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政治と選挙Q&A「政治資金規正法 ポスター貼り(掲示交渉)代行」に関する裁判例(99)平成18年 9月11日 東京地裁 平15(刑わ)4146号 各詐欺被告事件 〔偽有栖川詐欺事件〕

政治と選挙Q&A「政治資金規正法 ポスター貼り(掲示交渉)代行」に関する裁判例(99)平成18年 9月11日 東京地裁 平15(刑わ)4146号 各詐欺被告事件 〔偽有栖川詐欺事件〕

裁判年月日  平成18年 9月11日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平15(刑わ)4146号
事件名  各詐欺被告事件 〔偽有栖川詐欺事件〕
裁判結果  有罪  上訴等  確定  文献番号  2006WLJPCA09110002

要旨
◆被告人両名が、皇族関係者の結婚披露宴であるかのように装って、参会者らから祝い金名下に現金等をだまし取った事案において、一、参会者のうち被告人が名誉総裁に就任していた右翼団体関係者七六名については、被告人が皇族関係者ではないと知っていた疑いが払拭できないとして、欺罔行為に当たらないとされた事例、二、その余の参会者ら六一名から現金合計約二九四万円及び絵画一枚をだまし取った行為について、被告人両名がいずれも懲役二年二月の実刑に処せられた事例

出典
判タ 1258号318頁
新日本法規提供

参照条文
刑法60条
刑法246条1項
裁判官
大島隆明 (オオシマタカアキ) 第32期 現所属 依願退官
平成30年8月3日 ~ 依願退官
平成25年8月2日 ~ 東京高等裁判所(部総括)
平成24年6月2日 ~ 平成25年8月1日 金沢地方裁判所(所長)
平成18年12月20日 ~ 平成24年6月1日 横浜地方裁判所(部総括)
平成15年8月15日 ~ 平成18年12月19日 東京地方裁判所(部総括)
平成13年4月1日 ~ 平成15年8月14日 東京高等裁判所
平成11年4月1日 ~ 平成13年3月31日 大阪地方裁判所(部総括)
平成10年4月3日 ~ 平成11年3月31日 大阪地方裁判所
平成6年4月1日 ~ 平成10年4月2日 司法研修所(教官)
平成3年4月1日 ~ 平成6年3月31日 東京地方裁判所
昭和63年4月1日 ~ 平成3年3月31日 福岡地方裁判所、福岡家庭裁判所
昭和61年4月1日 ~ 昭和63年3月31日 最高裁判所民事局付
昭和59年4月1日 ~ 昭和61年3月31日 東京地方裁判所
昭和56年10月1日 ~ 昭和59年3月31日 岡山地方裁判所

小林愛子 (コバヤシアイコ) 第47期 現所属 さいたま家庭裁判所、さいたま地方裁判所
平成29年4月1日 ~ さいたま家庭裁判所、さいたま地方裁判所
平成27年4月1日 ~ 千葉地方・家庭裁判所佐倉支部(支部長)
平成26年4月1日 ~ 千葉家庭裁判所佐倉支部、千葉地方裁判所佐倉支部
平成23年4月1日 ~ 東京家庭裁判所
平成20年4月1日 ~ 平成23年3月31日 千葉地方裁判所松戸支部、千葉家庭裁判所松戸支部
平成17年4月1日 ~ 平成20年3月31日 東京地方裁判所
平成14年4月1日 ~ 平成17年3月31日 高松地方裁判所、高松家庭裁判所
平成11年4月1日 ~ 浦和地方裁判所川越支部、浦和家庭裁判所川越支部
平成7年4月12日 ~ 平成11年3月31日 神戸地方裁判所
~ 平成14年3月31日 さいたま地方裁判所川越支部、さいたま家庭裁判所川越支部

佐藤傑 (サトウタケシ) 第58期 現所属 福島地方裁判所郡山支部、福島家庭裁判所郡山支部
平成30年4月1日 ~ 福島地方裁判所郡山支部、福島家庭裁判所郡山支部
平成27年4月1日 ~ 千葉地方裁判所、千葉家庭裁判所
平成25年4月1日 ~ 那覇家庭裁判所沖縄支部、那覇地方裁判所沖縄支部
平成24年7月1日 ~ 平成25年3月31日 東京家庭裁判所
平成22年2月1日 ~ 平成24年6月30日 事務総局人事局付
平成17年10月4日 ~ 平成22年1月31日 東京地方裁判所

Westlaw作成目次

主  文
理  由
(罪となるべき事実)
(証拠の標目)
一 第9回ないし第11回、第24…
一 第12回ないし第15回、第2…
一 被告人乙川の検察官調書(乙1…
一 第2回公判調書中の証人壬岡I…
一 第3回公判調書中の証人癸井J…
一 第4回公判調書中の証人寅葉L…
一 第5回公判調書中の証人辰口N…
一 第6回公判調書中の証人巳上O…
一 第7回及び第8回公判調書中の…
一 午下P子(甲339)、未林Q…
一 酉川S作(甲319)、戌谷T…
一 資料入手報告書(甲306、3…
一 証拠品複写報告書(甲309)
一 実況見分調書(甲311)
一 複製VHSビデオテープ解析結…
一 捜査関係事項照会書謄本(甲3…
一 履歴事項全部証明書(甲360)
一 戸籍謄本(甲347ないし35…
一 押収してある封筒5通(平成1…
一 東京地方検察庁で保管中の名刺…
一 証拠品複写報告書(甲307)
一 第17回公判調書中の証人辛岡…
一 結婚披露晩餐会の伝達状況報告…
一 団体概要捜査報告書(甲395)
(事実認定の補足説明)
第1 争点
第2 被告人乙川の身分関係について
1 関係各証拠によれば、以下の事…
2 以上によれば、被告人乙川の直…
3 (1) これに対し、被告人乙…
4 以上のとおり、被告人乙川の血…
第3 被告人乙川の身分関係に関する…
1 争点
2 被告人乙川の捜査段階の自白の…
3 被告人乙川が甲山A夫を名乗る…
4 被告人丁沢が被告人乙川と知り…
第4 欺罔行為の有無、詐欺の故意、…
1 争点
2 本件披露宴の開催に至る経緯
3 披露宴の開催状況等
4 判断
第5 事件全体に関わる問題点につい…
第6 各出席者ごとの事情について
1 別表第1記載の各出席者について
2 別表第2記載の各出席者及びそ…
(法令の適用)
(量刑の事情)
(求刑・被告人両名につきそれ…

裁判年月日  平成18年 9月11日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平15(刑わ)4146号
事件名  各詐欺被告事件 〔偽有栖川詐欺事件〕
裁判結果  有罪  上訴等  確定  文献番号  2006WLJPCA09110002

上記両名に対する各詐欺被告事件について、当裁判所は、検察官内藤秀男、弁護人清野英之(被告人乙川B雄関係)、弁護人中田康一(被告人丁沢D美関係)各出席の上審理し、次のとおり判決する。

 

主  文

被告人両名をそれぞれ懲役2年2月に処する。
被告人両名に対し、未決勾留日数中各700日を、それぞれその刑に算入する。

 

