裁判例リスト【選挙ドットウィン!】■「選挙 コンサルタント」に関する裁判例一覧【1-101】 https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-consultant/ ■「選挙 立候補」に関する裁判例一覧【1~100】 https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-rikkouho/ ■「政治活動 選挙運動」に関する裁判例一覧【1~100】 https://www.senkyo.win/hanrei-seijikatsudou-senkyoundou/ ■「公職選挙法 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】 https://www.senkyo.win/hanrei-kousyokusenkyohou-poster/ ■「選挙 ビラ チラシ」に関する裁判例一覧【1~49】 https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-bira-chirashi/ ■「政務活動費 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】 https://www.senkyo.win/hanrei-seimu-katsudouhi-poster/ ■「演説会 告知 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】 https://www.senkyo.win/senkyo-seiji-enzetsukai-kokuchi-poster/ ■「公職選挙法 ポスター 掲示交渉」に関する裁判例一覧【101~210】 https://www.senkyo.win/kousyokusenkyohou-negotiate-put-up-poster/ ■「政治ポスター貼り 公職選挙法 解釈」に関する裁判例一覧【211~327】 https://www.senkyo.win/political-poster-kousyokusenkyohou-explanation/ ■「公職選挙法」に関する裁判例一覧【1~100】 https://www.senkyo.win/hanrei-kousyokusenkyohou/ ■「選挙 公報 広報 ポスター ビラ」に関する裁判例一覧【1~100】 https://www.senkyo.win/senkyo-kouhou-poster-bira/ ■「選挙妨害」に関する裁判例一覧【1~90】 https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-bougai-poster/

政治と選挙Q&A「屋外広告物法 ポスター貼り(掲示交渉)代行」に関する裁判例(47)平成 4年 2月 4日 神戸地裁 昭49(ワ)578号 損害賠償請求事件 〔全税関神戸訴訟・第一審〕

政治と選挙Q&A「屋外広告物法 ポスター貼り(掲示交渉)代行」に関する裁判例(47)平成 4年 2月 4日 神戸地裁 昭49(ワ)578号 損害賠償請求事件 〔全税関神戸訴訟・第一審〕

裁判年月日  平成 4年 2月 4日  裁判所名  神戸地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭49(ワ)578号
事件名  損害賠償請求事件 〔全税関神戸訴訟・第一審〕
裁判結果  棄却  文献番号  1992WLJPCA02040004

要旨
◆昇任、昇格、昇給における裁量権の濫用と不法行為の成否
◆全国の税関に勤務する職員により組織されている労働組合の支部組合員らが、非組合員と比較して昇任等について差別を受けたとしてした国家賠償請求が、任命権者において裁量の範囲を超えた違法な取扱いをしたとは認められないとして、棄却された事例
◆職員を昇任、昇格、昇給させるか否かの判断は任命権者の裁量に属するが、その裁量権の行使が、当該職員が労働組合に所属することを唯一の理由としてされるなど、国家公務員法二七条の平等取扱いの原則、同法一〇八条の七の不利益取扱い禁止の原則に反するものであるときは、昇給、昇格等をさせなかつたことが昇給、昇格等の期待利益を侵害するものとして、不利益を受けた者に対する不法行為を構成するとともに、労働組合との関係においても、その団結権を侵害するものとして不法行為となる。
◆全国の税関に勤務する職員により組織されている労働組合の支部組合員らが、任用時期及び任用資格を同じくする非組合員のうち昇任、昇格、昇給において標準的な取扱いを受けている者(標準者)と比較して昇任等に遅れを生じたのは、組合員であることを唯一の理由としてされた不利益取扱いによるものであるとして、標準者との間で生じた賃金の差額等の支払を求めた国家賠償請求につき、組合員らと非組合員を集団として対比すると昇任等に格差が生じていることは認められるが、差別扱いを受けたというためには、各組合員について、標準者との間で勤務実績や能力等に差がないことが個別的具体的に立証されなければならないとした上で、組合員らの行つた非違行為の態様及び出勤状況などの事情が勤務成績の評価において不利に考慮され、その結果、昇任等に影響を及ぼすことは十分考えられ、また、組合員以外の職員の具体的な勤務態度は明らかでないので、標準者を基準として差別を受けたことを認めることができないから、任命権者において、裁量の範囲を超えた違法な取扱いをしたと認めることはできないとして、前記請求を棄却した事例

裁判経過
上告審 平成13年10月25日 最高裁第一小法廷 判決 平9(オ)593号 損害賠償請求上告事件 〔全税関神戸支部事件・上告審〕
控訴審 平成 8年10月29日 大阪高裁 判決 平4(ネ)694号 損害賠償請求控訴事件 〔全税関神戸損害賠償事件〕

出典
訟月 38巻8号1371頁
労民 43巻1号23頁
判タ 797号50頁
判時 1439号3頁
労判 607号25頁
公務員関係判決速報 212号2頁
労働法律旬報 1287号51頁

評釈
渡辺裕・ジュリ臨増 1024号218頁(平4重判解)
古河英俊・訟月 38巻8号1371頁
晴山一穂・行財政研究 12号36頁
藤原稔弘・季刊労働法 165号165頁
高山浩平・行政関係判例解説 平成4年 121頁
長淵満男・労働法律旬報 1287号31頁
小牧英夫・労働法律旬報 1287号37頁
上山興士・労働法律旬報 1287号41頁

参照条文
一般職給与法8条
国家公務員法108条の7
国家公務員法27条
国家公務員法33条
国家公務員法37条
国家賠償法1条
人事院規則
裁判官
長谷喜仁 (ナガタニヨシヒト) 第11期 現所属 定年退官
平成10年1月10日 ~ 定年退官
平成7年11月17日 ~ 平成10年1月9日 高松家庭裁判所(所長)
平成5年7月5日 ~ 平成7年11月16日 広島高等裁判所松江支部(支部長)
平成1年4月1日 ~ 平成5年7月4日 神戸地方裁判所
~ 平成1年3月31日 奈良地方裁判所、奈良家庭裁判所

野村利夫 (ノムラトシオ) 第18期 現所属 定年退官
平成9年11月19日 ~ 定年退官
平成8年4月1日 ~ 平成9年11月18日 大阪家庭裁判所
平成4年7月1日 ~ 平成8年3月31日 大阪高等裁判所
~ 平成4年6月30日 神戸地方裁判所

猪俣和代 (イノマタカズヨ) 第39期 現所属 東京家庭裁判所立川支部、東京地方裁判所立川支部
平成30年4月1日 ~ 東京家庭裁判所立川支部、東京地方裁判所立川支部
平成27年4月1日 ~ 甲府家庭裁判所、甲府地方裁判所
平成24年4月1日 ~ 千葉家庭裁判所、千葉地方裁判所
平成21年4月1日 ~ 平成24年3月31日 東京家庭裁判所
平成18年4月1日 ~ 平成21年3月31日 横浜地方裁判所横須賀支部、横浜家庭裁判所横須賀支部
平成15年4月1日 ~ 平成18年3月31日 横浜地方裁判所
平成12年4月1日 ~ 平成15年4月1日 東京家庭裁判所八王子支部、東京地方裁判所八王子支部
平成11年4月1日 ~ 平成12年3月31日 東京地方裁判所八王子支部、東京家庭裁判所八王子支部
平成7年4月1日 ~ 平成11年3月31日 静岡地方裁判所沼津支部、静岡家庭裁判所沼津支部
平成4年4月1日 ~ 平成7年3月31日 千葉地方裁判所松戸支部、千葉家庭裁判所松戸支部
平成1年4月1日 ~ 平成4年3月31日 神戸地方裁判所
~ 平成1年3月31日 東京地方裁判所

訴訟代理人
原告側訴訟代理人
小牧英夫, 原田豊,山之内康雄,前田貞夫,前田修,宮後恵喜,前哲夫,古殿宣敬

被告側訴訟代理人

Westlaw作成目次

主文
一 原告らの請求をいずれも棄却す…
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 第1項について仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文と同旨
2 被告敗訴の場合は担保を条件と…
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告らの地位等
2 原告組合の活動とこれに対する…
3 マル秘文書が示す全税関対策の…
4 昇任、昇格、昇給差別の実態
5 違法性と責任
6 損害
7 よって原告らは、国家賠償法一…
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1について
2 請求原因2について
3 請求原因3について
4 請求原因4について
5 請求原因5について
6 請求原因6について
三 被告の主張
1 格差の合理性(差別扱いの不存…
2 消滅時効の援用
四 被告の主張に対する反論
1 格差の合理性の主張について
2 時効の主張について
第三 証拠〈省略〉
理由
一 原告らの地位
二 本件の背景
1 戦時中閉鎖されていた我が国の…
2 原告組合は、全税関が昭和三三…
3 安保改定反対闘争が一応終息し…
4 神戸税関長は、昭和三六年一二…
5 その後、原告組合は、前記懲戒…
6 このような差別撤廃闘争は、昭…
7 このような差別撤廃闘争が高ま…
三 昇給、昇格等の比較
1 原告らの昇給、昇格等
2 非組合員(原告組合員以外の職…
(一) 昭和二四年旧中・高校組(昭和…
(二) 昭和二五年五級組(昭和二五年…
(三) 昭和二五年高校組
(四) 昭和二五年中学組
(五) 昭和二六年六級組
(六) 昭和二六年五級組
(七) 昭和二六年旧専組(昭和二六年…
(八) 昭和二六年高校組
(九) 昭和二七年四級組
(一〇) 昭和二七年高校組
(一一) 昭和二八年五級組
(一二) 昭和二八年高校組
(一三) 昭和三〇年四級組
(一四) 昭和三二年四級組
(一五) 昭和三二年高校組
(一六) 昭和三三年中級組
(一七) 昭和三三年初級組
(一八) 昭和三三年高校組
(一九) 昭和三三年中学組
(二〇) 昭和三四年初級組
(二一) 昭和三四年高校組
(二二) 昭和三五年初級組
(二三) 昭和三五年高校組
(二四) 昭和三六年初級組
(二五) 昭和三六年高校組
(二六) 昭和三七年初級組
(二七) 昭和三七年高校組
(二八) 昭和三八年初級組
(二九) 昭和三九年中級組
3 格差について
四 任用と給与制度について
1 昇任
(一) 昇任とは、狭義では法令によっ…
(二) 昇任を含む任用一般について、…
(三) 神戸税関では、職員の昇任は任…
(四) 原告らは、昇任は昇格と密接に…
2 昇格
(一) 昇格は、職員の職務の等級を同…
(二) 職員の職務は、その複雑、困難…
(三) 昇格は、右のように等級別職務…
3 昇給
(普通昇給)
(特別昇給)
4 昇任、昇格、昇給の裁量性
(一) 以上のような国家公務員の任用…
(二) この点に関し原告らは、神戸税…
5 昇任、昇格、昇給の裁量権の濫…
(一) このように、昇任、昇格、昇給…
(二) しかるところ、昇任、昇格、昇…
五 原告組合に対する攻撃、組合員…
1 組合役員に対する処分等
(一) 支部長服部正治に対する訓告(…
(二) 支部長服部正治に対する懲戒処…
(三) 原告大塚宏圀に対する懲戒処分…
(四) 支部長神田綽夫外二名に対する…
2 原告組合の分裂と組合員の脱退
(一) 〈書証番号略〉及び原告大塚宏…
3 差別攻撃(昇任、昇格、昇給に…
(一) 総務、監視部門からの排除と乗…
(二) 研修差別について
(三) 入寮差別
(四) 庁舎管理規則の改定
(五) 現認制度による弾圧と嫌がらせ
(六) 結婚妨害などプライバシー干渉…
(七) 不当配転による組合活動の妨害…
(八) 差別によるみせしめ人事、嫌が…
六 当局の各種会議における差別扱…
1 東京税関の会議
(一) 前記主張の証拠として原告らが…
(二) 右証拠によれば、昭和四二年か…
(三) 原告らは、前記(1)は、当局…
2 全国税関総務部長・人事課長会議
(一) 右会議に関する証拠として原告…
(二) 人事課長会議の協議について
(三) 総務部長会議の協議について
七 昇任、昇格、昇給に関する原告…
1 本件係争期間の昇任、昇格、昇…
2 この個別的事情の認定に供した…
3 ところで、非違行為に関する後…
4 (一番)原告稲松斉
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 勤務状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤その他の勤務状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違法行為
(三) 〈書証番号略〉によれば、同原…
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違法行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 勤務状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(三) 出勤状況
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
(一) 格差の程度
(二) 非違行為
5 原告ら各自の格差の程度、非違…
(一) 格差について
(二) 非違行為について
(三) 出勤状況について
八 判断
九 結論

裁判年月日  平成 4年 2月 4日  裁判所名  神戸地裁  裁判区分  判決
事件番号  昭49(ワ)578号
事件名  損害賠償請求事件 〔全税関神戸訴訟・第一審〕
裁判結果  棄却  文献番号  1992WLJPCA02040004

《目次》
当事者
主文
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
二 請求の趣旨に対する答弁
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告らの地位等
2 原告組合の活動とこれに対する神戸税関当局の攻撃
(一) 昭和三四年頃までの原告組合の活動
(1) 年末年始休暇確保のたたかい
(2) 休憩、休息時間確保のたたかい
(3) 宿日直反対のたたかい
(4) 厚生係職員の昼休み確保のたたかい
(5) 警務出勤時間のたたかい
(6) 用務員出勤時間のたたかい
(7) 備品等を含む職場環境改善のたたかい
(8) 賃上げのたたかい
(二) 当局の攻撃
(1) 組合幹部に対する処分
イ 年末年始休暇要求 ロ 安保反対闘争 ハ 大塚事件 ニ 懲戒免職処分
(2) 脱退攻撃と分裂攻撃
イ 職制層への脱退攻撃
ロ 原告組合乗っ取り工作
(3) 第二組合の結成
(4) 差別攻撃(昇進昇格及び特別昇給に関するものを除く)
イ 総務、監視部門からの排除 ロ 研修差別 ハ 入寮差別
(5) 庁舎管理規則による弾圧
(6) 現認制度による弾圧といやがらせ
(7) 引き続く脱退攻撃と原告組合員へのいやがらせ
イ 脱退攻撃
ロ 結婚妨害等プライバシー干渉
ハ 不当配転といやがらせ人事
ニ 差別によるみせしめ人事、いやがらせ人事
3 マル秘文書が示す全税関対策の狙いと手口
(一) 東京税関幹部会議事録等
(1) 人事対策
(2) 労務対策
(3) 職員・若年層対策
(4) 厚生・レクリエーション対策
(5) 表彰
(6) その他
(二) 全国税関総務部長・人事課長会議資料等
(1) 上席官昇任対策
(2) 七級昇格対策
(3) 四、五、六級格付対策
4 昇任、昇格、昇給差別の実態
(一) 法令上の建前と運用の実際
(1) 任用制度の基本原則
(2) 任用制度の運用の実際
(二) 差別のしくみと実態
(1) 差別のしくみ
(2) 損害(格差)の発生
5 違法性と責任
6 損害
(一) 得べかりし賃金喪失
(二) 非財産的損害
(1) 個人原告
(2) 原告組合
(三) 弁護士費用
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1について
2 請求原因2について
(一) 同(一)について
(二) 同(二)について
(1) 同(1)イ(年末年始休暇要求)について
(2) (1)ロ(安保反対闘争)について
(3) (1)ハ(大塚事件)について
(4) (1)ニ(懲戒免職処分)について
(5) 同(2)イ(職制層への脱退攻撃)について
(6) 同(2)ロ(原告組合乗っ取り工作)について
(7) 同(3)(第二組合の結成)について
(8) 同(4)イ(総務、監視部門からの排除)について
(9) 同(4)ロ(研修差別)について
(10) 同(4)ハ(入寮差別)について
(11) 同(5)(庁舎管理規則による弾圧)について
(12) 同(6)(現認制度による弾圧・いやがらせ)について
(13) 同(7)イ(脱退攻撃)について
(14) 同(7)ロ(結婚妨害等プライバシー干渉)について
(15) 同(7)ハ(不当配転といやがらせ人事)について
(16) 同(7)ニ(差別によるみせしめ人事、いやがらせ人事)について
3 請求原因3について
(一) 同(一)(東京税関幹部会議事録等)について
(二) 同(二)(全国税関総務部長・人事課長会議資料等)について
4 請求原因4について
(一) 同(一)(2)について
(1) 昇任
(2) 昇格
(3) 昇給
(二) 同(二)について
(1) 同(1)(差別のしくみ)
(2) 同(2)(損害の発生)
5 請求原因5について
6 請求原因6について
三 被告の主張
1 格差の合理性(差別扱いの不存在)
(一) 税関業務の高度の公共性
(二) 非違行為等の存在
2 消滅時効の援用
四 被告の主張に対する反論
1 格差の合理性の主張について
(一) 「非違行為」について
(二) 因果関係について
(三) 遅刻、早退、病気休暇について
2 時効の主張について
第三 証拠〈省略〉
理由
一 原告らの地位
二 本件の背景
三 昇給、昇格等の比較
1 原告らの昇給、昇格等
2 非組合員の昇給、昇格等
3 格差について
四 任用と給与制度について
1 昇任
2 昇格
3 昇給
4 昇任、昇格、昇給の裁量性
5 昇任、昇格、昇給の裁量権の濫用と不法行為の成否
五 原告組合に対する攻撃、組合員に対する差別扱いについて
1 組合役員に対する処分等
(一) 支部長服部正治に対する訓告(年末、年始休暇闘争)
(二) 支部長服部正治に対する懲戒処分(安保闘争)
(三) 原告大塚宏圀に対する懲戒処分(密輸事件)
(四) 支部長神田綽夫外二名に対する懲戒免職処分
2 原告組合の分裂と組合員の脱退
3 差別攻撃(昇任、昇格、昇給に関するものを除く。)
(一) 総務、監視部門からの排除と乗船差別
(二) 研修差別について
(三) 入寮差別
(四) 庁舎管理規則の改定
(五) 現認制度による弾圧と嫌がらせ
(六) 結婚妨害などプライバシー干渉について
(七) 不当配転による組合活動の妨害と嫌がらせ
(八) 差別によるみせしめ人事、嫌がらせ人事
六 当局の各種会議における差別扱い方針についての評議と確認(いわゆるマル秘文書問題)
1 東京税関の会議
2 全国税関総務部長・人事課長会議
七 昇任、昇格、昇給に関する原告らの個別的事情
(一番)ないし(一四一番)
格差について
非違行為について
出勤状況について
八 判断
九 結論
 

原告 (一番)
稲松斉
同 (二番)
塩田静夫
同 (三番)
橋爪武司
同 (四番)
山崎吉彦
同 (五番)
小林霞
同 (六番)
石見宣夫
同 (七番)
藤田満夫
同 (八番)
矢村繁夫
横江威訴訟承継原告 (九番)
横江和子
原告 (一〇番)
大屋広隆
同 (一一番)
大塚宏圀
同 (一二番)
桶谷孝史
同 (一三番)
今村奈智子
服部正治訴訟承継原告 (一四番)
服部瑠璃子
原告 (一五番)
鷲見重信
同 (一六番)
室屋修
同 (一七番)
能勢和彦
同 (一八番)
岩根晟
同 (一九番)
植田邦彦
同 (二〇番)
牛込尹人
同 (二一番)
奥田康雄
同 (二二番)
古賀照敏
同 (二三番)
坂本柏
同 (二四番)
杉原光三郎
同 (二五番)
中石雅康
同 (二六番)
林義男
同 (二七番)
前田信雄
同 (二八番)
山岡荘太郎
同 (二九番)
加藤不二男
同 (三〇番)
寺地健
同 (三一番)
間処康成
同 (三二番)
安福弘
同 (三三番)
高橋章
同 (三四番)
田代勝
同 (三五番)
岩本武司
同 (三六番)
青木俊夫
同 (三七番)
榎本和行
同 (三八番)
越塚健
同 (三九番)
小島久
同 (四〇番)
坂本檀
同 (四一番)
津村勝次
同 (四二番)
中川和
同 (四三番)
結縁俊雄
同 (四四番)
宮村融
同 (四五番)
田中二朗
同 (四六番)
植田明
同 (四七番)
稲岡辰男
同 (四八番)
延藤寿成
同 (四九番)
加藤木良和
同 (五〇番)
高須賀四郎
同 (五一番)
塚本章義
同 (五二番)
野口和正
同 (五三番)
原田晃寛
同 (五四番)
平田雍彦
同 (五五番)
藤野英弘
同 (五六番)
真下陳夫
同 (五七番)
桝本清
同 (五八番)
木村次尾
同 (五九番)
田中順子
同 (六〇番)
高瀬崇夫
同 (六一番)
小沢康七
同 (六二番)
北本恵一
同 (六三番)
下前春生
同 (六四番)
辻一清
同 (六五番)
村田俊博
同 (六六番)
岩本宏
同 (六七番)
中山勝治
同 (六八番)
松本公
同 (六九番)
大塚大三
同 (七〇番)
佐々木範明
同 (七一番)
高嶋初一
同 (七二番)
高谷安則
同 (七三番)
中島健
同 (七四番)
深田辰次
同 (七五番)
岩根勝子
同 (七六番)
池西光輝
同 (七七番)
井上洋一
同 (七八番)
今村恒紀
同 (七九番)
宇田久男
同 (八〇番)
大西是
同 (八一番)
岡崎悦造
同 (八二番)
小松正諦
同 (八三番)
灰野善夫
同 (八四番)
長谷川茂吉
同 (八五番)
松岡竜二
同 (八六番)
尾形修一
同 (八七番)
柳沢尚
同 (八八番)
山野陽通
同 (八九番)
大西宏之
同 (九〇番)
中西清
同 (九一番)
生駒洋二
同 (九二番)
桐村邦彦
同 (九三番)
田中範明
同 (九四番)
寺岡洋
同 (九五番)
橋本重国
同 (九六番)
古谷太郎
同 (九七番)
横川泰三
同 (九八番)
岸本強
同 (九九番)
井口恭光
同 (一〇〇番)
乾正明
同 (一〇一番)
大釜昭雄
同 (一〇二番)
大辻茂登夫
同 (一〇三番)
大橋正義
同 (一〇四番)
川上俊智
同 (一〇五番)
斉藤俊宏
同 (一〇六番)
佐野年則
同 (一〇七番)
白川弘視
同 (一〇八番)
洲崎雅晴
同 (一〇九番)
高野和子
同 (一一〇番)
高橋旦
同 (一一一番)
玉井進吾郎
同 (一一二番)
田村芳春
同 (一一三番)
友常均
同 (一一四番)
中岡俊昭
同 (一一五番)
西村彦三郎
同 (一一六番)
長谷川紀彦
同 (一一七番)
藤池征夫
同 (一一八番)
藤田貫治
同 (一一九番)
堀斉
同 (一二〇番)
宮浦忠重
同 (一二一番)
山本昌文
同 (一二二番)
吉野陽児
同 (一二三番)
井手輝彦
同 (一二四番)
沢井庸晃
同 (一二五番)
三野正博
同 (一二六番)
山口忠
同 (一二七番)
林弘司
同 (一二八番)
脇岡秀年
同 (一二九番)
天野親聡
同 (一三〇番)
十倉健
同 (一三一番)
藤原敏弘
同 (一三二番)
塚本富美子
同 (一三三番)
山本昭昌
同 (一三四番)
池内幸恵
同 (一三五番)
河合健治
同 (一三六番)
玄田哲夫
同 (一三七番)
那須司鋭
同 (一三八番)
村田安弘
同 (一三九番)
山之内輝雄
同 (一四〇番)
細川義信
同 (一四一番)
原奉宣
同 全国税関労働組合神戸支部
右代表者支部長 柳沢尚
右原告ら訴訟代理人弁護士 小牧英夫
同 原田豊
同 山之内康雄
同 前田貞夫
同 前田修
右小牧英夫訴訟復代理人弁護士 宮後恵喜
同 前哲夫
同 古殿宣敬
被告 国
右代表者法務大臣 田原隆
右指定代理人 高山浩平
外一一名

 

