【選挙から学ぶ判例】crps 裁判例 lgbt 裁判例 nda 裁判例 nhk 裁判例 nhk 受信料 裁判例 pl法 裁判例 pta 裁判例 ptsd 裁判例 アメリカ 裁判例 検索 オーバーローン 財産分与 裁判例 クレーマー 裁判例 クレプトマニア 裁判例 サブリース 裁判例 ストーカー 裁判例 セクシャルハラスメント 裁判例 せクハラ 裁判例 タイムカード 裁判例 タイムスタンプ 裁判例 ドライブレコーダー 裁判例 ノンオペレーションチャージ 裁判例 ハーグ条約 裁判例 バイトテロ 裁判例 パタハラ 裁判例 パブリシティ権 裁判例 ハラスメント 裁判例 パワーハラスメント 裁判例 パワハラ 裁判例 ファクタリング 裁判例 プライバシー 裁判例 プライバシーの侵害 裁判例 プライバシー権 裁判例 ブラックバイト 裁判例 ベネッセ 裁判例 ベルシステム24 裁判例 マタニティハラスメント 裁判例 マタハラ 裁判例 マンション 騒音 裁判例 メンタルヘルス 裁判例 モラハラ 裁判例 モラルハラスメント 裁判例 リストラ 裁判例 リツイート 名誉毀損 裁判例 リフォーム 裁判例 遺言 解釈 裁判例 遺言 裁判例 遺言書 裁判例 遺言能力 裁判例 引き抜き 裁判例 営業秘密 裁判例 応召義務 裁判例 応用美術 裁判例 横浜地裁 裁判例 過失割合 裁判例 過労死 裁判例 介護事故 裁判例 会社法 裁判例 解雇 裁判例 外国人労働者 裁判例 学校 裁判例 学校教育法施行規則第48条 裁判例 学校事故 裁判例 環境権 裁判例 管理監督者 裁判例 器物損壊 裁判例 基本的人権 裁判例 寄与分 裁判例 偽装請負 裁判例 逆パワハラ 裁判例 休業損害 裁判例 休憩時間 裁判例 競業避止義務 裁判例 教育を受ける権利 裁判例 脅迫 裁判例 業務上横領 裁判例 近隣トラブル 裁判例 契約締結上の過失 裁判例 原状回復 裁判例 固定残業代 裁判例 雇い止め 裁判例 雇止め 裁判例 交通事故 過失割合 裁判例 交通事故 裁判例 交通事故 裁判例 検索 公共の福祉 裁判例 公序良俗違反 裁判例 公図 裁判例 厚生労働省 パワハラ 裁判例 行政訴訟 裁判例 行政法 裁判例 降格 裁判例 合併 裁判例 婚約破棄 裁判例 裁判員制度 裁判例 裁判所 知的財産 裁判例 裁判例 データ 裁判例 データベース 裁判例 データベース 無料 裁判例 とは 裁判例 とは 判例 裁判例 ニュース 裁判例 レポート 裁判例 安全配慮義務 裁判例 意味 裁判例 引用 裁判例 引用の仕方 裁判例 引用方法 裁判例 英語 裁判例 英語で 裁判例 英訳 裁判例 閲覧 裁判例 学説にみる交通事故物的損害 2-1 全損編 裁判例 共有物分割 裁判例 刑事事件 裁判例 刑法 裁判例 憲法 裁判例 検査 裁判例 検索 裁判例 検索方法 裁判例 公開 裁判例 公知の事実 裁判例 広島 裁判例 国際私法 裁判例 最高裁 裁判例 最高裁判所 裁判例 最新 裁判例 裁判所 裁判例 雑誌 裁判例 事件番号 裁判例 射程 裁判例 書き方 裁判例 書籍 裁判例 商標 裁判例 消費税 裁判例 証拠説明書 裁判例 証拠提出 裁判例 情報 裁判例 全文 裁判例 速報 裁判例 探し方 裁判例 知財 裁判例 調べ方 裁判例 調査 裁判例 定義 裁判例 東京地裁 裁判例 同一労働同一賃金 裁判例 特許 裁判例 読み方 裁判例 入手方法 裁判例 判決 違い 裁判例 判決文 裁判例 判例 裁判例 判例 違い 裁判例 百選 裁判例 表記 裁判例 別紙 裁判例 本 裁判例 面白い 裁判例 労働 裁判例・学説にみる交通事故物的損害 2-1 全損編 裁判例・審判例からみた 特別受益・寄与分 裁判例からみる消費税法 裁判例とは 裁量労働制 裁判例 財産分与 裁判例 産業医 裁判例 残業代未払い 裁判例 試用期間 解雇 裁判例 持ち帰り残業 裁判例 自己決定権 裁判例 自転車事故 裁判例 自由権 裁判例 手待ち時間 裁判例 受動喫煙 裁判例 重過失 裁判例 商法512条 裁判例 証拠説明書 記載例 裁判例 証拠説明書 裁判例 引用 情報公開 裁判例 職員会議 裁判例 振り込め詐欺 裁判例 身元保証 裁判例 人権侵害 裁判例 人種差別撤廃条約 裁判例 整理解雇 裁判例 生活保護 裁判例 生存権 裁判例 生命保険 裁判例 盛岡地裁 裁判例 製造物責任 裁判例 製造物責任法 裁判例 請負 裁判例 税務大学校 裁判例 接見交通権 裁判例 先使用権 裁判例 租税 裁判例 租税法 裁判例 相続 裁判例 相続税 裁判例 相続放棄 裁判例 騒音 裁判例 尊厳死 裁判例 損害賠償請求 裁判例 体罰 裁判例 退職勧奨 違法 裁判例 退職勧奨 裁判例 退職強要 裁判例 退職金 裁判例 大阪高裁 裁判例 大阪地裁 裁判例 大阪地方裁判所 裁判例 大麻 裁判例 第一法規 裁判例 男女差別 裁判例 男女差别 裁判例 知財高裁 裁判例 知的財産 裁判例 知的財産権 裁判例 中絶 慰謝料 裁判例 著作権 裁判例 長時間労働 裁判例 追突 裁判例 通勤災害 裁判例 通信の秘密 裁判例 貞操権 慰謝料 裁判例 転勤 裁判例 転籍 裁判例 電子契約 裁判例 電子署名 裁判例 同性婚 裁判例 独占禁止法 裁判例 内縁 裁判例 内定取り消し 裁判例 内定取消 裁判例 内部統制システム 裁判例 二次創作 裁判例 日本郵便 裁判例 熱中症 裁判例 能力不足 解雇 裁判例 脳死 裁判例 脳脊髄液減少症 裁判例 派遣 裁判例 判決 裁判例 違い 判決 判例 裁判例 判例 と 裁判例 判例 裁判例 とは 判例 裁判例 違い 秘密保持契約 裁判例 秘密録音 裁判例 非接触事故 裁判例 美容整形 裁判例 表現の自由 裁判例 表明保証 裁判例 評価損 裁判例 不正競争防止法 営業秘密 裁判例 不正競争防止法 裁判例 不貞 慰謝料 裁判例 不貞行為 慰謝料 裁判例 不貞行為 裁判例 不当解雇 裁判例 不動産 裁判例 浮気 慰謝料 裁判例 副業 裁判例 副業禁止 裁判例 分掌変更 裁判例 文書提出命令 裁判例 平和的生存権 裁判例 別居期間 裁判例 変形労働時間制 裁判例 弁護士会照会 裁判例 法の下の平等 裁判例 法人格否認の法理 裁判例 法務省 裁判例 忘れられる権利 裁判例 枕営業 裁判例 未払い残業代 裁判例 民事事件 裁判例 民事信託 裁判例 民事訴訟 裁判例 民泊 裁判例 民法 裁判例 無期転換 裁判例 無断欠勤 解雇 裁判例 名ばかり管理職 裁判例 名義株 裁判例 名古屋高裁 裁判例 名誉棄損 裁判例 名誉毀損 裁判例 免責不許可 裁判例 面会交流 裁判例 約款 裁判例 有給休暇 裁判例 有責配偶者 裁判例 予防接種 裁判例 離婚 裁判例 立ち退き料 裁判例 立退料 裁判例 類推解釈 裁判例 類推解釈の禁止 裁判例 礼金 裁判例 労災 裁判例 労災事故 裁判例 労働基準法 裁判例 労働基準法違反 裁判例 労働契約法20条 裁判例 労働裁判 裁判例 労働時間 裁判例 労働者性 裁判例 労働法 裁判例 和解 裁判例

「選挙 コンサルタント」に関する裁判例(95)昭和60年 3月22日 東京地裁 昭56(特わ)387号 所得税法違反事件 〔誠備グループ脱税事件〕

「選挙 コンサルタント」に関する裁判例(95)昭和60年 3月22日 東京地裁 昭56(特わ)387号 所得税法違反事件 〔誠備グループ脱税事件〕

裁判年月日  昭和60年 3月22日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭56(特わ)387号・昭56(特わ)493号・昭56(特わ)894号
事件名  所得税法違反事件 〔誠備グループ脱税事件〕
裁判結果  一部無罪、一部有罪、一部確定、一部控訴  文献番号  1985WLJPCA03221050

要旨
◆所得税逋脱の事案(仮名口座における株式取引による株式売買益を秘匿したとする)において、同口座の株式取引は被告人個人のみの取引ではない疑いがあり、その売買益のうち被告人に帰属すべき最少限の所得も認定できないとして、無罪を言い渡した事例
◆課税の対象となる株式売買回数の判定基準につき判断した事例
◆虚偽過少申告行為に関与しなかつた者に対する共同正犯の成立が所得税逋脱の事案で認められた事例

裁判経過
控訴審 平成 2年 4月20日 東京高裁 判決 昭60(う)1254号 所得税法違反被告事件 〔誠備グループ脱税事件・控訴審〕

出典
税資 178号2930頁
判時 1161号27頁

評釈
松沢智・ジュリ 854号128頁
岸田雅雄・ジュリ別冊 100号208頁(新証券・商品取引判例百選)

参照条文
刑事訴訟法336条
刑法60条
刑法65条1項
所得税法238条
所得税法9条1項11号イ
所得税法施行令26条

裁判年月日  昭和60年 3月22日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭56(特わ)387号・昭56(特わ)493号・昭56(特わ)894号
事件名  所得税法違反事件 〔誠備グループ脱税事件〕
裁判結果  一部無罪、一部有罪、一部確定、一部控訴  文献番号  1985WLJPCA03221050

国籍《省略》
住居《省略》
株式売買業・貸金業・不動産賃貸業 吉永裕光こと
金丞泰
一九二五年四月二二日生
本籍《省略》
住居《省略》
証券外務員 加藤暠
昭和一六年八月二四日生

右両名に対する各所得税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官五十嵐紀男、同上田廣一及び同藤原藤一、弁護人髙木一、同仁科恒彦及び同中村源造(被告人金)、弁護人三宅秀明及び同原島康廣(被告人加藤)各出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。

 

主文
1  被告人金丞泰を懲役一年二月及び罰金一億円に処する。
被告人金丞泰に対し、未決勾留日数中一二〇日を右懲役刑に算入する。
被告人金丞泰において、右罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間、同被告人を労役場に留置する。
訴訟費用中、証人笹井政夫に支給した分は被告人金丞泰の負担とする。
2  被告人加藤暠を懲役一年二月に処する。
被告人加藤暠に対し、未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分を、その刑に算入する。
訴訟費用中、証人小野明廣(明広)、同大澤秀夫、同渡辺新太郎、同能勢次郎、同後藤承行、同高橋雄及び同中沢栄二に支給した分は被告人加藤暠の負担とする。
3  本件公訴事実中、被告人加藤暠がその昭和五三年分及び同五四年分の各所得税を免れたとの点(同被告人に対する昭和五六年特(わ)第八九四号、同年四月一五日付け起訴状記載の公訴事実)については、同被告人は無罪。

 

理由
〔凡例〕
一  左に掲げる略称を用いることがあるほか、通常使用される略称を用いることがある。
略称    正式名称等
市場 株式の有価証券市場
仮名口座 本人名義(通称を含む。)以外の名義すなわち架空名義(第三者名義を含む。)で開設された取引口座
仮名取引 仮名口座による取引
加藤事務所 被告人加藤の個人事務所とされているもので、後記スポニチ銀座ビル六階及び千代田会館ビル二階等に設置されたもの。
片商い 顧客勘定元帳上、同一銘柄の株式につき買い株数と売り株数が一致しない現象またはこうした現象をもたらす株式取引。そのうち、売り株数が買い株数を上回るものを売りオーバーもしくは売越し、買い株数が売り株数を上回るものを買いオーバーもしくは買い残と表示することがある。
現引 信用取引の決済に当たり、別途調達の資金等で弁済して預託してある株券を引取ること。受け株と表示することもある。
一  被告人金丞泰を「被告人金」と、また、被告人加藤暠を「被告人加藤」と表示することがある。
関係者の氏名は、同姓の者がいない限り、二回目から姓のみを表示することがある。その地位等については、原則として当時のものとする。
一  株式会社名については、名称中「株式会社」を単に(株)と表示することがある。
株式会社誠備は、株式会社誠備投資顧問室に商号を変更しているが、商号変更後も(株)誠備と表示することがある。大阪証券信用株式会社東京支社は「大証信」、大阪証券代行株式会社東京支社は「大証代」とそれぞれ表示することがある。
一  証券会社名については、名称中の(株)等の表示を省略し、例えば、野村証券株式会社を「野村証券」と表示することがある。
黒川木徳証券株式会社は、木徳証券株式会社と黒川証券株式会社が合併したものであるが、木徳証券株式会社についても「黒川木徳証券」と表示することがある。また、黒川木徳証券株式会社以外の証券会社を「外部証券」と表示することがある。
一  金融機関については、(株)等の表示を省略し、例えば、株式会社第一勧業銀行兜町支店を第一勧銀兜町支店などと表示することがある。
一  証券会社及びいわゆる証券金融業者に設定された取引口座の名義については、原則として、(株)等の表示を省略するとともに、かぎ括弧でくくることとし、例えば、株式会社誠備を「誠備」、コスモ株式会社を「コスモ」、株式会社招徳を「招徳」、株式会社高森を「高森」などと表示することがある。設定先の証券会社につき特段の表示のない口座は、黒川木徳証券本店に設定されたものを指す。
なお、検察官が被告人加藤に帰属するとして主張する三二の株式取引口座(後記第二部被告人加藤暠の所得税に関する逋脱事件第一章第一の三に掲記のもの)を単に「三二口座」、そのうち黒川木徳証券本店に設定されたものを単に「三〇口座」と表示することがある。
一  株式の銘柄の表示に関しては、原則として、判決宣告当時、日本経済新聞の株式欄で用いられている略称によることとし、例えば、株式会社宮地鐵工所を「宮地鉄」、その株式を「宮地鉄株」、「宮地鉄株一〇万株」などと表示することがある。
一  被告人加藤の顧客とされるもののうち、関連投資顧問会社の会員の資格で被告人加藤とつながりのあるものを「会員顧客」と、その余のものを総称して「直接顧客」とそれぞれ表示することがある。
一  主に投機を目的として行う株式の大量売買を仕手戦、これを行う者を仕手本尊ないし仕手筋と表示することがあるが、所得の帰属者の判定は別問題とする趣旨である。
一  証拠の標目の表示等《省略》
一  法令等については、特段の表示がない限り、本件係争年次の当時施行されていたものをいう。
第一部  被告人金丞泰の所得税に関する逋脱事件
第一章  認定事実
第一節  本件犯行に至る経緯及び背景事情等
第一  被告人両名の経歴と知り合った経緯等
一 被告人金の経歴
被告人金は、韓国の出身で、昭和二四、五年ころから日本に定住し、間もなく東京都内日暮里で鞄類の製造販売業を始め、更に、そのかたわら昭和三〇年代に法人名等で金融業も開業し、昭和四〇年ころには鞄類の製造販売業を実弟の金宗泰に譲って、自らは肩書住居を事務所にして金融業に専念するとともに、昭和四五、六年ころからアパートの貸間業をも始め、また、株式取引に本格的に手を出すようになった。その後、昭和五〇年ころ、採算の悪い金融業を縮小するとともに、貸間業も妻呉昶信に一任し、自らは、株式の取引を事業として行うこととし、手持資金の大半をこれに投入していた。
二  被告人加藤の経歴
被告人加藤は、広島県の出身で、昭和四三年三月早稲田大学商学部を卒業後、岡三証券に入社したが、翌四四年初めころ退社し、その後何度か転職を繰り返し、昭和四八年八月木徳証券(昭和五二年七月一日黒川証券と合併後は黒川木徳証券となる。)に証券外務員として入社し、同社営業本部第二営業部に所属、昭和五五年四月以降は新設の第三営業部に所属して勤務するようになった。
三  被告人両名が知り合った経緯等
被告人加藤は、昭和五〇年三、四月ころ、被告人金が相当手広く株式売買を行っていることを聞き知って、同被告人を肩書住居に訪ね、野村、日興、大和など大手証券の幹部と付き合いがあり、株式に関する情報がいち早く分かるから自己の扱いの下に株式の売買をするよう勧めた。
被告人金も、これに応じて、木徳証券に、その日本名である吉永裕光名義及び仮名の小原博名義で昭和五〇年五月二〇日ころそれぞれ口座を開設し、被告人加藤に一部その運用を任せて株式取引を行ったほか、同証券に吉田泰三なる仮名口座を同年六月一八日ころ開設して、これも一部被告人加藤に運用を委ねるなどして株式取引を行ったが、昭和五二年後半までに数千万円の損失を負う羽目に陥り、被告人金が被告人加藤の上司に苦情を持ち込んだりして被告人両名は喧嘩別れの状態になった。
第二  被告人加藤と株式取引
一 加藤事務所の開設と投資顧問業務への関与
被告人加藤は、証券外務員として積極的に顧客を増やし、なかには事実上売買を一任する者も少なくなく、こうした事務処理のためもあって昭和五一年三月から東京都中央区銀座一丁目一四番六号スポニチ銀座ビル六階に加藤事務所を設けたほか、そのころ右ビル六階に事務所を借り受けて、株式投資を希望する顧客を会員とし、これを対象に株式投資の顧問業務を営む株式会社ダイヤル・インベストメント・クラブ(同年六月登記。代表取締役佐藤利治)を設立させ、また、昭和五二年七月ころ右ビル七階に事務所を借り受けて株式会社ダイヤル投資クラブ(昭和五三年一月登記。代表取締役中村忠司)を設立させて右ダイヤル・インベストメント・クラブの業務を引き継がせた。これとは別に被告人加藤は、昭和五二年一二月ころ右スポニチ銀座ビル三階に事務所を借り受け、金融業等を営業目的とする株式会社誠備を設立させて、有力顧客の一人である小森藤次郎を名義上の代表取締役に就任させ、翌昭和五三年一月に設立登記を終了したが、この(株)誠備でも投資顧問業務を営むこととし、同五三年六月から東京都中央区日本橋茅場町一丁目三番九号昭栄ビル四階にも事務所を借り受けた。更に、そのころ被告人加藤は、大学時代の同窓田久保幸元に勧めて、同人を代表取締役とする株式会社日本橋ダラーを設立し(昭和五三年六月登記)、事務所を右昭栄ビル四階に借り受けて投資顧問業を始めさせた。
二 被告人加藤の相場観と株式取引の戦略
ところで、被告人加藤は、証券外務員としての平素の業務や、昭和五〇年ころから世上喧伝された千代建株、岡理ゴム株、ヂーゼル株等の仕手戦なるものに関与するなどするうち、有価証券市場における株価の形成が時価発行増資等を企図する発行会社といわゆる四大証券を中心とする幹事証券会社の都合により不当に形成され、これを監督すべき東京証券取引所や大蔵省の行政指導も大手証券会社等に偏していて、一般の個人投資家が犠牲を強いられているなどとの趣意を抱懐するようになり、こうした大手証券会社に対抗して自らも利益を挙げるためには、個人投資家の力を糾合し、その資金を集め売買一任を受けるなどして、自らが一手に資金を管理・運用するのほかなく、その株式売買の手法としては、資本金が一五億ないし三〇億円程度であるが発展の余地のある中小規模会社の銘柄で、株価が二〇〇円ないし三〇〇円程度の低位で値動きの少ない株式の中から特定の銘柄を選定したうえ、市場に出回っている浮動株を自らが管理する資金を駆使して、できるだけ安値で極秘裡に買い集め、いわゆる品薄状態にして株価を上昇させ、高値で売り逃げるなどすることにした。そして、手始めに昭和五二年の後半以降において、丸善株及び新電元株を対象銘柄に選んだ。
三 被告人加藤の顧客獲得の経緯
1  このような資金を調達するため、被告人加藤は、その趣意に共鳴して資金を拠出する顧客を獲得することに努力し、その獲得手段として、特に、政界、官界、経済界その他の有名人については、税務当局を含め他から察知されることを回避するため、複数仮名口座の分散開設・運用はもとよりのこと、被告人加藤の側で用意した黒川木徳証券及びその他の証券会社の口座で取引することにも応じ、株式の管理や受渡事務等も、黒川木徳証券の店舗ではなく、加藤事務所等で行うことがあるなどの便宜を供与することとした。
2  また、被告人加藤は、前示各投資顧問会社の会員の資金もできるだけ自らが管理・運用しようとし、特に、(株)誠備については、昭和五三年九月ころ、(株)誠備の事務局に誠備投資顧問室を発足させたとして、特別会員及び普通会員からなる会員の募集を始めたほか、会員数を一〇八人に限定する一〇八の会を組織するなどして、その投資顧問業を拡大していった。
そして、昭和五四年四月二五日株式会社誠備の商号を株式会社誠備投資顧問室と変更したうえ(同年六月八日登記)、新たに元代議士有田喜一の秘書藤原三郎を代表取締役に就任させ、業界紙に募集広告を出すなどして会員を集め、投資顧問業の一層の拡大を図った。また、同年七、八月ころには、従来の会員の中から資金量が豊富で、株式を持ち続けることができ、秘密が守れることなどを資格条件に三〇人を選別して、一億円を利益目標とし、会費を六か月一〇〇万円とするミリオン会員を集めた。更に、昭和五四年九月二〇日ころ、このミリオン会員を中心にして廿日会を結成することとし、会員は候補者の中から最終的には被告人加藤が選び出すものとしたうえ、この廿日会の会員には黒川木徳証券に口座を開設してもらい、売買の別、銘柄及び価格等については、被告人加藤の意向に従う廿日会会長が一任を受け、これよりの注文を被告人加藤が一括して受けて株式売買を行うという方法を採ることとした。なお、この(株)誠備には、会員として、ミリオン会会員すなわち概ね廿日会会員のほか、特別会員、普通会員更には速報会員がいて、昭和五四年八月八日付けを第一号とする誠備速報などの会報が会員に送付されるなどして、連絡、宣伝、勧誘などをしていた。
このほか、(株)日本橋ダラーにおいても、栴檀(せんだん)会を発足させ、会報を月一回発行していたほか、被告人加藤から教示された推奨銘柄を電話で会員に連絡するなどして、その組織化を図り、(株)ダイヤル投資クラブにおいても、昭和五四年一〇月ころその会員を組織して一陽会を発足させ、会員の口座を黒川木徳証券に開設させるなどした。
3  以上のようにして、被告人加藤を中心として、その指示に基づき、同被告人を通し、主として黒川木徳証券で株式売買を行うところの顧客からなる、いわゆる誠備グループが形成されていった。
そしてこのようななかで、被告人加藤は、その事務を処理させるため、黒川木徳証券の社員とは別に、関連投資顧問会社の従業員田久保利幸、松田徹、小野明廣(明広)、永井容光らに指示して会員顧客に対する株式取引の管理・指導に従事させた。他方、直接顧客に対しては、被告人加藤が自ら直接管理・指導し、前記スポニチ銀座ビル六階のほか昭和五五年四月一〇日ころ以降は中央区日本橋一丁目二一番四号千代田会館ビル二階等にも設けられた加藤事務所において、別に雇用した金沢千賀子を責任者格とする女子事務員数名に指示して、黒川木徳証券の担当者である向川英剛、中嶋敏郎らの助力を得ながら、株式取引に伴う現金、株券の受渡し、あるいは株式買付代金の借入手続等の事務を行わせていた。
第三  被告人金の誠備グループへの参加
一 被告人加藤の勧誘
昭和五二年秋ころ、被告人加藤は、被告人金に電話して都内港区所在ホテルオークラのロビーに呼び出したうえ、同所で同被告人に対し、「今度は新しいことをやってみたい。いつまで大手の推奨株をやっていても儲からない。結局利用されるだけだ。独自のやり方でやらなければだめだ。自分で相場を作って育てる方法でやっていきたい。」、「相場を作り、銘柄を育てたい。私には有力なバックがいる。強力なグループがついている。これまでの様子を見ていると、あなたは誠実そうだから、そのグループに入れてやる。このグループに入れば必ず儲かる。グループに入れてやるから条件として口座を全面的に任せてほしい。そのかわり、一切、口外しないで下さい。」、「洋書の専門で、一等地ばかり持っている優良会社で資金も手ごろだから丸善をやってみたい。」、「前は損をさせてしまいましたが、今度のやり方で買っていけば必ず儲かりますから、その時は、よろしくお願いします。」などと申し向けて、大手証券の幹部等から情報を得て取引するというこれまでの考えを変え、被告人加藤自身が中心となって、丸善など特定の銘柄に関し株価を上昇させて儲けたいので、その際に、被告人金の資金を活用させて欲しいし、その運用を一任してもらいたい旨を申し入れた。
二 被告人金の参加
右申入れに対して、被告人金はその趣旨を了承して後述のように、株式取引の仮名の口座を開設して被告人加藤の直接顧客の一人となったほか、一時、前記ミリオン会員ひいては廿日会の会員になっていたこともあった。
第四  被告人両名による仮名口座の分散開設
一 星野隆一名義口座の開設状況
1  被告人加藤は、昭和五二年一二月一〇日ころ、被告人金に対し、電話で、「証券会社を紹介しますから口座を組んで下さい。この口座の取引は私が直接やりたいので任せて下さい。」などと申し向け、被告人金も了承したが、その際、被告人加藤は、「名義はどうしようか。」と開設する口座の名義について話を持ち出し、これに対し、被告人金は、「考えておきます。」と後日連絡する旨答えた。
2  その後、被告人金は、取引名義をどうするかを検討し、株式売買による利益に関する所得税の課税について税務署に分からないようにしたいなどと考えたこともあって、結局、株式売買の事実につき、税務当局の把握を困難にする架空名義で取引することとし、同被告人の知人である星野艶子方を住所として、「星野隆一」という架空名義を用いることに決め、「星野」の印鑑を調達し、準備を整えた後、被告人加藤に電話で、「準備ができました。星野隆一という名前でお願いします。」と連絡した。
3  被告人加藤は、被告人金の右意図を察知しながら、仮名取引の方が他から探知されず株価形成に有利なうえ、税務当局にも発覚せず、かえって脱税額をも含め一層多額の資金を自ら管理・運用することができるばかりか、自らが主宰する誠備グループの株式取引をより有利に展開することができ、ひいては自己の利益にもなることから、被告人金の提示した架空名義で取引口座を開設することにした。
4  そこで、被告人加藤は、昭和五二年一二月一二日ころ、被告人金をスポニチ銀座ビル六階の加藤事務所に招き、他方、知人である和光証券東京本部の特別投資相談室部長和泉四郎、岡三証券池袋支店長渡辺新太郎及び三洋証券新宿東口支店長鎗水謙治の三名を順次別々に同事務所に呼び寄せ、それぞれ右三名に対し、被告人金を、「この人がお宅と取引したいといっている星野隆一さんです。」などといって紹介し、被告人金は、右三名がそれぞれ持参した信用取引口座設定約諾書等の書類に、前記星野隆一名義で署名押印した。そして、翌一三日ころ、被告人金は黒川木徳証券本店の同被告人の仮名口座である吉田泰三名義の口座から、信用取引についての委託保証金代用証券として差し入れてあったヂーゼルの株券一一万六〇〇〇株を引き出したうえ、これを新たに委託保証金代用証券として和光証券東京本部の星野隆一口座に三万株、岡三証券池袋支店の同口座に四万六〇〇〇株、三洋証券新宿東口支店の同口座に四万株(同月一五日更に現金一一〇〇万円)をそれぞれ差し入れた。このようにして、被告人両名は、これら各証券会社に架空名義である星野隆一名義の信用取引口座を分散開設して株式売買を行うことにした。
5  こうして被告人金は、それらの口座の運用を全面的に被告人加藤に任せたが、その際、被告人加藤は、「私の方から出した銘柄は絶対に外に漏らさないで下さい。私が運用している口座以外の口座で絶対にその銘柄の取引をしないで下さい。」と申し入れ、被告人金もこれに同意した。
二 大成証券本店、東和証券本店及び大阪屋証券東京支店における安達昌弘名義口座の開設状況
1  被告人加藤は、取引が一つの口座に集中することを回避するため、昭和五四年四月一七、八日ころ、被告人金に対し電話で、「田久保というものを紹介するから、田久保を通じて三つほど口座を開いて下さい。田久保を表に出し、担当者として売買させてやってくれ。私の方から田久保に指示して取引をやらせるから損はさせません。口座を任せて下さい。」などと申し向けた。更に、その際被告人両名は、話し合って、和光証券東京本部の前記星野隆一名義口座で買い付けた新電元株一六万二〇〇〇株を新規に開設する信用取引口座の委託保証金代用証券として差し入れることとした。
2  被告人金は、前同様の趣旨で仮名口座を開設したいと考え、従妹金玉妊の夫洪益信の通称名である安達昌弘名義を用いることとし、その旨被告人加藤に電話で連絡した。被告人加藤も前同様の趣旨で了承した。
3  そこで、被告人両名は、昭和五四年四月二〇日ころ、前記昭栄ビル四階の(株)誠備の事務所に赴き、被告人加藤において、田久保利幸に対し、被告人金を紹介したうえ、「吉永さんと一緒に行って証券会社三、四社位に信用取引口座を設定してもらいたい。その口座での売買注文は自分が指示するから、これに従って田久保の方でやってもらいたい。」などと申し向け、更に同席していた被告人金も、田久保利幸に対し、「安達昌弘名義でお願いします。」と言いながら、「荒川区荒川二―四―三―六安達昌弘」と安達昌弘の住所氏名を記載したメモを手渡した。
4  被告人金は、田久保利幸と、まず、中央区日本橋兜町一丁目八番地日証館所在大成証券本店に赴き、同人が同店の前で被告人金から信用取引の委託保証金代用証券として差し入れる新電元株五万株と「安達」の印鑑を受け取り、店内に入って同社投資顧問部投資顧問石毛勝俊に対し、自ら安達昌弘になりすまして、この新電元株を代用証券として差し入れ、安達昌弘名義の信用取引口座開設の手続をとった。次いで、被告人金と田久保利幸の両名は、中央区日本橋一丁目一六番七号所在東和証券本店に赴き、田久保利幸において、同社本店第一営業部営業課長木内庸之に対し、前同様安達昌弘を装って新電元株五万株を代用証券として差し入れ、安達昌弘名義の信用取引口座開設の手続をとった。その後両名は、中央区日本橋一丁目一六番一〇号所在大阪屋証券東京支店に赴き、被告人金が以前取引をしたことがあったことから顔見知りの同支店東京営業部外務員浅井昌方に対し、被告人金において田久保利幸を安達として紹介し、田久保利幸において前同様に安達昌弘になりすまし、新電元株六万二〇〇〇株を代用証券として差し入れ、安達昌弘名義の信用取引口座の開設手続をとった。
三 山吉証券本店における安達昌弘名義口座の開設状況
右大阪屋証券における安達昌弘名義口座の株式売買は、同証券から探りを入れられ、秘密が漏れるおそれがあったので、被告人加藤は、被告人金の了解を得たうえ、田久保利幸に指示して取引口座を他の証券会社に移すこととした。これを受けた田久保利幸は、昭和五四年九月三日ころ、大阪屋証券東京支店から代用証券の新電元株六万二〇〇〇株を引き出し、次いで、中央区日本橋兜町一丁目所在の山吉証券本店に赴き、同店営業部営業課長佐藤顕に対し、新たに安達昌弘名義で取引する旨申し入れて右新電元株六万二〇〇〇株を代用証券として差し入れ、安達昌弘名義の信用取引口座開設の手続をとった。
四 黒川木徳証券本店における吉永卓司(卓二)名義口座の開設状況
昭和五四年九月初めころ、被告人加藤は、前同様の趣旨で被告人金に対し、電話で、「三洋証券の星野隆一口座を解約して、その口座にある株券を持って来て下さい。今後は黒川木徳でやりたい。」などと申し向けたところ、被告人金も前同様の理由により、実弟吉永宗泰こと金宗泰方を住所とする吉永卓司なる架空名義を用いて仮名の信用取引口座を開設することとし、同月四日ころ、中央区日本橋一丁目一六番三号所在黒川木徳証券本店において、被告人両名が前同様の趣旨から同証券に吉永卓司(卓二)の仮名口座を開設する手続をとり、被告人金が被告人加藤の指示により三洋証券新宿東口支店の前記星野隆一口座を解約して持参した丸善株等を代用証券として差し入れた。
第五  被告人加藤の関与した株式取引の状況
一 全体的状況
1  被告人加藤は、前示のような戦略に基づき銘柄を選定したうえ、その株式について市場に出回っている浮動株を、被告人金など豊富な直接顧客の資金を活用し、できるだけ安値で大量に買い集め、品薄状態を現出させて株価を上昇させ、同株式について世間の注目が集まるや、前記廿日会会員、特別会員、普通会員、速報会員の順序で誠備グループの会員に推奨するなどして買付けを行わせ、また、会員の買い付けた株式は勝手に売らせないようにして売りによる値崩れを防ぎ、株価を維持・上昇させるなどした。
2  更に、被告人加藤は、(株)誠備の会報等を使って、「誠備銘柄は二〇〇円でスタートし、四ケタに出世する!」という見出しを掲げ、前記誠備投資顧問室の推奨する銘柄の株価が概ね予測どおり急上昇している旨を指摘し、誠備投資顧問室の分析、予測機能が充実しているなどと宣伝したりしたため、直接顧客はもとより、誠備グループの会員顧客も飛躍的に増加した。
二 被告人金の仮名口座における取引状況
1  前示のように、被告人金は、被告人加藤の指示した株式取引の方法に賛同し、同被告人に対し、前記各仮名口座を利用して株式取引を行うことを一任していたので、被告人加藤は、自ら前記戦略を実行するためにも、被告人金の資金を利用し、右各仮名口座で株式売買の注文を出していた。
2  そのうち、和光証券東京本部、岡三証券池袋支店及び三洋証券新宿東口支店における星野隆一名義の各口座については、いずれも、昭和五二年、五三年中は、被告人金自身の発注はなく、全部、被告人加藤の側で売買の注文を出し、昭和五四年にもほとんど全部同様に注文していたが、昭和五四年四月ころ以降は、一部につき被告人金に口座、売買の別、銘柄、数及び価格等を指示して注文を出させたこともあった。
なお、被告人金は、昭和五四年四月以降において、右の口座で、信用の枠が空いているときに、日石株、松下株を被告人加藤に無断で取引したことがあった。
3  また、大成証券本店、東和証券本店、大阪屋証券東京支店及び山吉証券本店における安達昌弘名義の各口座についても、被告人金は全面的に被告人加藤に運用を任せ、被告人加藤が田久保利幸を介して株式売買の注文を出し、被告人金が表面に出ることはなく、これらの口座で被告人金が注文を出すことは一度もなかった。もっとも、被告人金から田久保利幸の方へ株式売買についての希望を述べ、同人の方から被告人加藤の了解を得て、証券会社の方へその希望する売買の注文を連絡したこともあった。
4  黒川木徳証券の吉永卓司(卓二)口座については、被告人加藤が、同証券の担当者に対して株式売買の注文を出すなどして被告人加藤の判断により株式取引を行っていた。
第六  被告人金の株式取引の概要
一 その他の仮名口座における取引状況
被告人金は、右の各仮名口座とは別に、被告人加藤に知らせることなく、本件係争年次にわたるものとして、
1  山一証券五反田支店において、昭和四八年一月ころから昭和五四年秋ころまで吉田隆一名義で、昭和五四年四月ころから金子裕一名義で、同年六月ころから松田卓三名義で、
2  内外徳田証券本店(その後商号を内外証券に変更)において、昭和五〇年六月ころから昭和五三年七月ころまで吉永裕光名義で、
3  立花証券本店において、昭和四八年二月ころから昭和五四年一二月ころまで吉永裕光名義で、
4  岡三証券池袋支店において、昭和五四年九月ころから金子泰三名義で、
5  大阪屋証券東京支店において、昭和五四年一〇月ころから松田康名義で、
それぞれ株式取引を行った。
二 株式取引の概要
被告人金の株式売買に係る回数、株式数、株式売買益等は、別紙(一)株式取引状況表のとおりであり、このうち、被告人加藤が管理・運用していた口座名は前示第四のとおりで、右株式取引状況表に「誠備関係」と記載してある岡三証券池袋支店ほか七店における星野隆一、安達昌弘及び吉永卓司(卓二)の各名義で開設された合計八口座であり、この八口座における株式売買益は右株式取引状況表のとおりである。
第二節  罪となるべき事実
被告人金は、東京都荒川区東日暮里六丁目二一番六号において、営利の目的で継続的に株式売買を行うことを業にするかたわら不動産賃貸業、貸金業を営むもの、被告人加藤は、黒川木徳証券の証券外務員であるとともに、前示のように、加藤事務所を設け、投資顧問会社の経営に関与するなどして株式の売買に携わっていたものであるが、被告人両名は、共謀のうえ、被告人金の所得税を免れようと企て、前示のように、被告人金の株式売買につき仮名口座を分散開設し、あるいは、これらの口座を利用して仮名取引を行う等の方法により所得を秘匿したうえ、
第一 昭和五三年分の実際総所得金額が三億八七二八万七六一〇円、分離長期譲渡所得金額が一三八〇万三一九〇円あった(別紙(二)修正損益計算書(一)参照)のにかかわらず、昭和五四年三月一五日、東京都荒川区西日暮里六丁目七番二号所在の所轄荒川税務署において、同税務署長に対し、昭和五三年分の総所得金額が一九四万六〇〇〇円、分離長期譲渡所得金額が一〇〇万〇六八〇円であり、これに対する所得税額が合計二一万〇一〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額合計二億七八二八万〇一〇〇円(別紙(四)税額計算書参照)と右申告税額との差額二億七八〇七万円を免れ
第二 昭和五四年分の実際総所得金額が六億〇七八三万〇五〇〇円、分離長期譲渡所得金額が一〇三六万六六九九円あった(別紙(三)修正損益計算書(二)参照)のにかかわらず、昭和五五年三月一五日、前記荒川税務署において、同税務署長に対し、昭和五四年分の総所得金額が一九四万六〇〇〇円、分離長期譲渡所得金額が一七九万三七七八円であり、これに対する所得税額が合計三九万二五〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額合計四億四三二一万四四〇〇円(別紙(四)税額計算書参照)と右申告税額との差額四億四二八二万一九〇〇円を免れ
たものである。
第二章  証拠の標目《省略》
第三章  弁護人の主張に対する判断等
第一  争点の概要
判示認定の外形的事実関係については、特に争いはない。なかんずく、本件の主たる争点は、被告人金の逋脱所得中、株式取引による事業所得に関してであるが、被告人両名の主観的意図は別として、被告人金につき判示の経緯で仮名口座が開設され、これらの口座で被告人加藤が被告人金の委託を受けて多数の株式売買を行ったこと、その株式売買による所得を事業所得として所得税法所定の方法により計算すると、判示の事業所得金額ひいては税額が算出されるのに、これが被告人金による判示各確定申告の対象とされなかったことなども、概ね争いのないところである。
そのなかにあって、被告人金の弁護人は、被告人加藤との共犯関係の成立を否定するものの、被告人金による税逋脱については基本的にこれを認め、ただ仮名口座の開設やこれによる仮名取引の主たる目的が脱税になかったことを強調する。
他方、被告人加藤の弁護人は、判示の外形事実を概ね是認しながら、犯罪の成立を全面的に争い、その理由を縷説するところ、その主たる点を要約すれば、被告人加藤が被告人金に対し仮名口座の開設を要請ないし勧奨したことはないうえ、仮名口座を分散開設し、これによって株式の仮名取引を行うことは、信用取引の枠の利用や仕手戦における提灯買いを回避するためにも必要であり、社会通念上、株価形成の方法として許容される商慣習として証券市場において長年にわたって行われてきたものであって、決して所得秘匿の手段としてなされたものでないから、本件仮名口座の分散開設やこれによる仮名取引は所得税逋脱罪の構成要件である「偽りその他不正の行為」といえないばかりか、被告人金の所得税の申告や納税は被告人金の問題であって、その確定申告書の作成・提出は被告人加藤の関知するところでなく、証券外務員に過ぎない被告人加藤が多数の顧客の一人である被告人金の所得税逋脱につき共犯の責任を問われるいわれはない。のみならず、被告人金は、被告人加藤に内緒で別に仮名口座を開設して仮名取引を行っていたのであるから、被告人加藤において、被告人金の株式取引の数量及び回数が課税要件を満たしていることや、売買益の総額を認識できるはずはない、などというのであり、被告人加藤は、捜査段階及び公判を通してほぼ同旨の供述を繰り返している。
当裁判所は、審理の結果、被告人両名の共謀による本件所得税逋脱の事実は肯認することができるのであって、被告人両名の弁護人らの主張は部分的には首肯できる点もないではないが、結論として是認できないとの判断に到達した。その理由について、以下順を追って説明する。
第二  被告人金の所得税逋脱意図の有無について
1 被告人金の弁護人は、「被告人金が株式取引を架空名義で行ったのは、脱税目的が主たるものではなく、同郷(韓国)の者や知人らに知られたくなかったことや、被告人加藤の仕手戦に参加していたことから、取引主体の正体を隠す必要があったためである。」などと主張し、被告人加藤の弁護人もこれを援用するところであり、被告人金の公判供述中にも、この主張に添う部分が見受けられる。
しかし、判示認定のように、被告人金は長年事業特に株式取引に携わってきたものであるうえ、《証拠省略》によれば、本件捜査の段階で被告人金の肩書住居から押収されたものの中に、社団法人証券広報センター発行の昭和五〇年度版「投資家のための税金対策ノート」、財団法人大蔵財務協会発行の昭和三七年版「対照式所得税法令通達集」等の書籍が含まれていることが認められるほか、本件係争年次において株式売買に伴う所得の課税要件を知っていたことは被告人金自身、公判供述で是認しているところである。こうした事情によれば、被告人金が本件係争年次のころ、株式取引に伴う所得の納税につき、すでに多大の関心を寄せていたことは推認するに難くない。
2 そして、関係証拠によれば、被告人金は、本件係争年次である昭和五三、五四年において、判示のように多数回にわたり多量の株式の売買取引をしていて、その大半は被告人加藤に売買を一任したものとはいえ、事後的にしろ被告人加藤から逐一報告を受け、かつ、売買報告書等も受領していて、取引の内容を熟知していたことが認められ、少なくとも、右両年とも株式売買の回数は五〇回以上で、その株数も合計二〇万株以上であったことを認識しており、株式売買益についても、昭和五三年は二、三億円を超え、昭和五四年はより多額の利益を挙げたものと認識していたことは優に推認することができる。しかるに、被告人金は、判示のように、その売買益を何ら申告していないのであって、これは明らかに税逋脱の意図をもってしたと認めざるを得ない。
3 加えて、関係証拠によれば、被告人金は、単に株式売買に伴う所得を申告しなかったばかりでなく、貸金業に係る事業所得についても申告しなかったほか、不動産所得や譲渡所得についても、妻その他の他人名義で不動産を所得するなどして、一部にしろ不正の行為により所得を秘匿していたことが認められ、いわゆる仮名の使用がその余の所得に関する税逋脱の手段にも利用されていたことは明らかである。なお、関係証拠によれば、被告人金は、本件係争年次のころまでに、株券、貸金債権、不動産等相当の資産を保有するに至っていることが認められ、前示捜索差押調書の記載によっても、その一端を垣間見ることができるにもかかわらず、被告人金の56・2・21、22検によれば、昭和五二年までの毎年の納税額は一〇万円以下の少額であったというのである。
4 また、《証拠省略》によれば、被告人金は、昭和五四年八月下旬ころ三洋証券新宿東口支店長吉住義裕に対し、「同じ口座をこんなに長く使っていると、税金の関係でまずい。口座の名義を変えた方がいいかな。」などと話し、なお、その後の同年一一月二八日ころ同店支店長代理平野晃久に対し、「税金の関係でいったん三洋証券から引き揚げるが、年が明けて三月を過ぎたら、またやってあげるかもしれないよ。」などと語っていることが認められる。更に、被告人金は、現物として取得した株式につき、その名義変更手続をせずに、受領できる多額の配当金を放棄していることが認められる。
5 しかも、被告人金は、前示のように「同郷の者や知人らに知られたくなかった」旨弁解しているにもかかわらず、関係証拠によれば、被告人金は、売買報告書の住所への送付を受けないで証券会社の店頭に赴いて受領するという、いわゆる「留置き」の扱いがあるのに、これを十分に活用していないばかりか、判示のように、知人方住所を送付先にしたり(星野隆一)、身内の日本名を名義に用い、その住所を送付先とし(安達昌弘)、実弟の住所を送付先とする(吉永卓司)などしていることが認められ、右の弁解が仮名利用の唯一の目的であったとは思われない。また、仕手筋隠しの弁解も、被告人加藤が自分の前で被告人金を他の証券会社の担当者に引き合わすなど、前示のような被告人金の仮名、実名各口座の開設状況に鑑みると、その弁解とするところが仮名利用の唯一の理由であったとは思われない。
6 以上の諸事情を総合すると、他の目的の併存は否定できないにしても、被告人金が所得税逋脱の意図をも有して、その手段として証券会社に仮名口座を分散開設し、これを利用して仮名取引を行ったと推認することができる。被告人金の検察官に対する各供述調書中、右認定に添う部分は信用することができる。被告人金の公判供述(三九回~四二回)中右認定に反する部分は、不自然かつ一貫しない点もあってたやすく信用できない。被告人金は公判供述において検察官に対する自白の信用性を争う弁解をしているが、これについても同様であって、たやすく信用することができない。
第三  被告人加藤の所得税逋脱意図の有無について
1 被告人加藤の判示のような証券外務員としての経歴に鑑みても、本件係争年次当時既に同被告人が株式の売買に伴う所得の課税要件を知っていたことはもとより、そこで問題となる売買回数の計算基準に関する関係通達の趣旨についても理解していたであろうことは推認するに難くない。被告人金が第四〇回公判において「国税局の査察を受けたことに対する助言として、被告人加藤が注文伝票総括表を利用すればよい旨話した。」などと供述していることも、その一端を示すものということができる。なお、課税要件としての売買回数の算定基準については、後に詳述する。
2 次に、《証拠省略》によれば、株式の仮名取引については、衆議院大蔵委員会が昭和四八年二月二八日有価証券取引税法の一部を改正する法律案を可決するに際し、これに附帯して「無記名もしくは架空名義による有価証券取引を排除するよう一層努力すべきものである。」旨を決議し、参議院大蔵委員会でも同年三月二九日右法案の可決に際し、同旨の附帯決議をしているほか、日本証券業協会連合会では、会長名をもって傘下の証券業協会の代表者に対し、昭和四八年一月一二日付けで、仮名取引が好ましくないので、本人名義によるよう協力方を所属協会員に求めるよう通達を出し、更に、その周知徹底のため同旨の記載のあるポスターを配布するなどして、これが各証券会社の店頭に掲示されるよう指導し、右連合会の後身である社団法人日本証券業協会でも、会長名をもって翌昭和四九年四月一七日付けで、協会員代表者などに対し同旨の通達を出し、その後もポスターを配布するなどしていることが認められる。もとより、仮名取引が行われている実情を否定するものではないが、《証拠省略》によれば、立花証券本店や内外徳田証券本店では仮名取引を申し入れたものの、証券会社側の強い希望があって本名すなわち日本名で取引したというのであって、以上のような事情に照らすと、仮名取引が株式取引における商慣習として許容されていたなどとは到底いえないのである。
3 また、川北博の56・3・6検及び同人の公判証言(一一回)によれば、同人は、被告人加藤から依頼されて(株)誠備など関連投資顧問会社の税務顧問をしていた公認会計士・税理士で、証言時には日本公認会計士協会の会長の職にあった者であるが、昭和五三年一一月下旬ころ、被告人加藤に対し株式取引を依頼した際に、「仮名名義はいろいろ問題が起きますよ。仮名口座を作って取引すれば、脱税の幇助犯でやられますよ。恐いですよ。」などと注意したことが認められる(被告人加藤はこの事実を否定するも、右の供述・証言は優に信用できる。)。
4 更に、《証拠省略》によれば、被告人両名間で証拠関係は必ずしも同一でないものの、被告人金に対する東京国税局の査察が着手された昭和五五年五月以前においても、被告人加藤が、特に廿日会の事務担当者らに対する言動のなかで、仮名口座の分散開設につき課税要件の一つである株式の売買回数との関連で問題にしていたことが認められる。そして、被告人加藤が関与して行った被告人金の仮名口座における株式売買状況は、別紙(一)株式取引状況表記載のとおりであって、その各口座における株式売買回数は、奇妙にも、いずれも年間五〇回以下になっていることが認められる。
5 そのほか、判示のように、被告人加藤は、星野隆一名義の仮名口座を開設するに際し、自ら被告人金を他の証券会社の担当者に引き合わせるなどしているのであって、これが仕手筋隠しなどと相い容れないものであることは多言を要しないところである。
6 更に、被告人加藤についていえば、《証拠省略》によれば、被告人加藤は、その歩合外務員としての報酬が昭和五〇年に約六〇〇〇万円、同五一に年約八五〇〇万円あったにもかかわらず、この両年次につき期限内の確定申告を怠り、所轄日本橋税務署の担当官から申告の慫慂を受け、昭和五二年一二月七日ころ期限後申告を行ったものの、昭和五二年分について、またも期限の同五三年三月一五日までに申告せず、担当官の慫慂を受け、同五四年三月七日ころになって漸く申告に及び、しかも、その収支明細の補正を求められながら応じなかったことが認められ、被告人加藤が単に株式売買についてだけ納税に消極的であったものでないことが窺われる。
7 関係証拠によれば、被告人加藤が被告人金参加の昭和五二年秋以降において手掛けた主な銘柄は、ヂーゼル株、丸善株、新電元株、西華産株、ラサ工株、宮地鉄株等であるところ、被告人加藤は、被告人金から運用を一任された判示の各仮名口座で同被告人の資金を使用して右の各銘柄、特に昭和五三、五四年にあってはヂーゼル、丸善、新電元、ラサ工の各株式を大量に売買し、かつ買い付けた株式は信用取引の委託保証金代用証券として新たな買付資金調達に利用するなどしていたもので、しかも、右の売買は被告人加藤による仕手戦の重要局面でも行われていたことなどの事実が認められ、被告人金の資金ひいては右株式取引が被告人加藤の仕手戦ひいては株式戦略の目的達成のために、重要な役割を果たしていたことは明らかである。
それのみならず、このような被告人加藤の目的達成は、顧客の納税を全く無視、更にいえば脱税を前提として初めて可能であったともいえるのであり、脱税によって一層豊富な資金が継続して仕手戦に投入できることは、被告人加藤の公判供述の片々にも窺われるところである。しかし、いわゆる仕手戦が脱税を正当化するものでないことはいうまでもない。他方、仮名口座の分散開設とこれによる仮名取引ひいてはその売買益の脱税が顧客誘引手段の一面を有していたことも否定することができない。
そして、関係証拠によれば、昭和五五年五月になって、被告人金は本件につき東京国税局の強制査察を受け、その調査結果に基づいて、昭和五六年一月修正申告を行ったが、その際被告人金は、七億円余の本税だけでも先に納付しようと考え、当時株価が二〇〇〇円を超えていた宮地鉄株九八万一〇〇〇株を処分して納税資金を作りたい旨被告人加藤に相談したところ、被告人加藤は、「宮地鉄工は今は駄目だ。丸善も悪い。」と拒否し、僅かに日石株二〇万八〇〇〇株の売却を許したのみであり、結局、被告人金が納付し得たのは本税のうち一億円余に過ぎなかったことが認められる。このことは、前述のように、被告人金の脱税が被告人加藤の演ずる仕手戦の利益ひいては被告人加藤自身の利益のためでもあり、むしろ、これらが被告人金の利益に優先していたことを物語るものといえる。
なお、会員顧客についてではあるが、被告人加藤の仕手戦からの自由な脱退がいかに問題視されたかは、一顧客の脱退について、黒川木徳証券の顧問で日本大学法学部教授の並木俊守弁護士が関与していたことからも窺知することができる。
8 関係証拠によれば、一部既に認定したように、昭和五三年及び昭和五四年の所得税の各申告・納付時期においても、被告人加藤の管理・運用下にある被告人金の株式は、掛目一杯に他の信用取引の代用証券などとして担保に差し入れられており、これにより調達された資金が更に仕手戦に投入されるなどしていたもので、被告人金が昭和五三年、昭和五四年の各株式売買益につき所得税納税資金を捻出するためには、被告人加藤の管理外の資金、特に株式等を処分するか、被告人加藤管理下の信用取引の決済によって利益を出すか、現物の株式を売却するのほかはなかったところ、被告人金において株式売買益につき所得税を申告・納付する意思は全くなかったばかりか、被告人加藤においても、公判供述で自認しているように、被告人金に所得税の申告・納付の意思を確認したり、その納税資金調達に配慮した事実は全くなかったことが認められる。むしろ被告人加藤は、仕手戦を有利に展開させるためにも、昭和五四年三月、あるいは昭和五五年三月といった所得税の申告・納付時期においても、自ら管理運用する被告人金の大量の株式を納税のため売却させる意思はなく、その脱税も止むなしとして、すべてを仕手戦に投入しようと考えていたものと認めざるを得ない。
9 関係証拠によれば、被告人加藤は、被告人金から運用を一任された仮名口座について、被告人金が勝手に利用することを嫌い、昭和五四年春ころ、被告人金が右仮名口座の一つである三洋証券新宿東口支店の「星野隆一」の口座で被告人加藤に無断で丸善株三万株を買い付けたことにつき、同新宿東口支店長の鎗水謙治に対し「勝手にやっちゃ困る。」旨苦情を述べるなどしたほか、昭和五五年一月ころ、被告人金が判示のように山一証券五反田支店で独自に口座を開設して株式取引をしていたことを知るや、電話で被告人金に対し、「うちの銘柄の売買をやっただろう。一生懸命に儲けさせてやろうとしているのにとんでもない。そんなことでは信頼して付き合えない。」などと大声で文句を言い、これに対して被告人金は、「済みませんでした。もう絶対しません。」と謝ったが、その際、被告人加藤は、丸善株、新電元株など被告人加藤の銘柄は、そのまま持ち続けて、勝手に売らないように指示し、被告人金もこれを承諾するとともに、昭和五五年九月になって、右山一証券五反田支店の金子裕一及び松田卓三名義の各口座に関する委託を解約したことの各事実が認められる。こうした事実は、被告人両名の関係が単なる証券外務員と顧客との関係でなかったことを如実に示すものといえる。
10 株式売買益に対する所得税の課税要件については後に詳述するところであるが、被告人加藤の管理・運用下にあった仮名取引分だけでも売買回数及び売買株数の両面において、優に課税要件を充足していたことは多言を要しないところであるばかりか、関係証拠によって認められる被告人加藤の管理・運用状況はこれまで各個所で詳述してきたところであって、被告人加藤において信用取引の枠を確認し、ひいては運用可能な資金量を算出するためにも、これら仮名口座の売買益を概数的にしろ把握しておくことは不可欠であったともいえるのであり、こうした事情に鑑みれば、これら仮名口座の課税要件の充足、売買益の数額ひいては逋脱所得額について、被告人加藤の犯意成立を妨げるべき事情はないと推認することができる。なお、こうした事実関係の下においては、被告人金につき被告人加藤の関知しないところで、一部、株式の仮名取引が行われていたとしても、このことは右の認定を左右するものではなく、被告人加藤の共犯関係成立に消長を及ぼすものとは解されない。
第四  被告人両名の共謀による所得税逋脱犯の成否について
ところで、所得税逋脱の罪の構成要件は、偽りその他不正の行為により、所得税法が規定する所得税の額につき所得税を免れることをいい(同法二三八条一項)、ここに「偽りその他不正の行為」とは、逋脱の意図をもって、その手段として税の賦課徴収を不能若しくは困難ならしめるような何らかの偽計その他の工作を行うものをいうと解するのが相当である。そして、有価証券の取引をするに当たり、その回数及び数量に鑑み、同取引により得られる所得につき課税が予測される場合において、こうした課税所得を逋脱する意図をもって、その手段として取引先証券会社に仮名の取引口座を分散開設し、これを利用することは、税の賦課徴収を不能若しくは困難ならしめるものであるから、それらが虚偽過少申告または無申告の行為に結びつく限り、前示の「偽りその他不正の行為」に該当すると解するのを相当とする。なお、以上に説示したように、仮名の取引口座の分散開設・利用は、税逋脱の意図をもって、その手段としてなされることが必要であるが、その意図が唯一のものであるとか、それが主たる目的であるとかいうように限定すべき理由はなく、同時に、株式市場におけるいわゆる仕手戦の手段とするなど、別の意図が併存することも、逋脱犯の手段たる不正行為性を是認するうえで、何ら妨げになるものではないと解すべきである。
次に、所得税納税義務者以外の者たとえば証券外務員が、こうした仮名の取引口座の分散開設・利用に関与した場合における刑事責任については、所得税納税義務者に税逋脱の意図があり、その手段として仮名口座を分散開設するなどしたことにつき知情があるに過ぎない場合には、逋脱罪の幇助犯が成立する余地があるに過ぎないとも考えられるが、右知情があるにとどまらず、自らの利益のためにも逋脱を意図し、その手段として仮名口座の分散開設・利用などに関与した場合には、身分のない者が身分のある正犯に加功したものとして、刑法六五条一項、六〇条により、所得税逋脱罪の共同正犯に問擬されるものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、叙上認定の事実関係からも明らかなように、被告人金は、所得税逋脱の意図をも有し、その手段とすることもあって証券会社に仮名口座を分散開設し、これによる仮名取引を行い、その売買益を含む所得につき虚偽過少申告の行為に及んで、もって所得税を免れたのであるから、こうした仮名口座の分散開設及びこれによる仮名取引が所得税逋脱の手段たる「偽りその他不正の行為」の一部に該当することは明白である。また、被告人加藤は、右のような被告人金の不正行為や意図につき、情を知っていたにとどまらず、右仮名口座を分散開設し、これを自らの管理・運用下に置くことによって巨額の所得税を免れ、更に、免れた分まで自らの管理・運用下に置いて仕手戦に投入するなどし、もって、被告人金のみならず、これを含む顧客ひいては自らの利益を図ろうとする意図をも有していたのであり、当初から、こうした意図実現の手段とするためにも、右の仮名口座の分散開設やこれによる仮名取引に関与したものと推認することができる。しかも、こうした手段による所得税の逋脱は被告人加藤による仕手戦の遂行に不可欠なものともいえるから、このような不正が被告人加藤についても、所得税逋脱の手段たる「偽りその他不正の行為」に該当することは明らかである。被告人両名の関係は、単なる証券外務員と顧客の関係を超えたもので、被告人金の所得税逋脱は被告人両名にとって等しく共通の利益であったということができる。なお、被告人金においても、右のような被告人加藤の立場、意図を察知していたことは推認するに難くない。
従って、被告人加藤は虚偽過少申告行為自体には関与していないものの、なお、被告人両名は、被告人金の判示所得税の逋脱につき共同正犯として刑責を負うべきである。右仮名取引に伴う受渡しや清算が被告人金の関与により行われたことや、被告人金から被告人加藤へ支払われる直接の報酬が所定の外務員の歩合手数料以外にあるとする確証のないことなども、以上の認定判断を左右するものではない。
なお、被告人加藤の弁護人は、株式取引が原則非課税である以上、仮名口座の開設をもって、直ちに課税要件を充足したとはいえず、構成要件の一部充足としての実行の着手があったとはいえない旨主張する。しかし、課税所得金額や逋脱税額は当該年次が経過し、あるいは所得税の確定申告・納付期限を経過してみないと確定しないのであり、その意味において、所得税逋脱犯は結果犯といえるのであるが、その手段である「偽りその他不正の行為」については、右の各金額が確定していなければならないいわれはなく、逋脱の意図をもって、その手段として税の賦課徴収を不能若しくは困難ならしめるような何らかの偽計その他の工作を行えば実行の着手があったと解すべきであり、その時点において必ずしも課税要件が充足し、あるいは所得が発生していることは必要でない。ただ、結果において、課税要件が充足に至らず、あるいは所得の発生、または右手段による逋脱の事実が生じないことが確定した場合には、右の不正手段は遡って実行行為性ひいては可罰性を失うと解するのが相当である。弁護人の右主張は、所得税逋脱罪の構成要件について独自の解釈を採るものであって、賛同することができない。
第五  共犯関係成立の範囲
被告人加藤の弁護人は、「被告人加藤は、被告人金の昭和五三年分及び昭和五四年分の所得全体の内容、金額を知らず、かつ、被告人金の過少申告行為にも関与しなかったから共同正犯に問われる筋合いはない。」旨主張する。
しかし、被告人加藤は、前示のとおり被告人金の株式取引に関与した者として、その取引に関する事業所得の内容・金額については大半これを認識していて、しかも前記共謀を遂げているのであるから、その事業所得に関する所得税逋脱の共同正犯として責任は免れないところである。そして、この事業所得の逋脱は、被告人金の昭和五三年分及び昭和五四年分のその他の所得の逋脱行為と共に一個の所得税逋脱罪を構成するものと解されるから、情状は別としても、被告人加藤が一罪たる右各年分の所得税逋脱罪の全体について共同正犯として責任を負うことは止むを得ないところである。また、被告人加藤が被告人金の虚偽過少申告行為そのものに関与しなかったことは所論のとおりであるが、被告人加藤は、前記共謀により被告人金の所得税を免れるため、共同意思の下に所得秘匿工作の重要部分を分担し、もって被告人金の虚偽過少申告行為と相まってその目的を遂行したものといえるから、被告人加藤は共同正犯の責任を免れない。弁護人の主張は採用できない。
第六  株式売買益の課税要件について
――売買回数の判定基準――
ところで、所得税法九条一項は、非課税所得の範囲を規定するなかで、有価証券の譲渡による所得のうち、「継続して有価証券を売買することによる所得として政令で定めるもの」については課税所得とする旨を規定している(十一号イ)。これを受けて、所得税法施行令二六条一項は、「法第九条第一項第十一号イ(非課税所得)に規定する政令で定める所得は、有価証券の売買を行なう者の最近における有価証券の売買の回数、数量又は金額、その売買についての取引の種類及び資金の調達方法、その売買のための施設その他の状況に照らし、営利を目的とした継続的行為と認められる取引から生じた所得とする。」と規定して、営利を目的とした継続的行為と認められる取引から生じた所得が課税所得に含まれるとし、同時にその認定基準を例示している。更に、同条二項は、「前項の場合において、同項に規定する者のその年中における株式又は出資の売買が次の各号に掲げる要件に該当するときは、その他の同項に規定する取引に関する状況がどうであるかを問わず、その者の有価証券の売買による所得は、同項の規定に該当する所得とする。」とし、その要件として「一 その売買の回数が五十回以上であること。二 その売買をした株数又は口数の合計が二十万以上であること」を掲げている(なお、租税特別措置法関係については本件に直接の関連がないので省略する。)。
そのうち、売買の回数について、まず、被告人金の弁護人は、「本件課税の形式的基準である年五〇回の回数の解釈については、昭和五六年六月二九日の東京地方裁判所判決にも示されているように、国税庁長官通達に依拠することなく、委託者と受託者との委託契約ごとに、それぞれ一回と判定すべきものとするのが相当であるから、被告人金のなした一括注文が、数回にわたり場に出て売買された場合を、数回として計算している本件については、これを見直してみれば、その回数は相当減少されるべきものがあり、この点も情状において酌量されることのできる一面となり得るし、また、被告人金が被告人加藤に誘われて株式売買を開始した昭和五二年一二月一二日以降の取引は、その八割が同一の株数、同価格で、同時に売り、買うという、いわゆるクロス売買であり、このクロス売買は実質的には建て玉の継続を意味するので、その売買は取引回数上無視することもできる。」などと主張する。また、被告人加藤の弁護人は、「その売買回数計算は、当初の委託契約の個数(回数)によるべきであり、委託契約の個数(回数)は個々の委託契約の趣旨によって具体的に判定すべきものである。同一銘柄を大量に取得するために、買付けに際し、何回に分けて実行しようと、また大量の買付けによる株価の高騰を防ぎ、指し値の範囲内で買付けを執行するための手段として、所謂『冷し玉』としてなす売付けも、当初の買付委託の趣旨に当然包含されているものと認められ、総べて一回の株式取引とするのが相当である(東京地裁昭和五六・六・二九判決)との認識のもとに株式取引に当たっていた。」、「被告人加藤は、仕手株取引として、大量の株式を集中的に取引しているが、特定の顧客から委託を受けてした取引においては、取引銘柄の数も比較的少なく、その上、最初から、一括して何万・何十万株の取引を行う意図で、一個の契約としての認識のもとに取引を行っていたのであるから、被告人の認識した回数としては、一口座につき、三、四回の認識しかない。」などと主張する。
そこで検討するに、右施行令二六条二項にいう「その売買の回数」のうち、「売買」とは、有価証券の売買契約の成立をいい、その売買が有価証券市場でなされる場合には、有価証券の売付けの注文と買付けの注文が出合って約定すなわち取引が成立したことをいうと解するのが相当であり、証券会社に委託して株式の売買を行ったからといって、これを別異に解すべき理由はない。ただ、その回数の判定に当たっては、課税の公平を期する見地から、有価証券市場の取引が有する特異性を考慮に容れる余地がないとはいえない。
ところが、この売買回数の判定基準に関する国税庁長官制定の所得税基本通達九―一五は、「証券会社に委託して行った株式又は出資の売買の回数」との見出しで、「証券会社に委託して株式又は出資の売買を行った場合(売買の別、銘柄、数及び価格の決定を証券会社に一任して自己の計算において行った場合を除く。)における令第二六条第二項第一号((有価証券の継続的取引から生ずる所得の範囲))に規定する当該株式又は出資の売買の回数は、証券会社が当該委託に基づき行った取引に係る銘柄数又は取引回数のいかんにかかわらず、証券会社との間の委託契約ごとにそれぞれ一回とし、当該委託契約に基づき証券会社が行った最初の取引の日の属する年分の売買回数に算入する。この場合において、当該委託契約の内容につき重要な要素の変更が行われたときは、当該変更の時において別個の委託契約が締結されたものとする。」とし、その(注)1において、「当該株式又は出資の売買が証券会社との間の一の委託契約に基づいて行われたものであるかどうか明らかでない場合には、証券会社から交付を受けた売買報告書に記載されている取引ごとに一回とする。ただし、同一銘柄につき同一日付で交付を受けた売買報告書が二以上ある場合においては、その日の当該銘柄に係る取引は、売買報告書の数のいかんにかかわらず、売付け又は買付けの別にそれぞれ一回とすることができる。なお、証券会社との間の一の委託契約に基づいて行われたことが明らかである場合の売買とは、例えば、委託の際に証券会社から交付を受けた注文伝票総括表に記載されている内容に従って行われた売買をいう。この場合において、当該注文伝票総括表に記載されている銘柄に係る取引が二回以上にわたって行われた場合の当該銘柄に係る売買報告書には、その内出来である旨の表示がされることになっていることに留意する。」とし、また(注)2において、「売買の別、銘柄、数及び価格の決定を証券会社に一任して自己の計算において有価証券の取引(売買一任勘定取引)を行った場合には、その委任に基づき証券会社が行った売買に関する取引の成立ごとにそれぞれ一回とする。」としている。これが前示のように市場取引の有する特異性を回数判定の基準に採り入れたものであれば、それなりの意義を認めるにやぶさかでない。しかし、右の通達がいわゆる売買一任勘定取引の場合には、その委託に基づき証券会社が行った売買に関する取引の成立ごとにそれぞれ一回とするとしていることからみて、証券会社に委託して株式の売買を行う場合は、売買一任勘定取引でない限り、施行令二六条二項にいう「五〇回以上」とは、常に、売買自体の回数ではなく、委託者たる顧客と受託者たる証券会社との間に締結された「委託契約の個数(回数)」によると読み替えてしまっているように受け取れる。もし、そうだとすれば、所得税法の委任に基づき制定された政令の規定がありながら、通達という国税庁部内の事務運営指針でもって別の運用を行っているのではないかとの懸念が生ずる。有価証券市場における取引の成立は、委託者、約定成立の日(時)、売買の別、銘柄、その数及び価格等によって特定され、これが異なれば回数もまた別となる。前述したように、市場取引の特異性を考慮するとしても、せいぜい、同一銘柄につき同時注文でありながら市場の需給関係から成約が数回に分かれたような場合を社会通念上一回の売買として扱えば足りよう(これとて、注文に包括委任性があったればこそ複数の成約が可能となるのであるが、包括委任の典型である売買一任勘定取引の場合との均衡からいえば、右の場合でも売買の回数を一回としなければならない必然性は少ない。)。施行令二六条二項の規定は判定基準として極めて明確であり、多義的で解釈が分かれるような余地は少ない。営利の目的で継続的に行う有価証券取引の大半は有価証券市場で行われるのであり、施行令二六条二項も、おそらくはこのことを念頭に置いたうえで、同条一項の実質的要件の立証の困難を補完するため、あえて形式的基準を設けたものとみられるから、判示基準の形式性・明確性は立法技術としてむしろ当然のものといえる。それにもかかわらず、右通達が委託契約の個数という判定に曖昧さを残し立証の困難を伴う基準でもって運用していることは理解に苦しむところであり、それだけではなく、更に個数判定のために「注文伝票総括表」を持ち込んだことは、複数回の売買までも一回とみなす場合のあることを容認し、通達によって非課税の範囲を不当に拡大することになり兼ねず、売買一任勘定取引との間でも負担の公平を失することになる。また、「注文伝票総括表」を利用する者の方が、散発的に発注する者よりも税負担を免れる場合が多くなり、ここでも課税の実質的公平が損なわれるおそれが生ずる。要するに、「注文伝票総括表」を回数判定の基準とする合理的根拠は少ないのであって、その意味で所論援用の東京地裁判決の説示するところは首肯できないではないが、さりとて、同判決のいうように、「委託者と受託者間の契約意思内容如何によって」委託契約の個数を判定すべきであるとするのは、調査・立証の個別化をもたらし、折角施行令が形式的で明確な判定基準を設けた趣旨から更に遠ざかるものであって、大規模かつ大量に行われている取引のなかから、公平・簡素かつ正確に課税案件を選別しようとする法の趣旨を没却するものであり、到底賛同することができない。なお、弁護人は、株式売買による所得が原則として非課税であることを強調し、この見地から売買回数の判定も厳格に行うべきであると主張する。しかし、有価証券譲渡益に対する課税については、立法の歴史をみても、課税を原則としていた時期もあるのであって、所得税課税制度の基本理念から非課税が原則であるとは到底思われず、課税の是非、その範囲は立法政策の問題であり、法が一定の範囲で課税を決定した以上、その法文の解釈は税法一般の解釈原理によるべきであって、原則非課税を考慮するとしても、それを理由として課税範囲を不当に減縮し、あるいは一定の場合だけ特別の扱いとすることは相当でなく、まして行政庁が納税者に有利になるとはいえ、一部の者に対してだけ通達によって法の精神を没却するような運用をすることは租税法律主義の見地からも許されない。
そこで、本件事案に則してみるに、被告人金が被告人加藤を通して行った株式売買のうち、黒川木徳証券の仮名口座によるものについては、売買の別、銘柄、数及び価格等の決定を証券会社に一任して自己の計算において行ったものと認められるから、たとえ財団法人日本証券業協会所定の形式を履践していないものであるとしても、実質は売買一任勘定取引というべきであり、前記通達によるとしても、市場における取引の成立ごとに回を数えることになって、回数認定の結論に変わりはない。その余の分を含め、本件のすべてについて、検察官は、右通達の(注)1に従った計算をしており、むしろ納税者側に有利な回数判定となっているが、いずれにしても、被告人加藤の関与する取引分だけで売買の回数が優に五〇回以上となることは多言を要しないところである。そして、前示認定の事実関係によっても、被告人両名が回数判定の基礎となる事実関係を概括的にしろ認識していたことは明らかであり、そこに無知誤解があるとしても、せいぜい回数判定に関する法律の錯誤の範疇に属するものであって、いずれにしても、回数の判定に関して、被告人両名の犯意を阻却すべき事情は見当たらない。
弁護人らの主張は採用できない。
以上要するに、売買の回数の判定は、証券会社に委託して株式の売買を行う場合にも、売買一任勘定取引によるか否かは問わず同様に、原則として、その委託に基づき証券会社が行った売買に関する取引の成立ごとにそれぞれ一回と数えるのが相当である。所論が例示する「冷し玉」や「クロス売買」などは、当然回数を異にするものというべきであり、こうした売買手法は営利を目的として継続的に取引をする者にこそ多く見受けられるところであって、このように解することがむしろ法の趣旨にも適うものというべきである。
第七  その他
その他被告人両名の弁護人の主張に鑑み、証拠関係を検討考究しても、判示の認定・判断を覆すべき事由は見出せない。
第四章  法令の適用
被告人両名の判示第一章第二節罪となるべき事実の第一及び第二の各所為は、いずれも、行為時においては、刑法六〇条(被告人加藤暠については更に同法六五条一項)、昭和五六年法律第五四号による改正前の所得税法二三八条一項に、裁判時においては、刑法六〇条(被告人加藤暠については更に同法六五条一項)、右改正後の所得税法二三八条一項にそれぞれ該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときに当たるから、いずれも刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、被告人金丞泰については、いずれも所定の懲役刑と罰金刑とを併科し、かつ、各罪につき情状により所得税法二三八条二項を適用することとし、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第二の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により各罪の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人金丞泰を懲役一年二月及び罰金一億円に処し、同法二一条を適用して末決勾留日数中一二〇日を右懲役刑に算入し、同法一八条により右罰金を完納することができないときは金二〇万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置することとする。被告人加藤暠については、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人加藤暠を懲役一年二月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中同刑期に満つるまでの日数を右刑に算入する。
なお、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、証人笹井政夫に支給した分は、これを被告人金丞泰に負担させることとし、証人小野明廣(明広)、同大澤秀夫、同渡辺新太郎、同能勢次郎、同後藤承行、同高橋雄及び同中沢栄二に支給した分は、これを被告人加藤暠に負担させることとする。
第五章  量刑の事情
第一  総括
本件は、黒川木徳証券の証券外務員であるとともに、誠備グループを主宰する被告人加藤と、その直接顧客の一人で、株式の売買等を業とする被告人金の両名が、共謀のうえ、二年にわたり被告人金の所得につき、その株式売買益を中心に巨額の脱税をしたという事案である。その手口は株式売買につき仮名口座を分散開設し、これによる仮名取引を行うなどして莫大な利益を挙げながら、これにより得た所得の全部を秘匿したほか、被告人金は不動産所得等の大半を除外するなどした悪質なものである。その結果、被告人金において、昭和五三年分につき所得金額で三億八六〇〇万円余、税額で二億七八〇〇万円余を逋脱し、昭和五四年分につき所得金額で六億〇六〇〇万円余、税額で四億四二〇〇万円余を逋脱したもので、二年分合計の逋脱所得金額は九億九三〇〇万円余、逋脱税額は七億二〇〇〇万円余の巨額に達している。
もとより、株式売買益の課税については弁護人指摘のような問題があり、この点に関する当裁判所の見解が前示のとおりであるとしても、当時なお他の種類の所得に比べ、納税に消極的な向きのあったことを否定することはできないが、それにもおのずと限度があり、本件のような大規模脱税が看過されてよいいわれはなく、仕手戦なるものも脱税を正当化するものではない。
第二  被告人金について
そこで、まず申告・納税の責務を有する被告人金についてみるに、各年分の申告税額は、昭和五三年分が二一万〇一〇〇円、昭和五四年分が三九万二五〇〇円にしか過ぎず、その申告率は、昭和五三年分〇・〇七五パーセント余、昭和五四年分〇・〇八八パーセント余と、いずれも〇・一パーセントにも満たない低率である。加えて、前示にもあるように、被告人金は不動産など相当の資産を保有するに至りながら、その供述するところによれば、昭和五二年までは年間で一〇万円以下の所得税しか納付していないというのであり、昭和五二年に調査を受け、貸金業に関する利息を修正申告する羽目となったが、翌五三年分について抜け抜けとまた貸金業の利息収入を申告から除外しているのであって、被告人金の納税軽視の態度は過去から一貫し、かつ所得全般に及び、単に株式売買に伴うものに限定されているものではなく、厳しく非難されなければならない。また、弁護人は仮名取引の動機に関し、知人等に自己が株式売買をしていることを知られたくなかったことや仕手戦の秘密保持などの諸事情を挙げているが、税の申告自体は知人等に知られずにできるのであって、このような弁解は、正しい申告・納税をしていて初めて成り立つものともいえるのである。しかも、被告人金は、本件発覚後、修正申告による納税に際しても、その所有する株式の一部を売却するだけで賄える程であったのに、それをせず、そのまま継続して持ち続けたというものであり、納税軽視の態度は顕著である。弁護人は、被告人加藤の逮捕等により株価の暴落により多額の損害を被ったことから納税資金等を無くしたもので、この損失を量刑にあたり考慮すべきである旨主張する。このような損失は犯行後の事情とはいえ量刑上考慮するにやぶさかでないが、これも納税資金を留保しておく等、納税のための準備を何ら行わないで、売買益をそのまま株式売買に振り向けていたところ、その思惑が外れて暴落し、納税資金さえ無くしたというだけのことである。それでも、こうした暴落、損失の事態が、遅くとも、本件係争年次の翌年である昭和五五年三月一五日の申告納付期限の直前までに生じたというのであればまだしもであるが、被告人加藤の逮捕がきっかけとなった暴落は、それよりも更に一年後の昭和五六年二月のことであり、昭和五五年五月には東京国税局の強制査察を受け、修正申告までしているのであるから、その間、売買益をより確実なものにして、納税資金を調達することができたはずである。もとより、こうした事情はすべて犯行後のことであるが、株価の暴落、損失の発生を量刑上考慮する反面において、看過できないものといえる。被告人金は、納税よりも被告人加藤との仕手戦を優先させたのであり、これも結局は自らの利益につながるものといえる。
しかしながら、他方、本件については、被告人加藤にも一半の責任があることは否定できないうえ、被告人金は、自己の非を捜査段階から認め、当公判廷においても再びこのような犯行には及ばない旨述べていること、本件につき修正申告をしたうえ、一部納付を了し、その余についても今後努力する旨述べていることなど改悛の情のみられること、また、修正申告後、手持株を売却して納税に充てようとしたが、もとより被告人金自身の選択とはいえ、被告人加藤から関係株の売却を差し止められたことで税額の一部支払に止め、売買益もほとんど株式の新規取得に向けられていたところ、前示のように、昭和五六年に至り、その所有株が大暴落を来し、これにより多額の損失を被るなどしたこと、相当の資産が差し押さえられていて今後の納税が期待できる状況にあること、その他、相当期間勾留されていたこと、前科前歴のないこと、病妻のいる家庭の状況等斟酌すべき事情が認められる。しかし、前示のような諸事情に鑑みると、その他有利な事情の一切を考慮しても、被告人金に対しては、主文程度の実刑は止むを得ないものと思われる。
第三  被告人加藤について
被告人加藤にあっても、前示のように自らの所得税に関する納税態度も芳しくないうえ、株式の売買益については当初から納税についての自覚がなく、脱税目的もあって、被告人金の仮名口座の分散開設に関与し、それを自己の管理運用下に置き、これらを操り、頻繁に株式売買を行い、それらの口座で得た利益も、直ちに株式取引に振り向け、自己の企図する株価を上昇させるために被告人金の資金を利用したもので、これら被告人加藤の管理運用した口座にあっては、口座及び資金は被告人金のものとはいえ、むしろ被告人加藤が実質的当事者として振る舞っていたのであって、被告人加藤が主、被告人金が従であったものといえないではない。被告人加藤は、脱税の手段たる重要部分を積極的に担当したのみならず、右脱税によって自己の企図する仕手戦ひいては株価上昇の目的を有利に展開させるなどして利益を得ているのである。そして、被告人金が査察を受けた後、修正申告書を提出し、その納税資金調達のために丸善株や宮地鉄株の売却につき被告人金から相談を受けた際にも、被告人加藤は自己の企図を優先させ、多額の脱税が白日下にさらされていたにもかかわらず、なお自分らだけよければ良いという考えで、自己らの利益を納税義務に優先させて反対し、結局、脱税分の納税は一億円余の納付をみただけで、その余は未納となっているが、その責任の一半は、右丸善株等の売却に反対した被告人加藤にもあるといえる。このようにして、被告人加藤の犯情も甚だ芳しくない。
他方、本来の納税義務者は被告人金であって、被告人加藤ではなく、逋脱所得のなかには、被告人加藤が事実上知らない部分もあること、相当期間勾留されていること、その他前科前歴のないこと等斟酌すべき事情も認められる。しかし、前示のような犯情に鑑みると、その他有利な事情の一切を考慮しても、被告人加藤に対しても、主文程度の実刑は止むを得ないものと認められる(求刑 被告人金につき懲役一年六月及び罰金二億円、被告人加藤につき後記被告事件と併せ懲役三年六月及び罰金八億円)。
第二部  被告人加藤暠の所得税に関する逋脱事件
第一章  公訴事実と争点及び審理経過の概要
第一  審理冒頭段階の訴因事実とその内訳
一 起訴状記載の公訴事実
本件の公訴は、昭和五六年四月一五日に提起されたものであるが、その起訴状記載の公訴事実は、「被告人加藤暠は、黒川木徳証券株式会社歩合外務員であるかたわら営利の目的で継続的に株式売買を行っているものであるが、自己の所得税を免れようと企て、右株式売買を法人名義又は他人名義で行う等の方法により所得を秘匿した上
第一 昭和五三年分の実際総所得金額が九億六一一〇万九七五二円あったのにかかわらず、同五四年三月七日、東京都中央区日本橋堀留町二丁目六番九号所在の所轄日本橋税務署において、同税務署長に対し、同五三年分の総所得金額が八七四六万七〇四二円であり、これに対する所得税額が三六二二万九九〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額六億九一一六万二一〇〇円と右申告税額との差額六億五四九三万二二〇〇円を免れ
第二 昭和五四年分の実際総所得金額が二四億四七〇七万七七九二円あったのにかかわらず、昭和五五年三月一四日、前記日本橋税務署において、同税務署長に対し、同五四年分の総所得金額が二億三七八八万六六六一円であり、これに対する所得税額が一億二四一一万八〇〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額一七億八〇六七万三七〇〇円と右申告税額との差額一六億五六五五万五七〇〇円を免れたものである。」というのである。
二 起訴状の訂正
検察官は、昭和五六年五月二一日の第二回公判期日において、同日付け起訴状訂正申立書に基づき、起訴状記載の公訴事実のうち、第一については、実際総所得金額を「九億六〇八〇万九六五二円」に、正規の所得税額を「六億九〇九三万七一〇〇円」に、申告税額との差額を「六億五四七〇万七二〇〇円」に、第二については、実際総所得金額を「二三億九五六一万五六〇二円」に、正規の所得税額を「一七億四二〇七万七二〇〇円」に、申告税額との差額を「一六億一七九五万九二〇〇円」にそれぞれ訂正したうえで、起訴状朗読の手続を終えた。
三 公訴事実の内訳
本件係争年次分の逋脱所得の内訳及び根拠については、検察官の主張にも変遷がみられるところであるが、当初検察官が昭和五六年五月二一日付け冒頭陳述書で明らかにしたところによれば、「被告人加藤は、黒川木徳証券の証券外務員の業務に従事するかたわら、黒川木徳証券本店及び三洋証券新宿東口支店に、次のように、三二の株式取引の口座を開設し、その名義で株式の売買を行って売買益を挙げ、これは雑所得として、所得税法九条一項一一号イ、同法施行令二六条により課税対象となることが明らかであったにもかかわらず、その両年次の所得につき、日本橋税務署長に対し、外務員報酬(事業所得)だけについて所得税の確定申告をし、右株式売買益(雑所得)については全く申告しないで所得税を逋脱したものである。」というにある。そして、右の三二の口座とは
〈表1〉
のほか、〈表2〉
であり、また、その株式売買回数、株式売買株数、株式売買益は、〈表3〉
であり、その株式売買回数の口座別内訳は、〈表4〉
である。また、被告人加藤は、昭和五三、五四の両年において次のとおり、証券金融業者から借り入れて右の株式売買の原資を賄っており、そのため借入れの利息を支払っている。そのうち、黒川木徳証券のあっ旋による借入れ分が〈表5〉
であり、それ以外の借入れ分が、〈表6〉
であって、その合計は、
借入金 三六八億五一四四万円
支払利息 昭和五三年分 三億〇七〇七万五六〇二円
昭和五四年分 七億三七〇七万五六五〇円
である。
従って、以上を総括して、被告人加藤の所得につき修正損益計算書を作成すると、昭和五三年分が、〈表7〉
となり、昭和五四年分が〈表8〉
となる。また、逋脱税額計算の内訳は、昭和五三年分が〈表9〉
となり、昭和五四年分が〈表10〉
となる、などというのである。
表1

