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政治と選挙Q&A「屋外広告物法 ポスター貼り(掲示交渉)代行」に関する裁判例(46)平成 4年 2月 4日 神戸地裁 昭49(ワ)578号 損害賠償請求事件 〔全税関神戸訴訟・第一審〕

政治と選挙Q&A「屋外広告物法 ポスター貼り(掲示交渉)代行」に関する裁判例(46)平成 4年 2月 4日 神戸地裁 昭49(ワ)578号 損害賠償請求事件 〔全税関神戸訴訟・第一審〕

裁判年月日  平成 4年 2月 4日  裁判所名  神戸地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭49(ワ)578号
事件名  損害賠償請求事件 〔全税関神戸訴訟・第一審〕
裁判結果  棄却  文献番号  1992WLJPCA02040004

要旨
◆昇任、昇格、昇給における裁量権の濫用と不法行為の成否
◆全国の税関に勤務する職員により組織されている労働組合の支部組合員らが、非組合員と比較して昇任等について差別を受けたとしてした国家賠償請求が、任命権者において裁量の範囲を超えた違法な取扱いをしたとは認められないとして、棄却された事例
◆職員を昇任、昇格、昇給させるか否かの判断は任命権者の裁量に属するが、その裁量権の行使が、当該職員が労働組合に所属することを唯一の理由としてされるなど、国家公務員法二七条の平等取扱いの原則、同法一〇八条の七の不利益取扱い禁止の原則に反するものであるときは、昇給、昇格等をさせなかつたことが昇給、昇格等の期待利益を侵害するものとして、不利益を受けた者に対する不法行為を構成するとともに、労働組合との関係においても、その団結権を侵害するものとして不法行為となる。
◆全国の税関に勤務する職員により組織されている労働組合の支部組合員らが、任用時期及び任用資格を同じくする非組合員のうち昇任、昇格、昇給において標準的な取扱いを受けている者(標準者)と比較して昇任等に遅れを生じたのは、組合員であることを唯一の理由としてされた不利益取扱いによるものであるとして、標準者との間で生じた賃金の差額等の支払を求めた国家賠償請求につき、組合員らと非組合員を集団として対比すると昇任等に格差が生じていることは認められるが、差別扱いを受けたというためには、各組合員について、標準者との間で勤務実績や能力等に差がないことが個別的具体的に立証されなければならないとした上で、組合員らの行つた非違行為の態様及び出勤状況などの事情が勤務成績の評価において不利に考慮され、その結果、昇任等に影響を及ぼすことは十分考えられ、また、組合員以外の職員の具体的な勤務態度は明らかでないので、標準者を基準として差別を受けたことを認めることができないから、任命権者において、裁量の範囲を超えた違法な取扱いをしたと認めることはできないとして、前記請求を棄却した事例

裁判経過
上告審 平成13年10月25日 最高裁第一小法廷 判決 平9(オ)593号 損害賠償請求上告事件 〔全税関神戸支部事件・上告審〕
控訴審 平成 8年10月29日 大阪高裁 判決 平4(ネ)694号 損害賠償請求控訴事件 〔全税関神戸損害賠償事件〕

出典
訟月 38巻8号1371頁
労民 43巻1号23頁
判タ 797号50頁
判時 1439号3頁
労判 607号25頁
公務員関係判決速報 212号2頁
労働法律旬報 1287号51頁

評釈
渡辺裕・ジュリ臨増 1024号218頁(平4重判解)
古河英俊・訟月 38巻8号1371頁
晴山一穂・行財政研究 12号36頁
藤原稔弘・季刊労働法 165号165頁
高山浩平・行政関係判例解説 平成4年 121頁
長淵満男・労働法律旬報 1287号31頁
小牧英夫・労働法律旬報 1287号37頁
上山興士・労働法律旬報 1287号41頁

参照条文
一般職給与法8条
国家公務員法108条の7
国家公務員法27条
国家公務員法33条
国家公務員法37条
国家賠償法1条
人事院規則
裁判官
長谷喜仁 (ナガタニヨシヒト) 第11期 現所属 定年退官
平成10年1月10日 ~ 定年退官
平成7年11月17日 ~ 平成10年1月9日 高松家庭裁判所(所長)
平成5年7月5日 ~ 平成7年11月16日 広島高等裁判所松江支部(支部長)
平成1年4月1日 ~ 平成5年7月4日 神戸地方裁判所
~ 平成1年3月31日 奈良地方裁判所、奈良家庭裁判所

野村利夫 (ノムラトシオ) 第18期 現所属 定年退官
平成9年11月19日 ~ 定年退官
平成8年4月1日 ~ 平成9年11月18日 大阪家庭裁判所
平成4年7月1日 ~ 平成8年3月31日 大阪高等裁判所
~ 平成4年6月30日 神戸地方裁判所

猪俣和代 (イノマタカズヨ) 第39期 現所属 東京家庭裁判所立川支部、東京地方裁判所立川支部
平成30年4月1日 ~ 東京家庭裁判所立川支部、東京地方裁判所立川支部
平成27年4月1日 ~ 甲府家庭裁判所、甲府地方裁判所
平成24年4月1日 ~ 千葉家庭裁判所、千葉地方裁判所
平成21年4月1日 ~ 平成24年3月31日 東京家庭裁判所
平成18年4月1日 ~ 平成21年3月31日 横浜地方裁判所横須賀支部、横浜家庭裁判所横須賀支部
平成15年4月1日 ~ 平成18年3月31日 横浜地方裁判所
平成12年4月1日 ~ 平成15年4月1日 東京家庭裁判所八王子支部、東京地方裁判所八王子支部
平成11年4月1日 ~ 平成12年3月31日 東京地方裁判所八王子支部、東京家庭裁判所八王子支部
平成7年4月1日 ~ 平成11年3月31日 静岡地方裁判所沼津支部、静岡家庭裁判所沼津支部
平成4年4月1日 ~ 平成7年3月31日 千葉地方裁判所松戸支部、千葉家庭裁判所松戸支部
平成1年4月1日 ~ 平成4年3月31日 神戸地方裁判所
~ 平成1年3月31日 東京地方裁判所

訴訟代理人
原告側訴訟代理人
小牧英夫, 原田豊,山之内康雄,前田貞夫,前田修,宮後恵喜,前哲夫,古殿宣敬

被告側訴訟代理人

Westlaw作成目次

主文
一 原告らの請求をいずれも棄却す…
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 第1項について仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文と同旨
2 被告敗訴の場合は担保を条件と…
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告らの地位等
2 原告組合の活動とこれに対する…
3 マル秘文書が示す全税関対策の…
4 昇任、昇格、昇給差別の実態
5 違法性と責任
6 損害
7 よって原告らは、国家賠償法一…
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1について
2 請求原因2について
3 請求原因3について
4 請求原因4について
5 請求原因5について
6 請求原因6について
三 被告の主張
1 格差の合理性(差別扱いの不存…
2 消滅時効の援用
四 被告の主張に対する反論
1 格差の合理性の主張について
2 時効の主張について
第三 証拠〈省略〉
理由
一 原告らの地位
二 本件の背景
1 戦時中閉鎖されていた我が国の…
2 原告組合は、全税関が昭和三三…
3 安保改定反対闘争が一応終息し…
4 神戸税関長は、昭和三六年一二…
5 その後、原告組合は、前記懲戒…
6 このような差別撤廃闘争は、昭…
7 このような差別撤廃闘争が高ま…
三 昇給、昇格等の比較
1 原告らの昇給、昇格等
2 非組合員(原告組合員以外の職…
(一) 昭和二四年旧中・高校組(昭和…
(二) 昭和二五年五級組(昭和二五年…
(三) 昭和二五年高校組
(四) 昭和二五年中学組
(五) 昭和二六年六級組
(六) 昭和二六年五級組
(七) 昭和二六年旧専組(昭和二六年…
(八) 昭和二六年高校組
(九) 昭和二七年四級組
(一〇) 昭和二七年高校組
(一一) 昭和二八年五級組
(一二) 昭和二八年高校組
(一三) 昭和三〇年四級組
(一四) 昭和三二年四級組
(一五) 昭和三二年高校組
(一六) 昭和三三年中級組
(一七) 昭和三三年初級組
(一八) 昭和三三年高校組
(一九) 昭和三三年中学組
(二〇) 昭和三四年初級組
(二一) 昭和三四年高校組
(二二) 昭和三五年初級組
(二三) 昭和三五年高校組
(二四) 昭和三六年初級組
(二五) 昭和三六年高校組
(二六) 昭和三七年初級組
(二七) 昭和三七年高校組
(二八) 昭和三八年初級組
(二九) 昭和三九年中級組
3 格差について
四 任用と給与制度について
1 昇任
(一) 昇任とは、狭義では法令によっ…
(二) 昇任を含む任用一般について、…
(三) 神戸税関では、職員の昇任は任…
(四) 原告らは、昇任は昇格と密接に…
2 昇格
(一) 昇格は、職員の職務の等級を同…
(二) 職員の職務は、その複雑、困難…
(三) 昇格は、右のように等級別職務…
3 昇給
(普通昇給)
(特別昇給)
4 昇任、昇格、昇給の裁量性
(一) 以上のような国家公務員の任用…
(二) この点に関し原告らは、神戸税…
5 昇任、昇格、昇給の裁量権の濫…
(一) このように、昇任、昇格、昇給…
(二) しかるところ、昇任、昇格、昇…
五 原告組合に対する攻撃、組合員…
1 組合役員に対する処分等
(一) 支部長服部正治に対する訓告(…
(二) 支部長服部正治に対する懲戒処…
(三) 原告大塚宏圀に対する懲戒処分…
(四) 支部長神田綽夫外二名に対する…
2 原告組合の分裂と組合員の脱退
(一) 〈書証番号略〉及び原告大塚宏…
3 差別攻撃(昇任、昇格、昇給に…
(一) 総務、監視部門からの排除と乗…
(二) 研修差別について
(三) 入寮差別
(四) 庁舎管理規則の改定
(五) 現認制度による弾圧と嫌がらせ
(六) 結婚妨害などプライバシー干渉…
(七) 不当配転による組合活動の妨害…
(八) 差別によるみせしめ人事、嫌が…
六 当局の各種会議における差別扱…
1 東京税関の会議
(一) 前記主張の証拠として原告らが…
(二) 右証拠によれば、昭和四二年か…
(三) 原告らは、前記(1)は、当局…
2 全国税関総務部長・人事課長会議
(一) 右会議に関する証拠として原告…
(二) 人事課長会議の協議について
(三) 総務部長会議の協議について
七 昇任、昇格、昇給に関する原告…
1 本件係争期間の昇任、昇格、昇…
2 この個別的事情の認定に供した…
3 ところで、非違行為に関する後…
4 (一番)原告稲松斉
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 勤務状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤その他の勤務状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違法行為
(三) 〈書証番号略〉によれば、同原…
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違法行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 勤務状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
5 原告ら各自の格差の程度、非違…
(一) 格差について
(二) 非違行為について
(三) 出勤状況について
八 判断
九 結論

裁判年月日  平成 4年 2月 4日  裁判所名  神戸地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭49(ワ)578号
事件名  損害賠償請求事件 〔全税関神戸訴訟・第一審〕
裁判結果  棄却  文献番号  1992WLJPCA02040004

《目次》
当事者
主文
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
二 請求の趣旨に対する答弁
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告らの地位等
2 原告組合の活動とこれに対する神戸税関当局の攻撃
(一) 昭和三四年頃までの原告組合の活動
(1) 年末年始休暇確保のたたかい
(2) 休憩、休息時間確保のたたかい
(3) 宿日直反対のたたかい
(4) 厚生係職員の昼休み確保のたたかい
(5) 警務出勤時間のたたかい
(6) 用務員出勤時間のたたかい
(7) 備品等を含む職場環境改善のたたかい
(8) 賃上げのたたかい
(二) 当局の攻撃
(1) 組合幹部に対する処分
イ 年末年始休暇要求 ロ 安保反対闘争 ハ 大塚事件 ニ 懲戒免職処分
(2) 脱退攻撃と分裂攻撃
イ 職制層への脱退攻撃
ロ 原告組合乗っ取り工作
(3) 第二組合の結成
(4) 差別攻撃(昇進昇格及び特別昇給に関するものを除く)
イ 総務、監視部門からの排除 ロ 研修差別 ハ 入寮差別
(5) 庁舎管理規則による弾圧
(6) 現認制度による弾圧といやがらせ
(7) 引き続く脱退攻撃と原告組合員へのいやがらせ
イ 脱退攻撃
ロ 結婚妨害等プライバシー干渉
ハ 不当配転といやがらせ人事
ニ 差別によるみせしめ人事、いやがらせ人事
3 マル秘文書が示す全税関対策の狙いと手口
(一) 東京税関幹部会議事録等
(1) 人事対策
(2) 労務対策
(3) 職員・若年層対策
(4) 厚生・レクリエーション対策
(5) 表彰
(6) その他
(二) 全国税関総務部長・人事課長会議資料等
(1) 上席官昇任対策
(2) 七級昇格対策
(3) 四、五、六級格付対策
4 昇任、昇格、昇給差別の実態
(一) 法令上の建前と運用の実際
(1) 任用制度の基本原則
(2) 任用制度の運用の実際
(二) 差別のしくみと実態
(1) 差別のしくみ
(2) 損害(格差)の発生
5 違法性と責任
6 損害
(一) 得べかりし賃金喪失
(二) 非財産的損害
(1) 個人原告
(2) 原告組合
(三) 弁護士費用
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1について
2 請求原因2について
(一) 同(一)について
(二) 同(二)について
(1) 同(1)イ(年末年始休暇要求)について
(2) (1)ロ(安保反対闘争)について
(3) (1)ハ(大塚事件)について
(4) (1)ニ(懲戒免職処分)について
(5) 同(2)イ(職制層への脱退攻撃)について
(6) 同(2)ロ(原告組合乗っ取り工作)について
(7) 同(3)(第二組合の結成)について
(8) 同(4)イ(総務、監視部門からの排除)について
(9) 同(4)ロ(研修差別)について
(10) 同(4)ハ(入寮差別)について
(11) 同(5)(庁舎管理規則による弾圧)について
(12) 同(6)(現認制度による弾圧・いやがらせ)について
(13) 同(7)イ(脱退攻撃)について
(14) 同(7)ロ(結婚妨害等プライバシー干渉)について
(15) 同(7)ハ(不当配転といやがらせ人事)について
(16) 同(7)ニ(差別によるみせしめ人事、いやがらせ人事)について
3 請求原因3について
(一) 同(一)(東京税関幹部会議事録等)について
(二) 同(二)(全国税関総務部長・人事課長会議資料等)について
4 請求原因4について
(一) 同(一)(2)について
(1) 昇任
(2) 昇格
(3) 昇給
(二) 同(二)について
(1) 同(1)(差別のしくみ)
(2) 同(2)(損害の発生)
5 請求原因5について
6 請求原因6について
三 被告の主張
1 格差の合理性(差別扱いの不存在)
(一) 税関業務の高度の公共性
(二) 非違行為等の存在
2 消滅時効の援用
四 被告の主張に対する反論
1 格差の合理性の主張について
(一) 「非違行為」について
(二) 因果関係について
(三) 遅刻、早退、病気休暇について
2 時効の主張について
第三 証拠〈省略〉
理由
一 原告らの地位
二 本件の背景
三 昇給、昇格等の比較
1 原告らの昇給、昇格等
2 非組合員の昇給、昇格等
3 格差について
四 任用と給与制度について
1 昇任
2 昇格
3 昇給
4 昇任、昇格、昇給の裁量性
5 昇任、昇格、昇給の裁量権の濫用と不法行為の成否
五 原告組合に対する攻撃、組合員に対する差別扱いについて
1 組合役員に対する処分等
(一) 支部長服部正治に対する訓告(年末、年始休暇闘争)
(二) 支部長服部正治に対する懲戒処分(安保闘争)
(三) 原告大塚宏圀に対する懲戒処分(密輸事件)
(四) 支部長神田綽夫外二名に対する懲戒免職処分
2 原告組合の分裂と組合員の脱退
3 差別攻撃(昇任、昇格、昇給に関するものを除く。)
(一) 総務、監視部門からの排除と乗船差別
(二) 研修差別について
(三) 入寮差別
(四) 庁舎管理規則の改定
(五) 現認制度による弾圧と嫌がらせ
(六) 結婚妨害などプライバシー干渉について
(七) 不当配転による組合活動の妨害と嫌がらせ
(八) 差別によるみせしめ人事、嫌がらせ人事
六 当局の各種会議における差別扱い方針についての評議と確認(いわゆるマル秘文書問題)
1 東京税関の会議
2 全国税関総務部長・人事課長会議
七 昇任、昇格、昇給に関する原告らの個別的事情
(一番)ないし(一四一番)
格差について
非違行為について
出勤状況について
八 判断
九 結論
 

原告 (一番)
稲松斉
同 (二番)
塩田静夫
同 (三番)
橋爪武司
同 (四番)
山崎吉彦
同 (五番)
小林霞
同 (六番)
石見宣夫
同 (七番)
藤田満夫
同 (八番)
矢村繁夫
横江威訴訟承継原告 (九番)
横江和子
原告 (一〇番)
大屋広隆
同 (一一番)
大塚宏圀
同 (一二番)
桶谷孝史
同 (一三番)
今村奈智子
服部正治訴訟承継原告 (一四番)
服部瑠璃子
原告 (一五番)
鷲見重信
同 (一六番)
室屋修
同 (一七番)
能勢和彦
同 (一八番)
岩根晟
同 (一九番)
植田邦彦
同 (二〇番)
牛込尹人
同 (二一番)
奥田康雄
同 (二二番)
古賀照敏
同 (二三番)
坂本柏
同 (二四番)
杉原光三郎
同 (二五番)
中石雅康
同 (二六番)
林義男
同 (二七番)
前田信雄
同 (二八番)
山岡荘太郎
同 (二九番)
加藤不二男
同 (三〇番)
寺地健
同 (三一番)
間処康成
同 (三二番)
安福弘
同 (三三番)
高橋章
同 (三四番)
田代勝
同 (三五番)
岩本武司
同 (三六番)
青木俊夫
同 (三七番)
榎本和行
同 (三八番)
越塚健
同 (三九番)
小島久
同 (四〇番)
坂本檀
同 (四一番)
津村勝次
同 (四二番)
中川和
同 (四三番)
結縁俊雄
同 (四四番)
宮村融
同 (四五番)
田中二朗
同 (四六番)
植田明
同 (四七番)
稲岡辰男
同 (四八番)
延藤寿成
同 (四九番)
加藤木良和
同 (五〇番)
高須賀四郎
同 (五一番)
塚本章義
同 (五二番)
野口和正
同 (五三番)
原田晃寛
同 (五四番)
平田雍彦
同 (五五番)
藤野英弘
同 (五六番)
真下陳夫
同 (五七番)
桝本清
同 (五八番)
木村次尾
同 (五九番)
田中順子
同 (六〇番)
高瀬崇夫
同 (六一番)
小沢康七
同 (六二番)
北本恵一
同 (六三番)
下前春生
同 (六四番)
辻一清
同 (六五番)
村田俊博
同 (六六番)
岩本宏
同 (六七番)
中山勝治
同 (六八番)
松本公
同 (六九番)
大塚大三
同 (七〇番)
佐々木範明
同 (七一番)
高嶋初一
同 (七二番)
高谷安則
同 (七三番)
中島健
同 (七四番)
深田辰次
同 (七五番)
岩根勝子
同 (七六番)
池西光輝
同 (七七番)
井上洋一
同 (七八番)
今村恒紀
同 (七九番)
宇田久男
同 (八〇番)
大西是
同 (八一番)
岡崎悦造
同 (八二番)
小松正諦
同 (八三番)
灰野善夫
同 (八四番)
長谷川茂吉
同 (八五番)
松岡竜二
同 (八六番)
尾形修一
同 (八七番)
柳沢尚
同 (八八番)
山野陽通
同 (八九番)
大西宏之
同 (九〇番)
中西清
同 (九一番)
生駒洋二
同 (九二番)
桐村邦彦
同 (九三番)
田中範明
同 (九四番)
寺岡洋
同 (九五番)
橋本重国
同 (九六番)
古谷太郎
同 (九七番)
横川泰三
同 (九八番)
岸本強
同 (九九番)
井口恭光
同 (一〇〇番)
乾正明
同 (一〇一番)
大釜昭雄
同 (一〇二番)
大辻茂登夫
同 (一〇三番)
大橋正義
同 (一〇四番)
川上俊智
同 (一〇五番)
斉藤俊宏
同 (一〇六番)
佐野年則
同 (一〇七番)
白川弘視
同 (一〇八番)
洲崎雅晴
同 (一〇九番)
高野和子
同 (一一〇番)
高橋旦
同 (一一一番)
玉井進吾郎
同 (一一二番)
田村芳春
同 (一一三番)
友常均
同 (一一四番)
中岡俊昭
同 (一一五番)
西村彦三郎
同 (一一六番)
長谷川紀彦
同 (一一七番)
藤池征夫
同 (一一八番)
藤田貫治
同 (一一九番)
堀斉
同 (一二〇番)
宮浦忠重
同 (一二一番)
山本昌文
同 (一二二番)
吉野陽児
同 (一二三番)
井手輝彦
同 (一二四番)
沢井庸晃
同 (一二五番)
三野正博
同 (一二六番)
山口忠
同 (一二七番)
林弘司
同 (一二八番)
脇岡秀年
同 (一二九番)
天野親聡
同 (一三〇番)
十倉健
同 (一三一番)
藤原敏弘
同 (一三二番)
塚本富美子
同 (一三三番)
山本昭昌
同 (一三四番)
池内幸恵
同 (一三五番)
河合健治
同 (一三六番)
玄田哲夫
同 (一三七番)
那須司鋭
同 (一三八番)
村田安弘
同 (一三九番)
山之内輝雄
同 (一四〇番)
細川義信
同 (一四一番)
原奉宣
同 全国税関労働組合神戸支部
右代表者支部長 柳沢尚
右原告ら訴訟代理人弁護士 小牧英夫
同 原田豊
同 山之内康雄
同 前田貞夫
同 前田修
右小牧英夫訴訟復代理人弁護士 宮後恵喜
同 前哲夫
同 古殿宣敬
被告 国
右代表者法務大臣 田原隆
右指定代理人 高山浩平
外一一名

 

主文
一  原告らの請求をいずれも棄却する。
二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実
第一  当事者の求めた裁判
一  請求の趣旨
1  被告は、
(一) 原告全国税関労働組合神戸支部に対し、金五五〇万円及びこれに対する昭和四九年六月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員
(二) その余の原告らに対し、それぞれ別表一損害額一覧表中債権総額欄記載の各金員及びこれに対する昭和四九年六月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員
を支払え。
2  訴訟費用は被告の負担とする。
3  第1項について仮執行宣言
二  請求の趣旨に対する答弁
1  主文と同旨
2  被告敗訴の場合は担保を条件とする仮執行逸脱宣言
第二  当事者の主張
一  請求原因
1  原告らの地位等
(一) 原告全国税関労働組合神戸支部(以下「原告組合」という。)は、沖縄を除く全国の税関に勤務する職員を対象として組織されている全国税関労働組合(以下「全税関」という。)の下部組織であり、神戸税関に勤務すべき職員二一〇名で構成されている。
その余の原告(訴訟継承原告を除く。)及び訴訟継承前原告服部正治、同横江威は、神戸税関に勤務し、または勤務していた職員であり、その入関年度及びその資格は別表二昇給・昇格等一覧表記載のとおりである。また、同原告らは原告組合に所属している(または所属していた)組合員である。
(二) 訴訟継承前原告服部正治は昭和六三年三月二八日、同横江威は昭和六〇年一二月二七日死亡し、服部正治については原告服部瑠璃子が、横江威については原告横江和子がそれぞれ権利義務を相続した。
2  原告組合の活動とこれに対する神戸税関当局(以下「当局」ともいう。)の攻撃
(一) 昭和三四年頃までの原告組合の活動
我が国の民間貿易は昭和二二年に一部が再開され、昭和二五年には全面再開されたが、これに伴う税関の業務量増加は目をみはるものがあった。このため、神戸税関では、業務部、鑑査部の輸出部門では通常でも午後七時まで残業し、日曜日も休めず、年末は大晦日も遅くまで仕事をして、年始は一月二日から出勤しなければならない状況であった。監視部の陸務課、海務課では一週間に一度の休みが取れず、場合によっては一か月に一度の休みさえ取れないこともあった。また、鉄筋コンクリートの建物でも冷暖房がなくて火鉢があっても炭がなく、監所に便所がなかったり、あっても鍵のかからないものであったり、雨漏りがするなど職場環境は劣悪であった。
このような中で、原告組合は次のような活動を行った。
(1) 年末年始休暇確保のたたかい
年末年始くらいは「人並みに休みたい」というあたりまえの要求を行なって、昭和三三年から年末年始休暇闘争を開始し、その結果、昭和三四年は同年一二月三〇日から翌年一月三日まで、ごく一部の職制を除いて休めるようになった。
(2) 休憩、休息時間確保のたたかい
監視部陸務課、海務課の警務の当直勤務者については、人事院の承認を得た「大臣官房秘令」により休憩時間が一般の職員と異なる勤務形態になっていたが、右大臣官房秘令が守られていなかったので、昭和三四年から右秘令どおりの休憩時間を確保するたたかいを始め、原告組合の要求どおりに解決した。
(3) 宿日直反対のたたかい
神戸税関は、伊丹市を除く兵庫県、山口県を除く中国地方、四国全部が管轄となっているが、出張所、支署は人数が少なく、日直宿直のため休みがとれないので、昭和三三年宇野支署の宿日直返上のたたかいを皮切りに、宿日直反対のたたかいが始まり、昭和三六年頃には基本的に原告組合の要求どおりに解決した。
(4) 厚生係職員の昼休み確保のたたかい
本館を離れた出張所に勤務する職員が厚生係が行なう諸便宜を利用するには昼休みしかないため、厚生係に勤務する職員は昼休みがとれなかった。そこで原告組合は当局と交渉し、午後〇時三〇分まで勤務し、同時刻から同一時三〇分まで昼休みをとることを認めさせた。
(5) 警務出勤時間のたたかい
一般職員の勤務時間は午前八時三〇分からとなっているが、出勤猶予時間があって午前九時一〇分までに出勤すればよいことになっていたことなどから、午前八時三〇分から翌日の午前八時三〇分までの勤務となっていた警務の当直勤務者から「同じ二四時間勤務でも朝はゆっくりしたい。」という要求が出てきた。そこで原告組合が当局と交渉した結果、一般職員と同様に午前九時一〇分までに出勤すればよいことになった。
(6) 用務員出勤時間のたたかい
用務員の出勤時間は午前七時二〇分となっていたが、全税関及び原告組合は当局と交渉し、これを午前八時二〇分とさせた。
(7) 備品等を含む職場環境改善のたたかい
劣悪な職場環境を改善する要求は、まさにイロハから始められた。これを例示すれば、事務用用品の支給、参考書の充実、便所の設置、便所の鍵のとりつけやトイレットペーパーの備えつけ、私費で購入した官服の買上げ、汚れた布団の取替え、布団カバーの洗濯、洗面所への石鹸の備えつけ、電気掃除機の備えつけ、お茶の葉、作業衣の支給などの要求であるが、このような初歩的なことすら、ようやく昭和三六年頃に解決したり、あるいはその目処がたつようになった。
(8) 賃上げのたたかい
昭和二三年政令二〇一号によって、公務員のスト権、団体交渉権が奪われた代償として人事院が設置され、同年から人事院勧告がなされるようになったが、昭和二九、三〇年のゼロ勧告に象徴されるように勧告らしい勧告がなされなかった。
このような原因は、極めて不当な国の政策にあるものの、労働者側において、前記のような目の前の切実な要求に追われ、力を合わせて賃上げ要求する形になっていなかったことに問題があるとの反省から、昭和三三年以降、国家公務員共闘会議、総評春闘共闘などに結集して賃金問題をたたかう方式が確立した。
(二) 当局の攻撃
(1) 組合幹部に対する処分
イ 昭和三三年に行った年末年始休暇闘争において当局は、昭和三四年、「早めに行政指導をして年末年始は十分休めるようにする」旨を原告組合に確認したにもかかわらずこれを反故にしようとしたので、原告組合は当局に対し右確認事項の履行を迫った。しかし、当局の誠意ある対応がなかったため、やむなく関係業者に実情を訴えて協力を要請した。ところが当局は、自らの約束違反を棚に上げ、昭和三四年一二月七日、当時の原告組合の支部長であった原告服部正治と全税関中央執行委員長伊東信治に対し訓告処分を行った。
ロ 当局は、昭和三五年七月、三〇〇〇円の賃上げ要求と、当時全国的にたたかわれていた安保闘争として同年六月四日、一五日及び二二日に、午前九時三〇分までの時間内に食い込む職場集会をたたかった当時の原告組合支部長、及び執行委員らに減給七名、戒告七名の処分を行った。右集会はいずれも安保国民会議・国公共闘会議等の全国統一行動として税関の他の支部や他の官庁の労働組合でも行われたものであり、全く処分が出ない職場もあった。しかも、減給処分が出たのは原告組合と全税関横浜支部だけであるが、横浜支部では減給処分は二人だけであり、原告組合に対してだけ極端に重い処分がなされた。
ハ さらに当局は、原告組合組織部長であった原告大塚宏圀(以下「原告大塚」という。)を密輸犯人にでっちあげようとし、これに失敗したとみるや、昭和三六年八月一九日に右原告を戒告処分にした。その経過の概要は次のとおりである。すなわち、昭和三四年一〇月二七日、外国貿易船の船員江田俊男(以下「江田」という。)が外国製たばこを国内に持ち込もうとしたことから同日八〇〇〇円の通告処分を受けたが、それから一か月以上も経過した後に、当局審理課はその場にいた原告大塚に対し、密輸の共犯の嫌疑によるものか、参考人であるかを明確にしないまま取調べを開始し、このことが神戸新聞に「税関職員が密輸の片棒?」なる見出しの記事で大きく報道された。原告大塚に対する取調べは昭和三五年二月一八日に中断していたが、同年六月二八日、江口監視部長がマスコミに対し、「クロと断定して六月二四日に懲戒免職の上申をした。関税法違反で四〇〇〇円の罰金を通告する。」旨述べたため、神戸新聞に「七か月ぶりにクロと断定」なる見出しの記事で報道された。それにもかかわらず同年七月五日を最後に同原告に対する取調べは終了し、これにより一年以上も経過した昭和三六年八月一九日になって、当局は「原告大塚が知るうべき状況下にありながら知らなかったのは、公務員としてふさわしくない。」との理由で戒告処分を行った。
このように、当日現場で処理ずみになっていたことを蒸し返して、江田の不在中に原告大塚に対する取調べを強行した異常さ、新聞報道の異常さからみて、当局が原告大塚を密輸共犯にでっちあげて、同原告はもとより、同原告を支部役員にもつ原告組合全体の信用を失墜させ、組合を破壊することを狙ったものということができる。
ニ このような原告組合幹部への処分攻撃の頂点に立つものが、昭和三六年一二月に行われた神田支部長、中田書記長、田代組織部長に対する懲戒免職処分である。この処分は、昭和三六年八月一九日に行われた前記大塚の戒告処分に対する抗議行動、五〇〇〇円の大幅賃上げ、物価値上げ反対、政暴法粉砕、その他の職場の諸要求をかかげて行った昭和三六年一〇月五日及び同月二六日の早朝職場集会及び輸出職場における人員増加要求、強制残業反対をかかげて行った昭和三六年一一月一日、二日及び同年一二月二日の組合活動を理由とするものである。しかし、これらの行動は、いずれも原告組合の機関決定に基づいて、多数の組合員参加のもとに行われたものであるが、右三名以外は何らの処分もされなかった。なお、右処分について処分取消訴訟が提起され、神戸地方裁判所と大阪高等裁判所において原告らが勝訴し、最高裁判所で敗訴したが、右最高裁判決は「極めて政治的」と批判されているものである。
(2) 脱退攻撃と分裂攻撃
イ 職制層への脱退攻撃
前記神田支部長らに対する懲戒処分後、当局は、「免職された者を抱えた組合とは団体交渉はできない。」として、原告組合との団体交渉を拒否するとともに、職制を管内の支署、出張所に派遣して原告組合執行部を中傷し、部長会議、課長会議、係長会議等の職制層会議を頻繁に召集してその方向での意思統一を続けた。その結果、職制は、原告組合役員と自由に話ができなくなり、右免職処分に対する闘争資金として臨時徴収することが決められた一〇〇円の組合費の納入を一斉に拒否した。また、神田支部長のいた鑑査職場では、職制を含めて「神田さんを励ます会」を結成したが、職制層を中心として印刷された脱退届けをもって右会から脱退した。
ロ 労研の発足と原告組合乗っ取り工作
このような異常事態を前にして、昭和三七年二月一日、原告組合の臨時大会が開催されたが、事前の代議員選出過程から真剣な組合員の議論を経て、三名を守って統一と団結を固め、団体交渉を実質的に開かせていこうという執行部原案が約三分の二の賛成で可決された。
このように、原告組合は当局の最初の攻撃を跳ね返したのであるが、昭和三七年四月、当局は各部に管理課(民間会社の労務課に相当)を設置して、総務課・管理課を中心に、組織的に組合干渉を開始した。同年六月六日から一一日まで、神戸税関をはじめ全国の各税関から二名(総務課長と管理課長)が出席して東京で開かれた関税局の管理職員科研修において、武藤関税局総務課長は、「我々は組合の健全な発展のためにこれから育成する。」と訓示し、公然と組織的組合破壊に乗り出した。また、警務を含む一部職場で組合費上納拒否が開始された。
続いて、昭和三七年六月の原告組合役員選挙にむけて、労働問題研究会(略称、労研)が結成され、同月一四日に公然と第一号の労研ニュースを配付し、役員選挙に名乗りを上げた。以降、労研ニュースは、根拠のないアカ攻撃を記事とし、職制機構を通じて、もしくは公用車や税関出入り業者を利用して、組合員に配付された。
このように、原告組合役員選挙で労研メンバーを当選させて原告組合全体を乗っ取ることは、当局の絶対的方針となっていた。
労研と当局の繋がりを示すものは、①昭和三七年頃、中埠頭出張所長齋藤憲道が、勤務時間中に、全税関労組合の辻に対して、「労研ニュース」の配付を命じ、これを拒否すると「お前みたいな奴はケトバシてやる。」と言ったこと、②小松島支署で、原告天野親聡他一名が全税関を脱退し、脱退者が計五名となった日の二、三日後に神戸から郵送される労研ニュースに小松島支署脱退者五名と計上されていたこと等、枚挙にいとまがない。
(3) 第一組合の結成
選挙干渉にもかかわらず、原告組合が当局の思うままにならなかったため、当局の方針は、組合員を脱退させて、第二組合をつくることに転化した。
昭和三七年七月三〇日及び三一日、鑑査部の仁尾部長がガリバンで印刷した脱退届用紙を一枚一枚配り、課長係長クラスに名前を書かせるという方法で脱退届を集めたのを始め、同年八月一日には業務部の課長係長クラスからも一斉に脱退届が出された。また、監視部警務第二課では、山根巡察らが、原告脇岡秀年らを、勤務時間中に一人ずつ本部の休憩室に呼び出し、繰り返し早く書くようにとせっついて、連記式の脱退届に署名捺印させた。更に、小松島支署に勤務していた原告天野親聡は、昭和三七年一一月頃から数か月にわたって、勤務時間前に(汽車の都合で早く出勤していた)、勝沼支署長から「全税関をやめたほうが将来的にも君のためになる。」と言われ、やむなく昭和三八年一月に脱退したが、同支署長はその「成果」を本関に電話で報告していた。このような脱退攻撃は宇野支署や呉支署でも行われた。
これに呼応して、労研は、昭和三七年一二月二二日に開催された臨時総会において、「労研」会員は「各自の自由意思にもとづいて原告組合から脱退する」旨決議した。
こうして、昭和三八年二月一四日には脱退者は七四五名、同年八月には八五〇名にも達したが、この間、「労研」が中心となって、新労働組合結成準備委員会を発足させ、昭和三八年三月九日「神戸税関労働組合(以下「神戸税関労組」、「神労」または「第二組合」ともいう。)」が組合員数約五〇〇名をもって結成された。
(4) 差別攻撃(昇任昇格及び特別昇給に関するものを除く)
イ 総務、監視部門からの排除
昭和三七年末から昭和三八年にかけて、監視部警務第二課でも、まず中間職制層(主任、係長)が組合費の支払を保留し、職場集会では反全税関、反共の態度をあらわにし、それでも青年層が組合を脱退しないとみるや、森田船員係長を先頭に一部の巡察(主任、係長層をそう呼んでいた)を使って、勤務あけの非番者を別室に呼び、組合からの脱退を強要したり、一人勤務の詰所や、船に数人で押しかけて、執拗な脱退工作を行った。監視部警務第一課では、乗船勤務の場合、脱退した者は観光客船に、原告組合員は南京虫の出る船とか居住性の悪い船に配置された。また、昭和四一年頃、合同ハイキングに第二組合員が参加すると言っていたのを、当直主席巡察が察知し、「全税関の者と一緒に行ってはいかん。」と言って参加をやめさせた。
原告細川義信は、監視部警務第一課に在勤中の昭和四一年頃から、誰もがいやがるゴキブリ・蚊の多い執務困難な船に配置され、冷暖房のきいた快適な乗船勤務には、最近に原告組合を脱退したものばかりを当てるみせしめの行為が行われた。原告横川泰三は、昭和四一年より前から同様のいやがらせを受けた。
昭和四二年、三年頃の巡察会議の議題として「組合員対策について」というのがあるように、当時職員の間では、あの巡察は何人の組合員を脱退させたから特昇したのだというのが、ごく常識的な警務の職場の味方であり、巡察は、仕事よりも組合対策に目の色を変え、まさに、何人「落とした」かで巡察の勤務評価がされるという状態であった。
監視部に最も特徴的なこのような攻撃の中で、昭和四二、三年頃より、税関の四つの部署(総務、監視、輸入、輸出)のうち、重要部署とされる総務部、監視部から、全税関労組員は排除された。
ロ 研修差別
税関の研修は大別して、①役付職員を対象とする管理者研修、②一般研修、③実務の専門知識の修得をめざす各種実務研修及び④委託研修の四種類がある。このうちの一般研修には、新規採用者全員を対象としてその資格別に行う基礎科研修、受講者の人数に制限のある普通科研修(現在は中等科研修)と高等科研修があり、普通科研修を受けていなければ高等科研修は受けられないことになっている。
これらの研修については、以前はある程度公開され、参加について上司から呼びかけが行われていたが、原告組合分裂後は秘密裡に参加者が指名されるようになり、原告組合員は普通科研修や高等科研修はもとより、職務上必要な実務研修にいたるまでほぼ完全に排除された。このことは、昭和三九年五月九日、税関研修所神戸支所の金田幹雄教務主任が普通科研修生を推薦するにあたっては「思想穏健な者を推薦されたく、(原告組合の)活動家はなるべく御遠慮下さるよう併せて申し添えます。」などと通達し、原告組合員を普通科研修から排除する方針を公然と示したことによっても明らかである。
ハ 入寮差別
昭和四二年垂水寮(独身寮)が完成し、当局は入寮者を募集した。しかし、当局が寮生の自主的活動等を封殺する寮管理規則を制定したため、原告組合員だけでなく、第二組合員も入寮したがらず、入寮申込期限を過ぎてから集めても入寮者は六八名にすぎなかった。その後、他寮取壊しのためその寮の入寮者に転出命令が出たため、やむなくそれら他寮にいた原告組合員が、垂水寮入寮を申し出たが、当局は収容人員に大幅なゆとりがあるにもかかわらず、申込期限切れとして拒否した。
原告玉井進吾郎は昭和五〇年八月三日受傷し、腰椎二・三圧迫骨折による不完全脊損で身体障害者手帳第四級の認定を受けていたところ、昭和五二年三月結婚のため、主治医からの歩いて通勤できるよう配慮されたい旨の文書を添え、更に神戸市民生局の担当係からも当局に申し入れてもらって、中山手宿舎に入居することを希望したが、空家があったにもかかわらず、遠方の甲子園宿舎になった。
(5) 庁舎管理規則による弾圧
右のような差別攻撃は、当然のことながら、原告組合の抗議を招かざるをえないものであった。
当局は、それを予測したうえで、原告組合の抗議行動どころかその基礎となる職場での討議さえも封じるために、昭和三八年に庁舎管理規則を全面改正した。
庁舎管理規則は、昭和三四年に制定されたが、当時、税関長は「庁舎保全のためのものであって労働組合活動等には適用しない。」旨明言していた。
ところが、当局は、昭和三八年の全面改正後は、「当局の許可を得ない庁舎内での労働組合の会議・集会は、庁舎管理規則違反である。」として攻撃し、休憩時間に原告組合員が三人以上寄って話をしていれば、その内容如何にかかわらず、これを組合集会であると一方的に断定し、その解散・中止を要求するに至った。また、庁舎管理規則を盾に、原告組合の掲示板に貼ってある文書類も、勝手に公然とはがされ、勤務時間前や昼休みに配付しようとした組合ニュースも職制の手によって破り捨てられた。
このような庁舎管理規則による弾圧は、原告組合の組合活動だけでなく、組合員間の私的な会話にも及んだ。例えば、原告前田信雄が昼休みに組合員の松本公と話していたところ、外山税関鑑査官から、「君(同原告のこと)は分会長だ、分会長が組合員と話をすると集会である。」といって、解散を命じられた。
なお、当局は、原告組合が庁舎管理規則による使用許可を求めても、職場での討議を許可することはなく、せいぜい職場から隔離された会議室の使用を認めるだけであり、それすらも許されないこともあった。例えば、昭和四二年一二月、当時原告組合中突分会長をしていた原告深田辰次が、執行委員会を開くため会議室の使用を庁舎管理規則に基づいて申請したにもかかわらず、藤田正勝総務課長はこれをにぎりつぶし、「無届集会」を行ったとして会議を妨害した。
この結果、原告組合は、その方針を各組合員に伝達することも、職場からの組合員の意見を汲み上げることも、著しく困難となり、組合員相互間の雑談・対話さえ封殺された。
(6) 現認制度による弾圧といやがらせ
神戸税関では、昭和三六年一二月一五日以前に現認制度が発足した。現認制度とは、職制もしくは特定の職員が、原告組合員の行動や原告組合が主催・共催する各種集会への組合員の参加状況を、一々チェックし、現認書なる報告書を作成して、これを上部機関に報告する制度であり、本件訴訟に書証として提出された膨大な「切り貼り細工」文書は、この現認制度の「成果」である現認書類の一部である。
この現認制度は次の狙いを持ち、且つその効果を上げた。
① 原告組合員の一人一人の行動を逐一チェックして、非組合員(原告組合員以外の職員、以下同じ)を、原告組合やその組合員から隔離する。
原告田中範明は、昭和三五年から三八年の間、当直勤務の翌日の非番の日によく同僚と連れ立って六甲山に登ったが、上司はそれらの者に「あいつとは一緒に行くな。」と言って同原告を悪者扱いにした。
昭和四四年頃から、同期入関者の忘年会ができなくなった。
② 原告組合員に、その行動がチェックされていると自覚させることにより、その行動を萎縮させる。
昭和三九・四〇年頃には、職制が、原告組合員に対して、「現認書を書いて報告するぞ。」と公然と圧力をかけるようになっていた。
原告結縁俊雄は、貨物課東灘方面事務所に勤務していた当時、同原告の行動がチェックされていることについて、方面主任が「気を付けて行動せなあかんで。」と、そっと注意してくれた。また、同原告が、昭和四三年一〇月に中埠頭出張所に配置換えになってからも、便所に行くのに田中総務課管理係長がのこのことついてくる状況であった。
③ 強制的に原告組合を脱退させられた職制や一部の人達に、スパイ行為を要求し、現認書の数やその記載内容の「ひどさ」によって、当局に対する忠誠度を競わせる。
昭和四二年、原告玉井進吾郎と原告小島久は、第一突堤の詰所で全税関分会員と話し合っていたのを、工藤方面主任により「参加者、司会、内容」を現認書をもって密告されたため、厳重注意を受けた。原告組合員からこのことを問質された工藤方面主任は、「立場上やらざるを得ない、君たちにはすまなかった。今後はこのようなことはしない。」と涙して弁明した。
このような現認制度は、その対象として原告組合員に焦点を当てていることや右の狙いにおいて違法不当であるのみならず、さらに、当局が、現認書の書式を改良するなどして、制度として組織的に行ったこと、現認書類の多くが、誇張や虚偽の危険を孕む第二組合員たる係長相当職の者によって作成されたこと、対象者には、その現認書を見る機会も、ましてやその記載について誤りを訂正したり弁解する機会も与えられなかったこと(現に、原告小林霞は、昭和四四年八月二五日のデッチ上げの現認書をもとにして、同年一一月七日に厳重注意処分を受けた。)、当時合法的であった行為すらも、対象とされたことなどの点からも、違法不当なものである。
(7) 引き続く脱退攻撃と原告組合員へのいやがらせ
イ 脱退攻撃
原告塩田静夫は、鑑査部第二部門にいた昭和四二年二月頃、上司の大山鑑査官から、個人的な話だと何回も強調したうえで、「君もそろそろ特昇の時期だし、次期に推薦しようと思っているが、君が未だ組合(全税関労組のこと)に残っているので、どうもなあ、それで私も困っているのだ、よく考えてくれんか。」と特昇を餌にして原告組合からの脱退を迫られた。
原告小林霞は、酒の席などで先輩から、役付職員になるには組合を抜けなければと匂わされた。
訴訟継承前原告横江威は、昭和四〇年輸出一課へ配置換えになったとき、川又輸出一課長から、「君もそろそろ、年令も高いし考えなくてはならないのではないか。」と全税関脱退を求められた。
原告坂本柏に対し、昭和四〇年、浜田支署の支署長は「全税関労働組合はアカ」等と言って全税関を誹謗し、脱退工作をした。後任の支署長も、主任を通じて、同原告の妻に「主人を出世させるかどうかは実に奥さんの采配にかかっている。主人が可愛いと思うならばそれに見合ったことをしなければならない。」と言わせ、同原告にも「本当に私のいうことをよく聞かないとこれから先どうなるか保障できないぞ。」という意味のことを言わせて、同原告を原告組合から脱退させようと工作した。
原告寺地健は、忘年会等各種レクリェーション行事の際、機会あるごとに、そのときの上司から、「君ほどの人がなあ……」「惜しいなあ……」と、同原告が原告組合員であることから昇進が遅れていることや原告組合を脱退するよう暗に求められた。
原告間処康成は、監視部貨物課にいた昭和三六年、上司の宮崎課長に個室に呼ばれ、「君は執行委員になったが、ほどほどにやっておけ、今の執行部はすべて共産党だそうだ、気をつけろ、もし、何かあれば、私に相談してくれ。」と言われた。また、小野浜(東部出張所)貨物課に勤務していた昭和三八年、金田課長から「私は老婆心ながら君に忠告しておくが、全税関におれば損をするよ、考えたらどうかね。」と言われ、原整理係長からも「マーさんバスに乗りおくれたらあかんで。」と言われた。
原告青木俊夫は東部出張所に配置換えになった昭和三九年、上司の居垣税関鑑査官に勤務中に呼ばれ、「君は特昇(特別昇給、以下同じ。)をしたことがあるか。」「奥さんや子供のことが可愛くないのか。」「長いものには巻かれる方が得やからここらで考えてくれ。」と原告組合からの脱退を求められた。
同原告は昭和四一年、差別があまりにひどいので上司の小川税関鑑査官に質問したところ、同鑑査官から「君がまじめに仕事をしていることはよく知っている。今は仕事がよくできるだけではだめだ。どうしたら人並みに昇進できるかは君等もよく知っているだろう。私がその方法を言うことはできないが……」と昇進のためには全税関脱退が必要であることを示唆された。また、同税関鑑査官は、課の旅行で山代温泉に行く数日前、副鑑査官を呼び、「酒を飲ませてからやるんだ。具体的に組合をやめろと言うことまずいから。」と原告組合からの脱退工作の方法を指示した。
原告津村勝次は、鑑査部にいた昭和三七年から昭和三八年頃にかけて、上司の中村平八郎税関鑑査官より、執拗に組合脱退を強要され、監視部旅具課にいた昭和四三年から四四年頃にかけて、当直勤務班長であった金山彰夫検査官から同原告の当直勤務日の勤務時間内に、本庁前旅具検査所や東部旅具検査所において、かなりの回数にわたって脱退工作を受け、さらに、昭和四四年九月初め頃、岸田旅具課長に旅具課長室に呼ばれ、脱退の意思の有無を確認された。
昭和三七年末から三八年にかけ、監視部警務第二課では中間職制層(主任、係長)が組合費の支払いを保留して職場集会では反全税関、反共の態度をあらわにし、それでも青年層が組合を脱退しないとみるや、森田船員係長を先頭に一部の巡察を使って、勤務あけの非番者を別室に呼び、組合からの脱退を強要したり、一人勤務の詰所、船に数人でおしかけ執拗な脱退工作を行った。
原告田中範明の知人塚本耕三は、原告組合を脱退させられ、その後思い直して再加入したもののまたも脱退させられ、さらに再加入するという変転の後に退職した。同原告の後輩の吉川勘造・大崎秀貴の両名は「上司から脱退するように言われたがどうしたらいいだろう。」と同原告に相談にきたが結局脱退し、同原告と同僚の宮本邦彦も「脱退するつもりはない。」と言っていたが、脱退を余儀無くされた。
原告横川泰三は、昭和三八年四月神戸外国語大学二課程に入学した際、同郷(高知県)の浜田富保係長から入学祝いとして宿舎に呼ばれたが、「旧労(全税関)をやめろ。」「わしの立場も考えてほしい。」と原告組合からの脱退を求められた。
原告井口恭光は、総務部会計課在職時(昭和三九年七月〜昭和四一年七月)に、直接の上司である村田勝主任から、「会計課にいる間は、全税関にいてもらっては困る。」と脱退を求められた。また、同原告は、尾道出張所に転勤(昭和四一年八月)後一か月もしない内に、岩崎最昭尾道出張所長から、勤務時間中及び時間外において、「全税関をやめた方が得だぞ、脱退してはどうか。」等と二回にわたって、脱退を求められた。
原告大釜昭雄は、監視部警務第一課に所属していた昭和三九年夏頃から年末にかけて、直接の上司である浜田富保係長、岡崎正司主席巡察、福島武彦巡察らから、夜勤当直勤務のときに数回にわたって、「全税関をやめたらどうか。君のためになる。」という趣旨の脱退勧誘を受けた。
原告玉井進吾郎は、監視部警務第二課に所属していた昭和三八年、勤務時間中に、勤務していた船に巡回に来た室田昌彦巡察から、「玉井君、君も考えたほうがいいよ。」と全税関からの脱退を強要された。
原告細川義信が、監視部警務第一課に在勤していた昭和四〇年、同原告ら五人のグループの友人の島田善文に対し、巡察らが「君の友達四人とも全員組合をやめた、君も早くやめろ。」と嘘を言って連日脱退を強要し、脱退させた。同原告に対しても、乗船差別をしながら、巡察らが「君も良い船で勤務したければ組合のことを考えろよ、これは親心だよ。」と勤務時間内外を問わず、執拗に原告組合からの脱退を強要した。
原告原奉宣は、監視部警務第一課に在勤していた昭和三九年夏、同期の中井健司と共に浜田富保係長宅に呼ばれ、同係長から「君達二人は特別に優秀だから、今年の中等科研修に言ってもらうことにしとる。これは異例のことだから……」と全税関労組から脱退するよう仄めかされた。また、同課では、狙いをつけた者を一人勤務の監所に配置して、数人の巡察が寄ってたかって無理やりに脱退届を書かせ、それが果せないと有形無形の陰湿ないやがらせを行い、その結果将来に希望を失って職場をやめていった者も数多くいたが、同原告も、巡察から、監所や常務船で、あるいは飲み屋で、執拗に原告組合からの脱退を迫られた。
訴訟承継前原告服部正治の同期同資格入関者(昭和二六年六級組)である西山定雄は、上司の中村平八郎鑑査部管理課長から「最後のチャンス」だと脱退を勧告され、昭和三九年暮か昭和四〇年初め頃に原告組合を脱退したが、脱退直後(昭和四〇年)に、門司税関徳山支署の関税鑑査官に昇任した。また、同様に同期同資格入関者である滝野も、昭和四二年春頃に、当時の配転先の福山支署水島出張所から、同人の妻を通じて「今度が最後のチャンスだというふうに聞いているので家のほうにもこれ以上迷惑をかけられないのでやめさせてもらう」旨の手紙に、脱退届を同封して送ってきた。なお、右服部正治も、昭和四五、六年頃摩耶出張所に在籍していた際、既に退職していた中村平八郎から、「そろそろひいたら(脱退したら)ええんと違うか。滝野はあれ(脱退)以来連続特昇して元を取りよるぜ。」と全税関からの脱退を勧告された。
原告川上俊智は、神戸税関総務課文書係に在籍していた昭和三九年四月、同県人で上司の林和巳課長補佐から、「全税関の活動は過激だ。将来のこともあるし、もうやめたらどないや。」等と何回かにわたって説得され、原告組合を脱退した。なお、同原告は、脱退して、昭和四六年七月に特昇した後、勤務時間内に浜田支署長室において、主任と第二組合のオルグ二人がいる前で、支署長から、「神労に入れ。入ったほうが絶対いいんやから入れ。」と言われて、やむなく第二組合加入書に署名した。
ロ 結婚妨害等のプライバシーへの干渉
原告山岡荘太郎が昭和三九年九月頃結婚を前提に付き合っていた女性の母親が、同原告の入関の際の保証人である矢野方一総務部秘書係長を訪ねた際、同係長は同女に対し「全税関にいたらいつまでも出世出来ない。昇給にも差し支える。」旨言って、同女らから同原告に全税関脱退を勧めさせた。このため右縁談は破れた。
原告脇岡秀年は、昭和四二年二月、東部出張所貨物課に在勤中(神労の二代目委員長山本巌が課長であった。)、同じ課の浪花武雄が、同原告の婚約者の会社の上司に対して、全税関労組を誹謗し、婚約者から同原告に全税関脱退を勧めさせようとした。
原告大屋広隆の妻は、その仲人をした職制から私信で脱退を勧められた。
ハ 不当配転といやがらせ人事
昭和三七年一一月に第一次大量配転がなされたところ、従来は、支署勤務は希望者が普通であったが、当局は、小松島支署に原告柳沢尚、松山支署に原告高須賀四郎、坂出支署に原告野口和正を配転するなど、全税関青年部役員と活動家一五名を遠隔地に配転した。
続いて昭和三八年七月、第二次大量配転が行われたが、これは第一次と同様の趣旨のものであり、原告桝本清が呉支署に配転となった。
原告牛込尹人は、昭和四四年に三谷総務課長から再三話し合いを求められ、全税関脱退の話ならお断りすると答えたところ、松山支署に配転となり、しかも、支署配転のときは五等級係長となるのが通例となっていたのに、六等級平職員のままといういやがらせ配転であった。
昭和四九年二月、原告灰野善夫は、意に反して、全く予期していなかった宇野支署に配転された。
昭和四二年一〇月、原告柳沢尚は、長男が生後七ヵ月であり、高校生の弟が同居していて、配転に応じられる状況ではなく、支署長も今年は配転はない旨言明していたのに、配転された。
当局は、昭和五二年、妻が出産して健康状態が悪い原告天野親聡を小松支署から本関小野浜出張所へ、同様に配転が困る事情にある林を本関PI出張所から小松島支署阿南出張所へ配転しようとして両名に内示したところ、本人や原告組合の反対運動によって、この配転はなされずにすんだが、同時に同原告の保税実査官昇任の内示も撤回した。
支署勤務は普通は大体三年であるのに、原告高須賀四郎は、昭和三七年一一月に第一次大量配転で松山支署勤務となってから、松山に六年間、今治に二年余、新居浜に五年と支署勤務を続けさせられた。
ニ 差別によるみせしめ人事やいやがらせ人事
訴訟承継前原告横江威の同期生で任官がより遅かった山本昭は、長期無断欠勤(行方不明)をして解雇問題にまでなった経歴の持主であるが、全税関組合員の脱退等に功労があり、神田ら三名の懲戒免職の裁判で当局側の証人として出廷したことから、昭和五四年に四等級に昇格した右横江威に比べて早く昇進し、昭和五三年には三等級の統括審査官となって、同人と同じ職場に配置された。同期生やそれ以下の資格の非組合員が、同じ職場で上司としていることは、極めて屈辱的なことである。
原告川上俊智は昭和四四年一月に原告組合を脱退し、昭和四六年七月に特昇した。
原告脇岡秀年は、昭和四〇年に東部出張所保税課に配属になって以来約一〇年間、保税課ばかりに在籍させられた。
3  マル秘文書が示す全税関対策の狙いと手口
(一) 東京税関幹部会議事録等
昭和六二年一二月、全税関本部に東京税関当局が作成したと思われる一連のマル秘文書が送付されてきた。
文書の中身は、昭和四二年から昭和四四年の間に東京税関で開催された幹部会議、部課長会議、部課署長会議等の各議事録及びその頃東京税関で作成された行政日誌その他の資料である。
文書の内容は全税関労組を旧労、第二組合である東京税関労組を新労と呼び、人事対策、労務対策、新入職員・青年層対策、厚生リクリェーション対策、表彰制度の運用その他により、一方において全税関所属の組合員を徹底的に差別・排除し、全税関の団結を破壊しつつ、他方において東京税関労組を保護育成することを密かに謀議したものであるが、右対策は関税局の指導によるものであって、神戸税関をはじめとする全国各税関においても同様の対策が実施されていることは容易に推察できる。
これを要約すると次のとおりである。
(1) 人事対策
イ 昭和四三年一一月二九日に開催された幹部会議で、東京税関総務部長から関税局が召集した全国税関総務部長会議の報告がなされた。それによると、初級職試験合格者の採用について、従来は人事院の試験成績が六五点以上の者を対象としていたが、昭和四三年度からはこの制限をはずし、思想調査の必要から学校の選別や身元調査を強化することになった。
これは、初級職新採用者については、試験成績よりも思想傾向を重視することにより、新採用者が全税関労組に加入するのを防止することを狙ったものである。
ロ 昭和四二年四月一一日に開催された部長会議で、全国税関総務部長会議の結果が報告された。そこでは全税関組合員に対し、八等級から七等級への昇格に際し、どのようにして差別するかが種々論議されていた。例えば、東京税関や神戸税関からは、矯正措置を受けた者に対してのみやるべきだという意見が出されたが、横浜税関は矯正措置に限らず当然にやるべきだと主張した。これに対し、関税局からは、単に矯正措置を受けただけで成績不良と判定することは問題があるので、成績不良の事実を逐一記録しておくことが必要であるとの意見が出され、東京税関からは大蔵省全体で検討したうえ慎重に実施すべきだとの意見が述べられた。
これは、関税局の指導のもとに、全国の税関が全税関労組の組合員に対し、いかにして昇格差別を行うかを種々議論した結果、組合活動を理由に厳重注意や訓告等の矯正措置を行い、それを口実に七等級への昇格を差別するという従来の方針を再確認するとともに、成績不良の証拠を固める手段として現認体制の統一的方針を検討したものである。
ハ 前記部長会議における前同報告により、八等級に在級する若年層に対しては、メリットがないので特別昇給をさせない旨の結論が出されたことが認められる。
特別昇給制度を人事対策の手段としてより有効に活用していくという方針が明白に示されている。
ニ 前記部長会議における前同報告により、関税局が勤勉手当の減額を従来の割合より強化し、より突込んだ減額措置を検討していきたいと提案し、大多数の税関がこれに賛成したことが認められる。
これは全税関組合員に対する勤勉手当の減額をより厳しくすることにより差別支配を強化することを狙ったものである。
ホ 昭和四二年一一月二四日に開催された幹部会議において、全国総務部長会議の議題に関連して税関長が、勤勉手当に差別をつけるより現行の昇給延伸の方が必罰の効果が大きい旨発言している。
全税関組合員に対し、いかにすればより打撃的な攻撃を加えることができるかがあらゆる機会に検討されているのである。
ヘ 昭和四二年九月一一日に開催された幹部会議では、全国税関長会議の報告がなされたが、それによると、この税関長会議で、旧労古手対策として専門官設置の提案をした某税関長に対し、大蔵省が甘い考えだと批判したことが認められる。
全税関組合員に対する差別攻撃は関税局の積極的指導によるものであることを示している。
(2) 労務対策
イ 関税局総務課は、昭和四二年四月七日付で作成した「税関職員服制細則の制定について」と題する文書を各税関に呈示し、意見を徴した。大蔵大臣訓令「税関職員服制細則」、税関長達「税関職員服制細則の実施細目」制定により、税関職員には職務遂行時以外での制服着用を禁止し、職務遂行時には制服、制帽の着用を義務づけることによって、全税関組合員の組合活動を制服面から規制するとともに、違反者に対しては、訓令違反や職務命令違反を口実に矯正措置や懲戒処分を行うことを目論んだものである。
関税局総務課自身がこの文書の中で、「規則の解釈上、昼休みに制服を着用してよい時といけない時の限界について(例えば、何故コーラスが可で、集会が不可かなど)若干紛争を生ずるおそれがある。」とか、「一部分子の組合活動を阻止するためにこのような規定が設けられ、職員の多数が迷惑を被るのは本末転倒ではないのかとの考え方がある。」などと問題点を指摘しているところに、その意図の露骨さが窺える。
ロ 右の呈示に対し、東京税関では、昭和四二年四月二六日に部長会議を開催して協議した。そこでは、服装規程は全税関組合員が制服を着用して組合活動を行うことを制限するところにその目的がある旨の説明がなされ、休息時間中の制服着用について組合活動とその他の活動を差別して取扱うことの可能性やその場合の規定文の表現上の工夫について種々議論されている。興味深いのは、東京税関で「特例をつくると旧労はそのアンバランスを穴として要求を起こし、他関では困ることが起こる可能性がある。」などというような意見まで出され、その表現に苦慮している様子が窺えることである。
ハ 昭和四三年一一月二九日の幹部会議で、船員保険の値上げについて新労(東京税関労組)が根回しをする予定であるから協力をするようにとの報告がなされている。
このことは、東京税関当局が船員保険の値上げ問題について、該当職員から苦情がでないように第二組合を利用していることを意味しており東京税関当局と第二組合との癒着ぶりを示すものである。
ニ 昭和四二年九月一一日の幹部会議議事録によると、全国税関長会議で、東京税関長が官房長に対し、当局は旧労(全税関労組)対策は懸命にやっているが、もっと大事なことは新労(東京税関労組)を強くすることだと進言していることが認められる。
関税局と各税関が一体となって全税関労組攻撃と第二組合育成に腐心している様子が窺える。
ホ 昭和四二年四月一一日に開催された部長会議で、全国税関総務部長会議の報告がなされた。それによると、第二組合を同盟路線に導くべきか否か、各税関一律の労務対策の押しつけの善し悪し等について関税局と各税関当局が協議していること、ならびに関税局は東京税関当局に対し、大蔵職員の中の一部には容共的行動もあり、その中に、税関労組(第二組合)が入っていることは危険であり幹部職員は注意するように要望している。
ここにも関税局と各税関が一体となって全税関労組対策と第二組合育成に腐心している姿がよく示されている。この中で、東京税関総務部長が「(本省の)ただ神戸をたたえ東京を批判する書き方に一言意見を述べておいた。」と報告するくだりは、神戸税関当局が第二組合の育成、とくに同盟路線推進の実績について、関税局から高く評価されていることを示している。
ヘ 東京税関厚生課の昭和四四年九月三日付「独身寮について」と題する文書によると、東京税関当局は全税関労組が独身寮の入寮者にどのような働きかけをし、入寮者がどの程度反応しているかを監視調査している事実が認められる。
ト 昭和四二年一月一四日付で作成された東京全税関の独身寮各寮別概要は、東京税関当局が各独身寮の入寮者の組合所属関係に留意し、新入職員が入る品川寮にはほとんど全税関組合員を入れないようにしていることを示している。
チ 昭和四二年五月一五日に開催された部課署所長会議では、全税関労組の組合活動であるリボン着用に対し、現場での具体的なやりとりを想定した職制の対応策を指示している。
リ 東京税関の昭和四三年度予算要求資料では、労務対策整備経費として五〇万六〇〇〇円が計上され、その内訳として広角レンズ、ストロボ、写真機、テープレコーダー、携帯メガホン等が挙げられている。
右の事実は、全税関労組の組合活動等、特に集会、デモ対策として、現認体制を強化するための装備拡充が目論まれていることを示すものである。
ヌ 昭和四二年九月一一日の幹部会議における全国税関長会議の報告によると、同会議で財務調査官が「組合の混乱期は過ぎたが、かつての苦闘を思い起し管理体制を確立してほしい」旨の挨拶をしたことが認められる。
これは、税関労組の分裂がほぼ完了し、第二組合が確立されて一応平穏を保っているからといって、職場の管理体制をおろそかにしてはならないという関税局の締めつけである。
(3) 職員・若年層対策
イ 前記幹部会会議議事録によると、前記税関長会議において、横浜税関長が官房長に対し、「新職員の基礎研修は良い。マル共組合を追つめていくのに効果があるので毎年新職員を採用し、研修を実施してほしい」旨の要望を行ったことが認められる。
これにより、各税関当局は、全税関労組対策に新職員の基礎研修を利用し、新職員が全税関労組に加入せず、第二組合に加入するよう教育している事実が明らかになった。
ロ 昭和四二年三月三〇日の部長会議において、新職員の受入行事につき協議された。その際、研修課長から、新職員の入関式に全税関労組がビラを配付するので研修教室に入場の際に回収することにしたい旨提案され、承認された。
東京関税局が、新職員への全税関労組の影響を排除するための具体的措置を計画的に行っている事実が端的に示されている。
ハ 昭和四二年四月一一日の部長会議議事録には、全国税関総務部長会議において、大阪税関が新職員を警務課に配属することは管理教育が徹底しにくいので反対した旨の報告について、東京税関では必ず先輩がペアでつくので大阪とは事情が違う旨の議論がなされたことが記載されている。
各税関当局とも、新職員の管理体制に腐心していることが分かる。右の管理体制の中心課題が、新職員に対する全税関労組の影響を排除することにあることはいうまでもない。
ニ 昭和四二年五月一日の部長会議では、新職員の配置案について協議された。その際、三五名の新職員全員を警務関係に配置することは難しいので、一部の新職員については、警務関係以外の職場に配置するが、その場合には全税関労組員の影響を受けないように配慮して配置する旨の方針が確認されている。
これにより、新職員を全税関労組から隔離する方針が明確に示されている。
ホ 前記会議において、新職員の受入後の取扱要領として、職場指導官の人選については七等級職員を中心に勤務成績、人格、思想等を考慮して行うことを決定している。
新職員の思想教育を重視していることがわかる。
ヘ また、前記会議において、新職員の寮への受入れに関し、入寮者の管理の徹底について協議している。
入寮者の私生活全般を掌握し、管理を強め東京税関当局の意に沿う職員を育成する方針が具体的に示されている。
(4) 厚生・リクリエーション対策
イ 昭和四二年八月一六日に開催された幹部会議においては、次のような協議がなされた。即ち、水泳大会について、全税関労組所属選手でも名選手であれば二〜三名いれるのはやむを得ない旨の関税局の回答や、全税関労組員を参加させることの実害についての関税局の質問が紹介され「全税関労組員を差別してもよいのではないか。」との総務課長の発言や「若年層対策としてレクリーダーには全税関労組を入れてはいけない。」(発言者不明)とか、「できるだけ排除方法をとるが、二〜三名まぎれこんできた場合にはやむを得ないだろう。」との総務部長発言があり、種々論議された。最終的には今回の水泳大会については全税関組合員四〜五名までは出場させてもよかろう、レクリーダーは今回は全税関組合員を入れたまま締切るなどの点で合意された。
全税関組合員についてはレクリエーション活動からも排除、制限していく方針が明確に示されている。
ロ 昭和四二年九月一四日付の「職場レクリエーションについて」と題する資料には、次のような記載がある。
サークル活動は特定イデオロギーに支配され易い欠点をもっている。全税関労組は安い経費で若年層と知り合う機会を狙っている。行事当日は思想的言動等はしないが後日喫茶店等へ誘い出す。今後の行事計画については管理課長会議を経て幹部会議の承認を得る。文化的活動は第二組合と全税関労組を分けたサークルの二部制を考え指導していく等々である。
ここでは、レクリエーション活動を通じて、全税関労組の影響力がどのように浸透してくるかを分析している。レクリエーション行事計画についての管理体制を強化し、サークル活動においても全税関組合員と第二組合員を分断する方針が示されている。
ハ 昭和四二年九月六日付のサークル部門別新旧調査表には、各サークル毎に第二組合と全税関労組の所属人数が記載され、マネージャーについても所属労組別に記載されている。
右の事実は、東京税関当局が各サークルの構成員やマネージャーの組合所属について強い関心を持ち、その調査結果に基づいてサークル活動を通じての全税関労組の影響を排除していく方針をとっていたことを示している。
ニ 昭和四二年九月二七日に開催された幹部会議では、次のような提案、報告、決定等がなされた。レクリーダーは任命制とし、経費は一部負担する、任期は一一月一日からとする、全税関労組対策上、美術展は本年中は行わない、音楽隊は全税関組合員の活動の場となってしまったので解散した、音楽隊の新設を検討したい、新職員に演劇とコーラスの希望が多いが、現在これらのサークルは全税関組合員が中心となって活動しているので、二部制とし、新しい演劇・コーラスのサークルを結成させることが必要と思う、思想問題についても研究会の開催を検討してみてはどうか、等々である。
全税関組合員を「旧労分子」と呼び、これを全てのサークル活動から計画的に排除していく方針が明示されている。
ホ 前記幹部会議に用いられた資料には次のような記載がある。レクリエーション・年間行事からの全税関組合員の排除、レクリーダーの存在を当局が明確に認識し、レク行事の準備と実施は厚生課が中心となり、各部署所の管理課長がレクリーダーの助けを借りて一般職員のレク参加希望状況を掌握する。但し、全税関組合員に対しては何ら積極的に直接に接触しないようにする。一〇月一日を目処にレクリーダーの一新と増員をはかる。新レクリーダーには正式発令をし、任期を定め、なるべく多くの第二組合員がレクリーダーの経験を持ちうるように措置する。サークル活動は第二組合と全税関労組の構成比から見て危険が伴う。具体的には、コーラス、油絵、華道、演劇などの文化活動には当局として積極的に取り組まない。当局としては体育部門ないしは登山、バーベキュー、釣り等に取り組み、第二組合所属の若年層対策に主眼をおく。レク年間行事は年度当初に幹部会議にかけてオーソライズする。但し、前記全税関労組の影響の強い文化活動等は実施できない。
ここでも、レクリーダーやサークル活動からの全税関組合員排除の方針が明記されている。そして、これらの方針は現実に忠実に実施されているのである。
(5) 表彰
イ 昭和四三年四月二日の幹部会議では、大臣表彰について論議された。ここでは、勤勉手当の受領を拒否しているような者は大臣表彰を受けるに値しない。腹では全税関組合員を表彰したくないが、永年勤続者表彰はせざるを得ない等の意見が出されている。
表彰制度の運用においても、全税関組合員の差別取扱いが検討されているのである。
ロ 昭和四三年七月一七日付「第二四回密輸検挙者表彰について」と題する文書には概要次のような記載がある。
他の職員の模範とするにふさわしくない行為のあった者を表彰から除外するため、表彰に関する運用内規を改定し、①過去一年内に懲戒処分、矯正措置を受けた者は表彰から除外する。②過去一年内に官の政策、方針、職務命令、上司の指導に対する反抗または不服従のあった者その他税関職員としてふさわしくない行為のあった者は功績得点から三〇点を限度に減点する(〈書証番号略〉)等々である。
これは、全税関組合員に対しては表彰も行われない旨の差別方針が打ち出されたことを示している。
(6) その他
昭和四四年九月一七日の幹部会議では、一日税関長の選定にあたり、芸能人には共産党系がいるのでその辺の調査が必要との意見が出された。
(二) 全国税関総務部長・人事課長会議資料等
昭和六一年一一月五日、衆議院予算委員会において、正森成二議員が関税局や各税関における人事管理問題等について質問したが、原告はこのときに用いられた資料を全税関中央本部を経由して入手した。これらの文書は、昭和六一年四月一〇日、一一日に関税局で開催された全国の税関人事課長会議関係資料(〈書証番号略〉)および昭和五八年から昭和五九年にかけて開催された全国の税関長会議・税関総務部長会議の関係資料(〈書証番号略〉)である。
文書の内容は、前記の各会議で各税関における人事管理上の諸問題を協議した際の議題、方針、資料で、全税関所属の職員を特定職員と呼び、その処遇について、第二組合員とどの程度の差別をもうけるかを具体的統一的に検討したものである。
そして、昭和五八年から昭和六一年という比較的最近の資料であるが、ここで提起・確認されている税関当局及び各税関当局の差別的方針は基本的には本訴請求期間当時から今日まで維持、継続されている。
(1) 上席官昇任対策
昭和六一年三月一九日の総務部長会議において、①俸給表の一一級別移行により、七級昇格の足がかりとして、今後上席官(課長、補佐、またはその相当職)要求が強まるであろう、②上席官昇任については、五〇歳以上の全税関所属職員のほとんどは昇格基準表の要件を充たしており、また、全税関に所属していない職員(一般職員)の上席官への任用及び職場での上席官の運用の実態並びに全税関所属職員の年齢構成等から、現状(六〇年任用六人、占有ポスト九)程度では、内外とも説明が難しい、③仮に、欠格条項に該当する者を除く全員を昇格させたとしても、全上席官の一割にも満たないので上席官任用は可能であろう、④一般職員との均衡上及び全税関職員に対する上席官運用の継続性からも、少なくとも二六年次を中心とする年齢構成層については、上席官昇任にあたって絞りをかけ選考すべきである、などの意見が交わされた。
これを受けて、昭和六一年四月一〇、一一日に開かれた人事課長会議において、①全税関所属職員の上席官への昇任について、欠格条項該当者以外は全員昇任させるか、昇任時に選考を行うか、②選考対象を従来より若干拡大すべきであるとの意見もあるが、あまり昇任時の年齢を下げると選考対象者が著しく増加すること、八級昇格への期待感が増幅されることなどを考慮し、五五歳以上で六級の在級期間が六年以上の者という前年度基準のままで運用するか、③昭和六一年度における全税関組合員の上席官任用数を、昭和六〇年度の任用数(六人―合計で九ポスト)の五割増程度にすることはどうか、さらに増やすとすれば任用の上限はどの程度が妥当か、などの問題が提起、協議された。
これらの協議は、全税関組合員はなるべく上席官に昇任させないとの従来の方針を原則としつつ、それでは余りにも差別が歴然とし過ぎるため、一部の組合員については、定年退職直前に昇任させることとし、その任用数や昇任年齢、六級在級年数等をどの程度に押えるかを種々の視点から検討したもので、あからさまな差別謀議に外ならない。
(2) 七級昇格対策
前記総務部長会議において、①七級は従来の四等級でもあり、上席官は基本的には七級であるという職員感情から、上席官であれば退職までには七級に格付けすべきである、②一般職員との均衡(一般の上席官が全て退職時までに七級に格付けされるとは限らない。)から選考を行うべきである、などの意見が出された。
これをふまえて、前記人事課長会議では、①一般職員の昇格との均衡上、上席官在任二年以上の者とすることはどうか、この場合上席官昇任の上限年齢をどう考えるか、②在任期間に関係なく退職前一、二年前に昇格させることはどうか、などの問題について協議がなされた。
(3) 四、五、六級格付対策
前記人事課長会議において①四、五、六級における一般職員と全税関組合員の昇格時期については、勤務成績が一般職員と比べて遜色のない全税関組合職員は超一選抜として一般職員の最終選抜時期(最も昇任の遅いグループ)に重ねること、②一般職員より勤務成績の優れている全税関組合員は一般職員の第三選抜の時期に重ねること、を確認することについて協議がなされた。
これらの差別取扱方針は神戸税関においても正確に実行されている。一例を挙げると次のとおりである。
すなわち、昭和六〇年度において全税関所属職員で上席官に新たに任用された者及び既に任用されている者は、全員五五歳以上、六級在級期間六年以上であり、しかも総任用数は六人―九ポストであって、前記人事課長会議での指摘のとおりとなっている。また、神戸税関における昭和三四年高卒入関者の四等級(六級)昇格年度は、一般職員の第一選抜が昭和五五年、第二、第三選抜が昭和五六年、五七年で、最終選抜が昭和五八年となっているのに対し、全税関所属職員の「超一選抜」が昭和五八年となっていて、一般職員の最終選抜時期に合わされている。
4  昇任、昇格、昇給差別の実態
(一) 法令上の建前と運用の実際
(1) 任用制度の基本原則
国家公務員法は、昇格昇給を含む任用制度の全般を通じて遵守されなければならない四つの基本原則を定めている。
その一は平等取扱いの原則であって国家公務員法(以下「国公法」という。)二七条は、すべての国民が国法の運用について平等に取扱われなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、政治的意見、政治的所属関係等によって差別されてはならないことを定めている。
その二は国公法三三条で定められている任免の根本基準の遵守である。職員の任用は、国公法と人事院規則の定めるところにより、その者の受験成績、勤務成績又はその他の能力の実証に基づいて行うこと等がその柱である。
その三は法令要件の充足である。国公法や人事院規則で定める要件を備えていない者を任命、雇用、昇任、転任させてはならず、いかなる官職にも配置してはならないとする原則である。
その四は国公法一〇八条の七で定める不利益取扱いの禁止である。職員は職員団体の構成員であること、これを結成し、これに加入し、又はその正当な行為をしたことのために不利益な取扱いを受けないとするものである。
(2) 任用制度の運用の実際
国公法の任用制度は職階制と競争試験を基本的前提として組立てられているが、今日まで職階制は実施されず、昇任等に競争試験は導入されていない。
このため、任用制度の運用は暫定的なものとなっていて、法令上の建前と運用の実際との間に相当の隔たりがあり、神戸税関では、少なくとも課長または課長待遇職への昇任、従って旧三等級(現八級)への昇格までは、特に心身に故障があって長期欠勤した等の特別な者を除き、大多数の者が特定の年度もしくは二ないし三年の幅をもった一定の期間に昇任、昇格している。
イ 昇任について
昇任の定義は人事院規則八―一二(職員の任免)五条二号に定められているが、職階制が実施されていないため、同規則八一条で別に指令で定める日前においては従前の例によるものとされ、従前の例とは①職員を昇格させること、②級別の定めのある官にある職員を上級の官に任命すること、③職員を法令その他の規定により公の名称の与えられている上位の官職に任命することとされている(右規則の運用通知)。
ところで、昇任は国公法上、競争試験によって行うことを原則とし、競争試験が適当でない官職への昇任は、当該在職者の従前の勤務実績に基づく選考により行うことができるものと定められている(三七条)が、現在、税関においては昇任試験は実施されていない。また、選考の方法としては、人事院で定める基準により人事院又はその定める選考機関が行うものとされ(同法三六条二項、三七条三項)、選考の基準については、官職の職種及び等級に応じて、所定の経歴、学歴、知識、技能を有し、かつ、指令で定める免許、資格を有すること、さらに勤務成績の良好であることを含む旨が定められている。(人事院規則八―一二、第四五条)。
しかし、右人事院規則の定めは、職階制が実施されていないため法的には適用されておらず、同規則九〇条(経過規定)により、本省の課長相当職(税関でいえば税関長と部長)以上の官職を除く官職についての選考は、任用権者が選考機関としてその定める基準により行うものとされているのであるが、神戸税関においては右の選考基準は定められていないものと思われる。
そこで、任命権者の行う昇任はいかなる基準に基づいて実施すべきかが問題となるが、人事院規則八―一二の運用通知(任企三四四)でも昇任の定義に昇格させることを含ませていることを勘案すると、昇格の基準を定めた人事院規則九―八第二〇条を類推適用することが、もっとも法の趣旨(国公法三六条二項、三七条三項)に適合する。
そうすると、昇任選考の基準としては、当該職員が合格した資格試験と学歴、免許別に定められている必要経験年数及び必要在級年数を充足していることであって、それ以上の基準は認められないということになる。
職階制が確立されておらず、競争試験も実施されていない現状において、このように、昇任が主として資格や経験年数等の客観的基準に基づいて行われることはやむを得ないことであり、任命権者の恣意を排除するうえで実状に最も適している。
ロ 昇格について
昇格は、職員の職務の等級を同一の俸給表の上位の職務の等級に変更することであるが、その基準として、人事院規則九―八第二〇条は、行(一)の旧二等級、現九級以上への昇格を除いては等級別資格基準表に定める必要経験年数又は必要在級年数を有していなければならないこと、現に属する職務の等級に二年以上(昭和六〇年一二月の改正前)在級していなければならないことなどが定められている。
このように、昇格は客観的に明白な基準によるべきことが定められているのであり、勤務成績が良好であることは基準とされていない。これは、任命権者の恣意を排し給与制度の公正な運用を期したためである。
ハ 昇給について
普通昇給は職員が一二月を下らない期間を良好な成績で勤務したときに、その者の職務について監督する地位にある者の証明を得て行われる昇給であるが、右の良好な成績で勤務したというのは「通常の勤務成績」の趣旨であり、昇給期間の六分の一に相当する期間の日数を勤務しなかったことや懲戒処分を受けたことなど、人事院規則で勤務成績についての証明が得られないものとして取扱うものと定められている事由に該当しない限り、その証明が得られたものとして取扱うのが通例である。
特別昇給は、職員の勤務成績が特に良好である場合に、定数の範囲(昭和三五年度から昭和四二年度までは毎年定員の一〇パーセント、昭和四三年度以降は一五パーセント)内で行われるものであるが、神戸税関では、入関後五年を経過し通常の勤務をしている職員については、定数枠内において、おおむね順番に実施されている。なお、長期欠勤者については他の同時入関者との間に生じた給与格差を調整するためにも実施されている。
この結果、職員は、平均して七、八年(昭和四二年度以前)、または五、六年(昭和四三年度以降)に一回の割合で特別昇給の対象となっていた。
(二) 差別のしくみと実態
(1) 差別のしくみ
昭和三七年頃に始まる当局の原告組合と組合員に対する分裂攻撃も、かなりの部分を占めた良心的な組合員の抵抗の前に、一挙に成功をおさめるというわけにはいかず、これだけでは当局の描いた全税関壊滅の目論見を達成することはできなかった。そこで当局は、長期的な腰を据えた全税関対策に乗り出すに至った。これが賃金と身分に対する徹底した差別であった。
既にみたとおり、公務員の賃金と身分に関するしくみの建前として、成績や選抜による昇任昇格が定められているが、現実の運用においては、同期同資格の職員が横一線に層を成していく年功序列型の昇任昇格制度となっている。このような実態の中で、ある人が他の者に比べて賃金身分において著しく遅れをとれば、その人は同僚や家族ひいては社会全体の中でどれほど肩身の狭い思いをするか想像に難くない。そして、その原因が組合所属の別にあるとすれば、直ちに組合の選択を変えたくなったとしてもその人を責めることは困難である。当局はこのことをよく知っていたからこそ徹底した賃金差別制度をつくり、全税関を脱退しない組合員に対する見せしめとしたのである。
具体的な差別の手口は次のとおりである。
イ 昇任差別
昇任は等級号俸と連動しており、例えば六等級の九または一〇号俸になると主任もしくは実査官に昇任するのが常であり、そのほぼ一年以内に五等級に昇格するしくみになっていた。しかし当局が、全税関組合員については原則として主任等に昇任させなかったため、原告組合員は五等級に昇格することができなかった。昭和三八年四月一日から昭和四九年三月三一日までの間(後記「係争期間」中)に四三名の原告が五等級に昇任しているが、昭和四五年までに昇任したのは原告稲松と同石見の二名だけであり、そのほかは、原告組合が本訴提起を準備し、国会等で当局を追い詰めていく中で、訴提起直前に極端なものが是正されたにすぎない。
ロ 特別昇給差別
特別昇給制度の建前と運用の実際は前記のとおりであり、法の建前である「特に成績良好な職員」という規定は現実には機能していない。
税関当局は、この建前を盾にして、原告らのほとんどを特昇させず、逆に余裕のできた特昇枠を使って、非組合員を多数回特昇させるという二重の差別をした。原告らのうち、後記係争期間中において特昇したのはたった八名に過ぎない。また、昭和五七年時点において、原告らのうち一三名が、勤続二〇年の間に一度も特昇していない。
この特昇を使っての差別がいかに徹底して行われたかは、昭和四〇年から昭和四八年の間の特昇割合が非組合員が148.2パーセントであるのに対し、原告らが3.9パーセントであることによって示されている。
ハ 普通昇給延伸
普通昇給制度の運用の実際は前記のとおりであるが、このように定期的に昇給することは、官民を問わず給与制度として定着したものとなっている。神戸税関では、勤務成績が良好であることの証明が得られないという口実で一三名の活動家が普通昇給を延伸されたが、右のような普通昇給制度の運用において、成績がどれほどの意味を持ち得るか疑問で有る。現に特昇から排除されている原告らも毎年昇給しているのであり、右の普通昇給延伸はみせしめのために行われたものである。
ニ 六短差別
昭和四一年から若年労働者確保を目的として八等級七号俸になってから六か月もしくは九か月で七等級一号俸に昇格させる短期優遇措置がとられていた。
ところが当局は、全税関所属の組合員に対してはこの優遇措置を与えなかった。
ホ 双子号俸差別
六等級一三号俸から昇格すると五等級一〇号俸に、六等級一四号俸から昇格すると五等級一一号俸にそれぞれ格付けされる。ところが、六等級一五号から昇格しても同じ五等級一一号俸に格付けされるだけである。このように同一号俸に格付けされる二つの号俸を双子俸というのであるが、一般には、双子俸に達する前に昇格させられる。しかし昇格が遅れて双子俸にかかって昇格すると、双子俸の下位の号俸から昇格する場合には六か月、上位の号俸から昇格する場合には一年の、実質的昇給延伸を受けたことになる。
当局はこのしくみを悪用し、原告らを双子俸に達するまで昇格させず、しかも、双子俸の上位の号俸から昇格させる方法で原告組合員を差別した。
(2) 損害(格差)の発生
神戸税関長が昭和三八年四月一日から昭和四九年三月三一日までの間に行った昇任、昇格、特別昇給等における差別的な不利益取扱いの結果、原告らは昇任、昇格、昇給が遅れ、同時期に同資格で入関した非組合員との間に別表二昇給・昇格等一覧表記載のとおりの格差が生じた。
右の昇給・昇格等一覧表は、各原告ら及び右原告らと入関時期入関資格を同じくする非組合員のうち、昇任、昇格、昇給において標準的な取扱いを受けている者(これを「非組合員標準者」又は「標準者」という。)の昭和三八年四月一日と昭和四九年三月三一日現在の等級号俸、その間の特別昇給の回数と年度、及び昇任昇格の年度を対比したものであるが、これのうち非組合員標準者に関する分は、非組合員全員について調査して割出したものであり、しかも、この程度のものであれば、原告らがその時期の昇任、昇格、特別昇給していた蓋然性が極めて高いところに控え目に設定したものである。
5  違法性と責任
神戸税関長の原告らに対する前記昇任、昇格、特別昇給における差別的な不利益扱いは、原告組合の団結を破壊することを目的とし、組合員であることを唯一の理由として行ったものである。このような差別的不利益扱いは、組合所属により不利益取扱いを禁じた国公法一〇八条の七に違反し、裁量権を濫用した違法なものであり、原告ら及び原告組合に対する不法行為となる。
6  損害
(一) 得べかりし賃金喪失
右損害は、各原告らとこれに対応する非組合員標準者との賃金の差額であるが、本訴において原告らが請求するのは、このうち昭和三八年四月一日から昭和四九年三月三一日までの間(これを「係争期間」という。)に生じたものである。右賃金の内容としては俸給のほかに調整手当(昭和四二年七月までは暫定手当)、超過勤務手当、期末手当及び勤勉手当が含まれる。
しかるところ、係争期間における各原告らとこれに対応する非組合員標準者の昇給昇格状況は別表三等級号俸推移一覧表記載のとおりであるが、計算が繁雑になるのを避けるため年度(四月一日から翌年三月三一日まで)途中の昇給や給与改定による変動を考慮せず、年度初め(四月)の額に固定した。また、超過通勤手当は従前の実績から俸給と調整手当の合計額の0.23とした。さらに、原告らのうち長期病気休暇のある者及び国公法上の懲戒処分を受けた者については、対応する非組合員標準者の等級号俸を遅らせて算定した。
このように原告らの喪失賃金を控え目に計算して、各原告らの賃金につき対応する非組合員標準者のそれと比較すると、その差額は別表一損害額一覧表記載のとおりとなる。
(二) 非財産的損害
(1) 個人原告
前記昇任、昇格、昇給等の差別扱いにより原告らが受けた経済的損失は将来にわたって増大するものである。また、原告らはいわれのない劣位的評価を受け、社会的名誉ないし人格権を侵害された。これによる原告らの精神的損害は別表一損害額一覧表中慰謝料欄記載の額を下らない。
(2) 原告組合
神戸税関長が原告組合を弱体化させ、あわよくば解散消滅させる企図のもとに係争期間中、原告組合員に対し昇任、昇格、特昇等の差別的な不利益取扱いを行った結果、原告組合を脱退する者が続出する一方、新規採用職員の原告組合への加入は皆無に等しい状態となった。このため、原告組合は組織を防衛し、人事差別の実態を調査し、これを是正させるための諸活動を強化せざるを得ず、組合員の減少により組合費収入が低下している中で多大の労力の傾注と経済的出費を余儀なくされた。これによる無形の(非財産的)損害は五〇〇万円を下らない。
(三) 弁護士費用
原告らは本訴提起を余儀なくされ、これにより支出しなければならない弁護士費用は、原告組合が金五〇万円、その余の原告らが別表一損害額一覧表中弁護士費用欄記載の額である。
7  よって原告らは、国家賠償法一条に基づいて、被告に対し前項の各損害金とこれに対する不法行為の後である昭和四九年六月二一日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二  請求原因に対する認否
1  請求原因1について
(一) 同(一)のうち、原告組合が全税関の下部組織であること、その余の原告(訴訟承継原告服部瑠璃子、同横江和子を除く。)及び訴訟承継前原告服部正治、同横江威らが神戸税関に勤務する(またはしていた)職員であること、その入関年度と資格が原告ら主張のとおりであること(ただし、原告屋形修一は昭和三七年中級組とすべきである。)は認める。その余の事実は知らない。
(二) 同(二)の事実は認める。
2  請求原因2について
(一) 同(1)について
戦後再開された民間貿易の発展に伴って税関の業務量が増大したこと、原告組合がその主張のような活動を行ったことは認める。
当局は、業務量の増加に対応して職員を大量に新規採用するとともに、例えば、昭和三一年一月一〇日から輸出申告等を出航の二四時間前に申告させ、さらに昭和三三年七月一〇日からは出航の前々日までにさせるようにするなどして、事務の改善による職員の負担軽減を図った。
また、税関の物的執務環境は、戦後の復興期にあった当時の一般的社会的情勢を反映して、現在と比較すると万全とはいいがたい面もあったが、当時としてはひとり神戸税関の職員のみが劣悪な執務環境下におかれていたわけではなく、備品不足等により執務に支障をきたすようなことはなかった。
(二) 同(二)について
(1) 同(1)イ(年末年始休暇要求)について
神戸税関長が昭和三四年一二月七日、当時の原告組合支部長であった服部正治と全税関中央執行委員伊東信治を訓告に付したこと(ただし、伊東信治に対する訓告の日は昭和三四年一一月七日である。)は認める。
原告組合の年末年始休暇の要求については当局も可能な限り実現できるように努力していたところであるが、税関業務の停滞は関係業者に深刻な影響を及ぼすのみならず、国民生活全体に支障を及ぼすおそれがあり、年末年始といえども税関業務を完全に停止することは許されない(法令上、一月一日は執務時間外としての臨時閉庁制度(税関法九八条)が適用されるので、臨時閉庁の申請があれば平常どおり業務を行わねばならず、一二月二九ないし三一日及び一月二、三日は、行政需要があれば、上司は職務命令により必要に応じ職員に出勤を命じ、命令を受けた職員は右業務を行わなければならない。)。したがって、税関長は、行政指導として年末年始期間中の輸出入申告の自粛を求めることはなし得るが、それとても事前に関係業者に対する十分な説明とその納得を得ることが要請されるのであり、しかも、当時の社会情勢は年末年始期間の税関業務を完全に停止させることは困難な状況であった。ところが、原告組合は昭和三四年一一月一六日頃、支部長服部正治名をもって、通関業者に対し、昭和三四年一二月二九日から昭和三五年一月三日までの間の休暇は完全に休む旨及び年末年始の輸出申告書類は一二月二六日の執務時間中にするよう求める旨記載した書面を一方的に配付して関係業者等を著しく困惑、混乱させ、税関の信用を失墜させた。右訓告はこのような理由によるものであり、何ら違法不当ではない。
(2) (1)ロ(安保反対闘争)について
原告組合が原告ら主張の日に、その主張のような勤務時間内に食い込む職場集会を行ったこと、その主張の日に、神戸税関長が原告組合支部長服部正治ら組合幹部一四名に対し減給、戒告を行ったことは認める。
原告組合は、右税関長の事前の警告を無視して右の時間内職場集会を行い、このうち昭和三五年六月四日の集会においては本関の出入口にピケを張って、これを封鎖し、職員の登庁を妨害、阻止した。これを指導した組合幹部の行為は違法な争議行為をあおり、そそのかすものであり、職務専念義務違反にも該当するから、これを理由として行った右の処分に違法、不当はない。
原告らは、右時間内食い込み集会は安保国民会議等の全国統一行動の一環として行われたものであり、原告組合に対してだけ極端に重い処分がなされた旨主張する。しかし、統一行動としてなされた争議行為であるからといって違法性が阻却又は軽減されるものではないし、他関等で行われた争議行為の具体的規模、態様は不明であるから、原告組合の処分を受けた人数や処分の内容から原告組合にだけ極端に重い処分がなされたということもできない。
(3) (1)ハ(大塚事件)について
税関当局が、原告ら主張の日に、その主張の理由により、原告大塚宏圀に対し戒告処分を行ったことは認める。昭和三四年一〇月二七日、神戸税関監所において、走行してきた原告大塚、その知人で外国貿易船天栄丸の司厨長高島一志(以下「高島」という。)、同船船員江田ほか一名が乗っていたタクシーの後部トランクから外国製紙巻たばこ及び日本製たばこ「ピース」が発見されたほか、車内にあった風呂敷包みから外国製紙巻たばこが発見された。このうち右後部トランクから発見された紙巻タバコ等については右江田が密輸入しようとしていたことを自供したのでその日のうちに同人に通告処分したが、同人は直ちに帰郷しなければならないとのことであったので、後日再調査をすることにして当日の調査を打ち切った。その後出頭してきた同人について再調査をし、事件当時、タクシーを検問した職員から事情を聴取し、さらに外国からの帰国を待って高島を取調べた結果、原告大塚には、高島が右風呂敷包みのたばこを持ち出そうとしたことについて共犯の疑いが濃厚となった。しかし、原告大塚の供述と高島らの供述には不一致があり、この中には他に客観的証拠がないことから右原告の供述を直ちに排斥し難い部分もあり、さらに原告組合が同原告に対する取調べは組合弾圧であるとして抗議し、国会議員等も関与してきたため、当局は慎重に検討を重ねた結果、同原告に対し前記理由により処分することにしたものであり、処分の理由には何ら不当な点はない。また処分が昭和三六年八月一九日となったのも、取調べの経過等から、やむを得ないものであった。
(4) (1)ニ(懲戒免職処分)について
神戸税関長が原告ら主張のような神田支部長ら三名に対する懲戒免職処分を行ったことは認める。
右神田ら三名は右懲戒処分の無効確認又は取消しを求めて提訴し、一、二審判決は、右三名に違法行為があり、それが懲戒事由に該当するとしながらも、税関長がした懲戒処分は、裁量権を逸脱したものと判断して右処分を取消したが、最高裁判所は、右懲戒免職処分に裁量権濫用の違法はないとして、この部分に関する第一審の判決を取り消して神田らの請求を棄却した。
したがって、右三名に対する懲戒免職処分に違法がないことは確定している。
(5) 同(2)イ(職制層への脱退攻撃)について
神田支部長ら三名に対する懲戒免職処分をした後の一時期、税関当局が原告組合と団体交渉を拒否したことは認めるが、当局が職制層に脱退を働きかけたことはない。当局が原告組合と一時期、団体交渉をしなかったのは、当時の人事院規則一四―一〇第三項が「交渉は人事院に登録した職員団体によってのみ行われなければならない。」と規定し、右登録の要件に関し、「職員団体は構成員の中に非職員が含まれている限り職員団体として登録され得ない。」との人事院事務総長の公権的解釈が示されていたところ、原告組合が、昭和三七年二月一日に開かれた臨時大会において、免職された神田支部長ら三名を守っていくとする執行部原案を採択し、昭和三七年八月三一日に開かれた支部大会において「税関に在職している職員をもって組織する。」とされていた規約を「税関内に働く労働者をもって組織する。」と改め、もって右神田ら三名を組合規約上正式に組合の構成員として認知したため、原告組合と正式の団体交渉をすることができなくなったからである。もっとも、当局は、原告組合との事実上の交渉まで一切拒否していたわけではなく、総務部長らが適宜交渉に応じていた。
なお、昭和四〇年のILO条約批准に伴う国公法の改正により、一定の場合には懲戒免職者を構成員とする職員団体も登録資格を有するに至ったので、その後、税関長は原告組合と正式の団体交渉に応じている。
(6) 同(2)ロ(原告組合乗っ取り工作)について
昭和三七年二月一日の原告組合臨時大会において、免職された神田支部長ら三名を守って統一と団結を固め団体交渉を実質的に開かせていこうという執行部原案が可決されたこと、昭和三七年に税関各部に管理課が設置されたこと、その後「労研」が発足し、そのメンバーが原告組合役員選挙に立候補したことは認めるが、当局が総務課や管理課を中心に組織的に組合干渉をし、原告組合役員に労研メンバーを当選させて原告組合を乗っ取らせようと図ったことは否認する。
管理課は、業務量の増大及びこれに伴う機構の拡充が進むにしたがって税関業務全般にわたる総合調整機能の充実及び業務運営の円滑を確保するため管理機構の整備を図る必要が高まったことから、各部の事務の統一を図り、あわせて部内における指導、調整を果たす役割を持たせることを目的として、監視、業務及び鑑査の各部に設置されたものであり、原告組合の弾圧を目的として設置されたものではない。
(7) 同(3)(第二組合の結成)について
原告ら主張の時期に、その主張のように多数の者が原告組合を脱退したこと、その主張の日に神戸税関労働組合が結成されたことは認めるが、これに当局は関与していない。
このような大量脱退と新組合の結成という事態に至ったのは、原告組合の執行部及びこれを支持する組合員が一般組合員の希望、要求を十分掌握しないまま、あるいはこれを取り上げようとせず、自らの政治的主張及び組合運動論に基づいて組合の活動及び闘争を指導し、職場の現実的要求から遊離した政治的運動に走り、違法、過激な行動を繰り返したため、組合役員らの懲戒処分という事態に至って執行部のいきすぎの是正を求める声が公然化し、これが拡大してもなお十分耳を傾けようとしなかったことから原告組合を見限った組合員らが次々に脱退し、これらの脱退者が自主的に新組合を結成し、その活動に賛同する他の多くの脱退者を糾合していったことによるものである。
(8) 同(4)イ(総務、監視部門からの排除)について
当局が意図的に右の職場から原告組合員を排除したことはない。
税関長は、個々の能力、適性等を考慮して適材適所の人員配置を行っており、職員の組合所属の有無及び所属組合いかんは全く考慮要素となっていない。ただ、総務部門は税関業務全般にわたる総合調整機能を果たす役割を担っており、また、監視部門の職員は質問検査権などの広範な公権力行使の権限を行使して密輸の取り締まり等に当るものであるから、とりわけ規律の維持及び公務秩序の確保が要請される。したがって、そのような観点から公平適正な人事配置が行われる結果、たまたま上司の注意、命令に従わず、非違行為を繰り返していた原告らがその職員に配置されることが少なかったとしても、それは組合差別を理由とするものではない。
(9) 同(4)ロ(研修差別)について
税関研修所神戸支所の金田幹雄教務主任が神戸税関長に、原告ら主張のような内容の研修生推薦の依頼書を出したことは認めるが、その趣旨は原告組合員を普通科研修から排除しようとするものではない。また原告組合員が普通科、高等及び実務の各研修から排除されたこともない。
普通科研修については本件係争期間中二二名の原告らが、また、係争期間前に遡れば、計三二名の原告らが受講している。高等科研修の受講者は毎年全国で数十名にとどまっているから、たとえ原告らの中にこれを受講した者がいないとしても(普通科研修を終了していなくても勤務成績が優秀でこれと同等の能力があれば受講することができた。)、このことから高等科研修について差別されたということはできない。専門研修は、もともと研修の人員が限られ、希望者全員が受講できるわけではないばかりでなく、延べ一六一名の原告らが昭和三九年を除いて毎年これを受講している。
(10) 同(4)ハ(入寮差別)について
昭和四二年に垂水寮が完成し、当局が入寮者を募集したところ、原告組合は、当局が寮管理規則を制定したこと及び寮管理人を置くことにしたことに反発し、期限までに入寮希望を提出しなかった。そこで当局は、入寮希望を提出した職員及び新規採用職員二〇余名を入寮させることとし、これを前提に他の古い寮の取壊計画及び寮母の配置等を決定した。その後原告らが主張するように原告組合員が入寮を希望した事実があるか否かについては現時点では確認し得ていないが、仮にそのような事実があったとしても、各寮の存廃や人員配置等の全体計画が決定していた段階では、これを変更させるような入寮者の受け入れは困難である。これを入寮差別というのは、右の経緯を踏まえないものである。
なお、原告天野親聡は垂水寮に入寮している。
また、原告玉井が第一希望としていた中山手宿舎は、当局が宿舎法の趣旨に沿って深夜勤務、緊急出勤、交通スト及びその他の行政需要に対応することを念頭において貸与していた宿舎であり、原告らが主張する空室も、近く迫っていた人事異動のために必要なものであり、既に入居者が決っていたりしていたものである。このような事情や同原告の健康が甲子園宿舎から通勤可能であるまで回復したものと判断されたことなどが考慮され、第三志望である右宿舎が割り当てられたものである。
(11) 同(5)(庁舎管理規則による弾圧)について
当局が昭和三八年に庁舎管理規則を改定したことは認めるが、右改定が原告組合の組合活動を封じることを目的としたものであることは否認する。また、当局が、原告組合員が休憩時間中に組合活動として行った集会について中止、解散を命じたことや原告組合の掲示板の掲示物を撤去したことはあるが、私的に雑談をしているような場合に、これを組合活動と断定して中止、解散を命じたことはない。中止、解散命令は、庁舎等の使用の許可を受けないで行われた集会に対して行ったものであり、掲示板の撤去は、庁舎管理規則で掲示が禁じられている違法文書について、事前に撤去命令をしたうえで行ったものであって、いずれも違法不当なものではない。また、休憩時間中に雑談していた場合にまで組合集会であると断定して中止解散を命じたことの例として示されているものは、原告小林霞及び同前田信雄がその各本人尋問において供述する昭和四〇年八月二五日の兵庫埠頭出張所一階事務所におけるものと思われるが、それは組合活動の一環としての集会であり、参加者も右原告らが言うような二名ではなく、七名である。
庁舎管理規則制定の経緯等は次のとおりである。
神戸税関では、その管理運営する土地、建物、工作物及びその他の物的施設(これを「庁舎等」という。)の適正な管理と秩序維持を目的として昭和三四年一二月二四日、庁舎管理規則が制定されたが、この旧管理規則においては、庁舎等の目的外使用については許可を要し、庁舎等においては原則として所定の場所以外での掲示をしてはならず、所定の掲示場所であっても政治目的を有するもの、税関業務の運営を阻害するものは掲示してはならないものとされていた。そのほか、管理者等は、違反した掲示物を撤去できること、集団陳情を制限することができること、職員に対する面会を強要する行為、危険物を庁舎に持ち込みまたは持ち込もうとする行為、旗、のぼり、宣伝ビラ、プラカードを庁舎等において所持、使用、持ち込みをし、またはしようとする行為、庁舎等において文書、図書等を頒布、掲示し、またはしようとする行為、庁舎等において放歌高唱し、または練り歩くなどし、またはしようとする行為、庁舎内において座り込みその他通行の妨害になるような行為をし、またはしようとする行為については、これを禁止し、または庁舎等から退去を命じ得ることが定められていた。しかるに原告組合は、右規制に違反する行為を反復した。これを例示すると次のとおりである。①前記の昭和三五年六月四日の時間内食い込み集会の際、原告組合は本関の玄関等入口をピケを張って封鎖し、職員の登庁を妨害、阻止した。なお、右同日以降、安保統一行動日に、税関の玄関前に「安保反対!政暴法反対!物価値上反対!五〇〇〇円賃上げせよ!」等と記載した大きな懸垂幕を掲げた。②原告大塚に対し前記戒告処分を行った昭和三六年八月一九日、原告組合員約五〇名が官房主事室に押しかけ、その退去要求を無視して約半日間、実力で官房主事を同室内に閉じ込めたうえ、同室壁面に当局者を誹謗中傷するビラ多数を貼付した。③昭和三六年九月、原告組合は、組合員の配転反対闘争の一環として、本関職場内に「不当配転反対、人事の民主化をかちとろう」と記載した横約一メートル、縦約五メートルの横幕を掲げ、また、税関長室前で座り込みを行った。④前記のとおり原告組合は昭和三六年一〇月五日と同日二六日に、当局の警告及び職場復帰命令を無視して時間内食い込み集会を強行したほか、右一〇月五日の集会後に、三〇〇ないし四〇〇名の組合員がシュプレヒコールをしながら庁舎内デモを行った。⑤昭和三六年一一月二八日から昭和三六年一二月八日にかけて連日、税関長室前において座り込み闘争を行った。
このように原告組合が庁舎管理規則に違反し、庁舎等における秩序を混乱させるような行動を繰り返していたことや、右規則上、庁舎等の管理者は、本関庁舎等にあっては税関長、官房会計課長、支署、出張所及び監視署にあってはその長とされていたところ、広大な神戸税関の庁舎等を右の者らだけで管理することには無理があったことから、右規則を改定し、旧規則で管理者と定められた者を総括管理者と位置付け、各職場毎に使用責任者を置くこととし、右両者が協力して庁舎等の管理及び秩序維持に当たることとし、このほか、職員の遵守すべき義務をより具体的に定めたものである。
しかるに、原告組合は、鍵を借りる必要上会議室を使用する場合は別として、それ以外は組合活動として庁舎等で集会を行う場合には使用許可を得る必要はないとの見解に立って、庁舎等における無許可集会を反復した。しかし、たとえ組合活動の一環としての集会であり、かつそれが休憩時間中のものであったとしても、行政財産である庁舎等の行政目的外使用であることは明らかであり、組合活動であるために税関長の管理権が排除され、組合または組合員が庁舎等を利用しうる権限を取得し税関長がこれを受忍しなければならない義務を負うものではないから、組合活動のための庁舎等の使用について税関長またはその補助者の許可にかからしめることは当然許容されるものである。もっとも、組合または組合員の使用申請に対し、これを認めないことが権限の濫用に該当するような場合には、不許可措置が違法の評価を受けることになるが、原告らは前記のような見解に立って、そもそも使用許可申請をしなかったのであるから、権利濫用の問題が生じる余地はない。この点に関して原告らは、昭和四二年一二月、中突分会長をしていた原告深田辰次が執行委員会のため会議室の使用について許可申請をしたところ、当時の藤田総務課長がこれを握りつぶし、無許可集会を行ったとして会議を妨害した旨主張するが、事実は、右分会から一八時から二一時までの使用申請が出されたのに対し、庁舎使用責任者である総務課長が庁舎管理上の理由で二〇時までの使用に訂正して再申請するよう指示したところ、組合がこれを無視して再申請をしないまま集会を強行したものである。
(12) 同(6)(現認制度による弾圧・いやがらせ)について
上司は、部下職員の行為が公務員関係秩序の維持、確保に抵触し、あるいはそのおそれがあると判断した場合には、指導監督権を行使し、秩序の侵害の予防及び排除並びにその回復を行わなければならないし、当該行為者に対する将来の指導監督あるいは行為の責任を明確にするために報告書(現認書)を作成して自己の上司に対してその経緯を報告するのは職務上当然であり、何ら違法、不当なものではない。同様に、部下職員において、その勤務成績能力及び資質などを判断するうえで重要な言動があった場合、これを記録して報告することも職務上当然である。しかし、原告らが言うように一定の制度として「現認制度」なるものが存在するわけではなく、また、原告ら組合員についてのみ報告書(現認書)を作成していたわけでもない。
もっとも、昭和四八年末から画一的な様式の現認書が作成させるようになったが、それは現認制度が成立していたことを意味するものではなく、原告組合が余りに違法なプレート闘争を繰り返したため、管理職員の事務負担の軽減を図る必要に迫られたことによるものである。
(13) 同(7)イ(脱退攻撃)について
当局が脱退勧奨などを行ったことはない。
大山鑑査官が原告塩田に「そろそろ特昇の時期」である、と言うことは、特昇制度の趣旨からありえないことである。また、同原告は昭和三七年一月一日に特別昇給しているが、同原告が大山鑑査官から右のように言われたという昭和四〇年二月は右特別昇給から三年しか経過しておらず、七または一〇年に一回特別昇給をするのが職場の実態であるとする原告らの主張と矛盾するものである。
原告横江が輸出一課に配置換えになったのは昭和四〇年一一月一八日付で、当時の輸出一課長は徳村浩志であり、川又課長は同原告がそれまでいた輸出三課長であったから、この点に関する原告らの主張は事実に反する。仮にそのようなことがあったとしても、同原告は輸出一課に配置換えになる直前の昭和四〇年一〇月五日、マークリーダー処理に関し川又課長から注意を受けたことがあること及びその際の同課長の言葉からすると、同課長はそのような事実を踏まえて助言したものと解すべきである。
浜田支署長が主任を使って原告坂木柏や同原告の妻に脱退を勧める趣旨のことを言わせたというのは、あくまでも同原告の憶測にすぎない。仮に主任が、原告らが主張するようなことを言ったとしても、その内容などからすると、それは隣人の家族同士の全く私的付き合いの中で主任が同原告を思う気持ちから出たものと解される。
原告寺地健に関する主張は、その日時、場所、相手方等の具体的事実が不明であるが、仮にそのようなことがあったとしても、脱退を仄めかされたというのは、同原告が上司の言葉からそのように憶測したにすぎないものである。
原告間処康成に対する宮崎課長、金田課長及び原係長の言辞が仮にあったとしても、当時は同課長らは原告らと同じ組合資格を有する組合員であるから、宮崎課長が自分の所属している組合のことに関心を持つのは通常のことであり、また、職場の先輩が後輩に対し「何かあったら相談してくれ。」というのは社会通念上当然のことである。また、当時、職場では原告組合の過激で違法な闘争に大きな批判の声が起こり多くの職員が組合を脱退していった経緯があることなどに照らすと、金田課長や原係長は好意的に自己の見解を述べて忠告したものと考えるのが相当である。
一般的には、神戸税関では職員の遠隔地配転等の人事行政を円滑・適正に行うために日ごろから必要に応じて管理者が部下職員の身上把握を行ってきており、居垣税関鑑査官もこのような趣旨で原告青木俊夫に質問したものと推測されるが、仮に原告主張のような同鑑査官の言辞があったとしても、その内容は脱退を勧奨するようなものではなく、脱退を勧奨したというのは同原告の憶測でしかない。
原告田中範明の知人である塚本耕三、後輩の吉川勘造、大崎秀貴、及び同僚の宮本邦彦が当局によって脱退させられたとする主張は、同原告自ら経験した事実に基づくものではなく、これを裏付けるものもない。原告細川義信の友人島田善文に対し当局が脱退を強要したとする主張についても同様である。
原告原奉宣が勤務していた監視部警務第一課では巡察のいやがらせのために数多くの者が退職していった旨の主張は根拠のない一方的憶測にすぎない。同原告の供述によれば、退職したのは西尾作亜、高月壮平、藤原嘉朗であるというのであるが、同人らが退職したのは、それぞれ実家の家業を継ぐため、教師をめざして大学を受験するため、大学の昼間部に編入するためであった。
原告川上俊智に対する林和巳課長の言辞とされるものは、仮にそのようなことがあったとしても、同県人である先輩としての後輩に対する思いやりからなされた私的なものというべきである。
(14) 同(7)ロ(結婚妨害等プライバシー干渉)について
原告山岡荘太郎の婚約者の母親に対する矢野方一総務部秘書係長の発言は、婚約者の母親が矢野方を訪ねた際のものであること、矢野方一は、同原告と同じ組合員で、同原告の採用時の保証人であることなどからすると、仮に右発言の内容が原告ら主張のようなものであったとしても、それは同人の個人的見解を述べたものと解すべきである。
浪花武雄は原告脇岡秀年の上司ではなく、勤務場所も離れていて、同原告と職務上親しい関係にあったわけではない。このため、同原告の婚約については、たまたま用務で日東運輸の事務所に立寄った際に同所の人から聞いて初めて知ったのである。このような浪花が日東運輸の人に「婚約者から原告脇岡に原告組合を脱退するよう言ってほしい。」などと依頼することは到底考えられない。
(15) 同(7)ハ(不当配転といやがらせ人事)について
前記のように税関長は、行政需要に応じ、職員の能力、適性等を配慮しながら配置換えをしており、組合所属の有無及び所属組合のいかんは無関係である。
神戸税関は、広大な地域に多くの支署をかかえ、支署の業務も年々増加していたから多くの職員が支署勤務とならざるを得ず、当然のこととして原告ら以外の職員も多数支署に配置換えされている。ただ、原告組合の支部役員については、組合活動に支障が生じるおそれがあることを考慮して支署に配転しない取扱いをしていたが、右のような事情から分会役員等にまでこの取扱いをすることは極めて困難であった。
昭和三七、三八年の配転は、このように支署の事務量が増大し配転の必要性があったことから、当時の宿舎事情等を考慮して地元に近い支署に配置換えをしたものであり、原告らと同年代の非組合員も多数配転になっている。なお、当時、原告組合役員であったのは原告野口和正だけである。
原告牛込尹人への松山支署への配置換えが、同原告が三谷総務課長からの話し合いの要求を断ったことに対するいやがらせとしてなされた旨の主張は、同原告の憶測にすぎない。
原告天野親聡に対する配転内示は、支署の長期在任解消という当局の人事方針に基づいて行われたものである。そして、同原告の妻の出産から右内示まで約七週間(発令日まで八週間)あり、労働基準法六五条の趣旨に照らしても問題はなかった。また、同原告の妻が肺結核で入院する必要があることが判明したのは右内示をした後のことであり、配転の内示の撤回と同時に保税実査官昇任の内示も撤回されたのは、小松島支署のような小規模官署では等級別定数とかポスト等に制約があるためである。原告高須賀四郎が松山支署に六年も勤務したことについては、同原告が希望していたという事情によるものである。
(16) 同(7)ニ(差別によるみせしめ人事、いやがらせ人事)について
原告川上俊智が昭和四六年七月に特別昇給したのは、昭和四三年から昭和四六年には非違行為がなく、勤務成績も徐々に向上してきたためであり、全税関を脱退したためではない。
原告脇岡秀年は一〇年間東部出張所保税課にいたが、このようなことは同原告だけではなく、松井穏育も通算して一二年保税課に勤務した。
3  請求原因3について
(一) 同(一)(東京税関幹部会議議事録等)について
同会議資料については東京税関当局において調査したがその存在について確認できなかったものであるが、その入手経路及び内容等には次のような不自然なところがあり、信憑性がない。
すなわち、全税関副中央執行委員長である伊藤栄二は、同人に対する証人尋問において、右資料は全税関本部に郵送されてきた旨述べているが、郵送の方法、形態、差出人等については「人から聞いた話であるのでよく分からない」旨曖昧な供述をしている。また、文書全体は極めて不鮮明であり、形式も整っておらず、筆跡もまちまちで判読困難なものである。しかも、例えば①〈書証番号略〉の一番下の部分は単に(八)だけの記載で文章が全て書かれておらず、途切れた状態になっている。②〈書証番号略〉は、他の行政日誌の部長会議なるものの別紙とは著しく形態を異にしており、かつ、上部欄外のページが「(2)」から始まっており、一ページが欠けているなど内容上不自然なところが多い。
なお、右資料に書かれているような内容のことについて実際に議事が運営されたか否かを明らかにすることは、国公法一〇〇条の遵守義務に抵触することになるのでできない。
右資料に記載されていることが神戸税関でも実施されたとする原告らの主張は争う。
(二) 同(二)(全国税関総務部長・人事課長会議資料等)について
右資料についても、大蔵省関税局及び各税関において調査したが、その存在を確認することができなかった。しかも、右資料は、〈書証番号略〉には、「1開催予定等、2議題(案)」等と書かれ、〈書証番号略〉には「議題4特定職員の上席官昇任及び七級昇格について(別紙)」と書かれているが、その別紙である〈書証番号略〉には「議題3特定職員の上席官昇任及び七級格付等について」となっており、議題番号と表現が異なっていることからすると、実際に会議で使用されたものとは到底考えられない。なお、右資料に書かれていることについて実際に議事が運営されたか否かを明らかにすることができない理由は、前記のとおりである。
右資料に記載されていることが神戸税関でも実施されていたとする原告らの主張は争う。
4  請求原因4について
(一) 同(一)(2)について
(1) 昇任
国法上の任用制度は職階制と競争試験を基本的前提として組立られているが、職階制は現在まで実施されていないこと、国公法上、昇任は競争試験によって行うことを原則とし、競争試験が適当でない官職への昇任は選考によって行うことができるとされているが、税関においては昇任試験は実施されていないこと、選考の基準として人事院規則八―一二第四五条で、経歴、学歴、知識、技能、資格等を有するほか勤務実績が良好であることが必要である旨定めているところ、右規定は職階制が実施されていない段階では効力を持たないとされていることは認める。これらのことから、選考の基準としては昇格の基準を定めた人事院規則九―八第二〇条が類推適用され、勤務実績の良好であることは基準となし得ないとする主張は争う。また、神戸税関における昇任の運用の実態が、心身の故障がある者を除く多数の者が一定の幅をもった一定の期間中に昇任するものとなっていることはない。
神戸税関においては競争試験によらず、任命権者である税関長が昇格の選考を行っているが、前記人事院規則八―一二第四五条は、職階制が実施されていない段階で効力を持たないとされているものの、職員の任用は勤務成績又はその他の能力の実証に基づいて行うものとする国公法二三条、昇任は従前の勤務実績に基づく選考により行なうものとする同法三七条二項の成績主義、能力主義の基本原則を具現しているものと認められることから、選考にあたっては、同規則の趣旨をも考慮して選考対象者の経歴、学歴、資格、執務能力、人格、識見及び勤務成績を総合的に検討し、昇任の対象となる官職にふさわしい者を選考している。
(2) 昇格
昇格の基準として人事院規則九―八第二〇条で等級別資格基準表に定める資格(必要経験年数又は必要在級年数)を有していなければならないとされていること、現に属する職務の等級に二年以上(昭和六〇年の改正前)在級していなければならないとされていることは認めるが、勤務成績が良好であることは昇格の基準とされていない旨の主張は争う。昇格の基準としては、右の規則で定められていることのほかに、勤務成績が良好であることが明らかでなければならないとされている(右規則の運用についての通知、昭和四四年五月一日給実甲第三二六「第二〇条関係」)。
(3) 昇給
普通昇給が一二月を下らない期間を良好な成績で勤務したときに行われるものであること、特別昇給が、勤務成績が特に良好である場合に定数の範囲で行われるものであることは認めるが、神戸税関では、原告らが主張するように入関後五年を経過した職員についてはおおむね一定の間隔をもって順番に実施されたり、長期病気休暇により昇給が遅れた者の格差を調整するために実施されていることはない。
(二) 同(二)について
(1) 同(1)(差別のしくみ)は争う。
(2) 同(2)(損害の発生)
原告らの昭和三八年四月一日と昭和四九年三月三一日現在の等級号俸、その間の特別昇給、昇任昇格の有無とその年度が別表二昇給・昇格等一覧表記載のとおりであることは認めるが、原告らと同期同資格の非組合員との間で格差が生じていることは知らない。なお、被告が格差の存在について右のように不知と述べるのは、この点について積極的に認否をするとすれば、非原告職員の等級、号俸、昇任、昇給等について明らかにする必要があるところ、これを明らかにすることは人事制度の円滑な運用に支障を来すばかりでなく、国公法上の守秘義務に反することになるからである。
原告らのいう非組合員標準者は、入関年度及び入関資格のみを基礎とするものであり、しかも統計的実態等から設定された観念的指標にすぎないものである。これは、同期同資格の入関者は、任用上同じような処遇を受けるべきであるという見解に基づくものと思われる。しかし、成績主義を根本基準とする国家公務員の任用制度及び給与制度のもとにおいては、同期同資格者であっても個々の職員の勤務成績により昇格、昇給及び昇任の時期及び回数に差異が生じるのは当然のことであるから、同期同資格者を一定の集団とみなしその中で「標準者」なるものを設定するのは無意味であり、したがって、このような標準者と比較して格差の存在を論じることの合理的根拠は全くない。
仮に格差の存在を論じるうえでこのような入関年度及び入関資格のみを基礎とした標準者と比較対照することが不当ではないとしても、右標準者の等級号俸は高位に設定されており、その具体的設定方法に不合理な点がある。
5  請求原因5について
(一) 神戸税関長が原告主張のような目的をもって、その主張のような差別的扱いをしたことはない。
(二) 公務員の不作為が違法と評価されるためには、その前提として当該公務員に作為義務のあることが必要である。したがって、税関長の昇任、昇格、特別昇給等をさせなかった行為が違法であるというためには、税関長が原告ら各自に対し昇任昇格をさせるべき職務上の法的義務を負担していることが必要である。しかし、昇任、昇格、昇給制度の趣旨内容に照すと、これらについての任命権者の判断は固有の裁量行為に属し、税関長が原告ら職員に対し、昇任、昇格、昇給をさせるべき職務上の義務を負うことはあり得ないから、右の不作為が違法とされる余地はない。
同様の理由で、職員は昇任、昇格、昇給を請求する権利を有するものではなく、また、たとえ職員が、ある時期に昇任、昇格、昇給することを期待することがあるとしても、これは主観的期待にすぎないものであり、法的に保障されるべき利益と解することはできないから、原告らに、昇任、昇格、昇給についての被侵害利益は存在しないものというべく、この点からも税関長の不作為が違法とされる余地はない。
このように、任命権者には昇任、昇格等をさせるべき義務がなく、したがって、昇任、昇格等が当然になされるものでない以上、昇任、昇格等をさせなかったからといって、それが不利益に処遇したということにはならず、国公法一〇八条の七で禁止している不利益な取扱いに該当することもあり得ないというべきである。
6  請求原因6について
(一) 前記のように、昇任、昇格等について、税関長に作為義務がなく、また、職員にも右義務に対応する権利ないし法律上の利益はないから、そもそも、損害が生じているとはいえない。
(二) また、前記のように成績主義を根本基準とする国家公務員の任用制度及び給与制度のもとにおいては、同期、同資格者であっても、個々の職員の勤務成績等により昇給、昇格等に差異が生じるのは当然であるから、同期、同資格者を一定の集団とみなし、その中で標準者なるものを設定することは無意味であり、したがって、このような標準者を基準に損害額を算定することは合理的根拠がない。
一般に、財産的損害を受けたことによる精神的苦痛は、財産的損害が回復されることによって慰謝されるものと解すべきであるから、この点についての原告らの主張は失当である。
三  被告の主張
1  格差の合理性(差別扱いの不存在)
(一) 税関業務の高度の公共性
そもそも、国家公務員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、かつ、職務の執行にあたっては全力を挙げてこれに専念しなければならない(国公法九六条一項)ものとされ、多くの服務規律が設けられているほか、服務規律に違反した場合には懲戒処分を行うものとされている。
このように国家公務員に対し厳しい規定を設けているのは、右の勤務関係の特質から、その職責を全うするためには、国家公務員である職員が有能であるか否か、公正、誠実、勤勉であるかどうかということのほかに、職場の秩序が維持され、職員の能力が十分に発揮されるべき良き職場環境の確立が必要とされるからである。
とりわけ税関職員は、国の玄関において諸外国との間で輸出入される膨大な貨物についての審査、検査、許可を行い、その他貨物の輸出入に関する規制を最終的にチェックし、国民経済の円滑な活動と健全な発展に貢献するとともに、国民の健康、安全に寄与するという極めて公共性の高い重要な責務を負っている。これらの税関業務が十分機能しなければ、輸出入関係者へ深刻な影響を及ぼすだけでなく(このため、税関においては、関係者の要請があれば執務時間外であっても臨時に勤務するという他省庁に類を見ない関税法九八条の臨時開庁制度が認められている。)、我が国の国際的信用の失墜につながる恐れがあるし、また、銃器、覚せい剤等の国民の生命、身体の安全を脅かす有害物品、輸入規制品の国内への流入、戦略的物資の国外への流出、関税等の逋脱を招来しかねず、その影響は計り知れないものがある。これらのことを背景に、税関には法令上、貨物の輸出入の許可権限、外国貿易船等及び貨物の取締権限(質問検査、船内検査、見本採取権、検問、帳簿書類の検査権、貨物の施封権、車両の停止権を含む。)、貨物の輸入者等への質問検査権(いわゆる事後調査権限)、関税等の賦課徴収と滞納処分権限、保税上屋等の許可権限、犯則事件の調査、処分権限、通関業の許可権限など高度の公権力の行使が認められており、殊に麻薬、覚せい剤、武器等の密輸を水際で防止するため、これを摘発、検挙、調査、処分するという警察、検察権力に類似した強力な公権力の行使が認められ、さらに、一定の場合には武器の携帯及び使用さえも認められているほか、制服の着用が義務づけられている。
このような税関業務の持つ高度の公共性からすれば、税関の職場においては、一般の国家公務員に比して、公正、適正かつ円滑な業務運営の確保と職場秩序の維持ということが、さらに強く要請されているということができる。
(二) 非違行為等の存在
しかるところ、原告らは、本件係争期間中に、庁舎管理規則で定められている庁舎等使用についての許可を受けないで開かれた別表四集会一覧表記載の集会に参加し、当局の中止、解散命令にも従わなかった行為、勤務時間中に、組合の要求等を書いたリボン、プレート等を着衣につけ、あるいは同様の堅紙を机上に掲示することを繰り返し、上司の取りはずし等の命令や注意にも従わなかった行為、大勢で押しかけて所長等に面会を強要し、あるいは抗議を行って、当局の退去命令にも従わなかった行為、勤務時間中に無断で離席して当局の違法ビラ撤去に抗議し、上司の職場復帰命令にも従わなかった行為、勤務時間中のビラ配布や物品販売などの組合活動及びその他の非違行為がある。これらの非違行為は国公法上の服務規律に違反し、職場の秩序を乱し、税関の業務の円滑な運営を阻害するものであって、勤務成績の評価においてマイナスの影響を及ぼすことは当然である。
また、原告らは、人事院規則九―八第三四条及び第三八条に該当する長期病気休暇者延べ三三名(普通昇給延伸一五名、特別昇給適用除外一八名)を初めとして、病気休暇で一定期間勤務を欠いている者が多く、その他にも、遅刻、早退につながる「事故」「時間休」等が多く、総じて出勤状況は良好であるとはいえない。
原告らが主張する格差は、仮にそれがあったとしても右のような非違行為や出勤状況等が当該原告らの勤務成績あるいは昇任、昇格、昇給への選考に影響を及ぼした結果にほかならず、原告らが原告組合の組合員であるために差別扱いされたことによるものではない。
2  消滅時効の援用
原告らの損害賠償請求権が仮に存在しているとしても、このうち、その発生原因となった不法行為の日、すなわち各原告らが昇任、昇格、昇給等させるべきであったと主張する日が、原告らが本訴を提起した昭和四九年六月一一日より三年前の昭和四六年六月一一日以前のものは、すべて時効により消滅しているというべきである。
被告は本訴において右時効を援用する。
四  被告の主張に対する反論
1  格差の合理性の主張について
(一) 「非違行為」について
被告が庁舎管理規則違反であるとするものは、その大多数が組合活動の一環として行われた集会や打ち合せであり、原告らは組合員として、組合の指導のもとに参加したものである。このような集会等は、昭和三八年に庁舎管理規則が改定されるまでは何ら問題なく開かれていたのであり、日常の税関業務を阻害することもなかった。
また、リボン・プレート着用等も、原告組合の指令により組合活動の一環として行われた正当な組合活動である。しかも、このようなリボン着用等については、当時、各地の裁判所において、違法でないとする判断が示され、人事院も、全医労本部の照会に対する回答の中で同旨の見解を示していたのであり、当時は、全国的にリボン等闘争は非違行為と解されていなかった。当局が、当初は何の注意や命令を与えず、また、注意や命令をするようになってからも、当初はストライキ権の行使や政治的なものに限られ、しかも命令よりも注意を主流としていたのは、右のような事情があったからにほかならない。
私生活上の非行は、その程度が著しく悪質である場合に国公法の懲戒処分を受けることがあるが、原告らは、このような私生活上の非行を理由として国公法の懲戒処分を受けたことはなく、被告が非違行為とする原告らの私生活上の行為は職務と関係のない行為であるから、原告らが勤務成績不良を理由に差別を受けるいわれは全くない。
以上のとおり、原告らの行為はほとんどが正当な組合活動であり、私生活上の行為も懲戒事由に該当しないとるに足りない行為であり、差別を合理化しうる事情に該当しない。
(二) 因果関係について
原告らの昇任、昇格、特昇は、被告のいう「非違行為」とは無関係に実施されており、両者の間に因果関係はない。すなわち、原告らの中には非違行為が存在せず、あるいは極端に少ないにもかかわらず、昇任、昇格等で差別を受けている者がいる一方で、非違行為を行ったとされる時期に昇任、昇格、特昇等をしている者が少なくない。また、原告組合を脱退した翌々年に特昇したものもいる。
(三) 遅刻、早退、病気休暇について
年次休暇は、一般職の給与等に関する法律に規定された休暇の一つであり、その請求に対しては「公務の運営に支障がある場合を除き、承認しなければならない」ものとされており、承認権が羈束されている。また、特に必要があると認められるときは年次休暇を一時間単位でとることができることになっており、現実にもそのような休暇の取りかたが少なくない。
また、特別休暇は「選挙権の行使、結婚、出産、交通機関の事故その他の特別の事由により職員が勤務しないことが相当である場合」として人事院が規則で定める場合における休暇であり、これも権利として保障されているものである。
したがって、年次休暇や特別休暇をもって勤務成績において悪評価をしてはならないのであり、このことは、例えば家族の急病や交通機関のストライキなどにより事前の承認を得ることができず、定刻に出勤できなかった場合(このような場合は、出勤簿上、とりあえず「事故」扱いとなる。)であっても、事後に年次休暇または特別休暇としての承認(年次休暇については「公務の運営に支障がない」ものとして、時間休の場合はさらに、「特に必要がある」と認めて承認されることになる。)された以上、異なるところはないから、それが勤務成績に悪影響を及ぼすことはあり得ないし、そのように取扱ってはならないのである。病気休暇は権利として保障されているものであり、税関長や局長は、組合交渉の中で、「病気休暇は勤務成績に影響しないからどんどん休んで下さい。」と言明していた。また、歴代税関長も、体調を崩したときは気兼ねなく休める環境づくりをする。」と述べていた。
もっとも、病気休暇は、年次休暇や特別休暇と異なり、普通昇給等の欠格事由となることがあるが、このような欠格事由にあたらない程度の短期間の病気休暇は勤務成績に影響しないのが実情である。被告が主張するものは、わずかの期間の病気休暇を問題にしているものや、特昇の勤務評定期間とは異なる時期の病気休暇をとりあげているものが少なくない。
2  時効の主張について
(一) 神戸税関長は原告組合を嫌悪し、原告組合に所属している組合員たる職員に対する一貫した差別扱いの意思を持って、各原告らに対し昇任、昇格及び特昇等をさせず、あるいはその時期を著しく遅らせる等の不利益取扱いを行ってきたものである。税関長のかかる不利益扱いの意思は係争期間を通じて同一性を有し、かつ継続して存在したものであり、税関長は右の一貫した不利益扱いの意思により、原告らに対し昇任、昇格等の差別を反復継続してきたものであって、これは継続する一個の不法行為であるから、本訴提起当時においては未だ終了していない。
原告らは、昇任、昇格等に関し「ある特定の時期」を主張しているが、これは、もし税関長の差別扱いがなければ非組合員標準者との対比において、遅くともこの時期までに原告ら主張の昇任、昇格、特昇等が得られていたはずであるという意味である。
(二) また、不法行為による損害賠償請求権の消滅時効は、客観的に損害賠償を請求し得る状態になったときから進行する。しかるところ、人事考課や成績査定は任命権者の専権に属し、内容は完全に秘密とされ、しかもその基準や方法が明示されていないから、個々の職員にとってその不当性を的確に把握することは容易ではない。とりわけ、昇任、昇格、特昇等の差別は、当初はごく僅かな程度であり、長年にわたって累積して初めて格差の存在が明らかになるものである。そしてそれが組合所属を理由とするものであることを知るためには、原告組合と第二組合のそれぞれ所属する同期同資格入関者に対する系統的な調査が必要であるが、これは容易なことではない。さらに、かかる税関長の不当労働行為によって昇任、昇格、特昇等の差別が生じている疑いが生じても、当初は個別的な苦情の申立や労働組合として団体交渉により事態の究明を行うのが通例であって、訴訟による救済が可能な法的権利の存在を確信し得るにはなお時間的経過を要する。原告らが、神戸税関長の不法行為の実態とそれによる損害の概要を知ったのは、せいぜい本訴提起一年前頃(原告組合として本格的差別の実態調査を開始した時期)であり、消滅時効はこのときから進行を開始するというべきである。この点からも被告の消滅時効の抗弁は理由がない。
(三) さらに、神戸税関長の本件差別人事は、関税局の指導のもと、全国の税関長や幹部職員が共謀し、綿密な計画を立てて、長期間にわたり系統的に実施されてきた極めて悪質なものであり、国公法一〇八条の七に真っ向から違反するばかりでなく、憲法に保障された労働基本権や平等権を蹂躙するものである。しかも、神戸税関長を初めとする税関当局は、差別人事の疑いを持った原告組合や個人原告らの追求にも一切答えず、本訴提起の動きを察知するまで何ら是正の態度をみせなかった。これにより、原告らの被った損害は甚大であり、本訴提起のための調査は極めて困難であって、多大の労苦を費やした。
これらの事情に、原告らと被告との地位関係を併せ考慮すると、被告の消滅時効の援用は権利の濫用として許されないというべきである。
第三  証拠〈省略〉