主文
一  原告らの請求をいずれも棄却する。
二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実
第一  当事者の求めた裁判
一  請求の趣旨
1  被告は、
(一) 原告全国税関労働組合神戸支部に対し、金五五〇万円及びこれに対する昭和四九年六月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員
(二) その余の原告らに対し、それぞれ別表一損害額一覧表中債権総額欄記載の各金員及びこれに対する昭和四九年六月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員
を支払え。
2  訴訟費用は被告の負担とする。
3  第1項について仮執行宣言
二  請求の趣旨に対する答弁
1  主文と同旨
2  被告敗訴の場合は担保を条件とする仮執行逸脱宣言
第二  当事者の主張
一  請求原因
1  原告らの地位等
(一) 原告全国税関労働組合神戸支部(以下「原告組合」という。)は、沖縄を除く全国の税関に勤務する職員を対象として組織されている全国税関労働組合(以下「全税関」という。)の下部組織であり、神戸税関に勤務すべき職員二一〇名で構成されている。
その余の原告(訴訟継承原告を除く。)及び訴訟継承前原告服部正治、同横江威は、神戸税関に勤務し、または勤務していた職員であり、その入関年度及びその資格は別表二昇給・昇格等一覧表記載のとおりである。また、同原告らは原告組合に所属している(または所属していた)組合員である。
(二) 訴訟継承前原告服部正治は昭和六三年三月二八日、同横江威は昭和六〇年一二月二七日死亡し、服部正治については原告服部瑠璃子が、横江威については原告横江和子がそれぞれ権利義務を相続した。
2  原告組合の活動とこれに対する神戸税関当局(以下「当局」ともいう。)の攻撃
(一) 昭和三四年頃までの原告組合の活動
我が国の民間貿易は昭和二二年に一部が再開され、昭和二五年には全面再開されたが、これに伴う税関の業務量増加は目をみはるものがあった。このため、神戸税関では、業務部、鑑査部の輸出部門では通常でも午後七時まで残業し、日曜日も休めず、年末は大晦日も遅くまで仕事をして、年始は一月二日から出勤しなければならない状況であった。監視部の陸務課、海務課では一週間に一度の休みが取れず、場合によっては一か月に一度の休みさえ取れないこともあった。また、鉄筋コンクリートの建物でも冷暖房がなくて火鉢があっても炭がなく、監所に便所がなかったり、あっても鍵のかからないものであったり、雨漏りがするなど職場環境は劣悪であった。
このような中で、原告組合は次のような活動を行った。
(1) 年末年始休暇確保のたたかい
年末年始くらいは「人並みに休みたい」というあたりまえの要求を行なって、昭和三三年から年末年始休暇闘争を開始し、その結果、昭和三四年は同年一二月三〇日から翌年一月三日まで、ごく一部の職制を除いて休めるようになった。
(2) 休憩、休息時間確保のたたかい
監視部陸務課、海務課の警務の当直勤務者については、人事院の承認を得た「大臣官房秘令」により休憩時間が一般の職員と異なる勤務形態になっていたが、右大臣官房秘令が守られていなかったので、昭和三四年から右秘令どおりの休憩時間を確保するたたかいを始め、原告組合の要求どおりに解決した。
(3) 宿日直反対のたたかい
神戸税関は、伊丹市を除く兵庫県、山口県を除く中国地方、四国全部が管轄となっているが、出張所、支署は人数が少なく、日直宿直のため休みがとれないので、昭和三三年宇野支署の宿日直返上のたたかいを皮切りに、宿日直反対のたたかいが始まり、昭和三六年頃には基本的に原告組合の要求どおりに解決した。
(4) 厚生係職員の昼休み確保のたたかい
本館を離れた出張所に勤務する職員が厚生係が行なう諸便宜を利用するには昼休みしかないため、厚生係に勤務する職員は昼休みがとれなかった。そこで原告組合は当局と交渉し、午後〇時三〇分まで勤務し、同時刻から同一時三〇分まで昼休みをとることを認めさせた。
(5) 警務出勤時間のたたかい
一般職員の勤務時間は午前八時三〇分からとなっているが、出勤猶予時間があって午前九時一〇分までに出勤すればよいことになっていたことなどから、午前八時三〇分から翌日の午前八時三〇分までの勤務となっていた警務の当直勤務者から「同じ二四時間勤務でも朝はゆっくりしたい。」という要求が出てきた。そこで原告組合が当局と交渉した結果、一般職員と同様に午前九時一〇分までに出勤すればよいことになった。
(6) 用務員出勤時間のたたかい
用務員の出勤時間は午前七時二〇分となっていたが、全税関及び原告組合は当局と交渉し、これを午前八時二〇分とさせた。
(7) 備品等を含む職場環境改善のたたかい
劣悪な職場環境を改善する要求は、まさにイロハから始められた。これを例示すれば、事務用用品の支給、参考書の充実、便所の設置、便所の鍵のとりつけやトイレットペーパーの備えつけ、私費で購入した官服の買上げ、汚れた布団の取替え、布団カバーの洗濯、洗面所への石鹸の備えつけ、電気掃除機の備えつけ、お茶の葉、作業衣の支給などの要求であるが、このような初歩的なことすら、ようやく昭和三六年頃に解決したり、あるいはその目処がたつようになった。
(8) 賃上げのたたかい
昭和二三年政令二〇一号によって、公務員のスト権、団体交渉権が奪われた代償として人事院が設置され、同年から人事院勧告がなされるようになったが、昭和二九、三〇年のゼロ勧告に象徴されるように勧告らしい勧告がなされなかった。
このような原因は、極めて不当な国の政策にあるものの、労働者側において、前記のような目の前の切実な要求に追われ、力を合わせて賃上げ要求する形になっていなかったことに問題があるとの反省から、昭和三三年以降、国家公務員共闘会議、総評春闘共闘などに結集して賃金問題をたたかう方式が確立した。
(二) 当局の攻撃
(1) 組合幹部に対する処分
イ 昭和三三年に行った年末年始休暇闘争において当局は、昭和三四年、「早めに行政指導をして年末年始は十分休めるようにする」旨を原告組合に確認したにもかかわらずこれを反故にしようとしたので、原告組合は当局に対し右確認事項の履行を迫った。しかし、当局の誠意ある対応がなかったため、やむなく関係業者に実情を訴えて協力を要請した。ところが当局は、自らの約束違反を棚に上げ、昭和三四年一二月七日、当時の原告組合の支部長であった原告服部正治と全税関中央執行委員長伊東信治に対し訓告処分を行った。
ロ 当局は、昭和三五年七月、三〇〇〇円の賃上げ要求と、当時全国的にたたかわれていた安保闘争として同年六月四日、一五日及び二二日に、午前九時三〇分までの時間内に食い込む職場集会をたたかった当時の原告組合支部長、及び執行委員らに減給七名、戒告七名の処分を行った。右集会はいずれも安保国民会議・国公共闘会議等の全国統一行動として税関の他の支部や他の官庁の労働組合でも行われたものであり、全く処分が出ない職場もあった。しかも、減給処分が出たのは原告組合と全税関横浜支部だけであるが、横浜支部では減給処分は二人だけであり、原告組合に対してだけ極端に重い処分がなされた。
ハ さらに当局は、原告組合組織部長であった原告大塚宏圀(以下「原告大塚」という。)を密輸犯人にでっちあげようとし、これに失敗したとみるや、昭和三六年八月一九日に右原告を戒告処分にした。その経過の概要は次のとおりである。すなわち、昭和三四年一〇月二七日、外国貿易船の船員江田俊男(以下「江田」という。)が外国製たばこを国内に持ち込もうとしたことから同日八〇〇〇円の通告処分を受けたが、それから一か月以上も経過した後に、当局審理課はその場にいた原告大塚に対し、密輸の共犯の嫌疑によるものか、参考人であるかを明確にしないまま取調べを開始し、このことが神戸新聞に「税関職員が密輸の片棒?」なる見出しの記事で大きく報道された。原告大塚に対する取調べは昭和三五年二月一八日に中断していたが、同年六月二八日、江口監視部長がマスコミに対し、「クロと断定して六月二四日に懲戒免職の上申をした。関税法違反で四〇〇〇円の罰金を通告する。」旨述べたため、神戸新聞に「七か月ぶりにクロと断定」なる見出しの記事で報道された。それにもかかわらず同年七月五日を最後に同原告に対する取調べは終了し、これにより一年以上も経過した昭和三六年八月一九日になって、当局は「原告大塚が知るうべき状況下にありながら知らなかったのは、公務員としてふさわしくない。」との理由で戒告処分を行った。
このように、当日現場で処理ずみになっていたことを蒸し返して、江田の不在中に原告大塚に対する取調べを強行した異常さ、新聞報道の異常さからみて、当局が原告大塚を密輸共犯にでっちあげて、同原告はもとより、同原告を支部役員にもつ原告組合全体の信用を失墜させ、組合を破壊することを狙ったものということができる。
ニ このような原告組合幹部への処分攻撃の頂点に立つものが、昭和三六年一二月に行われた神田支部長、中田書記長、田代組織部長に対する懲戒免職処分である。この処分は、昭和三六年八月一九日に行われた前記大塚の戒告処分に対する抗議行動、五〇〇〇円の大幅賃上げ、物価値上げ反対、政暴法粉砕、その他の職場の諸要求をかかげて行った昭和三六年一〇月五日及び同月二六日の早朝職場集会及び輸出職場における人員増加要求、強制残業反対をかかげて行った昭和三六年一一月一日、二日及び同年一二月二日の組合活動を理由とするものである。しかし、これらの行動は、いずれも原告組合の機関決定に基づいて、多数の組合員参加のもとに行われたものであるが、右三名以外は何らの処分もされなかった。なお、右処分について処分取消訴訟が提起され、神戸地方裁判所と大阪高等裁判所において原告らが勝訴し、最高裁判所で敗訴したが、右最高裁判決は「極めて政治的」と批判されているものである。
(2) 脱退攻撃と分裂攻撃
イ 職制層への脱退攻撃
前記神田支部長らに対する懲戒処分後、当局は、「免職された者を抱えた組合とは団体交渉はできない。」として、原告組合との団体交渉を拒否するとともに、職制を管内の支署、出張所に派遣して原告組合執行部を中傷し、部長会議、課長会議、係長会議等の職制層会議を頻繁に召集してその方向での意思統一を続けた。その結果、職制は、原告組合役員と自由に話ができなくなり、右免職処分に対する闘争資金として臨時徴収することが決められた一〇〇円の組合費の納入を一斉に拒否した。また、神田支部長のいた鑑査職場では、職制を含めて「神田さんを励ます会」を結成したが、職制層を中心として印刷された脱退届けをもって右会から脱退した。
ロ 労研の発足と原告組合乗っ取り工作
このような異常事態を前にして、昭和三七年二月一日、原告組合の臨時大会が開催されたが、事前の代議員選出過程から真剣な組合員の議論を経て、三名を守って統一と団結を固め、団体交渉を実質的に開かせていこうという執行部原案が約三分の二の賛成で可決された。
このように、原告組合は当局の最初の攻撃を跳ね返したのであるが、昭和三七年四月、当局は各部に管理課(民間会社の労務課に相当)を設置して、総務課・管理課を中心に、組織的に組合干渉を開始した。同年六月六日から一一日まで、神戸税関をはじめ全国の各税関から二名(総務課長と管理課長)が出席して東京で開かれた関税局の管理職員科研修において、武藤関税局総務課長は、「我々は組合の健全な発展のためにこれから育成する。」と訓示し、公然と組織的組合破壊に乗り出した。また、警務を含む一部職場で組合費上納拒否が開始された。
続いて、昭和三七年六月の原告組合役員選挙にむけて、労働問題研究会(略称、労研)が結成され、同月一四日に公然と第一号の労研ニュースを配付し、役員選挙に名乗りを上げた。以降、労研ニュースは、根拠のないアカ攻撃を記事とし、職制機構を通じて、もしくは公用車や税関出入り業者を利用して、組合員に配付された。
このように、原告組合役員選挙で労研メンバーを当選させて原告組合全体を乗っ取ることは、当局の絶対的方針となっていた。
労研と当局の繋がりを示すものは、①昭和三七年頃、中埠頭出張所長齋藤憲道が、勤務時間中に、全税関労組合の辻に対して、「労研ニュース」の配付を命じ、これを拒否すると「お前みたいな奴はケトバシてやる。」と言ったこと、②小松島支署で、原告天野親聡他一名が全税関を脱退し、脱退者が計五名となった日の二、三日後に神戸から郵送される労研ニュースに小松島支署脱退者五名と計上されていたこと等、枚挙にいとまがない。
(3) 第一組合の結成
選挙干渉にもかかわらず、原告組合が当局の思うままにならなかったため、当局の方針は、組合員を脱退させて、第二組合をつくることに転化した。
昭和三七年七月三〇日及び三一日、鑑査部の仁尾部長がガリバンで印刷した脱退届用紙を一枚一枚配り、課長係長クラスに名前を書かせるという方法で脱退届を集めたのを始め、同年八月一日には業務部の課長係長クラスからも一斉に脱退届が出された。また、監視部警務第二課では、山根巡察らが、原告脇岡秀年らを、勤務時間中に一人ずつ本部の休憩室に呼び出し、繰り返し早く書くようにとせっついて、連記式の脱退届に署名捺印させた。更に、小松島支署に勤務していた原告天野親聡は、昭和三七年一一月頃から数か月にわたって、勤務時間前に(汽車の都合で早く出勤していた)、勝沼支署長から「全税関をやめたほうが将来的にも君のためになる。」と言われ、やむなく昭和三八年一月に脱退したが、同支署長はその「成果」を本関に電話で報告していた。このような脱退攻撃は宇野支署や呉支署でも行われた。
これに呼応して、労研は、昭和三七年一二月二二日に開催された臨時総会において、「労研」会員は「各自の自由意思にもとづいて原告組合から脱退する」旨決議した。
こうして、昭和三八年二月一四日には脱退者は七四五名、同年八月には八五〇名にも達したが、この間、「労研」が中心となって、新労働組合結成準備委員会を発足させ、昭和三八年三月九日「神戸税関労働組合(以下「神戸税関労組」、「神労」または「第二組合」ともいう。)」が組合員数約五〇〇名をもって結成された。
(4) 差別攻撃(昇任昇格及び特別昇給に関するものを除く)
イ 総務、監視部門からの排除
昭和三七年末から昭和三八年にかけて、監視部警務第二課でも、まず中間職制層(主任、係長)が組合費の支払を保留し、職場集会では反全税関、反共の態度をあらわにし、それでも青年層が組合を脱退しないとみるや、森田船員係長を先頭に一部の巡察(主任、係長層をそう呼んでいた)を使って、勤務あけの非番者を別室に呼び、組合からの脱退を強要したり、一人勤務の詰所や、船に数人で押しかけて、執拗な脱退工作を行った。監視部警務第一課では、乗船勤務の場合、脱退した者は観光客船に、原告組合員は南京虫の出る船とか居住性の悪い船に配置された。また、昭和四一年頃、合同ハイキングに第二組合員が参加すると言っていたのを、当直主席巡察が察知し、「全税関の者と一緒に行ってはいかん。」と言って参加をやめさせた。
原告細川義信は、監視部警務第一課に在勤中の昭和四一年頃から、誰もがいやがるゴキブリ・蚊の多い執務困難な船に配置され、冷暖房のきいた快適な乗船勤務には、最近に原告組合を脱退したものばかりを当てるみせしめの行為が行われた。原告横川泰三は、昭和四一年より前から同様のいやがらせを受けた。
昭和四二年、三年頃の巡察会議の議題として「組合員対策について」というのがあるように、当時職員の間では、あの巡察は何人の組合員を脱退させたから特昇したのだというのが、ごく常識的な警務の職場の味方であり、巡察は、仕事よりも組合対策に目の色を変え、まさに、何人「落とした」かで巡察の勤務評価がされるという状態であった。
監視部に最も特徴的なこのような攻撃の中で、昭和四二、三年頃より、税関の四つの部署(総務、監視、輸入、輸出)のうち、重要部署とされる総務部、監視部から、全税関労組員は排除された。
ロ 研修差別
税関の研修は大別して、①役付職員を対象とする管理者研修、②一般研修、③実務の専門知識の修得をめざす各種実務研修及び④委託研修の四種類がある。このうちの一般研修には、新規採用者全員を対象としてその資格別に行う基礎科研修、受講者の人数に制限のある普通科研修(現在は中等科研修)と高等科研修があり、普通科研修を受けていなければ高等科研修は受けられないことになっている。
これらの研修については、以前はある程度公開され、参加について上司から呼びかけが行われていたが、原告組合分裂後は秘密裡に参加者が指名されるようになり、原告組合員は普通科研修や高等科研修はもとより、職務上必要な実務研修にいたるまでほぼ完全に排除された。このことは、昭和三九年五月九日、税関研修所神戸支所の金田幹雄教務主任が普通科研修生を推薦するにあたっては「思想穏健な者を推薦されたく、(原告組合の)活動家はなるべく御遠慮下さるよう併せて申し添えます。」などと通達し、原告組合員を普通科研修から排除する方針を公然と示したことによっても明らかである。
ハ 入寮差別
昭和四二年垂水寮(独身寮)が完成し、当局は入寮者を募集した。しかし、当局が寮生の自主的活動等を封殺する寮管理規則を制定したため、原告組合員だけでなく、第二組合員も入寮したがらず、入寮申込期限を過ぎてから集めても入寮者は六八名にすぎなかった。その後、他寮取壊しのためその寮の入寮者に転出命令が出たため、やむなくそれら他寮にいた原告組合員が、垂水寮入寮を申し出たが、当局は収容人員に大幅なゆとりがあるにもかかわらず、申込期限切れとして拒否した。
原告玉井進吾郎は昭和五〇年八月三日受傷し、腰椎二・三圧迫骨折による不完全脊損で身体障害者手帳第四級の認定を受けていたところ、昭和五二年三月結婚のため、主治医からの歩いて通勤できるよう配慮されたい旨の文書を添え、更に神戸市民生局の担当係からも当局に申し入れてもらって、中山手宿舎に入居することを希望したが、空家があったにもかかわらず、遠方の甲子園宿舎になった。
(5) 庁舎管理規則による弾圧
右のような差別攻撃は、当然のことながら、原告組合の抗議を招かざるをえないものであった。
当局は、それを予測したうえで、原告組合の抗議行動どころかその基礎となる職場での討議さえも封じるために、昭和三八年に庁舎管理規則を全面改正した。
庁舎管理規則は、昭和三四年に制定されたが、当時、税関長は「庁舎保全のためのものであって労働組合活動等には適用しない。」旨明言していた。
ところが、当局は、昭和三八年の全面改正後は、「当局の許可を得ない庁舎内での労働組合の会議・集会は、庁舎管理規則違反である。」として攻撃し、休憩時間に原告組合員が三人以上寄って話をしていれば、その内容如何にかかわらず、これを組合集会であると一方的に断定し、その解散・中止を要求するに至った。また、庁舎管理規則を盾に、原告組合の掲示板に貼ってある文書類も、勝手に公然とはがされ、勤務時間前や昼休みに配付しようとした組合ニュースも職制の手によって破り捨てられた。
このような庁舎管理規則による弾圧は、原告組合の組合活動だけでなく、組合員間の私的な会話にも及んだ。例えば、原告前田信雄が昼休みに組合員の松本公と話していたところ、外山税関鑑査官から、「君(同原告のこと)は分会長だ、分会長が組合員と話をすると集会である。」といって、解散を命じられた。
なお、当局は、原告組合が庁舎管理規則による使用許可を求めても、職場での討議を許可することはなく、せいぜい職場から隔離された会議室の使用を認めるだけであり、それすらも許されないこともあった。例えば、昭和四二年一二月、当時原告組合中突分会長をしていた原告深田辰次が、執行委員会を開くため会議室の使用を庁舎管理規則に基づいて申請したにもかかわらず、藤田正勝総務課長はこれをにぎりつぶし、「無届集会」を行ったとして会議を妨害した。
この結果、原告組合は、その方針を各組合員に伝達することも、職場からの組合員の意見を汲み上げることも、著しく困難となり、組合員相互間の雑談・対話さえ封殺された。
(6) 現認制度による弾圧といやがらせ
神戸税関では、昭和三六年一二月一五日以前に現認制度が発足した。現認制度とは、職制もしくは特定の職員が、原告組合員の行動や原告組合が主催・共催する各種集会への組合員の参加状況を、一々チェックし、現認書なる報告書を作成して、これを上部機関に報告する制度であり、本件訴訟に書証として提出された膨大な「切り貼り細工」文書は、この現認制度の「成果」である現認書類の一部である。
この現認制度は次の狙いを持ち、且つその効果を上げた。
① 原告組合員の一人一人の行動を逐一チェックして、非組合員(原告組合員以外の職員、以下同じ)を、原告組合やその組合員から隔離する。
原告田中範明は、昭和三五年から三八年の間、当直勤務の翌日の非番の日によく同僚と連れ立って六甲山に登ったが、上司はそれらの者に「あいつとは一緒に行くな。」と言って同原告を悪者扱いにした。
昭和四四年頃から、同期入関者の忘年会ができなくなった。
② 原告組合員に、その行動がチェックされていると自覚させることにより、その行動を萎縮させる。
昭和三九・四〇年頃には、職制が、原告組合員に対して、「現認書を書いて報告するぞ。」と公然と圧力をかけるようになっていた。
原告結縁俊雄は、貨物課東灘方面事務所に勤務していた当時、同原告の行動がチェックされていることについて、方面主任が「気を付けて行動せなあかんで。」と、そっと注意してくれた。また、同原告が、昭和四三年一〇月に中埠頭出張所に配置換えになってからも、便所に行くのに田中総務課管理係長がのこのことついてくる状況であった。
③ 強制的に原告組合を脱退させられた職制や一部の人達に、スパイ行為を要求し、現認書の数やその記載内容の「ひどさ」によって、当局に対する忠誠度を競わせる。
昭和四二年、原告玉井進吾郎と原告小島久は、第一突堤の詰所で全税関分会員と話し合っていたのを、工藤方面主任により「参加者、司会、内容」を現認書をもって密告されたため、厳重注意を受けた。原告組合員からこのことを問質された工藤方面主任は、「立場上やらざるを得ない、君たちにはすまなかった。今後はこのようなことはしない。」と涙して弁明した。
このような現認制度は、その対象として原告組合員に焦点を当てていることや右の狙いにおいて違法不当であるのみならず、さらに、当局が、現認書の書式を改良するなどして、制度として組織的に行ったこと、現認書類の多くが、誇張や虚偽の危険を孕む第二組合員たる係長相当職の者によって作成されたこと、対象者には、その現認書を見る機会も、ましてやその記載について誤りを訂正したり弁解する機会も与えられなかったこと(現に、原告小林霞は、昭和四四年八月二五日のデッチ上げの現認書をもとにして、同年一一月七日に厳重注意処分を受けた。)、当時合法的であった行為すらも、対象とされたことなどの点からも、違法不当なものである。
(7) 引き続く脱退攻撃と原告組合員へのいやがらせ
イ 脱退攻撃
原告塩田静夫は、鑑査部第二部門にいた昭和四二年二月頃、上司の大山鑑査官から、個人的な話だと何回も強調したうえで、「君もそろそろ特昇の時期だし、次期に推薦しようと思っているが、君が未だ組合(全税関労組のこと)に残っているので、どうもなあ、それで私も困っているのだ、よく考えてくれんか。」と特昇を餌にして原告組合からの脱退を迫られた。
原告小林霞は、酒の席などで先輩から、役付職員になるには組合を抜けなければと匂わされた。
訴訟継承前原告横江威は、昭和四〇年輸出一課へ配置換えになったとき、川又輸出一課長から、「君もそろそろ、年令も高いし考えなくてはならないのではないか。」と全税関脱退を求められた。
原告坂本柏に対し、昭和四〇年、浜田支署の支署長は「全税関労働組合はアカ」等と言って全税関を誹謗し、脱退工作をした。後任の支署長も、主任を通じて、同原告の妻に「主人を出世させるかどうかは実に奥さんの采配にかかっている。主人が可愛いと思うならばそれに見合ったことをしなければならない。」と言わせ、同原告にも「本当に私のいうことをよく聞かないとこれから先どうなるか保障できないぞ。」という意味のことを言わせて、同原告を原告組合から脱退させようと工作した。
原告寺地健は、忘年会等各種レクリェーション行事の際、機会あるごとに、そのときの上司から、「君ほどの人がなあ……」「惜しいなあ……」と、同原告が原告組合員であることから昇進が遅れていることや原告組合を脱退するよう暗に求められた。
原告間処康成は、監視部貨物課にいた昭和三六年、上司の宮崎課長に個室に呼ばれ、「君は執行委員になったが、ほどほどにやっておけ、今の執行部はすべて共産党だそうだ、気をつけろ、もし、何かあれば、私に相談してくれ。」と言われた。また、小野浜(東部出張所)貨物課に勤務していた昭和三八年、金田課長から「私は老婆心ながら君に忠告しておくが、全税関におれば損をするよ、考えたらどうかね。」と言われ、原整理係長からも「マーさんバスに乗りおくれたらあかんで。」と言われた。
原告青木俊夫は東部出張所に配置換えになった昭和三九年、上司の居垣税関鑑査官に勤務中に呼ばれ、「君は特昇(特別昇給、以下同じ。)をしたことがあるか。」「奥さんや子供のことが可愛くないのか。」「長いものには巻かれる方が得やからここらで考えてくれ。」と原告組合からの脱退を求められた。
同原告は昭和四一年、差別があまりにひどいので上司の小川税関鑑査官に質問したところ、同鑑査官から「君がまじめに仕事をしていることはよく知っている。今は仕事がよくできるだけではだめだ。どうしたら人並みに昇進できるかは君等もよく知っているだろう。私がその方法を言うことはできないが……」と昇進のためには全税関脱退が必要であることを示唆された。また、同税関鑑査官は、課の旅行で山代温泉に行く数日前、副鑑査官を呼び、「酒を飲ませてからやるんだ。具体的に組合をやめろと言うことまずいから。」と原告組合からの脱退工作の方法を指示した。
原告津村勝次は、鑑査部にいた昭和三七年から昭和三八年頃にかけて、上司の中村平八郎税関鑑査官より、執拗に組合脱退を強要され、監視部旅具課にいた昭和四三年から四四年頃にかけて、当直勤務班長であった金山彰夫検査官から同原告の当直勤務日の勤務時間内に、本庁前旅具検査所や東部旅具検査所において、かなりの回数にわたって脱退工作を受け、さらに、昭和四四年九月初め頃、岸田旅具課長に旅具課長室に呼ばれ、脱退の意思の有無を確認された。
昭和三七年末から三八年にかけ、監視部警務第二課では中間職制層(主任、係長)が組合費の支払いを保留して職場集会では反全税関、反共の態度をあらわにし、それでも青年層が組合を脱退しないとみるや、森田船員係長を先頭に一部の巡察を使って、勤務あけの非番者を別室に呼び、組合からの脱退を強要したり、一人勤務の詰所、船に数人でおしかけ執拗な脱退工作を行った。
原告田中範明の知人塚本耕三は、原告組合を脱退させられ、その後思い直して再加入したもののまたも脱退させられ、さらに再加入するという変転の後に退職した。同原告の後輩の吉川勘造・大崎秀貴の両名は「上司から脱退するように言われたがどうしたらいいだろう。」と同原告に相談にきたが結局脱退し、同原告と同僚の宮本邦彦も「脱退するつもりはない。」と言っていたが、脱退を余儀無くされた。
原告横川泰三は、昭和三八年四月神戸外国語大学二課程に入学した際、同郷(高知県)の浜田富保係長から入学祝いとして宿舎に呼ばれたが、「旧労(全税関)をやめろ。」「わしの立場も考えてほしい。」と原告組合からの脱退を求められた。
原告井口恭光は、総務部会計課在職時(昭和三九年七月〜昭和四一年七月)に、直接の上司である村田勝主任から、「会計課にいる間は、全税関にいてもらっては困る。」と脱退を求められた。また、同原告は、尾道出張所に転勤(昭和四一年八月)後一か月もしない内に、岩崎最昭尾道出張所長から、勤務時間中及び時間外において、「全税関をやめた方が得だぞ、脱退してはどうか。」等と二回にわたって、脱退を求められた。
原告大釜昭雄は、監視部警務第一課に所属していた昭和三九年夏頃から年末にかけて、直接の上司である浜田富保係長、岡崎正司主席巡察、福島武彦巡察らから、夜勤当直勤務のときに数回にわたって、「全税関をやめたらどうか。君のためになる。」という趣旨の脱退勧誘を受けた。
原告玉井進吾郎は、監視部警務第二課に所属していた昭和三八年、勤務時間中に、勤務していた船に巡回に来た室田昌彦巡察から、「玉井君、君も考えたほうがいいよ。」と全税関からの脱退を強要された。
原告細川義信が、監視部警務第一課に在勤していた昭和四〇年、同原告ら五人のグループの友人の島田善文に対し、巡察らが「君の友達四人とも全員組合をやめた、君も早くやめろ。」と嘘を言って連日脱退を強要し、脱退させた。同原告に対しても、乗船差別をしながら、巡察らが「君も良い船で勤務したければ組合のことを考えろよ、これは親心だよ。」と勤務時間内外を問わず、執拗に原告組合からの脱退を強要した。
原告原奉宣は、監視部警務第一課に在勤していた昭和三九年夏、同期の中井健司と共に浜田富保係長宅に呼ばれ、同係長から「君達二人は特別に優秀だから、今年の中等科研修に言ってもらうことにしとる。これは異例のことだから……」と全税関労組から脱退するよう仄めかされた。また、同課では、狙いをつけた者を一人勤務の監所に配置して、数人の巡察が寄ってたかって無理やりに脱退届を書かせ、それが果せないと有形無形の陰湿ないやがらせを行い、その結果将来に希望を失って職場をやめていった者も数多くいたが、同原告も、巡察から、監所や常務船で、あるいは飲み屋で、執拗に原告組合からの脱退を迫られた。
訴訟承継前原告服部正治の同期同資格入関者(昭和二六年六級組)である西山定雄は、上司の中村平八郎鑑査部管理課長から「最後のチャンス」だと脱退を勧告され、昭和三九年暮か昭和四〇年初め頃に原告組合を脱退したが、脱退直後(昭和四〇年)に、門司税関徳山支署の関税鑑査官に昇任した。また、同様に同期同資格入関者である滝野も、昭和四二年春頃に、当時の配転先の福山支署水島出張所から、同人の妻を通じて「今度が最後のチャンスだというふうに聞いているので家のほうにもこれ以上迷惑をかけられないのでやめさせてもらう」旨の手紙に、脱退届を同封して送ってきた。なお、右服部正治も、昭和四五、六年頃摩耶出張所に在籍していた際、既に退職していた中村平八郎から、「そろそろひいたら(脱退したら)ええんと違うか。滝野はあれ(脱退)以来連続特昇して元を取りよるぜ。」と全税関からの脱退を勧告された。
原告川上俊智は、神戸税関総務課文書係に在籍していた昭和三九年四月、同県人で上司の林和巳課長補佐から、「全税関の活動は過激だ。将来のこともあるし、もうやめたらどないや。」等と何回かにわたって説得され、原告組合を脱退した。なお、同原告は、脱退して、昭和四六年七月に特昇した後、勤務時間内に浜田支署長室において、主任と第二組合のオルグ二人がいる前で、支署長から、「神労に入れ。入ったほうが絶対いいんやから入れ。」と言われて、やむなく第二組合加入書に署名した。
ロ 結婚妨害等のプライバシーへの干渉
原告山岡荘太郎が昭和三九年九月頃結婚を前提に付き合っていた女性の母親が、同原告の入関の際の保証人である矢野方一総務部秘書係長を訪ねた際、同係長は同女に対し「全税関にいたらいつまでも出世出来ない。昇給にも差し支える。」旨言って、同女らから同原告に全税関脱退を勧めさせた。このため右縁談は破れた。
原告脇岡秀年は、昭和四二年二月、東部出張所貨物課に在勤中(神労の二代目委員長山本巌が課長であった。)、同じ課の浪花武雄が、同原告の婚約者の会社の上司に対して、全税関労組を誹謗し、婚約者から同原告に全税関脱退を勧めさせようとした。
原告大屋広隆の妻は、その仲人をした職制から私信で脱退を勧められた。
ハ 不当配転といやがらせ人事
昭和三七年一一月に第一次大量配転がなされたところ、従来は、支署勤務は希望者が普通であったが、当局は、小松島支署に原告柳沢尚、松山支署に原告高須賀四郎、坂出支署に原告野口和正を配転するなど、全税関青年部役員と活動家一五名を遠隔地に配転した。
続いて昭和三八年七月、第二次大量配転が行われたが、これは第一次と同様の趣旨のものであり、原告桝本清が呉支署に配転となった。
原告牛込尹人は、昭和四四年に三谷総務課長から再三話し合いを求められ、全税関脱退の話ならお断りすると答えたところ、松山支署に配転となり、しかも、支署配転のときは五等級係長となるのが通例となっていたのに、六等級平職員のままといういやがらせ配転であった。
昭和四九年二月、原告灰野善夫は、意に反して、全く予期していなかった宇野支署に配転された。
昭和四二年一〇月、原告柳沢尚は、長男が生後七ヵ月であり、高校生の弟が同居していて、配転に応じられる状況ではなく、支署長も今年は配転はない旨言明していたのに、配転された。
当局は、昭和五二年、妻が出産して健康状態が悪い原告天野親聡を小松支署から本関小野浜出張所へ、同様に配転が困る事情にある林を本関PI出張所から小松島支署阿南出張所へ配転しようとして両名に内示したところ、本人や原告組合の反対運動によって、この配転はなされずにすんだが、同時に同原告の保税実査官昇任の内示も撤回した。
支署勤務は普通は大体三年であるのに、原告高須賀四郎は、昭和三七年一一月に第一次大量配転で松山支署勤務となってから、松山に六年間、今治に二年余、新居浜に五年と支署勤務を続けさせられた。
ニ 差別によるみせしめ人事やいやがらせ人事
訴訟承継前原告横江威の同期生で任官がより遅かった山本昭は、長期無断欠勤(行方不明)をして解雇問題にまでなった経歴の持主であるが、全税関組合員の脱退等に功労があり、神田ら三名の懲戒免職の裁判で当局側の証人として出廷したことから、昭和五四年に四等級に昇格した右横江威に比べて早く昇進し、昭和五三年には三等級の統括審査官となって、同人と同じ職場に配置された。同期生やそれ以下の資格の非組合員が、同じ職場で上司としていることは、極めて屈辱的なことである。
原告川上俊智は昭和四四年一月に原告組合を脱退し、昭和四六年七月に特昇した。
原告脇岡秀年は、昭和四〇年に東部出張所保税課に配属になって以来約一〇年間、保税課ばかりに在籍させられた。
3  マル秘文書が示す全税関対策の狙いと手口
(一) 東京税関幹部会議事録等
昭和六二年一二月、全税関本部に東京税関当局が作成したと思われる一連のマル秘文書が送付されてきた。
文書の中身は、昭和四二年から昭和四四年の間に東京税関で開催された幹部会議、部課長会議、部課署長会議等の各議事録及びその頃東京税関で作成された行政日誌その他の資料である。
文書の内容は全税関労組を旧労、第二組合である東京税関労組を新労と呼び、人事対策、労務対策、新入職員・青年層対策、厚生リクリェーション対策、表彰制度の運用その他により、一方において全税関所属の組合員を徹底的に差別・排除し、全税関の団結を破壊しつつ、他方において東京税関労組を保護育成することを密かに謀議したものであるが、右対策は関税局の指導によるものであって、神戸税関をはじめとする全国各税関においても同様の対策が実施されていることは容易に推察できる。
これを要約すると次のとおりである。
(1) 人事対策
イ 昭和四三年一一月二九日に開催された幹部会議で、東京税関総務部長から関税局が召集した全国税関総務部長会議の報告がなされた。それによると、初級職試験合格者の採用について、従来は人事院の試験成績が六五点以上の者を対象としていたが、昭和四三年度からはこの制限をはずし、思想調査の必要から学校の選別や身元調査を強化することになった。
これは、初級職新採用者については、試験成績よりも思想傾向を重視することにより、新採用者が全税関労組に加入するのを防止することを狙ったものである。
ロ 昭和四二年四月一一日に開催された部長会議で、全国税関総務部長会議の結果が報告された。そこでは全税関組合員に対し、八等級から七等級への昇格に際し、どのようにして差別するかが種々論議されていた。例えば、東京税関や神戸税関からは、矯正措置を受けた者に対してのみやるべきだという意見が出されたが、横浜税関は矯正措置に限らず当然にやるべきだと主張した。これに対し、関税局からは、単に矯正措置を受けただけで成績不良と判定することは問題があるので、成績不良の事実を逐一記録しておくことが必要であるとの意見が出され、東京税関からは大蔵省全体で検討したうえ慎重に実施すべきだとの意見が述べられた。
これは、関税局の指導のもとに、全国の税関が全税関労組の組合員に対し、いかにして昇格差別を行うかを種々議論した結果、組合活動を理由に厳重注意や訓告等の矯正措置を行い、それを口実に七等級への昇格を差別するという従来の方針を再確認するとともに、成績不良の証拠を固める手段として現認体制の統一的方針を検討したものである。
ハ 前記部長会議における前同報告により、八等級に在級する若年層に対しては、メリットがないので特別昇給をさせない旨の結論が出されたことが認められる。
特別昇給制度を人事対策の手段としてより有効に活用していくという方針が明白に示されている。
ニ 前記部長会議における前同報告により、関税局が勤勉手当の減額を従来の割合より強化し、より突込んだ減額措置を検討していきたいと提案し、大多数の税関がこれに賛成したことが認められる。
これは全税関組合員に対する勤勉手当の減額をより厳しくすることにより差別支配を強化することを狙ったものである。
ホ 昭和四二年一一月二四日に開催された幹部会議において、全国総務部長会議の議題に関連して税関長が、勤勉手当に差別をつけるより現行の昇給延伸の方が必罰の効果が大きい旨発言している。
全税関組合員に対し、いかにすればより打撃的な攻撃を加えることができるかがあらゆる機会に検討されているのである。
ヘ 昭和四二年九月一一日に開催された幹部会議では、全国税関長会議の報告がなされたが、それによると、この税関長会議で、旧労古手対策として専門官設置の提案をした某税関長に対し、大蔵省が甘い考えだと批判したことが認められる。
全税関組合員に対する差別攻撃は関税局の積極的指導によるものであることを示している。
(2) 労務対策
イ 関税局総務課は、昭和四二年四月七日付で作成した「税関職員服制細則の制定について」と題する文書を各税関に呈示し、意見を徴した。大蔵大臣訓令「税関職員服制細則」、税関長達「税関職員服制細則の実施細目」制定により、税関職員には職務遂行時以外での制服着用を禁止し、職務遂行時には制服、制帽の着用を義務づけることによって、全税関組合員の組合活動を制服面から規制するとともに、違反者に対しては、訓令違反や職務命令違反を口実に矯正措置や懲戒処分を行うことを目論んだものである。
関税局総務課自身がこの文書の中で、「規則の解釈上、昼休みに制服を着用してよい時といけない時の限界について(例えば、何故コーラスが可で、集会が不可かなど)若干紛争を生ずるおそれがある。」とか、「一部分子の組合活動を阻止するためにこのような規定が設けられ、職員の多数が迷惑を被るのは本末転倒ではないのかとの考え方がある。」などと問題点を指摘しているところに、その意図の露骨さが窺える。
ロ 右の呈示に対し、東京税関では、昭和四二年四月二六日に部長会議を開催して協議した。そこでは、服装規程は全税関組合員が制服を着用して組合活動を行うことを制限するところにその目的がある旨の説明がなされ、休息時間中の制服着用について組合活動とその他の活動を差別して取扱うことの可能性やその場合の規定文の表現上の工夫について種々議論されている。興味深いのは、東京税関で「特例をつくると旧労はそのアンバランスを穴として要求を起こし、他関では困ることが起こる可能性がある。」などというような意見まで出され、その表現に苦慮している様子が窺えることである。
ハ 昭和四三年一一月二九日の幹部会議で、船員保険の値上げについて新労(東京税関労組)が根回しをする予定であるから協力をするようにとの報告がなされている。
このことは、東京税関当局が船員保険の値上げ問題について、該当職員から苦情がでないように第二組合を利用していることを意味しており東京税関当局と第二組合との癒着ぶりを示すものである。
ニ 昭和四二年九月一一日の幹部会議議事録によると、全国税関長会議で、東京税関長が官房長に対し、当局は旧労(全税関労組)対策は懸命にやっているが、もっと大事なことは新労(東京税関労組)を強くすることだと進言していることが認められる。
関税局と各税関が一体となって全税関労組攻撃と第二組合育成に腐心している様子が窺える。
ホ 昭和四二年四月一一日に開催された部長会議で、全国税関総務部長会議の報告がなされた。それによると、第二組合を同盟路線に導くべきか否か、各税関一律の労務対策の押しつけの善し悪し等について関税局と各税関当局が協議していること、ならびに関税局は東京税関当局に対し、大蔵職員の中の一部には容共的行動もあり、その中に、税関労組(第二組合)が入っていることは危険であり幹部職員は注意するように要望している。
ここにも関税局と各税関が一体となって全税関労組対策と第二組合育成に腐心している姿がよく示されている。この中で、東京税関総務部長が「(本省の)ただ神戸をたたえ東京を批判する書き方に一言意見を述べておいた。」と報告するくだりは、神戸税関当局が第二組合の育成、とくに同盟路線推進の実績について、関税局から高く評価されていることを示している。
ヘ 東京税関厚生課の昭和四四年九月三日付「独身寮について」と題する文書によると、東京税関当局は全税関労組が独身寮の入寮者にどのような働きかけをし、入寮者がどの程度反応しているかを監視調査している事実が認められる。
ト 昭和四二年一月一四日付で作成された東京全税関の独身寮各寮別概要は、東京税関当局が各独身寮の入寮者の組合所属関係に留意し、新入職員が入る品川寮にはほとんど全税関組合員を入れないようにしていることを示している。
チ 昭和四二年五月一五日に開催された部課署所長会議では、全税関労組の組合活動であるリボン着用に対し、現場での具体的なやりとりを想定した職制の対応策を指示している。
リ 東京税関の昭和四三年度予算要求資料では、労務対策整備経費として五〇万六〇〇〇円が計上され、その内訳として広角レンズ、ストロボ、写真機、テープレコーダー、携帯メガホン等が挙げられている。
右の事実は、全税関労組の組合活動等、特に集会、デモ対策として、現認体制を強化するための装備拡充が目論まれていることを示すものである。
ヌ 昭和四二年九月一一日の幹部会議における全国税関長会議の報告によると、同会議で財務調査官が「組合の混乱期は過ぎたが、かつての苦闘を思い起し管理体制を確立してほしい」旨の挨拶をしたことが認められる。
これは、税関労組の分裂がほぼ完了し、第二組合が確立されて一応平穏を保っているからといって、職場の管理体制をおろそかにしてはならないという関税局の締めつけである。
(3) 職員・若年層対策
イ 前記幹部会会議議事録によると、前記税関長会議において、横浜税関長が官房長に対し、「新職員の基礎研修は良い。マル共組合を追つめていくのに効果があるので毎年新職員を採用し、研修を実施してほしい」旨の要望を行ったことが認められる。
これにより、各税関当局は、全税関労組対策に新職員の基礎研修を利用し、新職員が全税関労組に加入せず、第二組合に加入するよう教育している事実が明らかになった。
ロ 昭和四二年三月三〇日の部長会議において、新職員の受入行事につき協議された。その際、研修課長から、新職員の入関式に全税関労組がビラを配付するので研修教室に入場の際に回収することにしたい旨提案され、承認された。
東京関税局が、新職員への全税関労組の影響を排除するための具体的措置を計画的に行っている事実が端的に示されている。
ハ 昭和四二年四月一一日の部長会議議事録には、全国税関総務部長会議において、大阪税関が新職員を警務課に配属することは管理教育が徹底しにくいので反対した旨の報告について、東京税関では必ず先輩がペアでつくので大阪とは事情が違う旨の議論がなされたことが記載されている。
各税関当局とも、新職員の管理体制に腐心していることが分かる。右の管理体制の中心課題が、新職員に対する全税関労組の影響を排除することにあることはいうまでもない。
ニ 昭和四二年五月一日の部長会議では、新職員の配置案について協議された。その際、三五名の新職員全員を警務関係に配置することは難しいので、一部の新職員については、警務関係以外の職場に配置するが、その場合には全税関労組員の影響を受けないように配慮して配置する旨の方針が確認されている。
これにより、新職員を全税関労組から隔離する方針が明確に示されている。
ホ 前記会議において、新職員の受入後の取扱要領として、職場指導官の人選については七等級職員を中心に勤務成績、人格、思想等を考慮して行うことを決定している。
新職員の思想教育を重視していることがわかる。
ヘ また、前記会議において、新職員の寮への受入れに関し、入寮者の管理の徹底について協議している。
入寮者の私生活全般を掌握し、管理を強め東京税関当局の意に沿う職員を育成する方針が具体的に示されている。
(4) 厚生・リクリエーション対策
イ 昭和四二年八月一六日に開催された幹部会議においては、次のような協議がなされた。即ち、水泳大会について、全税関労組所属選手でも名選手であれば二〜三名いれるのはやむを得ない旨の関税局の回答や、全税関労組員を参加させることの実害についての関税局の質問が紹介され「全税関労組員を差別してもよいのではないか。」との総務課長の発言や「若年層対策としてレクリーダーには全税関労組を入れてはいけない。」(発言者不明)とか、「できるだけ排除方法をとるが、二〜三名まぎれこんできた場合にはやむを得ないだろう。」との総務部長発言があり、種々論議された。最終的には今回の水泳大会については全税関組合員四〜五名までは出場させてもよかろう、レクリーダーは今回は全税関組合員を入れたまま締切るなどの点で合意された。
全税関組合員についてはレクリエーション活動からも排除、制限していく方針が明確に示されている。
ロ 昭和四二年九月一四日付の「職場レクリエーションについて」と題する資料には、次のような記載がある。
サークル活動は特定イデオロギーに支配され易い欠点をもっている。全税関労組は安い経費で若年層と知り合う機会を狙っている。行事当日は思想的言動等はしないが後日喫茶店等へ誘い出す。今後の行事計画については管理課長会議を経て幹部会議の承認を得る。文化的活動は第二組合と全税関労組を分けたサークルの二部制を考え指導していく等々である。
ここでは、レクリエーション活動を通じて、全税関労組の影響力がどのように浸透してくるかを分析している。レクリエーション行事計画についての管理体制を強化し、サークル活動においても全税関組合員と第二組合員を分断する方針が示されている。
ハ 昭和四二年九月六日付のサークル部門別新旧調査表には、各サークル毎に第二組合と全税関労組の所属人数が記載され、マネージャーについても所属労組別に記載されている。
右の事実は、東京税関当局が各サークルの構成員やマネージャーの組合所属について強い関心を持ち、その調査結果に基づいてサークル活動を通じての全税関労組の影響を排除していく方針をとっていたことを示している。
ニ 昭和四二年九月二七日に開催された幹部会議では、次のような提案、報告、決定等がなされた。レクリーダーは任命制とし、経費は一部負担する、任期は一一月一日からとする、全税関労組対策上、美術展は本年中は行わない、音楽隊は全税関組合員の活動の場となってしまったので解散した、音楽隊の新設を検討したい、新職員に演劇とコーラスの希望が多いが、現在これらのサークルは全税関組合員が中心となって活動しているので、二部制とし、新しい演劇・コーラスのサークルを結成させることが必要と思う、思想問題についても研究会の開催を検討してみてはどうか、等々である。
全税関組合員を「旧労分子」と呼び、これを全てのサークル活動から計画的に排除していく方針が明示されている。
ホ 前記幹部会議に用いられた資料には次のような記載がある。レクリエーション・年間行事からの全税関組合員の排除、レクリーダーの存在を当局が明確に認識し、レク行事の準備と実施は厚生課が中心となり、各部署所の管理課長がレクリーダーの助けを借りて一般職員のレク参加希望状況を掌握する。但し、全税関組合員に対しては何ら積極的に直接に接触しないようにする。一〇月一日を目処にレクリーダーの一新と増員をはかる。新レクリーダーには正式発令をし、任期を定め、なるべく多くの第二組合員がレクリーダーの経験を持ちうるように措置する。サークル活動は第二組合と全税関労組の構成比から見て危険が伴う。具体的には、コーラス、油絵、華道、演劇などの文化活動には当局として積極的に取り組まない。当局としては体育部門ないしは登山、バーベキュー、釣り等に取り組み、第二組合所属の若年層対策に主眼をおく。レク年間行事は年度当初に幹部会議にかけてオーソライズする。但し、前記全税関労組の影響の強い文化活動等は実施できない。
ここでも、レクリーダーやサークル活動からの全税関組合員排除の方針が明記されている。そして、これらの方針は現実に忠実に実施されているのである。
(5) 表彰
イ 昭和四三年四月二日の幹部会議では、大臣表彰について論議された。ここでは、勤勉手当の受領を拒否しているような者は大臣表彰を受けるに値しない。腹では全税関組合員を表彰したくないが、永年勤続者表彰はせざるを得ない等の意見が出されている。
表彰制度の運用においても、全税関組合員の差別取扱いが検討されているのである。
ロ 昭和四三年七月一七日付「第二四回密輸検挙者表彰について」と題する文書には概要次のような記載がある。
他の職員の模範とするにふさわしくない行為のあった者を表彰から除外するため、表彰に関する運用内規を改定し、①過去一年内に懲戒処分、矯正措置を受けた者は表彰から除外する。②過去一年内に官の政策、方針、職務命令、上司の指導に対する反抗または不服従のあった者その他税関職員としてふさわしくない行為のあった者は功績得点から三〇点を限度に減点する(〈書証番号略〉)等々である。
これは、全税関組合員に対しては表彰も行われない旨の差別方針が打ち出されたことを示している。
(6) その他
昭和四四年九月一七日の幹部会議では、一日税関長の選定にあたり、芸能人には共産党系がいるのでその辺の調査が必要との意見が出された。
(二) 全国税関総務部長・人事課長会議資料等
昭和六一年一一月五日、衆議院予算委員会において、正森成二議員が関税局や各税関における人事管理問題等について質問したが、原告はこのときに用いられた資料を全税関中央本部を経由して入手した。これらの文書は、昭和六一年四月一〇日、一一日に関税局で開催された全国の税関人事課長会議関係資料(〈書証番号略〉)および昭和五八年から昭和五九年にかけて開催された全国の税関長会議・税関総務部長会議の関係資料(〈書証番号略〉)である。
文書の内容は、前記の各会議で各税関における人事管理上の諸問題を協議した際の議題、方針、資料で、全税関所属の職員を特定職員と呼び、その処遇について、第二組合員とどの程度の差別をもうけるかを具体的統一的に検討したものである。
そして、昭和五八年から昭和六一年という比較的最近の資料であるが、ここで提起・確認されている税関当局及び各税関当局の差別的方針は基本的には本訴請求期間当時から今日まで維持、継続されている。
(1) 上席官昇任対策
昭和六一年三月一九日の総務部長会議において、①俸給表の一一級別移行により、七級昇格の足がかりとして、今後上席官(課長、補佐、またはその相当職)要求が強まるであろう、②上席官昇任については、五〇歳以上の全税関所属職員のほとんどは昇格基準表の要件を充たしており、また、全税関に所属していない職員(一般職員)の上席官への任用及び職場での上席官の運用の実態並びに全税関所属職員の年齢構成等から、現状(六〇年任用六人、占有ポスト九)程度では、内外とも説明が難しい、③仮に、欠格条項に該当する者を除く全員を昇格させたとしても、全上席官の一割にも満たないので上席官任用は可能であろう、④一般職員との均衡上及び全税関職員に対する上席官運用の継続性からも、少なくとも二六年次を中心とする年齢構成層については、上席官昇任にあたって絞りをかけ選考すべきである、などの意見が交わされた。
これを受けて、昭和六一年四月一〇、一一日に開かれた人事課長会議において、①全税関所属職員の上席官への昇任について、欠格条項該当者以外は全員昇任させるか、昇任時に選考を行うか、②選考対象を従来より若干拡大すべきであるとの意見もあるが、あまり昇任時の年齢を下げると選考対象者が著しく増加すること、八級昇格への期待感が増幅されることなどを考慮し、五五歳以上で六級の在級期間が六年以上の者という前年度基準のままで運用するか、③昭和六一年度における全税関組合員の上席官任用数を、昭和六〇年度の任用数(六人―合計で九ポスト)の五割増程度にすることはどうか、さらに増やすとすれば任用の上限はどの程度が妥当か、などの問題が提起、協議された。
これらの協議は、全税関組合員はなるべく上席官に昇任させないとの従来の方針を原則としつつ、それでは余りにも差別が歴然とし過ぎるため、一部の組合員については、定年退職直前に昇任させることとし、その任用数や昇任年齢、六級在級年数等をどの程度に押えるかを種々の視点から検討したもので、あからさまな差別謀議に外ならない。
(2) 七級昇格対策
前記総務部長会議において、①七級は従来の四等級でもあり、上席官は基本的には七級であるという職員感情から、上席官であれば退職までには七級に格付けすべきである、②一般職員との均衡(一般の上席官が全て退職時までに七級に格付けされるとは限らない。)から選考を行うべきである、などの意見が出された。
これをふまえて、前記人事課長会議では、①一般職員の昇格との均衡上、上席官在任二年以上の者とすることはどうか、この場合上席官昇任の上限年齢をどう考えるか、②在任期間に関係なく退職前一、二年前に昇格させることはどうか、などの問題について協議がなされた。
(3) 四、五、六級格付対策
前記人事課長会議において①四、五、六級における一般職員と全税関組合員の昇格時期については、勤務成績が一般職員と比べて遜色のない全税関組合職員は超一選抜として一般職員の最終選抜時期(最も昇任の遅いグループ)に重ねること、②一般職員より勤務成績の優れている全税関組合員は一般職員の第三選抜の時期に重ねること、を確認することについて協議がなされた。
これらの差別取扱方針は神戸税関においても正確に実行されている。一例を挙げると次のとおりである。
すなわち、昭和六〇年度において全税関所属職員で上席官に新たに任用された者及び既に任用されている者は、全員五五歳以上、六級在級期間六年以上であり、しかも総任用数は六人―九ポストであって、前記人事課長会議での指摘のとおりとなっている。また、神戸税関における昭和三四年高卒入関者の四等級(六級)昇格年度は、一般職員の第一選抜が昭和五五年、第二、第三選抜が昭和五六年、五七年で、最終選抜が昭和五八年となっているのに対し、全税関所属職員の「超一選抜」が昭和五八年となっていて、一般職員の最終選抜時期に合わされている。
4  昇任、昇格、昇給差別の実態
(一) 法令上の建前と運用の実際
(1) 任用制度の基本原則
国家公務員法は、昇格昇給を含む任用制度の全般を通じて遵守されなければならない四つの基本原則を定めている。
その一は平等取扱いの原則であって国家公務員法(以下「国公法」という。)二七条は、すべての国民が国法の運用について平等に取扱われなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、政治的意見、政治的所属関係等によって差別されてはならないことを定めている。
その二は国公法三三条で定められている任免の根本基準の遵守である。職員の任用は、国公法と人事院規則の定めるところにより、その者の受験成績、勤務成績又はその他の能力の実証に基づいて行うこと等がその柱である。
その三は法令要件の充足である。国公法や人事院規則で定める要件を備えていない者を任命、雇用、昇任、転任させてはならず、いかなる官職にも配置してはならないとする原則である。
その四は国公法一〇八条の七で定める不利益取扱いの禁止である。職員は職員団体の構成員であること、これを結成し、これに加入し、又はその正当な行為をしたことのために不利益な取扱いを受けないとするものである。
(2) 任用制度の運用の実際
国公法の任用制度は職階制と競争試験を基本的前提として組立てられているが、今日まで職階制は実施されず、昇任等に競争試験は導入されていない。
このため、任用制度の運用は暫定的なものとなっていて、法令上の建前と運用の実際との間に相当の隔たりがあり、神戸税関では、少なくとも課長または課長待遇職への昇任、従って旧三等級(現八級)への昇格までは、特に心身に故障があって長期欠勤した等の特別な者を除き、大多数の者が特定の年度もしくは二ないし三年の幅をもった一定の期間に昇任、昇格している。
イ 昇任について
昇任の定義は人事院規則八―一二(職員の任免)五条二号に定められているが、職階制が実施されていないため、同規則八一条で別に指令で定める日前においては従前の例によるものとされ、従前の例とは①職員を昇格させること、②級別の定めのある官にある職員を上級の官に任命すること、③職員を法令その他の規定により公の名称の与えられている上位の官職に任命することとされている(右規則の運用通知)。
ところで、昇任は国公法上、競争試験によって行うことを原則とし、競争試験が適当でない官職への昇任は、当該在職者の従前の勤務実績に基づく選考により行うことができるものと定められている(三七条)が、現在、税関においては昇任試験は実施されていない。また、選考の方法としては、人事院で定める基準により人事院又はその定める選考機関が行うものとされ(同法三六条二項、三七条三項)、選考の基準については、官職の職種及び等級に応じて、所定の経歴、学歴、知識、技能を有し、かつ、指令で定める免許、資格を有すること、さらに勤務成績の良好であることを含む旨が定められている。(人事院規則八―一二、第四五条)。
しかし、右人事院規則の定めは、職階制が実施されていないため法的には適用されておらず、同規則九〇条(経過規定)により、本省の課長相当職(税関でいえば税関長と部長)以上の官職を除く官職についての選考は、任用権者が選考機関としてその定める基準により行うものとされているのであるが、神戸税関においては右の選考基準は定められていないものと思われる。
そこで、任命権者の行う昇任はいかなる基準に基づいて実施すべきかが問題となるが、人事院規則八―一二の運用通知(任企三四四)でも昇任の定義に昇格させることを含ませていることを勘案すると、昇格の基準を定めた人事院規則九―八第二〇条を類推適用することが、もっとも法の趣旨(国公法三六条二項、三七条三項)に適合する。
そうすると、昇任選考の基準としては、当該職員が合格した資格試験と学歴、免許別に定められている必要経験年数及び必要在級年数を充足していることであって、それ以上の基準は認められないということになる。
職階制が確立されておらず、競争試験も実施されていない現状において、このように、昇任が主として資格や経験年数等の客観的基準に基づいて行われることはやむを得ないことであり、任命権者の恣意を排除するうえで実状に最も適している。
ロ 昇格について
昇格は、職員の職務の等級を同一の俸給表の上位の職務の等級に変更することであるが、その基準として、人事院規則九―八第二〇条は、行(一)の旧二等級、現九級以上への昇格を除いては等級別資格基準表に定める必要経験年数又は必要在級年数を有していなければならないこと、現に属する職務の等級に二年以上(昭和六〇年一二月の改正前)在級していなければならないことなどが定められている。
このように、昇格は客観的に明白な基準によるべきことが定められているのであり、勤務成績が良好であることは基準とされていない。これは、任命権者の恣意を排し給与制度の公正な運用を期したためである。
ハ 昇給について
普通昇給は職員が一二月を下らない期間を良好な成績で勤務したときに、その者の職務について監督する地位にある者の証明を得て行われる昇給であるが、右の良好な成績で勤務したというのは「通常の勤務成績」の趣旨であり、昇給期間の六分の一に相当する期間の日数を勤務しなかったことや懲戒処分を受けたことなど、人事院規則で勤務成績についての証明が得られないものとして取扱うものと定められている事由に該当しない限り、その証明が得られたものとして取扱うのが通例である。
特別昇給は、職員の勤務成績が特に良好である場合に、定数の範囲(昭和三五年度から昭和四二年度までは毎年定員の一〇パーセント、昭和四三年度以降は一五パーセント)内で行われるものであるが、神戸税関では、入関後五年を経過し通常の勤務をしている職員については、定数枠内において、おおむね順番に実施されている。なお、長期欠勤者については他の同時入関者との間に生じた給与格差を調整するためにも実施されている。
この結果、職員は、平均して七、八年(昭和四二年度以前)、または五、六年(昭和四三年度以降)に一回の割合で特別昇給の対象となっていた。
(二) 差別のしくみと実態
(1) 差別のしくみ
昭和三七年頃に始まる当局の原告組合と組合員に対する分裂攻撃も、かなりの部分を占めた良心的な組合員の抵抗の前に、一挙に成功をおさめるというわけにはいかず、これだけでは当局の描いた全税関壊滅の目論見を達成することはできなかった。そこで当局は、長期的な腰を据えた全税関対策に乗り出すに至った。これが賃金と身分に対する徹底した差別であった。
既にみたとおり、公務員の賃金と身分に関するしくみの建前として、成績や選抜による昇任昇格が定められているが、現実の運用においては、同期同資格の職員が横一線に層を成していく年功序列型の昇任昇格制度となっている。このような実態の中で、ある人が他の者に比べて賃金身分において著しく遅れをとれば、その人は同僚や家族ひいては社会全体の中でどれほど肩身の狭い思いをするか想像に難くない。そして、その原因が組合所属の別にあるとすれば、直ちに組合の選択を変えたくなったとしてもその人を責めることは困難である。当局はこのことをよく知っていたからこそ徹底した賃金差別制度をつくり、全税関を脱退しない組合員に対する見せしめとしたのである。
具体的な差別の手口は次のとおりである。
イ 昇任差別
昇任は等級号俸と連動しており、例えば六等級の九または一〇号俸になると主任もしくは実査官に昇任するのが常であり、そのほぼ一年以内に五等級に昇格するしくみになっていた。しかし当局が、全税関組合員については原則として主任等に昇任させなかったため、原告組合員は五等級に昇格することができなかった。昭和三八年四月一日から昭和四九年三月三一日までの間(後記「係争期間」中)に四三名の原告が五等級に昇任しているが、昭和四五年までに昇任したのは原告稲松と同石見の二名だけであり、そのほかは、原告組合が本訴提起を準備し、国会等で当局を追い詰めていく中で、訴提起直前に極端なものが是正されたにすぎない。
ロ 特別昇給差別
特別昇給制度の建前と運用の実際は前記のとおりであり、法の建前である「特に成績良好な職員」という規定は現実には機能していない。
税関当局は、この建前を盾にして、原告らのほとんどを特昇させず、逆に余裕のできた特昇枠を使って、非組合員を多数回特昇させるという二重の差別をした。原告らのうち、後記係争期間中において特昇したのはたった八名に過ぎない。また、昭和五七年時点において、原告らのうち一三名が、勤続二〇年の間に一度も特昇していない。
この特昇を使っての差別がいかに徹底して行われたかは、昭和四〇年から昭和四八年の間の特昇割合が非組合員が148.2パーセントであるのに対し、原告らが3.9パーセントであることによって示されている。
ハ 普通昇給延伸
普通昇給制度の運用の実際は前記のとおりであるが、このように定期的に昇給することは、官民を問わず給与制度として定着したものとなっている。神戸税関では、勤務成績が良好であることの証明が得られないという口実で一三名の活動家が普通昇給を延伸されたが、右のような普通昇給制度の運用において、成績がどれほどの意味を持ち得るか疑問で有る。現に特昇から排除されている原告らも毎年昇給しているのであり、右の普通昇給延伸はみせしめのために行われたものである。
ニ 六短差別
昭和四一年から若年労働者確保を目的として八等級七号俸になってから六か月もしくは九か月で七等級一号俸に昇格させる短期優遇措置がとられていた。
ところが当局は、全税関所属の組合員に対してはこの優遇措置を与えなかった。
ホ 双子号俸差別
六等級一三号俸から昇格すると五等級一〇号俸に、六等級一四号俸から昇格すると五等級一一号俸にそれぞれ格付けされる。ところが、六等級一五号から昇格しても同じ五等級一一号俸に格付けされるだけである。このように同一号俸に格付けされる二つの号俸を双子俸というのであるが、一般には、双子俸に達する前に昇格させられる。しかし昇格が遅れて双子俸にかかって昇格すると、双子俸の下位の号俸から昇格する場合には六か月、上位の号俸から昇格する場合には一年の、実質的昇給延伸を受けたことになる。
当局はこのしくみを悪用し、原告らを双子俸に達するまで昇格させず、しかも、双子俸の上位の号俸から昇格させる方法で原告組合員を差別した。
(2) 損害(格差)の発生
神戸税関長が昭和三八年四月一日から昭和四九年三月三一日までの間に行った昇任、昇格、特別昇給等における差別的な不利益取扱いの結果、原告らは昇任、昇格、昇給が遅れ、同時期に同資格で入関した非組合員との間に別表二昇給・昇格等一覧表記載のとおりの格差が生じた。
右の昇給・昇格等一覧表は、各原告ら及び右原告らと入関時期入関資格を同じくする非組合員のうち、昇任、昇格、昇給において標準的な取扱いを受けている者(これを「非組合員標準者」又は「標準者」という。)の昭和三八年四月一日と昭和四九年三月三一日現在の等級号俸、その間の特別昇給の回数と年度、及び昇任昇格の年度を対比したものであるが、これのうち非組合員標準者に関する分は、非組合員全員について調査して割出したものであり、しかも、この程度のものであれば、原告らがその時期の昇任、昇格、特別昇給していた蓋然性が極めて高いところに控え目に設定したものである。
5  違法性と責任
神戸税関長の原告らに対する前記昇任、昇格、特別昇給における差別的な不利益扱いは、原告組合の団結を破壊することを目的とし、組合員であることを唯一の理由として行ったものである。このような差別的不利益扱いは、組合所属により不利益取扱いを禁じた国公法一〇八条の七に違反し、裁量権を濫用した違法なものであり、原告ら及び原告組合に対する不法行為となる。
6  損害
(一) 得べかりし賃金喪失
右損害は、各原告らとこれに対応する非組合員標準者との賃金の差額であるが、本訴において原告らが請求するのは、このうち昭和三八年四月一日から昭和四九年三月三一日までの間(これを「係争期間」という。)に生じたものである。右賃金の内容としては俸給のほかに調整手当(昭和四二年七月までは暫定手当)、超過勤務手当、期末手当及び勤勉手当が含まれる。
しかるところ、係争期間における各原告らとこれに対応する非組合員標準者の昇給昇格状況は別表三等級号俸推移一覧表記載のとおりであるが、計算が繁雑になるのを避けるため年度(四月一日から翌年三月三一日まで)途中の昇給や給与改定による変動を考慮せず、年度初め(四月)の額に固定した。また、超過通勤手当は従前の実績から俸給と調整手当の合計額の0.23とした。さらに、原告らのうち長期病気休暇のある者及び国公法上の懲戒処分を受けた者については、対応する非組合員標準者の等級号俸を遅らせて算定した。
このように原告らの喪失賃金を控え目に計算して、各原告らの賃金につき対応する非組合員標準者のそれと比較すると、その差額は別表一損害額一覧表記載のとおりとなる。
(二) 非財産的損害
(1) 個人原告
前記昇任、昇格、昇給等の差別扱いにより原告らが受けた経済的損失は将来にわたって増大するものである。また、原告らはいわれのない劣位的評価を受け、社会的名誉ないし人格権を侵害された。これによる原告らの精神的損害は別表一損害額一覧表中慰謝料欄記載の額を下らない。
(2) 原告組合
神戸税関長が原告組合を弱体化させ、あわよくば解散消滅させる企図のもとに係争期間中、原告組合員に対し昇任、昇格、特昇等の差別的な不利益取扱いを行った結果、原告組合を脱退する者が続出する一方、新規採用職員の原告組合への加入は皆無に等しい状態となった。このため、原告組合は組織を防衛し、人事差別の実態を調査し、これを是正させるための諸活動を強化せざるを得ず、組合員の減少により組合費収入が低下している中で多大の労力の傾注と経済的出費を余儀なくされた。これによる無形の(非財産的)損害は五〇〇万円を下らない。
(三) 弁護士費用
原告らは本訴提起を余儀なくされ、これにより支出しなければならない弁護士費用は、原告組合が金五〇万円、その余の原告らが別表一損害額一覧表中弁護士費用欄記載の額である。
7  よって原告らは、国家賠償法一条に基づいて、被告に対し前項の各損害金とこれに対する不法行為の後である昭和四九年六月二一日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二  請求原因に対する認否
1  請求原因1について
(一) 同(一)のうち、原告組合が全税関の下部組織であること、その余の原告(訴訟承継原告服部瑠璃子、同横江和子を除く。)及び訴訟承継前原告服部正治、同横江威らが神戸税関に勤務する(またはしていた)職員であること、その入関年度と資格が原告ら主張のとおりであること(ただし、原告屋形修一は昭和三七年中級組とすべきである。)は認める。その余の事実は知らない。
(二) 同(二)の事実は認める。
2  請求原因2について
(一) 同(1)について
戦後再開された民間貿易の発展に伴って税関の業務量が増大したこと、原告組合がその主張のような活動を行ったことは認める。
当局は、業務量の増加に対応して職員を大量に新規採用するとともに、例えば、昭和三一年一月一〇日から輸出申告等を出航の二四時間前に申告させ、さらに昭和三三年七月一〇日からは出航の前々日までにさせるようにするなどして、事務の改善による職員の負担軽減を図った。
また、税関の物的執務環境は、戦後の復興期にあった当時の一般的社会的情勢を反映して、現在と比較すると万全とはいいがたい面もあったが、当時としてはひとり神戸税関の職員のみが劣悪な執務環境下におかれていたわけではなく、備品不足等により執務に支障をきたすようなことはなかった。
(二) 同(二)について
(1) 同(1)イ(年末年始休暇要求)について
神戸税関長が昭和三四年一二月七日、当時の原告組合支部長であった服部正治と全税関中央執行委員伊東信治を訓告に付したこと(ただし、伊東信治に対する訓告の日は昭和三四年一一月七日である。)は認める。
原告組合の年末年始休暇の要求については当局も可能な限り実現できるように努力していたところであるが、税関業務の停滞は関係業者に深刻な影響を及ぼすのみならず、国民生活全体に支障を及ぼすおそれがあり、年末年始といえども税関業務を完全に停止することは許されない(法令上、一月一日は執務時間外としての臨時閉庁制度(税関法九八条)が適用されるので、臨時閉庁の申請があれば平常どおり業務を行わねばならず、一二月二九ないし三一日及び一月二、三日は、行政需要があれば、上司は職務命令により必要に応じ職員に出勤を命じ、命令を受けた職員は右業務を行わなければならない。)。したがって、税関長は、行政指導として年末年始期間中の輸出入申告の自粛を求めることはなし得るが、それとても事前に関係業者に対する十分な説明とその納得を得ることが要請されるのであり、しかも、当時の社会情勢は年末年始期間の税関業務を完全に停止させることは困難な状況であった。ところが、原告組合は昭和三四年一一月一六日頃、支部長服部正治名をもって、通関業者に対し、昭和三四年一二月二九日から昭和三五年一月三日までの間の休暇は完全に休む旨及び年末年始の輸出申告書類は一二月二六日の執務時間中にするよう求める旨記載した書面を一方的に配付して関係業者等を著しく困惑、混乱させ、税関の信用を失墜させた。右訓告はこのような理由によるものであり、何ら違法不当ではない。
(2) (1)ロ(安保反対闘争)について
原告組合が原告ら主張の日に、その主張のような勤務時間内に食い込む職場集会を行ったこと、その主張の日に、神戸税関長が原告組合支部長服部正治ら組合幹部一四名に対し減給、戒告を行ったことは認める。
原告組合は、右税関長の事前の警告を無視して右の時間内職場集会を行い、このうち昭和三五年六月四日の集会においては本関の出入口にピケを張って、これを封鎖し、職員の登庁を妨害、阻止した。これを指導した組合幹部の行為は違法な争議行為をあおり、そそのかすものであり、職務専念義務違反にも該当するから、これを理由として行った右の処分に違法、不当はない。
原告らは、右時間内食い込み集会は安保国民会議等の全国統一行動の一環として行われたものであり、原告組合に対してだけ極端に重い処分がなされた旨主張する。しかし、統一行動としてなされた争議行為であるからといって違法性が阻却又は軽減されるものではないし、他関等で行われた争議行為の具体的規模、態様は不明であるから、原告組合の処分を受けた人数や処分の内容から原告組合にだけ極端に重い処分がなされたということもできない。
(3) (1)ハ(大塚事件)について
税関当局が、原告ら主張の日に、その主張の理由により、原告大塚宏圀に対し戒告処分を行ったことは認める。昭和三四年一〇月二七日、神戸税関監所において、走行してきた原告大塚、その知人で外国貿易船天栄丸の司厨長高島一志(以下「高島」という。)、同船船員江田ほか一名が乗っていたタクシーの後部トランクから外国製紙巻たばこ及び日本製たばこ「ピース」が発見されたほか、車内にあった風呂敷包みから外国製紙巻たばこが発見された。このうち右後部トランクから発見された紙巻タバコ等については右江田が密輸入しようとしていたことを自供したのでその日のうちに同人に通告処分したが、同人は直ちに帰郷しなければならないとのことであったので、後日再調査をすることにして当日の調査を打ち切った。その後出頭してきた同人について再調査をし、事件当時、タクシーを検問した職員から事情を聴取し、さらに外国からの帰国を待って高島を取調べた結果、原告大塚には、高島が右風呂敷包みのたばこを持ち出そうとしたことについて共犯の疑いが濃厚となった。しかし、原告大塚の供述と高島らの供述には不一致があり、この中には他に客観的証拠がないことから右原告の供述を直ちに排斥し難い部分もあり、さらに原告組合が同原告に対する取調べは組合弾圧であるとして抗議し、国会議員等も関与してきたため、当局は慎重に検討を重ねた結果、同原告に対し前記理由により処分することにしたものであり、処分の理由には何ら不当な点はない。また処分が昭和三六年八月一九日となったのも、取調べの経過等から、やむを得ないものであった。
(4) (1)ニ(懲戒免職処分)について
神戸税関長が原告ら主張のような神田支部長ら三名に対する懲戒免職処分を行ったことは認める。
右神田ら三名は右懲戒処分の無効確認又は取消しを求めて提訴し、一、二審判決は、右三名に違法行為があり、それが懲戒事由に該当するとしながらも、税関長がした懲戒処分は、裁量権を逸脱したものと判断して右処分を取消したが、最高裁判所は、右懲戒免職処分に裁量権濫用の違法はないとして、この部分に関する第一審の判決を取り消して神田らの請求を棄却した。
したがって、右三名に対する懲戒免職処分に違法がないことは確定している。
(5) 同(2)イ(職制層への脱退攻撃)について
神田支部長ら三名に対する懲戒免職処分をした後の一時期、税関当局が原告組合と団体交渉を拒否したことは認めるが、当局が職制層に脱退を働きかけたことはない。当局が原告組合と一時期、団体交渉をしなかったのは、当時の人事院規則一四―一〇第三項が「交渉は人事院に登録した職員団体によってのみ行われなければならない。」と規定し、右登録の要件に関し、「職員団体は構成員の中に非職員が含まれている限り職員団体として登録され得ない。」との人事院事務総長の公権的解釈が示されていたところ、原告組合が、昭和三七年二月一日に開かれた臨時大会において、免職された神田支部長ら三名を守っていくとする執行部原案を採択し、昭和三七年八月三一日に開かれた支部大会において「税関に在職している職員をもって組織する。」とされていた規約を「税関内に働く労働者をもって組織する。」と改め、もって右神田ら三名を組合規約上正式に組合の構成員として認知したため、原告組合と正式の団体交渉をすることができなくなったからである。もっとも、当局は、原告組合との事実上の交渉まで一切拒否していたわけではなく、総務部長らが適宜交渉に応じていた。
なお、昭和四〇年のILO条約批准に伴う国公法の改正により、一定の場合には懲戒免職者を構成員とする職員団体も登録資格を有するに至ったので、その後、税関長は原告組合と正式の団体交渉に応じている。
(6) 同(2)ロ(原告組合乗っ取り工作)について
昭和三七年二月一日の原告組合臨時大会において、免職された神田支部長ら三名を守って統一と団結を固め団体交渉を実質的に開かせていこうという執行部原案が可決されたこと、昭和三七年に税関各部に管理課が設置されたこと、その後「労研」が発足し、そのメンバーが原告組合役員選挙に立候補したことは認めるが、当局が総務課や管理課を中心に組織的に組合干渉をし、原告組合役員に労研メンバーを当選させて原告組合を乗っ取らせようと図ったことは否認する。
管理課は、業務量の増大及びこれに伴う機構の拡充が進むにしたがって税関業務全般にわたる総合調整機能の充実及び業務運営の円滑を確保するため管理機構の整備を図る必要が高まったことから、各部の事務の統一を図り、あわせて部内における指導、調整を果たす役割を持たせることを目的として、監視、業務及び鑑査の各部に設置されたものであり、原告組合の弾圧を目的として設置されたものではない。
(7) 同(3)(第二組合の結成)について
原告ら主張の時期に、その主張のように多数の者が原告組合を脱退したこと、その主張の日に神戸税関労働組合が結成されたことは認めるが、これに当局は関与していない。
このような大量脱退と新組合の結成という事態に至ったのは、原告組合の執行部及びこれを支持する組合員が一般組合員の希望、要求を十分掌握しないまま、あるいはこれを取り上げようとせず、自らの政治的主張及び組合運動論に基づいて組合の活動及び闘争を指導し、職場の現実的要求から遊離した政治的運動に走り、違法、過激な行動を繰り返したため、組合役員らの懲戒処分という事態に至って執行部のいきすぎの是正を求める声が公然化し、これが拡大してもなお十分耳を傾けようとしなかったことから原告組合を見限った組合員らが次々に脱退し、これらの脱退者が自主的に新組合を結成し、その活動に賛同する他の多くの脱退者を糾合していったことによるものである。
(8) 同(4)イ(総務、監視部門からの排除)について
当局が意図的に右の職場から原告組合員を排除したことはない。
税関長は、個々の能力、適性等を考慮して適材適所の人員配置を行っており、職員の組合所属の有無及び所属組合いかんは全く考慮要素となっていない。ただ、総務部門は税関業務全般にわたる総合調整機能を果たす役割を担っており、また、監視部門の職員は質問検査権などの広範な公権力行使の権限を行使して密輸の取り締まり等に当るものであるから、とりわけ規律の維持及び公務秩序の確保が要請される。したがって、そのような観点から公平適正な人事配置が行われる結果、たまたま上司の注意、命令に従わず、非違行為を繰り返していた原告らがその職員に配置されることが少なかったとしても、それは組合差別を理由とするものではない。
(9) 同(4)ロ(研修差別)について
税関研修所神戸支所の金田幹雄教務主任が神戸税関長に、原告ら主張のような内容の研修生推薦の依頼書を出したことは認めるが、その趣旨は原告組合員を普通科研修から排除しようとするものではない。また原告組合員が普通科、高等及び実務の各研修から排除されたこともない。
普通科研修については本件係争期間中二二名の原告らが、また、係争期間前に遡れば、計三二名の原告らが受講している。高等科研修の受講者は毎年全国で数十名にとどまっているから、たとえ原告らの中にこれを受講した者がいないとしても(普通科研修を終了していなくても勤務成績が優秀でこれと同等の能力があれば受講することができた。)、このことから高等科研修について差別されたということはできない。専門研修は、もともと研修の人員が限られ、希望者全員が受講できるわけではないばかりでなく、延べ一六一名の原告らが昭和三九年を除いて毎年これを受講している。
(10) 同(4)ハ(入寮差別)について
昭和四二年に垂水寮が完成し、当局が入寮者を募集したところ、原告組合は、当局が寮管理規則を制定したこと及び寮管理人を置くことにしたことに反発し、期限までに入寮希望を提出しなかった。そこで当局は、入寮希望を提出した職員及び新規採用職員二〇余名を入寮させることとし、これを前提に他の古い寮の取壊計画及び寮母の配置等を決定した。その後原告らが主張するように原告組合員が入寮を希望した事実があるか否かについては現時点では確認し得ていないが、仮にそのような事実があったとしても、各寮の存廃や人員配置等の全体計画が決定していた段階では、これを変更させるような入寮者の受け入れは困難である。これを入寮差別というのは、右の経緯を踏まえないものである。
なお、原告天野親聡は垂水寮に入寮している。
また、原告玉井が第一希望としていた中山手宿舎は、当局が宿舎法の趣旨に沿って深夜勤務、緊急出勤、交通スト及びその他の行政需要に対応することを念頭において貸与していた宿舎であり、原告らが主張する空室も、近く迫っていた人事異動のために必要なものであり、既に入居者が決っていたりしていたものである。このような事情や同原告の健康が甲子園宿舎から通勤可能であるまで回復したものと判断されたことなどが考慮され、第三志望である右宿舎が割り当てられたものである。
(11) 同(5)(庁舎管理規則による弾圧)について
当局が昭和三八年に庁舎管理規則を改定したことは認めるが、右改定が原告組合の組合活動を封じることを目的としたものであることは否認する。また、当局が、原告組合員が休憩時間中に組合活動として行った集会について中止、解散を命じたことや原告組合の掲示板の掲示物を撤去したことはあるが、私的に雑談をしているような場合に、これを組合活動と断定して中止、解散を命じたことはない。中止、解散命令は、庁舎等の使用の許可を受けないで行われた集会に対して行ったものであり、掲示板の撤去は、庁舎管理規則で掲示が禁じられている違法文書について、事前に撤去命令をしたうえで行ったものであって、いずれも違法不当なものではない。また、休憩時間中に雑談していた場合にまで組合集会であると断定して中止解散を命じたことの例として示されているものは、原告小林霞及び同前田信雄がその各本人尋問において供述する昭和四〇年八月二五日の兵庫埠頭出張所一階事務所におけるものと思われるが、それは組合活動の一環としての集会であり、参加者も右原告らが言うような二名ではなく、七名である。
庁舎管理規則制定の経緯等は次のとおりである。
神戸税関では、その管理運営する土地、建物、工作物及びその他の物的施設(これを「庁舎等」という。)の適正な管理と秩序維持を目的として昭和三四年一二月二四日、庁舎管理規則が制定されたが、この旧管理規則においては、庁舎等の目的外使用については許可を要し、庁舎等においては原則として所定の場所以外での掲示をしてはならず、所定の掲示場所であっても政治目的を有するもの、税関業務の運営を阻害するものは掲示してはならないものとされていた。そのほか、管理者等は、違反した掲示物を撤去できること、集団陳情を制限することができること、職員に対する面会を強要する行為、危険物を庁舎に持ち込みまたは持ち込もうとする行為、旗、のぼり、宣伝ビラ、プラカードを庁舎等において所持、使用、持ち込みをし、またはしようとする行為、庁舎等において文書、図書等を頒布、掲示し、またはしようとする行為、庁舎等において放歌高唱し、または練り歩くなどし、またはしようとする行為、庁舎内において座り込みその他通行の妨害になるような行為をし、またはしようとする行為については、これを禁止し、または庁舎等から退去を命じ得ることが定められていた。しかるに原告組合は、右規制に違反する行為を反復した。これを例示すると次のとおりである。①前記の昭和三五年六月四日の時間内食い込み集会の際、原告組合は本関の玄関等入口をピケを張って封鎖し、職員の登庁を妨害、阻止した。なお、右同日以降、安保統一行動日に、税関の玄関前に「安保反対!政暴法反対!物価値上反対!五〇〇〇円賃上げせよ!」等と記載した大きな懸垂幕を掲げた。②原告大塚に対し前記戒告処分を行った昭和三六年八月一九日、原告組合員約五〇名が官房主事室に押しかけ、その退去要求を無視して約半日間、実力で官房主事を同室内に閉じ込めたうえ、同室壁面に当局者を誹謗中傷するビラ多数を貼付した。③昭和三六年九月、原告組合は、組合員の配転反対闘争の一環として、本関職場内に「不当配転反対、人事の民主化をかちとろう」と記載した横約一メートル、縦約五メートルの横幕を掲げ、また、税関長室前で座り込みを行った。④前記のとおり原告組合は昭和三六年一〇月五日と同日二六日に、当局の警告及び職場復帰命令を無視して時間内食い込み集会を強行したほか、右一〇月五日の集会後に、三〇〇ないし四〇〇名の組合員がシュプレヒコールをしながら庁舎内デモを行った。⑤昭和三六年一一月二八日から昭和三六年一二月八日にかけて連日、税関長室前において座り込み闘争を行った。
このように原告組合が庁舎管理規則に違反し、庁舎等における秩序を混乱させるような行動を繰り返していたことや、右規則上、庁舎等の管理者は、本関庁舎等にあっては税関長、官房会計課長、支署、出張所及び監視署にあってはその長とされていたところ、広大な神戸税関の庁舎等を右の者らだけで管理することには無理があったことから、右規則を改定し、旧規則で管理者と定められた者を総括管理者と位置付け、各職場毎に使用責任者を置くこととし、右両者が協力して庁舎等の管理及び秩序維持に当たることとし、このほか、職員の遵守すべき義務をより具体的に定めたものである。
しかるに、原告組合は、鍵を借りる必要上会議室を使用する場合は別として、それ以外は組合活動として庁舎等で集会を行う場合には使用許可を得る必要はないとの見解に立って、庁舎等における無許可集会を反復した。しかし、たとえ組合活動の一環としての集会であり、かつそれが休憩時間中のものであったとしても、行政財産である庁舎等の行政目的外使用であることは明らかであり、組合活動であるために税関長の管理権が排除され、組合または組合員が庁舎等を利用しうる権限を取得し税関長がこれを受忍しなければならない義務を負うものではないから、組合活動のための庁舎等の使用について税関長またはその補助者の許可にかからしめることは当然許容されるものである。もっとも、組合または組合員の使用申請に対し、これを認めないことが権限の濫用に該当するような場合には、不許可措置が違法の評価を受けることになるが、原告らは前記のような見解に立って、そもそも使用許可申請をしなかったのであるから、権利濫用の問題が生じる余地はない。この点に関して原告らは、昭和四二年一二月、中突分会長をしていた原告深田辰次が執行委員会のため会議室の使用について許可申請をしたところ、当時の藤田総務課長がこれを握りつぶし、無許可集会を行ったとして会議を妨害した旨主張するが、事実は、右分会から一八時から二一時までの使用申請が出されたのに対し、庁舎使用責任者である総務課長が庁舎管理上の理由で二〇時までの使用に訂正して再申請するよう指示したところ、組合がこれを無視して再申請をしないまま集会を強行したものである。
(12) 同(6)(現認制度による弾圧・いやがらせ)について
上司は、部下職員の行為が公務員関係秩序の維持、確保に抵触し、あるいはそのおそれがあると判断した場合には、指導監督権を行使し、秩序の侵害の予防及び排除並びにその回復を行わなければならないし、当該行為者に対する将来の指導監督あるいは行為の責任を明確にするために報告書(現認書)を作成して自己の上司に対してその経緯を報告するのは職務上当然であり、何ら違法、不当なものではない。同様に、部下職員において、その勤務成績能力及び資質などを判断するうえで重要な言動があった場合、これを記録して報告することも職務上当然である。しかし、原告らが言うように一定の制度として「現認制度」なるものが存在するわけではなく、また、原告ら組合員についてのみ報告書(現認書)を作成していたわけでもない。
もっとも、昭和四八年末から画一的な様式の現認書が作成させるようになったが、それは現認制度が成立していたことを意味するものではなく、原告組合が余りに違法なプレート闘争を繰り返したため、管理職員の事務負担の軽減を図る必要に迫られたことによるものである。
(13) 同(7)イ(脱退攻撃)について
当局が脱退勧奨などを行ったことはない。
大山鑑査官が原告塩田に「そろそろ特昇の時期」である、と言うことは、特昇制度の趣旨からありえないことである。また、同原告は昭和三七年一月一日に特別昇給しているが、同原告が大山鑑査官から右のように言われたという昭和四〇年二月は右特別昇給から三年しか経過しておらず、七または一〇年に一回特別昇給をするのが職場の実態であるとする原告らの主張と矛盾するものである。
原告横江が輸出一課に配置換えになったのは昭和四〇年一一月一八日付で、当時の輸出一課長は徳村浩志であり、川又課長は同原告がそれまでいた輸出三課長であったから、この点に関する原告らの主張は事実に反する。仮にそのようなことがあったとしても、同原告は輸出一課に配置換えになる直前の昭和四〇年一〇月五日、マークリーダー処理に関し川又課長から注意を受けたことがあること及びその際の同課長の言葉からすると、同課長はそのような事実を踏まえて助言したものと解すべきである。
浜田支署長が主任を使って原告坂木柏や同原告の妻に脱退を勧める趣旨のことを言わせたというのは、あくまでも同原告の憶測にすぎない。仮に主任が、原告らが主張するようなことを言ったとしても、その内容などからすると、それは隣人の家族同士の全く私的付き合いの中で主任が同原告を思う気持ちから出たものと解される。
原告寺地健に関する主張は、その日時、場所、相手方等の具体的事実が不明であるが、仮にそのようなことがあったとしても、脱退を仄めかされたというのは、同原告が上司の言葉からそのように憶測したにすぎないものである。
原告間処康成に対する宮崎課長、金田課長及び原係長の言辞が仮にあったとしても、当時は同課長らは原告らと同じ組合資格を有する組合員であるから、宮崎課長が自分の所属している組合のことに関心を持つのは通常のことであり、また、職場の先輩が後輩に対し「何かあったら相談してくれ。」というのは社会通念上当然のことである。また、当時、職場では原告組合の過激で違法な闘争に大きな批判の声が起こり多くの職員が組合を脱退していった経緯があることなどに照らすと、金田課長や原係長は好意的に自己の見解を述べて忠告したものと考えるのが相当である。
一般的には、神戸税関では職員の遠隔地配転等の人事行政を円滑・適正に行うために日ごろから必要に応じて管理者が部下職員の身上把握を行ってきており、居垣税関鑑査官もこのような趣旨で原告青木俊夫に質問したものと推測されるが、仮に原告主張のような同鑑査官の言辞があったとしても、その内容は脱退を勧奨するようなものではなく、脱退を勧奨したというのは同原告の憶測でしかない。
原告田中範明の知人である塚本耕三、後輩の吉川勘造、大崎秀貴、及び同僚の宮本邦彦が当局によって脱退させられたとする主張は、同原告自ら経験した事実に基づくものではなく、これを裏付けるものもない。原告細川義信の友人島田善文に対し当局が脱退を強要したとする主張についても同様である。
原告原奉宣が勤務していた監視部警務第一課では巡察のいやがらせのために数多くの者が退職していった旨の主張は根拠のない一方的憶測にすぎない。同原告の供述によれば、退職したのは西尾作亜、高月壮平、藤原嘉朗であるというのであるが、同人らが退職したのは、それぞれ実家の家業を継ぐため、教師をめざして大学を受験するため、大学の昼間部に編入するためであった。
原告川上俊智に対する林和巳課長の言辞とされるものは、仮にそのようなことがあったとしても、同県人である先輩としての後輩に対する思いやりからなされた私的なものというべきである。
(14) 同(7)ロ(結婚妨害等プライバシー干渉)について
原告山岡荘太郎の婚約者の母親に対する矢野方一総務部秘書係長の発言は、婚約者の母親が矢野方を訪ねた際のものであること、矢野方一は、同原告と同じ組合員で、同原告の採用時の保証人であることなどからすると、仮に右発言の内容が原告ら主張のようなものであったとしても、それは同人の個人的見解を述べたものと解すべきである。
浪花武雄は原告脇岡秀年の上司ではなく、勤務場所も離れていて、同原告と職務上親しい関係にあったわけではない。このため、同原告の婚約については、たまたま用務で日東運輸の事務所に立寄った際に同所の人から聞いて初めて知ったのである。このような浪花が日東運輸の人に「婚約者から原告脇岡に原告組合を脱退するよう言ってほしい。」などと依頼することは到底考えられない。
(15) 同(7)ハ(不当配転といやがらせ人事)について
前記のように税関長は、行政需要に応じ、職員の能力、適性等を配慮しながら配置換えをしており、組合所属の有無及び所属組合のいかんは無関係である。
神戸税関は、広大な地域に多くの支署をかかえ、支署の業務も年々増加していたから多くの職員が支署勤務とならざるを得ず、当然のこととして原告ら以外の職員も多数支署に配置換えされている。ただ、原告組合の支部役員については、組合活動に支障が生じるおそれがあることを考慮して支署に配転しない取扱いをしていたが、右のような事情から分会役員等にまでこの取扱いをすることは極めて困難であった。
昭和三七、三八年の配転は、このように支署の事務量が増大し配転の必要性があったことから、当時の宿舎事情等を考慮して地元に近い支署に配置換えをしたものであり、原告らと同年代の非組合員も多数配転になっている。なお、当時、原告組合役員であったのは原告野口和正だけである。
原告牛込尹人への松山支署への配置換えが、同原告が三谷総務課長からの話し合いの要求を断ったことに対するいやがらせとしてなされた旨の主張は、同原告の憶測にすぎない。
原告天野親聡に対する配転内示は、支署の長期在任解消という当局の人事方針に基づいて行われたものである。そして、同原告の妻の出産から右内示まで約七週間(発令日まで八週間)あり、労働基準法六五条の趣旨に照らしても問題はなかった。また、同原告の妻が肺結核で入院する必要があることが判明したのは右内示をした後のことであり、配転の内示の撤回と同時に保税実査官昇任の内示も撤回されたのは、小松島支署のような小規模官署では等級別定数とかポスト等に制約があるためである。原告高須賀四郎が松山支署に六年も勤務したことについては、同原告が希望していたという事情によるものである。
(16) 同(7)ニ(差別によるみせしめ人事、いやがらせ人事)について
原告川上俊智が昭和四六年七月に特別昇給したのは、昭和四三年から昭和四六年には非違行為がなく、勤務成績も徐々に向上してきたためであり、全税関を脱退したためではない。
原告脇岡秀年は一〇年間東部出張所保税課にいたが、このようなことは同原告だけではなく、松井穏育も通算して一二年保税課に勤務した。
3  請求原因3について
(一) 同(一)(東京税関幹部会議議事録等)について
同会議資料については東京税関当局において調査したがその存在について確認できなかったものであるが、その入手経路及び内容等には次のような不自然なところがあり、信憑性がない。
すなわち、全税関副中央執行委員長である伊藤栄二は、同人に対する証人尋問において、右資料は全税関本部に郵送されてきた旨述べているが、郵送の方法、形態、差出人等については「人から聞いた話であるのでよく分からない」旨曖昧な供述をしている。また、文書全体は極めて不鮮明であり、形式も整っておらず、筆跡もまちまちで判読困難なものである。しかも、例えば①〈書証番号略〉の一番下の部分は単に(八)だけの記載で文章が全て書かれておらず、途切れた状態になっている。②〈書証番号略〉は、他の行政日誌の部長会議なるものの別紙とは著しく形態を異にしており、かつ、上部欄外のページが「(2)」から始まっており、一ページが欠けているなど内容上不自然なところが多い。
なお、右資料に書かれているような内容のことについて実際に議事が運営されたか否かを明らかにすることは、国公法一〇〇条の遵守義務に抵触することになるのでできない。
右資料に記載されていることが神戸税関でも実施されたとする原告らの主張は争う。
(二) 同(二)(全国税関総務部長・人事課長会議資料等)について
右資料についても、大蔵省関税局及び各税関において調査したが、その存在を確認することができなかった。しかも、右資料は、〈書証番号略〉には、「1開催予定等、2議題(案)」等と書かれ、〈書証番号略〉には「議題4特定職員の上席官昇任及び七級昇格について(別紙)」と書かれているが、その別紙である〈書証番号略〉には「議題3特定職員の上席官昇任及び七級格付等について」となっており、議題番号と表現が異なっていることからすると、実際に会議で使用されたものとは到底考えられない。なお、右資料に書かれていることについて実際に議事が運営されたか否かを明らかにすることができない理由は、前記のとおりである。
右資料に記載されていることが神戸税関でも実施されていたとする原告らの主張は争う。
4  請求原因4について
(一) 同(一)(2)について
(1) 昇任
国法上の任用制度は職階制と競争試験を基本的前提として組立られているが、職階制は現在まで実施されていないこと、国公法上、昇任は競争試験によって行うことを原則とし、競争試験が適当でない官職への昇任は選考によって行うことができるとされているが、税関においては昇任試験は実施されていないこと、選考の基準として人事院規則八―一二第四五条で、経歴、学歴、知識、技能、資格等を有するほか勤務実績が良好であることが必要である旨定めているところ、右規定は職階制が実施されていない段階では効力を持たないとされていることは認める。これらのことから、選考の基準としては昇格の基準を定めた人事院規則九―八第二〇条が類推適用され、勤務実績の良好であることは基準となし得ないとする主張は争う。また、神戸税関における昇任の運用の実態が、心身の故障がある者を除く多数の者が一定の幅をもった一定の期間中に昇任するものとなっていることはない。
神戸税関においては競争試験によらず、任命権者である税関長が昇格の選考を行っているが、前記人事院規則八―一二第四五条は、職階制が実施されていない段階で効力を持たないとされているものの、職員の任用は勤務成績又はその他の能力の実証に基づいて行うものとする国公法二三条、昇任は従前の勤務実績に基づく選考により行なうものとする同法三七条二項の成績主義、能力主義の基本原則を具現しているものと認められることから、選考にあたっては、同規則の趣旨をも考慮して選考対象者の経歴、学歴、資格、執務能力、人格、識見及び勤務成績を総合的に検討し、昇任の対象となる官職にふさわしい者を選考している。
(2) 昇格
昇格の基準として人事院規則九―八第二〇条で等級別資格基準表に定める資格(必要経験年数又は必要在級年数)を有していなければならないとされていること、現に属する職務の等級に二年以上(昭和六〇年の改正前)在級していなければならないとされていることは認めるが、勤務成績が良好であることは昇格の基準とされていない旨の主張は争う。昇格の基準としては、右の規則で定められていることのほかに、勤務成績が良好であることが明らかでなければならないとされている(右規則の運用についての通知、昭和四四年五月一日給実甲第三二六「第二〇条関係」)。
(3) 昇給
普通昇給が一二月を下らない期間を良好な成績で勤務したときに行われるものであること、特別昇給が、勤務成績が特に良好である場合に定数の範囲で行われるものであることは認めるが、神戸税関では、原告らが主張するように入関後五年を経過した職員についてはおおむね一定の間隔をもって順番に実施されたり、長期病気休暇により昇給が遅れた者の格差を調整するために実施されていることはない。
(二) 同(二)について
(1) 同(1)(差別のしくみ)は争う。
(2) 同(2)(損害の発生)
原告らの昭和三八年四月一日と昭和四九年三月三一日現在の等級号俸、その間の特別昇給、昇任昇格の有無とその年度が別表二昇給・昇格等一覧表記載のとおりであることは認めるが、原告らと同期同資格の非組合員との間で格差が生じていることは知らない。なお、被告が格差の存在について右のように不知と述べるのは、この点について積極的に認否をするとすれば、非原告職員の等級、号俸、昇任、昇給等について明らかにする必要があるところ、これを明らかにすることは人事制度の円滑な運用に支障を来すばかりでなく、国公法上の守秘義務に反することになるからである。
原告らのいう非組合員標準者は、入関年度及び入関資格のみを基礎とするものであり、しかも統計的実態等から設定された観念的指標にすぎないものである。これは、同期同資格の入関者は、任用上同じような処遇を受けるべきであるという見解に基づくものと思われる。しかし、成績主義を根本基準とする国家公務員の任用制度及び給与制度のもとにおいては、同期同資格者であっても個々の職員の勤務成績により昇格、昇給及び昇任の時期及び回数に差異が生じるのは当然のことであるから、同期同資格者を一定の集団とみなしその中で「標準者」なるものを設定するのは無意味であり、したがって、このような標準者と比較して格差の存在を論じることの合理的根拠は全くない。
仮に格差の存在を論じるうえでこのような入関年度及び入関資格のみを基礎とした標準者と比較対照することが不当ではないとしても、右標準者の等級号俸は高位に設定されており、その具体的設定方法に不合理な点がある。
5  請求原因5について
(一) 神戸税関長が原告主張のような目的をもって、その主張のような差別的扱いをしたことはない。
(二) 公務員の不作為が違法と評価されるためには、その前提として当該公務員に作為義務のあることが必要である。したがって、税関長の昇任、昇格、特別昇給等をさせなかった行為が違法であるというためには、税関長が原告ら各自に対し昇任昇格をさせるべき職務上の法的義務を負担していることが必要である。しかし、昇任、昇格、昇給制度の趣旨内容に照すと、これらについての任命権者の判断は固有の裁量行為に属し、税関長が原告ら職員に対し、昇任、昇格、昇給をさせるべき職務上の義務を負うことはあり得ないから、右の不作為が違法とされる余地はない。
同様の理由で、職員は昇任、昇格、昇給を請求する権利を有するものではなく、また、たとえ職員が、ある時期に昇任、昇格、昇給することを期待することがあるとしても、これは主観的期待にすぎないものであり、法的に保障されるべき利益と解することはできないから、原告らに、昇任、昇格、昇給についての被侵害利益は存在しないものというべく、この点からも税関長の不作為が違法とされる余地はない。
このように、任命権者には昇任、昇格等をさせるべき義務がなく、したがって、昇任、昇格等が当然になされるものでない以上、昇任、昇格等をさせなかったからといって、それが不利益に処遇したということにはならず、国公法一〇八条の七で禁止している不利益な取扱いに該当することもあり得ないというべきである。
6  請求原因6について
(一) 前記のように、昇任、昇格等について、税関長に作為義務がなく、また、職員にも右義務に対応する権利ないし法律上の利益はないから、そもそも、損害が生じているとはいえない。
(二) また、前記のように成績主義を根本基準とする国家公務員の任用制度及び給与制度のもとにおいては、同期、同資格者であっても、個々の職員の勤務成績等により昇給、昇格等に差異が生じるのは当然であるから、同期、同資格者を一定の集団とみなし、その中で標準者なるものを設定することは無意味であり、したがって、このような標準者を基準に損害額を算定することは合理的根拠がない。
一般に、財産的損害を受けたことによる精神的苦痛は、財産的損害が回復されることによって慰謝されるものと解すべきであるから、この点についての原告らの主張は失当である。
三  被告の主張
1  格差の合理性(差別扱いの不存在)
(一) 税関業務の高度の公共性
そもそも、国家公務員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、かつ、職務の執行にあたっては全力を挙げてこれに専念しなければならない(国公法九六条一項)ものとされ、多くの服務規律が設けられているほか、服務規律に違反した場合には懲戒処分を行うものとされている。
このように国家公務員に対し厳しい規定を設けているのは、右の勤務関係の特質から、その職責を全うするためには、国家公務員である職員が有能であるか否か、公正、誠実、勤勉であるかどうかということのほかに、職場の秩序が維持され、職員の能力が十分に発揮されるべき良き職場環境の確立が必要とされるからである。
とりわけ税関職員は、国の玄関において諸外国との間で輸出入される膨大な貨物についての審査、検査、許可を行い、その他貨物の輸出入に関する規制を最終的にチェックし、国民経済の円滑な活動と健全な発展に貢献するとともに、国民の健康、安全に寄与するという極めて公共性の高い重要な責務を負っている。これらの税関業務が十分機能しなければ、輸出入関係者へ深刻な影響を及ぼすだけでなく(このため、税関においては、関係者の要請があれば執務時間外であっても臨時に勤務するという他省庁に類を見ない関税法九八条の臨時開庁制度が認められている。)、我が国の国際的信用の失墜につながる恐れがあるし、また、銃器、覚せい剤等の国民の生命、身体の安全を脅かす有害物品、輸入規制品の国内への流入、戦略的物資の国外への流出、関税等の逋脱を招来しかねず、その影響は計り知れないものがある。これらのことを背景に、税関には法令上、貨物の輸出入の許可権限、外国貿易船等及び貨物の取締権限(質問検査、船内検査、見本採取権、検問、帳簿書類の検査権、貨物の施封権、車両の停止権を含む。)、貨物の輸入者等への質問検査権(いわゆる事後調査権限)、関税等の賦課徴収と滞納処分権限、保税上屋等の許可権限、犯則事件の調査、処分権限、通関業の許可権限など高度の公権力の行使が認められており、殊に麻薬、覚せい剤、武器等の密輸を水際で防止するため、これを摘発、検挙、調査、処分するという警察、検察権力に類似した強力な公権力の行使が認められ、さらに、一定の場合には武器の携帯及び使用さえも認められているほか、制服の着用が義務づけられている。
このような税関業務の持つ高度の公共性からすれば、税関の職場においては、一般の国家公務員に比して、公正、適正かつ円滑な業務運営の確保と職場秩序の維持ということが、さらに強く要請されているということができる。
(二) 非違行為等の存在
しかるところ、原告らは、本件係争期間中に、庁舎管理規則で定められている庁舎等使用についての許可を受けないで開かれた別表四集会一覧表記載の集会に参加し、当局の中止、解散命令にも従わなかった行為、勤務時間中に、組合の要求等を書いたリボン、プレート等を着衣につけ、あるいは同様の堅紙を机上に掲示することを繰り返し、上司の取りはずし等の命令や注意にも従わなかった行為、大勢で押しかけて所長等に面会を強要し、あるいは抗議を行って、当局の退去命令にも従わなかった行為、勤務時間中に無断で離席して当局の違法ビラ撤去に抗議し、上司の職場復帰命令にも従わなかった行為、勤務時間中のビラ配布や物品販売などの組合活動及びその他の非違行為がある。これらの非違行為は国公法上の服務規律に違反し、職場の秩序を乱し、税関の業務の円滑な運営を阻害するものであって、勤務成績の評価においてマイナスの影響を及ぼすことは当然である。
また、原告らは、人事院規則九―八第三四条及び第三八条に該当する長期病気休暇者延べ三三名(普通昇給延伸一五名、特別昇給適用除外一八名)を初めとして、病気休暇で一定期間勤務を欠いている者が多く、その他にも、遅刻、早退につながる「事故」「時間休」等が多く、総じて出勤状況は良好であるとはいえない。
原告らが主張する格差は、仮にそれがあったとしても右のような非違行為や出勤状況等が当該原告らの勤務成績あるいは昇任、昇格、昇給への選考に影響を及ぼした結果にほかならず、原告らが原告組合の組合員であるために差別扱いされたことによるものではない。
2  消滅時効の援用
原告らの損害賠償請求権が仮に存在しているとしても、このうち、その発生原因となった不法行為の日、すなわち各原告らが昇任、昇格、昇給等させるべきであったと主張する日が、原告らが本訴を提起した昭和四九年六月一一日より三年前の昭和四六年六月一一日以前のものは、すべて時効により消滅しているというべきである。
被告は本訴において右時効を援用する。
四  被告の主張に対する反論
1  格差の合理性の主張について
(一) 「非違行為」について
被告が庁舎管理規則違反であるとするものは、その大多数が組合活動の一環として行われた集会や打ち合せであり、原告らは組合員として、組合の指導のもとに参加したものである。このような集会等は、昭和三八年に庁舎管理規則が改定されるまでは何ら問題なく開かれていたのであり、日常の税関業務を阻害することもなかった。
また、リボン・プレート着用等も、原告組合の指令により組合活動の一環として行われた正当な組合活動である。しかも、このようなリボン着用等については、当時、各地の裁判所において、違法でないとする判断が示され、人事院も、全医労本部の照会に対する回答の中で同旨の見解を示していたのであり、当時は、全国的にリボン等闘争は非違行為と解されていなかった。当局が、当初は何の注意や命令を与えず、また、注意や命令をするようになってからも、当初はストライキ権の行使や政治的なものに限られ、しかも命令よりも注意を主流としていたのは、右のような事情があったからにほかならない。
私生活上の非行は、その程度が著しく悪質である場合に国公法の懲戒処分を受けることがあるが、原告らは、このような私生活上の非行を理由として国公法の懲戒処分を受けたことはなく、被告が非違行為とする原告らの私生活上の行為は職務と関係のない行為であるから、原告らが勤務成績不良を理由に差別を受けるいわれは全くない。
以上のとおり、原告らの行為はほとんどが正当な組合活動であり、私生活上の行為も懲戒事由に該当しないとるに足りない行為であり、差別を合理化しうる事情に該当しない。
(二) 因果関係について
原告らの昇任、昇格、特昇は、被告のいう「非違行為」とは無関係に実施されており、両者の間に因果関係はない。すなわち、原告らの中には非違行為が存在せず、あるいは極端に少ないにもかかわらず、昇任、昇格等で差別を受けている者がいる一方で、非違行為を行ったとされる時期に昇任、昇格、特昇等をしている者が少なくない。また、原告組合を脱退した翌々年に特昇したものもいる。
(三) 遅刻、早退、病気休暇について
年次休暇は、一般職の給与等に関する法律に規定された休暇の一つであり、その請求に対しては「公務の運営に支障がある場合を除き、承認しなければならない」ものとされており、承認権が羈束されている。また、特に必要があると認められるときは年次休暇を一時間単位でとることができることになっており、現実にもそのような休暇の取りかたが少なくない。
また、特別休暇は「選挙権の行使、結婚、出産、交通機関の事故その他の特別の事由により職員が勤務しないことが相当である場合」として人事院が規則で定める場合における休暇であり、これも権利として保障されているものである。
したがって、年次休暇や特別休暇をもって勤務成績において悪評価をしてはならないのであり、このことは、例えば家族の急病や交通機関のストライキなどにより事前の承認を得ることができず、定刻に出勤できなかった場合(このような場合は、出勤簿上、とりあえず「事故」扱いとなる。)であっても、事後に年次休暇または特別休暇としての承認(年次休暇については「公務の運営に支障がない」ものとして、時間休の場合はさらに、「特に必要がある」と認めて承認されることになる。)された以上、異なるところはないから、それが勤務成績に悪影響を及ぼすことはあり得ないし、そのように取扱ってはならないのである。病気休暇は権利として保障されているものであり、税関長や局長は、組合交渉の中で、「病気休暇は勤務成績に影響しないからどんどん休んで下さい。」と言明していた。また、歴代税関長も、体調を崩したときは気兼ねなく休める環境づくりをする。」と述べていた。
もっとも、病気休暇は、年次休暇や特別休暇と異なり、普通昇給等の欠格事由となることがあるが、このような欠格事由にあたらない程度の短期間の病気休暇は勤務成績に影響しないのが実情である。被告が主張するものは、わずかの期間の病気休暇を問題にしているものや、特昇の勤務評定期間とは異なる時期の病気休暇をとりあげているものが少なくない。
2  時効の主張について
(一) 神戸税関長は原告組合を嫌悪し、原告組合に所属している組合員たる職員に対する一貫した差別扱いの意思を持って、各原告らに対し昇任、昇格及び特昇等をさせず、あるいはその時期を著しく遅らせる等の不利益取扱いを行ってきたものである。税関長のかかる不利益扱いの意思は係争期間を通じて同一性を有し、かつ継続して存在したものであり、税関長は右の一貫した不利益扱いの意思により、原告らに対し昇任、昇格等の差別を反復継続してきたものであって、これは継続する一個の不法行為であるから、本訴提起当時においては未だ終了していない。
原告らは、昇任、昇格等に関し「ある特定の時期」を主張しているが、これは、もし税関長の差別扱いがなければ非組合員標準者との対比において、遅くともこの時期までに原告ら主張の昇任、昇格、特昇等が得られていたはずであるという意味である。
(二) また、不法行為による損害賠償請求権の消滅時効は、客観的に損害賠償を請求し得る状態になったときから進行する。しかるところ、人事考課や成績査定は任命権者の専権に属し、内容は完全に秘密とされ、しかもその基準や方法が明示されていないから、個々の職員にとってその不当性を的確に把握することは容易ではない。とりわけ、昇任、昇格、特昇等の差別は、当初はごく僅かな程度であり、長年にわたって累積して初めて格差の存在が明らかになるものである。そしてそれが組合所属を理由とするものであることを知るためには、原告組合と第二組合のそれぞれ所属する同期同資格入関者に対する系統的な調査が必要であるが、これは容易なことではない。さらに、かかる税関長の不当労働行為によって昇任、昇格、特昇等の差別が生じている疑いが生じても、当初は個別的な苦情の申立や労働組合として団体交渉により事態の究明を行うのが通例であって、訴訟による救済が可能な法的権利の存在を確信し得るにはなお時間的経過を要する。原告らが、神戸税関長の不法行為の実態とそれによる損害の概要を知ったのは、せいぜい本訴提起一年前頃(原告組合として本格的差別の実態調査を開始した時期)であり、消滅時効はこのときから進行を開始するというべきである。この点からも被告の消滅時効の抗弁は理由がない。
(三) さらに、神戸税関長の本件差別人事は、関税局の指導のもと、全国の税関長や幹部職員が共謀し、綿密な計画を立てて、長期間にわたり系統的に実施されてきた極めて悪質なものであり、国公法一〇八条の七に真っ向から違反するばかりでなく、憲法に保障された労働基本権や平等権を蹂躙するものである。しかも、神戸税関長を初めとする税関当局は、差別人事の疑いを持った原告組合や個人原告らの追求にも一切答えず、本訴提起の動きを察知するまで何ら是正の態度をみせなかった。これにより、原告らの被った損害は甚大であり、本訴提起のための調査は極めて困難であって、多大の労苦を費やした。
これらの事情に、原告らと被告との地位関係を併せ考慮すると、被告の消滅時効の援用は権利の濫用として許されないというべきである。
第三  証拠〈省略〉