証券会社 口座名
黒川木徳証券本店 中村有商事(株)
(株)誠備
森下商事(株)
コスモ(株)
永井学園
(株)招徳
田河靖正
田久保利幸
(株)高森
(株)アール・ヌーボ
三洋証券
新宿東口支店
田河靖正
コスモ(株)

表2

証券会社 口座名
黒川木徳証券本店 建設グループ 西内稔
細川正彦
田尾稔
岩崎進
下向昭次
玉屋正行
阿比留省吾
手塚孝雄
大原亮一
林武治
松永和郎
島野栄吉
故島邦宏
福島茂美
深見尚
山本日吉
仲田賢作
鈴木邦寿
原井正
工藤誠

表3

内訳 株式売買回数(回) 株式売買株数(株) 株式売買益(円)
年次
昭和53年分 1,025 60,524,000 1,180,418,212
昭和54年分 1,531 146,276,000 2,894,804,591
合計 2,556 207,001,000 4,075,222,803

表4

区分 株式売買回数(回)
口座名 53年分 54年分
黒川木徳証券
本店
中村有商事(株) 69 5
(株)誠備 384 14
森下商事(株) 9 ―
コスモ(株) 143 375
永井学園 114 201
(株)招徳 196 387
田河靖正 45 48
田久保利幸 ― 82
(株)高森 ― 122
(株)アール・ヌーボ ― 2
建設グループ 54 295
三洋証券
新宿東口支店
田河靖正 1 ―
コスモ(株) 10 ―
合計 1,025 1,531

表5

金融業者 借入名義 借入金合計(円) 支払利息(円)
53年分 54年分
大阪証券信用(株) 中村有商事(株) 1,394,000,000 38,336,580 ―
森下商事(株) 534,000,000 3,763,200 23,538,865
(株)誠備 1,425,000,000 37,108,450 22,197,550
コスモ(株) 3,960,000,000 23,356,450 66,700,025
永井学園永井和子 700,000,000 ― 21,983,575
(株)招徳 2,125,000,000 ― 55,003,500
(株)高森 1,130,000,000 ― 31,119,950
(株)アール・ヌーボ 325,000,000 ― 2,115,750
田河靖正 160,000,000 ― 2,057,280
田久保利幸 255,000,000 ― 12,410,000
大阪証券代行(株) (株)誠備 3,220,000,000 26,485,300 16,841,300
(株)招徳 989,000,000 ― 9,841,640
田久保利幸 510,000,000 ― 6,470,000
(株)セントラル・ファイナンス (株)誠備 2,040,000,000 36,281,050 25,323,800
コスモ(株) 995,000,000 1,760,400 11,695,400
田河靖正 120,000,000 ― 2,702,380
田久保利幸 30,000,000 ― 1,310,400
(株)高森 670,000,000 ― 10,011,700
総合ビジネス(株) (株)誠備 2,030,000,000 9,480,600 18,394,350
東一興産(株) (株)アール・ヌーボ 1,000,000,000 ― 9,040,000
昌栄実業(株) (株)誠備 625,000,000 11,405,960 7,275,780
(株)招徳 105,000,000 ― 5,500,900
(株)高森 (株)アール・ヌーボ 200,000,000 ― 269,700

表6

金融業者 借入名義 借入金合計(円) 支払利息(円)
53年分 54年分
東京証券短資(株) 加藤資久 2,075,400,000 61,829,340 71,670,680
磯辺明 760,000,000 ― 51,422,840
(株)アール・ヌーボ 500,000,000 ― 4,725,000
伸幸商事(株) 村野喬 2,745,700,000 ― 26,251,585
石原旭 465,500,000 10,134,315 10,664,700
森下商事(株) 加藤暠 2,184,840,000 25,221,259 41,438,000
松本祐商事(株) 加藤暠 2,200,000,000 ― 107,400,000
中村有商事(株) 山藤正 272,390,000 5,673,036 14,222,670
金子秀一 190,140,000 3,307,399 9,572,200
藤木安二 425,570,000 3,554,849 14,225,695
高橋秀二 234,670,000 5,725,534 14,933,600
中川重三 255,230,000 3,634,980 8,744,835

表7
加藤暠
自昭和53年1月1日
至昭和53年12月31日

借方 勘定科目 貸方
差引修正
金額
当期増減
金額
公表金額 公表金額 当期増減
金額
差引修正
金額

円 円 円 ○(事業所得) 86,226,324円 円 86,226,324円


○(雑所得)
①株式売買益   1,180,418,212 1,180,418,212
307,075,602 307,075,602   ②支払利息
③身元保証金利息 1,240,718   1,240,718
874,583,328 873,342,610 1,240,718 ○雑所得

1,181,658,930 1,180,418,212 1,240,718 ○合計 1,240,718 1,180,418,212 1,181,658,930



○(総所得)
○事業所得 86,226,324   86,226,324
○雑所得 1,240,718 873,342,610 874,583,328
960,809,652 873,342,610 87,467,042 ○総所得金額

960,809,652 873,342,610 87,467,042 ○合計 87,467,042 873,342,610 960,809,652

表8 修正損益計算書
加藤暠
自昭和54年1月1日
至昭和54年12月31日

借方 勘定科目 貸方
差引修正
金額
当期増減
金額
公表金額 公表金額 当期増減
金額
差引修正
金額

円 円 円 ○(事業所得) 235,788,534円 円 235,788,534円


○(雑所得)
①株式売買益   2,894,804,591 2,894,804,591
737,075,650 737,075,650   ②支払利息
③身元保証金利息 2,098,127   2,098,127
2,159,827,068 2,157,728,941 2,098,127 ○雑所得

2,896,902,718 2,894,804,591 2,098,127 ○合計 2,098,127 2,894,804,591 2,896,902,718



○(総所得)
○事業所得 235,788,534   235,788,534
○雑所得 2,098,127 2,157,728,941 2,159,827,068
2,395,615,602 2,157,728,941 237,886,661 ○総所得金額

2,395,615,602 2,157,728,941 237,886,661 ○合計 237,886,661 2,157,728,941 2,395,615,602

表9 (単位 円)

項目 53.1.1~53.12.31
実際額 申告額 逋脱額
1 事業所得 86,226,324 86,226,324 0
2 雑所得 874,583,328 1,240,718 873,342,610
3 総所得金額 960,809,652 87,467,042 873,342,610
4 社会保険料控除 270,480 270,480 0
5 生命保険料控除 50,000 0 △50,000
6 配偶者控除 290,000 290,000 0
7 扶養控除 640,000 290,000 △350,000
8 基礎控除 290,000 290,000 0
9 課税総所得金額 959,269,000 86,326,000 872,943,000
10 所得税額 705,211,750 50,504,500 654,707,250
11 源泉所得税額 14,274,600 14,274,600 0
12 納付税額 690,937,100 36,229,900 654,707,200

表10 (単位 円)

項目 54.1.1~54.12.31
実際額 申告額 逋脱額
1 事業所得 235,788,534 235,788,534 0
2 雑所得 2,159,827,068 2,098,127 2,157,728,941
3 総所得金額 2,395,615,602 237,886,661 2,157,728,941
4 社会保険料控除 270,480 270,480 0
5 生命保険料控除 50,000 0 △50,000
6 配偶者控除 290,000 290,000 0
7 扶養控除 690,000 290,000 △400,000
8 基礎控除 290,000 290,000 0
9 課税総所得金額 2,394,025,000 236,746,000 2,157,279,000
10 所得税額 1,781,278,750 163,319,500 1,617,959,250
11 源泉所得税額 39,201,500 39,201,500 0
12 納付税額 1,742,077,200 124,118,000 1,617,959,200

第二  被告事件に対する被告人加藤側の認否と意見
本件被告事件に対する被告人加藤の認否と意見は、第二回公判期日(56・5・21)で陳述されているが、要するに、「脱税した覚えはない。顧客のために架空名義を使って株式の売買をしたことはある。しかし、顧客の名前や実態は言いたくない。そのため自分の無実が立証できず、有罪となっても仕方がないと思う。検察官による脱税金額の算出方法は、実態から程遠い、いい加減な売買伝票を単に銘柄別に意図的につなげただけのもので、真実を伝えるものではない。例えば、買い株数と売り株数は等しくなるのが普通であり、買い株数が売り株数よりも多ければ在庫にあるはずなのに、在庫は全くないが、そのことに触れられていない。誰がいつ、どの位の金額で、どの口座で、何の銘柄を売買し、その代金をどうしたのかを詳かにしなければ、真実は明らかにされない。検察官が有罪の理由として主張・立証するところは根拠に乏しい。」などというのである。そして、弁護人の意見も、被告人加藤の意見を援用するものである。以上を要約すると、
(イ) 検察官が被告人加藤の取引口座として主張する三二口座は、被告人加藤が顧客の取引に利用した口座であり、その意味では架空名義の口座ともいえるのであるが、三二の口座の株式取引から生ずる所得は被告人加藤にでなく、顧客に帰属する。
(ロ) 検察官の脱税金額算出方法は、三二口座の取引に関する売買伝票を集約して行ったものに過ぎず、しかも、三二口座内の売り株数と買い株数に不一致があるのに、これを無視した不当なものである。
というものと思われる。
第三  検察官の当初の立証方針と証拠方法
一 当初争点とされていたところ
被告人加藤の認否・意見によっても明らかなように、検察官主張のような三二の取引口座が開設されていて、そこでの株式取引を集計すると、概ね検察官主張のような売買回数、売買株数となること、検察官主張のような借入名義で借入れがなされ、利息が支払われていること、被告人加藤は、昭和五三、五四年の両年次とも、所得税の確定申告をしていながら、株式売買益については全く申告していないことなどについては、被告人加藤の側も争いのないところである。そこで、本件の争点は、三二口座の株式取引から生ずる所得の帰属とその所得金額の確定という二点に集約され、後者は前者の解明を前提とするとみられたことから、前者たる第一点の所得の帰属が攻防の中心となった。すなわち、三二口座における株式取引は誰のものとしてなされたのかが主題となって証拠調が開始された。
なお、株式売買益の算出については、検察官は、収税官吏倉田薫作成の売買株数調査書、同石添亨作成の株式売買回数調査書、同倉田薫作成の株式売買益調査書及び同じく同人作成の借入金・支払利息調査書等を請求し、被告人加藤の側も、第三回公判期日(56・6・1)において、証拠とすることに同意している。
二 検察官主張の所得の帰属を推認させる事情
最大の争点である三二口座の株式取引から生ずる所得の帰属について、被告人加藤は、捜査段階でも否認していたところであるため、検察官の立証は、主として情況証拠によるものであった。その根拠として、検察官が冒頭陳述で主張するところを要約列挙すると、
(イ) 三二口座での株式取引は、これら口座の名義人である法人や個人には帰属しないこと
(ロ) 被告人加藤は、自ら株式取引を行い、相当の利益を挙げていることをごく親しい知人には漏らしていたこと
(ハ) 三二口座での株式取引は、被告人加藤の直接担当している顧客の口座での取引と対比した場合、
① 被告人加藤だけの意向で開設され、被告人加藤の仕手戦に利用されている
② 被告人加藤は、黒川木徳証券の担当者に一括して注文し、各口座への振り分けも担当者に一任していた
③ 被告人加藤の指示により、借入金を含め資金の出入りにつき各口座間でプール計算が行われていた
④ 顧客のものと異なり、被告人加藤において自ら資金を調達する必要があるため、黒川木徳証券の担当者から日々の売買代金の合計、借入金の動き等を報告させていた
⑤ 仕手戦の買い上がりや高値維持という危険の伴う段階で頻繁に使用されていた
ことなどの特異性がみられること
(ニ) 三二口座の株式取引の原資は、すべて被告人加藤自身の借入金のほか、黒川木徳証券から支払われる歩合手数料報酬の一部によって賄われていたこと
(ホ) 取引に使った借入金の戻り利息が被告人加藤の個人用とされている加藤暠名義の普通預金口座に入金されており、その後手張りの発覚を恐れ、仮名の清水誠名義の普通預金口座を開設して戻り利息の入金に利用していること
(ヘ) 被告人加藤は、三二口座の一部の名義でなされた借入金の返済のため、自ら金策に奔走していたこと
(ト) 三二口座のなかで買い付けた宮地鉄株が被告人加藤自身に帰属することを隠蔽しようとしたこと
などである。
三 証拠方法
以上のような事実関係の立証は、主として人証によるものであり、被告人加藤の関係した投資顧問会社、証券会社、証券金融業者の関係者らが大半を占め、なかでも、黒川木徳証券の担当者であった前川元宏、向川英剛及び中嶋敏郎の三名の証言が中心となっていた。しかし、被告人加藤において三二口座の所得の帰属者であると主張する顧客については、当初その氏名すら明らかにされず、何らの立証も行われていなかった。
第四  検察官の立証の変遷
検察官の事実関係に関する主張は、当初の冒頭陳述でなされたものが固定されたまま審理の終盤を迎えたのであるが、立証については変遷がみられる。すなわち、第一九回公判期日(56・12・10)に至って、検察官は、約八〇点にのぼる証拠書類及び証拠物の取調を請求し、そのなかには従前の立証を補充するためのものも少なくないが(例えば、三二口座の株式取引の明細につき、担保の出入庫状況を含め日ごとに分類整理した宮澤和夫作成の回答書)、被告人加藤の直接顧客に関する名簿等の証拠物が初めて含まれていた。そして、検察官は、以後の公判期日でも補充立証を追加しつつ、その過程で、冒頭陳述で触れられていなかったものの、三二口座における株式取引のなかには、被告人加藤の直接顧客である日誠総業(株)に帰属する取引が含まれているが、これは所得計算上被告人加藤の取引から除外されていることを明らかにするとともに、それ以外には被告人加藤の直接顧客の取引が混入していることはないとして、取引の混入が疑われそうな、岩澤グループ、岸本グループ、財団法人全戦争受難者慰霊協会等には混入のないことにつき若干の立証を試みた。
第五  被告人加藤側の反論、主張、反証
一 被告人加藤の反論
被告人加藤は、検察側証人に対し自ら反対尋問を試み、また、証人尋問の直後に随時実施するなどした被告人質問の機会を捉えて、三二口座の株式取引から生ずる所得が被告人加藤に帰属するとした場合にみられる不合理性を指摘し、直接顧客の取引が相乗り混入していることを強調したが、その具体的氏名については、なかなか明らかにしようとしなかった。
二 弁護側の第一回目の冒頭陳述とその反証
1 被告人加藤の当初の弁護人であった蒲原大輔、小山利男及び山本眞養の三名は、第四四回公判期日(57・10・29)において冒頭陳述を行い、「三二口座の株式取引から生ずる所得が被告人加藤に帰属するものであるとすれば、そこでの買付け株と売付け株の株数や株券の記番号が一致していなければならないのに、その取引結果を集計した収税官吏倉田薫作成の株式売買益調査書(甲160)を検討すると、例えば、ラサ工株では莫大な売越しが、また、新電元株では、大量の買い残がそれぞれ認められるうえ、株券の記番号が一致して売買の対応が認められたものは、総買株数の一一・四パーセントにしか過ぎない。これらの現象は、現実の在庫残のないことからみて、三二口座外で買われたものが三二口座内で売られ、三二口座内で買われたものが三二口座外で売られたことを物語るものである。こうした不一致を内包する三二口座の取引ひいては右甲一六〇号証から、所得金額ないし税額を確定することは不可能であり、このことは、とりもなおさず、三二口座の株式取引が被告人加藤のものでないことを示すものである。」などというのである。
2 右の点に関する弁護人の反証は、コンピューターの専門業者の力を借りるものであって、その正確性に限度のあることを考慮に入れても、三二口座における買付株と売付株の株券の記番号や株数に不一致のみられることが、新電元株のほか、小松リフト株、昭和産株、旭光学株について明らかにされた。また、収税官吏倉田薫が甲一六〇号証の作成経過について証言したものの、弁護人指摘の点を十分に解明するに至らなかった。
三 弁護人の更迭と補充冒頭陳述
被告人加藤は、昭和五八年一月に入って、六日付けで弁護人蒲原大輔と同小山利男の両名を解任し、その後弁護人山本眞養も同年二月に辞任した。新たに選任された弁護人三宅秀明(58・1・12選任)及び同原島康廣(58・1・8選任)の両名は、第五一回公判期日(58・3・31)において、補充冒頭陳述を行い、公訴提起後二年目にして初めて被告人加藤側の主張の全貌が明らかにされた。すなわち、これによると、争点は、三二口座の株式取引より生ずる所得の「帰属」と「確定」の二点に大別され、
(イ) まず「帰属」については、被告人加藤の顧客には投資顧問会社関係の「会員顧客」と直接委託を受けて担当する「直接顧客」とがあり、この「直接顧客」の取引は一括委託契約の性質を有する売買一任勘定によってなされていたが、その委託契約のなかにも、ある程度制限されたものと、使用口座の選定まで被告人加藤に委任する包括的なものとがあり、三二口座は「直接顧客」のうち後者の包括的委託を受けた秘密会員ともいうべき複数の顧客のため、その計算において便宜的に使用された売買口座の一部である。こうした「直接顧客」は一〇〇人位で、一〇ないし一五グループに分けることができ、日誠総業(株)と岸本グループ(虎ノ門会)の二者のみ明らかにする。その管理は、被告人加藤の個人事務所である加藤事務所で行っていた。黒川木徳証券の担当者である前川元宏や向川英剛は以上のような実態を知りながら、黒川木徳証券の責任を回避するため、被告人加藤に責任を負わせる否定的証言をした。
(ロ) 次に、所得の「確定」については、三二口座は複数の顧客のための便宜口座であるから、検察官の立証をもってしては正確な所得金額は算出・確定できない。なお、その所得は所得税法上「雑所得」でなく「事業所得」である。
などというのである。
第六  審理後半における立証
弁護人の補充冒頭陳述がなされた後の証拠調は、そこで主張された、三二口座の売買益の帰属に関する新たな事実関係の存否が中心となった。そして、弁護人は、第五九回公判期日(58・6・30)において、補充冒頭陳述では明らかにしていなかった直接顧客の一人である石井進及びその関係者である伊藤明子らの証言を求め、同証人らに、「伊藤明子group」と題するメモ等(写)一袋に基づき株式取引状況等を証言させるなどして、直接顧客の取引が三二口座の取引に混入していることにつき立証を試みた。また、そのころから、被告人加藤は、直接顧客の一部について曖昧ながら供述を始め、第六六回公判期日(58・9・14)には、黒川木徳証券の担当者の一人である中嶋敏郎が作成していた直接顧客のグループ別名寄せ帳の写しが検察事務官の捜査報告書に添付されて提出され、以後直接顧客の主要なグループの株式取引状況を中心に証拠調が進められた。
なお、検察官は、昭和五八年一二月五日付け補充冒頭陳述書(その一)において、三二口座と約定、借入等何らかの形で関連すると思われる周辺口座の存在が窺われるので、こうした周辺口座の範囲と関連状況を明確にし、併せて三二口座にみられる売越し及び買い残の片商い取引分について、合理的推計方法による立証を行う旨主張し、弁護人の釈明(58・12・13付け釈明書)に対し、右の周辺口座における取引が被告人加藤に帰属するものであれば、当然所得計算に取り組む旨を明らかにした。これに対して、弁護人は、昭和五九年一月一一日付け意見書をもって、検察官の主張は明確性に欠けるばかりか、立証の範囲を新たに拡張し、被告人の防禦に実質的不利益をもたらすとともに、信義則に反し時機に遅れたものとして違法・違憲であり、検察官の公訴の提起と追行は公訴権の濫用であるなどと反論した。この反論に対して、更に、検察官は、昭和五九年一月一七日付け意見書でもって、検察官の主張・立証は弁護人の反証を踏まえ、検察官の立証の不十分であった点を補強しようとするに過ぎない旨を明らかにした。そして、実際にも、検察官の立証は、右の趣旨に沿うものであったといえる。
このほか、検察官は、昭和五八年一二月一三日付け補充冒頭陳述書(その二)において、三二口座の一部で取引がなされた株券の流れ等若干の各論的事実を新たに主張して、その立証を試みた。
第七  審理終盤における公訴事実の内訳
一 金額の訂正
検察官は、昭和五九年五月二九日付け訴因変更請求書により、「(一)公訴事実第一のうち、これまで実際総所得金額が『九億六〇八〇万九六五二円』とあるを『一〇億六四四九万二七九三円』と、正規の所得税額が『六億九〇九三万七一〇〇円』とあるを『七億六八六九万九四〇〇円』と、申告税額との差額が『六億五四七〇万七二〇〇円』とあるを『七億三二四六万九五〇〇円』と、(二)公訴事実第二のうち、これまで実際総所得金額が『二三億九五六一万五六〇二円』とあるを『二五億二一六〇万五三六三円』と、正規の所得税額が『一七億四二〇七万七二〇〇円』とあるを『一八億三六五六万九〇〇〇円』と、申告税額との差額が『一六億一七九五万九二〇〇円』とあるを『一七億一二四五万一〇〇〇円』とそれぞれ訂正する。」旨請求し、この請求は、昭和五九年六月二七日の第九八回公判期日で許可された。
なお、右請求に対しては、弁護人が昭和五九年六月二〇日付け意見書において違法不当を理由に却下すべきであるとしており、これに対し、検察官は、同月二一日付け意見書で反論を加えている。
二 金額訂正の理由
検察官は、昭和五九年四月二日付け補充冒頭陳述書(株式売買益)、同年五月二九日付け補充冒頭陳述書、同年六月二一日付け意見書において、「右金額の訂正が、前示甲一六〇号証中の大和工業(信用取引)、小松フォークリフト(現物取引)、合同酒精(現物取引)、ソニー(現物取引)、日本石油(現物取引)及び丸善(現物取引)に誤記、記入漏れ、転記誤り等のあったことと、三二口座で買い付けた丸善株を三二口座の一つである誠備の名義を使用して市場外で売却し、相対取引が行われているが、この市場外取引分が右検甲一六〇号証に記入漏れとなっていることに基づくものである。従って、右金額の訂正は、各年分とも雑所得の増加によるもので、被告人加藤の行った株式取引による利益の増加と、それに要した借入金の支払利息の増加(昭和五三年分)、減少(昭和五四年分)に伴い、金額に変更を生じたというものである。」旨説明した。
三 金額訂正後の公訴事実の内訳
金額訂正後の公訴事実の内訳は、検察官による前示の昭和五九年四月二日付け補充冒頭陳述書(株式売買益)、同年五月二九日付け補充冒頭陳述書のほか、同年四月二日付け補充冒頭陳述書(株式売買回数)に記載されており、その一部は論告で整理されている。これらによれば、被告人加藤に帰属する取引の株式売買回数、株式売買株数、株式売買益は、〈表11〉
であり、その株式売買回数の口座別内訳は、〈表12〉
であり、被告人加藤が昭和五三、五四の両年において株式売買の原資として証券金融業者から借り入れて、利息を支払っている状況は、黒川木徳証券関係のものが
〈表13〉
であり、黒川木徳証券関係以外のものが
〈表14〉
であって、その合計は、
借入金 三六九億七一四四万円
支払利息 昭和五三年分
三億七六六三万四一九二円
昭和五四年分
七億三〇二一万五九八五円
である。
従って、以上を総括して、金額に変更の生じた被告人加藤の雑所得につき修正損益計算書を作成すると、昭和五三年分が
〈表15〉
となり、昭和五四年分が〈表16〉
となる。また、逋脱税額計算の内訳は、昭和五三年分が〈表17〉
となり、昭和五四年分が〈表18〉
となる、などというのである。
表11

内訳 株式売買回数(回) 株式売買株数(株) 株式売買益(円)
年次
昭和53年分 1,029 61,788,000 1,353,659,943
昭和54年分 1,533 146,766,000 3,013,934,687
合計 2,562 208,554,000 4,367,594,630

表12

区分 株式売買回数(回)
口座名 昭和53年分 昭和54年分
黒川木徳証券
本店
中村有商事(株) 69 5
(株)誠備 384 14
森下商事(株) 10 ―
コスモ(株) 143 375
永井学園 114 201
(株)招徳 196 387
田河靖正 45 48
田久保利幸 ― 82
(株)高森 ― 122
(株)アール・ヌーボ ― 2
建設グループ 西内稔 16 12
細川正彦 4 21
田尾稔 12 9
岩崎進 2 15
下向昭次 2 21
玉屋正行 2 19
阿比留省吾 2 19
手塚孝雄 2 15
大原亮一 3 26
林武治 9 23
松永和郎 ― 9
島野栄吉 ― 12
故島邦宏 ― 16
福島茂美 ― 5
深見尚 ― 14
山本日吉 ― 10
仲田賢作 ― 14
鈴木邦寿 ― 14
原井正 ― 10
工藤誠 ― 11
三洋証券
新宿東口支店
田河靖正 1 ―
コスモ(株) 10 ―
相対取引 (株)誠備 3 2
合計   1,029 1,533

表13

金融業者 借入名義 借入金合計(円) 支払利息(円)
昭和53年分 昭和54年分
大阪証券信用(株) 中村有商事(株) 1,394,000,000 38,336,580 ―
(株)誠備 1,425,000,000 37,108,450 22,197,550
コスモ(株) 3,960,000,000 23,356,450 66,700,025
永井学園永井和子 700,000,000 ― 21,983,575
(株)招徳 2,125,000,000 ― 55,003,500
(株)高森 1,130,000,000 ― 31,119,950
(株)アール・ヌーボ 325,000,000 ― 2,115,750
田河靖正 160,000,000 ― 2,057,280
田久保利幸 255,000,000 ― 12,410,000
大阪証券代行(株) (株)誠備 3,220,000,000 26,485,300 16,841,300
(株)招徳 989,000,000 ― 9,841,640
田久保利幸 510,000,000 ― 6,470,000
中村有商事(株) 150,000,000 34,801,760 ―
(株)セントラル・ファイナンス (株)誠備 2,040,000,000 36,281,050 25,323,800
コスモ(株) 995,000,000 1,760,400 11,695,400
田河靖正 120,000,000 ― 2,702,380
田久保利幸 30,000,000 ― 1,310,400
(株)高森 670,000,000 ― 10,011,700
中村有一 200,000,000 6,287,490 ―
総合ビジネス(株) (株)誠備 2,030,000,000 9,480,600 18,394,350
東一興産(株) (株)アール・ヌーボ 1,000,000,000 ― 9,040,000
昌栄実業(株) (株)誠備 625,000,000 11,405,960 7,275,780
(株)招徳 105,000,000 ― 5,500,900
中村有商事(株) 305,000,000 32,198,540 16,679,200
(株)高森 (株)アール・ヌーボ 200,000,000 ― 269,700
小計   24,663,000,000 257,502,580 354,944,180

表14

金融業者 借入名義 借入金合計(円) 支払利息(円)
昭和53年分 昭和54年分
東京証券短資(株) 加藤資久 2,074,400,000 61,829,340 71,670,680
(株)アール・ヌーボ 500,000,000 ― 4,725,000
磯辺明 760,000,000 ― 51,422,840
伸幸商事(株) 村野喬 2,745,700,000 ― 26,251,585
石原旭 465,500,000 10,134,315 10,664,700
森下商事(株) 加藤暠 2,184,840,000 25,285,259 41,438,000
松本祐商事(株) 加藤暠 2,200,000,000 ― 107,400,000
中村有商事(株) 山藤正 272,390,000 5,667,036 14,222,670
金子秀一 190,140,000 3,301,399 9,572,200
藤木安二 425,570,000 3,548,849 14,225,695
高橋秀二 234,670,000 5,719,534 14,933,600
中川重三 255,230,000 3,645,880 8,744,835
小計   12,308,440,000 119,131,612 375,271,805

表15 修正損益計算書
加藤暠
自昭和53年1月1日
至昭和53年12月31日

借方 勘定科目 貸方
差引修正金額 当期増減金額 公表金額 公表金額 当期増減金額 差引修正金額
円 円 円 ○(雑所得) 円 円 円
①株式売買益   1,353,659,943 1,353,659,943
376,634,192 376,634,192   ②支払利息
③身元保証金利息 1,240,718   1,240,718
978,266,469 977,025,751 1,240,718 ○雑所得

1,354,900,661 1,353,659,943 1,240,718 ○合計 1,240,718 1,353,659,943 1,354,900,661

表16 修正損益計算書
加藤暠
自昭和54年1月1日
至昭和54年12月31日

借方 勘定科目 貸方
差引修正金額 当期増減金額 公表金額 公表金額 当期増減金額 差引修正金額
円 円 円 ○(雑所得) 円 円 円
①株式売買益   3,013,934,687 3,013,934,687
730,215,985 730,215,985   ②支払利息
③身元保証金利息 2,098,127   2,098,127
2,285,816,829 2,283,718,702 2,098,127 ○雑所得

3,016,032,814 3,013,934,687 2,098,127 ○合計 2,098,127 3,013,934,687 3,016,032,814

表17 (単位 円)

項目 53.1.1~53.12.31
実際額 申告額 逋脱額
1 事業所得 86,226,324 86,226,324 0
2 雑所得 978,266,469 1,240,718 977,025,751
3 総所得金額 1,064,492,793 87,467,042 977,025,751
4 社会保険料控除 270,480 270,480 0
5 生命保険料控除 50,000 0 △50,000
6 配偶者控除 290,000 290,000 0
7 扶養控除 640,000 290,000 △350,000
8 基礎控除 290,000 290,000 0
9 課税総所得金額 1,062,952,000 86,326,000 976,626,000
10 所得税額 782,974,000 50,504,500 732,469,500
11 源泉所得税額 14,274,600 14,274,600 0
12 納付税額 768,699,400 36,229,900 732,469,500

表18 (単位 円)

項目 54.1.1~54.12.31
実際額 申告額 逋脱額
1 事業所得 235,788,534 235,788,534 0
2 雑所得 2,285,816,829 2,098,127 2,283,718,702
3 総所得金額 2,521,605,363 237,886,661 2,283,718,702
4 社会保険料控除 270,480 270,480 0
5 生命保険料控除 50,000 0 △50,000
6 配偶者控除 290,000 290,000 0
7 扶養控除 690,000 290,000 △400,000
8 基礎控除 290,000 290,000 0
9 課税総所得金額 2,520,014,000 236,746,000 2,283,394,000
10 所得税額 1,875,770,500 163,319,500 1,712,451,000
11 源泉所得税額 39,201,500 39,201,500 0
12 納付税額 1,836,569,000 124,118,000 1,712,451,000