理  由

(罪となるべき事実)
被告人甲山A夫こと乙川B雄(以下「被告人乙川」という。)は、甲山宮熾仁親王の遺徳の記念等を目的とする政治団体「甲山宮記念」の代表者、被告人甲山C子こと丁沢D美(以下「被告人丁沢」という。)は、同団体の会計責任者、分離前相被告人己原E郎こと己原F介(以下「己原」という。)は各種イベントの企画運営等を目的とする株式会社キャメルエンタープライズの取締役であるが、被告人乙川及び被告人丁沢は、共謀の上、皇族の結婚披露宴に伴う祝い金名下に参会者から金員等を詐取しようと企て、平成15年3月ころ、別表第1、第2の各「欺いた場所及び方法〈1〉」欄及び「欺かれた者」記載のとおり、東京都港区〈以下省略〉株式会社ホテル梅乃家「ホテルアルファーイン」事務所ほか多数か所において、庚崎G作ほか60名に対し、真実は、被告人乙川が旧皇族の甲山宮家の関係者ではないのに、そうであるかのように装い、皇族関係者である被告人乙川が被告人丁沢と婚姻して披露宴が執り行われるかのように見せかけて、文書郵送又は口頭連絡等の方法により、甲山A夫が丁沢D美と婚姻し、平成15年4月6日にbホテルで結婚披露宴を開催することになったので出席されたい旨伝達し、さらに、同年4月上旬ころ、別表第1、第2の「欺いた場所及び方法〈2〉」欄記載のとおり、上記「ホテルアルファーイン」事務所ほか多数か所において、上記庚崎ら(別表第1番号2の辛田H平を除く。)に対し、前同様に装い、文書郵送又は口頭連絡等の方法により、甲山A夫と甲山C子の結婚披露宴会場が亡高円宮憲仁親王ゆかりのcホテルに変更された旨伝達するなどし、暗に皇族の結婚披露宴に伴う祝い金名下に金員等の交付方を要求し、同年3月ころから4月6日までの間に上記庚崎らをしてその旨誤信させ、よって、同年3月末ころ、別紙第1番号2記載のとおり、辛田H平から同都文京区〈以下省略〉所在aマンション内で皇族の結婚披露宴に伴う祝い金名下に現金5万円の交付を受け、さらに、被告人丁沢は、同年3月下旬ころ、己原に対し上記結婚披露宴の進行運営全般を担当するように依頼してその準備を行わせていたところ、己原も、同年4月5日までに、被告人乙川が皇族関係者の結婚披露宴を装って祝い金名下に金員等を詐取しようとしていることを認識したが、予定どおり結婚披露宴を開催して参会者から金員等を詐取し、自己の報酬等を確保しようと決意し、ここに被告人乙川、被告人丁沢、己原の3名は互いに意を通じて、共謀の上、同年4月6日、東京都港区〈以下省略〉所在の「cホテル」で開催された結婚披露宴会場において、合計60名から、その各誤信に基づき、皇族の結婚披露宴に伴う祝い金名下に現金合計289万5000円及び巳林K江画伯作の絵画「息を呑む迫力美」(50号)1枚の交付を受け、もってそれぞれ人を欺いて財物を交付させたものである。
(証拠の標目)
括弧内の番号は証拠等関係カード記載の検察官請求番号を示す。
判示事実全部について
一  第9回ないし第11回、第24回、第25回、第28回公判調書中の被告人乙川の各供述部分
一  第12回ないし第15回、第26回ないし第28回公判調書中の被告人丁沢の各供述部分
一  被告人乙川の検察官調書(乙14ないし16、19ないし22)及び警察官調書(乙2ないし13・被告人乙川につき)
一  第2回公判調書中の証人壬岡I吉の供述部分
一  第3回公判調書中の証人癸井J夫及び証人丑木K雄の各供述部分
一  第4回公判調書中の証人寅葉L郎及び証人卯波M介の各供述部分
一  第5回公判調書中の証人辰口N作の供述部分
一  第6回公判調書中の証人巳上O代の供述部分
一  第7回及び第8回公判調書中の証人己原F介の供述部分
一  午下P子(甲339)、未林Q平(甲355)、申山R江(甲356)の各検察官調書
一  酉川S作(甲319)、戌谷T平(甲321)、亥沢U吉(甲322)、甲川V美(甲325)、乙谷W夫(甲328)、丙沢X雄(甲336)、丁野Y郎(甲340)、戊原Z介(甲341)、乙川A子(甲345)、庚田B美(甲346)の各検察官調書(被告人丁沢につき)
一  資料入手報告書(甲306、310、316、317、320、324、327、330、332、337、338)
一  証拠品複写報告書(甲309)
一  実況見分調書(甲311)
一  複製VHSビデオテープ解析結果報告書(甲312)
一  捜査関係事項照会書謄本(甲352)及び回答書(甲344、353、354・甲353、354は謄本)
一  履歴事項全部証明書(甲360)
一  戸籍謄本(甲347ないし351・甲347は戸籍附票写し添付、甲348、349、351は除籍謄本)
一  押収してある封筒5通(平成16年押第1077号の1、6、8、10、21)、案内状1枚(同押号の2)、「ひととき京都人」と題する書面2枚(同押号の3、12)、「ご宿泊のご案内」と題する書面1枚(同押号の4)、bホテル 交通のご案内」と題する書面(同押号の5)、「甲山宮記念奉祝晩餐会」ではじまるはがき2枚(同押号の7、9)、パンフレット様のもの1枚(同押号の11)、会場内の案内図1枚(同押号の13)、「写真撮影」と題する書面1枚(同押号の14)、「二次会のお知らせ」と題する書面1枚(同押号の15)、「送迎(ハイヤー)ご案内」と題する書面1枚(同押号の16)、パンフレット3部(同押号の17ないし19)、名刺1枚(同押号の20)、写真1枚(同押号の22)
一  東京地方検察庁で保管中の名刺3枚(平成17年東地領第2836号符号33の1ないし3)、履歴書写し1枚(同領号の34)、メモ用紙1枚(同領号の35)
別紙第1記載の番号3、17、18、21、22の事実について
一  証拠品複写報告書(甲307)
別紙第1記載の各事実について
それぞれ別紙一覧表第1の証拠欄に記載のとおり
別紙第2記載の事実全部について
一  第17回公判調書中の証人辛岡C作及び証人壬井D平の各供述部分
一  結婚披露晩餐会の伝達状況報告書(甲304)
一  団体概要捜査報告書(甲395)
(事実認定の補足説明)
第1  争点
被告人両名の弁護人(以下「両弁護人」という。)は、いずれも、被告人両名が甲山宮A夫・甲山C子を名乗って、別紙記載の者らを招待した上で判示の日時場所において結婚披露宴(以下「本件披露宴」という。)を開催した事実は争わないものの、事件全体に関わる事実関係について、〈1〉被告人乙川は故高松宮宣仁親王(以下「高松宮」という。)のご落胤であり、実際に皇族関係者であったか、しからずともそのように信じていたのであり、被告人丁沢もそのように信じていた、〈2〉被告人乙川は政治団体「甲山宮記念」(以下「甲山宮記念」という。)の総裁として披露宴を開催したにすぎず、被告人両名が殊更に皇族関係者であることを表に出して結婚披露宴を行ったことはない、〈3〉結婚披露宴の出席者が必ず祝儀を持参するとは限らないから、披露宴への招待は相手方に財産的処分行為をなさしめる行為には当たらないなどとして、被告人両名には、詐欺の故意や共謀はなく、欺罔行為も行っていないと主張するとともに、披露宴に出席した個々人に関わる事情について、各出席者は、いずれも被告人乙川が皇族関係者であるとの錯誤には陥っておらず、被告人らが本件披露宴に招待したことと出席者らが金員を交付した行為との間に因果関係もないなどとして、結局、被告人両名は無罪であると主張する。
そこで、まず、事件全体に関わる問題点について検討した上で、出席者それぞれの個別事情について検討することとする(なお、これ以降、各公判調書中の各被告人の供述部分については各被告人の「供述」、各証人の供述部分については「証言」又は「公判供述」とそれぞれ記載することとする。)。
第2  被告人乙川の身分関係について
1  関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。
(1) 戸籍謄本(甲347ないし351)には、以下のとおり記載されている。
ア 被告人乙川は、昭和36年○月○日、父乙川E吉(以下「E吉」という。)と母乙川A子(以下「A子」という。)との間の長男として出生した。
イ E吉は、昭和7年○月○日に、父癸木F夫と母乙川G代(以下「G代」という。当時癸木姓。離婚後に乙川H江との養子縁組により乙川姓となった。)との間の長男として出生した。
ウ A子は、昭和9年○月○日に父丑葉I雄と母丑葉J子との間の三女として出生した。
エ 癸木F夫は、明治29年○月○日に父癸木K郎と母癸木L美との間の次男として出生した。
オ G代は、明治44年○月○日に父寅波M作と母卯口N代との間の次女として出生した。
カ 丑葉I雄は、明治15年○月○日に父丑葉O作と母巳下P江との間の長男として出生した。
キ 丑葉J子は、明治23年○月○日に父午林Q吉と母午林R子との間の四女として出生した。
(2) 被告人乙川は、昭和60年ころから「甲山A夫」を名乗るようになり、旧皇族の甲山宮家の祭祀ご遺徳を継承した旨称していたが、甲山宮家は、第10代威仁親王に継承者がないため、大正12年6月、威仁親王妃慰子の薨去により廃絶している。
2  以上によれば、被告人乙川の直系血族は、本人も含めて少なくとも三代にわたり、戸籍簿に一般の国民として記載されている上、当然のことながら、その祖先に皇籍離脱した旧皇族が存在するというような事情も全く認められず、その親族関係に皇族との繋がりを窺わせるものは何も存在しない。また、旧皇族の甲山家は、甲山熾仁親王が幕末から明治時代に軍人として活躍したことから広く知られ、その名を冠した公園等も現存するところ、後継者がなかったことから大正時代に廃絶し、その祭祀は高松宮家が承継していたのであって、被告人乙川が甲山宮家の後継者であるとかその祭祀を承継しているなどということは通常は考え難いことである。
3(1)  これに対し、被告人乙川は、当公判廷において、「昭和55年ころに当時の勤務先であったオー・エス・シー警備保障株式会社の京都営業所所長(以下「京都営業所長」という。)に叔父の丑葉S吉からもらった行啓のバッジ(平成16年押第1077号符号23)を見せたところ、興味を惹いたようで、昭和59年秋に、京都営業所長から、未山美術織物の社長である未山T夫(以下「未山」という。)と申川織物の社長である申川U雄(以下「申川」という。)を紹介され、母方の祖父が昭和天皇の御料馬車の近衛武官であったことや、E吉に虐待されたことや常寂光寺の住職から聞いた丑葉家の由来など、自分の身の上話をすることになった。そして、昭和60年4月ころ、特に用件も告げられないまま電話で呼ばれて京都グランドホテルの展望回転レストランに赴いたところ、未山、丑葉、京都営業所長らがいて、高松宮と会った。高松宮からは、自分の父親であると告げられ、甲山A夫という名前と香合(同号符号24)、御霊代を授かって、甲山熾仁親王の祭祀ご遺徳を継承するようお言葉を賜った。」旨供述しており、両弁護人は、被告人乙川の上記供述に基づき、被告人乙川は高松宮のご落胤であって、皇族関係者である旨主張する。
(2)  しかしながら、被告人乙川が京都営業所長に見せたというバッジは、印字されている文字から京都府が皇紀2601年(昭和16年)に皇族関係者が京都を行啓したことを記念して作成された警衛記念バッジであることが明らかで、もとより皇族との血縁関係を示すようなものではない。こうしたバッジを見せたことが被告人乙川の血縁関係に関する興味を惹いて、関西財界の大物だという未山や申川と面識を得て、身の上話をすることになるなどとは到底考えられない。ましてや、その未山や申川に突如呼ばれて高松宮に拝謁する機会を得るとなると、まことに唐突で、不自然極まりない話というほかない。さらに、広く親しまれていた高松宮が、個室等も用意せずに、人目にもつくホテルのレストランで父子関係を告白するということは余りに不自然であり得ないことである。加えて、高松宮家が甲山宮家の祭祀を継承しているという事情はあっても、継承者がなく廃絶の危機に瀕していた高松宮家でなく(現に平成16年に宣仁親王妃喜久子の薨去により廃絶している。)、既に廃絶している甲山宮家の名を授けるというのも不可解である。
高松宮から賜ったという香合も、慶事の記念品として下賜されるような形状の物で、しかも高松宮家や甲山宮家以外の家紋が描かれているものであって、このような香合を父子関係の証という趣旨で高松宮が授けることはあり得ないことである。被告人乙川は、捜査段階では、この香合につき、本件犯行後、マスコミから取材に追われるようになり、被告人丁沢に何か皇族の証になるようなものがないかと尋ねられ、祖母の形見である香合を見せたところ、被告人丁沢が、「これは昭和天皇の皇后のものよ。」、「これを高松宮からもらったと言えばいいでしょう。」などと言い出し、テレビ出演の際に香合を高松宮のご落胤である証拠として見せざるを得なくなったと述べているが、その供述の方がはるかに合理的である。御霊代の水晶に至っては、被告人乙川は、その所在が分からなくなっていると供述するが、そのような大事な物であるのに他の荷物と紛れるような粗略な扱いをするということも考え難い。
さらに、被告人乙川は、高松宮に父親であると告げられたとしながら、母親であるA子や、家族の中で最も心を許せる存在であったというG代に、自分の父親が一体誰なのかを確認しておらず、また、甲山宮家の祭祀を継承するよう告げられたというのに、その祭祀を執り行ったという事実もないことは、被告人乙川もほぼ一貫して認めているところであって、被告人乙川は、高松宮から自分の父親であることを明かされ、甲山宮家の祭祀を継承するよう告げられた事実があったのであれば、当然とって然るべき行動を全くとっていない。
加えて、被告人乙川は、高松宮から名前を授かったという昭和60年4月の後となる昭和61年10月1日付けで酉谷V郎を名乗る旨の自筆の書面(平成17年東地領第2836号符号35)を、昭和62年1月11日付けで酉谷V郎という氏名でd大出身であるなどという虚偽の履歴書(同号符号34)をそれぞれ作成しており、甲山宮記念会総裁あるいは甲山記念事業団の肩書きを付した名刺にも甲山(酉谷)との記載があり(平成17年東地領第2836号符号33の1、2)、別々の宮家の名前を記した書面が複数存在すること自体が、被告人乙川が皇族関係者を僭称していたにすぎないことを強く推認させるものである(この点について、被告人乙川は、当公判廷で、これらの書面は願望を記しただけのもので、他人に見せることは予定していなかったなどと弁解を重ねるが、高松宮から甲山という名前を授かったにもかかわらず、その後に別の宮家である酉谷宮家の名を称することに願望を抱くということも不可解というほかない。)。
(3)  このように、高松宮のご落胤であるとの被告人乙川の弁解は、不自然、不合理極まりないものであって、捜査段階において、被告人乙川が、昭和60年当時から、職場の同僚であった丑木K雄(以下「丑木」という。)に、高松宮に拝謁して、甲山宮A夫の名を授かったという話をしており、宴席に呼ばれた際には、必ず丑木にこの話をさせていたところ、その後、甲谷Y平(以下「甲谷」という。)と交際するようになって、甲谷に高松宮のご落胤と称するよう言われ、それに従わざるを得なくなったという趣旨の供述をしていること(乙19。その任意性の問題については後記のとおり。)に照らしても、旧宮家の名前を僭称するための荒唐無稽な作り話というほかないものである。
したがって、この点に関する両弁護人の主張は採用できない。
4  以上のとおり、被告人乙川の血縁関係には皇族との繋がりを窺わせるものは何一つ存在せず、高松宮のご落胤であるとの被告人乙川の弁解も全く信用できない。
したがって、被告人乙川は皇族とは何の親族関係もなく、「甲山A夫」を名乗る正当な理由もないものと認められる。
第3  被告人乙川の身分関係に関する被告人両名の認識について
1  争点
関係各証拠によれば、〈1〉被告人乙川は昭和60年ころから「甲山A夫」を名乗るようになり、平成2年5月には政治団体「甲山宮記念事業団」を設立してその代表者に就任し、平成12年11月にはその名称を「甲山宮記念」に変更するなどしながら、本件犯行時まで「甲山A夫」を称してきたこと、〈2〉被告人両名は平成14年8月10日に新宿区神楽坂の○○の会なる宗教団体の神殿で行われた会合で初めて出会ったこと、〈3〉被告人両名は、同月21日にbホテルで行われた被告人丁沢主催のパーティーに被告人乙川が出席した後に急速に交際を深め、同月28日に被告人丁沢が京都を訪れて被告人乙川と男女の仲になると、被告人乙川が東京を訪れた際には被告人丁沢の自宅マンションに滞在するようになり、同年9月ないし10月ころから、被告人丁沢が被告人乙川と結婚する旨知人らに公言し、「甲山C子」を名乗るようになったこと等の事実を優に認めることができる。
そして、被告人乙川は、捜査段階で皇族とは何ら血縁関係のないことを十分知りつつ「甲山A夫」を名乗っていたという自白をしており、被告人丁沢に対しても、本名が乙川B雄で、甲山宮家とは関係のないことを告げた旨供述しているところ、両弁護人は、被告人乙川の捜査段階の供述には、任意性・信用性が欠ける旨主張しており、また、被告人丁沢の弁護人は、刑事訴訟法321条1項2号後段の伝聞例外の要件も欠けるとも主張している。
そこで、まず、被告人乙川の自白の証拠能力について判断した上で、被告人乙川が「甲山A夫」を名乗るに至った経緯、被告人丁沢に本名を明かした際の状況について検討し、被告人両名が被告人乙川の身分関係に関して有していた認識について判断することとする。
2  被告人乙川の捜査段階の自白の証拠能力について
(1) 被告人乙川は、平成15年10月21日に逮捕されているところ、本件で取調べ済みの被告人乙川の警察官調書(乙1ないし13)及び検察官調書(乙14ないし16、19ないし22)は、同月26日から起訴当日の同年11月11日までの間に作成されたもので、いずれも、被告人丁沢らと共謀して、皇族とは何の関係もないのに「甲山A夫」と称して皇族関係者に成りすまして結婚披露宴を開催し、祝儀をだまし取ったことを認め、あるいはそれを前提とする内容の供述となっている。
(2) これに対し、被告人乙川は、当公判廷で、捜査段階における取調べの状況につき、「警察での取調べを担当した丁原B郎(以下「丁原刑事」という。)は、最初の取調べで否認したところ、目で威嚇したり、いかにも机を叩こうとするようなそぶりをし、更には実際に机を叩いて脅迫するなどした。そのため、父親から虐待を受けていたことの影響もあってパニックになり、小学校のころのあだなや、丁沢が京都に来た最初の日のことに関する部分を除き、ほとんど丁原刑事にひたすら誘導されるがままに供述していた。また、取調べが深夜12時、1時過ぎまで及ぶこともあり、認めれば執行猶予が付いて早く終わるぞなどと言われることもあった。そして、検察官調べを担当した長澤格検事(以下「長澤検事」という。)は、5分から10分程度しか取調べを行わず、否認するとすごい形相で威嚇し、警察の調書をほとんど書き写すようにして調書を作成した。長澤検事は、午前零時を過ぎてから取調べにやってきて、取調べが午前2時を過ぎることもあった。」旨供述している。
そして、両弁護人は、被告人乙川の上記供述に基づき、被告人乙川の警察官に対する自白は、威迫及び偽計を伴った長時間にわたる取調べを受けた結果なされたものであり、検察官に対する自白も、そうした警察における違法取調べの影響を遮断しないままなされたものであるから、被告人乙川の警察官調書・検察官調書における供述はいずれも任意になされたものでない疑いがあって、証拠能力を欠く旨主張する。
(3)ア そこで、まず、丁原刑事による取調べ状況に関する被告人乙川の供述について検討すると、丁原刑事が机を叩くなようなそぶりや目つきで威嚇したり、実際に机を叩くなどしたためにパニックになった結果自白をしたという点については、警察官に対する自白調書が、取調べ済みのものに限定しても、平成15年10月26日から同年11月10日までの16日間にわたって作成され、その数も合計13通にのぼっており、同年10月27日の時点で弁護人を選任しているにもかかわらず、その後捜査段階で否認に転じた様子も窺われないことにかんがみれば、幼少時に虐待を受けていたという事情を考慮しても、丁原刑事に対する自白が、心理的な恐慌状態に陥った影響のみによるものであるとは到底考えられないところである。また、被告人乙川の警察官調書には、「甲山A夫」や「酉谷博」などといった偽名を用いるようになったことには、幼少時からE吉に虐待を受けていたことから、E吉と同じ乙川という姓を捨て、E吉との縁を切りたいと考えるようになったことが影響していること(乙2)、被告人丁沢と初めて出会ったときは、被告人丁沢よりも若い戊崎という女性の方が好みに感じたこと(乙4)、前妻との間の娘に甲山宮の有という文字を使い、C美と名付けてしまったことを申し訳なく思うこと(乙5)など、誘導して供述させることが不可能であったり、誘導する意味に乏しい供述も多く含まれているところであって、被告人乙川がひたすら丁原刑事に誘導されるがままに供述していたとは考え難い。さらに、丁原刑事が自白をすれば執行猶予が付くと言った点については、本件は当初の公訴事実においてその被害金品の総額は2715万5000円とされており、被告人両名には資力がなくその弁償の当てもなかったことからしても、本件は捜査段階で執行猶予が付くことは困難な事案と見込まれていたはずであって、当時本件がテレビや週刊誌で広く報道され、社会的な関心を惹いていたことに照らしても、丁原刑事がそうした安易な言動に及ぶ可能性は乏しいものと考えられるし、前記のとおり同年10月27日に弁護人が選任されており、接見の際に処分の見込みについても助言を受けているはずであることからすると、被告人乙川が自白をすれば執行猶予になるものと信じて自白を続けていたとも考え難い。また、取調べが一時的に深夜に及ぶことがあったとしても、それだけで直ちに任意性がないとはいえない。
イ 次に、長澤検事による取調べの状況に関する被告人乙川の供述についてみると、前妻と出会ってから結婚し、その後離婚に至る詳細な経緯や前妻との間の娘と最後に顔を合わせた際の状況や(乙16)、平成14年8月21日にbホテルで被告人丁沢が主催したパーティーの後に被告人丁沢に対して本名を告げたこと(乙19)など、検察官調書には、警察官調書では供述されていない事項に関する供述も多々存するところであって、長澤検事の取調べが警察官調書をほとんど書き写すだけのようなものでなかったことは明らかである。また、取調べの時間帯についても、深夜12時を過ぎてから取調べが開始されるということ自体考え難いところであり、顔の表情で威嚇されただけでパニック状態に陥って自白をしたとは考えられない点は、丁原刑事の取調べについて述べたところと同様である。
ウ 以上によれば、被告人乙川の取調べ状況に関する公判供述は、信用性に乏しいものといえる。
(4)ア 以上のとおり、被告人乙川の取調べ状況に関する公判供述は信用できず、逮捕前はテレビ番組に出演して高松宮のご落胤であるなどと述べていたことや、証拠調請求されている自白調書の中で最も作成日付の早いものが逮捕から5日目のものであることからすると、被告人乙川が逮捕後しばらくは本件犯行を否認し、その間丁原刑事や長澤検事から厳しく追及された可能性があるものの、その後自白に転じたとしても、被告人の丁原刑事及び長澤検事に対する供述はいずれも任意になされたものと認めることができる。そして、弁護人の主張する検察官の遮断義務違反についても、警察での取調べに自白の任意性に疑問を生ぜしめる違法がない以上、その前提を欠くものといえる。
したがって、被告人乙川の捜査段階の自白は、任意になされたものと認められるから、被告人乙川の警察官調書及び検察官調書につき、被告人乙川との関係での証拠能力を肯認することができる。
イ また、被告人丁沢は捜査段階から一貫して本件犯行を否認しているところ、被告人両名は、起訴後第1回公判期日までの接見等禁止決定が付されていなかった期間に頻繁な手紙のやりとりをするなどし、その後、被告人乙川が第1回公判期日には犯行について否認に転じ、後には高松宮のご落胤であるなどと供述するに至っており、その最終的な弁解内容は被告人丁沢が逮捕前から公判終了まで主張していた内容に沿うものであることからしても、被告人乙川は起訴後第1回公判期日までの間の親密な関係にある被告人丁沢の働きかけの結果、捜査段階の供述を翻すに至った可能性が高く、公判供述に比して、捜査段階の供述に刑事訴訟法321条1項2号後段にいう特信状況が認められることは明らかである。
したがって、被告人乙川の検察官調書は、被告人丁沢との関係で刑事訴訟法321条1項2号後段の伝聞例外の要件を充たすものといえるから、被告人丁沢との関係でも証拠能力を肯認することができる。
3  被告人乙川が甲山A夫を名乗るに至る経緯について
(1) 被告人乙川の捜査段階の供述について
ア 被告人乙川は、捜査段階において、「甲山A夫」を名乗り、政治団体甲山宮記念の総裁としてに活動するに至った経緯につき、大要、以下のとおり供述している(乙14、15)。