理由
一  原告らの地位
原告組合が全税関の支部組織であること、その余の原告(ただし、原告横江和子及び同服部瑠璃子についてはその承継前の原告、以下これらを合せて「原告ら」という。)が係争期間において神戸税関に勤務していた職員であることは、当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、右原告らは原告組合の組合員であることが認められる。
二  本件の背景
〈書証番号略〉、証人中田一夫、同大西昭三、同亀岡孝雄の各証言、原告大塚宏圀(第一、二回)、同佐々木範明(第一、二回)、同服部正治各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
1  戦時中閉鎖されていた我が国の税関業務は、昭和二一年六月一日に再開された。当初は、密貿易の監視、取り締まりを主としていたが、民間貿易が昭和二二年八月に一部再開され、ついで昭和二五年一月に全面再開されて貿易量が次第に増大し、昭和三〇年代に入ってめざましい発展を遂げ、これに伴って税関業務は著しく増大し、内容も複雑化していった。
このため、神戸税関では輸出が集中する月末から月初めにかけて勤務時間終了後に残業し、休日にも出勤して通関業務を処理せざるを得ない状況にあった。このような状況は年末年始も同様であった。
原告組合は、昭和二二年に結成されたが、こうした中で昭和三三年頃から活発に活動するようになり、年末、年始休暇の確保、監視部(密輸取締部門)当直勤務者の休息時間の確保、出張所、支署における宿日直廃止、厚生係の昼休み時間の確保、警務職員、用務員の出勤時間の繰下げ及び備品の確保など職員の労働条件や職場環境の改善について当局と交渉し、一定の成果を収めた。
一方、神戸税関当局は、このような事態に対処するため職員の大量採用(昭和三一年四月一日現在一二〇一名であったが、昭和三六年四月一日現在では三三七名増加して一五三八名となり、昭和四一年四月一日現在では一五八名増加して一六九六名となった。)を行なうとともに、昭和三一年一月からは輸出申告を出航の二四時間前にさせるいわゆる二四時間制を実施し、さらに昭和三三年からこれを四八時間制に改めるなどして事務処理の改善による負担軽減に努め、その他事務の合理化にも力を注いだ。
2  原告組合は、全税関が昭和三三年に総評、国家公務員共闘会議に加盟したのを受けて、その頃、兵庫県総評、兵庫県公務員共闘会議に加盟し、これらの団体の統一行動として賃金問題のほか安保反対、政暴法反対、警職法反対などの政治闘争にも取組むようになった。そして、昭和三三年から昭和三四年にかけて行なった年末、年始休暇闘争の中で支援を受けたこれらの組織に加盟する労働組合や港湾関係労働組合など地域の労働団体との連携を強め、その後、これらの労働組合員がしばしば原告組合の行なう統一職場集会や当局に対する抗議行動などに参加するようになった。また、昭和三五年六月四日、同月一五日、及び同月二二日には安保改定阻止国民会議の安保改定反対統一行動の一環として勤務時間内に食込む早朝職場集会を行ない、同年七月九日、これを指導した組合役員が減給・戒告の処分を受けた。
3  安保改定反対闘争が一応終息した昭和三六年に入ると、原告組合は、昇格、昇給差別反対、職員の増員、労働条件の改善などの要求を掲げて実力行使を伴う激しい闘争を行なうようになった。例えば、同年七月七日には赴任旅費不足額の補償を要求して税関長官房主事宿舎前に終夜座込み、同年一一月二八日から同年一二月八日にかけて政暴法反対や昇給、昇格差別撤廃などを掲げて連日二五ないし一〇〇名位が税関長室前廊下に座込んだりした。同年一〇月五日と同月二六日には政暴法、勤評粉砕、一律五〇〇〇円賃上げ、計算センター設置反対などを掲げて勤務時間内に食込む職場集会を当局の警告や執務命令を無視して強行し、庁舎内をデモ行進するなどした。同年一一月一日から同月二日にかけては人員増員の要求を実現させるため担当職員に処理件数を故意に低下させたり、超過勤務命令に応じないようにさせたりし、同年一二月二日には右と同じ目的から輸出担当職員に対し超過勤務撤回願を一斉に提出させるなどの闘争を行なった(以上の詳細は後記のとおり。)。
また、原告大塚宏圀に対して懲戒処分がされた同年八月九日の午後〇時三〇分から同日午後五時頃までの間、原告組合員多数が官房主事室に集り、官房主事に罵声を浴びせるなどして激しい抗議行動を行なった(詳細は後記のとおり。)。
4  神戸税関長は、昭和三六年一二月一五日、前記闘争を指導した原告組合の支部長ら三名に対して懲戒免職処分を行ない、以後、職員でないものが役員に就任していることを理由に原告組合との正式の団体交渉を拒否するに至ったが、これらを契機として、組合内部に執行部批判の動きが表面化し、これらの者が神戸労働問題研究会を結成して昭和四七年六月と同年七月に行なわれた役員選挙に対立候補を出して争った。その後、右労働問題研究会と原告組合執行部は相互に激しい応酬をして対立を深めたが、このような中で、課長や係長などの中間管理職層の組合員があいついで原告組合から脱退し、ついで一般組合員の脱退も続出するようになった。そして脱退者は、労働問題研究会の構成員が中心となって神戸税関組合を結成した昭和三八年三月には約八〇〇名に達し、その後も脱退者が続いて両組合の勢力比は間もなく逆転するに至った。
5  その後、原告組合は、前記懲戒免職処分撤回の闘争などに取組んでいたところ、昭和三九年一〇月一日、昭和三四年四月一日に国家公務員初級職試験合格の資格で入関した原告組合員九名について在級期間を六か月短縮して七等級(以下、等級号俸は昭和六〇年改正前の一般職の職員の給与に関する法律(以下「給与法」という。)別表第一イ行政職俸給表一を表す。)に昇格させるいわゆる六短措置が行なわれなかった。また、昭和四一年四月には、原告組合員四名について普通昇給が延伸された。原告組合員に対するこのような昇格期間の不短縮の措置は昭和四〇年一月と昭和四四年一月にも行なわれ、昇給延伸は、昭和四一年四月、昭和四三年一月、同年七月、同年一〇月、昭和四四年四月及び同年七月にも行なわれたが、原告組合は、これは原告組合員に対する当局のいわれのない差別扱いであるととらえ、当局に対して強く抗議するなど差別撤廃の闘争に力を注ぐようになった。
また、昭和四二年頃から原告組合員特に昭和二六年頃に入関した原告組合員が昇任、昇格の差別扱いを受けているとして、これら組合員について昇任、昇格させるよう強く要求するとともに差別対策委員会を設置して昇任、昇格差別撤廃闘争に取組むようになり、昇任、昇格時期に向けて決起集会を開いたり、リボン闘争を行なうなどした。
6  このような差別撤廃闘争は、昭和四五年頃から全税関全体の闘争として行なわれるようになり、全税関は、地方からの上京団を組織して国会への請願や大蔵省関税局に対して是正を要求するなどの行動を行なった。また、昭和四七年一一月には総評、国公共闘に加盟している他の公務員労働組合とともに政府を相手としてILOに提訴した。
なお、右提訴の内容は、全税関の組合員は特別昇給を例外的にしか受けられず、幹部活動家は組合活動に積極的であることを理由に「勤務成績不良」とみなされ、定期昇給が三か月延伸され、組合員は思想穏健でないとみなされて研修、昇任、昇格、宿舎、住居移転を伴う配転などで差別扱いを受けているというものである。この提訴につきILO理事会は、昭和三八年一一月、結社の自由委員会の報告を採択したが、この報告の中では同委員会は、政府と全税関の各主張が大幅に食違っているため提訴された問題のすべてについて結論に到達することが困難であったとしながらも、他の事業に関し、または組合員の状況の組織に関する比較の統計から、反組合的行動が行なわれたように思われるとして、理事会が、いかなる反労働組合的差別待遇がおきないことを保障するため適切な措置を取るよう政府に要請することを理事会に勧告した。
7  このような差別撤廃闘争が高まる中で、昭和四七年頃、全税関全国大会において訴訟を提起することが論議され、原告組合は、その準備に取りかかり、昭和四九年に本件訴えを提起した。
三  昇給、昇格等の比較
1  原告らの昇給、昇格等
原告らの入関の年度と資格、係争期間開始時と終了時における等級号俸、右期間における昇任の時期とその職名及び昇格の時期が別表二昇給・昇格等一覧表記載のとおりであること、係争期間中の昇給、昇格の推移が別表三等級号俸推移表記載のとおりであることは当事者間に争いがない。
2  非組合員(原告組合員以外の職員をいう。)の昇給、昇格等
(一)  昭和二四年旧中・高校組(昭和二四年入関の旧制中学校・高等学校卒業者、以下、同様の表示をする。)
原告佐々木範明、同田村芳春各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員四八名(係争期間の一時期において組合員であった三名を含む。)は、その多くが昭和四一年から昭和四三年にかけて五等級に昇格し、二三名が昭和四七年に、三名が昭和四八年にそれぞれ四等級に昇格したこと、このうち昭和四七年まで原告組合員であった二名は、うち一名が組合員であった昭和四一年に五等級に、昭和四七年に四等級に昇格し、他の一名も昭和四三年に五等級に昇格したことが認められる。
しかし、右非組合員の係争期間終了当時の等級号俸についてはこれを認め得る証拠はない。
(二)  昭和二五年五級組(昭和二五年入関の国家公務員五級職試験合格者、以下、同様の表示をする。)
右原告本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員九名(昭和四九年に原告組合に加入した一名を含む。)のうち五名は昭和三八年に、残る四名は昭和四二年までに五等級に昇格し、八名が昭和四三年から昭和四七年までの間に四等級に昇格したこと、係争期間終了当時の等級号俸は、一名が三等級(号俸は不明)、一名が四―一四(四等級一四号俸、以下、同様の表示をする。)、一名が四―一三、五名が四―一二、一名が五―一五であることが認められる。
(三)  昭和二五年高校組
原告佐々木範明、同小林霞各本人尋問の結果とこれによって成立を認める〈書証番号略〉によれば、非組合員五六名中、大多数の四四名が昭和四四年までに五等級に昇格したことが認められる。
しかし、右非組合員の係争期間終了時点の等級号俸についてはこれを認め得る証拠はない。
(四)  昭和二五年中学組
原告田村芳春本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員四名のうち三名は昭和四七年に、残る一名は昭和四八年に五等級に昇格したこと、係争期間終了当時の等級号俸はいずれも五―一〇であったことが認められる。
(五)  昭和二六年六級組
原告服部正治本人尋問の結果と〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、非組合員一八名(係争期間中に原告組合を脱退した二名を含む。)のうち右の二名を除いた一六名は昭和四〇年五月一日までに監査官など四等級相当職に昇任し、昭和四五年七月一日当時においては大多数の者が課長や統括官など三等級相当職に昇任し、右昇任と同時に右各等級に昇格していたことが認められる。
しかし、右非組合員らの係争期間終了当時の等級号俸については、これを認め得る証拠はない。
(六)  昭和二六年五級組
原告佐々木範明、同田村芳春各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員一一名は、昭和四二年までに全員五等級に昇格し、昭和四七年までに八名が四等級に昇格したこと、その係争期間終了当時の号俸は、一名が四―一三、二名が四―一二、六名が四―一一、一名が五―一五、一名が五―一四であることが認められる。
(七)  昭和二六年旧専組(昭和二六年入関の旧制専門学校卒業者。)
右(六)の証拠によれば、非組合員二名は、昭和四八年と昭和五〇年とにそれぞれ四等級に昇格し、係争期間終了当時の等級号俸は四―一一と五―一四であったことが認められる。
(八)  昭和二六年高校組
原告佐々木範明、同前田信雄各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員一二〇名のうち一一二名は昭和四五年までに五等級に昇格したことが認められる。
しかし右非組合員の係争期間終了時の等級号俸については、これを認め得る証拠はない。
(九)  昭和二七年四級組
原告佐々木範明、同間処康成各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員二名は、昭和四七年に五等級に昇格したことが認められる。
しかし、右非組合員の係争期間終了当時の等級号俸については、これを認め得る証拠はない。
(一〇)  昭和二七年高校組
右(九)の証拠によれば、非組合員六四名のうち五〇名は昭和四六年までに、一〇名は昭和四八年までに五等級に昇格していることが認められる。
しかし、右非組合員の係争終了当時の等級号俸については、これを認め得る証拠はない。
(一一)  昭和二八年五級組
原告佐々木範明、同田村芳春各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員二名はいずれも昭和四三年に五等級に昇格したこと、その係争期間終了当時の等級号俸は、一名が四―一一、一名が五―一五であったことが認められる。
(一二)  昭和二八年高校組
原告佐々木範明、同津村勝次各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員六七名のうち三二名は昭和四六年一二月一日までに、三一名は昭和四八年二月一日までに、五等級に昇格していたことが認められる。
しかし、右非組合員の係争期間終了当時の等級号俸については、これを認め得る証拠はない。
(一三)  昭和三〇年四級組
右(一一)の証拠によれば、非組合員三名のうち二名は昭和四七年に、一名は昭和四八年に五等級に昇格したこと、その係争期間終了当時の等級号俸は、それぞれ五―一一、五―一〇、五―九であったことが認められる。
(一四)  昭和三二年四級組
原告佐々木範明、同高須賀四郎各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員三七名のうち一七名は昭和四八年八月一〇日までに、一九名は昭和四九年八月八日までに五等級に昇格したことが認められる(一名は不明)。
しかし、右非組合員の係争期間終了当時の等級号俸については、これを認め得る証拠はない。
(一五)  昭和三二年高校組
右(一四)の証拠によれば、非組合員三名は、いずれも昭和四九年八月八日までに五等級に昇格したことが認められるが、その係争期間終了当時の等級号俸については、これを認め得る証拠はない。
(一六)  昭和三三年中級組
該当者の存在は不明である。
(一七)  昭和三三年初級組
原告佐々木範明、同田村芳春本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員一三名の係争期間終了当時の等級号俸は、一一名が六―一〇、一名が六―九、一名が六―七であることが認められる。
(一八)  昭和三三年高校組
右(一七)の証拠によれば、非組合員一四名の係争期間終了当時の等級号俸は、九名が六―九、四名が六―八、一名が六―五であることが認められる。
(一九)  昭和三三年中学組
該当者の存在は不明である。
(二〇)  昭和三四年初級組
原告佐々木範明、同柳沢尚各本人尋問の結果と〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、非組合員一九名の係争期間終了当時の等級号俸は、一〇名が六―九、七名が六―八、一名が六―六であることが認められる(一名は不明)。
(二一)  昭和三四年高校組
右(二〇)の証拠によれば、非組合員五名の係争期間終了当時の等級号俸は、二名が六―八、二名が六―七、一名が六―六であることが認められる。
(二二)  昭和三五年初級組
原告佐々木範明、同田中範明各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員九名(元原告であった一名を除く。)の係争期間終了時の等級号俸は、五名が六―八、四名が六―七であることが認められる。
(二三)  昭和三五年高校組
右(二二)の証拠によれば、非組合員一六名の係争期間終了当時の等級号俸は、四名が六―七、八名が六―六、三名が六―五であることが認められる(一名は不明)。
(二四)  昭和三六年初級組
原告佐々木範明、同長谷川紀彦各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員二七名の係争期間終了当時の等級号俸は、二名が六―八、一一名が六―七、一〇名が六―六、四名が六―五であることが認められる。
(二五)  昭和三六年高校組
原告佐々木範明、同田村芳春各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員二二名のうち五名は昭和四七年に、一五名が昭和四八年に六等級に昇格し、係争期間終了当時の等級号俸は、五名が六―六、一五名が六―五、二名が七―七であることが認められる。
(二六)  昭和三七年初級組
原告佐々木範明、同原泰宣各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員三五名(昭和三九年一月に中級職に任用換えになった二名を除く。)のうち大多数の者は係争期間終了後の昭和五一年と昭和五二年までに五等級に、昭和五六年から昭和五八年までに四等級に昇格したことが認められるが、係争期間終了当時の等級号俸については、これを認め得る証拠はない。
(二七)  昭和三七年高校組
原告佐々木範明、同田村芳春各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員一〇名の係争期間終了当時の等級号俸は、全員七―七であることが認められる。
(二八)  昭和三八年初級組
原告佐々木範明、同田村芳春各本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、非組合員二七名(係争期間終了後に脱退した二名を除く。)の係争期間終了当時の等級号俸は、一名が六―六、二一名が六―四、三名が七―七、一名が七―六であることが認められる(一名は不明)。
(二九)  昭和三九年中級組
(二六)に記載した証拠によれば、非組合員は二名いることが認められるが、その係争期間終了当時の等級号俸は不明である。
3  格差について
以上の事実に基づいて、原告ら組合員と同期、同資格の非組合員をそれぞれ集団として対比(ただし、該当する非組合員のない昭和三三年中学組については最も近いとみられる昭和三六年高校組と対比)してみると、入関年次、資格間で程度の違いがあるものの、係争期間の終了時である昭和四九年三月三一日の時点において、原告組合員は非組合員より昇任、昇格、昇給が遅れ、両者間に格差が生じていることが認められる。
四  任用と給与制度について
原告らは、前記のような給与上の格差が生じたのは、神戸税関長が原告組合に所属していることを理由として、原告らについて、昇格につながる昇任を遅らせたり、双子号俸の上位になるまで同一等級に留めるなどして昇格を遅らせ、昇格の期間について短縮の措置を行わなかったり、延伸するなどして普通昇給を遅らせ、あるいは特別昇給をさせないなどの差別扱いをしたことによって生じたものである旨主張するので、まず国家公務員の昇任、昇格、昇給制度について概観する。
1  昇任
(一)  昇任とは、狭義では法令によって公の名称が与えられている上位の官職に任命することである。したがって、昇任は任用の制度であり、給与制度である昇格や昇給に直接結びつくものではないが、職務職階制を指向する給与制度のうえで昇格と密接な関係がある。
(二)  昇任を含む任用一般について、国公法三三条一項は成績主義の基本基準を定め、同法及び人事院規則の定めるところによりその受験成績、勤務成績又はその他の能力の実証に基づいて行なうものとし、この根本基準に基づいて昇任について同法三七条一項では競争試験によることを原則としつつも、同条二項で例外として当該在職者の従前の勤務実績に基づく選考により行なうことができるものとしている。
なお、昇任については、昇格や特別昇給と異なり法令上の定数の制約は定められていないが、その性質上、機構上の定数の制約を受けることは当然である。
(三)  神戸税関では、職員の昇任は任命権者である税関長の選考によって行なわれている(このことは当事者間に争いがない。)ところ、弁論の全趣旨によれば、選考の基準として特に明文の定めはなく、対象者の経歴、学歴、資格、執務能力、人格、識見のほか勤務成績を総合的に判断して行なっていることが認められる
(四)  原告らは、昇任は昇格と密接に結びついており、人事院規則(以下「規則」という。)八―一二の運用通知で昇任の定義に昇格を含ませていることなどから、昇任については、昇格の基準を定めた規則九―八第二〇条を類推するのが国公法三六条二項、三七条三項の趣旨に適合するとして、昇任の選考の基準としては、当該職員が合格した資格試験と学歴、免許別に定められている必要経験年数及び必要在級年数などの客観的なものに限られるべきであり、勤務実績が良好であることは、昇任の基準とはなしえない旨主張する。たしかに、昇任が昇格と密接に関係していることは前記のとおりであり、規則八―一二の運用通知で昇任の定義に昇格を含ませていることも原告ら主張のとおりである。しかし、国公法三三条一項にいう「勤務成績」及び同法三七条二項にいう「勤務実績」とは、いずれも職員の過去の勤務上の実績をいうものと解されるところ、同法七二条は職員の執務について所属庁長において定期的に評定を行なうものとし、規則一〇―二第二条一項は、勤務評定は、職員が割当てられた職務と責任を遂行した実績を当該官職の職務遂行の基準に照して評定し、並びに執務に関連して見られた職員の性格、能力及び適性を公正に示すものでなければならないとしていることに鑑みると、当該職員の勤務実績が良好であることは、当然選考の主要な基準とされるというべきであり、原告らの右見解は採用できない。
2  昇格
(一)  昇格は、職員の職務の等級を同一の俸給表の上位の職務の等級(昭和六〇年の俸給表改正後は「職務の級」)に変更することである。
(二)  職員の職務は、その複雑、困難及び責任の度合いに基づいて分類され、この分類の基準となるべき標準的な職務の内容を人事院が定めるものとされ(給与法六条三項)、これを受けて規則九―八別表第一・等級別標準職務表(第三条関係)が作成されている。
したがって、職員の職務の等級の決定(昇格)は、右の等級別職務標準表に基づいて行なわれることになるから、同表に分類された職務に昇任しなければ昇格しないことになる。
(三)  昇格は、右のように等級別職務標準表に基づいてなされるが、人事院が予算の範囲内で定めた等級別定数の制約を受けるほか、昇格させようとする職員が規則九―八別表第二・等級別資格基準表(第五条関係)において定められている資格、即ち必要経験年数又は必要在級年数を有していること(右規則第二〇条一項二号)及び勤務成績が良好であることが明らかであること(右規則の運用基準についての通知、二〇条関係)が必要とされている。
したがって、上位の職に昇任しても、昇格しないことがある。
3  昇給
(普通昇給)
(一) 職員が一二か月を下らない期間を良好な成績で勤務したときに行なうことができると定められている昇給(給与法八条六項)である。
(二) 右の勤務成績が良好であることは、当該職員について監督する地位にある者の証明を得ることが必要とされている(規則九―八第三四条一項)が、停職、減給又は戒告の処分を受けた職員及び昇給期間の六分の一相当の期間の日数を病気休暇、欠勤等により勤務していない職員は、一律に右の勤務成績についての証明が得られないものとして扱うものとされている(右規則三四条二項)。
なお、右の勤務成績の証明は、勤務評定記録書その他の勤務成績を判定するに足ると認められる事実に基づいて行なうものとされている(前記規則の運用についての通知、三四条関係)。
(三) 昇格後の最初の昇給期間については、昇給直前の等級号俸にあった期間が短縮される。しかし、いわゆる双子号俸の下位の号俸から昇格した場合は、昇格直前の等級号俸の期間が六か月を超える場合に限り三か月短縮されるだけである。また、上位の号俸から昇格した場合は直前の等級号俸にあった期間がすべて短縮されることになっている(昇格後の号俸は一号俸下の双子下位の号俸から昇格した場合と同じである、右規則三一条一項)。
したがって、双子号俸から昇格した者は、双子号俸の直近下位の号俸から昇格した者に比べ三ないし一二か月昇給が遅れることになる。
(特別昇給)
(一) 特別昇給(規則九―八第三九条の研修、表彰等によるもの及び同規則四二条の特別の場合のものを除く)。は、勤務評定による勤務成績にかかる評語が上位の段階に決定され、かつ執務に関連してみられた職員の性格、能力及び適性が優秀であるなど、職務成績が特に良好である場合に、特別昇給定数(昭和三五年度から昭和四二年度までは毎年定員の一〇パーセント、昭和四三年度以降は一五パーセントを超えない範囲内で、各省庁ごとに人事院が定める。)の範囲内で、その昇給期間を短縮して直近上位の俸給額に昇給させることである(給与法八条七項、規則九―八第三七条一、二項)。
そして、右の「上位の段階」に評定される職員の数は概ね一〇分の三以内とされている(前記運用についての通知三七条関係2)。
(二) しかし、懲戒処分を受けて当該処分の日から一年を経過しない職員や昇給の時期一年において勤務しなかった日が三〇日を超える職員は特別昇給をさせることができないとされている(右規則三八条)。
4  昇任、昇格、昇給の裁量性
(一) 以上のような国家公務員の任用及び給与制度の趣旨、内容からすると、昇任は当該職員の能力、勤務実績等に照し、昇任すべき上位の官職に適するか否かという観点から、機構上の定数枠の範囲において対象者を選定するものであり、昇格は、等級別資格基準表に定められた資格を有する職員の中から、職務の内容、責任の程度のより大きい上位の等級に昇格させるのが適当であるかどうかという観点に立って、当該職員の能力、勤務実績に照して定数枠の範囲において昇格させるべき者を決定すべきものであるから、これらの判断はいずれも任命権者の裁量に任されているものと解すべきである。そして、その範囲は、職務の困難性、責任の度合いの高い上位の官職等級への昇任昇格になるほど、より広くなるものというべきである。
普通昇給は、定数枠の制約はないものの、法規の規定の仕方からすると、一二か月を下らない期間を勤務した職員を必ず昇給させなければならないものではなく、昇給させるかどうかの判断は、その範囲は狭いとはいえ、なお任命権者の裁量に任されているものということができる。
特別昇給が任命権者の裁量行為であることは、制度の趣旨と法の規定の仕方から明らかである。
(二)  この点に関し原告らは、神戸税関においては心身の故障等により長期欠勤したような特別の者を除いて一定の期間内に昇任し、主任又は係長相当職に昇任した場合には二年以内に五等級に昇格し、課長相当職に昇任した場合には殆ど同時に三等級に昇格するという運用がされてきた旨、また、特別昇給については、入関後一定の年数を経過した職員について定数の枠内において概ね順番に実施されてきた旨主張する。
原告らの右主張は、昇任・昇格及び特別昇給が勤務成績に関係なく、経験年数によって一律に実施されてきたという趣旨であるとみられるところ、主任等係長相当職に昇任した場合には、年度による差異はあるものの、ほぼ一、二年後に五等級に昇格していたことは前掲各甲号証(役職等級等一覧表)によって認められ、課長(税関監査官などの専門職を含む。)に昇任した場合には昇任とほぼ同時に四等級に昇格していたことは被告の認めるところである。しかし、右甲号各証によれば、非組合員でも、比較的下位の五等級職への昇任、昇格などでは同期、同資格の者が三年程度の幅をもった時期に集中して行なわれているものの、職務の複雑困難性や責任の度合いが大きい上位の官職等級への昇任、昇格においてはかなりのばらつきが生じる傾向にあることが認められ、必ずしも原告らが主張するように経験年数によって一律に実施されてきたということはできない。
また、弁論の全趣旨によれば、特別昇給についてはある程度の年功序列的運用がなされていたことが窺われるが、そうであっても特別昇給がその制度の趣旨を逸脱して経験年数のみにより一律に実施されていたというものではないから、前記の裁量性に変りはない。
5  昇任、昇格、昇給の裁量権の濫用と不法行為の成否
(一) このように、昇任、昇格、昇給をさせるかどうかの判断は任命権者の裁量に属する(人事院規則で定められた資格要件による制約を受けることは当然である。)ものであるが、右裁量権の行使が、労働組合に所属することを唯一の理由(非組合員に比べて能力、勤務実績に格別の差異がないのに)としてなされるなど、国公法二七条の平等取扱の原則、同法一〇八条の七の不利益取扱禁止の原則に反するものであるときは、昇給、昇格等をさせなかったことが昇給、昇格等の期待利益を侵害するものとして、右不利益を受けた者に対する不法行為を構成するとともに、労働組合との関係においても、その団結権を侵害するものとして不法行為になるものというべきである。
この点について被告は、昇任、昇格及び昇給をさせるべきかどうかの判断が裁量行為である以上、そもそも任命権者に昇任、昇格等をさせるべき行為義務が生じる余地はないとして、その不作為が裁量権濫用として違法となることはない旨主張する。しかし、右のように能力や勤務成績に差がないのに組合所属を理由として昇任、昇格、昇給をさせないことが許されないものである以上、全体として定数枠等による制約はあるものの、他の非組合員と同様に昇任、昇格、昇給をさせなければならない義務があるものと解され、これに反した取扱をした場合には裁量権の濫用となるものといわなければならない。
(二) しかるところ、昇任、昇格、昇給の制度が右のように能力や勤務成績を反映させるものとなっている以上、個々の組合員が他の非組合員に比べて昇任、昇格、昇給において差別扱いを受けたというためには、当該組合員について、比較の対象とされた非組合員との間で勤務実績や能力等に差がないことが個別的、具体的に立証されなければならず、前記のように集団としての原告組合員と同期、同資格の非組合員との間に昇任、昇格、昇給の格差が存在していることから直ちに原告ら各自について、組合員であることを理由とする差別扱いがなされたということはできない。
もっとも、右格差を生じる主要なものの一つと考えられる特別昇給において、一定の限度で年功序列的運用も行なわれていることに鑑みると、右のような集団としての対比における格差が存在することは、それ自体として、原告組合員に対して差別扱いがなされたことを窺わせるものというべく、また原告らが主張するその他の差別扱いの事実も、もしそれが認められるとすれば昇任、昇格、昇給における差別扱いの存在を窺わせる有力な事情となる。
しかし、一方、成績主義を基本原則とする任用及び給与制度のもとにおいては、入関資格や経験年数が同じであっても、年数を経るに従って勤務実績に相応した格差が生じることになるのは当然のことであり、また、病気休暇や懲戒処分など昇給の障害事由や非違行為など昇任、昇格、昇給の基礎となる勤務実績の評価に影響を及ぼす事情があれば、その分だけ右の推定も覆されることにならざるを得ない。
そこで、以下これらの事情について検討する。
五  原告組合に対する攻撃、組合員に対する差別扱いについて
原告らは、本件の昇任、昇格、昇給における差別扱いのほかに、原告組合や組合員に対する様々な攻撃や差別扱いがなされ、本件の昇任、昇格、昇給における差別扱いは、これら原告組合や組合員に対する攻撃の一環としてなされたものである旨主張するので、まずこの点について検討する。
1  組合役員に対する処分等
(一)  支部長服部正治に対する訓告(年末、年始休暇闘争)
〈書証番号略〉によれば次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
原告組合は、昭和三三年の年末、年始休暇闘争において税関当局が来年度(昭和三四年度)は速やかに慎重に対策を検討して職員が休めるよう努力する旨言明したのにかかわらず、何らの具体策も示さないとして、昭和三四年一一月一一日頃、支部長服部正治名で通関業者に対し、同年一二月二九日から昭和三五年一月三日までの間は完全に休むことを決定した旨及び年末年始の輸出入申告書は一二月二六日(土曜日)の執務時間中に提出するよう求める旨を内容とする書簡を送付した。一方、当局は、昭和三四年一二月一日付で、本年一二月三〇日から新年一月四日までに船積み予定の輸出貨物の申告書の受理は原則として本年一二月二九日までとする旨を掲示するとともに、関係業者に対して早期出荷、早期申告について強く要請したが、一二月七日、この決定に先立って原告組合が当局の右決定と相違する内容の文書を配付して業者に不必要な動揺を与えたとして原告組合に再びこのようなことのないよう慎まれたい旨の警告を発するとともに、支部長服部正治が、あたかも年末年始の税関業務が停止されるかのごとき疑惑を抱かせて税関の信用を著しく失墜させたとして、同人を訓告(矯正措置)に付した。
右事実によれば、原告組合が通関業者に送付した書面は、表題が協力要請の形を取っており、その文中にも同様の文言が用いられてはいるものの、これを全体としてみれば、年末年始の通関業務が一切停止されることになったと受取られるに充分なものであって、税関当局が示した前記決定に反するものであるから、関係業者に無用の混乱を招く虞のあるものというべきである。もっとも、原告組合が右の書簡を発したのは、右書簡〈書証番号略〉に記載されているように、当局が前年の交渉において、慎重に対策を検討し、昭和三四年度は職員が休めるよう努力する旨言明したにもかかわらず、現在に至るも何ら具体策を示さなかったということが理由とされている。
しかし年末年始を休みにして税関業務を停止することは関係業者に影響を及ぼすことが大であり、これらの業者の理解と協力がなければ実現が困難であると考えられるところ、〈書証番号略〉によれば、原告組合の行なった年末、年始休暇闘争に関して、貿易団体の代表者が大蔵大臣に対し「神戸税関は大政官布告をタテに年末を休むので業者が困っている」旨詰め寄ったことが認められ、これによれば、当時の状況としては、年末年始を完全に休むことについては関係業者の充分な理解と協力を得ることは困難であったことが窺われるから、原告組合がこのような事情を無視して一方的に前記の書簡を発したことは、その意とするところは理解できるとしても行き過ぎたものといわざるを得ず、正当なものとはいえない。
したがって、税関長が文書の責任者である支部長を訓告に付したことは正当な理由に基づくものであり、これをもって原告組合に対する不当な攻撃であるということができない。
(二)  支部長服部正治に対する懲戒処分(安保闘争)
〈書証番号略〉、証人亀岡孝雄の証言によれば、原告組合は、昭和三五年六月四日、税関長の事前の警告を無視して本関や中埠頭出張所など四か所において、安保国民会議、国公共闘会議の統一行動として、午前八時三〇分頃から同九時三〇分頃までの間、安保反対、国会解散の要求を掲げて勤務時間に食込む職場集会を行ない、本関においては出入口にピケを張って職員の登庁を阻止したこと、また、同様の時間内に食込む職場集会は同月一五日と二二日も行なわれたこと、これに対し当局は、同年七月九日、当時の原告組合支部長であった服部正治ら組合役員一四名を減給又は戒告の懲戒処分に付した(右処分関係に就いては当事者間に争いがない。)ことが認められ、右認定に反する証拠はない。
右事実によれば、右集会で指導的役割を果した原告組合役員らに対し当局が懲戒処分を行なったことは正当な理由に基づくものであるというべく、これをもって原告組合に対する不当な攻撃であるということができない。
原告らは、右の集会は安保国民会議、国公共闘会議等の全国統一行動としてなされたものであり、同様の集会は他の税関や他の官庁でも行なわれたが減給処分がなされたのは神戸支部の七名と横浜支部の二名だけであるとして、原告組合に対してだけ極端に重い処分がなされた旨主張する。しかし、他の税関における集会の具体的な規模、態様等については不明であるから、単なる処分内容や被処分者の人数の比較だけから特に原告組合に対し厳しい処分がなされたということはできない。
(三)  原告大塚宏圀に対する懲戒処分(密輸事件)
(1) 神戸税関長が昭和三六年八月一九日、原告大塚宏圀に対し、同原告が昭和三四年一〇月二七日に外国貿易船天栄丸の高島一志を同船に訪れて一緒に下船した際、右高島が米国製たばこ等の密輸出を企てて携帯しているのを知り得べき立場にありながらこれを確知することなく、税関職員としての適切な助言指導を怠り、かつ陸務課の検査に協力しなかったことは税関職員たるにふさわしくない行為にあたるとして、懲戒(戒告)処分をしたことは、当事者間に争いがない。
(2) 〈書証番号略〉、証人篠原正晴の証言及び原告大塚宏圀本人尋問の結果によれば、右処分に至った経緯等は大要次のとおりであったことが認められ、この認定に反する証拠はない。
すなわち、昭和三四年一〇月二七日午後六時過ぎ頃神戸税関本庁前監所において勤務中の監視部陸務課陸務係職員小林暉和が走行してきた原告大塚、外国貿易船天栄丸の船員高島一志、同江田敏男ほか一名が乗車したタクシーを停車させて検問したところ、後部座席左側に座っていた原告大塚は、その右隣に座っていた高島との間の足許に置いてあった風呂敷包を手に持って下車し、そのまま旅具課に向った。右風呂敷包には米国製たばこ二カートン及びキスチョコレートが入っており旅具課で原告大塚からこれを受取った高島が輸入許可の申告をした(当時本邦の港に入港した船舶の船員が外国製品を携帯品として持出すには、予めリストを提出して旅具課の許可を受け、持出す際にはこれを監所の係員に示すことが必要とされていたが、右たばこは数量が多いため正規の手続をとっても許可にならないものであった。)が、結局旅具課の指示により高島が天栄丸に持帰った。一方、右タクシーの後部トランクから厳重に梱包された外国製紙巻たばこ及び日本製免税輸出用たばこが発見され、江田が自分が密輸入しようとした旨自供した。しかし、同人は、結婚式に出席するため急いで九州に帰らなければならない事情があったので、審査課は同人に対し通告処分をしたうえ、後日、改めて詳しい調査をすることとして帰らせた。その後、同年一一月中旬頃、出頭して来た江田を取調べたところ、同人が高島と共謀してたばこを密輸入しようとした旨自供したが、当時、高島が出国していて取調べることができなかったので、江田の関税法違反嫌疑事件の参考人として監所で検問した小林から事情を聴取するとともに、原告大塚にも出頭を求めたが、同原告は、出頭はしたものの供述を拒否し、同年一一月二四日、同原告に対する取調べは組合弾圧である旨の原告組合の情宣紙が配られた。その後、同原告は審理課の呼出に出頭しなかったり、出頭しても黙秘を続けた。
この間の昭和三五年二月四日、審査課が帰国した高島から事情を聴取したところ、同人は後部トランクから発見されたたばこは江田と相談して持ち出そうとしたものであるが、原告大塚はこのことは知らない筈である旨供述し、さらに事件当日の状況について、「天栄丸の自室で原告大塚と二人でビールを飲んだ後一緒に下船することとし、同船室内で船内の接待用米国製紙巻たばこ二カートンと先に同原告に贈与してあった米国製キスチョコレート二缶(輸出許可済み)を風呂敷に包み、これを持って同原告と一緒に下船しタクシーに乗車した。」「右風呂敷包は自分が持っていたが、同原告が持っていれば税関の職員が検査しないと思ってタクシーが税関の前まで来たとき「お願いします」と言って同原告に渡した。」などと述べた。そして、高島は、同年六月一一日の事情聴取において、下船間際に、自分の船室の机の上で前記たばことキスチョコレート二缶を風呂敷に包んだが、その際、原告大塚は机の横のソファに座っていた旨供述し、さらに右同日、風呂敷包内のたばこは原告大塚に贈与したものである旨述べた。そこで、以後、原告大塚に対する関税法違反嫌疑事件として取調べが行なわれることになり、同原告は同年七月から事件当日の状況について供述を始めたが、同月五日までの取調べの中で、「高島に旅具課に行くよう促したが同人がぐずぐずしていたので私が代りに申告してやろうと思って、風呂敷包を持って旅具課の方に行った。」「風呂敷包にたばこが入っていることは旅具課の検査台の前で初めて知り、自分が申告すべきではないと考えて高島に渡して申告させた。」などと述べ、知情の点については終始否認した。こうしたことや原告大塚に対する取調べを原告組合が組合弾圧ととらえて強く反発し、政党の不当弾圧委員会も調査に乗り出した。右のような状況の下で税関当局は、原告大塚を前記理由により戒告処分にした。
(3) 以上認定した事実によれば、原告大塚に対する前記処分の理由は十分肯認することができる。
もっとも、風呂敷包のたばこを持ち出そうとしたことについては、旅具課の指示で右たばこを船内に持帰ったことにより、また、後部座席から発見された紙巻たばこを持ち出そうとしたことについては、関税法違反事件として江田に通告処分がなされたことにより、いずれも事件当日に一応決着したものとみられないではないが、その後においてこれらのことについて取調べがなされたのは、江田に急いで帰郷しなければならない事情があり、当日、同人から詳しい事情聴取を行なうことができなかったため、後日、改めて同人に対する取調べをした結果、後部座席から発見されたたばこについて高島に密輸の共犯の疑いが生じ、同人や原告大塚に対しても改めて事情聴取が必要となり、さらに高島の供述から、風呂敷包のたばこについて、原告大塚に密輸の共犯の疑いが生じたことによるものであって、これら関係者に対する取調べが原告らが主張するように処理済みになった事件をことさら蒸返したものでないことが明らかである。
また、原告大塚に対する戒告処分は事件発生から一年一〇月を経過した後に、しかも右嫌疑の内容と相違する理由によってなされているが、このことは、前記の取調べの経過などに照すと、不自然であるとはいえない。
(4) 以上のとおりであり、原告大塚に対する戒告処分は正当であり、同原告になされた取調べが当局が密輸事件を捏造して行なったものであるとする原告らの非難は当らない。
なお、前記〈書証番号略〉によれば、右の事件は神戸新聞に昭和三四年一一月三〇日付で「税関職員が密輸(未遂)の片棒?」と、昭和三五年六月二八日付で「七か月ぶりにクロと断定」と報道されたことが認められるが、その取材の経緯が明らかでなく、当局が原告組合を攻撃するために発表したものとは認められない。
(四)  支部長神田綽夫外二名に対する懲戒免職処分
(1) 神戸税関長が昭和三六年一二月一五日、当時の原告組合支部長神田綽夫、書記長中田一夫、組織部長田代一郎を懲戒免職処分に付したことは、当事者間に争いがなく、〈書証番号略〉によれば、右処分の理由は、原告神田綽夫については、①当局の事前の警告及び執務命令を無視して勤務時間内にわたって行なわれた二度の職場集会を積極的に指導したほか庁舎内をデモ行進し、②人員増加要求を貫徹するため、多数の組合員とともに監査部長を取囲み、大声で業務上の指示は文書をもってするよう要求するなどして通関業務の処理を妨げ、③右同様の目的で中田一夫、田代一郎ら組合執行部役員とともに、担当職員に一斉に超過勤務命令撤回願を出すよう勧奨し、これにより作成された右撤回願をとりまとめて提出し、かつ超過勤務に服すべき職員を講堂に集結させて通関業務の処理を妨げた、というものであり、中田一夫については、①前同①の集会を積極的に指導したほか庁舎内のデモ行進を提案してこれを行ない、②人員増加要求を貫徹するため輸出為替業務担当職員に対し処理件数を低下させるよう提案するなどして繁忙期における通関業務を妨げ、③同様の目的で神田綽夫、田代一郎ら組合執行部役員とともに、輸出関係業務担当職員に前同様の超過勤務命令撤回願を提出するよう勧奨し、これにより作成された右撤回願をとりまとめて提出し、かつ、超過勤務に服すべき職員を集結させて通関業務の処理を妨げた、というものであり、田代一郎については、①原告大塚宏圀にかかる前記戒告処分に対する抗議に際し、多数の組合員とともに官房主事を取囲み、その退出を阻止し、威圧的言動をし、②前同①の集会を積極的に指導したほか集会に引続いて庁舎内をデモ行進し、③人員増加要求を貫徹するため輸出関係業務担当職員に対し超過勤務に応じないよう勧奨するなどして、繁忙期における通関業務を妨げ、④同様の目的で、神田綽夫、田代一夫ら組合執行部役員とともに、輸出関係業務担当職員に超過勤務命令撤回願を提出するよう勧奨し、その結果作成された右撤回願をとりまとめて提出し、かつ、超過勤務に服すべき職員を講堂に集結させて通関業務の処理を妨げた、というものであることが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、右処分の理由とされた事実関係の内容は、次のとおりであることが認められる。
(原告大塚宏圀にかかる懲戒処分に対する抗議行動)
昭和三六年八月一九日、神戸税関長官房主事森は同主事室で税関長に代って、原告大塚宏圀に対し前記戒告処分書の交付及び処分説明をしようとしたところ、同原告は、「でっち上げだ。」「税関長に会わせろ。」等と大声をあげて処分書等の受取を拒否し、同原告とともに入室していた二名の組合員も怒声をあげた。その後、午後〇時四五分頃、組合員四、五〇名が同室につめかけ、原告組合の組織部長田代一郎が官房主事の耳元で、「ばかやろうー、ちんぴら。」などと罵声を浴びせ、あるいは携帯マイクを使用して同様のことをし、他の組合員も机を叩くなどして口々に激しく抗議した。また、室内の壁や入口のドアには「オマエはバカなチンピラだ。」「不当弾圧撤回、首切りを仕事にする奴、森」などと書かれたビラが貼られた。こうした中、森官房主事及び高松人事課長らは組合員に退去を要求したが、組合員はこれを無視して抗議を続け、官房主事らが退出しようとするのを妨げるなどし、午後五時三〇分頃、当局の要求で出動したパトカーのサイレンが聞えたため漸く退室した。
(勤務時間内職場集会)
原告組合は、昭和三六年一〇月五日、前日の税関長の警告を無視して総評及び公務員共闘会議の統一行動の一環として、全税関労働組合からの指令に基づいて、本庁舎玄関前において政暴法反対、公務員給与五〇〇〇円賃上げ、計算センター設置反対、勤評反対、人事の民主化などの要求を掲げ、午前八時四〇分頃から同九時一〇分頃まで職場集会を行なった。当時の勤務時間の開始時刻は午前八時三〇分であったが、神戸税関では午前九時五分までは出勤簿整理時間とし、同時刻までに出勤の記入をした者は遅刻扱いとされない取扱がなされていた。ところが、原告組合は、税関長の前日の警告や当日の垂れ幕や放送による職場復帰、執務命令を無視して右集会を続け、集会終了後書記長中田一夫の提案で組合員約三〇〇名が税関長室前廊下などをデモ行進し、同人の携帯マイクによる音頭で「勤評やめろ」「五〇〇〇円賃上げ」「遠藤(税関長)やめろ」「森(官房主事)やめろ」などとシュプレヒコールを繰返した。
また、原告組合は、同年一二月二六日にも、前日の税関長の警告を無視して、同様の要求を掲げて午前八時四〇分頃から同九時一五分頃まで本庁舎前で職場集会を開き、垂れ幕や放送による当局の職場復帰命令を無視して集会を続行した。
(輸出為替職場への人員増加要求)
神戸税関では月末から月初にかけて輸出業務が集中したので、担当職員は、この間二時間位の超過勤務をしたり、休日にも出勤して事務を処理していたほか、個人の判断で審査項目を重点的に絞って行なう簡易な方法で処理することが行なわれていた。こうした中、原告組合は、かねて人員増加の要求をしていたところ、昭和三六年一〇月三一日に開かれた輸出為替の職場集会において、書記長中田一夫の提案により、当局に人員不足を認識させるため処理件数を無理のない件数約一〇〇件位にとどめることの申し合せがなされた。翌一一月一日、輸出為替職場では右申し合せに従って通常の繁忙期に行なわれていた処理をしなかったため未処理が滞留し、関税法九八条の臨時開庁の申請がなされたので、柴原為替課長は課員に超過勤務命令を出した。ところが、原告組合組織部長田代一郎が仕事を始めようとした職員に対し課長と交渉途中であるから超過勤務に入らずに待つように言ったため、職員は仕事をしなかった。その後、午後六時頃、漸く仕事を始めたが、同七時頃になっても滞留を処理しきれなかったので、柴原課長は、さらに一時間の超過勤務命令を出したところ、支部長神田綽夫が職員に対し「用のある者、疲れている者は帰ってもよい。」と言ったため、同課長は、職員が執務意欲を失い、これ以上仕事を続けさせることはできなくなったと判断し、やむなく未処理の業務を残したまま同七時過ぎ頃、職員を帰宅させた。
翌一一月二日は前日から持越された分を含めて大量の業務を処理する必要があったので、柴原課長は審査項目を重点的に絞って審査するよう職員に指示した。ところが中田一夫、田代一郎は、税関長と交渉して事故が生じた際の責任の所在について見解を質したが明確な回答がえられなかったため、職員に対し「課長に一札入れてもらってから仕事をするように。」と言うとともに、柴原課長に責任の所在について書面にするように要求した。これに対し同課長は職員に対し「責任は自分が持つから心配いらない。」と言って、重ねて重点審理による処理を指示したが、中田一夫らは納得せず、執拗に書面にするよう要求し、職員に対し「文書にするまで輸出課に仕事を回すな。」と言った。為替課で審査された輸出申告の書類は、輸出課、監査第一部門に順次送られ、再び輸出課に戻ってくるようになっていて、為替課の処理が遅れると全部の処理が遅れることになるので、同課長は、中田らの右要求に従い午後二時頃、文書にしてこれを読上げたところ、中田らは、「これは命令か、指示か、それともお願か。」と質した。そこで、同課長が仕事を円滑に処理するためのお願である旨答えたところ、中田らは、職員に向ってお願であれば従う必要がない旨言ったため、職員の間に戸惑いが生じ、事務処理は停滞した。その後、重点処理の責任は課長にあることが確認されたため、午後四時半頃、漸く正常な勤務状態に復した。この影響を受けた審査第一部門では、同日午後五時頃、大量の輸出申告書類が一時に回され、通常の方法では処理しきれない状態となった。そこで、宮崎監査部長は、輸出為替課と同様の重点審査で処理することを指示し、午後五時半から臨時開庁して超過勤務命令を出したところ、神田支部長ら原告組合執行部役員ら約一〇名が宮崎部長を取囲んで、「こんな大量の仕事をやらせてもできるものか、お前の指示を受けてやると殺されてしまう。」などと大声を出し、さらに宮崎部長が審査を簡略化する新たな指示をしたのに対し「そのような命令は文書にせよ。」と大声で迫り、室内は騒然とした。結局宮崎部長は神田らの要求に従ってその指示を文書にしたので午後七時頃、漸く円滑な事務処理が行なわれようになったが、この間窓口に居合せた多数の輸出業者から「早くやってくれ。」「船の出航に支障を来す。」などと苦情が出された。
(超過勤務命令撤回闘争)
月初の繁忙期に当る昭和三六年一二月二日(土曜日)、輸出関係の職員に対し午後一時三〇分からの超過勤務命令が出された。原告組合は、この日超過勤務命令が出た場合には、その撤回願を全員で出すことをあらかじめ決定していたが、この動きを知った当局は、神田支部長に対し、組合が指導して超過勤務撤回闘争をするのは違法である旨警告していたが、右命令が発せられると、中田ら組合役員が印刷した超過勤務撤回願の用紙を各職員に配付して記入させたうえ中田においてこれを取りまとめて、業務部長及び監査部長に提出し、さらに組合役員らは昼休み中の職員や超過勤務につくべく職場に戻ってきた職員を講堂に集めて集会を開き、「神田支部長らが撤回願について交渉している、官は一方的に命令しているが必ずしも聞く必要はない。」などと説明した。そこで、横田総務課長らが講堂に参集している職員に対し超過勤務が発せられているので直ちに執務するよう告げたが、職員らはこれに従わず、午後二時過ぎ頃、漸く職場に復帰し、執務した。
(3) 〈書証番号略〉によれば、神田綽夫、中田一夫、田代一郎は、神戸税関長を相手として右懲戒免職処分の無効確認等を求める訴えを提起したところ、神戸地方裁判所は原告組合の前記闘争は違法であるとしながらも、右懲戒処分は権利の濫用にあたり違法であるとしてこれを取消す旨の神田ら勝訴の判決を言渡し、大阪高等裁判所も同様の理由で神戸税関長の控訴を棄却したこと、しかし、最高裁判所は、神田らの行為の性質、態様、情状等に照して税関長が懲戒権を濫用したものということはできないとして、右第一、二審の判決を取消し、神田らの請求を棄却する判決を言渡したことがそれぞれ認められる。
(4) 以上(2)の事実関係及び(3)の訴訟の経過などに照すと、神田綽夫ら三名に対する懲戒免職処分は正当な理由に基づくものであることが明らかであり、これをもって原告組合に対する不当な攻撃であるということはできない。
2  原告組合の分裂と組合員の脱退
(一)  〈書証番号略〉及び原告大塚宏圀本人尋問の結果(第一、二回)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
(1) 前記の原告組合役員三名に対する懲戒免職処分がなされた当時の国公法では、当局と交渉しようとする職員団体は人事院に登録しなければならないものとされ、人事院規則(交渉の手続)一四―一〇は、交渉は人事院に登録した職員団体によってのみ行なわれなければならない旨規定していたが、右登録の要件について、職員団体は構成員の中に非職員が含まれている限り登録できないとする人事院事務総長の公権的解釈(全国税労働組合の照会に対する回答、〈書証番号略〉)が示されていた。そこで、神戸税関当局は、免職された前記三名が役員である原告組合と団体交渉をすることができないとして、正式な交渉を拒否するようになった。また、右処分を契機として当局は超過勤務手当の一律配分の見直しや出勤事故簿制度を導入するなど、職場管理を強化するようになった。
こうしたことから、組合員の中にこのままでは組合員の正当な利益を守っていくことができなくなるという懸念が生じた。また、従前の組合の闘争がいき過ぎであるとして執行部を批判する声も強まった(このような意見は、すでに昭和三五年六月に行なわれた前記の安保反対闘争について、その直後に開かれた第二八回支部大会でも一部から出された(〈書証番号略〉)。)。そこで、原告組合では、統一と団結を守るためなどとして昭和三七年二月一日、臨時支部大会を開き、そこで今後の運動方針の進め方などについて討議が行なわれた。この討議の中で、従前の運動方針についての批判とともに、当局と団体交渉ができるようにするため免職処分となった三名の退陣を求める意見も出されたが、結局、右三名を守って統一と団結を固め、団体交渉を実質的に開かせていくとする執行部案が約三分の二の賛成を得て可決された。
その後、昭和三七年三月頃、かねて執行部の運動の進め方に批判的な有志が神戸税関労働問題研究会(以下「労研」という。)を発足させ「労研ニュース」を発行してその主張を訴えるとともに、同年六月に行なわれた支部長、副支部長の各選挙に独自の候補者を擁立し、同年七月に行なわれた全税関の全国大会に代議員を送り込んで従前の運動について批判する意見を述べるなど、活発な運動を展開した。右選挙の結果は、前支部長、前副支部長が再選されたものの、労研の擁立した候補者は、先の臨時支部大会のときより支持率を増やした。
このような労研の活動に対して原告組合は、労研は官が作らせたものであるとか、あるいは三田村労研(日本共産党を脱退した三田村四郎が主宰する労働問題研究会)であるなどといって非難し、労研側もまた原告組合の執行部は政治的に偏向しているなどといって批判し、相互に応酬を繰返して対立を深めていった。
このような中、同年八月三一日、原告組合の定期大会が開かれたが、質疑応答の中で、執行部は、労研は官が作らせたものであるというのは「労研会員の一人が鍋山の本を読んでいるからである」とか、「三田村労研の活動によく似ていることから推測したものである」などと答弁し、議長もこのことについて執行部に誤解があったようだと発言し、柔軟な姿勢を示したものの、労研側から大会宣言中の官制労研などの表現について削除するように求められたのに対し、労研を直ちに解散するならば削除してもよいが、そうでなければ削除することができないと答え、そのままこれを採決に付そうとしたため、労研所属の代議員は一斉に退場した。
なお、右大会では、「税関に在職している職員をもって組織する」となっていた規約が「税関に働く労働者をもって組織する」と改められた。
このようにして、労研所属の組合員と原告組合執行部との対立は決定的なものとなり、昭和三七年一二月二二日に開かれた労研臨時総会において、原告組合から脱退する旨の決議がなされ、同月二四日、「全税関労働組合神戸支部の実態を全職員に訴える」と題したパンフレットが各職場に配付されて、当局と交渉できる新しい労働組合結成についての呼びかけがなされた。その後、双方で分裂回避の話合いが持たれたものの、昭和三八年二月、労研が中心となって新労働組合結成準備会を発足させ、同年三月九日、約四八〇名をもって神戸税関労組が結成された。
(2) このような経緯の中で、昭和五七年の初め頃神戸税関の一部の職場(監視部警務二課)において執行部のいき過ぎの是正を求めるとして組合費の納入を保留する動きが出た。また、同年八月一日頃、監査部などで課長、係長など中間管理職の組合員が集団で脱退届を出して原告組合から脱退した。これを契機として、その後、一般の組合員の脱退が続出し、その数は昭和三八年二月一四日には、約七四五名に及び神労が結成された後の八月には約八五〇名に達したが、この脱退については、印刷された用紙に数名が署名してなされたものも少なくなかった。
(3) 以上認定したように、原告組合からの脱退が中間管理職層から始まって、短期間に大量になされたこと、脱退の態様も定型文書の印刷された用紙に連名する形が取られていて組織的に行なわれていることからすると、右組合員の脱退については税関当局の何らかの関わりがあったのではないかとの疑念を生じる余地がある。しかし、右の分裂の経緯、なかんずく、分裂や大量脱退が現実に行なわれるようになる以前の段階で行なわれた支部長等の選挙において、執行部を批判する労研所属の候補がその四か月前に行なわれた臨時支部大会に比べて大幅に支持者を増加させていることに照すと、激しい闘争を指導して免職となった前支部長が再選されて執行部役員として留ることになったうえ、組合規約を改正して組合の構成員とするなどしたことにより、当局との交渉がますます困難になったことから、一般組合員の中に執行部に対する批判と危惧の念が一段と強まり、これに労研の活発な宣伝活動が効を奏して動揺が生じ、さらにバスに乗遅れまいとする心理も加わって大量脱退に繋がったものと十分考えられる。
原告らは労研の結成や活動に当局が関与していた旨主張するが、それが単なる憶測に過ぎないものであることは、前記の昭和三七年七月三一日に開かれた支部大会における質疑応答の中で執行部自ら認める答弁を行なっているところである。
また、原告らは、組合員に対し当局による脱退勧奨や強要があった旨主張し、その陳述書において、組合員が上司らから原告組合からの脱退を暗に勧められたり、あるいは強要されたなどと述べている。しかしながら、これらは裏付けのない伝聞や憶測に過ぎないもの(原告田中、同細川等)、具体性に欠け、一般的な主張の形でなされているもの(原告中安、同吉野)など、そのまま採用できないものであったり、具体的に記載されていても、その記載内容からすると、神労が勢力の拡大を図り、原告組合が組織を守る立場で厳しく対立する中で中間管理職を多く抱える神労が活発に活動した結果によるものとか、上司が職場の円滑な運営を虞かり、あるいは原告組合が実力行使を伴う闘争をして当局と対立する状況から部下の将来を慮って個人的立場においてなされたとみられるものであって、当局の組織的な意思の発現としてなされたものとまではみられない。
なお、前記の認定事実からすると、原告組合から脱退したものの神労の結成に参加しない者もいるなど、必ずしも脱退者のすべてが労研が中心となって結成された神労に加入したわけではない。
3  差別攻撃(昇任、昇格、昇給に関するものを除く。)
(一)  総務、監視部門からの排除と乗船差別
原告らは、昭和四二、三年頃から、最も重要な部署とされる総務部、監視部から原告組合員が排除された旨、また監視部では原告組合員を冷暖房の効いた快適な船舶に配置せず、ゴキブリなどの出る船舶に配置するなどして差別扱いした旨主張する。
(総務部、監視部からの排除について)
右の主張については、これに沿う〈書証番号略〉(原告灰野善夫の陳述書)、〈書証番号略〉(同藤池征夫の陳述書)及び原告小林霞本人尋問の結果中における供述があるが、右小林、灰野については同原告らがこれらの職場に配置されたことがないことを理由とするものであるが、それだけでは原告組合員であることを理由として差別扱いをされたということにはならない。また、原告藤池については同原告が乗船官吏三か月で監視部から他の職場に配置換えになったこと、その際の移動で多数の原告組合員が配置換えになったことなどを理由とするものであるが、乗船官吏三か月で配置換えになったことから直ちに組合所属を理由として同原告が監視部から排除されたものということができないのは、原告小林の場合と同様であり、また、他の多数の原告組合員が配置換えになったのは、弁論の全趣旨によれば、同原告が監視部から中埠頭出張所に配置換えになった昭和三九年七月一日の異動対象者は同原告と同期入関組(昭和三六年初級組)が中心となったものであることが認められるところ、これらの入関者の原告組合組織率が高かったこと(このことは原告長谷川紀彦本人尋問の結果により認める。)によるものであると考えられる。
かえって、弁論の全趣旨によれば、本件係争期間においても原告組合員が新たに監視部に配置されている(例えば、原告津村勝次は昭和四一年八月に旅具課に、同長谷川紀彦は昭和三九年七月一日警務二課に、同井出輝彦は同日警務一課に、同天野親聡は昭和四三年一〇月一日警務二課に、同那須司鋭は昭和四二年一〇月一日警務二課に、同山之内輝雄は昭和四〇年七月警務二課にそれぞれ配置換えとなっている。)こと、(ちなみち、このうち原告長谷川、同井出の監視部配置換えは、原告藤池が多数の組合員が監視部から他の部署に配置換えになったとする同じ日の異動である。)が認められ、これによれば、少なくとも、原告組合員が監視部から全く排除されていたものでないことは明らかである。また、総務部門は神戸税関のいわば中枢をなすものであって税関業務全般にわたって総合調整の機能を有していることに鑑みると、当時、激しい実力闘争を行なって当局と厳しく対立していた原告組合所属の組合員がこの職場に配置されることが少なかったとしてもこれはやむを得ないものであり、組合所属を理由とする不当な差別扱いであるとはいえない。
(監視部における乗船差別扱いについて)
原告の右主張については、これに沿う〈書証番号略〉(灰野善夫の陳述書)のほか、〈書証番号略〉(原告吉野陽児の陳述書)、〈書証番号略〉(原告細川義信の陳述書)、〈書証番号略〉(元原告中安克己の陳述書)、〈書証番号略〉(原告大橋正義の陳述書)、〈書証番号略〉(原告河合健治の陳述書)の各記載及び原告横川泰三本人尋問の結果中における供述などがある。このうち、原告灰野、同吉野、同細川、元原告中安、原告横川の分は、同原告らが劣悪な船に乗船させられたというものであり、原告大橋、同河合の分は監所勤務が多く乗船勤務が少なかったというものである。しかし、〈書証番号略〉(原告細川義信の陳述書)によれば、同原告は昭和四〇年頃までは、自分でも驚くほど良い船に勤務していたというのであるから、仮に右原告らが劣悪な船に勤務していたことがあったとしても、昭和四〇年頃までの分は組合所属を理由とするものではなく、それ以外の事情によるものと考えられる。また、弁論の全趣旨によれば、神戸税関では昭和四一年六月から新しい勤務体制が実施され、乗船勤務は密輸取り締まりが特に必要な船舶に限られるようになったことが認められるから、その後の乗船勤務が劣悪なものが多くなったとしても、これは右の警務体制が改められたことによるものと考えられ、これを組合所属を理由とする差別扱いであるということができない。
さらに、原告大橋、同河合の乗船勤務が少なかったという点については、仮にそのような事実があったとしても、原告大橋の場合は同期、同資格の者が多数いたこと(このことは弁論の全趣旨によって認められる。)などによるものとも考えられ、原告河合の場合は同原告が警務課に勤務していたのが前記警務体制に移行した時期にかかっていた(このことは弁論の全趣旨によって認める。)などによるものとも考えられるから、乗船勤務が少なかったことが組合所属を理由とする差別扱いであるとはいい難い。
(二)  研修差別について
〈書証番号略〉及び証人篠永井正晴の証言並びに弁論の全趣旨によれば税関の研修としては、税関職員として必要な一般的知識の修得を目的とする一般研修と専門知識の修得を目的とする専門研修(実務研修)があり、一般研修には、新規採用者を対象とする基礎研修、一定の実務経験を有する職員を対象とする普通科研修(昭和四五年以降は中等科研修となる。)及び勤務成績の特に優秀な者を対象とする高等科研修があること、基礎科研修は新規採用者全員が対象者となるが、普通科研修及び高等科研修は定数枠があり、選考された職員が受講することになっている(ただし、昭和四五年度以降の中等科研修は基礎科研修の終了者全員が受講することになった。)ことが認められる。
原告らは、原告組合員は普通科研修や高等科研修はもとより職務上必要な実務研修に至るまでほぼ完全に排除された旨主張する。
しかし、弁論の全趣旨及び〈書証番号略〉によれば、係争期間の最初である昭和三八年度から普通科研修が中等科研修となった前年の昭和四四年までの間に、原告らのうち二一名(ただし、うち一名は原告組合から脱退していた。)が普通科研修を受講したことが認められるから、原告組合員が普通科研修から完全に排除されていたということはできない。また、非組合員の受講状況が不明であるから、原告組合員の受講者が少なく差別扱いを受けていたということもできない。
もっとも、〈書証番号略〉によれば、税関研修所神戸支部の金田幹雄教務主任が昭和三九年五月九日、神戸税関長に「思想穏健な者を推薦されたく、活動家はなるべく遠慮されたい」旨を付記した普通科研修生の推薦依頼書を送付したことが認められるところ、右付記されたことは、その文言からすれば、原告組合に所属する活動家を推薦の対象者から除外されたいという趣旨のものであるとみられる。しかしながら、それが研修を実施する側の要望を表明したに過ぎないものであることも、右書面の形式と文言から明らかであり、しかも、〈書証番号略〉によれば、右依頼がなされた年である昭和三九年度から昭和四四年度までの間において原告らのうち一五名が神戸税関長の推薦を受けて普通科研修を受講したことが認められ、これによれば、神戸税関当局が研修所側の意向に沿って推薦を行なったということもできない。
また、前記のように、高等科研修は、勤務成績が特に優秀な職員の中から選定された者を対象とするものであり、弁論の全趣旨によれば、その数は年間全国で数十人程度にとどまっていることが認められるので、原告らの中に高等科研修を受講した者が全くないとしても、このことから直ちに原告組合員が右研修から排除されたということはできない。
さらに、〈書証番号略〉によれば、原告らの中には係争期間中に各種の専門研修を受けた者が多数いることが認められるので、原告組合員が専門研修において排除されていたという原告らの主張も当らない。
(三)  入寮差別
(垂水寮)
〈書証番号略〉によれば、神戸税関は市内に分散していた独身寮が老朽化したとして、昭和四二年二月、垂水寮を新築完成させ、同年二月二八日に期限を同年三月八日までとして入居希望者を募集したこと、しかし、当局が寮管理規則を制定したことや寮管理人を置くことにしたことから、原告組合はこれらが入居者の自主活動の封殺を目的とするものであるとして、強く反発したため、一部の寮が残されることになり、右申込期限も同年三月一五日に延期されたが、原告組合員は期限までに入居申込をしなかったこと、右期限後の同年四月末、当局は廃止することになった一部の独身寮の入居者に対して他の寮に移転するように求めたが、垂水寮には入居させなかったこと、また、昭和四七年一月にも、廃止することになった別の寮(五月寮)の入居者に移転を求めたが、当局は垂水寮には新入関者用であるとしてここに入居することを認めなかったことが認められる。
原告らは、当局が原告組合員の垂水寮への入居を認めなかったのは組合所属を理由とする差別扱いであると主張する。しかし、税関当局が原告組合員を含む職員全員を対象として入居希望者を募集したが、申込期間内に原告組合員の入居希望者がなかったのであって、たとえ申込期限経過後に入居を希望した原告組合員がおり、その者が入居できなかったとしても、それが組合所属を理由とするものであったとは考えにくい。また、その後、当局が垂水寮を新入関者用とし、他の寮から移転を求められた者に対しこれを理由として垂水寮への入居を認めなかったとしても、それが不合理であるとはいえないから、このことをもって原告組合員に対する差別扱いであるということはできない。
(中山手宿舎)
原告らは、腰椎圧迫骨折による不完全脊損で身体障害者手帳第四級の認定を受けた原告玉井進吾郎が結婚することになったので通勤に便利な中山手宿舎に入居を希望したところ、当局は空室があったのに同宿舎への入居を認めず、遠距離にある甲東園宿舎を割当てたとして、当局が原告組合員である同原告を入居差別した旨主張する。
有料宿舎を貸与する者の選定について、国家公務員宿舎法は、政令で定めるところにより、国の事務又は事業の円滑な運営の必要に基づいて公平に行なわれなければならないと定め(同法一四条)、これを受けて同法施行令は、選定の基準となる順序を定め、この中で同順位にある職員が二人以上存するときは、これらの者の職務の性質、住居の困窮度その他の事情を考慮し、その最も必要と認められる者に当該宿舎を貸与しなければならないと定めている(同施行令一、二項)。
ところで、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告玉井進吾郎が中山手宿舎の入居希望を出したのは昭和五二年一月一〇日であるところ、当時、右宿舎には空室があったものの既に入居者が決定していたり、あるいは同年二月の異動に備え交通機関のストなどの緊急時に対応できる職員用として確保して置く必要があったこと、一方、西宮市内にある宿舎がそれまで同原告が入居していた寮と比べて通勤時間などに大きな差がなく、同原告の健康状態もかなり回復していて、右の宿舎から通勤しても健康に支障がないと判断されたことなどから、当局は第三志望であった西宮市内の宿舎を割当てたものであることが認められ、このような事情に前記宿舎関係法規の規定に照すと、当局が同原告に中山手宿舎への入居を認めなかったことは正当な理由によるものであって、これを組合所属を理由とする差別扱いであるということはできない。
(四)  庁舎管理規則の改定
〈書証番号略〉及び証人大西昭三、同荒川八郎の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、神戸税関は、昭和三八年一二月七日、昭和三四年に制定された庁舎管理規則を廃止して新しい規則を制定したこと、その骨子は、旧規則において管理者とされていた者(本関庁舎等にあっては税関長、官房会計課長、支署、出張所及び監視署にあってはその長)のほかに、新たに各職場毎に使用責任者を置き、両者が協力して庁舎等の管理及び秩序維持に当ることにするとともに、庁舎等の行政目的外使用等については使用責任者等の許可を要することを明らかにし、庁舎等における法令に違反する行為や税関業務を阻害する虞のある一定の行為を禁じ、違反行為については当局が中止等を命じ、これに従わないときは自ら除去することができるとするものであることが認められる。
原告らは、このような管理規則の制定は、組合活動の弾圧、妨害を目的としたものである旨主張する。
たしかに、右改定は、その内容からすると、管理体制を強化するものであるということができる。しかし、弁論の全趣旨によれば、右のように改定したのは、旧管理規則において管理者とされた者だけで広大な庁舎等の管理に当ることには無理があり、管理を実効あるものにするため管理体制を整備する必要があったことによるものであることが認められるから、右改定自体は十分合理性がある。もっとも、右改定が原告組合の活動が契機となってなされたものであることは被告において認めるところであり、また、後記のように、右改定後、従前あまり問題とされなかった職場における小規模の集会について当局から許可申請を求められるようになったことなどからすると、右改定の目的が、原告組合の組合活動を規制するのではないかとの疑念を生じさせる余地はある。しかし、原告組合が、従前、前記のように庁内をデモ行進したり、税関長室前に座込んだり、部外者を交えて集会を開いたりするなどの行為を行なってきた経緯に鑑みると、庁舎の適正な管理と秩序維持につき権限と責任ある当局が、庁舎管理規則を改定して管理体制を強化し、庁舎等の管理を厳格にするようになったことは、理由がないものとはいえず、それが原告組合を弾圧する目的であったとまでいえない。なお、原告らは、当局は庁舎管理規則を理由にして組合掲示板に貼った文書を勝手に除去し、組合員の私的な話合いまでも組合の無許可集会であるとして解散を命じ、あるいは勤務時間外に組合員が配布しようとしたビラを破り捨てるなどしたと主張する。
このうち、組合掲示板の文書を勝手に除去したとする点については具体的な主張はなく、引用されている証拠(〈書証番号略〉の四枚目)によってもその具体的内容は明らかではない(右書証に記載されているのは、輸出関係部門の新庁舎移転に伴う掲示板の撤去についてのものである)。もっとも、証人荒川八郎の証言によれば、当局が原告組合の掲示板の掲示物を除去したことのあることが認められる。しかし、同証言によれば、これらは庁舎管理規則で禁じられた法令に違反する掲示物(スト宣言文、政治活動を内容とする文書等)につき、同規則の手続に従って行なったものであることが認められるから、違法不当なものではなく、これをもって組合活動に対する妨害であるとはいえない。
私的な話合いについても集会であるとして解散を命じたとする主張については、これに沿う〈書証番号略〉(原告前田信雄の陳述書)、〈書証番号略〉(原告小林霞の日誌)の記載及び原告前田信雄、同小林霞各本人尋問の結果中の供述があるところ、これらの書証の記載及び原告前田信雄の供述部分は、原告前田が昭和四〇年八月二五日、原告松本公と私的な問題(松本の結婚)について話合っていたところに外山検査官が割って入り、二人の話合いを無許可集会であるとして解散を命じたというものである(原告小林霞の右供述はやや異なるところがあるものの、同人の日誌に基づいて行なったものであるから基本的には右日誌に記載されているところと同じであると見られる。)。しかし、〈書証番号略〉(外山監査官の報告書)によれば、外山監査官は、原告前田と同松本の二人を含むその場にいた七名が集会を行なっていたとして、庁舎管理規則による使用許可を受けているか否かを質して注意をした(解散命令ではない。)のであって、原告前田と同松本との話合いを集会であるとしたものでないことが認められる。
当局が組合のビラ配付を妨害したとする点については、この主張に沿うものとして〈書証番号略〉の昭和四〇年一〇月八日付支部ニュース(七枚目)に、中尾課長が同月六日、第三突堤詰所にいた古谷執行委員に対し「君に注意しておく、これから本部でビラを撒くな、ごみになるだけだ、掃除をするのに困る。」「みんな読んでいないのだから……な。」と述べた旨が、また、同号証のうち昭和四二年二月二〇日付支部ニュース(一七枚目)には、溝口管理課長が同月一七日、管理課室内で組合ニュースを配付していた横川分会執行委員に対し「うちの組合員にこんな新聞を読ませる必要はない、こうしてやろうか。」と言って、既に他の職員の机上に配付してあった支部ニュース四、五枚を屑かごに捨てた旨がそれぞれ記載されている。しかし、右に記載された事実があったとしても中尾課長の言辞はやや不適切な嫌いはあるものの、古谷執行委員との応答の内容からして庁舎等の管理上の見地からなされたものであるとみられ、必ずしも組合ニュースの配付を妨害することを目的とするものであったとはいい難い。これに対し、溝口課長の言動はいき過ぎたものといえるが、当時の原告組合と神労との確執からすると、支部ニュースにも記載されているように、神労に所属する組合員の立場からなされたものとみる余地があり、当局が庁舎管理規則により組合活動を妨害したとまでいうことはできない。
さらに、原告らは、庁舎管理規則に基づく許可を求めても職場での討議が許可されることはなく、職場から隔離された会議室の使用が認められるだけであり、それさえも許可されないことがあった旨主張する。しかし、後記のように、当時原告組合は、職場での小規模な集会はそもそも許可が不要であるとして殆どの場合、あえて許可を求めようとしなかったうえ、職場で多数の者が参加するような集会については、許可しなかったことがあるとしても、このような集会はたとえそれが休憩時間中のものであっても不適当であると考えられるから、これを許可しなかったことが、あながち不当であるとはいえない。この点についての例としては、原告深田辰次が執行委員会を開くため、会議室の使用許可を申請したのに、藤田正勝総務課長はこれを握り潰し、無届け集会を行なったとして会議を妨害したうえ、同原告らに訓告処分を行ない、定期昇給を延伸したなどと主張し、〈書証番号略〉(原告深田辰次の陳述書)に右主張に沿う記載がある。しかし、〈書証番号略〉(成立については後記のとおり。)によれば、昭和四二年一〇月三日、中埠頭分会の池西書記長から同分会執行委員会開催を目的として同日の二一時まで娯楽室を使用することについて許可の申請がなされたが、当時各出張所とも庁舎管理上の理由により庁舎の使用は二〇時までとする運用がなされていたことから、中埠頭出張所藤田正勝総務課長は二〇時までの使用とする許可の再申請をするよう指示したところ、原告深田らはこれに従わず、再申請の手続をしないまま分会執行委員会を開き二一時まで娯楽室を使用したものであることが認められ、同原告の陳述書に記載されているところは、事実に反するものであり、この点についての原告らの主張は失当である。
(五)  現認制度による弾圧と嫌がらせ
原告らは、神戸税関では昭和三六年一二月一五日以前に、職制もしくは特定の職員が原告組合員の行動や原告組合が主催、共催する各集会への参加状況を現認書なる報告書を作成して上部機関に報告する制度を発足させた旨、この制度は非組合員を原告組合から隔離すること、組合員にその行動がチェックされていることを自覚させることにより行動を萎縮させること、原告組合を脱退させられた職制や一部の人に現認書の数やその記載内容によって当局に対する忠誠度を競わせることなどを狙いとするものであり、被告が本件訴訟において書証として提出した現認書なるものは右現認制度により作成されたものの一部である旨主張する。
しかし、上司は部下の職員の指揮監督を行ない、公務員関係の秩序の維持確保に務めなければならない義務があるから、部下職員が公務員関係秩序に違反し、あるいはその虞があると思われる行為をした場合には、右監督権限に基づいて上司に報告することは職責上当然のことであり、たとえ右報告が当局からの指示により文書をもってなされたとしても、それが原告ら主張のような狙いをもつ制度として行なわれたものということはできない。
もっとも、原告らの非違行為についての書証として被告が提出した後記乙号証の原文書(現認書または報告書)のうち、昭和四八年頃からの分は同じ様式で作成されているものが多く、昭和四九年以降の分はほぼ印刷された定型用紙に書込む形で作成されているところ、証人八代儀一の証言によれば、右の定型様式の報告書は、当局が作成したいわば雛形に合せて作成されたものであり、印刷された定型用紙も、当局が予め用意して管理担当者に交付していたものであることが認められる。
しかし、右証言及び証人大西昭三、同近藤悟、同嶋津久雄、同稲田虎義の各証言によれば、当局が管理担当職員にこのような雛形を示したり印刷された定型用紙を交付したりしたのは、昭和四八年頃から後記のプレート闘争が頻繁に行なわれるようになってその報告書の作成の事務量の負担が増大したことから、担当管理職員の要望に基づいてその事務負担軽減のために行なったものであることが認められるから、大量の現認書が定型化された様式でなされていることから、原告ら主張のような当局の意図が働いていたとはいえない。
(六)  結婚妨害などプライバシー干渉について
(原告山岡荘太朗の件)
〈書証番号略〉(原告山岡荘太朗の陳述書)には、原告山岡の婚約者の母が昭和三九年九月頃、同原告の入関時の保証人であった矢野方一(当時秘書係長)を訪ねた際、同人から全税関に対する誹謗中傷を聞かされたため結婚話が破談になった旨の記載がある。しかし、矢野秘書係長の発言の具体的内容は明らかでなく、右陳述書の記載はそのまま信用できないものであるが、仮にそのような発言があったとしても、右に記載されていることからすると、同人は原告山岡荘太朗の入関時の保証人であり、同人の発言も婚約者の母が訪ねてきた際になされたというものであるから、右発言は個人的な立場でなされたものとみるのが相当である。
(原告脇岡秀年の件)
原告脇岡秀年はその本人尋問において、同原告が東部出張所貨物課に勤務していた昭和四二年二月、本部の浪花武雄実査官が右原告の婚約者の上司である日東運輸の川崎さんのところに来て、同原告がアカの組合にいるので婚約者の方から脱退するよう勧めてほしい旨の話があったと、婚約者から聞かされた旨及びこのことについて日東の川崎さんに確認したうえ浪花さんに抗議した旨を供述し、〈書証番号略〉(原告脇岡秀年の陳述書)にも同旨の記載がある。しかし、右本人尋問における供述によれば、右浪花は同原告の直接の上司ではないうえ、同原告と個人的に親しい関係にあった者ではなく、また同原告が婚約したことを右浪花に話したこともなかったというのであり、〈書証番号略〉(浪花武雄の陳述書)によれば、右浪花は、たまたま現場調査に立寄った日東運輸の事務所で、同社の人からその会社の女子職員と原告脇岡との結婚話があることを聞かされ、初めてこのことを知ったものであることが認められ、これらの事実からすると、浪花武雄が原告脇岡の婚約者の上司に対し、同原告を組合から脱退させるよう働きかけたとは考えにくく、原告脇岡の右供述及び陳述書の記載には疑問がありたやすく信用できない。
(原告大屋広隆の件)
〈書証番号略〉の五四枚目(支部ニュース四二〇号)には、同原告の妻が同原告の夫婦の仲人をした職制の妻から、同原告に組合を脱退させるよう勧める内容の手紙を受取った旨が記載されているが、そのような事実があったとしても、右記載内容からすると、それは個人的立場においてされたものであり、当局の関与に基づいてなされたものとはいえない。
(七)  不当配転による組合活動の妨害と嫌がらせ
原告らは、当局は、昭和三七年と昭和三八年に行なわれた大量配転で組合青年部役員や活動家を支署などに配転したのを初めとし、組合員を遠隔地に配転して組合活動を妨害した旨、組合の脱退のことについてと思われる上司の話合いの呼びかけに応じなかった組合員を昇任もさせないで遠隔地に配転し、また、長期間支署勤務を続けさせ、あるいは家庭の事情で配転内示を撤回した組合員に対し転勤に伴って発令されることになっていた昇任まで取消すなどの嫌がらせをした旨主張する。
そこで、まず、遠隔地配転についてみるに、〈書証番号略〉によれば、昭和三七年一一月に行なわれた人事異動で、原告柳沢尚、同野口和正、同高須賀四郎ら数名の原告組合員が遠隔地配転(本関地区から支署への配転)になったこと、また、昭和三八年から昭和四八年までの一〇年間に原告らのうち三四名が遠隔地配転となったことが認められる。しかし、〈書証番号略〉によれば、昭和三七年の異動で遠隔地配転となった一五名のうち一一名は、右原告らと同年代の昭和三二年から昭和三六年にかけて入関した者であることが認められ、この異動が、右の年代層の者を中心とする異動であったことが窺われる。
また、〈書証番号略〉によれば、昭和三八年以降の異動においては、遠隔地配転となった原告組合員は比較的少なく、特に原告組合が分裂し、なお脱退が続いていた(この分裂と脱退について、原告らは、当局が加担したと主張している。)昭和三八年は原告桝本清一名だけであり、昭和三八年は全くいないことが認められ、これらの事実に照すと、遠隔地配転になった原告らがたとえ活動家であったとしても、その配転が組合活動を妨害するためになされたものであるとはいえない。
次に、当局が嫌がらせとして配転を行なったとする主張についてみるに、このうち組合脱退についての話合いに応じなかったことを理由とするものについては、〈書証番号略〉(原告牛込尹人の陳述書)に右主張に沿う記載がある。しかし、同原告に対する配転が嫌がらせであるとする右主張が、同原告の憶測に過ぎないものであることは、主張自体から明らかであり、これを裏付ける証拠はないから、右陳述書の記載はそのまま信用することができない。長期間支署勤務を続けさせられたとする主張については、原告高須賀四郎本人尋問の結果中にその旨の供述があり、これによれば、原告高須賀四郎は、松山支署に配転になった昭和三七年一一月から約六年間同支署に勤務し、引続いて今治支署に二年間、新井浜支署に五年間それぞれ勤務したことが認められる。しかし、右本人尋問の結果によれば、松山、新井浜の勤務が長期間になったのは同原告が自ら希望したことによるものであり、同原告自身それが嫌がらせであるとは認識していないことが認められる。
また、配転内示を撤回したため昇任を取消されたとする点については、原告天野親聡本人尋問の結果中に右主張に沿う供述があり、これによれば、原告天野親聡は昭和五二年六月下旬、当時勤務していた小松島支署から本関地区の小野浜出張所への配転とこれに伴って保税実査官に昇任することの内示を受けたこと、ところが、同原告が妻の健康上の理由から右配転に応じられないとして配転内示の撤回を要請し、原告組合も右配転に反対したことなどから、当局は右配転の内示を撤回するとともに保税実査官への昇任の内示を撤回したことが認められる。しかし、右昇任が配転に伴うものである以上、配転が取消されることによって昇任もできなくなることは、むしろ当然のことというべく(支署に留る限りその支署における定数枠の制約を受けることになる。)、このことをもって配転を断ったことに対する嫌がらせであるとはいえない。
なお、原告らは、このほかに嫌がらせの配転の例として、意に反して予想もしなかった支署に配転させられた(原告灰野善夫について)、家庭の事情で配転に応じられる状況でないのに配転させられた(原告柳沢尚について)などと主張しているが、そのような事情があるからといって直ちに嫌がらせの配転であるとはいえない。
(八)  差別によるみせしめ人事、嫌がらせ人事
原告らは、当局は亡横江威と同期入関者で、かつては同人より任官が遅く、しかも無断欠勤をして解雇問題になった経歴のある者を全税関組合員の脱退等に功労があり、前記懲戒免職された原告組合役員の裁判において当局側の証人として出廷したことから、昭和五三年に三等級の統括審査官に昇進させて同人と同じ職場に配置し、また、原告組合を脱退した原告川上俊智をその翌年に特別昇給させ、あるいは原告脇岡秀年を一〇年間も保税課だけに配置するなど、差別によるみせしめ人事、嫌がらせ人事を行なった旨主張する。
しかし、亡横江の同期入関者がたとえ原告主張のような経歴がありながら同人より上位の職に昇進したとしても、このようなことはその後の勤務実績によってあり得ないことではなく、それが原告ら主張のような理由によるものであることを認め得る証拠はない。また、このような者をかつての同僚であった同人と同じ職場に配置したとしても、これは限られた職場の中で適材適所の観点から行なわれる人事配置上やむを得ないことであり、いずれにしてもこれらのことがみせしめや嫌がらせの人事であるとはいえない。
原告川上俊智が原告組合を脱退した後に特別昇給をしたとの点の主張については、前掲〈書証番号略〉(昭和三六年初級組役職等一覧表)によれば、原告川上と同期、同資格の入関者中には原告組合から脱退した頃(脱退の時期は原告らの昭和五〇年二月一七日付準備書面別表(二)の記載による。)に特別昇給した者が少なからずみられる。しかし、その一方で、脱退しながら特別昇給しない者や脱退の時から三ないし六年後に特別昇給した者がいるなど、必ずしも脱退と特別昇給が結びついていないことに照すと、原告川上に対する特別昇給が脱退しない原告組合員に対するみせしめとしてなされたものであるとはいえない。