第八  論告と弁論の要点
一 論告
検察官は、従前の主張を維持したほか、仮に直接顧客口座における株式の売買と三二口座における売買との混入があったとしても、三二口座における取引が被告人加藤の計算において行われた、被告人加藤の取引であることを否定することにはならない旨主張する。
二 弁論
弁護人は、本件公訴の提起及び追行は公訴権の濫用であると強調したうえ、検察官の主張を全面的に争い、従前の反論を維持するなどして無罪を主張した。
第九  当裁判所の判断のあらまし
三二口座の株式取引は、一部なりとも被告人加藤の直接顧客のものが相乗りし、あるいは資金が流入してなされたのではないかとの疑いが濃厚となり、その売買益のうち、被告人加藤に帰属すべき最少限の所得を認定するだけの確証はない。本件公訴事実は証明がないことに帰する。
第二章  本件の起訴に至るまでの経緯及び背景事情等
第一  第一部被告人金丞泰の所得税に関する逋脱事件の判示からの引用
右事件判示のうち第一章第一節第一の二被告人加藤の経歴、同じく第二被告人加藤と株式取引及び第五被告人加藤の関与した株式取引の状況のうち一の全体的状況の各記載を本判示にも引用する。これらの事実は、右事件の判示第二章証拠の標目に掲記の被告人加藤に関する部分(被告人両名共通のものを含む。)の関係証拠によって認められる。
なお、弁護人は、被告人加藤が(株)ダイヤル・インベストメント・クラブ、(株)ダイヤル投資クラブ、(株)日本橋ダラー及び(株)誠備などの設立に直接関与した事実はない旨主張し、被告人加藤も、出資金を出したことはなく、設立発起人や役員になったこともなく、給料や顧問料も受け取っていない旨供述(九四回公判)していて、これを否定するだけの証拠はないが、前掲の関係証拠特にこれらの会社の設立、運営に関与した者(長谷川弘、中村忠司、田久保利幸、山田明弘、小森藤次郎、藤原三郎、田河靖雄、三浦功)の供述・証言等によると、こうした会社はいずれも被告人加藤の意向によって設立されたもので、被告人加藤において一部なりとも経費や運転資金を負担し、役員や従業員の人事にも関与し、株式に関する情報を提供し、会員顧客に対する投資の指導に当たっていたことなどの事実が認められ、被告人加藤がその経営に実質的に関与していたといわざるを得ない。なお、押収してある「加藤暠」の名刺は被告人加藤が当時使用していたものと認められるが、その裏面には「株式会社誠備」の記載も刷り込まれていることが認められる。
また、弁護人は、被告人加藤が、殊更、廿日会のミリオン会員に安いところを買わせ、次いでその余の廿日会会員、特別会員、普通会員、最後に速報会員という順序で、すなわち、顧客のなかで順序を設けて推奨して買い付けたようなことはない旨主張し、被告人加藤も右主張に添う供述をしている。しかし、《証拠省略》によると、ミリオン会員と、それ以外の会員とは会費に差があり、銘柄を推奨するに当たり、まずミリオン会員を優先させ、次にその余の廿日会会員、以下特別会員、普通会員、速報会員の順に情報を提供していたことが認められ、少なくとも相場の一つの区切りのなかでは右の順序で利益を挙げるように配慮していたものということができる。また、《証拠省略》によれば、被告人加藤においても、「今回はいい人にね」などと、廿日会の会員の一部に買わせるようにしていたことなどが認められる。弁護人の右主張は右認定の限度で採用できない部分もある。
第二  その余の経緯及び背景事情
一 黒川木徳証券における被告人加藤扱いの顧客の増加等
前掲関係証拠によれば、前示にもあるように、黒川木徳証券の被告人加藤を扱い者(扱番号二一七)とする顧客は、会員顧客、直接顧客とも逐次増加し、その取引口座数の増加状況は、神家正太郎(元関東財務局証券検査官、昭和五二年四月木徳証券入社、同五四年四月から検査部長)の56・3・7検によれば、昭和四八年八月の九口座から始まり、以後各年一二月の口座数をみると、四八年三七、四九年六〇、五〇年一〇〇、五一年一〇八、五二年一一七、五三年三九九、五四年六七五、五五年一八〇五となっており、特に昭和五三年以降急激に増加していて、その大半は会員顧客の増加によるものと認められる。
更に、《証拠省略》によれば、黒川木徳証券では、一人の証券外務員に扱い客が集中することを懸念し、被告人加藤の意向も受けて、(株)ダイヤル投資クラブの従業員であった小野明廣(明広)と田村英夫の両名を黒川木徳証券の歩合外務員として新たに採用し、小野を扱い者として、それまで被告人加藤の扱いであった(株)日本橋ダラーのせんだん会の会員の株式取引を担当させ、同様に、田村英夫を扱い者として、被告人加藤の扱いであった(株)ダイヤル投資クラブの会員の株式取引を担当させることとしたが、被告人加藤が、これらの投資顧問会社の会員の株式取引に係る歩合手数料を、その会員所属の投資顧問会社に払い戻していたことから、その歩合手数料を小野は(株)日本橋ダラーに、また、田村は(株)ダイヤル投資クラブにそれぞれ払い戻していたことが認められる。
二 第三営業部の新設等
《証拠省略》によれば、黒川木徳証券では、歩合外務員で第二営業部を構成し、被告人加藤もこれに所属していたが、前示のように被告人加藤扱いの顧客の増加に伴い、その事務量も増大したため、昭和五五年四月新たに第三営業部を発足させ、同部部長に第二営業部長前川元広、次長に向川英剛、係長に中嶋敏郎等を配置し、同部において被告人加藤が取り扱っている顧客の管理をすることとし、株券等の受渡事務、新規登録等の事務を行い、顧客のグループ別名簿を作成するなどして顧客把握に努め、なお会員顧客に関する事務は、第三営業部の担当者と各会員の所属する投資顧問会社の事務担当者との間で処理し、直接顧客に関する事務は、主に、第三営業部の担当者と加藤事務所の金沢千賀子らの事務員との間で処理し、三〇口座の名義人も直接顧客として取り扱われていたことが認められる。
三 三二口座の株式取引と売買益の不申告
《証拠省略》によれば、被告人加藤は、三二口座で大量の株式取引を行い、帰属の点は別にして、その昭和五三年及び昭和五四年各年分の株式の売買回数及び売買株数は、概ね検察官主張(訂正後のもの)のとおりであることが認められる。また、その帰属主体が一人であるとすれば右両年分とも、年間売買回数が五〇回以上で売買株数が二〇万株以上となり所得税の課税要件の充足されていることが明らかであるところ、被告人加藤において、右両年分とも所轄日本橋税務署長に対し、外務員報酬についてだけ事業所得として確定申告し、株式売買益については全く申告していないことも(右両年分所得税確定申告書)証拠上明白である。
四 宮地鉄株の取引その他本件起訴に至る経緯
《証拠省略》によると、概ね次の事実が認められる。
すなわち、
1 被告人加藤は、昭和五四年暮ころから、宮地鉄株を手掛けるようになり、(株)誠備の会報である誠備速報においても昭和五四年一二月七日付けが買値二五五円以下で、昭和五五年一月一二日付けが四七〇円以下で、同月一八日付けが五三五円以下でそれぞれ推奨していた。昭和五五年三月ころ、一時、宮地鉄株の株価が八〇〇円から六〇〇円に下落したときも、被告人加藤は、「宮地は急落したけれども心配ない。いずれ切り返してやる。」などと周囲の者に語り、誠備速報も同年四月一日付けが買値七三〇円がらみで、同月一八日付けが八〇〇円トビ台まで、同年五月二三日付けが時価近辺(一五六〇円)でそれぞれ推奨するなどしていた。その間の昭和五五年三月ころ、中村有一は被告人加藤に頼まれて、宮地鉄株の名義書換のために中村有商事(株)の名義を貸した。また、そのころ、中村有商事(株)、三誠実業(株)、森下商事(株)、(株)アール・ヌーボの名義で、宮地鉄株一二〇万ないし一三〇万株につき名義書換がなされた。
2 昭和五五年夏ころ、中村有一は、被告人加藤から頼まれて、中村有商事(株)に出入りしていた証券外務員二、三十人位を通じて、時期により多い時は一日で三〇万ないし四〇万株、少ない日でも五万株と大量に買い付けたりした。そのようなことから、宮地鉄株の株価は上昇を続けるようになった。ところが、昭和五五年五月ころから、中村有商事(株)の金主において宮地鉄株を担保に取ることを断るようになり、中村有一も、その旨被告人加藤に伝えるなどしていたが、同年八月ころには、全面的に断わられるようになった。
3 そのころ、被告人加藤は、宮地鉄株の売買手口を調べたりしていたが、やがて、宮地鉄工(株)の経営へ参加する方針を突然打ち出し、同社の倍額増資を口にするようになった。そして、廿日会の会員の買い付けた宮地鉄株について、同年八月三日ころから名義書換をするようになり、同月二三日ころまでに誠備関係で二〇〇〇万株余の名義書換を行った。なお、そのうちの一〇〇〇万株余が入内島宏名義で書き換えられているが、同人には、これを所有できる資力はない。
4 そして、被告人加藤は、中村有一、森下安広のほか、以前日本青年連盟の会長をしていた豊田一夫らに宮地鉄工(株)との交渉を依頼し、同人らにおいて、同社に対し、臨時株主総会の開催を要求し、これを受けた同社が同年一一月二七日臨時株主総会を開いたため、その総会で、(株)誠備の関係から役員三名を就任させた。その後、昭和五六年一月二〇日、東京証券取引所の理事長通達が出て、宮地鉄株をはじめ丸善株、石井鉄株、安藤建株などの株式取引に規制が加わるようになった。
5 ところで、他方、昭和五五年五月二七日被告人金に対し東京国税局の査察が入り、同年八月ころには、被告人金の巨額の脱税が新聞等で報道されるなどしたが、昭和五六年二月九日被告人金が所得税法違反被疑事件で逮捕され、同日、田久保利幸が被告人金の脱税の共犯容疑で逮捕された。そして、被告人加藤も、宮地鉄工(株)が額面割当倍額増資を発表した日と同じ昭和五六年二月一六日に、被告人金の共犯容疑で逮捕された。
以上の事実が認められる。
第三章  三二口座の株式取引から生ずる所得の帰属
第一  所得の帰属に関する争点の概要
一 概観
以上認定の経緯と背景事情を踏まえ、本件最大の争点である三二口座の株式取引より生ずる所得の帰属について検討に入る。この点に関する検察官の主張は、前示でも明らかなように変遷がみられるのであるが、要するに、三二口座の株式取引は被告人加藤の調達した資金によってなされたものであるから、その所得は被告人加藤に帰属し、仮に一部直接顧客のものが混入していたとしても、帰属の結論に変わりはない、というのである。これに対して、弁護人の反論するところは、要するに、三二口座の株式取引は被告人加藤の直接顧客多数が相乗りしているのであって、被告人加藤個人のものは含まれておらず、相乗り取引の分別管理は加藤事務所で行っていた、というのである。従って、こうした直接顧客の氏名が全員判明し、被告人加藤との間の契約内容や受渡し、清算関係ひいては三二口座を含め被告人加藤を通して行う株式取引との関連が具体的に明らかになれば、本件の争点はおのずと解明されることになる。しかるに、本件においては、被告人加藤が具体的供述を差し控えていることもあって、右の諸点の全容は明らかでなく、後記認定のように、証拠物と思われるものや事件関係者の所在もいまだ不明で、その解明は主として情況証拠によるのほかはない。
二 検察官の主張の概要
このような、所得の帰属判定の基準や事情について、検察官は、冒頭陳述でも一部縷説(要旨は前に列記)しているほか、更に論告において詳述しているところ、これによれば、「所得の帰属を決すべき基準は、取引の主体、資金の出所、取引及び資金の管理、利益の処分、預金の状況等のいわゆる客観的要素と、行為者の意思、関係者の認識等のいわゆる主観的要素などを総合検討して決すべきところ、結局は、誰が、いかなる資金によって取引を行い、その結果得た利益をどのように管理、運用していたか、その取引に関連する経理処理はどのような形で記録されていたかということであり、集約すれば、『何人の所得に帰するかは、何人の収支計算の下に行われたかの問題である。』(最判昭三三・七・二九税務訴訟資料二六号七五九頁)ということになる。」との一般基準を踏まえ、
(イ) 三二口座開設の経緯、状況
(ロ) 三二口座による株式取引の執行状況(三二口座を計算上一つの口座、いわゆる一つの懐として運用していたこと)
(ハ) 仕手戦における三二口座の取引状況(買い上がりや高値維持の段階における自己資金の投入)
(ニ) 三二口座による株式取引の資金源
(ホ) 三二口座の株式取引の受渡し、清算手続
(ヘ) 三二口座の資金と被告人加藤の個人預金、現金との混入状況
(ト) 三二口座による株式取引の管理状況
(チ) 株式所有の隠ぺい工作
(リ) 被告人加藤自ら株式取引を行っていたことを裏付ける諸々の事実
(ヌ) 三二口座の株式売買益の納税義務者が自分である旨の被告人加藤の検察官に対する自白
などの諸事情や証拠からして、「被告人加藤は、自己の仕手戦を実行するために自ら次々と三二口座を開設し、これら三二個の口座を一個の口座のように使い、自己が選定した銘柄を自己の裁量に従って自由に売買し、またそれに必要な資金の調達においても、三二口座を一個の口座として使って被告人加藤の信用によって証券金融会社から多額の借入れを起こし、これら借入金を自己の手持現金や普通預金と混同させて一体として株式取引に運用し、更にその売買益も自由に使用していたものであるから、三二口座における株式売買は、被告人加藤の計算において行った被告人加藤に帰属する取引であり、従って、その売買益も被告人加藤に帰属する。」というのである。
三 判断の順序
そこで、まず、右に列挙した事情の有無ひいては検察官の主張の当否について、弁護人の反論を参酌しつつ検討を加え、次に弁護人主張の点を中心に、三二口座の性格について検討し、更に以上の検討の結果に基づき所得の帰属に関する論点について考察することとする。
第二  被告人加藤への帰属を推認させる事情の有無
一 三二口座開設の経緯と状況
1 双方の主張
(一) 検察官の主張
検察官は、「三二口座は、被告人加藤が仕手戦を遂行する必要上、すべて自ら名義人に依頼して、その名義を借用するか、あるいは名義人に無断で使用したいわゆる名義借り口座であって、その取引は各名義人に帰属しないものである。」などと主張する。
(二) 弁護人の主張
これに対して、弁護人は、「三二口座での株式取引が、これら口座の名義人である個人や法人に帰属しないことは検察官主張のとおりであるが、それは三二口座が特定の個人や法人のための口座でなく、被告人加藤が複数の顧客のために便宜使用した、いわゆる便宜口座であるからである。」旨反論する。
(三) 検討の必要性
したがって、三二口座の株式取引から生ずる所得が口座の名義人に帰属しないことについては、当事者間で争いのないところであるが、この点を含め、三二口座開設の経緯・状況に触れることは、事案解明のために必要と思われる。
2 判断
(一) 個別的検討
三二口座の成り立ち、それらの名義人ないし口座の関係者と被告人加藤との関係などについては、《証拠省略》によると、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 「中村有商事」
被告人加藤は、早稲田大学時代からの友人の中村有一から株式取引の依頼を受け、昭和四八年一〇月二三日、木徳証券に同人名義の口座を開設させ、信用取引を勧めるなどして株式売買を行わせていた。なお、同人の資金は八〇万円程度であった。
やがて、被告人加藤は、中村有一に対し同人の右口座を借り受けたい旨申し入れ、同人の承諾を得て同口座を被告人加藤が使うようになった。昭和四九年三月ころから同口座では、中村有一の資金と関係なく現物取引が行われるようになるが、右の取引には、一時、木徳証券の立替金で決済をつけて株券が出券され、その数日後に現金が入金となって立替金が反済されるという形の、いわゆる鉄砲商いが多くみられるようになった。中村有一は、昭和五〇年ころ住宅資金の都合で右口座の取引を止めたが、被告人加藤による取引は、昭和五二年四月ころまで続いた。その後、被告人加藤は、中村有一からいわゆる脱サラの相談を受け、同人に証券金融業を勧めた。中村有一も、林業信用基金の職員として金融業務に携わっていたこともあって、これを受け、昭和五二年一月ころ保証金一五〇万円を被告人加藤に立替えてもらうなどして事務所を東京都中央区日本橋茅場町一丁目一八番地茅場町駅前共同ビル六〇七号室に定め、未登記であるが日本橋信用株式会社を設立し、昭和五二年四月ころには勤務先を退職し、日本橋信用株式会社代表取締役として証券金融業を始めた。ところが、被告人加藤に日本橋信用株式会社の名義を使用することを許諾していたところ、日本橋信用株式会社が(株)緑屋の株式を約八〇〇万株、代金合計約五三億円で西武グループに売り渡した旨新聞で報道されたりして名前が出たことから、社名を中村有商事(株)に変更し、本店所在地は同所、資本金五〇〇万円(全額中村有一拠出)、代表取締役中村有一、取締役長谷川弘、同森下安弘等として、昭和五二年四月二一日設立登記をし、被告人加藤から数回にわたり合計約二五〇〇万円の運転資金を借り入れるなどしながら証券金融業務を営んだ。そのころ、被告人加藤は、中村有一から中村有商事(株)名義を使用して株式取引をすることの承諾を得、昭和五二年五月二日、木徳証券本店に中村有商事(株)名義の口座を開設し、以後同口座で株式取引を行っているが、その取引は中村有商事(株)ないし中村有一のものではない。
(2) 「誠備」
被告人加藤は、昭和五三年一月一九日黒川木徳証券本店に(株)誠備名義の口座を開設し、同口座で株式取引を行っているが、その取引は(株)誠備のものではない。
なお、被告人加藤は、昭和五三年二月に(株)誠備の従業員となった田河靖雄に対し、「株の関係で誠備の名義を貸している。そのため株の配当金が会社の口座に入金されるが、これは名義貸料なのだから会社で使っていいよ。」などと話し同人が昭和五四年夏に退職するまでだけでも、丸善株等の配当金合計一〇〇〇万円位を(株)誠備に使わせていた。
(3) 「森下商事」
被告人加藤は、昭和五〇年初めころ、早稲田大学時代からの友人で、自己の顧客の一人でもあった岡野元春の紹介で、同大学の同窓で証券金融業森下商事(株)の森下安弘と知り合い、昭和五〇年四月ころから森下商事(株)で金融を受けるようになり、同社に出入りしていたが、森下安弘に対し、森下商事(株)及び森下安弘の名義を借り受けたい旨を申し込み、森下商事(株)については了承を得たものの、森下安弘については難色を示されたため、森下正俊という架空名義を使うこととし、昭和五〇年七月一四日、木徳証券本店に松戸市の森下安弘方を住所とする森下正俊名義の口座を開設して株式取引をするようになったが、同口座における株式取引は森下安弘のものではなく、また、同口座の取引には片商いや立替が多くみられる。その後、被告人加藤は、昭和五三年三月二四日黒川木徳証券本店に森下商事(株)の口座を開設し、株式取引をしているが、同口座における株式取引も森下商事(株)ないし森下安弘のものではない。
(4) 「コスモ」
被告人加藤は、昭和五三年五月ころ、喫茶店を経営するなどと言って、資本金一〇〇〇万円、本店所在地を東京都新宿区三栄町二〇番地の三新光オフィソーム(その後埼玉県所沢市小手指町一丁目二七番二号松田徹の住所地に移転)、代表取締役を松田徹として、コスモ(株)を設立し、右本店所在地に事務所を借り、その経費を負担するなどしていたが、これといった事業は営んでいない。なお、被告人加藤の指示を受けて設立手続に従事して田河靖雄は、資本金に当てる一〇〇〇万円を被告人加藤から手渡されている。被告人加藤は、昭和五三年五月四日黒川木徳証券本店に、また同年九月四日三洋証券新宿東口支店にそれぞれコスモ(株)名義の口座を開設し、以後同口座で株式取引をしているが、資本金の一〇〇〇万円が株式取引に充てられたとの確証もなく、同口座での取引はコスモ(株)のものではない。
(5) 「永井学園」
被告人加藤は、昭和四九年七月ころ、赤坂投資の事務所で宇都宮市所在の学校法人永井学園理事長の永井和子を紹介されて知り合い、昭和四九年七月二五日ころ、自己の顧客として木徳証券に永井和子名義の口座を開設させて株式取引を行わせていた。昭和五〇年八月ころになって、被告人加藤は、永井和子に対し、「もしお金が工面できるのなら預けてくれませんか。借金したお金でも良いですよ。株で儲けてあげます。株価が上がったら、借金の分だけ株を売って借金を返してしまえば、残りの株は全部儲けですからそのままずうっと持っていれば良いのですよ。」などと話を持ち掛け、その旨承諾した永井和子から、五〇〇万円を預かり、「樫山を一万株買いましょう。」などと言って、裏面に「樫山一万株、右預かりました」などと記載した被告人加藤の名刺を手渡した。その後の昭和五〇年一一月ころ、更に一〇〇〇万円程度を永井和子から預かったが、その際、被告人加藤は、「私はこれだけの所得があるから、永井先生の元金が損した場合は、私のお金で埋め合わせをしてあげます。元金は決して損をさせないので安心して下さい。」などと告げた。そして、被告人加藤は、昭和五二年二月ころから翌五三年二月ころまで、また同年九月ころから昭和五四年一一月ころまでの間、一か月に一〇〇万円ずつを株式取引の利益として永井和子に送金するなどして、永井和子の信頼を得るようになり、当時慶応大学商学部に通学していた永井和子の長男永井容光も被告人加藤のところに遊びに行くようになったが、昭和五三年春ころ、スポニチ銀座ビルの加藤事務所に遊びに来ていた永井容光に対し、「永井君のお母さんのやっている永井学園の名義で株の取引をしたいので名前を貸してくれないか。お母さんに迷惑かかるようなことは決してありませんから。」と頼み、その了解を永井容光から取り、昭和五三年五月二二日、永井和子が黒川木徳証券本店を訪れた際に、学校法人永井学園の口座を同証券に開設させた。その後、被告人加藤が、同口座で株式取引をするようになったが、その取引は学校法人永井学園ないし永井和子のものではない。なお、昭和五五年正月ころ、被告人加藤は、永井和子に対し、「先生、もし銀行からお金を借りられるなら借金しなさい。元金を倍にしてあげますよ。」と言って、その旨了承した永井和子が銀行から借りた五〇〇〇万円を預かったが、「今度は永井容光の名前でやりましょう。永井君は年齢が二五歳だからちょっとまずいので三五歳ということにしてやりましょう。」などと言って、永井容光名義の口座を昭和五五年に入って黒川木徳証券本店に開設させている。
(6) 「招徳」
被告人加藤は、昭和五三年七月ころ、黒川木徳証券本店の上司友成穂秀(昭和五四年一〇月から第一営業部長)、その大学時代の後輩である京都在住の位田建次及び後に伊勢誠心会のリーダーや(株)誠心経済研究所の代表取締役となった奥野勇省らと伊勢神宮に参拝した際、同人らと、将来ブラジルにでも行って貿易の仕事でもやりたいという話題が出たことなどから、会社設立の話が持ち上がり、被告人加藤が、「資本金は三〇〇〇万円位、位田さんと奥野さんの方で一〇〇〇万円出資してもらいたい。今すぐ儲かるということではないが、その出資した金の運用を任せてもらえれば、自分の方で株式投資に充てる。」などと言ったことから、位田建次及び奥野勇省がそれを承諾し、被告人加藤の一〇〇〇万円を含め三人がそれぞれ一〇〇〇万円ずつ出資することとなり、被告人加藤において会社設立の手続を進め、昭和五三年七月、商号を(株)招徳、本店所在地を東京都品川区豊町一丁目五番五号、資本金を三〇〇〇万円、代表取締役を位田建次、取締役を奥野勇省、同高塚正春、監査役を森下安弘とする設立登記がなされた。
その後の昭和五三年八月七日、(株)招徳の取引口座が黒川木徳証券本店に開設され、被告人加藤により株式取引がなされているが、資本金の三〇〇〇万円がこれに用いられたとする確証もなく、その取引は(株)招徳のものではない。なお、被告人加藤は、位田建次に働き掛けて(株)誠宏経済研究所を設立させ、昭和五五年七月にその株式取引口座を黒川木徳証券本店に開設させ、同人から一任を受け、資金や株券の提供を受けて株式取引をしている。
(7) 「田河靖正」
被告人加藤は、昭和五三年二月ころ、前記田河靖雄に対し、「田河君ちょっと名前を貸してくれないか。」、「他の名前はないか、他の名前でも良いのだが。」などと依頼し、同人から岐阜市在住の同人の実兄田河靖正の名義を借り受け、昭和五三年二月一四日三洋証券新宿東口支店に、また同年九月七日黒川木徳証券本店に、いずれも田河靖雄方を住所として口座を開設し、同口座で株式取引を行った。なお、同口座における株式取引は、田河靖雄や田河靖正のものではない。このほか、被告人加藤は、昭和五四年春ころ、田河靖雄に対し、株式取引のための名義を借り受けたい旨申し込み、同人から、その知人の小松正昭、前坂一美及び是永徳康の各名義の提供を受け、この三名義の口座を黒川木徳証券本店に開設して株式取引をしているが、その取引はいずれも名義人のものではない。
(8) 「田久保利幸」
被告人加藤は、昭和五四年三、四月ころ、田久保利幸に対し、「口座を開設するから名前を貸してくれ。」などと依頼し、その承諾を得て、昭和五四年四月二七日、黒川木徳証券本店に田久保利幸名義の口座を開設し、以後、同口座で被告人加藤が株式取引をしているが、同口座における株式取引は田久保利幸のものではない。このほか、被告人加藤は、田久保利幸から同人の友人の久保田誠一と小林鈴夫の名義を借り受け、黒川木徳証券本店に口座を開設して株式取引を行っているが、その取引は右久保田及び小林両名のものではない。
(9) 「高森」
被告人加藤は、(株)誠備の代表取締役であった小森藤次郎、同人の知人で洋品店を営む高塚正春らをして、昭和五四年九月証券金融業を営む(株)高森を設立させた。同社では高塚正春の知人でクリーニング店を営む海野紘正を名目上の代表取締役に据え、前記千代田会館の四階に事務所を設け、昭和五四年一一月ころから、主に(株)誠備の廿日会会員、ダイヤル投資クラブの一陽会会員を相手に証券金融を行っていたが、被告人加藤は、昭和五四年九月二一日黒川木徳証券本店に(株)高森名義の口座を開設し、同口座を使用して株式取引を行っていた。この口座における株式取引は、(株)高森のものではない。
(10) 「アール・ヌーボ」
被告人加藤は、昭和五三年四月、当時(株)ダイヤル投資クラブの従業員であった松田徹らに対し、資本金として七〇〇万円を提供して(株)アール・ヌーボを設立させた。同社の実態は、当時スポニチ銀座ビル七階にあった(株)ダイヤル投資クラブの事務所に電話を一本引いただけのものであった。松田徹らは、同会社で映画、出版など事業を行うことも計画したが、当面は株式取引を行うこととし、丸善株、新電元株等を手がけたが思わしくなく、資本金のうち五〇〇万円位を費消してしまった。他方、被告人加藤は、昭和五四年一一月五日、黒川木徳証券本店に(株)アール・ヌーボ名義の口座を開設し、株式取引を行っていたが、その取引は、同会社のものではない。
(11) 「西内稔」ら建設グループの二〇口座
被告人加藤は、西松建設株式会社の船橋土木出張所長などをしていて、自己の直接顧客の一人でもあった田村勉に対し、昭和五三年七月下旬ころ、「株の取引をするのに必要なので、田村さんの知り合いの名義を使わせてもらえませんか。取引口座は沢山あった方がよいので、名義は多い方がいいんですが。」などと依頼し、田村勉から、同人の部下である西内稔、細川正彦、田尾稔、岩崎進、下向昭次、玉屋正行、阿比留省吾、手塚孝雄、大原亮一及び林武治の一〇名の名義を借り受け、昭和五三年七月二九日から同年八月四日までの間に、黒川木徳証券本店に右西内稔ら一〇名の名義の口座を開設し、同口座において株式取引を行った。その後、被告人加藤は、昭和五四年四月下旬ころ、西松建設(株)の東関東支店営業部長になっていた田村勉に対して、再度同様の依頼をし、同人から、同様に船橋土木出張所勤務当時の部下の松永和郎、島野栄吉、故島邦宏、福島茂美、深見尚、山本日吉、仲田賢作、鈴木邦寿、原井正及び工藤誠の一〇名の名義を借り受け、昭和五四年五月二日、黒川木徳証券本店に右松永和郎ら一〇名の名義の口座を開設し、同口座において株式取引を行った。これら二〇口座は検察官において建設グループと称しているが、同二〇口座における株式取引は、それら口座の名義人のものではない。なお、田村勉は、昭和五五年五、六月ころ、黒川木徳証券の向川英剛を通じ、被告人加藤に対し、「部下が不安がっているので、部下の取引口座で取引するのは、もうやめてほしい。」旨申し入れ、その後、しばらくして同口座での取引はなされなくなった。
以上の事実が認められる。
(二) まとめ
以上認定のように、三二口座における株式取引は、少なくとも昭和五三、五四両年に関する限りにおいても、検察官主張のように、各口座の名義人のものでないことは明らかである。それだけではなく、右に関連した証拠だけからみても、被告人加藤は、昭和四〇年代から、所得帰属の点は別としても、他人の口座を借りて株式取引を行っており、三二口座以外にも同様の口座を開設していて、それらの取引内容を後述するような三二口座と同様の特色がみられるほか、出所は必ずしも明らかでないが、名義会社の設立や運営にも多額の資金を提供していることが認められる。また、永井和子との取引では、元金を保証したり、毎月定額の送金をするなど通常の株式売買の受託とは受け取れない事実関係のあることが窺われる。こうした事情からみても、被告人加藤は、かなり早い時期から、証券外務員の枠を越えた株式取引を行っていたのではないかと推測されるのである。
二 三二口座における株式取引の注文と執行の状況
1 検察官の主張
検察官は、「被告人加藤は、三二口座を計算上一つの口座、いわゆる一つの懐として運用していたもので、各顧客の取引を同時に管理・運用する、いわゆる相乗り口座ではない。このことは、黒川木徳証券本店の三〇口座における取引の注文が、各口座ごとの内訳を指定しないで、前川元宏らに一任していたことからも明らかである。そして例えば、『コスモ』で買い付けた株式を『招徳』で売却するというように買い口座と売り口座を分けて使ったり、『中村有商事』から出金して『誠備』へ入金するというように、口座間で資金を移動させたりしている。」旨主張する。
2 判断
(一) 《証拠省略》によると、次の事実が認められる。すなわち、
被告人加藤は、三二口座における株式取引について、売買の別、種類、時機、銘柄、数及び価格等につき自ら決定し得る立場にあり、自らの意向に従って注文を出していた。直接顧客や会員顧客の口座における株式取引についても、少なくとも右の諸点については顧客から一任を受けていた。注文の方法は、黒川木徳証券本店と外部証券とで異なり、外部証券に対するものについては、主として、取引のある証券金融業者に出入りしていた外部証券の外務員らを通じ、あるいは部下の松田徹や田久保利幸を通すなどしてなされ、外部証券で執行されていた。他方、黒川木徳証券本店における株式売買の注文の執行については、通常、顧客から注文を受けた証券外務員等において、注文伝票に顧客名、銘柄、株数、売り買いの別等を記入して、所属営業部より株式部へ回し、これが株式部から市場部員へ伝えられ、市場部員が注文を執行するという方法が採られていて、これと併せて、証券外務員から株式部へ、取りあえず口頭で注文を伝え、その後に注文伝票を回すという方法も認められていた。被告人加藤も、当初は、注文伝票を自分で作成して、これを株式部へ回していたが、昭和五三年春ころから、まず口頭でグロス注文すなわち一括して、売買の別、銘柄、数及び価格だけを株式部へ伝え、各口座ごとに注文を割り振るための内訳明細は、後刻、前川元宏、向川英剛らに電話などで連絡し、同人らにおいて、これをメモするなどして株式部へ回し、株式部において注文伝票を作成するようになり、更に、昭和五四年六月からは、窓口を一本化して株式部において直接被告人加藤からの注文を受けるようになり、株式部次長石田親廣がこれに専従することとなった。
このようななかで、三〇口座が順次開設されるに至ったが、そのころから、前示のように一括注文して売買された株式を各口座に割り振るに当たり、被告人加藤は、前川らに対し、「こっち口座」あるいは「こっちの口座」へ適当に入れておいて下さいなどと連絡し、口座ごとの注文内訳を指定しないで、どのような注文内訳にするかを前川元宏らに一任して注文するようになった。そこで、このような注文を受けた前川らは、「こっち口座」あるいは「こっちの口座」の従前の取引状況を考慮して、特定の口座に特定の銘柄の取引が偏らないように、そのなかから適当に取引口座を選択し、適宜、株数の振り分けを行っていた。そして、三〇口座も「こっちの口座」あるいは「こっち口座」に含まれていた。そのため、三〇口座の一つで買い付けた株式が三〇口座のなかの別の口座で売られたり、一つの口座から出金して別の口座へ入金するというようなことも生じた。
以上の事実が認められる。なお、検察官は、少なくとも当初の段階では、各口座ごとの注文内訳を指定しないで、割り振りを前川らに一任したものは三〇口座のみであると主張していたもののようである。しかし、関係証拠によれば、三〇口座ないし三二口座なる口座のまとめ方ないし呼称は、本件の捜査の過程で検察官により初めて生まれたもので、それ以前には黒川木徳証券の関係者の間でも観念されていなかったものである。ただ、被告人加藤を含めこれら関係者の間では、「こっち口座」ないし「こっちの口座」として総称されるところの、右のような口座間の注文の割り振りを前川元宏らに一任することのできる被告人加藤扱いの口座群が暗黙裡に認識されていて、その一群の口座のなかに、勿論三〇口座は含まれていたものの、これに限られるものでなかったことは、後記認定のとおりである。
(二) 以上の次第で、三二口座における株式取引の注文と執行の状況について、検察官の主張するところは概ね肯認できる。しかし、前示のように、本件捜査以前に、黒川木徳証券では関係者の間で三〇口座ないし三二口座なる観念はなく、ただ「こっちの口座」あるいは「こっち口座」と呼ばれる一群の口座があって、三〇口座も含まれていたが、これに限定されるものではなく、この一群の口座について、検察官主張のような、各口座ごとの注文内訳を指定せず、前川らに一任することが行われていたのである。したがって、こうした注文の方法が三二口座にのみみられる特徴ということはできない。また、確かに、三二口座のなかで、買付口座と売付口座が違ったり、資金の移動が認められることは前示のとおりであるが、これも、このような現象が認められるというだけのことであって、三二口座のなかだけに限って認められる特徴といえるかどうかは、また別問題であり、更に検討を要するところ、その結果は後述する。
三 仕手戦における三二口座の利用状況
1 利用状況一般について
(一) 双方の主張
(1) 検察官は、「仕手戦における買い上がりや高値維持の段階において行う、いわゆる買支えに際して、大切な顧客に買付けを行わせることは、それ自体が高値買いで全部売り抜けられない危険を伴い、顧客自身もこのような買付けを嫌うため、結局仕手本尊が自己資金を投入せざるを得ないところ、三二口座では、いずれも仕手戦における買上がりと買支えによる高値維持の段階で、頻繁に買付けをしていた。これは被告人加藤自身の買付けである。」旨主張し、その例として、三二口座における新電元株、丸善株、ラサ工株、宮地鉄株の場合などを挙げる。
(2) 弁護人は、「検察官の主張は、前川証言を根拠とするもののようであるが、同証言でも明らかなように、単に三二口座での売買日時と売買株数、並びに株価を検討した結果に過ぎず、会員額客や、その他直接額客など被告人加藤扱いの顧客全部の顧客勘定元帳に現れた丸善株、新電元株などの取引状況を全体的に検討すれば、同口座での取引が直ちに買上がりや高値維持のため利用されたものとはいえないことは明らかである。また、証人前川は二〇回公判で概ね検察官の主張に添う証言をしているが、七三回公判では、従前の証言を変更し、三二口座による取引が他の顧客と殊更区別して取引されたとはいえない趣旨の曖昧な証言を繰り返している。そして、前川作成の月別売買株数表を検討しても、三二口座が専ら買上がりや高値維持に利用されていたとはいえない。」旨反論する。
(二) 判断
(1) まず、証人前川元宏は、特に一九回及び二〇回公判において、三〇口座の顧客勘定元帳(以下(イ)~(ホ)の判示について)及び同人の56・4・15検(抄)添付同人作成の月別売買株数調(以下(ヘ)~(ヲ)の判示について)に基づき、以下の供述をしている。すなわち、
(イ) 三〇口座のうちの「アール・ヌーボ」の顧客勘定元帳をみると、この口座で、昭和五四年一二月二七日(約定日。以下同様)、西華産株を六九一円まで一五万株買い、翌二八日には七八四円まで三五万株買っているが、当日は一〇〇円高(ストップ高)で、最高の値段であるところ、その一番の高値を同口座で大引けのときに買い付けている。
(ロ) 「高森」の顧客勘定元帳をみると、この口座では、宮地鉄株を、本件後ではあるが昭和五五年八月二二日に、二八〇〇円で四万三〇〇〇株買い、同月二六日に二八六〇円で一万二〇〇〇株買い、翌二七日に二八九〇円で一〇〇〇株、二八日に二九二〇円で四〇〇〇株、二九日に二九五〇円で一〇〇〇株と買い続けているところ、この二九五〇円も高値である。
(ハ) 「招徳」の顧客勘定元帳をみると、この口座では、宮地鉄株を、本件後ではあるが、昭和五五年八月二二日に二八〇〇円で三万株を買い付けているところ、右同様、高値の時期の買付けである。
(ニ) 「誠備」の顧客勘定元帳をみると、この口座では、新電元株を、昭和五三年四月二〇日に八二五円から買い続け、同月二八日には一一八〇円の高値まで買い上がり、その間の買い付けは合計六七万七〇〇〇株に達している。
(ホ) 「田河靖正」の顧客勘定元帳をみると、丸善株を、昭和五三年一一月一〇日に四三二円で買い、その後も買い続け、同年一二月一二日の六〇四円まで買い上がっている。
(ヘ) 更に、三〇口座における株式取引を代表的な銘柄を例にしてみると、まず、丸善株の売買については、三回の商いの区切りがみられ、一回目は、昭和五三年一月に四〇九円から五二五円の間で二〇二万株の買いと同年二月に五〇五円から五五二円で二五万株の買いによるいわゆる浮動株の買集め、その後の買上がりがみられ、これらの丸善株二五〇万株が同年二月に利食い売りをして終わっている。二回目は、昭和五三年九月から一二月ころまで買集めと買上がりがみられ、更に昭和五四年一月から三月ころにかけて相場が高くなり、その間の買上がりがみられ、最後の高値の段階である昭和五四年三月に、七一六万一〇〇〇株の利食い売りをしている。三回目は、昭和五五年三月から六月にかけて一四一〇円から二一〇〇円の間の買上がりがみられ、同年六月に一八二万七〇〇〇株の利食い売りをして終わっている。
(ト) 同様、三〇口座における新電元株の売買についてみると、昭和五三年一月から二月にかけて浮動株を安値で仕込み、利食い売りをしながら買い続け、三月から四月にかけて、かなりの買上がりがみられ、四月に高値一二〇〇円まで一七五万二〇〇〇株の買いがみられる。
(チ) 三〇口座における西華産株の売買については、昭和五三年四月から五月ころまでの間に浮動株を買い集めて仕込み、同年一二月に八一万二〇〇〇株を五六〇円から七八四円まで買い付けて買い上がり、昭和五五年三月には、七七五円から一一〇〇円の間で一三四万八〇〇〇株の利食い売りをしている。
(リ) 三〇口座におけるラサ工株の売買については、昭和五四年九月から一〇月ころまでの間に安値で買い集め、その後、利食い売りをしながら買い続けて買い上がっていったが、昭和五五年一月に四九〇万株を売り、同年五月には三二〇万株を売っていて、三〇口座がラサ工株の売りに使われている。
(ヌ) 三〇口座における宮地鉄株の売買については、昭和五四年一二月から翌五五年一月にかけて浮動株を買い集め、その後利食い売りをしながら買い続けて買い上がっている。同年五月ころに一〇〇〇円台に乗せ、六月から七月に二〇〇〇円台の相場となっていったが、三〇口座では五月以降は売株の方が買株より多くなっていた。
(ル) 三〇口座における石井鉄株の売買については、昭和五五年一月から浮動株を買い集め、同年一二月の一〇五〇円までの間、買っては利食い売りをするという繰り返しで推移した。
(ヲ) 三〇口座における安藤建林の売買については、本件後であるが昭和五五年九月に三〇〇万株の買いに対し、六一三万七〇〇〇株の売り、同年一〇月には一〇一万二〇〇〇株の買いに対し、八六六万六〇〇〇株の売りと、売り株の方が多く、三〇口座は、安藤建株の売りのために使われている。
前川証人は以上のように供述している。そして、この供述は検察官の主張に添うものである。
(2) しかし、証人前川のその後の供述(七三回等)や弁護人の指摘を待つまでもなく、証人前川は一九回、二〇回の各公判で三〇口座の株式取引に限定して供述していることが窺えるのであって、直接顧客の口座についても同様の特色がみられるかどうかには触れていないのであり、この点に関する検察官の明確な主張はみられず、全般的な立証もない。かえって、例えば、関係証拠特に(検)作成の56・3・23報によれば、直接顧客の一人である被告人金の口座も、被告人加藤の扱った新電元株及び丸善株の仕手戦のなかで有効に使われ、買上がりにも威力を発揮していることが認められるのである。これは、明らかに三二口座でみられるという検察官主張の特徴と同様といえる。のみならず、三二口座の取引内容をみると、三二口座の取引は実に多様であって、単に、前川証言が指摘する仕手戦のみを手掛け、あるいは、その買上がりや高値維持のためにのみ使われたものとは思われない。
(3) なお、弁護人が特に問題とする丸善及び新電元株について更に検討する。まず、丸善株については、《証拠省略》によれば次の事実が認められる。すなわち、
被告人加藤は、昭和五二年一〇月ころ岡三証券池袋支店長渡辺新太郎に対し、「小森藤次郎名義で取引口座を作ってくれ。」、「株の受渡しはすべて私が窓口でやる。六階の事務所に持ってきて欲しい。」などと申し込み、開設された同口座で丸善株の取引をし、昭和五二年一一月から一二月ころに四〇万株を売却した。更にそのころ被告人加藤は右渡辺新太郎に対し、「星野隆一を紹介するから口座を作ってくれ。」と申し入れ、被告人金を紹介し、同被告人において同年一二月一二日に開設した岡三証券池袋支店の星野隆一名義の口座で丸善株一六万七〇〇〇株を買い付けた。
このようなこともあって、丸善株は、昭和五二年一〇月ころからその株価が上がり、出来高が増え始め三〇口座においても、丸善株を、昭和五三年一月に四〇九円から五二五円の間で二〇二万株買い、同年二月に五〇五円から五五二円で二五万株買い付けた。なお、昭和五三年一月三一日ころ(株)誠備は丸善株二七〇万株の名義人となった。他方、三〇口座で同年二月に二五〇万株が売られている。引き続き翌三月ころに被告人金の右「星野隆一」口座において丸善株が売却されている。そうするうち、丸善株の名義人に、森下商事(株)、中村有商事(株)、伸幸商事(株)が登場するようになった。その後三〇口座においては、昭和五三年九月から一二月ころまで丸善株四五万六〇〇〇株を買い付けている。他方被告人加藤は、昭和五三年暮れから同五四年初めにかけて岩澤靖と交渉し、真実の売主が誰であるかは別として同人に対し、市場外取引で丸善株合計一七一万株を売却した。昭和五四年一月から三月ころ、丸善株の株価が高くなり、三〇口座においても買付けが目立ち、これらはその間の買上がりとみられ、最後の高値の段階である昭和五四年三月に七一六万一〇〇〇株が売却された。岩澤靖関係の右丸善株も、同月九日から一四日にかけて売却された。
昭和五四年五月一日から一五日にかけて、被告人加藤は、一部の直接顧客の口座で、丸善株を九三〇円から一〇〇〇円で買い付け、同月二三日から二四日にかけて一〇九〇円から一一四〇円で売り付けている。なお、そのころ、「誠備」や建設グループの口座でも売られている。そしてその売りと同時に、更に他の口座において一〇九〇円台で買い付けているが、その買付口座には岸本グループの名義がみられる。その後、後から買い付けた口座においては、同年六月に入って五月雨式に売却されて同月二六日に一三〇〇円台で売り付けている。そして、その売りと同時に、他の顧客の口座で買い付けているが、その名義には横井・横山グループがみられる。なお、昭和五四年九月一日付け誠備速報で買いゾーン一三五〇円から一五五〇円として丸善株が推奨されている。その後、三〇口座では、昭和五五年三月から六月にかけて一四一〇円から二一〇〇円の間の買上がりがみられ、二一〇〇円の高値をつけた同年六月に一八二万七〇〇〇株が売却されている。その間の昭和五五年六月に丸善株は最高値二一〇〇円をつけた。同年八月以降は出来高も少なくなり、株価も一五〇〇円から一六〇〇円位となって、やがて値下がりしていった。誠備速報により昭和五五年一〇月一七日付けでは一三〇〇円ガラミで、同年一二月五日付けでは一四〇〇円台でそれぞれ推奨されているが、昭和五五年中に、(株)誠備名義の二七〇万株は六〇万株に減少した。昭和五五年一二月に丸善株約三〇〇万株の金融クロスが出て、昭和五六年一月には誠備関係の丸善株は極端に減少した。
以上の事実が認められる。
(4) 次に、新電元株については、《証拠省略》によれば次の事実が認められる。すなわち、
新電元株については、昭和五二年一一月上旬ころから、三〇口座特に「中村有商事」での大量の買付けがみられるようになり、被告人加藤は、同年一二月二六日、東京証券短資(株)から三億円の貸付けを受けた際、担保として丸善株三二万株のほか新電元株八五万株を差し入れている。
昭和五三年二月に入り「誠備」での新電元株の買付けがみられるようになり、(株)誠備が新電元株四〇〇万株の株主であると新聞報道された。同年三月一〇日過ぎころ、黒川木徳証券の被告人加藤扱いの「大洋」、「田口幸一」、「木倉功」などの口座でかなりまとまった新電元株の買付けがあった。また、被告人加藤は、被告人金の前記「星野隆一」名義の口座で昭和五三年三月一一日、丸善株を売却したあと、新電元株を二九万五〇〇〇株買い付けたほか、同月一四日三洋証券新宿東口支店の「星野隆一」、和光証券東京本部の「星野隆一」の各口座で買付けを行うなどして合計九五万九〇〇〇株を買い付けている。更に、三〇口座中の「誠備」においても、昭和五三年二月から同年四月にかけて、合計七〇五万株を買い付けている。
その後の高値の段階でも、三〇口座においては、これに見合う売りはないが、証券金融業者に担保として差し入れられた新電元株が外部証券で売却されている(受払状況も参照)。特に、昭和五三年分にあっては、三二口座での新電元株の買い株は合計六三三万六〇〇〇株あるのに対し、売り株は一四九万八〇〇〇株で、三二口座は買いのために使われている。なお、誠備速報で新電元株が推奨されたことはないが、誠報②において、「昭和五三年の○月に新電元は二〇〇円台で推奨して最高値が翌年の○月一二〇六円となった。」などと宣伝している。
以上の事実が認められる。
(5) 以上認定の事実について、丸善株と新電元株の市場における当時の株価や出来高の推移等に照らして考察を加えると、弁護人の反論にもかかわらず、三二口座が丸善株と新電元株の仕手戦に利用されていたことは明らかであるが、さりとて、三二口座のみが利用されていたものでないことも明白であって、直接顧客や会員顧客の口座も、買上がり、高値維持、浮動株集めなどに利用されていたことが認められる。
2 宮地鉄株の買支えについて
(一) 双方の主張
(1) 検察官は、宮地鉄株については、「昭和五五年一〇月ころ、浮動株がなくなって高値の保ち合い状態にあったところ、これを大量に抱えた誠備グループの会員の中に長期間にわたる資金の固定化に耐えられないため手放したいと希望する者が現れてきたのに対し、被告人加藤は、黒川木徳証券本店の前記中嶋敏郎に『私のお客さんで売りたい人があったら、俺が買うから』などと話し、実際に、同五五年一〇月から一一月にかけて、佐藤和己ら六名の会員から出た同様の売物合計九万七〇〇〇株を三誠実業名義の口座で株価二五一〇円から二五五〇円で買い付けて、買支えを行っている。」旨主張する。
(2) これに対して、弁護人は、「検察官の主張する株式取引はあるが、それは、被告人加藤が顧客の共同の利益を確保するため、顧客の委託に基づき顧客の計算において買い付けたもので、被告人加藤の自己資金による買付けではない。また、検察官主張のような言動があったかは疑わしく、仮にあったとしても、右のような顧客の計算による買付けを意味するものと解釈して決して不自然でない。」などと反論する。
(二) 判断
(1) まず、証人中嶋敏郎は、公判(二七回、六七回)において、宮地鉄株の売買に関し、同人の56・4・9検(抄)添付の同人作成にかかる「宮地鉄工株クロス状況」と題する表を見ながら、「昭和五五年一〇月ころには、株価は高値のまま止まっている状況であったところ、被告人加藤は、中嶋敏郎に対し、『売りたい人がいたら、おれの方に言ってきてくれ、おれの方が買ってやる。』などと話し、実際に顧客から出た宮地鉄株の売り株を『こっち口座』の三誠実業(株)名義の口座で買い付けた。」旨供述している。なお、この買付けの内容は、右「宮地鉄工株クロス状況」によれば、昭和五五年一〇月一四日ころから翌一一月一日にかけての約定で、「サトウカズミ」ら六名から出た合計九万七〇〇〇株を含む売り株について、「三誠実業」が買い付けたものであることが窺われる。また、関係証拠特に中嶋敏郎の56・4・4検によれば、右六名は直接顧客及び会員顧客であることが認められる。更に、前示あるいは後記認定にもあるように、そのころは、宮地鉄株の仕手戦は重大な局面に達していたことも明らかで、「三誠実業」による各買付けが宮地鉄株の買支えとみられても止むを得ないものといえる。
3 まとめ
以上の検討によっても明らかなように、三二口座について検察官主張のような株式取引の特徴が認められることは否定できないが、この特徴は三二口座に限らず、他の口座、直接顧客や会員顧客の口座についても認められるところであって、しかも三二口座との間で有意的な程度の差が認められるとも思われない。更に、右2の宮地鉄株の買支えに関していえば、概ね検察官主張に添うもののようであるが、ここでも、やはり、「三誠実業」の口座としての性格が問題となる。検察官は、これを除外して三二口座を決定しているが、後記認定にもあるように、三二口座と同様の性格の口座と認めざるを得ない。検察官の右主張の当否は三二口座の性格の解明にかかっているといわざるを得ない。また、被告人加藤の「俺」といった言動も、仮に認められるとしても、本件事案の性格を考えると、これが「三誠実業」の口座の性格を決定するについてそれほど重要であるとは思われない。
四 三二口座における株式取引の資金源
1 双方の主張
(一) 検察官の主張
検察官は、「三二口座での株式取引にかかる資金は、被告人加藤が、三二口座で買い付けた株式を証券金融会社に担保に入れて融資を受け、それを右株式の買付代金に充当したり、信用取引の受け株代金として使用したりし、あるいは再び株式を買い付けて、これを右と同様に利用するなどしていたものであって、結局、その取引資金のほとんどは、三二口座において買い付けた株式を担保にした証券金融会社からの借入金によって賄われていたもので、その内容は第一章第七の三にあるとおりで、昭和五三年と昭和五四年の新規借入額の合計額は、三六九億七一四四万円に達している。そのうち約六七パーセントを占める黒川木徳証券関係の借入金は、被告人加藤が、借入先金融業者、借入金額、期間、借入名義、担保に提供する株式等一切を決定し、自らあるいは金沢千賀子らに指示して、黒川木徳証券の前川や向川らに手続を依頼し、三二口座名義で約定書、借入申込書、担保差入書、印鑑届、支払手形等を作成するなどして、借入れを実行したものである。また、約三三パーセントを占める黒川木徳証券以外の関係の借入金は、すべて被告人加藤が相手の証券金融業者と交渉し、主として、その実名又は通称である『加藤資久』名義を用いて、前記のような借入関係の書類を自らまたは相手業者に依頼して作成し、借入口座を開設するなど、被告人加藤の信用によって借入れを実行したもので、前同様、借入先金融業者、借入金額、期間、担保に提供する株式等一切を被告人加藤が決定し、金沢らに借入手続をとらせていたものである。そして、松本祐商事(株)を除くこれらのいわゆる地場証券金融業者からの借入れを開始したのは、森下商事(株)が昭和五〇年四月から、伸幸商事(株)が同年八月から、中村有商事(株)が昭和五二年五月から、東京証券短資(株)が同年八月からというように、いずれも被告人加藤が顧客を会員として組織化して本格的に仕手戦に乗り出す以前から取引を行っていたもので、その沿革からして、被告人加藤個人の借入金であることが一見して明らかなものである。」旨主張し、この主張を裏付ける事情として、東京証券短資(株)における磯辺明名義の口座開設をめぐる事情、三二口座全体を一つの懐として借入金やその担保株の運用に当たっていた事例、被告人加藤が三二口座名義の借入金返済のため自ら金策に奔走していた事例(岩澤靖からの借り株、大量の金融クロス、外資系銀行からの借入工作、サウジアラビアのオイルマネー導入工作)などを挙げている。
(二) 弁護人の主張
弁護人は、「仮に検察官の主張するように、被告人加藤の取引資金のほとんどが、三二口座において買い付けた株式を担保に証券金融会社からの借入金であるとするなら、当然のこととして、まず証券金融会社に担保として提供する株式を買い付ける資金が必要であり、かつ、これを担保に供するとしても、当然、証券金融会社の定める掛目の限度しか融資を受けることはできないのであるが、その掛目は、一部上場会社発行の株式で七〇パーセントであり、二部上場会社発行の株式で六〇パーセントであったから、常に三〇パーセントないし四〇パーセントの自己資金が必要である。しかも掛目は、株価の高騰と共に低落し、宮地鉄株ついていえば、株価は一株当り二五〇〇円であるのに、担保としては一株当り五〇〇円でしか入担できない状況にあり、その掛目は、実に二〇パーセントでしかなかった。このことからすると、被告人加藤が、証券金融会社からの借入金により賄うことのできない資金は、余りにも多額であり、単なる証券外務員に過ぎない被告人加藤の調達できる金額ではない。もし検察官が主張するように、被告人加藤の昭和五三年と昭和五四年の新規借入金の合計額が、三六九億七一四四万円だとすれば、被告人加藤が右借入金を借り入れるために、担保に供した株式の買付代金は、概算しても六〇〇億円を下らず、その差額二四〇億円は、被告人加藤の自己資金であったことにつなるが、その額は余りに多額であって、被告人加藤が調達できる額では絶対にない。」、「そもそも、三二口座は便宜口座で、同口座での取引も複数の顧客のための取引であるから、同口座で買い付けた株式を担保に供して、証券金融会社から借り受けた借入金も、また被告人加藤のものではない。」、「また、証券金融会社における融資は、担保となる株式そのものを信用して実行されるものであるから、何人名義で融資するかは、それ程重要ではなく、被告人加藤の実名、または通称名を用いて借入口座を開設したからといって、直ちに被告人加藤個人が自己の株式売買の資金として借り入れたものと即断することはできない。被告人加藤としては、委託を受けて、顧客のために株式取引を行い、買い付けた株式を担保に、顧客のために、被告人加藤の実名、または通称名で融資を受けたものであり、当然、借入金は顧客に帰属する。かつ、それは、顧客と被告人加藤との間の売買一任勘定契約の内容をなすものであり、仮に、その範囲を超えるものであっても、それは委託者である顧客の資金を効果的にして、効率良く運用するための手段として、複雑にして、変動極まりない株式取引に即応し、より多くの利益の獲得を目的とする委託契約においては、当然、認められている。」、「また被告人加藤が、本格的な仕手戦に乗り出す以前から、森下商事や伸幸商事、中村有商事などとの間に取引を行っていたことから、直ちに同会社からの借入れが、被告人個人の借入金であるとはいえないし、また三二口座による借入金及び担保株の運用について各口座の間に入り混じりがあるのは、同口座が便宜口座として使用されていたからであり、決して三二口座全体が一つの懐として、被告人加藤に帰属するものとして運用されていたからではない。」などと反論する。
2 判断
(一) 金融業者からの借入れの事実
(1) 借入れの概要
検察官は、三二口座における株式取引の資金の大半は証券金融業者等からの借入金である旨主張するところ、関係証拠によれば、確かに、帰属の点を別とすれば、被告人加藤が三二口座で買い付けた株式を、証券金融業者等に担保に差し入れて融資を受け、それを右買付株式の買付代金に充当し、信用取引の受け株代金として使用したり、あるいは再び株式を買い付けて、これを右と同様に利用するなどしていたことは明らかであり、被告人加藤も強いて争わないところである。また、その借入状況について、検察官が主張するところの内容(前記第一章第七の三掲記の表と合計額)も、帰属の点や、それ以外の借入れの有無を別とすれば、特に争いのないところであって、関係証拠によって是認することができる(なお、黒川木徳証券関係、大証信の借入名義に「永井学園永井和子」とあるのは、正確には「永井和子」である。)。これによれば、この認定の限りにおいても、昭和五三年と同五四年の新規借入金の合計額は、三六九億七一四四万円に達することになる。また、《証拠省略》によると、次の事実が認められる。すなわち、
黒川木徳証券では、株式の信用取引を希望しながら、日本証券金融(株)の融資枠に制約されて希望の融資を受けられない顧客のために、別途証券金融業者をあっ旋ないし紹介していたところ、被告人加藤についても、顧客の有無は別として同様であり、昭和五二年後半ころから、以前から行っていた右あっ旋等を本格的に行うようになり、前川において、証券金融業者との間で融資方の折衝を行うなどして、次々と借入口座を開設したが、検察官主張の借入口座に関する状況は次表のとおりである。

金融業者 借入口座名義 開設年月日
昭和52年 昭和53年 昭和54年
大証信 中村有商事(株) 12.19
(株)誠備   5.10
コスモ(株)   7.28
永井和子     4.23
(株)招徳     2.7
(株)高森     9.25
(株)アール・ヌーボ     12.11
田河靖正     2.16
田久保利幸     5.11
大証代 (株)誠備   2.22
(株)招徳     6.4
田久保利幸     5.11
中村有商事(株) 6.16
(株)セントラル・ファイナンス (株)誠備   2.20
コスモ(株)   7.27
田河靖正     3.6
田久保利幸     8.10
(株)高森     9.26
中村有一 12.23
総合ビジネス(株) (株)誠備   5.16
東一興産(株) (株)アール・ヌーボ     11.29
昌栄実業(株) (株)誠備   5.10
(株)招徳     2.15
中村有商事(株) 8.19
(株)高森 (株)アール・ヌーボ     12.27