理由
一  原告らの地位
原告組合が全税関の支部組織であること、その余の原告(ただし、原告横江和子及び同服部瑠璃子についてはその承継前の原告、以下これらを合せて「原告ら」という。)が係争期間において神戸税関に勤務していた職員であることは、当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、右原告らは原告組合の組合員であることが認められる。
二  本件の背景
〈書証番号略〉、証人中田一夫、同大西昭三、同亀岡孝雄の各証言、原告大塚宏圀(第一、二回)、同佐々木範明(第一、二回)、同服部正治各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
1  戦時中閉鎖されていた我が国の税関業務は、昭和二一年六月一日に再開された。当初は、密貿易の監視、取り締まりを主としていたが、民間貿易が昭和二二年八月に一部再開され、ついで昭和二五年一月に全面再開されて貿易量が次第に増大し、昭和三〇年代に入ってめざましい発展を遂げ、これに伴って税関業務は著しく増大し、内容も複雑化していった。
このため、神戸税関では輸出が集中する月末から月初めにかけて勤務時間終了後に残業し、休日にも出勤して通関業務を処理せざるを得ない状況にあった。このような状況は年末年始も同様であった。
原告組合は、昭和二二年に結成されたが、こうした中で昭和三三年頃から活発に活動するようになり、年末、年始休暇の確保、監視部(密輸取締部門)当直勤務者の休息時間の確保、出張所、支署における宿日直廃止、厚生係の昼休み時間の確保、警務職員、用務員の出勤時間の繰下げ及び備品の確保など職員の労働条件や職場環境の改善について当局と交渉し、一定の成果を収めた。
一方、神戸税関当局は、このような事態に対処するため職員の大量採用(昭和三一年四月一日現在一二〇一名であったが、昭和三六年四月一日現在では三三七名増加して一五三八名となり、昭和四一年四月一日現在では一五八名増加して一六九六名となった。)を行なうとともに、昭和三一年一月からは輸出申告を出航の二四時間前にさせるいわゆる二四時間制を実施し、さらに昭和三三年からこれを四八時間制に改めるなどして事務処理の改善による負担軽減に努め、その他事務の合理化にも力を注いだ。
2  原告組合は、全税関が昭和三三年に総評、国家公務員共闘会議に加盟したのを受けて、その頃、兵庫県総評、兵庫県公務員共闘会議に加盟し、これらの団体の統一行動として賃金問題のほか安保反対、政暴法反対、警職法反対などの政治闘争にも取組むようになった。そして、昭和三三年から昭和三四年にかけて行なった年末、年始休暇闘争の中で支援を受けたこれらの組織に加盟する労働組合や港湾関係労働組合など地域の労働団体との連携を強め、その後、これらの労働組合員がしばしば原告組合の行なう統一職場集会や当局に対する抗議行動などに参加するようになった。また、昭和三五年六月四日、同月一五日、及び同月二二日には安保改定阻止国民会議の安保改定反対統一行動の一環として勤務時間内に食込む早朝職場集会を行ない、同年七月九日、これを指導した組合役員が減給・戒告の処分を受けた。
3  安保改定反対闘争が一応終息した昭和三六年に入ると、原告組合は、昇格、昇給差別反対、職員の増員、労働条件の改善などの要求を掲げて実力行使を伴う激しい闘争を行なうようになった。例えば、同年七月七日には赴任旅費不足額の補償を要求して税関長官房主事宿舎前に終夜座込み、同年一一月二八日から同年一二月八日にかけて政暴法反対や昇給、昇格差別撤廃などを掲げて連日二五ないし一〇〇名位が税関長室前廊下に座込んだりした。同年一〇月五日と同月二六日には政暴法、勤評粉砕、一律五〇〇〇円賃上げ、計算センター設置反対などを掲げて勤務時間内に食込む職場集会を当局の警告や執務命令を無視して強行し、庁舎内をデモ行進するなどした。同年一一月一日から同月二日にかけては人員増員の要求を実現させるため担当職員に処理件数を故意に低下させたり、超過勤務命令に応じないようにさせたりし、同年一二月二日には右と同じ目的から輸出担当職員に対し超過勤務撤回願を一斉に提出させるなどの闘争を行なった(以上の詳細は後記のとおり。)。
また、原告大塚宏圀に対して懲戒処分がされた同年八月九日の午後〇時三〇分から同日午後五時頃までの間、原告組合員多数が官房主事室に集り、官房主事に罵声を浴びせるなどして激しい抗議行動を行なった(詳細は後記のとおり。)。
4  神戸税関長は、昭和三六年一二月一五日、前記闘争を指導した原告組合の支部長ら三名に対して懲戒免職処分を行ない、以後、職員でないものが役員に就任していることを理由に原告組合との正式の団体交渉を拒否するに至ったが、これらを契機として、組合内部に執行部批判の動きが表面化し、これらの者が神戸労働問題研究会を結成して昭和四七年六月と同年七月に行なわれた役員選挙に対立候補を出して争った。その後、右労働問題研究会と原告組合執行部は相互に激しい応酬をして対立を深めたが、このような中で、課長や係長などの中間管理職層の組合員があいついで原告組合から脱退し、ついで一般組合員の脱退も続出するようになった。そして脱退者は、労働問題研究会の構成員が中心となって神戸税関組合を結成した昭和三八年三月には約八〇〇名に達し、その後も脱退者が続いて両組合の勢力比は間もなく逆転するに至った。
5  その後、原告組合は、前記懲戒免職処分撤回の闘争などに取組んでいたところ、昭和三九年一〇月一日、昭和三四年四月一日に国家公務員初級職試験合格の資格で入関した原告組合員九名について在級期間を六か月短縮して七等級(以下、等級号俸は昭和六〇年改正前の一般職の職員の給与に関する法律(以下「給与法」という。)別表第一イ行政職俸給表一を表す。)に昇格させるいわゆる六短措置が行なわれなかった。また、昭和四一年四月には、原告組合員四名について普通昇給が延伸された。原告組合員に対するこのような昇格期間の不短縮の措置は昭和四〇年一月と昭和四四年一月にも行なわれ、昇給延伸は、昭和四一年四月、昭和四三年一月、同年七月、同年一〇月、昭和四四年四月及び同年七月にも行なわれたが、原告組合は、これは原告組合員に対する当局のいわれのない差別扱いであるととらえ、当局に対して強く抗議するなど差別撤廃の闘争に力を注ぐようになった。
また、昭和四二年頃から原告組合員特に昭和二六年頃に入関した原告組合員が昇任、昇格の差別扱いを受けているとして、これら組合員について昇任、昇格させるよう強く要求するとともに差別対策委員会を設置して昇任、昇格差別撤廃闘争に取組むようになり、昇任、昇格時期に向けて決起集会を開いたり、リボン闘争を行なうなどした。
6  このような差別撤廃闘争は、昭和四五年頃から全税関全体の闘争として行なわれるようになり、全税関は、地方からの上京団を組織して国会への請願や大蔵省関税局に対して是正を要求するなどの行動を行なった。また、昭和四七年一一月には総評、国公共闘に加盟している他の公務員労働組合とともに政府を相手としてILOに提訴した。
なお、右提訴の内容は、全税関の組合員は特別昇給を例外的にしか受けられず、幹部活動家は組合活動に積極的であることを理由に「勤務成績不良」とみなされ、定期昇給が三か月延伸され、組合員は思想穏健でないとみなされて研修、昇任、昇格、宿舎、住居移転を伴う配転などで差別扱いを受けているというものである。この提訴につきILO理事会は、昭和三八年一一月、結社の自由委員会の報告を採択したが、この報告の中では同委員会は、政府と全税関の各主張が大幅に食違っているため提訴された問題のすべてについて結論に到達することが困難であったとしながらも、他の事業に関し、または組合員の状況の組織に関する比較の統計から、反組合的行動が行なわれたように思われるとして、理事会が、いかなる反労働組合的差別待遇がおきないことを保障するため適切な措置を取るよう政府に要請することを理事会に勧告した。
7  このような差別撤廃闘争が高まる中で、昭和四七年頃、全税関全国大会において訴訟を提起することが論議され、原告組合は、その準備に取りかかり、昭和四九年に本件訴えを提起した。
三  昇給、昇格等の比較
1  原告らの昇給、昇格等
原告らの入関の年度と資格、係争期間開始時と終了時における等級号俸、右期間における昇任の時期とその職名及び昇格の時期が別表二昇給・昇格等一覧表記載のとおりであること、係争期間中の昇給、昇格の推移が別表三等級号俸推移表記載のとおりであることは当事者間に争いがない。
2  非組合員(原告組合員以外の職員をいう。)の昇給、昇格等
(一)  昭和二四年旧中・高校組(昭和二四年入関の旧制中学校・高等学校卒業者、以下、同様の表示をする。)
原告佐々木範明、同田村芳春各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員四八名(係争期間の一時期において組合員であった三名を含む。)は、その多くが昭和四一年から昭和四三年にかけて五等級に昇格し、二三名が昭和四七年に、三名が昭和四八年にそれぞれ四等級に昇格したこと、このうち昭和四七年まで原告組合員であった二名は、うち一名が組合員であった昭和四一年に五等級に、昭和四七年に四等級に昇格し、他の一名も昭和四三年に五等級に昇格したことが認められる。
しかし、右非組合員の係争期間終了当時の等級号俸についてはこれを認め得る証拠はない。
(二)  昭和二五年五級組(昭和二五年入関の国家公務員五級職試験合格者、以下、同様の表示をする。)
右原告本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員九名(昭和四九年に原告組合に加入した一名を含む。)のうち五名は昭和三八年に、残る四名は昭和四二年までに五等級に昇格し、八名が昭和四三年から昭和四七年までの間に四等級に昇格したこと、係争期間終了当時の等級号俸は、一名が三等級(号俸は不明)、一名が四―一四(四等級一四号俸、以下、同様の表示をする。)、一名が四―一三、五名が四―一二、一名が五―一五であることが認められる。
(三)  昭和二五年高校組
原告佐々木範明、同小林霞各本人尋問の結果とこれによって成立を認める〈書証番号略〉によれば、非組合員五六名中、大多数の四四名が昭和四四年までに五等級に昇格したことが認められる。
しかし、右非組合員の係争期間終了時点の等級号俸についてはこれを認め得る証拠はない。
(四)  昭和二五年中学組
原告田村芳春本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員四名のうち三名は昭和四七年に、残る一名は昭和四八年に五等級に昇格したこと、係争期間終了当時の等級号俸はいずれも五―一〇であったことが認められる。
(五)  昭和二六年六級組
原告服部正治本人尋問の結果と〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、非組合員一八名(係争期間中に原告組合を脱退した二名を含む。)のうち右の二名を除いた一六名は昭和四〇年五月一日までに監査官など四等級相当職に昇任し、昭和四五年七月一日当時においては大多数の者が課長や統括官など三等級相当職に昇任し、右昇任と同時に右各等級に昇格していたことが認められる。
しかし、右非組合員らの係争期間終了当時の等級号俸については、これを認め得る証拠はない。
(六)  昭和二六年五級組
原告佐々木範明、同田村芳春各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員一一名は、昭和四二年までに全員五等級に昇格し、昭和四七年までに八名が四等級に昇格したこと、その係争期間終了当時の号俸は、一名が四―一三、二名が四―一二、六名が四―一一、一名が五―一五、一名が五―一四であることが認められる。
(七)  昭和二六年旧専組(昭和二六年入関の旧制専門学校卒業者。)
右(六)の証拠によれば、非組合員二名は、昭和四八年と昭和五〇年とにそれぞれ四等級に昇格し、係争期間終了当時の等級号俸は四―一一と五―一四であったことが認められる。
(八)  昭和二六年高校組
原告佐々木範明、同前田信雄各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員一二〇名のうち一一二名は昭和四五年までに五等級に昇格したことが認められる。
しかし右非組合員の係争期間終了時の等級号俸については、これを認め得る証拠はない。
(九)  昭和二七年四級組
原告佐々木範明、同間処康成各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員二名は、昭和四七年に五等級に昇格したことが認められる。
しかし、右非組合員の係争期間終了当時の等級号俸については、これを認め得る証拠はない。
(一〇)  昭和二七年高校組
右(九)の証拠によれば、非組合員六四名のうち五〇名は昭和四六年までに、一〇名は昭和四八年までに五等級に昇格していることが認められる。
しかし、右非組合員の係争終了当時の等級号俸については、これを認め得る証拠はない。
(一一)  昭和二八年五級組
原告佐々木範明、同田村芳春各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員二名はいずれも昭和四三年に五等級に昇格したこと、その係争期間終了当時の等級号俸は、一名が四―一一、一名が五―一五であったことが認められる。
(一二)  昭和二八年高校組
原告佐々木範明、同津村勝次各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員六七名のうち三二名は昭和四六年一二月一日までに、三一名は昭和四八年二月一日までに、五等級に昇格していたことが認められる。
しかし、右非組合員の係争期間終了当時の等級号俸については、これを認め得る証拠はない。
(一三)  昭和三〇年四級組
右(一一)の証拠によれば、非組合員三名のうち二名は昭和四七年に、一名は昭和四八年に五等級に昇格したこと、その係争期間終了当時の等級号俸は、それぞれ五―一一、五―一〇、五―九であったことが認められる。
(一四)  昭和三二年四級組
原告佐々木範明、同高須賀四郎各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員三七名のうち一七名は昭和四八年八月一〇日までに、一九名は昭和四九年八月八日までに五等級に昇格したことが認められる(一名は不明)。
しかし、右非組合員の係争期間終了当時の等級号俸については、これを認め得る証拠はない。
(一五)  昭和三二年高校組
右(一四)の証拠によれば、非組合員三名は、いずれも昭和四九年八月八日までに五等級に昇格したことが認められるが、その係争期間終了当時の等級号俸については、これを認め得る証拠はない。
(一六)  昭和三三年中級組
該当者の存在は不明である。
(一七)  昭和三三年初級組
原告佐々木範明、同田村芳春本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員一三名の係争期間終了当時の等級号俸は、一一名が六―一〇、一名が六―九、一名が六―七であることが認められる。
(一八)  昭和三三年高校組
右(一七)の証拠によれば、非組合員一四名の係争期間終了当時の等級号俸は、九名が六―九、四名が六―八、一名が六―五であることが認められる。
(一九)  昭和三三年中学組
該当者の存在は不明である。
(二〇)  昭和三四年初級組
原告佐々木範明、同柳沢尚各本人尋問の結果と〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、非組合員一九名の係争期間終了当時の等級号俸は、一〇名が六―九、七名が六―八、一名が六―六であることが認められる(一名は不明)。
(二一)  昭和三四年高校組
右(二〇)の証拠によれば、非組合員五名の係争期間終了当時の等級号俸は、二名が六―八、二名が六―七、一名が六―六であることが認められる。
(二二)  昭和三五年初級組
原告佐々木範明、同田中範明各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員九名(元原告であった一名を除く。)の係争期間終了時の等級号俸は、五名が六―八、四名が六―七であることが認められる。
(二三)  昭和三五年高校組
右(二二)の証拠によれば、非組合員一六名の係争期間終了当時の等級号俸は、四名が六―七、八名が六―六、三名が六―五であることが認められる(一名は不明)。
(二四)  昭和三六年初級組
原告佐々木範明、同長谷川紀彦各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員二七名の係争期間終了当時の等級号俸は、二名が六―八、一一名が六―七、一〇名が六―六、四名が六―五であることが認められる。
(二五)  昭和三六年高校組
原告佐々木範明、同田村芳春各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員二二名のうち五名は昭和四七年に、一五名が昭和四八年に六等級に昇格し、係争期間終了当時の等級号俸は、五名が六―六、一五名が六―五、二名が七―七であることが認められる。
(二六)  昭和三七年初級組
原告佐々木範明、同原泰宣各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員三五名(昭和三九年一月に中級職に任用換えになった二名を除く。)のうち大多数の者は係争期間終了後の昭和五一年と昭和五二年までに五等級に、昭和五六年から昭和五八年までに四等級に昇格したことが認められるが、係争期間終了当時の等級号俸については、これを認め得る証拠はない。
(二七)  昭和三七年高校組
原告佐々木範明、同田村芳春各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員一〇名の係争期間終了当時の等級号俸は、全員七―七であることが認められる。
(二八)  昭和三八年初級組
原告佐々木範明、同田村芳春各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員二七名(係争期間終了後に脱退した二名を除く。)の係争期間終了当時の等級号俸は、一名が六―六、二一名が六―四、三名が七―七、一名が七―六であることが認められる(一名は不明)。
(二九)  昭和三九年中級組
(二六)に記載した証拠によれば、非組合員は二名いることが認められるが、その係争期間終了当時の等級号俸は不明である。
3  格差について
以上の事実に基づいて、原告ら組合員と同期、同資格の非組合員をそれぞれ集団として対比(ただし、該当する非組合員のない昭和三三年中学組については最も近いとみられる昭和三六年高校組と対比)してみると、入関年次、資格間で程度の違いがあるものの、係争期間の終了時である昭和四九年三月三一日の時点において、原告組合員は非組合員より昇任、昇格、昇給が遅れ、両者間に格差が生じていることが認められる。
四  任用と給与制度について
原告らは、前記のような給与上の格差が生じたのは、神戸税関長が原告組合に所属していることを理由として、原告らについて、昇格につながる昇任を遅らせたり、双子号俸の上位になるまで同一等級に留めるなどして昇格を遅らせ、昇格の期間について短縮の措置を行わなかったり、延伸するなどして普通昇給を遅らせ、あるいは特別昇給をさせないなどの差別扱いをしたことによって生じたものである旨主張するので、まず国家公務員の昇任、昇格、昇給制度について概観する。
1  昇任
(一)  昇任とは、狭義では法令によって公の名称が与えられている上位の官職に任命することである。したがって、昇任は任用の制度であり、給与制度である昇格や昇給に直接結びつくものではないが、職務職階制を指向する給与制度のうえで昇格と密接な関係がある。
(二)  昇任を含む任用一般について、国公法三三条一項は成績主義の基本基準を定め、同法及び人事院規則の定めるところによりその受験成績、勤務成績又はその他の能力の実証に基づいて行なうものとし、この根本基準に基づいて昇任について同法三七条一項では競争試験によることを原則としつつも、同条二項で例外として当該在職者の従前の勤務実績に基づく選考により行なうことができるものとしている。
なお、昇任については、昇格や特別昇給と異なり法令上の定数の制約は定められていないが、その性質上、機構上の定数の制約を受けることは当然である。
(三)  神戸税関では、職員の昇任は任命権者である税関長の選考によって行なわれている(このことは当事者間に争いがない。)ところ、弁論の全趣旨によれば、選考の基準として特に明文の定めはなく、対象者の経歴、学歴、資格、執務能力、人格、識見のほか勤務成績を総合的に判断して行なっていることが認められる
(四)  原告らは、昇任は昇格と密接に結びついており、人事院規則(以下「規則」という。)八―一二の運用通知で昇任の定義に昇格を含ませていることなどから、昇任については、昇格の基準を定めた規則九―八第二〇条を類推するのが国公法三六条二項、三七条三項の趣旨に適合するとして、昇任の選考の基準としては、当該職員が合格した資格試験と学歴、免許別に定められている必要経験年数及び必要在級年数などの客観的なものに限られるべきであり、勤務実績が良好であることは、昇任の基準とはなしえない旨主張する。たしかに、昇任が昇格と密接に関係していることは前記のとおりであり、規則八―一二の運用通知で昇任の定義に昇格を含ませていることも原告ら主張のとおりである。しかし、国公法三三条一項にいう「勤務成績」及び同法三七条二項にいう「勤務実績」とは、いずれも職員の過去の勤務上の実績をいうものと解されるところ、同法七二条は職員の執務について所属庁長において定期的に評定を行なうものとし、規則一〇―二第二条一項は、勤務評定は、職員が割当てられた職務と責任を遂行した実績を当該官職の職務遂行の基準に照して評定し、並びに執務に関連して見られた職員の性格、能力及び適性を公正に示すものでなければならないとしていることに鑑みると、当該職員の勤務実績が良好であることは、当然選考の主要な基準とされるというべきであり、原告らの右見解は採用できない。
2  昇格
(一)  昇格は、職員の職務の等級を同一の俸給表の上位の職務の等級(昭和六〇年の俸給表改正後は「職務の級」)に変更することである。
(二)  職員の職務は、その複雑、困難及び責任の度合いに基づいて分類され、この分類の基準となるべき標準的な職務の内容を人事院が定めるものとされ(給与法六条三項)、これを受けて規則九―八別表第一・等級別標準職務表(第三条関係)が作成されている。
したがって、職員の職務の等級の決定(昇格)は、右の等級別職務標準表に基づいて行なわれることになるから、同表に分類された職務に昇任しなければ昇格しないことになる。
(三)  昇格は、右のように等級別職務標準表に基づいてなされるが、人事院が予算の範囲内で定めた等級別定数の制約を受けるほか、昇格させようとする職員が規則九―八別表第二・等級別資格基準表(第五条関係)において定められている資格、即ち必要経験年数又は必要在級年数を有していること(右規則第二〇条一項二号)及び勤務成績が良好であることが明らかであること(右規則の運用基準についての通知、二〇条関係)が必要とされている。
したがって、上位の職に昇任しても、昇格しないことがある。
3  昇給
(普通昇給)
(一) 職員が一二か月を下らない期間を良好な成績で勤務したときに行なうことができると定められている昇給(給与法八条六項)である。
(二) 右の勤務成績が良好であることは、当該職員について監督する地位にある者の証明を得ることが必要とされている(規則九―八第三四条一項)が、停職、減給又は戒告の処分を受けた職員及び昇給期間の六分の一相当の期間の日数を病気休暇、欠勤等により勤務していない職員は、一律に右の勤務成績についての証明が得られないものとして扱うものとされている(右規則三四条二項)。
なお、右の勤務成績の証明は、勤務評定記録書その他の勤務成績を判定するに足ると認められる事実に基づいて行なうものとされている(前記規則の運用についての通知、三四条関係)。
(三) 昇格後の最初の昇給期間については、昇給直前の等級号俸にあった期間が短縮される。しかし、いわゆる双子号俸の下位の号俸から昇格した場合は、昇格直前の等級号俸の期間が六か月を超える場合に限り三か月短縮されるだけである。また、上位の号俸から昇格した場合は直前の等級号俸にあった期間がすべて短縮されることになっている(昇格後の号俸は一号俸下の双子下位の号俸から昇格した場合と同じである、右規則三一条一項)。
したがって、双子号俸から昇格した者は、双子号俸の直近下位の号俸から昇格した者に比べ三ないし一二か月昇給が遅れることになる。
(特別昇給)
(一) 特別昇給(規則九―八第三九条の研修、表彰等によるもの及び同規則四二条の特別の場合のものを除く)。は、勤務評定による勤務成績にかかる評語が上位の段階に決定され、かつ執務に関連してみられた職員の性格、能力及び適性が優秀であるなど、職務成績が特に良好である場合に、特別昇給定数(昭和三五年度から昭和四二年度までは毎年定員の一〇パーセント、昭和四三年度以降は一五パーセントを超えない範囲内で、各省庁ごとに人事院が定める。)の範囲内で、その昇給期間を短縮して直近上位の俸給額に昇給させることである(給与法八条七項、規則九―八第三七条一、二項)。
そして、右の「上位の段階」に評定される職員の数は概ね一〇分の三以内とされている(前記運用についての通知三七条関係2)。
(二) しかし、懲戒処分を受けて当該処分の日から一年を経過しない職員や昇給の時期一年において勤務しなかった日が三〇日を超える職員は特別昇給をさせることができないとされている(右規則三八条)。
4  昇任、昇格、昇給の裁量性
(一) 以上のような国家公務員の任用及び給与制度の趣旨、内容からすると、昇任は当該職員の能力、勤務実績等に照し、昇任すべき上位の官職に適するか否かという観点から、機構上の定数枠の範囲において対象者を選定するものであり、昇格は、等級別資格基準表に定められた資格を有する職員の中から、職務の内容、責任の程度のより大きい上位の等級に昇格させるのが適当であるかどうかという観点に立って、当該職員の能力、勤務実績に照して定数枠の範囲において昇格させるべき者を決定すべきものであるから、これらの判断はいずれも任命権者の裁量に任されているものと解すべきである。そして、その範囲は、職務の困難性、責任の度合いの高い上位の官職等級への昇任昇格になるほど、より広くなるものというべきである。
普通昇給は、定数枠の制約はないものの、法規の規定の仕方からすると、一二か月を下らない期間を勤務した職員を必ず昇給させなければならないものではなく、昇給させるかどうかの判断は、その範囲は狭いとはいえ、なお任命権者の裁量に任されているものということができる。
特別昇給が任命権者の裁量行為であることは、制度の趣旨と法の規定の仕方から明らかである。
(二)  この点に関し原告らは、神戸税関においては心身の故障等により長期欠勤したような特別の者を除いて一定の期間内に昇任し、主任又は係長相当職に昇任した場合には二年以内に五等級に昇格し、課長相当職に昇任した場合には殆ど同時に三等級に昇格するという運用がされてきた旨、また、特別昇給については、入関後一定の年数を経過した職員について定数の枠内において概ね順番に実施されてきた旨主張する。
原告らの右主張は、昇任・昇格及び特別昇給が勤務成績に関係なく、経験年数によって一律に実施されてきたという趣旨であるとみられるところ、主任等係長相当職に昇任した場合には、年度による差異はあるものの、ほぼ一、二年後に五等級に昇格していたことは前掲各甲号証(役職等級等一覧表)によって認められ、課長(税関監査官などの専門職を含む。)に昇任した場合には昇任とほぼ同時に四等級に昇格していたことは被告の認めるところである。しかし、右甲号各証によれば、非組合員でも、比較的下位の五等級職への昇任、昇格などでは同期、同資格の者が三年程度の幅をもった時期に集中して行なわれているものの、職務の複雑困難性や責任の度合いが大きい上位の官職等級への昇任、昇格においてはかなりのばらつきが生じる傾向にあることが認められ、必ずしも原告らが主張するように経験年数によって一律に実施されてきたということはできない。
また、弁論の全趣旨によれば、特別昇給についてはある程度の年功序列的運用がなされていたことが窺われるが、そうであっても特別昇給がその制度の趣旨を逸脱して経験年数のみにより一律に実施されていたというものではないから、前記の裁量性に変りはない。
5  昇任、昇格、昇給の裁量権の濫用と不法行為の成否
(一) このように、昇任、昇格、昇給をさせるかどうかの判断は任命権者の裁量に属する(人事院規則で定められた資格要件による制約を受けることは当然である。)ものであるが、右裁量権の行使が、労働組合に所属することを唯一の理由(非組合員に比べて能力、勤務実績に格別の差異がないのに)としてなされるなど、国公法二七条の平等取扱の原則、同法一〇八条の七の不利益取扱禁止の原則に反するものであるときは、昇給、昇格等をさせなかったことが昇給、昇格等の期待利益を侵害するものとして、右不利益を受けた者に対する不法行為を構成するとともに、労働組合との関係においても、その団結権を侵害するものとして不法行為になるものというべきである。
この点について被告は、昇任、昇格及び昇給をさせるべきかどうかの判断が裁量行為である以上、そもそも任命権者に昇任、昇格等をさせるべき行為義務が生じる余地はないとして、その不作為が裁量権濫用として違法となることはない旨主張する。しかし、右のように能力や勤務成績に差がないのに組合所属を理由として昇任、昇格、昇給をさせないことが許されないものである以上、全体として定数枠等による制約はあるものの、他の非組合員と同様に昇任、昇格、昇給をさせなければならない義務があるものと解され、これに反した取扱をした場合には裁量権の濫用となるものといわなければならない。
(二) しかるところ、昇任、昇格、昇給の制度が右のように能力や勤務成績を反映させるものとなっている以上、個々の組合員が他の非組合員に比べて昇任、昇格、昇給において差別扱いを受けたというためには、当該組合員について、比較の対象とされた非組合員との間で勤務実績や能力等に差がないことが個別的、具体的に立証されなければならず、前記のように集団としての原告組合員と同期、同資格の非組合員との間に昇任、昇格、昇給の格差が存在していることから直ちに原告ら各自について、組合員であることを理由とする差別扱いがなされたということはできない。
もっとも、右格差を生じる主要なものの一つと考えられる特別昇給において、一定の限度で年功序列的運用も行なわれていることに鑑みると、右のような集団としての対比における格差が存在することは、それ自体として、原告組合員に対して差別扱いがなされたことを窺わせるものというべく、また原告らが主張するその他の差別扱いの事実も、もしそれが認められるとすれば昇任、昇格、昇給における差別扱いの存在を窺わせる有力な事情となる。
しかし、一方、成績主義を基本原則とする任用及び給与制度のもとにおいては、入関資格や経験年数が同じであっても、年数を経るに従って勤務実績に相応した格差が生じることになるのは当然のことであり、また、病気休暇や懲戒処分など昇給の障害事由や非違行為など昇任、昇格、昇給の基礎となる勤務実績の評価に影響を及ぼす事情があれば、その分だけ右の推定も覆されることにならざるを得ない。
そこで、以下これらの事情について検討する。
五  原告組合に対する攻撃、組合員に対する差別扱いについて
原告らは、本件の昇任、昇格、昇給における差別扱いのほかに、原告組合や組合員に対する様々な攻撃や差別扱いがなされ、本件の昇任、昇格、昇給における差別扱いは、これら原告組合や組合員に対する攻撃の一環としてなされたものである旨主張するので、まずこの点について検討する。
1  組合役員に対する処分等
(一)  支部長服部正治に対する訓告(年末、年始休暇闘争)
〈書証番号略〉によれば次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
原告組合は、昭和三三年の年末、年始休暇闘争において税関当局が来年度(昭和三四年度)は速やかに慎重に対策を検討して職員が休めるよう努力する旨言明したのにかかわらず、何らの具体策も示さないとして、昭和三四年一一月一一日頃、支部長服部正治名で通関業者に対し、同年一二月二九日から昭和三五年一月三日までの間は完全に休むことを決定した旨及び年末年始の輸出入申告書は一二月二六日(土曜日)の執務時間中に提出するよう求める旨を内容とする書簡を送付した。一方、当局は、昭和三四年一二月一日付で、本年一二月三〇日から新年一月四日までに船積み予定の輸出貨物の申告書の受理は原則として本年一二月二九日までとする旨を掲示するとともに、関係業者に対して早期出荷、早期申告について強く要請したが、一二月七日、この決定に先立って原告組合が当局の右決定と相違する内容の文書を配付して業者に不必要な動揺を与えたとして原告組合に再びこのようなことのないよう慎まれたい旨の警告を発するとともに、支部長服部正治が、あたかも年末年始の税関業務が停止されるかのごとき疑惑を抱かせて税関の信用を著しく失墜させたとして、同人を訓告(矯正措置)に付した。
右事実によれば、原告組合が通関業者に送付した書面は、表題が協力要請の形を取っており、その文中にも同様の文言が用いられてはいるものの、これを全体としてみれば、年末年始の通関業務が一切停止されることになったと受取られるに充分なものであって、税関当局が示した前記決定に反するものであるから、関係業者に無用の混乱を招く虞のあるものというべきである。もっとも、原告組合が右の書簡を発したのは、右書簡〈書証番号略〉に記載されているように、当局が前年の交渉において、慎重に対策を検討し、昭和三四年度は職員が休めるよう努力する旨言明したにもかかわらず、現在に至るも何ら具体策を示さなかったということが理由とされている。
しかし年末年始を休みにして税関業務を停止することは関係業者に影響を及ぼすことが大であり、これらの業者の理解と協力がなければ実現が困難であると考えられるところ、〈書証番号略〉によれば、原告組合の行なった年末、年始休暇闘争に関して、貿易団体の代表者が大蔵大臣に対し「神戸税関は大政官布告をタテに年末を休むので業者が困っている」旨詰め寄ったことが認められ、これによれば、当時の状況としては、年末年始を完全に休むことについては関係業者の充分な理解と協力を得ることは困難であったことが窺われるから、原告組合がこのような事情を無視して一方的に前記の書簡を発したことは、その意とするところは理解できるとしても行き過ぎたものといわざるを得ず、正当なものとはいえない。
したがって、税関長が文書の責任者である支部長を訓告に付したことは正当な理由に基づくものであり、これをもって原告組合に対する不当な攻撃であるということができない。
(二)  支部長服部正治に対する懲戒処分(安保闘争)
〈書証番号略〉、証人亀岡孝雄の証言によれば、原告組合は、昭和三五年六月四日、税関長の事前の警告を無視して本関や中埠頭出張所など四か所において、安保国民会議、国公共闘会議の統一行動として、午前八時三〇分頃から同九時三〇分頃までの間、安保反対、国会解散の要求を掲げて勤務時間に食込む職場集会を行ない、本関においては出入口にピケを張って職員の登庁を阻止したこと、また、同様の時間内に食込む職場集会は同月一五日と二二日も行なわれたこと、これに対し当局は、同年七月九日、当時の原告組合支部長であった服部正治ら組合役員一四名を減給又は戒告の懲戒処分に付した(右処分関係に就いては当事者間に争いがない。)ことが認められ、右認定に反する証拠はない。
右事実によれば、右集会で指導的役割を果した原告組合役員らに対し当局が懲戒処分を行なったことは正当な理由に基づくものであるというべく、これをもって原告組合に対する不当な攻撃であるということができない。
原告らは、右の集会は安保国民会議、国公共闘会議等の全国統一行動としてなされたものであり、同様の集会は他の税関や他の官庁でも行なわれたが減給処分がなされたのは神戸支部の七名と横浜支部の二名だけであるとして、原告組合に対してだけ極端に重い処分がなされた旨主張する。しかし、他の税関における集会の具体的な規模、態様等については不明であるから、単なる処分内容や被処分者の人数の比較だけから特に原告組合に対し厳しい処分がなされたということはできない。
(三)  原告大塚宏圀に対する懲戒処分(密輸事件)
(1) 神戸税関長が昭和三六年八月一九日、原告大塚宏圀に対し、同原告が昭和三四年一〇月二七日に外国貿易船天栄丸の高島一志を同船に訪れて一緒に下船した際、右高島が米国製たばこ等の密輸出を企てて携帯しているのを知り得べき立場にありながらこれを確知することなく、税関職員としての適切な助言指導を怠り、かつ陸務課の検査に協力しなかったことは税関職員たるにふさわしくない行為にあたるとして、懲戒(戒告)処分をしたことは、当事者間に争いがない。
(2) 〈書証番号略〉、証人篠原正晴の証言及び原告大塚宏圀本人尋問の結果によれば、右処分に至った経緯等は大要次のとおりであったことが認められ、この認定に反する証拠はない。
すなわち、昭和三四年一〇月二七日午後六時過ぎ頃神戸税関本庁前監所において勤務中の監視部陸務課陸務係職員小林暉和が走行してきた原告大塚、外国貿易船天栄丸の船員高島一志、同江田敏男ほか一名が乗車したタクシーを停車させて検問したところ、後部座席左側に座っていた原告大塚は、その右隣に座っていた高島との間の足許に置いてあった風呂敷包を手に持って下車し、そのまま旅具課に向った。右風呂敷包には米国製たばこ二カートン及びキスチョコレートが入っており旅具課で原告大塚からこれを受取った高島が輸入許可の申告をした(当時本邦の港に入港した船舶の船員が外国製品を携帯品として持出すには、予めリストを提出して旅具課の許可を受け、持出す際にはこれを監所の係員に示すことが必要とされていたが、右たばこは数量が多いため正規の手続をとっても許可にならないものであった。)が、結局旅具課の指示により高島が天栄丸に持帰った。一方、右タクシーの後部トランクから厳重に梱包された外国製紙巻たばこ及び日本製免税輸出用たばこが発見され、江田が自分が密輸入しようとした旨自供した。しかし、同人は、結婚式に出席するため急いで九州に帰らなければならない事情があったので、審査課は同人に対し通告処分をしたうえ、後日、改めて詳しい調査をすることとして帰らせた。その後、同年一一月中旬頃、出頭して来た江田を取調べたところ、同人が高島と共謀してたばこを密輸入しようとした旨自供したが、当時、高島が出国していて取調べることができなかったので、江田の関税法違反嫌疑事件の参考人として監所で検問した小林から事情を聴取するとともに、原告大塚にも出頭を求めたが、同原告は、出頭はしたものの供述を拒否し、同年一一月二四日、同原告に対する取調べは組合弾圧である旨の原告組合の情宣紙が配られた。その後、同原告は審理課の呼出に出頭しなかったり、出頭しても黙秘を続けた。
この間の昭和三五年二月四日、審査課が帰国した高島から事情を聴取したところ、同人は後部トランクから発見されたたばこは江田と相談して持ち出そうとしたものであるが、原告大塚はこのことは知らない筈である旨供述し、さらに事件当日の状況について、「天栄丸の自室で原告大塚と二人でビールを飲んだ後一緒に下船することとし、同船室内で船内の接待用米国製紙巻たばこ二カートンと先に同原告に贈与してあった米国製キスチョコレート二缶(輸出許可済み)を風呂敷に包み、これを持って同原告と一緒に下船しタクシーに乗車した。」「右風呂敷包は自分が持っていたが、同原告が持っていれば税関の職員が検査しないと思ってタクシーが税関の前まで来たとき「お願いします」と言って同原告に渡した。」などと述べた。そして、高島は、同年六月一一日の事情聴取において、下船間際に、自分の船室の机の上で前記たばことキスチョコレート二缶を風呂敷に包んだが、その際、原告大塚は机の横のソファに座っていた旨供述し、さらに右同日、風呂敷包内のたばこは原告大塚に贈与したものである旨述べた。そこで、以後、原告大塚に対する関税法違反嫌疑事件として取調べが行なわれることになり、同原告は同年七月から事件当日の状況について供述を始めたが、同月五日までの取調べの中で、「高島に旅具課に行くよう促したが同人がぐずぐずしていたので私が代りに申告してやろうと思って、風呂敷包を持って旅具課の方に行った。」「風呂敷包にたばこが入っていることは旅具課の検査台の前で初めて知り、自分が申告すべきではないと考えて高島に渡して申告させた。」などと述べ、知情の点については終始否認した。こうしたことや原告大塚に対する取調べを原告組合が組合弾圧ととらえて強く反発し、政党の不当弾圧委員会も調査に乗り出した。右のような状況の下で税関当局は、原告大塚を前記理由により戒告処分にした。
(3) 以上認定した事実によれば、原告大塚に対する前記処分の理由は十分肯認することができる。
もっとも、風呂敷包のたばこを持ち出そうとしたことについては、旅具課の指示で右たばこを船内に持帰ったことにより、また、後部座席から発見された紙巻たばこを持ち出そうとしたことについては、関税法違反事件として江田に通告処分がなされたことにより、いずれも事件当日に一応決着したものとみられないではないが、その後においてこれらのことについて取調べがなされたのは、江田に急いで帰郷しなければならない事情があり、当日、同人から詳しい事情聴取を行なうことができなかったため、後日、改めて同人に対する取調べをした結果、後部座席から発見されたたばこについて高島に密輸の共犯の疑いが生じ、同人や原告大塚に対しても改めて事情聴取が必要となり、さらに高島の供述から、風呂敷包のたばこについて、原告大塚に密輸の共犯の疑いが生じたことによるものであって、これら関係者に対する取調べが原告らが主張するように処理済みになった事件をことさら蒸返したものでないことが明らかである。
また、原告大塚に対する戒告処分は事件発生から一年一〇月を経過した後に、しかも右嫌疑の内容と相違する理由によってなされているが、このことは、前記の取調べの経過などに照すと、不自然であるとはいえない。
(4) 以上のとおりであり、原告大塚に対する戒告処分は正当であり、同原告になされた取調べが当局が密輸事件を捏造して行なったものであるとする原告らの非難は当らない。
なお、前記〈書証番号略〉によれば、右の事件は神戸新聞に昭和三四年一一月三〇日付で「税関職員が密輸(未遂)の片棒?」と、昭和三五年六月二八日付で「七か月ぶりにクロと断定」と報道されたことが認められるが、その取材の経緯が明らかでなく、当局が原告組合を攻撃するために発表したものとは認められない。
(四)  支部長神田綽夫外二名に対する懲戒免職処分
(1) 神戸税関長が昭和三六年一二月一五日、当時の原告組合支部長神田綽夫、書記長中田一夫、組織部長田代一郎を懲戒免職処分に付したことは、当事者間に争いがなく、〈書証番号略〉によれば、右処分の理由は、原告神田綽夫については、①当局の事前の警告及び執務命令を無視して勤務時間内にわたって行なわれた二度の職場集会を積極的に指導したほか庁舎内をデモ行進し、②人員増加要求を貫徹するため、多数の組合員とともに監査部長を取囲み、大声で業務上の指示は文書をもってするよう要求するなどして通関業務の処理を妨げ、③右同様の目的で中田一夫、田代一郎ら組合執行部役員とともに、担当職員に一斉に超過勤務命令撤回願を出すよう勧奨し、これにより作成された右撤回願をとりまとめて提出し、かつ超過勤務に服すべき職員を講堂に集結させて通関業務の処理を妨げた、というものであり、中田一夫については、①前同①の集会を積極的に指導したほか庁舎内のデモ行進を提案してこれを行ない、②人員増加要求を貫徹するため輸出為替業務担当職員に対し処理件数を低下させるよう提案するなどして繁忙期における通関業務を妨げ、③同様の目的で神田綽夫、田代一郎ら組合執行部役員とともに、輸出関係業務担当職員に前同様の超過勤務命令撤回願を提出するよう勧奨し、これにより作成された右撤回願をとりまとめて提出し、かつ、超過勤務に服すべき職員を集結させて通関業務の処理を妨げた、というものであり、田代一郎については、①原告大塚宏圀にかかる前記戒告処分に対する抗議に際し、多数の組合員とともに官房主事を取囲み、その退出を阻止し、威圧的言動をし、②前同①の集会を積極的に指導したほか集会に引続いて庁舎内をデモ行進し、③人員増加要求を貫徹するため輸出関係業務担当職員に対し超過勤務に応じないよう勧奨するなどして、繁忙期における通関業務を妨げ、④同様の目的で、神田綽夫、田代一夫ら組合執行部役員とともに、輸出関係業務担当職員に超過勤務命令撤回願を提出するよう勧奨し、その結果作成された右撤回願をとりまとめて提出し、かつ、超過勤務に服すべき職員を講堂に集結させて通関業務の処理を妨げた、というものであることが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、右処分の理由とされた事実関係の内容は、次のとおりであることが認められる。
(原告大塚宏圀にかかる懲戒処分に対する抗議行動)
昭和三六年八月一九日、神戸税関長官房主事森は同主事室で税関長に代って、原告大塚宏圀に対し前記戒告処分書の交付及び処分説明をしようとしたところ、同原告は、「でっち上げだ。」「税関長に会わせろ。」等と大声をあげて処分書等の受取を拒否し、同原告とともに入室していた二名の組合員も怒声をあげた。その後、午後〇時四五分頃、組合員四、五〇名が同室につめかけ、原告組合の組織部長田代一郎が官房主事の耳元で、「ばかやろうー、ちんぴら。」などと罵声を浴びせ、あるいは携帯マイクを使用して同様のことをし、他の組合員も机を叩くなどして口々に激しく抗議した。また、室内の壁や入口のドアには「オマエはバカなチンピラだ。」「不当弾圧撤回、首切りを仕事にする奴、森」などと書かれたビラが貼られた。こうした中、森官房主事及び高松人事課長らは組合員に退去を要求したが、組合員はこれを無視して抗議を続け、官房主事らが退出しようとするのを妨げるなどし、午後五時三〇分頃、当局の要求で出動したパトカーのサイレンが聞えたため漸く退室した。
(勤務時間内職場集会)
原告組合は、昭和三六年一〇月五日、前日の税関長の警告を無視して総評及び公務員共闘会議の統一行動の一環として、全税関労働組合からの指令に基づいて、本庁舎玄関前において政暴法反対、公務員給与五〇〇〇円賃上げ、計算センター設置反対、勤評反対、人事の民主化などの要求を掲げ、午前八時四〇分頃から同九時一〇分頃まで職場集会を行なった。当時の勤務時間の開始時刻は午前八時三〇分であったが、神戸税関では午前九時五分までは出勤簿整理時間とし、同時刻までに出勤の記入をした者は遅刻扱いとされない取扱がなされていた。ところが、原告組合は、税関長の前日の警告や当日の垂れ幕や放送による職場復帰、執務命令を無視して右集会を続け、集会終了後書記長中田一夫の提案で組合員約三〇〇名が税関長室前廊下などをデモ行進し、同人の携帯マイクによる音頭で「勤評やめろ」「五〇〇〇円賃上げ」「遠藤(税関長)やめろ」「森(官房主事)やめろ」などとシュプレヒコールを繰返した。
また、原告組合は、同年一二月二六日にも、前日の税関長の警告を無視して、同様の要求を掲げて午前八時四〇分頃から同九時一五分頃まで本庁舎前で職場集会を開き、垂れ幕や放送による当局の職場復帰命令を無視して集会を続行した。
(輸出為替職場への人員増加要求)
神戸税関では月末から月初にかけて輸出業務が集中したので、担当職員は、この間二時間位の超過勤務をしたり、休日にも出勤して事務を処理していたほか、個人の判断で審査項目を重点的に絞って行なう簡易な方法で処理することが行なわれていた。こうした中、原告組合は、かねて人員増加の要求をしていたところ、昭和三六年一〇月三一日に開かれた輸出為替の職場集会において、書記長中田一夫の提案により、当局に人員不足を認識させるため処理件数を無理のない件数約一〇〇件位にとどめることの申し合せがなされた。翌一一月一日、輸出為替職場では右申し合せに従って通常の繁忙期に行なわれていた処理をしなかったため未処理が滞留し、関税法九八条の臨時開庁の申請がなされたので、柴原為替課長は課員に超過勤務命令を出した。ところが、原告組合組織部長田代一郎が仕事を始めようとした職員に対し課長と交渉途中であるから超過勤務に入らずに待つように言ったため、職員は仕事をしなかった。その後、午後六時頃、漸く仕事を始めたが、同七時頃になっても滞留を処理しきれなかったので、柴原課長は、さらに一時間の超過勤務命令を出したところ、支部長神田綽夫が職員に対し「用のある者、疲れている者は帰ってもよい。」と言ったため、同課長は、職員が執務意欲を失い、これ以上仕事を続けさせることはできなくなったと判断し、やむなく未処理の業務を残したまま同七時過ぎ頃、職員を帰宅させた。
翌一一月二日は前日から持越された分を含めて大量の業務を処理する必要があったので、柴原課長は審査項目を重点的に絞って審査するよう職員に指示した。ところが中田一夫、田代一郎は、税関長と交渉して事故が生じた際の責任の所在について見解を質したが明確な回答がえられなかったため、職員に対し「課長に一札入れてもらってから仕事をするように。」と言うとともに、柴原課長に責任の所在について書面にするように要求した。これに対し同課長は職員に対し「責任は自分が持つから心配いらない。」と言って、重ねて重点審理による処理を指示したが、中田一夫らは納得せず、執拗に書面にするよう要求し、職員に対し「文書にするまで輸出課に仕事を回すな。」と言った。為替課で審査された輸出申告の書類は、輸出課、監査第一部門に順次送られ、再び輸出課に戻ってくるようになっていて、為替課の処理が遅れると全部の処理が遅れることになるので、同課長は、中田らの右要求に従い午後二時頃、文書にしてこれを読上げたところ、中田らは、「これは命令か、指示か、それともお願か。」と質した。そこで、同課長が仕事を円滑に処理するためのお願である旨答えたところ、中田らは、職員に向ってお願であれば従う必要がない旨言ったため、職員の間に戸惑いが生じ、事務処理は停滞した。その後、重点処理の責任は課長にあることが確認されたため、午後四時半頃、漸く正常な勤務状態に復した。この影響を受けた審査第一部門では、同日午後五時頃、大量の輸出申告書類が一時に回され、通常の方法では処理しきれない状態となった。そこで、宮崎監査部長は、輸出為替課と同様の重点審査で処理することを指示し、午後五時半から臨時開庁して超過勤務命令を出したところ、神田支部長ら原告組合執行部役員ら約一〇名が宮崎部長を取囲んで、「こんな大量の仕事をやらせてもできるものか、お前の指示を受けてやると殺されてしまう。」などと大声を出し、さらに宮崎部長が審査を簡略化する新たな指示をしたのに対し「そのような命令は文書にせよ。」と大声で迫り、室内は騒然とした。結局宮崎部長は神田らの要求に従ってその指示を文書にしたので午後七時頃、漸く円滑な事務処理が行なわれようになったが、この間窓口に居合せた多数の輸出業者から「早くやってくれ。」「船の出航に支障を来す。」などと苦情が出された。
(超過勤務命令撤回闘争)
月初の繁忙期に当る昭和三六年一二月二日(土曜日)、輸出関係の職員に対し午後一時三〇分からの超過勤務命令が出された。原告組合は、この日超過勤務命令が出た場合には、その撤回願を全員で出すことをあらかじめ決定していたが、この動きを知った当局は、神田支部長に対し、組合が指導して超過勤務撤回闘争をするのは違法である旨警告していたが、右命令が発せられると、中田ら組合役員が印刷した超過勤務撤回願の用紙を各職員に配付して記入させたうえ中田においてこれを取りまとめて、業務部長及び監査部長に提出し、さらに組合役員らは昼休み中の職員や超過勤務につくべく職場に戻ってきた職員を講堂に集めて集会を開き、「神田支部長らが撤回願について交渉している、官は一方的に命令しているが必ずしも聞く必要はない。」などと説明した。そこで、横田総務課長らが講堂に参集している職員に対し超過勤務が発せられているので直ちに執務するよう告げたが、職員らはこれに従わず、午後二時過ぎ頃、漸く職場に復帰し、執務した。
(3) 〈書証番号略〉によれば、神田綽夫、中田一夫、田代一郎は、神戸税関長を相手として右懲戒免職処分の無効確認等を求める訴えを提起したところ、神戸地方裁判所は原告組合の前記闘争は違法であるとしながらも、右懲戒処分は権利の濫用にあたり違法であるとしてこれを取消す旨の神田ら勝訴の判決を言渡し、大阪高等裁判所も同様の理由で神戸税関長の控訴を棄却したこと、しかし、最高裁判所は、神田らの行為の性質、態様、情状等に照して税関長が懲戒権を濫用したものということはできないとして、右第一、二審の判決を取消し、神田らの請求を棄却する判決を言渡したことがそれぞれ認められる。
(4) 以上(2)の事実関係及び(3)の訴訟の経過などに照すと、神田綽夫ら三名に対する懲戒免職処分は正当な理由に基づくものであることが明らかであり、これをもって原告組合に対する不当な攻撃であるということはできない。
2  原告組合の分裂と組合員の脱退
(一)  〈書証番号略〉及び原告大塚宏圀本人尋問の結果(第一、二回)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
(1) 前記の原告組合役員三名に対する懲戒免職処分がなされた当時の国公法では、当局と交渉しようとする職員団体は人事院に登録しなければならないものとされ、人事院規則(交渉の手続)一四―一〇は、交渉は人事院に登録した職員団体によってのみ行なわれなければならない旨規定していたが、右登録の要件について、職員団体は構成員の中に非職員が含まれている限り登録できないとする人事院事務総長の公権的解釈(全国税労働組合の照会に対する回答、〈書証番号略〉)が示されていた。そこで、神戸税関当局は、免職された前記三名が役員である原告組合と団体交渉をすることができないとして、正式な交渉を拒否するようになった。また、右処分を契機として当局は超過勤務手当の一律配分の見直しや出勤事故簿制度を導入するなど、職場管理を強化するようになった。
こうしたことから、組合員の中にこのままでは組合員の正当な利益を守っていくことができなくなるという懸念が生じた。また、従前の組合の闘争がいき過ぎであるとして執行部を批判する声も強まった(このような意見は、すでに昭和三五年六月に行なわれた前記の安保反対闘争について、その直後に開かれた第二八回支部大会でも一部から出された(〈書証番号略〉)。)。そこで、原告組合では、統一と団結を守るためなどとして昭和三七年二月一日、臨時支部大会を開き、そこで今後の運動方針の進め方などについて討議が行なわれた。この討議の中で、従前の運動方針についての批判とともに、当局と団体交渉ができるようにするため免職処分となった三名の退陣を求める意見も出されたが、結局、右三名を守って統一と団結を固め、団体交渉を実質的に開かせていくとする執行部案が約三分の二の賛成を得て可決された。
その後、昭和三七年三月頃、かねて執行部の運動の進め方に批判的な有志が神戸税関労働問題研究会(以下「労研」という。)を発足させ「労研ニュース」を発行してその主張を訴えるとともに、同年六月に行なわれた支部長、副支部長の各選挙に独自の候補者を擁立し、同年七月に行なわれた全税関の全国大会に代議員を送り込んで従前の運動について批判する意見を述べるなど、活発な運動を展開した。右選挙の結果は、前支部長、前副支部長が再選されたものの、労研の擁立した候補者は、先の臨時支部大会のときより支持率を増やした。
このような労研の活動に対して原告組合は、労研は官が作らせたものであるとか、あるいは三田村労研(日本共産党を脱退した三田村四郎が主宰する労働問題研究会)であるなどといって非難し、労研側もまた原告組合の執行部は政治的に偏向しているなどといって批判し、相互に応酬を繰返して対立を深めていった。
このような中、同年八月三一日、原告組合の定期大会が開かれたが、質疑応答の中で、執行部は、労研は官が作らせたものであるというのは「労研会員の一人が鍋山の本を読んでいるからである」とか、「三田村労研の活動によく似ていることから推測したものである」などと答弁し、議長もこのことについて執行部に誤解があったようだと発言し、柔軟な姿勢を示したものの、労研側から大会宣言中の官制労研などの表現について削除するように求められたのに対し、労研を直ちに解散するならば削除してもよいが、そうでなければ削除することができないと答え、そのままこれを採決に付そうとしたため、労研所属の代議員は一斉に退場した。
なお、右大会では、「税関に在職している職員をもって組織する」となっていた規約が「税関に働く労働者をもって組織する」と改められた。
このようにして、労研所属の組合員と原告組合執行部との対立は決定的なものとなり、昭和三七年一二月二二日に開かれた労研臨時総会において、原告組合から脱退する旨の決議がなされ、同月二四日、「全税関労働組合神戸支部の実態を全職員に訴える」と題したパンフレットが各職場に配付されて、当局と交渉できる新しい労働組合結成についての呼びかけがなされた。その後、双方で分裂回避の話合いが持たれたものの、昭和三八年二月、労研が中心となって新労働組合結成準備会を発足させ、同年三月九日、約四八〇名をもって神戸税関労組が結成された。
(2) このような経緯の中で、昭和五七年の初め頃神戸税関の一部の職場(監視部警務二課)において執行部のいき過ぎの是正を求めるとして組合費の納入を保留する動きが出た。また、同年八月一日頃、監査部などで課長、係長など中間管理職の組合員が集団で脱退届を出して原告組合から脱退した。これを契機として、その後、一般の組合員の脱退が続出し、その数は昭和三八年二月一四日には、約七四五名に及び神労が結成された後の八月には約八五〇名に達したが、この脱退については、印刷された用紙に数名が署名してなされたものも少なくなかった。
(3) 以上認定したように、原告組合からの脱退が中間管理職層から始まって、短期間に大量になされたこと、脱退の態様も定型文書の印刷された用紙に連名する形が取られていて組織的に行なわれていることからすると、右組合員の脱退については税関当局の何らかの関わりがあったのではないかとの疑念を生じる余地がある。しかし、右の分裂の経緯、なかんずく、分裂や大量脱退が現実に行なわれるようになる以前の段階で行なわれた支部長等の選挙において、執行部を批判する労研所属の候補がその四か月前に行なわれた臨時支部大会に比べて大幅に支持者を増加させていることに照すと、激しい闘争を指導して免職となった前支部長が再選されて執行部役員として留ることになったうえ、組合規約を改正して組合の構成員とするなどしたことにより、当局との交渉がますます困難になったことから、一般組合員の中に執行部に対する批判と危惧の念が一段と強まり、これに労研の活発な宣伝活動が効を奏して動揺が生じ、さらにバスに乗遅れまいとする心理も加わって大量脱退に繋がったものと十分考えられる。
原告らは労研の結成や活動に当局が関与していた旨主張するが、それが単なる憶測に過ぎないものであることは、前記の昭和三七年七月三一日に開かれた支部大会における質疑応答の中で執行部自ら認める答弁を行なっているところである。
また、原告らは、組合員に対し当局による脱退勧奨や強要があった旨主張し、その陳述書において、組合員が上司らから原告組合からの脱退を暗に勧められたり、あるいは強要されたなどと述べている。しかしながら、これらは裏付けのない伝聞や憶測に過ぎないもの(原告田中、同細川等)、具体性に欠け、一般的な主張の形でなされているもの(原告中安、同吉野)など、そのまま採用できないものであったり、具体的に記載されていても、その記載内容からすると、神労が勢力の拡大を図り、原告組合が組織を守る立場で厳しく対立する中で中間管理職を多く抱える神労が活発に活動した結果によるものとか、上司が職場の円滑な運営を虞かり、あるいは原告組合が実力行使を伴う闘争をして当局と対立する状況から部下の将来を慮って個人的立場においてなされたとみられるものであって、当局の組織的な意思の発現としてなされたものとまではみられない。
なお、前記の認定事実からすると、原告組合から脱退したものの神労の結成に参加しない者もいるなど、必ずしも脱退者のすべてが労研が中心となって結成された神労に加入したわけではない。
3  差別攻撃(昇任、昇格、昇給に関するものを除く。)
(一)  総務、監視部門からの排除と乗船差別
原告らは、昭和四二、三年頃から、最も重要な部署とされる総務部、監視部から原告組合員が排除された旨、また監視部では原告組合員を冷暖房の効いた快適な船舶に配置せず、ゴキブリなどの出る船舶に配置するなどして差別扱いした旨主張する。
(総務部、監視部からの排除について)
右の主張については、これに沿う〈書証番号略〉(原告灰野善夫の陳述書)、〈書証番号略〉(同藤池征夫の陳述書)及び原告小林霞本人尋問の結果中における供述があるが、右小林、灰野については同原告らがこれらの職場に配置されたことがないことを理由とするものであるが、それだけでは原告組合員であることを理由として差別扱いをされたということにはならない。また、原告藤池については同原告が乗船官吏三か月で監視部から他の職場に配置換えになったこと、その際の移動で多数の原告組合員が配置換えになったことなどを理由とするものであるが、乗船官吏三か月で配置換えになったことから直ちに組合所属を理由として同原告が監視部から排除されたものということができないのは、原告小林の場合と同様であり、また、他の多数の原告組合員が配置換えになったのは、弁論の全趣旨によれば、同原告が監視部から中埠頭出張所に配置換えになった昭和三九年七月一日の異動対象者は同原告と同期入関組(昭和三六年初級組)が中心となったものであることが認められるところ、これらの入関者の原告組合組織率が高かったこと(このことは原告長谷川紀彦本人尋問の結果により認める。)によるものであると考えられる。
かえって、弁論の全趣旨によれば、本件係争期間においても原告組合員が新たに監視部に配置されている(例えば、原告津村勝次は昭和四一年八月に旅具課に、同長谷川紀彦は昭和三九年七月一日警務二課に、同井出輝彦は同日警務一課に、同天野親聡は昭和四三年一〇月一日警務二課に、同那須司鋭は昭和四二年一〇月一日警務二課に、同山之内輝雄は昭和四〇年七月警務二課にそれぞれ配置換えとなっている。)こと、(ちなみち、このうち原告長谷川、同井出の監視部配置換えは、原告藤池が多数の組合員が監視部から他の部署に配置換えになったとする同じ日の異動である。)が認められ、これによれば、少なくとも、原告組合員が監視部から全く排除されていたものでないことは明らかである。また、総務部門は神戸税関のいわば中枢をなすものであって税関業務全般にわたって総合調整の機能を有していることに鑑みると、当時、激しい実力闘争を行なって当局と厳しく対立していた原告組合所属の組合員がこの職場に配置されることが少なかったとしてもこれはやむを得ないものであり、組合所属を理由とする不当な差別扱いであるとはいえない。
(監視部における乗船差別扱いについて)
原告の右主張については、これに沿う〈書証番号略〉(灰野善夫の陳述書)のほか、〈書証番号略〉(原告吉野陽児の陳述書)、〈書証番号略〉(原告細川義信の陳述書)、〈書証番号略〉(元原告中安克己の陳述書)、〈書証番号略〉(原告大橋正義の陳述書)、〈書証番号略〉(原告河合健治の陳述書)の各記載及び原告横川泰三本人尋問の結果中における供述などがある。このうち、原告灰野、同吉野、同細川、元原告中安、原告横川の分は、同原告らが劣悪な船に乗船させられたというものであり、原告大橋、同河合の分は監所勤務が多く乗船勤務が少なかったというものである。しかし、〈書証番号略〉(原告細川義信の陳述書)によれば、同原告は昭和四〇年頃までは、自分でも驚くほど良い船に勤務していたというのであるから、仮に右原告らが劣悪な船に勤務していたことがあったとしても、昭和四〇年頃までの分は組合所属を理由とするものではなく、それ以外の事情によるものと考えられる。また、弁論の全趣旨によれば、神戸税関では昭和四一年六月から新しい勤務体制が実施され、乗船勤務は密輸取り締まりが特に必要な船舶に限られるようになったことが認められるから、その後の乗船勤務が劣悪なものが多くなったとしても、これは右の警務体制が改められたことによるものと考えられ、これを組合所属を理由とする差別扱いであるということができない。
さらに、原告大橋、同河合の乗船勤務が少なかったという点については、仮にそのような事実があったとしても、原告大橋の場合は同期、同資格の者が多数いたこと(このことは弁論の全趣旨によって認められる。)などによるものとも考えられ、原告河合の場合は同原告が警務課に勤務していたのが前記警務体制に移行した時期にかかっていた(このことは弁論の全趣旨によって認める。)などによるものとも考えられるから、乗船勤務が少なかったことが組合所属を理由とする差別扱いであるとはいい難い。
(二)  研修差別について
〈書証番号略〉及び証人篠永井正晴の証言並びに弁論の全趣旨によれば税関の研修としては、税関職員として必要な一般的知識の修得を目的とする一般研修と専門知識の修得を目的とする専門研修(実務研修)があり、一般研修には、新規採用者を対象とする基礎研修、一定の実務経験を有する職員を対象とする普通科研修(昭和四五年以降は中等科研修となる。)及び勤務成績の特に優秀な者を対象とする高等科研修があること、基礎科研修は新規採用者全員が対象者となるが、普通科研修及び高等科研修は定数枠があり、選考された職員が受講することになっている(ただし、昭和四五年度以降の中等科研修は基礎科研修の終了者全員が受講することになった。)ことが認められる。
原告らは、原告組合員は普通科研修や高等科研修はもとより職務上必要な実務研修に至るまでほぼ完全に排除された旨主張する。
しかし、弁論の全趣旨及び〈書証番号略〉によれば、係争期間の最初である昭和三八年度から普通科研修が中等科研修となった前年の昭和四四年までの間に、原告らのうち二一名(ただし、うち一名は原告組合から脱退していた。)が普通科研修を受講したことが認められるから、原告組合員が普通科研修から完全に排除されていたということはできない。また、非組合員の受講状況が不明であるから、原告組合員の受講者が少なく差別扱いを受けていたということもできない。
もっとも、〈書証番号略〉によれば、税関研修所神戸支部の金田幹雄教務主任が昭和三九年五月九日、神戸税関長に「思想穏健な者を推薦されたく、活動家はなるべく遠慮されたい」旨を付記した普通科研修生の推薦依頼書を送付したことが認められるところ、右付記されたことは、その文言からすれば、原告組合に所属する活動家を推薦の対象者から除外されたいという趣旨のものであるとみられる。しかしながら、それが研修を実施する側の要望を表明したに過ぎないものであることも、右書面の形式と文言から明らかであり、しかも、〈書証番号略〉によれば、右依頼がなされた年である昭和三九年度から昭和四四年度までの間において原告らのうち一五名が神戸税関長の推薦を受けて普通科研修を受講したことが認められ、これによれば、神戸税関当局が研修所側の意向に沿って推薦を行なったということもできない。
また、前記のように、高等科研修は、勤務成績が特に優秀な職員の中から選定された者を対象とするものであり、弁論の全趣旨によれば、その数は年間全国で数十人程度にとどまっていることが認められるので、原告らの中に高等科研修を受講した者が全くないとしても、このことから直ちに原告組合員が右研修から排除されたということはできない。
さらに、〈書証番号略〉によれば、原告らの中には係争期間中に各種の専門研修を受けた者が多数いることが認められるので、原告組合員が専門研修において排除されていたという原告らの主張も当らない。
(三)  入寮差別
(垂水寮)
〈書証番号略〉によれば、神戸税関は市内に分散していた独身寮が老朽化したとして、昭和四二年二月、垂水寮を新築完成させ、同年二月二八日に期限を同年三月八日までとして入居希望者を募集したこと、しかし、当局が寮管理規則を制定したことや寮管理人を置くことにしたことから、原告組合はこれらが入居者の自主活動の封殺を目的とするものであるとして、強く反発したため、一部の寮が残されることになり、右申込期限も同年三月一五日に延期されたが、原告組合員は期限までに入居申込をしなかったこと、右期限後の同年四月末、当局は廃止することになった一部の独身寮の入居者に対して他の寮に移転するように求めたが、垂水寮には入居させなかったこと、また、昭和四七年一月にも、廃止することになった別の寮(五月寮)の入居者に移転を求めたが、当局は垂水寮には新入関者用であるとしてここに入居することを認めなかったことが認められる。
原告らは、当局が原告組合員の垂水寮への入居を認めなかったのは組合所属を理由とする差別扱いであると主張する。しかし、税関当局が原告組合員を含む職員全員を対象として入居希望者を募集したが、申込期間内に原告組合員の入居希望者がなかったのであって、たとえ申込期限経過後に入居を希望した原告組合員がおり、その者が入居できなかったとしても、それが組合所属を理由とするものであったとは考えにくい。また、その後、当局が垂水寮を新入関者用とし、他の寮から移転を求められた者に対しこれを理由として垂水寮への入居を認めなかったとしても、それが不合理であるとはいえないから、このことをもって原告組合員に対する差別扱いであるということはできない。
(中山手宿舎)
原告らは、腰椎圧迫骨折による不完全脊損で身体障害者手帳第四級の認定を受けた原告玉井進吾郎が結婚することになったので通勤に便利な中山手宿舎に入居を希望したところ、当局は空室があったのに同宿舎への入居を認めず、遠距離にある甲東園宿舎を割当てたとして、当局が原告組合員である同原告を入居差別した旨主張する。
有料宿舎を貸与する者の選定について、国家公務員宿舎法は、政令で定めるところにより、国の事務又は事業の円滑な運営の必要に基づいて公平に行なわれなければならないと定め(同法一四条)、これを受けて同法施行令は、選定の基準となる順序を定め、この中で同順位にある職員が二人以上存するときは、これらの者の職務の性質、住居の困窮度その他の事情を考慮し、その最も必要と認められる者に当該宿舎を貸与しなければならないと定めている(同施行令一、二項)。
ところで、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告玉井進吾郎が中山手宿舎の入居希望を出したのは昭和五二年一月一〇日であるところ、当時、右宿舎には空室があったものの既に入居者が決定していたり、あるいは同年二月の異動に備え交通機関のストなどの緊急時に対応できる職員用として確保して置く必要があったこと、一方、西宮市内にある宿舎がそれまで同原告が入居していた寮と比べて通勤時間などに大きな差がなく、同原告の健康状態もかなり回復していて、右の宿舎から通勤しても健康に支障がないと判断されたことなどから、当局は第三志望であった西宮市内の宿舎を割当てたものであることが認められ、このような事情に前記宿舎関係法規の規定に照すと、当局が同原告に中山手宿舎への入居を認めなかったことは正当な理由によるものであって、これを組合所属を理由とする差別扱いであるということはできない。
(四)  庁舎管理規則の改定
〈書証番号略〉及び証人大西昭三、同荒川八郎の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、神戸税関は、昭和三八年一二月七日、昭和三四年に制定された庁舎管理規則を廃止して新しい規則を制定したこと、その骨子は、旧規則において管理者とされていた者(本関庁舎等にあっては税関長、官房会計課長、支署、出張所及び監視署にあってはその長)のほかに、新たに各職場毎に使用責任者を置き、両者が協力して庁舎等の管理及び秩序維持に当ることにするとともに、庁舎等の行政目的外使用等については使用責任者等の許可を要することを明らかにし、庁舎等における法令に違反する行為や税関業務を阻害する虞のある一定の行為を禁じ、違反行為については当局が中止等を命じ、これに従わないときは自ら除去することができるとするものであることが認められる。
原告らは、このような管理規則の制定は、組合活動の弾圧、妨害を目的としたものである旨主張する。
たしかに、右改定は、その内容からすると、管理体制を強化するものであるということができる。しかし、弁論の全趣旨によれば、右のように改定したのは、旧管理規則において管理者とされた者だけで広大な庁舎等の管理に当ることには無理があり、管理を実効あるものにするため管理体制を整備する必要があったことによるものであることが認められるから、右改定自体は十分合理性がある。もっとも、右改定が原告組合の活動が契機となってなされたものであることは被告において認めるところであり、また、後記のように、右改定後、従前あまり問題とされなかった職場における小規模の集会について当局から許可申請を求められるようになったことなどからすると、右改定の目的が、原告組合の組合活動を規制するのではないかとの疑念を生じさせる余地はある。しかし、原告組合が、従前、前記のように庁内をデモ行進したり、税関長室前に座込んだり、部外者を交えて集会を開いたりするなどの行為を行なってきた経緯に鑑みると、庁舎の適正な管理と秩序維持につき権限と責任ある当局が、庁舎管理規則を改定して管理体制を強化し、庁舎等の管理を厳格にするようになったことは、理由がないものとはいえず、それが原告組合を弾圧する目的であったとまでいえない。なお、原告らは、当局は庁舎管理規則を理由にして組合掲示板に貼った文書を勝手に除去し、組合員の私的な話合いまでも組合の無許可集会であるとして解散を命じ、あるいは勤務時間外に組合員が配布しようとしたビラを破り捨てるなどしたと主張する。
このうち、組合掲示板の文書を勝手に除去したとする点については具体的な主張はなく、引用されている証拠(〈書証番号略〉の四枚目)によってもその具体的内容は明らかではない(右書証に記載されているのは、輸出関係部門の新庁舎移転に伴う掲示板の撤去についてのものである)。もっとも、証人荒川八郎の証言によれば、当局が原告組合の掲示板の掲示物を除去したことのあることが認められる。しかし、同証言によれば、これらは庁舎管理規則で禁じられた法令に違反する掲示物(スト宣言文、政治活動を内容とする文書等)につき、同規則の手続に従って行なったものであることが認められるから、違法不当なものではなく、これをもって組合活動に対する妨害であるとはいえない。
私的な話合いについても集会であるとして解散を命じたとする主張については、これに沿う〈書証番号略〉(原告前田信雄の陳述書)、〈書証番号略〉(原告小林霞の日誌)の記載及び原告前田信雄、同小林霞各本人尋問の結果中の供述があるところ、これらの書証の記載及び原告前田信雄の供述部分は、原告前田が昭和四〇年八月二五日、原告松本公と私的な問題(松本の結婚)について話合っていたところに外山検査官が割って入り、二人の話合いを無許可集会であるとして解散を命じたというものである(原告小林霞の右供述はやや異なるところがあるものの、同人の日誌に基づいて行なったものであるから基本的には右日誌に記載されているところと同じであると見られる。)。しかし、〈書証番号略〉(外山監査官の報告書)によれば、外山監査官は、原告前田と同松本の二人を含むその場にいた七名が集会を行なっていたとして、庁舎管理規則による使用許可を受けているか否かを質して注意をした(解散命令ではない。)のであって、原告前田と同松本との話合いを集会であるとしたものでないことが認められる。
当局が組合のビラ配付を妨害したとする点については、この主張に沿うものとして〈書証番号略〉の昭和四〇年一〇月八日付支部ニュース(七枚目)に、中尾課長が同月六日、第三突堤詰所にいた古谷執行委員に対し「君に注意しておく、これから本部でビラを撒くな、ごみになるだけだ、掃除をするのに困る。」「みんな読んでいないのだから……な。」と述べた旨が、また、同号証のうち昭和四二年二月二〇日付支部ニュース(一七枚目)には、溝口管理課長が同月一七日、管理課室内で組合ニュースを配付していた横川分会執行委員に対し「うちの組合員にこんな新聞を読ませる必要はない、こうしてやろうか。」と言って、既に他の職員の机上に配付してあった支部ニュース四、五枚を屑かごに捨てた旨がそれぞれ記載されている。しかし、右に記載された事実があったとしても中尾課長の言辞はやや不適切な嫌いはあるものの、古谷執行委員との応答の内容からして庁舎等の管理上の見地からなされたものであるとみられ、必ずしも組合ニュースの配付を妨害することを目的とするものであったとはいい難い。これに対し、溝口課長の言動はいき過ぎたものといえるが、当時の原告組合と神労との確執からすると、支部ニュースにも記載されているように、神労に所属する組合員の立場からなされたものとみる余地があり、当局が庁舎管理規則により組合活動を妨害したとまでいうことはできない。
さらに、原告らは、庁舎管理規則に基づく許可を求めても職場での討議が許可されることはなく、職場から隔離された会議室の使用が認められるだけであり、それさえも許可されないことがあった旨主張する。しかし、後記のように、当時原告組合は、職場での小規模な集会はそもそも許可が不要であるとして殆どの場合、あえて許可を求めようとしなかったうえ、職場で多数の者が参加するような集会については、許可しなかったことがあるとしても、このような集会はたとえそれが休憩時間中のものであっても不適当であると考えられるから、これを許可しなかったことが、あながち不当であるとはいえない。この点についての例としては、原告深田辰次が執行委員会を開くため、会議室の使用許可を申請したのに、藤田正勝総務課長はこれを握り潰し、無届け集会を行なったとして会議を妨害したうえ、同原告らに訓告処分を行ない、定期昇給を延伸したなどと主張し、〈書証番号略〉(原告深田辰次の陳述書)に右主張に沿う記載がある。しかし、〈書証番号略〉(成立については後記のとおり。)によれば、昭和四二年一〇月三日、中埠頭分会の池西書記長から同分会執行委員会開催を目的として同日の二一時まで娯楽室を使用することについて許可の申請がなされたが、当時各出張所とも庁舎管理上の理由により庁舎の使用は二〇時までとする運用がなされていたことから、中埠頭出張所藤田正勝総務課長は二〇時までの使用とする許可の再申請をするよう指示したところ、原告深田らはこれに従わず、再申請の手続をしないまま分会執行委員会を開き二一時まで娯楽室を使用したものであることが認められ、同原告の陳述書に記載されているところは、事実に反するものであり、この点についての原告らの主張は失当である。
(五)  現認制度による弾圧と嫌がらせ
原告らは、神戸税関では昭和三六年一二月一五日以前に、職制もしくは特定の職員が原告組合員の行動や原告組合が主催、共催する各集会への参加状況を現認書なる報告書を作成して上部機関に報告する制度を発足させた旨、この制度は非組合員を原告組合から隔離すること、組合員にその行動がチェックされていることを自覚させることにより行動を萎縮させること、原告組合を脱退させられた職制や一部の人に現認書の数やその記載内容によって当局に対する忠誠度を競わせることなどを狙いとするものであり、被告が本件訴訟において書証として提出した現認書なるものは右現認制度により作成されたものの一部である旨主張する。
しかし、上司は部下の職員の指揮監督を行ない、公務員関係の秩序の維持確保に務めなければならない義務があるから、部下職員が公務員関係秩序に違反し、あるいはその虞があると思われる行為をした場合には、右監督権限に基づいて上司に報告することは職責上当然のことであり、たとえ右報告が当局からの指示により文書をもってなされたとしても、それが原告ら主張のような狙いをもつ制度として行なわれたものということはできない。
もっとも、原告らの非違行為についての書証として被告が提出した後記乙号証の原文書(現認書または報告書)のうち、昭和四八年頃からの分は同じ様式で作成されているものが多く、昭和四九年以降の分はほぼ印刷された定型用紙に書込む形で作成されているところ、証人八代儀一の証言によれば、右の定型様式の報告書は、当局が作成したいわば雛形に合せて作成されたものであり、印刷された定型用紙も、当局が予め用意して管理担当者に交付していたものであることが認められる。
しかし、右証言及び証人大西昭三、同近藤悟、同嶋津久雄、同稲田虎義の各証言によれば、当局が管理担当職員にこのような雛形を示したり印刷された定型用紙を交付したりしたのは、昭和四八年頃から後記のプレート闘争が頻繁に行なわれるようになってその報告書の作成の事務量の負担が増大したことから、担当管理職員の要望に基づいてその事務負担軽減のために行なったものであることが認められるから、大量の現認書が定型化された様式でなされていることから、原告ら主張のような当局の意図が働いていたとはいえない。
(六)  結婚妨害などプライバシー干渉について
(原告山岡荘太朗の件)
〈書証番号略〉(原告山岡荘太朗の陳述書)には、原告山岡の婚約者の母が昭和三九年九月頃、同原告の入関時の保証人であった矢野方一(当時秘書係長)を訪ねた際、同人から全税関に対する誹謗中傷を聞かされたため結婚話が破談になった旨の記載がある。しかし、矢野秘書係長の発言の具体的内容は明らかでなく、右陳述書の記載はそのまま信用できないものであるが、仮にそのような発言があったとしても、右に記載されていることからすると、同人は原告山岡荘太朗の入関時の保証人であり、同人の発言も婚約者の母が訪ねてきた際になされたというものであるから、右発言は個人的な立場でなされたものとみるのが相当である。
(原告脇岡秀年の件)
原告脇岡秀年はその本人尋問において、同原告が東部出張所貨物課に勤務していた昭和四二年二月、本部の浪花武雄実査官が右原告の婚約者の上司である日東運輸の川崎さんのところに来て、同原告がアカの組合にいるので婚約者の方から脱退するよう勧めてほしい旨の話があったと、婚約者から聞かされた旨及びこのことについて日東の川崎さんに確認したうえ浪花さんに抗議した旨を供述し、〈書証番号略〉(原告脇岡秀年の陳述書)にも同旨の記載がある。しかし、右本人尋問における供述によれば、右浪花は同原告の直接の上司ではないうえ、同原告と個人的に親しい関係にあった者ではなく、また同原告が婚約したことを右浪花に話したこともなかったというのであり、〈書証番号略〉(浪花武雄の陳述書)によれば、右浪花は、たまたま現場調査に立寄った日東運輸の事務所で、同社の人からその会社の女子職員と原告脇岡との結婚話があることを聞かされ、初めてこのことを知ったものであることが認められ、これらの事実からすると、浪花武雄が原告脇岡の婚約者の上司に対し、同原告を組合から脱退させるよう働きかけたとは考えにくく、原告脇岡の右供述及び陳述書の記載には疑問がありたやすく信用できない。
(原告大屋広隆の件)
〈書証番号略〉の五四枚目(支部ニュース四二〇号)には、同原告の妻が同原告の夫婦の仲人をした職制の妻から、同原告に組合を脱退させるよう勧める内容の手紙を受取った旨が記載されているが、そのような事実があったとしても、右記載内容からすると、それは個人的立場においてされたものであり、当局の関与に基づいてなされたものとはいえない。
(七)  不当配転による組合活動の妨害と嫌がらせ
原告らは、当局は、昭和三七年と昭和三八年に行なわれた大量配転で組合青年部役員や活動家を支署などに配転したのを初めとし、組合員を遠隔地に配転して組合活動を妨害した旨、組合の脱退のことについてと思われる上司の話合いの呼びかけに応じなかった組合員を昇任もさせないで遠隔地に配転し、また、長期間支署勤務を続けさせ、あるいは家庭の事情で配転内示を撤回した組合員に対し転勤に伴って発令されることになっていた昇任まで取消すなどの嫌がらせをした旨主張する。
そこで、まず、遠隔地配転についてみるに、〈書証番号略〉によれば、昭和三七年一一月に行なわれた人事異動で、原告柳沢尚、同野口和正、同高須賀四郎ら数名の原告組合員が遠隔地配転(本関地区から支署への配転)になったこと、また、昭和三八年から昭和四八年までの一〇年間に原告らのうち三四名が遠隔地配転となったことが認められる。しかし、〈書証番号略〉によれば、昭和三七年の異動で遠隔地配転となった一五名のうち一一名は、右原告らと同年代の昭和三二年から昭和三六年にかけて入関した者であることが認められ、この異動が、右の年代層の者を中心とする異動であったことが窺われる。
また、〈書証番号略〉によれば、昭和三八年以降の異動においては、遠隔地配転となった原告組合員は比較的少なく、特に原告組合が分裂し、なお脱退が続いていた(この分裂と脱退について、原告らは、当局が加担したと主張している。)昭和三八年は原告桝本清一名だけであり、昭和三八年は全くいないことが認められ、これらの事実に照すと、遠隔地配転になった原告らがたとえ活動家であったとしても、その配転が組合活動を妨害するためになされたものであるとはいえない。
次に、当局が嫌がらせとして配転を行なったとする主張についてみるに、このうち組合脱退についての話合いに応じなかったことを理由とするものについては、〈書証番号略〉(原告牛込尹人の陳述書)に右主張に沿う記載がある。しかし、同原告に対する配転が嫌がらせであるとする右主張が、同原告の憶測に過ぎないものであることは、主張自体から明らかであり、これを裏付ける証拠はないから、右陳述書の記載はそのまま信用することができない。長期間支署勤務を続けさせられたとする主張については、原告高須賀四郎本人尋問の結果中にその旨の供述があり、これによれば、原告高須賀四郎は、松山支署に配転になった昭和三七年一一月から約六年間同支署に勤務し、引続いて今治支署に二年間、新井浜支署に五年間それぞれ勤務したことが認められる。しかし、右本人尋問の結果によれば、松山、新井浜の勤務が長期間になったのは同原告が自ら希望したことによるものであり、同原告自身それが嫌がらせであるとは認識していないことが認められる。
また、配転内示を撤回したため昇任を取消されたとする点については、原告天野親聡本人尋問の結果中に右主張に沿う供述があり、これによれば、原告天野親聡は昭和五二年六月下旬、当時勤務していた小松島支署から本関地区の小野浜出張所への配転とこれに伴って保税実査官に昇任することの内示を受けたこと、ところが、同原告が妻の健康上の理由から右配転に応じられないとして配転内示の撤回を要請し、原告組合も右配転に反対したことなどから、当局は右配転の内示を撤回するとともに保税実査官への昇任の内示を撤回したことが認められる。しかし、右昇任が配転に伴うものである以上、配転が取消されることによって昇任もできなくなることは、むしろ当然のことというべく(支署に留る限りその支署における定数枠の制約を受けることになる。)、このことをもって配転を断ったことに対する嫌がらせであるとはいえない。
なお、原告らは、このほかに嫌がらせの配転の例として、意に反して予想もしなかった支署に配転させられた(原告灰野善夫について)、家庭の事情で配転に応じられる状況でないのに配転させられた(原告柳沢尚について)などと主張しているが、そのような事情があるからといって直ちに嫌がらせの配転であるとはいえない。
(八)  差別によるみせしめ人事、嫌がらせ人事
原告らは、当局は亡横江威と同期入関者で、かつては同人より任官が遅く、しかも無断欠勤をして解雇問題になった経歴のある者を全税関組合員の脱退等に功労があり、前記懲戒免職された原告組合役員の裁判において当局側の証人として出廷したことから、昭和五三年に三等級の統括審査官に昇進させて同人と同じ職場に配置し、また、原告組合を脱退した原告川上俊智をその翌年に特別昇給させ、あるいは原告脇岡秀年を一〇年間も保税課だけに配置するなど、差別によるみせしめ人事、嫌がらせ人事を行なった旨主張する。
しかし、亡横江の同期入関者がたとえ原告主張のような経歴がありながら同人より上位の職に昇進したとしても、このようなことはその後の勤務実績によってあり得ないことではなく、それが原告ら主張のような理由によるものであることを認め得る証拠はない。また、このような者をかつての同僚であった同人と同じ職場に配置したとしても、これは限られた職場の中で適材適所の観点から行なわれる人事配置上やむを得ないことであり、いずれにしてもこれらのことがみせしめや嫌がらせの人事であるとはいえない。
原告川上俊智が原告組合を脱退した後に特別昇給をしたとの点の主張については、前掲〈書証番号略〉(昭和三六年初級組役職等一覧表)によれば、原告川上と同期、同資格の入関者中には原告組合から脱退した頃(脱退の時期は原告らの昭和五〇年二月一七日付準備書面別表(二)の記載による。)に特別昇給した者が少なからずみられる。しかし、その一方で、脱退しながら特別昇給しない者や脱退の時から三ないし六年後に特別昇給した者がいるなど、必ずしも脱退と特別昇給が結びついていないことに照すと、原告川上に対する特別昇給が脱退しない原告組合員に対するみせしめとしてなされたものであるとはいえない。
原告脇岡秀年が一〇年間同一職場にだけ配置されていたとする点については、それが如何なる理由でみせしめや嫌がらせのためになされたことになるのか原告らの主張やその引用する同原告の陳述書でも明らかではないが、もし、単に原告組合員であることが理由であるというのであれば、多くの原告組合員の中で同原告だけが組合所属を理由にみせしめや嫌がらせのために同一職場に長く配置されたとは考えにくい。
六  当局の各種会議における差別扱い方針についての評議と確認(いわゆるマル秘文書問題)
原告らは、東京税関で昭和四二年から昭和四四年にかけて開かれた幹部会議等において、人事対策、労務対策により全税関組合員を差別扱いし、全税関を破壊することを謀議したが、これらの会議で協議されたことは、同会議においては関税局で開かれた各税関の総務部長会議の協議事項等の結果報告がなされていることからみて関税局の指導のもとになされたものであり、神戸税関においても同様の組合対策が実施された旨、また、昭和六一年三月一九日と二〇日に開かれた各税関の総務部長会議及び同年四月一〇日と一一日に開かれた各税関の人事課長会議において、各税関における全税関所属組合員の処遇について第二組合とどの程度の差別をつけるかなどについて具体的、統一的に検討確認したが、このような差別方針は、基本的に本件係争期間当時から実施されてきた旨主張する。
1  東京税関の会議
(一)  前記主張の証拠として原告らが提出した幹部会議議事録等〈書証番号略〉の原本は入手経路は不明であり、文書の一部に欠落があるなど文書の一体性について疑問があるが、その形式及び記載内容に照し、一応東京税関が作成したもの(ただし、〈書証番号略〉の各一は関税局)と考えられる。
(二)  右証拠によれば、昭和四二年から昭和四三年にかけて開かれた東京税関の幹部会議等において、人事、労務対策等について協議がなされたが、このうち各税関に共通して神戸税関に関係があるとみられるのは次のものである。
(1) 昭和四三年一一月二九日の幹部会議において税関長から
「初級職試験合格者の採用について従前は人事院試験の成績が六五点以上の者を対象としていたが、昭和四三年からはこの制限をはずし、思想調査の必要から学校の選別や身元調査が強化されることになった。」旨説明がなされた。(〈書証番号略〉)。
(2) 昭和四二年四月一一日の部長会議において、総務部長から大蔵省関税局で開かれた全国の税関総務部長会議の結果報告として、七等級への昇格に格差をつけることについて当関(東京税関)と神戸税関とは矯正措置があった者に対してのみ慎重にやるべきであるとの意見であったが、横浜は当然やるべきであるという意見であった。矯正措置だけでは必ずしも成績不良と判定するのは問題だから成績不良の事実を逐一記録を取っておく必要があるとの意見があった。この問題は大蔵省全体として検討のうえ慎重に実施すべきであるとの意見を述べた旨の説明がなされた(〈書証番号略〉)。
(3) 右(2)の幹部会議において、右の総務部長会議の結果報告として、八等級に在職する若手層については特別昇給を行なってもメリットがないとの結論が出た旨の説明がなされた(右同)。
(4) 前(2)の幹部会議において、前記総務部長会議の結果報告として、勤務手当の減額について関税局はもっと突っ込んだ減額措置を検討したいと言っており、大多数の税関はやるべきだとする意見であった旨の説明がなされた(右同)。
(5) 前(2)の幹部会議において、前記総務部長会議で東京税関の総務部長が、本省は同盟の線で行くべきだとの意見であれば、誰もが納得のいく明確な理論を展開のうえ打出すべきであって、ただ神戸をたたえ東京を批判する書き方に一言意見を述べ、また、本省が労務対策について各関一律のやり方を強いるのはおかしいと指摘したなどと説明がなされた(〈書証番号略〉)。
(6) 昭和四二年一一月二四日の幹部会議において、全国総務部長会議の議題に関して税関長が勤勉手当に差別をつけるより現行の昇給延伸の方が必罰の効果が大きい旨発言した(〈書証番号略〉)。
(7) 昭和四二年九月一一日の幹部会議において、税関長から税関長会議の結果について、旧労古手の対策としてある税関長が専門官設置の意見を出したところ、本省から甘い考えであると批判された旨の説明がなされた(〈書証番号略〉)。
(8) 右(7)の幹部会議において、税関長から、右の税関長会議で税関長(東京)が官房長に対し、旧労対策は懸命にやっているが、もっと大切なことは新労を強くすることだと進言した旨説明がなされた(右同)。
(9) 前(7)の幹部会議において、前記税関長会議の結果として、財務調査官が、組合の混乱期は過ぎ、いわば平穏を保っているため、かつての生々しい経験を忘れがちである。この際かつての苦闘を思い起して管理体制を確立して欲しいと挨拶した旨説明がなされた。(〈書証番号略〉)。
(10) 昭和四二年四月二六日の部長会議において、服装規程についての協議が行なわれ、この中で服装規程は全税関組合員が制服を着用して組合活動を行なうことを制限するところにその目的がある旨の総務部長の説明がなされた(〈書証番号略〉)。
ところで、〈書証番号略〉の各一(関税局長の「税関職員の服制細則制定について」と題する昭和四二年四月七日付書面)が、制服の着用規定を欠く現状では職員が制服を着用したまま、早朝ビラ撒きをし、昼休みに職場集会に参加し、プラカードを持って行進し、ゼッケンをつけて登退庁し、街頭で募金活動を行なうことを法的に禁止することが困難であるので、これらの行為を禁止して服務規律の厳正化を図るため税関職員の制服の着用について服制細則を制定するとして、その問題点を示したうえ、各税関の意見を求める内容のものとなっていることに照すと、前記東京税関における服装規定についての協議は、右関税局長の求意見を受けてなされたものであるとみられる。
(三)  原告らは、前記(1)は、当局が初級職新規採用について試験成績よりも思想傾向を重視することにより新規採用者の全税関加入を防止することを狙ったもの、(2)は、関税局指導のもとに全国の税関が全税関所属の組合員に対し、いかにして昇格差別を行なうかについて論議した結果、組合活動を理由に厳重注意や訓告等の矯正措置を行ない、これを口実に七等級への昇格を差別するという従来の方針を再確認するとともに、成績不良の証拠を固める手段として現認体制の統一的方針を検討したもの、(3)は、特別昇給制度を人事対策の手段として有効に活用する方針を示したもの、(4)は、全税関組合員に対する勤勉手当の減額をより厳しくすることによって差別支配を強化することを狙ったもの、(5)は、第二組合を同盟路線に導くべきか否か、各税関一律の労務対策の押しつけの是非等について全国の総務部長会議で協議したこと及び神戸税関の第二組合の育成、特に同盟路線推進の実績について関税局が高く評価していることを示すもの、(6)は、全税関組合員に対し、いかにすれば打撃を加えることができるかを検討したもの、(7)は、全税関組合員に対する差別攻撃が関税局の積極的指導のもとになされたことを示すもの、(8)は、関税局と各税関が一体となって全税関攻撃と第二組合育成に腐心していることを示すもの、(9)は、全税関の分裂がほぼ完了し、第二組合が確立されて一応平穏を保っているからといって、職場の管理体制をおろそかにしてはならないという関税局の締めつけであり、(10)の服制規則の制定は、税関職員の職務遂行時以外での制服着用を禁じ、職務遂行時における制服着用を義務づけることによって全税関組合員の組合活動を制服面から規制するとともに、違反者に対して、違反を口実に矯正措置や懲戒処分を行なうことを狙ったものであると主張する。
そこで、右主張についてみるに、(1)については、当時の状況に照すと、原告らが主張するような意図が当局にあったことが窺われないではないが、その他の点についての原告らの主張は理由がない。
すなわち、(2)の七等級への昇格にあたって成績による差を設けることについての総務部長会議における協議が、全税関対策としてなされたものであることは推測に難くないが、右協議の内容を全体としてみれば、成績により差を設けることは慎重にすべきであるとするものであり、成績不良の事実を記録しておくというのも、差を設けるとすれば、成績不良の事実を明確にしておく必要があるというものであって、原告ら主張のように、組合活動を理由に矯正措置を行なってこれを口実に昇格差別をする方針を再確認したものであるとか、現認体制の統一的方針を検討したものであるとかまでいうことはできない。(3)の八等級在級者を特別昇給させないことは全税関組合員だけ対象となるものではない(このことは、弁論の全趣旨によって成立を認める〈書証番号略〉(神労ニュース)に、青年層の第一回目の特昇は入関七年目に行なうよう要求していることが記載されていることから窺われる。)から右特別昇給についての協議が全税関対策であったとはいえない。また、勤勉手当は、一定の範囲で勤務成績を反映させたものとなっているから、もし制度本来の趣旨と異なる運用がなされているとすれば、その適正な運用について検討を加えることは当然であるから、(4)の協議や関税局の発言などが必ずしも全税関所属組合員に対する差別強化を目的としたものであるということができない(ちなみに、〈書証番号略〉によれば、昭和五三年一〇月一三日の衆議院内閣委員会において、勤勉手当の成績率の運用について成績率をより高くすべきであるとの立場からの質疑がなされ、これに対し人事院総裁から同旨の意見が述べられている。)。(5)の東京税関総務部長の発言は、同税関の認識と見解を示すものに過ぎず、このことから総務部長会議における協議が原告ら主張のようなものであったとまではいえない。(6)の総務部長会議において勤勉手当について協議されたとしてもそれがどのような趣旨でなされたものかは、必ずしも明らかでない。もっとも、幹部会における税関長の発言は、勤勉手当や昇給延伸に懲罰の効果を期待していることが窺われるが、たとえそれが全税関組合員を念頭においたものであったとしても、税関長の見解であって、このことから総務部長会議の協議がこのような趣旨でなされたとはいえない。(7)の税関長の説明に表れた事実は、直ちに原告らの主張に結びつくものではない。(8)の税関長会議における東京税関長の発言は、東京税関に関して同税関長の意見を表明したものであり、直ちに原告らの主張に結びつくものではない。(9)の税関長会議における財務調査官の挨拶の内容は、その職責に照して、至極当然なことであって異とするに足りない。(10)の服制細則の内容は、職員が制服を着用したまま組合活動を行なうことを規制しようとするものであり、その対策として考えられたのは、当時の状況から全税関の組合活動であると思われる。しかし、右の細則は制服の着用を職務遂行時に限定しようとするものであって、組合活動それ自体を制約することを目的とするものではないことは、規定の内容から明らかであり、また、このような規制が制服貸与の制度趣旨に照して不合理であるとはいえないから、関税局が服制細則を制定しようとしたこと(制定されたかどうかは明らかでない。)が、規則違反を口実にして全税関組合員に対し矯正措置や懲戒処分を行なうことを狙ったものであるということはできない。
2  全国税関総務部長・人事課長会議
(一)  右会議に関する証拠として原告らが提出した〈書証番号略〉はその形式や内容から三つの文書に分けられる。その一は、同号証の一ないし四の「人事課長会議の開催及び議題について」と題する一体の文書(これを「文書一」という。)で昭和六一年四月一〇日開催予定の右会議の出席者及び議題等が記載されているものである。その二は、同号証の五、六の「議題3特定職員の上席官昇任及び七等級昇格付等にいて」の見だしで始まる二枚の文書とその付属文書であるとみられる同号証の七の「(参考)総務部長会議(六一・三・一九)の討議概要」との見だしで書かれているもの(これらを併せて「文書二」という。)であり、このうち同号証の五、六の文書は「先般の総務部長会議における討議を踏まえ、六一年度の上席官昇任及び七等級昇格基準等について討議する」として、上席官昇任及び七等級昇格について、対象者の範囲や基準についての種々の考え方が示され、また、四、五、六級昇格について、特定職員は、勤務成績が一般職員に比べて遜色のない者は超一選抜として一般の最終選抜に重ね、さらに優れている者は一般の第三選抜に重ねることにすることを確定事項とすることの可否を問う内容が記載されており、同号証の七の文書は、昭和六一年三月一九日の総務部長会議における特定職員の上席官昇任と七等級格付の範囲基準についての討議内容が記載されている。その三は、〈書証番号略〉の「昭和六〇年度(第二回)総務部長会議討議概要」と題する一体の文書(これを「文書三」という。)であるが、これには、上席官昇任及び七等級昇格のうち特定職員関係については別途連絡するとのみ記載されている。
なお、これらの文書に記載されている「特定職員」とは一般職員と対比して用いられていることから、全税関所属の職員を指すものとみられる。
(二)  人事課長会議の協議について
ところで、文書一はその形式及び内容からみて大蔵省関税局が作成したものと考えられる。そして、同文書に記載されている議題4の「特定職員の上席官昇任及び七等級昇格について」の欄は「(別紙)」となっているところ、文書二のうち〈書証番号略〉の文書が、前記のように「総務部長会議における討議を踏まえて六一年度の上席官昇任及び七等級昇格基準等について討議する」とされていることから、文書二は一見文書一の議題4に記載されている「(別紙)」であるかの如く考えられる。しかし両文書は、これに記載されている議題番号及び筆跡が異なっているばかりでなく文書一では議題とされていない「四、五、六級格付」についても文書二の協議事項とされているなど記載の形式及び内容に不一致がみられ、両文書の関連性に重大な疑問がある。しかも文書二のうち同号証の七の文書の「(3)、4、5、6級格付」欄の部分は、同じ文書のそれ以外の部分と筆跡が異なっているばかりでなく、内容も、「先般の総務部長会議における討議を踏まえ六一年度の上席官昇任及び七等級昇格等について協議する」とされている同号証の五の文書と異なっているなど不自然であり、文書二の他の部分と一体のものといえるかさえ疑わしい。
文書三は、文書一と筆跡は同一であるものの、その記載形式(上席官昇任及び七等級昇格のうち特定職員に関する分については別途連絡となっている)に照して、文書一の議題4の「(別紙)」であるとは考えにくく、具体的内容も不明である。そうすると、文書一に記載されている昭和六一年四月一〇日、一一日の人事課長会議において、特定職員の上席官昇任、七等級格付及び五、六級格付について、文書二に記載されていることが協議されたとは直ちに認めることができないといわなくてはならない。
(三)  総務部長会議の協議について
文書三は、その筆跡が文書一と同一であるから、文書一と同様に大蔵省関係者が作成したものとみられるが、この文書三によれば、昭和六〇年度第二回総務部長会議(〈書証番号略〉によれば、右会議は昭和六一年三月一九日と二〇日に開かれたことが認められる。)において、特定職員の上席官昇任及び七等級昇格問題についての協議がなされたことが認められるが、この文書三からは協議の具体的内容は不明である。一方、文書二には右総務部長会議における右問題についての討議内容として具体的な記載がされているが、この文書と文書三との関連性は必ずしも明らかであるとはいえないから、この文書三から総務部長会議において、上席官昇任及び七等級昇格について文書二に記載されていることが協議されたと認めることができない。
もっとも、文書二には、特定職員の上席官占有ポストには、昭和六〇年度に昇格した六名を含めて九名である旨記載されているところ、原告柳沢尚本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、昭和六〇年度における全税関所属の職員の上席官の人数と昇任年度は右文書二に記載されているところに合致していることが認められる。しかし、このことから直ちに文書二が関税局によって作成されたものであるとはいえないが、仮に関税局が作成したもの(ただし、「四、五、六級格付」の欄を除く。)であり、これに記載されていることが総務部長会議において協議が行なわれたとしても、右文書に記載されているところは、特定職員の上席官昇任の現状が一般職員の任用状況や特定職員の年齢構成などから説明が困難であるとして、特定職員の昇任者を増やすべきか否かについて、また、退職時までに七等級に昇格させるべきか否かについて協議するというものであって、このこと自体は全税関所属の職員を不利益に扱うというものではない(原告柳沢尚もその本人尋問の結果中において、七等級昇格は上席官昇任が遅れている全税関所属の職員について一般職員より昇格期間を短縮しようとするものである旨述べ、一定の評価をしている。)から、これについての協議が全税関所属職員に対する差別取扱い方針についての協議であるということはできない。また、文書二のうち、四、五、六級格付に関する部分は、前記のように他の部分と筆跡や内容を異にしていて他の部分の文書と一体性に疑いがあり、従ってその成立に疑問があるから、右の記載内容(特定職員の昇格の時期を一般職員の時期より遅らせること)について総務課部長会議において協議されたということはできない。
七  昇任、昇格、昇給に関する原告らの個別的事情
1  本件係争期間の昇任、昇格、昇給に関係がある個別的事情は同期間中の最終の昇給期である昭和四九年一月一日前のものであるから、本項において検討の対象とするのは、この分に限るものとする。
2  この個別的事情の認定に供した乙号証は後記のとおりであるが、このうち非違行為及びこれによる税関長の口頭の厳重注意に関するものの成立は、証人八代儀一、同大西昭三、同近藤悟、同嶋津久雄、同稲田虎義の各証言及び弁論の全趣旨により(非違行為に関するのは税関職員が作成した現認書等に基づいて税関訟務官が作成した。)これを認め、非違行為を理由とする文書による厳重注意及び訓告並びに懲戒処分に関するものは、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したことが認められるから真正な公文書と推定される。出勤状況に関するもののうち、出勤簿表示方法の例示(〈書証番号略〉)は弁論の全趣旨によって成立を認め、出勤簿(〈書証番号略〉)は前同様の理由により真正な公文書と推定され(ただし、原告の押印部分は成立に争いがない。)履歴事項証明書(〈書証番号略〉)は成立に争いがない。
3  ところで、非違行為に関する後記乙号証(現認書等)は、税関訟務官が既存の報告書を基にして(コピーし、その一部を削除して)新たな報告文書として提出されたものであるところ、原告らは、このような報告文書は作成者である訟務官の思想、意思が表出されたものとはいえず、原告らの職場の行為とは全く関連性がないから証拠価値は全くない旨主張する。
しかし、文書作成者である訟務官の意思は、原文書に記載されている内容を確認したことを報告する点においてその思想、意思を表したものであるというべく、その表記がコピー機を用いてなされていても、その理に変りがない。もっとも、このようにして作成された報告文書はそれ自体が原本として証拠となるから文書の記載内容との関連性は間接的に過ぎないものになるが、原文書が機械的に正確に写されたものである以上、原文書と証拠価値において異なるところがない。
4  (一番)原告稲松斉
(一)  格差の程度
原告稲松斉は、昭和四七年二月に、いわゆる双子俸である六―一四から五等級に昇格し、昭和四八年一月特別昇給した(このことは〈書証番号略〉によって認める。)ものの、係争期間終了当時(昭和四九年三月三一日)五―一三であったから、同期、同資格(昭和二四年旧中・高校組)の非組合員四八名のうち昭和四三年までに五等級に昇格した多数の者及び昭和四八年までに四等級に昇格した二五名に比べ昇格が少なくとも四年程度遅れている。また、係争期間終了当時の右非組合員の等級号俸は不明であるが、これを原告ら主張のとおりであるとして比較すると、同原告より上位の非組合員四二名のうち四―一二の四名を除いた三八名より一、二号俸相当程度低くなっている。しかし、右乙号証によれば、同原告は、係争期間終了日の翌日である昭和四九年四月一日に昇給して五―一四になったことが認められるから、実質的な格差はより少ないものとなる(比較の対象となる非組合員はそれぞれ昇給期を異にし、昇給延伸がなくても翌年一月一日まで昇給しない者もありうるから、格差の程度を考慮するうえで同原告の右昇給を無視することは相当でない。この点は、以下の原告らについても同じことが言える。)。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば同原告は、省庁等管理規則に基づく省庁等の一時使用の許可を受けないで開かれた別表四庁舎等無許可使用集会一覧表(以下「集会一覧表」という。)記載38・43の集会(以下、このような集会を「無許可集会」という。)に参加し、当局から中止するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(二番)原告塩田静夫
(一)  格差の程度
原告塩田静夫は、原告稲松斉と入関年度、資格が同じであるが、昭和四七年七月一日に双子俸である六―一五から五等級に昇格したから、同期、同資格の前記非組合員に比べて右原告と同様の昇格の後れが生じている。また、係争期間終了当時は五―一二であったから、号俸は前期の三八名に比べると二、三号俸程度低くなる。なお、〈書証番号略〉によれば、原告塩田は係争期間終了日の翌日に昇給し、五―一三になったことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載7・59・65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するように命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に二八回(42年10月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1日、同月3・4日)にわたってリボン、プレート(いずれも原告組合の要求等を書いたもの、以下同じ。以下、バッヂを含め「プレート等」という。)を着用し、上司から取外しの注意や命令(以下「注意等」という。)を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四八年八月二一日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三番)原告橋爪武司
(一)  格差の程度
原告橋爪武司も原告稲松斉と入関年度、資格が同じであるが、係争期間終了当時、六―一三であったから前記非組合員より昇格が遅れ、号俸は同期、同資格の非組合員三八名より四、五号俸相当程度低いものとなる。しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告橋爪は、年度途中(一二月)に入関したため、当初より昇格昇給が遅れていたうえ、係争期間前に病気による長期欠勤のため三九か月昇給が延伸されたことが認められ、これによれば、係争期間の当初において既に昇給がかなり遅れていたことが窺われるから、係争期間に生じた格差としてはその分だけ少ないものとなる。なお、右乙号証によれば、同原告は係争期間終了の日の翌日に五等級に昇格した。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載12・31・33・38・43・60・65・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に二〇回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26日、47年5月11日、同年7月12日、48年4月17日、同月24・25・26日、同年5月28日、同年6月29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五日(48年12月11日から同月15日まで)にわたってステッカー(原告組合の要求等を書いたもの、以下、同じ。)を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用、48年11月29日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかった。(ただし、47年5月11日、同年7月12日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四一年六月二日、臨時開庁中の午後五時過ぎから同一五分頃までの間、輸出課、統計課の組合員九名とともに業務部次長席に集り、口々に、渡り廊下の架設などについて次長に直接話合いをするように要求し、管理課長から臨時開庁中であるので自席に戻るよう注意されたのにこれに従わずに押問答を続けた。
ロ 同年八月三一日午後〇時四五分頃から同一時五分頃迄、業務部長室前において、輸出分会員一一名とともに原告能勢和彦の事故を公傷扱いにすることなどについて業務部長との面会を要求し、入室を阻止されて解散を求められたのに対し、口々に抗議して要求書の取次を求めて断られたので右要求書を読上げて解散した。
ハ 昭和四一年九月六日午後一時二〇分頃(勤務時間中)、業務部輸出二課において全税関新聞の仕分けをしてこれを課内の職員の机上に配付し、上司から中止するよう注意されたのにこれに従わないばかりか「いちいち細かいことをほじくるようなことはやめた方が良いですよ。」と抗議した。
(三)  勤務状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四一年と昭和四三年から四八年まで毎年5.5ないし二〇日の病気休暇があること、また、定刻(出勤簿整理時間の締切り時刻)に何の連絡もしないで出勤しないため出勤簿上事故扱いとされるもの(以下、これを「事故」という。)が、昭和四一年に二一回、昭和四二年に二五回、昭和四三年に一一回(このうち昭和四一年の一八回、昭和四二年の二〇回、昭和四三年の九回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(四番)原告山崎吉彦
(一)  格差の程度
原告山崎吉彦は、昭和四八年七月に双子俸である六―一五から五等級に昇格し、係争期間終了当時五―一二であったから九名全員が昭和四二年までに五等級に昇格し八名が昭和四七年までに四等級に昇格した同期、同資格(昭和二五年五級組)の非組合員に比べて昇格がかなり遅れ、号俸も右非組合員九名のうち四―一二以上の八名に比べて少なくとも四号俸相当程度低いものとなっている。しかし、〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間前、病気による長期欠勤のため普通昇給が二一か月延伸されていることが認められ、これによれば、係争期間の当初においてすでに他の同期、同資格の非組合員との間に相応の格差が生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載12・17・53・59・67・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四四年三月一四日から昭和四八年一二月一〇日までの間の勤務時間中に二三回(44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同年6月28・29日、同年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか一回(48年12月10日)ステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、47年6月10日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその職務命令に従わなかったことについて、税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉及び証人嶋津久雄の証言によれば、同原告は、小野浜第一方面事務所の主任として上司の保税主任官を補佐し、同主任官が休暇等により不在のときは同事務所の職員の出勤状況を保税課の勤務時間管理担当官に報告すべき立場にあったところ、上司から再三指示を受けたのにかかわらず、昭和四四年七月一九日、同月二八日及び同年八月二日の出勤状況について報告をしなかったばかりでなく、このことについて保税課長から注意を受けたのに対し、「出勤状況を報告するように締めつけられていることに疑問がある。組合と相談したい。」などと反論したこと、このことについて昭和四四年九月三〇日に税関長の文書による厳重注意がなされたことが認められる。
(五番)原告小林霞
(一)  格差の程度
原告小林霞は、昭和四九年一月一日、双子俸である六―一四から五等級に昇格し、係争期間終了当時、五―一一であったから昭和四四年までに五等級に昇格した大多数の同期、同資格(昭和二五年高校組)の非組合員に比べ昇格がかなり遅れている。また、係争期間終了当時の非組合員の号俸は不明であるが、これを原告ら主張のとおりであるとして比較すれば、非組合員五三名のうち五―一四以上の四三名に比べて少なくとも三号俸相当程度低いものとなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載14・16・18・19・21ないし25・35・44―3・54・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するように命じられた(ただし、23ないし25・35を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
なお、右25の集会について原告らは、原告前田信雄と同松本公が私的に話していただけであり集会ではないなどと主張するが、この点については前記五3(四)で述べたとおりである。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月五日までの間の勤務時間中に、四四回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年9月30日、同年10月5日、同月25・26日、同年12月4日、43年3月11日、同年7月23日、同年9月28日、同月30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月26日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、二回(48年12月13日、同月15日)テント(ボール紙等でテント状に作って表面に原告組合の要求等を書いたもの、以下、同じ。)を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、45年10月23日のリボンの着用と47年11月28日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について、次の事実が認められる。
イ 原告坂本檀に対する厳重注意が不当であるとして昭和四一年一二月六日午後五時五分頃、他の組合員六名とともに兵庫埠頭出張所総務課室に赴き、右処分の理由を聞くためとして所長との面会を要求し、「応対した三木総務係長が本人に説明してあるので、他の者に説明する必要がない旨答えたところ、原告坂本檀と同村田俊博の二名が右係長を振切って入室し、「間違った事実で人を処分してよいのか。」「こんな文書は無効だ。」「組合に対する弾圧だ。」などと大声で言って同日午後五時一五分頃まで抗議した。
ロ 昭和四四年八月二五日午前九時一〇分頃から同一一時三〇分頃までの勤務時間中に私用をし、この間に上司から注意されたのに対し、申告書の審査さえ終れば何をしてもよいのではないか。」「中条さんが、がたがた言うと今度から誤謬率を高めてやる。それでもよいか。」などと反論して従わなかった。
なお、右行為について昭和四四年一〇月三一日、同原告に対し税関長の文書による厳重注意がなされた。
ハ 昭和四八年一二月一〇日午後〇時三五分頃、小野浜分会員一五名とともに小野浜出張所総務課長室に赴いて所長との面会を要求し、うち三名(原告深田辰次、同小沢康七、同斎藤俊宏)が総務課長らの制止を振切って強引に所長室に入室し、所長が同会と交渉するよう要求し、さらに退室後、所長室前で全員が「所長が分会との交渉に応じよ。」などとシュプレヒコールした。
右のロについて、原告小林霞は、その本人尋問の結果中において、中条淳子主任がデッチあげたものである旨供述し、同原告の陳述書(〈書証番号略〉)にも同旨の記載がなされている。しかし、右供述は、当日の朝、職場で同原告及び中条主任を含む職員が異動後の職員配置表を見ながら雑談したことや、その内容を同原告がメモしたことなどを捉えて中条主任がデッチあげの現認書を作成したというものであるが、右現認書(これに基づいて作成された〈書証番号略〉)で問題とされているのはこのような朝の短時間のことではなく、出勤時から午前一一時四五分頃までのことであるから、同原告の右供述は右現認書の記載内容に対する的確な反論とはなり得ないものである。もっとも、右陳述書には、当日、二人が一組になって五つのパートに分れて審査を行なったところ、同原告のパートは他のパートに比べ最も多い件数を処理した旨記載されている。たとえ、そのとおりであるとしても、右の処理件数は当日一日分のものであるから、このことから直ちに午前中にも仕事をしたということにはならないし、他のパートより処理件数が多いのは、当日、他のパートに属する二名の職員が休暇をとっていた(このことは〈書証番号略〉によって認める。)ため、他のパートの処理能力が低くなったことによるものと考えられる。したがって、右原告小林霞の右供述及び陳述書の記載は前記ロの認定を覆すに足りない。
(六番)原告石見宣夫
(一)  格差の程度
原告小林霞に同じである(ただし、昭和四七年七月に六―一二から五等級に昇格)。しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告石見宣夫は係争期間前に長期病気欠勤及び勤務成績不良を理由として各三か月普通昇給が延伸されていることが認められ、これによれば、係争期間の当初において相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載31・33・38・43・59の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するように命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二六回(42年10月25日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、47年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22日、同月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和三九年一〇月九日から昭和四〇年五月八日まで病気のため勤務を欠き、このため昭和四〇年四月一日の昇給期において普通昇給が六か月延伸されたこと、このほか昭和四六年一月一四日から同年二月三日までの間も病気のため勤務を欠いたことが認められる。
(七番)原告藤田満夫
(一)  格差の程度
原告小林霞に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載12・17・72・74・75の各無許可集会に参加し(74の集会では支部長として挨拶をした。)、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったこと、右74・75の各集会において原告が指導的役割を果すなどしたとして74については昭和四三年一一月一八日に訓告(矯正措置)を、75については昭和四四年一〇月三一日に税関長の文書による厳重注意をそれぞれ受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に三四回(42年10月25日、43年9月28日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14・15日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・11・12・13・14日)にわたって腕章(全税関と書いたもの、以下同じ。)を着用し、このうち四回は右腕章の着用とともにステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一九日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、昭和四四年五月九日午後三時三〇分頃、新港第一方面事務所第二突堤分室のカウンター上に「ベトナム人民支援カンパ」の表示のある募金箱を置いて募金行為をしたことが認められる。
(八番)原告矢村繁夫
(一)  格差の程度
原告小林霞に同じ(ただし、五等級昇格は昭和四八年七月)。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告矢村繁夫は、集会一覧表記載8・12・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するように命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年五月二二日から昭和四八年七月九日までの間の勤務時間中に、一九回(43年5月22日、同年7月23日、同年9月28日、同年10月8日、同年12月13日、44年5月23日、45年10月13日、47年5月10日、同年6月9日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、事故が昭和四〇年に一二回、昭和四二年に一〇回、昭和四三年に八回、昭和四四年に一五回、昭和四七年に一二回、昭和四八年に一三回(うち昭和四〇年の二回、昭和四二年の一回、昭和四三年の三回、昭和四四年の九回、昭和四七年の九回、昭和四八年の一〇回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(九番)亡横江威
(一)  格差の程度
横江威は、原告小林霞と入関の年度、資格が同じであるが、係争期間終了当時、六―一四(五―一一相当)であったから同期、同資格の非組合員に比べて昇格が遅れ(なお、〈書証番号略〉によれば、係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。)、昇給も右原告らと同様の遅れが生じていることになる。しかし、右乙号証及び弁論の全趣旨によれば、同原告は係争期間前の昭和三五年に懲戒処分(減給)を受けたため、普通昇給が三か月延伸されたことが認められ、これによれば、係争期間の当初においてすでに相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、横江威は、集会一覧表31・33・52・59・65・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、横江威は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に三一回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26日、同年12月4日、43年9月28日・30日、同年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・11・13・14・15日)にわたって円柱(表面に原告組合の要求等を記載したもの、以下同じ。)を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(45年5月27日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、横江威について、次の事実が認められる。
イ 前記(三番)原告橋爪(3)イに記載した行為(ただし、横江威は超過勤務を命じられていない。)に参加した。
ロ 昭和四一年一二月二〇日午後〇時二〇分頃、超過勤務問題などについて、業務部長との面会を要求して組合員二〇名位で業務部長室に押しかけ、大山管理課長が部長が用務中で会えないと答えてのに対し、「部長はわれわれに会ってはっきり回答する義務がある。」などと言って同一二時四五分頃まで押し問答を続けた。
ハ 昭和四二年一月一六日、統計課において、無断で部外者に電動加算機による統計の集計作業を撮影させ、このことに注意をした上司に対し、「昼休みに職場の者が写して何故いけないのか。」などと抗議した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には昭和四五年に一一・五日、昭和四六年に一一日、昭和四八年に一八日の病気休暇があることが認められる。
(一〇番)原告大屋広隆
(一)  格差の程度
亡横江威に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、同原告も係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告大屋広隆は、集会一覧表記載16・19・22ないし24・46・55・59・66・70・72・74・75の各無許可集会に参加し(16・55の集会では分会長として司会した。)、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、23・24を除く。)のにこれに従わなかったこと、右の46と55の集会において原告が主導的役割を果したなどとして昭和四一年一二月六日に、70の集会に参加したことなどについては昭和四二年一二月四日にいずれも税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月二〇日から昭和四八年七月九日までの間の勤務時間中に、三〇回(42年6月20日、同年7月21日、同年10月21日、同月25日、43年6月29日、同年7月6日、同月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すように注意を受けたのに、これに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一九日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四〇年六月二日、勤務時間中である午前九時一三分頃、ほか六名とともに兵庫出張所玄関前で組合のビラを配布した。
ロ 右同日午前一一時五〇分頃から午後〇時一〇分頃まで、外八名とともに賃金公開ゼッケンを胸背部に掲げて中埠頭出張所一階業者溜り場一帯を徘徊して職員らに話しかけ、総務課長からゼッケンを外すように注意されたのに従わず、退去するよう求められたのにこれに応じなかった。
ハ 昭和四三年七月六日午後〇時三五分頃から同五五分頃までの間に、中埠頭出張所において、プレート着用について注意を受けたことについて、他の組合員四名とともに中埠頭出張所総務課長に抗議した際、同課長や同席した他の課長に対し、「納得のいくように話をせんか。何が権限外だ。権限外でも上司に伝えて的確な返事をしても損はせんやろう。それが課長の務めと違うか。」「そこらの課長連、よう考えてみい。自分らの部下が定昇を停止されているのによう知らん顔できるな。それでも課長か。」などと暴言を吐いた。
ニ 昭和四四年七月五日午後〇時三五分頃から同四二分頃までほかの組合員六名とともに執務中の輸出通関七部門の関税審査官を取巻くようにし、同審査官から執務の支障になるので退去するよう求められたのに、原告高瀬崇夫の普通昇給が延伸された理由を説明するよう執拗に要求した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には事故が昭和四六年に八回、昭和四七年に七回、昭和四八年に一四回(このうち昭和四八年の八回は交通期間延着による遅刻)があることが認められる。
(一一番)原告大塚宏圀
(一)  格差の程度
横江威に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告大塚宏圀も係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。
また、右乙号証及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間前の昭和三五年及び昭和三六年にそれぞれ懲戒処分(戒告)を受け各三か月普通昇給の昇給が延伸されたことが認められ、これによれば、係争期間の当初において相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は集会一覧表記載6・33・43・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、6を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二七回(42年10月25日、43年9月20日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、前記(三番)原告橋爪(3)イに記載した行為に加わったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四五年に病気のため16.5日勤務を欠いたことが認められる。
(一二番)原告桶谷孝史
(一)  格差の程度
原告桶谷孝史は、係争期間終了当時、六―九であったから、当時すでに五―一〇になっていた同期、同資格(昭和二五年中学組)の非組合員四名に比べて昇格、昇給がともに遅れており、四号俸相当の格差が生じている。しかし、〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間終了の翌日に六―一〇に昇給したことが認められる。しかも、弁論の全趣旨によれば、係争期間当初においてすでに昇給が一号俸程度遅れていたことが認められる(原告ら主張でも、昇給・昇格等一覧表の標準者より一号俸低くなっている)。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四七年一一月二八日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、一二回(47年11月28日、48年4月17日、同年4月23・24・25・26日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと(ただし、昭和48年4月17日の着用は除く。)が認められる。
(三)  出勤その他の勤務状況
〈書証番号略〉及び証人荒川八郎の証言並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(1) 同原告は、昭和四二年頃から病気がちで勤務能率がかなり劣っていたため、係争期間において、勤務成績不良の理由で四回(六か月二回、三か月二回)普通昇給が延伸された。また、昭和四七年四月五日から同年八月四日まで病気により勤務を欠いていたためさらに三か月普通昇給が延伸された。
(2) これらのことについて同原告は、昭和四六年以降、当局からさまざまの圧迫を受け、昭和四七年四月五日から同年六月一〇日まで病気ではないのに無理矢理入院させられ、同年八月になって漸く出勤を許されるようになったなどとして、神戸弁護士会人権擁護委員会に救済の申立てをしたところ、同委員会は、当局に同原告の能力に応じた仕事を与えたり、事務の改善を図るなどして同原告の精神的負担の軽減を図る配慮に欠けるところがあったとしながらも、当局の対応を人権侵害と認めることができず、入院も母親の同意に基づいてなされたものであるとして、申立てについては処置しないものとした。
(一三番)原告今村奈智子
(一)  格差の程度
原告今村奈智子は、原告桶谷孝史と入関年度、資格が同じであるが、係争期間終了当時、六―一一であったから同期、同資格の前記非組合員に比べて昇格が遅れ、号俸も二号俸程度低いものとなっている。しかし弁論の全趣旨によれば、原告桶谷と同様に、係争期間の当初においてすでに同期、同資格の者より一号俸程度昇給が遅れていたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載20・59の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四四年七月一〇日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に一八回(44年7月10日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10日から同月14日まで)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するように注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二一日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四三年三月一日から同年五月二〇日まで病気により勤務を欠き、同年七月一日の昇給期において普通昇給が三か月延伸されたこと、このほかにも、昭和四四年に16.5日の病気休暇があり、さらに昭和四八年五月一〇日から同年七月九日まで病気により勤務を欠いたことが認められる。
(一四番)亡服部正治
(一)  格差の程度
服部正治は、係争期間終了当時、四―一一であったから、その殆どが昭和四七年までに三等級相当職に昇任した同期、同資格(昭和二六年六級組)の非組合員に比べて昇任、昇格が遅れている。また、係争期間終了当時の同期、同資格の非組合員の等級号俸は明らかでないが、これが原告ら主張のとおりであるとして比較すると、非組合員一八名のうち三―一二以上の一一名より五号俸相当以上低くなる。しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同人は、係争期間前、長期病気欠勤や懲戒処分(減給)を受けたことにより二度にわたって合計一八か月普通昇給が延伸されたことが認められ、これによれば、係争期間の当初においてすでに相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる(原告らの主張においても昇給・昇格等一覧表の標準者より一号俸低くなっている。)
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、服部正治は、集会一覧表記載7・20・39・44―4・54・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、39を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、服部正治は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に三六回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年9月30日、同年10月5日、同月21日、同月26日、43年3月11日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3日)にわたり、プレート等を着用したほか、四回(48年12月11・12・13・14日)にわたって角柱(表面に原告組合の要求等を書いたもの、以下同じ。)を机上に掲出し、上司からの取外しや撤去するように注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用、47年6月9・10日のプレート着用は除く。)のに、これに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、服部正治は、昭和四七年二月八日から同年三月三一日まで病気のため勤務を欠いたこと、また、事故が昭和四〇年に二五回、四一年に九回(このうち昭和四〇年の八回、昭和四一年の一回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(一五番)原告鷲見重信
(一)  格差の程度
原告鷲見重信は、昭和四八年七月に双子俸である六―一四から五等級に昇格し、係争期間終了当時、五―一一であったから昭和四二年までに八名が四等級に昇格した同期、同資格(昭和二六年五級組)の非組合員一一名に比べて昇格が遅れ、号俸も右一一名中四―一一以上の九名より四号俸相当低いものとなっている。しかし、〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間前の昭和二九年に特別昇給したものの、その後にも長期の病気欠勤により普通昇給が一五か月延伸されたことが認められ、これによれば、同原告は係争期間の当初においてすでに相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載7・20の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四五年五月二七日から昭和四八年九月一九日までの間の勤務時間中に、一三回(45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・25・26日、同年6月28日・29日、同年9月18・19日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四一年二月一五日から同四三年五月一〇日まで病気のため勤務を欠き(この間の昭和四三年二月一五日から同年五月九日までは休職)、さらに復職後の昭和四三年下期に二四日間病気のため勤務を欠き、このため普通昇給が一五か月延伸されたこと、このほか昭和四八年の上期にも16.5日の病気休暇のあることが認められる。
(一六番)原告室屋修
(一)  格差の程度
原告室屋修は、原告鷲見重信と入関年度、資格が同じであるが、昭和四八年二月に双子俸である六―一六から五等級に昇格し、係争期間終了当時、五―一二であったから同期、同資格の前記非組合員より昇格が遅れ、号俸は、非組合員一一名のうち四―一一以上の九名より三号俸相当低くなっている。なお、〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間終了の日の翌日に五―一三に昇給したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載4・42・47―1・53・59・67・71・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、71を除く。)のにこれに従わなかったこと、右42の集会については、当日の朝、分会長であった同原告は上司から許可を受けるよう警告されたがこれに従わず、また4・47―1・53の集会において司会や演説をするなどしたこと、このため昭和四一年一二月六日に同原告が右42・47―1・53の各集会に指導的役割を果し、再三の解散命令にも従わなかったとして税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二五回(42年10月21日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年12月13日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、昭和四二年から昭和四五年まで毎年5.5ないし11.5日の病気休暇のあることが認められる。
(一七番)原告能勢和彦
(一)  格差の程度
原告能勢和彦は、昭和四八年七月に双子俸である六―一五から五等級に昇格し、係争期間終了当時、五―一一であったから、昭和四八年と昭和五〇年には四等級に昇格した同期、同資格(昭和二六年旧専組)の非組合員二名に比べて昇格が遅れ、号俸も右二名のうち低い号俸の一名(五―一四)と比べても三号俸低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載8ないし11・38・43・59・60・65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、9ないし11を除く。)のにこれに従わなかったことを認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月三日までの間の勤務時間中に、三〇回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年12月1・3日)にわたってプート等を着用し、上司から取外しするように注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二一日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三番)原告橋爪のイ、ロに記載した各行為に加わったことが認められる。
(一八番)原告岩根晟
(一)  格差の程度
原告岩根晟は、係争期間終了当時、六―一二であったから、昭和四五年までに五等級に昇格した同期、同資格(昭和二六年高校組)の非組合員の大部分の者に比べて昇格が遅れている。また、係争期間終了当時の非組合員の等級号俸は明らかでないが、これを原告らの主張のとおりであるとして比較すると、右非組合員のうち五―一三以上の一〇〇名より少なくとも四号俸給相当低くなる。しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間前の昭和三二年に特別昇給したものの、一方において二度にわたる長期病気欠勤により併せて三三か月普通昇給が延伸されたことが認められ、これによれば係争期間の当初においてすでに相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違法行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は集会一覧表記載12・27・29・52・59・65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二九回(42年10月25日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたって、プレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(五番)原告小林の(3)ハに記載した行為に参加した(ただし、同原告は入室しなかった。)ことが認められる。
(三)  〈書証番号略〉によれば、同原告については事故が昭和四〇年に一九回、昭和四一年に二四回、昭和四三年に二一回、昭和四四年に一六回(このうち昭和四〇年の六回、昭和四一年の四回、昭和四三年の二回、昭和四四年の四回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(一九番)原告植田邦彦
(一)  格差の程度
原告植田邦彦は、原告岩根晟と入関の年度、資格が同じであるが、昭和四二年に特別昇給し、昭和四九年一月に双子俸である六―一四から五等級に昇格して係争期間終了当時、五―一一であったから、前記同期、同資格の非組合員に比べて昇格が遅れている。また号俸も五―一三以上の一〇〇名より少なくとも二号俸低くなる、しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間前、長期病気休暇により、普通昇給が三か月延伸されたことが認められ、これによれば係争期間の当初において相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載56・68・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月六日から昭和四八年六月二九日までの間の勤務時間中に二五回(42年10月6日、同月21日、43年6月7日、同年7月23日、同年9月28日、同月30日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・25・26・27日、同年5月28日、同年6月28・29日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、47年6月9日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて、税関長の口頭による厳重注意を受けたこが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には昭和四三年に一一日、昭和四四年に六日、昭和四五年に一〇日の病気休暇があること、また、時間休(事前の届出のある遅刻、早退)が昭和四四年から昭和四七年まで毎年二九ないし四一回あることが認められる。
(二〇番)原告牛込尹人
(一)  格差の程度
原告牛込尹人は、原告岩根晟と入関の年度、資格が同じであるが、係争期間終了当時、六―一三であったから、前記同期、同資格の非組合員に比べて昇格が遅れている(なお、〈書証番号略〉によれば、係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。)。また、号俸も五―一三以上の一〇〇名よりも少なくとも二号俸相当低くなる。しかし、右乙号証及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間前、長期病気欠勤により二四か月普通昇給が延伸されたことが認められ、これによれば、右期間の当初において相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載8・12・33・55・66の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四七年五月一一日から昭和四八年一二月一一日までの間の勤務時間中に、一一回(47年5月11日、同年6月9日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日)にわたってプレート等を着用したほか、二回(48年12月10・11日)円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(48年4月24・25・26日のプレート着用を除く。)のに、これに従わなかった(47年5月11日、同年6月9日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四〇年に事故が二七回(うち八回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(二一番)原告奥田康雄
(一)  格差の程度
原告奥田康雄は、原告岩根晟と入関年度、資格が同じであるが、昭和四九年一月双子俸である六―一四から五等級に昇格するとともに、特別昇給して係争期間終了当時、五―一二であったから、前記同期、同資格の非組合員に比べて昇格が遅れている。また、号俸も五―一三以上の一〇〇名よりも少なくとも一号俸低くなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告奥田は、集会一覧表記載5の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四四年三月一四日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二四回(44年3月14日、同年7月10日、45年4月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月28・29日、同年7月9日、同年9月19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(48年7月9日、同年11月29・30日を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、48年4月25日、26日のプレート着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(二二番)原告古賀照敏
(一)  格差の程度
原告植田邦彦に同じ(ただし、特別昇給の時期は左記のとおりであり、五等級昇格は昭和四八年七月)である。〈書証番号略〉によれば、原告古賀照敏は、係争期間の直前に特別昇給し、係争期間の当初において原告植田邦彦より一号俸高くなっていたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告古賀照敏は、集会一覧表記載44―2・56・58・59・68・71・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年九月二八日から昭和四八年一二月一三日までの間の勤務時間中に三一回(42年9月28日、同年10月6日、同月25日、43年3月23日、同年9月30日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月3・4日)にわたって、プレート等を着用したほか、二回(48年12月12・13日)角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(42年9月28日のプレート着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四一年二月二二日の勤務時間である午後一時三〇分頃、組合資料を兵庫埠頭出張所輸出課と監査第一部門の職員の机上に配付し、上司から注意をされたのに「仕事に影響がないからかめへん。」と言って続行し、さらに配付を終了した後、課長に対し、注意を受けたことについて抗議をしたことが認められる。
(二三番)原告坂本柏
(一)  格差の程度
原告坂本柏は、原告岩根晟と入関年度、資格が同じで、係争期間終了当時、六―一四であったから、前記同期、同資格の非組合員に比べて昇格が遅れ、号俸も五―一三以上の一〇〇名より二号俸相当低くなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載12・15の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四七年五月一〇日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間内に、二三回(47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章及びプレート着用をするとともにステッカー、円柱、角柱(角柱は15日のみ)を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一九日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(二四番)原告杉原光三郎
(一)  格差の程度
原告坂本柏に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告杉原光三郎は、係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。また、右乙号証及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間前に、成績不良を理由に普通昇給が三か月延伸されたことが認められ、これによれば、同原告は、係争期間の当初において相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は集会一覧表記載12・17・27・29・52・59・65・72・74各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三二回(42年10月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月26・27・28・29・30日、同年12月1・3日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四五年一一月五日、庁舎敷地内に「明るい革新県政を作る会」のシンボルマークのステッカー(直径約一五センチメートル)を貼付した自家用車を置き、上司から右ステッカーを取り外すよう命じられたのに「マークを付けた車はほかにも多く走っている。」などと抗弁し、すぐには従わなかったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四一年に八回、昭和四六年に一〇回(このうち昭和四一年の一回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(二五番)原告中石雅康
(一)  格差の程度
原告植田邦彦と同じである。しかし、〈書証番号略〉によれば、原告中石雅康は、係争期間前に長期の病気欠勤のため普通昇給が六か月延伸されたことが認められ、これによれば、係争期間の当初においてすでに相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違法行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載8・12・15の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四五年一〇月二三日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二七回(45年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・25・26・28日、同年5月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月19・21・22日、同月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、上司から席を離れるときは断って行くよう注意を受けていたのに「係内で連絡し合ってやっているから係長に断って行く必要はない。などと抗弁し、昭和四〇年六月二六日、二九日及び同年七月二日にそれぞれ無断で離席したことが認められる。
(二六番)原告林義男
(一)  格差の程度
原告林義男は、原告岩根晟と入関の年度、資格が同じで、昭和四九年一月に五等級に昇格し、係争期間終了当時、五―一〇であったから、前記同期、同資格の非組合員に比べて昇格が遅れており、号俸も五―一三以上の一〇〇名より少なくとも三号俸程度低くなっている。しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告林は、係争期間前に懲戒処分(戒告)を受けて普通昇給が三か月延伸されたことが認められ、これによれば、係争期間の当初においてすでに相応の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載8・11・12・32・59・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(11・32を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年七月二三日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二五回(43年7月23日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26・同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(48年12月3日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年六月一五日、原告結縁俊雄及び白川弘視が勤勉手当を差別支給されたとして右原告ら組合員一〇名とともに輸出保税課長に抗議し、この中で「何ではっきり(理由を)言えんのや、できんというのはデッチあげだからやろう。」などと暴言を吐いたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四一年八月二四日から同年一一月一七日まで病気のため勤務を欠き、昭和四二年一月一日の昇給期の普通昇給が三か月延伸されたこと、このほかにも昭和四三年には七日の病気休暇があること、また、昭和四〇年には一二回、昭和四五年には一五回の事故(このうち昭和四〇年の七回、昭和四五年の二回は交通機関延着による遅刻)があることが認められる。
(二七番)原告前田信雄
(一)  格差の程度
原告前田信雄は、原告岩根晟と入関年度、資格は同じで、係争期間終了当時、六―一四であった(〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告前田は係争期間中に成績不良を理由に普通昇給が三か月延伸されたことが認められる。)から前記同期、同資格の非組合員に比べて昇格が遅れている。また、号俸も五―一三以上の一〇〇名より少なくとも二号俸相当低くなる。なお、右乙号証によれば、原告前田は、係争期間前の昭和二九年に特別昇給したこと、係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載14・16・18・19・21ないし25・35・44―2・54・59・72・74・75の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、23ないし25・35を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三八回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年9月30日、同年10月5・6日、同月21日、同月25日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同月31日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日、なお、42年7月21日はリボンとバッヂ)にわたってプレート等を着用したほか、二回(48年12月10・11日)円柱を、四回(48年12月12日から同月15日まで)円柱及び角柱を机上に掲出し、上司からその取外しや撤去するよう注意等を受けた(42年6月7日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかった(45年10月31日のバッヂの着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月二一日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について、次の事実が認められる。
イ 前記(五番)原告小林の(3)イ及び(一〇番)原告大屋の(3)イ、ロに記載した行為に加わった。
ロ 昭和四〇年四月二八日午後一時三〇分頃、兵庫埠頭出張所第一部門前業者カウンター上に税関職員賃金公開のプラカードを置き、上司から仕事の邪魔になるので除去するように命じられたのに、「こんなことぐらい良いでしょう。」などと抗弁してすぐには従わなかった。
また、同月三〇日午前九時三〇分頃、同所作業用机上に右プラカードを置き、上司から片付けるよう命じられたのに「邪魔にならないでしょう、こうしておけば皆も見てくれるでしょう。」などと言って従わなかった。
ハ 昭和四〇年六月一五日午前九時頃、兵庫埠頭出張所所長室に無断で入室し、所長らから退去するよう要求されたのに約一〇分間にわたって、組合の要求書の受取と組合との交渉を要求した。
ニ 昭和四〇年六月三〇日の勤務時間である午前九時四五分頃、兵庫埠頭出張所鑑査第一部門の自分の机の下にオロナミンCドリンク五〇本を置いて販売行為をした。
ホ 昭和四〇年九月一日及び昭和四一年三月一二日の勤務時間中に兵庫埠頭出張所鑑査第一部門において組合のビラを配布し、昭和四四年三月一四日の勤務時間中に同出張所輸入部第九部門において組合のリボンを配布した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年五月一〇日から同年七月六日まで病気のため勤務を欠いたのをはじめとして昭和四一年、昭和四四年、昭和四六年、昭和四七年及び昭和四八年に年間5.5ないし七日の病気休暇があることが認められる。
(二八番)原告山岡荘太朗
(一)  格差の程度
原告坂本柏に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告山岡荘太朗は、係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。
また、右乙号証及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間前に懲戒処分(戒告)を受け、普通昇給が三か月延伸されたことが認められ、これによれば、右期間の当初において相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・6・13・32・53・59・67・71・72・74の各無許可集会に参加し(53の集会では同原告は開会を宣した。)当局から中止解散するよう命じられた(6・32・71を除く。)のにこれに従わなかったこと、昭和四一年一二月六日、右53の集会において同原告が指導的役割を果たしたなどとして税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年九月一九日までの間の勤務時間中に、二八回(42年10月21日、同月25・26日、43年7月23日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9・10日、同年9月18・19日)にわたってプレート等を着用し上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(二九番)原告加藤不二男
(一)  格差の程度
原告加藤不二男は、係争期間終了当時、双子俸である六―一四であったところ、同期、同資格(昭和二七年四級組)の非組合員は二名に過ぎないので処遇がほぼ同じと認められる昭和二六年高校組の非組合員(原告岩根晟らの比較対象とされたもの)と比較すると、昇格が遅れ、号俸も五―一三以上の一〇〇名よりも少なくとも二号俸相当低くなる。なお、〈書証番号略〉によれば、係争期間終了の翌日に五等級にしたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告加藤は、集会一覧表記載15・20・52・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、15を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月一九日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、三二回(42年10月19・21・25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、42年10月19日のリボン着用、45年5月27日のプレート着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、勤務時間内である昭和四〇年八月二八日午前九時一七分頃、監査第一部門において組合のビラを配布し、上司から注意されたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には昭和四七年(上期)に19.5日の病気休暇のあることが認められる。
(三〇番)原告寺地健
(一)  格差の程度
同原告は、係争期間終了当時、六―一三であったから、六四名のうち五〇名が昭和四六年までに、一〇名が昭和四八年までに五等級に昇格した同期、同資格(昭和二七年高校組)の非組合員に比べて昇格が遅れている。右非組合員の係争期間終了時の等級号俸は不明であるが、これを原告ら主張のとおりであるとして比較すると、非組合員六六名(ただし、原告ら主張では、昭和二七年組の二名も含まれている。)のうち五―一二以上の四八名より少なくとも二号俸相当低くなる。しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間前に懲戒処分(戒告)を受けたことにより昇給が三か月延伸されたことが認められ、これによれば、右期間の当初において相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・19・24・25・39・44―3・54・59の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、24・25・39を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年七月二一日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務期間中に、二一回(42年7月21日、同年9月30日、同年10月5日、同年12月4日、43年12月13日、47年6月9日、48年4月17日、同月23・24・26日、同年5月28日、同年6月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、四回(48年12月10・11・12・14日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、47年6月9日のプレート着用を除く。)こと、この間の昭和四八年八月二五日に同年四月一七日から同年六月二九日までの間のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は前記(五番)原告小林の(3)イ、ハ及び(一〇番)原告大屋の(3)ロに記載した各行為に加わったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四一年(下期)九日、昭和四二年に25.5日、昭和四三年に一四日、昭和四五年に五日、昭和四七年に九日、昭和四八年に7.5日の病気休暇があることが認められる。
(三一番)原告間処康成
(一)  格差の程度
原告寺地健に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載4・52・59・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年一〇月八日から昭和四八年一二月一日までの間の勤務時間中に、二六回(43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・25・26日、同年5月28日、同年6月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四五年(上期)に八回、昭和四七年(下期)に一〇回、昭和四八年(上期)に一三回(このうち昭和四五年の三回、昭和四七年の一〇回、昭和四八年の一三回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(三二番)原告安福弘
(一)  格差の程度
原告寺地健に同じ。しかし、〈書証番号略〉によれば、原告安福弘は係争期間前の昭和三六年に特別昇給したことが認められ、これによれば右期間の当初において号俸が相応に高くなっていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載40・50・56・58・59・68・71ないし74の各無許可集会に参加(40・58の集会は司会)し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、40・71・73を除く。)のにこれに従わなかったこと、昭和四一年一二月六日に右50・56の集会に指導的役割を果したなどとして税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三九回(42年6月7日、同年9月28日、同年10月6日、同月21日、同月25日、同年11月10日、同月18日、43年3月23日、同年6月7日、同月28日、同年7月23日、同年9月28日、同年12月13日、44年3月14日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用と、その取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長から厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、次の事実が認められる。
イ 昭和四二年一〇月二〇日及び同月二三日、摩耶出張所総務課長が同所二階ホールの組合掲示板に掲出されていた総評・公務員共闘会議の「一〇・二六ストライキ宣言」と題する文書の撤去命令を伝達するため、摩耶分会長である原告安福弘に課長席に来るように求めたが、同原告は「業務に関係がないから課長自ら出向いてもらいたい。」などと言って呼出に応じず、同課長から右文書を撤去するよう命じられたのにこれに従わなかった。
ロ 昭和四二年一〇月二〇日と同月二三日、右命令にかかわらず撤去されなかった右文書の撤去作業中の摩耶出張所総務課長らに対し同原告らは、他の組合員とともに無断で離席し、同総務課長らに対し「組合の財産を何故勝手に取るのか。」「勝手に剥がすな。」などと言って抗議した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四四年四月二四日から昭和四五年四月二八日まで病気のため勤務を欠き、昭和四五年一月一日の昇給期において普通昇給が九か月延伸されたこと、このほかにも昭和四三年に一一日、昭和四五年に一四日、昭和四六年に18.5日の病気休暇のあることが認められる。
(三三番)原告高橋章
(一)  格差の程度
原告高橋章は、原告寺地健と入関年度、資格が同じであるが、昭和四九年一月に五等級に昇格し、係争期間終了当時、五―一〇であったから、前記同期、同資格の非組合員に比べて昇格が遅れ、号俸も五―一二以上の四八名より少なくとも二号俸相当低くなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載33・52・59・68・71・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に、三四回(42年6月7日、同年10月6日、同月21日、同年11月18日、43年6月28日、同年7月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1日)にわたってプレート等を着用したほか、四回(48年12月10・11・13・14日)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四八年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(九番)横江の(3)ロ、ハ及び(三二番)原告安福の(3)ロに記載した各行為に加わった。
