナサカによる不当な金銭要求に遭っており,同原告が自転車で移動中,ナサカや軍に出くわすと,必ず同原告から自転車を取り上げて,代わりに金銭の要求を受けるなどした。その際,原告X11は,原則として所持金のすべてを取り上げられている。
c ビルマ族による嫌がらせとその放置
原告X11の村には,ビルマ族居住区が作られたが,移住してきたビルマ族は,同村のロヒンギャ族に対して嫌がらせを行った。すなわち,ビルマ族は,放し飼いにされたロヒンギャ族の家畜(牛)がその敷地内に入ると,これを捕え,返却の条件として多額の金銭を要求するなどした。原告X11の一家も,1頭分1万5000チャットを要求された経験があり,やむなくその要求どおり金銭を支払った経験がある。これに対して,軍やナサカは,ビルマ族居住者に注意するどころか,彼らに注意してほしいと訴えたロヒンギャ族の村人に対して,もう一度訴えに来たらおまえを逮捕すると脅した。
d 移動制限
ロヒンギャ族は,居住している郡を出る時には,移動許可を申請しなければならないが,許可を受けるためには高額な賄賂を支払う必要があった。そのため,多額の金銭を支払って移動許可証を取得することができる者については,シットウェ大学に限り進学することができるが,それ以外の大部分のロヒンギャ族は大学に進学することができない。
e ナサカの軍人とのトラブル等
原告X11は、1999年6月ころ,市場から自宅に歩いて帰っていた際,2人の軍人が,嫌がるロヒンギャ族の少女を無理矢理茂みに連れて行こうとする場面を目撃した。軍人らが少女を強姦しようしていることは明らかであった。連れて行かれようとしている少女は原告X11の同級生であったため,同原告は,少女を助けようと「私の友達です。返して下さい。お願いします」と軍人に懇願した。しかし,軍人らは、同原告を怒鳴りつけるのみで,その懇願を聞き入れようとしなかった。そこで,原告X11が当該少女の手を引っ張って逃げようとしたところ,軍人達は同原告に殴りかかり,二人がかりで同原告の全身を殴る蹴るなどの暴行を執拗に加えた。原告X11は,抵抗することなく執拗な暴行に耐えていたが,そのうち通行人が集まり,通行人が通りすがりの上官の軍人約3名に暴行を止めるよう懇願して,当該軍人も仲裁に入りその場は収まった。しかし,軍人らは,原告X11に対して「後でどうなるか分かってるだろうな!」と怒鳴って去っていった。
原告X11は,恐怖を覚え,タイエーコンボー村の叔母のもとへ身を寄せたが,この間,軍人らは,原告X11を探しに,しばしば同原告宅を訪れた。そこで,原告X11はこれ以上ミャンマーにとどまることは危険であると考え,ナフ川を通ってバングラデシュへ逃れた。
原告X11がバングラデシュに逃れた後,軍は同原告を探しに来たものの,同原告が見付からなかったため,身代わりに同原告の父を捕まえた。原告X11の父は,食事を与えられずに迫害を受け,村民が軍に父の釈放を懇願したところ,軍は,同原告が帰ってきたときには自分たちのもとに連れてくることを条件として父を釈放した。
(シ) 原告X12に係る個別事情
a 1991年,アラカン州の軍情報部は,ピィーターヤー作戦と呼ばれる作戦,すなわち,マウンドー,シットウェ及びブーティタウンというアラカン州の主要な町でロヒンギャ族の商人に対して不法にドルを扱っているとの言いがかりをつけ,家にある金品を没収するという作戦を行うようになった。原告X12は,1986年から,バングラデシュのテクナフで購入した古着をマウンドーで販売していたが,同原告が雑貨を購入しにテクナフに行った際,同原告の自宅に軍情報部が来て同原告の所在を尋ねた。原告X12は,テクナフにおいて上記事実を聞いたことから,帰宅する予定を延ばしてテクナフにとどまったところ,再び,軍情報部が同原告の自宅に来て,同原告が自宅に戻ってきていなかったことから,同原告を国外逃亡者と認定するなどと言って,同原告の妻に召喚状を交付した。同じころ,原告X12の妻の弟のMが,ピィーターヤー作戦によって軍情報部に連行され,軍事法廷で重労働と懲役4年の刑を受けた上,家も財産も没収された。また,そのころには,多くの人がピィーターヤー作戦によって軍情報部に連行され,不法にドルを扱っていることを認めなければ電気ショックを加えるという拷問を受け,原告X12の妻の従兄弟はその拷問によって死亡した。以上のような経緯から,原告X12は,ミャンマーに戻れば,逮捕されて拷問を受け,Mと同様に軍事法廷で裁かれて投獄されることになると考え,そのまま,テクナフにとどまり,その後,1992年4月ころにマレーシアに行ったものの,1994年1月ころ,不法滞在によりバングラデシュに送還された。
b 原告X12は,ピィーターヤー作戦による摘発の対象となっていたためにミャンマーに戻ることができなくなっていたが,マレーシアからバングラデシュに送還された後に,家族の状況を知るため,友人のNとともにミャンマーに戻った。ところが,原告X12らが戻った3日後にマウンドーで爆発事件(以下「マウンドー爆発事件」という。)が起こり,当日の夜にバングラデシュに戻ろうとしたNが逮捕された。これを聞いた原告X12は,自宅から親戚の家に移った。翌日,警察が原告X12の自宅に訪れたものの,同原告は親戚の家にいたため,逮捕されなかった。原告X12は,その日の夜のうちにミャンマーを出国し,バングラデシュに行った。原告X12が出国した翌日,警察が召喚状を持って同原告の自宅に来て,同原告の妻に対し,同原告を国外逃亡者と認定する等と言った。
c 前記のとおり,原告X12は,ミャンマーに帰国した場合には,ピィーターヤー作戦及びマウンドー爆発事件によって不当な身柄拘束又は処罰を受けるおそれがある。そして,このような身柄拘束等のおそれは,原告X12がロヒンギャ族に属し,かつ,たまたま疑いをかけられるような要素があったこと(ピィーターヤー作戦については,裕福であった妻の弟の商売を手伝っていたこと,マウンドー爆発事件については,それが起こった時期にバングラデシュからミャンマーにひそかに戻って来ていたこと)によるものであり,このような薄弱な根拠で身柄拘束等を受けるのは,ロヒンギャ族のみであるから,前記身柄拘束等は,「人種」,「国籍」又は「特定の社会的集団の構成員であること」を理由とするものであるということができる。
また,軍情報部は,マウンドー爆発事件を反政府組織RSOによるものであるとみなしており,Nを含め,多くのロヒンギャ族を逮捕及び処刑したのも,原告X12をマウンドー爆発事件の犯人として捜索しているのも,反政府組織RSOに関係しているかもしれないと考えてのことである。そうすると,原告X12は,特段の政治活動はしていないものの,軍情報部から政治的意見を有していると疑われ,そのことを理由に前記身柄拘束等を受けるおそれがあるのであるから,前記身柄拘束等は「政治的意見」を理由とするものであるということもできる。
(ス) 原告X13に係る個別事情
a 強制労働
原告X13は,15歳のころから,多数回にわたり強制労働をさせられ,3月から5月の夏季や11月から2月の冬季には,道路工事や山中での開拓工事を,6月から10月の雨季には,魚の養殖をさせられた。また,原告X13は,そこからポーターとして連れて行かれることもあった。
b 財産の略奪又は恣意的な没収
ナサカは,1軒当たり100チャットから200チャットのお金を徴収することがあり,また,果物,鶏,卵,魚などを奪うことがあった。さらに,原告X13の父は,多額の税金をアメリカドルで支払うよう要求されたが,これを支払うことができなかったため,養殖場を没収されてしまった。
c 宗教上の差別
ロヒンギャ族は,サラット(週に1回モスクに集まって礼拝する儀式)を行うことも許されていない。
d 強制労働からの逃亡による迫害
原告X13は,1994年,強制労働に1週間連行され,山の開拓工事をさせられた。しかし,原告X13は,暑い日差しの中で重労働をしなければならないことに耐えられずに逃亡した。原告X13が逃亡したため,ナサカが同原告の自宅まで同原告を捜しにやって来て,同原告がいないと分かると,同原告の父を逮捕し,同原告の父は,釈放されるために5万チャットを支払わなければならなくなった。原告X13は,1994年の雨季の初めころになっても,ナサカが同原告を捜索していることを聞き,ミャンマーを出国した。
(セ) 原告X14に係る個別事情
a 移動制限
ロヒンギャ族は,1989年から法令で移動を制限されるようになり,アラカン州の出入りを許されず,ヤンゴンとアラカン州シットウェとの行き来ができなくなった。原告X14の弟Oは,無許可でシットウェからヤンゴンに来たことにより逮捕され,インセイン刑務所に送られた上,ポーターに従事させられた。
b 強制労働
原告X14は,シットウェにいた1989年ころ,頻繁に強制労働に従事させられ,毎週のように,近くにあるマウンカン村の道路工事に従事させられた。その際,労働に従事しないときには,労働を拒否した場合にはもとより,体調が悪く,病気で働けない場合であっても,暴力を振るわれた。強制労働は,賄賂を支払えば免れることはできたが,原告X14は,資力がなかったために賄賂を支払うことができず,強制労働に従事していた。また,強制労働は,1990年に入ってからもあり,毎週ではなかったが,原告X14らロヒンギャ族に対し,頻繁に強制労働が課されていた。
c 財産の略奪や恣意的な没収
原告X14は,1985年ころから雑貨店を営んでいたところ,原告X14が営んでいた店舗のあるゼージー市場には,19か所のロヒンギャ族の営む店舗があった。ところが,ミャンマー政府は,1989年,新しい建物を作るとの理由によりゼージー市場から原告X14らを追い出した。その際には,ゼージー市場に店舗を有していた者も抽選で完成後の建物に入店することができるとのことであったが,抽選は本人の代わりに市議会の者がくじを引く方法で行われ,ロヒンギャ族は1人も当選せず,その代わりにロヒンギャ族以外の者で,以前その場所で店舗を経営していなかった仏教徒が当選した。他方,ゼージー市場で店舗を営んでいたロヒンギャ族以外の者は抽選に当たり,新しい場所で従来通り店舗を営んだ。このようなミャンマー政府の行為は,明らかに恣意的でロヒンギャ族に差別的な方法で行われており,ロヒンギャ族にとって,実質的な店舗(資産)の没収にあたることが明らかである。
また,ロヒンギャ族は,所有地を没収されることもあり,現に,原告X14の父は,1989年ころ,教師養成学校を作ることを口実に,所有する農地を没収されたが,そのような施設は,結局建設されなかった。さらに,同時期に,近隣のロヒンギャ族も土地を没収された。
d 信教の自由の制限
イスラム教徒である原告X14は,モスクの使用につき迫害を受けたことがある。原告X14は,1989年ころ,通っていた近隣のモスクで補修工事を始めたところ,当局から,その場所で礼拝する権利がないと言われ,モスクは立入禁止となり封鎖されて使用することができなくなった。そのため,原告X14は,遠くのモスクに行くことになった。
e 教育の機会の喪失
シットウェ郊外から通うロヒンギャ族の生徒は,通学の際にヤカイン族の集落を通らなければならず,その際,ヤカイン族の少年の集団に棒で叩かれたり,教科書を奪われたりするなどのいじめを受け,学校の授業時間に遅れた。高校の教師は,ヤカイン族の暴力のことを知っていたにもかかわらず,頻繁な遅刻を理由にロヒンギャ族の生徒を教室に入れなくなった。また,トラブルが発生した際に警察に捕まるのはいつもロヒンギャ族側だけであった。そのため,郊外から通うロヒンギャ族の生徒たちは留年するようになり,留年による経済的負担もあいまって学業を続けられなくなり,中退していった。ロヒンギャ族である原告X14も,上記のような差別にあって学校を中退せざるを得なかった。
f 家族票からの抹消による逮捕のおそれ
ロヒンギャ族は,ミャンマー国民としての身分証が発行されず,移動制限によって自宅に戻れないと家族票から名前を消され,そのことを理由に逮捕される。政府の役人が,2,3週間に1度,各戸を調査し,そこに氏名の記載された者が所在していなければ,家族票から抹消してしまい,家族全員の写真を撮り居間にかけておくように命令する。原告X14の出国後も,同原告の自宅に,2,3回,政府の者が同原告を探しに来て,1回目の調査の際には,妻が同原告はシンガポールに行っていると答えたようであるが,2回目の調査の際には,妻は,言い逃れができなくなり,同原告は不在ということになった。そのため,原告X14の名は仮住民票から削除されたが,このことだけでも,移住制限に反したことになり,同原告の逮捕の理由となる。
g 移動制限違反幇助容疑による迫害のおそれ
Oは,シットウェのロヒンギャ族がシットウェから出られなくなったにもかかわらず,2006年,強制労働を避けるため,無許可でシットウェからヤンゴンに逃げてきて,同年3月又は4月ころに逮捕された。原告X14は,Oが逮捕された後である同年4月19日に仕事先から妻に電話をかけた際にOがシットウェから逃げてきたことを知ったが,Oは,取調べにおいて「ヤンゴンに兄がいる」と言ったため,同原告はOの無許可の移動を助けたことについて,疑いをかけられた。
その頃,原告X14がちょうど仕入れに出かけていて留守だった折に,警察が同原告の自宅を訪れ,同原告に出頭するようにメモを置いて行った。原告X14は,同様のメモをもらった知人が出頭して逮捕されたことから,警察に出頭すれば捕まり,出頭しなければ出頭しないということを理由に再度警察が自宅に探しに来て,見つかれば捕まってしまうことが予想され,そのため,同原告はメモは逮捕状と同じような意味を持っていると考えた。そして,このままヤンゴンにいれば見つかって逮捕され,自分の身が危ないと思い,原告X14は,逃げるしかないと考え,出国を決意した。
(ソ) 原告X15に係る個別事情
a 強制労働
(a) 原告X15は,1993年にマウンドーからヤンゴンに移動したが,移動前のマウンドーにおいて,軍等から,ミャンマー政府の建物の建築,塀やトイレの設置,木の伐採,土を基地に運ぶ等の強制労働に従事させられた。
(b) 原告X15は,1995年,ヤンゴンからマウンドーに戻り,いったんバングラデシュに出国した後,再びマウンドーに戻ったが,マウンドーに戻って以後も,政府や軍に連行され,木の伐採をさせられたり,土を掘る仕事をさせられた。強制労働では,時には,2,3日の泊まりがけで,土を掘る作業をさせられ,兵士が隠れる塹壕を掘り,また,ナサカの家族が住む家を造らされたこともあった。食事は1日に1回で,時間の決まりはなく,作業が間違っていたり,休憩したりしていると,監視している軍人達から暴力を振るわれた。
(c) 原告X15は,強制労働で重い荷物を持たされ,暴行を加えられたため,腰を痛め,時を経るに従い,腰の痛みは,ひどくなっていった。
(d) 原告X15は,定期的に,バングラデシュとの国境の川の監視小屋で,川を渡ってくる不審人物がいないかの監視をさせられたことがあった。この監視は,村の中で世帯毎に順番に担当させられるものであり,監視を行う際には,一晩中監視させられ,起きていることを示すために10分おきに声を出し,起きていることをナサカに伝えなければならず,眠っているところが見つかれば,殴られた。そして,このような暴行がエスカレートして,殺されることもあった。
b 移動制限
ロヒンギャ族は,正式な転居届を出しても受け付けてもらえず,移動が制限されている。また,原告X15は,1995年にヤンゴンからマウンドーに戻ってきた際,マウンドーで起きた爆弾事件の犯人と連絡を取っているとの嫌疑によりナサカに10日間拘束されたが,その釈放の際,マウンドーから移動しないとの約束をさせられた。
c 財産の略奪や恣意的な没収
(a) 原告X15は,強制労働を免れるため金銭を支払う必要があった。
(b) 原告X15の家族は,1989年にマウンドーからヤンゴンに移動する際,正式な転出届がミャンマー政府に受理されないため,ブローカーを通じて,当局に賄賂を支払った。
(c) 原告X15及びその家族は,1993年,ヤンゴンに虚偽の転居届で移動したこと及び同原告が移動していない時点で家族票上,同原告をヤンゴンに移動させていたことから,警察に連行された。原告X15と同原告の父を除く家族は,釈放のために賄賂を支払い,事件の首謀者として裁判を受けることとなった同原告及び同原告の父は,裁判官に賄賂を支払った。
(d) 前記のとおり,原告X15は,1995年10月,マウンドーで爆弾事件を起こした犯人と連絡を取っているとの容疑で逮捕され,10日間拘束されたが,釈放されるため,同原告の叔父Pが50万チャットの保証金を支払った。
(e) 原告X15は,1996年10月ころ,バングラデシュからマウンドーに戻ったが,その際,安全な帰国のために,叔父が,地区の指導者に約20万チャットの賄賂を支払った。
(f) 原告X15は,1996年10月ころにマウンドーに戻って以後,警察官や軍から,武装組織と連絡を取り合っていると因縁をつけられ,食事を強要されたり,小遣いをせびられ,そのたびに5万チャットか,10万チャットを支払わされた。
d 土地の没収
ミャンマー政府は,1997年ころ,原告X15の父の畑を没収した。これは,新しい村をつくるためやナサカが居住するため,何らの補償なしに原告X15の父の畑を没収したものであった。
e 不当な身柄拘束等
(a) 前記のとおり,原告X15及びその家族は,1993年,ヤンゴンに虚偽の転居届で移動したこと及び同原告が移動していない時点で家族票上,同原告をヤンゴンに移動させていたことから,警察に連行され,同原告と同原告の父は,首謀者として,10日間ほど警察で拘束され,暴力を振るわれた。その後,原告X15と同原告の父は,起訴されたが,裁判官に賄賂を支払って両名とも1か月の懲役刑となって,インセイン刑務所で刑の執行を受けた。原告X15は,警察及び刑務所において酷い暴行を受け,頭から水を垂らされる,ローソクの溶けたろうを身体に付けられる,身体に電気を当てられる,足を蹴られる,殴られるなどし,さらに,木の棒で殴られることもあった。
(b) 原告X15は,1995年10月にヤンゴンからマウンドーに戻ってきた際,爆弾事件の犯人と連絡を取り合っているという嫌疑でナサカに逮捕され,ナサカの事務所に10日間拘束された。原告X15は,ナサカの事務所において,度々暴力を振るわれ,頭からプラスティックのカバーをかけられる,木製の手かせ及び足かせを付けられて殴る蹴るの暴力を振るわれる,冷水をかけられる,頭上から水滴を落とし眠らせないようにする,電気ショックを与えられる,背中を蹴られたり,ローソクを押し付けられるなどの暴行を受けた。
(タ) 原告X16に係る個別事情
a メイユー学生青年連盟での活動による迫害のおそれ
1988年の民主化運動の際,当時マウンドーに在住していた原告X16も反政府デモに参加し,その後,総選挙の実施に向けてロヒンギャ族の学生が組織したメイユー学生青年連盟に参加した。原告X16は,当初は会計監査や党員名簿の作成などの仕事に従事していたが,1989年6月にヤンゴンに移り住んでメイユー学生青年連盟の本部に所属するようになり,1992年には,副書記長・中央執行委員に選任された。政党の役員に選任された者は,政府に氏名と役職名を写真と共に提出して報告をすることが義務付けられており,原告X16も,メイユー学生青年連盟の副書記長・中央執行委員に選任された際に写真と共に氏名及び役職名をミャンマー政府に報告した。そのため,原告X16の氏名は,民主化を求める反政府活動家としてミャンマー政府に記録されている。メイユー学生青年連盟は,1993年,政府の選挙開催委員会中央本部から,政党としての要件を満たしていないとして政党名簿への登録を抹消されてしまったが,原告X16は内密に政治活動を続けた。そのため,原告X16は,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがある。
b ロヒンギャ・インフォメーションセンター(以下「RIC」という。)との接触による迫害のおそれ
原告X16は,2006年5月22日,仕事でマレーシアに行き,その際,RICという団体と接触した。RICはクアラルンプールに本部を置き,ミャンマーの民主化とロヒンギャ族の権利の拡大を目的として活動する団体であり,マレーシア国内に居住するロヒンギャ族の間ではよく知られた団体である。
原告X16は,以前からロヒンギャ族の青年の進学について考えていたところ,ロヒンギャ族の親戚の息子の進学について相談を受けたことから,高等教育を受けることができないアラカン州のロヒンギャ族がマレーシアにおいて進学の機会を確保することができないかを相談するためにRICと接触したのである。
原告X16は,マレーシアにおいて,RICの議長であるサンミーウラー,副議長のラールー及び書記長のアブドゥラザックと面談し,上記の要望を伝えたところ,サンミーウラーらは,検討すると返答するとともに,同原告に対して,どのくらいのニーズがあるのか及びどの程度の経済的負担が可能なのかについてのリサーチを求めた。原告X16は,この返答を受け取って,同年6月11日,ミャンマーに帰国した。
原告X16は,ミャンマーに帰国した後である同月19日,たまたま同原告が自宅居室が入っている建物の向かいの喫茶店にいたときに,警察官,地区評議会メンバー,内務省の特別調査部局(BSI)職員らの一団が同建物に入っていくところを目撃した。彼らは,原告X16の妻に対し,原告X16の所在を尋ね,家族票と国民登録証のコピーを取り,「帰宅したら地区評議会に連絡し警察に出頭するように」と言い残して帰った。警察官らが退去したのを確認して家に戻った原告X16は,妻からこれらのやり取りを聞き,「話が聞きたい」と言って連行しそのまま逮捕するためにやって来たのは間違いないと確信した。原告X16が逮捕される理由として思い当たることは,直前にマレーシアでRICと接触した事実しかなかった。しかも,原告X16は,かつてメイユー学生青年連盟の副書記長・中央執行委員として民主化活動に関わった人物として政府に把握されており,政府が同原告を逮捕することは容易だと考えた。
そこで,原告X16は,再び家を出て,知り合いの家を転々としながら出国の機会を探り,マレーシア行きのチケットを入手して,同年8月6日にミャンマーを出国した。なお,原告X16は,出国の際に空港で拘束される危険を避けるため,姉の夫に相談し,その知人である空港職員に賄賂を渡して無事出国できるよう手配をしてもらった。
c ロヒンギャ族に対する差別的取扱い
(a) 移動制限
ロヒンギャ族には,現在の国民登録証は発行されないため,原則として国内の移動は認められない。実際には,賄賂を支払って移動を見逃してもらうことになるが,それでも許可されないことがあり,アラカン州の外からアラカン州に入ることは賄賂を支払っても認められない。
(b) 大学への進学の制限
アラカン州に居住するロヒンギャ族は,ヤンゴン大学に進学することを禁じられているだけでなく,シットウェに入ることを禁じられているため,シットウェ大学に通うことができない。
(c) 結婚の制限
1997年以降,ロヒンギャ族は申請をしなければ結婚をすることができない。
(d) 行政手続の制限
ロヒンギャ族に対しては,賄賂を支払わなければ行政上の手続が行われない。
(e) 宗教を理由とした迫害のおそれ
ミャンマー政府は,モスクの新しい建設や修理にその都度許可を取得するよう命じ,しかも,その許可を出さない。のみならず,ミャンマー政府は,既に建っているモスクを強制的に取り壊してしまうことも少なくない。原告X16が通っていたヤンゴンのモスクも,修理の許可を申請したが認められなかった。また,ヤンゴンにあった原告X16の知人が通っていたモスクも,ミャンマー政府によって強制的に取り壊された。
(チ) 原告X17に係る個別事情
a ミャンマーでの政治活動等
(a) 原告X17は,1988年のいわゆる8888事件と呼ばれる民衆蜂起の際にヤンゴン市内でデモに参加し,同年8月9日,ヤンゴン市役所前で軍に発砲され,ヤンゴン病院の方に逃げた。そして,同月12日の深夜,軍人が原告X17の自宅にやって来て,同原告を逮捕した。原告X17は,頭から布を被せられた状態でトラックに乗せられて連行された上,約1週間にわたって拘禁され,学校内の民主化組織のこと等について取調べを受けた。取調べでは,軍人が原告X17の首に銃剣を突き付けたり,銃の台尻や棒で同原告の頭部を殴打する拷問が行われた。原告X17の左の首筋には,銃剣を突き付けられた時にできた古傷が残っており,頭頂部にも,銃の台尻や警棒で殴打されて出血した傷を縫合してもらった痕が残っている。原告X17は,拷問により意識を喪失し,意識を回復した時には自宅で重傷を負って寝ている状態であった。
(b) 1988年9月,軍が再び原告X17の自宅にやって来た際,同原告は父から逃げるように言われて自宅の裏から逃げたところ,軍は,政治活動を行っていない同原告の兄を同原告の代わりに逮捕した。原告X17の兄は,約1年間刑務所に服役した。原告X17は,約1年間,モーラミャインに隠れ,1989年,政情が一時的に安定したため,帰宅し,政治活動を行わないという誓約書を書いて復学した。
(c) 原告X17は,1996年末ころ,学友のQと共にミャンマームスリム学生組織(MMSS)に入り,イスラム教徒を迫害から守るための活動をした。
(d) Qとその父親は,いずれもNLDの党員であり,Qの父親は,NLDの運営委員もしているNLDの有力者であった。原告X17は,Qと共に民主化を求める運動やイスラム教徒の自衛活動をしているうちに,NLDの活動も手伝うようになり,1998年,Qとその父親の取り計らいでNLDに加入した。原告X17は,NLDにおいて,パンフレットを市民に配布したり,ヤンゴンの5つの地区を担当して情報を集めて本部に届けるなどの活動をしていた。
(e) 2000年3月ころ,NLDチャウダダー郡区にミャンマー当局が取調べに入り,活動家を逮捕しようとしている情報が流れたため,それまでにNLDの党員として職務質問を受けていた原告X17は,身の危険を感じて自宅に戻らず逃亡生活を送っていた。そして,同年5月,原告X17は,ミャンマーゴルフクラブが韓国で行われる親善試合に行くのに紛れ,同クラブのメンバーを装って,ミャンマーを出国した。
b 日本での政治活動
(a) 原告X17は,2004年6月にBRAJ(在日ビルマロヒンギャ協会)に入会し,2006年度,2007年度及び2009年度には執行委員を務めており,そのため,2007年3月のBRAJの機関誌(月刊・ニュースレター)には,BRAJの執行委員として同原告の写真と氏名が掲載されており,これらが在日大使館,ビルマ料理店等に配布されている。また,原告X17は,ミャンマー大使館前等におけるデモ活動にも積極的に参加している。
(b) 原告X17は,本邦においても,NLDの党員であり,2000年まではNLDの会費を継続して支払っており,2001年と2002年は支払えなかったものの,2003年からは再び支払っており,NLDに対して,度々多額の寄付をしている。
(c) 労働者の団結及び地位向上を求める労働組合は,必然的に民主化と結び付くため,軍事政権の下にあるミャンマーでは,労働組合は厳しく禁じられているところ,原告X17は,在日ビルマ市民労働組合(FWUBC)の組合員としても活動している。
(d) 2006年,原告X17の親族が,同原告の活動に関してミャンマー当局から尋問を受けたため,原告X17の実家は,同原告と家族の縁を切って責任が家族に及ぶのを避けるべく,国営新聞に同原告を相続人から廃除する旨の広告を掲載した。
(ツ) 原告X18に係る個別事情
a けんかによる警察署留置と中学校の退学
原告X18は,1968年,シットウェの中学7年生のとき,ヤカイン族の生徒とけんかしたところ,同原告だけが,警察署に連行されて24時間留置され,さらに,学校を退学させられた。また,原告X18は,釈放後4,5か月たってから,父と共に警察の特別捜査官から呼び出されて3日間身柄拘束され,その後も,警察の特別捜査官の取調べが続いた。
b ロヒンギャ青年協会への入会と活動等
原告X18は,1975年にシットウェからカチン州ミッチーナに移住し,1976年,ロヒンギャ青年協会に入会し,組織活動の責任者として活動した。しかし,ロヒンギャ青年協会は,ミッチーナの軍情報部から,ヤカイン州のムジャヒディン(イスラム教の大義にのっとったジハードに参加する戦士たち)との関係を疑われ,原告X18は,同年,父と共に軍情報部から呼び出された。原告X18は,ヤカイン州から来たのはKIA(カチン独立軍)と接触するためではないかなどとKIAとの関係を疑われ,1日間拘束された。他方,父は,なかなか釈放されず,兄が賄賂を支払ってようやく1週間後に釈放されたが,父は取調べで拷問を受けたらしく,釈放された時は体中傷だらけ,打ち身だらけで,銃尻で殴られたあともあった。父は,病院に運ばれて1週間後に死亡した。
c 1985年の逮捕とその後の身柄拘束
原告X18は,1985年,ミッチーナのある退役軍人2人が武器の密売で逮捕されたときに同原告の店の領収書を持っていたことから,KIAへの武器密売容疑で逮捕された。原告X18は,まず,軍情報部員によって第8情報機関の事務所に連行され,2週間取調べを受け,その際,武器密売やKIAとの関係を認めさせたい取調官により,銃尻で殴られたり,蹴られたりした。銃尻で殴られたことなどでもみあげ付近から出血し,軍の病院で12針縫った。その後,原告X18は,第2警察署に移され,1か月以上身柄拘束され,取調べを受けた。そして,武器密売やKIAとの連絡などを理由に裁判にかけられ,第1警察署に移された。第1警察署では1年以上拘束された。第1警察署に移ってからも,カチン州にある北部管区司令官であるエル・クン・パンが暗殺されたとき及びミッチーナ市内で爆発事件があったときの2度,これらへの関与が疑われたため,軍情報部員によって第8情報機関の事務所に連れて行かれ,軍情報部員から取調べを受けた。その後,原告X18は,ミッチーナ刑務所に移され,そこで3年くらい過ごした。原告X18は,刑務所でも,KIAとの関係を疑われて,軍情報部員から2回取調べを受けた。原告X18は,1989年6月,懲役5年の有罪判決を受けたが,身柄拘束されてからすでに4年6か月たっており,恩赦もあって,同年8月に釈放された。しかし,釈放後も,原告X18は,軍情報部から常に行動を監視され,カチン州内の町を転々としたが,いずれの町でも取調べを受けた。
d 財産の略奪や恣意的な没収
1985年に逮捕されたとき,住居や店舗の契約書を持っていかれ,翌日,店舗には「この店は営業ができない」という貼り紙が貼られた。また,当時,住居には原告X18の代わりに従業員が住んでいたが,その従業員に退去命令が出された。その後,すべて他人名義になった。
e KNCD(カチン民族民主化会議)への参加と活動等
原告X18は,1989年の釈放後,KNCDの組織活動責任者であり,ロヒンギャ族とカチン族のハーフでイスラム教徒であるマウンレーから誘われ,KNCDの活動に参加した。KNCDでは,90年総選挙のために文書作成や配布などを行った。また,ロヒンギャ族の地位向上のため,KNCDの中心人物と話をするなどの活動をしていた。しかし,総選挙後,KNCDの活動はミャンマー政府によって禁止され,解散させられた。そして,1999年10月,マウンレーが軍情報部に逮捕され,原告X18は,マウンレーからの伝言として,軍情報部が同原告のことも探しており危険である,できれば国を出た方がいいと言われたため,すぐにマンダレーへ行き,2000年8月20日,陸路でタイへ出国した。
f 本邦での活動
原告X18は,2001年4月ころ,BRAJに参加し,入会した2年後くらいから現在に至るまで執行委員(EC)を務めている。また,原告X18は,2001年6月,FWUBCに入会したところ,FWUBCはミャンマー労働組合連合(FTUB)の日本における支部の1つであり,FTUBは,2006年,ミャンマー政府から非合法団体であると宣言された。
g 長男の難民認定
原告X18の長男であるSは,ミッチーナでNLDに加入し,アウンサンスーチーの演説集会を知らせる文書を配布したところ,軍情報部に逮捕された。Sは,その後,ミャンマーを出国し,現在,スイスで難民認定を受けて在留している。
(テ) 原告X19に係る個別事情
a 移動制限
マウンドーに居住するロヒンギャ族は,郡内の各区の間を移動することは問題なくできるが,郡外に移動する際には許可が必要となり,許可なく移動すると警察に捕まるという厳しい移動制限が課せられていた。
b 強制労働
原告X19は,1994年8月にミャンマーを出国する前,台風でマウンドーからブーディーダウンまでの道が封鎖されたときに,道路にある岩や樹木を運搬するという強制労働を2度課せられた。この強制労働に連れ出されるのはロヒンギャ族のみであり,一度連行されると,3日間,作業に従事させられた。労働時間は,朝6時に起き,食事をした後,朝8時から日が沈む夜6時ぐらいまで続いたので約10時間であった。強制労働の際には,疲れて休むと殴られることがあり,原告X19は,1回目の労働のときは2度ほど,2回目のときは1度,背中を竹の棒で殴られるなどの暴行を受けた。
c 財産の略奪や恣意的な没収
原告X19は,買い物に行った際に理由もなく購入した商品や金銭を奪われたりした。また,原告X19は,町へ行く途中,理由もなく金銭を取られ,金銭を持っていないと殴られ,さらに,「持っていない」と嘘をつくと,わざわざ原告X19のポケットに手を入れて金銭を取られることがあった。また,ロヒンギャ族は,夜遅く出歩いていると警察に連行されることがあり,原告X19自身,3,4回ほど警察に連行されたことがある。
d 土地の没収
原告X19が5,6歳のとき,家の畑がいつの間にか他人のものになったという経験をしている。
e 教育の機会の喪失
原告X19が通っていた中学校では,教師がアラカン族であったため,アラカン族の生徒は成績が悪くても進級することができるのに,ロヒンギャ族の生徒は,ロヒンギャ族であることが理由で,成績が良くても容易に進級することができなかった。そのため,原告X19は,8年制の就学期間の間,3年生及び6年生のときに2回留年し,ようやく8年生になったと思ったら,また落とされた。そのため嫌気がさし,学校を中退した。原告X19の弟も,高校の最終学年である10年生まで修了したにもかかわらず,シットウェやヤンゴンへの移動許可がでなかったため,入学資格があったにもかかわらず,大学に行くことができなかった。
f 不当な身柄拘束
(a) 1994年5月の最終週にマウンドーで爆発事件が発生したことをきっかけに反政府活動者を取り締まるとの口実で,マウンドー内のロヒンギャ族の若い男性の多くが逮捕され,この時,原告X19も拘束された。また,原告X19が逮捕されたのとちょうど同じころ,マウンドーで合計8人のロヒンギャ族が捕まり,その後も,次々にマウンドーでロヒンギャ族が逮捕された。
(b) 原告X19は,1992年にRSOの軍事訓練に加わっていたという疑いをかけられ,MIに身柄を拘束され,両手を天井から吊され,木製の足かせをはめられたまま4回尋問を受けた。その際,竹の棒で体を殴打されたり,手拳で殴られたり,足で蹴られたりなどの虐待を受け,逮捕後10日目に行われた4回目の尋問で意識を失い,病院に連れていかれた。しかし,原告X19の意識が回復しなかったため,同原告は,入院することとなり,入院4日目に同原告の父がMIに行き,誓約書を書くことでようやく解放された。ところが,退院して2か月程が過ぎたころ,再びMIの関係者が実家にやってきて,原告X19の父に「息子に聞きたいことがある」とのみ言って帰っていった。原告X19は怖くなり,すぐに陸路でミャンマーのブーディーダウンに逃げ,シットウェを経由して,タイに出国した。
(ト) 原告X20に係る個別事情
a 強制労働
原告X20は,ミャンマー在住時,頻繁に強制労働に従事させられた経験がある。その頻度は,最低でも月に2,3回程度,多いときで週に3日程度であり,時間も,昼間とは限らず,夜に突然やってきて,家から連れ出されることもあった。また,強制労働は,1日で終わるとは限らず,数日続くこともあった。労働の内容は,ナサカの建物の建設,ナサカの事務所への荷物の運搬,穴堀り,魚の養殖場での堤防作り,見張りなどである。見張りには2種類あって,村の中の見張りと,バングラデシュとの国境の川の見張りがあった。また,作業の際に暴力を振るわれることもあり,物を運んでいるときに歩く速度が遅くなると,監視の者が手に持っている竹の棒や鞭等で殴られた。
b 財産の略奪及び恣意的な没収
原告X20の父は,海老の養殖場を所有していたが,没収され,返還には高額な金銭の支払を要したため,取り戻すことはできなかった。
また,原告X20は,1994年あるいは1995年ころ,父の所有する食料品や雑貨の販売店を切り盛りしていたところ,当局の役人が店に来て,この店は今後お前のものではないという趣旨の手紙を原告X20に手渡し,その後,この店は,他の者の手に移った。その1,2週間後,商品が店に残っていたことから,原告X20が店に残っていた商品を売っていたところ,当局の者がやってきて,もうこの店はお前のものではないだろうといって意識を失うほど,頭等を銃で殴られ,頭に怪我を負った。
c 移動制限
原告X20が前記bのような経緯で怪我をした際,シットウェの病院で治療を受けるため,シットウェに向かったが,ロヒンギャ族は許可証がないと通せないという理由で検問を通過することができず,さらに,同原告が通行許可を求めると,刑務所に行くか家に帰るか選べといわれ,シットウェに行くことは断念せざるを得なかった。
d 不当な財産の徴収
原告X20がミャンマーを出国した後,何度も,同原告がバングラデッシュに出国したことについて質問するためと称して,ミャンマーに残っている妻に呼出状が送り付けられ,この出頭要請は2008年5月20日の時点でも続いている。これに対して妻が出頭すると,金銭の支払を要求される。
e ミャンマーにおける政治活動
原告X20は,1988年8月8日の民主化運動において,メイユー学生青年連盟を手伝い,デモに参加した。
f RSOとの接触を理由とする逮捕のおそれ
原告X20は,前記bの経緯で重傷を負ったが,マウンドーでは適切な治療を受けることができず,国内の他の地域での治療も,移動の制限により不可能であった。そこで,原告X20は,バングラデシュで治療を受けるため,ミャンマーを出国した。原告X20は,バングラデシュでの治療を終えた後,ミャンマーの自宅に戻ったところ,ミャンマーの入国管理局に勤務している知人から,同原告がバングラデシュにおいてRSOというバングラデシュで活動している反政府活動グループに接触したという容疑で逮捕状が出たと聞かされた。また,家族からも,原告X20を探しにナサカがやってきたという話を聞かされた。原告X20は,RSOと連絡接触したことは一切ないものの,長期間バングラデシュへ行っていたためRSOとの関係を疑われた可能性があり,関与を疑われた以上,いくらそのような事実はないと言っても逮捕及び拷問により虚偽の自白をさせられ,無事に戻れないことは明らかであったことから,逮捕されないよう,農作業小屋で隠れて生活し,食事の時のみ自宅に戻っていたが,食事のために自宅に戻った際,ナサカが同原告の家に向かってやって来て,追われたため,同原告は逃げ出し,そのまま,バングラデシュに逃亡した。
カ まとめ
(ア) 前記のとおり,ロヒンギャ族に属する者は,ロヒンギャ族であること及びイスラム教徒であることから様々な人権制約を受けており,「人種」,「宗教」,「国籍」又は「特定の社会的集団の構成員であること」を理由とする人権制約を受けているということができる。そして,このロヒンギャ族に対する人権制約は,日常的かつ累積的に課される可能性があるものであり,ロヒンギャ族に敵対的又は差別的な意識の下で行われた重大な人権の制限であるといえるとともに,国籍の剥奪という制度的かつ組織的な枠組みによって維持され固定化されたものであるということができる。そうすると,ロヒンギャ族に対する前記エのような人権制約は,基本的人権の持続的かつ組織的な侵害であるということができ,難民条約上の「迫害」に該当するというべきである。そして,ロヒンギャ族が前記エのような重大な迫害のある状況に置かれるとすれば,その敵対的で累積的な人権侵害に対して,主観的及び客観的な恐怖を抱くことは当然である。したがって,ロヒンギャ族である原告らは,ロヒンギャ族であることから直ちに難民条約上の難民に該当するというべきである。
(イ) また,原告らは,前記オのような具体的な迫害の経験を有するとともに,迫害を受けるおそれを避けるために出国したなど,その難民該当性を基礎付ける具体的な事情を有しており,前記エのようなロヒンギャ族の迫害状況を併せ考慮すれば,原告らの個別的な事情に基づき,その難民該当性が肯定されるべきである。
(ウ) 以上によれば,原告らは,難民条約上の難民に該当するから,本件各難民不認定処分は,違法又は無効である。
(被告の主張)
ア 難民の意義及びその立証について
(ア) 入管法に定める「難民」とは,難民条約1条及び難民議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうところ(入管法2条3号の2),これらの各規定によれば,難民とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分な理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」をいう。そして,上記の迫害とは,「通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃又は圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧」を意味し,また,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要である。
(イ) 難民条約31条は,難民条約の締約国に対して,「その生命又は自由が第1条の意味において脅威にさらされていた」領域から直接来た「難民」に一定の配慮を行うよう義務付ける規定であるが,同条は,迫害を及ぼす領域に序列を付して,「その生命又は自由が第1条の意味において脅威にさらされていた」領域からの難民のみを保護の対象としているとは考えられず,迫害を及ぼす領域から直接来た難民を保護する趣旨であると解される。また,難民条約33条は,難民や政治亡命者を迫害のおそれのある国に追放又は強制送還することは,人道上の見地から見て問題であることから,難民条約の締約国がそのような措置を採ることを禁じた規定であり,当該人を,正に「迫害」を及ぼすおそれのある領域へ送還すること等を禁止する規定である。
以上のような難民条約31条及び33条の規定の文言及び趣旨等にかんがみると,難民条約上の「迫害」とは,「生命又は自由に対する脅威にさらす」ことをいうものと解すべきことになる。そして,難民条約上の「迫害」は,「恐怖」という概念と関連する概念で,脅威にさらされていることによって恐怖を有するものであることを前提としていると考えられ,その1つとして「生命に対する脅威」を挙げていることからすると,そこにいう「自由」とは,生命に対する脅威に準ずるものと解釈すべきである。したがって,難民条約上の「迫害」とは,「生命又は身体の自由に対する脅威にさらすこと」,すなわち,「生命又は身体の自由の侵害又は抑圧に至る行為」を意味するものというべきである。
(ウ) 上記の「難民」に該当することの立証責任は,難民であることを主張する原告側にあり,原告側は,自らが「難民」であることについて合理的な疑いを容れない程度の証明をしなければならない。
イ ロヒンギャ族であることを理由とする難民該当性について
原告らがロヒンギャ族に属しているという事情そのものを理由として迫害のおそれがあるというためには,①ロヒンギャ族が特定の民族又は特定の集団として存在すること,②他の民族又は集団と明確に識別することが可能であること,③当該民族又は集団に属する者が迫害を受けていること,④そのような迫害は当該民族又は集団に属するということのみを理由とするものであること,⑤原告らがロヒンギャ族に属していることが必要であると考えられる。しかし,以下のとおり,ミャンマーにおいては,ロヒンギャ族であることから直ちに迫害のおそれがあるということはできず,原告らの難民該当性は,個別の者について,その生活歴やミャンマー政府から受ける迫害や不利益の有無及び程度といった個別の状況を踏まえつつ,個別具体的に判断するほかないというべきである。
(ア) ロヒンギャ族の範囲が極めて不明確であること
アラカン州に居住するイスラム教徒には,ミャンマー政府が固有の民族として公認するカマン族が存在しており,その居住地や宗教からロヒンギャ族を他と区別することはできない。また,ロヒンギャ族について,これを他と区別する明確な指標となり得るような歴史的な背景が存在しているとは認められない。さらに,ロヒンギャ語という特有の言語が存在するかどうかは見解の分かれるところであり,言語的にロヒンギャ族を他と区別することもできない。このようにロヒンギャ族の範囲は極めて不明確であって,他と明確に区別することはできない。
(イ) ロヒンギャ族に対する迫害の実態が明らかでないこと