(ア) 昭和36年○月○日に、父E吉と母A子との間の長男として出生したが、幼少時からE吉により激しい暴力を受けており、E吉から逃れたいとの思いを強く抱くようになっていた。そこで、成人式を迎えた昭和57年1月15日に祖母G代に実家を出たい旨相談すると、G代もE吉の暴力を見かねていたようで、実家を出てアパートを借りる資金を出してくれたため、実家から歩いて10分程度のところにあるe荘というアパートの部屋を借りてそこに住むようになった。実家を出てE吉の目を逃れられるようになり、精神的に解放された気分になったが、実家からほど近い距離であったので、E吉に見つけられないよう「己田」という表札を掲げていた。昭和58年ころ、家屋の解体作業の日雇い仕事あるいは警備会社に就職する際に、本名を名乗るとE吉に気付かれてしまうおそれがあることや、「乙川」を名乗る限りE吉から暴力を受けた現実から逃れられないような気がして、「酉谷博」の名を用いた。「酉谷」という名字は、生まれた京都市酉谷区から、「B1」という名前は小学校時代のあだなからとったものだった。e荘から転居した後も、引き払う気がせず、賃料の支払を続けていたが、その際にも、本名がE吉らに知られてしまうことを恐れ、「庚岡D介」の名で賃料の振込みを行っていた。
(イ) このように職場では「酉谷博」を名乗っていたところ、同僚から、もしかしたら元皇族の酉谷宮家と何か関係があるのでないかと問われるようになったが、こうした問いかけに対しては肯定も否定もせずにいた。すると、いつのまにか同僚から、「辛井さん」と呼ばれ、それまでは軽蔑するような態度だった同僚から一目置かれるようになったことから、あまり深く考えないまま「辛井さん」として振る舞うようになり、飲みに誘われて酒代をおごってもらうこともあった。
そして、昭和59年ころ、職場の同僚として丑木K雄(以下「丑木」という。)と出会ったが、丑木に、本当に皇族の関係者なのか尋ねられたことから、「酉谷博」名義の住民票を手書きで作成して丑木に見せたところ、丑木は本当に酉谷宮家の血を継ぐものであると信じたようで、おこぼれに与ることを期待するかのように、自分につきまとうようになった。
(ウ) こうして、丑木を従者のように従えて「辛井さん」として行動するようになったが、「B1」という名は小学校の同級生から侮辱的な意味合いで付けられたあだ名であったので、改名しようと考え、京都中央図書館で京都市内の地図や皇族関係の歴史書を読みあさったところ、京都市西京区に申川甲山町という地名があることを知った。この申川という地名は、A子の旧姓である「丑葉」と字体の違いしかなく、A子から丑葉家がこの申川の出身であるという話を聞いた記憶もあり、甲山という地名も、旧皇族の甲山宮家と名称が全く同じであったため、申川甲山町の地名から、自分の母方の丑葉家と甲山宮家を強引に結びつけるようにして、甲山を名字として名乗ることにした。名前についても皇族らしいものにしようと考え、甲山宮家の由来を調べたところ、甲山宮家第5代職仁親王、第6代織仁親王の父あるいは祖父に当たる霊元天皇が甲山宮家の実質的な始祖であるように感じ、霊元天皇の諱であるA夫を名前にすることとし、昭和59年のうちに、「甲山A夫」を名乗ることを決めた。
そして、丑木に、「これからは酉谷博でなく甲山A夫と名乗ることとしました。どうでしょうか。」などと尋ねたところ、丑木も賛同した。ただし、それまで「酉谷博」の名を用いていたことから、「甲山A夫」という氏名だけでは違和感を持たれるのでないかと考え、名刺には「甲山A夫(酉谷)」という記載をすることにした。
その後、甲山を名乗るもっともらしい理由をこじつけなければならないと思い、高松宮に呼ばれて京都市内のホテルに行ったところ、甲山A夫を名乗るように言われ、甲山宮家の祭祀を継承するようにと仰せつかったという話を思いついて丑木に話したところ、丑木は、「そうですか、よかったですね。」と返答した。ここで高松宮の名前を出したのは、大正時代に廃絶された甲山宮家の祭祀を高松宮家が継承しているという事情を念頭に置いていたからであった。
(エ) こうして、「甲山A夫」を名乗り、丑木に高松宮に名前を授かって、甲山宮家の祭祀を継承するように告げられたという作り話を説明させるなどしているうちに、宴席に呼ばれて、車代をもらったり、顧問料を受領したりしながら生活をするようになり、そうした活動の一環として政治団体「甲山宮記念事業団」(平成12年にその名称を「甲山宮記念」に変更。)を設立し、総裁に就任するなどした。
イ 以上の被告人乙川の供述の信用性について検討すると、E吉との縁を絶とうとしたことが「酉谷博」を名乗る契機となったとの点は、幼少時から虐待を加えてきた父親からの逃避を図ろうとする心理として頷けるものであり、その後、「酉谷博」、「甲山A夫」のほか、皇族との関係を窺わせるわけでもない偽名を複数用いていることの説明としても合理的である。そして、前記のとおり、被告人乙川は皇族とは何らの血縁関係もないものと認められ、「甲山A夫」の名は皇族関係者を僭称する目的で用いていたものとしか考えられないことからしても、それに符合する内容の被告人乙川の捜査段階の信用性は高いものといえる(なお、丑木は、当公判廷において、被告人乙川と出会ったころ、被告人乙川が「酉谷博」を名乗っていたかはよく覚えておらず、高松宮に会って「甲山A夫」の名前を授かったという話を聞いたかどうかもはっきりと覚えていないと証言するが、丑木がこうした証言をしているのは、当初から被告人乙川が皇族とは関係がないことを知りつつ行動を共にしていたことを糊塗しようとしているか、あるいは本当に記憶が減退しているかのいずれかの理由によるものと考えられるから、この点に関する丑木の証言が不明確であることは、前記の被告人乙川の捜査段階の供述の信用性に影響を及ぼすものではない。)。
ウ これに対し、両弁護人は、〈1〉「B1」というあだ名が侮辱的な意味を込めて付けられたものであるとすれば、自ら「酉谷博」と名乗るなどとは考えられない、〈2〉被告人乙川が丑木に甲山A夫を名乗る旨告げた際のやりとりは余りに中身が乏しく、不自然である、などとして、前記の被告人乙川の捜査段階の供述は信用性に乏しい旨主張する。
しかしながら、〈1〉の点については、自分を侮辱するために付けられたあだ名を偽名に用いることが不可解なことは確かであるが、被告人乙川が自らそのように述べたからこそ、そうした不可解さの残る供述が録取されているものと考えられ、被告人乙川自身も、当公判廷において、そのような供述をしたこと自体は認めているのであるから、この点に関する供述は少々不可解であっても信用性に疑義はなく、ましてや供述全体の信用性に影響を及ぼす事情には当たらない。また、〈2〉の点については、被告人乙川が捜査段階で丑木の供述内容を聞かされて、丑木がそのように供述しているのであればそれで間違いない旨述べていることから明らかなように、この点に関する被告人乙川の記憶は相当減退しているものと考えられ、実際には丑木との間により詳細なやりとりがあったと推認されるが、そうだとしても、この点に関する記憶の減退のゆえに供述全体の信用性が損なわれるものではない。
したがって、上記の各点に関する両弁護人の主張は採用できない。
(2) 被告人乙川の弁解について
ア 以上に対し、被告人乙川は、当公判廷において、「甲山A夫」を名乗るに至った経緯につき、「E吉の虐待の影響で、幼少のころから、E吉と本当に血の繋がりがあるのか疑問に思っていたところ、G代が久邇宮家に奉公していた際にE吉を身ごもったという話や、E吉の実際の父親が誰なのか分からない話をA子から聞いた。そして、G代の奉公先を久邇宮家でなく酉谷宮家と勘違いしていたことや、出生地が京都市の酉谷区であったこともあって、E吉は酉谷宮と血縁があるのでないかと思うに至った。また、母方の丑葉家は、江戸時代に甲山家に経済的な支援をしており、丑葉家と甲山宮家にはゆかりがあるとも考えていたところ、京都中央図書館に調べものに行って丑葉家の祖先が源義季であることを確認したり、丑葉家の先祖代々の菩提寺のある小倉山の常寂光寺に行って、その住職で龍谷大学の客員教授を務めた壬木E作に、丑葉家の先祖の丑葉F平が西京極・桂の申川町の出身だという話を聞いたりした。そして、申川町に赴くと、申川甲山町という地名を見たことから、丑葉家と甲山宮家の関係を確信し、甲山A夫を名乗るに至った。」などと供述しており、被告人乙川の弁護人は、被告人乙川が自分を皇族関係者であると考えたことには相当な理由があり、本件披露宴に際しても、皇族関係者でないのに皇族関係者を装ったという点について詐欺の故意が欠ける旨主張する。
イ しかしながら、前記のとおり高松宮から名前を授かったという供述が全くの虚偽であると認められる以上、被告人は「甲山A夫」を名乗ることを自分の判断で決めたとしか考えられないが、そうした行動自体が皇族を僭称する意図を有していたことを強く推認させるものである。そして、甲山宮家と関係があると考える根拠として挙げる事情も、祖母の奉公先が宮家であったことや、出生地の地名、母方の名字と地名との関連性程度にとどまり、母方の血筋と父方の血筋の関係についても合理的な説明ができておらず、こうした事情を根拠に、自己が皇族関係者であると誤信していたとはおよそ考えられない。
したがって、この点に関する被告人乙川の弁解は信用できず、被告人乙川の弁護人の主張も採用できない。
(3) 以上によれば、被告人乙川が捜査段階で供述したとおり、被告人乙川は、E吉とのつながりを絶つために「酉谷博」を名乗っていたところ、職場の同僚に皇族関係者と勘違いされたことを契機に皇族関係者を装うようになり、その後改めて「甲山A夫」を自ら名乗るようになったものと認められる。
したがって、被告人乙川は当初から「甲山A夫」を名乗る正当な理由などないことを承知しながらこれを名乗っていたのであるから、本件披露宴に際しても、皇族関係者を装う理由がないことについて認識が欠けることはないものと認められる。
4  被告人丁沢が被告人乙川と知り合い、甲山C子を名乗るに至る経緯について
(1) 前提事実
前記のとおり、関係各証拠によれば、平成14年8月10日に新宿区神楽坂の○○の会という宗教団体の神殿で行われた会合で被告人両名が初めて出会い、同月21日にbホテルで行われた被告人丁沢主催のパーティーに被告人乙川が出席するなどしてその後急速に交際を深め、同月28日に被告人丁沢が京都を訪れて被告人乙川と男女の仲になると、同年9月ないし10月ころから、被告人丁沢が被告人乙川と結婚すると公言し、「甲山C子」を名乗るようになり、本件犯行に至ったものと認められる。
そして、被告人乙川は、捜査段階で、平成14年8月21日の時点で甲山宮家とは関係がないことや、本名が乙川B雄であることについて被告人丁沢に告げた旨供述していることから、以下、この点に関する被告人乙川の捜査段階の供述について検討する。
(2) 被告人乙川の捜査段階の供述について
ア 被告人乙川は、被告人丁沢に皇族とは何の関係もないことを明かし、本名を告げた経緯について、大要、以下のとおり供述している(乙19)。
平成14年7月ころから、甲谷に「殿下」と呼ばれ、右翼団体の会合に連れ回されるなどするようになり、甲谷の真意を図りかねていた。被告人丁沢と出会った前記の○○の会の会合は甲谷の紹介で出席したものであったことから、被告人丁沢であれば甲谷の真意を知っているかと思い、同年8月16日、被告人丁沢をホテルキャピタル東急の自室に呼び出し、甲谷の真意を聞き出そうとしたものの、はぐらかされてしまい、被告人丁沢が甲谷側の人間なのでないかという思いを強くした。
その後、同月21日に被告人丁沢が主催するパーティーに出席したところ、突然「皇族の甲山A夫殿下が来られています。」などと紹介され、ステージに上って生類憐れみの会などの団体の会長に被告人丁沢を認証する儀式を行うように甲谷に強いられたことから、このままでは「殿下」として甲谷に利用されるだけだと思った。そこで、被告人丁沢に皇族とは何の関係もないことを打ち明ければ、少なくとも被告人丁沢の関わる件については「殿下」として利用されなくなるのでないかと考え、被告人丁沢に対して好意を抱きかけており、その顔を見たいという気持ちもあったため、パーティー終了後に丑木を連れてbホテルの1階ロビーに赴き、被告人丁沢が現れるのを持っていた。そして、現れた被告人丁沢に、母親が丑葉家の出身だが、甲山宮家の継承者でも何でもなく、本名も乙川B雄であること、「殿下」という大げさな呼び名は困るので、被告人丁沢だけでも「殿下」としては扱わないようにしてほしいことなどを告げたものの、被告人丁沢は、「そんなことはどうでもいいでありませんか。」、「殿下が甲山宮家の顕彰を続けていきたいというお気持ちを持っていらっしゃるかどうかが大事だと思いますが。」、「本物の宮様でも、そのようなお気持ちを持っていらっしゃらなければ駄目でしょう。」、「それより、私にも甲山宮家の顕彰を手伝わせてもらえませんか」と返答した。
イ 以上のとおりであり、この被告人乙川の供述の信用性について検討すると、甲谷に「殿下」として利用される不安を抱くようになり、せめて好意を抱きかけていた被告人丁沢だけでも、殿下として利用するような扱いはしないで欲しいという心情から、被告人丁沢に甲山宮家とは無関係であることを告げるという経過は自然な心理の流れといえる。そして、本名を告げる現場に同席した丑木も、当公判廷において、「被告人乙川は、パーティーでの紹介のされ方が、甲山宮の後継者であるとか、殿下だとかが派手なものだったので、誤解されてはいけない、被告人丁沢に現状を話さなければいけないと言っており、被告人丁沢に対しても、甲山家が大正時代に途絶えていること、甲山宮家の継承者ではないこと、本名が乙川B雄であること、甲山宮殿下と言われるとかなわないことなどを告げたが、被告人丁沢は、家の当主であっても、なかなか心の先祖を大事に考えない家の人もいるし、やはり一番大事なのは気持ちです、大事なのは甲山宮家の顕彰ですなどと言っており、気持ちがなければ、本物の宮様でもだめでしょうという趣旨の発言もあった。」と、被告人乙川の前記供述に符合する証言をしていることに照らしても、その信用性は高いものといえる。
ウ これに対し、両弁護人は、被告人乙川が前妻に本名を告げるのにも出会ってから6か月以上を要した旨当公判廷で供述していることに照らすと、被告人丁沢に出会ってから10日程度で本名を告げるというのは不自然であり、この点に関する被告人乙川の捜査段階の供述は信用できない旨主張する。
しかしながら、前記のとおり、被告人乙川が甲谷に殿下として利用されることに強い不安を抱いていたという経緯に照らせば、被告人丁沢と出会ってからの期間が短いことを考慮しても、本名を明かすに至る心理の動きはごく自然なものといえるから、この点に関する両弁護人の主張は採用できない。
(3) 被告人丁沢の弁解について
ア 以上に対し、被告人丁沢は、当公判廷において、被告人乙川の本名を知るに至った経緯につき、以下のとおり供述している。
被告人乙川は、最初に出会った平成14年8月10日から「甲山殿下」とあたかも皇族関係者であるかのような呼び名で呼ばれており、甲山宮家が途絶えていることは認識していたものの、甲山宮家とゆかりがあるのだろうと思った。同月10日過ぎには、被告人乙川が高松宮のご落胤であるという話を聞き、被告人乙川本人からも、同年9月に、被告人乙川が京都グランドホテルで高松宮に拝謁し、自分の父親であることを明かされるとともに「甲山A夫」の名を授かり、祭祀を継承するように告げられたという話を聞いた。また、被告人乙川の母方の血筋についても、被告人乙川から、甲山宮家の第5代職仁親王の父である霊元天皇を祭っている京都小倉山常寂光寺が、被告人乙川の母方の丑葉家の菩提寺であり、丑葉F平名義の墓が同じよう祭られていることや、常寂光寺を訪れて、壬木E作に会ったこと、母方に昭和天皇の御料馬車の武官を務めていた者がいることなどを聞いており、自分でも丑葉家の先祖が嵯峨天皇の子で、源姓を授かって臣籍降下した源義季であることなどを調べたりしたことから、被告人乙川の母方も源義季に遡る皇族関係の血筋であると考えるようになった。こうして、被告人乙川は、高松宮と皇族関係の血を引く乙川A子との間に生まれたご落胤であると考えるようになり、現在もそう考えている。甲山A夫が戸籍上の氏名でないことは分かっていたが、被告人乙川の戸籍上の氏名が「乙川B雄」であることを知ったのは、平成15年10月に逮捕される直前のことである。
そして、被告人丁沢の弁護人は、被告人丁沢の上記供述に基づいて、被告人丁沢は、本件犯行当時被告人乙川が高松宮のご落胤であって、「甲山A夫」の名も高松宮から授かったものであると信じていたから、本件披露宴に際しても、皇族関係者でないのに皇族関係者を装うという点で詐欺の故意が欠ける旨主張する。
イ しかしながら、前記のとおり、平成14年8月21日の時点で甲山宮家の継承者ではないことや、本名が乙川B雄であることを告げたという点で、被告人乙川の捜査段階の供述と丑木の証言が符合している以上、その後も被告人丁沢が被告人乙川を皇族関係者と信じていたと考える余地は乏しいところであって、その後丑葉家の由来を調べるなどしたことも、周囲の人間に被告人乙川を皇族関係者と誤信させるために必要な知識を得ようとしたものであったと考える方が自然である。また、癸井J夫(以下「J夫」という。)の証言によると、被告人丁沢が、平成14年12月ころ、J夫に被告人乙川の本名を尋ねられて「癸葉」などという虚偽の名前を答えているものと認められることに照らしても、被告人丁沢が逮捕直前まで被告人乙川の本名を知らなかったとは考えられない。そして、関係証拠によれば、被告人乙川が甲谷と五分の義兄弟の盃を交わした現場に被告人丁沢も同席していたものと認められるところ、被告人乙川が真に皇族関係者であったとすれば暴力団社会特有の儀式である義兄弟の盃を甲谷との間で交わすはずのないことは当然被告人丁沢にも理解し得たと考えられる。さらに、披露宴の開催にあたり、被告人丁沢が被告人乙川やその親族に費用の用立てを全く頼まず、その一方で披露宴の直前に街金業者から700万円の借入れまでしていたものと認められることにかんがみても、被告人丁沢が被告人乙川を甲山宮家等の皇族関係者と信じ続けていたとは考えられないところである(なお、被告人丁沢は、甲谷との義兄弟の盃につき、この当時は暴力団社会特有の儀式であることは分からず、特に問題とも思わなかったとなどと弁解するが、被告人丁沢の知識・経験からして、不自然であり、後記のとおり、f社総局長の乙沢Z吉こと壬井D平(以下「壬井」という。)から、甲谷との義兄弟の盃が問題視され、△△新聞に記事が掲載されることを知ったので、f社が圧力をかけてその記事が出ないようにしたという話を聞いたと供述していることからしても、当時から皇族関係者を称する被告人乙川が甲谷と義兄弟の盃を交わしたことが表沙汰にできない事柄であることを理解していたことは明らかであって、信用できない。)。
その上、被告人丁沢は、前記のとおり、香合を高松宮との父子関係を示す証拠の品に見せかけることを提案している。加えて、本件の披露宴に関連して被告人丁沢が作成した各書面についてみても、政治資金規正法上総務省に届け出をしなければならないというだけの「甲山記念」なる団体を、甲山宮家ゆかりの公益法人で、代表者が甲山宮家の関係者であるかのように見せかけて「総務省総務大臣所管 甲山記念 総裁甲山A夫」と記載し、封筒に甲山家の家紋を入れたり、甲山宮家の歴史などに言及しながらも、「甲山A夫」が宮家と血縁関係があることを直接記述することは避け、全体としては、被告人乙川が甲山宮家の継承者であるかのような印象を受ける書面を巧みに作成している。このほか、被告人丁沢は、他人に対して、被告人乙川が実際に公的にも皇族関係者として扱われているかのような虚言を申し向けている事実も認められる。
したがって、被告人乙川の本名を知るに至る経緯に関する被告人丁沢の弁解は信用できず、この点に関する被告人丁沢の弁護人の主張は採用できない。
(4) 以上のとおりであるから、被告人乙川の捜査段階の供述に基づき、被告人丁沢は、平成14年8月21日にbホテルで主催したパーティーが終わった後に、被告人乙川から甲山宮家の継承者でもなく血縁関係もないことや、本名が乙川B雄であることを告げられ、この時点で被告人乙川が皇族関係者ではないことを知ったものと認められる。
したがって、被告人丁沢は、本件犯行に際しても、被告人乙川が皇族関係者を称する理由のないことを十分認識していたものと認められる。
第4  欺罔行為の有無、詐欺の故意、共謀の成否等について
1  争点
両弁護人は、被告人乙川は政治団体「甲山宮記念」の総裁として本件披露宴を開催したものであるから、被告人両名は本件披露宴に際して皇族関係者を装っていないし、結婚披露宴の出席者が祝儀を持参するとは限らないため、本件披露宴への招待は財産的処分行為をなさしめる行為でもなく、結局、本件披露宴の招待は欺罔行為には当たらず、被告人両名に詐欺の故意や共謀も存在しない旨主張する。
そこで、本件披露宴の開催に至る経緯や、本件披露宴の開催状況等について検討した上で、欺罔行為の有無、詐欺の故意、共謀の成否について検討することとする。
2  本件披露宴の開催に至る経緯
関係各証拠によれば、被告人乙川と被告人丁沢の結婚披露宴は、当初平成14年12月に開催が予定されていたものの、いったん中止になり、その後改めて平成15年4月6日に披露宴を執り行うこととなって本件披露宴に至ったものと認められるところ、その間の経緯等につき、以下のとおり認定することができる。
(1) 平成14年12月に披露宴の開催が予定され、中止に至る経緯等
ア 前記のとおり、被告人乙川と被告人丁沢は、平成14年8月末ころから急速に関係を深め、同年9月ころには、被告人乙川は、京都と東京を行き来する生活を送るようになり、東京を訪れた際には被告人丁沢の自宅マンションに滞在するようになっていたが、被告人丁沢は、同月ないし翌10月ころから、被告人乙川と結婚披露宴を開催したいと言い出し、京都市内の呉服屋に足を運んだり、披露宴会場を探したりするようになった。
被告人乙川は、盛大に結婚披露宴を開催すると、何らかのきっかけで自分が皇族関係者でないことが露見してしまうおそれがあると考え、被告人丁沢に対して披露宴があまり大げさにならないよう説得しようとしたが、被告人丁沢は、「殿下、こういうことはきちんとしなければ。殿下は、甲山宮家の顕彰を続けていくんでしょう。そのためには派手すぎるということは決してありません。」などと言うだけで取り合おうとしなかった。また、丑木も盛大に結婚披露宴を開催することに反対していたため、被告人丁沢と丑木が披露宴の開催を巡って衝突することもあり、その際被告人乙川は丑木の肩を持っていたが、被告人丁沢が、「殿下、けじめが大事なんですよ。大勢の人に甲山宮家の顕彰を分かっていただかなければ。」などと言って、盛大な披露宴の開催を強く主張することから、被告人乙川はあまり被告人丁沢に逆らって嫌われたくないと思うようになり、渋々披露宴の開催に応じることにした。
イ 被告人丁沢は、同年10月後半に、知人のJ夫に、披露宴の会場の手配や集客の手伝いをして欲しいと依頼した。被告人丁沢ができるだけ多くの人を集めたいと言うことから、J夫は、bホテル、帝国ホテル、ホテルオークラなどにあたった末に、gホテル(以下「gホテル」という。)を会場として選定し、同年12月3日に明治神宮で結婚披露宴を挙げた後、同ホテルのオリオンの間で披露宴を開催することになった。このほか、当初は、後記のとおり被告人乙川が名誉総裁に就任していた民族派団体f社の構成員を招いた披露宴を別途同日に開催し、さらに日を改めて関西でも披露宴を開催するという予定もあったが、f社が同年11月の末から12月にかけてタイを訪問する予定があったことから、f社の関係者を招く披露宴は中止となり、同様にして関西での披露宴も中止となった(なお、被告人丁沢は、当公判廷において、当初は小規模の披露宴を予定していたのに、J夫が盛大に大きな会場でやろうと持ちかけてきたことから、gホテルで披露宴を開催することになったなどと、大規模な披露宴を特に望んでいたわけではなかったのような弁解をしているが、被告人丁沢自身が大規模な披露宴を開催することを望んでいたという被告人乙川の捜査段階の供述(乙20)とも齟齬するところであるから、被告人丁沢の上記弁解は採用できない。)。
ウ gホテルにおける披露宴の費用は総額で1000万円程度であったところ、gホテルからは、J夫に対し、披露宴の一月前に着手金として費用の半額の500万円を、披露宴直前に残額をそれぞれ支払って欲しいという申入れがあった。しかし、被告人両名がいずれもそうした金員を持ち合わせていないということから、J夫は、事前に披露宴の参加者に祝儀の一部を支払ってもらうという形で着手金の500万円を支払おうと考え、知人の会社社長に声をかけ、その会社の関係者を動員して事前に祝儀をとりまとめて預けてもらう手はずを整えた。
エ 被告人丁沢は、同年10月中旬ころ、知人の辰口N作(以下「辰口」という。)が代表取締役を務める印刷会社「株式会社アームズ」(以下「アームズ」という。)に、披露宴の招待状、披露宴に必要な包装紙、袋、はし袋、名刺その他の印刷物の印刷の依頼をした。