原告脇岡秀年が一〇年間同一職場にだけ配置されていたとする点については、それが如何なる理由でみせしめや嫌がらせのためになされたことになるのか原告らの主張やその引用する同原告の陳述書でも明らかではないが、もし、単に原告組合員であることが理由であるというのであれば、多くの原告組合員の中で同原告だけが組合所属を理由にみせしめや嫌がらせのために同一職場に長く配置されたとは考えにくい。
六  当局の各種会議における差別扱い方針についての評議と確認(いわゆるマル秘文書問題)
原告らは、東京税関で昭和四二年から昭和四四年にかけて開かれた幹部会議等において、人事対策、労務対策により全税関組合員を差別扱いし、全税関を破壊することを謀議したが、これらの会議で協議されたことは、同会議においては関税局で開かれた各税関の総務部長会議の協議事項等の結果報告がなされていることからみて関税局の指導のもとになされたものであり、神戸税関においても同様の組合対策が実施された旨、また、昭和六一年三月一九日と二〇日に開かれた各税関の総務部長会議及び同年四月一〇日と一一日に開かれた各税関の人事課長会議において、各税関における全税関所属組合員の処遇について第二組合とどの程度の差別をつけるかなどについて具体的、統一的に検討確認したが、このような差別方針は、基本的に本件係争期間当時から実施されてきた旨主張する。
1  東京税関の会議
(一)  前記主張の証拠として原告らが提出した幹部会議議事録等〈書証番号略〉の原本は入手経路は不明であり、文書の一部に欠落があるなど文書の一体性について疑問があるが、その形式及び記載内容に照し、一応東京税関が作成したもの(ただし、〈書証番号略〉の各一は関税局)と考えられる。
(二)  右証拠によれば、昭和四二年から昭和四三年にかけて開かれた東京税関の幹部会議等において、人事、労務対策等について協議がなされたが、このうち各税関に共通して神戸税関に関係があるとみられるのは次のものである。
(1) 昭和四三年一一月二九日の幹部会議において税関長から
「初級職試験合格者の採用について従前は人事院試験の成績が六五点以上の者を対象としていたが、昭和四三年からはこの制限をはずし、思想調査の必要から学校の選別や身元調査が強化されることになった。」旨説明がなされた。(〈書証番号略〉)。
(2) 昭和四二年四月一一日の部長会議において、総務部長から大蔵省関税局で開かれた全国の税関総務部長会議の結果報告として、七等級への昇格に格差をつけることについて当関(東京税関)と神戸税関とは矯正措置があった者に対してのみ慎重にやるべきであるとの意見であったが、横浜は当然やるべきであるという意見であった。矯正措置だけでは必ずしも成績不良と判定するのは問題だから成績不良の事実を逐一記録を取っておく必要があるとの意見があった。この問題は大蔵省全体として検討のうえ慎重に実施すべきであるとの意見を述べた旨の説明がなされた(〈書証番号略〉)。
(3) 右(2)の幹部会議において、右の総務部長会議の結果報告として、八等級に在職する若手層については特別昇給を行なってもメリットがないとの結論が出た旨の説明がなされた(右同)。
(4) 前(2)の幹部会議において、前記総務部長会議の結果報告として、勤務手当の減額について関税局はもっと突っ込んだ減額措置を検討したいと言っており、大多数の税関はやるべきだとする意見であった旨の説明がなされた(右同)。
(5) 前(2)の幹部会議において、前記総務部長会議で東京税関の総務部長が、本省は同盟の線で行くべきだとの意見であれば、誰もが納得のいく明確な理論を展開のうえ打出すべきであって、ただ神戸をたたえ東京を批判する書き方に一言意見を述べ、また、本省が労務対策について各関一律のやり方を強いるのはおかしいと指摘したなどと説明がなされた(〈書証番号略〉)。
(6) 昭和四二年一一月二四日の幹部会議において、全国総務部長会議の議題に関して税関長が勤勉手当に差別をつけるより現行の昇給延伸の方が必罰の効果が大きい旨発言した(〈書証番号略〉)。
(7) 昭和四二年九月一一日の幹部会議において、税関長から税関長会議の結果について、旧労古手の対策としてある税関長が専門官設置の意見を出したところ、本省から甘い考えであると批判された旨の説明がなされた(〈書証番号略〉)。
(8) 右(7)の幹部会議において、税関長から、右の税関長会議で税関長(東京)が官房長に対し、旧労対策は懸命にやっているが、もっと大切なことは新労を強くすることだと進言した旨説明がなされた(右同)。
(9) 前(7)の幹部会議において、前記税関長会議の結果として、財務調査官が、組合の混乱期は過ぎ、いわば平穏を保っているため、かつての生々しい経験を忘れがちである。この際かつての苦闘を思い起して管理体制を確立して欲しいと挨拶した旨説明がなされた。(〈書証番号略〉)。
(10) 昭和四二年四月二六日の部長会議において、服装規程についての協議が行なわれ、この中で服装規程は全税関組合員が制服を着用して組合活動を行なうことを制限するところにその目的がある旨の総務部長の説明がなされた(〈書証番号略〉)。
ところで、〈書証番号略〉の各一(関税局長の「税関職員の服制細則制定について」と題する昭和四二年四月七日付書面)が、制服の着用規定を欠く現状では職員が制服を着用したまま、早朝ビラ撒きをし、昼休みに職場集会に参加し、プラカードを持って行進し、ゼッケンをつけて登退庁し、街頭で募金活動を行なうことを法的に禁止することが困難であるので、これらの行為を禁止して服務規律の厳正化を図るため税関職員の制服の着用について服制細則を制定するとして、その問題点を示したうえ、各税関の意見を求める内容のものとなっていることに照すと、前記東京税関における服装規定についての協議は、右関税局長の求意見を受けてなされたものであるとみられる。
(三)  原告らは、前記(1)は、当局が初級職新規採用について試験成績よりも思想傾向を重視することにより新規採用者の全税関加入を防止することを狙ったもの、(2)は、関税局指導のもとに全国の税関が全税関所属の組合員に対し、いかにして昇格差別を行なうかについて論議した結果、組合活動を理由に厳重注意や訓告等の矯正措置を行ない、これを口実に七等級への昇格を差別するという従来の方針を再確認するとともに、成績不良の証拠を固める手段として現認体制の統一的方針を検討したもの、(3)は、特別昇給制度を人事対策の手段として有効に活用する方針を示したもの、(4)は、全税関組合員に対する勤勉手当の減額をより厳しくすることによって差別支配を強化することを狙ったもの、(5)は、第二組合を同盟路線に導くべきか否か、各税関一律の労務対策の押しつけの是非等について全国の総務部長会議で協議したこと及び神戸税関の第二組合の育成、特に同盟路線推進の実績について関税局が高く評価していることを示すもの、(6)は、全税関組合員に対し、いかにすれば打撃を加えることができるかを検討したもの、(7)は、全税関組合員に対する差別攻撃が関税局の積極的指導のもとになされたことを示すもの、(8)は、関税局と各税関が一体となって全税関攻撃と第二組合育成に腐心していることを示すもの、(9)は、全税関の分裂がほぼ完了し、第二組合が確立されて一応平穏を保っているからといって、職場の管理体制をおろそかにしてはならないという関税局の締めつけであり、(10)の服制規則の制定は、税関職員の職務遂行時以外での制服着用を禁じ、職務遂行時における制服着用を義務づけることによって全税関組合員の組合活動を制服面から規制するとともに、違反者に対して、違反を口実に矯正措置や懲戒処分を行なうことを狙ったものであると主張する。
そこで、右主張についてみるに、(1)については、当時の状況に照すと、原告らが主張するような意図が当局にあったことが窺われないではないが、その他の点についての原告らの主張は理由がない。
すなわち、(2)の七等級への昇格にあたって成績による差を設けることについての総務部長会議における協議が、全税関対策としてなされたものであることは推測に難くないが、右協議の内容を全体としてみれば、成績により差を設けることは慎重にすべきであるとするものであり、成績不良の事実を記録しておくというのも、差を設けるとすれば、成績不良の事実を明確にしておく必要があるというものであって、原告ら主張のように、組合活動を理由に矯正措置を行なってこれを口実に昇格差別をする方針を再確認したものであるとか、現認体制の統一的方針を検討したものであるとかまでいうことはできない。(3)の八等級在級者を特別昇給させないことは全税関組合員だけ対象となるものではない(このことは、弁論の全趣旨によって成立を認める〈書証番号略〉(神労ニュース)に、青年層の第一回目の特昇は入関七年目に行なうよう要求していることが記載されていることから窺われる。)から右特別昇給についての協議が全税関対策であったとはいえない。また、勤勉手当は、一定の範囲で勤務成績を反映させたものとなっているから、もし制度本来の趣旨と異なる運用がなされているとすれば、その適正な運用について検討を加えることは当然であるから、(4)の協議や関税局の発言などが必ずしも全税関所属組合員に対する差別強化を目的としたものであるということができない(ちなみに、〈書証番号略〉によれば、昭和五三年一〇月一三日の衆議院内閣委員会において、勤勉手当の成績率の運用について成績率をより高くすべきであるとの立場からの質疑がなされ、これに対し人事院総裁から同旨の意見が述べられている。)。(5)の東京税関総務部長の発言は、同税関の認識と見解を示すものに過ぎず、このことから総務部長会議における協議が原告ら主張のようなものであったとまではいえない。(6)の総務部長会議において勤勉手当について協議されたとしてもそれがどのような趣旨でなされたものかは、必ずしも明らかでない。もっとも、幹部会における税関長の発言は、勤勉手当や昇給延伸に懲罰の効果を期待していることが窺われるが、たとえそれが全税関組合員を念頭においたものであったとしても、税関長の見解であって、このことから総務部長会議の協議がこのような趣旨でなされたとはいえない。(7)の税関長の説明に表れた事実は、直ちに原告らの主張に結びつくものではない。(8)の税関長会議における東京税関長の発言は、東京税関に関して同税関長の意見を表明したものであり、直ちに原告らの主張に結びつくものではない。(9)の税関長会議における財務調査官の挨拶の内容は、その職責に照して、至極当然なことであって異とするに足りない。(10)の服制細則の内容は、職員が制服を着用したまま組合活動を行なうことを規制しようとするものであり、その対策として考えられたのは、当時の状況から全税関の組合活動であると思われる。しかし、右の細則は制服の着用を職務遂行時に限定しようとするものであって、組合活動それ自体を制約することを目的とするものではないことは、規定の内容から明らかであり、また、このような規制が制服貸与の制度趣旨に照して不合理であるとはいえないから、関税局が服制細則を制定しようとしたこと(制定されたかどうかは明らかでない。)が、規則違反を口実にして全税関組合員に対し矯正措置や懲戒処分を行なうことを狙ったものであるということはできない。
2  全国税関総務部長・人事課長会議
(一)  右会議に関する証拠として原告らが提出した〈書証番号略〉はその形式や内容から三つの文書に分けられる。その一は、同号証の一ないし四の「人事課長会議の開催及び議題について」と題する一体の文書(これを「文書一」という。)で昭和六一年四月一〇日開催予定の右会議の出席者及び議題等が記載されているものである。その二は、同号証の五、六の「議題3特定職員の上席官昇任及び七等級昇格付等にいて」の見だしで始まる二枚の文書とその付属文書であるとみられる同号証の七の「(参考)総務部長会議(六一・三・一九)の討議概要」との見だしで書かれているもの(これらを併せて「文書二」という。)であり、このうち同号証の五、六の文書は「先般の総務部長会議における討議を踏まえ、六一年度の上席官昇任及び七等級昇格基準等について討議する」として、上席官昇任及び七等級昇格について、対象者の範囲や基準についての種々の考え方が示され、また、四、五、六級昇格について、特定職員は、勤務成績が一般職員に比べて遜色のない者は超一選抜として一般の最終選抜に重ね、さらに優れている者は一般の第三選抜に重ねることにすることを確定事項とすることの可否を問う内容が記載されており、同号証の七の文書は、昭和六一年三月一九日の総務部長会議における特定職員の上席官昇任と七等級格付の範囲基準についての討議内容が記載されている。その三は、〈書証番号略〉の「昭和六〇年度(第二回)総務部長会議討議概要」と題する一体の文書(これを「文書三」という。)であるが、これには、上席官昇任及び七等級昇格のうち特定職員関係については別途連絡するとのみ記載されている。
なお、これらの文書に記載されている「特定職員」とは一般職員と対比して用いられていることから、全税関所属の職員を指すものとみられる。
(二)  人事課長会議の協議について
ところで、文書一はその形式及び内容からみて大蔵省関税局が作成したものと考えられる。そして、同文書に記載されている議題4の「特定職員の上席官昇任及び七等級昇格について」の欄は「(別紙)」となっているところ、文書二のうち〈書証番号略〉の文書が、前記のように「総務部長会議における討議を踏まえて六一年度の上席官昇任及び七等級昇格基準等について討議する」とされていることから、文書二は一見文書一の議題4に記載されている「(別紙)」であるかの如く考えられる。しかし両文書は、これに記載されている議題番号及び筆跡が異なっているばかりでなく文書一では議題とされていない「四、五、六級格付」についても文書二の協議事項とされているなど記載の形式及び内容に不一致がみられ、両文書の関連性に重大な疑問がある。しかも文書二のうち同号証の七の文書の「(3)、4、5、6級格付」欄の部分は、同じ文書のそれ以外の部分と筆跡が異なっているばかりでなく、内容も、「先般の総務部長会議における討議を踏まえ六一年度の上席官昇任及び七等級昇格等について協議する」とされている同号証の五の文書と異なっているなど不自然であり、文書二の他の部分と一体のものといえるかさえ疑わしい。
文書三は、文書一と筆跡は同一であるものの、その記載形式(上席官昇任及び七等級昇格のうち特定職員に関する分については別途連絡となっている)に照して、文書一の議題4の「(別紙)」であるとは考えにくく、具体的内容も不明である。そうすると、文書一に記載されている昭和六一年四月一〇日、一一日の人事課長会議において、特定職員の上席官昇任、七等級格付及び五、六級格付について、文書二に記載されていることが協議されたとは直ちに認めることができないといわなくてはならない。
(三)  総務部長会議の協議について
文書三は、その筆跡が文書一と同一であるから、文書一と同様に大蔵省関係者が作成したものとみられるが、この文書三によれば、昭和六〇年度第二回総務部長会議(〈書証番号略〉によれば、右会議は昭和六一年三月一九日と二〇日に開かれたことが認められる。)において、特定職員の上席官昇任及び七等級昇格問題についての協議がなされたことが認められるが、この文書三からは協議の具体的内容は不明である。一方、文書二には右総務部長会議における右問題についての討議内容として具体的な記載がされているが、この文書と文書三との関連性は必ずしも明らかであるとはいえないから、この文書三から総務部長会議において、上席官昇任及び七等級昇格について文書二に記載されていることが協議されたと認めることができない。
もっとも、文書二には、特定職員の上席官占有ポストには、昭和六〇年度に昇格した六名を含めて九名である旨記載されているところ、原告柳沢尚本人尋問の結果と〈書証番号略〉によれば、昭和六〇年度における全税関所属の職員の上席官の人数と昇任年度は右文書二に記載されているところに合致していることが認められる。しかし、このことから直ちに文書二が関税局によって作成されたものであるとはいえないが、仮に関税局が作成したもの(ただし、「四、五、六級格付」の欄を除く。)であり、これに記載されていることが総務部長会議において協議が行なわれたとしても、右文書に記載されているところは、特定職員の上席官昇任の現状が一般職員の任用状況や特定職員の年齢構成などから説明が困難であるとして、特定職員の昇任者を増やすべきか否かについて、また、退職時までに七等級に昇格させるべきか否かについて協議するというものであって、このこと自体は全税関所属の職員を不利益に扱うというものではない(原告柳沢尚もその本人尋問の結果中において、七等級昇格は上席官昇任が遅れている全税関所属の職員について一般職員より昇格期間を短縮しようとするものである旨述べ、一定の評価をしている。)から、これについての協議が全税関所属職員に対する差別取扱い方針についての協議であるということはできない。また、文書二のうち、四、五、六級格付に関する部分は、前記のように他の部分と筆跡や内容を異にしていて他の部分の文書と一体性に疑いがあり、従ってその成立に疑問があるから、右の記載内容(特定職員の昇格の時期を一般職員の時期より遅らせること)について総務課部長会議において協議されたということはできない。
七  昇任、昇格、昇給に関する原告らの個別的事情
1  本件係争期間の昇任、昇格、昇給に関係がある個別的事情は同期間中の最終の昇給期である昭和四九年一月一日前のものであるから、本項において検討の対象とするのは、この分に限るものとする。
2  この個別的事情の認定に供した乙号証は後記のとおりであるが、このうち非違行為及びこれによる税関長の口頭の厳重注意に関するものの成立は、証人八代儀一、同大西昭三、同近藤悟、同嶋津久雄、同稲田虎義の各証言及び弁論の全趣旨により(非違行為に関するのは税関職員が作成した現認書等に基づいて税関訟務官が作成した。)これを認め、非違行為を理由とする文書による厳重注意及び訓告並びに懲戒処分に関するものは、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したことが認められるから真正な公文書と推定される。出勤状況に関するもののうち、出勤簿表示方法の例示(〈書証番号略〉)は弁論の全趣旨によって成立を認め、出勤簿(〈書証番号略〉)は前同様の理由により真正な公文書と推定され(ただし、原告の押印部分は成立に争いがない。)履歴事項証明書(〈書証番号略〉)は成立に争いがない。
3  ところで、非違行為に関する後記乙号証(現認書等)は、税関訟務官が既存の報告書を基にして(コピーし、その一部を削除して)新たな報告文書として提出されたものであるところ、原告らは、このような報告文書は作成者である訟務官の思想、意思が表出されたものとはいえず、原告らの職場の行為とは全く関連性がないから証拠価値は全くない旨主張する。
しかし、文書作成者である訟務官の意思は、原文書に記載されている内容を確認したことを報告する点においてその思想、意思を表したものであるというべく、その表記がコピー機を用いてなされていても、その理に変りがない。もっとも、このようにして作成された報告文書はそれ自体が原本として証拠となるから文書の記載内容との関連性は間接的に過ぎないものになるが、原文書が機械的に正確に写されたものである以上、原文書と証拠価値において異なるところがない。
4  (一番)原告稲松斉
(一)  格差の程度
原告稲松斉は、昭和四七年二月に、いわゆる双子俸である六―一四から五等級に昇格し、昭和四八年一月特別昇給した(このことは〈書証番号略〉によって認める。)ものの、係争期間終了当時(昭和四九年三月三一日)五―一三であったから、同期、同資格(昭和二四年旧中・高校組)の非組合員四八名のうち昭和四三年までに五等級に昇格した多数の者及び昭和四八年までに四等級に昇格した二五名に比べ昇格が少なくとも四年程度遅れている。また、係争期間終了当時の右非組合員の等級号俸は不明であるが、これを原告ら主張のとおりであるとして比較すると、同原告より上位の非組合員四二名のうち四―一二の四名を除いた三八名より一、二号俸相当程度低くなっている。しかし、右乙号証によれば、同原告は、係争期間終了日の翌日である昭和四九年四月一日に昇給して五―一四になったことが認められるから、実質的な格差はより少ないものとなる(比較の対象となる非組合員はそれぞれ昇給期を異にし、昇給延伸がなくても翌年一月一日まで昇給しない者もありうるから、格差の程度を考慮するうえで同原告の右昇給を無視することは相当でない。この点は、以下の原告らについても同じことが言える。)。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば同原告は、省庁等管理規則に基づく省庁等の一時使用の許可を受けないで開かれた別表四庁舎等無許可使用集会一覧表(以下「集会一覧表」という。)記載38・43の集会(以下、このような集会を「無許可集会」という。)に参加し、当局から中止するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(二番)原告塩田静夫
(一)  格差の程度
原告塩田静夫は、原告稲松斉と入関年度、資格が同じであるが、昭和四七年七月一日に双子俸である六―一五から五等級に昇格したから、同期、同資格の前記非組合員に比べて右原告と同様の昇格の後れが生じている。また、係争期間終了当時は五―一二であったから、号俸は前期の三八名に比べると二、三号俸程度低くなる。なお、〈書証番号略〉によれば、原告塩田は係争期間終了日の翌日に昇給し、五―一三になったことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載7・59・65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するように命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に二八回(42年10月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1日、同月3・4日)にわたってリボン、プレート(いずれも原告組合の要求等を書いたもの、以下同じ。以下、バッヂを含め「プレート等」という。)を着用し、上司から取外しの注意や命令(以下「注意等」という。)を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四八年八月二一日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三番)原告橋爪武司
(一)  格差の程度
原告橋爪武司も原告稲松斉と入関年度、資格が同じであるが、係争期間終了当時、六―一三であったから前記非組合員より昇格が遅れ、号俸は同期、同資格の非組合員三八名より四、五号俸相当程度低いものとなる。しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告橋爪は、年度途中(一二月)に入関したため、当初より昇格昇給が遅れていたうえ、係争期間前に病気による長期欠勤のため三九か月昇給が延伸されたことが認められ、これによれば、係争期間の当初において既に昇給がかなり遅れていたことが窺われるから、係争期間に生じた格差としてはその分だけ少ないものとなる。なお、右乙号証によれば、同原告は係争期間終了の日の翌日に五等級に昇格した。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載12・31・33・38・43・60・65・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に二〇回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26日、47年5月11日、同年7月12日、48年4月17日、同月24・25・26日、同年5月28日、同年6月29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五日(48年12月11日から同月15日まで)にわたってステッカー(原告組合の要求等を書いたもの、以下、同じ。)を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用、48年11月29日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかった。(ただし、47年5月11日、同年7月12日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四一年六月二日、臨時開庁中の午後五時過ぎから同一五分頃までの間、輸出課、統計課の組合員九名とともに業務部次長席に集り、口々に、渡り廊下の架設などについて次長に直接話合いをするように要求し、管理課長から臨時開庁中であるので自席に戻るよう注意されたのにこれに従わずに押問答を続けた。
ロ 同年八月三一日午後〇時四五分頃から同一時五分頃迄、業務部長室前において、輸出分会員一一名とともに原告能勢和彦の事故を公傷扱いにすることなどについて業務部長との面会を要求し、入室を阻止されて解散を求められたのに対し、口々に抗議して要求書の取次を求めて断られたので右要求書を読上げて解散した。
ハ 昭和四一年九月六日午後一時二〇分頃(勤務時間中)、業務部輸出二課において全税関新聞の仕分けをしてこれを課内の職員の机上に配付し、上司から中止するよう注意されたのにこれに従わないばかりか「いちいち細かいことをほじくるようなことはやめた方が良いですよ。」と抗議した。
(三)  勤務状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四一年と昭和四三年から四八年まで毎年5.5ないし二〇日の病気休暇があること、また、定刻(出勤簿整理時間の締切り時刻)に何の連絡もしないで出勤しないため出勤簿上事故扱いとされるもの(以下、これを「事故」という。)が、昭和四一年に二一回、昭和四二年に二五回、昭和四三年に一一回(このうち昭和四一年の一八回、昭和四二年の二〇回、昭和四三年の九回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(四番)原告山崎吉彦
(一)  格差の程度
原告山崎吉彦は、昭和四八年七月に双子俸である六―一五から五等級に昇格し、係争期間終了当時五―一二であったから九名全員が昭和四二年までに五等級に昇格し八名が昭和四七年までに四等級に昇格した同期、同資格(昭和二五年五級組)の非組合員に比べて昇格がかなり遅れ、号俸も右非組合員九名のうち四―一二以上の八名に比べて少なくとも四号俸相当程度低いものとなっている。しかし、〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間前、病気による長期欠勤のため普通昇給が二一か月延伸されていることが認められ、これによれば、係争期間の当初においてすでに他の同期、同資格の非組合員との間に相応の格差が生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載12・17・53・59・67・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四四年三月一四日から昭和四八年一二月一〇日までの間の勤務時間中に二三回(44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同年6月28・29日、同年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか一回(48年12月10日)ステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、47年6月10日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその職務命令に従わなかったことについて、税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉及び証人嶋津久雄の証言によれば、同原告は、小野浜第一方面事務所の主任として上司の保税主任官を補佐し、同主任官が休暇等により不在のときは同事務所の職員の出勤状況を保税課の勤務時間管理担当官に報告すべき立場にあったところ、上司から再三指示を受けたのにかかわらず、昭和四四年七月一九日、同月二八日及び同年八月二日の出勤状況について報告をしなかったばかりでなく、このことについて保税課長から注意を受けたのに対し、「出勤状況を報告するように締めつけられていることに疑問がある。組合と相談したい。」などと反論したこと、このことについて昭和四四年九月三〇日に税関長の文書による厳重注意がなされたことが認められる。
(五番)原告小林霞
(一)  格差の程度
原告小林霞は、昭和四九年一月一日、双子俸である六―一四から五等級に昇格し、係争期間終了当時、五―一一であったから昭和四四年までに五等級に昇格した大多数の同期、同資格(昭和二五年高校組)の非組合員に比べ昇格がかなり遅れている。また、係争期間終了当時の非組合員の号俸は不明であるが、これを原告ら主張のとおりであるとして比較すれば、非組合員五三名のうち五―一四以上の四三名に比べて少なくとも三号俸相当程度低いものとなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載14・16・18・19・21ないし25・35・44―3・54・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するように命じられた(ただし、23ないし25・35を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
なお、右25の集会について原告らは、原告前田信雄と同松本公が私的に話していただけであり集会ではないなどと主張するが、この点については前記五3(四)で述べたとおりである。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月五日までの間の勤務時間中に、四四回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年9月30日、同年10月5日、同月25・26日、同年12月4日、43年3月11日、同年7月23日、同年9月28日、同月30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月26日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、二回(48年12月13日、同月15日)テント(ボール紙等でテント状に作って表面に原告組合の要求等を書いたもの、以下、同じ。)を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、45年10月23日のリボンの着用と47年11月28日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について、次の事実が認められる。
イ 原告坂本檀に対する厳重注意が不当であるとして昭和四一年一二月六日午後五時五分頃、他の組合員六名とともに兵庫埠頭出張所総務課室に赴き、右処分の理由を聞くためとして所長との面会を要求し、「応対した三木総務係長が本人に説明してあるので、他の者に説明する必要がない旨答えたところ、原告坂本檀と同村田俊博の二名が右係長を振切って入室し、「間違った事実で人を処分してよいのか。」「こんな文書は無効だ。」「組合に対する弾圧だ。」などと大声で言って同日午後五時一五分頃まで抗議した。
ロ 昭和四四年八月二五日午前九時一〇分頃から同一一時三〇分頃までの勤務時間中に私用をし、この間に上司から注意されたのに対し、申告書の審査さえ終れば何をしてもよいのではないか。」「中条さんが、がたがた言うと今度から誤謬率を高めてやる。それでもよいか。」などと反論して従わなかった。
なお、右行為について昭和四四年一〇月三一日、同原告に対し税関長の文書による厳重注意がなされた。
ハ 昭和四八年一二月一〇日午後〇時三五分頃、小野浜分会員一五名とともに小野浜出張所総務課長室に赴いて所長との面会を要求し、うち三名(原告深田辰次、同小沢康七、同斎藤俊宏)が総務課長らの制止を振切って強引に所長室に入室し、所長が同会と交渉するよう要求し、さらに退室後、所長室前で全員が「所長が分会との交渉に応じよ。」などとシュプレヒコールした。
右のロについて、原告小林霞は、その本人尋問の結果中において、中条淳子主任がデッチあげたものである旨供述し、同原告の陳述書(〈書証番号略〉)にも同旨の記載がなされている。しかし、右供述は、当日の朝、職場で同原告及び中条主任を含む職員が異動後の職員配置表を見ながら雑談したことや、その内容を同原告がメモしたことなどを捉えて中条主任がデッチあげの現認書を作成したというものであるが、右現認書(これに基づいて作成された〈書証番号略〉)で問題とされているのはこのような朝の短時間のことではなく、出勤時から午前一一時四五分頃までのことであるから、同原告の右供述は右現認書の記載内容に対する的確な反論とはなり得ないものである。もっとも、右陳述書には、当日、二人が一組になって五つのパートに分れて審査を行なったところ、同原告のパートは他のパートに比べ最も多い件数を処理した旨記載されている。たとえ、そのとおりであるとしても、右の処理件数は当日一日分のものであるから、このことから直ちに午前中にも仕事をしたということにはならないし、他のパートより処理件数が多いのは、当日、他のパートに属する二名の職員が休暇をとっていた(このことは〈書証番号略〉によって認める。)ため、他のパートの処理能力が低くなったことによるものと考えられる。したがって、右原告小林霞の右供述及び陳述書の記載は前記ロの認定を覆すに足りない。
(六番)原告石見宣夫
(一)  格差の程度
原告小林霞に同じである(ただし、昭和四七年七月に六―一二から五等級に昇格)。しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告石見宣夫は係争期間前に長期病気欠勤及び勤務成績不良を理由として各三か月普通昇給が延伸されていることが認められ、これによれば、係争期間の当初において相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載31・33・38・43・59の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するように命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二六回(42年10月25日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、47年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22日、同月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和三九年一〇月九日から昭和四〇年五月八日まで病気のため勤務を欠き、このため昭和四〇年四月一日の昇給期において普通昇給が六か月延伸されたこと、このほか昭和四六年一月一四日から同年二月三日までの間も病気のため勤務を欠いたことが認められる。
(七番)原告藤田満夫
(一)  格差の程度
原告小林霞に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載12・17・72・74・75の各無許可集会に参加し(74の集会では支部長として挨拶をした。)、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったこと、右74・75の各集会において原告が指導的役割を果すなどしたとして74については昭和四三年一一月一八日に訓告(矯正措置)を、75については昭和四四年一〇月三一日に税関長の文書による厳重注意をそれぞれ受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に三四回(42年10月25日、43年9月28日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14・15日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・11・12・13・14日)にわたって腕章(全税関と書いたもの、以下同じ。)を着用し、このうち四回は右腕章の着用とともにステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一九日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、昭和四四年五月九日午後三時三〇分頃、新港第一方面事務所第二突堤分室のカウンター上に「ベトナム人民支援カンパ」の表示のある募金箱を置いて募金行為をしたことが認められる。
(八番)原告矢村繁夫
(一)  格差の程度
原告小林霞に同じ(ただし、五等級昇格は昭和四八年七月)。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告矢村繁夫は、集会一覧表記載8・12・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するように命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年五月二二日から昭和四八年七月九日までの間の勤務時間中に、一九回(43年5月22日、同年7月23日、同年9月28日、同年10月8日、同年12月13日、44年5月23日、45年10月13日、47年5月10日、同年6月9日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、事故が昭和四〇年に一二回、昭和四二年に一〇回、昭和四三年に八回、昭和四四年に一五回、昭和四七年に一二回、昭和四八年に一三回(うち昭和四〇年の二回、昭和四二年の一回、昭和四三年の三回、昭和四四年の九回、昭和四七年の九回、昭和四八年の一〇回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(九番)亡横江威
(一)  格差の程度
横江威は、原告小林霞と入関の年度、資格が同じであるが、係争期間終了当時、六―一四(五―一一相当)であったから同期、同資格の非組合員に比べて昇格が遅れ(なお、〈書証番号略〉によれば、係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。)、昇給も右原告らと同様の遅れが生じていることになる。しかし、右乙号証及び弁論の全趣旨によれば、同原告は係争期間前の昭和三五年に懲戒処分(減給)を受けたため、普通昇給が三か月延伸されたことが認められ、これによれば、係争期間の当初においてすでに相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、横江威は、集会一覧表31・33・52・59・65・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、横江威は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に三一回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26日、同年12月4日、43年9月28日・30日、同年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・11・13・14・15日)にわたって円柱(表面に原告組合の要求等を記載したもの、以下同じ。)を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(45年5月27日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、横江威について、次の事実が認められる。
イ 前記(三番)原告橋爪(3)イに記載した行為(ただし、横江威は超過勤務を命じられていない。)に参加した。
ロ 昭和四一年一二月二〇日午後〇時二〇分頃、超過勤務問題などについて、業務部長との面会を要求して組合員二〇名位で業務部長室に押しかけ、大山管理課長が部長が用務中で会えないと答えてのに対し、「部長はわれわれに会ってはっきり回答する義務がある。」などと言って同一二時四五分頃まで押し問答を続けた。
ハ 昭和四二年一月一六日、統計課において、無断で部外者に電動加算機による統計の集計作業を撮影させ、このことに注意をした上司に対し、「昼休みに職場の者が写して何故いけないのか。」などと抗議した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には昭和四五年に一一・五日、昭和四六年に一一日、昭和四八年に一八日の病気休暇があることが認められる。
(一〇番)原告大屋広隆
(一)  格差の程度
亡横江威に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、同原告も係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告大屋広隆は、集会一覧表記載16・19・22ないし24・46・55・59・66・70・72・74・75の各無許可集会に参加し(16・55の集会では分会長として司会した。)、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、23・24を除く。)のにこれに従わなかったこと、右の46と55の集会において原告が主導的役割を果したなどとして昭和四一年一二月六日に、70の集会に参加したことなどについては昭和四二年一二月四日にいずれも税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月二〇日から昭和四八年七月九日までの間の勤務時間中に、三〇回(42年6月20日、同年7月21日、同年10月21日、同月25日、43年6月29日、同年7月6日、同月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すように注意を受けたのに、これに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一九日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四〇年六月二日、勤務時間中である午前九時一三分頃、ほか六名とともに兵庫出張所玄関前で組合のビラを配布した。
ロ 右同日午前一一時五〇分頃から午後〇時一〇分頃まで、外八名とともに賃金公開ゼッケンを胸背部に掲げて中埠頭出張所一階業者溜り場一帯を徘徊して職員らに話しかけ、総務課長からゼッケンを外すように注意されたのに従わず、退去するよう求められたのにこれに応じなかった。
ハ 昭和四三年七月六日午後〇時三五分頃から同五五分頃までの間に、中埠頭出張所において、プレート着用について注意を受けたことについて、他の組合員四名とともに中埠頭出張所総務課長に抗議した際、同課長や同席した他の課長に対し、「納得のいくように話をせんか。何が権限外だ。権限外でも上司に伝えて的確な返事をしても損はせんやろう。それが課長の務めと違うか。」「そこらの課長連、よう考えてみい。自分らの部下が定昇を停止されているのによう知らん顔できるな。それでも課長か。」などと暴言を吐いた。
ニ 昭和四四年七月五日午後〇時三五分頃から同四二分頃までほかの組合員六名とともに執務中の輸出通関七部門の関税審査官を取巻くようにし、同審査官から執務の支障になるので退去するよう求められたのに、原告高瀬崇夫の普通昇給が延伸された理由を説明するよう執拗に要求した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には事故が昭和四六年に八回、昭和四七年に七回、昭和四八年に一四回(このうち昭和四八年の八回は交通期間延着による遅刻)があることが認められる。
(一一番)原告大塚宏圀
(一)  格差の程度
横江威に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告大塚宏圀も係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。
また、右乙号証及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間前の昭和三五年及び昭和三六年にそれぞれ懲戒処分(戒告)を受け各三か月普通昇給の昇給が延伸されたことが認められ、これによれば、係争期間の当初において相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は集会一覧表記載6・33・43・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、6を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二七回(42年10月25日、43年9月20日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、前記(三番)原告橋爪(3)イに記載した行為に加わったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四五年に病気のため16.5日勤務を欠いたことが認められる。
(一二番)原告桶谷孝史
(一)  格差の程度
原告桶谷孝史は、係争期間終了当時、六―九であったから、当時すでに五―一〇になっていた同期、同資格(昭和二五年中学組)の非組合員四名に比べて昇格、昇給がともに遅れており、四号俸相当の格差が生じている。しかし、〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間終了の翌日に六―一〇に昇給したことが認められる。しかも、弁論の全趣旨によれば、係争期間当初においてすでに昇給が一号俸程度遅れていたことが認められる(原告ら主張でも、昇給・昇格等一覧表の標準者より一号俸低くなっている)。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四七年一一月二八日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、一二回(47年11月28日、48年4月17日、同年4月23・24・25・26日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと(ただし、昭和48年4月17日の着用は除く。)が認められる。
(三)  出勤その他の勤務状況
〈書証番号略〉及び証人荒川八郎の証言並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(1) 同原告は、昭和四二年頃から病気がちで勤務能率がかなり劣っていたため、係争期間において、勤務成績不良の理由で四回(六か月二回、三か月二回)普通昇給が延伸された。また、昭和四七年四月五日から同年八月四日まで病気により勤務を欠いていたためさらに三か月普通昇給が延伸された。
(2) これらのことについて同原告は、昭和四六年以降、当局からさまざまの圧迫を受け、昭和四七年四月五日から同年六月一〇日まで病気ではないのに無理矢理入院させられ、同年八月になって漸く出勤を許されるようになったなどとして、神戸弁護士会人権擁護委員会に救済の申立てをしたところ、同委員会は、当局に同原告の能力に応じた仕事を与えたり、事務の改善を図るなどして同原告の精神的負担の軽減を図る配慮に欠けるところがあったとしながらも、当局の対応を人権侵害と認めることができず、入院も母親の同意に基づいてなされたものであるとして、申立てについては処置しないものとした。
(一三番)原告今村奈智子
(一)  格差の程度
原告今村奈智子は、原告桶谷孝史と入関年度、資格が同じであるが、係争期間終了当時、六―一一であったから同期、同資格の前記非組合員に比べて昇格が遅れ、号俸も二号俸程度低いものとなっている。しかし弁論の全趣旨によれば、原告桶谷と同様に、係争期間の当初においてすでに同期、同資格の者より一号俸程度昇給が遅れていたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載20・59の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四四年七月一〇日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に一八回(44年7月10日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10日から同月14日まで)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するように注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二一日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四三年三月一日から同年五月二〇日まで病気により勤務を欠き、同年七月一日の昇給期において普通昇給が三か月延伸されたこと、このほかにも、昭和四四年に16.5日の病気休暇があり、さらに昭和四八年五月一〇日から同年七月九日まで病気により勤務を欠いたことが認められる。
(一四番)亡服部正治
(一)  格差の程度
服部正治は、係争期間終了当時、四―一一であったから、その殆どが昭和四七年までに三等級相当職に昇任した同期、同資格(昭和二六年六級組)の非組合員に比べて昇任、昇格が遅れている。また、係争期間終了当時の同期、同資格の非組合員の等級号俸は明らかでないが、これが原告ら主張のとおりであるとして比較すると、非組合員一八名のうち三―一二以上の一一名より五号俸相当以上低くなる。しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同人は、係争期間前、長期病気欠勤や懲戒処分(減給)を受けたことにより二度にわたって合計一八か月普通昇給が延伸されたことが認められ、これによれば、係争期間の当初においてすでに相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる(原告らの主張においても昇給・昇格等一覧表の標準者より一号俸低くなっている。)
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、服部正治は、集会一覧表記載7・20・39・44―4・54・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、39を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、服部正治は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に三六回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年9月30日、同年10月5日、同月21日、同月26日、43年3月11日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3日)にわたり、プレート等を着用したほか、四回(48年12月11・12・13・14日)にわたって角柱(表面に原告組合の要求等を書いたもの、以下同じ。)を机上に掲出し、上司からの取外しや撤去するように注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用、47年6月9・10日のプレート着用は除く。)のに、これに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、服部正治は、昭和四七年二月八日から同年三月三一日まで病気のため勤務を欠いたこと、また、事故が昭和四〇年に二五回、四一年に九回(このうち昭和四〇年の八回、昭和四一年の一回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(一五番)原告鷲見重信
(一)  格差の程度
原告鷲見重信は、昭和四八年七月に双子俸である六―一四から五等級に昇格し、係争期間終了当時、五―一一であったから昭和四二年までに八名が四等級に昇格した同期、同資格(昭和二六年五級組)の非組合員一一名に比べて昇格が遅れ、号俸も右一一名中四―一一以上の九名より四号俸相当低いものとなっている。しかし、〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間前の昭和二九年に特別昇給したものの、その後にも長期の病気欠勤により普通昇給が一五か月延伸されたことが認められ、これによれば、同原告は係争期間の当初においてすでに相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載7・20の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四五年五月二七日から昭和四八年九月一九日までの間の勤務時間中に、一三回(45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・25・26日、同年6月28日・29日、同年9月18・19日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四一年二月一五日から同四三年五月一〇日まで病気のため勤務を欠き(この間の昭和四三年二月一五日から同年五月九日までは休職)、さらに復職後の昭和四三年下期に二四日間病気のため勤務を欠き、このため普通昇給が一五か月延伸されたこと、このほか昭和四八年の上期にも16.5日の病気休暇のあることが認められる。
(一六番)原告室屋修
(一)  格差の程度
原告室屋修は、原告鷲見重信と入関年度、資格が同じであるが、昭和四八年二月に双子俸である六―一六から五等級に昇格し、係争期間終了当時、五―一二であったから同期、同資格の前記非組合員より昇格が遅れ、号俸は、非組合員一一名のうち四―一一以上の九名より三号俸相当低くなっている。なお、〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間終了の日の翌日に五―一三に昇給したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載4・42・47―1・53・59・67・71・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、71を除く。)のにこれに従わなかったこと、右42の集会については、当日の朝、分会長であった同原告は上司から許可を受けるよう警告されたがこれに従わず、また4・47―1・53の集会において司会や演説をするなどしたこと、このため昭和四一年一二月六日に同原告が右42・47―1・53の各集会に指導的役割を果し、再三の解散命令にも従わなかったとして税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二五回(42年10月21日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年12月13日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、昭和四二年から昭和四五年まで毎年5.5ないし11.5日の病気休暇のあることが認められる。
(一七番)原告能勢和彦
(一)  格差の程度
原告能勢和彦は、昭和四八年七月に双子俸である六―一五から五等級に昇格し、係争期間終了当時、五―一一であったから、昭和四八年と昭和五〇年には四等級に昇格した同期、同資格(昭和二六年旧専組)の非組合員二名に比べて昇格が遅れ、号俸も右二名のうち低い号俸の一名(五―一四)と比べても三号俸低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載8ないし11・38・43・59・60・65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、9ないし11を除く。)のにこれに従わなかったことを認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月三日までの間の勤務時間中に、三〇回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年12月1・3日)にわたってプート等を着用し、上司から取外しするように注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二一日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三番)原告橋爪のイ、ロに記載した各行為に加わったことが認められる。
(一八番)原告岩根晟
(一)  格差の程度
原告岩根晟は、係争期間終了当時、六―一二であったから、昭和四五年までに五等級に昇格した同期、同資格(昭和二六年高校組)の非組合員の大部分の者に比べて昇格が遅れている。また、係争期間終了当時の非組合員の等級号俸は明らかでないが、これを原告らの主張のとおりであるとして比較すると、右非組合員のうち五―一三以上の一〇〇名より少なくとも四号俸給相当低くなる。しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間前の昭和三二年に特別昇給したものの、一方において二度にわたる長期病気欠勤により併せて三三か月普通昇給が延伸されたことが認められ、これによれば係争期間の当初においてすでに相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違法行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は集会一覧表記載12・27・29・52・59・65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二九回(42年10月25日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたって、プレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(五番)原告小林の(3)ハに記載した行為に参加した(ただし、同原告は入室しなかった。)ことが認められる。
(三)  〈書証番号略〉によれば、同原告については事故が昭和四〇年に一九回、昭和四一年に二四回、昭和四三年に二一回、昭和四四年に一六回(このうち昭和四〇年の六回、昭和四一年の四回、昭和四三年の二回、昭和四四年の四回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(一九番)原告植田邦彦
(一)  格差の程度
原告植田邦彦は、原告岩根晟と入関の年度、資格が同じであるが、昭和四二年に特別昇給し、昭和四九年一月に双子俸である六―一四から五等級に昇格して係争期間終了当時、五―一一であったから、前記同期、同資格の非組合員に比べて昇格が遅れている。また号俸も五―一三以上の一〇〇名より少なくとも二号俸低くなる、しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間前、長期病気休暇により、普通昇給が三か月延伸されたことが認められ、これによれば係争期間の当初において相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載56・68・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月六日から昭和四八年六月二九日までの間の勤務時間中に二五回(42年10月6日、同月21日、43年6月7日、同年7月23日、同年9月28日、同月30日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・25・26・27日、同年5月28日、同年6月28・29日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、47年6月9日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて、税関長の口頭による厳重注意を受けたこが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には昭和四三年に一一日、昭和四四年に六日、昭和四五年に一〇日の病気休暇があること、また、時間休(事前の届出のある遅刻、早退)が昭和四四年から昭和四七年まで毎年二九ないし四一回あることが認められる。
(二〇番)原告牛込尹人
(一)  格差の程度
原告牛込尹人は、原告岩根晟と入関の年度、資格が同じであるが、係争期間終了当時、六―一三であったから、前記同期、同資格の非組合員に比べて昇格が遅れている(なお、〈書証番号略〉によれば、係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。)。また、号俸も五―一三以上の一〇〇名よりも少なくとも二号俸相当低くなる。しかし、右乙号証及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間前、長期病気欠勤により二四か月普通昇給が延伸されたことが認められ、これによれば、右期間の当初において相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載8・12・33・55・66の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四七年五月一一日から昭和四八年一二月一一日までの間の勤務時間中に、一一回(47年5月11日、同年6月9日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日)にわたってプレート等を着用したほか、二回(48年12月10・11日)円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(48年4月24・25・26日のプレート着用を除く。)のに、これに従わなかった(47年5月11日、同年6月9日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四〇年に事故が二七回(うち八回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(二一番)原告奥田康雄
(一)  格差の程度
原告奥田康雄は、原告岩根晟と入関年度、資格が同じであるが、昭和四九年一月双子俸である六―一四から五等級に昇格するとともに、特別昇給して係争期間終了当時、五―一二であったから、前記同期、同資格の非組合員に比べて昇格が遅れている。また、号俸も五―一三以上の一〇〇名よりも少なくとも一号俸低くなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告奥田は、集会一覧表記載5の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四四年三月一四日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二四回(44年3月14日、同年7月10日、45年4月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月28・29日、同年7月9日、同年9月19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(48年7月9日、同年11月29・30日を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、48年4月25日、26日のプレート着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(二二番)原告古賀照敏
(一)  格差の程度
原告植田邦彦に同じ(ただし、特別昇給の時期は左記のとおりであり、五等級昇格は昭和四八年七月)である。〈書証番号略〉によれば、原告古賀照敏は、係争期間の直前に特別昇給し、係争期間の当初において原告植田邦彦より一号俸高くなっていたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告古賀照敏は、集会一覧表記載44―2・56・58・59・68・71・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年九月二八日から昭和四八年一二月一三日までの間の勤務時間中に三一回(42年9月28日、同年10月6日、同月25日、43年3月23日、同年9月30日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月3・4日)にわたって、プレート等を着用したほか、二回(48年12月12・13日)角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(42年9月28日のプレート着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四一年二月二二日の勤務時間である午後一時三〇分頃、組合資料を兵庫埠頭出張所輸出課と監査第一部門の職員の机上に配付し、上司から注意をされたのに「仕事に影響がないからかめへん。」と言って続行し、さらに配付を終了した後、課長に対し、注意を受けたことについて抗議をしたことが認められる。
(二三番)原告坂本柏
(一)  格差の程度
原告坂本柏は、原告岩根晟と入関年度、資格が同じで、係争期間終了当時、六―一四であったから、前記同期、同資格の非組合員に比べて昇格が遅れ、号俸も五―一三以上の一〇〇名より二号俸相当低くなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載12・15の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四七年五月一〇日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間内に、二三回(47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章及びプレート着用をするとともにステッカー、円柱、角柱(角柱は15日のみ)を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一九日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(二四番)原告杉原光三郎
(一)  格差の程度
原告坂本柏に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告杉原光三郎は、係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。また、右乙号証及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間前に、成績不良を理由に普通昇給が三か月延伸されたことが認められ、これによれば、同原告は、係争期間の当初において相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は集会一覧表記載12・17・27・29・52・59・65・72・74各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三二回(42年10月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月26・27・28・29・30日、同年12月1・3日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四五年一一月五日、庁舎敷地内に「明るい革新県政を作る会」のシンボルマークのステッカー(直径約一五センチメートル)を貼付した自家用車を置き、上司から右ステッカーを取り外すよう命じられたのに「マークを付けた車はほかにも多く走っている。」などと抗弁し、すぐには従わなかったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四一年に八回、昭和四六年に一〇回(このうち昭和四一年の一回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(二五番)原告中石雅康
(一)  格差の程度
原告植田邦彦と同じである。しかし、〈書証番号略〉によれば、原告中石雅康は、係争期間前に長期の病気欠勤のため普通昇給が六か月延伸されたことが認められ、これによれば、係争期間の当初においてすでに相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違法行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載8・12・15の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四五年一〇月二三日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二七回(45年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・25・26・28日、同年5月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月19・21・22日、同月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、上司から席を離れるときは断って行くよう注意を受けていたのに「係内で連絡し合ってやっているから係長に断って行く必要はない。などと抗弁し、昭和四〇年六月二六日、二九日及び同年七月二日にそれぞれ無断で離席したことが認められる。
(二六番)原告林義男
(一)  格差の程度
原告林義男は、原告岩根晟と入関の年度、資格が同じで、昭和四九年一月に五等級に昇格し、係争期間終了当時、五―一〇であったから、前記同期、同資格の非組合員に比べて昇格が遅れており、号俸も五―一三以上の一〇〇名より少なくとも三号俸程度低くなっている。しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告林は、係争期間前に懲戒処分(戒告)を受けて普通昇給が三か月延伸されたことが認められ、これによれば、係争期間の当初においてすでに相応の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載8・11・12・32・59・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(11・32を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年七月二三日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二五回(43年7月23日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26・同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(48年12月3日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年六月一五日、原告結縁俊雄及び白川弘視が勤勉手当を差別支給されたとして右原告ら組合員一〇名とともに輸出保税課長に抗議し、この中で「何ではっきり(理由を)言えんのや、できんというのはデッチあげだからやろう。」などと暴言を吐いたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四一年八月二四日から同年一一月一七日まで病気のため勤務を欠き、昭和四二年一月一日の昇給期の普通昇給が三か月延伸されたこと、このほかにも昭和四三年には七日の病気休暇があること、また、昭和四〇年には一二回、昭和四五年には一五回の事故(このうち昭和四〇年の七回、昭和四五年の二回は交通機関延着による遅刻)があることが認められる。
(二七番)原告前田信雄
(一)  格差の程度
原告前田信雄は、原告岩根晟と入関年度、資格は同じで、係争期間終了当時、六―一四であった(〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告前田は係争期間中に成績不良を理由に普通昇給が三か月延伸されたことが認められる。)から前記同期、同資格の非組合員に比べて昇格が遅れている。また、号俸も五―一三以上の一〇〇名より少なくとも二号俸相当低くなる。なお、右乙号証によれば、原告前田は、係争期間前の昭和二九年に特別昇給したこと、係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載14・16・18・19・21ないし25・35・44―2・54・59・72・74・75の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、23ないし25・35を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三八回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年9月30日、同年10月5・6日、同月21日、同月25日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同月31日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日、なお、42年7月21日はリボンとバッヂ)にわたってプレート等を着用したほか、二回(48年12月10・11日)円柱を、四回(48年12月12日から同月15日まで)円柱及び角柱を机上に掲出し、上司からその取外しや撤去するよう注意等を受けた(42年6月7日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかった(45年10月31日のバッヂの着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月二一日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について、次の事実が認められる。
イ 前記(五番)原告小林の(3)イ及び(一〇番)原告大屋の(3)イ、ロに記載した行為に加わった。
ロ 昭和四〇年四月二八日午後一時三〇分頃、兵庫埠頭出張所第一部門前業者カウンター上に税関職員賃金公開のプラカードを置き、上司から仕事の邪魔になるので除去するように命じられたのに、「こんなことぐらい良いでしょう。」などと抗弁してすぐには従わなかった。
また、同月三〇日午前九時三〇分頃、同所作業用机上に右プラカードを置き、上司から片付けるよう命じられたのに「邪魔にならないでしょう、こうしておけば皆も見てくれるでしょう。」などと言って従わなかった。
ハ 昭和四〇年六月一五日午前九時頃、兵庫埠頭出張所所長室に無断で入室し、所長らから退去するよう要求されたのに約一〇分間にわたって、組合の要求書の受取と組合との交渉を要求した。
ニ 昭和四〇年六月三〇日の勤務時間である午前九時四五分頃、兵庫埠頭出張所鑑査第一部門の自分の机の下にオロナミンCドリンク五〇本を置いて販売行為をした。
ホ 昭和四〇年九月一日及び昭和四一年三月一二日の勤務時間中に兵庫埠頭出張所鑑査第一部門において組合のビラを配布し、昭和四四年三月一四日の勤務時間中に同出張所輸入部第九部門において組合のリボンを配布した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年五月一〇日から同年七月六日まで病気のため勤務を欠いたのをはじめとして昭和四一年、昭和四四年、昭和四六年、昭和四七年及び昭和四八年に年間5.5ないし七日の病気休暇があることが認められる。
(二八番)原告山岡荘太朗
(一)  格差の程度
原告坂本柏に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告山岡荘太朗は、係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。
また、右乙号証及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間前に懲戒処分(戒告)を受け、普通昇給が三か月延伸されたことが認められ、これによれば、右期間の当初において相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・6・13・32・53・59・67・71・72・74の各無許可集会に参加し(53の集会では同原告は開会を宣した。)当局から中止解散するよう命じられた(6・32・71を除く。)のにこれに従わなかったこと、昭和四一年一二月六日、右53の集会において同原告が指導的役割を果たしたなどとして税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年九月一九日までの間の勤務時間中に、二八回(42年10月21日、同月25・26日、43年7月23日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9・10日、同年9月18・19日)にわたってプレート等を着用し上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(二九番)原告加藤不二男
(一)  格差の程度
原告加藤不二男は、係争期間終了当時、双子俸である六―一四であったところ、同期、同資格(昭和二七年四級組)の非組合員は二名に過ぎないので処遇がほぼ同じと認められる昭和二六年高校組の非組合員(原告岩根晟らの比較対象とされたもの)と比較すると、昇格が遅れ、号俸も五―一三以上の一〇〇名よりも少なくとも二号俸相当低くなる。なお、〈書証番号略〉によれば、係争期間終了の翌日に五等級にしたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告加藤は、集会一覧表記載15・20・52・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、15を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月一九日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、三二回(42年10月19・21・25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、42年10月19日のリボン着用、45年5月27日のプレート着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、勤務時間内である昭和四〇年八月二八日午前九時一七分頃、監査第一部門において組合のビラを配布し、上司から注意されたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には昭和四七年(上期)に19.5日の病気休暇のあることが認められる。
(三〇番)原告寺地健
(一)  格差の程度
同原告は、係争期間終了当時、六―一三であったから、六四名のうち五〇名が昭和四六年までに、一〇名が昭和四八年までに五等級に昇格した同期、同資格(昭和二七年高校組)の非組合員に比べて昇格が遅れている。右非組合員の係争期間終了時の等級号俸は不明であるが、これを原告ら主張のとおりであるとして比較すると、非組合員六六名(ただし、原告ら主張では、昭和二七年組の二名も含まれている。)のうち五―一二以上の四八名より少なくとも二号俸相当低くなる。しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間前に懲戒処分(戒告)を受けたことにより昇給が三か月延伸されたことが認められ、これによれば、右期間の当初において相応の昇給の遅れが生じていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・19・24・25・39・44―3・54・59の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、24・25・39を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年七月二一日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務期間中に、二一回(42年7月21日、同年9月30日、同年10月5日、同年12月4日、43年12月13日、47年6月9日、48年4月17日、同月23・24・26日、同年5月28日、同年6月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、四回(48年12月10・11・12・14日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、47年6月9日のプレート着用を除く。)こと、この間の昭和四八年八月二五日に同年四月一七日から同年六月二九日までの間のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は前記(五番)原告小林の(3)イ、ハ及び(一〇番)原告大屋の(3)ロに記載した各行為に加わったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四一年(下期)九日、昭和四二年に25.5日、昭和四三年に一四日、昭和四五年に五日、昭和四七年に九日、昭和四八年に7.5日の病気休暇があることが認められる。
(三一番)原告間処康成
(一)  格差の程度
原告寺地健に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載4・52・59・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年一〇月八日から昭和四八年一二月一日までの間の勤務時間中に、二六回(43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・25・26日、同年5月28日、同年6月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四五年(上期)に八回、昭和四七年(下期)に一〇回、昭和四八年(上期)に一三回(このうち昭和四五年の三回、昭和四七年の一〇回、昭和四八年の一三回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(三二番)原告安福弘
(一)  格差の程度
原告寺地健に同じ。しかし、〈書証番号略〉によれば、原告安福弘は係争期間前の昭和三六年に特別昇給したことが認められ、これによれば右期間の当初において号俸が相応に高くなっていたことが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載40・50・56・58・59・68・71ないし74の各無許可集会に参加(40・58の集会は司会)し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、40・71・73を除く。)のにこれに従わなかったこと、昭和四一年一二月六日に右50・56の集会に指導的役割を果したなどとして税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三九回(42年6月7日、同年9月28日、同年10月6日、同月21日、同月25日、同年11月10日、同月18日、43年3月23日、同年6月7日、同月28日、同年7月23日、同年9月28日、同年12月13日、44年3月14日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用と、その取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長から厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、次の事実が認められる。
イ 昭和四二年一〇月二〇日及び同月二三日、摩耶出張所総務課長が同所二階ホールの組合掲示板に掲出されていた総評・公務員共闘会議の「一〇・二六ストライキ宣言」と題する文書の撤去命令を伝達するため、摩耶分会長である原告安福弘に課長席に来るように求めたが、同原告は「業務に関係がないから課長自ら出向いてもらいたい。」などと言って呼出に応じず、同課長から右文書を撤去するよう命じられたのにこれに従わなかった。
ロ 昭和四二年一〇月二〇日と同月二三日、右命令にかかわらず撤去されなかった右文書の撤去作業中の摩耶出張所総務課長らに対し同原告らは、他の組合員とともに無断で離席し、同総務課長らに対し「組合の財産を何故勝手に取るのか。」「勝手に剥がすな。」などと言って抗議した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四四年四月二四日から昭和四五年四月二八日まで病気のため勤務を欠き、昭和四五年一月一日の昇給期において普通昇給が九か月延伸されたこと、このほかにも昭和四三年に一一日、昭和四五年に一四日、昭和四六年に18.5日の病気休暇のあることが認められる。
(三三番)原告高橋章
(一)  格差の程度
原告高橋章は、原告寺地健と入関年度、資格が同じであるが、昭和四九年一月に五等級に昇格し、係争期間終了当時、五―一〇であったから、前記同期、同資格の非組合員に比べて昇格が遅れ、号俸も五―一二以上の四八名より少なくとも二号俸相当低くなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載33・52・59・68・71・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に、三四回(42年6月7日、同年10月6日、同月21日、同年11月18日、43年6月28日、同年7月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1日)にわたってプレート等を着用したほか、四回(48年12月10・11・13・14日)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四八年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(九番)横江の(3)ロ、ハ及び(三二番)原告安福の(3)ロに記載した各行為に加わった。
なお、右(九番)(3)ハの行為に関し、関係者から事情を聴取していた課長に対し、「何んでそんなことを聞く必要があるのか。」と言い、さらに事情を聞かれていた相手方にも「そんなことを話す必要がない、帰れ、帰れ。」と言って、右事情聴取を妨害した。
また、(三二番)(3)ロの行為の際、「仕事が第一だと言っておきながら時間中に職制を集めて何だ、仕事が停滞するので帰せ。」などと言って抗議し、さらに昭和四二年一〇月二三日にも組合の掲示文書を撤去していた総務課長らに対し「泥棒やめなさい。勝手にひとの物をとるな。」などと言って抗議した。
ロ 昭和四五年一一月四日午前八時三〇分頃、摩耶出張所輸出部門において、明るい革新県政をつくる会発行にかかる機関紙(内容は、近く行なわれる兵庫県知事選挙において革新県政の実現を呼びかけるもの)を職員の机上に配布した。
