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政治と選挙Q&A「政党 衆議院議員 ポスター」に関する裁判例(57)平成 6年 5月23日 千葉地裁 昭51(ワ)698号 損害賠償等請求事件 〔千葉東電訴訟判決〕

政治と選挙Q&A「政党 衆議院議員 ポスター」に関する裁判例(57)平成 6年 5月23日 千葉地裁 昭51(ワ)698号 損害賠償等請求事件 〔千葉東電訴訟判決〕

裁判年月日  平成 6年 5月23日  裁判所名  千葉地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭51(ワ)698号
事件名  損害賠償等請求事件 〔千葉東電訴訟判決〕
裁判結果  一部認容、一部棄却  上訴等  控訴  文献番号  1994WLJPCA05230001

要旨
◆日本共産党員または同党支持者であることを理由として賃金関係及び人権侵害等の差別取扱いを受けたとして、同期入社同学歴の標準的な従業員の平均賃金との間に生じた賃金差別額に相当する損害の賠償請求及び慰謝料等を求めた事案につき、当該差別を認め、右平均賃金と実際賃金との間の格差額の三割相当の損害賠償請求及び慰謝料請求の一部を認容した事例
◆会社が従業員に対してした賃金関係の低い処遇について、特定の思想信条を有することを理由のひとつとして行なわれた差別にあたり違法とされた事例
◆前記の違法な差別による逸失利益の損害賠償として、同期同学歴従業員の平均的賃金との差額の三割が認容された事例
◆前記の違法な差別を理由とする慰謝料請求が認容された事例

新判例体系
民事法編 > 民法 > 民法〔明治二九年法律… > 第一編 総則 > 第五章 法律行為 > 第一節 総則 > 第九〇条 > ○契約の条件としての… > (一)贈与以外の諸契… > C 雇傭と労務者の自… > (4)労働条件の不当差別
◆共産党員等であることを理由に賃金関係処遇の差別取扱いを受けた者には、同期入社同学歴の標準的な従業員の平均賃金との間に生じた賃金差別額の三割相当の損害賠償請求及び慰謝料請求が認められる。

 

出典
判タ 864号72頁
判時 1507号53頁
労判 661号22頁
労働法律旬報 1343号65頁

評釈
山田省三・ジュリ臨増 1068号191頁(平6重判解)
野田進・ジュリ別冊 197号34頁(労働判例百選 第8版)
青野覚・ジュリ別冊 165号62頁(労働判例百選 第7版)
角田邦重・ジュリ別冊 134号54頁(労働判例百選 第6版)
藤川久昭・労判 666号6頁
西谷敏・労働法律旬報 1384号6頁
藤野善夫・労働法律旬報 1343号16頁
(実務家のための労働判例)・労政時報 3176号44頁
野村晃・法時 67巻2号90頁
慰謝料請求事件データファイル(労働関係)

参照条文
日本国憲法19条
民法416条
民法709条
民法710条
民法715条
民法723条
民法724条
民法90条
労働基準法3条

裁判年月日  平成 6年 5月23日  裁判所名  千葉地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭51(ワ)698号
事件名  損害賠償等請求事件 〔千葉東電訴訟判決〕
裁判結果  一部認容、一部棄却  上訴等  控訴  文献番号  1994WLJPCA05230001

〈第一分冊目次〉
当事者の表示
主文
事実及び理由
第一編 請求及び事案の概要等
第一章 原告らの求めた裁判
第二章 事案の概要及び争点等の摘示
第一節 事案の概要
第二節 争いのない事実及び証拠によって認められる前提事実
第三節 争点の摘示
第二編 争いのない事実及び証拠によって認められる前提事実
第一章 当事者の概要
第二章 被告の賃金制度の概要
第一節 職務給制度
第二節 被告の賃金体系
第三節 人事考課制度
第三編 争点に対する判断
第一章 訴えの変更に対する異議についての判断
第二章 賃金関係処遇差別による損害賠償請求等の関係の争点についての判断
第一節 請求原因が特定されていないとの被告の主張について
第二節 賃金関係処遇格差の実情について
第三節 賃金関係処遇格差発生の原因について
一 反共労務政策について
二 原告らが反共労務政策の対象であることについて
第四節 反共労務政策と賃金関係処遇格差の因果関係
その一・年功序列性について
第五節 反共労務政策と賃金関係処遇格差の因果関係
その二・原告らの勤務ぶりについて
一 はじめに
二 会社を敵視する基本的態度という被告の主張について
三 原告遠藤関係
四 原告久保田関係
五 原告塩森関係
六 原告畠田関係
七 原告川又関係
八 原告藤田関係
九 原告木村関係
一〇 原告山田関係
一一 原告勝俣関係
一二 原告萩原関係
一三 原告永松関係
一四 原告結城関係
一五 原告網岡関係
一六 まとめ
第六節 賃金関係処遇格差を生じさせたことの違法性と被告の損害賠償等の責任
第七節 消滅時効の抗弁について
第三章 その余の人権侵害行為による損害賠償請求関係
第四章 損害の主張に対する判断
第一節 財産的損害について
第二節 精神的損害について
第三節 謝罪広告等について
第四節 弁護士費用について
第五節 遅延損害金について
第五章 結論
(別紙) 認容債権目録
〈第二分冊目次〉
第一編 原告らに対する賃金関係処遇格差の実情
第一章 賃金格差額の求め方
第一節 昭和四八年一〇月から同五七年九月までの求め方
第二節 昭和五七年一〇月以降の求め方
第二章 平均給与の具体的算出及び原告らとの比較
第一節 昭和五七年九月まで
第二節 昭和五七年一〇月以降
第三章 具体的な賃金格差額(各論)
第一節 基準内給与における格差額
第二節 賞与における格差額
第三節 住宅積立助成手当における格差額
第四節 その他手当等における格差額
第四章 格差の実態(まとめ)
第五章 原告らが支払いを受けた賃金額の主張の補正
第二編 賃金関係処遇格差発生の原因
(被告の反共労務政策と原告らに対する適用)
第一章 被告の反共労務政策
第一節 反共労務政策の展開
第二節 「左派」に対する反共労務政策の展開
第三節 反共労務政策の展開にみる被告の差別意思
第二章 千葉県における労務政策
第一節 千葉県における反共労務政策と差別意思
第二節 労務関係諸対策の原告らに対する具体的実行
第三章 原告らが反共労務政策による差別対象であること
第一節 原告遠藤
第二節 原告久保田
第三節 原告塩森
第四節 原告畠田
第五節 原告川又
第六節 原告藤田
第七節 原告木村
第八節 原告山田
第九節 原告勝俣
第一〇節 原告萩原
第一一節 原告永松
第一二節 原告結城
第一三節 原告網岡
第四章 反共労務政策と賃金格差の因果関係
その一・賃金体系の年功序列性
第五章 反共労務政策と賃金格差の因果関係
その二・原告らの能力と勤務ぶり
第一節 原告遠藤
第二節 原告久保田
第三節 原告塩森
第四節 原告畠田
第五節 原告川又
第六節 原告藤田
第七節 原告木村
第八節 原告山田
第九節 原告勝俣
第一〇節 原告萩原
第一一節 原告永松
第一二節 原告結城
第一三節 原告網岡
第六章 賃金格差の真の理由
第一節 集団的差別意思
第二節 是正申立に対する対策―差別の自認
第三節 統計資料にみる被告の作為
第四節 人事考課上の裁量と恣意的運用
第五節 転向強要と転向後の昇給
第六節 まとめ
第三編 賃金関係格差を生じさせたことの違法性と被告の損害賠償責任
第一章 違法性
第一節 思想・信条の自由に対する侵害
第二節 人格権に対する侵害
第三節 雇用契約上の違法性
第二章 損害賠償責任等
第四編 賃金関係処遇差別による財産的損害の有無及びその数額
第一章 損害の発生と損害額の算定
第一節 損害の発生
第二節 損害の金銭的評価
第三節 割合的認定による損害額
第二章 具体的損害の算出
第五編 賃金差別以外の人権侵害行為による損害賠償等の関係
第一章 原告らに対する人権侵害行為
第一節 原告遠藤関係
第二節 原告久保田関係
第三節 原告塩森関係
第四節 原告畠田関係
第五節 原告川又関係
第六節 原告藤田関係
第七節 原告木村関係
第八節 原告山田関係
第九節 原告勝俣関係
第一〇節 原告萩原関係
第一一節 原告永松関係
第一二節 原告結城関係
第一三節 原告網岡関係
第二章 人権侵害行為の違法性と被告の損害賠償等の責任
第六編 原告らの本件請求内容のまとめ
第七編 消滅時効の抗弁に対する反論
〈第三分冊目次〉
第一編 賃金関係処遇格差の実情に対する反論
第二編 賃金関係処遇格差発生の原因について
第一章 総論
第二章 いわゆる反共労務政策の主張について
第三章 賃金関係処遇格差発生の原因・著しく劣悪な勤務ぶり
第一節 原告遠藤
第二節 原告久保田
第三節 原告塩森
第四節 原告畠田
第五節 原告川又
第六節 原告藤田
第七節 原告木村
第八節 原告山田
第九節 原告勝俣
第一〇節 原告萩原
第一一節 原告永松
第一二節 原告結城
第一三節 原告網岡
第一四節 原告らの勤務ぶり総括
第三編 賃金関係処遇に関する不法行為の諸要件に対する反論
第一章 被侵害利益について
第二章 権利侵害行為について
第三章 故意・過失について
第四章 債務不履行による請求について
第五章 損害額について
第四編 損害額の主張に対する反論
第五編 賃金差別以外の人権侵害行為の主張に対する反論
第一節 転向強要について
第二節 社宅入居拒否と差別について
第三節 仕事の取上げ等の仕事上の差別について
第四節 業務計画からの排除について
第五節 研修からの排除について
第六節 職場八分について
第七節 私生活への監視、干渉について
第八節 その他について
第九節 まとめ
第六編 消滅時効の援用
第一節 賃金差別に基づく損害賠償請求について
第二節 その余の人権侵害行為に基づく損害賠償請求について
第七編 訴えの変更に対する異議
 

〈第一分冊〉
原告(原告番号1) 遠藤徹也
同(同2) 久保田和男
同(同3) 塩森清
同(同4) 畠田晶生
同(同5) 川又俊水
同(同6) 藤田勝弘
同(同7) 木村宗一亡山田實訴訟承継人
同(同8) 山田伸子
同(同9) 勝俣穂積
同(同10) 萩原勝利
同(同11) 永松好信
同(同12) 結城久輔
同(同13) 網岡春夫
右一三名訴訟代理人弁護士 北光二
同 石井正二
同 鈴木守
同 山田安太郎
同 市川清文
同 梶原利之
同 田久保公規
同 藤野善夫
同 渡會久実
同 岩橋進吾
同 後藤裕造
同 飯田幸光
同 須藤正樹
同 長澤彰
同 生駒巌
同 佐藤義弥
同 矢花公平
同 大熊政一
同 宮坂浩
同 市来八郎
同 小池振一郎
同 佃俊彦
同 前川雄司
同 松島暁
同 山下基之
同 大森秀昭
同 瀬野俊之
同 吉村清人
同 伊藤芳郎
同 須合勝博
同 池末彰郎
同 竹中喜一
同 河邊雅浩
同 山内忠吉
同 畑山穣
同 堤浩一郎
同 中村宏
同 横山國男
同 星山輝男
同 飯田伸一
同 武井共夫
同 小島周一
同 篠原義仁
同 南雲芳夫
同 野村正勝
同 三竹厚行
同 村野光夫
同 輿石英雄
同 古川武志
同 飯野春正
同 田見高秀
同 大塚武一
同 金井厚二
同 廣田繁雄
同 野上恭道
同 野上佳世子
同 富岡恵美子
同 吉村駿一
同 白井功一
同 高坂隆信
同 小林勝
同 春山典勇
同 池末登志博
同 石田吉夫
同 茂木敦
同 杉原信二
同 樋口和彦
同 斉藤展夫
同 仁藤峻一
同 寺島勝洋
同 関本立美
同 加藤啓二
同 小笠原忠彦
同 富森啓児
同 武田芳彦
同 木下哲雄
同 内村修
同 大門嗣二
同 和田清二
同 上條剛
同 岩崎功
同 岩下智和
被告 東京電力株式会社
右代表者代表取締役 荒木浩
右訴訟代理人弁護士 橋本武人
同 馬場東作
同 高津幸一
同 河村貞二
同 渡辺修
同 吉澤貞男
同 山西克彦
同 富田武夫
同 成富安信
同 田中等
同 小島俊明
同 清水修
同 上松正明
同 竹内桃太郎
同 石川常昌
同 江川勝
同 田多井啓州
同 大下慶郎
同 山本孝宏
同 宇田川昌敏
同 牛嶋勉
同 太田恒久

 