a ロヒンギャ族が,ミャンマーのアラカン州北部から国境を接するバングラデシュに難民であるとして流出する事件が何度かあったが,1992年4月,ミャンマー政府とバングラデシュ政府との間で,二国間協定が成立した結果,バングラデシュに流出した者がミャンマーに帰還し始め,1993年にミャンマー政府がアラカン州でのUNHCRの活動を認めたことから,1994年4月,ミャンマーにUNHCR事務所が設置され,UNHCRはバングラデシュからの自主帰還を援助するようになった。これ以降,UNHCRは,帰還者の再定着の促進と多数の基本的なインフラ整備事業に着手しており,1995年半ばにおいて,バングラデシュにとどまっている者は約5万人にまで減少した。さらに,1994年にはミャンマーとバングラデシュ両国政府とUNHCRが協力する形で帰還を支援する活動が開始され,1995年から,ミャンマーのマウンドー地区において,帰還者及び地域住民のための地域開発等の活動が開始されている。これらの地域開発や技術訓練は村人も参加して行われる形態であり,異民族間の対立を和らげるべく,イスラム教徒を含めた多様な民族が参加して行われるよう配慮されていて,このような努力の結果,現在までに約9割の者が帰還している。このようにロヒンギャ族を取り巻く状況は改善しつつあるということができる。
b アラカン州の総人口は271万1448人であり,その宗教分布は,仏教徒が69.7%であるに対し,イスラム教徒が28.6%であって,アラカン州におけるイスラム教徒が大きな存在であることがうかがわれることからすれば,ミャンマー政府がイスラム教徒に対しイスラム教徒であることだけを理由に直ちに生命又は身体に対する危険を生じさせるほどの迫害を加えるとは容易には想像し難い。
c 原告らは,強制労働,土地没収,恣意的な課税及び財物提供の強要,移動の禁止,婚姻の制限,教育機会の制限などの迫害を受けていた旨を主張するが,原告らの主張する迫害の内容は区々のものであって,原告ら全員が上記のような内容の不利益を受けていたのではないのであるから,ロヒンギャ族であるが故に上記のような内容の不利益を受けていたということはできない。
(ウ) ロヒンギャ族の国籍について
原告らの主張によっても,ミャンマー国籍を取得しているロヒンギャ族も存在しているのであり,このことは1990年に実施された総選挙においてロヒンギャ族に属する者が出馬し当選していること,原告らの中にも自己名義の旅券を取得している者があることからも裏付けられる。他方,ロヒンギャ族に属する者にミャンマー国籍が認められない者がいるとしても,それは,当該人が国籍法所定の国籍取得の要件に該当しないからであって,ロヒンギャ族に属することを理由とするものではないから,ロヒンギャ族に属する者にミャンマー国籍が認められないことは,ロヒンギャ族であることを理由とする不利益には当たらないというべきである。
ウ 原告らの個別的事情に基づく難民該当性について
(ア) 原告X1に係る個別事情について
a 原告X1は,本件難民不認定処分イに対する異議申立手続において初めて強制労働について供述していることなどに照らすと,同原告の強制労働に関する主張は信用することができず,同原告が強制労働に従事させられたことはないというべきである。そうすると,強制労働が迫害に該当するかどうかはともかく,同原告については,強制労働に従事させられたという事実を,ミャンマー政府が同原告を迫害の対象としたことを示す個別かつ具体的な事情とみることはできない。
b 原告X1が本国において逮捕されたという主張についても,その事実を裏付ける客観的な証拠が存しない一方,その主張する逮捕の経過には不審な点があり,仮に,同原告主張のとおり本国において逮捕されたことが事実であったとしても,それは,同原告がナサカに何らかの抵抗をしたことが原因であるようであり,恣意的な逮捕と断定することはできない。そうすると,この点もミャンマー政府が原告X1を迫害の対象としたことを示す個別かつ具体的な事情ということはできない。
(イ) 原告X2に係る個別事情について
a 原告X2は,難民調査官の調査では,9歳から12歳の時期に強制労働に従事させられていた旨供述していたのに対して,本件訴訟では,強制労働に従事していた時期を12歳から18歳の時期であると主張するに至っているが,強制労働に従事させれられていた時期は,実際に同原告が主張する強制労働に従事させられていたかどうかに関してその根幹に関わる事実であるから,強制労働に従事させられていた旨の同原告の供述は信用することができない。また,原告X2は,軍が直接家まで来て家を取り囲み逃げられないようにして強制労働に連行することがあり,強制労働の際には食事も与えられないと供述するが,上記のような連行の態様は,労働の強制の方法として非効率であるし,労働の際に食事を与えないというのも作業効率という点から不合理な事態である。これらの点に照らすと,強制労働に関する原告X2の供述は不自然であって信用し難く,仮に,強制労働の事実があるとしても,回数等について誇張がある蓋然性を否定することができない。この点を措くとしても,原告X2の主張する強制労働は,特に危険な作業というものではなく,迫害に該当するという類のものではない。
b 原告X2は,帰国した場合には強制労働から逃げ出したことによって逮捕され,殺されると主張するが,このような事態の発生をうかがわせる事情は見当たらない。
c 原告X2は,政府が農業を営む実家から収穫した米を取り上げる,政府から金員の支払を供用される,婚姻するために30万チャットを支払うよう強要されたと主張するが,これらの不利益は原告X2自身が被ったものではなく,一般論としての主張の域を出ないものである。また,移動の制限についても,原告X2が難民認定手続においてこの点について何ら供述していないことからすれば,移動制限に関する主張及び供述は,同原告自身のものではなく,ロヒンギャ族に課せられるという一般的なものであるというべきである。
(ウ) 原告X3に係る個別事情について
原告X3が難民認定手続等において強制労働について供述し始めたのは,本件難民不認定処分ハがされた後の異議申立てのときからであり,それ以前には強制労働に関する供述をしていなかったことからすれば,同原告が主張するような強制労働の事実があったと認めることはできない。仮に,原告X3が何らかの労働に従事したことがあり,その際,監視している軍人を水の中に突き落としたという事情があったとしても,それによって同原告が被るおそれがあるとする身柄拘束などの不利益は軍人に対する暴行に起因するものであって,直ちに難民条約上の「迫害」に該当するものではない。そして,原告X3がミャンマーを出国したのは平成2年から同3年の間であるところ,同原告が軍人を突き落とした時機から十有余年を経た時期においてもなお,軍人に対する危害を理由として同原告が身柄拘束などの措置を受けることを示すような証拠は存在しない。
したがって,原告X3の個別事情によっても,同原告が帰国した際にミャンマー政府から迫害を受けるとする具体的なおそれは認められず,同原告を難民と認めることはできない。
(エ) 原告X4に係る個別事情について
a 原告X4は,1988年6月ころ,兄の経営する飲食店で働いていた際,飲食代金を支払わない警察官と口論となり,たまらずこの警察官を押したと主張するが,この点に関する同原告の供述は,飲食代金を支払わなかった警察官の人数などの点で変遷しており,信用することができない。仮に,原告X4と警察官らとの間にトラブルがあったことを前提としても,そのような出来事があってから長時間が経過しており,飲食代金を支払わなかった警察官が現時点において警察官としての立場にいるかどうかさえ定かではないから,同原告の主張するような警察官との口論により同原告が何らかの不利益を受けるとは考え難い。
b 原告X4は,移動の自由を制限されていたこと,強制労働を課せられていたことなどを主張するが,同原告は,本件訴訟を提起した後にこれらの事情を供述し始めたのであって,かかる供述経過に照らすと,上記のような不利益を受けたとする同原告の供述は信用性に乏しいというべきであるし,仮に,上記のような不利益を受けたことが認められるとしても,これらの不利益をもって直ちに難民条約上の「迫害」に該当するということはできない。
(オ) 原告X5に係る個別事情について
a ロヒンギャ族であることを理由とする難民該当性について
(a) 強制労働について
原告X5は,ミャンマー在住中に強制労働に従事させられたことがあるとし,その内容について詳細に主張しているが,同原告が退去強制手続及び難民認定手続において強制労働について供述を始めたのは,本件難民不認定処分ホ後の異議申立手続からであり,その内容も,「毎日のようにポーターとして連行され,強制労働をさせられます。昼間はポーター,夜は警備の仕事をさせられて,違反すると1人につき2,000チャット払わなければなりません。」というものにすぎない。また,原告X5の主張によれば,ミャンマー政府は,対象者を強制労働に従事させる場所に連行することを繰り返していることになるが,人一人をある場所まで強制的に移動させることは,相応の人的及び物的資源を必要とするのであるから,ナサカが個別に人を連行して強制労働に従事させることは,極めて非効率な方法であり,一国の機関がそのような方法を採っているとは考え難い。このような強制労働に関する原告X5の供述経過等からすれば,原告X5の強制労働に関する供述は信用することができないし,仮に,同原告が何らかの強制労働に従事させられた事実があるとしても,事実を誇張して供述している疑いがあるというべきである。
(b) ジラーニの財産の没収について
ジラーニの財産が没収された事実は,原告X5自身の事情ではないから,同原告の難民該当性を基礎付けるものということはできない。
(c) 学校等での差別的待遇について
前記アで述べた「迫害」の内容に照らせば,学校等での差別的待遇が原告X5の難民該当性を基礎付けるものということはできない。
b 政治活動を理由とする難民該当性について
(a) 原告X5の政治活動に関する供述は,①NLDにおける政治活動の内容,②身柄拘束時の尋問状況,③暴行の有無などの点において変遷し,時を経るに従って詳細なものに変化しており,不自然なものというべきである。また,原告X5は,ミャンマー政府は同原告がジラーニと連絡を取っていることは既に把握しているかのような供述をしており,同原告の供述を前提とすると,同原告のジラーニとの連絡を問題としてこれを把握しているミャンマー政府が同原告を1週間で釈放したことは不可解なものというほかない。さらに,原告X5は,ジラーニの家の近隣に居住し,ジラーニの政治活動を補助していた趣旨の供述をしており,同原告の供述を前提とすると,同原告は,ジラーニはもちろんその家族とも交流があったであろうし,ジラーニを通じてNLDマウンドー支部の活動状況を詳細に知り得る立場にあったと考えられるが,同原告は,本邦に在留するRがジラーニの息子であるという基本的な親族関係すら把握していなかったし,本件訴訟を提起するに至っても,NLDマウンドー支部の構成員について,ジラーニが同支部の90%以上がロヒンギャであると述べているにもかかわらず,同支部の6割以上がロヒンギャ族だったが4割近くがアラカン族であったなどとジラーニの供述と異なる内容を述べている。このように,同原告がジラーニと行動を共にしていれば当然知っているであろう事情を承知していないということは,同原告が本当にジラーニと行動を共にしていたのか疑わせるところであり,ジラーニと共にNLDの活動をしていたとの同原告の供述も直ちに信用すべきではない。
(b) 仮に,原告X5がNLDで何らかの活動をしており,さらに,身柄拘束を受け尋問等を受けたことが事実であるとしても,両者が結び付いているとの証拠は同原告の供述しかない。そして,原告X5は,2000年1月ころ身柄を拘束され,反政府活動のことやジラーニと連絡していることについて尋問を受けたものの,身柄拘束から1週間して帰宅を許されたなどと供述するが,①同原告は,上記の身柄拘束は同原告がNLDでの活動をやめた後に起こったことであること,②同原告の供述によれば,ミャンマー政府はジラーニとの手紙のやり取りを既に把握しそれを問題視しているかのようでありながら,同原告は1週間後には釈放されていること,③同原告の本人尋問によっても,同原告が尋問に対してどのように答えたのか不明であることなどからすると,同原告の身柄拘束とNLDの活動等を結び付ける状況は,少なくとも,同原告の供述からうかがうことはできないというべきである。そうすると,原告X5がNLDの活動とは全く無関係のことで身柄拘束されたにもかかわらず,これをNLDの活動に結び付けている可能性を否定することはできない。
(カ) 原告X6に係る個別事情について
a 原告X6は,強制労働の頻度等につき,難民認定手続と本件訴訟とで異なる供述をしており,このような同原告の供述経過に照らせば,同原告が強制労働に従事させられた事実がないか,仮にそのような事実があるとしても,少なくとも,強制労働に従事させられた回数,態様等について誇張等がある蓋然性を否定することはできないというべきである。また,原告X6の供述する強制労働の内容等を前提としても,その作業内容は特に危険とはいえないものであり,その頻度もそれほど多くないことからすれば,同原告の供述する強制労働が迫害に該当するものであるということはできない。
b 原告X6は,1995年ころ,虚偽の密告により同原告の父が本件爆発事件の関係者という疑いをかけられ,バングラデシュに逃亡した,父の逃亡を理由に家族全員が警察に逮捕され,家を没収された,同原告が父と連絡を取っているとの虚偽の報告により身柄を拘束され,暴行を受けたため,警察官を殴打して逃走したなどと主張するが,その内容自体不自然なものである上,警察署から逃走した際の状況に関する同原告の供述が変遷していること,同原告が逮捕された後,本件爆発事件の犯人が逮捕されたにもかかわらず,本件爆発事件の直後に逮捕された40人のロヒンギャ族が殺害されたという不自然な供述をしていることなどに照らすと,同原告が主張するような事実があったとは認められない。
(キ) 原告X7に係る個別事情について
a 原告X7は,退去強制手続及び難民認定手続において強制労働について一切触れておらず,本件訴訟になってはじめて強制労働の事実を主張及び供述し始めたのであって,このような同原告の強制労働に関する供述経過等に照らすと,同原告の強制労働に関する供述は信用することができないというべきである。仮に,原告X7の供述するような強制労働に従事させられた事実があったとしても,その回数は数回程度であり,作業内容も建設現場での作業であることからすれば,迫害に該当するものということはできない。
b 原告X7は,移動の自由が制限される旨を主張するが,日帰りなら郡内の移動は可能であるというのであるから,その制限の実態は定かではなく,迫害に該当するものということはできない。
(ク) 原告X8に係る個別事情について
a 不当な逮捕又は虐待のおそれについて
原告X8は,本件難民申請チに係る難民認定申請書には,ナサカとのトラブルについての事情は一切記載していないし,自分に対して逮捕状の交付又は手配がされているか,自分が暴力等を受けたことがあるかについては,いずれもないと回答しており,このような同原告の供述経過からすると,同原告がナサカとトラブルとなり,同原告の代わりに父親が身柄拘束を受けた旨の同原告の主張には疑義がある。また,仮に,原告X8の父親が身柄拘束を受けたという事実があったとしても,①同原告自身がナサカの職員に対して洋服の生地の代金を請求したことを理由に父親が身柄を拘束されなければならないかは不可解であること,②同原告の父親は同原告の代わりに身柄を拘束されたというのであるから,同原告の父親の罪名とされた国家名誉毀損罪に問われなければならないのは同原告自身であることになるが,ナサカの職員に対して代金を請求することがなぜ国家に対する名誉毀損となるのか不明であることなどからすると,同原告の父親の身柄拘束が同原告とナサカとのトラブルを理由とするものとは認められず,同原告の父親の身柄拘束の事実をもって,原告に難民条約上の迫害のおそれがあるということはできない。これらの点を措くとしても,原告X8がナサカの職員とトラブルとなってから長期間経過した現時点においても,なお,そのことを理由に身柄を拘束される危険があるとは考え難い。
b 強制労働について
原告X8が難民認定手続において強制労働に関する供述をしていないことからすれば,同原告が強制労働に従事させられた事実を認めることはできないというべきである。また,原告X8は,陳述書において,ナサカの命令で夜間警備の仕事をさせられた旨供述するが,同原告の供述を前提としても,その業務は1か月に3回程度,一晩の間,見張り等をするというものであるから,迫害ということはできない。
c その他の事情について
原告X8は,父親の土地を没収されたとか同原告の姉が結婚する際に民族衣装を着た伝統の結婚式を挙行することが許されなかったと主張するが,これらの不利益は,同原告自身に対するものとはいえないし,原告X8の父の土地が没収された経緯も明らかでなく,その没収の理由は明らかでない。
(ケ) 原告X9に係る個別事情について
a ロヒンギャ族であることを理由とする迫害のおそれに関する事情
(a) 原告X9は,本件難民申請リに係る難民認定申請書に,強制労働について記載しておらず,その後も本件訴訟に至るまで強制労働についての具体的な供述をしていない。また,原告X9の主張によれば,ミャンマー政府は,対象者を強制労働に従事させる場所に連行することを繰り返していることになるが,人一人をある場所まで強制的に移動させることは,相応の人的及び物的資源を必要とするのであるから,ナサカが個別に人を連行して強制労働に従事させることは,極めて非効率な方法であり,一国の機関がそのような方法を採っているとは考え難い。このような強制労働に関する原告X9の供述経過等からすれば,同原告の強制労働に関する供述はその内容において信用することができないし,仮に,同原告が何らかの強制労働に従事させられた事実があるとしても,回数,態様等について誇張等がある可能性を否定することができない。
また,原告X9の主張を前提としても,その作業内容自体が特に危険な作業というものではなく,強制労働に従事させられた具体的な回数について概数すら不明であり,月に4から5回,朝7時から夜7時ころまでの間,従事させられたというものであるから,同原告が従事させられた強制労働が,迫害に該当するということはできない。
(b) 原告X9は,ミャンマー政府から金員を毎月支払うことを強要されたと主張するが,そもそもミャンマー政府から金員を要求されたのは同原告の父母であって同原告自身は関与していない上,その具体的な状況は必ずしも明らかでない上,本件訴訟前にはこの点について何ら供述していなかったから,そもそも同原告の主張するような事情があったこと自体,疑義があるものといわざるを得ない。
(c) 原告X9は,通りがかりの兵士に金員を取られた経験がある旨主張するが,そのような事情が迫害ということができないことは明らかである。
b 政治活動を理由とする迫害のおそれに関する事情
(a) 原告X9がNLDに所属して1990年の総選挙で選挙活動をしていたというのであれば,手続の当初においてそれを供述してしかるべきところ,本件難民申請リに係る難民認定申請書では,そもそも「NLD」なる文言は全く見当たらず,その後の難民調査では,「NLDの傘下にある私の村の民主主義を獲得するグループに入り,そこで書記官の仕事をしてい」た,「1988年に1回民主主義獲得のためのデモを行いました。」と供述するものの選挙活動には何ら言及せず,本件難民不認定処分リに対する異議申立書でも「1988年のクーデターのときに活動していました」とは述べるものの総選挙に係る言及はない上,平成19年3月15日に実施された本件難民不認定処分リに対する異議申立手続における口頭意見陳述においてもなお,「1988年から1992年までNLD傘下の組織の1つで政治活動を行っていました。」と供述していたが,その直後に行われた審尋では,自身が参加したのは「NLD傘下の組織」であるとしつつ,「学生組織で活動を行いました。その後NLDに入りました。」と従前とは異なる供述をし,この点について難民審査参与員からNLDでの活動に係る具体的な内容を再三にわたり質問されても「村で家々を回りNLDとはどういう組織かを説明しました」,「NLDは軍事政権に反対し民主的な政府を求める団体の一つであると説明しました。」と述べるのみで,何ら具体的な活動内容を供述していない。そして,退去強制手続における口頭審理においても,退去強制事由に該当する旨の入国審査官の認定に誤りがない旨の判定を受けて初めて「私は,NLDのまとめ役としても行動していました。」と供述し,上記判定に対する異議申出書でも同旨の記載をするものの,選挙運動についてはなお言及がなかったところ,本件訴訟提起後に,突如として,1990年の総選挙で選挙運動していた旨供述するに至った。このように,原告X9は,本件訴訟提起前の段階では,1990年の総選挙について全く供述をしていなかった上,そもそもNLDへの加入の有無自体にも変遷が認められ,活動内容についても何ら具体性がなかったのに対して,本件訴訟提起後に供述を始め,その内容も詳細になっているという経過が認められるのであり,このような供述経緯は不自然である。
(b) また,原告X9の主張及び供述は,その内容自体に不自然な点が存する。すなわち,原告X9は,1992年10月にNLDのメンバー全員に逮捕状が出され,同年11月ころ,ナサカに逮捕され,身柄拘束中に暴行を受け続けたと主張するが,1990年の総選挙の当時,NLDからの立候補も選挙運動も認められており,NLD北部マウンドー支部は,その選挙後何らの活動をしていなかったというのであれば,その約2年半後の1992年10月に至っていきなり,上記のような選挙活動を理由に,NLDメンバー全員に逮捕状が発付され,身柄拘束を受けるというのは不自然である。また,ナサカは,原告X9を含むハービィ村のユニットのメンバーを逮捕したにもかかわらず,同ユニットの2番目の地位にあった同原告に対して何らの取調べを行うことなく,長兄から賄賂を受け取って釈放する一方,賄賂を用意することができなかった者が懲役20年の刑に処せられ,同原告と共に釈放されたメンバーも後日15年の懲役刑に処せられたというのであり,事実の推移として極めて不自然である。
(c) さらに,原告X9は,本人尋問において,NLD本部の議長はだれであるかと質問された際,「私は,アウン・サン・スーチーさんしか知らないです。」と供述する点も,同原告がNLDにそもそも所属していたのか,所属していたとしてもその活動に従事していたのかを疑わせるものであるといえる。
(d) 以上のとおり,原告X9の政治活動に関する主張は,認められないというべきである上,同原告の供述によれば,原告X9は,ユニットの中で2番目の地位にあるというものの,ヤンゴンから遠く離れたマウンドー周辺の村において民主主義の実現を訴えたり,投票を呼び掛ける活動をしていたにすぎず,選挙後は何らの活動をしていないことからすれば,ミャンマー政府が同原告の活動に対して殊更に関心を寄せていたとは考え難いから,同原告が政治活動によってミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるとも認められない。
(コ) 原告X10の個別事情について
a 原告X10は,本件難民不認定処分ヌを受ける前においては,自ら強制労働について十分訴える機会がありながらそのことに一切触れず,難民調査官に対して,クーリーとして連行されそうになったことを述べるのみであった。また,原告X10は,本件難民申請ヌに係る難民認定申請書で家族が暴行等を受けたことはないと回答し,難民調査官に対しても父親や家族が暴行等を受けたことがある旨の供述はしていない。これに対して,本件難民不認定処分ヌに対する異議申立書及び異議申立てに係る申述書では,原告X10は,戦場において何らかの労働に従事させられたかのような供述をし,本件難民不認定処分ヌに対する異議申立手続において,ポーターとして武器を運んだりしていた旨明言し,強制労働に関する供述内容が大きく変わっている。そして,本件訴訟提起後において,原告X10は,クーリーに従事させられたことがある旨を初めて述べるに至り,他方で,ポーターとして戦場で労働に従事させられたという自らの供述を,自ら否定しており,同原告の強制労働に関する供述は,大きく変遷している。また,原告X10は,ナサカがポーターとして強制労働に従事させるときは対象者を直接連行するなどと供述するが,人一人をある場所まで強制的に移動させることは,相応の人的及び物的資源を必要とするのであるから,ナサカが個別に人を連行して強制労働に従事させることは,極めて非効率な方法であり,一国の機関がそのような方法を採っているとは考え難い。さらに,原告X10は,ポーターとして徴用された場合,戦場でポーターを前に出して戦闘が行われるなどと供述するが,ポーターが死亡した場合には別のポーターを徴用する必要が生じ,より多くの手間がかかることになり,一国の機関がそのような方法を採るとは考え難い。
以上のような諸点に照らすと,原告X10がポーターとして徴用された事実はなく,クーリーとして強制労働に従事させられた旨の供述は信用することができないというべきである。仮に,原告X10が,クーリーとして強制労働させられた事実があるとしても,その回数,態様,受けた暴行等について誇張等がある蓋然性を否定することができない上,その内容自体が特に危険なものではないことなどに照らすと,原告X10が従事させられていた強制労働が迫害に該当するものということはできない。
b 原告X10は,強制労働のほかに,家族所有の農地が没収されたこと及び移動の制限があることを主張するが,農地の没収については同原告自身が被ったものではなく,実際に農地を没収されたかどうかも不明であって,同原告が迫害を受けるおそれがあることを示す事情とはいえないし,移動制限についても,同原告自身が被ったものとしてではなく,ロヒンギャ族一般に課せられるものとして述べるにとどまるから,原告X10が迫害を受けるおそれがあることを示す事情とみることはできない。
(サ) 原告X11に係る個別事情について
a 原告X11は,難民認定申請書に「毎日政府がこじつけて政府の仕事をさせました。」と記載しているものの,退去強制手続及び難民調査官による調査や本件難民不認定処分ルに対する異議申立手続においては,強制労働について供述しておらず,また,難民調査官に対する供述で,「ロヒンギャ民族」が受ける差別として,「村から村への移動ができない」ことなど複数の事情を挙げているものの,強制労働については挙げていない。このような原告X11の供述経過にかんがみると,「毎日政府がこじつけて政府の仕事をさせました。」という難民認定申請書における記載は,同原告が自身の経験に基づいてされたものとは考え難い。また,口頭意見陳述でも,「ロヒンギャ族の人々を毎日のように無償でポーターとして連行し,夜の見張りをさせるのです。」と申し立てているものの,本件訴訟において原告X11が主張する強制労働の経験内容と態様が全く異なる。しかし,原告X11が本件訴訟において主張する強制労働の事実があれば,強制退去手続及び難民認定手続において具体的に述べられていてしかるべきであり,このような供述の経過は不自然なものというほかない。さらに,原告X11の主張によれば,ミャンマー政府は,対象者を強制労働に従事させる場所に連行することを繰り返していることになるが,人一人をある場所まで強制的に移動させることは,相応の相応の人的及び物的資源を必要とするのであるから,ナサカが個別に人を連行して強制労働に従事させることは,極めて非効率な方法であり,一国の機関がそのような方法を採っているとは考え難い。
以上の諸点に照らすと,原告X11主張の強制労働の事実があったとは認められないというべきであるし,仮に,原告X11が何らかの労働に従事させられた事実があったとしても,事実の誇張等がされている蓋然性を否定することはできない。
b 原告X11は,ナサカの軍人とトラブルがあったと主張するが,同原告の陳述書において軍人から暴行を受けた翌日に軍人が同原告の実家を突き止め捜索に来たなどと記載し,本人尋問において,ナサカが1人の人間を捜すことは容易である旨供述する反面,おばの住む隣村に軍人が捜索に来なかったことは軍人等がおばの家を知らなかったのではないかなどと供述するなど,同原告の供述は,不自然な点が多くいかにも場当たり的なものであって信用することができず,軍人とのトラブルについて同原告の主張通りの事実を認定することはできない。仮に,原告X11と軍人との間で何らかのトラブルがあったとしても,それは,本件難民不認定処分ル当時から7年も前のことであること,当時ナサカが組織として同原告の行方を捜索したものとは認められないこと,現在,当該軍人がどのような立場にあるのか分からないことなどからすると,同原告が上記のトラブルによってどのような不利益を受けるのかは定かでないというべきである。
c 原告X11は,同原告の居住する村には移動制限があり,同原告は居住する村から出たことはないと主張するにもかかわらず,隣村にあるおばの家には行ったことがある旨を供述するなど,同原告の移動制限に関する主張は,不自然な点が多くある上,同原告が,難民調査官に対する調査において,同原告の父や知り合いは許可を受けた上で村から出たことがある旨を供述していることなどからすれば,同原告の主張する移動制限が,同原告の難民該当性を基礎付けるものということはできない。
d 原告X11は,同原告一家の農地の一部が没収されたこと,ナサカや軍に金銭を要求されることがあることなどを主張するが,これらの不利益が本件訴訟になって初めて主張されたものであることからすれば,同原告主張のような事情があるとは認められない。
(シ) 原告X12に係る個別事情について
a ピィーターヤー作戦による迫害のおそれについて
原告X12の主張するピィーターヤー作戦が存在したかについて疑問の余地がある上,仮に,ピィーターヤー作戦が存在したとしても,正にドルの不法な売買に対する取締りである可能性が大きい。この点を措くとしても,原告X12の主張によれば,同原告や同原告の妻の弟は,ドルの不正売買を行っていないというのであり,そうであれば,同原告の妻の弟が軍事法廷で裁かれ懲役刑等を受けた根拠が不明であるし,同原告がドルの不正売買を疑われて同様の身柄拘束等を受けるおそれがあるとする根拠も不明である。また,原告X12の主張によれば,1991年ころに同原告に召喚状が発出されており,ピィーターヤー作戦によって多くのロヒンギャ族が迫害を受けているというのであり,そうであれば,召喚状が発出されてからわずか2年余り後に,家族の状況が知りたいという理由でミャンマーに帰国するのは切迫感に欠けるというべきである。さらに,ピィーターヤー作戦は,1991年ころに始まったというのであり,同作戦から15年ほど経過した本件難民不認定処分ヲ当時において,なお,同作戦の一環として原告X12が迫害を受けるおそれがあるとは考え難い。
b マウンドー爆発事件による迫害のおそれについて
マウンドー爆発事件については詳細が不明であり,原告X12の友人であるNがマウンドー爆発事件の犯人として疑われる素地の存否も不明であるから,Nがマウンドー爆発事件の犯人と疑われて逮捕されたことや銃殺されたという事実の存否はもとより,そのような事実をもって同原告に迫害のおそれがあるということはできない。
(ス) 原告X13に係る個別事情について
a 原告X13は,強制労働に従事させられた旨を主張するものの,難民調査では本件訴訟において述べるような詳細な供述はしておらず,同原告の主張する強制労働又は強制労働からの逃亡の事実をそのまま認めることはできない。また,原告X13の主張又は供述するところによれば,ミャンマー政府は,連行するという方法で対象者を強制労働に従事させる場所に連れて行き,短期間の労働をさせた後に解放し,さらに,短期間のうちに連行するということを繰り返しているということになるが,人一人をある場所まで強制的に移動させることは,相応の人的及び物的資源を必要とするのであるから,ナサカが個別に人を連行して強制労働に従事させることは,極めて非効率な方法であり,一国の機関がそのような方法を採っているとは考え難い。さらに,原告X13は,ポーターに連行されたことがある旨主張するが,陳述書(甲ワ1)ではポーターとして連行されたことはない旨述べている。以上によれば,原告X13は,強制労働に従事させられたことがないか,又は,その回数や内容を誇張して主張している蓋然性を否定することができない。仮に,原告X13が何らかの強制労働に従事させられていたとしても,強制労働の内容自体,特に危険な作業というものではなく,道路工事や山中の開拓工事という内容からして,その回数が極端に多いものであるとも認められない。そうすると,原告X13の強制労働の事実が迫害に該当するということはできない。
b 原告X13は,強制労働から逃亡したことから迫害を受けるおそれがあると主張するが,同原告が強制労働に従事させられていたというのは10年以上前のことであり,ロヒンギャ族を自称する人々を取り巻く状況が改善されつつあることが記載された報告書等が存在することからすれば,同原告が帰国した際,同様の強制労働に従事させられるということはできない。また,ミャンマーにおいて,強制労働から逃れたという程度で,ミャンマー政府がいつまでも逃亡者を追跡していることを示す状況はないし,10年以上前までの逃亡により逮捕されるなどの状況も認められない。
c 原告X13は,ロヒンギャ族が宗教活動を制限されている旨主張するが,同原告は難民調査において小さなモスクでの礼拝は可能であり,個人がイスラム教を信仰することは自由であると供述しており,同原告がイスラム教徒であることによって迫害を受けている状況にあるとは認められない。
d 原告X13は,ナサカから金銭を要求されて支払ったり,養殖場を没収された旨主張するが,これらの具体的な経緯又は状況は不明である上,同原告の主張を前提としても,そのような不利益が前記の迫害に該当するものということはできない。
(セ) 原告X14に係る個別事情について
a 原告X14は,ロヒンギャ族には移動制限が課されている旨主張するが,ミャンマーでは,政府が日常的に市民の移動の自由を制限したとの報告書(甲52)のとおり,仮に,ミャンマーにおいて移動の自由が制限されるような状況があるとしても,このような制限はロヒンギャ族であることの故に課されているものとはいえない。また,原告X14は,退去強制手続においてヤンゴンからの移動の自由は制限されていないと供述し,Oが逮捕された当時,マンデレーにいたというのであるから,同原告が厳しい移動制限の下にあったとはいえない。
b 原告X14は,主に1989年ころ,強制労働に従事させられた旨主張するが,強制労働に関する同原告の供述は,その時期や労働の内容という極めて基本的な事項に関しても非常に抽象的なものにとどまることなどからすると,強制労働に従事させられた旨の同原告の供述は採用することができない。仮に,原告X14が強制労働に従事させられた事実があったとしても,同原告の供述によれば,その内容は1989年当時のシットウェでロヒンギャ族を含む住人が道路の補修などに従事させられたこと,1990年以降には強制労働がなかったこと,ロヒンギャ族以外の民族も強制労働に従事させられていたことであるところ,1989年という時期は,クーデターにより政権を掌握したSLORCがその支配を強権により確立しようとして住民に労働を強いていた可能性があるから,同原告の強制労働は,ロヒンギャ族のみを殊更に迫害する意図をもって行われたものであるということはできない。
c 原告X14は,1989年に自己の店舗が没収され,同年ころ,同原告の父の農地も没収された旨主張する。しかし,仮に,原告X14の店舗が没収されたとしても,店舗の没収から既に20年近くが経過している上,同原告がその後もミャンマーにおいて商売を継続することができたのであるから,店舗の没収が迫害に該当するということはできない。また,原告X14の父が農地を没収されたことは,本件難民不認定処分カに対する異議申立手続において初めて供述された事実であり,同原告にこの事実を秘匿すべき合理的理由が見当たらない以上,同原告がこの事実を難民該当性を基礎付けるものと考えていなかったか,そもそも,このような事実は存在しないものと考えざるを得ない。
d 原告X14は,ミャンマー出国後に同原告の名が仮住民票(仮家族票)から削除されたとして逮捕のおそれがあると主張するが,家族票から名前が削除されることにより逮捕される根拠はない上,同原告が出国してから1年以上経過した後である2007年7月26日の調査に基づく家族票では同原告の名前が削除されていないから,同原告が家族票から名前が削除されたことにより逮捕されるとは認められない。
e 原告X14は,Oが無断で移動したことで逮捕され,同原告がミャンマーに帰国すればOの無許可での移動を幇助した容疑で逮捕される旨主張するが,Oが逮捕された時期,その際に逮捕された人数及び同原告がOの逮捕を知った経緯について供述が一貫していない上,警察が自宅に置いていったとする出頭を求めるメモを逮捕状などと供述し,さらに,同原告がOの逮捕から程なくして本人名義の旅券を使用して正規の出国をしたことからすれば,Oが無断で移動したことで逮捕され,同原告がこれを幇助した容疑で逮捕される旨の同原告の主張は信用することができない。仮に,Oが無断で移動したことで逮捕されたとしても,原告X14がこれを幇助したとして逮捕されるとする根拠は,同様のメモをもらった知人が捕まったという極めて不確かなものにすぎないし,そもそも,警察は,同原告に出頭を促すメモを置いていったにすぎないのであるから,そのことだけでOの無許可での移動を幇助した容疑をかけられ逮捕されるおそれがあると分かるのかが不明というほかない。また,前記のとおり,Oの逮捕後,原告X14が本人名義の旅券で正規に出国していることからすると,ミャンマー政府が関心を寄せているとは考え難い。
f 上記のほか,原告X14は,モスクの使用を禁じられたことや学校での差別的な取扱いを主張するが,これらは差別とはいえても,迫害に該当するものとはいえない。
(ソ) 原告X15に係る個別事情について
a 強制労働について
(a) 仮に,原告X15の居住地において生死にかかわるような強制労働の一般的状況があり,同原告自身もそのような過酷な強制労働に従事させられ,暴行を受けたなどの事実があれば,そのような事実を迫害のおそれを基礎付ける事情として供述するのが自然であるが,同原告は,難民認定申請書には強制労働について記載しておらず,退去強制手続及び難民認定手続においても強制労働について詳細な供述はしていない。
(b) 原告X15は,退去強制手続においては,強制労働が1997年以降のものとして供述しているのに対し,本件訴訟後は,家族がヤンゴンに移動する前のものとして主張しており,その開始時期についての供述が大きく変遷している上,ヤンゴンに移動した理由についても,当初は,より教育水準の高い学校に行くためであるとしながら,本件訴訟後は,強制労働等から逃れるためであるとして供述を大きく変えている。
(c) 原告X15の主張又は供述するところによれば,ミャンマー政府は,連行するという方法で対象者を強制労働に従事させる場所に連れて行き,短期間の労働をさせた後に解放し,さらに,短期間のうちに連行するということを繰り返しているということになるが,人一人をある場所まで強制的に移動させることは,相応の人的及び物的資源を必要とするのであるから,ナサカが個別に人を連行して強制労働に従事させることは,極めて非効率な方法であり,一国の機関がそのような方法を採っているとは考え難い。
(d) 原告X15の主張によれば,ミャンマー政府は,ロヒンギャ族を国民としては認めず,バングラデシュからの不法入国者として扱っているというのであるから,このようなミャンマー政府が,新たなバングラデシュからの不法入国やロヒンギャ族の出入国の事実を隠匿する危険を考慮することなく,ロヒンギャ族である同原告に国境管理の任務を強制的に行わせることは極めて不自然である。また,原告X15の主張又は供述によれば,ミャンマーとバングラデシュとの往来が可能であったというのであるから,このことは,ロヒンギャ族が交替で国境監視をさせられていることと合致しない。
(e) 原告X15は,移住先のヤンゴンからマウンドーに戻り,マウンドーからバングラデシュに出国し,バングラデシュで生活することが可能であったにもかかわらず,自らの意思で再度マウンドーに戻り,その後,バングラデシュに再び出国する機会がありながら,マウンドーにとどまって7年間もの長期にわたって雑貨商を経営していたというのであるから,同原告が強制労働に苦しんでいたとは認められず,同原告が,何らかの強制労働に従事させられ,その際に暴行を加えられた事実があったとしても,それらは迫害に結び付くようなものでなかったというべきである。
(f) 原告X15は,マウンドーにおいて強制労働に従事させられたと主張するが,同原告は,自らの意思でマウンドーに戻ることでもない限り,妹1名を除く家族全員が現在まで生活しているヤンゴンで生活するものと考えられるから,マウンドーにおける強制労働は,迫害を受けるおそれを基礎付ける事情とはなり得ないものというべきである。
(g) 以上によれば,原告X15の強制労働に関する主張は認められず,仮に,同原告が何らかの強制労働に従事させられていたとしても,そのことから迫害のおそれがあるとは認められない。
b 移動制限について
原告X15の主張するところによれば,同原告は,1993年にマウンドーからヤンゴンに移動し,1995年にはヤンゴンからマウンドーに移動し,その後,バングラデシュに一時出国したものの,再び,マウンドーに戻り,妻に会うために再度バングラデシュに入国して,その後,マウンドーに戻っているのであり,これらの同原告の行動からすると,同原告に移動の制限が課されていたとは認め難い。
c 不当な身柄拘束等について
(a) 原告X15は,ヤンゴンに虚偽の転出届で移動したことなどから逮捕されたなどと主張するが,1991年にヤンゴンに行ったことで越境罪に問われ,1993年に逮捕されてマウンドーに送還されたと供述する一方,本件訴訟後は,1993年及び1994年当時は,越境してもマウンドーに戻されることはなかったなどと矛盾した供述をしている。また,原告X15の供述によっても,同原告が逮捕された理由は必ずしも明らかではない。
(b) 原告X15は,マウンドーで起きた爆弾事件の犯人と連絡を取り合っているという嫌疑で身柄を拘束されたなどと主張するが,他方で,同原告は爆弾事件にかかわっていないと主張しており,そのような同原告が身柄を拘束される理由が見当たらない。ミャンマー政府が原告X15を爆弾事件の犯人と関係があると疑う以上,それなりの根拠を有していると考えられ,マウンドーにおいては,RSOが平成6年4月に実際にマウンドーにおいて爆弾が爆発する事件の際に犯行声明を出したとも言われているのであるから,同原告が身柄拘束を受けて取調べを受けたのも,RSOやマウンドーにおける爆弾事件を解明するためのものであると合理的に考えることができる。そうすると,仮に,原告X15が身柄拘束を受けた事実が認められるとしても,同原告がロヒンギャ族であることを理由とするものということはできない。この点を措くとしても,同原告は,身柄拘束された後,バングラデシュに出国しながらマウンドーに戻っており,同原告自身,爆弾事件に関連して逮捕される可能性はない旨供述していることからすれば,同原告が身柄を拘束された事実が将来の迫害をおそれを基礎付けるものということはできない。
(タ) 原告X16に係る個別事情について
a 原告X16が,平成7年,ヤンゴン大学を卒業した後,ヤンゴンで衣料品店,更には貿易会社を経営していたこと,貿易の仕事でマレーシアなどを往来しようと考えて,同16年12月15日,ヤンゴンの旅券発給事務所で旅券の発券を受け,同18年3月19日には有効期間を延長し,実際にもマレーシア等への渡航歴を有すること,ミャンマーを出国するまで妻子と共にヤンゴンで比較的裕福な生活をしていたことからすれば,ミャンマー政府が,同X16の過去の政治活動を理由として同原告に関心を寄せていたとは考え難い。
b 原告X16が主張するように,平成18年6月11日に帰国した同原告を同月19日には逮捕しに来たというのであれば,ミャンマー政府は,同原告の行動を少なからず重要視していたと推測することができるが,RICは,マレーシアでロヒンギャ問題の解決を目的に活動している団体であるということのほかには具体的活動状況は明らかでなく,商用で訪れたマレーシアにおいてたった1日だけRICを尋ねてロヒンギャ出身者の大学進学を支援する協議に出席したことをもって,ミャンマーに帰国した同原告が逮捕されるような事態に陥るとは考え難い。また,原告X16は,警察官が同原告を逮捕しに来たことを知ったときの状況について,マレーシアに到着後に義理の兄弟からの電話で知ったと供述する一方,同原告の居宅の出入口が見える喫茶店から見ていたなどと供述し,その内容が著しく変遷しており,同原告が逮捕されそうになったとする供述は虚偽であると断ぜざるを得ない。