右の表のうち、借入金の最も多額なものは大証信であるが、同社における借入れについて被告人加藤が直接関与したことは一度もなく、すべて黒川木徳証券の前川、向川、中嶋らが行っていた。この大証信には、「高森」の口座が二つあるが、これは、黒川木徳証券が、廿日会の会員顧客を大証信にあっ旋したところ、これら会員顧客の三〇〇万円、五〇〇万円、一〇〇〇万円といった小口の借入口座が増え、同社の事務手続が煩雑となったことから、大証信東京支社次長高橋雄のほか前川や被告人加藤らが話し合い、廿日会の顧客は「高森」の口座で一つにまとめて借り入れることにしたため、被告人加藤の利用した仮名口座の「高森」の借入口座とは別に、もう一口座「高森」を開設したため二口座となったものであり、コード番号も異なり廿日会関係のものは(株)高森の社長高塚正春が大証信に赴いて借入手続をし、他方は、すべて前川らが行っていた。その他の各借入口座の名義は、会員顧客にあっては各本人名義であり、直接顧客にあっても、各本名、通名あるいはその者を表象する架空名義が用いられていた。これら黒川木徳証券のあっ旋による借入れについて、その手続に関与する者は、黒川木徳証券本店の前川、向川、中嶋のほか、会員顧客については関係投資顧問会社の従業員、直接顧客等については加藤事務所の事務員らである。このほか、被告人加藤は、黒川木徳証券のあっ旋とは別に、債務者が誰であるかは別として、証券金融業者等から借入れをしているのであって、借入先は森下商事(株)、伸幸商事(株)、中村有商事(株)、東京証券短資(株)、松本祐商事(株)等であり、この借入手続に関与した者は、被告人加藤のほか、加藤事務所の金沢千賀子や黒川木徳証券の中嶋らであった。なお、これら黒川木徳証券のあっ旋以外の借入口座は、金沢ら加藤事務所の者や中嶋ら黒川木徳証券の関係者の間で「外の口座」などと呼ばれ、同証券のあっ旋による口座と区別されていた。この「外の口座」の分を含め、本件で検察官が被告人加藤のものとして主張する前記各借入口座について、その借入れはいずれも口座名義人のものではない。以上の事実が認められる。
(2) 借入口座の開設やその後の借入状況
そこで、主要な借入口座特に黒川木徳証券のあっ旋によらない借入口座(後記②以下)の開設状況や借入状況について検討する。
① 大証信
《証拠省略》によれば、特に大証信においては、黒川木徳証券のあっ旋ないし紹介による被告人加藤関係の融資が、昭和五二年一〇月ころから「正和恒産」、同年一二月ころから「中村有商事」の各借入口座について行われていたが、その後逐次増加し、昭和五四年七月ころに著しく増加し、その後も増加を続け、とりわけ昭和五五年八、九月と一一月ころに激増している。そして、大証信のいわゆる誠備銘柄を担保とする融資額はピーク時に三七〇億円程度に達しているが、これらの顧客に対する融資手続は、他の証券金融業者の場合と同様黒川木徳証券の担当者らによって、すべてが代行されていて、顧客が直接大証信の店頭に出向くということは皆無に近かった。大証信におけるこれらの黒川木徳証券のあっ旋ないし紹介による被告人加藤関係の借入口座数は一四〇ないし一五〇口座程度になるが、最終的には一二〇ないし一三〇口座程度となった。以上の事実が認められる。
② 森下商事(株)
《証拠省略》によれば、被告人加藤は、前示のように、森下商事(株)から昭和五〇年四月より金融を受けるようになり、同月一四日から同年五月二二日にかけて合計一四五〇万円を株券を担保に本人名義で借り入れたのを皮切りに、株券担保の借入れを続け、その借入金残高は、昭和五〇年末が一億九三六〇万円、同五一年末が二億五六〇〇万円余、同五二年末が二億六〇〇〇万円余等となっており、その後一時中断したものの、昭和五四年五月から再開し、昭和五五年末の残高は七億円余に達していたことが認められる。
なお、証人森下安弘は、「加藤の借入金は客が使うものと思っていた。」旨供述し、その根拠の一つとして「昭和五二年の八月に被告人加藤の客である大井川興産の者が来て、株券と引き換えに小切手を受け取り合計一億二〇〇〇万円の返済を受けた。」ことを挙げており(一七回)、この供述は森下商事(株)の貸付金消込台長の記載にも一部符合するものといえる。
③ 伸幸商事(株)
《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。すなわち、被告人加藤は、昭和四九年ころから、証券金融業共栄オープン(株)で五、六百万円程度の借入れをしていたことから、当時同社に勤務していた滝井啓祐こと滝井文明と知り合い、その後同人が加々美明と共同代表で証券金融業を営む伸幸商事(株)を設立したことから、昭和五〇年八月ころ滝井文明に融資を申し込み、同月六日から一四日にかけて合計一億三二二〇万円を株券を担保に被告人加藤の通称名「加藤資久」の名義で借り入れた。同名義による借入れは昭和五一年六月に二億九〇〇〇万円余を返済して打ち切られ、同五一年中に新たに「森下正俊」ほか一五名の名義で借入口座を開設し、うち四つの口座では同五二年まで借入れが続いた。昭和五二年に新たに「江崎守」、「鈴木規夫」の名義で借入口座を開設し、これらは同年一二月に合計四億五三〇〇万円を弁済して打ち切られた。その後一時中断したものの、翌五三年に「長田節」、「石原旭」の二つの借入口座が開設されて復活し、うち「長田節」の口座については同年二月の五六〇〇万円一回の借入れとその弁済で打ち切られているが、「石原旭」の口座は昭和五四年まで借入れが続いた。更に同五四年に入って「村野喬」の借入口座が二口開設され、借入れが実行されている。これらの名義は、「加藤資久」を除きいずれも仮名であって、その選択の事情は必ずしも明らかでないが、滝井文明が電話帳から拾い出したものもある。以上の事実が認められる。なお、実際の借入手続に当たった者については、被告人加藤のほかは証拠上必ずしも明らかでない。
④ 中村有商事(株)
中村有商事(株)は前示の経緯で金融業の業務を開始したが、《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。すなわち、被告人加藤は、中村有商事(株)より昭和五二年五月二四日から同年八月四日にかけて、合計二億一五〇〇万円を株券を担保に借り入れたが、その借入名義は代表取締役の中村有一が適当に考えた山藤正、藤木安二、高橋秀二、金子秀一、中川重三等の仮名によることとなり、その名義の五借入口座が開設され、その後貸付けが続き(金子秀一は金子進と共同名義の場合がある。)、その借受け残高は、およそにして、昭和五二年九月が八五〇〇万円、同五三年九月が一億八〇〇〇万円、同五四年九月が三億一〇〇〇万円、同五五年九月が一三億八〇〇〇万円となっている。こうした借入れの申込みやその他具体的手続は、被告人加藤や加藤事務所の金沢千賀子ら事務員が当たっていた。以上の事実が認められる。
⑤ 東京証券短資(株)
《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。すなわち、被告人加藤は、昭和五二年五、六月ころ証券金融業を営む東京証券短資(株)の長谷川弘に対する貸付問題で、同社の早川堯勇と折衝したことから同人と知り合うようになり、同年八月ころ借入れを申し込んで東京証券短資(株)から株券を担保に融資を受けるようになり、昭和五二年八月四日通名の「加藤資久」の名義で三億円を借り入れたのを皮切りに借入れを続けていた。これらの担保の株券は、いずれも被告人加藤が持ち込んだもので、被告人加藤は、昭和五三年八月ころ右早川堯勇に対し右口座の担保余力を他人の借入れに使わせて欲しい旨申し入れて、そのころ、(株)オーシャンライフの代表取締役遠矢健一((株)誠備の役員、内外タイムスの専務)に三〇〇万円を、同年九月ころ根津虎雄に五〇〇〇万円を、同年一二月ころ下村博に六五〇万円をそれぞれの名義で借入口座を開設して貸し付けさせた。また、昭和五四年一一月ころ右「加藤資久」の口座で一〇〇万円を小泉政春(黒川木徳証券の証券外務員であった。)に貸し付けさせた。昭和五五年五月には、(株)オーシャンライフが手形の不渡りを出したところ、その不渡り金額合計一一三〇万円を被告人加藤が肩代わりし、被告人加藤に対する貸付として処理した。このほか小泉政春については、実際に同人自身が受渡しに関与して弁済した。また、根津虎雄と下村博については、東京証券短資(株)が引き換えに手形を受け取っており、根津からは割賦弁済を受けているものの、下村博には、早川堯勇が会っているが、弁済がない。その他被告人加藤は、前示にもあるように、黒川木徳証券から、証券外務員として多額の歩合手数料報酬を受け取っていながら、昭和五〇年分、昭和五一年分の所得税確定申告を全く行わなかったため、所轄日本橋税務署の調査を受け、昭和五二年一二月、漸く右両年分の期限後確定申告を行ったものの、昭和五二年分については、またもや確定申告を行わず、昭和五四年三月七日ころ、同税務署所得税担当特別調査官岩瀬昂から呼出しを受けて、ようやく右五二年分の期限後確定申告を行ったが、その際、同人から経費の明細を明らかにする資料の提出方を強く迫られた。その後、被告人加藤は、昭和五四年三月二六日ころ、東京証券短資(株)を訪れて、早川に対し、「税務署の調査で絞られたのでもう一つ別の口座を作ってもらいたい。名義は磯辺明でいい。住所は適当にやっておいて欲しい。担保は、私名義の口座には明治機株と大和設株のみを残し、他は磯辺名義の口座に移してくれ。加藤名義の口座の担保の掛目は八〇ないし八五位に高くし、磯辺口座の方は低くして欲しい。」などと依頼して、仮名による別口座の開設を要求し、早川をして、磯辺明名義の借入口座を開設させて貸付けを実行させた。更に昭和五四年一二月に黒川木徳証券の向川の紹介で、(株)アール・ヌーボの借入口座が被告人加藤関係のものとして開設され、まず五億円が貸し付けられたが、それらの手続は向川や黒川木徳証券の者が担当し、利息の支払は加藤事務所の金沢千賀子によって行われた。また、被告人加藤の直接顧客とされている日誠総業(株)は、東京証券短資(株)に借入口座を開設して億単位の融資を受けていた。
以上の事実が認められる。
⑥ 松本祐商事(株)
《証拠省略》によれば以下の事実が認められる。すなわち、被告人加藤は、昭和五四年五月ころ、直接顧客の一人である松井信吉こと朴成斗から、金融業(証券金融のみを営むものではない。)を営む松本祐商事(株)の代表取締役松本祐正こと李承魯を紹介され、同人に対し、一〇億円の借入れを申し込み、同月一五日、一六日の二回に分けて、丸善株一〇〇万株を担保に合計一〇億円を借り受け、同年八月一〇日返済し、その後同年九月一九日、二一日の二度にわたり、丸善株一〇〇万株を担保に合計一二億円を借り受け、昭和五五年六月一三日に一二億円返済したが、更に、その後、同年一一月一日ころ、丸善株三〇万株、西華産株三四万株及び安藤建株八〇万株を担保に合計一〇億円を借り受け、昭和五六年一月六日に安藤建株八〇万株を日立精株一〇〇万株と差し替え、同年二月二日には追い証として宮地鉄株一九万株を差し入れるなどしながら借入れを継続していた。なお、こうした借入れは、いずれも「加藤暠」の本人名義でなされたものであり、その受渡しなどは概ね被告人加藤自身が関与していた。以上の事実が認められる。
(二) 被告人加藤による金策の奔走
(1) 宮地鉄株の仕手戦のための資金需要
次に、検察官は、被告人加藤が三二口座の借入金返済のため自ら金策に奔走していたとして、数件の事例を指摘する。これらは、いずれも本件後の事情であるが検討することとし、まず、その前提となる検察官主張の宮地鉄株の取引をめぐる事情については、帰属の問題を別とすれば、関係証拠によって概ね是認することができるのであって、すなわち、被告人加藤は、昭和五四年一一月ころから、宮地鉄株を推奨銘柄とし、同株式を買い集めていたが、売り株が予想外に多く、それに対向して買付けを続行したため、資金需要が旺盛であったところ、昭和五五年四月に一〇〇〇円の大台を突破したころから、宮地鉄株につき、担保掛目の制限が厳しくなり、地場の証券金融業者においては、担保価値は一株五〇〇円にしか評価されなくなったことなどの事実が認められる。こうした事情を背景として、検察官指摘の事例の有無につき、以下に検討する。
(2) 岩澤靖からの借り株
《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。すなわち、被告人加藤は、昭和五五年一〇月直接顧客の一人である岩澤靖と交渉し、同人が(株)三永商事と(株)靖国総発の名義で所有する西華産株四〇〇万株を、宮地鉄株一八〇万株を担保に提供するなどして借り受けることとし、同月二一日付「有価証券貸借に関する覚書」を(株)三永商事及び(株)靖国総発との間に取り交わすとともに、両社あてに加藤暠個人の名義で有価証券借用証を差し入れ、大証信の「招徳」、「コスモ」、「高森」、「永井学園」、「永井和子」、「アール・ヌーボ」等の名義で担保に差し入れていた宮地鉄株一八〇万株を、岩澤から借り受けた右西華産株四〇〇万株と差し替えた。当時西華産株の担保価値が一株六〇〇円であったことから、大証信で、更に一五億円の借増しを受け、これを株式取引の資金とした。このほか、被告人加藤は、岩澤靖から、昭和五五年七月(株)三永商事あて有価証券借用証を差し入れて宮地鉄株二三万五〇〇〇株を、また、同年九月ビル・クリーン(株)あて有価証券借用証を差し入れて西華産株一四一万五〇〇〇株をそれぞれ借り入れている。以上の事実が認められる。
(3) 金融クロスによる調達
《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。すなわち、
① 被告人加藤は、昭和五五年一二月中旬ころ、電話で中村有一に対し、「丸善を寄付きにクロスしてくれ、代用の株は宮地鉄を入れる。」などと依頼し、それを受けた中村有一において、中村有商事(株)に出入りしていた外部証券十数社の証券外務員らに注文をつなぎ、多数の丸善株を現物で売り、信用で買い付けた。その後、丸善株の値下がりにより、信用買いした証券会社から追い証を請求されたため、中村有一は、加藤事務所から現金で二、三千万円と宮地鉄株数万株を受け取ったほか、被告人加藤から丸善株の買付依頼を受け、資金の提供を受けて一四〇〇円までの値段で一〇万株程買い付け、もって株価の買支えをした。
② 被告人加藤は、昭和五五年一二月中旬ころ、森下安弘に対しても、「丸善の信用建てを、どのくらい証券会社で受けられるか。」などと、丸善株を現物で売って、信用で買うことを依頼し、それを受けた森下安弘において、森下商事(株)に出入りしていた、外部証券の証券外務員らに注文をつないで、丸善株三〇万株を現物で売ると同時に、宮部鉄株を担保に、合計三〇万株を信用買いした。そして、加藤事務所へ連絡し、売り株の丸善株と担保の宮地鉄株を持参させ、引き換えに現金四億五〇〇〇万円位を渡した。その後、丸善株の株価が下がったため、右同様に追い証を差し入れ、また、被告人加藤から依頼され、昭和五六年一月ころ、丸善株の買付けをして、株価の買支えをした。
③ 被告人加藤は、昭和五五年一二月一七日午前九時過ぎころ、東京証券短資(株)の早川に対し、電話で、「丸善のバイカイを振って欲しい、数量はできる数でよい。担保は宮地になる。」などと依頼した。これに対し、早川は、売ることは承諾するけれども、買うのは東京証券短資(株)の名義では困る旨答え、結局、被告人加藤から(株)高森名義でするように言われたことから、同名義を使用し、同日三木証券で二〇万株、共和証券で一〇万株、翌一八日に大沢証券で一〇万株の合計四〇万株の丸善株を現物で売ると同時に信用買いし、加藤事務所の金沢らに連絡して現金六億八〇〇〇万円を渡すなどした。右各証券会社に差し入れる約諾書は、前記千代田会館四階の(株)高森の事務所において、高塚正春に、被告人加藤の依頼である旨を話して印鑑を押すように求め、高塚は、「そんな話は聞いていない。」と驚いたものの結局、右依頼に応じた。
④ 被告人加藤は、昭和五五年一二月一七日午前九時過ぎころ、伸幸商事(株)の滝井に対し、電話で、「どこか金融クロスしてくれるところはないか。」などと丸善株の金融クロスを依頼し、それを受けた滝井において、一成証券で三〇万株、金十証券で二万株及び山文証券で一五万株の丸善株をそれぞれ現物売りすると同時に信用で買い付けた。そして、加藤事務所に赴き金沢との間で、代用証券を受け取るとともに、現金七億九九九八万一六〇〇円を渡すなどした。その後、丸善株の値下がりにより追い証を要求され加藤事務所から受け取った現金一〇〇〇万円を一成証券に差し入れるなどし、また、昭和五六年二月前後ころ、被告人加藤の依頼で、丸善株の買支えを行い、五~七万株程度を買い付けた。
⑤ こうした丸善株のクロスは、前川ら黒川木徳証券の関係者も事前に知らされないまま行われたもので、その正確な実態は把握できないが、結局被告人加藤は、昭和五五年一二月一七日、一八日の両日に、丸善株約三〇〇万株を現物で売り、信用で買い付け、いわゆる金融クロスを行って、売り代金から信用取引の保証金を差し引いた残金を新たな株式取引の資金とすることができた。以上の事実が認められる。
(4) 外資系銀行からの借入工作
《証拠省略》によれば、被告人加藤は、昭和五六年一月上旬ころ、関連投資顧問会社等の税務顧問を依頼している川北博公認会計士の事務所を訪ね、同人に対し、「金融業者から金を借りて宮地をやっているが、金利が高くて苦しい。資金繰りのための金が必要だ。是非外資系の銀行を紹介してほしい。担保には株が沢山ある。」などと金融機関の紹介を求め、川北から、適当な責任者を同行するように求められ、知人のザ・ボイス・オブ・ジャパンの對馬邦雄を同行したが、川北が對馬を信用しなかったため、外資系銀行の紹介を受けることができなかったことが認められる。
(5) オイルマネーの導入工作
《証拠省略》によれば、被告人加藤は、昭和五五年秋ころから、廿日会の会合で、「オイルマネーを導入して仕手戦を続けたい。」などと話していたところ、昭和五六年一月初めころ廿日会の代表池田唯次の知人からサウジアラビアの建築関係の会社社長ラマダンが日本に関心を寄せている旨を知り、同月九日、廿日会グループ長の会合の席上で、「池田さんのコネクションで誠備にオイルマネーが導入できる話があった。」旨話し、数日後池田に「どういう形になるかわからないけれど、パイプをつなぐという意味で行ってきたらどうだろうか。」などと言って計画を進めることとし、池田が現地に赴いてラマダンと交渉したが、同人が持ち出した融資の条件が厳しく、結局話が進行しなかったことが認められる。
(6) 弁護人の反論
なお、弁護人は、右(2)ないし(4)の各事実は、被告人加藤において、「顧客の承諾を得て、顧客のために行ったものであり、その資金は、当然顧客のために運用したものであり、決して被告人加藤の所有する株式について行ったものではない。」旨反論している。
(三) 三二口座と借入口座との運用の一本化
(1) 検察官の主張
検察官は、「被告人加藤は、加藤口座を一つの懐として株式売買を行っていた結果、借入金及びその担保株の運用についても、例えば、『田河靖正』や『コスモ』で買い付けた株式を担保に『誠備』の名義で借入れを起こし、その借入金を『コスモ』に入金したり、あるいは中村有商事(株)や森下商事(株)からの借入金を、これら証券金融業者を介して、外部証券で買い付けた丸善株等の買付代金に充当したうえ、これら買付株を三二口座における信用取引の委託保証金代用証券や三二口座名義での借入金の担保として利用するなど、三二口座全体を一つの懐として利用していた。」旨主張し、その例として、買付口座と借入口座の間や、借入口座と借入金入金の預金口座の間などにおける資金移動などの現象を指摘する。
(2) 判断
《証拠省略》によれば、三二口座全体を一つの懐として運用していたかどうかは別として、検察官の主張する事実は肯認できるのであって、その例として次の事実が認められる。すなわち、
被告人加藤は、株式取引のため三二口座を使用しているが、証券金融業者における借入れのための口座すなわち借入口座としては、先に認定した黒川木徳証券のあっ旋等に係る諸口座や自ら森下商事(株)、伸幸商事(株)、中村有商事(株)等に開設した諸口座を使用し、また、株式取引の資金を後に詳述する被告人加藤のため第一勧銀兜町支店に開設された加藤暠名義及び清水誠名義の各普通預金口座から出金するなどしていた。こうした株式取引の口座としての三二口座と被告人加藤の使用した借入口座あるいは右普通預金口座との相互の関係等をみると、
① 株式について
(イ) 昭和五四年九月一八日に受渡しのあった黒川木徳証券の「コスモ」買付けのシャープ株一四万株は同日、大証代の「コスモ」に全株担保として入庫されたが、同年一〇月一日に同口座から全株出庫され、同日、黒川木徳証券の「コスモ」で二万三〇〇〇株、「招徳」で一一万七〇〇〇株が、それぞれ売却されていて、「コスモ」で買い付けた株式が、「招徳」で売却されている。
(ロ) 昭和五三年一〇月五日受渡しの黒川木徳証券の「田河靖正」で買い付けた加藤製株(加藤製作所)五万株及びフマキラ株二万株と、同月六日受渡しの「コスモ」で買い付けた富山化株四万株及び万有薬株五万株の各株式全部が、同日、大証信の「誠備」での借入金八五〇〇万円の担保として入庫されていて、「田河靖正」及び「コスモ」の買付株が、「誠備」の借入口座に入庫されている。
② 資金について
(イ) 昭和五三年五月一六日に黒川木徳証券の「中村有商事」から出金された一九七四万一九八〇円及び(株)総合ビジネスの「誠備」での借入金一億円(利息天引、実際交付金額九八五二万八〇〇〇円)は、同日、黒川木徳証券の「誠備」に合計一億一八二六万九九八〇円として入金されていて、借入口座の「誠備」及び取引口座の「中村有商事」からの出金が、取引口座の「誠備」に入金されている。
(ロ) 昭和五三年八月二六日に黒川木徳証券の「招徳」から出金された一億〇六四三万七四二一円、「永井学園」から出金された二三六三万二二七九円及び第一勧銀兜町支店の加藤暠名義の普通預金から出金された一四七万〇八九三円の合計一億三一五四万〇五九三円は、同日、黒川木徳証券の「中村有商事」に入金されていて、「招徳」、「永井学園」及び右加藤名義の普通預金からの各出金が「中村有商事」に入金されている。
(ハ) 昭和五三年一〇月六日に大証信の「誠備」での借入金八五〇〇万円(利息天引、実際交付金額八三七二万五〇〇〇円)及び黒川木徳証券の「田河靖正」からの出金四二七一万九七二五円の合計一億二六四四万四七二五円が、同日、黒川木徳証券の「コスモ」へ一億二六三七万〇五四一円及び第一勧銀兜町支店の加藤暠名義の普通預金へ七万四一八四円とそれぞれ入金されていて、借入口座の「誠備」及び取引口座の「田河靖正」からの出金が、取引口座の「コスモ」及び加藤暠名義の普通預金口座へ入金されている。
以上の各事実が認められる。これによれば、被告人加藤は、「コスモ」で買い付けた株式を「招徳」で売却するなど、買い口座と売り口座を別々に使用し、「中村有商事」から出金して「誠備」へ入金するなど、口座間て資金を移動し、「田河靖正」や「コスモ」で買い付けた株式を「誠備」での担保に差し入れて借入れを起こし、その借入金を「コスモ」に入金するなどしているのである。
(四) まとめ
(1) 以上の認定によっても明らかなように、検察官の主張する事実には、是認できるものが少なくない。しかし、弁護人の反論を参酌しつつ考察すると、なお疑問の点が残らないではない。
(2) まず、借入金についてみると、被告人加藤が株券を担保に巨額の借入れをしていることは明らかである。しかし、被告人加藤の名義又は、これに代わる架空名義あるいは三二口座の名義による借入れについて、担保として差し入れられた株券がすべて三二口座ひいては被告人加藤に帰属するとされる口座で買い付けられたものか、関係証拠に照らし、なお吟味を要するところであって、後述にもあるように、これを肯定するに至らない。更に、その株券が三二口座で買い付けられているとしても、それが被告人加藤のものか、あるいは直接顧客のものか、その検討が必要なことはいうまでもなく、そのなかに直接顧客のものが混入している疑いを払拭できないことも、後に判示するとおりである。そもそも、被告人加藤の株券担保による借入れは、本件係争年次に率然と生じたものではない。前記認定によれば、被告人加藤の借入れは、証券外務員になって数年ならずして多額のものがみられるのであり、その担保株券も多量である。検察官の論法をもってすれば、これもすべて被告人加藤のものというのであろうが、当時から被告人加藤にそれだけの収入があったとする確証はない。被告人加藤の黒川木徳証券における証券外務員としての手数料収入であるが、雑喉一の56・3・7検によれば、次表のとおりであることが認められる(検察官主張の数字には一部誤りがある。)。

年 被告人加藤の
取扱株数
黒川木徳証券の
委託手数料収入(円)
被告人加藤の
歩合手数料報酬(円)

四八 三、二二一、〇二五 八、二一六、五二五 三、三〇八、六〇八
四九 一一、二〇七、九六五 二五、四三八、五六三 一〇、一九七、四二三
五〇 五一、三二四、五五一 一五三、九六五、二二九 六一、五八七、二八六
五一 五〇、四三三、五四〇 二一三、〇七七、八四四 八五、二三一、一三四
五二 七三、九五五、六一二 二七二、三七六、八二一 一一〇、二〇二、四七六
五三 九二、一八四、七一〇 三五八、九五七、三七一 一四三、五八五、五四〇
五四 二三三、九七四、九七六 九八二、一〇三、五五五 三九二、八六〇、八八九
五五 四三七、九五七、〇三六 二、一三二、五八七、一二五 八五三、〇五一、五五〇