主文
一  被告は、各原告に対し、それぞれ別紙認容債権目録中各原告に対応する「認容額合計」欄記載の各金員及びその各内金である右認容債権目録中「認容額1」ないし「認容額8」欄及び「慰謝料」欄並びに「怠護士費用」欄に記載の各金員に対する各対応部分の「遅延損害金起算日」欄記載の日から各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三  訴訟費用はこれを一〇分し、その七を原告らの、その余を被告の各負担とする。
四  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由
第一編 請求及び事案の概要等
第一章  原告らの求めた裁判
一  被告は、各原告に対し、それぞれ第四分冊別表集の別表1(請求債権目録)中各原告に対応する請求債権合計欄記載の各金員及びその内金である右別表中請求債権1欄記載の各金員については昭和五一年一一月二五日から、請求債権2欄記載の各金員については昭和五四年一〇月四日から、請求債権3欄記載の各金員については昭和五六年一〇月一日から、請求債権4欄記載の各金員については昭和五九年四月三日から、請求債権5欄記載の各金員については昭和六〇年一〇月二日から、請求債権6欄記載の各金員については昭和六三年三月三〇日から、請求債権7欄記載の各金員については平成二年九月二九日から、請求債権8欄記載の各金員については平成五年九月二日から、各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二  被告は、原告らに対し、第四分冊別表集中の別紙一の謝罪文を交付し、かつ、同文を判決確定日直後に発行される被告の社報「とうでん」の諸公示欄冒頭に一ページ全面を用いて掲載し、更に、同文を縦一〇三センチメートル、横145.6メートルのB0判の白紙に紙面一杯に墨書のうえこれを第四分冊別表集中の別紙二(謝罪文掲示場所目録)記載の業務用掲示板に判決確定日より一か月間掲示せよ。
三  訴訟費用は被告の負担とする。
四  一項につき仮執行の宣言。
第二章  事案の概要及び争点等の摘示
第一節  事案の概要
原告ら(以下、この判決では、「原告ら」という総称は、特に断らない限り「原告山田伸子の訴訟被承継人亡山田實及びその余の原告ら」の意味で用い、同様に「原告山田」という場合も、特に断らない限り承継前原告亡山田實を指す。なお、原告らまたは原告という呼称で現在の訴訟上の当事者たる地位にある者を意味する場合にも、その使用場所に応じてその趣旨が明らかであるときは、一々これを断らない。)は、いずれも現に被告の従業員であり、または従業員であった者(原告山田)である。そして、本件は、原告らが、日本共産党員(以下、同党を共産党という。)または同党支持者であることを理由に、被告から、仕事上及び私生活上の種々の差別ないし人権侵害(賃金関係における処遇差別、転向強要、社宅入居差別、研修からの排除、仕事の取上げ、職場八分、私生活への干渉等)を受けてきたと主張して、被告に対し、不法行為に基づいて、昭和四八年一〇月分から平成五年三月分までの財産的損害(同期入社同学歴従業員の平均的賃金との差額相当額と主張されている金額)の賠償並びに差別全般による精神的苦痛に対する慰謝料の支払い、名誉の回復処分及び弁護士費用の支払い等を請求している事案である。なお、原告らは、右差額賃金相当額の財産的損害については、不法行為と選択的に、債務不履行に基づいても損害賠償を請求している。
第二節  争いのない事実及び証拠によって認められる前提事実
当事者の概要及び被告の賃金制度の概要として、後記第二編に判示するとおりである。なお、そのほかの争いのない事実及び明らかに争われていない事実は、必要に応じて後記第三編中で判示する。
第三節  争点の摘示
一  賃金関係処遇差別による損害賠償請求等の関係
1 原告らに対する賃金関係処遇格差の実情
(一) 原告らの主張
原告らは、遅くとも昭和四四年以前から、被告により、職級、職位、資格の点で著しく低位に置かれ、また定期昇給額及び賞与額の補正における査定で低位に査定され、その結果著しく低額の賃金を支給されている。これを、昭和四八年一〇月支給分以降の賃金について、同期入社同学歴の従業員中の中位者と比較した場合の詳細な実情は、第二分冊第一編に記載のとおりである。
(二) 被告の主張
原告らの主張は全体として争う。被告の賃金関係処遇制度は、職務給制度に則り、従業員の能力及び勤務成績を考課査定した結果に基づいて処遇が決められるものであるから、従業員間に格差が生ずることを当然に予定している。そして、原告らは、賃金関係処遇決定において被告が原告らを違法に差別したと主張するのであるから、そのことの前提として原告らと他の従業員との格差の実情を見るためには、各原告とそれぞれ同等の能力及び勤務成績にあった従業員と比較してみるべきであって、原告ら主張のようにいわゆる中位者との格差の実情を取り上げてみても無意味である。以上のことの詳細は、第三分冊第一編に記載のとおりである。
2 賃金関係処遇格差発生の原因
(一) 原告らの主張
原告らは共産党員である。そして、原告らは、その立場で組合活動等を活発に行ってきた。被告は、反共労務政策を有し、共産党員または同党の支持者を嫌悪しているが、前記賃金関係処遇格差は、右反共労務政策の一環として、原告らが共産党員または同党支持者であることを唯一の理由として他の従業員と差別し、前記職級等を著しく低位に置き続けたため生じたものである。右主張の詳細及び次の(二)の被告の主張に対する反論の詳細は、第二分冊第二編に記載したとおりである。
(二) 被告の主張
原告らが共産党員または同党の支持者であることは知らない。そのほかの事実と主張は否認する。原告らの従業員としての資質及び業績等は著しく劣悪であり、被告は、正当な考課査定に基づき原告らの賃金関係処遇を決めてきた。原告らの思想信条は右処遇とは無関係である。以上の主張の詳細は、第三分冊第二編に記載したとおりである。
3 賃金関係処遇格差を生じさせたことの違法性と被告の損害賠償責任等
(一) 原告らの主張
原告らが共産党員または同党支持者であることを唯一の理由としてなされた賃金関係処遇差別は、原告らの、能力及び実績に応じて公平に処遇され、職務、職位等の任用及び査定等において差別的取扱いを受けないことを期待する法的利益を侵害する行為であり、憲法一四条、一九条、二一条、労働基準法三条、民法九〇条に違反し、不法行為であるとともに、雇用契約上の債務不履行でもある。従って、被告は、原告らに対し、これによる財産的及び精神的損害を賠償する義務があり、また、名誉毀損部分については、名誉回復の方法を講ずる義務がある。以上の詳細は、第二分冊第三編に記載したとおりである。
(二) 被告の主張
原告らの主張は争う。原告らの賃金関係の処遇は被告の正当な考課査定の結果として生じたものであるから、違法性はない。その詳細は、第三分冊第三編に記載したとおりである。
4 賃金関係処遇差別による財産的損害の有無及びその数額
(一) 原告らの主張
(1) 賃金関係処遇差別により、原告らは、差別がなければ原告らが本来受け得べきであった賃金と現実の賃金額との差額相当の損害を被ったのであり、同期同学歴入社者中の中位者が受けている賃金額が本来受け得べきであった賃金額に該当すると考えるべきである。従って、被告は、原告らに対し、右差額相当の財産的損害を賠償する義務がある。
(2) 仮に、右差額の一部は被告の正当な裁量により生じたものとしても、その場合には、中位者との差額を基準として、被告の違法な差別意思と正当な裁量の寄与割合に応じて、裁判所により損害額が定められるべきである。
(3) 以上の主張の詳細は、第二分冊第四編に記載したとおりである。
(二) 被告の主張
原告らの主張は争う。被告の賃金制度は、従業員の能力及び勤務成績に応じて格差が生ずることを当然に予定している制度であるし、原告らは自らが中位者と同等の能力を有し同等の成績を挙げてきたことを具体的に立証していないから、中位者との比較は意味がない。また、仮に、被告に差別意思があってこれが原告らの処遇に影響を及ぼしたとしても、中位者との格差のすべてが差別意思に基づくものであることにはならないのであり、格差のうちどの部分が差別による格差であるか確定できない以上、損害の立証がないものというべきである。これらの主張の詳細は、第三分冊第四編に記載したとおりである。
二  賃金関係処遇差別以外の人権侵害行為による損害賠償請求等の関係
1 原告らに対する人権侵害行為の有無
(一) 原告らの主張
被告は、原告らに対し、転向強要、社宅入居差別、研修からの排除、仕事の取上げ、職場八分、私生活への干渉等の種々の人権侵害行為を行った。そして、これらは、被告が原告らの思想信条を嫌悪して加えた違法な攻撃であり、その結果原告らは精神的損害を被ったから、被告は、原告らに対し、不法行為の損害賠償として、慰謝料を支払う義務があり、また、原告らの名誉回復のための方法を講ずる義務がある。以上の主張の詳細は、第二分冊第五編に記載したとおりである。
(二) 被告の主張
原告らの主張は否認する。その詳細は、第三分冊第五編に記載したとおりである。
三  原告らの本件請求内容のまとめ
第二分冊第六編に記載のとおりである。
四  消滅時効の成否
1 被告の主張
原告らの不法行為に基づく損害賠償等の請求中、本件訴え提起の日(昭和五一年一〇月一三日)より三年以上前の被告の行為を原因とする請求権は、民法七二四条の短期消滅時効が完成し、これにより消滅したから、被告は、右時効を援用する。右主張の詳細は、第三分冊第六編に記載のとおりである。
2 原告らの主張
右主張は争う。その詳細は、第二分冊第七編に記載のとおりである。
五  被告の訴訟法上の主張
原告らのした訴えの変更に異議がある。その理由は、第三分冊第七編に記載のとおりである。
第二編 争いのない事実及び証拠によって認められる前提事実
本編の事実のうち、証拠によって認定した事実の節はその節の冒頭に用いた証拠を記載する。その記載のない章節は、当事者間に争いがないか、または明らかに争われていない事実である。
第一章  当事者の概要
一  被告
被告は、昭和二六年五月一日に電力の発送配電を一貫して行う九つの電力会社の一つとして設立された民間電力会社であるが、日本最大の資本金を有し世界最大の規模を有するものである。被告は、関東一円、山梨県及び静岡県の富士川以東を電力供給区域とし、右供給区域のほか福島県、長野県、新潟県に発送電設備がある。被告は、肩書地に本店を置き、九支店、一八支社、二一二発電所(水力一八五、火力二六、原子力一)、八七九変電所のほか多数の営業所等の現業機関を有し、昭和五一年三月末日現在、従業員数は約三万八〇〇〇名であった(以上の事業所及び従業員数等はいずれも昭和五一年当時のものである。)。
二  原告ら
1  原告遠藤
(一) 学歴
昭和二八年三月 山梨県立山梨高等学校普通科卒業。
(二) 勤務場所、職級、資格、役職位歴等
(1)昭和二九年一二月入社、潮田火力発電所に配属。(2)昭和三三年四月技手補。(3)昭和三四年六月千葉火力発電所勤務。(4)昭和三六年八月一一日から同三八年四月三〇日まで組合専従につき休職。(5)昭和三八年五月千葉火力発電所に復職、九級。(6)昭和四七年四月八級二〇号。(7)同年一〇月書記(2)。(8)昭和四八年一〇月書記(1)。(9)昭和五〇年一〇月七級、主事補(2)。(10)昭和五三年一〇月主事(7)。(11)昭和五七年一〇月三級B(職級・職能等級制度の採用による職級名称変更。このときの変更につき以下同様である。)。(12)昭和六〇年二月千葉支店経理部千葉資材センター資材課勤務。(13)昭和六〇年九月資材課副主任。(14)平成二年四月三級C。(15)平成四年一〇月特任主事。(16)平成五年三月三級D。
2  原告久保田
(一) 昭和二九年三月 長野県立松本工業高等学校電力課程卒業。
(二) 勤務場所、職級、資格、役職位歴等
(1)昭和二九年四月入社、松本電力所霞沢発電所に配属。(2)同年四月一〇級。(3)同年五月霞沢発電所・湯川発電所運転員。(4)昭和三二年四月技手補。(5)昭和三四年四月九級。(6)同年六月松本電力所平発電所に転勤。(7)昭和三五年四月技手。(8)昭和三六年六月松本電力所高瀬川第五発電所に転勤。(9)昭和三七年四月鶴見火力発電所に転勤。(10)昭和四六年一〇月八級。(11)昭和四七年二月姉崎火力発電所に転勤。(12)同年一〇月技手(2)。(13)昭和四八年一〇月技手(1)。(14)昭和五一年四月七級。(15)同年一〇月技師補(2)。(16)昭和五三年一〇月技師補(1)。(17)昭和五四年一〇月技師補(資格制度改正による名称変更)。(18)昭和五七年一〇月三級B。(19)平成元年一〇月技師。(20)役職位歴なし。
(三) 各種資格
(1)昭和三七年一一月電気事業主任技術者資格検定第三種。(2)昭和四一年四月普通自動車免許。(3)昭和四四年七月乙種第四類危険物取扱主任者。(4)昭和五一年七月第一種消防設備点検資格者。
3  原告塩森
(一) 学歴
昭和三一年三月 茨城県立下館第一高等学校電気科卒業。
(二) 勤務場所、職級、資格、役職位歴等
(1)昭和三一年四月入社、同年五月千葉火力建設所所属。(2)昭和三二年二月千葉火力建設所機械課勤務。(3)同年一一月千葉火力発電所勤務。(4)昭和三四年四月技手補。(5)昭和三五年四月九級。(6)昭和三七年四月技手。(7)昭和四七年四月八級。(8)同年一〇月技手(2)。(9)昭和四八年一〇月技手(1)。(10)昭和五〇年一〇月技師補(2)。(11)昭和五一年四月七級。(12)昭和五三年一〇月技師補(1)。(13)昭和五四年一〇月技師補(5)。(14)昭和五六年一〇月技師(1)。(15)昭和五七年一〇月技師、三級B。(16)昭和六〇年二月姉崎火力発電所へ転勤。(17)役職位歴なし。
4  原告畠田
(一) 学歴
昭和三二年三月 島根県立松江工業高等学校電気科卒業。
(二) 勤務場所、職級、資格、役職位歴等
(1)昭和三二年四月入社、同年五月千葉火力建設所に勤務。(2)昭和三三年六月千葉火力発電所に勤務。(3)昭和三四年四月一〇級。(4)昭和三五年四月技手補。(5)昭和三六年四月九級。(6)昭和四三年一二月八級。(7)昭和四七年一〇月技手(2)。(8)昭和四八年九月七級。(9)昭和四八年一〇月技手(1)。(10)昭和五一年一〇月技師補(2)。(11)昭和五四年一〇月技師補。(12)昭和五七年一〇月技師。(13)昭和五九年一二月袖ケ浦火力発電所発電部に勤務。(14)平成三年九月副主任。
(三) 各種資格
(1)昭和三一年一二月電気事業主任技術者資格検定第三種。(2)昭和四四年九月職業訓練指導員(発電工)。(3)昭和五〇年九月二級ボイラ技士。(4)昭和五六年二月乙種第四類危険物取扱者。
5  原告川又
(一) 学歴
(1)昭和三三年三月 茨城県立水戸工業高等学校卒業。(2)昭和四〇年一一月千葉工業大学電気工学科(夜間部)卒業。
(二) 勤務場所、職級、資格、役職位歴等
(1)昭和三三年四月入社、中央社員養成所に配属。(2)同年四月千葉火力建設所に配属。(3)同年六月千葉火力発電所に勤務。(4)昭和三四年四月一〇級、工務員。(5)昭和三七年四月九級、技手補。(6)昭和四八年四月八級。(7)同年一〇月技手(1)。(8)昭和五一年四月七級。(9)同年一〇月技師補(2)。(10)昭和五四年一〇月技師補(資格制度改正による名称変更)。(11)昭和五七年一〇月三級B。(12)同年一二月五井火力発電所に配属。(13)平成二年一〇月技師。(14)役職位歴なし。
(三) 各種資格
昭和四九年三月玉掛技能作業主任者。(2)昭和五八年一二月第二種酸素欠乏危険作業主任者。(3)昭和五九年八月特定化学物質等作業主任者。(4)昭和五九年九月有機溶剤作業主任者。(5)昭和六〇年二月一五日足場の組立て等作業主任者。
6  原告藤田
(一) 学歴
昭和三四年三月 私立昭和第一工業高等学校機械科卒業。
(二) 勤務場所、職級、資格、役職位歴等
(1)昭和三四年四月入社、中央社員養成所で一か月の研修。(2)同年五月一日千葉火力建設所に配属。(3)同年八月千葉火力発電所に勤務。(4)昭和三五年四月一〇級。(5)昭和三七年四月技手補。(6)昭和三八年四月九級。(7)昭和四七年一〇月技手補(1)。(8)昭和四八年六月八級。(9)同年一〇月技手(2)。(10)昭和五〇年一〇月技手(1)。(11)昭和五二年四月七級。(12)昭和五三年一〇月技師補(2)。(13)昭和五四年一〇月技師補(資格制度改正による名称変更)。(14)昭和五七年一〇月三級B。(15)昭和五八年一〇月五井火力発電所に勤務。(16)平成三年一〇月技師。(17)役職位歴なし。
(三) 各種資格
(1)昭和五一年九月乙種第四類危険物取扱者。(2)昭和五三年五月二級ボイラ技士。(3)昭和五六年二月甲種危険物取扱者(社長表彰)。(4)昭和五七年一二月一級ボイラ技士(社長表彰)。(5)平成三年一二月大気関係第一種公害防止管理者(社長表彰)。
7  原告木村
(一) 学歴
(1)昭和三二年三月 田沼町立田沼中学校卒業。(2)昭和三五年三月東京電力株式会社(被告)中央社員養成所卒業(高校卒業と同資格)。
(二) 勤務場所、職級、資格、役職位歴等
(1)昭和三五年四月入社、千葉火力発電所に配属。一〇級。(2)昭和三七年一〇月五井火力建設所勤務。(3)昭和三八年四月技手補。(4)同年六月五井火力発電所勤務。(5)昭和三九年四月九級。(6)昭和四一年四月技手。(7)昭和四六年四月八級。(8)昭和四七年一〇月技手(2)。(9)昭和四八年一〇月七級、技手(1)。(10)昭和五〇年二月同発電所発電課副班長。(11)昭和五一年一〇月技師補(2)。(12)昭和五二年六月同発電所発電部副班長(職制の改正による名称変更)。(13)昭和五三年一一月六級、技師補(1)。(14)昭和五四年一〇月技師補(資格制度改正による名称変更)。(15)昭和五六年一二月同発電部副主任(職制改正による変更)。(16)昭和五七年一〇月三級C。(17)平成二年一〇月技師。
(三) 各種資格
(1)昭和四二年一二月職業訓練指導員。(2)昭和四五年四月乙種第四類危険物取扱者。(3)同年五月普通自動車免許。(4)昭和四九年四月二級ボイラ技士。(5)昭和五三年四月一級ボイラ技士(社長表彰)。
8  原告山田
(一) 学歴
昭和三六年三月 茨城県立古河第一高等学校機械科卒業。
(二) 勤務場所、職級、資格、役職位歴等
(1)昭和三六年四月入社、千葉火力発電所に配属。(2)昭和三七年四月一〇級。(3)昭和三九年四月技手補。(4)昭和四〇年四月九級。(5)昭和四七年一〇月技手補(1)。(6)昭和四八年一〇月技手補(2)。(7)昭和四九年三月八級。(8)昭和五〇年一〇月技手(1)。(9)昭和五三年一〇月技師補(2)。(10)昭和五四年一〇月技師補(3)。(11)昭和五五年一二月五井火力発電所勤務。(12)昭和五六年一〇月技師補(4)。(13)役職位歴なし。
(三) 各種資格
(1)昭和三五年一〇月軽自動車免許。(2)昭和四九年三月乙種第四類危険物取扱者。(3)昭和五二年五月二級ボイラ技士。(4)同年二月大気関係第一種公害防止管理者。(5)昭和五四年一〇月一級ボイラ技士。
9  原告勝俣
(一) 学歴
(1)昭和三三年三月 小山町立北郷中学校卒業。(2)昭和三六年三月東京電力株式会社中央社員養成所卒業(高校卒業と同資格)。
(二) 勤務場所、職級、資格、役職位歴等
(1)昭和三六年四月入社、横須賀火力発電所勤務。(2)昭和四〇年二月五井火力建設所配属。(3)同年七月五井火力発電所勤務。九級。(4)昭和四六年四月八級。(5)昭和四九年九月七級。(6)昭和五七年一〇月三級B。(7)役職位歴なし。
(三) 各種資格
(1)昭和四〇年九月普通自動車免許。(2)昭和四六年九月職業訓練指導員(発電)。(3)昭和五二年五月二級ボイラー技士。
10  原告萩原
(一) 学歴
(1)昭和三四年三月 伊勢崎市立南中学校卒業。(2)昭和三七年三月 東京電力株式会社中央社員養成所卒業(高校卒業と同資格)。
(二) 勤務場所、職級、資格、役職位歴等
(1)昭和三七年四月入社、千葉火力発電所に配属。一〇級。工務員。(2)昭和四〇年四月技手補。(3)昭和四一年四月九級。(4)昭和四七年一〇月技手補(1)。(5)昭和四八年一〇月技手(2)。(6)昭和四九年四月八級。(7)昭和五一年一〇月技手(1)。(8)昭和五三年一〇月技師補(2)。(9)昭和五四年一〇月技師補(資格制度改正による名称変更)。(10)昭和五七年一〇月二級C。(11)同年一二月姉崎火力発電所に配属。(12)昭和六一年四月三級A。(13)平成三年一〇月技師。(14)役職位歴なし。
(三) 各種資格
(1)昭和三八年六月原付自転車免許。(2)昭和四七年四月普通自動車免許。(3)昭和五二年五月二級ボイラ技士。(4)昭和五四年九月乙種第四類危険物取扱者。(5)同年一〇月一級ボイラ技士。(6)昭和五七年四月甲種危険物取扱者。
11  原告永松
(一) 学歴
(1)昭和三七年三月 大分県立中津東高等学校機械科卒業。(2)昭和四三年三月 千葉工業大学機械科(夜間部)卒業。
(二) 勤務場所、職級、資格、役職位歴等
(1)昭和三七年四月入社、千葉火力発電所に配属。(2)昭和四〇年四月技手補。(3)昭和四一年四月九級。(4)昭和四七年一〇月技手補(1)。(5)昭和四八年一〇月技手(2)。(6)昭和四九年四月八級。(7)昭和五一年一〇月技手(1)。(8)昭和五三年一〇月技師補(2)。(9)昭和五四年一〇月技師補(資格制度改正による名称変更)。(10)昭和五七年九月七級。(11)同年一〇月三級A。(12)同年一二月袖ケ浦火力発電所に転勤。(13)平成三年四月三級B。(14)同年一〇月技師。(15)役職位歴なし。
(三) 各種資格
(1)昭和三六年計算尺検定二級。(2)昭和四四年一月原付自転車免許。(3)同年九月普通自動車免許。(4)昭和四九年三月乙種第四類危険物取扱者。(5)昭和五二年四月甲種危険物取扱者(社長表彰)。(6)同五二年五月二級ボイラ技士。(7)昭和五四年一〇月一級ボイラ技士(社長表彰)。
12  原告結城
(一) 学歴
昭和三七年三月 宮城県立古川工業高等学校機械科卒業。
(二) 勤務場所、職級、資格、役職位歴等
(1)昭和三七年四月入社、千葉火力発電所に配属。工務員。(2)昭和三八年四月一〇級。(3)昭和四〇年四月技手補。(4)昭和四一年四月九級。(5)昭和四七年一〇月技手補(1)。(6)昭和四八年一〇月技手(2)。(7)昭和五〇年四月八級。(8)昭和五一年一〇月技手(1)。(9)昭和五三年一〇月技師補(2)。(10)昭和五五年一〇月技師補(3)。(11)昭和五七年一〇月二級C。(12)昭和五九年一〇月三級A。(13)昭和六〇年二月五井火力発電所に転勤。(14)平成四年一〇月技師。(15)役職位歴なし。
13  原告網岡
(一) 学歴
昭和三七年四三月 広島県立広島工業高等学校機械科卒業。
(二) 勤務場所、職級、資格、役職位歴等
(1)昭和三七年四月入社、千葉火力発電所に配属。(2)昭和四〇年四月技手補。(3)昭和四一年四月九級。(4)昭和四七年一〇月技手補(1)。(5)昭和四八年一〇月技手(2)。(6)昭和四九年四月八級。(7)昭和五〇年一〇月技手(1)。(8)昭和五三年一〇月技師補(2)。(9)昭和五四年一〇月技師補(3)。(10)昭和五六年四月七級。(11)昭和五七年一〇月三級A。(12)昭和五八年一〇月五井火力発電所へ異動。(13)平成三年一〇月技師。(14)役職位歴なし。
三  訴訟承継
承継前原告山田實は昭和六一年六月二六日に死亡し、妻の原告山田伸子が相続により右山田實の権利義務を単独で承継した。
第二章  被告の賃金制度の概要
第一節  職務給制度
(乙一、二、四、五、六〇ないし六三、六五ないし七三、証人大橋、同佐藤。一部争いがない。)
一  職級制度
被告は、昭和三〇年一一月、年功序列型賃金体系に代るものとして、職務給型賃金体系の思想に基づく職務給制度を導入した。すなわち、賃金の中核をなす基本給は、従業員の学歴、年齢、勤続年数、経験年数等の属人的要素に大きく依存するのではなく、当該従業員が任用されている具体的な仕事(職務)を基本的指標として決定されるべきものとする思想に基づく賃金体系である。そこで、被告におけるすべての職務は、種類、質及び量の面から分析され、一定の単位ごとに職務名が付されて、何級という「職級」の格付けがなされている(具体的には、まず基準職務として選定された職務の職級が決定され、個別職務の職級は、個別職務の内容を基準職務の全体と比較評価することにより決定される。但し、この方法による個別職務の格付けの方法は、その後何回かの基準職務とその職級の見直し及び個別職務とその職級の見直しによる改定並びに職級の等級区分の改定を経て、昭和五〇年九月二五日以降、一般職について、課業による職級決定の方法によることに変更されている。すなわち、個別職務の内容を更に一つの機能的まとまりを持った仕事の単位に細分化した課業という見方をつくり、その中で、その職務の相対的価値を決めるうえで基準となる課業を決め、その課業を重点課業として構成されている基準職務の職級をもって、その個別職務の職級とする方法である。)。
二  従業員の職務任用と職級の決定
被告は、従業員を具体的な職務に配置する(職務任用)が、すべての実働従業員は何らかの職務に任用される。そして、当該従業員は、これにより、任用された職務に付されている職級に格付けされる。従って、職級の異なる職務への任用があれば、それに伴って当該従業員の職級が新職務の職級に変更される。
三  職級と賃金
従業員の職級は、その者の基本給決定の重要な一基準となり、また、昭和四一年度以降は、賞与の決定基準の一つともされている。
第二節  被告の賃金体系
一  賃金体系
被告の賃金は、次のとおり分類することができる。そして、このうち基本給と資格手当、職責手当及び世帯手当が基準内給与と呼ばれている。なお、これらの中には、過去に支給された臨時的なもので本件に関連のあるものも含まれている。
1 賃金
(一) 基本給
(二) 諸手当
資格手当、職責手当、世帯手当、時間外手当、当直手当、特別労働手当、作業手当、特定勤務手当、保線手当、建設勤務手当、冬営手当
(三) 賞与
(四) その他
住宅積立助成手当、住宅助成臨時措置特別加算、安定供給推進協力一時金、財産形成促進のための助成措置、賃金支払日変更貸付金、財産形成給付金等
2 退職金及び年金
二  基本給
1 基本給決定の基本
基本給は、当該従業員の入社時の初任基本給(但し、昭和三〇年一〇月三一日以前に入社した者は、昭和三〇年一一月一日(職務給体系導入時)の基本給。以下同じ。)の額に、その後の改定による増加額の加算されたものを改定基本給とし、更に、その後の改定時にも、同様の方法によって改定がなされる。
2 基本給の改定
基本給については、昭和四一年二月一日以降「新基本給体系」が採用され、そのとき以降における基本給は、定期昇給、ベースアップ、職級変更及び期中是正の四つにより改定される。
(一) 定期昇給による改定
定期昇給は、毎年四月一日付けをもって昇給額を決め、それをそれまでの基本給に加算する。昇給額は、各従業員の職級と号数に応じて決まる定期昇給基準額(基準定昇額)を、標準範囲(職級別に決められている一定の標準額で、増減し得る金額の範囲をいう。)内において考課査定に基づき補正して決められる。
右のうち職級は前記第一節に記載のとおりであるが、号数は、次のとおり決定される。
昭和四一年二月一日以降に入社した従業員については、各従業員の入社時最終学歴を換算した数(基礎号数。社外経験のある場合にはそれを換算した数を加えたもの。)を初任号数とし、以後毎年四月一日付けをもって一号ずつ昇号する(定期昇号)。なお、定期昇号と職級変更が同一日付けで行われる場合には、新職級における号数確定(一定の方法が定められている。)後、定期昇号を行う。また、昭和四一年二月一日現在在籍の従業員については、右の基準による各従業員の初任号数にその者の昭和四〇年四月一日現在における勤続年数を加えた数が、昭和四一年二月一日におけるその者の号数とされ、以後右に述べた基準により行われる。
(二) ベースアップによる改定
ベースアップについてはあらかじめ定められた基準はないが、昭和四一年四月以降における例年の実情は同じであり、毎年四月一日付けをもって行われ、基本給比例分と職級別定額の二つの合計がベースアップによる増加額とされてきている。ベースアップによる増加額を、四月一日付けの定期昇給によって改定された基本給に加えたものが、ベースアップ後の改定基本給となる。
(三) 期中是正
毎年四月一日以外の時期に、その都度の必要に応じて基本給改定が実施される場合を期中是正という。その対象及び基準は、その都度被告と組合間の協定によって決められる。昭和五一年までに行われたものは、昭和四一年二月、昭和四四年三月及び昭和四七年三月である。
(四) 職級変更に伴う改定
昭和四七年四月一日以降、職級が変れば、それに伴って所定の方法により基本給が改定される。職級変更は時期が定められていないが、それが四月一日付けをもってなされるときには、職級変更に伴う基本給改定のあと、変更後の基本給の額、職級及び号数を基準として、定期昇給、ベースアップの順でそれぞれ基本給改定がなされる。
三  資格と資格手当
資格制度は、昭和四七年一〇月から実施され、医務職を除く全従業員に適用され資格が付与されている。職級が職務による格付けであるのに対し、資格は、各従業員が有する会社人としての全体的な重みを評価格付けし各従業員の社内的位置付けを表示するもので、社内における人的秩序の明確化を図ることを目的とする制度であると説明されている。具体的な資格の格付けは、定期採用時の初任資格は主として学歴に応じて定められており、その後は、毎年一〇月一日付けをもって一等級昇格が原則とされている(資格制度導入時には、各従業員の資格は職級に応じて第四分冊別表集中の別表12の1のとおり決定された。なお、以下では、特に断らない限り、第四分冊中の別表を単に別表という。)。そして、資格に対応して、一定の資格手当が支給される(昭和四八年二月に創設された。昭和五七年一〇月以降は資格給と名称変更され、資格給にも定期昇給が導入されている。)。なお、資格の段階及びこれに対する資格手当額については変遷があるが、本件に関係する部分は、別表22に示された対応関係にある。
四  職責手当
職責手当は、主任、係長等の役職に就いた者に対して支給される。役職位の種類、手当額、対応職級には変遷があるが、昭和四八年四月から同五五年八月一日改定までの推移は、別表23の1(同34)に記載のとおりである(但し、副主任欄に「副班長」を加える。)。
五  世帯手当
世帯手当は、扶養区分、年齢区分及び地域区分別に決定されるが、昭和四九年四月一日改定までの推移は別表35の1のとおりであり、その他の改定及び原告らに対する適用は原告らのこの点に関する主張(第二分冊第一編第二章第一節四)に記載のとおりである(世帯手当については格差は問題とならない。)。
六  賞与
賞与は、基本給比例分、職級別定額分、純査定分及び基準内賃金(含む世帯手当及び除く世帯手当の双方)比例分からなり、毎年上期分(一二月支給)と下期分(六月支給)に分かれる。昭和四八年度から同五七年度までの支給基準は別表78及び92(一部)に記載のとおりであり、昭和五八年六月以降に支給された賞与の妥結支給率は別表92に記載のとおりである。
七  住宅積立助成手当
住宅積立助成手当は、昭和五〇年度までは年間六回(昭和四八年度半期で一一月、翌年一、三、五月の四回、昭和四九年度七、九、一一月と翌年一、三、五月の六回、昭和五〇年度も同様六回)支給されていたが、昭和五一年度からは年二回(六月と翌年一月)支給されている。各々の支給基準及び支給率の推移は別表106に記載のとおりである。
八  住宅助成臨時措置特別加算手当
住宅助成臨時措置特別加算手当は昭和四八年一二月より同五〇年七月まで五回支給されたが、これらの支給年月、支給基準及び支給率は別表120に記載のとおりである。
九  財産形成給付金
財産形成給付金は、昭和五四年二月より毎年二回支給されている。支給年月、支給基準及び支給率は別表134に記載のとおりである。
一〇  安定供給推進協力一時金
安定供給推進協力一時金は昭和四八年一〇月一六日に支給された。その支給基準及び支給率は、昭和四八年九月末の基本給に7.5パーセントを乗じた額に一律四〇〇〇円を加算した額である。
一一  財産形成促進のための助成措置
財産形成促進措置として、昭和四九年一一月五日に支給された。その支給基準及び支給率は、昭和四九年九月末の基準内給与から職責手当を除いた額に21.4パーセントを乗じた額と一律三〇〇〇円を合算した額である。
一二  賃金支払日変更貸付金
昭和五二年一月一五日に賃金支払日の変更があった(それまで毎月一五日であったが、同年一月から毎月二二日に変更された。)ことに伴い、貸付金の名目(返済なし)で、昭和五一年一二月末の基準内給与の二一パーセントとする支給基準、支給率で支給された。
第三節  人事考課制度
(甲四六一の一・二、四六四の一・二(書込部分を除く。)、四六五の一ないし三、乙一、四、七四ないし八〇、証人佐藤)
一  人事考課制度の目的
人事考課制度の目的は、各従業員の有する能力及びその能力を発揮して挙げた業務実績を公正客観的に把握し、能力と業績に応じて適正に人事配置、処遇管理などの人事諸制度の運用を図ることにある。その内容は、業績評定と能力評定(昭和四六年三月以降は「人物所見」)に分かれるが、各評定はいずれも一次及び二次の二段階とし、被評定者の直属の管理者がこれを行う。評定者は、事業所ごとに、かつ被評定者の階層ごとに定められており、例えば、課制の敷かれている組織における主任以下の課員については、所属する係の係長が一次評定を、課長が二次評定を行う。
二  業績評定
業績評定は、各従業員が所定の期間に達成した業績を正しく客観的に把えることにより、業績に見合った適正な処遇を行うことを主たる目的として実施される。評定の対象とする業績とは、その者が担当する職務の遂行度合と職務遂行に関連してみられる執務態度である。評定対象期間は半年で、各年度を上期(四月一日から九月三〇日まで)及び下期(一〇月一日から翌年三月三一日まで)の二回に分け、各期末に各期間中の業績の評定を実施する。業績評定の結果は、人事管理上、次のように用いられる。
1 定期昇給における基準定昇額の補正
毎年四月一日付けで行う定期昇給における基準定昇額の補正は、各従業員の前年度の上期及び下期の業績評定結果(序列)に基づいて個々に決定される。
2 賞与における成績査定額の決定
賞与における各従業員の具体的査定額は、賞与の支給対象となる当該期の業績評定結果(序列)に基づいて個々に決定される。但し、成績査定額がプラスに付与されるのは賞与支給対象者の40パーセント程度であり、残りの者には査定額が付与されない。
3 職務任用、昇格等の決定
業績評定は、従業員の職務への任用(職級決定)及び昇格決定に当たり参考資料として使用される。
三  能力評定
能力評定は、各従業員の業務上の蓄積、能力、態度、人柄、性格について、その特性と水準を把握、評価し、各従業員の適性に見合った適正な人事配置及び各従業員の個性に見合った的確な指導、育成を行うために実施されるべきものである。評定の対象は職務遂行能力と人物特性である。評定対象期間は一年間で、毎年一月一日現在で実施される。評定に先立ち、まず本人が、能力評定表(昭和四六年三月以降は人物所見表)の特定した項目について予め自ら記入し、一次評定者に提出する。提出を受けた一次評定者は、所定の項目について評定を行う。この際本人の記入した内容について必要があれば、本人から補足事項の聴取、確認を行う。二次評定者は、一次評定者の評定内容を審査し、必要があれば補正し、また把握された職務遂行能力、人物特性をもとに配置異動に関する意見を付記する。能力評定の結果、職務任用の候補者選定及び昇格候補者の選定等の資料として使用される。
第三編 争点に対する判断
第一章  訴えの変更に対する異議についての判断
一  被告は、原告らが昭和六〇年三月一三日付け、平成五年三月三〇日付け及び平成五年八月三〇日付けの各請求の趣旨変更申立書に基づいてした申立て及び主張の変更に対し、異議を述べている(但し、金銭請求部分の請求金額の減縮自体については同意している。)。そして、その理由は、まず、右各申立書による原告ら主張の差別賃金相当額の計算方法は、訴え提起時に主張されていたものとはまったく異なるから、右各変更は請求の基礎の同一性を欠き許されないというのである。しかし、被告の指摘する右計算方法の変更は、本件の訴訟物の一つである損害賠償請求権についてその損害額算出の方法を改めたのに過ぎないのであり、しかも、変更の前後を通じて、原告らが現実に支払いを受けた賃金額と原告らが本来支払いを受けられるべきであったと主張する想定的賃金額との差額を損害として主張していることに変りがない。従って、右主張の変更は、被告指摘のような観点からは訴えの変更には該当しないというべきである。そして、申立ての変更中、金員請求の拡張部分については、民訴法所定の手続が履践され、請求の基礎にも変更がない。
二  次に、被告は、特に平成五年八月三〇日付け請求の趣旨変更申立書による請求の拡張(主として慰謝料額を三〇〇万円から六〇〇万円に拡張するもの)について、平成五年六月三〇日以降は新たな主張はしないという原告らと被告の間の合意に反し、また、時機に後れたものであるから許されない旨主張している。しかし、右主張のように請求を拡張することを禁止することまでの合意があったことを認めることはできないし、右拡張により著しく訴訟手続が遅滞されることもない。
三  従って、被告の前記異議はいずれも理由がなく、そのほかに原告らの前記各申立て及び主張の変更を許さないとすべき理由は見当たらないから、これらを許すべきである。なお、原告らは、そのほかにも申立て及び主張の変更をしているところ、被告の主張のうちには、これらのすべてに異議を述べる意向を示す部分もないではない。しかし、その場合にも、異議の理由は右一と同じであり、従って、右に判示したところと同様に、これらの変更は許されるべきである。
第二章  賃金関係処遇差別による損害賠償請求等の関係の争点についての判断
第一節  請求原因が特定されていないとの被告の主張について
一  第三分冊第三編の被告の主張中には、原告らは、不法行為の要件たる被侵害権利(利益)、権利侵害行為、加害意思(故意、過失)、損害額のいずれについても特定した主張をしていないから、原告らの請求はこの点で既に失当であるという趣旨の主張が含まれている。
二  しかし、まず、被侵害利益については、原告らは、原告らの能力、実績に応じて被告から公正に処遇され、職務の任用、役職位及び資格の付与等において原告らの所属ないし支持政党を理由としては差別的取扱いを受けないことを期待する法的利益を侵害されたと主張しているのであるから、右主張は、被侵害利益の法的性質の特定において欠けるところはないというべきである。また、原告らは、右被侵害利益の侵害の内容程度として、原告ら主張の期間、原告らが本来処遇されるべき内容と現実の処遇を主張し、その乖離をもって具体的な侵害の内容程度として主張しているのであるから、被侵害利益の侵害の態様についても具体性を欠くものとはいえない。被告は、原告らが同期同学歴従業員が受けている平均的処遇をもって原告らの受けるべき処遇であると主張していることを問題とし、右の平均的処遇自体が観念し難く、被告の賃金体系等からすると原告らには右処遇と等しい処遇を受ける期待的利益は生じようがない等と主張しているが、このような問題は、そのほかの問題と合せて、被侵害利益の存否という実体判断に関するものであり、その特定性の問題と認めることはできない。
三  権利侵害行為については、原告らは、その主張の時期によって多少主張の内容を変えているが、結局のところ、原告ら主張の期間、被告が、継続的意思をもって、原告らの賃金関係の処遇を敢えて低位に定め、その結果低賃金しか支払わなかったことを主張しているのである。そして、賃金関係の処遇項目自体は特定性に問題はなく、その決定の一般的時期方法も特定性の面では特段問題となるものではないし、賃金支払日及び支払額についても同様であるから、右の程度の主張がなされておれば、請求原因の特定はなされていると考えるべきである(右期間の処遇決定及び具体的な賃金支払い行為のすべてを権利侵害行為として主張しているものということになる。)。
四  なお、加害意思(故意)及び財産的損害額について具体的な主張がなされていることは明らかである。被告は、特に右損害額について、被告の人事諸制度は従業員の職務遂行能力及び勤務成績により処遇上の格差が生ずることを当然に予定する制度であるから、同期同学歴従業員と単純に比較した差を財産的損害とするのでは原告らの主張する権利侵害行為により生じた部分の損害は特定されないという趣旨の主張をしているが、この問題は原告らの右損害額の主張の実体的当否の問題であり、請求原因の特定の問題とは異なる。
五  従って、被告の前記主張は、採用することができない。
第二節  賃金関係処遇格差の実情について
一  はじめに
原告らは、主として各原告に対応する同期入社同学歴従業員の平均的処遇と集団的、統計的に比較する方法で、その主張の期間中の原告らに対する職級、職位、資格及び査定等の賃金関係処遇には、各原告に対応する同期同学歴従業員と比較して著しい格差があり、その結果、支払われた賃金の額にも著しい格差が存在していると主張している。そして、原告らは、これらの格差の存在をもって、原告ら主張のように差別的取扱いを受けないことを期待する法的利益の侵害があったことの基礎とするとともに、結果として生じた右の賃金格差額そのものが右利益侵害による財産的損害に当たると主張している。そこで、後者の点については後に検討することとし、ここでは、原告ら主張の賃金関係処遇格差の有無及び程度という実情について検討を加えることとする。
二  原告ら主張の比較方法の信憑性と合理性
1 原告らは、右の賃金関係処遇格差を見る基礎資料として、東京電力労働組合(以下、東電労組または東労という。)本部作成の諸統計資料を援用している。すなわち、まず、平均基本給の算定について、東労本部作成の「賃金実態調査結果の概要」及び「賃金実態調査結果」のうち、「学歴別年齢別基本給特性値および基準内賃金」、「学歴別年齢別基本給平均」あるいは「学歴別・年齢別・基本給平均・特性」表(年度により名称が異なる。以下、これらを年齢別基本給表という。)を利用し、年齢的に各原告に対応する統計上の数値を同期同学歴者の数値として捉らえ、右数値の中から二分の一位数(中位数と同じ。)に示される基本給の数値を抽出し、原告ら主張の算定方法により平均基本給を求めている(甲一〇四五の一ないし九がその年齢別基本給表であり、別表2ないし10はこれらを転記したものである。)。右年齢別基本給表にいう二分の一位数とは、対象となった組合員(課長以上の特別管理職位にある者を除く一般管理職以下の従業員)集団の基本給の数値を大きさの順に並べ、その中央に位置する数値である(但し、同表での二分の一位数は単純な中央値ではなく、統計学的手法を採用し、集団の基本給を一〇段階の級に分けてこれを統計学的な算式で処理した結果としての中位数である。甲一〇八〇。中位数は算術平均値とは若干異なることになるが、以下本章で平均というのは、中位数と同義である。)。
次いで、平均資格についての基礎資料は、東労本部作成の「資格運用、職責手当支給実態調査結果の概要」及び「賃金実態調査結果」のうち、「勤続別資格等級別人員表」及び「学歴・男女・勤続・資格別人員」表であり、これらの表を利用して、各原告に対応する同期同学歴者の平均資格を求めている(甲一〇四六の一ないし九が右の基礎資料であり、別表12の2、13ないし20はこれらを転記したものである。)。
また、平均職級についての基礎資料は、東労本部作成の「職級実態調査結果の概要」中の「職級別、勤続年数別人員表(高校卒)」(年度により若干名称が異なる。)であり、同表を利用して、各原告に対応する同期同学歴者の平均職級を求めている(甲一〇四七の一ないし一〇が右の表であり、別表23の2、24ないし32はこれらを転記したものである。)。
そして、統計を入手できない期間については、右統計を基礎としこれに賃金妥結率等の客観的な値を付加して推計する方法により平均的処遇を求めている。
原告らはこのような資料を用いているのであるが、本件ではこのほかの適当な資料は提出されておらず(被告側は、従業員の賃金関係処遇に関する包括的な資料を提出していない。)、原告らの側では、これ以上の資料を提出することが事実上不可能である。そして、東労本部作成の右各資料については、意図的に作為が加えられているなど不審とすべき状況はなく、かつ、三万人に近い多人数の組合員を対象とした調査結果であることが右各資料自体に照らして明らかであるから、被告における従業員の全般的な賃金関係処遇を見るための資料として採用に値するものと認めることができる。
2 被告は、被告の賃金制度が職務給制度と考課査定に基礎をおくものであることを理由として、原告らの主張する統計上の平均的処遇値と比較する方法により格差の実情を見ることには意味がないと主張している。たしかに、原告らの援用する統計資料によれば、同学歴同年齢の従業員間でも職級、資格、役職位はある程度幅広く分布しており、平均的な処遇への集中傾向は極めて顕著な程度には達していないが、それでも、平均的処遇に向かっての逓増的集中傾向があることを明らかに認定することができるのであり、これは、後記認定のように、被告の賃金制度が職務給制度に基礎をおくものであってもその運用には年功的賃金制度における処遇決定要素が加味されているという実情に基づくものであると認めることができる。すなわち、右統計によれば、同学歴同年齢従業員の処遇状況の一般的傾向をある程度集団的に把握することができるのであり、その平均的処遇値は原告らに対する処遇の実情を見るための比較対象として採用に値するものと認めることができるから、被告の前記主張は採用することができない。
三  中位者の賃金、職級、職位、資格
証拠(原告塩森本人(第一、二回)及び以下の各該当箇所の括弧内に記載の書証)及び争いのない資格手当額(別表22)、職責手当額(別表23の1。但し、同表記載の職級と役職位の対応関係は一部双方の主張が齟齬するが、ほとんどの点で争いがない。)、各原告の世帯手当額(別表35の1、2)並びに弁論の全趣旨によれば、次の1ないし3の事実を認めることができる。
1 平均基準内給与
(一) 昭和四八年一〇月から同五七年九月まで
東労本部作成の賃金関係資料(甲一〇四五の一ないし九、一〇四六の一ないし九、一〇四七の一ないし一〇)により、同期同学歴者の各年度別に平均基本給(別表2ないし10)、平均資格手当(まず平均資格を求め、次に別表22のその資格に対応する資格手当額を求める。)、平均職責手当(まず平均職級を求め、次にその職級におおむね対応する役職を求めて、これから職責手当を求める。)を求め、右に求めた各賃金項目の合計である平均基準内給与(除く世帯手当)に各原告に支給されている差別要件のない世帯手当額(甲四九五、別表35の1・2)を加えた合計額をもって平均基準内給与(含む世帯手当)とするのが相当であり、その結果は別表36ないし48の各右欄に記載のとおりとなる。
(二) 昭和五七年一〇月以降
(1) 昭和五七年一〇月の平均基準内給与(除く世帯手当)
昭和五七年一〇月以降同五八年三月までの平均基準内給与(除く世帯手当)と認めるべき金額は、昭和五七年九月現在の前記平均基準内給与(除く世帯手当)と同額である。但し、昭和五七年一〇月の賃金制度改定の移行措置として世帯手当が三〇〇〇円減額されているが、他方で資格給が三〇〇〇円増額されている。右平均基準内給与(除く世帯手当)に各原告の世帯手当額を加えた額をもって平均基準内給与(含む世帯手当)とするのが相当であり、その結果は別表49の右欄に記載のとおりとなる。
(2) 昭和五八年四月以降の平均基準内給与(除く世帯手当)
右(1)の昭和五八年三月末の平均基準内給与(除く世帯手当)に、毎年の賃上妥結率(べースアップ率と定期昇給率の合計。別表50、甲一〇四八)を乗じ一〇〇円単位に切り上げた額をもって次年度の新平均基準内給与(除く世帯手当)とするのが相当であり、その結果は別表51の該当欄記載のとおりである。そして、各原告の世帯手当額を加えた額が、新年度の平均基準内給与(含む世帯手当)となる(別表52ないし64)。
(3) 昭和五七年以降分につき右のように算定方法を変更した理由
右(一)と試算方法が異なるのは、昭和五七年一〇月に大幅な賃金体系の変更があったことと、昭和五八年度からは原告らが東労本部作成の賃金関係調査資料を入手できなくなり、昭和五七年一〇月以降はそのほかの合理的資料がないからである。
2 平均賞与
(一) 各年度の賞与の支給基準及び妥結支給率は前記のとおりであり、当事者間に争いがない。
(二) 昭和五七年度上期支給分(昭和五七年一二月分)まで
右(一)による賞与の支給基準の各項目ごとの平均値に、支給基準及び支給率(甲四九六、別表78。一部別表92)を当てはめて求めると、各原告に対応する同期同学歴従業員の平均賞与というべき金額は別表79ないし91の該当部分記載のとおりとなる。
(三) 昭和五七年度下期支給分(昭和五八年六月分)以降
平均基準内給与に各年度の賞与の妥結率(甲一〇四九、別表92)を乗じて求めると別表93ないし105の該当部分記載のとおりとなる。
3 住宅積立助成手当等の臨時給与の平均額
住宅積立助成手当、住宅助成手当臨時措置特別加算、財産形成給付金、安定供給推進協力一時金、財産形成促進のための助成措置、賃金支払日変更貸付金の各平均額については、順次別表107ないし119の各1・2、121ないし133、135ないし150の各該当欄記載のとおりと考えられる(甲四九八、五〇〇、一〇五〇、一〇五一)。
4 平均職級、平均職位、平均資格
原告らと同期同学歴従業員の平均的な職級、職位及び資格は1での検討の過程で既に求められている。
四 三の平均的処遇と原告らに対する処遇の対比
1  賃金格差
原告らが現実に支払いを受けた賃金額は、第四分冊の格差表1ないし13の各1ないし8(但し、格差表8の枝番は5まで)の「原告給与」欄記載のとおりである(争いがない。)。そして、原告らは、昭和四八年一〇月から平成五年三月までの一九年六か月間について、別表1の請求債権1ないし8(但し、原告山田は請求債権5まで)の各請求期間(その内訳は第二分冊第一編第四章記載のとおりである。)に分けて総括しているから、右三で認定した結果をこれに対応させると、前記のような意味での平均的賃金と原告らの実際の賃金額の差額は、第四分冊の格差表1ないし13の各1ないし8(格差表8の枝番は5まで)の「差額」欄記載のとおりであり、著しい格差が存在することを認めることができる(なお、第四分冊の格差表における差額と原告らの平成五年四月二一日付け準備書面一八(その第三分冊)中の別表151ないし163の各1ないし8(別表158の枝番は5まで)のそれとは異なる部分があるが、これは、本件訴訟の最終段階で、原告らが実際に支払われた賃金額を訂正したため(被告の主張に合わせた。第二分冊第一編第五章)、それ以前の主張に基づく右準備書面中の別表151の1以下の該当欄が修正されるべきことになったからである。すなわち、第四分冊の格差表は、右準備書面で原告らが用いた様式に合せて、当裁判所においてこの点を修正整理したものである。従って、原告らの主張及び別表類のうち、原告らに対する支給額(原告給与)及びこれに関連する計算過程における記載部分と第四分冊の格差表の数値とも、一部食い違う部分がある。また、原告らが求めている別表1の請求債権1ないし8の各期間における請求債権額と右認定の差額の数値も、右主張の訂正に伴い異なる結果となっている。更に、前記準備書面の別表151の1以下における原告ら主張の各項目の合計額等には一部計算間違いが認められ、第四分冊の格差表ではこれらも補正してあるから、この点でも原告らの請求債権額と右格差表記載の差額合計額が若干相違する結果になっている。)。
2  職級、資格及び職位上の格差
原告らは、職級、資格及び職位においても、本件の係争期間中、それぞれの同期同学歴従業員(人数の少ない年度で約二〇〇名、多い年度では約二〇〇〇名いる。)のうちで最下位に位置しており、その下に位置付けられている者はいないか、いても数名に過ぎず(甲一三四、四〇五ないし四一三、四一四の一ないし三、一〇〇四、一〇七九の一ないし四、証人大淵、原告塩森本人(第一、二回))、最低の処遇を受けているということができる。そして、右1の賃金格差は、被告の賃金体系に照らすと、主としてこれらの職級、資格及び職位上の格差があることに基づくものであると認めることができる。
第三節  賃金関係処遇格差発生の原因について
一  反共労務政策について
1 はじめに
原告らは、第二節で判示した賃金関係処遇格差が生じた原因は、被告の差別政策、すなわち、共産党員または同党支持者である従業員に対し、特に賃金関係の処遇面で差別的取扱いをし、共産党員または同党支持者が社内で勢力を拡張することを抑制するといういわゆる反共労務政策が、組織的、系統的に実行されてきたことにあると主張し、これを裏付けるものとして被告のいわゆるマル秘文書を含む多数の書証を提出している。そして、被告はこれを否認し、原告らに対する処遇は原告らの従業員としての能力及び業績等が極めて劣悪であることを正当に考課査定してきた結果であって、被告には反共労務政策なるものはない旨主張している。そこで、ここでは、賃金関係処遇格差の発生の原因を認定するに必要な限度で、原告らの主張を追い、被告の労務政策を検討する。
2 被告の労務政策一般について
(一) 被告の労務政策一般に関する書証等
(1) 入社時の調査について
証拠(甲一、二三〇の一・二)と弁論の全趣旨によれば、被告は、昭和二六年頃から少なくとも同四三年頃までの間、高校卒業者の採用に当たって行う身元調査で思想を必須調査事項とし、警察官とも面接して調査することとしていたこと、及び、採用に際し、共産党員あるいはその同調者であることが判明したときは採用を取り消されても異議なき旨の請書を提出させていたことを認定することができる。
(2) 職制に対する共産主義者対策問題の周知について
証拠(甲六ないし九、三七、証人寺尾)によると、被告は、昭和三五、六年頃、本店労務部労務課作成の「歌って、恋して闘う民青」と題する文書(甲六)、「日共勢力の拡大状況 日本民主青年同盟の現況」なる文書(甲七)、「資本主義の変貌」と題する文書(甲八)、「最近の社会主義活動」と題する文書(甲九。但し、被告山梨支店作成のもの。)等を職制(役職者)に配付しているが、その内容は、共産党及びその周辺団体であるとみられる民青が被告の方針と相容れない主義を有する者の団体であり労務対策として抑制すべき対象であることを周知させる趣旨のものであることを認めることできる。
(3) 「労使交渉経過概観」と題する書証について
甲四一、四二、一二〇ないし一二三号証は、昭和三三年から同三六年にかけて被告本店労務部労務課が各年度の一年ないし半期の労働情勢や労使関係を概観して作成した「労使交渉経過概観」と題する文書であるが、これによると、被告は、東電労組内の反主流派といわれる左翼分子の影響が労組から排除され、労使協調路線を取る組合となることを念願していたことが認められるところ、例えば、そのうち甲四二号証(昭和三六年上期分)には、電労連大会や東電労組大会において労使協調主義を掲げる全労路線を支持する主流派が容共系の反主流派分子と対決し勝利したと受け止めてこれを積極的に評価し、「会社として本大会を契機として公然活動を続けるであろうこれら分子を含めた青年層対策については今後共検討を続けきめのこまかい労務諸施策の推進に経営体としての全社をあげて対処しなければならない時点に来たと考えられる。」と記述している。
(二) 火力発電所における労務政策についての書証
(1) 甲六一八号証「火力部門を中心とした青年層対策について」及び甲二〇八号証「青年層対策に関する資料配付について」と題する文書について
甲六一八号証は、その内容によると、昭和三六年五月被告本店労務部作成の文書で、被告常務会に提出されたいわゆるマル秘文書であるが、同文書の提案の趣旨中には、火力発電所において注目すべき現象として、青年層の間に共産党の影響が増大しており、憂慮すべき傾向として川崎地区における火力発電所等において共産党員数がここ一年間に一〇名程度であったものが一〇〇名前後に増えている等と分析し、その管理の適否が将来における事業の円滑な運営と発展に及ぼす影響は極めて大なるものがある趣旨を述べ、その対策として、青年社員層の会社に対する帰属意識と仕事への自発的意欲とを高めていくために、職制管理機構、人事・給与管理、教育訓練、意思疎通・従業員接触、住宅・文化対策等の多方面にわたる綜合性をもった幅の広い労務管理の推進が望まれること等が記載されている。甲二〇八号証は、被告本店労務部長が千曲川電カ所長あてに出した甲六一八号証の送付状である。
(2) 甲六一九号証ないし六二五号証について
① 甲六一九号証「鶴見火力における 勢力とその拡大工作の実態」
右書証は、昭和三八年八月、被告鶴見火力発電所作成の「厳秘」扱いの文書であるが、「はじめに」の項で鶴見火力の共産党員または同党支持者の実数を把握し、過去一か年の労務管理の強化により拡大のテンポが鈍化したこと等を述べ、本文で鶴見火力における共産党員四五名の構成面の実態を年齢、入党の時期、学歴、居住環境、生い立ち等から分析し、共産党及び民青の組織面の実態並びに入党ないし民青加盟勧誘工作の方法等について解説したうえ、会社側の管理体制という面からみた場合の反省点を記載している。
② 甲六二〇号証「鶴見火力における青年層管理の問題点」
右書証も、昭和三八年一〇月、被告鶴見火力発電所作成の「厳秘」扱いの文書で、若年従業員管理上の問題点として鶴見火力における民青の影響を分析し、反省点を述べた文書であるが、鶴見火力労務課が共産党員や民青同盟員の構成や動向に注視し、その情報を収集・分析していたことの一端が分かる。
③ 甲六二一号証「生産阻害者対策の実際」
右書証も、昭和三九年一〇月、被告鶴見火力発電所作成の「厳秘」扱いの文書で、右甲六二〇号証の続編として、鶴見火力において実践してきた青年層対策、特に生産阻害者対策というものをまとめた文書である。その記載中には、「動向の把握と色分け」( 関連行事を事前にキャッチし、それへの出席状況の調査等で動向の正確な把握に努める。その中から容共左派分子を党派性の強弱によりA、B、Cランクに区分けし、諸対策を講じてゆくための基礎資料とする。そのため 行事の内容を当直主任や守衛、独身寮の管理人に事前に伝え共産党員または同党支持者の動向を把握する等。)、「問題発生時の適切な措置」(容共左派分子に対しては、労働協約や就業規則に照らし、行き過ぎた言動を必ず見逃さず、その都度本人に厳重注意や処分をする。注意したときは、その日時、内容を必ず記録に留めておき、後日の疎明資料として整備しておく。この資料を人事考課に反映させ、あるいは家族寮入居の際に特別誓約書を取るよりどころとする等。)、「人事考課の厳正実施」(昇給査定は人事考課により厳正に実施する。思想により査定するということではなく、日頃の言動、行動に基づいてすれば法廷闘争になっても問題にならない。このような形で信賞必罰をビシビシ行うと、一年後にはCクラスの者が、二年後にはBクラスないしAクラスの一部が脱落してくる。賃金査定の厳正化により入党の動機が単純なものほどショックに感じぐらついてくること等。)、「救済対策」(脱落者には逃げ込みの場を設けておく等。)等があり、「むすび」として、癌対策は早期発見から、共産党・民青の実態をよくつかみ早期に対策を講ずる、作戦要務令にあるように所長・工場長等現場を預る部隊長の決意が大切である、等の記載をしている。
④ 甲六二三号証「最近の労務情勢について―日共系の動き―」
これは、昭和四八年一一月被告神奈川支店作成の文書であるが、最近の日共系の動きとして各地の事例を述べ、「今後の管理上の間題点と対策」として、「要は、思想、信条には表面的に絶対ふれることなく、業務管理、労務管理面からの攻めの防御が大切と思います。‥特定分子に対しては、日常の言動、行動をよく注視し、‥細かな点でも把握記録しておく。会社の方針に反すること、業務上のミスなどについては機を逸することなく注意を与え、記録しておく。(その後の苦情等に対する反論根拠となる。)(この場合思想面には絶対ふれない。)」等と記載されている。
⑤ 甲六二二号証は、昭和四三年鶴見火力発電所作成の共産党の組織図のようなものである。甲六二四号証「火力における青年層対策の実態について」は、昭和三八年九月被告神奈川支店においてなされた鶴見火力労務課長の左派対策等に関する講演要旨である。甲六二五号証「白根細胞組織図」は、昭和四一年一二月鶴見火力発電所作成の、日本共産党の基礎組織と約五〇名の共産党員と認定した者の本名等を記載した文書である。この中には、原告久保田も記載されており、いわゆる転向者名も記載されている。
⑥ 右甲六一九ないし六二五号証についての被告の主張について
被告は、「神奈川県の鶴見、潮田火力においては、昭和三〇年代に容共左派分子の勢力が拡大し、これらの分子を中心として、被告に対する敵意の煽動、規律紊乱行為、業務阻害行為等の不都合行為が惹起されたので、右各火力においては、職場秩序を回復し円滑な業務運営を図るために、容共左派分子に関心を抱き、警戒し、不都合行為を排除するための然るべき措置を講じた。そうした経過に関するものとして、甲六一九ないし六二五号証があるが、こうした他店所に関する書証については、本件とはまったく関係がない。すなわち、各店所は店所ごとにそれぞれ実態が異なっているので、神奈川県における対応状況は、本件で問題となっている千葉火力、五井火力、姉崎火力等にはあてはまらない。」という趣旨の主張をしている。たしかに、被告主張のように鶴見火力等において右各文書作成当時共産党員または同党支持者の一部に実際に規律紊乱行為、業務阻害行為等の不都合行為をした者がいたとした場合、被告がその店所特有の対策を立てることは当然であろうが、右各文書の内容は、それらの不都合行為を犯した者に対する対策というよりも、共産党員または同党支持者に対する一般的な対策について記述されているのであり、後掲の証拠と総合すると、鶴見火力ないし神奈川県限りの労務政策とばかり見ることはできない。なお、後掲の書証のうち千葉県以外の他店所関係の書証についても、同様にいうことができる。
(三) その他の賃金関係処遇差別意思に関連する書証
甲八一二号証は、当時の品川火力発電所の発電課当直長田沢謙一が昭和四六年に記したノートであるが、四月二一日の課長会議(合同)という部分で、次長会議の内容として「職級の見直し‥月中に決定し、4/1辞令。×はupなし。」との記載がある。そして、田沢は、東京地方裁判所における証人として、×は共産党員ではなく「非協力者」である、被告の会社全体が実施した職級の見直しに際し、非協力者は一人も上がらないことを意味する、と供述している(甲八一七)。しかし、右供述部分はあいまいであってそれ自体信用性に乏しいのであり、甲八一八号証(当時の被告営業開発部副長戸口豊友の証人尋間調書)及び甲八一九号証(当時の被告社員近藤久也の尋問調書)に見られる×の用い方に照らすと、甲八一二号証の前記記載部分は、共産党員または同党支持者については昇級させない趣旨を記載したものであると認めるのが自然である。そして、このような昇級の有無といった賃金制度にかかわる内容は、品川火力あるいは神奈川支店のみに限られた方針であるとは考えられない。
(四)  被告の労務政策一般につい(まとめ)
(1)  以上の(一)ないし(三)で検討した書証に加えて、次の(2)に記載の書証、証人寺尾の証言、原告遠藤(第一回)、同塩森(第一、二回)各本人尋問の結果及び次の3(千葉県における労務政策について)に記載の証拠並びに前記第二節で認定した原告らの顕著な賃金関係処遇格差の存在を総合すると、被告の全社的な労務政策として、次の事実を認めることができる。
被告(意思決定機関の構成者及びその補助者)は、戦後間もなくの頃から活発であった組合を利用した階級闘争主義的活動を嫌悪し、公益的事業で基幹電力事業を担う被告の企業防衛の見地から、労使協調路線を取る組合の育成を目指した。そのため、被告内部における左翼的活動家としての民青及び共産党員またはこれらの同調者の実態とその思想の強固さの程度を把握し、それ以外の従業員が共産党員または同党支持者となることを防止することに努め、また労働組合の執行部から共産党員または同党支持者の影響力が排除されやすくなるような方法を講ずることとした。そこで、被告は、東労各支部及び分会の活動家の実態を把握分析してその対策を考え、支店長会議等を通じて職制に対し、労使協調路線を支持する組合員の育成を見守るよう指示した。また、被告は、従業員の採用に際して共産党員または同党支持者であるかどうかに注意したうえ、従業員に対し、共産主義批判の解説、講演等を通じて共産党員または同党支持者の影響を受けないよう啓蒙するとともに、組合青婦人部等の行事や、民青、労音(勤労者音楽協議会)、労演(勤労者演劇協議会)等の企画した行事あるいは独身寮における生活が共産党の勢力拡張に利用されているとして対策を講じ、また、既に共産党員または同党支持者の影響下にあるがその思想が強固でない者に対しては職制を通じて転向を促すなどの対策を講じてきた。更に、これらの労務政策を、労務管理を担当している部門だけではなく、末端の職制にも徹底するよう指示した。そして、被告は、以上の対策を効果的にするため、共産党員または同党支持者であると認定した従業員に対しては、職級、資格、、役職位及び定期昇給、賞与における査定をことさら低位に置くこと等の差別的取扱いをして、一方では不利益を免れるための転向を促すとともに、他方で他の従業員が共産党員または同党支持者になることを抑制することを労務政策の内容の一つとした。
(2) 被告の労務政策一般についての書証(既に検討した書証も重複して記載する。)
甲一ないし三号証、四号証の一・二、五ないし九号証、一九ないし二四号証、二八号証、三〇ないし三五号証、三六号証の一ないし三、三七ないし四二号証、四五ないし五九号証、一〇一、一〇二号証(この二点は、千曲川電カ所第二次苦情処理委員会作成として成立を認める。)、一〇三ないし一〇五号証、一〇九号証(証人寺尾の証言及び弁論の全趣旨により被告従業員が起案した文書であると認められる。)、一二〇ないし一二四号証、一二七号証、一三六号証の一ないし三(一三六号証の一の末尾添付訂正表については弁論の全趣旨により成立を認める。)、一五〇号証の一ないし三、一五一ないし一五五号証(一五三ないし一五五号証の書込部分は除く。)、一六八号証(書込部分は弁論の全趣旨により成立を認める。)、一六九号証、一八〇ないし一八二号証、一八五号証(弁論の全趣旨により成立を認める。)、二〇八ないし二一二号証(二〇八号証及び二一二号証の書込部分は除く。)、二一五号証(弁論の全趣旨により成立を認める。)、二一六ないし二一八号証(弁論の全趣旨により当時の被告群馬支店富岡営業所長豊島秀次作成と認める。)、二一九号証の一、同号証の二及び二二〇号証(弁論の全趣旨により右豊島秀次の作成と認める。)、二二七号証(書込部分は除く。)、二三〇号証の一・二、二五三号証(書込部分は除く。)、二五八号証(印刷部分は弁論の全趣旨により豊島秀次が出席した会議等の講師の作成と認める。)、二五九号証、二六四号証(書込部分は除く。)、三一六ないし三三四号証(書込部分は除く。)、三四三号証、三七一号証(書込部分は除く。)、三七二、三七三号証、三七四号証(弁論の全趣旨により豊島秀次の作成と認める。)、三七五、三七六号証、四一五号証、四四六ないし四四八号証、五一三号証の一、同号証の二ないし四(五一三号証の一の記載内容と弁論の全趣旨により被告群馬支店労務課作成の文書と認める。)、五九七号証の四、六一八ないし六二六号証、六二九号証(書込部分は除く。)、六三九号証の一・二、七三二号証、七四七号証の一ないし九、七六一号証、七七一号証、七九六号証、八〇八ないし八一四号証(書込部分は除く。)、八一六ないし八一九号証、八一二号証(書込部分は除く。)、八二三号証(書込部分は除く。)、八二六ないし八三〇号証、八四七号証の一ないし一〇、八四八号証の一ないし四、八五三号証の一ないし四、八五五号証の一ないし六、八九九号証(弁論の全趣旨により原本の存在、成立ともに認める。)、一〇七三号証(書込部分は除く。)、乙三号証、八号証の一ないし四、九号証。
3 千葉県における労務政策について
(一) 労務報告関係文書
(1) 甲三三六号証
甲三三六号証は、原告遠藤本人尋問の結果(第一回)及び弁論の全趣旨により成立を認める甲一〇六二号証によると、昭和四一年五月に田代正二が職制の机の上に出されていた労務報告文書を無断で一時借用のうえ原告山田が筆写したものであると認めることができる。そして、その内容は、千葉火力の若年層社員を対象とした施策、組合内部における左派と良識派の勢力関係の分析、京葉地区の会社間の左派の情報交換、公安関係者からの情報取得、共産党関係者が独身寮で活動を行うことに対する管理体制等について触れたもので、前記甲六一八ないし六二一号証及び後掲の甲三四三号証と趣旨を同じくしており、被告の前記認定の労務政策が千葉火力においても展開されたことを示す労務関係文書の一つであるということができる。
(2) 甲三四三号証
甲三四三号証は、昭和四五年に被告の各火力発電所からなされた労務関係の報告を集約したものであるが、千葉火力の関係では、左派の概況として「左派中心人物二四名」、左派対策として「服務管理の厳正実施、関係官庁・隣接店所企業との密接な連絡、思想的動揺者に対する管理者による人間的個体指導、労務研修による良識層の育成強化」等前記2で認定の被告の労務政策に対応した事項が報告されている。
被告は、「当時は日米安保条約の改定期を目前に控え、社会が騒然としていた時期であり、とりわけ反対闘争、武力闘争を展開していた左派勢力の動きには千葉火力としても無関心でいられなかった。また千葉火力においては、そうした社会情勢の影響を受けて動揺する従業員の発生も懸念され、また一部には、パトロールの手抜き、遅刻、居眠りなど服務の乱れもあり、今後その拡大が心配されていた。そのため諸設備の保全、日常業務の支障が生じないようにするために、左派対策がなされたもので、原告らのいわゆる反共労務政策を裏付けるものではない。」という趣旨の主張をしているが、被告主張のような社会情勢が背景にあったとしても、これによれば、千葉火力において当時とられた左派対策が前記認定の労務政策と同一基調のものであることは明らかであり、被告の前記労務政策が千葉火力においても展開されたことを示す資料の一つとみることができる。
(二) 千葉県内での労働講演会、特別研修等に関する書証
(1) 甲一〇ないし一七号証、二五、二六号証、三一六号証、三二一号証、三二三号証、三六五号証等がこれに該当する。被告は、これらについて、いずれも労使協調を訴える内容のものであり、労使が協調すべきところは協調して産業平和を保つことは、現行法制度の理想に合致するところであるから何ら問題はない旨主張している。しかし、右各書証は、いずれも共産党ないしこれを支持する思想あるいはこれらの思想を有する者を嫌悪攻撃する基調のものであり、千葉県内においても原告ら主張の反共労務政策が行われていたことを示す資料としてまったく無関係であるとは認められない。そして、例えば甲二六号証によれば、千葉県では、昭和四三年に千葉、五井、姉崎各火力発電所のフォアマン(被告に昭和四三年四月から導入された制度で、フォアマンには、現業職場のグループリーダーとして、業務及び労務管理だけでなく、仕事を通じてチームワークの中軸となる役割を期待されている。乙七〇)を集めて行われた特別研修の中で、参加した者の発言として「左派(思想的)に対し断固たる態度でのぞむ。」などというものがある。
(2) 民社研労働学校受講及び追指導に関する書証
甲一八、三一九、三二五、三三七、三七二ないし三七七号証等がこれに該当する。
被告は、これらの書証について、「民社研労働学校は職場に働く人々に労働問題に関する基礎的な考え方を習得させ、民主的な労使関係の確立に寄与することを目的として開設されているもので、その研修テーマは従業員の視野の拡大や一般社会的教養・識見の涵養を期するものであり、講師も社会的にも公正かつ著名な陣容を擁しているものである。従って、その研修を受講させることは、何ら反共労務政策と結びつくものではない。」という趣旨の主張をしている。しかし、右各書証は、共産主義批判を中心としており、被告が共産党員または同党支持者あるいは共産主義そのものを嫌悪し差別しているという原告ら主張の反共労務政策の千葉県内における状況を示すものとして、無関係であるということはできない。そして、被告は他企業より熱心に民社研労働学校に従業員を派遣しており、また、民社研労働学校等への参加者は、その後受講者懇談会などとして原告らのいう追指導がなされている(甲三二三、三二五、三七五等)ところ、これらの中で、昭和四三年九月一二日及び一三日、大原荘において延べ三六名の参加で追指導が行われているが(甲三二六)、甲三三七号証(その成立の認定は後記のとおり。)中には、その内容として次のように記載されている。
「討議のテーマとして、『‥この私達共同社会の中に協働相互発展の倫理をくつがえそうとしているグループすなわち生産阻害者であり組織(労働組合も含めて)破壊者でもある共産党、民青同グループが存在することはまことに残念であります。‥これらのグループを‥職場から徹底的に排除し、あるいは彼等が良識人に立ちかえるよう最大の努力を払わなければならない‥。以上のような観点から次のテーマでディスカッションしていただきたい。1‥上記 グループに対してどのような態度で接し、彼等を排除または更正させるためどのような方法をとったか。‥3 会社、組合、個々の職場あるいは皆さん方自身今后 グループに対してどうあるべきかとお考えですか。』と提起され、討議の集約は、『① 排除と更正の調和 完全に党員になっている者は排除 チョット色のついた者は更正 ② 発電職場における の排除の方法 ③ 更正 イ処遇の手段‥暖かい手段―友情、冷たい手段―社宅、職級、給料の差別』‥」
右記載は、原告畠田本人尋問の結果によれば、同原告が関係者から口頭または書面、あるいは匿名により提供された情報に基づいてしたものであることを認めることができるが、その内容は参加者の実名もあり非常に克明であり、また、前記被告の労務政策認定の際に検討した書証の内容と同一の基調のものであって、原告畠田が勝手に創作したものとは考えられず、一部誇張されている可能性があるとしても全般的に信用できるというべきである。
(3) 副(係)長会議等報告事項等に関する書証
甲一一三号証及び甲一一五ないし一一七号証は、取扱注意とされた副・係長会議、主任会議の報告事項書綴である。これらの記載のうち、各人名義の文書は、各副・係長、主任が自己の意見を記載した文書であると認められる。右書証のうち、本件と関連するいくつかの報告事項を例示する。
① 甲一一三号証「副(係)長会議報告事項」
昭和四四年一二月三日に行われた副(係)長会議報告事項の中で、寮駐在員坂本は、健全な寮風の育成についての問題点として、「非協力者は数名在寮しているものと思考される。」とし、その対策として「今後一名たりとも非協力者を出さぬよう関係各課と連携を密にし、情報活動の活発化を促進対処する。」と報告している。発電課副長水谷は、「なんでも反対する人間をかかえた職場の人間関係とその対策」の中で、実状として、同期入社した同僚との格差や班編成上での後輩との位置付けをあげている。
② 甲一一五号証「主任会議報告事項」
昭和四五年九月七日千葉火力発電所で行われた主任会議の報告事項である。発電課内田は「職場指導方法について、若年層を主に、自己管理表はもとより、現場での個別指導に特に力を入れ、ドロ臭い指導によって成果をあげた(四名)、今後も他の部下について現在の指導を継続する。」としている。発電課茂木は、「反体制的な考え方の人をかかえている班の直運営の問題点」として、「巡視業務についても心配があり、常にその所在を把握しておく必要がある。」等と報告している。保修課小林は、「若年社員の職場指導上の問題点」として、「他のグループよりイデオロギーの異ったと思われる者が多くいる。」こと等を報告している。労務課槇は、「良識層の育成と質的向上」に関して報告している。
③ 甲一一六号証「副(係)長会議報告事項」
昭和四五年九月九日千葉火力発電所で行われた副(係)長会議の報告事項である。大森寮駐在員の坂本は、寮の管理の問題点について、「寮内には、数名の左傾者がおり、日々外室活動を行っている。最近の傾向として大衆の中にとけこんでゆくソフトムードに移行して来ているので、お互い注意するよう根気よく呼びかけている。」と報告している。星久喜寮駐在員野田は、寮管理の重点項目の一つに「容共者対策ならびに脱退者の保護」をあげ、「最近の容共者の行動ならびに他人への接し方は、以前とくらべてやわらかくなってきている。そこで迷いやすい二〜三年生に対する予防ならびに脱退者の精神的育成保護に時間をかけてマンツーマンで話し合う。」等と報告している。
④ 甲一一四号証「副(係)長・主任会議報告事項に対する指示事項」
前記甲一一三号証の報告事項に対する被告千葉火力発電所の指示事項であるが、前記坂本の報告に対し「健全な寮風の育成のご努力は誠に結構であり、今後ともこの方針でご努力願います。」とし、前記水谷の報告に対しては「提言の主旨は大変結構であるのでその方針で一そう努力されたい。」としている。
⑤ 被告は、これらの文書について、「各人名義の文書については当時の各従業員の個人的意見であって被告の意見ではないし、また、内容的にも何ら問題はない。例えば、何でも反対する人間を抱えた職場の管理監督者が、職場での人間関係を円滑に保つための対策に頭を痛め苦慮するのは当然である。独身寮においても寮内規を守らない等寮の秩序維持に協力しない者がいれば、寮の駐在員等が頭を悩ますのもまた当然のことである。」旨主張している。しかし、右各文書は、千葉火力において、副(係)長・主任という職制が共産党員または同党支持者に注目し、その対策を考え、転向を促すなどの対策を講じていたこと、千葉火力全体としても緊密な連携をとっていたことをうかがわせるものであり、前記被告の労務政策の千葉県における展開の証拠として引用することができる。
(4) 課長会議議事録に関する書証
甲三三五号証の一ないし七は、その趣旨体裁から、千葉火力の課長会議の出席者が会議の内容をとりまとめたものと認められる。そして、甲三三五号証の四では、人民大学開校と原告結城、同網岡及び同遠藤の休暇取得が関係付けて述べられており、従業員の動向調査を行っていることをうかがわせるものである。
(5) 独身寮管理内規制定に関する書証
甲五六号証、三一〇号証、三五四号証、三五五号証の一ないし六、三五六号証、三六三、三六四号証等が該当する。これらも、他の証拠と考え合わせると、独身寮が共産党の勢力拡張に利用されているとして対策を講じたことを示す資料となしうるものである。
(三)  被告の千葉県における労務政策(まとめ)
(1)  以上の(一)、(二)で検討した書証に加えて、次の(2)に記載の書証、証人植竹、同大淵の各証言、原告ら各本人の尋問の結果(但し、原告遠藤は、第一、二回、原告塩森は第一ないし三回、原告永松は第一回)及び陳述書(甲五一一の一、五一二の一、五一五の一、五四〇、五七七の一、六〇〇の一、六〇五の一、六〇八の一・二、六一二、六一三の一、六一四の一ないし三、六一七の一、七四一の一、一〇三〇)並びに第二節で認定した原告らの顕著な賃金関係処遇格差の存在を総合すると、千葉県内で原告らが勤務してきた各火力発電所等においても、前記認定の被告の労務政策が実施されていたことを認めることができる。
(2) 千葉県における労務政策に関する書証(既に検討した書証も重複して記載する。)
甲一〇ないし一八号証、二五ないし二七号証、六九号証、一一一ないし一一九号証、一二六号証、一三一、一三二号証、一三五号証、三一〇、三一一号証、三一六ないし三三二号証(書込部分は除く。)、三三五号証の一ないし七、三三六、三三七号証、三三九号証、三四〇号証の一・二、三五四号証(書込部分は除く。)、三五五号証の一ないし六、三五六号証、三五九号証、三六〇号証の一・二、三六三ないし三六七号証(書込部分は除く。)、三七七号証、三八二号証の一ないし七一、三八三号証の一ないし七、三八四号証の一・二、三八六号証(三八二号証の一以下は、証人植竹の証言により成立を認める。)、三九一ないし三九三号証、三九七号証、五八九号証の一ないし五、六三三号証の一ないし三、六三七号証、七四二号証、一〇六二号証、一〇六五号証。
二  原告らが反共労務政策の対象であることについて
1 原告らの活動
甲二九四号証の一ないし四、二九五号証、二九六号証の一ないし三、二九七号証、二九八、二九九号証の各一・二、三〇〇号証の一ないし三、三〇一ないし三〇五号証、三〇六号証の一ないし九、三〇七号証の一ないし一六、三〇八号証の一ないし一三、三〇九、三一〇号証、三四四号証の一ないし四、三四五号証、三四六号証の一ないし一八、三四七号証の一・二、三五二号証、三五三号証の一ないし一七、三五四号証(書込部分は除く。)、三五五号証の一ないし六、三五六、三五七号証、三六一号証の一・二、三六二号証、三七九、三八〇号証、三八一号証の一ないし四、三八八号証、五九六号証の一ないし七、六〇〇号証の一二、六〇五号証の三・四、六六九号証の一・二、六七〇号証の一ないし五、七六二号証の一ないし四、八六五号証、八七二、八七三号証、九〇〇号証、原告ら各本人の尋問の結果(但し、原告遠藤は第二回、原告塩森は第三回、原告永松は第一回)及び陳述書(甲五一一の一、五一二の一、五一五の一、五四〇、五七七の一、六〇〇の一、六〇五の一、六〇八の一・二、六一二、六一三の一、六一四の一ないし三、六一七の一、七四一の一、一〇三〇)によれば、次の事実を認めることができる。
原告らは、前記第二編に記載のとおり、いずれも被告の従業員で現在千葉県内の火力発電所等に勤務し東電労組の組合員(但し少数グループ)である者またはかつてそうであった者(原告山田)であるが、それぞれ第二分冊第二編第三章に記載の組合活動歴等を有し、運炭請負化反対、補機室の中央操作室への集中化反対、火力要員の営業・配電への配転反対等の合理化反対を唱える闘争、独身寮における管理強化反対を唱える闘争等の組合活動及び労働者教育会発行の「学習の友」の自主的学習活動、労演、労音、歌声活動、地域・職場の「わかもの会」、文集サークル、原潜寄港阻止闘争・日韓会談反対闘争などの運動その他の諸活動を極めて活発に行う中で、原告遠藤は昭和三四年、原告久保田は同三九年、原告塩森は同三七年、原告川又は同三九年、原告木村は同三八年、原告勝俣は同三九年、原告永松は同四二年、原告結城は同三九年、原告網岡は同三九年にそれぞれ共産党に入党したものであり、その余の原告畠田、同藤田、同山田、同萩原も、他の原告らと同様に早くから共産党を支持し次いで入党していた者である。
2  原告らが共産党員であることについての被告の認識
右のように、原告らはいずれも早くから共産党員または同党支持者であり、組合運動や政治活動等を極めて活発に行ってきたこと、前記のように、被告は、前記認定の労務政策を千葉県内の火力発電所等でも具体的に実施し、共産党員または同党支持者の動向を把握して、その影響力を抑制して行く方針をとってきていたことと、甲一一三号証、一一六、一一七号証、三一一号証、三三七号証、三三五号証の四、同号証の七、三四三号証、三六〇号証の一・二、五八九号証の一、六二三号証、六二五号証(以上は既出の書証)、五一四号証の一ないし三、六〇一号証の一・二・四及び六〇二号証(六〇一、六〇二号証は原告遠藤本人尋問の結果(第二回)及び弁論の全趣旨により成立ないし原本の存在、成立を認める。)、六〇三、六〇四号証、七四六号証、七五二号証、八八一号証、一〇六〇号証、一〇六八号証、一〇七一号証(書込部分は除く。)並びに原告ら各本人の各尋問の結果及び陳述書(甲五一一の一、五一二の一、五一五の一、五四〇、五七七の一、六〇〇の一、六〇五の一、六〇八の一・二、六一二、六一三の一、六一四の一ないし三、六一七の一、七四一の一、一〇三〇)を総合すると、原告らは、それぞれ各原告主張の時期に被告により共産党員または同党支持者と認定されていたものと認めることができる。
第四節  反共労務政策と賃金関係処遇格差の因果関係
その一・年功序列性について
一 前節までに検討したところによれば、(1)被告は、早くから共産党員または同党支持者を嫌悪し、そうでない従業員との間に賃金関係の処遇上格差を設ける労務政策を有しており、(2)原告らが共産党員または同党支持者であることを知っていたのであるが、(3)原告らは、その後、集団として、ほかの従業員と比較すると、著しく低位の、最低というべき賃金関係の処遇を受けてきており、(4) その格差の程度及び原告らがそろって最低というべき処遇を受けているという事態は通常の考課査定の結果としての処遇格差とは到底考えにくいものであるから、これらによれば、特別の事情のない限り、被告は、原告らに対し、原告らが共産党員または同党支持者であることを理由の一つとして、他の従業員よりも賃金関係の処遇面で低い処遇を行ってきたものと推認するのが相当である。
二 そして、この点に関する被告の反論は、被告の賃金体系の特殊性を主張する点と、原告ら主張のような格差は原告らの能力及び勤務成績(勤務ぶり)が著しく劣悪であったことが正当に考課査定された結果であるに過ぎないという二点にある。そこで、後者の点は次節で検討することとし、ここでは、前者の主張を検討すると、被告の右主張は、被告の賃金体系は、従業員が現に任用されている具体的職務により賃金が主要に決定付けられる職務給体系であって、年功序列給ではないところ、被告における職務任用は、業務上その職務への任用を必要とする都度、社員の職務遂行能力及び適性等を勘案して行われるものであるから、入社年度が同じであるからといって同じ職級の職務に任用されるわけではなく、また、資格や職位についても一定年数の経過により機械的に昇格昇任させるということはないから、原告らの主張するように他の従業員と比較して格差があるというのは右のような賃金体系のもとでは無意味であるという趣旨のものである。
たしかに、被告の賃金制度の基本は職務給制度にあり、各従業員が従事している職務を主要な要素として賃金その他の処遇が決められる建前のものであるから、同期同学歴の従業員であっても同一歩調で昇級昇格する仕組みにはなっていない。しかし、その運用については、まず職級について見ると、前掲甲一〇四七号証の一ないし一〇によれば、同期同学歴の従業員間では、ある程度大きな幅がありしかも先輩後輩の関係が逆転している例もあることはたしかであるが、全体としては、経年的に昇級する一般的傾向にあることが明らかである。そして、同一職級内でも一年ごとに号数が上がることになっていること(定期昇号)、既に昭和四三年に同一職級に長くいる中高年従業員について年齢と勤続年数を考慮して個別に昇級させる職級調整が行われたこと(甲四三〇の一・二、七八一、七九二ないし七九四)、昭和四六年には同一職級に長期間多数の従業員が在籍している下位職級で職務内容が高水準にある者を同一職務を担当させながら一級昇級させる措置が取られたこと(甲四三四、七八二、七九二ないし七九四)、また、昭和五〇年には同一職級に長期に止まり過ぎないことをも目的とした職務編制の弾力化等の措置が講ぜられたこと(甲四二九の一・二、四三一、七九二ないし七九四)などは、職務給制度はこれを厳格に運用するのではなく、その中である程度年功性を加味させて運用されてきたことを示すものであるし、更に、被告が、職級決定の基礎となる職務任用について、年齢や勤続年数ないし在職期間に基づく標準的任用基準というようなものを有しているのではないかとうかがい得る資料、あるいは少なくともそのような方向の考え方を有していたことを示す資料も少なくない(甲四二一の一ないし三、四二二、四二四、四二五の一・二、四二六、四二七等)。
また、資格任用についても、前掲甲一〇四六号証の一ないし九によれば、同期同学歴従業員の間では、前記職級と同様にある程度大きな幅があり逆転現象もたしかにあるが、結果としてはおおむね勤続年数を基準として年功的に任用される傾向にあることが明らかである。
従って、被告会社の賃金体系は職務給制度を建前とするものであるが、その運用は一般に年功的配慮を加味してなされておりある程度標準的な職級職務等にある従業員を想定することができるものであるところ、原告らは、前記のように集団としてこの標準的な従業員より著しく低位に置かれ、最低というべき処遇を受け続けているということができるのであるから、被告の前記主張は、前記推定を覆すべき主張として採用することはできない。
第五節  反共労務政策と賃金関係処遇格差の因果関係
その二・原告らの勤務ぶりについて
一  はじめに
次に、被告は、前記のように、原告らの賃金関係処遇が著しく低位である理由は、ひとえに原告らの勤務成績が極めて劣悪であったことによると強調して、詳細な主張をしている。そこで、この点を検討すべきところ、原告らは、前記認定のように、多人数の同期同学歴従業員の中で、そろって著しく低い処遇を受けているのであるが、職級、資格、職位及び実際の賃金額のどの点をとってもいずれも最低というべき程度にあり、原告らのほかにはそのような処遇を受けているものはいないといってもよい実情にあるから、このような処遇について、前記推認を覆し、前記認定のような差別的労務政策の影響がまったく及んでいないというためには、ここで被告が主張する原告らの勤務ぶりについても、他の従業員と比較して並外れて劣悪であったというほどのものが認められる必要があるというべきである。
二  会社を敵視する基本的態度という被告の主張について
1 ところで、被告は、甲三五二号証における原告遠藤の「意思表明」を問題とし、被告が指摘する原告らの劣悪な勤務ぶりは、右書証に表明されている原告らの基本的態度に由来するものであることに留意されるべきであるという趣旨の主張をしている。
そこで、検討するに、原告遠藤本人尋問の結果(第一回)及び弁論の全趣旨によれば、甲三五二号証の「新体制合理化に対する我々の方針」と題する文書は、昭和四二年頃原告遠藤がその当時の活動方針案としてまとめたものであると認めることができるところ、その「基本方針(認識)」と題する部分には、「我々は、革命にむかって、拠点党細胞としての任務をもって、確実に、かつ成功的に長い道を歩まねばならないが、そのためには、経営内に強大な党を建設し、多数の労働者を廻りに堅く結集しなければならない。したがって、どのような時点においても、いささかの冒険主義、教条主義、日和見的な行動は許されない。このことは、綱領と9大会方針、三中総、党の合理化に対する政策の方針に、正しく導かれて行動することを意味する。‥敵の姿を大きく見過ぎて労働者の組織と力を信ぜず、ただ組織の温存を、ということで日和見的に敵に追随するならば、敵の攻撃を許し、敵を更に大きくし、組織内に動揺を起こし、結果的に組織を破カイされ、さらに大きな合理化を許す道につながり、これも誤りであることは論を待たない。‥我々は、その任務から見て、この新体制合理化案を受動的でなく、綱領の観点から、積極的に受け止め、この闘いの中で大衆組織を拡大し、党勢を拡大して不抜の革命勢力を、この重要工場内に建設していき、そこに民主勢力のトリデを築きあげ、労働運動の民主化のために斗うという任務と展望を片時も忘れてはならないのである。」などと記載されており、そのほかにも被告を敵と決めつける表現が各所になされている。そして、右の記載内容は、被告の経営方針に反対する活動を政治的に利用し、被告の従業員間における共産党の党勢拡大を図る手段とする趣旨の意思表明と理解され得るものであり、被告を敵視していることとあいまって、はなはだしく穏当を欠く表現を含むものといわざるを得ない。そして、右のような基本的認識を持つ従業員に対しては、被告の経営方針及び業務内容との兼ね合いで、当該従業員に対する担当職務及び地位の決定における被告の人事権の行使において、前記のような被告の労務政策と関わりなく自ずと他の従業員とは異なる慎重な配慮が必要となる場合が想定され得ないではない。しかし、この文書はその当時原告ら以外の外部に配付された形跡はなく、被告も、原告らがそのような思想に基づいて具体的に公然と被告を敵呼ばわりし、あるいは企業としての秩序維持を阻害するような不法性のある言動に及んだと主張するものではなく、ただ、前記のように、原告らの職場における具体的な勤務ぶりが極めて劣悪であったことを裏付けるための基本的姿勢態度を示すものとして問題としているものである(なお、この点は、本件の特徴の一つということができ、被告は、原告らが共産党員ないし同党支持者であること自体を知らないと答弁し、その前提で、原告らの日常の具体的勤務ぶりの劣悪さだけを強調しこれを主要な攻撃防御方法としているに過ぎない。従って、共産主義思想を有すること自体の不具合性あるいはそれ故の低処遇相当性というような方向での主張はなされておらず、従ってまた、共産主義思想の内容特徴等についても、被告側からは立証活動はなされていない。)。そして、以下で判断すべき勤務態度に関する個々の主張は、それ自体右の表明を理念としその実現として行われたという性質のものとはいえず、基本的には原告らの個人的な資質能力面の主張であるから、右個別主張に関する証拠の判断については、前記書証をそれほど重要視するのは相当でないというべきである。
2 また、被告は、乙五四号証の「生活記録1」を問題とし、原告らの勤務ぶりが劣悪であったことの間接的な裏付け証拠としている。そして、証人植竹の証言と弁論の全趣旨によれば、右文書は、原告らと共通の政治的信条を有していた植竹が昭和三九年一一月から同四二年一二月までの間周辺に起きたことを書き留めた日記形式の記録であることを認めることができるが、その記載中には、やはり被告を敵と呼び、被告の方針に従い努力する従業員を冷やかに見ていると理解され得る記載がなされている。しかし、右記録は原告らのものではないうえ、やはり公然と表明されていたものではないし、前記のように本件の訴訟上の主張として当面問題とされている原告らの具体的な劣悪な勤務ぶりの立証との関係では、これを的確に裏付ける文書として重視すべきものとは認め難い。
三  原告遠藤関係
1 昭和三四年六月から同三六年八月まで
(一) 仕事に熟達しておらず、上達する熱意がなかったとの点について
アンローダーの運転操作、修理技能、保守能力の問題があげられている。そして、被告指摘の証拠(被告が当該主張中で指摘援用している証拠をいう。但し、証拠の項目番号やぺージ数の部分を除く。以下、同様である。)中には、被告主張のとおりにいう部分がある。しかし、右証拠は抽象的主観的な部分が多く、具体的事実に触れる部分も的確な裏付け証拠はないから、そのとおりの状況であったとまでは認め難く、全面的には採用し難い。
(二) また、残業拒否、同僚の扇動、職場離脱についても、同様に被告指摘の証拠はあるが、(一)と同じ理由でそのとおりには採用することができない。
2 昭和三八年五月から同六〇年二月まで
(一) 同僚への思いやりを欠き協調性がなかったとの点について
他部所の応援忌避が例示されているが、1と同じように、被告の指摘する証拠はそのとおりには採用することができない。
(二) 職場規律を守らず自分勝手であったとの点について
休暇申請の遅延、無断離席についても、被告指摘の証拠はあるが、その評価は1と同様である。
(三) 責任感、積極性を欠いたとの点について
早い仕事切上げ、引継ぎ不足であったことが主張されているが、右主張に沿う被告指摘の証拠も、1と同じようにそのとおりには採用することができない。
(四) 業務命令拒否について
被告指摘の証拠にこれに沿う部分があり、原告遠藤も準備書面二〇の一の中でこれを認めている。そして、同原告がそこで拒否理由として主張している理由は正当なものと認めることができないから、右事実は、考課査定上消極的に評価され得るものである。
(五) 自己啓発意欲及び業務改善意欲が感じられなかったとの点について
(1) 業務改善提案をしなかったことについて、被告指摘の証拠中にこれに沿う部分があり、原告遠藤も第二回尋問中で、業務改善提案制度によるものとしては提案したことがないことを認めている。そして、右供述では、提案しなかった理由として右制度自体を問題視していたことのように述べる部分があるが、正当な理由とは認められないから、この点も、消極的評価の理由となるものということができる。しかし、右供述と甲六〇〇号証の一、同号証の七ないし九によれば、原告遠藤は、右制度による提案はしなかったが、納入成績書の様式改善について上司に良い案ですと評価された提案をし、その助言も得てこれを完成し実用に供したことがあることを認めることができる。
(2) 三類検定を受験しなかったことについて、被告の指摘する証拠によれば、右の事実を認定することができる。しかし、甲六〇〇号証の一のうちには、原告遠藤は右検定を受験する旨申請したが、別の上司から拒絶ないし説得され受験できなかったという部分があり、このことを不自然不合理とまで認めるに足りる証拠はないから、右陳述書の記載部分はにわかに排斥し難い。
(3) 自己管理表の記載について、被告の指摘する証拠のうちには被告の主張に沿う部分がある。しかし、これを裏付けるに足りる資料が提出されていないので、そのとおりと認定するには足りない。
3 右のとおり、被告の主張は一部これを認めることができるが、そのほかはおおむね立証されたとまでいうことのできないものであり、かえって、被告側の証人小高、同菅原の証言中には、原告遠藤はまじめに仕事をしていた旨あるいは普通程度に仕事をしていた旨述べる部分もあるのであるから、結論的な評価として被告側証人が強調するように劣悪と評価されるほど同原告の勤務ぶりが悪いものであったとまで認めることはできない。
四  原告久保田関係
1 昭和四七年二月まで
(一) 勉強不足で基本的な技術、技能を有しなかったとの点について
(1) シーケンスや機器の配置の理解に関して、被告の指摘する証拠中にその主張に沿う部分がある。しかし、右証拠中の評価に関する部分及びその具体的事例ともに、裏付け資料がないから、そのとおりにはにわかに採用することができない。
(2) 照明自動点滅機の配線のショートについては、被告指摘の証拠は伝聞であるし、裏付けもないので採用し難い。
(3) 発電機の起ち上げ操作未熟の点についても、被告指摘の証拠はあるが、裏付けがないから、にわかに採用することができない。
(二) 積極性に欠けていたとの点について
ACC室の仮眠問題が主張されているが、被告指摘の証拠は、やはり裏付け資料がないから、同様ににわかにそのとおりには採用し難い。
(三) 無責任であったとの点について
(1) 一一号ボイラに関する作業をしなかった点については、被告指摘の証拠は相当詳細にこれを述べているが、やはり裏付けとなるものがないから、採用することができるほどのものではない。
(2) テレビに熱中していて仕事をしなかったという点についても、被告指摘の証言等は相当詳細にこれを述べている。しかし、右証言等も当時その主張の場所にテレビが設置されていなかったことを認めているし、ポータブルテレビであったというのも時期的ににわかに信用し難く、裏付けとなる資料が皆無であるから、採用できないといわざるを得ない。
(四) 協調性がなかったとの点について
代勤の協力及び休暇の取り方が問題とされているが、当時の記録やそのほかの資料がまったく提出されていなかったのであるから、被告指摘の証拠だけではそのとおりであったと認定することはできない。
2 昭和四七年二月から同年一二月まで
(一) 熱心でなかったとの点について
研修中の居眠りについては、被告指摘の証拠によっても、結局本当に居眠りしていたのかそのように見えただけなのかわからないのであり、裏付けもない。また、質問するなどの積極性に関する部分も、被告指摘の証拠だけではそのとおりに認定するに足りない。
(二) 意欲に欠け、技術、技能が低かったとの点について
電圧調整機の操作技術の修得不能及びそのほかの技術修得の積極性の問題が主張されているが、被告指摘の証拠は抽象的主観的であり、裏付けがないから採用することができない。
(三) 初歩的ミスがあったとの点について
水素ガスの過失放出の主張については、被告指摘の証拠と弁論の全趣旨によれば、被告主張の事実があったことを認定することができ、この点は、消極的評価事由となり得るものである。
(四) 積極性や常識に欠けていたとの点について
巡視態度やその方法、警報発生時の処置、電話に対する応答ぶりなどが主張されている。しかし、これらの点については、被告指摘の証拠だけでは、裏付けがない以上にわかに採用することができない。
3 昭和四七年一二月以降について
(一) 知識能力に劣り意欲がなかったとの点について
(1) 予算管理業務に間違いが多かったなどのことについては、被告指摘の証拠は具体的でなく、裏付けがないから採用することができない。
(2) 備品等の品名と現物が覚えられなかったとの主張に沿う被告指摘の証拠も、右(1)と同様に採用することができない。
(3) 購入物品に通じていなかったことについても右と同様である。
(二) 真剣味がなく、中途半端であったとの点について
ボイラ関係の提出資料及び稟議書の間違い等の点があげられているが、被告指摘の証拠は、裏付けがないから、にわかにそのとおりには採用し難いというべきである。
(三) 仕事が雑でミスが多かったとの点について
(1) 予算差引簿の記載間違いを繰り返したとの点についても、右と同様である。
(2) 伝票類の記入間違いについては、被告指摘の証拠によれば、被告主張のように数回単純間違いをしたことがあることを認定することができ、これは消極的評価の理由となり得るものである。
(四) 常識がなく、無責任であったとの点について
廃油回収作業、ポリ袋の納入、窒素ボンベの受入れの各立会いをしなかったと主張されているが、この点については、被告指摘の証拠だけでは、裏付けがないからにわかに採用し難い。
(五) 仕事の段取りが悪く、業者から苦情が出ていたとの点についても、右と同様である。
4 以上によれば、被告の主張は一部認定することができるものの、それ自体それほど重大な事項とも認め難いし、そのほかの点については、被告側の証拠は、内容虚偽のものであると断定できるわけではないが、十分の証明力を有するものとしては採用し難いのであり、なお原告久保田が、難易度の高いという(証人仁平)電気事業主任技術者資格検定第三種に合格していること(そのほかにも、前記争いのないとおり各種の資格を取得している。)をも考えると、被告が強調するように同原告の勤務ぶりが劣悪であったと評価されるべきほど悪いものであったとは認定することができない。
五  原告塩森関係
1 被告は、昭和五二年四月までの事項を問題としている。
(一) 技術、技能が不足していたとの点について
シリンダー装置のテスト関係が例示されているが、被告指摘の証拠と甲九三三号証、乙一九七号証によれば、原告塩森が担当した右テストに過ちがあり結果としてコイル焼損事故が生じたことを認めることができ、これは消極的評価事由となり得るであろう。もっとも、証人和賀井の証言によれば、被告としては右の結果よりも、原告塩森が無断でテストを実施したことを問題としているようであるが、被告指摘の証拠及び乙一九七号証中無断実施であったとの部分は的確ではなく、甲九三三号証に照らすとにわかに採用し難い。そして、右各証拠によれば、右事故結果は重大事故につながったものではなく、その当時報告書、始末書の提出等しかるべき処分がなされた形跡もない。
(二) 責任感に欠けていたとの点について
巡視、点検への出発及び終了が遅かったとの点については、被告指摘の証拠中にこれに沿う部分がある。しかし、右証拠は概括的抽象的であり、裏付けがないから採用することができない。
巡視、点検の中間報告を怠ったことについては、これを裏付けるに足りる具体的な資料がない。シグナルランプの不点灯を見落としたことについては、被告指摘の証拠によってもこれが原告塩森の責任なのかどうか明らかとはいえないし、そのような見落としがあったこと自体、これを確認すべき証拠はない。
巡視、点検の結果報告が異常に遅かったことあるいはチェックシートの記入関係についても、被告指摘の証拠だけでは具体的に検討の方法がなく、立証されたということのできるほどの状況にはない。
警報作動時の対応及び未熟練操作員の指導監督等に関する点も、右の結果報告に関する証拠状況と同様である。
(三) 研鑽意欲に欠けていたとの点について
(1) 循環水ポンプ一台運転の可否に関する指示拒否については、被告指摘の証拠だけではそのような指示がなされたことがあることについても裏付けがなく、従って、被告主張のような破廉恥行為があったことについても証拠が足りない。
(2) 研修中一〇日間休暇(年次休暇である。)を連続して取ったとの点については、被告指摘の証拠と甲九三三号証によれば、三日間連続して休暇を取ったことまでを認定することができる。それ以上については、甲六四五、六四六号証にはそのような記録がなく、そのほかに被告は客観的な資料を提出していないから、これを認定することができない。そして、三日間の休暇は、年次休暇であり、これについて被告が拒絶の方向で問題とした様子は見当たらないし、証人和賀井の証言によっても、右研修は所定のカリキュラムに基づき組織的になされるものとは様子が異なるのであって、同証言にいうように休暇を取って受講しなかったと評するのが当たっているとも認められない。
(四) 後輩に対し上司等の指示等に従わないよう仕向けた趣旨の点については、これに沿う被告指摘の証拠は、裏付けがないから採用することができない。
(五) 職場規律に違反していたとの点について
遅刻や居眠を常習的に繰り返していたとの点も、これらが常習的と評価されるほどであったとまで確認することのできる裏付け証拠はなく、休暇の取り方が適切でなかったとの点も、裏付け証拠がないから、被告指摘の証拠だけではこれを認定することはできないというべきである。なお、安全帽を着用しなかったことについても、被告指摘の証拠だけでは立証は十分でない。
2 以上のように、被告の主張は一部について認定することができるが、具体的事実としてはそれほど重大なものではなく、そのほかは、右主張を認めることができない。そして、原告塩森は現在まで無欠勤で勤務し、同期ではもっとも早くタービン主機操作員となり、昭和四四年にはタービン最大流入蒸気量の見直しの提案に加わってこれが採用され、プロジェクトチームの委員の一人となって成果を出したこと(以上は甲五四〇、五四二ないし五四五、乙九四、原告塩森)、当事者間に争いのないように各種資格を取得していること等に照らすと、原告塩森の勤務ぶりが被告主張のように極めて劣悪と評価するのを相当とするほど悪いものであったと認めることはできない。
六  原告畠田関係
1 昭和三五年九月から同四三年一一月まで
証人内田の証言及び乙八五号証のうちには、この間の原告畠田の勤務ぶりについて被告主張のとおり述べる部分があるが、それ自体到底右主張を認めるべき証拠として採用に値するものではなく、そのほかには右主張を認めるに足りる証拠はない。
2 昭和四三年一一月から同四六年三月まで
(一) この間の初期に問題がなかったことは被告の指摘する証拠により認めることができる。
(二) その後の期間について、他パートのことに無関心であった趣旨の主張については、被告指摘の証拠はあるが、それだけではそのとおりの認定をするに足りるものとはいえない。また、勤務時間中に非常識な休憩をしていた点についても、被告指摘の証拠は裏付けがないから、そのとおりにはにわかに採用することができない。碍子の水洗をしなかったことについても、右と同様である。
3 昭和四七年四月から同五二年七月まで
(一) 非協力的、傍観者的であったこと、巡視が不適切であったこと、運転日誌の転記間違いがあったこと、安全靴を着用しなかったこと、上司の指示に対し適切でない対応をしていたこと、後輩とのチームワークを損なったこと、業務計画の遂行・事故例検討会・業務改善提案に消極的であったこと、創意工夫に対する意欲に欠け自覚と責任感にも欠けていたことなどについても、いずれも被告の指摘する証拠はあるが、印象的主観的なものであり、具体的事実についても適切な裏付けを欠くものであるから、にわかに採用することができない。
(二) 電源切替操作の際原告畠田が誤操作をしユニット緊急停止を招来した点及びその後間もなくして同原告が解列操作時に手順を間違えたことがある点については、被告指摘の証拠と甲九三二号証、一〇七四号証、原告畠田本人尋問の結果等によりこれを認めることができ、これらは消極的評価の理由となり得るものである。但し、右証拠と甲五二五号証の一一、六三八号証の二・四・五、六四七号証の三、八七〇号証、八七一号証の一ないし三、九九七号証、証人石井、同青木の各証言によれば、右事故中後者はそれ自体重大事故とはいえないこと、前者はユニット停止に至った点で小さな間違いとはいえないが、幸い停止操作時のものでありかつ所内電源に関するものであったため結果として重大な事態を招来することはなかったこと、従って、事故扱いではなくいわゆる運用扱いとされたこと、被告でも対策を講じているが事故は避け難い面もあり、各種の事故が生じていること、そのうちユニット停止にまで至った事故についても必ずしもそれだけで事故を起こしたものが無能呼ばわりされるわけではなく、それだけで必ず昇進に影響があるというものでもないことを認定することができる。
4 以上によれば、被告の主張の一部はこれを認定することができ、そのほかは認定するに足りる証拠はない。そして、右の認定可能な事項についても、それゆえに原告畠田の長期間の勤務ぶりが、前記被告側の証人が強調するように全般にまことに劣悪であったことまでの裏付けとしては十分なものではない。かえって、同原告は、高校在学中に電気事業主任技術者検定第三種に合格し、このことは被告の従業員の場合社長表彰に値するものであること、昭和三七年には機器損傷の早期発見で所長賞詞を受けたこと、昭和三六年から同三八年まで所内報のカットを担当していたこと、前記のように同原告の評価が悪くない時期があったが、この時期は同原告が意識的にその主義主張の表明を控えていた時期であること、同原告は昭和四二年に作業分解シート作成小委員会の委員に選任されたこと、昭和四四年に技術研究発表会で台風をテーマに発表を行い、これは所内報にも掲載されていること、同年に職業訓練指導員の免許を受けていること、同四五年には被告から安全推進委員を委嘱され、この関係の研究発表を行ったこと、その頃安全関係の寸劇の脚本を作成したこと、各種資格を取得していること(以上は甲五五〇、五一二の一ないし一〇、五五二、五五六ないし五五八、六一七の一〇、証人田部井、原告畠田などのほか、一部争いがない。)などの事実に照らすと、原告畠田の仕事ぶりが被告の主張するように劣悪と評価されるほど悪いものであったことは認めることができない。
七  原告川又関係
1 昭和四四年二月まで
(一) 無責任であったとの点について
(1) 重油流出事故の主張について、被告指摘の証拠とそのほかの証拠(甲六一二、一〇一九、原告川又本人)によれば、昭和三五年三月におおむね被告主張の態様で原告川又が巡視を怠ったため右事故が発生し、原告川又とその上司である運転課長が譴責処分を受けたことを認定することができ、この事実は消極的評価の理由となり得るものである。原告川又の供述中には、右事故は前直にも責任があるという部分があるが、これを的確に認めるに足りる証拠はない。しかし、原告川又の反省不足あるいはふてくされた態度に関する被告の主張についてまでは、これを的確に確認する術はない。
(2) 稟議書の作成が遅くほかの人に手助けなどをしてもらっていたという主張については、被告指摘の証拠によれば、乙一三三号証、同一五二号証の例のように、本来は原告川又が係として起案すべき稟議書でほかの人が起案しているものがあることを認めることができる。但し、そのうち乙一五二号証の稟議書は、甲一〇一九号証と証人佐野の証言によれば、事前の計画に基づくものではなく、事後的稟議書であり臨時緊急なものであることを認めることができるから、通常の稟議書ではない。そして、その場合に原告川又の仕事が遅かったから他人が作成せざるを得なかったことまでを的確に認定するに足りる証拠はない。
(二) 詰所及び補機室等でしばしば仕事をさぼっていたとの点については、被告指摘の証拠は裏付け資料により確認することはできないし、証人佐野も、手待ち時間を正当に詰所で過ごす場合もあった旨供述している。また、補機室についても、甲一〇一九号証と一〇三二号証によれば、正当な目的でいる場合もあったとうかがうことができる。
(三) 残業を嫌い、非協力的であったとの点について
被告指摘の証拠によれば、原告川又の残業が少ない時期があったことを認めることができるようであるが、この点でも、被告側は何も裏付け資料を提出していないから、残業の必要性あるいは同僚との比較等の点を検討する術がない。
(四) 服務態度が悪かったとの点について
(1) 服装が汚く、だらしなかったとの点は、被告指摘の証拠中にはその主張に沿う部分があるが、その真実性を確認するに足りる証拠はない。
(2) 安全帽の不着用の点については、証人佐野の証言によると、昭和三九年頃のことを問題としているが、被告指摘の証拠によれば、その頃、原告川又の仕事は安全帽を着用する必要があったのに、同原告はこれを怠っていたことがあるとうかがうことができる。甲第七一〇ないし七一四号証はこれに対する的確な反証とはいえない。そして、この事実は、消極的評価の理由となり得るものである。
2 昭和四四年三月から同四八年三月まで
(一) 仕事にミスが多く反省しなかったとの点について
被告は、まず、煙道関係の塗装修理工事について材料の種類や数量を間違え、かつ金額欄未記入の工事設計内訳書を上司に提出したと主張し、被告指摘の証拠中にはこれに沿う部分がある。しかし、右証拠によっても、具体的にどのような間違いがあったのか確認し難いのであるが、いずれにしても、原告川又に回ってくる工事計画依頼票自体に間違いがあったことに起因するものであることは証人山口も認めるところである。そして、そのような場合に、原告川又が依頼側と詳細な打ち合せをしなかったことをどの程度の過誤というべきかについては、甲一〇一九号証と照らし合せると、にわかに判断し難い。そのほかには、同種の過誤があったことを具体的に確認するに足りる資料はない。
(二) 担当業務を責任をもって処理しなかったという点については、乙一五三号証の稟議書に関して、被告指摘の証拠中にこれに沿う部分があるところ、右稟議書は本来原告川又が起案すべきであったのにこれをしなかったこと自体は甲一〇一九号証で同原告も認めている。しかし、被告指摘の証拠中には、この起案を終えておくべき時期は事前に分かるから余裕をもって起案しておくことができたという趣旨の部分と、急に必要になったが原告川又の都合が悪かった(休んでいた。)という部分の双方があり、甲一〇一九号証に照らすと後者の場合であったことを否定し難い。従って、右稟議書に関することをもって無責任であることの根拠とするのは十分でなく、そのほかには、原告川又が無責任であったことの具体例は見当たらない。
(三) 業務改善意欲に欠けていたとの点について
(1) 業務改善提案をしなかった事実は、原告川又は明らかに争わない。そして、証人山口の証言によっても、提案はグループとしても個人としてもそれほど活発に行われていたものではないことがうかがわれ、なお、同証人も個人としては提案したことがないことを認めることができるが、右事実は消極的評価の理由となり得ないものではない。
(2) ファイル保管方法の改善が遅かったことについては、被告指摘の証拠によれば、おおむねそのような事実を認定することができ、消極的評価事由となり得るものである。
(四) 詰所でさぼっていたとの点は、これを確認する術がない。
(五) 休暇の取得方法が不適切であり、衣服着用状況が悪かったとの点についても、(四)と同様といわざるを得ない。
3 昭和四八年から同五二年七月まで
(一) 仕事がずさんで無責任であったとの点について
(1) GRF修理の工事表示札の書換えをしなかったとの点については、被告指摘の乙一五〇号証には被告の主張に沿う部分がある。ところで、右書証は作成者が直接証言しておらず、反対尋問の機会のなかったものであるが、甲一〇一九号証によれば、原告川又も被告主張のように工事期間経過後も表示札の書換えがなされていなかったことがあること自体は認めるようにうかがえる。そして、乙二六三号証によれば、この記載事項の適否は工事監理員が確認すべきものとされていたことを認めることができるから、甲一〇一九号証で同原告が反論するように請負業者に書換えを指示したとしても、それだけでは監理員として十分なことをしたとはいえないであろう。従って、このことは、消極的評価の理由となり得るものである。
(2) ハンマーリング修理工事の作業中札をかけるとき電源を切にしなかった点については、右乙一五〇号証中にこれに沿う部分があるが、この書証は前記の性質のものであり、甲一〇一九号証に照らすと、にわかに採用し難い。
(3) GRF修理工事の際電源使用許可書を取らなかったとの点についても、これに沿う乙一五〇号証は、その性質上、甲一〇一九号証に照らすとにわかに採用し難い。
(4) 煙道エキスパンションの設計図面の寸法確認を怠ったとの点については、被告指摘の証拠によっても、寸法間違いの設計図ができたこと自体に原告川又の不手際があったとまでは認められないところ、被告は、提出された設計図の寸法を原告川又が事後的に確認しなかったことを問題としているようである。しかし、メーカーに現場調査をさせて作らせた設計図について右のように工事監理員が確認するのが被告の仕事の実態であったかどうかについては、この問題についてはメーカーがその責任で製品を補正したこと(証人山田)と甲一〇一九号証及びこの関係の被告の対応に関する記録が何も提出されていないことに照らすと、にわかに判断し難く、この点で原告川又の落度を強調し得るものであることまでの立証は十分ではないというべきである。
(5) 非破壊検査の結果報告書等を作成したことがなかったとの点は、これに沿う被告指摘の証拠があり、的確な反論はない。
(二) 勤務時間中に請負業者の詰所でさぼっていたとの点について
被告指摘の乙一五〇号証は前記の性質のものであり、そのとおりの認定が可能な程度にまで的確な証拠ということができない。
(三) 残業を嫌い、他の人の応援をする姿勢がなかったとの点について
被告指摘の証拠はあるが、その実情を示す客観的資料が提出されていないから、同僚との比較検討をする術がない。
(四) 休暇の取得が自分勝手であったとの点について
(1) ボイラの水圧試験の日に休暇を取った例に関する被告指摘の証拠がある。そして、右証拠によれば、原告川又の上司は、多忙なときに急に休まれて説得にも応じて貰えず、理由も分らなかったため、原告川又を協力的でないと評価したことを認定することができる。もっとも、右証拠によれば、右休暇は年次休暇であるところ、被告がこれを拒絶する方向でまで就労させようとした形跡はない。
(2) ボイラの塗装工事の足場組みの日に急に休暇を取ったという点については、被告指摘の証拠も、右工事の監理のような場合にも融通し合って休暇を取っていたと述べているのであるが、被告主張の場合の原告川又の休暇の取り方が、職場の実情に照らしてどの程度消極的評価が可能であったものかどうかを的確に検討するに足りる資料は提出されていない。
(3) そして、そのほかにも休暇の取得方法が不適切であったという点については、これを具体的に確認するに足りる証拠がない。
(五) 上司の指示に従わなかったとの点について
さん孔機の受取り指示に対して反抗的態度を示したという関係であるが、この点については、これに沿う被告指摘の具体的な事実を述べる証拠に対して、的確な反証はなされておらず、右事実は消極的評価の理由となり得るものである。
(六) 安全管理意欲に欠けていたとの点について
ヘルメットのあご紐、衣服の着用態度等に関する部分は、被告指摘の証拠は具体性がなく、裏付けもないから、にわかに採用し難い。
4 昭和五二年八月以降について
(一) 熱意、意欲がなく、無責任であったとの点について
(1) スートブロワーのボルトに弛みがあったとの点について、被告指摘の証拠によれば、これは原告川又のほか上司が検収しその際上司により発見されたというのであるが、そうすると原告川又の単独による検収が終了した後のことではないことになり、同原告の検収の手落ちとはいえない。そして、いずれにしても、右証拠は伝聞であり、具体的な状況は明らかでなく、なお、甲一〇一九号証による反論に照らしても、この問題で原告川又を非難すべき状況があったとまでは認められない。
(2) 独断で作業を中断させたとの点については、被告指摘の証拠によっても、当該工事は当日中断してはいけない性質のものではなかった可能性があることを認めることができ、原告川又の判断が誤っていたという的確な裏付け証拠はない。
(二) 休日出勤の指示に従わなかったとの点について
ボイラ廻りの架台修理工事の監理ため休日出勤を指示したが拒否したという点であるが、被告指摘の証拠によれば、おおむね右証拠のいうようなことはあったようである。しかし、右証拠によっても、原告川又は結局休日出勤に応じたのであるし、右証拠によれば、休日出勤を指示したのは前日であり、しかも工事自体必ずしも休日にしなければならないものでもなかったというのであるから、原告川又が一時期難色を示したとしても、これを重大視して非難するほどのこととまでは認めることができない。
(三) 残業を嫌っていたとの点について
この主張に沿う被告指摘の証拠は、裏付け資料が提出されていないから、そのとおりには採用することができないというべきである。
(四) 技術、技能水準が低かったとの点について
原告川又が昭和五五年の現業技術・技能認定でA級の認定を受けられなかったこと及び同原告程度の経験があれば普通は合格するものであることは、被告指摘の証拠と甲六一二号証により認めることができる。そして、甲六一二号証のうち、認定に不正があったという部分を確認するに足りる資料はないから、右の事実は消極的評価の理由となり得るものである。
(五) 休暇の取得が自分勝手であったとの点及び衣服等の点で服務態度が不良であったとの点については、被告指摘の証拠だけでは具体的な心証を得難く、そのほかにこのことを確認するに足りる証拠はない。
5 以上のとおり、原告川又については多数の事実が指摘されているところ、そのうちいくつかは認定することができるが、そのほかは的確な証拠がない。そして、原告川又は昭和三五年四月に夜間大学の電気工学科に入学してその後卒業し、各種の資格を取得していること(争いがない。)をも考えると、被告の右立証関係だけでは、同原告が被告主張のように極めて劣悪であったと酷評すべきほど不良な勤務ぶりであったとは認め難いというのが相当である。
八  原告藤田関係
1 仕事、操作上のミスを繰り返したとの点について
(一) 被告主張の頃原告藤田がバーナー弁の重油弁を軽油弁と間違えて開けたことは同原告も認めており(甲一〇二〇)、この事実は消極的評価の理由となり得るものである。但し、被告指摘の証拠と甲一〇二〇号証によれば、右間違いは事故になる前に気付かれて直されたため実害はなかったことを認めることができる。
(二) その頃の補助油ポンプのスイッチ関係の主張については、客観的な裏付けがないから、被告指摘の証拠はにわかに採用し難い。
(三) 昭和五四年のIDファンコントロール・スイッチを誤って切にしボイラを滅火させた点は、被告指摘の証拠と甲一〇二〇号証により認定することができる。そして、右事実は消極的評価の理由となり得るものである。但し、右証拠によれば、右の過誤は、発電中ではなかったため重大事故に至らなかったことを認めることができる。
(四) 昭和四九年に誤って薬品を廃水系統に流し過ぎたことは、原告藤田も認めており(甲一〇二〇)、この事実も右(三)と同様の評価事由となり得る。
2 仕事がずさんで責任感がなかったとの点について
(一) 昭和四六年頃の巡視に際し不具合箇所や表示札の脱落を見落したことについては、原告藤田が見落したという確かな証拠は提出されていない。
(二) 昭和四七・八年頃タプロゲの操作や硫酸第一鉄の注入を忘れたとの点についても、被告指摘の証拠はあるが、原告藤田は否認しており、裏付け証拠がないからにわかに採用し難い。
(三) 昭和四七年半ば頃チェックシートの記入洩れがあったことについては、被告指摘の証拠と甲一〇二〇号証によれば、そのようなことがあったことをうかがうことができるから、この事実は消極的評価の理由となり得るものである。
(四) 水処理設備の設備カードの記載に誤りが多く、一次水処理装置運転日誌に揚水量を記入しなかったことがあるとの点については、これに沿う被告指摘の証拠は証人として反対尋問を受けていないものの陳述書であり、裏付けもないから、採用し難い。
3 仕事に取り組む姿勢が消極的であったとの点について
(一) 警報装置のブザーが鳴るとき補機操作員としてすぐに巡視点検に向かわなかったとの主張については、これに関して原告藤田が同僚と比較してどの程度消極的であったのかを十分検討する資料がないが、少なくとも、被告指摘の証人五十嵐の証言も、主機操作員の指示に従って行動していた点では原告藤田に問題はなかった趣旨の供述をしている。
(二) 巡視の出発が遅く、巡視後の報告をしなかったという主張については、被告指摘の証拠は、裏付け資料がないから、それだけでは、そのとおりの勤務状況であったことまで認定するのは困難である。
4 仕事に対する向上意欲、自己啓発意欲に欠け、技術、技能水準が低かったとの点について
(一) 勉強する姿勢が見られず、水準が低かったことを結論的に述べる被告指摘の証拠は、それだけでは、確かな心証を得ることができない。
(二) 乙種第四類危険物取扱者の資格取得が同僚より遅れたとの点は、被告指摘の証拠によれば、必ずしも具体的ではないが、おおむねそのように認められる。しかし、証人五十嵐の証言によっても、右資格は原告藤田の仕事上必要とされていたものではないことを認めることができ、また、右証言によれば、右資格の受験料を被告が負担しかつ出張扱いで受験できるようになったのは原告藤田が資格を取得したのと同じ昭和五一年からであることをうかがうことができ、更に、原告藤田は、その後右資格より上級の甲種危険物取扱者の資格を取得している(右証人は取得していない。甲五七七の一・二、右証言、原告藤田本人。)。
(三) ボイラ内の燃焼状況点検指示に素直に応じなかったとの点は、被告指摘の証拠はあるが、的確な裏付け証拠がないから、甲一〇二〇号証に照らすと採用し難い。
(四) 昭和五五、五六年度のA級認定に合格しなかったとの点は、被告指摘の証拠によれば、その事実を認定することができる。そして、この認定について不正があったことを確認するに足りる証拠はないから、右事実は消極的評価の理由となり得るものである。
5 安全に対する意識が希薄であったとの点について
被告は、接地取付け作業の際指差呼称を怠ったことを例としてあげており、被告指摘の証拠はこれに沿うものであるが、的確な裏付けがないから、その事実の存在自体を確認するには十分でない。
6 上司の指示に従わず、反抗的であったとの点について
(一) ボイラ燃焼状況の点検の例は、先に4(三)で判示したとおりである。
(二) 通勤に関する申請書を上司の前で破り捨てたとの点は、被告指摘の証拠だけでは、甲一〇二〇号証に照らすと、このようなことがあったことを確認するのに十分とはいえない。
7 職場規律を乱しその他非常識な勤務態度であったとの点について
(一) 私語等が多かったことなどについては、被告指摘の証拠は裏付けがなく、その有無、程度を確認するに足りる証拠がない。
(二) 文藝春秋を読んでいたとの点も右(一)と同様である。
(三) 事故時想定訓練の参加態度の点も同様である。
(四) 居眠り等のだらしない態度の点も同様である。
8 休暇取得の手続を守らなかったとの点について
(一) 事前に休暇の申し出をせずあるいは当日になって急に休暇の届け出をすることがしばしばあったとの点については、被告指摘の証拠はあるが、裏付け資料がまったく提出されておらず、かえって、甲六四五、六四六号証は右主張に反するものであるし、甲一〇二〇号証に照らすと、にわかに採用し難い。
(二) 昭和四八年始め頃上司に無断で休暇を取り、上司の指導に反抗した点については、被告指摘の証拠はこれに沿うものであるが、裏付け資料がないから、右のように休暇を取ったこと自体を確認することができない。
(三) 何回か同僚との調整をすることなく連続休暇を取り、そのとき代勤の手配をしないこともあったとの点についても、裏付け資料が存在しないから、被告指摘の証拠だけで被告の主張を認定することはできない。なお、このことに関して上司の指導に反抗したとの点についても同様である。
(四) 「夏休み」のゴム印だけで休暇を取り上司から注意されたとの点も、これに沿う乙一二二号証は、その文書の性質上、甲一〇二〇号証に照らすとにわかに採用できない。
9 その他について
(一) 会社の物の私物化の点については、被告指摘の証拠と甲一〇二〇号証によれば、昭和五五年四月頃、ほかの従業員が一号ユニットの定期点検作業の際撤去予定のスートブロワー設備を取り外して中央操作室の脇に置いておいたところ、原告藤田は、会社に無断で、除去手続を経ていないのに、右設備中のタイマーを取り外して個人のロッカー内に保有していたことがあったこと、除去手続前は書類上会社財産であるため、他課から右タイマーが紛失したとして問い合せがありこの事実が判明したこと、そこで、被告は、原告藤田に対し、これが正当化し得ないことを強調して顛末書の提出を求めたが、同原告は、社外に持ち出していないことを主な理由としてかたくなにこれを拒絶し、結局顛末書を提出しなかったことを認定することができる。原告藤田が右のように個人ロッカーに会社の物を保有していたことを正当視すべき根拠があることを認定するに足りる証拠はないから、右事実は、消極的評価の理由となり得るものである。但し、右証拠によれば、右タイマーは廃棄予定の物であり、結局廃棄されたことを認定することができる。
(二) 怪我、病気による勤務変更及び長期欠勤については、被告主張の事実は原告藤田もこれを認めている。但し、これらは昭和四一年及び同四八年のことであり、現在までの長期間これが本件のような処遇上の著しい格差の原因となっているとは考え難いことであるし、なお、甲七二九号証の一によれば、欠勤か休暇利用かは必ずしも明らかでないが、長期の病気療養等がその後の処遇に悪影響を与えていない例も多いことを認めることができる。
10 以上によれば、被告の主張は、一部について認定でき、そのほかはおおむね裏付け証拠を欠き認定するのが困難というほかないものである。そして、右の認定可能な事実によれば、原告藤田の勤務状況には一部問題点もあったということができるが、これらは長期間の勤務期間における断片的な状況であり、結果として被告に多大な迷惑をかけたものでもない。そして、このことと、原告藤田の各種資格取得や社長表彰の事実に照らすと、原告藤田の能力や勤務ぶりが被告主張のように劣悪というような言葉で総括するのを相当とするほど悪いものであったとは認めることはできないというべきである。
九  原告木村関係
1 昭和五〇年二月までの勤務状況
被告指摘の書証と証人飯田の証言中には、被告の主張に沿う部分がある。しかし、これらの証拠は具体性を欠くものか、裏付けがないものか、あるいはそれほど問題とならないような事項について触れるものであり、それ自体、この間の原告木村の勤務状況が被告主張のように劣悪と評されるほどリーダーシップを欠くものであると認めるに足りるものとはいえない。
2 昭和五〇年二月以降の勤務状況
被告の主張は、熱意を欠き、ミスがあり、リーダーシップが欠如したというものである。
(一) まず、整理整頓状況が悪かったとの点については、被告指摘の証拠と証人田辺の証言によっても、被告主張の事実を認定するのに十分ではない。
(二) 昭和五一年一一月頃遅番の仮眠のときに一時間ほど寝過ごしたとの点については、被告指摘の書証、甲一〇二三号証の一及び証人田辺の証言によれば、おおむねそのような事実があったことを認定することができる。
(三) 昭和五一年の忘年会の二次会の席上で原告木村がテープレコーダーを隠し持っていたとの点については、実際に録音したとまでは認められないが、被告指摘の書証、証人田辺の証言及び原告木村の供述によりこれを認めることができる。原告木村は、これは本件訴えの提起後で職制等の差別的言動があった場合にこれを録音するためであったと供述しているが、職場での信頼関係を損なう性質のものであったということができるから、消極的評価の理由となり得るものである。
(四) 同じ頃の燃料油戻り弁の開閉状態の確認不足については、被告指摘の証拠によれば、原告木村に万全の確認という点からは不足があったようにうかがうことができるから、消極的評価の理由となり得ないものではない。しかし、被告は原告木村の反省態度を問題としているところ、その反省の態度に問題があったことまではこれを的確に確認することができない。
(五) 給水昇圧ポンプの水抜きに際し、弁の操作に誤りがあったとの点については、被告指摘の書証と証人高橋の証言及び甲八八六号証、一〇二三号証の一によれば、原告木村が同僚と共同でこの作業をした際、被告指摘の誤りがあったことを認めることができるから、この事実も、(四)と同様に評価し得ないものではない。しかし、右証拠によれば、この誤りは直ちに正され、設備には支障を及ぼさなかったものであることを認めることができる。
(六) 一次過熱機出口安全弁の蒸気洩れを見落したという点については、乙一七三号証、甲一〇二三号証の一及び証人高橋の証言によれば、上司の判断としては作業依頼連絡票に記載すべき程度の蒸気洩れがあったのに、原告木村はこれに気付かなかったか、あるいは記載する程度に至っていないと判断してこれを記載しなかったことを認定することができる。そして、この事実も、(四)と同様に評価し得ないものではない。
(七) チェックシートの確認印を受けるのを怠ったとの点については、被告指摘の書証、甲一〇二三号証の一、証人高橋の証言によれば、そのようなことが一度あったことを認定することができる。しかし、右証拠によれば、その時期は原告木村がそのような仕方をしていない職場から移った直後のことであったため、確認印が必要であることを知らず、しかも「移動研修」中の出来事であったとうかがうことができる。
3 以上によれば、原告木村については、被告の指摘する点の一部を認めることができるが、前に判示したように、相当大きい事故を起こしても処遇上それほど問題とされていない例があることと、原告木村は昭和四二年に職業訓練指導員(発電工)の、同四五年に乙種第四類危険物取扱者の、同四九年に二級ボイラ技師の、同五三年に一級ボイラ技師の各資格を取得し、最後のものは社長表彰を受けていること(甲六〇五の一。一部争いがない。)に照らすと、右認定の程度のことがあったというだけでは、原告木村が同僚と比較して前記認定のような格差を生じさせるほど勤務状況が劣悪であったことが立証されたとまでいうことはできない。
一〇  原告山田関係
1 昭和四九年まで
(一) 技術・技能が劣っており、向上意欲に欠けたとの点について
(1) ドラムレベルの調整ができないことがあったとの点については、被告指摘の証拠は伝聞であるうえ、裏付け資料が提出されていないから、にわかに採用し難い。
(2) 研修で風量調節の指導を受けたとき積極的でなかったとの点は、被告指摘の証拠は具体性がなく、その状況を確認する術がない。
(二) やる気がなく、いい加減であったとの点について
(1) 自家用車で巡視をしたとの点は、被告指摘の証拠は伝聞であるし、甲九六三号証によれば、被告主張の当時原告山田は未だ自家用車による通勤許可を得ていないときであることが明らかであるが、乙二二三号証によっても、無許可で自動車通勤をしていたことを確認することはできない。従って、被告主張のように自家用車で巡視したとは、にわかに措信し難い。
(2) 海水冷却水ポンプの異常を見逃したこと及び槌打ち時間のセットを忘れていたとの点については、古い話であり、裏付けとなる資料が何も提出されていないから、被告指摘の証拠だけでは、そのとおりの心証を得難い。
(三) 操作ミスが多かったとの点について
給水ポンプのバルブを間違えて操作したとの点及び軽油元弁の確認を怠ったまま点火したとの点についても、被告指摘の証拠のほかには、裏付け資料がない。従って、そのとおりには認定し難いといわざるを得ない。
(四) 積極性が見られなかったとの点について
くらげによるユニット停止時の対応態度が例として主張されているが、被告主張のような評価をする者がいたとしても、現在そのときの状態を確認するための資料は何も提出されていない。
(五) 職場のルールを守らなかったとの点について
(1) 休暇の取り方については、被告指摘の証拠だけでは、客観性がなく、あるいは同僚との比較をするのに十分ではないから、採用することができない。
(2) 無断離席の主張についても、同様である。
2 昭和五〇年から同五五年一一月まで
(一) やる気がなく、無責任であった等の点について
(1) ミーティング中の態度については、被告指摘の証拠では、被告主張のように評価すべき状況まで認定するのに十分ではない。
(2) 蒸気漏洩に対する指示に従わなかったとの点については、被告指摘の証拠だけでは、その有無及び具体的状況を確認することができない。
(3) タンク元弁の確認を怠って指示したとの点についても右と同様であり、特にこれは本件訴訟係属中のことであるのに、客観的資料が残されていない。
(二) 基本的な操作もできなかったとの点について
ABCコンプレッサーの異常に対応できなかったことが例とされているが、この点についても、右(一)の(2)、(3)と同様である。
(三) 休暇の取得について職場のルールを守らなかったとの点は、被告指摘の証拠はあるが、これについても、本件訴訟中の期間を含むのであるが、客観的な資料が提出されていない。
(四) 協調性に欠けていたとの点について
理由なく代勤を拒否したことが主張されているが、右(三)と同様であり、確認する術がない。なお、甲六四六号証によれば、この期間の当直主任連絡メモに、代勤を無理を通して山田実君にお願いしましたのでよろしくご配慮願います、という趣旨の引継ぎ事項が記載されていることを認めることができる。
(五) 約束を守らず、常識に欠けていたとの点について
被告主張の例は、そのようなことがあったのかどうか、あるいはどのような事情でそうなったのか被告指摘の証拠だけではにわかに確認し難いが、いずれにしても、勤務状況が劣悪であったことにまで直ちに結びつく状況とは認められない。
(六) 交通事故で欠勤したことについて
被告指摘の証拠によれば、被告主張の事実を認定することができるから、右事実は、この時期の査定を低くさせる事由となるものである。しかし、甲九七四ないし九八一号証(枝番を含む。)及び甲一〇三〇号証によれば、被告においては、交通事故による低査定はその後の昇級、昇格等にそれほど大きな影響を与えていない例が少なからずあることを認めることができ、証人宮沢も、事故の内容によるが交通事故は出世には影響がない趣旨を供述している。
3 昭和五五年一二月以降について
(一) 勉強をしなかったとの点について
この関係で被告の主張のように評価している被告指摘の証拠は、いずれも現在その当否を客観的に判断することのできないものであり、従って、そのとおりには採用し難い。
(二) 技術レベルが低かったとの点について
(1) 被告指摘の証拠によれば、昭和五六年一二月六日の給水ポンプの水張り操作でおおむね被告主張のような誤りをしたことを認定することができる。
(2) 同日の缶水ポンプの水張り操作時の誤りについても、同日のことであり、被告指摘の証拠によれば、おおむね被告主張のとおりのことがあったと認めるのが相当である。
(3) 同月一四日の補助蒸気使用操作の際の誤りについても、被告指摘の証拠によれば、おおむね被告主張のような誤りがあったことを認定するのが相当である。
(4) そして、右(1)ないし(3)は、消極的評価の理由となり得るものである。
(三) 漫然と仕事をしていたとの点、積極性に欠けていたとの点及びチームワークが悪かったとの点について
これらの主張に沿う被告指摘の証拠があるが、被告主張のように評価すべきであったとする具体的な根拠までは確認し難い。
4 以上によれば、原告山田には被告主張の諸点のうち消極的な評価の原因となる事実が認められないではないが、前記認定のような顕著な格差が生じたことが同原告の勤務ぶりだけに帰せられるべきほどの事情は認められないというべきであり、なお、当事者間に争いがない各種資格取得の点をも考えると、同原告の能力及び勤務ぶりが被告主張のように劣悪とまで評価すべきほど悪かったとは認定することができない。
一一  原告勝俣関係
1 不真面目、無責任でやる気がなかったとの点について
(一) ミーティング中に新聞等を読んでいたとの点については、被告指摘の証拠中にこれに沿う部分がある。しかし、右証拠も原告勝俣がミーティングの場所にこれらを持ち込んだというのではないし、読んでいたという点もその態様はあいまい抽象的であり、到底ミーティングをないがしろにして読んでいたという事実までを認定するに足りるものではない。
(二) 巡視の不徹底を主張する部分は、被告指摘の証拠は抽象的印象的であり、具体的な指摘がなされていないから、採用することができない。
(三) バルブテストの際休憩室で新聞を読んでいたとの点は、右主張に沿う被告指摘の証拠は伝聞であるし、裏付け資料がないから採用することができない。
(四) 主機操作員としての仕事にやる気がなく、事故例検討会等に傍観者的であったとの点は、被告指摘の証拠は前記(二)と同様の理由で採用することができない。
2 仕事のミスが目立ったとの点について
(一) 昭和五二年頃のCOS切の操作が不十分で海水が吹き出したことがあるとの点については、被告指摘の証拠と甲一〇二一号証の一によれば、おおむね被告主張のような操作不十分があったと認めることができるから、右事実は、消極的評価の理由となり得るものである。但し、右証拠によれば、その結果は重大事故につながったのではなく、本件訴訟中であるにもかかわらず被告においてもこれを事故扱いして問題とするまでのことはなかったことを認定することができる。
(二) 同じ頃のユニット起動時に、本来は薄いヒドラジンを注入すべきところ濃いヒドラジンを注入して水質調整を間違えたとの点については、客観的な資料が提出されていないので、甲一〇二一号証の一に照らすとそのようなことがあったこと自体確認し難い。
3 自己啓発意欲に欠けていたとの点について
この関係で被告指摘の証言等が述べる部分は、抽象的印象的であり裏付けがないから、そのとおりには採用できないというほかない。
4 休暇の慣行を守らなかったとの点について
被告指摘の証拠と甲一〇二一号証の一によれば、原告勝俣は、自ら代勤の手配をせずに急に休暇(年次休暇)を取ったことがあることを認めることができる。しかし、これがどのように職場に悪影響を与えたのか明らかにされていないところ、少なくとも被告がこれを問題とし休暇を承認しない方向で処理しようとした形跡はない。そして、職場に格別問題のない場合であったのなら、急な場合のこととして、慣行無視といってまで問題とするに足りない事態も容易に想定することができよう。
5 以上によれば、本件の証拠上、原告勝俣が、同僚と比較して、その勤務ぶりが劣悪であったと評価すべきほど悪いものであったとは認めることができない。
一二  原告萩原関係
1 仕事がずさんで無責任であったとの点について
(一) 被告は、主として巡視点検及びその報告の仕方を問題としている。しかし、そのうち、巡視に出かける時間が遅かったとの点については、被告指摘の証拠ではその態様程度を確認する術がない。報告がなくあるいは満足すべきものではなかったとの点も、同様である。この関係で、被告指摘の証拠のうちには、巡視からいつの間にか帰り休憩室のベットで新聞を読んでいたことがあると事実を指摘しているものがあるが、やはりその事実を確認するに足りる裏付け証拠がない。巡視の中間報告をしたことがないという点も同様である。
(二) 巡視で不具合箇所をしばしば見落したとの点については、まず、昭和四七年頃の機器の汚れを見落した例が主張されている。しかし、これに沿う被告指摘の証拠だけでは、裏付けがないからそのとおりには採用し難い。次に同じ年のシャフト締めつけ部分からの油漏れを見落したかあるいは報告から落としたとの点は、被告指摘の証拠中にはこれに沿う部分があるが、同様に裏付けがないからこれを確認することができない。なお、作業衣が汚れず、汗もかいていなかったことから無責任等の点を述べる部分は、それが事実であったことを確認できないから、採用することができない。
(三) 昭和四六年末頃の給炭機の異常の調査指示に従わなかったとの点は、被告指摘の証拠のほかにはこれを確認するに足りる資料はなく、右証拠は反対尋問題を受けていない者の陳述書でもあるから、それだけでは、被告主張の事実をそのまま認定するには足りない。
(四) 同じ頃、代勤を急に拒否して帰ってしまったとの主張も、(三)と同様である。
2 仕事中居眠りをすることが多かったとの点について
この点は、被告指摘の証拠は具体的に例を述べているが、いずれも裏付けがないから、それだけでは被告主張のとおりに認定することはできない。
3 仕事上あるいは操作上のミスがあったとの点について
昭和四七年春頃、ミル切替え操作時に機器の操作を誤り黒煙を出してしまったことが例示されているが、被告指摘の証拠と甲九三〇号証によれば、時期と原因態様は別として、原告萩原が右機器を操作していたときに黒煙が出たことを認めることができる。但し、被告も、黒煙は操作の誤り以外の原因でも出ることを認めており、このことは甲六四七号証の四からも認められるところ、被告指摘のときの黒煙の原因が操作ミスであったのかどうかについては、甲九三〇号証と照らし合せるとにわかにこれを確認し難い。
4 向上意欲、自己啓発意欲に欠け、技術・技能水準が低かったとの点について
この関係で被告の主張する諸点のうち、原告萩原が昭和五五年度にA級に不合格になり翌五六年度に合格したことは甲五一一号証の一からも認めることができ、この点は消極的評価の理由となり得るものであるが、そのほかの点は、被告指摘の証拠だけではいずれもこれを的確に認定するに足りず、そのほかには右事実を認めるに足りる証拠はない。なお、右甲五一一号証の一のうち、A級認定試験に不正な点があったとの趣旨の部分は、これを認定するに足りる裏付け証拠がない。
5 仕事に対する取組み方が消極的であったとの点について
被告指摘の証拠のうちには、被告のこの点に関する主張に沿う部分があるが、それだけでは、被告主張のように評価するのを相当とするほどの状況を認定することはできない。
6 職場規律を乱し、協調性に欠けていたとの点について
被告は、三点を例示しているが、いずれもそのほかの資料がないから客観的な検討をし得ない事項であり、その例示するとおりの事実があったことまで認定することができない。
7 服務規律を遵守しなかったとの点について
(一) 遅刻の常習者であったとの主張については、原告萩原も数回遅刻したことがあることを認める趣旨の供述をしており、消極的評価の理由となし得るものではある。しかし、被告主張のように常習者というほどであったことまで認めるに足りる資料は提出されていない。
(二) 休暇の取得方法が、直前に電話で届け出るなど、職場の慣行違反が多かったとの点について
被告は、この点について昭和四七年及び同四八年の二回を例として主張している。そして、被告の右主張に沿う被告指摘の証拠が真実でないと判断するに足りる資料はないが、他方、そのとおりの態様で職場の慣行違反があったものと断定するに足りる裏付け資料もない。なお、甲六四五及び六四六号証の昭和四三年から同五〇年までの当直主任連絡メモ上では、原告萩原は、二回、いずれも一日前に申し出て年次休暇を取得していることが認められるだけである。
8 以上の認定判断と、原告萩原が昭和五二年に二級ボイラ技士の、同五四年に乙種第四類危険物取扱者及び一級ボイラ技士の、同五七年に甲種危険物取扱者の各資格を取得し(争いがない。)、最後の二資格については社長表彰を受けていること(甲五一一の一、六、七)に照らすと、原告萩原の能力と勤務ぶりが劣悪と評価されるべきほど同期同学歴従業員と比較して悪いものであったとの立証はなされていないと認めるのが相当である。
一三  原告永松関係
1 知識が劣り、軽率で、ミスが多く、無責任であったことなどの点について
(一) 昭和四六年夏頃バーナースカ弁が全開になっていることを見落してバーナーを点火させるミスを犯したとの主張については、被告指摘の証言によっても、バーナー弁が開いていたこと自体は前操作者の誤ちである。そして、右証言は、前操作者が誰であるかとか、原告永松がその状態で点火したことについて後に同原告に注意したかどうかも記憶にないというのであり、もとより事故が発生したり、報告事例となったというのでもないから、このような点火をしたことがないと強調する甲九三四号証等に照らすと、右事実があったかどうか真偽不明といわざるを得ない。
(二) 同じ年に、ボイラの安全弁の一つを、本来は上司の指示を要するのにこれがないままギャグ掛けしたとの点については、被告指摘の証拠と甲五二六号証の一・二、九三四号証によれば、その事実を認めることができる。但し、原告永松は、これは安全弁のチャタリング異常に対応した臨機応変の正当な処置であったと強調しているところ、事後的にこの正当性の検証及び検証結果に応じた処分等がなされた形跡がないから、右原告永松の主張を全面的に否定するに足りる証拠もない。
(三) 巡視中中間報告をしないことが多かったとの点については、原告永松も、時に多少時間が遅くなって注意されたことがあるとは述べているが(甲九三四)、被告主張のように報告自体がなされないことが多かったという実情まであったかどうかは、被告指摘の証拠及び証人内田の証言によっても、甲九三四号証に照らすと、的確に認定することができない。
(四) 燃料切替起動操作が遅かったとの点は、被告指摘の証拠のほかに裏付け資料があるわけではなく、甲九三四号証に照らすと、その事実の存否は不明といわざるを得ない。
(五) シートオイルユニットのべース部の油漏れを上司に報告しなかったとの点については、原告永松は、点検結果は小池当直主任に報告したと述べているところ(甲九三四)、この問題をこれ以上に解明するに足りる資料は何も提出されていない。
(六) 班長からのサンドポンプの引上げ指示を無視したとの点も、原告永松はこれを否認しているところ(甲九三四)、被告指摘の証拠だけでは、右証拠のいうとおりの事実があったかどうか確認し難い。
(七) 昭和四七年頃ノーブローイング警報に対応しなかったとの点については、被告指摘の証拠と甲九三四号証によれば、その頃原告永松が主機操作中ノーブローイング警報が出たのに現場状況を確認させなかったこと、しかし、これは万全の措置ではなく、内田副長がみとがめて同原告に対し現場確認を指示したことを認めることができ、これは消極的評価の理由となり得るものである。但し、右甲九三四号証によれば、右警報はしばしば出ており、補正操作をすることにより正常に戻っていたから、原告永松はこの場合も様子を見ているところであったこと及び内田副長の指示により補機操作員を現場確認に向かわせたが確認するまでもなく正常に戻ったことを認めることができるから、結果的には同原告の判断で良かったという面もある。
(八) タービン振動値の質問に答えられなかったとの点については、被告指摘の証拠と甲九三四号証によれば、そのようなことがあったことを認めることができる。しかし、右甲号証によれば、その頃の原告永松の立場に照らし、この振動値を暗記しているべきであったかどうかは、これを積極に確認するに足りる証拠はない。
(九) 昭和四八年頃主機操作の代行について自信がないとの理由で断ったとの点については、被告指摘の証拠はあるが、これを否認する甲九三四、一〇五九号証に照らすと、どちらが真実か確認し難い。
(一〇) ボイラ水張り時期を失してドラムの金属温度差を拡大させたことがあるとの点についても、右(九)と同様であり、裏付けがないから、被告主張のとおりには認定し難い。
(一一) 雑談等で操作盤の監視を怠っていたという点については、許容し得る息抜きとどのように態様が違ったのかを被告指摘の証拠では確認の術がない。
(一二) 接地作業をうまく行わなかったとの点については、原告永松も順調にできなかったことがあることを認めているが、この作業は事前の打合せが必要であるところ、打合せもなく急に手伝いを命じられたときのことであるに過ぎないと主張している(甲九三四、一〇五九)。そして、証人由川も、伝え聞きであり、打合せもなくいきなりいわれて現場に行きもたもたしたということだと思う旨供述しているから、原告永松の前記主張のとおりであったと認めるのが相当である。
(一三) 巡視の際アンモニア注入装置の注入状況について岡田当直主任からの質問に満足な回答ができなかったとの点については、原告永松も、甲九三四、一〇五九号証で、この巡視結果について岡田主任に叱られたことがあることを認めている。しかし、被告指摘の証拠によっても、岡田主任が何を問題としたのか分らないところ、右甲号証によれば、巡視結果は異常なしというものであったのに数値自体の報告を求められ、通常であれば特に指示のない限りそこまでメモや記憶をしてこないからその場では報告できなかったというのが同原告の主張である。そして、右主張を覆すべき証拠はない。
(一四) 汚水ピットの油の浮遊を見過ごしたとの点については、前記甲号各証と対比すると、裏付けのない以上、被告主張のとおりの事実は認めることができない。
(一五) 払出弁閉の連絡があったときに他中操等への連絡を怠ったとの点については、原告永松も自らすぐにこれをしなかったことを認めているところ(前記甲号各証)、被告指摘の証拠によれば、直ちに自らこれを行うことが万全の処置であったことを認めることができるから、消極的評価の理由となし得るものである。
2 職場規律を守らなかったとの点について
(一) 休暇の申請が遅かったとの点については、甲六四五、六四六号証にはその裏付けとなるような部分がないから、前記甲号各証に照らすと、被告指摘の証拠はにわかに採用し難い。
(二) 技術説明会で説明を聞いている様子がなかったとの点は、被告指摘の証拠だけでは、その態様を確認することができない。
(三) よく居眠りをし、あるいは業務と関係のない本を読んでいたとの点も、右(二)と同様である。
3 以上によれば、被告主張の諸点は、多少の点についてこれを認めることができるが、いずれもそれ自体重大なものともいい難いのであり、なお、原告永松は各種資格を取得し(争いがない。)社長表彰を受けているものもあること(甲九三四号証)をも考えると、同原告の能力及び勤務ぶりが被告主張のように劣悪と評価されるべきほど同僚と比較して悪いものであったものとは認められないというべきである。
一四  原告結城関係
1 昭和四六年二月まで
(一) 仕事にミスが多かったとの点について
(1) 数字の転記ミス、計算ミス等を繰り返していたとの点については、被告指摘の証拠は被告の主張に沿うものである。しかし、これらの証拠には、これといった裏付け証拠があるわけではないから、甲一〇一七号証の一に照らすと、真偽程度は不明というべきである。
(2) カードのパンチ処理が遅く、ミスが多かったとの点についても、右(1)と同様である。
(二) 担当業務を無責任に処理していたとの点について
(1) 被告は、まずチャートの整理状況を問題としており、この点についても被告指摘の証拠はあるが、やはり裏付けとなる資料がないから、前記甲号証に照らすとそのとおりとまでの心証を得ることができない。
(2) 発電実績月報の報告期限間際に未処理のまま休暇を取ったとの点については、的確な反論がなされていない。但し、右休暇は年次休暇であり、被告がこれを承認しない方向で問題としたというものでもない。
(3) 書類の作成が計画的でなく、期日間際になっても残業せず帰っていたとの点については、被告指摘の証拠はあるが、具体的な状況を確認すべき資料がないから、実情について的確な心証を得ることができない。
(三) 休暇取得が身勝手であったとの点についても、被告指摘の証拠だけでは、客観性がなく、その実情が右主張のように評価すべきものであったことまでの認定をすることはできない。
(四) 遅刻や居眠りの点についても、右(三)と同様である。
(五) 時間外労働の業務命令を拒否し厳重注意を受けたとの点については、被告指摘の証拠中に右主張に沿う部分があり、これと原告結城の供述によれば、被告主張の頃同原告が上司から急な作業で残業を依頼されたところ、約束があるという理由でこれを断ったことがあること、後日残業に対する心構えの点で同原告が所長から注意を受けたことを認定することができる。但し、右証拠によっても、残業依頼は業務命令というような大げさなものではなく、注意も正式の処分というものではなかったことを認めることができる。
(六) 言動が悪く常識が欠けていたとの点については、被告指摘の証拠だけでは、その程度を確認することができない。
2 昭和四六年二月から同四九年六月まで
(一) 仕事が雑でミスが多かったとの点については、右1の(六)同様である。
(二) 無責任であったとの点について、まず昭和四八年春頃の備品台帳の記帳問題が例示されているが、被告指摘の証拠だけでは、その真偽程度を的確に確認し難い。
チャート類の整理保管状況も問題とされているが、同様に、その実情を被告指摘の証拠のとおりであったと認定するまでの裏付け資料はない。
図書の管理方法の検討指示に従わず、清書の指示に反抗的であったとの点も、被告指摘の証拠だけでは、右と同様といわざるを得ない。
(三) 仕事に積極的に取り組まず、指示に従わず、反抗的であったとの点について
(1) 書類戸棚の整理を断り協力しなかったとの点については、被告指摘の証拠中にこれに沿う部分があり、甲一〇一七号証の一に照らしても、原告結城が整理の指示に従わなかったことがあることを認めることができる。但し、同原告は、自分の所属するグループの書類戸棚を整理したのち、ほかのグループの書類戸棚まで手伝うよう指示されたからこれを断ったのであると述べている(甲一〇一七の一)。
(2) 昭和四七年頃海水温度の調査を手伝わなかったとの点については、被告指摘の証拠はこれに沿うものであり、的確な反論はなされていない。
(3) 原告網岡が休んだときの仕事の代行をしなかったとの点についても右(2)と同様である。
(4) 昭和四八年に運転日誌の新様式に関する指導を受けようとしなかったとの点についても、(2)と同様である。
(四) 会議に出席してもその内容を上司に報告しなかったとの点について
この点も、右(三)の(2)と同様である。
(五) 休暇取得が無責任であった等の点について
(1) 休暇当日の朝電話で申請することが多かったとの点については、被告指摘の証拠はあるが、これだけでは、その程度及び同僚との比較は必ずしも的確に認定することはできない。
(2)① 昭和四七年に長期休暇の申請をしたことに対し指導したところ、反抗的態度を取ったとの点については、原告結城も被告指摘の証拠のように八日間の休暇を取ったことを認めているが(甲一〇一七の一)、右休暇は年次休暇であるところ、被告がその取得を拒絶する方向で問題とした形跡はないし、指導に反抗的であったとの点は、その具体的状況を的確に認定するに足りる資料はない。
② 予算資料の提出が間に合わないような時期に連続休暇を取ったとの点については、被告指摘の証拠はあるが、甲一〇一七号証の一に照らすと、これが職務怠慢というべき状況であったかどうかはにわかに確認し難い。
(六) 遅刻が多かったとの点については、被告指摘の証拠があり、原告結城も遅刻しなかったとは述べていないが(甲一〇一七の一)、被告が正式な遅刻として扱っていた形跡はなく、従って、ほかの同僚との比較や遅刻の程度を知るための資料が提出されていないから、被告指摘の証拠だけでは、被告が主張するほどのものであったとまで確認し難いといわざるを得ない。
(七) 無断離席が多かったとの点についても、被告指摘の証拠が述べるほどに悪い態様で無断離席があったかどうか、確認することができない。
3 昭和四九年七月以降について
(一) 昭和五〇年に新しく担当するよう指示したユニット経歴書故障統計等の仕事を半年間処理しなかったとの点については、被告指摘の証拠は右主張に沿うものである。そして、原告結城も、右の仕事を担当するよう相談があり承諾したこと及び実際には担当しなかった限りの事実は認めている(甲一〇一七の一)。しかし、右証拠中乙一一六及び二一八号証は、証人となっていない者の陳述書であり、証拠価値の高いものではないし、仮にそのような職務怠慢があったとすれば、職場としては到底放置し得ない問題であるのに、被告がこの関係をどのように処理したのか不明である。更に、甲一〇一七号証の二・三の業務分担表には、被告の主張する期間について原告結城は右仕事を担当していないことになっている。そうすると、甲一〇一七号証の一で原告結城が述べる事情により、結局正式な担当業務とならないままに終わったという状況であったかもしれないと考えざるを得ないから、被告の前記主張は、そのとおりには採用し難い。
(二) 勤務時間中に居眠りをしてさぼっていた等の点について
右主張に沿う被告指摘の証拠は、(一)と同じで証拠価値が大きいとはいえないし、そのほかには、右主張の実情を的確に認定するに足りる証拠はない。
(三) 休暇の取り方が自己中心的であったとの点も右と同様である。なお、休暇は年次休暇をいうものであるが、その取り方が問題であったのであれば、その時点で対処する方法がある。ところが、被告がそのような対処を試みたことをうかがうに足りる証拠はない。