c 前記aに述べた原告X16の生活状況等からすると,同原告が主張する差別的取扱いが同原告の難民該当性を基礎付けるものということはできない。
(チ) 原告X17に係る個別事情について
a ミャンマーでの政治活動について
(a) 原告X17が,実際に行った政治活動は,おおよそ,1988年の民衆蜂起の際に,学生組織のデモやハンガー・ストライキに参加したこと,NLDの党員として政治的な文書を配布する役割を担ったことなどであり,MMSSでの活動も自衛活動という程度のものであるところ,同原告の上記のような活動はその他大勢の1人としてのものにすぎず,同原告が政治組織のリーダーとして指導的立場で政治活動を行ったという事情も見当たらない。したがって,原告X17が本国政府から積極的な反政府活動家として関心を寄せられているとは考え難い。また,原告X17は,自己が受けたとする拷問の跡として傷跡を示すが,かかる傷跡が拷問によるものであることを裏付ける客観的証拠はない上,同原告は,拷問を受けたとする後の1989年には政治活動を行わないという誓約書を書いて復学したというのであり,さらに,同原告が自己名義旅券の発給及び更新を受け,正規の出国手続を経て何ら問題なくミャンマーから出国をしたことを考えると,拷問から20年近く経過した現在において,同原告がミャンマー政府から迫害の対象として関心を寄せられていないことは明らかである。
(b) 原告X17は,同原告の兄が同原告の身代わりとして逮捕され約1年間にわたり収監されたとするが,同原告の所在を突き止めるためだけに同原告の兄を1年間も収監することは,不自然かつ不合理であるというべきであるし,この点を措くとしても,同原告は,同原告の兄の出所後,政治情勢が落ち着いてきたことから自宅に戻ったというのであるから,その当時において同原告が迫害を受けるおそれはなかったというべきである。
(c) 原告X17がNLD党員であることを裏付ける客観的証拠はない上,同原告の主張するNLDにおける活動は,政治冊子の配布担当を続けて行っていたことにすぎないのであって,仮に同原告がNLDと何らかの関係があるとしても,その活動は一般的な一構成員としての活動にすぎず,同原告が組織の活動内容を決定できるものではなく,組織の指導者としての立場ではないことは明らかである。よって,かかる原告X17の活動をミャンマー政府が強く敵視するとは考え難い。
(d) 原告X17は,2000年5月にミャンマーを出国後,タイに入国し,その後韓国に入国して2001年5月21日に来日するまでの約1年の間,韓国に滞在していたものの,同国において庇護を求めたり難民認定申請をした形跡はない上,来日後も約3年5か月もの間,本邦で庇護を求めることも難民認定申請をすることもなく,専ら不法就労に従事していた。以上のとおり,原告X17は,韓国においても本邦においても,長期間難民申請に及ばずにいたのであり,このような行動は,真に本国政府から迫害を受けるおそれがあるという恐怖を感じて庇護を求めている者の行動といえないことは明らかであり,この間,同原告が「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」を有していたとは到底考え難い。
b 日本での政治活動等について
(a) 原告X17が主張するBRAJの活動とは,同原告が執行委員で,2006年に広報担当,2007年に勧誘担当となり,そのことがBRAJの機関誌に掲載されたということと,ミャンマー大使館前等でデモ活動に積極的に参加しているということだけであって,このような事情のみによっては,本国政府から迫害を受け得る客観的な事情とはなり得ないというべきである。
(b) FWUBCは,主に労働面における支援等を行う労働組合であって,そもそも民主化運動組織とは認められないから,このことをもって原告X17の難民該当性が基礎付けられるものではない。
(c) 原告X17の実家が,どのような経緯で同原告と縁を切るとの広告を掲載したか不明である。また,原告X17は,同原告の家族が同原告の反政府活動のことで当局から尋問を受けたと主張するが,同原告の反政府活動は前記のとおりのものにすぎないから,同原のかかる活動をもって,同原告が積極的な反政府活動家として,本国政府から個別,具体的に把握されているとは考え難く,本国家族が同原告の反政府活動のことで当局から尋問を受け,同原告を相続人から廃除する旨の広告を出したとの主張を直ちに認めることはできない。
(ツ) 原告X18に係る個別事情について
a けんかによる警察署留置と中学校の退学
原告X18が退学処分を受けたことやその後取調べを受けたことなどは,ヤカイン族の生徒とのトラブルに関してのことであり,その際,仮に,同原告がロヒンギャ族であることで不利益な取扱いを受けたとしても,それが将来的な迫害のおそれとなり得るものではないし,また,それらの不利益が迫害に該当するということもできない。
b ロヒンギャ青年協会への入会と活動等
原告X18の父が何故に同原告に係る事情を理由に軍情報部から死に至るほどの拷問を受けなければならないのか理解し難いし,同原告の主張によれば,軍情報部の関心は,同原告にあったというべきであるから,同原告が1日で釈放されたのに,同原告の父が1週間も拘束され,しかも,釈放に賄賂の支払を要することはあまりに不自然であり,同原告の主張は根拠がない。また,原告X18は,ロヒンギャ青年協会は,政治には関わりのないロヒンギャ族の互助会的な組織であるなどの供述しているから,ロヒンギャ青年協会での活動が反政府活動といえるかは疑問であるし,同原告がロヒンギャ青年協会に在籍したのはわずか1年にすぎないことからすれば,30年以上経過した本件難民不認定処分ソ当時において,なお,ミャンマー政府がこのことを理由に同原告に関心を寄せているとは考え難い。
c 1985年の逮捕とその後の身柄拘束
原告X18の主張する身柄拘束の理由は,いずれもロヒンギャ族であることを理由とするものではない上,同原告がKIAの構成員に売ったのは,武器とは程遠いものであるから,同原告がKIAへの武器の密輸を疑われたとの主張は信用することができない。また,仮に,逮捕の事実があったとしても,これをもって,政治的意見を理由とする迫害とみなすことはできない。
d KNCDへの参加と活動等
原告X18のKNCDでの活動は,活動期間が短期間で活動内容も低調なものにすぎず,しかも,KNCDの活動は,1990年の総選挙後,ミャンマー政府によって禁止されたというのであるから,それからほぼ10年が経過したころに同原告がKNCDでの活動を理由に逮捕されるおそれがあったとは考え難い。
e 本邦での活動
原告X18のBRAJでの活動内容は,事務所の電話番やパンフレットの編集のほか,陳情や集会に数回参加した程度にすぎないものである。また,FWUBCの主たる活動目的は,在日ミャンマー人に係る本邦内での労働問題であって,他の反政府団体とは一線を画しており,原告X18のFWUBCでの活動は,執行委員としてFWUBCの会議に出席したり,新規加入者を会長に報告したりする程度のものである。そうすると,ミャンマー政府がこれらの活動を理由に同原告に対して殊更に関心を寄せているとは認められない。
f 長男の難民認定
原告X18の長男Sが,スイスにおいて在留を許可されたことが事実であったとしても,Sが難民認定されたことによるものかは不明であるし,仮に,Sが難民と認定されたとしても,そのことが直ちに同原告の難民該当性を基礎付ける事情になるものではない。
(テ) 原告X19に係る個別事情について
a 強制労働について
(a) 原告X19は,強制労働について,難民認定手続等で一切供述しておらず,難民認定申請書及び本件難民不認定処分ネに対する異議申立書にも何ら記載していない。原告X19の主張又は供述するところによれば,ミャンマー政府は,連行するという方法で対象者を強制労働に従事させる場所に連れて行き,短期間の労働をさせた後に解放し,さらに,短期間のうちに連行するということを繰り返しているということになるが,人一人をある場所まで強制的に移動させることは,相応の相応の人的及び物的資源を必要とするのであるから,個別に人を連行して強制労働に従事させることは,極めて非効率な方法であり,一国の機関がそのような方法を採っているとは考え難い。そうすると,原告X19の強制労働に係る主張は信用することができないというべきである。
(b) また,原告X19が主張する強制労働は,台風でマウンドーからブーディーダウンまでの道が封鎖されたという非常時におけるものであり,その作業内容は,道路にある岩や樹木を運ばされるという道路の復旧作業にほかならず,いわば社会奉仕的な意味において従事した労働であるとみるほかない。しかも,原告X19は,単発の災害時において2度ほど上記のような労働に従事させられたというにすぎない上,労働に従事させられた間,食事を配給されているのである。そうすると,原告X19が主張するような強制労働があったとしてもこれを迫害と認めることはできないし,同原告がミャンマーに帰国した後,災害等を原因とする緊急時においてある一定の労働に従事させられる可能性があるとしても,それが迫害のおそれということができないことはいうまでもない。
b 不当な身柄拘束について
ミャンマー政府が原告X19についてRSOなる組織との関係を疑う以上,少なくとも,そのような疑いを抱くに至るそれなりの根拠を有していると考えられる。また,人の身柄を拘束し,その者を取り調べるという活動は,多大な費用と労力を要することであり,一国の政府であるミャンマー政府が,RSOとの関係を疑う具体的な状況の有無にかかわらず,ロヒンギャ族の若い男性のほとんどの身柄を拘束するなどいう極めて非効率な方法を採るとは到底考え難い。そうすると,ミャンマー政府は,相応の具体的状況を踏まえて,原告X19とRSOとの関係を疑っていると考えられ,仮に,同原告が身柄拘束を受け,何らかの虐待を受けたことがあったとしても,原告X19に対する相応の疑いによりその身柄を拘束したと考えられる。そして,RSOは,1994年4月には実際にマウンドーにおいて爆弾が爆発する事件の際に犯行声明を出したこともいわれており,原告X19が身柄拘束の上取調べを受けたのも,RSOやマウンドーにおける爆弾事件を解明するためものであると合理的に考えることができるから,同原告が身柄拘束を受けたことと原告X19がロヒンギャ族であることとは無関係である。
(ト) 原告X20に係る個別事情について
a 原告X20は,難民認定申請書に「ミャンマーでは強制労働者として捕まります。」と記載しているものの,これは,同原告が過去に強制労働に従事させられたことを述べたものではなく,本件難民不認定処分ナに対する異議申立手続において初めて強制労働を自分自身に関する事情として供述し始めており,しかも,その供述内容は,極めて淡泊なものであった。これに対して,原告X20が本件訴訟において提出した陳述書には,強制労働の事実が詳細に記載されている。このような供述経過は,不自然というほかなく,原告X20の強制労働に係る主張は,信用することができないというべきである。
原告X20の主張又は供述するところによれば,ミャンマー政府は,連行するという方法で対象者を強制労働に従事させる場所に連れて行き,短期間の労働をさせた後に解放し,さらに,短期間のうちに連行するということを繰り返しているということになるが,人一人をある場所まで強制的に移動させることは,相応の人的及び物的資源を必要とするのであるから,ナサカが個別に人を連行して強制労働に従事させることは,極めて非効率な方法であり,一国の機関がそのような方法を採っているとは考え難い。
b 原告X20は,父の所有していた店舗を没収され,その際,重大な傷害を負わされ,治療のためにバングラデシュに出国したと主張するが,同原告は,難民調査において,店の没収については供述しているにもかかわらず,これに関連して傷害を負わされたことは一切供述していないし,バングラデシュへの出国についても,稼働目的で出国した旨を供述していることなどからすれば,同原告の上記主張は,信用することができない。
c 原告X20は,RSOとの接触を理由に逮捕されるおそれがあると主張するが,同原告が主張するように同原告がRSOと連絡又は接触したことが一切ないのであれば,同原告がRSOとの関係を疑われることになるかは不明である。仮に,原告X20がRSOとの関係を疑われて身柄拘束される危険があったとしても,RSOは武装した組織である可能性もあり,そうだとすれば,そのような組織との関係を疑うことやその疑いを調査するために身柄拘束することは迫害に該当しない。
エ まとめ
以上のとおり,ロヒンギャ族であることのみから直ちに難民条約上の難民に該当するということはできず,原告らの個別事情も原告らの難民該当性を基礎付けるものということはできないから,原告らは,難民条約上の難民に該当するということはできない。したがって,本件各難民不認定処分は,いずれも適法である。
(3)  争点(3)(本件各在特不許可処分の適法性又は無効事由の有無)について
(原告らの主張)
被告は,難民条約並びに拷問等禁止条約の締約国である以上,難民条約33条1項及び拷問等禁止条約3条1項に定めるノン・ルフールマン原則(以下「送還禁止原則」という。)を遵守する義務を負っている。他方,原告らは,難民条約上の「難民」に該当し,また,ミャンマーに戻れば非人道的な又は品位を傷つける取扱いが行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある。そして,原告らには,ミャンマー以外に送還可能な国もない。したがって,入管法69条の2に基づき法務大臣の権限の委任を受けた地方入国管理局長は,原告らに対して,在留特別許可を行う義務を負っているのに,これに反して,本件各在特不許可処分を行ったのであって,本件各在特不許可処分は,いずれも送還禁止原則に反する違法な処分である。
(被告の主張)
ア 在留資格未取得外国人に対して入管法61条の2の2第2項に基づいて在留特別許可をするか否かは,法務大臣及び法務大臣から権限の委任を受けた地方入国管理局長(以下,併せて「法務大臣等」という。)の極めて広範な裁量にゆだねられており,在留特別許可をしないという法務大臣等の判断が裁量権の範囲の逸脱又は濫用に当たるとして違法とされるような事態は容易には想定し難く,法律上当然に退去強制されるべき外国人について,なお我が国に在留することを認めなければならない積極的な理由があったにもかかわらずこれが看過されたなど,在留特別許可の制度を設けた入管法の趣旨に明らかに反するような極めて特別な事情が認められる場合に限られるというべきである。
イ また,本件裁決が無効であるというためには,本件裁決に重大かつ明白な瑕疵が存在しなければならず,その瑕疵が明白であるか否かは,処分の外形上,客観的に瑕疵が一見して看取し得るか否かにより決せられるものである。
ウ 原告らは,難民であるとは認められない上,原告らがミャンマーに帰国した場合に非人道的な又は品位を傷つける取扱いが行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠を認めることもできず,他方,原告らは,ミャンマーで出生かつ生育し,来日するまで我が国とは何らかかわりのなかった者であるから,上記のような特別な事情が認められるということはできない。そうすると,原告らに対して在留特別許可をしなかった法務大臣等の判断に裁量権の範囲の逸脱又は濫用があったということはできないし,また,本件裁決が無効であるということもできない。
(4)  争点(4)(本件各裁決の適法性又は無効事由の有無)について
(原告らの主張)
ア 入管法49条1項に基づく異議の申出には理由がない旨の裁決がされれば,原則として退去強制令書が発付されることになるから,原告らが難民条約上の「難民」に該当する以上,本件裁決は,送還禁止原則に違反する違法なものである。
イ 原告らは,ミャンマー国籍を有さず,無国籍であるから,入管法53条1項によりミャンマーを送還先に指定することはできない。また,原告らは,難民申請をしてミャンマーへの送還を希望しておらず,他方,ミャンマー政府も,ミャンマーから流出したロヒンギャ族がタイ海軍により公海上に放置された事件において,ロヒンギャ族をバングラデシュからの経済移民であるとしてミャンマー国民ではない旨を表明するなど,ロヒンギャ族の受入れを拒否しているから,入管法53条2項によりミャンマーを送還先に指定することもできない。そうすると,本件裁決当時,原告については指定可能な送還先はなかったというべきであり,にもかかわらず,法務大臣等は,原告らがミャンマー国籍を有する者であり,原告らに送還先があると誤信し,又は送還先の有無について検討せずに,本件裁決を行ったのである。したがって,本件裁決は,その判断が全く事実の基礎を欠き,又は社会通念上著しく妥当性を欠くものであって,本件裁決には,裁量権の範囲の逸脱又は濫用があることは明らかである。
(被告の主張)
入管法50条1項は,退去強制手続の中で法務大臣が異議の申出に対する裁決を行う際に,異議の申出に理由がない場合でも在留特別許可をすることができる権限を認めた規定であるところ,入管法60条の2の6第4項は,難民認定申請を行った在留資格未取得外国人については,入管法61条の2の2により,難民認定手続の中でその在留の判断も行うとされたことから,法務大臣が退去強制手続の中で異議の申出に対する裁決を行う場合には,入管法50条1項の適用はなく,法務大臣は専ら申立人が退去強制対象者に該当するかどうかに係る特別審理官の判定に対する申立人の異議の申出に理由があるか否かのみを判断することとしたのである。
そして,原告らは,いずれも本邦に不法に入国した者であり,入管法24条1号所定の退去強制事由に該当し,原告らが法律上当然に退去強制されるべき外国人に当たることは明らかであるから,本件裁決は適法である。
(5)  争点(5)(本件各退令発付処分の適法性又は無効事由の有無)について
(原告らの主張)
ア 前記のとおり,本件各裁決は,いずれも違法であるから,本件各退令発付処分はいずれも違法である。
イ また,原告らは,難民条約上の「難民」に該当するから,本件各退令発付処分は,いずれも難民条約33条1項,拷問等禁止条約3条1項及び入管法53条3項に違反する違法な処分である。
ウ さらに,原告らの国籍国又は市民権の属する国がミャンマーであるとはいえないし,前記(4)の原告らの主張イのとおり,ミャンマー政府はロヒンギャ族の受入れを拒否しているから,ミャンマーを国籍国として送還先とする本件各退令発付処分は,いずれも送還することができないミャンマーを送還先とした違法なものである。そして,送還先は,退去強制令書の不可欠の一部を成すものであり,その送還先の指定が誤っている以上,そのような退去強制令書を発付した本件各退令発付処分はいずれも違法である。
(被告の主張)
ア 退去強制手続において,法務大臣等から異議の申出には理由がない旨の裁決をしたとの通知を受けた場合,主任審査官は,速やかに退去強制令書を発付しなければならないのであって(入管法49条6項),主任審査官には,退去強制令書を発付するにつき裁量の余地は全くないから,本件各裁決がいずれも適法である以上,本件各退令発付処分はいずれも適法である。
イ 原告らは,ミャンマー国籍を有する者であり,難民であるとは認められないとともに,ミャンマーに帰国しても迫害といえるような取扱いを受けるものとは認められない。また,原告らが非人道的な又は品位を傷つける取扱いが行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠を認めることもできない。したがって,本件各退令発付処分が難民条約33条1項,拷問等禁止条約3条1項及び入管法53条3項に違反して違法であるということはできない。
ウ 仮に,原告らがミャンマー国籍を有さず,無国籍であったとしても,入管法53条2項に基づき送還先をミャンマーと指定することは可能であり,その結果として,本件各退令発付処分のうちの送還先の指定がされたものとみることが可能であるから,本件各退令発付処分が違法であるということはできない。
なお,入管法53条2項に規定する「本人の希望により」とは,国籍国に送還することができないときの送還先の選択に当たっては,本人の意見を聴くべきことを定める趣旨ではあるが,本人がいずれかの国に送還されることを望まない限りはどこにも送還することができないわけではなく,被退去強制者の国籍又は市民権の属する国以外の国を送還先に決定する場合には,本人の希望を聴いた上で,最も適当な送還先を決定すべきことを明らかにしたものにすぎない。したがって,原告らがミャンマーにおいて迫害を受けることを理由に難民認定申請をしているからといって,原告らをミャンマーに送還することが違法となるわけではない。
エ 送還が現実に可能か否かは,退去強制令書の執行段階における事実上の問題であって,それによって送還先の記載の効力が影響を受けるものでもないから,仮に,ミャンマー政府が原告らの受入れを拒否しているとしても,そのことから直ちに本件退令発付処分や送還先の指定が違法となるものではない。また,退去強制事由の有無についての判断は,入国審査官の認定,特別審理官の判定及び法務大臣等の裁決によって確定するのに対し,被退去強制者をどこに送還するかについては入管法53条に基づいて主任審査官が判断するものであって,両者は,判断手続も判断権者も根拠条文も異なることなどからすると,退去強制令書中,送還先の指定の部分とその余の部分とは可分であるというべきであるから,仮に送還先の指定に誤りがあったとしても,その退去強制令書発付処分自体が違法となるものではない。
第3  当裁判所の判断
1  争点(1)(本件在特不許可処分イからチまで及びソの取消しを求める各訴えの適法性)について
(1)  原告X1に係る訴えについて
前記第2の2の前提事実(以下「前提事実」という。)(1)のエ(オ)及びオのとおり,原告X1は,平成18年8月11日に本件在特不許可処分イの通知を受け,同処分があったことを知ったにもかかわらず,同日から6か月以上経過した後である同19年7月26日に本件訴えを提起しており,他方,本件において,同原告が同処分に係る出訴期間を経過した事情は明らかでなく,行政事件訴訟法14条1項にいう「正当な理由」を認めるべき事情はうかがわれない。したがって,本件訴えのうち,本件在特不許可処分イの取消しを求める部分は,不適法であって,却下を免れない。
(2)  原告X2に係る訴えについて
前提事実(2)のエ(オ)及びオのとおり,原告X2は,平成18年4月27日に本件在特不許可処分ロの通知を受け,同処分があったことを知ったにもかかわらず,同日から6か月以上を経過した後である同19年7月26日に本件訴えを提起しており,他方,本件において,同原告が同処分に係る出訴期間を経過した事情は明らかでなく,行政事件訴訟法14条1項にいう「正当な理由」を認めるべき事情はうかがわれない。したがって,本件訴えのうち,本件在特不許可処分ロの取消しを求める部分は,不適法であって,却下を免れない。
(3)  原告X3に係る訴えについて
前提事実(3)のエ(オ)及びオのとおり,原告X3は,平成18年1月13日に本件在特不許可処分ハの通知を受け,同処分があったことを知ったにもかかわらず,同日から6か月以上を経過した後である平成19年7月26日に本件訴えを提起しており,他方,本件において,同原告が同処分に係る出訴期間を経過した事情は明らかでなく,行政事件訴訟法14条1項にいう「正当な理由」を認めるべき事情はうかがわれない。したがって,本件訴えのうち,本件在特不許可処分ハの取消しを求める部分は,不適法であって,却下を免れない。
(4)  原告X4に係る訴えについて
前提事実(4)のエ(オ)及びオのとおり,原告X4は,平成18年7月7日に本件在特不許可処分ニの通知を受け,同処分があったことを知ったにもかかわらず,同日から6か月以上を経過した後である同19年7月26日に本件訴えを提起しており,他方,本件において,同原告が同処分に係る出訴期間を経過した事情は明らかでなく,行政事件訴訟法14条1項にいう「正当な理由」を認めるべき事情はうかがわれない。したがって,本件訴えのうち,本件在特不許可処分ニの取消しを求める部分は,不適法であって,却下を免れない。
(5)  原告X5に係る訴えについて
前提事実(5)のエ(オ)及びオのとおり,原告X5は,平成18年6月28日に本件在特不許可処分ホの通知を受け,同処分があったことを知ったにもかかわらず,同日から6か月以上を経過した後である同19年7月26日に本件訴えを提起しており,他方,本件において,同原告が同処分に係る出訴期間を経過した事情は明らかでなく,行政事件訴訟法14条1項にいう「正当な理由」を認めるべき事情はうかがわれない。したがって,本件訴えのうち,本件在特不許可処分ホの取消しを求める部分は,不適法であって,却下を免れない。
(6)  原告X6に係る訴えについて
前提事実(6)のエ(オ)及びオのとおり,原告X6は,平成18年8月16日に本件在特不許可処分ヘの通知を受け,同処分があったことを知ったにもかかわらず,同日から6か月以上を経過した後である同19年7月26日に本件訴えを提起しており,他方,本件において,同原告が同処分に係る出訴期間を経過した事情は明らかでなく,行政事件訴訟法14条1項にいう「正当な理由」を認めるべき事情はうかがわれない。したがって,本件訴えのうち,本件在特不許可処分ヘの取消しを求める部分は,不適法であって,却下を免れない。
(7)  原告X7に係る訴えについて
前提事実(7)のエ(オ)及びオのとおり,原告X7は,平成18年8月25日に本件在特不許可処分トの通知を受け,同処分があったことを知ったにもかかわらず,同日から6か月以上を経過した後である同19年7月26日に本件訴えを提起しており,他方,本件において,同原告が同処分に係る出訴期間を経過した事情は明らかでなく,行政事件訴訟法14条1項にいう「正当な理由」を認めるべき事情はうかがわれない。したがって,本件訴えのうち,本件在特不許可処分トの取消しを求める部分は,不適法であって,却下を免れない。
(8)  原告X8に係る訴えについて
前提事実(8)のエ(オ)及びオのとおり,原告X8は,平成18年7月10日に本件在特不許可処分チの通知を受け,同処分があったことを知ったにもかかわらず,同日から6か月以上を経過した後である同19年11月23日に本件訴えを提起しており,他方,本件において,同原告が同処分に係る出訴期間を経過した事情は明らかでなく,行政事件訴訟法14条1項にいう「正当な理由」を認めるべき事情はうかがわれない。したがって,本件訴えのうち,本件在特不許可処分チの取消しを求める部分は,不適法であって,却下を免れない。
(9)  原告X18に係る訴えについて
前提事実(18)のエ(オ)及びオのとおり,原告X18は,平成19年2月15日に本件在特不許可処分ソの通知を受け,同処分があったことを知ったにもかかわらず,同日から6か月以上を経過した後である平成20年11月21日に本件訴えを提起しており,他方,本件において,同原告が同処分に係る出訴期間を経過した事情は明らかでなく,行政事件訴訟法14条1項にいう「正当な理由」を認めるべき事情はうかがわれない。したがって,本件訴えのうち,本件在特不許可処分ソの取消しを求める部分は,不適法であって,却下を免れない。
2  争点(2)(本件各難民不認定処分の適法性又は無効事由の有無)について
(1)  ミャンマーの政治情勢(甲6)
ア ミャンマーでは,1962年以降,ネ・ウィン将軍の率いる軍事政権が,社会主義路線を採って,独裁的に支配していた。これに対し,1988年夏ころ,民主化と経済発展を求める大規模なデモやストライキが繰り返されたが,同年9月ころ,これらの運動が国軍によって制圧され,クーデターにより,SLORCが政権を掌握した。
イ 1990年5月,ミャンマーでは,国民議会議員選挙が施行され,アウンサンスーチーの率いるNLDが約8割の議席を占めて圧勝したが,SLORCは,1989年7月以降アウンサンスーチーを自宅軟禁状態にして,上記選挙結果にもかかわらず,政権委譲を拒否し,1995年7月までアウンサンスーチーの自宅軟禁を継続した。さらに,SLORCは,1996年,多数のNLDの関係者を拘束したり,学生示威運動を武装警察隊の投入等によって強権的に制圧したりした。
ウ SLORCは,1997年に国家平和開発評議会(以下「SPDC」という。)に改組されたが,SPDCは,1998年,500人以上のNLDのメンバーを拘束し,1999年には,民主化運動の11周年記念で大規模な民主化運動が起きることを警戒し,多くの民主化活動家を拘束した。
エ SPDCは,2000年8月,自宅軟禁を解かれたアウンサンスーチー及びNLD幹部がヤンゴンを離れたところを強制的に連れ戻し,アウンサンスーチーとウー・ティンウーNLD副議長等がマンダレーを訪れようとした際,ヤンゴン駅から強制的に退去させ,同年9月から2002年5月までの間,再度アウンサンスーチーを自宅軟禁状態とした。そして,2003年5月,アウンサンスーチーが地方遊説に出かけた際,これを妨害しようとする政府系の組織によって襲撃されるという事件が発生し,SPDCは,それ以降現在まで,アウンサンスーチーを自宅軟禁状態に置き,自由な政治活動を許していない。
(2)  ミャンマーにおけるロヒンギャ族の状況等
ア ロヒンギャ族とは,主にミャンマーのアラカン州に居住するイスラム教徒の民族集団であり,バングラデシュのチッタゴン地域で話されている言語に類似するベンガル語の方言を使用するとされている。ロヒンギャ族は,アラカン州北部3郡(マウンドー,ブディーダウン,ラテーダウン)に集中して居住しており,その人口は,約72万5000人と推定されている。(甲2,61,証人T)
イ ミャンマー政府は,ロヒンギャ族を隣国からアラカン州に不法に入国してきた者であるとしてミャンマー国民とは認めておらず,1982年国籍法においても,ロヒンギャ族は,ミャンマー国民であるとされる135の民族集団に含まれていない上,ほとんどが1982年国籍法の定めるミャンマー国民の3分類である「国民」,「準国民」及び「帰化国民」のいずれにも該当しないため,ロヒンギャ族の大部分はミャンマー国籍を認められていない。そして,1989年には,上記3つの国民区分に応じて身分証が導入され,「国民」はピンク色の身分証を,「準国民」は青色の身分証を,「帰化国民」は緑色の身分証をそれぞれ交付されたが,大部分のロヒンギャ族は,ミャンマー国民とは認められないため,いずれの身分証も交付されていない。もっとも,ロヒンギャ族の中には,ミャンマー国籍を有している他のイスラム民族集団として自らを登録することにより上記身分証を取得している者も存在する。(甲1,2,59から62まで)
また,ミャンマーには厳格な家族管理制度があり,家族票(家族のそれぞれの氏名等が記録されたもの)を作成して個人の動向を記録しており,調査時に家を不在にしていたり,後記の移動制限に反して当局の許可なく移動したなどの場合には,家族票からその者の情報が削除され,村に帰ることができなくなる。(甲36,65,証人T)
ウ ミャンマー政府は,ロヒンギャ族に対し,ロヒンギャ族であること又はイスラム教徒であることを理由として,以下のような様々な差別的な取扱いを行っている旨の報告がされており,ロヒンギャ族に関する問題の専門家も同旨の見解を述べている。(甲1,2,19,36,61,63,証人T)
(ア) 移動の制限
アラカン州北部のロヒンギャ族は,厳しい移動制限を受けており,隣村を訪れるにすぎない場合であっても,当局に移動許可を得なければならず,そのために金銭を支払わなければならない。2001年2月以降,アラカン州北部のロヒンギャ族は,アラカン州の州都であるシットウェに立ち入ることを禁止されている。このような厳しい移動制限により,ロヒンギャ族は,市場,雇用機会,医療機関及び教育機関へのアクセスを制限されている。
(イ) 強制労働
強制労働は全国的に行われているが,アラカン州北部ではロヒンギャ族にのみ課されており,貧困層は強制労働を避けるための賄賂を支払うことができず,それ故,自らに割り当てられた労働のみならず,賄賂を支払って強制労働を免れた者の分まで労働を強制されている。ロヒンギャ族に対する強制労働は,ナサカ,軍隊及び警察によって行われており,乾季の間には,基地の維持管理,モデル村や道路の建設と修復,レンガ焼き,木材,丸太,竹及び薪の収集などに従事させられ,雨季の間には,田の耕作,植樹のためのジャングルの開墾,雨によって破損した道路や橋の修理などに従事させられる。また,1年を通じて,歩哨,日常的な基地保全,軍がパトロールする際のポーターなどに従事させられ,2006年以降は,南洋アブラギリのプランテーション設立という政府の開発プロジェクトに関連した作業に従事させられている。
(ウ) モデル村の建設
アラカン州北部では,1950年代から,仏教徒が定住するための村(モデル村)を建設する政策が進められており,モデル村を建設するためにロヒンギャ族から土地を没収し,家屋,学校等の建設にロヒンギャ族を従事させている。
(エ) 財物提供の強要及び恣意的な徴税
アラカン州北部のロヒンギャ族は,ミャンマー政府による財物提供の強要と恣意的な徴税に服しなければならず,その税の種類は多岐にわたる上,税の種類や税額は恣意的に決定されている。
(オ) 土地の没収
アラカン州北部のロヒンギャ族は,海老の養殖場,樹木プランテーション,軍の食糧用の田,ナサカの基地の拡大,モデル村の建設及び拡大等のために土地を没収されている。
(カ) 婚姻許可
アラカン州北部のロヒンギャ族が結婚する際には当局の許可を受けなければならず,近年では,当局が婚姻許可を求める人々に多額の金員の支払を要求し始めるとともに,年間の婚姻の許可数を制限している。この義務は,アラカン州北部のイスラム教徒にのみ課せられている。
(キ) 商業独占制度
アラカン州北部では,商業独占権が,高額の賄賂と引換えに取得する免許により与えられ,すべての商業地域はこの独占制度によって管理され,民間企業の主導性は完全に封じられている。
(ク) 宗教上の差別
ロヒンギャ族は,新しいモスクの建設や既存のモスク及びマドラシャ(イスラム学校)の拡充や修繕を行うことは許されず,その結果,多くのモスクが朽ち果てたままになっている。2006年には,ミャンマー当局が,アラカン州北部において,公式の許可がないこと及び資金の出所について説明することができないことを理由に多数のモスクとマドラシャの閉鎖を命令し,数件のモスクを破壊した。その後,多くの閉鎖されたモスクは多額の賄賂を当局に支払って再開されたが,いまだ閉鎖中のモスクも数件ある。
(ケ) 公務における差別
ロヒンギャ族は,ミャンマー国民とは認められないため,教員,看護師などの公務員の雇用から除外されている。他方,アラカン州北部の公務員に任命された仏教徒は,イスラム教地域で働くことに憤慨しており,使用可能な教育施設や保健施設がしばしば無人のままとなっている。
(コ) 教育の利用制限
アラカン州北部の初等教育,中学校及び高等学校の施設は少なく,しかも,初等教育を修了する児童はほとんどいない。また,大学以上の教育はシットウェでのみ受けることができ,ロヒンギャ族は移動制限を受けているため,シットウェ大学で受講するロヒンギャ族の学生は,自宅で教材を読むことによって教育を受けており,試験のために出席しなければならない場合でも,試験を受け損なうまで移動の許可が遅らされることがある。
(サ) 医療の利用制限
アラカン州北部では,地理的な制約から,ロヒンギャ族が利用可能な医療施設の数が少ない上,利用可能な医療設備も医療職員の配置や医療品の供給などが十分でないことなどから,ロヒンギャ族は,医療サービスを全く又はほとんど利用することができない。
エ 1991年,アラカン州北部のバングラデシュ国境付近にミャンマー駐留軍が増強されたことなどから,この地域のロヒンギャ族に対する強制労働,強姦その他の人権侵害が蔓延したため,同年末から1992年3月ころにかけて,約25万人のロヒンギャ族が国境を越えてバングラデシュに流出した。この者らは,バングラデシュの難民キャンプ等で生活していたが,同年4月,ミャンマー政府とバングラデシュ政府とが二国間協定に調印したことを受けて,バングラデシュに移動していたロヒンギャ族がミャンマーに帰還し始め,1993年には,ミャンマー政府がUNHCRのアラカン州での活動を認め,1994年にはミャンマーにUNHCRの事務所が設置された。そして,UNHCRは,ロヒンギャ族のバングラデシュからの帰還に対する援助等を行い,1999年12月までに約23万人のロヒンギャ族がミャンマーに帰還した。(甲14,29,乙4,5)
オ UNHCRの支援を受けてミャンマーに帰還したロヒンギャ族については,黄色の「帰還者身分証」が発行されたが,これは,所持者がバングラデシュから帰国したことを示すものにすぎず,所持者にミャンマー国籍を与えるものではなかった。さらに,1995年7月には,UNHCRがミャンマー政府に対してアラカン州北部のロヒンギャ族全員に何らかの身分証を発行するよう説得を行い,その結果,ミャンマー政府は,一時滞在可能である「一時登録証」(ホワイトカード)をロヒンギャ族に発行し始めたが,ロヒンギャ族全員がホワイトカードを受け取っているわけではなく,また,ホワイトカードには,所持者がミャンマー国籍を有する証拠には一切ならないことが明記されている。(甲2,45の1,61,証人T)
カ UNHCRは,帰還後のロヒンギャ族の状況について,UNHCRがロヒンギャ族の定住確保のためにミャンマー国内で様々な施策を実施したことにより,帰還民に対する迫害等はなく,大量流出を招いた原因はおおむね除去されたという見方を示していたが,他方で,バングラデシュからの帰還が自発的なものではなく,バングラデシュから帰還したロヒンギャ族は,なお,帰還したミャンマーにおいて,強制労働,国籍の否定等の不利益を受けており,帰還民の多くが再びバングラデシュに出国しているとの報告がされており,このことは,1990年代初頭からミャンマーにおけるロヒンギャ族の状況がほとんど改善されていないことを表すものとされている。ミャンマーに帰還した後に再びバングラデシュに流出したロヒンギャ族は,バングラデシュの難民キャンプに入ることを許されず,その外で生活しており,バングラデシュは,彼らを不正規移民として取り扱い,公式の保護を与えていない。もっとも,ミャンマーに帰還せずにバングラデシュの難民キャンプにとどまったロヒンギャ族についても,医療サービスや教育を受けること,キャンプ内で労働し生計を立てることなどが制限され,女性に対する性的暴力の被害が発生していることなどが報告されている。(甲61,84)
(3)  難民の意義について
ア 前記第2の1のとおり,入管法上の「難民」とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であつて,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」をいうことになるところ,原告らは,この「迫害」の内容につき,生命又は身体の自由に対する侵害に限定されず,その他の人権の重大な侵害も含むものというべきであると主張するので,以下,検討する。
イ 確かに,「迫害」という語の通常の意味,難民条約が前文において「締結国は,・・・(中略)・・・世界人権宣言が,人間は基本的な権利及び自由を差別を受けることなく享有するとの原則を確認していることを考慮し・・・(中略)・・・て,次のとおり協定した。」と規定していることなどからすれば,「迫害」は,生命又は身体の自由に対する侵害に限定されず,その他の人権の重大な侵害をも含むものと解する余地もある。
ウ しかし,難民条約31条1項は,「締結国は,その生命又は自由が第1条の意味において脅威にさらされていた領域から直接来た難民」について「不法に入国し又は不法にいることを理由として刑罰を科してはならない。」とし,難民条約33条1項は,「締結国は,難民を,いかなる方法によっても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。」としているところ,仮に,「迫害」が,「生命又は自由」以外の法益の侵害をも含むものとした場合には,受入国は,「生命又は自由」以外の法益が侵害された者を「難民」としながら,その者については,「生命又は自由」を侵害された「難民」とは異なり,不法に入国し又は不法にいることを理由として処罰し得ることになり,また,その法益を侵害するおそれのある領域の国境へ追放し又は送還し得るという不合理な結果となる。そうすると,難民条約上の「迫害」とは,「生命又は自由」の侵害又は抑圧をいうと解するのが相当である。
エ もっとも,この「自由」の内容については,難民条約上,必ずしも明らかではなく,言語上の一般的な意味としては,精神的自由や経済的自由等をも含む概念であるといい得る。しかし,この「自由」が「生命」と並置されており,「難民」となり得るのは,迫害を受けるおそれがあるという状況に直面したときに「恐怖を有する」ような場合であると考えられること(難民条約1条A(2)参照)からすれば,この「自由」は,生命活動に関する自由,すなわち肉体活動の自由を意味するものと解するのが合理的である。また,難民条約は,農業,工業,手工業,商業などの自営業に関して(18条),自由業に関して(19条),また,初等教育以外の教育に関して(22条2項),いずれも,締約国は,「できるだけ有利な待遇」を与え,かつ「いかなる場合にも同一の事情の下で一般に外国人に対して与える待遇よりも不利でない待遇を与え」るものとしているが,上記のような待遇が外国人に付与されるか否かは,難民条約締約国の国内法制によるものと考えられる。そうすると,上記の「自由」に経済的自由が含まれるとすると,難民条約に基づく受入国が,本国においてある権利が侵害されているとして難民としながら,その者に本国よりも少ない権利しか与えないという結果を生じ得る。したがって,上記の「自由」には経済活動の自由等は含まれないと解するのが相当である。
オ 以上によれば,「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃又は圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するものと解するのが相当である。そして,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解するのが相当である。
(4)  ロヒンギャ族であることを理由とする難民該当性について
原告らは,ロヒンギャ族であることから直ちに難民該当性が認められる旨主張するので検討する。
確かに,前記(2)によれば,ミャンマーにおいては,ロヒンギャ族は,移動が制限されるほか,強制労働を課されたり,財産を没収されるなどの様々な差別的又は不利益な取扱いを受け,厳しい状況に置かれていることが認められ,ロヒンギャ族に対するこのような取扱いの根底には,1982年国籍法においてロヒンギャ族がミャンマー国民と認められていないことがあるものと考えられる。
しかし,前記(3)で述べた「迫害」の内容に照らせば,ロヒンギャ族がミャンマー国民と認められていないこと及びロヒンギャ族が他の民族と異なる取扱いを受けていること自体をもって,ロヒンギャ族の難民該当性を基礎付けるものということはできず,原告らがロヒンギャ族であることから直ちに難民と認められるか否かは,ミャンマーにおいてロヒンギャ族が一般的に受けている現実の不利益の存否やその内容及び程度に照らして判断するほかない。
そして,ミャンマーには,現在も約72万5000人ものロヒンギャ族がアラカン州北部に居住しているのであり,このような多数のロヒンギャ族に対して前記(3)で述べた「迫害」に該当するような内容及び程度の不利益が一般的に課されているとは考え難い。実際,①ロヒンギャ族の中には,土地を所有する裕福な者もあり,1992年に約25万人がバングラデシュに流出したときにも約50万人のロヒンギャ族がミャンマーに残ったこと(証人T),②原告らの中にも,強制労働の経験を有しない者(原告X18),夜間警備以外の強制労働の経験を有しない者(原告X8)などが存在し,その親族がミャンマーにおいて平穏に生活している者(原告X3,原告X5,原告X12,原告X16),父が公務員であり教師をしていた者(原告X9)が認められるのであり,前記(3)で述べた「迫害」に該当するような内容及び程度の不利益が課されていないと考えられるロヒンギャ族も存在するのである。
そうすると,ミャンマーにおいては,ロヒンギャ族の大部分がミャンマー国民と認められておらず,また,ロヒンギャ族に対する差別的な又は不利益な取扱いが存在するとしても,そのことから,直ちに,ロヒンギャ族全員について,ロヒンギャ族であることを理由として,前記(3)に述べた「迫害」を受けるおそれがあるとすることは困難である。
したがって,原告らについて,ロヒンギャ族であることから直ちにその難民該当性を肯定することはできず,原告らの上記主張は採用することができない。
(5)  原告らの個別事情に基づく難民該当性について