なお、右(九番)(3)ハの行為に関し、関係者から事情を聴取していた課長に対し、「何んでそんなことを聞く必要があるのか。」と言い、さらに事情を聞かれていた相手方にも「そんなことを話す必要がない、帰れ、帰れ。」と言って、右事情聴取を妨害した。
また、(三二番)(3)ロの行為の際、「仕事が第一だと言っておきながら時間中に職制を集めて何だ、仕事が停滞するので帰せ。」などと言って抗議し、さらに昭和四二年一〇月二三日にも組合の掲示文書を撤去していた総務課長らに対し「泥棒やめなさい。勝手にひとの物をとるな。」などと言って抗議した。
ロ 昭和四五年一一月四日午前八時三〇分頃、摩耶出張所輸出部門において、明るい革新県政をつくる会発行にかかる機関紙(内容は、近く行なわれる兵庫県知事選挙において革新県政の実現を呼びかけるもの)を職員の机上に配布した。
また、同月一三日午前八時五〇分頃にも、右同所で、明るい革新県政をつくる会国公共闘支部発行にかかる「国公労働者の力で革新兵庫県の夜明けを」と題して、同会が推薦する候補者に投票を呼びかける内容のビラを職員の机上に配布した。
(三四番)原告田代勝
(一)  格差の程度
原告田代勝は、原告寺地健と入関年度、資格が同じであり、昭和四二年と昭和四六年にそれぞれ特別昇給し昭和四八年七月に双子俸である六―一四から五等級に昇格して係争期間終了当時、五―一一であったが、なお、前記同期、同資格の非組合員に比べて昇格が若干遅れている。また、号俸も五―一二以上の四八名より少なくとも一号俸低くなる。しかし、〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間終了の翌日に五―一二に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載17・41・55・66・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、41を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年七月二一日から昭和四八年九月一九日までの間の勤務時間中に、一二回(42年7月21日、同年10月21日、43年7月6日、44年5月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、48年4月24・26日、48年9月18・19日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、42年10月21日、43年7月6日のプレートの着用、及び45年5月23日のバッヂの着用を除く。)ことが認められる。
(三五番)原告岩本武司
(一)  格差の程度
原告寺地健に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告岩本武司は、係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載52・59・72・74・75の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月五日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三二回(42年10月5日、同月21・25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、45年10月23日、同月30日、47年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月26・27・28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(42年10月21日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかった(45年10月30日のバッヂの着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一九日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四五年一一月一四日午前八時五五分頃から同九時一〇分頃まで、輸入部事務室の職員の机上に、明るい革新県政をつくる会国公共斗支部発行のビラ(内容は前記(三三番)原告高橋の(3)ロのビラに同じ。)を配布した。
ロ 昭和四八年一〇月一二日の昼休みに原告組合員一三名で摩耶出張所総務課長補佐に所長との面会の取次を求め、同課長補佐から、課長が不在なので戻ってくるまでまつように言われたのにこれを無視して所長室に入室し、所長に対し、「もっと、お前らは勉強しろ、何もわかっとらん。」「所長、全税関を敵視すればどういうことになるか覚えておけ。」「所長、あんたは椅子にふんぞり返って何を威張っているのだ。たかが一出張所の所長じゃないか、我々の委員長は局長と同格だぞ、そう何時までも所長室に座っていられると思うな。」と侮辱的、脅迫的言辞を用いて分会と交渉するか否かの返答を迫ったが、この中で原告岩本武司は「所長、態度が大きいぞ。」などと暴言を吐いた。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四七年四月一〇日から同年六月三日まで病気のため勤務を欠いたこと、また事故が昭和四〇年に七回、昭和四一年に二〇回、昭和四三年に二二回あることが認められる。
(三六番)原告青木俊夫
(一)  格差の程度
原告青木俊夫は、昭和四八年七月に双子俸である六―一四から五等級に昇格し、係争期間終了当時、五―一一であったから、昭和四三年に五等級に昇格した同期、同資格(昭和二八年五級組)の非組合員二名に比べると、昇格が遅れ、号俸も四号俸相当低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、集会一覧表記載42・47―2・53・59・67・72・74の各無許可集会に参加し当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三五回(42年10月21日、43年7月6日、同月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22日、同月28・29日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等をされた(ただし、42年10月21日及び43年10月8日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四〇年に三一回、昭和四一年に四七回、昭和四三年(上期)に一五回、昭和四六年に一八回、昭和四七年に二一回、昭和四八年に一七回(このうち昭和四〇年の八回、昭和四一年の一三回、昭和四三年の九回、昭和四六年の七回、昭和四七年の六回、昭和四八年の三回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(三七番)原告榎本和行
(一)  格差の程度
原告青木俊夫に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告榎本和行は、係争期間前に長期病気欠勤と懲戒処分を受けたことにより、二度にわたって併せて九か月普通昇給が延伸されたこと、及びその間に特別昇給したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載7・20・52・59の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四七年五月一〇日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に二四回(47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月26・27・28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたって、プレート等を着用したほか六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二一日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三五番)原告岩本の(3)ロに記載した行為に加わったことが認められる。
(三八番)原告越塚健
(一)  格差の程度
原告越塚健は、係争期間終了当時、六―一三であったから、六七名のうちの大部分の者が昭和四八年二月までに五等級に昇格した同期、同資格(昭和二八年高校組)の非組合員に比べて昇格が遅れている。また、号俸も右非組合員のうち五―一一以上の五五名より少なくとも一号俸相当低くなる。しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、入関前の職歴加算により初任給が他の者より二号俸高くなっていることが認められ、これによれば、係争期間の当初における等級号俸も他の者より相応程度高くなっていたことが窺われるので、係争期間に生じた格差としてはその分大きいものとなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載41・46・66の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、41を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月二〇日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に一七回(42年6月20日、同年7月21日、同年10月25・26日、47年5月11日、48年4月17日、同月23・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたってステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう命じられたのにこれに従わなかった(47年5月11日のプレートの着用を除く。)ことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四一年九月一六日から同年一一月五日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四〇年に八日、昭和四三年に11.5日、昭和四五年に5.5日、昭和四六年に4.5日、昭和四七年に四〇日、昭和四八年に三二日の病気休暇があることが認められる。
(三九番)原告小島久
(一)  格差の程度
原告小島久は、原告越塚健と入関年度、資格が同じで、係争期間終了当時、六―一二であったから、同期、同資格の前記非組合員に比べて昇格が遅れ、号俸も五―一一以上の五五名より少なくとも二号俸相当低くなっている。しかし、〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間前に長期病気欠勤により普通昇給が九か月延伸されたことが認められ、これによれば、係争期間の当初においてすでに相応の昇給の遅れが生じていることが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・6・28・30・32・34・36・37・45・48・51・52・57・59・61ないし65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、6・32・34・36・37・45・57を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち57・62・64の集会において同原告は指導的役割を果したとして昭和四二年五月一八日に税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三五回(42年6月19・20日、同年10月5日、同月21日、同月25日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同月31日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・11・12・13・15日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと(ただし、45年10月31日のバッヂの着用を除く。)が認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和三九年二月二五日から同年四月一八日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四三年に一四日、昭和四七年に一一日、昭和四八年に6.5日の病気休暇があることが認められる。
(四〇番)原告坂本檀
(一)  格差の程度
原告小島久に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載15・35・44―4・54・59・72・74の各無許可集会に参加し、(44―4の集会では司会し、54では開会宣言をした。)当局から中止解散するよう命じられた(ただし、15・35を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち44―4・54の集会において同原告が指導的役割を果したとして昭和四一年一二月六日に税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に四〇回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年9月30日、同年10月5日、同月21日、同月25・26日、同年11月10日、同年12月4日、43年3月11日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同年23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意を受けたのにこれに従わなかった(ただし、45年5月27日及び47年6月10日のプレート着用は除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、次の事実が認められる。
イ 同原告は、昭和四〇年四月一九日午後一時四〇分頃の勤務時間中に原告藤池とともに本関から運んできた組合の賃金公開看板を中埠頭出張所二階に持込もうとした。
また、昭和四一年二月一七日午後一時三〇分頃の勤務時間中に兵庫埠頭出張所総務課において、組合支部ニュースを配布した。
ロ 前記(五番)原告小林の(3)イ及び(三五番)原告岩本の(3)ロに記載した各行為に加わった。
(三)  勤務状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四五年七月一四日から同年一二月一四日まで病気のため勤務を欠き、昭和四六年四月一日の昇給期において普通昇給が六か月延伸したことが認められる。
(四一番)原告津村勝次
(一)  格差の程度
原告小島久に同じ。
しかし、〈書証番号略〉によれば、原告津村勝次は、係争期間終了の翌日に六―一三に昇給するとともに五―一〇に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載42・47―2の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四五年五月二七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二五回(45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・11・12・14・15日)にわたってステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(四二番)原告中川和
(一)  格差の程度
原告小島久に同じ。
しかし、弁論の全趣旨によれば、原告中川和は、係争期間の当初において、昇給が三か月遅れていたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載47―2・53・67の各無許可集会に参加し(67の集会では冒頭に挨拶した。)、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月一二日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二三回(42年10月12日、同月26日、47年5月11日、同年6月10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、3回(48年12月13・14・15日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四三年七月二日、東部出張所長村田実から、同年六月二七日に庁舎の掲示場所以外の場所に組合文書を掲示したことについて厳重注意された際、同所長に対し「馬鹿野郎」と叫んだ。
ロ 前記(五番)原告小林の(3)ハに記載した行為に加わった。
右イに関して、同原告は、第二陳述書(〈書証番号略〉)において、同原告の行為は、短冊型のステッカーを東部出張所の玄関から約一〇メートル離れた公道の街路樹に吊り下げたものであり、庁舎等管理規則の適用を受けるものではなく、厳重注意を受ける筈がない旨述べる。しかし、掲出されたものがビラと言えるかの点はともかくとして、〈書証番号略〉によれば、組合文書(ステッカー)が取り付けられたのは神戸税関の敷地内に植栽され、国有財産台帳に搭載されている樹木であることが認められるところ、〈書証番号略〉によれば、庁舎等管理規則の適用される庁舎等とは神戸税関が運用する土地、建物、工作物、その他の施設であるから、同原告の行為は庁舎等管理規則の適用を受けるものであることは明らかである。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四〇年に一二回、昭和四七年に一〇回、昭和四八年に三七回(このうち昭和四七年の六回、昭和四八年の二五回は交通機関の延着による遅刻)あること、また、病気休暇が昭和四〇年に5.5日、昭和四三年に九日、昭和四七年に八日、昭和四八年に12.5日あることが認められる。
(四三番)原告結縁俊雄
(一)  格差の程度
原告小島久に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告結縁俊雄は、係争期間中に勤務成績不良を理由に普通昇給が三か月延伸されたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載8・11・12・32・37・45・48・51・57・59・61ないし65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、11・32・37・45・57を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、三一回(42年6月19・20日、43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日、43年10月8日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二一日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 上司から席を離れるときは断って行くように注意されていたのに、昭和四〇年六月二六日、同月二九日及び同年七月一、二日、無断で離席し、「うちの係だけ一々報告して行けと言われてもそんなことできません。」などと抗弁した。
ロ 前記(九番)横江の(3)ロ及び(二六番)原告林の(3)に記載した各行為に加わった。
(四四番)原告宮村融
(一)  格差の程度
原告小島久に同じ。しかし、弁論の全趣旨によれば、同原告は、入関時期がやや遅かったため昇給が三か月遅れていたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載16・18・24・54・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、24を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二三回(42年6月19日、同年7月21日、同年10月5日、同月21・25日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18日、同年11月28日、同月29・30日、同年12月1日、同月4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(四五番)原告田中二朗
(一)  格差の程度
原告小島久に同じ。〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告田中二朗は、年度途中の入関(一二月)であるため九か月昇給が遅れていたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載31・33・38・43・52・59・60・65・72・74の各無許可集会に参加し(43の集会では外部支援団体代表者を紹介するなどした。)、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、五〇回(42年6月19・20日、同年10月21・25・26日、同年12月6・7・8・9・11・12・14・15・16日、43年2月16・17日、同年5月22日、同年7月23日、同年9月27・28・30日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、四回(48年12月11・13・14・15日)にわたって腕章を着用するとともにテント(テントについてはさらに48年12月10日の一回)を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(三番)原告橋爪の(3)イ、ロ及び(九番)横江の(3)ロに記載した各行為に加わった。
ロ 昭和四二年四月一四日午後三時三〇分頃から同四時頃まで(勤務時間中)、業務部輸出業者溜まりにおいて、輸出入業者に都知事選挙の資金カンパを求め、募金活動を行なった。
ハ 昭和四五年一一月一三日午後〇時五分頃、兵庫埠頭出張所輸入部門において、明るい革新県政をつくる会国公共闘支部発行のビラ(内容は前記(三三番)原告高橋の(3)ロと同じ。)を職員の机上に配布した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四〇年に一二回、昭和四三年に一九回、昭和四四年に一二回(このうち昭和四〇年の三回、昭和四三年の一回、昭和四四年の三回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(四六番)原告植田明
(一)  格差の程度
原告植田明は、係争期間終了当時、六―一二であったから、昭和四八年までに全員が五等級に昇格した同期、同資格(昭和三〇年四級組)の非組合員三名に比べて昇格が遅れており、号俸もそのうちの一名より一号俸相当、一名より二号俸相当それぞれ低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載53・59・67・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったこと、このうち74の集会に同原告が積極的に参加したなどとして昭和四三年一一月一八日に税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に三五回(42年10月21日、同月25・26日、43年3月14日、同年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月26・27・28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともに角柱(角柱についてはさらに48年12月10日に一回)を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告については次の事実が認められる。
イ 昭和四一年五月一〇日午前九時二五分頃(勤務時間中)、衆参議院議長宛の原告組合の請願署名用紙を配布した。
また、同年五月二七日午後一時二〇分頃(勤務時間中)及び同月三一日午後一時二二分頃(同)業務部統計課において、組合のニュース(ビラ)を配布した。
ロ 前記(三番)原告橋爪の(3)イ及び(三五番)原告岩本の(3)ロに記載した各行為に加わった。
ハ 昭和四一年六月二五日午後〇時二〇分頃、他の職員に超過勤務が命じられないことについて話合っていた課長から勤務中だから自席に戻るように再三命じられたのに、「課長が話さないなら帰らない。」と言って従わず、抗議を続けた。
ニ 昭和四三年一〇月五日午前八時四〇分頃、東部出張所本館食堂内の原告組合掲示板に総評公務員共闘会議の「ストライキ宣言」と題する書面を掲示した。
ホ 昭和四五年七月九日午後〇時二五分頃から同三二分頃まで、小野浜出張所庁舎内において「原爆被災者救援募金」と朱書した大型封筒を持って職員に対し募金をした。
(四七番)原告稲岡辰男
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男と同期、同資格(昭和三二年四級組)の非組合員三七名は、うち一七名が昭和四八年八月までに、一九名が昭和四九年八月八日までにいずれも五等級に昇格したことが認められるが、係争期間終了当時の等級号俸は不明である。仮に原告主張のとおりであるとして比較すると、当時、六―九であった同原告は、五等級に昇格していた二九名より昇格が遅れ、号俸も五―八以上の二七名より少なくとも二号俸相当低くなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・28・30・32・34・36・37・45・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、32・34・36・37・45を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四四年三月一四日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に二三回(44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和三九年七月二五日から同年九月一七日まで病気のため勤務を欠いたほか昭和四三年に16.5日、昭和四八年に7.5日の病気休暇があることが認められる。
(四八番)原告延藤寿成
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男と同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載8・43・68の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二五回(42年6月7日、同年9月28日、同年10月6日、同月21日、43年6月7日、同月28日、同年7月23日、同年9月28日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年12月4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四八年八月二五日に同年四月一七日から同年六月二九日までのプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(四九番)原告加藤木良和
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告加藤木良和は、集会一覧表記載18・44―3・54・59・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三九回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年9月30日、同年10月5日、同月21日、同月25・26日、43年3月11日、同年7月23日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月26日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたってステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用、47年5月10・11日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四三年七月二四日から同年一一月一六日まで病気のため勤務を欠き、同年一〇月一日の昇給期において、普通昇給が三か月延伸されたこと、このほかにも昭和四〇年に5.5日、昭和四一年に七日の病気休暇があることが認められる。
(五〇番)原告高須賀四郎
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、原告高須賀は、昭和四七年五月一〇日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に二一回(47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3日)にわたって、プレート等を着用したほか五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(五一番)原告塚本章義
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告塚本章義は、集会一覧表記載12・27・29・52・59・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月六日から昭和四八年一二月一一日までの間の勤務時間中に、二六回(42年10月6日、同月21日、43年12月13日、44年3月14日、同年7月10日、45年10月23日、47年5月10日、同年6月9日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・4日)にわたってプレート等を着用したほか二回(48年12月10・11日)テントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、47年7月12日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四〇年に8.5日、昭和四二年に一〇日、昭和四三年に9.5日、昭和四五年に5.5日の病気休暇があることが認められる。
(五二番)原告野口和正
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、原告野口和正は、昭和四八年四月一七日の勤務時間中にプレートを着用し、上司から取外すよう注意を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(五三番)原告原田晃寛
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告原田晃寛は、集会一覧表記載43の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年一二月一三日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に二五回(43年12月13日、44年3月14・15日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年12月4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意を受けた(ただし、43年12月13日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二一日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたほか、昭和四八年八月二七日にも同年四月一七日から同年六月二九日までの間のプレート着用につき同様の注意を受けたことが認められる。
(五四番)原告平田雍彦
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告平田雍彦は、集会一覧表記載47―2・52・59・65・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、四二回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26日、同年12月4・6・7・8・9・11・13・14・15日、43年9月28日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月28日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、43年6月19・20日のリボン着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(五五番)原告藤野英弘
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・13・28・30・32・34・45・51・52・57・59・64・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、32・34・45・57を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月六日から昭和四五年一〇月二三日までの間の勤務時間中に、一一回(42年10月6日、同月21日、43年6月7日、同月28日、同年7月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三二番)原告安福の(3)ロに記載した行為(ただし、二〇日の分)に加わったことが認められる。
(五六番)原告真下陳夫
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ(ただし、昭和三一年度三級職採用試験合格)。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載55・59・66・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月二〇日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、三三回(42年6月20日、同年7月21日、同年10月21日、43年7月6日、同月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用について税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四四年八月二七日午後〇時三五分頃から同一時五分頃までの間、輸出統計輸出第二係において、組合員三名(原告橋本重国、同松本公ほか一名)とともに中条淳子主任を取囲み、同主任が原告高野和子に関して現認書を書いたとして、交々激しい口調で「書いたのか書かないのか、どっちや言うてみよ。」「白ばくれるな、書いたら書いたと言えばよいやないか、正直に言え。」「そんなもん(昼食のこと)どうでもええわい、はよう出したかどうか返事をすればいいのや。」などと言って現認書を書いたことについての確認を迫り、さらに机を叩くなどして「僕等がそれによって重大なことになってもお前らはよいと言うのか。」「部下が昇給昇格延伸になってもよいのか。」「どこにおいとるか言え。」「早く出して破れ、破らんかい。」「大体お前が来てから統計課が乱れる、お前は統計課を出ていけ。」「主任が現認書を書くとか注意するとか出しゃばるな、お前は基本通達に出ていることだけして電話連絡だけしておればいいのだ、よけいなことをするな。」「早く現認書を出せ、上から取下げてこい。」などと暴言を吐いた。
ロ 昭和四五年一一月三〇日、洋酒スタンド「アルプス」で飲酒中、居合せた客から暴行を受けたため、同店経営者の女性に相手の名前を尋ねたところ、同女が知らないと答えたことに立腹し、カウンター上の銚子、盃、コップ等を払い除けて破損した。
また、その後も、同店を訪ねる度に前記客の名前を聴きだそうとし、昭和四六年四月に同店を訪れた際にも、右経営者に右客の名前を聴いたが、同女がなおも知らない旨答えたので立腹し、銚子、皿等を破損した。
このため、昭和四六年九月一日、国家公務員としてふさわしくない行為であるとして税関長の文書による厳重注意を受けた。
ハ 昭和四五年一二月七日午前九時二五分頃、輸出統計第二係の自席において、原告橋本重国の勤勉手当が減額されたことについて、大声で、「税関の中で一人のカットではないか、税関で一番成績が悪いのか、こんなところで馬鹿らしくて仕事などできるかい、どこが橋本が悪いんや、はっきりしてもらおうや、いいかげんな仕事をするな。」「橋本、反省することなんかない、係長が悪いから第二係からカットが出たのや、一体係長は何をしとるのや、何でこんなことを言って悪いのや。」などと言って上司を非難した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四〇年に一二回、昭和四四年に一六回、昭和四五年に一九回、昭和四六年に一五回(このうち、昭和四〇年の四回、昭和四四年の一一回、昭和四六年の四回は交通機関の延着による遅刻)あること、また、病気休暇も昭和四〇年に五日、昭和四二年に六日、昭和四四年に二〇日、昭和四五年に二二・五日、昭和四六年に一三日、昭和四七年に一五日、昭和四八年に一八日あることが認められる。
(五七番)原告桝本清
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告桝本清は、集会一覧表記載74の無許可集会に参加し、上司から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二七回(42年6月19・20日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、47年5月10日、同年6月9・10日、同年7月13日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともにステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年三月二一日から同年四月六日まで(一四・五日)病気のため勤務を欠いたことが認められる。
(五八番)原告木村次尾
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ(ただし、昭和三〇年度三級郵政職員採用試験合格)。しかし、〈書証番号略〉によれば、原告木村次尾は、年度途中(昭和三二年一一月一日の入関であるため当初から九か月昇給が遅れていた(なお、係争期間内に特別昇給した。)ことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載20・59の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年一二月二五日までの間の勤務時間中に、二六回(42年10月25・26日、44年3月14日、同年7月10日、45年10月23日、47年6月9日、同年11月28日、48年4月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22日、同月28・29・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、一四回(48年12月10日から同月15日まで、同月17日から同月22日まで、同月24・25日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年九月二五日から同年一一月二一日まで病気のため勤務を欠いたことが認められる。
(五九番)原告田中順子
(一)  格差の程度
原告田中順子と同期、同資格(昭和三二年高校組、ただし、〈書証番号略〉によれば、同原告は、行(二)職員として採用され、昭和三五年四月に行(一)に切換えられたことが認められる。)の非組合員三名の係争期間終了当時における等級号俸は不明であるが、これを原告ら主張のとおりであるとして(ただし、原告らの主張では二名となっている。)比較すると、同原告の等級はかわらないものの号俸は右の二名より一、二号俸低くなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載12・20・40・56・58・59・68・71・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、40・71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三四回(42年6月7日、同年9月28日、同年10月21日、43年3月23日、同年7月23日、同年9月28日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、47年7月12日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三二番)原告安福の(3)ロに記載した抗議行動に加わった。
(三)  出勤状況
弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和三八年一月一七日から同年二月一九日まで病気のため勤務を欠いたことが認められる。
(六〇番)原告高瀬崇夫
(一)  格差の程度
原告高瀬崇夫は、係争期間中に勤務成績不良を理由として普通昇給が六か月延伸され(このことは〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によって認められる。)右期間の終了当時、六―一〇であったところ、同期、同資格(昭和三三年中級組)の非組合員の存在が不明であるから、原告らの主張に従い昭和三〇年四級組の非組合員三名(原告植田について比較対象とされた者)と比較すると昇格が遅れており、号俸も少なくとも二号俸相当程度低いものとなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載8ないし10・38・43・52・59・60・65・72・74の各無許可集会に参加し(38・43の集会では副分会長として開会の辞を述べるなどした。)当局から中止解散するよう命じられた(ただし、9・10を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、四三回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25日、43年7月23日、同年9月28・30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22・24・28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から15日まで)にわたって腕章を着用するとともにステッカー(ステッカーについてはさらに48年12月10日に一回)を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(三番)原告橋爪の(3)イ、ロ、(九番)横江の(3)ロ及び(一〇番)原告大屋の(3)ニに記載した各行為に加わった。
ロ 昭和四三年九月九、一〇、一一日に輸出部通関第七部門の自分の机の上に原爆被曝者救援のための募金箱を置いて募金行為をし、上司から再三撤去するよう命じられたのに、「全税関労働組合は庁舎管理規則を認めていない。」などと抗弁して、右命令に従わなかった。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉、証人近藤悟、同八代儀一の各証言によれば、同原告は、事故が昭和四〇年に二九回、昭和四一年に四二回、昭和四三年に三二回、昭和四四年に一三回(このうち、昭和四〇年の九回、昭和四一年の一七回、昭和四三年の一八回、昭和四四年の六回は、交通機関の延着による遅刻)があるほか、時間休が昭和四一年に二七回、昭和四四年に二三回、昭和四五年に三六回、昭和四六年に二〇回、昭和四七年に二七回、昭和四八年に四三回あること、このため仕事の分担の決定などに支障が生じるとして上司から再三注意がされたこと、また、昭和四〇年及び昭和四三年から昭和四八年まで毎年五日から一〇・五日の病気休暇もあることが認められる。
(六一番)原告小沢康七
(一)  格差の程度
原告高瀬崇夫に同じ。しかし、〈書証番号略〉によれば、原告小沢康七は、年度途中の入関(昭和三三年一〇月)であるため、同期、同資格(昭和三三年中級組)の者とは当初からすでに昇給が遅れていたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載14・16・18・21ないし23・25・35・39・44―4・54・59・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、23・25・35・39を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、四二回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年9月30日、同年10月5・6日、同月21日、同月25・26日、同年12月4日、43年3月11日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四二年一〇月一九日午後五時一五分頃(超過勤務命令が出されたため勤務時間中)に無断で離席し、兵庫埠頭出張所庁舎の組合掲示板に掲示されていた違法文書を撤去する作業をしていた総務課職員に抗議した。
また、かねて上司から勤務時間に職場を離れるときは上司の許可を得るよう注意されていたのに、昭和四三年一月二九日午前一一時二八分頃(勤務時間中)、無断で職場(兵庫埠頭出張所)を離れ、本関に行った。
ロ 前記(五番)原告小林の(3)ハ及び(一〇番)原告大屋の(3)ニに記載した各行為に加わった。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、時間休の回数が極めて多く、昭和四〇年一九回、昭和四四年四三回、昭和四五年五八回、昭和四六年七〇回、昭和四七年六一回、昭和四八年六〇回に及んでいることが認められる。
(六二番)原告北本恵一
(一)  格差の程度
原告北本恵一は、係争期間終了当時、六―八であったから、同期、同資格(昭和三三年初級組)の非組合員一三名のうち六―九、一〇の一二名より一、二号俸低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載52・59・65の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四七年五月一〇日から昭和四八年一二月一〇日までの間の勤務時間中に、二〇回(47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、一回(48年12月10日)ステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四二年八月二三日から同年一一月一六日まで病気のため勤務を欠いたことが認められる。
(六三番)原告下前春生
(一)  格差の程度
原告下前春生は、原告北本恵一と入関の時期、資格が同じであるが係争期間終了当時、六―七であったから、同期、同資格の前記非組合員のうち六―九、一〇の一二名より二、三号俸低いものとなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告下前春生は、集会一覧表記載41・55・58・68・71ないし74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、41・71・73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に、三四回(42年6月7日、同年10月6日、同月21日、同月25日、同年11月10日、43年3月23日、同年9月28・30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、二回(48年12月10・11日)テント、二回(48年12月13・14日)角柱、一回(48年12月12日)角柱及びテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、前記(三二番)原告安福の(3)ロに記載した無断離席の抗議行動(昭和四二年一〇月二〇日の分)をしたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和三八年九月一七日から同年一〇月一九日まで、同月二二日から昭和三九年一月五日まで及び同年四月一七日から昭和四〇年三月六日まで病気のため欠勤し、昭和三九年一〇月一日の昇給期において普通昇給が一二か月延伸され、また、昭和四六年三月二六日から同年六月二五日まで病気のため勤務を欠いて、さらに三か月普通昇給が延伸されたこと、このほか昭和四五年には八・五日、昭和四八年には七日の病気休暇のあることが認められる。
(六四番)原告辻一清
(一)  格差の程度
原告北本恵一に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告辻一清は、集会一覧表記載52・59・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年一二月一三日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二六回(43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年7月12日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月26・27・28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四四年三月一四日午前九時一〇分頃(勤務時間内)から、及び昭和四五年一〇月二三日午前九時五分頃(同)から、輸入部航空部門の職員の机上に組合のビラを配布した。
ロ 前記(三五番)原告岩本の(3)ロに記載した行為に加わった。
(六五番)原告村田俊博
(一)  格差の程度
原告北本恵一に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告村田俊博は、集会一覧表記載14・16・18・19・21ないし24・44―2・54・59・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三七回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年9月30日、同年10月5日、同月21日、同月25・26日、同年11月9日、同月28日、同年12月4日、43年3月1・2日、同月11日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22・24日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・11・12・14・15日)にわたって腕章を着用するとともに円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、42年11月28日のバッヂ着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四〇年五月二六日午後一時四〇分頃(勤務時間)、兵庫埠頭出張所第一部門において、同年六月二日午前九時一三分頃(同)、同出張所玄関前において、組合ニュース(ビラ)を配布した。
ロ 前記(五番)原告小林の(3)イに記載した行為に加わった。
ハ 昭和四二年一〇月一九日午後五時過ぎ頃(超過勤務命令による勤務時間)無断離席し、原告古谷太郎とともに兵庫埠頭出張所の組合掲示板に掲出されたストライキ宣言文を撤去作業中の金田総務課長に抗議した。
(六六番)原告岩本宏
(一)  格差の程度
原告北本恵一に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告岩本宏は、集会一覧表記載4・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四七年五月一〇日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二一回(47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(六七番)原告中山勝治
(一)  格差の程度
原告北本恵一に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告中山勝次は、集会一覧表記載20・50・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に、四三回(42年10月21日、同月25・26日、同年12月8日、同月15日、43年5月22日、同年9月28・30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月20・21・22・24日、同月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10日から同月14日まで)にわたって円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、43年9月28日、同月30日のリボン着用及び昭和48年7月9日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四〇年に一七回、昭和四一年に一九回、昭和四二年に三一回(このうち、昭和四二年の七回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(六八番)原告松本公
(一)  格差の程度
原告北本恵一に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告松本公は、集会一覧表記載21・22・24・25・44―1・49・54・59・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、24・25を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、四〇回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年9月30日、同年10月5日、同月21日、同月25・26日、同年12月4日、43年3月11日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次に事実が認められる。
イ 昭和四〇年六月二日午前九時一三分頃(勤務時間)に、兵庫埠頭出張所玄関前において組合のビラを配布した。
ロ 前記(五六番)原告真下の(3)イに記載した抗議行動に加わって、暴言を吐いた。
(六九番)原告大塚大三
(一)  格差の程度
原告大塚大三は、係争期間終了当時、六―七であったから、同期、同資格(昭和三三年高校組)の非組合員一四名のうち六―八、九の一三名に比べると、号俸が一、二号低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載42・47―1・53・59・67・71・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、一九回(42年10月21日、同月25・26日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(七〇番)原告佐々木範明
(一)  格差の程度
原告佐々木範明は、原告大塚大三と入関の年度、資格が同じで、係争期間終了当時六―六であったから、同期、同資格の前記非組合員のうち六―八、九の一三名より号俸が二、三号低くなっている。しかし、〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間終了の翌日に六―七になったことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載8ないし11・42・47―2・53・59・67・71ないし75の各無許可集会に参加し(74の集会では書記長として決議文を読上げた。)、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、9ないし11・71・73を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち74の集会において同原告は指導的役割を果したなどとして、昭和四三年一一月一八日訓告(矯正措置)を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二二回(42年10月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月26・27日)にわたってプレート等を、六回(48年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート及び腕章を着用したほか、五回(48年12月11ないし15日)にわたって国公兵庫と記載した腕章を着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
同原告は、昭和四一年六月一一日午前九時一八分頃から同二三分頃まで(勤務時間)、執務中の東部出張所繊維担当職員に対し、国家公務員法改悪反対、首切り処分撤回の署名用紙を渡し、説明するなどして署名運動をした。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四五年三月二日から同年五月二二日まで病気のため勤務を欠き、昭和四六年一月一日の昇給期において普通昇給が三か月延伸されたこと、このほか昭和四七年一月一八日から同年二月二九日の間も病気のため勤務を欠いたことが認められる。
(七一番)原告高嶋初一
(一)  格差の程度
原告大塚大三に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告高嶋初一は、集会一覧表記載8ないし11・38・43・52・59・65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、9ないし11を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から同四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三〇回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月28日、同年9月18日、同年11月28・29日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から15日まで)にわたって円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日、44年5月23日のリボンの着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一九日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(三番)原告橋爪の(3)ロに記載した行為に加わった。
ロ 昭和四二年四月二二日午前一一時二〇分頃から同三三分頃まで(勤務時間)、業務部輸出三ないし六部門の職員の机上に組合の分会ニュースを配布した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、事故が昭和四〇年に五六回、四一年に一五回(このうち昭和四〇年の三四回、昭和四一年の三回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(七二番)原告高谷安則
(一)  格差の程度
原告大塚大三に同じ。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、原告高谷安則は、昭和四二年六月七日から昭和四四年五月二三日までの間の勤務時間中に、八回(42年6月7日、同年10月6日、同月21日、43年3月23日、同年9月30日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日)にわたってプレート等を着用し上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、42年10月6日のリボン着用を除く。)ことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、事故が昭和四〇年に二三回、昭和四一年に一六回、昭和四四年に一一回(このうち、昭和四〇年の一一回、昭和四一年の八回、昭和四四年の一一回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(七三番)原告中島健
(一)  格差の程度
原告大塚大三に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載40・50・56・58・68・71・72・74に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、40・71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二九回(42年6月7日、43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、三回(48年12月12・14・15日)にわたって全税関と書いた腕章を着用するとともに組合の要求等を書いた円柱(円柱についてはさらに48年12月10日に一回)机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば一、二、によれば、前記(一〇番)原告大屋の(3)ニに記載した抗議行動に加わったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四二年に二一日、昭和四五年に六・五日の病気休暇のあることが認められる。
(七四番)原告深田辰次
(一)  格差の程度
原告深田辰次は、原告大塚大三と入関の時期、資格が同じであるが係争期間中に成績不良を理由に普通昇給が三か月延伸され(このことは〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によって認める。)、係争期間終了当時、六―六であったから、同期、同資格の前記非組合員に比べて原告佐々木範明と同様の昇給の遅れが生じている。しかし、右乙号証によれば、同原告は、係争期間終了の翌日に六―七になったことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載41・46・55・66・70・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、41を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち、70の集会(この集会が開かれた事情は五3(四)で述べたとおりである。)において、同原告が反抗的態度を示したなどとして後記(3)ハの行為と併せて、昭和四二年一二月四日、税関長の訓告を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は昭和四二年六月二〇日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に、三二回(42年6月20日、同年7月21日、同年10月6日、同月21日、同月26日、同年11月11日、43年6月29日、同年7月6日、同月23日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同月30日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日)にわたってプレート等を着用したほか六回(48年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたって腕章とプレートを着用し、二回(48年12月13・14日)腕章を着用するとともにステッカー及び角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、45年10月30日のバッヂの着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四〇年七月二一日午後四時四三分頃(勤務時間)中埠頭出張所監査第一部門の自分の席で分会ニュースの仕訳作業をし、上司の中止命令に対し、「何も仕事がないのに何が悪いのか。」と抗弁した。
ロ 昭和四一年一一月二五日午後四時一〇分頃から同一六分頃までの間(勤務時間)、自席を離れ、原告池西光輝、同井上洋一、同岡崎悦造、同田村芳春とともに中埠頭出張所総務課長席において、組合の掲示板に掲出してあった「ぶっ倒せ佐藤内閣」などと書かれた文書を当局が撤去したことについて、「誰に断って我々のビラを取ったのか、返せ。」「ビラを組合掲示板に貼って何故悪い。」などと言って抗議した。
ハ 昭和四二年一〇月二一日午前一一時二〇分頃から同四五分頃まで(勤務時間)、前記原告四名とともに無断離席し、再三席に戻るよう命じられたのに、右出張所の掲示板に掲出してあった総評、公務員共闘会議の「一〇・二六スト宣言」と題する文書の撤去作業をしていた総務課長らに対し「勝手に剥がすのは泥棒だ。」などと言って抗議を続け、この騒ぎで参集した業者に対しても、「業者の人もよく見て下さい。税関の職制は、人の物でも泥棒的行為を平気でやるんだ。」と大声で言った。
ニ 昭和四三年七月六日午後〇時三五分頃、退庁しようとする中埠頭出張所長を前記原告らとともに取囲み、「何故会わないのか。」「逃げる気か。」「何んとか言うたらどうか。」などと暴言を吐き、さらに話合いに応じた総務課長に対し原告岡崎悦造を除く右原告らと原告下屋広隆がこもごも所長との話合いができないことや当日、当局が右原告らに対しプレートを取外すよう注意したことなどについて、「何を言っている、具体的なことを言わず、子供騙しみたいなことをぬかしてええ加減にせんか、言えんのか、言わんのか。」「命令なら命令と言わんかい、これを着けて何が悪い、誰に迷惑をかけたか言うてみい。」などと言って抗議したが、この中で、右話合いに立合いしていた総務課の係長及び保税課長に対し、「黙ってそばに立っとらんと何とか言うたらどないや、無茶苦茶な課長に対し何で言ってくれへんのか、でくのぼうみたいに立っとらんと言わんかい。」と言い、居合せた保税課長に対し、「そこらの課長連中もよう考えてみい、自分らの部下が定昇を停止されているのによう知らん顔ができるなあ、それでも課長か。」などと暴言を吐いた。
ホ 前記(五番)原告小林の(3)ハに記載した行為に加わった。
(七五番)原告岩根勝子
(一)  格差の程度
原告岩根勝子は、係争期間終了当時、七―七であった(〈書証番号略〉によれば、同原告は昭和三三年四月に賃金支弁労務者として採用され、昭和三五年五月に行(二)に、昭和四八年一〇月に行(一)に任用換えになった。)ところ、同期、同資格の非組合員の存在が不明である。昭和三六年高校組の非組合員二二名と比較すると、このうち二〇名より六等級への昇格が遅れ、号俸も一、二号低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載12・31・38・43・52・59・65・72・75の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に、二二回(42年10月21日、43年12月13日、47年5月10日、同年6月9・10日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、二回(48年12月10・14日)ステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和三九年二月二五日から同年四月二四日までと、同年七月二二日から同年九月二一日まで病気のため勤務を欠き、昭和四〇年四月一日の昇給期において普通昇給が三か月延伸されたことが認められる。
(七六番)原告池西光輝
(一)  格差の程度
原告池西光輝は、係争期間中に勤務成績不良を理由に普通昇給が三か月延伸され(このことは〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によって認める。)、右期間終了当時、六―七であったから、同期、同資格(昭和三四年初級組)の非組合員一九名のうち六―八、九の一七名より号俸が一、二号低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載14・16・18・19・21ないし24・41・46・55・66・70・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、23・24・41・を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち70の集会(この集会が開かれた事情は五3(四)で述べたとおりである。)において同原告が反抗的態度を示したなどとして、後記(3)の(七四番)原告深田の(3)ハに記載した行為と併せて昭和四二年一二月四日に訓告を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月二〇日から昭和四八年四月二三日までの間の勤務時間中に、一二回(42年6月20日、同年7月21日、同年10月21日、同月25・26日、43年7月6日、同月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、48年4月23日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、43年10月8日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(一〇番)原告大屋の(3)イ、ロ、(七四番)原告深田の(3)ロ、ハ、ニに記載した各行為に加わったことが認められる。
(七七番)原告井上洋一
(一)  格差の程度
原告井上洋一は、原告池西光輝と入関時期、資格が同じであるが係争期間中に勤務成績不良を理由として普通昇給が三か月延伸され(このことは〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によって認める。)右期間終了当時、六―六であったから、同期、同資格の前記非組合員のうち六―八、九の一七名より二、三号俸低くなっている。しかし、右乙号証によれば、原告井上洋一は、係争期間終了の翌日に六―七に昇給したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載4・46・55・59・66・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったこと、このうち74の集会に原告が積極的に参加したなどとして、昭和四三年一一月一八日、税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月二〇日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三三回(42年6月20日、同年7月21日、同年10月21日、同月25・26日、43年6月29日、同年7月6日、同月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月26日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、5月28日、同年6月28・29日、同年9月18・19日、同年11月26・27日)にわたってプレート等を、六回(同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたって腕章及びプレートを着用し、また、六回(48年12月10日から15日まで)にわたってプレートを着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(七四番)原告深田の(3)ロ、ハ、ニに記載した各行為に加わったこと、右ハの行為について昭和四二年一二月四日、税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(七八番)原告今村恒紀
(一)  格差の程度
原告池西光輝に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告今村恒紀は、集会一覧表記載12・15・20・40・50・56・58・59・68・71・72・73・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、15・40・71・73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三七回(42年6月7日、同年9月28日、同年10月6日、同年10月21日、同月25日、43年3月23日、同年6月28日、同年9月28・30日、同年10月8日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・11・12・14・15日)にわたってステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長から口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(三二番)原告安福の(3)ロ(ただし、二〇日の分)に記載した行為(勤務時間中に無断離席のうえ抗議)に加わった。
ロ 昭和四五年八月六日午後五時前頃、外郵出張所の自分の机上に被爆者援護募金箱を置いて募金行為をした。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四一年に二〇日、昭和四七年に5.5日の病気休暇があることが認められる。
(七九番)原告宇田久男
(一)  格差の程度
原告池西光輝に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告宇田久男は、集会一覧表記載14・18・22・35・47―1・53・67・71・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、35・71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から同四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、一九回(42年10月21日、同月25・26日、47年6月9日、同年7月12日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、47年6月9日、同年7月12日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(一〇番)原告大屋の(3)イ、ロに記載した行為に加わったことが認められる。
(八〇番)原告大西是
(一)  格差の程度
原告井上洋一に同じ。しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告大西是は、係争期間終了の翌日に六―七となっていること及び係争期間前に長期病気欠勤のため、普通昇給が六か月延伸されていることが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・6・52・59・68・69・71・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、6・71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年九月一九日までの間の勤務時間中に、一五回(42年6月7日、同年10月6日、43年9月28・30日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、48年4月17日、同月24・25・26日、同年9月18・19日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、48年4月24・25・26日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四一年五月九日午前九時三〇分頃(勤務時間)、業務部輸出統計第一係の自席において、組合員が出演する演劇会の入場券を頒布した。
ロ 前記(九番)横江の(3)ハに記載の行為に加わった。
(八一番)原告岡崎悦造
(一)  格差の程度
原告井上洋一に同じ。
なお、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告岡崎悦造は、係争期間中に勤務成績不良を理由に普通昇給が三か月延伸されたこと、同原告は、係争期間終了の翌日に六―七に昇給したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載41・46・55・66・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、41を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月二〇日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三六回(42年6月20日、同年10月21日、同月25・26日、43年7月6日、同月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同年11月4日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたってテント及びステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、47年6月10日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかったこと(ただし45年11月4日を除く。)、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(七四番)原告深田の(3)ロ、ハ、ニに記載した各行為に加わったこと、右ハの行為について昭和四二年一二月四日、税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、昭和四一年に事故が二七回(うち二回は交通機関の延着による遅刻)があることが認められる。
(八二番)原告小松正諦
(一)  格差の程度
原告西池光輝に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告小松正諦は、集会一覧表記載14・19・44―1・49・52・59・60・65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったこと、このうち74の集会に同原告が積極的に参加したなどとして、昭和四三年一一月一八日、税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三四回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26日、43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9・10日、同年9月18・19日、同年11月20・21・22日)にわたってプレート等を、六回(48年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたって腕章及びプレートを着用し、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともにステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三番)原告橋爪の(3)ロ及び(一〇番)原告大屋の(3)ニに記載した各行為に加わったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には昭和四五年から昭和四八年まで毎年六日ないし9.5日の病気休暇のあることが認められる。
(八三番)原告灰野善夫
(一)  格差の程度
原告池西光輝に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載14・19・21・24・25・35・44―1・49・56・58・59・68・69・71ないし74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、24・25・35・71・73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三八回(42年6月7日、同年9月30日、同年10月9日、同年11月9日、43年3月23日、同年6月7日、同月28日、同年7月23日、同年9月28・30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、47年5月10・11日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(五番)原告小林の(3)ハ、(一〇番)原告大屋の(3)ロ及び(三二番)原告安福の(3)ロ(ただし、二〇日の分)に記載した各行為に加わった。
なお、右(三二番)原告安福(3)ロの抗議行動の際、「こんな勝手な行為をするのが総務課長だ、器物破壊の現行犯だ、現行犯逮捕として逮捕するぞ」と暴言を吐いた。
ロ 昭和四五年七月九日午前八時五五分頃、摩耶出張所二階組合掲示板に被爆者救援の募金袋を掲出して募金行為をした。
(八四番)原告長谷川茂吉
(一)  格差の程度
原告井上洋一に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告長谷川茂吉は、集会一覧表記載31・33・52・59・65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三九回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26・27日、43年7月23日、同年9月28・30日、同年10月1日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか三回(48年12月10・14・15日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ (三番)原告橋爪の(3)イ及び(九番)横江の(3)ハに記載した各行為に加わった。
ロ 昭和四一年一二月二三日午後一時二〇分頃(勤務時間)、業務部統計課輸入統計係の職員の机上に組合のビラを配布した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和三七年一二月一一日から昭和三九年二月二九日まで病気のため勤務を欠き、同年四月一日の昇給期において普通昇給が九か月延伸されたこと、また、昭和四一年にも四月一日から同年五月七日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四三年には7.5日の病気休暇があることが認められる。
(八五番)原告松岡竜二
(一)  格差の程度
原告池西光輝に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告松岡竜二は、集会一覧表記載42・67の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一日までの間の勤務時間中に、二九回(42年10月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1日)にわたってプレート等を着用し上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、45年5月27日のリボン着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月二一日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(八六番)原告屋形修一
(一)  格差の程度
原告池西光輝に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告屋形修一は、昭和三七年一月に中級職試験に合格したが、係争期間開始当時における等級号俸は入関時の資格(昭和三四年初級組)の他の者と変わらないことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・6の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、6を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四八年四月一七日の勤務時間中にプレートを着用したことが認められる。
(八七番)原告柳沢尚
(一)  格差の程度
原告池西光輝に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告柳沢尚は、集会一覧表記載74・75の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年七月二三日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三一回(43年7月23日、同年9月28日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月20・22・24・26・27日)にわたってプレート等を、四回(48年11月28・29・30日、同年12月1日)にわたって腕章とプレート着用し、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、43年12月13日のリボン着用、48年12月12日の腕章着用とテント掲出を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二二日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(二六番)原告林の(3)に記載した抗議行動に加わり、この中で課長が、勤勉手当減額の具体的理由の開示を求めた組合員に対し、その一例として原告白川が勤務時間中にギターを弾いたことを挙げたところ、原告柳沢尚は、「そんなら何日の何時頃とはっきり言ったらええやないか、それが言えんのやったらあんたのデッチあげやないんか。」などと暴言を吐いたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四六年九月四日から同年一〇月二七日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四八年には七日の病気休暇があることが認められる。
(八八番)原告山野陽通
(一)  格差の程度
原告池西光輝に同じ。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、原告山野陽通は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二二回(42年10月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年6月9日、48年4月17日、同月24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年10月21日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、47年6月9日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(八九番)原告大西宏之
(一)  格差の程度
原告大西宏之は、係争期間終了当時、六―六であったから、同期、同資格(昭和三四年高校組)の非組合員五名のうち、六―八、七の四名に比べ一、二号俸低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載4・8・10・11・43・59・68の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、10・11を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、一八回(42年6月7日、同年9月28日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、同年10月23日、47年7月12日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月29日、同年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、42年7月12日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四〇年に一七回、昭和四一年に三〇回、昭和四四年に一四回(このうち、昭和四〇年の一三回、昭和四一年の二九回、昭和四四年の一二回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(九〇番)原告中西清
(一)  格差の程度
原告大西宏之に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告中西清は、集会一覧表記載59・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、三六回(42年10月21日、同月25・26日、43年7月23日、同年9月28・30日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年10月25・26日のリボンの着用、47年6月10日のプレートの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(一〇番)原告大屋の(3)ニに記載した抗議行動に加わったことが認められる。
(九一番)原告生駒洋二
(一)  格差の程度
原告生駒洋二は、係争期間終了当時、六―六であったから、同期、同資格(昭和三五年初級組)の非組合員九名に比べて号俸が一、二号低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載46・51・52・57・59・62・64・65・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、57を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三〇回(42年10月25日、43年7月23日、同年9月28日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14・15日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、47年5月10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、43年12月13日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(九番)横江威の(3)ロ及び(二六番)原告林の(3)に記載した各行為に加わった。
ロ 昭和四四年七月一三日午後一時三〇分まで超過勤務を命じられていたのに、残務を同僚に託して午後〇時三〇分頃退庁した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四〇年に一一日、昭和四一年に五日、昭和四七年に14.5日、昭和四八年に七日の病気休暇があることが認められる。
(九二番)原告桐村邦彦
(一)  格差の程度
原告生駒洋二に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載25・35・44―1・49・54・59・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、25・35を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち74の集会に同原告が積極的に参加したなどとして、昭和四三年一一月一八日、税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三八回(42年6月7日、同年10月5日、同月21日、同月25・26日、43年3月11日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9・10日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、三回(48年12月13・14・15日)にわたってプレート及び腕章を着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(五番)原告小林の(3)イに記載した行為に加わった。
ロ 昭和四四年六月五日、新港第二方面事務所第四突分室仮庁舎移転にともなって、組合掲示板の設置場所を予め指定されていたのに、これを無視して勝手に別の場所に取り付け、さらに取付作業を中止するよう命じられたのにこれにも従わず、そのまま続けた。
(九三番)原告田中範明
(一)  格差の程度
原告生駒洋二に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載74の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二六日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二九回(42年10月26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同月31日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと(ただし、45年10月31日のバッチ着用を除く。)、この間の昭和四七年八月二一日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三五番)原告岩本の(3)ロに記載した行為に加わったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四五年に8.5日、昭和四六年に10.5日、昭和四七年に13.5日、昭和四八年に22.5日の病気休暇があることが認められる。
(九四番)原告寺岡洋
(一)  格差の程度
原告生駒洋二に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告寺岡洋は、集会一覧表記載73の無許可集会に参加したことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に、三六回(42年10月21日、43年3月23日、同年6月7日、同年7月23日、同年9月30日、同年10月1日、同月8日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10日から同月14日まで)にわたって腕章を着用するとともに円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三二番)原告安福の(3)ロ(ただし、二〇日の分)に記載した勤務時間中の抗議に加わったことが認められる。
(九五番)原告橋本重国
(一)  格差の程度
原告生駒洋二に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・6・13・26・28・30・34・36・37・45・48・51・58・61ないし65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、6・34・36・37・45を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に、三五回(42年10月21日、同月25・26日、43年7月23日、同9月28・30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同28・29日、同年9月18・19日、同年11月26・27・28・30日、同年12月4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10日から同月14日まで)にわたって腕章を着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(三五番)原告岩本の(3)ロ及び(五六番)原告真下の(3)イに記載した各行為に加わった。
ロ 勤勉手当が減額されたことについて納得のいく説明がないとして、昭和四五年一二月五日、七日から一〇日まで、所属の統計課長に激しい口調で「何も言っていないじゃないか、具体的理由を言わんかい。」「何を言うとんのや、人をカットしておいてそれで課長といえるか、いつ何をしたんや言わんかい、説明もでけんのか。」「まだ時間と違うわい、言えんのやったら何遍でも来たるからその積りでおれ。」「そんなもん答えにならん、課長しっかりせいよ。」「部下がカットされているのに課長たる者が理由も判らんでは課長たる資格がないではないか。」「責任者で判らんのやったら管理や総務へ行っても聞いてくるのが責任者と違うんか。」「またええ加減な現認書をデッチあげて上へ出したんと違うんか。」などと言って執拗に抗議した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四六年九月二三日から同年一一月一〇日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四五年に六日、昭和四七年に一三日、昭和四八年に二九日の病気休暇があることが認められる。
(九六番)原告古谷太郎
(一)  格差の程度
原告生駒洋二に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載1・5・6・13・26・28・30・32・34・36・37・45・48・51・52・57・59・61ないし65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、6・32・34・36・37・45・57を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうちの74の集会に原告が積極的に参加したなどとして、昭和四三年一一月一八日、税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三七回(42年6月19・20日、同年10月5日、同月21日、同月25・26日、同年11月8日、同年12月4日、43年3月1日、同月11日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月20・22・24日、同月27日)にわたってプレート等を、六回(48年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたって腕章及びプレートを着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテント(48年12月10日にはさらにステッカー)を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(九番)横江威の(3)ロ及び(六五番)原告村田の(3)ハに記載した各行為に加わった。
ロ 昭和四五年一一月六日午前八時四〇分頃、兵庫埠頭出張所輸入各課の職員の机上に明るい革新県政をつくる会の機関紙約三七枚(内容は知事選挙の特定の候補者を推薦するとともに対立候補者を批判するもの)を配布した。
(九七番)原告横川泰三
(一)  格差の程度
原告生駒洋二に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載17・27・33・52・59・72ないし74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二六日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二五回(42年10月26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同月31日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日)にわたってプレート等を、六回(48年11月28・29・30日、48年12月1・3・4日)にわたって腕章及びプレートを着用したほか、五回(48年12月10・11・13・14・15日)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、45年10月31日のバッヂの着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一九日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(九八番)原告岸本強
(一)  格差の程度
原告岸本強は、係争期間終了当時、六―五であったから、同期、同資格(昭和三五年高校組)の非組合員一六名のうち六―六、七の一二名より号俸が一、二号低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載4・47―1・53・67・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二七回(42年10月21日、同月25日、43年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四〇年七月一三日午後二時一五分頃(勤務時間内)、東部出張所監査第二部門の自席を無断で離れ、同出張所貨物課整理係の職員に組合活動として行なわれる労働大臣宛の賃上げ要求の葉書を手渡した。
ロ 前記(三五番)原告岩本の(3)ロに記載した行為に加わった。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四〇年に一〇日、昭和四一年に一六日、昭和四四年に五・五日の病気休暇があることが認められる。
(九九番)原告井口恭光
(一)  格差の程度
原告井口恭光は、係争期間終了当時、六―五であったから、同期、同資格(昭和三六年初級組)の非組合員二七名のうち六―六、七の二一名より号俸が一、二号低くなっている。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四八年四月二三日から同年九月八日までの間の勤務時間中に、七回(48年4月23・24・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28日、同年9月18日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、同年八月二五日に右のうちの同年四月二三日から同年六月二八日までの行為について税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一〇〇番)原告乾正明
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告乾正明は、集会一覧表記載1・28・30・32・34・36・37・45・51・62の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、32・34・36・37・45を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二九回(42年6月19・20日、43年9月28日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたって同様のステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一〇一番)原告大釜昭雄
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告大釜昭雄は、集会一覧表記載47―1・53・67・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三二回(42年10月25・26日、43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月20・21・22日、同月26・27日)にわたってプレート等を、六回(48年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート及び腕章を着用したほか、六回(48年12月10ないし15日)にわたって腕章を着用するとともにステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二二日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一〇二番)原告大辻茂登夫
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載2・3・13・26・28・30・32・34・36・37・45・51・57・59・61ないし65・73の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、32・34・36・37・45・57・73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月六日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に三三回(42年10月6日、同月21日、43年6月7日、同月28日、同年7月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、二回(48年12月13・14日)テントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、47年6月9日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、45年5月27日のリボン着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(五番)原告小林の(3)ハ、(九番)横江威の(3)ロ及び(三二番)原告安福の(3)ロ(ただし二〇日の分)の行為に加わった。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四三年から昭和四五年まで毎年七・五日ないし一一・五日の病気休暇のあること、昭和四五年には四二回の時間休のあることが認められる。
(一〇三番)原告大橋正義
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載52・59・65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったこと、このうち74の集会に同原告が積極的に参加したなどとして、昭和四三年一一月一八日、税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三四回(42年10月21日、同月25・26日、同年12月8日、43年5月22日、同年7月23日、同年9月27・28日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、同年11月2日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月21・22日、同月27日)にわたってプレート等を、六回(48年11月19・20日、同月28・29・30日、同年12月1日)にわたってプレート及び腕章を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、八回(48年12月17ないし22日、同月24・25日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、45年11月2日のバッヂ、昭和48年11月20日の腕章の着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四一年五月一六日午前九時三〇分頃(勤務時間内)、業務部統計課の自席において組合の物資販売代金の集計作業を行なった。
また、同年九月二四日午後〇時一九分頃から同二二分頃まで(勤務時間内)、業務部輸出一部門及び総括二部門の職員に、組合の「青年部第一四回定期大会議案書」を配布した。
ロ 前記(三番)原告橋爪の(3)ロに記載した行為に加わった。
ハ 昭和四三年九月二六日、輸出通関第二部門の自分の席において、執務参考資料であるコードナンバー早見表に「藤原君の高知行きの内示を撤回せよ」と朱書した紙を貼付し、これを机上に置いて執務した。なお、上司から撤去するよう注意されたのに従わなかったので庁舎管理規則に違反する掲示物として、当局においてこれを撤去した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四三年に一六回、昭和四四年に一七回、昭和四八年に一三回あること、また、病気休暇が昭和四〇年に一六・五日、昭和四三年に九日、昭和四四年に一一日、昭和四七年に五日あることが認められる。
(一〇四番)原告川上俊智
(一)  格差の程度
原告川上俊智は、原告井口恭光と入関の時期、資格が同じで、係争期間中に特別昇給し(このことは、〈書証番号略〉によって認める。)、同期間終了当時、六―六であったから、同期、同資格の前記非組合員二七名のうち同原告より号俸が高いのは六―八の二名と六―七の一〇名だけとなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告川上俊智は、集会一覧表記載72の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四八年四月一七日から同年一二月一五日までの間の勤務時間中に、一七回(48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか六回(48年12月10日から15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(五番)原告小林の(3)ハに記載した行為に加わったことが認められる。
(一〇五番)原告斉藤俊宏
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告斉藤俊宏は、集会一覧表記載8・12・27・33・52・59・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月五日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三三回(42年10月5日、同月21日、同月26日、43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月26日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・11・12・14・15日)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二一日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長から口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(五番)原告小林の(3)ハに記載した行為に加わったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四〇年四月三日から同年五月三一日までと、同年の下期に一〇日、いずれも病気のため勤務を欠き、昭和四一年四月一日の昇給期において普通昇給が三か月延伸されたことが認められる。
(一〇六番)原告佐野年則
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告佐野年則は、集会一覧表記載4・42・47―1・53・59・67・71・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月一二日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二七回(42年10月12日、同月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日)にわたってプレート等を着用したほか五回(48年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたって腕章とともにプレートを着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと(ただし、42年10月12日のリボンの着用を除く。)、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉及び証人荒川八郎の証言によれば、同原告は、昭和三八年九月二〇日、神戸市内の電柱にビラを貼り、軽犯罪法及び兵庫県屋外広告条例違反として逮捕(起訴猶予)され、昭和三九年一二月一四日に税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(一〇七番)原告白川弘視
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
なお、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間中に勤務成績不良を理由として普通昇給が三か月延伸されたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載52・59・61ないし65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、三〇回(42年6月19・20日、43年10月8日、同年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二四日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四一年五月一八日午後三時五五分頃(勤務時間内)、業務部統計課の自分の席において、組合ニュースの原稿を書いた。
また、昭和四一年五月二七日午後一時二〇分頃(勤務時間内)、業務部統計課において、原告植田明とともに、組合ニュースを職員に配布した。
ロ 前記(三番)原告橋爪の(3)イ、(九番)横江威の(3)ロ及び(二六番)原告林の(3)に記載した各行為に加わった。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四四年三月五日から同年五月二日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四〇年にも一六日の病気休暇があることが認められる。
(一〇八番)原告洲崎雅晴
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載40・50・56・58・68・69・71ないし74の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、40・71・73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、三四回(42年6月7日、同年9月28日、同年10月6日、同年10月21日、同年11月9日、同月20日、43年3月23日、同年6月7日、同月28日、同年9月28日、同年10月8日、同年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用、44年5月23日のプレート着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三二番)原告安福の(3)ロ(ただし、二〇日の分)に記載した行為に加わったことが認められる。
(一〇九番)原告高野和子
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告高野和子は、集会一覧表記載4・47―2・52・65・72・74に各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三一回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26日、43年7月23日、同年9月30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたってステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用、48年12月11日のステッカーの掲出を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、47年11月28日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四一年に二六日、昭和四四年に三五日、昭和四六年に一二日の病気休暇があることが認められる。
(一一〇番)原告高橋亘
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告高橋亘は、集会一覧表記載7の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四七年一一月二八日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、一六回(47年11月28日、48年4月17日、同月23・25日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレートを着用し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(一一一番)原告玉井進吾郎
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告玉井進吾郎は、後記非違行為(3)イの行為について戒告処分を受けたため昭和四一年に普通昇給が三か月延伸されたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・13・26・28・30・34・36・45・48・51・52・57・59・61ないし65・71・73・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、34・36・45・57・71・73を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち64の集会において同原告が指導的役割を果したなどとして、昭和四二年五月一八日税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三四回(42年6月19・20日、同年10月26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22日、同月27・28・29・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか六回(48年12月10日から15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四〇年一一月一二日、西宮市内の電柱に、「アメリカのベトナム軍事侵略をやめ、即時撤退せよ、日韓会談粉砕、日中国交回復の即時実現」などと書いたビラ六九枚を貼付し、兵庫県屋外広告物条例、軽犯罪法違反として昭和四一年一月一五日、罰金一万円の略式命令を受けた。
右について同年六月四日、同原告は、戒告処分を受けた。
ロ 昭和四一年五月二〇日ないし二五日の勤務時間内に、中部方面事務所の自分の机の上にチューインガムを置き、「代表派遣カンパに協力をお願いします」と書いたビラを机の側面に貼って、来所した業者に販売した。
ハ 前記(九番)横江威の(3)ロに記載した行為に加わった。
(一一二番)原告田村芳春
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
なお、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間において成績不良を理由に普通昇給が三か月延伸されたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載41・55・59・66・70・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、41を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち70の集会に同原告が積極的に参加したなどとして後記(3)のうち(七四番)原告深田の(3)ハに記載した行為と併せて昭和四二年一二月四日に税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月六日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三八回(42年10月6日、同月21日、同月25・26日、同月31日、同年11月1・2・3・4・6・7・8・9・10・11日、43年6月29日、同年7月6日、同月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年11月20・21・22・24・26・27日)にわたってプレート等を、六回(48年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート及び腕章を着用し、五回(48年12月10・11・13・14・15日)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年10月31日から同年11月9日までのバッヂの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(七四番)原告深田の(3)ロ、ハ、ニに記載した各行為に加わったことが認められる。
(一一三番)原告友常均
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告友常均は、集会一覧表記載44―1・73の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、四一回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年9月30日、同年10月9日、同月21日、43年3月23日、同年9月30日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22・24日、同月29・30日、同年12月1日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともに円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四八年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四〇年に一四回、昭和四三年に二〇回、昭和四四年に一二回(このうち、昭和四〇年の二回、昭和四三年の四回、昭和四四年の一回は交通機関の延着による遅刻)あること、また、昭和四〇年から昭和四八年まで毎年(ただし、昭和四六年を除く。)一五回ないし三〇回の時間休があることが認められる。
(一一四番)原告中岡俊昭
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載47―1・53・67・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月五日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、四九回(42年10月5日、同月21日、同月25・26日、同年11月8・9・10・11・13・14・15・16・17・18・20・21・22・24日、同年12月4日、43年3月11日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同月30日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、42年11月24日、45年10月30日のバッヂ着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一九日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一一五番)原告西村彦三郎
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・6・28・30・32・34・36・37・45・48・51・52・57・59・68・69・71・72・73・75の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、6・32・34・36・37・45・57・71・73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三七回(42年6月7日、同年9月30日、同年10月9日、同年11月9日、43年6月7日、同年7月23日、同年9月28・30日、同年10月1日、同月8日、44年3月14日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同月30日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか三回(48年12月11・12・15日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、45年10月30日のバッヂ着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四二年四月七日午後三時一〇分頃(勤務時間内)、摩耶出張所貨物課の職員の机上に組合のビラ(国公労新聞)を配布した。
ロ 前記(三二番)原告安福の(3)ロに記載した組合の文書(「ストライキ宣言」)の撤去作業をしていた摩耶出張所総務課長らに勤務時間中に離席して抗議したほか、昭和四二年一〇月二五日にも、勤務時間中に無断で離席し、前同様の文書の撤去作業をしていた同総務課長らに対し、「総務課長、時間中に何をしよんねん、泥棒するな。」と言って抗議した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、原告西村彦三郎は、昭和四〇年二月六日から同年三月一三日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四三年、昭和四四年、昭和四七年にも六ないし八日の病気休暇のあることが認められる。
(一一六番)原告長谷川紀彦
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載11・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし11を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年一〇月八日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二七回(43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、43年12月13日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四〇年三月一一日午前九時一二分頃(勤務時間内)、点呼を受けないで監視警務二係更衣室において組合のビラの仕分作業をした。
また、上司の再三の注意を無視して同年五月一七、二四、二五日及び同年六月三日の勤務時間内に、交代バスの中で組合ニュースを職員に配布した。
ロ 前記(五番)原告小林の(3)ハ及び(一〇番)原告大屋の(3)ニに記載した各行為に加わった。
(一一七番)原告藤池征夫
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告藤池征夫は、集会一覧表記載41・55・68・69・71・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、41・71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三六回(42年6月7日、同年10月6日、同月21日、同月25日、同年11月18日、43年3月23日、同年9月28・30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、47年5月10日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、三回(48年13・14・15日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボンの着用、47年5月10日のプレートの着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四〇年三月五日午前一〇時頃から同一〇時三〇分頃まで、中埠頭出張所輪出二係の自分の席において処理をするよう指示を受けた輪出申告書約七件が回付されてきたのにこれを放置して私用の謄写版のガリ切りをした。
なお、業務課長から注意されたのに対し「新聞雑誌を読んだり、雑談をしていても注意されないのになぜこのような場合だけ文句を言われるのか。」と抗弁した。
ロ 昭和四〇年四月一九日午後一時四〇分頃(勤務時間内)、原告坂本檀とともに本関から運んできた組合の看板(賃金公開用の)を中埠出張所二階に持込もうとした。
ハ 前記(五番)原告小林の(3)ハ及び(三二番)原告安福の(3)ロ(ただし、二〇日の分)に記載した各行為に参加した。
(一一八番)原告藤田貫治
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告藤田貫治は、集会一覧表記載55・66の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四八年四月一七日から同年九月一八日までの間の勤務時間中に、八回(48年4月17日、同月23・24・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28日、同年9月18日)にわたってプレートを着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四八年八月二五日に同年四月一七日から同年六月二八日までのプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四六年六月四日から同年七月二六日まで病気のため勤務を欠いたほか昭和四〇年にも一六・五日の病気休暇があることが認められる。
(一一九番)原告堀斉
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告堀斉は、集会一覧表記載52の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月六日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三〇回(42年10月6日、同月21日、同月25日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたってステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、43年12月13日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一二〇番)原告宮浦忠重
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四五年五月二七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二三回(45年5月27日、同年10月23日、47年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたって円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一二一番)原告山本昌文
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載9ないし11・31・33・38・43・59の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、9ないし11を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一一日までの間の勤務時間中に、二三回(42年10月21日、同月25・26日、43年10月8日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同年7月9日、同年9月18日)にわたってプレート等を着用したほか二回(48年12月10・11日)のステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二三日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一二二番)原告吉野陽児
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載59の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四八年四月二三日から同年九月一九日までの間の勤務時間中に五回(48年4月23・24・25日、同年9月18・19日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、48年4月23・24日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(一二三番)原告井手輝彦
(一)  格差の程度
原告井手輝彦は、係争期間終了当時、七―七であったから、同期、同資格(昭和三六年高校組)の非組合員二二名のうち六―五の一五名、六―六の五名に比べて昇格が遅れ、号俸も一、二号相当低くなっている。しかし〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間の終了の翌日に六等級に昇格したことが認められるから、右昇格の遅れは一五名に比べると一年程度である。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載42・47―2・53・59・67・71ないし74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、71・73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三五回(42年10月2・3日、同月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9・10日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・12・13・14・15日)にわたって腕章及びプレートを着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし45年5月27日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一九日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は昭和四一年八月一九日午前九時一五分頃(勤務時間内)東部出張所二階事務室の職員の机上に組合新聞を配布した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には事故が昭和四〇年に一三回、昭和四一年に一二回、昭和四三年に一三回、昭和四八年に三一回(このうち、昭和四〇年の一回、昭和四三年の九回、昭和四八年の三〇回は交通機関の延着による遅刻)あること、また、病気休暇が昭和四三年に九日、昭和四五年に一七日、昭和四六年に一二・五日、昭和四七年に一三日、昭和四八年に一二・五日あることが認められる。
(一二四番)原告沢井庸晃
(一)  格差の程度
原告井手輝彦に同じ(ただし、原告沢井は、昭和四九年一月一日に六等級に昇格して係争期間終了当時は六―四)。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載20・59の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月六日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二四回(42年10月6日、同月21日、43年3月11・12日、44年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25日、同年6月22日、同月28日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、48年12月1日)にわたってプレート等を着用したほか、四回(48年12月12・13・14・15日)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、43年3月12日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和三九年二月一九日から同年四月一五日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四一年と昭和四三年から昭和四八年まで毎年六日から二〇日の病気休暇のあることが認められる。
(一二五番)原告三野正博
(一)  格差の程度
原告井手輝彦に同じ(ただし、原告三野は、昭和四九年一月一日に六等級に昇格して係争期間終了当時は六―四)。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載4・47―1・53・67・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二〇回(42年10月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、二回(48年12月12・15日)ステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(44年7月10日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四〇年七月一三日午前九時一五分前頃(勤務時間内)、東部出張所貨物課整理係において、組合のビラを配布した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四一年六月二九日から同年八月六日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四〇年と昭和四三年から昭和四五年まで毎年四ないし六日の病気休暇のあることが認められる。
(一二六番)原告山口忠
(一)  格差の程度
原告井手輝彦に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告山口忠は、係争期間終了の翌日に六等級に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載44―2・54・58・59・68・69・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、三五回(42年6月7日、同年9月28日、同年10月21日、同月25日、同年11月9日、43年3月23日、同年9月30日、同年10月8日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一二七番)原告林弘司
(一)  格差の程度
原告井手輝彦に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告林弘司は、年度途中の入関(昭和三六年六月二四日)であることが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載18・21・24・38・43・52・59・65の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし24を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に、一七回(42年6月19・20日、43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、47年5月10日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月23・24・25・26日、同年5月28日)にわたってプレート等を着用したほか四回(48年12月10・11・12・14日)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、47年7月12日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(一二八番)原告脇岡秀年
(一)  格差の程度
原告井手輝彦に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告脇岡秀年は、年度途中の入関(昭和三六年六月二四日)であることが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載1・2・47―1・53・59・67の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年一〇月八日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二二回(43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、45年5月27日のプレート着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一二九番)原告天野親聡
(一)  格差の程度
原告天野親聡は、係争期間終了当時、七―七であったところ、同期、同資格(昭和三七年初級組)の非組合員三五名の右当時における等級号俸は不明であるが、これを原告ら主張のとおりであるとして(ただし、原告らの主張では二八名)比較すると、六―五、六の二四名に比べて昇格が遅れ、号俸も一、二号相当低くなっている。しかし、〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間終了の翌日に六等級(六―四)に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載72の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年一〇月八日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、九回(43年10月8日、同年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、47年6月9日、48年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(一三〇番)原告十倉健
(一)  格差の程度
原告天野親聡に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告十倉健は、係争期間終了の翌日に六等級に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載2・40・58・68・69の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、40を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年九月三〇日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、一六回(42年9月30日、43年3月23日、同年6月7日、同年9月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28日)にわたってプレート等を着用したほか三回(48年12月13・14・15日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、42年9月30日、43年3月23日、同年9月28日の各プレート着用を除く。)ことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(五番)原告小林の(3)ハに記載した行為に加わったことが認められる。
(一三一番)原告藤原敏弘
(一)  格差の程度
原告天野親聡に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告藤原敏弘は、係争期間終了の翌日に六等級に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載72の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月五日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、一六回(42年10月5日、同月25日、48年4月17日、同月23・25・26日、同年5月28日、同年6月28日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22・24日)にわたってプレート等を、六回(48年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート及び腕章を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたって腕章を着用するとともに円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四二年に事故が一六回(このうち九回が交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(一三二番)原告塚本富美子
(一)  格差の程度
原告塚本富美子は、係争期間終了当時、七―六であったから、同期、同資格(昭和三七年高校組)の非組合員一〇名(七―七)に比べて一号俸低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載44―1・49・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三八回(42年6月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年10月21日、同月25・26日、43年7月23日、同年9月30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月26日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・25・26・27日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9・10日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、三回(48年12月13・14・15日)にわたって円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、48年4月27日と同年7月10日の各プレート着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一三三番)原告山本昭昌
(一)  格差の程度
原告塚本富美子に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告山本昭昌は、集会一覧表記載54・59・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三二回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年9月30日、同年10月6・7日、43年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・11・12・14・15日)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(五番)原告小林の(3)ハに記載した行為に加わったことが認められる。
(一三四番)原告池内幸恵
(一)  格差の程度
原告池内幸恵は、係争期間終了当時、七―六であったから、同期、同資格(昭和三八年初級組)の非組合員二七名のうち六―四以上の二二名より昇格が遅れ、号俸も七―七以上の二五名より少なくとも一号俸低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載51・52・59・62・64・65・72・74に無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二七回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26日、43年7月23日、同年10月8日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月26日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、48年4月17日、同月23日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四五年四月二七日午後三時四〇分頃、輸出統計課特別統計係長席に赴き、同係長から再度外貨船用品の集計作業をするよう命じられたことについて、「さっき言われた仕事は納得できないから出来ません。」「そんな命令はない、塚本さんはもう大分よくなってこの仕事が出来るし、残業もしたいと言っているのに少しも聞いてくれない、そんな塚本さんの仕事は私に出来ません。」「塚本さんのことを十分考えて下さい、そんな仕事の与え方は無茶だ、もっと私たちの納得のいくようにしてくれないと仕事は出来ない。」などと言って抗議し、同係長から席に帰って仕事をするように命じられたのに、なおも「話を聞いてくれなければ帰れません。」と言って午後四時頃まで抗議を続けた。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和三九年一一月一一日から同年一二月一二日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四三年から昭和四八年まで毎年、五日ないし三八日の病気休暇のあることが認められる。
(一三五番)原告河合健治
(一)  格差の程度
原告池内幸恵に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告河合健治は、集会一覧表記載71の無許可集会に参加したことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年三月二三日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三七回(43年3月23日、同年6月7日、同年7月23日、同年9月28・30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9・10日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、三回(48年12月13・14・15日)にわたって腕章及びプレートを着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一三六番)原告玄田哲夫
(一)  格差の程度
原告池内幸恵に同じ。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、原告玄田哲夫は、昭和四五年五月二七日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二五回(45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭の厳重注意を受けたことが認められる。
(一三七番)原告那須司鋭
(一)  格差の程度
原告池内幸恵に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告那須司鋭は、集会一覧表記載59・68・69・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三一回(42年6月7日、同年9月28日、43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22日、同月29・30日、同年12月4日)にわたってプレート等を着用し、五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたって机上に円柱を掲出し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、43年10月8日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二二日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一三八番)原告村田安弘
(一)  格差の程度
原告池内幸恵に同じ。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、原告村田安弘は、昭和四八年四月一七日から同年一二月一五日までの間の勤務時間中に、一五回(48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたってステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(一三九番)原告山之内輝雄
(一)  格差の程度
原告池内幸恵に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告山之内輝雄は、集会一覧表記載45・48・51・52・57・59・61・62・63・65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、45・57を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち74の集会に同原告が積極的に参加したなどとして、昭和四三年一一月一八日、税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二六回(42年6月19・20日、同年10月25日、43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月26日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28日、同年9月18日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日の、昭和四八年八月二七日に、同年四月一七日から同年六月二八日までのプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについてそれぞれ税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(九番)横江威の(3)ロ及び(二六番)原告林の(3)に記載した各行為に加わった。
ロ 昭和四四年五月九日午後二時四〇分頃から同三時一〇分頃までの間(勤務時間内)輸出保税課新港第一方面事務所の自席の机上に「ベトナム人民支援カンパ」と表示した募金缶を置いて募金行為をした。
ハ 昭和四四年七月一三日(日曜日)午後一時三〇分まで超過勤務を命じられていたのに、午後一時頃退庁した。
(一四〇番)原告細川義信
(一)  格差の程度
原告細川義信は、昭和三六年九月に高校卒の資格で入関し、昭和三九年一月に中級職に任用換えされた者で(このことは〈書証番号略〉によって認める。)係争期間終了当時、六―五であったところ、同期、同資格(昭和三九年中級組)の非組合員二名の右当時の等級号俸は不明であるが、これを原告ら主張のとおりであるとして比較するとそれぞれ一、二号俸低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載65・74・75の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年九月二八日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三一回(43年9月28日、同年12月13日、44年3月14・15日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、43年12月13日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三五番)原告岩本の(3)ロに記載した行為に加わった。
(一四一番)原告原奉宣
(一)  格差の程度
原告細川義信に同じ(ただし、入関は昭和三七年初級組、〈書証番号略〉)。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告原奉宣は、集会一覧表記載53・59・67・72・74の各無許可集会に参加し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年九月一九日までの間の勤務時間中に、二一回(42年10月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同年11月2日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、48年4月17日、同月23・24・26日、同年5月28日、同年6月28日、同年9月18・19日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、45年11月2日のバッヂの着用を除く。)ことが認められる。
5  原告ら各自の格差の程度、非違行為及び出勤状況等は以上のとおりであるが、これらについて若干補足する。
(一)  格差について
原告らと非組合員らとの間において、係争期間終了時に格差が存在していたとしても、同期間の当初において格差が存在しないことが明らかでない限り、係争期間終了当時の格差をもって直ちに同期間に生じたものということができないのはいうまでもない。この点については、年度途中に入関したためにその後の昇給、昇格が遅れ、また係争期間前に病気休暇や懲戒処分を受けて普通昇給が延伸されて昇給、昇格が遅れ、これにより係争期間の当初においてすでに格差が生じていたと考えられる原告らについては、前項で検討したが、入関年度の古い者については、このような事由のほかに、特別昇給の有無によっても係争期間の当初においてすでに格差が生じていたことも十分考えられる(原告の主張では少なくとも一〇年に一回は特別昇給したというのであるから、昭和二八年までの入関者は一回は特別昇給したことになる。)ところ、係争期間の当初においてこのような格差がなかったことについては必ずしも明らかであるとはいえない。もっとも、前掲甲号各証(役職、等級、職場等一覧表)によれば、原告らと非組合員は、係争期間の当初における等級はほぼ同じであることが認められるものの、このことから直ちに号俸についても差がなかったということはできない。
また、比較の対象とされた非組合員の人数は年度資格によって差があり、中には僅か数人程度に過ぎないものもあり、前項で検討した原告らの格差の程度は、おおよそのものを示すに過ぎない。
(二)  非違行為について
原告らの非違行為は多岐にわたっているが、法令及び上司の命令の従う義務、信用失墜行為の禁止、職務専念義務など、国家公務員法に定められている服務規律に違反するものである。したがって、それが勤務成績において考慮されることは当然であるが、その情状について検討を加える。
無許可集会の多くは勤務時間外に各職場で行なわれた小規模のものであるところ、このような集会は庁舎管理規則が改定された昭和三八年以前においては事実上黙認されていたとみられるものであり、このような経緯からすれば、当局からの庁舎の使用許可を求められるようになったことについて、原告らがこれを組合活動に対する妨害であると捉えたとしても当初の時期においては理解できないではない。しかし、当局が庁舎管理規則を改定して庁舎等の管理について厳しい姿勢で臨むようになったことの背景には、原告組合が激しい闘争を行なって業務の正常な運営を阻害する行為を繰返してきた経緯があることに鑑みると、当局の対応は理由がないことはない。しかも、〈書証番号略〉によれば、当局は庁舎管理規則を改定するにあたって、広報紙により右規則の改定が庁舎等の適正な運用と秩序維持を図るためのものであって、税関業務の正常な運営を阻害しない行政目的以外の使用をすべて禁じるものではない旨を詳しく説明して改定の趣旨を周知させる措置をとり、その後も、昭和四〇年一二月二七日に税関長名の書面をもって同趣旨のことを述べて規則にもとる行為のないよう職員の注意を喚起し、さらに、昭和四一年一二月六日に税関長名の書面をもって、右規則は集会そのものを禁止したものではなく、当局は庁舎等使用について許可申請をするよう命じてきたにすぎないなどと強調して職員の理解を求めるとともに、規則に違反することのないよう重ねて警告したことが認められる。さらに、また、前掲乙号各証(集会に関する現認書に基づいて作成された報告文書)によれば、当局は、組合ニュース等で集会が開かれることを事前に知り得た場合には、分会長等集会の責任者に対し所要の許可申請をするよう勧告したり、注意を与え、知り得なかった場合においても、集会中に同様の勧告や注意を行ない、この中で例えば、「届出は口頭でもよいから直ちにせよ。」(8の集会)、「申請があれば適当な場所の使用を認める方針であり、絶対に貸さないとは言っていない。」(40の集会)、「申請があれば許可する。」(58の集会)などと発言していることが認められ、これらの事実によれば、当局としては所定の許可申請がなされれば、正常な業務の運営に支障を来すものでない限り、使用許可をする考えをもっていたことが窺われ、これらのことは、原告らとしても十分理解し得た筈である。ところが、原告らは、庁舎管理規則は組合との話合いをしないで改定されたものであるから無効であるとか、あるいは組合弾圧を目的とするものであり許可手続を必要とすることは組合活動に対する不当な干渉であるなどとして、組合活動としての庁舎使用については庁舎管理規則による許可は一切不要であるとする見解に立ってあえて当局の注意等を無視して無許可集会を強行反覆し、中止解散命令にも従わなかったものである。しかも、原告らは右のような小規模の職場集会だけでなく、多数の外部支援団体組合員が参加し、演説やシュプレヒコールなどを行なった大規模の集会についても、事前の警告等を無視して強行したのである。このような事情に鑑みると、原告らの行為は、職場環境を適正良好に維持し、規律ある業務の運営の確保を目的とする当局の施設管理権限を侵し職場の秩序を乱すものであって、正当な組合活動といえないばかりでなく、服務規律保持上看過できないものといわなくてはならない。
なお、前掲各証拠(現認報告書等)によれば、原告ら以外のかなりの職員も無許可集会に参加しリボン等の着用等をしたことが伺われるが、その実態は明らかでない。
原告らは、旧庁舎管理規則制定当時に神戸税関長が「庁舎管理規則は庁舎保全のためのものであって労働組合活動等に適用しない」旨言明していたと主張する。たしかに、右規則が改定された昭和三八年までは、各職場における集会等について当局がこれを黙認してきたとみられることは前記のとおりである。しかし、原告らの主張が税関長の発言の趣旨を庁舎管理規則は労働組合活動に一切適用されないというものである、というのであれば税関長がこのような趣旨の発言をしたとは考えにくい。しかも、この点についての原告らの認識も必ずしも一様ではなく、例えば、組合活動の制限等に悪用しない(原告辻一清の陳述書、〈書証番号略〉)と述べるものもあって、このようなことからすれば、税関長の発言の趣旨は、労働組合活動に対して庁舎管理規則を濫用しないというものであったと考えられる。そうであるなら、税関長の右発言は、労働組合としての集会に庁舎の使用許可が一切不要であるとする根拠とはなしえないものといわなくてはならない。
プレート等の着用については、当時これを違法ではないとする裁判例があり、人事院も同旨の見解を示したことがあったこと(このことは弁論の全趣旨によって認められる。)に照すと、原告らが右の見解に立って組合運動としてのプレートの着用が違法ではないと考えたとしても、このことは、当時としてはあながち理由のないことではなかったということができる。しかし、他方においてこれを違法であるとする裁判例も当時から存在しており、同旨の政府機関の公的見解も示されていた(このことは〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によって認める。)のであり、違法ではないとする見解が疑問の余地のないほど一般的なものであったわけではない。ところが、原告らは、自らの見解に固執してプレート等の着用を繰返したばかりでなく当局の取外しの注意や命令にも従わず、しかも税関長の厳重注意を受けた後にも反覆するなどしたものである。このような事情に鑑みると、原告らの行為は、業務の円滑な運営の確保と職場秩序の維持がより強く要求される税関業務に携わる者として軽視できないものといわなくてはならない。
その他の非違行為は、庁舎外のものを除いて組合活動として、または組合活動に伴うものとして行なわれたものであるが、中には出勤簿整理時刻を僅かにはみ出して行なった組合のビラ配布などのようにそれ自体としては事案が必ずしも重いといえないものもある。しかし、このような勤務時間中の組合活動も、上司からの注意を無視して行なったり、注意に対し反論するなど軽視できないものも少なくない。また、勤務時間の内外に大勢で押しかけて所属長との面会を執拗に要求し、あるいは、上司に対し非礼な言動で抗議を行なったりしたことは明らかにいきすぎたものというべく、これに対する職場復帰命令やその他の注意等にも従わなかったことと併せると服務規律の確保上看過することができないものといわざるを得ない。
このような非違行為の態様及び情状に鑑みると、たとえその多くが組合活動に関するものであっても、勤務成績の評価において不利な事情として考慮され、その結果、昇任、昇格及び昇給に影響を及ぼすことになったとしても、不合理であるとはいえない。
(三)  出勤状況について
病気休暇はそれ自体としては正当なものであり、それが昇給の障害事由とされる一定の場合を除いては、これを理由として不利益を科することができないといわなくてはならないが、職務の内容、責任のより高い上位の官職、等級への昇任、昇格において、その適性を判断する一事情として考慮され得ることは昇任、昇格の制度の趣旨に照して当然である。また、これが特別昇給において考慮されることも一定日数以上の病気休暇が特別昇給だけでなく、普通昇給の障害事由となっていることに照して明らかである。
年次休暇は、やむを得ない場合を除いてあらかじめ所属長の承認を得なければならないことになっている(人規一五―六第五項)から、何らの連絡がなく定刻までに出勤しないことは、たとえ事後の年次休暇の承認が得られたとしても、勤務成績の評価において不利に考慮されることは当然である。ただ、交通機関延着によるような場合にはやむを得ないものといえるが、それでもある程度の対策を講じることができないわけではないから、それが度重なるような場合には昇任、昇格や特別昇給において不利な事情として考慮されても不合理であるとはいえない。
もっとも、このような病気休暇や事故扱いの出勤は、ある程度のものは非組合員にもあると考えられるから、それが原告らの昇任、昇格、昇給に影響を及ぼし、非組合員との格差を生じさせたものというためには、通常あり得る程度のものでは足りず、その回数等においてもこれを超える特別なものでなければならない。
当裁判所が昇任、昇格、特別昇給に影響があるとするのは、このような特別なものと認められるものである。
八  判断
以上検討したような非違行為の態様及び情状並びに出勤状況などの事情が勤務成績の評価において不利に考慮され、その結果、昇任、昇格及び昇給、とりわけ勤務成績が特に良好であることが必要とされる特別昇給に影響を及ぼしたものであることは、原告らが反則事犯の検挙等について税関長の表彰を受けたことや裁判所等の依頼による鑑定を行なった実績のあること等を考慮しても、十分に考えられるところである。そして、原告らは、各原告ら及び右原告らと入関時期、入関資格を同じくする非組合員のうち、昇任、昇格、昇給において標準的な取扱を受けている者(標準者)を基準として設定し、それらの者と対比して、原告らが昇任、昇格及び昇給について差別扱いを受けた旨主張するが、原告ら以外の職員の具体的な勤務態度(非違行為の有無、出勤状況等を含め)が明らかでないので、原告らの主張する標準者を基準として原告らが差別を受けていたものと速断できないし、現に生じている格差が任命権者である税関長が原告らに対し裁量の範囲を超えた違法な取扱をしたことによるものと認めるに足りる証拠もない。
したがって、神戸税関当局が一貫して原告組合を敵視して組合に対する不当な攻撃や組合員に対する差別扱いをしてきたとする原告らの主張についてはこれを認めることができない。
もっとも、原告らの中には係争期間中の非違行為が極めて少ないか、あるいは時期的に限られていて、しかも出勤状況に格別問題とされる事情が認められない者があり、これらの者については右の格差と非違行為等との関連性が薄いということができる。しかし、これらの原告らの格差の程度は任用や給与制度から通常生じる範囲を超えるものとはいえないから前記のように税関当局が原告組合員を差別扱いしたことを窺わせる事情が認められない以上、このような格差をもって組合所属を理由とする差別扱いによるものということはできない。
なお、原告らは、原告らの中には右のような非違行為が極めて少ないのに昇任、昇格等の不利益を受けている者がある一方で非違行為を行なったとされる時期に昇任、昇格した者があるなど、昇任、昇格が非違行為と無関係に行なわれているとして、両者の間に因果関係がない旨主張する。しかしながら非違行為は、それにより懲戒処分がなされた結果、昇給の障害事由となるばあいを除いて、勤務成績の一内容として他の事情とともに考慮されて昇任、昇格させるかどうかの判断に影響を及ぼすものであり、しかも、この判断は昇任、昇格については対象者が当該官職、等級に在職在級した全期間を通じてなされるものであるから、原告主張のような事実があるからといって、非違行為と昇任、昇格等との間に因果関係がないということができない。
九  結論
以上の次第で、原告ら及び原告組合の請求はいずれもその余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官長谷喜仁 裁判官野村利夫 裁判官猪俣和代)
 