(四) 遅刻や無断離席が直らなかったとの点については、被告指摘の証拠は前記(一)と同様であるし、そのほかに実情を知る術がない。
(五) 残業を嫌っていたとの点も、被告指摘の証拠は具体的に述べているが、右(四)と同様といわざるを得ない。
(六) 飲酒運転で二か月くらい欠勤し、マイナスの査定を受けたとの点は、原告結城も認めるところである。
4 以上によれば、1の(五)、2の(三)・(四)のように相対的に消極的評価理由となり得るいくつかはこれを認定することができるが、これらだけから被告が主張するように原告結城の仕事ぶりが同僚と比較して前記格差をもたらすほど劣悪であったとまで評価すべきほど悪いものであったとは認め難く、そのほかには、右主張を認めるに足りる証拠はない。
一五  原告網岡関係
1 昭和四六年二月まで
(一) 自分の仕事以外はしようとしなかったとの点について
被告は、この点について四つの例を主張しており、被告指摘の証拠のうちには、これらの主張に沿う部分がある。しかし、これらは、いずれも、具体的事実については的確な裏付け資料を伴うものでなく、評価に関する部分はその当時実際に考課査定上そのように評価されたという裏付け資料を伴うものではないから、被告主張のとおりに認定するには足りないというべきである。
(二) 仕事の質が低かったとの点について
被告は、原告網岡が、設備経歴カードのパンチ、整理業務以外に、右業務を通じて得られる事項を更に積極的に調査検討することがなかったことを問題としており、被告指摘の証拠は右主張に沿うものである。しかし、右証拠によっても、そのような調査検討のためにはほかの担当者がいたことが明らかであるところ、同原告がこれに類似することまでしなければ劣悪な勤務ぶりと評価すべき状況にあったことを認めるに足りる資料はない。
(三) 自己啓発意欲に欠け、積極性がなかったとの点について
この点に関する被告指摘の証拠は、それだけでは、そのとおりに認定することができない。
(四) 遅刻や居眠りが多かったとの点について
遅刻については、後記賃金補償を得て就業制限を受けていた正当なものを除いては客観的な資料がなく、被告指摘の証拠中証人米山の証言からも、ほかの者も遅刻する場合が稀ではなかったことをうかがうことができるところ、原告網岡がこれらと比較してどの程度に出勤状況が不良であったかを確認することができない。居眠りについては、被告主張の程度にまで多かったことを確認するに足りる証拠はない。
(五) 時間外労働を拒否することが多かったとの点について
この点の被告の主張に沿う被告指摘の証拠は、時間外労働拒否の具体的状況まで確認することができないから、劣悪な勤務ぶりと評価すべき具体的根拠とすることができない。
(六) 職場の常識に欠ける勤務ぶりであったとの点について
(1) まず、被告は、原告網岡が職業病になったとき東電病院で診察を受けるよう勧められたのを拒否したと主張しているが、被告指摘の証拠中の証人米山の証言でも、原告網岡が右病院の診察を受けこれを上司に報告していることが明らかである。
(2) 病気治療のため就業制限措置を受けていたとき病気療養に専念していなかったとの点については、被告指摘の証拠中にある原告網岡の行動が右義務に違反するものであったことを確認するに足りる資料はない。
(3) 私用の長電話の点は、その有無程度を確認するに足りる証拠はない。
(4) 就業制限中、同僚に感謝する様子がなかったとの点も、これをそのとおりに確認するに足りる資料はない。
(七) 病気で遅刻早退が多く、長期欠勤もあったことについては、原告網岡も特に争っておらず、消極的評価の理由となり得るものである。しかし、怪我や病気による欠勤と処遇については、前記八(原告藤田関係)の9(二)で判示したとおりの状況がある。
2 昭和四六年二月から同四九年六月まで
(一) 仕事の範囲を勝手に決め、上司の指示に反抗的であったとの点について
発電実績月報概要に関する書式の様式検討指示等、非常災害時の連絡体制表の補正作業、海水温度の調査の関係、発電所・ユニット経歴書の記入状況の説明等に関しては、被告指摘の証拠中には被告の主張に沿う部分がある。しかし、これらについては、的確な裏付けがなく、右証拠にあるとおりの状況であったことについて的確な心証を得難い。
(二) 無責任な仕事ぶりであったとの点について
誤字の指摘関係及び業務引継ぎ関係に関しても、右(一)と同様である。
(三) 遅刻及び無断離席が多かったとの点について
この関係も、(一)と同様である。
(四) 職場の常識に欠け、反抗的であったとの点について
被告指摘の証拠のうちには被告の主張に沿う部分がある。しかし、これらは、印象的主観的な面がありその見方の正当性が確認し難いし、具体的な問答については、そのとおりであったとの確認資料もない。
(五) 病気による遅刻早退については、被告指摘の証拠によれば、被告主張の事実を認めることができ、消極的評価の理由となり得ないではない。しかし、病気と処遇については、前に1(七)で判示した状況もある。
3 昭和四九年以降
被告は、原告網岡は自分の担当業務以外はやろうとせず、意欲や積極性に欠け、上司の指示に反抗的であった、残業の指示にほとんど従わなかった、遅刻及び長時間の無断離席が多かった等と主張している。しかし、その証拠は乙一一六号証であり、これはその性質上それ自体十分の証拠価値を有しないものといわざるを得ない。そして、右証拠が指摘する諸点は、いずれも裏付け資料がなく、具体的状況を確認し難いから、にわかに採用することができない。
4 以上によれば、原告網岡についても、被告主張のように同僚と比較して劣悪とまで評価するのが相当であったような勤務ぶりであったと認めるだけの証拠はないというのが相当である。
一六  まとめ
以上によれば、原告らには、それぞれある程度消極的評価の理由となり得る出来事があったことを認めることができる。また、被告の指摘する被告側各証人の証言によれば、原告らには、上司から見て協調性、柔軟性、融和性等の点で水準に至らないと評価されていた面があり、これらが考課査定上の消極要素となっていたものとうかがわれる。しかし、前者はいずれも特段重大視するほどのものとはいえないし、後者も、その程度が著しいほどのものであったとは到底認め難いのであって、結局、被告の立証によっては、原告らが並外れて劣悪な能力や勤務ぶりを示し右勤務ぶり等の長期間の累積が前記のような顕著な格差発生の唯一の原因であるという見方を正当とするのは困難であるというほかない。そうすると、原告らの勤務ぶりに関する立証によっても、被告が、原告らに対し、原告らが共産党員または同党支持者であることを理由の一つとしてほかの従業員よりも賃金関係の処遇面で低い処遇を行ってきたものという前記第四節一の推認を覆すには足りないというべきである。
第六節  賃金関係処遇格差を生じさせたことの違法性と被告の損害賠償等の責任
一 従業員の配置ないし担当職務の決定、役職位の任用及び資格の付与等は、使用者が企業主体の立場で有する企業運営上及び人事管理上の必要性に基づきその裁量により行われるものであり、特に被告のような私企業の場合には私的自治の原則上、広い裁量権を有すると考えられる。しかし、このような裁量権も、法令及び公序良俗の許す限度内で行使されるべきであり、これを逸脱し、その結果従業員の法律上の権利利益を侵害する場合には、右裁量権の行使は、不法行為法上の違法性を帯びるものと考えるべきである。ところで、原告らは、原告らが共産党員でありまたは同党を支持していることを理由としてほかの従業員と賃金関係の処遇で差別的な取扱いをすることは、まず憲法一四条、一九条、二一条に違反すると主張しているが、これらの憲法の規定は、国または公共団体と国民の間の関係を規律するものであり、本件のような私人間相互の関係には直接的には適用されないものと考えられている。しかし、労働基準法三条は、労働者保護の目的で、労働者の信条によって賃金その他の労働条件について差別的取扱いをすることを禁じているところ、右信条の中には、特定の政治的信念ないし政治的思想を含むものと解するのが相当である。また、被告と東電労組との間の労働協約六条では、被告は、従業員の政治的信条を理由として差別待遇しないものとされている(乙二)ところ、右協約の規定も労働者保護を目的とするものである。そして、右の労働条件あるいは待遇中には、賃金額自体のほか、これに関係する賃金関係の処遇が含まれるものと解するべきである。そうすると、被告の賃金体系に即していえば、原告らは、政治的思想だけによっては職級、職位、資格及び査定の面でほかの従業員と差別的処遇を受けることがないという期待的利益を有するのであり、右期待的利益は法律上の保護に値する利益であるということができる。ところが、これまで判示してきたところによれば、被告は、原告ら主張の期間、継続的に、原告らに対し、前記法律及び労働協約の各規定に違反し、原告らの右期待的利益を侵害する行為をしたといわざるを得ないのであるから、右行為は違法であり、これにより原告らが被った損害がある場合には、これを賠償する義務があるというべきである。
第七節  消滅時効の抗弁について
一 原告らは、右の損害として、昭和四八年一〇月以降に原告らに実際に支給された賃金額と、違法差別がなければ同月以降支給されたであろうと主張する賃金相当額との差額を財産上の損害とし、また、右違法差別により生じたと主張する精神的損害を主張して、被告に対してこれらの賠償等を請求しているところ、被告は、これに対し消滅時効を援用している。
二 そこで、まず、右の財産上の損害賠償請求権に関する時効の援用について検討するに、被告の主張は、原告らは本件訴え提起の日(昭和五一年一〇月一三日)の三年前の日(昭和四八年一〇月一三日)よりも更に前から賃金関係の処遇上差別があることを前提として、まず昭和四八年一〇月におけるあるべき想定的賃金額を定め、これを基礎としてそれ以後長期にわたり順次想定的賃金額を増額しこれと原告らの実際の賃金額との間にある差額を財産的損害として主張しているが、右の昭和四八年一〇月当初の想定的賃金額に既に被告による違法差別を原因とする損害部分が含まれているのであるとすれば(以下、この部分を当初損害という。)、その後の差額全体についてこの当初損害が含まれることになるところ、当初損害は本件訴え提起の日現在既に消滅時効期間が経過しているのであるから、これを援用し、従って、原告ら主張の損害全体に含まれる当初損害分の請求は右時効の援用により失当となるというにあると解することができる。そして、被告は、被告における昇給がいわゆる積み重ね方式により決定されることをその根拠としている。たしかに、前記争いのない被告の賃金体系によれば、被告は、従業員の賃金関係処遇につき、直前回の決定時における賃金に右決定後の一定期間の状況による昇給額を上乗せして改定することを建前としており、いわゆる再評価方式を建前としてはいない。しかし、従業員の賃金関係の処遇は、いつでも被告において任意に改めることが不可能というわけではなく、前の処遇に違法の点があるのであれば改めるべきものであるともいえるのであって、このことは積み重ね方式のもとでも変りはなく、その性質上、ある時期の処遇決定が必ず次期以降において拘束力を有するものではないし、また、場合によっては拘束されるべきでないのである。従って、ある時期の処遇決定が違法とされる場合、それに伴い具体的に生ずる低賃金に基づく財産上の損害は、そのときに確定的な逸失利益として一時に発生するのではなく、毎回の賃金支払期に具体的、確定的に発生すると解するのが相当である。そうすると、当初損害についても、これが具体的に発生するのは右各賃金支払期であると解するべきであるから、これが原告らの請求する財産的損害に含まれているとしても、これらについては、本件訴え提起の当時、いずれも消滅時効期間が経過していないことになる。従って、被告の時効の援用は、理由がない。
三 なお、賃金関係処遇の差別を原因とする精神的損害に対する慰謝料等の請求については、原告らは、昭和四八年一〇月一三日以降の処遇を原因として請求しているものと認められるから、これについて消滅時効が問題となることはない。
四 次に、原告らは、賃金関係処遇の差別以外に人権侵害行為があったと主張して、これに対する損害賠償等を請求しており、この関係は後に検討するところであるが、被告は、この請求についても消滅時効を援用しているから、ここで検討しておくこととする。被告の主張は、前記昭和四八年一〇月一三日より前になされたという人権侵害行為による慰謝料請求権等は、時効により消滅しているからこれを援用するというものである。ところで、原告ら主張の人権侵害行為があったとすれば、原告らは、各侵害行為があることを知った時点で精神的苦痛を被りかつその加害者を知ったことになる性質のものであることは原告らの主張自体に照らして明らかであるところ、このような場合、原告らは、被告に対し、いつでも右精神的苦痛に対する慰謝料の支払い等を請求することができるのであるから、右請求権は、各侵害行為のときから消滅時効が進行すると解するのが相当である。従って、本件訴え提起の日から三年前である昭和四八年一〇月一三日より前になされたという人権侵害行為による慰謝料請求権等は、仮にそのような人権侵害があったとしても、本件訴え提起の時までに消滅時効が完成しているというべきである。原告らは、右不法行為が被告の継続的な差別意思によるものであることを理由として、これが止むまでの間消滅時効は進行しないと主張しているが、右主張のように継続的な差別意思に基づくものであっても、個々の具体的な行為及びそれによる慰謝料等の請求権を不可分一体のものと考えなければならないわけではないから、採用することができない。また、原告らは、右不法行為が故意によるものであること及び証拠資料収集の困難性を挙げて、被告の時効の援用が権利濫用に当たると主張しているが、故意であることだけでそのように認めることはできず、そのほかには、本件の全証拠によっても、右の権利濫用該当性を認めることはできない。
第三章  その余の人権侵害行為による損害賠償請求関係
一  判断の対象
前記のとおり、昭和四八年一〇月一三日より前の人権侵害行為等の主張については、仮に原告ら主張の人格権侵害等の不法行為が存在したとしても、これによる損害賠償請求権等は、既に時効により消滅しているのであるから、以下の判断に当たっては、もっぱら同年同月一三日以降の事実関係を対象として判断する。
二  原告遠藤関係
1  職級、職位、資格差別について
この関係の主張は実質的に前記第二章の原告らの主張と重複するものであり、これに対する認定判断も既にそこで示したとおりである。そして、同様の主張はすべての原告からなされているが、これらの主張に関しても、右と同様である。
2  仕事差別について
証拠(甲六〇〇の一、乙一四三、一四四、一五五、証人小高、原告遠藤第二回)によれば、原告遠藤は、昭和四〇年に、それまで担当していた購買業務から、これに含まれる支払い及び納期管理業務だけの担当に変更され、これが昭和五〇年まで続いたことを認定することができる。そして、原告遠藤は、右の担当業務変更は格下げであり違法な差別行為であると主張している。しかし、原告遠藤が供述する右担当業務間の格の上下には特別の根拠があるのではないし、右証拠によれば、被告では、昭和四〇年に全社的に店所審査体制の整備が実施され、その一つとして内部牽制の観点から契約担当とその後の支払い等の担当を別の者が行う体制に変更されたが、原告遠藤の担当業務変更はその一環として行われたものであって、特に格下げと評価するのは当たらないことを認定することができる。
3  研修差別について
原告遠藤がこの関係で具体的に主張するのはいずれも昭和四八年一〇月以前の事項であり、それ以後については、具体的な主張はなされていない。従って、不法行為の存否を具体的に判断することはできない。
4  職場での差別、嫌がらせについて
昭和五六年頃の遅刻届の提出に関することが主張されているが、遅刻したことが事実である以上(原告遠藤第二回)、遅刻届を提出するよう命じられたとしても、これが被告の差別意思に基づく違法行為であるとまでいうことはできない。そのほかには、この関係での具体的な主張はなされていない。
三  原告久保田関係
1  研修差別について
証拠(甲六一七の一、原告久保田)によると、原告久保田は、同原告主張の各種研修を受けたことがなく、あるいはほかの従業員より遅い時期にこれを受けたことを認定することができる。しかし、研修は、従業員の個人的利益となる効果が挙がる面があるとしても、基本的には、被告が、時期、対象者、種類、人数等をその業務上の必要性に応じ裁量により決定し実施する性質のものであるから、これに参加する機会が与えられなかったとしても、本件の全証拠によっても、それが被告の違法な差別行為に該当するとまでの認定をすることはできない。もっとも、証拠(例えば原告藤田)と弁論の全趣旨によれば、研修のうちには、従業員の職級等の処遇状況に基づきその参加資格が決められるものがあることを認めることができるから、参加資格自体に第二章で検討したような差別的要素のあった研修については問題がないわけではないが、この点は、実質的には第二章の原告らの主張及びこれによる損害賠償等の請求と重複するものである(この点は、ほかの原告の主張も含め、以下の研修その他の仕事の上での差別という主張全部に共通である。)。
2  仕事上の差別について
証拠(甲六一七の一、原告久保田)のうちには、原告久保田のこの関係の主張に沿う部分がある。しかし、会議への出張及び業務分担は、その時々の人員構成や被告の業務運営方針に応じて被告の裁量により決められるべき性質のものであるところ(乙一八〇、証人須藤)、本件の全証拠によっても、原告久保田の主張する会議及び業務分担関係の事項が、被告の違法な差別行為に該当するとまで認定することはできない。また、机の配置関係の差別の主張についても、職場の机の配置は、その時々の組織体制、人員、各従業員の仕事の内容のほか、従業員間の人間関係等にも応じてその都度被告の裁量で決められるべき性質のものであって、被告に反共的労務政策があるということから直ちに原告久保田主張の机の配置が被告の差別行為によるものとまで認定することができず、そのほかにこれが違法であることを認めるに足りる的確な証拠はない。次に、A級認定を不合格とされているとの点については、原告久保田は、被告が差別意思に基づき意図的にしたと供述している。しかし、社内認定であるから被告が合否の判定を操作しやすいということはできても、原告久保田の場合にそのように意図的に不合格とされたと認定するに足りる的確な証拠はない(なお、原告久保田以外の原告らの多くは最終的にA級に認定されている。)。
四  原告塩森関係
仕事上の差別の点は既に第二章で認定判断したところと実質的に同様であり、研修差別の点は原告久保田関係で判示したところと同様である。
五  原告畠田関係
まず、業務計画委員からの排除の主張については、業務計画は発電所の方針を受けて発電計画を立て分担を決めるという大きなレベルでの計画であり、また、各種委員会の委員の選任は被告がその裁量で決定すべき事柄である(証人中野)。そして、原告畠田が業務計画委員に選任されなかったことが被告の違法な差別行為に該当するとまで認定するに足りる的確な証拠はない。次に、A級を一度不合格とされた点については、原告久保田関係で判示したところと同様である。なお、A級認定を受けた後の処遇については、この認定制度は直接的に職級に結びつくものではなく、ただA級認定時において技師補資格に未達の者は技師補に任用されるものとされていること(乙二六〇)、主機操作員が補機操作員の上位に格付けされているという根拠はなく、原告ら以外の者で主機から補機への変更を経験している者も少なくないこと(乙九三)などからすると、原告畠田がA級認定後主機操作員にならなかったとしても、これが直ちに被告の違法な差別行為であるとは認め難い。なお、このことと、研修差別関係の前記判示に照らすと、原告畠田が昭和五九年一二月の研修において補機操作員としての研修しか受けられなかったとしても、これをもって違法な差別行為に該当するとまでは認めることができない。
六  原告川又関係
1  差別発言について
原告川又の主張は、昭和四九年と五〇年頃、低位の仕事にしか就けさせないことの理由を上司に問い質したことに対し、「仕事をいくらやっても共産党ではだめだ」との差別発言をされたというものであり、同原告の供述及び陳述書(甲六一二)中には、右主張に沿う部分がある。しかし、右証拠のみでは、右主張のとおりの発言が現実にあったことを確認することができないし、そのような発言があったとしても、どのような状況で発言されたかを吟味することなしには(これを可能とする証拠はない。)、その発言が、単なる個人的な忠告を超えて、被告の組織的な職制を通じた差別意思によるものとまで認定することは困難である。なお、右当時の担当職務の決定が原告川又主張のような観点から違法であり不法行為を構成することまでを認定するに足りる証拠もない。
2  研修差別について
原告川又は、数種類の研修に参加しているが(甲六一二)、これ以外の研修不参加の点については、原告久保田関係で判示したところと同様である。
3  なお、結婚式への妨害、干渉の主張については、甲五一二号証の一によれば、これは昭和四五年にあった出来事をいうものであることが明らかである。
七  原告藤田関係
1  仕事上の差別について
主機操作を担当できた時期が遅く、主機操作員となってからも補機操作員に格下げされたこと、業務計画から排除されていること、日常保守業務を担当できない時期もあったこと、A級認定を落とされたということなどの点は、いずれも原告久保田及び同畠田関係で判示したとおりである。
2  職場八分について
(一) 原告藤田は、職場で灰皿洗いをさせられ、後輩を「さん」付けで呼ぶよう強要されるなどの屈辱的処遇をされていると主張している。しかし、このようなことが社会通念上許容し難い程度の態様で強要されその程度に同原告に屈辱感を与えていることまでを認めるに足りる証拠はない。
(二) 次に、原告藤田は、昭和五八年一〇月五井火力発電所に異動してから職場でのコーヒー会に入れてもらえず、精神的な苦痛を被っているが、これは、被告の職制が反共労務政策に基づき同原告を違法に差別しているものであるという主張をしており、同原告の供述及び甲五七七号証の一には右主張に沿う部分がある。そこで、検討するに、右証拠と甲一〇二一号証の一、乙一七三号証及び証人高橋の証言によれば、五井火力発電部では、その場所、規模等は変化があるが、かねてから主として中央操作室で、仕事の合間などに数名(一〇名以下程度)いる従業員がコーヒーをいれて一緒に飲んでいたこと、原告藤田は右発電部に勤務するようになってから適当にこのようなコーヒーを飲んでいたが、そのうちほかの人の飲み方が変り、原告藤田に隠れて、あるいは原告藤田を除け者にするようにして続けており、原告藤田が若い従業員に一緒に原告藤田の分もいれてほしいと頼んだりしているが、素直に聞いてもらえない状況であることを認定することができる。しかし、右証拠によれば、右のコーヒー会は、特段あらたまった組織的なものではなく、コーヒー会というような決められた名称もなく、実態は、気の合った仲間が各自あるいは先輩の出したお金で個人的な立場で仕事の合間に事実上楽しんでいる性格のものであるというほかないと認められるから、これに入れてもらえない従業員がいるとしても、それだけでは、被告の政策としてそうしているとか、被告の従業員がその職務に関してそのようにしているものとまでは断定し難いといわざるを得ない。従って、これにより原告藤田が精神的苦痛を被っているとしても、これについて被告が不法行為上の損害賠償義務等を負担するものと断定するには足りないが、前記証拠によれば、原告藤田が右の職場の楽しみから疎外されていること及びこれが第二章に認定した原告藤田に対する著しく低い不当処遇の累積継続並びにその結果としての本件訴訟の存在等という現状をほかの従業員がそれなりに評価しこれが同原告との個人的交際関係に反映されている事実もまた否定し難いことを認定することができるから、右の事情は、第二章の認定を前提とする慰謝料請求の当否及びその額を定めるについては、諸般の事情の一つとして斟酌すべき事項であると認めることができる。
3  研修差別について
原告久保田関係で判示したのと同様である。
4  交際上の差別について
原告藤田の結婚式、慰安旅行、香典等に関して違法な行為があったとの主張については、これを認定するに足りる的確な証拠はない。なお、原告藤田の父親が死亡した記事が所報に掲載されなかったとの点については、この点の実情を確認するに足りる証拠がない。
八  原告木村関係
1  班長職に就けさせない差別について
右主張は、役職位の任用関係の差別を主張するもので、実質的には第二章の主張と同様であり、これに対する判断は先に示したとおりである。
2  職場八分について
(一) 甲六〇五号証と原告木村の供述によれば、原告木村についても、原告藤田と似たように職場でのコーヒー等の親睦上疎外されていることを認定することができる。そして、この関係は、前に原告藤田について判示したところと同様である。
(二) 結婚祝の返戻の主張に関しては、これが被告の不法行為責任につながる事情までを認定するに足りる証拠はない。
(三) 香典の返戻についても同様である。
(四) 巡視配置板の名札の差別に関しても、同様である。
九  原告山田関係
1  仕事上の差別について
この関係の主張のうち、昭和四八年一〇月以降の事項で、賃金関係処遇とは別に被告の不法行為責任を肯認すべき事実があったことを認定するに足りる証拠はない。
2  研修差別について
原告久保田関係で判示したところと同様である。
3  職場八分について
「コーヒー会等からの排除」の項目で主張されている事実は、挨拶に応えてくれないことがあったり話題を変えられたりなどという、関係者の個人的な事柄であることがその性質上明らかなものがあり、また、そのほかの点は、甲七三一号証の一、一〇三〇号証のほか原告の供述中でもこれに沿う部分があるが(例えば原告木村)、いずれも、原告藤田のコーヒー会差別の主張について判示したところと同様というべきである。なお、交通懇談会、安全懇談会で発言をさせない措置を取られたことを認定するに足りる証拠はない。
次に、ビラ配布を理由とする吊し上げの問題が主張されている。たしかに、甲五二一号証、九九〇、九九一号証、一〇二四号証及び録音テープの検証の結果によれば、右主張の頃、原告山田のビラ配付を問題とする上司同僚が、原告山田一人との間で、右問題について原告山田の考え方を非難する問答をしたことを認定することができるが、右証拠によれば、その内容は、右主張のように違法性のある吊し上げとまで評価すべきものとは認めることができない。
一〇  原告勝俣関係
1  職場の労働者との分断工作について
甲六一四号証の一及び原告勝俣本人の供述中には右主張に沿う部分がある。しかし、これらが右供述等のように被告の圧力によるものであることを認めるに足りる的確な証拠はない。
2  職場八分について
組合役員選挙に立候補した結果という部分で原告勝俣が主張している点は、甲六一四号証の一及び同原告の供述のように被告が組織的に行ったとまで認めるに足りる証拠はない。
コーヒー会等からの排除の点は、いずれも原告藤田の主張の関係で判示したところと同様である。
結婚に際しての嫌がらせの点については、まず回章の回覧の関係は、これを強調する原告勝俣の供述によっても、被告が不法行為責任を負うべきであるという状況を的確に認定するに足りない。結婚式の参列及び祝電の関係についても同様である。
健康保険加入時の副申請書の署名の関係は、原告勝俣はこれに沿う供述をしているが、青木当直主任については結局署名を得られたのであるし、高橋当直副長については(但し、同人の関係は違法行為として明示的に主張されていない。)、証人高橋の証言に照らすと、同人が署名しなかったことが同原告主張のように差別意思に基づくとまで認定することは困難である。
仕事の取上げとして、主機操作員から補機操作員に降格されたという主張がなされているが、この点は前に原告畠田関係で見たとおり、それだけでは降格と評価することはできないものである。そのほかには差別的に仕事の取上げがあったことを認定するに足りる証拠はない。
一一  原告萩原関係
1  仕事の上の差別について
原告萩原のこの関係の主張のうち、賃金関係の処遇に関連する部分は前記第二章に判示のところと実質的に重複している。そして、主機操作員と補機操作員の格の点は既にほかの原告について検討したとおりであり、そのほかの点で、以上の諸点とは別個の意味で仕事上の違法差別が行われたことを認定するに足りる証拠はない。
2  研修差別について
この関係は、原告久保田関係で判示したところと同様である。
一二  原告永松関係
1  研修差別について
既にほかの原告らの関係で判示したところと同様である。
2  仕事上の差別について
この関係の原告永松の主張のうち、第二章で検討したところと実質的に別のものは業務計画及び各種委員会からの排除という点であるが、この点は、原告畠田関係で判示したのと同様である。
一三  原告結城関係
1  仕事上の差別について
(一) 仕事の取上げに関する昭和四八年一〇月以降の問題としては、備品管理、一般消耗品の購買業務のような簡易な単純定型業務だけを担当させられたという点であるが、原告結城本人の供述によってもそのほかにも担当業務があったことを認めることができるところ、この関係を別にしても、原告結城が見せしめのため差別的に右のような業務に従事させられていたことまでを認定するに足りる的確な証拠はない。
(二) 机の配置による見せしめ差別の点については、原告久保田について判示したところと同様である。
(三) 職種の違う石炭調整業務を行うことを強要された旨の主張については、原告結城を右業務の担当としたことを違法と認めるべき証拠はない。
(四) 大型工事に参画させてもらえなかった等の主張もなされているが、右主張のことが違法であることを認定するに足りる証拠はない。
2  研修差別について
先にほかの原告らの同趣旨の主張について判示したとおりである。なお、原告結城は現在までに各種の研修、講習会等に参加している(同原告本人)。
一四  原告網岡関係
1  仕事差別・職務と職級の不一致について
(一) まず、昭和五一年の職級見直しの際、見直されるべき「統計総括」(八級)であったのに「統計(総括)」(七級)に昇級させられなかったという点は、甲五九七号証の七と原告網岡の供述によっても、そのように当然昇級されるべき見直しであったとまで認め難く、この特定の職級付けが具体的に差別行為であったことまでを認定するに足りる的確な証拠はない。
(二) 次に、机の配置が問題とされているが、この点は既にほかの原告らの主張について判示したとおりである。
2  研修差別について
この点も、ほかの原告らの主張について判示したとおりである。
第四章  損害の主張に対する判断
第一節  財産的損害について
一  損害の発生
前章までに判示したところによれば、被告は、昭和四八年以前から、原告らをその職級、資格及び役職位の各任用並びに査定においてこれらを敢えて低位に処遇することにより違法に差別したのであり、原告らは、このような差別なくこれらの点においてほかの従業員と平等公平に処遇されるべきことを期待する利益を侵害されたのであるが、この関係の処遇は、被告の賃金体系によれば、原告らに支給される賃金額に直接消極的に反映するのであるから、その結果、原告らは、右差別的処遇がなかったと仮定した場合に支給されたであろう想定的賃金の額より低額の賃金を支給され続けてきたということができる。従って、原告らは、これにより、右想定的賃金と実際に支払われた賃金との差額に相当する財産上の損害を被ったことが明らかである。
二  財産的損害の数額
1 損害の認定方法
本件の財産的損害は、右のように想定的賃金に条件付けられるものであるから、その数額を高度の確実性のある程度に認定することは必ずしも容易ではないが、本件では、前記のように、財産的損害が発生していること自体は明らかであるから本件の証拠上認められる諸般の実情を基礎として、社会通念及び経験則に基づき可能な限り合理性のある損害額を認定して損害の公平な分担を図ることが要請される事案であり、この場合、相当程度確実性のあるものとして損害額を認定するためには、この点について立証責任を負担する原告らにとって相当控え目な認定をせざるを得ない場合もある。
2  平均的賃金の意義
原告らは、原告らの想定的賃金は、前記統計上の(あるいは統計を基礎とした推計による)学歴経験年数別平均的賃金を下回ることはないから、これと原告らに支払われた実際賃金との差額が本件の場合の財産上の損害に該当すると主張している。そして、第二章で検討した平均的賃金は、同章で判示したように、その算出資料及び推計の過程とも信憑性及び合理性があることを認めることができる。ところで、右の平均的賃金は、被告の一般管理職以下の従業員で標準的な能力を有し標準的な業績を挙げてきたために標準的な賃金関係の処遇を受けてきた者(標準者)が支給されてきている賃金であると評価することができるから、被告の従業員中でこのような標準者と同等の能力を有し同等の業績を挙げてきた者が右標準者に最も近似する賃金関係の処遇を受ける蓋然性があると認めることができる。従って、右の意味の標準者を具体的に特定することができる場合には、この特定の標準者と他の従業員との能力業績を具体的に比較検討し両者が同等であると認められるならば、その従業員は右標準者の受けている賃金関係処遇に最も近似する処遇を受ける蓋然性があるということができるし、仮にこのような標準者を具体的に特定することができず、従って能力業績を具体的に比較検討することができない場合でも、標準的な能力業績というものは特に目立った積極消極の要素がない一般的従業員の属性としてある程度概括的に把握することができないものではないから、ある従業員がこのような程度の従業員であると認定できる場合には、その者は平均的処遇に比較的近似する処遇を受ける蓋然性があるということができるであろう。のみならず、ある従業員がその能力業績に照らしこのように平均的処遇に近似する処遇を受けることまでの蓋然性があると認めることができない場合にも、平均的処遇を受ける蓋然性のある従業員の能力業績との近似ないし乖離の程度を相対的に評価することにより当該従業員が受ける蓋然性のある処遇を認定することが可能な場合も想定され得るところである。そして、以上のような認定判断は、その性質上、前記1に従ってなされるべき裁判所の規範的認定判断に委ねられているところである。以上のような意味で、平均的賃金は、本件のような不法行為の損害賠償請求について、損害額を認定するための基礎として採用に値するものというべきである。
3  平均的賃金に関する被告の主張について
被告は、被告の賃金制度のもとでは、平均的賃金ないし平均的処遇というようなものは無意味な数字である旨強調しているところ、たしかに、原告らが援用する統計資料を詳しく見ると、同じ経験年数にある従業員の職級、資格、役職位はある程度幅広く分布しており、平均的な処遇への集中傾向は極めて顕著であるとまでいうことはできない。そして、このことは、被告が職級制度に基礎を置く職務給体系を建前としていることと関連があると推認され、また、右の統計を利用することのできる期間が原告らにとっていずれも入社後おおよそ一〇年以上を経過した後の時期に該当しほかの従業員が一般管理職の下位から上位に任用され得る時期に当たるところ、この任用には一般的職務遂行能力のほか従業員の会社への帰属意識、部下の指導力等の適性が勘酌されるようになり、被告の裁量の幅が大きくならざるを得ないことにも関連があると推認されるのである。しかし、第二章第四節で判示したところと右統計資料によれば、被告の賃金体系は職務給を建前とするものではあるが、その運用に年功的賃金制度における処遇決定要素が加味されることにより、同じ在籍ないし経験年数にある従業員の処遇状況は一般的傾向としてある程度集団的に把握することができるのであり、これが右統計にも現われているのであって、極めて顕著とまではいえないとしても、平均的処遇値に向かっての逓増的集中傾向があること自体は明らかである。そして、平均的な値は、もともとこれより優劣する値があることを前提としている。そうすると、前記平均的処遇は、右のような一般的傾向にある者の間の標準的な処遇を表章するものというべきであり、同質性を欠く関連性のない数字の機械的な平均値に過ぎないというようなものではない。そして、以上によれば、本件の平均的処遇値が無意味であるという被告の前記主張は採用することができず、ただ、前記のように推認される理由により平均的な処遇への集中傾向が極めて顕著であるとまでいうことができないことは、同程度の能力、業績を有し原告らのような差別要素のない従業員間でも現実には無視し得ない程度に差のある処遇を受ける蓋然性のある実情を示すものとして、前記のように損害を控え目に認定すべき事情の一つとなるに過ぎないものというべきである。
4  原告らの能力及び業績
そこで、原告らの職務遂行能力及び業績について検討する
(一)  まず、本件では、被告は従業員の賃金関係処遇資料を開示していないから、前記のような平均的処遇を受けている具体的な従業員は事実上特定不可能であり、従って、原告らが右平均的処遇を受けている特定の従業員と具体的に同等の能力を有し、業績を挙げてきたことあるいは挙げ得たことは立証されていない。
(二)  次に、前記第二章第五節で認定したところによれば、原告らの能力及び業績については、被告主張のように劣悪であったとまでは到底認めることができないところ、原告らはそれぞれ、原告ら各自の能力と業績が少なくとも一般的従業員以上である旨詳細に主張し、その旨それぞれ供述し(但し、原告遠藤は第二回、原告塩森は第三回、原告永松は第一回)、それぞれの陳述書を提出している。また、原告らの勤務ぶりが一般の従業員以上である旨の当時の上司や同僚の証明書類を提出し(甲一〇三一、一〇三二、一〇三三の一・二、一〇三七、一〇六一)、あるいは、勤務ぶりが一般的従業員と同等以上であること、積極的に仕事をしてきたこと、人柄が誠実で責任感があること等に関する書証を提出している(甲五一五の三、五四二ないし五四五、五四九ないし五五九、六〇〇の八、六〇五の六、六一六、九〇一、九一二、九五三ないし九五七、一〇五六、一〇五七)。その他、前記のように、原告らはそれぞれ各種資格を取得して社長表彰を受けたりしている。そして、これらによれば、原告らは、おおむね一般職の平従業員(一部は下位職制)としてそれほど大過なく仕事を処理してきたことを認めることができる。しかし、前記第二章第五節で見たように、原告らにはそれぞれ消極的評価の理由となり得る状況がまったくないではなく、また、上司から見て協調性、柔軟性、融和性の点で問題があると評価されていた面もあり、これらが考課査定上の消極要素となっていたものとうかがい得ることを考えると、原告らが前記統計上の平均的処遇を受ける蓋然性のある程度の能力業績の状況にあったことについては、立証が足りないといわざるを得ない。
5  財産的損害の数額
そうすると、原告らについてはいずれも前記平均的賃金の支払いを受ける蓋然性があったことまでを認定することはできないのであり、右平均的賃金と比較した場合の原告らに対する係争期間における賃金関係の低い処遇は、その全部が違法な差別による結果生じたものではなく、原告らの能力、業績、資質に対する正当な考課査定の結果として生じた部分を含みその両者が混在した結果であると考えられる。そして、双方の影響割合を確実に認定するに足りる証拠はなく、どちらの影響が優越しているともいうことができないが、前記1ないし3の説示に照して検討すると、前記のように原告ら主張の平均的賃金を基準とし、他方で原告らに対する処遇が現実には同期同学歴従業員中最低というべきものに該当することに鑑みると、違法差別により生じた部分は、控え目に見ても、係争期間を通じて、右平均的賃金と原告らの実際賃金(すなわち最低というべき賃金)の間の格差の少なくとも三割程度は存在すると認めるのが相当である。そうすると、右の認定と第四分冊の各格差表の「差額」欄で示した格差とによれば、本件の財産的損害として認容し得る金額は、それぞれ第一分冊の別紙認容債権目録の各該当欄(認容額1ないし認容額8欄。但し、原告山田については認容額1ないし認容額5欄。これらの区分は原告ら主張の期間区分に対応するものである。)記載のとおりとなる(一〇〇〇円以下は切り捨て。)。なお、原告らは、賃金関係処遇差別による財産的損害の賠償については、選択的に債務不履行を請求原因としているが、この観点から見ても損害額の認定判断に異なるところはない。
第二節  精神的損害について
原告らは、賃金関係の処遇で長期間差別行為を受けているのであるが、原告ら各本人の尋問の結果によれば、原告らは、この間、正当な賃金の支払いを受けられなかったほか、職級、資格及び役職位などを低位に据え置かれたことにより同期同学歴の従業員の多くの者及び相当後輩に当たる従業員よりも下位の地位になり、その結果、社会的信用評価が損なわれ、名誉感情も傷つき、精神的苦痛を被っていることを認定することができるから、被告は、原告らに対し、右精神的苦痛に対する慰謝料を支払う義務がある。そして、本件の違法行為の内容、程度、結果及び第三章で判示した事情等を総合すると、右慰謝料の金額は、原告山田については一〇〇万円、その余の原告らについてはいずれも一五〇万円と認めるのが相当である。
第三節  謝罪広告等について
本件の不法行為の態様及び結果によると、原告らが名誉ないし名誉感情について被った損害は、第一節の財産的損害及び第二節の精神的損害に対する金銭的賠償を得ることにより回復されると認めることができるから、これに付加して謝罪広告等を命ずる必要性はないものと認めることができる。
第四節  弁護士費用について
本件訴訟の難易度、請求額と認定額及び関係弁護士会の報酬規程等によると、原告らが本件訴訟の提起追行に要した弁護士費用のうち、平成五年九月二日現在の現価として、各原告の請求する金額は、本件の不法行為と相当因果関係のある損害に当たると認めることができる。
第五節  遅延損害金について
原告らの主張する損害項目に対する原告らの主張する日からの原告らの主張する割合による遅延損害金請求は、いずれも理由がある。
第五章  結論
以上によれば、原告らの請求は、主文一項記載の限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官加藤英継 裁判官片岡武 裁判官高橋隆一は転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官加藤英継)
《第二分冊》
第一編 原告らに対する賃金関係処遇格差の実情
第一章  賃金格差額の求め方
第一節  昭和四八年一〇月から同五七年九月までの求め方
一  平均基準内給与(除く世帯手当)
東京電力労働組合本部(以下「東労本部」という。)作成の賃金関係調査資料により、各年度別に、各原告と同期同学歴従業員の平均基本給、平均資格手当額(平均資格に対応する手当額)、平均職責手当(平均職級に対応する役職の職責手当)を求める。
二  平均基準内給与(含む世帯手当)
前項で求めた平均基準内給与に各原告に支給されている世帯手当額を加えた合計額を平均基準内給与(含む世帯手当)とする。
三  差別要件のない世帯手当を考慮する理由
差別要件のない世帯手当を含めた平均基準内給与を求める理由は、賞与、住宅積立助成金、住宅助成臨時措置特別加算、財産形成給付金などの支給基準に基準内給与比例があり、これらの給与の本人支給額は世帯手当を含めた基準内給与比例で支給されており、同期同学歴者のこれらの支給額を求めるのに同一条件とするためである。
第二節  昭和五七年一〇月以降の求め方
一  昭和五七年一〇月の平均基準内給与(除く世帯手当)
昭和五七年一〇月以降同五八年三月までの平均基準内給与(除く世帯手当)は、昭和五七年九月現在の平均基準内給与(除く世帯手当)とまったく同額である(但し、昭和五七年一〇月の賃金制度改定の移行措置として、世帯手当が三、〇〇〇円減額され、資格給が三、〇〇〇円増額された。)。
このようにして求めた平均基準内給与(除く世帯手当)に各原告の世帯手当額を加えた額が、平均基準内給与(含む世帯手当)である。
二  昭和五八年四月以降の平均基準内給与(除く世帯手当)
前項で求めた昭和五八年三月末の基準内給与(除く世帯手当)に、毎年の賃上妥結率を乗じ一〇〇円単位に切り上げた額をもって次年度の新平均基準内給与(除く世帯手当)とする。そして、各原告の世帯手当額を加えた額が、新年度の平均基準内給与(含む世帯手当)である。
三  変更の理由
1 昭和五七年一〇月に左のように大幅な給与体系の変更があったため、第一節と同様の算出は不可能となった。
(一) 職級ランク(一〜一〇級の一〇ランク)が、職級・職能等級(一A〜五Fの一八ランク)と改定された。
(二) 資格手当が、資格給と名称を変更され、資格給にも査定を伴う定期昇給制度が導入された。
2 東労本部作成の賃金関係調査資料は限定版であり、原告らには昭和五八年度から同資料の入手ができなくなった。
第二章  平均給与の具体的算出及び原告らとの比較
第一節  昭和五七年九月まで
一  基本給
東労本部作成の「賃金運用実態調査結果の概要」及び「賃金実態調査結果」のうち「学歴別・年令別基本給特性値および基準内賃金」または「学歴別・年令別・基本給平均・特性」表において各原告に対応する同期入社者の二分の一位数に示される基本給を組合員の平均基本給とする。
1 昭和四八年度
昭和四八年度「学歴別・年令別基本給特性値および基準内賃金」(甲四八六)より、基本給特性値二分の一位欄に示される四八年度基本給を組合員平均基本給とする。第四分冊別表2(以下、この第二分冊に引用する別表及び別紙は、特に断らない限りすべて第四分冊のものである。)は甲四八六号証の左欄に年令に対置して入社年度を原告ら側で記入して作成した。
(一) 昭和二九年入社者(原告久保田)の場合
昭和二九年入社者の昭和四八年における年令は三七歳である。別表2において、年令三七歳の者の基本給特性値のうち二分の一位は、九三、二六九円である。ここに示される額は一円単位であるが、被告における基本給は一〇〇円単位であるので、一〇円単位を四捨五入し一〇〇円単位に置き換えた数値をもって平均基本給とする。従って、九三、三〇〇円が平均基本給である。
(二) 以下、その余の原告らについても、各入社年度に応じて同様の方法で、別表2より、平均基本給が求められる(但し、原告遠藤は昭和三〇年四月入社者と同期と考える。以下、同様である。)。
2 昭和四九年度ないし昭和五七年度
昭和四九年度ないし昭和五七年度までも、昭和四八年度と同様に、東労本部作成の各年度の賃金実態調査のうち「学歴別・年令別基本給特性値および基準内賃金」に原告ら側が入社年度を記入した別表3ないし10により平均基本給を求める。
3 平均基本給一覧表
右の方法で求めた組合員平均基本給を別表11にまとめ、更に同表に各原告の基本給を対置した。
二  資格手当
資格の昇格は、一〇月一日に行われる。資格手当額は、各年度の四月の賃金改定時、または一〇月の資格改定時などに変更がある。
1 平均資格について
資格手当は、資格に対応した手当額が支給されるので、まず、平均資格を求める。東労本部作成の「資格運用実態調査結果の概要」及び「賃金実態調査結果」のうち「勤続別資格等級別人員表」及び「学歴別男女勤続資格別人員」において各原告に対応する同期入社者の中位数に当たる資格を求め、それを平均資格とする。
なお、資格の段階・等級は、昭和四七年一〇月から同五〇年九月まで、同五〇年一〇月から同五四年九月まで、同五四年一〇月から同五七年九月までと次のように変遷している。
(一) 昭和四七年一〇月〜同五〇年九月
事務員または工務員(2)・(1)
書記補または技手補(2)・(1)
書記または技手(2)・(1)
主事補または技師補(3)・(2)・(1)
主事または技師(6)・(5)・(4)・(3)・(2)・(1)
参事((1)〜(7))
(二) 昭和五〇年一〇月〜同五四年九月
事務員または工務員(2)・(1)
書記補または技手補(2)・(1)
書記または技手(2)・(1)
主事補または技師補(2)・(1)
主事または技師(7)・(6)・(5)・(4)・(3)・(2)・(1)
参事((1)〜(7))
(三) 昭和五四年一〇月〜同五七年九月
書記補または技手補(1)・(2)・(3)
書記または技手(1)・(2)・(3)・(4)
主事補または技師補(1)・(2)・(3)・(4)・(5)
主事または技師(1)・(2)・(3)・(4)・(5)・(6)・(7)
特任主事または技師(1)・(2)・(3)・(4)・(5)・(6)
副参事(1)・(2)・(3)
2 昭和四八年四月
(一) 資格手当が支給される制度は、昭和四七年一〇月に新設された。新設された時の資格は、職級に対応して決められた。資格のランクと対応職級の関係は別表12の1のとおりである。そして、昭和四八年四月の平均資格は、同年の平均職級を求め、職級に対応する資格を求める。昭和四八年四月の平均職級は、後記三で説明するように、別表33の該当欄記載のとおりである。
(二) 昭和四八年四月の平均資格
(1) 昭和二九年入社者
昭和四八年四月の平均職級五級で、対応する資格は、主事補・技師補(2)である。
(2) 昭和三〇年ないし同三三年入社者
昭和四八年四月の平均職級は六級で、対応する資格は、主事補・技師補(3)である。
(3) 昭和三四年ないし同三六年入社者
昭和四八年四月の平均職級は七級で、対応する資格は、書記・技手(1)である。
(4) 昭和三七年入社者
昭和四八年四月の平均職級は八級で、対応する資格は、書記・技手(2)である。
3 昭和四八年一〇月
東労本部調査資料の昭和四九年四月の「勤続別資格等級別人員表」より求める。被告における資格の昇格は一〇月一日に行われ、四月一日の昇格はない。従って、各年度四月現在の「勤続別資格等級別人員表」は、前年の一〇月一日よりの平均資格の実態を表している。
昭和四九年度「勤続別資格等級別人員表」に入社年度を原告ら側で記入したものが別表12の2であり、次のとおりとなる。
(一) 昭和二九年及び同三〇年入社者
中位に当たる資格は主事補・技師補(2)である。
(二) 昭和三一年ないし同三五年入社者
中位に当たる資格は主事補・技師補(3)である。
(三) 昭和三六年及び同三七年入社者
中位に当たる資格は書記・技手(1)である。
4 昭和四九年一〇月ないし昭和五六年一〇月まで
前記各年度の東労本部調査資料に原告ら側で入社年度を記入した別表13ないし20より昭和四八年一〇月と同様に求める。太線で囲った欄の数値が中位である。
5 平均資格一覧表
昭和四八年四月より昭和五六年一〇月までの各年度の原告らの対応する平均資格を求めた結果を一覧表にしたものが別表21である。
6 平均資格に支給される手当額について
資格手当は資格に対して支給される。資格手当額は、毎年の賃金改定時に改定されるものと、年度の途中で改定されるものがある。その推移は別表22のとおりである。
三  職責手当
1 役職位、職責手当額の比較
役職位に就いた者に対し、職責手当が支給される。役職位は職級に対応しており、一級は課長、二級は副・係長、三・四級は主任、五級は主任・班長、六級は副主任・副班長の各役職位に就く。職責手当額は、昭和四八年一〇月には、課長職九、〇〇〇円、副・係長職七、〇〇〇円、三・四級主任職五、五〇〇円、五級主任・班長職四、〇〇〇円であった。職責手当額は、昭和五〇年一月に改定され、副主任・副班長職が新たに設けられた。更に、昭和五〇年二月、同五二年二月、同五五年八月にも改定された。職級と役職及び職責手当額改定の推移は別表23の1のとおりである。
2 平均職級について
職責手当は、役職位に応じて支給されるが、役職位は、職級に対応するので、まず、同期同学歴者の平均職級を次のようにして求める。
(一) 昭和四八年度
東労本部作成の昭和四八年度の「職級別、勤続年数別人員表(高校卒)」に原告らで入社年度を記入した別表23の2より求める。昭和二九年入社勤続一九年から、同三七年入社勤続一一年に対応する太線で囲った欄の数値が中位数である。
(1) 昭和二九年入社者
中位に当たる職級は五級である。
(2) 昭和三〇年ないし同三三年入社者
中位に当たる職級は六級である。
(3) 昭和三四年ないし同三六年入社者
中位に当たる職級は七級である。
(4) 昭和三七年入社者
中位に当たる職級は八級である。
(二) 昭和四九年度ないし昭和五七年度
東労本部作成の「学歴別、職級別、勤続年数別人員表(高校卒)」に原告らが入社年度を記入した別表24ないし32より前年度同様に平均職級を求める。
(三) 平均職級一覧表
昭和四八年度より同五七年度までの、原告らに対応する平均職級を求め、一覧表にまとめたのが別表33である。なお、別表33には各原告の各年度の四月一日現在の職級も対比して記載してある。
3 職責手当額表
昭和四八年度より同五七年度までの、平均職級、平均職位、職責手当の変遷をまとめた一覧表が別表34である。
四  世帯手当
世帯手当は、扶養区分、年齢区分及び地域区分別に別表35の1のように決定される。
1 別表35の1に、昭和四八年一〇月現在と昭和四九年四月一日改定された支給額を示したが、その後、昭和五〇年四月一日、同五〇年一〇月一日、同五一年四月一日、同五一年一〇月一日、同五二年四月一日、同五三年四月一日、同五四年四月一日、同五五年四月一日、同五六年四月一日、同五七年四月一日に改定されている。
2 地域区分は勤務地と居住地についてそれぞれ決定し、支給額はそれぞれの区分の号数に対応する金額を加えた額の二分の一である。勤務箇所の地域区分は、事業所の位置する市区町村の区分で別に定める。
3 居住地の地域区分は、本人または配偶者の居住する市区町村の区分で別に定める。
4 配偶者が扶養者でない者は、一ランク低い金額を支給額とする。
5 年齢区分の変更は、満年齢になる年の四月一日より該当ランクとなる。
6 各原告の世帯手当支給額の推移は別表35の2のとおりである。
別表35の2において、昭和四八年一〇月欄で、原告網岡の支給額一四、二〇〇円は、勤務地、居住地とも二号地で、配偶者のみ扶養の欄で一四、二〇〇円の支給額、その下に四八年一二月より一六、六〇〇円とあるのは、子供も扶養することになり、配偶者及び子を扶養する者、三二歳の欄で一六、六〇〇円の支給額となる。
同様に、昭和四九年四月欄で、原告結城の支給額二〇、二〇〇円の下の記載は昭和四九年一二月より配偶者及び子を扶養することになり、二四、〇〇〇円となる。
以下、原告畠田、同藤田、同山田、同勝俣、同網岡の世帯手当支給額を被告の世帯手当額変更年月日以外で変更しているのは、各々の勤務地なり、居住地なりの扶養区分の変更に伴うものである。
五  平均基準内給与(含む世帯手当)と原告らとの比較
各原告に対応する同期同学歴者に支給されている平均基本給(別表11)、平均資格手当(別表22)、平均職責手当(別表34)と各原告に支給された世帯手当(別表35の2)に基づいて算出した。
1 昭和二九年入社者(原告久保田)の場合
昭和四八年一〇月から昭和五七年九月まで給与の変更ごとにまとめた結果の一覧表が別表36である。
2 昭和三〇年ないし同三七年入社者(その余の原告ら)の場合
同様に昭和三〇年ないし同三七年入社者に対応する各原告の一覧表は、別表37ないし48のとおりとなる。
第二節  昭和五七年一〇月以降
一  平均基準内給与の求め方
昭和五七年一〇月以降、前記のように従来からの継続的な算出は不可能となった。そこで、昭和五七年一〇月以降の平均給与については、次のとおりとする。
1 昭和五七年一〇月の平均基準内給与(除く世帯手当)
前記のように、昭和五七年一〇月以降昭和五八年三月までの基準内給与は、昭和五七年九月三〇日現在の基準内給与とまったく同額であり、但し、昭和五七年の賃金制度改定の移行措置として、世帯手当が三、〇〇〇円減額され、資格手当が三、〇〇〇円増額された。
(一) 昭和二九年入社者の平均基準内給与
(1) 昭和五七年一〇月の平均基準内給与(除く世帯手当)
まず、昭和五七年九月の平均基準内給与(除く世帯手当)を求める。
昭和五七年九月の平均基準内給与(除く世帯手当)は、別表36より、平均基準内給与三一〇、一〇〇円から世帯手当一八、九〇〇円を減額した二九一、二〇〇円となる。右平均基準内給与(除く世帯手当)二九一、二〇〇円に賃金制度改定の移行措置としての三、〇〇〇円を増額した二九四、二〇〇円が、昭和五七年一〇月の新平均基準内給与(除く世帯手当)である(別表49)。
(2) 昭和五七年一〇月の平均基準内給与(含む世帯手当)
昭和五七年一〇月の平均基準内給与(除く世帯手当)に原告久保田の世帯手当額と同額である一五、九〇〇円を加算した一三〇、一〇〇円となる(別表49)。
(二) 原告久保田(昭和二九年入社)の昭和五七年一〇月の基準内給与
(1) 昭和五七年九月の基準内給与(除く世帯手当)は、別表36より、一九八、八〇〇円である。
(2) 昭和五七年一〇月の基準内給与(除く世帯手当)
昭和五七年九月の基準内給与(除く世帯手当)一九八、八〇〇円に、賃金制度改定の移行措置に伴う資格給が三、〇〇〇円加算され、更に、昭和五七年一〇月の資格手当額の改定に伴う増額二、五〇〇円が加算された二〇四、三〇〇円となる(別表49)。
(3) 昭和五七年一〇月の基準内給与(含む世帯手当)
昭和五七年一〇月の基準内給与(除く世帯手当)に本人が支給されている世帯手当一五、九〇〇円を加えた二二〇、二〇〇円であり、別表49のとおりである。
(三) その余の原告ら(昭和三〇年より昭和三七年入社)の昭和五七年一〇月の基準内給与
(1) 昭和三〇年より昭和三七年入社者の平均基準内給与(除く世帯手当)
昭和二九年入社者と同様に、昭和五七年一〇月の賃金制度改定時移行措置に伴い、昭和五七年九月の基準内給与(除く世帯手当)は三、〇〇〇円増額される。
(2) 平均基準内給与(含む世帯手当)
平均基準内給与(含む世帯手当)は、昭和五七年一〇月の平均基準内給与(除く世帯手当)に、各々対応する原告本人の世帯手当を加算するが、世帯手当額は賃金改定時の移行措置で三、〇〇〇円減額されたので、平均基準内給与(含む世帯手当)は、昭和五七年九月の額と同額である。
(3) 各原告の基準内給与、賃金制度改定時の移行措置は、前項と同様である。なお、各原告とも、昭和五七年一〇月に資格手当額の改定に伴う増額が、移行措置の外に増額されている。その結果をまとめた一覧表が、別表49である。
(4) 原告永松は、昭和五七年一〇月に職級が2Cより3Aに昇級されたことに伴い、基本給が二、二〇〇円増額された。
2 昭和五八年度の平均基準内給与
前項で求めた昭和五八年三月までの平均基準内給与(除く世帯手当)を基礎として、これに昭和五八年度の賃上げ妥結率4.2%を乗じ一〇〇円単位に切り上げた額を、昭和五八年の平均基準内給与(除く世帯手当)とする。このようにして求めた基準内給与(除く世帯手当)に原告本人が支給された世帯手当を加えた額を新平均基準内給与(含む世帯手当)とする。
3 昭和五九年度以降の平均基準内給与
昭和五九年度以降についても、前年度三月末平均基準内給与(除く世帯手当)に各年度の賃上げ妥結率を乗じ一〇〇円単位に切り上げた額を平均基準内給与(除く世帯手当)とし、原告本人の世帯手当を加えた額を新平均基準内給与(含む世帯手当)とする。昭和五八年度以降の賃上げ妥結率は別表50のとおりである。これにより各年度の基準内給与(除く世帯手当)を求めた一覧表が別表51である。
二  平均基準内給与(含む世帯手当)の具体的算出及び原告らとの比較
1 昭和二九年入社、原告久保田と同期同学歴者の平均基準内給与
別表51の二九年度入社者の平均基準内給与(除く世帯手当)に原告久保田の世帯手当を加えた額が、平均基準内給与(含む世帯手当)となる。
(一) 昭和五七年一〇月から同五八年三月の基準内給与(含む世帯手当)昭和五七年一〇月の平均基準内給与(除く世帯手当)二九四、二〇〇円に、本人の世帯手当一五、九〇〇円を加えた額、三一〇、一〇〇円が基準内給与(含む世帯手当)である。
(二) 同様にして昭和五八年度から平成四年度まで求めた基準内給与(含む世帯手当)が別表52である。別表52には、原告久保田の基準内給与も対比してある。なお、原告久保田に年度途中で基準内給与の変更(基本給・資格給・世帯手当など)のあった場合には、その月を明示してある。
2 昭和三〇年ないし同三七年入社者の平均基準内給与
昭和二九年入社者同様に、各原告と対比して一覧表にしたものが、別表53ないし64である。
第三章  具体的な賃金格差額(各論)
第一節  基準内給与における格差額
一  基準内給与は毎月支給されるものであり、基準内給与額に変動があるごとに区分し、支給された月数を乗じて算出する。
各原告の基準内給与と同期同学歴者の平均基準内給与を、昭和四八年一〇月より同五七年九月までと昭和五七年一〇月以降それぞれ求めた結果を、各原告ごとに、別表36〜48(昭和四八年一〇月より同五七年九月まで)、別表52〜64(昭和五七年一〇月以降)の一覧表にまとめた。
二  各原告に対応する平均基準内給与と各原告の基準内給与の格差額
1 昭和二九年入社原告久保田について同期同学歴者の平均基準内給与との格差額を、別表36、別表52より求めると、別表65の1、2のとおりである。
2 昭和三〇年ないし同三七年入社者の格差額
昭和二九年入社者同様に、別表37ないし48及び別表53ないし64よりそれぞれ求めた結果の一覧表が別表66ないし77の各1、2である。
第二節  賞与における格差額
一  賞与における格差額の算出方法
1 賞与の各年度に支給される支給基準は、①基本給比例、②職級別定額、③純査定、④基準内比例(含む職責手当)、⑤基準内比例(除く職責手当)となっている。
2 昭和五七年度上期支給分(昭和五七年一二月分)までの算出方法
昭和五七年九月まで、同期同学歴者の平均給与を、平均基本給、平均資格手当、平均職級に対応する平均職責手当により求め、更に原告本人の世帯手当を加えた額を、平均基準内給与として求めた。よって、賞与の支給基準の各項目ごとの平均値に、支給基準・支給率を当てはめて求める。
3 昭和五七年度下期支給分(昭和五八年六月分)以降の算出方法
平均基準内給与に各年度の賞与の妥結率を乗じて求める。昭和五七年一〇月以降の同期同学歴者の平均給与は、基準内給与(除く世帯手当)として、基本給・資格給・職責手当を一括して求めたために、前述の賞与支給基準の各項目ごとに当てはめることができないためである。
4 昭和五七年九月までの格差額の具体的算出方法
昭和五七年九月までの賞与の支給基準は、別表78のとおりである。
(一) 昭和二九年入社原告久保田の賞与と同期同学歴者の平均賞与及び賞与格差額は次のとおりである。
(1) 昭和四八年一二月支給の賞与(四八年上期分)での格差額
① 原告久保田の支給額 二〇三、四〇〇円である。
② 同期同学歴者の平均支給額
別表78の四八年度支給率に、昭和二九年度入社者の昭和四八年九月末の平均基本給、平均職級、平均職責手当、平均基準内給与などを別表37より各々当てはめ、純査定(平均的査定として、純査定原資額とした。)を加えて算出する。
イ 基本給比例
昭和四八年九月末平均基本給九三、三〇〇円の126.9%は、一一八、三九八円
ロ 職級別定額
昭和四八年九月末平均職級は五級で四〇、六〇〇円
ハ 純査定
平均的査定として、査定原資額五、八〇〇円
ニ 基準内比例(含む職責手当)
この年度は該当なし
ホ 基準内比例(除く職責手当)
昭和四八年九月の基準内給与一〇九、七〇〇円から職責手当四、〇〇〇円を減じた額一〇五、七〇〇円の86.9%は九一、八五四円。平均賞与は、右の基本給比例、職級別定額、純査定、基準内比例(除く職責手当)の合計額である。右を合計すると二五七、六五二円となり一〇〇円未満を一〇〇円単位に切り上げて、二五六、七〇〇円となる。
③ 格差額
同期同学歴者の平均支給額二五六、七〇〇から、原告久保田の支給額二〇三、四〇〇を減じた五三、三〇〇円となる。
(2) 昭和四九年六月支給の賞与(四八年下期分)での格差額
昭和四八年度賞与下期分で、支給基準は昭和四八年一二月支給の上期分と同じである。昭和四九年三月末基本給、職級、職責手当、基準内給与を当てはめ、純査定を加えて算出する。
(3) 昭和四九年一二月以降昭和五七年六月までを、昭和四八年一二月支給分と同様な方法で算出した同期同学歴者に支給された平均額と、本人が支給された額及び格差額の一覧表が別表79である。
(二) 昭和三〇年入社原告遠藤の格差額
原告遠藤の場合も、賞与支給基準別表78に、昭和三〇年入社の同期同学歴者の平均基本給、平均資格手当、平均職責手当、平均基準内給与などを別表37より当てはめて算出した同期同学歴者の平均支給額と、本人の支給額及び格差額の一覧表が別表80である。
原告遠藤は昭和五一年下期に一日自己都合による休務(欠勤)をしたので、昭和五一年度賞与支給細目により減額となる。
① 基本給比例分からの減額
別表37により昭和五一年三月末の平均基本給は一三六、七〇〇円であるからこれに126.2%を乗じた額に休務した日数一を乗じ、更に、休務一日についての減額割合一四七分の一を乗じた額、一、一七四円(一円未満切上)が減額となる。
② 職級定額分からの減額
別表78より昭和五一年度賞与支給基準の平均職級五級の職級定額は六七、四〇〇円であるから、これに休務日数一を乗じ、更に休務一日についての減額割合一四七分の一を乗じた額四五九円(一円未満切上)が減額となる。
(三) 昭和三一年入社原告塩森の格差額
原告塩森の場合も同様に別表78の支給基準に別表38の昭和三一年入社者の同期同学歴者の平均基本給、平均資格手当、平均職責手当、平均基準内給与などを当てはめ算出した同期同学歴者の平均支給額と本人の支給額及び格差額の一覧表が別表81である。
(四) 昭和三二年入社原告畠田の格差額
原告畠田の場合も同様に別表78の支給基準に別表39の昭和三二年入社者の同期同学歴者の平均基本給、平均資格手当、平均職責手当、平均基準内給与などを当てはめ算出した同期同学歴者の平均支給額と本人の支給額及び格差額の一覧表が別表82である。
(五) 昭和三三年入社原告川又の格差額
原告川又の場合も同様に別表78の支給基準に別表40の昭和三三年入社者の同期同学歴者の平均基本給、平均資格手当、平均職責手当、平均基準内給与などを当てはめ算出した同期同学歴者の平均支給額と本人の支給額及び格差額の一覧表が別表83である。
(六) 昭和三四年入社原告藤田の格差額
原告藤田の場合も同様に別表78の支給基準に別表41の昭和三四年入社者の同期同学歴者の平均基本給、平均資格手当、平均職責手当、平均基準内給与などを当てはめ算出した同期同学歴者の平均支給額と本人の支給額及び格差額の一覧表が別表84である。
原告藤田は昭和四八年度下期中に四七日病気による休務(欠勤)をしたので、昭和四八年度賞与支給細目により、賞与は次のとおり減額となる。
① 基本給比例分からの減額
病気による休務をした場合の基本給比例分からの減額については実際に休務した日数に0.5を乗じた数を休務日数として計算するから計算上の休務日数は23.5日となる。別表41により昭和四九年三月末の平均基本給は八五、五〇〇円であるからこれに126.9%を乗じた額に計算上の休務日数23.5を乗じ、更に、休務一日についての減額割合一四七分の一を乗じた額、一六、三三一円(一円未満切上)が減額となる。
② 職級定額分からの減額
病気による休務をした場合の職級定額からの減額については実際に休務した日数に0.7を乗じた数を休務日数として計算するから計算上の休務日数は32.9日となる。別表78より昭和四八年三月末の平均職級七級の職級定額は三〇、三〇〇円であるから、これに計算上の休務日数32.9を乗じ、更に休務一日についての減額割合一四七分の一を乗じた額六、七八二円(一円未満切上)が減額となる。
(七) 昭和三五年入社原告木村の格差額
原告木村の場合も同様に別表78の支給基準に別表42の昭和三五年入社者の同期同学歴者の平均基本給、平均資格手当、平均職責手当、平均基準内給与などを当てはめ算出した同期同学歴者の平均支給額と本人の支給額、格差額の一覧表が別表85である。
(八) 昭和三六年入社原告山田の格差額
原告山田の場合も同様に別表78の支給基準に別表43の昭和三六年入社者の同期同学歴者の平均基本給、平均資格手当、平均職責手当、平均基準内給与などを当てはめ算出した同期同学歴者の平均支給額と本人の支給額、格差額の一覧表が別表86である。
原告山田は昭和五三年度下期中に五〇日病気による休務(欠勤)をしたので、昭和五三年度賞与支給細目により、賞与は次のとおり減額となる。
① 基本給比例分からの減額
病気による休務をした場合の基本給比例分からの減額については実際に休務した日数に0.5を乗じた数を休務日数として計算するから計算上の休務日数は二五日となる。別表43により昭和五四年三月末の平均基本給は一四一、五〇〇円であるからこれに131.1%を乗じた額に計算上の休務日数二五を乗じ、更に、休務一日についての減額割合一四二分の一を乗じた額、三二、六六〇円(一円未満切上)が減額となる。
② 職級定額分からの減額
病気による休務をした場合の職級定額からの減額については実際に休務した日数に0.7を乗じた数を休務日数として計算するから計算上の休務日数は三五日となる。別表78より昭和五三年度賞与支給基準の平均職級五級の職級定額は、七一、〇〇〇円であるから、これに計算上の休務日数三五を乗じ、更に休務一日についての減額割合一四二分の一を乗じた額一七、五〇〇円(一円未満切上)が減額となる。
(九) 昭和三六年入社原告勝俣の格差額
原告勝俣の場合も同様に別表78の支給基準に別表44の昭和三六年入社者の同期同学歴者の平均基本給、平均資格手当、平均職責手当、平均基準内給与などを当てはめ算出した同期同学歴者の平均支給額と本人の支給額、格差額の一覧表が別表87である。
(一〇) 昭和三七年入社原告萩原の格差額
原告萩原の場合も同様に別表78の支給基準に別表45の昭和三七年入社者の同期同学歴者の平均基本給、平均資格手当、平均職責手当、平均基準内給与などを当てはめ算出した同期同学歴者の平均支給額と本人の支給額、格差額の一覧表が別表88である。
(一一) 昭和三七年入社原告永松の格差額
原告永松の場合も同様に別表78の支給基準に別表46の昭和三七年入社者の同期同学歴者の平均基本給、平均資格手当、平均職責手当、平均基準内給与などを当てはめ算出した同期同学歴者の平均支給額と本人の支給額、格差額の一覧表が別表89である。
(一二) 昭和三七年入社原告結城の格差額
原告結城の場合も同様に別表78の支給基準に別表47の昭和三七年入社者の同期同学歴者の平均基本給、平均資格手当、平均職責手当、平均基準内給与などを当てはめ算出した同期同学歴者の平均支給額と本人の支給額、格差額の一覧表が別表90である。
原告結城は昭和五五年度下期中に二〇日病気による休務(欠勤)をしたので、昭和五五年度賞与支給細目により、賞与は次のとおり減額となる。
① 基本給比例分からの減額
病気による休務をした場合の基本給比例分からの減額については実際に休務した日数に0.5を乗じた数を休務日数として計算するから計算上の休務日数は一〇日となる。別表47により昭和五六年三月末の平均基本給は一五四、七〇〇円であるからこれに134.5%を乗じた額に計算上の休務日数一〇を乗じ、更に、休務一日についての減額割合一三二分の一を乗じた額、一五、七六三円(一円未満切上)が減額となる。
② 職級定額分からの減額
病気による休務をした場合の職級定額からの減額については実際に休務した日数に0.7を乗じた数を休務日数として計算するから計算上の休務日数は一四日となる。別表78より昭和五五年度賞与支給基準の平均職級五級の職級定額は、七六、九〇〇円であるから、これに計算上の休務日数一四を乗じ、更に休務一日についての減額割合一三二分の一を乗じた額八、一五七円(一円未満切上)が減額となる。
(一三) 昭和三七年入社原告網岡の格差額
原告網岡の場合も同様に別表78の支給基準に別表48の昭和三七年入社者の同期同学歴者の平均基本給、平均資格手当、平均職責手当、平均基準内給与などを当てはめ算出した同期同学歴者の平均支給額と本人の支給額、格差額の一覧表が別表91である。
5 昭和五七年一〇月以降の格差額の算出方法
昭和五七年上期分(一二月支給)の賞与は、昭和五七年九月末の平均基本給、平均職級、平均職責手当、平均基準内給与等に支給基準を乗じ求める。昭和五八年下期分(昭和五八年六月支給)以降に支給される賞与については、別表51の平均基準内給与(除く世帯手当)に、本人の世帯手当を加えた額を平均基準内給与とし、賞与の妥結率を乗じ、一〇〇円単位に切り上げた額とする。昭和五七年度以降の賞与の妥結率は別表92のとおりである。
(一) 昭和二九年入社原告久保田の格差額
(1) 昭和五七年一二月支給分(昭和五七年上期分)での格差額
昭和五七年一二月支給分(昭和五七年上期分)については従来どおりに算出する。昭和五七年度の賞与の支給基準は、別表92のとおりである。
① 原告久保田の支給額 五二三、三〇〇円である。
② 同期同学歴者の平均支給額
昭和五七年度の賞与支給基準に、昭和二九年入社者の昭和五七年九月末の平均基本給、平均職級、平均職責手当、平均基準内給与を当てはめ、査定は平均的査定として査定原資額を加えて求めた額七七九、三〇〇円である。
③ 格差額
同期同学歴者平均支給額七七九、三〇〇円から、原告久保田の支給額五二三、三〇〇円を減じた額二五六、〇〇〇円となる。
(2) 昭和五八年六月支給分(昭和五七年下期分)での格差額
① 原告久保田の支給額 五三六、一〇〇円である。
② 同期同学歴者の平均支給額
昭和五八年三月末の平均基準内給与(除く世帯手当)(別表51)二九四、二〇〇円に、原告久保田の昭和五八年三月末の世帯手当(別表52)一五、九〇〇円を加えた額三一〇、一〇〇円に、昭和五七年の賞与の妥結率2.4か月を乗じた額を一〇〇円単位に切り上げた額七四四、三〇〇円である。
③ 格差額
同期同学歴者平均支給額七四四、三〇〇円から、原告久保田の支給額五三六、一〇〇円を減じた額二〇八、二〇〇円となる。
(3) 昭和五八年一二月以降
昭和五八年六月支給分と同様の方法で算出した同期同学歴者が支給された平均額と、本人が支給された額及び格差額の一覧表が、別表93である。
(二) 昭和三〇年入社原告遠藤の格差額
原告遠藤の場合も、賞与支給基準(別表92)に、昭和三〇年入社者の同期同学歴者の平均給与を別表51より求め、本人の世帯手当を別表53より求め、昭和二九年入社者同様に算出した同期同学歴者の平均支給額と、本人の支給額及び格差額の一覧表が、別表94である。
(三) 昭和三一年ないし同三七年入社者の格差額
昭和三一年ないし同三七年入社の原告らの場合も、前同様に、賞与支給基準(別表92)に、昭和三一年ないし同三七年入社者の同期同学歴者の平均給与を別表51より求め、本人の世帯手当を別表54ないし64より求め、昭和二九年入社者同様に算出した同期同学歴者の平均支給額と、本人の支給額及び格差額の一覧表が、別表95ないし別表105である。
第三節  住宅積立助成手当における格差額
一  住宅積立助成手当
住宅積立助成手当は、昭和五〇年度までは年間六回(昭和四八年度半期で一一月、翌年一、三、五月の四回、昭和四九年度七、九、一一月と翌年一、三、五月の六回、昭和五〇年度も同様六回)支給されていたが、昭和五一年度からは年二回(六月と翌年一月)支給されている。各々の支給基準及び支給率の推移は別表106のとおりである。
二  具体的格差額の求め方
1 昭和二九年入社原告久保田の格差額
(一) 昭和四八年一一月支給分
① 原告久保田の支給額 一四、四〇〇円である。
② 同期同学歴者の支給額
昭和二九年入社同期同学歴者の昭和四八年六月末の平均基準内給与、平均職責手当は、別表36より、平均基準内給与一〇九、七〇〇円、平均職責手当四、〇〇〇円となる。支給基準は、基準内給与より職責手当を除いた額の16.1%であるので、平均基準内給与一〇九、七〇〇円から平均職責手当四、〇〇〇円を減じた一〇五、七〇〇円に支給率の16.1%を乗じて一〇〇円単位に切り上げた額、一七、一〇〇円である。
③ 格差額
同期同学歴者の平均支給額一七、一〇〇円から、原告久保田の支給額一四、四〇〇円を減じた額二、七〇〇円である。
(二) 昭和四八年一二月支給分(支給率が増え七、九、一一月支給分を補正した増額分)以降、昭和五八年一月支給分までは、昭和四八年一一月支給分と同様の方法で求める。
(三) 昭和五八年六月支給分については、昭和五七年一〇月以降、平均基準内給与(除く世帯手当)を一括して求めているために、平均職責手当の確定が困難であるから、平均基準内給与から職責手当を除いた額は、別表51の基準内給与(除く世帯手当)に対応する各原告の世帯手当(原告久保田の世帯手当は別表52)を加えた額から、一律二〇、〇〇〇円(係長・副長相当)を減じた額とする。この方法で昭和六〇年一月支給分まで求める。
(四) 昭和六〇年六月支給分からは、別表51の基準内給与(除く世帯手当)に対応する各原告の世帯手当(原告久保田の世帯手当は別表52)を加えた額より、職責手当として一律二五、〇〇〇円を減じた額とする。
(五) 昭和五八年六月以降の各原告に対応する平均住宅積立助成手当は、(三)、(四)で求めた基準内給与より職責手当を除いた額を基準として、各支給率を乗じて求める。
(六) 以上の方法で、昭和二九年入社者の平均住宅積立助成手当を求めた額と原告久保田の支給額及び格差額をまとめた一覧表が別表107の1、2である。
2 昭和三〇年ないし同三七年入社者の格差額
昭和三〇年ないし同三七年入社の原告らの場合も、昭和二九年入社者の平均住宅積立助成手当の求め方と同様の方法で、昭和四八年六月末から昭和五七年九月末までの平均基準内給与と平均職貴手当を別表37ないし48より求め、また、昭和五八年六月末からの平均基準内給与を別表51より求めて、各原告の世帯手当(別表53ないし63)を加えた額に各支給率を乗じて平均住宅積立助成手当を算出する。これと各原告が支給された額及び格差額をまとめた一覧表が、別表108ないし119の各1、2である。
第四節  その他手当等における格差額
一  住宅助成臨時措置特別加算手当における格差額
住宅助成臨時措置特別加算手当は昭和四八年一二月より同五〇年七月まで五回支給された。支給基準及び支給率は別表120のとおりである。
1 昭和二九年入社原告久保田の格差額
(一) 昭和四八年一二月支給分における格差額
① 原告久保田の支給額 九、一〇〇円である。
② 同期同学歴者の平均支給額
支給基準及び支給率は、昭和四八年九月末の基準内給与より職責手当を減じた額の10.1%であるので、同期同学歴者の昭和四八年九月末の基準内給与及び職責手当を別表36より求める。昭和四八年九月末の平均基準内給与一〇九、七〇〇円より、平均職責手当四、〇〇〇円を減じた額一〇五、七〇〇に支給率10.1%を乗じ、一〇〇円単位に切り上げた額は、一〇、七〇〇円である。
③ 格差額
同期同学歴者の平均支給額一〇、七〇〇円より、原告久保田の支給額九、一〇〇円を減じた額一、六〇〇円である。
(二) 昭和四九年六月以降について
昭和四九年六月から昭和五〇年七月の支給分についても、昭和四八年一二月支給分と同様に、別表36より平均基準内給与及び平均職責手当を求め、別表120の支給率を乗じて求めた額と、本人の支給された額及び格差額の一覧表が、別表121である。
2 昭和三〇年ないし同三七年入社者の格差額
昭和三〇年ないし同三七年入社の原告らの場合も、昭和二九年入社者と同様に、別表37ないし48より同期同学歴者の平均基準内給与、平均職責手当を求め、その差額に別表120の支給率を乗じた額と、本人の支給された額及び格差額の一覧表が、別表122ないし133である。
二  財産形成給付金における格差額
財産形成給付金は、昭和五四年二月より毎年二回支給されている。支給基準及び支給率は別表134のとおりである。
1 昭和二九年入社原告久保田の格差額
(一) 昭和五四年二月支給分
① 原告久保田の支給額 一〇、九〇〇円である。
② 同期同学歴者の支給額
昭和二九年入社同期同学歴者の昭和五三年九月末の平均基準内給与、平均職責手当は別表36による。平均基準内給与二二八、一〇〇円から平均職責手当一二、〇〇〇円を減じた額に2.8%を乗じて一〇〇円単位に切り上げた額六、一〇〇円に、更に、原告久保田は無扶養であるので六、〇〇〇円を加えた額は、一二、一〇〇円である。
③ 格差額
同期同学歴者の平均支給額一二、一〇〇円から、原告久保田の支給額一〇、九〇〇円を減じた額一、二〇〇円である。
(二) 昭和五四年七月支給分より、昭和五七年一〇月支給分までは昭和五四年二月支給分と同様の方法で求める。
(三) 昭和五八年四月については、昭和五七年一〇月以降、平均基準内給与(除く世帯手当)を一括して求めているために、平均職責手当の確定が困難であるから、平均基準内給与から職責手当を除いた額は、別表51の基準内給与(除く世帯手当)に対応する各原告の世帯手当(原告久保田の世帯手当は別表52)を加えた額から、一律二〇、〇〇〇円(係長・副長相当)を減じた額とする。この方法で昭和五九年一〇月支給分まで求める。
(四) 昭和六〇年四月支給分からは、別表51の基準内給与(除く世帯手当)に対応する原告の世帯手当(原告久保田の世帯手当は別表52)を加えた額より、職責手当として一律二五、〇〇〇円を減じた額とする。
(五) 昭和五八年四月以降の各原告に対応する平均財産形成給付金額は、(三)、(四)で求めた額に各支給率を乗じて求める。
(六) 以上の方法で昭和二九年入社者の平均財産形成給付金を求めた額と原告久保田の支給額及び格差額をまとめた一覧表が別表135である。
2 昭和三〇年ないし同三七年入社者の格差額
昭和三〇年ないし同三七年入社の原告らの場合も、昭和二九年入社者と同様に、昭和五七年九月までの平均基準内給与、平均職責手当は別表37ないし47より求め、昭和五七年一〇月以降の平均基準内給与(除く世帯手当)は別表51により、更に各原告の世帯手当は別表53ないし63より求めて同様の計算をし、これに別表134の支給率を乗じた額、本人の支給された額及び格差額の一覧表が、別表136ないし147である。
三  安定供給推進協力一時金における格差額
安定供給推進協力一時金は、昭和四八年一〇月一六日に支給された。支給基準、支給率は昭和四八年九月末の基本給に7.5%を乗じた額に一律四、〇〇〇円を加算した額である
1 昭和二九年入社原告久保田の格差額
① 原告久保田の支給額九、一〇〇円である。
② 同期同学歴者の平均支給額
同期同学歴者の昭和四八年九月末の平均基本給は、別表36より九三、三〇〇円であり、これに7.5%を乗じた額に四、〇〇〇円を加算した一〇、九九八円である。
③ 格差額
同期同学歴者の平均支給額一〇、九九八円から、原告久保田の支給額九、八八八円を減じた額一、一一〇円である。
2 昭和三〇年ないし同三七年入社者の格差額
原告久保田以外の原告らの場合も、昭和二九年入社者と同様に、別表37ないし48よりそれぞれの同期同学歴者の平均基本給を求め、これに支給率を乗じた額と、本人が支給された額及び格差額は、別表148のとおりである。
四  財産形成促進措置における格差額
財産形成促進措置として、昭和四九年一一月五日に次のような支給基準、支給率で支給された。すなわち、昭和四九年九月末の基準内給与から職責手当を除いた額に21.4%を乗じた額に一律三、〇〇〇円を加算した額である。
1 昭和二九年入社原告久保田の格差額
(一) 原告久保田の支給額 二七、三七五円である。
(二) 同期同学歴者の平均支給額
昭和四九年九月末の平均基準内給与、平均職責手当は別表36による。この平均基準内給与一三九、二〇〇円から平均職責手当四、〇〇〇円を減じた額に21.4%を乗じた額に三、〇〇〇円を加算した額は三一、九三三円である。
(三) 格差額
同期同学歴者の平均支給額三一、九三三円から、原告久保田の支給額二七、三七五円を減じた額四、五五八円である。
2 昭和三〇年ないし同三七年入社者の格差額
原告久保田以外の原告らの場合も、昭和二九年入社者と同様に別表37ないし48より平均基準内給与、平均職責手当を求め、これに支給率を乗じた額、本人が支給された額及び格差額は、別表149のとおりである。
五  賃金支払日変更貸付金における格差額
昭和五二年一月一五日に賃金支払日の変更(従来の賃金支払日が各月一五日であったものが、昭和五二年一月より二二日に変更)になったことに伴い、貸付金(返済なし)の名目で、昭和五一年一二月末の基準内給与の二一%の支給基準、支給率で支給された。
1 昭和二九年入社原告久保田の格差額
(一) 原告久保田の支給額 三一、七三一円である。
(二) 同期同学歴者の平均支給額
昭和二九年入社同期同学歴者の昭和五一年一二月の平均基準内給与は、別表36より一八七、六〇〇円であり、これに二一%を乗じた額は三九、三九六円である。
(三) 格差額
同期同学歴者の平均支給額三九、三九六円から、原告久保田の支給額三一、七三一円を減じた額七、六六五円である。
2 昭和三〇年ないし同三七年入社者の格差額
原告久保田以外の原告らの場合も、昭和二九年入社者と同様に別表37ないし48より平均基準内給与を求め、支給率を乗じた額と、本人の支給された額及び格差額の一覧表が別表150である。
第四章  格差の実態(まとめ)
以上のとおり、原告らは、同期同学歴従業員と比較して、職級、役職位、資格が著しく低く、また、査定も低く押さえられているため、賃金額に著しい格差がある。そして、以上の検討結果をまとめると、昭和四八年一〇月支給分から平成五年三月支給分までの賃金の具体的な格差の額は、別表1(請求債権目録)に記載のとおりである。但し、別表1中請求債権1欄が昭和四八年一〇月分から同五一年九月分までの、同2欄が昭和五一年一〇月分から同五三年九月分までの、同3欄が昭和五三年一〇月分から同五六年三月分までの、同4欄が昭和五六年四月分から同五七年九月分までの、同5欄が昭和五七年一〇月分から同六〇年三月分までの(但し、原告山田については後記のとおり。)、同6欄が昭和六〇年四月分から同六二年九月分までの、同7欄が昭和六二年一〇月分から平成二年三月分までの、同8欄の金額から後記第六編二の慰謝料及び同四の弁護士費用額を控除した残金が平成二年四月分から同五年三月分までの各格差額である。なお、原告山田については、別表1中請求債権5欄の金額から第六編二の慰謝料及び同四の弁護士費用額を控除した残金が昭和五七年一〇月分から同六〇年三月分までの格差額である。そして、以上の詳細な内容は、原告らの平成五年三月二一日付け準備書面一八(その第三分冊)中の別表151ないし163の各1ないし8(別表158の枝番は1ないし5)に記載したとおりである。
第五章  原告らが支払いを受けた賃金額の主張の補正
第四章までに主張した事実のうち、原告らが支払いを受けた賃金額の主張の一部に不正確な部分があるから、原告らは、原告らが支払いを受けた賃金額を、第四分冊格差表1ないし13の各1ないし8(格差表8の枝番は1ないし5)の「原告給与」欄記載のとおり改める。
第二編 賃金関係処遇格差発生の原因
(被告の反共労務政策と原告らに対する適用)
第一章  被告の反共労務政策
第一節  反共労務政策の展開
一  反共労務政策
昭和三六年七月二七日、被告の社長に木川田一隆が就任し、同社長はその後、反共労務政策を強力に推し進めた。
二  従業員に対する大規模な思想調査の実施
1 被告は、昭和三六年一一月東京大学尾高教室に委託し、全従業員の五分の一を対象とする大々的な「モラルサーベイ」を実施した。この調査に対する回答は、一応無記名方式をとっているが、回答の内容から回答者の職場、氏名までがすべて判明するように仕組まれており、内容的にも、明らかに思想調査であった。被告は、このモラルサーベイの調査結果をあらゆる角度から分析し、これを基礎に、その後の綿密な労務対策を樹立した。
2 被告は、本店社長室人事課が昭和三四年八月に作成した高等学校卒業者定期採用選考要領に基づいて、採用予定者についての厳重な身元調査を行ってきた。これによると、被告が従業員の採用に当たって行なう身元調査では思想が必須調査事項とされており、しかも、この思想調査に当たっては、就職希望者の担任教師のみならず、警備公安警察官とも直接面接して調査することが指示されている。更に加えて、被告は、入社に当たっては、思想信条の自由を否定するような請書を新入社員に提出させてきた。
三  反共主義教育
被告は、労働組合と企業から日本共産党(以下、共産党という。)員、民主青年同盟(以下、民青という。)員及びその支持者を排除するため、とりわけ、職制に対する反共主義教育に力を入れるようになっていった。このような被告の系統的な反共攻撃により、昭和三七年には、東京電力労働組合(以下、東電労組または東労という。)本部自身が、共産党、民青に対する攻撃を活動方針の一つとする等、反共の方針を公然と前面に押し出すに至った。
四  インフォーマルグループ
被告は、東電労組本部の反共労使協調路線に対して抵抗を続ける「左派」勢力の強い支部や分会を弱体化し、すべての支部や分会を被告の意のままに従わせようとする手段として、左派の強い支部や分会の内部にその執行部批判勢力として「インフォーマルグループ」を育成強化してきた。被告は、インフォーマル組織の育成強化を図りあたかも労働者間の争いであるようにしながら、労働組合を反共労使協調路線に引き込んだ。
第二節  「左派」に対する反共労務政策の展開
一  「左派」活動家に対する攻撃
このような反共労務政策の基礎固めの上にたって、東労本部の右傾化に成功した被告は、以後「左派」・「反主流派」の山梨等の拠点支部を切り崩し、左派活動家に対する攻撃を全面的に展開していった。
二  火力発電所における反共労務政策の展開
被告は、火力発電所において、従業員中に占める青年層の比率が年々増大する中で、青年層の間で共産党や民青の影響が拡大していることに危機感を抱き、共産党や民青を敵視し、その勢力や影響力を排除するために労務管理を強化し、共産党員と同党支持者らへの差別攻撃を展開していった。これらは、火力発電所での共産党員または同党支持者対策のために作成された「火力部門を中心とした青年層対策について」(甲六一八)、「青年層対策に関する資料配布について」(甲二〇八)、「昭和三六年上期労使交渉経過概観」(甲四二)、「鶴見火力における 勢力とその拡大工作の実態」(甲六一九)、「鶴見火力における青年層管理の問題点」(甲六二〇)、「生産阻害者対策の実際」(甲六二一)、「最近の労務情勢について―日共系の動き―」(甲六二三)、「火力における青年層対策の実態について」(甲六二四)等の秘密文書の内容から明らかである。
第三節  反共労務政策の展開にみる被告の差別意思
右に示した被告の秘密文書によれば、被告の反共労務政策の実行には、次のような特徴が認められる。
一  被告の反共労務政策は、常務会で確立され、首脳部の指揮下で労務部が指導に当たり、各支店、各事業所単位で具体化されて実施された。
二  政策を実施するに当たって、共産党員及び同党支持者の思想調査が重視され、公安調査庁から情報提供を受ける等徹底した情報収集が行われ、その結果は逐一本店に報告された。
三  各店所における共産党員等の活動状況は、労務部に報告され、そこで集約されたうえ、他店所に情報提供された。
四  反共労務政策実施の重点職場として鶴見火力を指定し、同事業所の従来の労務課幹部を更迭して新たな実践要員が送り込まれた。そして、その反共労務政策実施の具体的方策は、教訓として報告文書にまとめられ、本社を通じて他店所に配布され、全社的に実行された。
五  被告は、「所長、工場長等現場をあずかる部隊長の決意」が大切であるなどとする、軍隊まがいの「作戦用務令」なるものを作成して、工場幹部を反共労務政策に思想動員した。
六  被告は、係長、主任、班長等の下級職制に対し、反共思想教育を行い、全職制を反共労務政策に動員した。また、新入社員に対しても、徹底した反共教育を実施した。
七  被告の反共労務政策は、自ら「多方面にわたる綜合性をもった幅の広い労務管理」としているとおり、職制管理機構を総動員し、「教育訓練」「意思疎通・従業員接触」と称して反共教育を徹底して共産党員らを孤立あるいは転向させ、人事、給与、住宅等あらゆる側面で差別するという総合的な施策として確立された。また、労働組合に対する支配介入、不当労働行為の積極的推進を内容とする組合対策を骨子としていた。すなわち、被告の反共労務政策は、社長以下常務会が決定した総合的な方針のもとに、全社的規模で、組織的かつ系統的に実施された。
第二章  千葉県における労務政策
第一節  千葉県における反共労務政策と差別意思
一  労務報告文書にみられる施策
千葉火力における労務政策の展開は、昭和四一年の「労務報告文書」(甲三三六)に特徴的に表れている。右労務報告文書は次の対策を提唱している。
「労務関係諸対策
① 労使間の協調・長期安定化
② 労務管理体制の整備
③ 独身寮管理強化
④ 労務関係教育の実施 労働講座社外労働講座(民社研)
⑤ 服務規律の厳正化
⑥ 文化会行事」
二  労使間の協調・長期安定化の施策
前記労務報告文書(甲三三六)が「組合情勢」の項で述べているように、「千新会」が、昭和四〇年一二月に結成された。この「千新会」の活動や指導により、分会執行部の昭和四一年度の勢力分野は一二名中一〇名が「良識派」の確保するところとなったし、四一年度上期の青婦人部役員は全員「良識派」と同調者で構成し、左派系の役員はまったく排除された。このようにして被告は、共産党員または同党支持者とみなした者を一般労働者から切り離し組合機関から排除していった。
三  労務管理体制の整備
千葉火力において、昭和四一年以降、右管理体制の整備が図られて行くが、労働組合の右傾化に成功し、労使協調体制を確立した被告は、昭和四二年以降は、流動的な国内外情勢を乗り切るために、共産党員及び同党支持者に対する排除政策も進めつつ職場の全労働者への管理体制を全社的に強化して、合理化を進めて行った。右施策の遂行に際し、被告は、第一線の管理・監督者の役割を重視し、右管理・監督者に特別の位置付けをしている。昭和四三年四月、被告は「フォアマン体制」を導入した。フォアマンは、グループ作業の多い現場において労務管理を主な目的として配置されたものであり、従来の職制(班長等)が仕事を通じての労働者管理をなすことに止まっていたのに対し、仕事だけでなく、人間関係、思想、信条まで管理することを任務とするものとして発足された。千葉県では、千葉、五井、姉崎各火力発電所のフォアマンを集めて特別研修が行なわれた。昭和四三年七月、千葉県青少年会館で四回にわたって行なわれた特別研修のグループ討論において、参加した者の発言として「左派(思想的)に対し断固たる態度でのぞむ。」旨のものがある。同様の三火力の特別合同研修は、昭和四四年二月にも姉崎、五井、千葉の各火力で持ち廻りで行なわれている。
四  独身寮管理強化
火力における青年層、そして左派対策として、被告は、独身寮が民青・共産党工作の場として利用されていたとして寮管理の強化を重点施策とした。千葉火力においても重点施策として次のように実践された。
① 寮管理人の配置替えと管理人の再教育
② 独身寮入寮心得及び同誓約書制定
③ 環境の整備と寮生との意思疎通(寮生懇談会の開催)
寮管理においては「非協力者」に十分注意しつつ、労務課、他寮駐在員、寮生の所属課と綿密な連絡をとり、寮管理規則を幅をもたせつつ運用し、寮生をして「健全」な立場に「善導」して行くことが重視されている。
五  労使関係教育の実施
1 労働講座
労働関係講演会として、共産党を批判する講演会が、継続的に実施された。
2 社外労働講座
(一) 民社研
民社研(民主社会主義研究会)とは「日本の社会を民主社会主義の方向にむかって漸次改革して行くことについて」志ざす学者、政治家、文化人、経営者等をメンバーとする思想研究団体であり、毎年、全国研究会議、部門別の研究会議、月刊雑誌「改革者」等の刊行、労働学校開設などの活動を行なっている。反共と労使協調路線を中心とした民主社会主義の教育を主要目的とする民社研の労働学校に、被告は、他企業より熱心に従業員を派遣していた。千葉火力においても同様に、出張業務扱いとして組織的に従業員を派遣していた。
(二) 民社研追指導
民社研労働学校等への参加者は、その後受講者懇談会などとして追指導がなされた。
3 新入社員労務研修
労使関係教育に関連するものとしては、毎年度の新入社員労務研修がある。高卒の新入社員に対し、共産党員を犯罪者のように扱い、「生産阻害者」「非協力者」と吹き込み、近付かず親交をもたせないように教育する絶好の機会とするのである。昭和四二年五月一八日の高卒新入社員の労務研修では、「労使共同の敵日共」というテーマで、共産党と民青の状況と千葉火力における共産党員及びその支持者の動向が詳細に語られている。そして「会社に非協力的人間」のリストには原告ら一〇名(五井火力、姉崎火力に配属の原告木村、同勝俣、同久保田の三名を除く原告ら)の名前がすべて挙げられている。
六  服務規律の厳正化
「服務規律の厳正化」は、前記「労務報告文書」(甲三三六)の記載のみではその内容が判然としないが、昭和三九年以降同四三年頃までの「業務実施報告書」関係文書(甲三一六ないし同三二六)の中に「労務課」の「労務関係」事項として次の内容の記載がある。
「服務規律の厳正」「服務規律は厳正であり、特に勤務時間中の組合活動については『勤務時間中の組合活動連絡票』を活用し、組合行事の実態把握と服務の厳正につとめた。」
組合行事の実態を把握し、これら組合活動に表われてくる原告らの活動を監視し、行動を規制する体制を右「連絡票」により一貫して行なっていたものである。
七  文化会行事対策
前述の「鶴見火力における青年層管理の問題点」(甲六二〇)をみると、文化会行事対策の意味が明瞭になる。同文書は共産党及び民青の青年層への影響を与える働きかけとして「…一つは『独身寮工作』、二つは『青婦人部、地区労等の名をかりて行う文化サークル工作』、三つは『職場工作』で」あるとし、それを受けて「このような文化サークル工作により次第次第に思想浸透工作…をうけ民青に入ったものは三割位居るようで…」等と分析している。この鶴見火力の経験をとり入れて千葉火力においても、同様な対策が実施されていった。
八  まとめ
以上の施策の具体的展開は、本店労務部長が配布指示した「火力部を中心とした青年層対策について」(甲六一八)や、火力部門で「先進的」成果を上げた鶴見火力発電所の経験(甲六二〇、六二一、六二三)に沿って、東京、神奈川などで展開された被告の施策と同一基調のものであった。また、昭和三九年から同四四年頃までの千葉火力における「業務実施報告書」関係文書(甲三一六ないし三二八)の労務課関係の報告は、前記甲三三六号証の前記各施策項目に沿って、それを更に詳細かつ豊富に述べ展開している。
第二節  労務関係諸対策の原告らに対する具体的実行
一  はじめに
前述の労務関係諸対策が、「容共左派」または「非協力者」である原告らに対し、以下のとおり実行された。
二  原告らへの監視体制
1 原告らに対する差別的労務管理は、各店所の重要な業務として位置付けられている。被告の山梨支店作成の「業務処理基準」(昭和四〇年五月、甲二)によれば、労務課長の「基礎的業務」として「各級管理者の不平不満分子に対する措置、対策についての確認」が課せられ、「経営方針に基づく留意点」として「特定従業員に対する措置対策について指導する。」、また「治安当局と連絡を密にし県下諸情勢の把握につとめる。」等とされている。それらに基づき労務課では、前述のとおり差別的労務政策を立案したり、反共的資料を作成配布したりすることのほか、他の職制らとともに共産党員及び支持者の動向を監視し、その情報を集めて記録すること、公安警察と癒着し、党員及び支持者などに関する情報や対策を協議することなどを業務として行なっている。労務課が公安警察と連絡を密接に取っていることは前記昭和四一年労務報告文書(甲三三六)が「地元の千葉南警察署から日共民青関係の諸情報を得ている。」と述べていることから明白である(甲三三七、六〇二)。なお、被告は、右「業務処理基準」は山梨支店限りで作成されたと弁解しているが、千葉火力の昭和三九年下期「業務報告書」(甲三一七)には、当該期の業務として「業務処理基準の作成」「火力部門における経営方針の理解徹底と…実践のため業務処理基準の作成を本店企画室より依頼され…千葉火力…が指定されその作成を行った。」と述べられている。また甲一七〇号証は本店作成のモデルの「業務処理基準について(解説)」である。これからすれば「業務処理基準」が全店所的なものであることが明らかである。千葉火力でのその後の業務報告の中にも、例えば昭和四一年上期「…実施報告書(別冊)」(甲三二一)にも「業務処理基準の作成」の項があり「…業務処理基準を作成した。今後は更に完全なものにすべく検討する予定である。」と述べられている。労務課長の職務は、どこの店所でも従業員の管理上重要な役職なのであるから、本店企画室の指示で作成させられた「業務処理基準」の「労務課長」の「基礎的業務」の内容が、山梨支店と千葉火力においてまったく相違することなどあろうはずがない。
2 被告は、同時に、原告ら一人一人に徹底した差別攻撃を加えるため、労務担当だけでなく全管理者職制が一体となってそれに取り組むよう指示し強調している。このことは昭和四〇年以降の差別的労務政策の重要な特徴である。
被告の鶴見火力発電所第二発電課において昭和四四年二月に作成された「管理体制の強化充実について」(甲二一五)によれば、「職場の管理、監督者の態度は、総て労使関係に直接の影響を与え、特にその失敗は、すべて×系側に得点と、良識層に対する失点となることを肝に銘記し、職場の管理、監督者は卒先垂範職場組織の強化充実に積極的姿勢で行動すべきである。」と述べられている。甲一〇四号証「労務管理の着眼」によれば、「労務管理は決して労務まかせでやるべきものでなく…青年層対策についての方針を明示し、上級管理者より第一線管理者にいたるまで方針の徹底をはかることが大切である。」とし、以下「民青同問題と若年労働」と題し「現場監督者としては、本人が加盟したり、引張られて参加した原因を聞いてあげながら、その原因をできるかぎり除去してあげる努力が必要になってくる。」などと転向強要の具体的手口等を指示している。
3 「転向者」から、過去の顛末書と将来の誓約書を提出させ、顛末書の中で同人の属した組織の実態について詳細に報告させ、原告ら容共左派活動家の名前や動向を聞き出し、更に調査をしている。牧征洋の場合にその例をみることができる(甲三四〇の二)。
4 職場における監視
鶴見火力における経験をまとめた「生産阻害者対策の実際」(甲六二一)には、職場対策として「直勤務者のうち中心的な極左分子を日勤の机上勤務にかえ而も課長の机の近くに配置したり、また、直の入れ替え等まわりの勤務員への影響性を考慮しできるだけ孤立するような配置替えが必要。」と指示している。また「最近の労働情勢について―日共系の動き―」(甲六二三)でも同様なことを指示している。千葉火力における前述の民社研追指導(昭和四三年九月一二、一三日於大原荘、甲三三七)におけるグループ討議を労務課副長(大村)がまとめた内容にみられるとおり、発電職場における 排除の方法として「日勤職場に移す。」、「枠外の配置」にして仕事をやらせないとか単純作業のみとする扱いが実施された。原告網岡、同結城の両名がその例である。同原告らは、昭和四七年に、他の労働者から離れた位置に机を置かれ、両名の机には電話が置かれず、社外から電話がかかってきたときは、末端職制のところに行かざるを得なく、その職制は内容を聞き逐一メモをとるなどの状況におかれていた。
5 独身寮等での監視
昭和三九年に独身寮管理内規が施行され、独身寮に労務課直属の駐在員が置かれ、原告らの動向が綿密に監視された。
6 私生活の監視
共産党の集会、民主団体の集会等の計画をつかんだ被告は、職制あるいはインフォーマルグループ員を現地に派遣し詳細なスパイ活動を行なっている。例えば、昭和四〇年九月一二日、「日韓条約批准阻止・ベトナム侵略戦争反対・生活擁護九・一二 十万人大集会」に原告ら二〇数名の千葉火力の労働者が参加したが、入江(当時組合書記長)らがスパイに現れている(甲三八一の一、二ないし四)。昭和四六年一一月三日、原告永松の結婚式の会場である千葉市自治会館前に、参加者のチェックのため、千葉火力発電所の労務課員小坂幸夫が小型カメラを持っているのを原告遠藤が発見し追跡した。
三  具体的な監視の状況
前記のような監視体制により被告は原告ら共産党員やその支持者の動向を把握し、対処していった。
四  原告らを共産党員と認定
被告は、後記第三章の原告らの個別主張に記載のとおり、原告らを共産党員または同党支持者と認定した。
五  まとめ
以上のように、被告は、千葉県においても、反共労務政策を展開し、原告ら共産党員・同党支持者を一般労働者から切り離し、排除・孤立化させる策動を行い、その動向を常時監視し、原告ら共産党員及び同党支持者に対し、賃金差別行為をはじめとした各種人権侵害行為を具体的に実行した。
第三章  原告らが反共労務政策による差別対象であること
第一節  原告遠藤
一  組合活動歴
昭和二九年一二月電産労組潮田火力分会に加入。三一年(以下、第三章中で省略する年号は、すべて昭和である。)六月東電労組との統一により同労組の組合員となる。三二年九月東電労組潮田火力分会執行委員。三三年二月同分会青年部学習委員。三三年九月同分会執行委員。三四年三月同分会青年部副部長、機関紙「潮」の編集責任者となる。三四年一〇月千葉火力分会執行委員となり、教育・宣伝、経営対策を担当。三五年五月千葉支部執行委員。同年六月東電労組本部第五回定時大会に代議員として参加。三六年四月千葉火力分会書記長。三六年五月千葉支部執行委員。同年六月東電労組本部第六回定時大会に代議員として参加。三七年四月千葉火力分会書記長。三七年五月千葉支部執行委員。同年六月東電労組本部第七回定時大会に代議員として参加。三八年五月千葉支部執行委員。同年六月東電労組本部第八回定時大会に代議員として参加。三九年五月千葉支部執行委員。四〇年五月千葉支部執行委員。四一年四月千葉支部執行委員に立候補し、九一票で落選。
二  共産党員または支持者であるとの認定
1 原告遠藤は、昭和三四年一月に共産党に入党した。
2 被告は、原告遠藤を左派の活動家としてすでに昭和三三年後半頃からマークし、千葉火力に移って更に旺盛に活動する遠藤を監視し続けた結果、遅くとも昭和三五年夏には共産党の支持者とみなし、更に分会書記長・専従としての活動、言動を分析する中で、昭和三七年後半には共産党員であるとみなし、その後千葉火力における共産党の中心人物であると認定した。
第二節  原告久保田
一  組合活動歴
昭和三二年度、三三年度の二期東電労組松本支部執行委員。三四年度から三六年度の三期同松本支部青年婦人部副部長。四七年度から五一年度の五期同姉崎火力分会代議員。
二  共産党員または支持者であるとの認定
1 原告久保田は、昭和三九年二月共産党に入党した。
2 被告は、鶴見火力発電所内の共産党員・民青グループを、公安警察の情報、転向者の供述等の資料によって、遅くとも昭和三七年二月末ごろから掌握していた。被告が昭和四一年一二月一三日に作成した「白根細胞組織図」には三班に原告久保田の名前が明記されている(甲六二五)。被告は、原告久保田が鶴見火力分会執行委員選挙に立候補したり、入寮誓約書を拒否したり新寮への移転反対行動を貫いていた昭和三八年三月下旬頃には、同原告が共産党員または支持者であると認定した。
第三節  原告塩森
一  組合活動歴
昭和三一年五月東電労組に加入。三五年九月同労組千葉火力分会の青年婦人部委員。三六年四月同労組同分会分会執行委員(組織対策主査)。同年五月同労組千葉支部支部代議員。三七年四月同労組千葉火力分会分会執行委員(経営対策主査)。同年五月同労組千葉支部支部代議員。三八年四月同労組千葉火力分会分会執行委員(経営対策主査)。同年五月同労組千葉支部支部執行委員。同年六月同労組本部代議員。三九年六月同労組本部代議員。四〇年四月同労組千葉火力分会分会代議員。四二年四月同労組同分会分会執行委員(賃金対策主査)。
二  共産党員または支持者であるとの認定
1 原告塩森は、昭和三七年に共産党に入党した。
2 原告塩森は、昭和三七年七月、山田敏夫発電所次長から、「本部の左派は共産党だ。君の考えも本部の左派と同じだ。」と言われ議論をし、同年一二月に原告塩森の結婚後山田を自宅へ招いた際にも再び議論をした。原告塩森はその後も青年婦人部の活動やうたごえ活動、平和運動へと積極的に参加をした。このように青年労働者の活動の中心になっている原告塩森を、当時の労務課副長は共産党員の中心者であるとみなしていた。昭和四二年五月一八日に行われた高卒新入社員労務研修では、原告塩森は「会社に非協力的人間」の中の一人に挙げられ、「原告塩森―執」と記載されている(甲三三七)。このように、被告は、原告塩森を遅くとも昭和三七年には共産党員と認定した。
第四節  原告畠田
一  組合活動歴
昭和三二年五月東電労組に加入。三五年九月同労組千葉火力分会青年婦人部編集委員。三六年三月同労組千葉火力分会青年婦人部部長。三七年五月同労組千葉支部支部代議員。三八年五月同労組千葉支部支部代議員。三九年五月同労組千葉支部支部代議員。四〇年五月同労組千葉支部支部代議員。
二  共産党員または支持者であるとの認定
1 原告畠田は、昭和三七年に民青に加入し、次いで同年に共産党に入党した。
2 原告畠田は、青年婦人部機関紙「はごいた」の編集委員、更には青年婦人部部長を歴任して、職場の多くの青年労働者の支持を得るようになり、労働組合運動においても代議員に四年連続当選するなど、大きな影響力を発揮するようになっていた。原告畠田のこのような行動は、被告の分析では、共産党員や支持者の行動のパターンとして位置付けられる典型事例だったものであり、被告が進めていた労使協調路線に基づく地区労脱退問題についても、組合大会でこれに反対する発言を行なってこれを阻止するなど、前記の被告の分析基準からも、更に被告の労使協調路線の労務政策に正面から反対する原告畠田の行動などからも、遅くとも昭和三八年頃までに原告畠田を共産党員ないし同党支持者と考えていたことは疑いがない。
第五節  原告川又
一  組合活動歴
昭和三三年東電労組に加入。三八年上期東電労組千葉火力分会青婦人部長。
二  共産党員または支持者であるとの認定
1 原告川又は昭和三九年に共産党に入党した。
2 原告川又は、昭和三九年四月、支部代議員選挙に立候補し当選した。この選挙は、被告が左派を追い落とし「良識派」を育成するために、「千新会」なるインフォーマル組織を作って、会社を挙げて組合支配に乗り出した最初の選挙であったので、裏返していえば、「良識派」の対立候補として立候補した原告川又は、それ自体で被告から共産党員またはその支持者とみなされたといっても過言でない。原告川又は、遅くとも右選挙に立候補した三九年四月には、被告から共産党員またはその支持者とみなされた。
第六節  原告藤田
一  組合活動歴
昭和三四年五月東電労組に加入。三六年三月東電労組青婦人部委員。三七年三月東電労組青婦人部委員。四一年四月東電労組千葉火力分会代議員。四二年四月東電労組千葉火力分会職場委員。
二  共産党員または支持者であるとの認定
1 原告藤田は、昭和三七年に民青に加入し、同三八年に共産党に入党した。
2 原告藤田は、被告が「左派グループに引きずられた活動」と見て警戒していた青婦人部活動に積極的に参加し、補機室勤務員のメンコン集中化反対、寮内規反対、大古田・石橋・山本支援など、被告の労務政策に真正面から反対する活動をし、仁戸名わかもの会等の被告が共産党の影響が強いと見て警戒をしていた諸活動にも積極的に参加していた。被告は、このような原告藤田の行動を把握して、昭和三七、八年頃には、原告藤田が共産党員または同党支持者ではないかとの感を抱いた。被告は、それ以降も原告藤田の行動を引き続き監視し、昭和三九年に至って原告藤田が「アカハタ」配布活動を始めたことを把握して、原告藤田を共産党員あるいは同党支持者とみなした。
第七節  原告木村
一  組合活動歴
昭和三五年五月東電労組に加入。三六年九月から三七年八月まで東電労組千葉火力分会青年婦人部委員。三八年四月から三九年三月まで五井火力分会青年婦人部委員(書記長)。三九年四月から四〇年三月まで同分会青年婦人部委員(副部長)。
二  共産党員または支持者であるとの認定
1 原告木村は、昭和三七年に民青に入り、同三八年一〇月共産党員となった。
2 原告木村は、昭和三八年一〇月一八日、うたごえ運動の公演に、五井火力の青年達を連れて参加した。この公演の次の日あたりから参加した人たちの多くが各々の職場の上司に呼び出され追及や注意を受けた。昭和四三年一二月、後輩の一人が労務課の細川隆政副長の話として「木村さんは完全にマークされている、現場巡視でも主任があとをついて歩いている。」と教えてくれた。また、昭和四四年五月頃先輩から「木村君は労務ににらまれているらしいから気をつけろよ。」と忠告された。被告は、千葉火力分会青婦人部の活動を経験し、五井火力に転勤した後も五井火力青婦人部活動に積極的に取り組むとともに、職場以外の活動などにも参加する原告木村を監視し続けた結果、更に、共産党の演説会に参加し、その際原告遠藤らと会話をしていたことなどから、遅くとも昭和四四年初め頃には原告木村を共産党員あるいは同党支持者とみなした。
第八節  原告山田
一  組合活動歴
昭和三七年一〇月東電労組千葉火力分会青婦人部委員。四〇年三月同火力分会執行委員。四一年四月同火力分会代議員。
二  共産党員または支持者であるとの認定
1 原告山田は、昭和三八年に民青に加入し、同三九年に共産党に入党した。
2 被告は、青婦人部活動に積極的に参加し、また青婦人部の中心的活動家に対する営業所配転内示の撤回要求行動をおこして被告に内示を撤回させたり、昭和四〇年三月の千葉火力分会執行委員選挙に左派グループの一人として立候補し、当選した原告山田を、同年三月下旬頃には、共産党員または支持者とみなした。原告畠田の筆写した昭和四二年五月一八日の高卒新入社員労務研修(甲三三七)においても、原告山田は「会社に非協力的人間」の一人にリストアップされている。
第九節  原告勝俣
一  組合活動歴
昭和三六年四月東電労組加入、横須賀火力分会所属。三七年一〇月横須賀火力分会青婦人部役員。四三年四月千葉火力支部代議員。四四年四月五井火力分会執行委員。四四年四月千葉火力支部代議員。四五年四月五井火力分会執行委員。四五年四月千葉火力支部代議員。四五年四月千葉地区同盟代議員。四六年四月千葉火力支部代議員。四七年四月千葉火力支部執行委員。四八年四月千葉火力支部執行委員(支部解散大会があった五月まで)。四八年五月五井火力支部結成大会代議員。四八年五月千葉電労協五井火力支部代議員。四九年四月五井火力支部代議員。五一年四月五井火力支部代議員。
二  共産党員または支持者であるとの認定
1 原告勝俣は、昭和三八年に民青に加入し、同三九年に共産党に入党した。
2 被告は、原告勝俣を、遅くとも昭和四〇年二月には、共産党員ないしは同党支持者と認定した。
第一〇節  原告萩原
一  組合活動歴
昭和三七年五月東電労組加入。三八年三月千葉火力分会青年婦人部員(渉外担当)。四〇年一〇同分会青年婦人部委員(渉外部長)。四二年同分会代議員。
二  共産党員または支持者であるとの認定
1 原告萩原は、昭和三七年に民青に加入し、同四〇年八月共産党に入党した。
2 原告萩原は、入社当初から被告が共産党員や民青が青年層に向けて行う「思想浸透工作」の典型と考えている諸活動を積極的に行った。そして、被告は、昭和三七年入社時からそれほど時を経ずして、遅くとも昭和四〇年の後半には、原告萩原を共産党員ないし同党支持者として把握した。
第一一節  原告永松
一  組合活動歴
昭和三七年五月東電労組に加入。三八年一〇月千葉火力分会青婦人部委員。三九年四月青婦人部委員。
二  共産党員または支持者であるとの認定
1 原告永松は、昭和四〇年春頃民青に加入し、同四二年共産党に入党した。
2 昭和三九年四月、松本当直主任が原告永松の仕事場に来て、原告永松に「民青の誘いはあるか、民青に入っているのではないか。」と聞いてきた。昭和三九年一一月頃、留守当直長が水処理室の詰所に来て原告永松に「労音に行くな。」「後ろにアカがいるからだ。」と攻撃をかけてきた。昭和四〇年三月、三・四号タービン補機に戻り、上司が井上親史当直長・杉島繁殖当直主任に替わった。ところが、昭和四〇年四月二三日には、東京で行われた「ベトナム戦争反対・日韓会談粉砕」の集会に参加したことについて、攻撃を受けた。更に、原告永松の父宛に、上司の松本辰之助当直主任から、「子供さんが共産党や民青に入り活動をしている。会社で損をするので親の方から注意するように。」との手紙を出した。被告は、留守当直長が「君があの手紙で、頭にくるなら「法」で闘争しよう。」と原告永松に攻撃してきた昭和四〇年九月には、原告永松を共産党員または同党支持者とみなした。
第一二節  原告結城
一  組合活動歴
昭和三七年五月東電労組に加入。三八年三月千葉火力分会青年婦人部委員。三九年九月同青年婦人部部長。
二  共産党員または支持者であるとの認定
1 原告結城は、昭和三八年に民青に入り、同三九年に共産党に入党した。
2 被告は、昭和三八年に、留守幸彦当直長がカウンセリングと称して、原告結城をたびたび当直長席に呼び出し、反共攻撃を加えてきた。そして、昭和三九年初め頃には、原告永松が松本辰之助主任から、「工藤、結城とは遊ぶな、あいつらは悪いやつだ、民青だ。」と何回も攻撃されていた。このような経過の中で被告は、同三九年二月、原告結城に対して所内異動の攻撃を加え、その所内異動先となった技術課の職場では、当時の大木新夫技術課長が、「今度運転課から転任してくる結城、網岡はアカだから、十分監視するように。」と、課員に指示している。原告結城は、昭和四〇年二月、第二次配転の内示を受け、反対運動の中心となって活動をし、被告は内示の撤回に追い込まれた。こうしたことからみると、被告は、遅くとも昭四〇年二月頃には原告結城を、共産党員または同党支持者とみなしたものである。
第一三節  原告網岡
一  組合活動歴
昭和三七年五月東電労組に加入。三七年下期東電労組千葉火力分会青婦人部編集委員。三八年上期青婦人部編集委員。三八年下期青婦人部委員。三九年上期青婦人部委員。三九年下期青婦人部編集委員。四〇年上期青婦人部部長。四〇年度東電労組千葉支部支部代議員。四一年度同右。
二  共産党員または支持者であるとの認定
1 原告網岡は、昭和三八年に民青に加入し、同三九年に共産党に入党した。
2 原告網岡は、昭和三七年下期から青婦人部機関紙「はごいた」編集委員をしたのを皮切りに、同三八年下期には青婦人部委員、同四〇年上期には同部長に選出されるなど、青婦人部の活動等に積極的に参加して来た。また、労音の会員になることや音楽会の例会への参加を職場の同僚に積極的に呼びかけ、千葉火力における第二次営配の配転の内示をされた者の一人としてその反対運動を積極的に行った。こうした原告網岡を、被告は、昭和三八年頃には共産党員または同党支持者と認定した。
第四章  反共労務政策と賃金格差の因果関係
その一・賃金体系の年功序列性
以上によれば、原告らの賃金格差が被告の反共労務政策による故意により生じたものであることが明らかである。
ところが、被告は、被告の賃金制度は職務給であって年功序列的な体系ではないから、原告らと同期同学歴の従業員の給与を比較して格差を論じるのは失当であるとか、原告らの賃金は原告らの劣悪な勤務ぶりによる低い人事考課の累積によるもので反共労務政策とは無関係であるとか主張している。しかし、このうち前者の点については本章で詳述するとおり失当であり、後者の点は後の第五章で詳述するとおり失当である。
一  被告の賃金体系の大要
被告における賃金制度は、双方で争いのないように、職級の決定が重要な意味をもっており、主としてこれにより賃金格差が生ずる。
二  被告での賃金決定の仕組み
1  賃金の内容を主要に決定づけるところの基本給は、職級と号数によって定まる。職級の高・低に対応して資格が決められ、職位も職級・資格に対応して決められている。もっとも、被告は資格が必ずしも職級と対応しないとしているが、実態は後記のとおりである。
2  従って、職級の昇級を遅延させ長く同一職級に滞留させることによって、基本給を差別することができ、更に資格並びに職位の昇格を差別できるというのが被告の賃金制度の仕組みである。
被告は、被告の賃金制度が見掛け上職務給であることから、賃金は職務に対応した職級により定められる職務給であり、勤続・学歴・年齢に対応しまたはこれを基にして賃金が決定されることは全然行われていないから、同期同学歴の従業員と賃金を比較しても無意味であるとの態度を取っている。しかしながら、定期昇給制度を有すること自体既に年功的要素が取り入れられているのであるし、職務と基本給を結びつける職級制度自体が被告においては年功的に運用される要素を有している。そして、職級制度運用の実態を見ると、実際に年功的運用がなされているのが事実である。
三  職級制度の年功序列的運用実態
1  職級制度を年功序列的に運用せざるを得ない事情
被告の主張する「職務=職級=基本給」という制度に従えば、同一職務である限り職級が変化することはないはずである。ところが、被告はこの関係を変容させ、同一職務でありながら職級を上昇させる措置を行なった。そして、その背景にあるものは職級制度そのものを年功序列的に運用せざるを得ない事情である。すなわち、同一年度入社の職級分布の推移を見ていくと、職級制度の運用実態は学歴・勤続年数が最大の要因となっていることが指摘できるが、入社年度別の採用人員に差があり、かつ職級(職務)のポスト数にも自ずから制限があるため、従業員間には損をしているという不満が生じやすい(裏返せば年功的運用への期待である。)。そこでこの不満を解消するために次のような措置がとられた。
(一) 中高年対策としての職級調整(弾力的運用の端緒)
被告が昭和四三年四月一四日実施した「職級調整」は、潜在能力を有しながら職場人員の実際構成等により能力発揮に恵まれない八〜一〇級で四〇歳以上、在級期間五〜六年の者を個別に職級調整し、上位職級に任用するものである。被告においては、昭和二一年ないし二四年に多数の採用が行なわれたため年度別採用人員に大きな波をもっており、これが全体人員構成上の大きなこぶになっている。すなわち、右時点で勤続二〇年を中心とするグループであるが、この現象が昇進の停滞を生み昇給等の不満となっていること及び企業内においては年度別採用人員の違いがそのまま各個人の処遇に直接的に不均衡をもたらすことは許されるべきではないとの観点から、東電労組が被告に対し要求し、①自動昇進制度の新設 ②特別昇進制度の新設 ③職務補正給の新設に応える形で被告においてとられた措置であった。この措置は、被告において、年功序列的秩序を維持するため、職務の内容に関係なく、年齢や勤続年数を考慮したうえ、上位職級に任用するものであり、被告の主張する職務=職級という制度自体が変容されたものである。
(二) 職級の弾力的運用
更に、被告は、賃金体系についての東電労組による問題点の指摘に対応して、昭和四六年、職級の見直しを提案した。すなわち、職務を中心として格付けすることを建前としながら職級制度の弾力的運用をはかり、具体的には同一職級に長期間多数が在籍している下位職級で職務内容が高水準にあると思われる者は一級上位にするという内容であった。そして、同一職級に長期間在籍とは五年程度を指すとされ、被告自らが職級運用に関して在級年数(勤続年数)の概念を採用した。右提案に基づき、昭和四六年四月一二日約一八〇〇名が同一職務にありながら一級上位に任用され、職級の弾力的運用として将来にわたって制度化された。被告自身が、職級制度の年功的運用に沿う見直しを行ったというべきである。
(三) 課業中心の評価格付け
東電労組は、昭和五〇年三月二五日、被告に対して昭和四九年度の職級実態調査の分析結果に基づき職級の改善を申し入れた。その中で、東電労組は、職級改善に当たり組合員が平等な立場で昇級の機会に恵まれるような仕事の与え方について抜本的な検討を求めた。更に、東電労組は、昭和五〇年七月、改めて職務給制度の改善を申し入れた。これは、六級以下については、①職務編成の弾力化(仕事の分担を課業単位とすること)と能力発揮の機会均等をはかる、②標準的昇級の考え方の導入、③五級以上については複数職級化をはかる、という内容であった。右要求を受けて、被告は、昭和五〇年八月、職務給制度(一般職)の運用の改定を決め、課業により職級を格付けすることとした。これにより、職級が「人」すなわち勤続、年齢などによって決められる傾向が強まることとなった。
2  職級制度の実態について
職級の実態は、学歴や勤続年数によって決定されていることが指摘できる。
(一) まず、学歴により初任職級及び昇級スピードに差があることが指摘できる。職級実態調査概要(甲七四ないし七七及び甲七八四ないし七八九の二)の結果がそれを示す。
(二) 同一学歴の場合は、勤続年数に比例して昇級していることが指摘できる。
(1) 右職級実態調査概要の昭和二九年度から昭和四七年度入社の高卒者の昭和四八年度から昭和五七年度までの職級別人員の推移(甲七九〇)について、まず、昭和四八年度における入社年度別の最多職級を分析すると、最多職級が入社年度の古い方から新しい方まで順序よく並んでおり、入社年度の新しい者が古い者より上位職級に任用されることが部分的にはあっても、全体としては入社年度の順に上位職級に任用されていることが指摘できる。他の入社年度の最多職級をみても同じであり勤続年数と職級は全体として年功序列的に連動している。
(2) 千葉火力発電所の直勤務者の推移
昭和三六年度より同五六年度までの二一年間の高卒(昭和二九年度から同三七年度)定期入社者の序列一覧表(甲四〇五。この序列は、職位の順に、また同一職位の場合には職級の順、同一職級の場合には基本給の順、同一基本給の場合には生年月日の順に配列されている。)でみると、原告らやその同調者とみなされた者以外は、入社年順に整然と並んで昇進していく状況がわかる。二一年間の実態の中には、二、三の者が一年後輩の者と同じ序列にいるが、これは病気による長期欠勤などによる例外的なものであり、全体の状況は、まさに年功序列的な運用がなされているといえよう。
(三) 以上により、被告の職務=職級という主張にかかわらず、職級制度は、職務の内容よりも、学歴と勤続年数を最大の要因として年功序列的に運用されていることは明白である。
3  職務任用制度の持つ年功性
被告が職級制度を年功的に運用していることは既に述べたとおりであるが、被告が、人事考課制度の柱の一つである職務任用制度においても年功的制度を取り入れ、かつ年功序列的運用を行っていることは、以下の点から明らかである。
(一) 人事事務処理要項別冊(甲四二七)
右書証によれば、「役職任用細則」として各職級の最低標準年齢の定めがあり、「一般職六、七、八級任用細則」として最低標準勤続年数の定めがなされている。
(二) 職務における適応年齢、適応期間の設定
(1) 被告人事室人事計画課長間俊雄による「東京電力における能力管理諸制度について」との論稿(甲四二二)によれば、被告が個別職務への適正配置を行うために制度化したものが職務資格要件記述書である。そして、右論稿の80頁・職務資格要件記述書例の年齢の欄には「適応」が三五歳からと記され、「最適」として三七、八歳から四五歳と書かれている。また、被告作成の職務資格要件(甲四二一の三)にも同様の記述がある。そして、「手引書・職務資格要件記述書の読み方」(甲四二一の二)によれば、右年齢欄の記載は当該職務の担当者としてふさわしい年齢の範囲を示し、「適応」とは当該職務を担当するに適応な年齢範囲、「最適」とは適応年齢範囲の中でも標準的な年齢の範囲が表示されていると記されている。
(2) 右職務資格要件記述書例の(4)の適応期間の欄には通常三年、最大五年と記されている。また、右甲四二一号証の二によれば、「通常」とは熟達期間の終わる前であり、「最大」とは熟達期間の終期ないしマンネリ期間に入る前とされている。
(3) また、「人事異動の基本的な考え方」(甲四二四)は「業務面でのマンネリ化を極力排するため、一般業務における在職年数は三〜五年程度を基準にする。」としている。
(三) 昇進標準コース、昇進基準
(1) 「わたくしたちの会社」(甲四二五の二)は、「皆さんの能力を発揮するため異動基準に基づき異動昇進を行います。」と記している。
(2) 労働組合が八級到達年数の短縮を要求したのに対し、被告は高校卒標準者六年で八級へ昇級することを「実態からみれば組合の要望がいかされたと考えて結構」と回答している(甲四二九の一)。
(3) 「職務資格要件調査とはどんなものか」(甲四二一の一)によれば、昇進制度の三つの道具として、職務資格要件、標準昇進コース、昇進基準を掲げ、昇進基準については「大体の標準者が何年くらいの勤続年数のときどの水準(職級)の職務に配置されているかが具体的に分かる」と記述し、被告では勤続との関係で職務任用を考えていることが明らかである。
(4) 「配電部重点実施課題(本店配電部)」(甲四二六)では、配電保守工事部門ライフサイクル(案)により、高校卒の者が副班長に任用されるのに入社後一〇年、班長に任用されるまで入社後一五年など入社後の年数と職務との関係が示されている。
(5) そして、「現業技術技能のあり方とその育成方策(答申書)」(甲七九七)では、入社後一一年で副主任、副班長、入社後一六年で主任、班長と示されている。
(四) 組合専従者の職場復帰後の取扱い
また、組合専従者の基本給をみた場合、組合専従者である期間は業績評定も人物所見もない。すなわち、人事考課の対象が存在しない。従って、組合専従者に対しては業績評定や人物所見によって基本給を決することはできないにもかかわらず、実際には、平均者を上回る任用がされている(甲七九八の一ないし三及び甲七九九)。しかも、同期、同学歴者と同じ水準で上昇している。
(五) 社会的不正行為者に対する処遇
川崎市の市議会議員選挙に際して企業ぐるみの選挙違反を行い、処罰を受けた者が、人物所見上はマイナス評価を受けるにもかかわらず、とんとん拍子に出世している(甲八〇三)。
(六) 以上の証拠から判明することは、被告が、職務についての適応年齢を設定し、各職務についての在職期間を設定していること、勤続年数に対応した昇進基準を設けていることであり、被告が職務任用に関して年齢及び勤続年数を基準としていること、すなわち被告が職務任用を年功序列的に行っていることが明らかである。
四  資格制度とその年功序列性
1  制度の背景
資格制度の背景として、職級制度の建前がピラミッド型構造であるにもかかわらず、年度別の職員人員はそのような構造にはなっておらず、むしろ採用人数の不揃いもあって、若年層、中高年層に二つの膨らみをもつ「逆びょうたん」といわれる人員構成であるため、労働者側の不満が鬱積しつつありこれに対処する必要があった(甲四四九、四五〇)。
2  制度の内容
制度の概要は、それまで有名無実化していた資格の運用を、標準的昇格基準を作り、大多数の者の資格昇格をこの基準どおりに行い、かつこれに資格手当を施すことによって、前述の年功序列への実質的補完を狙うものであり、その標準的昇格基準は、年限を機械的に区切って資格を授与してゆくというものである。
3  制度の運用
資格と職級との関係から両者の運用面を見れば、勤続年数をベースに規則的に運用されていることが分かる(甲七七八の別表1)。
4  資格と資格手当の見直し
基本給の年功序列性を補完することを目的とした資格手当は、在資格年数が短期間で資格の昇格がやり易い制度に見直しを行っている。昭和四八年に資格手当が創設された当時の資格手当のランクは、主事・技師(1)から事務員・工務員(2)までの一五ランクであったものが、昭和五四年には、副参事(3)から書記補・技手補(1)までの二八ランクとランク細分化を行っている(甲四九二)。
5  資格と職級との関係
被告は、資格と職級との関係について、両者を対応させようとしたのは昭和四七年一〇月の移行時に限定した措置であって、それ以降は別の観点に立った制度であり、別の運用もされていると表明している。しかし、両制度の実態としての相関関係を比較した場合、被告の主張するように相関関係が崩れつつあるとは到底いえない状況である(甲七七八の別表1、甲四四九号証・三枚目の表3)。また、「資格運用、職責手当支給実態調査の概要」(甲七七九)によれば、両者の相関関係は弱まるどころかますます強まっているのが分かる。
第五章  反共労務政策と賃金格差の因果関係
その二・原告らの能力と勤務ぶり
第一節  原告遠藤
一  板倉敬作成の「証明書」(甲一〇三一)
作成者板倉敬は昭和四六年六月一日から同四九年一二月一一日まで、千葉火力経理課資材係長として原告遠藤の直接の上司であった者である。この証明書によれば、この期間の板倉と原告遠藤とは「どんな事でもお互いに相談し遠慮なく意見を述べ合い、仕事また仕事以外の事で意見が違っても、感情的に悪方向に走ったことは記憶にありません」という良好な関係であり、また、「能力的に日常の業務量は軽すぎたくらいでありました」という言葉から、原告遠藤の能力ときちんとした勤務ぶりがよくわかる。
二  被告側証人も認めざるを得ない原告遠藤の能力と仕事ぶり
原告遠藤の能力と仕事については、右の板倉ばかりでなく、被告申請の各証人も、少なくとも「普通程度」と評さざるを得ないのである。そして、「あら捜し」のために出て来たこれら証人の役割と性格を考えれば、彼らが普通程度と評価せざるを得ないのなら、実際はそれ以上に能力があり、小高証言の「非常にまじめに」やっていたというところに落ち着く。
三  原告遠藤の仕事への決意
後記のように、原告遠藤は仕事差別を受け、研修からも徹底的に排除され続けていたが、そうした中でも仕事への意欲を失わなかった。その決意は、例えば昭和四六年度の「自己管理表」(甲五九八)に残されている。この中で原告遠藤は、被告の不当な差別に抗議しながら「そういう現状でも私は精一杯与えられた仕事をやっていくつもりです」と述べている。
四  様々な創意工夫
原告遠藤は、右の決意を実践して、与えられた仕事の中で積極的に働いてきた。その一つの現れが、仕事の改善に向けた多くの工夫である。例えば、支払業務に関連して、昭和四三年には「軽微な購買整理簿」を改訂し、また「業者別支払内訳表」という様式を工夫するなどである。納期管理では、「納期確認状」(甲六〇〇の一〇)、「督促状」(同号証の一一)という往復葉書を考案し、また、昭和四四年には「納入成績書」(同号証の七)を作成して、上司であった菅原証人に「大変よい案」だ(同号証の八)と誉められた。これらは、いずれも当時の記録が書証として残っているもので、原告遠藤の仕事ぶりを客観的に示すものである。
第二節  原告久保田
一  原告久保田は、昭和二九年四月被告に入社後、水力発電所に配属され、昭和三七年四月に鶴見火力発電所へ転勤するまでの八年間、各所の水力発電所の配電盤勤務の仕事をした。原告久保田は、山間部の僻地の職場で一生懸命働き、配電盤室勤務で電気操作の技能を身につけ、シーケンスの解読の勉強もし自由に解読できるようになった。また、原告久保田は、電検三種試験の合格を目指し、東京電機大学の通信教育を受けた。
二  昭和三七年四月、鶴見火力発電所へ転勤後、火力発電所関係の技術修得をした。原告久保田は電気設備の運転業務を担務し、主配電盤室に配属になり、補機巡視員として、補機類のモーター、変電所の定例巡視・点検を行い、不具合箇所の発見と応急処置、修理依頼等を、また、主配電盤室では監視業務・毎定時記録や整理等を行い、更にワンマン・コントロールデスクで発電機の出入調整はもとより、毎深夜起動・停止時には発電機の並列・解列(送電開始・停止)の重要な操作を行った。ところで、当時の鶴見火力発電所第一は、古い設備であって、電源もむきだしの状態が多く危険と背中合わせの職場であった。また、火力発電所の重要補機の一つである誘引通風機モーター刷子(ブラシ)掃除作業をやっていたが、これは狭いモーターの中で汗とカーボンのほこりにまみれ、マスクをしていても鼻の中まで真っ黒になってしまう仕事であり、若い人は敬遠する作業だったが、原告久保田は率先して行った。更に、原告久保田は発電所の運転員として仕事に取り組むかたわら、東京電機大学の通信教育を受講し、毎日二〜三時間勉強を続け、電気及び電気計算の基礎を学び、その他の自主的な研修にも努め、昭和三七年一一月電気事業主任技術者資格検定第三種の国家試験に合格した。この電検三種の資格は、当時鶴見火力の主任クラスもあまり持っておらず、同期入社の仁平政和は、初めから受験する努力を放棄していたくらい難しい試験であった。
三  そして、原告久保田は、被告から後記のとおり各種研修から排除されたため、同僚とのハンディを補うため、自主研修のうえ、昭和四四年七月に乙種第四類危険物取扱主任者の資格、同五一年七月に第一種消防設備点検資格者の資格を取得し、仕事に役立つ能力開発に努めた。原告久保田は被告に入社後、現在まで、無遅刻無欠勤で仕事に打ち込んできた。従って、同原告は能力、業績ともに同期入社者の平均以上であることは明らかである。
第三節  原告塩森
一  原告塩森は、業務改善運動の際に「タービン最大流入蒸気量の見直し」を提案している。これはメーカー保証値を超えて増出力運転が可能であることに着目し、現有発電設備のままで、発電機の出力を増加させる提案であった。この提案をしたので、原告塩森は昭和四四年五月、夏季ピーク対策の推進としての「タービン最大蒸気量見直し」プロジェクトチームに加わり、同年七月、同チームの一員として答申書を提出した(甲五四四)。
二  昭和四三年八月、大塚当直長は、原告畠田に転向を迫った際、「最近の共産党は…社会党より右に見えるが…職場では塩森を始めとして皆非常によく仕事はしているが、どんなに一生懸命仕事をしても会社はだまされない…」と述べ、原告塩森を始めとした共産党員が仕事をよくしていることを認めていた(甲三三七、九三二)。
三  また、原告塩森は、昭和五五年四月頃、タービン機能確認テストの際、「復水器真空低下」の原因を究明し、同テストが継続できるように貢献したり、同五六年六月、四号ユニットのタービン異常の原因を明らかにし、発電機を停止させることなく、定格出力へ復旧させることに貢献した。右のようなことは一つの例示であり、原告塩森は被告の差別処遇にもめげず、技術、技能の向上に努力し、火力運転員の基本的業務である良質な電気を供給することに、真面目に取り組んできた。
四  以上のように真面目に勤務してきた原告塩森の昇進が著しく遅れているのは、差別以外に合理的な説明がつかない。
第四節  原告畠田
一  原告畠田は、技術面、情操面のみならず、積極性、研究への熱心さ、更に人間関係などにおいても、被告の中においてトップクラスの成績を示していた。既に、被告入社以前の高校生時代に、社長表彰の対象となる電気事業主任技術者資格検定第三種に合格していたが、同試験は高校の電気課程を終了しただけではなかなか合格できない試験であり、入社四年後の昭和三六年時点での被告千葉火力発電所全在籍者約三五〇名の中でも5.4パーセントに当たる一九名しか取得していない状況であった。これを高校在学中に取得していたことから、当時の電気課長からも大いに讃えられ将来を嘱望されていた。入社後も、電気の専門誌「電気計算」などを定期購読して勉強に励むなど、向上心が強く、上司から本店勤務を薦められる程であった。昭和三五年には、未だ電気、タービン、ボイラの各専門パートに別れていた時代であったにもかかわらず、建設ラッシュに伴う人事異動の必要などから、その能力をかわれて、新たにタービンの技術の勉強を開始し、昭和四〇年にはタービンの主機運転員となるなど、電気とタービンの両方の専門家として重宝がられるまでになっていた。この間、昭和三七年には、「二号ユニット汽機蒸気加減弁発条押さえボルト折損脱落」を早期発見し、事故を未然に防止したことで所長賞詞も受けている。また、昭和三六年から差別が開始される三八年までの間、所内報「千葉火力」のカットを担当した。
二  原告畠田は、原告団の中では唯一人、一時的に自己の思想表明を差し控え、活動の表舞台から退いたことがあったが、この間、被告は、他の原告たちとは異なった扱いをしていた。このような被告の扱いの中で、もともと有能で研究熱心であった原告畠田は、その能力を生かす道を得ていた。昭和四二年には、「作業分解シート作成小委員会」委員にも選任されたが、これは、被告のBTG総合運営計画の中で、経験の浅い人間にも安全かつ確実に作業を処理できるように、手順等をシート化するもので、中堅、ベテランの社員が担当するものである。この時のメンバーは、原告畠田以外、後に全員(病気退職者以外)が課長になっている。更に、昭和四四年には、被告主催の第一回発電課技術研究発表会が開催された際、発表のトップバッターとして、発電業務と密接な関係のある「台風」をテーマに発表を行ない、これは所内報にも掲載された。
三  また、原告畠田は、会社の推薦に基づき、同じく昭和四四年には東京都知事から職業訓練指導員免許を受けている。これは、専門技術に秀でた者に対して被告が適任として認める場合に申請するものである。また、原告畠田は、昭和四五年四月には、被告から安全推進委員を委嘱されており、更には職場の安全大会で研究発表を行ない、昭和四六年の安全大会では、安全について分かりやすく訴えようと上演した寸劇の脚本・演出を担当するなど、安全面においても被告から高い評価を受け、またこれに応えていた。
四  以上のとおり、原告畠田が少なくとも平均以上の能力をもち、これを発揮して勤務してきたことは明らかである。
第五節  原告川又
一  原告川又は、昭和三三年四月に入社して、千葉火力建設所機械課配属となって以来、そのときの職場ごとに積極的に仕事に打ち込んできた。原告川又の仕事に対する姿勢は、例えば、仕事に役立てようと昭和三五年四月からは千葉工業大学の夜間部・電気科に入学し、仕事と勉学の両立を実行したことなどにも現れている。また、ボイラ本体関係を担当していた四一年には、主任であった石松五郎に、「川又君はASTM(米国材料規格)を日本工業規格に換算する計算に強いので教えてくれ。」と言われるなど、上司からも評価を受けていた。原告川又と同時期に請負業者として働いていた白熊平治の作成した「証明書」(甲一〇三二号)中には、「川又氏は仕事現場、現場待ち合せ時間にはおくれてきたことはありませんし親切で良くしてくれました。」とある。
二  被告から仕事や研修などで差別を受けてからも、昭和四九年に玉掛技能作業主任者、同五八年に第二種酸素欠乏危険作業主任者、同五九年に特定化学物質等作業主任者と有機溶剤作業主任者、同六〇年に足場の組立等作業主任者という具合に、各種資格を積極的に取得するなど、仕事への熱意は失われなかった。
三  「重油漏洩事故」について
原告川又は、昭和三五年の「重油漏洩事故」で譴責処分を受けるが、この処分は、漏洩の直接の責任者には何の処分もないという不公正かつ不当なものであった。それにもかかわらず、その後原告川又はより一層仕事に積極的に取り組み、同年四月には自発的に千葉工業大学の夜間部・電気科に入学するなど、意欲にあふれた生活を送るのである。この処分による賃金格差については、「すでに補正が終わっている。」「もし今度格差がついたら別の理由だ。」という渡辺滋保修課長の言葉のとおり、昭和三八年には補正が終わっているのであって、既に決着済みの問題である。この事故の際、原告川又が結果的に直のパトロールに出なかったことは事実であるが、そのただ一事をもって、原告川又の三五年にわたる被告での仕事ぶりや能力を否定し去ることがいかに乱暴なことかは多言を要しない。しかも、原告川又ら原告以外のすべての労働者に対して、同じ扱いをするのであれば話は別であるが、原告川又以外のヒューマンエラーについては、右事故以上に重大なものであっても特に問題とされていないのである。
四  以上のように、原告川又の些細なミスは、その後の原告川又の意欲あふれる仕事ぶりを見ても、他の労働者と比べて昇級・昇格を押さえられるほどのものでないことは明らかである。
第六節  原告藤田
一  原告藤田は、昭和三四年四月に被告に入社後、同年八月ボイラ補機に配属になった。原告藤田は英語で書かれたシーケンスを仕事の合間や仕事の終了後に勉強し、早く一人前の火力マンになるべく努力した。
二  昭和三五年には水処理室に配属になった。この職場は一人職場で責任感の強く望まれる職場であった。また、当時は故障が多く、そのような時には一人で対処しなければならなかった。原告藤田は細心の注意をもって仕事をし、地下室の床上冠水を発見して対処し、上司から、発見が早くて大変よかったとほめられたこともあった。
三  昭和三六年一〇月、再びボイラ補機勤務となった。原告藤田は取扱説明書やシーケンスを読んだりして、一から出直しのつもりで頑張った。その努力の甲斐あって、昭和三八年二月、同期生のなかでは一番早く缶前運転員になった。この業務に従事している間に、チューブ・リークを発見して事故を未然に防止したこともある。
四  昭和三九年四月発行の所報千葉火力(甲五七八)では、「かわいいぼうやという感じ。それでいて一本すじが通っている。仕事熱心、所長(?)の経験あり。」と人物紹介をしている。右の「所長(?)」とは、水処理室勤務のことである。
五  また、各種の国家資格を取得する努力をした。その結果、昭和五一年に乙種第四類危険物取扱者、昭和五三年に二級ボイラ技士、昭和五六年に甲種危険物取扱者、昭和五七年に一級ボイラ技士の資格を取得した。甲種危険物取扱者、一級ボイラ技士の資格取得については、社長表彰を受けた。平成三年には、大気関係第一種公害防止管理者の試験にも合格し、社長表彰を受けた。この試験に合格するためには、専門学校もしくは短期大学卒業後三年以上経験を積んだ程度の能力を必要とし、公害防止管理者試験の中では最も難しいとされているものである。
六  原告藤田が能力においても業績においても同期生の平均以上であることは原告藤田と一〇年近く一緒に仕事をしたことのある吉村清彦も認めているところである(甲一〇六一)。
第七節  原告木村
一  昭和四六年頃まで
原告木村は、昭和三五年三月、東京電力中央社員養成所にて火力発電所要員としての教育を受け、同期入社の高校卒業者よりも現場に慣れているため次々と運転操作や技術向上に挑んでいった。職場(補機室)に就いてまもない頃、津田英語学校千葉分校をみつけ聴講生となり勉強するという努力もした。
昭和三七年一〇月、五井火力発電所建設所に転勤し、運転準備班に編入されて所内ボイラ運転や五井火力一号機試運転のボイラ補機操作に携わったが、千葉火力での運転経験者として後輩の技術的相談相手にもなっていた。
昭和三八年七月、五井火力発電所の取水口にクラゲが大量に来襲し、海水取入れが困難になったことがあった。原告木村も発電機を止めるようなことになっては大変という気持ちで、夢中になってクラゲをすくった。
原告木村は、昭和三九年あるいは同四〇年頃には養成所実習生の現場指導に当たり、他火力からの見学者に対する現場説明者となったりもした。
昭和四一年一月に、郷里の父が脳溢血で半身不随の床につき、休日を利用しては帰省した。しかし、原告木村は、職場で必要な代勤は、ほとんど快く引き受け代勤と自分の勤務時間を続けた一直二直を三日間連続して行うといったことが何度もあった。同年三月頃、一・二号中操から三・四号中操へ移ってまもない頃、給水ポンプの水張り操作を一人で完了した原告木村は、その操作を見ていたらしい笠間洋主任から「操作基準をよく守ってやっていた。」と、ほめられた。
昭和四二年五月には、本店火力部で計画実施した「大容量火力(連続運転火力)起動停止実技訓練」に五井火力代表の一人として課長の推薦により参加した。同年七月に行われた「九級職研修」ではグループ討議の司会役に参加者の推薦を受け、研修効果を上げる努力をした。
昭和四四年三月差別的配置を受けたが、実際の職場では原告木村がボイラ補機操作の中心になって、公害防止の為の燃料油種切り替えの現場操作や、燃焼制御系統不安定の為の現場調査に当たっていた。
昭和四四年一〇月頃、業務計画の一部として排煙管理検討用の調査を市原正一主任より命ぜられた。翌四五年二月までかかって一定の報告書にして提出し同主任からお礼をいわれた。
昭和四六年七月に行われた五井火力発電所の「安全確保推進意見発表会」に、当直長の指名を受け、職場代表として体験を通じた安全意識高揚の意見を発表した。発表者一二名で原告木村は三位の賞品を受けた。
二  昭和四七年以降
昭和四七年には他中操から移動してきた人のボイラ操作指導員を引き受けた。他班の業務計画の「機器名称記入」が期末となりやりきれず各班で分担応援となり、当班のやり方を工夫して積極的意見を具申、北風に震えながら取水口の機器にペンキで名称記入をした思い出がある。若い人達にボイラ給水手動調整や缶水ポンプ封水の手動調整を指導するかたわら新入社員にバーナー操作を現場指導した。班長の指示により新設(定検にて設備更新)の燃料油ポンプの操作方法を勉強し説明会を開いて皆に教えたりした。
業務計画の一端として一号ボイラと三号ボイラの炉内燃焼比較を独自に工夫をした図表にまとめ、報告文章の文字にきびしいチェックをする上司(副長・当直長)をスムースに通過した思い出もある。
昭和四八年には、原告木村が他班から提案され各班検討となる操作方法などを皆に説明し意見を求める中心になったり、公害監視計器技術研究発表会聴講に数人で本店へ出張し、代表として報告書を原告木村が作成した。
保修(修理)作業の多い日は、皆忙しく現場を飛び歩くのであり、原告木村が人の手配や作業準備の順番をやりくりしては、若い者達を指名して休憩をとらせたり、バーナー詰まりが多く、取り替え作業が多い実情を訴える文書を作成提出し、所長にも届いたとの話を聞いたのもこの頃であった。
以上のように、原告木村は、ボイラ操作を中心に補機あるいは主機操作員として、後輩の指導をはじめ業務遂行に積極的であった。更に原告木村は事故等も一切関与していない。原告木村は職場における技術習得にこのように努力するほか、基礎技術向上としていくつかの国家試験にも挑戦し合格している(乙種第四類危険物取扱者、二級ボイラ技士、一級ボイラ技士・社長表彰)。
三  能力においても業績においても同期生の平均以上である原告木村が、賃金、職級、職位、資格等の待遇において低位に置かれているのは、被告が同原告を共産党員あるいは同党支持者とみなして差別しているからであることは明らかである。
第八節  原告山田
一  原告山田は、昭和三六年四月、被告に入社後、千葉火力発電所に配属され、ボイラ補機担当の正直員となった。昭和三九年七月には、再熱器チューブリークを発見し、所長賞詞を受けた。ところが、翌四〇年三月下旬、被告から共産党員または支持者とみなされ、同年一〇月に水処理運転室に配置換えとなり、その後二年五か月の長期間にわたり中央操作室での業務ができないという処遇を受けたため、主機操作員としての技能を向上させる機会を奪われた。そのため、昭和四三年三月に中央操作室に戻されたときは、二年半近く中央操作室での操作にタッチできなかったブランクは大きく、ボイラ操作の技能回復のため人一倍努力した。原告山田は、仕事差別、研修差別を受け続けながらも、技能向上に励み、自分で研修し、新技術を身につけていった。すなわち、一級ボイラ技士(発電部で取得者約二割)、乙種第四類危険物取扱者(同八割)、更には大気関係第一種公害防止管理者(同五人)などの資格をとっている。更には、原告山田は、日頃から仕事に関する事項を日記帳に書き留め、常に自己研鎖に努めていた。昭和四四年からボイラ主機操作員の代行の職務を行い、同五二年七月には、主機操作員となっていた。
二  昭和五三年一一月にバイク事故で五〇日間休職後、原告山田は発電課日勤を約一年間勤めたが、そこでも真面目に仕事に取り組んだため、西敏嘉主任から「山田君は文章のまとめもうまいし字も読み易い。」と評価された。
三  昭和五五年一二月に五井火力発電所へ転勤後、短期間に五・六号、三・四号そして同五九年一〇月には、一・二号の各中央操作室に配転されたが、原告山田は新設備に慣れるため大変苦労しながら、しかも、職場八分の嫌がらせの中で一生懸命仕事に励んだ。原告山田の遺した昭和五五年度人物所見表(甲九五五)でも、原告山田は「新しい職場に転勤して三か月、そのため、今後は設備を理解し、細かい操作がどんどんできるように心掛けたい。」との意欲を表わしている。
四  原告山田の能力、仕事ぶりが平均以上であるのに、原告山田が死亡するまでの賃金、職級、職位及び資格が同期生と著しく格差がある真の理由は、被告が原告山田を共産党員または同党支持者とみなして差別したこと以外には到底考えられない
第九節  原告勝俣
一  昭和四六年六月から昭和四九年五月頃まで五井火力三・四号ユニットで原告勝俣と共に働いていた安井忠蔵作成の証明書(甲一〇三三)によれば、原告勝俣の勤務意欲、勤務態度には問題がなく、他の同僚と比べて遜色のない仕事ぶりであったことがわかる。更に、原告勝俣の勤務ぶりが他の同僚と比べて遜色がなかったことは、職業訓練指導員免許証を都知事が発行していることからもわかる(甲七四九)。
二  原告勝俣の勤務ぶりについて証言した田辺証人は、被告代理人の主尋問に対し、「新鋭火力に対する知識を持ち、ある程度の技術もあり、若い人と勉強する、そういう姿勢が見られた。」「ある程度のシーケンスそのものは読め、あるいは理解できておるというふうに認識しております。」と原告勝俣に能力があったことを認めている。そして、原告勝俣がボイラ出身であるにもかかわらず、電気パートであるシーケンスを読め職場で認められていたことは、五井火カ所報記載の職場めぐりに「シーケンスを読ませるとボイラナンバーワン」と書かれていることからも明らかである(甲六一六)。
原告勝俣は、ボイラが専門職であるが、電気パートのシーケンスを読めるほど他のパートに対しての適応性があった。そのため、昭和四二年頃より火力新体制の動きがあり、BTGの専門パートを無くし総合運営をするため、お互いが講師になっての研修の期間が設けられたが、その際、まさに研修のリーダー的な役割を果たした。
三  原告勝俣が、シーケンスを読めるため、操作を簡便かつ安全にしたことの一つに、コントロールスイッチの簡略化がある。昭和四〇年七月頃、コントロールスイッチを、番号どおりに順序よく操作しなくとも、その時の操作状態により、例えば、逆回転させることにより、より安全に確実に操作することができることを発見し実行した。そのため、現場で開閉する手動弁を間違える等の誤操作をも防ぐことができるようにした。
四  原告勝俣は、昭和四九年に、五・六号中操に移った。しかし、五号のボイラは、発電機の出力を変化させる時に、操作員がそのSTC装置を調整しないと蒸気温度が激しく変化してしまっていた。そこで、原告勝俣は、STC装置の図面を見て検討し具体的な改善案を見つけた。そして、五号機の定期点検の時に原告勝俣は、燃焼改善担当になった。
五  昭和五一年四月頃、ボイラの焚き上げの時に、吉川進開当直班長は自分がボイラの蒸気温度を規定値まで上げる操作ができないで困っていた。原告勝俣がみかねて、重要な操作面のポイントでアドバイスを与えてなんとか予定通りに起動工程を進ませたことがある。
六  以上述べて来たように、原告勝俣は平均以上の能力を有していた。
第一〇節  原告萩原
一  原告萩原は、昭和三七年四月、被告に希望をもって入社して以来、一貫してボイラの仕事に従事して来た。原告萩原は、この仕事が天職であるとも考えており、根っからの技術者であることを自負している。原告萩原は、入社後、電力マンはオペレーターになることで一人前になるという認識のもと、積極的に仕事と研修に取り組み、真面目に努力をして来た。原告萩原の当時の仕事ぶりや人物像については、昭和三九年四月発行の所報千葉火力(甲六五〇)に「忠治の隣村の産、負けず嫌いでマージャン上手、勤勉なことでは自他ともに認める好青年」と評されているとおりである。
二  原告萩原は、差別にくじけず、真面目な性格と、仕事に対する愛着から、補機操作員として毎日の仕事に励み、自己研鑽を続けて来た。そして、補機操作員として現場の機器の細かな配置や特性、操作上のこつ等を習得し、後輩の指導に当たって来た。
三  また、日常的に不具合箇所を見付けては、自ら修理したり、修理依頼伝票を数え切れないほど発行して来た。昭和四六年頃には、一号エレベーター地下室電気配線火災を発見し、直ちに消火活動をして消し止めた。また、昭和四六年一二月には二号危急ブローダウン弁空気配管亀裂を発見し、昭和五三年一〇月には一号過熱器チューブリークを発見し、いずれも直ちに発電機を停止し、配管取替修理を実施して、重大事故となるのを未然に防止した。更に、「給水ポンプ出ロツイン・パワー化」操作手順書を作成したり、「二号過熱器スプレー中間弁の増設」の設備改造提案を行い、その提案が採用、実施されるなどの実績を上げた。
四  原告萩原は、自主的研修により、仕事に関係する各種国家資格を取得する努力をした。その結果、昭和五二年五月に二級ボイラ技士、同五四年九月に乙種第四類危険物取扱者、同五四年一〇月に一級ボイラ技士、同五七年四月に甲種危険物取扱者の資格を取得した。一級ボイラ技士と甲種危険物取扱者の資格取得については、社長表彰を受けた。
五  以上のとおり、原告萩原が能力においても業績においても同期生の平均以上であることは明らかである。
第一一節  原告永松
一  原告永松は、昭和三七年四月に被告に入社し、千葉火力発電所に勤務となり、仕事を一日も早く覚えようとして、寮に帰って勉強に励み、配属先がタービン職種と決まったとき、先輩のところに仕事のことで教えてもらいに行くなど努力をした。昭和三八年四月には仕事に必要な知識を深めるために、五年制の夜間大学千葉工業大学機械科に入学した。昭和四三年三月までの五年間、三交替勤務後、右大学に通学した。その後、原告永松は技能向上に努力し、昭和四九年三月乙種第四類危険物取扱者、同五二年四月には甲種危険物取扱者、同年五月に二級ボイラ技士、同五四年一〇月には一級ボイラ技士の資格を取得している。
二  原告永松は、昭和三八年一〇月、三、四号タービン補機から水処理勤務の四班一、二号配属になり、水処理の仕事に精一杯取り組み、独力で水処理の教育資料を作成した。すなわち、被告には十分な研修資料が整っていなかったので、研修資料が必要と考えて、原告永松は専門外の化学知識を身につけて、一年余をかけて独力で昭和三九年末、教育資料の原稿を書き上げた。上司に提出された右原稿は、編集印刷され、昭和四一年から千葉火力発電所の「水処理教育資料」として使用されている。
昭和五二年頃、鴨川発電課長に「永松君、水処理教育資料は君が作ったんだね。」と驚いた様子で言われた。また、昭和三九年には水処理設備の自動化改造工事も無事に対処し、その後、昭和四〇年三月水処理から三、四号タービン補機に戻り、新たな仕事に取り組んだ。そして、原告永松は、欠勤はもとより遅刻もまったくなく、仕事で同期生におくれを取ることはまったくなかった。
昭和四四年頃には同原告は水処理の異常箇所を発見して被告より感謝されている。昭和四五年にはボイラのサブオペレーターの代行も行い、更に自己の技術を研鑽して、同五〇年八月にはボイラオペレーターになって、立派に仕事を遂行している。
更に原告永松は、昭和五七年三月二九日、自主的に点検した際、節炭器のチューブ(細管)漏洩を発見して、事故の拡大を防ぐとともに電力の供給支障を防ぐ貢献をしている。
三  以上のとおり、原告永松は、自主研修のうち、各種資格を取得して、自己の技術の向上に努めただけでなく、入社以来三一年間、遅刻欠勤もなく真面目に仕事に打ち込んで来た。従って、原告永松は能力、業績ともに同期入社の平均以上の能力を有することは明らかである。
第一二節  原告結城
一  原告結城は算盤三級の検定資格を有しており、発電実績表の作成等の業務において、その高い計算能力を十分に発揮した。
昭和四〇年、山口延義と共同で、野積み状態となっていたずさんなチャートの保管状態の改善に取り組み、チャート保管棚による整理方法を提案し、その結果、四号ユニット脇の書庫に大型のチャート保管棚を作り整理・保管することとなった。
昭和四五年上期において、チャートの保管整理の方法の改善をすすめ、それまで記録を終えたチャートがそのまま運転課より技術課に送られ、ユニット別、種類別に台帳に記帳して保管されていたものを、チャート保管箱を作成して一か月ごとにまとめるよう改善、合理化を図った。こうして原告結城が発案、実施したチャート整理の改善について、被告の四五年上期の業務実施報告書(甲三二九)に「ユニット別、月単位のチャート収納箱を設け、従来の種類別整理から月別整理に変更し、チャート整理台帳は廃止した。」と記載し、技術課の業績として高く評価しているのである。
図書管理の面においても原告結城は、業務の改善に取り組み、協会誌等を漫然と購読するのを止め、各課に回覧するようにした。また、回覧後もすぐ倉庫に保管してしまわずに、労働者が誰でも読めるように、二か月程度は四階事務室に置いておくように改善し、好評を得たのである。
原告結城は、備品管理の仕事についても熱心に取り組み、火力発電用備品の主管課所(技術課)として自分の課内の備品管理はもとより、他課の備品についても現品照合、遊休備品の他火力への転活用等の管理、指導を積極的に行っていた。
二  原告結城の仕事ぶりに関し、被告の「四四年下期自店考査報告ならびに指摘事項に対する対処処置について」(甲九六二)は、原告結城が備品管理の業務を担当していた時期の昭和四四年一一月から同四五年一月の間の各課庶務業務の処理状況を監査した結果、「備品の管理状況については、現品と備品カードの照合が的確に行われ、かつ、備品カードの記入、整理状況も良かった。これらは、他課庶務担当者の参考ともなるものなので、特別報告することとした。」と記載し、原告結城の備品管理業務を高く評価し、他課も見習うようにと特別に報告しているのである。
三  このように、原告結城の能力は優秀であり、勤務態度、業績は被告自身高く評価しているのである。
第一三節  原告網岡