上記のとおり,原告らについて,ロヒンギャ族であることから直ちに難民該当性を肯定することが困難であるとしても,原告らがロヒンギャ族である場合には,前記(2)のようなミャンマーにおけるロヒンギャ族の状況を前提とした原告らの個別事情によっては,原告らについて,ロヒンギャ族であること又はイスラム教徒であることを理由に前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあると認める余地もある。また,原告らの中には,ミャンマーにおける政治活動を理由に迫害を受けるおそれがあると主張する者もある。そこで,以下,原告の個別事情に基づく難民該当性について検討する。
ア 原告X1について
(ア) 原告X1がロヒンギャ族であるかについて
原告X1が前記(2)のような状況の下にあるロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),原告X1は,ロヒンギャ語を話すことができ(顕著な事実),アラカン州マウンドーの出身であり(甲イ1),イスラム教徒であること(乙イ17の1),②同原告はBRAJの会員であるところ(甲イ3),BRAJに入会するためには,アラカン州出身者については,(ⅰ)使用言語がロヒンギャ語であること,(ⅱ)アラカン州の土地勘を有していること,(ⅲ)家族票などの証明書が存在すること,(ⅳ)申込人がロヒンギャ族であることを裏付ける親類又は友人がいること,(ⅴ)申込人がロヒンギャ族であることを推薦する保証人が2名以上あることを要し(甲76),同原告がこのような厳格な審査を経てロヒンギャ族であると認められていることを併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 認定事実
前提事実,証拠(甲イ1,乙イ2,イ6の2,イ16,イ17の1から3まで,イ23,原告X1本人)及び弁論の趣旨によれば,次の事実が認められる。
a 原告X1は,1979年(昭和54年)にアラカン州マウンドーで生まれた。原告X1の両親は,いずれもロヒンギャ族であり,同原告には9人の兄弟がいる。原告X1の母親及び9人の兄弟は,いずれも同村に住んでいる。原告X1及びその家族は,いずれもイスラム教徒である。
b 原告X1は,日ごろから,モスクでの礼拝をナサカに妨害されていたが,2002年2月,ナサカがモスクを壊し始めたことから,20人ほどで木を投げるなどしてナサカに抵抗した。そのため,原告X1は,ナサカに逮捕され,約20日間,身柄を拘束された。原告X1は,拘束中,両手を天井に吊されて銃で殴打されたり,水槽に頭を沈められるなどの暴行を受けたが,10万チャットを支払って釈放された。
c 原告X1は,釈放後の2002年5月,バングラデシュのチッタゴンに行き,飲食店の手伝いなどをして生活していたが,バングラデシュでは,難民として居住するミャンマー人が本国に送還されるという話を聞いたことから,2005年12月,ブローカーに依頼し,偽造旅券を使ってタイのバンコクに入り,さらに,バンコクにおいて,ブローカーに依頼し,中国を経由して,前提事実(1)イ及びエ(ア)のとおり,平成18年6月17日,福岡空港から本邦に上陸し,同月28日,本件難民申請イをした。
d 上記認定に対し,被告は,原告X1が,モスクの破壊行為に対して抵抗したのは偶発的な出来事であると考えられ,また,20人ほどで木の棒をもって抵抗したというのに,同原告を数日間で特定することができたのは不自然であると主張する。しかし,モスクを壊し始めたナサカに抵抗したため原告X1が身柄拘束等を受けたことは,退去強制手続及び難民認定手続から一貫して主張されている(甲イ1,乙イ2,イ6の2,イ16,イ17の1から3まで,イ23,原告X1本人)。他方,ミャンマーでは家族票を作成して個人の動向を記録しており(前記(2)),同原告の居住地域の人的関係の密接度如何によっては,ナサカが20人程度の者の名前を速やかに把握することも可能であると考えられる。したがって,被告の指摘する点が同原告の供述の信用性を損なうほど不自然なものであるということはできない。
また,被告は,原告X1が身柄拘束中に尋問されることはなかったと供述している点や10万チャットを支払って釈放されたとしながらその後ナサカが身柄拘束のために捜索に来たと供述している点が不自然であると主張する。しかし,前記のとおり,モスクを壊し始めたナサカに抵抗したため原告X1が身柄拘束等を受けたことは,一貫して主張されており,他方で,同原告の身柄拘束等がナサカに抵抗したという単純な出来事を理由とするものであれば,特段の捜査の必要はないとも考えられること,釈放後にナサカが身柄拘束のために捜索に来たとする点についても,釈放の理由や釈放後の事情の変更等によっては,再度ナサカが同原告の身柄拘束を要すると考えることもあり得ることからすれば,被告の指摘する点が同原告の供述の信用性を損なうほど不自然なものであるということはできない。
(ウ) 検討
前記(イ)の認定のとおり,原告X1は,日ごろから,モスクでの礼拝をナサカに妨害されていたところ,2002年2月,ナサカがモスクを壊し始めたことから,20人ほどで木を投げるなどしてナサカに抵抗し,そのためにナサカに逮捕されたこと,同原告は,約20日間,身柄を拘束され,拘束中,両手を天井に吊されて銃で殴打される,水槽に頭を沈められるなどの暴行を受けたことが認められる。そして,上記のような身柄拘束等は,前記(3)で述べた「迫害」に該当するものであるところ,ミャンマーのアラカン州北部には,イスラム教徒であるロヒンギャ族の多くが居住しており,ミャンマー政府がそこに居住するイスラム教徒であるロヒンギャ族に対しロヒンギャ族又はイスラム教徒であることを理由に様々な差別的又は不利益な取扱いをしている状況にあったことからすると(前記(2)),前記のナサカによるモスクの破壊行為は,イスラム教徒に対する差別的な侵害行為であるというべきであって,これを排除しようとした原告X1に対する身柄拘束等は,上記のようなイスラム教徒に対する差別的な侵害行為を確実かつ実効的なものにするものということができる。このような点からすれば,上記の身柄拘束等も,原告X1がイスラム教徒であることを理由に行われたものというべきである。
以上のような原告X1のミャンマーにおける経験に,前記(2)で述べたアラカン州北部におけるロヒンギャ族の人権状況を総合すると,同原告がイスラム教徒であることを理由に前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するということができるとともに,通常人が同原告の立場に置かれた場合にも同様の恐怖を抱く客観的な事情が存在しているというべきである。
ところで,前記のとおり,原告X1がミャンマーで出生し居住していたロヒンギャ族であり,ミャンマーでは,大部分のロヒンギャ族にミャンマー国籍が認められていないこと(前記(2)イ)に照らすと,同原告は,ミャンマーに常居所を有していた者ではあるが,ミャンマー国籍を有しているとは認められない。
したがって,本件難民不認定処分イ当時,原告X1は,宗教を理由としてミャンマーから迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために常居所を有していた国であるミャンマーの外にいる無国籍者であって,そのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国であるミャンマーに帰ることを望まないものであるといえるから,難民に該当するというべきである。
イ 原告X2について
(ア) 原告X2がロヒンギャ族であるかについて
原告X2がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告がロヒンギャ語を話すことができ(顕著な事実),原告X2がアラカン州マウンドーの出身であり(甲ロ1),イスラム教徒であること(乙ロ16の2),②同原告は,マレーシアのUNHCRにおいてロヒンギャ族として登録されているところ,マレーシアのUNHCRにおけるロヒンギャ族の登録作業は,登録希望者と実際に面接することによってその者の使用言語,出身地,親戚の氏名等を確認してロヒンギャ族か否かを確認していること(甲40),③同原告がJARO(アラカンロヒンギャ協会日本)の会員であるところ(甲ロ8),JAROへの入会に当たっては面接等によりロヒンギャ族かどうかを厳しく審査されること(甲77)に照らすと,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X2の個別事情に基づく難民該当性の検討
a 原告X2は,12歳くらいまでの間に,何度か,養魚場の補修,森林の伐採,道路の補修等の強制労働に従事させられ,その際には,食事を与えられないまま,2日から3日間にわたって身柄を拘束されたなどと主張する。
しかし,原告X2の主張する強制労働の内容は,養魚場の補修,森林の伐採等であり,特別な危険を伴うものではない上,身柄の拘束期間も2日から3日間にとどまるものであることからすれば,同原告の主張する強制労働が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
なお,原告X2は,ミャンマーを出国した年齢について18歳であると主張し,陳述書(甲ロ1)でも同趣旨を述べるが,同原告は退去強制手続及び難民認定手続において12歳くらいのときにミャンマーを出国した旨を述べ(乙ロ4の1,乙ロ15,16の1),本件訴訟に至ってはじめてミャンマーを出国したのが18歳である旨を主張し始めたのであり,同原告の上記主張には,その経過に不自然な点がある。また,原告X2は,本人尋問において,退去強制手続及び難民認定手続においては,ミャンマーを出国したのは何歳かは分からないが12歳ではないと思っていたものの,通訳人から「12歳かい。」と聞かれ,「はい。そうです。」と答えてしまった,マレーシア当局に捕まった際に暴行を受けたため,今更供述を変えると日本でも入国管理局の職員から暴行を受けるかもしれないと思い12歳と供述した旨を述べるが,同原告は,マレーシアにおいて,逮捕されてタイ領内に置き去りにされた後に再びマレーシアに入国するということを繰り返しながら3年から4年もの間マレーシアで生活していたのであって(乙ロ16の1及び4),マレーシア当局にひどい暴行を受けたという同原告が上記のように退去と入国をくり返すことは不自然というべきである。そうすると,同原告がマレーシア当局に捕まった際に暴行を受けたとは直ちには認められず,同原告が入国管理局の職員から暴行を受けるかもしれないと思った旨の主張も不自然なものといわざるを得ない。以上のことからすれば,ミャンマーを出国した年齢が18歳であるとする原告X2の供述は採用することができない。
b 原告X2は,強制労働から逃げてきたため,ミャンマー政府から身柄を拘束され,拷問を受けるおそれがある旨を主張し,陳述書(甲ロ1)において,同原告の親戚であるハラは強制労働から逃げ出そうとして殺されたと聞いている,隣人のUは,強制労働から逃げ出したからか武装グループと関係があると思われたからかは不明であるが,当局に連行され,殺されたと考えているなどと述べている。
しかし,原告X2が強制労働から逃れたのは,約9年前のことであること(乙ロ4の1),同原告の親族は,同原告がミャンマーを離れた後もマウンドーに居住し,農業を営んで生活しており(乙ロ16の2),同原告が強制労働から逃げたことでミャンマー政府から危害を加えられたり,取調べを受けたなどの事情は認められないこと(同原告は,本件難民不認定処分ロに対する異議申立手続の口頭意見陳述において,同原告の逃亡後,毎日,ミャンマー当局の人が家に来て同原告の所在を尋ねていると述べているが(乙ロ22),それまでの手続においてそのような事情を全く述べていなかったことからすれば,上記供述は信用することができない。),同原告の主張を前提としても,親戚のハラが殺されたのが強制労働から逃げたためであることは伝聞にすぎず,Uがミャンマー当局に連行されたのも,武装グループとの関係があることによるかもしれないことに照らすと,上記両名に関する事実をもって,同原告が強制労働から逃げたためにミャンマー政府に逮捕されたり,殺されたりするおそれがあると認めることはできない。
c 原告X2は,同原告の家で作った米や野菜等が当局に取り上げられ,毎月,ナサカや軍人に金銭を支払わなければならないなどと主張する。
しかし,これらの不利益は,経済的な不利益にすぎない上,原告X2の家は土地を所有して農業を営み,同原告がミャンマーに在住していた当時,特に生活に困ることはなかったこと(同原告本人)からすれば,上記の不利益が前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
d 原告X2は,同原告が居住していた村では,移動の際には金員を支払って許可を得る必要があり,結婚の際にも金員を支払う必要があったなどと主張する。
しかし,原告X2の主張する移動及び結婚の制限は,金員を支払うことで許可を得ることができる程度のものであって,それほど厳格な制限とまではいえず,現に,同原告の兄と姉は合計60万チャットを支払って結婚していること(同原告本人)からすれば,同原告主張の上記不利益が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
e 原告X2は,姉Iの夫が,ナサカの本部の用地にするといって農地を取り上げられたことなどからマレーシアに逃れたことを主張するが,同原告が主張する不利益は,経済的な不利益にすぎず,これが同原告の生存を脅かすようなものであることを認めるに足りる証拠はない。したがって,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできないし,同原告の親族が土地を没収されたことをもって,同原告が上記「迫害」を受けるおそれがあるということもできない。
f 原告X2は,妹Kの夫が5年の刑を受けて刑務所にいることを主張するが,同原告主張の事実を前提としても,妹の夫が刑務所に収容されているのは,反乱組織と関係があるとの疑いがあることによるのであって,ロヒンギャ族であることを理由とするものであるとは認められないから,同原告主張の上記事実をもって,同原告がロヒンギャ族であることを理由として迫害を受けるおそれがあるということはできない。
(ウ) まとめ
以上のとおり,原告X2の主張する強制労働,移動制限,野菜や農地等の没収は,いずれも前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものではないし,これらの不利益が併存することをもって上記「迫害」に当たるものと評価することもできない。また,強制労働から逃げたために上記「迫害」を受けるおそれがあるとは認められないし,妹の夫が刑務所にいることからロヒンギャ族であることを理由に上記「迫害」を受けるおそれがあるということもできない。そうすると,原告X2は,難民に該当するとは認められない。
ウ 原告X3について
(ア) 原告X3がロヒンギャ族であるかについて
原告X3がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告は,ロヒンギャ語を話すことができ(顕著な事実),アラカン州マウンドーの出身であり(甲ハ1),イスラム教徒であること(乙ハ19の1),②同原告はBRAJ(在日ビルマロヒンギャ協会)の会員であるところ(甲ハ4及び5),BRAJに入会するためには,アラカン州出身者については,(ⅰ)使用言語がロヒンギャ語であること,(ⅱ)アラカン州の土地勘を有していること,(ⅲ)家族票などの証明書が存在すること,(ⅳ)申込人がロヒンギャ族であることを裏付ける親類又は友人がいること,(ⅴ)申込人がロヒンギャ族であることを推薦する保証人が2名以上あることを要し(甲76),同原告がこのような厳格な審査を経てロヒンギャ族であると認められていることを併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X3の個別事情に基づく難民該当性の検討
a 原告X3は,難民該当性を基礎付ける事情として,同原告が10歳から12歳ころ以降,日常的に藪の伐採や海老の養殖場等で土石を運搬するなどの労働に従事させられた,1991年の夏ころには,ボートで見回りに来た軍人が川岸に行く際に同原告らの肩に板を乗せてその上を歩き,その際,原告X3は,左の鎖骨を痛め,後日,薪割りをさせられた際に作業が終わらなかったため,軍人に斧の刃の裏側の部分で右肩と首の付け根の当たりを殴られたため左の鎖骨を骨折した,同年10月4日には,強制労働の際に軍人に斧で殴られたことから軍人を水の中に突き落としたなどと主張する。
b しかし,原告X3は,本件難民不認定処分ハを受けた後の異議申立手続において初めて強制労働について述べているのであり,退去強制手続の違反調査,口頭審理及び異議申出のいずれにおいても強制労働について一切述べておらず,難民認定申請書やその後に行われた4回にわたる難民調査においても強制労働について述べていない。ところで,原告X3は,難民認定を受けるために本邦に来たと供述し(乙ハ4の2,乙ハ7の1及び2),現に,上陸後直ちに本件難民申請ハをしているのであるから(前提事実(3)イ及びエ(ア)),強制労働に従事させられることを自らに対する迫害であると主張し,その際に軍人を水の中に突き落としたことにより迫害を受けるおそれがあると主張する同原告としては,退去強制手続又は難民認定手続の当初からその事実を主張するのが通常であると考えられる。そうすると,上記のような原告X3の供述経過は,極めて不自然であるというべきである。また,原告X3は,来日の経緯につき,平成16年6月又は7月に会ったイギリス人らしき外国人が,同17年2月,刑務所から出てきた同原告に対して,助けてあげるなどと言って,同原告と一緒に空港に行った,その外国人が搭乗ゲートの所で待つように言い残したままどこかへ行ったしまったので,同原告は,一人で旅券や搭乗券を持たずに飛行機に乗り込んだなどと極めて不自然かつ不合理な供述しており(甲ハ1,乙ハ4の2,乙ハ7の2,乙ハ19の1),このような同原告の供述態度は,その供述全体の信用性を減殺するものと評価することができる。以上のような原告X3の供述経過等に照らすと,同原告がその主張するような強制労働に従事させられた事実やその際に軍人を水中に突き落とした事実については,いずれもその存在に疑問があるというべきである。また,原告X3の主張するところを個別にみても,同原告の主張する強制労働の内容は,藪の伐採や海老の養殖場等で土石を運搬するというものであって,それ自体特別な危険を伴うものではない上,上記のような同原告の供述経過に照らせば,同原告としても,強制労働の事実を迫害を受けるおそれを基礎付けるものとして認識していなかったものということができる。そうすると,同原告の主張する強制労働が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるとは認められないというべきである。さらに,原告X3が軍人を水の中に突き落としたことは,10年以上前の出来事であるから,そのことによって同原告がミャンマー政府から何らかの危害を加えられるおそれがあるとは考え難い。
c 原告X3は,本人尋問において,強制労働に関する供述の経過につき,ロヒンギャ族であるといえば難民として認められると思っていた,ミャンマーでは強制労働をさせられることは当たり前であるから言わなくても分かっていると思っていたと供述するが,難民認定を受けることを目的として来日した同原告が,難民調査において,難民調査官から,同原告がミャンマーに帰国することができない理由(乙ハ19の3)やミャンマーの軍人が同原告を捜している理由を問われる(乙ハ19の4)など,自らの難民該当性を基礎付ける強制労働の事実を述べる機会があったにもかかわらず,そのことを一切述べないことは不自然といわざるを得ない。また,原告X3は,難民認定手続において,マレーシアにおいて旅券を持っていないという理由で逮捕され,体を鞭で打たれたり,刑務所に入れられたりしたことを述べているにもかかわらず(乙ハ19の3),鎖骨を骨折するような暴行を受けたことを供述しないのは不自然である。したがって,同原告の上記供述は採用することができない。
d なお,原告X3は,同原告の母国語はロヒンギャ語であり,ミャンマー語の理解力が不十分であるにもかかわらず,入国管理局の退去強制手続及び難民認定手続がミャンマー語で行われたため,各手続において作成された供述調書の内容は,同原告の供述内容とは異なるものであると解される主張をしている。しかし,①同原告は,平成17年11月25日にミャンマー語で行われた口頭審理手続において,同年10月25日の違反調査で作成された調書(乙ハ4の1及び2),同年11月10日の違反審査で作成された調書(乙ハ7の2)について訂正すべき点を指摘した上,同手続で録取された供述内容についても訂正を申し立て,他に訂正するところはない旨を述べて,その旨が記載された調書に署名指印をしていること(乙ハ9の1),同年10月31日及び同年11月11日に実施された難民調査においても,録取された供述内容について訂正を申し立て,他に訂正するところはない旨を述べて,その旨が記載された調書に署名指印をしていること(乙ハ19の1及び3),②同原告は,本人尋問において,上記の調書の訂正申立てにつき,自分が理解することができたところは訂正を申し立て,分からなかったところは訂正を申し立てなかった旨の供述するが,同原告が,一方で調書に誤りがあるとして訂正を申し立てながら,自らが理解することのできない部分を放置して,その調書に誤りがないとして署名指印することは不合理であることなどからすれば,同原告は,相当程度ミャンマー語を理解することができ,退去強制手続及び難民認定手続において作成された供述調書は,同原告の供述した内容を正確に記載したものと認めるのが相当である。
(ウ) まとめ
以上のことからすれば,原告X3の主張する強制労働等の事実をもって,同原告に前記(3)で述べた「迫害」のおそれがあると認めることはできず,同原告は,難民に該当するとは認められない。
エ 原告X4について
(ア) 原告X4がロヒンギャ族であるかについて
原告X4がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告は,ロヒンギャ語を話すことができ(顕著な事実),アラカン州マウンドーの出身であり(甲ニ1),イスラム教徒であること(同原告本人),②同原告は,マレーシアのUNHCRにおいてロヒンギャ族として登録されているところ(乙ニ2),マレーシアのUNHCRにおけるロヒンギャ族の登録作業は,登録希望者と実際に面接することによってその者の使用言語,出身地,親戚の氏名等を確認してロヒンギャ族か否かを確認していること(甲40),③同原告はBRAJ(在日ビルマロヒンギャ協会)の会員であるところ(甲ニ3),BRAJに入会するためには,アラカン州出身者については,(ⅰ)使用言語がロヒンギャ語であること,(ⅱ)アラカン州の土地勘を有していること,(ⅲ)家族票などの証明書が存在すること,(ⅳ)申込人がロヒンギャ族であることを裏付ける親類又は友人がいること,(ⅴ)申込人がロヒンギャ族であることを推薦する保証人が2名以上あることを要し(甲76),同原告がこのような厳格な審査を経てロヒンギャ族であると認められていることを併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X4の個別事情に基づく難民該当性の検討
a 原告X4は,シットウェまで行くことができなかったことがある,マウンドーまで行くためには,地域の事務所において,お金を払って身分等を示す証明書を発行してもらう必要があり,途中で求められたらその証明書を提示する必要があったなどと主張する。
しかし,原告X4の主張を前提としても,同原告は,金銭を支払って証明書の発行を受け,当局の求めに応じて証明書を提示することでマウンドーまで行くことができたのであって,同原告の主張する移動制限は,それほど厳格なものであるということはできず,これが,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
b 原告X4は,強制労働を何度も経験しており,マウンドーに行く途中にある橋を渡るときに軍隊にポーターとして徴用されたことがある,軍隊に連行されると,2,3日間,海老の養殖場等で土を掘る作業などに従事させられ,作業の間は,家に帰ることができず,食事が与えられないときもあった,強制労働の現場には監視役が常にいて,逃亡しようとした者に暴行を加えるなどと主張する。
しかし,原告X4の主張する強制労働の事実は,退去強制手続及び難民認定手続においては全く述べられず,本件訴訟に至って初めて主張されたものであることからすると,同原告の主張する強制労働の事実が存在したかについては疑問があるし,仮にそのような事実があったとしても,同原告が従事させれられた強制労働の内容は,ポーター,海老の養殖場等で土を掘る作業等であり,特別な危険を伴わないものである上,その期間も2,3日にとどまり,食事を取ることができない場合ばかりではない。また,上記のような同原告の供述経過に照らせば,同原告が強制労働の事実を迫害を受けるおそれを基礎付けるものとして認識していなかったということができる。そうすると,同原告の主張する強制労働が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできないというべきである。
c 原告X4は,同原告の実家は,農業を営んでおり,農地を所有していたが,1989年ころ,上記農地を含めて周辺の土地がすべて没収されたなど主張する。
しかし,原告X4が主張する上記不利益は,経済的な不利益にすぎない上,これが同原告の生存を脅かすようなものであることを認めるに足りる証拠はない。したがって,原告X4が主張する上記不利益が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
d 原告X4は,1987年ころから,2番目の兄が経営していたコーヒー店でウェイターとして働いていたが,1988年6月ころ,客として度々来店していた警察官が代金の支払をせずに飲食することを繰り返したため,この警察官に代金を請求したところ,この警察官は,同原告に対し,「カラーが俺にお金を要求するのか?」などと述べた上,さらに,罵声を浴びせるなどしたため,同原告は,たまらずにこの警察官を押した,ロヒンギャ族の中には,警察官と口論になって射殺された者もいるから,上記のように警察官と口論となった同原告も,警察官に逮捕されたり,射殺されたりするおそれがあり,また,20年の懲役となる可能性もあるなどと主張する。
しかし,ロヒンギャ族の中に警察官と口論となって射殺された者がいるとしても,その具体的な経緯や原因等は不明であるから,原告X4が代金支払を拒否するなどした警察官を押したことによって前記(3)で述べた「迫害」に当たる不利益を受けると認めることはできず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。また,そもそも,原告X4が警察官を押したのは,本件難民不認定処分ニ当時から15年以上も前の出来事であり,原告X4の供述によれば,原告X4の2番目の兄は,逃亡した原告X4の代わりに身柄を拘束されたものの,金銭を支払うことで釈放され,その後も,マウンドーに居住しているというのであるから(乙ニ18,ニ24,原告X4本人),代金支払を拒否するなどした警察官を押したことを理由に原告X4がミャンマー政府から何らかの不利益を受けるとは考え難いと言わなければならない。
(ウ) まとめ
以上のとおり,原告X4の主張する移動制限,強制労働及び農地の没収は,いずれも前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものではないし,これらの不利益が併存することをもって上記「迫害」に当たるものと評価することもできない。また,代金支払を拒否した警察官を押したことを理由にミャンマー当局が原告X4に不利益を及ぼすものとは考え難い。そうすると,原告X4について前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあるとは認められず,同原告は,難民に該当するとは認められない。
オ 原告X5について
(ア) 原告X5がロヒンギャ族であるかについて
原告X5がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告は,ロヒンギャ語を話すことができ(顕著な事実),アラカン州マウンドーの出身であり(甲ホ1),イスラム教徒であること(乙ホ17の1),②同原告はBRAJ(在日ビルマロヒンギャ協会)の会員であるところ(甲ホ6),BRAJに入会するためには,アラカン州出身者については,(ⅰ)使用言語がロヒンギャ語であること,(ⅱ)アラカン州の土地勘を有していること,(ⅲ)家族票などの証明書が存在すること,(ⅳ)申込人がロヒンギャ族であることを裏付ける親類又は友人がいること,(ⅴ)申込人がロヒンギャ族であることを推薦する保証人が2名以上あることを要し(甲76),同原告がこのような厳格な審査を経てロヒンギャ族であると認められていることを併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X5の個別事情に基づく難民該当性の検討
a ロヒンギャ族であることを理由とする難民該当性について
(a) 原告X5は,強制労働に従事させられたとして,ミャンマー在住当時,多いときには月10回くらい,ナサカの基地に連行され,木の伐採や水汲み等の強制労働に従事させられたなどと主張する。
しかし,上記のような強制労働の主張は,本件難民不認定処分ホに対する異議申立手続における審尋において初めてされたものであり,しかも,上記審尋における原告X5の供述も,毎日のようにポーターとして連行され,強制労働をさせられる,昼間はポーター,夜は警備の仕事をさせられていた,違反すると1人につき2000チャット支払われなければならないという程度のものであって,本件訴訟で主張している強制労働の内容とは,著しく異なるものである。そうすると,原告X5の主張するような強制労働の事実が存在したかについては疑問の余地があるし,仮に,そのような事実があったとしても,同原告が従事させられた強制労働の内容は,木の伐採や水汲み等であり,特別な危険を伴わないものである上,その頻度も多いときで月10回程度にとどまるものであり,また,上記のような同原告の供述経過からすれば,同原告がミャンマーにおける強制労働の事実を迫害を受けるおそれを基礎付けるものとして認識していなかったということができる。これらの諸点に照らすと,原告X5の主張する強制労働が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるとは認められない。
この点につき,原告X5は,本人尋問において,ミャンマーでは強制労働は一般的に行われているものであるため言わなくても大丈夫だと思ったなどと供述するが,同原告は,難民認定を受けるために本邦に来たと供述し(乙ホ5の2),現に,上陸後間もなく難民認定申請をしているのであるから(前提事実(5)イ及びエ(ア)),強制労働に従事させられたことを自らに対する迫害であると主張する同原告としては,退去強制手続又は難民認定手続の当初からその事実を主張するのが通常であると考えられる。そうすると,同原告の上記供述は,不自然なものであり,採用することができない。
(b) 原告X5は,同原告の伯父であるジラーニがバングラデシュに逃亡した後,ジラーニの土地と店が没収されたことを主張する。
しかし,原告X5主張の不利益は,同原告自身ではなく,その伯父が受けたものであるし,この点を措くとしても,原告X5が主張する上記不利益は,経済的な不利益にすぎない上,これが同原告の生存を脅かすようなものであることを認めるに足りる証拠はない。したがって,原告X5が主張する上記不利益が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
(c) 原告X5は,学校でも役所でも,どんな事情であっても悪いのはロヒンギャであると決め付けられ続けたと主張するが,前記(3)で述べた「迫害」の内容からすれば,同原告が主張する上記事実は上記「迫害」に当たるような内容のものであるということはできない。
(d) 以上のとおり,原告X5の主張する強制労働,伯父の土地及び店の没収,差別的な待遇は,その主張を前提としても,いずれも前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものではないし,これらの不利益が併存することをもって上記「迫害」に当たるものと評価することもできない。そうすると,原告X5についてロヒンギャ族であることを理由として前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあるとは認められない
b 政治活動を理由とする難民該当性について
原告X5は,ロヒンギャ族の有力な指導者であるジラーニの甥であり,1990年にジラーニが国政選挙に立候補した際,その選挙運動を手伝い,演説の時にビラを配布したりした,1992年に15歳でNLDの党員となり,学生を中心としてNLDについて呼びかけをしたり,バングラデシュにいるジラーニとの間でNLDマウンドー支部の状況などについて手紙のやり取りをしていた,1998年には,同支部の事務所の使用及び集会が禁止されたが,同原告らは,当局に隠れて同支部の活動を継続していた,2000年1月にミャンマー当局に約1週間拘禁され,当局に隠れてNLDマウンドー支部で集会を行っていたことやジラーニと連絡を取り合っていることなどを指摘され,その際,激しい拷問を受けたが,約1週間で釈放されたなどと主張し,陳述書(甲ホ1)及び本人尋問においてこれに沿う内容の陳述及び供述をしている。
しかし,原告X5は,退去強制手続及び難民認定手続において一貫して,NLDの活動のために約1週間にわたり拘禁されて暴行を受けたと供述しているものの,①その際にバングラデシュに逃亡したジラーニと連絡を取り合っていることを指摘された旨を述べたのは本件難民不認定処分ホに対する異議申立手続からであり,それまでは,ジラーニと連絡を取り合っていることや拘禁された際にジラーニと連絡を取り合っていることを指摘されたことを供述しておらず,むしろ,平成18年6月7日の難民調査では,拘禁の際の状況につき,NLDに入会するよう人集めをしたことやメンバーの人数など以外に尋問されたことを思い出せないと供述していること(乙17の2),②ジラーニの妹である同原告の母は,ミャンマー政府から何らの不利益を受けておらず(乙17の2),ミャンマー政府がジラーニの関係者に特段の関心を寄せていたとは認められないことなどからすると,同原告が,ジラーニと連絡を取り合っており,ミャンマー政府に拘禁された際にそのことを尋問されたとは認められない。したがって,同原告の拘禁もジラーニと連絡を取り合っていることを理由とするものとは認められないというべきである。
そして,原告X5は,NLDの一般のメンバーであり,特に役職もなく,約500人以上いるNLDマウンドー支部のメンバーの1人として学生を中心とする人々に対しNLDについて呼びかけたりしていたにすぎないのであって(乙17の2,同原告本人),NLDの中で中心的又は指導的な役割を担っていたということはできない。また,原告X5は,1992年4月にNLDに入党して以降,2000年1月に拘禁されるまでの間,NLDの党員としての活動を理由にミャンマー政府から特段の追及を受けたことはなく(乙ホ23),1999年10月には自己名義の旅券を取得しており(乙ホ5の2,ホ17の1),しかも,同原告の家族は,同原告の出国後も特段の不利益を受けていないこと(乙ホ17の2)からすると,ミャンマー政府が,反政府活動を行う人物として同原告に特段の関心を寄せていたとは考え難い(なお,同原告は,ミャンマーで取得した旅券につき,本人尋問において,自己名義の旅券ではないかのような供述をするが,このような供述は,本件訴訟に至って初めてされたものであり,平成18年6月1日の違反審査及び同年6月7日の難民調査では,ヤンゴンにおいて申請手続を自ら行い旅券を取得したと供述していること(乙ホ5の2,ホ17の2)からすると,同原告が取得した旅券が自己名義のものではなかった旨の上記供述は採用することができない。)。
以上の諸点に照らすと,原告X5がNLDの活動を理由に1週間にわたり拘禁され暴行を受けたことが,同原告の難民該当性を基礎付けるものであるということはできないというべきである。
なお,原告X5は,本件難民不認定処分ホに対する異議申立手続において,軍に拘禁された際に軍靴で頭を蹴られ,すねのところを鉄の棒で殴られた,これらの暴行による怪我のため走ることも階段を昇ることもできない状態であったと供述し(乙ホ23),現在でも同原告の左のすねには小さな傷が存することが認められるが(甲ホ2の1から3まで),平成18年5月7日の調査では,1週間の拘禁の際の暴行によるあざやけがはない旨供述し(乙ホ2の2),同年6月7日の調査でも,暴行を受けたことでけがをしたことはない旨供述していること(乙ホ17の2)からすると,同原告が拘禁された際にその主張するような態様の暴行を受けたとは認められないというべきである。
以上によれば,原告X5が政治活動を理由として迫害を受けるおそれがあるとは認められないというべきである。
(ウ) まとめ
以上のことからすれば,原告X5は,難民に該当するとは認められないというべきである。
カ 原告X6について
(ア) 原告X6がロヒンギャ族であるかについて
原告X6がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告は,ロヒンギャ語を話すことができ(顕著な事実),アラカン州マウンドーの出身であり(甲ヘ1),イスラム教徒であること(乙ヘ16の2),②同原告はBRAJ(在日ビルマロヒンギャ協会)の会員であるところ(甲ヘ6),BRAJに入会するためには,アラカン州出身者については,(ⅰ)使用言語がロヒンギャ語であること,(ⅱ)土地勘を有していること,(ⅲ)家族票などの証明書が存在すること,(ⅳ)申込人がロヒンギャ族であることを裏付ける親類又は友人がいること,(ⅴ)申込人がロヒンギャ族であることを推薦する保証人が2名以上あることを要し(甲76),同原告がこのような厳格な審査を経てロヒンギャ族であると認められていることを併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X6の個別事情に基づく難民該当性の検討
a 原告X6は,同原告の父が,1995年ころ,虚偽の密告により,本件爆発事件の関係者であるとの疑いをかけられ,警察官が父を捜しにきたときに父が不在であったため,家族が逮捕されて暴行を受けた,家族の逮捕を知った父がバングラデシュに逃亡して警察の取調べに出頭しなかったことから,家が没収された,家族の釈放後も,毎日警察が自宅に来て脅しをかけたりし,そのため,同原告は,警察に5万チャットを支払ったと主張する。
しかし,警察官が原告X6の父を捜しにきた際に父が不在であったため家族全員の身柄を拘束したというのはいささか不自然であるし,同原告の難民調査における供述によれば,同原告の父を捜しにきた当局の者は父の顔を知らないままその捜索を行っていたというのであり(乙ヘ16の2),このような事態は,密告を受けて関係者を捜索しようとする捜査機関の対応として不自然であるといわざるを得ない。そうすると,原告X6の主張する身柄拘束等の事実には疑問の余地があるというべきである。また,仮に,このような事実があったとしても,その身柄拘束等は,原告X6の父が本件爆発事件の関係者であるとの嫌疑を理由とするものである可能性を否定することができないのであるから,ロヒンギャ族であることを理由とするものとは認められず,同原告が主張する上記事実が同原告の難民該当性を基礎付けるものということはできない。
b 原告X6は,1997年,バングラデシュに逃亡した父と連絡を取っているとの虚偽の密告を受けた当局によって逮捕され,約1か月にわたって拘留されて尋問を受けていたところ,裁判所に連行される際にトイレに行く振りをして落ちていた木の棒を拾い,見張りの警察官の頭を殴って逃げ出したなどと主張する。
しかし,原告X6は平成18年7月29日の難民調査において,1995年の4月又は5月ころに本件爆発事件の犯人が逮捕された,同原告が父と連絡を取ることはミャンマーでは何の罪にもならないと供述しているのであり(乙ヘ16の2),そうであれば,その2年後に同原告がバングラデシュの父と連絡を取っていることを理由に身柄を拘束されることは疑問であるといわざるを得ない。また,警察が容疑者を連行する際には逃走防止のために一定の戒護措置を行うのが通常であって,原告X6が連行中に木の棒を拾って警察官を殴打し逃走することが可能であったとは考え難い。
仮に,原告X6が主張するような事実があったとしても,そのことによる同原告の身柄拘束のおそれは,同原告が,本件爆発事件の関係者と疑われている同原告の父と連絡を取っているとの嫌疑によって身柄を拘束されながら警察官を殴打して逃走したことを理由とするものであって,ロヒンギャ族であることを理由とするものであるということはできない。そうすると,原告X6が主張する上記事実が同原告の難民該当性を基礎付けるものということはできない。
c 原告X6は,強制労働に従事させられた内容として,1992年ころ,バングラデシュから帰還した人達の住居建設のため,月3回程度,ポーターの仕事に従事させられた,強制労働の時には食事が与えられないため,家族などに差入れをしてもらわなければ食事を取ることもできなかった,1995年ころには,3日間程度,軍の物資を運ぶための強制労働に連行された,その際も食事は与えられず,疲れて休んだときには暴力を振るわれたなどと主張する。
しかし,原告X6の主張を前提にしても,同原告が従事させられた強制労働の内容は,ポーターの仕事であり,特別な危険を伴わないものである上,その頻度も1992年ころは月3回程度,1995年ころは3日程度と長期にわたるものではなく,食事もミャンマー当局からは与えられないものの,家族などからの差入れによって取ることも可能であったというのである。そうすると,原告X6の主張する強制労働は前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
d 原告X6は,17歳のころ,夜間禁止令が出されていた時に,祖母の家からの帰宅途中で職務質問にあったために午後10時を過ぎてしまい,警察官に夜間禁止令に違反していると詰問され5000チャットを支払って解放してもらったと主張する。
しかし,原告X6の主張を前提としても,夜間禁止令は金銭を支払うことにより免れ得るようなものであり,同令による制限はそれほど厳格なものではないというべきであるから,同原告の主張する上記事実は,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
e 原告X6は,体調不良のためにシットウェの病院で治療を受けなければならず,移動許可証を取得するため,賄賂を支払うなどしたなどと主張する。
しかし,原告X6の主張を前提としても,同原告は金銭を支払うことによって移動許可証を取得しシットウェまで移動することができたのであり,移動の制限はそれほど厳格なものではないというべきであるから,同原告の主張する移動制限は,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
(ウ) まとめ
以上のとおり,原告X6の父と連絡を取っていること及び警察署から逃亡したことによる身柄拘束等のおそれは,同原告の主張を前提としても,ロヒンギャ族であることを理由とするものとは認められない。また,原告X6の主張する強制労働,夜間禁止令による制約及び移動制限は,いずれも前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものではないし,これらの不利益が併存することをもって上記「迫害」に当たるものと評価することもできない。そうすると,原告X6については,ロヒンギャ族であること又はイスラム教徒であることを理由として前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあるとは認められず,同原告が難民に該当するとは認められない。
キ 原告X7について
(ア) 原告X7がロヒンギャ族であるかについて
原告X7がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告は,ロヒンギャ語を話すことができ(顕著な事実),アラカン州ブーディータウン郡タウンバザー村の出身であり(甲ト1),イスラム教徒であること(乙ト16の1),②同原告はBRAJ(在日ビルマロヒンギャ協会)の会員であるところ(甲ト3),BRAJに入会するためには,アラカン州出身者については,(ⅰ)使用言語がロヒンギャ語であること,(ⅱ)アラカン州の土地勘を有していること,(ⅲ)家族票などの証明書が存在すること,(ⅳ)申込人がロヒンギャ族であることを裏付ける親類又は友人がいること,(ⅴ)申込人がロヒンギャ族であることを推薦する保証人が2名以上あることを要し(甲76),同原告がこのような厳格な審査を経てロヒンギャ族であると認められていることを併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X7の個別事情に基づく難民該当性の検討