このようにして、一般の証券外務員に比べかなり高額であるが、所要経費等を差し引くと、これだけで大量の株式入手の原資に十分であるとは到底思われない。かえって、関係証拠を検討すると、被告人加藤が関与しているものの、他人が手掛けた仕手銘柄の株券が多量に入担されている場合もあって、被告人加藤の借入口座であるからといって、担保株券まですべて被告人加藤のものといえるかは疑わしい。なお、被告人加藤の開設した架空名義の借入口座は検察官主張のもの以外にも認められるのである。更に、弁護人が主張するように、担保株券自体を最初に買い付けるため資金や担保掛目に限度(証拠上概ね弁護人主張のとおりと認められる。)のあることから必要となる差額について、別途資金調達の必要があると認められるが、その直接の立証も十分とはいえない。
ところで、検察官は、たとえ担保株券が直接顧客のものであるとしても被告人加藤がその本名、通名または仮名で借り入れたものである以上、債務者は被告人加藤であり、借入金も被告人加藤に帰属すると主張するもののようである。しかし、金銭消費貸借において、債務者となるものは、常に名義人であるとは限らない。現に、本件で検察官が被告人加藤のものであるとする借入口座も、被告人加藤の本名及び通名以外のものは主として実在する第三者名義のものといえる。しかも、被告人加藤が直接顧客の代理人であることを告げていなかったとしても、本件事案の性格からみて、被告人加藤が直接顧客の借入れにつき代理権を有しておれば、民法または商法の規定する顕名主義の例外として、借入名義のいかんにかかわらず、背後にいるとされる直接顧客が債務者となる公算も大であり、借入れをあっ旋するなどした黒川木徳証券や被告人加藤は保証責任を問われる余地を残しているものと解するのが相当である。そして、本件では、株券を担保とする貸付けであるうえ、証券外務員のいわゆる手張資金とは格段に異なる巨額の借入れであることからみて、証券金融業者が主たる債務者を被告人加藤とみていたかは疑問の余地があり、後述のように被告人加藤にすべてを一任し、高率の利益を期待していた直接顧客については、こうした高利益は借入れを伴って初めて実現できるともいえるから、借入れが当然の前提とされていて、借入れにつき被告人加藤に代理権限を与えていたとみる余地は大きい。
(3) 次に、被告人加藤の金策奔走については、単に直接顧客の株式取引を扱うだけであれば、金策の努力は、一次的には直接顧客においてなすべきであり、一証券外務員の行動としてみる限り奇異の感を免れない。しかし、後出にもあるように、証人沖﨑憲治郎は、五七回公判において、被告人加藤が日誠総業(株)のため金融に奔走していたことがある旨供述しているのであって、被告人加藤が買付けに関与した株券を担保とするものであってみれば、直接顧客から借入れを一任されていたための金策奔走とみる余地も十分に考えられるのであり、前示の借り株のため提供した担保株や、金融クロスにおける売りの現物株が直接顧客のものであるとする可能性も否定することができない。検察官の主張に添う証人前川の公判供述(特に二四回)等も根拠に乏しい。オイルマネーの導入に至っては、当初は融資でなく投資を期待していたのではないかとみる余地もあり、決め手となるような事情とはいえない。
(4) 口座間の移動については、検察官の主張は概ね肯認できる。しかし、そこでみられる移動の特色が、三二口座に限定されているものか、疑いの余地のあることは、右(2)で説示したところからも明らかである。後述するように、こうした移動ないしは入り混じりは、直接顧客の口座を含めた口座間でみられるのであって、検察官の主張にも限界があるものといわざるを得ない。
(5) 以上のようにして、検察官の主張にも、首肯できる点が少なくないが、これをもって、所得の帰属判定の根拠とするには、なお未解明の点も少なくなく、結局その解明は、三二口座で株式取引をしている直接顧客の有無についての直接の究明に俟つことになる。
五 三〇口座における株式取引の受渡手続・清算手続
1 双方の主張
(一) 検察官は、「被告人加藤は、株式取引においても、その資金の調達においても、三二口座を全体で一個の口座として機能させて運用していたことから、黒川木徳証券関係の三〇口座における日々の売却代金、黒川木徳証券のあっ旋等にかかる証券金融業者からの借入金、被告人加藤が第一勧銀兜町支店に設けていた加藤暠名義の貸金庫に保管中の現金からの持出分等の入金分と、三〇口座における買付代金、右証券金融業者への借入金の返済分及び右貸金庫への戻し入れ現金等の出金分について、黒川木徳証券の担当者に入出金を計算させ、その差額分だけを加藤事務所の金沢とやり取りするというプール計算方式をとっていた。そして、黒川木徳証券では、向川らが右のような内容の入出金をメモ書きして毎日加藤事務所に届けて金沢との間に受渡・清算手続をとっていた。なお、黒川木徳証券では、顧客との間の株券や現金等の受渡しの事実を明らかにしておくために、受渡請求票を作成し、担当の外務員がこれに顧客から受領印を徴求するのが通常であったものの、三〇口座の売買に伴う受渡手続については、同口座のうち個人名義の印鑑は、被告人加藤が向川に預けて同人において保管していたので、同人がこれを使い、また、法人名義の印鑑は加藤事務所において保管していたので、向川らが同事務所に赴いて金沢ら事務員に押印してもらっていたので、向川らにおいて、加藤事務所の事務員との受渡しをもって証券会社と顧客との受渡・清算手続を終えたものと認識していた。」旨主張する。
(二) これに対して、弁護人は、「検察官の主張にあるプール計算方式すなわち、差し引き計算は、大金を持ち運ぶことによって生ずる危険性を排除するために便宜処理したものであり、しかも、それは三二口座による株式取引についてだけ、そのように処理したものではない。また受渡手続についても、それは三二口座だけではなく、所謂周辺口座や直接顧客のうち加藤事務所で管理された岸本グループや岩澤グループなどに所属する人達の指定により開設された口座についても、同様処理されており、決して三二口座特有の受渡手続ではない。この受渡手続は、既に述べたように、直接顧客のうち、加藤事務所で管理していた顧客について、取引口座に基づいて管理せず、顧客名義で管理していたことによるものであり、また、もし、これら株式の取引が、被告人加藤個人に帰属するものであるなら、わざわざ事務員を雇用して事務所を設置する必要はない。被告人加藤が事務所を開き、事務員を雇用したのは、多数の顧客から委託された株式の運用と清算事務を誤りなく処理するためであって、検察官の主張は誤解でしかない。」旨反論する。
2 判断
(一) 《証拠省略》によれば、検察官のいうプール計算なるものは関係者が差引計算とも呼んでいるものであるが、対象が三〇口座に限定されるかどうかは別として、検察官の主張は概ね是認できるのであり、なお、その具体的経緯については次のとおりであることが認められる。すなわち、
差引計算は、三〇口座の順次開設が本格化し始めた昭和五三年春ころから始められたもので、当初は黒川木徳証券の前川や向川らにおいて差引計算の対象となる口座につき買付代金の合計と売付代金の合計とを算出して、その差引計算の結果のみを被告人加藤に連絡していたが、やがて、売付代金及び買付代金の合計、借入金及び担保株券の動き、借入れ及び返済の方法等を前もって報告するようになった。そのため、向川は、取引状況、担保株券の移動状況等をノートや便箋に記載するなどして、買い付ける場合には、その株式でいくらの借入れができ、その借入金で買付代金の支払や、期日を迎える借入金の返済が可能か、あるいは第一勧銀兜町支店の普通預金、同支店等(昭和五五年に入って大和銀行兜町支店も)の貸金庫に保管中の現金を使うかどうかなどを、また、売り付ける場合も、売付株数に見合う株券を、どの借入口座の担保株から何株出庫でき、それによって、その口座に担保不足が生じないかどうか、担保不足が生ずるときは、他のどの借入口座からどういう銘柄の株を何株出庫して補充できるか、あるいは新規借入れを起こして不足分を返済するかなど以上の諸点を把握し、かつ代金決済等に関する被告人加藤の意向を打診するなどしたうえ、入出金を計算して受渡方法の腹案を作り、これを受渡日の前日までに、電話で、昭和五三年夏ころからはメモ程度の書面を作成するなどして、加藤事務所の金沢に連絡して、差引計算の対象となる口座の株式取引における受渡しを差引計算するとともに、その受渡しが円滑に行われるよう取り計らっていた。その後の昭和五五年五月ころ、被告人金に対する東京国税局の査察が入ったことなどから、向川は、同年六月ころ、後にも触れるところであるが、第一勧銀兜町支店の普通預金の通帳及びその印鑑を加藤事務所に引き渡すとともに、それまで、自己がつけていた差引計算の対象となる株式取引の状況等に関するノートや個人名義の印鑑等を引き渡した。そして、その後は、中嶋らが、日々の売代金、借入金の増減、担保株の移動等をメモして、加藤事務所へ連絡し、これに基づいて、同事務所の向山らにおいて、「受渡ノート」、「担保明細表」、「担保のノート」、「金利のノート」等を作成していた。
以上の事実が認められる。
(二) しかし、本件係争年次において、受渡事務に関与した黒川木徳証券担当者の前川、向川及び中嶋らは、公判証言において、証言した公判期日により若干の変遷はあるものの、結局、差引計算の対象となった口座は三〇口座に限定されるものでなく、一部直接顧客の口座も含まれていたことを供述し、これら証言によって差引計算の結果を記載したものと認められるメモ四枚の記載も右各供述を裏付けるものである。また、右各証人は、三〇口座のほか差引計算の対象となった口座の印鑑が個人名義のものについては一時黒川木徳証券本店の向川の机上に、法人名義のものについては加藤事務所にそれぞれ置かれていて、これら名義人の手を借りることなく、受渡請求票の受領書欄に押捺していた旨供述しており、この供述もあながち虚偽と断定することはできない。
(三) 以上要するに、受渡し・清算の手続に関してみられる差引計算の方式は、三〇口座に限定してみられる特徴ということはできないのであって、この点に関する検察官の主張は、所得の帰属判定の基準とするには十分といえない。
六 三二口座の資金と被告人加藤個人の預金との混入状況
1 双方の主張
(一) 検察官は、「被告人加藤は、黒川木徳証券との間の金銭の受渡しを明確・簡便化するために、昭和五三年五月一六日第一勧銀兜町支店に加藤暠名義の普通預金口座を開設し、その通帳と印鑑を向川に預け、更に、右銀行に加藤暠名義で貸金庫を借り受け、金沢及び向山寿美ら加藤事務所の事務員のほか、前川と向川をも代理人として同行に届け出し、三二口座の取引の受渡・清算に伴う入出金の一部も、右普通預金口座や貸金庫を通して行わせていた。そして、右普通預金口座には、三二口座のうちの『中村有商事』、『誠備』、『コスモ』、『招徳』、『田河靖正』、『田久保利幸』等の名義による大証信、大証代、(株)セントラル・ファイナンス等からの借入金の戻り利息を入金したり、三二口座からの出金分を入金したり、あるいは同預金口座から出金して自己の所得税を支払ったり、三二口座に入金したり、更には、被告人加藤が友人島崎栄次に土地代金を貸与した際、同人から担保として提供を受けた約束手形一通を振り込んだり、証券金融会社に対する三二口座の借入金の支払利息を支払ったりしていた。このように、加藤暠名義の預金口座に、三二口座に関する証券金融会社からの借入金の戻り利息を次々に入金したり、同預金口座と三二口座との間に金銭の移動があるということは、被告人加藤自身が手張りを行っていることの証拠を残すことになると心配して、前川は、被告人加藤の了解を得たうえ、昭和五四年九月一三日前同様第一勧銀兜町支店に『清水誠』なる架空名義の普通預金口座を新たに開設し、以後同口座に証券金融会社からの戻り利息を入金するように改め、昭和五五年六月上旬まで引き続き通帳と印鑑は向川に保管させて、被告人加藤の指示で金銭の出し入れを行っていた。」旨主張する。
(二) これに対して、弁護人は、「加藤暠名義の普通預金口座を開設したのは、黒川木徳証券本店第二営業部で被告人加藤のお金を預ることがあったので、紛失等の防止と入出金の日や金額を明瞭にするためであった。ところが、同預金口座は受渡しの際の被告人加藤の立替金や戻り利息の入金等のほかに、被告人加藤個人の金の入出金にも利用されていたため、被告人加藤扱いの顧客が増加するにつれて、借入れも増加し、戻り利息も頻繁に発生して入金も多くなり、個人の金と、株式取引の金が一緒に一つの預金口座で入出金されていることは好ましいことではないので、これを分けて管理する必要が生じ、前川らの発案により、清水誠名義の預金口座を開設した。その後は個人の金は加藤暠口座に、仕事上の金は清水誠口座というように、使い分けられてきていたし、小切手の現金化にも利用された。三二口座を使用しての戻り利息が入金されたり、三二口座からの出金が加藤暠預金口座に入金されたりしたのは、甲第五四二号証、同五四三号証を検討すれば明らかなとおり、小切手入金で、これは顧客に交付すべき現金を引き出すため、あるいは立替金清算のための現金化であり、殊に三二口座は、加藤事務所で管理した顧客のための便宜口座(相乗り口座)として使用されていたから、一つの口座での売り代金は、複数の顧客に配分される必要から、この様な現象が預金口座に残されている。前述のとおり、加藤事務所の管理は、口座によってではなく、顧客別に管理されていたのである。税金として支払うべき金員が右口座に入金されたうえ出金されているが、それは税務署への送金納税のために過ぎない。なお、右加藤暠、清水誠の預金口座の入出金は、被告人加藤個人の金を除き、三二口座と、加藤事務所で管理した顧客が開設したその他の口座(便宜口座としても使用された口座)関係の借入れの戻り利息が主であり、その金は同顧客らへの清算(受渡し)のための入出金である。清水誠口座が、被告人の所謂手張り行為を隠蔽するために開設されたものではない。」旨主張する。
2 判断
(一) 検察官の主張は、要するに、被告人加藤個人の普通預金口座には、三二口座に関する現金等の入出金が認められるから、三二口座の取引は被告人加藤個人のものであるなどというのである。これに対して、弁護人は、右の普通預金口座には、当初から三二口座を含め被告人加藤の直接顧客の口座に関する現金等の入出金があるのであって、被告人加藤個人の預金のみに利用する口座ではなく、この口座に入出金があることから、三二口座が被告人加藤に帰属するとはいえない、というのである。
(二) そこで、証拠を検討するに、証人前川は、二〇回公判において、「加藤が非常に忙しく、連絡の取れないことも多かったため、加藤の個人的な預り金を返すために、昭和五三年五月一六日第一勧銀兜町支店に加藤暠名義の普通預金口座を開設し、そこへ入金することで受渡しを間違いないものにした。同預金口座には、加藤の個人的な歩合手数科、加藤が顧客に立替えた立替金の清算金のほかに、『永井学園』、『高森』、『誠備』、『コスモ』、『招徳』、『田河靖正』、『田久保利幸』等の三〇口座の名義による大証信、大証代、(株)セントラル・ファイナンス、(株)高森等からの借入金の戻り利息や、『招徳』等の三〇口座での株式売却代金を入金するなどし、また、同預金通帳から出された金員が『永井学園』、『中村有商事』等の三〇口座での買付資金に充てられ、更に、昭和五三年一〇月一二日以降、永井和子に対する毎月一〇〇万円余等の送金に用いられるなどしていた。なお、後日ではあるがこの預金口座から昭和五五年三月三一日加藤の所得税が日本橋税務署へ支払われている。直接顧客に交付すべきものなどは入っていない。このように、加藤暠名義の預金口座において、三〇口座の名義での借入金の戻り利息が入金されたり、三〇口座の一部の口座の買付代金が出金されたりしていることから、加藤の自己取引が公になるのではないかと心配し、加藤に対し『戻り利息や三〇口座の資金が混ざっていると、資金からみた場合に、自己取引というようなことにみられるので、非常にまずい。他の架空名義の預金口座を作ったらどうか。』などと相談を持ち掛け、加藤も、『そのように計らってもらいたい。』旨返答し、前川に別口座の開設を依頼した。そこで、昭和五四年九月一二日、第一勧銀兜町支店に、『清水誠』という架空名義の普通預金口座を新たに別途開設し、同年一一月以降清水誠名義の預金口座で三〇口座に関連した証券金融会社からの戻り利息の入金、買付代金の出金等を行い、加藤暠名義の預金口座では、三〇口座と関連のない入出金を行っていた。なお、右二つの預金口座の通帳と印鑑は、向川らが保管していたが、昭和五五年五月ころ、吉永こと金の事件で国税局の査察があったりしたため、このような預金通帳等を預っていては、加藤の右のような取引状態が表沙汰になることを恐れ、加藤の方へ返した。」旨供述する。この供述は検察官の主張に添うものであり、そのうちの客観的事実は、(検)各作成の56・4・15報、56・4・15報及び56・4・15報、(事)作成の56・3・25報などにも符合し、肯認するにやぶさかではない。こうした前川証言によれば、検察官の主張も是認できるかのようである。
(三) しかし、証人前川は、その後の公判期日において、曲折はみられるものの、供述を変化させているのであって、まず、二五回公判において、「清水誠口座を開設するとき、加藤に自己取引うんぬんということは話していない。自己取引やっているんじゃないかというような、そうはっきりしたものを持っていたわけではない。本人名義に戻り利息などが入っているとまずいから、別の口座を作ったほうがいいんじゃないか、と話した。」旨供述し、六九回公判において、「加藤のお金を第二営業部で預ることがあり、間違っては困るので、加藤にお願いして預金口座を開設してもらった。この加藤のお金とは、歩合手数科のほか、戻り利息、顧客の立替金、加藤事務所から依頼されて小切手を現金化したものなど加藤に返すべきお金である。同口座から出金されたものとしては、三〇口座の差引の清算金、借入金の利息、所得税の支払などがある。清水誠口座を開設したのは、取引が増え、戻り利息のように取引に関連したものが頻繁に加藤個人名義の口座に入金されるのは具合が悪いんじゃないかと思ったからである。当時としては加藤の自己取引が公になっては困るという認識はなかった。」などと供述し、七三回公判において、「清水誠口座を開設したのは、株式取引が増え、これに関係した戻り利息等が個人の預金口座に沢山出入りするのはまずいと思ったからである。当時加藤が手張りをしているとは感じていなかった。」旨供述し、七四回公判において、「二〇回公判で証言したことには間違いがある。その後調査したところ、普通預金口座に入金された戻り利息は、三〇口座のものだけではなく、五四年分につき直接顧客のもの三、四件すなわち岸本輝男、仲野義和、坂本幸一等のものもある。先週検察官の要請を受け、大証信の判取帳様のものや銀行勘定元帳、東洋興産の貸付金明細表を調べて分かった。まだ関係証券金融会社の全部を調べたわけではない。」旨供述するに至った。
(四) ところが、七五回公判において取調べた検察官請求の(事)作成の58・11・12報(甲542)によれば、右二普通預金口座の入出金には、三二口座関係のものが多いが、それ以外の被告人加藤の直接顧客のものと思われる口座関係のものもあり、しかも、それが加藤暠名義口座開設当初に近いころからみられることが明らかとなった。証人前川は、この七五回公判において、右の捜査報告書(甲542)を示されながら、右の普通預金口座に被告人加藤の直接顧客のものが入出金されているとして、当初の証言を明確に訂正するに及んだ。また、同じ公判において、証人向川も、同旨の供述をしている。
(五) 以上の次第で、「清水誠」名義の普通預金口座の開設が不正の発覚を恐れたことによるとみる余地は否定し去ることはできないにしても、「加藤暠」名義の普通預金口座には冒頭段階ともいうべき時期から、三二口座のものと比較して少ないものの、引き続いて直接顧客名義の口座関係と思われる入出金がみられるのであって、右二普通預金口座の性格を、被告人加藤の純個人用としてしまうことには、疑いが残るのであり、これに三二口座の取引が関連している故をもって、三二口座の株式取引が被告人加藤のものであるとするには、躊躇を感じざるを得ない。特に前川の公判初期のころの証言は信用できない。そもそも、前記(事)作成の58・11・12報(甲542)は、弁護人の要請もあって検察官が検察事務官に指示し、前川らに依頼して作成されるに至ったものであるが、同じ体裁の前出(検)作成の56・4・15報を作成する時点で、三二口座以外の名義、特に直接顧客名義関係の入出金分が判明しなかったことを遺憾としなければならない。
七 三二口座における株式取引の管理状況
1 双方の主張
(一) 検察官は、「三二口座の株式取引については、被告人加藤は、自ら常時、その取引、資金繰り及び担保の状況等を把握すべく、黒川木徳証券の前川ら担当者に対し、日々の売付代金、買付代金の合計、借入金及び担保株券の動き等をすべて報告するように要求し、その実行を受けていた。」などと主張する。
(二) これに対して、弁護人は、「被告人加藤が検察官主張のような報告を要求し、その実行を受けていたのは、加藤事務所で管理していた顧客については、売買一任勘定契約に基づき、被告人加藤がその資金や担保を把握し、顧客のため銘柄を選択し、売買の別、そのタイミングを選んで注文を出し、受渡しを代行していたところから、株式取引の円滑にして、正確な処理を願って、黒川木徳証券の前川ら担当者に依頼して、収支メモを作成してもらったに過ぎない。検察官の見解は、三二口座の性格と被告人加藤と加藤事務所で管理した顧客の関係、及び管理の内容を正確に把握しないことによる誤った推測である。」旨主張する。
2 判断
三二口座による株式取引の管理状況については、後に加藤事務所における顧客管理の実情の項でも触れるところであるが、黒川木徳証券の担当者が加藤事務所に対し株式取引に関する報告を実行してきた詳細は、前記五の2で差引計算に関連して認定したとおりであって、その対象が三二口座分にとどまらず、直接顧客のものと思われる口座分も含まれていたことが明らかであり、被告人加藤において、こうした情報を受けて、資金手当をし、株式取引を行っていたことも、被告人加藤自身公判供述中で是認しているところである。
してみると、株式取引に関するこうした管理状況は、弁護人の主張する顧客管理の場合にも必要であるとみられるのである。検察官の主張には、一部事実と異なるところもあり、必ずしも当を得たものとはいえない。
八 株式取引の隠ぺい工作
検察官は、被告人加藤が自らの所得税を免れるため、部落解放同盟や右翼団体役員の名前を表面に出し、これを被告人加藤に対する税務調査の防波堤にするなどして、三二口座における株式取引を隠ぺいし、脱税工作をしたことがあるとして、以下のような事例を指摘するので判断する。
1 中村有一に対する工作
(一) 双方の主張
(1) 検察官は、「被告人加藤は、昭和五五年九月ころ、中村有一に対し、『私が担保に差し入れた中村有商事名義の宮地鉄株三〇万株は、中村有商事が部落解放同盟政治研究会からの借入金一億八七七〇万〇七九二円で買い付けたように記帳してくれ。税金対策だ。』と申し向け、右中村有商事(株)の同年九月期の法人税確定申告書にその旨記載させて申告させた。」旨主張する。
(2) これに対して、弁護人は、「被告人加藤が宮地鉄株を担保に融資を受けた中村有商事(株)らに対し、虚偽の経理処理をして法人税の確定申告をするよう慫慂したのは、宮地鉄株の実質的所有者が社会的制約などの理由から、実名で名義書換をすることを嫌ったところから、被告人加藤は止むなく、顧客の意に従って、宮地鉄工所の臨時株主総会の開催にともなう株主権を中村有商事(株)の名のもとに行使する目的として、形式的対応をしたに過ぎないのであって、何ら検察官の主張するような脱税を意図したものではない。」旨反論する。
(二) 判断
《証拠省略》によれば、検察官主張の事実を肯認することができるのであり、なお、当時被告人加藤は宮地鉄株を担保に中村有商事(株)から融資を受けていたものであることが、併せて認定できる。もっとも、証人中村有一は、一六回公判において、前言を翻し、脱税対策を否定するもののようであるが、この供述部分は回避的で信用できない。
してみれば、部落解放同盟を防波堤にする趣旨であるかどうかは明らかでないとしても、中村有一に対する依頼の内容や、単に株主に名義を貸しただけではなく、記帳にまで及んでいることからみて、税金対策の趣旨も含まれていたことは否定することができない。なお、後出の被告人加藤の直接顧客に関する名簿等によれば、「部落解放同盟政治研究会」なる名義の口座や、証人向川英剛の公判供述(六三回)によりこれに関連するとみられる口座が黒川木徳証券本店に開設されていることが認められる。被告人加藤は、「部落解放同盟に関しては言いたくない。」などと口を濁していることに鑑みても(九八回公判)、これらが単に架空名義として利用されていたに過ぎないかは更に立証を要するところである。あるいは、それに関係した資金が右各名義の口座あるいは別の口座を通すなどして宮地鉄株の取得につながり、中村有商事(株)における記帳の裏の事情になっているのではないかとの懸念も払拭できない。しかるに、検察官は、その間の事情について何ら立証しないまま、部落解放同盟研究会に関する記帳を虚偽と断定して主張している。こうした主張をそのまま容認することはできない。
2 森下安弘に対する工作
(一) 検察官の主張
検察官は、「被告人加藤は、昭和五五年九月ころ、森下商事(株)の森下安弘に対し、被告人加藤が同社に担保として差し入れていた宮地鉄株二六万株について、中村有商事(株)の場合と同様に、同社が部落解放同盟政治研究会からの借入金一億六三二二万九八八七円によって取得したように経理処理をするように依頼し、森下安弘も、一度はその旨同社の総諸勘定元帳に記帳したが、昭和五六年三月ころ、同社の決算をするにあたり、既に、本件捜査が開始されていたこともあって、右の記帳部分を破棄した。」旨主張する。
(二) 判断
《証拠省略》によれば、帳簿破棄の理由は別として検察官主張の事実が認められる。この依頼のなかで、税金対策の趣旨は明示されていないものの、中村有一に対する場合と対比し、かつ証人森下安弘が自分の税金対策うんぬんと供述(一七回)していることに鑑み、中村有一の場合と同趣旨に認定するのほかはない。なお部落解放同盟政治研究会に関する記帳の真偽についても同様である。
3 入内島宏への名義書換
(一) 双方の主張
(1) 検察官の主張
検察官は、「被告人加藤は、昭和五五年秋右翼団体所属の入内島宏に頼んで同人の名義を借り、宮地鉄株一〇〇〇万株強を同人の名義に書き換えた。」旨主張する。
(2) 弁護人の主張
これに対して、弁護人は、「昭和五五年秋、宮地鉄株一〇〇〇万株余を、入内島宏に名義書換したのは、被告人加藤に株式の運用を委託した顧客の共同の利益を考え、大口顧客の承諾を得て、総会対策の一環として行ったもので、同株が被告人加藤に帰属するためではない。入内島宏の職業、経歴と資産状況など考えると、如何に同人名義に名義書換がなされたとしても、それが同人のものでないことは一目瞭然であり、何等隠ぺい手段となり得ない。」と反論する。
(二) 判断
《証拠省略》によれば、検察官主張の事実が認められる。しかし、同検面調書によると、入内島宏は、前示にもあるように、殉国青年隊が改組した日本青年連盟の元会長豊田一夫の世話を受けていた同連盟の旧会員で、同人方敷地内の長屋に住み、定職もなく、肝硬変に罹患している者であることが認められる。
してみれば、名義借りの主たる狙いは多様に解されるのであるが、前記1及び2の場合も、宮地鉄株の株主の名義に関するものであることからみて、入内島宏への名義書換についても、税金対策の趣旨が全く含まれていないと断定することはできない。
4 まとめ
検察官は、以上1ないし3のほか、東京証券短資(株)における磯辺明名義の借入口座開設にまつわる事情を主張し、この点については、前記四・2・(一)の(2)⑤で認定したとおりであって、概ね検察官主張の事実が肯認できる。このようにして、被告人加藤の言動に、株式取引の真の主体を隠ぺいし、ひいては納税面でも、これを回避しようとする意図のあったことは明らかである。しかし、その意図が被告人加藤の所得税逋脱のためであったのか、それとも、被告人加藤が弁解するように隠れた真の帰属主体があって、その主体たる顧客の所得税逋脱のためであったのかは、一義的に確定し得ないところであり、右のような隠ぺい工作を、所得の帰属判定の基準とするには、おのずから限界があるものといわざるを得ない。
九 被告人加藤の自己取引を裏付ける事実
1 日誠総業(株)あて代金受取書の名義
(一) 双方の主張
(1) 検察官は、「被告人加藤は、昭和五三年八月二五日付けで日誠総業(株)に対し、明治機株二〇万株を代金六四〇〇万円で、大和設株五〇万株を代金二億一〇〇〇万円でそれぞれ売り渡した際、日誠総業(株)あての代金受取書二通の売主欄に、いずれも自己の署名押印をした。」旨主張する。
(2) これに対して、弁護人は、「被告人加藤が日誠総業(株)に対し、被告人加藤名義の代金受取書を発行したのは、同会社から依頼されて明治機株などを買い付け、これを売買報告書と共に同会社に引き渡して清算するに際し、被告人加藤名義の代金受取書を発行して形式的に処理したに過ぎず、このことから被告人加藤が委託を受けて顧客のためにした株式取引が、被告人加藤に帰属するということはできない。」と反論する。
(二) 判断
《証拠省略》によれば、検察官主張の事実が認められる。しかし、本件事案の性格からみても、背後に直接顧客の存在を認める余地がないとはいえないのであって、その解明は弁護人主張の成否に関連するものといえる。
2 岩澤グループあて有価証券借用証の名義
(一) 双方の主張
(1) 検察官は、「被告人加藤は、岩澤グループの岩澤靖から、
(イ) 昭和五五年七月二九日 宮地鉄株
二三万五〇〇〇株
(ロ) 同年九月二四日 西華産株
一四一万五〇〇〇株
(ハ) 同年一〇月二一日 西華産株
四〇〇万株
を借用した際、それぞれ被告人加藤個人の名義で有価証券借用証等を作成して交付した。」旨主張する。
(2) 弁護人の主張
これに対して、弁護人は、「岩澤靖に発行した借用証は、被告人加藤が委託をうけた多数の顧客に代わって、自らの名義で作成したものである。」と反論する。
(二) 判断
この点は、すでに前記四・2の(二)・(2)で認定したところであって、検察官主張の事実は肯認できる。しかし、この担保株の所有者については、なお解明の必要が残されているのであって、弁護人の主張の成否に関連するものといえる。
3 山形こと田名部為雄に対する株式の贈与
(一) 検察官の主張
検察官は、「被告人加藤は、親交のあった(株)セントラルコンサルタント代表取締役山形こと田名部為雄から土地を買いたいなどと無心され、同人に対し、
(イ) 昭和五三年四月二四日 新電元株
三万株
(ロ) 同年七月六日 ベルト株
九〇〇〇株
をいずれも無償で譲渡した。田名部は、譲り受けたその日に、右各株式を都内の証券会社で売却し、新電元株によって二五五二万八六九四円、ベルト株によって三五五万三四七五円を取得し、これらによって土地、家屋を購入した。」旨主張する。
(二) 判断
証人田名部為雄は、三六回公判において、概ね検察官の主張に添う事実のほか、田名部が、山形の通名を用い、大日本憂国同志会を主宰する者で、被告人加藤に対し、昭和五〇年三月ころに、「山形為雄」の、昭和五三年春ころに「(株)セントラルコンサルタント」の名義を貸し、被告人加藤において、帰属の点は別として、岡三証券新宿支店、岡三証券池袋支店、三洋証券新宿東口支店、メリルリンチ証券東京支店、黒川木徳証券本店等に同名義の口座を開設して株式取引を行っていた旨を供述している。
これに対して、被告人加藤は、九八回公判において、「私のものではない。記憶がない。」旨否定している。しかし、証人田名部は、過去に部落解放運動に従事したことからも、他人から高額の贈与を受けることは不本意であるが、止むを得なかった事情を交えて供述しているのであって、少なくとも被告人加藤から判示の株券を受領した点については、客観的証拠の裏付けもあって疑いの余地がない。しかし、それが無償であったのか、被告人加藤のものであったか、それとも、誰か直接顧客のものであったかの点については、株券の出所の究明が証拠上十分とは思われないうえ、田名部の右証言や被告人加藤の公判供述(特に九八回)によれば、田名部に関係ありとみられる他の直接顧客もいないではなく、こうした事情に鑑みると、右田名部証言にもかかわらず、被告人加藤の所有する株券の贈与を受けたと認定するについては、一抹の疑いが残り、これを解消するだけの証拠はない。
4 被告人加藤の言動
(一) 双方の主張
(1) 検察官は、被告人加藤が自ら株式取引を行って相当の利益を挙げていたことを、ごく親しい知人に漏らしていた事例として、「被告人加藤は、昭和五二年一月、借入先の伸幸商事(株)に新年の挨拶に立ち寄った際、同社の滝井文明から、『儲かっていますか。』と尋ねられるや、『まあまあだ。自分は子供のころ広島で原爆に遭ったことがあるが、将来広島に原爆病院を作るのが夢だ。そのためにでっかく儲けたいんだ。』などと話し、また、昭和五五年五月下旬ころ、当時手掛けていた宮地鉄株の仕手戦の件で知人の下土井澄雄をその事務所に訪ねた際、同人に『いまに自分も大金持になるので、今度の件が落着すれば、これで株をやめるつもりだ。』などと話した。」旨主張する。
(2) これに対して、弁護人は、「被告人加藤が親しい知人に儲かっている等口にしたのは、単なる社交辞令であり、あるいは将来の夢を語ったに過ぎないもので、これら被告人加藤の片言隻句をとらえて、本件株式売買と売買益が被告人加藤に帰属するとするのは不当である。」旨反論する。
(二) 判断
《証拠省略》によれば、概ね検察官の主張する各事実が認められ、なお下土井澄雄は当時菅原通済の秘書であるとともに広島市で警備保障会社などの企業を経営しており、被告人加藤とは結婚式で知り合った程度の関係に過ぎなかったものの、昭和五五年九月下旬ころ被告人加藤の依頼を受けて、宮地鉄工(株)の役員候補者として、坂健(後に専務取締役に就任)を紹介していることが認められる。
しかし、こうした言動は、いかようにも解することができるのであって、これをもって三二口座より生ずる所得がすべて被告人加藤に帰属するとの証左とするには、おのずから限界があるものといえる。
一〇 被告人加藤の自白
1 双方の主張
(一) 検察官の主張
検察官は、「被告人加藤が検察官に対し、三二口座の株式売買益の納税義務者が自分であると自白している。」として、被告人加藤の56・4・5検の内容を次のように要約している。すなわち、
「(イ) 三二口座は、名義借り口座であるので、同口座での取引とその売買益は名義人に帰属しない。
(ロ) 三二口座での株式取引は私の客(昭和五三、四年当時で数人ないし十数人)から資金を受け取り、私が任されて全体的に運用していたものである。客は、株式取引については口出しせず、一定の金を私に渡して儲けてくれればいいというものであり、どの銘柄を、いつ、どれだけ売買するかは勿論、それに必要な金を借りたり、そのために買い付けた株を担保に入れることも任されていた。
(ハ) 従って、三二口座のうちのどの口座を使って売買するかは、私の方で適宜やっており、一人の客の資金が一つだけの口座に入っているわけではない。客は、私が客から受け取った資金をどの口座で運用しているかは知らなかったと思うし、関心もなかったと思う。また、この売買をするための金融会社からの資金の借入れやその返済、借入れのための担保の差入れなどは、私の判断と責任で行い、適宜三二口座から担保を出していた。
(ニ) 要するに、私にとって一番大事なことは、例えば、お客からあらかじめ『いつまでに何億円いる。』と言われているような場合に、きちんとそれだけのものを利益も含めて渡すことである。
この場合、三二口座に現金があればそれを渡し、足りないときは株を処分して渡すが、値上がりが期待されているときはその株を担保に金を借りて客に渡すこともあったと思うし、私の給料から立て替えて渡したこともあったと思う。また取引資金そのものを私の給料で立て替えてやったこともあると思う。これも客から任されていたことなので、私一人の判断でやっていた。
損をしたこともないわけではなく、その場合客によっては損の分を返せとうるさく言う人もいるので、私の給料から元金を渡したり、毎月一〇〇万円というように送ってやったこともあったと思う。
(ホ) 三二口座での取引の大きな利益については、私以外の誰が税金を払うかと言われても私自身以外にはなく、私が払うべきだというほかはなく、私自身今は何もなくなったが、今後努力してできるだけ払いたいと思っている。これらの利益について税金を払うということを考えていなかったことについて、私自身考えが甘かったと反省している。」
というのである。この要約は概ね適切といえる。
(二) 弁護人の主張
これに対して、弁護人は、「被告人加藤の自白とされるものについては、これを詳細に検討すると、明らかに前後矛盾がある。即ち前段は、『被告人加藤が顧客から株式取引を委託されて資金の提供を受け、これを三二口座を使って運用し、顧客からあらかじめ、あるいは事後の要求を受けて、利益を含めて清算した。』というもので、この供述は、表現するところは不十分であるが、被告人加藤と顧客との間の売買一任勘定契約の存在を前提としている。そして後段は『三二口座での取引の利益については、私以外の誰が税金を払うかと言われても、私自身以外にはなく……』と供述しているのであって、前後の意味からすれば、その利益は、当然、顧客に帰属し、被告人に帰属せず、利益を享受しない被告人加藤に納税義務はない。従って、検察官が指摘される自白部分を敢えて解釈するとすれば、それは被告人加藤が顧客の名前を開示できないことによる道義的な責任を認めたに過ぎないもので、自らの納税義務を認めたものではない。」旨反論する。
2 判断
被告人加藤の56・4・5の趣旨は概ね検察官要約のとおりであるが、そこで述べられた事実関係は抽象的、概括的であるものの、公判における弁解と同趣旨であって、これだけをみる限り、到底犯罪事実を自白したものとは理解できない。しかし、それにもかかわらず、後半において被告人加藤が納税義務のあることを肯定した供述をするに至ったことについては、顧客の資金による取引でありながら、なお所得は被告人加藤に帰属することを是認する何らかの事情が背後にあることを意識してのものと解する余地もないではない。しかし、その根拠について十分な説明はなされていないのであって、そうであってみれば、こうした供述は弁護人の反論する程度以上の価値を有しないものといわざるを得ない。
一一 総括
以上一ないし一〇で検討したように、三二口座における株式取引については、検察官指摘の数々の特徴が認められ、その他取引資金の出所、被告人加藤による隠ぺい工作、言動等の面においても、検察官主張の事実で肯認できるものが少なくない。しかし、右の特徴とみられるものが、三二口座について特に顕著であることは否定できないにしても、実は三二口座以外の口座ひいては直接顧客の口座における株式取引に関しても見受けられるのであり、その他の諸事情についても、なお多義的に解釈する余地があって更に解明を要するものと思われ、所得帰属の判定基準とするには、なお決め手を欠くといわざるを得ない。このように、未解明の点が残るのは、弁護人主張のように、三二口座の株式取引に直接顧客のものが混入していたり、それらの取引について加藤事務所が顧客ごとに分別管理をしているからであるといえないではない。そうであるとすれば、このような点についても、より直接的に真偽を究明する必要があるといわざるを得ない。
第三  三二口座の性格
一 弁護人の主張の概要
三二口座の性格に関する弁護人の主張は、既に第一章第五の二及び三で骨子を紹介したところであるが、その後なされた弁論の結果を含め、改めてこれを要約すると、以下のとおりとなる。すなわち、「被告人加藤の顧客には、関連投資顧問会社の会員の資格で被告人加藤とつながりのある『会員顧客』と、その余のもの、すなわち直接被告人加藤に取引を委託する『直接顧客』とがある。この『直接顧客』の取引は、概ね一括委託契約の性質を有する売買一任勘定によってなされていたが、これも二つに大別され、一つは、被告人金のように、取引口座や借入口座が特定され、受渡しや清算も証券会社との間で直接行う顧客であり、他の一つはこれら使用口座の開設・選択や証券会社との間の受渡し・清算までも被告人加藤に一任する顧客であった。この直接顧客のうち後者の顧客については、一任された事柄の一切を加藤事務所で管理していた。これらの加藤事務所で管理している顧客のなかには、真実の氏名を明らかにすることに支障のある者もいるうえ、いわゆる仕手戦において仕手筋を隠すなど売買手法上から、仮名口座を開設し、その口座を利用する必要があった。三二口座は、そのためのものであって、いずれも右顧客らのために便宜的に使用されたものに過ぎず、三二口座で被告人加藤の行った株式取引は、すべて右顧客らの計算においてなされたもので、加藤の計算においてした取引は一切ない。三二口座は、こうした複数顧客の取引をする相乗り便宜口座である。三二口座で取引された株券について、売りと買いで記番号に不一致がみられたり、売りオーバーや買いオーバーといった、いわゆる片商い現象が生ずるのも、そのためである。なお、加藤事務所は、三二口座の取引を顧客ごとに分別して管理していた。」などというものである。
そこで、以下、こうした反論の当否を中心に検討し、検察官の主張の是非を明らかにする。
二 株券の記番号の不一致とその原因
1 株券の記番号
《証拠省略》によれば、株券にはすべて記番号すなわち記号と番号が印刷されていて、大蔵省令により、黒川木徳証券でも、市場を通して売買がなされたものについては、株券が顧客との間で受渡しされる場合(保護預りの場合を除く。)、後日の事故に備えて、すべての株券につき、その表裏をマイクロフィルムで撮影し、受渡有価証券番号帳を作成するなどして、取引口座と、そこで売買された株券とのつながりを明らかにしており、どの取引口座でいかなる銘柄のどの記番号の株券が取引されたか、後日でも追跡できるようになっていることが認められる。
2 コンピューターによる検討
《証拠省略》によれば、公認会計士の上村光久は、前弁護人らの依頼を受け、コンピューターのソフトウェア製作会社である(株)総研システムの常務取締役沖塩裕三の協力を得て、収税官吏倉田薫作成の株式売買益調査書(甲160)、同調査書に対応する受渡有価証券記番号帳、その他関係資料の写しの提供を受け、昭和五二年ないし同五四年の全期間を通し三〇口座における新電元株、小松リフト株、昭和産株及び旭光学株の四銘柄の取引について、三〇口座を一つの口座とみなした場合、その買い株券と売り株券の間に記番号に不一致があるかどうか、あるとして不一致の程度はいか程かにつき、日誠総業分を含めたままとし、記番号不明のものなどは除外してプログラム等を作成し、コンピューターに入力するなどして検討したところ、新電元株については、売付株券数のうち買付株券の記番号と一致したものは約五七・四パーセント、買付株券数のうち売付株券の記番号と一致したものは約一一・四パーセントに過ぎず、小松リフト株については、三〇口座内の買付及び売付は各二万株、うち買付株券と記番号の一致した売付株が一万九五〇〇株、不一致の売付株が五〇〇株、昭和産株については買付株と売付株各五万株の記番号は全部一致、旭光学株については、買付株七万七〇〇〇株、売付株七万二〇〇〇株、このうち記番号の一致したものは三〇〇〇株、などという結果が出たことが認められる。もとより、こうした結果、特に新電元株については、沖塩証言に照らして、一〇〇パーセント正確であるとはいえないものの、概ね正しいものとして、それなりに是認することができる。
3 記番号不一致の原因
こうした株券の記番号に一致しないものが多い原因について、被告人加藤は、三〇口座外で買い付けられた株券が三〇口座内で売り付けられたり、三〇口座で買い付けられた株券が三〇口座外で売り付けられたりしたためで、直接顧客の取引に三〇口座が利用されていることの証左である旨強調している。これに対して、検察官は、直接顧客の取引が混入していたことを物語るものではなく、被告人加藤による直接顧客の株券の流用、証券金融業者の入出庫時等における混同、加藤事務所内での混同など被告人加藤の顧客管理の杜撰さが原因である旨主張する。
しかし、昌栄実業(株)の業務部長後藤承行は、五四回公判において、入担されたものが同一銘柄、同一株数の場合等に株券が名義の違う者の間で差し替えられる場合があるものの、こうしたことは被告人加藤の場合でもほとんどなかったのではないかと供述しているのであって、この証言に照らしても、証券金融業者で差替えの生ずる場合はごく限られていたものといわざるを得ない。また、加藤事務所内で差替えの生ずることは考えられるのであるが、後述のような片商い現象がみられることと併せ考えると、株券の記番号の不一致は、検察官主張の事由のみが原因であるとは思われない。
三 片商い現象の発生とその原因
1 弁護人の主張
弁護人は、「三二口座と加藤事務所で管理した直接顧客の各顧客勘定元帳をみると、片商い、売りオーバー、買いオーバーの現象が生じていることが判る。こうした片商い等の現象は、対応する他の口座が存在するからこそ初めて発生するものであり、売りだけの口座ならば、その株式は、何口座で買い付けたものか、または誰が現物を持って来たのか、買いだけならば、その現物は現存しているのか、いるとすれば何処にあるのか、それとも他の口座で売られて残っていないのかどうか(売りオーバー、買いオーバーも同じ)の疑問が生ずる。その原因は三二口座が加藤事務所で管理した直接顧客の口座と連動して併用されたことによるものであり、このことからも、三二口座の性格が明らかといえる。」旨主張する。
2 片商い現象の存在
(一) 三二口座における取引をみると、銘柄によっては、買い株数が売り株数を上回る買いオーバーが生じたり、逆に売り株数が買い株数を上回る売りオーバーが生じていることが証拠上明らかであり、このような片商い現象の認められること自体は検察官も認めて争わないところである。
(二) そこで、まず三二口座における片商い現象の規模について検討する。この点については、本件公訴の提起に先立ち、既に収税官吏倉田薫が顧客勘定元帳(黒川木徳証券本店分。なお信用取引分を含む。)と顧客口座元帳(三洋証券新宿東口支店分)及び同人作成の株式売買益調査書(甲160)を資料として、売買株数調査書を作成し、そのなかの銘柄別株数明細表(現物)で明らかにしている。
これによれば、三二口座を検察官主張のように一つの口座とみなした場合、本件係争年次に三二口座で取引された株式の銘柄は二四一種類にもなるが、そのなかには、収税官吏が指摘するだけでも、昭和五三年分一六銘柄一〇九万株、同五四年分二四銘柄四三四万六〇〇〇株の各売りオーバーがあるなど相当数の銘柄について買いオーバーまたは売りオーバーの現象がみられ、その株数も大量にのぼっていることが認められる。また、買いオーバー分の原因について、在庫のまま翌期に持ち越されたものか、三二口座外で売られたものかが問題となるが、これに関する実地棚卸その他の追跡調査の有無については、証人倉田薫も実施していない旨供述している(四五回、四六回)。
(三) 次に、被告人加藤の直接顧客の口座においても、片商い現象がみられることは後記認定のとおりである。
3 検察官の反論
検察官は、「三二口座について片商い現象が生ずる理由としては、
(イ) 三二口座で買い付けた株式をその他の取引口座で売却した場合、あるいはその反対に、他の口座で買い付けた株式を三二口座で売却した場合
(ロ) 三二口座やその他の口座で買い付けた株式を、株式市場を通さずに相対売買した場合
(ハ) 三二口座やその他の口座で買い付けた株式を、証券金融業者からの借入れの担保に供するなどしたため在庫となっている場合
などが考えられるところ、被告人加藤は、中村有商事(株)の中村有一、森下商事(株)の森下安弘、伸幸商事(株)の滝井文明、東京証券短資(株)の早川堯勇らいわゆる地場の証券金融業者に依頼し、あるいは多数の地場の証券会社の外務員に依頼して、黒川木徳証券以外の証券会社においても株式売買を行っていたのであるから、三二口座における取引銘柄に、片商い現象がみられるからといって、それが直ちに、三二口座の取引のなかに被告人加藤の直接顧客の取引の相乗りがあって、三二口座が被告人加藤に帰属するものではない旨結論づけることにはならない。」とし、その例として、
「(イ) 中村有一に依頼して行った株式取引は、協立、丸荘、大七、山加、茜、千代田、丸金、内外、山文、丸一、松井、新興等の各証券会社において、四〇口座を超える仮名口座を使用してヂーゼル株、新電元株、丸善株、大変圧株、宮地鉄株等の売買を行ったり、また被告人加藤が日誠総業(株)の委託により丸善株の買付けを実行した際には、地場の証券会社のほとんどにおいて、文字どおり無数の仮名口座を使用して行っており、更に、横井・横山グループ(後出)についても、多数の証券会社において売買を行ったり、
(ロ) 日誠総業(株)の委託により丸善株の買付けを実行した際、黒川木徳証券本店の和田宏臣名義口座(横井・横山グループ)で二万株、長谷川真知子名義口座(同)で二万株、坂本恵子名義口座(後出坂本グループ)で一五万株、岸本輝男名義口座(後出岸本グループ)で一五万株の各買付けを行ったように、直接顧客の取引口座を他の顧客のための取引に使用したり、
(ハ) 株式市場外において、相対取引により、日誠総業(株)に対し、明治機株二〇万株と大和設株五〇万株を売却したり、岩澤グループ(後出)に対し、丸善株合計一七一万株を売却したり、
している。」旨主張する。
4 考察
右2で認定したように、三二口座には片商い現象がみられ、その規模も決して小さくない。その原因については、検察官の主張にもみられるように、三二口座外での買付株が三二口座内で売られた場合、三二口座内での買付株が三二口座外で売られた場合、在庫として前期末より引き継がれ、あるいは翌期首へ持ち越される場合など、いろいろの場合が考えられる。そのうち、三二口座外での売付け、買付けとして考えられるのは、三二口座の名義を用いるものの市場外で取引される場合、外部証券にある被告人加藤の口座や直接顧客の口座などで取引される場合などである。検察官の指摘する(イ)ないし(ハ)の事例も、一部後にも触れるように、関係証拠によって概ね肯認することができる。
しかし、右にいう三二口座外の取引がすべて外部証券にある被告人加藤の口座における取引か、あるいは市場外の相対取引に限定されるとする確証はない。また、三二口座における買いオーバー分が長期間在庫のまま残っているとする確証もない。むしろ、証券金融業者の入出庫状況をみると、在庫として残っていない銘柄も少なくないようである。例えば、被告人加藤は、公判(特に二八回)において、「新電元株は、収税官吏倉田薫作成の株式売買益調査書(甲160)をみると、昭和五四年六月二六日以降、三〇口座では売買されておらず、一一三九万五〇〇〇株が残ったままになっているが、このように一一三九万五〇〇〇株も買いっぱなしになっているのは買付代金コストからみても異常である。他方、宮澤和夫作成の56・11・11回答書によると、昭和五四年六月二七日以降、担保の受渡しの入出庫欄に出てくる新電元株の株数は四〇〇〇ないし一万株程度で、何十万株、何百万株というのはない。実際にも、新電元株に一一三九万五〇〇〇株もの残株はない。それは、直接顧客に渡されているのである。更に、右株式売買益調査書(甲160)によると、カーボン株(日本カーボン)は五万株買って、五万株売って、更に五万株売っていて、五万株の売りオーバーがあるが、このことは、直接顧客のカーボン株五万株が三二口座で売られたことを示している。岸本グループで買ったカーボン株の記番号と、ここで売られた五万株の記番号とを検証すれば一致するはずである。」などと供述していて、この指摘が直ちに誤りであるということもできない。このうち新電元株についてみると、証人前川の公判供述(二四回)によれば、各金融機関の貸付台帳などの資料を検討したが、右のような大量の在庫はないというのである。もっとも、カーボン株については、岸本グループの口座について作成された宮澤和夫作成の57・2・13回答書によると、問題の売りオーバーに対応する買いはみられない。しかし、これは黒川木徳証券本店に開設された口座に関するものであるところ、松田徹の57・2・15検及び(事)作成の57・2・15報によれば、岸本グループについては、外部証券に多数の口座の開設されていることが認められるのであって、その口座におけるカーボン株の取引を吟味しなければ、被告人加藤の指摘に答えることはできない。しかし、本件で、これを明らかにする証拠はない。このようにして、直接顧客の口座にも片商い現象がみられる以上、その口座が取引上三二口座と連動していて、三二口座に直接顧客の資金による取引が相乗りしているのではないかとの懸念を払拭できないのである。
そうすると、被告人加藤には、どのような直接顧客がいたのか、その株式取引はどのような方法で行われていたのか、また、その口座を含め、被告人加藤が使用できる取引口座にはどのようなものがあったかなどの点について、更に検討する必要がある。
四 被告人加藤の顧客とその分類
1 弁護人の主張と問題点
(一) 被告人加藤の顧客に会員顧客と直接顧客のあることは、既に認定判示したところであるが、弁護人は、この直接顧客は更に加藤事務所で管理しないものと、管理するものとに分類されるとしたうえで、次のように主張する。すなわち、
「このように分類された顧客について、株式取引委託に関する契約、その当事者取引に伴う受渡し、及び取引内容等の管理と、使用された口座の機能と運用方法などの面からみると、
(イ) 会員顧客は、株式取引についての売買一任勘定契約を、会員と会員代表((株)誠備の場合は池田唯次)との間に締結し、被告人加藤はただ前記三社((株)誠備、(株)ダイヤル投資クラブ及び(株)日本橋ダラー)の事務員から『今度買い付け、または売り付ける株式は、どれがよいか。』、『買付資金量はこれだけあります。』という申出を受け、売買すべき株式の銘柄を推せんし、売買時期、株価などの一任をグロスで受け、注文していただけで、各会員口座への振り分けや、四日後の受渡実務等のすべては、各社の事務局が行っており、被告人加藤は一切タッチしておらず、いうなれば被告人加藤は、会員顧客に対して、単に、銘柄推奨とその時期をアドバイスしていたに過ぎない。なお、会員顧客は多く信用取引を希望したが、黒川木徳証券には信用取引の枠があり、希望どおりにすることは現実的にも不可能であること、そのため証券金融会社を利用し、現物株式入担の方法による借入れを説明しているが、借入れに関しても被告人加藤の関与の程度は、右が限度であり、会員個々の借入実務は、黒川木徳証券と右会員顧客所属の右三社で行い、被告人加藤は全くタッチしていない。
(ロ) 加藤事務所で管理しない直接顧客については、売買一任勘定契約は、直接顧客と被告人加藤との間で締結されるが、右契約の内容は、株式の銘柄、その売買時期、株数、株価などは一任されるが、使用される口座は、直接顧客本人が選択特定した名義で、自ら証券会社に出掛けて開設した口座に限られるので、証券会社からの売買報告書は、顧客本人の手許に届けられ、受渡しも本人またはその代理人が行うため、その取引(借入れの入出庫を含む)全部の内容と損益まで、顧客本人が把握管理していたので、加藤事務所で管理する必要がなかった。この種直接顧客の取引は口座が特定されていたため、他口座(三二口座及び同口座と同様に使用され同機能を果した後述の便宜口座)と併用されることがなかったから、その顧客勘定元帳の記載は、買付株数、売付株数が残株数との関係でぴたりと符合し、株券の記番号も一致するし、買い・売りオーバー現象もなく、次に述べる加藤事務所で管理した直接顧客の顧客勘定元帳及び三二口座とその余の名義の口座の顧客勘定元帳の記載と全く趣きと内容を異にしている。
(ハ) 加藤事務所で管理した直接顧客について述べると、その売買一任勘定契約は、直接顧客と被告人加藤の間に締結されるが、その内容は、銘柄、その売買時期、株価などはもとより、使用する口座と、証券会社も包括的に一任していたから、この種顧客の取引は、三二口座とその他の口座が併用されたため、証券会社から届く売買報告書は、自己が開設した口座の分に限られるから、自己の全取引を把握することができないし、いわんや、自己が開設した口座を持たない顧客は、被告人加藤の報告による以外に自己の取引を把握できないので、もっぱら加藤事務所において管理し、受渡し(精算も含む)も同事務所と直接行っていた。」
弁護人は以上のように主張する。
(二) 会員顧客に関する弁護人主張の右(イ)の事実については、すでに一部は認定しているところでもあり、関係証拠によって概ね肯認することができる。もっとも、弁護人は、「被告人加藤は、会員顧客に対して、単に、銘柄推奨とその時期をアドバイスしていたに過ぎない。」と主張しているが、被告人加藤自身公判(特に九八回公判)で、「銘柄の選択、売買の別、タイミングなど一任されている。」旨供述しているのであって、むしろこの供述こそ、被告人加藤と会員顧客の株式取引との関係をより正確に示すものということができる。
(三) 直接顧客に関する弁護人主張の右事実のうち、(ロ)の事実については、これも一部は既に認定したところであり、関係証拠によって概ね是認できる。被告人金も、(ロ)に分類される直接顧客の一人とみられる。問題は、(ハ)に分類されるところの、加藤事務所で管理する直接顧客の存否であり、以下で検討を要するところである。
2 問題となる直接顧客の口座名、グループ名等
(一) 被告人加藤の直接顧客については、黒川木徳証券本店から押収されたものとして、《証拠省略》がある。これによると、直接顧客の口座数は多数であるが、仮名が含まれていたり、一人で複数の口座を開設しているものもあることが推測され、顧客の実名や実数はすべてについて正確に把握できているとはいえない。
(二) 被告人加藤は、捜査段階以来、ほぼ一貫して弁護人の前記(ハ)の主張に添う供述をして、加藤事務所で管理する直接顧客がある旨供述しているものの、氏名や人数など具体的なことは明らかにしようとしない。しかし、六六回公判で(事)作成の58・8・15報が提出され、これに添付された中嶋敏郎作成のグループ別名簿(写し。以下同様)によって、直接顧客のグループ分けの概況が判明するようになった。なお、このグループ別名簿について、証人中嶋敏郎は、六七回公判において、「昭和五七、八年ころ、自分が作ったもので、民事事件の方の関係上、いろいろの名簿から拾って、グループ分けしたもので、後ろの方の流して書いてあるのは、どこのグループに入るのか、単独か、はっきりしない分である。一部向川に聞いたものもある。」などと証言している。
(三) 被告人加藤も、右表の提出される前後のころから直接顧客についての具体的供述を始めた。主として、六四回公判と七八回公判における供述を要約すると次のとおりである。すなわち、
「松井グループの名義は、松井信吉、松井誠一、大松広至、郭などがある。岸本グループのような集団に近い形で、ただ岸本ほど一本にまとまってなかったと思う。実態をみないと分からないが、約定について三〇口座と入り混じりはないと思う。」、「杉本グループの名義は、杉本興産、杉本義一などがあり、入り混じりは、ちょっと調べてみないと分からないが、ないと思っている。」、「中沢グループの名義は、中沢栄二、中沢富久子、能登栄三の三口座だと理解してよい。中沢栄二は政治的活動をしている人で、このグループと三〇口座との入り混じりの可能性はある。」、「東風については、元プロ野球選手の関係している会社で、他に名義はなく、東風グループという形はない。三〇口座との入り混じりもない。」、「菅グループは、横井・横山グループとか長谷川真知子グループとかいうもので、このグループは売買一任、全面的に任せて頂いていた。」、「大井川関係の口座は、昭和五二年八月か九月位で一応終了になっているはずで、本事件のときは関係ないと思う。」、「武中グループは、政治家の関係したグループである。武中という人は、菅と同じような立場の人で、ある人の秘書をしている。入り混じりがあるか、今の段階では言いたくない。昭和五四年中に取引があったのは、武中勉の口座だけかと思う。」、「大洋関係の口座は、時間と共に変化していて、最初ヂーゼルをやるときは、すべて借入れをも含めた売買一任という形であったから、入り混じりは確実にあった。その後の、ベルトとかは調べてみないと、あったか、なかったかは確答できない。」、「稲村グループは、政治活動をしている人のものである。谷という名義も同グループに関連している。このグループと三〇口座とは、入り混じりはない。」、「長谷川弘というのは、昭和五二年当時、大井川興産のために使ったものではないかと思う。入り混じりは、おそらくない。また、昭和五三年、五四年には、使っていないと思う。」、「次郎丸嘉介は日誠総業の関係であるが、入り混じりは、緑屋とかの取引が昭和五三年にかかっているかどうか、ちょっとおぼつかないので、ちょっと分からない。」、「小泉という口座は、政治的活動をしている人のもので、入り混じりはないと断言していい。」、「川北グループは、川北博と奥さんの名前とで、入り混じりはない。」、「植松グループは、あるにはあるが、お客さんに断わらないで、こちらでしゃべることは抵抗のある口座である。」、「藤原グループは、藤原三郎関係で、身近にいた人だから答えにくい。入り混じりは調べてみないと分からない。」、「田ログループ、坂本グループ、下村博については、今、この段階では供述を差し控えさせて頂きたい。」、「岸本グループとか、北海道グループなどに関しては、そういうお客のために三〇口座が使われた。」、「また、その名義でしか約定できないし、その名義でしか借入れができないものとして、吉永こと金、米原文子などの口座がある。このような米原などの口座は、入り混じりをしてはいけないということは当然言っている。入り混じってもいいのは、差引計算されているというものだけである。入り混じりのある伊藤明子グループなどは、実務の都合で、誠備とかで借入れしてもいいし、売る時には、私が、適当にと言えば、伊藤明子という注文伝票書くか、誠備という注文伝票書くか、それは実務者任せである。そして、それを、ちゃんと加藤事務所で管理できるようになっていた。加藤事務所で管理する口座というのは、伊藤明子グループとか、岸本グループとかに限定されるわけで、誠備の会員や米原文子、金丞泰などの口座は管理しない。管理のやり方は、伸幸商事のノートが証拠物として出ているけれど、機能としては、あれと全く同じやり方である。加藤事務所では、伊藤明子グループから、何日にいくらお金が来たかということが最も大事である。そうしたら、そのお金を、借入れを起こすなりして、何の株を何株買ったかということが次に大事になってくる。その次に大事になってくるのは、何株保有している株を、いつ、何株売って、残が幾らで、伊藤本人に、幾らの現金、売り代金、あるいはそういうものを渡したかということである。こういうことが基礎にあれば、それに付随した形のものは自然に出てくるということである。直接顧客である伊藤明子グループから幾ら来たかというような今言ったことを、加藤事務所が完全に管理していたといえるのは、私も見て、時々チェックしていたし、実際の受渡しに支障がなかったからである。」
以上の趣旨の供述をしている。
(四) そのほか、被告人加藤は主として二八回公判において概ね次のような供述もしている。すなわち、「三二口座は、多数の顧客のために使われた口座であって、加藤が手張りのために使った口座ではない。兜町での実態をみれば、一つの口座が多数の顧客のために使われている。三二口座も、一つの口座を多数の顧客のために使用するいわゆる相乗り口座ないし便宜口座というようなものに過ぎない。三二口座は、加藤の顧客が増えるに従って、実務の便宜上、自然発生的に少しずつ増えていったものである。初めは、大井川興産のための『中村有商事』、『森下商事』である。伊藤明子グループ、石井グループのできた昭和五三年春ころ、いくつかの口座が増える。横井・横山・和田宏臣グループができたことで、昭和五三年半ばころ、更に増える。岸本グループができ、昭和五三年一二月ころ、より増えたという具合である。そして、このように口座が増えたのは、売買シェア、買占めの誤解等の問題があるために、名義や証券会社を分散しなければならなかったためである。三二口座を、このように使用できたのは、株式取引をすべて加藤に任せる売買一任勘定の顧客が存在したからである。岸本グループは任されていたし、ほかにグループとしてみて一〇ないし一五グループあったが、動いているのは常時一ないし三グループである。そのような顧客がいるならば、誰かが名乗り出るはずであるというが、顧客は、株が暴落したため、名乗り出れば何億円もの借金を負うことになるため名乗り出れないのである。顧客のいたことは、向川が銀座の事務所に来て待たされたことがあるが、それは、加藤が、右のような売買一任勘定の顧客との間で受渡しの事務をやっていたため、その顧客を向川に会わせたくなかったためであり、向川は、その顧客の存在を知っているはずである。」
以上のように供述している。
(五) このようにして、弁護人が主張するところの、加藤事務所で管理する直接顧客の存否については、すでに三二口座に取引の混入している日誠総業グループのほか、被告人加藤の供述等で混入の疑いがある顧客グループについて、個別に検討を加えるのほかはない。当事者双方の攻防も同様であって、以後における被告人加藤の供述をも参酌しつつ、後記六において判断を示すこととする。
五 被告人加藤の関係する取引口座と利用方法
1 弁護人の主張
弁護人は、「加藤事務所で管理する直接顧客の取引に使用された口座は、直接顧客が用意し開設した口座や三二口座に限らず、三二口座と同じ性格で同機能を有し、同様に使用されたのに、何故か三二口座に加えられなかったタキイケイスケ、カガミアキラ、コマツマサアキ、コバヤシスズオ、クボタセイイチその他などの便宜口座があるほか、直接顧客が用意し開設した口座及びコモリトウジロウ、和光グループなどの口座のように、あるときは名義人本人に帰属する取引に、あるときは名義人とは別個の直接顧客に帰属する取引のための便宜口座として使用された、いわば二面性の機能を果した口座が存在した。そして、加藤事務所において管理した直接顧客は、一五前後のグループ顧客と二〇ないし三〇名の個人顧客があり、これら顧客の取引に使用された口座は、直接顧客が用意した口座、三二口座を含めた便宜口座、右コモリトウジロウ等二面性の機能を果たした口座を含め、全部で一〇〇口座以上あった。ところで、加藤事務所が管理した直接顧客には、本人が用意した口座を持った客と、口座を全く持たない客がいたが、三二口座は、これら二種類の顧客の取引のため、右タキイケイスケ等の便宜口座、コモリトウジロウ等の口座、及び直接顧客が用意した口座と併用されていた。そのため、約定においても、借入れにおいても、三二口座とその他の口座で一度に大量の株式が買い付けられたり、あるいは三二口座とその他の口座で売られたり、三二口座で買い付けられた株式がその他の口座で入担されたり、その逆であったりという、いわゆる入り混じり現象を呈している。この入り混じり現象は、三二口座もそうであるが、三二口座と連動して使用されたその他の口座の顧客勘定元帳においても片商い、売越しとして現れている。この入り混じり現象は、蓋し当然の結果といえよう。株券でいえば記番号の不一致が生ずる。この点、会員顧客と加藤事務所で管理しない直接顧客の取引は、三二口座を含め他の口座との併用がないから、顧客勘定元帳での片商い等の現象は全く見られないし、株券の記番号も一致している。」旨主張する。
2 被告人加藤の関係する口座の概観
(二) 被告人加藤の関係する口座については、その顧客に対応するものであり、たとえそれが仮名であるとしても、原則として顧客を表象し、特定するものといえる。そして、会員顧客の主体を占める(株)誠備の廿日会関係については、廿日会五十音別名簿が押収されているが、その口座と三二口座との間で取引の入り混じりはないとされており、特に取り上げて論ずる問題はない。直接顧客の口座については、黒川木徳証券に開設されたものについて、多数の名簿が押収・提出されていることは前示のとおりである。そして、そこでは三〇口座も、直接顧客の口座に含まれていることが認められる。
(二) しかし、審理が進むにつれて、三〇口座ないし三二口座と同様の特徴を有する口座が、ほかにも直接顧客の口座とされるもののなかにあるのではないか、それだけではなく、同様の口座が外部証券にもあるのではないかとの疑いが生じてきた。また、三二口座と同様とまではいかないものの、被告人加藤の使用できる口座が黒川木徳証券や外部証券にあるのではないか、更に被告人加藤は、直接・間接、外部証券の証券外務員に発注して株式取引をしていたのではないか、との疑いも生じた。また、これとは別に、被告人加藤の直接顧客について、外部証券に口座を開設し、被告人加藤に一任して株式取引を行っている例も多数見受けられるようになった。そこで、これらを個別に検討する。
3 三二口座と同様の特徴を示す口座
(一) 証人向川英剛は、二六回公判において、「三〇口座について、被告人加藤や加藤事務所の事務員と黒川木徳証券の担当者の間で、昭和五三年夏ころから『こっちの口座』と呼ぶようになることがあった。」旨供述する。これに続いて、二七回公判で証人中嶋敏郎は、「加藤事務所との間の差引計算の対象となる口座として、『こっちの口座』と『こっち関係の口座』の二種類があったが、このうち、『こっちの口座』としては、コスモ、招徳、アールヌーボ、永井学園、高森、田久保利幸のほか、三誠実業、ダイヤ物産、旭企画、建設グループのもの、小森グループ傘下の十条グループと和光グループなどがあった。『こっち関係の口座』としては、岸本グループ、岩澤グループ、木倉グループ(木倉功、三慶商事)、誠心経済研究所、誠宏経済研究所などがあった。蔭山幸夫、小林鈴夫、全戦争受難者慰霊協会も、これに含まれる。直接顧客の口座で含まれているものもある。加藤の直接顧客の口座は全部で三〇〇位あり、三分の一の一〇〇位が『こっちの口座』と『こっち関係の口座』である。」旨供述している。
(二) 更に、証人向川は、六三回公判において、「三二口座と同じように使われている口座は、黒川木徳証券にもほかに五、六口座あり、外部証券にもある。黒川木徳証券では、小林鈴夫、小松正昭、ダイヤ物産、旭企画などである。差引計算の対象とされていたものには、三〇口座のほか、岩澤、木倉、岸本の関係がある。」旨供述し、続く六四回公判において、「和光会、東十条グループも『こっちの口座』に入ると思う。五五年に入って、三誠実業、ダイヤ物産のほか、旭企画、東洋開発や成塚平八も、そうかも知れないが、分からない。『こっちの口座』のほかに、差引計算の対象になったのは、伊藤グループ、坂本グループ、菅関係、岩澤関係、木倉関係、岸本関係、中沢関係、小泉関係、全戦争受難者慰霊協会関係などで、田口関係や日誠総業、杉本グループなどはなっていないと思う。戻し利息を顧客の口座に入れるか、被告人加藤の普通預金口座に入れるかは金沢千賀子が決める。差引計算の対象となっている口座の戻し利息は、この普通預金口座に振り込まれていた。田口関係のものが入っていたこともある。」旨供述した。なおも、証人向川は、六六回公判において、「差引計算を許された口座のことを、中嶋が『こっち関係の口座』と呼んでいたことがある。差引計算を許されていた口座と『こっちの口座』との間では、株式売買の入り混じりの可能性があると思う。」旨供述する。
(三) 証人中嶋は、六七回公判で、「十条グループや和光グループの口座は、直接顧客である小森らも利用し、被告人加藤も利用するという二面性を有していた。『こっち関係の口座』とは直接顧客の一部の口座である。注文の振り分けについて、『こっちの口座』では振り分けは一任されていたものの、『こっち関係の口座』では口座名が指定されていた。この両者を合わせて口座数は一〇〇位と証言してきたが、それ以上あったと思う。直接顧客で外部証券に口座があり、取引したのもある。外部証券の口座は、大半の証券会社に、何百何千になるか分からないが、あったと思う。」などと供述する。
(四) 被告人加藤は、九五回公判において、「証券金融業者は、融資を受ける客の需要に応じて、その株式の売買業務を代行するため、複数客が相乗りして利用できる便宜口座を開設している。被告人加藤と取引のある東京証券短資(株)、森下商事(株)、伸幸商事(株)についても同様である。自分の用意した便宜口座は、昭和五二年ころは三つか四つ。昭和五三年に入って三〇口座のものも増え、全部で四〇か五〇になる。三〇口座のほか、三誠実業、旭企画、ダイヤ物産、森下正俊、加々美明、滝井啓佑などである。この便宜口座が中嶋証人のいう『こっちの口座』であると思う。また、中嶋証人がいう『こっち関係の口座』とは、加藤事務所で管理している直接顧客のうち、差引計算が行われている顧客口座を指すものと思う。伊藤明子口座とか横井・横山の口座はこれに入る。小森藤次郎のグループ、十条グループ、和光グループの口座については、小森に依頼して便宜的に使用させてもらった口座であるが、他方、小森ら本人も自ら取引に利用している口座である。従って、顧客勘定元帳上の区別はできないが、片商いも出てきていると思う。注文した者が受渡しを行うことによって区別している。このように、便宜口座の数が増えたのは増加した顧客のニーズに応ずるためである。そのほか、加藤事務所で管理している顧客のなかで、本人名義の口座のほか、仮名などで自ら口座を用意・開設していながら、取引には、その口座のほか三〇口座が併用されているものがある。その理由について、例えば信用取引を希望する者が多いのに、日本証券金融の融資には上限があり、他の証券金融を利用せざるを得ないが、個人名では、借入口座を開設しても与信に限度があり、開設にも、それなりの調査、信用が必要で時間もかかる。また、個人名の口座ではヂーゼルという銘柄一本でこれを担保に借入れをすることには限度がある。三〇口座のうち法人名義のものが特に借入口座として必要になる。加藤事務所管理客のなかには、初めから口座を開設しないで便宜口座だけで取引をする者もある。信頼関係のできているものについていえる。」と供述し、更に、九八回公判で、「招徳(客コード16704)という口座は、招徳自体の資本金でやっている部分と、便宜的に使われている部分のある口座である。中村有一(客コード16771)、永井和子(客コード16775)、藤井正義(客コード16782)などは便宜的に使わせてもらったかどうか、分からない。上杉佐一郎(客コード17650)、ナガタセツ(客コード17564)は、いずれも名前を借りた口座である。遠矢健一(客コード18093)とトキタカツヒロ(客コード18437)は、いずれも便宜的に使わせてもらった口座である可能性が強い。」などと供述している。
(五) 以上の各供述のほか、《証拠省略》によれば、被告人加藤は、黒川木徳証券本店に、三〇口座同様の性格、機能を有する口座を設定しており、少なくとも、次表のうち4ないし14のものがこれに該当すると認められる(その一部は第二・一・2・(一)の(7)、(8)で認定済み)。次表の1ないし3の各口座も一部にしろ、三〇口座と同様のものとして利用されていることが認められる。

番号 口座名 口座開設年月日
(昭和・年・月・日)

1 中村有一 四八・一〇・一九
2 永井和子 四九・七・二五
3 山形為雄 五〇・三・六
4 森下正俊 五〇・七・一四
5 滝井啓佑 五〇・八・一五
6 加々美明 五〇・九・一
7 久保田誠一 五四・四・二三
8 小林鈴夫 五四・四・二三
9 小松正昭 五四・四・二五
10 是永徳康 五四・四・二五
11 前坂一美 五四・四・二五
12 三誠実業(株) 五五・二・一九
13 ダイヤ物産(株) 五五・四
14 旭企画 五五・四

(六) また、以上各証拠のほか、《証拠省略》によれば、小森藤次郎は、(株)誠備の代表取締役辞任後も、その方針を生かすべく、昭和五四年六月ころ約六〇名の会員で誠寿グループを結成し、その傘下に和光会A、同B、十条グループ、やよい会、滝山グループ、戸越グループなどのグループを設け、全員が黒川木徳証券に口座を開設し、また傘下グループの代表が廿日会に所属し、被告人加藤に一任するなどして株式取引を始めたが、他方、被告人加藤の依頼を受けて、和光会と十条グループの三〇名弱が口座を同被告人に貸し、以後これらの口座では、被告人加藤に一任した取引のほか、各名義人においてする取引、被告人加藤の側でする取引が入り混じって行われていたことが認められる。
(七) なお、検察官は、このような三〇口座と同様の機能を果たしていた他口座の存在について、「これらの口座における取引は、被告人加藤ら関係者によって、三〇口座における取引ほどには明確に意識して取り扱われていなかったので、本件訴因に含めなかったものであるが、仮にこれらが三〇口座と同じように被告人加藤によって運用されていたとしても、そのことは三〇口座における株式取引が被告人加藤の行っていた株式取引であることを否定することになるものでないことは当然である。」旨反論している。
しかし、たとえ三二口座の性格が検察官主張のとおりであるとしても、三二口座と同様の性格を有する口座や、三二口座的性格を併有する二面性の口座が認められることは、そこでの取引ひいては損益を確定しなければ、所得額の計算ができないということを意味する。しかも、そこでも、三二口座同様に記番号の不一致や片商い現象がみられるとしたら、その原因の究明や、株券の入出所先の追及も必要となる。また前出の各供述に鑑みても、こうした性格を有する口座は、ほかにも、しかも黒川木徳証券だけではなく、外部証券にも開設されているのではないかとの疑いが生ずるのである。
(八) 中嶋証人が特に強調する「こっち関係の口座」については、「こっちの口座」のように、注文の割り振りが黒川木徳証券の関係者に一任されているか、あるいは加藤事務所から使用口座の指示があるかなどは別論として、「こっちの口座」と同様に差引計算の対象とされ、また、証券金融業者からの戻り利息が被告人加藤の前記普通預金口座に入金されることがあるなどの特徴を有することが認められる。そして、その範囲については、少なくとも岸本グループ、岩澤グループ、伊藤明子グループ、菅グループ(横井・横山グループ)などが含まれていることは疑いの余地がなく、詰まるところ、弁護人が主張するところの、加藤事務所で管理する直接顧客の存在や性格を判定するについて、一つの手掛かりになり得るものと思われる。
4 外部証券に開設された口座
(一) 被告人加藤が黒川木徳証券本店の証券外務員でありながら、直接顧客について外部証券に口座を開設させ、一任を受けて取引の注文を出していたことは、被告人金の例によっても明らかである。しかし、本件においては、外部証券の口座の存否や性格判定は、攻防の中心でなかったためか、外部証券利用の全貌は明らかにされていない。それでも、既に一部その口座の存在を認定したところであるほか、なお証拠上明らかなものを、以下に示すこととする。
(二) 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。すなわち、
(1) 被告人加藤は、昭和五三年八月ころから同五四年六月ころにかけて、当時日本橋ダラー(株)の従業員であった松田徹に対し、外部証券に仮名口座を開設するように指示し、これを受けて松田徹は、当初、コスモ(株)の所在する前記新光オフィソームを住所地として、一五ないし二〇位の外部証券に一五ないし二〇位の仮名口座を開設し、昭和五三年一〇月五日ころには、中央区日本橋兜町二丁目中央ビル六階六二号室を借り受け、「日新商事」という表札を掲げ、同所を住所地として、一五ないし三〇位の外部証券に一五ないし三〇位の仮名口座を開設し、また、中央ビル四階を事務所として同様に同数位の仮名口座を開設し、更に、貸机、貸事務所を六ないし一〇箇所位借り受け、同様に、外部証券各社に六ないし一〇位の仮名口座を開設し、以上五〇社位に合計五〇ないし六〇口座を開設したが、常時動いていた口座は一〇~二〇口座程度であった。これらの仮名口座には、二〇〇〇万ないし五〇〇〇万円位の信用取引委託保証金が預託されていたが、これらの金員は、事務所の経費を含め、いずれも加藤事務所から支出されていた。なお、これらの仮名口座における株式取引については、松田徹らが、被告人加藤から注文の指示を受けながら、中央ビル六二号室などにおいて電話で各証券会社に発注するなどしていた。その取扱い銘柄は、主に、明治機株、大和設株、丸善株、新電元株、西華産株などであった。
(2) 昭和五四年四月ころ、被告人加藤は、当時(株)誠備の従業員であった田久保利幸に対し、「適当に口座を開設しておいてくれ。」などと指示し、これを受けた田久保利幸は、信用取引の委託保証金を加藤事務所から受け取って、東和証券に昭和五四年四月二七日「小林鈴夫」、山吉証券に、同年五月一五日ころ「山本利夫」、同年六月一五日ころ「横山十三雄」、同年七月二三日ころ「小川芳夫」、大成証券に、同年五月一五日ころ「坂井恭一」、同年六月一四日ころ「横山十三雄」、同年九月一〇日ころ「横井勝」の各仮名口座を開設した。なお、これらの仮名口座における株式取引は、田久保利幸らが、被告人加藤から注文の指示を受けながら、右中央ビル六二号室などにおいて、電話で各証券会社に発注するなどして行っていた。
以上の事実が認められる。
5 外部証券にある他人の口座の利用
《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。すなわち、
(一) 被告人加藤は、昭和五一年ころから、森下安弘に対し、株式の売付けや買付けの依頼をするようになり、森下安弘は、森下商事(株)に出入りする外部証券各社の証券外務員にこれらの注文を出し、その注文を受けた外務員をして、外部証券等における適宜の口座の利用により、売付けあるいは買付けをさせ、被告人加藤の右依頼を実行していた。
(二) 被告人加藤は、伸幸商事(株)の滝井文明らに対しても株式の売付けや買付けの依頼をし、同人らにおいて、前同様、同社に出入りしている外部証券各社の証券外務員のうちから、一七社位の外務員にこれらの注文を出し、被告人加藤の右依頼を実行していた。伸幸商事(株)に対する被告人加藤の依頼は、七対三位の割合で買い注文が多く、大口では、ラサ工株の一三五万株、不二家株二二五万株、宮地鉄株七〇万株等があった。
(三) 昭和五二年八月ころから、被告人加藤は、中村有一に対し、株式の売付けや買付けを依頼し、同人も、前同様、中村有商事(株)に出入りしている外部証券各社の証券外務員に頼んで右依頼を実行していた。中村有一が、被告人加藤の依頼により売買した株式の主なものは、昭和五二年八月ころはヂーゼル株、昭和五二年暮ころは新電元株、丸善株等であった。
(四) 被告人加藤は、昭和五三年ころから、東京証券短資(株)の早川堯勇に対し、株式の売付けや買付けの依頼をし、同人において、前同様、同社に出入りしていた外部証券一二、三社位の証券外務員にこれらの注文を出して、被告人加藤の右依頼を実行していた。被告人加藤の右依頼は、買い注文が主で、売り注文はほとんどなかった。
以上の事実が認められる。
6 外部証券利用の問題点
右4及び5に認定したところからも明らかなように、全貌は明らかでないにしても、被告人加藤の関係する株式取引の口座は外部証券にもかなり開設されていて、そのなかには、三二口座と同様のものも少なくないし、三二口座との入り混じりが問題となる後記菅(横井・横山)関係の口座も認められる。また、口座開設に至らないにしても、被告人加藤が取引先の証券金融業者に依頼して、これを介し外部証券を利用して株式取引を行っていたことも明らかである。しかるに、このような口座や取引の性格が解明されているとは思われない。これが未解明のまま三二口座の株式取引から生ずる所得の帰属を決定できるかは疑問である。
7 取引口座を全く持たない顧客の存在
被告人加藤は、直接顧客のなかには全く取引口座を用意せずに被告人加藤が用意した口座で取引をした客がいた旨供述している。これに対して、検察官は、「被告人加藤のみが供述するだけであり、しかも、具体的に氏名を述べるなどしてその存在や取引の内容を明らかにすることができないのである。このように、被告人加藤が、終始顧客の氏名や具体的取引の内容を明らかにすることができないにもかかわらず、単にそのような顧客が存在している旨抽象的に述べるにとどまることは、単なる弁解のための弁解であって、合理的な主張とは認めがたく、かえってこのような顧客は実際には存在せず、三二口座の取引のすべてが被告人加藤個人の取引であることの一つの証左であると断ぜざるをえない。」旨反論する。
しかし、証人向川英剛は、公判(六三回、六四回、六六回)において、「高森」で買い付け、昭和五四年一二月二五日同口座から持ち出されたゼネラル株(ゼネラル電機)一〇万株は、杉並区西荻の歯科医増田某が現金三六九八万四五二四円を支払って買い受けたものであるが、同人には黒川木徳証券に取引口座がない旨供述している。この供述は、当時の状況にも具体的に触れ、弁護人作成の「証拠物(写)の提出について」と題する書面(弁書8の2)添付の受渡請求票写しに符合し、黒川木徳証券の運転日誌で再確認しているのであって(証人向川の六三回公判供述)、ゼネラル株については、三二口座では本件係争年次を通じ昭和五四年一二月一九日約定の一〇万株以外に買付けはなく、しかも顧客勘定元帳上片商いになっていること(前記甲160参照)に鑑みれば、向川の右証言を虚偽とすることはできない。なお、証人中嶋敏郎も、六七回公判でこれに符合する供述をしている。
また、特に証人中嶋敏郎は、六七回公判において、滝口某の例や、口座を開設しながら全く利用されず、他の口座で取引がなされていた前出有田喜一の例などを持ち出して供述しており、こうした供述も虚偽とするだけの証拠はない。
六 顧客ごとの個別的検討
1 検討対象の選択
被告人加藤は、三二口座が複数の直接顧客の株式取引に利用される便宜口座である旨弁解しながら、その直接顧客の氏名または口座名、ないしそのグループについて、その全貌を明らかにしようとしない。ただ、主として当裁判所の質問に対し、若干のグループにつき肯定的供述をしていることは、前示にもあるとおりである。そこで、こうした被告人加藤の供述や取調証人の供述から、三二口座の株式取引に関係があるのではないかとの疑問が生じ、そのゆえもあって、当事者が採り上げた直接顧客ないしそのグループについて、その株式取引が三二口座と連動しているか否かを中心に、以下、個別に検討を進めることとする。
2 日誠総業(株)関係
(一) 前出中嶋作成のグループ別名簿には、新宿関係として、次のように、口座開設の記載があり(口座名、開設年月日などは他の証拠から若干の補正を加える。)、関係証拠によれば、少なくとも、これらのうち番号1ないし10は日誠総業(株)が黒川木徳証券本店に開設したものと認められる。

番号 顧客コード 口座名 口座開設年月日
(昭和・年・月・日)
備考
1 一七四二二 日誠総業(株) 五二・四
2 一七四三二 明治産業(株) 五二・五
3 一七四七五 (株)常栄 五二・七
4 一七四八四 (株)サウスシーエンタープライズ 五二・八
5 一七四八八 ニッセイトレーデング(株) 五二・八
6 一七六一六 ドマ技研(株) 五三・二
7 一七六四七 道瑛産業(株) 五三・三
8 一八四二四 常見昭子 五四・一〇
9 一八四二五 田中晴子 五四・一〇
10 一八四三二 サンフーズ 五四・一〇
11 一九七一七 (株)タケヤ 五五・九
12 一六七五五 次郎丸嘉介