(別表一)   損害額一覧表
(単位 円)
番号 氏  名 損失賃金相当額 慰謝料 弁護士費用 債権総額
一 稲松 斉 一、一三一、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一七三、〇〇〇 一、九〇四、〇〇〇
二 塩田 静夫 一、二〇六、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一八〇、〇〇〇 一、九八六、〇〇〇
三 橋爪 武司 九四九、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一五四、〇〇〇 一、七〇三、〇〇〇
四 山崎 吉彦 一、四四一、〇〇〇 八〇〇、〇〇〇 二二四、〇〇〇 二、四六五、〇〇〇
五 小林 霞 一、一四三、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一七四、〇〇〇 一、九一七、〇〇〇
六 石見 宣夫 九六五、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一五六、〇〇〇 一、七二一、〇〇〇
七 藤田 満夫 一、一四三、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一七四、〇〇〇 一、九一七、〇〇〇
八 矢村 繁夫 一、一四三、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一七四、〇〇〇 一、九一七、〇〇〇

横江 威
承継人  横江 和子
一、一四三、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一七四、〇〇〇 一、九一七、〇〇〇
一〇 大屋 広隆 一、一四三、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一七四、〇〇〇 一、九一七、〇〇〇
一一 大塚 宏圀 一、〇八二、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一六八、〇〇〇 一、八五〇、〇〇〇
一二 桶谷 孝史 八〇八、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一二〇、〇〇〇 一、三二八、〇〇〇
一三 今村 奈智子 六四六、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇四、〇〇〇 一、一五〇、〇〇〇
一四
服部 正治
承継人  服部 瑠璃子
一、四八六、〇〇〇 八〇〇、〇〇〇 二二八、〇〇〇 二、五一四、〇〇〇
一五 鷲見 重信 一、〇三八、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一六三、〇〇〇 一、八〇一、〇〇〇
一六 室屋 修 一、四〇〇、〇〇〇 八〇〇、〇〇〇 二二〇、〇〇〇 二、四二〇、〇〇〇
一七 能勢 和彦 一、二八五、〇〇〇 八〇〇、〇〇〇 二〇八、〇〇〇 二、二九三、〇〇〇
一八 岩根 晟 八三八、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一二三、〇〇〇 一、三六一、〇〇〇
一九 植田 邦彦 六九〇、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇九、〇〇〇 一、一九九、〇〇〇
二〇 牛込 尹人 八七〇、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一二七、〇〇〇 一、三九七、〇〇〇
二一 奥田 康雄 九七七、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一五七、〇〇〇 一、七三四、〇〇〇
二二 古賀 照敏 五七三、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 九七、〇〇〇 一、〇七〇、〇〇〇
二三 坂本 柏 九七七、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一五七、〇〇〇 一、七三四、〇〇〇
二四 杉原 光三郎 九七七、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一五七、〇〇〇 一、七三四、〇〇〇
二五 中石 雅康 九七七、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一五七、〇〇〇 一、七三四、〇〇〇
二六 林 義男 九七七、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一五七、〇〇〇 一、七三四、〇〇〇
二七 前田 信雄 九七七、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一三七、〇〇〇 一、五一四、〇〇〇
二八 山岡 荘太朗 九七七、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一五七、〇〇〇 一、七三四、〇〇〇
二九 加藤 不二男 九三九、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一三三、〇〇〇 一、四七二、〇〇〇
三〇 寺地 健 八二二、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一二二、〇〇〇 一、三四四、〇〇〇
三一 間処 康成 八二二、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一二二、〇〇〇 一、三四四、〇〇〇
三二 安福 弘 五〇九、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 九〇、〇〇〇 九九九、〇〇〇
三三 高橋 章 八二二、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一二二、〇〇〇 一、三四四、〇〇〇
三四 田代 勝 四二四、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六二、〇〇〇 六八六、〇〇〇
三五 岩本 武司 八二二、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一二二、〇〇〇 一、三四四、〇〇〇
三六 青木 俊夫 一、一〇五、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一七〇、〇〇〇 一、八七五、〇〇〇
三七 榎本 和行 一、一〇五、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一七〇、〇〇〇 一、八七五、〇〇〇
三八 越塚 健 六六七、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七三、〇〇〇
三九 小島 久 六六六、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七二、〇〇〇
四〇 坂本 檀 六六七、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七三、〇〇〇
四一 津村 勝次 六六七、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七三、〇〇〇
四二 中川 和 六六六、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七二、〇〇〇
四三 結縁 俊雄 六六七、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七三、〇〇〇
四四 宮村 融 六六六、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七二、〇〇〇
四五 田中 二朗 六六六、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七二、〇〇〇
四六 植田 明 六六六、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七二、〇〇〇
四七 稲岡 辰男 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
四八 延藤 寿成 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
四九 加藤木 良和 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五〇 高須賀 四郎 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五一 塚本 章義 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五二 野口 和正 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五三 原田 晃寛 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五四 平田 雍彦 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五五 藤野 英弘 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五六 真下 陳夫 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五七 桝本 清 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五八 木村 次尾 一一四、〇〇〇 一〇〇、〇〇〇 二一、〇〇〇 二三五、〇〇〇
五九 田中 順子 四四八、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六四、〇〇〇 七一二、〇〇〇
六〇 高瀬 崇夫 五〇七、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 九〇、〇〇〇 九九七、〇〇〇
六一 小沢 康七 四八八、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 八八、〇〇〇 九七六、〇〇〇
六二 北本 恵一 三九二、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 五九、〇〇〇 六五一、〇〇〇
六三 下前 春生 三八五、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 五八、〇〇〇 六四三、〇〇〇
六四 辻一 清 三九二、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 五九、〇〇〇 六五一、〇〇〇
六五 村田 俊博 三九二、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 五九、〇〇〇 六五一、〇〇〇
六六 岩本 宏 三九二、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 五九、〇〇〇 六五一、〇〇〇
六七 中川 勝治 三九二、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 五九、〇〇〇 六五一、〇〇〇
六八 松本 公 三九二、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 五九、〇〇〇 六五一、〇〇〇
六九 大塚 大三  三八五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五八、〇〇〇  六四三、〇〇〇
七〇 佐々木 範明  三八五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五八、〇〇〇  六四三、〇〇〇
七一 高嶋 初一  三八五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五八、〇〇〇  六四三、〇〇〇
七二 高谷 安則  三八五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五八、〇〇〇  六四三、〇〇〇
七三 中島 健  三八五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五八、〇〇〇  六四三、〇〇〇
七四 深田 辰次  三八五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五八、〇〇〇  六四三、〇〇〇
七五 岩根 勝子  二〇一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  三〇、〇〇〇  三三一、〇〇〇
七六 池西 光輝  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
七七 井上 洋一  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
七八 今村 恒紀  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
七九 宇田 久男  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八〇 大西 是  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八一 岡崎 悦造  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八二 小松 正諦  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八三 灰野 善夫  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八四 長谷川 茂吉  三七〇、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五七、〇〇〇  六二七、〇〇〇
八五 松岡 龍二  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八六 屋形 修一  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八七 柳沢 尚  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八八 山野 陽通  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八九 大西 宏之  三七〇、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五七、〇〇〇  六二七、〇〇〇
九〇 中西 清  三七〇、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五七、〇〇〇  六二七、〇〇〇
九一 生駒 洋二  三〇五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五〇、〇〇〇  五五五、〇〇〇
九二 桐村 邦彦  三〇五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五〇、〇〇〇  五五五、〇〇〇
九三 田中 範明  三〇五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五〇、〇〇〇  五五五、〇〇〇
九四 寺岡 洋  三〇五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五〇、〇〇〇  五五五、〇〇〇
九五 橋本 重国  三〇五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五〇、〇〇〇  五五五、〇〇〇
九六 古谷 太郎  三〇五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五〇、〇〇〇  五五五、〇〇〇
九七 横川 泰三  三〇五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五〇、〇〇〇  五五五、〇〇〇
九八 岸本 強  二八九、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四八、〇〇〇  五三七、〇〇〇
九九 井口 恭光  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇〇 乾 正明  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇一 大釜 昭雄  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇二 大辻 茂登夫  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇三 大橋 正義  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇四 川上 俊智  一一二、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二一、〇〇〇  二三三、〇〇〇
一〇五 斉藤 俊宏  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇六 佐野 年則  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇七 白川 弘視  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇八 洲崎 雅晴  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇九 高野 和子  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一〇 高橋 亘  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一一 玉井 進吾郎  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一二 田村 芳春  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一三 友常 均  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一四 中岡 俊昭  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一五 西村 彦三郎  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一六 長谷川 紀彦  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一七 藤池 征夫  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一八 藤田 貫治  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一九 堀 斉  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一二〇 宮浦 忠重  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一二一 山本 昌文  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一二二 吉野 陽児  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一二三 井手 輝彦  二一〇、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  三一、〇〇〇  三四一、〇〇〇
一二四 沢井 庸晃  二一〇、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  三一、〇〇〇  三四一、〇〇〇
一二五 三野 正博  二一〇、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  三一、〇〇〇  三四一、〇〇〇
一二六 山口 忠  二一〇、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  三一、〇〇〇  三四一、〇〇〇
一二七 林弘 司  二一〇、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  三一、〇〇〇  三四一、〇〇〇
一二八 脇岡 秀年  二一〇、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  三一、〇〇〇  三四一、〇〇〇
一二九 天野 親聡  一八一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二八、〇〇〇  三〇九、〇〇〇
一三〇 十倉 健  一八一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二八、〇〇〇  三〇九、〇〇〇
一三一 藤原 敏弘  一八一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二八、〇〇〇  三〇九、〇〇〇
一三二 塚本 富美子  一七五、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二七、〇〇〇  三〇二、〇〇〇
一三三 山本 昭昌  一七五、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二七、〇〇〇  三〇二、〇〇〇
一三四 池内 幸恵  一四一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二四、〇〇〇  二六五、〇〇〇
一三五 河合 健治  一四一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二四、〇〇〇  二六五、〇〇〇
一三六 玄田 哲夫  一四一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二四、〇〇〇  二六五、〇〇〇
一三七 那須 司鋭  一四一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二四、〇〇〇  二六五、〇〇〇
一三八 村田 安弘  一四一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二四、〇〇〇  二六五、〇〇〇
一三九 山之 内輝雄  一四一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二四、〇〇〇  二六五、〇〇〇
一四〇 細川 義信  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一四一 原奉 宣  二三三、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  三三、〇〇〇  三六六、〇〇〇

(別表二)   昇給・昇格等一覧表

(一) 昭和二四年旧中、高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数
(年度:昭和)
(以下同様)
昇 任
(年度:昭和)
(以下同様)
昇 格
(年度:昭和)
(以下同様)
備 考
非組合員
標準者
六―五 四―一一 一回(三八)
二回(四三)
主任(四〇)
審査官(四二)
五等級(四三)
四等級(四八)

一 稲松斉 六―五 五―一三 一回 主任(四一) 五等級(四七)
二 塩田静夫 六―五 五―一二 なし 主任(四六) 五等級(四七)
三 橋爪武司 七―五 六―一三 なし 保税実査官(四八)   病休
二年一〇月

(二) 昭和二五年五級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員
標準者
六―六 四―一二 一回(三九)
二回(四三)
審査官(三八)
統括審査官(四六)
五等級(三九)
四等級(四六)

四 山崎吉彦 六―五 五―一二 なし 主任(四七) 五等級(四八) 病休
一年四月

(三) 昭和二五年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員
標準者
七―七 五―一四 一回(三九)
二回(四三)
主任(四二)
審査官(四四)
五等級(四四)
五 小林霞 七―七 五―一一 なし 保税実査官(四八) 五等級(四九)
六 石見宣夫 七―七 五―一一 なし 主任(四四) 五等級(四七) 病休
七か月

七 藤田満夫 七―七 五―一一 なし 主任(四八) 五等級(四九)
八 矢村繁夫 七―七 五―一一 なし 主任(四六) 五等級(四八)
九 横江威 七―七 六―一四 なし 主任(四八)
一〇 大屋広隆 七―七 六―一四 なし 保税実査官(四八)
一一 大塚宏圀 七―六 六―一四 なし 保税実査官(四八)

(四) 昭和二五年中学組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 七―四 五―一〇 一回(四〇)
二回(四五)
主任(四六) 五等級(四七)
一二 桶谷孝史 七―三 六―九 なし なし なし 病休
四か月

一三 今村奈智子 七―三 六―一一 なし なし なし 病休
三か月

(五) 昭和二六年六級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員
標準者
五―五 三―一二 一回(三八)
二回(四二)
三回(四五)
四回(四八)
審査官(三二)
統括審査官(三九)
五等級(三四)
四等級(四〇)
三等級(四七)

一四 服部正治 五―四 四―一一 なし 主任(三三) 三等級(三五)
四等級(四七)
病休
一年

(六) 昭和二六年五級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員
標準者
六―六 四―一二 一回(三九)
二回(四四)
三回(四八)
審査官(三九) 五等級(四〇)
四等級(四七)

一五 鷲見重信 六―五 五―一一 なし 主任(四七) 五等級(四八) 病休
三年六か月

一六 室屋修 六―六 五―一二 なし 主任(四七) 五等級(四八)

(七) 昭和二六年旧専組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 六―四 四―一一 一回(三九)
二回(四四)
三回(四八)
審査官(四〇) 五等級(四一)
四等級(四八)

一七 能勢和彦 六―五 五―一一 なし 主任(四七) 五等級(四八)

(八) 昭和二六年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員
標準者
七―六 五―一三 一回(三九)
二回(四四)
主任(四三)
審査官(四五)
五等級(四五)
一八 岩根晟 七―四 六―一二 なし 主任(四八)   病休
二年一一月

一九 植田邦彦 七―六 五―一一 一回 監視官(四八) 五等級(四九)
二〇 牛込尹人 七―五 六―一三 なし 保税実査官(四八)   病休
一年

二一 奥田康雄 七―六 五―一二 一回 主任(四八) 五等級(四九)
二二 古賀照敏 七―七 五―一一 なし 主任(四七) 五等級(四八)
二三 坂本柏 七―六 六―一四 なし 主任(四八)
二四 杉原光三郎 七―六 六―一四 なし 主任(四八)
二五 中石雅康 七―六 五―一一 なし 保税実査官(四八) 五等級(四九)
二六 林義男 七―六 五―一〇 なし 主任(四八) 五等級(四九)
二七 前田信雄 七―七 六―一四 なし 主任(四八)
二八 山岡荘太朗 七―六 六―一四 なし 主任(四八)

(九) 昭和二七年四級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 七―六 五―一三 一回(四〇)
二回(四四)
主任(四三)
審査官(四五)
五等級(四五)
二九 加藤不二男 七―六 六―一四 なし 保税実査官(四八)

(一〇) 昭和二七年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 七―五 五―一二 一回(四〇)
二回(四四)
主任(四五)
審査官(四七)
五等級(四六)
三〇 寺地健 七―五 六―一三 なし 主任(四八)
三一 間処康成 七―五 六―一三 なし 主任(四八)
三二 安福弘 七―六 六―一三 なし 保税実査官(四八)
三三 高橋章 七―五 五―一〇 なし 主任(四八) 五等級(四九)
三四 田代勝 七―五 五―一一 二回 主任(四七) 五等級(四八)
三五 岩本武司 七―五 六―一三 なし 保税実査官(四八)

(一一) 昭和二八年五級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 六―五 五―一五 一回(四〇)
二回(四四)
三回(四八)
審査官(四〇) 五等級(四三)
三六 青木俊夫 七―七 五―一一 なし 主任(四七) 五等級(四八)
三七 榎本和行 七―七 五―一一 なし 主任(四七) 五等級(四八)

(一二) 昭和二八年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員
標準者
七―五 五―一一 一回(四〇)
二回(四五)
主任(四六)
審査官(四八)
五等級(四七)
三八 塚越健 七―五 六―一三 なし 主任(四八)
三九 小島久 七―四 六―一二 なし 主任(四八)
四〇 坂本檀 七―五 六―一二 なし 主任(四八)   病休
六か月

四一 津村勝次 七―五 六―一二 なし 主任(四八)
四二 中川和 七―四 六―一二 なし 保税実査官(四八)
四三 結縁俊雄 七―五 六―一二 なし 保税実査官(四八)
四四 宮村融 七―四 六―一二 なし 主任(四八)
四五 田中二朗 七―四 六―一二 なし 保税実査官(四八)

(一三) 昭和三〇年四級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 七―四 五―一一 一回(四〇)
二回(四五)
主任(四六)
審査官(四八)
五等級(四七)
四六 植田明 七―四 六―一二 なし 保税実査官(四九)

(一四) 昭和三二年四級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 七―一 五―八 一回(四一)
二回(四六)
主任(四八) 五等級(四九)
四七 稲岡辰男 七―一 六―九 なし
四八 延藤寿成 七―一 六―九 なし
四九 加藤木良和 七―一 六―九 なし     病休
二か月

五〇 高須賀四郎 七―一 六―九 なし
五一 塚本章義 七―一 六―九 なし
五二 野口和正 七―一 六―九 なし
五三 原田晃寛 七―一 六―九 なし
五四 平田雍彦 七―一 六―九 なし
五五 藤野英弘 七―一 六―九 なし
五六 真下陳夫 七―一 六―九 なし
五七 桝本清 七―一 六―九 なし
五八 木村次尾 八―七 六―九 一回

(一五) 昭和三二年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―七 六―一〇 一回(四一)
二回(四六)
主任(四八) なし
五九 田中順子 八―七 六―八 なし

(一六) 昭和三三年中級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 七―三 五―一〇 一回(四一)
二回(四七)
主任(四六)
審査官(四八)
五等級(四七)
六〇 高瀬崇夫 七―三 六―一〇 なし
六一 小沢康七 七―二 六―一〇 なし

(一七) 昭和三三年初級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―七 六―一〇 一回(四一)
二回(四七)
主任(四八) なし
六二 北本恵一 八―七 六―八 なし
六三 下前春生 八―七 六―七 なし     病休
一年五か月
三か月

六四 辻一清 八―七 六―八 なし
六五 村田俊博 八―七 六―八 なし
六六 岩本宏 八―六 六―八 なし
六七 中山勝治 八―六 六―八 なし
六八 松本公 八―六 六―八 なし

(一八) 昭和三三年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―五 六―九 一回(四一)
二回(四七)
主任(四八) なし
六九 大塚大三 八―五 六―七 なし
七〇 佐々木範明 八―五 六―六 なし     病休
三か月

七一 高嶋初一 八―五 六―七 なし
七二 高谷安則 八―五 六―七 なし
七三 中島健 八―五 六―七 なし
七四 深田辰次 八―五 六―六 なし

(一九) 昭和三三年中学組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 行(二)
五―四
六―五 一回(四一)
二回(四七)
なし なし
七五 岩根勝子 行(二)
五―四
行(一)
七―七
なし     行(一)四八年