a 原告X7は,ロヒンギャ族であるため,移動が制限されており,日帰りでの移動には許可を要しないものの,宿泊を伴う移動には許可を要し,しかも,通常,一泊期限の許可証しか取得することができない,日帰りでの移動には許可を要しないものの,その日のうちに帰宅することができないと罰金が課される,ロヒンギャ族は,シットウェに行くことはできないと主張する。
しかし,原告X7の主張を前提としても,日帰りでの移動には許可は必要なく,宿泊を伴う移動の場合には当局の許可を要するものの,一泊期限のものとはいえ,移動の許可を得ることにより可能となるのであるから,同原告の主張する移動制限は,それほど厳格なものということはできず,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
b 原告X7は,2000年にバングラデシュに出国するまでの間,3,4回ほど強制労働に従事させられたことがあり,学校の通学途中にナサカの兵士にいきなり連行され,軍の駐屯地の宿舎などミャンマー政府のオフィスの建設現場などで働かされた,作業中は,常に見張られており,作業がうまくいかなかったときなどには見張りの者に暴力を振るわれた,強制労働には1日中従事させられ,1日で終わらない場合には翌日も来るように命令されるなどと主張する。
しかし,原告X7は,退去強制手続及び難民認定手続では強制労働について一切述べておらず,本件訴訟になって初めて強制労働の事実を主張していることからすれば,同原告が主張する強制労働の事実が存在したかについては疑問の余地がある。仮に,そのような事実があったとしても,同原告の強制労働の内容は,ミャンマー政府のオフィスの建設現場などでの作業であり,特別な危険を伴うものではないし,その回数も2000年までの17年間で3,4回にすぎない上(同原告が本人尋問において述べるところによっても,5回にすぎない。),1日の作業が終われば,自宅に戻ることができたのであり,金銭を支払えば免れることができるというのである(後記c参照)。また,上記のような原告X7の供述経過からすれば,同原告がミャンマーにおける強制労働の事実を迫害を受けるおそれを基礎付けるものとして認識していなかったということができること(同原告は,本人尋問において,本件難民不認定処分トに対する異議申立手続において難民審査参与員から強制労働に連れて行かれたことがあるかを尋ねられたのに対して,連れて行かれたことがある旨を答えたのにそれが記録されていない旨供述する。しかし,難民審査参与員が,自ら質問した強制労働の有無についての回答を記録しない理由はないし,強制労働の有無について質問した難民審査参与員が連行の経験があると答えた原告X7に対し,その具体的な態様等について質問しないことは不自然といわざるを得ない。)。以上の諸点に照らすと,原告X7の主張する強制労働が前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
c 原告X7は,通学途中に軍の兵士から金銭を恐喝されたことが何度もある,同原告が強制労働に連行されそうになったときに父が1000から2000チャットを支払うことで許されたことがあった,同原告がミャンマーを出国した後,軍の兵士が,同原告の父に対し,同原告を連れ戻すか,又は罰金を支払うかすることを求め,2万チャットを支払ったなどと主張する。
しかし,原告X7が主張する上記不利益は,経済的な不利益にすぎない上,これが同原告の生存を脅かすようなものであることを認めるに足りる証拠はない。したがって,原告X7が主張する上記不利益が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
d 原告X7は,イスラム教徒として夜にモスクに行かなくてはならないときに軍によって止められることがしばしばあったと主張する。しかし,同原告の主張を前提としても,モスクに行くのを妨害されるのは夜間に限られ,その制限も絶対的なものではなく,そのようなことがあるというにとどまるのであるから,同原告の主張する上記不利益が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
e 原告X7は,13,14歳ころから,高熱等マラリアによると思われる症状が出るようになったが,同原告の居住する村にも,近隣のブーディータウンにもマラリアを適切に治療することのできる病院はなく,シットウェにマラリアを治療することのできる病院があったものの,ロヒンギャ族であるためシットウェに行くことができず,マラリアの治療を受けることができなかった,そのため,同原告は,バングラデシュに出国したなどと主張する。
しかし,原告X7が高熱等のマラリアによると思われる症状が出る状態であったことを裏付ける客観的な証拠はない上,同原告は,本件難民不認定処分トに対する異議申立手続における審尋において初めて,頻繁に熱が出る病気の治療のためにミャンマーを出国した旨を述べているのであって(乙ト22),それまでは,平成18年6月30日の入国警備官による違反調査において,特に持病等はなく健康体であると供述し(乙ト2),同年8月14日の特別審理官による口頭審理においても,健康状態は良好であり,特段の持病がないと供述し(乙ト7),同月4日の難民調査においては,バングラデシュに出国した理由について,移動の自由がないため商売をする上で不便であった旨供述している(乙イ16の2。同原告は,本人尋問において,上記供述につき,同じロヒンギャ族はそういう風に大変な思いをしている意味で供述した旨を述べているが,上記供述は,同原告がバングラデシュに出国した理由を質問されたことに対する回答であり,自らの出国の理由を尋ねられたのに対してロヒンギャ族全体の事情を述べることは不自然といわざるを得ず,同原告の本人尋問における上記供述は採用することができない。)。また,原告X7の供述によれば,同原告は,バングラデシュにおいて治療を受けたものの,50%しか治癒していなかったのに(同原告本人),ミャンマーを出国後,バングラデシュにおいて食堂の従業員として稼働し,タイでは食品販売業を営み,マレーシアにおいて建設作業員として働いており(甲ト1,乙ト2,乙ト5の2),その間,病院での治療を受けたことはうかがわれない。以上のような原告X7の供述経過及び内容に照らすと,同原告が高熱等マラリアと思われる症状が出る状態であり,移動制限によってミャンマー国内ではその治療を受けることができず,そのためバングラデシュに出国した旨の同原告の上記主張は採用することができない。
(ウ) まとめ
以上のとおり,原告X7の主張する移動制限,強制労働,財産の喝取及び宗教上の行為の制限は,いずれも前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものではないし,これらの不利益が併存することをもって上記「迫害」に当たるものと評価することもできない。また,原告X7が高熱等マラリアと思われる症状が出る状態であり,移動制限により医療の利用が制限された事実は認められない。そうすると,原告X7について前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあるとは認められず,同原告が難民に該当するとは認められない。
ク 原告X8について
(ア) 原告X8がロヒンギャ族であるかについて
原告X8がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告は,ロヒンギャ語を話すことができ(顕著な事実),アラカン州マウンドーの出身であり(甲チ1),イスラム教徒であること(乙チ16の1),②同原告は,ホワイトカードを所持しているところ(甲チ3),ホワイトカードは,ミャンマー政府が,UNHCRからの説得を受けて,バングラデシュから帰還したロヒンギャ族に発行されたものであること(前記(2)オ),③同原告はJARO(アラカンロヒンギャ協会日本)の会員であるところ(甲チ10),JAROへの入会に当たっては面接等によりロヒンギャ族かどうかを厳しく審査されること(甲77)を併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X8の個別事情に基づく難民該当性の検討
a 原告X8は,移動を制限されたとして,居住地から他の町や村に移動するために金銭を支払って許可を受けなければならず,そのため,洋服の生地を販売する仕事をしていた同原告は,他のビルマ族やラカイン族の人に頼んで仕入れをしてきてもらう方法で商売をせざるを得ないなどの不利益を受けたなどと主張する。
しかし,原告X8の主張を前提としても,同原告は,金銭を支払って許可を得て村を出ることができるのであって,同原告の主張する移動制限は,それほど厳格なものであるということはできず,これが,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
b 原告X8は,強制労働に従事させられたとして,ナサカの命令で夜間警備の仕事をさせられたことがあり,1か月に3回程度,1晩に4人から5人が見張りに立たされた,クーリーとしてキャンプ場で物を運んだり,土を掘ったり,椅子を作るなどの仕事を強制的にさせられた,父親がポーターとして徴用されそうになったときに金銭を支払って免れたことがあったと主張する。
しかし,上記のような事実は,本件訴訟に至って初めて主張されたものであり,退去強制手続及び難民認定手続では,本件難民不認定処分チに対する異議申立手続において,ロヒンギャ族の一般的な状況を述べる中で無報酬でポーターとして使役されたり夜の番として徴用されていると述べられているにすぎず,原告X8自身の経験として上記のような事実は述べられていない(この点,同原告は,本人尋問において,初めてインタビューを受けたので何を話していいか分からなかったなどと供述するが,同原告は,難民申請をするために来日したというのであるから(乙チ5の1),強制労働に従事させられたことを自らに対する迫害であると認識しているのであれば,退去強制手続又は難民認定手続の当初からその事実を述べるのが自然であり,現に,移動制限や農地の没収などについては供述しているのであるから(乙チ16の1),同原告の上記供述は採用することができない。)。特に,クーリーとして強制労働に従事させられた事実については,本件訴訟で提出された原告X8の陳述書(甲チ1)にも触れられておらず,かえって,陳述書では,夜間警備の仕事はさせられたことはあるものの,強制労働の経験はないと述べている。そうすると,原告X8が強制労働に従事させられた事実があるかについては疑問の余地があるというべきである。この点,同原告は,本人尋問において,陳述書を作成する際,代理人から,クーリーの経験の有無を問われたときには経験があると答えたが,ポーターの経験の有無を問われたときには経験がないと答えたのであり,陳述書で経験がないと述べたのは,ポーターとして強制労働に従事させられた経験であって,クーリーとして強制労働に従事させられた経験はある旨供述する。しかし,原告X8は,そもそもポーターという言葉を知らなかったと認められるから(同原告本人。同原告の本人尋問中には,原告X8がポーターという言葉を知っているかのような供述部分があるが,その直前にはポーターという言葉は分からない旨を述べており,代理人の誘導によってポーターという言葉を知っていると供述するに至ったことは明らかであるから,上記供述部分は,採用することができない。),陳述書中の強制労働についての記載が両者を区別してされたものであるとは考え難いし,強制労働の有無はロヒンギャ族の難民該当性を基礎付ける重要な事実として主張されているのであるから,陳述書を作成した際に同原告の供述するようなやりとりがされたのであれば,クーリーとポーターを区別して記載するのが通常であって,両者の差異を認識しながら両者を区別せずに単に強制労働の経験がないとすることは考えにくい。したがって,同原告の上記供述は採用することができない。
仮に,原告X8が主張するような強制労働の事実が認められるとしても,夜間警備の仕事は,1か月に3回程度,1晩の間見張り等を行うというものであり,クーリーとしての強制労働も,キャンプ場で物を運んだり,土を掘ったり,椅子を作るなどであって,特別な危険を伴うものではない上,夜間警備の仕事はその頻度も多くなく拘束期間も長期にわたるものではないし,クーリーとしての強制労働の頻度や拘束期間が必ずしも明らかでない。また,ポーターが金銭の支払で免れ得るものであることからすれば,クーリーも同様に金銭の支払で免れ得るものと考えられる。さらに,上記のような原告X8の供述経過に照らせば,同原告としても,上記の事実を迫害を受けるおそれを基礎付けるものとして認識していなかったものということができる。以上述べたところによれば,同原告の主張する強制労働が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
c 原告X8は,洋服の生地を販売する店を営んでいたが,ナサカの軍人が店頭にある商品の生地を代金を支払わないで持って行ってしまうことが度々あった,同原告は,1997年ころ,父が所有していた農地をナサカに没収されたと聞いたことがあるなどと主張する。
しかし,原告X8が主張する上記不利益は,経済的な不利益にすぎない上,これが同原告の生存を脅かすようなものであることを認めるに足りる証拠はない。また,農地の没収については,同原告の伝聞によるものにすぎず,その事実及び没収の理由については不明というほかない。そうすると,原告X8の主張する上記不利益が前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるとは認められない。
d 原告X8は,イスラム教徒であるが,軍がモスクへの道を恣意的に封鎖してしまうため,モスクの礼拝に自由に行けないことがあったと主張する。
しかし,前記(3)で述べた「迫害」の内容に照らせば,原告X8が主張するような宗教上の不利益が直ちに上記「迫害」に当たるようなものであるということはできないし,同原告の主張を前提としても,軍に妨害されることがあるとはいえ,モスクに行くことが不可能となるわけではないから,このような不利益が,上記「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
e 原告X8は,ロヒンギャ族は,自由な結婚を制限されており,他の民族では裁判所で手続をすれば結婚することができるのに,ロヒンギャ族が結婚するためには,ナサカの事務所で男女が別々に取調べを受けた上,許可申請書を提出し,許可が出るまで10か月程度待たされる,ロヒンギャ族は,民族衣装を着た伝統的な結婚式を挙行することが許されていないと主張する。
しかし,前記(3)で述べた「迫害」の内容に照らせば,原告X8が主張するような結婚における差別的取扱いが直ちに上記「迫害」に当たるものであるということはできないし,同原告の主張を前提としても,所定の手続を履践することで結婚することは可能なのであり,現に,同原告の姉は4年ほど待ってナサカに賄賂を支払って結婚しているのであるから(乙16の1),原告X8が主張する上記不利益が,上記「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
f 原告X8は,不当な逮捕等のおそれがあるとして,概要,次のとおり主張する。すなわち,原告X8は,1997年6月又は7月,ナサカの軍人が商品の洋服の生地を持って行こうとしたため,代金を請求したところ,拳銃の銃床で頭を殴られ傷害を受けた,その翌日,同原告が仕事で店を不在にしていたときに,ナサカが同原告を捜しにやってきて,同原告が不在であったため,代わりに同原告の父をナサカの本部に連行していった,父は,ナサカの本部に連行され,そこに2週間程度収容された後,警察の留置場に6か月程度留置され,国家名誉毀損罪という罪名で裁判にかけられた,同原告の父は,ナサカの事務所で暴行や虐待を受けたため,失明するに至ったと主張する。
しかし,原告X8は,ナサカの軍人が商品の洋服の生地を持って行こうとしたためその代金を請求したにすぎず,しかも,そのことによって銃で頭を殴られ傷害を負っているのであるから,そのような同原告の身代わりとして,同原告の父親が身柄を拘束された上,長期間にわたり,ナサカの本部や警察署に留置され,さらに,国家名誉毀損罪との罪名で有罪判決を受けて刑務所に収容されることは考え難いというべきである。また,原告X8は,平成18年6月10日の難民調査において,同原告の父が,暴行や虐待を受けていることをナサカの事務所から実家に手紙で知らせてきたと供述するが(乙16の1),ナサカが身柄を拘束している人物からナサカによる暴行の事実が記載された手紙を自由に発信させることは考えにくい。さらに,原告X8は,同日の調査において,母,姉及び弟が父の裁判を傍聴していたとしながら,父の罪名を「暴行」又は「傷害」であったと上記主張と異なる供述をしていることは不自然であるし(乙16の1),上記主張の国家名誉毀損罪についても,本来,自分が問われるおそれのある罪名であるとしながら,どういう意味か分からないなどとと述べている(同原告本人)。以上のことからすれば,原告X8とナサカとのトラブルが原因となって同原告に身柄拘束等の危険が生じ,同原告の代わりに同原告の父が身柄拘束等を受けたとの事実は認められないというべきである。また,仮に,原告X8とナサカとのトラブルが原因となって同原告に身柄拘束等の危険が生じていたとしても,上記のトラブル発生時から約9年が経過した本件難民不認定処分チ当時においては,上記のトラブルを理由に同原告が身柄拘束等の不利益を受けるおそれがあるとは認められないというべきである。
(ウ) まとめ
以上のとおり,原告X8の主張する移動制限,強制労働,財産の奪取,宗教上の行為の制限及び結婚に関する制限は,いずれも前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものではないし,これらの不利益が併存することをもって上記「迫害」に当たるものと評価することもできない。また,原告X8がナサカの職員とのトラブルにより身柄拘束等を受けるおそれは認められない。そうすると,原告X8について前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあるとは認められず,同原告は,難民に該当するとは認められない。
ケ 原告X9について
(ア) 原告X9がロヒンギャ族であるかについて
原告X9がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告は,ロヒンギャ語を話すことができ(顕著な事実),アラカン州マウンドーの出身であり(甲リ1),イスラム教徒であること(乙リ16),②同原告は,インドネシアのUNHCRにおいてロヒンギャ族として登録されていること(甲リ2の1),③同原告はJARO(アラカンロヒンギャ協会日本)の会員であるところ(甲リ5),JAROへの入会に当たっては面接等によりロヒンギャ族かどうかを厳しく審査されること(甲77)を併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 認定事実
前提事実,証拠(甲リ1,乙リ15,リ16,リ22,原告X9本人)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。
a 原告X9は,1968年○月○日にアラカン州マウンドーで出生した。原告X9には,兄が3人,姉妹が各1人ずつあり,同原告の両親はいずれも既に他界している。
b 原告X9は,1988年ころから,政治活動に興味を持って活動し,1989年ころ,設立されたばかりのNLD北部マウンドー支部のメンバーとなった。マウンドーは,1990年総選挙の際,南部(マウンドー第1選挙区)と北部(マウンドー第2選挙区)の2つの選挙区に分かれ,それぞれの選挙区にNLD支部が設立された。そして,各支部では,選挙区内にある村ごとに1つの「ユニット」を組織し,ユニットごとに選挙運動を行っていた。
c 原告X9が居住していたハービィ村はマウンドー北部にあったため,同原告はマウンドー第2選挙区にあるNLD北部マウンドー支部のハービィ村ユニットに加わった。
d 原告X9は,このハービィ村のユニットの中で,リーダーに次ぐ2番目の地位である書記長を務めた。
e 原告X9を含むユニットのメンバーは,1990年の総選挙に向けて,ハービィ村の家々を回り,民主主義実現の必要性を訴えたり,投票を呼び掛ける活動を行った。また,お金に余裕のある家を訪問したときには,NLDへの寄付をお願いしたりもした。選挙当日には,投票所の近くで,投票所に歩いて来る人たちに対し,NLDに投票するようこっそりと呼びかけていた。もっとも,上記総選挙の終了後は,ハービィ村ユニットは活動していなかった。
f 原告X9は,1992年10月ころ,ハービィ村の村長Lから,NLDのメンバー全員に逮捕状が出ていることを聞いたため,同年11月,ユニットの他のメンバーと話し合い,NLDメンバーは逮捕の危険があるのでマウンドーから逃げたほうがよいのではないかなどと相談していたところ,突然,約15名ほどのナサカがやってきて,「逃げるな!」と叫んで同原告らを取り囲み,同原告を含め28人の身柄を拘束した。身柄を拘束された原告X9らは,そのままナサカの本部に連行され,2週間にわたって身柄を拘束された。この間,原告X9らは1部屋に閉じ込められ,ナサカの兵士から,毎日,素手,木製の棒,銃などで全身を殴る蹴るなどの執拗な暴行を加えられた。しかし,幸いにも原告X9の一番上の兄がナサカに対して50万チャットの賄賂を支払ってくれたため,同原告は,身柄拘束から2週間後に釈放され,同原告以外にも7名の者が,同原告と同様ナサカに対して賄賂を支払って釈放された。
g 釈放される際,原告X9を含む8名は,ナサカから,1週間後に裁判所に出頭するよう言われたが,同原告は,自宅に戻れば,すぐにナサカが家に来て再び身柄を拘束されるかもしれないと考え,釈放された日に身を隠すこととし,家の近くにある魚の養殖場の小屋やジャングルの中にある無人の小屋に身を隠して過ごした。
h その後,原告X9は,家族から,賄賂を用意できなかった20名が懲役20年の刑に処せられたことを聞いたため,釈放の際にナサカから出頭するよう命ぜられた日に裁判所に行かなかった。これに対し,原告X9以外の釈放された7名は,ナサカからの命令に従って裁判所に行ったところ,ナサカから,1週間後に再び裁判所に来るように言われ,このようなことが2度繰り返されたが,その間も,原告X9は,裁判所には出頭しなかった。そして,釈放から3週間たった日の夜中,同原告が隠れ先の小屋から自宅にこっそり戻ると,姉から,同原告以外の釈放された7名が懲役15年を言い渡されて投獄されたこと,今日のお昼ころには,ナサカが家にやってきて,同原告を探しに来たことなどを聞いた。
i なお,この日以前にも,2,3回,ナサカが家にやってきて,原告X9の行方を捜していたが,家族は,「今は出かけていていませんが,帰ってきたら出頭させますので」と言って何とか逃れていた。原告X9は,このままではナサカに捕まえられて投獄されてしまうと確信し,出国を決意した。
j 原告X9は,その日の夜,そのままシットウェまで行き,漁船でタイに逃れたが,同原告の出国後,同原告が逃亡したことにより,賄賂を支払った一番上の兄が同原告の身代わりに15年の懲役刑を科せられ,シットウェの刑務所に投獄された。
(ウ) 原告X9の供述の信用性について
a 前記(イ)の認定事実は,難民認定申請手続及び退去強制手続並びに本件訴訟における原告X9の陳述又は供述により認定したものであるところ,被告が同原告の供述の信用性について疑義がある旨主張するので,その点について検討する。
原告X9は,本件難民申請リに係る難民認定申請書において,NLDという言葉は用いていないものの,迫害を受ける理由又は根拠として,同原告の組織には48人のメンバーがいて,同原告がその組織の書記官であること,ミャンマー政府により同原告を含め28人が逮捕されたこと,同原告を含む8名は金銭を支払って釈放されたが,残りの者は20年の懲役刑を受けたこと,釈放された8名のうち同原告を除く7名は,裁判所に行ったときに15年の懲役刑を受けたこと,そのため,同原告はミャンマーを出国し,同原告の兄が同原告の代わりに逮捕され15年の懲役刑を受けたことなどを記載し,身柄拘束,暴行等を受けた理由として,「民主主義を望む組織の書記官であるため」と記載するとともに,本国政府に敵対する組織に属していたとして,組織名欄に「民主主義獲得のため」と記載している(乙リ15)。また,平成18年2月14日の難民調査においては,原告X9は,NLDの傘下にある同原告の村の民主主義を獲得するグループに入り,書記官をしていたこと,日帰りで村々を回り人権を侵害する法律に反対し民主主義には人権の侵害がないことをロヒンギャに説いていたこと,ナサカが1992年10月に同原告の属するグループ48人に逮捕状を出し,同原告を含めた28人が逮捕され,ナサカの基地に連行され暴行を加えられたが,金銭を支払った同原告を含めた8人が釈放されたこと,残り20人は20年の懲役刑を受けたこと,釈放された8名のうち7名が15年の懲役刑を受けたこと,そのため,同原告はミャンマーを出国したこと,同原告がミャンマーを出国したことで自分が受けるべき刑を長兄が代わりに受け,懲役15年の刑で刑務所に服役していることなどを述べている(乙リ16)。さらに,本件難民不認定処分リに対する異議申立手続では,口頭意見陳述において,1988年から1992年までNLD傘下の組織の1つで政治活動を行っていたこと,長兄が刑務所に投獄されたことなどを述べるとともに,審尋において,1988年からNLD傘下の組織に加入したこと,当時の活動内容として,学生組織に参加したり,村々を回って啓蒙及び勧誘を行っていたこと,学生組織で活動を行った後,NLDに加入したこと,地域の人々にNLDが軍事政権に反対し民主的な政府を求める団体の1つであると説明したこと,1992年10月に逮捕状が出て,同年11月に逮捕され,ナサカの事務所において暴行を加えられたことを述べている(乙リ22)。以上のような原告X9の供述内容に照らすと,同原告の供述は,主要な部分について具体的で一貫しており,十分に信用することができるものというべきである。
b この点,被告は,原告X9が本件難民申請リに係る難民認定申請書にNLDと記載しておらず,その後の難民調査等における活動内容に関する供述には何らの具体性がないのに,本件訴訟後にはその政治活動を詳細に述べているのは,不自然であり,同原告の政治活動に関する供述は信用することができないなどと主張する。
確かに,本件難民申請リに係る難民認定申請書では,NLDとの言葉は用いられてはいないが(乙リ15),前記のとおり,同申請書には,身柄拘束や暴行等を受けた理由として「民主主義を望む組織の書記官であるため」と記載されるとともに,本国政府に敵対する組織に属していたとしてその組織名欄に「民主主義獲得のため」と記載されており,NLDは,ミャンマーにおいて軍事政権に対抗して民主主義を実現しようとする団体であるから,両者の差異は,単にNLDとの固有名詞を用いているかどうかの差異にすぎない。そして,原告X9は,1992年にミャンマーを出国するまでハービィ村を出たことはなく,ミャンマー出国後は,タイ,マレーシア及びシンガポールに居住し,今回,難民申請のために初めて来日し,上陸後,直ちに難民認定申請しているのであるから,日本におけるNLDの認知度を把握していたとは考え難いのであって,そのような同原告が,自らの難民性を基礎付ける事情を具体的かつ確実に伝えるため,所属組織についてその固有名詞ではなく,その活動内容をもって組織を表現することも十分にあり得ることである。そうすると,同申請書にNLDとの言葉が使用されていないことをもって原告X9の供述の信用性を左右するものということはできない。
また,前記のとおり,原告X9は,平成18年2月14日の難民調査,本件難民不認定処分リに対する異議申立手続の口頭意見陳述では,NLD傘下の組織に加入していたと供述しているのに対し,同手続の審尋では,NLDに加入していたと供述したこととなっているが(乙リ22),これは,通訳上の表現方法の差異によって生じたものとも考えられ,同原告の母語がロヒンギャ語であって(前記(ア),甲リ1),ミャンマー語でされた供述にはその語彙や表現力に一定の限界があると考えられることを考慮すれば,上記事実をもって同原告の供述の信用性を左右するものということはできない。
さらに,原告X9は,前記の難民調査及び口頭意見陳述では,自らの政治活動の内容として本件訴訟で主張している1990年の選挙に言及していないが,本件訴訟で主張している政治活動の内容は,1990年の選挙に向けてハービィ村の家を回って民主主義実現の必要性を訴えたり,投票を呼び掛ける活動をしたりしていたというものにすぎず,その政治活動の内容自体は,村を回って民主主義について説いて回ったという点において,前記の難民調査及び本件難民不認定処分リに対する異議申立手続における供述内容と何ら異なるものではないし,同原告は,その政治活動の内容が反政府的なものであるが故に迫害をうけるおそれがあると主張しているのであって,それが1990年の総選挙の際に行われたものであることから迫害を受けるおそれがあると主張するものではない。そうすると,前記の同原告の供述に1990年の選挙のことが述べられていないことをもって同原告の供述の信用性を左右するものということはできない。
c 被告は,1990年の総選挙の当時,NLDからの立候補も選挙活動も認められており,NLD北部マウンドー支部は,その選挙後何らの活動もしていなかったのに,その約2年半後の1992年10月に至っていきなり,上記のような選挙活動を理由に,NLDメンバー全員に逮捕状が発付され,身柄拘束を受けるというのは不自然であると主張する。
しかし,前記(1)のとおり,ミャンマーでは,クーデターによりSLORCが政権を掌握し,1990年の選挙によってNLDが約8割の議席を占めて圧勝したものの,政権委譲を拒否し,アウンサンスーチーの自宅軟禁を継続した上,1995年には多数のNLDの関係者を拘束するなどしているのであり,1992年当時も,ミャンマー政府は,1990年の選挙で圧勝したNLDの活動を警戒し,その活動を制圧しようとしていたと認められるから,1992年10月に1990年の選挙での政治活動を理由に逮捕状が発付され身柄が拘束されることが不自然であるとまでいうことはできない。
d 被告は,ハービィ村のユニットの2番目の地位にあった原告X9が賄賂によって釈放される一方,残りのメンバーが15年又は20年の懲役刑に処せられたのは不自然であると主張するが,同原告の供述によれば,同原告は釈放される際に裁判所に出頭するよう命ぜられたというのであるから(甲リ1),同原告の釈放は賄賂による一時的なものと考えるのが合理的であり,同原告の供述内容が事実の経過として不自然であるということはできない。
e 被告は,原告X9が,NLD本部の議長を知らないことからNLDに所属の有無等については疑問があると主張するが,同原告は,NLD北部マウンドー支部のハービィ村ユニットでのみ活動していた者であることに照らすと,同原告が全国的な組織であるNLD本部の議長を知らないことから,同原告がNLDに所属しその活動をしていたとする同原告の供述が不自然であるということはできない。
(エ) 検討
前記(イ)に認定したところによれば,①原告X9は,NLD北部マウンドー支部のハービィ村ユニットの書記長を務め,ユニットの中で2番目の地位にあったこと,②1992年10月ころ,同原告を含む上記ユニットのメンバーに逮捕状が出され,同年11月には,同原告を含めて28人が,2週間にわたり,ナサカに身柄を拘束され,暴行を受けたこと,③同原告を含む8名は,ナサカに賄賂を支払うことでいったん釈放されたものの,1週間後に裁判所に出頭するよう命じられ,釈放されなかった他の20名は,懲役20年の刑に処せられたこと,④釈放された8名のうち同原告を除く7名は,裁判所に数回出頭し,懲役15年の刑に処せられたこと,⑤賄賂を支払った同原告の兄は,同原告が逃亡したことにより,懲役15年の刑に処せられ,2006年5月に釈放されたことが認められ,ミャンマー政府は,本件難民不認定処分リ当時,NLDの活動を抑圧している状況にあったことは前記(1)のとおりである。そうすると,原告X9は,NLD北部マウンドー支部のハービィ村ユニットの書記長という指導的な立場にあり,そのため,逮捕状が発付されるとともに,2週間にわたって身柄を拘束され,暴行を受けたというのであるから,ミャンマー政府は,同原告を反政府活動を行う者として特に関心を有し,その活動を不快に感じていたものということができる。また,原告X9と共にNLD北部マウンドー支部のハービィ村ユニットで活動していた者が15年又は20年の懲役刑に処せられるとともに,同原告が逃亡したことを理由に同原告の兄が14年間も刑務所に服役させられたというのであるから,ミャンマー政府は,同原告の活動内容を極めて不快なものととらえているというべきである。そして,原告X9がNLD北部マウンドー支部のハービィ村ユニットにおいて活動したのは1990年の総選挙のときであり,総選挙終了後は,何らの活動をしておらず,身柄を拘束されたのも1992年11月のことであって(前記認定事実),本件難民不認定処分リ当時には,上記の出来事から10年以上の年月が経過しているものの,同原告と共に活動していた者が15年又は20年の懲役刑に処せられ,同原告の兄も15年の懲役刑に処せられて2006年5月に釈放されていること(前記認定事実)からすれば,ミャンマー政府としては,NLDの活動に対して継続的に関心を有し,長期にわたってその活動を制圧する必要があると考えているというべきであるから,本件難民不認定処分リ当時においても,ミャンマー政府は,同原告をNLDに属する者として個別に把握していることが認められるというべきである(なお,前記のとおり,同原告の兄が15年の懲役刑に処せられ2006年5月に釈放されているものの,同原告の兄が懲役刑に処せられたのは,同原告が逃亡したことを理由とするものであって,同原告がNLDの活動に関与したこととは別の理由によるものであるから,同原告の兄が懲役刑に処せられ2006年5月に釈放されている事実をもって,同原告がミャンマーに帰国した場合に身柄拘束等を受けないということはできない。)。
以上のことからすれば,原告X9には,政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有していると認めることができるとともに,通常人が同原告の立場に置かれた場合にも同様の恐怖を抱く客観的な事情が存在しているというべきである。
ところで,前記のとおり,原告X9がミャンマーで出生し居住していたロヒンギャ族であり,ミャンマーでは大部分のロヒンギャ族にミャンマー国籍が認められていないこと(前記(2)イ)に照らすと,原告X9は,ミャンマーに常居所を有していた者ではあるが,ミャンマー国籍を有しているとは認められない。したがって,本件難民不認定処分リ当時,原告X9は,政治的意見を理由としてミャンマーから迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために常居所を有していた国であるミャンマーの外にいる無国籍者であって,そのような恐怖を有するためにミャンマーに帰ることを望まないものといえるから,難民に該当するというべきである。
コ 原告X10について
(ア) 原告X10がロヒンギャ族であるかについて
原告X10がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告は,ロヒンギャ語を話すことができ(顕著な事実),アラカン州マウンドーの出身であり(甲ヌ1),イスラム教徒であること(弁論の全趣旨),②同原告は,マレーシアのUNHCRにおいてロヒンギャ族として登録されているところ(甲ヌ2から4まで),マレーシアのUNHCRにおけるロヒンギャ族の登録作業は,登録希望者と実際に面接することによってその者の使用言語,出身地,親戚の氏名等を確認してロヒンギャ族か否かを確認していること(甲40),③同原告はJARO(アラカンロヒンギャ協会日本)の会員であるところ(甲ヌ7),JAROへの入会に当たっては面接等によりロヒンギャ族かどうかを厳しく審査されること(甲77)を併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X10の個別事情に基づく難民該当性の検討
a 原告X10は,強制労働に従事させられたとして,概要,次のとおり主張する。すなわち,①1993年ころ(13歳ころ)からクーリーとして強制労働に従事させられ,道路を造ったり,ナサカの家や建物を建設したりした,②レンガを焼くときに必要な薪を山の中で伐採しナサカの基地まで運ぶこともあり,その際には,1か所の支部で1日又は2日間働かされ,一度,帰宅した後,翌日に再び支部から呼び出されて働かされるという形であった,③海沿いの監視所で夜通し見張りをさせられたこともあり,その際には,バングラデシュの方からボートが接近してきたときはもちろん,それ以外のときも一定の時間が経過すると大声で叫ばなくてはならず,同原告は,一度,大声で叫ばなかったとして,ナサカにタバコの火を右手親指の付け根辺りに押し付けられたことがあった,④強制労働の中には,上記のクーリーとしてのもののほかにポーターとしてのものもあり,ポーターとしての強制労働は,戦闘地域の前線に連行されるもので,危険を伴うものであるところ,1994年7月ころ,ナサカが,突然,同原告の自宅に来て,父親をポーターとして連行しようとしたので,同原告が代わって戦闘地域にポーターとして連行されることになったが,同原告は,その連行途中で逃げ出した,⑤ナサカは,同原告が連行途中に逃亡したため,同原告の父親に暴力を加え,その後,父親を7日間留置した。
しかし,原告X10は,本件難民申請ヌに係る難民認定申請書には,強制労働について一切記載しておらず(乙ヌ15。なお,この点につき,同原告は,本人尋問において,難民認定申請書の記載場所が小さかったことを理由に難民認定申請書に強制労働の事実を記載しなかった旨供述するが,同原告は,難民認定申請を目的として来日したというのであるから(乙ヌ5の1及び2),そのような同原告としては,自らが帰国した場合に受けるおそれのある不利益やその原因について可能な限り記載しようとするのが通常であり,同原告の上記供述は,不自然であって,採用することができない。),難民調査においては,同原告が不在であったため,強制労働への徴用を免れたことや強制労働から逃れるためにミャンマーを出国した旨は述べているものの,その強制労働の内容については,軍の基地などに連れて行かれ,強制的に労働させられるものと供述するにとどまり,戦闘地域に連行されて生命に危険が生ずるようなものであるとは述べていない(乙ヌ16。この点につき,原告X10は,平成20年12月3日付けの同原告の代理人作成の報告書(甲ヌ6)において,難民調査官に対して,1994年のポーターとして連行された出来事を述べたのに,難民調査官がポーターとクーリーとの違いが分からなかったため,混乱して記載されたと主張する。しかし,難民調査官は,「クーリーとは,軍の基地などに連れて行かれ,強制的に労働をさせられるもの」であると調書に記載しており,難民調査官としては,クーリーを一般的でない用語であると考えたため,供述内容を正確に記載すべく,用語の内容を明らかにした上で供述を録取していたものと考えるのが合理的である。とすれば,難民調査官としては,原告X10の供述からクーリーの内容を正確に把握していたと考えられ,そのような難民調査官が,同原告が,クーリーとは異なり,ポーターとして連行されそうになった出来事を供述しているにもかかわらず,これをクーリーと取り違え,しかも,その用語の説明を受けたことで誤った内容を調書に記載することは考え難く,同原告の上記主張は採用することができない。)。これに対して,本件難民不認定処分ヌに対する異議申立手続では,その異議申立書に,「軍から戦場に行かされ,村人同様に命を落としたくないため逃げました」と記載し(乙ヌ20),口頭意見陳述においては,戦闘地域に連行され,2,3週間,ポーターに従事させられたが,その際,軍はロヒンギャ族を前面に置いたため,多くのロヒンギャ族が死んだなどと供述していたが(乙ヌ22。この点,原告X10は,本人尋問において,そのようなことは言っていないと供述しているが,同原告は,平成19年5月9日の調査において,口頭意見陳述の内容について意見を述べているものの,上記の点については特に異議を申し立てていないこと(乙ヌ24)からすれば,同原告の上記供述は採用することができない。),本件訴訟では,上記のとおり,強制労働にクーリーとしてのものとポーターとしてのものがあるとした上で,クーリーとしては強制労働に従事させられたが,ポーターとしては連行される途中に逃げ出した旨を主張し,本人尋問でも同趣旨の供述をしている。また,原告X10は,ポーターとして連行される際の状況について,陳述書(甲ヌ1)では,軍が村の議会の議長を通じてポーターを差し出すよう命令し,同原告がその中の1人にリストアップされたとしているのに対し,本人尋問では,ナサカの者が突然同原告の家に来て父親をポーターとして連行しようとしたのでその代わりに同原告がポーターとして戦闘地域に行くことになったと供述している。このように原告X10のポーターについての供述は,ポーターとして強制労働に従事させられた経験の有無及びポーターとして連行される際の状況について大きく変遷しているところ,同原告は,本件訴訟において,ポーターとしての強制労働は戦闘地域における危険を伴うものであり,それ故,その連行途中で逃げ出し,迫害を受けるおそれがあると主張しているのであるから,このような印象的な出来事についての供述が大きく変遷することは不自然である。しかも,原告X10は,本人尋問において,同原告が父親の身代わりにポーターとして連行されたものの,その連行途中に逃亡したと供述するが,同原告は,ミャンマーではロヒンギャ族に対して差別的な取扱いがされるためミャンマーを出国したというのであるから(乙ヌ2,ヌ16),父の身代わりとしてポーターに連行された同原告が途中で逃げ出せば,父が自分の代わりにポーターに連行されたり,ナサカから暴行を加えられたりすることは容易に想起し得るところであり,父の身代わりとなりながら連行途中に逃げ出した同原告の行動は,不自然かつ不合理なものといわざるを得ない。加えて,原告X10は,平成19年5月9日の調査において,1994年に海外の反逆者達とのつながりがあるとして村の若者70人が殺された事件を指摘した上,出国の理由はたくさんの人が逮捕され,危ないと思ったからであると述べ,強制労働が嫌で脱出したとの供述は真実ではないのかとの質問に対して,「私の出国の理由はそのような理由ではありません。」として出国の理由が強制労働ではないことを明確に供述しているのであり,この供述内容は,強制労働に連行される途中に出国したとの同原告の主張と相違するものであるといえる(乙ヌ24。この点,原告X10は,通訳がミャンマー語で行われたために同原告の回答の趣旨が正確に再現されていないおそれがあるなどと主張するが,同原告は,本件難民申請ヌに係る難民認定申請書において,ロヒンギャ語及びミャンマー語が使用可能であり,インタビューにはロヒンギャ語又はミャンマー語を希望する旨を記載するとともに,問答形式で録取された部分を含め,平成19年5月9日の調査における調書の内容には特に不自然な点はなく,同原告も誤りがない旨を申し立てて署名指印していること(乙ヌ24)からすれば,同日の調査の調書は同原告の供述内容を正確に記録したものというべきである。)。さらに,原告X10は,同原告が連行途中に逃亡したことにより,父親が暴行を受けたなどと主張するが,本件難民申請ヌに係る難民認定申請書では,家族が身体の拘束や暴行を受けたことはないとしていること(乙ヌ15)からすれば,同原告が連行途中で逃亡したために父に暴行が加えられたかについては疑問がある。以上述べたところに照らすと,原告X10がポーターとして強制労働に従事させられた事実を認めることはできないというべきである。