(二) 日誠総業(株)の支出した資金による株式取引が三二口座(おそらくは三〇口座)で行われていることについては、検察官も是認し、本件公訴提起の際にこれを除外しており、このことは先にも指摘したとおりである。しかし、除外したとはいえ、三二口座の取引のうちに被告人加藤に帰属しないものがあったという事実は、たとえ検察官主張のように、日誠総業(株)において分別管理をしていたとしても、三二口座の性格を決定するうえで重要な意味を持つといわざるを得ず、同様の事例が他にもあるのではないかとの疑問が当然生ずるのである。のみならず、顧客の側といえども、適正な管理があるなどの特別の事情があるならば、三二口座における株式取引を、顧客自身の取引として帰属させることが可能であり、日誠総業(株)と同じような顧客の存否が問題となるところ、この管理を加藤事務所が代行できないかも問題となる。しかし、それはそれとして、日誠総業(株)関係で検察官の主張する事実関係についても問題がないではなく、その他除外漏れがあると弁護人は主張しているので、こうした点を中心に検討する。
(三) まず、日誠総業(株)に関する検察官の主張は、次のとおりである。すなわち、
「(イ) 日誠総業(株)は、昭和五二年春ころ、沖﨑憲治郎を担当者とし、被告人加藤に同社企画室長という肩書の名刺を使用させてその助言を得ながら株式取引を行うことにし、黒川木徳証券本店のほか、野村証券大宮支店、日興証券横浜駅前支店、大和証券新宿支店など証券会社一〇社位に日誠総業(株)名義の取引口座のほか、同社の系列会社のサンフーズ(株)、(株)サウスシーエンタープライズ、明治産業(株)、道瑛産業(株)、ドマ技研(株)等の名義で順次取引口座を開設し、大量の資金を投入して株式取引を始め、ヂーゼル株と岡理ゴム株の仕手戦を手掛けたのであるが、昭和五三年ころからは、右沖﨑らが同社独自の判断で株式取引を行うようになり、更に被告人加藤に依頼して新電元株等の売買を行った。
(ロ) 沖﨑が被告人加藤に依頼して行った株式売買の方法は、例えば買付けについては、被告人加藤と相談して手掛ける銘柄を選定し、それをいつまでに何株買うかを決め、あるいは買付資金量を示してその範囲内で買えるだけの株数を買うといったことを決め、これに基づき、被告人加藤に買付けを一任していたが、使用口座については、前記日誠総業グループの用意した証券会社の適宜の口座を使用することを原則とし、また売付けについては、被告人加藤に対し銘柄と株数を指定し、おおよその株価の範囲を被告人加藤と相談して取り決めたうえで、被告人加藤に売却を一任し、使用口座については、前記日誠総業グループの用意した証券会社の適宜の口座を使うことを原則としていたものであり、売買が行われた場合は必ずその日に被告人加藤から結果の報告を受け、特に受渡日について取決めのない限り、約定日の四日後に株券と現金の受渡しを被告人加藤あるいは証券会社との間で行い、証券会社発行の正規の受渡計算書の交付も受けていた。また、日誠総業グループの用意した前記の如き取引口座を使用しないで、まれに被告人加藤の方で用意した取引口座を使用した取引も存在するが、その分の売買報告書もしくは受渡計算書は被告人加藤から徴求しており、更に、証券金融業者を利用する必要のある場合には、必ず事前に被告人加藤から相談を受けて了承を与え、この場合には証券金融業者発行の金利計算書を被告人加藤から徴求していたもので、このように日々の株式売買とその資金調達の状況を日誠総業(株)において完全に把握し、そのいずれにおいても日誠総業(株)の計算において行っていたものである。したがって被告人加藤に一定の資金を提供したうえ銘柄の選定も一任し、それなりの利益だけを挙げてもらうというようなものではなかった。
(ハ) そして本件起訴対象年の昭和五三年と同五四年において、日誠総業(株)が被告人加藤に依頼した株式取引につき、三二口座において売買が行われたのは新電元株等四銘柄であるが、その取引状況は、次のようなものであった。すなわち、
① 新電元株  沖﨑は、被告人加藤の勧めにより、新電元株一五〇万株の買付けを被告人加藤に依頼し、昭和五三年三月一三日、被告人加藤から右一五〇万株を一括して受け取るとともに代金五億四七五〇万円を支払ったのであるが、その際被告人加藤から受領した受渡計算書五〇枚の内容は、同株式一五〇万株を昭和五三年二月一六日から三月八日までの間、いずれも黒川木徳証券本店の『誠備』口座において買付けしたというもので、代金総額は五億五一四六万六一〇九円となっている。
その後の同年三、四月ころ、日誠総業(株)は、被告人加藤に右一五〇万株の売却を依頼し、同年五月二日右株式一五〇万株と引換えに被告人加藤から現金八億九八〇八万〇〇〇六円を受け取ったが、その際被告人加藤から受領した受渡計算書一〇一枚の内容は、同株式一五〇万株を同年三月二五日から四月二六日までの間、いずれも黒川木徳証券以外の証券会社一六社において売却したというものである。
② 明治機株と大和設株  昭和五三年八月二五日、沖﨑は、被告人加藤の勧めにより、既に被告人加藤が買い付けて保有していた明治機株二〇万株を六四〇〇万円で、大和設株五〇万株を二億一〇〇〇万円でいずれも被告人加藤から市場外で買い付け、その後これらの売却を被告人加藤に依頼したところ、被告人加藤は、同年九月二二日、明治機株二〇万株を黒川木徳証券本店の『コスモ』で七二八九万四〇五〇円で売却し、同日、大和設株五〇万株を同証券の『日誠総業(株)』で二億一六〇七万七四二四円で売却したもので、同月二七日に株券と現金の受渡しも行われている。
③ 丸善株  昭和五四年一月初めころ、沖﨑は被告人加藤から勧められて丸善株の買付けを依頼し、
五四・一・二六 一〇〇万株
代金 六億二四二四万八二六一円
五四・二・五 一〇〇万株
代金 六億七一五四万四八九二円
五四・三・二 一〇〇万株
代金 七億〇六六八万五六七八円
五四・三・二八 一〇〇万株
代金 七億八四四二万八三〇六円
五四・四・二八  四〇万株
代金 三億七八六八万三九〇二円
の受渡しを被告人加藤との間で行い、その後売却を依頼して、
五四・五・三一 三三六万三〇〇〇株
代金 三四億九九六二万〇二五四円
の受渡しを被告人加藤との間で行い、更に、その後買付けを依頼して、
五四・六・二六 一四〇万株
代金 一七億七七四三万八五五二円
五四・七・三 一四〇万株
代金 一七億八七八〇万〇七〇五円
五四・七・一七  七〇万株
代金 八億七三三九万一六二二円
五四・八・二七  六〇万株
代金 八億四七三六万一九一五円
五四・九・ 三 一七万三〇〇〇株
代金 二億六九三四万八一一〇円
の受渡しを被告人加藤との間で行ったものであるが、このうち三二口座において売買されたものは、 の五四・三・二買付けの一〇〇万株のうち、『田河靖正』など三口座による合計六万八〇〇〇株。 の五四・五・三一売却三三六万三〇〇〇株のうち、『コスモ』など一二口座による合計九四万一〇〇〇株。 の五四・六・二六買付け一四〇万株のうち、『下向昭次』など七口座による合計二万九〇〇〇株である。
以上の丸善株の売買は、沖﨑から被告人加藤に対し、例えば『二週間以内に、何円までで一〇〇万株を買ってくれ。』というように具体的に株数、金額を指示して買付け、あるいは売付けの委託がなされ、これに基づいて被告人加藤が執行したものである。
右事実に照らすと、明治機株と大和設株の売却並びに丸善株の買付け及び売却に三二口座が使用された例は、いずれも日誠総業(株)がその計算において、被告人加藤に取引を委託して執行した同社の売買にほかならないことが明らかであるので、検察官はこれらの取引を被告人加藤の取引と認めなかったものである。また、新電元株の買付けについて、沖﨑は、同株式一五〇万株について被告人加藤と交渉した際、被告人加藤が既に買い付けて保有していた同株を当時の株価よりも安く日誠総業(株)に売ってもらうことが可能であるということだったので、被告人加藤から買い付けた旨証言しており、この証言と前記新電元株の買付けの受渡計算書の内容等から判断すると、被告人加藤は日誠総業(株)の買付委託に基づいて本件株式を『誠備』の口座で買付けしたというより、既に同口座で買付けしてあった本件株式を自己が売主となって日誠総業(株)に売り渡したものと考えられるのである。
いずれにしても沖﨑は、捜査段階においても、公判廷においても、終始日誠総業(株)の株式取引が前記(ロ)の如くであり、すべて日誠総業(株)の計算において行ったもので、本件新電元株の取引も例外ではなかった旨述べているので、同株式一五〇万株の買付けも同社の計算で行った同社の取引と認定するのが相当である。」
以上のとおり検察官は主張する。
(四) そして《証拠省略》によれば、以下に指摘する点を除き、右の主張事実は概ね肯認することができる。
なお、関係証拠によれば、日誠総業(株)は、東京都新宿区西新宿一丁目に本社を置き、ゴルフ場の建設・運営、ホテル経営、別荘地の開発等を営む資本金六〇〇〇万円の会社(代表取締役次郎丸嘉介)で、平和相互銀行本店等と取引があり、次郎丸は別に被告人加藤の直接顧客でもあることなどの事実が認められる。
(五) ところで、日誠総業(株)が被告人加藤に依頼して新電元株の売買を行うようになったころから以降の、委託の内容について、検察官は前記(ロ)のように主張し、受渡し、清算、売買や資金調達の結果報告などの点については肯認することができる。しかし、その余の点については、証人沖﨑憲治郎は、公判(主として五七回)において、「ヂーゼル株や岡理ゴム株を扱った最初の段階を過ぎると、被告人加藤に注文を出して取引をする場合、一任の範囲は拡がり、利用する取引口座の選択も事実上任すようになったほか、借入れについても、金融機関との折衝を含め被告人加藤に奔走してもらった。日誠総業(株)の側で開設した借入口座による借入れについては、書類の作成等最終の手続は自分の方でしたものの、被告人加藤の側で用意した借入口座を利用するときは、原則として、口座の選択はもとより、書類作成などの手続までも含めて一切を被告人加藤に一任し、ただ直後に報告を受けて了解を与えていた。」などと供述しているのであって、この供述を虚偽とするだけの証拠はない。
(六) 次に、被告人加藤は、検察官主張の前記(三)・(ハ)・②の点に関連して、主として二〇回、二八回、三八回の各公判において、「被告人加藤は、検察官主張の明治機株二〇万株を買い入れたことはなく、従ってこれを市場外で日誠総業(株)に売り付けたこともない。」旨供述している。しかし、日誠総業(株)側の担当者であった証人沖﨑は右のような取引のあったことを肯定する旨供述しており(主として五八回公判)、その裏付けとなる振替伝票もあり、(事)作成の57・5・13報によれば、三二口座のなかの建設グループに属する六口座で昭和五三年八月四日約定で買い付けられた明治機株二一万八〇〇〇株と昭和五三年九月二二日「コスモ」で売り付けられた明治機株二〇万株のうち、記番号の一致するものが九万八〇〇〇株もあることが認められるのであって、被告人加藤は右八月四日後も三二口座中の建設グループの口座、「永井学園」、「コスモ」、「招徳」等で明治機株を買い付けていることが証拠上認められることや、前示のように加藤事務所においては株券の記番号不一致の生ずる余地があり得ることなどに鑑みると、この二〇万株が右八月四日買付けのものと法的に同一であるかどうか、また、その帰属主体が誰であるかは別として、少なくとも、日誠総業(株)が被告人加藤を介して買い付けたものであることには疑いを容れる余地がない。
もっとも、検察官は、この二〇万株が日誠総業(株)の注文に応じて買い付けられたものではなく、被告人加藤がすでに三二口座で買い付けていた、被告人加藤所有の株券であったことを強調するもののようであるが、この点に関する被告人加藤の公判における指摘(二〇回、二八回、三八回)などと併せ考えると、本件程度の立証で検察官の主張をたやすく肯認することはできない。
(七) 弁護人は、検察官の処理には除外漏れがあるとして、次のように主張する。すなわち、
「(イ) 三二口座の一つである(株)誠備の顧客勘定元帳によると、同口座により昭和五三年三月一日から同月三日(受渡日)の三日間に、丸善株四八万株が代金合計二億五五六八万八四八六円で売られ、同時に千代建株二六万八〇〇〇株が代金合計一億九六五九万九九六一円で買われており、同日、同口座の信用保証金の一部九〇六万九〇〇七円が取り崩されている。
(ロ) 次いで株式取引明細票の昭和五三年三月三日受渡出金欄によると、(株)誠備口座から、五九〇八万八五二五円と九〇六万九〇〇七円、ドマ技研口座から三四万八六七四円、以上合計六八五〇万六二〇六円が出金され、同明細票の同日受渡入金欄によると、ドマ技研口座に三口に分けて四九五〇万八五四一円と九五七万九九八四円、並びに九〇一万七六八一円以上合計六八五〇万六二〇六円が入金されている。
(ハ) 前項による入出金の合計額が完全に一致するところからすれば、(株)誠備口座から二口に分けて出金された金員が、そのままドマ技研の口座に入金されたものと推測することができるが、同金員は、昭和五三年三月一日から同月三日にかけて売られた丸善株四八万株の売付額から、同時、買われた千代建株二六万八〇〇〇株の買付額を控除した差額、並びに同日取り崩された信用保証金額とも完全に一致する。
(ニ) しかも前川元宏の六九回公判における証言によると、ドマ技研名義の口座は実質的には日誠総業(株)の口座であるというのであり、このことからすれば、結局は同会社が、三二口座の一つである誠備口座を使用して、丸善株を売り、千代建株を買い、その差額金を同口座の取り崩された信用保証金と共に自社の口座(ドマ技研名義の口座)に入金させて回収したということができるのであって、このことは前川元宏証人も公判において、これを認めている。
右は、便宜口座の使われ方の具体例であるが、日誠総業の取引のために三二口座の一つである誠備口座が使われた例でもある。なお、検察官は、本件公訴提起にあたり、日誠総業の株式取引に三二口座が使用されたことが明らかであったから、三二口座の取引のうちから日誠総業関係を全部除外して起訴した旨述べているが、除外漏れがあったことを示す好例でもある。」
以上のとおり弁護人は主張する。
もっとも、証人沖﨑は、一般論としてこうした漏れはない旨供述しているようであるが、この証言部分も弁護人指摘の証拠部分を具体的に検討したうえでのものではない。しかも、弁護人の指摘する点は、外形事実として優に肯認できるのであり、金額が端数まで一致する以上、弁護人の主張を正当とみる公算は大きい。しかし、この点に関する証人前川(六九回)及び同向川(六四回)の各供述に照らしても、なお、これに至る内外の取引事情を探ってみなければ、真相が判明したとはいえない。結局、本件立証の程度では弁護人の主張を否定することはできないというのほかはない。
3 岩澤靖関係
(一) 前出中嶋作成のグループ別名簿には、札幌岩澤関係として、次のように、口座開設の記載があり(口座名、開設年月日などは他の証拠から若干の補正を加える。)、関係証拠によれば、少なくとも、これらは岩澤靖が黒川木徳証券本店に開設したものと認められる。
(二) 右口座のうち、本件係争年次に開設されたものは、番号1ないし4のものであるが、その顧客勘定元帳をみると、「川合泰子」と「高橋滋」には丸善株一一七万株の売付けしかなく、「(株)共和電業」には片商いはないものの、「増田みち子」では昭和五四年八月三〇日丸善株二万株が買い付けられ、以後そのままになっていて、これに対応する売りのないことが認められる。
(三) そこで、こうした片商いとみられるものの原因、更に遡って右口座開設の経緯、岩澤靖関係の株式取引の状況等について検討するに、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。すなわち、
被告人加藤は、昭和五三年暮ころ、日本電信電話公社の経営委員で札幌トヨペット(株)、北海道テレビ放送(株)、(株)共和電業(東証二部上場)その他多数の企業を経営していた岩澤靖と知り合い、昭和五三年一二月一五日から翌五四年一月八日までの間五回にわたり、同人との間に、売主を(株)誠備、買主を岩澤靖の実子である川合泰子と高橋滋の各名義として、株式売買契約書を取り交わし、市場外において丸善株合計一七一万株を当時の株価よりも一株当たり市場終り値と比較して概ね一〇~四〇円安く合計九億九七〇〇万円で売り渡した。その後、黒川木徳証券本店に昭和五四年三月九日「川合泰子」の、また、同月一四日「高橋滋」の各取引口座が開設され、同月九日から一四日までの間この二口座において右丸善株一七一万株の一部である一一七万株が売却され、その余は同じく右二名義で外部証券数社において売却された。この丸善株の売買により岩澤靖は約二か月半の間に三億円余の売買益を得た。更に岩澤靖の意向により、昭和五四年八月一日黒川木徳証券本店に「(株)共和電業」と「増田みち子」の二つの口座が開設され、岩澤靖による株式取引が始められた。取引に関する岩澤側の管理は、東京関係では、東京都千代田区三番町七―一〇NK麹町コータス一〇四号室北海道テレビ放送東京支社秘書分室通称岩澤事務所に常駐する秘書の手で行われたが、秘書は、総合秘書が淵名勝敏で特に政治家関係に詳しく、その他日興証券事業法人部長から転じた中西亨などがこれに当たった。昭和五四年以降において、前記認定のように、相次いで多数の口座が開設され、大量の株式取引が行われるようになった。

番号 顧客コード 口座名 口座開設年月日
(昭和・年・月・日)
備考
1 一八二二七 川合泰子 五四・三・九
2 一八二三〇 高橋滋 五四・三・一四
3 一八三二〇 (株)共和電業 五四・八・一
4 一八三二一 増田みち子 五四・八・一
5 一八六二一 北海道中央商事(株) 五五・一・一六
6 一八八〇一 (株)三永商事 五五・三・一〇
7 一八八〇三 (株)靖国総発 五五・三・一一
8 一八九二五 (株)トヨタオート室蘭 五五・四・一八
9 一八九八六 岩澤靖 五五・五・一四
10 一八九八七 岩澤倫子 五五・五・一四
11 一八九八八 宮野明 五五・五・一四
12 一八九八九 戸塚圭児 五五・五・一四
13 一八九九〇 谷口道明 五五・五・一四
14 一九五九九 ビルクリーン(株) 五五・八・九
15 一九六二七 トヨタオート南札幌(株) 五五・九・四
16 一九七一六 永田興産(株) 五五・九・二六
17 一九七九一 札幌トヨペット(株) 五五・一〇・二一
18 一九八五三 北海道テレビ放送(株) 五五・一一・二八

以上の事実が認められる。
そのほか、証人中西は、七九回公判において、「岩澤社長は、稚内タクシー、トヨタオート室蘭、トヨタオート南札幌等関連企業の赤字を有価証券の取引で埋めようとした。加藤と折衝したのは岩澤であるが、法人、個人を含めて、岩澤関係の口座での取引は加藤に任せた。その証券運用の方法は、まず期間を定め、銘柄等は数銘柄を挙げて、このなかで運用するという話合いがまとまり、売買のタイミングとかいうものは、すべて加藤に任せるという方法である。そういう折衝は社長と加藤との間で行われているが、私も同席していることが多かった。毎日の受渡業務、例えば現金とか株券の授受は、その都度やっていない。それは加藤に任せていて、ある時期を選んで一括して行われていた。共和電業の場合は、六月の仮決算、一二月の本決算にしていたと思う。一二月には持株全部を売却して出金し、持株なしになっている。そして、一つの区切りの一括受渡しの時に、この口座での運用はこうだと、加藤の方から受渡計算書を持参し、その場でメモに書いて、いろいろ説明していた。私は横で見ていたから記憶がある。売買報告書は、法人関係は連絡を受け、三番町の岩澤事務所で取引の詳細を全部把握できる状態にあったが、政治関係の増田みち子とか、議員の秘書である戸塚、宮野、谷口とかいう口座については分からない。従って、法人の方は、売買報告書と対照して取引を照合することはやっていたが、個人の方はやっていない。加藤との株式取引は、総括運用ということだから、借入金についての大まかな話はあり、札幌関係口座でもって取引された株が、更に担保に入れられて借入金になり、運用されていたということは漠然と聞いてはいる。その借入金がどのように運用されているかという具体的なことは聞いていない。総括運用だから借入れを認めていないということではないが、どこそこの証券金融に持っていくということ自体は聞いていないから、分からなかった。借入金の計上も、金利の計上もしていないし、金利負担について加藤と清算時に話が出たことはなかった。もっとも法人名の借入口座はない。岩澤事務所では、どれだけのお金が使われているとか、どの口座で幾ら運用されているとかいうことは、売買報告書を送ってくるたびに、きちんと書いて、これだけの株が買ってある、これだけの現金は残っていて、今現在、これだけ利益が出ているとか、あるいは、この銘柄で、これだけマイナスだという一覧表は全部作っていた。もっとも増田みち子名義の口座分などは全然我々のところに事務的には下りてきていないので、これらの個人名義の場合は、一覧表にして売買益がどれだけ出ているかということはやっていない。株式取引の資金は、金星商事(株)か北海道中央商事(株)から出ていると思う。法人関係の利益計算は、売買報告書を基に計算していたが、加藤が受渡しの際に持って来た利益額と、ぴったり一致している。売買報告書での計算額以上の現金を三番町の事務所へ加藤が持って来たことがあるが、それは、昭和五五年の後半である。昭和五五年後半には、顧客勘定元帳上の数字と、持ち込まれた利益の額が違うというような場合があり、それについては、加藤から、どのような運用によって、これだけの利益が挙がったのかという説明があった。それは、総括運用して、結局、岩澤グループの口座では儲からなかったが、こちらの方で運用したもので、これだけだということであった。そして、昭和五五年後半位には、岩澤グループの口座以外の売買報告書が届いていた。そして、この全然違う売買報告書を岩澤の方の会社に帰属させていたが、どの関連会社に帰属させるかは、社長が決めた。岩澤グループ外の口座の取引をするについては、社長と加藤との間で、資金運用して、三か月に、これだけの利益を挙げましょうという話合いがあっても、うまくいかない場合もある。昭和五五年後半ころは、銘柄の値段も上がって、うまく回転しないときがあり、そういうときに、他の口座で売買したもので利益を挙げたものを、岩澤の方で取ってくれというようなことがあったと記憶している。正常な株式取引とは、私の見た限りでは、違うと思う。このようなことをしたのは、社長が、お金を出している立場として、これぐらいの利益は出してもらいたいという願望、利益追求が強いということに対する加藤の誠意じゃないかと見ていた。昭和五四年中は、さして取引がなく、投資金額は五億円前後と思うが、淵名からは七億五〇〇〇万円だと聞いている。一七億ないし一八億円というような記憶はない。昭和五四年の取引というのは、共和電業が主体であった。昭和五五年に入って岩澤グループの法人、それから個人、代議士秘書名義の口座ができたと思う。昭和五四年の運用資金と昭和五五年の運用資金では、計算しないと分からないが、一〇倍位の違いがある。取引に使用する印鑑は、加藤に調達等を任せたものもあるが、北海道中央商事(株)、(株)共和電業などの法人には、その会社で押印していたものもある。岩澤グループの取引につき、口座の割り振りは、今度商いするのはこの会社でやって頂きたいなどと、こちら側が指示し、加藤に割り振りを一任することはなかった。」などと供述している。
右のような中西証言や、前示認定事実に鑑みると、岩澤靖の被告人加藤に対する委任の範囲はかなり包括的であって、少なくとも、法人関係の口座の取引については、委託に基づく売買一任とみて差支えはないであろう。しかし、個人名義の口座ないし関連の取引については、中西証人も十分な把握のできる立場にはなく、その間の事情に詳しい岩澤靖や淵名勝敏の供述もないことから、事の真相が明らかにされたものということはできない。
(四) このようにして、「川合泰子」及び「高橋滋」の丸善株売越しについての経緯は前示のとおりであって、被告人加藤の手を経て市場外で買い付けたものということができるのであるが、検察官は、この丸善株一七一万株は被告人加藤のものである旨主張する。
これに対して、被告人加藤は、九六回公判において、「この丸善株は私のものではなく、私に岩澤を紹介してくれた者(公的活動をしている人)ともう一人合計二名の直接顧客のものであって、この人達の了解を得て売り渡したもので、名前を出したがらないうえ、大量に株が動くので(株)誠備という法人名でした。市場外取引をしたのは、資金力の多い人を丸善株を買う仲間に入れたいためで、市場内でクロスという方法もあるけれど、一〇〇〇円前後の株で、ある程度動き出している株が、ある時期に大量にクロスされると、いろいろな思惑が入って株価が急騰する場合が多いので、まだ、この株をできるだけ他人に知られず、提灯がつかないように買って行きたいために、このような方法を取った。売値が時価より低いが、これによって新たに入る側の岩澤も抵抗がないし、売る側の顧客も岩澤の買いによって株価が上昇し恩恵を受けることになるからである。」旨供述している。
被告人加藤の右弁解は、それ自体顧客の名前を出さない抽象的なものであり、これを裏付ける直接の証拠もない。被告人加藤が安値で仕込んだ持ち株の丸善株を市場価格より安く売却して、資金力のある者に利益を与え、これを好餌としてその顧客を仕手戦に誘い込んだとみれないではない。しかし、たとえ融資を受けて買い付けたとしても、被告人加藤が一七一万株の丸善株を保有し、多額の損失を出して譲渡するということも、やや現実味に欠けるものといえる。この株券の出所は究明されていないし(後出直接顧客の口座で丸善株が大量に買いオーバーのままになっているものがある。後記武中勉関係の判示参照)、被告人加藤の弁解によれば、その丸善株の売主はむしろ岩澤側にあって公的活動に従事しているというのに、その間の事情に詳しいとみられる秘書の淵名も取調を受けていないというのであり(証人中西の七九回公判供述)、岩澤靖自身所在も把握できていないという。被告人加藤の弁解ひいては検察官主張の真偽は明らかでないというのほかはない。
(五) 次に「増田みち子」の口座における丸善株二万株の行方については、これを明らかにする直接の証拠はない。証人中西は、「この資金は金星商事から出して運用したもので、お金は会社に返っている。」(七八回)、「増田みち子は政治関係だと思う。」、「選挙に出る人の名前で、金星商事からその口座へお金を振り込まして、金星へお金が返っている。運用益が出たら運動資金としてあげようということだった。」(以上七九回)旨それぞれ供述している。
検察官は、これが三二口座で売却されたとする確証はない旨主張する。しかし、この点も、前同様淵名は取調を受けていないというのであり、真偽は明らかでないというのほかはない。
(六) その他、被告人加藤は、九六回公判において、「五四年も、岩澤グループで用意した口座だけでなく、三〇口座あるいは周辺口座でも取引をしている。その売買伝票を渡しており、このことは岩澤も知っている。」、「昭和五四年暮に、多額の現金につき岩澤靖との間で受渡しがなされているが、その当時、岩澤グループの口座で売られた株は、大した金額ではなく、三〇口座で大量の株が売られていて、これを渡したものである。」、また、「昭和五五年には、岩澤グループの用意した口座以外の三〇口座の売買伝票を渡していることを認めているが、昭和五四年にも同じように岩澤グループの用意した口座以外の売買伝票を渡しているから、それを認めないのはおかしいし、更に、『共和電業』の口座における清算金だけでは不足するので、自分の株式を売却して補てんしたようにいうが、私は売買益を渡したのであって、合計一一億二〇〇〇万円ものお金を岩澤のために自腹でどうこうする理由は何もない。」などと弁解する。
これに対して、検察官は、「昭和五四年一二月に岩澤靖ひいては(株)共和電業に手渡された現金は、被告人加藤において本来岩澤((株)共和電業)に渡すべき元金及び利益金をそれまで一時自己が流用していたことから、その時の『共和電業』の口座における取引の清算金だけでは、岩澤に渡すべき金額に達しないため、自己の株式を売却して補てんしたに過ぎない。」旨主張し、証人中西の七八回公判供述中にも、一部これに添う部分が見受けられる。
しかし、証人中西は、七九回公判で、前示のように個人名義の口座については全容を把握できる立場になかったうえ、昭和五五年後半になってからではあるが、岩澤グループ外の口座名の売買報告書が届いたことがある旨供述しているほか、岩澤関係の受渡しや清算の事務に従事した向川は、貸金庫のなかにある三〇口座関係の売り代金から出金して岩澤のところへ持参したことがある旨(六三回公判)、また中嶋は、清算のため「こっちの口座」すなわち三〇口座の伝票を持参したことがある旨(六七回公判)それぞれ証言している。もとより、こうした証言も、昭和五五年以降の受渡しや清算に関するものともいえないではなく、あるいは、中西証言からも窺われる「共和電業」の清算金二三億円余の授受と混同しているのではないかともみられないではない。もし、そうだとすると、少なくとも、昭和五四年分については、被告人加藤の弁解するような、その余の入り混じりはないとみる公算も大きい。しかし、岩澤靖や淵名勝敏の供述もないまま、検察官の主張を肯認するには、なお疑問が残るものといわざるを得ない。
4 岸本グループ(虎ノ門会)
(一) 前出中嶋作成のグループ別名簿には、岸本関係として、次のように、口座開設の記載があり(口座名、開設年月日などは他の証拠から若干の補正を加える。)、関係証拠によれば、このうち、番号31ないし35を除き、番号1ないし30及び36ないし39の口座が、この名簿にはないが、同じく黒川木徳証券本店に開設された「那須雄治」名義の口座とともに、計三五口座でもってグループを形成し、岸本グループまたは虎ノ門会と呼ばれていたことが認められる。

番号 顧客コード 口座名 口座開設年月日
(昭和・年・月・日)
備考
1 一八一六四 奥山忠 五三・一二・一四
2 一八一六五 鶴岡弘康 五三・一二・一四
3 一八一六六 萩原統志郎 五三・一二・一四
4 一八一六八 中島健二 五三・一二・一四
5 一八一七五 浦野昭 五三・一二・一九
6 一八一七六 森禄郎 五三・一二・一九
7 一八一七七 松永将男 五三・一二・一九
8 一八一七八 岸本輝男 五三・一二・二〇
9 一八一七九 イチカワタケヒサ 五三・一二・二〇 市川武久
10 一八一八〇 クドウソウイチ 五三・一二・二〇 工藤聡一
11 一八一八一 カワシマユタカ 五三・一二・二〇 川島豊
12 一八二七五 林光輝 五四・五
13 一八二七六 小松原義一 五四・五
14 一八二九九 諏訪猛 五四・七
15 一八三〇〇 加藤正 五四・七
16 一八三〇一 松本宏 五四・七
17 一八三〇二 仲野義和 五四・七
18 一八三〇三 小川芳夫 五四・七
19 一八三〇四 中島久美子 五四・七
20 一八三〇五 戸田裕敏 五四・七
21 一八三〇六 岸本 子 五四・七
22 一八三一四 土田幸雄 五四・七
23 一八三一五 西村幸 五四・七
24 一八五一九 土井正三 五四・一二
25 一八五二〇 戸田宏 五四・一二
26 一八五二一 小松原幸雄 五四・一二
27 一八五二二 斉藤和之 五四・一二
28 一八五二三 石渡迪康 五四・一二
29 一八五二四 岸本輝義 五四・一二
30 一八五二五 横内映一 五四・一二
31 一八五二六 鈴木勝 五四・一二
32 一八七四三 ナカムラカズマサ 五五・二 中村和正
33 一八七四四 橋本勝記 五五・二・二〇
34 一八七四五 松本誠也 五五・二・二〇
35 一〇〇〇五六 吉野稜威雄 五六・二・六
36 一〇〇〇五七 中村憲 五六・二
37 一〇〇〇五八 新田耕造 五六・二
38 一〇〇〇五九 森茂 五六・二・六
39 一〇〇〇六〇 髙木典章 五六・二

(二) そして、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。すなわち、
被告人加藤は、昭和五三年秋ころ田河靖雄の紹介で会社役員の岸本輝男と知り合い、同人を含め富士ランド(株)代表取締役中村和正をはじめ青年会議所のメンバーを中心とした実業家のグループを株式取引の顧客とすることとし、顧客の各人が用意した仮名を含む口座(一人で複数の口座を開設した者もいる。)を前示のように開設していったが、株式取引について、売買の別、種類、時機、銘柄、数及び価格の決定のほか、使用取引口座についても一任を取り付け、岸本輝男を顧客側の窓口として株式取引を始めた。この取引は、昭和五三年一二月から同五五年一二月ころまで七回に区切って行われ、その都度、グループ員の資金を岸本の手を経て被告人加藤が受け取り、株式売買のあと、清算(本清算か仮清算かは別)をして岸本に一括して元金と売買益を交付し、岸本において出資額に応じてグループ員に分配するというものであった。この七回にわたる清算の時期はあらかじめ決められておらず、被告人加藤が一週間ないし一〇日位前に連絡して決めていた。清算の際には、被告人加藤が岸本に手書きのメモを渡して内容を説明する程度であった。岸本は、分配金の大部分を東京相互虎ノ門支店と東京霞ヶ関信用組合本店に一時入金したりしていた。
以上の事実が認められる。この事実関係自体は、当事者間で概ね争いのないところである。
(三) このような事実関係を踏まえたうえ、検察官は、次のように主張する。すなわち、
「岸本グループの株式取引や清算の内容は、次の表(論告添付岸本グループ((虎ノ門会))株式取引総括表)のとおりであるが、そこには片商いが認められ、これに対応する売買も後述する丸善株を除き不明である。被告人加藤は、同グループとの第一回目の取引において岸本輝男名義で買い付けた丸善株合計一万五〇〇〇株につき、その受渡計算書を日誠総業に交付して同社に引き渡した。従って、被告人加藤は、岸本グループの口座を自己の意思で全く自由に用いて株式取引をしていたとみられる。被告人加藤は、昭和五四年七月、松田徹に指示して、黒川木徳証券以外の証券会社一三社に岸本輝男ら同グループ員六名の名義で取引口座を開設し、丸善株合計一八万六〇〇〇株を買い付けたが、これらの買付株はこれらの証券会社の口座では売却されていないのに対し、そのころ黒川木徳証券の同グループの口座では同株二七万株の売りオーバーがあるので、右一八万六〇〇〇株は同証券の同グループの口座で売却されたものと推測される。他方、被告人加藤は、昭和五四年七月二六日以降五回にわたり、大証信から、同グループ員小松原義一の名義で合計九億一〇〇〇万円を借り入れ、同グループとの最後の取引の清算手続が終わったあとも多額の借入金が残ったままで、昭和五六年二月の被告人加藤の逮捕時点では三億六〇〇〇万円が返済未了となっていて、その担保として安藤建株三一万六七〇〇株と石井鉄株四株万が差し入れられている。同グループ員は、証券会社から送付される売買報告書により自己名義の口座で行われた売買内容を知るのみであり、その他は清算段階で被告人加藤から岸本にメモが渡されるだけであったので、断片的に株式取引の内容を推測しえたに過ぎず、自己のためにどのような株式取引が行われていてその損益がどうなっているかは全く分からなかったほか、大証信からの借入金についても、右借入名義人とされた小松原はもとより、同グループの世話役の岸本も含め、同グループ員の誰一人として被告人加藤から何らの説明も受けておらず、被告人加藤が逮捕されたのち、大証信から追加担保の差入れ又は借入金の返済を求める旨の催告状を受け取って初めて右借入れの事実を知った。以上のような事実によると、岸本グループの株式取引は、同グループの計算において行われたという客観的状況や主観的認識が欠如しており、正にそれは岸本グループから黒川木徳証券が受託した取引ではなく、被告人が同グループから資金の提供を受けて自己の計算において行った株式取引というべく、その売買益は被告人加藤に帰属する。また、岸本グループの片商い現象は、三二口座における取引と同グループ名義の口座による取引との混入のゆえではなく、同グループ名義による株式取引が複数の証券会社の口座を用いて行われたためであるものとみられる。」
以上のように検察官は主張する。なお、主張のなかにある岸本グループ(虎ノ門会)株式取引総括表とは、次のような内容のものである。

当初株式取引資金受入日(昭和・年・月・日ころ) 当初株式取引資金受入合計額(百万円) 最終株式売付日(昭和・年・月・日) 取引銘柄 株式売買益(円) 備考
1 53.12.15~
53.12.22
288 約定54.4.25
受渡54.5.1
三ツ星ベルト
丸善
116,107,543 丸善2万4000株残株。
丸善1万5000株は虎ノ門会の計算から除外
(日誠総業分)。

2 54.5.23~
54.5.24
540 約定54.6.29
受渡54.7.3
丸善
明治機械
52,227,404
3 54.7.23~
54.7.26
1,020 約定54.11.15
受渡54.11.20
丸善
日本石油
三愛石油
118,593,053 三愛石油27万株残株。
丸善27万株は売付過大のため、計算から除外。

4 54.12.7~
54.12.11
1,010 約定55.1.8
受渡55.1.11
巴川製紙
ラサ工業
東洋酸素
宮地鉄工
94,385,684
5 55.2.20~
55.2.22
1,100 約定55.5.1
受渡55.5.7
池貝鉄工
石井鉄工
新日鉄
88,501,346 石井鉄工11万2000株残株。
新日鉄5万株は買株がないため、計算から除外。

6 55.5.15~
55.5.16
770 約定55.5.29
受渡55.6.2
帝国石油
日本石油
2,896,865
7 55.8.30 850 約定55.12.25
受渡56.1.5
安藤建設 313,057,010 安藤建設68万株残株。
累計 5,578     785,768,905

(三) 検察官の右のような主張は、前記グループ員の各口座の顧客勘定元帳、担保株券の入出庫に関する資料、前記金融機関の預金関係資料等から認められる客観的事実から組み立てられているものと思われ、証人小松原義一の公判供述(三五回)は右主張に添うものといえる。
ところが、これに対して、弁護人は、「岸本は月に何回か出向いて被告人加藤に取引経過の報告を求めたり、同被告人から清算時に計算メモの添付(第一回は受渡計算書まで)と説明があったりして、岸本グループの取引は、株式取引一任勘定契約に基づく株式投資であり、その損益が同グループに帰属することは当事者間においても自明の理であった。小松原義一は中村和正のダミーであり、小松原名義の口座での取引の損益は、中村和正に帰属するもので小松原には帰属しないと認識していた。なお、岸本グループは三四口座を開設し、同口座の顧客勘定元帳上の利益は合計七億八五七六万八九〇五円であるが、実際に同グループに支払われた売買益は合計約一一億五〇〇〇万円であった(岸本輝男証言)。その差額約三億七〇〇〇万円は右三四口座以外の便宜口座での売買益である。」旨反論する。
そして、被告人加藤も、主として九五回公判において、「岸本グループとの清算は、すべて一部清算であって、ごく僅かながら未了部分がある。そのため清算金には端数がない。清算は岸本との間でした。買付代金はまず岸本グループで用意した口座に入金して、証券会社の預り証を出す。しかし、それ以外の口座を使って取引をすることもあり、これは任されていた。その管理は加藤事務所で行っていた。なお、検察官主張の総括表にある売買益の金額は、岸本グループが用意した口座の顧客勘定元帳から計算してもそれほどにはならない。また、実際に岸本グループに手渡した利益は月五パーセント以下はあり得ない。総括表より多い。更に、清算の日も異なっている。清算の日について検察官は岸本グループの用意した口座の顧客勘定元帳の最終売付日に関する記載を根拠にしているようであるが、それ以外の口座の取引が以後にも続いており、もっと遅いはずである。」などと供述している。この供述は、弁護人の主張に添うものである。
(四) ところで、弁護人の請求により取り調べた証人岸本輝男は、九一回公判において、次のように供述している。すなわち、
「取引は現物取引とするというような制限をつけた話はなかった。投資額は、岸本グループの人達が自分で自由に決め、一定額以上にするなどという話もない。資金は、一応、中村和正のところに集めてから、自分が黒川木徳証券に届けた。後日の振込みもあったように記憶する。届けた際、個人の口座名で入金額と同額の預り領収証を黒川木徳証券からもらった。その口座の開設は、加藤に任せ、あらかじめグループの人達の名前や投資金額をメモに書いて、自分の記憶では二枚作って、一枚を加藤に、一枚を黒川木徳証券に出した。印鑑も加藤に任せ、加藤の方で用意した。その印鑑は、その後もずっと加藤に預けておいた。前後七回にわたって株式投資がなされ、一番最初の投資は昭和五三年一二月中ころか末ころで、二億八〇〇〇万円位のものである。清算の場所は、黒川木徳証券の二階の応接室で、加藤のほか、前川、向川が立ち会った。清算は、現金がほとんどで、なかには預手の場合もあった。前川から求められて、領収証といっていいか分からないが、一応、そこに置いてある金額が書いてあるメモみたいなものにサインした。清算の際に、計算関係の書類は、七回ともついていた。それには、銘柄、仕入価格、売却価格と利益というようなものが、銘柄別に、ざざっと書いてあったと記憶している。岸本グループ全体としての計算書で、レポート用紙か便箋みたいなもので、横書だったと思う。一番最初のときは、その計算メモのほかに、売買伝票だと思うが、大きさの違ったいろんなのが、厚さ一、二センチ位、たしかクリップで止めて、ついていた。一番初めで、ちょっと興味があったので、見たところ、二、三岸本グループで届けた名前と違うのがあったので、加藤に、これうちのと違うんじゃないのというように質問したら、加藤は、これは、こういうものだと、いろんな売買で、利益挙げるには売ったりするというような、いろんな説明が確かあったと思う。二回目以降の清算時には、計算メモだけもらった。伝票類がつかなかったのは、一回目の清算が終わって、加藤に、一々伝票どうのこうのという細かいことはもういいですよと言ったからである。それで明細を書いてもらったわけである。金銭の受渡しが済んで、加藤から計算メモに基づいた説明があった。計算メモの数字は、円の桁まで書いてあったが、受け取った金額には端数はついていない。計算メモに書いてある金額と、受け取る金額とのギャップは、一〇〇万単位か一〇〇〇万単位で区切られていたかのどっちかで、受け取る方が、その端数の分だけ少なかった。私が、端数のついていないことについて、おかしいじゃないかという話を加藤にしたら、仮の清算だと言われ、最終的な清算はまだ後にあるんだというふうに解釈した。このようなとき、小松原は車で待っていたりした。清算金は、一回目は、富士ランドの応接室に持って行ったが、二回目以降は、富士ランドの取引銀行の霞ヶ関信用組合、東京相互虎ノ門支店へ入れた。時々、メンバーのなかに、借入金の返済を急ぎ、どうしても要るという人は取りに来た。昭和五七年二月ころ、うちのグループと言われている人達が、小柳検事に呼ばれて、各々その投資した金額に対して、どの位利益を得たかということを全部提出させられた。私も呼ばれ、小柳検事から、君の投資額はこれだと言って見せられ、自分の記憶で、これ位だったんじゃないかというのを書いた。メモ(写)一枚がそれで、メモの記載のうち、投資時期と投資金額は小柳検事に教えられた。利益額は、記憶に基づいて自分で書いた。検察官主張の岸本グループ(虎ノ門会)株式取引総括表によると、第一回の取引資金受入日が、昭和五三年一二月一五日から同月二二日とあるが、これは、岸本グループとして株式投資金を黒川木徳証券に持ち込んで、岸本グループの人達の口座に入金した日と思う。取引資金受入合計額二億八八〇〇万円も、第一回の株式投資資金の合計額だと思う。最終株式売付日として、約定昭和五四年四月二五日、受渡昭和五四年五月一日とあるが、このころ、第一回の清算がなされた。それまでが長かったので記憶がある。株式売買益として、一億一六一〇万七五四三円とあるが、第一回の清算のときに、利益として受け取った額は、多少、この数字より多い。自分の記憶では大体五割近い。先ほどのメモにある私個人の利益を全体にあてはめてみると、あと二〇〇〇万ないし三〇〇〇万多く、一億四〇〇〇万円か一億四五〇〇万円位だった。第二回目は、大体表のとおりだったと思う。しかし、株式売買益五二二二万円とされているが、こんなものか、あるいは、これより若干多い位かなと記憶している。第三回も、そんなもので、清算は一一月だった。株式売買益が一億一八五九万三〇五三円となっているが、少ない。自分の当時の配分というのを思い起こして基準にすると、大体三億で、四億はなかったと思うが、その位の数字になる。第四回は、投資したのは昭和五四年一二月三日ころだった。清算の日ははっきり記憶にないが、表にある日前後近くだった。株式売買益九四三八万五六八四円は、大体こんなもんか、もうちょっと多い位という記憶である。第五回が、表によると、昭和五五年二月二〇日から同二二日の間に一一億円が投資され、昭和五五年五月一日から同月七日ころ清算となっているが、期日が、自分の書いたメモでは昭和五五年二月二〇日から同年四月で、ちょっと違う。株式売買益八八五〇万一三四六円とあるが、これよりは多かった。大体一億六、七千万円から二億近いと思うが、記憶は定かでない。私のメモでは、私の投資額は八〇〇〇万円、もらった額は九〇〇万円である。第六回は、清算は八月じゃなかったかと思う。株式売買益二八九万六八六五円というのは、これはもう全然違う。一億円余になる。二〇〇万円台ということはない。第七回については、清算は昭和五五年一二月と昭和五六年一月の二回に分けた。元本と利益金を分けたような記憶である。結果的には二回に分けたが、一二月までやろうという連絡が加藤からあった。売買益は三億円位で、大体表にある位であった。結局、この表に書いてある岸本グループの一回から七回までの投資額と株式売買益は、投資額は大体これで正しいが、株式売買益は、これよりはるかに大きかった。月に八パーセント以上の利益があったという記憶である。私は、証券金融から貸付金の返済請求を受けたことはないが、小松原や、中島健二、仲野義和などが大証信から請求を受けていると聞いている。小松原は、富士ランドの経理担当の常務取締役経理部長で、銀行の方の担当と、金の持ち運びで、二回目位からずっと一緒にしていた。彼は、まだ一サラリーマンで、虎ノ門会あるいは岸本グループの一員ではない。私が加藤から受け取った計算メモというのを、小松原が、各人別の名前と金額を書いたものであったと証言しているということだが、そんなことが書いてあるものではない。お金を小松原が運んで、あとで残った私と加藤と二人だけの間でのことだから、小松原は知らないはずである。彼は、あくまで銀行にお金を入れるという、中村和正のところの経理部長に過ぎず、そういう立場の人間じゃない。」
以上のように証人岸本は供述する。
この岸本証言は、明らかに小松原の証言ひいては検察官の主張と異なるものである。中村和正がグループの中心であることは右二証言でも明らかであるのに、同人名義の口座が前示のように昭和五五年に入って初めて開設されていることからみて、「小松原義一」の口座が中村和正のダミーであるとの疑いは濃く、小松原が岸本グループの一員であるかは疑わしい。たとえ一員であるとしても、同グループによる取引の全容を把握していたものとは思われない。証人小松原自身も、「加藤の顔を見たことはあるが、話しをしたことはない。」旨供述しているのである。それにもかかわらず、中村和正や岸本輝男でなく、小松原証人によって岸本グループの取引を説明しようとした検察官の当初の立証計画は理解に苦しむところである。いずれにしても、小松原証言は争点解明の決め手になるようなものとは思われない。
(五) それはそれとして、証人中嶋も、六七回公判において、「岸本グループの清算が、黒川木徳証券の応接室で七、八回にわたって行われたことは知っている。私は、昭和五四年一一月か一二月ころ以降から、四、五回立ち会った。清算金は、私と向川が手配して用意した。清算のための原資といえるのは、岸本グループの口座とこっちの口座で取引していた株の売り代金、あるいは、貸金庫に入れて保管されていた金が持ち出されて、清算された。貸金庫に入れるお金は、こっちの口座で売った株の代金が多く、直接顧客の口座で売った株の代金が入るときもある。岸本グループには、同グループ関係の口座で売った株の売り代金とこっちの口座で売っていた株の売り代金とを合わせて持って行った。清算金の額は、一番多いときは、最後に立ち会った一七億か一八億で、一番少ないときでも一〇億ちょっと位で、一〇億を割ったことはない。岸本グループに対しても、金沢から聞いたところ、前は伝票を渡していたが、その後は、メモにいろいろ書いて、メモだけだったと思う。」旨岸本証言に添う供述をしている。
(六) ところで、岸本グループが用意した前記口座に片商い現象のみられることは、検察官も指摘しているところである。また、その原因として検察官の主張する事実関係も証拠上肯認することができる。しかし、それが事実であるとしても、(株)日誠総業に渡った分以外は、単に銘柄と株数、時期等で符合する部分があるというに止まり、厳密な追跡がなされたわけではない。加えて、被告人加藤は、二八回公判において、「宮澤和夫作成の57・2・13回答書中の岸本グループ株式取引明細表をみると、昭和五三年一二月一五日から二二日の間に、岸本グループから二億八八〇〇万円の買付資金が来たが、同月一八日岸本グループの口座でベルト株二一万株を買い付け、同月二二日大証代の『岸本輝男』でベルト株二一万株と丸善株五万株と三万株の合計八万株とを担保に入れて七五〇〇万円の借入れをしているほかに、同月二〇日(株)セントラル・ファイナンスの『岸本輝男』で丸善株二〇万株を担保に入れて七〇〇〇万円を借り入れ、同月二七日大証信の『岸本輝男』で丸善株一七万株を担保に入れて六〇〇〇万円の、(株)セントラル・ファイナンスの『岸本輝男』で丸善株二五万株を担保に入れて九〇〇〇万円の借入れをそれぞれしている。この担保に差し入れられた丸善株は岸本グループのものであるが、同グループの口座では丸善株はこれほど買われておらず、三〇口座の『コスモ』等で買ったものである。それに、岸本グループの口座ではベルト株と丸善株の少しを買い付けただけで、二億二〇〇〇万円しか使っておらず、残金と借入金を遊ばせておくわけはなく、その金は、三〇口座での買付けに使用されている。」旨供述する。
そして、右証拠の記載を検討すると、結局、当初の買付資金二億八八〇〇万円のほか借入金として二億九五〇〇万円が調達されながら、買付代金は二億二四四三万二九六八円しかなく、この買付代金だけなら借入れの必要もなかったことになり、いずれにしても三億五八五九万六五三二円の使途が不明となり、被告人加藤の右供述も、あながち虚偽とは思われない。
また、被告人加藤は、九六回公判において、「同じく前記株式取引明細表をみると、岸本グループの口座では、昭和五四年七月二三日から二七日にかけて総額三億九〇〇〇万円強の買付けしかなされていないのに、他方、岸本グループ株式取引総括表では同月二三日から二六日にかけて合計一〇億二〇〇〇万円が入金となっており、その差額約六億三〇〇〇万円は岸本グループの口座ではなく、三〇口座などで使われている。」旨供述し、この供述も、右諸表の記載に合致するものであって、直ちに虚偽として排斥することはできない。
(七) 以上の検討によれば、証人小松原の供述は決め手となり得ず、証人岸本輝男や被告人加藤の前記各供述もあながち虚偽と断定し得ないのであって、岸本、小松原以外の中村和正その他グループ構成員の供述もない以上、岸本グループの取引が三二口座で行われていないと断定することはできない。
(八) その他、検察官は、岸本グループの取引は被告人加藤に対して株式取引を委託したものではなく、被告人加藤のする株式取引に出資したものである旨主張する。たしかに、前示の認定からも明らかなように、岸本グループの構成員においては、被告人加藤に一切を委任していて、これを受けた被告人加藤による株式取引につき当然には、その状況を把握できない立場にある。しかし、被告人加藤は、他の場合と同様に、加藤事務所において分別管理を行っていて、申出があれば、いつでも取引内容を説明できる状況にあった旨弁解しており、岸本も、前示のように、一回目の清算時には計算書類が用意されていた旨証言しているのであって、株式売買の委託とみる余地が全くないとはいえない。被告人加藤が弁解するように、加藤事務所において分別管理がなされていたか否かなどの点について、まだその解明もなされていない。検察官主張の事由から直ちに岸本グループの株式取引をもって、被告人加藤の計算において行われ、その売買益は被告人加藤に帰属すると断定することはできない。なお、出資と所得の帰属の関係については、後に判示する(以下、出資が問題となる顧客関係について同じ。)。
5 石井進関係(伊藤明子関係)
(一) 前出中嶋作成のグループ別名簿には、伊藤明子関係として、次のように、口座開設の記載があり(口座名、開設年月日などは他の証拠から若干の補正を加える。)、関係証拠によれば、これら四口座は、後記石井進により黒川木徳証券本店に開設されたもので、「伊藤グループ」、「伊藤明子グループ」、「石井グループ」などと呼ばれていたことが認められる。

番号 顧客コード 口座名 口座開設年月日
(昭和・年・月・日)
備考
1 一七六九一 フジタサダトシ 五三・五・四 藤田貞俊
2 一七六九二 イシイノブユキ 五三・五・四 石井ノブ行、信行
3 一七六九三 イトウアケコ 五三・五・四 伊藤明子
4 一七六九四 キタミケン 五三・五・四 北見健、喜多見賢

(二) そこで、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。すなわち、
被告人加藤は、博徒稲川会横須賀一家総長石井進から、資金を出すから売買の別、種類、時機、銘柄、数及び価格のほか、使用取引口座の選択等一切を任せるので株式取引をして儲けさせて欲しい旨依頼されて了承し、同人が用意した名義の右四口座を開設、更に同年九月にこれら四名義の信用取引口座を開設し、石井進から資金を受け入れ、また買い付けた株を担保に証券金融業者から融資を受けるなどして株式売買を行っていた。なお、口座の名義に使用された伊藤明子は石井進の内妻、石井信行は息子、喜多見賢は経営会社関係の知人、藤田貞俊は知人であって、いずれも石井進の仮名とする趣旨であった。なお、この四口座の顧客勘定元帳を検討すると、これらを一つの口座とみなし、昭和五三年及び同五四年を一つの期間としてみると、ベルト株、丸善株及び光興業株に買いオーバー、大和工株(大和工業)と日食品株(日本食品化工)に売りオーバーがある。
以上の事実が認められる。なお、被告人加藤(特に六〇回公判)や証人石井進(特に五九回公判)は、右四口座が開設される以前から、石井進において被告人加藤に依頼して株式取引をしていた旨供述している。
(三) ところで、弁護人は、昭和五八年六月三〇日の五九回公判において、「ニチバンメンディングテープ、かくれんぼくん」などと印刷のある紙袋入りの、「伊藤group」と題するメモ写し四枚、右四口座の顧客勘定元帳写し一六枚及び受渡計算書写し四枚(以上一括して符114・弁書7)の存在を明らかにした。そして、《証拠省略》によれば、右メモ写し四枚は被告人加藤が石井進との間の清算用に手書きして同人に渡したものの写しであり、右元帳写しや計算書写しは右メモの証憑書類であるが、これらの書類は、石井進が株式取引資金の借入先である木倉功雄に対して借入金の使途を説明するための資料として手交したものであって、これを同人から弁護人が入手して証拠調の請求に及んだ、というもののようである。
もっとも、この点に関する証人石井進と同伊藤明子の供述は曖昧で明確性に欠けるものであるが、右メモにみられるのは被告人加藤の筆蹟であり、当時なお被告人加藤が勾留されていたことに鑑みると、経緯はいかにあれ、右の書類一袋については、それが、再コピーしたものであるかどうかは別として、被告人加藤と石井進との間で、同人の前示株式取引の清算用として授受されたものと認めざるを得ない。
(四) そして右の証拠物(符114・弁書7)によると、三二口座の一つである「招徳」で昭和五三年九月一四日買い付けられた日食品株四〇〇〇株が「伊藤明子」の口座で同年一〇月九日売却され、あるいは同じく「永井学園」で昭和五三年一〇月一六日から二四日にかけて科研化株(当時、科研化学工業。現在、科研製薬)三万八〇〇〇株が買い付けられ、更に、同じく「コスモ」で同月二五日科研化株(前同)一万二〇〇〇株が買い付けられていて、これらの株式取引がいずれも石井進に帰属するのではないかとの各疑いが生ぜざるを得ないのであり、これらの疑いを否定するだけの証拠は見当たらない。
そうすると、石井進の資金による株式取引が三二口座で行われたとする疑いが濃厚であるばかりか、たとえ、このように、三二口座における株式取引が被告人加藤の直接顧客のものであり、しかも三二口座の取引が複数客のものであったとしても、なお加藤事務所において顧客ごとの取引管理が可能であるとすることについて、これを裏付ける有力な事情が認められるに至ったといわざるを得ない。
(五) もっとも、検察官は、「右証拠物を仔細に検討すると、
(1) 伊藤グループと題するメモ写し四枚は、その内容から判断して、昭和五三年九月から同五四年一月末までの取引についての清算のために被告人加藤が書いたものと推測されるが、
(イ) 右四口座分のメモのいずれにおいても、各口座における一〇月一九日大和工株各五万株(合計二〇万株)の売却を記載することなく、損益計算から除外していること
(ロ) 伊藤明子分のメモにおいては、同女名義の口座における一二月八日丸善株八万株の買付けの記載がなく、損益計算から除外しているうえ、添付の顧客勘定元帳の写しは、意図的に同取引部分を抹消して作成したものであること
(ハ) 石井信行分のメモにおいては、同人名義の口座における一一月一三日丸善株六万一〇〇〇株の買付けの記載がなく、損益計算から除外しているうえ、添付の顧客勘定元帳の写しは、意図的にそれより以前の九月三〇日現在のものを作成して右丸善株の取引の事実を隠ぺいしていること
等の事実が認められ、同グループの口座における売買をすべて右の清算メモに記載していないことが明らかである。
(2) 他方、同グループの口座で買付けされていない日食品株三万四〇〇〇株と科研化株五万株を右メモに記載して同グループに帰属させているが、この程度の株数のこれら株式を同グループの口座を使用して買付けしなかった合理的理由はなんらない。
これらの事実に鑑みると、結局、右メモに記載された伊藤明子グループに帰属する株式取引なるものは、客観的には同グループの取引ではなく、右メモは、前記石井との清算段階において、被告人加藤が恣意的に記載したに過ぎないことが明らかである。このようなメモの存在自体が顧客名義の取引は実際は被告人加藤が恣意的に適宜その名義を使用した取引に過ぎないものであることを物語っている。」旨主張する。
確かに、右の証拠物を四口座の顧客勘定元帳(写し甲521添付)と対比してみると、検察官指摘の点が認められる。しかし、(イ)及び(ハ)については、同時に添付されていたとみられる顧客勘定元帳写しに記載されているところであり、(ロ)についても、いずれ顧客勘定元帳の写しを徴求すれば、おのずと判明するところである。別途個別清算の対象としたなどとの被告人加藤の弁解(六〇回公判)も、あながち虚偽とは断定し難いものといえる。
右証拠物のメモについて、被告人加藤が清算の段階で恣意的に記載したものとは、いまだ認めるに至らないのであって、恣意的記載であることを前提に、四口座の取引までも被告人加藤に帰属するとの検察官の主張は採用することができない。
(五) 更に、検察官は、「伊藤明子グループの取引についても、前記石井進は、被告人加藤から株式取引の全容を知らされておらず、単に清算段階において取引の結果がこうなっているとのみ知らされていたに過ぎないのであるから、右取引は到底顧客である石井の取引とはいえず、むしろ被告人加藤の収支計算において行われた取引であるので、その売買益も被告人加藤に帰属することが明らかである。」旨主張する。
しかし、弁護人が弁論において縷述するように、前示四口座については売買報告書が送付されていたことは否定できないところであり、その余の取引を含め、これらが前記メモ写し等(符114・弁書7)の授受や清算を伴うものであってみれば、たとえ石井において取引の刻々において全容を知らされていないなど検察官指摘の事由があったとしても、直ちに右株式取引が被告人加藤の計算において行われ、その売買益が被告人加藤に帰属すると断定するについては、なお、疑いが残るものといえる。
(六) なお、弁護人は、「石井関係四口座の顧客勘定元帳上の利益は、合計一億七七六四万五八五九円であるが、石井進に支払われた売買益は二億円以上であった。この差額は右四口座以外の便宜口座での売買益であることを示している。」旨主張する。
そして、証人石井進は同旨の供述をしているのであるが、これを直ちに虚偽と断定し得ないにしても、直接の裏付けもなく、その真偽は明らかでないというのほかはない。
6 歯科医増田某の関係
(一) 歯科医増田某については、被告人加藤が取引口座を持たないまま三二口座を利用した直接顧客の一例として持ち出したもので、前示第三・五・7で判示したとおりである。
(二) もし、この弁解が虚偽でないとすれば、他の場合と同列に論じ得ないにしても、弁護人の主張に添うものとして、その一事例を加えることになるといわざるを得ない。
7 中沢グループ
(一) 前出中嶋作成のグループ別名簿には、中沢関係として、次のように、口座開設の記載があり(口座名、開設年月日などは他の証拠から若干の補正を加える。)、関係証拠によれば、これらの三口座は、後記中沢栄二らにより黒川木徳証券本店に開設されたもので、一つのグループとして扱われていたことが認められ、本件公判中も中沢グループと呼称されていた。
(二) そして、これら三口座の顧客勘定元帳を検討すると、昭和五四年一一月一六日から同月一九日にかけてラサ工株四〇万六〇〇〇株、同年一二月六日にラサ工株六万株の合計四六万六〇〇〇株のラサ工株が買い付けられ、また、翌五五年に宮地鉄株が合計六八万五〇〇〇株買い付けられているが、ラサ工株の売付けはみられず、買いオーバーの片商い現象がみられる。

番号 顧客コード 口座名 口座開設年月日
(昭和・年・月・日)
備考
1 一八四八一 中沢栄二 五四・一一・七
2 一八五〇九 中沢富久子 五四・一二・三 中沢福久子
3 一八五一〇 能登栄三 五四・一二・三