一  原告網岡は昭和三九年二月以降技術課調査係、同四四年三月以降統計グループに属し、発電実績関係のデータの整理や統計の業務に就いてきた。差別開始前、業務は主にこの統計関係の業務であったが、原告網岡は子供の頃から数学が好きで得意であったので、意欲をもってこの業務に従事した。原告網岡は統計業務をただ単にデータ整理の表面的な仕事で終らせるのでなく火力発電所に求められる発電実績関係をあらゆる場面で生かしていけるよう創意工夫をこらし日常業務を処理して来たのである。
二  原告網岡は、昭和四〇年代、毎日の運転日誌から一号ないし四号ユニットの稼動実績を分類表にそって整理し実績表を作る「E・E・I分類」の業務に就いていた。右業務はその分類処理が正しいか誤っているかのチェックが実際の作業にかかわらない上司では困難であり、このような作業に信頼が置かれない者には担務させることがはばかられる業務であった。
三  原告網岡が技術課へ移った初期の昭和四二年、技術課長が船橋一之のとき、本店から各火力発電所に発電実績統計に関する調査依頼があったが、原告網岡はこれを迅速に調査し報告をした。同日、船橋課長はたまたま本店に出張していたが本店から戻って来た際、原告網岡の席まで来て、「網岡君、今日はごくろうさんでした。千葉火力発電所からの報告が一番早くこたえてくれたということで本店でほめられた。今日はずいぶんいい気持だった。これからも頑張って資料の整理に励んでほしい。」と声をかけてくれた。
四  昭和四六年九月、原告網岡は二度目の社宅入居の申請をし、その際、上司らから種々の嫌がらせや干渉発言をされているが、当時の技術課長の吉松輝彦より次のように話されていた。「仕事の点では文句はない。信頼している。君なら本店で大型タービンの設計をやっていける。僕はぜひそうなってほしいと思っている。」
五  昭和五一年、原告網岡は技術課の統計グループから調査・環境グループへ移動させられ岡田副長の下で仕事をした。甲六一一号証は、右岡田副長の労務人事関係部署への「報告書」の一部である。同報告書には「調査環境グループの仕事の性格上彼には指示できない業務が多々あり、どうしても業務の指示量が少なくなる。」と記載されている。調査・環境グループでは、公害・環境問題を取り扱っており、原告網岡に指示する仕事は、上司としても制限せざるを得ない状況にあった。右文書の内容は、当時の原告網岡の置かれていた状況に符合している。この内容からして右報告書が原告網岡の業務上の評定に関するものであることが明らかに示されている。また、右報告書の筆跡は、甲六四六号証(「主任連絡メモ」)の岡田副長の文章の筆跡と同一であることからして、岡田副長のまとめたものであることも明らかになっている。右報告書には次のような記載がある。「与えられた仕事は責任をもって処理している。」「仕事面で自分勝手なことをすることはなく、グループ内では適当に協調している。」「普通(守らなかったという具体的な事例はない。)。」
六  以上によれば、原告網岡が平均以上の能力を持ち、平均以上の実績をあげていたことは明らかであろう。
第六章  賃金格差の真の理由
第一節  集団的差別意思
一  会社をあげた集団的差別意思
前記のように被告が原告らの集団に対し賃金差別をなす意思を有していたことを示す文書は数多く存在する。これらの文書によると、反共労務政策に基づき、共産党員またはその支持者に対してのみ賃金査定を厳正に行い、平均的な従業員と賃金において差別をすることが被告の全社をあげての方針であることはもはや明白である。
二  差別意思の各地における表われ
被告の常務会をトップにした全社的な差別意思は、当然のことながら、各地においてその具体的な姿を表わさずにはおかない。
1 被告の賃金差別意思を示すものとして、被告本店労務部現業連絡担当の浅野勲が北東京電力所の現場長労務管理研修で行った報告がある(甲八一六)。その中で同人は、「会社の組織を否定する人も毎年昇給する国家が他にあるか。」と述べている。原告らが会社の組織を否定するものではないことから、浅野勲の報告は原告らの活動をまったく歪曲するものであるが、原告らの活動を対象としてマイナス査定することを当然とする被告の方針を明らかにしている。
2 品川火力発電所の発電課当直長であった田沢謙一が昭和四六年に記したノート(甲八一二)からも、被告が共産党員またはその支持者に対して賃金差別意思に基づいて賃金差別を実行していることが明らかである。
四月二一日の課長会議と題した部分で、「職級の見直し…今月中に決定し、4/1辞令。×はupなし。」との記載がある。この記述は、被告全体が実施した職級の弾力的運用に際し、×の人間は一人も上がらないことを意味することを田沢謙一自身が認めている(甲八一七)。田沢謙一は、×とは「非協力者」であると苦しい弁明に終始したが、横浜訴訟における被告側証人戸口豊友は、被告側主尋問において、×とは「行動面で共産党と同じ考えをするというような考え方でもってしている方」(甲八一八)であると明言し、更に反対尋問において×と はイコールであり、共産党のような考えで行動する人のことであると認めた。右戸口証人は、職場における共産党員またはその支持者の影響力を弱体化しようとして被告が組織した鶴見火力発電所のインフォーマル組織である有志会の会長を勤めた人物である。被告において、×の標記が共産党員またはその支持者の呼称として広く使用されていることを認めた点で重要である。
3 東京訴訟での原告松田英孝が当時の職場であった千曲川電力所に在籍していた頃、自己の賃金査定が不当に低く他の従業員と比較して低賃金であることを理由に、被告の苦情処理委員会に対し苦情を二度にわたって提起したことがあった。その苦情処理委員会の議事録が甲一〇一、一〇二号証である。
被告側委員の田村和彦は、甲一〇一号証で、「職場でアジビラをまくようなものはいい査定の出ないのは当然」「イデオロギーは自由であるが、扱い方ではそうした面がでてくる…。青婦人部あたりの活動や機関紙論調がアカハタ子分的であり…」と、また甲一〇二号証で、「この問題は本人的問題と○○主義による問題であり、組合としてもこれ等の排除に協力する必要がある」「…民青同の連中は総てが一緒…」などと述べている。右議事録中には、松田英孝が賃金を差別されている理由につき、同人の勤務ぶりの悪さの点はまったく議論されていない。議論されているのは、例えば「イデオロギー」「アカハタ子分的」「○○主義」「民青同」などが問題とされているに過ぎない。
4 「電気産業の性格と電気労働者の闘い」(甲八二〇)は、中部電力の活動家達の学習会資料であるが、その参考資料11は九電力の労務担当者会議の席上で被告の労務担当が報告した内容を入手してメモしたものである。そこでは、「人事考課について」として「日共党員、民青同と色分けがはっきりするものについては、一時的に如何に仕事に熱心でも、日共の目的からして会社に対する一種の欺瞞行動とみなし、昇給時の査定額をゼロとしておる。」と記述されている。
三  千葉県における集団的差別意思
1(一)「経営の動き」と題する原告畠田のメモ(甲三三七)の中には、原告畠田が受けた「カウンセリング」のメモとともに、被告が主催した各種研修のメモが含まれている。その主なものは高卒新入社員研修(昭和四二年五月一八日)、民社研追指導(同年一一月二九〜三〇日)同じく民社研追指導(同四三年九月一二〜一三日)である。
(二) これらのメモによれば、被告は、被告に忠実な者を「良心的諸君」、「良識人」などと呼ぶ一方、原告ら共産党員またはその支持者とみなされた者に対しては「労使共同の敵」「生産阻害者」「組織(労働組合も含めて)破壊者」「 グループ」「やつら」などという敵意丸出しの悪罵を投げつけている。この呼称一つをとっても被告の原告らに対する並々ならぬ意図がわかろうというものである。
(三) そして右意図は「労務研修会―民社研追指導」(昭和四三年九月一二〜一三日)のディスカッションのテーマに、露骨に表現されている。副長が行ったこの討議の集約ではこうした様々な経験、意見の交換を次のようにまとめている。
「①排除と更生の調和
a完全に党員になっている者は排除
bチョット色のついた者は更生
③更生
イ処遇の手段
暖かい手段―友情
冷たい手段―社宅、職級、給料の差別。」
この「まとめ」の中に共産党員またはその支持者に対するその思想信条を唯一の理由とする被告の差別意思がはっきりと表れている。そして、この「まとめ」が一職制の裁量によるものではありえず、被告の方針に基づくことはいうまでもない。
(四) こうした被告の方針に沿って、既に千葉県においても原告らに対する賃金差別が実行されていたことも、このメモから読み取ることができる。右「まとめ」中、「⑤会社、組合に対する注文」との項で「要注意者に対して冷たすぎる」「はっきりした 以外の人には昇給時にはマイナスをつけるな」との意見が出されている。この注文こそはっきりした すなわち原告ら共産党員またはその支持者とみなされた者に対し、被告が賃金差別を実行していることを何よりもよく物語っている。
第二節  是正申立に対する対策―差別の自認
一  被告は原告ら共産党員またはその支持者とみなした者に対し、その思想信条を唯一の理由に違法に賃金差別を行っているが、これらに対する差別是正の申立てを予想して一般従業員に対するものとは異なる具体的対策を予め立てて実行している。この対策についても常務会をトップとした被告の方針として行われていることはいうまでもない。
二  その方針に基づき、各地においても様々な対策が実行されている。
1 品川火力発電所では毎週一回定例的に課長会議が招集されており、その中には共産党員またはその支持者についての記載が存在する(甲五八九)。すなわち昭和五〇年六月一四日課長会議終了後、労務課長は「中部電力『左』系の差別待遇についての訴訟の説明あり、当社としては、1、苦情処理あり、2、苦情処理に出るだけ出させ根をつまむ、3、思想による差別が問題、相対するとき、思想によるということは絶対避けること」と指示説明している。
2 同じ品川火力発電所の課長会議において、被告は千葉火力発電所の共産党員またはその支持者が賃金、昇給、社宅入居などでの差別待遇を是正するために地方労働委員会または裁判所へ提訴する動きのあることをつかみ、特別の対策を講じている(甲五八九の一)。すなわち、事務次長は、出席した課長、当直長に対し、「裁判などになった時、事実関係をはっきりできるよう、日頃から勤務状況についてささいな事まで記録しておくこと」を指示している。これは被告が当初より共産党員またはその支持者に対し集団的に差別しているが故に、千葉火力発電所における差別是正の動きが、品川火力発電所でも起こりうることを予期してその対策を立てていることを示している。
3 また右品川火力の昭和四八年一一月八日の課長会議メモ(甲五八九の二)では、本店主催の同年一〇月三〇日の労務課長会議の報告として千葉火力の差別待遇問題が検討され「EFSのもとに賃金に差別をつけても問題にならない。」と指示されたことが、同課長会議に報告されている。このように賃金制度を悪用して原告らを差別することが本店より指示されているのである。
4 「会議報告書」(甲八二一)の三枚目は、被告が従業員の昇給に対する不満への対応について、「左翼分子」と「左翼分子以外」とを区別し、左翼分子に対しては「言質を与えない、与えることにより苦情処理、裁判などに発展する。」「職場外の行動について指摘しない。」「具体的な事例に触れない。」「思想・信条には絶対に触れない。」「適当に受け流す。」等という対応をとることを申し合わせている。これは被告が「左翼分子」に対しては集団的に差別的な人事考課を実施していることを図らずも明らかにしているものである。
5 「群馬支店管理者研修会記録」(甲二一六)では、被告が社外講師を招き「昇級昇格の苦情があり、メモされる。こちらが記録するのと同じ。核心にふれる大きな問題のみにする。言質をとられないよう。」と講演させ、続いて労務課長に「相手方一人と対話するよう。二人いると立証性が高くなる。支店としての対策は別の機会に。」と指示させている。これも右1ないし4と同様、被告が、共産党員またはその支持者に対しては、それを集団として捉らえ、他の従業員とは異なる差別的な対応をするよう指示したものであり、昇級昇格問題について、被告が裁判等で立証されては困る取り扱いをしていることを物語っている。
三  千葉県においても同様である。
1 千葉火力発電所の課長会議(甲三三五の六)では組合活動を理由とする解雇が裁判上争われた石橋問題からの教訓として、労務から「今後このような問題が起きた場合どうしてもしっかりした証拠がほしいので、メモだけでなく記録させて課長が保存するようにされたい。」との指示がなされている。
2 また、昭和四三年の労務研修会(甲三三七)において長尾労務課長は「入社時に書かせた誓約書は憲法上通用せず、判例でもことごとく敗れており、クビ切りの切り札にはならない。だからやつらの落ち度を一つ一つメモして積み重ねることによってクビの条件をつくるようにしている。」と講話している。
3 更に、昭和五一年三月一七日の山倉荘での労務研修の内容を記録した甲三六〇号証の二には、「席を空ける場合も×系のみにしない。×系に対し行動記録を月単位にまとめる。」との記載が残っている。
第三節  統計資料にみる被告の作為
被告は、職級及び賃金の格差は、被告がその人事考課制度に基づいて、それを適切に運用して原告らを含む全従業員を査定した結果であり、いわば偶然の結果で、他意はない旨主張している。
しかし、原告らが高山資料解析研究所に依頼した鑑定結果(甲七九五)によると、各職級分布表におけるKグループ(共産党員または同党支持者)の職級の下位集中傾向の生起確率は、最も確率の大きい資料2についての5.3200×10のマイナス一八乗を例にみてみると、地球の表面積が約5.1×10の一八乗平方センチメートルであるから、それを一とすると右確率に対応するのは名刺よりひとまわり小さい面積(約二五平方センチメートル)である。これは地球上のどこかにあるその名刺一枚を捜し出すようなもので、実社会では起こり得ない事象であり、限りなくゼロに近いというものである。従って、原告らの職級の下位集中傾向が単なる偶然の結果であるという仮説は採用し得ず、右下位集中傾向は被告の意識的な作為の結果であるといわざるを得ない。
第四節  人事考課上の裁量と恣意的運用
一  被告の人事考課制度は、評定者(係・副長、課長などという直接の上司である職制)に大幅な自由裁量権限を与えることによって職制の権限を強化し、もって全従業員に対する労務管理を徹底する役割を果たしている。
二  そして、被告においては、一次評定者、二次評定者はそれぞれ一人ずつしか設定されておらず、しかも、二次評定は被評定者に日常的に接していない者(課長)によって行われているのであって、その評価システムは極めて客観性に欠けるものである。
第五節  転向強要と転向後の昇給
一  転向強要―差別意思の露骨な表われ
被告は、原告らを共産党員またはその支持者とみなして、その思想信条の故に差別を実行してきた。その差別意思の最も極端、かつ、露骨な形態が、個人個人に対してその思想信条との訣別を迫る転向強要である。このような転向強要により原告畠田が活動を抑制した以降の昭和四三年一二月、九級より八級に昇級し、昭和四四年・同四五年プラスの査定であったが、昭和四六年原告畠田が活動に復帰すると途端にマイナス査定をうけた(甲五一二)。
二  転向後の昇級
被告による転向強要を受け入れると、「約束」どおりプラスの査定を受けるという仕組みになっている。佐藤修や小暮達男の場合がそれである。いずれも、同人らが原告らと同様な活動をしていた時期までは、原告らと同様低い評価を受けていたが、これらの活動から離れて以降は一般従業員と同じように昇進している。また、牧征洋の場合も、労組や自主的活動を停止した以降は、他の労働者と同じように昇進している。
第六節  まとめ
以上から、被告が、①反共労務政策のもと、原告ら共産党員またはその支持者であるとみなした者に対し、常務会、本店労務部、火力発電所長、課長会議等の被告の各機構を動員して組織的、系統的に賃金差別をなす意思を有していること、②「特定分子」「左翼分子」「共産党細胞や民青同盟員」「×」すなわち「共産党のような考えで行動する人々」など、要するに共産党員またはその支持者と被告がみなした者は人事考課上の扱いでは別枠であること、③評価(査定)の対象は、構成員個々人の能力や業績ではなく、「職場外の行動」や「思想信条」であること、④従って、原告らに対し、賃金上差別処遇を行なって来たことが明らかである。
第三編 賃金関係格差を生じさせたことの違法性と被告の損害賠償責任
第一章  違法性
第一節  思想・信条の自由に対する侵害
原告らは、憲法が「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利」(憲法一一条、九七条)として保障した基本的人権に基づく思想・信条の自由を有している。何人も原告らの有する思想・信条の自由を侵害することは許されない。ところが、被告は、その反共労務政策に基づき、その思想・信条を唯一の理由として、原告らに対して、職級、職位、資格の決定及び査定等において差別的取扱いをし、これらをことさら低位に置き続けてその結果著しい賃金格差を生ぜしめたのであり、この被告の行為は、原告らの有する思想・信条の自由を土足で蹂躙する重大な憲法違反の違法行為である(憲法一四条、一九条、二一条、労働基準法三条、民法九〇条、七〇九条)。
第二節  人格権に対する侵害
原告らは、憲法一三条が保障する個人の尊厳に基づく人格権を有しており、何人もこの人格権を侵害することは許されない。被告の原告らに対する前記差別処遇は、原告らの思想・信条を敵視し、あくまでも思想・信条の自由を貫く原告らに対する制裁として、また他の労働者らに対するみせしめとして実行されたものであって、原告らの人間の尊厳を失わしめる重大な人格権の侵害たる違法行為である。
第三節  雇用契約上の違法性
右差別処遇は、被告による労働契約上の債務である平等取扱義務違反の行為であり、被用者の思想信条を唯一の理由とするものであるから、右行為は雇用契約上も違法である。
第二章  損害賠償責任等
以上の被告の違法行為の結果、原告らは、第四編で主張する財産的損害を被り、また、著しい精神的苦痛を被り、信用、名誉を毀損された。従って、被告は、原告らに対し、不法行為または債務不履行に基づき、右財産的損害を賠償し、精神的苦痛に対する慰謝料を支払い、名誉の回復のための方法を講ずる義務がある。
第四編 賃金関係処遇差別による財産的損害の有無及びその数額
第一章  損害の発生と損害額の算定
第一節  損害の発生
原告らは、思想を理由として職級、職位、資格、査定上の不利益取扱いを受け、従って賃金に著しい格差をつけられているのであり、こうした差別取扱いについては、原告らが、その思想を理由に差別を受けて、低職級、低職位、低資格、従って低賃金に据え置かれていること自体が、原告らが被っている損害である。
第二節  損害の金銭的評価
一  職級、職位、資格、査定差別等による損害額の考え方
低職級、低職位、低資格、低査定等に置かれているという損害を金銭的にいかに評価するかという問題については、原告らと被告との間では見解の対立があるが、原告らの主張は次のとおりである。
原告らを低い評価の職務に据え置いて、その担当業務において差別が加えられている損害については、これ自体から直ちに原告らに経済的な損害が発生するものではないとする考え方もあろう。しかし、現在の我国においては、多くの労働者は、企業に雇用され、その場で労働を重ねることにより自己の能力を伸長させ、その労働の過程を通じて自己実現を行なっているのであり、こうした自己の能力にあった職務を遂行すること自体が労働者にとって重要な意義を有するものである。そして、低職級等に据え置かれることにより必然的に低賃金に据え置かれたことによる損害額は、こうした差別的取扱いがなかった場合に本来受け取ることができたであろう賃金額との差額と観念されるのであり、結局低賃金に据え置かれたことによる収入減が、具体的な財産的損害として出現する。
二  損害額の評価
1 このように、原告らが低職級等、従って低賃金という差別的取扱いを受けたことによる損害額は、本来原告らが受け得べきであった賃金額と現実の賃金額との差額を意味することから、損害額の算定に際しては、原告らが本来受け得べきであった賃金額を示す必要がある。しかし、ここで、個々の原告が、被告による差別的取扱いが存在しなかった場合に受け取ったであろう賃金額は、現実には存在しない金額である。そのため、こうした金額の算定については、完全な意味での確実な立証をなすことは不可能なのであり、その認定に際しては、交通事故等による損害賠償請求事件で行なわれているように、合理性を有すると認められる資料と算出方法をもって、主張・立証すれば足りるものと考える。
2 そして、原告らは、同学歴・同期入社者の標準者が受けている賃金額が、損害算定の基準となる合理性のある金額であると主張するものである。その理由は以下のとおりである。
(一) 平均能力の立証
第一に、原告らはいずれも同期入社者の中で標準以上の業務遂行能力を有している(業務実績については、被告自身が各原告に対してその担当業務について差別取扱いを行なっていることから、ここでの対比の基礎とはなし得ないものである。)。
(二) 通常処遇からの排除
(1) 第二に、処遇の異常性が考慮されるべきである。
すなわち、原告らが受けた不利益取扱いは、能力・勤務実績によって通常発生する分布の範囲における位置付け上の差が問題となっているものではなく、こうした通常の分布の幅から大きく逸脱して、水を開けられて低位に据え置かれているという極端な格差である。通常分布内での格差の場合においては、各人の損害額の算定については、その通常分布の中でどこに位置付けられるべきであったかが正に問題とされるのであり、その意味で、平均的な能力・勤務実績の立証が求められることもあり得よう。しかし、本件の如く、通常分布から逸脱している差別事件については、その加害行為・損害は、端的に通常の分布からの逸脱・排除と捕らえられるのである。そして、損害をこうした通常の分布からの逸脱・排除と捕らえた場合には、その損害の算定においても、端的にその通常分布から脱落したことによる損害を金銭評価すべきである。
(2) そして、こうした通常の分布からの逸脱という事実を金銭に評価する以上は、特段の事情がない限りその中の標準というべき平均値と対比して金銭評価を行なうことが当然である。この点は、交通事故により通常の就業が不能になった事例と同様に考えられる。
(3) そして、同期同学歴入社者は、同時期に同等の学校を卒業して、同一の入社試験を受験して、その業務遂行能力に関して一定の水準以上であるという判定を経て入社を認められた者であり、全体的な観察をなし、平均を算出する母集団としての均一性に欠けるところはない。
(4) よって、原告らの被った損害の金銭評価については、同期同学歴入社者の標準者の賃金との差額をもって算定すべきである。
(5) これに対して、こうした基準の設定を不合理とする特別な事情を被告が主張するのであれば、これは、被告において立証すべきである。
(三) 公平の原則
こうした損害額の算定の方法は、不法行為法の基本理念である公平の理念の観点からも基礎付けられる。
(1) 被告の悪質性
本件は、人間の尊厳のもっとも基本的な前提条件たる思想信条の自由を、被告が、その極端な反共労務政策の下で蹂躙し続けているという事案である。また、その攻撃は、共産党員及びその支持者全体に集団的に加えられ、また昭和三〇年代以降今日に至るまで、一貫して継続されている悪質極まりないものである。このような被告の悪質性に対して、原告らは、まったくその責に帰すべき事情がないにもかかわらず、被告により不当な攻撃を加えられたのであり、こうした両者の関係を前提とすれば、差別はあるが損害の算定ができないなどという理由で原告の請求を棄却することが、不法行為法の基本的理念とされる公平の原則に反することは明らかである。
(2) 証拠の偏在
また、同様に公平の観点からは、証拠が偏在している事実からしても、原告らが、その損害額の算定の基準として同期同学歴入社者の標準的賃金額を使用することが認められてしかるべきである。すなわち、個々の従業員の勤務実績・能力については、被告のみがその資料を収集し得る立場にあるのであり、またその評価についても、制度上、被告のみがこれを行っているのであり、被告の評価自身が各従業員の能力・勤務実績とみなされることとなるのである。こうした証拠に関する原告と被告の関係を前提とすれば、原告らに同期同学歴入社者の標準者の勤務実績・能力の厳密な立証を要求するのは、明らかに不可能を強いるものといわなければならない。損害賠償の対象となる相当因果関係の及ぶ範囲の確定とは異なり、賠償の対象となった損害の金銭評価については、公平の原理に基づいて裁判所に裁量権が認められることは広く承認されていることである。原告らとしては、入手可能な資料の中で最も確実性のある同期同学歴入社者の標準的賃金額をもって損害額算定の基準とせざるを得ないのであり、これで足りるというべきである。こうした原告らの主張・立証に対して、被告がその算定方法に異議があるのであれば、被告は、その独占する資料の中から、原告らの主張を弾劾する資料を自ら提出すべきである。
第三節  割合的認定による損害額
仮に、被告の主張・立証により、格差の一定部分が裁量により許容されることが認められるとしても、その場合は、主張・立証された一定部分を除く、その余の部分は思想信条を理由にした差別部分ということになる。従って、ここでも、格差のうちの許容部分の特定についての主張立証責任は被告にあり、許容部分と差別部分との区別、特定を原告らの主張立証責任と考えることは誤りである。
更に、主張立証責任が原告らにあるとして、しかも、損害額が許容部分と差別部分との混在により算定できないとしても、損害があると判断される以上、その量的心証に即して、格差のうち原告らの能力、業績による部分と差別部分との割合を示し、これに相応する損害額を算定することは十分可能であるというべきである。この理は、あたかも、交通事故や医療過誤訴訟における原因競合の場合に原因の寄与割合に応じて損害額を算定する場合と何ら変りはないというべきであるからである。
第二章  具体的損害の算出
以上のことを前提とすると、原告らの損害は、既に格差の実情に関して第一編で詳述した同期同学歴入社者の中位者との間にある賃金格差がそれ自体原告らの損害額になる。
第五編 賃金差別以外の人権侵害行為による損害賠償等の関係
第一章  原告らに対する人権侵害行為
第一節  原告遠藤関係
一  職級、職位、資格差別
第一編で主張したとおり、原告遠藤は、職級、職位、資格の点で著しく差別されている。
二  仕事差別
昭和三八年に組合専従を終えて職場に帰ったときには、購買担当として契約と支払いの業務に携わっていた。ところが、同四〇年三月に資材係が三グループ制になってから、契約業務から一切外されることになった。その後、同四二年に納期管理業務も加わるが、これはごく事務的かつ単純な業務であり、この仕事を合わせても周囲からは格下げとみられる業務分担の変更であった。原告遠藤は昭和四〇年から同五〇年までの一〇年間、右の支払業務と納期管理業務に仕事を限定され、いわば、より高度な自己の裁量を生かせる仕事から遠ざけられてきた。
三  研修からの排除
昭和三九年七月、被告は社員を対象に各種研修を行なうようになったが、原告遠藤はすべての研修から対象外として排除されてきた。例えば、昭和三九年の三類検定では、申告書を持って行くと「締め切った。」と言われた。昭和四二年にも申告すると「あきらめてくれ。」の一点張りの対応だった。
四  職場での差別・嫌がらせ
様々な差別と同時に、他の労働者が日常ごく普通に行なっていることについて、原告遠藤だけをことさらに取り上げて追及する、嫌がらせも多くあった。例えば、昭和五六年に糖尿病のため病院に行ってから出社することを事前に断り、副長の了解を得ていたにもかかわらず、当日になると突然遅刻届を出せと他の労働者に対しては考えられない措置があった。
五  プライバシーを侵害する張り込み
被告は、自ら原告らを監視したり、また公安情報を入手してこれを分析したりして原告らの動向を探ってきた。その場所は、原告らのよく出入りする理髪店や牛乳店などにまで及んでいる。原告遠藤自身も、例えば昭和四六年一一月の原告永松の結婚式会場に張り込んでいた労務課員小坂幸夫を発見して追跡したり、昭和四七年一一月の共産党衆議院議員のレセプションでは会場のあるビルの入口で労務課主任中西春雄を発見して声をかけたりといったことを経験している。
第二節  原告久保田関係
一  職級、職位、資格差別
第一編で主張したとおり、原告久保田は、職級、職位、資格の点で著しく差別されている。なお、原告久保田の昭和四一年から同五七年の定期昇給時の査定は、ほとんどがS(最低)である。
二  研修差別
原告久保田は、被告から共産党または支持者とみなされて以後、三類検定受験、シミュレータ研修、中堅社員研修、安全研修(略称S・T・E)、他店所(営業所等)研修、原子力発電所見学、メーカー工場見学等の各種研修や見学から排除され、同原告の技能上の能力開発の機会を奪われた。
三  仕事上の差別
1 原告久保田が姉崎火力に転勤してきてからは、被告は原告久保田に発電機の並列、解列の実操作をさせず、同原告は、巡視員ばかりやらされて、中央操作室の操作をさせられなかった。被告は、昭和五四年七月以後、原告久保田を会議等へ出張させなくなった。更に、昭和五六年一〇月には、原告久保田は、乙種電気工作物の停止担当の仕事を、前年から甲種の停止担当をしていた永井育夫副主任に統合するとの理由で取り上げられ、同時に、発電雑作業委託管理の仕事も取り上げられた。その後、現在まで簡単な作業しかさせられていない。
2 日勤職場の長期化によるハンデイ
昭和五五年、被告では現業技術・技能認定制度が制度化し、副班長・副主任以上は無試験でA級認定となったが、当時、原告久保田を含む原告らは、平社員に据え置かれたため、受験したところ、原告久保田は、同五六年四月A級を落とされ、B級認定とされた。
3 机の配置差別
被告は、昭和六三年一二月現在、原告久保田を一番末端の席に配置している。そして、同期生の須藤新三が発電課長として最上段に位置しており、かつ、原告久保田より一〇数年も後輩が上席に位置している。この処遇は明らかなみせしめの差別であり、原告久保田の人格を著しく傷つけることとなっている。
四  転向強要
原告久保田は、実家から紹介された女性と文通を続けていたところ、昭和三九年九月二二日、鶴見火力発電所第一電気課の松本幡穂係長に二時間くらいにわたり「結婚すると言う噂があるが、相手は誰か、これからどうするか。」と聴かれたうえ、現在の活動から身を引くように強要された。また、昭和四一年二月一六日、配電盤室で、倉本武主任、神沼茂総括から、「転向するなら今のうちだ、君を救うのは今だよ。」と同僚全員がいる前で転向強要をされた。更に、昭和四二年五月六日、原告久保田に恋人ができたらしいと聞きつけた倉本主任から「社宅に入りたいなら今までの行動を変えよ。」等と転向強要の攻撃を受けた。
五  私生活への干渉
原告久保田は、入党後、勤務外に地域で赤旗を配達していたが、昭和四四年四月八日、鶴見火力労務課の近藤卯太郎副長から、「赤旗を配っている所を二人が見ていると会社に通報があった、お前は共産党員か。」等と詰問されるなど、私生活上の行動に干渉された。原告久保田は、姉崎火力発電所へ転勤後、当時交際していた女性が、昭和四七年三月二六日鹿野山へ保育研修にきた際、休暇申請し、同女と鹿野山へ行き、姉崎火力発電所の見学案内をし、川崎まで送ったことがある。その後、四月一五日午後五時頃、原告久保田は田島当直長から、「鹿野山に一緒に行った保母さんは一〇人兄弟で、男八人女二人の一番末の子であり、長男は共産党の常任をしている。これは警察を通して調べたので、分かっている。」といった。
第三節  原告塩森関係
一  職級、職位、資格差別
第一編で主張したとおり、原告塩森は、職級、職位、資格の点で著しく差別されている。また、原告塩森の昭和四一年から同五七年の定期昇給時の補正は、最低のS査定である。
二  仕事差別
原告塩森は昭和三六年にはタービン主機運転員に、同三八年六月頃には同期生でトップでタービン操作員になったが、その後は降格されタービンサブオペレーターとなり、同四四年には、補機運転員とされ、以降は後輩にどんどん追い越され、いまだに補機運転員の職務に置かれている。
三  研修差別
被告は、原告塩森に対しては、ほとんどすべての重要な研修から排除し、同原告が社員としての業務に必要な知識・技術・技能を身につけることを妨害している。例えば、シュミレータ研修は同期生は昭和四二、三年頃に数回受講しているにもかかわらず、同原告は昭和四九年に一回受講したのみである。中堅社員研修については、同期生には昭和四〇年頃に受講させているにもかかわらず、同原告にはいまだに受講させていない。
第四節  原告畠田関係
一  職級、職位、資格差別
第一編で主張したとおり、原告畠田は、職級、職位、資格の点で著しく差別されている。
二  仕事上の差別
1 職務上の差別
昭和四六年三月の前は、原告畠田は、「操作」として同輩先輩と並び、後輩を指揮する地位にいたが、同年一〇月の編成表では、一転して「補機」として後輩の指揮を受ける立場に落とされた。更に、昭和四八年六月には、五年後輩の昭和三七年入社の者が操作員になり、原告畠田と同期入社の宮沢、鶴岡が班長になっている中で、原告畠田は操作(補機)に止められている。また、本件提訴後の昭和五五年六月には、原告畠田は第二班で、一三年も後輩の昭和四五年入社者の下に位置付けられており、昭和四四年入社の者が副班長、同三七年入社の者が班長という職制になっている。
2 委員からの排除
原告畠田は、昭和四二年には、中堅社員で編成した「作業分解シート作成小委員会」委員にも選任されるなどしていたが、昭和四六年以降は、このような業務計画の委員の選任からは一切外されるようになった。年数回開催される電気担当者会議等にも出席できなくなった。
3 現業技術・技能認定制度上の差別
原告畠田も、昭和五五年、現業技術・技能認定制度のA級を受験させられたが、被告は、恣意的な採点方法によって、A級不合格の差別的扱いをした。しかも、同原告がそれにも負けずに再度受験でようやくA級を認めさせても、A級の者が担当すべき主機操作員にはさせてくれない。
三  研修差別
昭和五九年一二月の袖ケ浦火力発電所への転勤に際し、その転勤に当たっての移動研修において、原告畠田がA級認定者なので当然主機操作員としての研修を受けさせるべきところ、補機操作員としての研修しかさせないという差別をした。
第五節  原告川又関係
一  職級、職位、資格の差別
第一編で主張したとおり、原告川又は、職級、職位、資格の点で著しく差別されている。
二  仕事上の差別
被告は、原告川又に重要な仕事を与えず、他の労働者から隔離するために原告川又らを一か所に集めて監視するなどの差別を行なってきた。
原告川又は、昭和三五年から保修課機械係ボイラ担当として、習熟するにつれ重要なA工事にも携わってきたが、昭和四二年にはB工事が多い灰処理担当に配置換えされた。更に、保修課が工事監理グループと工務グループに分かれた昭和四四年には、原告川又をはじめとして被告から共産党員等とみられた者の多くが工務グループに集められた。その後、原告川又は四八年から現場(工事監理グループボイラ担当)に戻るが、ここでも一貫して低位の仕事しか与えられなかった。原告川又は、昭和四九年に久永副長に、同五〇年には山田信義副長に、それぞれ右について問い質しているが、両名とも「仕事をいくらやっても共産党やその仲間ではだめだ。」と差別の本音を異口同音に語っている。
三  研修差別
被告は、労働者が自己の能力を高める機会である種々の研修からも原告川又を排除した。中堅社員研修、職場での種々の研修、専門職位研修、種々の社外研修などである。
四  社宅入居差別
昭和四五年三月、原告川又が結婚に伴って社宅入居申請をしたところ、鳥越保修課長に署名捺印を拒否された。
五  結婚式への妨害・干渉
被告は、結婚式への妨害・干渉をした。すなわち、原告川又が結婚式に招待していた原告畠田に対して、田部井発電課班長が「川又は共産党だから、そのような所に出ないほうがよい。」等と妨害を加え、原告畠田を出席できなくさせた。結婚式当日には式場に労務課員の小坂幸夫を張り込ませ、出席者のチェックを行なわせていた。
第六節  原告藤田関係
一  職級、職位、資格差別
第一編で主張したとおり、原告藤田は、職級、職位、資格の点で著しく差別されている。
二  仕事上の差別
1 被告の火力発電現場で働く社員は、補機運転員から出発して、サブオペレーターを経てオペレーターになるために日夜努力している。原告藤田は、昭和三八年二月には同期生の中で一番早く缶前運転員(サブオペレーター)となった。ところが、被告は、昭和三九年に原告藤田を共産党員あるいは同党支持者とみなして以降、昭和四一年から同四三年まで、二度目の水処理勤務につかせるという差別扱いをした。昭和四三年補機運転員に復帰後は、同期生は同四四、五年にほぼ全員オペレーターになったにもかかわらず、原告藤田はずっと補機運転員に据え置かれた。被告は原告藤田を昭和五二年七月に遅ればせながらオペレーターにしたが、同五三年五月には補機運転員に降格するという極めて異例の処置をした。
また、被告は毎年の業務計画から原告藤田を排除している。
発電部の運転員は、発電所の運転操作の仕事だけでなく、保守業務を身に付ける目的で年に二度ほど四二日間日勤勤務として日常保守業務(巡視整備)を担当する。ところが被告は原告藤田に対しては昭和六三年三月まではこの業務も担当させなかった。
2 原告藤田は、昭和五五年及び同五六年に現業技術・技能認定制度によるA級を受験したが、A級認定を落とされてしまった。
3 被告は、原告藤田と同じ職場で働く上司や同僚や後輩をして、日常の業務を通じて原告藤田に屈辱感を与えるように仕向けるという卑劣なことをしている。例えば、若い人がする慣例となっている灰皿洗いを原告藤田にやらせたり、若いオペレーターが原告藤田に侮辱的なことを言うように仕向けたり、発電課編成表で同一職級の後輩を原告藤田の上位にランク付けしたり、和田光雄の代勤で出社した原告藤田に対して田部井主任が「和田君の代勤はとらない。」と怒鳴りつけたり、後輩の職制を「さん」付けで呼べと強要したり、ミーティングなどの時に一緒にコーヒーを飲むことから排除したりしている。
三  研修差別
被告は、原告藤田に対しては、シミュレータ研修・中堅社員研修・メーカー研修等のほとんどすべての重要な研修から排除し、原告藤田が業務に必要な知識・技術・技能を身に付けることを妨害し、安全研修からも原告藤田を排除している。
四  交際上の差別
被告は、原告藤田が職場の同僚と親しく交際することを、陰険なやり方で妨害している。例えば、昭和四二年五月一八日の高卒新入社員労務研修において、原告藤田外三、四名の実名を挙げて「党、民青‥これらの人は労使共同の敵」「会社に非協力的人間」と教え込んだことが明らかになっている。原告藤田がどのような人と交際しているかを常に監視し、原告藤田が寮生の部屋に遊びに行けばその寮生を叱り付け、原告藤田と一緒に山に行った者がいれば「藤田と一緒に山に行くな。」と干渉した。
原告藤田の結婚式の際は、原告藤田の上司が結婚式に招待するよう催促したうえで、結婚式の出席者をチェックした。
職場の中では、原告藤田に対する排除・差別は一層露骨である。例えば、昭和五六年一〇月の職場の慰安旅行の際は原告藤田には宿泊場所が取れなかったといって積立金を返しておきながら、その後原告藤田に内緒で原告藤田以外の者全員で別の所に行った。原告藤田は、昭和五八年一〇月に五井火力発電所に転勤になったが、同職場では毎年原告藤田に内緒で密かに慰安旅行に行っている。千葉火力発電所では所員の身内の者が死亡した時には、その旨所報に掲載するのが慣例であるのに、原告藤田の父が死亡した際には何らの掲載もしなかった。また、昭和六〇年頃、他班の上司に差し上げる香典を職場で取りまとめる際にも、原告藤田は排除された。
第七節  原告木村関係
一  職級、職位、資格差別
第一編で主張したとおり、原告木村は、職級、職位、資格の点で著しく差別されている。
二  思想転向強要
原告木村は、昭和四五年五月から同四六年一〇月までの間、一〇人の上司により一四回にわたり思想表明と転向を強要される攻撃を受けた((1)昭和四五年五月二一日、高橋宏夫班長、(2)同年九月四日、野口定治副長、(3)同月六日、野口副長、(4)同月一一日、斎藤光雄当直長、(5)同月一九日、鈴木政次主任、斎藤当直長、(6)同月二一日、斎藤当直長、(7)同年一一月一七日、鈴木政次主任、飯田勝班長、(8)同月一八日、飯田班長、(9)昭和四六年三月七日、加藤富夫班長、(10)同年九月二三日、佐藤博夫公害担当次長、(11)同年九月二五日、中野憲一主任、(12)同年九月二九日、藤川淳事務次長、斎藤当直長、(13)同年一〇月八日、畑江信吾労務課長)。このような一連の攻撃に屈し、原告木村が不本意ながら「共産党員ではない。」旨の思想表明文書を書いたことにより、労務課長が威かしたシュミレーター研修への横やりもなく、原告木村は一か月に及ぶ同研修に参加できた。また、同期生に比較すれば遅い昇級ではあったが、同四六年に八級に昇級され(このとき同期生は七級)、昭和五〇年二月に副班長の職位が創設されると副班長に昇進することができた(同五六年一二月の職制改正により副主任となる。)。
三  班長に就かせない差別
昭和五〇年五月、三・四号中操に職務が増設された時、その班長職に原告木村を就かせないために、被告は原告木村を一・二号中操に移動させた。
四  職場八分
1 雑談から仲間はずれ
原告木村は、職場で「コーヒー会」排除をはじめさまざまな付き合いから締め出されると言う、報復的な職場八分の仕打ちを受けていた。職場内で仲間の雑談に入ろうとすると、急に皆の話が途切れてしまったり、職場移動者の送別会・歓迎会にも参加できない(知らせてもらえない)状態になった。
2 結婚祝の返戻
昭和五三年一一月、原告木村は班の後輩の結婚祝いの回章に名前を記入し、祝い金を集める世話役に祝い金を渡しておいたが、その後急にその世話役から原告木村だけに祝い金を返してきた。
3 香典の返戻
昭和五六年九月、上司である当直長宅の不幸に、原告木村は上司の副長へ香典を依頼した。ところが四日後香典袋ごと原告木村に返されてしまった。
4 巡視配置板の名札
中央操作室には、直員が手分けをして現場巡視をするために、巡視場所を四区分にしてそれぞれに名札を下げ誰がどの区分を担当しているかを明確にする巡視配置板があった。昭和五九年半ば頃から、勤務中でない班では原告山田の名札がその班の一列にならべた者達の名札から更に離して下げてあるのが目につくようになった。その後原告木村の名札も原告山田のそれと同じように、離して掛けられた。
第八節  原告山田関係
一  職級、職位、資格差別
第一編で主張したとおり、原告山田は、職級、職位、資格の点で著しく差別された。
二  仕事上の差別
原告山田は、昭和四〇年九月、水処理運転室に配転された。水処理運転室は、従来から三か月ないし六か月の期間で入社経歴の若い者が水処理運転勤務を交替で行うことが慣例になっていた。ところが、原告山田は、昭和四三年二月まで二年五か月という長期間にわたり水処理運転室に勤務させられ、中操職場から隔離され、仕事上の差別を受けた。
原告山田は、昭和四三年三月に、中央操作室に戻されたが、補機操作員の仕事ばかりで、主機操作員としての仕事をほとんどさせられなかった。
また、原告山田は、業務計画や業務上必要な専門委員に指名されたことがなかった。しかし、昭和四八年度に差別処遇問題として他の原告らとともに苦情処理委員会に苦情を申し立てたこともあってか、後の昭和四九年になって初めて、バーナー管理基準委員会の一員にやっと指名された。
昭和五五年一二月、原告山田は、五井火力発電所に転勤させられたが、原告山田の仕事はパトロールが中心であり、若い二、三年生でも主機操作をさせるが、原告山田にはまったくさせなかった。
昭和五九年一〇月には、一・二号中央操作室に移され、やっと主機操作もさせてくれたが、当時一五年後輩に仕事の指示をされるという屈辱的な処遇を受けた。
三  研修差別
原告山田は、初級社員前期研修は受けたが、後期研修ははずされた。そして、中堅社員研修、安全研修、営業所研修、LNG研修等々の研修からはずされた。シュミレーター研修も受けさせられなかったが、昭和四八年一〇月苦情処理委員会に申し立てた後にやっと受けることができた。
四  職場八分
1 コーヒー会等からの排除
昭和五五年一二月、五井火力発電所へ転勤後、翌五六年一月二六日、それまで職場で行われていたコーヒー会が廃止させられた。ところが、その後、間もなく、原告山田を除き全員(コーヒーを飲まない人は日本茶)で飲むようになった。その他、昭和五六年一〇月、原告山田が三号四号中央操作室に配転後、勤務の交替時のお茶会からも排除された。また、注文表に原告山田の名前を記入せず、夕食を注文できなくした。夜食会でも、個人的にやっていると称し、原告山田を除き実際は全員が会費を徴収して行い始めた。また、当時、月に一回程度行われていた交通懇談会、安全懇談会等においてわざと発言をさせない措置をとった。更に、原告山田が挨拶の声をかけても、知らん顔してそっぽを向いたり、原告山田が同僚たちの話に入ろうとすると、急に話題を変える等数々の嫌がらせを受けた。
2 ビラ配布を理由とする吊し上げ
被告が指導した原告山田に対する職場での差別・嫌がらせをやめさせるため、原告団と東電訴訟支援する会は昭和五七年三月、原告山田に対する右差別等の実態を書いたビラを国鉄(当時)駅頭や社宅などへ配布した。そのため、原告山田は、中操職場の全員から一時間以上もビラの内容について詰問され、吊し上げを受けた。
五  転向強要
昭和四五年頃、井上親史当直長と米井利明副長から、夜間誰もいない四階事務室に呼ばれ、「職場の中に民青はどれだけいるのか。」「労音の会員はどのくらいいるのか。」とスパイ行為的な質問をされ、更に「社会主義には自由がない。」、「君は資本主義社会の中で修正資本主義をめざせ。」等と二人からかわるがわる約二時間、思想転向の強要を受けた。
第九節  原告勝俣関係
一  職級、職位、資格差別
第一編で主張したとおり、原告勝俣は、職級、職位、資格の点で著しく差別されている。
二  職場の労働者との分断工作
1 山行・スキー行への介入
原告勝俣は、文化会の山岳部長をし労組の役員をしていたことから山行やスキーの際には良く誘われたり、相談を受けたりしていた。ところが、昭和四九年の夏に、後輩の数人から一旦声を掛けられたのに、数日後断られ、同五〇年の冬に、同様に一旦スキーに誘われてから断られた。これらの出来事は、原告勝俣が職場の人と仲良くなることを被告が嫌い、上司を使い原告勝俣の仲間に圧力をかけてきたためにほかならない。
2 独身寮での出来事
原告勝俣は三直(夜勤)の明けの時に、寮から朝出勤してくる寮生に寮内の原告勝俣のポストから新聞を持ってきてもらっていた。ところが、前記山行の件と同じ昭和四九年の夏頃、やはり、被告の圧力があったような口ぶりで原告勝俣の新聞を持ってきてくれなくなった。
三  職場八分
1 組合役員選挙に立候補した結果
原告勝俣は、昭和五三年度の組合役員選挙に「自選」で立候補した。立候補した直後、吉川進開当直班長が、職場で原告勝俣に対し、「お前は、職場を裏切ったことになる。」などと暴言を吐いた。そして、そのことがあってから、今まで一緒に酒を飲んでいた仲間や、泊り込みでスキーに行っていた人達の態度が急に変わり、会社の通路で会っても顔をそむける、食堂のテーブルには同席せず原告勝俣の周囲には誰も座らない、ということが行われるようになった。これらの出来事は、一当直班長の力でできることではなく、被告が組織的に行ったことが明らかである。
2 コーヒー会等からの排除
原告勝俣を排除するため職場でのコーヒー会は中止になっていたが、原告勝俣の分を除いた数だけが常に用意されていた。被告が他の労働者への見せしめとしていたことは明らかである。更に、それまで行われていた職場での「一杯会」や、毎月お金を積み立てて行っていた職場旅行からも排除された。
3 結婚に際しての嫌がらせ
原告勝俣は、昭和五二年一一月一三日に結婚した。職場の慣行として、回章を回して祝い金を集めていたが、異例なことに、その回章の書かれたコピーの束を、上司である青木康次当直副長が、後輩から全部取り上げて、原告勝俣の職場の五・六号中操から出て行ってしまった。そして、結果としては、養成所の後輩とごく親しい人だけが回章に記入されており、いわゆる職制はだれもいなかった。また、高橋正男、青木康次は、原告勝俣の直属の上司であるが、結婚式に参列しなかったばかりか、祝電すら打たなかった。
4 健康保険に加入時の、副申請書の署名の件
原告勝俣が結婚をして義父を扶養することになり、東京電力健康保険組合に移して加入させようと必要書類を作ったが、その中の副申請書に二名の署名が必要であり、労務課から上司の署名が良いと言われ、直属の上司である青木康次当直主任に署名の依頼をした。しかし、青木康次は、「木村が同志だろう、木村に頼め。」等々の嫌がらせをした後、ようやく署名をした。
5 仕事の取上げ
昭和五三年のコーヒー会差別が始まってからは、仕事上の差別も露骨に強められ、ボイラ主機操作の仕事があると、吉川進開当直班長は、後輩に仕事を与えてしまった。そしてついには、通常の発電機の出力変化時の操作の時にも、原告勝俣が操作盤の前に立つと他の主機操作員が操作に割り込んで来て操作をしてしまった。そして、更には、同五五年一〇月には一・二号中操に移されて補機操作員に降格された。
第一〇節  原告萩原関係
一  職級、職位、資格差別
第一編で主張したとおり、原告萩原は、職級、職位、資格の点で著しく差別されている。
二  社宅入居差別
原告萩原は、昭和四七年五月末に結婚式を挙げることになったので、同年三月、社宅入居申請をした。当時、結婚式の前に社宅入居手続きを済ませて、事前に引っ越しを終えておくことが通例となっていた。しかし、被告は、申請から七か月後、結婚式から五か月経過後にようやく社宅入居を認めるに至ったが、その間、原告萩原は耐え難い苦痛と困難を味わった。
三  私生活干渉
原告萩原は、入社とともに旧独身寮松ケ丘合宿に入寮し、昭和三九年七月には新築された星久喜寮に移転した。被告は、独身寮の自治会による運営を、「民青を育てるための温床」であると見て危険視し、労務課付の管理人を常駐させた。この頃から、原告らに対する私生活監視は厳しいものがあった。管理人野田和美は、原告萩原の個室で話声がすると、用もないのに部屋の前をうろついて立ち聞きしたり、戸を開けて部屋を覗き込むことさえした。また、管理人木内勉は、仕事ややむを得ない事情で門限を過ぎて帰寮する寮生を、室内灯を消した管理室の暗闇の中から監視し続けるなどした。
四  仕事上の差別
1 主機操作員から補機操作員に降格
原告萩原が入社以来の目標としていたボイラ主機操作員になったのは、昭和五〇年一〇月であった。原告萩原及び原告永松を除く昭和三七年度同期生は、昭和四七年にはほとんどが主機操作員になっており、四年後輩の者にも後れを取った。シュミレーター操作員研修を受けられないまま主機操作員になったのは、原告ら共産党員ないしその支持者とみなされた者らだけである。また、「ボイラ・オペレーター会議」に参加させられず、意見をいう機会も得られないまま、他で決められたことをやらされるだけの、屈辱的な立場におかれていた。
被告は、昭和五三年三月以降、七年から一〇年も後輩である者に「オペレーターの仕事を覚えさせたい。」などと理由にもならない言い訳をつけて、原告萩原をボイラ・オペレーターから補機操作員に降格させた。
更に、昭和五七年一二月に姉崎火力発電所に転勤した後は、サブオペレーターにも格付けされず、入社四、五年の者と同様の単純業務に従事させられている。
2 研修排除
原告萩原は、安全研修、初級社員後期教育、中堅社員教育、他店所研修、火力保修技術技能研修、一〇〇万キロワット級シュミレーター研修、原子力発電所見学、メーカー工場見学などの研修から排除されてきた。
3 その他
水谷源副長は、昭和四六年頃、中央操作室で勤務中、原告萩原を副長席に呼び、勤務中の者に聞こえるように「共産党も学歴次第だ。高校卒では下っ端でこき使われるだけだ。あまり熱心にやっても損をする。」「民青や共産党は、最近世話役活動を重視しているらしいが、君もよく世話役活動をやっているね。」などと中傷した。
第一一節  原告永松関係
一  職級、職位、資格差別
第一編で主張したとおり、原告永松は、職級、職位、資格の点で著しく差別されている。なお、業績評定では、原告永松の評価は、昭和四一年度から同五七年度の間で、本訴を提起した翌年の昭和五二年度と、翌々年の昭和五三年度のみがF評価で、これ以外はすべて最低のS評価であった。
二  研修差別
原告永松は、昭和四一年には、初級社員研修から排除され、その後中堅社員研修、安全研修からも排除され、シミュレータ研修は、同期生より六年近く遅れた昭和五〇年八月やっと実現した。また、設備改造の説明会からも排除され、火力保修技術技能研修では、昭和六一年になって、ようやく、参加の機会が与えられた。
三  仕事上の差別
被告は、原告永松に対して徹底した差別を行うことによって、原告永松に転向を促すと共に、原告永松を職場の見せしめにすることによって、職場の労働者から切り離しを計ってきた。被告は、原告永松に対して二八年間にわたり業務計画・各種委員会からの排除といった徹底した差別を行ってきた。
四  社宅入居差別
社員は結婚式の前に社宅入居手続きを済ませて、事前に引っ越しを済ませておくことが通例となっていた。昭和四六年九月、原告永松は結婚に伴い、二か月前に社宅入居の申込みをしたが、社宅入居の可否が不明のまま、同年一一月三日、結婚式を迎え、新婚旅行から帰り数日後(一一月一四日)、やっと入居となるという差別を受けた。
五  結婚式の監視
原告永松は、千葉県で会費制の結婚式をあげ、九州の田舎で披露宴をした。当時、被告は、会費制の結婚式を嫌っており、原告等の会費制結婚式に職場の労働者が参加しないように攻撃をかけていた。原告永松の結婚式は会費制であったので、被告は、結婚式の出席者を監視していた。結婚式終了後、原告遠藤から、小坂労務課員がスパイに来ていたことを知らされた。
六  家族に対する職制の脅迫
昭和四六年一一月一九日頃の夜、原告永松の家に、酒に酔った山田発電課長と和賀井主任が、原告永松の留守中訪ね、同課長は妻に対して「君の家は貸家をしているのに、何故社宅に入るのか。」と原告永松の妻を脅した。山田発電課長・和賀井主任に脅された二・三日後に、妻は流産してしまった。
七  転向強要
被告は、原告永松に対し見せしめ、嫌がらせ、私生活の干渉をし(昭和四四年及び四五年頃、後輩に金を貸すと、その数日後になると必ず「会社から、永松さんに借りるなと言われた。」といって返しに来るようになった。昭和五六年三月三日、新たな直編成表が発表され、原告永松より下位であるはずの矢島貴志が、原告永松の上位にランクされた。原告永松は、今井真次当直長に訂正を申し入れた。しかし、被告は、同年六月まで三か月も訂正しなかった。)、昭和四八年一月、内田実当直副長が、直員全員のいる前で原告永松に対して「永松君は考え方が悪い、それを変えれば良い。」などと転向強要をした。
第一二節  原告結城関係
一  職級、職位、資格差別
第一編で主張したとおり、原告結城は、職級、職位、資格の点で著しく差別されている。
二  仕事上の差別
1 仕事の取上げ
被告は、原告結城に、他の人の仕事の手伝いを一切させないようにし、そして昭和四二年春頃より約半年間にわたって、原告結城がやっていた発電実績表の作成の業務までをも取り上げる攻撃を行ってきた。一日中仕事がない状況のもとで、「電気一般」という専門書を読んでいたところ、船橋一之技術課長が「直接仕事に関係のない本を読むな。」と不当な叱責をした。昭和四二年秋頃より、より単純な給電概況の配布と現業業績指標の作成補助の仕事をさせるようになった。しかし、この業務も同四三年六月頃までで、それ以後、被告は原告結城に対して他の労働者へのみせしめの為に備品管理、一般消耗品の購買業務という軽易な単純定型業務だけを昭和五〇年九月まで行わせてきた。
2 交際への干渉
昭和四三年秋頃、被告は、保修課の鈴木武則が原告結城の車に同乗したことを知り、鈴木武則の上司である元田忠夫保修機械係長は鈴木に対して、「結城の車に乗るな、あやしまれるぞ。結城と付き合うと、結城と同じに見られて損をするぞ。」等と攻撃をし、そのため、以後鈴木は、被告の攻撃を恐れ原告結城の車に同乗できなくなり、たとえ同乗する時でも人目のある所では乗らないようになった。このように被告は、職場労働者はもちろん、請負会社の労働者にまでも、原告結城との接触をさせないよう監視を行い、周りの労働者への攻撃を行ってきた。
3 職場における異常な日常監視
労務課が中心となり、原告結城の休暇取得や行動について日常的に監視をし、情報収集を行っていた。昭和四六年暮れ頃より同四七年秋頃まで、原告結城の上司の五十嵐敏夫技術課主任、同課総括鶴岡啓治の両名は、原告結城と原告網岡について日常的に監視し、逐一メモを取り続けていた。
4 机の配置によるみせしめ差別
昭和四七年以前、被告は原告結城と原告網岡の机の配置を、技術課課長席のすぐ前に配置し、原告結城らへの監視をより一層強化するとともに、職場の労働者が誰も近寄れない環境に置き、職場の労働者へのみせしめとした。右差別は、昭和六〇年二月一日、千葉火力発電所技術部工事課から五井火力発電所技術部工事課に転勤した後も続いている。部課長の机の前に直角に、部下の労働者の机が二列に並んで配置されている。そして課長の机に近い方から順に、副長、主任、班長、副主任(または副班長)、一般職(平社員)という順に配置されている。四〇歳も半ばの原告結城は、一般職のまま据え置かれていることから、今日まで、いつも一番末端に配置されたままなのである。
5 職種の違う石炭調整業務の強要
昭和四六年当時の技術課業務の体制は、「調査」・「統計」・「化学・分析」の三グループ制で、石炭調整の仕事は化学・分析グループが担当していた。ところが、昭和四六年一二月、被告は、統計グループ外の業務である石炭調整の仕事を、原告結城に対し強要してきた。原告結城はやむなく昭和四七年三月頃千葉火力発電所で石炭燃焼を中止するまで、石炭調整の仕事をやらされていたのである。
6 低職位の業務担当
原告結城は、昭和五〇年一〇月千葉火力発電所保修課計器グループ(工事課計器係)に転属し、昭和六〇年二月一日、五井火力発電所技術部工事課計器グループ(制御グループ)に転勤となった。昭和五五年より同五六年にかけて、四つのユニットの自動制御設備を更新するという大型工事が行われたことがあった。ところが、原告結城はその工事に参画することができなかった。昭和六〇年から同六三年にかけて五井火力発電所でも、五つのユニットの自動制御装置の工事が行われたが、原告結城は、千葉火力発電所のときと同様に参画することができなかった。
三  研修差別
被告は、初級社員後期研修・中堅社員研修、グループ内研修、技能研修からも、原告結城を排除してきた。
四  結婚・社宅入居に対する差別攻撃
1 結婚に対する妨害、嫌がらせ
原告結城は、被告千葉支店料金所勤務の杉田房江と交際するようになり、その後婚約した。ところが、昭和四一年夏頃、うたごえ活動を活発に行っていた同人の千葉市内の借家に警察官が訪問し、家主に、「帰宅時間はどうか、訪問者はどんな人か。」などと同人の私生活を調査していった。また同四一年夏頃に、同人の実家へ千葉より二人の警察官が来て、杉田滋(父)と面接し、「結城という人と結婚するのか。」「彼は思想家だから結婚させないほうが良い。」という内容で一時間にわたって質問し、あるいは干渉を行っている。これらの警察官の行動が被告との連絡のもとで行われていることは明らかである。被告は、結婚式の二か月前となった昭和四二年二月、杉田房江を突然千葉支店料金課から成田営業所へ異動させた。この異動は、原告結城の勤務先と遠ざけ、原告結城との結婚に対して嫌がらせをするとともに、当時千葉市内でうたごえ運動の活動を行っていた杉田への攻撃を目的としたものとしか考えられない。
被告は「慶弔見舞金規定」により、結婚する社員に結婚祝金を贈ることになっている。そこで、昭和四二年三月、原告結城は、慶弔見舞金申請書を、上司である米山英男総括に提出した。ところが、船橋一之課長は原告結城と総括・主任を課長席に呼び付け、「どうしてこの申請書を受け付けたのか。」と怒鳴りつけ、続いて同課長は原告結城に対して、「仲人はどんな人だ、君らと同じ共産党の幹部か。」と仲人の思想関係などを執拗に追及してきた。昭和四二年四月、原告結城は、杉田と会費制による結婚式を行った。原告結城は一人でも多くの仲間に祝福してもらうため、原告結城の職場の同期生や仲間に招待状を渡し準備を進めていた。しかし、被告は、結婚式に参加しないよう妨害した。
2 社宅入居差別
千葉火力発電所の労働者は結婚するとほとんどの人が社宅に入居していたので、原告結城も社宅に入るつもりで結婚式の二か月前より社宅入居申請をした。しかし、被告は、原告結城を社宅に入居させず、原告結城の社宅入居申請書を秘かに処分した。
第一三節  原告網岡関係
一  職級、職位、資格差別
第一編で主張したとおり、原告網岡は、職級、職位、資格の点で著しく差別されている。
二  仕事差別・職務と職級の不一致
1 昭和五一年、被告において、主に昭和三六年ないし同三七年入社者を対象として職級の弾力的運用が実施された。原告網岡は、当時「統計総括」の職務にあった。統計総括の職級は八級から七級に見直されることとなり、原告網岡の職級も七級に見直されることが予想された。しかるに、その後の処遇としては原告網岡は昇級されず、保修課より清水勇夫が技術課に異動させられてきて、代わりに原告結城が保修課へ異動させられてしまった。業務内容は、従前統計総括が担務していた仕事は、引き続き原告網岡が行ったが、原告網岡の資格は「統計指導」へと格下げとなり、清水は資格が統計総括となりながら、半年前まで九級職であった結城の行なっていた仕事を行う状況であった。被告の行った右一連の異動と業務上の処遇は、原告網岡には統計総括の業務を行わせつつも同人の職級を昇級させず八級に留め置くための不当なものであった。その後、右問題を提起した原告網岡を統計グループからはずし、調査・環境グループにいた入社まもない魚路という女子社員(九級)を統計グループへ異動させて辻妻を合わせた。
2 原告網岡は、原告結城と同様に、昭和四七年に、他の労働者から二人だけ離れた位置に机を置かれ、両名の机には電話が置かれず、社外から電話がかかってきたときは、職制のところに行かざるを得ず、話の内容は職制に聞き取られる状況におかれた。
三  研修差別
原告網岡は、初級社員後期研修、中堅社員対象の研修等からも排除され続けている。
四  社宅入居差別
原告網岡は、昭和四二年六月に結婚し、社宅入居の申請を行った。しかし、中野光雄副長は、「いつどこで、どのような内容で結婚式を挙げるのか教えない。」ということと、その結婚式に課長を呼ばないなどの理由により、社宅入居の申請を拒否してきた。仕方なく借家住いをしていたが、昭和四六年九月一七日に再度社宅入居申請を行った。原告網岡が上司らとの粘り強い交渉を持つなどの経過があり、実に申請後一〇か月後の同四七年七月になってやっと社宅への入居が実現した。
第二章  人権侵害行為の違法性と被告の損害賠償等の責任
以上の人権侵害行為は、第二編及び第三編で詳述したところと同様に原告らの思想、信条を唯一の理由としてなされたものであり、賃金格差を生じさせたことと同様に違法である。そして、原告らは、これにより著しい精神的苦痛を被り、信用名誉を毀損されたから、被告は、不法行為に基づき、原告らに対し、右精神的苦痛に対する慰謝料を支払い、名誉回復の方法を講ずる義務がある。
第六編 原告らの本件請求内容のまとめ
一  差額賃金の賠償請求
原告らは、昭和四八年一〇月支給分から平成五年三月支給分まで(原告山田は昭和六〇年三月支給分まで)前記第一編第四章でまとめたとおりの差別賃金相当の財産上の損害を被っているから、被告に対し、選択的に不法行為または債務不履行に基づき、右損害を賠償するよう求める。
二  慰謝料の請求
原告らの著しい精神的苦痛に対する慰謝料は、少なくとも六〇〇万円を下回らないというべきである。よって、原告らは、それぞれ被告に対し、不法行為に基づき、右六〇〇万円を支払うよう求める(右請求額は、別表1請求債権目録の請求債権8の欄(原告山田については同5の欄)に含まれる。)。
三  謝罪広告の掲示及び謝罪文の交付請求
原告らは、被告の本件の不法行為により、人格を蹂躙され、名誉、信用を毀損された。そして、これを回復するには一及び二の賠償だけでは十分でないから、原告らは、被告に対し、名誉を回復するに不可欠な方法として、別紙一の謝罪文を原告らに交付し、かつ、同文を判決確定日直後に発行される被告の社報「とうでん」の諸公示欄冒頭に一ページ全面を用いて掲載し、更に、同文を縦一〇三センチメートル、横145.6センチメートルのB0判の白紙に紙面一杯に墨書のうえこれを別紙二の謝罪文掲示場所目録記載の業務用掲示板に判決確定日より一か月間掲示するよう請求する。
四  弁護士費用の賠償請求
原告らは、本件訴えの提起、追行を弁護士である原告ら訴訟代理人に委任し、その報酬を支払う義務を負担したが、右報酬のうち、原告遠藤については四七万円、原告久保田については四七万円、原告塩森については四二万円、原告畠田については三九万円、原告川又については四二万円、原告藤田については四二万円、原告木村については三五万円、原告山田については三七万円、原告勝俣については三四万円、原告萩原については三六万円、原告永松については三六万円、原告結城については三七万円、原告網岡については三六万円は、被告の不法行為と相当因果関係にある損害に該当するというべきである。よって、原告らは、被告に対し、それぞれ右各弁護士費用を賠償するよう請求する(右請求額は、別表1請求債権目録の請求債権8の欄(原告山田については同5の欄)に含まれる。)。
五  遅延損害金の請求
原告らは、被告に対し、別表1請求債権目録記載の請求債権1欄記載の各金員に対しては昭和五一年一一月二五日から、同2欄記載の各金員に対しては昭和五四年一〇月四日から、同3欄記載の各金員に対しては昭和五六年一〇月一日から、同4欄記載の各金員に対しては昭和五九年四月三日から、同5欄記載の各金員に対しては昭和六〇年一〇月二日から、同6欄記載の各金員に対しては昭和六三年三月三〇日から、同7欄記載の各金員に対しては平成二年九月二九日から、同8欄記載の各金員に対しては平成五年九月二日(これらの日は、いずれも不法行為の後の日である。)から各支払いずみまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うよう請求する。
第七編 消滅時効の抗弁に対する反論
一  継続的不法行為と消滅時効の進行
被告の原告らに対する不法行為は、賃金差別、人権侵害ともに、たまたま個々に加害行為が行われ、原告らが損害を受けたという関係ではなく、反共労務政策という基本方針に基づいて、共産党員またはその支持者と認定された原告らに対し、その集団を対象として、単一の差別意思の発現としてなされた継続的な行為である。そして、継続的不法行為に基く損害は、加害行為が止んではじめて損害の総体が明らかになるものであるところ、被告は、今なお加害行為を止めていないのであるから、そもそも時効は進行を開始していない。
二  権利の濫用
被告の消滅時効の援用は、次の事実に照して、権利の濫用に該当し、あるいは信義則に反し、許されない。
1  被告の加害行為はすべて故意による行為であり、損害の発生は加害行為開始の時から被告において熟知していた。
2  被告は、原告らとの雇傭契約において圧倒的に優位な立場にあるばかりでなく、企業別労働組合である東電労組にも本件加害行為について必要な協力を得られる関係を保っており、原告らと被告の力の優劣は明白であった。右のような情況の下で、原告らはまず被告に対し不法行為を止めるよう要求して努力を重ねた。処遇、昇給等に関しての上司等に対する問い質しもそうであるし、苦情処理の申立てもそうであった。しかし、被告はこれら原告らの要求や申立てをことごとく斥けた。そこで、原告らはやむなく困難な中で被告の不法行為とこれによる損害を立証するに必要な資料を集め、ようやくにして本訴提起を実現したのである(他方、被告はこれらの資料を十分に持ちながら、本訴に至っても隠蔽している。)。
3  原告らが権利の上に眠ったことは瞬時もない。
〈第三分冊〉
第一編 賃金関係処遇格差の実情に対する反論
被告の賃金制度は、職務給制度に則って運用され、各従業員の職級、資格、役職位、査定等の賃金関係処遇は、その勤務成績を適正に評価した上で決定される。そして、このように勤務成績に基づき従業員間に格差が生ずることを予定する考課査定制度のもとにあっては、単に比較対象者との間で賃金上の格差が生じたからといって、それが当然に「差別」となるものではないことはいうまでもない。その格差が不当であること、すなわち、正当な理由なくほしいままに低い処遇に留め置き、その結果格差が生じた場合に、はじめて差別といい得るものである。ところで、格差という以上は何らかの基準を設定し、その基準と比較することによってはじめて判定しうるものであるが、勤務成績に基づく査定一つをとってみても、これは被告の裁量権に委ねられているものであるから、差別、すなわち法的に許されない格差というためには、それが裁量の範囲を逸脱し、裁量権の濫用と認められる程度にまで至っていることが必要である。原告らも、職務任用、業績評価等について評定者たる上司に大幅な自由裁量権を付与している制度を被告が採用していること、その結果、賃金関係の処遇も個々人で異なり、同一職級の職務を担当している人の間にも違いが生じ、更には同一号数の人についてさえ、賃金の額に違いが生ずることが必然的であることを認めているはずである。そうである以上、その裁量権の濫用というためには、賃金に関わりのある制度の運用において、制度の本旨に沿った運用がなされればどのような処遇がなされることを期待し得たか、それがどのように期待に反した運用になっていたか、そこには制度の公正な運用をはかろうとする以外の別の意図が働き、その意図に基づいてどのような操作をしたことにより不公正な結果を現出したのか等の点が明確にされなければならない。そして、本来、原告らの主張からすれば、被告が特定の考課査定(処遇決定)時において、原告らが少くとも同期同学歴者である者と同等の勤務成績をおさめたにもかかわらず、これを低位に格付けしたことが格差の内容とならなければならない筈であり、そうであれば、原告らが具体的に比較対象者を選定してこれと原告らとの比較をし、その観点から格差の有無を主張立証しなければならないのである。ところが、原告らの格差の実情に関する主張ではこの点が欠落しているのであり、従って、右主張は、右のような問題が浮び上がるのをおそれてごまかしの主張をしたものとしか思われず、無意味である。
第二編 賃金関係処遇格差発生の原因について
第一章  総論
一  前記のように、被告の賃金制度は職務給制度に則って運用され、各従業員の賃金はその業績を適正に評定した上で決定される。かかる賃金制度のもとでは、同一職級者相互間における相対評価のもとに、各従業員の勤務ぶりの良否がそれぞれの賃金査定の高低、あるいは上位職への任用の可否に反映されるのであって、勤務ぶりの劣悪な者の賃金査定あるいは職位を勤務ぶりの良好な者のそれと比較した場合、劣悪な者が低位に属するのは当然の事理である。そして劣悪な勤務ぶりが続けば、これが経年的に積み重なることにより、賃金や職級の格差が拡大していくこともまた、当然のところである。原告らの劣悪な勤務ぶりの詳細は後記のとおりであるが、その劣悪な勤務ぶりが、低査定、あるいは上位職任用の差し控えという結果になるのは当然のことであって、日本共産党員及びその支持者であることのみを理由とする賃金差別などは一切存在しない。何人であれ、その人事考課はその思想等とは関係なく、あくまで勤務ぶりの内容によって決定されるのである。原告らの現在の賃金及び職位はこれまでの劣悪な勤務ぶりの累積を反映した結果である。
二  職務給制度のもとでは、上位職者(より高度な判断を必要とし、より責任の重い職務を担務する者、特に役職者)の賃金は、下位職者と比較して高額になることはいうまでもないが、上位職への任用に当たっては(当然そこにはポストの数的制限等はあるが)、当該従業員の勤務能力や勤務内容が良好であることはもちろんであるが、それに加えて被告の社会的使命をよく理解し、被告の基本方針等に従って、自らの職務を忠実に遂行するということが大前提となる(右の要請は職位が上になればなるほどより高度なものとなる。)のであって、最低限かかる要件を充足する複数の候補者のなかから最終的に被任用者が相対評価という尺度を以て決定されるのである。原告らはおしなべてその勤務ぶりが不良である上に、被告の社会的使命を十分理解せず被告の求めるところに従った服務も遂行しないという状況であったから、かかる者らがより上位職へ任用されないのは右に述べた任用基準からして当然のことである。
第二章  いわゆる反共労務政策の主張について
一  はじめに
被告にはいわゆる反共労務政策なるものは存在しない。原告らは、反対の主張を裏付けるものとして多数の書証を提出している。しかし、それらの書証は、その時どきのその職場における当然の対応を示すものであったり、あるいは原告らが書証の趣旨を歪曲して自らの主張にこじつけていたりするものに過ぎず、原告らの主張する反共労務政策なるものとはまったく無縁のものである。
二  全店レベルでの書証について
1  甲一号証(高等学校卒業者定期採用選考要領)、甲二三〇号証の二(請書)について
甲二三〇号証の二の請書は昭和二六年頃から昭和四三年頃までの間、被告が採用内定者に交付し提出を求めていたものであり、そこでいう採用とは採用内定のことである。使用者が社員の採用にあたり、入社しようとする者の思想動向を調査し、その者が共産党員もしくはその同調者であるかどうかを採否決定の一つの判断要素としても何ら違法とされるものではなく、このようなやり方は多くの会社で行われている。なお「請書」にこの文言が設けられた昭和二六年頃は、前年に被告においてもいわゆるレッド・パージが実施されたり、日本共産党による「電産」を通じた活動や直接的暴力闘争の頻発によって、日本共産党の動向に対しては社会一般の関心が非常に高まっていた時期であって、このような情勢のもとで前記の文言が記載されることとなったのである。
2  甲一二〇ないし一二三号証、四一及び四二号証(労使交渉経過概観)について
(一) これらは、当時の労使関係等の状況について、各店所に理解を深めさせることを目的に作成したものであり、その内容は、組合の動向に関する客観的な事実記載、分析、論評に終始している。使用者が労働組合との信頼関係、労使安定化を願うことは当然であり、そのために労働組合の動向に関心を持ち冷静にこれを観察することは何ら不当視されるいわれはない。
(二) 甲四一号証の共産党に関する記載も、一般労働情勢、すなわち文字どおり社会一般における労働情勢の分析の一内容であり、被告の反共労務政策を示すものではない。
(三) 甲四二号証六頁から七頁冒頭にかけての記載も、労組本部大会における極左分子の動きを事実に則って記載したことに続けて、被告として反企業活動を防止・排除する為に適切な対策を構ずる必要性がある旨を感想的に述べたに過ぎない。
3  甲二七〇号証、三四号証(業務計画策定方針)について
これらの書証に記載されている労使協働体制の強化や健全な労使関係の育成等は、使用者として当然願うことであり、何ら反共労務政策と結びつくものではない。
4  甲六一八号証(火力部門を中心とした青年層対策について)及び甲二〇八号証(青年層対策に関する資料配布について)
昭和三〇年代半ば頃から、京浜地区の火力発電所において、会社への帰属意識や業務に対する自発的意欲を喪失する者が増加し、発電所側でも職場におけるコミニュケーションや従業員管理に欠ける面が多々見られるようになった。そのため、本店労務部が、その反省に立ち、一般的かつ適正な労務管理の推進について記述したものが甲六一八号証、その送付状が甲二〇八号証であり、いずれも反共労務政策などとは無縁のものである。
5  その他原告らが被告本店と関係づけている書証について
(一) 甲一〇六ないし一〇八号証は、外形・体裁・内容からしても被告が作成したものでは到底ない。
(二) 甲一一八号証は、被告において抜萃・引用したことはなく、関係のない書証である。
(三) 甲八二〇号証も、被告において作成したものではなく、内容についてもまったく預り知らぬところである。
三  他店所に関する書証について
原告らが所属しあるいは所属した千葉県内の各事業所以外の店所に関する書証については、本件とはまったく関係がない。即ち、各店所は店所ごとにそれぞれ実態(規律紊乱行為、業務阻害行為等を含む。)が異なっているので、当然対応状況もまちまちであり、他の店所における対応状況は、本件で問題となっている千葉火力、五井火力、姉崎火力等にはあてはまらない(例えば、昭和三八年頃の鶴見火力における対応が全店的に実施されたなどということはない。)。そこで、以下では、他店所に関する書証を整理し、必要な限りで説明を加える
1  鶴見、潮田火力に関する書証
神奈川県の鶴見、潮田火力においては、昭和三〇年代に容共左派分子の勢力が拡大し、これらの分子を中心として、会社に対する敵意の煽動、規律紊乱行為、業務阻害行為等の不都合行為が惹起されたので、右各火力においては、職場秩序を回復し円滑な業務運営を図るために、容共左派分子に関心を抱き、警戒し、不都合行為を排除するための然るべき措置を講じた。そうした経過に関するものは次のとおりである。
(一) 甲六一九号証(鶴見火力における 勢力とその拡大工作の実態)
(二) 甲六二四号証(火力に於ける青年層対策の実態について)
昭和三八年九月当時の鶴見火力労務課長の講演の記録で、鶴見火力に関するものである。
(三) 甲六二〇号証(鶴見火力における青年層管理の問題点)
(四) 甲六二一号証(生産阻害者対策の実際)
これも、当時の鶴見火力が荒廃した職場の改善のために講じた諸対策の実際を記述したものである。
(五) 甲六二五号証(白根細胞組織図)及び甲六二二号証(日共組織図)これらは、甲六一九号証中一三ないし一七頁の表と同趣旨のものであり、鶴見火力においておびただしい規律紊乱行為等を惹起させていた者たちが所属している組織をまとめたものに過ぎない。
(六) その他、甲三号証、甲三六号証、甲一二四号証、甲八一一号証は潮田火力に関するものであり、甲一二七号証、甲一九九号証の一、二は鶴見火力に関するものである。
2  山梨支店に関する書証
山梨支店においても、昭和三三年ないし同三六年頃、規律紊乱行為が多発していたため、職場秩序の維持確立のために必要かつ的確な対応策を講じた。これに関する書証が甲二号証、甲二八号証であり、いずれも、山梨支店において作成されたものであり、千葉県内の各事業所とは無関係のものである。
また、甲六〇号証ないし六八号証も山梨支店のものである。
3  その他の店所に関する書証
その他の店所に関する書証としては、甲一〇一号証ないし一〇三号証、甲二一一及び二一二号証(千曲川電力所)、甲一〇四号証、甲八一六及び八一七号証(北東京電力所)、甲五八九号証の一ないし五、甲八一二号証(品川火力)、甲一〇九号証(送変電建設所)、甲二一六号証(群馬支店)、甲二三一号証(多摩支店)、甲八二一号証(横浜火力)等がある。また、甲六二三号証(最近の労働情勢について―日共系の動き)は、神奈川支店労務課が今後の神奈川支店の管理上の参考に供する目的で作成したものである。なおその中に、千葉火力において苦情処理提起がなされた旨が記載されているが、これは事実をありのまま報告的に記載しただけであり、何ら問題とする点はない。
四  千葉県内の各事業所に関する書証について
1  労働講演会に関する書証(甲一〇ないし一七、二五、二六、三一六、三二一、三二三、三六五号証等)
労働講演会は、労使協調を訴える内容の講演である。労調法一条に「産業の平和を維持し、もって経済の興隆に寄与する」ことが立法目的として揚げられているように、労使が協調すべきところは協調して産業平和を保つことは、現行法制度の理想に合致するところであるから、労使協調を目指す講演を行うこと自体、何ら問題はない。
2  民社研労働学校受講に関する書証(甲三一九号証等)
民社研労働学校は、臘山正道を議長とする「民主社会主義研究会議」が職場に働く人々に労働問題に関する基礎的な考え方を習得させ、民主的な労使関係の確立に寄与することを目的として開設しているものである。その研修テーマは、従業員の視野の拡大や一般社会的教養、識見の涵養を期するものであり、講師も、社会的にも公正かつ著名な陣容を擁しているものである。従って、その研修を受講させることは、何ら反共労務政策と結びつくものではない。
3  副(係)長会議等報告事項に関する書証(甲一一三ないし一一七号証)
(一) 甲一一三号証及び甲一一五号証ないし一一七号証は、副・係長会議、主任会議の報告事項書綴であるが、そのうち各人名の文書は、各従業員が自己の意見を記載して予め提出した文書であり、これを会社が整理し目次としたのが各号証冒頭の一覧表である。各人名の文書については、あくまでも当時の各従業員の個人的意見であって会社の意見ではないし、また、内容的にも何ら問題はない。例えば、「なんでも反対」する人間を抱えた職場の管理監督者が、職場での人間関係を円滑に保つための対策に頭を痛め苦慮するのは当然である。独身寮においても寮内規を守らない等寮の秩序維持に協力しない者がいれば、寮の駐在員等が頭を悩ますのもまた当然のことである。
(二) 甲一一四号証は、甲一一三号証の会議における各人の報告に対する千葉火力の指示事項であるが、各人の発表意見に対し、千葉火力が必ずしもすべてを支持、了承したり励ますとは限らないことは、米井利明報告に対する注意指示の例に明らかである。
4  課長会議議事録に関する書証(甲三三五号証の一ないし七)
これらは千葉火力において作成したものではなく、千葉火力の課長会議の出席者が会議の内容をとりまとめたものと推測される。内容的にはさして問題のないことばかりであり、いわゆる反共労務政策と何ら結びつくものではない。
(一) 甲三三五号証の一
労務研修会は安全・衛生や服務規律等労務に関する種々の事項についての研修会であり、これを行うことに何ら問題はない。
(二) 甲三三五号証の三
年金未加入者が存在するという事実を客観的に報告したものであり、何ら問題はない。
(三) 甲三三五号証の四
当時は、日米安保条約の改定期を控え、社会が騒然としており、反対闘争、武力闘争を展開していた左派勢力の動きには千葉火力労務課としても無関心ではいられなかった時期であり、人民大学の開校についてもそうした関心の故に報告されたものである。
(四) 甲三三五号証の五
千葉火力労務課が組合支部・分会の動向に関心を持つのは当然のことである。また従業員個人の服務管理を行う上で、例えば休暇等に関する情報連絡が疎になってはならないことも当然のことである。
(五) 甲三三五号証の六
懲戒解雇に関して争われた石橋事件について、千葉火力労務課が関心を持つのは当然のことである。
(六) 甲三三五号証の七
千葉火力労務課が組合支部の動向に関心を持つのは当然のことであり、組合支部から選挙結果に関する情報を得て報告したに過ぎない。
5  甲三四三号証
(一) これは、本店が各火力発電所から、各火力発電所独自(固有)の問題について一方的に報告を受けた内容をそのまま集約したものであり、各火力ごとに実態が異なる点が明瞭に示されている。すなわち、本証は、全店レベルにおいて共通して一定の労務政策がとられていたことを示すものではない。
(二) 千葉火力の「労務問題」について
この報告が行われた当時は、日米安保条約の改定期を目前に控え、成田闘争が本格化するなど、社会が騒然としていた時期であり、とりわけ反対闘争、武力闘争を展開していた左派勢力の動きには千葉火力としても無関心でいられなかった。また千葉火力においては、そうした騒然とした社会情勢、社会の激しい動きの影響を受けて動揺する従業員の発生も懸念され、また一部には、パトロールの手抜き、遅刻、居眠り、突発休暇、上司に対する反抗など服務の乱れもあり、今後その拡大が心配されていた。そのため千葉火力としては、こうした状況に対処し諸設備の保全、日常業務の支障が生じないようにするために、組合から左派の動きについての情報を入手し、関係官庁、隣接企業と連絡を密にすると共に、従業員の服務管理を厳正に実施し、動揺して服務がおろそかになる者に対しても十分な服務管理、指導を行うこととした。また昭和三〇年代に鶴見・潮田火力等で規律紊乱行為が頻発し職場秩序が乱れたという過去の苦い歴史があるので、再度そうした職場状況にならないようにするために、労務研修において、鶴見・潮田火力の当時の状況等について、東電労組の歴史などを題材として経験的に学ばせることも検討されていた。ここで「良識層」とあるのは、まさに服務規律・職場規律を守り、職場秩序を維持することが正しいと考え、かつそのような行動する者を意味するものである。
6  独身寮管理内規制定に関する書証(甲五六、三一〇、三五四、三五五の一ないし六、三五六、三六三、三六四号証等)
千葉火力では、寮が居住者の共同生活の場であることに鑑み、無許可のビラ配りや政治・宗教活動等の行動が周囲に迷惑を及ぼしたり、共同生活の秩序を乱す行為となりがちである点を配慮し、独身寮内における無許可のビラ配り、政治・宗教活動等を禁止したのである。これらの行動は、どのような政治主張であるか、何の宗教であるか等を問わず禁止されるのである。
7  甲一二六号証(従業員世論調査結果検討会の意見集約)
従業員世論調査(モラルサーベイ)は、被告が実施したものではなく、東京大学尾高研究室の協力依頼によって各社実施される中で被告においても実施されたに過ぎず、もちろん思想調査ではないことは明らかである。
8  その他原告らないしその支持者作成の書証
原告らないしその支持者個人が作成したノートやメモ類(甲三三六、三三七、三三九、三四〇の一、二、三五〇の一、三五二、三五九、三六〇の一、二、三七七、三八二ないし三八九号証等)については、いずれもまったく信用できないものである。
五  組合関係の書証
組合関係の書証については、いずれも組合内部の問題であり、千葉県内の各事業所とは一切関係がない。
第三章  賃金関係処遇格差発生の原因・著しく劣悪な勤務ぶり
原告らの賃金関係処遇が低位である理由は、ひとえに、以下のとおり原告らの勤務成績が極めて劣悪であったことにある。
第一節  原告遠藤
一  千葉火力発電所において「アンローダー」の運転・保守を担務していた頃の勤務状況等(昭和三四年六月から昭和三六年八月までの間)
1 勤務内容
原告遠藤は昭和三四年六月潮田火力発電所より千葉火力発電所に異動してきてから組合専従となった昭和三六年八月まで一貫して千葉火力発電所燃料課運炭係に所属し、アンローダーの運転保守を担務していた。
2 勤務状況
(一) 原告遠藤はアンローダーの運転操作、修理技能に熟達していない上、上達しようとする熱意が一向に感じられなかった。そのため同じ量の石炭を陸揚げするのに他の同僚に比して時間がかかっていた。このため上司等が原告遠藤にアンローダーの運転技術の上達に努め同僚等に迷惑をかけることのないよう注意、指導しても、原告遠藤は運転技術の向上に努めようとする様子もなく、いつまでたってもアンローダーの運転技術は未熟のままであった(乙一三一号証八〜九頁、畑主尋問七七〜一一一)。
(二) 原告遠藤を含めてアンローダーの運転操作を担務していた者は、運転操作だけでなく、日常的に発生する小さな故障の修理も担当していたが、原告遠藤は故障の発見等に手間取る等アンローダーの保守業務についても習熟できなかった。かような原告遠藤の勤務ぶりを見かねた職制等が原告遠藤にアンローダーの仕組みや修理方法をもっと勉強するよう注意しても、原告遠藤は反省するどころか「アンローダーのことは自分の方が詳しいから口を出さないでくれ」等と職制に反抗するような態度をとる始末であった(乙一三一号証九〜一〇頁、畑主尋問一一二〜一三三)。
(三) 原告遠藤は理由もなしに残業や休日出勤を断わることが多かったばかりでなく、残業をしないよう他の同僚を煽動したり、無断で職場を離れる等職場規律を乱していた。
(1) 当時原告遠藤を除いたアンローダーを担務していた者は、職場の状況に理解を示し、格別の用事がなければ時間外あるいは休日出勤に快く応じていたが、原告遠藤だけは具体的な理由も述べず、時間外や休日出勤を拒否していた。その上原告遠藤は、当時の同僚であった倉田利次に対して「時間外は資本家を儲けさせるだけで、労働者の利益にはならない」等と吹聴して他の同僚の勤労意欲を減退させる始末であった(乙一三一号証一一〜一二頁、畑主尋問一三四〜一五七)。
(2) アンローダーを担務していた者は揚炭作業がない時は機械の保守、点検等の業務を行っていた。従って揚炭作業がない時でもなすべき業務があるにもかかわらず、原告遠藤は揚炭作業が行なわれていない時にしばしば無断で職場を離れていた(乙一三一号証一二頁、畑主尋問一五八〜一六八)。
二  千葉火力発電所経理課資材係に勤務していた頃の勤務状態等(昭和三八年五月から昭和六〇年二月までの間)
1 勤務内容
原告遠藤は昭和四〇年二月までは三万円以下の物品の購買(原告らの会社内では簡易購買と呼ばれていた。)の事務手続を主に担当していたが、昭和四〇年二月より資材係が「契約」「管理・整理」「配給・車両」の三グループ制になった以降は「管理・整理」グループに属し、発注物品の納期管理、購入物品の支払い手続等を主に担当していた。
2 勤務状況
(一) 原告遠藤の勤務ぶりは、他の同僚への思いやりを欠くまったく協調性のないものであった。
(1) 資材係では、毎期末(三月及び九月)に一斉に棚卸をし、千葉火力発電所にある在庫品をチェックしていた。この棚卸は、本来、配給・車両グループの担当業務であるが、短期日(二〜三日)で多品目(数百種類)の在庫品の確認作業を行なうため、他のグループの人間も可能な限りこの棚卸業務を応援していた。その中で原告遠藤一人は特に急を要する仕事がない場合でも上司の指示がなければ棚卸の応援には出向こうとしなかった(乙一五五号証六〜七頁、小高主尋問三四〜四二)。
(2) 資材係の業務分担は各個人が各別の業務を担当しており、そのため各人の業務によって多忙な時期が異っていた。そこで、その時期手の空いている人間が、多忙な人間の業務を自発的に応援するのが通例であったが、原告遠藤は特に多忙となる定検・改良工事の時でさえ、自分の仕事が忙しくない時でもぼーっとしていることが多く、他の人の業務を応援しようとする姿勢はまったく見受けられなかった(乙一五五号証七〜八頁、小高主尋問四三〜五九)。
(二) 原告遠藤は職場規律を守らない自分勝手な服務態度に終始していた。
(1) 休暇を取得する際、事前に職制に申し出る旨、就業規則上も定められており、この当時の資材係の職場ではできる限り事前に(すなわち休暇日の前日までに)、上司の承認を得て休むのが職場のルールになっていた。にもかかわらず、原告遠藤は病気等特別の急用でもないのに、事前に休暇の申請をせず、当日の朝始業時刻になってから電話で休暇の連絡をしてくることがしばしばあった。ある年には、有給休暇のうち六割くらいは当日の申請による休暇取得という有様であった(乙一五五号証八頁、証人小高主尋問六一)。
(2) 原告遠藤は、無断で席を離れることがしばしばあった。かかる原告遠藤の態度に対し、上司が注意をしても一向に改まらなかった(乙一五五号証九頁、乙一五六号証九〜一〇頁、小高主尋問七三〜七七、菅原主尋問一二〇〜一二三)。
(三) 原告遠藤は業務を遂行する上での責任感、積極性をまったく欠いていた。
(1) 原告遠藤は、所管課が納入業者の回答を早急に欲しており納入業者から問い合わせに対する回答がその日に来ることになっている場合であっても、午後五時を過ぎると納入業者からの回答の電話を待たずに帰宅することがしばしばあった(乙一五六号証六頁、菅原主尋問三七〜五九)。
(2) 原告遠藤は仕事の引継ぎを十分せずに休暇を取ることがあった。
原告遠藤は、段取りをつけずに休暇を取得していたため、原告遠藤の休暇中に納入業者から電話があっても十分な対応ができないようなことがあった(乙一五六号証六〜七頁、菅原主尋問六〇〜六四)。
(四) 原告遠藤は上司の業務命令を拒否したことがあった。
昭和四五年の秋頃、当時原告遠藤の上司であった菅原清美(当時の役職は資材係長)より原告遠藤の担当業務である発注物品の納期の打ち合わせをするため、納入業者のもとへ出張するよう指示を受けたが、明確な理由も言わずこれを拒否した。原告遠藤が出張命令を拒否したのは、菅原の記憶によれば、菅原が原告遠藤の上司であった時期ではこれ一回ではあるが、かかる出張拒否は菅原の被告での長い社員生活の中で、他に記憶がない程極めて破廉恥な行状なのである(乙一五六号証七〜八頁、菅原主尋問六五〜七三、同反対尋問七四〜八三)。
(五) 原告遠藤は漫然と日常業務を処理するだけで、自己啓発意欲や業務改善意欲はまったく感じられない仕事ぶりであった。
(1) 原告遠藤から業務の改善につながるような提案が出されたことは一度もなかった。
被告の全社的に展開された「経営刷新方策」(第四次)に基づき昭和四四年三月頃、千葉火力発電所では「刷新方策実践委員会」が設置され、全所員が積極的に業務の改善に努め、具体的な提案を提出していたが、原告遠藤はかような時期であっても一切提案をしようとはしなかった。更に昭和四六年二月頃、業務改善を推進するため「業務改善提案旬間」が設けられ、旬間中各人が業務改善につながるような提案を積極的に提出していたが、原告遠藤はこの時期にも一切提案しようとはしなかった。
また、被告では恒常的に業務改善提案制度が設けられており、広く社員からの提案を求めていたが、原告遠藤がかかる制度を利用して提案を提出したこともなかった(乙一五五号証九〜一〇頁、同一五六号証九頁、小高主尋問七八〜九二、菅原主尋問八七〜九二)。
(2) 原告遠藤は社内検定制度を受験するよう上司から勧められてもこれを受験しなかった。
社内検定制度は、昭和三九年度に社員の自己啓発、自己研鑽を目的として設けられたもので、能力水準に応じて一類から三類までの検定があった。原告遠藤は昭和四二年当時、三類検定の受験資格を持っており、当時の原告遠藤の直属の上司であった小高達雄(当時資材係長)が、是非原告遠藤に受験するように指導したにもかかわらず、受験しなかった(乙一五五号証一〇〜一一頁、小高主尋問九三〜一〇四)。
(3) 原告遠藤は昭和四四年上司へ提出した「自己管理表」の能力開発欄に、「なし」としか記入しない等、自己啓発意欲がまったく感じられなかった。そして、上司との面談の際にどうして「なし」と記入したのか尋ねられても、悪びれもせず「記載することがないので記載しなかった」等という始末で、上司としては研修等で自己の能力を向上させていこうとする意欲が原告遠藤にはまったくないと判断せざるを得ないような態度に終始していた(乙一五六号証八〜九頁、菅原主尋問七四〜八六)。
第二節  原告久保田
一  昭和四七年二月までの勤務状況
1 勤務内容
原告久保田は昭和二九年四月から昭和三四年六月まで松本電力所霞沢発電所に、昭和三四年六月から昭和三六年六月まで同電力所平発電所に、昭和三六年六月から昭和三七年三月まで同電力所高瀬川第五発電所に配属され、いずれも水力発電業務(主に配電盤業務)を担当した。昭和三七年四月から昭和四七年二月まで鶴見火力発電所第一電気課運転係に配属され、補機操作員として補機の電源開閉操作、巡視点検、記録の作成等の業務を担当していた(甲六一七の一、乙一七九号証三〜四頁、七頁)。
2 勤務状況
(一) 発電業務に対する勉強が不足していて、技術者としての基本的な技術・技能を習得していなかった。
(1) 原告久保田は、転勤してきてから二年ほど経った時点においてもシーケンスはおろか各機器の配置すら覚えられないという状態であった(乙一七九号証七〜八頁、仁平主尋四九)。そのため、
① 原告久保田は、巡視に出かけても、同僚について行くだけで、巡視の報告はもちろんのこと、機器の異常を発見するのも、その応急措置を施すのもすべて同僚が行い、原告久保田が行うことはまったくなかった(乙一七九号証八頁)。
② 原告久保田は、ACC室から機器の異常が発見された際、その機器を見てきて欲しい旨の依頼があっても、機器の配置がわからないため、すぐにその機器の場所へ行けないということがあった(仁平主尋五一〜五二)。
(2) 原告久保田は、東京オリンピックが閉幕してしばらくしてからのことであるが、屋外変電所に取り付けてある照明の自動点滅器が故障したのでそれを取り替える作業を行った際、配線をショートさせてしまうということがあった(乙一七九号証一三頁、仁平主尋一四三〜一四八)。
(3) 原告久保田は、研修の意味もかねて、主機操作員の立会いのもと、ワンマンコントロールデスクで発電機の起ち上げ操作を行わせてもらったことがあった。ところが、原告久保田は、複数の発電機の計器をそれぞれ注視することができず、一つの発電機の計器しか見ることができなかったため、十分な操作をすることができなかった。そのため、立会っていた主機操作員が原告久保田の操作に危険を感じて、原告久保田に操作をやめさせるということがあった。しかも原告久保田はその後も積極的に起ち上げ操作を習得しようという姿勢がなかったので、結局発電機の起ち上げ操作を習得することができないままであった(仁平主尋六九〜七六)。
(二) 仕事に対する積極的な姿勢に欠けていた。
原告久保田は、自分から積極的に仕事に取り組むという姿勢に欠けており、むしろ仕事から逃避するような態度に終始していた。例えば仮眠の時でも、仮眠中にACC室から補機関係の修理等の要請があった時は、控室の入口に近いところで仮眠をしている者が起こされて、現場調整・修理に出向くことが一般的であったが、原告久保田はそれを避けるために、控室の入口付近に十分仮眠できるスペースがあった場合でも意識的に一番奥で仮眠をとっていた(乙一七九号証九〜一〇頁、仁平主尋八五〜九八)。
(三) 担当業務を責任を持って処理しなかった。
(1) 昭和三九年一〇月頃、発電所長交代のあいさつが厚生ホールで行われた日のことであるが、原告久保田は、あいさつ終了後、一一号ボイラのメタクラ室前に集合し、一一号ボイラの絶縁測定を行うことになっていたにもかかわらず、その作業をすっぽかしてしまうということがあった(乙一七九号証一〇〜一二頁、仁平主尋九九〜一二六)。
(2) 昭和三九年一〇月頃、原告久保田はその日の出力曲線を作成し、利用率・負荷率を計算する業務を担当していたが、途中まで作成した段階で控室にこもり、夜一一時頃からはじまったオリンピックのその日の総集編のテレビ放送に夢中になってそのまま仕事を放り出してしまうということがあった。そのため小柳当直主任が早く仕事を片付けるように注意をしたが、原告久保田は反省する様子もなくそのままテレビを見続けていたので、見かねた仁平政和が原告久保田のかわりに出力曲線を作成し、利用率・負荷率の計算を行うという有様であった(乙一七九号証一二頁、仁平主尋一二七〜一四二、仁平反尋一七四)。
(四) 自分勝手で協調性のない仕事ぶりであった。
原告久保田が鶴見火力の当直勤務をしていた当時のことであるが、三交替職場は定員制を敷いた職場であるため、運転員が休暇を取った場合には、休んだ人の代わりに他の班の人が代勤しなければならず、そのため、代勤は相互の班の運転員が協力し合って行っていた。ところが原告久保田は通常誰もが休みたい日曜日や祭日によく休暇を取り、他の班の人に代勤を頼んでいたにもかかわらず、いざ自分が代勤を頼まれると何かと理由をつけては拒否し、結局ほとんど代勤をしたことがなかったので、休暇を取る人やその班の当直主任が苦労して代勤を手配しなければならないということが何度もあった(乙一七九号証一三〜一四頁、仁平主尋一四九〜一五七)。
二  昭和四七年二月から同年一二月までの勤務状況
1 昭和四七年二月から同年一二月までの原告久保田の担当業務
原告久保田は、昭和四七年二月から同年一二月までの間、姉崎火力発電所発電課に配属となり、補機操作員として発電設備の巡視点検、付属機器の操作等の業務を担当していた(乙一六一号証七〜八頁)。
2 同時期の原告久保田の勤務状況
(一) 研修中に居眠りをするなど不熱心な態度であった。
原告久保田は、昭和四七年二月、鶴見火力発電所から姉崎火力発電所への異動にともない、約一か月半の異動(転入)研修を受講したが、研修中居眠りをするなど不謹慎極まりない態度であった(乙一六一号証八〜九頁、四〜五頁、西村主尋三丁表一三行目〜七丁表六行目)。
更に鶴見火力(第一)から姉崎火力に転勤し、原告久保田と一緒に転入研修を受けていた山本訓生(昭和三〇年入社)と小林陽司(昭和四六年入社)は早く姉崎火力の一人前の正直員になるために、非常に積極的に転入研修を受講し、また上司や先輩にいろいろ質問をするなど意欲的に勉強していたが、原告久保田はそのような質問をしたこともなかった(西村主尋七丁表七行目〜七丁裏六行目、四丁裏七行目〜五丁表八行目)。
(二) 技術・技能を習得しようという意欲に欠けているため技術・技能のレベルが低く、実機研修を受けてもその操作を習得することができなかった。
(1) 原告久保田が転入研修を終えて少し経った頃、原告久保田に電圧調整器の操作を指導したことがあったが、原告久保田はこの操作を習得することができなかった(乙一六一号証一一〜一二頁、西村主尋一一丁裏二行目〜一五丁表五行目)。
(2) また、原告久保田が姉崎火力に転勤してきた頃は、技術革新が日進月歩であったため、操作員は新しい技術に対応し、かつ習得するために、寸暇をおしんで種々の資料を読むなど勉強していたが、原告久保田にはそのような態度がまったく見られなかった(西村主尋問一九丁裏七行目〜二〇丁表一行目)。
(三) 初歩的な操作ミスを犯した。
転入研修を終えて少し経ってからのことであるが、原告久保田は発電機冷却用の水素ガスの補給を行う際、バルブの操作手順を誤まり、ガスボンベの水素ガスを大気中に放出してしまうという初歩的な操作ミスを犯したことがあった(乙一六一号証一〇〜一一頁、西村主尋一〇丁表一行目〜一一丁裏一行目)。
(四) 漫然と仕事を行うのみで、仕事に対する積極性や社員常識が欠落していた。
(1) 原告久保田は、巡視点検においても漫然と巡視を行うだけで、巡視後の報告の際も具体的なユニットの状況等を報告することがなかった(西村主尋九丁表七行目〜九丁裏一二行目)。
(2) 原告久保田は、警報が発生しても、主機操作員がその都度指示をしなければ現場に行かなかった(乙一六一号証一三〜一四頁、西村主尋一八丁裏一一行目〜一九丁表八行目)。
(3) 原告久保田は、中央操作室の電話が鳴っていても誰か他の者が出るまで自分から率先して電話に出ることがなかった(乙一六一号証一四頁、西村主尋一九丁表九行目〜裏一行目)。中央操作室には技術的な問題で電話がかかることが多く、原告久保田は技術的な問題になかなか答えることができなかったため、電話に出なかった(西村主尋一九丁裏二行目〜六行目)。
三  昭和四七年一二月以降の勤務状況
1 昭和四七年一二月以降の原告久保田の担当業務
原告久保田は、昭和四七年一二月に姉崎火力発電所発電課の課日勤に異動となり、以降運転日誌類の確認、発電用消耗品購入依頼、重油煤処理、廃油処理、予算差引簿の作成、備品現在高調書の作成、発電雑作業委託等の発電運営業務を担当している(乙一六一号証一五頁、乙一七八号証六頁、乙一八〇号証四頁、須藤主尋一九〜三三)。
2 同時期の原告久保田の勤務状況
(一) 自己が担当する業務知識・処理能力が極めて劣っている上、業務に精通しようという意欲が見られず、そのためなかなか仕事を覚えることができないという、進歩のない無気力な勤務ぶりであった。
(1) 原告久保田は、当時、予算計上業務の一部(ガス類、バーナーチップ等の発電消耗品費に関する予算計上業務)を担当していた。ところが原告久保田は翌期の購入物品の必要数量や単価等の調査も満足に行わなかったので非常に間違いが多く、同僚が見かねていろいろな資料を書いてくれたのでただそれを転記するだけであった(乙一七八号証七頁、須藤主尋三八〜五二)。しかも通常一〜二回経験すれば覚えられる業務であったのに、原告久保田は自分で積極的に調査したり、一度行った時の実績をメモしておくなどの努力をもしなかったため、仕事を覚えることができず、結局毎期同僚に資料を書いてもらい、それをただ書き写すという進歩のない勤務ぶりであった(須藤反尋四七〜五〇、須藤主尋四三)。
(2) 原告久保田は、備品や準備品の現在高調書の作成業務を担当していた。これは、期末(九月末と三月末)に台帳(一件一葉で備品・準備品の仕様、設置場所、金額が記載されている)と現品を照合してその調書を作成するという業務であった。ところが原告久保田はいつまで経っても備品や準備品の品名と現物を覚えることができず、期末の現品照合時には毎回、同僚に一緒に現場に付いて行ってもらって、面倒を見てもらわなければならない始末であった(乙一六一号証一六頁、乙一七八号証八頁、西村主尋二三丁裏三行目〜二四丁表八行目、須藤主尋七九〜九〇)。
(3) 原告久保田は、発電用消耗品(ガス類やバーナー・チップ等)の購買伝票を発行するという発電用消耗品の購入依頼業務を担当していたが、原告久保田は購買物品の仕様や必要数がわからず、しかも自分で調べるという努力もしなかったので、同僚にいちいちメモを書いてもらって、それを書き写して伝票を発行するという有様であった(乙一七八号証七頁、須藤主尋六九〜七〇、七五〜七八)。
(二) 仕事に対して真剣味がなく、何をやらせても中途半端であり、仕事をやる気がまったく見られなかった。
(1) 昭和五〇年の夏頃、本店から設備概要の見直し依頼があった時、原告久保田にボイラ関係の簡単な提出資料を作成させたことがあった。ところが原告久保田の作成してきた提出資料の内容をチェックしたところ、転記ミスや改造部分の書き忘れなど間違いがたくさん認められたため、結局同僚が分担して作成し直さなければならなかった(乙一七八号証八頁、須藤主尋九六〜九八)。
(2) 原告久保田は、稟議書を書かせても、同僚から何度も教えてもらっているにもかかわらず、時間がかかる上に内容的にも満足なものができず、上司から書き直しを命じられることがたびたびあった(乙一六一号証一六頁、乙一八〇号証四頁)。
(三) 仕事が雑でミスが多かった。
(1) 原告久保田は当時予算差引簿の作成業務を担当していたが、科目・金額を間違えたり、集計ミスをするなど単純なミスを何回も繰り返していた(須藤主尋六四〜六五、乙二四一の一〜四)。しかも、間違えるたびに先輩であった遠藤敬吾から間違いを発見、指摘され、その都度訂正させられていたが、一向に改まることがなく、同じミスを何回も繰り返していた(乙一六一号証一六頁、乙一七八号証七頁、西村主尋二三丁表八行目〜裏二行目、須藤主尋五三〜六七、須藤反尋五二〜六四)。
(2) 原告久保田は、発電用消耗品の購買伝票や重油煤処理や廃油処理に関する伝票類の発行をしていたが、伝票の科目・稟議決裁日・出納予定日の記入を間違えるなど単純ミスを繰り返していた(乙一六一号証一六頁、乙一七八号証七頁、西村主尋二一丁裏三行目〜二三丁表六行目、須藤主尋六八〜七四、乙一八一、乙一八二、乙一七〇号証ないし乙一七二)。例えば、昭和四九年七月三日付の支払伝票(乙一八二)では、翌月払が原則であることから六月分については「七月定時払」が出納予定日になるところを「六月定時払」と間違えたり、稟議番号についても重油煤処理委託契約は毎年更新されるのであるから、昭和四九年の伝票には昭和四九年の稟議番号を書くべきところを昭和四五年の稟議番号を平気で書くなど、仕事の仕組みが理解できていないとしか考えられない初歩的なミスを犯している(西村主尋二一丁裏六行目〜二二丁裏五行目)。また昭和四九年九月三〇日付の振替伝票(乙一八一)では相手科目を間違えるという極めて単純なミスを犯している(西村主尋二二丁裏七行目〜二三丁表六行目)。そして、伝票の間違いについてはその都度先輩や同僚から間違いを指摘されて直していたが、その後も原告久保田は同じような単純ミスを繰り返しており、平成三年になっても整理番号や(乙一七〇)、注文番号、件名(乙一七一)、納入依頼先(乙一七二)を間違えた伝票を作成し経理で伝票がコンピューターに入力できないことから訂正を求められるなど、同じようなミスを相変らず繰り返しているのである(原告久保田反尋一三五〜一七二)。
(四) 社員常識が欠如しており、極めて無責任な勤務ぶりであった。
(1) 原告久保田は、昭和四八年頃、廃油回収作業の立合いをすっぽかすということがあった。原告久保田は、立合い業務を行うべき時間に無断で床屋に行ってしまうという常識では考え難い無責任な勤務ぶりであった(須藤反尋九〇〜九一)。このため、委託業者から作業が終了したので立合いにきて欲しい旨の連絡があったが、事務所内に原告久保田の姿が見当らないので、やむを得ず、急遽他の者を現場に行かせ、廃油回収作業終了時の立合いをしてもらわなければならなかった。そればかりでなく、他の者が立合いに行ってしまった後、原告久保田が事務所へ戻ってきたので、上司が「立合い業務があるのにどこに行っていたのか」と確認したところ、原告久保田は平然と「床屋に行っていました」と返事をするので、更に上司が「席を離れる時は、所在を明らかにしておかなければ駄目ではないか」と注意をしたが、原告久保田はまったく悪びれた様子も反省するような様子も見えないという常識に欠けた態度であった(乙一七八号証八〜九頁、須藤主尋一〇三〜一一八)。
(2) 原告久保田は、重油煤処理業務に関連して、重油煤を袋詰めにするためのポリ袋の納入立合い業務を担当していた。ところが、原告久保田は昭和四八年暮れ頃、退社時間間際に重油煤袋詰め用のポリ袋が入荷したとの連絡があったにもかかわらず、なかなか納入立合いに行かないということがあった。そのため、上司が早く納入立合いに行くよう指示したところ、原告久保田はしぶしぶ現場に出ていくという有様であった。そればかりでなく、納入立合い終了後は必ず終了の報告をしなければならないのに(須藤主尋一二六〜一二九)原告久保田は誰にも終了報告をしないまま退社してしまったので、翌日上司が「仕事が終ったら報告をしなければだめではないか」と厳しく注意したところ、原告久保田は他人事のような態度で、まったく反省の色が見られないという無責任極まりない勤務態度であった(乙一六一号証一六〜一七頁、乙一七八号証九〜一〇頁、西村主尋二四丁表九行目〜二五丁裏四行目、須藤主尋一一九〜一三一)。
(3) 原告久保田は、昭和四九〜五〇年頃、担当業務であった窒素ボンベの受入れ立合いの最中、トラックの助手席で休んでいるということがあった。しかも翌日、上司が原告久保田に注意したが、原告久保田は他人事のような顔をしており(須藤主尋一四九)、反省する様子がまったく見受けられなかった(乙一七八号証一〇頁、須藤主尋一三二〜一四九)。
(五) 仕事の段取りが悪く、委託業者から苦情が頻繁に出ていた。
原告久保田は、発電雑作業委託業務を担当していたが、仕事の段取りが悪く、発電雑作業を委託されている業者の作業員から苦情が頻繁に出ていた。しかも、ある時、原告久保田が委託業者の者からものすごい剣幕で怒鳴られるということもあったので、上司が業者に確認したところ、「久保田さんが準備しなければならない社給品がなく、仕事ができなくて困ってしまった。これまでに何回も同じようなことがあり、とうとう今日は堪忍袋の緒が切れて久保田さんのところに文句を言いに来た」ということであった。そのため、上司が原告久保田に「業者の人が作業しやすいように社給品や貸与物品を手配するのは君の仕事なのだから、業者に迷惑がかからないようにしっかりやらなければだめではないか」と厳しく注意したが、原告久保田は黙っているだけで返事もせず、反省している様子が見られなかった。その後も引き続き、上司が原告久保田に対し指導・注意を繰り返したが、原告久保田の仕事ぶりが改まることはなかった(乙一八〇号証四〜六頁)。
第三節  原告塩森
(昭和五二年四月まで)
1 勤務内容
原告塩森は昭和三一年入社以来、昭和六〇年二月に姉崎火力発電所へ異動するまで一貫して千葉火力発電所発電課に所属し、一時期主機操作員を担当していた時期もあったが、大部分の期間は補機操作員として勤務していた。
2 勤務状況
(一) 基本的な操作でミスを犯す等、発電業務に従事する技術者として基本的な技術、技能を身につけていなかった。
この端的な表れが昭和四八年初め頃、原告塩森が引き起こした事故である。三号機のタービンを正常に機能させるためのシリンダー装置の修理後、当時補機操作員であった原告塩森は本来主機操作員の指示に基づいて行うべきシリンダー装置のテストを独断で行ったばかりか、技術者として犯してはいけない初歩的な誤操作を行い、その結果機器を損傷させた。この時は、幸いなことに同型の四号ユニットが定期点検中で運転を停止していたため、四号ユニットの部品を流用して発電業務に支障をきたすのを未然に防止できたが、本来ならユニットの運転自体を停止させかねない重大な事故であった(乙一〇二号証五〜六頁、和賀井第五一回期日尋問三〇〜六一)。
(二) 職業人として持つべき責任感に欠け、極めてずさんな勤務ぶりであった。
(1) 補機操作員の主要な担当業務として巡視・点検があるが、以下に述べるように原告塩森の巡視・点検に取り組む姿勢は極めていい加減なものであった。
① 通常、巡視・点検は前直から引継ぎを受け、引き続き同班同中央操作室内でのミーティングが終了した後、一回目の巡視・点検が行われるが、ミーティング終了後直ちに巡視・点検へ出発すべきであるのに、原告塩森はなかなか出発せず、かつ通常戻るべき時刻になっても巡視・点検から中央操作室へ戻ってこないことがしばしばあった(乙一〇二号証六頁、乙一〇八号証三〜四頁、内田第五二回期日尋問二一〜四一)。
② 原告塩森は巡視・点検中、中間報告をすべきであるにもかかわらず、これを怠ったことがあった(乙一〇二号証六〜七頁)。のみならず、巡視・点検中、原告塩森が喫茶室で休息していたり、魚釣りを見ていたという風聞すらあったように、巡視・点検に真摯に取り組んでいなかった(乙一〇八号証三〜四頁、内田第五二回期日尋問二一〜四一)。その典型例として、昭和四六、七年頃、原告塩森が巡視・点検中シグナルランプの不点灯を見落とした(乙一〇三号証四頁〜五頁、田部井第五一回期日尋問一六〜四〇)。
③ また、本来なら巡視・点検が終ると、主機操作員にその結果を直ちに報告すべきであるのに、原告塩森は促されないと報告しなかったり、あるいは直ちに報告せずに当該直の終了間際になって初めて機器の異常を報告する等、責任感の欠けらも感じられない勤務ぶりであった(乙一〇三号証五頁、田部井第五一回期日尋問四二〜六二)。
④ また、補機操作員の巡視・点検の一連の業務は、報告後その点検結果を当該補機操作員がチェックシートに記入して初めて終了するものであるが、原告塩森は報告後直ちに記入しなかったことがしばしばあったばかりか、記入洩れ、誤記入を繰り返していた(乙一〇三号証五頁、田部井第五一回期日尋問四一〜六二)。更に、後年になって補機操作員として古株になると、本来自分が巡視・点検した箇所については巡視・点検を担当した者自らがチェックシートに記入すべきであるにもかかわらず、原告塩森は先輩風を吹かし自ら記入すべき箇所を後輩に記入させていた(乙一〇八号証九頁、内田第五二回期日尋問一二二〜一二六)。
(2) 発電設備について警報が作動した場合、現場へ行って状況を確認することも補機操作員の重要な職務の一つであるが、原告塩森は、現場へ行くことを嫌うあまり一人よがりの判断をして現場へなるべく行かないようにしていたり、あるいは、自分の担当区分にもかかわらず後輩に現場へ行くことを押しつける等発電業務の第一線に従事する者にあるまじき対応をしていた(乙一〇三号証五〜六頁、乙一〇八号証六頁、田部井第五一回期日尋問六三〜七二、内田第五二回期日尋問七八〜九二)。
(3) 昭和五〇年の一時期、原告塩森は主機操作員を担当したことがあったが、その時職制を無視して入社年次の若い補機操作員に主機の起動操作を行わせようとしたばかりか、本来なら補機操作員のそばについて起動操作を指導監督すべきであるのに、これをも怠る等まったく無責任極まりのない勤務ぶりであった(乙一〇二号証六頁、和賀井第五一回期日尋問六二〜七六)。
(三) 自己研鑽意欲が欠如し、向上心がまったく感じられなかった。
(1) 業務改善提案に積極的に取り組む姿勢が一貫してまったく見られなかったばかりか、かかる原告塩森の態度を見かねた星野当直長が「循環水ポンプ一台運転の可否」という課題を出して検討するよう指示してもまったく検討せず、催促を受けると最後は職制に毒づくというまったく破廉恥な行為に出たこともあった(乙一〇二号証八頁、乙一〇八号証七頁、和賀井第五一回期日尋問八八〜九七、内田第五二回期日尋問九三〜九七)。
(2) 他のユニットの操作を習得するため研修を自己都合で部分的にしか受講しなかった。
原告塩森は自分の研修期間を予め知らされていたにもかかわらず研修期間中連続して約一〇日間も休暇を取り、他のユニットの操作を充分に習得する機会を自ら放棄してしまった。その休暇の理由というのは選挙応援というまったく自己都合の理由に基づくものであった。しかも上司が前日に念のため出勤を確認した際、原告塩森は出勤を確約しておきながら、当日勤務時間を過ぎても何の連絡もなく出勤せず、上司の方から連絡して初めて休暇(それも長期の休暇)を申し出るという始末であった(乙一〇二号証八〜九頁、乙一〇八号証七〜八頁、和賀井第五一回期日尋問一〇一〜一一〇、内田第五二回期日尋問九八〜一〇五)。
(四) 職場の先輩として後輩を指導監督し、範を垂れる立場にあったにもかかわらずこれを怠ったばかりか、逆に後輩の意欲をそぐような言動がたびたびみられた。
(1) 当時は、自分の経験を教授し研鑽を積ませる目的で当直長等の職制が経験の浅い当直員に対し巡視・点検を行う際の留意事項等を指示することがよくあった。ところが原告塩森は、当直長から巡視事項について指示を受けた経験の浅い補機操作員に対し、当直長の指示を無視するようけしかける始末であった(乙一〇八号証三頁、内田第五二回期日尋問四二〜四六)。
(2) 業務改善提案制度による業務改善提案を出そうとした後輩に対し提案を妨害するような言動を弄し、後輩の意欲をそいだことがあった(乙一〇八号証四頁〜五頁、内田第五二回期日尋問四七〜五一)。
(五) 発電職場に従事する職業人として遵守すべき規律にしばしば違反していた。
(1) 原告塩森は、その勤務期間を通じてよく遅刻をしていた(乙一〇二号証七頁、乙一〇三号証七〜八頁、乙一〇八号証五頁、和賀井第五一回期日尋問七七〜八〇、田部井第五一回期日尋問八二〜一〇〇、内田第五二回期日尋問五二〜五六)。ひどい時には原告塩森が出勤時間になっても出勤して来ないので、不審に思った上司が原告塩森の自宅へ電話したところ原告塩森は悪びれる様子もなく「女房が起こしてくれなかったので寝坊した。休ませてほしい」等とおよそ職業人としては考えられない言辞を弄したことさえあった(乙一〇三号証八〜九頁、田部井第五一回期日尋問九二〜一〇〇)。
(2) 原告塩森は勤務時間中、職場の状況におかまいなく居眠りを常習的に繰り返しており、ひどい時には夜勤でもないのに中央操作室の脇にある休憩室に入り込んで寝入ってしまう始末であった(乙一九七号証一六頁)。
(3) 原告塩森は、他人のことを配慮せず自分勝手な休暇の取り方を繰り返していた。また、格別の理由がないのに当日突然電話で休暇を申し出てくることがたびたびあった(乙一〇二号証八頁、乙一〇三号証七〜八頁、乙一〇八号証五頁、和賀井第五一回期日尋問九八〜一一二、内田第五二回期日尋問五七〜六五)。
(4) 原告塩森は発電職場に従事している当直員なら本来持つべき安全意識に欠けており、安全帽をかぶらずに現場へ出かけることもよくあった(乙一〇三号証九〜一〇頁)。
第四節  原告畠田
一  昭和三五年九月から昭和四三年一一月まで
1 担当業務
原告畠田は、昭和三二年四月入社後、五月一日から千葉火力建設所電気課に配属され勤務していたが、昭和三五年九月から運転課タービン担当に配属替えとなり昭和四三年一一月まで勤務した。
2 勤務状況
原告畠田は、パトロールに出発するのがいつも遅く、またパトロールからの帰りも遅かった。
原告畠田は、パトロール開始時間になっても出発せず、上司や先輩に言われてしぶしぶ出掛けるという状態であった。また、パトロールに出発してしまうと終了予定時間になってもパトロールから帰らず、ページング(所内連絡用拡声装置)で呼び出されても応答なく、再度のページングでやっと「何かあったのか」と平然と応答するという状況であった。しかもこれらの点について、上司から注意されても「いちいちうるさいな」というような薄ら笑いまで浮かべ、更にはパトロール後の連絡をせず、喫茶室にてさぼっていることさえあった。
二  昭和四三年一一月から昭和四六年三月まで
1 担当業務
原告畠田は、昭和四三年一一月に発電課タービン担当から電気担当に配属され、当初は補機操作員として勤務し、昭和四四年三月からは主機操作員として勤務していた。
2 勤務状況
(一) この期間のうち初期の原告畠田の勤務ぶりは、パトロールへ出るのが遅く班長から注意されたり、中央操作室で居眠りしていることはあったが、上司に反抗的であったり、へ理屈を言わなくなったなど従前より改善された部分もあり(乙八五号証七〜八頁)、チームの一員として仕事に取り組む姿勢が見られ将来に期待を持たれていた(乙八九号証六〜七頁)。すなわち、原告畠田はそれなりに仕事を処理し、なんとかやっており、今後も地味にこつこつ仕事をやっていれば将来的には一人前になってくれるのではないかと思われていた。上司の米井副長はこれより高い評価をしていたが日々原告畠田と接して仕事をしている田部井班長の判断ではそれ程ほめられるものではなく、まさに今後の仕事ぶりいかんという状態であった(田部井主尋問三四〜四一項)。
(二) 原告畠田は、昭和四三年一二月から四四年にかけて、今後の勤務ぶりによっては、将来的には一人前になれると思われていたが、原告畠田のその勤務ぶりは継続されることはなく、仕事に対する意欲が感じられなくなったり、責任感に欠ける態度が目立ちはじめ同僚の不信を買うまでになってしまった(乙八九号証七頁)。
(1) BTG総合運営に伴う他パートの技術・知識の習得への努力がなく、他パートの警報にさえも関心を示さず居眠りまでしていた。原告畠田は制度としての事前研修は参加したものの、運転員全員、中央操作室全体が他パート習熟への努力を続けている中で、ぼっとしているだけで、また他パートの警報が出た際、運転員らはお互いに助け合い、警報確認、初期対応をやっていたにもかかわらず、原告畠田はこれに加らず警報への対応をしなくなっていった(乙八九号証七頁ア、田部井主尋問四三〜五一項)。
(2) 勤務時間中であるにもかかわらず休憩室に入り込み新聞を読んでさぼっていたということがあった(乙八九号証八頁イ)。
(3) 屋外変電所の送電線の碍子を水洗すべきであったにもかかわらず、これを怠り、そのまま次直に引き継いだため次直からクレームをつけられた(乙八九号証九〜一〇頁ウ)。
三  昭和四七年四月から昭和五二年七月まで
1 担当業務
原告畠田は、この間発電課の補機操作員、主機操作員として勤務した。
2 勤務状況
(一) 原告畠田は、以前にも増して仕事に対する熱意がなくなり、何かなげやりな態度で自分に与えられたと自ら判断した最小限の仕事しかやらないという状況であった。
原告畠田は、中央操作室において、ボイラやタービン関係の異常警報が作動し、他の操作員がすばやく対応し、忙しくしていても、自分がもともと電気操作担当という意識で勝手に仕事を限定し、それに協力しようとはせず常に傍観者的な態度で見ているだけであった(乙八五号証九頁、同八九号証一〇頁)。
(二) 原告畠田のパトロールはただ漫然と巡視経路を時間をつぶして現場を回ってくるだけで、中間報告をしないで平気で遅れて帰ってきたり、パトロール終了後必ず行うべき結果報告をしないことなどしばしばあり、それに対して何度か注意をあたえたが改められなかった(乙八九号証一二〜一三頁、田部井主尋問九五〜一〇六項)。
(三) 発電電力量のメーター積算値を、三直時に前日の運転日誌から当日の運転日誌に転記するという単純作業があったが、原告畠田にこの仕事を担当させると数字の転記間違いが発生することがあった(乙八五号証一一〜一二頁)。
(四) 火力職場における人身安全対策の一つとして安全靴の着用が義務付けられ、しかも安全推進委員会の席上または班のミィーティングの際に着用するよう指導されていたにもかかわらず、原告畠田はこれを怠り安全靴を着用しないため、厳しく注意されることまであった(乙八九号証一三頁、田部井主尋問一〇七〜一一四項)。
(五) 原告畠田は、上司の仕事上の指示を受けても、ただうなずくだけでわかったのかわからないのかはっきりとした意思表示をせず、上司を小馬鹿にしているのではないかと思える態度をとっていた(田部井主尋問七八〜八三項)。
(六) 後輩からの質問に対してもハッキリとした態度を示さず、これが原因で後輩の信頼を失っただけでなく班のチームワークを著しく害した。
原告畠田が補機操作の指導的立場にあった当時、後輩から補機の小型モーターのベアリングの軸受け部分からの異音への対応を質問された際に、機械の切り替えの要否を知らせず無視していたため、従前からの同様な態度の積み重ねもあって中央操作室で口論となった(田部井主尋問八四〜九〇項)。
(七) 原告畠田は、業務計画の遂行、事故例検討会、業務改善提案に関してもまったく消極的な態度であった(乙八五号証九〜一〇頁)。
(八) 原告畠田は、新しい創意・工夫よりもむしろ経験的な知識に頼った単なる惰性的な処理が多く、そこには仕事に対する積極的な意欲、バイタリティ、そして操作員としての自覚と強い責任感が感じられないのであった(乙八四号証八頁)
昭和四八年頃、千葉火力では燃料をナフサに切り替えるための設備改良の大工事を実施していたが、原告畠田はこの工事の電気部門の中心として、各種検討や班員への説明等積極的にすべき地位にいたにもかかわらず、これをしないばかりか、上司からの質問にもまったく答えられず、工事の重要性を改めて説明されてもうなだれている始末であった(乙八九号証一四頁、同八五号証一〇〜一一頁)。
(九) 昭和五〇年一一月、原告畠田は三号機の夜間停止操作時に誤操作を行い所内電源の停電事故を引き起こし、ユニットを緊急停止させた。
二二時一〇分前頃、三号機の四千ボルト所内電源の供給を外部配電系統からの供給に切り替える所内電源切替(ブス切替)操作の際に、一度入れた外部配電系統のスイッチを指差呼称もしないまま切ったため、所内電源がなくなりユニットが緊急停止せざるをえなくなった。そこで市川当直長は、一つ一つの操作をするには緊張感、集中力をもって事に当たりなさいときつく注意するとともに指導をし、原告畠田に反省文を提出させている(市川主尋問一五〜一六丁)。しかし、原告畠田は前記ブス切替操作ミスから二週間くらい経ったころ、解列操作時の発電機の励磁操作の手順を間違えて操作するというミスを再び引き起こした(田部井主尋問一三九項〜、乙九一)。原告畠田にはおかしてしまったミスを糧として、真に反省し、努力して一層の向上をはかろうとする意欲がまったくなく、この点が他の社員と著しく異なるところである。そこで、市川当直長は、所内電源切替操作、ユニットの系統並列操作など条件的にもタイミング的にも良いか悪いのかの判断を伴うものについては、原告畠田に単独で操作をさせることが不安となり、原告畠田がその操作をする際には特段の注意をするように当直主任に指示していたのであった(乙八四号証八〜一一頁、同八九号証一四〜一六頁)。
第五節  原告川又
一  昭和四四年二月まで
1 勤務内容
原告川又は、昭和三四年四月一日から同三五年三月二九日まで千葉火力発電所運転課に配属され、ボイラ補機の巡視・操作を担当した。昭和三五年三月三〇日に、同発電所運転課から保修課機械係汽缶(ボイラ)グループへ配属替えになり、同三五年度は補機・灰処理装置、同三六年度は補機・微粉炭燃焼装置、同三七年度から同四二年まで汽缶本体、同四二年から同四四年二月まで灰処理装置の担当として、それぞれ担当する機器の工事監理や保修計画等の業務を担当していた(乙一四八号証六〜七頁、乙一三二号証八頁、乙一五〇号証四頁、佐野主尋二四〜三四、山口主尋三四〜四八、五五〜五七、乙一三三、乙一三四、乙一五二)。
2 勤務状況
(一) 担当業務を責任をもって処理しなかった。
(1) 原告川又は、昭和三五年三月、ボイラ補機運転員の最も基本的な業務の一つであるパトロール業務を雨が強く降っていたという理由のみでさぼったために、重油移送ポンプから重油が海へ流出していることを発見できず、流出した油が近海ののりに付着して損害を与えるという事故を惹起し、会社に損害を与えるということがあった。この事故を惹起させたため、原告川又は、譴責処分を受けた(佐野主尋三七〜四〇、乙一五一、乙一三九)。
(2) 原告川又は、保修課当時、担当機器について、運転課から来た保修依頼に基づいて修理計画を立て、稟議書を作成し、上司の承認を得るという業務を担当していた時に、期日までに稟議書を作成できないことが多々あり、そのため、他の仲間の手伝いを得てどうにか完成させるということがしばしばあった(乙一四八号証一一頁、佐野主尋六二〜七〇、山口主尋三九〜四五、乙一三三、乙一五二)。
また、当時、保修課の若い課員は、稟議書の作成の仕方、内容について、上司や先輩と議論をかわすなど、意欲的に取りくんでいたが、原告川又はそのようなことがなく、仕事に対する意欲が欠けていた(佐野主尋七一〜七二、乙一四八号証七頁)。
(二) 保修課員の詰所や請負業者の詰所、運転課の補機室等でしばしば仕事をさぼっていた。同様に原告川又は、請負業者の詰所や、運転課の補機室に行ってさぼっているということもしばしばあり、そのため、請負業者や運転課から、仕事に関係なくやってきては雑談されて仕事のじゃまになり困まるといった内容の苦情がしばしばあったり、時には、運転課や請負業者から、原告川又が作業現場に来ていないが、どうなっているのかなどの苦情がくることもあり、また、同人の所在がわからず、他の者が急遽工事監理のため、作業現場に行くということさえあった(乙一四八号証八〜一一頁、乙一三二号証一五頁、佐野主尋五一〜六一、山口主尋一五七〜一六三)。
(三) 残業を嫌い、指示を受けても協力することがなかった。
原告川又は、職場が忙しい時でも残業を嫌い、指示があっても断ることが多かった(乙一四八号証七〜八頁、佐野主尋四九〜五〇、原告川又反尋二四七〜二八五)。当時、職場には原告川又と同様夜間部に通っていた者が何人もいたが、原告川又以外の者は授業がない時には積極的に残業に協力していた。中には、学校が終ってから再び仕事に出てくれるという者までいたが、原告川又は授業がない時でも残業を断ることが多かった(乙一四八号証七〜八頁、佐野主尋五〇、同反尋六八〜八六)。
(四) 服務態度が悪かった。
原告川又は、いつもだらしない服装で仕事をしており、これを注意しても直そうとしなかった。
(1) 発電所の構内で作業をする場合、作業者の安全を確保するため作業衣を着用する決まりとなっており、就業規則にも「作業衣等の貸与を受けた者は清潔に維持し、端正に着用すること」と定められていた。ところが、原告川又はいつも汚れた作業衣を着用し、しかもボタンを掛けなかったり、時には作業衣を着用しないで現場に行くこともあったため、いつも注意されていたが、改まることがなかった(乙一四八号証一一〜一二頁、乙一三二号証一五〜一六頁、佐野主尋七三〜七六、山口主尋一六四〜一六六)。
(2) 原告川又は安全帽をかぶらずに現場にでかけることがしばしばあった。昭和三八年頃、作業者の安全のため、現場出向時には、工事監理員、請負業者とも安全帽を着用することが義務付けられた(乙二三六、乙二二四号証一〜二頁)。特にボイラ関係の工事は、上から物が落ちてきて頭に当たると大けがをするということが比較的起こりやすい現場であったので、安全帽の着用が厳しく指導されていた。ところが原告川又は、これを守らないことがしばしばあった(乙一四八号証一二頁、乙一三二号証一五〜一六頁、佐野主尋七三〜七六、山口主尋一六四〜一六六)。
二  昭和四四年三月から同四八年三月まで
1 勤務内容
原告川又は、昭和四四年三月から同四八年三月までの間、千葉火力発電所保修課工務グループ「計画」の配属となり、ボイラ関係の稟議書の作成や設計書の作成、物品処理(物品の発注や検収)等の業務を担当していた(乙一三二号証八〜九頁)。
2 勤務状況
(一) 仕事にミスが多く、注意・指導されても反省するという態度が見られなかった。
(1) 原告川又は、ボイラ関係の保修工事の工事設計業務を担当していた。この業務は工事監理グループから回付されてきた「工事計画依頼票」(乙一五四号証。工事の概要を記載したもの)に基づき、工事監理グループと細部の調整、打合せを十分に行い、必要があれば作業現場を確認するなどして、工事の内容を確定したうえで「工事設計内訳書」「作業手順仕様書」(乙一五三)等を作成し、資材手配等を行うというものであった。ところが、原告川又は、工事依頼元である工事監理グループと十分な調整・打合せも行わないまま、自分の判断だけで「工事設計内訳書」等を作成してしまうため、工事に必要な部品を間違えたり、数量の過不足をきたす等のミスをしばしば繰り返していた(乙一三二号証一〇頁、山口主尋八〇〜一〇二)。
また、昭和四七年の夏頃、原告川又は煙道関係の塗装修理工事の工事設計を担当したが、工事監理グループとの打合せをしないで材料の種類や数量を間違えていただけではなく、金額欄が未記入というまったく不完全な状態の「工事設計内訳書」を平気で上司に提出したことがあった。原告川又は「工事計画依頼票の指示が悪いからだ」と他の者に責任を転嫁し、まったく反省することがなかった(乙一三二号証一〇〜一一頁、山口主尋一〇三〜一一二)。
(2) 原告川又は、「工事設計内訳書」に基づいて、資材・部品を発注するための伝票を発行するという業務を担当していた。この伝票に記載する品名や数字は、決裁を受けた「工事設計内訳書」の品名、数量を書き写すという単純なものであったが、原告川又はその品名や数量さえも伝票に誤記入して発注数量を間違えるという単純ミスを何回も繰り返していた(乙一三二号証一一頁、山口主尋一一八〜一二八)。
(二) 担当業務を責任をもって処理しなかった。
原告川又は、工務グループで、工事の稟議書作成業務を担当していたが、期日を指示されていてもまったくやる気がなく、何度催促しても処理をしなかったので、やむを得ず主任や総括が稟議書を書いて、原告川又に担当印を押させて、主任や総括が期日ぎりぎりに関連箇所を持ち回って(原告川又では稟議書の内容を説明できないのでやむを得ず主任や総括が持ち回った。山口反尋二一〜二三)稟議の決裁を受けるということがたびたびあった。稟議の決裁がされないと、資材手配等ができず、工事依頼元に迷惑をかけるので、日頃から計画的に仕事をするよう指導されていたが、改まることがなかった(乙一三二号証一二頁、山口主尋一二九〜一四二、乙一五三)。
(三) 旧来の仕事をそのまま踏襲するだけで、業務改善意欲に欠けていた。
(1) 昭和四七年頃、本店に「合理化総合推進会議」が設置され、各店所でも業務の合理化・省力化が叫ばれ、日常業務を進めながら、自分の仕事やチームの仕事をそれぞれの課やグループで話し合い、「小さな改善、大きな合理化」を合い言葉に業務改善提案に努めていた。ところが、原告川又は、このような会社の方針を理解することなく、改善提案を出さないばかりでなく、他の人が業務改善の提案や発言をすると、その説明や意見の揚げ足を取ったり、合理化は反対だなどと、自己の主張のみに固執して業務改善に取り組む意欲がまったくなかった(乙一三二号証一二〜一三頁、山口主尋一四三〜一四八、山口反尋二四八〜二五一)。
(2) 同じ頃、工務グループ内では、保修課の工事関係書類の保管方法が改善された。原告川又を除く他の者はすぐに新しい方式で保管し始めたが、原告川又は、一人従来の方式のままで保管し、保管方式を改めようとせず、再三注意されて、ようやく新しい方式にかえるということがあった(乙一三二号証一三〜一四頁、山口主尋一四九〜一五六)。
(四) 工事関係者の詰所でしばしば仕事をさぼっていた(乙一三二号証一五頁、山口主尋一五七〜一六三)。
(五) 休暇の取得が自分勝手で、指導されると反抗的な態度を取っていた。
原告川又は、休む前日の帰宅時に勤務表に休みを表示するだけで、上司の了解を得ず、また、仕事の算段もしないで、勝手に休暇を取得することがしばしばあり、翌朝、主任や総括が勤務表を見てはじめて原告川又の休暇取得を知り、あわてて、その日に原告川又がする予定であった仕事を他の者に手配するということが、しばしばあった。時には稟議書を仕上げないまま休暇を取得することもあり、主任や総括が代わりに稟議書を書き上げ、持ち回り、決裁を得るということもあった(山口主尋一七〇)。また、休暇取得の日の朝、突然「今日は休みます」と電話をしてきて、理由も言わないまま電話を切り、そのまま休んでしまうということさえあった。そのため、原告川又に対してルールに従って休暇を取得するよう、上司が再三注意・指導した。ところが、原告川又はルールを無視した休暇取得を反省するどころか逆に「有給休暇は労働者の権利だ、自分の休暇を取って何が悪い」と反抗した(乙一三二号証一六〜一七頁、山口主尋一六七〜一七〇)。
(六) 服務態度が悪かった。
原告川又は、安全帽を頭に乗せただけであご紐を締めずにだらっと乗れ下げていたり、作業衣もボタンを一つ二つ掛け忘れたり、掛け違えたりといっただらしのない服装のまま現場に出ていくことがよくあった。時には作業衣を着用しないで現場へ行くことさえあった(乙一三二号証一五〜一六頁、山口主尋一六四〜一六六)。
三  昭和四八年四月から同五二年七月まで
1 勤務内容
原告川又は、昭和四八年四月から同五二年七月までの間、千葉火力発電所保修課ボイラグループに配属となり、当初はボイラの日常保修業務の工事監理を、後に改良・定検業務の工事監理を担当していた(乙一四九号証四〜五頁、乙一五〇号証五頁)。
2 勤務状況
(一) 仕事がずさんであり、担当業務を責任をもって処理しなかった。
(1) 昭和四八年秋頃、原告川又が二号ボイラガス再循環通風器(煙道に流れたガスを再度ボイラ内部に送り込む装置で通称「GRF」という。)の修理工事を担当したことがあった。同工事の工事現場には作業安全のため、実施中の工事名や工事期間等を記入した「工事標示札」を表示しておくことが定められていたが、同工事が延びたため既に表示されていた工事期間が過ぎてしまっていた。そのため、久永副長が原告川又に対してこの札の書き替えを直ちにやるよう指示したところ、原告川又は難しい事でも時間がかかる事でもなく、すぐにできる事なのにこれをせず、翌日まで放置しておいたため、やむなく原告川又のかわりに山内班長が札を書き替えるということがあった(乙一五〇号証八頁、乙二六三)。
(2) 昭和四九年秋頃、原告川又は、一号ボイラ電気式集塵器のハンマーリング(集塵器の電極に集めた灰を、振動を与えて落とす装置)の修理工事の工事監理を担当していたが、同工事の工事監理員は作業中に機械が動き出すと作業員の人身事故につながる危険性があるので、作業前に必ず電源の状態を確認し、電源を切っておかなければならなかった。ところが原告川又は、この工事監理員として当然実施しなければならない電源の確認を怠り、電源を「切り」ではなく「遠方自動操作」(この状態だと、一定の時間がくると自動的に機械が動き出してしまう。)の位置にしたまま作業現場に「作業中札」をかけ、作業員に作業を行わせようとしたことがあった。その後もこのような無責任な仕事ぶりであった(乙一五〇号証八〜九頁)。
(3) 昭和四九年秋頃、原告川又はGRFの軸受修理工事の工事監理を担当したが、この工事には作業用電気溶接器を使用するため、電源の使用が必要であり、「作業用電力・圧縮空気取扱い内規」には設備の適正使用と作業の安全をはかる目的から、電源使用の場合必ず担当の工事監理員が許可をとり、その電源使用許可書を作業現場に掲示するよう定められていた。ところが、原告川又はこの電源使用許可手続を怠り、許可書を得ないまま作業用電気溶接器を使用しようとしたので、山内班長が早急に許可をとるよう指示したが、原告川又は「ちょっと使うだけだからいいだろう」と反抗し指示に従わなかった。そのため、やむなく山内班長が代わりに許可を得てこなければならなかった。そればかりでなく、原告川又は、右工事の中で重要な作業であった軸受け組み立て作業について、山内班長から工事監理上の確認事項を翌日報告するようにと指示されたにもかかわらず、これを怠ったため、翌日、確認のため作業をやり直させなければならなかった(乙一五〇号証六〜七頁、乙二六四号証)。
(4) 昭和五一年春頃、原告川又は一号ユニットのボイラと煙道との接点にある煙道エキスパンション(伸縮継手)の取替工事の工事監理を担当したことがあった。この煙道エキスパンションは会社がメーカーに発注し、メーカーが設計・製造するのであるが、その際、担当の工事監理員がメーカーの現場での寸法確認を立ち会い、測り間違いがないか確認するとともに、メーカー作成にかかる設計図が現場の寸法と合っているか確認したうえで設計図を承認し、メーカーに製造させることになっていた。ところが原告川又は、この設計図面の寸法確認を怠ったため、納入されてきた煙道エキスパンションが現場の寸法と合わず、取り付けられないということがあった(乙一四九号証九〜一〇頁、山田主尋九四〜一一二、山田反尋七〜二七)。
(5) 昭和五〇年頃は、千葉火力発電所で発電所設備の長寿命化対策の一環である非破壊検査業務が頻繁に行われていた時期であり、保修課工事監理グループが同検査の立会いを行い、立会いを行った者が、検査の結果を速やかに速報や報告書の形にまとめて報告することになっていた。ところが原告川又は、非破壊検査の立会いを担当しても、検査結果の速報や報告書を一度も作成したことがなく、そのまま放置しておくのでいつも原口班長や山内主任が原告川又のかわりに速報や報告書を作成しなければならないという無責任極まりない仕事ぶりであった(乙一四九号証一〇〜一一頁、山田主尋一一三〜一一九)。
(二) 勤務時間中に請負業者の所へ行って、仕事をさぼっていた。
原告川又は、必要もないのに工事監理中に自分の持ち場を離れては、工事現場から離れた請負業者の詰所などへ行ってしばしば仕事をさぼっていた(乙一五〇号証九〜一〇頁)。
(三) 残業を嫌ったうえ、他の人の仕事を応援するという姿勢がまったくなかった。
原告川又は、副長や主任から時間外勤務を命ぜられても、理由を言わずに断ることがほとんどであり、自己の都合のみを一方的に優先させて、時間外勤務に応じたことがほとんどなかった(乙一四九号証六頁、乙一五〇号証一〇〜一一頁、山田主尋二一〜四〇)。
(四) 休暇の取得が自分勝手で職場に迷惑をかけていた。
(1) 原告川又は、職場が忙しい時であっても、そのようなことをまったく配慮することなく自分勝手に休暇を取得してしまうということが何回かあった。
① 例えば、昭和五〇年秋頃、定期点検の最後の仕上げともいえる、ボイラの水圧試験の日に、職場状況も十分配慮せず、休んでしまうことがあった(山田主尋五七〜五九)。原告川又は、水圧試験の前日になって、翌日休む旨比留間課長に申し出てきたので、課長が、翌日は大事なボイラ水圧試験の日なので、特に用事がなければなんとか出社して欲しいと説得したが、原告川又は、休む理由も明確にせず、また休むともはっきり言わないまま帰宅してしまった(山田主尋六九)。そのため、翌日は出勤するものと思っていたところ、原告川又は試験日に出社してこなかったので、原口班長が原告川又の自宅に電話をし、「今日は水圧試験で人手も足りないのでなんとか出社し、試験に協力して欲しい」と依頼したが、原告川又は休まなければならない理由も明確にしないまま、とうとう出社してこなかった。そのため、翌日、山田副長が、原告川又に対して「休む時は職場状況、仕事の段取りなどについて十分配慮できないようでは困る」と注意すると、「休むことは労働者の権利だ」と言うばかりで、まるで反省しようとしなかった(乙一四九号証七〜八頁、山田主尋四一〜七八)。
② また、原告川又は、高所作業、重量物作業、火気取扱作業といった工事監理員の重点管理が必要な作業が行われる日であっても、上司の了解を得ずに、前日の帰り際に勤務表にこっそりと休暇を記入していくだけで休んでしまうということがたびたびあり、そのため急遽他の者が原告川又に代わって現場立会いをしなければならないということがあった。たとえば、ボイラの塗装工事のために足場を組むという高所作業の監理を原告川又が行うことになっていた日に、原告川又は前述のように勤務表に休みを書いただけで上司の了解も得ずに休んでしまったため、他の者がその日の自分の仕事の予定を犠牲にして代わりに工事に立ち会ったということがあった(乙一四九号証八〜九頁、山田主尋七九〜九三)。
(2) 原告川又は、休暇を取得する時も、ルールに従うことがなかった。
休暇を取得する時は、緊急の場合を除いて、あらかじめ上司に申請することとなっていたにもかかわらず、原告川又は休む当日の朝、電話で休暇を申請してくるといったことが何度かあり、しかも理由を聞いてもはっきり答えることがなかったり、また前述のように前日の帰り際にこっそり勤務表に記入するだけで休んでしまうということがたびたびあった(乙一五〇号証一一〜一二頁)。
(五) 上司の指示に素直に従わず、反抗的な態度をとっていた。
昭和五〇年一〇月頃、原口班長が、保修業務機械化の導入に伴い、保修課の他の数名とさん孔機(保修業務機械化の基礎データを入力するために必要不可欠な機械)を千葉支店に受け取りに行くように、原告川又に指示したが、原告川又は「さん孔機を支店に取りに行くことは保修業務とは無関係だ」と言って反抗的な態度をとり、素直に従わないことがあった(乙一四九号証一一〜一二頁)。
(六) 安全管理意欲に欠けていた。
例えば工事監理中、ヘルメットのあご紐をきちんと締めなかったり、いつも両手をポケットに入れていたり、また作業衣もいつも汚れたものを着用しており、着方にしてもボタンをはずしたままであることが多く、時には私服で現場に出向いたこともあった(乙一四九号証一一頁、乙一五〇号証一二頁)。
四  昭和五二年八月以降
1 勤務内容
原告川又は、昭和五二年八月から昭和五七年一一月まで千葉火力発電所技術部工事課ボイラグループに配属となり、ボイラの改良・定検や日常保修の工事監理を担当し(乙一三二号証一七〜一九頁、乙一五〇号証五〜六頁)、その後、昭和五七年一二月に五井火力発電所技術部工事課に異動となり、同様にボイラの保修業務を担当している。
2 勤務状況
(一) 仕事に対する熱意、意欲が感じられず、担当業務を責任をもって処理しなかった。
(1) 例えば、昭和五五年初め頃、原告川又は、スートブロワーの工事監理を担当していたが、その現場付近に居合せた朝生班長が、原告川又より同工事の検収終了の報告を受けたので試運転前に立会い検査したところ、ボルトの緩みが発見され、再度原告川又に締直しをするよう注意するということがあった(乙一三二号証一九〜二〇頁、山口主尋一八一〜一八七、山口反尋二四六〜二四七)。
(2) 給水ポンプや制御用コンプレッサーなどの発電設備の改修工事は、その日のうちに終了させておかないと、翌日の発電業務に支障をきたすので、残業してでも工事を終了させておく必要があったが、原告川又は、そのような工事であっても終業時間になると作業者に、「今日の作業はここまでにして続きは明日するように」などと、上司の承認も得ずに自分勝手な判断で指示をして、そのまま何の報告もせずに退社してしまうということがあった。その後、原告川又が勝手に工事を中止したことに気がついた田尻主任が、作業者を呼び戻し、急遽他の者に時間外で工事監理をさせて作業を終了させたため、事なきを得たが、翌日、原告川又は、田尻主任から注意・指導されても、「作業の続きは明日でも支障がないと思った」などと反抗し、自己の行為をまったく反省しようとしなかった(乙一三二号証二〇〜二一頁、山口主尋一八八〜一九九)。
(二) 原告川又は、休日出勤を命じられても何かと反抗的態度をとり素直に従おうとしなかった。
例えば昭和五五年頃、ボイラ廻りの架台修理の工事監理のため、原告川又に休日出勤をするよう指示したところ、原告川又は「請負会社の休日労働違反になるから休日出勤はしない」などとまったく理由にならないようなことを言って休日出勤を拒否したことがあった。再度主任から休日出勤するよう指示したところ、しぶしぶ休日出勤するという有様だった(乙一三二号証二一頁、山口主尋二〇〇〜二〇九、山口反尋二一八)。
(三) 残業を嫌い、指示を受けても帰ってしまうことが何度もあった。
原告川又は、時間外勤務を指示されても、「今日はちょっと」などと、理由をはっきり言わずに帰ってしまうことが何度もあり、時間的にも他の者の四分の一しか時間外勤務に応じたことがなかった(乙一三二号証二一〜二二頁、山口主尋二一〇〜二一三)。
(四) 技術・技能の水準が低いうえ、その向上意欲も欠けていた。
原告川又は、普段から技術・技能の向上意欲に欠けており、保修・工事課員として二〇年のキャリアがあるにもかかわらず、未熟な技術・技能しか持ちあわせていなかった。特に、昭和五五年に創設された「現業技術・技能認定制度」で、原告川又は、保修業務に一〇年以上従事しており、A級の受験資格があったので、これを受験したが、およそ保修業務に二〇年も従事していたとは思えない程稚拙な技術・技能・知識しかなく、特に実技の成績が悪かったため、A級の認定をうけることができなかった(乙一三二号証二二〜二三頁、山口主尋二一四〜二四〇)。原告川又と同様のキャリアをもつ保修工事課員でA級に落ちたものは原告川又だけである(山口主尋二三八〜二四〇、山口反尋一七八〜一八七)。
(五) 休暇の取得が自分勝手で、職場に迷惑をかけていた。
原告川又は、休む前日の帰り際に勤務表に休みを記入するだけで休暇を取得したり、当日になって突然理由もいわずに休むといって休暇を取るなど、職場のルールをまったく無視した休暇の取得を繰り返しており、再三注意をうけたがまったく改まらなかった(乙一三二号証一六〜一七頁、山口主尋一六七〜一七〇)。
(六) 服務態度が悪かった。
原告川又は、安全帽や作業衣をきちんと着用しないで、作業現場に出ていくことがしばしばあり、再三注意・指導されても一向に改まらなかった(乙一三二号証一五〜一六頁、山口主尋一六四〜一六六)。
第六節  原告藤田
一  勤務内容
原告藤田は、昭和三四年八月、千葉火力発電所運転課(後に発電課)に配属となり、ボイラ補機操作員として勤務し(なお、昭和三五年五月から同三六年一〇月まで、及び同四一年八月から同四三年一月まで水処理室担当)、昭和四九年一月より同火力発電課日勤に配属替えとなり、当初はナフサ運転調査、同四九年六月から水質管理、同五〇年四月からは固定資産管理の業務を担当した。その後、再び同火力発電課(後に発電部)のボイラ補機操作員として勤務し(なお、昭和五二年七月から同五三年五月まで主機操作員)、昭和五八年一〇月五井火力発電所発電部へ転勤となり、今日までボイラ補機操作員として勤務している。
二  勤務状況
1 仕事上、操作ミスを繰り返していた。
(一) 原告藤田は、補機操作員としての技術・技能の水準がかなり低く、そのため、ユニットの操作中、初歩的・基本的なミスを繰り返していた(乙一二一号証八〜九頁、五十嵐主尋四一)。例えば、
(1) 昭和五一年七月頃、原告藤田は、三号ユニットの起動操作で、ボイラの点火操作の際、バーナー弁の操作を間違えたことがあった。すなわち、原告藤田は、缶前のバーナー弁の操作として軽油側の弁を開けるところを、誤まって主燃料である重油弁を開ける操作を行い、一緒に缶前で操作をしていた後輩に「弁が違うよ」と指摘されて、ようやく正常な軽油側の弁を開けるという有様であった(乙一二一号証九頁、五十嵐主尋四三〜四七)。
(2) また、右(1)と同じ頃、原告藤田は、三号ユニットのガス再循環ファンの補助油ポンプが停止する前に、補助油ポンプのブレーカーを開けて電源を切ってしまうという誤操作をしたことがあった。
この時は、ガス再循環ファンの回転数が落ちていたため、設備に異常は生じなかったが、回転数が落ちていない場合には減速ギアを損傷させるおそれのある誤操作であり、しかもガス再循環ファンが完全に止まったことの確認及び補助油ポンプのスイッチを切り停止したことの確認という初歩的・基本的事項を守れば防止できる極めて初歩的・基本的なミスであった(乙一二一号証九頁、五十嵐主尋四八〜六〇)。
(3) 昭和五四年九月二九日、原告藤田は二号ユニットのボイラ間けつ昇圧(補助蒸気を確保するため一定時間ごとにボイラの火を炊くこと)中、復水移送ポンプを停止するつもりで誤って本来動かしてはならない隣のボイラIDファンコントロール・スイッチを切ってしまい、そのためにボイラを滅火させてしまうというミスを犯した(乙一二三、一二四、乙一三〇、乙一二一号証一〇頁、五十嵐主尋六一〜八二)。
(二) 昭和四九年夏頃、原告藤田が発電課日勤で水質管理の仕事を担当していた時、原告藤田は誤って化学薬品を大量に排水系統に流し込んでしまうというミスをしたことがあった(乙一二二号証三〜四頁)。
(三) このように、原告藤田は初歩的・基本的な操作ミスを何度も繰り返していたが、そのミスは、同原告と同じ程度の経験度を持っている人には考えられないような、あまりにも初歩的・基本的なミスであったため、上司の中には原告藤田に仕事を任せることに不安を感じた者もおり、到底若い者に対する指導力の発揮など望むことはできなかった(乙一二一号証九頁)。
2 仕事がずさんで、担当業務を責任を持って行わなかった。
(一) 原告藤田は、補機操作員の巡視点検業務においても、漫然と巡回するだけであって、不具合箇所の見落しがあったり、巡視の際行うべき操作業務を忘れてくるなど、ずさんかつ無責任な巡視を繰り返していた。
(1) 例えば、昭和四六年末頃、当直の安全推進部会において、各班の安全推進事項が決定され、原告藤田の班では「機器類の特別点検整備を行う」ことが決まり、実施されていた。それにもかかわらず、原告藤田は自己の巡視担当区分であった四号ユニットの「ミルブレイカー・アンバーランプ」のグローブ(計器の信号ランプの色のついたカバーのこと)が数箇所はずれていたことや、「ライティングサブ予備ノーヒューズブレイカー」取外し中の危険を表示した札が床面に脱落していたことを見落すというずさんな巡視をしたことがあり、田部井班長より厳しく注意されるということがあった(乙一一九号証二四頁、中野主尋二一一〜二一四、中野反尋一〜四六)。
(2) 昭和四七〜八年頃、原告藤田は、巡視の際に行う復水器連続細管洗浄装置(通称「タプロゲ」という。)の操作を忘れたことがあった。しかも、班長が原告藤田に「決められた仕事を忘れるようでは困る」と注意を与え、タプロゲをすぐ操作してくるよう指示したが、原告藤田はすみませんとも言わず逆にふてくされた様子でしぶしぶ現場へ操作に出かけるという具合で、まったく反省の色が見られなかった(乙一二〇号証四〜五頁、和賀井主尋四八〜六四)。
(3) また右(2)と同じ頃のことであるが、復水器のある場所を巡視する補機操作員は、復水器の冷却細管の壁面に鉄被膜を作り、細管がその中を通過する海水によって腐食されるのを防止するため、巡視の際復水器に硫酸第一鉄を二〜三日に一回注入することになっていたが、原告藤田は巡視の際、注入すべき硫酸第一鉄を注入し忘れてくるということがあった。この時も、班長が原告藤田に注意し、硫酸第一鉄の注入、操作を至急やるように指示したが、原告藤田は前述(2)の時と同様、反省するどころか逆にふてくされてしぶしぶ現場に出ていくという有様であった(乙一二〇号証五頁、和賀井主尋六六〜七五)。
(二) 原告藤田が補機操作員をしていた時、補機操作員は巡視点検の終了後、点検結果をチェックシートに記入することになっていた。ところが、原告藤田はチェックシートの記入もれがよくあり、主任や班長が記入後きちんと見直しをするようにその都度注意していたが、一向に改まることがなかった(乙一二〇号証三〜四頁、和賀井主尋二八〜四七)。
例えば、昭和四七年半ば頃、当時原告藤田が所属していた班の神子田主任が次直への引継ぎの際、チェックシートを確認したところ、原告藤田が巡視点検を行った三号ユニットの巡視のうち、四六〇Vロードセンター他三か所の記入もれが発見されるということがあった(乙一一九号証二三〜二四頁)。原告藤田はそのチェックシートの重要性を理解していないのか、その後も何回もチェックシートの記入もれがあり、発電業務に携わる者とは思えない無責任な仕事ぶりであった(乙一一九号証二四頁)。
(三) 昭和五〇年四月から、原告藤田は千葉火力発電課日勤において固定資産管理業務を担当していたが、原告藤田が作成した水処理設備の設備カードの記載が実際の設備と相違していたり、記載漏れや誤りが多くみられたので、改めて訂正させられるということがあった(乙一二二号証四〜五頁)。
(四) 昭和四九年夏頃、原告藤田は千葉火力発電課日勤で水質管理業務を担当していたが、担当業務であった一次水処理装置運転日誌に、深井戸揚水量を記入しなかったことが数回あった。そして、上司がその都度注意し、記入させたが、その際も原告藤田はいやいや記入するという有様であった(乙一二二号証四頁)。
3 仕事に取り組む姿勢が消極的であり、指示されない限り進んで仕事をしようという姿勢がなかった。
(一) 三交替で発電業務に従事する当直勤務の場合、通常は中央操作室で操作盤に向い各種計器類の監視業務を行っているが、発電設備の機器に運転中何か異常が発生した場合には、中央操作室内に設置してある当該警報装置が作動し、ブザーが鳴るため、緊急に現場の巡視・点検に向かうことになる。このような時、補機操作員は主機操作員の指示を待つのではなく、真っ先に「私が見て来ます」と進言し、主機操作員の許可を得て現場に向かい、状態をつかんで中央操作室に報告し、次の指示を仰ぐことが一般的であった。ところが、原告藤田は補機操作員であった時、ブザーが鳴っても平然と椅子に座ったまま立ち上がろうとせず、他の者が現場に向かうのを黙って見ているということがしばしばあった。そのため原告藤田の態度を見かねた上司から現場に向うよう指示されて、しぶしぶ現場に向かうという有様であった(乙一二一号証七頁、五十嵐主尋一五〜二二、五十嵐反尋一三五)。
(二) 原告藤田は、補機操作員をしている時、所定の巡視の予定時間が過ぎても、特に何をしているわけでもないのに、なかなか出かけようとせず、時には三〇分過ぎても出かけないことがたびたびあり、見かねた上司に注意されてやっと巡視に出かけるという有様であった。ところが巡視の時間は他の者より極めて少なかった(乙一二一号証八頁、五十嵐主尋二三〜二五)。
また、巡視・点検後は担当の主機操作員に異常があればもちろん、異常がない場合であっても異常なしと巡視の結果を報告することになっているにもかかわらず、原告藤田は巡視から帰っても黙って席に座ってしまい、報告がないので主機操作員が催促すると、ようやく「異常ないよ」というような報告をするという仕事に対する熱意・積極性に欠けた勤務内容であった(乙一二一号証八頁、五十嵐主尋二六〜三三)。
4 仕事に対する向上意欲、自己啓発意欲に欠けており、そのため、技術・技能の水準が経験年数に比べて非常に低かった。
(一) 当時の火力発電所の発電職場においては、待機時間などの機会をとらえては操作基準書や設備関係資料、シーケンス、その他の教育資料を読んで勉強したり、主機操作員の諸動作を見たり、技術的な留意事項とか習得した内容等を忘れないように会社から支給されるノートを活用してメモをとったり、疑問点がある時には上司や先輩に質問するなどして、自己技能・知識のレベル・アップを心がけていた(内田主尋一五〇〜一五一、乙一〇三号証一三頁一〇〜一四行目、乙一〇四号証三頁一〜二行目)。ところが原告藤田には操作基準書や設備関係資料、シーケンス等を一生懸命勉強しようという姿勢がまったく見られなかった。そのため、原告藤田の技術・技能・知識の水準は、経験年数に比べて驚くほど低かった(乙一二一号証八頁、五十嵐主尋三四)。
(二) 昭和四五〜四六年頃、千葉火力発電課の当直職場では第三石油類を燃料に使っていたことから、原告藤田や同人と同年代の者に対して乙種第四類危険物取扱者の資格を取得するよう指導しており、ほとんどの者がこの時期に右資格を取得したが、原告藤田は乙種第四類危険物取扱者の勉強をせず、結局昭和五一年にようやく右資格を取得するという有様であった(乙一二一号証八頁、五十嵐主尋三五〜四〇)。
(三) 当時の火力発電所の発電現場の状況として、自分の勉強になることであれば進んで現場へ行って仕事をするというのが一般的であったが、原告藤田は、自分の知識の向上が図れるような仕事を上司に指示されても、やる気がないのか、上司の指示に従わないことがあるなど、仕事に対する積極的な意欲と自己啓発に対する前向きな姿勢がまったく見られなかった(乙一一九号証二五〜二六頁)。
例えば、昭和四七年半ば頃、四号ボイラから出る排ガス中の窒素酸化物の量を下げるために、ボイラ燃焼用空気量を減らす試験操作(窒素酸化物の低減化試験)を行っていた時のことであるが、一人前の発電マンになるためには、ボイラ内の燃焼状況を十分把握しておかなければならないので、田部井主任が原告藤田の勉強にもなると考え、原告藤田にボイラ内の燃焼状況を点検してくるように指示した。ところが、原告藤田は「自分は九級職だから、このような仕事をする必要がない」などと言って、田部井主任の指示を拒否する態度を取ったので、田部井主任が厳しく注意を与えた末、いやいや現場へ点検に行くという積極性に欠けた態度であった(乙一一九号証二五〜二六頁、中野主尋二一五〜二二五)。