また、同月一三日午前八時五〇分頃にも、右同所で、明るい革新県政をつくる会国公共闘支部発行にかかる「国公労働者の力で革新兵庫県の夜明けを」と題して、同会が推薦する候補者に投票を呼びかける内容のビラを職員の机上に配布した。
(三四番)原告田代勝
(一)  格差の程度
原告田代勝は、原告寺地健と入関年度、資格が同じであり、昭和四二年と昭和四六年にそれぞれ特別昇給し昭和四八年七月に双子俸である六―一四から五等級に昇格して係争期間終了当時、五―一一であったが、なお、前記同期、同資格の非組合員に比べて昇格が若干遅れている。また、号俸も五―一二以上の四八名より少なくとも一号俸低くなる。しかし、〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間終了の翌日に五―一二に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載17・41・55・66・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、41を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年七月二一日から昭和四八年九月一九日までの間の勤務時間中に、一二回(42年7月21日、同年10月21日、43年7月6日、44年5月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、48年4月24・26日、48年9月18・19日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、42年10月21日、43年7月6日のプレートの着用、及び45年5月23日のバッヂの着用を除く。)ことが認められる。
(三五番)原告岩本武司
(一)  格差の程度
原告寺地健に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告岩本武司は、係争期間終了の翌日に五等級に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載52・59・72・74・75の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月五日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三二回(42年10月5日、同月21・25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、45年10月23日、同月30日、47年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月26・27・28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(42年10月21日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかった(45年10月30日のバッヂの着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一九日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四五年一一月一四日午前八時五五分頃から同九時一〇分頃まで、輸入部事務室の職員の机上に、明るい革新県政をつくる会国公共斗支部発行のビラ(内容は前記(三三番)原告高橋の(3)ロのビラに同じ。)を配布した。
ロ 昭和四八年一〇月一二日の昼休みに原告組合員一三名で摩耶出張所総務課長補佐に所長との面会の取次を求め、同課長補佐から、課長が不在なので戻ってくるまでまつように言われたのにこれを無視して所長室に入室し、所長に対し、「もっと、お前らは勉強しろ、何もわかっとらん。」「所長、全税関を敵視すればどういうことになるか覚えておけ。」「所長、あんたは椅子にふんぞり返って何を威張っているのだ。たかが一出張所の所長じゃないか、我々の委員長は局長と同格だぞ、そう何時までも所長室に座っていられると思うな。」と侮辱的、脅迫的言辞を用いて分会と交渉するか否かの返答を迫ったが、この中で原告岩本武司は「所長、態度が大きいぞ。」などと暴言を吐いた。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四七年四月一〇日から同年六月三日まで病気のため勤務を欠いたこと、また事故が昭和四〇年に七回、昭和四一年に二〇回、昭和四三年に二二回あることが認められる。
(三六番)原告青木俊夫
(一)  格差の程度
原告青木俊夫は、昭和四八年七月に双子俸である六―一四から五等級に昇格し、係争期間終了当時、五―一一であったから、昭和四三年に五等級に昇格した同期、同資格(昭和二八年五級組)の非組合員二名に比べると、昇格が遅れ、号俸も四号俸相当低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、集会一覧表記載42・47―2・53・59・67・72・74の各無許可集会に参加し当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三五回(42年10月21日、43年7月6日、同月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22日、同月28・29日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等をされた(ただし、42年10月21日及び43年10月8日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四〇年に三一回、昭和四一年に四七回、昭和四三年(上期)に一五回、昭和四六年に一八回、昭和四七年に二一回、昭和四八年に一七回(このうち昭和四〇年の八回、昭和四一年の一三回、昭和四三年の九回、昭和四六年の七回、昭和四七年の六回、昭和四八年の三回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(三七番)原告榎本和行
(一)  格差の程度
原告青木俊夫に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告榎本和行は、係争期間前に長期病気欠勤と懲戒処分を受けたことにより、二度にわたって併せて九か月普通昇給が延伸されたこと、及びその間に特別昇給したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載7・20・52・59の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四七年五月一〇日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に二四回(47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月26・27・28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたって、プレート等を着用したほか六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二一日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三五番)原告岩本の(3)ロに記載した行為に加わったことが認められる。
(三八番)原告越塚健
(一)  格差の程度
原告越塚健は、係争期間終了当時、六―一三であったから、六七名のうちの大部分の者が昭和四八年二月までに五等級に昇格した同期、同資格(昭和二八年高校組)の非組合員に比べて昇格が遅れている。また、号俸も右非組合員のうち五―一一以上の五五名より少なくとも一号俸相当低くなる。しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、入関前の職歴加算により初任給が他の者より二号俸高くなっていることが認められ、これによれば、係争期間の当初における等級号俸も他の者より相応程度高くなっていたことが窺われるので、係争期間に生じた格差としてはその分大きいものとなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載41・46・66の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、41を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月二〇日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に一七回(42年6月20日、同年7月21日、同年10月25・26日、47年5月11日、48年4月17日、同月23・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたってステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう命じられたのにこれに従わなかった(47年5月11日のプレートの着用を除く。)ことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四一年九月一六日から同年一一月五日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四〇年に八日、昭和四三年に11.5日、昭和四五年に5.5日、昭和四六年に4.5日、昭和四七年に四〇日、昭和四八年に三二日の病気休暇があることが認められる。
(三九番)原告小島久
(一)  格差の程度
原告小島久は、原告越塚健と入関年度、資格が同じで、係争期間終了当時、六―一二であったから、同期、同資格の前記非組合員に比べて昇格が遅れ、号俸も五―一一以上の五五名より少なくとも二号俸相当低くなっている。しかし、〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間前に長期病気欠勤により普通昇給が九か月延伸されたことが認められ、これによれば、係争期間の当初においてすでに相応の昇給の遅れが生じていることが窺われる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・6・28・30・32・34・36・37・45・48・51・52・57・59・61ないし65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、6・32・34・36・37・45・57を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち57・62・64の集会において同原告は指導的役割を果したとして昭和四二年五月一八日に税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三五回(42年6月19・20日、同年10月5日、同月21日、同月25日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同月31日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・11・12・13・15日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと(ただし、45年10月31日のバッヂの着用を除く。)が認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和三九年二月二五日から同年四月一八日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四三年に一四日、昭和四七年に一一日、昭和四八年に6.5日の病気休暇があることが認められる。
(四〇番)原告坂本檀
(一)  格差の程度
原告小島久に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載15・35・44―4・54・59・72・74の各無許可集会に参加し、(44―4の集会では司会し、54では開会宣言をした。)当局から中止解散するよう命じられた(ただし、15・35を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち44―4・54の集会において同原告が指導的役割を果したとして昭和四一年一二月六日に税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に四〇回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年9月30日、同年10月5日、同月21日、同月25・26日、同年11月10日、同年12月4日、43年3月11日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同年23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意を受けたのにこれに従わなかった(ただし、45年5月27日及び47年6月10日のプレート着用は除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、次の事実が認められる。
イ 同原告は、昭和四〇年四月一九日午後一時四〇分頃の勤務時間中に原告藤池とともに本関から運んできた組合の賃金公開看板を中埠頭出張所二階に持込もうとした。
また、昭和四一年二月一七日午後一時三〇分頃の勤務時間中に兵庫埠頭出張所総務課において、組合支部ニュースを配布した。
ロ 前記(五番)原告小林の(3)イ及び(三五番)原告岩本の(3)ロに記載した各行為に加わった。
(三)  勤務状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四五年七月一四日から同年一二月一四日まで病気のため勤務を欠き、昭和四六年四月一日の昇給期において普通昇給が六か月延伸したことが認められる。
(四一番)原告津村勝次
(一)  格差の程度
原告小島久に同じ。
しかし、〈書証番号略〉によれば、原告津村勝次は、係争期間終了の翌日に六―一三に昇給するとともに五―一〇に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載42・47―2の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四五年五月二七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二五回(45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・11・12・14・15日)にわたってステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(四二番)原告中川和
(一)  格差の程度
原告小島久に同じ。
しかし、弁論の全趣旨によれば、原告中川和は、係争期間の当初において、昇給が三か月遅れていたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載47―2・53・67の各無許可集会に参加し(67の集会では冒頭に挨拶した。)、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月一二日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二三回(42年10月12日、同月26日、47年5月11日、同年6月10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、3回(48年12月13・14・15日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四三年七月二日、東部出張所長村田実から、同年六月二七日に庁舎の掲示場所以外の場所に組合文書を掲示したことについて厳重注意された際、同所長に対し「馬鹿野郎」と叫んだ。
ロ 前記(五番)原告小林の(3)ハに記載した行為に加わった。
右イに関して、同原告は、第二陳述書(〈書証番号略〉)において、同原告の行為は、短冊型のステッカーを東部出張所の玄関から約一〇メートル離れた公道の街路樹に吊り下げたものであり、庁舎等管理規則の適用を受けるものではなく、厳重注意を受ける筈がない旨述べる。しかし、掲出されたものがビラと言えるかの点はともかくとして、〈書証番号略〉によれば、組合文書(ステッカー)が取り付けられたのは神戸税関の敷地内に植栽され、国有財産台帳に搭載されている樹木であることが認められるところ、〈書証番号略〉によれば、庁舎等管理規則の適用される庁舎等とは神戸税関が運用する土地、建物、工作物、その他の施設であるから、同原告の行為は庁舎等管理規則の適用を受けるものであることは明らかである。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四〇年に一二回、昭和四七年に一〇回、昭和四八年に三七回(このうち昭和四七年の六回、昭和四八年の二五回は交通機関の延着による遅刻)あること、また、病気休暇が昭和四〇年に5.5日、昭和四三年に九日、昭和四七年に八日、昭和四八年に12.5日あることが認められる。
(四三番)原告結縁俊雄
(一)  格差の程度
原告小島久に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告結縁俊雄は、係争期間中に勤務成績不良を理由に普通昇給が三か月延伸されたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載8・11・12・32・37・45・48・51・57・59・61ないし65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、11・32・37・45・57を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、三一回(42年6月19・20日、43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日、43年10月8日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二一日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 上司から席を離れるときは断って行くように注意されていたのに、昭和四〇年六月二六日、同月二九日及び同年七月一、二日、無断で離席し、「うちの係だけ一々報告して行けと言われてもそんなことできません。」などと抗弁した。
ロ 前記(九番)横江の(3)ロ及び(二六番)原告林の(3)に記載した各行為に加わった。
(四四番)原告宮村融
(一)  格差の程度
原告小島久に同じ。しかし、弁論の全趣旨によれば、同原告は、入関時期がやや遅かったため昇給が三か月遅れていたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載16・18・24・54・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、24を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二三回(42年6月19日、同年7月21日、同年10月5日、同月21・25日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18日、同年11月28日、同月29・30日、同年12月1日、同月4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(四五番)原告田中二朗
(一)  格差の程度
原告小島久に同じ。〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告田中二朗は、年度途中の入関(一二月)であるため九か月昇給が遅れていたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載31・33・38・43・52・59・60・65・72・74の各無許可集会に参加し(43の集会では外部支援団体代表者を紹介するなどした。)、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、五〇回(42年6月19・20日、同年10月21・25・26日、同年12月6・7・8・9・11・12・14・15・16日、43年2月16・17日、同年5月22日、同年7月23日、同年9月27・28・30日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、四回(48年12月11・13・14・15日)にわたって腕章を着用するとともにテント(テントについてはさらに48年12月10日の一回)を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(三番)原告橋爪の(3)イ、ロ及び(九番)横江の(3)ロに記載した各行為に加わった。
ロ 昭和四二年四月一四日午後三時三〇分頃から同四時頃まで(勤務時間中)、業務部輸出業者溜まりにおいて、輸出入業者に都知事選挙の資金カンパを求め、募金活動を行なった。
ハ 昭和四五年一一月一三日午後〇時五分頃、兵庫埠頭出張所輸入部門において、明るい革新県政をつくる会国公共闘支部発行のビラ(内容は前記(三三番)原告高橋の(3)ロと同じ。)を職員の机上に配布した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四〇年に一二回、昭和四三年に一九回、昭和四四年に一二回(このうち昭和四〇年の三回、昭和四三年の一回、昭和四四年の三回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(四六番)原告植田明
(一)  格差の程度
原告植田明は、係争期間終了当時、六―一二であったから、昭和四八年までに全員が五等級に昇格した同期、同資格(昭和三〇年四級組)の非組合員三名に比べて昇格が遅れており、号俸もそのうちの一名より一号俸相当、一名より二号俸相当それぞれ低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載53・59・67・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったこと、このうち74の集会に同原告が積極的に参加したなどとして昭和四三年一一月一八日に税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に三五回(42年10月21日、同月25・26日、43年3月14日、同年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月26・27・28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともに角柱(角柱についてはさらに48年12月10日に一回)を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告については次の事実が認められる。
イ 昭和四一年五月一〇日午前九時二五分頃(勤務時間中)、衆参議院議長宛の原告組合の請願署名用紙を配布した。
また、同年五月二七日午後一時二〇分頃(勤務時間中)及び同月三一日午後一時二二分頃(同)業務部統計課において、組合のニュース(ビラ)を配布した。
ロ 前記(三番)原告橋爪の(3)イ及び(三五番)原告岩本の(3)ロに記載した各行為に加わった。
ハ 昭和四一年六月二五日午後〇時二〇分頃、他の職員に超過勤務が命じられないことについて話合っていた課長から勤務中だから自席に戻るように再三命じられたのに、「課長が話さないなら帰らない。」と言って従わず、抗議を続けた。
ニ 昭和四三年一〇月五日午前八時四〇分頃、東部出張所本館食堂内の原告組合掲示板に総評公務員共闘会議の「ストライキ宣言」と題する書面を掲示した。
ホ 昭和四五年七月九日午後〇時二五分頃から同三二分頃まで、小野浜出張所庁舎内において「原爆被災者救援募金」と朱書した大型封筒を持って職員に対し募金をした。
(四七番)原告稲岡辰男
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男と同期、同資格(昭和三二年四級組)の非組合員三七名は、うち一七名が昭和四八年八月までに、一九名が昭和四九年八月八日までにいずれも五等級に昇格したことが認められるが、係争期間終了当時の等級号俸は不明である。仮に原告主張のとおりであるとして比較すると、当時、六―九であった同原告は、五等級に昇格していた二九名より昇格が遅れ、号俸も五―八以上の二七名より少なくとも二号俸相当低くなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・28・30・32・34・36・37・45・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、32・34・36・37・45を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四四年三月一四日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に二三回(44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和三九年七月二五日から同年九月一七日まで病気のため勤務を欠いたほか昭和四三年に16.5日、昭和四八年に7.5日の病気休暇があることが認められる。
(四八番)原告延藤寿成
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男と同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載8・43・68の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二五回(42年6月7日、同年9月28日、同年10月6日、同月21日、43年6月7日、同月28日、同年7月23日、同年9月28日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年12月4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四八年八月二五日に同年四月一七日から同年六月二九日までのプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(四九番)原告加藤木良和
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告加藤木良和は、集会一覧表記載18・44―3・54・59・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三九回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年9月30日、同年10月5日、同月21日、同月25・26日、43年3月11日、同年7月23日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月26日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたってステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用、47年5月10・11日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四三年七月二四日から同年一一月一六日まで病気のため勤務を欠き、同年一〇月一日の昇給期において、普通昇給が三か月延伸されたこと、このほかにも昭和四〇年に5.5日、昭和四一年に七日の病気休暇があることが認められる。
(五〇番)原告高須賀四郎
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、原告高須賀は、昭和四七年五月一〇日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に二一回(47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3日)にわたって、プレート等を着用したほか五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(五一番)原告塚本章義
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告塚本章義は、集会一覧表記載12・27・29・52・59・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月六日から昭和四八年一二月一一日までの間の勤務時間中に、二六回(42年10月6日、同月21日、43年12月13日、44年3月14日、同年7月10日、45年10月23日、47年5月10日、同年6月9日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・4日)にわたってプレート等を着用したほか二回(48年12月10・11日)テントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、47年7月12日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四〇年に8.5日、昭和四二年に一〇日、昭和四三年に9.5日、昭和四五年に5.5日の病気休暇があることが認められる。
(五二番)原告野口和正
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、原告野口和正は、昭和四八年四月一七日の勤務時間中にプレートを着用し、上司から取外すよう注意を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(五三番)原告原田晃寛
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告原田晃寛は、集会一覧表記載43の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年一二月一三日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に二五回(43年12月13日、44年3月14・15日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年12月4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意を受けた(ただし、43年12月13日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二一日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたほか、昭和四八年八月二七日にも同年四月一七日から同年六月二九日までの間のプレート着用につき同様の注意を受けたことが認められる。
(五四番)原告平田雍彦
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告平田雍彦は、集会一覧表記載47―2・52・59・65・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、四二回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26日、同年12月4・6・7・8・9・11・13・14・15日、43年9月28日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月28日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、43年6月19・20日のリボン着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(五五番)原告藤野英弘
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・13・28・30・32・34・45・51・52・57・59・64・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、32・34・45・57を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月六日から昭和四五年一〇月二三日までの間の勤務時間中に、一一回(42年10月6日、同月21日、43年6月7日、同月28日、同年7月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三二番)原告安福の(3)ロに記載した行為(ただし、二〇日の分)に加わったことが認められる。
(五六番)原告真下陳夫
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ(ただし、昭和三一年度三級職採用試験合格)。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載55・59・66・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月二〇日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、三三回(42年6月20日、同年7月21日、同年10月21日、43年7月6日、同月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用について税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四四年八月二七日午後〇時三五分頃から同一時五分頃までの間、輸出統計輸出第二係において、組合員三名(原告橋本重国、同松本公ほか一名)とともに中条淳子主任を取囲み、同主任が原告高野和子に関して現認書を書いたとして、交々激しい口調で「書いたのか書かないのか、どっちや言うてみよ。」「白ばくれるな、書いたら書いたと言えばよいやないか、正直に言え。」「そんなもん(昼食のこと)どうでもええわい、はよう出したかどうか返事をすればいいのや。」などと言って現認書を書いたことについての確認を迫り、さらに机を叩くなどして「僕等がそれによって重大なことになってもお前らはよいと言うのか。」「部下が昇給昇格延伸になってもよいのか。」「どこにおいとるか言え。」「早く出して破れ、破らんかい。」「大体お前が来てから統計課が乱れる、お前は統計課を出ていけ。」「主任が現認書を書くとか注意するとか出しゃばるな、お前は基本通達に出ていることだけして電話連絡だけしておればいいのだ、よけいなことをするな。」「早く現認書を出せ、上から取下げてこい。」などと暴言を吐いた。
ロ 昭和四五年一一月三〇日、洋酒スタンド「アルプス」で飲酒中、居合せた客から暴行を受けたため、同店経営者の女性に相手の名前を尋ねたところ、同女が知らないと答えたことに立腹し、カウンター上の銚子、盃、コップ等を払い除けて破損した。
また、その後も、同店を訪ねる度に前記客の名前を聴きだそうとし、昭和四六年四月に同店を訪れた際にも、右経営者に右客の名前を聴いたが、同女がなおも知らない旨答えたので立腹し、銚子、皿等を破損した。
このため、昭和四六年九月一日、国家公務員としてふさわしくない行為であるとして税関長の文書による厳重注意を受けた。
ハ 昭和四五年一二月七日午前九時二五分頃、輸出統計第二係の自席において、原告橋本重国の勤勉手当が減額されたことについて、大声で、「税関の中で一人のカットではないか、税関で一番成績が悪いのか、こんなところで馬鹿らしくて仕事などできるかい、どこが橋本が悪いんや、はっきりしてもらおうや、いいかげんな仕事をするな。」「橋本、反省することなんかない、係長が悪いから第二係からカットが出たのや、一体係長は何をしとるのや、何でこんなことを言って悪いのや。」などと言って上司を非難した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四〇年に一二回、昭和四四年に一六回、昭和四五年に一九回、昭和四六年に一五回(このうち、昭和四〇年の四回、昭和四四年の一一回、昭和四六年の四回は交通機関の延着による遅刻)あること、また、病気休暇も昭和四〇年に五日、昭和四二年に六日、昭和四四年に二〇日、昭和四五年に二二・五日、昭和四六年に一三日、昭和四七年に一五日、昭和四八年に一八日あることが認められる。
(五七番)原告桝本清
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告桝本清は、集会一覧表記載74の無許可集会に参加し、上司から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二七回(42年6月19・20日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、47年5月10日、同年6月9・10日、同年7月13日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともにステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年三月二一日から同年四月六日まで(一四・五日)病気のため勤務を欠いたことが認められる。
(五八番)原告木村次尾
(一)  格差の程度
原告稲岡辰男に同じ(ただし、昭和三〇年度三級郵政職員採用試験合格)。しかし、〈書証番号略〉によれば、原告木村次尾は、年度途中(昭和三二年一一月一日の入関であるため当初から九か月昇給が遅れていた(なお、係争期間内に特別昇給した。)ことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載20・59の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年一二月二五日までの間の勤務時間中に、二六回(42年10月25・26日、44年3月14日、同年7月10日、45年10月23日、47年6月9日、同年11月28日、48年4月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22日、同月28・29・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、一四回(48年12月10日から同月15日まで、同月17日から同月22日まで、同月24・25日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年九月二五日から同年一一月二一日まで病気のため勤務を欠いたことが認められる。
(五九番)原告田中順子
(一)  格差の程度
原告田中順子と同期、同資格(昭和三二年高校組、ただし、〈書証番号略〉によれば、同原告は、行(二)職員として採用され、昭和三五年四月に行(一)に切換えられたことが認められる。)の非組合員三名の係争期間終了当時における等級号俸は不明であるが、これを原告ら主張のとおりであるとして(ただし、原告らの主張では二名となっている。)比較すると、同原告の等級はかわらないものの号俸は右の二名より一、二号俸低くなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載12・20・40・56・58・59・68・71・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、40・71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三四回(42年6月7日、同年9月28日、同年10月21日、43年3月23日、同年7月23日、同年9月28日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、47年7月12日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三二番)原告安福の(3)ロに記載した抗議行動に加わった。
(三)  出勤状況
弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和三八年一月一七日から同年二月一九日まで病気のため勤務を欠いたことが認められる。
(六〇番)原告高瀬崇夫
(一)  格差の程度
原告高瀬崇夫は、係争期間中に勤務成績不良を理由として普通昇給が六か月延伸され(このことは〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によって認められる。)右期間の終了当時、六―一〇であったところ、同期、同資格(昭和三三年中級組)の非組合員の存在が不明であるから、原告らの主張に従い昭和三〇年四級組の非組合員三名(原告植田について比較対象とされた者)と比較すると昇格が遅れており、号俸も少なくとも二号俸相当程度低いものとなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載8ないし10・38・43・52・59・60・65・72・74の各無許可集会に参加し(38・43の集会では副分会長として開会の辞を述べるなどした。)当局から中止解散するよう命じられた(ただし、9・10を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、四三回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25日、43年7月23日、同年9月28・30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22・24・28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から15日まで)にわたって腕章を着用するとともにステッカー(ステッカーについてはさらに48年12月10日に一回)を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(三番)原告橋爪の(3)イ、ロ、(九番)横江の(3)ロ及び(一〇番)原告大屋の(3)ニに記載した各行為に加わった。
ロ 昭和四三年九月九、一〇、一一日に輸出部通関第七部門の自分の机の上に原爆被曝者救援のための募金箱を置いて募金行為をし、上司から再三撤去するよう命じられたのに、「全税関労働組合は庁舎管理規則を認めていない。」などと抗弁して、右命令に従わなかった。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉、証人近藤悟、同八代儀一の各証言によれば、同原告は、事故が昭和四〇年に二九回、昭和四一年に四二回、昭和四三年に三二回、昭和四四年に一三回(このうち、昭和四〇年の九回、昭和四一年の一七回、昭和四三年の一八回、昭和四四年の六回は、交通機関の延着による遅刻)があるほか、時間休が昭和四一年に二七回、昭和四四年に二三回、昭和四五年に三六回、昭和四六年に二〇回、昭和四七年に二七回、昭和四八年に四三回あること、このため仕事の分担の決定などに支障が生じるとして上司から再三注意がされたこと、また、昭和四〇年及び昭和四三年から昭和四八年まで毎年五日から一〇・五日の病気休暇もあることが認められる。
(六一番)原告小沢康七
(一)  格差の程度
原告高瀬崇夫に同じ。しかし、〈書証番号略〉によれば、原告小沢康七は、年度途中の入関(昭和三三年一〇月)であるため、同期、同資格(昭和三三年中級組)の者とは当初からすでに昇給が遅れていたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載14・16・18・21ないし23・25・35・39・44―4・54・59・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、23・25・35・39を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、四二回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年9月30日、同年10月5・6日、同月21日、同月25・26日、同年12月4日、43年3月11日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四二年一〇月一九日午後五時一五分頃(超過勤務命令が出されたため勤務時間中)に無断で離席し、兵庫埠頭出張所庁舎の組合掲示板に掲示されていた違法文書を撤去する作業をしていた総務課職員に抗議した。
また、かねて上司から勤務時間に職場を離れるときは上司の許可を得るよう注意されていたのに、昭和四三年一月二九日午前一一時二八分頃(勤務時間中)、無断で職場(兵庫埠頭出張所)を離れ、本関に行った。
ロ 前記(五番)原告小林の(3)ハ及び(一〇番)原告大屋の(3)ニに記載した各行為に加わった。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、時間休の回数が極めて多く、昭和四〇年一九回、昭和四四年四三回、昭和四五年五八回、昭和四六年七〇回、昭和四七年六一回、昭和四八年六〇回に及んでいることが認められる。
(六二番)原告北本恵一
(一)  格差の程度
原告北本恵一は、係争期間終了当時、六―八であったから、同期、同資格(昭和三三年初級組)の非組合員一三名のうち六―九、一〇の一二名より一、二号俸低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載52・59・65の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四七年五月一〇日から昭和四八年一二月一〇日までの間の勤務時間中に、二〇回(47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、一回(48年12月10日)ステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四二年八月二三日から同年一一月一六日まで病気のため勤務を欠いたことが認められる。
(六三番)原告下前春生
(一)  格差の程度
原告下前春生は、原告北本恵一と入関の時期、資格が同じであるが係争期間終了当時、六―七であったから、同期、同資格の前記非組合員のうち六―九、一〇の一二名より二、三号俸低いものとなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告下前春生は、集会一覧表記載41・55・58・68・71ないし74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、41・71・73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に、三四回(42年6月7日、同年10月6日、同月21日、同月25日、同年11月10日、43年3月23日、同年9月28・30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、二回(48年12月10・11日)テント、二回(48年12月13・14日)角柱、一回(48年12月12日)角柱及びテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、前記(三二番)原告安福の(3)ロに記載した無断離席の抗議行動(昭和四二年一〇月二〇日の分)をしたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和三八年九月一七日から同年一〇月一九日まで、同月二二日から昭和三九年一月五日まで及び同年四月一七日から昭和四〇年三月六日まで病気のため欠勤し、昭和三九年一〇月一日の昇給期において普通昇給が一二か月延伸され、また、昭和四六年三月二六日から同年六月二五日まで病気のため勤務を欠いて、さらに三か月普通昇給が延伸されたこと、このほか昭和四五年には八・五日、昭和四八年には七日の病気休暇のあることが認められる。
(六四番)原告辻一清
(一)  格差の程度
原告北本恵一に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告辻一清は、集会一覧表記載52・59・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年一二月一三日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二六回(43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年7月12日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月26・27・28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四四年三月一四日午前九時一〇分頃(勤務時間内)から、及び昭和四五年一〇月二三日午前九時五分頃(同)から、輸入部航空部門の職員の机上に組合のビラを配布した。
ロ 前記(三五番)原告岩本の(3)ロに記載した行為に加わった。
(六五番)原告村田俊博
(一)  格差の程度
原告北本恵一に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告村田俊博は、集会一覧表記載14・16・18・19・21ないし24・44―2・54・59・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三七回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年9月30日、同年10月5日、同月21日、同月25・26日、同年11月9日、同月28日、同年12月4日、43年3月1・2日、同月11日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22・24日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・11・12・14・15日)にわたって腕章を着用するとともに円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、42年11月28日のバッヂ着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四〇年五月二六日午後一時四〇分頃(勤務時間)、兵庫埠頭出張所第一部門において、同年六月二日午前九時一三分頃(同)、同出張所玄関前において、組合ニュース(ビラ)を配布した。
ロ 前記(五番)原告小林の(3)イに記載した行為に加わった。
ハ 昭和四二年一〇月一九日午後五時過ぎ頃(超過勤務命令による勤務時間)無断離席し、原告古谷太郎とともに兵庫埠頭出張所の組合掲示板に掲出されたストライキ宣言文を撤去作業中の金田総務課長に抗議した。
(六六番)原告岩本宏
(一)  格差の程度
原告北本恵一に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告岩本宏は、集会一覧表記載4・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四七年五月一〇日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二一回(47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(六七番)原告中山勝治
(一)  格差の程度
原告北本恵一に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告中山勝次は、集会一覧表記載20・50・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に、四三回(42年10月21日、同月25・26日、同年12月8日、同月15日、43年5月22日、同年9月28・30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月20・21・22・24日、同月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10日から同月14日まで)にわたって円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、43年9月28日、同月30日のリボン着用及び昭和48年7月9日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四〇年に一七回、昭和四一年に一九回、昭和四二年に三一回(このうち、昭和四二年の七回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(六八番)原告松本公
(一)  格差の程度
原告北本恵一に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告松本公は、集会一覧表記載21・22・24・25・44―1・49・54・59・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、24・25を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、四〇回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年9月30日、同年10月5日、同月21日、同月25・26日、同年12月4日、43年3月11日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次に事実が認められる。
イ 昭和四〇年六月二日午前九時一三分頃(勤務時間)に、兵庫埠頭出張所玄関前において組合のビラを配布した。
ロ 前記(五六番)原告真下の(3)イに記載した抗議行動に加わって、暴言を吐いた。
(六九番)原告大塚大三
(一)  格差の程度
原告大塚大三は、係争期間終了当時、六―七であったから、同期、同資格(昭和三三年高校組)の非組合員一四名のうち六―八、九の一三名に比べると、号俸が一、二号低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載42・47―1・53・59・67・71・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、一九回(42年10月21日、同月25・26日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(七〇番)原告佐々木範明
(一)  格差の程度
原告佐々木範明は、原告大塚大三と入関の年度、資格が同じで、係争期間終了当時六―六であったから、同期、同資格の前記非組合員のうち六―八、九の一三名より号俸が二、三号低くなっている。しかし、〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間終了の翌日に六―七になったことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載8ないし11・42・47―2・53・59・67・71ないし75の各無許可集会に参加し(74の集会では書記長として決議文を読上げた。)、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、9ないし11・71・73を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち74の集会において同原告は指導的役割を果したなどとして、昭和四三年一一月一八日訓告(矯正措置)を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二二回(42年10月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月26・27日)にわたってプレート等を、六回(48年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート及び腕章を着用したほか、五回(48年12月11ないし15日)にわたって国公兵庫と記載した腕章を着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
同原告は、昭和四一年六月一一日午前九時一八分頃から同二三分頃まで(勤務時間)、執務中の東部出張所繊維担当職員に対し、国家公務員法改悪反対、首切り処分撤回の署名用紙を渡し、説明するなどして署名運動をした。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四五年三月二日から同年五月二二日まで病気のため勤務を欠き、昭和四六年一月一日の昇給期において普通昇給が三か月延伸されたこと、このほか昭和四七年一月一八日から同年二月二九日の間も病気のため勤務を欠いたことが認められる。
(七一番)原告高嶋初一
(一)  格差の程度
原告大塚大三に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告高嶋初一は、集会一覧表記載8ないし11・38・43・52・59・65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、9ないし11を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から同四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三〇回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月28日、同年9月18日、同年11月28・29日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から15日まで)にわたって円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日、44年5月23日のリボンの着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一九日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(三番)原告橋爪の(3)ロに記載した行為に加わった。
ロ 昭和四二年四月二二日午前一一時二〇分頃から同三三分頃まで(勤務時間)、業務部輸出三ないし六部門の職員の机上に組合の分会ニュースを配布した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、事故が昭和四〇年に五六回、四一年に一五回(このうち昭和四〇年の三四回、昭和四一年の三回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(七二番)原告高谷安則
(一)  格差の程度
原告大塚大三に同じ。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、原告高谷安則は、昭和四二年六月七日から昭和四四年五月二三日までの間の勤務時間中に、八回(42年6月7日、同年10月6日、同月21日、43年3月23日、同年9月30日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日)にわたってプレート等を着用し上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、42年10月6日のリボン着用を除く。)ことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、事故が昭和四〇年に二三回、昭和四一年に一六回、昭和四四年に一一回(このうち、昭和四〇年の一一回、昭和四一年の八回、昭和四四年の一一回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(七三番)原告中島健
(一)  格差の程度
原告大塚大三に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載40・50・56・58・68・71・72・74に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、40・71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二九回(42年6月7日、43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、三回(48年12月12・14・15日)にわたって全税関と書いた腕章を着用するとともに組合の要求等を書いた円柱(円柱についてはさらに48年12月10日に一回)机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば一、二、によれば、前記(一〇番)原告大屋の(3)ニに記載した抗議行動に加わったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四二年に二一日、昭和四五年に六・五日の病気休暇のあることが認められる。
(七四番)原告深田辰次
(一)  格差の程度
原告深田辰次は、原告大塚大三と入関の時期、資格が同じであるが係争期間中に成績不良を理由に普通昇給が三か月延伸され(このことは〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によって認める。)、係争期間終了当時、六―六であったから、同期、同資格の前記非組合員に比べて原告佐々木範明と同様の昇給の遅れが生じている。しかし、右乙号証によれば、同原告は、係争期間終了の翌日に六―七になったことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載41・46・55・66・70・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、41を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち、70の集会(この集会が開かれた事情は五3(四)で述べたとおりである。)において、同原告が反抗的態度を示したなどとして後記(3)ハの行為と併せて、昭和四二年一二月四日、税関長の訓告を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は昭和四二年六月二〇日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に、三二回(42年6月20日、同年7月21日、同年10月6日、同月21日、同月26日、同年11月11日、43年6月29日、同年7月6日、同月23日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同月30日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日)にわたってプレート等を着用したほか六回(48年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたって腕章とプレートを着用し、二回(48年12月13・14日)腕章を着用するとともにステッカー及び角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、45年10月30日のバッヂの着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四〇年七月二一日午後四時四三分頃(勤務時間)中埠頭出張所監査第一部門の自分の席で分会ニュースの仕訳作業をし、上司の中止命令に対し、「何も仕事がないのに何が悪いのか。」と抗弁した。
ロ 昭和四一年一一月二五日午後四時一〇分頃から同一六分頃までの間(勤務時間)、自席を離れ、原告池西光輝、同井上洋一、同岡崎悦造、同田村芳春とともに中埠頭出張所総務課長席において、組合の掲示板に掲出してあった「ぶっ倒せ佐藤内閣」などと書かれた文書を当局が撤去したことについて、「誰に断って我々のビラを取ったのか、返せ。」「ビラを組合掲示板に貼って何故悪い。」などと言って抗議した。
ハ 昭和四二年一〇月二一日午前一一時二〇分頃から同四五分頃まで(勤務時間)、前記原告四名とともに無断離席し、再三席に戻るよう命じられたのに、右出張所の掲示板に掲出してあった総評、公務員共闘会議の「一〇・二六スト宣言」と題する文書の撤去作業をしていた総務課長らに対し「勝手に剥がすのは泥棒だ。」などと言って抗議を続け、この騒ぎで参集した業者に対しても、「業者の人もよく見て下さい。税関の職制は、人の物でも泥棒的行為を平気でやるんだ。」と大声で言った。
ニ 昭和四三年七月六日午後〇時三五分頃、退庁しようとする中埠頭出張所長を前記原告らとともに取囲み、「何故会わないのか。」「逃げる気か。」「何んとか言うたらどうか。」などと暴言を吐き、さらに話合いに応じた総務課長に対し原告岡崎悦造を除く右原告らと原告下屋広隆がこもごも所長との話合いができないことや当日、当局が右原告らに対しプレートを取外すよう注意したことなどについて、「何を言っている、具体的なことを言わず、子供騙しみたいなことをぬかしてええ加減にせんか、言えんのか、言わんのか。」「命令なら命令と言わんかい、これを着けて何が悪い、誰に迷惑をかけたか言うてみい。」などと言って抗議したが、この中で、右話合いに立合いしていた総務課の係長及び保税課長に対し、「黙ってそばに立っとらんと何とか言うたらどないや、無茶苦茶な課長に対し何で言ってくれへんのか、でくのぼうみたいに立っとらんと言わんかい。」と言い、居合せた保税課長に対し、「そこらの課長連中もよう考えてみい、自分らの部下が定昇を停止されているのによう知らん顔ができるなあ、それでも課長か。」などと暴言を吐いた。
ホ 前記(五番)原告小林の(3)ハに記載した行為に加わった。
(七五番)原告岩根勝子
(一)  格差の程度
原告岩根勝子は、係争期間終了当時、七―七であった(〈書証番号略〉によれば、同原告は昭和三三年四月に賃金支弁労務者として採用され、昭和三五年五月に行(二)に、昭和四八年一〇月に行(一)に任用換えになった。)ところ、同期、同資格の非組合員の存在が不明である。昭和三六年高校組の非組合員二二名と比較すると、このうち二〇名より六等級への昇格が遅れ、号俸も一、二号低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載12・31・38・43・52・59・65・72・75の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に、二二回(42年10月21日、43年12月13日、47年5月10日、同年6月9・10日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、二回(48年12月10・14日)ステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和三九年二月二五日から同年四月二四日までと、同年七月二二日から同年九月二一日まで病気のため勤務を欠き、昭和四〇年四月一日の昇給期において普通昇給が三か月延伸されたことが認められる。
(七六番)原告池西光輝
(一)  格差の程度
原告池西光輝は、係争期間中に勤務成績不良を理由に普通昇給が三か月延伸され(このことは〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によって認める。)、右期間終了当時、六―七であったから、同期、同資格(昭和三四年初級組)の非組合員一九名のうち六―八、九の一七名より号俸が一、二号低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載14・16・18・19・21ないし24・41・46・55・66・70・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、23・24・41・を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち70の集会(この集会が開かれた事情は五3(四)で述べたとおりである。)において同原告が反抗的態度を示したなどとして、後記(3)の(七四番)原告深田の(3)ハに記載した行為と併せて昭和四二年一二月四日に訓告を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月二〇日から昭和四八年四月二三日までの間の勤務時間中に、一二回(42年6月20日、同年7月21日、同年10月21日、同月25・26日、43年7月6日、同月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、48年4月23日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、43年10月8日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(一〇番)原告大屋の(3)イ、ロ、(七四番)原告深田の(3)ロ、ハ、ニに記載した各行為に加わったことが認められる。
(七七番)原告井上洋一
(一)  格差の程度
原告井上洋一は、原告池西光輝と入関時期、資格が同じであるが係争期間中に勤務成績不良を理由として普通昇給が三か月延伸され(このことは〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によって認める。)右期間終了当時、六―六であったから、同期、同資格の前記非組合員のうち六―八、九の一七名より二、三号俸低くなっている。しかし、右乙号証によれば、原告井上洋一は、係争期間終了の翌日に六―七に昇給したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載4・46・55・59・66・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったこと、このうち74の集会に原告が積極的に参加したなどとして、昭和四三年一一月一八日、税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月二〇日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三三回(42年6月20日、同年7月21日、同年10月21日、同月25・26日、43年6月29日、同年7月6日、同月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月26日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、5月28日、同年6月28・29日、同年9月18・19日、同年11月26・27日)にわたってプレート等を、六回(同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたって腕章及びプレートを着用し、また、六回(48年12月10日から15日まで)にわたってプレートを着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(七四番)原告深田の(3)ロ、ハ、ニに記載した各行為に加わったこと、右ハの行為について昭和四二年一二月四日、税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(七八番)原告今村恒紀
(一)  格差の程度
原告池西光輝に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告今村恒紀は、集会一覧表記載12・15・20・40・50・56・58・59・68・71・72・73・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、15・40・71・73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三七回(42年6月7日、同年9月28日、同年10月6日、同年10月21日、同月25日、43年3月23日、同年6月28日、同年9月28・30日、同年10月8日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・11・12・14・15日)にわたってステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長から口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(三二番)原告安福の(3)ロ(ただし、二〇日の分)に記載した行為(勤務時間中に無断離席のうえ抗議)に加わった。
ロ 昭和四五年八月六日午後五時前頃、外郵出張所の自分の机上に被爆者援護募金箱を置いて募金行為をした。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四一年に二〇日、昭和四七年に5.5日の病気休暇があることが認められる。
(七九番)原告宇田久男
(一)  格差の程度
原告池西光輝に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告宇田久男は、集会一覧表記載14・18・22・35・47―1・53・67・71・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、35・71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から同四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、一九回(42年10月21日、同月25・26日、47年6月9日、同年7月12日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、47年6月9日、同年7月12日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(一〇番)原告大屋の(3)イ、ロに記載した行為に加わったことが認められる。
(八〇番)原告大西是
(一)  格差の程度
原告井上洋一に同じ。しかし、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告大西是は、係争期間終了の翌日に六―七となっていること及び係争期間前に長期病気欠勤のため、普通昇給が六か月延伸されていることが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・6・52・59・68・69・71・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、6・71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年九月一九日までの間の勤務時間中に、一五回(42年6月7日、同年10月6日、43年9月28・30日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、48年4月17日、同月24・25・26日、同年9月18・19日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、48年4月24・25・26日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四一年五月九日午前九時三〇分頃(勤務時間)、業務部輸出統計第一係の自席において、組合員が出演する演劇会の入場券を頒布した。
ロ 前記(九番)横江の(3)ハに記載の行為に加わった。
(八一番)原告岡崎悦造
(一)  格差の程度
原告井上洋一に同じ。
なお、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告岡崎悦造は、係争期間中に勤務成績不良を理由に普通昇給が三か月延伸されたこと、同原告は、係争期間終了の翌日に六―七に昇給したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載41・46・55・66・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、41を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月二〇日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三六回(42年6月20日、同年10月21日、同月25・26日、43年7月6日、同月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同年11月4日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたってテント及びステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、47年6月10日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかったこと(ただし45年11月4日を除く。)、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(七四番)原告深田の(3)ロ、ハ、ニに記載した各行為に加わったこと、右ハの行為について昭和四二年一二月四日、税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、昭和四一年に事故が二七回(うち二回は交通機関の延着による遅刻)があることが認められる。
(八二番)原告小松正諦
(一)  格差の程度
原告西池光輝に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告小松正諦は、集会一覧表記載14・19・44―1・49・52・59・60・65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったこと、このうち74の集会に同原告が積極的に参加したなどとして、昭和四三年一一月一八日、税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三四回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26日、43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9・10日、同年9月18・19日、同年11月20・21・22日)にわたってプレート等を、六回(48年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたって腕章及びプレートを着用し、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともにステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三番)原告橋爪の(3)ロ及び(一〇番)原告大屋の(3)ニに記載した各行為に加わったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には昭和四五年から昭和四八年まで毎年六日ないし9.5日の病気休暇のあることが認められる。
(八三番)原告灰野善夫
(一)  格差の程度
原告池西光輝に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載14・19・21・24・25・35・44―1・49・56・58・59・68・69・71ないし74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、24・25・35・71・73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三八回(42年6月7日、同年9月30日、同年10月9日、同年11月9日、43年3月23日、同年6月7日、同月28日、同年7月23日、同年9月28・30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、47年5月10・11日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(五番)原告小林の(3)ハ、(一〇番)原告大屋の(3)ロ及び(三二番)原告安福の(3)ロ(ただし、二〇日の分)に記載した各行為に加わった。
なお、右(三二番)原告安福(3)ロの抗議行動の際、「こんな勝手な行為をするのが総務課長だ、器物破壊の現行犯だ、現行犯逮捕として逮捕するぞ」と暴言を吐いた。
ロ 昭和四五年七月九日午前八時五五分頃、摩耶出張所二階組合掲示板に被爆者救援の募金袋を掲出して募金行為をした。
(八四番)原告長谷川茂吉
(一)  格差の程度
原告井上洋一に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告長谷川茂吉は、集会一覧表記載31・33・52・59・65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三九回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26・27日、43年7月23日、同年9月28・30日、同年10月1日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか三回(48年12月10・14・15日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ (三番)原告橋爪の(3)イ及び(九番)横江の(3)ハに記載した各行為に加わった。
ロ 昭和四一年一二月二三日午後一時二〇分頃(勤務時間)、業務部統計課輸入統計係の職員の机上に組合のビラを配布した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和三七年一二月一一日から昭和三九年二月二九日まで病気のため勤務を欠き、同年四月一日の昇給期において普通昇給が九か月延伸されたこと、また、昭和四一年にも四月一日から同年五月七日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四三年には7.5日の病気休暇があることが認められる。
(八五番)原告松岡竜二
(一)  格差の程度
原告池西光輝に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告松岡竜二は、集会一覧表記載42・67の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一日までの間の勤務時間中に、二九回(42年10月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1日)にわたってプレート等を着用し上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、45年5月27日のリボン着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月二一日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(八六番)原告屋形修一
(一)  格差の程度
原告池西光輝に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告屋形修一は、昭和三七年一月に中級職試験に合格したが、係争期間開始当時における等級号俸は入関時の資格(昭和三四年初級組)の他の者と変わらないことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・6の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、6を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四八年四月一七日の勤務時間中にプレートを着用したことが認められる。
(八七番)原告柳沢尚
(一)  格差の程度
原告池西光輝に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告柳沢尚は、集会一覧表記載74・75の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年七月二三日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三一回(43年7月23日、同年9月28日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月20・22・24・26・27日)にわたってプレート等を、四回(48年11月28・29・30日、同年12月1日)にわたって腕章とプレート着用し、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、43年12月13日のリボン着用、48年12月12日の腕章着用とテント掲出を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二二日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(二六番)原告林の(3)に記載した抗議行動に加わり、この中で課長が、勤勉手当減額の具体的理由の開示を求めた組合員に対し、その一例として原告白川が勤務時間中にギターを弾いたことを挙げたところ、原告柳沢尚は、「そんなら何日の何時頃とはっきり言ったらええやないか、それが言えんのやったらあんたのデッチあげやないんか。」などと暴言を吐いたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四六年九月四日から同年一〇月二七日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四八年には七日の病気休暇があることが認められる。
(八八番)原告山野陽通
(一)  格差の程度