(二〇) 昭和三四年初級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―六 六―九 一回(四二)
二回(四七)
なし なし
七六 池西光輝 八―六 六―七 なし
七七 井上洋一 八―六 六―六 なし
七八 今村恒紀 八―六 六―七 なし
七九 宇田久男 八―六 六―七 なし
八〇 大西是 八―五 六―六 なし
八一 岡崎悦造 八―六 六―六 なし
八二 小松正諦 八―六 六―七 なし
八三 灰野善夫 八―六 六―七 なし
八四 長谷川茂吉 八―五 六―六 なし     病休
一年二月

八五 松岡龍二 八―六 六―七 なし
八六 屋形修一 八―六 六―七 なし
八七 柳沢尚 八―六 六―七 なし
八八 山野陽通 八―六 六―七 なし

(二一) 昭和三四年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―四 六―八 一回(四二)
二回(四七)
なし なし
八九 大西宏之 八―四 六―六 なし
九〇 中西清 八―四 六―六 なし

(二二) 昭和三五年初級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―五 六―八 一回(四二)
二回(四八)
なし なし
九一 生駒洋二 八―五 六―六 なし
九二 桐村邦彦 八―五 六―六 なし
九三 田中範明 八―五 六―六 なし
九四 寺岡洋 八―五 六―六 なし
九五 橋本重国 八―五 六―六 なし
九六 古谷太郎 八―五 六―六 なし
九七 横川泰三 八―五 六―六 なし

(二三) 昭和三五年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―四 六―七 一回(四二)
二回(四八)
なし なし
九八 岸本強 八―四 六―五 なし

(二四) 昭和三六年初級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―四 六―七 一回(四三)
二回(四八)
なし なし
九九 井口恭光 八―四 六―五 なし
一〇〇 乾正明 八―四 六―五 なし
一〇一 大釜昭雄 八―四 六―五 なし
一〇二 大辻茂登夫 八―四 六―五 なし
一〇三 大橋正義 八―四 六―五 なし
一〇四 川上俊智 八―三 六―六 一回
一〇五 斉藤俊宏 八―四 六―五 なし
一〇六 佐野年則 八―四 六―五 なし
一〇七 白川弘視 八―四 六―五 なし
一〇八 洲崎雅晴 八―四 六―五 なし
一〇九 高野和子 八―四 六―五 なし
一一〇 高橋亘 八―四 六―五 なし
一一一 玉井進吾郎 八―四 六―五 なし
一一二 田村芳春 八―四 六―五 なし
一一三 友常均 八―四 六―五 なし
一一四 中岡俊昭 八―四 六―五 なし
一一五 西村彦三郎 八―四 六―五 なし
一一六 長谷川紀彦 八―四 六―五 なし
一一七 藤池征夫 八―四 六―五 なし
一一八 藤田貫治 八―四 六―五 なし
一一九 堀斉 八―四 六―五 なし
一二〇 宮浦忠重 八―四 六―五 なし
一二一 山本昌文 八―四 六―五 なし
一二二 吉野陽児 八―四 六―五 なし

(二五) 昭和三六年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―三 六―五 一回(四三) なし なし
一二三 井手輝彦 八―三 七―七 なし
一二四 沢井庸晃 八―三 六―四 なし
一二五 三野正博 八―三 六―四 なし
一二六 山口忠 八―三 七―七 なし
一二七 林弘司 八―二 七―七 なし
一二八 脇岡秀年 八―二 七―七 なし

(二六) 昭和三七年初級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―三 六―五 一回(四四) なし なし
一二九 天野親聡 八―三 七―七 なし
一三〇 十倉健 八―三 七―七 なし
一三一 藤原敏弘 八―三 七―七 なし

(二七) 昭和三七年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―一 七―七 一回(四四) なし なし
一三二 塚本富美子 八―一 七―六 なし
一三三 山本昭昌 八―一 七―六 なし

(二八) 昭和三八年初級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―二 六―四 一回(四五) なし なし
一三四 池内幸恵 八―二 七―六 なし
一三五 河合建治 八―二 七―六 なし
一三六 玄田哲夫 八―二 七―六 なし
一三七 那須司鋭 八―二 七―六 なし
一三八 村田安弘 八―二 七―六 なし
一三九 山之内輝雄 八―二 七―六 なし

(二九) 昭和三九年中級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者   六―七
六―六
二回
一四〇 細川義信 八―二 六―五 なし     三九年中級
八―五

一四一 原奉宣 八―三 六―五 なし     三九年中級
八―五

(別表三) 等級号俸推移表

(1番)稲松斉
年 月 38.4 38.7 38.10 39.10 40.10 41.10 42.10 43.7 43.10 44.10 45.10 46.10 47.2 47.10 48.1
標準者 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 5-9 5-10 5-11 5-12 5-13   5-14
原 告 6-5   6-6 6-7 6-8 6-9 6-10   6-11 6-12 6-13 6-14 5-11   5-12
48.4 48.7 48.10
4-10 4-11
5-13

(2番)塩田静夫
年 月 38.4 38.7 38.10 39.7 39.10 40.7 40.10 41.4 41.10 42.4 42.10 43.4 43.7 43.10 44.4
標準者 6-5 6-6 6-7   6-8   6-9   6-10   6-11   5-9 5-10
原 告 6-5 6-6   6-7   6-8   6-9   6-10   6-11     6-12
44.10 45.4 45.10 46.4 46.10 47.4 47.7 47.10 48.4 48.7 48.10
5-11   5-12   5-13     5-14   4-10 4-11
6-13   6-14   6-15 5-11   5-12

(3番)橋爪武司
年 月 38.4 38.7 39.7 40.7 40.10 41.7 42.7 43.7 44.7 45.7 46.6 46.7 47.7 48.7
標準者 7-5 7-7 6-5 6-6   6-7 6-8 6-10 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11 5-12
原 告 7-5 7-6 7-7 7-8 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10   6-11 6-12 6-13

(4番)山崎吉彦
年 月 39.4 39.7 40.7 41.7 42.7 43.7 44.7 45.7 46.7 47.7 48.7
標準者 6-6 6-8 5-6 5-7 5-8 5-10 5-11 5-12 5-13 4-10 4-11
原 告 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 6-13 6-14 6-15 5-11
5-12

(5番)小林霞・(7番)藤田満夫
年 月 39.4 39.7 40.1 41.1 42.1 43.1 43.7 44.1 44.7 45.1 46.1 47.1 48.1 49.1
標準者 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11 5-12 5-13 5-14
原 告 6-5   6-6 6-7 6-8 6-9   6-10   6-11 6-12 6-13 6-14 5-11

(6番)石見宣夫
年 月 39.4 39.7 40.10 41.10 42.10 43.10 44.7 44.10 45.10 46.10 47.7 47.10 48.10
標準者 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 5-8 5-9 5-10 5-11   5-12 5-13
原 告 6-5   6-6 6-7 6-8 6-9   6-10 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11

(8番)矢村繁夫
年 月 39.4 39.7 40.1 41.1 42.1 43.1 43.7 44.1 44.7 45.1 46.1 47.1 48.1 48.7 49.1
標準者 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11 5-12 5-13   5-14
原 告 6-5   6-6 6-7 6-8 6-9   6-10   6-11 6-12 6-13 6-14 5-11

(9番)横江威・(10番)大屋広隆
年 月 39.4 39.7 40.4 41.4 42.4 43.4 43.7 44.4 44.7 45.4 46.4 47.4 48.4
標準者 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11 5-12 5-13
原 告 6-5   6-6 6-7 6-8 6-9   6-10   6-11 6-12 6-13 6-14

(11番)大塚宏圀
年 月 39.4 39.7 40.7 41.7 42.7 43.7 44.7 45.7 46.7 47.7 48.7
標準者 7-7 6-6 6-7 6-8 6-9 6-11 5-9 5-10 5-11 5-12 5-13
原 告 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 6-13 6-14

(12番)桶谷孝史
年 月 40.4 40.7 41.7 42.7 43.7 44.7 45.1 45.7 46.7 47.7 48.7
標準者 7-5 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8   6-10 6-11 6-12 5-10
原 告 7-5 7-6 7-7 6-5 6-6   6-7   6-8   6-9

(13番)今村奈智子
年 月 40.4 40.7 41.7 42.7 43.10 44.10 45.7 45.10 46.10 47.7 47.10 48.10
標準者 7-5 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 5-8 5-9 5-10
原 告 7-5 7-6 7-7 6-5 6-6 6-7   6-8 6-9   6-10 6-11

(14番)服部正治
年 月 38.4 38.7 39.1 40.1 40.7 40.10 41.10 42.7 42.10 43.10 44.10 45.7 45.10 46.10 47.7
標準者 5-4 5-5 5-6 5-7 4-3 4-4 4-5 4-6 4-7 4-8 4-9 4-10 4-11 4-12
原 告 5-4   5-5 5-6   5-7 5-8   5-9 5-10 5-11   5-12 5-13 4-9
47.10 48.10

4-10 4-11

(15番)鷲見重信
年 月 39.4 39.7 39.10 40.7 40.10 43.5 44.1 45.1 45.7 46.1 47.1 48.1 48.7 49.1
標準者 6-6 6-7 6-8 5-5 5-6 5-7 5-8 5-9 5-10 5-11 5-12 5-13 4-10 4-11
原 告 6-6   6-7 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11   6-12 6-13 6-14 5-11

(16番)室屋修
年 月 39.4 39.7 40.4 40.7 41.1 42.1 43.1 44.1 44.7 45.1 46.1 47.1 47.7 48.1 48.2
標準者 6-7 6-8 6-9 5-6 5-7 5-8 5-9 5-10 5-11 5-12 5-13 5-14 4-10 4-11
原 告 6-7   6-8   6-9 6-10 6-11 6-12   6-13 6-14 6-15   6-16 5-12
49.1
4-12

(17番)能勢和彦
年 月 39.4 39.7 40.4 41.4 41.7 42.4 43.4 44.4 44.7 45.4 46.4 47.4 48.4 48.7
標準者 6-6 6-7 6-8 6-9 5-6 5-7 5-8 5-9 5-10 5-11 5-12 5-13 5-14 4-11
原 告 6-6   6-7 6-8   6-9 6-10 6-11   6-12 6-13 6-14 6-15 5-11

(18番)岩根晟
年 月 39.4 39.7 40.7 41.7 42.7 43.7 44.7 45.7 46.6 46.7 47.6 48.7
標準者 7-5 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-10 6-11 5-8 5-9 5-10 5-11
原 告 7-5 7-6 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10   6-11 6-12

(19番)植田邦彦
年 月 39.4 39.7 40.1 41.1 42.1 42.7 43.1 44.1 44.7 45.1 45.6 46.1 47.1 48.1 49.1
標準者 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8   6-9 6-10 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11 5-12 5-13
原 告 7-7   6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10   6-11   6-12 6-13 6-14 5-11

(19番)植田邦彦
年 月 39.4 39.7 40.1 41.1 42.1 42.7 43.1 44.1 44.7 45.1 45.6 46.1 47.1 48.1 49.1
標準者 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8   6-9 6-10 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11 5-12 5-13
原 告 7-7   6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10   6-11   6-12 6-13 6-14 5-11

(20番)牛込尹人
年 月 39.4 39.7 40.1 41.1 41.4 42.1 43.1 44.1 44.7 45.1 46.1 46.6 47.1 48.1 49.1
標準者 7-6 7-7 6-5 6-6   6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11 5-12
原 告 7-6   7-7 7-8 6-5 6-6 6-7 6-8   6-9 6-10   6-11 6-12 6-13

(21番)奥田康雄
年 月 39.4 39.7 39.10 40.10 41.10 42.10 43.10 44.7 44.10 45.6 45.10 46.10 47.10 48.10 49.1
標準者 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11 5-12 5-13
原 告 7-7   6-5 6-6 6-7 6-8 6-9   6-10   6-11 6-12 6-13 6-14 5-12

(22番)古賀照敏
年 月 39.4 39.7 39.10 40.10 41.10 42.10 43.10 44.7 44.10 45.6 45.10 46.10 47.10 48.7 48.10
標準者 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11 5-12   5-13
原 告 6-5   6-6 6-7 6-8 6-9 6-10   6-11   6-12 6-13 6-14 5-11

(23番)坂本柏・(24番)杉原光三郎・(28番)山岡荘太郎
年 月 39.4 39.7 39.10 40.10 41.10 42.10 43.10 44.7 44.10 45.6 45.10 46.10 47.10 48.10
標準者 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11 5-12 5-13
原 告 7-7   6-5 6-6 6-7 6-8 6-9   6-10   6-11 6-12 6-13 6-14

(25番)中石雅康
年 月 39.4 39.7 40.1 40.4 41.1 42.1 43.1 44.1 44.7 45.1 45.6 46.1 47.1 48.1 49.1
標準者 7-7 6-5 6-6   6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11 5-12 5-13
原 告 7-7   7-8 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9   6-10   6-11 6-12 6-13 5-11

(26番)林義男
年 月 39.4 39.7 40.1 41.1 42.1 42.4 43.1 43.4 44.1 44.4 44.7 45.1 45.4 45.6 46.1
標準者 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8   6-9   6-10   6-11 6-12   5-9 5-10
原 告 7-7   6-5 6-6   6-7   6-8   6-9     6-10
46.4 47.1 47.4 48.1 48.4 49.1
5-11   5-12   5-13
6-11   6-12   6-13 5-11

(27番)前田信雄
年 月 39.4 39.7 39.10 40.4 40.10 41.7 41.10 42.7 42.10 43.7 43.10 44.7 44.10 45.6 45.7
標準者 7-7 7-5 6-5   6-7   6-8   6-9   6-10 6-11 6-12 5-9
原 告 6-5     6-6   6-7   6-8   6-9   6-10     6-11
45.10 46.7 46.10 47.7 47.10 48.7 48.10
5-10   5-11   5-12   5-13
6-12   6-13   6-14

(29番)加藤不二男
年 月 40.4 40.7 41.1 42.1 43.1 44.1 44.7 45.1 46.1 46.6 47.1 48.1 49.1
標準者 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 6-13 5-10 5-11 5-12 5-13
原 告 6-5   6-6 6-7 6-8 6-9   6-10 6-11   6-12 6-13 6-14

(30番)寺地健
年 月 40.4 40.7 40.10 41.1 41.10 42.10 43.10 44.7 44.10 45.10 46.6 46.10 47.10 48.10
標準者 7-7 6-5 6-6   6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11 5-12
原 告 7-7   7-8 6-5 6-6 6-7 6-8   6-9 6-10   6-11 6-12 6-13

(31番)間処康成
年 月 40.4 40.7 40.10 41.7 42.7 43.7 44.7 45.7 46.6 46.7 47.7 48.7
標準者 7-7 6-6   6-7 6-8 6-9 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11 5-12
原 告 7-7 7-8 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10   6-11 6-12 6-13

(32番)安福弘
年 月 40.4 40.7 41.1 42.1 43.1 44.1 45.7 45.10 46.6 46.10 47.10 48.10
標準者 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11 5-12
原 告 6-5   6-6 6-7 6-8 6-9   6-10   6-11 6-12 6-13

(33番)高橋章
年 月 40.4 40.7 40.10 41.7 42.7 43.7 44.7 45.7 46.6 46.7 47.7 48.1 49.1
標準者 7-7 6-6   6-7 6-8 6-9 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11 5-12
原 告 7-7 7-8 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10   6-11 6-12 6-13 5-10

(34番)田代勝
年 月 40.4 40.7 40.10 41.7 42.7 43.7 44.7 45.7 46.6 46.7 47.7 48.7
標準者 7-7 7-6   6-7 6-8 6-9 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11 5-12
原 告 7-7 7-8 6-5 6-6 6-8 6-9 6-10 6-11   6-13 6-14 5-11

(35番)岩本武司
年 月 40.4 40.7 40.10 41.4 41.10 42.10 43.10 44.7 44.10 45.10 46.6 46.10 47.10 48.10
標準者 7-7 6-5 6-6   6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11 5-12
原 告 7-7   7-8 6-5 6-6 6-7 6-8   6-9 6-10   6-11 6-12 6-13

(36番)青木俊夫・(37番)榎本和行
年 月 40.4 40.7 41.4 42.4 43.4 44.4 44.7 45.4 46.4 47.4 48.4 48.7
標準者 6-6 6-7 5-5 5-6 5-7 5-8 5-9 5-10 5-11 5-12 5-13 5-14
原 告 6-6   6-7 6-8 6-9 6-10   6-11 6-12 6-13 6-14 5-11

(38番)越塚健
年 月 40.4 40.7 40.10 41.7 42.7 43.7 44.7 45.7 46.7 47.7 48.7
標準者 7-7 6-6   6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 5-10 5-11 5-12
原 告 7-7   6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 6-13

(39番)小島久・(45番)田中二朗
年 月 38.4 39.1 40.1 40.4 40.7 41.1 42.1 43.1 44.1 45.1 45.7 46.1 47.1 47.7 48.1
標準者       7-6 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 5-9 5-10
原 告 7-4 7-5 7-6     7-7 6-4
6-5
6-6 6-7 6-8   6-9 6-10   6-11
49.1
5-11
6-12

(40番)坂本檀
年 月 40.4 40.7 41.4 42.4 43.4 44.4 45.4 45.7 46.4 46.10 47.4 47.7 47.10 48.4 48.10
標準者 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12   6-13 5-10   5-11
原 告 7-7   6-5 6-6 6-7 6-8 6-9     6-10     6-11   6-12

(41番)津村勝次
年 月 40.4 40.7 41.4 42.4 43.4 44.4 45.4 45.7 46.4 47.4 47.7 48.4
標準者 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 6-13 5-10 5-11
原 告 7-7   6-5 6-6 6-7 6-8 6-9   6-10 6-11   6-12

(42番)中川和
年 月 40.4 40.7 41.7 42.7 43.7 44.7 44.10 45.7 45.10 46.7 46.10 47.7 47.10 48.7 48.10
標準者 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9   6-11   6-12   5-10   5-11
原 告 7-7   6-4
6-5
6-6 6-7   6-8   6-9   6-10   6-11   6-12

(43番)結縁俊雄
年 月 40.4 40.7 41.4 42.4 43.4 44.4 44.7 45.4 45.7 46.4 46.7 47.4 47.7 48.4 48.7
標準者 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9   6-10 6-11 6-12   6-13 5-10 5-11
原 告 7-7   6-4
6-5
6-6 6-7   6-8   6-9   6-10   6-11   6-12

(44番)宮村融
年 月 40.4 40.7 41.7 42.7 43.7 44.7 45.7 46.7 47.7 48.7
標準者 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-11 6-12 5-10 5-11
原 告 7-7   6-4
6-5
6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12

(46番)植田明
年 月 40.4 40.7 40.10 41.10 42.10 43.10 44.10 45.7 45.10 46.10 47.7 47.10 48.10
標準者 7-6 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 6-12 5-9 5-10 5-11
原 告 7-6   7-7 6-5 6-6 6-7 6-8   6-9 6-10   6-11 6-12

(47番)稲岡辰男・(48番)延藤寿成・(50番)高須賀四郎
(51番)塚本章義・(52番)野口和正・(53番)原田晃寛
(54番)平田雍彦・(56番)真下陳夫・(57番)桝本清
年 月 41.4 41.7 41.10 42.10 43.10 44.10 45.10 46.7 46.10 47.10 48.10 49.1
標準者 7-4 7-5 7-6 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 5-8
原 告 7-4   7-5 7-6 7-7 6-5 6-6   6-7 6-8 6-9

(49番)加藤木良和
年 月 41.4 41.7 41.10 42.10 43.10 44.1 44.10 45.1 45.10 46.1 46.7 46.10 47.1 47.10 48.1
標準者 7-4 7-5 7-6 7-7 6-5   6-6   6-7   6-8 6-9   6-10
原 告 7-4   7-5 7-6   7-7   6-5   6-6     6-7   6-8
48.10 49.1
6-11 5-8
6-9

(55番)藤野英弘
年 月 41.4 41.7 41.10 42.10 43.10 44.7 44.10 45.10 46.7 46.10 47.10 48.10 49.1
標準者 7-4 7-5 7-6 7-7 6-5   6-6 6-7 6-8 6-9 6-10 6-11 5-8
原 告 7-4   7-5 7-6 7-7 6-4 6-5 6-6   6-7 6-8 6-9

(58番)木村次尾
年 月 44.7 44.10 45.7 46.7 47.7 48.7
標準者 7-8 6-5 6-7 6-8 6-9 6-10
原 告 7-8 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9

(59番)田中順子
年 月 40.10 41.7 41.10 42.10 43.10 44.10 45.10 46.7 46.10 47.10 48.10
標準者 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10
原 告 7-3   7-4 7-5 7-6 7-7 6-5   6-6 6-7 6-8

(60番)高瀬崇夫
年 月 41.4 41.7 42.4 43.4 44.4 44.10 45.4 45.10 46.4 46.10 47.4 47.7 47.10 48.4 48.10
標準者 7-6 7-7 6-5 6-6 6-7   6-8   6-9   6-10 5-8   5-9
原 告 7-6   7-7 6-5   6-6   6-7   6-8     6-9   6-10

(61番)小沢康七
年 月 41.4 41.7 41.10 42.10 43.10 44.10 45.10 46.10 47.7 47.10 48.10
標準者 7-5 7-6 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 5-7 5-8 5-9
原 告 7-5   7-6 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8   6-9 6-10

(62番)北本恵一・(64番)辻一清・(65番)村田俊博
年 月 41.4 41.7 41.10 42.10 43.10 44.10 45.10 46.10 47.7 47.10 48.10
標準者 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10
原 告 7-3   7-4 7-5 7-6 7-7 6-5 6-6   6-7 6-8

(63番)下前春生
年 月 41.4 41.7 41.10 42.10 43.10 44.10 45.10 46.10 47.1 47.7 48.1 49.1
標準者 7-2 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-5 6-6   6-7 6-8 6-9
原 告 7-2   7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-4 6-5   6-6 6-7

(66番)岩本宏・(67番)中山勝治・(68番)松本公
年 月 41.4 41.7 42.1 43.1 44.1 45.1 46.1 47.1 47.7 48.1 49.1
標準者 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9 6-10
原 告 7-3   7-4 7-5 7-6 7-7 6-5 6-6   6-7 6-8

(69番)大塚大三・(72番)高谷安則・(73番)中島健
年 月 41.4 41.7 42.1 43.1 44.1 45.1 46.1 46.10 47.1 47.7 48.1 49.1
標準者 7-2 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-5   6-6 6-7 6-8 6-9
原 告 7-2   7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-4 6-5   6-6 6-7

(70番)佐々木範明
年 月 41.1 41.7 42.1 43.1 44.1 45.1 46.1 46.4 47.1 47.4 47.7 48.1 48.4 49.1
標準者 7-2 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-5   6-6   6-7 6-8   6-9
原 告 7-2   7-3 7-4 7-5 7-6   7-7   6-5     6-6

(71番)高嶋初一
年 月 41.1 41.7 42.1 43.1 44.1 45.1 46.1 47.1 47.7 48.1 49.1
標準者 7-2 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9
原 告 7-2   7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-5   6-6 6-7

(74番)深田辰次
年 月 41.1 41.7 42.1 43.1 43.4 44.1 44.4 45.1 45.4 46.1 46.4 47.1 47.4 47.7 48.1
標準者 7-2 7-3 7-4 7-5   7-6   7-7   6-5   6-6   6-7 6-8
原 告 7-2   7-3   7-4   7-5   7-6   7-7 6-4 6-5
48.4 49.1
6-9
6-6

(75番)岩根勝子
年 月 41.4 41.7 42.7 43.7 44.7 45.7 46.7 47.7 48.7 48.10 49.1
標準者 行(二)
5-9
5-11 5-12 5-13 5-14 5-15 5-16 5-18 5-19 行(一)
7-7
6-5
原 告 行(二)
5-9
5-10 5-11 5-12 5-13 5-14 5-15 5-16 5-17 行(一)
7-6
7-7

(76番)池西光輝
年月 42.4 42.7 42.10 43.10 44.1 44.10 45.1 45.10 46.1 46.10 47.1 47.7 47.10 48.1 48.10
標準者 7-3 7-4 7-5 7-6   7-7   6-5   6-6   6-7 6-8   6-9
原告 7-3   7-4   7-5   7-6   7-7 6-4 6-5     6-6
49.1

6-7

(77番)井上洋一・(81番)岡崎悦三
年 月 39.4 39.10 40.1 40.10 41.1 41.10 42.1 42.7 42.10 43.4 43.10 44.4 44.10 45.4 45.10
標準者 8-7 7-1   7-2   7-3   7-4 7-5   7-6   7-7   6-5
原 告 8-7   7-1   7-2   7-3     7-4   7-5   7-6
46.4 46.10 47.4 47.7 47.10 48.4 48.10
6-6   6-7 6-8   6-9
7-7   6-5     6-6

(78番)今村恒紀・(79番)宇田久男・(82番)小松正諦・(83番)灰野善夫・(87番)柳沢尚
(88番)山野陽通
年 月 39.4 39.10 40.1 40.10 41.1 41.10 42.1 42.7 42.10 43.1 43.10 44.1 44.10 45.1 45.10
標準者 8-7 7-1   7-2   7-3   7-4 7-5   7-6   7-7   6-5
原 告 8-7   7-1   7-2   7-3     7-4   7-5   7-6
46.1 46.10 47.1 47.7 47.10 48.1 48.10 49.1
6-6   6-7 6-8   6-9
7-7   6-5     6-6   6-7

(80番)大西是
年 月 42.4 42.7 43.4 44.4 45.4 46.7 47.4 47.7 48.4
標準者 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8
原 告 7-3   7-4 7-5 7-6 7-7 6-5   6-6

(84番)長谷川茂吉
年 月 42.4 42.7 43.7 44.7 45.7 46.7 47.7 48.7
標準者 7-2 7-4 7-5 7-6 7-7 6-5 6-6
6-7
6-8
原 告 7-2 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-5

(85番)松岡竜二・(86番)屋形修一
年 月 42.4 42.7 42.10 43.10 44.10 45.10 46.10 47.7 47.10 48.10
標準者 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-5 6-6 6-7 6-8 6-9
原 告 7-3   7-4 7-5 7-6 7-7 6-5   6-6 6-7

(89番)大西宏之
年 月 42.4 42.7 43.1 44.1 45.1 46.1 46.10 47.1 47.7 47.10 48.1 49.1
標準者 7-2 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-4 6-5 6-6   6-7 6-8
原 告 7-2   7-3 7-4 7-5 7-6   7-7   6-4 6-5 6-6

(90番)中西清
年 月 42.4 42.7 43.1 44.1 45.1 46.1 46.10 47.1 47.7 48.1 49.1
標準者 7-2 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-4 6-5 6-6 6-7 6-8
原 告 7-2   7-3 7-4 7-5 7-6   7-7   6-5 6-6

(91番)生駒洋二・(92番)桐村邦彦・(93番)田中範明・(94番)寺岡洋(95番)橋本重国・(96番)古谷太郎・(97番)横川泰三
年 月 42.4 42.7 42.10 43.10 44.10 45.10 46.7 46.10 47.10   48.10
標準者 7-2 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-4 6-5 6-6 6-7 6-8
原 告 7-2   7-3 7-4 7-5 7-6   7-7 6-5   6-6

(98番)岸本強
年 月 42.4 42.7 43.7 44.7 45.7 46.7 47.4 47.7 48.4 48.7
標準者 7-1 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-4 6-5   6-7
原 告 7-1 7-2 7-3 7-4 7-5 7-6   7-7 6-4 6-5

(99番)井口恭光・(100番)乾正明
(101番)大釜昭雄・(102番)大辻茂登夫
(103番)大橋正義・(106番)佐野年則
(108番)洲崎雅晴・(109番)高野和子
(110番)高橋亘・(113番)友常均
(114番)中岡俊昭・(115番)西村彦三郎
(116番)長谷川紀彦・(117番)藤池征夫
(118番)藤田貫治・(119番)堀斉
(120番)宮浦忠重・(121番)山本昌文
(122番)吉野陽児
年 月 43.4 43.7 44.7 45.7 46.7 47.4 47.7 48.4
標準者 7-2 7-4 7-5 7-6 7-7 6-4 6-5 6-7
原 告 7-2 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-4 6-5

(104番)川上俊智
年 月 43.4 43.7 43.10 44.10 45.10 46.7 46.10 47.10 48.1 48.7 48.10
標準者 7-2 7-3 7-4 7-5 7-6   7-7 6-8 6-5 6-6 6-7
原 告 7-2   7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 7-8 6-5   6-6

(105番)斉藤俊宏・(111番)玉井進吾郎
年 月 43.4 43.7 43.10 44.7 44.10 45.7 45.10 46.7 46.10 47.4 47.7 47.10 48.7 48.10
標準者 7-2 7-4   7-5   7-6   7-7   6-4 6-5   6-7
原 告 7-2   7-3   7-4   7-5   7-6     7-7 6-4 6-5

(107番)白川弘視
年 月 43.4 43.7 44.7 44.10 45.7 45.10 46.7 46.10 47.4 47.7 47.10 48.7 48.10
標準者 7-2 7-4 7-5   7-6   7-7   6-4 6-5   6-7
原 告 7-2 7-3   7-4   7-5   7-6     7-7 6-4 6-5

(112番)田村芳春
年 月 43.4 43.7 43.10 44.7 44.10 45.7 45.10 46.7 46.10 47.7 47.10 48.7 48.10
標準者 7-2 7-4   7-5   7-6   7-7   6-5   6-7
原 告 7-2   7-3   7-4   7-5   7-6   7-7 6-4 6-5

(123番)井手輝彦・(126番)山口忠
年 月 43.4 43.7 44.7 45.7 46.7 47.7 48.1 48.7
標準者 7-1 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-4 6-5
原 告 7-1 7-2 7-3 7-4 7-5 7-6   7-7

(124番)沢井庸晃・(125番)三野正博
年 月 43.4 43.7 44.7 45.7 46.7 47.7 48.1 48.7 49.1
標準者 7-1 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-4 6-5
原 告 7-1 7-2 7-3 7-4 7-5 7-6   7-7 6-4

(127番)林弘司・(128番)脇岡秀年
年 月 43.4 43.7 43.10 44.10 45.10 46.10 47.10 48.4 48.10
標準者 7-1 7-2 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-4 6-5
原 告 7-1   7-2 7-3 7-4 7-5 7-6 7-6 7-7

(129番)天野親聡・(130番)
十倉健・(131番)藤原敏弘
年 月 45.7 46.7 47.7 48.4 48.7
標準者 7-5 7-6 7-7 6-4 6-5
原 告 7-4 7-5 7-6   7-7

(132番)塚本富美子
(133番)山本昭昌
年 月 45.7 45.10 46.10 47.7 48.10
標準者 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7
原 告   7-3 7-4 7-5 7-6

(134番)池内幸恵
(135番)河合健治
(136番)玄田哲夫
(137番)那須司鋭
(138番)村田安弘
(139番)山之内輝雄
年 月 46.7 47.7 48.7
標準者 7-5 7-6 7-7
原 告 7-4 7-5 7-6

(140番)細川義信
年 月 43.4 43.7 44.7 45.7 46.7 47.4 47.7 48.7
標準者 7-2 7-4 7-5 7-6 7-7 6-4 6-5 6-7
原 告 7-2 7-3 7-4 7-5 7-6 7-7 6-4 6-5

(141番)原奉宣
年 月 45.4 45.7 46.7 47.4 47.7 48.4 48.7
標準者 7-4 7-6 7-7 6-4 6-5   6-6
原 告   7-5 7-6   7-7 6-4 6-5

(別表四) 庁舎等無許可使用集会一覧表
※は中止命令のないもの
番号 日時 場所 参加人員 集会の内容等
1 39.6.26
11.30~11.50頃
監視部警務二課
更衣室
二一名 転勤問題等を議題とした集会なお更衣室は集会等に使用してはならないこと、
盗難予防のため午前一一時以後は施錠するので居残らないよう達してあった。

2 39.6.27
10.30~11.30
右同 二二名 ビラ配り及び寝室・更衣室を集会に使用するための署名運動などを議題とした非番者集会
3 39.6.30
11.05~11.30
右同 一二名 右同及び転勤問題のための署名運動等を議題とした非番者集会
4 39.7.9
12.15~13.15頃
東部出張所
鑑査一、二部門
事務室
二七名 中国訪問帰朝報告集会
5 39.7.13
12.20~13.15頃
貨物課第三突堤
詰所事務所
約二〇名 執行委員の選出、新体制のパトロール問題等を議題とする貨物分会集会。
右集会については、当局から使用許可を受けるよう事前に勧告がなされた。

※6 39.8.12
12.00~13.15頃
右同  九名 右同
7 39.9.9
12.15~13.15頃
鑑査部第二部門
事務室
一八名 支部大会議案書を討議するための集会
8 39.9.10
12.15~13.15頃
鑑査部第一部門 二五、六名 支部大会議案書を討議するための集会
※9 39.10.7
12.15~13.15頃
右同 一一名 昼休み職場集会
※10 39.11.6
12.15~13.15頃
右同 一五名 右同
※11 39.12.14
12.15~13.05頃
右同 一七名 右同
12 40.3.16
昼休み
業務部輸入二課
など四か所
二一名 「生活の話」について、輸入二課、為替課、輸出三課、輸出為替課の四グループに分かれて行なった集会
13 40.3.17
12.30~13.10頃
新港西部第一方面
事務所
一〇名 貨物課職員による集会「賃金公開闘争について」と題した用紙を配付した。
14 40.4.2
18.30~20.00頃
兵庫埠頭出張所
二階第二部門
事務室
一一名
(部外者
一名を含む)
分会執行委員会当局から事前に、会議室を使用するよう指示されていた。
15 40.4.9
12.30~13.15頃
業務部輸出第三課
事務室
七名 課長机前応接机において行った集会
16 40.4.21
12.45~13.15頃
兵庫埠頭出張所
一階輸出課
事務室
約一〇名
17 40.4.21
12.40前後頃
業務部輸入二課
管理係
五名
18 40.5.12
12.30~12.50頃
兵庫埠頭出張所
一階輸出課鑑査
第一部門
一一名 賃上げ及び寒冷地手当増額に関する統一運動の討議のための集会
19 40.5.19
12.30~13.15頃
右同出張所
一階業者溜まり
一一名 賃上げ問題についての討議のための集会
20 40.5.26
12.25~13.13頃
鑑査部第二部門 二七名 赤痢問題及び授乳問題等についての報告のための鑑査分会の集会
21 40.5.27
12.40~13.10頃
兵庫埠頭出張所
一階業者溜まり
九名 赤痢問題についての協議
22 40.6.1
12.30~頃
右同  九名 賃上げ問題についての討議
※23 40.6.23
12.30~13.10
右同  八名 支部役員改選と賃金問題についての討議
※24 40.7.7
12.40~12.55頃
右出張所
一階鑑査第一部門
一一名 分会役員の補選問題についての討議
※25 40.8.25
12.30~13.15頃
同出張所
一階事務室
七名 組合の日程についての協議
26 40.10.6
12.25~13.10頃
新港西部第一方面
事務所
八名 第一三回青年部大会資料等についての討議
27 40.10.22
12.15~13.10頃
業務部輸入第二課管理係  八名 人事院勧告、賃上げ等についての職場集会
28 40.10.22
12.25~13.00頃
新港西部第一方面
事務所
一七名 賃上げ、待遇改善等を議題とする公務員共闘の統一行動として行なった職場集会
29 40.11.9
12.45~13.10頃
業務部輸入二課課 六名 賃上げ問題等についての職場集会
30 40.11.9
12.30~13.00頃
新港西部第一方面
事務所
第四突堤分室
一八名 賃上げ、待遇改善を議題とした職場集会
31 40.11.26
12.30~13.14頃
業務部輸出一、三課
の二か所
輸出一課
八名、同三課
一〇名
業務部の職員が二つのグループに分かれて賃上げ問題について
討議を行った職場集会

※32 40.12.17
12.20~13.15過ぎ
新港西部第一方面
事務所
一六名 本年度の経過報告、次年度の活動方針等についての
討議を内容とする貨物分会の集会

33 40.12.24
12.45~13.10頃
業務部輸出一、三課
など三か所
輸出一課一係
一〇名、
二課と三課の間
一三名
分館の換気、暖房問題等を議題とする職場集会で、監査一部門、輸出二課と
三課の間、輸出一課一係の三か所のグループに分かれて行われた。

※34 41.1.25
12.20~13.10頃
新港西部第一方面事務所 一四名 「税関体操」についての討議
※35 41.2.23
12.10~12.45頃
兵庫埠頭出張所
一階業者溜まり
一〇名 今後の活動方針、各人の役割、本代の徴収方法等に
ついての討議

※36 41.3.1
12.30~13.10
新港西部第一方面事務所 一三名 春闘についてのアンケートの提出、賃金公開等の進め方等を討議する
貨物課分会の職場集会

※37 41.3.17
12.20~13.10頃
右同 一五名 勤勉手当減額に対する抗議についての討議
38 41.4.19
12.20~12.40頃
第一分館二階
業者溜り
約五〇名
(部外者
約三〇名)
春闘第三次統一行動の一環として行った輸出分会の職場集会集会開始後、
赤ハチ巻、腕章姿の港湾共闘労組員等約三〇名が入室し、大声で当局を非難した。
集会終了後、業務部長室前に押しかけ、業務部長との面会を強要した。
なお、集会開始前に当局から許可をとるよう警告がなされた。

※39 41.4.19
12.15~12.50頃
兵庫埠頭出張所
新館二階業者溜り
六名 賃金問題等を議題とする職場集会
※40 41.4.19
12.15~13.00頃
摩耶埠頭出張所
事務所
九名 職場問題討議のための職場集会
※41 41.4.19
12.15~13.07頃
中埠頭出張所
輸出二課一係など三か所
合計一一名 賃金闘争、職場要求等について輸出一課一係、同二係、同二課一係の三か所に分かれて行った職場集会
42 41.4.19
12.20~13.13頃
東部出張所
業務一課検査鑑定部門業者溜り
一九名 春闘統一行動の一環として行った職場集会
43 41.6.9
12.17~12.40頃
第一分館二階事務所業者溜り 約四〇名
(部外者
約一五名)
ILO条約発行に伴う国公法改悪反対の国公共闘統一職場集会
44~1 41.6.9
12.20~13.00頃
兵庫埠頭出張所
貨物課第一方面
事務所
六名 ILO条約発行に伴う国公法改悪反対の国公共闘統一職場集会
44~2 41.6.9
12.20~13.15頃
右同出張所
一階業務課長席前
七名 右同及び職場の諸要求等に関する職場集会
44~3 41.6.9
12.16~13.00頃
右同出張所
二階事務室
五名 職場諸要求統一行動として行った集会
44~4 41.6.9
12.25~13.00頃
同出張所
二階業者溜り
六名 国公法の棚上問題についての職場集会
※45 41.6.9
12.25~12.40頃
新港西部第一方面
事務所
一九名 ILO条約発効に伴う国内関係法改正反対等についての職場集会
46 41.6.9
12.15~13.00頃
中埠頭出張所
輸出一課管理係
付近
約一六名 右同
47~1 41.6.9
12.20~13.05頃
東部出張所
二階業務第一課
南側
一七名
(輸出グループ)
右同
47~2 41.6.9
12.20~13.02頃
右同出張所
二階検査鑑定部門
一六名
(輸入グループ)
右同
48 41.6.17
12.23~13.03頃
新港西部第一方面
事務所
八名 分会執行委員会
49 41.7.14
12.30~13.15頃
兵庫埠頭出張所
貨物課第一方
面事務所
五名 全税関全国大会議案書討議のための職場集会
50 41.7.29
12.20~13.14頃
摩耶埠頭出張所
業務二課
事務室
八名 全税関全国大会の報告等の職場集会
51 41.10.19
12.20~13.00頃
新港西部第一方面
事務所
一八名 ベトナム侵略戦争反対、一律七〇〇〇円賃上げ
要求等をかかげた総評の統一行動の職場集会

52 41.10.21
12.20~12.40頃
本館一階東側 約二五〇名 ベトナム侵略戦争反対、大幅賃上げ要求を掲げた総評一〇・二一統一行動の職場集会。港湾共闘労組員ら多数も参加
53 41.10.21
12.25~13.10頃
東部出張所
二階業者溜り
約三〇名 ベトナム侵略戦争反対、大幅賃上げ要求を掲げた総評一〇・二一統一行動の職場集会
54 41.10.21
12.15~12.57頃
兵庫埠頭出張所
二階事務所
二二名
(部外者一名)
右同
55 41.10.21
12.30~12.55頃
中埠頭出張所
輸出一課
管理係
二〇名 右同
56 41.10.21
12.25~12.32頃
摩耶出張所
業務一課
輸出一係業者溜り
一三名 右同
※57 41.11.14
12.25~13.10頃
新港西部第一方面
事務所
一七名 分会役員改選等についての貨物分会の職場集会
58 41.11.25
12.45~13.00
摩耶埠頭出張所
改品場南西隅
一八名 分会・支部の要求事項、勤勉手当減額、一〇・二一集会参加者処分に対する抗議などを討議
59 41.12.15
12.20~12.38頃
本庁舎と第一分館の間の中庭 約一〇〇名
(部外者
約三〇名)
神田・中田・田代に対する処分撤回要求の集会
(弾圧五周年抗議集会)

60 41.12.27
12.25~13.10
業務部輸出
第二部門
六名 分会執行委員会
61 42.1.10
12.25~13.10頃
新港西部第二方面
事務所
八名 分会執行委員会
昼休み、直前に口頭で許可の申出をしたところ申請書の提出を求められ、これに従わず開催したもの。

62 42.2.28
12.25~13.10頃
右同所 一四名 賃金問題についての職場集会
63 42.3.17
12.20~13.15頃
新港西部第一方面
事務所
第四突堤分室
九名 執行委員会 (期末手当のカンパの中間報告等)
64 42.4.25
12.40~13.15頃
新港西部第一方面
事務所
一八名 第三八回メーデーに関する貨物課分会の職場大会
65 42.6.20
12.26~12.38頃
本館と第一分館の
間の中庭
約八〇名 賃上げ要求、昇格等差別中止人事異動の民主化等を掲げた統一行動の職場集会
66 42.6.20
12.30~12.37
中埠頭出張所
南玄関前
一九名 右同
67 42.6.20
12.23~12.40
東部出張所玄関前 三〇名 右同
68 42.6.20
12.17~12.25頃
摩耶埠頭出張所
玄関前
二九名 右同
69 42.6.23
12.20~13.05頃
右同出張所二階
業者溜り
一六名 卓球台使用問題、夏期レク問題等についての討議
70 42.10.3
18.00~21.00頃
中埠頭出張所二階
娯楽室
四名 分会執行委員会
事前に許可申請を出したが、終了時を午後八時までとして再申請するよう求められ、結局再申請しないまま行ったもの。

※71 42.10.5
12.35~12.40頃
摩耶埠頭出張所
玄関前
約三六~四一名 鳥生の異動辞令の撤回と暴言陳謝を要求する抗議集会
72 42.10.26
8.00~
8.30頃
本関グランド 約二五〇名
(部外者
約一〇〇名)
人事院勧告完全実施、公共料金値上げ反対を掲げた公務員共闘一〇・二六統一行動として行われた職場集会国鉄など外部支援団体も参加
※73 42.11.8
12.40~12.45頃
摩耶埠頭出張所
玄関前
約二〇名 不当配転撤回、暴言取消要求等の職場集会
74 43.10.8
8.07~
8.25頃
本関グランド 約一三〇名
(部外者
約二五名)
一〇・八公務員統一行動として行われた早朝職場集会、全港湾、全倉連、港湾共闘の組合員も参加
75 44.9.30
12.22~12.26頃
本館三階書記局前 約四〇名 不当配転取消し要求等の集会

 

*******

裁判年月日  平成 3年 9月27日  裁判所名  大阪高裁  裁判区分  判決
事件番号  平2(ネ)1757号
事件名  損害賠償請求控訴事件
裁判結果  一部変更  文献番号  1991WLJPCA09270011

要旨
◆屋外広告物条例違反により現行犯逮捕した被疑者を違法に留置を継続したとされた事例
◆条例違反の被疑事実については、逮捕当日における本件ポスター、掲示板の差押えと犯行現場付近の実況見分により、公訴を維持するに必要な証拠を確保することができたといえるし、また、Aの身元についても、同日中に、同人の住所地を管轄する警察官派出所備付けの案内簿によつて住所氏名が判明し、更に、翌日の昼頃までには、聞き込み捜査、住民票台帳の閲覧、身上調査照会に対する回答書によつて、これを確認することができたのであるから、弁護士の前記身元引受の申出と相まつて、その段階においてAの身柄の留置を継続する必要性は消滅したものというべきである。

裁判経過
上告審 平成 8年 3月 8日 最高裁第二小法廷 判決 平4(オ)77号 損害賠償請求事件
第一審 平成 2年 7月20日 京都地裁 判決 昭62(ワ)3002号 損害賠償請求事件

出典
判時 1427号67頁

評釈
小貫芳信・警察学論集 46巻4号185頁

参照条文
国家賠償法1条
裁判官
後藤文彦 (ゴトウフミヒコ) 第7期 現所属 定年退官
平成5年10月30日 ~ 定年退官
平成2年2月1日 ~ 平成5年10月29日 大阪高等裁判所
~ 平成2年1月31日 広島家庭裁判所(所長)

古川正孝 (フルカワマサタカ) 第14期 現所属 定年退官
平成13年9月10日 ~ 定年退官
平成2年4月1日 ~ 平成13年9月9日 大阪高等裁判所
~ 平成2年3月31日 大阪地方裁判所

川勝隆之 (カワカツタカユキ) 第27期 現所属 依願退官
平成20年11月17日 ~ 依願退官
平成19年2月28日 ~ 平成20年11月16日 秋田地方裁判所(所長)、秋田家庭裁判所(所長)
平成16年12月27日 ~ 平成19年2月27日 横浜地方裁判所川崎支部(支部長)、横浜家庭裁判所川崎支部(支部長)
平成14年9月9日 ~ 平成16年12月26日 横浜地方裁判所(部総括)
平成10年8月10日 ~ 平成14年9月8日 東京地方裁判所(部総括)
平成8年4月1日 ~ 平成10年8月9日 東京高等裁判所
平成6年4月1日 ~ 平成8年3月31日 法務省訟務局行政訟務第一課長、公害等調整委員会事務局(審査官)
平成4年4月1日 ~ 平成6年3月31日 検事、高松法務局訟務部長、法務総合研究所高松支所(教官)
平成1年4月1日 ~ 平成4年3月31日 大阪地方裁判所
昭和61年4月1日 ~ 平成1年3月31日 千葉地方裁判所佐倉支部、千葉家庭裁判所佐倉支部
昭和59年4月1日 ~ 昭和61年3月31日 東京地方裁判所
昭和56年1月9日 ~ 昭和59年3月31日 法務省訟務局付
昭和53年4月3日 ~ 昭和56年1月8日 検事、福岡法務局訟務部付
昭和50年4月11日 ~ 昭和53年4月2日 横浜地方裁判所

訴訟代理人
控訴人側訴訟代理人
渡辺馨,稲村五男,荒川英幸,浅野則明,川中宏,加藤英範,村山晃,森川明,村井豊明,久保哲夫,飯田昭,岩橋多恵,佐藤健宗,藤浦龍治,近藤忠孝,高山利夫

被控訴人側訴訟代理人
香山仙太郎

Westlaw作成目次

主文
1 原判決を次のとおり変更する。
2 被控訴人は、控訴人ら各自に対…
3 控訴人らのその余の請求を棄却…
4 訴訟費用は、第一・二審を通じ…
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人ら各自に対…
3 訴訟費用は、第一・二審とも被…
二 控訴の趣旨に対する答弁
第二 当事者の主張
第三 証拠《省略》
理由
一 太郎及び控訴人らの身分関係等
二 本件逮捕の違法性
1 原判決一一枚目裏四行目の「三…
2 同一二枚目裏九行目の「持参し…
3 同一四枚目表一〇行目及び一一…
4 同一七枚目表二行目と三行目の…
5 同一八枚目裏六行目の「を利用…
6 同一八枚目裏九行目の「(二)…
7 同二〇枚目表五行目の「(三)…
三 本件留置継続の違法性
1 原判決二二枚目裏四行目、同二…
2 同二三枚目裏一一行目の「また…
3 同二四枚目裏一〇行目・一一行…
4 同二六枚目裏二行目の冒頭から…
四 以上検討のとおり、警察職員に…
五 よって、右と趣旨を異にする原…

裁判年月日  平成 3年 9月27日  裁判所名  大阪高裁  裁判区分  判決
事件番号  平2(ネ)1757号
事件名  損害賠償請求控訴事件
裁判結果  一部変更  文献番号  1991WLJPCA09270011

控訴人 甲野花子
〈ほか一名〉
右両名訴訟代理人弁護士 渡辺馨
同 稲村五男
同 荒川英幸
同 浅野則明
同 川中宏
同 加藤英範
同 村山晃
同 森川明
同 村井豊明
同 久保哲夫
同 飯田昭
同 岩橋多恵
同 佐藤健宗
同 藤浦龍治
同 近藤忠孝
同 高山利夫
被控訴人 京都府
右代表者知事 荒巻禎一
右訴訟代理人弁護士 香山仙太郎
右指定代理人 佐々木孝敏
〈ほか二名〉

 

主文
1  原判決を次のとおり変更する。
2  被控訴人は、控訴人ら各自に対し、それぞれ金一五万円及びこれに対する昭和六二年一二月一三日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
3  控訴人らのその余の請求を棄却する。
4  訴訟費用は、第一・二審を通じてこれを八分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人らの各負担とする。

 

事実
第一  当事者の求めた裁判
一  控訴の趣旨
1  原判決を取り消す。
2  被控訴人は、控訴人ら各自に対し、それぞれ金一六五万円及びこれに対する昭和六二年一二月一三日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
3  訴訟費用は、第一・二審とも被控訴人の負担とする。
二  控訴の趣旨に対する答弁
本件控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は、控訴人らの負担とする。
第二  当事者の主張
当事者双方の主張は、原判決二枚目裏八行目の「国道北側」の前に「ポスター貼付後、」を、同三枚目表一一行目の「南側歩道に出て」の次に「公衆電話ボックスのある」を、同裏一行目の「そして、」の次に「その途中、」をそれぞれ付加し、同六枚目裏五行目の「防護柵は、」を削除し、同七行目の「これらに類するもの」」の次に「との規定は、犯罪の構成要件としては明確性を欠いているのみならず、本件防護柵は、同号にいう「これらに類するもの」」を付加する他は、原判決事実摘示中「第二当事者の主張」の記載(原判決二枚目裏六行目から一一枚目表二行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
第三  証拠《省略》

 

理由
一  太郎及び控訴人らの身分関係等
原判決一一枚目裏一行目の「である」の次に「ことが認められる」を付加するほか、同理由中「一 太郎及び原告らの身分関係等」に関する記載部分(原判決一一枚目表七行目冒頭から同裏一行目末尾まで)を引用する。
二  本件逮捕の違法性
以下のとおり加除訂正するほか、原判決の理由中「二 本件逮捕の違法性」に関する記載部分(原判決一一枚目裏二行目冒頭から二一枚目裏八行目末尾まで)を引用する。
1  原判決一一枚目裏四行目の「三号証、」の次に「第二六ないし第二八号証、」を付加し、同一二枚目表一行目冒頭の「転落防止の」を「が水路に転落するのを防止する」と、同四行目の「四角」を「四隅」とそれぞれ改める。
2  同一二枚目裏九行目の「持参した」の次に「新しい「赤旗写真ニュース」である」を、同九行目・一〇行目の「ポスター」の次に「(縦約六〇センチ、横約四二センチの大きさで、日本共産党の宣伝カー等の写真と大きい字で「あなたも赤旗をお読み下さい」、少さい字で赤旗の講読を勧める文章がそれぞれ印刷されている。)」を、同一三枚目表一行目の「依頼され、」の次に「本件ポスターと同じ内容の」を、同裏二行目の「太郎は、」の次に「本件ポスターの貼付を終え、」をそれぞれ付加する。
3  同一四枚目表一〇行目及び一一行目の各「氏名」をいずれも「名前と住所」と改め、同裏七行目の「嶋田に向かい、」の次に「国道の南側歩道上にある電話ボックスを指差して」を付加し、同八行目の「嶋田が左手を前に出して制止したのを無視して、」を、同一五枚目表五行目・六行目の「本件第一現場の西方約五〇メートルの地点に太郎を発見し、」を、同七行目の「た。丸山は」をそれぞれ削除し、同一六枚目裏一行目の「山科署の」の次に「外勤第三課長竹田警部(以下、「竹田」という。)を乗せた」を付加する。
4  同一七枚目表二行目と三行目の間に「(1) 構成要件該当性」を付加し、同三行目から同一八枚目裏二行目末尾までを次のとおり改める。
「控訴人らは、旧条例五条二項四号の「その他これらに類するもの」との規定は犯罪の構成要件として明確性を欠いているのみならず、本件防護柵は、その形態や用途等から考えて同号に例示された「郵便ポスト、公衆電話所、公衆便所」に類するとはいえないから、本件防護柵が「その他これらに類するもの」に該当すると解釈することは罪刑法定主義に反すると主張する。
そこで、検討するに、《証拠省略》によれば、旧条例は屋外広告物法に基づいて制定されたもので、その趣旨・目的は京都市の美観風致を維持し、公衆に対する危害を防止するため、屋外広告物及び広告物を掲出する物件について必要な規制を行うことにあり、五条二項一号ないし六号において、市長が公益上または慣例上やむを得ないと認めたときを除いて、広告物を表示しまたは広告物を掲出する物件を設置することが禁止される物件を定め、一三条一号において、右規定に違反した者に対し、罰金五万円以下に処する旨を定めているところ、山科署の警察官は、本件防護柵は右条例五条二項四号に定められている「郵便ポスト、公衆電話所、公衆便所その他これらに類するもの」のうち「これらに類するもの」に該当し、本件ポスターの貼付行為は旧条例五条の規定に違反するものとして太郎を逮捕したことが明らかである。
ところで、旧条例五条二項四号に定める「これらに類するもの」とは、同号に例示された「郵便ポスト、公衆電話所、公衆便所」に類する公共用物件であって、放任するときは無秩序な広告物の表示または広告物を掲出する物件の設置を招きやすく、ひいては、京都市の美観風致を維持し、公衆に対する危害を防止するとの旧条例の趣旨・目的を阻害するおそれのある物件をいうものと解され、旧条例の規定全体からみて、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的物件が広告物の表示または広告物を掲出する物件の設置を禁止された「これらに類するもの」に該当するものであるとの判断を可能ならしめる基準を読み取ることができるから、犯罪の構成要件として不明確であるとはいえず、また本件防護柵は、公衆の往来の頻繁な国道と川田道との交差点の通路と水路との境に設置された公共用物件で、「郵便ポスト、公衆電話所、公衆便所」と同様、放任するときは無秩序な広告物の表示または広告物を掲出する物件の設置を招きやすく、ひいては、京都市の美観風致を損ない公衆に危害を及ぼすおそれのある物件であるから、これが旧条例五条二項四号に定める「これらに類するもの」に該当するとの解釈は正当なものとして是認することができる。
以上のとおり、本件防護柵は旧条例五条二項四号に定める「これらに類するもの」に該当し、これに本件ポスターを貼付した行為は旧条例五条二項に違反するものであるから、右貼付行為が犯罪の構成要件を欠き、本件逮捕は違法であるとする控訴人らの主張は理由がない。」
5  同一八枚目裏六行目の「を利用して、」を「は、その設置を市長が許可した物件ではないから、右掲示板に本件ポスターを貼付した行為は」と改める。
6  同一八枚目裏九行目の「(二)」を「(2)」と改め、同一〇行目冒頭から二〇枚目表四行目末尾までを次のとおり改める。
「(イ) 控訴人らは、旧条例が原則的許可制をとっていること、規制の範囲が広範囲で合理性がないこと、市長の許可基準が不明確であることを理由として、旧条例は表現の自由を侵すもので、憲法に違反すると主張する。
しかし、国民の文化的生活の向上を目途とする憲法の下において、都市の美観風致を維持することは公共の福祉を保持する所以であるから、旧条例の定める程度の規制は、公共の福祉のため表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限と解することができる(最高裁昭和四三年一二月一八日判決刑集二二・一三・一五四九、同昭和六二年三月三日判決刑集四一・二・五一)。
もとより、旧条例の適用において、その趣旨・目的を逸脱し、不当に表現の自由や政治活動を抑圧するものであるときは、違憲のそしりを免れない場合があるとしても、そのことから旧条例そのものを違憲の法令ということはできない。
控訴人らの前記主張はいずれも理由がない。
(ロ) 適用違憲の主張について
控訴人らは、本件現場付近は美観地区ないし風致地区ではなく、雑然とした市街地であり、ポスター一枚の張り替えによって地区の美観風致になんら影響を及ぼすものではないこと、本件逮捕は共産党弾圧の目的でなされたものであることを理由として、本件は、旧条例の適用において違憲、違法な逮捕であると主張する。
しかし、旧条例は、美観の特に優れた地域、建物等に限らず、京都市の一般的な美観風致を保護しようとするものであり、本件ポスターの貼付自体による川田道交差点付近の美観風致に及ぼす直接的影響は小さいとしても、これを放任することによって生じ得べき悪影響は決して小さいものではないから、本件逮捕に合理性がないということはできない。また、本件全証拠資料を検討するも、本件逮捕が日本共産党の政治活動を抑圧するためになされたものと認めることはできない。従って、本件逮捕が旧条例の適用において違憲であるとの控訴人らの主張は理由がない。
以上のとおりであるから、旧条例の違憲または旧条例の適用による本件逮捕の違憲、違法をいう控訴人らの主張はいずれも採用できない。」
7  同二〇枚目表五行目の「(三)」を「(二)」と、同裏一〇行目・一一行目の「現行犯人の人定事項すら明らかになっていない」を「太郎は罪を犯したことを認めていなかったのみならず、人定事項すら充分には明らかにしようとしなかった」とそれぞれ改め、同二一枚目表五行目の冒頭に「現行犯逮捕に当たって、」を、六行目の「ではなく、」の次に「このことは、旧条例違反の罪についても異なるものではないから、本件逮捕に際し、太郎に対する」をそれぞれ付加し、同九行目冒頭から同裏六行目末尾までを削除し、七行目の「(四)」を「(三)」と改め、同じ行の「本件逮捕行為は」の次に「犯罪の嫌疑と逮捕の必要性を備え、適法なものであって、控訴人ら主張のように違憲」を付加する。
三  本件留置継続の違法性
以下のとおり加除訂正するほか、原判決の理由中「三 本件留置継続の違法性」に関する記載部分(原判決二二枚目表一行目冒頭から二八枚目表一行目末尾まで)を引用する。
1  原判決二二枚目裏四行目、同二三枚目裏三行目及び同四行目の各「副所長」をいずれも「副署長」と改め、同二三枚目表三行目・四行目の「外勤課第三課長」及び「警部」をいずれも削除する。
2  同二三枚目裏一一行目の「また、」の次に「犯行現場における太郎の「私はおつやまちょうのこうのたろうだ。」との発言に基づいて、」を付加し、同二四枚目表二行目の「という氏名」を「の住所、氏名」と、同一〇行目の「引き受ける」を「引き受け、住所、氏名、電話番号を明らかにし、今後の出頭について責任をもつ」と、同一一行目の「右弁護士らは」から同裏三行目の「しなかった。」までを「青井がこれを拒否したので、結局太郎の住所、氏名等を明らかにしないまま、同日午後八時頃山科署を辞去した。」とそれぞれ改める。
3  同二四枚目裏一〇行目・一一行目を全文削除する。
4  同二六枚目裏二行目の冒頭から二八枚目表一行目末尾までを次のとおり改める。
「(二) 前記認定事実によれば、太郎の現行犯逮捕に続く身柄の留置は、旧条例違反の被疑事実について証拠を収集し、同人の身元を確認するために必要であったものであり、適法な捜査権の行使ということができる。
しかし、右被疑事実については、逮捕当日における本件ポスター、掲示板の差押えと犯行現場付近の実況見分により、公訴を維持するに必要な証拠を確保することができたといえるし、また、太郎の身元についても、同日中に、同人の住所地を管轄する警察官派出所備付けの案内簿によって住所氏名が判明し、更に、翌二三日の昼頃までには、聞き込み捜査、住民票台帳の閲覧、身上調査照会に対する回答書によって、これを確認することができたのであるから、弁護士の前記身元引受の申出と相まって、その段階において太郎の身柄の留置を継続する必要性は消滅したものというべきである。
ところで、被控訴人は、本件被疑事実の処分を決定するには、犯行の動機、組織性を解明し、本件ポスターの印刷所を明らかにしなければならなかったから、なお留置を継続する必要があったと主張する。
しかし、本件被疑事実は、前記のとおり、太郎が本件ポスターを旧条例によって禁止された物件である本件防護柵に貼付したという単純な行為であって、ポスターの内容もなんら問題になるものではなく、右行為が組織を背景とし、隠れた動機の下に行われたものと考える余地のない比較的軽微な犯罪であり、客観的にみて、太郎の身柄の留置を継続してまで本件犯行の動機、組織性を解明し、本件ポスターの印刷所を明らかにする必要性はなかったものといわざるを得ない。従って、被控訴人の右主張は採用できない。
また、被控訴人は、本件以前に、市内の××町で通行中の女性に共産党の掲示板が当たり、怪我をした事件があり、これが継続捜査扱いになっていたことを理由として、太郎の身柄留置を継続する必要性があったと主張するもののようであるが、右事件の現場は本件とは離れた場所であり、本件との関連は極めて薄く、右事件の捜査の必要性を理由として、太郎の留置を継続することは相当ではないというべきである。
そうすると、太郎に対する留置継続の必要性は、二三日昼頃には消滅したものであり、それ以後、二四日午後三時五三分頃山科署において釈放されるまでの留置は、留置の必要性を欠く違法なものであったといわざるを得ない。もっとも、国家賠償法により国または公共団体が損害賠償の責任を負うには、公権力の行使の違法性とともに公務員の故意、過失を要件としているところ、初期捜査の流動性、重要性を考慮すれば、客観的にみて留置の必要性が消滅しても、捜査機関がこれを認識し、釈放の措置にでるまでに若干の時間を要するものであり、その間の留置については、捜査機関に過失がないものとして、国家賠償法による賠償責任を負わないと解するのが相当である。これを本件についてみれば、客観的には二三日の昼頃、太郎に対する留置継続の必要性が消滅したことは前記認定のとおりであるが、捜査機関が二二日の逮捕後における捜査の結果を検討し、留置継続の必要性を判断するのに若干の時間を必要とするものといえるから、その間の留置については捜査機関に過失があると認めることはできないというべきである。しかし、前記認定の本件被疑事実の性質、態様、捜査の経過等、諸般の事情を総合してみれば、捜査機関としても、本件につき留置の必要性が消滅したことを認識し、釈放の措置にでるのに数時間あれば足りるものと考えられるから、遅くとも二三日午後五時頃以後の留置の継続に対しては捜査機関の過失を認めることができるものであり、同時刻以後の留置につき、被控訴人は太郎に対し、国家賠償の責任を負うべきものと判断するのが相当である。」
四  以上検討のとおり、警察職員による太郎に対する本件逮捕及び逮捕後の留置の継続のうち、昭和六二年二月二三日午後五時頃以後同人が釈放された二四日午後三時五三分までの間の留置につき、被控訴人は、太郎に対し損害賠償の責任を負うべきものであるところ、これによって太郎が受けた損害の賠償は、精神的苦痛に対する慰謝料として金二〇万円並びに本件訴訟追行に必要な弁護士費用として金一〇万円(合計三〇万円)をもって相当と認める。
そうすると、太郎死亡による相続人(相続分各二分の一)である控訴人らの被控訴人に対する請求は、各自につきそれぞれ金一五万円及びこれに対する本件不法行為後である昭和六二年一二月一三日から支払いずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却すべきものである。
五  よって、右と趣旨を異にする原判決は一部不当であるので、これを変更し、前項記載の限度において控訴人らの請求を認容し、その余を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法九六条、八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 後藤文彦 裁判官 古川正孝 川勝隆之)

 

〈以下省略〉

 

*******

裁判年月日  平成 3年 9月25日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭61(ワ)7031号
事件名  警察官違法同行損害賠償請求事件
裁判結果  一部認容  文献番号  1991WLJPCA09250005

要旨
◆警察官の軽犯罪法違反被疑者に対する警察署への任意同行が違法であるとして、国家賠償請求が認容された事例

裁判経過
控訴審 平成 4年 6月23日 東京高裁 判決 平3(ネ)3319号・平3(ネ)3433号 損害賠償請求各控訴事件

出典
判タ 787号160頁
判時 1416号110頁
判例地方自治 94号95頁

参照条文
警察官職務執行法2条
国家賠償法1条
裁判官
篠原勝美 (シノハラカツミ) 第21期 現所属 定年退官
平成21年3月24日 ~ 定年退官
平成19年5月23日 ~ 平成21年3月24日 福岡高等裁判所(長官)
平成17年4月1日 ~ 平成19年5月22日 知的財産高等裁判所(所長)
平成12年8月14日 ~ 平成17年3月31日 東京高等裁判所(部総括)
平成11年3月7日 ~ 平成12年8月13日 函館地方裁判所(所長)、函館家庭裁判所(所長)
平成9年4月1日 ~ 平成11年3月6日 横浜地方裁判所(部総括)
平成3年4月1日 ~ 平成9年3月31日 東京地方裁判所(部総括)
昭和60年4月1日 ~ 平成3年3月31日 最高裁判所裁判所調査官
昭和58年4月1日 ~ 昭和60年3月31日 那覇地方裁判所
昭和55年3月25日 ~ 昭和58年3月31日 大阪地方裁判所
昭和52年4月1日 ~ 昭和55年3月24日 旭川家庭裁判所、旭川地方裁判所
昭和49年4月1日 ~ 昭和52年3月31日 神戸地方裁判所
昭和45年4月8日 ~ 昭和49年3月31日 東京地方裁判所
昭和44年4月7日 ~ 弁護士名簿登録(第一東京弁護士会)

小澤一郎 (オザワイチロウ) 第27期 現所属 大阪地方裁判所
平成11年4月1日 ~ 大阪地方裁判所
平成9年4月1日 ~ 平成11年3月31日 岡山地方裁判所、岡山家庭裁判所
平成7年4月1日 ~ 平成9年3月31日 広島高等裁判所岡山支部
平成4年4月1日 ~ 平成7年3月31日 大阪地方裁判所
平成1年4月1日 ~ 平成4年3月31日 東京地方裁判所
~ 平成1年3月31日 大阪地方裁判所

笠井之彦 (カサイユキヒコ) 第42期 現所属 最高裁判所経理局長
平成27年6月29日 ~ 最高裁判所経理局長
平成25年4月1日 ~ 東京地方裁判所(部総括)
平成25年2月18日 ~ 平成25年3月31日 東京地方裁判所
平成21年8月23日 ~ 平成25年2月17日 司法研修所(事務局長)
平成20年4月1日 ~ 平成21年8月2日 司法研修所(教官)
平成18年4月1日 ~ 平成20年3月31日 旭川地方裁判所(部総括)、旭川家庭裁判所(部総括)
平成17年4月1日 ~ 平成18年3月31日 旭川地方裁判所、旭川家庭裁判所
平成16年12月6日 ~ 平成17年3月31日 東京地方裁判所
~ 平成16年12月5日 検事、内閣官房副長官補付
平成9年3月28日 ~ 東京地方裁判所
平成7年4月1日 ~ 平成9年3月27日 釧路地方裁判所帯広支部、釧路家庭裁判所帯広支部
平成4年4月1日 ~ 平成7年3月31日 司法研修所付
平成2年4月10日 ~ 平成4年3月31日 東京地方裁判所

訴訟代理人
原告側訴訟代理人
鶴見祐策, 千葉憲雄,石崎和彦,山本英司,羽倉佐知子,山本真一,鈴木克昌

被告側訴訟代理人
山本卯吉, 福田恆二,金井正人

Westlaw作成目次

主文
一 被告東京都は、原告らに対し、…
二 原告らの被告東京都に対するそ…
三 訴訟費用は、原告らと被告東京…
四 この判決は第一項に限り、仮に…
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自、原告らに対し…
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 第1項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却す…
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 担保を条件とする仮執行免脱宣言
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 事件の経過
2 警察官の行為の違法性
3 被告らの責任
4 原告らの損害
5 よって、原告らは、被告ら各自…
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の(一)の事実のう…
2 請求原因2の事実はすべて否認…
3 請求原因3の事実のうち、被告…
4 請求原因4の事実はすべて否認…
三 被告らの主張
1 本件当時、中央署では、昭和六…
2 Nは、原告らに対し、警察手帳…
3 このころから付近住民等が続々…
4 その後、被告Iが現場に到着し…
5 そこで、Nは、原告らに対し、…
6 この間、原告甲野は、原告乙川…
7 Nらは、原告らが中央署に到着…
第三 証拠〈省略〉
理由
一 事件の経過
1 Nは、昭和六〇年六月二八日に…
2 Nらの原告らに対する職務質問…
3 その後、被告Iと数名の制服警…
4 被告Iは、イ地点の車両の左後…
5 Nらは、原告甲野に対し、イ地…
6 Nらは、原告らが中央署に到着…
7 本件同行の際、原告甲野は全治…
二 警察官の行為の違法性
1 原告らは、Nらが原告らを現行…
2 そこで、職務質問及び同行の違…
(一) 警察官が警職法二条一項により…
(二) 次に、Nらが職務質問を継続し…
(三) 進んで、被告Iらが原告らに対…
(四) 原告らは、Nらの職務質問が、…
三 被告らの責任
1 被告I及びその指揮下に本件同…
2 次に、被告Iの責任について見…
四 原告らの損害
1 前記認定の事実によれば、原告…
2 原告らが本件訴訟の提起、追行…
五 結論

裁判年月日  平成 3年 9月25日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭61(ワ)7031号
事件名  警察官違法同行損害賠償請求事件
裁判結果  一部認容  文献番号  1991WLJPCA09250005

原告 甲野一郎
同 乙川二郎
右両名訴訟代理人弁護士 鶴見祐策
同 千葉憲雄
同 石崎和彦
同 山本英司
同 羽倉佐知子
同 山本真一
同 鈴木克昌
被告 東京都
右代表者知事 鈴木俊一
右指定代理人 松本雅道
外三名
被告 I
右訴訟代理人弁護士 山本卯吉
同 福田恆二
同 金井正人

 

主文
一  被告東京都は、原告らに対し、それぞれ金二五万円及びこれに対する昭和六〇年六月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二  原告らの被告東京都に対するその余の請求及び被告Iに対する請求をいずれも棄却する。
三  訴訟費用は、原告らと被告東京都との間においては、これを一〇分し、その一を被告東京都の、その余を原告らの各負担とし、原告らと被告Iとの間においては、全部原告らの負担とする。
四  この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

事実
第一  当事者の求めた裁判
一  請求の趣旨
1  被告らは、各自、原告らに対し、それぞれ二二〇万円及びこれに対する昭和六〇年六月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2  訴訟費用は被告らの負担とする。
3  第1項につき仮執行宣言
二  請求の趣旨に対する答弁
1  原告らの請求をいずれも棄却する。
2  訴訟費用は原告らの負担とする。
3  担保を条件とする仮執行免脱宣言
第二  当事者の主張
一  請求原因
1  事件の経過
(一) 原告らは、昭和六〇年六月一六日午後三時五五分ころ、日本共産党中央区議会議員である訴外木藤瑛子(以下「木藤」という。)が訴外古澤工業株式会社(以下「古澤工業」という。)の所有・管理する東京都中央区新川二丁目六番四号所在の同社駐車場(別紙図面記載の「古澤駐車場」とある部分、以下「本件駐車場」という。)の塀に同社代表取締役古澤康秀(以下「古澤」という。)の承諾を得て従前から貼付していた同党の東京都議会議員選挙立候補予定者の演説会告知ポスターがはがれていたため、これを新しい同種のポスターに貼り替えた。
(二) 原告らが右ポスターの貼付を終え、本件駐車場北東側を通り霊岸島交差点と皇居八丁堀線とを結ぶ道路(以下「本件駐車場前道路」という。)を自転車に乗って皇居八丁堀線方向に右貼付場所から約三〇メートル進み、東京都中央区新川一丁目一二番所在の越前堀公園前付近に至ったところ、警視庁中央警察署(以下「中央署」という。)警備課警部補N(以下「N」という。)、同署警備課警部補O(以下「O」という。)、同署警備課巡査部長S(以下「S」という。)、同Y(以下「Y」という。)、同F(以下「F」という。)及び同G某ら少なくとも五名の私服警察官が原告らの行く手前方及び左右を取り囲み、Nが原告らを停止させ、本件駐車場の塀の所有者の承諾を得ずにポスターを貼ったのではないかと質問した。原告らは、ポスターの貼付については右所有者の承諾を得ている旨回答したが、Nらはこれに納得せず、なお質問を継続したため、原告らは、Nらに対し、所有者が承諾していることを一緒に確認に行こうと述べて、Nらとともに本件駐車場から北西約四〇メートルのところにある古澤工業の事務所に向かった。
(三) ところが、原告らが本件駐車場前に至ると、Nらは、原告らの自転車の荷台をつかみ、前方に立ちふさがるなどして原告らの進行を阻止し、「現行犯だ。」、「署に行こう。」などと叫んで、原告らを古澤工業の事務所に行かせようとしなかった。そこで、原告らが、Nらに対し、「なぜ所有者の許可を得たかの確認に行かないのか。」と質問すると、Nらは、「確認に行ったが、いなかった。」などと述べて、確認できない以上解放しないという態度をとり、原告らの前方及び左右に立ちふさがる状態を解こうとしなかった。
(四) その後、近隣住民や連絡を受けた日本共産党中央地区委員会関係者らが現場に集まり、Nらに対し、原告らを解放するよう求めたが、Nらは、「お前たちには関係ない。」、「邪魔をすれば公務執行妨害で逮捕する。」などと叫んで、これらの者を現場から排除しようとした。次いで、中央署警備課長の被告I(以下「被告I」という。)及び数名の制服警察官がパトカーや乗用車数台で現場に到着し、前記Nらと合わせて一〇名近い警察官が原告らを囲んで質問を行った。
(五) 同日午後四時二五分ころ、被告Iの指揮の下に逮捕行為が開始され、Nが右手を挙げて、「四時二五分、逮捕だ。」と指示すると、YとFは、原告乙川の両腕をYが左側から、Fが右側からそれぞれつかんで逮捕し、同原告の身体を持ち上げるようにして同逮捕地点から約一〇メートル離れた別紙図面記載イ地点(以下「イ地点」という。)の車両付近まで移動させ、また、NとOは、Oが右手で原告甲野の右手首をつかみ、左腕を同原告の脇の下に入れ、Nが左手で同原告の左手首をつかみ、右腕を同原告の脇の下に入れて、逮捕し、同原告を引っ張って同図面記載ロ地点(以下「ロ地点」という。)の車両付近まで移動させた。
原告乙川は、イ地点の車両に乗せられまいとして、左後部座席のドアにしがみつき、両腕をドア越しに前に出し、脇でドアを挟むようにして抵抗したが、Fは両手で同原告の腕をドアからはがそうとし、また、Yは身体全体を使って同原告を押し、さらに足で同原告の膝関節の後ろを蹴るなどして、同原告を車内に押し込もうとし、Zも車内から同原告のズボンのベルトをつかんで車内に引き入れ、同原告は、同車両の後部座席に、同原告の左側にYが、右側に制服警察官が座る形で乗車し、中央署に連行された。
NとOは、原告甲野の腕をかかえて引っ張るなどして同原告をロ地点の車両に乗車させようとしたが、同原告はドアの手前で自分の身体がドアの外側になるように右側に体をずらすなどして抵抗し、乗車しなかった。
すると、Nらは、Nが原告甲野の左側から、またOが同原告の右側から、それぞれ同原告の腕やズボンのベルトをつかんで霊岸島交差点方向に引っ張り始めた。原告甲野は、これに対し、両足を突っ張り、あるいは路上に駐車していた車両のバックミラーに抱き着くようにするなどして抵抗したが、Nらに体を持ち上げるようにされて十分な抵抗ができず、途中で力尽き、後はNらに引っ張られるままに霊岸島交差点方向に進み、ロ地点から二〇〇メートル近く離れた霊岸島交差点の新亀島橋寄り路上まで引っ張られていった。右交差点付近にはパトカーが停車しており、N、O及び同車両に乗務していた中央署の二名の制服警察官は、同原告を同車両に押し込んで乗車させようとし、同原告は、同車両のドアにしがみつくなどして抵抗したが、制服警察官が同原告の足を持ち上げるようにするなどして、同原告を同車両内に入れ、同原告は、右車両の後部座席に、同原告の左側にNが、右側に制服警察官の一人が座る形で乗車し、中央署に連行された。
(六) Nらは、同署内において、原告らの持物を検査した上、被告Iの指揮の下に引き続き原告らを同署内の別々の取調室に監禁した。この間、原告らは、「不当逮捕である。」、「所有者に確認せよ。」などと訴えたが、Nらは取り合おうとせず、住所氏名やポスター貼付についての塀の所有者の承諾についての質問のほか、「党に入って何年になるか。」、「誰から指示命令を受けたか。」などの質問にまで及んだ。
(七) その後、同日午後五時四〇分ないし四五分ころ、被告Iは、「確認がとれたので帰っていいです。」と述べて、原告らを解放した。
2  警察官の行為の違法性
(一) 被告Iら警察官は、前記のとおり、原告らを軽犯罪法一条三三号違反の嫌疑により現行犯逮捕したものであるが、当時、本件駐車場の塀には、各政党のポスターが数十枚貼られていたこと、原告らは、Nらの質問が開始された当初から、所有者の承諾を得ていると主張していたことからすれば、当時の状況の下で原告らが所有者の承諾を得ずにポスターを貼ったと認めることはできず、したがって、現に罪を行い又は行い終わったという現行犯逮捕の要件が存在しなかったから、右現行犯逮捕は違法である。
(二) 仮に現行犯逮捕ではなく、警察官職務執行法(以下「警職法」という。)二条の職務質問とこれに引き続いての同行に当たるとしても、次の点で違法である。
(1) Nらは、原告らに対する職務質問を開始した当時、原告らがはがれかかったポスターの張替え中で、本件駐車場の塀には他にも自由民主党、公明党及び日本共産党の各政党のポスターが貼付されていたことを認識しており、原告らが塀の所有者の承諾を得ずにポスターを貼っていたと疑うに足りる相当の理由はなかったのであるから、警職法二条一項の職務質問を開始する要件に欠けていたばかりでなく、原告らは、警察官らの職務質問に対し、ポスターを貼るについては木藤が古澤から承諾を得ていると回答しており、職務質問を継続する要件もなかった。
(2) また、警職法二条二項にいう同行の要件も欠缺していた。すなわち、原告らが中央署へ同行された当時、現場が騒然となってその場で職務質問を継続することが原告らに不利益であるとか、交通の妨害が懸念されるなどの状況はなく、原告らが同行を承諾していない上、原告らの嫌疑は軽犯罪法違反という軽微なものであって、原告らが現場で所有者の承諾があったことを述べ、嫌疑自体も低かったことなどからすれば、任意同行として許容される強制力の程度を超えていたものというべきである。
(3) さらに、Nらの職務質問は、日本共産党に関する情報収集という不法な目的のためにされたものであり、職務質問権の濫用として違法である。
3  被告らの責任
被告I及びその指揮下に原告らに対して違法な暴行、逮捕、監禁行為を行った警察官はすべて警視庁所属の警察官であって、いずれも被告東京都の公権力の行使に当たる公務員であるから、被告東京都は、右違法行為につき、原告らに対し、国家賠償法一条一項による損害賠償責任を負う。また、被告Iは、公務に名を借りて原告らに対し害意に基づく違法行為をしたものであるから、民法七〇九条による損害賠償責任を免れない。
4  原告らの損害
(一) 原告らは、適法に政党の政治活動を行っていた際に、多数の警察官らに取り囲まれて通行を阻止され、白昼公然と衆人環視の中で、反抗を抑圧する程度の暴行及び傷害を加えられて逮捕され、約一時間にわたって監禁されたものであり、その身体・自由・人格に重大な侵害を加えられた。原告乙川は、右暴行により、全治一週間を要する右下腿部打撲傷、左前脛部挫傷、左上腕筋肉痛の傷害を負い、さらに、パトカーに押し込まれる際に警察官によって着用していたズボンのベルトを強くつかまれたため、幅四センチメートルの皮製のベルトを引きちぎられた。原告甲野は、右暴行により、全治一週間を要する右上腕皮下出血の傷害を負った。
その結果、原告らは多大な精神的苦痛を被ったから、これに対する慰謝料の額はそれぞれ二〇〇万円を下らない。
(二) 原告らは、本件訴訟の提起・追行を原告ら訴訟代理人に委任し、それぞれ二〇万円の報酬支払約束をして、同額の損害を被った。
5  よって、原告らは、被告ら各自に対し、被告東京都については国家賠償法一条一項、被告Iについては民法七〇九条に基づき、それぞれ二二〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六〇年六月一六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二  請求原因に対する認否
1  請求原因1の(一)の事実のうち、原告らが、昭和六〇年六月一六日午後三時五五分ころ、本件駐車場の塀にポスターを貼ったことは認め、その余は否認する。
同1の(二)の事実のうち、原告らが越前堀公園前路上に至ったところで数名の警察官が職務質問をしたことは認め、その余は否認する。
同1の(三)の事実のうち、原告らが警察官とともに本件駐車場前に至ったこと、警察官が原告らに対する職務質問を継続したことは認め、その余は否認する。
同1の(四)の事実のうち、現場に人が集まったこと、警察官が現場に集まった者に対し、邪魔をすれば公務執行妨害で逮捕する旨告げたこと及び警視庁中央警察署警備課長の被告I及び数名の制服警察官がパトカーや乗用車数台で現場に到着し、前記警察官と合わせて一〇名近い警察官が現場にいたことは認めるが、現場に集まった者が近隣住民及び日本共産党地区委員会関係者であったことは知らない。その余は否認する。
同1の(五)の事実のうち、被告Iが、他の警察官とともに、原告らを乗用車及びパトカー内の各後部座席に座らせ、中央署まで同行したことは認め、その余は否認する。
同1の(六)の事実のうち、警察官が中央署内で原告らの持物を検査したことは認め、その余は否認する。
同1の(七)の事実のうち、原告らを解放した時刻は否認し、その余は認める。原告らを解放した時刻は午後五時二〇分である(被告I)。
2  請求原因2の事実はすべて否認する。
3  請求原因3の事実のうち、被告I及びその指揮下の警察官がすべて警視庁所属の警察官であったことは認め、その余は否認する。被告Iが個人として直接原告らに対して損害賠償責任を負うことはない。
4  請求原因4の事実はすべて否認する。
三  被告らの主張
被告I及びその他の中央署警察官らは、次の経緯で、原告らに対し、適法な職務質問及び任意同行を行ったものである。
1  本件当時、中央署では、昭和六〇年六月二八日告示の東京都議会議員選挙に向け、東京都中央区新川一、二丁目を中心とする地域において公職選挙法違反、軽犯罪法違反、東京都屋外広告物条例違反等の事前運動事犯が頻発していたことから、その警戒取締りに当たっていた。N及びZは、同年六月一六日午後三時ころ、新川二丁目六番四号付近を捜査用自動車で警戒取締り中、本件駐車場前において、原告甲野が周囲を警戒する一方で原告乙川が同駐車場の塀に日本共産党の東京都議会議員選挙立候補予定者の演説会告知用ポスターを貼っているのを現認し、原告らの右行為が軽犯罪法一条三三号に違反する疑いがあったことから、原告らに対して職務質問を行うべく、右地域において警戒取締り中のOらに無線で応援要請をした。
その後、原告らが、相互に周囲を警戒しながら、原告乙川が二枚、原告甲野が一枚のポスターを更に同駐車場の塀に貼った後、同駐車場の中央区立明正小学校側に止めてあった自転車に乗り、同小学校方向に立ち去ろうとしたため、Nは、応援要請に基づいて同所に到着したO、Y、Fとともに、本件駐車場前道路上の越前堀公園前付近において、原告らに質問のため停止を求めた。
2  Nは、原告らに対し、警察手帳を示して身分を名乗った上、本件ポスター貼付の事実を質問すると、原告らが無言でこれに答えなかったため、繰り返し同様の質問を行ったところ、原告乙川は、本件ポスター貼付の事実を認めたものの、管理者の承諾の有無や原告らの住所、氏名は明らかにせず、原告甲野はこの間終始無言であった。Nは、とりあえず、原告らに貼付した本件ポスターを確認させようとして、原告らに本件駐車場への同行を求め、同所でポスターの貼付の事実の有無を確認したところ、原告乙川が三枚、同甲野が一枚のポスターを貼ったことを認めたが、管理者の承諾の有無を質問しても、原告乙川は、木藤事務所で取っている旨の応答に終始し、それ以上に具体的な回答をしなかったため、Nは、Fに対し、塀の管理者の承諾の有無を確認するよう指示するとともに、原告らに対して、管理者に承諾の有無を確認するので、それまで待っていて欲しい旨告げた。
すると、原告らが本件駐車場横に止めてあった自転車を押して霊岸島交差点方向に立ち去ろうとしたので、Nらは、原告らに対し、再度、いま管理者に承諾の有無を確認しているのでそれまでここで待っていて欲しい旨告げたが、原告乙川が「事務所へ行けばわかる。」などと言って、そのまま同方向へ立ち去ろうとしたため、原告らに追随しながら右同様のことを繰り返し告げ、さらに、本件駐車場の北西にある別紙図面記載のライオンズマンション越前堀公園側の路地前において、同様の申入れをしたところ、原告らも自転車を右路地に止めた。そこで、Nが本件駐車場前において再度職務質問を開始したが、原告らの支援者三名が現場に駆け付け、Nらに対し、「共産党を弾圧するのか。」、「ポスターぐらい何だ。」、「他の党も貼ってあるではないか。」などと怒鳴りながら詰め寄り、原告らもこれに呼応して、「共産党に対する弾圧だ。」などと大声で騒ぎ出したため、Nらはこれら支援者を中央区立明正小学校方向へ誘導して排除した。
3  このころから付近住民等が続々と現場に集まり、原告らの支援者と認められる数十名の者がNらを取り囲み、「共産党を弾圧するのか。」などと怒鳴りながら詰め寄ったり、集まってきた者に向かって、「皆さん、中央警察署は不当弾圧を行っています。」などとアピールをしたことから、付近は喧噪状態となった。この間、Fは、古澤駐車場の塀に表示されていた古澤工業の電話番号に電話したがつながらず、その後判明した同社代表取締役古澤の自宅に電話しても不在であったが、その約五分後に再度古澤方に電話した際、同人の妻トモ子から、共産党の人にはポスターの貼付を許可していない旨の回答に接し、そのことをNに報告した。Nは、管理者自身から直接承諾の有無の確認をすることはできなかったものの、原告らの前記行為が軽犯罪法一条三三号に違反する疑いが濃厚となったと判断し、再度原告らに対し、管理者の承諾の有無及び原告らの住所、氏名を質問したが、原告乙川は、「事務所へ行けばわかる。」、「言う必要はない。」などと言って、これに応ぜず、原告甲野は、Nの質問には全く無言であった。
4  その後、被告Iが現場に到着し、Nから経過説明を受けたが、付近には野次馬が多数集まっており、特に、原告らの支援者と認められる二、三〇名の者が、歩車道を区別することなく付近にたむろして、Nらに対し、「不当弾圧だ。」などと怒鳴って詰め寄ったり、職務質問中の警察官と原告らの間に割って入ったりするなどの妨害行為を行い、原告らもこれに呼応して同所から立ち去ろうとするなどの状況が生じたことなどから、これ以上、同所で原告らに対する職務質問を継続することは不可能であると判断し、Nに対し、原告らの職務質問を中央署で行うよう指示した。
5  そこで、Nは、原告らに対し、管理者の承諾の有無が確認できるまで警察署に来て欲しい旨を告げて中央署への同行を求めたところ、原告乙川が突然同所から車道上に出て、霊岸島交差点方向へ立ち去ろうとしたので、Yの協力を得て、同人の腕に手を掛けて引き止め、これとほぼ同時に、原告甲野も歩道上を霊岸島交差点方向へ立ち去ろうとしたので、O及びFは、同人の腕に手を掛けてこれを引き止めた。Nらは、原告らにイ地点に止めておいた捜査用車両のところまで同行を求めたところ、原告らはこれに応じて自ら同車両の方へ向かったので、原告乙川、同甲野の順で同車両に乗車するよう促した。ところが、原告乙川は、左手に所持していた黒色手帳及び財布を近くにいた支援者と認められる者に向かって投げ渡そうとしたので、Yがとっさに同人の左手を押えてこれを制止し、再度同車への乗車を促した。原告乙川がこれを了承したのでY巡査部長が手を離したところ、同原告は、前記黒色手帳及び財布を歩道方向に投げて、右車両に乗車し、同日午後四時四〇分ころ、中央署に到着した。
6  この間、原告甲野は、原告乙川の前記行為を制止していたYに対し、背後からつかみかかろうとしたため、NとOの両名が、原告甲野の両手を押さえてこれを制止したところ、その後も右制止を振り切るようにして、Yに対し足蹴りをしようとしたので、Nは、同原告に対し、「これ以上妨害すれば公務執行妨害で逮捕する。」旨警告し、右状況からして、原告甲野と原告乙川を同一車両で中央署に同行を求めることは困難であると判断し、近くに止めてあった別の捜査用自動車への同行を求め、同車への乗車を促した。しかし、原告らの支援者と認められる者が車道にまで出て来て、Oに対し肩で突き当たるなどして原告甲野の同行及び乗車を妨害し、同原告は、霊岸島交差点方向へ歩き出して、N、Oの引き止めに応ぜず、さらに、五、六名の原告らの支援者がNらを取り囲み、その後ろから手を掛けたり、腰に抱きついたり、不当弾圧と怒鳴るなどの妨害をしたことから、被告Iの指示により、NとOが同原告の腕を取り、霊岸島交差点方向に五、六メートル引っ張って、右支援者らから離脱させた。
その後、同原告は、支援者がNらの前に立ちふさがるなどの妨害行為をしたのに対して、反対方向に立ち去ろうとしたため、Nらは同原告を引き止め、霊岸島方向へ行くよう説得したところ、同原告はNらに促されながら霊岸島交差点方向に自ら歩いて行った。さらに、前記五、六名の支援者が再度Nらを取り囲んで妨害行為をしたため、被告Iの指示により、Nらが同原告の腕をつかみ、霊岸島交差点方向に五、六メートル引っ張って、同原告を右支援者らから離脱させた。その後も、同原告はNらに促されながら霊岸島交差点方向に自ら歩いていったので、Nらは、同原告に追随しながら、同交差点まで行ったところ、折からパトカーが同所を通りかかったので、同原告に同車への乗車を求めた。すると、同原告はこれに乗車し、同日午後四時五〇分ころ、中央署に到着した。
7  Nらは、原告らが中央署に到着した後、それぞれ別の同署刑事課調室に案内し、管理者の承諾の有無が確認できるまでの間、職務質問を継続し、この間、原告らの所持品の提示を求めて検査した。他方、被告Iは管理者の承諾の有無を確認していたが、同日午後五時ころ、古澤から、二、三か月前に木藤に許可を与えた旨の電話を受け、承諾の事実の確認が得られたので、被告Iは、原告らに対し、職務質問及び任意同行を求めた事情等を説明し、同日午後五時二〇分ころ、職務質問を打ち切り、原告らを解放した。
第三  証拠〈省略〉