(四) 昭和五五年度、原告藤田は、現業技術・技能認定制度によるA級の受験資格があったのでこれを受験したが、およそ運転業務に二〇年近く従事していたとは思えない程稚拙な技術・技能・知識しかなかったため、A級は不合格となり、B級の認定を受けた。翌昭和五六年度も原告藤田は再びA級を受験したが、やはりA級と認定できる技術・技能・知識を有しているとは認められなかったので、A級は不合格となり、翌昭和五七年度の受験の際、ようやくA級に合格するという有様であった(甲五七七の一、五四〜五五頁、乙一三二号証二二〜二三頁、乙一三七、一三八)。
5 安全に対する意識が希薄であった。
原告藤田は、安全に対する意識が極めて薄いうえ、軽はずみな行動をとりがちで、定められた手順やルールを守らないで仕事をすることがよくあり、上司や同僚は安心して原告藤田と一緒に仕事をしていくことができなかった(乙一二〇号証五〜六頁)。
例えば、昭和四七年の暮れ頃、発電所の構内にある二七万五〇〇〇ボルトの変電所の工事のために実施した作業用接地の取付・取外操作において、原告藤田は操作手順を無視した行動を取ったことがあった。すなわち、工事を実施する前に行われる接地取付操作においては、誤操作をすると操作員が感電する危険があるので、安全確保のため(和賀井主尋七八〜七九)、実際に接地の取付けを行う前に必ず補機操作員と現場に立ち会っている運転責任者(当直主任)の間で接地箇所を確認する意味で、指差呼称を行うことが作業用接地規則、作業用接地取扱基準、指差呼称要綱等で定められている(乙一二〇号証六頁、和賀井主尋八〇〜八三、一三七、和賀井反尋八〜一〇)。しかしながら、原告藤田はこの時指差呼称をせずに作業にとりかかろうとしたため、現場で立ち合っていた当直主任があわてて原告藤田の行動を止め、「手順と違っているから手順どおりに作業を進めなければだめじゃないか」と厳しく注意するということがあった(乙一二〇号証六〜七頁、和賀井主尋七六〜九二)。ところが、原告藤田は、このような厳しい注意を受けたにもかかわらず、同じ日の工事終了後の接地取外操作の時にも再び同じミスを繰り返した。すなわち、接地の取付・取外操作は、安全確保のため、作業現場において運転総括責任者(当直長)の指示があってから開始することが規則で定められているが(和賀井主尋九五〜九九)、原告藤田は接地取外操作開始の指示はおろか、運転総括責任者がまだ作業現場に到着しないうちに操作を始めようとした。この時も、当直主任があわてて原告藤田を止め、再度厳しく注意しなければならなかった(乙一二〇号証七頁、和賀井主尋九三〜一〇九)。
6 上司から業務指示や指導・注意があっても反省することなく、反抗的な態度を取っていた。
原告藤田は、上司から業務指示や指導・注意があっても、素直に従わず、ふてくされた態度を取るなど反抗的態度を繰り返していた。そのため職場の先輩・同僚から信頼されていなかった(乙一一九号証二五〜二六頁、乙一二〇号証三頁、乙一二一号証八頁、乙一二二号証五〜六頁)。
(一) 例えば、前記4(三)で詳述したように、昭和四七年半ば頃、四号ボイラから出る排ガス中の窒素酸化物の量を下げるために、ボイラ燃焼用空気量を減らす試験操作を行っていた時、主任が原告藤田にボイラ燃焼状況を点検してくるように指示したところ、原告藤田は「自分は九級職だから、このような仕事をする必要がない」などと反抗し、主任に厳しく注意された末、いやいや現場へ向ったということがあった(乙一一九号証二五〜二六頁、中野主尋二一五〜二二五)。そもそもボイラ燃焼状況の点検は、九級職であれ、運転員であれば誰もが行うべき業務であり、それを「自分は九級職だから、このような仕事をする必要がない」などと発言するのは言語道断であるといわざるを得ない(中野主尋二二四〜二二五)。
(二) また、昭和五〇年の夏頃、通勤バスで通っていた原告藤田が乗用車で臨時に通勤したい旨の申請を発電課副長に対して行った時のことであるが、被告では通勤途上の安全を考えて、可能な限り電車やバスで通勤をすることになっており、乗用車を使用する場合には、理由を聞いて許可する扱いになっていた。そのため、副長が原告藤田にその理由を尋ねたところ、原告藤田は「それならいい」と言って、突然副長の目の前で申請書を破り捨てるという反抗的態度をとることがあった(乙一二二号証五〜六頁)。
7 職場規律を乱し、他の者の士気を低下させるような社員常識に欠けた勤務態度をしばしば取っていた。
(一) 原告藤田は補機操作員をしていた頃、直内で行われるミーティングの際、私語をしていたり、ミーティングの話を聞いていなかったりしたことがたびたびあり、上司から注意されるということが何度もあった(乙一一九号証二六頁、乙一二〇号証八頁、中野主尋二二六、和賀井主尋一三一〜一三二)。
例えば、昭和四六年秋頃、当直では安全と健康を目的に直内ミーティングの後、職場体操を実施していたが、原告藤田はその体操の際、デレデレと他の班員に話しかけていたことがあり、上司から注意されるということがあった。その後も原告藤田にはこうした態度がしばしば見られ、何事に関しても、それに専念し一生懸命行うという態度が認められなかった(乙一一九号証二六頁)。
(二) 昭和四六年秋頃、原告藤田は勤務時間中に、中央操作室の机上で「文藝春秋」を読んでいたことがあり、上司から注意されるということがあった。このように勤務時間中に、しかも中央操作室内で雑誌を読む者など原告藤田の他に一人もいなかった(乙一一九号証二六〜二七頁、中野主尋二二六)。
(三) 昭和四八年、発電課長の指示により、台風襲来による送電線の故障などの系統事故を想定して、主にボイラ減圧運転や系統への並列操作を対象とした事故時想定訓練を実施した。この訓練は、実際にボイラの圧力を下げたり、系統への並列をするわけにはいかないので、一連の操作過程を模擬的に設定し、当直長の指揮の下、諸操作を訓練するものであったが、模擬訓練であるため、適度な緊張感と節度ある態度で各人が真剣に行うのでなければ訓練自体の効果が上がらないおそれがあった。ところが原告藤田は事故時想定訓練が不測の事故に備えるという意味で大変重要なものであるにもかかわらず、にやにやしながら不真面目な態度に終始し、他の直員の士気を乱したため、訓練終了後の講評時に、当直長から厳重に注意されるということがあった(乙一一九号証二七〜二八頁、乙一二〇号証八頁、中野主尋二二七〜二三四、和賀井主尋一三一〜一三四)。
(四) 原告藤田は、補機操作員をしていた頃、勤務時間中に居眠りをしたり、椅子の上に、足を投げ出しているなどだらしない態度を取っていたので、上司から何度も注意された(乙一九号証二八頁、乙一二〇号証八頁)。
8 休暇取得の際、きちんと手続きを守らなかった。
(一) 発電所の運転職場では、休暇をとる場合、代勤の手配等の関係で、緊急やむを得ない場合を除いて、自分で代勤者を探し通常遅くとも二、三日前までに申請して、予め上司の承認を得るのが職場のルールになっていた(乙一二〇号証七〜八頁、和賀井主尋一一〇〜一一三)。ところが、原告藤田は、緊急やむを得ない場合でないのに上司にまったく連絡しないまま休暇を取ったり、当日になって突然休暇の届出をしてくるということがしばしばあり、そのため、上司が代勤者の手配に苦労したり、代勤にあたった者が迷惑をこうむったりしていた(乙一二〇号証七〜八頁、乙一二一号証九頁、和賀井主尋一一〇〜一三〇、五十嵐反尋二六〜二七)。
(二) また、昭和四八年の初め頃、原告藤田は緊急やむを得ない理由もないのに、上司にまったく連絡のないまま休暇を取り、当日、代勤者が出勤してきてはじめて原告藤田が休暇を取ったことがわかったということがあった。これは手続をまったく無視した休暇の取り方だったので、上司が原告藤田に対して厳しく注意し、今後このようなことがないよう指導したところ、原告藤田は「代勤の手配さえしておけばそれでいい」などと、規則を無視する発言をし、まったく反省することがなかった(乙一二〇号証七〜八頁、和賀井主尋一一〇〜一三〇)。
(三) 発電所の運転職場は三交替勤務で常に誰かが勤務していなければならなかったが、千葉火力の運転職場には九州や北海道から就職した者も多かったため、夏休みあるいはお正月等に帰省を希望する者も多かった。そのため職場全体で調整して順番に休んで帰省できるようにするなど協力しあって休暇を取得していた。ところが原告藤田は、例えば五月の連休など、皆が休みたい時に、このような調整をすることなく、自分勝手に旅行・登山の計画を立てて三〜七日程度の連続した休暇を取ってしまうということが何度もあり、職場内での協調性に欠けていた(乙一二一号証九頁、五十嵐反尋四〇〜四一、四五〜四六)。そればかりでなく、三〜七日程度の連続した休暇を取る時は、代勤の手配が大変なので、通常は自分で代勤の候補者を手配して休暇の申請をするのであるが、原告藤田は代勤の手配をしないで連続した休暇の申請をし、上司や代勤を頼まれる同僚に迷惑をかけるということが何回かあった(乙一二一号証九頁、五十嵐反尋一三六〜一三七)。
例えば、昭和四七年七月、原告藤田は七月から八月にかけて約一か月間の休暇を申請してくるということがあった。通常夏場は電力需要が多く、最も業務繁忙の時期であるだけでなく、誰もが休暇を取りたい時期であるため、上司から休暇の取り方を改めるよう重ねて協力要請されたにもかかわらず、原告藤田は「私のようなペエペエの九級職は、いてもいなくても差し支えないのではないか」などと反抗的な態度をとるということがあった(乙一二一号証九〜一〇頁、五十嵐反尋五七、一三八〜一四〇)。この時は突然三号ユニットが定検に入ったため(三号ユニットがトラブルにより運転停止となったため、急遽九月に予定されていた定検が行われた)、事無きを得たが、原告藤田のように、いてもいなくても差し支えないというような発言をする社員は他にいなかった(五十嵐反尋一四〇)。
(四) 原告藤田が千葉火力発電課の日勤勤務であった頃のことであるが、日勤の職場においても、休暇を取得する際は、予め上司の承認を得て休むことになっていたにもかかわらず、昭和五〇年夏頃、原告藤田は休暇を取得する前日に夏休のゴム印を勤務表に押しただけで、上司の承認を得ずに無断で休んでしまった。そのため休暇の翌日、上司から厳しく注意された(乙一二二号証六頁)。
9 その他
(一) 昭和五五年四月頃、一号ユニットの定期点検作業の際、撤去予定のスートブロワー設備を取り外して、中央操作室の脇に仮置してあったところ、原告藤田は無断でそのスートブロワー設備の中にあるタイマーを取り外して、個人のロッカー内に保有していたことがあった。撤去される設備であっても除却手続を経なければ書類上会社財産として扱われるため、主管課である工事課から、タイマーが紛失したことについて発電課に問い合わせがあり、その結果原告藤田が同人のロッカー内に保有していたことが判明したが、このように除却手続を経ていない会社財産を無断で個人ロッカー内で保有するなど普通の社員常識では考えられないことであった(乙一二一号証一〇〜一一頁、乙一二五乃至一二九、五十嵐主尋八四〜九二)。そのため、原告藤田に対し、発電課長から、厳重な注意があり、顛末書を作成・提出するよう命じられたが、原告藤田は「自分を落し入れようとしている」などと反抗し、まったく反省する姿勢が認められなかった(乙一二五ないし一二九、乙一二一号証一一頁、乙二二〇号証七〜八頁)。
(二) けが・病気による長期間の欠勤があった。
(1) 昭和四一年七月頃、原告藤田は腕を骨折し、三交替勤務が不可能になったため、やむを得ず、同年八月一日から同四二年一月一七日まで通常勤務(日勤)に変更するということがあった(原告藤田反尋四一〜五一、甲五七七号証の一、四四頁、乙一二一号証一〇頁、五十嵐反尋一四一〜一四四)。
(2) 昭和四八年一一月頃、原告藤田は慢性糸球体腎炎で四七日間欠勤したため、その年度の出勤状況は不良と評価せざるを得なかった。また、出社後も病気のため夜間勤務が不可能だったので、やむを得ず同人を昭和四九年一月から通常勤務(日勤)へ配置せざるを得なかった(甲五七七号証の一、九七頁、乙一二一号証一〇頁、五十嵐主尋一〇二〜一〇七)。
第七節  原告木村
一  昭和五〇年二月まで(副班長任用まで)の勤務状況
原告木村の勤務ぶりは与えられた仕事は一応こなすものの仕事に対する姿勢は消極的で、後輩の手本となり、育てていくという点でも先輩としてのリーダーシップに欠けていた(乙一七四号証六頁)。そこで同期同学歴の四〜五名の優秀な者と比較した時には、八級と評価される職務に任用される時期が遅れたことは事実であるが、それはやむえない相応な扱いである(飯田主尋問一四〜一六項)。
二  昭和五〇年二月以降(副班長任用後)
1 担当業務
原告木村は昭和五〇年二月一日から発電の副班長として勤務していた。
2 勤務状況
原告木村は与えられた仕事をただ漫然と処理するだけで仕事に対しての熱意が感じられず、通常やり慣れた仕事でさえミスが目立った。また、副班長としての職位に望まれる責任感の稀薄さと自分勝手な行動によりチームワークを乱し、下位職位に対するリーダーシップがひどく欠如していたものである。
(一) 当時、中央操作室内の整理整頓は、副班長が中心となり、率先して実施することになっていたが、副班長である原告木村は、自分の利用したものは整理するが、中央操作室全体の整理整頓に対して目を配らず、実施せず、未整理のまま次直へ引継ぎしようとし再三注意されていた。原告木村は注意された後、数日については整理整頓をしていたが、しばらくすると実施しないという勤務ぶりであり(乙一六〇号証一五頁)、自分の職務に対する認識に欠けていたものである。
(二) 原告木村は昭和五一年一一月頃、遅番の仮眠の時に若い班員が三回も起こしにいったにもかかわらず起床せず、約一時間も遅れたため、若い人の手本となるべき副班長としては職場の秩序を著しく乱した(乙一六〇号証一六頁)。
(三) 昭和五一年暮れ、班の忘年会の二次会の席上で原告木村は小型テープレコーダーを隠しもって、若手数名の班員に対して、席上の話を録音したと申し述べたため、これに激怒した若手との信頼関係を失い、仕事上のチームワークを著しく害し、仕事上の影響は相当のものであった(乙一六〇号証一七頁)。
(四) 昭和五一年一一月頃、二号ユニットが起動並列後、燃料油戻り弁の開閉状態を誰も確認せず「開」のままになっていたため、流体・主蒸気温度が異常に上昇したことがあった(乙一六〇号証一八頁)。このバルブの開閉の操作は主機操作員の指示により補機操作員が操作することになっていたが、このような起動時には、補機の副班長が開閉状態を確認し、操作がなされていない場合には、その旨を主機操作員に連絡して、直ちに現場操作を行い運転に万全を期することになっていた(同一九頁)。このような万全の体制がとられていなかったため、班全体で二度とこのような不都合を発生させないためにも反省会を実施したのであったが、その際原告木村は他人ごとのように平然とし、皆が反省しているにもかかわらず反省の発言がまったくないため、田辺主任がその席上厳重に注意したのであった(田辺主尋問一七五項)。
(五) 給水昇圧ポンプの水抜きは、昇圧ポンプ入口ストレーナブロー弁、そして昇圧ポンプ本体ブロー弁を開いて実施することになっていたが、原告木村は入口ストレーナブロー弁だけを開にして水抜きをしていたという初歩的ミスを犯していた。更に、その際の水抜きでは、原告木村は、封水ストレーナ入口弁を閉にせず、封水を注入したまま実施していたため、いつまでたっても終了しないという状態であった。これらの操作は、給水ポンプ操作カード(乙二四七号証)を事前に勉強するなり、当日持参すれば、どの弁を開き、どの弁を閉じるのか、どのような順序で行うのかは一目瞭然であるため、上良班長が仕事に対して真剣に取り組むように注意したのであった(乙一七三号証一五頁)。
(六) 原告木村が一次過熱器出口安全弁の一つが蒸気漏れということで作業依頼連絡票を作成したため、村山班長が現場に同行し現場確認したところ、他の安全弁にも蒸気漏れが認められた。そこで村山班長は原告木村にその蒸気漏れの見落しを指摘し、作業依頼連絡票を発行させたことがあり、パトロールについてもずさんであった。
(七) 原告木村が二直で燃料設備のパトロールを担当した際、パトロール終了後一日分のチェックシートを当直長に持参し、報告のうえ確認印をもらうことになっていたにもかかわらず、原告木村はこれを怠り、落合班長に指摘されて、しぶしぶ報告へいくという熱意のない勤務ぶりであった(乙一七三号証一七頁)。
第八節  原告山田
一  昭和四九年まで
1 担当業務
原告山田は昭和三六年四月に被告に入社して千葉火力発電所に配属され、研修を受けた後、運転課(後の発電課)に配属となり、昭和四九年までの間は、主に補機操作の業務を担当し、後年には主機操作の業務を担当したこともあった(甲七四一号証の一、一〜二頁、乙一八四号証六頁七〜八行目、同七頁四行目、石井証人主尋二二〜二三)。
2 勤務状況
(一) 技術・技能が劣っているのみならず、向上意欲にも欠けていた。
原告山田は、業務知識・技術・技能のレベルが低く、明らかに他の人よりも劣っていたが、技術や技能等を向上させようとする意欲にも欠けていた(乙一八四号証一二頁一〇行目、一七頁六〜七行目、石井主尋二四)。その例を幾つか挙げると、次のとおりである。
(1) 昭和四六年春頃、原告山田がボイラの主機操作の代行をしていた際、低出力運転時に「ドラムレベル高」の警報が発生したにもかかわらず、原告山田はこれを調整することができず、他のユニットを運転していた班長が、見るに見かねて原告山田と替わってドラムレベルの調整操作を行うという有様であった(乙一八四号証一二〜一三頁、石井主尋一一九〜一四二)。
(2) 昭和四七年の末頃、原告山田に主機操作の研修として一号ボイラ起動時の点火操作を行わせたところ、点火時の風量調整操作がうまくできず、滅火寸前となり、班長から細かい指導を受けたことがあった(乙一八四号証一四〜一五頁、石井主尋一五四〜一五九)。そして、このように上司から技術指導を受けた場合は、次に操作する時のために指導された内容についてメモを作ったり、不明な点を確認したり、班長の操作ぶりを観察するなどして勉強をするチャンスでもあるのだが、この時の原告山田はさっさと休憩してしまい、技術・技能の向上に積極的に取り組もうとする意欲がまったく見られなかった(乙一八四号証一五頁)。
(二) やる気がなく、いい加減な勤務ぶりであった。
原告山田は仕事をきちんとやろうとする気持ちや責任感がなく、いい加減で手抜きの勤務ぶりであった(乙一八四号証七頁五行目、一二頁一〇〜一一行目)。その例を幾つか挙げると次のとおりである。
(1) 昭和四六年初め頃、原告山田が巡視業務を行っていた時のことである。巡視は、徒歩や自転車で油配管やバルブからの蒸気や油の漏洩等の異常の有無を点検することになっていた。当然マイカーを使用することは禁止されていた。ところが原告山田は、重油ライン及び同ポンプ室を巡視する際、マイカーを使用するという手抜き巡視を行い、そのため当直長から厳しく注意を受けた(乙一八四号証八〜九頁、乙一五九号証、石井主尋四三〜六三)。
(2) 昭和四七年夏頃、原告山田が海水冷却水ポンプ(所内用水冷却器へ海水を汲み上げ、送るポンプ)の巡視業務を行っていた際のことである。原告山田は、巡視時にこの海水冷却水ポンプの出口圧力が上昇していたにもかかわらず、異常なしといういい加減な報告を行ったのである。この時は幸いにして、原告山田の巡視後、随時巡視した主任が出口圧力の上昇を発見し、直ちに逆洗をするよう指示したので事無きを得たが、そうでなければ大変な事態になるところであった(乙一八四号証九〜一〇頁、乙一八七号証、石井主尋六四〜九四)。
(3) 昭和四七年末頃、原告山田が電気集じん器の槌打ち時間のタイマーのセット変更操作を担当していた時のことである。この操作については指示書も出されており、またミーティングでも周知徹底されていたにもかかわらず、原告山田は忘れて行わなかった(乙一八四号証一〇〜一一頁、石井主尋九五〜一〇四)。
(三) 操作ミスが多くあった。
その例を幾つか挙げると次のとおりである。
(1) 昭和四四年秋頃、一号機の定期点検の際のことである。この日は三台ある給水ポンプのうち一台の給水ポンプ(これを「Aポンプ」という。)は修理が完了して試運転を行う予定になっており、他の二台のうち一台の給水ポンプ(これを「Bポンプ」という。)はストレーナー(ポンプ入り口の網状構造の濾過器)の清掃・修理が予定されていた。そしてこの日原告山田は、Bポンプに関連するバルブをすべて「閉」にする操作の指示を受けた。ところが原告山田は、いくつか(七個くらい)操作すべきバルブのうち、再循環バルブについては、本来指示されたBポンプではなく、試運転予定のAポンプの再循環バルブを「閉」に操作するというミスを犯したのである。この時は幸いなことに、Aポンプの試運転の立会いに来ていた保修課の監理員が原告山田の操作ミスを発見したため事無きを得たが、そのまま気付かずにAポンプの試運転を行った場合には、Aポンプ本体やフランジの破損にもつながる重大な結果をもたらすところであった(乙一八四号証七〜八頁、石井主尋二六〜四二)。
(2) 昭和四八年夏頃、二号ユニットの定期点検の最終段階で行うボイラ安全弁テストのため、軽油による焚き上げを行った際のことである。原告山田に二号ボイラの点火を指示したところ、原告山田は軽油ラインの確認を怠り、軽油元弁が微開のまま点火するというミスを犯し、そのため燃焼が不安定状態(燃焼不足)となってしまい、班長から注意を受けた(乙一八四号証一一〜一二頁、石井主尋一〇五〜一一八)。
(四) 積極性が見られなかった。
原告山田は積極的に仕事に取り組む姿勢が見られなかった。例えば、昭和四七年夏、くらげが大量に千葉火力発電所の冷却水取水口に押し寄せ、冷却水の取り入れが不能となり、全ユニットが緊急停止となった時のことである。このような緊急事態発生時には、短時間でユニットを起動し復旧する操作を行わなければならないので、主機操作員と補機操作員が一体となって復旧作業に取り組まなければならず、補機操作員としては、今何をすべきかを判断し、補機類の状況把握を行い、それらの状況を主機操作員に的確に報告したり、主機操作員からの指示を迅速に処理するなど、一体となって復旧作業に取り組む必要がある。ところが原告山田は、補機操作員として積極的に復旧作業に取り組む姿勢がまったく見られず、主機操作員から指示を受けても操作がまったく手に付かない(うまくできない)状態であり、他の人が原告山田の分まで操作を行っているという有様であった(乙一八四号証一三〜一四頁、石井主尋一四三〜一五三)。
(五) 職場のルールを守らなかった。
原告山田は、職場のルールを守らないことが多く、当直員として無責任極まる勤務態度であり、しばしば上司から注意を受けていた(乙一八四号証一五頁八〜九行目、一七頁一〜二行目)。その例を幾つか挙げると、次のとおりである。
(1) 休暇申請
前記のように、休暇を取得する時は、自分で代勤者の手配を行った上、事前(遅くとも二〜三日前)に上司の了解を得て休むのが職場のルールになっていた。ところが原告山田は、緊急な事情もないのに、自分で代勤者の手配もせずに直前に休暇を申請することが多く、時には勤務時間に入ってから電話で連絡をしてくることもあり、そのため、職場の上司は代勤者の手配で大変苦労をしていた。とりわけ昭和四四年頃にこの傾向が強く、また夜勤を休むことが多かったので、代勤の件で同僚から不満の声が出ていた(乙一八四号証一五〜一六頁、石井主尋一六一〜一七一)。
(2) 無断離席
原告山田は無断で職場を離れることがしばしばあった。例えば、
① 昭和四八年秋頃、出勤したものの無断で歯医者に行き、勤務交替時の引継ぎにもその後のミーティングにも参加せず、副長、主任から厳しく注意されたことがあった。
② 同じ頃、無断で理髪に行き、主任から注意を受けたことがあった。
③ また、巡視・点検時に自分の区域外の取水でさぼっていたり、無人の水処理室で雑誌を見ていたことがあり、主任から注意を受けていた(以上、乙一八四号証一六頁、石井主尋一七二〜一七四)。
二  昭和五〇年から昭和五五年一一月まで
1 担当業務
この時期も、原告山田は千葉火力発電所発電課に所属し、操作員として主機または補機を担当していた(乙一八六号証五頁、宮沢主尋二七)。
2 勤務状況
この時期も、原告山田は火力発電所の操作員としての技術が身についておらず、仕事に対する積極性、責任感、協調性が欠けていた(乙一八六号証一三頁、宮沢主尋一五一)。具体的には次のとおりである。
(一) やる気がなく、無責任でいい加減な仕事ぶりであった。
原告山田は仕事をやる気がなく、無責任でいい加減な仕事ぶりでミスも目立った(乙一八六号証九頁九行目等)。その例を幾つか挙げると次のとおりである。
(1) 原告山田は、普段からミーティングに気が入っておらず、下を向いたりするなど、ものを真剣に聞こうという態度が見られなかったのであり、内容の確認や意見具申をすることもなかった(乙一八六号証九〜一〇頁、宮沢主尋一〇一〜一〇六)。
(2) 昭和五三年夏頃の三直時、本来の主機操作員(野沢班長)が仮眠中で、原告山田が主機操作の代行を行っていた時のことである。原告山田は、上司(宮沢班長)から、四号サンプリングラック室の飽和蒸気弁グランド漏洩が見つかったので適切に対応するようにとの指示を受けた。ところが、原告山田は、指示を受けてから自分が仮眠する時刻になるまでに十分な時間があったにもかかわらず、自ら現場の状況の確認をしないばかりか、仮眠交替の引継ぎ時に主機操作員(野沢班長)に報告もせずにさっさと仮眠してしまうということがあった(乙一八六号証一一頁、宮沢主尋一二五〜一三五)。この時は、宮沢班長が仮眠に入る前に野沢班長に対し、原告山田からこの件で引継ぎを受けているかどうか確認したところ、引継ぎがないことが判明し、急拠野沢班長が適切な処置をとったために事無きを得たのであった(宮沢反尋五五〜六一、一四四〜一四八)。
(3) 昭和五三年秋頃、原告山田が主機操作の代行をしていた時のことである。原告山田は、タンク元弁の「開」を確認することを怠り、「閉」になっていたにもかかわらず、該当する四号ユニットのポンプ室に直行し機器の点検をした上、中央操作室にポンプの運転を指示するというお粗末さであった。この時は、原告山田から指示を受けた藤井が燃料ポンプのスイッチを「入」にしたところ、燃料油ポンプ出口圧力計に異常が出たので、近くにいた根本副班長が気付いて運転を停止したため、事無きを得たが、タンクの元弁を開けずにそのままポンプの運転を続けると、ポンプが焼損するおそれがあった(乙一八六号証一一〜一二頁、宮沢主尋一三六〜一五〇)。
(二) 基本的な操作もできなかった。
原告山田は、主機操作員の経験があれば誰もができるはずの操作をすることができなかった。例えば、昭和五三年春頃の三直時、原告山田が主機操作代行中のことである。現場にパトロールに出ていた補機操作員から原告山田に、ABCコンプレッサーに異音が発生しているとの状況連絡が入り、その補機操作員は制御不能等重大な事態に発展するおそれもあるため原告山田からの指示を待っていた。ところが原告山田は、本来であればすぐ現場に行って状況を確認し、適切な処置をしなければならないにもかかわらず、どのように対応したらよいか判断できずにまごまごしているだけであり、そのため他のユニットを担当していた佐藤副班長が見かねて現場に行き、状況を確認の上コンプレッサーを切り替える操作を行うという有様であった。このコンプレッサー切替の操作は当然できなければならないものであった(乙一八六号証一〇頁、宮沢主尋一〇七〜一二四)。
(三) 休暇取得にあたり職場のルールを守らなかった。
原告山田は、勤務時間の直前になってから、緊急やむを得ない事情があるか否かの理由を明確にしないまま、前直の人にただ「休みます」と伝えて休暇を申し出ることが何度かあり、職場のルールを守らなかった(乙一八六号証六頁、宮沢主尋二八〜三六)。
(四) 協調性に欠けていた。
原告山田は自分勝手な行動をとることが多く、協調性に欠けていた(乙一八六号証八頁一〜五行目、宮沢主尋八〇等)。その例を幾つか挙げると、次のとおりである。
(1) 当時、急な事情で当直員に欠員が生じ、誰かが代勤に入らなければならなくなった場合、当直員間の公平を期する観点から皆が交替で順次代勤を引き受けることになっており、代勤を依頼された者は極力都合をつけて代勤を行い、どうしても都合がつかない時は理由を明確にして他の者に代わってもらうことになっていた。そして、他の者は皆そのとおりにしていた。ところが原告山田は、こうした状況の下で代勤を依頼された際に、理由を明確にせずに代勤を拒否することがあり、まったく自分勝手であった。①例えば、昭和五〇年暮れ頃、二班の和田光雄が家族に不幸があって忌引休暇を取ったので、一週間程度代勤者を必要とした際のことである。和田光雄の所属していた二班の当直主任から原告山田が所属していた一班にも代勤の依頼があり、何人かは交替で代勤を引き受けていたのであるが、原告山田は、二〜三日後の代勤を依頼された時に、ただ単に「できません」と言うだけで理由を明確にせずに代勤を拒否したのであった。②また、昭和五三年夏頃、千葉火力が負荷調整火力としての役割を担っており、ユニットの並列、解列の時刻はその都度給電から指令があって、これに基づいて運転していた時期のことである。ある日の夕方、二直の勤務をしていた原告山田の班に、給電から、その日の三直時に停止中の二台のユニットを運転しろとの指令が入り、三直の班で運転要員確保のため代勤者を入れる必要が生じた。そこで、二直の班の渡辺当直副長が技術レベルや代勤の片寄りがないように等の事情を考慮し、原告山田を適任と考えて三直の代勤を依頼したところ、原告山田は理由も言わずに代勤を拒否するという有様であった(以上、乙一八六号証六〜八頁、宮沢主尋三七〜七九)。
(五) 約束したことを何の連絡もなく反故にし、常識に欠けていた。
原告山田は自分で約束したことを何の連絡もしないまま反故にした上、平然としているという自分勝手で非常識な態度をとっていた。例えば、
(1) 昭和五三年夏頃、会社の文化会行事として納涼祭が行われた際のことである。原告山田の所属していた班は、焼き鳥の模擬店を出すため、当日の昼過ぎに集合して準備することになっており、原告山田もこれに参加することを約束していた。ところが原告山田は何の連絡もしないまま時間になっても集合せず、納涼祭にも欠席してしまい、後日不参加の理由を聞かれても「寝過ごしてしまった」と答えるだけで、悪びれた様子も見せなかった。
(2) また、昭和五三年秋頃、会社の厚生施設で同じ班で懇親会を開いた際のことであるが、原告山田は前もって出席を約束していたにもかかわらず、当日何の連絡もしないまま欠席するという非常識ぶりであった(以上、乙一八六号証八〜九頁、宮沢主尋八一〜一〇〇)。
(六) 交通事故を起こし、欠勤した。
原告山田は昭和五三年一二月にオートバイを運転して事故を起こし、約三か月間休務となり、有給休暇では足りずに五〇日間欠勤となった。また休務後もけがが完全に回復していなかったため、約一年間は当直勤務に就くことができずに、発電課日勤の応援という業務を担当せざるを得なかった。この事実は原告山田自身も認めていることであり、このために、同時期の原告山田の査定が低くなるのは当然ことである(宮沢主尋一〇〜二五、甲七四一の一)。
三  昭和五五年一二月以降
1 担当業務
原告山田は、昭和五五年一二月に五井火力発電所に異動となり、発電部に配属され、補機操作を担当していた(乙一八五号証一頁、乙一八三号証二頁、大野主尋八)。
2 勤務状況
同時期、原告山田は、入社二〜三年で同じ補機操作員の若手と比較すると、論外なくらい劣っていた(大野主尋一〇七〜一〇八)。
(一) 五井火力の設備や機器の操作方法をまったく勉強しなかった。
(1) 千葉火力と五井火力とでは設備が異なっているので、五井火力に転勤してきた者は、千葉火力の発電職場での経験がどんなに長くても、五井火力の設備や機器の操作方法について勉強する必要があった。ところが原告山田は、操作基準や研修資料等を意欲的に勉強したり、疑問点を上司や同僚に確認するというようなことはまったくなかった(乙一八五号証二頁五〜八行目)。
(2) また原告山田は、昭和五六年一〇月に五井火力の五・六号中央操作室から三・四号中央操作室に異動になったが、五井火力の三・四号と五・六号とでは製造メーカーも型式も細かい補機関係の仕様や機器の配置も異なるため、ユニット操作基準、操作カード、OJT訓練シート等を用いて自分で勉強する必要があった。ところが原告山田は、初めての三・四号中央操作室勤務にもかかわらず、現場の機器の種類や操作方法について自分から進んで勉強する様子がまったくなかった(乙一八三号証三頁、大野主尋一〇〜一七)。
(二) 技術レベルが低く、操作ミスが多かった。
原告山田は技術レベルが低く、入社二〜三年の社員でも確実にできるような初歩的なレベルの操作も満足にできず、ミスを犯していた(乙一八三号証四頁)。その例を幾つか挙げると次のとおりである。
(1) 昭和五六年一二月六日、三号ユニットの起動準備のため、給水ポンプの水張り操作を原告山田に行わせた際のことである。原告山田は、操作に入るまでに手順を勉強しておく時間が十分にあり、かつ操作カード(手順書)で確認してから現場での操作に入ったにもかかわらず、操作に手間どり、予定時間(四〇分程度)を大幅に上回ったばかりか、操作の数箇所で初歩的なミスを犯し(封水バイパス弁の操作忘れ、過熱防止弁の操作忘れ、クエンチ水使用忘れ、エア抜き不完全、遮断器の操作忘れ)、班長から注意を受けた。これは主ポンプの軸受けの損傷をもたらしかねないミスであった(乙一八三号証四〜五頁、乙一八九号証、大野主尋一九〜五三)。
(2) 同じく昭和五六年一二月六日、給水ポンプ水張り操作の後に缶水ポンプの水張り操作を原告山田に行わせたところ、やはり操作に入る前に操作カードできちんと手順を確認したにもかかわらず、原告山田は操作の数箇所で初歩的なミスを犯しており(クエンチ水使用忘れ、補助油ポンプ起動忘れ、エア抜き不完全)、班長から厳しく注意を受けた(乙一八三号証六〜七頁、乙一九〇号証、大野主尋五四〜七一)。とりわけクエンチ水の使用忘れとエア抜き不完全は、直前に行った給水ポンプの水張りの際のミスとして指摘されたばかりであり、原告山田のレベルの低さを如実に物語るものである。
(3) 昭和五六年一二月一四日、原告山田が班長から補助蒸気の使用操作を指示され、操作カードにより現状(弁の状況、使用している配管等)の説明を受けた後、自分でも操作カードなどを確認して、それを持って現場に出かけた際のことである。原告山田は、①配管内ドレンの排出を忘れ(五階フロアのドレンについては原告山田は排出するための弁の位置も分っていなかった。)、②コントロールバルブのセットを忘れ、③コントロールバルブの圧力調整器の位置が分らず、その設定値の確認を忘れ、④低圧側のライン確保を忘れるという初歩的なミスを犯して、補助蒸気系統の安全弁を作動させてしまった。なおかつ原告山田は、安全弁が作動した時の処置がまったくできず、呆然と立ちすくんだままであったので、安全弁を五回も吹かせてしまった。この補助蒸気の使用操作は、入社二〜三年生であれば十分できる操作であり、また安全弁を五回も吹かせたような者はこれまでにいなかったので、この時も原告山田は班長からかなり厳しく注意を受けていた(乙一八三号証七〜九頁、乙一九一号証、大野主尋七二〜一〇六)。このミスは原告山田自身も甲七四一号証の一、No.14、甲五二二号証の昭和五六年一二月一四日の欄で認めていることである。
(三) 漫然と仕事を処理していた。
原告山田は、集中力を欠き漫然かついい加減に仕事を処理していた。例えば、現場にある警報装置などのテストを行う際の連絡を忘れたり、パトロール時に機器の異常を発見できないということもしばしばあった。そのため職場の仲間から「新入社員でもできることができない」という声があがるようになり、職場の信頼を失っていた(乙一八五号証二頁九〜一三行目)。
(四) 積極性・やる気に欠けていた。
原告山田は積極性もなくやる気に欠け、中央操作室にいる時はBTG盤から離れて一人座っている姿がいつも見受けられた(大野主尋一八)。
(五) 職場の同僚とのチームワークが悪かった。
発電職場はチームワークが第一の職場であったのだが、原告山田は暗い感じで、職場の仲間に対して心を開こうとせず、文化会の諸行事、職場の歓送迎会や暑気払い等にも参加しようとしなかった(乙一八五号証一〜二頁)。
第九節  原告勝俣
一  担当職務
原告勝俣は昭和三六年四月に被告に入社し、同時に横須賀火力発電所に配属され、その後昭和四〇年二月に五井火力建設所(昭和四〇年七月以降は五井火力発電所)に異動となり、現在に至っている。この間原告勝俣は、概ねボイラ関係の補機操作または主機操作の仕事を担当していた(甲六一四号証の一、五頁、乙一六〇号証八〜九頁、乙一七三号証九〜一〇頁、乙一七五号証四〜五頁、田辺主尋四四〜四八)。
二  勤務状況
1 不真面目、無責任でやる気のない勤務態度であった。
原告勝俣は、電力の安定供給に携わる当直勤務員としての自覚が劣っており、不真面目、無責任でやる気のない勤務態度で(乙一六〇号証九頁、乙一七三号証一〇頁、乙一七五号証一〇頁、高橋主尋八等)、特に操作に対する積極性と勤務態度において、後輩より明らかに劣っていた(乙一六〇号証一〇頁)。その例を幾つか挙げると次のとおりである。
(一) 原告勝俣は、ミーティングに真剣に参加せず、上司が引継内容の説明をしている最中に机の上や近くにあった新聞(組合の機関紙、情報紙)等を読むなど、不真面目で仕事に身が入っていない態度をとっていたことが何回かあった。そして、上司から「そのようなものを読んでいないで、真剣に聞くように」と何度か注意されても、一向に改めることなく、同じことを繰り返すという有様であった(乙一六〇号証一〇〜一一頁、乙一七三号証一〇〜一一頁、田辺主尋一〇七〜一二一、高橋主尋九〜一六)。
(二) 原告勝俣は、補機操作を担当していた頃、パトロールを漫然と行っており(乙一六〇号証一二〜一三頁、田辺主尋八七)、機器の異常を見落としたことがしばしばあった。すなわち、
(1) 原告勝俣がパトロールの結果を「異常なし」と報告していたにもかかわらず、後で異常が発見され、他から苦情を言われたことが何回もあり(乙一六〇号証一三頁、田辺主尋九三〜九六)、
(2) 同様に原告勝俣が異常なしと報告してきた後に上司がパトロールをしたところ、重油関係のグランドリーク等、異常が発見されたケースが何回かあった(田辺主尋九七〜九八、反尋四三、四八〜五二、五九。なお上司もパトロールを行う点については、田辺主尋三三〜四一、反尋五三〜五八)。そのように機器の異常を見落とすことが多いため、原告勝俣は必然的に、作業カードを発行することが他の補機操作員より少なかった(乙一六〇号証一二頁、田辺主尋八八〜九五)。以上のような状況の下で、上司がよく機器の点検をするよう注意すると共に、原告勝俣のパトロールに同行し、特に注意して現場を回って指導し、異常を指摘した上原告勝俣に作業カードを発行させたことが何回もあった(乙一六〇号証一三頁、田辺主尋九九〜一〇六、反尋四〇〜四一)。
(三) 昭和四六年頃、三直時にバルブテストを行い、原告勝俣(当時補機操作員)には中央操作室で待機する役割を担当させた際のことである。原告勝俣は本来、同じく中央操作室で待機して監視・操作を行っていた主機操作員の補助をしなければならないにもかかわらず、勝手に持ち場を離れて、中央操作室の裏にある休憩室で新聞等を読んでおり、上司(加藤班長)から注意されるということがあった(乙一七三号証一一頁、高橋主尋一七〜三三)。
(四) 主機操作員は、本来、
(1) 中央操作室においてユニットの起動・停止時や負荷変動時に主機を運転操作するとともに、補機操作員に現場の補機操作や点検等を指示し、
(2) 通常運転中は、中央操作室において常に操作盤に正対して目を光らせ、操作盤の各種計器類を監視し緊急時に備えるとともに、補機操作員の現場巡視の結果報告を受け、必要があれば自ら現場に出て行き、設備機器の運転状況を的確に把握し、安全かつ効率的な運転に努めなければならない(乙一七五号証五〜六頁、青木主尋一〇〜一一、一八〜二〇)。そして、他の主機操作員はそのようにしていたが、原告勝俣は、主機操作員であった頃本来とるべき行動をとっていなかった(青木主尋二一)。すなわち、
① ユニットの起動・停止時に、自分でやらなければならない操作はそれなりにこなしているものの、それ以外には、猫の手も借りたいような大変忙しい状況の下で、計器や機器の周り等をただ確認するといった程度のことしか行わず、自ら進んで指示を出すようなことはなかった(青木主尋一二〜一五)。
② 通常運転中も、ただぼんやりと中央操作室にいるだけで、操作盤に背を向けて座っていることが多く、時には、居眠りをしていたこともあった。また、自主的に現場に出向くこともほとんどなく、仕事をやる気がまったく見られなかった(乙一七五号証六頁、青木主尋一二、一六〜一七)。このような原告勝俣に対して、上司が再三注意をしたが、原告勝俣の勤務態度は一向に改まらなかった(青木主尋二二〜二三)。
(五) 発電職場では、班員の安全意識を高揚させ、トラブルの再発を防止するために、班員全員参加による事故例検討会等が行われており、他の班員はこれらに真剣に取り組み、積極的に発言していた。ところが原告勝俣はいつも傍観者的な態度であり、ほとんど発言をしなかった(乙一七五号証六〜七頁。青木主尋二七〜三二)。
2 仕事上のミスが目立った。
原告勝俣は仕事上のミスが目立ち、安心して仕事を任せられなかった(乙一六〇号証一三頁、青木主尋六四、田辺主尋一二二〜一二五、反尋六〇〜六一)。その例として、次のようなことがあった。
(一) 昭和五二年頃、燃料タンク用の防災設備である海水消火ポンプの保修工事を行った際、原告勝俣は、工事中に海水消火ポンプが作動しないように、COS(遠方操作スイッチ)を「切」の状態にするよう命じられた。このCOSは、車のハンドブレーキのような形のレバーで、「切」の状態にするには、これを引いてロックしておくことが必要であった。ところが、原告勝俣の操作が不十分であり、右COSが完全に「切」の状態になっていなかった。このような状態の下で、現場の作業員たちが、原告勝俣からの「切」にしましたという連絡を信頼して海水消火ポンプの修理作業を行いはじめたところ、突然右ポンプが作動してしまい、取り外していたフランジのところから海水が吹き出したことがあった(乙一七五号証七〜八頁、青木主尋三八〜五一)。この海水消火ポンプ作動の原因は原告勝俣の操作ミスであって他の人にはミスはなく、また、これは高圧の海水が吹き出して人身事故を招くおそれが多分にある重大なミスであった(青木主尋五二〜五三、青木反尋六四)。
(二) 昭和五二年春頃、原告勝俣はユニットの起動時に、ボイラ内の水の水質(ペーハー)を調整するための「薬注ポンプ」のバルブ操作を誤り、本来は薄い方のヒドラジンのバルブを開けなければならないにもかかわらず、濃い方のヒドラジンのバルブを開けてしまうというミスを犯し、班長から厳しく注意を受けた。このバルブ操作は、入社して二〜三年くらい経験した操作員であれば難無くこなせる操作であり、まったくの初歩的なミスであった(乙一七五号証八頁、青木主尋五四〜六三)。
3 自己啓発意欲に欠けていた。
原告勝俣は積極的に勉強・研修することがなく、自己啓発意欲に欠けていた。その例を挙げると次のとおりである。
(一) 昭和四〇年七月頃、五井火力発電所が三号機の営業運転に入った時期(田辺主尋二六)のことであるが、当時職場では、この新しい三号機の運転技術習得のために自己啓発に意欲を燃やしており、技術屋として伸びようというムードが強かった。とりわけ若い人達にそのムードが強く、仕事の合間を見つけては勉強会をし、お互いに議論するなど切磋琢磨していた(乙一六〇号証九頁、田辺主尋五七)。そのような職場状況の中で、横須賀火力より異動してきた原告勝俣は、横須賀火力時代の経験に慢心して、他の若い人たちに比べ自己啓発の取組みに積極性がなく、技術的な進歩があまり見られない状態であり、その結果、時間が経つに連れて若い人たちに追い越されてしまうという有様であった。
(二) 昭和五二〜三年頃、五井火力発電所では、燃料を重・原油からLNG(液化天然ガス)へ転換するための設備改造工事が行われており、職場では新設備についての講習会、検討会、姉崎火力の見学、研修等のほか、自主的な勉強会が行われる等、大変活気に満ちていた(乙一七五号証四頁、青木主尋八、三三)。ところが、原告勝俣は意欲的に勉強している様子が見られず、人が勉強会などで勉強している中でただぼんやりほかのことを考えているといった様子であった(乙一七五号証七頁、青木主尋三四〜三六)。
4 休暇取得にあたり職場の慣行を守らなかった。
(一) 原告勝俣は、緊急やむを得ない理由がないにもかかわらず、(1)勤務時間の直前や、時には勤務時間に入ってから電話で連絡してくることがしばしばあり、(2)電話での連絡も、同僚にただ休むと伝えるのみで、上司へ断ることをせず、時には電話交換手に伝言を頼むこともあり、(3)従って、休暇の内容も、当日のみなのか、次の勤務日も休むのかも判らず、(4)代勤者の手配もしていないため、上司が代勤者の手配に非常に苦慮する、といった有様で、職場のルールを守っていなかった(乙一六〇号証一三頁、乙一七三号証一二頁、乙一七五号証八〜九頁、高橋主尋三七〜五五、青木主尋六六、八七、田辺主尋一二二〜一二五)。その例を幾つか挙げると、次のとおりである。
(1) 昭和五一年五〜六月頃、原告勝俣が三直勤務であった日のことであるが、原告勝俣はその当日の午後になってから、それも前もって予定がわかっていたはずの同期会出席を理由に、しかも自分で代勤者を見つけずに、休暇を申請したことがあった。そのため、代勤者を探すのに非常に苦労をさせられた(乙一七五号証九頁、青木主尋六七〜七五)。
(2) 昭和五二〜五三年頃、原告勝俣は、一・二直連続勤務の日に、勤務が始まって三〇分以上過ぎてから会社に電話をかけ、「休ませてくれ」と言ってきたことがあった。そこで上司である青木主任がどういう理由で休むのか、やむを得ない理由なのかどうかを聞いたところ、原告勝俣は「寝過ごしてしまい、これから出ると交通渋滞で出社が遅れるので休みます」と言って休んでしまった。このような非常識な休み方をした者は青木証人の知る範囲内では一人もいなかった(乙一七五号証九頁、青木主尋七六〜八一)。
(3) その他原告勝俣は、上司ではなく直接若い人に電話して「今日は休みたい」と伝言を頼んだり、あるいは電話交換手に「休みたい」という伝言を頼んだこともあった。この電話交換手に伝言を頼んだ時の休暇の理由は何と二日酔いということであった(乙一七五号証九頁、青木主尋八二〜八六)。
第一〇節  原告萩原
一  担当業務
原告萩原は、昭和三七年四月、千葉火力発電所運転課(後に発電課、発電部に変更)に配属となり、主にボイラ補機操作員として勤務し、その後、昭和五七年一二月に姉崎火力発電所発電部へ転勤となり、今日まで補機操作員として勤務している(甲五一一号証の一ないし四、一〜二頁、乙一〇三ないし一〇八号証、乙八二号証の一ないし四、甲五一一号証の三及び四、乙二四八号証の一〜九)。
二  勤務状況
1 仕事がずさんで、担当業務を責任を持って行わなかった。
(一) 原告萩原は、補機操作員の主な業務である巡視点検業務においても、巡視に出かける時間が決まっているにもかかわらず、出かける時間がいつも遅かった。時には出発時間になってもただぼーっと最後まで席に座っているので、見かねた上司や主機操作員に巡視に行くよう催促されてやっと出かけるということもしばしばあった(竹田主尋二七〜三二、田部井主尋一〇二〜一〇九)。その反面巡視点検から戻ってくる時間は他の者より人一倍早く、いつの間にか帰ってきているという状態であった(乙一〇三号証一〇頁一一行目〜一一頁一行目、乙一〇四号証二頁六〜一〇行目、乙一〇七号証五頁五〜七行目、竹田主尋三三、田部井主尋一二八〜一二九)。本来原告萩原は、先輩として後輩に範を示さなければならない立場にあったので、上司から出発時間になったらすぐに巡視に出かけるよう何度も注意されたが、ただぼーっと聞き流すだけで反応がなく、改善がまったく見られなかった(乙一〇四号証二頁一一〜一四行目、乙一〇三号証一〇頁一三〜一四行目、乙一〇七号証五頁一一〜一三行目、田部井主尋一〇七〜一〇九)。
(二) 原告萩原は、巡視点検後の報告を行わなかったり、満足な報告ができなかった(乙一〇三号証一一頁一〜五行目、乙一〇四号証二頁六〜一四行目、乙一〇六号証一頁一三行目〜二頁四行目、同頁一一行目〜三頁一行目、乙一〇七号証五頁七〜八行目、乙一〇八号証一〇頁二〜九行目、竹田主尋三四〜三八、内田主尋一三三〜一四五、田部井主尋一一〇〜一一四)。そのため、原告萩原に対し、上司等が何度となく「報告はきちんとしろ」と注意・指導したが、原告萩原は、ただ無言のまま立っているだけで一向に反省する様子もなく、その後も同じことを繰り返す有様であったので(乙一〇三号証一一頁五〜八行目、乙一〇四号証二頁一一〜一四行目、乙一〇六号証三頁一行目〜五行目、乙一〇七号証五頁一一〜一三行目、乙一〇八号証一〇頁一〇〜一二行目、内田主尋一四六〜一四七)、上司としては、原告萩原の仕事ぶりに対して不安感を感じざるを得ず、原告萩原に安心して仕事をまかすことができなかった(竹田主尋四五、内田主尋一四一〜一四三)。
(三) 原告萩原は、昭和四七年一一月頃、巡視点検に出かけた後、いつまでたっても中央操作室に姿を見せないと思っていたら、何時の間にか巡視点検から戻っており、巡視点検後の報告もせず、しかも休憩時間でもないのに休憩室のベッドの上に座って新聞を見ているということがあった(乙一〇七号証五頁八〜一〇行目、竹田主尋四〇〜四一)。そのため、それを見つけた上司が注意したところ、原告萩原は別に反省するようなこともなく、「すみません」とも言わず黙って中央操作室へ戻るという態度であった(竹田主尋四二〜四三)。このように原告萩原が休憩時間でもないのに休憩室で何時の間にか新聞を読んでいるということはその後も何度かあり、その都度上司が注意したが、やはり反省したような態度を見ることができず、原告萩原の態度が改まることはなかった(乙一〇七号証五頁一一〜一三行目、竹田主尋四四)。
(四) 昭和四四年の末頃から、巡視点検を半分行ったところで中央操作室に中間報告をすることになっていた。これは機器の異常の有無を巡視の途中でも速やかに掴みたいこと、巡視の途中で具合でも悪くなって倒れたりしたら大変なので、中間報告により安全を確認することが目的であった(乙一九四号証八頁三〜六行目、甲七二九号証五二頁七〜九行目)。ところが、原告萩原は巡視点検の途中で中間報告をすることもなかった(竹田主尋三八〜三九)。
(五) 原告萩原は、巡視点検業務自体もただ漫然と行うのみであり、そのため不具合箇所等を見落すことがしばしばあった。その例をあげれば次のとおりである。
(1) 昭和四七年頃、原告萩原の巡視点検が終了した後で、たまたま上司が原告萩原の巡視箇所を通りかかったところ、機器に汚れがあるにもかかわらず、そのままになっていたため、上司から厳しく注意されるということがあった(乙一〇三号証一一頁九〜一一行目、田部井主尋一一五)。
(2) 昭和四七年一〇月頃、原告萩原が巡視点検を行った三号発電機の巡視区分内で、ボイラ高圧重油ポンプ出口弁のシャフト締付部分から油が漏れ、床が汚れていたにもかかわらず、原告萩原はそのような報告をすることもなければ、チェックシートにも記録していないという極めていいかげんな巡視点検をしたことがあった。この時は、たまたま安藤当直副長が原告萩原の巡視の直後、同人の巡視区分を通りかかった際に右の油漏れを発見し(当時、当直副長や当直主任は、時間に余裕があると現場の状況把握のため巡視していた。)、その時点では、まだ漏れ量自体も多量でなく、直ちにシャフト締付部分を増締めすることにより事無きを得た(竹田反尋八八)。しかし、ボイラ高圧重油ポンプは三〇キロの圧力を持っていることから、もし発見が遅れれば、油が噴き出し、周囲に飛び散って発火原因となったり(竹田反尋九〇)、更にはボイラ高圧重油ポンプ自体が停止すれば発電自体を停止しなければならなくなるという重大な事態になるおそれがあった(竹田主尋五〇)。油漏れのあった現場は原告萩原の巡視区域で誰が見ても直ぐ発見できる場所であったため、安藤当直副長が原告萩原を厳しく注意したが、原告萩原は、無表情で聞いているだけで何らの反省の態度を示さないという有様であった(乙一〇七号証五頁一四行目〜六頁九行目、乙一〇六号証二頁一一行目〜三頁一四行目、竹田主尋四六〜五九)。このような巡視点検中の油漏れや汚れの見落しということはめったにないことであったが(竹田反尋一〇九)、原告萩原はその後もこのような巡視点検中の見落しが何度もあった(竹田主尋五九)。そのため上司はその都度原告萩原に注意・指導をしたが、原告萩原の巡視態度が改まることはなかった(竹田主尋六〇〜六一)。
(3) 原告萩原は、巡視点検に行っても作業着が汚れたり、汗をかいているということがほとんどなく(田部井主尋一二三〜一二五)、ただ見てくるだけといった極めて不十分な巡視点検を繰り返していた(田部井主尋一二六)。
(六) 昭和四六年末頃のことであるが、三号ボイラの給炭機の近くを通りかかった所長が、その付近で異臭がしていることに気付き、何か異常が生じているおそれがあるので、そばにいた原告萩原に異常がないか調査するよう指示した。このような場合、直ちに上司に報告して指示を受けるべきであったのに、原告萩原は上司への連絡をまったく行わず、調査もまったく行わなかった。その後、所長から原告萩原の班の当直長に対し調査結果の報告の督促があったことにより原告萩原の怠慢が判明したため、当直長が原告萩原の連絡・調査を怠った無責任な態度について厳しく注意した。ところが、原告萩原は「自分は一・二号ユニットの担当であって、三号ユニットについては自分の仕事の範囲ではない」という開き直った態度をとる始末であった。通常、機器の異常が発見された場合には、担当しているユニットであるか否かにかかわらず、連絡・調査するのが発電業務を担う者の常識であったにもかかわらず、右のような発言をすること自体、極めて非常識かつ無責任であると言わざるを得ない(乙一〇五号証二頁八行目〜三頁八行目)。
(七) 原告萩原は、昭和四六年末頃、三直の代勤をすることになっていたにもかかわらず、本来の勤務である二直が終了する間際になって「飲んでいくことになったので三直の代勤はできない」という非常識極りない理由で、とうとう代勤せずに帰ってしまうということがあった。原告萩原は事前に三直の代勤をすることを確約しており、右のような非常識な理由で急に代勤を断わられても他の代勤者を手配することなどできないため、上司である当直主任が原告萩原に対し、都合をつけて代勤するよう指示したが、原告萩原は代勤はできないと言ってさっさと帰ってしまった。その後当直長から厳しく注意されたが、右の原告萩原の勤務態度は非常識かつ無責任以外の何ものでもない(乙一〇五号証三頁九行目〜四頁四行目)。
2 仕事中居眠りをすることが多かった。
(一) 原告萩原はどかっと椅子に腰をかけたまま何をするでもなくしょっちゅう居眠りをしており、機器の異常を知らせる警報装置が作動してもまったく関心を示さなかった。そればかりか、時には巡視点検に出かける時間になっても居眠りをしており、後輩に声をかけられてももそもそと眠気まなこをこすりながら巡視点検に出かけていくということがあった(乙一〇四号証三頁一〜五行目、乙一〇六号証五頁一〜八行目、乙一〇七号証七頁一〜一一行目、竹田主尋七〇、七二)。
(二) また、昭和四七年頃、予備直時に安全スライドを映写した際、原告萩原は終始居眠りをしているということがあった(乙一〇三号証一五頁六〜八行目)。
(三) 更に、昭和五〇年四月の統一地方選挙の頃、原告萩原は、勤務中暇さえあれば居眠りをしているという日が何日か続き、目に余るものがあったので、上司から厳しく注意されたが、まったく改まることがなかった(乙一〇六号証五頁九〜一二行目)。そのため、昭和五〇年四月頃は仕事に出てきても居眠りばかりでまったく仕事にならないという極めて劣悪な勤務ぶりであった(乙一〇四号証四頁一〜四行目)。
(四) また、昭和五〇年六月頃、原告萩原が相変らず居眠りをしていたため、これでは他の者にしめしがつかないと思った上司が原告萩原に対し「どうしたんだ。家で寝て来てないのか」と聞いたところ「用事があって」とか「忙しくて」と言いわけするだけで反省する様子がまったくなかった。そのため上司が、更に「会社に寝にくるようでは困る」と注意したところ、原告萩原は真面目に答えようとせず「勤務時間外はどう過ごそうと個人の自由なのだから、私生活に干渉しないでほしい」と開き直り、その後も居眠りが改まることはなかった(乙一〇四号証三頁七〜一四行目)。
3 仕事上、操作ミスがあった。
原告萩原は、昭和四七年春頃、ミル(石炭粉砕機)切り替え操作時に一次空気制御ダンパーセレクタースティションの操作が迅速・適切にできず、環境対策上、出してはいけない黒煙を出してしまったことがあった(乙一〇三号証一三頁四〜六行目、乙一〇五号証四頁五行目〜五頁五行目、田部井主尋一三九〜一四八)。しかも、後日上司から黒煙を出したことについて注意されたが、原告萩原は自分の技能の未熟さを反省する態度がまったく見られなかった(乙一〇五号証五頁四〜五行目)。
4 仕事に対する向上意欲、自己啓発意欲に欠けており、そのため、技術・技能の水準が経験年数に比べてかなり低かった。
(一) 原告萩原は、待機時間に操作基準書を広げるでもなければ、主機操作員の諸動作を見ているわけでもなく、瞑想にふけっているかのように、ただ椅子に座っているだけで、自己の技能・知識のレベル・アップを図ろうとする姿勢がまったく見られなかった(田部井主尋一五二〜一五六、内田主尋一五六、乙一〇三号証一三頁一四行目〜一四頁一行目、乙一〇六号証三頁一〜五行目、乙一〇八号証一一頁一〜三行目)。そのため、原告萩原は入社六年目の時点においても、通常であれば基礎的事項については一通りのことを習得していなければならない本来パートのボイラについても十分な技能・知識を習得できていないという有様であった(内田主尋一五五〜一五七)。
(二) また、原告萩原は、昭和四二年頃、主機操作員から勉強になるからと「私の側に来て操作方法を見ているように」と声をかけてもらい、主機操作員のそばで操作方法の手順などを見せてもらったことがあった。しかしながら、原告萩原は、のそのそと近寄っては行ったものの関心を示す風でもなく、ただ脇に突立っているだけで、時にはよそ見をしていることさえあるという態度であった(乙一〇八号証一一頁九〜一三行目、内田主尋一五九〜一六一)。
(三) 原告萩原は、上司から技術面に関する質問をされてもまったく質問に答えることができなかった。
(1) 昭和四二年頃、当直主任等は、自分の部下の技術レベルの内容を掌握する意味や、技術面でのアドバイスをする意味で、補機操作員に対し機会をとらえては技術面に関する質問をしており、原告萩原も当直主任から技術面に関する質問を何度かされたことがあった。ところが、原告萩原は質問されてもまったく答えることができず、ただうなだれているだけのことが多く、時には前に質問し、教えていたことのある質問内容についても答えることができなかった。そのため、時折、当直主任から「何回も同じことを言わせるな」といった調子での叱責がとんだり(乙一〇八号証一二頁二〜五行目、内田主尋問一六二〜一六四)、「萩原君は教えても覚えが悪い」「聞いても質問の内容通りの返答が返ってこない」「同じことを一度教えて質問したらまともな返事が返ってこない」「何回教えてもしょうがないな」といったぐちがこぼれることさえあった(内田主尋一六五)。
(2) 同様に、昭和四七年頃、原告萩原は、当直主任から、ボイラ金属温度の制限値など、補機操作員として当然知っていなければならない基礎的な事項を何点か質問されたことがあったが、ほとんど答えることができなかった(乙一〇三号証一三頁八〜一〇行目、田部井主尋一四九〜一五〇)。
(四) 千葉火力発電所の直内では、当日の操作内容のミーティングや発電設備に関する技術検討会を行うことがあった。特に、昭和四〇年代後半になると週末停止や毎深夜起動停止の運転態勢でユニットを止めることが多くなり、中央操作室内で効率化のための直内検討会や事故時対応、安全問題に関する直内検討会、直内技術発表会等をたびたび(月に二、三度くらい)開いていた(乙一〇三号証一二頁一二〜一三行目、乙一〇六号証五頁二〜四行目、乙一〇七号証七頁一〜三行目、竹田主尋六五〜六七)。そのような折、若い人達からでさえ事故時対応や安全問題などについて活発な意見が出されていたが、原告萩原は、メモもとらずにただそこに居るだけで発言をすることがほとんどなかった。そして、たまに意見を口にしても内容がお粗末であり、他の人の反論や疑問に答えられなくなると、まったく口をつぐんでしまうという有様であり、時には、居眠りをしていることさえあった(乙一〇三号証一二頁一三行目〜一三頁二行目、乙一〇七号証七頁三〜五行目、竹田主尋六八〜七一)。
また、他の者は普段から操作基準書等を見て勉強しており、その際の疑問点を検討会の席上で質問したり、検討会の後も検討会での疑問を調べたりして切磋琢磨していたが、原告萩原はそのような努力をまったくしていなかった(乙一〇三号証一三頁二〜三行目、乙一〇七号証七頁五〜八行目、竹田主尋七二〜七三)。
(五) 原告萩原は、昭和五五年度当時、運転業務に一〇年以上従事しており、A級の受験資格があったので、これを受験した。ところが、およそ運転業務に二〇年近く従事していたとは思えない程稚拙な技術・技能・知識しかなかったため、A級は不合格となり、B級の認定を受けるにとどまり、翌昭和五六年度の受験の際、ようやくA級に合格するという有様であった(甲五一一号証の一、三四頁)。
5 仕事に対する取組み姿勢が消極的であり、指示されない限り進んで仕事をしようという姿勢がなかった。
(一) 原告萩原は、自分の巡視担当区分内の機器について警報が表示された場合であっても、まるで地蔵か床の間の置物にでもなったように一向に動く気配を見せず、まったく警報に対応しようとしなかったので、そのような様子を見るに見かねた班長や主機操作員から「萩原君、君も行かなければだめじゃないか」などと言われてはじめて現場に出かけるという、極めて消極的な勤務態度であった(乙一〇三号証一二頁五〜九行目、乙一〇七号証七頁一一行目〜八頁三行目、田部井主尋一三〇〜一三七、竹田主尋七五〜八一)。
(二) 本来であれば、原告萩原のようにある程度経験年数を経た者は、先輩として範を示す意味でも率先して仕事に取り組むべき立場にあるにもかかわらず(乙一〇四号証二頁六〜七行目)、原告萩原は右のようなやる気のない消極的な勤務態度に終始していたので、同僚や後輩から「一緒に仕事をするのはどうもいやだ」「あんなんじゃかなわない」というような苦情がでていた(田部井主尋一三八)。そのため、上司がその度ごとに繰り返し注意をあたえたが、原告萩原はその後も同じような消極的な勤務態度に終始していた(乙一〇三号証一二頁九〜一一行目、田部井主尋一三五)。
6 職場規律を乱し、かつ自分勝手で協調性に欠ける勤務ぶりであった。
(一) 発電職場は、チームワークをもってあたることが、特に肝要とされていたが、原告萩原はまったく意に介せず、自分勝手に振る舞うことがたびたびあった。
例えば、昭和四六年頃のことであるが、三交替勤務のうち夜勤に当たる三直勤務では、夜中の零時に、前日の運転記録の整理とチェッタを主機操作員が中心となり、補機操作員も加わって行っており、その際、他の補機操作員は主機操作員の指示を待つまでもなく、右仕事にとりかかっていた。ところが、原告萩原は上司や主機操作員が指示するまでは動こうともせず、仮眠のためにさっさと中央操作室を離れてしまうことがたびたびあった。このような、チームワークを無視した原告萩原の態度は、その後原告萩原が主機操作員となった時期にもみられた。例えば、タービンや電気関係で異常警報装置が作動し、他の者が対応に追われていても、他のパートのことはわれ関せずとばかりにまったく協力しない態度をとっていたため、他の者のひんしゅくを買っていた(乙一〇四号証四頁五行目〜五頁九行目)。
(二) 昭和四七年夏、被告は安全対策行事として「昭和四七年度事故防止強調運動」を行ったところ、この行事の初日に所長挨拶の一斉放送を中央操作室で全員そろって聞くことにし、前もって全員に連絡しておいたにもかかわらず、原告萩原だけが休憩室に居り、所長の話半ばに中央操作室に戻ってきたということがあった(乙一〇三号証一五頁八〜一三行目)。
(三) その他、原告萩原は、直内全員で行うミーティングに遅れてきたうえ、ミーティング中に急用でもない社外電話を何回もかけていたり、忙しい直交替時に原告萩原だけが組合の機関紙を読むなど、チームワークを乱す自分勝手な行動をしているので、厳重注意したこともあった(乙一〇三号証一五頁一三行目〜一六頁三行目)。
7 服務規律を遵守しなかった。
(一) 遅刻の常習者であった。
原告萩原は遅刻が多いことで有名であった。しかも、遅刻の理由は、独身寮にいた頃は、寮の管理人が起こしてくれなかったのでバスに乗り遅れたというものがほとんどで、また、結婚後マイカー通勤をするようになってからはほとんど道路が渋滞していたからというものであり、ひどい時には一時間近くも遅れて出勤したり、二回程続けて遅刻するということさえあった(乙一〇三号証八頁一〇〜一三行目、一四頁四〜九行、乙一〇四号証五頁一〇行目〜七頁三行目、乙一〇五号証五頁六行目〜六頁一〇行目、乙一〇六号証四頁、乙一〇七号証八頁六〜一一行目、乙一〇八号証一二頁八行目〜一三頁三行目、竹田主尋八二〜九一)。
(二) 原告萩原は、緊急な理由もないのに、勤務直前になって電話で休暇の届出をするなど、休暇取得にあたって職場の慣行を守らないことが多かった(乙一〇三号証一四頁一〇〜一四行目、乙一〇六号証五頁一三行目〜六頁一四行目、乙一〇七号証八頁一二〜一三行目、乙一〇八号証一二頁八行目〜一三頁三行目、竹田主尋九五〜九六、田部井主尋一六三、一六八〜一七一)。そのため、上司が再三注意をしたが、原告萩原は反省する様子もなく、同じことを繰り返していたので、他の者から「萩原君の代勤だけはやりたくない」という苦情が出る始末であった(乙一〇三号証一四頁一三〜一四行目、乙一〇六号証六頁五〜一四行目、乙一〇七号証一〇頁七〜八行目、竹田主尋一一一〜一一二)。このような原告萩原の職場慣行を守らない休暇取得の例をいくつか挙げると次のとおりである。
(1) 昭和四七年一一月頃、原告萩原は、勤務直前に急用と偽って休暇を届け出るということがあった。すなわち、前直の当直主任に原告萩原から「急用で休みたい」という電話があったので、右当直主任が次直に引継ぐ必要から急用の内容を尋ねたところ、原告萩原は「知人宅を訪問する」と言い直し、緊急性のないことを認めるということがあった(乙一〇三号証一五頁一〜五行目、乙一〇七号証九頁三〜六行目、田部井主尋一六四〜一七一、竹田主尋九七〜一〇二)。
(2) 昭和四八年始め頃、原告萩原は緊急やむを得ない理由もないのに、上司にまったく連絡をしないまま休暇を取り、当日、代勤者(原告藤田)が出勤してきてはじめて原告萩原が休暇を取ったことがわかったということがあった。この時、当直主任が原告萩原に伝言で休暇を取らなければならないほど何か緊急な理由があったのではないかと思い、原告藤田に確認したが、確認できなかったので、翌日原告萩原に休暇の理由を尋ねたところ、原告萩原は何食ぬ顔で子供の新生児一か月診断だという返事を返してきた。新生児の一か月診断であれば当然事前に届け出ることができるのであるから、これはまったく職場のルールを無視した休暇の取り方であった。そのため、右当直主任が原告萩原を厳しく注意したが、原告萩原は子供の健康診断だから仕方がないだろうというまったく反省した様子の見られない態度であった(乙一〇七号証九頁七行目〜一〇頁六行目、竹田主尋問一〇三〜一〇九)。
第一一節  原告永松
(昭和五七年一一月まで)
1 担当業務
原告永松は昭和三七年入社以来一貫して千葉火力発電所発電課(運転課と称していた時期もあった。)に所属し、一時期主機操作員を担当していた時期もあったが、大部分は補機操作員として勤務していた。
2 勤務状況
(一) 原告永松は業務遂行上の知識が劣り、軽率で業務上のミスが多く、無責任で上司から注意を受けても改善しようとする意欲も感じられなかった。その例を次に掲げる。
(1) 原告永松は昭和四六年夏頃バーナースカ弁(バーナースカベンジング用蒸気弁)が全開の状態であったにもかかわらずバーナーを点火させるというミスを犯したことがあった(乙八五号証、内田第四五回期日尋問八一―八八)。
(2) 原告永松は昭和四六年秋頃、ボイラの主安全弁の一つを上司の指示を受けずに無断でギャグ掛け(蒸気を吹かないようにロックすること)したことがあった(乙八五号証一四〜一五頁、内田第四五回期日尋問八九〜九九)。
(3) 原告永松は、巡視中中間報告をしないことがよくあった(乙八五号証一五〜一六頁)。
(4) 昭和四七年頃原告永松に重油移送ポンプの燃料切替起動操作を担当させたところ、満足な対応ができず低イオウ分重油への切替が通常より一〇分間くらいも遅れてしまったことがあった(乙八五号証一六〜一八頁、内田第四五回期日尋問一〇〇〜一〇九)。
(5) 原告永松は同人の巡視の担当部分であったシールオイルユニット(水素ガスを発電機から漏れないように油で包む軸密封油装置)のべース部分に油漏れがあったにもかかわらず、これを上司に報告しなかったことがあった(乙八五号証一八頁)。
(6) 原告永松は昭和四七年頃、上司である小白井班長より取水口側のサンドポンプ(砕いたクラゲや塵芥などを汲み出すポンプ)を巡視の際引き上げるよう指示されたがこれを無視したことがあった(乙八五号証一九頁、内田第四五回期日尋問一一〇)。
(7) 原告永松は昭和四七年頃、主機操作代行中、スートブロワー(蒸気でボイラチューブのススを除去する。)を実施した際ノーブローイング警報(蒸気が出ていないことを知らせる警報)が出ているにもかかわらず当直主任や主機操作員にも連絡しなかったばかりか、現場の状況を確認しようともしなかったことがあった(乙八五号証二〇〜二一頁、内田第四五回期日尋問一一一)。
(8) 昭和四七年夏頃、当時の上司であった内田実(当時副長)が原告永松にタービン振動値を質問しても答えられなかったことがあった(乙八五号証二一頁、乙一九五号証二〇〜二二頁)。
(9) 上司が昭和四八年頃、原告永松に直時間を通しての主機操作の代行(補直なしの場合の代行)をやらせようと本人に持ちかけても「自信がない」と本人の方から断ったことがあった(乙九〇号証六頁、乙二一七号証六〜七頁、由川第四七回期日尋問五六〜八七)。
(10) 原告永松は主機操作の代行をしていた際、ユニット停止後のボイラの強制冷却中に、他の補機操作員と雑談にふけってボイラ水張りに最適な時期を失してドラムの金属温度差を拡大させたことがあった(乙九〇号証七〜九頁、乙二一七号証八〜一一頁、由川第四七回期日尋問八八〜一三六)。
(11) 原告永松は主機操作員の代行をしていた際に所定の席を離れて他の補機操作員と雑談したりして操作盤の監視を怠るという無責任な仕事ぶりで、上司から注意を受けていたことが何度もあった(乙九〇号証九〜一〇頁、乙二一七号証一一〜一三頁、由川第四七回期日尋問一三七)。
(12) 原告永松は接地取付作業を行った時、作業手順がわからず取付作業ができなかったばかりか、接地取付現場に立ち会っていた岡田当直主任が見かねて手順を教えたにもかかわらず、作業に通常の人より長時間費しかつ危なっかしい手付きでしか操作できなかった(乙九〇号証一〇〜一一頁、乙二一七号証一三〜一五頁、由川第四七回期日尋問一三八〜一五八)。
(13) 原告永松は自分が巡視を担当したアンモニア注入装置の注入状況について上司である岡田当直主任から質問を受けても満足な回答ができなかった(乙九〇号証一一頁、乙二一七号証一五〜一六頁、由川第四七回期日尋問一五九〜一六九)。
(14) 原告永松は自分が巡視を担当したボイラ室床面の汚水ピットに油が浮遊していたにもかかわらず、これを見過ごし、異常なしと報告したことがあった(乙九〇号証一一〜一三頁、乙二一七号証一七頁、由川第四七回期日尋問一七〇〜一九一)。
(15) 原告永松は燃料課から軽油貯蔵タンクの「払出弁」を閉にするという連絡を受けたにもかかわらず、上司や他の操作員、他中央操作室への連絡を怠ったことがあった(乙九〇号証一三〜一四頁、乙二一七号証一七〜一九頁、由川第四七回期日尋問一九二〜二一九)。
(二) 原告永松は発電業務に従事する操作員としての職場規律を守らないことがよくあった。
(1) 原告永松は身勝手な休暇をしばしばとっていた(乙八五号証二一頁)。格別な理由がないにもかかわらず、休務する当日電話で休暇を連絡してきたことがたびたびあった。ひどい時には自分の勤務時間が過ぎた後連絡してきた時もあった(内田第四六回期日尋問一三四〜一四三)。
(2) 原告永松は技術説明会であくびばかりして説明を聞いている様子がなく、当時の上司であった内田実(当直副長)より注意を受けたことがあった(乙八五号証二二頁)。
(3) 原告永松は仕事開始の際の打ち合わせの時ずっと居眠りをしていて、打ち合わせ終了後、打ち合わせを主宰していた平野当直主任より打ち合わせの内容を確認されてもまったく答えられないことがあった。この時に限らず原告永松は勤務時間中居眠りをしていることがよくあった(乙八五号証二二頁、内田第四五回期日尋問一一三)。
(4) 原告永松は勤務時間中に業務と関係のない本を読んでいることがあり、上司から注意を受けたことがよくあった(乙九〇号証五〜六頁、乙二一七号証五頁)。
第一二節  原告結城
一  昭和四六年二月まで
1 担当業務
原告結城は昭和三九年二月に、千葉火力発電所運転課から同技術課調査係へ配属替えになり、当初は発電実績の作成や性能試験の効率計算、設備経歴カードのパンチ・整理、チャートや運転日誌などの各種データの整理・保管等の業務を担当し、その後は、チャートの整理・保管、費用予算管理、備品管理、技術関係図書の整理・保管、保安日誌の作成等の業務を担当していた(乙一一五号証一二頁、乙一一九号証一四頁)。
2 勤務状況
(一) 簡単な仕事でもミスが多かった。
(1) 原告結城は、昭和三九年二月から昭和四二年秋頃までの間担当していた発電実績月報等の作成や性能試験の効率計算等の業務を行うについて、数字の転記ミスが多く、また、所定の計算式に数値を代入し、計算機を使用して熱効率を算出するという単純・簡単な仕事でも、ろくにチェックや検算をしなかったため誤りが多く、ひと目で誤りと分かるような数値を平気で記入し提出してくることもあった。そのため、たびたび主任や同僚から注意を受け、書類の書き直しや計算のやり直しをさせられていたが、それでも反省することなく、同じミスを何度も繰り返していた(乙一一五号証一一〜一三頁、乙一一九号証一四〜一六頁、米山主尋八三〜九四、中野主尋一四三〜一五五)。
(2) 原告結城は、当時、設備経歴カードのパンチ・整理業務を担当していた。ところが、この業務を行うについて、カードとパンチを手に持ったままじっと考えこんでなかなか手を動かさなかったり、よそ見をしたりして、一枚のカードを仕上げるのに非常に時間がかかり、仕事の処理が非常に遅かった上に、パンチミスが多かった(乙一一五号証一三〜一四頁、乙一一九号証一六頁、米山主尋九五〜一一〇、中野主尋八六〜一〇六)。
(二) 担当業務を責任をもってきちんと処理しなかった。
(1) 原告結城は、当時、発電課から毎日送られてくるチャートの整理・保管業務を担当していた。ところが、原告結城は、次のような勤務ぶりであった(乙一一五号証一四〜一五頁、乙一一九号証一七頁、米山主尋一一一〜一二九、中野主尋一五六〜一六一)。
① チャートを毎日整理せず、いつも机の周囲や足元に山積みにしてあり、チャートが床に転がることもあった。そのため、日々整理を行うようにたびたび上司から注意・指導を受けたが、それでもなかなか整理をしようとしなかった。
② また、チャートは書庫(昭和四一年二月以前は倉庫)に最終的に保管する前に、四階のチャート室の棚にきちんと分類して仮置きすることになっていたにもかかわらず、原告結城は机の周囲にあったチャートの山をそのままチャート室に持って行ってどんどん押し込むだけで、きちんと整理せず、チャート室も一杯にしてしまった。そのため、設備事故や調査の際、必要なチャートをすぐに取り出すことができず、業務に支障を来たすこともあった。
(2) 昭和四二、三年頃、原告結城の担当していた発電実績月報の報告期限が迫っており、まだ熱効率計算の仕事が未処理であった。ところが原告結城は、具体的な休暇理由も言わずに翌日休暇を取りたいと申し出た上、上司から休暇日を変更するように説得されたのに対し、「係長は、部下が休めるように配慮するのが仕事でしょう」などと上司に食ってかかり、結局翌日休んでしまった。そのため、報告期限に間に合わせるために、未処理のまま残った仕事を他の人が代わりにやらざるを得なかった(乙一一九号証二〇頁、中野主尋一七六〜一八一)。
(3) 原告結城は、昭和四四年三月頃から昭和四六年二月までの間、火力発電用備品等の備品管理や費用予算管理の業務を担当しており、そのうち期末・年度末の備品現在高調書や備品の予算書などは、提出期日が決まっているので、計画的に作成の仕事を進めなければならなかった。ところが原告結城は計画的に仕事を進めず、期日間際になっても残業もせずに帰ってしまう有様で、結局、ぎりぎりになってから他の人に手伝ってもらって処理せざるを得ないことがしばしばあり、こうした状況は幾ら指導を受けても、一向に改まらなかった(一一五号証一五〜一六頁、米山主尋一三八〜一四五)。
(三) 休暇取得が身勝手で、周囲の者に、非常に迷惑をかけていた。
原告結城は、緊急な事情がないにもかかわらず休暇の事前申請をせず、当日の朝か、場合によっては昼過ぎになってやっと電話で連絡してくることが多く、周囲の者に非常に迷惑をかけていた(乙一一五号証一六頁、米山主尋一四六〜一四七、乙一一九号証一九〜二〇頁)。
(四) 遅刻や居眠りが多く、注意を受けても改まらなかった。
原告結城は遅刻が多く、何度注意を受けても反省するところがなく、遅刻しないようにする努力も見られず、平然と遅刻を繰り返していた。また、原告結城は居眠りも多く、何度注意を受けても改まらなかった(乙一一五号証一六頁、乙一一九号証二〇頁)。
(五) 時間外労働の業務命令を拒否する旨発言し、厳重注意を受けた。
昭和四一年半ば頃、ミルの故障のため二号発電機を停止した際に、発電ユニットの起動損失測定を技術課調査係の総力を挙げて時間外労働で実施することになり、原告結城も係長から時間外労働の指示を受けた。ところが、原告結城は、「私用がある」「友人と酒を飲む約束をしているから残れない」などと言ってやむを得ない理由でもないのにこれを拒否し、挙句の果てに「時間外が業務命令だということは知っているが、僕は、時間外はやらない方針です」などと言って帰ってしまった。そして、後日、係長から、そのような考え方が変わっていないかどうか確認を受けた際にも、「自分の考えは変わらない」旨確答した。そのため、当時の西原真一所長から、口頭による厳重注意を受けるに至った(乙一一九号証一七〜一九頁、中野主尋一六二〜一七五)。
(六) 服務態度が悪く社員常識が欠けていた。
原告結城は、上司から仕事の指示などで呼ばれた際に、よく返事もせず、片手をズボンのポケットに入れたままやってくるという服務態度であり、注意指導されても一向に改まらなかった(乙一一九号証一九〜二〇頁)。また原告結城は、遅刻した場合に出社後速やかに上司に報告するという常識的な態度にもまったく欠けていた(乙一一五号証一六頁)。
二  昭和四六年二月から昭和四九年六月まで
1 担当業務
原告結城はこの時期も千葉火力発電所技術課に所属し、統計グループの一員として、備品管理、費用予算管理、物品購入手続、発電実績諸資料の整理・保管、図書管理等の業務を担当していた(乙一一一号証一〇頁)。なお昭和四七年初め頃から同年春(三月)頃までは、石炭調整応援の業務も担当していた(川名主尋一三七〜一四八)。
2 勤務状況
(一) 仕事が雑で、ミスが多かった。
原告結城は当時、物品の購入伝票を発行する業務を担当していたが、伝票の会計科目を間違えることが多く、何度も書き直しをさせられたことがあり、注意・指導を受けても同じミスを繰り返していた(乙一一一号証一一〜一二頁、川名主尋一五二〜一六二)。また、消耗品など費用予算資料の作成業務についても、記入すべき項目の漏れや金額の相違が多く見られた(乙一一一号証一二頁)。
(二) 担当業務を責任をもってきちんと処理しなかった。
(1) 原告結城は、当時各種測定器、分析用機器、大型計算機等の備品の保有状況を把握し、これらの備品と備品台帳とを期末に照合して備品台帳に記帳するという仕事を担当していた。ところが、昭和四八年春頃、原告結城は時期を過ぎても期末照合の結果を備品台帳に全然記入していなかった。更に、上司から至急この仕事を終わらせるように指示を受けたところ、二〜三時間で完了できるにもかかわらず、何も言わずにそのままにして帰ってしまうという無責任さであった(乙一一一号証一二頁、川名主尋一六三〜一八一)。
(2) 原告結城は、当時担当していたチャート類の整理・保管業務について、次のようないい加減な勤務ぶりであった。
① 当時の五十嵐敏夫主任が、常々、チャートは毎日整理するように指導していたにもかかわらず、原告結城は、チャートを未整理のまま自分の机の回りに雑然と積み上げておき、少しも整理をしようとしないので、必要なチャートをすぐに取り出せない状態であった。
② また、五十嵐主任がすぐに整理するように指示したところ、一週間たっても手を付けようとせず、五十嵐主任が更に強く注意をすると、反抗的態度をとり、ぶつぶつ文句を言いながらやっと整理にとりかかる始末であった(乙一一六号証七頁)。
③ チャートを入れた段ボール箱(これをチャート保管箱という)は、一旦技術課の事務室の隣の記録室に置き、二か月分くらい(チャート保管箱が八箱くらい)たまったところで、書庫に運んで保管することになっていた。ところが原告結城は、こまめに書庫へ運ばないため、チャート保管箱が記録室にたまってしまい、記録室にある書類等を見に行くのに通行の邪魔になることがしばしばあった(乙一一一号証一四頁、川名主尋一九五〜二一二)。
④ 昭和四八年の夏には、上司からチャート保管箱を片付けるように指示を受けた際に、書庫への運搬が十分可能であったにもかかわらず、書庫への通路が工事中で通れないから運べないなどと嘘をついて一向に片付けをやろうとせず、上司から早くチャート類をしまうようにと厳しく注意されて、やっと、それもぶつぶつ文句を言いながらいやいや実施する有様であった(乙一一一号証一四頁、川名主尋二一三〜二二一)。
(3) 原告結城は当時、技術関係図書の管理を担当しており、図書の管理方法を検討することも同人の担当業務であったので、上司の川名副長が適切な管理方法を検討するよう指示を行った。ところが、原告結城は、「自分には検討できない」と言って一向に仕事に取りかからなかった。そこで、やむを得ず川名副長が原案を作り、原告結城に意見を出すように言うと共に、清書をするように指示したところ、同人は「書いた人が清書すればいいじゃないか」などと反抗的態度をとる有様で、まったく責任感のかけらも感じられなかった(乙一一一号証一四〜一五頁、川名主尋二二二〜二二六)。
(4) 原告結城は当時、費用予算管理業務の一つとして、修繕費の予算超過申請の手続を行うことも担当していたが、ある時、複写機が故障したので、上司の川名副長がこの手続を行うように指示したところ、原告結城は「面倒くさいからやりたくない」と言って平然としていた。そのため、川名副長が厳しく注意したところ、原告結城はしぶしぶ実施するという有様であった(乙一一一号証一五頁、川名主尋二二七〜二二九)。
(三) 仕事に積極的に取り組む姿勢がなく、指示を受けてもこれに従わなかったり、上司に反抗的な態度をとった。
(1) 昭和四七年春頃、統計グループ全員で協力して、技術課の事務室にある書類戸棚を整理することになった際、原告結城は、皆と一緒にやるように指示を受けたにもかかわらず、「そんなことは、私の仕事ではないからやらない」と断り、とうとう手伝いもしなかった(乙一一一号証一三頁、川名主尋一八四〜一八八)。
(2) 昭和四七年一〇月頃、復水器出入口の海水温度について、本店から緊急の調査依頼があり、このような場合には、統計グループの中で皆で協力して調査を行うようになっていたので、上司(主任)が原告結城にその調査を行うよう指示したところ、同人は「いま忙しい」と言うばかりで、とうとう手伝おうとしなかった(乙一一一号証一三頁、七頁、川名主尋一八二〜一八三、二八〇〜二八五、六八〜七四)。
(3) 昭和四八年頃、給電概況の記録・配布を担当していた原告網岡が休んだことが何日かあったが、その際、上司から原告網岡の代わりにこの仕事をやるようにと何度か指示を受けたにもかかわらず、原告結城は、指示を受けるたびに「休んだ人の仕事を何故私がしなければならないのか」などと言って、決してやろうとしなかった(乙一一一号証一三〜一四頁、川名主尋一八九〜一九四、二八六〜二九一)。
(4) 昭和四六年からの統計業務の機械化に伴って運転日誌の様式が改定され、技術課で記入しなければならない項目が設定されたので、昭和四八年春頃、上司である川名副長が、能力開発の意味合いから、原告結城に対してその項目の記入要領を指導しようとしたところ、原告結城は「新しい仕事を覚えると、担当させられるから嫌だ」と言ってまったく覚えようともしなかった(乙一一一号証一五頁、乙一一八号証、川名主尋二三〇〜二四二)。
(四) 会議に出席しても、その内容を上司に報告しなかった。
当時の川名副長は、日頃から、統計グループの人に対して、会議に出席した場合にはその内容を口頭やメモで上司へ報告するよう指導しており、普通の人はこの指導に従っていた。ところが、原告結城は、会議に出席しても、上司に報告するということがなかった。ある時は、経理関係の会議に出席した後に、川名副長に報告をしなかったので、川名副長がその報告を求めたところ、原告結城は「副長は、会議に出たら必ず我々に報告するか」と、逆に食ってかかったこともあった(乙一一一号証一七〜一八頁、川名主尋二六二〜二六九)。
(五) 休暇取得が自己中心的で無責任で、課内だけでなく、他課へも迷惑をかけていた。
(1) この当時も休暇を取る場合には、緊急やむを得ない場合を除いて、事前に申請しなければならないというルールになっていたが、原告結城は、休暇の取り方が自己中心的で、職場のルールを無視し、当日の朝突然電話で申請してくることがしばしばあった(乙一一六号証九頁)。
(2) 原告結城は、無責任な休暇取得をしており、周囲に迷惑をかけ、業務に支障を来たすことがあった。
① 例えば原告結城は、昭和四七年四月下旬から五月上旬にかけて、日曜・祝日を含め連続二週間くらい(そのうち有給休暇は七日間くらい)の連続休暇を取得したすぐ直後に、突然、「一身上の都合」としか言わずに、「明日から八日間休むから」と長期間の休暇を申請してきた。そこで、上司の五十嵐主任が、チャート整理など仕事もたまっているので休暇を調整するよう指導したところ、原告結城は「欠勤ではないから指導など受ける必要はない」と反抗的態度を露にし、結局翌日から休暇理由を明らかにしないまま長期休暇を取ってしまった(乙一一六号証九〜一〇頁、乙二一八号証一〜三頁)。
② また、昭和四八年一月頃、原告結城は経理課から予算資料を提出するよう要請され、その提出期限が迫っていたにもかかわらず、これを処理しないまま、その提出期限をはさんで四〜五日連続して休暇を取ってしまい、そのため、提出期限に間に合わなかったことがあった(乙一一一号証一六頁、川名主尋二四三〜二六〇、二九二〜二九六)。
(六) 遅刻が多く、注意を受けても平然としており、一向に改まらなかった。
原告結城は、この時期を通じて、ほとんど毎日のように二、三分遅刻しており、特に昭和四六年一〇月から昭和四七年一一月まで(五十嵐敏夫主任の時代)は、定刻に出勤する方が稀な状態で、中には三〇分以上の目に余るような遅刻もあった。原告結城は、遅刻の都度上司から「八時三〇分には着替えて仕事ができる態勢でなければ駄目だ」と注意を受けたが、反省の態度すら見られず、遅刻の理由についても、「車が故障した」とか、他の人が遅れていないにもかかわらず、「交通渋滞」などと訳の分からないことを言って平然としていた(乙一一六号証一〇〜一一頁)。また、ある時、原告結城は三〇分以上も遅刻し、何の断わりもせずに席に座ったので、上司が厳重に注意したところ、原告結城はふてくされた態度をとり、理由も言わず、謝りもしなかった(乙一一一号証一六〜一七頁、川名主尋二六一)。
(七) 無断離席が多く、注意を受けても改まらなかった。
原告結城は、勤務時間中の無断離席が多く、上司から何度も注意・指導を受けても、改める気がないのか、馬耳東風の様子で聞き流す態度に終始していた(乙一一一号証一七頁、川名主尋二六一)。
三  昭和四九年七月以降
1 担当業務
原告結城は、昭和五〇年一〇月まで、引き続き千葉火力発電所技術課に所属し、統計グループの一員として二1に述べたと同様の業務を担当し(乙一一六号証二頁)、その後昭和五〇年一〇月に同発電所保修課に異動し、計器(制御)グループの一員となり、計器保修業務を担当し、更に昭和六〇年二月に五井火力発電所工事課に異動し、同様に計器保修業務を担当している。
2 勤務状況
(一) 新しい担当業務を命じられたが、再三注意指導を受けたにもかかわらず、仕事を行わなかった。
原告結城は、昭和五〇年初め頃、上司の五十嵐副長から、新しい担当業務として、事故停止内容や各機器の故障・修理の経過等をユニット経歴書に記録するというユニット経歴書故障統計等の仕事を処理するよう指示を受けたにもかかわらず、それから約半年間も、職務怠慢でこの仕事をきちんと処理しなかった。この間、五十嵐副長は、原告結城に対し、事故や機器の故障・修理の際には、こまめにユニット経歴書の故障統計の欄に、その内容や経歴を記録していくように再三指導し、また、たまっている仕事を早く処理するように注意したが、原告結城は首を縦にふり、分かっているというゼスチャーをするだけで、仕事にはほとんど手をつけていないのであった。そのため、ユニット経歴書の故障統計欄への記入は、五十嵐副長など上司が代わってやらざるを得ないという状態であった(以上、乙一一六号証七〜八頁、乙一一三号証、乙二一八号証)。
(二) 勤務時間中に居眠りをしたりさぼっていた。
原告結城は、勤務時間中に腕組みをしながらぼさっとしていたり、自分が持って来た新聞を読んでいたり、新聞を読みながらそのまま居眠りを始めたり、ある時は机にうつ伏せになり堂々と寝てしまうこともあるといった状態で、その都度注意を受けても一向に改まることがなかった(乙一一六号証一〇頁)。
(三) 休暇の取り方が業務の都合を考えず自己中心的であった。
この時期も休暇を取る場合は事前申請が原則であり、とりわけ長期休暇の場合は相当早い時期に申請することになっていたが、原告結城は、休暇の取り方が自己中心的で、職場のルールを無視し、当日の朝突然電話で休暇を申請してくることがしばしばあり、長期休暇であっても、取得の直前に、しかも休暇理由を明確にしないまま申請し休んでしまうことがあった。たとえば、昭和五〇年四月には、二三日の出勤日のうち一〇日以上も単に「家事都合」というだけで休んでしまったことがあった(乙一一六号証九〜一〇頁)。
(四) 遅刻や無断離席が多く、一向に改まらなかった。
原告結城は、遅刻が多く、また無断離席を繰り返し、注意・指導を受けても一向に改まらなかった。例えば、ある朝、原告結城が無断で席を立ったまま三〇分程たっても戻らないため、上司が探したところ、原告結城は昼休みでもないのに喫茶室でパック入りの寿司を食べていたので、その場で上司から注意を受けた。ところが、その数日後またしても同じことがあったので、上司が「この前も注意したばかりではないか」と厳しく注意したところ、原告結城は「分かったよう」と言い、とても反省する態度は見られなかった(乙一一六号証一〇〜一一頁)。
(五) 残業を嫌い、指示を受けても帰ってしまうことが何度もあった。
原告結城は残業を嫌い、上司から指示があっても帰ってしまうことがたびたびあり、時間外業務はほとんど行わなかった。例えば、昭和五〇年二月頃、火力機器の故障修理統計業務の機械化の準備作業として、本店からの指示により、急遽各火力発電所で分担して、各機器を機械登録するための入力票を作成することになり、千葉火力発電所でも技術課統計グループ全員四名で手分けして大至急処理することとなった。ところがこの作業が時間内で終了しなかったので、上司が原告結城を含めた全員に時間外労働を指示したところ、原告結城は、「残業はしない」と言って拒否し、理由を聞かれても何も言わずに、指示を無視して帰ってしまうという有様であった(乙一一六号証八〜九、五〜六頁)。
(六) 飲酒運転で事故を起こし、二か月くらい欠勤した。
原告結城は昭和五五年一二月二六日にバイクを飲酒運転して事故を起こし、二か月くらい欠勤している。このために昭和五六年度の原告結城の査定がマイナスになっているが、これは、原告結城自身差別とは関係がないものと認めており、正当な評価である(甲六一三号証の一、七九〜八〇頁、原告結城反尋三六二〜三六五)。
第一三節  原告網岡
一  昭和四六年二月まで
1 担当業務
原告網岡は、昭和三九年二月に、千葉火力発電所運転課から同技術課へ配属替えとなり、当初は調査係、昭和四四年からは調査・統計グループ、翌四五年からは統計グループに所属し、統計関係の基礎資料の作成や整理等の仕事を担当した(乙一一九号証三、八〜九頁、乙一一五号証六〜七頁、米山主尋三二〜三三)。
2 勤務状況
(一) 自分の仕事の範囲を勝手に決めてしまい、それ以外のことはやろうとしなかった。
原告網岡は、自分の仕事の範囲を勝手に決めてしまい、それ以外のことは、やろうとする意欲も積極性もなく、また上司から指示されても勝手な理屈をつけて素直に従おうとせず、自己中心的で自分勝手な勤務態度であった。その例を幾つか挙げると次のとおりである。
(1) 当時の技術課は計画業務や緊急な調査業務も多く、課員が相互に協力し合って仕事を処理していた。ところが、原告網岡は、上司から応援業務の指示を受けても、「これは自分の担当業務ではない」「賃金に見合った仕事以外はしたくない」などと言って、勝手に自分の仕事の枠を決めてしまい、素直に指示に従おうとしなかった(乙一一九号証一〇頁)。
(2) 原告網岡は、昭和四二年頃から十二指腸潰瘍を患い、その後頚腕症候群・腰痛症等の病気も加わり、通院治療のため遅刻・早退を繰り返し、また休務も多くあった。例えば、昭和四四〜四五年頃は、勤務時間の短縮(半日勤務)や時間外勤務禁止等の就業制限の措置を受けており、遅刻・早退が多くあったばかりでなく、二か月くらいの長期欠勤をした。そのため、同僚が原告網岡の担当業務をカバーし、代って処理せざるを得なかった。ところが、原告網岡は、逆に他の人が休んだ時に、その人の仕事を代って処理するように指示を受けると、反抗的態度をあらわにし、「この仕事は自分の仕事じゃないからやらない」「これはまだ今やらなくても、(その人が)出勤してからやっても間に合うんじゃないか」「これは前からこの人がやってたんじゃないか」「九級の仕事じゃないからやらない」などと反発し、素直に応じたことがなかった(乙一一五号証七〜八頁、乙一一七号証、米山主尋四〇〜六二)。
(3) 技術課には、性能試験のみならず、社内外からの要請による調査報告や一斉設備点検等の飛込みの仕事が時折あり、その都度上司の指示により、課員が自己の担当業務をやり繰りして、協力・分担し処理をしていた。ところが原告網岡は、このような仕事で上司から指示を受けた際に、「そこまでやる必要がない」「これはまだ定期点検が終わったばかりだ」「これはもう何年も事故が起こってないから、そんなところは見る必要がない」などと愚にもつかないような理屈を言って指示に従わず、時には、仕事を頼まれることを予想して、急ぎの用事もないのに上司に黙って中央操作室やチャート室へ行き長時間席を外すなどという、普通ではとても真似のできないような「ずるがしこさ」で仕事を避けていたこともあった。そのため、同僚は原告網岡に対して信頼感を持つことはできなかった(乙一一五号証九頁、米山主尋七四〜八二)。
(4) 技術課調査係は、発電設備や機器についての情報を運転課や保修課などの関係各課に提供する使命を持っていたが、机にじっと座っていたのでは情報も集まらずその使命を果たせないので、調査係の係員は自発的・積極的に対応する必要があった。そのため、他の多くの係員は、設備機器の状態などについて、データから変化を読み取ったり、また、普段から関係各課へのアンテナを高くしていて、情報をつかんだりすると、即座に関係課に出向いて事情を調べ、「速報」を作成して周知させることを自発的・積極的に行っていた。ところが原告網岡は、積極的に仕事をする態度をまったく見せず、関係各課を飛び回っている様子もなかったのであり、上司は原告網岡に期待も信頼も持つことができなかった(乙一一九号証一三〜一四頁、中野主尋一三七〜一四一)。
(二) 仕事の質が低かった。
原告網岡は、目的意識もなく、与えられた仕事について最小限のことだけしか行わないという質の低い勤務内容であった。例えば原告網岡は、昭和四二年頃、設備経歴カードのパンチ・整理業務を担当していたが、この業務は、事故・故障統計をとるためばかりでなく、設備の経年劣化が起こっていないか、修理が悪くて故障が再発していないか、設計・製作が悪くて類似の故障が起こっていないか等機械の状態を把握し、更に今後どのような傾向を示していくのかを把握する目的で行っているものである。それ故、担当者は、単にカードにパンチをして統計表を作成するだけでなく、統計的に設備の状態や故障等の傾向をつかみ、その情報を上司や関係各所に提供することが必要である。例えば、故障が非常に頻発しているような状態が集計結果から見られた場合には、何故そうなのかをできる限り調査し、どういう対応をしたらよいかを考えて、先輩や上司などに報告しなければならないのである。ところが、原告網岡は、こうした点を上司から機会あるごとに指導されていたにもかかわらず、カード処理が遅めであるばかりでなく、設備の状態などに関する情報をただの一度も上司に報告したことがなく、この仕事のもつ意味・目的・重要性をまったく理解していない勤務ぶりであった(以上、乙一一九号証九〜一〇頁、中野主尋八七〜一〇六、中野反尋四五〇)。
(三) 自己啓発意欲に欠け、積極的に業務知識の習得を図ろうとする態度が見られなかった。
原告網岡は、実務レポート等を勉強したり、同僚と技術的ディスカッションをしている様子はまったく見られず、自己啓発意欲に欠け、積極的に業務知識の習得を図ろうとする態度が見られなかった(乙一一九号証一二〜一三頁、中野主尋一三三〜一三六)。
(四) 遅刻や居眠りが多かった。
(1) 昭和四五〜四六年頃、原告網岡は通院のため遅刻が多かったので、それ以外の日にはきちんと出勤するように、普段から指導を受けていたが、それにもかかわらずたびたび遅れて出社し、知らん顔をしているという状況であった。遅刻は大体一〇分から二〇分であるが、三〇分くらい遅刻することもたびたびあった。そして、上司から遅刻の都度理由を質され指導を受けても、原告網岡は「通勤用の車が故障していた」とか「道路が混雑した」などの理由を述べ平然としており、その後も遅刻を繰り返すなど、反省の様子はまったく見られず、遅刻しても構わないという就業規則を無視するような考えであったように見受けられた(乙一一五号証八〜九頁、乙二二二号証九〜一〇頁、米山主尋六五〜七三)。
(2) 原告網岡は、勤務時間中に堂々と居眠りをしていることがよくあり、注意を受けても、まったくこれを意に介さないかのように、その後も居眠りを繰り返していた(乙一一五号証一〇〜一一頁)。
(五) 時間外労働を指示されても拒否することが多かった。
当時、技術課調査係では、性能試験(発電設備が所定の性能を維持しているかどうかを試験するもの)を発電ユニットごとに年数回行っていたが、この試験は、記録項目が多く、長時間(大体午前一〇時頃から始めて一四〜一五時間くらいかかる。)を要するものであり、そのため従来から、係全体の業務として、全員が協力し、人海戦術で実施してきており、係の多くの人は、そうしたことを十分自覚して、多少の都合はあっても遣り繰りをして都合をつけて試験実施に協力していた。ところが、原告網岡は、以上のような事情を十分承知していながら、性能試験のため時間外労働の指示を受けた際に、具体的な理由も言わずに「今日は用があるから駄目だ」「今日は約束があるから駄目だ」などと言って時間外労働を拒否するということが何回かあり、上司から注意を受けても一向に協力する態度が見られなかった。そのため、同僚等からも信頼されていなかった(以上、乙一一九号証一一〜一二頁、中野主尋一〇七〜一三二)。
(六) 職場での常識に欠ける勤務ぶりであった。
原告網岡は、職場での常識に欠ける勤務ぶりであり、その例を挙げると次のとおりである。
(1) 原告網岡は、昭和四四年一〇月頃、設備経歴カードのパンチ業務を担当したことにより頚腕症候群及び腰痛症という病気になったと上司に申し出た。そこで上司が、パンチ業務で発病したということはそれまでに聞いたことがなかったが、心配でもあったので、「産業医とも相談して、東電病院で専門的に診てもらったらどうか」と勧めたところ、原告網岡はにべもなくこれを拒否した。このように、原告網岡は、上司の心配や親切心を受け止めて、まず話し合うといった職場での常識に欠けていた(乙一一五号証九〜一〇頁、米山反尋二七三〜二七五)。
(2) 原告網岡は、右の頚腕症候群、腰痛症の病気治療のため、昭和四四〜四五年頃賃金補償を受けたまま半日の勤務で構わないという就業制限の措置を受けており、半日で早退する日が続いていたが、こうした場合には、勤務時間の内外を問わず、健康回復の為に安静にするなどして病気療養に専念すべきは、従業員として当然のことである。にもかかわらず原告網岡は、昼休みにソフトボールや卓球に興じるなど、本当に病気を治す気持ちがあるとは考えられない行動をとっていた(乙一一五号証九〜一〇頁、米山反尋二七三〜二七五)。のみならず、第一生命に妻の解雇撤回のための抗議に出かけたり、いろいろな人達に支持を訴えるという職業病闘争を展開し(原告網岡反尋一五五〜一六一)、病気療養に専念すべき義務を怠っていた。
(3) 原告網岡は、仕事中に平気で私用の長電話をかけていることがよくあり、注意を受けても、反省する様子もなく、しばらくするとまた繰り返すといった状態であった(乙一一五号証一一頁)。
(4) また、前述のとおり原告網岡は昭和四四〜四五年頃、就業制限の措置を受け、長期欠勤や遅刻・早退が多く、自分の担当業務を同僚に代ってもらったり、分担して処理してもらっていたが、原告網岡は同僚に対して感謝の言葉がないばかりか、「就業制限の措置を受けているのだから、自分の仕事を他の人に代ってやってもらうのは当然のこと」といった非常識な態度であり、遅刻・早退の際に回りの人に挨拶もしないという状態であった(乙一一五号証七頁、米山主尋四四〜五一、米山反尋九四)。
(七) 原告網岡は前述のとおり、昭和四二年頃から十二指腸潰瘍を患い、その後頚腕症候群・腰痛症等の病気も加わり、通院治療のため遅刻・早退を繰り返し、休務も多くあった。例えば昭和四四〜四五年頃は、半日勤務等の就業制限の措置を受けており、遅刻・早退が多く、二か月くらいの長期欠勤もあった(乙一一五号証七頁、乙一一七号証、米山主尋四〇〜四三)。このようなことが当時の原告網岡の査定に影響を及ぼすのは、被告の人事・賃金制度上当然のことである。
二  昭和四六年二月から昭和四九年六月まで
1 担当業務
原告網岡はこの時期も千葉火力発電所技術課に所属し、統計グループの一員として、主に保安日誌、停止統計表、発電実績月報概要、発電所・ユニット経歴書等の統計資料の作成の業務を担当し、また、給電概況の記録と配布、土木設備点検報告書の作成・報告等の業務も担当していた(乙一一一号証二〜五頁、川名主尋一〇〜一六、二〇)。
2 勤務状況
(一) 自分の仕事の範囲を勝手に決めてしまい、上司の指示を無視・拒否したり反抗的態度を繰り返していた。
原告網岡は、仕事に対する熱意・積極性が感じられず、仕事の範囲を自分勝手に限定してしまい、上司から指示を受けてもこれを無視ないし拒否し、あるいはすぐには取りかからないといった反抗的態度を繰り返していた(乙一一一号証五頁、七頁、川名主尋二一)。
その例を幾つか挙げると、次のとおりである。
(1) 昭和四八年春頃、技術課では、調査・公害グループ及び原告網岡が発電所の運転状況を記載した発電実績月報概要を作成し、これを所長まで報告していたが、報告の際に、前月との対比状況などが分かりやすいように要約したものを添付したらよいのではないか、ということになった。そこで、上司が右概要の作成の仕事を部分的に担当していた原告網岡に、能力開発の意味から、「発電実績月報概要の内容を端的に要約したものを作成したいので、その様式を検討するように」と指示をした。ところが原告網岡は、「様式の検討は八級以上の仕事だ。九級職の私はできません」などと言って断わり、とうとうこの仕事をやらなかった(乙一一一号証八頁、川名主尋八二〜九一)。その後、右概要の作成の仕事を統計グループで担当することになり、上司が、従来からのいきさつを考慮し、原告網岡に右概要作成の仕事を全面的に担当させようとした際にも、原告網岡は、「他のグループで担当していた仕事をやることはできない」「八級の人が担当していた仕事は九級の私にはできない」などと言って、この仕事を担当しようとせず、そのため、上司が代わってこれを担当せざるを得なかった(乙一一一号証八頁、川名主尋九一〜一〇二)。
(2) 上司から発電所における非常災害時の連絡体制表の補正作業(転勤などがあった場合に、人名を訂正すること)の指示を受けた際に、原告網岡は、「評価対象外業務は一切やらない」と反抗し、上司が「評価対象外業務とはどういうことだ。屁理屈を言ってないで、きちんと仕事をしなさい」と注意しても、原告網岡はこれを無視して行わず、結局、やむを得ず上司がやらざるを得なかった(乙一一一号証八〜九頁、川名主尋一〇三〜一一三)。
このような例は他にもあり、他のグループの応援などの指示を受けても、「雑業務は、評価されないからやらない」と言って、上司の指示に素直に従わないこともあった(乙一一一号証九頁、川名主尋一一四)。
(3) 昭和四七年一〇月頃、復水器出入口の海水温度について本店から緊急の調査依頼があった際のことである。この仕事はかなりの労力を要し、数人共同で協力してやらなければならない仕事なので、上司が手のあいていた原告網岡に仕事を手伝うように指示したところ、原告網岡は「忙しいから駄目だ」と断わり、上司が重ねて強く指示しても返事もせず、席を立ってしまったことがあった(乙一一一号証七頁、川名主尋六八〜七五、二八〇〜二八五)。
(4) ある時、上司が、月が変わったので仕事の進捗状況を確認するために発電所・ユニット経歴書の記入状況の説明を求めたところ、原告網岡は、「私が担当している仕事をいちいち説明する必要はない」などと言って、上司の指示に素直に従わなかった(乙一一一号証七頁、川名主尋七六〜八一)。
(二) 無責任な仕事ぶりであった。
原告網岡は仕事に対する責任感が感じられず、極めて無責任な勤務ぶりであった。その例を挙げると、次のとおりである。
(1) 昭和四七年暮れ頃、原告網岡が作成した報告書に誤字があり、それがきちんと訂正されていなかった。そこで上司が、きちんとやるように注意したところ、原告網岡は、これに素直に従わず、「注文が多すぎる。今後は仕事を頼まれてもやらない」などと子供のような無責任かつ反抗的な発言をしたことがあった(乙一一一号証九頁、川名主尋一一五〜一二四)。
(2) 昭和四八年頃、原告網岡は、十二指腸潰瘍等でよく通院しており、半日程度の遅刻・早退が多かった。そのため、上司が原告網岡の担当業務をフォローしていたが、原告網岡は、治療に行く時でも、予め自分の仕事をきちんと引き継がないという無責任な勤務態度であった(乙一一一号証五〜六頁、乙一一七号証、川名主尋二三〜二八)。例えば、原告網岡は、当時給電概況の作成業務を担当しており、毎日大体午前九時頃までにこれを作成しなければならず、もしも遅刻や休務などで自ら作成ができない場合には、上司から言われなくてもこの仕事の引き継ぎをし、他の人に頼んでおく必要があった。ところが、原告網岡は、通院のために遅刻するので自分ではこの仕事ができないことが予め分かっていたにもかかわらず、その仕事を誰にも頼まないまま遅刻したことがあった(川名主尋二九〜四九)。
(三) 遅刻や無断離席が多く、注意を受けても一向に改まらなかった。
(1) 原告網岡は、通院のための遅刻以外に、一〇分程度遅刻することが大体一週間に一回、多いと二〜三回くらいもあり、上司からその都度理由を聞かれても、ほとんど返事をしないという有様であった。ある時、原告網岡が二〇分も遅刻してきたので、その理由を上司が尋ねたところ、原告網岡は遅刻の理由を言うどころか、「後でたっぷり礼をしてやる」などととんでもないことを言い出す始末であった(以上、乙一一一号証九〜一〇頁、乙一一六号証四〜五頁、川名主尋一二五〜一二九)。
(2) 職場では、長時間席を離れる場合には、上司にきちんと断わって行くのが通例であったが、原告網岡は勤務時間中に上司に連絡せず、しかも三〇分から一時間という長時間席を離れていることが多くあり、そのため上司が仕事の指示や連絡をしようとしても、行き先がわからずに困ったことがしばしばあった(乙一一一号証一〇頁、川名主尋一三〇〜一三二)。
(四) 職場での常識に欠け、反抗的態度をとっていた。
前述のとおり、当時原告網岡は、十二指腸潰瘍等の治療のため四か月くらい通院しており、この間半日程度の遅刻、早退が多く、そのため原告網岡の担当業務を上司がフォローしていた。ところが原告網岡は、自分の病気により業務処理の点で他人に迷惑をかけているにもかかわらず、自分の分を上司がカバーするのは当り前であるという態度に終始し、上司に対して「申し訳ない」などという言葉を一言も言ったことがなかった。また、上司が原告網岡の身体を心配して具合を尋ねても、原告網岡は答えなかったり、ひどい時には「余計なことは言うな」と食ってかかる始末であった。更に上司が原告網岡に賃金補償を受けさせるために、原告網岡のことを考えて、「診断書をきちんと提出するように」と命じても、原告網岡は素直に従おうとせず「提出する必要はない」と言い、挙句の果てに「賃金カットを受けてもよい。いずれ、後でまとめて請求する」などと居直る始末であった(乙一一一号証五〜七頁、川名主尋五七〜六六、川名反尋五七〜五九)。
(五) 原告網岡は前述のとおり、昭和四八年頃も病気で通院治療のため遅刻、早退が多かったが(乙一一一号証五〜六頁、乙一一七号証、川名主尋二三〜二八)、このことが当時の原告網岡の査定に影響を及ぼすのは、被告の人事・賃金制度上当然のことである。
三  昭和四九年七月以降
1 担当業務
原告網岡は、昭和五八年九月まで、引き続き千葉火力発電所技術課に所属し、この間昭和五一年五月までは統計グループ(担当業務はそれまでとほぼ同じ)、昭和五一年五月から昭和五六年三月までは調査・環境グループ、昭和五六年四月から昭和五八年九月までは計画グループに在籍した。そして、昭和五八年一〇月に五井火力発電所技術部技術課に異動し、以降計画グループの業務を担当している(甲六〇八号証二八頁)。
2 勤務状況
(一) 自分の担当する仕事以外はやろうとせず、意欲や積極性に欠け、上司の指示に従わずに反抗的態度に終始していた。
この時期も、原告網岡は、上司に対して常に反抗的態度に終始し、上司の注意や指導を聞こうとしなかった。また、自分の担当する仕事以外はやろうとせず、自ら新しい仕事を覚えようとする意欲や積極性もなく、グループ内外での協調性もない勤務ぶりであった(乙一一六号証二〜三頁)。その例を幾つか挙げると、次のとおりである。
(1) 昭和四九年夏頃、新たに海水温度の測定結果を技術課から本店の火力技術課へ毎週報告することになり、上司が原告網岡にこの報告業務を行うように指示をした。ところが原告網岡は、「それは発電課で測定しているのだから、発電課から報告させればいい」などと、既に技術課が担当することに決まっていた仕事を否定する自分勝手な言い分を平気で言い、上司の指示を無視する態度であった。そして、上司から再度説明を受けても、まったく理解しようともせず、右の仕事を行わなかった。そのため、やむなく上司がこれを処理せざるを得なかった(乙一一六号証二〜三頁)。
(2) 昭和四九年暮頃、上司から、会議資料に使うため給電概況の数値の推移をグラフ化するようにと指示を受けた際、原告網岡は、「給電概況を偉い人に毎朝配っているから分るはず」「そんなくだらない資料は作らなくていい」などと言って指示に従わなかった。そのため、上司が作成せざるを得なかった(乙一一六号証三〜四頁)。
(3) 昭和五〇年初め頃、同僚の原告結城が数日間忌引休暇をとった際に、原告結城の担当していた支払伝票の発行で急ぐものがあったので、上司が原告網岡に代りに処理するように指示したところ、原告網岡は、「それは自分の仕事ではない」「そんな伝票は書いたことがない」などとぶつぶつ文句を言って指示に従わず、結局、上司が処理せざるを得なかった(乙一一六号証四頁)。
(二) 残業の指示を受けてもほとんど従わなかった。
技術課の仕事は、期限のあるものや緊急性を求められるものが多く、そのため、グループ内で残業が必要となることがしばしばあったが、原告網岡は、残業の指示を受けても、これに従って残業を行うことはほとんどなかった。
例えば、昭和五〇年二月頃、火力機器の故障修理統計業務の機械化の準備作業として、本店からの指示で、各機器を機械登録するための入力票を大至急作成しなければならないことになり、技術課統計グループ全員四名で処理にあたった。そして、この仕事が時間内で完了しなかったため、上司がグループ全員に残業して処理し終えるようにと指示した。ところが、原告網岡は、「残業はだめ」と言って拒否し、理由を聞かれてもはっきりした理由も言わずに帰ってしまい、そのため上司が代わりに処理せざるを得なかった(乙一一六号証五〜六頁)。
(三) 遅刻、長時間の無断離席が多かった。
(1) 原告網岡は、相変わらず遅刻し始業時間に席に着いていない状態であったので、上司が「八時三〇分には、着替えて仕事ができる態勢でなければだめだ」と何度も注意をしたが、原告網岡は、これを改める様子がまったく見られなかった。例えば、ある時、原告網岡が三〇分も遅れて事務所に入って来たため、上司が遅れた理由を質したところ、原告網岡は、悪びれる様子もなく、「子供を保育園まで送っている。電車のようにぴたりと定時に会社には着かない」などと自分勝手で非常識な理屈を並べ、平然としていた(乙一一六号証四〜五頁)。
(2) 原告網岡は誰にも断わらずにいつの間にか、しかも長時間席を外してしまうことがたびたびあり、上司からその都度「席を離れる時は、行き先を言っていくように」と注意・指導を受けても、一向に改めようとせず、逆に「俺を監視しているのか」と上司に食ってかかったこともあった(乙一一六号証四頁)。
(四) なお、原告網岡は、調査・環境グループに配属された時(昭和五一年五月)に、「この当時の副長以下のグループメンバーは、私が入社した当時からよく知っている人達で、…私の能力を発揮しやすいように配慮もしてくれました。そのため、以前は私に隠していたような事故報告を知ることもできました」とし、昭和五四年一二月には事故報告書の作成も命じられたと述べている(甲六〇八号証の一、三四〜三五頁、甲六〇九号証の一〜三、原告網岡主尋一二三〜一四二)。このことは、少なくとも昭和五一年五月から昭和五四年一二月までの時期は原告網岡に対する「差別」がなかったこと、従ってこの時期の原告網岡に対する評価が正当であったことを原告網岡自身も認めていることを意味するものであり、少なくともこの時期における原告網岡の賃金差別の主張がまったく根拠を欠くことは明らかである。
第一四節  原告らの勤務ぶり総括
一  原告らの個別の勤務ぶりを検討していくと、原告らの多くに共通する勤務態度が浮き彫りとなる。すなわち、原告らの勤務ぶりは、担当業務の遂行に熱心さが不足し、指示された最低限のことしか行わず、自分の仕事を勝手な判断で限定してしまい「これは俺の仕事ではない」と決めつけ、業務に関連した能力の自己啓発への努力などまったくしない状態であり、また、上司の職務上の指示・命令・注意に対してさえ素直に従わず反発するといったものである。更に、原告らは遅刻を重ね上司の許可なく勤務中離席し、残業についての協力をせず、有給休暇も職場の慣行を無視して取得するため、同じ職場の仲間の不満を発生させチームワークを著しく乱すことが多くあった。そして、原告らの勤務ぶりにこのような共通する行為・態度が存する理由は、次のことから明らかである。
二  原告団長の原告遠藤の供述によれば、その作成になる甲三五二号証が原告らの基本的考え、行動を表したものである。そして、そこでは、「我々の基本方針(認識)」の中で「我々は、革命にむかって、拠点党細胞としての任務を持って、確実に、かつ成功的に長い道を歩まねばならないが、そのためには経営内に強大な党を建設し、多数の労働力を廻りに堅く結集しなければならない。従って、どのような時点においてもいささかの冒険主義、教条主義、日和見的な行動は許されない。このことは綱領と9大会方針、三中総、五中総、党の合理化に対する政策の方針に正しく導かれて行動することを意味する。」「綱領の観点から、大衆組織を拡大し、党勢を拡大して不抜の革命勢力をこの重要工場内に建設していき、そこに民主勢力のトリデを築きあげ、労働運動の民主化のために斗うという任務と展望を片時も忘れてはならないのである。」と明言するとともに、被告を自分たちの敵と位置づけ「敵の姿を大きく見すぎて労働者と組織の力を信ぜず、ただ組織の温存を、ということで日和見的に敵に追従するならば、敵の攻撃を許し、敵を更に大きくし組織内に動揺を起し、結果的に組織を破カイされ、更に大きな合理化を許す道につながり、これも誤りであることは論を待たない。」と被告との対決の姿勢を示している。このような基本方針(認識)をもち、具体的な行動を展開していく原告らにとって、被告の基本方針を理解し、その発展のために一生懸命勤務することが可能であったかどうか極めて難しいと判断せざるを得ない。
三  この点を具体的に裏付ける顕著な根拠として、かつて原告らの仲間として被告に勤務していた植竹守雄が記載したという「生活記録1」(乙五四)があげられる。これにより、原告らの仲間であった植竹が被告の基本方針を理解しようとせず、忠実・誠実に勤務している同僚、上司、先輩の行動を批判的に冷ややかにみていたか、また、被告を敵と位置づけているため職場における活動、行事に協力的ではなく、職務遂行にも熱心さがまったくみられないことが明らかになる。被告における総務課による課題提案、業務改善提案、業務計画策定に関する提案など各種提案についても被告の方針を無理やり覚え込ませようとするものと位置づけ、これを批判し、これらに取り組む姿勢はまったくないのである。
四  原告らの勤務ぶりについても、植竹について認められたものと同様なことが言えるのである。原告らは、原告らの反被告的基本方針及びそれに基づく具体的認識、行動と被告においてなすべき勤務ぶりとを明確に分離、区別できなかったがゆえに、その職務遂行に熱心さが不足し、指示された最低限のことしか行わず、自己の仕事を勝手に狭く限定し、これは俺の仕事ではないと決めつけ、自己啓発への努力を放棄し、上司の職務上の指示・注意に対して素直に従わず反発するなどという劣悪な勤務ぶりとなったものである。また、原告らは、有給休暇がいつでも好きな時に、どのような理由であっても自由に取得できる労働者の権利であり、また、残業が資本家に対する奉仕であり本来すべきではないとしている。しかし、定員制をとる職場においては、仲間が互いに仲間を気づかい、休暇を取得するにも自ら代勤者を捜し、上司の許可を得ることが職場の慣行となっていたが、原告らの場合には、植竹にみられるように安易に自分勝手な都合で勤務時間直前に有給休暇を申請することが多く、これもその一つの表れというべきものである。また、千葉県における火力職場では多少の遅刻については勤務表上に残さないという取扱いや勤務時間中の私用による離席についても業務上支障のない場合に上司の許可のもとに、通院などの一定の事由に限って許されるという取扱いが、硬直的な労務管理より円満な職場環境の下で勤務することが望ましいとのその職場の判断で便宜的に行われていた。この点に関しても、原告らはこれを一方的に拡大解釈し、多少の遅刻は許されるものと判断し、悪びれることなく遅刻し、また、離席についても私用の内容を告げず上司の許可なく実行することが多くあったのである。これに対して原告らと同じ職場で勤務していた多くの社員は入社試験に合格した会社人として適性のある者であるのみならず、被告の発展のためには被告の基本方針を理解し、その方針に基づき一生懸命勤務することが必要であると認識し、自己に課せられた役割を十分に果すことによって上司から高い評価を受け、昇給し、また、高い職級、役職に任用されるということを十分理解し、身を粉にして日々の勤務についている真面目な者たちである。このような優秀な社員の多い被告における人事考課は日々の勤務ぶりをつぶさにみている上司にあってさえも非常に困難なケースが生ずる。すなわち部下がいずれも優秀で一生懸命努力している状況にあっても、上司としては部下の勤務ぶりを相対的に評価し、序列を付けなければならない責務があり、その際には些細な事柄まで考慮せねばならず、その結果些細な事柄によってEFSの異なる評定がなされ、昇給の差も発生することになるのである。原告らが勤務中は被告の発展のため被告の基本方針に沿うよう努力していたと強弁したとしても、被告を敵と位置づけ、被告の中に不抜のトリデを作ることを責務と考え行動している原告らの勤務ぶりが、被告の基本方針の実現のため、また高い評価を得んがために心から努力している多くの社員の勤務ぶりと比較された時、優劣が客観的に表れ出てきたものであり、かつ原告らの劣悪な勤務ぶりが長期間にわたり継続された結果、必然的に原告らの現在までの処遇が生じてきているのである。
第三編 賃金関係処遇に関する不法行為の諸要件に対する反論
第一章  被侵害利益について
一  被告における従業員の賃金のうちの基本給は、初任基本給にその後の定期昇給、ベースアップ、職級変更、期中是正による増加額を加算することによって決まるが、その中心をなす定期昇給額は、任用された職務について決められている職級と、号数に応じて決まる定期昇給基準額を人事考課に基づき補正して決まる。また、諸手当中、資格手当は格付けられた資格に応じて決まり、職責手当は任用された役職に応じて決まる。
二1  ところで、これら賃金を決定する主たる要因というべき職級、人事考課、資格の格付け、役職への任用は、いずれも、被告の人事諸制度の運用を通じて決まるものである。すなわち、職級は職級制度により任用された職務について決められているものであって、職務任用ないし役職への任用は人事制度の運用として業務上の必要に応じ従業員の職務遂行能力・適性等を勘案して行われる。人事考課に基づく査定は、人事考課制度の定めるところに従って行われた業績評定の結果を、賃金制度に従い定期昇給における基準定昇額の補正ないし賞与における成績査定額の決定に反映させる。
2  被告における従業員の賃金は、このように職務遂行能力、勤務成績を反映する数々の要素によって決まり、年齢、学歴、勤続年数など、勤務内容に直接かかわりない要因によって画一的に決まるというような制度ではない(原告らは、制度が主として学歴と勤続年数とを基本とした年功序列的運用である旨を主張するが、それは運用の実態を歪曲した主張であってまったく当たらない)。そして、賃金決定の主たる要素である職級の決定、人事考課、資格の格付け、役職への任用のいずれもが被告の裁量に委ねられているものなのである。職級の決定をとってみても、被告の職級は「人」についてではなく、各人が任用された職務について決められているものであるから、当該職級の職務に任用されなければ、たとえ同期同学歴者といえども当該職級にはなれず(上位職級になればなるほど職務が限られてくる。)、職務任用の結果として職級が決まるのであるが、職務の任用はまさに被告の専権に属することであって、被告がその人事権を行使し、業務上の必要と当人の職務遂行能力、適性を勘案して行うものである。人事考課評定、資格の格付け、役職任用も、同様に裁量行為であって、羈束行為ではない。
3  そのような制度の適用を受ける被告の従業員は、処遇に関して雇用契約上どのような権利ないし利益を有しているのかというと、結局、被告による公正な裁量権の行使を期待するところから認められる利益に帰着する。すなわち、裁量行為といえども権利の濫用は許されないから、被告は、職務遂行能力、勤務成績を処遇に反映させるという制度の本旨に従い、その有する裁量権を公正に行使しなければならない。そして、被告が公正に裁量権を行使するならば、一定の職務遂行能力を有し、それを業務に発揮したことによって、それに見合う処遇を受け得るという期待が生じ、その期待は法の保護に値する利益といい得ることになる。
4  従って、原告らが当然に、統計上の同期同学歴者の中位数または平均に当たる処遇を受けるべき期待的利益を有しているなどということは決してないのである。自らが有しかつ業務に発揮した職務遂行能力及びその実績との相関において期待的利益が認められるのであるから、仮に同期同学歴者のうちの平均的処遇を期待的利益として主張し得るためには、当人がその平均的処遇を受けている者に比べ、少なくともそれと同等以上の職務遂行能力を有し、業務に発揮して勤務実績をあげていたことが必要なのである。
三1  しかるに、原告らは、平均以上の職務遂行能力を有すると抽象的に主張するのみで、その具体的内容は一つも主張・立証されていない。このような抽象的主張だけにとどまったのでは、その主張する権利ないし利益を取得した根拠(権利発生原因)を何ら示したことにならず、これで足りるとすれば被告の制度上存在し得ない状態を前提にすることとなり、原告らの主張とすらも矛盾して収拾のつかない状況が発生する。
2  被告においては、職務給制度を採用しているだけではなく、人事考課権者に大幅な裁量権を付与し、同期同学歴者であってもその職務、その賃金に大きな開きが必然的に発生するという自由裁量権付与の制度をも採用していることから、原告らの主張する中位数または平均が同期同学歴者の序列の中心となるならば、その中位数または平均に達せず、それより低い賃金を取得しているものが、同期同学歴者の全員の半数も発生することになってしまう。その半数の従業員に対して、原告らは特に具体的理由も挙げずに当然に、それより高い(中位数または平均の)賃金を取得し得べきである(その半数の従業員には原告らよりも低い賃金を受認せよ)との結論を押し付けるのであり、これは、いかにも経験則に反しているといわざるを得ない。その理由は、原告らがただ単に平均的能力を有していると抽象的に主張しているに過ぎず、同期同学歴者の半数の従業員とその勤務ぶり、業績等を具体的に比較検討した結果、原告らがその半数の従業員より上位にあると評価すべき具体的な結論が得られていないからにほかならない。同期同学歴者のうちの平均的処遇を期待的利益として主張し得るためには、当人がその平均的処遇を受けている者に比べ、少くともそれと同等以上の職務遂行能力を有し、勤務実績をあげていたことが必要なのである。
3  このことは、債務不履行とか権利濫用というような抽象的な要件事実については、その抽象的要件事実に該当する具体的な事実が主張・証明責任の対象たる主要事実であることに徴しても明らかである。本件において、原告らが取得している期待的利益を、その発生原因たる具体的事実とともに主張・立証するということは、原告らが現実に見せた職務遂行能力とその発揮に対し、被告が決定した処遇がどのように裁量権を逸脱して濫用にわたるというべきものであるかということを具体的に主張・立証することになるのである。そうである以上、原告らは、各人が同期同学歴者の中にあって平均的処遇を受け得べき期待的利益を有していると主張するためには、同期同学歴者の中から中位数または平均に該当する比較対象者を選定したうえ、その比較対象者及び原告らそれぞれの職務遂行能力、勤務成績を具体的に明らかにし、原告らがその比較対象者と同等以上であることを主張・立証すべきであり、それを怠っている原告らの本訴請求は、その点だけからしても失当なること明らかである。
四1  これに対して原告らは、同期同学歴者の平均を取り出して比較しているのは不法行為による損害額認識の方法としてであること、更に、被告の賃金体系が学歴・勤続年数という年功序列的要素により運用されていることからして同期同学歴者の平均(基本給・職級・資格・役職位)を基準としてその差額を損害額とすることは合理的である旨を主張する。しかしながら、その主張はいずれも誤りである。
2  まず、第一に、原告らは、同期同学歴者における平均値は損害論の範疇でのみ問題になることであって、被侵害利益及び権利侵害行為の特定という行為論の範疇ではまったく問題たり得ないとするようであるが、前述したように、権利の侵害という構成要件に関しては被侵害利益と権利侵害行為とを具体的に特定しなければならないのであるから、これを無視して損害額の問題だとするのは本末転倒の論というほかない。更に、被告における賃金制度が年功序列的に運用されているとの主張もまったく牽強付会の説に過ぎない。原告らはその根拠として、一つには東電労組作成名義になる組合員の年次別職級分布や賃金分布の統計を挙げ、その他には「被告自らが学歴や勤続、年令をもとにした職級の実態調査や具体的措置を行っていること」を挙げている。しかし、これらは次のとおり失当である。
3  原告らは、制度自体に年功的要素が内在するとも主張しているが、特に強調して主張している点は、結果が年功序列的運用を示している、というものである。しかしながら、東電労組の統計というのは、東電労組が組合員の職務への任用状況等を調査するに当たり、「学歴」「勤続年数」別に並べて統計をとってみた結果を示しているだけのことと解されるのみならず、これを見ても、同一勤続年数・同学歴者間で職務任用の結果たる職級が広く分布していることが明らかであるから、原告らのいわゆる年功序列的運用実態を根拠づけるものとは到底いい難い。
また、被告の対応として原告らが挙げている点も、原告らが自分の都合がよいようにその趣旨を歪曲し、こじつけているに過ぎない。例えば、原告らは昭和四一年一二月実施の新基本給体系において導入された定期昇給制度を伝統的な年功序列制度の具体化である旨主張する。しかし、定期昇給制度の導入を基本とする新基本給体系は、従来の賃金増加額部分に含まれていた「年齢別勤続別定額」、「一律定額」というような職務対応・服務対応でない部分を見直し、その決定を職級別で、しかも職務経験に伴う職務遂行能力増加の可能性を前提とした額(基準定昇額)を人事考課に基づく査定で増減することにより行うこととしたものであって、決して原告ら主張のような年功序列的なものではない。原告らは、定期昇給制度において勤続一年ごとに一号加算されることをもって年功序列的と主張するのである。しかし、当該制度は職級別をその基本としそのことが職務対応の大枠を示していること、そして毎年加算される一号の金額は職級ごとに異なる一二本の昇給線に沿って定められるが、基準となっている昇級基準線の勾配の変化が同一職級内の職務遂行能力増加の曲線と対応していること、更に職級別の枠内での人事考課に基づく査定による基準定昇額の補正は現実の服務に対応していることからすれば、定期昇給制度はまさに職務対応・能力対応・服務対応の昇級基準というべきものであり、これまた、原告らのいわゆる年功序列的運用実態を根拠づけるものではない。このように、原告らが賃金制度の年功序列的性格を端的に示すものとして主張する定期昇給制度一つをとってみても、その主張は制度の趣旨をまったく理解しない独善的なものにほかならない。
第二章  権利侵害行為について
一  前述のように、原告らは被侵害利益がいかなる内容のものであるかについて特定していない。その当然の帰結として、被告のいつの、いかなる行為(作為もしくは不作為)が権利侵害行為だというのかという点についてもまったく特定しようとしないのである。
二  不法行為請求の構成要件たる権利侵害行為とは、損害を発生させる原因となった行為をいうのであり、損害の発生そのものをいうのではない。これを本件に当てはめれば、仮に原告らが主張する如く賃金支払日に差別賃金が支払われたとしても、その賃金支払行為によって権利を侵害されたのではない。その賃金支払行為は単に損害を現実化させただけの事実行為に過ぎない。そして、賃金支払いという行為によってそのような損害を現実化させたもとになるのは賃金決定行為である。ところで、被告における基本給は、前述のとおり初任基本給に、毎年の定期昇給額及びべースアップ・職級変更・期中是正による増加額を加算することによって決まり、資格手当・職責手当は資格の格付け、役職の任用に応じて決まるものであるから、このような賃金額を改定する仕組みの中における賃金決定時を措いて権利侵害行為を云々する余地はない。原告らの主張の現状では、差別であるから差別、権利侵害であるから権利侵害だという、循環論法の域を一歩も出ていない。
三  原告らの主張は、被告の賃金制度上決して到達できない金額をあるべき基本給とし、賃金制度上到達することのできない限度を越えた金額を決定し支払わなければ(言い換えればそれより低い基本給を決定し支払う行為があれば)、不法行為となると主張するものである。以下具体例をもとに詳述する。
1  原告山田の昭和四八年一〇月分の基本給は、昭和四八年四月一日に賃金改定により九級一五号の五八、七〇〇円から、九級一六号の六八、三〇〇円となったものである。すなわち、昭和四八年四月一日に定期昇給分として一、八〇〇円、ベースアップ額として七、八〇〇円(内訳は職級別定額五、三〇〇円、基本給比例二、五〇〇円の合計)との合計額九、六〇〇円が昇給し、その結果原告山田の基本給は六八、三〇〇円となった。
2  これに対して、原告らは昭和四八年四月一日からの基本給を七六、八〇〇円と主張しているが、このような金額は、被告の賃金制度運用上絶対に算出し得ない限度を越えた金額である。
(一) 原告山田が九級と評価される職務に従前どおり従事した場合における昭和四八年四月一日の基本給改定としては、
① 定期昇給一、七〇〇円(九級一五号)
② 定昇における補正
③ ベースアップ(職級別定額五、三〇〇円、基本給比例二、五〇〇円)の合算によるが、①定期昇給と③ベースアップはいずれも定額・一律であって裁量の余地はまったくない。裁量の余地のあるものは②定昇における補正だけでかつその補正の範囲も限定されている。すなわち、九級の基準定昇額一、六〇〇円のプラス三二%を上限とし、マイナス一六%を下限として、その範囲で査定するわけである。具体的な金額としては最大で五一二円、最小でマイナス二五六円となる。そこで補正後の定期昇給の範囲としては最大で二、三〇〇円(一、七〇〇+五一二=二、二一二の切上げのため)、最小で一、五〇〇円(一、七〇〇−二五六=一、四四四の切上げのため)となるところ、原告山田は一、八〇〇円であった。仮に原告山田に最高の査定を与えたとしても一、八〇〇円が二、三〇〇円と変更となり、その改定後の基本給は六八、八〇〇円(五八、七〇〇円+二、三〇〇円+五、三〇〇円+二、五〇〇円)となるだけで、原告主張の金額には制度上なり得ないわけである。
(二) 原告らは、原告山田が昭和四八年当時あるべき職級は八級であると主張するので、昭和四八年四月一日に八級と評価される職務に任用されたと仮定し、その際の改定基本給を具体的にすると次のとおりとなり、また、その際の号数は次のとおり一五号となる。
① 改定額の決定(四七年度基準基本給及び号数基準値表)
イ 新職級(八級)の「第三基準定昇額」=一、七〇〇円(一八号)
ロ 新職級(八級一八号)の基準基本給=六五、五〇〇円
ハ 旧職級(九級一八号)の基準基本給=六一、五〇〇円
ニ 改定額=(六五、五〇〇−六一、五〇〇)×一〇%=四〇〇円
従って、昇級後の基本給は五八、七〇〇+四〇〇=五九、一〇〇円である。
② 号数の決定
昇級後の基本給に直近の号数基準値を持つ号数は、八級一五号(五八、三〇〇円)と五九、一〇〇円の差額が八〇〇円であり、八級一六号(六〇、二〇〇円)と五九、一〇〇円の差額が一、一〇〇円であることから、八級一五号となる。
(三) 次に、八級職へ任用され、基本給が五九、一〇〇円となった原告山田の昭和四八年四月一日の改定基本給は次のとおりとなる。
① 定期昇給一、九〇〇円
② 定昇における補正
③ ベースアップ(職級別定額五、九〇〇円、基本給比例二、五〇〇円)
④ そして、定昇における補正の範囲は八級の基準定昇額一、七〇〇円のプラス三二%(五四四円)を上限とし、マイナス一六%(二七二円)を下限として査定する。
そこで、最大の査定が与えられたとすると、補正後の定期昇給額は二、五〇〇円(一、九〇〇+五四四=二、四四四の切上げ)で、改定後の基本給は七〇、〇〇〇円(五九、一〇〇円+二、五〇〇円+五、九〇〇円+二、五〇〇円)となり、いかにしてもそれ以上の金額とはなり得ない。
(四) 原告の主張するあるべき賃金でない額を支払った行為を不法行為と構成することは、このように原告の主張するあるべき賃金の額が被告の賃金制度上最大の補正(査定)を付与してさえ到達しない額である以上、理論的に破綻するものといわざるを得ない。
第三章  故意・過失について
被告の原告らに対する不法行為意思に関する原告らの主張は、要約すれば、被告には、共産党員または同党支持者に対し、排除ないし放逐する思想が存在するということに尽きる。しかしながら、被告が共産党員または同党支持者に共通の思想信条を嫌悪、敵視しているか否かというそのこと自体は、不法行為における不法行為意思とはいい得ない。なぜならば、不法行為において法的に意味があるのは、加害者側における具体的な権利侵害の意思であって、単なる嫌悪・敵視は当然には権利侵害の意思(あるいは行為規範に違反して他人に損害を加える意思)を意味するものではないからである。これを賃金差別という主張に関していえば、被侵害利益及び権利侵害行為を上述のように把えるべきものである以上、上位職級の職務に任用すべきときに、裁量権(人事権)を濫用してその任用を行わず、そのまま低い職級の職務に留め置こうとした意思、あるいは昇給等の査定時に考課査定権を濫用して低く査定しようとした意思こそが賃金差別における具体的な不法行為意思であり、その不法行為意思は個々の不法行為ごとに存するということになる。すなわち、権利侵害行為を具体的に特定しなければ加害意思も特定できない道理であるから、権利侵害行為を特定しようとしない原告らの主張で、加害意思の特定が見られないのは当然というべきであろう。
第四章  債務不履行による請求について
一  原告らは、債務不履行による請求として、平等取扱義務なる債務を憲法一四条、労基法三条等を根拠に主張し、この不履行をいうが、平等取扱義務なるものは労働契約上の信義則からする一般的・抽象的義務(責務)に過ぎないことは、あたかも安全配慮義務なるものと同様であって、各具体的状況下での具体的義務内容を明確に主張・立証しなければ具体的な請求原因となり得ない。従って、単に平等取扱義務なるものを持ち出してみても、直接、いくら支払うべきであるという具体的債務は生じ得ない。
二  一般に賃金支払いに関して債務不履行を生じさせ得るものとしては、あくまで、労働契約上毎月支払われるべき賃金総額のうち、一部に未払差額が存するということでなければならない。その場合は金銭債権としての賃金の(支払われるべきであった)総額と、そのうち既払額との差額が不履行主張の対象となるから、不履行をいう時期における毎月の金額が、個別具体的に示され、かつ、その総額が何故支払われるべき総額であったかの、理由ないし計算根拠が明示的に主張・立証されるべきである。従って、いずれの点からしても、こうした具体的な主張・立証を欠く本件では、原告らの請求は、債務不履行を理由としても認められない。
第五章  損害額について
次の第四編に記載のとおりである。
第四編 損害額の主張に対する反論
原告らの期待的利益のもとになっている被告の考課査定を含む人事諸制度は、再三述べるとおり、職務遂行能力、勤務成績を賃金等の処遇に反映させるため、その職務遂行能力、勤務成績に応じて格差が生ずることを当然に予定している制度であるから、原告らと同期同学歴者とを比較してその間に処遇上の格差が認められたとしても、ただそれだけであれば、本来その格差は職務遂行能力、勤務成績による格差であると推定されて当然である。いわんや、原告らのいずれもがおしなべて劣悪な勤務ぶりを重ねていたことが被告によって立証されているのであるから、右の推定は強力に働いているということができる。そうである以上、仮に被告の差別意思の存在が認められたとしても、その格差のすべてが当然に差別意思に基づく格差(差別格差)であるということになるものではない。差別格差は裁量権を濫用した結果であって、裁量権を濫用しなければかかる損害は発生しなかったという牽連関係が認められる範囲でのみ損害額を主張し得るのである。
しかるに、本件において原告らは、同期同学歴者のうち中位数または平均を基準として損害額を算出し主張しているのであるが、その主張に当たって、その中位数または平均に当たる比較対象者の職務遂行能力、勤務成績を具体的に示すということはないし、いわんや原告らがその比較対象者と同等以上の職務遂行能力を有し勤務実績を挙げていた旨の主張・立証もなされていない。従って、中位数または平均との格差のうち、どの範囲が被告の差別意思に基づき生じた差別格差であるかはまったく特定されていないといわなければならない。そして、格差のうちどの部分が差別格差であるかが確定できない以上、差別による賃金上の損害額を算出することはできず、請求は棄却されるべきものというほかないのである。
なお、同期同学歴者の賃金の中位数がいかなる計算方法によっていくらと算定されたのか、また、平均についてもどのような具体的計算式によっていくらと算定されたのか、その結果どちらの方法によっても金額が一致するのかなどの問題について明らかにされないまま、都合のよい適当な数字を並べているに過ぎないというのが原告ら主張の実態といえる。
第五編 賃金差別以外の人権侵害行為の主張に対する反論
第一節  転向強要について
被告は、不法・不当な手段を用いて転向を強要したことは一切ない。
被告において、各職場の管理者が、職場秩序の厳守や服務の向上等を願って、部下の従業員に対して必要に応じて注意したり、指導したり、また、従業員から悩みを打ち明けられたような場合に相談に乗ってやるといったことは、通常からなされていることであり、蓋し当然のことである。そして、そのような場合に、一部の先輩や上司が部下(または後輩)の個人的な苦悩を見かねて人生の先輩として個人的な立場から、助言をすることもあるようであるが、それはあくまで先輩や上司の個人的な好意から出たものである。このような助言を原告らは逆手にとって職制等による転向強要と称しているのであって、かような主張をすること自体、人の好意を踏み付けにするものである(かかる態度からもおしなべて職場において周囲の者から敬遠されている原告らの人間性が如実にうかがえる。)。
第二節  社宅入居拒否と差別について
被告は、原告ら主張のように社宅入居で差別したことはない。
被告では従業員が結婚し、住居がない場合には社宅に入居させているが、当然のことながら全員が無条件に入居できるというものではない。被告の住宅対策について要約すれば、社員各人の努力による住宅取得(持ち家)を前提としてこれに対する積極的援助を行うことを基本とするものである。住宅取得資金を援助する制度としては、住宅預金積立制度、住宅特別融資制度等があり、社宅はこの住宅取得に至るまでの準備蓄積期間に位置付けられるものである。そして、社宅の入居に関しては、業務上の必要性や社宅入居を必要とする事情、集団居住への適合性、独身寮における生活状況、あるいは持ち家に対する意欲等を総合的に考慮しながら、社宅の絶対量(昭和四〇年代後半までは不足状態にあった。)と入居希望者との相関において、その優先度等を判断し、極力希望者については全員入居が適えられるように努力している。そのため、それまでの独身寮における生活状況等からして集団居住への適合性に疑問が残る者や、住宅預金積立制度に加入していない等持ち家に対する意欲が欠如している者の社宅入居の優先順位はかような問題を抱えていない者に比して劣位に置かれることがある。原告ら中社宅入居差別を受けたと主張している者は、いずれも寮規則を遵守しない等独身寮時代の生活態度に問題のある者か、入居申請時に住宅預金積立制度に加入していない等持ち家に意欲の感じられない者か、あるいはその双方に問題がある者であって、そのため社宅入居の優先順位が他の者より劣後したのである。その結果として入居申請から入居まで問題のない者より長い時間を要したり、入居の順番が回ってこず結局は入居できなかったりしたのである。原告らが社宅入居差別と称しているものの実態は以上のとおりであって、原告らの希望する時期に社宅に入居できなかったとしてもそれは当人に非があるのであり、被告がことさら原告らを不利益に扱おうとした結果ではない。
第三節  仕事の取上げ等の仕事上の差別について
原告らの主張は、ことごとく事実の歪曲ないしいいがかりに外ならない。従業員にいかなる業務を担務させるかということは当該社員の能力、適性等を総合的に勘案して決定するものである。そして、通常より高度な判断を必要とする業務を担務させるためには、現在担務している業務を十分に習得することが必要となるが、逆にいえば、現在担務している業務の習得が不十分である場合には、より高度な判断業務を担務させることはできないということである。原告らの勤務ぶりがおしなべて劣悪なもので、そのためより高度な判断を必要とする業務を担務させることができない状況だったことは、各原告ごとに個別に明らかにしたとおりである。また、仕事にからんで被告から差別やいやがらせを受けたと主張している原告もいるが、その実態は原告らが事実関係を歪曲したり趣旨を曲解して主張しているのに過ぎない。
原告らは、幾つかの「仕事の取上げと仕事上の差別」と称する事例を挙げている。例えば、原告らの多くの者(原告塩森、同畠田、同永松等)が主機から補機への担務の変更が降格であると主張しているが、被告においては職級は各人が任用された職務によって決定されており(職級制度)、かかる制度のもとで降格というには、従前より下位の職級に該当する職務に任用されるしかない。しかしながら、主機から補機へ担務の変更があっても原告らはいずれも職級上に何ら変更はない(昭和四〇年代の後半で説明すると主機操作は七〜八級に該当する職務、補機操作は七〜一〇級に該当する職務であり、従って七級職、八級職には主機を担務している者も補機を担務している者もいる。)。
なお、被告の機構改革等によって個々の従業員の職務内容に変更が生じ、その質量が増減することがままあるが、これが仕事の取上げなるものとまったく無関係であることはいうまでもない(例えば、このようなケースに該当するものとしては原告遠藤の昭和四〇年三月の担当業務の変更がある)。
第四節  業務計画からの排除について
仕事上の差別の一類型として原告らが主張しているものに業務計画からの排除がある。業務計画は、時期によってその実施方法が若干異なっているが、昭和四〇年代後半以降は、その時の懸案事項等をピックアップし、各種事項ごとに専門委員会を設け課題を検討して行き、今後の業務遂行に役立てさせようとする形で実施されており、おおむね年度ごとに各種の専門委員会が設置され、専門委員会の委員も各年度ごとに選出されていた。この専門委員会の委員には誰でも選出されるものではなく、当該課題を検討するのに足る一定の経験と能力を有している者を参画させているのであり、原告もその能力に応じて業務計画に参画している。ある時期の業務計画に原告らが参画していないときがあるとしても、それはその原告が当該課題を検討するに適当でないと判断されたからにほかならないのであって、これが差別とは何ら関係のないものであることはいうまでもない。
第五節  研修からの排除について
被告の研修は、「人間能力開発」の精神に則り、従業員の自己啓発意欲をもとに、知識・技能の向上と士気の高揚を図ることによって被告の社会的使命を達成し得る人材を育成することを目的とするものである。この目的は業務における実践を伴ってはじめて達成し得るものであるから、日常の業務遂行のなかで、上司の指導や同僚間の切磋琢磨を通じた自己啓発により組織全体の担務能力を高めていく職場内研修が主たる研修形態となるのであるが、当然のことながら右職場内研修については、原告らを含む全従業員が対象となっている。また、右職場内研修とは別に、特定のテーマについて特別の場を設けて実施される研修も多数存在する(メーカー研修、他店所研修など)が、これらの研修はすべてが全員参加とされているのではなく、その参加者は選考によって決定されるものもある。そのような研修については、その研修が業務上必要であるか、誰の担当業務にとってより必要度が高いのか、誰を参加させればその成果が業務に反映される期待度が最も高いのか、当該従業員の自己啓発意欲はどうか等々の基準のもとに、当該研修の所管部署が優先度を判断して参加者を決定するのである。原告らの勤務ぶりはおしなべて意欲のないものであり、かかる従業員は他の従業員と比較して研修成果の期待度は必然的に低くならざるを得ず、右に述べた特別の場における特定のテーマに関する研修について、一般の従業員に比較してその研修参加時期が若干遅れたり、参加件数が少なくなることもまた、当然のことであって、排除などとは何等関係ない。また、特定の研修の中には一定の受講資格(例えば何級職以上を対象とするというように)を必要とする研修もある。このような研修についても原告らは受講資格の有無を無視して、研修を受講していない(あるいは受講資格ができるまで受講が遅れた)結果のみを取り上げて排除されたと主張している(その好例が原告永松のシミュレータ研修からの排除の主張である。)。しかしながら、そもそも受講資格がない以上、制度上受講させようがないのであって、これが排除と無関係のものであることはいうまでもない。もっとも、原告らはそのすべての研修から排除されたと主張しているわけではなく、参加を自認している例も多数存在し、かかる事実をみてもみせしめのために研修からの排除を行っているという原告らの主張は自壊している。
第六節  職場八分について
原告らが主張する「職場八分」なる労務政策を被告が持っていた事実は一切ない。原告らがその身勝手な言動(協調性の欠如、権利のみを主張し義務を果たさない等)から職場の周囲の者より敬遠されていたという事実がまったくないわけではないが、それは周囲の者が抱く個人的な嫌悪感によるものであって、被告の一切関知しないところである。
まず、原告らが具体的に主張しているものの中に原告山田、同木村、同勝俣等についての「コーヒー会」「夜食会」等からの排除というものがあるが、そもそもそのような名称の会は存在しない。たしかに、発電所の当直職場においては職場の親しい者が数人集って、一緒にコーヒーを飲んだり、夜食を作って食べたりしていたこともあるようであるが、かような仲間に入れてもらえない原告がいるとすれば、それはその原告の日常の身勝手な態度に対する職場の同僚の不満が積み重なったものと推測される。かような私的な集りへの参加状況がどうなっているかは被告のあずかり知らぬところであり、日常の自分の言動を棚に上げて職場の周囲の者から敬遠されている責任を被告に転嫁されても被告としてはひたすらに困惑するしかないのである。
また、原告らは原告結城、同網岡、同川又、同久保田に関して職場における机の配置を問題視し、これも職場八分の一類型であると主張しているようである。しかしながら、いずれの場合も、そのような机の配置になったのは所属人数、スペース、各人の担務する業務内容等を総合的に勘案した結果円滑な業務遂行上、その配置が適当と認められたためである。
第七節  私生活への監視、干渉について
被告は、原告らの私生活に至るまで監視し、更にこれに干渉するなどということは断じて行っていない。ところで、原告らの主張を一つ一つみてみると、私生活への監視、干渉などとはまったく無関係な、およそ原告らのいいがかりにすぎないものばかりなのである。例えば、この項目に対する原告らの主張としては、結婚の際の祝い金拠出や、結婚式への出席の妨害がある(原告永松、同勝俣、同川又、同結城、同木村等)。結婚は純粋に私的な行事であって、これに干渉することなど被告としてできないことはいうまでもなく、原告ら主張のような事実は、まったくなかった。仮に当人が思っていた以上に祝い金の集りが悪かったり、招待客の出席状況が芳しくなかったとすれば、それは当人の人望の欠如等に由来するものである。
第八節  その他について
一  原告らは、審理の過程でそのほかの各種の主張もしていた。しかし、職場・寮での政治活動禁止及び民主的活動への介入についての主張は、職場や独身寮における政治活動が当然に許されるものであるということを前提としているが、被告施設内における従業員の政治活動を被告が無制約に受忍しなければならないいわれはなく、秩序維持の観点からこれに制限を加えることは当然であって、原告らの主張はその前提自体が誤りなのである。すなわち、職場や独身寮における被告に対する敵意の煽動行為、規律紊乱行為、業務阻害行為といった被告にとっての不都合行為の発生が多分に予測される場合は秩序維持の観点からこれを禁止するのは被告として当然のことなのである。
二  また、労働組合選挙への支配、介入の主張もあったが、原告らの主張するような支配、介入をしたことはない。なお、原告らには被告の労働組合に対する介入を助長するインフォーマルグループとして千新会なるものが存在したが如き主張もあるが、そもそもそのような組織自体存在していない。
三  懲戒処分、厳重注意、始末書強要等に不当な点があったとも主張されていた。そして、懲戒処分については、原告川又に対する昭和三五年三月の譴責処分がある。これは原告川又がその過失により重油漏洩事故を起こし、海上へ重油を流出させてしまったことに対する当然の処分である。この事故が原因で原告川又だけでなく、その上司も同様に譴責処分を受けており、このことからしても、この時の譴責処分が特に原告川又だけを狙ったようなものでないことは明らかであろう。
始末書強要の事例は原告遠藤の件である(甲六〇〇の一)。この事例は、原告らの主張するところによっても昭和三三年に独身寮の原告遠藤の部屋の壁一面に落書き等を行ったというものであって(かようなことがあったか否か被告は確認できていないが)、かかる壁を落書きだらけにするというような独身寮の居室を毀損した紊乱行為があれば、これを注意し、場合によれば始末書の提出を求めるのは寮の規律維持の見地から当然である。ここでいう紊乱行為とは落書きの内容如何ではなく(被告を批判しているか否かではなく)、壁一面に落書きをして居室を毀損したことなのである。
四  不当配転の主張もなされていたが、被告における人事異動は主として業務上の必要性に基づいて行われているものであって、原告らの異動についても同様である.原告らが他店所への異動のうち不当配転と主張していたものに、原告勝俣の昭和四〇年の五井火力発電所への転出がある。原告らの主張によれば、転出前横須賀火力発電所に勤務していた原告勝俣は、昭和四〇年一月営業所への配転の内示を受けたが、原告勝俣がこれを拒否すると、昭和四〇年二月一四日に突然五井火力発電所への異動命令が発令されたが、これは営業所への異動の内示を拒否したことへの報復であるというものである。しかし、そもそも被告には内示制度がなく営業所への異動内示というものはないこと、原告勝俣が異動の辞令を受け取ったという昭和四〇年二月一四日は日曜日であって、辞令を交付することはあり得ない等の点からしてこの件に関する原告勝俣の主張・供述には疑問点が多々あり信用できない。この時の五井火力発電所への転出は、同発電所が一号機から六号機まで順次運転開始していくのに伴い、人員を補充するため他の火力発電所から異動させたというものであって、何も原告らだけを狙い打ちにしたものではない。同様に原告らが不当配転と主張していたものに、原告山田の昭和五五年一二月の五井火力発電所への転出があるが、この異動も合理的な理由に基づくものであって、何ら指弾を受けるものではないのである。このほかに原告らが不当配転と主張していたものに、原告結城、同網岡、同山田らへの営業所への配転の内示がある。しかし、そもそも被告には内示制度はないのであって、内示制度を前提とする原告らの主張はそもそもその主張の前提を欠いており、かかる主張はいいがかり以外の何物でもない。
第九節  まとめ
以上述べてきたところから明らかなように、原告らの主張は、いずれも原告ら自身に非があるにもかかわらず、それを棚に上げて被告を論難していたり、事実を歪曲したりした類のものばかりであって、これらが被告の反共労務政策に基づく人権侵害というのはまったく当たらない。
第六編 消滅時効の援用
第一節  賃金差別に基づく損害賠償請求について
一  仮に、原告らが差別賃金相当額と主張する損害賠償請求権が発生したとしても、その差別賃金相当額のうち本件訴え提起より三年前に当たる昭和四八年一〇月一二日以前になされた賃金決定行為に基づく差額部分の損害賠償請求権は、民法第七二四条により時効消滅したものであるから、被告は、右時効を援用する。
二  被告における社員の基本給は、初任基本給に毎年の定期昇給額とベースアップ額を加算して決するというのが基本であって、基本給の差別による不法行為というのは、このような基本給改定時に原告らの基本給の増加額が不当に低く決定されたことを指すものであるから、その不当な基本給決定行為に基づく差額部分については、当然その時点から消滅時効が進行し、三年の経過によってその損害賠償請求権は消滅する。そして、このように、仮に不当な基本給決定行為に基づき差額が生じたとしても、その差額を不法行為による損害として賠償を求める請求権がその発生時から三年を経過した時点で消滅し、請求し得なくなるということは、その時効完成時以降においてその差額なるものを観念することを許さず、従って、現実に決定された基本給額を確定した額とし、これを基礎とした次の基本給決定行為(基本給改定行為)に不当な差別が認められるか、その差別は幾らかということのみが問題とされ得るに過ぎないことを意味する。なぜならば、毎年の基本給改定時に過去の昇給額を見直すということはまったくなく、その都度基本給額が確定しているものだからである。原告らが請求している昭和四八年一〇月時点以降の基本給差額というのは、その昭和四八年一〇月以前に行われた各基本給改定時の差額が累積された結果を含み、これをもとにして爾後の基本給改定時に生じた差額を加算したものに当たる。そのような昭和四八年以前の累積差額を除けば、原告ら主張のような差額には到底なり得ない。
三  原告らは、一旦差別された賃金決定があると、その差別は回復されることがなく、定年に達するまで差別賃金の支給が続けられるのであるから、被告の不法行為が継続し損害も賃金支給の都度新たに発生するというべきである旨を主張するようである。しかしながら、不法占有のような場合は不法行為が継続するといい得ても、賃金決定行為はこれと異なりその都度終結する一回的行為であって、賃金支給の都度生ずる差額というのは損害が現実化したというだけのことであるから、継続的不法行為には当たらない。そして、将来において現実化する損害であっても、その加害行為から即時に発生する損害と牽連一体をなす損害であって、その発生を予見することの可能であるものについては、被害者が当該不法行為による損害を知った以上は、全部について時効は進行を始めるのである。本件の場合、損害発生の予見が可能であることはいうをまたない。
四  また、原告らの主張によれば、原告らそれぞれが賃金差別を認識したのは、原告木村が昭和四四年であるほか、いずれも昭和三八年ないし同四一年の間であったことになるから、本訴提起の三年以上前から原告らが損害及び加害者を認識していたことは明らかである。
第二節  その余の人権侵害行為に基づく損害賠償請求について
原告らのいわゆるその余の人権侵害行為に基づく慰謝料等請求権についても、請求の根拠となる個々の行為ごとに、行為の日より三年を経過したことにより時効消滅し、請求し得ないものであることは、前記賃金差別に基づく損害賠償請求権の時効について述べたとまったく同様である。そして、原告ら主張の事実のうち大半は、昭和四八年一〇月以前に起きた事実であって、これらに関する慰謝料請求権等はいずれも時効により消滅しているから、被告は、右時効を援用する。
第七編 訴えの変更に対する異議
原告らは、昭和六〇年三月一三日付けの訴えの変更申立書による変更前は、とりあえず昭和四八年一〇月の時点における想定基本給を算出して、これを基礎として、その上に被告の賃金に関する諸制度を適用させながら各年度の上積み分を積み上げることにより、各年度のあるべき基本給額を定めていたものであり、その計算の仕組み自体は、被告の賃金制度ないし賃金構造を前提とし、これらに即した計算方法に近付けようとするものであった。ところが、右訴えの変更申立書以降の計算方法は、被告の現実の賃金制度を基礎とすることなく、これと関わりのない単なる統計上の数値をあるべき賃金額として、これと原告らの受けた金額との差額を損害としているのであり、原告らには被告の賃金制度と関わりなく右統計上の金額との差額を請求する権利があると主張していることになる。そうだとすると、右主張の変更は、従前の主張の法律構成を根本的に変更するものと考えられ、このような訴えの変更は請求の基礎の同一性を欠くものであるから、許されないというべきである。そして、このことは、平成五年三月三〇日付け及び平成五年八月三〇日付けの各請求の趣旨変更申立書に基づいてした申立て及び主張の変更についても同様である。特に、平成五年八月三〇日付け請求の趣旨変更申立書による請求の拡張は、原告らと被告の間に、平成五年六月三〇日以降は新たな主張はしないという合意があったのにこれに反し、また、時機に後れたものでもあるから、この点からも許されない。
 