原告池西光輝に同じ。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、原告山野陽通は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二二回(42年10月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年6月9日、48年4月17日、同月24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年10月21日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、47年6月9日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(八九番)原告大西宏之
(一)  格差の程度
原告大西宏之は、係争期間終了当時、六―六であったから、同期、同資格(昭和三四年高校組)の非組合員五名のうち、六―八、七の四名に比べ一、二号俸低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載4・8・10・11・43・59・68の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、10・11を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、一八回(42年6月7日、同年9月28日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、同年10月23日、47年7月12日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月29日、同年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、42年7月12日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四〇年に一七回、昭和四一年に三〇回、昭和四四年に一四回(このうち、昭和四〇年の一三回、昭和四一年の二九回、昭和四四年の一二回は交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(九〇番)原告中西清
(一)  格差の程度
原告大西宏之に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告中西清は、集会一覧表記載59・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、三六回(42年10月21日、同月25・26日、43年7月23日、同年9月28・30日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年10月25・26日のリボンの着用、47年6月10日のプレートの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(一〇番)原告大屋の(3)ニに記載した抗議行動に加わったことが認められる。
(九一番)原告生駒洋二
(一)  格差の程度
原告生駒洋二は、係争期間終了当時、六―六であったから、同期、同資格(昭和三五年初級組)の非組合員九名に比べて号俸が一、二号低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載46・51・52・57・59・62・64・65・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、57を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三〇回(42年10月25日、43年7月23日、同年9月28日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14・15日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、47年5月10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、43年12月13日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(九番)横江威の(3)ロ及び(二六番)原告林の(3)に記載した各行為に加わった。
ロ 昭和四四年七月一三日午後一時三〇分まで超過勤務を命じられていたのに、残務を同僚に託して午後〇時三〇分頃退庁した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四〇年に一一日、昭和四一年に五日、昭和四七年に14.5日、昭和四八年に七日の病気休暇があることが認められる。
(九二番)原告桐村邦彦
(一)  格差の程度
原告生駒洋二に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載25・35・44―1・49・54・59・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、25・35を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち74の集会に同原告が積極的に参加したなどとして、昭和四三年一一月一八日、税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三八回(42年6月7日、同年10月5日、同月21日、同月25・26日、43年3月11日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9・10日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、三回(48年12月13・14・15日)にわたってプレート及び腕章を着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(五番)原告小林の(3)イに記載した行為に加わった。
ロ 昭和四四年六月五日、新港第二方面事務所第四突分室仮庁舎移転にともなって、組合掲示板の設置場所を予め指定されていたのに、これを無視して勝手に別の場所に取り付け、さらに取付作業を中止するよう命じられたのにこれにも従わず、そのまま続けた。
(九三番)原告田中範明
(一)  格差の程度
原告生駒洋二に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載74の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二六日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二九回(42年10月26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同月31日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと(ただし、45年10月31日のバッチ着用を除く。)、この間の昭和四七年八月二一日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三五番)原告岩本の(3)ロに記載した行為に加わったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四五年に8.5日、昭和四六年に10.5日、昭和四七年に13.5日、昭和四八年に22.5日の病気休暇があることが認められる。
(九四番)原告寺岡洋
(一)  格差の程度
原告生駒洋二に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告寺岡洋は、集会一覧表記載73の無許可集会に参加したことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に、三六回(42年10月21日、43年3月23日、同年6月7日、同年7月23日、同年9月30日、同年10月1日、同月8日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10日から同月14日まで)にわたって腕章を着用するとともに円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三二番)原告安福の(3)ロ(ただし、二〇日の分)に記載した勤務時間中の抗議に加わったことが認められる。
(九五番)原告橋本重国
(一)  格差の程度
原告生駒洋二に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・6・13・26・28・30・34・36・37・45・48・51・58・61ないし65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、6・34・36・37・45を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に、三五回(42年10月21日、同月25・26日、43年7月23日、同9月28・30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同28・29日、同年9月18・19日、同年11月26・27・28・30日、同年12月4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10日から同月14日まで)にわたって腕章を着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(三五番)原告岩本の(3)ロ及び(五六番)原告真下の(3)イに記載した各行為に加わった。
ロ 勤勉手当が減額されたことについて納得のいく説明がないとして、昭和四五年一二月五日、七日から一〇日まで、所属の統計課長に激しい口調で「何も言っていないじゃないか、具体的理由を言わんかい。」「何を言うとんのや、人をカットしておいてそれで課長といえるか、いつ何をしたんや言わんかい、説明もでけんのか。」「まだ時間と違うわい、言えんのやったら何遍でも来たるからその積りでおれ。」「そんなもん答えにならん、課長しっかりせいよ。」「部下がカットされているのに課長たる者が理由も判らんでは課長たる資格がないではないか。」「責任者で判らんのやったら管理や総務へ行っても聞いてくるのが責任者と違うんか。」「またええ加減な現認書をデッチあげて上へ出したんと違うんか。」などと言って執拗に抗議した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四六年九月二三日から同年一一月一〇日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四五年に六日、昭和四七年に一三日、昭和四八年に二九日の病気休暇があることが認められる。
(九六番)原告古谷太郎
(一)  格差の程度
原告生駒洋二に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載1・5・6・13・26・28・30・32・34・36・37・45・48・51・52・57・59・61ないし65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、6・32・34・36・37・45・57を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうちの74の集会に原告が積極的に参加したなどとして、昭和四三年一一月一八日、税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三七回(42年6月19・20日、同年10月5日、同月21日、同月25・26日、同年11月8日、同年12月4日、43年3月1日、同月11日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月20・22・24日、同月27日)にわたってプレート等を、六回(48年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたって腕章及びプレートを着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテント(48年12月10日にはさらにステッカー)を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(九番)横江威の(3)ロ及び(六五番)原告村田の(3)ハに記載した各行為に加わった。
ロ 昭和四五年一一月六日午前八時四〇分頃、兵庫埠頭出張所輸入各課の職員の机上に明るい革新県政をつくる会の機関紙約三七枚(内容は知事選挙の特定の候補者を推薦するとともに対立候補者を批判するもの)を配布した。
(九七番)原告横川泰三
(一)  格差の程度
原告生駒洋二に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載17・27・33・52・59・72ないし74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二六日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二五回(42年10月26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同月31日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日)にわたってプレート等を、六回(48年11月28・29・30日、48年12月1・3・4日)にわたって腕章及びプレートを着用したほか、五回(48年12月10・11・13・14・15日)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、45年10月31日のバッヂの着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一九日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(九八番)原告岸本強
(一)  格差の程度
原告岸本強は、係争期間終了当時、六―五であったから、同期、同資格(昭和三五年高校組)の非組合員一六名のうち六―六、七の一二名より号俸が一、二号低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載4・47―1・53・67・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二七回(42年10月21日、同月25日、43年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四〇年七月一三日午後二時一五分頃(勤務時間内)、東部出張所監査第二部門の自席を無断で離れ、同出張所貨物課整理係の職員に組合活動として行なわれる労働大臣宛の賃上げ要求の葉書を手渡した。
ロ 前記(三五番)原告岩本の(3)ロに記載した行為に加わった。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四〇年に一〇日、昭和四一年に一六日、昭和四四年に五・五日の病気休暇があることが認められる。
(九九番)原告井口恭光
(一)  格差の程度
原告井口恭光は、係争期間終了当時、六―五であったから、同期、同資格(昭和三六年初級組)の非組合員二七名のうち六―六、七の二一名より号俸が一、二号低くなっている。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四八年四月二三日から同年九月八日までの間の勤務時間中に、七回(48年4月23・24・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28日、同年9月18日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、同年八月二五日に右のうちの同年四月二三日から同年六月二八日までの行為について税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一〇〇番)原告乾正明
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告乾正明は、集会一覧表記載1・28・30・32・34・36・37・45・51・62の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、32・34・36・37・45を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二九回(42年6月19・20日、43年9月28日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・29日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたって同様のステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレート着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一〇一番)原告大釜昭雄
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告大釜昭雄は、集会一覧表記載47―1・53・67・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三二回(42年10月25・26日、43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月20・21・22日、同月26・27日)にわたってプレート等を、六回(48年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート及び腕章を着用したほか、六回(48年12月10ないし15日)にわたって腕章を着用するとともにステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二二日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一〇二番)原告大辻茂登夫
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載2・3・13・26・28・30・32・34・36・37・45・51・57・59・61ないし65・73の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、32・34・36・37・45・57・73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月六日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に三三回(42年10月6日、同月21日、43年6月7日、同月28日、同年7月23日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、二回(48年12月13・14日)テントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、47年6月9日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、45年5月27日のリボン着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(五番)原告小林の(3)ハ、(九番)横江威の(3)ロ及び(三二番)原告安福の(3)ロ(ただし二〇日の分)の行為に加わった。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四三年から昭和四五年まで毎年七・五日ないし一一・五日の病気休暇のあること、昭和四五年には四二回の時間休のあることが認められる。
(一〇三番)原告大橋正義
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載52・59・65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったこと、このうち74の集会に同原告が積極的に参加したなどとして、昭和四三年一一月一八日、税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三四回(42年10月21日、同月25・26日、同年12月8日、43年5月22日、同年7月23日、同年9月27・28日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、同年11月2日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月21・22日、同月27日)にわたってプレート等を、六回(48年11月19・20日、同月28・29・30日、同年12月1日)にわたってプレート及び腕章を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、八回(48年12月17ないし22日、同月24・25日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、45年11月2日のバッヂ、昭和48年11月20日の腕章の着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四一年五月一六日午前九時三〇分頃(勤務時間内)、業務部統計課の自席において組合の物資販売代金の集計作業を行なった。
また、同年九月二四日午後〇時一九分頃から同二二分頃まで(勤務時間内)、業務部輸出一部門及び総括二部門の職員に、組合の「青年部第一四回定期大会議案書」を配布した。
ロ 前記(三番)原告橋爪の(3)ロに記載した行為に加わった。
ハ 昭和四三年九月二六日、輸出通関第二部門の自分の席において、執務参考資料であるコードナンバー早見表に「藤原君の高知行きの内示を撤回せよ」と朱書した紙を貼付し、これを机上に置いて執務した。なお、上司から撤去するよう注意されたのに従わなかったので庁舎管理規則に違反する掲示物として、当局においてこれを撤去した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四三年に一六回、昭和四四年に一七回、昭和四八年に一三回あること、また、病気休暇が昭和四〇年に一六・五日、昭和四三年に九日、昭和四四年に一一日、昭和四七年に五日あることが認められる。
(一〇四番)原告川上俊智
(一)  格差の程度
原告川上俊智は、原告井口恭光と入関の時期、資格が同じで、係争期間中に特別昇給し(このことは、〈書証番号略〉によって認める。)、同期間終了当時、六―六であったから、同期、同資格の前記非組合員二七名のうち同原告より号俸が高いのは六―八の二名と六―七の一〇名だけとなる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告川上俊智は、集会一覧表記載72の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四八年四月一七日から同年一二月一五日までの間の勤務時間中に、一七回(48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか六回(48年12月10日から15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(五番)原告小林の(3)ハに記載した行為に加わったことが認められる。
(一〇五番)原告斉藤俊宏
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告斉藤俊宏は、集会一覧表記載8・12・27・33・52・59・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月五日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三三回(42年10月5日、同月21日、同月26日、43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月26日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・11・12・14・15日)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二一日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長から口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(五番)原告小林の(3)ハに記載した行為に加わったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和四〇年四月三日から同年五月三一日までと、同年の下期に一〇日、いずれも病気のため勤務を欠き、昭和四一年四月一日の昇給期において普通昇給が三か月延伸されたことが認められる。
(一〇六番)原告佐野年則
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告佐野年則は、集会一覧表記載4・42・47―1・53・59・67・71・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月一二日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二七回(42年10月12日、同月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日)にわたってプレート等を着用したほか五回(48年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたって腕章とともにプレートを着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと(ただし、42年10月12日のリボンの着用を除く。)、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉及び証人荒川八郎の証言によれば、同原告は、昭和三八年九月二〇日、神戸市内の電柱にビラを貼り、軽犯罪法及び兵庫県屋外広告条例違反として逮捕(起訴猶予)され、昭和三九年一二月一四日に税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(一〇七番)原告白川弘視
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
なお、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間中に勤務成績不良を理由として普通昇給が三か月延伸されたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載52・59・61ないし65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、三〇回(42年6月19・20日、43年10月8日、同年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二四日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四一年五月一八日午後三時五五分頃(勤務時間内)、業務部統計課の自分の席において、組合ニュースの原稿を書いた。
また、昭和四一年五月二七日午後一時二〇分頃(勤務時間内)、業務部統計課において、原告植田明とともに、組合ニュースを職員に配布した。
ロ 前記(三番)原告橋爪の(3)イ、(九番)横江威の(3)ロ及び(二六番)原告林の(3)に記載した各行為に加わった。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四四年三月五日から同年五月二日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四〇年にも一六日の病気休暇があることが認められる。
(一〇八番)原告洲崎雅晴
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載40・50・56・58・68・69・71ないし74の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、40・71・73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、三四回(42年6月7日、同年9月28日、同年10月6日、同年10月21日、同年11月9日、同月20日、43年3月23日、同年6月7日、同月28日、同年9月28日、同年10月8日、同年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボン着用、44年5月23日のプレート着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三二番)原告安福の(3)ロ(ただし、二〇日の分)に記載した行為に加わったことが認められる。
(一〇九番)原告高野和子
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告高野和子は、集会一覧表記載4・47―2・52・65・72・74に各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三一回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26日、43年7月23日、同年9月30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたってステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用、48年12月11日のステッカーの掲出を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、47年11月28日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四一年に二六日、昭和四四年に三五日、昭和四六年に一二日の病気休暇があることが認められる。
(一一〇番)原告高橋亘
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告高橋亘は、集会一覧表記載7の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四七年一一月二八日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、一六回(47年11月28日、48年4月17日、同月23・25日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレートを着用し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(一一一番)原告玉井進吾郎
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告玉井進吾郎は、後記非違行為(3)イの行為について戒告処分を受けたため昭和四一年に普通昇給が三か月延伸されたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・13・26・28・30・34・36・45・48・51・52・57・59・61ないし65・71・73・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、34・36・45・57・71・73を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち64の集会において同原告が指導的役割を果したなどとして、昭和四二年五月一八日税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三四回(42年6月19・20日、同年10月26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22日、同月27・28・29・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか六回(48年12月10日から15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四〇年一一月一二日、西宮市内の電柱に、「アメリカのベトナム軍事侵略をやめ、即時撤退せよ、日韓会談粉砕、日中国交回復の即時実現」などと書いたビラ六九枚を貼付し、兵庫県屋外広告物条例、軽犯罪法違反として昭和四一年一月一五日、罰金一万円の略式命令を受けた。
右について同年六月四日、同原告は、戒告処分を受けた。
ロ 昭和四一年五月二〇日ないし二五日の勤務時間内に、中部方面事務所の自分の机の上にチューインガムを置き、「代表派遣カンパに協力をお願いします」と書いたビラを机の側面に貼って、来所した業者に販売した。
ハ 前記(九番)横江威の(3)ロに記載した行為に加わった。
(一一二番)原告田村芳春
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
なお、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、係争期間において成績不良を理由に普通昇給が三か月延伸されたことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載41・55・59・66・70・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、41を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち70の集会に同原告が積極的に参加したなどとして後記(3)のうち(七四番)原告深田の(3)ハに記載した行為と併せて昭和四二年一二月四日に税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月六日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三八回(42年10月6日、同月21日、同月25・26日、同月31日、同年11月1・2・3・4・6・7・8・9・10・11日、43年6月29日、同年7月6日、同月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年11月20・21・22・24・26・27日)にわたってプレート等を、六回(48年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート及び腕章を着用し、五回(48年12月10・11・13・14・15日)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年10月31日から同年11月9日までのバッヂの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(七四番)原告深田の(3)ロ、ハ、ニに記載した各行為に加わったことが認められる。
(一一三番)原告友常均
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告友常均は、集会一覧表記載44―1・73の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、四一回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年9月30日、同年10月9日、同月21日、43年3月23日、同年9月30日、同年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22・24日、同月29・30日、同年12月1日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともに円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボンの着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四八年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、事故が昭和四〇年に一四回、昭和四三年に二〇回、昭和四四年に一二回(このうち、昭和四〇年の二回、昭和四三年の四回、昭和四四年の一回は交通機関の延着による遅刻)あること、また、昭和四〇年から昭和四八年まで毎年(ただし、昭和四六年を除く。)一五回ないし三〇回の時間休があることが認められる。
(一一四番)原告中岡俊昭
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載47―1・53・67・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月五日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、四九回(42年10月5日、同月21日、同月25・26日、同年11月8・9・10・11・13・14・15・16・17・18・20・21・22・24日、同年12月4日、43年3月11日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同月30日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、42年11月24日、45年10月30日のバッヂ着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一九日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一一五番)原告西村彦三郎
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載5・6・28・30・32・34・36・37・45・48・51・52・57・59・68・69・71・72・73・75の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、6・32・34・36・37・45・57・71・73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三七回(42年6月7日、同年9月30日、同年10月9日、同年11月9日、43年6月7日、同年7月23日、同年9月28・30日、同年10月1日、同月8日、44年3月14日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同月30日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか三回(48年12月11・12・15日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、45年10月30日のバッヂ着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四二年四月七日午後三時一〇分頃(勤務時間内)、摩耶出張所貨物課の職員の机上に組合のビラ(国公労新聞)を配布した。
ロ 前記(三二番)原告安福の(3)ロに記載した組合の文書(「ストライキ宣言」)の撤去作業をしていた摩耶出張所総務課長らに勤務時間中に離席して抗議したほか、昭和四二年一〇月二五日にも、勤務時間中に無断で離席し、前同様の文書の撤去作業をしていた同総務課長らに対し、「総務課長、時間中に何をしよんねん、泥棒するな。」と言って抗議した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、原告西村彦三郎は、昭和四〇年二月六日から同年三月一三日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四三年、昭和四四年、昭和四七年にも六ないし八日の病気休暇のあることが認められる。
(一一六番)原告長谷川紀彦
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載11・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし11を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年一〇月八日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二七回(43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から同月15日まで)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、43年12月13日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四〇年三月一一日午前九時一二分頃(勤務時間内)、点呼を受けないで監視警務二係更衣室において組合のビラの仕分作業をした。
また、上司の再三の注意を無視して同年五月一七、二四、二五日及び同年六月三日の勤務時間内に、交代バスの中で組合ニュースを職員に配布した。
ロ 前記(五番)原告小林の(3)ハ及び(一〇番)原告大屋の(3)ニに記載した各行為に加わった。
(一一七番)原告藤池征夫
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告藤池征夫は、集会一覧表記載41・55・68・69・71・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、41・71を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三六回(42年6月7日、同年10月6日、同月21日、同月25日、同年11月18日、43年3月23日、同年9月28・30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、47年5月10日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、三回(48年13・14・15日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月7日のリボンの着用、47年5月10日のプレートの着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 昭和四〇年三月五日午前一〇時頃から同一〇時三〇分頃まで、中埠頭出張所輪出二係の自分の席において処理をするよう指示を受けた輪出申告書約七件が回付されてきたのにこれを放置して私用の謄写版のガリ切りをした。
なお、業務課長から注意されたのに対し「新聞雑誌を読んだり、雑談をしていても注意されないのになぜこのような場合だけ文句を言われるのか。」と抗弁した。
ロ 昭和四〇年四月一九日午後一時四〇分頃(勤務時間内)、原告坂本檀とともに本関から運んできた組合の看板(賃金公開用の)を中埠出張所二階に持込もうとした。
ハ 前記(五番)原告小林の(3)ハ及び(三二番)原告安福の(3)ロ(ただし、二〇日の分)に記載した各行為に参加した。
(一一八番)原告藤田貫治
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告藤田貫治は、集会一覧表記載55・66の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四八年四月一七日から同年九月一八日までの間の勤務時間中に、八回(48年4月17日、同月23・24・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28日、同年9月18日)にわたってプレートを着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四八年八月二五日に同年四月一七日から同年六月二八日までのプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四六年六月四日から同年七月二六日まで病気のため勤務を欠いたほか昭和四〇年にも一六・五日の病気休暇があることが認められる。
(一一九番)原告堀斉
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告堀斉は、集会一覧表記載52の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月六日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三〇回(42年10月6日、同月21日、同月25日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたってステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、43年12月13日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一二〇番)原告宮浦忠重
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四五年五月二七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二三回(45年5月27日、同年10月23日、47年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたって円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一二一番)原告山本昌文
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載9ないし11・31・33・38・43・59の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、9ないし11を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一一日までの間の勤務時間中に、二三回(42年10月21日、同月25・26日、43年10月8日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同年7月9日、同年9月18日)にわたってプレート等を着用したほか二回(48年12月10・11日)のステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二三日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一二二番)原告吉野陽児
(一)  格差の程度
原告井口恭光に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載59の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四八年四月二三日から同年九月一九日までの間の勤務時間中に五回(48年4月23・24・25日、同年9月18・19日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、48年4月23・24日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(一二三番)原告井手輝彦
(一)  格差の程度
原告井手輝彦は、係争期間終了当時、七―七であったから、同期、同資格(昭和三六年高校組)の非組合員二二名のうち六―五の一五名、六―六の五名に比べて昇格が遅れ、号俸も一、二号相当低くなっている。しかし〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間の終了の翌日に六等級に昇格したことが認められるから、右昇格の遅れは一五名に比べると一年程度である。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載42・47―2・53・59・67・71ないし74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、71・73を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三五回(42年10月2・3日、同月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9・10日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・12・13・14・15日)にわたって腕章及びプレートを着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし45年5月27日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一九日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は昭和四一年八月一九日午前九時一五分頃(勤務時間内)東部出張所二階事務室の職員の机上に組合新聞を配布した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には事故が昭和四〇年に一三回、昭和四一年に一二回、昭和四三年に一三回、昭和四八年に三一回(このうち、昭和四〇年の一回、昭和四三年の九回、昭和四八年の三〇回は交通機関の延着による遅刻)あること、また、病気休暇が昭和四三年に九日、昭和四五年に一七日、昭和四六年に一二・五日、昭和四七年に一三日、昭和四八年に一二・五日あることが認められる。
(一二四番)原告沢井庸晃
(一)  格差の程度
原告井手輝彦に同じ(ただし、原告沢井は、昭和四九年一月一日に六等級に昇格して係争期間終了当時は六―四)。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載20・59の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月六日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二四回(42年10月6日、同月21日、43年3月11・12日、44年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25日、同年6月22日、同月28日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、48年12月1日)にわたってプレート等を着用したほか、四回(48年12月12・13・14・15日)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、43年3月12日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、同原告は、昭和三九年二月一九日から同年四月一五日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四一年と昭和四三年から昭和四八年まで毎年六日から二〇日の病気休暇のあることが認められる。
(一二五番)原告三野正博
(一)  格差の程度
原告井手輝彦に同じ(ただし、原告三野は、昭和四九年一月一日に六等級に昇格して係争期間終了当時は六―四)。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載4・47―1・53・67・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二一日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二〇回(42年10月21日、同月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、二回(48年12月12・15日)ステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(44年7月10日のプレート着用を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四〇年七月一三日午前九時一五分前頃(勤務時間内)、東部出張所貨物課整理係において、組合のビラを配布した。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四一年六月二九日から同年八月六日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四〇年と昭和四三年から昭和四五年まで毎年四ないし六日の病気休暇のあることが認められる。
(一二六番)原告山口忠
(一)  格差の程度
原告井手輝彦に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告山口忠は、係争期間終了の翌日に六等級に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載44―2・54・58・59・68・69・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、三五回(42年6月7日、同年9月28日、同年10月21日、同月25日、同年11月9日、43年3月23日、同年9月30日、同年10月8日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一二七番)原告林弘司
(一)  格差の程度
原告井手輝彦に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告林弘司は、年度途中の入関(昭和三六年六月二四日)であることが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載18・21・24・38・43・52・59・65の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし24を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一四日までの間の勤務時間中に、一七回(42年6月19・20日、43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、47年5月10日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月23・24・25・26日、同年5月28日)にわたってプレート等を着用したほか四回(48年12月10・11・12・14日)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかった(ただし、47年7月12日のプレート着用を除く。)ことが認められる。
(一二八番)原告脇岡秀年
(一)  格差の程度
原告井手輝彦に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告脇岡秀年は、年度途中の入関(昭和三六年六月二四日)であることが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載1・2・47―1・53・59・67の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年一〇月八日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二二回(43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、45年5月27日のプレート着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一二九番)原告天野親聡
(一)  格差の程度
原告天野親聡は、係争期間終了当時、七―七であったところ、同期、同資格(昭和三七年初級組)の非組合員三五名の右当時における等級号俸は不明であるが、これを原告ら主張のとおりであるとして(ただし、原告らの主張では二八名)比較すると、六―五、六の二四名に比べて昇格が遅れ、号俸も一、二号相当低くなっている。しかし、〈書証番号略〉によれば、同原告は、係争期間終了の翌日に六等級(六―四)に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載72の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年一〇月八日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、九回(43年10月8日、同年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、47年6月9日、48年9月18・19日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(一三〇番)原告十倉健
(一)  格差の程度
原告天野親聡に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告十倉健は、係争期間終了の翌日に六等級に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載2・40・58・68・69の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、40を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年九月三〇日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、一六回(42年9月30日、43年3月23日、同年6月7日、同年9月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28日)にわたってプレート等を着用したほか三回(48年12月13・14・15日)にわたってテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、42年9月30日、43年3月23日、同年9月28日の各プレート着用を除く。)ことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(五番)原告小林の(3)ハに記載した行為に加わったことが認められる。
(一三一番)原告藤原敏弘
(一)  格差の程度
原告天野親聡に同じ。
なお、〈書証番号略〉によれば、原告藤原敏弘は、係争期間終了の翌日に六等級に昇格したことが認められる。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載72の無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月五日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、一六回(42年10月5日、同月25日、48年4月17日、同月23・25・26日、同年5月28日、同年6月28日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22・24日)にわたってプレート等を、六回(48年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート及び腕章を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたって腕章を着用するとともに円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告には、昭和四二年に事故が一六回(このうち九回が交通機関の延着による遅刻)あることが認められる。
(一三二番)原告塚本富美子
(一)  格差の程度
原告塚本富美子は、係争期間終了当時、七―六であったから、同期、同資格(昭和三七年高校組)の非組合員一〇名(七―七)に比べて一号俸低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載44―1・49・72の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三八回(42年6月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年10月21日、同月25・26日、43年7月23日、同年9月30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月26日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月24・25・26・27日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9・10日、同年9月18・19日、同年11月29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、三回(48年12月13・14・15日)にわたって円柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、48年4月27日と同年7月10日の各プレート着用を除く。)こと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一三三番)原告山本昭昌
(一)  格差の程度
原告塚本富美子に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告山本昭昌は、集会一覧表記載54・59・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三二回(42年6月7日、同月19日、同年7月21日、同年8月1日、同年9月30日、同年10月6・7日、43年12月13日、44年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月10・11・12・14・15日)にわたって腕章を着用するとともにテントを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(五番)原告小林の(3)ハに記載した行為に加わったことが認められる。
(一三四番)原告池内幸恵
(一)  格差の程度
原告池内幸恵は、係争期間終了当時、七―六であったから、同期、同資格(昭和三八年初級組)の非組合員二七名のうち六―四以上の二二名より昇格が遅れ、号俸も七―七以上の二五名より少なくとも一号俸低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載51・52・59・62・64・65・72・74に無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、二七回(42年6月19・20日、同年10月21日、同月25・26日、43年7月23日、同年10月8日、44年3月14日、同年5月23日、45年5月26日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、48年4月17日、同月23日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四五年四月二七日午後三時四〇分頃、輸出統計課特別統計係長席に赴き、同係長から再度外貨船用品の集計作業をするよう命じられたことについて、「さっき言われた仕事は納得できないから出来ません。」「そんな命令はない、塚本さんはもう大分よくなってこの仕事が出来るし、残業もしたいと言っているのに少しも聞いてくれない、そんな塚本さんの仕事は私に出来ません。」「塚本さんのことを十分考えて下さい、そんな仕事の与え方は無茶だ、もっと私たちの納得のいくようにしてくれないと仕事は出来ない。」などと言って抗議し、同係長から席に帰って仕事をするように命じられたのに、なおも「話を聞いてくれなければ帰れません。」と言って午後四時頃まで抗議を続けた。
(三)  出勤状況
〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和三九年一一月一一日から同年一二月一二日まで病気のため勤務を欠いたほか、昭和四三年から昭和四八年まで毎年、五日ないし三八日の病気休暇のあることが認められる。
(一三五番)原告河合健治
(一)  格差の程度
原告池内幸恵に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告河合健治は、集会一覧表記載71の無許可集会に参加したことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年三月二三日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三七回(43年3月23日、同年6月7日、同年7月23日、同年9月28・30日、同年10月1日、同月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9・10日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、三回(48年12月13・14・15日)にわたって腕章及びプレートを着用するとともに角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一三六番)原告玄田哲夫
(一)  格差の程度
原告池内幸恵に同じ。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、原告玄田哲夫は、昭和四五年五月二七日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二五回(45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭の厳重注意を受けたことが認められる。
(一三七番)原告那須司鋭
(一)  格差の程度
原告池内幸恵に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告那須司鋭は、集会一覧表記載59・68・69・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月七日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三一回(42年6月7日、同年9月28日、43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、45年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月19・20・21・22日、同月29・30日、同年12月4日)にわたってプレート等を着用し、五回(48年12月11日から同月15日まで)にわたって机上に円柱を掲出し、上司から取外すよう注意等を受けた(ただし、43年10月8日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月二二日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(一三八番)原告村田安弘
(一)  格差の程度
原告池内幸恵に同じ。
(二)  非違行為
〈書証番号略〉によれば、原告村田安弘は、昭和四八年四月一七日から同年一二月一五日までの間の勤務時間中に、一五回(48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28・29日、同年7月9日、同年9月18・19日、同年11月28・30日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、六回(48年12月10日から15日まで)にわたってステッカーを机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(一三九番)原告山之内輝雄
(一)  格差の程度
原告池内幸恵に同じ。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告山之内輝雄は、集会一覧表記載45・48・51・52・57・59・61・62・63・65・72・74の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられた(ただし、45・57を除く。)のにこれに従わなかったこと、このうち74の集会に同原告が積極的に参加したなどとして、昭和四三年一一月一八日、税関長の文書による厳重注意を受けたことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年六月一九日から昭和四八年一二月四日までの間の勤務時間中に、二六回(42年6月19・20日、同年10月25日、43年10月8日、同年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月26日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年6月22日、同月28日、同年9月18日、同年12月3・4日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意を受けた(ただし、42年6月19・20日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に同年七月一二日の、昭和四八年八月二七日に、同年四月一七日から同年六月二八日までのプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについてそれぞれ税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告について次の事実が認められる。
イ 前記(九番)横江威の(3)ロ及び(二六番)原告林の(3)に記載した各行為に加わった。
ロ 昭和四四年五月九日午後二時四〇分頃から同三時一〇分頃までの間(勤務時間内)輸出保税課新港第一方面事務所の自席の机上に「ベトナム人民支援カンパ」と表示した募金缶を置いて募金行為をした。
ハ 昭和四四年七月一三日(日曜日)午後一時三〇分まで超過勤務を命じられていたのに、午後一時頃退庁した。
(一四〇番)原告細川義信
(一)  格差の程度
原告細川義信は、昭和三六年九月に高校卒の資格で入関し、昭和三九年一月に中級職に任用換えされた者で(このことは〈書証番号略〉によって認める。)係争期間終了当時、六―五であったところ、同期、同資格(昭和三九年中級組)の非組合員二名の右当時の等級号俸は不明であるが、これを原告ら主張のとおりであるとして比較するとそれぞれ一、二号俸低くなっている。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、集会一覧表記載65・74・75の各無許可集会に参加し、当局から中止解散するよう命じられたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四三年九月二八日から昭和四八年一二月一五日までの間の勤務時間中に、三一回(43年9月28日、同年12月13日、44年3月14・15日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、同年7月12日、同年11月28日、48年4月17日、同月23・24・25・26日、同年5月28日、同年6月22日、同月28・29日、同年9月18・19日、同年11月28・29・30日、同年12月1・3・4日)にわたってプレート等を着用したほか、五回(48年12月11日から15日まで)にわたって角柱を机上に掲出し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けた(ただし、43年12月13日のリボン着用を除く。)のにこれに従わなかったこと、この間の昭和四七年八月一八日に、同年七月一二日のプレートの着用とその取外しの職務命令に従わなかったことについて税関長の口頭による厳重注意を受けたことが認められる。
(3) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、前記(三五番)原告岩本の(3)ロに記載した行為に加わった。
(一四一番)原告原奉宣
(一)  格差の程度
原告細川義信に同じ(ただし、入関は昭和三七年初級組、〈書証番号略〉)。
(二)  非違行為
(1) 〈書証番号略〉によれば、原告原奉宣は、集会一覧表記載53・59・67・72・74の各無許可集会に参加し、上司から取外しや撤去するよう注意等を受けたのにこれに従わなかったことが認められる。
(2) 〈書証番号略〉によれば、同原告は、昭和四二年一〇月二五日から昭和四八年九月一九日までの間の勤務時間中に、二一回(42年10月25・26日、43年12月13日、44年3月14日、同年5月23日、同年7月10日、45年5月27日、同年10月23日、同年11月2日、47年5月10・11日、同年6月9・10日、48年4月17日、同月23・24・26日、同年5月28日、同年6月28日、同年9月18・19日)にわたってプレート等を着用し、上司から取外すよう注意等を受けたのにこれに従わなかった(ただし、45年11月2日のバッヂの着用を除く。)ことが認められる。
5  原告ら各自の格差の程度、非違行為及び出勤状況等は以上のとおりであるが、これらについて若干補足する。
(一)  格差について
原告らと非組合員らとの間において、係争期間終了時に格差が存在していたとしても、同期間の当初において格差が存在しないことが明らかでない限り、係争期間終了当時の格差をもって直ちに同期間に生じたものということができないのはいうまでもない。この点については、年度途中に入関したためにその後の昇給、昇格が遅れ、また係争期間前に病気休暇や懲戒処分を受けて普通昇給が延伸されて昇給、昇格が遅れ、これにより係争期間の当初においてすでに格差が生じていたと考えられる原告らについては、前項で検討したが、入関年度の古い者については、このような事由のほかに、特別昇給の有無によっても係争期間の当初においてすでに格差が生じていたことも十分考えられる(原告の主張では少なくとも一〇年に一回は特別昇給したというのであるから、昭和二八年までの入関者は一回は特別昇給したことになる。)ところ、係争期間の当初においてこのような格差がなかったことについては必ずしも明らかであるとはいえない。もっとも、前掲甲号各証(役職、等級、職場等一覧表)によれば、原告らと非組合員は、係争期間の当初における等級はほぼ同じであることが認められるものの、このことから直ちに号俸についても差がなかったということはできない。
また、比較の対象とされた非組合員の人数は年度資格によって差があり、中には僅か数人程度に過ぎないものもあり、前項で検討した原告らの格差の程度は、おおよそのものを示すに過ぎない。
(二)  非違行為について
原告らの非違行為は多岐にわたっているが、法令及び上司の命令の従う義務、信用失墜行為の禁止、職務専念義務など、国家公務員法に定められている服務規律に違反するものである。したがって、それが勤務成績において考慮されることは当然であるが、その情状について検討を加える。
無許可集会の多くは勤務時間外に各職場で行なわれた小規模のものであるところ、このような集会は庁舎管理規則が改定された昭和三八年以前においては事実上黙認されていたとみられるものであり、このような経緯からすれば、当局からの庁舎の使用許可を求められるようになったことについて、原告らがこれを組合活動に対する妨害であると捉えたとしても当初の時期においては理解できないではない。しかし、当局が庁舎管理規則を改定して庁舎等の管理について厳しい姿勢で臨むようになったことの背景には、原告組合が激しい闘争を行なって業務の正常な運営を阻害する行為を繰返してきた経緯があることに鑑みると、当局の対応は理由がないことはない。しかも、〈書証番号略〉によれば、当局は庁舎管理規則を改定するにあたって、広報紙により右規則の改定が庁舎等の適正な運用と秩序維持を図るためのものであって、税関業務の正常な運営を阻害しない行政目的以外の使用をすべて禁じるものではない旨を詳しく説明して改定の趣旨を周知させる措置をとり、その後も、昭和四〇年一二月二七日に税関長名の書面をもって同趣旨のことを述べて規則にもとる行為のないよう職員の注意を喚起し、さらに、昭和四一年一二月六日に税関長名の書面をもって、右規則は集会そのものを禁止したものではなく、当局は庁舎等使用について許可申請をするよう命じてきたにすぎないなどと強調して職員の理解を求めるとともに、規則に違反することのないよう重ねて警告したことが認められる。さらに、また、前掲乙号各証(集会に関する現認書に基づいて作成された報告文書)によれば、当局は、組合ニュース等で集会が開かれることを事前に知り得た場合には、分会長等集会の責任者に対し所要の許可申請をするよう勧告したり、注意を与え、知り得なかった場合においても、集会中に同様の勧告や注意を行ない、この中で例えば、「届出は口頭でもよいから直ちにせよ。」(8の集会)、「申請があれば適当な場所の使用を認める方針であり、絶対に貸さないとは言っていない。」(40の集会)、「申請があれば許可する。」(58の集会)などと発言していることが認められ、これらの事実によれば、当局としては所定の許可申請がなされれば、正常な業務の運営に支障を来すものでない限り、使用許可をする考えをもっていたことが窺われ、これらのことは、原告らとしても十分理解し得た筈である。ところが、原告らは、庁舎管理規則は組合との話合いをしないで改定されたものであるから無効であるとか、あるいは組合弾圧を目的とするものであり許可手続を必要とすることは組合活動に対する不当な干渉であるなどとして、組合活動としての庁舎使用については庁舎管理規則による許可は一切不要であるとする見解に立ってあえて当局の注意等を無視して無許可集会を強行反覆し、中止解散命令にも従わなかったものである。しかも、原告らは右のような小規模の職場集会だけでなく、多数の外部支援団体組合員が参加し、演説やシュプレヒコールなどを行なった大規模の集会についても、事前の警告等を無視して強行したのである。このような事情に鑑みると、原告らの行為は、職場環境を適正良好に維持し、規律ある業務の運営の確保を目的とする当局の施設管理権限を侵し職場の秩序を乱すものであって、正当な組合活動といえないばかりでなく、服務規律保持上看過できないものといわなくてはならない。
なお、前掲各証拠(現認報告書等)によれば、原告ら以外のかなりの職員も無許可集会に参加しリボン等の着用等をしたことが伺われるが、その実態は明らかでない。
原告らは、旧庁舎管理規則制定当時に神戸税関長が「庁舎管理規則は庁舎保全のためのものであって労働組合活動等に適用しない」旨言明していたと主張する。たしかに、右規則が改定された昭和三八年までは、各職場における集会等について当局がこれを黙認してきたとみられることは前記のとおりである。しかし、原告らの主張が税関長の発言の趣旨を庁舎管理規則は労働組合活動に一切適用されないというものである、というのであれば税関長がこのような趣旨の発言をしたとは考えにくい。しかも、この点についての原告らの認識も必ずしも一様ではなく、例えば、組合活動の制限等に悪用しない(原告辻一清の陳述書、〈書証番号略〉)と述べるものもあって、このようなことからすれば、税関長の発言の趣旨は、労働組合活動に対して庁舎管理規則を濫用しないというものであったと考えられる。そうであるなら、税関長の右発言は、労働組合としての集会に庁舎の使用許可が一切不要であるとする根拠とはなしえないものといわなくてはならない。
プレート等の着用については、当時これを違法ではないとする裁判例があり、人事院も同旨の見解を示したことがあったこと(このことは弁論の全趣旨によって認められる。)に照すと、原告らが右の見解に立って組合運動としてのプレートの着用が違法ではないと考えたとしても、このことは、当時としてはあながち理由のないことではなかったということができる。しかし、他方においてこれを違法であるとする裁判例も当時から存在しており、同旨の政府機関の公的見解も示されていた(このことは〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によって認める。)のであり、違法ではないとする見解が疑問の余地のないほど一般的なものであったわけではない。ところが、原告らは、自らの見解に固執してプレート等の着用を繰返したばかりでなく当局の取外しの注意や命令にも従わず、しかも税関長の厳重注意を受けた後にも反覆するなどしたものである。このような事情に鑑みると、原告らの行為は、業務の円滑な運営の確保と職場秩序の維持がより強く要求される税関業務に携わる者として軽視できないものといわなくてはならない。
その他の非違行為は、庁舎外のものを除いて組合活動として、または組合活動に伴うものとして行なわれたものであるが、中には出勤簿整理時刻を僅かにはみ出して行なった組合のビラ配布などのようにそれ自体としては事案が必ずしも重いといえないものもある。しかし、このような勤務時間中の組合活動も、上司からの注意を無視して行なったり、注意に対し反論するなど軽視できないものも少なくない。また、勤務時間の内外に大勢で押しかけて所属長との面会を執拗に要求し、あるいは、上司に対し非礼な言動で抗議を行なったりしたことは明らかにいきすぎたものというべく、これに対する職場復帰命令やその他の注意等にも従わなかったことと併せると服務規律の確保上看過することができないものといわざるを得ない。
このような非違行為の態様及び情状に鑑みると、たとえその多くが組合活動に関するものであっても、勤務成績の評価において不利な事情として考慮され、その結果、昇任、昇格及び昇給に影響を及ぼすことになったとしても、不合理であるとはいえない。
(三)  出勤状況について
病気休暇はそれ自体としては正当なものであり、それが昇給の障害事由とされる一定の場合を除いては、これを理由として不利益を科することができないといわなくてはならないが、職務の内容、責任のより高い上位の官職、等級への昇任、昇格において、その適性を判断する一事情として考慮され得ることは昇任、昇格の制度の趣旨に照して当然である。また、これが特別昇給において考慮されることも一定日数以上の病気休暇が特別昇給だけでなく、普通昇給の障害事由となっていることに照して明らかである。
年次休暇は、やむを得ない場合を除いてあらかじめ所属長の承認を得なければならないことになっている(人規一五―六第五項)から、何らの連絡がなく定刻までに出勤しないことは、たとえ事後の年次休暇の承認が得られたとしても、勤務成績の評価において不利に考慮されることは当然である。ただ、交通機関延着によるような場合にはやむを得ないものといえるが、それでもある程度の対策を講じることができないわけではないから、それが度重なるような場合には昇任、昇格や特別昇給において不利な事情として考慮されても不合理であるとはいえない。
もっとも、このような病気休暇や事故扱いの出勤は、ある程度のものは非組合員にもあると考えられるから、それが原告らの昇任、昇格、昇給に影響を及ぼし、非組合員との格差を生じさせたものというためには、通常あり得る程度のものでは足りず、その回数等においてもこれを超える特別なものでなければならない。
当裁判所が昇任、昇格、特別昇給に影響があるとするのは、このような特別なものと認められるものである。
八  判断
以上検討したような非違行為の態様及び情状並びに出勤状況などの事情が勤務成績の評価において不利に考慮され、その結果、昇任、昇格及び昇給、とりわけ勤務成績が特に良好であることが必要とされる特別昇給に影響を及ぼしたものであることは、原告らが反則事犯の検挙等について税関長の表彰を受けたことや裁判所等の依頼による鑑定を行なった実績のあること等を考慮しても、十分に考えられるところである。そして、原告らは、各原告ら及び右原告らと入関時期、入関資格を同じくする非組合員のうち、昇任、昇格、昇給において標準的な取扱を受けている者(標準者)を基準として設定し、それらの者と対比して、原告らが昇任、昇格及び昇給について差別扱いを受けた旨主張するが、原告ら以外の職員の具体的な勤務態度(非違行為の有無、出勤状況等を含め)が明らかでないので、原告らの主張する標準者を基準として原告らが差別を受けていたものと速断できないし、現に生じている格差が任命権者である税関長が原告らに対し裁量の範囲を超えた違法な取扱をしたことによるものと認めるに足りる証拠もない。
したがって、神戸税関当局が一貫して原告組合を敵視して組合に対する不当な攻撃や組合員に対する差別扱いをしてきたとする原告らの主張についてはこれを認めることができない。
もっとも、原告らの中には係争期間中の非違行為が極めて少ないか、あるいは時期的に限られていて、しかも出勤状況に格別問題とされる事情が認められない者があり、これらの者については右の格差と非違行為等との関連性が薄いということができる。しかし、これらの原告らの格差の程度は任用や給与制度から通常生じる範囲を超えるものとはいえないから前記のように税関当局が原告組合員を差別扱いしたことを窺わせる事情が認められない以上、このような格差をもって組合所属を理由とする差別扱いによるものということはできない。
なお、原告らは、原告らの中には右のような非違行為が極めて少ないのに昇任、昇格等の不利益を受けている者がある一方で非違行為を行なったとされる時期に昇任、昇格した者があるなど、昇任、昇格が非違行為と無関係に行なわれているとして、両者の間に因果関係がない旨主張する。しかしながら非違行為は、それにより懲戒処分がなされた結果、昇給の障害事由となるばあいを除いて、勤務成績の一内容として他の事情とともに考慮されて昇任、昇格させるかどうかの判断に影響を及ぼすものであり、しかも、この判断は昇任、昇格については対象者が当該官職、等級に在職在級した全期間を通じてなされるものであるから、原告主張のような事実があるからといって、非違行為と昇任、昇格等との間に因果関係がないということができない。
九  結論
以上の次第で、原告ら及び原告組合の請求はいずれもその余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官長谷喜仁 裁判官野村利夫 裁判官猪俣和代)
 