辰口は、招待状等一通り印刷の済んだ印刷物は同年11月中旬に引渡しを済ませ、被告人丁沢は、同月18日ころ、招待状を郵便で送付した。ここで被告人丁沢が送付した招待状の総数を正確に把握することはできないが、アームズの側であて名書きをした招待状の数が2000通であり(甲327)、被告人丁沢も2100通程度送付した旨述べていることからすると、その総数は2000通ないし2100通程度であったものと考えられる。また、招待状の送付先には、被告人両名と名刺交換をした程度の関係にとどまる者が多数含まれていた。
オ このほか、被告人丁沢は、同年10月28日に披露宴に用いる貸衣装の束帯、十二単等のレンタルや紋付き羽織袴の新調等を株式会社井筒(以下「井筒」という。)に依頼しており(甲324)、洋装についても高津商会に貸衣装を依頼したほか(甲325、乙10)、同年11月8日には、陶磁器卸会社の有限会社申谷商店(以下「申谷商店」という。)に、引き出物として贈る清水焼の皿を1枚5000円で500枚注文するなどの準備を進めていた。
こうした準備に被告人乙川が積極的に関与することはなく、時折被告人丁沢の求めに応じて打合わせに同席する程度であった。
カ しかしながら、同年11月21日に高円宮憲仁親王(以下「高円宮」という。)が薨去されたことから、被告人両名は、皇族関係者を称して披露宴を開催する以上、同年12月の披露宴はいったん中止した上で、日を改めて執り行わざるを得ないことになった。そこで、被告人丁沢は、急遽アームズに披露宴の中止・順延を知らせるはがき1900通の印刷を依頼し(甲327)、同月25日ころ、招待状を送付した相手に送付した(甲324)。
キ こうして平成14年12月に予定されていた披露宴は中止されることになったが、アームズは、中止が決まったころには、同年11月中旬に引き渡した招待状等のほかにも、依頼を受けた印刷物の印刷を全て終えており、被告人丁沢は、中止を知らせるはがきの印刷費用も含めた印刷代金総額240万4900円を同年12月31日までに支払わなければならないことになっていた。
また、被告人丁沢は、井筒との間の貸衣装のレンタルや紋付き羽織袴の新調費用として159万3990円を同年11月3日までに支払わなければならなかったが、同年11月中には代金中10万円を支払ったのみであった(その後も、平成15年6月30日に1万円、同年8月5日に3000円の支払があったのみである。)。
このほか、申谷商店は、被告人丁沢の注文を受けて、平成14年12月の披露宴が中止になる以前に清水焼きの皿を完成一歩手前の生地の状態で在庫していた。前記の注文後に追加注文がなされていた可能性もあり、その代金額を正確に把握することはできないものの、被告人丁沢は少なくとも当初の注文時の代金額である250万円を下回ることのない代金を支払う必要があったものと考えられる。
(2) 平成14年12月の披露宴中止後、本件披露宴の開催に至る経緯
ア このように高円宮の薨去により被告人両名の結婚披露宴はいったん中止になったものの、被告人丁沢は、高円宮の百箇日が平成15年の2月末に当たることから、その後に招待状を送付して間に合う同年4月ころに改めて披露宴を執り行おうと考え、平成14年11月末ころから新たな披露宴の会場を探し始めた。そして、被告人丁沢は、同年12月20日、開催日時平成15年4月6日午後5時から午後8時、出席者600名の予定で、bホテルを披露宴の会場として予約した。この際、予算は1800万円程度という話であった。
イ 今回は、被告人丁沢らは招待状の作成と筆耕をホテルに依頼し、その後被告人丁沢が平成15年3月1日に招待状を郵便で送付した。被告人両名がbホテルにおける披露宴との関係で送付した招待状の総数については、被告人丁沢がgホテルの披露宴のときよりも300通程度増えたと供述していることに照らすと、2300通ないし2400通程度であったものと考えられ、そのうち出席の返答があったのは400人程度であった。また、招待状の送付先に被告人両名との交友関係に乏しい者が多く含まれていたことは、gホテルにおける披露宴の際と同様であった。
この招待状は、差出人名として「総務省総務大臣所管甲山宮記念総裁甲山A夫」と記載され、旧皇族の甲山宮家の家紋と思しき封かんシールのはられた封筒に入れられていた。招待状本体は、二つ折りの厚紙に印刷されており、内側には甲山A夫・C子名義で、「思い起こせば平成十四年八月十日 私たちは神楽坂にある神殿にて運命的に出逢い心を開きました そしてお互いの言霊にふれたとき 愛を信じ 一つの道を歩むことになりました さくら咲き蕉う四月六日 美しい日本を愛してやまない皆様に晩餐会へご参集賜わりたくここにご案内申し上げます」、「日時 平成十五年四月六日(日曜日)午後五時 開宴」、「会場 bホテル」などと記載され、披露宴への参加を促すとともに、ドレスコードを、「燕尾服、紋付羽織袴、制服または背広」、「イヴニングドレス、白襟紋付または訪問着等」と指定していた。また、日付の記載は、「皇紀二六六三年二月吉日」となっており、表面にも、旧皇族の甲山宮家の家紋と思しき紋様が印刷されていた。
ウ 被告人丁沢は、被告人乙川らとともに、同月4日ころ、f社の会長を務める丙野A雄こと辛岡C作(以下「辛岡」という。)と総局長の壬井に会い、平成14年11月15日にf社が被告人両名の結婚の内祝いのパーティーを開催したことへの返礼を兼ねて、本件披露宴にf社の関係者を招待したいと言った。これを受けて、平成15年3月6日ころ、辛岡以下約80名が参加したf社関係者の「親睦会」において、壬井が、参会者全員に対して、f社の名誉総裁を務める甲山A夫と甲山C子妃殿下が、平成15年4月6日午後5時から、「bホテル」において、結婚披露晩餐会を開催するので、皆さん出席して祝福してもらいたい、出席していない団体関係者にも、結婚披露晩餐会への出席依頼を願いたい、当日の服装は、燕尾服、紋付羽織袴、背広、イブニングドレス、白襟紋付、訪問着等で、出席者は、f社の各支部を通じて、総本部まで報告連絡することなどを指示伝達した。このほか、f社の本部から、全国各地のf社の支部や、社友会の構成員に、本件披露宴への出席を促す連絡が電話等を通じて行われた(なお、辛岡や壬井は、当公判廷において、上記の親睦会の場では本件披露宴が開催されることを説明したのみで、参加を積極的に呼びかけたことはない旨証言するが、本件披露宴にはf社の関係者が少なくとも111名出席しており(甲304)、後記の丑波G平のように上記の親睦会にも出席しておらず、f社の本部とのつながりも薄い者まで出席していることに照らせば、f社の関係者に対して本件披露宴に出席するよう組織的に動員がかけられたことは明らかといえる。)。
エ こうしてbホテルでの披露宴の準備は進んでいたところ、被告人丁沢らは、同年3月下旬になって、bホテルから、突如、招待客リストの中のf社の関係者が暴力団関係者であるとして、その排除を求められ、それまで不要とされていた前金1000万円を支払うよう要求されたが、被告人両名にはそうした前金を支払うあては全くなかった。
そのため、bホテルでの披露宴の中止は必至と考えた被告人丁沢は、知人でイベント会社役員の己原E郎こと己原F介(以下「己原」という。)に連絡を取り、bホテルの担当者が無礼なことを言うので披露宴の会場を変えたいなどと説明して、披露宴の日程を変えずにこれを開催できる会場を紹介してくれるよう依頼した。
そこで、己原は、被告人丁沢にcホテル(以下「cホテル」という。)を紹介し、同月27日ころ、被告人丁沢らとともにcホテルの下見を行ったところ、被告人丁沢は気に入ったようで、cホテルで披露宴を開催する方向で話を進めることになった。また、この日、被告人丁沢は、己原に対し、本件披露宴の進行運営全般を依頼し、己原はこれを引き受け、その後、己原は被告人丁沢と打合せを重ねて結婚披露宴の準備を進め、己原が進行予定表の作成、司会の依頼、歌手及び音響スタッフの手配等を行った。
オ こうして披露宴の会場がbホテルからcホテルに変更されることが決まると、被告人丁沢の作成した原稿に基づいて己原が披露宴の会場の変更を告げるはがきを作成し、被告人丁沢が出席の返事を受けていた者に対して郵送した。また、f社の関係者に対しても、壬井が作成した出席予定者のリストに基づいて同様のはがきを郵送した。
このはがきは、「甲山宮記念総裁甲山A夫」を差出人とし、旧皇族の甲山宮家の家紋と思しき封かんシールのはられた封筒に入れられており、はがきの本体には、総務省所管甲山宮記念総裁甲山A夫・C子名義で、「甲山宮記念奉祝晩餐会」と題し、「去る昨年突然の高円宮憲仁親王の薨去で悲しみの日々があり 当日の会場その場所でもありますcホテルで高円宮憲仁親王の愛した場所で甲山宮記念奉祝晩餐会を行うことになりましたのでここにご変更の通知と新会場の場所をご案内をいたします」、「日時:平成15年(皇紀2663年)4月6日(日)18:15(オープニング)」などと記載されていた(なお、己原は、当公判廷において、このはがきの文面は被告人丁沢が考えたものであると証言するが、他方で、被告人丁沢は、この文面は、被告人丁沢が書いた原稿に己原が手を入れて作成したものであり、「高円宮憲仁親王の愛した場所」との記載も己原が考えたもので、こうした記載はやめてほしい旨己原に告げたが、時間がないためにそのままになってしまったと供述する。上記の文章が日本語として非常に拙いものであることからすると、その文章自体は、アメリカでの生活が長く、日本語の扱いにやや不慣れな部分の見受けられる己原が考案したものと考えられるし、「高円宮憲仁親王の愛した場所」との記載が被告人丁沢の意に沿わなかった可能性も否定できないが、被告人丁沢が高円宮の薨去について触れた部分については自らの原稿に記載されていたことを認めていることからしても、高円宮との関係を印象づけるような記載がなされたこと自体は被告人丁沢の意図に基づくものであったと考えられる。)。
カ 同年3月28日ないし29日ころ、被告人丁沢は、己原を介してcホテルから披露宴の費用の見積額が1600万円程度であるとの連絡を受けたため、己原に見積額を切り詰めるよう依頼し、己原が出席者を600人から430人に引き下げるなどの交渉をcホテルとの間で行った結果、最終的な見積額は1008万2000円となった。
キ 被告人丁沢は、同月31日ころ、己原に対し、披露宴の会場で被告人両名の写真を撮って10万円で販売したいといって写真撮影を依頼したが、己原は、写真撮影自体は引き受けたものの、10万円ではあまりにも高額であると考え、1万円で写真を販売した上で、売上金の一部を寄付したらどうかと答えた(その後、被告人丁沢と己原との間の協議の結果、写真の販売価格は1万円になったものと認められる。)。
そして、己原から下請けで写真撮影を引き受けた寅口H吉(以下「寅口」という。)の指示を受け、寅口の経営するイベント会社の従業員である寅葉L郎(以下「寅葉」という。)は、被告人丁沢と電話で連絡を取り合うなどして写真撮影に関する打合せを行なった。その際、撮影した写真をはり付ける台紙が非常に粗末なもので、しかも、変更前の会場であるbホテルの名前が入っているようなものだったので、寅葉が被告人丁沢に台紙を作り直した方がいいのでないかという提案をしたところ、被告人丁沢の返答は、写真を当日売ることが重要なのであって、台紙なんかどうでもよく、体裁はかまわないというものだった(なお、両弁護人は、写真撮影を提案したのは己原であるとの被告人丁沢の供述に基づいて、披露宴会場で撮影した写真の販売を主導したのは被告人丁沢でなく、己原である旨主張するが、己原は事前に被告人丁沢との間で報酬額を250万円と明確に取り決めており、本件披露宴の進行運営等の依頼を受けたばかりの同年3月末の時点では、己原が自己の報酬の確保にさほど不安を抱いていなかったものと考えられることからすると、写真を販売して利益を得ようと提案する動機が見出し難いし、上記のとおり写真撮影に関する具体的な打合せを己原でなく被告人丁沢が行なっていることに照らしても、写真撮影をして販売することを提案し、主導したのは被告人丁沢であるものと考えられる。)。
ク 被告人丁沢は、同年4月1日ころ、cホテルが同月3日までに手付金として600万円を支払うよう求めていると己原から聞いたが、翌2日ころ、前金に充てる資金がないことを己原に告げ、個人的にやっていることなので被告人乙川に払ってもらうこともできないなどといって己原に立替え払いをして欲しい旨頼んだ。すると、己原は、立替え払いは断ったものの、被告人丁沢に月1割の利息を要求する金融業者の亥沢U吉(以下「亥沢」という。)を紹介し、同月3日、被告人丁沢は、己原と共に亥沢から受領した700万円の中からcホテルに対する手付金600万円を支払い、残りの100万円のうち50万円を準備金として己原に渡した。
ケ 同月5日、己原は、寅口から、結婚披露宴の引出物の代金がいまだ支払われていない旨報告を受け、被告人両名には資力がないと判断し、自己の報酬等の保全を図るため、急遽祝い金の受領・管理を己原の会社で担当することなどを定めた契約書を作成することとした。そして、五反田駅近くの喫茶店で被告人丁沢と待ち合わせをすると、その契約内容を承諾させた上、急いで契約書を自ら作成し、翌日、披露宴の会場で被告人丁沢にその契約書にサインさせた。
3  披露宴の開催状況等
(1) 本件披露宴は、予定どおり平成15年4月6日にcホテルで開催されており、出席者は430人程度であった。
被告人両名は、雅楽の演奏に乗って会場に入場し、その際被告人乙川は束帯、被告人丁沢は十二単をそれぞれ着用していた。披露宴の司会者は、本件披露宴の冒頭で、本件披露宴を「甲山宮家記念奉祝晩餐会」と称しており、被告人両名の呼称も、「甲山A夫殿下」、「C子妃殿下」で、「陛下」との敬称が付加されることもあった。また、来賓として挨拶を行なう者も、皆、被告人両名を「殿下」、「妃殿下」と称していた。
被告人両名が入場を終え、謁見の間に入ると、俳優の卯上I夫やcホテルのゼネラルマネージャーの挨拶の後に乾杯が行われ、その後、被告人両名は謁見の間を離れ、写真室に移動した。その後も、ミュージックステージで来賓が挨拶をしたりゲストの歌手が歌を披露したりする中で、被告人両名は、出席者と写真撮影をするために写真室からほとんど離れずにいた。
そして、被告人両名は、お色直しの後は、被告人乙川が陸軍大将大礼服、被告人丁沢が白のウエディングドレスを着用して謁見の間に再入場したが、しばらくするとまた写真室に移動して出席者との写真撮影に備えた。お色直しの後は、被告人両名と写真撮影をしようとする出席者が非常に少なかったため、被告人丁沢や己原の指示により、司会者は、出席者に対して被告人両名との写真撮影を行うよう何度も呼びかけたが、写真撮影を行なう出席者はそれほど増えないまま披露宴は終了した。
(2) 本件披露宴の会場受付では、政治団体「甲山宮記念」の活動内容を紹介するリーフレットが出席者に対して配布されており、その中には、旧皇族の甲山宮家の歴史を紹介し、十代目威仁親王の御薨去で跡継ぎが絶え、甲山宮家の祭祀は高松宮に継承されることになったという文章に続き、「現在は甲山A夫殿下が祭祀御遺徳を継承、平成7年1月15日には甲山宮熾仁親王殿下薨去100周年記念を甲山宮記念総裁として行うなどされています。」、「(1985年甲山宮家の祭祀御遺徳継承を宣下されました。)」などという記載がなされていた。こうした文案は、被告人丁沢の考案によるものであった。
(3) 本件披露宴の終了後、己原は、結婚披露宴で集めた祝い金や写真代金等から、自らの出捐に係る費用やcホテルへの残代金(消費税分除く)などを支払い、その残額として80万円強の現金を被告人丁沢に渡した。
4  判断
(1) 欺罔行為の有無について
ア(ア) まず、被告人両名が本件披露宴の開催に際して皇族関係者を装ったか否かについて検討すると、bホテルで予定されていた披露宴への招待状の差出人は、「甲山宮記念総裁甲山A夫」となっており、旧皇族の甲山宮家の名を冠した団体の総裁の地位にあって、甲山姓で、「A夫」と皇族関係者に多い「仁」の文字を用いた名を持つ者であれば、旧皇族の甲山宮家との血縁関係のある者なのでないかと印象を抱くのが通常といえる。これに加え、旧皇族の甲山宮家の家紋と思しき紋様が用いられていることや、神武天皇が即位したとされる年を紀元とする暦で、現在一般の国民が用いることのまずない皇紀による日付の記載がなされていることに照らしても、上記招待状の記載は、被告人乙川が皇族関係者であって、皇族関係者として結婚披露宴を開催するものと誤信させるに十分な記載である。したがって、被告人両名は、この招待状の送付により、その送付を受けた者に対して皇族関係者を装って本件披露宴に招待したと認めることができる(披露宴の連絡以前から被告人乙川が皇族関係者であると信じていた者については、その招待によって初めて被告人乙川が皇族関係者であると信じたものとはいえないが、上記行為はその誤信を維持、強化するものであるといえる。)。
また、後記のとおり、被告人乙川が「旧皇族の甲山宮A夫殿下」としてf社の名誉総裁に就任しており、その就任式の模様がf社の機関誌にも掲載されていたことに照らせば、f社の関係者に対する口頭での本件披露宴への招待は、従来からf社の関係者が被告人乙川を皇族関係者であるとの錯誤に陥っていたこと(ただし、後記のとおりf社の関係者の中には、被告人乙川が皇族関係者でないことを知っていた者もいたと認められる。)を利用して披露宴への出席を促すものといえるから、f社の関係者に対する口頭での披露宴の案内も、皇族関係者を装って披露宴に招待したものということができる。
そして、cホテルへの会場の変更を告げるはがきは、上記招待状と同じく差出人が「甲山宮記念総裁甲山A夫」となっていることや、皇紀による日付の記載がなされ、甲山宮家の家紋と思しき紋様が用いられていることに加え、高円宮との関係の深い場所を披露宴会場に変更するなどとして、前年に薨去されたばかりの高円宮とのつながりを印象付けようとする記載がなされていることにかんがみれば、既に上記の招待状の送付や口頭連絡等により生じていた被告人乙川が皇族関係者であるとの錯誤を一層深めるものといえるから、このはがきの送付も、皇族関係者を装った本件披露宴への招待行為の一環と認めることができる。
したがって、被告人両名は、上記の招待状やはがきの送付、口頭連絡等を通じ、皇族関係者を装って本件披露宴への招待を行ったものと認められる。
(イ) これに対し、両弁護人は、「甲山A夫」は20年近くにわたって用いられてきた被告人の通称であって、「甲山宮記念」も実在の政治団体で、招待状等に記された甲山宮家の家紋様のものも、甲山宮記念の紋様であるから、差出人を「甲山宮記念総裁甲山宮A夫」とし、甲山宮家の家紋様の紋様を用いた招待状等の記載は正しく事実を反映したもので、皇族関係者を装ったとはいえない旨主張する。
しかし、前記のとおりそもそも「甲山A夫」の名や政治団体「甲山宮記念」も被告人乙川が皇族関係者を装うために用いられていたものであり、被告人乙川が「甲山宮A夫」の名を長く用いており、「甲山宮記念」が政治団体として実在するとしても、前記のように招待状等を受け取る側が被告人乙川が皇族関係者であるとの印象を抱くように意識的に記載されている以上、皇族関係者を装ったとの評価が左右されるものではない。
したがって、この点に関する両弁護人の主張は採用できない。
イ 次に、結婚披露宴への招待が財産的処分行為をなさしめる行為といえるかを検討すると、前記の招待状等の送付や口頭連絡による本件披露宴への招待は、直接的に金員の支払を要求するものではなく、新郎・新婦との関係や、社会的地位によってその金額には多寡があるとはいえ、結婚披露宴への招待を受けて出席する者が祝儀を持参することは当然の社会的儀礼であるから、その招待を受けた者に対して祝儀の支払を動機付ける行為であることが明らかといえる。そして、皇族関係者から結婚披露宴への招待を受けた場合には、通常の披露宴の場合に比べ多額の祝儀を持参する者もいるであろうし、新郎・新婦との面識が乏しく、通常であれば出席しないような関係にある者も、皇族関係者からの招待ということで光栄に感じたり、あるいは皇族関係者の結婚披露宴に単純に好奇心を抱くなどして出席することもあるであろうから、皇族関係者を装って結婚披露宴に招待することは、ただ相手方に祝儀の支払を動機付けるだけでなく、真実を明かして招待した場合には相手方が応じることのない財産的処分行為をなさしめる行為ということができる。
これに対し、両弁護人は、結婚披露宴に出席する者が祝儀を持参するか否かには不確定な要素があるから、結婚披露宴への招待は財産的処分行為をなさしめる行為とはいえない旨主張するが、詐欺罪にいう欺罔行為というためには、相手方に必ず財産的処分行為をなさしめる性質の行為であることを要するものでなく、相手方が自分の望んだ財産的処分行為を行う蓋然性のある行為であれば足りるというべきであって、その主張は採用できない。
ウ 以上のとおり、前記の招待状等の送付や口頭連絡による本件披露宴への招待は、皇族関係者を装い、その招待を受けた者に対し、その身分を明かした場合には応じることのない財産的処分行為をなさしめる行為ということができるから、詐欺罪にいう欺罔行為と認めることができる。
(2) 詐欺の故意、共謀の成否について
ア(ア) まず、被告人丁沢が詐欺の故意を有していたか否かを検討すると、前記のとおり、被告人丁沢は、被告人乙川が皇族関係者を装った偽皇族に過ぎないことを知っていながら、「甲山A夫・C子」として本件披露宴を大々的に開催することを提案し、招待状等の文面も自ら考案している。そして、本件披露宴の現場においては、被告人両名は、束帯や十二単、陸軍大将大礼服等皇族あるいは甲山熾仁親王とのゆかりの深い服装を着用して雅楽の演奏に乗って入場し、「甲山宮A夫殿下」、「C子妃殿下」、「陛下」と呼称されるなど、皇族関係者の結婚披露宴であることを強調する演出がなされているところ、こうした演出は主として被告人丁沢の提案によるものと考えられ、配布されたリーフレット内の被告人乙川が甲山宮家の継承者であるかのように読み取ることのできる文章も被告人丁沢の考案によるものであることにかんがみても、被告人丁沢が皇族関係者の結婚披露宴を殊更に装う意図で本件披露宴への招待を行っていることは明らかである。
また、被告人丁沢がcホテルに対する前金の支払のため、いわゆる街金業者からその資金調達を行っていることからしても、被告人両名が本件披露宴のような大々的な結婚披露宴を開催できるような資金を有していなかったことは明らかで、そもそも披露宴の開催に要する諸々の費用を支払うためには祝儀を当てにするほかなかったものといえる。そして、bホテルで披露宴の開催が予定されていた時点では、一般の招待客とf社の関係者の合計で600人程度の出席者が見込まれていたところ、一般の招待客だけで2300通ないし2400通の招待状が送付されており、その中には被告人両名とほとんど交友のない者が多数含まれるなど、知り合い全員ともいうべき広範囲の人々に対して招待状が送付されていることや、cホテルから費用の見積もり額を出席者600人で1600万円と提示されたところ、会場が変更になったからといって出席者が減少するという確かな根拠もないのに、被告人丁沢の指示で、出席予定人数を430人に引き下げ、費用を切り詰めていること、披露宴の会場で撮影した写真を実費を遙かに超える値段で販売することを被告人丁沢が提案し、披露宴の現場でも、被告人両名が写真室をほとんど離れず、写真撮影を行う出席者が少ないと、被告人丁沢が写真撮影について出席者にアナウンスするよう指示していることなどに照らせば、本件被露宴は、皇族関係者の披露宴と誤信した出席者が持参する祝儀や写真の販売代金等により多額の金員を得ることを主たる目的に開催されたものとしか考えられないところである。そうすると、こうした規模で披露宴を開催することを提案し、その準備に当たっても各種の業者と自ら交渉するなどして主導的に動いた被告人丁沢が詐欺の故意を有していたことは明らかであるといえる。
(イ) 次に、被告人乙川の詐欺の故意について検討すると、本件披露宴の準備を進めていたのはもっぱら被告人丁沢で、披露宴の準備段階における被告人乙川の関与は被告人丁沢に求められて時折打ち合わせの場に同席するなどした程度にとどまり、招待状等についても被告人乙川が事前にその内容をどこまで把握していたかは定かでないが、被告人乙川が被告人丁沢に対して本名を告げ、皇族とは関係がないことを明かしたにもかかわらず、「甲山A夫」として振る舞うように求められ、その後も「殿下」と呼ばれ、「甲山A夫」として被告人丁沢とともに各種の会合に出席するなどしていたことからすると、本件披露宴を「甲山A夫」なる皇族関係者を装って開催することを認識していたことは明らかで、招待状等にそうした記載がなされることも了承済みであったものといえる。
そして、被告人乙川がかねてから「甲山A夫」を称し、皇族関係者と誤信した者から車代や顧問料を受領してきたことに照らせば、皇族関係者を装った場合には、多額の祝儀を持参する者がいたり、本来なら出席するような関係ではないのに、皇族関係者という点に関心を持って出席し、祝儀を持参する者がいるであろうことを被告人乙川が理解していたことは明白であって、本件披露宴への招待が、その身分を明かした場合には相手方が応じることのない財産的処分行為をなさしめる行為であることも認識していたものといえる。
したがって、被告人乙川についても詐欺の故意に欠けることはないものと認められる。