表−1 請求債権目録
原告
番号
氏名 請求債権
合計
請求債権
1
請求債権
2
請求債権
3
請求債権
4
請求債権
5
請求債権
6
請求債権
7
請求債権
8

1 遠藤徹也 31,434,964 1,115,629 1,329,875 2,230,182 1,929,322 3,703,697 4,032,550 4,576,702 12,517,007
2 久保田和男 37,164,915 1,618,421 1,638,878 2,786,533 2,319,918 4,189,730 4,780,358 5,569,345 14,261,732
3 塩森清 31,994,545 1,042,396 1,281,852 2,237,249 1,752,316 3,700,215 4,160,272 4,493,428 13,326,817
4 畠田晶生 29,642,970 670,018 1,016,543 1,917,641 1,599,254 3,333,783 3,814,210 4,478,071 12,813,450
5 川又俊水 30,722,572 1,050,710 1,140,484 2,179,922 1,713,992 3,395,652 3,920,712 4,577,049 12,744,051
6 藤田勝弘 31,233,156 986,354 1,247,878 2,265,367 1,766,000 3,481,435 4,014,180 4,563,619 12,908,323
7 木村宗一 21,998,692 413,958 587,384 1,382,426 1,061,524 2,131,251 2,546,177 3,102,828 10,773,144
8 山田実 15,059,902 738,843 978,497 2,007,682 1,688,621 9,646,259 0 0 0
9 勝俣穂積 25,206,879 413,109 677,994 1,580,186 1,360,780 2,626,101 3,121,861 3,675,865 11,750,983
10 萩原勝利 27,130,954 592,097 773,509 1,554,803 1,486,873 2,974,580 3,510,808 4,099,587 12,138,697
11 永松好信 25,972,851 611,339 779,721 1,562,005 1,488,867 2,780,463 3,266,537 3,869,418 11,614,501
12 結城久輔 27,274,992 697,467 836,745 1,619,064 1,517,823 3,032,319 3,386,761 4,010,533 12,174,280
13 網岡春夫 25,727,656 598,685 780,067 1,523,539 1,370,378 2,703,655 3,193,869 3,780,235 11,777,228
合 計 360,565,048 10,549,026 13,069,427 24,846,599 21,055,668 47,699,140 43,748,295 50,796,680 148,800,213