(別表一)   損害額一覧表
(単位 円)
番号 氏  名 損失賃金相当額 慰謝料 弁護士費用 債権総額
一 稲松 斉 一、一三一、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一七三、〇〇〇 一、九〇四、〇〇〇
二 塩田 静夫 一、二〇六、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一八〇、〇〇〇 一、九八六、〇〇〇
三 橋爪 武司 九四九、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一五四、〇〇〇 一、七〇三、〇〇〇
四 山崎 吉彦 一、四四一、〇〇〇 八〇〇、〇〇〇 二二四、〇〇〇 二、四六五、〇〇〇
五 小林 霞 一、一四三、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一七四、〇〇〇 一、九一七、〇〇〇
六 石見 宣夫 九六五、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一五六、〇〇〇 一、七二一、〇〇〇
七 藤田 満夫 一、一四三、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一七四、〇〇〇 一、九一七、〇〇〇
八 矢村 繁夫 一、一四三、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一七四、〇〇〇 一、九一七、〇〇〇

横江 威
承継人  横江 和子
一、一四三、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一七四、〇〇〇 一、九一七、〇〇〇
一〇 大屋 広隆 一、一四三、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一七四、〇〇〇 一、九一七、〇〇〇
一一 大塚 宏圀 一、〇八二、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一六八、〇〇〇 一、八五〇、〇〇〇
一二 桶谷 孝史 八〇八、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一二〇、〇〇〇 一、三二八、〇〇〇
一三 今村 奈智子 六四六、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇四、〇〇〇 一、一五〇、〇〇〇
一四
服部 正治
承継人  服部 瑠璃子
一、四八六、〇〇〇 八〇〇、〇〇〇 二二八、〇〇〇 二、五一四、〇〇〇
一五 鷲見 重信 一、〇三八、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一六三、〇〇〇 一、八〇一、〇〇〇
一六 室屋 修 一、四〇〇、〇〇〇 八〇〇、〇〇〇 二二〇、〇〇〇 二、四二〇、〇〇〇
一七 能勢 和彦 一、二八五、〇〇〇 八〇〇、〇〇〇 二〇八、〇〇〇 二、二九三、〇〇〇
一八 岩根 晟 八三八、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一二三、〇〇〇 一、三六一、〇〇〇
一九 植田 邦彦 六九〇、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇九、〇〇〇 一、一九九、〇〇〇
二〇 牛込 尹人 八七〇、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一二七、〇〇〇 一、三九七、〇〇〇
二一 奥田 康雄 九七七、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一五七、〇〇〇 一、七三四、〇〇〇
二二 古賀 照敏 五七三、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 九七、〇〇〇 一、〇七〇、〇〇〇
二三 坂本 柏 九七七、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一五七、〇〇〇 一、七三四、〇〇〇
二四 杉原 光三郎 九七七、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一五七、〇〇〇 一、七三四、〇〇〇
二五 中石 雅康 九七七、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一五七、〇〇〇 一、七三四、〇〇〇
二六 林 義男 九七七、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一五七、〇〇〇 一、七三四、〇〇〇
二七 前田 信雄 九七七、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一三七、〇〇〇 一、五一四、〇〇〇
二八 山岡 荘太朗 九七七、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一五七、〇〇〇 一、七三四、〇〇〇
二九 加藤 不二男 九三九、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一三三、〇〇〇 一、四七二、〇〇〇
三〇 寺地 健 八二二、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一二二、〇〇〇 一、三四四、〇〇〇
三一 間処 康成 八二二、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一二二、〇〇〇 一、三四四、〇〇〇
三二 安福 弘 五〇九、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 九〇、〇〇〇 九九九、〇〇〇
三三 高橋 章 八二二、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一二二、〇〇〇 一、三四四、〇〇〇
三四 田代 勝 四二四、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六二、〇〇〇 六八六、〇〇〇
三五 岩本 武司 八二二、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一二二、〇〇〇 一、三四四、〇〇〇
三六 青木 俊夫 一、一〇五、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一七〇、〇〇〇 一、八七五、〇〇〇
三七 榎本 和行 一、一〇五、〇〇〇 六〇〇、〇〇〇 一七〇、〇〇〇 一、八七五、〇〇〇
三八 越塚 健 六六七、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七三、〇〇〇
三九 小島 久 六六六、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七二、〇〇〇
四〇 坂本 檀 六六七、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七三、〇〇〇
四一 津村 勝次 六六七、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七三、〇〇〇
四二 中川 和 六六六、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七二、〇〇〇
四三 結縁 俊雄 六六七、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七三、〇〇〇
四四 宮村 融 六六六、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七二、〇〇〇
四五 田中 二朗 六六六、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七二、〇〇〇
四六 植田 明 六六六、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 一〇六、〇〇〇 一、一七二、〇〇〇
四七 稲岡 辰男 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
四八 延藤 寿成 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
四九 加藤木 良和 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五〇 高須賀 四郎 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五一 塚本 章義 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五二 野口 和正 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五三 原田 晃寛 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五四 平田 雍彦 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五五 藤野 英弘 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五六 真下 陳夫 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五七 桝本 清 四五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六五、〇〇〇 七一五、〇〇〇
五八 木村 次尾 一一四、〇〇〇 一〇〇、〇〇〇 二一、〇〇〇 二三五、〇〇〇
五九 田中 順子 四四八、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 六四、〇〇〇 七一二、〇〇〇
六〇 高瀬 崇夫 五〇七、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 九〇、〇〇〇 九九七、〇〇〇
六一 小沢 康七 四八八、〇〇〇 四〇〇、〇〇〇 八八、〇〇〇 九七六、〇〇〇
六二 北本 恵一 三九二、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 五九、〇〇〇 六五一、〇〇〇
六三 下前 春生 三八五、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 五八、〇〇〇 六四三、〇〇〇
六四 辻一 清 三九二、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 五九、〇〇〇 六五一、〇〇〇
六五 村田 俊博 三九二、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 五九、〇〇〇 六五一、〇〇〇
六六 岩本 宏 三九二、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 五九、〇〇〇 六五一、〇〇〇
六七 中川 勝治 三九二、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 五九、〇〇〇 六五一、〇〇〇
六八 松本 公 三九二、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 五九、〇〇〇 六五一、〇〇〇
六九 大塚 大三  三八五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五八、〇〇〇  六四三、〇〇〇
七〇 佐々木 範明  三八五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五八、〇〇〇  六四三、〇〇〇
七一 高嶋 初一  三八五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五八、〇〇〇  六四三、〇〇〇
七二 高谷 安則  三八五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五八、〇〇〇  六四三、〇〇〇
七三 中島 健  三八五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五八、〇〇〇  六四三、〇〇〇
七四 深田 辰次  三八五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五八、〇〇〇  六四三、〇〇〇
七五 岩根 勝子  二〇一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  三〇、〇〇〇  三三一、〇〇〇
七六 池西 光輝  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
七七 井上 洋一  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
七八 今村 恒紀  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
七九 宇田 久男  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八〇 大西 是  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八一 岡崎 悦造  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八二 小松 正諦  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八三 灰野 善夫  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八四 長谷川 茂吉  三七〇、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五七、〇〇〇  六二七、〇〇〇
八五 松岡 龍二  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八六 屋形 修一  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八七 柳沢 尚  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八八 山野 陽通  三六一、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五六、〇〇〇  六一七、〇〇〇
八九 大西 宏之  三七〇、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五七、〇〇〇  六二七、〇〇〇
九〇 中西 清  三七〇、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五七、〇〇〇  六二七、〇〇〇
九一 生駒 洋二  三〇五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五〇、〇〇〇  五五五、〇〇〇
九二 桐村 邦彦  三〇五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五〇、〇〇〇  五五五、〇〇〇
九三 田中 範明  三〇五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五〇、〇〇〇  五五五、〇〇〇
九四 寺岡 洋  三〇五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五〇、〇〇〇  五五五、〇〇〇
九五 橋本 重国  三〇五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五〇、〇〇〇  五五五、〇〇〇
九六 古谷 太郎  三〇五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五〇、〇〇〇  五五五、〇〇〇
九七 横川 泰三  三〇五、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  五〇、〇〇〇  五五五、〇〇〇
九八 岸本 強  二八九、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四八、〇〇〇  五三七、〇〇〇
九九 井口 恭光  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇〇 乾 正明  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇一 大釜 昭雄  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇二 大辻 茂登夫  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇三 大橋 正義  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇四 川上 俊智  一一二、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二一、〇〇〇  二三三、〇〇〇
一〇五 斉藤 俊宏  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇六 佐野 年則  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇七 白川 弘視  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇八 洲崎 雅晴  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一〇九 高野 和子  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一〇 高橋 亘  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一一 玉井 進吾郎  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一二 田村 芳春  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一三 友常 均  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一四 中岡 俊昭  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一五 西村 彦三郎  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一六 長谷川 紀彦  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一七 藤池 征夫  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一八 藤田 貫治  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一一九 堀 斉  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一二〇 宮浦 忠重  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一二一 山本 昌文  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一二二 吉野 陽児  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一二三 井手 輝彦  二一〇、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  三一、〇〇〇  三四一、〇〇〇
一二四 沢井 庸晃  二一〇、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  三一、〇〇〇  三四一、〇〇〇
一二五 三野 正博  二一〇、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  三一、〇〇〇  三四一、〇〇〇
一二六 山口 忠  二一〇、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  三一、〇〇〇  三四一、〇〇〇
一二七 林弘 司  二一〇、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  三一、〇〇〇  三四一、〇〇〇
一二八 脇岡 秀年  二一〇、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  三一、〇〇〇  三四一、〇〇〇
一二九 天野 親聡  一八一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二八、〇〇〇  三〇九、〇〇〇
一三〇 十倉 健  一八一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二八、〇〇〇  三〇九、〇〇〇
一三一 藤原 敏弘  一八一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二八、〇〇〇  三〇九、〇〇〇
一三二 塚本 富美子  一七五、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二七、〇〇〇  三〇二、〇〇〇
一三三 山本 昭昌  一七五、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二七、〇〇〇  三〇二、〇〇〇
一三四 池内 幸恵  一四一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二四、〇〇〇  二六五、〇〇〇
一三五 河合 健治  一四一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二四、〇〇〇  二六五、〇〇〇
一三六 玄田 哲夫  一四一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二四、〇〇〇  二六五、〇〇〇
一三七 那須 司鋭  一四一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二四、〇〇〇  二六五、〇〇〇
一三八 村田 安弘  一四一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二四、〇〇〇  二六五、〇〇〇
一三九 山之 内輝雄  一四一、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  二四、〇〇〇  二六五、〇〇〇
一四〇 細川 義信  二六四、〇〇〇  二〇〇、〇〇〇  四六、〇〇〇  五一〇、〇〇〇
一四一 原奉 宣  二三三、〇〇〇  一〇〇、〇〇〇  三三、〇〇〇  三六六、〇〇〇