(ウ) さらに、共謀の成否について検討すると、被告人乙川は、当初は結婚披露宴を大々的に開催したいとの被告人丁沢の提案に反対しながらも、最終的には「甲山A夫・C子」を称して本件披露宴を開催することを了承し、被告人丁沢の求めがあればその準備にも協力しており、被告人丁沢が本件披露宴の開催によって祝儀を詐取する意図であることを被告人乙川にはっきりと明かしたかは定かでないものの、当然互いにその意図を理解していたものと考えられることからすると、被告人両名は、本件披露宴の開催による祝儀の詐取について意思を通じていたものと認めることができる。
そして、被告人丁沢は、本件披露宴の開催を計画し、会場の予約、衣装や引き出物の手配等の準備や実行行為に当たる招待状等の送付を自ら行うなど、本件披露宴の開催に主導的な役割を果たしており、被告人丁沢が自己の犯罪として本件犯行に及んだことは明らかといえる。その一方で、被告人乙川の関与は、もっぱら被告人丁沢の指示に従った受動的なものにとどまっているが、かねてから「甲山A夫」を称して、「甲山宮記念」なる政治団体も抱え、多くの者に皇族関係者と誤信されてきた被告人乙川の存在なしには本件披露宴の開催は果たし得なかったものといえるから、その役割の重要性にかんがみれば、被告人丁沢だけでなく、被告人乙川も、互いの行為を利用して、自ら本件犯行を共同して実行する意思を有していたと認められる。
したがって、被告人丁沢が本件披露宴の開催を計画し、被告人乙川もそれに応じ、その準備を進める中で被告人両名は本件犯行について共謀を遂げ、その共謀に基づいて本件犯行に及んだものと認めることができる(なお、己原は、被告人丁沢が高利貸しの亥沢から披露宴の資金を借りるという皇族関係者であれば到底あり得ない行為にまで及んだ上、費用の未払の発覚などの事実から、披露宴前日には被告人丁沢に祝い金を己原の管理下に置くという相手にとっては屈辱的な要求まで飲ませているのであるから、遅くとも平成15年4月5日までには、己原は、乙川が皇族でなく、結婚披露宴が祝い金詐取目当てのものであることを確定的に認識したものと認められる。したがって、己原は、被露宴の前日までにはその事情を知りながら、被告人両名が祝い金名下に出席者から金員を詐取する場となる披露宴の設営をするなどして、その犯行に加担したものというべきであって、被告人両名は、己原とも詐欺の共謀を遂げたものと認められる。)。
(エ) 以上のとおり、被告人両名に詐欺の故意が欠けることはなく、共謀の上で本件犯行に及んだものと認めることができる。
イ これに対し、両弁護人は、〈1〉平成14年9月以降本件犯行に至るまでの間に被告人両名が多額の金員を必要としていたという事情はないから、被告人両名に詐欺を行う動機はない、〈2〉皇族関係者を装って結婚披露宴を開催すれば、犯行が発覚する危険性が極めて高いし、出席者の持参する祝儀の額も予想が困難で、赤字にもなりかねないから、こうした危険性が高く不確実な手法で詐欺を行うことを企てるとは考えられない、〈3〉j会系の民族派団体であるf社の関係者に対して詐欺を行うなどという危険な行動をとるはずがない、〈4〉本件披露宴の結果、被告人両名にはほとんど利益が帰属してない一方で、祝い金の受領・管理を己原の会社で担当することなどを定めた契約書を被告人丁沢との間で取り交わした己原が150万円前後の収益を得ていることからすると、本件披露宴の収益に関心を抱いていたのはもっぱら己原で、被告人両名は収益には関心がなかったといえる、などとして、被告人両名に詐欺の故意や共謀があったと認定するには合理的な疑いが残る旨主張する。
しかしながら、〈1〉の点については、平成14年9月ないし10月ころに最初に披露宴を計画した時点で被告人両名が多額の金員を必要とする事情があったか否かは定かではないとはいえ、披露宴会場のgホテルから求められた前金の支払に充てる資金も全くなく、引き出物の手配や印刷物を依頼した業者に対する代金の支払もほとんどなされていないことからすると、被告人両名にはめぼしい資産や収入はなかったものと考えられ、金銭欲を満たす意図から結婚披露宴を開催して祝儀を詐取することを計画したとしても不自然ではない。しかも、被告人両名は、いったん披露宴が中止された後は、少なくとも、既に準備の済んでいた引き出物の皿と印刷物の代金約500万円については、その支払を免れることはできない状況にあったのであるから、平成14年12月に改めて披露宴の開催を決めた時点では、被告人両名は多額の金員を調達する現実的な必要に迫られていたものといえる(なお、こうした披露宴の準備のための各種の業者との契約の名義は、被告人丁沢単独の名義であったり、被告人両名の名義であったり、「甲山宮記念」名義であったりと区々で、民事法上の責任を被告人丁沢だけでなく被告人乙川も負うのか否かは直ちに判断し難い部分があり、支払に充てる資金の調達方法についても、被告人乙川は被告人丁沢に任せきりであったと考えられるが、そうであっても、披露宴の当事者である以上、被告人乙川自身も、支払に応じなければならない責任を感じていたものと推認される。)。次に、〈2〉の点については、被告人乙川は、本件犯行に到るまでに20年近くもの間皇族関係者を装って活動しており、後記のとおり平成14年10月に日本最大の民族派団体であるf社の名誉総裁に就任しながらも、一部不審に思う者はいたとはいえ、偽皇族であることが公になることはなかったことからすると、本件披露宴を大々的に開催しても犯行の発覚を免れることが可能であろうと考えていたとしても不自然ではない。また、被告人丁沢の供述によれば、被告人丁沢の主催で平成14年8月21日にbホテルで開催されたパーティーの際は、出席者の支払った会費で全ての費用をまかなうことができたというのであるから、本件披露宴に際しては、皇族関係者を称して結婚披露宴を開催すれば、多額の祝儀が集まり、収支が黒字となるものと見込んでいたと考える方が自然なようにも思われる。さらに、〈3〉の点については、そもそもf社の関係者に被告人乙川が皇族関係者であると誤信させたのは、被告人乙川を名誉総裁に就任させようと売り込んだ甲谷であって、被告人乙川が積極的に皇族関係者と誤信させるべく行動したわけではなく、被告人乙川が名誉総裁としてf社の各種会合に招かれるなどしていたことからすれば、結婚披露宴に招待せざるを得ない関係にあったともいえるところである。〈4〉の点については、被告人両名が、披露宴の開催に要する費用を出席者の祝儀や写真の販売代金等の本件披露宴の開催によって挙げる収益で賄うしかない状況にあり、gホテルの披露宴が中止になったことによる諸費用の支払にも迫られていたことに照らせば、被告人両名が本件披露宴の収益に関心を抱いていなかったなどとは到底いえない。本件披露宴の結果、被告人両名がほとんど利益を得ていないことも、皇族関係者を称すれば多額の祝儀を持参する者が多いのでないかというもくろみが外れただけのことといえる。また、己原が、祝儀の受領・管理等を自らの会社で担当する契約を被告人丁沢と交わし、披露宴の現場でも写真撮影を出席者にアピールするよう指示していることからすれば、己原も本件披露宴の収益に関心を抱いていたものといえるが、これは、本件披露宴の直前になって、己原が、被告人両名が披露宴の開催に要する費用を全く持っていないことを知って、自己の報酬の確保に危惧感を抱いた故のことと考えられるから、被告人両名が祝儀等の収益を得る目的から本件披露宴の開催を企てたことと矛盾するものではない。
したがって、上記の各点に関する両弁護人の主張は採用できない。
第5  事件全体に関わる問題点についての小括
以上のとおり、招待状等の送付や口頭連絡による本件披露宴への招待は詐欺罪にいう欺罔行為に当たり、被告人両名に詐欺の故意が欠けることはないし、被告人両名の共謀も認められる。したがって、被告人両名は、本件披露宴に招待された結果、皇族関係者の結婚披露宴と誤信し、出席して祝儀を交付した者との関係で、詐欺罪の共謀共同正犯としての罪責を負うものといえる。
そこで、以下、各出席者が本件披露宴を皇族関係者の結婚披露宴と誤信して、その結果祝儀を交付したと認められるか否かについて検討する。
第6  各出席者ごとの事情について
1  別表第1記載の各出席者について
(1) 辰下J代(平成18年5月15日付け訴因変更請求書別表番号72。以下、各被害者の番号は同請求書の別表のそれを示す。)について
証人辰下J代(以下「辰下」という。)の公判供述等によれば、以下のとおりの事情が認められる。
ア 辰下は平成14年12月中旬に、辰下の経営する健康食品販売会社を訪ねてきた被告人丁沢と初めて会ったのであって、それ以前には被告人丁沢との面識はなく、辰下と被告人丁沢との間には個人的に結婚披露宴に招待するほどの密接な個人的関係はなかった。
イ 辰下は、被告人丁沢と初めて会った際、被告人丁沢が甲山宮家に嫁ぐことになっているが、高円宮薨去によって婚儀が遅れている旨の話を聞き、その後被告人丁沢からお礼と結婚披露宴への出席依頼のはがきを受け取っている。
ウ 平成15年3月3日、被告人丁沢から辰下に対し、結婚披露宴への招待状等が送付され、そこにはドレスコードの指定として、「燕尾服」「紋付羽織袴」等の指定があり、これを受けて辰下は披露宴への出席に当たって、知り合いに皇族の結婚式にふさわしい祝儀の金額や服装を尋ね、その助言に従って、紋付きの着物や30万円の祝儀を準備し、約40万円の費用をかけて披露宴に出席している。
これらの事情に照らすと、辰下は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
なお、両弁護人は、辰下は、甲山宮家が既に廃絶していることを母親から聞いていたのであるから、被告人乙川が皇族関係者であることについて錯誤に陥っていない旨主張する。しかし、戦前に廃絶している宮家であっても、女性の子孫がいてその血縁は絶えていないということもあり得るのであって、宮家としての甲山宮家が廃絶したことを知っていたからといって、被告人乙川が甲山宮家の継承者でないと認識していたとはいえない。辰下と被告人両名との交友関係が上記の程度にとどまることや、その祝儀の額が30万円と一般の披露宴に持参する額としては極めて高額であること、衣装等の準備にかけた費用等にかんがみれば、辰下が本件披露宴に出席したのは、被告人乙川を皇族関係者と信じたためであるとしか考え難く、この点に関する両弁護人の主張は採用できない。
(2) 巳林K江(番号137)について
証人巳林K江(以下「巳林」という。)の公判供述等によれば、以下のとおりの事情が認められる。
ア 巳林は平成14年夏ころ、パーティーで被告人丁沢と知り合い、その後被告人丁沢が巳林の個展を訪れるなどしていたが、それ以外の関係はなく、通常であれば被告人丁沢と巳林の間には特に個人的に結婚披露宴に招待するほど密接な関係ではないといえる。
イ その後、平成14年11月に、巳林は被告人丁沢からgホテルにおける結婚披露宴への招待を受け、その披露宴が中止になった後、平成15年3月に改めて発せられた招待にも応じて、50号という巨大な自作の絵を祝儀代わりに持って出席しており、知り合ってさほど間もない知人の披露宴に参加するだけのプレゼントとしては不釣り合いであるといえる。
ウ 巳林は約20年前に来日しているが、皇族の歴史や状況について詳細な知識はなく、「宮様は一同皇族であると思います。」と述べている程度の認識しかなく、被告人丁沢から招待を受けるに際し、被告人乙川が本当に皇族か否かについて疑いを持つ余地は乏しかったといえる。
これらの事情に照らすと、巳林は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて絵画を贈呈したものと認められる。
なお、巳林が被告人らに交付した絵の客観的な価格について、検察官はこれを時価1500万円である旨主張するが、巳林の公判供述等の関係証拠によれば、本件絵画は、銀座の著名なブランドショップに飾られていたこともある「息を呑む迫力美」と題する50号の巳林の作品で、同人が約9万円の額縁に入れて贈呈したものであり、同人は、国内外で個展を開催するなどの活動も行っており、本件絵画には相応の価値のあるものであることは推認できる。しかしながら、市価1000万円以上もする高額の絵画は、一般的には著名で収集家等に人気のある画家の作品であるところ、巳林の公判供述によれば、「美術市場」という刊行物には同人の1号当たりの標準発表価格として30万と記載されたことがあるというのであるが、50号という巨大な大きさの作品について、実際に号当たりの単価どおりの値段での取引があったことを窺わせる証拠はない。かえって、同人の供述によると、評価それ自体は誇りではあるものの、現在の市場では同人の絵が実際に1号あたり30万円という価格で取り引きされることはなく、その3分の1から4分の1の可能性もあり、また台湾で同人の絵が1号あたり20万円の価格で取り引きされたことはあるが、それは6号ないし10号という小さな絵であるというのであって、同人自身本件絵画に1500万円もの市場価値があるとは考えていないことが窺われる。そして、分離前相被告人己原の分離後の公判における画商の公判供述等によれば、〈1〉本件絵画の作者については、画商や美術関係者の間でも余り知られず、インターネット等でも十分な情報が掲載されていないのであって、オークションカタログにも登載データがなく、その作品に一定の客観的な市場価値が形成されるほど著名ではないこと、〈2〉絵画の価値について記載している10種類程度の刊行物のうち、本件絵画の作者やその参考価格を掲載していたのは「美術市場」のみで、その「美術市場」の編集長が本件絵画の作者について記載したのはそのマネージャーに依頼されたからである旨弁明していること、〈3〉銀座で画廊を経営する前記画商も、本件絵画は美術品として特に高い市場性がある作品ではないと判断していること等が認められる。結局本件絵画の時価を客観的に算定することは証拠上困難であり、相応の価値のある絵画であることは明らかではあるが、客観的な市場価格は算定できず、いずれにせよ検察官の主張するように1500万円もの市場価値があるものとは認められない。
(3) 庚崎G作(番号1)について
証人庚崎G作(以下「庚崎」という。)の公判供述等によれば、以下のとおりの事情が認められる。
ア 庚崎は平成7年ころに、銀座のクラブでホステスをしていた被告人丁沢と初めて会い、その後友人として年に二、三回会って話をしているが、平成14年8月に被告人丁沢が主催したパーティーで、席を巡って行き違いがあり、それ以後丁沢のパーティーには出席しないと決めていた。同年11月18日ころ、披露宴の招待状を受け取り、「甲山A夫」という人物は、その氏名や「殿下」との敬称、同封された文書の説明等から宮家の末えいであると思ったが、その時点では出席の意思はなかった。
イ その後、同年12月に、被告人丁沢とともに食事をした際、被告人乙川が同席しており、そこで「甲山A夫」と記載された被告人乙川の名刺を受け取り、さらに被告人乙川から自分は高松宮の子であると聞き、被告人丁沢からは結婚披露宴への出席を要請され、皇族の結婚披露パーティーに出席できることについて無上の光栄だという気持ちになって出席することにしたというのであって、出席を決めた主要な理由は被告人乙川が皇族関係者であるという点にあったといえる。
ウ 庚崎は、自分の娘の結婚式に際しては祝儀は3万円程度を用意したが、本件において庚崎がお祝い金として交付した額は10万円であり、通常の祝儀と比較して相当多額なものであり、庚崎は、本件披露宴出席のために交付する祝儀の額を単なる友人の披露宴の場合とは区別して決めていたことが明らかである。
これらの事情に照らすと、庚崎は、被告人丁沢の友人として披露宴に出席した側面もあるものの、被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて多額の祝儀を交付したものと認められる。
この点、両弁護人は、〈1〉庚崎は被告人丁沢の古くからの知り合いであって、純粋に被告人丁沢の結婚を祝うために出席したものである、〈2〉庚崎が経営するホテルの種類や性格からして、その経営者が皇族関係者から披露宴への出席を打診されることなどあり得ないということは一般常識に照らして明らかであり、それにもかかわらず庚崎が皇族関係者の結婚披露宴に招待されたと誤信するとはおよそ考え難い旨主張する。しかしながら、〈1〉の点については、前記のような経緯、特に庚崎と被告人丁沢との間で従前パーティーを巡ってトラブルがあったことや、庚崎が持参した祝儀の金額が、庚崎が通常身内の結婚式に持参するものと比べて著しく高額であること等に照らすと、庚崎が単に被告人丁沢の結婚を祝うという趣旨で出席を決め、多額の祝儀を交付したとは考え難い。〈2〉の点についても、庚崎は被告人両名と会った席で、被告人乙川から直接高松宮のご落胤であるという説明を受け、その時点でそれを否定する材料をもっていたわけでもなかったというのであって、庚崎の経営するホテルの種類・性格が弁護人の主張するような風俗関係のものであったとしても、被告人乙川が実際は皇族でないから自分も招待されたと理解したはずであるとまではいえない。
(4) 午山L雄(番号91)について
証人午山L雄(以下「午山」という。)の公判供述等によれば、午山は十二、三年前に、参加したパーティーで「甲山殿下」と紹介された乙川と知り合って、名刺交換をして「甲山A夫」と記載された名刺を受け取ったもので、それ以前には被告人乙川との面識はなく、その後も年賀状のやりとりをするだけで、本件披露宴に至るまで会うこともなかったところ、突然被告人乙川らから招待状が届き、皇族の結婚式に出席する機会がなかったので、光栄だと考えて本件披露宴に出席したというのであって、これらの事情に照らすと、午山は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
なお、両弁護人は、午山は被告人乙川との個人的な交友関係に基づいて出席した旨主張するが、被告人乙川との交友関係が上記の程度にとどまることに照らせば、午山が本件披露宴の出席した理由は被告人乙川を皇族関係者と信じたこと以外には見出せず、その主張は採用できない。
(5) 未川M郎(番号108)について
証人未川M郎(以下「未川」という。)の公判供述等によれば、未川は平成15年2月中旬に、あるオペラ歌手のイベントで被告人両名を紹介され、同歌手から被告人乙川は「甲山A夫」という名で甲山宮家の血を引く人物であり、その人物と被告人丁沢が結婚する旨聞かされ、被告人丁沢から披露宴への出席を求められた。その後、被告人両名から披露宴への招待状が送付され、皇族の血筋を引く人間の結婚式であるので喜ばしく光栄なことと考え出席したというのであって、未川は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者の披露宴であると誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
両弁護人は、未川は本件披露宴に招待された時点で被告人丁沢と知り合ってから日が浅く、被告人乙川を皇族関係者と信じる根拠も乏しかったのであるから、未川は被告人乙川が皇族関係者でないことを認識していたはずであると主張するが、上記のオペラ歌手のイベントで顔を合わせた程度の交友関係しかない被告人丁沢から招待を受けて披露宴に出席する理由は、被告人乙川を皇族関係者と信じたということ以外に考えられないから、その主張は採用できない。
(6) 申谷N介(番号128)について
証人申谷N介(以下「申谷」という。)の公判供述等によれば、以下のとおりの事情が認められる。
ア 申谷は有限会社申谷商店の取締役として東京店を担当していたが、平成14年10月ころ、同人の父親である申谷O平から、被告人丁沢と引き出物の皿の関係で打ち合わせをするよう頼まれ、被告人丁沢と会ったところ、その際に被告人丁沢から「甲山A夫」たる被告人乙川と結婚する旨の話を聞き、また被告人丁沢は被告人乙川のことを「殿下」と呼び、専属の秘書らしき人物もいた。さらに、被告人丁沢は申谷に対し、引き出物の皿に甲山家の家紋を入れるように指示され、それを受けて京都の本店でその正式な家紋を調査し、それを引き出物につけて見本として丁沢に渡した。
これらの経緯から、申谷は被告人乙川が甲山宮家の関係者であると認識して、引き出物の注文を受けたものといえる。
イ 同社では、引き出物の発注をした顧客の披露宴に当然に同社の関係者を出席させるような慣習はなく、被告人両名は皇族関係者であり、今後内祝いを各地で行うため、引き出物の皿の発注枚数が増えることもあるとの説明を受けたため、今後のことも考えて申谷が披露宴に出席することになったものであって、被告人乙川が甲山宮と無関係であれば、申谷が披露宴に出席し祝儀を交付することは考え難い。
これらの事情に照らすと、申谷は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
これに対し、両弁護人は、申谷は、被告人乙川が皇族関係者であるか否かにかかわらず、純粋に得意先と考えて出席したものであると主張するが、上記のとおり、顧客の披露宴に出席するような慣習はなく、申谷は、被告人両名を単なる得意先と考えていたわけではなく、皇族関係者からの商品の受注につながる重要な得意先と考え、それ故に披露宴に出席したものと考えられるから、その主張は採用できない。
(7) 酉沢P吉(番号54)について
証人酉沢P吉(以下「酉沢」という。)の公判供述等によれば、酉沢は写真家としてインテリアや建築の撮影を行っていたところ、平成12年ころ、被告人丁沢が従前勤めていた広告会社のシティビジョンの関係する仕事に携わり、その際に被告人丁沢と会って名刺を交換したが、その後特段の交際はなく、被告人両名から披露宴への招待状が送付された際、被告人丁沢の結婚相手が皇族関係者であるから、被告人丁沢側の人数合わせのために招待されたものと考えたものの、そのような場に呼ばれることは光栄であると感じ、出席することとしたというのであって、酉沢は被告人乙川と被告人丁沢との結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
両弁護人は、皇族関係者の結婚披露宴に新婦と名刺交換をした程度の関係しかない者が招待されるはずはないから、酉沢も被告人乙川が皇族関係者ではないことを知っていたはずであると主張するが、酉沢が証言するように、人数合わせという理由も考えられないわけでなく、酉沢が本件披露宴に出席することを決めた理由は被告人乙川を皇族関係者と信じたこと以外に見出し難いことにかんがみても、その主張は採用できない。
(8) 戌野Q夫(番号50)について
証人戌野Q夫(以下「戌野」という。)の公判供述等によれば、戌野は平成14年頃にネットワークビジネスセミナーの会合で被告人丁沢と知り合い、同年夏ころにも被告人丁沢にパーティーに誘われて参加したこともあったが、その程度の面識しかなく、その後も特段の接触はなかったところ、被告人両名から招待状が届き、「甲山宮記念事務局」との記載や、被告人丁沢名で送付されたはがき中の「甲山宮御遺徳継承 甲山A夫殿下」などとの記載から、被告人丁沢が皇族と結婚すると信じ、皇族の方との結婚披露宴ということであれば、呼ばれたのはすごく光栄であると考え参加したというのであって、これらの事情に照らすと、戌野は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
なお、祝儀の金額について、戌野は5万円であった旨述べているが、己原が作成した一覧表(甲310)には3万5000円との記載があり、両者に齟齬が生じている。戌野があえて虚偽の供述をしているとは考え難く、夫婦で3万5000円という端数のある金額は不自然であるが、同一覧表は己原が祝儀の計算・管理のために作成され、機械的に記入されたはずであるから、その信用性も直ちに否定することはできない。戌野の渡した祝儀袋も証拠として提出されていないことからすれば、記憶違いや入れ間違いの可能性を全く否定することはできず、同人に関する被害額は甲310号証の3万5000円の範囲で認定できるにとどまる。
一方、両弁護人は、戌野は、被告人乙川が皇族関係者であるかどうかにかかわらず、被告人丁沢の知人として本件披露宴に出席したものであると主張するが、セミナーやパーティーで2度ほど顔を合わせた程度の関係にとどまる者から結婚披露宴に招待されて、単に知人であるとの理由から出席すると考え難く、その主張は採用できない。
(9) 亥原R雄(番号49)について
証人亥原R雄(以下「亥原」という。)の公判供述等によれば、亥原は10年ほど前に出版関係のパーティーで被告人丁沢と知り合って名刺交換をしたが、その後は年賀状のやりとりをする程度の関係で、会ってもいなかったところ、被告人両名から招待状が届き、「甲山A夫」の名前が甲山宮熾仁親王と似ていることなどから、被告人丁沢が皇族と結婚すると信じ、亥原の娘が皇族の結婚式を見たいと強く希望したので、娘とともに出席することにしたというのであって、これらの事情に照らすと、亥原は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものであると誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