(三) そこで、右各口座開設の経緯等についてみると、《証拠省略》によれば、被告人加藤は、元代議士有田喜一の秘書で(株)誠備の代表取締役藤原三郎の紹介によって、自由民主党兵庫県連幹事長で兵庫県議会議員の中沢栄二と知り合い、昭和五四年一〇月ころ株で儲けたいからとの依頼を受け、同人のほか妻富久子及び秘書能登栄三の三名義で前示のように口座を開設し、資金として同年一一月六日六〇〇〇万円、翌一二月三日四〇〇〇万円の合計一億円を受け取り、右三口座に入金したが、その後昭和五五年四月ころと一一月ころの二回にわたり、一〇〇〇万円あて二回、合計二〇〇〇万円が被告人加藤から中沢栄二に支払われていることが認められる。
(四) 弁護人は、中沢栄二は被告人加藤に株式投資を依頼したものであり、被告人加藤は右三口座以外の便宜口座も利用して株式取引を行い、その売買益として右のように合計二〇〇〇万円を支払ったものである旨主張し、被告人加藤も、特に九五回公判において、「選挙の関係で五六年春ころに清算する約束で引き受けた。加藤事務所が管理する客ということで、他の便宜口座も併用して取引を行った。支払った二〇〇〇万円は一部清算の趣旨である。」旨供述している。
ところが、これに対して検察官は、「被告人加藤は、昭和五四年一一月二二日(株)セントラル・ファイナンスから、中沢栄二口座で買い付けたラサ工株四〇万六〇〇〇株を担保に中沢栄二名義で一億円の借入れをし、更に昭和五五年二月一日、大証信からラサ工株一万六〇〇〇株を担保に右中沢名義で二六〇〇万円を借り入れた。株式の長期間保有を信条とする被告人加藤が、担保に使わなかったラサ工株四万四〇〇〇株を昭和五四年中に売却した可能性はまずないと考えてよいと思われるので、本件起訴対象年の昭和五四年中においては、中沢グループの取引と三二口座での取引が混入しているとの弁護人ら主張のような事実はなかったとみるべきである。」と主張する。
確かに、《証拠省略》によれば、検察官主張のような事実が認められ、かつ、昭和五四年一一月二二日に入庫されたラサ工株四〇万六〇〇〇株が同年中に出庫された形跡も窺われない。そして、ラサ工株の右入担による借入れにより受け取った九八一〇万円(一億円借入れ、利息天引)は右ラサ工株の買入代金に充当されるなどしており、その余も同年一二月六日のラサ工株買付代金に充当されるなどし、その残余は口座上に残されたまま越年していて、右三口座外の株式売買に使用された形跡もない。しかし、昭和五四年一二月六日右三口座で買付けのラサ工株合計六万株については、被告人加藤の株式長期保有の持論があるからといって、そのまま処分されずに越年したとみるのは早計であり、昭和五四年中に、別の口座で売却されるか、あるいは別の借入口座に入庫されて再買付け(ラサ工株とは限らない。)が行われ売却されて、売却益が生じている可能性も否定することはできない。
(五) 以上の次第で、中沢グループについては、昭和五四年の三二口座の取引と混同する可能性は極めて少ないが、これを全面的に否定し去ることもできない。しかし、それはそれとして、被告人加藤の直接顧客の中に、このような片商い現象のみられる口座のあることは、これに対応する取引が三二口座で行われることの可能性を肯定するものとして看過できないといえる。
(六) 更に、検察官は、「中沢グループの三口座に右のような片商い現象がみられることのほか、中沢栄二は被告人加藤の逮捕後まで右の借入れの事実を全く知らず、証券会社から送付を受けた売買報告書記載の取引事実は承知していたが、それ以外については被告人加藤から説明を受けていなかったところ、昭和五五年四月ころ、宮地鉄株が急騰したことから、被告人加藤に対し『儲かっていたら少しくれないか。一〇〇〇万円位必要だ。』と要求し、加藤事務所で被告人加藤から一〇〇〇万円を受領し、更に同年一一月ころ、被告人加藤に対し『もう一年になるし、そろそろやめごろかと思っている。』と言って取引の清算を要求したところ、当時、宮地鉄株の仕手戦で資金難を陥っていた被告人加藤としては、その宮地鉄株を売却処分することはできなかったので、『宮地が新しい経営陣になるし、増資もするからもう少し待ったらどうですか。』と申し向けて清算を思いとどまらせ、結局そのとき同人に一〇〇〇万円を交付したにとどまった。このような事実によると、被告人加藤は、中沢から一億円の資金を受け入れ、それを使用して自己の計算において株式売買を行い、更にその資金調達も自己の計算において行っていたもので、同人に交付した現金二〇〇〇万円も、中沢グループの株式取引による売買益とは無関係であるので、中沢グループの株式取引が被告人加藤に帰属することは明らかである。」旨主張する。
しかし、証人中沢栄二は、その間の事情につき七九回公判において、次のように供述している。すなわち、
「私は、株式取引は、全部加藤に任せたので、内容については分からない。加藤との間に、証券金融を利用するというような細かい話はないし、当時、証券金融についての詳しい知識もなかった。結果としては、一億円の資金を出して、回収したのが二〇〇〇万円ということになる。つまり、株に関しては無知だったから、銘柄とか、やり方とか、すべてのことは、加藤を信頼して、そういうことは清算の時期に明確にしてもらえるものということで、すべて任せた。清算時期は、一応目安として一年後位、大体昭和五六年二月末を予定していた。三口座は、加藤事務所の人の案内で黒川木徳証券に行って開設し、金銭のことなので、一応黒川木徳証券から預り証を受け取った。売買報告書は来ていたように思うが、任せた以上、どういうものを売買して、どうしようと、私がいろいろ意見を言うべきものではないという観点に立っていたから、関心はなかった。昭和五五年四月に提供を受けた一〇〇〇万円については、一〇〇〇万円必要だと言ったら、加藤が出してくれた。清算するまでに、ちょっと要るから、利益があれば、それを一つ先にもらいたいと申し上げたわけである。その際、加藤の方でノートを見せた。普通のノートのような気がするが、はっきりした記憶はない。横で見て、ああ儲かっておるという感覚だけは覚えているが、どういう銘柄を何株買って、いつ売って、どれ位の利益だというふうな具体的な内容について、ノートに確か書いてあったので、私はその場で了解したんだと思う。詳しいことは忘れたが、私の部分には、私の名前の下に、二、三行何か書いてあった。私の分だろうということで、細かいことは見なかったが、儲かっておるという感覚だった。いろいろ話をしたなかに、加藤から、具体的に、こういう銘柄の株の取引で、これだけの利益が挙がっているんだというふうに、商いの内容と金額を、加藤の口から聞いたこともあったかもしれないが、あくまでそれは雑談の間に出たもので、説明を受けたという記憶はない。昭和五五年一一月に提供を受けた一〇〇〇万円も、あらかじめ加藤に連絡して、加藤事務所に行って受け取った。清算の話を持ち出したが、ともかく三か月延ばして、二月二三日に全部清算を詳細にやるということで、加藤と、その取決めだけし、私の欲しかった一〇〇〇万円だけ受領してきた。私の顧客勘定元帳上では、さして利益が出ていないということだが、そうだとすると、加藤がいろいろやり繰って儲けてくれているんだろうと思うが、詳しいことはわからない。売買益であると思っているのは、ノートを見て、私自身が感覚で、あ、儲かったということからである。顧客勘定元帳の、昭和五四年一一月二二日、九八一〇万円の振込入金には心当たりがない。(事)作成の56・4・15報添付の受渡請求票に押されている中沢及び能登の各丸印については記憶がない。印鑑も加藤に任せてある。」などと供述している。
検察官の主張も、右の証言や中沢栄二の59・1・19検によるものと思われる。このような供述から窺われる中沢グループに関する被告人加藤の株式取引については、確かに、被告人加藤に説明を求めない限り、中沢栄二らにおいて把握できない部分のあることは否定できない。しかし、被告人加藤ないし加藤事務所において、顧客ごとの分別管理がなされていたかどうかなどの点も解明されなければならない。検察官主張の事由から直ちに、右株式取引が被告人加藤の計算において行われ、その売買益が被告人加藤に帰属すると断定するのは相当でない。
8 下村博関係
(一) 《証拠省略》によれば、昭和五三年四月二四日付けで黒川木徳証券本店に下村博名義の口座が開設され、同月二四日から二六日にかけて、新電元株合計二二万五〇〇〇株、同年八月、大和設株二万一〇〇〇株、同年九月、明治機株三万株の各買付けがなされたが、同口座では、右のうち大和設株二万一〇〇〇株が同年九月に売却されて三〇万九一四九円の利益を出したのみで、新電元株と明治機株については口座上売却の事実がないこと、更に翌五四年六月二〇日付けで同証券に、下村博名義の信用取引口座が開設され、同年六月二〇日から翌七月一二日までの間、いずれも信用取引で、西華産株三万株、同和鉱株五万株、帝石株一〇万株、丸善株二〇〇〇株、日石株五万株の各買付けがなされたが、右のうち帝石株については、同年六月と七月に反対売買をし、合計三六七万九七七一円の利益を出したのみで、その余の西華産株等についてはいずれも同年八月二八日に全株式を受け株(現引き)し、これによって同口座の取引は終了していること、同年八月三一日付けで大証信から下村博名義で七〇〇〇万円(利息天引)の借入れがなされ、このうち四五〇〇万円余が右西華産株三万株、同和鉱株五万株、丸善株二〇〇〇株、日石株五万株の各受け株代として使われ、これら全株式が右借入金の担保に供されたが、借入金の残額二三〇〇万円余についての使途は明らかでないことの各事実が認められる。
なお、前出中嶋作成のグループ別名簿にも、グループ分けはしていないものの、下村博口座の記載が認められる(顧客コード17682)。被告人加藤も、六二回公判で、単名であるが一つのグループに入る旨供述している。
(二) この「下村博」の口座について、被告人加藤は、九五回公判において、「昭和五〇年ころ元国会議員の紹介で下村博を知った。『下村博』の口座における取引のうち、昭和五四年六月下村博が小切手を持ち込んで以降のものは同人に帰属するが、それ以前のものは、同人から紹介のあった、ある人のもので、名前等は言えない。その人の取引は若干違った、私の用意した口座でも行われている。その人との取引は下村博の取引が始まる前に全部清算して終了した。」旨供述し、また、九七回公判において、「『下村博』の口座上では昭和五四年八月に株式取引が終わっていたとしても、実際には他の口座を使うなどして昭和五五年六月ころまで続いていたのではないかと思う。もし終わっているとしたら、その後の下村の借入口座による借入れは他の客のため便宜的に使用したものである。」旨供述している。
また、下村博は、59・1・19検において、「政財界研究所を設け、雑誌『政財界』などを発行している。昭和五〇年ころ、千葉県選出の元代議士の紹介で加藤を知り、同五四年六月ころ古久根商事より受け取った一億円の小切手から六〇〇〇万円支払って株式取引を始めた。この六〇〇〇万円の返却として、昭和五四年の九月か一〇月に三〇〇〇万円を加藤から受け取り、残る三〇〇〇万円は同年一二月に受け取っている。この間儲けとして加藤から、五、六回にわたり、合計して二千四、五百万円を受け取り、その都度領収証を渡した。加藤から取引の内容につき口頭でも書面でも知らされたことは一度もない。」旨供述している。また、下村博は、八〇回公判において、「昭和五三、五四年当時、情報産業に関係する仕事をしていて、加藤に情報を提供して顧問料を受け取っていた。黒川木徳証券にある私名義の口座は、顧客勘定元帳上昭和五三年四月から始まっているが、昭和五四年六月一五日に六〇〇〇万円出した以前に、加藤に株式取引を頼んで金を出したことはない。しかし、加藤から株式取引に使うので私の名前を貸して欲しいという頼みを受けたことはあり、時期は、はっきりしないけれど、昭和五三年ころと思うので、昭和五三年中の取引は、私が名前を貸したものと思う。昭和五二年の暮か翌五三年の初めころ、赤坂の料亭で加藤に引き合わせた知人が加藤に株式取引を依頼していると思う。昭和五四年に六〇〇〇万円出したのは、情報提供程度でお礼をもらうより、自分も投資して、運用してもらい、儲けたいという気持でやった。加藤には、一つよろしく頼むよ、儲けさせてくれよなどと頼み、加藤も、いいですよ、損しないようにしっかりやってあげますなどということで、あとはよろしくということで、一切任せていた。銘柄、売買の時機、使用口座、証券会社等全部任せていたが、加藤が、黒川木徳証券に預けて、黒川木徳証券でしましょうというので、黒川木徳証券にお願いした。いつまでやるという時期の取決めはしていない。信用取引をやるという話はあったけれども、証券金融から金を借りるという話は記憶にない。加藤は、売買の報告書が黒川木徳証券から行くからなどと言っていた。新電元、西華、日石、帝石、丸善などの取引が記憶にある。売買報告書を整理し、損益を計算したことはない。加藤から前示のように五、六回、少ないときで二〇〇万円、多いときで七〇〇万円、合計二千四、五百万円位現金を受け取ったが、投資に対する利益金だという感覚でいた。領収証は、加藤あて書いて渡した。受領した金額に端数があったとしても何百何十万程度である。ほとんど、私からお願いして受け取ったのが多いが、加藤から、一回位、この程度渡しますという話があったかもしれない。もっとも、欲しいと言っても、加藤の方から、この位にしておいてくれというようなことで、金額を減らされて渡されたこともあった。金を預けていたから、それの利益が出ておればというような気持で、『今日少し要るんだけれどもどうだろう』というようにしていた。加藤も、最初から、必要なときは言って下さいというような話をしていた。当然、利益だと思っていた。儲けの幅ということについて、一々考えたりなんかしていなかった。株式取引の現況がどうなっているかということを確認しないで、必要の都度もらっていた。これだけなにしたんだから、これだけのことをしてくれるだろうという気持でいた。加藤から、私の売買について、こういう銘柄を買って、いつ売った、あるいは手持がある、現時点で損益がこうなっているというような具体的な報告を受けたことはないし、そういう書面を交付された記憶もない。ただ、口頭では、こういうふうな銘柄で、こういうふうにやっておるからというような話をよく言っていた。私は、その都度、もういいよ、そんな説明俺に言ったってわからんよと言って流していた。今、よく思い出してみると、加藤は、片仮名の、コンピューターで打ったものを持っていて、利益の受渡しの時に見せた。銘柄とか数字で、いろいろ取引のことが書いてあったと思うが、証券会社名や口座名が載っていたかどうか記憶していない。売買報告書とは形式のちがうものである。それから、当初に一回位、ノートを見せられて説明を受けたようにも思う。それから、最初は、加藤が自分で書いて説明したこともあった。私は、そんなことを聞いたって、分からないからいいよと、ただ現金の授受だけした。昭和五四年一二月に三〇〇〇万円引き揚げて、終わりだという話はしていないが、私は終わったという感覚でいた。しかし、その後も、しばらく売買報告書が来ていたので、何で引き揚げたのに来るのかな、私の名前でしているのかなと漠然と思ったことがあるが、別に疑問は感じなかった。昭和五三年五月二日、三洋証券に、私名義の口座が開設されていると聞かされたが、知らない。」などと証言している。
そして、以上の供述のほか、被告人加藤のその後の供述などによれば、昭和五三年四月から右「下村博」の口座を株式取引に利用した者は、検察官主張のように、高級公務員とみられる。
(四) ところで、検察官は、以上の供述や証言を引用しつつ、「下村は、株式取引の一切を被告人加藤に任せたもので、必要が生じた都度元本の返還や利益金の配分を要求し、結局下村の供述や証言にあるような金員を受領し、この間被告人加藤から取引の内容について全く説明を受けていないのであって(説明を受けたとする証言部分は信用できない。)、儲け分として受領したという金額も顧客獲得のための情報を提供していたため、特別の待遇を受けて然るべきであるとの考えから、その時々に必要とする金額を要求して受領したものである。また大証信からの下村名義の借入金の担保として、下村口座で買付けのない株券が差し入れられている。こうしたことから、下村口座での取引は、売買一任勘定取引であるが正規のものではなく、被告人加藤の計算による取引で、その売買益も被告人加藤に帰属する」旨主張する。
(五) 確かに、検察官主張のように、証人下村が検察官に対してした供述を翻し、取引の内容につき説明を受けていたと供述する点については、たやすく信用できないというべきである。しかし、同証人も、金額を要求して削られた場合もあった旨供述しているのであって、これを情報料とみることには疑問が残るし、たとえ、売買が一任されているうえ、下村側において取引の内容がその都度把握できていないなど検察官主張の事由があるからといって、そのことのゆえに、直ちに株式取引が被告人加藤の計算においてなされたものと断定するのは相当でない。なお、被告人加藤ないし加藤事務所において、顧客ごとの分別管理がなされていたかなどの点も明らかにすべきものである。
(六) 次に、「下村博」の口座の利用についてみると、証人下村の供述中に、昭和五四年六月中ころ以前のものは自分のものでないとある部分は、具体的な根拠を示したうえでのもので、あながち虚偽ともいえず、おそらくは高級公務員による取引に利用されたものと思われる。また、それはそれとして、いずれにしても下村博口座は片商い、買いオーバーの特徴を有しているのであって、これに対応する売付けがなければならず、三二口座がそのために利用されていたとする可能性も否定することができない。
9 菅(横井・横山)関係
(一) 前出中嶋作成のグループ別名簿には、菅関係として、次のように、口座開設の記載があり(口座名、開設年月日などは他の証拠から若干の補正を加える。)、関係証拠によれば、これら八口座は、菅茂雄により黒川木徳証券本店に開設されたもので、菅グループ、横井・横山グループなどと呼ばれ、一つのグループのように扱われているが、帰属主体は菅茂雄の背後にいる人物一人であるとの各事実が認められる。

番号 顧客コード 口座名 口座開設年月日
(昭和・年・月・日)
備考
1 一七七〇二 和田宏臣 五三・五・九
2 一七七〇三 長谷川真知子 五三・五・九
3 一七七〇四 横山十三雄 五三・五・九
4 一八〇七六 長谷川真知子 五三・八・二三
5 一八〇七七 和田宏臣 五三・八・二三
6 一八二八七 横井勝 五四・六・一九
7 一八二八九 横井光代 五四・六・一九
8 一八二九〇 横山十三雄 五四・六・一九

(二) そして、これら八口座の顧客勘定元帳を検討すると、これらを一つの口座とみなし、昭和五三年及び同五四年を一つの期間としてみると、売りオーバーが丸善株、洋鋼鈑株(東洋鋼鈑)、大セメ株(大阪セメント)に、買いオーバーがベルト株、日重化株(日本重化学工業)、帝石株、三愛石株(三愛石油)、同和鉱株、明治機株、大和設株、本州紙株にみられ、売買された銘柄で片商いのみられないものは淀川鋼株、ジライン株、日鉱株(日本鉱業)の三銘柄しかないこと、なお、右ベルト株は合計三五万株に達し、「和田宏臣」、「長谷川真知子」、「横山十三雄」の三口座(前記番号1ないし3の分)が開設された昭和五三年五月九日にこれらの口座で買い付けられたもので、これら口座の顧客勘定元帳上は売却の事実のないことなどが明らかとなる。また、関係証拠特に(事)作成の56・4・6報によれば、昭和五四年二月二日付けで「長谷川真知子」(前記番号4のもの)と「和田宏臣」(前記番号5のもの)の各口座において買い付けられた丸善株各二万株合計四万株の受渡計算書が、被告人加藤において同年三月二日、日誠総業(株)の委託により買い付けて同社に引渡した丸善株一〇〇万株のうちの四万株分として被告人加藤から日誠総業(株)に交付されていることが認められる。
(三) ところで、この菅グループについて、被告人加藤は、公判の早い段階から供述を始め、「Aという人から横井、横山の名前でやってくれと言われた。Aという人はグループだから、きちんと税務上の処置をしていて脱税に該当しない。」(八回)、「横井、横山、和田というグループのBを想定する。Bは実在するAという人の秘書である。」、「昭和五三年八月ころから客になる。」、「現金が入るとき必ず加藤がタッチして領収証を渡す。後の受渡しは前川や向川に任す。」、「横井のためにコスモが使われた。」(以上二八回)、「横井、横山、和田、一つのグループである。」(四二回)、「グループの呼称は言いたくない。」(六二回)、「菅グループという、政治家に関係したグループで菅は秘書と思う。」(六四回)、「売買一任。全面的に任して頂く。そういうことで株式売買に関してのアドバイスをする形で始まった。これ以上の供述は差し控えたい。」(七八回)などと供述して、取引の実態を語ろうとしなかった。証人として出廷した前川らの証言も記憶にないなどと言っていて、みるべき供述はない。
(四) ところが、検察官の請求に基づいて出廷した証人菅茂雄は、八二回公判(59・2・27)において以下のような供述をした。すなわち、「慶応大学法学部を卒業して信越化学に入社、昭和五一年に関連会社の三信商事(株)に移り、昭和五三年ころ取締役になった。昭和五三年春ころ、友人で黒川木徳証券の部長である友成の紹介で加藤を知った。株の取引をしようかという気になり、私の方から、お金を出して任せるから、よろしくという話を出した。最初は昭和五三年初夏のころで、一億円を預けた。銘柄や売買の別などは加藤に任せたが、大体三か月後位から利益をならして、つまり、八月ごろお金を出して一〇月位から、定額として月一割、一〇〇〇万円を頂くというやり方で始めた。株の利益をこれくらい欲しいというような話を成立させる過程で、加藤の方から名義を幾つか出してくれという話があり、大きな金額で株数とか回数とかの制限があるから、それを承諾し、取引に使用する名前を三人ほど、和田宏臣、長谷川真知子、横山十三雄から借りて出した。三人位でいいという加藤の話だった。私の名義の口座も昭和四五年から木徳証券にあったが使わなかった。名義人には承諾をとり、銘柄を知られたくないこと、もう一つは金額がかなり大きいので、びっくりするといけないと思ったことから、売買報告書など着いたら開封しないで、そのまま自分に渡すように言った。これらの名義人の口座開設等に必要な印鑑は加藤に任せた。その後、昭和五四年夏ころ、金額を増やし、一〇億円余を追加したことから、名義を増やした。加藤から、金額を増やすについては、人数を増やしてくれという話があり、一〇億円余という金であるから株数や回数の問題で当然のことだが、結果として、横井勝、横井光代の二人から借りた。売買報告書などを私に正確に届けたりするという、信頼に足る関係という意味では、あまり増やせないということで、了解してもらった。この二名の印鑑を用意して、口座開設などすることも、加藤に任せた。ところで、最初の一億円は、昭和五三年六月ころから八月ころまでの間に、三回に分けて、三〇〇〇万円、三〇〇〇万円、四〇〇〇万円を出したように思う。二度目は、昭和五四年六月ころ一〇億三〇〇〇万円位出した(債券を売却)。三度目は、昭和五五年八月ころ三億七〇〇〇万円出した。昭和五三年一〇月ころから、出した一億円につき一割、一〇〇〇万円のバックが始まり、それが昭和五四年七月ころまで続いた。そして、昭和五四年六月ころ追加した一〇億三〇〇〇万円については、加藤から五パーセント位、五〇〇〇万円でどうかと話があり、それに同意した。従って、当初の一億円には一〇〇〇万円、追加の一〇億三〇〇〇万円には五〇〇〇万円で、毎月の受領金額は六〇〇〇万円となり、これが昭和五五年七、八月ころまで続いた。その後、昭和五五年八月ころ、三億七〇〇〇万円を追加した。この追加で、昭和五六年春、三月ころから受領金額を増やす計画でいたが、それまでずっと六〇〇〇万円だった。増やす率は、昭和五四年のときと同じ五パーセント位ということだった。なお、昭和五五年一〇月に、メモ(符116・甲571)にあるとおり、一〇、一一、一二、一、二月の五か月分三億円を、必要だったので、私が頼んで先払いしてもらった。十分儲かっているというのでもらった。また、昭和五四年六月に一〇億三〇〇〇万円出したものの、翌月の七月ころに三億円返してもらった。この三億円は、利益の先払いとは違う。従って、加藤から受け取った金は、昭和五三年一〇月から昭和五四年八月まで毎月一〇〇〇万円、昭和五四年九月から昭和五五年九月まで毎月六〇〇〇万円、昭和五五年一〇月に五か月分先払いとして三億円の合計一一億九〇〇〇万円である。出したお金の合計は一五億円になるが、そのうち三億円は昭和五四年七月に途中で返してもらっているので、残金は一二億円である。三度にわたって出したお金は、いずれも黒川木徳証券で加藤に渡した。渡した金の領収証は、いずれも黒川木徳証券発行のもので、領収証コピー二枚(符117・甲572)のとおりもらってある。最初の一億円についての領収証は、昭和五三年八月二八日付けの長谷川真知子あて三〇〇〇万円及び和田宏臣あて四〇〇〇万円と昭和五三年九月六日付け和田宏臣あて三〇〇〇万円である。昭和五五年八月五日付けの和田宏臣あて七億七五〇〇万円、長谷川真知子あて二億五三〇〇万円及び横井勝あて三億七二〇〇万円の合計一四億円の領収証は、昭和五四年六月に渡した一〇億三〇〇〇万円と昭和五五年八月に渡した三億七〇〇〇万円を合わせた一四億円分である。この点については、昭和五四年六月に渡した一〇億三〇〇〇万円は、黒川木徳証券で、ワリコー、ワリチョーなどを現金化したものだから、その事実ははっきりしているということで領収証をもらわなかったが、後から、出したお金については、はっきりしておいた方がいいということで、改めて領収証をもらったため、このような形になった。また、現実に一億円を最初に渡した日は、領収証の日付のとおり、昭和五三年八月二三日と思うが、はっきり分からない。先程、昭和五三年春と言ったり、六月ころから八月ころなどと言ったりしたが、よく分からない。口座では、昭和五三年五月九日に、横山十三雄二七〇〇万円余、長谷川真知子二三〇〇万円余、和田宏臣三一〇〇万円余の合計八一〇〇万円余りで三ツ星ベルトの買いだけがなされていて、その売りがないということであるが、そういう事情は分からない。お金を受け取る際に、取引の損益に関する報告を受けたことはない。いつも儲かっているという話だけで、それも具体的に数字を挙げて、幾ら儲かったといったことは聞いたことがないし、私の方から尋ねたり、損益を報告するよう要求したこともない。どういう銘柄を幾ら買って、幾ら売って、幾らの利益が出ているという具体的な報告はなかったし、私からも求めなかった。お金をもらう日にちとか時間は、お互の都合で決めた。月の初めころとか終りころとか中ころとか、必ずしも決まっていなかった。大体一か月、三〇日の間ということで決まった。毎月もらうお金が遅れることはなかった。加藤の逮捕後、大証信から担保不足の書類が来たが、お金を出した当時、加藤から、担保に入れるということは聞いていなかった。証券金融の制度自体は知ってはいたが、担保に入れることを加藤に任せたことはない。また、回収した売買報告書に基づいて損益計算を自分でしてみたことはない。売買報告書は捨ててしまった。毎月定額の利益の分配を受けていたので、将来、いつかの時期には清算をやりたい、やるべきだとは考えていた。受け取っているお金は、昭和五四年七月の三億円は株式投資金の返済金であるが、それ以外の月一〇〇〇万円あるいは六〇〇〇万円は、株式取引の利益金であると思っている。本件の八口座による株式取引の利益については、すべて私の取引であるということにして、昭和五七年に玉川税務署に修正申告(昭和五四年分)をし、三〇〇〇万円余のものを納付した。それから、売買報告書のなかに、金山証券だとか、あまり聞いたことのない証券会社が何社かあったが、黒川木徳証券以外で口座が開設されているか、はっきりしない。初めて本件で検察官の取調を受けたのは昭和五七年の一月か二月であった。最初から一貫して今と同じことを供述しているが、そのときは調書は取られなかった。前述のメモも示したが、公にされないという話だった。資金の出所や使途について追及されたので『ご賢察下さい。』と言った。それ以上の追及はなかったと思う。昭和五九年二月六日には検察官の取調を受け調書二通が作成された。調書上、三信商事以外の身分関係に触れてないのは私の方から伏せて頂きたいと要望したからである。」などと供述している。
(五) なお、証人菅茂雄が右証言中に引用したメモと領収証の各コピーを整理すると次のとおりとなる。
(イ) メモ(単位は百万円)〈表イ〉
(ロ) 領収証〈表ロ〉
以上の各コピーの記載を右八口座の顧客勘定元帳と対比してみると、一致しない点が見受けられる。
また、検察事務官が黒川木徳証券の領収証控綴中から長谷川真知子、和田宏臣、横井光代、横山十三雄、横井勝のものを摘出したところによると、〈表ハ〉
となって、 ないし の七枚の領収証控コピーについては、これに対応するものが、菅証人より提出されていない。
表イ

年 53 54 55
月 交付 受領 交付 受領 交付 受領
1       10   60
2       10   60
3       10   60
4       10   60
5       10   60
6     1,030 10   60
7       310   60
8       10 370 60
9 100     60   60
10   10   60   300
11   10   60   0
12   10   60   0
計 100 30 1,030 620 370 840
累計 100 30 1,130 650 1,500 1,490

領収証番号 名宛人 金額 趣旨 領収年月日
(昭和・年・月・日)

① 〇〇一五二九 ハセガワマチコ 三〇、〇〇〇、〇〇〇 買付代金 五三・八・二八
② 〇〇一五三一 ワダヒロオミ 四〇、〇〇〇、〇〇〇 同右 五三・八・三〇
③ 〇〇一五五八 同右 三〇、〇〇〇、〇〇〇 同右 五三・九・六
④ 〇〇三七六七 同右 七七五、〇〇〇、〇〇〇 同右 五五・八・五
⑤ 〇〇三七六六 ヨコイマサル 三七二、〇〇〇、〇〇〇 同右 同右
⑥ 〇〇三七六八 ハセガワマチコ 二五三、〇〇〇、〇〇〇 同右 同右

表ハ

領収証番号 名宛人 金額 趣旨 領収年月日
(昭和・年・月・日)

〇〇一五二九 ハセガワマチコ 三〇、〇〇〇、〇〇〇 買付代金 五三・八・二八
〇〇一五三一 ワダヒロオミ 四〇、〇〇〇、〇〇〇 同右 五三・八・三〇
〇〇一五五八 同右 三〇、〇〇〇、〇〇〇 同右 五三・九・六
〇〇二六八六 ヨコイミツヨ 三〇、〇〇〇、〇〇〇 保証金 五四・六・一九
〇〇二六八七 ヨコヤマトミオ 七〇、〇〇〇、〇〇〇 同右 同右
〇〇二七二六 同右 五〇、〇〇〇、〇〇〇 買付代金 五四・七・二〇
〇〇二七二五 ハセガワマチコ 五〇、〇〇〇、〇〇〇 同右 同右
〇〇二七二四 ヨコイマサル 五〇、〇〇〇、〇〇〇 同右 同右
〇〇二七二三 ヨコイミツヨ 五〇、〇〇〇、〇〇〇 同右 同右
〇〇二七二七 ワダヒロオミ 五〇、〇〇〇、〇〇〇 同右 同右
〇〇三七六六 ヨコイマサル 三七二、〇〇〇、〇〇〇 同右 五五・八・五
〇〇三七六七 ワダヒロオミ 七七五、〇〇〇、〇〇〇 同右 同右
〇〇三七六八 ハセガワマチコ 二五三、〇〇〇、〇〇〇 同右 同右

(六) このように、証人菅が八二回公判でメモ等のコピーを示しながら明らかにした点につき、検察官は証拠物を検討したうえ、八三回公判(59・3・9)において、証人菅に尋問を試みたのであるが、同公判における同証人の供述中、問題点に関する要旨は次のとおりである。すなわち、
「メモ(符116・甲571)の元になる忘備録があった。メモを検察官に渡したのは昭和五七年三月一六日であった。検察官から忘備録を提出するようにとの要請はなかった。メモでよろしいとのことであった。裏付けとなる領収証についても聞かれなかった。そのころ忘備録は捨てた。なお右メモの記載と領収証コピー二枚(符117・甲572)の記載と一致しないところもあるが、メモは領収証を点検しないで作成した。実際に昭和五五年八月五日に受領したお金は三億七〇〇〇万円であって、領収証にある三億七二〇〇万円ではない。まして、その日に④、⑥の領収証記載の金額を受け取ったことはない。前記領収証控の ないし に対応するものを含め、前記コピーにある分以外の領収証をもらったことはない。右 ないし の金額の合計三億五〇〇〇万円を口座に入金したことはない。私以外にお金の授受をする者はいない。昭和五四年六月一四日から七月一九日にかけて、横井勝名義で和光、立花、神栄、大成、新日本の、横井光代名義で、勧業角丸、内外、山一、大成の、横山十三雄名義で東和、金山、大成、山吉の各外部証券で合計三九万九〇〇〇株の買付けがあるというが、そのとおりであるものの株数まで記憶していない。(また、裁判所側の尋問に対して)加藤から受け取った利益金について領収証は出していない。送られて来た売買報告書のなかに三二口座の名前のものはなかった。(被告人加藤の尋問に対して)八口座を被告人加藤の自己取引のために貸したことはない。」と供述している。
(七) 以上のような証拠調を経て、被告人加藤は、
(1) 九五回公判において、「菅グループも総括委任を受けていた。特別な活動をしていて、事務所経費等が要るので、買付代金の入った三か月後位から運用の効果が出るように、元金は減らさず、月五パーセント内外の利益が出るように、というのが希望であった。菅グループが用意した一五億円について、最初のころの分は菅側で用意した口座に入金されたが、あと何億かは加藤の用意した口座に入っているかも分からない。最初の一億円も必ずしも菅グループの用意した口座で売買していない。菅グループの取引を、八口座の顧客勘定元帳上で把握することはできない。金沢の方で管理把握していた。五四年七月の三億一〇〇〇万円は利益でなく元金の回収である。その余の投資金額は、株券となって大証信その他の証券金融会社に担保として入金されている。」
(2) 九七回公判において、「菅の上の人に会ったことはある。メモにある利益は結果として五分とか一割になったというだけのものである。別の株となって蓄積された利益から一部を支払うから、ラウンドの数になる。証券金融から借りて支払ったことは、ほとんどないと思う。」
(3) 九八回公判において、「菅証言によると、投資の金を出す前から口座で取引されているというが、事実を解明してみなければ言えない。」
などと供述していて、前示のような顧客勘定元帳上みられる片商いの原因や、入出金と領収証等との不突合の点につき具体的な供述をしようとしない。
(八) このような証拠調の結果から、検察官は、証人菅の供述や被告人加藤の供述が概ね真実であると認定したうえ、「被告人加藤は、菅グループの取引口座を自己の意思で全く自由に使用していたもので、出資金の一割(後に五分)の儲けを支払う旨の約束も、株式取引の委託を受けたというよりも、出資金を受けて自己が株式取引をしたというべきである。菅グループにおいては、被告人加藤から、自己らの提供した資金の運用・保管、売却利益の管理・保管・運用(例えば株式取引による損益の発生状況や証券金融会社からの借入状況など。)について全く報告を受けず、自己の計算において株式取引を行っているという客観的状況も主観的認識も存しないのであって、これらの株式取引は被告人加藤の収支計算において行われた取引で、その損益も被告人自身に帰属することが極めて明白である。また、菅グループ口座での取引は、黒川木徳証券以外の多数の証券会社においても行われていたことが明らかであり、黒川木徳証券における同グループの口座での片商いに対応する売買が三二口座で行われた証拠はないし、また、同グループの口座で買付けした株式それ自体を他の顧客に引渡した事例の如きにおいては、そもそも同口座での売却はあり得ないことに留意する必要がある。」旨主張する。
これに対して、弁護人は、「菅茂雄にしても、同人の背後に存在した帰属主体である代議士にしても、拠出した資金は、被告人加藤の能力を信用しての自己のための株式投資であり、かつ、売買益金のならし配当であるという認識の下に受領しているのであって、決して被告人加藤に貸したり、被告人加藤の使途自由な金として交付したものでもない。菅証人は、被告人加藤に委任した株式取引、すなわち右資金は、委任の趣旨、所謂売買一任勘定契約により、資金提供者である隠れた帰属主体のための株式取引に供され、その売買益は、同人に帰属するものであると認識していたから、昭和五七年に至り、自己の名前で税務申告を行っているのである。右申告は、菅証人において、自己がパイプ役をつとめた帰属主体の取引であることを知悉していたからに外ならない。」旨反論している。
(九) 確かに、菅グループの株式取引については、被告人加藤が三二口座への混入を否定していないうえ、その売買が被告人加藤に一任されていて、使用口座も同グループが用意した八口座にとどまらないことが認められ、現実に口座上前示のような片商い現象が認められるのであるから、その取引が一部なりとも三二口座で行われていたとする可能性までも否定することはできない。もっとも、昭和五三年五月に菅グループの三口座で買い付けられたベルト株については、そのころの証券金融業者の入庫にも見当たらず、三二口座等でも売却された形跡は認められない。また、関係証拠特に高橋雄作成の56・7・7回答書(調査報告書添付)によれば、菅グループの五名義で大証信等の証券金融業者に借入口座が開設されていて、株券が担保に差し入れられたまま被告人加藤の逮捕に至っており、買いオーバー分が三二口座で売却された可能性は、否定できないとしても少ないといえる。また、売りオーバーとなった丸善株の買付先については、菅証言にもあるように、当時外部証券で大量の買付けがなされていることからみて、三二口座で買い付けられた公算は同様に少ないといえる。
それはそれとして、菅茂雄の前記証言から窺える本件取引の態様は、売買一任であるうえ、利益金支払の状況や金額からみても、通常の株式売買の委託とは認め難い面が少なくない。たとえ、加藤事務所で顧客ごとの分別管理がなされていたとしても、一種の出資契約とみる余地もある。しかし、株式取引の委託か出資か、いずれの場合であっても、後述するように、直ちに三二口座の株式取引から生ずる所得がすべて被告人加藤に帰属すると断定することはできない。
なお、菅証言によれば、菅が被告人加藤から受け取った領収証はすべて黒川木徳証券発行の正規のものということになり、しかも領収証の内容に一部にしろ虚偽があることになるが、大蔵省の監督下にある証券会社が多額の入金につき虚偽の領収証を発行するかは疑わしいともいえるのであり、その真偽が究明されているとは思われない。また、菅茂雄が玉川税務署に対してしたという修正申告は明らかに事実に相違しているというのほかはないことになるが、その後における税務署側の処理も明らかでない。更に、被告人加藤は捜査段階から直接顧客の取引である旨弁解していたにもかかわらず、当初菅茂雄を取り調べた検察官において、メモの根拠となる忘備録ひいては領収証等を追及しなかったというのも、捜査の常識からみて理解に苦しむところであり、これが真実であるとすれば、真相解明に対する検察官の姿勢が疑われることにもなりかねない。しかし、本件立証の程度では、菅証言の真偽を判定するに十分な証拠があるとはいえない。
10 武中勉関係
(一) 押収してある顧客名簿等のうちAグループとされているものをみると、杉本義一(顧客コード18693)、阿部憲一(同18694)、細田茂(同18695)及び小川秀雄(同18703)の顧客名の横に「武中G」等の表示が付されていることが認められる。この武中グループなるものについて、被告人加藤は、六四回公判において、「武中さん関係は正直言ってしゃべりたくない。政治家の関係したグループだと思う。武中は菅さんと同じ立場の人だ。」、また、七八回公判において、「昭和五四年中に取引のあったのは、武中勉の口座だけかも分からない。」などと供述している。
そこで、検察官は、(事)各作成の59・1・9報及び59・4・9報の取調を請求したのであるが、これによれば、昭和五四年二月四日黒川木徳証券本店に武中勉名義の取引口座が開設されていて、顧客勘定元帳上片商いがみられるほか、この口座開設に先立ち大証信に昭和五三年一二月一一日借入口座が開設され、同日丸善株二〇〇万株を担保として七億円の貸付けが実行され、翌五四年三月一二日返済されていることが認められる。
被告人加藤は、九七回公判において、右のような証拠を示してする弁護人の質問に対し、「武中勉の口座を開設する数か月か一年前から取引があったので、口座上でも、開設と同時にベルト株の売りから始まっている。加藤事務所で管理する顧客であり、私はその実質出資者に会っている。投資額は当初数億円だったが、だんだん増えて数十億円になった。大証信から七億円を借り入れる際に差し入れた丸善株二〇〇万株は実質出資者の所有株である。その直前まで三二口座等の借入名義で証券金融業者数社に入庫されていたものである。非常に度胸のある人で岩澤の場合のような市場外取引などはない。この丸善株二〇〇万株のうち一〇〇万株は昭和五四年一月二六日に出庫され、代わって明治機株とベルト株が入担されているが、これも武中関係のものである。この出庫した丸善株は市場外で当時の市場価格より安くある人に売却した。昭和五四年八月二九日武中勉口座に入金になった一〇億円は、借入れでなく武中から持ち込まれたものである。五四年中に武中側へ三、四回利益金を渡した。金額は言えない。あくまで株式売買の利益金である。政治資金を用意したものではない。武中グループの取引は、一回全部清算して、また改めて昭和五三年暮れから始めた。同グループについては、黒川木徳証券以外に口座はほとんどなく、中村有商事(株)を通じて外部証券で売却した程度であり、山一証券銀座支店、日興証券銀座支店、新日本証券銀座支店に『武中勉』の口座が開設されていることは知らなかった。」旨供述している。
(二) 検察官は、弁護人の要望もあって、前記武中勉の証人尋問を請求し、当裁判所も請求を容れて召喚状を発したのであるが、同証人は病気発熱や出張を理由に出頭に応じないうち、検察官が請求を撤回したことから、証人尋問をしなかったものである。
(三) 検察官は、以上の証拠に基づき、以下のように主張する。すなわち、「『武中勉』の口座における取引には、ベルト株二〇万株の売りオーバーと昭和石株五万株(昭和石油(株)。その後合併により昭和シェル石油(株)となる。)、東燃株三万株及び興亜石株三万株の買いオーバーが認められるところ、これに対応する反対売買が三二口座で行われた証拠はないこと、昭和五三年一二月一一日付け大証信から武中勉に対する七億円の貸付けについては、翌五四年三月一二日返済されているが、この間、右の武中口座ではベルト株二〇万株の売却しかないこと、右貸付金の担保として丸善株二〇〇万株が入庫され、その後これが丸善株一〇〇万株、明治機株一〇〇万株及びベルト株二〇万株と差し替えられ、このうちベルト株二〇万株のみが右武中口座で売却されたが、その余の株式については、どこで買付けされ、どこで売却されたものか、その売買状況は不明であること、等の事実が認められる。そして、被告人加藤は、武中グループの取引についても、他の直接顧客についてと同様の意味の売買一任勘定取引であったと供述しているが、同グループから、いつ、幾らの資金を受け入れ、それに対し、いつ、幾らの支払いをしたのかについては、全く明らかにし得ないのである。従って、武中グループすなわち『武中勉』の口座における取引も、売買一任勘定取引であって、正規のものでないから、被告人加藤の計算において行われた取引であるので、売買益も被告人加藤に帰属する。」などと主張する。
(四) 以上に現れた証拠関係からみる限り、検察官の主張する事実関係は概ね是認できないではないが、未だ取引の全容が解明されたとはいえないのであって、昭和五三年一二月に七億円の借入れが発生していることや、「武中勉」の口座に片商いのみられることに照らしても、武中グループの取引が三二口座で行われていないと断定することはできない。また、武中グループの取引に対する加藤事務所の管理状況なども解明されなければならない。検察官主張の事由があるとしても、直ちにその株式取引をもって被告人加藤の計算によるものとすることはできない。なお、検察官指摘の丸善株一〇〇万株は、関係証拠に照らし岩澤関係の前示市場外取引に供された公算が大きい。検察官は売買状況不明というが、この一事に徴しても、武中勉関係の取引解明に力点が置かれていたかは疑わしい。
11 大洋グループ
(一) 前出中嶋作成のグループ別名簿には、大洋関係として、次のように、口座開設の記載があり(口座名、開設年月日などは他の証拠から若干の補正を加える。)、この事実は(事)作成の59・1・9報によっても明らかである。

番号 顧客コード 口座名 口座開設年月日
(昭和・年・月・日)
備考
1 一六七五六 杉尾エイシュン 五一・一・一五 杉尾栄俊
2 一七四五四 大洋(株) 五二・六・一七
3 一七五六九 磯田明 五二・一二・二
4 一八一四一 清水シゲル 五三・一〇・二八 清水茂
5 一八一四二 タケウチヤスオ 五三・一〇・二八 武内泰夫
6 一八一四三 イソダエツコ 五三・一〇・二八 磯田悦子
7 一八一四四 ホリエコウイチ 五三・一〇・二八 堀江光一
8 一八一四五 ソメダタケハル 五三・一〇・二八 染田武春
9 一八八七七 スギオヒデト 五五・四・八 杉尾秀登
10 一九〇〇六 オカベトオル 五五・五・一九
11 一九〇〇七 スズキミノル 五五・五・一九
12 一九〇〇八 キツカワノリコ 五五・五・二〇
13 一九一一四 河村好子 五五・六
14 一九八九六 柳沢タケシ 五五・一二 柳沢武
15 一九八九七 平原一男 五五・一二

(二) 被告人加藤は、九七回公判において、「大洋(株)はゴルフ場やマンションの経営会社である。社長は杉尾栄俊であり、昭和五一年から口座もある。この取引の帰属主体は一つで、グループとして一つというふうに認識していた。中心的な人は杉尾であった。当初の受入資金量は一億以上五億以下であった。取引は私の逮捕まで続いた。グループの口座だけではなく、『誠備』や『コスモ』も使った。そのほかの口座も使った。グループの窓口は磯田明であった。取引のやり方は時期によって変遷がある。大洋グループでないのに、一〇億円以上の資金を持ち込んで相乗りした人もいる。私も会っている。その者の取引は大洋グループの口座の顧客勘定元帳上は出て来ない。三〇口座やその周辺口座は使った。受渡しは磯田明との間でした。磯田明は大洋の専務であると同時に、社団法人日本パラグァイ協会の事務局長をしている。杉尾は郵政大臣の秘書官をしていたが、大臣の資金が流れたことは絶対にないと思う。大洋関係では、結果として大体月平均一割以上の利益が行っていたかも知れない。元金保証や一定利益保証の約束はない。大洋は日誠総業と一つのグループで括れる。逮捕されたとき、大洋関係で数十億円分の株券を預って担保に差し入れていた。」などと供述している。
(三) 検察官は、弁護人の要望もあって磯田明の証人尋問を請求し、当裁判所も召喚状を発したが、送達前からパラグァイ国へ出国していて、帰国前検察官が請求を撤回したため、当裁判所も決定を取り消し、証人尋問をしなかったものである。
(四) 検察官は、以上の立証に基づき、「黒川木徳証券に開設された大洋グループの取引口座のうち、昭和五三年と同五四年に取引の行われた口座は、磯田明、清水茂、武内泰夫、磯田悦子、堀江光一、染田武春名義の六口座であるが、これらの口座においては、昭和五三年中は大和設株とベルト株の取引しかなく、しかもベルト株については買い株九一万二〇〇〇株に対し売り株五一万四〇〇〇株で差引三九万八〇〇〇株が買いオーバーとなっていること、昭和五四年中は丸善株一〇万株の売りオーバーの取引が一回あるのみであること、これらオーバー分に対応する反対売買が三二口座で行われた証拠はないこと、等の事実が認められるところ、被告人加藤は、大洋グループとの間の金銭授受の明細等を明らかにし得ない。大洋グループの口座における取引も、売買一任勘定取引で、しかも正規のものでないから、被告人加藤の計算において行われた取引であるので、その売買益も被告人加藤に帰属する。」旨主張する。
(五) しかし、前掲証拠によれば、検察官主張のような片商いが認められるところ、被告人加藤は、三二口座も同グループの取引に利用した旨供述しているのであって、本件立証の程度ではその全容は明らかでない。加藤事務所が顧客ごとの分別管理をしているかなどの点も解明しなければならない。検察官主張の事由があるからといって、直ちに大洋グループの取引が三二口座に混入していないとか、混入していても被告人加藤の計算において行われ、その売買益も被告人加藤に帰属するなどと断定することはできない。
12 坂本グループ
(一) 前出中嶋作成のグループ別名簿には、坂本関係として、次のように、口座開設の記載があり(口座名、開設年月日などは他の証拠から若干の補正を加える。)、この事実は、(事)作成の58・7・22報によっても明らかである。

番号 顧客コード 口座名 口座開設年月日
(昭和・年・月・日)
備考
1 一八二一六 坂本静子 五四・二・六
2 一八二二〇 坂本恵子 五四・二・一四
3 一八三三四 坂本幸一 五四・八・二二
4 一八三三五 坂本良夫 五四・八・二二

(二) 被告人加藤は、六二回公判において、「坂本幸一と恵子は実在し、夫婦である。坂本恵子の取引は三二口座と入り混じりがある。」などと供述している。
(三) 検察官は、こうした立証に基づき、「坂本グループの取引口座は、四口座であるが、これらの口座においては、丸善株、日産化株、三愛石株の三銘柄のみしか売買されておらず、このうち丸善株につき二万一〇〇〇株の売りオーバーが認められ、三愛石株につき一〇万株の買いオーバーが認められるところ、同グループの坂本恵子口座で買付けした丸善株のうち一五万株分の受渡計算書を日誠総業(株)に交付して同社に右株式を引き渡しているため、結局同株式の売りオーバーは、実質的には一七万一〇〇〇株となるが、これらオーバー分に対応する売買が三二口座で行われたとする証拠はないこと、右丸善株一五万株を日誠総業(株)に引渡した事実からも、被告人加藤は坂本グループの口座を自己の意思で全く自由に株式取引に用いていたこと、等の事実が認められる。そして被告人加藤は、坂本グループとの間の金銭授受の明細等を明らかにし得ない。坂本グループの取引も、売買一任勘定であって、しかも正規のものではないから、被告人加藤の計算において行われた取引であるので、その売買益も被告人加藤に帰属する。」旨主張する。
(四) 確かに、《証拠省略》によれば、坂本口座の取引には、検察官指摘の片商いがあり(但し、丸善株の売りオーバーは三〇〇〇株)、その原因の一つとして丸善株一五万株が日誠総業(株)に引き渡されるなどしていることの各事実(但し、実質的売りオーバーは一五万三〇〇〇株)が認められる。しかし、この程度の立証では、未だ取引の全容が明らかになったとはいえず、坂本グループに対する分別管理が加藤事務所で行われていたかなどの点も解明しなければならない。検察官主張の事由があるからといって、直ちに同グループの取引をもって、三二口座に混入していないとか、混入しているとしても、被告人加藤の計算において行われたもので、その売買益も被告人加藤に帰属するなどと断定することはできない。
13 田口グループ
(一) 前出中嶋作成のグループ別名簿には、田口関係として、次のように、口座開設の記載があり(口座名、開設年月日などは他の証拠から若干の補正を加える。)、この事実は、(事)作成の59・1・9報によっても明らかである。そして、関係証拠によれば、これらは、帰属主体は別として田口日出夫が開設したものと認められる。

番号 顧客コード 口座名 口座開設年月日
(昭和・年・月・日)
備考
1 一七六〇七 田口幸一 五三・一・三〇
2 一七四四九 (株)日東デコレーター 五二・六・一〇
3 一七六四二 ヨシムラビン 五三・三・一六 吉村敏
4 一七六九八 ヨシワラヨシオ 五三・五・八 吉原善雄
5 一七六九九 ササモトトシオ 五三・五・八 笹本俊雄
6 一八〇三四 ハラダブイチ 五三・七・一七 原田武一
7 一八七二三 二興建設(株) 五五・二・一二
8 一八七九一 橘敏郎 五五・三・六
9 一八八一五 田口日出男 五五・三・一八