(別紙)

認容債権目録
(単位:円)
原告
番号
原告
氏名
認容額
合計
認容額
1
認容額
2
認容額
3
認容額
4
認容額
5
認容額
6
認容額
7
認容額
8
慰謝料 弁護士
費用

1 遠藤徹也 9,390,000 320,000 390,000 660,000 570,000 1,110,000 1,200,000 1,370,000 1,800,000 1,500,000 470,000
2 久保田和男 11,120,000 470,000 490,000 830,000 690,000 1,250,000 1,430,000 1,660,000 2,330,000 1,500,000 470,000
3 塩森清 9,550,000 300,000 380,000 670,000 520,000 1,100,000 1,240,000 1,340,000 2,080,000 1,500,000 420,000
4 畠田晶生 8,820,000 190,000 300,000 570,000 470,000 1,000,000 1,140,000 1,340,000 1,920,000 1,500,000 390,000
5 川又俊水 9,110,000 300,000 340,000 650,000 510,000 1,010、000 1,170,000 1,370,000 1,840,000 1,500,000 420,000
6 藤田勝弘 9,260,000 280,000 340,000 670,000 520,000 1,030,000 1,200,000 1,360,000 1,940,000 1,500,000 420,000
7 木村宗一 6,490,000 110,000 170,000 410,000 310,000 630,000 760,000 930,000 1,320,000 1,500,000 350,000
8 山田伸子 3,950,000 210,000 290,000 600,000 500,000 980,000 0 0 0 1,000,000 370,000
9 勝俣穗積 7,450,000 110,000 200,000 470,000 400,000 780,000 930,000 1,100,000 1,620,000 1,500,000 340,000
10 萩原勝利 8,030,000 160,000 230,000 460,000 440,000 890,000 1,050,000 1,220,000 1,720,000 1,500,000 360,000
11 永松好信 7,710,000 190,000 230,000 460,000 440,000 830,000 970,000 1,160,000 1,570,000 1,500,000 360,000
12 結城久輔 8,110,000 210,000 250,000 480,000 450,000 900,000 1,010,000 1,200,000 1,740,000 1,500,000 370,000
13 網岡春夫 7,630,000 170,000 230,000 450,000 410,000 810,000 950,000 1,130,000 1,620,000 1,500,000 360,000
遅延損害金起算日 昭和51年
11月25日
昭和54年
10月4日
昭和56年
10月1日
昭和59年
4月3日
昭和60年
10月2日
昭和63年
3月30日
平成2年
9月29日
平成5年
9月2日
平成5年
9月2日
平成5年
9月2日