(別表二)   昇給・昇格等一覧表

(一) 昭和二四年旧中、高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数
(年度:昭和)
(以下同様)
昇 任
(年度:昭和)
(以下同様)
昇 格
(年度:昭和)
(以下同様)
備 考
非組合員
標準者
六―五 四―一一 一回(三八)
二回(四三)
主任(四〇)
審査官(四二)
五等級(四三)
四等級(四八)

一 稲松斉 六―五 五―一三 一回 主任(四一) 五等級(四七)
二 塩田静夫 六―五 五―一二 なし 主任(四六) 五等級(四七)
三 橋爪武司 七―五 六―一三 なし 保税実査官(四八)   病休
二年一〇月

(二) 昭和二五年五級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員
標準者
六―六 四―一二 一回(三九)
二回(四三)
審査官(三八)
統括審査官(四六)
五等級(三九)
四等級(四六)

四 山崎吉彦 六―五 五―一二 なし 主任(四七) 五等級(四八) 病休
一年四月

(三) 昭和二五年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員
標準者
七―七 五―一四 一回(三九)
二回(四三)
主任(四二)
審査官(四四)
五等級(四四)
五 小林霞 七―七 五―一一 なし 保税実査官(四八) 五等級(四九)
六 石見宣夫 七―七 五―一一 なし 主任(四四) 五等級(四七) 病休
七か月

七 藤田満夫 七―七 五―一一 なし 主任(四八) 五等級(四九)
八 矢村繁夫 七―七 五―一一 なし 主任(四六) 五等級(四八)
九 横江威 七―七 六―一四 なし 主任(四八)
一〇 大屋広隆 七―七 六―一四 なし 保税実査官(四八)
一一 大塚宏圀 七―六 六―一四 なし 保税実査官(四八)

(四) 昭和二五年中学組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 七―四 五―一〇 一回(四〇)
二回(四五)
主任(四六) 五等級(四七)
一二 桶谷孝史 七―三 六―九 なし なし なし 病休
四か月

一三 今村奈智子 七―三 六―一一 なし なし なし 病休
三か月

(五) 昭和二六年六級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員
標準者
五―五 三―一二 一回(三八)
二回(四二)
三回(四五)
四回(四八)
審査官(三二)
統括審査官(三九)
五等級(三四)
四等級(四〇)
三等級(四七)

一四 服部正治 五―四 四―一一 なし 主任(三三) 三等級(三五)
四等級(四七)
病休
一年

(六) 昭和二六年五級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員
標準者
六―六 四―一二 一回(三九)
二回(四四)
三回(四八)
審査官(三九) 五等級(四〇)
四等級(四七)

一五 鷲見重信 六―五 五―一一 なし 主任(四七) 五等級(四八) 病休
三年六か月

一六 室屋修 六―六 五―一二 なし 主任(四七) 五等級(四八)

(七) 昭和二六年旧専組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 六―四 四―一一 一回(三九)
二回(四四)
三回(四八)
審査官(四〇) 五等級(四一)
四等級(四八)

一七 能勢和彦 六―五 五―一一 なし 主任(四七) 五等級(四八)

(八) 昭和二六年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員
標準者
七―六 五―一三 一回(三九)
二回(四四)
主任(四三)
審査官(四五)
五等級(四五)
一八 岩根晟 七―四 六―一二 なし 主任(四八)   病休
二年一一月

一九 植田邦彦 七―六 五―一一 一回 監視官(四八) 五等級(四九)
二〇 牛込尹人 七―五 六―一三 なし 保税実査官(四八)   病休
一年

二一 奥田康雄 七―六 五―一二 一回 主任(四八) 五等級(四九)
二二 古賀照敏 七―七 五―一一 なし 主任(四七) 五等級(四八)
二三 坂本柏 七―六 六―一四 なし 主任(四八)
二四 杉原光三郎 七―六 六―一四 なし 主任(四八)
二五 中石雅康 七―六 五―一一 なし 保税実査官(四八) 五等級(四九)
二六 林義男 七―六 五―一〇 なし 主任(四八) 五等級(四九)
二七 前田信雄 七―七 六―一四 なし 主任(四八)
二八 山岡荘太朗 七―六 六―一四 なし 主任(四八)

(九) 昭和二七年四級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 七―六 五―一三 一回(四〇)
二回(四四)
主任(四三)
審査官(四五)
五等級(四五)
二九 加藤不二男 七―六 六―一四 なし 保税実査官(四八)

(一〇) 昭和二七年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 七―五 五―一二 一回(四〇)
二回(四四)
主任(四五)
審査官(四七)
五等級(四六)
三〇 寺地健 七―五 六―一三 なし 主任(四八)
三一 間処康成 七―五 六―一三 なし 主任(四八)
三二 安福弘 七―六 六―一三 なし 保税実査官(四八)
三三 高橋章 七―五 五―一〇 なし 主任(四八) 五等級(四九)
三四 田代勝 七―五 五―一一 二回 主任(四七) 五等級(四八)
三五 岩本武司 七―五 六―一三 なし 保税実査官(四八)

(一一) 昭和二八年五級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 六―五 五―一五 一回(四〇)
二回(四四)
三回(四八)
審査官(四〇) 五等級(四三)
三六 青木俊夫 七―七 五―一一 なし 主任(四七) 五等級(四八)
三七 榎本和行 七―七 五―一一 なし 主任(四七) 五等級(四八)

(一二) 昭和二八年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員
標準者
七―五 五―一一 一回(四〇)
二回(四五)
主任(四六)
審査官(四八)
五等級(四七)
三八 塚越健 七―五 六―一三 なし 主任(四八)
三九 小島久 七―四 六―一二 なし 主任(四八)
四〇 坂本檀 七―五 六―一二 なし 主任(四八)   病休
六か月

四一 津村勝次 七―五 六―一二 なし 主任(四八)
四二 中川和 七―四 六―一二 なし 保税実査官(四八)
四三 結縁俊雄 七―五 六―一二 なし 保税実査官(四八)
四四 宮村融 七―四 六―一二 なし 主任(四八)
四五 田中二朗 七―四 六―一二 なし 保税実査官(四八)

(一三) 昭和三〇年四級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 七―四 五―一一 一回(四〇)
二回(四五)
主任(四六)
審査官(四八)
五等級(四七)
四六 植田明 七―四 六―一二 なし 保税実査官(四九)

(一四) 昭和三二年四級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 七―一 五―八 一回(四一)
二回(四六)
主任(四八) 五等級(四九)
四七 稲岡辰男 七―一 六―九 なし
四八 延藤寿成 七―一 六―九 なし
四九 加藤木良和 七―一 六―九 なし     病休
二か月

五〇 高須賀四郎 七―一 六―九 なし
五一 塚本章義 七―一 六―九 なし
五二 野口和正 七―一 六―九 なし
五三 原田晃寛 七―一 六―九 なし
五四 平田雍彦 七―一 六―九 なし
五五 藤野英弘 七―一 六―九 なし
五六 真下陳夫 七―一 六―九 なし
五七 桝本清 七―一 六―九 なし
五八 木村次尾 八―七 六―九 一回

(一五) 昭和三二年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―七 六―一〇 一回(四一)
二回(四六)
主任(四八) なし
五九 田中順子 八―七 六―八 なし

(一六) 昭和三三年中級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 七―三 五―一〇 一回(四一)
二回(四七)
主任(四六)
審査官(四八)
五等級(四七)
六〇 高瀬崇夫 七―三 六―一〇 なし
六一 小沢康七 七―二 六―一〇 なし

(一七) 昭和三三年初級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―七 六―一〇 一回(四一)
二回(四七)
主任(四八) なし
六二 北本恵一 八―七 六―八 なし
六三 下前春生 八―七 六―七 なし     病休
一年五か月
三か月

六四 辻一清 八―七 六―八 なし
六五 村田俊博 八―七 六―八 なし
六六 岩本宏 八―六 六―八 なし
六七 中山勝治 八―六 六―八 なし
六八 松本公 八―六 六―八 なし

(一八) 昭和三三年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―五 六―九 一回(四一)
二回(四七)
主任(四八) なし
六九 大塚大三 八―五 六―七 なし
七〇 佐々木範明 八―五 六―六 なし     病休
三か月

七一 高嶋初一 八―五 六―七 なし
七二 高谷安則 八―五 六―七 なし
七三 中島健 八―五 六―七 なし
七四 深田辰次 八―五 六―六 なし

(一九) 昭和三三年中学組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 行(二)
五―四
六―五 一回(四一)
二回(四七)
なし なし
七五 岩根勝子 行(二)
五―四
行(一)
七―七
なし     行(一)四八年

(二〇) 昭和三四年初級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―六 六―九 一回(四二)
二回(四七)
なし なし
七六 池西光輝 八―六 六―七 なし
七七 井上洋一 八―六 六―六 なし
七八 今村恒紀 八―六 六―七 なし
七九 宇田久男 八―六 六―七 なし
八〇 大西是 八―五 六―六 なし
八一 岡崎悦造 八―六 六―六 なし
八二 小松正諦 八―六 六―七 なし
八三 灰野善夫 八―六 六―七 なし
八四 長谷川茂吉 八―五 六―六 なし     病休
一年二月

八五 松岡龍二 八―六 六―七 なし
八六 屋形修一 八―六 六―七 なし
八七 柳沢尚 八―六 六―七 なし
八八 山野陽通 八―六 六―七 なし

(二一) 昭和三四年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―四 六―八 一回(四二)
二回(四七)
なし なし
八九 大西宏之 八―四 六―六 なし
九〇 中西清 八―四 六―六 なし

(二二) 昭和三五年初級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―五 六―八 一回(四二)
二回(四八)
なし なし
九一 生駒洋二 八―五 六―六 なし
九二 桐村邦彦 八―五 六―六 なし
九三 田中範明 八―五 六―六 なし
九四 寺岡洋 八―五 六―六 なし
九五 橋本重国 八―五 六―六 なし
九六 古谷太郎 八―五 六―六 なし
九七 横川泰三 八―五 六―六 なし

(二三) 昭和三五年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―四 六―七 一回(四二)
二回(四八)
なし なし
九八 岸本強 八―四 六―五 なし

(二四) 昭和三六年初級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―四 六―七 一回(四三)
二回(四八)
なし なし
九九 井口恭光 八―四 六―五 なし
一〇〇 乾正明 八―四 六―五 なし
一〇一 大釜昭雄 八―四 六―五 なし
一〇二 大辻茂登夫 八―四 六―五 なし
一〇三 大橋正義 八―四 六―五 なし
一〇四 川上俊智 八―三 六―六 一回
一〇五 斉藤俊宏 八―四 六―五 なし
一〇六 佐野年則 八―四 六―五 なし
一〇七 白川弘視 八―四 六―五 なし
一〇八 洲崎雅晴 八―四 六―五 なし
一〇九 高野和子 八―四 六―五 なし
一一〇 高橋亘 八―四 六―五 なし
一一一 玉井進吾郎 八―四 六―五 なし
一一二 田村芳春 八―四 六―五 なし
一一三 友常均 八―四 六―五 なし
一一四 中岡俊昭 八―四 六―五 なし
一一五 西村彦三郎 八―四 六―五 なし
一一六 長谷川紀彦 八―四 六―五 なし
一一七 藤池征夫 八―四 六―五 なし
一一八 藤田貫治 八―四 六―五 なし
一一九 堀斉 八―四 六―五 なし
一二〇 宮浦忠重 八―四 六―五 なし
一二一 山本昌文 八―四 六―五 なし
一二二 吉野陽児 八―四 六―五 なし

(二五) 昭和三六年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―三 六―五 一回(四三) なし なし
一二三 井手輝彦 八―三 七―七 なし
一二四 沢井庸晃 八―三 六―四 なし
一二五 三野正博 八―三 六―四 なし
一二六 山口忠 八―三 七―七 なし
一二七 林弘司 八―二 七―七 なし
一二八 脇岡秀年 八―二 七―七 なし

(二六) 昭和三七年初級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―三 六―五 一回(四四) なし なし
一二九 天野親聡 八―三 七―七 なし
一三〇 十倉健 八―三 七―七 なし
一三一 藤原敏弘 八―三 七―七 なし

(二七) 昭和三七年高校組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―一 七―七 一回(四四) なし なし
一三二 塚本富美子 八―一 七―六 なし
一三三 山本昭昌 八―一 七―六 なし

(二八) 昭和三八年初級組
昭三八・
四・一
現在
号 俸
昭四九・
三・三一
現在
号 俸
昭和三八・四・一~昭和四九・三・三一間の特昇回数 昇 任 昇 格 備 考
非組合員標準者 八―二 六―四 一回(四五) なし なし
一三四 池内幸恵 八―二 七―六 なし


政治と選挙Q&A「屋外広告物法 ポスター貼り(掲示交渉)代行」に関する裁判例一覧
(1)平成29年12月20日 東京地裁 平27(ワ)16748号・平28(ワ)32555号・平28(ワ)36394号 建物明渡等請求事件、賃料減額確認請求事件(本訴)、賃料増額確認請求反訴事件(反訴)
(2)平成29年 5月11日 大阪地裁 平28(ワ)5249号 商標権侵害差止請求事件
(3)平成29年 3月16日 東京地裁 平26(特わ)914号・平26(特わ)1029号 薬事法違反被告事件
(4)平成28年11月17日 大阪地裁 平25(わ)3198号 公務執行妨害、傷害被告事件
(5)平成28年10月26日 東京地裁 平24(ワ)16956号 請負代金請求事件
(6)平成28年 3月25日 東京地裁 平25(ワ)32886号 未払賃料請求事件
(7)平成27年 3月31日 東京地裁 平24(ワ)22117号 損害賠償等請求事件
(8)平成26年 2月27日 東京地裁 平24(ワ)9450号 著作物頒布広告掲載契約に基づく著作物頒布広告掲載撤去損害賠償請求事件
(9)平成25年 9月12日 大阪高裁 平25(う)633号 詐欺被告事件
(10)平成25年 1月22日 名古屋地裁 平20(ワ)3887号 損害賠償請求事件
(11)平成24年12月 7日 静岡地裁 平19(ワ)1624号・平20(ワ)691号 損害賠償請求(第一事件)、保険金請求(第二事件)事件
(12)平成23年11月18日 東京地裁 平23(レ)307号・平23(レ)549号 損害賠償等請求控訴事件、同附帯控訴事件
(13)平成23年 9月30日 東京地裁 平20(ワ)31581号・平21(ワ)36858号 損害賠償請求事件(本訴)、同反訴請求事件(反訴)
(14)平成23年 2月23日 東京高裁 平21(ネ)2508号 損害賠償請求控訴事件
(15)平成23年 1月14日 大阪高裁 平22(う)460号 大阪市屋外広告物条例違反被告事件
(16)平成22年10月 5日 京都地裁 平19(ワ)824号 損害賠償請求事件
(17)平成22年 7月27日 東京地裁 平20(ワ)30423号・平21(ワ)3223号 損害賠償請求事件(本訴)、払戻金返還請求事件(反訴)
(18)平成22年 3月29日 東京地裁 平20(ワ)22960号 建物明渡請求事件
(19)平成22年 2月 8日 東京地裁 平21(ワ)8227号・平21(ワ)21846号 損害賠償請求事件
(20)平成22年 1月27日 東京地裁 平21(ワ)9971号・平21(ワ)9621号 土地建物所有権移転登記抹消登記請求事件、鉄塔明渡請求事件
(21)平成22年 1月27日 東京地裁 平21(ワ)13019号 屋外広告塔撤去請求事件
(22)平成21年12月24日 東京地裁 平20(行ウ)494号 計画通知確認処分取消等請求事件
(23)平成21年 7月22日 東京地裁 平19(ワ)24869号 損害賠償請求事件
(24)平成21年 1月20日 那覇地裁 平19(行ウ)16号・平20(行ウ)2号 建築確認処分差止請求事件(甲事件)、建築確認処分差止請求事件(乙事件)
(25)平成20年10月17日 東京地裁 平20(行ク)214号 執行停止申立事件
(26)平成20年 9月19日 東京地裁 平19(行ウ)274号・平19(行ウ)645号 退去強制令書発付処分取消請求事件
(27)平成20年 4月11日 最高裁第二小法廷 平17(あ)2652号 住居侵入被告事件 〔立川反戦ビラ事件・上告審〕
(28)平成19年 2月21日 東京地裁 平18(行ウ)206号 損害賠償請求事件(住民訴訟)
(29)平成17年12月21日 東京地裁 平15(ワ)14821号 看板設置請求事件
(30)平成17年 3月31日 東京地裁 平15(ワ)27464号・平15(ワ)21451号 商標使用差止等請求本訴、損害賠償請求反訴事件 〔tabitama.net事件〕
(31)平成17年 2月22日 岡山地裁 平14(ワ)1299号 損害賠償請求事件
(32)平成13年12月21日 秋田地裁 平10(ワ)324号・平12(ワ)53号・平12(ワ)416号 土地明渡等請求、損害賠償請求事件
(33)平成13年 2月23日 大阪地裁 平10(ワ)13935号 損害賠償請求事件
(34)平成11年 2月15日 仙台地裁 平9(行ウ)6号 法人税更正処分等取消請求事件
(35)平成 9年 7月22日 神戸地裁 平8(ワ)2214号 損害賠償請求事件
(36)平成 8年 6月21日 最高裁第二小法廷 平6(あ)110号 愛媛県屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反
(37)平成 8年 4月12日 最高裁第二小法廷 平4(あ)1224号 京都府屋外広告物条例違反
(38)平成 8年 3月 8日 最高裁第二小法廷 平4(オ)78号 損害賠償請求事件
(39)平成 8年 3月 8日 最高裁第二小法廷 平4(オ)77号 損害賠償請求事件
(40)平成 7年12月11日 最高裁第一小法廷 平4(あ)526号 各滋賀県屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反
(41)平成 7年 6月23日 最高裁第二小法廷 平元(オ)1260号 損害賠償、民訴法一九八条二項による返還及び損害賠償請求事件 〔クロロキン薬害訴訟・上告審〕
(42)平成 6年 2月21日 福岡高裁 平元(ネ)608号 接見交通妨害損害賠償請求事件
(43)平成 4年 6月30日 東京地裁 平3(ワ)17640号・平3(ワ)16526号 損害賠償請求事件
(44)平成 4年 6月15日 最高裁第二小法廷 平元(あ)710号 大阪府屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反被告事件
(45)平成 4年 6月15日 最高裁第二小法廷 平元(あ)511号 大阪市屋外広告物条例違反、軽犯罪法違反
(46)平成 4年 2月 4日 神戸地裁 昭49(ワ)578号 損害賠償請求事件 〔全税関神戸訴訟・第一審〕
(47)平成 4年 2月 4日 神戸地裁 昭49(ワ)578号 損害賠償請求事件 〔全税関神戸訴訟・第一審〕
(48)昭和60年 7月22日 最高裁第一小法廷 昭59(あ)1498号 所得税法違反被告事件
(49)昭和59年 9月28日 奈良地裁 昭58(行ウ)4号 都市計画変更決定一部取消請求事件
(50)昭和59年 7月17日 福岡高裁 昭58(う)487号 大分県屋外広告物条例違反被告事件
(51)昭和58年10月27日 最高裁第一小法廷 昭57(あ)859号 猥褻図画販売、猥褻図画販売目的所持被告事件
(52)昭和58年 8月24日 福岡高裁 昭57(う)254号 軽犯罪法違反、佐賀県屋外広告物条例違反事件
(53)昭和58年 6月21日 大分簡裁 昭55(ろ)66号 大分県屋外広告物条例違反被告事件
(54)昭和57年 3月 5日 佐賀簡裁 昭55(ろ)24号 軽犯罪法違反、佐賀県屋外広告物条例違反事件
(55)昭和56年 8月 5日 東京高裁 昭55(う)189号 軽犯罪法違反被告事件
(56)昭和56年 7月31日 神戸簡裁 昭56(ろ)167号 軽犯罪法違反、兵庫県屋外広告物条例違反事件
(57)昭和55年 4月28日 広島高裁松江支部 昭54(う)11号 公職選挙法違反被告事件 〔戸別訪問禁止違憲事件・控訴審〕
(58)昭和54年12月25日 大森簡裁 昭48(う)207号・昭48(う)208号 軽犯罪法違反被告事件
(59)昭和53年 7月19日 横浜地裁 昭51(ワ)1147号 損害賠償事件
(60)昭和53年 5月30日 大阪高裁 昭52(ネ)1884号 敷金返還請求事件
(61)昭和51年 3月 9日 東京高裁 昭47(う)3294号 埼玉県屋外広告物条例違反等被告事件
(62)昭和51年 1月29日 大阪高裁 昭50(う)488号
(63)昭和50年 9月10日 最高裁大法廷 昭48(あ)910号 集団行進及び集団示威運動に関する徳島市条例違反、道路交通法違反被告事件 〔徳島市公安条例事件・上告審〕
(64)昭和50年 6月30日 東京高裁 昭47(う)3293号 埼玉県屋外広告物条例違反・軽犯罪法違反被告事件
(65)昭和50年 6月12日 最高裁第一小法廷 昭49(あ)2752号
(66)昭和50年 5月29日 最高裁第一小法廷 昭49(あ)1377号 大阪市屋外広告物条例違反被告事件
(67)昭和49年12月16日 大阪高裁 昭49(う)712号 神戸市屋外広告物条例違反等事件
(68)昭和49年 5月17日 大阪高裁 昭45(う)868号
(69)昭和49年 5月17日 大阪高裁 昭45(う)713号 大阪市屋外広告物条例違反被告事件
(70)昭和49年 4月30日 東京高裁 昭48(行コ)35号 行政処分取消請求控訴事件 〔国立歩道橋事件〕
(71)昭和48年12月20日 最高裁第一小法廷 昭47(あ)1564号
(72)昭和48年11月27日 大阪高裁 昭48(う)951号 大阪市屋外広告物条例違反被告事件
(73)昭和47年 7月11日 大阪高裁 昭43(う)1666号 大阪府屋外広告物法施行条例違反事件 〔いわゆる寝屋川ビラ貼り事件・控訴審〕
(74)昭和46年 9月29日 福岡高裁 昭45(う)600号 福岡県屋外広告物条例違反被告事件
(75)昭和45年11月10日 柳川簡裁 昭40(ろ)61号・昭40(ろ)62号 福岡県屋外広告物条例違反被告事件
(76)昭和45年 4月30日 最高裁第一小法廷 昭44(あ)893号 高知県屋外広告物取締条例違反・軽犯罪法違反被告事件
(77)昭和45年 4月 8日 東京地裁 昭40(行ウ)105号 法人事業税の更正決定取消請求事件
(78)昭和44年 9月 5日 金沢地裁 昭34(ワ)401号 損害賠償請求事件 〔北陸鉄道労組損害賠償請求事件〕
(79)昭和44年 8月 1日 大阪地裁 昭44(む)205号 裁判官忌避申立却下の裁判に対する準抗告事件
(80)昭和44年 3月28日 高松高裁 昭42(う)372号 外国人登録法違反・高知県屋外広告物取締条例違反・軽犯罪法違反被告事件
(81)昭和43年12月18日 最高裁大法廷 昭41(あ)536号 大阪市屋外広告物条例違反被告事件
(82)昭和43年10月 9日 枚方簡裁 昭41(ろ)42号 大阪府屋外広告物法施行条例違反被告事件
(83)昭和43年 7月23日 松山地裁 昭43(行ク)2号 執行停止申立事件
(84)昭和43年 4月30日 高松高裁 昭41(う)278号 愛媛県屋外広告物条例違反・軽犯罪法違反被告事件
(85)昭和43年 2月 5日 呉簡裁 昭41(ろ)100号 軽犯罪法違反被告事件
(86)昭和42年 9月29日 高知簡裁 昭41(ろ)66号 外国人登録法違反被告事件
(87)昭和42年 3月 1日 大阪地裁 昭42(む)57号・昭42(む)58号 勾留請求却下の裁判に対する準抗告事件
(88)昭和41年 2月12日 大阪高裁 昭40(う)1276号
(89)昭和41年 2月12日 大阪高裁 事件番号不詳 大阪市屋外広告物条例違反被告事件
(90)昭和40年10月21日 大阪地裁 昭40(む)407号 勾留取消の裁判に対する準抗告事件
(91)昭和40年10月11日 大阪地裁 昭40(む)404号 勾留取消の裁判に対する準抗告申立事件
(92)昭和39年12月28日 名古屋高裁 昭38(う)736号 建造物損壊、建造物侵入等事件 〔東海電通局事件・控訴審〕
(93)昭和39年 8月19日 名古屋高裁 昭39(う)166号 軽犯罪法違反被告事件
(94)昭和39年 6月16日 大阪高裁 昭38(う)1452号
(95)昭和29年 5月 8日 福岡高裁 昭29(う)480号・昭29(う)481号 外国人登録法違反等事件
(96)昭和29年 1月 5日 佐賀地裁 事件番号不詳 外国人登録法違反窃盗被告事件
(97)昭和28年 5月 4日 福岡高裁 昭28(う)503号 熊本県屋外広告物条例違反被告事件

■【政治と選挙の裁判例一覧】「政治資金規正法 選挙ポスター」に関する裁判例カテゴリー
■【政治と選挙の裁判例一覧】「政治資金規正法 政治ポスター」に関する裁判例カテゴリー


(1)政治活動/選挙運動ポスター貼り ☆祝!勝つ!広報活動・事前街頭(単独/二連)選挙ポスター!
勝つ!選挙広報支援事前ポスター 政治選挙新規掲示ポスター貼付! 1枚から貼る事前選挙ポスター!
「政治活動・選挙運動ポスターを貼りたい!」という選挙立候補(予定)者のための、選挙広報支援プロ集団「選挙.WIN!」の事前街頭ポスター新規掲示プランです。

(2)圧倒的に政界No.1を誇る実績! 政治ポスター(演説会告知|政党|個人|二連三連)掲示交渉実績!
地獄のポスター貼りやります! ドブ板選挙ポスタリストが貼る! ポスター掲示交渉実績を大公開!
政治ポスター貼りドットウィン!「ドブ板選挙を戦い抜く覚悟のあなたをぜひ応援したい!」事前街頭PRおよび選挙広報支援コンサルティング実績!

(3)今すぐ無料でお見積りのご相談 ☆大至急スピード無料見積もり!選挙広報支援プランご提案
ポスター掲示難易度ランク調査 ご希望のエリア/貼付箇所/貼付枚数 ご相談は今すぐ!お気軽にどうぞ!
「政治活動用のポスター貼り代行」や「選挙広報支援プラン」の概算お見積りがほしいというお客様に、選挙ドットウィンの公職選挙法に抵触しない広報支援プランのご提案が可能です。

(4)政界初!世界発!「ワッポン」 選挙管理委員会の認証確認済みPR型「ウィン!ワッポン」
完全無料使い放題でご提供可能! 外壁街頭ポスター掲示貼付ツール 1枚から対応/大至急/一斉貼付け!
「ガンガン注目される訴求型PRポスターを貼りたい!」というお客様に、選挙ドットウィンの「ウィン!ワッポン」を完全無料使い放題でご提供する、究極の広報支援ポスター新規掲示プランです。

(5)選べるドブ板選挙広報支援一覧 選挙.WIN!豊富な選挙立候補(予定)者広報支援プラン一覧!
政治家/選挙立候補予定者広報支援 祝!当選!選挙広報支援プロ集団 世のため人のため「SENKYO.WIN」
アポイントメント獲得代行/後援会イベントセミナー集客代行/組織構築支援/党員募集獲得代行(所属党本部要請案件)/演説コンサルティング/候補者ブランディング/敵対陣営/ネガティブキャンペーン(対策/対応)

(6)握手代行/戸別訪問/ご挨拶回り 御用聞きによる戸別訪問型ご挨拶回り代行をいたします!
ポスター掲示交渉×戸別訪問ご挨拶 100%のリーチ率で攻める御用聞き 1軒でも行くご挨拶訪問交渉支援
ご指定の地域(ターゲットエリア)の個人宅(有権者)を1軒1軒ご訪問し、ビラ・チラシの配布およびアンケート解答用紙の配布収集等の戸別訪問型ポスター新規掲示依頼プランです。

(7)地域密着型ポスターPR広告貼り 地域密着型ポスターPR広告(街頭外壁掲示許可交渉代行)
街頭外壁掲示許可交渉代行/全業種 期間限定!貴社(貴店)ポスター貼り サイズ/枚数/全国エリア対応可能!
【対応可能な業種リスト|名称一覧】地域密着型ポスターPR広告(街頭外壁掲示許可交渉代行)貼り「ガンガン注目される訴求型PRポスターを貼りたい!」街頭外壁掲示ポスター新規掲示プランです。

(8)貼る専門!ポスター新規掲示! ☆貼!勝つ!広報活動・事前街頭(単独/二連)選挙ポスター!
政治活動/選挙運動ポスター貼り 勝つ!選挙広報支援事前ポスター 1枚から貼る事前選挙ポスター!
「政治活動・選挙運動ポスターを貼りたい!」という選挙立候補(予定)者のための、選挙広報支援プロ集団「選挙.WIN!」の事前街頭ポスター新規掲示プランです。

(9)選挙立札看板設置/証票申請代行 絶対ここに設置したい!選挙立札看板(選挙事務所/後援会連絡所)
選挙事務所/後援会連絡所届出代行 公職選挙法の上限/立て札看板設置 1台から可能な選挙立札看板設置
最強の立札看板設置代行/広報(公報)支援/選挙立候補者後援会立札看板/選挙立候補者連絡所立札看板/政治活動用事務所に掲示する立て札・看板/証票申請代行/ガンガン独占設置!


関連記事一覧

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。