そして,原告X10は,ポーターのほかにクーリーとして強制労働に従事させられた旨を主張するが,前記のとおり,同原告は,本件難民申請ヌに係る難民認定申請書において強制労働について一切記載していないことに加え,同原告が,本件訴訟において,クーリーとして強制労働に従事している際にナサカからタバコの火を押し付けられたと主張し,その痕跡を示しながら(甲ヌ8),退去強制手続及び難民認定手続ではその事実を一切述べていないこと(同原告は,右手の傷跡を入国管理局の職員に見せたものの,そのことを調書に記録してもらえなかったと主張するが,難民調査官は,同原告が強制労働に連行されそうになったこと,ヤカイン族にいじめられること,ナサカに国境警備をさせられることなどを録取しているのであるから,同原告が右手の傷跡を見せて暴行の事実を供述しているにもかかわらず,あえて,そのことを録取しない理由はないというべきであり,同原告の上記主張は採用することができない。)に照らすと,同原告がクーリーとして強制労働に従事させられたかについては疑問がある。また,仮に,そのような事実が認められるとしても,クーリーとしての強制労働は,道路を造ったり,ナサカの家や建物を建設したりするというものであって,その作業内容自体,特別な危険を伴うものではない上,その頻度や拘束期間が必ずしも明らかでなく,上記のような原告X10の供述経過に照らせば,同原告としても,上記の事実を迫害を受けるおそれを基礎付けるものとして認識していなかったものということができる。そうすると,原告X10の主張するクーリーとしての強制労働が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
b 原告X10は,財産を奪取されたとして,①同原告は,市場へ向かう途中,ナサカから身分証明書の提示を求められたが,これを所持していなかったため,所持金を取り上げられたことがあった,②同原告がミャンマーに在住時には家族が財産を没収されたことはなかったが,その後,家族所有の農地が没収対象とされたことがあったと聞いたなどと主張する。
しかし,原告X10が主張する上記不利益は,経済的な不利益にすぎない上,これが同原告の生存を脅かすようなものであることを認めるに足りる証拠はない。また,上記②の農地の没収については,同原告の伝聞によるものにすぎず,その有無については不明というほかない。したがって,原告X4が主張する上記不利益が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
c 原告X10は,移動制限を受けていたとして,同原告の居住していた村では,村人は,村長に金銭を支払って許可をもらわなければ村を出ることができなかったと主張するが,同原告の主張を前提としても,同原告は,金銭を支払って許可を得て村を出ることができるのであるから,同原告の主張する移動制限は,それほど厳格なものであるということはできず,これが,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
(ウ) まとめ
以上のとおり,原告X10がポーターとして強制労働に従事させられたとは認められず,同原告の主張する他の強制労働,財産の奪取及び移動制限は,その主張を前提としても,いずれも前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものではないし,これらの不利益が併存することをもって上記「迫害」に当たるものと評価することもできない。そうすると,原告X10について前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあるとは認められず,同原告は,難民に該当するとは認められない。
サ 原告X11について
(ア) 原告X11がロヒンギャ族であるかについて
原告X11がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告は,ロヒンギャ語を話すことができ(顕著な事実),アラカン州マウンドーの出身であり(甲ル1),イスラム教徒であること(乙ル16の1),②同原告は,ホワイトカードを所持しているところ,ホワイトカードは,ミャンマー政府が,UNHCRからの説得を受けて,バングラデシュから帰還したロヒンギャ族に発行したものであること(前記(2)オ),③同原告は,マレーシアのUNHCRにおいてロヒンギャ族として登録されているところ(甲ル4から7まで),マレーシアのUNHCRにおけるロヒンギャ族の登録作業は,登録希望者と実際に面接することによってその者の使用言語,出身地,親戚の氏名等を確認してロヒンギャ族か否かを確認していること(甲40),④同原告はJARO(アラカンロヒンギャ協会日本)の会員であるところ(甲ル8及び9),JAROへの入会に当たっては面接等によりロヒンギャ族かどうかを厳しく審査されること(甲77)を併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X11の個別事情に基づく難民該当性の検討
a 原告X11は,強制労働に従事させられたとして,概要,次のとおり主張する。すなわち,強制労働には,1日中働かせるものと2時間から6時間程度働かせるものとがあり,1日中働かせるものは5回くらいしか経験していないが,2時間から6時間程度のものは数多く経験した,強制労働では,道路の工事で石を叩き割る作業,軍の基地の修復作業,荷物運搬などを行った,荷物運搬の作業では,何十キロもある重い荷物を何時間も運ばされ,荷物の重さに耐えきれず転んでしまったことがあり,その時には軍やナサカに暴行を加えられた。
しかし,原告X11は,退去強制手続においては強制労働について一切供述しておらず,難民認定手続においても,本件難民申請ルに係る難民認定申請書に「毎日政府がこじつけて政府の仕事をさせました。」と記載しているものの,その後の難民調査官による調査では,難民申請の理由として,ロヒンギャ族は,①村から村への移動ができない,②10年生試験(卒業試験)に合格しても大学に行けない,③国民登録証が発給されない,④商売ができない,⑤信仰の自由がないなどの差別的な扱いを受けていることを挙げ,それぞれについて説明をした後,難民調査官からほかに難民性を主張する根拠となる迫害事実はあるかを尋ねられたのに対し,ほかにはない旨を回答して強制労働を挙げていない。また,原告X11は,本件難民不認定処分ルに対する異議申立手続の口頭意見陳述において,ナサカが毎日村に来てロヒンギャ族を毎日のように無償でポーターとして連行し,夜の見張りをさせると述べているにすぎない。このような原告X11の供述経過にかんがみると,同原告の主張する強制労働の事実が存在したかについては疑問がある。仮に原告X11が強制労働に従事させられた事実があったとしても,その内容は,道路の工事で石を叩き割る作業,軍の基地の修復作業,荷物運搬などであり,特別な危険を伴わないものである上(荷物運搬で重い荷物を何時間も運ばされたことがあることのみから直ちに同原告が従事させられた荷物運搬が生命又は身体の自由に対する特別な危険を生じさせるものということはできない。),数時間の労働は数多くあるものの,1日中労働に従事させられたのは5回にとどまること,同原告の主張する強制労働も絶対的なものではなく,金銭を支払うことによって免れ得るものであり,同原告も現に金銭を支払うことで強制労働を免れたことがあること(後記b),また,上記のような同原告の供述経過からすれば,同原告が強制労働の事実を迫害を受けるおそれを基礎付けるものとして認識していなかったということができることなどに照らすと,同原告の主張する強制労働が前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
b 原告X11は,不当に財産を没収されたとして,概要,次のとおり主張する。すなわち,原告X11一家は,少なくとも10回以上,強制労働を免除してもらうためにナサカや軍に金銭や米を渡したことがあり,金銭であれば1回当たり約500チャット,米であれば1回当たり約10キロ(精製前の状態)であった,同原告一家は,1997年ころ,基地建設のためだと言われ,農地の一部を,ナサカに没収された,同原告は,自転車で移動中,ナサカや軍に出くわすと,必ず自転車を取り上げられ,代わりに金銭の要求を受けるなどし,その際には,原則として所持金のすべてを取り上げられた。
しかし,原告X11が主張する不利益は,経済的なものにすぎない上,これが同原告の生存を脅かすようなものであることを認めるに足りる証拠はない。かえって,同原告一家は,父が農業を営むことで普通の生活を送ることができていたことが認められる(乙ル16の1)。したがって,原告X11が主張する不利益が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
c 原告X11は,ビルマ族からの嫌がらせを受けたなどとして,概要,次のとおり主張する。すなわち,ビルマ人は,放し飼いにされたロヒンギャ族の家畜(牛)がその敷地内に入ると,これを捕え,返却の条件として多額の金銭を要求するなどし,原告X11の一家も,家畜の返却を受けるため1頭分1万5000チャットを支払ったことがある,これに対して,軍やナサカは,ビルマ族居住者を注意するどころか,彼らに注意してほしいと訴えたロヒンギャ族の村人に対して,もう一度訴えに来たらおまえを逮捕すると脅した。
しかし,ビルマ族からの嫌がらせ自体が,難民該当性を基礎付ける事情となり得るかは疑問である上,軍やナサカがこれを放置することにより,ロヒンギャ族がミャンマー政府から不利益な取扱いを受けているといい得るとしても,前記(3)で述べた「迫害」の内容に照らせば,原告X11が主張するような経済的不利益が,上記「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
d 原告X11は,移動制限を受けたとして,概要,次のとおり主張する。すなわち,ロヒンギャ族は,居住している郡を出る時には,移動許可を申請しなければならないが,許可を受けるためには高額な賄賂を支払う必要があった,そのため,多額の金銭を支払って移動許可証を取得することができる者については,シットウェ大学に限り進学することができるが,それ以外の大部分のロヒンギャ族は大学に進学することができない。
しかし,原告X11の主張を前提としても,同原告は,金銭を支払うことで移動許可を得ることができ,現に,同原告の父は,許可を受けて村から出たことがあるというのであって(乙ル16の1),同原告の主張する移動制限は,それほど厳格なものであるということはできないし,これに伴う進学の制限についても,移動許可証を取得することができれば,シットウェ大学に進学することはできるのであるから,それほど厳格なものということはできない。そうすると,原告X11の主張する移動制限は,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできないというべきである。
e 原告X11は,ナサカの軍人とのトラブル等があったとして,概要,次のとおり主張する。すなわち,原告X11は,1999年6月ころ,市場から自宅に歩いて帰っていた際,2人の軍人が,同原告の同級生の少女を無理やり茂みに連れて行こうとする場面を目撃したため,軍人らに対し,少女を返すよう求めたが,軍人らは,これに応じず,当該少女の手を引っ張って逃げようとした同原告に対し殴る蹴るなどの暴行を執拗に加えた,同原告は,抵抗することなく執拗な暴行に耐えていたが,そのうち通行人が集まり,通行人が通りすがりの上官の軍人約3名に暴行を止めるよう懇願して,当該軍人も仲裁に入りその場は収まった,しかし,軍人らは,同原告に対して「後でどうなるか分かってるだろうな!」と怒鳴って去っていった,その後,同原告は,タイエーコンボー村の叔母のもとへ身を寄せたが,この間,軍人らは,同原告を探しに,しばしば同原告宅を訪れたので,同原告は,バングラデシュに逃れた,同原告がバングラデシュに逃れた後,軍は同原告を探しに来たものの,同原告が見つからなかったため身代わりに同原告の父を捕まえた,同原告の父は,食事を与えられずに迫害を受け,村民が軍に父の釈放を懇願したところ,軍は,同原告が帰ってきたときには自分たちのもとに連れてくることを条件として父を釈放した。
しかし,仮に,原告X11とナサカの軍人との間に同原告の主張するようなトラブルがあったとしても,その発端はナサカの軍人がロヒンギャ族の少女を暴行しようとしたところを同原告に止められたというものであって,そのような軍人の行動がナサカの職務に関連するものとは考え難い上,同原告の主張及び供述するところによれば,同原告は軍人に対して何らの反撃もしていないのであり,軍人の暴行を止めに入った上官の軍人も同原告には全く非がないことを知っていたというのである。そうであれば,上記の軍人とのトラブルを理由として,ナサカが組織として原告X11に特段の関心を有し,組織的に同原告を捜索したり,同原告又は親族に身柄拘束等の不利益を課すような事態は想定し難いというべきであり,少なくとも,上記のトラブル発生時から約7年が経過した本件難民不認定処分ル当時においては,上記のトラブルを理由に同原告が身柄拘束等の不利益を受けるおそれがあったとは認められない。
この点,原告X11は,上記のトラブルの後にナサカが自宅に来て同原告を捜索したものの,既におばの家に逃げていたので捕まらなかったと主張する。しかし,原告X11の本人尋問における供述によれば,ナサカにとっては1人の人間を捜すことは容易であるため同原告の自宅に来ることができたというのであるから,そのようなナサカが親戚の家にいる同原告を発見することができなかったことはいささか不自然である。また,原告X11の本人尋問における供述によれば,同原告の自宅の隣人が,移動許可を受けずに隣村のおばの家に来て,ナサカが同原告を捜していることを同原告に教えてくれたというのであるが,移動制限を受けずに移動したことがナサカに発覚したときは刑務所に入れられることもあるというのであって,単なる隣人がそのような危険を冒してまで同原告にナサカによる捜索の事実を伝えようとすることは不自然であるというほかない。これらの諸点に照らすと,原告X11がおばの家に逃亡し,ナサカの軍人が同原告を探しに自宅に来たかについては疑問を差し挟む余地があるというべきである。
また,原告X11は,仮放免後にマレーシアに出国した弟から聞いた事実であるとして,同原告の父が同原告の身代わりとしてナサカに身柄を拘束されたと主張する。しかし,原告X11が本件難民不認定処分ルに対する異議申立手続において弟から家族の現状についてすべて教えてもらったと供述していること(乙ル22。この点につき,原告X11は,本人尋問において,同手続では,弟が両親は元気だと言っていたという話をマレーシアにいたときの知人から聞いた旨を述べたのであって,弟から直接聞いたわけではないと供述するが,家族の現状を聞いた相手が知人か弟かは大きく異なるのであるから,通訳によって生じうる誤差を考慮しても,同原告が知人から聞いた話を弟から聞いた話として録取することは考え難く,同原告は,調書の記載のとおり,弟から家族の現状について聞いたと供述したものと認めるのが相当である。)からすると,仮に,同原告の父が同原告の身代わりとして身柄を拘束されたのであれば,同原告は,同手続までにその事実を弟から知らされたものと認められる。しかるに,原告X11は,ナサカの軍人の同原告の親族に対する対応につき,平成18年7月2日の難民調査においては,ナサカの軍人は,同原告の自宅に来た際,単に同原告を探しに来たのみで家族には何らの迫害はなかったと供述し,本件難民不認定処分ルに対する異議申立てに係る申出書には,自宅に来た軍人達が,父に対し,同原告を連れてこないと代わりに父を逮捕する旨を告げて脅迫したと記載するにとどまり,本件訴訟に至るまで上記事実には一切言及していない。そうすると,原告X11が,本件訴訟において,仮放免後にマレーシアに出国した弟から聞いたとして同原告の父の身柄拘束の事実を述べたのは,上記のような供述経過と整合するように上記事実を主張しようとしたものとの疑念を払拭することができず,同原告の父が同原告の身代わりとしてナサカに身柄を拘束されたかについては疑問があるというべきである。
(ウ) まとめ
以上のとおり,原告X11がナサカの軍人とのトラブルによって迫害のおそれがあるとは認められず,同原告の主張する強制労働,財産の没収,ビルマ人からの嫌がらせ及び移動制限は,その主張を前提としても,いずれも前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものではないし,これらの不利益が併存することをもって上記「迫害」に当たるものと評価することもできない。そうすると,原告X11について前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあるとは認められず,同原告は,難民に該当するとは認められない。
シ 原告X12について
(ア) 原告X12がロヒンギャ族であるかについて
原告X12がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告は,ロヒンギャ語を話すことができ(顕著な事実),アラカン州マウンドーの出身であり(甲ヲ1),イスラム教徒であること(乙ヲ16),②同原告は,マレーシアのUNHCRにおいてロヒンギャ族として登録されているところ(甲ヲ7,乙ヲ24),マレーシアのUNHCRにおけるロヒンギャ族の登録作業は,登録希望者と実際に面接することによってその者の使用言語,出身地,親戚の氏名等を確認してロヒンギャ族か否かを確認していること(甲40),③同原告はJARO(アラカンロヒンギャ協会日本)の会員であるところ(甲ヲ2),JAROへの入会に当たっては面接等によりロヒンギャ族かどうかを厳しく審査されること(甲77)を併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X12の個別事情に基づく難民該当性の検討
a ピィーターヤー作戦による迫害のおそれについて
原告X12の主張するピィーターヤー作戦が存在したかについて疑問の余地がある上,仮に,ピィーターヤー作戦が存在したとしても,正にドルの不法な売買に対する取締りである可能性が大きい。この点を措くとしても,同原告の主張によれば,同原告やその妻の弟は,ドルの不正売買を行っていないというのであり,そうであれば,同原告の妻の弟が軍事法廷で裁かれ懲役刑等を受けた根拠が不明であるし,同原告がドルの不正売買を疑われて同様の身柄拘束等を受けるおそれがあるとする根拠も不明である。また,同原告の主張によれば,1991年ころに同原告に召喚状が発出されており,ピィーターヤー作戦によって多くのロヒンギャ族が迫害を受けているというのであり,そうであれば,召喚状が発出されてからわずか2年余り後に,家族の状況が知りたいという理由でミャンマーに帰国するのは切迫感に欠けるというべきである。さらに,ピィーターヤー作戦は,1991年ころに始まったというのであり,同作戦から15年ほど経過した本件難民不認定処分ヲ当時において,なお,同作戦の一環として同原告が迫害を受けるおそれがあるとは考え難い。
b マウンドー爆発事件による迫害のおそれについて
マウンドー爆発事件については詳細が不明であり,原告X12の友人であるNがマウンドー爆発事件の犯人として疑われる素地の存否も不明であるから,Nがマウンドー爆発事件の犯人と疑われて逮捕されたことや銃殺されたという事実の存否はもとより,そのような事実をもって同原告に迫害のおそれがあるということはできない。
(ウ) まとめ
以上のとおり,原告X12について,ピィーターヤー作戦による迫害又はマウンドー爆発事件による身柄拘束等を受けるおそれがあるとは認められず,他に同原告について不当な身柄拘束等を受けるおそれがあることを認めるに足りる証拠はない。そうすると,原告X12について前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあるとは認められず,同原告は,難民であるとは認められない。
ス 原告X13について
(ア) 原告X13がロヒンギャ族であるかについて
原告X13がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告は,ロヒンギャ語を話すことができ(顕著な事実),アラカン州マウンドーの出身であり(甲ワ1),イスラム教徒であること(乙ワ18),②同原告は,マレーシアのUNHCRにおいてロヒンギャ族として登録されているところ(甲ワ2,乙ワ27),マレーシアのUNHCRにおけるロヒンギャ族の登録作業は,登録希望者と実際に面接することによってその者の使用言語,出身地,親戚の氏名等を確認してロヒンギャ族か否かを確認していること(甲40),③同原告はJARO(アラカンロヒンギャ協会日本)の会員であるところ(甲ワ3),JAROへの入会に当たっては面接等によりロヒンギャ族かどうかを厳しく審査されること(甲77)を併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X13の個別事情に基づく難民該当性の検討
a 強制労働について
原告X13は,15歳のころから,多数回にわたり道路工事や魚の養殖等の強制労働に従事させられた旨を主張するが,同原告の主張又は供述するところによっても,従事させられる労働の内容は,道路工事等の特別な危険を伴わないものである上,その頻度も,月3回から4回程度であり,その期間も,1週間にわたって従事させられる場合もあるものの,その日に帰宅することができるものもあるというのであるから,同原告の主張する強制労働が前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
b 財産の略奪又は恣意的な没収について
原告X13は,ナサカから金銭を要求されたり,果物などを奪われたりする旨主張するが,同原告が主張する不利益は,経済的な不利益にすぎない上,これが同原告の生存を脅かすようなものであることを認めるに足りる証拠はない。したがって,同原告の主張する上記不利益が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
c 宗教上の差別
原告X13は,ロヒンギャ族は週に1回モスクに集まって礼拝することが許されない旨主張するが,同原告の供述を前提としても,ロヒンギャ族は,個人でイスラム教を信仰すること自体は妨げられておらず,小さなモスクにおいて礼拝することは可能であるというのであるから(乙ヲ19),同原告の主張する上記不利益が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
d 強制労働からの逃亡による迫害のおそれ
原告X13は,1994年に強制労働から逃亡したため,ミャンマーに帰国した場合には迫害を受けるおそれがあると主張する。しかし,原告X13が強制労働から逃れてミャンマーを出国したのは,本件難民不認定処分ワの約10年前の出来事であり,強制労働からの逃亡がミャンマー政府において長期間にわたり継続的に把握する必要のある事実とは考え難いから,同原告が1994年の強制労働からの逃亡を理由に迫害のおそれがあるとは認められない。
原告X13は,強制労働から逃れるためにミャンマーを出国した幼なじみがミャンマーに戻ったときに逮捕されて殺されたことを根拠に,自分もミャンマーに帰国した場合には迫害を受けるおそれがあると主張するが,その幼なじみが逮捕され殺された状況等は全く不明であって,逃亡から10年が経過している同原告も同様の不利益を受けるおそれがあるとまで断ずることはできない。また,原告X13は,強制労働から逃亡した後,ナサカが自宅にやってきて,同原告がいないと分かり,同原告の父を逮捕したと主張するが,同原告は,難民調査において,当初,同原告の父が逮捕されたのは1回だけであり,それは,軍に要求された100チャットから200チャットの金銭を支払わなかったことによるものであって,そのときは5万チャットを支払って釈放された旨供述していたが,難民調査官から供述の不合理性を指摘されると,父が逮捕されたのは自らが強制労働から逃亡したことによるものである旨供述し始めたのであり(乙ワ19),このような同原告の供述経過に照らすと,同原告が強制労働から逃亡したことを理由に同原告の父が逮捕されたことは認められないというべきである。
(ウ) まとめ
以上のとおり,原告X13が強制労働から逃亡したことによって迫害のおそれがあるとは認められず,同原告の主張する強制労働,財産の略奪又は恣意的な没収,宗教上の差別等は,その主張を前提としても,いずれも前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものではないし,これらの不利益が併存することをもって上記「迫害」に当たるものと評価することもできない。そうすると,原告X13について前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあるとは認められず,同原告は,難民に該当するとは認められない。
セ 原告X14について
(ア) 原告X14がロヒンギャ族であるかについて
原告X14がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告は,ロヒンギャ語を話すことができ(甲カ1,乙カ17),アラカン州シットウェの出身であり(甲カ1),イスラム教徒であること(乙カ18),②同原告はJARO(アラカンロヒンギャ協会日本)の会員であるところ(甲カ5),JAROへの入会に当たっては面接等によりロヒンギャ族かどうかを厳しく審査されること(甲77)を併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X14の個別事情に基づく難民該当性の検討
a 移動制限について
原告X14は,1989年からロヒンギャ族の移動が制限されるようになり,ヤンゴンとシットウェとの行き来ができなくなり,Oが無断で移動したことにより逮捕されて刑務所に送られたため,同原告自身にも同様の移動制限があるなどと主張するようである。
しかし,原告X14の主張又は供述するところによれば,同原告は1990年ころヤンゴンに移住し,2004年にヤンゴン市で再発行を受けた国民登録証によりヤンゴン市外に移動することが可能であったのであって(甲カ1,乙カ3,カ6,同原告本人),アラカン州への移動が制限されるというにすぎないから,同原告の主張する移動制限の不利益が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
b 強制労働について
原告X14は,シットウェにいた1989年ころに頻繁に強制労働に従事させられ,毎週のように道路工事に従事させられるという迫害を受けたなどと主張する。
しかし,原告X14は,難民調査において強制労働に従事させられたのは1989年だけであると供述しており(乙カ18),ヤンゴンに移住した1990年ころは強制労働に従事させられたことを認めるに足りる証拠はないから,本件難民不認定処分カ当時,同原告が強制労働に従事させられるおそれがあるとは認められないし,この点を措くとしても,同原告の従事させられた強制労働は,その作業内容が特別な危険を伴うものではない上,金銭の支払によって免れることができるものであるから,同原告の主張する強制労働の不利益が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
c 財産の略奪又は恣意的な没収について
原告X14は,ゼージー市場にあった同原告の店舗が事実上没収され,同原告の父の農地も没収されたなどと主張する。
しかし,原告X14の主張によれば,同原告の店舗が撤退した後にゼージー市場に新しく建てられた建物に入る店舗は抽選によって定められたというのであり,その中にロヒンギャ族の経営する店舗が入っていなかったことから直ちに恣意的にロヒンギャ族の店舗を差別的に取り扱ったということはできない。この点を措くとしても,店舗の没収は,経済的な不利益にすぎない上,これが同原告の生存を脅かすようなものであることを認めるに足りる証拠はなく,同原告の主張によっても,同原告は,店舗を撤退した後もミャンマーにおいて食料品の卸売業を営むことができたのである。
また,父の農地の没収も経済的な不利益にすぎない上,原告X14がこの事実を本件難民不認定処分カに対する異議申立手続において初めて述べていること(乙カ3,カ5,カ6,カ9,カ18,カ24)からすれば,上記の事実の存在には疑問の余地があるし,同原告が上記の事実を迫害を受けるおそれを基礎付けるものとして認識していなかったということができる。
これらの諸点に照らすと,原告X14の主張する財産の略奪等の不利益が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできないというべきである。
d 宗教上の差別
原告X14は,近隣のモスクが立入禁止とされ使用することができなくなったなどと主張するが,同原告の主張によっても,同原告がイスラム教を信仰すること自体は妨げられておらず,単に礼拝のために遠くのモスクにいかなけれならないというにとどまるから,同原告の主張する宗教上の不利益が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
e 教育機会の喪失
原告X14は,通学の際にヤカイン族の少年の集団からいじめを受け,頻繁に学校の授業時間に遅れたため,留年するようになるとともに,留年による経済的負担もあいまって学業を続けられなくなったなどと主張する。
しかし,原告X14の主張する不利益は,ヤカイン族によるいじめなどにより十分な教育を受けることができないというものにとどまり,前記(3)に述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
f 家族票からの抹消による逮捕のおそれ
原告X14は,出国後に自分の名前が仮家族票から抹消されており,これを理由に逮捕されるおそれがあると主張する。
確かに,原告X14の氏名が抹消されたヤンゴン管区平和発展評議会発行の仮家族リストが存在するものの(甲カ6の1から3まで),その調査日は2007年3月23日であり,その後である同年7月26日を調査日とするミャンマー政府出入国管理局及び人口統計局発行の家族票では同原告の氏名が抹消されておらず,上記仮家族リストには,「この仮家族リストは出入国管理局が発行した家族リスト,引越フォーム(10)とは関係ありません。」と記載されていること(甲カ6の3)に照らすと,ミャンマー政府が同原告を移動制限に反してヤンゴンを離れた者としては把握していない可能性を否定することができない。したがって,仮家族票から原告X14の氏名が抹消されたことにより同原告が逮捕されるおそれがあると認めることはできない。
g 移動制限違反幇助容疑による迫害のおそれについて
原告X14は,Oの移動制限違反を幇助した容疑により迫害を受けるおそれがあるとして,概要,次のとおり,主張する。すなわち,Oが,移動が制限されているにもかかわらず,シットウェからヤンゴンに逃げてきて,逮捕され,取調べにおいて,「ヤンゴンに兄がいる。」と言ったため,原告X14はOの無許可の移動を助けたとして疑いをかけられた,同原告が不在のときに警察が同原告の自宅を訪れ,同原告に出頭するようメモを置いていった,同原告はこのメモが逮捕状と同じような意味を持っていると考え,ミャンマーを出国した。
しかし,原告X14が,Oの無許可の移動を助けた容疑で逮捕されると考える根拠は,同原告の自宅に置かれたメモと同様のメモをもらった知人が出頭して逮捕されたことにあるが,逮捕された知人がいかなる犯罪にどのような関係を有しているかは不明であって,同原告の主張するような知人が存在することから直ちに同原告が逮捕されるおそれがあるということはできない。また,原告X14は,ミャンマーを出国する際,本人名義の旅券を使用して正規の出国手続を経ているのであり(甲カ1,乙カ3,カ18),無許可の移動を補助した容疑で逮捕されるような者については,捜査機関としても相当な関心を払っているはずであり,そのような者が正規の出国手続を経てミャンマーを出国することは考え難い。そうすると,原告X14がOの無許可の移動を助けた容疑で逮捕されるおそれがあると認めることはできない。
なお,原告X14は,ブローカーに依頼して旅券を作ったため,出国手続に使用した同原告名義の旅券が真正なものかどうかは分からないなどと主張する。しかし,ミャンマーでは真正な旅券をブローカーを通じて取得することもあり(乙3),ブローカーに依頼したことから直ちに取得した原告X14名義の旅券が偽造のものであるとはいえないし,実際,同原告は取得した同原告名義の旅券で支障なく出国手続を経ている(乙カ18)。また,原告X14は,平成18年7月15日の難民調査において,2000年11月に旅券発給事務所で3年間有効なパスポートを発給してもらい,その後3年間の更新を認められたため,有効期間は2006年11月になると思う旨を供述しているが(乙カ18),旅券の発給時期や有効期間等について具体的に述べていることからすると,同原告の上記供述は事実を述べたものと認められる。これらの諸点に照らすと,原告X14が出国手続に使用した同原告名義の旅券は真正なものと推認するのが相当である。
(ウ) まとめ
以上のとおり,原告X14について出国後に仮家族票から抹消されたこと又は移動制限違反幇助容疑を理由として迫害のおそれがあるとは認められず,同原告の主張する移動制限,強制労働,財産の略奪又は恣意的な没収,宗教上の差別及び教育機会の喪失は,その主張を前提としても,いずれも前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものではないし,これらの不利益が併存することをもって上記「迫害」に当たるものと評価することもできない。そうすると,原告X14について前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあるとは認められず,同原告は,難民に該当するとは認められない。
ソ 原告X15について
(ア) 原告X15がロヒンギャ族であるかについて
原告X15がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告がロヒンギャ語を話すことができ(顕著な事実),アラカン州マウンドーの出身であり(甲ヨ1),イスラム教徒であること(乙ヨ17),②同原告はJARO(アラカンロヒンギャ協会日本)の会員であるところ(甲ヨ2,ヨ4,ヨ5),JAROへの入会に当たっては面接等によりロヒンギャ族かどうかを厳しく審査されること(甲77)を併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X15の個別事情に基づく難民該当性の検討
a 強制労働について
(a) 原告X15は,マウンドーにおいて,建物の建築,木の伐採等の強制労働に従事させられ,時には2,3日の泊まりがけで従事することもあった,食事は1日に1回で,暴力を振るわれることもあった,強制労働で重い荷物を持たされたことと暴行を加えられたことにより腰を痛めたなどと主張する。
しかし,原告X15の主張する強制労働の内容は,建物の建築や木の伐採等であり,特別な危険を伴わないものである上,食事も与えられ,拘束期間も,時に2,3日の泊まりがけで従事させられる程度にとどまり,それほど長期にわたるものではない。さらに,原告X15は,退去強制手続において,胃痛があると述べるにとどまっていたのであるから(乙ヨ8),同原告が腰痛を有していたとは認め難いし,仮に,強制労働等によって腰を痛めたことがあったとしても,その程度は重篤なものではなかったと考えられる。さらに,原告X15が主張又は供述するところによれば,同原告は,1993年にヤンゴンに移動したにもかかわらず,父親の農園を売却して生活費と学費を捻出するためにマウンドーに戻り,マウンドーで身柄を拘束された後,1995年にバングラデシュに出国したのに,再び,1996年にマウンドーに戻り,その後マウンドーにおいて7年間にわたり雑貨店を営んでいたというのであり,同原告が強制労働によって迫害を受けていたのであれば,上記のように,何度もマウンドーに戻り,長期にわたってマウンドーに居住しようと考え,実際にそのような行動を採ることは考え難いというべきである。
(b) 原告X15は,定期的に,バングラデシュとの国境の川を渡ってくる不審人物がいないかを一晩中監視させられ,その際,眠っているところを見付かると殴られ,殺されることもあったなどと主張する。
しかし,原告X15の主張する強制労働の内容は,バングラデシュとの国境の川を監視させられるというものであり,特別な危険を伴わないものである上,拘束時間は一晩であり,世帯毎に順番に担当するというのであって,その拘束時間や頻度において過酷なものであるとまで認めることはできない。また,前記(a)で指摘したように原告X15がマウンドーに戻り,長期にわたってマウンドーで居住していることからすると,同原告が国境の川の監視をさせられることによって迫害を受けていたとは認め難いというべきであり,同原告が,退去強制手続及び難民認定手続においては国境の川を監視させられるという強制労働について一切供述しておらず,本件訴訟において初めて主張し始めていることも,同原告が上記の強制労働の事実を迫害を基礎付けるものと認識していなかったことを表すものであるということができる。
(c) 以上によれば,原告X15の主張する強制労働は,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできないというべきである。
b 移動制限について
原告X15は,ロヒンギャ族は正式な転出届を受け付けてもらえず移動が制限されており,また,1995年にマウンドーで起きた爆弾事件を理由に身柄を拘束され,その釈放の際,マウンドーから移動しないとの約束をさせられたと主張する。
しかし,原告X15の供述によれば,ロヒンギャ族であっても賄賂を支払うことにより転出届を出して移動することが可能であること,同原告が爆弾事件を理由とする身柄拘束から釈放された際にマウンドーから約1年間バングラデシュに出国したことからすれば,同原告の主張する移動制限はそれほど厳格なものということはできず,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
c 財産の略奪や恣意的な没収について
原告X15は,強制労働を免れるために金銭を支払う必要があった,正式な転出届を受理してもらうために金銭を支払う必要があったなどと主張するが,同原告が主張する上記不利益は,経済的なものにすぎない上,同原告の主張によれば,同原告は,1996年にバングラデシュからマウンドーに戻った後に雑貨店を経営しながら7年間にわたりマウンドーで生活していたというのであって(甲ヨ1),同原告の主張する金銭の支払によって同原告の生活に生じた影響の有無やその内容を認めるに足りる証拠はない。そうすると,同原告の主張する上記不利益は,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできないというべきである。
d 土地の没収について
原告X15は,1997年ころ,同原告の父の畑が没収されたと主張するが,これも経済的な不利益にすぎない上,同原告がこの事実を退去強制手続及び難民認定手続において供述せず,本件訴訟において初めて述べていること(乙ヨ3,ヨ5,ヨ6,ヨ8,ヨ16から18まで,ヨ23及び24)からすれば,上記の事実の存在には疑問の余地があるし,同原告が上記の事実を自分が迫害を受けるおそれを基礎付けるものとして認識していなかったということができる。また,原告X15の供述によれば,同年ころには,同原告の父はヤンゴンで生活しており,同原告もマウンドーにおいて雑貨店を経営していたのであって(甲ヨ1),父の畑の没収が同原告の生活にいかなる影響を与えたかについては不明というほかない。そうすると,同原告の主張する上記不利益は,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできないというべきである。
e 不当な身柄拘束等について
(a) 原告X15は、同原告及びその家族が虚偽の転出届によりヤンゴンに移動し,未だ同原告が移動していないにもかかわらず同原告の家族票をヤンゴンに移したことから,1993年ころ,同原告及びその父が身柄を拘束され,暴行を受けたなどと主張する。
しかし,同原告の主張によっても,原告X15は,1か月の懲役刑の刑期を終えて釈放されており,同様の事由によって同原告が身柄を拘束されることは考え難い。また,原告X15が身柄を拘束されたのは,本件難民不認定処分ヨ時から10年以上前のことである上,身柄拘束の原因も虚偽の転居届や実体を伴わない家族票の移動というミャンマー政府にとって継続的に注視すべきものであるとは考え難いものであり,実際にも,同原告及びその父の身柄拘束以降,同原告の家族がヤンゴンにおいてミャンマー政府から何らかの不利益を受けたことを認めるに足りる証拠はない。そうすると,原告X15がミャンマーに帰国した場合にミャンマー政府から上記事由によって身柄拘束等を受けるおそれがあるとは認められない。
(b) 原告X15は,1995年10月にヤンゴンからマウンドーに戻った際,爆弾事件の犯人と連絡を取り合っているという容疑でナサカに身柄を拘束され,暴行を受けたなどと主張する。
しかし,原告X15の主張によっても,同原告が身柄を拘束されたのは,本件難民不認定処分ヨの時から10年以上前の出来事である上,同原告は,前記のとおり,釈放後の1995年にバングラデシュに出国しながらその翌年にはマウンドーに戻っているのであり,このような行動は,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがある者の行動としては不自然といわざるを得ない。また,原告X15は,難民調査において,マウンドーの爆弾事件に関連して逮捕される可能性はない旨供述しているのであり(乙ヨ18),同原告がマウンドーの爆弾事件に関して迫害を受けるおそれがあるとの認識を有していないと認められる。そうすると,原告X15がミャンマーに帰国した場合にマウンドーの爆弾事件によって迫害を受けるおそれがあるとは認められない。
(ウ) まとめ
以上のとおり,原告X15が虚偽の転出届で移動し,同原告の移動前に同原告の家族票をヤンゴンに移動させたこと又はマウンドーの爆弾事件に関して迫害のおそれがあるとは認められず,同原告の主張する強制労働,移動制限,財産の略奪又は恣意的な没収,土地の没収等は,その主張を前提としても,いずれも前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものではないし,これらの不利益が併存することをもって上記「迫害」に当たるものと評価することもできない。そうすると,原告X15について前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあるとは認められず,同原告は,難民に該当するとは認められない。
タ 原告X16について
(ア) 原告X16がロヒンギャ族であるかについて
原告X16がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告は,ロヒンギャ語を話すことができ(甲タ1,乙タ17),アラカン州マウンドーの出身であり(甲タ1),イスラム教徒であること(甲タ1,乙タ18),②同原告はJARO(アラカンロヒンギャ協会日本)の会員であるところ(甲タ4),JAROへの入会に当たっては面接等によりロヒンギャ族かどうかを厳しく審査されること(甲77)を併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X16の個別事情に基づく難民該当性の検討
a メイユー学生青年連盟での活動による迫害のおそれについて
原告X16は,ロヒンギャ族の学生により組織されたメイユー学生青年連盟に参加し,1992年には副書記長・中央執行委員に選任され,写真と共に氏名及び役職名をミャンマー政府に報告しているなどとして,上記のような政治活動を理由としてミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるなどと主張する。
しかし,原告X16の供述によれば,メイユー学生青年連盟は,1993年に政党としての要件を満たしていないとして政党名簿への登録を抹消され,同原告自身も,同年2月にヤンゴン大学に入学し,1997年に結婚したため,1993年以降は特別な政治活動は行っておらず,メイユー学生青年連盟のメンバーとして活動していたことでミャンマー政府から何らかの不利益を受けたことはないというのであるから(乙タ7,タ18,タ19,同原告本人),前記の同原告の政治活動がミャンマー政府から危険視されるようなものであるとは認められない。また,原告X16は,1995年にヤンゴン大学を卒業した後,1997年からヤンゴンで衣料品店を営み,2003年からは雑貨等を輸出する会社の経営に関与しており,商用でミャンマー,シンガポール及びマレーシアを行き来するため,ヤンゴンの旅券発給事務所で同原告名義の旅券の発給を受け,その後,更新手続を受けており,この同原告名義の旅券でマレーシアに渡航したことがあること(乙タ4,タ7,同原告本人,弁論の全趣旨),同原告はミャンマーを出国するまで妻子と共にヤンゴンで比較的裕福な生活をしていたこと(乙タ18)からすれば,同原告がミャンマー政府から政治活動を理由に危険視されていたとは考え難い。以上のことに照らすと,原告X16がその政治活動を理由としてミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるとは認められないというべきである。