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政治と選挙の裁判例「政党 衆議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧
(1)平成 9年 7月17日 大阪地裁 平5(行ウ)34号 違法支出金返還等請求事件
(2)平成 9年 6月26日 東京高裁 平6(ネ)3688号・平6(ネ)3881号・平6(ネ)3908号・平6(ネ)3960号 損害賠償請求控訴事件 〔日本共産党幹部宅盗聴損害賠償訴訟控訴審判決〕
(3)平成 9年 6月20日 静岡地裁 平4(ワ)307号・平7(ワ)481号 損害賠償請求事件 〔ヤマト運輸事件・第一審〕
(4)平成 9年 6月18日 東京高裁 平8(ネ)354号 損害賠償請求控訴事件
(5)平成 9年 5月30日 大阪地裁 平7(ワ)892号 損害賠償請求事件
(6)平成 9年 3月31日 秋田地裁 平4(行ウ)3号・平4(行ウ)5号・平6(行ウ)2号 違法公金支出差止請求事件、損害賠償請求事件
(7)平成 9年 3月21日 東京地裁 平5(刑わ)2020号・平5(刑わ)2442号・平6(刑わ)161号・平5(刑わ)2220号 収賄、贈賄等被告事件 〔ゼネコン汚職事件(宮城県知事ルート)〕
(8)平成 9年 3月21日 秋田地裁 平4(行ウ)3号・平4(行ウ)5号・平6(行ウ)2号 違法公金支出差止請求事件、損害賠償請求事件 〔秋田県・秋田市工業用水道料金補助・産廃処分場許可事件〕
(9)平成 9年 3月18日 大阪高裁 平8(行コ)35号 供託金返還請求控訴事件
(10)平成 9年 2月20日 大阪地裁 平7(行ウ)60号・平7(行ウ)70号 政党助成法に基づく政党交付金交付差止等請求事件
(11)平成 9年 2月13日 大阪高裁 平8(う)518号 業務妨害被告事件
(12)平成 9年 2月 7日 盛岡地裁 平5(ワ)339号 建物明渡請求事件
(13)平成 9年 2月 4日 東京地裁 平8(行ウ)31号 都非公開処分取消請求事件
(14)平成 8年12月25日 千葉地裁 平4(行ウ)8号・平4(行ウ)22号・平6(行ウ)24号 損害賠償請求(関連請求の追加的併合の訴え)、労働者委員選任処分取消等請求事件 〔千葉県地方労働委員会事件〕
(15)平成 8年12月20日 札幌地裁 平7(ワ)1598号 損害賠償等請求事件
(16)平成 8年10月28日 大津地裁 平7(行ウ)11号 損害賠償請求事件
(17)平成 8年 9月11日 最高裁大法廷 平6(行ツ)59号 選挙無効請求事件 〔参議院議員定数配分規定不均衡訴訟・大法廷判決〕
(18)平成 8年 8月 7日 神戸地裁 平7(行ウ)41号 選挙供託による供託金返還請求事件
(19)平成 8年 7月 8日 仙台高裁 平7(行ケ)3号 当選無効及び立候補禁止請求事件 〔青森県議会議員選挙候補者連座訴訟・第一審〕
(20)平成 8年 5月20日 大阪地裁 平4(ワ)8931号・平5(ワ)3260号・平5(ワ)3261号・平4(ワ)9972号・平4(ワ)8064号 各損害賠償請求事件 〔関西PKO訴訟判決〕
(21)平成 8年 4月10日 東京地裁 平6(ワ)23782号・平5(ワ)23246号 預金返還請求事件 〔自由民主党同志会預金訴訟判決〕
(22)平成 8年 3月29日 東京地裁 平5(特わ)546号・平5(特わ)682号 所得税法違反被告事件
(23)平成 8年 3月27日 大阪高裁 平6(ネ)3497号 損害賠償請求控訴事件
(24)平成 8年 3月25日 東京地裁 平元(ワ)14010号 損害賠償等請求事件
(25)平成 8年 3月19日 最高裁第三小法廷 平4(オ)1796号 選挙権被選挙権停止処分無効確認等請求事件 〔南九州税理士会政治献金徴収拒否訴訟・上告審〕
(26)平成 8年 3月15日 最高裁第二小法廷 平5(オ)1285号 国家賠償請求事件 〔上尾市福祉会館使用不許可に対する損害賠償請求訴訟・告審〕
(27)平成 8年 3月 8日 最高裁第二小法廷 平4(オ)78号 損害賠償請求事件
(28)平成 8年 1月18日 東京高裁 平7(行ケ)236号 当選無効及び立候補禁止請求事件
(29)平成 7年12月26日 東京高裁 平5(ネ)931号 航空機発着差止等請求控訴、同附帯控訴事件 〔厚木基地騒音公害第一次訴訟差戻後・控訴審〕
(30)平成 7年12月19日 大阪地裁 昭61(ワ)1542号 損害賠償等請求事件 〔小説「捜査一課長」訴訟〕
(31)平成 7年11月21日 東京高裁 平6(行コ)207号 建物取壊決定処分取消請求控訴事件
(32)平成 7年10月 9日 仙台高裁 平7(行ケ)2号 当選無効及び立候補禁止請求事件 〔山形県議会議員選挙候補者連座訴訟〕
(33)平成 7年 9月20日 東京地裁 平5(行ウ)301号 損害賠償請求事件
(34)平成 7年 6月22日 東京高裁 平6(行コ)26号 不当労働行為救済命令取消請求控訴事件 〔千代田化工建設事件・控訴審〕
(35)平成 7年 5月25日 最高裁第一小法廷 平7(行ツ)19号 選挙無効請求事件 〔日本新党繰上当選無効訴訟・上告審〕
(36)平成 7年 3月20日 宮崎地裁 平6(ワ)169号 損害賠償請求事件
(37)平成 7年 3月 7日 最高裁第三小法廷 平元(オ)762号 損害賠償請求事件 〔泉佐野市民会館使用不許可に対する損害賠償請求訴訟・上告審〕
(38)平成 7年 2月22日 東京地裁 昭49(ワ)4723号 損害賠償請求事件 〔全税関東京損害賠償事件〕
(39)平成 7年 2月13日 大阪地裁 平6(わ)3556号 政治資金規正法違反被告事件 〔大阪府知事後援会ヤミ献金事件〕
(40)平成 7年 2月 9日 大阪高裁 平6(ネ)292号・平4(ネ)2265号 損害賠償請求控訴、同附帯控訴事件 〔全税関大阪訴訟・控訴審〕
(41)平成 7年 1月26日 東京地裁 平5(行ウ)353号 損害賠償請求事件
(42)平成 6年12月20日 浦和地裁 平5(わ)564号 受託収賄被告事件
(43)平成 6年12月 9日 大阪地裁 平5(ワ)1384号 損害賠償請求事件
(44)平成 6年12月 6日 東京地裁 平2(ワ)2211号 除名処分無効確認請求事件
(45)平成 6年11月29日 東京高裁 平5(行ケ)108号 選挙無効請求事件 〔日本新党参議院議員比例代表選出繰上当選無効請求訴訟〕
(46)平成 6年11月25日 東京地裁 平6(ヨ)21141号 地位保全仮処分申立事件
(47)平成 6年11月15日 横浜地裁 昭51(ワ)1606号 損害賠償請求事件 〔東京電力(神奈川)事件〕
(48)平成 6年10月27日 名古屋高裁 平6(ネ)134号 慰謝料等請求控訴事件
(49)平成 6年10月25日 新潟地裁 平4(わ)223号 政治資金規正法違反被告事件 〔佐川急便新潟県知事事件〕
(50)平成 6年 9月30日 広島高裁 平5(行ケ)1号 衆議院議員定数配分規定違憲訴訟広島高裁判決
(51)平成 6年 9月 6日 東京地裁 昭63(ワ)12066号 共産党幹部宅盗聴事件
(52)平成 6年 8月31日 東京地裁八王子支部 平3(ワ)1677号 譴責処分無効確認等請求事件 〔日本電信電話事件〕
(53)平成 6年 6月 3日 東京高裁 平5(行ケ)134号 衆議院議員定数配分規定違憲訴訟東京高裁判決
(54)平成 6年 6月 3日 東京高裁 平5(行ケ)133号 選挙無効請求事件
(55)平成 6年 6月 3日 東京高裁 平5(行ケ)118号 選挙無効確認請求事件 〔衆議院議員定数配分違憲訴訟・第一審〕
(56)平成 6年 6月 3日 東京高裁 平5(行ケ)114号 選挙無効請求事件
(57)平成 6年 5月23日 千葉地裁 昭51(ワ)698号 損害賠償等請求事件 〔千葉東電訴訟判決〕
(58)平成 6年 4月26日 旭川地裁 平2(行ウ)1号 地方自治法第二四二条の二第一項に基づく住民訴訟事件
(59)平成 6年 3月31日 長野地裁 昭51(ワ)216号 損害賠償等請求事件 〔長野東電訴訟〕
(60)平成 6年 3月16日 東京高裁 平5(行コ)68号・平5(行コ)86号 所得税更正処分・過少申告加算税賦課決定処分取消請求各控訴事件
(61)平成 6年 2月 1日 横浜地裁 平2(ワ)775号 損害賠償請求事件
(62)平成 6年 1月31日 最高裁第二小法廷 平5(行ツ)158号 当選無効等請求事件
(63)平成 6年 1月31日 津地裁 平4(ワ)117号 慰謝料等請求事件
(64)平成 6年 1月27日 最高裁第一小法廷 平3(行ツ)18号 行政処分取消請求事件 〔大阪府知事交際費情報公開請求事件・差戻前上告審〕
(65)平成 6年 1月27日 東京地裁 平4(行ウ)126号 不当労働行為救済命令取消請求事件 〔千代田化工建設事件・第一審〕
(66)平成 5年12月24日 名古屋地裁 平5(わ)1207号 公職選挙法違反被告事件 〔参議院議員経歴詐称事件・第一審〕
(67)平成 5年12月22日 甲府地裁 昭51(ワ)289号 損害賠償請求事件 〔山梨東電訴訟〕
(68)平成 5年12月16日 大阪高裁 平4(行ケ)5号 選挙無効請求事件 〔参議院(選挙区選出)議員定数配分規定違憲判決〕
(69)平成 5年12月15日 大阪高裁 平5(行コ)17号 大阪府会議員運転手付自家用車供用損害賠償請求控訴事件 〔大阪府議運転手付庁用車供用損害賠償訴訟・控訴審〕
(70)平成 5年 9月10日 最高裁第二小法廷 平4(行ツ)46号 損害賠償請求上告事件
(71)平成 5年 8月24日 前橋地裁 昭51(ワ)313号 損害賠償請求事件 〔東京電力(群馬)事件〕
(72)平成 5年 7月20日 最高裁第三小法廷 平2(オ)1231号 建物明渡、地位確認等請求事件 〔日蓮正宗末寺事件・上告審〕
(73)平成 5年 7月15日 福岡高裁那覇支部 平4(行ケ)1号 当選無効等請求事件
(74)平成 5年 7月15日 福岡地裁大牟田支部 平5(わ)18号 強制執行不正免脱、公正証書原本不実記載、同行使被告事件
(75)平成 5年 6月29日 名古屋高裁 平5(行ケ)1号 当選の効力に関する審査裁決取消請求事件
(76)平成 5年 5月28日 徳島地裁 昭63(行ウ)12号 徳島県議会県政調査研究費交付金返還等請求事件
(77)平成 5年 5月27日 最高裁第一小法廷 平元(オ)1605号 会費一部返還請求事件 〔大阪合同税理士会会費返還請求事件・上告審〕
(78)平成 5年 5月25日 福井地裁武生支部 昭63(ワ)4号 損害賠償請求事件 〔福井鉄道事件〕
(79)平成 5年 5月13日 大阪地裁 平4(ワ)619号 損害賠償請求事件
(80)平成 5年 3月25日 仙台高裁 事件番号不詳 公職選挙法違反被告事件
(81)平成 5年 3月22日 福岡高裁宮崎支部 昭63(行コ)1号 行政処分取消請求控訴事件 〔宮崎県立大宮第二高校懲戒処分取消請求訴訟・控訴審〕
(82)平成 5年 3月22日 浦和地裁 平元(行ウ)4号 所得税更正処分・過少申告加算税賦課決定処分取消請求事件
(83)平成 5年 3月17日 東京地裁 平元(行ウ)219号 一般旅券返納命令処分取消請求事件
(84)平成 5年 3月17日 神戸地裁 昭62(ワ)1670号 損害賠償請求事件
(85)平成 5年 3月16日 札幌地裁 平元(わ)559号・平元(わ)561号・平元(わ)560号 受託収賄被告事件 〔北海道新長計汚職事件〕
(86)平成 5年 3月15日 東京地裁 平4(行ウ)175号 教科書検定合格処分無効確認等請求事件
(87)平成 5年 1月22日 東京地裁 平3(ワ)6321号 損害賠償等請求事件
(88)平成 5年 1月20日 最高裁大法廷 平3(行ツ)184号 選挙無効請求事件
(89)平成 4年12月24日 横浜地裁 昭49(ワ)847号・昭50(ワ)111号 損害賠償請求事件 〔全税関横浜訴訟・第一審〕
(90)平成 4年12月17日 名古屋高裁 平4(行ケ)1号 参議院議員選挙当選無効請求事件
(91)平成 4年11月25日 東京高裁 平4(く)200号 接見等禁止一部解除決定に対する抗告申立事件 〔東京佐川急便事件関連接見等禁止一部解除事件〕
(92)平成 4年11月24日 大阪地裁 平2(行ウ)81号・平2(行ウ)97号・平2(行ウ)94号 即位の礼・大嘗祭訴訟第一審判決
(93)平成 4年10月26日 東京地裁 昭61(ワ)4793号 損害賠償請求事件 〔報徳会宇都宮病院訴訟〕
(94)平成 4年10月23日 東京高裁 昭59(行コ)38号 事業認定処分取消請求、特定公共事業認定処分取消請求各控訴事件 〔成田空港訴訟・控訴審〕
(95)平成 4年 9月22日 大阪地裁 昭49(ワ)2701号 損害賠償請求事件 〔全税関大阪訴訟・第一審〕
(96)平成 4年 7月16日 東京地裁 昭60(ワ)10866号・昭60(ワ)10864号・昭60(ワ)10867号・昭60(ワ)10865号・平2(ワ)10447号・昭60(ワ)10868号 立替金請求併合事件 〔全逓信労働組合事件〕
(97)平成 4年 6月26日 大阪高裁 平2(う)966号 公職選挙法違反被告事件
(98)平成 4年 6月15日 東京地裁 平3(ワ)4745号 謝罪広告等請求事件
(99)平成 4年 4月28日 最高裁第三小法廷 昭60(オ)1427号 損害賠償請求事件 〔台湾住民元日本兵戦死傷者の損失補償請求事件・上告審〕
(100)平成 4年 4月24日 福岡高裁 昭62(ネ)551号・昭61(ネ)106号 選挙権被選挙権停止処分無効確認等請求控訴、附帯控訴事件 〔南九州税理士会政治献金徴収拒否訴訟・控訴審〕


政治と選挙の裁判例(裁判例リスト)

■「選挙 コンサルタント」に関する裁判例一覧【1-101】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-consultant/

■「選挙 立候補」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-rikkouho/

■「政治活動 選挙運動」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seijikatsudou-senkyoundou/

■「公職選挙法 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kousyokusenkyohou-poster/

■「選挙 ビラ チラシ」に関する裁判例一覧【1~49】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-bira-chirashi/

■「政務活動費 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seimu-katsudouhi-poster/

■「演説会 告知 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/senkyo-seiji-enzetsukai-kokuchi-poster/

■「公職選挙法 ポスター 掲示交渉」に関する裁判例一覧【101~210】
https://www.senkyo.win/kousyokusenkyohou-negotiate-put-up-poster/

■「政治ポスター貼り 公職選挙法 解釈」に関する裁判例一覧【211~327】
https://www.senkyo.win/political-poster-kousyokusenkyohou-explanation/

■「公職選挙法」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kousyokusenkyohou/

■「選挙 公報 広報 ポスター ビラ」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/senkyo-kouhou-poster-bira/

■「選挙妨害」に関する裁判例一覧【1~90】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-bougai-poster/

■「二連(三連)ポスター 政党 公認 候補者」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-2ren-3ren-poster-political-party-official-candidate/

■「個人(単独)ポスター 政党 公認 候補者」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kojin-tandoku-poster-political-party-official-candidate/

■「政党 公認 候補者 公募 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-political-party-official-candidate-koubo-poster/

■「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 議員 政治家」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokuji-kouji-kouei-kousetsu-keijiban-poster-political-party-politician/

■「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 公報 広報」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokuji-kouji-kouei-kousetsu-keijiban-poster-political-party-campaign-bulletin-gazette-public-relations/

■「国政政党 地域政党 二連(三連)ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokusei-seitou-chiiki-seitou-2ren-3ren-poster/

■「国政政党 地域政党 個人(単独)ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokusei-seitou-chiiki-seitou-kojin-tandoku-poster/

■「公認 候補者 公募 ポスター 国政政党 地域政党」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-official-candidate-koubo-poster-kokusei-seitou-chiiki-seitou/

■「政治団体 公認 候補者 告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-political-organization-official-candidate-kokuji-kouji-kouei-kousetsu-keijiban-poster/

■「政治団体 後援会 選挙事務所 候補者 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-political-organization-kouenkai-senkyo-jimusho-official-candidate-poster/

■「政党 衆議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-shuugiin-giin-poster/

■「政党 参議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-sangiin-giin-poster/

■「政党 地方議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-chihou-giin-poster/

■「政党 代議士 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-daigishi-giin-poster/

■「政党 ポスター貼り ボランティア」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-poster-hari-volunteer/

■「政党 党員 入党 入会 獲得 募集 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-touin-nyuutou-nyuukai-kakutoku-boshuu-daikou/

■「政治団体 党員 入党 入会 獲得 募集 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seiji-dantai-nyuutou-nyuukai-kakutoku-boshuu-daikou/

■「後援会 入会 募集 獲得 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kouenkai-nyuukai-boshuu-kakutoku-daikou/


■選挙の種類一覧
選挙①【衆議院議員総選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙②【参議院議員通常選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙③【一般選挙(地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙④【特別選挙(国政選挙|地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)


【資料】政治活動用事前街頭ポスター新規掲示交渉実績一覧【PRドットウィン!】選挙,ポスター,貼り,代行,ポスター貼り,業者,選挙,ポスター,貼り,業者,ポスター,貼り,依頼,タウン,ポスター,ポスター,貼る,許可,ポスター,貼ってもらう,頼み方,ポスター,貼れる場所,ポスター,貼付,街,貼り,ポスター,政治活動ポスター,演説会,告知,選挙ポスター,イラスト,選挙ポスター,画像,明るい選挙ポスター,書き方,明るい選挙ポスター,東京,中学生,選挙ポスター,デザイン


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