両弁護人は、亥原は被告人丁沢の友人として本件披露宴に出席したものであって、被告人乙川が皇族関係者であったかどうかとはかかわりがない旨主張するが、亥原と被告人丁沢との関係は上記の程度にとどまり、その祝儀の額も娘と合わせて8万円であり、一般の披露宴に持参する額としてはやや高額であることに照らしても、亥原が単なる知人として披露宴に出席し祝儀を交付したとはいえず、その主張は採用できない。
(10) 甲沢S郎(番号74)について
証人甲沢S郎(以下「甲沢」という。)の公判供述等によれば、以下のとおりの事情が認められる。
ア 甲沢は、洋菓子専門店である株式会社hの社長を務めていたところ、平成11年ころ、被告人乙川と初めて会い、その際に、被告人乙川を「甲山宮殿下」として紹介され、その後何回かパーティーで顔を合わせていたが、平成14年秋ころ、被告人丁沢から、被告人乙川が高松宮の御落胤であるという説明を受け、さらに、被告人丁沢から、gホテルにおける披露宴の引き出物として菊の御紋を入れた菓子を注文されてそれに応じたというのであって、甲沢は被告人乙川が皇族の関係者であるという説明を受け、それを前提に引き出物の菓子の受注をしたものといえる。
イ 甲沢は、被告人丁沢とは平成13年以降何度かパーティーで一緒になってはいるが、それ以上に被告人丁沢と親しい関係にはなく、また被告人乙川との関係も前記の程度のものであって、被告人両名と特段親密な関係にあったとまではいえない。
これらの事情に照らすと、甲沢は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものであると誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
これに対し、両弁護人は、甲沢は、被告人両名の知人であるから、被告人乙川が皇族関係者であるかにかかわりなく出席したものであると主張する。しかしながら、被告人両名との交友関係がパーティーで数回顔を合わせた程度のもので、持参した祝儀の額も10万円と一般の披露宴に持参する額としては相当に高額であることに照らせば、単なる知人として出席したものとは考えられず、その主張は採用できない。
(11) 乙野T介(番号6)について
証人乙野T介(以下「乙野」という。)の公判供述等によれば、乙野は被告人両名とはそれまで何の面識もなかったが、知人から「宮様の結婚式に出てみないか」との誘いがあり、自分みたいな田舎のものが皇族の結婚式に出られることを光栄に思って出席を決め、その後会社宛に送られてきた招待状に対し出席の返事をして、本件披露宴に出席したというのであって、これらの事情に照らすと、乙野は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
これに対し、両弁護人は、乙野が、本件披露宴に招待した者を明らかにせず、本件披露宴の7か月後には大阪市長選に立候補していることからすると、乙野は、被告人乙川が皇族関係者かどうかにかかわりなく、自分の知名度を高めるために出席したものであると主張する。しかし、被告人乙川を皇族関係者と安易に誤信したことは知識不足で不名誉なことであると考えられるから、乙野が自分を誘った者の名誉を尊重してその名を明らかにしないことも格別不自然ではなく、乙野が本件披露宴を自己の知名度を高める場と捉えていたとしても、それは被告人乙川が皇族関係者であることから多くの招待客の出席が見込まれると計算したためであると考えられ、皇族関係者の披露宴であると誤信しなければ出席の価値は感じなかったであろうから、その主張は採用できない。
(12) 辛田H平(番号2)について
証人辛田H平(以下「辛田」という。)の公判供述等によれば、辛田は、平成14年11月ころ、被告人丁沢からgホテルにおけるパーティーへの招待状を受け取ったが、心当たりがなく、披露宴の当事者が自分の店の客の一人かとも考え、招待の理由がよく分からなかった。しかし、皇族などの有名人の披露宴と同じような形態での披露宴の開催を望む客もいるであろうことが予想され、披露宴会場としても利用されるレストランのオーナーとして皇族の披露宴を見ておきたいと考えて出席することにし、いったん中止された後の平成15年3月ころにbホテルにおける披露宴の招待状を改めて受け取った際も出席することにし、祝儀については事前に届けるのがマナーであると考え、同月末ころ被告人丁沢の自宅で祝儀を渡したというのである。これらの事情に照らすと、辛田には被告人両名の披露宴が皇族関係によるものであると信じたということ以外に本件披露宴に出席する理由は見出せず、辛田は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
両弁護人は、辛田が招待状を受け取った時点で被告人丁沢と面識があったかどうかはっきり覚えていない旨証言しており、面識があるかも定かでない者から皇族関係者と結婚する旨の披露宴の招待を受けたとしても、本当に皇族関係者との結婚なのか当然疑問を抱いたはずであり、営業上の興味として見ておきたいと思ったとの辛田の証言からしても、辛田は被告人乙川が皇族関係者であるか否かとかかわりなく本件披露宴に参加したものであると主張する。しかし、上記のとおり辛田が本件披露宴に出席する理由は被告人乙川を皇族関係者と考えたこと以外に見出せず、営業上の興味という証言も、皇族関係者の披露宴と同様のスタイルでの披露宴を客にリクエストされた場合の参考になると考えたという趣旨と解されるから、その主張は採用できない。
(13) 丙原U作(番号100)について
証人丙原U作(以下「丙原」という。)の公判供述等によれば、丙原は、平成14年11月ころ、丁崎V平(以下「丁崎」という。)から甲山の誕生パーティーがあるとして誘われて出席し、そこで甲山A夫と名乗っている被告人乙川を見て、甲山宮ゆかりの人物であると考え、乙川に名刺を渡した。その後、被告人らと会うことはなかったものの、平成15年3月に披露宴の招待状を受け取り、皇族の披露宴でめでたいことと考えたので出席したというのであって、丙原は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
両弁護人は、丙原は、後記のとおり被告人乙川と義兄弟の盃を交わした甲谷やその場に同席した丁崎の知人であるから、当然被告人乙川の素性についても知らされていたはずであると主張するが、甲谷や丁崎は、被告人乙川を皇族関係者として祭り上げて利用しようとしていたふしが窺われ、被告人乙川の素性を丙原に明らかにしていたとは考えられないから、その主張は採用できない。
(14) 丑波G平(番号111)について
証人丑波G平(以下「丑波」という。)の公判供述等によれば、丑波はf社信濃社友会の副代表であり、平成14年10月ころ、f社の全国代表者会議において、被告人乙川が「甲山A夫」としてf社の名誉総裁に推戴されたとの発表を聞き、宮家でf社の名誉総裁になってくれたのはありがたいと考えていたところ、平成15年3月ころ、f社から信濃社友会の事務局に、名誉総裁の結婚披露宴があるので出席できるかとの打診があり、名誉総裁の結婚披露宴であればめでたいと考え、出席して祝儀を渡したという事情が認められる。
このように、丑波にとって直接的には被告人乙川がf社の名誉総裁であるということが披露宴参加の動機となっているものの、丑波は、f社の会合において、皇族である被告人乙川がf社の名誉総裁に就任したと聞いていたのであって、由緒ある皇族が名誉総裁という地位にあることが前提となって、f社からの出席要請に応じて会場に赴いているのであるから、結局は、被告人乙川が皇族であると信じていたからこそ出席したものと認められ、そこで行われるのが皇族の披露宴であると誤信して祝儀を交付したものと認定することができる。
両弁護人は、後記のとおりf社の会長の辛岡と総局長の壬井は被告人乙川が皇族関係者ではないことを知っていたものと認められるところ、丑波が、一般の結婚披露宴には礼服を着る旨証言する一方で、本件披露宴には平服のスーツを着用して出席していることに照らせば、f社の関係者である丑波も辛岡や壬井と認識を共有している可能性が高い旨主張する。しかしながら、f社信濃社友会は、f社の二次団体であって、f社本体とは直接のつながりはないというのであるから、皇族関係者として名誉総裁に担ぎ上げた被告人乙川が実は皇族関係者でなかったというf社にとっては不名誉極まりない情報がf社信濃社友会に伝えられていた可能性は極めて乏しいものといえる(後記のとおり、被告人乙川が名誉総裁に就任した時点では、f社関係者は、辛岡や壬井も含め、被告人乙川を皇族関係者と誤信していたものと認められる。)。また、結婚披露宴に出席する際の服装は新郎新婦との関係の親疎等によって異なるのであって、丑波の生活状況、社会的地位、所属団体の性格等に照らすと、背広姿で出席することが著しく不自然であるともいえない。
(15) 戊田W吉(番号116)について
証人戊田W吉(以下「戊田」という。)の公判供述等によれば、戊田は、平成14年8月22日、戊田が責任者であった愛宕神社の会合で、甲谷に被告人乙川を紹介され、甲谷から、被告人乙川について、高貴な方であるから失礼のないようにと言われ、名刺交換をし、その後招待伏を受け取って披露宴に出席したというのであって、従前から被告人両名と深い関係にはなかったことは明らかであり、皇族関係者の披露宴であるという以外には被告人らの披露宴に出る理由はないから、戊田は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
両弁護人は、戊田は甲山宮家が廃絶していて高松宮家に祭祀が継承されたことを知っていたのであるから、被告人乙川が皇族関係者であるとの錯誤に陥っていたとは考えられない旨主張するが、上記のとおり皇族関係者の披露宴であること以外に戊田が本件披露宴に出席する理由はなく、甲山宮家が一度廃絶したことを知りつつも、その後養子縁組をするなどして同家は復活を遂げたものと考えるなどし、被告人乙川がその継承者であると信じていたとの戊田の証言も格別不自然ではないから、その主張には理由がない。
(16) 己岡X子(番号103)について
証人己岡X子(以下「己岡」という。)の公判供述等によれば、己岡は、平成13年ころ被告人丁沢と初めて会い、その後被告人丁沢から同人が講師を務めていた銀座駅前大学の資料等を受け取ったが、その後は特に関係はなく、平成15年3月ころ、被告人丁沢から招待状が送られ、知り合いの女性が皇族と結婚するというのは滅多にないことであると考え、出席し祝儀を渡したというのであって、己岡は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
この点、両弁護人は、己岡は、被告人丁沢に成人に近い年齢の子供がいることを知っており、そうした女性が皇族関係者と結婚するとは考え難いことからすると、己岡は被告人乙川が皇族関係者でないことを知っていたはずであると主張するが、己岡と被告人丁沢との関係が上記の程度にとどまることに照らせば、己岡が本件披露宴に出席した理由は、被告人丁沢が皇族関係者と結婚すると信じたこと以外には考えられず、また、現在では、離婚経験者であっても皇族関係者と結婚できないと考えるのが常識であるとは必ずしもいえないから、その主張は採用できない。
(17) 庚井Y夫(番号38)について
証人庚井Y夫(以下「庚井」という。)の公判供述等によれば、庚井は被告人両名とはそれまで全く面識がなかったが、前記乙野から、皇族の結婚式に出てみないかとの誘いがあり、披露宴を見たいと思って出席を決め、その後招待状を受け取り、出席の返事をして本件披露宴に出席したものであって、これらの事情に照らすと、庚井は被告人乙川が皇族であるという以外に本件披露宴に出席する理由はなく、庚井は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
なお、庚井の証言により同人の被害額(交付額)は3万円であったものと認められる。
これに対し、両弁護人は、新郎新婦と何ら関係のない者が皇族関係者の披露宴に招待されるとは考えられないことや、庚井が甲山宮家が廃絶していたことを知っていたことなどからすると、庚井は被告人乙川を皇族関係者でないことを知っていたはずであると主張するが、これらの事情によっても被告人乙川を皇族関係者と誤信していたとの認定が妨げられるものでないことは既に述べたとおりである。
(18) 辛木Z雄(番号71)について
証人辛木Z雄(以下「辛木」という。)の公判供述等によれば、辛木は、平成14年ころ、被告人らからgホテルで行われる披露宴への招待状を受け取ったが、心当たりがなかったので被告人丁沢に電話したところ、レセプションで辛木と会ったことがある旨説明され、また「宮家に嫁ぐことになりまして」との説明を受けて、更に祝儀の額について被告人丁沢に尋ねたところ、10万円くらいであるとの話を聞いて披露宴に出席することにし、いったん中止された後の平成15年3月に再度招待状を受け取り本件披露宴に出席したが、その際祝儀の金額については妹と相談の上5万円にしたというのであって、その経緯に照らすと、辛木は被告人乙川が皇族であるという以外に本件披露宴に出席する理由はなく、辛木は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
この点、両弁護人は、皇族関係者が1回顔を合わせた程度の関係しかない者を結婚披露宴に招待するとは考えられず、辛木が被告人乙川が皇族関係者なのかどうか半信半疑であった旨証言していることからしても、辛木は被告人乙川が皇族関係者であるとの錯誤に陥っていなかった旨主張するが、上記のとおり辛木が本件披露宴に出席する理由は被告人乙川を皇族関係者と信じたこと以外に考えられず、皇族関係者ではないのでないかという疑念があったとしても、皇族関係者と信じる気持ちの方が強かった故に出席することになったものと考えられるから、その主張は採用できない。
(19) 壬葉A郎(番号125)について
証人壬葉A郎(以下「A郎」という。)の公判供述等によれば、A郎は、平成3年ころ被告人乙川と会い、名刺を交換したが、その後何の連絡も取っていなかったところ、平成15年3月ころ、被告人らから招待状を受け取り、結婚式で招待状を受け取ったらよくよくのことがない限り欠席するのは失礼であり、まして宮家のゆかりの者であることから出席すべきであると考えて披露宴に出席したというのであって、A郎は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
この点、両弁護人は、かつて被告人乙川がA郎の父親の叙勲記念パーティーに参加したことから、A郎はその返礼として本件披露宴に儀礼的に参加したものであり、また招待状を受け取った以上は出席するのが礼儀であると考えていたともいうのであるから、A郎は被告人乙川が皇族関係者であるかどうかにかかわりなく出席したものであると主張する。しかし、A郎は通常の結婚祝いとして3万円ないし5万円の祝儀を包んでいるところ、今回は皇族にゆかりがある方なので失礼がないように10万円にしたと述べており、A郎と被告人乙川が会ったのは平成3年の一度きりで、その後連絡を取っていないこと等に照らしても、10万円の祝儀を持っていったのはA郎が本件披露宴が皇族関係者のものであると信じていたからという以外に理由がない。これに加えて、A郎が、被告人乙川が宮家と全く関係のない人間だと分かっていれば行っていない旨述べていることも併せ検討すれば、A郎が被告人乙川を皇族関係者と信じたから披露宴に出席し、通常より多額の祝儀を交付したものであることは優に認められる。
(20) 癸波B介(番号132)について
癸波B介(以下「癸波」という。)の公判供述等によれば、癸波は、平成7年ないし8年ころ、知り合いから皇室の方のパーティーがあると誘われてそれに出席し、受付で「甲山」と書かれた被告人乙川の名刺を受け取ったが、その後被告人らとの接触はなかったところ、被告人らから招待状を受け取り、皇室の方とご縁があるのであればと考えて出席し、祝儀については失礼にならないように10万円を包んだというのであって、癸波は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
なお、被告人丁沢は、癸波に対する招待状は癸波の自宅ではなく職場に送付した旨供述するが、癸波は自宅で招待状を受け取った旨供述しているところ、被告人丁沢宅から押収された名刺の中には癸波の自宅が記載されたものがあり(甲309)、招待状は癸波の自宅に送付されたものと認められる。
これに対し、両弁護人は、癸波が被告人乙川の古くからの知り合いであり、被告人乙川を皇族関係者と信じていたか否かにかかわりなく本件披露宴に出席したものであると主張するが、癸波は被告人乙川と本件披露宴の七、八年前に一度会ったきりであり、癸波の交付した祝儀の額が10万円で、一般の披露宴に持参する額としては相当に高額であることにかんがみても、癸波が単に被告人乙川の古くからの知人として本件披露宴に出席したとは到底考えられない。
(21) 丑口D作(番号127)及び寅上E平(番号126)について
丑口D作(以下「丑口」という。)の公判供述等によれば、丑口は平成12年ころ、当時理事を務めていた財団法人の理事会で、同法人の名誉会長である被告人乙川と知り合い、そこで他の者が被告人乙川のことを「辛井さん」、「殿下」などと呼んでいた、その後特に個人的に親しい関係にはなかったところ、平成15年3月ころ披露宴の招待状を受け取り、皇族関係者の披露宴に招かれて非常に光栄であると思い、寅上E平(以下「寅上」という。)も誘って披露宴に出席し、二人分で10万円の祝儀を渡したが、その後本件についての報道がなされ、これを受けて、丑口は寅上から「この詐欺師め。」と罵倒されたというのであって、丑口及び寅上は、被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
これに対し、両弁護人は、〈1〉丑口が寅上から「この詐欺師め。」と罵られながら、寅上に納得のいく説明ができていないのは、丑口が被告人乙川が皇族関係者でないことを知っていたからである、〈2〉当公判廷で証言をしていない寅上については、被告人乙川を皇族関係者と誤信したことについて証明がないなどと主張する。しかし、〈1〉の点については、丑口が被告人乙川が皇族関係者でないことを知りながら、殊更に寅上を欺いて本件披露宴に出席させる理由は想定できない。〈2〉の点については、被告人両名と全く面識のない寅上が本件披露宴に出席する理由は、皇族関係者の結婚披露宴に関心を抱いたことのほかには考えられず、本件披露宴に関する報道がなされた後に丑口を詐欺師と罵倒していることに照らしても、出席当時は寅上は被告人乙川を皇族関係者と誤信していたものとしか考えられず、出席者本人の証言がなくても同人も誤信していたことを十分認定できる。
(22) 癸井I郎(番号129)について
癸井I郎(以下「I郎」という。)の公判供述等によれば、以下の事実が認められる。
ア I郎は、前記癸井J夫の兄であるが、平成12年ころ被告人丁沢と名刺を交換したことがあり、その後I郎と被告人丁沢は仕事の関係で何度か会った。I郎は弟であるJ夫とは頻繁には連絡を取ってはおらず、本件披露宴の前にもその話はしなかった。
イ その後、I郎はgホテルでの披露宴への招待状を被告人らから受け取ったが、その前後にI郎は被告人丁沢から電話を受け、披露宴への出席を打診され、これに応じた。その際に、被告人丁沢は結婚相手について、皇族の流れをくむ男性というような話をしていた。その後、gホテルでの披露宴については中止の連絡があった。その後さらに被告人丁沢からbホテルで企画された披露宴への参加を電話で打診されてこれに応じ、またその後場所がcホテルに変更になった旨の電話も受けた。
ウ I郎の周辺の人間も、皇族の方が結婚することから出席するという連絡があり、一緒に出ることにしたが、もし自分一人だけで、また普通の人の披露宴であれば、お祝いはしたかもしれないが、それだけのために披露宴に出ようとは考えなかった。
以上の事情に照らすと、I郎は被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものだと誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
この点、両弁護人は、I郎は元々被告人丁沢と親しい関係にあったから披露宴に招待したのであって、I郎は被告人乙川を皇族関係者と信じた故に本件披露宴に出席し、祝儀を交付したわけではない旨主張する。しかしながら、前記のとおり、I郎は、単に被告人丁沢の結婚式であるというだけなら、お祝いを持っていったかもしれないが披露宴に出席したかどうかは分からず、祝儀の額も1万円か5000円で、5万円も包むことはない旨述べているのであって、I郎が披露宴に出席し5万円の祝儀を交付した動機は主として被告人乙川を皇族関係者と信じた点にあるものと認められるから、その主張は採用できない。
また、I郎はJ夫の兄であるものの、両者の間に密な連絡はなく、披露宴に関する話も双方でしたことがないというのであって、J夫が披露宴の準備に関与していたことは、I郎が本件の被害者となることとは矛盾しない。
(23) 卯下F吉(番号122)及び卯下G美(番号123)について
証人辰林H夫(以下「辰林」という。)の公判供述、卯下F吉(以下「F吉」という。)作成の上申書(甲250)等関係各証拠によれば、F吉は、iクラブという名の会合で被告人両名と一度顔を合わせ、その際被告人丁沢が被告人乙川を殿下と呼んでいたことから被告人乙川が皇族関係者であるものと思っていたところ、本件披露宴の招待状を受け取り、それまで皇族関係者の結婚式に出席したことがなく、興味があったことから、妻の卯下G美(以下「G美」という。)とともに本件披露宴に出席し、F吉とG美でそれぞれ5万円ずつ祝儀を包んだというのであって、F吉及びG美は、被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものであると誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められる。
なお、F吉作成の上申書は、警察から送付されたひな形に記入する形式で作成されているところ、本件披露宴の出席に際して包んだ祝儀の額については10万円との記載があり、F吉一人で10万円を持参したという趣旨にも読み取れるが、辰林証言によれば、上申書の返送を受けた後にF吉に電話で確認した際には、F吉とG美の持参した祝儀の合計額を記載した旨述べていたとのことであり、被告人丁沢方から5万円と記載された祝儀袋の内袋がF吉名義とG美名義でそれぞれ押収されていること(甲307)に照らしても、F吉とG美がそれぞれ5万円ずつ祝儀を持参したものと認められる。
これに対し、両弁護人は、〈1〉上申書のひな形に記載されていた設問は被告人乙川を皇族関係者と信じていたという方向に強く誘導するものであるから、F吉作成の上申書の記載は信用性に乏しい、〈2〉F吉とG美は、当公判廷で証言していないから、被告人乙川を皇族関係者と誤信したことについて証明不十分であるなどと主張する。しかし、F吉とG美が本件披露宴に出席する理由は、被告人乙川を皇族関係者と信じたということ以外には見当たらず、その認識を認定するのに必ずしも本人の証人尋問を要するものでもないから、その主張は採用できない。
2  別表第2記載の各出席者及びその関係者について
本件公訴事実中、平成18年5月15日付訴因変更請求書(以下単に「訴因変更請求書」ともいう。)別表番号3ないし5、7ないし37、39ないし48、51ないし53、55ないし70、73、75ないし90、92ないし99、101、102、104ないし107、109、110、112ないし115、117ないし121、124、130、131、133ないし136記載の者はいずれもf社の関係者であるところ(甲304、壬井公判供述等)、両弁護人は、上記別表番号82記載のf社会長の辛岡及び同別表番号73記載のf社総局長の壬井は被告人乙川が皇族関係者でないことを知っており、その他のf社の関係者も辛岡や壬井と認識を共通にしていたものと考えられるから、上記のf社の関係者に対しては、皇族関係者を装ったとはいえず、欺罔行為に及んだとはいえない旨主張する。一方、検察官は、上記のf社関係者の全員が被告人らによって欺罔され、祝儀を詐取されたものであると主張する。
当裁判所は、関係証拠により、f社の幹部の一部は、本件披露宴の招待を受ける前に被告人乙川が皇族の関係者でないという事実を知っていたものと推認され、被告人両名も、同幹部らに被告人乙川が皇族関係者でないことが露見したという事実を認識していたものと認められ、あらかじめ被告人乙川が皇族関係者でないと知っていた者については、被告人両名が披露宴への出席を要請したことはそもそも詐欺罪の欺罔行為に当たらず、詐欺罪は成立しないと解するべきであるから、その可能性があるf社関係者のうちの76名については詐欺罪は成立しないというべきであり、これら関係者のうち欺罔された被害者であると認定できるのは別表第2記載の者のみであると判断したので、以下補足して説明する。