b RICとの接触による迫害のおそれ
原告X16は,2006年5月22日,仕事でマレーシアに行った際,ミャンマーの民主化とロヒンギャ族の権利の拡大を目的として活動するRICと接触し,ロヒンギャ族の青年達がマレーシアにおいて進学の機会を確保することができないかを相談したことから,警察によって逮捕されそうになったのでミャンマーを出国したなどとして,前記のRICとの接触を理由としてミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるなどと主張する。
しかし,原告X16の主張によっても,同原告は,自らが経営に関与する会社の仕事を主たる目的として訪れたマレーシアにおいて1日だけRICと接触し,ロヒンギャ族の青年達がマレーシアにおいて進学することができるかを相談したにすぎないというのであり,このような同原告の活動がミャンマー政府に危険視されるような内容及び程度のものであるとは認められない。また,原告X16は,RICとの接触を理由に迫害を受けるおそれがあることを裏付けるものであるとして,2006年6月18日午後3時に警察隊基地での取調べを受けるよう召喚する旨が記載された同原告あての書面を提出し(甲タ5),同月19日に警察が同原告の自宅を訪れたことから危険を感じてミャンマーを出国したと主張するが,同原告の供述によれば,同原告は同原告名義の旅券を使用して正規の出国手続を執り,その手続に何らの支障はなかったというのであるから(乙タ4。なお,同原告は,賄賂を支払ったため出国することができた旨供述するが,これを裏付ける客観的な資料はない上,ミャンマーにおける出国審査は相当厳格に行われており,ミャンマー政府から反政府活動を行う者と把握され身柄を拘束される可能性のある者が賄賂を支払うことによって出国が許可されることは考え難い(乙レ34)。この点を措くとしても,原告X16が自己名義の旅券を使用して正規の出国手続により出国しようとすること自体,同原告が身柄拘束の危険を感じていたかについて疑問を生じさせる行動というべきである。),ミャンマー政府が同原告を反政府活動を行っている危険な人物であると把握しその身柄を拘束しようとしているとは考え難いといわざるを得ない。これらの諸点に照らすと,原告X16がRICとの接触を理由としてミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるとは認められない。
c ロヒンギャ族を理由とする差別的取扱い
原告X16は,ロヒンギャ族が,①移動制限,②大学への進学の制限,③結婚の制限,④行政手続の制限を受けているなどと主張する。
しかし,原告X16の主張する移動制限は,ロヒンギャ族にはミャンマー国内の移動が認められておらず,アラカン州外からアラカン州に入ることができないというものであって,ロヒンギャ族もヤンゴン以外には許可を得て移動することができるというのであるから(乙タ18),そのような不利益が,前記(3)に述べた迫害に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。また,原告X16の主張する大学への進学の制限は,アラカン州に居住するロヒンギャ族がシットウェへの移動が制限される結果,シットウェ大学に進学することができないというものであって,そのような不利益が,前記(3)で述べた迫害に当たるような内容及び程度のものであるということはできない上,同原告自身はヤンゴン大学に進学し修了しているのであるから(甲タ3),上記不利益が同原告の難民該当性を基礎付けるものということはできない。さらに,原告X16の主張する結婚の制限は,ロヒンギャ族は申請しなければ結婚することができないというものであって,申請すれば結婚が可能であることからすれば,そのような不利益が前記(3)で述べた迫害に当たるような内容及び程度のものであるということはできない上,同原告自身は,既に結婚しているのであるから,上記不利益が同原告の難民該当性を基礎付けるものということはできない。また,原告X16の主張する行政手続の制限は,ロヒンギャ族は賄賂を支払わなければ行政上の手続を行ってもらえないというものであって,金銭を支払えば行政手続を行ってもらえるのであることからすれば,そのような不利益が前記(3)で述べた迫害に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
d 宗教を理由とした迫害のおそれについて
原告X16は,ミャンマー政府がモスクの建設や修理を許可せず,既に建っているモスクを破壊するなどとして,宗教を理由とする迫害を受けるおそれがあると主張する。しかし,原告X16は,難民調査において,現存するモスクでの宗教的行為自体は問題なく認められていると述べ,宗教に関する迫害を難民申請を行った迫害理由から削除してもらって差し支えない旨を供述していることからすると(乙タ18),同原告の主張する不利益が前記(3)で述べた迫害に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
(ウ) まとめ
以上のとおり,原告X16が政治活動又はRICとの接触を理由に迫害を受けるおそれがあるとは認められず,同原告の主張する移動制限,大学への進学の制限,結婚の制限,行政手続の制限及び宗教活動の制限は,その主張を前提としても,いずれも前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものではないし,これらの不利益が併存することをもって上記「迫害」に当たるものと評価することもできない。そうすると,原告X16について前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあるとは認められず,同原告は,難民に該当するとは認められない。
チ 原告X17について
(ア) 原告X17がロヒンギャ族であるかについて
原告X17がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告は,ロヒンギャ語を理解することができ(甲レ3,乙レ25),イスラム教徒であること(乙レ25),②同原告はBRAJ(在日ビルマロヒンギャ協会)の会員であるところ(甲レ13及び14,レ59),BRAJに入会するためには,アラカン州出身者については,(ⅰ)使用言語がロヒンギャ語であること,(ⅱ)アラカン州の土地勘を有していること,(ⅲ)家族票などの証明書が存在すること,(ⅳ)申込人がロヒンギャ族であることを裏付ける親類又は友人がいること,(ⅴ)申込人がロヒンギャ族であることを推薦する保証人が2名以上あることを要し(甲76),同原告がこのような厳格な審査を経てロヒンギャ族であると認められていることを併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X17の個別事情に基づく難民該当性の検討
a 原告X17のミャンマーにおける政治活動等について
(a) 原告X17は,1988年にヤンゴン市内でデモに参加し,同年8月12日の深夜,軍人により逮捕され,学校内の民主化組織のこと等について取調べを受けた,その際,同原告は,首に銃剣を突き付けられるなどの拷問を受けて意識を失い,意識を回復した時には自宅で寝ている状態であったなどと主張する。
しかし,原告X17は,1988年の民主化運動の当時,14歳の学生であり,同原告が行った政治活動も,学生組織のデモ及びハンガー・ストライキへの参加や政治的な文書の配布にすぎず(乙レ12の1,同原告本人),当時のミャンマーでは民主化運動が高まり,同原告のような活動をしていた者が多数存在していたのであることからすれば,同原告の上記政治活動は,大勢の民主化運動参加者の1人としてのものにすぎないと認められ,そのような同原告が政治活動によりミャンマー政府から特段の関心を寄せられていたとは考え難い。また,原告X17は,1989年には高校の校長に政治活動を行わないという誓約書を提出して復学している上,1997年に自己名義の旅券の発給を受け,1999年にその更新手続を行っており,さらに,正規の出国手続によりミャンマーを出国していること(乙レ9,レ12の1,レ25及び26)からすれば,同原告がミャンマー政府から殊更に危険視されているとは考え難い。しかも,原告X17は,2000年5月にミャンマーを出国し,韓国に約1年間滞在した後,2001年5月21日に来日しているにもかかわらず,約3年5か月もの間,本邦で難民認定申請をすることもなく,専ら不法就労に従事し,毎月ミャンマーの家族に送金していたのであって(乙レ16,レ25及び26),このような同原告の行動は,真にミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるという恐怖を感じて庇護を求めている者の行動としては極めて不合理なものといわざるを得ない。これらの諸事情に照らすと,原告X17が上記のような政治活動等を理由にミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるとは認められない。
なお,原告X17は,旅券はブローカーを通じて取得したものであり,出国手続も韓国で行われる親善試合に参加するゴルフクラブのメンバーに紛れて行ったのであるから,旅券の発給や正規の手続での出国をもって同原告がミャンマー政府から迫害を受けるおそれがないということはできないと主張する。
しかし,ミャンマーでは旅券の発給が相当厳格な審査を経て行われており,ブローカーに金銭を支払って可能となることは,申請から発給までの時間の短縮にとどまり,ミャンマーに反政府活動家として危険視されているため自ら旅券を取得することができない者は,ブローカーを通じても,これを取得することは困難である(乙レ34,レ41)。また,ミャンマーでは,出国手続も相当厳格に行われており(乙レ34),原告X17は自己名義の旅券を使用して出国手続を行っているのであるから(乙レ26),たとえゴルフクラブのメンバーに紛れたとしても,ミャンマーに反政府活動家として危険視されている者が出国することは困難であるというべきである。そうすると,前記のとおり,原告X17が自己名義の旅券の発給及びその更新を受け,正規の手続で出国していることは,同原告がミャンマー政府から危険視されていないことを推認させる事実であるというべきである。
(b) また,原告X17は,1988年に同原告の身代わりとして兄が約1年間にわたり収監されたと主張するが,同原告の主張を前提としても,兄は1989年に出所しており,他方,同原告は,政治情勢が落ち着いてきたことから,兄の出所後,逃亡先から自宅に戻っていること(乙レ12の1,レ25),前記のとおり,同原告が自己名義の旅券の発給及び更新を受け,正規の手続で出国していること,同原告が,2001年5月21日に来日しているにもかかわらず,約3年5か月もの間,本邦で難民認定申請をすることもなく,専ら不法就労に従事し,毎月ミャンマーの家族に送金していたことからすれば,同原告主張の事実をもって,同原告がミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるとは認め難い。
(c) 原告X17は,1996年末ころ,学友のQと共にMMSSに加入してイスラム教の自衛活動をし,1998年,Qの父の取り計らいでNLDに加入し,NLDにおいて,パンフレットを配布したり,ヤンゴンにおいて情報収集をして本部に届けるなどしていたと主張する。
しかし,原告X17は,NLDの一般党員であって,同原告の行った活動も,イスラム教の自衛活動,パンフレットの配布等にすぎず,ミャンマーを出国するまでの間,NLDのメンバーとして逮捕されたことはないのであるから(乙レ12の1,レ25,同原告本人),同原告がミャンマー政府から危険視されるような立場で活動を行っていたとは認められない。そして,前記のとおり,原告X17が自己名義の旅券の発給及び更新を受け,正規の手続で出国していること,同原告が,2001年5月21日に来日しているにもかかわらず,約3年5か月もの間,本邦で難民認定申請をすることもなく,専ら不法就労に従事し,毎月ミャンマーの家族に送金していたことからすれば,同原告が上記活動を理由にミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるとは認められない。
b 日本における政治活動等について
(a) 原告X17は,BRAJの執行役員となり,機関誌に写真と氏名が掲載されるとともに,ミャンマー大使館前等におけるデモ活動にも参加していると主張する。
しかし,原告X17がBRAJの執行役員となり,機関誌に写真と氏名が掲載されていることは認められるものの(甲レ17,レ49),同原告は,雑誌委員会で月刊誌の発行に関与し,ゲラのコピー,製本,メンバーへの配布,他のNGO等への発送作業等を行っているにすぎないのであるから(乙レ25,同原告本人),BRAJへの加入やその活動により同原告がミャンマー政府から反政府活動家として危険視されているとは認められない。また,原告X17がミャンマー大使館前のデモ活動に参加していることが認められるものの(甲レ18),その活動は,多数の参加者の中の1人として行ったものにすぎず,同原告が中心的な役割を担っていたとは認められないから,上記活動をもって同原告がミャンマー政府から特段の関心を寄せられているということはできない。
(b) また,原告X17は,日本においてもNLDの党員として会費を支払うなどしていると主張するが,このような事実をもって同原告がミャンマー政府から特段の関心を寄せられるような存在であるということはできない。
(c) さらに,原告X17は,在日ビルマ市民労働組合(FWUBC)に加入していると主張するが,同原告は,FWUBCのメンバーとして難民事業本部との合同会合に3,4回参加したことがあるにすぎず,自らの労働問題を相談したことはなく,事務所の場所も知らないというのであるから(乙レ25)FWUBCへの加入をもって同原告がミャンマー政府から特段の関心を寄せられているとは認められない。
(d) そして,原告X17は,ミャンマーの実家が同原告の活動についてミャンマー当局から尋問を受けたため同原告を相続人から廃除する広告を掲載したと主張する。しかし,原告X17を相続人から廃除する旨の広告がされたことは認められるものの(甲レ11),そのような広告がされた経緯及び理由は明らかでなく,前記のとおり,同原告のミャンマー及び日本における活動がミャンマー政府から殊更に危険視されるようなものとであると認められないことからすれば,上記広告が,同原告の実家が同原告の活動につき尋問を受けたためにされたものであり,同原告の迫害のおそれを推認させるものということはできない。
(ウ) まとめ
以上のとおり,ミャンマー及び日本における活動を理由に原告X17が迫害を受けるおそれがあるとは認められないというべきであるから,同原告は,入管法上の難民であるとは認められない。
ツ 原告X18について
(ア) 原告X18がロヒンギャ族であるかについて
原告X18がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告は,ロヒンギャ語を話すことができ(顕著な事実),アラカン州シットウェの出身であり(甲ソ1),イスラム教徒であること(乙ソ23),②同原告はBRAJ(在日ミャンマーロヒンギャ協会)の会員であるところ(乙ソ20),BRAJに入会するためには,アラカン州出身者については,(ⅰ)使用言語がロヒンギャ語であること,(ⅱ)アラカン州の土地勘を有していること,(ⅲ)家族票などの証明書が存在すること,(ⅳ)申込人がロヒンギャ族であることを裏付ける親類又は友人がいること,(ⅴ)申込人がロヒンギャ族であることを推薦する保証人が2名以上あることを要し(甲76),同原告がこのような厳格な審査を経てロヒンギャ族であると認められていることを併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X18の個別事情に基づく難民該当性の検討
a 原告X18は,1968年の中学7年生のときに,ヤカイン民族の生徒とけんかし,同原告だけが警察署に連行及び留置されて,学校を退学させられた,その後,同原告とその父親が,警察に呼び出されて3日間身柄拘束されたなどと主張する。
しかし,原告X18だけが警察署に連行及び留置されて退学させられたことは,同原告がヤカイン族との関係で差別的な取扱いを受けたというものにとどまり,前記(3)の「迫害」に当たるものということはできない。また,原告X18が父と共に警察に3日間拘束されたことも,同原告がヤカイン族の生徒とのけんかによる留置から,4,5か月後の出来事であり,この身柄拘束と同原告とヤカイン族とのけんかとの関連は不明というほかなく,ロヒンギャ族であることを理由とするものということはできない。この点を措くとしても,原告X18は,平成13年1月1日ころに本邦に不法入国した後,しばらくして難民認定申請ができることを知ったのであり(乙ソ21,ソ23),それにもかかわらず,同原告は,それから約3年もの間,難民認定申請をしていないのであって,このような同原告の行動は,真に迫害を受けるおそれがある者の行動としては不合理なものといわざるを得ない。そうすると,原告X18の主張する上記事実をもって,同原告にロヒンギャ族であることを理由とする迫害のおそれがあるということはできない。
b 原告X18は,1976年,KIAとの関係を疑われて1日間拘束され,父は1週間にわたって拘束されて拷問を受けたと主張する。
しかし,原告X18の主張によれば,ミッチーナの軍情報部が同原告を拘束したのは,同原告が所属するロヒンギャ青年協会がムジャヒディンと関係があり,同原告がKIAと接触するためにヤカイン州からミッチーナに来たのではないかと疑われたためであって,そうであるとすると,同原告が1日しか拘束されていないのに,同原告の父が1週間にわたり拘束されるのは不自然であるというべきである。また,仮に,原告X18の主張する身柄拘束の事実があったとしても,それはKIAとの接触を疑われたことによるものであり,ロヒンギャ族であること又は政治的意見を有していることを理由とするものということはできない。さらに,ロヒンギャ青年協会は,原告X18が加入してから1年後である1977年には消滅したというのであって(乙ソ23),本件難民不認定処分ソ当時において同協会の消滅から30年以上経過していることに照らすと,同協会の活動に関連して迫害を受けるおそれがあるとは認められない。そうすると,原告X18の主張する上記事実をもって,同原告にロヒンギャ族であること又は政治的意見を有することを理由とする迫害を受けるおそれがあるということはできない。
c 原告X18は,1985年,ミッチーナのある退役軍人2名が武器の密売で逮捕されたときに同原告の店の領収書を持っていたことから,KIAに武器を密売した疑いで逮捕され,軍情報部に身柄を拘束されて暴行を受けた,1989年に釈放された後は軍情報部員に監視されていたなどと主張する。
しかし,原告X18がKIAの構成員に売った物は,ナイロン製のひも,薬,網などであるというのであり,これらの売却が武器売却の嫌疑を生じさせるとは考え難く,同原告が武器密売の疑いで身柄拘束等を受けたとする同原告の上記主張には疑問がある。この点を措くとしても,原告X18の主張によれば,同原告は,KIAへの武器密売及びKIAとの連絡を理由に身柄拘束されたというのであるから,これがロヒンギャ族であること又は政治的意見を有していることを理由とするものということはできない(なお,同原告は,取調べの際に暴行を受けた旨主張するが,これがロヒンギャ族であることを理由とするものであることを認めるに足りる証拠はない。)。さらに,前記のとおり,原告X18は,平成13年1月1日ころに本邦に不法入国した後,しばらくして難民認定申請ができることを知ったにもかかわらず,約3年もの間,難民認定申請をしていないのであって,このような同原告の行動は,真に迫害を受けるおそれがある者の行動としては不合理なものといわざるを得ない。以上の点を考慮すると,原告X18の主張する事実をもって,同原告についてロヒンギャ族であること又は政治的意見を理由として迫害を受けるおそれがあるということはできない。
d 原告X18は,1985年に逮捕されたときに,住居及び店舗を没収されたと主張するが,同原告の主張する上記不利益は,経済的なものにすぎない上,1989年に釈放された後もカチン州パカンに移住して時計やラジカセの販売をしながら生計を立てていたというのであって,同原告の主張する上記不利益が前記(3)の「迫害」に該当するものであるということはできない。
e 原告X18は,1989年の釈放後,KNCDの活動に参加していたところ,1999年10月にKNCDのメンバーであるマウンレーが逮捕されたことから,自らも逮捕される危険があったなどと主張する。
しかし,KNCDは,1990年の選挙後,政府によって解散させられたというのであり,原告X18のKNCDでの活動期間は,わずか1年間にすぎない上,KNCDで活動することはあまりなかったというのであるから(乙ソ23,同原告本人),KNCDの活動が終了してから約10年が経過した時点において,同原告がKNCDでの活動を理由に逮捕されるおそれがあるとは考え難い。また,原告X18の供述によれば,同原告は,1989年の釈放後,ミャンマーを出国するまで軍情報部によって監視されていたというのであるから(乙ソ23),マウンレーが逮捕されたことで同原告も逮捕されるおそれがあるのであれば,出国までの約10か月の間に同原告も逮捕されていたと考えられる。さらに,逮捕される危険のある原告X18がミャンマーから出国したにもかかわらず,同原告の妻及び長男は,同原告の出国後にミッチーナからヤンゴンに移住し,文房具や教科書を販売する本屋を経営して裕福な生活をしているというのである(甲ソ1,乙ソ23,同原告本人)。しかも,前記のとおり,原告X18は,平成13年1月1日ころに本邦に不法入国した後,しばらくして難民認定申請ができることを知ったにもかかわらず,約3年もの間,難民認定申請をしていないのであって,このような同原告の行動は,真に迫害を受けるおそれがある者の行動としては不合理なものといわざるを得ない。以上の点を考慮すると,原告X18の主張する事実をもって,同原告についてロヒンギャ族であること又は政治的意見を理由として迫害を受けるおそれがあるということはできない。
f 原告X18は,本邦入国後,BRAJに参加して入会した2年後くらいから執行委員を務め,また,2002年にFWUBCに入会したことから迫害のおそれがあると主張する。
しかし,原告X18のBRAJにおける活動内容は,事務所の電話番やパンフレットの編集,陳情,国際会議やデモ等に数回参加した程度にすぎず,しかも,会議やデモ等において主導的な役割を担っていたことは認められない(乙ソ5,ソ23)。また,原告X18は,FWUBCに入会しているものの,そこでのFWUBCでの活動は,執行委員として会議に出席したり,新規加入者を会長に報告したりする程度である(乙ソ21,ソ23)。これらの原告X18の活動内容等からすると,BRAJ及びFWUBCでの活動をもって,同原告がミャンマー政府から特段の関心を寄せられるような存在であるということはできず,これらを理由に迫害のおそれがあるということはできない。
g 原告X18は,長男Sがスイスにおいて難民として認定されたことを自らの難民該当性を基礎付ける事実として主張する。しかし,Sがスイスで在留を許可されたことは認められるものの(甲ソ2),それがいかなる事由に基づくものかは不明であるし,仮に,長男の在留許可が難民と認定されたことによるものであるとしても,スイス政府が,いかなる事実関係に基づいて難民と認定したかは明らかではない。そうすると,長男がスイスにおいて在留を許可されたことが原告X18の難民該当性を基礎付けるものであるということはできない。
(ウ) まとめ
以上のとおり,原告X18がロヒンギャ族であること又はその政治的意見を理由に前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあるとは認められず,同原告は,難民に該当するとは認められない。
テ 原告X19について
(ア) 原告X19がロヒンギャ族であるかについて
原告X19がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告は,ロヒンギャ語を話すことができ(顕著な事実),アラカン州マウンドーの出身であり(甲ネ1),イスラム教徒であること(乙ネ18),②同原告はJARO(アラカンロヒンギャ協会日本)の会員であるところ(乙ネ24,弁論の全趣旨),JAROへの入会に当たっては面接等によりロヒンギャ族かどうかを厳しく審査されること(甲77)を併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X19の個別事情に基づく難民該当性の検討
a 移動制限について
原告X19は,マウンドー外に移動する際には許可が必要となり,許可なく移動すると警察に捕まるという厳しい移動制限が課せられていると主張する。しかし,原告X19の主張によっても,許可を得ればマウンドー外に移動することができるのであるから,その移動制限はそれほど厳格なものということはできず,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできない。
b 強制労働について
原告X19は,台風でマウンドーからブーディーダウンまでの道が封鎖された時に,道路にある岩や樹木を運搬するという強制労働を2度課せられた,一度連行されると,3日間,作業に従事させられ,労働時間は,朝6時に起き,食事をした後,朝8時から日が沈む夜6時ぐらいまで続いたので約10時間であった,強制労働の際には,疲れて休むと殴られることがあり,同原告は,1回目の労働のときは2度ほど,2回目のときは1度,背中を竹の棒で殴られるなどの暴行を受けたなどと主張する。
しかし,原告X19の主張する強制労働の内容は,道路にある岩や樹木を運搬するというものであり,特別な危険を伴わないものである上,食事も与えられ,回数も2度にとどまり,1回の拘束期間も3日間であって,それほど長期にわたるものではない。また,原告X19が受けたと主張する暴行も,1度又は2度,疲れて休んだ時に背中を竹の棒で殴られたり,臀部を蹴られたといった程度のものであり,それほど過酷なものであるということはできない。さらに,原告X19は,退去強制手続及び難民認定手続においては強制労働について一切供述しておらず,本件訴訟において初めて主張し始めていることからすれば,同原告の主張する強制労働の事実が存在したかについては疑問の余地がある上,同原告は強制労働の事実を迫害を基礎付けるものとして認識していなかったということができる。
以上によれば,原告X19の主張する強制労働が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできないというべきである。
c 財産の略奪や恣意的な没収について
(a) 原告X19は,買い物に行った際に理由もなく購入した商品や金銭を理由もなく奪われると主張するが,同原告が主張する上記不利益は,経済的なものにすぎない上,その内容からしても,同原告の生存に脅威をもたらすようなものとは考え難い。また,原告X19は,退去強制手続及び難民認定手続においては上記不利益について一切供述しておらず,本件訴訟において初めて主張し始めていることからすれば,同原告は上記不利益を迫害を基礎付けるものとして認識していなかったということができる。そうすると,原告X19の主張する上記不利益が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできないというべきである。
(b) また,原告X19は,夜遅く出歩いていると警察に連行されることがあると主張するが,深夜に出歩いている者が警察に連行されることが,前記(3)で述べた「迫害」に当たらないことは明らかである。
d 土地の没収について
原告X19は,自分の家の畑がいつの間にか他人のものになったと主張するが,同原告の主張は,単に,同原告の祖母から「あの畑もうちのだよ。」と言われたことを根拠とするものであって,同原告の主張を裏付ける客観的な資料は何ら存在しない。この点を措くとしても,原告X19の主張する上記不利益は,経済的な不利益にすぎない上,同原告の生存を脅かすようなものであることを認めるに足りる証拠はない。また,原告X19は,退去強制手続及び難民認定手続においては上記不利益について一切供述しておらず,本件訴訟において初めて主張し始めていることからすれば,同原告は上記不利益を迫害を基礎付けるものとして認識していなかったということができる。そうすると,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
e 教育の機会の喪失について
原告X19は,アラカン族であれば,成績が悪くても進級することができるのに,ロヒンギャ族であるため,成績が良くても容易に進級することができないと主張するが,同原告の主張を裏付ける客観的な資料は何ら存在しないし,この点を措くとしても,同原告の主張する上記不利益は,アラカン族と異なる差別的な取扱いを受けているというにすぎないから,前記(3)で述べた「迫害」に当たらないことは明らかである。
f 不当な身柄拘束等について
原告X19は,1994年にマウンドーで爆発事件が発生したことをきっかけに反政府活動者を取り締まるとの口実でロヒンギャ族の若い男性の多くが逮捕され,同原告も身柄を拘束された,同原告は,尋問の際に,両手を天井から吊された状態で体を殴打されるなどの暴行を受け,意識を消失したなどと主張する。
しかし,原告X19の主張によれば,同原告が身柄拘束等を受けたのは,同原告がRSOに関係しているとの嫌疑をかけられたことを理由とするものであり,同原告の身柄拘束等がロヒンギャ族であることを理由とするものとは認められない(なお,同原告は,難民調査において,1988年の民主化運動に参加したことも身柄拘束の理由である旨を述べるが(乙ネ18),同原告は,NLDなどの特定の政治組織には属しておらず,1994年までの間,民主化運動を理由に逮捕等はされていないというのであるから(乙ネ18),1994年の身柄拘束等が1988年の民主化運動を理由とするものとは認められない。)。この点を措くとしても,同原告の主張によれば,同原告が身柄を拘束されたのは,本件難民不認定処分ネ時から10年以上前の出来事であるし,原告X19と同じくマウンドーの爆発事件に関連して身柄を拘束されたと主張する原告X15は,難民調査において,同事件に関連して逮捕される可能性はない旨供述しているところ(乙ヨ18),上記両原告が同事件との関わりを異にするといった事情はうかがわれない。そうすると,原告X19がミャンマーに帰国した場合にマウンドーの爆発事件に関して迫害を受けるおそれがあるとは認められない。
(ウ) まとめ
以上のとおり,原告X19についてマウンドーの爆発事件に関して迫害を受けるおそれがあるとは認められず,同原告の主張する移動制限,強制労働,財産の略奪又は恣意的な没収,土地の没収及び教育機会の喪失は,その主張を前提としても,いずれも前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものではないし,これらの不利益が併存することをもって上記「迫害」に当たるものと評価することもできない。そうすると,原告X19について前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあるとは認められず,同原告は,難民に該当するとは認められない。
ト 原告X20について
(ア) 原告X20がロヒンギャ族であるかについて
原告X20がロヒンギャ族であるかについて検討するに,①ロヒンギャ族か否かは,ロヒンギャ族が使用している言語を使用しているか,アラカン州の出身か,イスラム教徒であるかなどの事情により決せられるところ(証人T),同原告は,ロヒンギャ語を話すことができ(顕著な事実),アラカン州マウンドーの出身であり(甲ナ1),イスラム教徒であること(乙ナ20),②同原告は,マレーシアのUNHCRにおいてロヒンギャ族として登録されているところ(甲ナ5,乙ナ9),マレーシアのUNHCRにおけるロヒンギャ族の登録作業は,登録希望者と実際に面接することによってその者の使用言語,出身地,親戚の氏名等を確認してロヒンギャ族か否かを確認していること(甲40),③原告X20はJARO(アラカンロヒンギャ協会日本)の会員であるところ(甲ナ1),JAROへの入会に当たっては面接等によりロヒンギャ族かどうかを厳しく審査されること(甲77)を併せ考慮すると,同原告は,ロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) 原告X20の個別事情に基づく難民該当性の検討
a 強制労働について
原告X20は,ミャンマー在住当時,頻繁に強制労働に従事させられた経験があり,その作業の際には暴力を振るわれることがあったなどと主張する。
しかし,原告X20の主張又は供述する強制労働は,金銭を支払うことで免れることができる場合もあるというものであるし(同原告本人),その内容は,ナサカの建物の建設,事務所への荷物の運搬,国境の川の見張りなどであり,特別な危険を伴わないものである。また,その頻度も,月に2,3回程度で,多いときに週に3日程度となるにすぎず,1回の拘束期間も,数日続くこともあるが,1日で終わる場合もあるというのであり,さらに,同原告が主張する暴行も,歩く速度が遅くなると監視の者が竹の棒等で殴るというものであるから,同原告の主張する強制労働が生命又は身体に危険が生ずるような程度のものであるということはできない。そうすると,原告X20の主張する強制労働が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものということはできないというべきである。
b 財産の奪取及び恣意的な没収について
原告X20は,同原告の父が所有する海老の養殖場が没収され,同原告が切り盛りしていた食料品や雑貨の販売店を没収されたなどと主張する。しかし,原告X20が主張する上記不利益は,経済的なものにすぎない上,これが同原告の生存を脅かすようなものであることを認めるに足りる証拠はなく,上記のように養殖場や店舗は没収されたものの,同原告の家は農業を営み,同原告の母や妻子も,自転車店を経営するとともに農業を営んでいるため,特に生活に困っている状態ではない(乙ナ5,ナ11)というのであるから,同原告の主張する上記不利益が,前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
c 移動制限について
原告X20は,ロヒンギャ族には移動制限があるため,傷害を負ったにもかかわらず,シットウェの病院に行くことができなかったと主張する。しかし,原告X20は,弟の難民不認定処分取消等請求訴訟において,シットウェの病院に行ったが治療を受けることができなかった旨の陳述書を提出しているから(乙ナ31),同原告がシットウェの病院に行くことができなかったかについては疑問の余地があるし,同原告の主張を前提としても,ロヒンギャ族も許可を得ることによりシットウェなどに行くことができるというのであるから,同原告の主張する移動制限がそれほど厳格なものであるとは解されない。したがって,原告X20の主張する上記不利益が前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものであるということはできない。
d 不当な財産の徴収について
原告X20は,同原告の妻が同原告の出国に関して何度も出頭要求を受け,その際,金銭の支払を要求されているため,同原告が帰国した場合には迫害を受けるおそれがあると主張するようである。しかし,原告X20は,入国管理局長が同原告の妻を基地に派遣するよう要請する2008年5月20日付けの書面(甲ナ6)を提出するものの,同原告が難民調査において同原告の出国を理由に家族が逮捕されたり身柄を拘束されたりしたことはない旨供述していることからすれば(乙ナ21),同原告の出国後,妻に何度も出頭要求があったとは認められず,上記書面は,同原告がミャンマーを出国した1994年ころから10年以上が経過した後になって同原告の出国を問題にし,妻を出頭させるよう求めているものということになるが,そのような事態は不自然といわざるを得ず,上記書面の信用性は高くないものというべきである。この点を措くとしても,原告X20の主張によれば,同原告の妻は,出頭要求は受けるものの,金銭を支払うことによって身柄拘束は免れているようであり,そうであるとすれば,ミャンマー政府が同原告の出国を強く問題視しているとは考え難い。したがって,原告X20の妻が出頭要求を受けていることから,直ちに同原告が前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあるということはできないというべきである。
e ミャンマーにおける政治活動について
原告X20は,1988年8月8日の民主化運動において,メイユー学生青年連盟を手伝い,デモに参加したなどと主張するが,同原告は,一般メンバーとしてデモに参加したにすぎず,その回数は1回だけであり,しかも,そこで叫ばれていた言葉の意味も理解しないままデモに参加して一緒に叫んでいたというのであり,デモに参加したこと等により身柄を拘束されたこともないというのであるから(乙ナ21),上記のような同原告の活動によって同原告がミャンマー政府から特段の関心を寄せられるような存在であるとは認められない。
f RSOとの接触を理由とする逮捕のおそれについて
原告X20は,ミャンマー政府からRSOとの関係を疑われており,これを理由に身柄拘束等を受ける危険があるなどと主張する。
しかし,原告X20の主張によっても,同原告が身柄拘束される理由は,RSOとの関係を理由とするものであり,RSOが武装した組織である可能性があるから(乙1,同原告本人),RSOとの関係を有する疑いがあることを理由に身柄拘束等を行うことは,迫害に当たるということはできない。この点を措くとしても,原告X20がRSOとの関係を有するとの疑いをかけられたのは,本件難民不認定処分ナ当時から10年以上前の出来事である上,同原告の家族は,ミャンマーにおいて普通に生活することができており(乙ナ21),同原告の主張によれば,妻にはミャンマー政府から出頭要請がされているものの,金銭を支払えば特段の不利益はないと考えられるのであるから,同原告が帰国した場合にRSOと関係を有する疑いがあることを理由に迫害を受けるおそれがあるとは認められないというべきである。
(ウ) まとめ
以上のとおり,原告X20が政治活動をしたこと及びRSOと関係を有することを理由として迫害を受けるおそれがあるということはできず,同原告の主張する強制労働,財産の奪取及び恣意的な没収,移動制限,財産の徴収等は,その主張を前提としても,いずれも前記(3)で述べた「迫害」に当たるような内容及び程度のものではないし,これらの不利益が併存することをもって上記「迫害」に当たるものと評価することもできない。そうすると,原告X20について前記(3)で述べた「迫害」を受けるおそれがあるとは認められず,同原告は,難民に該当するとは認められない。
(6)  まとめ
ア 以上のとおり,原告X1及び原告X9以外の原告ら(以下,併せて「難民不認定原告」という。)は,難民に該当するとは認められないから,本件難民不認定処分ロからチまで及びヌからナまでは,いずれも適法であり,無効であるということはできない。
イ これに対して,原告X1及び原告X9(以下「難民原告」という。)は,難民に該当すると認められるから,本件難民不認定処分イ及びリは,いずれも違法な処分であるというべきである。
ウ 原告X9は,本件難民不認定処分リが無効である旨主張しているため,本件難民不認定処分リが無効であるかにつき,更に検討するに,行政処分の取消しを求める司法上の救済手続においては,法定の出訴期間の遵守が要求され,その所定の期間を経過した後は,原則としてもはや当該処分の瑕疵を理由としてその効力を争うことはできないが,その瑕疵が重大かつ明白で当該処分が無効と評価される場合には,このような出訴期間による制限は課されないものとされている。ここで,無効原因として瑕疵の明白性が要求される理由は,重大な瑕疵のある処分によって侵害された国民の権利保護の要請と,これに対するものとしての法的安全及び第三者の信頼保護(換言すれば,処分を無効とすることによって侵害される既得の権利の保護)との要請の調和を図る必要性にあるということができる。そうであるとすると,一般に,難民の認定をしない旨の処分が当該外国人に対してのみ効力を有するもので,当該処分の存在を信頼する第三者の保護を考慮する必要が乏しいこと等を考慮すれば,当該処分の瑕疵が入管法の根幹についてのそれであって,出入国管理行政の安定とその円滑な運営の要請を考慮してもなお,出訴期間の経過による不可争的効果の発生を理由として当該外国人に処分による重大な不利益を甘受させることが著しく不当と認められるような例外的な事情のある場合には,前記の過誤による瑕疵が必ずしも明白なものでなくても,当該処分は当然無効と解するのが相当である(最高裁昭和42年(行ツ)第57号同48年4月26日第一小法廷判決・民集27巻3号629頁参照)。
これを本件についてみると,本件難民不認定処分リは,難民である原告X9について難民に認定しないというものであり,その結果,原告X9を,これを迫害するおそれのあるミャンマーに送還することとなるものである。しかしながら,我が国が難民条約及び拷問等禁止条約を批准し,難民条約33条1項を前提に入管法53条3項が規定されていること,入管法上の難民の意義,性質等に照らせば,難民である外国人を,これを迫害するおそれのある国に向けて送還してはならないことは,入管法上明らかである。そうすると,本件難民不認定処分リは,難民である原告X9を迫害するおそれのある国に向けて送還しようとする点において,入管法の根幹に係る重大な過誤というべき瑕疵を有するものといわなければならない。そうすると,本件難民不認定処分リには,出入国管理行政の安定とその円滑な運営の要請を考慮してもなお,出訴期間の経過による不可争的効果の発生を理由として,難民である原告X9に迫害を受けるおそれのある国に送還されるという不利益を甘受させることが,著しく不当と認められるような例外的な事情があるというべきである。したがって,前記の過誤による瑕疵が明白なものでなくても,本件難民不認定処分リは当然無効と解するのが相当である。
3  争点(3)(本件各在特不許可処分の適法性又は無効事由の有無)について
(1)  本件各在特不許可処分のうち,本件在特不許可処分イからチまで,レ及びソについては取消しが求められているものの,前記1で検討したとおり,本件在特不許可処分イからチまで及びソについては,主位的請求に係る取消しを求める訴えは不適法であるので,専ら,予備的請求に係る無効確認の訴えについて無効事由の有無を判断することになる。また,本件在特不許可処分リからタまで,ネ及びナについては,無効確認が求められている。そこで,本件各在特不許可処分について無効事由の判断基準について検討する。
入管法61条の2の2第2項は,法務大臣は,難民認定申請をした在留資格未取得外国人について,難民の認定をしない旨の処分をするとき,又は難民の認定をする場合であって,定住者の在留資格の取得を許可しないときは,当該在留資格未取得外国人の在留を特別に許可すべき事情があるか否かを審査し,当該事情があると認めるときは,その在留を特別に許可することができる旨規定している。そして,上記在留特別許可をするか否かの判断は,法務大臣等の広範な裁量にゆだねられていると解すべきであるが,当該在留資格未取得外国人が入管法上の難民に当たるか否かは,法務大臣等が在留を特別に許可するか否かについて判断する場合に当然に考慮すべき極めて重要な考慮要素であるというべきである。そうすると,法務大臣等が難民に該当する在留資格未取得外国人に対して在留を特別に許可しない旨の処分をした場合には,当該処分は,当該外国人が入管法上の難民に該当するという当然に考慮すべき極めて重要な要素を一切考慮せずに行われたものといわざるを得ず,同処分は,法務大臣等がその裁量権の範囲を逸脱してした違法な処分というべきである。ところで,前示のとおり,行政処分の瑕疵が重大かつ明白で当該処分が無効と評価される場合には,出訴期間による制限は課されないものとされているところ,無効原因として瑕疵の明白性が要求される理由は,重大な瑕疵のある処分によって侵害された国民の権利保護の要請と,これに対するものとしての法的安全及び第三者の信頼保護との要請の調和を図る必要性にあるということができるから,一般に,入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない旨の処分が当該外国人に対してのみ効力を有するもので,当該処分の存在を信頼する第三者の保護を考慮する必要が乏しいこと等を考慮すれば,当該処分の瑕疵が入管法の根幹についてのそれであって,出入国管理行政の安定とその円滑な運営の要請を考慮してもなお,出訴期間の経過による不可争的効果の発生を理由として当該外国人に処分による重大な不利益を甘受させることが著しく不当と認められるような例外的な事情のある場合には,前記の過誤による瑕疵が必ずしも明白なものでなくても,当該処分は当然無効と解するのが相当である。