理由
一  事件の経過
請求原因1の(一)の事実のうち、原告らが昭和六〇年六月一六日午後三時五五分ころ、本件駐車場の塀にポスターを貼ったこと、同1の(二)の事実のうち、原告らが越前堀公園前路上に至ったところで数名の警察官が職務質問をしたこと、同1の(三)の事実のうち、原告らが警察官とともに本件駐車場に至ったこと及び警察官が原告らに対する職務質問を継続したこと、同1の(四)の事実のうち、現場に人が集まったこと、警察官が現場に集まった者に対し、邪魔をすれば公務執行妨害で逮捕する旨告げたこと及び被告I及び数名の制服警察官がパトカーや乗用車数台で現場に到着し、合計一〇名近い警察官が現場にいたこと、同1の(六)の事実のうち、被告Iが、他の警察官とともに、原告らを右乗用車及びパトカー内の各後部座席に座らせ、中央署まで同行したこと、同1の(七)の事実のうち、警察官が中央署内で原告らの持物を検査したこと、同1の(八)の事実のうち、その後、被告Iが「確認が取れたので帰っていいです。」と述べて、原告らを解放したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に加え、いずれも成立に争いのない〈書証番号略〉、いずれも本件現場の状況を撮影した写真であることは当事者間に争いがなく、証人佐久間巌の証言により同人が昭和六〇年六月一六日に撮影したものと認められる〈書証番号略〉、いずれも原告乙川二郎及び甲野一郎の各本人尋問の結果により右同日原告らの受傷部位を撮影した写真であると認められる〈書証番号略〉、いずれも原告乙川二郎及び同甲野一郎の各本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる〈書証番号略〉、証人N、同F、同佐久間巌、同甲野優子及び同張替寿彦の各証言、原告乙川二郎、同甲野一郎及び被告Iの各本人尋問の結果を総合すれば、以下の事実を認めることができる。
1  Nは、昭和六〇年六月二八日に告示される予定であった東京都議会議員選挙の事前運動に関連し、東京都中央区新川一、二丁目付近の地域において公職選挙法違反、軽犯罪法違反、東京都屋外広告物条例違反等の事犯が頻発していたことから、同月一六日、右事犯の警戒取締りのため、中央署警備課巡査Z(以下「Z」という。)とともに新川二丁目六番四号付近を捜査用車両に乗車して巡回していたところ、同日午後三時五五分ころ、本件駐車場北東側の別紙図面記載A地点(以下「A地点」という。)付近において、原告甲野が周囲を警戒するかのような素振りをする一方で原告乙川が同地点付近の本件駐車場の塀に東京都議会議員選挙立候補予定者の演説会告知ポスターを貼っている状況を確認した。
そこで、Nは、原告らの右行為が許可なく他人の工作物にはり札をする行為を禁止した軽犯罪法一条三三号に違反している疑いがあると判断し、同じく当時右地域において警戒取締りに当たっていたOらに無線で応援を要請した後、右捜査用車両から降りて、同区新川所在の越前堀公園内南西側の別紙図面記載2地点付近に移動し、同所において右応援要請等により合流したO、S、Y及びFとともに、原告らの行為を視察し、他方、Zに対し、本件駐車場の管理者の住所、氏名、電話番号等を本件駐車場付近を所轄する同署高橋派出所において調査するよう命じた。原告らは、その後も相互に周囲を警戒するようにしながら、本件駐車場北東側の別紙図面記載B地点(以下「B地点」という。)付近の塀に原告甲野が、同駐車場南東側の同図面記載C地点(以下「C地点」という。)及びD地点(以下「D地点」という。)付近の塀に原告乙川が、それぞれポスターを一枚ずつ貼った後、それぞれC地点付近に止めてあった自転車に乗って、本件駐車場前道路を皇居八丁堀線方向に立ち去ろうとした。
そこで、N、O、F及びYの四名は、中央区新川二丁目一三番四号所在の中央区立明正小学校前付近の別紙図面記載3地点付近において、同図面記載E地点にいた原告らに対し、Nが自らの警察手帳を示し、中央署の者である旨述べて、職務質問をするために停止するよう求め、原告らは、これに応じて停止した。Nは、原告らに対し、「今、あなた達は、あそこにポスターを貼りましたね。」と繰り返し質問したところ、原告らは無言のまま答えず、また、「住所、氏名を言ってください。」と質問を繰り返したのに対しても同様に回答しなかったが、Nが再度「ポスターを貼りましたね。」と質問したところ、原告乙川はその事実を認めた。そこで、Nらは、原告らとともにポスターを貼った事実を確認するため、本件駐車場の塀付近に移動し、同所において、Nが、A、B、C、D各地点付近の塀に貼られていたポスターのそれぞれについて、原告らに対し、貼付の事実を確認し、原告らもこれを認めた。
その後、Nらと原告らは、A地点付近の歩道上に移動し、Nが原告らに対し、ポスターの貼付についての塀の管理者の承諾の有無と原告らの住所、氏名を質問したところ、原告乙川は、管理者の承諾の点について、自らは取ってないが、木藤事務所で取っている旨の回答をした。そこで、Nが更に木藤事務所の誰が、誰から、いつ承諾を得たのかについて質問したところ、原告乙川は、事務所へ行けば分かると言うだけでそれ以上の具体的な回答をせず、住所、氏名についても、答える必要はないと述べて回答しようとしなかった。原告甲野は、この間、無言で何ら回答をしなかった。そこで、Nは、Fに対し、本件駐車場の塀に書かれていた管理者と思われる古澤工業の電話番号に電話をして、管理者の承諾の有無を確認するよう指示するとともに、原告らに対し、警察の方で管理者に承諾の有無を確認しているので待っていて欲しい旨を伝えた。これに対し、原告らは、木藤事務所又は古澤工業の事務所に行き、古澤工業から承諾を得ていることの確認を得ようとして、止めてあった自転車を押しながら、霊岸島交差点方向に歩き始めたため、Nらは、原告らに対し、再度、いま承諾の有無を確認しているので待って欲しい旨告げたが、原告らが、「木藤事務所へ行けば分かる。」などと言って、そのまま同交差点方向へ向かって進もうとしたので、原告らに追随し、本件駐車場の霊岸島交差点側にあるライオンズマンション越前堀公園側の路地前で、管理者の承諾の有無を照会中であるから分かるまで待ってほしい旨述べて停止を求め、さらに、本件駐車場前のA地点付近に再度同行を求めたところ、原告らはこれに応じたため、同地点付近において職務質問を継続した。
Fは、前記Nの指示を受けた後、ライオンズマンションの本件駐車場前の道路を隔てた向い側にある公衆電話から古澤工業に電話したが、相手方が出なかったため、その旨Nに報告した。同じころ、高橋派出所から戻ったZが、本件駐車場の管理者である古澤工業の代表者古澤の住所及び電話番号が判明した旨報告したため、NはFに対し、古澤に電話をかけて承諾の有無を確認することを命じた。Nは、Fが古澤に承諾の有無を確認している間、原告らに住所、氏名及び管理者の承諾の有無を繰り返し確認したが、原告らは、住所、氏名については答える必要がないとし、承諾の有無については事務所へ行けば分かると回答するのみであった。
2  Nらの原告らに対する職務質問が継続されていた同日午後四時二〇分ころ、日本共産党地区委員会事務所に入った連絡により訴外張替寿彦(以下「張替」という。)、同佐久間巌(以下「佐久間」という。)外一名が現場に到着し、Nらに対し、「日本共産党を弾圧するのか。」などと抗議したところ、Nは、「あんた達には関係がない。」などと述べてこれら三名を中央区立明正小学校方向へ誘導して排除した。原告らはなおもNらに対し、ポスターは管理者の承諾を得て貼ったと主張したが、Nらは、許可を取ってあるかないかはわからない、ここでは話ができないから警察へ行こう、警察で話そうなどと申し向けた。その後も、原告らの支援者や近隣住民等が続々と現場に集まり、支援者らは、Nらに対し、「中央署は弾圧するな。ポスター貼りくらい何だ。」などと言いながら抗議したり、集まってきた者に向かって、「皆さん、中央警察署は不当弾圧です。共産党を弾圧しています。」などとアピールするなどしたため、Nらは、これらの者に対し、公務執行妨害で逮捕されることもある旨の警告を発した。
Fは、この間、古澤に電話したが、同人が不在であったため、電話に出た同人の妻トモ子に対し、早急に同人と連絡をつけることを依頼した。その約五分後、Fは、再度古澤方に電話したところ、トモ子からまだ古澤とは連絡がとれない旨の回答があった。その際、Fは、トモ子から用件を尋ねられたのに対して、本件駐車場の塀にポスターを貼ったことを事件として扱っていることを話したところ、どこの政党かを尋ねられたので、日本共産党である旨告げると、トモ子が、「共産党だったら許可していないはずですよ。はっきりしませんけれども。」と述べたため、重ねて古澤に早急に連絡をつけて、中央署に電話して欲しい旨依頼した。Fは、その五、六分後、中央署から、トモ子から古澤とは連絡がつかないが、日本共産党のポスターならば許可していないはずであるとの電話連絡があった旨の連絡を受け、以上の経緯をNに報告した。Nは、管理者自身から直接承諾の有無を確認することはできなかったものの、トモ子の回答内容から原告らのポスター貼付行為が軽犯罪法一条三三号に違反する疑いがあると判断し、再度原告らに対し、管理者の承諾の有無及び原告らの住所、氏名を質問したが、被告乙川は、承諾を得ていることについては木藤事務所へ行けば分かる、住所氏名については言う必要はないなどと言ってこれに応ぜず、また原告甲野は、Nの質問に対して終始無言で答えなかった。
3  その後、被告Iと数名の制服警察官がパトカーや乗用車数台で現場に到着し、前記警察官と合わせて一〇名近い警察官が現場に臨むに至った。被告Iは、本件駐車場前の車道上でNからそれまでの経過の説明を受け、管理者の承諾の有無については、直接管理者である古澤から確認を取るべきであると判断し、木藤事務所に赴いてこれを確認することはせずに、古澤からの回答を待つこととしたが、付近には原告らの支援者や近隣住民と思われる者が多数集まっており、公衆の面前で質問することは原告らに不利になること、本件駐車場前の車道を通行する車両もあり、支援者らが右車道に出るため交通の危険もあったことなどから、これ以上、その場で原告らに対する職務質問を継続することは適当でないと判断し、午後四時半過ぎころ、Nに対し、原告らに対する職務質問を中央署で行うため、同人らを同署まで同行するよう指示した。右指示を受けたNは、Zに対し、Nらが使用していた捜査用車両をA地点付近に移動させるよう指示し、A地点において原告らに対し、右指示に基づいてZがイ地点に移動させた右車両による中央署への同行を求めたが、原告らはこれに応ぜず、原告乙川が本件駐車場北東側のガードレールの切れ目から車道方向へ、また同甲野が歩道上を霊岸島交差点方向へそれぞれ移動しようとしたため、YとFは、別紙図面記載山1地点において原告乙川の両腕をつかみ、同原告の身体を持ち上げて運ぶようにしてイ地点の車両付近まで移動させた。また、NとOは、別紙図面記載戸1地点においてOが右手で原告甲野の右手首をつかみ、左腕を同原告の脇の下に入れ、さらに、Nが左手で同原告の左手首をつかみ、右腕を同原告の脇の下に入れて、同原告を引っ張って同じくイ地点の車両付近まで移動させた。
4  被告Iは、イ地点の車両の左後部ドア付近に立ち、ドアを開けて、原告乙川に対し手で乗車を促したところ、同原告は、ドアにしがみつき両腕をドア越しに前に出して車に入れられないように抵抗し、さらに、あらかじめ手にしていた黒色手帳及び財布を本件駐車場前歩道上にいた原告らの支援者に対し、同車両の屋根越しに投げ渡そうとしたため、Y及びFは、同原告の手を押えてそれを制止し、中央署への同行に応ずるよう説得する一方、Yは自らの身体で同原告の身体を車内に押し込むようにして乗車させようとしたが、同原告はこれに抵抗し、乗車しなかった。その後、原告乙川は、隙をみて再度前記黒色手帳及び財布をイ地点の車両の屋根越しに歩道方向にいた原告らの支援者の方に投げ、財布は支援者の手に渡ったが、手帳は同原告の足元に落ちたため、Yがこれを拾い上げた。右行為の後、車の中にいた警察官も原告乙川のベルトをつかんで同原告を車の中に引っ張るなどしたため、同原告は、右車両の後部座席に、同原告の左側にYが、右側に他の警察官が座る形で乗車し、同日午後四時四〇分ころ、中央署に到着した。
5  Nらは、原告甲野に対し、イ地点の車両への乗車を促したが、同原告が抵抗したため、被告Iらは、同原告を原告乙川と同一車両で同行することは困難であると判断し、ロ地点に止めてあった被告Iが現場まで乗車してきた捜査用車両への同行を求め、OとNは、原告甲野の両腕をつかんだまま同車両まで引っ張って移動させた。被告Iは、同車両の右後部ドア付近に立ち、同ドアを開けて原告甲野に乗車を促し、NとOも同原告の腕をかかえて引っ張るなどして同原告を同車両に乗車させようとしたが、同車両付近で、張替がOの前に立ちふさがるなどして同原告の同行及び乗車を妨害し、また、同原告もドアの手前で自分の身体がドアの外側になるように右側に体をずらすなどして抵抗して、結局、同原告は右車両に乗車しなかった。
その後、それまでライオンズマンション前の歩道上で状況を見ていた同原告の妻甲野優子が、Nらに対し、夫が何か悪いことをしたのかなどと抗議すると、Nらは、今度は、Nが同原告の左側から、またOが同原告の右側から、それぞれ同原告の腕やズボンのベルトをつかんで引っ張り、被告Iがその後ろに追随する形で、霊岸島交差点方向に向かった。同原告は、これに対し、両足を突っ張るなどして抵抗しようとしたが、Nらに体を持ち上げるようにされて十分な抵抗ができず、途中で力尽きて、後はNらに引っぱられるままに霊岸島交差点方向に進んで行った。
原告らの支援者のうち日本共産党中央区議会議員の森山一外四、五名は、原告甲野が右交差点に向かう際にも追尾し、抗議したが、Nは公務の執行を妨害すれば、公務執行妨害の現行犯で逮捕する旨を告げてこれを排除しようとした。原告甲野が霊岸島交差点に至ると、ロ地点から二〇〇メートル近く離れた同交差点の新亀島橋寄り路上にパトカーが停車しており、警察官は、同原告を同車両に乗車させようとした。同原告は、同車両のドアにしがみつくなどして抵抗したが、同車両に乗務していた中央署の制服警察官は、一人が同原告の上半身を下に引っ張り、もう一人が同原告の足を持ち上げて、同原告を横に寝かすようにして同車両内に入れ、同原告は、右車両の後部座席に、同原告の左側にNが、右側に制服警察官の一人が座る形で乗車し、同日午後四時五〇分ころ、中央署に到着した。
6  Nらは、原告らが中央署に到着した後、それぞれを同署二階の刑事課の別々の取調室に案内し、管理者の承諾の有無が確認できるまでの間、職務質問を継続したが、この間、原告らが住所、氏名を明らかにしなかったこと、原告ら自身が管理者の承諾を取っておらず、軽犯罪法違反の疑いが強まっていたこと、原告乙川が手帳等を投げる行為をしたことなどから、原告らの所持品の提示を求めて検査し、Nは原告乙川が任意に提出した所持品の内容をメモした。原告乙川は、Nの管理者の承諾の有無についての質問に対しては、自分は取っていないが事務所に行けば分かるとの回答を、住所、氏名については答える必要がない旨の回答を繰り返した。その後、同日午後五時ころ、被告IはFから、古澤より電話があり、同人が二、三か月前に木藤と路上で会い、ポスターの話が出たので許可した旨の確認が得られたとの報告を受けた。そこで、被告Iは、同日午後五時二〇分ころ、原告らに対し、「確認が取れたので帰っていいです。」と述べて、同人らに対する職務質問を打ち切り、原告らを解放した。
7  本件同行の際、原告甲野は全治一週間を要する右上腕皮下出血、同乙川は全治一週間を要する右下腿打撲症、左前脛部挫傷、左上腕筋肉痛の傷害を負った。
ところで、原告らは、被告Iら警察官が原告らを軽犯罪法一条三三号違反の嫌疑により現行犯逮捕した旨主張するので検討する。まず、原告乙川及び同甲野各本人は、Nが「四時二五分逮捕だ。」と右手を上げるようにし、あるいは指を振り降ろすようにして指示するとともに、警察官が原告らの両腕をそれぞれつかんで身体を拘束した旨供述し、証人甲野優子も、逮捕だという声が聞こえて、それと同時に原告らは両腕を拘束された旨証言するが、Nは被告Iの指示を受けて原告らに対し中央署への同行を求めた旨の証人N、同Fの各証言及び被告I本人の供述と対比するとともに、Nをはじめとする警察官は、右時点で原告らに対し罪名ないし被疑事実の告知をしておらず、現行犯逮捕の要件が存在したか疑わしい状況であったことなどを合わせ考えると、にわかに採用することができない。また、原告ら本人は、中央署の取調室において弁解録取書が作成されたかのような供述をするが、その際に前提としての被疑事実の告知、弁護人選任権及び黙秘権の告知が行われた形跡は認められず、右供述も採用できない。さらに、Nが中央署において原告らの所持品の内容に関するメモを作成したことは前記認定のとおりであるが、同メモは必ずしも原告乙川の逮捕を前提として作成されたとはいえないから、右事実をもって逮捕行為があったと認めることもできず、他に原告らの主張する現行犯逮捕行為がされたと認めるべき証拠はない。したがって、原告らの右主張は採用することはできない。
なお、原告乙川は、本件同行時に同原告の着用していたズボンのベルトが引きちぎられたと主張し、その本人尋問の結果中にもこれに沿う部分があるほか、右供述及び弁論の全趣旨により本件同行時に原告乙川が着用していたベルトを原告ら訴訟代理人山本英司が昭和六二年二月二五日に撮影した写真であると認められる〈書証番号略〉によれば、右撮影時点で本件同行時に同原告が着用していたベルトの留金に接合する部分がちぎれていたことが認められる。しかし、右写真は、本件同行時から一年八か月余り後に撮影されたものであって、これが直ちに本件同行時と同様の状態を示しているとは認め難いから、これをもって原告乙川の前記主張事実を認定することはできないし、前記原告乙川本人の供述も証人Nの反対趣旨の証言に照らしてにわかに採用し難く、他にその的確な証拠はない。したがって、原告乙川の右主張は採用することができない。
他方、被告らは、Nらが原告に対しイ地点の車両への同行を求めた際、原告らはこれに応じて自ら同車両の方へ向かったと主張するので検討するに、証人N及び同Fの各証言並びに被告I本人の供述中には、これに沿う部分もある。しかしながら、原告ら本人の供述によれば、原告らは本件当時、中央署への同行については一貫してこれを拒否する意思であったと認められ、外形的にも、前記認定のとおり、Nがイ地点の車両への同行を求めたのに対して原告乙川が本件駐車場北東側のガードレールの切れ目から車道方向へ、同甲野が歩道上を霊岸島交差点方向へそれぞれ移動しようとし、イ地点の車両付近に至った後も原告らは同行に対して抵抗する姿勢に終始しているのであるから、原告らが自らイ地点の車両に向かったというのは極めて不自然である。したがって、被告らの右主張は採用することができない。
被告らは、さらに、原告甲野はNらに促されながらロ地点の車両付近から霊岸島交差点方向に自ら歩いて向かったと主張し、証人Nの証言及び被告I本人の供述中には、右主張に沿う部分もある。しかしながら、右証言及び供述は、証人佐久間巌、同甲野優子及び同張替寿彦の各証言並びに原告甲野本人の供述と対比するとともに、この時点で原告甲野が右のような行動に出る何らかの必要性があったとは考えられないことにかんがみ、たやすく信用することができず、被告らの右主張は採用の限りではない。
二  警察官の行為の違法性
1  原告らは、Nらが原告らを現行犯逮捕したことを前提として、その違法を主張するが、かかる逮捕行為の存在を肯認し難いことは前述のとおりであるから、右主張は採用することができない。
2  そこで、職務質問及び同行の違法性について判断する。
(一)  警察官が警職法二条一項により職務質問をするに当たっては、その対象者が、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知っていると認められる者であることを要するところ、前記認定のとおり、原告らは、東京都議会議員選挙の告示を一二日後に控えた時期に、右選挙立候補予定者の演説会告知ポスターを、駐車場の塀に、周囲を警戒するような素振りをしながら貼付していたものであって、原告らについては、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して軽犯罪法一条三三号に違反する行為をしていると疑うに足りる相当の理由が存していたといわざるを得ない。したがって、Nらの職務質問開始時において、同人らが警職法二条一項の要件を充足すると判断し、原告らに対し、強制力を用いることなく停止を求め職務質問をしたことは適法というべきである。
(二)  次に、Nらが職務質問を継続した点について検討する。
前記認定のとおり、原告乙川は、ポスター貼付について塀の管理者の許可を得ているかとのNらの質問に対して、自らは得ておらず、木藤が得ていると回答するだけで、住所、氏名も明らかにしなかったものであるし、また原告甲野はNの質問に対して終始無言であり、いずれも自ら積極的に自己に対する疑惑を晴らそうとしないのみか、かえって挑発的な態度をとることにより、職務質問開始時の嫌疑が一向に解消されるに至らなかったものである。こうした事情からすると、Nらが原告らに対する職務質問を続行する必要があると考え、これに応ずるよう説得しながら追尾したことが違法とはいえないことは明らかであり、その後、Fが本件駐車場の管理者である古澤工業の代表者古澤の自宅に電話し、同人の妻トモ子から共産党には許可していないはずである旨の回答を得たのであるから、この時点ではむしろ原告らに対する嫌疑を深める状況にあったというべきである。もっとも、この間原告らがNらの職務質問を拒否して立ち去ろうとした形跡も窺えないではないけれども、職務質問の相手方がいったん職務質問を拒否したからといって、直ちに職務質問を続行し任意同行を求めることが許されなくなると解すべきではなく、嫌疑が存する限りこれに応ずるよう説得しその翻意を求めることは、職務質問をする際に通常伴う行為として、強制力を用いない限り許されるというべきであって、Nらが何ら強制力を加えていないことは前記認定のとおりであるから、原告らが職務質問を拒否する態度に出たからといってNらの行為が違法となるものではない。
(三) 進んで、被告Iらが原告らに対し中央署への同行を求めた点について考察する。
警職法二条二項及び三項によれば、その場で職務質問をすることが本人に対して不利であり、又は交通の妨害となると認められる場合には、本人の意思に反しない限り、付近の派出所等に同行を求めることが許されているところ、前記認定のとおり、Nらが中央署への同行を求めた時点では、本件駐車場付近には原告らの支援者や近隣住民と思われる者が相当数集まっており、公衆の面前で質問することは本人に不利になる場合であったと認められ、また、本件駐車場前の道路には通行車両もあり、支援者らが車道に出るなどして交通の妨害が懸念される状況にあったものと認められる。
しかしながら、本件同行の態様について見るに、前記認定によれば、原告乙川は、A地点において中央署への同行を求められ、警察官二名によって両腕をつかみ身体を持ち上げ運ぶようにしてイ地点付近まで移動された上、同地点に停車中の捜査用車両への乗車を促されたが、同原告がドアにしがみつき両腕をドア越しに前に出して車に入れられないように抵抗しているのに、警察官の一名が自らの身体で同原告の身体を車内に押し込むようにし、さらに、車中の別の警察官が同原告を車の中に引っ張るなどして乗車させ、中央署へ同行したものである。また、原告甲野についても、当初原告乙川と同様イ地点の車両への乗車を促されて抵抗し、警察官二名に両腕をつかまれてロ地点の車両まで引っ張って移動させられ、これについても抵抗すると、今度は、左右両側から体を持ち上げるようにして二〇〇メートル近く離れた霊岸島交差点に停車中のパトカーまで引っ張られた上、同原告がドアにしがみつくなどして抵抗しているのに、警察官が二人掛かりで横に寝かすようにしてこれに乗車させ、原告乙川と同じく中央署へ同行したものである。原告らは、この間、一貫して同行に抵抗していたことは明らかであって、その過程において前記のとおり傷害を負ったものであるから、このような客観的状況に照らすと、原告らはその意思に反して警察署への同行を強要されたものというほかなく、この間における警察官の行為は、職務質問に付随する同行を承諾させるための手段として許容される限界を逸脱し、違法な有形力の行使に該当するものといわざるを得ない。したがって、原告らに対する本件同行は、警職法二条二項及び三項に違反する違法な行為というべきである。
(四)  原告らは、Nらの職務質問が、日本共産党に関する情報収集という不法な目的のためにされたものであり、職務質問権の濫用として違法である旨主張するが、本件全証拠をもってしても、右職務質問がかかる不法な目的に出たものであることを認めるに足りないから、右主張は、採用することができない。
なお、原告らは、中央署において違法に監禁された旨の主張もするが、前記認定によれば、原告らが同署の取調室において職務質問を受けた時間は、被告Iらにおいてポスターの貼付に関する管理者の承諾の有無の確認が得られるまでの三、四〇分くらいであり、その間における原告らの応対等を考慮すると、同署への同行そのものは前記のとおり違法であっても、そのことから直ちに、右の職務質問をとらえて違法な監禁行為であるということはできず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。したがって、右主張も採用の限りではない。
三  被告らの責任
1 被告I及びその指揮下に本件同行に関与した警察官がすべて警視庁所属の警察官であったことは当事者間に争いがないから、被告東京都は、その公権力の行使に当たる公務員である右警察官がその職務の執行として行った前記違法行為につき、原告らに対し、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償責任を負うというべきである。
2  次に、被告Iの責任について見るに、公権力の行使に当たる公共団体の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、当該公共団体がその被害者に対して国家賠償法一条一項に基づく賠償の責に任ずるのであって、公務員個人はその責を負わないものと解すべきであるから、原告らの被告Iに対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
四  原告らの損害
1  前記認定の事実によれば、原告らは、被告Iら警察官の違法な行為により肉体的、精神的苦痛を受けたことが認められるところ、本件同行当時の状況、右違法行為の程度・態様その他本件における一切の事情を考慮すると、これを慰謝するには、原告らにつき、それぞれ二〇万円をもって相当と認める。
2  原告らが本件訴訟の提起、追行を原告ら訴訟代理人に委任したことは記録上明らかであるから、本件事案の内容等にかんがみると、弁護士費用としては、原告らにつき、それぞれ五万円をもって本件不法行為と相当因果関係のある損害と認める。
五  結論
以上によれば、原告らの本訴請求は、被告東京都に対し、それぞれ二五万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六〇年六月一六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、被告東京都に対するその余の請求及び被告Iに対する請求はいずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官篠原勝美 裁判官小澤一郎 裁判官笠井之彦)

別紙〈省略〉
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裁判年月日  平成 2年11月16日  裁判所名  徳島地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭60(行ウ)6号
事件名  阿波おどり違法看板に対する過料等請求事件
裁判結果  却下  上訴等  確定  文献番号  1990WLJPCA11160008

要旨
◆県知事が都市公園使用料の徴収を免れた者に対して過料を科さず、その徴収を怠る事実についての違法確認及び右怠る事実の相手方に対する右過料相当額の不当利得返還を求めた住民訴訟に対し、過料を科することは財務会計上の行為ではないから、前者は住民訴訟の対象とはなり得ないものを対象とし、後者は住民訴訟の対象とはなり得ないものを前提としたものとして不適法であるとして、訴えを却下した事例

新判例体系
公法編 > 組織法 > 地方自治法〔昭和二二… > 第二編 普通地方公共… > 第九章 財務 > 第一〇節 住民による… > 第二四二条 > ○住民監査請求 > (二)監査請求事項 > A 一般
◆徳島県都市公園条例(昭和三三年徳島県条例第二〇号)第一九条所定の過料は、都市公園使用料の不正免脱行為の発生を防止し、適正な使用料収入の確保、都市公園の維持管理又は行政事務遂行の円滑化を図ることを目的とする行政罰の一種であって、県知事において右過料を科することは、県財政の維持及び充実を目的とする財務会計上の行為とはいえないから、県知事が過料を科さないことは地方自治法第二四二条第一項所定の公金の賦課又は徴収を怠る事実に当たらない。

 

出典
行集 41巻11・12号1879頁
判タ 760号159頁
判時 1398号57頁
判例地方自治 81号40頁

参照条文
条例
地方自治法228条
地方自治法242条1項
地方自治法242条の2第1項3号
地方自治法242条の2第1項4号
裁判官
来本笑子

橋本昇二 (ハシモトショウジ) 第30期 現所属 依願退官
平成17年3月31日 ~ 依願退官
平成16年4月1日 ~ 平成17年3月30日 東京高等裁判所
平成15年4月1日 ~ 平成16年3月31日 札幌高等裁判所
平成12年4月1日 ~ 平成15年3月31日 札幌地方裁判所
平成9年4月1日 ~ 平成12年3月31日 東京高等裁判所
平成6年4月1日 ~ 日本国有鉄道清算事業団総務部次長
平成6年3月31日 ~ 依願退官
平成3年4月1日 ~ 平成6年3月30日 東京家庭裁判所
~ 平成3年3月31日 徳島地方裁判所、徳島家庭裁判所

白神恵子 (シラカミケイコ) 第40期 現所属 神戸家庭裁判所
平成28年4月1日 ~ 神戸家庭裁判所
平成25年4月1日 ~ 大阪家庭裁判所
平成21年4月1日 ~ 平成25年3月31日 京都家庭裁判所
平成17年4月1日 ~ 平成21年3月31日 山口地方裁判所宇部支部(支部長)、山口家庭裁判所宇部支部(支部長)
平成14年4月1日 ~ 平成17年3月31日 京都家庭裁判所
平成11年4月1日 ~ 平成14年3月31日 大阪地方裁判所岸和田支部、大阪家庭裁判所岸和田支部
平成8年4月1日 ~ 平成11年3月31日 広島地方裁判所
平成5年4月1日 ~ 平成8年3月31日 神戸地方裁判所尼崎支部、神戸家庭裁判所尼崎支部
平成2年4月1日 ~ 平成5年3月31日 徳島地方裁判所、徳島家庭裁判所
~ 平成2年3月31日 神戸地方裁判所

訴訟代理人
原告側訴訟代理人
井上善雄, 阪口徳雄,小田耕平

被告側訴訟代理人
岡田洋之, 田中達也,中田祐児

Westlaw作成目次

主文
一 本件訴えをいずれも却下する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告社団法人徳島新聞社(以下…
2 被告徳島県知事が、被告徳島新…
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 1項につき仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却す…
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者の地位
2 看板の設置及びその違法性
3 被告徳島県知事の公金の賦課徴…
4 被告徳島新聞社及び同観光協会…
5 監査請求の経由
二 請求原因に対する認否
1 被告徳島新聞社及び同観光協会
2 被告徳島県知事
第三 証拠〈略〉
理由
一 被告徳島県知事が被告徳島新聞…
二 よって、原告らの本件訴えは、…

裁判年月日  平成 2年11月16日  裁判所名  徳島地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭60(行ウ)6号
事件名  阿波おどり違法看板に対する過料等請求事件
裁判結果  却下  上訴等  確定  文献番号  1990WLJPCA11160008

原告 圃山靖助
右同 八木正行
右両名訴訟代理人弁護士 井上善雄
右同 阪口徳雄
右同 小田耕平
被告 社団法人徳島新聞社
右代表者理事 井端好美
被告 社団法人徳島市観光協会
右代表者理事 三木俊治
右両名訴訟代理人弁護士 岡田洋之
被告 徳島県知事
三木申三
右訴訟代理人弁護士 田中達也
右同 中田祐児

 

主文
一  本件訴えをいずれも却下する。
二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実
第一  当事者の求めた裁判
一  請求の趣旨
1  被告社団法人徳島新聞社(以下「被告徳島新聞社」という。)及び同社団法人徳島市観光協会(以下「被告観光協会」という。)は徳島県に対し、各自六四一一万三三〇〇円を支払え。
2  被告徳島県知事が、被告徳島新聞社及び同観光協会に対し、阿波おどり演舞場の都市公園使用料を免れたことによる過料六四一一万三三〇〇円の徴収を怠っている事実が違法であることを確認する。
3  訴訟費用は被告らの負担とする。
4  1項につき仮執行の宣言
二  請求の趣旨に対する答弁
1  原告らの請求をいずれも棄却する。
2  訴訟費用は原告らの負担とする。
第二  当事者の主張
一  請求原因
1  当事者の地位
(一) 原告ら
原告らは、いずれも徳島県の住民である。
(二) 被告ら
(1) 被告徳島新聞社は、徳島新聞の発行を主たる目的とする社団法人である。
(2) 被告観光協会は、徳島市内における観光事業の振興をはかることを主たる目的とする社団法人である。
(3) 被告徳島県知事は、地方自治法(以下「法」という。)に基づいて徳島県の事務を管理執行する機関である。
2  看板の設置及びその違法性
(一) 看板の設置
被告徳島県知事は、昭和五九年八月一二日から同月一五日までにかけて阿波おどりが開催された際、被告観光協会に対し、徳島県が管理する都市公園である「藍場浜公園」及び「交通公園」に阿波おどり演舞場を設置することを許可した。
被告徳島新聞社は右演舞場に看板を設置し、看板の広告料として約七〇〇〇万円を得た。
なお、被告観光協会は阿波おどりの主催者として、徳島県や徳島市から補助金の交付を受け、見物者用の桟敷の設営許可を受けているが、被告観光協会には主催能力はなく、実質的に阿波おどりを主催し運営しているのは被告徳島新聞社である。
(二) 看板設置の違法性
右看板設置は次の事由により違法である。
(1) 被告徳島新聞社及び同観光協会の定款にはいずれも目的として屋外広告物を取り扱うことは掲げられていないから、広告料をとって看板を設置することは、定款外の行為である。
(2) 被告観光協会は、被告徳島県知事に対する都市公園占用許可申請において、占用目的として阿波おどり演舞場設置は挙げたが、看板設置は挙げておらず、したがって、被告観光協会は看板設置について被告徳島県知事の許可を受けていない。
(3) 徳島県屋外広告物条例八条の二は、屋外広告物業を営むものは徳島県知事に届出をする必要がある旨定めているが、被告徳島新聞社及び同観光協会は右届出をしていない。
(4) 阿波おどり演舞場設置の許可を受けているのは被告観光協会であるにもかかわらず、被告徳島新聞社が演舞場に看板を設置し広告料を得ている。
(5) 徳島県都市公園条例及び同施行規則は、看板設置について使用料を定めておらず、広告物を表示しまたは広告物を掲出する物件の設置を目的とする占用については許可しない趣旨のものである。
(6) 徳島県屋外広告物条例三条及び同施行規則は、地方公共団体が管理する公園又は緑地に広告物を表示し、又は広告物を掲出する物件を設置してはならないと定めている。
(7) 徳島県屋外広告物条例五条及び同施行規則三条二号は、広告物等の形状につき、広告塔及びこれに類するものに掲出され、又は表示されるものにあっては、その最大投影面積が三〇平方メートル以内に制限すると定めているが、演舞場設置が許可された藍場浜公園及び交通公園には一三五平方メートル(75メートル×1.8メートル)の看板が設置された。
(8) 被告徳島新聞社及び同観光協会は、看板を掲出する工作物を設営するに際し、都市公園内の木竹を徳島県知事の許可なく伐採したり、芝生を枯死させ、莫大な損害を徳島県に与えた。
3  被告徳島県知事の公金の賦課徴収を怠る事実
(一) 徳島県都市公園条例の過料
徳島県都市公園条例一九条は、偽りその他不正の行為により使用料の徴収を免れた者に対しては、その徴収を免れた金額の五倍に相当する金額以下の過料を科する旨定めている。そして、同条例には看板設置に関する使用料の定めがないから、演舞場設置の使用料を基に計算すると、過料の額は次のとおりとなる。
(1) 同条例は、まつりなどの催しのために仮設工作物を設けて都市公園を占用するときは一平方メートル一日当たり二〇円の使用料を徴収する旨定めている。そして、藍場浜公園は、使用面積が3379.54平方メートル、使用日数が一五日であり、交通公園は、使用面積が1866.82平方メートル、使用日数が一一日であるから、両公園の使用料金は、(二〇×三三八〇×一五)+(二〇×一八六七×一一)=一四二万四七四〇円となる。
(2) なお、本年以前も看板設置の使用料の徴収を免れている。
したがって、被告徳島県知事が同条例一九条に基づいて右違法な看板設置につき科すべき過料の額は、一四二万四七四〇円×五×九(年)=六四一一万三三〇〇円となる(以下「本件過料」という。)。
(二) ところが、被告徳島県知事は、被告徳島新聞社及び同観光協会に対して本件過料を科してこれを徴収することを怠っている。
4  被告徳島新聞社及び同観光協会の責任
被告徳島新聞社及び同観光協会は、右違法な看板設置につき本件過料を納付する義務があるにもかかわらず、その納付を免れているのであるから、徳島県に対して右同額の不当利得返還義務がある。
5  監査請求の経由
原告らは、昭和六〇年八月九日、徳島県監査委員に対し、法二四二条一項の規定に基づき本件過料を科してこれを徴収することが懈怠されていることに関し監査を求めたが、同委員は同年九月二五日これを理由がないとして棄却し、そのころ原告らに対しその旨の監査結果を通知した。
よって、原告らは、法二四二条の二第一項三号に基づき、被告徳島県知事に対し、本件過料六四一一万三三〇〇円の徴収を怠っている事実が違法であることの確認を、同項四号に基づき、徳島県に代位して、被告徳島新聞社及び同観光協会に対し、各自本件過料と同額の不当利得返還金を徳島県に対して支払うことを求める。
二  請求原因に対する認否
1  被告徳島新聞社及び同観光協会
(1) 請求原因1の事実は認める。
(2) 同2(一)の事実中、被告徳島新聞社が看板の広告料として約七〇〇〇万円を得たこと及び被告観光協会に阿波おどりの主催能力がなく、実質的に阿波おどりを主催し運営しているのが被告徳島新聞社であることは否認し、その余は認める。
(3) 同2(二)(1)(2)の事実は否認する。
(4) 同2(二)(3)の事実は認める。被告徳島新聞社及び同観光協会はいずれも屋外広告物業を営んでいないから届出の必要はない。
(5) 同2(二)(4)の事実中、阿波おどり演舞場設置の許可を受けているのは被告観光協会であること及び被告徳島新聞社が演舞場に看板を設置したことは認め、その余は否認する。
(6) 同2(二)(5)の事実は否認する。
(7) 同2(二)(6)の事実中、原告ら主張の条例の条項があることは認める。
(8) 同2(二)(7)の事実中、原告ら主張の内容の条例の規定があることは認め、その余は否認する。
(9) 同2(二)(8)の事実は否認する。
(10) 同3(一)の事実中、原告ら主張の内容の条例の規定があることは認め、その余は否認する。
(11) 同3(二)の事実中、被告徳島県知事が原告ら主張の過料を科さずこれを徴収していないことは認め、その余は争う。
(12) 同4の主張は争う。
(13) 同5の事実は認める。
2  被告徳島県知事
(1) 請求原因1の事実は認める。
(2) 同2(一)の事実中、被告徳島県知事が原告ら主張の許可をしたこと及び被告観光協会が補助金の交付を受け、桟敷の設営許可を受けていることは認め、その余は不知。
(3) 同2(二)(1)の事実は不知。
(4) 同2(二)(2)の事実は否認する。
(5) 同2(二)(3)の事実は認める。
(6) 同2(二)(4)の事実中、被告観光協会が演舞場設置の許可を受けていることは認め、その余は不知。
(7) 同2(二)(5)の事実は否認する。
(8) 同2(二)(6)の事実中、原告ら主張の条例の条項があることは認める。
(9) 同2(二)(7)の事実中、原告ら主張の内容の条例の規定があることは認め、その余は不知。
(10) 同2(二)(8)の事実は不知。
(11) 同3(一)の事実中、原告ら主張の内容の条例の規定があることは認め、その余は否認する。
(12) 同3(二)の事実中、被告徳島県知事が原告ら主張の過料を科さずこれを徴収していないことは認め、その余は争う。
(13) 同5の事実は認める。
第三  証拠〈略〉

理由
一  被告徳島県知事が被告徳島新聞社及び同観光協会に対して本件過料を科さず、ひいてはこれを徴収していないことは、当事者間に争いがないところ、原告らは、これが法二四二条一項所定の公金の賦課若しくは徴収を怠る事実に該当すると主張するので、検討する。
法二四二条の二の規定による住民訴訟の制度は、普通地方公共団体の執行機関又は職員による法二四二条一項所定の財務会計上の違法な行為又は怠る事実が究極的には当該地方公共団体の構成員である住民全体の利益を害するものであるところから、これを防止するため、地方自治の本旨に基づく住民参政の一環として、住民に対しその予防または是正を裁判所に請求する権能を与え、もって地方財務行政の適正な運営を確保することを目的としたものであって、右の制度趣旨に照らすと、法二四二条一項所定の怠る事実に係る公金の賦課若しくは徴収とは、その性質上、普通地方公共団体の財政の維持及び充実を目的とする財務会計上の行為に限定され、右以外の行為については、これが結果的に普通地方公共団体の財政に影響を及ぼすものであるとしても、同項所定の怠る事実に係るものとはいえないものと解される。
これを本件についてみるに、法は、行政財産の使用又は公の施設の利用につき使用料を徴収することができ(二二五条)、詐偽その他不正の行為により使用料の徴収を免れた者については条例でその徴収を免れた金額の五倍に相当する金額以下の過料を科する規定を設けることができ(二二八条二項)、過料を科することを普通地方公共団体の長の担任事務とする(一四九条三号)旨を定めている。これを受けて、徳島県都市公園条例一九条は、県知事は、偽りその他不正の行為により都市公園の使用料の徴収を免れた者に対しては、その徴収を免れた金額の五倍に相当する金額以下の過料を科する旨を定め、さらに、法二五五条の二は、普通地方公共団体の長がする過料の処分につき、告知弁明の機会を与えるべきこと及び過料の処分についての審査請求ができることを定めているところである。右各規定によれば、同条例一九条所定の過料は、都市公園使用料の不正免脱行為があったときは県知事がその不正免脱者に対してこれを科することとし、もって、右不正免脱行為の発生を防止し、適正な都市公園使用料収入を確保するとともに都市公園の維持管理又は行政事務遂行の円滑化を図る目的で設けられた行政罰の一種であって、県知事において右過料を科することは、県財政の維持及び充実を目的とする財務会計上の行為とはいえないと解される。
そうすると、被告徳島県知事が被告徳島新聞社及び同観光協会に対して本件過料を科さないからといって、これが法二四二条一項所定の公金の賦課若しくは徴収を怠る事実に該当するとはいえないから、原告らの被告徳島県知事に対する請求に係る訴えは、住民訴訟の対象とはなり得ないものを対象としたものとして不適法であり、原告らの被告徳島新聞社及び同観光協会に対する請求に係る訴えも、住民訴訟の対象とはなり得ないものを前提としたものとして不適法である。
二  よって、原告らの本件訴えは、その余の点につき判断するまでもなく不適法であることが明らかであるから、これをいずれも却下することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官来本笑子 裁判官橋本昇二 裁判官白神恵子)
*******

裁判年月日  平成 2年 7月20日  裁判所名  京都地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭62(ワ)3002号
事件名  損害賠償請求事件
裁判結果  棄却  上訴等  控訴  文献番号  1990WLJPCA07206016

裁判経過
上告審 平成 8年 3月 8日 最高裁第二小法廷 判決 平4(オ)77号 損害賠償請求事件
控訴審 平成 3年 9月27日 大阪高裁 判決 平2(ネ)1757号 損害賠償請求控訴事件

出典
民集 50巻3号442頁
判時 1427号70頁
判例地方自治 80号77頁

評釈
古崎慶長・判例地方自治 116号85頁

Westlaw作成目次

主文
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告各自に対し、それぞ…
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
2 昭次郎の逮捕、留置
四 釈放までの経過
(一) 旧条例の違憲性
(二) 犯罪の嫌疑の欠如
(三) 逮捕の必要性の不存在
(四) 逮捕の必要性の消滅
(一) 昭次郎は、本件逮捕により、正…
(二) 昭次郎は、本訴を提起するに当…
(一) (一)の事実は認める。
(二) (二)について
(三) (三)について
(四) (四)の事実は認める。
(一) (一)の主張はいずれも争う。
(二) (二)の主張は、新条例に「防…
(三) (三)について
(四) (四)は否認ないし争う。
第三 証拠(省略)
理由
一 昭次郎及び原告らの身分関係等
二 本件逮捕の違法性
1 本件貼付場所の状況
2 本件逮捕に至る経緯
(一) 昭次郎は、昭和六二年七月二二…
(二) 嶋田は、公用自動二輪車(以下…
(三) 嶋田は昭次郎に「先の国道一号…
(四) 山科署からの指令で嶋田の応援…
(五) 丸山は、北側歩道沿いにバイク…
(六) 丸山は昭次郎と並んで「ちょっ…
(七) 丸山は昭次郎を逮捕する決断を…
3 右1、2の事実に基づき本件逮…
(一) 犯罪の嫌疑の有無について
(二) 旧条例の合憲性
(三) 逮捕の必要性
(四) 以上の検討のとおり、本件逮捕…
三 本件留置継続の違法性
1 本件逮捕から検察官送致ないし…
(一) 昭次郎は、昭和六二年七月二二…
(二) 本件被疑事実の捜査体制
(三) その後の捜査の状況
(四) 昭次郎の取調べの状況
(五) 本件貼付行為に先立ち、昭和六…
2 右事実及び前記二1、2認定の…
(一) 現行犯逮捕をした場合、司法警…
(二) 前期認定事実によれば、昭次郎…
四 以上の検討のとおり、本件逮捕…
五 結論

裁判年月日  平成 2年 7月20日  裁判所名  京都地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭62(ワ)3002号
事件名  損害賠償請求事件
裁判結果  棄却  上訴等  控訴  文献番号  1990WLJPCA07206016

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。

 

 

事実

第一  当事者の求めた裁判
一  請求の趣旨
1  被告は原告各自に対し、それぞれ金一六五万円及びこれに対する昭和六二年一二月一三日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2  訴訟費用は被告の負担とする。
二  請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二  当事者の主張
一  請求原因
1  当事者
(一) 承継前原告原田昭次郎(以下「昭次郎」という。)は、平成二年二月二五日死亡した。原告原田咲子は昭次郎の妻、原告原田徹はその子である。
(二) 被告は、京都府警察所属警察官をその職員として雇用する普通地方公共団体である。
2  昭次郎の逮捕、留置
(一) 昭次郎は、昭和六二年七月二二日午後二時二〇分ころ、京都市山科区北花山大林町五五番地先交差点(国道一号線(以下「国道」という。)と市道川田道との交差点、以下「川田道交差点」という。)の東北角(以下「本件貼付場所」という。)において、防護柵(以下「本件防護柵」という。)に取り付けられた日本共産党の掲示板(以下「本件掲示板」という。)に「赤旗写真ニュース」のポスター(以下「本件ポスター」という。)を張り付けた(以下「本件貼付行為」という。)。
(二) 嶋田の職務質問
(1) 京都府警察山科警察署(以下「山科署」という。)花山警察官派出所(以下「花山派出所」という。)に勤務する警察官嶋田歩巡査(以下「嶋田」という。)は、本件貼付行為を現認し、平成元年三月三一日改正前の京都市屋外広告物条例(以下「旧条例」という。)に違反する疑いを持ち(以下「本件被疑事実」という。)、国道北側の歩道(以下「北側歩道」という。)上を東に向かって歩いていた昭次郎を制止し、職務質問をした(嶋田が昭次郎を制止した地点を、以下「本件第一現場」という。)。
本件第一現場は、川田道交差点の東方約一一〇メートルの北側歩道上の地点である。
(2) 昭次郎は、職務質問を受けている状況を日本共産党京都東地区委員会(以下「東地区委員会」という。)に連絡しようと考え、国道南側の歩道(以下「南側歩道」という。)上の公衆電話ボックスを指差し、電話をかけることの許可を嶋田から得て、本件第一現場を離れた。
(三) 昭次郎の逮捕
(1) 昭次郎は、北側歩道上を川田道交差点まで戻り、その西側にある地下道を通って南側歩道に出て東の方向へ歩いて行った。そして、京都市山科区川田前畑町一番地の二先路上(以下「本件第二現場」という。)で、花山派出所に勤務する丸山美都志巡査部長(以下「丸山」という。)に制止され、その職務質問を受けた。庄次郎は、「私はみささぎあらまきちょうのはらだしょうじろうだ。連絡先は共産党の東地区委員会に聞いたらわかる。電話番号は五九一の七八五一だ。」と答えた。
(2) 昭次郎は、同日午後二時四〇分ころ、本件第二現場において逮捕され(以下「本件逮捕」という。)、山科署に連行された。
四  釈放までの経過
昭次郎は、二日間山科署に留置され(以下「本件留置」という。)、京都地方検察庁に身柄付きで送致されたのち、昭和六二年七月二四日午後三時五三分、山科署において釈放された。
3 本件逮捕及び留置の違法性
本件逮捕及び留置は、以下の理由により違法である。
(一)  旧条例の違憲性
旧条例は違憲無効であり、同条例を適用して行われた本件逮捕は、違法である。
(1) 原則的許可制、許可基準の不明確性
旧条例は、広告物の表示、掲出について一般的に禁止する建前を採り、市長の許可によってこれを解除するものとし(旧条例二条一項)、市長の許可につき市長が必要な範囲で条件を付することができると規定する(旧条例三条)。
右原則的許可制は、あまりにも広範な事前抑制であり、「単なる届出制を定めることは格別、そうでなく一般的な許可制を定めてこれを事前に抑制することは憲法の趣旨に反し許されない」との最高裁昭和二九年一一月二四日大法廷判決(刊集八巻一一号八六六頁)の基準に照らし、違憲であり、旧条例は無効である。
また、許可基準について何らの定めもないから行政機関の自由裁量による検閲を許す危険性が高く、その規制は余りにも広範な事前抑制であり、この点でも、右条例は、違憲、無効である。
加えて、市長が許可、不許可の決定をすべき期間の定めも、不許可決定につき理由を示す義務もなく、これは、言論の自由に対する重大な制約について、被制約者の権利保護に何ら実効的な保証がないものであるから、右条例は、違憲、無効である。
(2) 本件条例の絶対的禁止範囲について
屋外広告物法(以下「法」という。)四条一項は、美観風致の維持の必要性を勘案して、広告等の制限の可能な範囲を法定しているところ、旧条例四条及び五条は法の定める禁止地域及び禁止物件の範囲を著しく拡大している。
これを美観風致の維持の必要性という保護法益に照らして考察するならば、対象自体が美そのものの表象である場合、美観に奉仕する地域、場所又は物件である場合、美術的な建築物についてはそれ自体又はその敷地内につき付近一帯の自然美と調和して一帯の景観を形成するような場合には制限を肯定できるとしても、その余の場合にはこれを認める合理的根拠がなく、旧条例は、保護法益との関係で規制範囲を徒らに拡大したものであって、違憲である。
(3) 適用違憲
川田道交差点付近は、都市計画法上の美観地区ないし風致地区ではなく、また、第一種ないし第二種住居専用地区でもなく、国道は昼夜ともに交通量が多く、商店、喫茶店等が密集している雑然とした市街地であり、周囲には商業広告物が多数掲出されているところ、本件貼付行為は、かかる環境の下でたかだか政党の宣伝ポスター一枚を既設の掲示板に貼付してあったポスターと張り替えたにすぎない。かかる状況においては、表現の自由が美観風致の維持にはるかに優越するものというべきであり、本件条例を本件貼付行為に適用する限りにおいて違憲である。
(二)  犯罪の嫌疑の欠如
(1) 防護柵は、旧条例五条二項四号所定の「郵便ポスト、公衆電話所、公衆便所その他これらに類するもの」のうち「その他これに類するもの」には該当しない。
すなわち、「その他これらに類するもの」とは、「郵便ポスト、公衆電話所、公衆便所」に類するものであり、その形態や用途等から考えて、カードレールや歩道柵が含まれると考えるのは、一般的市民の常識からみて不可能であり、防護柵を含める解釈は罪刑法定主義に反するものである。
右のことは、平成元年三月三一日改正後の京都市屋外広告物条例(以下「新条例」という。)四条二項において、「郵便ポスト、公衆電話所、公衆便所その他これに類するもの」とは別に「防護さく」が新たに明示された事実からも明らかである。
(2) また、本件貼付行為は、直接防護柵にポスターを貼付したものではなく、防護柵に既に設置してあった掲示板に貼付したにすぎないから、禁止物件に広告物を表示したものとはいえない。
(3) したがって、本件逮捕は、犯罪行為がないのに昭次郎を逮捕したものであり、違法である。
(三)  逮捕の必要性の不存在
現行犯逮捕においても、逮捕の必要性がその要件であるところ、本件逮捕は、左のとおりこれを欠き、違法である。
(1) 逃亡のおそれについて
昭次郎は、嶋田及び丸山の職務質問に対し、住所、氏名及び連絡先の電話番号を告知し、本件貼付行為を明確に認めていた。また、嶋田から電話をかけることの許可を得て、本件第一現場の国道をはさんで南側はほぼ正面にある公衆電話に向った。
本件被疑事実が軽微な事案であること及び右各事実に徴し、逃亡のおそれはなかったのである。
(2) 罪証隠滅のおそれ
本件貼付行為は、嶋田によって現認され、昭次郎自身も認めており、当該ポスター等もいつでも証拠として保全できる状況にあった。したがって、本件被疑事実について証拠破壊のおそれはなかった。
(3) 本件被疑事実は軽微な犯罪であること、表現の自由の尊重及び美観風致の維持増進という立法目的実現の見地からは、逮捕に先立ち警告、制止等行政的対応をなすべきであり、警告、制止に応じないことを逮捕の要件とすべきところ、本件では嶋田及び丸山は昭次郎に対し警告も制止もせず、直ちに逮捕したものであって違法な逮捕というべきである。
(4) 本件逮捕は、共産党を弾圧する目的でなされた差別的逮捕であり、表現の自由及び平等権を侵害する違法な権力行使である。
(四)  逮捕の必要性の消滅
本件逮捕当日である昭和六二年七月二二日午後六時三〇分ころには、昭次郎の身元の確認ができ、本件貼付場所における証拠の収集も終了していたから、昭次郎に逃亡のおそれも証拠破壊のおそれも全くないことが明らかになっていたのであり、留置を継続すべきではなかったのに、本件被疑事実に関する捜査の責任者であった山科署警察官辻信夫警備課長(以下「辻」という。)は、違法な留置を継続した。
4 損害の発生
(一)  昭次郎は、本件逮捕により、正当な政治活動を抑圧され、長時間留置され、逮捕の現場を多数の者に目撃され、逮捕の事実を報道されるなどしたことによって甚大な精神的、肉体的苦痛を被った。これを慰謝するためには、金三〇〇万円をもってするのが相当である。
(二)  昭次郎は、本訴を提起するに当たり、原告代理人らに対し、金三〇万円の着手金及び報酬を支払うことを約束した。
5 よって、昭次郎の相続人である原告らはそれぞれ被告に対し、昭次郎に対する違法な逮捕及び留置の継続行為による国家賠償請求権に基づき、金一六五万円及び右不法行為の後である昭和六二年一二月一三日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の(一)及び(二)の各事実は認める。
2 同2について
(一)  (一)の事実は認める。
(二)  (二)について
(1) (1)の事実は認める。ただし、本件第一現場は、川田道交差点の東方約八〇メートルの北側歩道上の地点である。
(2) (2)の事実は否認する。
(三)  (三)について
(1) (1)の事実は認める。なお、昭次郎は、丸山の職務質問に対し、脇をすり抜けて立ち去ろうとした。
(2) (2)の事実は認める。
(四)  (四)の事実は認める。
3 同3について
(一)  (一)の主張はいずれも争う。
(二)  (二)の主張は、新条例に「防護さく」が明示された点を認め、その余は争う。
(三)  (三)について
(1) (1)は否認ないし争う。
(2) (2)は、本件貼付行為が嶋田によって現認され、昭次郎自身も一応認めていたことは認め、その余は否認ないし争う。
(3) (3)は否認ないし争う。
(4) (4)は否認ないし争う。
(四)  (四)は否認ないし争う。
4 同4はいずれも否認ないし争う。
第三  証拠(省略)

 

 

理由

一  昭次郎及び原告らの身分関係等
請求原因1(一)及び(二)の各事実は当事者間に争いがない。
そして、承継前原告原田昭次郎本人尋問の結果(以下「昭次郎の供述」という。)によれば、昭次郎は、昭和一五年ころから京都市山科区御陵荒巻町五一番地二〇に居住し、同人宅の電話番号は五九一局六八七一番である。
二  本件逮捕の違法性
1  本件貼付場所の状況
成立に争いのない甲第一号証及び検甲第一ないし三号証、証人嶋田歩の証言(以下「嶋田証言」という。)により成立を認める乙第一号証及び弁論の全趣旨からその成立を認める同第三号証、同証言並びに昭次郎の供述によれば、本件貼付場所の状況は次のとおりと認められる。
京都市山科区北花山大林町五五番地先川田道交差点の東北角は、国道に平行して流れている幅員約一・一五メートルの水路があり、この水路と北側歩道及び川田道との間に歩行者転落防止のために、鉄製の本件防護柵が設置されている。本件防護柵は、高さ約一メートルで、縦に桟が並んだ形状である。本件掲示板は、本件防護柵の川田道に面する部分に針金で四角を堅固に固定され、設置されていた。右掲示板は、縦約六〇・五センチメートル、横約四五・六センチメートルのベニヤ板製で、当時、「赤旗写真ニュース」のポスターが貼付されていた。
なお、交差点付近は、民家、商店等で構成される市街地であり、国道南側に沿って、新幹線の高架橋がある。
2  本件逮捕に至る経緯
請求原因2のうち、(一)、(二)(1)(ただし、本件第一現場の位置を除く。)並びに(三)(1)及び(2)の事実は当事者間に争いがなく、右事実と、昭次郎の供述により成立を認める甲第二号証、前掲乙第一及び三号証、嶋田証言、証人丸山の証言(以下「丸山証言」という。)並びに昭次郎の供述によれば、以下の事実が認められ、右甲第二号証及び昭次郎の供述中右認定に反する部分は採用しない。
(一)  昭次郎は、昭和六二年七月二二日午後二時二〇分ころ、本件貼付場所において、本件掲示板に貼付されていた「赤旗写真ニュース」のポスターを外して、持参した本件ポスターを張り付けた。昭次郎は、このとき、東地区委員会から周辺地域の日本共産党掲示板に本件ポスター等を貼付するよう依頼され、「赤旗写真ニュース」と「平和のための戦争展」のポスター合計約三〇枚くらいを紙袋に入れて持っていた。
(二)  嶋田は、公用自動二輪車(以下「バイク」という。)で市道川田道を川田道交差点に向かって走行中、右交差点の約二五メートル北方から、昭次郎の本件貼付行為を現認した。嶋田は、右行為が旧条例に違反する疑いがあると判断し、山科署にその旨無線で報告したところ、山科署司令室から本件被疑事実の処理に当たるよう命じられた。そこで、嶋田は本件掲示板の前で、さらに本件ポスターが違反物件か否かを確認した。その時、花山派出所の責任者である丸山から無線で「現認が確かで禁止物件であることが確認できれば、男を確保せよ」との指示を受けた。昭次郎は、本件掲示板の約四六メートル東方北側歩道上を東に向ってゆっくり歩いていた。嶋田は、バイクで追跡し、昭次郎を追い越してからバイクを降り、川田道交差点の東方約八〇メートル付近の北側歩道上で、「御主人さん、ちょっと待ってください」といって、昭次郎を制止した。
(三)  嶋田は昭次郎に「先の国道一号線の川田道でポスターを貼ったのでしょう。」、「京都市屋外広告物条例違反になるから住所、氏名を教えてください」等と質問をした。これに対して、昭次郎は、「前に選挙用のポスターが貼ってあったところやから貼ったんや」と答えたが、住所、氏名については「なんで言わないかんのや」といって答えなかった。嶋田は、数回、住所、氏名を明らかにするよう求めた。すると、昭次郎は、嶋田に対し、「お前こそ名前を言うたらどうや」と反問した。嶋田は「嶋田です」と答えた。昭次郎は、相手が名前を名乗ったので、「わしははらだや」と答えた。嶋田は、さらに「はらだなんというんですか」と尋ねたが、昭次郎は「なんでそこまで言わないかんのや」といって、答えなかった。嶋田は、本件貼付行為が旧条例違反であることを告げて、氏名を明らかにするよう促したが、昭次郎は「言う必要はない」等と繰り返して、氏名を明らかにしなかった。
(四)  山科署からの指令で嶋田の応援に向った丸山は、同日午後二時二四分ころ、川田道交差点に到着し、嶋田に対して無線で現在位置と現在の状況の報告を求めた。嶋田は、「現在位置は現場から東へ七、八〇メートルくらい離れた北側の歩道上、現在人定中」等と報告した。その時、昭次郎は、無線交信中の嶋田に向かい、電話をかけに行くといって、嶋田が左手を前に出して制止したのを無視して、西の方に歩きだした。嶋田は、二、三歩昭次郎を追い掛けようとしたが、ちょうど、西から丸山がやってきたので、状況を報告するため停止した。
(五)  丸山は、北側歩道沿いにバイクで国道を東方に向い、嶋田と合流した。そして、嶋田から、左手に紙袋を持っている男がポスターを貼った男で、職務質問に対して原田としか答えず、無線中に電話をかけに行くといって立ち去った旨の報告を受け、本件第一現場の西方約五〇メートルの地点に昭次郎を発見し、直ちにバイクで北側歩道上を追跡した。丸山は、川田道交差点西側の地下道入り口で、バイクを降り、右地下道を通って南側歩道に出て足早に昭次郎を追い掛けた。そして、地下道入り口から約三五メートル東方の地点で、丸山は昭次郎に追い着いた。
(六)  丸山は昭次郎と並んで「ちょっと待ってください」と呼び止めたが、昭次郎は「なんや、電話かけにいくんや。もうひとりの巡査に言うたる」といって更に二、三歩、歩いた。そこで、丸山は、昭次郎の前に出て、再度「ちょっと待ってください」と呼び止めた。そして、昭次郎と向かいあい、「先程の巡査は電話をかけにいくのを許してない。あなたが勝手にそう思うだけでしょう。住所、氏名をいってください」といった。昭次郎は、「なんでいわんとあかんねん」などといって、答えず、丸山の脇を通って立ち去ろうとした。
丸山は、本件貼付行為が旧条例違反であることを説明したり、紙袋の中身について質問したりしながら、住所、氏名を明らかにするように求めたが、昭次郎は答えなかった。かえって、昭次郎は、丸山に「お前こそ名前はなんや」と問い返した。丸山は、「丸山です」と答えた。そのころ、嶋田が、丸山に合流した。さらに、丸山が昭次郎に、住所等を質問すると、やっと、「わしは、はらだや。御陵荒巻町のはらだしょうじろうや。電話は共産党の東地区委員会に聞けや。電話は五九一の七八五一や」と答えた。
そこで、丸山は、身分証明書など本人と証明できるようなものを持っていないか、自宅の電話番号も聞かせてくれるように尋ねた。昭次郎は、「そんなもん持ってへん。電話番号なんか言う必要がない」などと答えた。
そこへ、山科署の警邏用普通自動車(以下「パトカー」という。)が到着した。この間、丸山による職務質問の時間は約一五分であり、丸山、嶋田及び昭次郎は、丸山が昭次郎を制止した地点から一七、八メートル東の方へ移動していた。
(七)  丸山は昭次郎を逮捕する決断をし、同日午後二時四〇分ころ昭次郎に対して、「京都市屋外広告物条例違反の現行犯として逮捕する」といって、その右手を確保し、嶋田が昭次郎の左腕をとって身柄を確保し、同人を逮捕した。そして、同人は、前記パトカーで山科署に引致された。
3  右1、2の事実に基づき本件逮捕(現行犯逮捕)を違法とする事由について判断する。
(一)  犯罪の嫌疑の有無について
本件防護柵は、旧条例一三条一号、五条二項四号違反の犯罪構成要件(以下「本件犯罪構成要件」という。)にいう「その他これらに類するもの」に該当するものと解すべきである。その理由は、次のとおりである。
まず、旧条例五条二項四号にいう「その他これらに類するもの」との規定の仕方が刑罰法規として明確性を欠き憲法三一条に違反するかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読み取れるかどうかによってこれを決定すべきである(最高裁昭和五〇年九月一〇日大法廷判決刑集二九巻八号四八九頁)から、これを本件について検討する。
本件犯罪構成要件は、「郵便ポスト、公衆電話所、公衆便所」という公共用の物件を例示しており、右規定は公共用の物件に対する広告物の表示を防止して美観の保持を図る趣旨に出たものと解されるから、「その他これらに類するもの」とは、公共交通機関の停留所標識、交通指令塔、公共地下道の屋根や囲い、消火栓標識、歩道橋等広く公共用の物件をいうものと解される。そして、本件防護柵も右の公共物の物件というべきであるから、右条項に該当するものというべきである。
そして、旧条例の目的、例示物件に照らし、周囲の環境の保全及び当該公共用の物件の使用目的達成の見地から、通常の判断能力を有する一般人の理解において、本件防護柵につき本件貼付行為が禁止されることは十分認識され得るところであり、それ故旧条例五条二項四号の「その他これらに類するもの」との規定は、刑罰法規としての明確性を欠くものとはいえず、したがって、これが憲法三一条に違反するものとすることはできない。
以上のとおりであるから、本件貼付行為は、本件犯罪構成要件に該当し、本件逮捕が、犯罪の嫌疑を欠き、違法であるとする原告らの主張は理由がなく、失当というべきである。
なお、原告らは、本件貼付行為は、本件防護柵に直接貼付したものではなく、本件掲示板に貼付したものであるから、本件犯罪構成要件に該当しないとも主張するが、本件防護柵に固定された本件掲示板を利用して、本件ポスターを防護柵に貼付したものというべきであるから、右主張が失当なことは明らかである。
(二)  旧条例の合憲性
(1) 原則的許可制及び許可基準の不明確性に関する原告らの主張は、広告物の表示を禁止された物件に対する広告物の表示に関する本件被疑事実とは関係がなく、失当である。
(2) 旧条例の絶対的禁止範囲について
本件条例の保護法益は、単に芸術的評価に支えられた美観に尽きるものではなく、猥雑な環境を排除し、日常生活上の環境の良好な保持にあるというべきであるから、これと異なる保護法益を主張し、本件条例の規制範囲が広範囲で合理性を欠くとの原告らの主張は理由がなく、失当である。
(3) 適用違憲の主張について
原告らの主張は、要するに、川田道交差点付近の環境は雑然としているうえ、多数の商業広告物等が掲出されており、本件貼付行為によっていまさら猥雑な環境に変化を与えるようなものでなく、かかる場合には、政治的表現の自由が美観風致の維持という法益よりはるかに優越するというのである。しかし、右主張は、その前提とする環境変化に関する事実を認めるに足りる証拠はなく、その点で既に失当というべきである。また、法及び旧条例は、原告ら指摘の表現の自由と美観風致の維持との利益衡量を経て制定されたものと解されるから、原告ら主張の利益衡量を根拠に本件に適用するかぎりにおいて違憲であるとの主張は、失当というべきである。
(4) 以上の検討のとおりであるから、本件条例が違憲であるとは認められず、本件条例が違憲であることを前提に本件逮捕が違法であるとする原告らの主張は理由がなく、失当というべきである。
(三)  逮捕の必要性
(1) 現行犯逮捕の規定である刑事訴訟法二一二条及び二一三条は、逮捕の必要性を明示していないが、現行犯逮捕も人の身体の自由を拘束する強制処分であるから、その要件はできる限り厳格に解すべきであり、通常逮捕の場合と同様逮捕の必要性をその要件と解するのが相当である。もっとも現行犯の場合には、通常は逮捕者に犯人の身元が明らかでなく、直ちに逮捕しなければ犯人の所在が不明となり、同時にその所持する証拠物も所在不明となるおそれがあるから、逃亡又は罪証隠滅のおそれが通常推認されるが、明らかに逮捕の必要性がないと認められる場合には逮捕は許されないというべきである。
本件についてこれを見るに、前記認定事実によれば嶋田が、昭次郎の本件貼付行為を現認し、昭次郎を現行犯人と認めたものであるから、本件逮捕が法定の現行犯逮捕の要件を充足していることは明らかであり、逮捕の必要性という点からみても、前記認定の事実の下では、現行犯人の人定事項すら明らかになっていないのであるから、本件逮捕が逮捕の必要性を欠くとの原告らの主張の失当なことは明らかというべきである。
(2) 警告、制止を逮捕の要件とすべきであるとの主張について
事前の警告、制止を逮捕の要件とすることは憲法、刑事訴訟法の予定するところではなく、事前の警告や制止を欠いたことをもって違法といえないことは明らかである。
(3) 日本共産党弾圧目的の逮捕であるとの主張について
被告が旧条例に関する犯罪の捜査をするについて、日本共産党と他の政党その他の団体とを類型的に区別していることを認めるに足りる証拠はないから、本件逮捕が、日本共産党弾圧のためになされたものと認めることはできない。
(4) 右のとおりであるから、本件現行犯逮捕が逮捕の要件を欠き、又は逮捕権の濫用であるから本件逮捕が違法であるとの原告らの主張は採用できない。
(四)  以上の検討のとおり、本件逮捕行為は違法であったとは認められない。
三  本件留置継続の違法性
1  本件逮捕から検察官送致ないし釈放までの経緯
請求原因2(四)の事実は当事者間に争いがなく、右事実と、証人青井亮一及び辻信男の各証言によれば、次のとおりの事実が認められる。
(一)  昭次郎は、昭和六二年七月二二日午後二時五〇分ころ、山科署に引致され、同月二四日午前一一時ころ、検察庁に送致されるまで、同署に留置され、その後、同日午後三時五三分、同署において釈放された。
この間、同月二二日夕刻ころから午後八時過ぎころまで昭次郎の支援者四、五〇人が山科署前に集まり、シュプレヒコール等をして気勢を上げていた。また、翌二三日昼ころにも、支援者二、三〇人が同署前に集まっていた。
(二)  本件被疑事実の捜査体制
山科署副署長青井亮一警視(以下「青井」という。)は、昭和六二年七月二二日午後三時ころ、同署外勤管理官藤原警視から「管内の川田道交差点付近のガードレールにポスターほ貼った男を現行犯逮捕した」という報告を受け、本件被疑事実は、本来防犯課の担当であるが、当時防犯課員がほとんど出払っていたこと及び本件ポスターの内容等から組織的な応援が予想されたこと等から、事件処理を警備課の担当とすることに決め、同日午後三時三〇分ころ、警備課長である辻に捜査主任官として本件被疑事実の捜査に当たることを命令した。
辻は、事件の引継ぎを受けた際、嶋田及び外勤課第三課長竹田警部から事案の内容を聴取し、本件被疑事実が政治運動に関連して発生した事件であるから本部長指揮事件に該当すると判断し、同日午後三時四〇分過ぎころ、京都府警察本部に報告すると共に、捜査員の応援派遣を要請した。
右の経過で、本件被疑事実は、警備課が担当し、本部長指揮事件として、以後の捜査が行なわれることになった。京都府警察本部からは、約二〇名の捜査員(以下「捜査員」という)が派遣された。
なお、本部長指揮事件は、捜査主任官が具体的な捜査に当たるのであるが、その判断を署長又は副所長に報告して指揮を仰ぎ、署長又は副所長は警察署からの意見としてそれを京都府警察本部の指揮官に報告し、最終的には本部長の指揮に基づき捜査を行なう体制である。
(三)  その後の捜査の状況
辻は、捜査員に命じて、昭和六二年七月二二日午後四時三〇分ころから午後六時ころまで、本件貼付場所付近の実況見分及び本件ポスター及び本件掲示板の差押を実施した。
また、御陵荒巻町を管轄する警察官派出所に備付の案内簿を確認させたところ、同日午後四時三〇分ころ、原田昭次郎という氏名が記載されていることが判明した。
また、同日午後四時三〇分ころから午後六時三〇分ころまで及びその後の二回、御陵荒巻町において聞き込み捜査を実施したところ、第一回目の聞き込み捜査によって、「写真であるから断言はできないが、昭次郎によく似た人物が同町内に住んでいる」との聞き込みの結果を得た。第二回目の聞き込み捜査では、何らの情報も得られなかった。
なお、同日午後五時ころ、昭次郎と接見した弁護士らは、青井に対して昭次郎の身元を引き受ける旨を申し出て、釈放を求めたが、右弁護士らは専ら身元引受と釈放を求め、留置に抗議するのみで、昭次郎の住所、氏名、年齢等のいわゆる身元に関する事実、被疑事実の認否等については一切明らかにしなかった。
辻は、翌二三日午前中、山科区役所に捜査員を派遣し、住民票台帳を閲覧させたところ、御陵荒巻町五一番地二〇に原田昭次郎なる人物が居住している事実が判明したので同区役所に対し身上調査照会をし、同日正午ころ、同区役所からこれに対する回答を得て、同人の住所、生年月日、家族構成等が判明した。
辻は、これらと併行して本件ポスター等の印刷先の特定についても捜査を行ったが、判明しなかった。
(四)  昭次郎の取調べの状況
辻は、七月二二日午後四時二〇分ころから午後五時ころまで及び午後六時四〇分ころから午後七時四〇分ころまでの二回、また、翌二三日に三回、二四日に一回、昭次郎の取調べを試みたが、昭次郎は、本件被疑事実及びこれに関する事項、住所、氏名等人定事項一切について黙秘していた。
(五)  本件貼付行為に先立ち、昭和六二年一月三〇日午前一一時ころ、御陵三蔵町おいて、フェンスに設置されていた日本共産党の掲示板が、折からの風にあおられて、通行中の女性に当たりその顔面を負傷し、その女性が東地区委員会に抗議の電話をしたところ、右掲示板が持ち去られるという事案が発生した(以下「掲示板による傷害事案」という。)。山科署は、右女性の申告により、捜査をしたが、既に掲示板は持ち去られており、実行行為者が不明で、右事案についてはなお継続捜査扱いとなっている。
右事案については、同年二月の山科署における課長会議において刑事課長から職務執行上注意するように各課長に対して要請があった。
2  右事実及び前記二1、2認定の事実に基づき判断する。
(一)  現行犯逮捕をした場合、司法警察員は、被疑者の弁解を聴取したうえ、留置の必要がないと判断したときは直ちに身柄を釈放しなければなず、留置の必要があると認めたときは、四八時間以内に検察官に送致しなければならない(刑事訴訟法二一六条、二〇三条)。ここに留置の必要とは、身柄拘束を継続する必要性であり、逃亡又は罪証隠滅のおそれがあることである。そして、検察官送致までに四八時間の時間的猶予があるが、その期間内に身柄拘束の必要性が消滅すれば、身柄を釈放しなければならないことはいうまでもない。
留置の必要性の判断は、事案の軽重、証拠収集の状況、捜査に対する被疑者の対応等の具体的状況の下で、初動捜査段階における事件の流動性を踏まえ、客観的にされなければならないものというべきである。
(二)  前期認定事実によれば、昭次郎が職務質問の際に名乗っていた住所氏名は他人名詐称の疑いがあったから被疑者の人定事項を明らかにすることが必要であり、また、前記掲示板による傷害事案があったことから本件貼付行為の態様、規模、動機、組織性等を解明することが本件被疑事実の処分を決するために必要であったと考えられる。
ところで、本件貼付行為の外形的態様については、本件貼付場所付近の実況見分及び本件ポスター、掲示板等の差押により、昭和六二年七月二二日午後六時ころまでには明らかになっていた。また、被疑者の人定事項については、昭次郎は取調べに一切黙秘して協力しなかったのでこの点からは解明できず、案内簿による確認、聞き込み捜査による情報及び山科区役所に対する身上照会の回答により、他に他人名詐称を疑わせる事情もなかったことと相俟って、被疑者が原田昭次郎であること、その身上関係については右身上照会の回答のとおりであることが、七月二三日昼ころに判明したものと認められる。
しかしながら、本件貼付行為の動機、組織性については、印刷先を捜査するも判明せず、他に有力な手掛かりも得られず、被疑者が取調べに対して黙秘し、その協力も得られなかったことから、これが解明するに至っていなかったものと推認される。かかる状況に加えて、本件貼付行為が多数の掲示板に対するポスター貼付行為の一環としてなされ、多数の者が分担して各地域の掲示板に貼付しているものと疑われることや職務質問等に対する昭次郎の責任回避的態度に徴すれば、昭次郎を釈放すれば、かかる多数の者と通謀して、口裏をあわせる等罪証隠滅を図るおそれがないとはいえない。
したがって、本件被疑事実について、罪証隠滅のおそれが消滅していたとはいえず、留置の必要性に欠けるところはなかったものというべきである。
よって、本件留置を継続した主任捜査官である辻の行為は、違法であったとは認められない。
四  以上の検討のとおり、本件逮捕及び本件留置はいずれも違法と認めることはできないから、その余の判断をするまでもなく、原告らの主張は理由がないものというべきである。
五  結論
よって、原告らの主張はいずれも理由がなく、失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

 

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裁判年月日  平成元年 8月29日  裁判所名  福岡地裁小倉支部  裁判区分  判決
事件番号  昭61(ワ)267号
事件名  国家賠償請求事件 〔八幡署接見交通妨害損害賠償請求事件〕
裁判結果  一部認容  文献番号  1989WLJPCA08290011

要旨
◆被疑者に対する弁護人の接見申出について、警察職員に接見妨害の違法行為があつたと主張してなされた、当該職員に対する民法七〇九条に基づく損害賠償請求が棄却され、その職員の属する地方公共団体に対する国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求を一部認容した事例

裁判経過
控訴審 平成 6年 2月21日 福岡高裁 判決 平元(ネ)608号 接見交通妨害損害賠償請求事件

出典
判時 1343号78頁
判例地方自治 70号72頁

評釈
古崎慶長・判例地方自治 101号101頁

参照条文
刑事訴訟法39条1項
刑事訴訟法39条3項
国家賠償法1条
民法709条
裁判官
田中貞和 (タナカサダカズ) 第12期 現所属 依願退官
平成9年4月1日 ~ 依願退官
平成6年12月5日 ~ 平成9年3月31日 福岡高等裁判所
平成3年12月24日 ~ 平成6年12月4日 福岡地方裁判所久留米支部(支部長)、福岡家庭裁判所久留米支部(支部長)
平成1年7月17日 ~ 平成3年12月23日 福岡高等裁判所
~ 平成1年7月16日 福岡地方裁判所小倉支部、福岡家庭裁判所小倉支部

村岡泰行 (ムラオカヤスユキ) 第28期 現所属 定年退官
平成21年9月27日 ~ 定年退官
平成20年3月31日 ~ 平成21年9月27日 山口家庭裁判所(所長)
平成17年8月22日 ~ 平成20年3月30日 大阪家庭裁判所(部総括)
平成16年4月1日 ~ 平成17年8月21日 神戸地方裁判所(部総括)
平成12年4月1日 ~ 平成16年3月31日 徳島地方裁判所(部総括)、徳島家庭裁判所(部総括)
平成8年4月1日 ~ 平成12年3月31日 奈良家庭裁判所、奈良地方裁判所
平成4年4月1日 ~ 平成8年3月31日 神戸家庭裁判所伊丹支部、神戸地方裁判所伊丹支部
平成1年4月1日 ~ 平成4年3月31日 大阪地方裁判所
昭和60年4月1日 ~ 平成1年3月31日 福岡地方裁判所小倉支部、福岡家庭裁判所小倉支部
昭和59年4月1日 ~ 昭和60年3月31日 大阪地方裁判所
昭和57年9月10日 ~ 昭和59年3月31日 大阪家庭裁判所
昭和57年4月1日 ~ 昭和57年9月9日 大阪地方裁判所
昭和54年4月1日 ~ 昭和57年3月31日 宮崎地方裁判所、宮崎家庭裁判所
昭和51年4月9日 ~ 昭和54年3月31日 福岡地方裁判所

村田渉 (ムラタワタル) 第36期 現所属 東京高等裁判所(部総括)
平成29年3月12日 ~ 東京高等裁判所(部総括)
平成28年4月1日 ~ 仙台地方裁判所(所長)
平成23年7月1日 ~ 司法研修所教官
平成19年4月1日 ~ 平成23年7月20日 東京地方裁判所(部総括)
平成17年7月1日 ~ 平成19年3月31日 東京地方裁判所
平成13年3月26日 ~ 平成17年6月30日 司法研修所(教官)
平成10年4月1日 ~ 平成13年3月25日 東京地方裁判所
平成7年4月1日 ~ 平成10年3月31日 京都地方裁判所
平成4年4月1日 ~ 平成7年3月31日 大分地方裁判所、大分家庭裁判所
平成3年7月1日 ~ 平成4年3月31日 東京地方裁判所
平成1年4月1日 ~ 平成3年6月30日 事務総局刑事局付
~ 平成1年3月31日 福岡地方裁判所小倉支部、福岡家庭裁判所小倉支部

訴訟代理人
原告側訴訟代理人
吉野高幸,前野宗俊,高木健康,住田定夫,配川寿好,横光幸雄,江越和信,下東信三,荒牧啓一,安部千春,桑原善郎

被告側訴訟代理人
前田利明,森竹彦

Westlaw作成目次

主文
事実
第一 当事者の求める裁判
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告らは、いずれも福岡県弁護…
2 綾正博は、昭和六〇年一一月二…
3 原告ら両名は、綾正博の逮捕、…
4 原告ら両名が綾正博の「弁護人…
5 弁護人または弁護人となろうと…
6 刑事訴訟法三九条三項に基づき…
7 本件において、被告上田保ら八…
8 被告らの本件不法行為による原…
9 よって、原告ら両名は被告らに…
二 答弁
1 請求原因1、前段のうち原告ら…
2 請求原因2の前段は認める。
3 請求原因3、(ⅰ)、イ、ロの…
4 請求原因4は不知。
5 請求原因5ないし7は争う。
6 請求原因8は否認する。
7 本件の場合、一一月二四日、二…
8 弁護人または弁護人となろうと…
9 このように、どのような場合に…
10 本件の事実関係中、原告ら両名…
11 なお、被告上田保は、当時八幡…
第三 証拠《省略》
理由
一 原告ら両名が福岡県弁護士会小…
二 原告らは、原告田邊匡彦が二四…
三 そこで、以下判断するに、前記…
1 訴外綾正博(昭和一八年九月一…
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九 前記認定した事実によれば、原…
一〇 以上により、原告らの本訴請求…

裁判年月日  平成元年 8月29日  裁判所名  福岡地裁小倉支部  裁判区分  判決
事件番号  昭61(ワ)267号
事件名  国家賠償請求事件 〔八幡署接見交通妨害損害賠償請求事件〕
裁判結果  一部認容  文献番号  1989WLJPCA08290011

原告 田邊匡彦
原告 尾崎英弥
右原告両名訴訟代理人弁護士 吉野高幸
同 前野宗俊
同 高木健康
同 住田定夫
同 配川寿好
同 横光幸雄
同 江越和信
同 下東信三
同 荒牧啓一
同 安部千春
同 桑原善郎
被告 上田保
〈ほか一名〉
右被告両名訴訟代理人弁護士 前田利明
同 森竹彦
右被告福岡県指定代理人 井上公明
〈ほか一名〉

 

主文
被告福岡県は原告らに対し、各金一〇万円及びこれに対する昭和六〇年一一月二五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らの被告福岡県に対するその余の請求、及び被告上田保に対する請求をいずれも棄却する。
訴訟費用のうち、原告らと被告福岡県との間に生じたものはこれを五分し、その一を同被告の負担、その余を原告らの負担とし、原告らと被告上田保との間に生じたものは原告らの負担とする。

 

事実
第一  当事者の求める裁判
原告ら訴訟代理人らは、「被告らは原告らに対し、それぞれ各自金五〇万円及びこれに対する昭和六〇年一一月二五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行宣言を求め、
被告ら訴訟代理人らは、「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。
第二  当事者の主張
一  請求原因
1  原告らは、いずれも福岡県弁護士会小倉部会所属の弁護士であり、昭和六〇年二月二四日から二五日にかけて、訴外綾正博の屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反被疑事件につき同訴外人の弁護人、少なくとも弁護人となろうとする者であった。
被告上田保は、福岡県八幡警察署(以下「八幡署」という。)の警務課長、警部であり、同県警察所属の警察官であって、同署の刑事官、警視訴外髙巣久人と共に、右被疑事件の捜査及び被疑者逮捕、留置の職務を遂行していたものであり、被告福岡県は、同県警察所属警察官を職員として雇用する普通地方公共団体である。
2  綾正博は、昭和六〇年一一月二四日午前四時一〇分頃、共産党の演説会のポスターを貼っていたとして、屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反の容疑で八幡署員に現行犯逮捕され、同日午前四時三〇分頃八幡署に連行された。
綾正博は、同署に引致されたのち、弁解録取書を作成され午前五時頃身体検査等をされたうえ、午前五時三〇分頃留置場に収容されたが、弁解録取書作成前に「北九州第一法律事務所か国民救援会の弁護士」に弁護を依頼したい旨担当警察官に申し出た。
3  原告ら両名は、綾正博の逮捕、留置後、留置場所である八幡署に赴き、同人の弁護人或いは弁護人となろうとする者として接見の申入れをしたが、被告上田保及び訴外髙巣久人から拒否されたり、妨害されたりしたところ、その事実経過は次のとおりである。
(ⅰ) (一一月二四日の接見拒否と妨害)
イ 原告田邊匡彦は、同日午前六時三八分頃八幡署に赴き、弁護士であることを告げたうえ、綾正博の弁護人となろうとする者として、同人と接見したい旨申し入れ、午前六時四二分頃被告上田保と面談し、重ねて同被告に右申入れをした。
被告上田保は、同原告の名刺をもって留置場の綾正博のところに赴き、午前七時頃までに、同人が同原告を弁護人に選任する意思のあることを確認した。
しかるに、被告上田保と訴外髙巣久人は、午前七時五分頃原告田邊匡彦に対し、「捜査の必要上、今は被疑者と面会させられない。現在取調中かどうかもいえない。捜査の必要上ということだ。弁護人選任届を取るためであっても会わせられない。」といって、接見を拒否した。
その後、被告上田保は、髙巣久人と協議のうえ、午前七時一八分頃原告田邊匡彦に対し、「午後四時になったら接見させる。それまでは一切会わせるわけにはいかない。捜査中というのがその理由である。被疑者は屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反で、本日午前四時九分に現行犯逮捕した。それ以上のことはいえない。」といって、同日午後四時に接見させる旨接見日時の具体的な指定をした。
この間、被疑者である綾正博は、ずっと留置場におり、午前七時に起床し、朝食も午前七時三〇分頃までには終了していた。
ロ 原告尾崎英弥は、同日午前七時三〇分頃八幡署に赴き、弁護士であることを告げたうえ、綾正博の弁護人となろうとする者として、同人と接見したい旨申し入れた。
被告上田保は、同原告に応対後、同原告の名刺を受取って留置場の綾正博のところに赴き、原告田邊匡彦の名刺と一緒に示して、弁護人に選任するかどうか、どちらがよいかと尋ね、同人から「田邊弁護士になって貰いたい。若し田邊弁護士ができないのであれば、尾崎弁護士になって貰いたい。」旨返事されたが、同人としては、捜査段階で三人まで弁護人を選任できるのであれば、当然原告ら両名に依頼する意思であった。
その後、被告上田保は、髙巣久人と協議のうえ、午前七時四〇分過ぎ頃原告尾崎英弥に対し、原告田邊匡彦に対すると同様、同日午後四時に綾正博と接見させる旨接見日時の具体的な指定をした。
しかし、綾正博は、午前七時四〇分過ぎ頃から午前八時頃までの間留置場を出て、指紋採取、写真撮影を行い、また、午前九時頃から九時三〇分頃までと午前一〇時頃から一一時頃まで、及び午後一時頃から一時三〇分頃までの間、それぞれ取調べのため留置場を出ていたが、それ以外の時間は留置場にいた。
ハ 原告ら両名は、同日午前八時過ぎ頃八幡署をあとにし、北九州第一法律事務所で必要書類を作成したうえ、小倉簡易裁判所に準抗告の申立をして、右被告上田保の接見日時を午後四時と指定する処分を取り消し、同被告に同日午後一時から二時までの間、一五分間を下らない時間、原告ら両名を被疑者に接見させなければならない旨の決定を得、同決定に基づき、同日午後一時三〇分から一五分間綾正博に接見することができた。
綾正博は、原告らとの接見ののち、午後一時四五分過ぎ頃留置場に戻り、その後午後三時頃から午後四時頃まで取調べのため留置場を出たが、それ以外はずっと留置場にいた。
ニ 原告ら両名は、同日午後四時五〇分頃八幡署に赴き、綾正博の弁護人として同人との接見を申し入れた。
被告上田保は、髙巣久人と協議のうえ、「一度会わせたので、現時点では会わせるわけにはいかない。いつ会わせるかもいえない。会わせない理由は捜査の必要上ということだ。現在被疑者が取調べ中か留置場にいるかも答える必要はない。」といって、接見を拒否した。
綾正博は、この際も取調べ等受けておらず、留置場にいた。
ホ 原告田邊匡彦は、北九州第一法律事務所に戻り再び準抗告申立の準備をしていたが、八幡署内で待機していた原告尾崎英弥が午後七時頃、被告上田保から午後七時三〇分より接見させる旨接見日時の指定を受けた。
そして、その結果、原告尾崎英弥及び綾正博の弁護人となろうとする訴外中尾晴一弁護士の両名が、午後七時三〇分頃から同人と接見した。
(ⅱ) (一一月二五日の接見拒否と妨害)
イ 原告ら両名は、同日午前八時五〇分頃八幡署に赴き、綾正博の弁護人として同人との接見を申し入れた。
しかし、被告上田保は、髙巣久人と協議のうえ、午前九時二五分頃応対にあらわれ、「昨日接見させたから、今日は接見させない。今日は一日中会わせるわけにはいかない。」といって接見を拒否した。
この間、被疑者である綾正博は、留置場で午前七時頃起床し、午前八時頃から留置場を出て一一時過ぎ頃まで取調べを受けていた。
ロ 原告田邊匡彦は、福岡地方裁判所小倉支部に準抗告の申立をしたが、八幡署内で待機していた原告尾崎英弥が右決定の出る前の午前一一時頃、被告上田保より今から接見を認める旨連絡を受けた。
そして、その結果、原告尾崎英弥及び綾正博の弁護人となろうとする訴外横光幸雄弁護士の両名が、午前一一時一〇分頃から同人と接見した。
ハ 綾正博は、右接見後引き続き取調べを受け、午後零時に留置場に戻ったのち、午後一時三〇分頃留置場を出て、福岡地方検察庁小倉支部に身柄付で送検され、検察官の取調べを受けたうえ、同日午後四時頃身柄を釈放された。
4  原告ら両名が綾正博の「弁護人となろうとした者」或いは「弁護人」となった時期は、次のとおりである。
(ⅰ) 刑事訴訟法三九条の「弁護人となろうとする者」は、弁護士の場合、弁護人になろうとする意思があり、且つ選任権者から選任される可能性があれば足り、事前に選任または受任の確定的意思の存在することは必ずしも要求されない。
(ⅱ) 原告田邊匡彦は、もと北九州第一法律事務所に所属し、現に国民救援会に参加している弁護士であって、過去綾正博から法律相談を受けたこともあったところ、本件被疑事件につき同人の知人から依頼されて、前記のように一一月二四日午前六時三八分頃八幡署に赴き、弁護人となろうとする者である旨を告げ、接見の申入れをしたものであり、この段階で既に「弁護人となろうとする者」であった。
仮に、刑事訴訟法三九条の「弁護人となろうとする者」が、公訴提起前の場合、弁護人選任権を有する者から弁護の依頼を受けながら、未だ選任書の提出或いは口頭の届出がなされるに至っていない者を指すと解しても、本件の被疑者綾正博は、右時点までに「北九州第一法律事務所か国民救援会の弁護士を弁護人に選任したい」旨意思表示していたから、国民救援会に参加している原告田邊匡彦は「弁護人となろうとする者」になっていた。
なお、同日午前七時頃には、綾正博が被告上田保に対し、原告田邊匡彦を弁護人に選任する旨意思表示しており、右時刻に同原告が「弁護人となろうとする者」であったことは確実である。
(ⅲ) 原告田邊匡彦は、二四日午後一時四五分頃綾正博と接見した後、同人の弁護人になることにし、八幡署の管理係にその旨告げて弁護人選任届用紙を渡し、もって弁護人となったことを口頭で届出た。(その後、管理係は、右用紙を綾正博に渡して記入させたうえ、同原告に交付した。)
(ⅳ) 原告尾崎英弥が綾正博の「弁護人となろうとする者」になった時期は、二四日午前七時頃である。
原告尾崎英弥は、当時北九州第一法律事務所に所属し、且つ国民救援会北九州総支部長であったころ、右時刻頃国民救援会の河野洋子から、「北九州第一法律事務所か国民救援会の弁護士を弁護人に選任したい。」旨の綾正博の意思を伝えられ、弁護人になろうとする意思を持ったことにより「弁護人となろうとする者」となった。
なお、綾正博は、同日午前七時四〇分頃、留置場で被告上田保から原告ら両名の名刺を示された際、どちらかを選ばなければならないと考え、田邊弁護士になって貰いたい。若し田邊弁護士ができないのであれば、尾崎弁護士になって貰いたい。」旨述べたが、三人まで弁護人を選任できるのであれば原告ら両名に依頼する意思であったものであり、少なくとも予備的に原告尾崎英弥を弁護人に選任する意思を有していたから、同原告も「弁護人となろうとする者」であった。
5  弁護人または弁護人となろうとする者が、被疑者と自由に接見することは、憲法三四条前段及び刑事訴訟法三九条一項によって認められた重要な権利である。
弁護人または弁護人となろうとする者にとって、被疑者との接見は弁護活動の第一歩であり、しかもその核心部分にあたるものである。
身柄を拘束された被疑者は、外部との連絡を遮断されて、有形無形の圧力の下で精神的に極めて不安定な状態にあり、そのため捜査機関の甘言や誘惑に乗せられやすく、被疑者としての当然の権利すら知らないままに、虚偽の自白をさせられたりする。
身体を拘束された被疑者は、法律専門家である弁護人と立会人なく面接し、事件の内容、自己の主張、捜査の状況等を説明し、弁護人から適切な助言を受け得る状態にならなければ、黙秘権さえ十分に保障されたとはいえず、自己に有利な証拠の収集や捜査側の収集した不利な証拠に対する防禦の準備も行うことができない。
このように、特に捜査段階での被疑者との接見交通は、弁護人または弁護人となろうとする者にとって、弁護活動の最も重要な部分であるところ、憲法三四条前段で保障されている弁護人依頼権は、単なる形式的な弁護人選任権ではなく、実質的に有効な弁護活動を受ける権利を意味し、被疑者被告人と弁護人との自由な接見交通権を当然に含むものであって、接見交通権は憲法上の権利であり、また、接見交通権の保障は国際的な普遍的原理である。
6  刑事訴訟法三九条三項に基づき、捜査機関が接見の日時等を具体的に指定できるのは、現に被疑者を取調べ中であるとか、実況見分、検証等に立合わせる必要がある等、被疑者の身柄を利用する必要がある時で、捜査の中断による支障が顕著な場合に限られ、その場合でも、できる限り速やかな接見のための日時等を指定しなければならないものと解すべきである。
そして、捜査機関が右具体的指定権を行使する場合は、その手順として、弁護人らと協議をして右日時等を指定しなければならず、また、指定の内容も、接見の日時等の指定はあくまで例外的措置であるから、むしろ捜査の中断による支障が顕著な時間帯を指定し、その時間帯以外は接見させる、というような方法によるべきである。
なお、取調べ中であれば直ちに具体的指定権行使の要件が満たされるというわけではなく、取調べ予定や昼食その他の食事時間等も接見申出を拒否する理由にはならず、逮捕留置中の被疑者について、執務時間外であることを理由に接見交通権を制約することも何ら根拠がなく、憲法三四条前段及び刑事訴訟法三九条に違反するものである。
7  本件において、被告上田保ら八幡署の警察官は、綾正博の弁護人となろうとする者である原告ら両名の一一月二四日午前の接見申入れ(原告田邊匡彦午前六時三八分頃、原告尾崎英弥午前七時三〇分頃)に対し、「捜査中である。」との抽象的な理由で接見を拒否したり、午後四時を接見時刻に指定したりし、裁判所の決定により結果的に接見を認めたものの、その間六、七時間に亘って接見を妨害し、また、右同人の弁護人としての同原告らの同日午後四時五〇分及び翌二五日午前八時五〇分の接見申入れに対し、「一度会わせたから会わせない。」という理由で接見を拒否し、結果的にその後接見を認めたものの、前者の場合二時間四〇分後、後者の場合二時間二五分後のことであった。
右のような被告上田保らの接見妨害行為が憲法三四条前段、刑事訴訟法三九条一項に違反し、原告らに対する権利侵害であることは明らかであり、同被告は、民法七〇九条により職務を行うについての右不法行為に基づく損害賠償責任を負い、被告福岡県は、右相被告の不法行為につき国家賠償法一条による損害賠償責任がある。
8  被告らの本件不法行為による原告らの損害は、原告らごとにそれぞれ慰謝料五〇万円ずつである。
接見交通権は、憲法及び刑事訴訟法において保障された重要な権利であって、本件で被告らが一一月二四日、二五日の両日、三回に亘って原告らの接見を妨害した責任は重大であり、そのため原告ら両名は、弁護人となろうとする者としての職務を侵害されたうえ、弁護士としての良心を著しく傷つけられ、精神的苦痛を被った。
接見交通権の重要性、本件で接見が拒否された時間、被告上田保らの具体的行動等を総合して、原告らの精神的苦痛を慰謝すべき慰謝料の額は、各人につきそれぞれ五〇万円である。
9  よって、原告ら両名は被告らに対し、それぞれ各自五〇万円、及びこれに対する不法行為終了日である昭和六〇年一一月二五日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二  答弁
1  請求原因1、前段のうち原告らが福岡県弁護士会小倉部会所属の弁護士であることは認めるが、その余は不知。
2  請求原因2の前段は認める。
3  請求原因3、(ⅰ)、イ、ロのうち、原告田邊匡彦が一一月二四日午前六時四〇分頃接見の申入れをしたこと、原告尾崎英弥が同日午前七時四〇分頃原告田邊匡彦ほか一名と共に接見の申入れをしたことは認める。
当日、八幡署では、午前四時三〇分頃綾正博を同署に引致し、弁解録取書を作成後、早朝であったため、午前五時三〇分頃一旦留置場に収容して休息させたが、同人は、弁解録取時、住所氏名等を黙秘し、弁護人の選任については、第一法律事務所の弁護士に委任したい旨述べた。
その後、八幡署の前に多数の人々が参集し始め、午前六時四〇分頃黒崎合同法律事務所々属の原告田邊匡彦から接見の申出があったので、八幡署の警務課長被告上田保は、同原告と同行の北九州市議会議員訴外石田康高の両名を玄関内側に招き入れたうえ、「第一法律事務所ではない田邊弁護士を選任する意思があるかどうか、被疑者に問い合わせて来るから」と断って、留置場で綾正博の選任意思を確認ののち、「選任したいといっているので、まず、弁護人選任届の手続をしてくれ」といったところ、同原告は、「直ちに接見させよ。接見させなければ選任届の手続はとらない。」と強硬に主張した。
そこで、被告上田保は、捜査関係者と協議した結果、早朝の逮捕直後であって、被疑者をまだ留置場で休息させていたことや、休息終了後、直ちに指紋採取、写真撮影、取調べ等が予定され、中途で実況見分の必要も考えられたこと等を勘案したうえ、接見日時を午後四時と指定することに決し、午前七時二〇分頃原告田邊匡彦にその旨告知した。
右接見日時の指定に対し、同原告が「弁護人は何時でも接見できる。接見を拒否するのは違法だ。」といい張ったので、被告上田保は同原告との応対を打ち切り、午前七時三〇分頃自席に戻った。
同日午前七時四〇分頃、北九州第一法律事務所の原告尾崎英弥が原告田邊匡彦、訴外石田康高と共に、八幡署で被告上田保に綾正博との接見を申し入れた。
同被告は、原告らを含む右三名を玄関内側に待たせたうえ、留置場で休息中の綾正博に問い質し、同人が「弁護人は田邊弁護士に委任したい。同弁護士が弁護人をできないときは、尾崎弁護士に委任する。」といったので、そのまま原告らに伝えたところ、原告尾崎英弥が立腹し始め、「どんな聞き方をしたのか。どんな捜査をしたのか。署長に会わせろ。直ぐ接見させろ。」と大声で怒鳴り、午後四時に接見させるという同被告の説明に全く耳をかさず、遂には警察官に対し「馬鹿、違法だ」などと発言して、午前八時五分頃退去した。
以上に反する原告らの主張は否認する。
同ハのうち、原告らが小倉簡易裁判所の決定に基づき、綾正博に接見したことは認める。
同ニ、ホのうち、原告ら両名とほか一名の者が同日午後四時五〇分頃接見の申入れをしたことは認める。
被告上田保は、原告らが前に接見してから三時間位しか経過しておらず、捜査継続中であったので、原告らに暫く待ってくれと申し入れ、午後七時頃原告尾崎英弥らに「取調終了後の午後七時三〇分から接見させる。」旨連絡し、同原告ほか一名においてその頃綾正博と接見した。
右に反する原告らの主張は否認する。
請求原因3、(ⅱ)、イ、ロについては次のとおりである。
一一月二五日午前八時五〇分頃、原告田邊匡彦、同尾崎英弥ほか一名が八幡署を訪れ、被告上田保に面会を申し入れたので、同被告が取次の者に一寸待って貰うよう伝言させ、右原告ら三名は玄関内側で待っていた。
被告上田保は、朝の点検を終えて午前九時二〇分頃、原告田邊匡彦、同尾崎英弥らに面会したところ、同原告らから綾正博との接見の申入れを受けたので、「取調べ中なので暫く待って貰いたい。」と答えたのち、午前一一時頃接見をさせる旨通知し、原告尾崎英弥において、午前一一時一〇分頃から右同人と接見した。
同ハのうち、綾正博が同日午後送検され、午後四時頃釈放されたことは認める。
4  請求原因4は不知。
5  請求原因5ないし7は争う。
なお、本件では被告上田保個人に対する賠償請求もなされているが、公権力の行使にあたる公務員の職務上の行為について、公務員個人は責任を負わないとするのが、国家賠償法の確定した解釈である。
6  請求原因8は否認する。
7  本件の場合、一一月二四日、二五日の二日間に、原告田邊匡彦、同尾崎英弥、訴外横光幸雄、同江越和信、同中尾晴一、同荒牧啓一の合計六名の弁護士が七回に亘り、綾正博との接見を申し入れているものであるが、結局のところ、各弁護士らは、接見交通権に藉口して、八幡署に参集した抗議の人々に呼応し、警察への抗議活動を展開したものと推認される。
8  弁護人または弁護人となろうとする者と被疑者との接見交通については、時間的制約下にある捜査機関の捜査の必要性と弁護人の防禦の必要性が対立し、簡単な調和点を定めることも困難であり、そのことをふまえて刑事訴訟法三九条三項の接見日時等の指定の規定が設けられたと考えられるところ、捜査の密行性、流動性を考えれば、右指定は一次的に捜査官の合理的裁量に委ねられ、裁量の逸脱が不当と考えられるときには、準抗告手続によってその是正を計るというのが現行法の仕組である。
そして、右指定ができる場合の要件につき「現に被疑者を取調べ中であるとか、実況見分、検証等に立ち会わせる必要があるなど捜査の中断による支障が顕著な場合」という最高裁判所の判例があるが、取調中でなければ接見を認めないことが違法であるとの趣旨まで含むとは解されず、その「捜査の中断による支障が顕著な場合」の内容も今後の判例の集積を待って定まるというべく、現時点で必ずしも明確ではない。
一方、刑事訴訟法三九条三項所定の「捜査のため必要があるときは」の要件につき、捜査全般からみての必要性をいう、とする見解が少なくとも捜査機関側には有力であって、現在でも強力に主張されており、このようなことを考え合わせると、接見の申出があった場合、取調べ中でない限り必ず接見させねばならず、接見させなかったら直ちに違法との考え方は、短絡的に過ぎるというべきである。
9  このように、どのような場合に接見を認めなければ違法とされるかについて、確固たる定説がないときの捜査実務の評価にあたっては、ある事項に関する法律解釈につき異なる見解が対立し、実務上の取扱いも分かれていて、いずれにも相当の根拠が認められる場合に、公務員が一方の見解を正当とし、それに立脚して公務を執行したときは、のちにその執行が違法と判断されたからといって、直ちに右公務員に過失があったとすることはできない、との解釈が妥当する。
10  本件の事実関係中、原告ら両名が八幡署を訪れた時刻、被疑者綾正博と接見した時刻等、時の経過に関する部分は、原・被告ら双方の主張にあまり隔たりがない。
結局、原告らは、一一月二四日午前四時過ぎ頃の綾正博の逮捕から翌二五日午後一時三〇分頃の送検までの一日半たらずの間に、同人に合計三回接見しているところ、これは、八幡署の担当者が原告らの要望を受けいれたものであって、決して不当な接見妨害がなされたとはいえない。
11  なお、被告上田保は、当時八幡署の警務課長として、庁舎管理、留置場管理等を行う立場にあったが、綾正博の捜査には携わっていなかったものであり、庁舎管理の意味から原告らと応対したが、接見の許否については権限がなく、ただ単に接見申出のある都度、その権限を有する髙巣久人刑事官に取り次ぎ、同人の指示を原告らに伝えただけであって、右権限がない以上同被告に過失はない、というべきである。
第三  証拠《省略》