(1) 前提事実
関係各証拠によれば、以下の事実を認めることができる。
ア f社は、東京の総本部のもと、下部組織として全国に8管区、14本部、17支部及び塾、会等28団体、構成員約700名を要する全国組織の日本最大規模の民族派団体である。本件当時、その会長は前記辛岡で、総局長が前記壬井であった。被告人乙川は、平成14年7月16日、行動を共にしていた前記甲谷に連れられて九段会館で開催されたf社夏季大会に出席し、辛岡に紹介された。甲谷は、被告人乙川を「甲山A夫殿下」として紹介し、辛岡も、被告人乙川に「殿下」と呼びかけていた。また、甲谷は、辛岡らf社の関係者に対し、被告人乙川が高松宮のご落胤であるとも説明し、f社の隊員に甲山家の紋章の入った商品を売り付けることも画策していた。
イ その後、同年7月ないし8月ころ、壬井は、甲谷から、被告人乙川をf社の名誉総裁に推戴しないかとの提案を受け、幹部間で協議をした上でこれを受け入れた。そして、被告人乙川は、同年10月7日、甲谷に連れられて、九段会館で開催されたf社秋季大会に出席したところ、f社の名誉総裁への就任の承諾を求められて渋々これに応じるとともに、就任の承諾書に署名させられ、更に、f社の関係者約350人が出席する中で、「旧皇族の甲山宮A夫殿下」としてf社の名誉総裁に就任する旨の就任式が執り行われた。この名誉総裁就任については、後日、f社の機関誌「□□」にも大きく掲載された。翌10月8日、港区内の料亭で被告人乙川のf社名誉総裁就任を祝う食事会が開かれ、被告人両名、甲谷、辛岡のほか、f社と関係の深い指定暴力団j会会長巳山J雄(以下「巳山」という。)が出席したが、その際、被告人両名は、巳山の上座に着席していた。
ウ しかし、同月中旬ころ、被告人乙川は、甲谷に強く要請され、甲谷と五分の義兄弟の契りを結び、盃を交す儀式を執り行った。この場には、被告人両名、甲谷のほか、日本連合の午川K介、元f社幹部の未谷L作などが同席していた。なお、このころ、甲谷は、f社との関係では、国政オンブズマン青年会なる新設の社友会の代表の立場にあった。
エ 被告人丁沢は、同月下旬ころ、被告人乙川が甲谷と義兄弟の盃を交わしたことを知った壬井から、被告人乙川が本当に皇族関係者なのかどうか問い詰められ、甲山C子名義の預金通帳を見せるなどして壬井を納得させようとした。また、その際、壬井は、被告人丁沢に対し、被告人乙川と甲谷が義兄弟の盃を交わしたことが「△△新聞」の1面に載るという噂を聞きつけてその発行を差し止めたと説明し、入手したというその記事を被告人丁沢に見せた。
以上のとおりであるところ、これに対し、辛岡は、被告人乙川が甲谷と義兄弟の盃を交わしたことは当公判廷で証言をする数日前に壬井から聞いて知った旨証言しており、壬井も義兄弟の盃の話を聞いたかどうか記憶がない旨証言しているが、そのような事実の有無について記憶がないはずはなく、関係者の供述の具体性等と比較すれば、両名のこれらの証言は到底信用できず、壬井らが故意に虚偽の証言をしている疑いが強く、他に前記の認定を左右するに足りる証拠はない。
(2) 辛岡及び壬井が被告人乙川の身分関係に関して有していた認識について
以上の事実関係を前提に、まず、辛岡及び壬井が被告人乙川の身分関係について有していた認識について検討すると、辛岡及び壬井の証言によれば、f社の初代会長は住吉一家申沢会元会長の申沢M平で、辛岡もj会の出身だというのであり、f社とj会との間には密接な関係が窺われるから、辛岡が、被告人乙川の名誉総裁就任式翌日の食事会で、被告人乙川を偽皇族と知りつつ、j会の会長である巳山の上座に着席させるなどという非礼な行動に及ぶとは考え難い。そして、偽の皇族関係者を名誉総裁として推戴したことが公になった場合には、f社の面目が大きく潰れる結果になることにかんがみても、辛岡らf社幹部は、被告人乙川を名誉総裁に推戴した当時は、十分な調査もせずに被告人乙川を皇族関係者と誤信していたものと考えるのが自然である。
しかしながら、前記のとおり壬井は同月下旬には被告人乙川が甲谷と五分の義兄弟の盃を交わしたことを知るに及んでいるところ、皇族関係者であるはずの被告人乙川が、暴力団社会特有の風習である義兄弟の盃を、f社との関係でも新設の社友会の代表者にすぎない甲谷と、五分、すなわち対等の関係で交わすなどということは、およそあり得ないことであって、甲谷は被告人乙川が皇族関係者でないことを知りつつ、同被告人との関係を強めて同被告人を利用していこうとする目的で杯事を行ったものであり、そのことは壬井らに容易に理解できたはずである。したがって、壬井が被告人丁沢を問い詰めても甲山C子名義の預金通帳程度のものしか示されなかったことに照らしても、壬井は、被告人乙川が甲谷と義兄弟の盃を交わしたことを知ったころに、被告人乙川が皇族関係者でなく、偽皇族にすぎないことを認識したものと認められる。そして、事の重大性からみて、当然、f社の他の幹部にもその事実が伝えられ、大きな問題となったことは容易に推察でき、f社の会長である辛岡も、当然壬井から報告を受けているはずであるから、時をほぼ同じくして辛岡も被告人乙川が皇族関係者でないことを知ったものと推認できる。
そうすると、辛岡や壬井は、杯事を知っていたこと自体を否定していることから、その後、被告人乙川が皇族の子孫ではないとの疑念を晴らすためどのような調査をしたかについて供述していないものの、甲山名義の預金通帳を示したこと等以外には、被告人乙川が皇族の子孫であると再び信じさせるような証拠を被告人両名らが提示した事実は証拠上認められず、通称名で簡単に作れるような甲山名義の通帳の提示等で壬井ら納得したとも考え難いことは上記のとおりである。結局、f社の幹部らは、事実を知りながら、それが同団体にとって大きな恥辱、汚点となることから、一般構成員らには事実を秘したまま、任期満了を待って退任の形を取るなどして、当分の間は静観して名誉総裁としての処遇を続けていくこととした可能性は低くないというべきである。
以上のとおり、辛岡と壬井に対する本件披露宴への招待は、被告人乙川が皇族関係者でないことを知っている者に対して行われたものとなり、しかも、被告人両名も、義兄弟の盃について問い詰められたことで、辛岡と壬井には被告人乙川が皇族関係者でないことが露見していると認識していたものと考えられるから、被告人両名は辛岡と壬井に対して本件披露宴との関係で皇族関係者を装ったといえず、辛岡及び壬井に対する披露宴への招待は欺罔行為には当たらないというべきである。
(3) 辛岡、壬井以外のf社関係の出席者が被告人乙川の身分関係に関して有していた認識について
ア 辛岡、壬井以外の関係者の被告人乙川の身分関係に関する認識について検討すると、前記のとおり、辛岡及び壬井は、本件披露宴の当時、被告人乙川が皇族関係者でないことを知っていたものと認められるが、旧皇族の甲山A夫殿下としてf社が推戴し、その就任式を大々的に機関誌で報じるなどした名誉総裁が、実は偽皇族であったなどという話はf社にとって不名誉極まりないものであるから、そのことはf社の関係者にとってはできる限り内密にしておくべき事柄であったと考えられる。そうすると、f社内部で被告人乙川が偽皇族であることが多くの者に知られていたとは考え難く、前記のとおりf社信濃社友会副代表の丑波が被告人乙川が皇族関係者であるものと誤信していたと認められること等に照らしても、一般の構成員や二次団体である社友会の構成員がこれを知っていた可能性は極めて乏しいものといえる。
しかしながら、他方で、辛岡らf社幹部が、被告人乙川を名誉総裁に推戴する際には幹部間で協議をした上で決定していることからすると、被告人乙川が偽皇族であることが判明した際にも幹部間で事後の対策を協議している可能性が十分ある。また、被告人乙川が甲谷と義兄弟の盃を交わしたことに関する記事が△△新聞に掲載される旨の情報が提供された際にも、壬井に伝えられるまでの間に他のf社幹部の耳に入っている可能性も存するところであって、f社の構成員の中でも、幹部格の者については、被告人乙川が偽皇族であることを知っている疑いが否定できないというべきである。
イ もっとも、前記訴因変更請求書別表記載のf社関係の出席者のうち、いずれの者が幹部格に当たるのかについては、同団体関係者の被害が一括して届けられていることから必ずしも明らかではなく、辛岡が会長で壬井が総局長であることのほかは、酉野O吉(前記訴因変更請求書別表番号114記載の者。以下「酉野」という。)がf社副会長であり、戌原P夫(前記訴因変更請求書別表番号43記載の者。以下「戌原」という。)がf社事務局長であることが判明しているのみである(甲395)。そして、その他の出席者については、亥崎Q雄(前記訴因変更請求書別表番号68記載の者。以下「亥崎」という。)がf社がタイを訪問した際の旅行会社の関係者で、甲野R郎(前記訴因変更請求書別表番号99記載の者。以下「甲野」という。)がf社所沢社友会代表者、乙原S介(前記訴因変更請求書別表番号117記載の者。以下「乙原」という。)がf社信濃社友会代表者であって、いずれも幹部格とは考え難い立場にあることのほかは、f社の組織関係上いかなる立場にあるのか明らかでない。
しかしながら、甲野、亥崎及び乙原以外の出席者が幹部格の構成員で事情を知っていた可能性があることを否定できないのかとなると、そうではなく、f社が全国規模の組織であるとはいえ、総本部は東京に所在しており、酉野が山梨県内に居住しているほかは、会長、副会長、総括本部長、総局長、事務局長がいずれも東京都内に居住していることに照らしても(甲395)、事情を知っている可能性のある幹部格の構成員は、東京あるいはその近郊に居住し、あるいは活動の本拠を置いているものと考えられる。
そうすると、少なくとも、東京都内または神奈川、千葉、埼玉の各県内で招待状の送付を受けた者については、その立場の明らかな前記甲野及び亥崎を除き、f社の幹部で、被告人乙川が皇族関係者でないことを知っている疑いを払拭できないが、それ以外の地域で招待状の送付を受けた者については、被告人乙川が皇族関係者でないことを知らされているような幹部格構成員には当たらないというべきである。
ウ 以上によると、辛岡、壬井、酉野、戌原のほか、前記訴因変更請求書別表番号23ないし37、39ないし42、44ないし48、51ないし53、55ないし67、69、70、75ないし81、83ないし90、92ないし98、101、102、104ないし107、109、110記載の者(本判決別表第3記載の者。同別表記載の番号は訴因変更請求書別表の番号を示す。)については、f社の幹部格構成員であって、被告人乙川が皇族関係者でないことを知っていた疑いが払拭できないところである。そして、被告人両名も、f社の幹部格構成員には辛岡や壬井を介して皇族関係者でないことを知られているであろうと認識していた可能性が存することに照らせば、これらの者に対して被告人両名が本件披露宴との関係で皇族関係者を装ったと認めるには合理的な疑いが残るから、これらの者に欺罔行為を行ったと認めることができない。
他方で、別表第2記載の者については、その居住する地域や活動の本拠からすると、f社の幹部格ではなく、被告人乙川が皇族関係者でないことも知らされていなかったものと考えられる。そうすると、これらの者は、丑波と同様に、直接的には、乙川がf社の名誉総裁であるということが披露宴出席の動機となりつつも、出席を決める前提には、被告人乙川が皇族関係者としてf社の名誉総裁に就任したという経緯があり、被告人乙川を皇族関係者と誤信したためにf社からの出席要請に応じて、祝儀を交付したものと認められるから、被告人乙川が皇族関係者であるとの錯誤に基づいて祝儀を交付したものといえる(なお、別表第2番号19記載の丙崎T作及び同番号32記載の丁田U平については、本件披露宴の受付担当者の作成した出席者から受領した祝儀額のリスト(甲310)には、それぞれ夫婦連名で5万円を交付したとの記載がある一方で、結婚披露晩餐会の伝達状況報告書(甲304)では、前記丙崎及び丁田がそれぞれ単独で祝儀を5万円交付したものとされているが、伝達状況報告書の作成に際しては、壬井が各ブロックの担当者や社友会の関係者を通じて祝儀の交付額を確認していることからすると、その際に、夫婦連名であっても、実際に祝儀を負担したのはそれぞれ前記丙崎と前記丁田の一人であったことが判明した故に伝達状況報告書は上記のような記載になっているものと考えられるから、伝達状況報告書の記載のとおり、前記丙崎及び丁田はそれぞれ単独で5万円を交付したと認めることができる。)。
エ これに対し、両弁護人は、〈1〉別表第2記載の者が交付した祝儀の額を認定する根拠となる結婚披露晩餐会の伝達状況報告書(甲304)添付のf社関係者出席者一覧表は、警察が提示したリストに記載された者について壬井がその交付額を確認した上で作成されたのものであるが、壬井による確認は伝聞に過ぎないものであるし、その確認内容も不十分なものであるから、同一覧表に基づいて別表第2記載の者が同一覧表記載の額の祝儀を交付したと認めることはできない、〈2〉f社の関係者といっても、各構成員ごとに被告人乙川の身分関係に対する認識も区々であるものと考えられるから、当公判廷で証言をしてないf社関係の出席者については、被告人乙川が皇族関係者であると誤信したとの証明がないなどと主張する。
しかし、〈1〉の点については、警察が壬井に提示したリストの基になっているのは前記の受付担当者作成の祝儀額のリストであるものと考えられ、前記のような連名で交付した場合の負担割合等を除けば、出席者一覧表の基となった情報自体、信用性の高いものといえる。そして、壬井はf社の各ブロックの担当者や社友会の関係者に問い合わせるなどして、一覧表に記載された者が交付した祝儀の額を確認しており、壬井自身が各出席者に対して個別に内容を確認したものでなくとも、壬井から依頼を受けた者は個別に確認しているものと考えられるから、その確認結果の信用性に格別問題はないものといえるし、そうした確認結果に基づいて祝儀額を認定することは特段伝聞法則に反するものでもない。また、〈2〉の点については、別表第2記載の者は、被告人乙川が皇族関係者でないことを知っていた幹部格構成員との関係は希薄であると考えられ、よもや日本最大の民族派団体で皇室を敬愛しているはずのf社が偽皇族を名誉総裁に推戴するとは考えないであろうことに照らしても、これらの者が被告人乙川を皇族関係者と誤信していたと認めるに十分というべきである。
したがって、上記の各点に関する両弁護人の主張は採用できない。
(4) 結論
以上のとおりであって、別表第2記載の者についてはいずれも被告人両名の結婚披露宴が皇族関係者によるものであると誤信し、その誤信に基づいて祝儀を交付したものと認められるが、それ以外の者については、被告人両名が欺罔行為を行ったとは認められない。
したがって、これらの者については犯罪の証明がないことになるが、前記のとおり有罪と認められる判示事実と観念的競合の関係にあると認められるから、主文において特に無罪の言渡しをしない。
(法令の適用)
被告人両名の判示所為はいずれも別表第1、第2の各被害者ごとに刑法60条、 246条1項に該当するところ、別表第1番号2の被害者にかかるものを除くものについては、1個の行為が数個の罪名に触れる場合であるから、同法54条1項前段、10条により1罪として犯情の最も重い辰下J代に対する詐欺罪(別表第1番号9)の刑で処断し、以上は同法45条前段の併合罪であるから、同法47条本文、10条により犯情の重い前記辰下ほかに対する詐欺罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人両名をそれぞれ懲役2年2月に処し、同法21条を適用して各未決勾留日数中被告人両名に対して各700日をそれぞれその刑に算入し、被告人両名の各訴訟費用についてはいずれも刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して各被告人に負担させないこととする。
(量刑の事情)
本件は、被告人両名が、皇族関係者の結婚披露宴であるように装って、参会者らから祝い金名下に金員等を詐取しようと企て、途中から情を知った分離前相被告人己原F介とも共謀の上、同披露宴の参会者らのうち61名から、現金合計294万5000円及び相当な価額の絵画1枚を詐取したという詐欺の事案である。
被告人乙川は、かねてから「甲山A夫」なる名称を使用し、旧宮家の一つである甲山宮家の出身であるかのように装っていたところ、被告人丁沢はこれを利用して、被告人乙川が甲山宮家に連なる皇族関係者であり、被告人丁沢と旧皇族の子孫が結婚すると称して大規模な結婚披露宴を開催することとし、被告人丁沢が皇族関係者である「甲山A夫」と結婚する旨様々な場所で吹聴したり、高級ホテルの会場を予約し、皇族関係者であるかのように装うために十二単などの衣装等の小道具を手配し、平成15年11月に高円宮が薨去された際には、皇族関係者の行動として不自然に思われないように一度は披露宴を延期し、再度日時及び場所を定めるなど、周到に準備を重ね、多数の者に対して、甲山宮家に連なる皇族関係者である「甲山A夫」と被告人丁沢が結婚し、その結婚披露宴を開催するかのような招待状を発送するなどして、それらの者のうち61名に、自分が光栄にも皇族関係者の結婚式に招待されたものと誤信させ、祝い金として多額の金員等の交付を受けたものである。
本件犯行による被害者は61名、被害は現金294万5000円及び画家としての実績のある画伯が描いた50号の絵画1枚に上り、その被害の規模は相当に大きい。また、各被害者は被告人乙川を旧宮家の一つである甲山宮家の関係者であると信じ、それゆえに栄えある機会として本件結婚披露宴に出席したのであって、本件犯行はそのような皇室、皇族を崇敬する参会者の心情に巧みに付け入りこれを踏みにじるものであり、その意味でも悪質である。被害者の中には祝い金のほか栄えある披露宴出席のため衣装等に多額の費用を掛けた者もいるが、被告人両名は一切被害弁償をしておらず、その見込みも薄い(なお、前述のとおり、f社の関係者の出席者の一部については詐欺の証明がないが、もともと被告人乙川はf社の名誉総裁の地位にあり、同団体の関係者の披露宴への出席はその地位に基づく儀礼としての側面もあり、他の出席者とは事情が異なっており、本件は基本的には旧皇族関係者の披露宴であると偽って広く出席者を募ったという事案であるから、f社関係の一部の者について詐欺罪が成立しないとしても、態様の悪質性、被害の広範さ等にあまり変わりはない。)。
被告人乙川は、被告人丁沢と出会って間もなくして、被告人丁沢が自分を偽皇族と知りつつ利用しようとしていることに薄々気付きながらも、被告人丁沢の積極的な働きかけを受けて男女の関係となって生活を共にするようになり、その後被告人丁沢から皇族関係者として大々的に結婚披露宴を開催することを提案されると、偽皇族であることが公になる危険を感じたものの、被告人丁沢との関係等からその提案を受け入れることとし、本件犯行に及んだものである。被告人乙川が本件犯行に至るまでに20年近くにわたって皇族関係者を装っていたとはいえ、その活動が細々と車代や顧問料名下の金員を受領する程度にとどまっていたことからすると、こうした大規模な披露宴の開催は必ずしも被告人乙川が積極的に望んだものとはいえず、被告人乙川が被告人丁沢に利用された側面もあることは否定できないが、「甲山A夫」を名乗り皇族関係者として認知されることで被告人丁沢に利用される契機を作ったのは、ほかならぬ被告人乙川自身であり、本件犯行を思いとどまる機会はいくらでもあったのであるから、その犯行に至る経緯、犯行動機に格別酌むべき点があるとはいえない。また、被告人乙川は、被告人丁沢の指示に従って本件披露宴に出席したにとどまり、その準備に積極的に関与したわけでもないが、「甲山A夫」なる皇族関係者として相当数の人々に名が知られ、旧皇族の甲山宮家の名を冠した政治団体の代表者で主要な民族派団体であるf社の名誉総裁の地位にもあった被告人乙川の存在なしには、このように多くの出席者を集めて結婚披露宴を開催することは不可能であったと推認され、被告人乙川が、本件犯行において必要不可欠な中心的役割を果たしたことは否定できない。被告人乙川は、捜査段階においては本件犯行を認める供述をしていたものの、公判段階では一転して不合理極まりない弁解を展開するようになった。その供述態度の変化には被告人丁沢の影響があるものとも推察されるが、その点を考慮しても、高松宮のご落胤であるなどという荒唐無稽な弁解をして虚辞を連ねていることにかんがみれば、その反省ははなはだ不十分といわざるを得ず、自らの犯した罪を直視せず、現実からの逃避を図っていると思われる態度も見受けられるところである。
被告人丁沢は、被告人乙川と出会って間もなくして皇族とは何の関係もないことを告げられたにもかかわらず、「殿下」などと呼んで被告人乙川におもねて接近を図り、やがて男女の関係となって被告人乙川に強い影響力を持つようになると、甲山家の関係者であると僭称して結婚披露宴を大規模に開催することを計画し、被告人乙川を説き伏せてその準備を進め、本件犯行に及んだものである。被告人丁沢は、本件犯行の犯意を一貫して否認し、恋に落ちたために被告人乙川を皇族と血縁のある者と信じていたなどと弁解していることから、その犯行動機は必ずしも明らかでないものの、過去に自己破産をして経済的にさほど恵まれていなかったにもかかわらず派手な披露宴をしたいという身勝手な欲求と共に、皇族関係者の配偶者として多くの人々の憧れの的となり、称賛されたいという名誉欲がその動機の一部になっていたであろうことは容易に推認されるところであり、いずれにせよ酌むべき点は皆無といえる。また、被告人丁沢は、本件披露宴の開催を発案すると、披露宴会場の選定、各種業者との交渉の準備行為を自ら行い、実行行為に当たる招待状等の送付等も担当しており、被告人丁沢が本件犯行に主導的な役割を果たしたことは明らかである。そして、被告人丁沢は、捜査段階から本件犯行について否認を貫き、当公判廷においても、被告人乙川と同様に荒唐無稽な弁解を展開し、自己の正当性を強弁するに終始しており、反省の態度はいささかも窺うことができない。被告人丁沢は、頭の回転が速く、人の心を惹き付ける才能にも恵まれていながら、他罰的で、虚栄心が強く、自己の言動を客観的に省みることをしない傾向が見受けられることからすると、詐欺等の犯罪を再び行うおそれもないとはいえない。
一方、最終的な訴因には含まれていないものの、出席者の中には、そのお祝い金が少額であること等からみて単なる興味半分から出席したとしか思われない者も少なからずおり、被告人丁沢らの当初の思惑通りには祝い金が集まっていない上、被告人丁沢が祝い金の確保を画策したものの、結局、共犯者の己原が全て祝い金を管理することとなり、それが披露宴の費用の支払や己原の報酬等に充てられ、被告人両名に現実に交付された金員は少額であり、未だに多額の未払費用が残っている。また、被害品の絵画は既に被害者に還付されたほか、己原が被害者に対して被害額の1割程度を弁償している。さらに、被害者の中には、積極的に宴席に出席し、その場を自分を売り込む機会として利用しようとしたことが窺われる者もないわけではなく、また、従前の被告人らとの関係から必ずしも被害感情が強くない者もいるなどの事情も存するところである。
被告人乙川についてみると、同被告人には前科前歴がなく、長らく皇室関係者であるかのように装ってきたものの、常に同被告人の世話をする役の者が存在している。発語上のハンディキャップなどに見られる同被告人の性格・能力等に照らすと、同被告人が一人で詐欺を働くなどということはかなり困難であって、他人に利用され続けてきて現在のような言動をするようになった面もあるものと推認される。被告人丁沢についてみても、業務上過失傷害罪の罰金前科1犯を有するにとどまり、正式裁判を受けるのは今回が初めてであり、本件犯行も、最終的には他人の金員で費用を賄えればよいという程度の犯意で実行しており、披露宴により多額の利益を上げようと企んでいたとまではいえない。さらに、被告人丁沢の健康状態や関係者の都合等の事情で期日の指定や審理時間にかなり制約があり、その間、2度の訴因変更により審理の合理化が図られているものの、審理が相当長期化したことも否めない。短期間で多数の被害者について捜査をしなければならないという事情があったにせよ、もともと披露宴の出席者の個別性を十分吟味せず、事情をよく知っていたと思われる者まで含め、一律に出席者を被害者として起訴したことにはやや無理があったことも否定できず、証人確保が困難であったこと等も長期化の一因となり、勾留中の被告人両名に必要以上に精神的負担をかけたという事情もある。
そこで、これら被告人両名のために酌むべき事情をも考慮し、それぞれ主文掲記の刑に処するのが相当であると判断した次第である。
よって、主文のとおり判決する。
(求刑・被告人両名につきそれぞれ懲役3年)
(裁判長裁判官 大島隆明 裁判官 小林愛子 裁判官 佐藤傑)