以上の基準に従って,本件各在特不許可処分のうち本件在特不許可処分レを除くものの無効事由の有無について判断する(本件在特不許可処分レについては取消事由の有無について判断する。)。
(2)  本件在特不許可処分イ及びリについて
本件在特不許可処分イ及びリは,難民原告について入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしないというものであり,その結果,難民原告を,これを迫害するおそれのあるミャンマーに送還することとなるものである。しかしながら,我が国が難民条約及び拷問等禁止条約を批准し,難民条約33条1項を前提に入管法53条3項が規定されていること,入管法上の難民の意義,性質等に照らせば,難民である外国人を,これを迫害するおそれのある国に向けて送還してはならないことは,入管法上明らかである。そうすると,本件在特不許可処分イ及びリは,難民原告について入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をせず,その結果,両原告を,これを迫害するおそれのある国に向けて送還しようとする点において,入管法の根幹に係る重大な過誤というべき瑕疵を有するものといわなければならない。そうすると,本件在特不許可処分イ及びリには,出入国管理行政の安定とその円滑な運営の要請を考慮してもなお,出訴期間の経過による不可争的効果の発生を理由として,難民である両原告について入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をせず,その結果,難民原告に迫害を受けるおそれのある国に送還されるという不利益を甘受させることが,著しく不当と認められるような例外的な事情があるというべきである。したがって,前記の過誤による瑕疵が明白なものでなくても,本件在特不許可処分イ及びリは当然無効と解するのが相当である。
(3)  本件各在特不許可処分のうち難民不認定原告に係るものについて
ア 難民不認定原告は,難民不認定原告が難民条約上の難民に該当し,また,ミャンマーに戻れば非人道的な又は品位を傷つける取扱いが行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があったなどとして,本件各在特不許可処分のうち難民不認定原告に係るものは,送還禁止原則に反する違法な処分であると主張する。
イ しかしながら,前記2において判断したところによれば,本件各在特不許可処分当時,難民不認定原告は,難民に該当したと認めることはできず,また,難民不認定原告がミャンマーに帰国した場合に,難民不認定原告に対しミャンマー政府によって非人道的な又は品位を傷つける取扱いが行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があったとも認められないから,難民不認定原告をミャンマーに送還することが送還禁止原則に反するということはできない。
ウ また,難民不認定原告については,①原告X2は,ミャンマーのアラカン州マウンドーで出生及び生育し,実家の農業の手伝いをし,バングラデシュにおいては農業及び漁業に従事し,マレーシアにおいては建設工事現場で働いていた稼働能力を有する成年者であり(甲ロ1,乙ロ15,ロ16の1),健康状態は特に問題はなく,母及び姉妹はいずれもマウンドーに在住していることが認められること(乙ロ16の1及び2,ロ22),②原告X3は,その供述によれば,ミャンマーのアラカン州マウンドーで出生及び生育し(甲ハ1),ミャンマー,マレーシア等において農業や建設業等に従事していた稼働能力を有する成年者であること(乙ハ4の2),③原告X4は,ミャンマーのアラカン州マウンドーで出生及び生育し(乙ニ3),ミャンマーにおいて2番目の兄の経営する喫茶店を手伝い,タイやマレーシアにおいて喫茶店等で働いていた稼働能力を有する成年者であって(乙ニ6の2,ニ18,原告X4本人),2番目の兄がアラカン州マウンドーに居住していること(甲ニ1,乙ニ3,原告X4本人),④原告X5は,ミャンマーのアラカン州マウンドーで出生及び生育し(乙ホ1),ミャンマーにおいて父の経営する雑貨店を手伝い,タイにおいて飲食店で働くなど稼働能力を有する成年者であって(乙ホ2の1及び2),父母,弟及び妹がアラカン州マウンドーに居住しており(乙ホ2の1,ホ5の2),健康状態も良好であること(乙ホ2の1,ホ5の2,ホ7),⑤原告X6は,ミャンマーのアラカン州マウンドーで出生及び生育し(甲ヘ1),バングラデシュで日雇い作業員として働いていた稼働能力を有する成年者であって(乙ヘ5の2),5人の弟がアラカン州マウンドーに居住し,2人の弟が経営する雑貨店の収入で生計を立てていること(乙ヘ2,ヘ5の2),⑥原告X7は,ミャンマーのアラカン州ブーディータウン郡で出生及び生育し(甲ト1,乙ト16の1),バングラデシュにおいて食堂の従業員として稼働し,タイでは食品販売業を営み,マレーシアにおいて建設作業員として働くなど稼働能力を有する成年者であること(甲ト1,乙ト2,乙ト5の2),原告X7の父母並びに合計7人の兄弟及び妹がミャンマーのアラカン州ブーディータウン郡に居住し,父は機船運転手として働き,兄は衣類販売に従事していること(甲ト1,乙ト2,ト5の2,ト16の1),原告X7の健康状態には特に問題がないこと(乙ト2,乙ト7)⑦原告X8は,ミャンマーのアラカン州マウンドーで出生及び生育し(甲チ1),マウンドーにおいて洋服の生地を販売し,タイにおいて食品販売を行うなど稼働能力を有する成年者であること(甲チ1,乙チ2,),原告X8の両親,姉及び弟はいずれもアラカン州マウンドーに居住していること(甲チ1,乙チ2,チ5の2),原告X8の健康状態には特に問題がないこと(乙チ2),⑧原告X10は,ミャンマーのアラカン州マウンドーで出生及び生育し(甲ヌ1),バングラデシュにおいて漁業に従事するなど稼働能力を有する成年者であること(甲ヌ1,乙ヌ5の2,ヌ16),原告X10の父及び結婚した姉妹を除く妹1人と弟1人がアラカン州マウンドーに居住し,父は魚の販売等に従事して家計を維持していること(甲ヌ1,ヌ16,原告X10本人),原告X10の健康状態には特に問題がないこと(乙ヌ2,ヌ5の2),⑨原告X11は,ミャンマーのアラカン州マウンドーで出生及び生育し(甲ル1),バングラデシュやマレーシアにおいて漁業に従事するなど稼働能力を有する成年者であること(甲ル1),原告X11の両親,姉妹及び弟がアラカン州マウンドーに居住し,父が農業を営んで生計を立てていること(甲ル1,乙ル16の1),⑩原告X12は,ミャンマーのアラカン州マウンドーで出生及び生育し(甲ヲ1),マレーシアにおいて建設現場の作業員として働くなど稼働能力を有する成年者であること(甲ヲ1,乙ヲ2),原告X12の妻子が弟の支援等を受けてマウンドーで生活していること(甲ヲ1,乙ヲ22),原告X12の健康状態には特に問題がないこと(乙ヲ2,ヲ7),⑪原告X13は,ミャンマーのアラカン州マウンドーで出生及び生育し,マレーシアにおいてレストランの従業員として働くなど稼働能力を有する成年者であること(甲ワ1,乙ワ6,ワ18),原告X13の父母及び姉がマウンドーで生活していること(甲ワ1,乙ワ2,ワ18),原告X13の健康状態は,胃に若干の不具合があるにとどまり,他に特別の問題がないこと(乙ワ2,ワ6),⑫原告X14は,ミャンマーのアラカン州シットウェで出生及び生育し,その後,ヤンゴンに移住したこと,原告X14は,ミャンマーにおいて雑貨店を営むなど稼働能力を有する成年者であること(甲カ1),原告X14の妻子がヤンゴンで生活していること(甲カ1),原告X14の健康状態には特に問題がないこと(乙カ3,カ6),⑬原告X15は,ミャンマーのアラカン州マウンドーで出生及び生育し,マウンドーで雑貨店を経営するなど稼働能力を有する成年者であること(甲ヨ1),原告X15の妻,父母及び兄弟がヤンゴンで生活していること(甲ヨ1,乙ヨ3,ヨ17,原告X15本人),原告X15の健康状態には生活に支障が生ずるような特別の問題がないこと(乙ヨ3,ヨ8),⑭原告X16は,ミャンマーのアラカン州マウンドーで出生及び生育し,その後,ヤンゴンに移住したこと,原告X16は,ミャンマーにおいて衣料品店を経営するなど稼働能力を有する成年者であること(甲タ1,乙タ18),原告X16の妻子がヤンゴンで生活していること(甲タ1,乙タ18),原告X16の健康状態には特に問題はないこと(乙タ4),⑮原告X17は,ミャンマーのヤンゴンで出生及び生育し,韓国及び日本において飲食店等で稼働するなど稼働能力を有する成年者であること(甲レ46,乙レ14,レ26),原告X17の母,弟及び妹がヤンゴンで生活していること(乙レ31),原告X17の健康状態には特に問題はないこと(乙レ12の1),⑯原告X18は,ミャンマーのアラカン州シットウェで出生及び生育し,その後,カチン州で生活していたのであり(甲ソ1),ミャンマーにおいて雑貨店を営み,本邦において塗装工場の工員として稼働するなど稼働能力を有する成年者であって(乙ソ5,ソ10,ソ23),健康状態には特に問題はないこと(乙ソ5),⑰原告X19は,ミャンマーのアラカン州マウンドーで出生及び生育し,マレーシアで建設作業員等として稼働していた稼働能力を有する成年者であること(乙ネ7),原告X19の父母,弟及び妹がマウンドーで生活していること(乙ネ7),原告X19の健康状態には特段の問題はないこと(乙ネ4),⑱原告X20は,ミャンマーのアラカン州マウンドーで出生及び生育し,マウンドーで食料品や雑貨の販売店を経営するなど稼働能力を有する成年者であること(甲ナ1),原告X20の妻子並びに母,姉,弟及び妹がミャンマーで生活していること(甲ナ1,乙ナ9,ナ19),原告X20の健康状態には生活に支障が生ずるような特別の問題がないこと(乙ナ11)などが認められ,難民不認定原告は,いずれもミャンマーで生活していく上では特段の支障はないと考えられる。他方,難民不認定原告は,本邦に入国するまで本邦とは何らかかわりがなかったのである。そうすると,本件各在特不許可処分のうち難民不認定原告に係るものについて,法務大臣等の裁量権の範囲の逸脱又は濫用に当たるとは認め難く,他に上記各処分について裁量権の範囲の逸脱又は濫用に当たると解すべき事情の存在は認められない。
エ 以上によれば,本件各在特不許可処分のうち難民不認定原告に係るものは,いずれも適法なものであって,無効と解すべき例外的な事情(前記(1))は認められない。
4  争点(4)(本件各裁決の適法性又は無効事由の有無)について
(1)  原告らは,原告らが難民に該当するから,本件各裁決は,送還禁止原則に反するものであるし,また,原告らには指定可能な送還先がなかったのに送還先があると誤信し,又は送還先の有無について検討せずに本件各裁決が行われたとして,本件各裁決が違法又は無効であると主張する。
(2)  入管法は,法務大臣等が入管法49条1項に基づく異議の申出に対する裁決をするに当たって,異議の申出に理由がないと認める場合であっても在留を特別に許可することができるとする(入管法50条1項)一方,難民認定申請をした在留資格未取得外国人に係る退去強制手続については,同項を適用しないこととしている(入管法61条の2の6第4項。なお,出入国管理及び難民認定法の一部を改正する法律(平成16年法律第73号)2条の規定による改正前の入管法の規定によりされている難民認定申請は,上記改正後の入管法の規定によりされている難民認定申請とみなされる。出入国管理及び難民認定法の一部を改正する法律(平成16年法律第73号)附則6条参照。)。このように,入管法が難民認定申請をした在留資格未取得外国人に係る退去強制手続について入管法50条1項の適用を除外したのは,難民認定申請をした在留資格未取得外国人については,入管法61条の2の2において,法務大臣等が難民認定申請手続の中で本邦への在留の許否について判断することとしたことから,法務大臣等が退去強制手続の中で入管法49条1項に基づく異議の申出に対する裁決をするに当たっては,異議を申し出た者が退去強制対象者に該当するか否かという点に係る特別審理官の判定に対する異議の申出に理由があるか否かを判断すれば足りることとしたものと解するのが,その文理解釈上相当である。
(3)  これを本件についてみると,前提事実のとおり,原告らは,入管法61条の2の6第4項の適用を受ける難民認定申請をした在留資格未取得外国人であるところ,原告らが難民であることは,原告が退去強制対象者に該当するか否かという点に係る特別審理官の判定に対する異議の申出に理由がない旨の本件裁決の違法事由であるということはできない。
また,入管法51条が主任審査官の発付する退去強制令書に送還先を記載することを定めていること,入国審査官は,退去強制対象者に該当するかどうかを審査すべきものとされ(入管法45条1項),特別審理官は,入国審査官の認定が誤りがないか否かを判断するものとされており(入管法48条6項及び8項),退去強制対象者の送還先の有無や適否を検討すべきことを定める規定は見当たらないところ,退去強制対象者が入国審査官の認定又は特別審理官の判定に服したときは,主任審査官は,速やかに退去強制令書を発付することとされており(入管法47条5項,48条9項),これらの場合には,法務大臣等が退去強制令書における送還先の有無や適否を判断する機会がないことなどからすると,法務大臣等は,入管法49条1項に基づく異議の申出に対する裁決をするに当たっては,異議を申し出た者が退去強制対象者に該当するか否かという点に係る特別審理官の判定に対する異議の申出に理由があるか否かを判断すれば足りるのであって,法務大臣等が送還先の有無や適否を判断することを要するものではないと解するのが相当である。そうすると,法務大臣等が指定可能な送還先がなかったのに送還先があると誤信し,又は送還先の有無について検討しなかったことも,裁決の違法事由とはならないと解すべきである。
(4)  そうすると,原告らが主張するところは,本件各裁決の違法事由となるものではなく,他に本件各裁決に瑕疵があることをうかがわせる証拠もないことなども勘案すれば,本件各裁決は適法にされたものと認められる。
5  争点(5)(本件各退令発付処分の適法性又は無効事由の有無)について
(1)  主任審査官は,法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは,速やかに当該外国人に対し,その旨を知らせるとともに,退去強制令書を発付しなければならないが(入管法49条6項),当該外国人が難民条約に定める難民であるときは,当該外国人を,これを迫害するおそれのある国に向けて送還することはできない(入管法53条3項,難民条約33条1項,拷問等禁止条約3条)。したがって,当該外国人が難民であるにもかかわらず,その者を,これを迫害するおそれのある国に向けて送還する退去強制令書発付処分は違法であるというべきである。
(2)  そうすると,前示のとおり,難民原告(原告X1及び原告X9)は,難民であるということができるのであるから,難民原告を,これを迫害するおそれのあるミャンマーへ向けて送還する本件退令発付処分イ及びリは,違法であるというだけでなく,前記3(1)のとおり,入管法の根幹に係る重大な過誤というべき瑕疵を有するものといわざるを得ない。したがって,その瑕疵が明白なものでなくとも,本件退令発付処分イ及びリは当然無効と解するのが相当である。
(3)  次に,本件各退令発付処分のうち難民不認定原告に係るものについて検討する。まず,難民不認定原告は,本件各裁決のうち難民不認定原告に係るものは違法であるから,本件各退令発付処分のうち難民不認定原告に係るものも違法であると主張する。
しかし,前記4のとおり,本件各裁決は適法なものであるところ,法務大臣等は,入管法49条1項に基づく異議の申出があったときは,異議の申出に理由があるか否かについての裁決をして,その結果を主任審査官に通知しなければならず(同条3項),主任審査官は,法務大臣等から異議の申出は理由がない旨の裁決をした旨の通知を受けたときは,当該容疑者に対し,速やかにその旨を知らせるとともに,入管法51条の規定による退去強制令書を発付しなければならない(同法49条6項)。したがって,主任審査官は,前提事実のとおり法務大臣等から適法な本件各裁決の通知を受けた以上,入管法上,これに従って退去強制令書を発付するほかなく,これを発付するか否かについて裁量を有するものではないから,本件各裁決のうち難民不認定原告に係るものが違法であるために本件各退令発付処分のうち難民不認定原告に係るものが違法であるということはできない。
(4)  また,難民不認定原告は,自らが難民に該当するから,本件各退令発付処分のうち難民不認定原告に係る部分は,難民条約33条1項,拷問等禁止条約3条1項及び入管法53条3項に違反して違法又は無効であると主張する。
しかし,前記2のとおり,難民不認定原告は,それぞれに対する退去強制令書発付処分(本件退令発付処分ロからチ及びヌからナ)当時,難民であるとは認められず,また,難民不認定原告がミャンマーに帰国した場合にこれらに対して拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があったとも認められないから,本件各退令発付処分のうち難民不認定原告に係る部分が難民条約33条1項,拷問等禁止条約3条1項及び入管法53条3項に違反するということはできない。
(5)  さらに,難民不認定原告は,自らの国籍又は市民権の属する国がミャンマーであるとはいえないから,ミャンマーを国籍国として送還先とする本件各退令発付処分は,送還不可能なミャンマーを送還先とした違法なものであると主張する。
しかし,入管法53条2項が本人の希望により送還先を定めることとしているのは,国籍又は市民権の属する国以外の国を送還先に決定する場合には,本人の希望を聞いた上で,最も適当な送還先を決定する趣旨にとどまり,被退去強制者が希望しない国を送還先と指定することができないというものではないから,難民不認定原告が難民申請していることからミャンマーを送還先として指定することができなくなるものではない。そして,仮に,難民不認定原告がミャンマー国籍を有しているとは認められないとしても,①原告X2が12歳くらいまでミャンマーに居住していたこと(乙ロ4の1,ロ15,ロ16の1),原告X2の両親は農業を営んで生計を立てており,姉妹は,結婚して独立しているが,いずれもミャンマーのアラカン州マウンドーに居住していること(乙ロ16の1,ロ16の2,ロ22),②原告X3が1972年から1991年までミャンマーに居住していたこと(甲ハ1),ミャンマーには妻と2人の子供がいること(甲ハ1,乙ハ18,ハ19の3),③原告X4が1966年から1988年までミャンマーに居住していたこと,2番目の兄がミャンマーのアラカン州マウンドーに居住していること(乙ニ24,原告X4本人),④原告X5が1976年から2000年までミャンマーに居住していたこと,父母,弟及び妹がミャンマーのアラカン州マウンドーに居住し,父の収入で生計を維持していること(甲ホ1,乙ホ2の1,ホ5の2,ホ17の1),⑤原告X6が1976年から1997年までミャンマーに居住していたこと,5人の弟がミャンマーのアラカン州マウンドーに居住し,2人の弟が経営する雑貨店の収入で生計を立てていること(甲ヘ1,乙ヘ2,ヘ5の2),⑥原告X7が1983年から2000年までミャンマーに居住していたこと,父母並びに合計7人の兄弟及び妹がミャンマーのアラカン州ブーディータウン郡に居住し,父は機船運転手として働き,兄は衣類販売に従事していること(乙ト2,ト5の2,乙ト16の1),⑦原告X8が1977年から2001年又は2002年までミャンマーに居住していたこと,両親,姉及び弟がアラカン州マウンドーに居住していること(甲チ1,乙チ2,チ5の2),⑧原告X10が1980年から1994年までミャンマーに居住していたこと,父並びに結婚した姉妹を除く妹1人及び弟1人がアラカン州マウンドーに居住し,父は魚の販売等に従事して家計を維持していること(甲ヌ1,乙ヌ16,同原告本人),⑨原告X11が1980年から1999年までミャンマーに居住していたこと(甲ル1),両親,姉妹及び弟がアラカン州マウンドーに居住し,父が農業を営んで生計を立てていること(甲ル1,乙ル16の1),⑩原告X12が1958年から1991年までミャンマーに居住していたこと(甲ヲ1),同原告の妻子が弟の支援等を受けてマウンドーで生活していること(甲ヲ1,乙ヲ22),⑪原告X13が1976年から1994年までミャンマーに居住していたこと(甲ワ1),同原告の父母及び姉がマウンドーで生活していること(甲ワ1,乙ワ2,ワ18),⑫原告X14が1965年から2006年までミャンマーに居住し,雑貨や食料を販売する店舗を経営していたこと,同原告の妻子がヤンゴンで生活していること(甲カ1),⑬原告X15が1977年から2004年までミャンマーに居住していたこと(甲ヨ1),同原告の妻,父母及び兄弟がヤンゴンで生活していること(甲ヨ1,乙ヨ3,ヨ17,同原告本人),⑭原告X16が1969年から2006年までミャンマーに居住し,衣料品店を経営するなどしていたこと(甲タ1),同原告の妻子がヤンゴンで生活していること(甲タ1,乙タ18),⑮原告X17が1974年から2000年までミャンマーに居住していたこと(甲レ46),同原告の母,弟及び妹がヤンゴンで生活していること(乙レ31),⑯原告X18が1956年から2000年までミャンマーに居住していたこと,同原告の妻と次男がミャンマーで生活していること(甲ソ1,同原告本人),⑰原告X19が1973年から1994年までミャンマーに居住していたこと(甲ネ1),同原告の父母,弟及び妹がマウンドーで生活していること(乙ネ7),⑱原告X20が1968年から1994年までミャンマーに居住していたこと(甲ナ1),同原告の妻子並びに母,姉,弟及び妹がマウンドーで生活していること(甲ナ1,乙ナ9,ナ19)からすれば,上記各原告らについては,入管法53条2項により上記各原告らが本邦に入国する前に居住していたことのある国であるミャンマーを送還先として指定することが可能であるというべきである。
(6)  また,難民不認定原告は,ミャンマー政府は,ロヒンギャ族の受入れを拒否しているから,ミャンマーを送還先とする本件各退令発付処分は,送還不可能なミャンマーを送還先とした違法なものであると主張する。
しかし,ミャンマー政府がロヒンギャ族の送還の受入れを拒否し,仮に,これを受け入れたとしても,入国管理法違反等を理由として投獄されることになる旨のロヒンギャ族の専門家の見解は存するものの(甲36,証人T),他方で,難民不認定処分を受けたロヒンギャ族と称する者が自ら帰国を希望して自費出国許可を受け出国した例があること(弁論の全趣旨)からすれば,難民不認定原告についてミャンマーへの送還が不可能であるとまで断ずることはできないし(この場合に送還されたロヒンギャ族が投獄されるとしても,それはミャンマーにおいて一般的に適用される国内法違反を理由とするものであり,ロヒンギャ族を理由とする迫害に当たらないというべきである。),この点を措くとしても,入管法52条5項は,退去強制を受ける者を直ちに本邦外に送還することができないときは,送還可能のときまで入国者収容所その他の場所に収容することを認めるとともに,同条6項は,退去強制を受ける者を送還することができないことが明らかになったときは,必要と認める条件を附して,その者を放免することができると定めていることからすれば,入管法は,送還不能の場合であっても,退去強制令書を発付することを予定しているものと解され,仮に,送還先と指定された国への送還が不可能であったとしても,そのことから直ちに退去強制令書発付処分が無効となるものではない。
(7)  以上によれば,本件各退令発付処分のうち難民不認定原告に係るものは,適法であって,無効と解すべき例外的事情(前記3(1))は認められないというべきである。
6  結論
以上の次第で,本件訴えのうち,本件在特不許可処分イからチまで及びソの各取消しを求める部分は,いずれも不適法であるからこれらを却下することとし,本件難民不認定処分イの取消しを求める部分,本件退令処分イの無効確認を求める部分及び本件在特不許可処分イの無効確認を求める部分並びに本件難民不認定処分リの無効確認を求める部分,本件退令処分リの取消しを求める部分及び本件在特不許可処分リの無効確認を求める部分は,いずれも理由があるから認容することとし,その余の請求はいずれも理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民訴法64条本文,65条1項本文,61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 杉原則彦 裁判官 角谷昌毅 裁判官 澤村智子)

別紙
当事者目録
群馬県館林市〈以下省略〉
平成19年(行ウ)第472号事件原告 X1(以下「原告X1」という。)
愛知県一宮市〈以下省略〉
平成19年(行ウ)第493号事件原告 X2(以下「原告X2」という。)
東京都新宿区〈以下省略〉
平成19年(行ウ)第494号事件原告 X3(以下「原告X3」という。)
群馬県館林市〈以下省略〉
平成19年(行ウ)第495号事件原告 X4(以下「原告X4」という。)
群馬県館林市〈以下省略〉
平成19年(行ウ)第496号事件原告 X5(以下「原告X5」という。)
群馬県館林市〈以下省略〉
平成19年(行ウ)第497号事件原告 X6(以下「原告X6」という。)
群馬県館林市〈以下省略〉
平成19年(行ウ)第498号事件原告 X7(以下「原告X7」という。)
群馬県館林市〈以下省略〉
平成19年(行ウ)第715号事件原告 X8(以下「原告X8」という。)
群馬県館林市〈以下省略〉
平成19年(行ウ)第785号事件原告 X9(以下「原告X9」という。)
群馬県館林市〈以下省略〉
平成20年(行ウ)第132号事件原告 X10(以下「原告X10」という。)
群馬県館林市〈以下省略〉
平成20年(行ウ)第133号事件原告 X11(以下「原告X11」という。)
群馬県館林市〈以下省略〉
平成20年(行ウ)第404号事件原告 X12(以下「原告X12」という。)
群馬県館林市〈以下省略〉
平成20年(行ウ)第405号事件原告 X13(以下「原告X13」という。)
群馬県館林市〈以下省略〉
平成20年(行ウ)第406号事件原告 X14(以下「原告X14」という。)
群馬県館林市〈以下省略〉
平成20年(行ウ)第407号事件原告 X15(以下「原告X15」という。)
群馬県館林市〈以下省略〉
平成20年(行ウ)第408号事件原告 X16(以下「原告X16」という。)
東京都新宿区〈以下省略〉
平成18年(行ウ)第472号事件原告兼同20年(行ウ)第55号事件原告 X17(以下「原告X17」という。)
群馬県館林市〈以下省略〉
平成20年(行ウ)第686号事件原告 X18(以下「原告X18」という。)
群馬県館林市〈以下省略〉
平成20年(行ウ)第756号事件原告 X19(以下「原告X19」という。)
群馬県館林市〈以下省略〉
平成21年(行ウ)第367号事件原告 X20(以下「原告X20」という。)
原告ら訴訟代理人弁護士 渡邉彰悟
鈴木雅子
伊藤敬史
髙橋太郎
白鳥玲子
本田麻奈弥
梓澤和幸
石田真美
板倉由実
井村華子
岩重佳治
魚住昭三
打越さく良
枝川充志
大坂恭子
大川秀史
小田川綾音
加藤桂子
久保田祐佳
近藤博徳
笹川麻利恵
猿田佐世
島薗佐紀
鈴木眞
曽我裕介
高橋融
高橋ひろみ
田島浩
野島正
濱野泰嘉
原啓一郎
樋渡俊一
福地直樹
藤元達弥
水内麻起子
宮内博史
村上一也
毛受久
山﨑健
山口元一
全事件被告 国
代表者兼平成18年(行ウ)第472号事件を除く20件処分行政庁 法務大臣 A
平成19年(行ウ)第472号事件裁決行政庁兼処分行政庁 福岡入国管理局長 B
同事件処分行政庁 福岡入国管理局主任審査官 C
平成19年(行ウ)第493号事件裁決行政庁兼処分行政庁 大阪入国管理局長 D
同事件処分行政庁 大阪入国管理局関西空港支局主任審査官 E
平成19年(行ウ)第494号から第498号まで,同第715号,同第785号,同20年(行ウ)第132号,同第133号,同第404号から第408号まで,同第686号,同第756号,同21年(行ウ)第367号事件裁決行政庁兼処分行政庁,同20年(行ウ)第55号事件裁決行政庁,平成18年(行ウ)第472号事件処分行政庁 東京入国管理局長 F
平成19年(行ウ)第494号,同第785号,同20年(行ウ)第55号,同第686号,同21年(行ウ)第367号事件処分行政庁 東京入国管理局主任審査官 G
平成19年(行ウ)第495号から第498号まで,同第715号,同20年(行ウ)第132号,同第133号,同第404号から第408号まで,同第756号事件処分行政庁 東京入国管理局成田空港支局主任審査官 H
全事件指定代理人 中井公哉
亀田友美
加藤寛輝
壽茂
平成19年(行ウ)第472号事件指定代理人 青﨑祐輔
上野義則
苅米幸治
大宮誠司
平成19年(行ウ)第493号事件指定代理人 山家谷浩
是枝竜二
好浦正則
上原洋二
江口康彦
奥田勝
島津吉貴
楠本リカ
平成19年(行ウ)第494号から第498号まで,同第715号,同第785号,同20年(行ウ)第55号,同第132号,同第133号,同第404号から第408号まで,同第686号,同第756号,同21年(行ウ)第367号,同18年(行ウ)第472号事件指定代理人 小田切弘明
権田佳子
中嶋一哉
岡本充弘
髙﨑純
鈴木功祐
山口晃
以上


「政治活動 選挙運動」に関する裁判例一覧
(1)平成30年10月31日 東京地裁 平27(ワ)18282号 損害賠償請求事件
(2)平成30年 5月15日 東京地裁 平28(行ウ)332号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(3)平成30年 4月18日 東京高裁 平29(行コ)302号 埼玉県議会政務調査費返還請求控訴事件
(4)平成30年 3月30日 東京地裁 平27(ワ)37147号 損害賠償請求事件
(5)平成30年 2月21日 東京地裁 平28(行ウ)6号 労働委員会救済命令取消請求事件
(6)平成29年12月20日 大阪地裁 平27(ワ)9169号 損害賠償請求事件
(7)平成29年11月 2日 仙台地裁 平26(行ウ)2号 政務調査費返還履行等請求事件
(8)平成29年10月11日 東京地裁 平28(ワ)38184号 損害賠償請求事件
(9)平成29年 9月28日 東京高裁 平28(う)2243号 業務上横領被告事件
(10)平成29年 9月28日 東京地裁 平26(行ウ)229号 難民不認定処分取消請求事件
(11)平成29年 9月 8日 東京地裁 平28(行ウ)117号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(12)平成29年 7月24日 東京地裁 平28(特わ)807号 公職選挙法違反被告事件
(13)平成29年 6月29日 宇都宮地裁 平23(行ウ)8号 政務調査費返還履行請求事件
(14)平成29年 5月18日 東京高裁 平28(う)1194号 公職選挙法違反被告事件
(15)平成29年 3月30日 広島高裁岡山支部 平28(行コ)2号 不当利得返還請求控訴事件
(16)平成29年 3月15日 東京地裁 平27(行ウ)403号 地位確認等請求事件
(17)平成29年 1月31日 大阪高裁 平28(ネ)1109号 損害賠償等請求控訴事件
(18)平成29年 1月31日 仙台地裁 平25(行ウ)11号 政務調査費返還履行等請求事件
(19)平成28年10月12日 東京地裁 平25(刑わ)2945号 業務上横領被告事件
(20)平成28年 8月23日 東京地裁 平27(行ウ)384号 難民不認定処分取消等請求事件
(21)平成28年 7月28日 名古屋高裁 平28(行コ)19号 難民不認定処分等取消請求控訴事件
(22)平成28年 7月19日 東京高裁 平27(ネ)3610号 株主代表訴訟控訴事件
(23)平成28年 6月 3日 静岡地裁 平27(わ)241号 公職選挙法違反被告事件
(24)平成28年 3月25日 大阪高裁 平27(ネ)1608号 損害賠償請求控訴、同附帯控訴事件
(25)平成28年 3月15日 大阪地裁 平27(ワ)3109号 損害賠償等請求事件
(26)平成28年 2月17日 東京地裁 平26(行ウ)219号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(27)平成28年 1月28日 名古屋地裁 平23(行ウ)109号 難民不認定処分等取消請求事件
(28)平成27年12月16日 大阪高裁 平27(ネ)697号 損害賠償請求控訴事件、同附帯控訴事件
(29)平成27年12月11日 東京地裁 平26(行ウ)245号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(30)平成27年 7月 3日 東京地裁 平26(行ウ)13号 難民不認定処分取消請求事件
(31)平成27年 6月26日 大阪高裁 平26(行コ)163号 建物使用不許可処分取消等・建物明渡・使用不許可処分取消等請求控訴事件
(32)平成27年 6月24日 宇都宮地裁 平22(行ウ)8号 政務調査費返還履行請求事件
(33)平成27年 6月 1日 大阪地裁 平27(ヨ)290号 投稿動画削除等仮処分命令申立事件
(34)平成27年 3月30日 大阪地裁 平24(ワ)8227号 損害賠償請求事件(第一事件)、損害賠償請求事件(第二事件)
(35)平成27年 1月21日 大阪地裁 平24(ワ)4348号 損害賠償請求事件
(36)平成26年10月28日 東京地裁 平24(行ウ)496号 三鷹市議会議員および市長選挙公営費返還請求事件
(37)平成26年10月24日 和歌山地裁 平23(行ウ)7号 政務調査費違法支出金返還請求事件
(38)平成26年10月20日 東京地裁 平25(ワ)8482号 損害賠償請求事件
(39)平成26年 8月25日 東京地裁 平24(行ウ)405号 不当労働行為救済命令一部取消請求事件(第1事件)、不当労働行為救済命令一部取消請求事件(第2事件)
(40)平成26年 7月11日 札幌地裁 平22(行ウ)42号 政務調査費返還履行請求事件
(41)平成25年10月16日 東京地裁 平23(行ウ)292号 報酬返還請求事件
(42)平成25年 6月19日 横浜地裁 平20(行ウ)19号 政務調査費返還履行等代位請求事件
(43)平成25年 2月28日 東京地裁 平22(ワ)47235号 業務委託料請求事件
(44)平成25年 1月18日 東京地裁 平23(行ウ)442号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(45)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)95号 選挙無効請求事件
(46)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)72号 選挙無効請求事件
(47)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)65号 選挙無効請求事件
(48)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)64号 選挙無効請求事件
(49)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)59号 選挙無効請求事件
(50)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)52号 選挙無効請求事件
(51)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)51号 選挙無効請求事件 〔参議院議員定数訴訟・大法廷判決〕
(52)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)179号 
(53)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)174号 参議院議員選挙無効請求事件
(54)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)171号 選挙無効請求事件
(55)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)155号 選挙無効請求事件
(56)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)154号 選挙無効請求事件
(57)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)153号 選挙無効請求事件
(58)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)135号 選挙無効請求事件
(59)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)133号 選挙無効請求事件
(60)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)132号 選挙無効請求事件
(61)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)131号 選挙無効請求事件
(62)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)130号 選挙無効請求事件
(63)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)113号 選挙無効請求事件
(64)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)112号 選挙無効請求事件
(65)平成24年 9月 6日 東京地裁 平24(ワ)2339号 損害賠償等請求事件、販売差止請求権不存在確認等請求事件
(66)平成24年 5月17日 東京地裁 平22(行ウ)456号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(67)平成24年 5月11日 名古屋高裁 平22(ネ)1281号 損害賠償請求控訴事件 〔議会代読拒否訴訟・控訴審〕
(68)平成24年 1月24日 東京地裁 平23(ワ)1471号 組合長選挙無効確認等請求事件 〔全日本海員組合事件〕
(69)平成23年12月21日 横浜地裁 平22(ワ)6435号 交通事故による損害賠償請求事件
(70)平成23年 9月 2日 東京地裁 平22(行ウ)36号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(71)平成23年 7月22日 東京地裁 平22(行ウ)555号 難民の認定をしない処分取消請求事件、追加的併合申立事件
(72)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)303号 衆議院議員選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(73)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)268号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(74)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)257号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(75)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)256号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(76)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)235号 選挙無効請求事件
(77)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)234号 選挙無効請求事件
(78)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)207号 選挙無効請求事件
(79)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)206号 選挙無効請求事件
(80)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)203号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(81)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)201号 選挙無効請求事件
(82)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)200号 選挙無効請求事件
(83)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)199号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(84)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)189号 選挙無効請求事件
(85)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)188号 選挙無効請求事件
(86)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)130号 選挙無効請求事件
(87)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)129号 選挙無効請求事件
(88)平成22年11月 9日 東京地裁 平21(行ウ)542号 政務調査費返還(住民訴訟)請求事件
(89)平成22年10月29日 東京地裁 平19(行ウ)472号 難民の認定をしない処分取消等請求事件、在留特別許可をしない処分取消請求事件
(90)平成22年 7月30日 東京地裁 平21(行ウ)281号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(91)平成22年 6月 1日 札幌高裁 平22(う)62号 公職選挙法違反被告事件
(92)平成22年 3月31日 東京地裁 平21(行ウ)259号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(93)平成22年 2月12日 札幌地裁 平21(わ)1258号 公職選挙法違反被告事件
(94)平成22年 2月 3日 東京高裁 平21(行ケ)30号 選挙無効請求事件
(95)平成21年 3月27日 宮崎地裁 平18(わ)526号 競売入札妨害、事前収賄、第三者供賄被告事件
(96)平成21年 2月26日 名古屋高裁 平20(行コ)32号 損害賠償(住民訴訟)請求等控訴事件
(97)平成20年10月 8日 東京地裁 平13(ワ)12188号 各損害賠償請求事件
(98)平成20年 8月 8日 東京地裁 平18(刑わ)3785号 収賄、競売入札妨害被告事件〔福島県談合汚職事件〕
(99)平成20年 5月26日 長崎地裁 平19(わ)131号 殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、公職選挙法違反等被告事件
(100)平成20年 4月22日 東京地裁 平18(ワ)21980号 地位確認等請求事件 〔財団法人市川房江記念会事件〕


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