 

理由
一  原告ら両名が福岡県弁護士会小倉部会所属の弁護士であること、訴外綾正博が昭和六〇年一一月二四日午前四時一〇分頃、共産党の演説会のポスターを貼っていたとして、屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反の容疑で八幡署員に現行犯逮捕され、午前四時三〇分頃八幡署に連行されたこと、原告田邊匡彦が午前六時四〇分頃同署で担当者に綾正博との接見を申し入れたこと、原告尾崎英弥が午前七時四〇分頃原告田邊匡彦ほか一名と共に、同様に右接見の申入れをしたこと、原告ら両名が小倉簡易裁判所に準抗告の申立をし、同裁判所の決定に基づいて、午後一時三〇分から一五分間同署で綾正博と接見したこと、原告ら両名とほか一名が同日午後四時五〇分頃再度同署の担当者に綾正博との接見を申し入れたこと、原告ら両名とほか一名が翌二五日午前八時五〇分頃、同様に右接見の申入れをしたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
そして、《証拠省略》によれば、当時、被告上田保は、八幡署の警務課長、警部であって、同署員の人事、福利厚生、教養担当等と共に留置場の管理主任者であり、訴外髙巣久人は、同署の刑事官、警視であって、捜査全般の指揮と指導をする責任者であったことが認められ、また、被告福岡県が同県警察所属警察官を職員として雇用する普通地方公共団体であることは、被告らにおいて明らかに争わない。
二  原告らは、原告田邊匡彦が二四日午前六時四〇分頃、原告尾崎英弥が午前七時四〇分頃、それぞれ最初の接見申入れをした時点で綾正博の弁護人となろうとする者であり、同日午後一時四五分頃同人と接見後、同人の弁護人であったこと、原告ら両名の右二四日午前の接見申入れにつき、被告上田保ら八幡署の警察官が当初接見を拒否したのち、午後四時に接見させる旨接見の日時を指定し、原告らの準抗告の申立による裁判所の決定に基づき、午後一時三〇分頃接見させたものの、その間六、七時間に亘って接見を遷延させたこと、原告ら両名が同日午後四時五〇分頃と翌二五日午前八時五〇分頃接見の申入れをしたのに対し、被告上田保ら八幡署の警察官が「一度会わせたから会わせない。」という理由で接見を拒否し、それぞれ結果的にその後接見を認めたが、前者の場合二時間四〇分後、後者の場合二時間二五分後であったことを主張して、以上二四日午前六時四〇分頃ないし午前七時四〇分頃と午後四時頃、及び二五日午前八時五〇分頃の三回、原告ら両名と被疑者である綾正博との接見交通が妨害された旨主張し、
被告らは、原告らの二四日午前六時四〇分頃ないし午前七時四〇分頃の接見申入れにつき、被疑者綾正博が逮捕直後であって、午前七時前留置場での起床、午前七時から朝食、その後取調べ等予定されていたので、八幡署の担当者が接見日時を午後四時に指定したことに十分時間的合理性があり、また、同日午後五時直前の接見申入れについては、夕食後取調べ予定があったため、取調べ終了後午後七時三〇分頃から接見を認め、二五日午前九時過ぎ頃の接見申入れについても、既に取調べ中であったので、取調べ終了後午前一一時一〇分頃から接見を認めたものであって、不当な接見妨害はなかった旨右原告らの主張を抗争する。
三  そこで、以下判断するに、前記当事者間に争いがない事実、《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。
1  訴外綾正博(昭和一八年九月一五日生、新日本製鉄従業員)は、昭和六〇年一一月二四日午前四時頃訴外小河某と待ち合わせて、北九州市八幡東区桃園一丁目新日本製鉄桃園社宅附近で共産党の演説会のポスターを貼っているうち、午前四時一〇分頃乗用車とワゴン車各一台に分乗した七名位の私服警察官によって、屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反の容疑で現行犯逮捕され、午前四時三〇分頃同区大谷の八幡署(現在八幡東警察署)に連行されたこと、
綾正博は、八幡署に連行されたのち、直ちに取調べ室で二人の警察官から第一回目の取調べを受けたが、被疑事実は勿論、住所、氏名等についても黙秘し、午前五時半頃には留置場に収容されたところ、右取調べが始まる前、何回か警察官に弁護士を依頼したい旨申し出、「分かった、連絡する。」「誰がいいか。」といわれ、国民救援会か第一法律事務所の弁護士を呼んでくれ、といっていたこと、
綾正博は、午前七時頃留置場で起床し、朝食後、指紋採取、写真撮影等ののち、一旦留置場に戻され、同日午前中午前九時頃から三〇分程度二回目の取調べ、午前一〇時頃から一時間程度三回目の取調べ、昼食をはさんで午後一時頃から四回目の取調べを受け、黙秘しているため質問応答のない時間も多かったが、取調べ以外の時間帯は留置場に戻されていたこと、なお、同人の取調べは、同署の警備課が担当したこと、
綾正博は、右二回目の取調べのとき、警察官に弁護士と接見させるよう要求したが、弁護士が署名をしないから選任手続ができないでいる、という趣旨の返答をされ、午後一時頃からの四回目の取調べのときにも、再度、弁護士と接見させよという話をし、警察側から、弁護士と会わせるのは午後四時頃になる、という応答をされたこと、
2  一一月二四日は日曜日であり、八幡署も休日勤務態勢であったが、共産党のビラ貼り行為を現行犯逮捕した関係で、同署に対する集団抗議行動が予想されたため、綾正博の連行後間もなく、刑事官髙巣久人、警務課長被告上田保らの幹部職員及び所謂行政室勤務の二〇名位の警察官が非常招集され、髙巣久人、被告上田保らも午前六時頃同署に出勤したこと、
被告上田保は、出勤後当直員から被疑事案の概要を聞くと共に、髙巣久人刑事官、平塚防犯課長と協議のうえ、予想される集団抗議行動に備え、同署の敷地の境界にロープを張り、玄関の内外に各二、三名の警察官を立番にたたせ、且つ弁護士の来訪に対しては右三者で対応する方針等を取り決めたこと、
また、髙巣久人刑事官は、当日招集した警察官を集めて、被疑者が氏名等を含め完全黙秘しているので、早く人定事項を知るため指紋採取と写真撮影をし、引き続き被疑者の取調べを行い、共犯者がいるようであるから共犯者の捜査をし、現場の実況見分を行う等、捜査事項の指示をしたこと、
3  原告田邊匡彦は、もと北九州第一法律事務所に所属していたが、本件当時、黒崎合同法律事務所々属の弁護士であり、原告尾崎英弥は当時北九州第一法律事務所々属の弁護士で、国民救援会北九州総支部長であったところ、原告田邊匡彦は、右二四日午前五時過ぎ頃共産党製鉄(新日本製鉄)委員会関係者からの電話連絡で同市八幡東区の革新会館に呼び出され、かねて面識のある綾正博がポスターを貼ろうとして逮捕され、八幡署に連行されている旨聞かされたこと、
原告田邊匡彦は、右革新会館に一時間程度いたのち、北九州市議会議員の訴外石田康高ほか二、三名の者と共に乗用車で八幡署に向かい、午前六時四〇分頃同署玄関前で立番中の警察官に、弁護士であることを告げたうえ「今朝四時一〇分頃、桃園でポスターを貼っていたという容疑で捕まった男がいる筈だ、その男に面会をしたい。」旨申し入れたこと、
被告上田保は、立番の警察官から連絡を受けて、平塚防犯課長と共に玄関先に出向き、原告田邊匡彦から、被疑者の弁護人となろうとする者として来署している、面会をお願いする旨接見の申出を受け、黒崎合同法律事務所名の入った同弁護士の名刺を受取ったこと、
被告上田保は、一旦署内に戻って、被疑者綾正博(但し、氏名等も黙秘している。)が第一法律事務所の弁護士を頼みたい意向であるのと、早朝のためまだ同署からの電話が通じないでいるのを確かめ、玄関先に引き返して、原告田邊匡彦にその旨伝えたのち、被疑者が弁護士を頼みたいといっているので、第一法律事務所ではない同原告を頼む意思があるかどうか尋ねてみると断ったうえ、署内に戻り、その後同原告らも署内に招き入れられ、カウンター前の長椅子附近で待機したこと、
4  被告上田保は、留置場で綾正博に原告田邊匡彦の名刺を示して選任意思の有無を尋ね、同人が「この人はよく知っておりますのでお願いします。」というのを聞き、待機中の同原告らの許に引き返して、被疑者が弁護人にお願いするといっている旨を告げ、まず弁護人選任届の手続をして下さい、というように要請したところ、この時が午前七時五分頃であったこと、
原告田邊匡彦は、右弁護人選任手続の要請につき、まず被疑者と接見させよ、弁護人選任届を取るためにこそ接見を求めている旨反論し、「弁護人になるのであれば手続をして下さい。」「弁護人選任届を取るためであっても接見は認められない。」という被告上田保らと押し問答の末、「じゃ弁護人選任届を今すぐ手続をして出せば接見させてくれるのか。」と問いただしたが、「いやそれも接見させません。」と接見を拒否されたこと、
そして、原告田邊匡彦が「弁護人となろうとする者」として何時でも接見できる筈であるとして、接見拒否の理由を種々追及したのに対し、被告上田保や平塚防犯課長らは、「捜査の必要上から会わせないんです。」「今現に取調べ中なのか、どうなのか、そんなことはいう必要がない。」などという応答に終始し、それ以上の説明をしなかったこと、
もっとも、その頃、髙巣久人刑事官、被告上田保らは、協議のうえ、被疑者が住所、氏名等を黙秘していて、早急に人定捜査の必要があることや、指紋採取、写真撮影、取調べ、共犯者の追及等の捜査予定、その他諸々の事情を検討して、右同原告申出の接見の日時を同日午後四時に指定することに決し、午前七時二〇分頃被告上田保と平塚防犯課長が同原告に対し、「午後四時になったら接見させる。それまでは一切会わせるわけにはいかない。」旨接見日時の指定を告げたこと、
原告田邊匡彦は、右午後四時の接見日時の指定につき、更に、「無茶をいうな。弁護士は直ぐに会えることができるんだ。直ぐ会わせなさい。」などと追及したが、被告上田保らから繰り返し「午後四時までは会わせない。捜査中というのがその理由である。被疑者は本日午前四時九分に現行犯逮捕した。それ以上のことはいえない。」旨応答され、そのうち同被告は、同原告との応対を打ち切って、自席に戻ったこと、
5  原告尾崎英弥は、右二四日午前七時頃、前記被告上田保の発言で綾正博が第一法律事務所の弁護士を名指していることを知った、国民救援会の訴外河野洋子からの電話で、被逮捕者の面会に来て欲しい旨依頼され、タクシーで八幡署に赴き、午前七時四〇分頃玄関前で立番中の警察官に名刺を差し出して、今朝四時頃共産党のポスター貼りで逮捕された人に接見したい旨申し入れ、その後署内に招き入れられ、居合せた原告田邊匡彦らと合流したこと、
被告上田保は、原告尾崎英弥の接見申入れを取り次がれ、玄関の方に出て同原告の名刺を受け取ると、直ちに留置場の綾正博に原告田邊匡彦の名刺と共に示して、「知っているかどうか」、「どちらがよいか」などと尋ね、「田邊弁護士をよく知っているので、田邊弁護士になって貰いたい。」「もし田邊弁護士ができないのであれば尾崎弁護士に」との同人の返答を聞いたのち、原告尾崎英弥に右同人の返答をそのまま伝えたこと、なお、綾正博は、複数の弁護人を依頼できるのであれば、当然原告ら両名を依頼する意思であったこと、
原告尾崎英弥は、右同被告の説明を聞いて、被疑者が第一法律事務所の弁護士を名指しているというのに、おかしいではないか、また、捜査段階で三人の弁護人を委任できるのに、原告らのうちいずれを頼むかというような聞き方をしたのではないか、などと語気強く反論し、更に、当時応対していた同被告及び髙巣久人刑事官、平塚防犯課長らに対し、原告田邊匡彦と共に、被疑者との接見を認めるよう繰り返し要求したこと、
被告上田保らは、右原告らの接見の要求に対し、「捜査中だから会わせられない。」「午後四時までは会わせられない。」「取調べ中かどうかはいう必要はない。」「取調べ中以外は会わせるべきだ、という原告らの主張は見解の相違だ。」「弁護人選任届を取るためであっても、警察の方で被疑者に取り次ぐので、接見の必要はないじゃないですか。」などといって、接見を認めようとしなかったこと、
なお、右交渉の過程で、原告ら両名は、八幡署の原告らの接見の申入れに対する対応が違法であると主張し、また、原告尾崎英弥が被告上田保らに対し、「馬鹿じゃないかな」と発言する場面もあったこと、
6  原告ら両名は、被告上田保ら八幡署との交渉を諦めて、午前八時過ぎ頃同署を退出し、裁判所に準抗告の申立をすべく、その準備のため裁判所近くの小倉北区内北九州第一法律事務所に向かったところ、当時同署の前には、一五、六名ないし二~三〇名の抗議の人々が集まり、ニュースカーも来ていたが、原告らが同署を退出した午前八時過ぎ頃から、ラウドスピーカーで同署に向け「警察は早朝から善良な市民を不当逮捕した。」「八幡署は被逮捕者を速やかに釈放せよ。」「税金どろぼう」「被逮捕者は完全黙秘で頑張れ。」などと放送し始め集団抗議の人々もシュプレヒコールを行ったこと、
右集団抗議の人々は、その後も増加し、最も多い時で五~六〇名ないしそれ以上になり、また、右ニュースカーも、八幡署表裏の周辺公道上から同署に向け右のような抗議の放送を繰り返していたが、後記のように原告尾崎英弥らが午後七時三〇分頃より綾正博と接見した経過の説明を受けたのち、同署前から退去したこと、
7  原告ら両名は、北九州第一法律事務所で連名の準抗告申立書を作成し、同原告田邊匡彦の陳述書を添付して、同日午前一〇時頃裁判所の当直に提出し、午後零時三〇分頃小倉簡易裁判所から、八幡署の接見日時を午後四時とする指定処分の取消と、午後一時から二時までの間に一五分を下らない時間、同原告らを被疑者に接見させよ、とする別紙記載(主文)の決定を得たこと、
なお、この間午前九時四五分頃、黒崎合同法律事務所の訴外横光幸雄弁護士が八幡署に赴き、綾正博との接見を申し入れたが、八幡署では同弁護士に対しても、同様に、午後四時から接見させる旨、接見日時の指定をしたこと、
八幡署は、午後一時前後頃裁判所から右準抗告に対する決定書の送達を受け、髙巣久人刑事官、被告上田保らにおいて、同決定に従い、決定の指示する時間に接見をさせることにし、当時午後一時頃から綾正博の取調べを行っていたが、途中取調べを中断させて、午後一時三〇分頃から一五分間に限り原告ら両名と綾正博を接見させたこと、
原告ら両名は、右接見の際、綾正博が住所、氏名等を黙秘していることを確認したほか、原告らが接見申入れをしていた時間帯の取調べ状況等を聞き出した程度であったが、接見後いずれも同人の弁護人となることにし、後刻八幡署の担当者を通じて、弁護人選任届に同人の署名等をして貰い、これを受け取ったこと、
綾正博は、右接見後留置場に戻され、その後午後三時頃から一時間程度取調べを受け、この際は被疑事実についてよりも、雑談めいた問答が多かったが、同日その後取調べ等なかったこと、
8  原告ら両名と京築法律事務所の訴外中尾晴一弁護士は、同日午後四時五〇分頃八幡署に赴き、被告上田保らに対し再度綾正博との接見を申し入れたこと、
被告上田保は、「さっき会ったばかりじゃないですか。」「一寸待って下さい。」「警察の立場も考えて下さいよ。」「あなた達も法律家なら、警察に制限時間があるのは知っておるでしょう。」「今日はもう一回会わせたので、会わせられない。」などといって接見を認めようとせず、原告らの追及に対し、「捜査中だからとにかく会わせられない。」「取調べ中かどうかいう必要はない。」など午前中と同様の返答をし、あとでは応対を打ち切って自席に戻ったこと、
この押し問答の際、八幡署の山本管理係長が原告らに対し、「四八時間以内に一回会わせればいいんだ。」「会わせるかどうかについては署長の権限で、あんた方にどうこういわれる筋合いはないんだ。」などと大声で発言する場面もあったこと、
原告らは、午後五時一〇~二〇分頃再び準抗告の申立をすることにし、そのため原告田邊匡彦が一人で八幡署を出て北九州第一法律事務所に向かい、原告尾崎英弥と中尾晴一弁護士が同署に残って、署内の電話で何回も原告田邊匡彦と連絡をとりつつ、同原告の裁判所への申立と裁判所の決定を待ったこと、
その後、被告上田保は、髙巣久人刑事官の指示に基づき、午後七時頃待機中の原告尾崎英弥と中尾晴一弁護士の処に赴き、特に理由を述べずに、午後七時三〇分から接見を認める旨通告し、同原告と中尾晴一弁護士において、まだ準抗告申立の書類を裁判所へ提出前であった原告田邊匡彦に右申立の差止めを電話連絡したうえ、午後七時三〇分頃から一〇~一五分間程度綾正博と接見したこと、
原告ら両名と中尾晴一弁護士が右接見申入れをした当時、綾正博は留置場にいて取調べ等受けていなかったところ、髙巣久人刑事官は、被告上田保から右原告らの接見申入れを連絡された時も、同被告をして午後七時三〇分から接見を認める旨告げさせた時も、綾正博の具体的な取調べ状況の確認等しておらず、また、原告尾崎英弥らは、この接見の際は右同人に主として被疑事件の内容、現行犯逮捕時の状況等を尋ねたこと、
9  翌一一月二五日、綾正博は、留置場で午前七時頃起床し、午前八時三〇分頃から取調べを受け、途中同人の氏名等が判明したことを告げられたが、後記午前一一時一〇分頃から二〇分程度原告尾崎英弥らとの接見を挾んで、正午近くまで取調べが続いたのち、留置場で昼食をとり、午後福岡地方検察庁小倉支部に身柄付で送検されたこと、
原告ら両名は、北九州第一法律事務所の訴外荒牧啓一弁護士と共に、同日午前八時五〇分頃八幡署に赴いて、前日に続き、綾正博との接見を申し入れたこと、
右二四日も、八幡署の前には、二~三〇名ないし五~六〇名の抗議の人々が集まり、ニュースカーも来て、午前九時前後頃から前日同様、警察に対する抗議の放送やシュプレヒコールを行っており、また、原告らのほか、北九州第一法律事務所の訴外江越和信弁護士も接見申入れに加わるべく駆け付けたが、署内に入ることができず、引き返したこと、
被告上田保は、同日午前八時頃出勤し、午前八時半頃から当日出勤者に対する点検、指示、訓示等の日常業務に従事中、右原告らの接見申入れを取り次がれ、髙巣久人刑事官と連絡のうえ右点検等終了後の午前九時過ぎ頃から応対に出て、「あなた達は今日も面会ですか。」「昨日二回会っておりますが、今日また会われるんですか。」と述べ、何回でも会わせなければならないと主張する原告らに対し、「警察の立場も考えて下さいよ、調べもしているし、それに送致もせにゃいかんでしょう、今日昼頃には送りますよ、いつ捜査したらいいんですか。」などといって、接見を認めようとしなかったこと、
原告らは、やむを得ず三度準抗告の申立をすることにし、前夜と同様、原告田邊匡彦が北九州第一法律事務所に戻って申立の準備をし、荒牧啓一弁護士もその後所用で帰ったため、原告尾崎英弥が八幡署に残ったところ、被告上田保は、午前一一時頃になって、髙巣久人刑事官の指示に基づき原告尾崎英弥に対し、前夜同様特に理由を述べることなく、午前一一時一〇分から接見を認める旨告げたこと、
原告尾崎英弥は、当時既に準抗告の申立をし、担当裁判官に事情説明等をしていた原告田邊匡彦に、接見が認められることを電話連絡のうえ、午前一〇時頃から来合わせていた前記横光幸雄弁護士と共に、午前一一時一〇分頃から二〇分間程度綾正博と接見し、この際は、同人の質問に答える形で、主として送検後の手続等の説明をしたこと、
原告ら両名と荒牧啓一弁護士が右接見申入れをした当時、綾正博は取調べ中であったが、髙巣久人刑事官は、被告上田保から右原告らの接見申入れを連絡された時も、同被告をして午前一一時一〇分から接見を認める旨告げさせた時も、当然取調べ中であろうとの考えのもとに、具体的な取調べ状況の確認等しておらず、被告上田保も午前一一時一〇分頃、担当者に取調べの中断を指示して、右接見を行わしめたこと、
10  綾正博は、同日午後二時前頃福岡地方検察庁小倉支部に身柄付で送検され、午後二時半頃から検察官の取調べを受けたのち、午後四時前頃身柄を釈放されたこと、なお、同人の本件被疑事件は、その後不起訴処分になったこと、
以上の各事実が認められる。
四  刑事訴訟法三九条一項所定の身柄の拘束されている被疑者に接見交通権が認められる「弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人となろうとする者」とは、同法三〇条一、二項所定の被疑者本人、被疑者の法定代理人、保佐人、配偶者、その他弁護人選任権を有する者から当該被疑事件について弁護の依頼を受け、受任の意思を有しながら、未だ選任手続としての弁護人選任届書の作成、或いはその捜査機関への提出、若しくは口頭による届出等を行っていない者をいうと解せられる。
しかるところ、前記当事者に争いがない事実、及び右認定した事実によれば、綾正博は、屋外広告物条例違反等の容疑で現行犯逮捕され、八幡署に連行されたのち、同署の警察官に国民救援会か第一法律事務所の弁護士に弁護人を依頼したい旨申し出ており、原告田邊匡彦は、当時第一法律事務所には属していなかったが、綾正博の支援者らの依頼で、一一月二四日午前六時四〇分頃同署に駆けつけ、黒崎合同法律事務所名入りの名刺を出して同人との接見を求めた際、同人が留置場で右名刺を示して意思確認をした被告上田保に対し、同原告をよく知っているので弁護人に頼みたい旨意思表示をしているから、その時点以降同人の依頼により同人の弁護人となろうとする者であった、と認められる。
また、原告尾崎英弥は、当時北九州第一法律事務所々属の弁護士であったから、国民救援会の河野洋子からの連絡で、綾正博が第一法律事務所の弁護士を頼みたい意思である旨知らされ、同人との接見に赴いた時点以降、同人の依頼を受けて、本件被疑事件につきその弁護人となろうとする者であり、被告上田保が留置場で同人に同原告に対する弁護人依頼意思の確認をしたのちも、右弁護人となろうとする者としての地位に変更はなかった、と解するのが相当である。
五  刑事訴訟法三九条一項は、身体の拘束を受けている被告人または被疑者が弁護人または弁護人となろうとする者と立会人なくして接見することができる旨規定し、三項で捜査機関が捜査のため必要があるときは、公訴提起前に限り、右接見に関し日時、場所、及び時間を指定することができる、但し、被疑者の防禦の準備をする権利を不当に制限してはならない旨、接見交通権と捜査の必要性との調整を図っているところ、右法条は、憲法三四条の抑留、拘禁に対する保障の趣旨を受けた規定であって、捜査機関が弁護人または弁護人となろうとする者から被疑者との接見の申出を受けたときは、原則として何時でも接見の機会を与えなければならないのであり、現に被疑者を取調べ中であるとか、実況見分、検証等に立ち会わせる必要がある等捜査の中断による支障が顕著な場合には、右弁護人等と協議してできる限り速やかな接見のための日時等を指定し、被疑者が防禦のため弁護人等と打ち合せることのできるような措置をとるべきである、と解される。(最判昭和五三年七月一〇日民集三二巻五号八二〇頁参照)
1  これを本件についてみると、まず、一一月二四日午前六時四〇分頃から七時頃にかけて、原告田邊匡彦が被疑者綾正博の弁護人となろうとする者として、同人との接見を申し入れたのに対し、警務課長の被告上田保や平塚防犯課長らが弁護人選任手続の先行を要求し、且つその選任手続のためであっても接見を認めず、仮に選任届を提出しても接見を認めるわけではないとして、同原告の申入れを拒否したのは、刑事訴訟法三九条一項に定める被拘束者との接見交通権を理由なく否定するものであって、違法であるといわざるを得ない。
次いで、髙巣久人刑事官と被告上田保らが協議のうえ、午前七時二〇分頃同原告に対し、また、午前七時四〇分頃同様に接見の申入れを原告尾崎英弥に対し、いずれも「午後四時になったら接見させる。それまでは一切会わせない。」旨接見日時を指定した点について、同人らは、被疑者綾正博が住所、氏名等まで黙秘していて、人定捜査が急がれたのと、指紋採取、写真撮影、取調べ、共犯者の追及等の捜査予定、その他諸事情を検討して、右接見日時の指定をした、というのである。
しかし、人定捜査が急がれ、指紋採取、写真撮影等が予定されていたからといって、その前後に弁護人となろうとする者との接見を認める時間的余裕がなかったとは考えられず、取調べの予定、或いは被告ら主張の実況見分等が必要となったとしても(但し実際には行われていない。)、右指定の午後四時まで接見を認め得ない時間的制約ないしその他特別な事情があったことを認めるべき証拠は存しない。
なお、当時、被疑者綾正博は留置場にいて、午前七時頃起床し、その後朝食等留置場の規則に従った処遇を受けていたが、その間接見を認めるのが難しい事情がある場合には、被告上田保ら担当者において、原告らにそのことを説明したうえ、接見できる時間帯を協議して定めれば済むことであると考えられる。
従って、髙巣久人刑事官、被告上田保らが午後四時に接見させる旨接見日時を指定した処分は、刑事訴訟法三九条三項所定の指定要件を欠くものであって、違法であると解すべく、右指定処分は原告らの準抗告申立による裁判所の決定により取消され、同決定に基づき午後一時三〇分頃から一五分間原告らと綾正博との接見が実現するに至っているけれども、それまでの間接見交通が妨害されたものというべきである。
2  次に、同日午後四時五〇分頃、原告ら両名が訴外中尾晴一弁護士と共に再度綾正博との接見を申し入れたのに対し、被告上田保は、「さっき会ったばかりじゃないですか。」「今日はもう一回会わせたので会わせられない。」などといって、当初、事実上申入れを拒否し、午後七時頃になって髙巣久人刑事官の指示に基づき、午後七時三〇分から接見を認める旨接見日時の指定を通告し、現実にその頃から一〇~一五分間程度、原告尾崎英弥と中尾晴一弁護士を右同人に接見させている。
しかし、この時、綾正博は、留置場にいて取調べ等を受けていなかったものであり、髙巣久人刑事官は、同人の具体的な取調べ状況を確認しないまま、午後七時頃まで接見の日時を指定しなかったものであって、右原告らの接見申入れに対する同刑事官及び被告上田保らの措置は、刑事訴訟法三九条一項違反の接見拒否か、同条三項所定の指定要件を欠く処分であって、違法であると解せられる。
3  次に、翌一一月二五日午前八時五〇分頃、原告ら両名が訴外荒牧啓一弁護士と共に綾正博との接見を申し入れたのに対し、被告上田保は、「昨日二回会っておりますが、今日もまた会われるんですか。」「警察の立場も考えて下さいよ。」などといって、当初、接見を認めない態度をとり、午前一一時頃になって髙巣久人刑事官の指示に基づき、午前一一時一〇分から接見を認める旨接見日時の指定を通告し、現実にその頃から二〇分間程度原告尾崎英弥と横光幸雄弁護士を右同人に接見させている。
しかして、この時、綾正博は、実際に取調べを受けていたから、髙巣久人刑事官ら捜査官としては、刑事訴訟法三九条三項に則り、右原告らの接見申出につきその接見日時等を指定することができたのであるが、同刑事官はこの際も右同人の取調べ状況を確認せずに、午前一一時頃漸く右接見日時の指定をし、被告上田保もその指定に基づき、担当者に取調べの中断を指示して、接見を行わしめているのであって、果たして右接見日時の指定が捜査のため必要なものであったのかどうか、疑問の余地があり、少なくとも、右指定までの間事実上接見拒否の措置がとられた点、違法というべきである。
六  被告らは、本件の場合、一一月二四日、二五日の二日間に、原告ら両名と訴外横光幸雄、同江越和信、同中尾晴一、同荒牧啓一の合計六名の弁護士が七回に亘り綾正博との接見を申し入れているものであり、接見交通権に藉口して、集団抗議の人々と呼応し八幡署への抗議行動を行ったものである旨主張する。
前記認定した事実によれば、原告ら両名及び右被告ら主張の各弁護士の綾正博との接見申入れが、右集団抗議の人々と呼応する形で行われていることは、被告ら主張のとおりと推認され、そのことが八幡署側の対応を必要以上に硬化させたことも否めないところであるが、原告ら両名が行った接見申入れの態様、状況、回数、時期、接見の内容等を考え併せると、右原告ら両名の接見申入れが接見交通権に藉口した権利の濫用であるとまでは認められず、右被告ら主張の事情は接見交通妨害の違法性の程度ないし損害賠償額の算定につき斟酌すべきものと解するのが相当である。
七  被告らは、捜査機関が接見日時を指定できる刑事訴訟法三九条三項所定の「捜査のため必要があるときは」の要件につき、所謂限定説と捜査全般の必要性をいう非限定説とがあって、どのような場合に接見を認めなければ違法とされるのか定説のない現状のもとで、被告上田保ら八幡署の警察官が原告らの接見申入れに本件のような対応をしたからといって、直ちに過失があるとはいえず、また、被告上田保には、接見許否についての権限がなかったから、この点でも過失がない旨主張する。
しかし、右「捜査のため必要があるとき」の解釈につき、現段階で捜査全般の必要性で足りるという非限定説によった捜査実務が行われている、との証明はなされておらず、仮に右非限定説によるにしても、その捜査の必要性は抽象的なものでなく、罪証隠滅の防止、その他具体的な内容をもつものであるべきであるうえ右具体的指定の要件がある場合も、捜査機関としては、弁護人らと協議して、できる限り速やかな接見のための日時等を指定し、被疑者が防禦のため弁護人と打ち合わせることのできるような措置をとるべきであること、前記のとおりである。
しかるに、八幡署の髙巣久人刑事官と警務課長の被告上田保らは、原告らの二四日朝の接見申入れにつき、当初接見を拒否し、その後、右具体的指定要件を誤って、接見日時を午後四時とする違法な処分を行い、同日夕方の接見申入れ、翌二五日朝の接見申入れにつき、それぞれ前記のような事実上拒否の措置をとったり具体的な指定要件がないのに指定処分をしたりしているものであって、右各違法行為につき少なくとも過失があったものと認められる。
また、本件の場合、被告上田保が綾正博の被疑事件の捜査に携わってなく、その捜査との関連上、同人と弁護人らとの接見に関する権限の責任者が髙巣久人刑事官であったことは被告ら主張のとおりであるが、同被告も警務課長として、留置場の管理主任者であったから、髙巣久人刑事官の指揮下、或いはその指揮を離れた部分で、なお右接見に関する権限があったものと解せられ、この点に関する被告らの主張も全面的には採用し難い。
八  してみると、被告福岡県は、八幡署の警察官として公権力の行使に当る髙巣久人刑事官、警務課長被告上田保らの右職執執行についての違法行為につき、国家賠償法一条一項によりそのため原告らが被った損害を賠償すべき義務がある。
もっとも、原告らは、本訴において被告上田保個人に対しても賠償請求をしているところ、公権力の行使に当る国または公共団体の公務員が、その職務を行うにつき、故意過失によって違法に他人に損害を与えた場合は、当該公務員の所属する国または公共団体が被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人はその責任を負わないと解すべきであるから、原告らの同被告に対する請求は、この点で理由がなく、失当として排斥を免れない。(最判昭和三〇年四月一九日民集九巻五号五三四頁参照)
九  前記認定した事実によれば、原告らは、右髙巣久人刑事官、警務課長上田保らの接見交通権侵害の違法行為により、弁護人となろうとする者として十分職責を果たせず、接見申入れの都度必要以上の交渉や準抗告の申立、或いはその準備に予想外の労力負担を余儀なくされるなど、弁護士として少なからず精神的苦痛を被ったものと認めることができるところ、その慰謝の額は、右違法行為の態様、回数、程度、及び前記六の被告主張のような事情、その他一切を総合して、原告両名につき各一〇万円ずつと認めるのが相当である。
一〇  以上により、原告らの本訴請求は、被告福岡県に対し各一〇万円宛の右慰謝料、及びこれに対する違法行為の終了日である昭和六〇年一一月二五日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、右部分を認容すべく、同被告に対するその余の請求並びに被告上田保に対する請求をいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用し、なお仮執行宣言は不相当と認め付さないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田中貞和 裁判官村岡泰行、同村田渉は転任のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 田中貞和)

 

〈以下省略〉

 

*******

裁判年月日  平成元年 5月24日  裁判所名  大阪高裁  裁判区分  判決
事件番号  昭62(う)838号
事件名  大阪府屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反被告事件
裁判結果  破棄自判  文献番号  1989WLJPCA05240005

要旨
◆信号機柱、電柱及び道路標識柱に各ポスター一枚を貼付した行為につき、大阪府屋外広告物条例及び軽犯罪法各違反としての可罰的違法性がないとした原判決を破棄し、可罰的違法性に欠けるところはないとした事例

裁判経過
上告審 平成 4年 6月15日 最高裁第二小法廷 判決 平元(あ)710号 大阪府屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反被告事件
第一審 昭和62年 5月20日 堺簡裁 判決 昭60(ろ)57号 大阪府屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反被告事件

出典
高刑速 平成1年4号 158頁

参照条文
軽犯罪法1条
条例
 

裁判年月日  平成元年 5月24日  裁判所名  大阪高裁  裁判区分  判決
事件番号  昭62(う)838号
事件名  大阪府屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反被告事件
裁判結果  破棄自判  文献番号  1989WLJPCA05240005

被告人 林靖介
控訴申立人 検察官

 

 

判決理由

原判決は被告人に関する本件公訴事実に示された外形的事実は証拠によって認められるとしながら,本件ビラ貼りをした動機は,被告人が平和と民主主義の維持,発展を求め,多くの一般市民にアジアの実情を知ってほしいという心情によるものであり,ビラ貼りの方法は平穏であり,貼付された地域,場所,物件,ビラ貼りの態様等から,ビラ貼りによる法益の侵害は軽微であるところ,本件ビラ貼りは,憲法21条の表現の自由の行使であり,被告人及びその所属する毛沢東思想学院にとって,その主張や意見を伝達する最も重要な方法であるにもかかわらず,一般市民が自由に通行できる場所に貼ることの保障が十分でない等の事情を考慮すると,本件所為に対する可罰性が軽微な違法性で足りるものであることを前提としても,法秩序全体の見地から見て,本件ビラ貼り行為を軽犯罪法1条33号,大阪府屋外広告物条例17条1号,2条2項4号により処罰しなければならぬほどの違法性はない,とする。
しかしながら,所論指摘のとおり,大阪府屋外広告物条例は,屋外広告物法に基づき制定されたもので,美観風致を維持し,公衆に対する危険を防止するために,屋外広告物の表示の場所及び方法等につき必要な規制をしているものであり,軽犯罪法1条33号前段は,主として他人の家屋その他の工作物に関する財産権,管理権を保護するために,みだりにこれらのものにはり札をする行為を規制しているものであるから,右法及び条例は,その立法趣旨,罪質及び法定刑からみていずれも比較的軽微な法益侵害を処罰対象として軽微な罰則を設け,もって前示の目的を達成しようとしているものであり,従って特段の事情がない限り違法性の比較的軽微なものであっても,その行為の動機,目的の正当性や,貼付手段,方法の相当性,ビラが貼付されることによる被害の程度等によって構成要件該当性又は違法性が左右されるべきものではないと解するのが相当である。ところで,関係各証拠によれば,本件貼付現場周辺の堺市中瓦町から同市一条通にかけて,路上に設置されている堺市広報板3か所,関西電力の電柱7か所,警察の信号機柱3か所など合計17か所に25枚の本件と同種のポスターが貼付されていて,本件ポスターはこれらの一連のポスターの中に貼付されているものであり,更に被告人は本件により現行犯逮捕された際本件と同種のポスター20枚及び円筒状化学糊入り容器1個,軍手3枚を所持していて,本件逮捕がなければ更に同様の貼付行為を継続していた蓋然性が強く,また被告人が本件行為に及んだ動機,目的の正当性の点はともかく,その手段,方法は相当でなく,法益侵害の程度も軽犯罪法,大阪府屋外広告物条例の前記立法趣旨に照らせば必ずしも軽微とは言いがたいのであり,このような事情を併せ考慮すると,本件ビラ貼りは可罰的違法性を欠如するとしなければならない特段の事情も認められない。原判決は右のようにビラ貼りの目的ないし動機の正当性,貼付場所,地域,貼付した物件,貼付態様等から本件ビラ貼りによる法益侵害の程度が軽微であること等の理由で法秩序全体の見地から被告人の本件ビラ貼り行為には前記軽犯罪法及び大阪府屋外広告物条例により処罰することを必要とすべき可罰的違法性を認められない等説示するが,当裁判所はこれを肯認することができない。また,弁護人の見解も当裁判所の右判断を左右するものではない。
以上によると,被告人の本件ビラ貼り行為が軽犯罪法1条33号,大阪府屋外広告物条例17条1号,2条2項4号に該当することは明らかであり,これを否定した原判決は,右各条文の解釈適用を誤ったものというべきであって,その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから,原判決は破棄をまぬがれない。

 

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裁判年月日  昭和63年12月12日  裁判所名  浦和地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭62(行ウ)10号
事件名  不同意決定処分取消請求事件
裁判結果  却下  文献番号  1988WLJPCA12120005

要旨
◆いわゆるラブホテルの建築規制条例に基づき市長がしたラブホテル該当性の判定及び通知が抗告訴訟の対象となる行政処分に当たらないとされた事例

出典
判タ 693号91頁
判時 1314号50頁
判例地方自治 57号63頁

評釈
高木光・判例地方自治 66号38頁
伴義聖=大塚康男・判例地方自治 60号6頁

参照条文
行政事件訴訟法3条2項
条例
裁判官
小川英明 (オガワヒデアキ) 第15期 現所属 依願退官
平成13年2月20日 ~ 依願退官
平成8年6月25日 ~ 平成13年2月19日 東京高等裁判所(部総括)
平成6年11月1日 ~ 平成8年6月24日 新潟家庭裁判所(所長)
平成5年4月1日 ~ 平成6年10月30日 東京高等裁判所
平成2年4月1日 ~ 平成5年3月31日 東京地方裁判所
~ 平成2年3月31日 浦和地方裁判所、浦和家庭裁判所

熱田康明 (アツタヤスアキ) 第33期 現所属 定年退官
平成28年3月6日 ~ 定年退官
平成26年4月1日 ~ 徳島家庭裁判所、徳島地方裁判所
平成22年4月1日 ~ 松山地方・家庭裁判所西条支部(支部長)
平成18年4月1日 ~ 平成22年3月31日 高松地方・家庭裁判所丸亀支部(支部長)
平成16年4月1日 ~ 平成18年3月31日 高松高等裁判所
平成12年4月1日 ~ 平成16年3月31日 高松家庭裁判所
平成8年4月1日 ~ 平成12年3月31日 松山地方裁判所、松山家庭裁判所
平成5年4月1日 ~ 平成8年3月31日 神戸地方裁判所龍野支部、神戸家庭裁判所龍野支部
平成2年4月1日 ~ 平成5年3月31日 大阪地方裁判所
~ 平成2年3月31日 浦和地方裁判所、浦和家庭裁判所

石川恭司 (イシカワキョウジ) 第39期 現所属 名古屋高等裁判所金沢支部(部総括)
平成29年6月26日 ~ 名古屋高等裁判所金沢支部(部総括)
平成28年4月1日 ~ 大阪高等裁判所
平成24年10月1日 ~ 大阪地方裁判所(部総括)
平成22年4月1日 ~ 平成24年9月30日 大阪地方裁判所堺支部(部総括)、大阪家庭裁判所堺支部(部総括)
平成19年4月1日 ~ 平成22年3月31日 奈良地方裁判所(部総括)、奈良家庭裁判所(部総括)
平成17年4月1日 ~ 平成19年3月31日 大阪高等裁判所
平成14年4月11日 ~ 平成17年3月31日 熊本地方裁判所八代支部(支部長)、熊本家庭裁判所八代支部(支部長)
平成14年4月1日 ~ 平成14年4月10日 熊本地方裁判所八代支部、熊本家庭裁判所八代支部
平成10年4月1日 ~ 平成14年3月31日 福岡地方裁判所、福岡家庭裁判所
平成7年4月1日 ~ 平成10年3月31日 大阪地方裁判所
平成4年4月1日 ~ 平成7年3月31日 山形家庭裁判所米沢支部、山形地方裁判所米沢支部
平成1年4月1日 ~ 平成4年3月31日 神戸地方裁判所、神戸家庭裁判所
~ 平成1年3月31日 浦和地方裁判所

訴訟代理人
原告側訴訟代理人
伊東眞

被告側訴訟代理人
田原五郎

Westlaw作成目次

主文
一 本件訴えを却下する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が昭和六二年二月六日付第…
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
(本案前の答弁)
(本案に対する答弁)
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、旅館、ホテルの経営及…
2 原告は、三郷市彦川戸一丁目二…
3 これに対し、被告は、同年二月…
4 原告は、昭和六二年三月一七日…
二 本案前の主張
三 本案前の主張に対する原告の反論
四 請求原因に対する認否
1 請求原因1、2及び4の各事実…
2 同3のうち、本件建築物がラブ…
五 被告の主張
1 (一) 原告は、昭和六一年九…
2 (一) 本件土地は、三郷市の…
3 以上のように、本件建築物は本…
六 被告の主張に対する原告の認否
1 被告の主張1冒頭の主張は争う…
2 同2(一)のうち、本件土地の…
3 同3の主張は争う。
七 被告の主張に対する原告の反論
1 被告は、三郷市の現状からみて…
2 次に、被告は、本件不同意決定…
3 よって、本件不同意決定は、違…
第三 証拠〈省略〉
理由
一 本件訴えの適法性について
1 (一) まず、原告が本件土地…
(一) まず、原告が本件土地上に本件…
(二) しかし、〈証拠〉によれば、本…
2 (一) そこで、本件判定及び…
(一) そこで、本件判定及び通知が抗…
(二) この点について原告は、本件不…
(三) 以上のとおりであるから、本件…
二 よって、本件不同意決定の取消…

裁判年月日  昭和63年12月12日  裁判所名  浦和地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭62(行ウ)10号
事件名  不同意決定処分取消請求事件
裁判結果  却下  文献番号  1988WLJPCA12120005

原告 有限会社エアジン
右代表者代表取締役 飯塚和夫
右訴訟代理人弁護士 伊東眞
被告 三郷市長木津三郎
右訴訟代理人弁護士 田原五郎

 

主文
一  本件訴えを却下する。
二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実
第一  当事者の求めた裁判
一  請求の趣旨
1  被告が昭和六二年二月六日付第三号をもってなした建築不同意決定を取り消す。
2  訴訟費用は被告の負担とする。
二  請求の趣旨に対する答弁
(本案前の答弁)
主文と同旨
(本案に対する答弁)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二  当事者の主張
一  請求原因
1  原告は、旅館、ホテルの経営及び管理業務等を目的とする有限会社である。
2  原告は、三郷市彦川戸一丁目二九八番地三の土地(以下「本件土地」という。)上にホテル用建物(延べ床面積約2256.56平方メートル。以下「本件建築物」という。)の建築を計画し、昭和六一年九月二九日、被告に対し、「三郷市ラブホテルの建築規制に関する条例」(以下「本件条例」という。)四条一項に従い、本件建築物の建築に関する同意の申出を行った。
3  これに対し、被告は、同年二月六日付第三号をもって、本件建築物は「三郷市ホテル等審査会の答申に基づき検討した結果、条例に該当する施設であると判断する」との理由により原告の申出に対し同意しないことを決定した旨の通知を行い(以下「本件不同意決定」という。)、同通知は同年二月九日原告に到達した。
しかし、本件建築物は、本件条例が建築を禁止しているラブホテルに該当せず、したがって、本件不同意決定は違法である。
4  原告は、昭和六二年三月一七日、被告に対し、本件不同意決定について異議申立をしたが、被告は、申立の日から三か月を経過しても何らこれに応答しない。
よって、原告は、本件不同意決定の取消を求める。
二  本案前の主張
本件条例三条が規制区域内(都市計画法八条一項一号に規定する住居地域、近隣商業地域及び準工業地域並びに同法四三条一項六号に規定する土地の区域)におけるラブホテルの建築を禁止していることから、「三郷市ラブホテルの建築規制に関する条例施行規則」(以下「本件条例施行規則」という。)三条は、三郷市内においてホテル等の建築をしようとする者に対し、建築計画の申出があった建築物につき本件条例二条一号に規定するラブホテルに該当するか否かを判定し、その結果を通知することとしている。この通知は、当該建築物がラブホテルに該当すると判定された場合、その建築をしようとする者に当該計画の撤回ないし再考を促すことによって紛争を回避するという意図の下になされるにすぎず、それ自体は当該建築物の建築禁止という法的効果を伴うものではない。
したがって、本件不同意決定は、原告の権利義務に対し直接影響を与えるものではないから、抗告訴訟の対象たる行政処分に該当せず、本件訴えは不適法であって、却下されるべきである。
三  本案前の主張に対する原告の反論
本件条例は、市内においてホテル等の建築をしようとする者はあらかじめ市長宛に本件条例施行規則二条の定める申出書を提出しなければならないとし(四条)、この申出書を提出せず、または市長により不同意とされたにもかかわらずホテル等の建築を行った者に対しては、建築中止命令や罰則を加えうるものと規定している(五条、一六条)。
このように、市長に対するホテル等の建築の同意申出は、本件条例により制度化されたものであり、これに基づいて市長が行った不同意決定は、三郷市内の一定の地域にホテル等の建築を行おうとする者に対し罰則を伴う中止命令を発する権限を付与したもので、中止命令に先行する独立の行政処分というべきである。
四  請求原因に対する認否
1  請求原因1、2及び4の各事実は認める。
2  同3のうち、本件建築物がラブホテルに該当しないとの部分は否認し、本件不同意決定が違法であるとの主張は争う。その余の事実は認める。
五  被告の主張
本件建築物は、次のような事実から、主として異性を同伴する客に休憩または宿泊させるものであり、また建物の形態が周辺の環境に調和せず、本件条例に規定するラブホテルに該当するというべきである。(本件条例二条一号ク)。
1(一)  原告は、昭和六一年九月二九日、被告に対し本件条例施行規則二条により本件建築物の建築計画書を提出したが、本件土地には、原告のほか有限会社バチカン及び有限会社シェラトン(以下「原告ら」という。)から、本件建築物(地上四階・地下一階。鉄筋コンクリート造)と同規模のホテルの建築計画書が提出されている。
原告らは、三郷市ホテル等審査会において、本件建築物を含むホテル建築計画はホテル計画株式会社(以下「訴外会社」という。)の企画・設計・経営指導の下に申請されたもので、三郷インターチェンジを中心とした市外の自動車利用客を見込んだビジネスホテルを計画したものであり、ラブホテルではない旨説明した。
(二)  しかし、市においては、本件土地上に建てられるビジネスホテルを利用するような会社・事業所はほとんど考えられず、仮にあったとしても、企業の数及び規模からホテルの経営上採算は取れない。
(1) 三郷市の工業関係の企業数は約一五〇〇社、生産出荷額は約二一〇〇億円であり、そのうち、資本金一〇〇〇万円以上の企業は約一一〇社、従業員三〇人以上の企業は三四社にすぎず、また、商業関係についても、企業数は約一〇五〇店舗、販売額約九〇〇億円であり、従業員数三〇人以上の店舗は一七店にすぎない。このように、商工業とも小・零細企業や店舗が多く、全市に点在している状況にある(昭和六〇年現在)。
三郷市生活環境課が、昭和六二年、市内の資本金一〇〇〇万円以上の企業一〇七社について宿泊が必要な顧客の有無を調査したところ、そのような顧客があると回答した企業は一六社、延べ年間約七五〇人であったが、これらの顧客の宿泊地は、隣接する松戸市、東京都内がほとんどで、三郷市内での宿泊は三社、延べ約四〇人にすぎないという結果であった。
(2) 次に、三郷市民の冠婚葬祭時の宿泊施設利用についてみると、最近の冠婚葬祭件数は年平均約一一〇〇件(死亡人数約三五〇人、結婚件数約七五〇組)で、単純に平均しても一日三件にすぎない。これらの出席者のうち宿泊する人は、一般に主催者宅等に泊まる傾向にあり、そのための施設建設という要望は市にも寄せられていない。
(3) また、三郷市内のホテル・旅館は七軒(客室数合計九七室。うち和室二六室、洋室七一室)、収容人数合計一九三人であるが(昭和六三年二月現在)、この他に三郷市近隣の市・町、草加・越谷・吉川の各保健所管内には約八〇軒のホテル・旅館があることから、これらの間の競争の激しさは容易に想像しうるものである。
(三)  宿泊施設の利用者は、一般的に目的地の近くの宿泊施設を利用するものであるが、このニーズに乏しい三郷市に本件建築物のようなホテルを建てることは、都心や近隣の市街地から比較的離れているため人目を避けることができ、高速道路網とインターチェンジの利用により時間的利便が得られ、短時間休憩に利用できることから、主として異性を同伴する客が利用する施設となるおそれが十分にある。まして、原告らの計画によれば隣接して三軒のホテルが建つことになるのであるから、企業としての採算・投資効果の面から、客の利用率・回転率を高めるための経営を考えることになり、その間に激しい競争が行われ、顧客に対するサービス面での競合から宣伝広告等の内容が派手になっていくことは当然予想されるところである。
したがって、本件建築物が主として異性同伴客を対象とするラブホテルとなる蓋然性は、極めて高いといわざるをえない。
2(一)  本件土地は、三郷市の北西部に位置し、JR武蔵野線三郷駅から西約3.0キロメートル、同新三郷駅から南西約1.7キロメートル、三郷インターチェンジから北西約1.4キロメートルの地点にある。
本件土地のある二郷半用水路の西側の地域は、昭和四〇年代前半から、建売住宅等のミニ開発によって住宅戸数及び人口の増加がみられ、同四五年一二月には住居地域に指定されている。市は、同六一年一二月策定の三郷市総合計画の基本計画により、この地域を中心に規制誘導による優良住宅地の形成を目指して計画を進めている段階にあり、また、本件土地の東側は市街化調整区域であって、約一〇ヘクタールの農地・遊休地の間に工場・倉庫等が散在していることから、三郷インターチェンジの完成により、昭和六〇年一月からこの地域をミニ工業団地とする計画を進めている。
(二)  次に、本件土地を中心とする半径五〇〇メートル内の建築物の設置状況及び用途をみると、二階建の和風ないし和洋折衷の木造住宅が大部分を占め、これが本件土地を包み込む形で立ち並んでおり、三階以上の建物は二郷半用水路東側の工業用地に工場等三棟、本件土地北方に住宅一棟が建っているにすぎない状況にある。
(三)  さらに、本件土地は三郷市立彦成小学校・同北中学校の学区内にあり、その周辺道路は同北中学校の通学路に指定されているほか、埼玉県立三郷高校・同三郷北高校・同三郷工業技術高校・同吉川高校の各生徒の通学路にも利用されている主要な生活道路である。
(四)  このような場所に本件建築物を建てることは、際立って奇異な建物として関心を呼ぶことになり、本件土地周辺の生活環境を著しく損なうばかりか、青少年の育成に有害ないし著しい悪影響を与えるものであり、その周辺の環境に調和しない。
3  以上のように、本件建築物は本件条例二条一号クによりラブホテルに該当するものであるから、本件不同意決定は適法であるばかりではなく、市民の良好な居住環境の保持と青少年の健全な教育環境の保護とを目的とする本件条例一条の趣旨にも適合するものである。
六  被告の主張に対する原告の認否
1  被告の主張1冒頭の主張は争う。同1(一)のうち、原告が昭和六一年九月二九日に本件建築物の建築計画書を提出したこと、本件建築物の構造及び原告らが審査会において説明した内容は認める。有限会社バチカン及び有限会社シェラトンから本件建築物と同規模のホテル建築計画書が提出されていたことは不知。同(二)(1)ないし(3)の各事実は不知。同(三)の主張は争う。
2  同2(一)のうち、本件土地の位置は認め、その余の事実は不知。同(三)の事実は不知。同(四)の主張は争う。
3  同3の主張は争う。
七  被告の主張に対する原告の反論
1  被告は、三郷市の現状からみて、本件土地上にビジネスホテルを建てても採算を取ることは不可能であり、主として異性同伴客が利用する施設となる蓋然性が極めて高いということから、本件建築物が本件条例二条一項本文の要件に該当すると主張する。
しかし、本件条例は「主として、異性を同伴する客に休憩又は宿泊させる」施設の建築を規制するものであって、ホテルの将来の営業形態を規制するものではない。このことは、市長の発する中止命令(同条例五条)がラブホテルの建築を対象とし、その営業を対象としていないことからも明らかである。
したがって、被告は、申出のあった建築物が「主として、異性を同伴する客に休憩又は宿泊させる」ものかどうかのみを判定すべきであって、将来その建築物を利用してラブホテル営業がなされるものと勝手に想定し、判定することは許されない。本件不同意決定は、条例によって与えられた権限を不当に拡大適用したものであり、明らかに理由がないというべきである。
2  次に、被告は、本件不同意決定の理由として、本件建築物の形態が周辺の環境に調和しないと主張するが、これは明らかに誤ったものである。
被告は、本件土地周辺は二階建て木造住宅が大部分を占めるため、地上四階・地下一階の本件建築物はその周辺の環境に調和しないと主張するが、本件条例の制定目的からすれば、同条例二条一号クに該当する場合とは、一般のラブホテルにみられるけばけばしく、かつグロテスクな建物形態を指すことは明らかである。
しかるに、被告は、本件建築物の意匠・屋外広告物・屋外照明設備等が周辺の環境と調和しないとするのではなく、単にその形態が調和しないとするのみで、具体的にどの部分が周辺の住環境に調和しないのかを指摘しない。しかも、本件建築物と一般のビジネスホテル用の建物との間には何ら特異な相違点はないのであるから、被告の主張に従えば、およそ地上四階・地下一階の鉄筋コンクリート造の建物である限り、ホテル用の建物ばかりではなく公共用建物であってもすべて周辺の環境と調和しないことになるが、これが誤りであることは明らかである。
3  よって、本件不同意決定は、違法であるから取り消されるべきである。
第三  証拠〈省略〉

理由
一  本件訴えの適法性について
1(一)  まず、原告が本件土地上に本件建築物の建築を計画し、昭和六一年九月二九日、本件条例四条一項に則って本件建築物の建築に関する同意の申出を行ったこと、これに対して被告が、同年二月六日付第三号により、本件建築物は「三郷市ホテル等審査会の答申に基づき検討した結果、条例に該当する施設であると判断する」との理由によって原告の申出に同意しないことを決定した旨の通知を行い、同通知は、同年二月九日原告に到達したことは、いずれも当事者間に争いがない。
そして〈証拠〉によれば、本件条例四条一項の届出を受けた市長が、当該建築物のラブホテル該当性を判定し、その結果を通知する場合の様式を定めた本件条例施行規則三条及び様式第二号の書式中には、「 年 月 日付けで提出された三郷市ホテル等建築計画申出書及び添付図書に記載の建築計画等については、三郷市ラブホテルの建築規制に関する条例施行規則第3条により、(同意する・同意しない)ことに決定したので通知する」との記載部分のあることが明らかである。
(二)  しかし、〈証拠〉によれば、本件条例は、市民の良好な居住環境の保持及び青少年の健全な教育環境の保護を図ることを目的として制定されたもので(本件条例一条)、同条例所定の規制区域内におけるラブホテルの建築を禁止すると共に(同条例三条)、市内にホテル等を建築しようとする者に対して所定の届出義務を課し(同四条一項、同施行規則二条)、右届出を受けた市長は、三郷市ホテル等審査会の諮問・答申に基づいて当該建築物のラブホテル該当性を判定し、その結果を通知することとし(本件条例四条二項、同施行規則三条)、当該建築物が本件条例にいわゆるラブホテルに該当すると判定され、かつ、その建築予定地が規制区域内にあるときは、市長は、当該建築をしようとする者に対し建築の中止を命ずることができ、さらに、中止命令に違反した者に対しては刑罰を科すこと(本件条例五条、一六条)等を規定しているが、本件条例及び同施行規則中には、市内にホテル等を建築する場合には市長の同意を得なければならないとする規定はないことが明らかである。したがって、右書式中の「(同意する・同意しない)」との記載は表現として必ずしも適切であるとはいい難いものの、その趣旨はホテル等の建築についての市長の同意・不同意を示すものではなく、単に当該建築物が本件条例所定のラブホテルに該当するとの判定結果を示すものにすぎないと解するのが相当である。
そうすると、原告が本件訴訟において取消を求めているのは、被告がなした本件建築物が本件条例にいうラブホテルに該当するとの判定及びその結果の通知(以下「本件判定及び通知」という。)をいうものと解せられる。
2(一)  そこで、本件判定及び通知が抗告訴訟の対象となる行政処分に該当するか否かを検討するに、前掲乙第八、第九号証によれば、本件条例は右判定及び通知の法的効果について何ら定めるところがなく、本件条例及び規則の関係規定からすると、規則が右判定及び通知の制度を設けた趣旨は、ホテル等の建築をしようとする者に対し、当該建築物が本件条例所定のラブホテルに該当することを知らせて、その計画について再考を促すことにあり、右判定及び通知は、これによって当該通知を受けた者に対し何らの具体的な法的効果を生ぜしめるものではないと解するのが相当である。
ところで、抗告訴訟の対象となる行政庁の処分とは、行政庁の公権力の行使として行われる行為のうち、これによって個人の法律上の地位ないし権利関係に対し、直接に何らかの影響を及ぼすものをいうと解すべきであるから、それ自体としては相手方の法律上の地位ないし権利関係に何ら直接的な影響を及ぼすことのない本件判定及び通知は、抗告訴訟の対象となる行政処分には該当しないというべきである。
(二)  この点について原告は、本件不同意決定(これが本件判定及び通知の趣旨と解すべきことは前記のとおり)は中止命令に先行する独立の行政処分である旨主張する。しかし、前示条例によれば、なるほど当該建築物がラブホテルに該当することは市長が当該建築物の建築の中止命令を発するための要件となってはいるものの、本件条例五条が「市長は、第3条の規定に違反し、規制区域においてラブホテルを建築しようとする者に対し、建築の中止を命ずることができる」と規定していることからすれば、市長は、当該建築物がラブホテルに該当すると判定した場合、その建築の中止を命じ得るにすぎず、当然に中止決定をすべく義務づけられているものではないと解される。したがって、右の判定及び通知によっては、未だ原告の法律上の地位ないし権利関係には何ら直接的な影響を及ぼすものとはいえないから、この点に関する原告の主張は採用することができない。
(三)  以上のとおりであるから、本件判定及びその結果の通知は、抗告訴訟の対象となる行政処分には該当しないといわなければならない。
二  よって、本件不同意決定の取消を求める原告の本件抗告訴訟は、その余の点について判断するまでもなく不適法なものというべきであるから、これを却下することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官小川英明 裁判官熱田康明 裁判官石川恭司)
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裁判年月日  昭和63年 6月16日  裁判所名  最高裁第一小法廷  裁判区分  判決
事件番号  昭62(あ)1273号
事件名  大阪府屋外広告物法施行条例違反、軽犯罪法違反
裁判結果  棄却  文献番号  1988WLJPCA06169001

要旨
〔判示事項〕
◆大阪府屋外広告物法施行条例及び軽犯罪法一条三三号前段の合憲性

裁判経過
原審 昭和62年 9月10日 大阪高裁

出典
裁判集刑 249号627頁
裁判所ウェブサイト

参照条文
日本国憲法21条
日本国憲法31条
大阪府屋外広告物法施行条例17条1号
大阪府屋外広告物法施行条例2条2項4号
軽犯罪法1条33号
 

裁判年月日  昭和63年 6月16日  裁判所名  最高裁第一小法廷  裁判区分  判決
事件番号  昭62(あ)1273号
事件名  大阪府屋外広告物法施行条例違反、軽犯罪法違反
裁判結果  棄却  文献番号  1988WLJPCA06169001

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裁判年月日  昭和63年 3月11日  裁判所名  大阪高裁  裁判区分  判決
事件番号  昭62(う)192号
事件名  恐喝未遂、恐喝被告事件
裁判結果  破棄自判  文献番号  1988WLJPCA03110006

要旨
◆被告人らの自白が、警察官による暴行・脅迫により得られた疑いがあるとして、自白の任意性が否定された事例

裁判経過
第一審 昭和62年 1月14日 大阪地裁 判決

出典
判タ 675号241頁

参照条文
刑事訴訟法319条1項
刑事訴訟法322条1項
裁判官
野間禮二 (ノマレイジ) 第5期 現所属

木谷明 (キタニアキラ) 第15期 現所属 依願退官
平成12年5月23日 ~ 依願退官
平成11年2月15日 ~ 平成12年5月22日 東京高等裁判所
平成9年6月30日 ~ 平成11年2月14日 水戸地方裁判所(所長)
平成8年4月1日 ~ 平成9年6月29日 水戸家庭裁判所(所長)
平成6年12月12日 ~ 平成8年3月31日 東京家庭裁判所
平成4年3月23日 ~ 平成6年12月11日 東京高等裁判所
~ 平成4年3月22日 浦和地方裁判所、浦和家庭裁判所

生田暉雄 (イクタテルオ) 第22期 現所属 依願退官
平成4年4月1日 ~ 依願退官
平成1年4月1日 ~ 平成4年3月31日 高松家庭裁判所、高松地方裁判所
~ 平成1年3月31日 大阪高等裁判所

Westlaw作成目次

主文
理由
一 弁護人戸田勝、同辛島宏連名作…
1 被告人甲野の供述調書の任意性…
(1) 被告人甲野が、当審公判廷にお…
(2) 被告人甲野の右供述には、その…
(3) ところで、問題の六月二七日午…
(4) しかし、まず、問題の六月二七…
(5) もつとも、検察官提出の六月二…
(6) また、前掲D、Cの両名は、被…
(7) 以上の諸点のほか、当審におけ…
2 被告人乙山の供述調書の任意性…
(1) 被告人乙山の取調べ状況に関す…
(2) これに対し、当審証人D、Cの…
3 被告人両名の原審公判廷におけ…
4 結論
二 弁護人森岡一郎の控訴趣意及び…
1 本件各被害の拡大等については…
2 本件の大部分は、被害者側にお…
3 本件の捜査・公判の過程におい…

裁判年月日  昭和63年 3月11日  裁判所名  大阪高裁  裁判区分  判決
事件番号  昭62(う)192号
事件名  恐喝未遂、恐喝被告事件
裁判結果  破棄自判  文献番号  1988WLJPCA03110006

 

主文
原判決中被告人甲野太郎、同乙山次郎に関する部分を破棄する。
右被告人両名を、各懲役二年一〇月にそれぞれ処する。
原審における未決勾留日数中各一〇〇日を当該被告人の右各刑に算入する。
この裁判確定の日から各五年間、被告人両名の右各刑の執行をいずれも猶予する。

理由
本件各控訴の趣意は、被告人両名の弁護人森岡一郎作成の控訴趣意書、同じく弁護人戸田勝、同辛島宏連名作成の控訴趣意書、及び右弁護人三名連名作成の控訴趣意補充書各記載のとおり(ただし、弁護人らにおいて、弁護人戸田勝、同辛島宏連名作成の控訴趣意中事実誤認の主張は、当審第四回公判において、これを撤回)であるから、これらを引用する。
一  弁護人戸田勝、同辛島宏連名作成の控訴趣意中訴訟手続の法令違反の論旨について
論旨は、原判決が有罪認定の証拠として掲げた被告人両名の捜査官に対する各供述調書及び原審公判廷における各供述は、いずれも、警察段階における暴行等強制による任意性のない自白であり、かりに百歩を譲つても、任意性に疑いのある自白であるから、右各供述調書及び各供述に依拠して事実を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。
そこで、検討するのに、原審記録によれば、被告人両名及びその弁護人は、原審公判廷において、各公訴事実を全面的に認める陳述をしただけでなく、被告人両名の捜査官に対する各供述調書を含む検察官請求書証のすべての取調べに同意して右各供述調書の任意性を争つておらず、右各書証は、いずれも異議なく取り調べられている事実が明らかであつて、原審記録に徴する限り、被告人両名の捜査官に対する各供述調書の任意性を疑わせる事情は、豪も見当らない。
これに対し、所論は、被告人両名は、本件につき道徳的に深く反省し、被害金の大半の弁償も済ませ、ひたすら恭順の意を表することによつて、執行猶予付きの寛大な判決が下されることを期待し、確信していたところ、予期に反して過酷な実刑判決を受けたことに愕然として控訴に及んだものであり、真実は、警察官から激しい暴行や脅迫を受けた結果犯行を自白したものであるから、取調べの状況につき、控訴審において十分審理を遂げ、証拠能力のない供述調書等を排除されたい旨主張する。
しかし、弁護人らは、任意性の存否に関する事実取調べの終了した当審第四回公判において、控訴趣意中の事実誤認の主張を撤回したものである。そうだとすると自らが排除を求める証拠を除くその余の証拠のみによつても、原判示各事実が肯認されることを自認するものであるといわざるを得ず、従つて、右訴訟手続の法令違反の主張は、弁護人の主張によつても判決に影響を及ぼすことの明らかなものとはいえないことになる筋合いである。
しかしながら、当審における審理の経過にかんがみるときは、被告人らが、取調べの過程において、捜査官からいわれのない暴行、脅迫を受け、精神的・肉体的に著しい苦痛を受けた疑いがあるとすれば、その自白の任意性を調査し、自白の任意性に疑いがあることが判明した場合には、証拠能力を欠くものとしてこれを証拠から排除し、改めて当裁判所として、右排除した証拠を除いても、なお、原判示事実が認定できるか、すなわち判決に影響を及ぼさないことが明らかであるといえるかを検討すべきであると考える。そこで、以下、被告人に対する捜査官の暴行・脅迫の有無、ひいては自白調書の任意性の存否につき、検討を加えることとする
1  被告人甲野の供述調書の任意性について
(1)  被告人甲野が、当審公判廷において、自己が警察官に対し犯行を自白するに至つた経過として述べる事実関係の概要は、次のとおりである。すなわち、
自分は、昭和六一年六月二三日に逮捕されたのち、当初の五日間位は、恐喝の犯意を否認していたが、その間、常時、A主任刑事、B刑事、それに、名前の判らない背の高い体格の良い警察官の三人の取調べを受けた。苦痛を伴う取調べは、最初からあり、例えば、留置場から刑事部屋に入るとき、そのまま入ると、軍隊調に、「甲野、入ります、と言え。」と言われ、声が小さいと、何十回もやり直しをさせられた。座る時も、同様、「甲野、座ります。」と言わされ、足が少し開いていたら、両脇から「足をまつすぐにせんかい。」と言われた。言い分を説明しても、耳元で、「甲野、甲野」と言われ、質問に答えないと、「甲野、甲野」と次第に大声で両側から連呼され、鼓膜が破れそうになつた。また、背もたれのない回転椅子に一五分から三〇分位、腰縄を机の足に巻いたまま正座させられたことも二、三回あつた。六月二七日午前中は、いつもと同じ取調べだつたが、午後の取調べ開始後三〇分位して、乙山担当のC主任とD主任が入つてきて、正面の席に座り、同人らの尋問を受けた。Dは、私が弁解するたびに「嘘ぬかせ。」といつていたが、そのうちに、突然、机を私の方に当ててきて、それを私の方に引つくり返した。私は、腰ひもが椅子に結ばれていたので、避けることができず、Dが座つていた側の机の上端が私の前歯に当たり、前歯が折れた。私が抗議すると、横にいたCに足払いをされ、倒れた瞬間に頭を打ち、靴のまま二、三回腹を蹴られ、また壁に頭をぶつけられたり、髪の毛を引張られたりもした。歯が痛いし、頭がふらふらしていたが、今度は、丸椅子を引くり返して、エックス状のむき出しのスチール脚部の上へ正座させられているところへ、Bほか一名の刑事が、両脇から、「甲野、甲野」と連呼し、Dが、私の頭の上にかぶさつてきて押さえつけるように力を加えてきた。当時、交通事故の鞭打ち症で通院していたため、背中も首も痛く、手足がしびれ泣き出してしまうほどだつた。私が、体がどうなるか判らないと思い「堪忍して下さい。何でも話します。」といつて、協力する素振りを示したら、暴行がやんだ。引き続いて自白調書を取られたが、私が、最終的に言う気になつたのは、Dが、内ポケットから乙山の調書を出して見せ、「乙山は、こうしてうととるんや(白状した、の意)」と言われたからである。しかし、それ以外にも、Cから、「正直に言わんかつたら二宮金次郎にしてしまうぞ。二宮金次郎とは、重たい荷物を背負わせたろというか、なんぼでも余罪をあげたるから。弁護士に言いやがつたら何回でも再逮捕したる。」などと言われた。
以上のとおりである。
(2)  被告人甲野の右供述には、そのようなことが果たして行われ得るのかと、一見疑問に思われる点(たとえば、スチールの丸椅子を引つくり返して、パイプの上に正座させられたという点など)もないではないが、全体として、きわめて詳細、かつ、具体的で、特異な事実関係を内容とするものである上、当時の状況を想起しては、時に鳴咽落涙しながら供述する、同被告人の真しで迫真力ある供述態度等にも照らすと、果たして、従前さしたる前科もない同被告人(同被告人には、昭和四五年二月二〇日言渡しの窃盗罪による執行猶予付き懲役刑の前科があるほかには、同年三月の道路交通法違反罪の罰金前科一犯があるだけである。)において、自己の取調べ状況に関する右のような事実を創作して供述することが可能であるかについて疑問を生じ、また、警察官の言動をことさら針小棒大に述べたものであるとして一蹴し去ることにも、問題が残るといわなければならない。
(3)  ところで、問題の六月二七日午後、被告人甲野の取調べに当たつた警察官D及び同Cの両名は、当審証人として、一部(すなわち、① 同人らが、当時、大阪府警察本部捜査四課所属の刑事として、暴力事件の捜査を担当していたもので、本件については、曽根崎警察署に身柄を拘束中の被告人乙山の取調べを担当していたこと、② 被告人乙山は、逮捕後二日間は、犯意を否認していたが、六月二五日に同被告人が自白したのち、同月二七日午後、大淀警察署に身柄を拘束中であつた被告人甲野の取調べに参加したことがあること、③ その際は、本来被告人甲野の取調べを担当していたE、Bの両刑事が退室したこと、④ D、Cらの取調べ開始後、被告人乙山も自白した旨を告げて説得を続けると、間もなく、それまで犯意を否認していた被告人甲野が全面自白に転じ、供述調書の作成に応じたこと、⑤ 同日午後六時ころ、大淀署からの連絡により被告人甲野の前歯が折損していることを知つたので、D、C、Eの三名で同被告人を奥野歯科医院へ連れていつて、治療を受けさせたこと、⑥ 被告人らの返答がはつきりしないときは、「こら、甲野」などと、多少大きな声を出したことはあること、⑦ 被告人らに対し、入室の際、自分の名前を言つて「入ります。」と言うように注意し、あいさつをするように言つたことなど)被告人甲野の供述を裏付けるかのような供述をしたが、同被告人の訴える肝心の暴行・脅迫の大部分については、「そのようなことはなかつた」とし、一部(たとえば、丸椅子に正座させたこと)については、「記憶がない。」旨供述した。当審証人Aの供述も、おおむねこれと同旨である。
(4) しかし、まず、問題の六月二七日夕刻、被告人が奥野歯科医院において、「上顎左側中切歯」(いわゆる左側の前歯)の破損(ただし、口唇軟組織の損傷はない。)の治療を受け、その後、「歯冠三分の二破損並びにそれによる露髄により抜髄、根管治療、充填等」の治療のため、八月二五日までの間、六回通院していることは、歯科医師奥野逵三作成の診断書を含む当審における事実取調べの結果により明らかであるところ、右診断書の病名の記載等からすると、被告人甲野が、六月二七日に、D刑事らによる取調べの際の暴行により前歯を折つたとする供述は、その限度で客観的な裏付けを有するといわなければならない。
(5) もつとも、検察官提出の六月二七日付司法警察員(A)作成の「被疑者の負傷事故について」と題する書面及び被告人甲野の同日付司法警察員(E)に対する供述調書には、右の歯牙破損は、被告人甲野が自白する際、椅子に座つたまま机に向つて頭を下げたとき、前歯が机の端に当つて生じた旨の記載がある。しかし、被告人甲野は、右の点につき、「歯医者へ連れて行かれる際、Cから、自分で歯を折つたと言うように言われたし、あとから、同じ内容の調書も取られてしまつた。」旨供述しているので、更に検討すると、前示診断書により、被告人甲野の「上顎左側中切歯」の「歯冠約三分の二」の破損が、口唇軟組織の損傷を伴わずに生じていることが認められることからすると、右傷害は、被告人甲野の予期せざる外力が、受傷部位のみに直接作用して生じたものと推定されるところ、右のような同被告人の受傷の部位・程度及びそれから推定されるその生成過程は、被告人の前示供述調書等に記載された状況よりも、むしろ、被告人の当審供述に現われた状況を前提とした方が、理解し易いと考えられる。(人が、頭を深々と下げた拍子に顔面を机に打ちつけることは、もとよりあり得ないことではないが、そのような場合には、歯牙よりも、前額部とか、鼻部を打つことの方が多いと考えられる上、歯牙が机の端に当つた場合でも、中切歯一本だけが、軟組織の損傷を伴うことなしに破損するということは、むしろ稀有のことではないかと考えられるのに対し、目の前の机を突然引つくり返された拍子に右机の角が歯に当つた場合であれば、相手の剣幕に驚いて口を開いた受傷者の中切歯一本に、机の角その他作用面の小さな物体が、偶然に直接作用することは、十分あり得るというべきであろう。)
(6) また、前掲D、Cの両名は、被告人甲野が当日前歯を折つた事実を認めながら、「いつ折つたのかわからない。」旨供述しているが、被告人の前掲司法警察員Eに対する供述調書等によつても、同被告人の受傷は、D、Cらの面前において生じたものとされているのであるから、同人らが、激しい痛みを伴う筈の同被告人の前歯の破損に、全く気付かなかつたという点は、疑問であるといわなければならず、同人らは、同被告人の受傷の原因について、真実を秘匿しているのではないかという疑いが濃いといわざるを得ない。
(7) 以上の諸点のほか、当審における事実取調べの結果により明らかにされた一切の事実関係(たとえば、① Dらによれば、被告人甲野は、逮捕以来頑固に恐喝の犯意を否認し、六月二七日午前中の取調べにおいても否認を通していたというのに、Dらの取調べを受けるようになるや、二〇分もしないうちに自白したというのであり、そのこと自体によつても、Dらが、それ以前とは質的に異なつた取調べ方法をとつたのではないかとの疑いが生ずること、② Dは、前示のとおり、「こら、甲野」などと時に「一寸大きな声を出した」ことを認めているが、当裁判所の求めに応じて、同人が公判廷で出してみせた声は、それまでの証言中の声と比べ、かなり大きく、声を荒くして叱責する口調のように感じられるものであり、密室内の取調べにおいては、更に大きな声を出すこともあり得ると考えられること、③ Dは、取調べ室にマジックミラーがついていたか否かというような、取調べ官として知らない筈はないと思われるような事項についても、「覚えがない」などとあいまいな供述をしていることなど)を前提として、被告人甲野の供述と当審証人D、同C、同Aらの各供述とを対比し、その信用性を検討すると、右警察官三名の供述は、前示のような被告人甲野の供述を排斥するに足りる証拠価値を有せず、同被告人の自白は、同被告人の供述にあるような、警察官らの暴行・脅迫により得られた疑いが強く、その任意性に疑いがあるといわなければならない。
2  被告人乙山の供述調書の任意性について
(1) 被告人乙山の取調べ状況に関する供述の要旨は、「逮捕後一、二日は恐喝の犯意を否認したが、通してもらえなかつた。検察庁から帰つてきてからは、取調べ官がDとC及びもう一人の若い警察官の三人になつた。Dらには、耳元で大きな声でがんがん怒鳴られたり、後ろから腕を回されて首を締めるようにされて、息ができない位になつた。椅子に正座させられたことも一日で二、三回あり、私は体重が八七キロもあるのでつらかつた。また、私の事務所から持ち出した書類が山積みにされていて、『関係者を片端から調べると一〇年でも二〇年でもかかる』といわれた。」というものであつて、同被告人の供述自体によつても、その取調べ状況は、被告人甲野の供述に現れた取調べ状況ほど苛酷なものではない。しかし、取調べ状況に関する被告人乙山の供述が真実であるとすれば、Dらによる同被告人の取調べ方法は、自白調書の任意性に疑いを生じさせるに足りるものといわなければならない。
(2) これに対し、当審証人D、Cの両名は、被告人甲野に対する取調べに関してとほぼ同様、被告人乙山の供述するような不当な取調べ方法はなかつたとしている。しかし、被告人甲野の取調べ状況に関するD、Cの各供述の信用性に、前示のとおり重大な疑問を生じていること等に照らすと、右両名の供述のみによつて、取調べ状況に関する被告人乙山の供述を排斥することはできないというべきであり、同被告人の自白調書も、その任意性に疑いがあるものとして、証拠能力を否定されなければならない。
3  被告人両名の原審公判廷における各供述の任意性について
所論は、被告人両名の原審公判廷における各供述も、警察における不当な取調べの影響によるもので、任意性を欠くと主張する。しかし、記録によれば、被告人両名は、昭和六一年九月一二日に、前示各代用監獄から大阪拘置所へ移監され、また、同年一二月二日には、いずれも保釈により釈放されたこと、しかるに、被告人両名は、大阪拘置所への移監後も、また、保釈による釈放後も、弁護人の在廷する法廷で、一貫して各公訴事実を認める陳述及び供述をしていることが認められ、右各被告人らの供述等のうち、少くとも大阪拘置所への移監後のものは、警察における不当な取調べの影響を遮断された状況におけるものと認められ、他に、右各供述の任意性を疑わせる事情は存しない。
4  結論
以上のとおりであるから、被告人両名の捜査官に対する各自白調書は、その任意性に疑いがあつて、証拠能力を否定すべきであり、これを証拠に挙示した原判決には、訴訟手続の法令違反があるが、両名の原審公判廷における各供述の少なくとも大部分は、その任意性に疑いはなく、右各供述を含む原判決挙示のその余の証拠(とくに各被害者らの捜査官に対する各供述調書)を総合すれば、原判示各事実を優に肯認することができるから、右訴訟手続の法令違反は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえない。論旨は、結局、理由なきに帰する。
二  弁護人森岡一郎の控訴趣意及び弁護人戸田勝、同辛島宏連名作成の控訴趣意中量刑不当の論旨について
各論旨は、いずれも原判決の量刑不当を主張し、被告人両名に対しては、いずれも刑の執行を猶予されたい、というのである。
各所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するのに、本件は、原判決も説示するとおり、全日本同和会大阪府連合会○○支部長の地位にあつた被告人甲野及び同副支部長の地位にあつた被告人乙山の両名が、同支部に属する原判示各共犯者らと共謀の上、約八か月の間、前後五回にわたり、建築基準法に違反した建築をしている建築会社の経営者等に対し、原判決のような言辞により暗に金員を要求し、右要求に応じなければ、右会社の業務又は経営者の地位・名誉等にいかなる危害を加えるかもしれないような気勢を示して、同人らを畏怖させ、四名から合計四二〇万円を喝取したが、一名については喝取の目的を遂げなかつたという事案であつて、右各犯行の手口が組織的・計画的、かつ、執ようであること、動機に酌むべき点がなく喝取金額も相当高額に達すること、被告人両名が本件各犯行において、いずれも重要な役割を果たしていることなどは、原判決が説示するとおりであると認められ、これらの点からすると、被告人両名にさしたる前科がないこと(被告人甲野は、昭和四五年二月言渡しの窃盗罪による懲役一年、執行猶予二年の前科のほか、同年三月の道路交通法違反罪の罰金前科一犯を、同乙山は、昭和五八年一一月及び一二月の屋外広告物条例違反罪及び名誉毀損罪の各罰金前科一犯を、それぞれ有するだけである。)、本件の財産的被害の大部分(原判示第二の犯行による四〇万円を除く合計三八〇万円)が、原審段階において回復されており、その余の被害者に対しても、被害弁償がなされる予定であつたこと等原判決説示の情状をもつてしては、たやすくその刑の執行を猶予すべきではないと考えられ、原判決が、被告人両名の「社会的責任を厳しく問う意味」から、両名に対し各懲役二年四月の実刑をもつてのぞんだのも、もとより理解できないわけではない。
しかしながら、更に検討するのに、本件については、被告人らのため酌むべき次のような情状も存在すると認められるのに、原判決は、これらの情状については、必ずしも十分に、又は全く考慮を払つていないことが、その判文及び原審における審理の経過に照らし、明らかである。すなわち、
1  本件各被害の拡大等については、被害者側の態度も原因を与えていること
本件一連の犯行は、いずれも、もともと、被害者側が、建築基準法違反等の、表沙汰にされては困る弱味を有しており、この点を、被告人らにつけ込まれたものである。このように、人の弱味につけ込んだ被告人らの犯行の手口は、確かに卑劣でたやすく許し難いけれども、他方、被害者側に、他人をつけ込まれる弱味があつたことが、被告人らの犯行を容易にしたことはこれを否定し難く、右のような意味において、本件は、何ら落度のない被害者に因縁をつけて金員を喝取した事案とは、いささか犯情を異にするといわなければならない。次に、現実の被害に遭つたのちの被害者らの態度にも問題がある。たとえば、原判示第四の事実の被害者(△△△△)は、被告人らに脅迫されても、これに屈することなく被害を警察へ訴え出たため、現に金員の喝取を免れ、程なく被告人らを逮捕へ追い込むことができたのであつて、もし、その余の被害者らにおいて、右△△と同様断固たる態度をもつてのぞんでいれば、被告人らをして、かくも易々と同種犯行をくり返させることはなかつた筈である。そのような意味において、本件の被害の拡大については、自己らの違法を白日のもとにさらされることを恐れる余り、被告人らに対し、あいまいな態度を取つて、たやすく乗せられた被害者側の態度も、原因を与えているといわざるを得ない。
2  本件の大部分は、被害者側において、警察へ被害を申告する意思のないものであつたこと
右1の指摘と関連するが、本件各被害者らは、一名(前記△△△)を除き、被害に遭つた時点において、これを警察に申告しておらず、警察による余罪捜査により被害が明らかになつた結果、その時点で被害届を提出したものである。しかも、右被害者らが被害を警察へ申告しなかつたのは、被告人らに対しある程度の金員を支払つても、これを会計上適宜の処理をすれば、企業としてはさしたる痛痒を感じないところから、被告人らの処罰を求めて自らの違法を白日のもとにさらす結果となるよりは、むしろ被告人らの要求に応じた方が得策であるとの判断によると考えられるのであつて、もし△△の行動がなかつたとすれば、その余の事実は、結局、企業と社会との係わりの中で生じ勝ちなささいなあつれきの一つとして、埋没していつたものと考えられる。現に行われた犯罪を、このような形で埋没させることの当否は別として、本件各犯行の右のような特殊性は、このような事情の存しない場合に比し、量刑上それ相応の配慮を要すると考えられよう。
3  本件の捜査・公判の過程において、被告人らが精神的・肉体的に相当の苦痛を味わつており、反省の情も顕著であること
被告人両名は、昭和六一年六月二三日、原判示第四の事実により逮捕され、引続き勾留されて以来、同年一二月二日保釈により釈放されるまで、半年に近い長期間身柄の拘束を受け、その間、接見禁止の状態で、くり返し厳しい取調べを受けたばかりでなく、前示のとおり、右取調べにあたり、被告人らが、本来被疑者として受けるいわれのない不当な取扱いを受けた疑いが強く、その結果、被告人らが受けた精神的重圧と肉体的苦痛は、相当強烈なものであつたと考えられる。そして、被告人らは、このような経験を通じ、自らの行為を真剣に反省し、原審においては、捜査段階で受けた不当な取扱いについて一言も言及することなく、ひたすら恭順の意を表していたのである。右のような被告人らの態度は、もちろん、執行猶予の寛大な判決を期待していることではあるが、被告人らが、前示のような不当な取扱いを受けたのが事実であるとすれば、これに緘として口をとざしたまま、公判廷において、ひたすら恭順の意を表すことは、かなりの忍耐を要することに違いはなく、そのことは、被告人らの改悛の情がそれだけ強いことを示すものというべきであり、また、被告人らが、一連の刑事手続の中で、本来受けるいわれのない不当な取扱いを受け、精神的・肉体的に重大な苦痛を受けた疑いがあるとすれば、そのこと自体もまた、量刑上無視することのできない一個の情状として、量刑にある程度反映させざるを得ないと考えられる。
そして、以上の諸点を、原判決が考慮に容れた前示のような被告人に有利な情状と併せ考察すれば、被告人両名に対しては、その刑責が甚だ重大であることは明らかであるにしても、いまただちに懲役刑の実刑をもつてのぞむのはいささか酷に失し、むしろ、今回に限りその刑の執行を猶予するのが相当であると認められる。そうすると、被告人両名をいずれも懲役二年四月の実刑に処した原判決は、刑の執行を猶予しなかつた点において、その量刑重きに失し、破棄を免れない。論旨は、理由がある。
よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決中被告人両名に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書に則り、当審において直ちに、次のとおり自判する。
原判決が認定した各事実に、原判決摘示の各法条のほか、刑の執行猶予につきいずれも刑法二五条一項前段を適用して(なお、刑期については、原審が被告人両名に対し実刑を科する関係上、刑期を大幅に短縮しており、両名の刑の執行を猶予する場合には、原審において執行猶予付きの刑が確定している他の共犯者の刑との権衡を考慮せざるを得ないこと、更には、当審において、原審段階において未了であつた被害金四〇万円の弁償がなされたことなどの点にも配慮して、これを定めた。)、
主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官野間禮二 裁判官木谷明 裁判官生田暉雄)
*******

裁判年月日  昭和62年 9月30日  裁判所名  大阪地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭60(行ウ)32号
事件名  道路占用不許可処分取消請求事件
裁判結果  棄却  文献番号  1987WLJPCA09301060

要旨
◆いわゆる広告付ポール式地名標識につきなされた道路占用許可申請に対して道路管理者がした不許可処分に裁量権の濫用、逸脱がないとされた事例

出典
判タ 670号84頁
判例地方自治 44号58頁

参照条文
道路法32条
道路法33条
裁判官
川口冨男 (カワグチトミオ) 第11期 現所属 定年退官
平成11年11月1日 ~ 定年退官
平成9年10月13日 ~ 平成11年10月31日 高松高等裁判所(長官)
平成4年11月12日 ~ 平成9年10月12日 京都地方裁判所(所長)
平成3年3月30日 ~ 平成4年11月11日 京都家庭裁判所(所長)
~ 平成3年3月29日 大阪地方裁判所

田中敦 (タナカアツシ) 第33期 現所属 大阪高等裁判所(部総括)
平成26年9月18日 ~ 大阪高等裁判所(部総括)
平成25年8月25日 ~ 平成26年9月17日 広島家庭裁判所(所長)
平成24年6月22日 ~ 神戸地方・家庭裁判所姫路支部(支部長)
平成23年4月1日 ~ 平成24年6月21日 大阪高等裁判所
平成19年4月1日 ~ 平成23年3月31日 大阪地方裁判所(部総括)
平成17年4月1日 ~ 平成19年3月31日 検事、大阪国税不服審判所長
平成10年4月1日 ~ 平成17年3月31日 大阪地方裁判所
平成7年4月1日 ~ 平成10年3月31日 東京地方裁判所
平成2年4月1日 ~ 平成7年3月31日 金沢地方裁判所
~ 平成2年3月31日 大阪地方裁判所

古財英明 (コザイエイメイ) 第38期 現所属 裁判所職員総合研修所(所長)
平成30年10月4日 ~ 裁判所職員総合研修所(所長)
平成24年4月18日 ~ 大阪地方裁判所(部総括)
平成20年4月1日 ~ 平成24年4月17日 大阪高等裁判所(事務局長)
平成20年1月16日 ~ 平成20年3月31日 大阪高等裁判所
平成19年9月21日 ~ 平成20年1月15日 東京高等裁判所
平成15年3月25日 ~ 平成19年9月20日 司法研修所(教官)
平成13年7月16日 ~ 平成15年3月24日 東京地方裁判所
平成11年4月9日 ~ 平成11年6月30日 事務総局総務局参事官
平成11年3月25日 ~ 平成11年4月8日 東京地方裁判所
平成8年4月1日 ~ 平成11年3月24日 福岡地方裁判所、福岡家庭裁判所
平成5年6月1日 ~ 平成8年3月31日 事務総局人事局付
平成5年4月26日 ~ 平成5年5月31日 東京地方裁判所
平成3年4月1日 ~ 免事務総局人事局付
平成3年2月1日 ~ 平成3年3月31日 事務総局人事局付
~ 平成3年1月31日 札幌地方裁判所室蘭支部、札幌家庭裁判所室蘭支部

訴訟代理人
原告側訴訟代理人
高村順久, 清水敦

被告側訴訟代理人

Westlaw作成目次

主文
事実
一 当事者の求めた裁判
1 原告
(一) 被告が昭和六〇年二月六日付で…
(二) 訴訟費用は、被告の負担とする。
2 被告
二 原告の請求原因
1 原告は、地名標示振興協会の名…
2 しかしながら、本件処分は裁量…
3 よつて、原告は本件処分の取消…
三 請求原因に対する被告の認否お…
1 請求原因1は認め、同2は争う。
2 (一) 本件標識は、その構造…
(一) 本件標識は、その構造、形態等…
(二) 道路の占用は、道路法に限定列…
四 被告の主張に対する原告の認否…
1 被告の主張はすべて争う。
2 本件処分には、次のとおり裁量…
(一) 本件標識は、被告の怠慢により…
(二) 広告付の道路占用物は、本件標…
(三) 被告は、本件標識を長年放置し…
3 さらに、被告は、本件申請がな…
三 原告の反論に対する被告の認否…
1 (一) 原告の反論2冒頭部分…
(一) 原告の反論2冒頭部分は争う。
(二) 同(一)のうち、広告付ポール…
(三) 同(二)のうち、被告が巻付式…
(四) 同(三)のうち、被告が昭和五…
2 原告の反論3は争う。
五 証拠関係〈省略〉
理由
一 請求原因1は当事者間に争いが…
二 本件処分の適否
1 〈証拠〉、昭和六一年八月一日…
(一) 原告は、地名標示振興協会の名…
(二) 被告の土木局管理部路政課では…
(三) 被告は、昭和五八年ごろから昭…
2 ところで、道路法は、道路に一…
3 なお、原告は、さらに次のとお…
(一) 原告は、被告が巻付式電柱広告…
(二) 原告は、本件処分は、被告が原…
(三) 原告は、被告が本件申請の翌日…
4 以上のように、本件処分は、適…
三 よつて、原告の本訴請求は、理…

裁判年月日  昭和62年 9月30日  裁判所名  大阪地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭60(行ウ)32号
事件名  道路占用不許可処分取消請求事件
裁判結果  棄却  文献番号  1987WLJPCA09301060

原告 地名標示振興協会こと
稲葉昭
右訴訟代理人弁護士 高村順久
同 清水敦
被告 大阪市長大島靖
右指定代理人 増本泰士
同 永村貴英

 