 

別紙1〈省略〉
別紙2〈省略〉
別紙3〈省略〉

 

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政治と選挙Q&A「政治資金規正法 ポスター貼り(掲示交渉)代行」に関する裁判例一覧
(1)平成30年10月11日 東京高裁 平30(う)441号 政治資金規正法違反被告事件
(2)平成30年 6月27日 東京地裁 平27(特わ)2148号 各政治資金規正法違反被告事件
(3)平成30年 4月18日 東京高裁 平29(行コ)302号 埼玉県議会政務調査費返還請求控訴事件
(4)平成30年 3月30日 東京地裁 平27(ワ)37147号 損害賠償請求事件
(5)平成30年 3月20日 大阪高裁 平29(行コ)60号 補助金不交付処分取消等請求控訴事件
(6)平成30年 1月22日 東京地裁 平27(特わ)2148号 政治資金規正法違反被告事件
(7)平成29年12月14日 札幌高裁 平29(ネ)259号 損害賠償等請求控訴事件
(8)平成29年12月 8日 札幌地裁 平24(行ウ)3号 政務調査費返還履行請求事件
(9)平成29年 7月18日 奈良地裁 平29(わ)82号 虚偽有印公文書作成・同行使、詐欺、有印私文書偽造・同行使、政治資金規正法違反被告事件
(10)平成29年 3月28日 東京地裁 平25(ワ)28292号 謝罪広告等請求事件
(11)平成29年 3月28日 仙台地裁 平28(ワ)254号 損害賠償請求事件
(12)平成29年 3月15日 東京地裁 平27(行ウ)403号 地位確認等請求事件
(13)平成29年 1月26日 大阪地裁 平24(行ウ)197号・平26(行ウ)163号 補助金不交付処分取消等請求事件
(14)平成28年12月27日 奈良地裁 平27(行ウ)15号 奈良県議会会派並びに同議会議員に係る不当利得返還請求事件
(15)平成28年10月12日 大阪高裁 平28(ネ)1060号 損害賠償等請求控訴事件
(16)平成28年10月12日 東京地裁 平25(刑わ)2945号 業務上横領被告事件
(17)平成28年10月 6日 大阪高裁 平27(行コ)162号 不開示決定処分取消等請求控訴事件
(18)平成28年 9月13日 札幌高裁 平28(う)91号 事前収賄被告事件
(19)平成28年 8月31日 東京地裁 平25(ワ)13065号 損害賠償請求事件
(20)平成28年 7月26日 東京地裁 平27(ワ)22544号 損害賠償請求事件
(21)平成28年 7月19日 東京高裁 平27(ネ)3610号 株主代表訴訟控訴事件
(22)平成28年 7月 4日 東京地裁 平27(レ)413号 損害賠償請求控訴事件
(23)平成28年 4月26日 東京地裁 平27(ワ)11311号 精神的慰謝料及び損害賠償請求事件
(24)平成28年 2月24日 大阪高裁 平25(行コ)2号 行政文書不開示決定処分取消請求控訴事件
(25)平成28年 2月24日 大阪高裁 平24(行コ)77号 不開示決定処分取消請求控訴事件
(26)平成27年10月27日 岡山地裁 平24(行ウ)15号 不当利得返還請求事件
(27)平成27年10月22日 大阪地裁 平26(行ウ)186号 不開示決定処分取消等請求事件
(28)平成27年10月 9日 東京地裁 平27(特わ)853号 政治資金規正法違反被告事件
(29)平成27年 6月17日 大阪地裁 平26(行ウ)117号 公金支出金返還請求事件
(30)平成27年 5月28日 東京地裁 平23(ワ)21209号 株主代表訴訟事件
(31)平成27年 3月24日 東京地裁 平26(ワ)9407号 損害賠償等請求事件
(32)平成27年 2月26日 東京地裁 平26(行ウ)209号 政務調査費返還請求事件
(33)平成27年 2月 3日 東京地裁 平25(ワ)15071号 損害賠償等請求事件
(34)平成26年12月24日 横浜地裁 平26(行ウ)15号 損害賠償請求事件(住民訴訟)
(35)平成26年 9月25日 東京地裁 平21(ワ)46404号・平22(ワ)16316号 損害賠償(株主代表訴訟)請求事件(第2事件)、損害賠償(株主代表訴訟)請求事件(第3事件)
(36)平成26年 9月17日 知財高裁 平26(行ケ)10090号 審決取消請求事件
(37)平成26年 9月11日 知財高裁 平26(行ケ)10092号 審決取消請求事件
(38)平成26年 9月 3日 東京地裁 平25(行ウ)184号 政務調査費返還請求事件
(39)平成26年 4月 9日 東京地裁 平24(ワ)33978号 損害賠償請求事件
(40)平成26年 2月21日 宮崎地裁 平25(ワ)276号 謝罪放送等請求事件
(41)平成25年 7月19日 東京地裁 平22(ワ)37754号 謝罪広告等請求事件
(42)平成25年 6月19日 横浜地裁 平20(行ウ)19号 政務調査費返還履行等代位請求事件
(43)平成25年 3月28日 京都地裁 平20(行ウ)10号 不当利得返還等請求行為請求事件
(44)平成25年 2月28日 東京地裁 平22(ワ)47235号 業務委託料請求事件
(45)平成25年 1月23日 東京地裁 平23(ワ)39861号 損害賠償請求事件
(46)平成24年12月26日 東京地裁 平23(ワ)24047号 謝罪広告等請求事件
(47)平成24年11月12日 東京高裁 平24(う)988号 政治資金規正法違反被告事件
(48)平成24年 8月29日 東京地裁 平22(ワ)38734号 損害賠償請求事件
(49)平成24年 6月26日 仙台地裁 平21(行ウ)16号 公金支出差止請求事件
(50)平成24年 4月26日 東京地裁 平23(特わ)111号 政治資金規正法違反被告事件 〔陸山会事件・控訴審〕
(51)平成24年 2月29日 東京地裁 平21(行ウ)585号 公金支出差止請求事件
(52)平成24年 2月14日 東京地裁 平22(行ウ)323号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(53)平成24年 2月13日 東京地裁 平23(ワ)23522号 街頭宣伝行為等禁止請求事件
(54)平成24年 1月18日 横浜地裁 平19(行ウ)105号 政務調査費返還履行等代位請求事件
(55)平成23年11月16日 東京地裁 平21(ワ)38850号 損害賠償等請求事件
(56)平成23年 9月29日 東京地裁 平20(行ウ)745号 退会命令無効確認等請求事件
(57)平成23年 7月25日 大阪地裁 平19(ワ)286号・平19(ワ)2853号 損害賠償請求事件
(58)平成23年 4月26日 東京地裁 平22(行ウ)162号・平22(行ウ)448号・平22(行ウ)453号 在外日本人国民審査権確認等請求事件(甲事件)、在外日本人国民審査権確認等請求事件(乙事件)、在外日本人国民審査権確認等請求事件(丙事件)
(59)平成23年 4月14日 東京地裁 平22(ワ)20007号 損害賠償等請求事件
(60)平成23年 1月31日 東京高裁 平22(行コ)91号 損害賠償請求住民訴訟控訴事件
(61)平成23年 1月21日 福岡地裁 平21(行ウ)28号 政務調査費返還請求事件
(62)平成22年11月 9日 東京地裁 平21(行ウ)542号 政務調査費返還(住民訴訟)請求事件
(63)平成22年10月18日 東京地裁 平22(行ク)276号
(64)平成22年 9月30日 東京地裁 平21(行ウ)231号 報酬支出差止請求事件
(65)平成22年 9月 7日 最高裁第一小法廷 決定 平20(あ)738号 あっせん収賄、受託収賄、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律違反、政治資金規正法違反被告事件 〔鈴木宗男事件・上告審〕
(66)平成22年 4月13日 東京地裁 平20(ワ)34451号 貸金等請求事件
(67)平成22年 3月31日 東京地裁 平21(行ウ)259号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(68)平成22年 3月15日 東京地裁 平20(ワ)38604号 損害賠償請求事件
(69)平成22年 1月28日 名古屋地裁 平20(ワ)3188号 応援妨害予防等請求事件
(70)平成21年 6月17日 大阪高裁 平20(行コ)159号 政務調査費返還請求行為請求控訴事件
(71)平成21年 5月26日 東京地裁 平21(む)1220号 政治資金規正法被告事件
(72)平成21年 5月13日 東京地裁 平19(ワ)20791号 業務委託料請求事件
(73)平成21年 4月28日 大阪地裁 平19(わ)3456号 談合、収賄被告事件
(74)平成21年 2月25日 東京地裁 平19(行ウ)325号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(75)平成21年 1月28日 東京地裁 平17(ワ)9248号 損害賠償等請求事件
(76)平成20年12月 9日 東京地裁 平19(ワ)24563号 謝罪広告等請求事件
(77)平成20年11月12日 大阪高裁 平20(ネ)1189号・平20(ネ)1764号 債務不存在確認等請求控訴、会費請求反訴事件
(78)平成20年 9月 9日 東京地裁 平18(ワ)18306号 損害賠償等請求事件
(79)平成20年 8月 8日 東京地裁 平18(刑わ)3785号・平18(刑わ)4225号 収賄、競売入札妨害被告事件〔福島県談合汚職事件〕
(80)平成20年 7月14日 最高裁第一小法廷 平19(あ)1112号 政治資金規正法違反被告事件
(81)平成20年 3月27日 最高裁第三小法廷 平18(あ)348号 受託収賄被告事件 〔KSD事件〕
(82)平成20年 3月14日 和歌山地裁田辺支部 平18(ワ)167号 債務不存在確認等請求事件
(83)平成20年 2月26日 東京高裁 平16(う)3226号
(84)平成20年 1月18日 東京地裁 平18(ワ)28649号 損害賠償請求事件
(85)平成19年 8月30日 東京地裁 平17(ワ)21062号 地位確認等請求事件
(86)平成19年 8月30日 大阪地裁 平19(行ウ)83号 行政文書不開示決定処分取消等請求事件
(87)平成19年 8月10日 東京地裁 平18(ワ)19755号 謝罪広告等請求事件
(88)平成19年 8月10日 大阪地裁 平19(行ク)47号 仮の義務付け申立て事件
(89)平成19年 7月17日 神戸地裁尼崎支部 平17(ワ)1227号 総会決議一部無効確認等請求事件
(90)平成19年 5月10日 東京高裁 平18(う)2029号 政治資金規正法違反被告事件 〔いわゆる1億円ヤミ献金事件・控訴審〕
(91)平成19年 4月 3日 大阪地裁 平19(行ク)27号 執行停止申立て事件
(92)平成19年 3月28日 大阪地裁 平19(行ク)24号 仮の差止め申立て事件
(93)平成19年 2月20日 大阪地裁 平19(行ク)7号 執行停止申立て事件
(94)平成19年 2月 7日 新潟地裁長岡支部 平16(ワ)143号・平18(ワ)109号 損害賠償請求事件
(95)平成19年 2月 5日 東京地裁 平16(ワ)26484号 不当利得返還請求事件
(96)平成19年 1月31日 大阪地裁 平15(ワ)12141号・平15(ワ)13033号 権利停止処分等無効確認請求事件、除名処分無効確認請求事件 〔全日本建設運輸連帯労組近畿地本(支部役員統制処分等)事件〕
(97)平成18年11月14日 最高裁第三小法廷 平18(オ)597号・平18(受)726号 〔熊谷組株主代表訴訟事件・上告審〕
(98)平成18年 9月29日 大阪高裁 平18(ネ)1204号 地位不存在確認請求控訴事件
(99)平成18年 9月11日 東京地裁 平15(刑わ)4146号 各詐欺被告事件 〔偽有栖川詐欺事件〕
(100)平成18年 8月10日 大阪地裁 平18(行ウ)75号 行政文書不開示決定処分取消請求事件
(101)平成18年 3月30日 東京地裁 平16(特わ)5359号 政治資金規正法違反被告事件〔いわゆる1億円ヤミ献金事件・第一審〕
(102)平成18年 3月30日 京都地裁 平17(ワ)1776号・平17(ワ)3127号 地位不存在確認請求事件
(103)平成18年 1月11日 名古屋高裁金沢支部 平15(ネ)63号 熊谷組株主代表訴訟控訴事件 〔熊谷組政治献金事件・控訴審〕
(104)平成17年11月30日 大阪高裁 平17(ネ)1286号 損害賠償請求控訴事件
(105)平成17年 8月25日 大阪地裁 平17(行ウ)91号 行政文書不開示決定処分取消請求事件
(106)平成17年 5月31日 東京地裁 平16(刑わ)1835号・平16(刑わ)2219号・平16(刑わ)3329号・平16(特わ)5239号 贈賄、業務上横領、政治資金規正法違反被告事件 〔日本歯科医師会事件〕
(107)平成17年 4月27日 仙台高裁 平17(行ケ)1号 当選無効及び立候補禁止請求事件
(108)平成16年12月24日 東京地裁 平15(特わ)1313号・平15(刑わ)1202号・平15(特わ)1422号 政治資金規正法違反、詐欺被告事件 〔衆議院議員秘書給与詐取事件〕
(109)平成16年12月22日 東京地裁 平15(ワ)26644号 損害賠償等請求事件
(110)平成16年11月 5日 東京地裁 平14(刑わ)2384号・平14(特わ)4259号・平14(刑わ)2931号 あっせん収賄、受託収賄、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律違反、政治資金規正法違反被告事件 〔鈴木宗男事件・第一審〕
(111)平成16年 5月28日 東京地裁 平5(刑わ)2335号・平5(刑わ)2271号 贈賄被告事件 〔ゼネコン汚職事件〕
(112)平成16年 2月27日 東京地裁 平7(合わ)141号・平8(合わ)31号・平7(合わ)282号・平8(合わ)75号・平7(合わ)380号・平7(合わ)187号・平7(合わ)417号・平7(合わ)443号・平7(合わ)329号・平7(合わ)254号 殺人、殺人未遂、死体損壊、逮捕監禁致死、武器等製造法違反、殺人予備被告事件 〔オウム真理教代表者に対する地下鉄サリン事件等判決〕
(113)平成16年 2月26日 津地裁 平11(行ウ)1号 損害賠償請求住民訴訟事件
(114)平成16年 2月25日 東京地裁 平14(ワ)6504号 損害賠償請求事件
(115)平成15年12月 8日 福岡地裁小倉支部 平15(わ)427号・平15(わ)542号・平15(わ)725号 被告人Aに対する政治資金規正法違反、公職選挙法違反被告事件、被告人B及び同Cに対する政治資金規正法違反被告事件
(116)平成15年10月16日 大津地裁 平13(ワ)570号 会員地位不存在確認等請求事件
(117)平成15年10月 1日 さいたま地裁 平14(行ウ)50号 損害賠償代位請求事件
(118)平成15年 5月20日 東京地裁 平13(刑わ)710号 各受託収賄被告事件 〔KSD関連元労働大臣収賄事件判決〕
(119)平成15年 3月19日 横浜地裁 平12(行ウ)16号 損害賠償等請求事件
(120)平成15年 3月 4日 東京地裁 平元(刑わ)1047号・平元(刑わ)632号・平元(刑わ)1048号・平元(特わ)361号・平元(特わ)259号・平元(刑わ)753号 日本電信電話株式会社法違反、贈賄被告事件 〔リクルート事件(政界・労働省ルート)社長室次長関係判決〕
(121)平成15年 2月12日 福井地裁 平13(ワ)144号・平13(ワ)262号 各熊谷組株主代表訴訟事件 〔熊谷組政治献金事件・第一審〕
(122)平成15年 1月20日 釧路地裁帯広支部 平13(わ)15号 収賄被告事件
(123)平成15年 1月16日 東京地裁 平13(行ウ)84号 損害賠償請求事件 〔区長交際費支出損害賠償請求住民訴訟事件〕
(124)平成14年 4月22日 東京地裁 平12(ワ)21560号 損害賠償等請求事件
(125)平成14年 4月11日 大阪高裁 平13(ネ)2757号 社員代表訴訟等控訴事件 〔住友生命政治献金事件・控訴審〕
(126)平成14年 2月25日 東京地裁 平9(刑わ)270号 詐欺被告事件
(127)平成13年12月17日 東京地裁 平13(行ウ)85号 住民票不受理処分取消等請求事件
(128)平成13年10月25日 東京地裁 平12(ワ)448号 損害賠償請求事件
(129)平成13年10月11日 横浜地裁 平12(ワ)2369号 謝罪広告等請求事件 〔鎌倉市長名誉毀損垂れ幕訴訟判決〕
(130)平成13年 9月26日 東京高裁 平13(行コ)90号 公文書非公開処分取消請求控訴事件
(131)平成13年 7月18日 大阪地裁 平12(ワ)4693号 社員代表訴訟等事件 〔住友生命政治献金事件・第一審〕
(132)平成13年 7月18日 大阪地裁 平12(ワ)4692号・平12(ワ)13927号 社員代表訴訟等、共同訴訟参加事件 〔日本生命政治献金社員代表訴訟事件〕
(133)平成13年 5月29日 東京地裁 平9(ワ)7838号・平9(ワ)12555号 損害賠償請求事件
(134)平成13年 4月25日 東京高裁 平10(う)360号 斡旋贈収賄被告事件 〔ゼネコン汚職政界ルート事件・控訴審〕
(135)平成13年 3月28日 東京地裁 平9(ワ)27738号 損害賠償請求事件
(136)平成13年 3月 7日 横浜地裁 平11(行ウ)45号 公文書非公開処分取消請求事件
(137)平成13年 2月28日 東京地裁 平12(刑わ)3020号 詐欺、政治資金規正法違反被告事件
(138)平成13年 2月16日 東京地裁 平12(行ク)112号 住民票消除処分執行停止申立事件
(139)平成12年11月27日 最高裁第三小法廷 平9(あ)821号 政治資金規正法違反被告事件
(140)平成12年 9月28日 東京高裁 平11(う)1703号 公職選挙法違反、政党助成法違反、政治資金規正法違反、受託収賄、詐欺被告事件 〔元代議士受託収賄等・控訴審〕
(141)平成11年 7月14日 東京地裁 平10(特わ)3935号・平10(刑わ)3503号・平10(特わ)4230号 公職選挙法違反、政党助成法違反、政治資金規正法違反、受託収賄、詐欺被告事件 〔元代議士受託収賄等・第一審〕
(142)平成10年 6月26日 東京地裁 平8(行ウ)109号 課税処分取消請求事件 〔野呂栄太郎記念塩沢学習館事件〕
(143)平成10年 5月25日 大阪高裁 平9(行ケ)4号 当選無効及び立候補禁止請求事件 〔衆議院議員選挙候補者連座訴訟・第一審〕
(144)平成10年 4月27日 東京地裁 平10(ワ)1858号 損害賠償請求事件
(145)平成 9年10月 1日 東京地裁 平6(刑わ)571号・平6(刑わ)509号 斡旋贈収賄被告事件 〔ゼネコン汚職政界ルート事件・第一審〕
(146)平成 9年 7月 3日 最高裁第二小法廷 平6(あ)403号 所得税法違反被告事件
(147)平成 9年 5月21日 大阪高裁 平8(う)944号 政治資金規正法違反被告事件
(148)平成 9年 4月28日 東京地裁 平6(ワ)21652号 損害賠償等請求事件
(149)平成 9年 2月20日 大阪地裁 平7(行ウ)60号・平7(行ウ)70号 政党助成法に基づく政党交付金交付差止等請求事件
(150)平成 8年 9月 4日 大阪地裁 平7(わ)534号 政治資金規正法違反被告事件
(151)平成 8年 3月29日 東京地裁 平5(特わ)546号・平5(特わ)682号 所得税法違反被告事件
(152)平成 8年 3月27日 大阪高裁 平6(ネ)3497号 損害賠償請求控訴事件
(153)平成 8年 3月25日 東京高裁 平6(う)1237号 受託収賄被告事件 〔共和汚職事件・控訴審〕
(154)平成 8年 3月19日 最高裁第三小法廷 平4(オ)1796号 選挙権被選挙権停止処分無効確認等請求事件 〔南九州税理士会政治献金徴収拒否訴訟・上告審〕
(155)平成 8年 2月20日 名古屋高裁 平7(う)200号 政治資金規正法違反、所得税違反被告事件
(156)平成 7年11月30日 名古屋高裁 平7(う)111号 政治資金規正法違反、所得税法違反被告事件
(157)平成 7年10月25日 東京地裁 平5(ワ)9489号・平5(ワ)16740号・平6(ワ)565号 債務不存在確認請求(本訴)事件、謝罪広告請求(反訴)事件、不作為命令請求(本訴と併合)事件
(158)平成 7年 8月 8日 名古屋高裁 平7(う)35号 政治資金規正法違反、所得税法違反被告事件
(159)平成 7年 4月26日 名古屋地裁 平6(わ)116号 政治資金規正法違反、所得税法違反被告事件
(160)平成 7年 3月30日 名古屋地裁 平6(わ)1706号 政治資金規正法違反、所得税法違反被告事件
(161)平成 7年 3月20日 宮崎地裁 平6(ワ)169号 損害賠償請求事件
(162)平成 7年 2月24日 最高裁第二小法廷 平5(行ツ)56号 公文書非公開決定処分取消請求事件 〔政治資金収支報告書コピー拒否事件〕
(163)平成 7年 2月13日 大阪地裁 平6(わ)3556号 政治資金規正法違反被告事件 〔大阪府知事後援会ヤミ献金事件〕
(164)平成 7年 2月 1日 名古屋地裁 平6(わ)116号 所得税法違反被告事件
(165)平成 7年 1月26日 東京地裁 平5(行ウ)353号 損害賠償請求事件
(166)平成 6年12月22日 東京地裁 平5(ワ)18447号 損害賠償請求事件 〔ハザマ株主代表訴訟〕
(167)平成 6年12月 9日 大阪地裁 平5(ワ)1384号 損害賠償請求事件
(168)平成 6年11月21日 名古屋地裁 平5(わ)1697号・平6(わ)117号 政治資金規正法違反、所得税法違反被告事件
(169)平成 6年10月25日 新潟地裁 平4(わ)223号 政治資金規正法違反被告事件 〔佐川急便新潟県知事事件〕
(170)平成 6年 7月27日 東京地裁 平5(ワ)398号 謝罪広告等請求事件
(171)平成 6年 4月19日 横浜地裁 平5(わ)1946号 政治資金規正法違反・所得税法違反事件
(172)平成 6年 3月 4日 東京高裁 平4(う)166号 所得税法違反被告事件 〔元環境庁長官脱税事件・控訴審〕
(173)平成 6年 2月 1日 横浜地裁 平2(ワ)775号 損害賠償請求事件
(174)平成 5年12月17日 横浜地裁 平5(わ)1842号 所得税法違反等被告事件
(175)平成 5年11月29日 横浜地裁 平5(わ)1687号 所得税法違反等被告事件
(176)平成 5年 9月21日 横浜地裁 平5(わ)291号・平5(わ)182号・平5(わ)286号 政治資金規正法違反、所得税法違反、有印私文書偽造・同行使、税理士法違反被告事件
(177)平成 5年 7月15日 福岡高裁那覇支部 平4(行ケ)1号 当選無効等請求事件
(178)平成 5年 5月28日 徳島地裁 昭63(行ウ)12号 徳島県議会県政調査研究費交付金返還等請求事件
(179)平成 5年 5月27日 最高裁第一小法廷 平元(オ)1605号 会費一部返還請求事件 〔大阪合同税理士会会費返還請求事件・上告審〕
(180)平成 4年12月18日 大阪高裁 平3(行コ)49号 公文書非公開決定処分取消請求控訴事件 〔大阪府公文書公開等条例事件・控訴審〕
(181)平成 4年10月26日 東京地裁 平4(む)615号 準抗告申立事件 〔自民党前副総裁刑事確定訴訟記録閲覧請求事件〕
(182)平成 4年 4月24日 福岡高裁 昭62(ネ)551号・昭61(ネ)106号 選挙権被選挙権停止処分無効確認等請求控訴、附帯控訴事件 〔南九州税理士会政治献金徴収拒否訴訟・控訴審〕
(183)平成 4年 2月25日 大阪地裁 昭62(わ)4573号・昭62(わ)4183号・昭63(わ)238号 砂利船汚職事件判決
(184)平成 3年12月25日 大阪地裁 平2(行ウ)6号 公文書非公開決定処分取消請求事件 〔府公文書公開条例事件〕
(185)平成 3年11月29日 東京地裁 平2(特わ)2104号 所得税法違反被告事件 〔元環境庁長官脱税事件・第一審〕
(186)平成 2年11月20日 東京高裁 昭63(ネ)665号 損害賠償等請求控訴事件
(187)平成元年 8月30日 大阪高裁 昭61(ネ)1802号 会費一部返還請求控訴事件 〔大阪合同税理士会会費返還請求訴訟・控訴審〕
(188)昭和63年 4月11日 最高裁第三小法廷 昭58(あ)770号 贈賄被告事件 〔大阪タクシー汚職事件・上告審〕
(189)昭和62年 7月29日 東京高裁 昭59(う)263号 受託収賄、外国為替及び外国貿易管理法違反、贈賄、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律違反被告事件 〔ロッキード事件丸紅ルート・控訴審〕
(190)昭和61年 8月21日 大阪地裁 昭55(ワ)869号 会費一部返還請求事件 〔大阪合同税理士会会費返還請求事件・第一審〕
(191)昭和61年 5月16日 東京高裁 昭57(う)1978号 ロツキード事件・全日空ルート〈橋本関係〉受託収賄被告事件 〔ロッキード事件(全日空ルート)・控訴審〕
(192)昭和61年 5月14日 東京高裁 昭57(う)1978号 受託収賄被告事件 〔ロッキード事件(全日空ルート)・控訴審〕
(193)昭和61年 2月13日 熊本地裁 昭55(ワ)55号 選挙権被選挙権停止処分無効確認等請求事件 〔南九州税理士会政治献金徴収拒否訴訟・第一審〕
(194)昭和59年 7月 3日 神戸地裁 昭59(わ)59号 所得税法違反被告事件
(195)昭和59年 3月 7日 神戸地裁 昭57(行ウ)24号 市議会各会派に対する市会調査研究費等支出差止住民訴訟事件
(196)昭和57年 7月 6日 大阪簡裁 昭56(ハ)5528号 売掛金代金請求事件
(197)昭和57年 6月 8日 東京地裁 昭51(刑わ)4312号・昭51(刑わ)4311号 受託収賄事件 〔ロッキード事件(全日空ルート)(橋本・佐藤関係)〕
(198)昭和57年 5月28日 岡山地裁 昭54(わ)566号 公職選挙法違反被告事件
(199)昭和56年 3月 3日 東京高裁 昭54(う)2209号・昭54(う)2210号 地方自治法違反被告事件
(200)昭和55年 3月10日 東京地裁 昭53(特わ)1013号・昭53(特わ)920号 法人税法違反被告事件
(201)昭和54年 9月20日 大阪地裁 昭43(わ)121号 贈賄、収賄事件 〔大阪タクシー汚職事件・第一審〕
(202)昭和54年 5月29日 水戸地裁 昭46(わ)198号 地方自治法違反被告事件
(203)昭和53年11月20日 名古屋地裁 決定 昭52(ヨ)1908号・昭52(ヨ)1658号・昭52(ヨ)1657号 仮処分申請事件 〔日本共産党員除名処分事件〕
(204)昭和53年 8月29日 最高裁第三小法廷 昭51(行ツ)76号 損害賠償請求事件
(205)昭和51年 4月28日 名古屋高裁 昭45(行コ)14号 損害賠償請求控訴事件
(206)昭和50年10月21日 那覇地裁 昭49(ワ)111号 損害賠償請求事件
(207)昭和48年 2月24日 東京地裁 昭40(ワ)7597号 謝罪広告請求事件
(208)昭和47年 3月 7日 最高裁第三小法廷 昭45(あ)2464号 政治資金規制法違反
(209)昭和46年 9月20日 東京地裁 昭43(刑わ)2238号・昭43(刑わ)3482号・昭43(刑わ)3031号・昭43(刑わ)3027号・昭43(刑わ)2002号・昭43(刑わ)3022号 業務上横領、斡旋贈賄、贈賄、斡旋収賄、受託収賄各被告事件 〔いわゆる日通事件・第一審〕
(210)昭和45年11月14日 札幌地裁 昭38(わ)450号 公職選挙法違反・政治資金規正法違反被告事件
(211)昭和45年11月13日 高松高裁 昭44(う)119号 政治資金規正法違反被告事件
(212)昭和45年 7月11日 名古屋地裁 昭42(行ウ)28号 損害賠償請求事件
(213)昭和45年 3月 2日 長野地裁 昭40(行ウ)14号 入場税等賦課決定取消請求事件
(214)昭和43年11月12日 福井地裁 昭41(わ)291号 収賄・贈賄被告事件
(215)昭和42年 7月11日 東京地裁 昭42(行ク)28号 行政処分執行停止申立事件
(216)昭和42年 7月10日 東京地裁 昭42(行ク)28号 行政処分執行停止申立事件
(217)昭和41年10月24日 東京高裁 昭38(ナ)6号・昭38(ナ)7号・昭38(ナ)5号・昭38(ナ)11号・昭38(ナ)10号 裁決取消、選挙無効確認併合事件 〔東京都知事選ニセ証紙事件・第二審〕
(218)昭和41年 1月31日 東京高裁 昭38(ネ)791号 取締役の責任追及請求事件 〔八幡製鉄政治献金事件・控訴審〕
(219)昭和40年11月26日 東京高裁 昭39(う)642号 公職選挙法違反被告事件
(220)昭和39年12月15日 東京地裁 昭38(刑わ)2385号 公職選挙法違反、公記号偽造、公記号偽造行使等事件
(221)昭和39年 3月11日 東京高裁 昭38(う)2547号 公職選挙法違反被告事件
(222)昭和38年 4月 5日 東京地裁 昭36(ワ)2825号 取締役の責任追求事件 〔八幡製鉄政治献金事件・第一審〕
(223)昭和37年12月25日 東京地裁 昭30(ワ)1306号 損害賠償請求事件
(224)昭和37年 8月22日 東京高裁 昭36(う)1737号
(225)昭和37年 8月16日 名古屋高裁金沢支部 昭36(う)169号 公職選挙法違反事件
(226)昭和37年 4月18日 東京高裁 昭35(ナ)15号 選挙無効確認請求事件
(227)昭和35年 9月19日 東京高裁 昭34(ナ)2号 選挙無効確認請求事件
(228)昭和35年 3月 2日 札幌地裁 昭32(わ)412号 受託収賄事件
(229)昭和34年 8月 5日 東京地裁 昭34(行)27号 政党名削除制限抹消の越権不法指示通牒取消確認請求事件
(230)昭和32年10月 9日 最高裁大法廷 昭29(あ)499号 国家公務員法違反被告事件
(231)昭和29年 5月20日 仙台高裁 昭29(う)2号 公職選挙法違反事件
(232)昭和29年 4月17日 札幌高裁 昭28(う)684号・昭28(う)681号・昭28(う)685号・昭28(う)682号・昭28(う)683号 政治資金規正法違反被告事件
(233)昭和29年 2月 4日 名古屋高裁金沢支部 昭28(う)442号 公職選挙法違反被告事件
(234)昭和27年 8月12日 福島地裁若松支部 事件番号不詳 地方税法違反被告事件
(235)昭和26年10月24日 広島高裁松江支部 昭26(う)54号 収賄被告事件
(236)昭和26年 9月27日 最高裁第一小法廷 昭26(あ)1189号 衆議院議員選挙法違反・政治資金規正法違反
(237)昭和26年 5月31日 最高裁第一小法廷 昭25(あ)1747号 衆議院議員選挙法違反・政治資金規正法違反等
(238)昭和25年 7月12日 札幌高裁 昭25(う)277号・昭25(う)280号
(239)昭和25年 7月10日 札幌高裁 昭25(う)277号・昭25(う)278号・昭25(う)279号・昭25(う)280号 衆議院議員選挙法違反被告事件
(240)昭和25年 7月10日 札幌高裁 昭25(う)275号 衆議院議員選挙法違反被告事件
(241)昭和24年10月13日 名古屋高裁 事件番号不詳
(242)昭和24年 6月13日 最高裁大法廷 昭23(れ)1862号 昭和二二年勅令第一号違反被告事件
(243)昭和24年 6月 3日 東京高裁 昭24(ナ)9号 衆議院議員選挙無効請求事件

■【政治と選挙の裁判例一覧】「政治資金規正法 選挙ポスター」に関する裁判例カテゴリー
■【政治と選挙の裁判例一覧】「政治資金規正法 政治ポスター」に関する裁判例カテゴリー


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