(二) 被告人加藤は、七八回公判で約定取引の入り混じりの有無について説明を差し控えたい旨供述していたが、九五回公判において、「田口は、昭和五三年から同五四年にかけて、ある人の秘書をしていた。田口幸一名義の口座開設は昭和五三年一月三〇日であるが、それ以前にも取引はあった。この以前には、ある大臣秘書官をしていた。監督官庁の関係で誤解を受けるので、加藤の用意した名前でやってもらえないかということで、日誠総業(株)の了解を得てヂーゼル株を買い付けた。値上がりして一部を売却し、残った二万九〇〇〇株に現金三〇〇〇万円を加えて、右口座開設の際に預かった。この時期になって、右のような田口幸一名義の口座が開設されたのは、田口の職業上何らかの転換があったからだと思う。田口の取引も包括委任であって、定期的ではないが、田口の要求があったとき、他の株式などにして積み立てていた利益を渡した。」旨供述している。
(三) 検察官は、弁護人の要望もあって田口日出夫の証人尋問を請求し、病中にあるというので臨床尋問の実施を予定していたところ、検察官が請求を撤回したため、決定を取り消して証人尋問をしなかったものである。
(四) 田口グループについて、検察官から特段の主張はない。しかし、前記田口グループの取引について、その顧客勘定元帳をみると、田口幸一名義の口座は大半は信用取引であって、受け株についてのみ問題が残るところ、その余の口座の現物取引と併せ検討すると、西華産株、宮地鉄株、ヂーゼル株に買いオーバー、新電元株、ベルト株に売りオーバーがみられるが、その片商いの程度は他のグループにみられるほどのものではない。しかし、その原因は証拠上明らかにすることができない。
14 全戦争受難者慰霊協会関係
(一) 《証拠省略》によれば、昭和五四年一一月二六日付けで委託者を笹川良一、受託者を加藤暠、受益者を財団法人全戦争受難者慰霊協会(会長笹川良一)として三者間で金銭信託契約書が作成されており、これによれば、委託者の笹川良一が信託金一億円を受託者の被告人加藤に預け、被告人加藤が昭和五四年一一月二六日から翌五五年一一月二五日までの一年間運用し、その運用については特に条件をつけないものの、損益のいかんにかかわらず毎月末日に一〇〇〇万円あてを受益者である協会に支払い、一年後の昭和五五年一一月二五日に信託金元本の一億円を金銭で委託者に返還する、なお受益者である協会は委託者が負担する信託金借入れに伴う利息相当額を直接借入先に支払うなどというものであり、笹川良一は三和銀行日本一支店から手形借入れで一億円を借り入れて黒川木徳証券へ銀行送金したこと、被告人加藤は、昭和五四年一二月二四日を第一回として、約定の支払日とは異なるものの、毎月一〇〇〇万円を三和銀行日本一支店の右協会の普通預金口座に送金し、同五六年二月一二日の送金が最後となっていて、送金の合計は一億五〇〇〇万円に達していること、その間、昭和五五年一一月二五日付けで右三者間に金銭信託契約の更改に関する契約書が作成されており、期間を一年延長して昭和五六年一一月二五日までとし、この最終日を元本の返済日とする旨の記載のあることの各事実が認められる。
そして、右協会の専務理事である蔭山幸夫は、右検察官に対する供述調書のなかで、「被告人加藤は、昭和五四年秋ころ全戦争受難者慰霊協会会長笹川良一に対し、一億円を預託して頂ければ、それを運用し、毎月一〇〇〇万円を協会に寄付し、期限が来れば預託金を返す旨申し入れたことから、深田税理士が協会に課税されない方法を検討し、前記金銭信託契約を締結し、これが実行されたもので、昭和五五年の期限が近くなったころ加藤から『今一億返せといわれたら困るので、もうしばらく預託しておいて下さい。』といわれ、前示のように期限を延長したものである。」旨供述しており、税理士深田秀利の前示供述調書の記載もこれに添うものである。
(二) しかし、他方、《証拠省略》によれば、昭和五四年一一月二七日黒川木徳証券本店に全戦争受難者慰霊協会名義、加藤扱いの取引口座が開設され、同日一億円が振込入金されたうえ、ラサ工株、巴川紙株、宮地鉄株が買い付けられたが、顧客勘定元帳上は、このラサ工株は買付けに対応する売付けがなく、巴川紙株は売却して一六〇〇万円の利益を出し、宮地鉄株も売却して一億七〇〇〇万円余の利益を出していること、もっとも、こうした売却利益が出たのは被告人加藤の前示送金開始半年後の昭和五五年五月であったこと、他方、承諾の有無は別として、被告人加藤は、昭和五五年の一月と七月の二回にわたり蔭山幸夫名義で(株)セントラル・ファイナンスから合計二億八〇〇〇万円を借り入れ、その担保として前記ラサ工株等のほか、右協会の口座で買付けのない安藤建株三〇万株を入庫していることの各事実が認められる。
もっとも、この点について、蔭山は、前示調書のなかで「私名義の借入れの事実は知らなかった。使用された協会の丸印は偽造である。加藤に借入れの権限を与えたことはない。加藤に協会の口座を開設して株式取引をすることを委託したことはない。受渡計算書はもらっていない。」などと供述している。
(三) ところで、被告人加藤は、九七回公判において、「名前は言いたくないが、蔭山さんの上にいる人から一億円を株式で運用してくれということで頼まれた。ついては、自分のことでは、いろいろ世間からマークされているので、形式上、ある種の契約を結ぶけれども、それは承知しておいてくれということで承知し、蔭山と税理士が加藤事務所の金沢千賀子との間で、判を押し、そういう結果になった。信託契約だったら全戦争の名前で口座を開設する必要はなかった。利益や借入れについては、岸本グループや菅グループと同じ取扱いだった。蔭山に期限の延長の話をしたこともない。信託契約は建前であって裏がある。」旨供述している。
(四) そこで、検察官は、前記蔭山や深田の供述が信用できるものとして、「被告人加藤は、前記笹川から、信託金一億円を一定期間運用し、その運用の損益のいかんにかかわらず毎月末に一〇〇〇万円を支払う旨の約束でその預託を受けたものであって、その運用が株式取引にのみ限定されたものでないというべきである。そして、全戦争口座の株式取引で買い残のままとなっているラサ工株と巴川紙株が三二口座で売却された証拠はない。」旨主張する。
これに対して、弁護人は、「金銭信託契約書は、前述のとおり、株式投資に名前が顕出されることを嫌い、かつ、投資金の確実な回収と株式売買益金の取得を願望した場合、関係者が、税理士の巧智を利用して作成した契約書であり、一億円は、まさに、被告人との売買一任勘定による株式投資であって、毎月の一〇〇〇万円は三二口座その他の便宜口座を併用して生じた売買益であった。蔭山幸夫の検面調書には、借入れの事実は全く知らなかった旨の記載があるが、同人の株式取引の知識の程度が、どれ位であったかは別として、出資者である笹川氏が株式入担による借入れを知悉していたことは、同氏の株式取引経験と能力からしても明白なところである。因みに、蔭山幸夫の検面調書は、被告人公判請求(追起訴)後実に約一年三か月を経た昭和五七年七月二日に作成されているが、取調検事において、本件金銭信託契約書の真相を知悉していたものと思われるのに、蔭山をしてかかる形式的供述に止めたことにつき弁護人は多大の疑惑を抱いている旨あえて付言して置く。」旨反論する。
(五) 蔭山及び深田の検察官に対する前記各供述調書は、いずれも弁護人が証拠とすることに同意したものであって、その信用性はたやすく否定することができない。しかし、同人らの供述によっても、金銭信託契約書が課税上の問題を考慮して作成されたというのであって、当事者の真意をそのまま契約文言としたかは疑わしい。そもそも、寄付をするのに、寄付先から逆に元金を預かること自体変則であるうえ、その元金が銀行からの借入金というのも正常といえない。しかも、前示認定からも推測されるように、受託者は加藤であるのに、一億円は黒川木徳証券に銀行送金され(この送金関係の証拠は提出されていない。)、しかも、協会の株式取引口座に開設のとき振込み入金されているのである。加えて、約定にある月一割の利益は甚だ高率であって、被告人加藤が株式取引以外の手段で調達することは困難であり、その株式取引も、信用取引や証券金融の利用などを加えて積極的運用を図らなければ到底実現できるものではない。それにもかかわらず、株式取引や借入れは全く知らされていなかったとする蔭山の供述は、もし同人が真相を知らされている立場にあったとすれば、信用性に疑問を差し挟む余地があるといえる。こうした供述調書は本件公判審理が開始された後に作成されたもので、そのこと自体の当否を問うものではないが、蔭山において、株式取引を通じて被告人加藤と関係のあったことが世間に知れることをはばかる気持から供述したとも考えられないではない。他方、被告人加藤が笹川良一を信奉していることは公判の言動に鑑みて容易に看取し得るところであって、それゆえに、右各供述調書自体の信用性をあえて争わなかったとも思われるのである。
このようにして、検察官の主張をそのまま容認することには、なお、疑いが残るものといえる。
七 加藤事務所における顧客管理の実情
1 分別管理の必要性
(一) 以上検討の結果によれば、被告人加藤の顧客には、会員顧客と直接顧客がおり、直接顧客は大半が被告人加藤に売買を一任しているものとみられるが、その直接顧客のなかに、顧客が開設した取引口座や借入金口座だけを使用し、受渡しや清算も直接、証券会社との間で行う顧客、すなわち被告人加藤の説明によれば、加藤事務所で管理しない顧客のいることは、いうまでもない。弁護人は、そのほかに、取引や借入れのため使用する口座の選択についても被告人加藤に一任し、それゆえ口座ごとの管理ができないため、加藤事務所で顧客ごとの管理が必要となる顧客がおり、この顧客の取引が三二口座でも行われている旨主張し、被告人加藤も同旨の弁解を繰り返している。そして、これまでの証拠調の結果によっても、管理の内容は別として、加藤事務所が管理する一群の直接顧客が存在していたことは否定できないように思われる。
(二) なお、《証拠省略》によれば、加藤事務所で管理する直接顧客については、少なくとも事実上、証券会社と直接顧客の間に被告人加藤ないし加藤事務所が介在し、黒川木徳証券に開設された口座で株式取引がなされる場合においても、その直接顧客と黒川木徳証券との間で直接のやりとりが行われることはまずなく、ただ顧客によっては、その顧客のために開設された口座などに、ひとまず入金し、黒川木徳証券発行の領収証が交付されていたことが認められる。
(三) そこで、もし、こうした顧客の意図が売買一任の趣旨であっても証券外務員である被告人加藤を介し黒川木徳証券に対して株式売買を委託するものであり、被告人加藤も委託に応じただけで、ただ使用口座だけは便宜的に相乗り口座を併用したに過ぎないというのであれば、被告人加藤において顧客に対し委託の趣旨に従った受渡しや清算をするためには、被告人加藤ひいては加藤事務所で口座を基準とせず、取引を顧客ごとに分別して管理していなければならない。もし、こうした分別管理がなされておらず、顧客もそのことを承知のうえで依頼していたとすれば、その法律関係は通常の株式売買の委託とはみれず、別個の考察を必要とすることになろう。
2 加藤事務所の実態
(一) すでに認定したところから明らかなように、被告人加藤は黒川木徳証券の証券外務員であって、その事務処理は同証券の第二営業部(昭和五五年四月以降は第三営業部)が担当すべきであったのに、これとは別に昭和五一年三月ころスポニチ銀座ビル六階に加藤事務所を設け、更に昭和五五年六月千代田会館ビル二階にも加藤事務所を開設して、これに主要機能を移した。また、これとは別に、中央区日本橋兜町二丁目中央ビル六階六二号室などに秘密事務所を設け、外部証券に対する発注の場などに利用していた。
(二) そして、関係証拠によれば、加藤事務所は、一般の会社事務所と同様の什器備品を備え、事務員の勤務体制なども同様であって、その経費は人件費を含め被告人加藤が個人で負担し、事務員も個人で雇用していたこと、その事務処理は、被告人加藤の妻幸子が従事していたこともあったが、金沢千賀子が中心で、ほかに永塚和子などがおり、昭和五五年四月から向山寿美(当時谷田部姓)も働くなどしていて、被告人加藤が逮捕された昭和五六年二月当時は、これらを含め、六名位の女子事務員のいたことの各事実が認められる。
(三) ところが、《証拠省略》によれば、被告人加藤が逮捕される一週間前の昭和五六年二月一〇日中嶋敏郎のほか右女子事務員などが千代田会館二階の加藤事務所にあった書類等を全部持ち出し、二トン積み位のワゴン車に積み込んで、中嶋が運転して(株)誠備の元女子従業員宅へ運び込んだことが認められる。また、主として本件令状関係の記録によれば、本件捜査の当時において、既に共犯容疑の金沢千賀子、重要参考人とみられる永塚和子の両名のほか、被告人加藤の妻幸子が長男太郎(昭和五三年一二月生)を連れて所在を不明にしており、現在に至るも、以上いずれについても所在や行方が判明しているとの報告を当裁判所は受けていない(なお、これらに関与した者の一部につき氏名が判明しているものの、身柄を拘束されたり、訴追されたという事実を聞かない。)。もし、加藤事務所内の書類等が事前に押収されておれば、直接顧客に関する情報も明らかになり、その範囲や分別管理の有無、実情などの解明にも役立ったと思われる。従って、今となっては、その解明は主として供述証拠によるほかはなく、それも金沢らが所在不明とあれば、向山寿美のほか、加藤事務所に出入りしていた者の供述に頼らざるを得ない。
3 分別管理の有無に関する証拠関係
この点に関する検察官の立証は、主として前川元宏、向川英剛、中嶋敏郎の各証言と向山寿美の56・4・11検及び55・4・13検によるものである。
(一) このうち証人前川元宏は、一二回にも及ぶ公判証言のうち、最初のころ、主として検察官の主尋問が続くなかで、検察官指摘の三〇口座における取引の特徴からして、売買益の分別管理は不可能であるという程度の供述をしているだけで、その後の同証人の供述の変遷などからみて、前川証言は分別管理の有無について有力な証拠となり得ない。
(二) 証人向川英剛は、二六回公判において、「直接顧客の借入れについては、加藤から、借入れを起こせるだけ借りて下さいというときと、金額の指定があるときがあった。どの名義で借り入れるかについても、買った顧客で借入れを起こして下さいといわれ、担保についても、買った株券を入れて下さいと言われたりした。しかし、こっちの口座についての借入れの場合の依頼方法は、受渡しの当日に金沢から全体で幾ら幾らの借入れを起こして下さいというように、指示があるのは借入金総額だけであり、株券は全部で幾ら位ありますから、これでもって幾らの借入れを起こして下さいと言われたりした。加藤の奥さんから、適当に見繕って下さいと言われて、私の方で見繕い、案を立てたこともある。借入金額に対して株券が足りない場合には、不足株券を加藤事務所の金沢から持ち込むなど、やり繰りをして案を作った。適当に見繕うのであるから、こっちの口座では、必然的に借り入れの混同がある。このような借入名義の指定とか担保株の指定とかいうのは、本来、加藤側でやるべきことではあるが、私がやったのは、手が足りないというか、それだけの能力の問題というか、そういう面が絡んでいた。私が借入名義とか担保株のやり繰りをして案を作っていた当時は、ちょっとはっきり分からないが、加藤事務所の方では、そのような借入関係の帳簿はつけていなかったのではないかと思う。もっとも、昭和五四年の後半に入ってからは、借入関係の帳簿を加藤事務所で向山がつけているのを見たことがある。加藤事務所で見た帳簿というのは、スポニチ銀座ビル時代では、金沢が書いていた現金出納帳、担保関係もあったように思うが、証券金融業者の資金関係がどうなっているか、もらいになるか、払いになるかということは金沢が書いていた。それ以外の帳簿は見たことがない。千代田会館に移ってからは、加藤事務所の帳簿は更に整備され、受渡ノート、元帳、担保明細表、担保のノート等全部で七、八冊の帳簿があった。受渡ノート、担保明細表、担保のノートは、私がつけていたのと同じ様式で、私のつけていたものを参考にしてつけ出したように考えられる。私が借入名義のやり繰りをしたり、担保株のやり繰りをしていた際に作っていた帳面だけで、もし、これらの口座に複数の顧客が相乗りしていくとしたら、顧客管理をするのは、ちょっとむずかしいと思う。また、加藤事務所の方から、あるいは加藤自身から、顧客管理ができるようなノートをどうやって作ったらいいんだとか、作って欲しいと頼まれたことはなかったし、そういった顧客管理ができるような会計帳簿を加藤事務所の方でつけていたのを見たこともなかった。」旨供述している。この証人向川の供述は、前記前川証言より具体的である。しかし、証人向川は、この証言当時は全体として証人前川と基本的には同趣旨で検察官の主張に添う供述をしていたものの、その後の六三回、六四回、六六回の各公判に至って、被告人加藤の弁解に添うように供述を変化させてきているのであって、当初のころの証言の信用性を検討するに当たっては、この点を考慮の外に置くのは相当でない。
(三) 証人中嶋敏郎は、二七回公判において、「加藤事務所には、帳簿として、机の上の回転式本棚に一二、三冊ほどあり、あと、机の中とか、書庫とかにもあったように記憶する。バインダー形式の帳簿もあって、直接顧客の個別のものであった。顧客勘定元帳に似たようなものもあった。『コスモ』という口座や、こっちといわれる口座の分もあった。外部証券の売買に関する帳簿は目にしていない。担保関係の帳簿も見た。帳簿は、加藤事務所の金沢ら事務員六名(金沢のほか永塚、向山、近田、大塚、岸)が、それぞれつけていたと思う。そのほか、金利のノートを見たし、金沢のつけていた雑記帳もあったが、なかのほうは見ていない。こっちの口座について、そういう口座は別のお客さんの相乗り口座なんで、その相乗りのお客さんの管理をしたいからなどといって、金沢らから、その管理の依頼を受けたことはなく、『アドバイスしてよ』というように言われたこともなく、そういう管理の帳面をつけていたことも見たことはなく、コスモなど、こっち口座の相乗り客の名寄せをした個人別の帳簿も見たことがない。」旨供述している。なお、中嶋証人は、他の者より遅れて昭和五四年一〇月から担当した者であるが、その証言中において、前出の「こっちの口座」のほか、「こっち関係の口座」(岸本グループ、岩澤関係、木倉功、全戦争受難者慰霊協会等)に関する取引については、三〇口座を含めすべて加藤事務所が管理し、それに関する取引の情報は、概ね黒川木徳証券にあるものと同程度のものが加藤事務所に備え付けられていた旨供述している。
(四) 前出川北博は、56・3・6検及び56・4・5検並びに一一回公判において、「加藤事務所などにおいては、帳簿の整理があまりできていなかった。」旨供述をしている。
(五) 向山寿美は、56・4・11検及び56・4・13検において、比較的詳細に加藤事務所内の状況を供述しており、検察官も論告においてこの供述を主張の根拠としているように思われる。そして、向山は、担保のやり繰りの見通しをつけるための資料作りを主に担当していて、これに関する事務内容を詳細に供述しているほか、金沢や永塚の記帳状況にも言及して供述しているのであるが、その重点は自らの担当事務に置かれていて、その余の点はやや具体性に欠けるものであるばかりか、却って金沢が記帳していたとする雑記帳、元帳に関する供述は、後記被告人加藤の弁解に添うのではないかとの疑いも生ずるのである。なお、向山は、右各供述調書のなかで、加藤事務所で取り扱った株式取引の口座名を具体的に指摘しており、「コスモ」、「招徳」、「三誠実業」及び「アール・ヌーボ」が最も頻繁に取引があったほか、「高森」、「永井学園」、「旭企画」、「ダイヤ物産」、「成塚平八」、「中沢栄二」、「中沢富久子」、「下土井澄雄」、「全戦争受難者慰霊協会」、「誠心経済研究所」、「誠宏経済研究所」などがあり、それから昭和五五年暮か翌五六年初めころになって見たものとして、「三慶商事」、「木倉功」、「岩澤靖」、「岩澤倫子」、「北海道中央商事」、「北海道テレビ放送」、「札幌トヨペット」、「トヨタオート南札幌」などがあった旨供述し、そのほか、(イ)和光(国立)グループ、(ロ)十条グループ、(ハ)建設グループなどの名簿コピーを見ながら、「(イ)、(ロ)については、そのなかの顧客の取引口座を扱ったことがあり、永塚の元帳で見たが、(ハ)は知らないし、そのなかのメンバー名義の取引口座はなかったと思う。借入口座としては、『小林鈴夫』、『小松正昭』の名義のものがあった。」などと供述している。しかし、これまでの判示からも明らかなように、当然名前が出てよさそうなものが指摘されておらず(例えば菅グループ、下村博関係、大洋関係、田口グループ、武中勉関係、岸本グルーブ)等、このことは向山の事務所内での見聞の範囲が何らかの理由で、制限されていたとみるか、それは別としても、向山の供述調書自体の限界を物語るものともいえる。
4 被告人加藤の供述
(一) こうした供述や証言のなされた後、被告人加藤は、九六回公判において、加藤事務所の実情を比較的詳細に供述しているのであって、すなわち、
「看板などについては、スポニチ銀座ビルでは五三、五四年当時郵便が届くよう、下の郵便受けのところに加藤事務所という形で出ていた。私の加藤暠という名刺に事務所として電話番号を書いていた。スポニチ銀座ビル六階で発足し、途中から四階も使った。当初働いていたのは、妻と林という女性の手伝いの二人であった。加藤事務所を設けたのは、約定口座以外の口座を使う客、すなわち、口座で管理できない客が増え、私一人のノートではカバーできなくなった。記録する人が必要になった。また、客のなかにも政治家やその秘書などのように黒川木徳証券の社員などの人目に触れず、秘密を保持して面接や受渡しを望む者が増え、事務所が必要となった。発足時いわゆる便宜口座は六つか七つあったが、三二口座は含まれていない。千代田会館二階に移ってからも、スポニチ銀座ビル六階は残し、私が逮捕された当時も一人の女子事務員がいた。その当時千代田会館二階には六、七名の女子事務員がおり金沢千賀子がキャップであった。また、当時加藤事務所で管理していた直接顧客は、グループが一五内外、グループでないものが二〇か三〇あった。扱い口座数でみると、便宜口座を含め一〇〇以上あった。顧客管理は、口座別でなく、帰属主体である顧客別にお金や株券の流れに従って管理していた。」などと供述したあと、顧客や業務管理の具体的方法特に帳簿類につき詳細な供述をして、「帳簿については、加藤の指示で、金沢のつけていた『雑記帳』が最も基本的なものである。普通の大学ノートで表題は不明であるが、日にち別に、時系列で記載された日記帳形式のものである。記載内容は、大学ノートの見開き二ページ分を一枚として、その日一日に行われた取引を各帰属主体である実在の顧客別に、投資金額、銘柄、株数、株価、その流れと存在(入庫、出庫等)、使用口座名、損益のほか、翌日に運用可能な資金量までを全部網羅して記帳したものである。金沢は、これをコピーして、毎日午後九時か一〇時ころ私宅に持参して報告する。金沢がこうしたノートに記帳していたことは他の事務員も知っていたと思うが、その内容は見せていないはずである。金沢についても、例えば菅グループから何億来たということは把握しているが、菅が本人か、その実体がどういう人か、それが分かっていたかどうかは別である。」などと供述し、自ら公判廷で右「雑記帳」の見開き部分の実例を作成している(公判調書添付)。
(二) 更に、被告人加藤は、九八回公判において、「加藤事務所については、看板は全然出していない。郵便は加藤あてに来るから、そのようなシステムを採っていたが、郵便受けに加藤の名前を出していたかどうかは判らない。日本橋中央ビル六二号室も日新商事の名前で借りて賃料は私の方で出していた。田久保利幸などが外部証券へ発注する場所として使った。このような事務所が、使用期間は短いが、四ツ谷の方にもあった。同じ場所からの発注では外部証券に気付かれるので、田久保や松田が機械的に移動して使った。」などと供述している。
5 双方の主張
(一) このような立証のなかで、検察官は、加藤事務所における顧客ごとの分別管理の有無について、「加藤事務所においては、昭和五五年六月ころから向山寿美を中心にして帳簿類を備え、毎日の約定のほか、借入金、担保の状況等を把握するようにしたのであるが、それ以前は勿論、それ以後においても、いずれも取引口座ごとにその動きをまとめていたもので、それとは別個に顧客の実名で把握していた事実はなく、向山寿美らとしても、被告人加藤が三二口座の多数を使って毎日大量の株式を売買し、多額の借入金を発生消滅させ、大量の担保株券の入出庫を繰り返し、しかも一口座での買付株式を数回に分けて複数の別口座で売却したり、一口座での買付株式を複数の別口座名義で担保に入れて借入れを起こすなど、相互に複雑な運用をしていたため、口座ごとに取引を整理して把握することで精一杯だったのであるから、これに加えて実質の出資者ごとに取引を把握するということは不可能であったものである。しかも前述したように伊藤明子グループの取引に関するメモの存在は、顧客の取引に対する被告人加藤の管理の杜撰さを示す以上の意味を持たないものであって、被告人加藤の右弁解は、金沢が被告人加藤の事務所の帳簿類を持って所在を隠したことを奇貨とする弁解に過ぎず、到底信用できない。」旨主張する。
(二) これに対して、弁護人は、被告人加藤の供述を主たる根拠として、「加藤事務所開設の根本的理由は、同事務所で管理した顧客の取引に三二口座を含めた便宜口座が使用されていたこことから、使用口座による直接顧客別の取引内容と損益の管理が困難であるため、株式により顧客別に管理せざるを得ず、そのためには被告人加藤独りでは到底正確な事務処理が不可能であったし(管理面からの必要性)、同事務所で管理した直接顧客は、その社会的身分や立場等から匿名を希望する顧客があったから、これら顧客との応接(受渡し等までを含む)には、なるべく人目につかない黒川木徳証券以外の場所を必要としたほか(場所的必要性)、黒川木徳証券扱い銘柄の人気が上がるにつれて、被告人加藤の売り注文、買い注文は他の証券外務員らの注目するところとなり、できるだけ分からないように買い、かつ売るという売買手法上の必要性から、加藤事務所が利用された(売買手法上の必要性)。管理の方法としては、被告人加藤の供述する前記大学ノートによる。これによって、被告人加藤と金沢千賀子は、加藤事務所で管理した、直接顧客のための取引の発生による買付株数、売付株数の総体と、損益計算のためのコストを把握し(取引に使用された口座名義は、加藤事務所で使用した三二口座及び顧客が用意した口座であれば良いのであって、そのうちどの口座が当日使用されたかは、帰属とは関係なく、適当に目立たないように前川らに振り分けさせていた。)、各事務所員には、口座別に何銘柄の株式が何株取引され、買付株の何株が掛目幾らで入担されたか、何口座で入担されている何銘柄の何株が売却されたか、期日前出庫の株式の戻り利息は幾らであったか等の事務を担当させていたもので、顧客名を秘匿条件とした売買一任勘定契約の下においては、向山寿美ら事務所員らの仕事はこれで必要かつ十分であったのである。また、被告人加藤が顧客に対し、売買益の支払を、一度のトラブルなしに行って来ていたという客観的事実は、加藤事務所における顧客の管理が完全であったことの証左に外ならない。」などと反論する。
6 判断
前示のように、本件においては、直接的な証拠となる帳簿等が隠匿されており、金沢ほか重要関係者の供述も得られないうえ、残された関係者の供述も決め手になるとは思われない。却って、中嶋の証言や向山の供述は金沢のつけていたとする大学ノートないし雑記帳の存在を肯定するものであって、その限りでは被告人加藤の弁解に添うものといえる。もとより、弁護人の指摘する被告人加藤と顧客との間のトラブルの有無などは、たとえなかったとしても、理由はいかようにも考えられるのであって、それ程の意味があるとは考えられないが、これまでの判示からも明らかなように、三二口座内に限らず、一部直接顧客を含めた株式取引と借入口座の各相互間において、入り混じった取引がかなりなされていながら、なおかつ顧客との間で受渡しや清算のできていた事実は、顧客管理に関する被告人加藤の弁解を裏付けるものといえないではない。また、伊藤明子グループの間で授受された前出のメモ等(符114・弁書7)についても、検察官の非難が当を得たものでないことは前示のとおりであって、右メモ等の存在は弁護人の主張を支えるものといわざるを得ない。
してみると、加藤事務所において、顧客につき口座別ではなく、顧客ごとの分別管理がなされているか否かについては、これを肯定すべき事情も少なくないのであって、これを覆えして検察官の主張を肯認するには、なお疑いが残るものといわざるを得ない。
八 株式取引の方法と管理に関する被告人加藤の供述
これまでの検討によって、被告人加藤による株式取引の方法や管理について、いささかこれを垣間見ることができたのであるが、なお、被告人加藤は、特に九八回公判において、これらの点につき、以下のとおり供述しているのであって、事案の解明に当たり無視できないものと思われる。すなわち、被告人加藤は、「会員顧客分については、会員所属の投資顧問会社の事務局から、その日一日の買い余力を把握する。直接顧客のうち加藤事務所で管理しないものの分については、黒川木徳証券の前川や向川が開設された口座等から買い余力を把握する。加藤事務所で管理する顧客については、金沢のつけているノートの記載などから分かる。これらをまとめて、私がグロスで注文を出す。あとの口座間の割振りは、自動的にできるのであって、会員顧客については前川や向川が投資顧問会社の事務局と連絡を取り合ってする。加藤事務所で管理しない直接顧客については、当然その者の口座に入る。加藤事務所管理の顧客については、私が特に口座を指定しない限り、こっち、あるいはこっち関係で適当に割り振られる。その結果がまた加藤事務所に報告され、金沢がノートに記載する。なお、買い余力は、一日多いとき五〇億か六〇億。それ以上のこともあったかも分からない。比率は、一〇のうち会員顧客が一、あとの一か一弱が加藤事務所で管理されていない直接顧客、その残りの七か八が加藤事務所で管理している顧客のものである。使用口座についての委任内容は違うが、売買の別、銘柄、数及び価格の決定などは、すべての顧客から一任を受けている。黒川木徳証券への発注は私が直接石田次長へ出す。外部証券へ私が直接発注することは少なく、主として田久保や松田のほか、証券金融会社の中村有一などを通して出す。五五年当時は移動する車の中に電話を取り付け、刻々の市況を把握し、石田次長と連絡を取るなどしていた。」旨供述しているのである。
九 まとめ
本章第二において検討したように、三二口座の株式取引から生ずる所得が被告人加藤に帰属することを推認させる事情の有無については、検察官の主張に添う面も認められたが、認容できない点も少なくない。それにもかかわらず、更に進んで、三二口座の株式取引が被告人加藤の直接顧客の資金によって行われているとする弁護人の主張に鑑み、本章第三において、三二口座の性格を中心にいろいろな角度から、また問題となる顧客について個別に吟味検討を加えたのであるが、結局、検察官の反論にもかかわらず、三二口座の株式取引が一部なりとも被告人加藤の直接顧客の資金により、相乗りして行われており、こうした顧客については、加藤事務所が口座別ではなく資金提供の顧客グループないし顧客ごとに管理しているのではないかとの疑いも払拭することができない。しかも、このような株式取引がどの程度三二口座で行われているかについては、その全部が直接顧客のものであるとする被告人加藤の弁解もあり、これを裏付ける客観的証拠まではないものの、さりとて、その範囲・限度を画するだけの証拠もない。検察官の当初以来の立論は採用できないものといわざるを得ない。
なお、直接顧客と被告人加藤の間の法律関係ひいては直接顧客による三二口座の利用の形態については、これを証すべき証拠は十分でなく、その全容はもとより、先に検討した個々のグループ等についても、全面的に明らかにされたとは必ずしもいえないのであるが、単なる資金の貸付けと認めるに過ぎないものはないものの、日誠総業(株)関係のように株式取引の委託とみられるものもあれば、むしろ出資的要素の強いものも見受けられるのである。
第四  所得の帰属
一 はじめに
以上の次第であるから、検察官の当初の主張だけを前提とする限り、その公訴は認容できないのではないかと思われる。それにもかかわらず、検察官は、論告において、所得帰属に関する一般的基準を維持しつつも、これまでの立証の現実をある程度是認しながら、なお新たな主張を展開する。
二 双方の主張
1 検察官の主張
検察官は、前記(第三章)第一・二の一般的基準を前提にしたうえで、次のとおり主張する。すなわち、
「日誠総業グループと昭和五四年分の岩澤グループにおいては、専門部署を設け、税務申告することも念頭に置いたうえで株式売買を行っていたもので、実際の取引に当たっては、売買の対象とする銘柄を被告人加藤と相談して決定し、予定の資金量を提示して売買の実行を被告人加藤に委託するとともに、被告人加藤が行う売買につき日々報告を受けたり、それを裏付ける売買報告書あるいは受渡計算書を徴求することによって管理、把握し、自己の計算において行っているとの認識で株式売買を実行してきたものであり、これらグループの取引及びその損益が同グループに帰属するのは明らかであるのに対し、その余の被告人加藤の顧客名義の口座での株式取引は、これらの顧客が銘柄等すべてを被告人加藤に一任してしまい、しかも取引状況について全く説明を受けていない結果、自己のためにどのような株式取引が行われているのか皆目分からず、従って自己の計算において株式取引を行っているとの認識もなかったもので、清算段階において初めて被告人加藤から取引結果を知らされてそれを自己のものとして容認していたに過ぎないのであり、一方被告人加藤においても、自己の意思で全く自由にこれらの口座を使用して株式取引を行っていたものであるから、これらの取引及びその損益がこれらの顧客らに帰属するとみることができないことも明らかであると言わなければならない。従って三二口座において行われた株式取引のうち日誠総業(株)に引き渡された分を除外したのは当然である。また、その余の直接顧客の口座における売買と三二口座における売買との混入の有無については明らかではないが、仮にそれがあったとしても、三二口座における取引が被告人加藤の計算において行われた被告人加藤の取引であることを否定することにはならないことも明らかである。そして、直接顧客名義の口座での株式取引が三二口座での株式取引に混入していることを根拠として、三二口座における取引及びその損益が被告人加藤に帰属せず顧客に帰属するとの弁護人らの主張は、まず基本的に、その直接顧客名義の口座における取引及びその損益がまさしく当該顧客に帰属するとの事実の立証ができて初めて意味をなすのであって、顧客名義の自己の取引をもって、三二口座における自己の取引との混入を主張、立証してみても何らの意味を有せず、三二口座における取引の帰属先の認定にいささかも影響を与えるものではない。」
以上のように検察官は主張する。
2 弁護人の主張
これに対して、弁護人は、「日誠総業グループ自体他の『直接顧客』と全く同様な取引を被告人加藤において行っていたのであるから、検察官が三二口座による取引の中から、日誠総業(株)の株式取引のみを除外する根拠が明確でないのみならず、右検察官の主張は、当公判廷において三二口座と他の口座との入り混じりを立証されて、やむを得ず表面を糊塗するためにした、こじつけである。検察官は、顧客が専門部署を設けたり、株式の管理、把握をしているからその所得が顧客に帰属すると主張しているが、所得が何人に帰するかは、当該取引によって得た収入が何人に帰するかの問題であって、顧客が部署を設け、あるいは株式を管理、把握しているかどうかは別の問題である。更に、検察官は、その所得が何人に帰属するかについて、『誰がいかなる資金によって取引を行い、その結果得た利益をどのように管理、運用していたか、その取引に関連する経理処理はどのような形で記録されていたか』などという基準を挙げ、それらの要件に合致すれば、その取引及びその損益が加藤に帰属するとしているが、仮に、検察官の主張するように被告人加藤の取引であると認定したとしても、それによって、直ちに、その損益が被告人加藤の所得として被告人加藤に帰属することになるものではない。そもそも所得税法における所得とは、『収入すべき金額』から『必要経費』を控除した金額であるから、取引によって収入があっても、それは所得ではない。本件株式取引が、仮に、『直接顧客』からの『出資』を被告人加藤が受け入れることにより、その『出資金』が被告人加藤に帰属することになるとして、被告人加藤が出資金の運用によって収入を得たとしても、それと同時に、『出資』契約に伴う株式取引による利益金を顧客へ引き渡す債務を負担することになる。従って、収入から原価等の経費を控除した後に生じた利益から、出資者へ約定した利益金引渡債務を更に控除して初めて所得となるのである。また、検察官は、『まず、基本的に、その直接顧客名義の口座における取引及びその損益がまさしく当該顧客に帰属するとの立証ができて初めて意味をなすのであって、顧客名義の自己の取引をもって、三二口座における自己の取引との混入を主張、立証してみても、何等の意味を有せず、三二口座における取引の帰属先の認定にいささかも影響を与えない。』と主張しているが、これは、三二口座は勿論、その他の口座の取引を含む被告人加藤によるすべての取引が加藤の取引であって、被告人加藤にすべて収益が帰属するとの誤った前提に立つが故に、そういえるのである。しかし、その前提がそれ自体誤りであるのみならず、検察官が、当該顧客に帰属するというならば、被告人加藤の方でその帰属を立証しろと主張することは、本来立証責任を負っている検察官の責務を被告人に転嫁しようとするもので不当といわざるをえない。」旨反論する。
なお、弁護人は、所得の帰属判定基準に関する検察官の一般論にも反駁して、「何人の収支計算の下において行われたかとは、何人が取引行為をしたかということではなく、その取引によって得られた利益を誰が収受し、生じた損失を誰が負担するかということである。検察官の主張は、何人の収支計算の下になされたかとの基礎を誤解し、所得税法の実質課税の原則を看過しているのであって、明らかに失当である。すなわち、所得の帰属を決すべき基準とは、単なる取引の外形によって決するものではないから、資金が、被告人加藤から拠出されたとか、被告人加藤が取引し、取引によって生じた利益を管理、運用したとか、取引に関する経理の記録がどのようになっていたとかいうことを、幾ら外形的に集約したからといって、これをもって被告人加藤の収支計算の下に行われたということになるものではない。何人の収支計算の下に行われたかとは、取引によって得られた利益が誰の懐に入り、生じた損失は誰が負担するかということであって、何人がどのような取引を、誰の金でどのような計算方法で行って、帳簿に記載していたかということでは決してないのである。それ故、被告人加藤の株式取引の実態等の諸事実を踏まえての検察官の主張は、いずれも理由がなく、それは、三二口座の実態と、被告人加藤と顧客との関係、特に加藤と顧客との間の売買一任勘定の内容と、被告人加藤が顧客のためにした管理の方法、さらには証券業界の実態についての正しい認識の欠如による誤った主張である。」旨主張する。
三 判断
1 所得税法は、第一編第四章で所得の帰属に関する通則を規定し、そのなかの一二条で実質所得者課税の原則の見出しを掲げ、「資産又は事業から生ずる収益の法律上帰属するとみられる者が単なる名義人であって、その収益を享受せず、その者以外の者がその収益を享受する場合には、その収益は、これを享受する者に帰属するものとして、この法律を適用する。」としている。この規定は、所得の帰属者の判定について原則となる基準を示したものと解される。しかし、この基準を考えるに当たり、見出しにある「実質」を重視するのあまり、関係者間の私法上の法律関係ないし権利関係を離れ、経済上の実質に重点を置くことは、判定基準としての明確性に欠ける嫌いがあり、課税行政が恣意に流れ、納税義務者の地位を不安定にするおそれがないではなく、課税に混乱と不平等をもたらすことになりかねない。むしろ一二条の文言に「法律上帰属するとみられる者が単なる名義人であって……その収益を享受せず……」と規定していることに鑑みても、単なる名義人など仮装行為と認められる場合など例外のあることは別として、法律上の帰属者が収益を享受する者であり、ひいては所得の帰属者になることを規定したものと解するのが相当である。
2 これを本件についてみると、たとえ、検察官が指摘するように、株式取引が資金を出した直接顧客の口座で行われず、三二口座などで相乗りして行われ、売買をすべて一任して、清算段階で初めて被告人加藤から取引の結果を知らされるに過ぎない場合であっても、被告人加藤ないし加藤事務所において顧客ごとの分別管理がなされ、取引の裏付けとなる何らかの証憑類が保管されていて、顧客の側で要求すれば、いつでも取引の内容が裏付けとなる資料をもって説明できる限り、三二口座の取引は、なお資金提供の顧客が被告人加藤を介し証券会社に委託して行ったものと解するのが相当である。ちなみに、株式取引は商法上の絶対的商行為であり、また、そのための資金調達ひいては借入れが商行為とみられる公算は大きいところ、商行為については、代理の方式に関し顕名主義の例外が大幅に認められているのであり(商法五〇四条)、民法上の代理であっても、なお、その例外は認められているから(民法一〇〇条但書)、要は事実認定すなわち立証の問題に帰するのであって、取引が何人の名義によってなされたかは、権利ひいては所得の帰属を判定するうえで、決定的な意味を有するとは思われない。
そして、本件において、加藤事務所で顧客ごとの分別管理がなされていた疑いが払拭できないことは前示のとおりであるうえ、石井グループの例にもあるように、取引につき何らかの証憑類が保存されていたとみる疑いも否定することができない。そうすると、三二口座の株式取引が一部なりとも被告人加藤の直接顧客の資金により相乗りしていることについて、これが否定できないことは前示のとおりであるばかりでなく、その株式取引から生ずる売買益が資金を提供して株式取引を委託するなどした者に帰属すると認定し得る余地のあることも、少なくとも本件立証の程度では、これを否定し去ることはできない。
3 次に、本件が株式取引の委託ではなく、株式取引を目的として顧客が被告人加藤に出資したものであるとした場合について考察する。この場合、まず商法上の匿名組合ないしこれに類したものが想定される。ところで、所得税法においては、事業所得または雑所得の金額は総収入金額から必要経費を控除した金額とされている(二七条、三五条)。出資者たる顧客と被告人加藤の間でいかなる内容の出資契約がなされたかは必ずしもすべてについて明らかではないが、何らかの利益の分配を内容とした有償のものであったことは否定し難いところである。そこで、この顧客に分配すべき利益が被告人加藤の所得計算上必要経費に算入されるかが問題となる。この必要経費について、所得税法三七条一項は、「……事業所得の金額又は雑所得の金額……の計算上必要経費に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、これらの所得の総収入金額に係る売上原価その他当該総収入金額を得るため直接に要した費用の額及びその年における販売費、一般管理費その他これらの所得を生ずべき業務について生じた費用……の額とする。」と規定している。法人税法においては、配当などの利益の分配は損金に算入されないが、明文の規定のない所得税法においては利益の分配は原則として必要経費に算入すべきものと解するのが相当である。もっとも、雑所得とする場合について、所得税法四八条三項は、「居住者が二回以上にわたって取得した同一銘柄の有価証券につき第三十七条第一項の規定によりその者の雑所得の金額の計算上必要経費に算入する金額……は、政令で定めるところにより、それぞれの取得に要した金額を基礎として第一項の規定に準じて評価した金額とする。」と規定している。これを受けて所得税法施行令一〇九条一項三号は、「その購入の代価(購入手数料その他その有価証券の購入のため要した費用がある場合には、その費用の額を加算した金額)」と規定する。そこで、利益の分配金が「有価証券の購入のために要した費用」に含まれるかどうかが問題となる。有価証券の取得価額に借入金に対する支払利息を含めるかについても同様に問題となるところ、本件において、検察官は、証券金融業者等への支払利息を必要経費に算入して処理している。ところで「有価証券の購入のために要した費用」とは、有価証券の購入のために通常かつ必要なものに限定すべきだとする裁判例もないではないが、実際に当該有価証券の購入のため直接要したものであれば、借入金に対する支払利息はもとより、出資に対する利益の分配金も右費用に含まれると解するのが相当である。してみれば、本件所得の種類が事業所得か、あるいは雑所得かにかかわらず、顧客に対する利益の分配金は必要経費に算入すべきものといえる。しかし、こうした利益の分配金を確定するためには、各直接顧客と被告人加藤との間の出資に関する契約の内容を逐一検討すべきであるが、ごく一部を除きこれが明らかにされていないことは前示のとおりであり、なお明らかなものについても、証拠上必要な吟味は残されているというべきであって、いまだ金額を確定するに至らず、こうした金額が確定されない以上、被告人加藤に留保された売買益の金額も結局確定されないことになる。
なお、顧客からの資金の提供をもって、顧客の被告人加藤に対する金員の貸付け(金銭消費貸借)とみることのできないことは多言を要するまでもなく明らかである。
4 なお、検察官は、「直接顧客名義の口座での株式取引が三二口座での株式取引に混入していることを根拠として、三二口座における取引及びその損益が被告人加藤に帰属せず顧客に帰属するとの弁護人らの主張は、まず基本的に、その直接顧客名義の口座における取引及びその損益がまさしく当該顧客に帰属するとの事実の立証ができて初めて意味をなす」旨主張している。しかし、こうした主張は、趣旨が必ずしも明らかでないばかりか、犯罪の成否に関する立証責任を被告人の側に転嫁させる結果につながりかねず、主張自体当を得たものとは思われない。
5 あるいは、被告人加藤の株式取引をもって、証券投資信託に類するものとみれないではなく、顧客と被告人加藤の間に信託関係が生じているとみる余地もある。しかし、信託財産に係る収入及び支出の帰属については、所得税法一三条の規定するところであるが、これによっても、検察官の主張に添う結論は生まれない。
6(一) 更に、検察官は、弁護人が被告人加藤の株式取引をもって、売買一任勘定取引であるとしている点を捉えて、「被告人加藤は、売買一任勘定取引に関する厳格な法的規制によることなく、顧客から受け入れた資金を使って、証券会社や口座の選択から取引内容に至るまで自己の裁量で自由に株式を売買し、買付株を担保にして取引資金を自由に調達していたものであって、これはまさに自己が借入金をもって株式取引を行う場合と同視すべく、前記の所得の帰属を決すべき基準によって判断すると、まさしく被告人加藤の収支計算の下に売買を実行したということに他ならないことが明らかであり、その損益が被告人加藤に帰属することもまた自明の理といいうべきである。従って顧客から売買一任勘定取引を受託していたことを理由に、顧客の取引であるとする弁護人らの主張は、それ自体失当というべきである。」旨主張する。
(二) これに対して、弁護人は、「売買一任勘定を行う投資顧問業は、投資顧問法(一九四〇年制定)が制定されている米国と異なり、わが国では、法律上の規制はなく、誰でも自由に営むことができる。そして、被告人加藤による株式取引は委託者たる直接顧客の計算においてなされたのであり、それは、一括委託契約の性質を有する『売買一任勘定』によるものである。しかも、それが顧客と証券会社以外の者との間に行われる場合には何らの制限も設けられていない。そして、証券取引法は行政法規であり、同法一二七条は取締規定であるから、それに違反してなされた売買一任勘定も、受託者と委託者との間の私法上の効力には影響はない。また、こうした取引の性質上受託者は、委任の目的を達するために必要なら、委任の本旨に反しない限度で範囲を超えて委任事務を処理することができるのである。被告人加藤の株式取引の目的は、個人投資家の力を糾合して零細な資金を集め、これをもって大手証券会社に対抗して儲けるということにあったから、この目的達成のためには、先ず株式取引のすべてにつき被告人加藤の裁量で自由に売買をなし、かつ、運用資金の効率化を図る必要がある。そのためには、一定期間、有価証券や現金を預ったり、更に買付株式を担保にして再資金を得て、それを投入して資金量の拡大を計ることも必要となる。また、大量の資金を動かすため、『仕手筋』として証券市場においてマークされ、『提灯買』が付くことによって起こる株価の急騰を防止する必要から、手口の発覚を防止するために、多数の口座、それも仮名口座による取引が要請され、更に、大手証券会社に対抗するための種々な費用も必要となる。そこで、すべての直接顧客は、被告人加藤の右目的に賛同し、投資資金の運用を一任したので、被告人加藤は、右委託の趣旨に従って株式取引及びその関連する資金再投資のための入担行為を実施してきたのである。従って、その形態は、あたかも、自己の資金を運用しているようにみえるところから、検察官は、被告人加藤の私的行為として、『顧客からの受入資金を使って、証券会社や口座の選択から取引内容に至るまで自己の裁量で自由に株式を売買し、買付株を担保にして、取引資金を自由に調達したことは、まさに自己が借入金をもって、株式取引を行う場合と同視すべきである。』と主張し、独自の所得の帰属の基準なるものを立てて、被告人加藤の収支計算のもとに売買を実行したから、その売買益は被告人加藤に帰属すると強弁している。これは投資顧問業の本質を忘れ、顧客からの資金を受け入れることをもって、即、借入金と断ずる誤りを犯している。」などと主張する。
(三) よって判断するに、三二口座における株式取引がすべて直接顧客において被告人加藤に対し、売買の別、銘柄、数及び価格の決定を一任して委託した、いわゆる売買一任勘定取引といえるかは別として、こうした売買一任勘定取引については、証券取引法一二七条が証券取引所の会員に対するものとしてではあるが、その規制を大蔵省令に委ねているところであり、これを受けて、「有価証券の売買一任勘定に関する規則」が制定されているほか、昭和三九年二月七日付けで大蔵省理財局長から日本証券業協会連合会会長宛に「有価証券の売買一任勘定取引の自粛について」と題する通知が出されており、日本証券業協会でも、昭和五〇年二月一九日付けで公正慣習規則九号「協会員の投資勧誘、顧客管理等に関する規則」を制定し、その七条で売買一任勘定取引に関する事項を規定している。また、宮澤和夫作成の56・7・10回答書によれば、黒川木徳証券においても、営業員服務規程において、規制を施している。そのほか、証券外務員が外部証券に顧客の注文を出すことは、いわゆる「地場出し」として、公正慣習規則第八号「証券従業員に関する規則」の禁ずる「地場受け」に対応するものであり、黒川木徳証券営業員服務規程が所属証券外務員に対し禁止の原則を明示しているところである。
本件において認められる被告人加藤の株式取引がこうした諸規制に牴触していることは明白であって、被告人加藤が証券外務員の身分を備えたままである以上、その立場を離れ個人として行った旨の弁解は、到底通用する余地がない。
しかし、前示の諸規制は投資家保護を目的としたものと解されるのであって、これに牴触することの一事をもって、直接顧客と被告人加藤との間になされた売買一任勘定取引を含む委託契約が法律上当然に無効になるとは思われず、その他証拠を検討しても、これを無効としたうえ、売買益の帰属に関する前示判断を左右するような事由は見い出せない。
7 このようにして、検察官の主張は採用し難いのであるが、そもそも、こうした検察官の主張は、論告に至って初めてなされたものであるうえ、仮定的にしろ直接顧客の株式取引が三二口座の取引に混入していることを認めるのであれば、その額を確定して主張・立証すべきであり、その必要がないというのであれば理由の詳細を明示すべきであって、少なくとも取引の混入ありとする直接顧客への支払額すなわち必要経費の額の主張・立証は不可欠ともいえる。本件においては、このような点の主張・立証が十分であるとは思われない。
第五  結び
以上の次第であるから、本件立証の程度では、三二口座の株式取引から生ずる所得については、一部なりとも、被告人加藤が加藤事務所で管理する直接顧客に帰属するとの疑いを払拭することができない。また、そのなかには被告人加藤に帰属すべきものも含まれているとみる余地もないではないが、その帰属すべき範囲、金額について直接顧客と被告人加藤との間で確定し得るだけの証拠もない。こうした点に関する検察官の主張は理由がない。
第四章  所得金額の確定について
第一  所得金額確定の問題について
三二口座の株式取引から生ずる所得の帰属について、検察官の主張が認容できない以上、所得金額確定の問題に触れる必要はない。しかし、弁護人は、所得金額確定に関する検察官主張の不合理性を指摘し、不合理となる原因は所得帰属に関する検察官の主張の不当性にあると強調しているので、若干なりとも、当裁判所の判断を付加しておく。
第二  所得の種類
一 検察官の主張
検察官は、「被告人加藤は、黒川木徳証券の証券外務員であったところ、同社の営業員服務規程(甲335)により、『もっぱら投機的利益の追求を目的として自己の有価証券売買を行うこと』(一八条一七項)及び『名義の如何を問わず自己の信用取引を行うこと』(同条一八項)、すなわち手張りが禁止されていたにもかかわらず、これに違反して、本業の外務員としての業務の外に、前述のとおり自己が仕手本尊となって仕手戦を演じ、三二口座を使用し、信用取引を含む大量の株式売買を行って利益を挙げたもので、その売買益は所得税法上の利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、給与所得、退職所得、山林所得、譲渡所得、一時所得のいずれにも該当しないことが明らかであるから、雑所得に当たるものである(所得税法三五条一項)。」旨主張する。
二 弁護人の主張
これに対して、弁護人は、本件の所得は雑所得でなく、事業所得であるとし、その理由として、「株式の継続的取引が事業所得となるか否かは、営利を目的とした継続的取引であって、取引の施設、その者の職業、その他諸般の状況に照らし、営業として有価証券の取引を行っているもので、社会通念上、事業と称するに足ると認められるものであることを要するところ、これを本件についてみると、被告人加藤は営利を目的とし継続的・反覆的に株式取引を行い、その株式取引のために、金沢千賀子等を雇って、雇客からの事務を取り扱い、管理させ、事務所等の物的設備を設け、自らの相場観と責任において企画を立て、これを遂行し、相当程度の精神的ないし肉体的労力を用いており、かつ、検察官の主張する逋脱所得額自体においても、歩合外務員としての報酬に比較し、毎年多数回に及ぶ多額な売買益があるものとして公訴提起されており、これらの事実を総合すれば、相当程度安定した収益を得られる可能性がある。」などと反論する。
三 判断
そこで考察するに、株式の取引による利益が所得税法上事業から生じたものといえるためには、この株式の取引が所得税法二七条一項を受けた同法施行令六三条一二号にいう「対価を得て継続的に行う事業」に該当することを要するところ、この要件を充足するためには、当該株式の取引が営利を目的として反覆継続して行われることを要するほか、継続して安定した収益を挙げ得るなど社会通念上事業と認められる形体及び実質を備えていることが必要であると解するのが相当である。これを本件の株式取引についてみるに、被告人加藤の株式取引の目的、その規模、そのための物的・人的設備等に鑑みると、その株式取引が営利を目的として反覆継続して行われたものであることが肯認できるばかりでなく、事業の形体と実質を具備しているとみれないではない。
しかし、叙上認定にもあるように、被告人加藤は、黒川木徳証券の証券外務員であって、前示のような諸規制に服していることから、その所属する黒川木徳証券本店の第二営業部(昭和五五年四月からは第三営業部)職員の援助を受けて業務を遂行し、株式取引の注文はすべて黒川木徳証券につなぎ、その受渡事務等も右第二営業部の職員を通すなどして行うべきであったのに、別に加藤事務所を設け、従業員を雇用し、投資顧問会社数社のほか証券金融会社(株)高森を支配下に置き、その従業員を一部なりとも指揮するなどしていた。そして、マスコミや国税当局その他社会の目から逃れて秘密裡に取引を希望する政界、経済界、官界関係者らから、秘密の遵守や過大ともいえる利益の分配を代償に多額の資金を受け入れ、これら顧客を加藤事務所で管理し、仮名口座を開設・使用するなどしたうえ、右受入資金のほかその他の直接顧客や会員顧客の資金をも一手に集め、仕手戦を演ずるなどしていたものである。こうしたやり方は、無許可証券業とみられないにしても、被告人加藤が証券外務員の身分を有している限り、黒川木徳証券の営業員服務規程を介するなどして直接・間接証券取引法以下の諸規制に牴触する疑いが濃厚であるほか、出資の受入、預り金及び金利等の取締に関する法律や証券投資信託法違反の容疑を受け、あるいは被告人金の場合と同様に他の直接顧客の脱税につき共犯の疑いを受けることも予想され、いずれにしても、関係官庁の規制や捜査当局の手入れを受けることは早晩必至の状況にあって、宮地鉄株の暴落も、被告人加藤の逮捕がきっかけとなったことは事実であるとしても、その素地は被告人加藤のそれまでのやり方自体にあったといえるのである。こうしたものが継続して安定した収益を挙げ得るものとは思われず、到底社会的に容認できるものともいえない。被告人加藤自身、加藤事務所には看板もなく、郵便受けにその表示があったかもはっきりしないと供述していることや、被告人加藤の指示によるとの確証はないにしても、帳簿や伝票類の一切が司直の手入れ以前から隠匿せざるを得ないという性質のものであったことは、社会的に容認できない存在であったことの証左ともいえるのである。
従って、右のような事情に鑑みると、被告人加藤による三二口座の株式取引は、なお、社会通念上事業と認めるだけの形体及び実質を有していたとは認められない。
検察官が雑所得として処理したことに誤りはない。
第三  株式売買益の計算と立証
所得が雑所得である以上、検察官において、所得税法四八条三項、同法施行令一一八条一項後段により、総平均法に準ずる方法により譲渡原価等の計算を行ったうえで株式取引の売買益を算出したことは、その方法自体としては正当である。また、検察官は、三二口座の株式取引のうち買いオーバー分は在庫とみなし、売りオーバー分については取得原価不明のため損益計算から除外し、売買益の一部を実額とする、いわゆる部分実額を主張・立証した。こうした立証方法も、買いオーバー分について買い値以上で売却され、売りオーバー分について、売り値以下で買い付けられていることなどが立証され、部分実額が真実の所得金額すなわち全体実額を下回るものであることが明らかとなれば、部分実額の立証も是認できる。そして、このような補完的立証であるならば、担保株の入出庫を加えた推計や、被告人金丞泰の株式売買益からの推計も、刑事裁判における証明の原則に違背したものでない限り、許容されるものである。更に、三二口座以外に、これと同性質の口座があったとしても、これらによる株式取引から損失が発生していないことが立証されれば、前記部分実額の立証に影響はないものといえる。
しかし、本件においては、検察官の主張する部分実額自体、その立証が十分でないことに帰するのであり、そもそも、三二口座以外にも同様の口座があったり、三二口座の顧客勘定元帳自体に買いオーバー、売りオーバーのあったことが、検察官による部分実額立証の基礎を崩す一因となっているのである。
第五章  公訴権の濫用の主張について
第一  弁護人の主張
弁護人は、本件公訴の提起及び公訴の追行は、検察官の公訴権の濫用に基づくものであるから、公訴棄却がなされるべきものであるとして、その理由を次のように主張する。すなわち、
一 本件は、公訴提起以前から、世上隠れた帰属主体の存在が問題であるとして、雑誌、新聞等で報道されており、検察官において、顧客勘定元帳など証拠物を検討しさえすれば、三二口座の株式取引が右のような隠れた帰属主体のものであることが容易に看取し得たはずであるのに、検察官は証拠物の検討・解析を怠り、三二口座は被告人加藤の手張り口座であるとの判断を前川らに迎合的に供述させて本件公訴の提起に至ったものである。このことは、検察官が昭和五八年一二月二二日付け釈明書において、「本件は、被告人加藤が、その取引の全容を明かさず、かつ金沢千賀子が加藤事務所の帳簿類を隠匿して所在をくらますという極めて制約された状況下において立証を行わざるをえなかったので、検察官において、被告人加藤の主張弁解を待って始めてその反証という形で立証を続ける事態が生ずることは、やむを得ない。」旨主張するに至ったことからも明らかである。検察官はこのような事態を予定し起訴したというのであるから、それは、有罪判決を勝ち取ることのできる確信なくして、本件公訴を提起したものといっても過言ではなく、公訴権の濫用であるといわざるをえない。
二 検察官は、便宜口座の存在と機能を知らず、かつ、加藤事務所における顧客の取引の実態を知らなかったが故に、口座による以外に帰属主体の損益管理ができないとの観点から、「三二口座では損益管理ができないから、三二口座の取引は懐一つであり、三二口座は加藤の自己取引のために利用された口座である。」という事実認定に基づいて本件公訴を提起したものと思われる。しかし、検察官は、証拠調を重ねるに従い、加藤事務所が管理した直接顧客のために使用する口座は三二口座に限られず、周辺口座等一〇〇口座以上に及び、これらの口座は複数の顧客の取引のための便宜口座として使用されるなど、取引の入り混じりが多数存在し、その逐一の特定と解明が困難であり、利益の確定ができないことを知るに至った。そこで、検察官は、冒頭陳述以来直接顧客からの「借入れ」の事実は存在しないと主張していたのであるが、論告において「直接顧客は単なる出資者に過ぎず、被告人加藤が受けた投資は、借入金と同視すべきで、右借入金は出資を受けた時点で既に被告人加藤に帰属し、その運用益(株式売買益)もまた被告人加藤に帰属するから、直接顧客は、その配分を受けたに過ぎない。」旨主張し、直接顧客の投資は株式投資金ではなく、被告人加藤の借入金であると理由の差し替えを行った。右検察官の論告は、捜査不十分のまま公訴を提起し、証拠調の積み重ねにより本件公訴提起の決定的ミスを認識するに至った結果、被告人加藤と直接顧客の契約が包括的売買一任勘定であったことを奇貨として、直接顧客の株式投資を、加藤が受けた借入金であるとして起訴理由を差し替えることによって自己の捜査不十分を糊塗し、加藤を強引に有罪判決に引き込もうと図ったものである。そして、そのため、検察官は、昭和五九年に至り菅茂雄ら直接顧客を急拠呼び出して、真実は株式取引であるのに出資金という言葉を用いたり、あるいは月極めの定額配当の趣旨であることを強調したり、果ては出資金の運用についての報告はなかったというような検面調書を作成したうえ、補充立証と称して同調書の証拠調請求をするなどした。このような検察官の訴訟追行行為は、公訴提起のミスを糊塗せんがためだけの目的で補充立証名下に審理を遅延させたもので、いかに当事者主義とはいえ許さるべき行為とは言い難く、その行為は公平中立な検察官としての立場を放棄し、被告人加藤の不利益を顧みず、突然理由をすり替えた不当・違法なものであって、訴訟追行上の公訴権の濫用というべきものである。
三 従って、本件公訴は、その提起及び追行の両面において、検察官の公訴権の濫用に基づくものであるから、これを棄却すべきである。
以上のように弁護人は主張する。
第二  判断
一 公訴提起が公訴権の濫用であるとの主張について
弁護人の主張は、要するに、「本件公訴は、これを提起するだけの主観的、客観的嫌疑がなくして行われたものであるから、公訴権の濫用である。」というものと解される。
確かに、検察官には、公訴提起のために広大な捜査権が与えられており、公訴の提起自体が被告人に事実上のものといえども不利益をもたらす社会的現実に鑑みれば、公訴が嫌疑不十分のままなされることを抑制するため、受訴裁判所に対し何らかの措置を期待することも、あながち理由のないことではない。しかし、本案の実体審理に先行し、これと切り離して嫌疑の有無を審理することは、実体審理につき二重の構造を認めるに等しいのであって相当でない。嫌疑の認められない場合には、むしろ端的に無罪判決をすることこそが被告人の権利保護にとってより手厚く、不当起訴に対する抑制機能をも事実上併せ発揮できるものといえる。恨みから故意に他人を陥れようとする場合など嫌疑のない公訴提起が検察官の職務上の犯罪を構成するような場合は別論として、嫌疑不十分を理由に公訴提起を不当・違法とすることは許されない。
本件において、重要証拠物と思料されるものが隠匿され、事件の重要関係者数名が所在を不明にし、被告人加藤も、弁解はするものの、隠れた直接顧客の氏名を明かそうとしないなどの悪条件下にあって、検察官は、多数の証拠を収集して公訴提起に及んでいるのであって、本件公訴の提起が不当・違法であって公訴権の濫用にわたるとする余地は見出せない。
なお、所論釈明書の記載が検察官において嫌疑不十分の起訴を容認した趣旨のものとは解されない。
二 公訴の追行が公訴権の濫用であるとの主張について
しかし、このような主張が容れられないことは、右一の説示に照らしても明らかであり、多言を要しないところである。
しかも、本件は、既に判示したように、重要証拠物と思われる物が隠匿されており、金沢千賀子のほか重要関係者二名も所在不明のままであって、被告人加藤もなお自分の口から進んで隠れた直接顧客の氏名を明かそうとしないのであるから、弁護人の反証のいかんによっては公判外の補充捜査をすることはむしろ当然であり、強制捜査も許される場合があると思われる。被告人加藤も自分の口から隠れた直接顧客の氏名は言えないとしているだけであって、無罪の判決を求めているのであるから、公判外の捜査の遂行は、場合によっては、被告人加藤の利益にもなり、公判中心主義に反するどころか、公判審理の充実にもつながるものといえる。また、公訴提起後の証拠整理等の結果計数関係を含め主張や立証方法に変更が生ずることは現行制度上避け難いところであって、訴因変更ないしそれ以下の制度もこれを当然に予定しているところといえる。
従って、訴訟追行過程で検察官が訴因、主張、立証等を変更することは、公訴事実の同一性、事件又は証拠との関連性など刑事訴訟法上の制約があるとはいえ、その範囲内では許容されているところであって、これによって生ずる被告人の防御上の不利益は、右の変更等が著しく時機に遅れた不当のものでない限り、当該訴訟手続内で、改めて防御の機会を与えることによって解消させるのが相当である。本件において、検察官の採った措置につき、その時期、内容、これに至る経緯等の諸事情に照らし、これを不当・違法とする理由は見出し難い。
三 結論
いずれにしても、弁護人の公訴権濫用の主張は理由がない。
第六章  結論
以上に判示したように、三二口座の株式取引から生ずる所得が被告人加藤に帰属することを立証するため、検察官は多数の証拠を提出した。そのなかには検察官の主張に添うと思われるものも少なくない。ところが、こうした検察官の主張や立証自体にもいろいろ疑念が生じてきたうえ、弁護人の反証、更に検察官の再立証等を重ねたところ、三二口座の株式取引は一部なりとも被告人加藤の直接顧客のものが相乗りし、あるいは資金が流入してなされたのではないかとの疑いが濃厚となり、その売買益のうち、被告人加藤に帰属すべき最少限の所得を認定するだけの確証もない。重要な証拠物と思われるものが隠匿されて行方が分からず、金沢千賀子その他事件の重要関係者二名が今なお所在を不明にしており、供述拒否権が保障されているとはいえ、被告人加藤が問題となるところの隠れた直接顧客の氏名を明かそうとしないほか、本件事案の複雑性などに鑑みると、担当検察官が置かれた立証上の苦境は理解できないではない。しかし、そうであるからといって、検察官ですら打開し得なかった困難を本件訴訟の手続内で解消し、更に真相を究明しようとすることは、最早、刑事裁判の機能と限界を超えることになって許されるべきではない。あるいは真相が明らかにされず、正義が実現されないのではないかとの懸念を抱くものもあろうが、疑わしきは被告人の利益に、との刑事裁判の鉄則は、いかなる場合にも等しく適用されるべきである。
思うに、本件審理の結果からみてのことではあるが、被告人金と同様に脱税容疑のある直接顧客の存在も看取されないではなく、こうした容疑の積み上げこそが直接顧客と被告人加藤の関係を明らかにし、ひいては三二口座の性格の解明をより可能にしたのではないか。証券外務員である被告人加藤の本件所業は、同被告人も強調するように、黒川木徳証券関係者の了解なくしては到底なし得ないものと認められ、こうした見地から証券取引法を含む各種行政取締法規の違反の有無を究明することができたのであるが、それにもかかわらず、焦点を被告人加藤一人、しかも三二口座にのみ絞り、被告人加藤自身の所得税の脱税容疑のみで訴追したことが、かえって直接顧客や黒川木徳証券関係者から真実により近い証言を引き出すことを難しくし、事件の解明を困難にしたものといえないではない。もとより、これは検察官の権能に属する事柄であって、当裁判所も、処理自体の当否を論ずるものではない。ただ、被告人加藤は、捜査段階から一貫して三二口座の株式取引は背後にいる直接顧客のものであると弁解しているのであって、本件訴追のためにも直接顧客の取調、被告人加藤と直接顧客の関係の解明は極めて重要であったと思われ、さればこそ、加藤事務所から持ち出された証拠物は未だに重要性を失っていないのである。検察官が公判の終局段階に至るも、なおその間の立証を試みようとしたことは、被告人加藤のためにも有用であったと思われる。しかし、その全容が裁判所に明らかにされない以上、本件の結論は止むを得ないものといわざるを得ない。
いずれにしても、本件公訴事実は冒頭第一章記載のとおりであるところ、これを認めるに足りる証拠がないことは以上に詳細に説示したとおりであって、本件被告事件(被告人加藤の所得税に関する逋脱被告事件)は犯罪の証明がないので、刑事訴訟法三三六条により、被告人加藤に対し無罪の判決をすべきである。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小瀬保郎 裁判官原田敏章及び同原田卓は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 小瀬保郎)

 

〈以下省略〉

 

*******

関連記事一覧

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。