主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。

事実
一  当事者の求めた裁判
1  原告
(一)  被告が昭和六〇年二月六日付で原告に対してした道路占用不許可処分を取消す。
(二)  訴訟費用は、被告の負担とする。
2  被告
主文と同旨。
二  原告の請求原因
1  原告は、地名標示振興協会の名で支柱に地名標示板および広告板を取付けた地名標識(以下、「広告付ポール式地名標識」という。)を官有地に設置してきたものであるが、昭和六〇年二月五日被告に対し、原告が設置した別紙物件目録記載の広告付ポール式地名標識二四個(以下、「本件標識」という。)につき、道路占用許可申請(以下、「本件申請」という。)をしたところ、被告は、同月六日原告に対し、本件標識が許可対象物件に該当しないことを理由に、本件申請につき不許可処分(以下、「本件処分」という。)をした。
2  しかしながら、本件処分は裁量権を濫用、逸脱したばかりか、その決定手続にも違法があるから、取消を免れない。
3  よつて、原告は本件処分の取消を求める。
三  請求原因に対する被告の認否および主張
1  請求原因1は認め、同2は争う。
2(一)  本件標識は、その構造、形態等からみて、道路法四五条にいう「道路標識」であり、道路法および道路交通法に基づき定められた道路標識、区画線および道路標示に関する命令(昭和三五年総理府令・建設省令第三号。以下、「標識令」という。)に規定する道路標識のうちの「案内標識」に該当する。ところで、道路標識は、道路交通の安全と円滑を図るため、道路法四五条、標識令四条などの法令に定めるところに従い、道路管理者または公安委員会が設置義務を負い(案内標識については、標識令四条一項により道路管理者が設置するものと規定されている。)、設置義務者以外の者は、道路標識を設置することはできない。したがつて、本件標識は、そもそも道路法上占用許可の対象とはならない。
(二)  道路の占用は、道路法に限定列挙されている物件について道路の本来的機能を阻害しない範囲内で認められる特許使用であり、占用許可を行うかどうかは、道路管理者の自由裁量に属するところ、本件標識は、道路標識に類似するとともに、信号機や既存の道路標識の視覚を妨げる等、道路の効用、道路の美観および交通の安全を阻害し、道路管理上支障となるものであるから、被告は、これが占用許可対象物件に該当しないとして本件処分をしたものである。したがつて、かりに本件標識が道路法にいう道路標識に該当しないとしても、被告のした本件処分には、裁量権の濫用、逸脱または手続の違法は存しない。
四  被告の主張に対する原告の認否および反論
1  被告の主張はすべて争う。
2  本件処分には、次のとおり裁量権の濫用、逸脱がある。
すなわち、
(一)  本件標識は、被告の怠慢により地名表示の不十分な地域に地域住民等の便益を考えて設置しているもので公共性を有するうえ、いずれも信号機や道路標識の視覚を妨げたり、交通の安全を阻害したりするものでないから、許可対象物件に該当することは明らかである。それゆえ、本件標識と同種の広告付ポール式地名標識は近畿地方建設局管内の地方自治体の多くで占用許可を受けている。それにもかかわらず、被告は、本件標識のこうした状況を考慮せずに不許可処分をしたのであるから、本件処分には裁量権を濫用、逸脱した違法がある。
(二)  広告付の道路占用物は、本件標識のような広告付ポール式地名標識のほかに、電柱にバンドで広告板を巻付けた巻付式電柱広告、消火栓の所在を示す標柱に広告板を付加した広告付消火栓標識、バス停の所在を示す標識に広告を付加した電照式バス停標識および自治会標示板に広告を付加したものなどがあるが、被告は、これらのうち広告付ポール式地名標識を除く物件に対しては道路占用を許可しているのに、これと類似する本件標識については、不許可処分をしたものであるから、本件処分は裁量権の行使に際しての平等原則に反し、裁量権を濫用、逸脱した違法がある。
(三)  被告は、本件標識を長年放置してきたところ、昭和五九年一〇月下旬原告に対し、本件標識の支柱部分を民有地に移設するならば、官有地である道路上に突出する地名標示板が一メートル以内である限り、同部分の占用を許可する旨の行政指導をしたので、原告は、右指導に従い、本件標識のうち既に民有地に敷設した分を除くものについて民有地への移設を開始した。ところが、被告は原告に対し、本件標識につき、昭和六〇年一月一四日付で除却命令を、同年二月五日付で戒告を、同月一五日付で代執行命令を順次発し、同月一九日に代執行による除却をした。そして、原告の本件申請およびこれに対する本件処分は、右除却命令直後の同年二月五日および同月六日にそれぞれされたものである。したがつて、こうした経緯に照らすと、被告は、原告が被告の予想に反して迅速に行政指導に従い、本件標識を民有地へ移設し始めたことに慌てた結果、右行政指導を反故にし、民有地への移設がすべて完了する前に強制撤去を行うことを企図し、こうした予断と偏見に基づいて本件処分がなされたものであるから、本件処分には被告の裁量権を著しく濫用した違法がある。
3  さらに、被告は、本件申請がなされるや、その翌日の昭和六〇年二月六日には早くも本件処分をしており、この間本件申請につき許可基準該当性の有無等の検討が十分に行われたとは考えられないから、本件処分はその決定手続過程に瑕疵が存し、違法である。
三  原告の反論に対する被告の認否および再反論
1(一)  原告の反論2冒頭部分は争う。
(二)  同(一)のうち、広告付ポール式地名標識について道路占用許可をした地方自治体があることは認め、その余は争う。これら占用許可を与えた地方自治体も新たな許可はしておらず、既に占用許可を与えた物件についても撤去の方向での行政指導をしている。
(三)  同(二)のうち、被告が巻付式電柱広告、広告付消火栓標識および広告付バス停標識について、道路占用許可をした例があることは認め、その余は否認ないし争う。被告は、右の各物件についてはそれぞれ許可基準を定めており、これに適合するものについて占用許可を行つてきたものである。
(四)  同(三)のうち、被告が昭和五九年一〇月ごろに原告に、本件標識を民有地に移設するよう行政指導したこと、本件標識につき昭和六〇年一月一四日付で除却命令を同年二月五日付で戒告を、同月一五日付で代執行令書を順次発し、同月一九日に代執行による除却をしたことはそれぞれ認め、その余は争う。被告は、本件標識につき昭和五九年九月ごろから原告に対し、事情聴取と撤去勧告を行つてきた。そして、この間数回にわたり原告に対して本件標識を道路の区域から移動させるようにとの行政指導をしたにもかかわらず、原告が本件標識を撤去しなかつたので、代執行による除却を行つたものである。
2  原告の反論3は争う。
五  証拠関係〈省略〉

理由
一  請求原因1は当事者間に争いがない。
二  本件処分の適否
本件処分の適否について判断する。
1  〈証拠〉、昭和六一年八月一日に本件標識を撮影した写真であることに争いのない検乙第一号証、被写体について争いがなく、原告本人尋問の結果によりいずれも原告がその主張日時に撮影した写真であることが認められる検甲第五号証、証人泉覃雄の証言ならびに原告本人尋問の結果(一部)を総合すると、次の事実が認められる。
(一)  原告は、地名標示振興協会の名で広告付ポール式地名標識を主な交差点周辺の官有地に設置してきたものである(この点は、当事者間に争いがない。)。この広告付ポール式地名標識は、直径七六ミリメートル、高さ3.5ないし3.8メートルの亜鉛メッキ鋼管製の支柱に縦0.56メートル、横0.92メートルの地名標示板および縦0.43メートル、横0.92メートルの広告板を取付けたものであり、その形状は別紙図面記載のとおりである(もつとも、本件標識中には、右地名標示板と広告板が上下逆に取付けられているものもある。)。原告は、ほとんどの場合この広告付ポール式地名標識を設置する際、付近の業者等(もつとも、本件標識の中には三〇〇メートル離れた業者もある。)から掲載の合意を取付け、広告料名下に一定の金員を徴収していた。
(二)  被告の土木局管理部路政課では広告指導係を設置し、大阪市内の屋外広告物の規制、違反広告物の排除および広告物に関する道路占用許可等の事務を行わせているところ、広告物に関する道路占用許可に際しては、それぞれ建設省の通達にのつとり、電柱広告、アーケード添加看板、消火栓標識添加看板、電照式バス停標識添加看板および突出看板である工作物については、道路管理および都市美観の見地からそれぞれ規則を制定し、この中で占用物件の設置目的や構造などに応じた許可基準を設定し、許可申請のあつた占用物件に対しては、各許可基準への適合性を判断のうえ、その許否を決定している。これに対し、広告付ポール式地名標識については、規則の定めはないものの、これが外観上道路標識に類似していることから、被告は信号機や既存の道路標識の視覚を妨げるか否か、支柱の倒壊の危険性の有無などの交通の安全性に加え、公共性、計画性および美観を総合的に評価する許可基準を独自に設定し、右規則による規制を受ける物件と同様の判断過程により、その許否を決定している。
(三)  被告は、昭和五八年ごろから昭和五九年ごろにかけて、大阪市内に存在する標識等の道路占用物件の調査をした結果、本件標識を含む広告付ポール式地名標識が占用許可を受けずに多数道路上に設置されていることが判明したので、右調査結果に基づき内部検討をしたが、これらにつき占用許可を与えられないとの結論に達したので、昭和五九年九月ごろから原告を含め、これらの広告付ポール式地名標識を設置した業者に対し、これらが占用許可を与えられない物件である旨申向けるとともに、四か月間の自主撤去期間を設けて自主撤去するよう行政指導したところ、原告からいかなる要件を満たせば許可されるのかについての指導を求められたので、支柱を民有地に移設し、右標識が媒体ではなく当該民有地の所有者または利用者が自己を表示または宣伝した標示(以下、「自家用」ともいう。)であれば、当該標識部分の官有地への突出が一メートル以内である限り許可する旨の行政指導をした。
しかし、原告は、本件標識の一部につき支柱を民有地へ移設したものの、広告部分の標識は取外さず、自主撤去を求める右指導に応じなかつたことから、被告は、昭和六〇年一月一四日付で本件標識につき除却命令を発した(被告が右除却命令を発したことは、当事者間に争いがない。)。これに対し、原告は同年二月五日本件標識につき本件申請をしたが、被告は右調査のうえ既に許可基準適合性を検討して同基準に適合しないとの判断に到達していたことから、同月六日本件標識が許可対象物件に該当しないという理由で本件処分をし、同月一五日付で代執行令書を発し、同月一九日に代執行により本件標識を除却した(原告が本件申請をしたことならびに被告が右理由で本件処分をしたことおよび右代執行令書を発し、右代執行により本件標識を除却したことは、当事者間に争いがない。)。
以上の事実が認められる。
なお、原告は、本件標識の占用が許可されるための要件につき被告に行政指導を求めた際、支柱部分を民有地に移設したうえ標示板の官有地への突出が一メートル以内であれば、本件標識が自家用であるかどうかにかかわりなく占用を許可する旨の被告の行政指導があつたと主張し、原告本人尋問の結果により成立を認めうる甲第五号証、録音テープであることに争いがない検甲第七号証および原告本人の供述中には、右主張に沿う記載および供述部分が存在する。しかしながら、原告本人の右供述は証人泉覃雄の証言に照らし採用できず、また、前記甲第五号証、検甲第七号証および原告本人尋問の結果によると、前記甲第五号証は、昭和六〇年二月五日に原告が大阪市土木局において被告担当職員泉賈雄との会話の一部を同人の事前または事後の了解を得ずに無断でマイクロテープにより録音したものの反訳書であるが、その前の会話部分は、単に本件と無関係であるとの理由から提出されていないことおよび原告の会話の中には、録音していることを意識してほぼ一方的に自己の意見を表明しているものとうかがわれる部分が存することが認められ、このことに証人泉賈雄の証言に照らすならば、こうした記載が存在するからといつて直ちに被告が原告に対し、原告主張の行政指導をしたものと認めることはできない。そして、他に原告の右主張を認めるに足りる証拠はない。したがつて、原告の右主張は採用できない。
2  ところで、道路法は、道路に一定の工作物等を設け、道路を継続して使用しようとする場合には、道路管理者の占用許可を必要とする旨規定し(同法三二条)、占用許可をなしうる場合につき厳格な基準を定め(同法三三条)、占用許可を得ずに道路を占用した場合には、懲役刑を含む罰則の規定を置いている(同法一〇〇条一号)が、これは、道路が直接一般交通の用に供され、国民の日常生活に不可欠な公物であるという点において高度の公共性を有するところから、道路の一部を道路以外の目的に使用させることは、特別の必要がある例外的な場合に限り認めることとし、その許否の判断を道路の管理権限を有する道路管理者の専門的、技術的裁量に委ねたものと解すべきである。そうすると、道路法三二条の占用許可をするかどうかは、道路の状況を把握してこれを管理する道路管理者が道路の公共性および秩序維持の見地から、当該占用が同法三三条所定の占用許可基準に適合するかどうかを総合的に判断して決する裁量に委ねられていると解すべきであるから、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるとして、違法とはならないものと解するのが相当である。
そこで、これを本件についてみるのに、本件標識の形状および設置目的は前記認定のとおりであるうえ、証人泉賈雄の証言および原告本人尋問の結果によると、原告は、公共公物である道路の交通体系やその特性、さらには道路構造を保全し、道路交通の安全と円滑を図るために道路管理者が整備する道路標識とも無関係に、単に地名を標示してわかりやすくするとの理由から一定の基準もなく設置していることならびにその設置に当たつても当該標識の安全性または設置場所の地下埋設物に対する専門的、技術的知識を有しておらず、単に原告の経験上地下埋設物が存在しないと考えられる箇所を約一メートル程度掘削するという方法を行つており、これらに対する配慮に欠けるところがあることが認められる。結局これら諸般の事情を合わせ考えると、本件標識はこれを全体としてみるならば、道路標識に酷似しているとともに、信号機や既存の道路標識の視覚を妨げたり、道路交通体系に混乱を与えるなど、道路の効用、美観および交通の安全を阻害し、道路管理上支障を与えるものといわざるをえないから、これが占用許可の対象にあたらないとしてなされた本件処分には、裁量権の濫用はない。
なお、原告は、本件標識は個々的にみると信号機や道路標識の視覚を妨げるものではないから、これに基づき不許可処分をすることは裁量権の濫用にあたる旨主張するが、交通の安全性は、右視覚のみを基準としているのではないうえ、本件処分は、その他公共性、計画性および美観といつた要件を総合的に評価して不許可の結論を出しているのであるから、かりに本件標識のうち個別的にみて信号機や道路標識の視覚を妨げないものが存するとしても、そのことをもつて本件処分に裁量権の濫用があるといえないことは明らかである。また、原告は他の地方自治体では、本件標識と同種の広告付ポール式地名標識について占用許可がされた例があるから、本件処分は裁量権の濫用がある旨主張し、こうした標識につき占用許可の行われた地方自治体が存することは、当事者間に争いがない。しかしながら、道路の状況ならびに道路に対する規制の必要性および態様は地方自治体ごとに異なるものであり、占用許可についても当該道路管理者が対象となる道路の状況に応じそれぞれの裁量に基づきこれを行うものであるから、右広告付ポール式地名標識を許可した地方自治体があるからといつて、本件処分が直ちに違法となるものではないうえ、いずれも成立に争いのない乙第五号証の一ないし一二および第七号証、証人泉賈雄の証言およびこれにより成立の認められる乙第六号証によると、前記広告付ポール式地名標識については、東京都および大阪市を除くすべての政令指定都市をはじめ、数多くの地方自治体においてこれを許可しておらず、これを許可した地方自治体のうち、少なくとも兵庫県相生市、同県竜野市および山口県下関市では、新規の許可申請に対しては許可を与えず既存の物件についても行政指導により撤去を求める方向で対応していることが認められる。したがつて、原告の右主張も採用できない。
3  なお、原告は、さらに次のとおり本件処分が違法である旨るる主張するので、この点について判断する。
(一)  原告は、被告が巻付式電柱広告、広告付消火栓標識および広告付電照式バス停標識などについては道路占用を許可しているのに、これらと類似する本件標識について不許可処分をしたことは、理由のない差別的取扱であつて、平等原則に違反し、裁量権の逸脱、濫用があると主張する。そして、これらの物件について被告が占用を許可した例が存在することは、当事者間に争いがない。
しかしながら、本件標識を含め、これらの物件は占用許可の対象となる物件であるという点においては共通点を有するものの、その形状または占用の態様などはそれぞれ異なつているから、これらが道路の効用に及ぼす影響も同一ではない。それゆえ、被告は、前記のとおりこれらの差異に基づき、物件の種類ごとに個別に占用許可基準を設け、それぞれの許可基準に従い、許否を決しているのであるから、右電柱広告等につき許可が与えられたとしても、本件標識につき当然許可が与えられるべきことにはならず、結果的に取扱が異になつても、なんら平等原則に反するものではない。また、前記認定のとおり、被告は、本件標識と同種の広告付地名標識を設置したすべての業者に対して一律に占用不許可を前提とした共通の行政指導をしているのであるから、右指導がことさら原告を差別的に取扱い、不利益を及ぼしたものともいえない。

したがつて、原告の右主張は採用できない。
(二)  原告は、本件処分は、被告が原告に対し、本件標識を民有地に移設したうえ官有地への標示板の突出部分が一メートル以内であれば、右突出部分につき占用を許可する旨の行政指導をしたにもかかわらず、後日これを反故にし、民有地への移設がすべて完了する前に強制撤去を行うことを企図し、こうした予断と偏見に基づいてなされたものであるから、裁量権を濫用した違法があると主張し、原告本人の供述中にはこれに沿う部分がある。
しかしながら、被告のした右行政指導が原告の主張するものでなかつたことは前記認定のとおりであるから、原告の右主張はその前提を欠くうえ、前記のとおり、原告は被告による再三の勧告にもかかわらず、合理的な期間を経過したのちも本件標識の官有地からの自主撤去を完了していなかつたのであるから、被告が原告の民有地移設の完了前に強制撤却することを企図したからといつて、それが被告の予断と偏見に基づくものとは到底いえない。
したがつて、いずれにしても、原告の右主張は採用できない。
(三)  原告は、被告が本件申請の翌日に早くも本件処分をしていることから、被告は本件申請につき許可基準該当性の有無等を十分に検討をしないまま、本件処分をしたものであるから、本件処分はその決定手続過程に瑕疵が存し、違法である旨主張する。しかしながら、前記のとおり、被告は、原告に対する行政指導を開始した昭和五九年九月ごろには、それまでの調査結果に基づいてすでに本件標識につき、その許可基準に照らして、占用許可の対象とはなりえないとの結論に到達しており、昭和六〇年一月にはすでに原告に対し、除却命令まで発していたのであるから、本件申請当時本件標識につき占用許可を与えられないとの被告の結論は確定していたというべきである。そうすると、その翌日に本件処分がされたからといって、被告において当該許否についての十分な検討をしていないとはいえないから、本件処分の決定手続過程には原告の主張するような違法は存しない。
したがつて、原告の右主張は採用できない。
4  以上のように、本件処分は、適法であるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の主張は理由がないというべきである。
三  よつて、原告の本訴請求は、理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条に従い、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官川口冨男 裁判官田中敦 裁判官古財英明)
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裁判年月日  昭和62年 5月20日  裁判所名  堺簡裁  裁判区分  判決
事件番号  昭60(ろ)57号
事件名  大阪府屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反被告事件
裁判結果  無罪  上訴等  控訴  文献番号  1987WLJPCA05206002

裁判経過
上告審 平成 4年 6月15日 最高裁第二小法廷 判決 平元(あ)710号 大阪府屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反被告事件
控訴審 平成元年 5月24日 大阪高裁 判決 昭62(う)838号 大阪府屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反被告事件

出典
刑集 46巻4号334頁

評釈
上村貞美・法教 85号110頁

Westlaw作成目次

主文
理由
第一 本件公訴事実
第二 本件事件の背景など
一 毛沢東思想学院は、一九六七年…
二 被告人は、一九七七年、街頭に…
三 被告人及びその所属する毛沢東…
四 被告人及びその所属する学院が…
五 本件ビラは、同学院が平和と国…
第三 本件現場、その付近の状況及び…
一 本件現場及びその付近の状況
二 本件ビラが貼られた物件
三 本件ビラの形状
四 被告人の本件行為
五 侵害する法益
1 各柱の機能障害及び公衆に対す…
2 各柱の、主として財産権、管理…
3 美観風致というものは、多くの…
六 法益の侵害
第四 当裁判所の判断
一 公訴棄却の申立
二 憲法違反
三 構成要件不該当
四 可罰的違法性欠如

裁判年月日  昭和62年 5月20日  裁判所名  堺簡裁  裁判区分  判決
事件番号  昭60(ろ)57号
事件名  大阪府屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反被告事件
裁判結果  無罪  上訴等  控訴  文献番号  1987WLJPCA05206002

主文

被告人は無罪。

 

 

理由

第一  本件公訴事実
本件公訴事実は、被告人は、法定の除外事由がなく、かつ、管理者の承諾を受けずに、昭和六〇年六月二六日午後六時一八分ころから同三二分ころまでの間、大阪府堺市一条通二〇番五号先路上に設置された大阪府警察本部長四方修管理の信号機柱、同番三号先路上に設置された関西電力株式会社堺営業所長池田捷年管理の電柱、同一条通一五番二一号先路上に設置された大阪府鳳土木事務所長片岡孝管理の道路標識柱に、「講演・討論会、アジアと日本を考える、主催毛沢東思想学院」などと記載したポスター(縦四五センチメートル、横三〇センチメートル)各一枚をのりで貼り付け、もって、みだりに他人の工作物にはり礼をするとともに、広告物表示禁止物件である信号機及び道路標識に広告物を表示したものである。
というのである。
被告人が、右日時、右物件に、右ポスター各一枚をのりで貼り付けた事実は、後記第三、四で判示するとおり認められるが、右所為は、以下に判示する理由で可罰的違法性を欠き罪とならない。
第二  本件事件の背景など
証人井上清、同針生一郎及び被告人の当公判廷における各供述によると次の事実が認められる。
一  毛沢東思想学院は、一九六七年、日本国と中華人民共和国との間の友好関係を深めるため、相互の政治、経済、社会関係などについて、理解することを目的として創立した。
同学院は、平和と民主主義を維持し発展させることを活動目的とし、「社会の進歩、発展の方向は、その国の国民大衆に依拠するものである。」という立場から、一般市民に対して、日本の政治、社会、国際関係、日本とアジア諸国との関係などについての状況を具体的に説明し、理解を深めるため、学習会、労働者夜間学校、講演、講習、討論会、各種講座等を一般市民の参加のもとに企画し、活動している。
二  被告人は、一九七七年、街頭に貼られた毛沢東思想学院の創立一〇周年記念集会のポスターを見て、同学院を知り、その集会に参加した。それ以後、同学院が行なう各種の学習会などに参加し、現在は、同学院の事務局員として、各種集会などの企画、広報活動に従事している。
三  被告人及びその所属する毛沢東思想学院の一般市民に対する広報メディアは、学院ニュース、マスコミへの掲載、ビラ配り、ビラ、ポスターの貼り付け(以下「ビラ貼り」という。)などであるが、同学院が利益団体でないことから、学院ニュースの発刊は月一回で、その発行部数にも限りがあり、また、テレビ、ラジオ、新聞などのマス・メディアを積極的に利用することもできない。従って、主たる広報メディアは、ビラ配りとビラ貼りである。このうち、街頭でのビラ貼りは、ビラ配りに比べて労力、経費が少なく、広報効果が大きいため、同学院の利用するもののうち、最も重要な広報メディアである。本件集会に、満席の一五〇名もの各階層の市民が参加したのもビラ貼りによるものである。参加者の多くは同学院とは関係のない一般市民であり、そのうちの多数の参加者は、街頭に貼られたビラを見て参加した者である。
四  被告人及びその所属する学院が、一般市民の自由に通行できる場所でビラ貼りをすることは、事実上できない状態である。ビラ貼りに利用できる公共掲示板は存在しないし、各種の私的掲示板及び電柱などの公共的工作物は、政治的であるとの理由で、その利用を全面的に排除している。
五  本件ビラは、同学院が平和と国民の生活を守るため、一般市民による集会を開き、その参加者が日本とアジアの関係についての実状を知り、理解するため、岩波新書「バナナと日本人」の著者鶴見良行から「日本はアジアで何をしているか」、タイ国出身で京都精華大学教授クントン・インタラタイから「アジア民衆が直面する問題」の講演を開き、それについての参加者による自由討論をすることを目的とするものであり、本件ビラ貼りは、これを、一般市民に知らせ、その参加を呼びかけるものである。
第三  本件現場、その付近の状況及び本件行為など
証人尾花重義、同菅原正三、同岡田寛治、同尾藤博之、同横山博明、同針生一郎(但し、本件ビラ貼りと美観の関係についてのみ)及び被告人の当公判廷における各供述、司法警察員作成の実況見分調書、司法巡査作成の昭和六〇年六月二六日付け現場写真撮影報告書及びポスター貼付状況のポラロイド写真撮影報告書各一通、司法巡査作成の同月二九日付け証拠物件の写真撮影報告書、司法巡査作成の同年七月三日付けポスター貼付信号機の管理権などについての根拠規程の抄本作成報告書、同日付け司法警察員作成のポスター貼付電柱の管理権などについての根拠規程の抄本作成報告書、同日付け司法警察員作成のポスター貼付道路案内標識柱(道路標識)の管理権などについての根拠規程の抄本作成報告書、向井信幸、中井文彦及び中川勇作成の各任意提出書(三通)及びこれらに対する司法警察員作成の各領置調書(三通)、押収してあるポスター四通(昭和六一年押第三号の一ないし五)及び押収してある写真撮影報告書(昭和六一年押第三号の六)を綜合すると次の事実が認められる。
一  本件現場及びその付近の状況
本件現場は、堺市の市街地の中心部で大阪和泉泉南線と中央環状線が交差する一条交差点の北方であり、昼夜とも交通量はひんぱんである。
本件現場の大阪和泉泉南線は、道路の両側が商店、銀行、中小ビルなどが立ち並ぶ繁華街であって、道路の幅員は約二二メートルで、歩道と車道は段差があって高さ一メートルの鉄製歩道柵で区分されている。
車道は片側三車線で駐車禁止区域であるが、商用自動車などが駐停車しているため通行自動車は中央側の二つの車線を運行している。
歩道は幅員三・四から三・七メートルであるが、特に西側歩道は商店側に商品陳列台、自動販売機などが置かれ、車道側に自転車、単車、ごみ箱、立看板などが多数雑然と置かれているため、歩行の有効幅員は狭い。
本件現場付近には、本件類似物件及び商業用看板など多数が雑然と散在している。
前記実況見分調書添付の
写真第1号
左側車道上に突出し看板、商店からの化粧庇及びその支柱など、放置物件多数。
写真第2号
左側歩道の銀行看板、右側歩道上に商店からの化粧庇及びその支柱、車道左側端車線の駐停車の自動車多数。
写真第3号
左側車道に駐停車の自動車多数。
写真第5号
電柱に「堺信販」の巻き看板、「クレセント・リース」の突出し看板、歩道に自転車多数。
写真第6号
歩道に自転車多数。
写真第7号
左側歩道柵にくくり付けたビールの宣伝の、旗看板、歩道の立看板、自転車、ごみ箱、放置物件多数。
前記写真撮影報告書の、
写真第1号
中央部電柱に「ローンズ淀」の突出し看板、「クリーンロード作戦実施中」の立看板、歩道柵に「全台大開放」の、旗看板、歩道上に商店からの化粧庇、突出し看板及び花飾。
写真第2号
電柱に「クレセントリース」の突出し看板、「堺信販」の巻き看板、歩道上に商店からの突出し看板。
写真第3号
歩道の「サンライズ」、「堺信販」の立看板、ごみ箱多数。
写真第4号
中央部の電柱らしいものに「太陽生命」の突出し看板、手前の電柱に「シートベルトが命を守る」の突出し看板、右奥の電柱に突出し看板及び巻き看板、歩道に自転車、単車、ごみ箱多数及び立看板、歩道上のパチンコ店の花飾り及び旗看板、「氷」の旗看板。
写真第5号
電柱に「堺信販」の巻き看板、歩道の立看板、自転車。
写真第6号
電柱らしいものに立看板、歩道に立看板、商品陳列台、商店からの化粧庇及び突出し看板。
写真第7号
電柱に「クリーンロード作戦実施中」の立看板。歩道に自転車多数。
写真第12、13、14号
電柱に「丸山歯科」の突出し看板、「堺信販」の巻き看板、歩道の立看板及び自転車多数。
写真第15、16、17号
電柱に信号燈と「質武田」の突出し看板、歩道に商品陳列台、自動販売機設置など
が存在する。
二  本件ビラが貼られた物件
信号機柱は、大阪府堺市一条通二〇番五号、新町交差点南東角から南方二・一五メートル、東側歩道沿石から東方〇・六メートルの歩道(以下「第一現場」という。)に設置され大阪府警察本部長管理のものである。同柱は直径〇・三メートル、高さ七・五メートルのコンクリート製で「新町」という地名表示の看板、「信号守ろう」の巻き看板が設置されている。本件ビラの貼付場所は、同ビラの下部から地面まで一・三メートル、歩道の東方から最も見えやすいように貼られている。
電柱は、同市一条通二〇番三号、新町交差点南東角から南方二三・三メートル、東側歩道沿石から東方〇・七メートルの歩道(以下「第二現場」という。)に設置され、関西電力株式会社堺営業所長管理のものである。同電柱は直径〇・三五メートル、高さ一三・二メートルのコンクリート製で、「消費者ローンクレセントリース」の突出し看板、「消費者金融堺信販」の巻き看板が設置されている。本件ビラの貼付場所は、同ビラの下部から地面まで一・一〇メートル、歩道の東方から最も見えやすいように貼られている。
道路標識柱は、同市一条通一五番二一号、一条交差点北西角から北方約六〇メートル、西側歩道沿石から西方〇・八メートルの歩道(以下「第三現場」という。)に設置され、大阪府鳳土木事務所長管理のものである。同柱は直径〇・二五メートル、高さ五・〇メートルのコンクリート製である。本件ビラの貼付場所は、同ビラの下部から地面まで歩道から同標識柱に向って右側のものが一・一三メートル、左側のものが一・一七メートル、歩道を北から南へ、南から北へと通行するものが、それぞれ見やすいように貼られている。
三  本件ビラの形状
本件ビラは、縦四五センチメートル、横三〇センチメートルの白地の用紙に、赤色と黄色による抽象的な模様を画き、これを背景とし、黒色の文字で「講演討論会、アジアと日本を考える、アジアで日本は何をしているか鶴見良行氏、アジア民衆の直面する問題クントン・インタラタイ氏」及び日時、場所、主催名を横書きし印刷したものである。
四  被告人の本件行為
被告人は、法定の除外事由がなく、かつ、管理者の承諾を受けず昭和六〇年六月二六日午後六時一五分ころ、大阪府堺市一条通府道和泉泉南線(通称一三号線)、新町交差点の東側横断歩道を北から南に歩いてわたり、第一現場の信号機柱の前に立ち止まり同日午後六時一八分ころ、同信号機柱に、自己の左手に掲げていた白い容器のなかのものを右手の平につけ、上から下に撫でおろすようにしたのち、その容器を下に置き、左脇に挟み込んでいたビラのうち一枚を取り出し、同柱に押しあて、右手の平で上から二、三回撫でおろして貼り付け、つづいて、同歩道を南に向けて歩き、第二現場の電柱の前に立ち止まり、同電柱にビラ一枚を右同様の方法で貼り付け、さらに、同日午後六時三二分ころ、第三現場で、道路標識にビラ一枚を押しあてて、右手で同ビラの上から二、三回撫でおろして貼り付けているところを、警察官に現認され、同日午後六時三五分ころ、大阪府屋外広告物条例(以下「府条例」という。)違反、軽犯罪法違反の現行犯で逮捕されたものである。
五  侵害する法益
本件ビラ貼りは、前記認定のとおりの地域、場所、方法などで、コンクリート製柱に用紙のビラ各一枚を歩道から最も見えやすいように、のりで貼り付けたもので、
1  各柱の機能障害及び公衆に対する危害は存在しない。
2  各柱の、主として財産権、管理権に対し、ビラを取り除く労力及び無断で貼られたことに対する迷惑感情は存在する。
3  美観風致というものは、多くの構成要素が複雑に絡み合って形成されるもので、多分に主観的なものである。本件ビラ貼りにより一般的に不快感、汚らしいという感情を生ずるとか、周囲の美観を乱してしまうというものは存在しない。
六  法益の侵害
右の2及び一般に「別段気にとめない」程度の美観風致を侵害した。
第四  当裁判所の判断
被告人及び弁護人らは、
一  公訴棄却の申立
本件は、些細な事案であるにもかかわらず、ビラの内容と毛沢東思想学院の性格に着目し被告人を逮捕し、さらに、自宅及び同人の所属する同学院まで捜索した。本件捜査、起訴は、被告人及び同学院の内情を探り、政治的弾圧をなすために利用したものである。
検察官は、事案及び軽犯罪法四条、府条例一九条の二の条項(以下「濫用防止条項」という。)を考慮すれば、本件は起訴猶予処分にすべきところを、訴追裁量を大幅に逸脱して起訴したもので、本件公訴は棄却されるべきである。
と主張する。
検察官は、現行法制のもとで、公訴を提起するかしないかについて、広範な裁量権を認められているけれども、その行使について、種々の考慮事項が刑訴法に列挙されていること(刑訴法二四八条)、検察官は、公益の代表者として公訴権を行使すべきものとされていること(検察庁法四条)、さらに、刑訴法上の権限は、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ誠実にこれを行使すべく、濫用にわたってはならないものとされていること(刑訴法一条、刑訴規則一条二項)などを総合して考えると、検察官の裁量権の逸脱が公訴の提起を無効ならしめる場合があり得るが、それはたとえば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られるものである(最高裁昭和五五年一二月一七日決定・刑集三四巻七号六七二項参照)。
本件についてみるのに、本件起訴に至った経緯は、被告人は、「昭和五九年六月一四日、大阪市淀川区内に設置された同市土木局北工営所長管理の自転車専用標識柱に、ティーチ・インへの参加を呼びかけるポスター一枚を、のりで貼り付けた。」として、軽犯罪法(一条三三号)違反で検挙され、同年八月三一日不起訴(起訴猶予)処分に付され、その後、右処分前の「同月二三日、大阪府堺市内に設置された関西電力株式会社堺営業所長管理の電柱に、毛沢東思想学院創設者逝去記念の映画と講演の夕べへの参加を呼びかけるポスター二枚を、のりで貼り付けた。」として、軽犯罪法(一条三三号)違反で検挙され、同年一一月七日不起訴(起訴猶予)処分に付されている(検察事務官作成の捜査報告書)経過に照らし、本件は起訴したものである。また、本件捜査の端緒は、帰宅途上の警察官が偶然に現認したものであり、本件公訴の提起がその裁量権を逸脱して、被告人及び同人の所属する毛沢東思想学院の政治的弾圧に利用する意思に基づいてなされたことをうかがわせるものは見出せない。もっとも、被告人が本件ビラ貼りに着手する以前から、同人が第二現場で本件ビラ貼りを終えるまでの間、同人の動向注視のみに終わった警察官の捜査方法は、軽犯罪法、屋外広告物法及び府条例の立法経過及び立法者の意思に沿わないものである。しかし、これをもって、本件公訴の提起自体を無効とするような極限的な場合にあたる事情とは認められず、ほかに、本件公訴の提起自体を無効とするような事情は認められない。
本件公訴は、適法である。
二  憲法違反
ちまたにあふれるビラ・ポスターの大半は、商業広告物であるが、これが刑罰規制の対象となったことは知らない。軽犯罪法一条三三号前段の規定は、専ら政治的思想を内容とするビラ貼りに向けられて適用されている。これは、同条号前段の「みだりに」の文言が、具体的にどのような場合を指すのか、あいまい、不明確であるため、これを適用する者が同法四条の規定にもかかわらず、政治的弾圧という治安目的のために濫用していることによるものである。
右あいまい、不明確である同条号は、憲法二一条に違反し、さらに、罪刑法定主義を定めた憲法三一条に違反する。
府条例一七条一号、二条二項四号は、合理的理由の存在しない場合まで、ビラ貼りを全面的に禁止し、あるいは、知事の許可にかからしめることで、表現の自由を不当に侵害している。
右条号は、憲法二一条に違反する。
と主張する。
軽犯罪法一条三三号前段にいう「みだりに」とは、他人の家屋その他の工作物に、はり札をするについて、社会通念上正当な理由のない場合を指称するものと解するのが相当であって、その文言が、あいまいであるとか、犯罪の構成要件が明確でないとは認められない(最高裁昭和四五年六月一七日大法廷判決・刑集二四巻六号二八〇頁参照)し、
府条例は、屋外広告物法(昭和二四年法律第一八九号)に基づいて制定されたもので、右法律と府条例の両者相まって、都市の美観風致を維持し及び公衆に対する危害を防止するために、屋外広告物の表示場所及び方法などについて、必要な規制をしているものであって、国民の文化的生活の向上を目途とする憲法のもとにおいては、都市の美観風致を維持することは、公共の福祉を保持する所以であるからこの程度の規制は、公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限と解する(最高裁昭和四三年一二月一八日大法廷判決・刑集二二巻一三号一五四九頁参照)ので、
所論違憲の主張は、採用できない。
三  構成要件不該当
軽犯罪法一条三三号前段にいう「みだりに」とは、ビラ貼りによる法益侵害が、表現の自由を濫用し、憲法上許容できないものであることが明白になった場合を、さすもので、この判断は、一方で、ビラの大きさ、形状、図案、色彩、貼り付けられた地域、場所、物件、枚数、貼り付け方法、位置、他方で、ビラ貼りに至った経過、動機、目的などの一切の事情をも綜合したうえで行なわれなければならない。このことは、法文上の限定のない府条例においても同様に適用されるべきものである。
本件ビラ貼りは、平和と民主主義を維持、発展させるため、「日本とアジアを考える」講演討論集会を、一般市民に対して知らせ、これに参加することを呼びかける正当なものであり、本件ビラ貼りによって財産権、管理権ないし美観風致の侵害は存在せず、公衆に対して危害を加えるものでもない。このように、本件ビラ貼りは表現の自由を濫用するものでないから、右各構成要件に該当しない。
と主張する。
同条号の「みだりに」というのは、前記のとおりであり、その判断は、同条号の法益とビラ貼り行為の具体的事情を考慮してなされるものではあるけれども、構成要件該当性の判断段階に、所論のような過度の具体的な価値判断を取り入れることは相当でない。
本件についてみるのに、被告人は、法定の除外事由もなく、かつ、工作物の管理者の承諾をうけることなく前記認定のとおり、本件ビラ貼りをしたもので、右所為は同条号の法益から社会生活上当たり前の行為として許されるものではないから、前記の社会通念上正当の理由のない場合に該当するものである。
右主張は採用できない。
四  可罰的違法性欠如
前記のとおり、ビラ貼りは憲法で保障する表現の自由の行使であり、被告人及び学院には重要な伝達手段である。本件ビラ貼りの動機、目的は正当で、手段、方法は相当であり、表現の自由を濫用するものではない。他方、軽犯罪法、府条例の法益は、財産権、管理権ないし美観風致の維持、公衆に対する危害の防止であるところ、本件ビラ貼りによる法益の侵害はない。また、本件ビラ貼りをする場所の保障が十分になされていない。右事情のもとでの本件ビラ貼りは、社会的相当行為であり、これに刑罰を科することはできない。
と主張する。
自己の主張や意見を、一般市民が自由に通行できる場所に、ビラ貼りによって伝達することは、表現の自由を行使する方法のなかで、重要なものである。特に、社会における少数者は、自己の意思をマス・メディアを通じて行なうことは容易でない。この人々にとって、最も簡便で有効な方法が、このビラ貼りである。ビラ貼りは、貼る場所を伴う表現形態であるから、この自由を保障することは、当然に、その場所を選ぶ自由を伴っているものといわなければならない。しかし、この自由は絶対無制約的なものではなく、その行使によって、他人の権利を不当に侵害することは許されないものである。この場合、不当な侵害であるかどうかの判断は、ビラ貼りが形式的に刑罰法規に該当すれば、直ちに、不当な侵害となると解することは適当でなく、憲法の保障する表現の自由の行使であるビラ貼りのもつ価値と、これを規制することによって確保されるところの法益とを、ビラの貼られた具体的状況のもとで、貼られた地域、場所、物件、行為の態様、必要性の程度など多くの事情を較量してなすべきものである。
そこで、本件ビラ貼りを規制する軽犯罪法、府条例についてみると、
軽犯罪法は、国民の日常生活における卑近な道徳律に違反する軽微な行為を集めて、これに軽微な制裁を科して、社会生活を秩序立てようとするものであるから、その運用いかんによっては、非常に多くのものがこの法律に触れる結果を招来することも有り得るので、この適用については、かような小さな犯罪であっても社会生活上許せないという場合において、初めて適用するのが相当であり(立法時における政府委員説明・第二回国会衆議院司法委員会議録第三号(昭和二三年三月二三日)一、二頁参照)、同法一条三三号前段の適用についても、右と同様に適用されるべきものである。そして同条号は、主として他人の家屋その他の工作物に関する財産権、管理権を保護するために、「みだりに」これらの物にはり札をする行為を規制の対象とするものである(前掲第四、二最高裁判決参照)。
次に、府条例は、前記のとおり美観風致を維持し及び公衆に対する危害を防止するものであって、広告の内容を取締りの対象とするものではない。従って、ビラ貼りの場所を規制する場合は、その代わりに、手ごろな場所に公的掲示板などを設置し、そこに貼らせるようにすることは極めて適切であるから、これは、公の手で積極的にするべきものである(立法時における政府委員などの答弁及び説明・第七一回国会衆議院建設委員会議録第八号(昭和四八年五月八日)二八頁、同会議録第三〇号(同年八月二九日)一五頁参照)。また、この法適用については、いきなり表現の自由に対して、刑罰をもって望むということでなく、できるだけ行政指導で秩序立てをするという行政指導先行で抑制していくべきである(立法時における政府委員説明・前掲会議録第八号(昭和四八年五月八日)三一、三二頁参照)、(大阪高等裁判所昭和六一年(う)第六〇四号第二回公判調書中の証人黒田了一の尋問調書写)。
これを、本件にかぎってみるのに、被告人が、起訴状記載の公訴事実のとおり、ビラ貼りをした事実は認められるが、同人が右所為に出た所以のものは、同人が平和と民主主義の維持、発展を求め、一般市民に対し、アジアの実情を一人でも多くの市民に知ってほしいという心情によるもので、ビラ貼りの方法は平穏で、貼られた地域、場所、物件、ビラ貼りの態様などから、本件ビラ貼りにより侵害する法益及び法益の侵害は軽微であり、他方、本件ビラ貼りは、憲法二一条の保障する表現の自由の行使で、被告人及び同人の所属する学院にとって、同人らの主張や意見を伝達する方法として、最も重要な方法であるにもかかわらず、これを、一般市民の自由に通行できる場所に貼ることの保障が十分でないことなど一切の事情を考慮すると、被告人の本件所為は、同所為が軽微な違法性でたりるものであることをもってしても、法秩序全体の見地からこれを見るとき、軽犯罪法一条三三号、府条例一七条一号、二条二項四号の定める罰条をもって、処罰しなければならないほどの違法性があるものとは認められないから、結局、右は罪とならないものと言わなければならない。
よって、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し、無罪の言い渡しをする。

 

*******

裁判年月日  昭和62年 3月 3日  裁判所名  最高裁第三小法廷  裁判区分  判決
事件番号  昭59(あ)1090号
事件名  大分県屋外広告物条例違反被告事件
裁判結果  棄却  文献番号  1987WLJPCA03031051

要旨
◆大分県屋外広告物条例三三条一号、四条一項三号を適用しても憲法二一条一項に違反しないとされた事例
◆大分県屋外広告物条例で広告物の表示を禁止されている街路樹二本の各支柱に、政党の演説会開催の告知宣伝を内容とするいわゆるプラカード式ポスター各一枚を針金でくくりつけた所為につき、同条例三三条一号、四条一項三号の各規定を適用してこれを処罰しても憲法二一条一項に違反しない。(補足意見がある。)

新判例体系
公法編 > 憲法 > 憲法〔昭和二一年一一… > 第三章 国民の権利及… > 第二一条 > ○表現の自由 > (三)法令の合憲性 > B 公安条例関係 > 昭和三九年大分県条例第七一号
◆大分県屋外広告物条例で広告物の表示を禁止されている街路樹二本の各支柱に、政党の演説会開催の告知宣伝を内容とするいわゆるプラカード式ポスター各一枚を針金でくくりつけた所為につき、同条例第三三条第一号、第四条第一項第三号の各規定を適用してこれを処罰しても、憲法第二一条第一項に違反しない。

 

裁判経過
控訴審 昭和59年 7月17日 福岡高裁 判決 昭58(う)487号 大分県屋外広告物条例違反被告事件
第一審 昭和58年 6月21日 大分簡裁 判決 昭55(ろ)66号 大分県屋外広告物条例違反被告事件

出典
刑集 41巻2号15頁
裁判集刑 245号681頁
裁時 961号2頁
判タ 633号128頁
判時 1227号141頁

評釈
高橋省吾・最高裁判所判例解説 刑事篇(昭和62年度) 21頁
高橋省吾・判解2事件・曹時 39巻12号274頁
吉永祐介・判タ 638号71頁
高橋省吾・ジュリ 888号66頁
市川正人・ジュリ臨増 910号20頁(昭62重判解)
戸松秀典・判評 346号64頁(判時1250号210頁)
金井光生・ジュリ別冊 217号130頁(憲法判例百選Ⅰ 第6版)
金井光生・ジュリ別冊 186号128頁(憲法判例百選Ⅰ 第5版)
宍戸常寿・ジュリ別冊 168号218頁(地方自治判例百選 第3版)
大林文敏・ジュリ別冊 154号130頁(憲法判例百選Ⅰ 第4版)
大林文敏・ジュリ別冊 130号122頁(憲法判例百選Ⅰ 第3版)
戸松秀典・ジュリ別冊 125号36頁(地方自治判例百選 第2版)
大林文敏・ジュリ別冊 95号96頁(憲法判例百選Ⅰ 第2版)
内田文昭・警察研究 64巻4号51頁
日本評論社・法時 59巻8号111頁
戸波江二・法セ増刊(最新判例演習室1988) 40頁
戸波江二・法セ 394号107頁
(判例紹介)・警察時報 42巻7号128頁
最新判例研究会・捜査研究 429号77頁
金井光生・行政社会論集(福島大学) 23巻4号115頁
大沢秀介・法教別冊 89号8頁(付録・判例セレクト1987)
紙谷雅子・法教 85号108頁

参照条文
条例
日本国憲法21条
裁判官
安岡滿彦

伊藤正己 (イトウマサミ)  現所属 定年退官
平成1年9月20日 ~ 定年退官
昭和55年1月19日 ~ 平成1年9月19日 最高裁判所
~ 昭和55年1月18日 東京大学教授

長島敦 (ナガシマアツシ)  現所属 退官
昭和63年3月16日 ~ 退官
昭和59年6月12日 ~ 昭和63年3月15日 最高裁判所判事
~ 昭和59年6月11日 名古屋高等検察庁検事長、東洋大学教授

坂上寿夫

引用判例
昭和43年12月18日 最高裁大法廷 判決 昭41(あ)536号 大阪市屋外広告物条例違反被告事件
昭和25年 9月27日 最高裁大法廷 判決 昭24(れ)2591号 教育委員会委員選挙罰則違反被告事件
昭和24年 5月18日 最高裁大法廷 判決 昭23(れ)1308号 食糧緊急措置令違反被告事件

Westlaw作成目次

主  文
理  由
裁判官伊藤正己の補足意見は、…

裁判年月日  昭和62年 3月 3日  裁判所名  最高裁第三小法廷  裁判区分  判決
事件番号  昭59(あ)1090号
事件名  大分県屋外広告物条例違反被告事件
裁判結果  棄却  文献番号  1987WLJPCA03031051

主  文

本件上告を棄却する。

 

理  由

弁護人河野善一郎、同岡村正淳、同安東正美、同古田邦夫、同指原幸一の上告趣意のうち、憲法二一条一項違反をいう点は、大分県屋外広告物条例は、屋外広告物法に基づいて制定されたもので、右法律と相俟って、大分県における美観風致の維持及び公衆に対する危害防止の目的のために、屋外広告物の表示の場所・方法及び屋外広告物を掲出する物件の設置・維持について必要な規制をしているところ、国民の文化的生活の向上を目途とする憲法の下においては、都市の美観風致を維持することは、公共の福祉を保持する所以であり、右の程度の規制は、公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限と解することができるから(最高裁昭和二三年(れ)第一三〇八号同二四年五月一八日大法廷判決・刑集三巻六号八三九頁、同昭和二四年(れ)第二五九一号同二五年九月二七日大法廷判決・刑集四巻九号一七九九頁、同昭和四一年(あ)第五三六号同四三年一二月一八日大法廷判決・刑集二二巻一三号一五四九頁参照)、大分県屋外広告物条例で広告物の表示を禁止されている街路樹二本の各支柱に、日本共産党の演説会開催の告知宣伝を内容とするいわゆるプラカード式ポスター各一枚を針金でくくりつけた被告人の本件所為につき、同条例三三条一号、四条一項三号の各規定を適用してこれを処罰しても憲法二一条一項に違反するものでないことは、前記各大法廷判例の趣旨に徴し明らかであって、所論は理由がなく、その余は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、適法な上告理由に当たらない。
よって、刑訴法四〇八条により、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。
裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。

 

一 法廷意見は、その引用する各大法廷判例の趣旨に徴し、被告人の本件所為について、大分県屋外広告物条例(以下、「本条例」という。)の規定を適用してこれを処罰しても、憲法二一条一項に違反するものではないと判示している。私も法廷意見の結論には異論がない。しかし、本件は、本条例を適用して政治的な情報の伝達の自由という憲法の保障する表現の自由の核心を占めるものに対し、軽微であるとはいえ刑事罰をもって抑制を加えることにかかわる事案であって、極めて重要な問題を含むものであるから、若干の意見を補足しておきたい。
二 本条例及びその基礎となっている屋外広告物法は、いずれも美観風致の維持と公衆に対する危害の防止とを目的として屋外広告物の規制を行っている。この目的が公共の福祉にかなうものであることはいうまでもない。そして、このうち公衆への危害の防止を目的とする規制が相当に広い範囲に及ぶことは当然である。政治的意見を表示する広告物がいかに憲法上重要な価値を含むものであっても、それが落下したり倒壊したりすることにより通行人に危害を及ぼすおそれのあるときに、その掲出を容認することはできず、むしろそれを除去することが関係当局の義務とされよう。これに反して、美観風致の維持という目的については、これと同様に考えることができない。何が美観風致にあたるかの判断には趣味的要素も含まれ、特定の者の判断をもって律することが適切でない場合も少なくなく、それだけに美観風致の維持という目的に適合するかどうかの判断には慎重さが要求されるといえる。しかしながら、現代の社会生活においては、都市であると田園であるとをとわず、ある共通の通念が美観風致について存在することは否定できず、それを維持することの必要性は一般的に承認を受けているものということができ、したがって、抽象的に考える限り、美観風致の維持を法の規制の目的とすることが公共の福祉に適合すると考えるのは誤りではないと思われる。
当裁判所は、本条例と同種の大阪市の条例について、法廷意見も説示するように、国民の文化的生活の向上を目途とする憲法の下においては、都市の美観風致を維持することは、公共の福祉を保持する所以であり、右条例の規定する程度の規制は、公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限と解することができるとし、右大阪市の条例の定める禁止規定を違憲無効ということができないと判示しているが(昭和四一年(あ)第五三六号同四三年一二月一八日大法廷判決・刑集二二巻一三号一五四九頁)、これも、前記のような通念の存在を前提として、当該条例が法令違憲といえない旨を明らかにしたものであり、その結論は是認するに足りよう。しかし、この判例の示す理由は比較的簡単であって、その考え方について十分の論証がされているかどうかについては疑いが残る。美観風致の維持が表現の自由に法的規制を加えることを正当化する目的として肯認できるとしても、このことは、その目的のためにとられている手段を当然に正当化するものでないことはいうまでもない。正当な目的を達成するために法のとる手段もまた正当なものでなければならない。右の大法廷判例が当該条例の定める程度の規制が許されるとするのは、条例のとる手段もまた美観風致の維持のため必要かつ合理的なものとして正当化されると考えているとみられるが、その根拠は十分に示されていない。例えば、一枚の小さなビラを電柱に貼付する所為もまたそこで問題とされる大阪市の条例の規制を受けるものであったが、このような所為に対し、美観風致の維持を理由に、罰金刑とはいえ刑事罰を科することが、どうして憲法的自由の抑制手段として許される程度をこえないものといえるかについて、判旨からうかがうことができないように思われる。
このように考えると、右の判例の結論を是認しうるとしても、当該条例が憲法からみて疑問の余地のないものということはできない。それが手段を含めて合憲であるというためには、さらにたちいって検討を行う必要があると思われる。
三 そこで、本件で問題となっている本条例についてその採用する規制手段を考察してみると、次のような疑点を指摘することができる。
(1) 本条例の規制の対象となる屋外広告物には、政治的な意見や情報を伝えるビラ、ポスター等が含まれることは明らかであるが、これらのものを公衆の眼にふれやすい場所、物件に掲出することは、極めて容易に意見や情報を他人に伝達する効果をあげうる方法であり、さらに街頭等におけるビラ配布のような方法に比して、永続的に広範囲の人に伝えることのできる点では有効性にまさり、かつそのための費用が低廉であって、とくに経済的に恵まれない者にとって簡便で効果的な表現伝達方法であるといわなければならない。このことは、商業広告のような営利的な情報の伝達についてもいえることであるが、とくに思想や意見の表示のような表現の自由の核心をなす表現についてそういえる。簡便で有効なだけに、これらを放置するときには、美観風致を害する情況を生じやすいことはたしかである。しかし、このようなビラやポスターを貼付するに適当な場所や物件は、道路、公園等とは性格を異にするものではあるが、私のいうパブリック・フォーラム(昭和五九年(あ)第二〇六号同年一二月一八日第三小法廷判決・刑集三八巻一二号三〇二六頁における私の補足意見参照)たる性質を帯びるものともいうことができる。そうとすれば、とくに思想や意見にかかわる表現の規制となるときには、美観風致の維持という公共の福祉に適合する目的をもつ規制であるというのみで、たやすく合憲であると判断するのは速断にすぎるものと思われる。
(2) 思想や意見の伝達の自由の側面からみると、本条例の合憲性について検討を要する問題は少なくない。
人権とくに表現の自由のように優越的地位を占める自由権の制約は、規制目的に照らして必要最少限度をこえるべきではないと解されており、原判決もこの原則を是認しつつ、本条例が街路樹等の「支柱」をも広告物掲出の禁止対象物件にしていることには合理的根拠のあること、それが広告物掲出可能な物件のすべてを禁止対象にとりこみ、屋外広告物の掲出を実質上全面禁止とするに等しい状態においているとすることができないこと、行政的対応のみでは禁止目的を達成できないことなどをあげて、本条例が必要最少限度の原則に反するものではないと判示している。
しかし、右のような理由をもって本条例のとる手段が規制目的からみて必要最少限度をこえないものと断定しうるであろうか。「支柱」もまた掲出禁止物件とされることを明示した条例は少ないが、支柱も街路樹に付随するものとして、これを含めることは不当とはいえないかもしれない。しかし例えば、「電柱」類はかなりの数の条例では掲出禁止物件から除かれているところ、規制に地域差のあることを考慮しても、それらの条例は、最少限度の必要性をみたしていないとみるのであろうか。あるいは、大分県の特殊性がそれを必要としていると考えられるのであろうか。
また、行政的対応と並んで、刑事罰を適用することが禁止目的の達成に有効であることはたしかであるが、刑事罰による抑制は極めて謙抑であるべきであると考えられるから、行政的対応のみでは目的達成が可能とはいえず、刑事罰をもって規制することが有効であるからこれを併用することも必要最少限度をこえないとするのは、いささか速断にすぎよう。表現の自由の刑事罰による制約に対しては、その保護すべき法益に照らし、いっそう慎重な配慮が望まれよう。
(3) 本条例の定める一定の場所や物件が広告物掲出の禁止対象とされているとしても、これらの広告物の内容を適法に伝達する方法が他に広く存在するときは、憲法上の疑義は少なくなり、美観風致の維持という公共の福祉のためある程度の規制を行うことが許容されると解されるから、この点も検討に値する。街頭におけるビラの配布や演説その他の広報活動などは、同じ内容を伝える方法として用いられるが、これらは、広告物の掲出とは性質を異にするところがあり一応別としても、公共の掲示場が十分に用意されていたり、禁止される場所や物件が限定され、これ以外に貼付できる対象で公衆への伝達に適するものが広く存在しているときには、本条例の定める規制も違憲とはいえないと思われる。しかし、本件においてこれらの点は明らかにされるところではない。また、所有者の同意を得て私有の家屋や塀などを掲出場所として利用することは可能である。しかし、一般的に所有者の同意を得ることの難易は測定しがたいところであるし、表現の自由の保障がとくに社会一般の共感を得ていない思想を表現することの確保に重要な意味をもつことを考えると、このような表現にとって、所有者の同意を得ることは必ずしも容易ではないと考えられるのであり、私有の場所や物件の利用可能なことを過大に評価することはできないと思われる。
四 以上のように考えてくると、本条例は、表現の自由、とくに思想、政治的意見や情報の伝達の観点からみるとき、憲法上の疑義を免れることはできないであろう。しかしながら、私は、このような疑点にもかかわらず、本条例が法令として違憲無効であると判断すべきではないと考えている。したがって、大阪市の条例の違憲性を否定した大法廷判例は、変更の必要をみないと解している。
本条例の目的とするところは、美観風致の維持と公衆への危害の防止であって、表現の内容はその関知するところではなく、広告物が政治的表現であると、営利的表現であると、その他いかなる表現であるとを問わず、その目的からみて規制を必要とする場合に、一定の抑制を加えるものである。もし本条例が思想や政治的な意見情報の伝達にかかる表現の内容を主たる規制対象とするものであれば、憲法上厳格な基準によって審査され、すでにあげた疑問を解消することができないが、本条例は、表現の内容と全くかかわりなしに、美観風致の維持等の目的から屋外広告物の掲出の場所や方法について一般的に規制しているものである。この場合に右と同じ厳格な基準を適用することは必ずしも相当ではない。そしてわが国の実情、とくに都市において著しく乱雑な広告物の掲出のおそれのあることからみて、表現の内容を顧慮することなく、美観風致の維持という観点から一定限度の規制を行うことは、これを容認せざるをえないと思われる。もとより、表現の内容と無関係に一律に表現の場所、方法、態様などを規制することが、たとえ思想や意見の表現の抑制を目的としなくても、実際上主としてそれらの表現の抑制の効果をもつこともありうる。そこで、これらの法令は思想や政治的意見の表示に適用されるときには違憲となるという部分違憲の考え方や、もともとそれはこのような表示を含む広告物には適用されないと解釈した上でそれを合憲と判断する限定解釈の考え方も主張されえよう。しかし、美観風致の維持を目的とする本条例について、右のような広告物の内容によって区別をして合憲性を判断することは必ずしも適切ではないし、具体的にその区別が困難であることも少なくない。以上のように考えると、本条例は、その規制の範囲がやや広きに失するうらみはあるが、違憲を理由にそれを無効の法令と断定することは相当ではないと思われる。
五 しかしながら、すでにのべたいくつかの疑問点のあることは、当然に、本条例の適用にあたっては憲法の趣旨に即して慎重な態度をとるべきことを要求するものであり、場合によっては適用違憲の事態を生ずることをみのがしてはならない。本条例三六条(屋外広告物法一五条も同じである。)は、「この条例の適用にあたっては、国民の政治活動の自由その他国民の基本的人権を不当に侵害しないように留意しなければならない。」と規定している。この規定は、運用面における注意規定であって、論旨のように、この規定にもとづいて公訴棄却又は免訴を主張することは失当であるが、本条例も適用違憲とされる場合のあることを示唆しているものといってよい。したがって、それぞれの事案の具体的な事情に照らし、広告物の貼付されている場所がどのような性質をもつものであるか、周囲がどのような状況であるか、貼付された広告物の数量・形状や、掲出のしかた等を総合的に考慮し、その地域の美観風致の侵害の程度と掲出された広告物にあらわれた表現のもつ価値とを比較衡量した結果、表現の価値の有する利益が美観風致の維持の利益に優越すると判断されるときに、本条例の定める刑事罰を科することは、適用において違憲となるのを免れないというべきである。
原判決は、その認定した事実関係の下においては、本条例三三条一号、四条一項三号を本件に適用することが違憲であると解することができないと判示するが、いかなる利益較量を行ってその結論を得たかを明確に示しておらず、むしろ、原審の認定した事実関係をみると、すでにのべたような観点に立った較量が行われたあとをうかがうことはできず、本条例は法令として違憲無効ではないことから、直ちにその構成要件に該当する行為にそれを適用しても違憲の問題を生ずることなく、その行為の可罰性は否定されないとしているように解される。このように適用違憲の点に十分の考慮が払われていない原判決には、その結論に至る論証の過程において理由不備があるといわざるをえない。
しかしながら、本件において、被告人は、政党の演説会開催の告知宣伝を内容とするポスター二枚を掲出したものであるが、記録によると、本件ポスターの掲出された場所は、大分市東津留商店街の中心にある街路樹(その支柱も街路樹に付随するものとしてこれと同視してよいであろう。)であり、街の景観の一部を構成していて、美観風致の維持の観点から要保護性の強い物件であること、本件ポスターは、縦約六〇センチメートル、横約四二センチメートルのポスターをベニヤ板に貼付して角材に釘付けしたいわゆるプラカード式ポスターであって、それが掲出された街路樹に比べて不釣合いに大きくて一目につきやすく、周囲の環境と調和し難いものであること、本件現場付近の街路樹には同一のポスターが数多く掲出されているが、被告人の本件所為はその一環としてなされたものであることが認められ、以上の事実関係の下においては、前述のような考慮を払ったとしても、被告人の本件所為の可罰性を認めた原判決の結論は是認できないものではない。したがって、本件の上告棄却の結論はやむをえないものと思われる。
(裁判長裁判官 安岡滿彦 裁判官 伊藤正己 裁判官 長島 敦 裁判官 坂上寿夫)
*******

裁判年月日  昭和62年 2月25日  裁判所名  福岡地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭58(ワ)559号
事件名  広告文書撤去等請求事件 〔栄光印刷事件〕
裁判結果  一部認容  文献番号  1987WLJPCA02251010

要旨
◆組合のビラ貼付行為が不法行為を構成するとして組合分会長個人に対する損害賠償請求が認容された事例

出典
判タ 637号120頁
労判 493号46頁
労経速 1284号8頁(38巻10号)

評釈
北澤章功・判タ臨増 677号368頁(昭62主判解)
(実務家のための労働判例)・労政時報 2834号52頁

参照条文
民法709条
裁判官
藤浦照生 (フジウラテルオ) 第12期 現所属 依願退官
平成3年12月24日 ~ 依願退官
~ 平成3年12月23日 福岡地方裁判所久留米支部(支部長)、福岡家庭裁判所久留米支部(支部長)

倉吉敬 (クラヨシケイ) 第28期 現所属 定年退官
平成28年3月24日 ~ 定年退官
平成27年4月2日 ~ 東京高等裁判所(長官)
平成25年6月17日 ~ 仙台高等裁判所(長官)
平成24年3月9日 ~ 平成25年6月16日 横浜地方裁判所(所長)
平成22年2月24日 ~ 平成24年3月8日 さいたま地方裁判所(所長)
平成21年8月6日 ~ 平成22年2月23日 東京高等裁判所(部総括)
平成21年7月14日 ~ 平成21年8月5日 東京高等裁判所
平成19年7月10日 ~ 平成21年7月13日 法務省民事局長
平成18年6月30日 ~ 平成19年7月9日 東京高等裁判所
平成17年1月18日 ~ 平成18年6月29日 法務省大臣官房司法法制部長
平成15年1月6日 ~ 平成17年1月17日 法務省大臣官房秘書課長
平成13年6月29日 ~ 平成15年1月5日 法務省大臣官房会計課長
平成13年1月6日 ~ 平成13年6月28日 法務省民事局総務課長
平成10年6月23日 ~ 平成13年1月15日 法務省民事局第一課長
平成9年7月1日 ~ 平成10年6月22日 法務省民事局第三課長
平成8年7月1日 ~ 平成9年6月30日 法務省民事局第二課長
平成8年6月28日 ~ 平成8年6月30日 東京地方裁判所
平成6年4月1日 ~ 平成8年6月27日 大阪地方裁判所
平成1年4月1日 ~ 平成6年3月31日 最高裁判所裁判所調査官
昭和61年4月1日 ~ 平成1年3月31日 福岡地方裁判所
昭和60年4月1日 ~ 昭和61年3月31日 東京地方裁判所
昭和58年4月1日 ~ 昭和60年3月31日 事務総局総務局付
昭和55年4月1日 ~ 昭和58年3月31日 佐賀地方裁判所、佐賀家庭裁判所
昭和53年4月1日 ~ 昭和55年3月31日 事務総局民事局付
昭和51年4月9日 ~ 昭和53年3月31日 東京地方裁判所

鹿野伸二 (カノシンジ) 第37期 現所属 名古屋家庭裁判所(所長)
平成30年1月9日 ~ 名古屋家庭裁判所(所長)
平成27年11月30日 ~ 広島家庭裁判所(所長)
平成26年10月4日 ~ 東京家庭裁判所(部総括)
平成26年4月1日 ~ 東京高等裁判所
平成22年4月1日 ~ 東京地方裁判所(部総括)
平成18年4月1日 ~ 平成22年3月31日 最高裁判所裁判所調査官
平成16年4月1日 ~ 平成18年3月31日 東京高等裁判所
平成12年4月1日 ~ 平成16年3月31日 松江地方裁判所、松江家庭裁判所
平成8年4月1日 ~ 平成12年3月31日 大阪地方裁判所
平成5年4月1日 ~ 平成8年3月31日 長野地方裁判所上田支部、長野家庭裁判所上田支部
平成2年4月1日 ~ 平成5年3月31日 東京地方裁判所
~ 平成2年3月31日 熊本地方裁判所、熊本家庭裁判所

訴訟代理人
原告側訴訟代理人
山口定男, 西山陽雄

被告側訴訟代理人
津留雅昭

Westlaw作成目次

主   文
一 被告は原告に対し、金二〇万円…
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを五分し、その…
事   実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
(一) 被告は原告に対し、金一〇〇万…
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
(三) 第(一)項につき仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
(一) 原告の従業員で構成する労働組…
(二) 1 原告は、印刷業を営む会社…
(三) よつて、原告は被告に対し、不…
二 請求原因に対する認否
(一) 請求原因(一)の事実について…
(二) 同(二)1前段については、原…
三 抗弁
(一) 被告をその代表者(分会長)と…
(二) 「組合」は、昭和五三年四月以…
(三) 「組合」は、原告との労使関係…
四 抗弁に対する認否
第三 証拠〈省略〉
理   由
一 請求原因について
(一) 同(一)の事実
(二) 同(二)の事実
(三) 以上の事実に基づいて考えるに…
二 抗弁について
(一) 〈証拠〉を総合すれば、被告が…
1 「組合」は、昭和五二年一月、…
2 「組合」は、右記のとおり赤旗…
3 また、原告社屋玄関前の道路沿…
4 右のような状況の中で、「組合…
(二) 以上の事実からすると、被告ら…
三 以上によれば、被告は原告に対…
四 よつて、原告の本訴請求は被告…

裁判年月日  昭和62年 2月25日  裁判所名  福岡地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭58(ワ)559号
事件名  広告文書撤去等請求事件 〔栄光印刷事件〕
裁判結果  一部認容  文献番号  1987WLJPCA02251010

原告 栄光印刷株式会社
右代表者代表取締役 中村昭治
右訴訟代理人弁護士 山口定男
同 西山陽雄
被告 福田博
右訴訟代理人弁護士 津留雅昭

 

主   文
一  被告は原告に対し、金二〇万円及びこれに対する昭和五八年四月二七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二  原告のその余の請求を棄却する。
三  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事   実
第一  当事者の求めた裁判
一  請求の趣旨
(一)  被告は原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和五八年四月二七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
(二)  訴訟費用は被告の負担とする。
(三)  第(一)項につき仮執行の宣言
二  請求の趣旨に対する答弁
(一)  原告の請求を棄却する。
(二)  訴訟費用は原告の負担とする。
第二  当事者の主張
一  請求原因
(一)  原告の従業員で構成する労働組合(全国一般労働組合栄光印刷分会。以下単に「組合」という。)の代表者(分会長)である被告は、昭和五八年二月ころ、「栄光印刷は道路破壊をやめろ」及び「栄光印刷前では窃盗続出」とそれぞれ記載した二種類のビラ(横約一三センチメートル縦約三七センチメートル。以下「本件ビラ」という。)を、原告社屋附近の陸橋橋脚及び電柱に多数貼付した。
(二)1  原告は、印刷業を営む会社であり、その受注先は官公庁・民間の多岐にわたり、印刷物の内容は一定の思想や情報、意思の表明等多種多様で、秘密に属するものも多い。したがつて、納期の厳守はもちろん秘密の厳守も強く要請される業種である。
しかるに、本件ビラのうち「栄光印刷は道路破壊をやめろ」と記載されたビラはまさに原告が違法行為をなしているとの内容であつて、官公庁その他の得意先に対し原告への不信感を抱かせ、あるいは反社会的存在としての警戒心をおこさせるものである。また、「栄光印刷前では窃盗続出」と記載されたビラは、それ自体原告がその窃盗になんらかの関わりをもつている趣旨を含んでいるばかりでなく、原告の許で秘密が漏洩するとの危惧、ひいては発注した印刷が約定どおり履行されるのかといつた不安を顧客等に起こさせるものである。
2  したがつて、被告が本件ビラを貼つた行為により、原告はその社会的評価を侵害されて損害を受けたが、その損害額は一〇〇万円を下らない。
(三)  よつて、原告は被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として金一〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和五八年四月二七日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二  請求原因に対する認否
(一)  請求原因(一)の事実については、本件ビラを貼つたのが被告であるとする点を除いて認める。本件ビラは、「組合」が上部団体の指示に基づき組合活動の一環として約二〇〇枚を貼付したものであるから、被告個人としての責任が発生することはない。
(二)  同(二)1前段については、原告が印刷業を営む会社であることは認め、その余の事実は不知。同項後段及び同2の事実は否認する。
三  抗弁
本件ビラ貼りは、労働組合の組合活動として正当な行為であり、違法性が阻却される。
(一)  被告をその代表者(分会長)とする「組合」は、昭和五二年一月、原告の従業員により企業内組合(栄光印刷労働組合)として結成され、同年八月に全国一般労働組合に加入して名称を変更し、現在に至つている。しかしながら、原告は、組合結成以来「組合」を敵視し、これとの団交を基本的に拒否ないし回避しようとする姿勢をとるとともに、個々の組合員に対しても組合脱退を慫慂するなど様々な干渉を行つてきた。その結果、結成時には原告の従業員のうちの労働組合対象者六四名中三四名であつた組合員の数も、全国一般労働組合に加入した時点では二三名に減り、その後、昭和五八年一〇月には四名となつている。
(二)  「組合」は、昭和五三年四月以降、各年のベース・アップをめぐる春闘及び夏・冬の一時金闘争に際し、団体交渉の席で予め通告して赤旗(約一メートル四方の赤布に墨で「闘争中」等と書いたうえ、長さ二メートル程度のさおに結び付けたもの。)を一、二本、就業時間中原告の社屋玄関両脇の側溝の蓋の穴に差込んで掲揚してきた。
ところが、原告は、昭和五六年の夏ころから、右側溝の蓋の穴にセメントを流し込んでこれを塞いだり、側溝の蓋の下に鉄板を敷いたり、更には蓋を取外して鉄板のうえにコンクリートを流して固めたりして「組合」が赤旗を立てることを妨害した。
また、この赤旗は、掲揚を始めて以来、掲揚中に何者かによつて盗まれて年間約一〇枚が紛失していたが、この間、昭和五六年六月に原告の役員を除く従業員全員を構成員とする親睦団体「栄和会」が「組合」の赤旗掲揚を非難する文書を配布したり、同年七月に原告営業部の課長らが臨時朝礼の席上「赤旗をひき破れ。」と発言したり、昭和五八年一月五日に原告代表者が従業員への訓示の中で「赤旗が立つているが、外部から見ると数人の組合員とは思えなく……事業に差支える。」と組合の赤旗掲揚を直接に批判する発言をしたり、同日原告営業部の一〇数人の社員が被告を囲み「赤旗をおろせ。」と激しく吊し上げたりしており、これら一連の事実からすると、少なくとも原告ないし原告の意向をうけた社員らが組合の赤旗掲揚を極めて嫌悪し、組合及び組合員を敵視していたことが明らかであつて、右赤旗の窃盗にも原告が関与していると疑われる状況であつた。
なお、本件ビラを貼つた後の昭和五八年四月二八日、「組合」の組合員であつた池田益実が、原告の倉庫の中で、当日盗難にあつた赤旗を発見している。この倉庫は、鍵が二本しかなく、あけられる者が限定されており、まして外部の者が立ち入ることはできないものである。
(三)  「組合」は、原告との労使関係が以上のような状況にあつたことから、昭和五八年一月ころ、原告の組合活動(赤旗掲揚)妨害に抗議するため本件ビラを用意していた。そして、昭和五七年の一〇月二六日に「組合」が提出した昭和五八年春闘要求に対し、原告がその後の団交においていわゆるゼロ回答を続け、昭和五八年一月二二日に至つて漸く一定の率を示し、同月二九日に「二・六五パーセント」と前記「栄和会」と同じ率を回答として示したものの、同年二月九日の団交においてその回答を誤りであつたとの理由で撤回し、より低い率での新たな回答を示したことから、「組合」は、組合員協議の決定に基づき、同年二月一九日、組合員らの手で本件ビラ約二〇〇枚を貼付した。
したがつて、組合の本件ビラ貼付行為は、組合活動を防御するためにした正当なものである。
四  抗弁に対する認否
抗弁の本件ビラ貼付行為が正当な組合活動として違法性が阻却されるという主張は争う。
抗弁事実のうち、「組合」が昭和五二年一月に企業内組合として結成され、同年八月に全国一般労働組合に加入し現在に至つていることは認め、その余の事実は否認する。
「組合」の組合員の数が減少したのは、組合員の中に三里塚空港反対闘争に参加して刑事事件を起こし、これにより実刑判決を受けて退職した者がおり、「組合」がかかる行為を支援していたため、これを容認できない組合員が脱退したことによるものと考えられる。
第三  証拠〈省略〉

理   由
一  請求原因について
(一)  同(一)の事実
被告が原告の従業員で組織する「組合」の代表者(分会長)であること、昭和五八年二月ころ、本件ビラ約二〇〇枚が原告社屋附近の陸橋橋脚及び電柱に貼られたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると、被告を含め当時組合員が四名であつた「組合」が、原告に対する抗議行動として本件ビラを貼ることを決め、「組合」の責任者として被告の住所氏名を掲げたうえ、昭和五八年二月一九日、組合員全員でビラ貼りを実行した事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
(二)  同(二)の事実
原告が印刷業を営む会社であることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、その受注先は官公庁・民間の多岐にわたり、印刷物の内容は一般の宣伝広告物、出版物のほか各依頼者の部外秘に属する書類や公的な試験問題等の重要秘密書類もあること、本件ビラが貼られて以降原告の取引先十数社から原告に対し、窃盗若しくは道路破壊とはどういう趣旨かとの問合わせ電話があり、一部には印刷物等に対する原告の管理体制に危惧と不信の念を抱く得意先もあつた事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(三) 以上の事実に基づいて考えるに、法人に対する不法行為は、有形の財産的損害が発生する場合に限られず金銭評価の可能な無形の損害が発生する場合にも成立し、法人はこの損害に基づき損害賠償請求権を行使できると解されるところ、二種類の本件ビラの各文言のうち「栄光印刷は道路破壊をやめろ」という文言はまさに原告が違法な行為をしている趣旨を直接表現したものであり、同じく「栄光印刷前で窃盗続出」という文言は、窃盗の主体こそ明示されていないものの、その窃盗に原告がなんらかの関わりがあるとの疑いを持たせるものである許りでなく、更に進んでより具体的に、原告の取引先等に対し、原告の業務の性質上強く要請される秘密保持についての不安や不信感を抱かせるものであるから、これらの記載のあるビラを一般公衆の目に止まる場所に約二〇〇枚の多数にわたり貼付する行為は、原告の名誉・信用を毀損し社会的評価を低下させるものであると言わざるを得ず、現に上記認定のとおり、本件ビラ貼付後、多数の取引先から問合せの電話があり、原告の印刷物に対する管理体制に疑問を投げかける向きも出ているのであつて、これらの点から、本件ビラ貼り行為は、外形的にみて一応、原告に対する不法行為を構成すると解される。
この点につき、被告は本件ビラ貼り行為が、上部団体の指示に基づく組合活動の一環としてなされたものであり、これにつき被告の個人責任は発生しない旨主張するけれども、被告が他の組合員と共同して現実に本件ビラを貼付している以上、これが、本件ビラの意味内容を全く理解しないまま上部団体の純然たる手足としてなされたというような特段の事情でもない限り、その責任を免れ得ないことは多言を要しないところ、本件においては右のような事情を認めるに足りる証拠はなく、むしろ、〈証拠〉によれば、「組合」の上部団体である全国一般労働組合福岡地方本部福岡支部は、毎年発する「赤旗掲揚、腕章、ワッペン等の行動を展開せよ」といつた抽象的な指示(昭和五八年における同指示も、本件ビラ貼り後の三月一七日付である。)のほか、特段の指示、殊に本件ビラ貼りについての指示を与えた形跡はなく、現に同支部執行委員長大江敏夫も、原告代表者からの電話照会に対し、本件ビラ貼り行為を知らないと答えた事実を認めることができ、右事実と前記一(一)認定の事実によれば、被告は「組合」の責任者として本件ビラ貼り行為を主導したものと認められるから、被告の右主張は到底採用し得ない。
二  抗弁について
被告は、本件ビラ貼付行為が正当な組合活動に該当し、違法性を阻却する旨主張する。
(一)  〈証拠〉を総合すれば、被告が本件ビラを貼るに至つた経緯につき以下の事実が認められ、同認定を覆すに足りる証拠はない。
1  「組合」は、昭和五二年一月、原告従業員により企業内組合(栄光印刷労働組合)として結成され(右事実は当事者間に争いがない。)、結成後直ちに、原告に対し原告の社屋移転に伴う種々の組合要求について団体交渉を求めた。しかしながら、この団体交渉は、その準備のため予備折衝の段階で紛糾し、「組合」の地方労働委員会に対する不当労働行為救済の申立に基づき同委員会による斡旋もなされ、同年七月に至り、漸く第一回団体交渉が開かれる状況であつた。「組合」は、同年八月に全国一般労働組合に加入して名称を変更し(加入及び名称変更の事実は当事者間に争いがない。)、その後も、毎年ベース・アップをめぐる春闘、夏冬の一時金をめぐる団体交渉を行なつたが、例年「組合」の要求から交渉妥結まで数か月かかつていた。昭和五三年四月以降は、右交渉の際、闘争と称して団体交渉の席で予め通告したうえ赤旗(約一メートル四方の赤布に墨で「闘争中」等と書いたうえ、二メートル程度のさおに結び付けたもの。)を一本ないし四本、就業時間中に原告社屋玄関両脇の側溝の蓋の穴に差込んで掲揚したりする活動を続けた。この間、昭和五三年には、成田空港反対運動において傷害、公務執行妨害、凶器準備集合及び火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反の罪で起訴された従業員を、原告が同年五月一八日付で懲戒解雇したことに対し、これを不当解雇だとして抗議するような活動も行なつた。組合員数の正確な推移は不明であるが、結成時は三四名(当時の原告従業員のうちの労働組合対象者は六四名)であつた組合員が、全国一般労働組合加入時には二三名に減り、その後、本件ビラ貼り行為のなされた昭和五八年二月には四名、現在では三名となつている。
なお、原告の会社内には、従来から、役員を除く従業員(「組合」の組合員を含む。)によつて「栄和会」なる団体が組織されており、原告との間で賃金その他の待遇につき交渉する窓口となつていた。
2  「組合」は、右記のとおり赤旗掲揚を続けていたが、この赤旗は、掲揚を始めて以来掲揚中に紛失することがあり、多いときは年間一〇枚前後に及んでいた。「組合」は、原告側が会社へ出入りするトラックの運行上支障を生じる等営業上の見地から赤旗掲揚に批判的態度を示していたこと、原告従業員の中で組合員に対し赤旗の除去を求める者がおり、組合員との間でトラブルを生じたこともあつたことなどから、この赤旗紛失が原告幹部社員ないしその意向を受けた従業員の手によるものと判断していたが、本件ビラ貼り行為に至るまで、警察署に被害届を提出したほかは、特に原告との団体交渉、地労委への申立て等の方法により具体的に原告の関与を追及したことはなかつた。
3  また、原告社屋玄関前の道路沿いには、原告敷地に接する範囲で側溝が敷設されており、「組合」は、赤旗を側溝の蓋の間の穴に竹竿を立てて掲揚していた。その側溝の南東端(原告敷地東端)では原告敷地南東側に沿つて作られている排水溝の上に側溝が突き出しており、本来は、原告社屋玄関前道路上に雨などが降つた場合、その水の一部は右側溝の蓋の穴から側溝に流れ込み、その後原告敷地南東側に沿つた排水溝を通つて、右道路の反対側に沿つて流れる川に流れ込むようになつていた。ところが、原告は、昭和五六年の夏ころから、側溝の蓋の下に鉄板を敷いたり、蓋を取外して鉄板のうえにコンクリートを流して固めたり、側溝の蓋を穴の無い厚いものに替えたりしたことから、道路上の雨水が側溝内に流れ込まなくなつた。そのため、右原告の行為を組合の赤旗掲揚行為を妨害するためのものと考えた「組合」は、その対応として、道路管理者である福岡市に対し、側溝に水が流れ込まないという苦情を申入れ、同市の係員が、原告に対して側溝の復元を要請したこともあつた。
4  右のような状況の中で、「組合」は、昭和五七年の年末ころから、原告に対する抗議の意思を表わすために本件ビラ貼り行為を計画し、昭和五八年一月には印刷を終えて屋外広告物条例上必要とされる区役所の検印も得ていた。一方、昭和五七年冬の一時金及び昭和五八年一月の昇給に関する組合要求は、昭和五七年一〇月二六日に提出され、その後団体交渉がなされていたところ、一時金については同年一二月二五日に妥結したものの、昇給については年を越えて交渉が続けられており、その交渉の中で、原告が昭和五八年一月二九日に一旦示した昇給率を同年二月九日に至り計算間違いであつたとして撤回したことから、「組合」は、この原告の態度を不誠実だとして、協議のうえかねて計画中のビラ貼りを決行することとし、同年二月一九日、組合員の手により本件ビラ約二〇〇枚を貼付した。
(二) 以上の事実からすると、被告ら組合員において、本件ビラ貼りの当時、原告が赤旗の紛失に何らかの関わりを持ち、また原告が側溝工事をしたのも主として「組合」の赤旗掲揚を妨害する意図に基づくものであると考えたことには、それなりの背景があり、全く当を得ないものとまでは言い難い。しかしながら、被告ら組合員においてその真相を十分究明することもなく(原告との交渉、場合によつては地労委、裁判所への申立等の法的手段に訴えて真相を糺し、真実原告の赤旗掲揚に対する妨害行為があれば、その排除を求めるという方が寧ろ、この種事案の解決策としてより抜本的であり効果的であると考えられる。)突如として本件ビラを貼付しているのであり、その文言自体も、より具体的かつ忠実に「組合」の赤旗掲揚に対する原告の妨害行為として非難する態様のものとはせず、殊更抽象化、一般化した表現を用いたため、徒らに事実から乖離した許りでなく、原告の社会的信用を毀損する結果を招来するに至つているのである。この点から考えると寧ろ本件のビラ貼り行為は、その組織力の弱さ等から原告との関係で賃金等につき思うような交渉の成果を得ることができなかつた「組合」が、原告の名誉・信用を毀損し、業務上の支障を与える結果となることを十分予見しながら、敢えて原告に対する闘争手段としてこの手段を選ぶに至つたものとみることができ、到底被告の主張するように組合活動としての正当な行為とみることはできない。
したがつて、被告の抗弁は採用できない。
三  以上によれば、被告は原告に対し、本件ビラ貼り行為によつて生じた原告の損害を賠償する責を負うべきところ、右損害額としては、本件に顕われた全事情を考慮すると、金二〇万円が相当と解される。
四  よつて、原告の本訴請求は被告に対し不法行為に基づく損害金二〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和五八年四月二七日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の部分は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を適用して、仮執行宣言の申立については、その必要がないものと認め、これを付さないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官藤浦照生 裁判官倉吉敬 裁判官鹿野伸二)
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裁判年月日  昭和61年 3月 6日  裁判所名  最高裁第一小法廷  裁判区分  判決
事件番号  昭58(あ)1310号
事件名  軽犯罪法違反、佐賀県屋外広告物条例違反
裁判結果  棄却  文献番号  1986WLJPCA03069001

要旨
〔判示事項〕
◆佐賀県屋外広告物条例五条一項四号及び軽犯罪法一条三三号前段による電柱のビラ貼りの規制と憲法二一条

裁判経過
原審 昭和58年 8月24日 福岡高裁

出典
裁判集刑 242号249頁
裁判所ウェブサイト

参照条文
日本国憲法21条
佐賀県屋外広告物条例5条1項4号
佐賀県屋外広告物条例22条2項1号
軽犯罪法1条33号前段
 

裁判年月日  昭和61年 3月 6日  裁判所名  最高裁第一小法廷  裁判区分  判決
事件番号  昭58(あ)1310号
事件名  軽犯罪法違反、佐賀県屋外広告物条例違反
裁判結果  棄却  文献番号  1986WLJPCA03069001

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政治と選挙Q&A「屋外広告物法 ポスター貼り(掲示交渉)代行」に関する裁判例一覧
(1)平成29年12月20日 東京地裁 平27(ワ)16748号・平28(ワ)32555号・平28(ワ)36394号 建物明渡等請求事件、賃料減額確認請求事件(本訴)、賃料増額確認請求反訴事件(反訴)
(2)平成29年 5月11日 大阪地裁 平28(ワ)5249号 商標権侵害差止請求事件
(3)平成29年 3月16日 東京地裁 平26(特わ)914号・平26(特わ)1029号 薬事法違反被告事件
(4)平成28年11月17日 大阪地裁 平25(わ)3198号 公務執行妨害、傷害被告事件
(5)平成28年10月26日 東京地裁 平24(ワ)16956号 請負代金請求事件
(6)平成28年 3月25日 東京地裁 平25(ワ)32886号 未払賃料請求事件
(7)平成27年 3月31日 東京地裁 平24(ワ)22117号 損害賠償等請求事件
(8)平成26年 2月27日 東京地裁 平24(ワ)9450号 著作物頒布広告掲載契約に基づく著作物頒布広告掲載撤去損害賠償請求事件
(9)平成25年 9月12日 大阪高裁 平25(う)633号 詐欺被告事件
(10)平成25年 1月22日 名古屋地裁 平20(ワ)3887号 損害賠償請求事件
(11)平成24年12月 7日 静岡地裁 平19(ワ)1624号・平20(ワ)691号 損害賠償請求(第一事件)、保険金請求(第二事件)事件
(12)平成23年11月18日 東京地裁 平23(レ)307号・平23(レ)549号 損害賠償等請求控訴事件、同附帯控訴事件
(13)平成23年 9月30日 東京地裁 平20(ワ)31581号・平21(ワ)36858号 損害賠償請求事件(本訴)、同反訴請求事件(反訴)
(14)平成23年 2月23日 東京高裁 平21(ネ)2508号 損害賠償請求控訴事件
(15)平成23年 1月14日 大阪高裁 平22(う)460号 大阪市屋外広告物条例違反被告事件
(16)平成22年10月 5日 京都地裁 平19(ワ)824号 損害賠償請求事件
(17)平成22年 7月27日 東京地裁 平20(ワ)30423号・平21(ワ)3223号 損害賠償請求事件(本訴)、払戻金返還請求事件(反訴)
(18)平成22年 3月29日 東京地裁 平20(ワ)22960号 建物明渡請求事件
(19)平成22年 2月 8日 東京地裁 平21(ワ)8227号・平21(ワ)21846号 損害賠償請求事件
(20)平成22年 1月27日 東京地裁 平21(ワ)9971号・平21(ワ)9621号 土地建物所有権移転登記抹消登記請求事件、鉄塔明渡請求事件
(21)平成22年 1月27日 東京地裁 平21(ワ)13019号 屋外広告塔撤去請求事件
(22)平成21年12月24日 東京地裁 平20(行ウ)494号 計画通知確認処分取消等請求事件
(23)平成21年 7月22日 東京地裁 平19(ワ)24869号 損害賠償請求事件
(24)平成21年 1月20日 那覇地裁 平19(行ウ)16号・平20(行ウ)2号 建築確認処分差止請求事件(甲事件)、建築確認処分差止請求事件(乙事件)
(25)平成20年10月17日 東京地裁 平20(行ク)214号 執行停止申立事件
(26)平成20年 9月19日 東京地裁 平19(行ウ)274号・平19(行ウ)645号 退去強制令書発付処分取消請求事件
(27)平成20年 4月11日 最高裁第二小法廷 平17(あ)2652号 住居侵入被告事件 〔立川反戦ビラ事件・上告審〕
(28)平成19年 2月21日 東京地裁 平18(行ウ)206号 損害賠償請求事件(住民訴訟)
(29)平成17年12月21日 東京地裁 平15(ワ)14821号 看板設置請求事件
(30)平成17年 3月31日 東京地裁 平15(ワ)27464号・平15(ワ)21451号 商標使用差止等請求本訴、損害賠償請求反訴事件 〔tabitama.net事件〕
(31)平成17年 2月22日 岡山地裁 平14(ワ)1299号 損害賠償請求事件
(32)平成13年12月21日 秋田地裁 平10(ワ)324号・平12(ワ)53号・平12(ワ)416号 土地明渡等請求、損害賠償請求事件
(33)平成13年 2月23日 大阪地裁 平10(ワ)13935号 損害賠償請求事件
(34)平成11年 2月15日 仙台地裁 平9(行ウ)6号 法人税更正処分等取消請求事件
(35)平成 9年 7月22日 神戸地裁 平8(ワ)2214号 損害賠償請求事件
(36)平成 8年 6月21日 最高裁第二小法廷 平6(あ)110号 愛媛県屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反
(37)平成 8年 4月12日 最高裁第二小法廷 平4(あ)1224号 京都府屋外広告物条例違反
(38)平成 8年 3月 8日 最高裁第二小法廷 平4(オ)78号 損害賠償請求事件
(39)平成 8年 3月 8日 最高裁第二小法廷 平4(オ)77号 損害賠償請求事件
(40)平成 7年12月11日 最高裁第一小法廷 平4(あ)526号 各滋賀県屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反
(41)平成 7年 6月23日 最高裁第二小法廷 平元(オ)1260号 損害賠償、民訴法一九八条二項による返還及び損害賠償請求事件 〔クロロキン薬害訴訟・上告審〕
(42)平成 6年 2月21日 福岡高裁 平元(ネ)608号 接見交通妨害損害賠償請求事件
(43)平成 4年 6月30日 東京地裁 平3(ワ)17640号・平3(ワ)16526号 損害賠償請求事件
(44)平成 4年 6月15日 最高裁第二小法廷 平元(あ)710号 大阪府屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反被告事件
(45)平成 4年 6月15日 最高裁第二小法廷 平元(あ)511号 大阪市屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反
(46)平成 4年 2月 4日 神戸地裁 昭49(ワ)578号 損害賠償請求事件 〔全税関神戸訴訟・第一審〕
(47)平成 4年 2月 4日 神戸地裁 昭49(ワ)578号 損害賠償請求事件 〔全税関神戸訴訟・第一審〕
(48)昭和60年 7月22日 最高裁第一小法廷 昭59(あ)1498号 所得税法違反被告事件
(49)昭和59年 9月28日 奈良地裁 昭58(行ウ)4号 都市計画変更決定一部取消請求事件
(50)昭和59年 7月17日 福岡高裁 昭58(う)487号 大分県屋外広告物条例違反被告事件
(51)昭和58年10月27日 最高裁第一小法廷 昭57(あ)859号 猥褻図画販売、猥褻図画販売目的所持被告事件
(52)昭和58年 8月24日 福岡高裁 昭57(う)254号 軽犯罪法違反、佐賀県屋外広告物条例違反事件
(53)昭和58年 6月21日 大分簡裁 昭55(ろ)66号 大分県屋外広告物条例違反被告事件
(54)昭和57年 3月 5日 佐賀簡裁 昭55(ろ)24号 軽犯罪法違反、佐賀県屋外広告物条例違反事件
(55)昭和56年 8月 5日 東京高裁 昭55(う)189号 軽犯罪法違反被告事件
(56)昭和56年 7月31日 神戸簡裁 昭56(ろ)167号 軽犯罪法違反、兵庫県屋外広告物条例違反事件
(57)昭和55年 4月28日 広島高裁松江支部 昭54(う)11号 公職選挙法違反被告事件 〔戸別訪問禁止違憲事件・控訴審〕
(58)昭和54年12月25日 大森簡裁 昭48(う)207号・昭48(う)208号 軽犯罪法違反被告事件
(59)昭和53年 7月19日 横浜地裁 昭51(ワ)1147号 損害賠償事件
(60)昭和53年 5月30日 大阪高裁 昭52(ネ)1884号 敷金返還請求事件
(61)昭和51年 3月 9日 東京高裁 昭47(う)3294号 埼玉県屋外広告物条例違反等被告事件
(62)昭和51年 1月29日 大阪高裁 昭50(う)488号
(63)昭和50年 9月10日 最高裁大法廷 昭48(あ)910号 集団行進及び集団示威運動に関する徳島市条例違反、道路交通法違反被告事件 〔徳島市公安条例事件・上告審〕
(64)昭和50年 6月30日 東京高裁 昭47(う)3293号 埼玉県屋外広告物条例違反・軽犯罪法違反被告事件
(65)昭和50年 6月12日 最高裁第一小法廷 昭49(あ)2752号
(66)昭和50年 5月29日 最高裁第一小法廷 昭49(あ)1377号 大阪市屋外広告物条例違反被告事件
(67)昭和49年12月16日 大阪高裁 昭49(う)712号 神戸市屋外広告物条例違反等事件
(68)昭和49年 5月17日 大阪高裁 昭45(う)868号
(69)昭和49年 5月17日 大阪高裁 昭45(う)713号 大阪市屋外広告物条例違反被告事件
(70)昭和49年 4月30日 東京高裁 昭48(行コ)35号 行政処分取消請求控訴事件 〔国立歩道橋事件〕
(71)昭和48年12月20日 最高裁第一小法廷 昭47(あ)1564号
(72)昭和48年11月27日 大阪高裁 昭48(う)951号 大阪市屋外広告物条例違反被告事件
(73)昭和47年 7月11日 大阪高裁 昭43(う)1666号 大阪府屋外広告物法施行条例違反事件 〔いわゆる寝屋川ビラ貼り事件・控訴審〕
(74)昭和46年 9月29日 福岡高裁 昭45(う)600号 福岡県屋外広告物条例違反被告事件
(75)昭和45年11月10日 柳川簡裁 昭40(ろ)61号・昭40(ろ)62号 福岡県屋外広告物条例違反被告事件
(76)昭和45年 4月30日 最高裁第一小法廷 昭44(あ)893号 高知県屋外広告物取締条例違反・軽犯罪法違反被告事件
(77)昭和45年 4月 8日 東京地裁 昭40(行ウ)105号 法人事業税の更正決定取消請求事件
(78)昭和44年 9月 5日 金沢地裁 昭34(ワ)401号 損害賠償請求事件 〔北陸鉄道労組損害賠償請求事件〕
(79)昭和44年 8月 1日 大阪地裁 昭44(む)205号 裁判官忌避申立却下の裁判に対する準抗告事件
(80)昭和44年 3月28日 高松高裁 昭42(う)372号 外国人登録法違反・高知県屋外広告物取締条例違反・軽犯罪法違反被告事件
(81)昭和43年12月18日 最高裁大法廷 昭41(あ)536号 大阪市屋外広告物条例違反被告事件
(82)昭和43年10月 9日 枚方簡裁 昭41(ろ)42号 大阪府屋外広告物法施行条例違反被告事件
(83)昭和43年 7月23日 松山地裁 昭43(行ク)2号 執行停止申立事件
(84)昭和43年 4月30日 高松高裁 昭41(う)278号 愛媛県屋外広告物条例違反・軽犯罪法違反被告事件
(85)昭和43年 2月 5日 呉簡裁 昭41(ろ)100号 軽犯罪法違反被告事件
(86)昭和42年 9月29日 高知簡裁 昭41(ろ)66号 外国人登録法違反被告事件
(87)昭和42年 3月 1日 大阪地裁 昭42(む)57号・昭42(む)58号 勾留請求却下の裁判に対する準抗告事件
(88)昭和41年 2月12日 大阪高裁 昭40(う)1276号
(89)昭和41年 2月12日 大阪高裁 事件番号不詳 大阪市屋外広告物条例違反被告事件
(90)昭和40年10月21日 大阪地裁 昭40(む)407号 勾留取消の裁判に対する準抗告事件
(91)昭和40年10月11日 大阪地裁 昭40(む)404号 勾留取消の裁判に対する準抗告申立事件
(92)昭和39年12月28日 名古屋高裁 昭38(う)736号 建造物損壊、建造物侵入等事件 〔東海電通局事件・控訴審〕
(93)昭和39年 8月19日 名古屋高裁 昭39(う)166号 軽犯罪法違反被告事件
(94)昭和39年 6月16日 大阪高裁 昭38(う)1452号
(95)昭和29年 5月 8日 福岡高裁 昭29(う)480号・昭29(う)481号 外国人登録法違反等事件
(96)昭和29年 1月 5日 佐賀地裁 事件番号不詳 外国人登録法違反窃盗被告事件
(97)昭和28年 5月 4日 福岡高裁 昭28(う)503号 熊本県屋外広告物条例違反被告事件

■【政治と選挙の裁判例一覧】「政治資金規正法 選挙ポスター」に関する裁判例カテゴリー
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