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「選挙 ビラ チラシ」に関する裁判例(20)平成14年12月20日  東京地裁  平10(ワ)3147号 損害賠償請求事件

「選挙 ビラ チラシ」に関する裁判例(20)平成14年12月20日  東京地裁  平10(ワ)3147号 損害賠償請求事件

裁判年月日  平成14年12月20日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平10(ワ)3147号
事件名  損害賠償請求事件
裁判結果  一部認容  文献番号  2002WLJPCA12200008

要旨
◆トルコ共和国の国籍を有する外国人である原告が、不法残留を理由に収容令書及び退去強制令書に基づき収容され、本邦から退去させられたことにつき、収容等の手続が憲法、市民的及び政治的権利に関する国際規約、難民の地位に関する条約、出入国管理及び難民認定法等に違反しており、違法な手続によって精神的、肉体的な苦痛を受けたなどと主張して、被告国に国家賠償法に基づき損害賠償の請求を求めたのに対し、東京入国管理局収容場での収容期間中、特段の事情なく、また代替措置もないまま、一一二日間もの長期間にわたり、戸外での運動の機会を全く与えなかったのが、被収容者に戸外での運動の機会を保障した被収容者処遇規則二八条に違反するとともに違法なものであるとして、原告の請求を一部認容した事例

参照条文
出入国管理法39条
出入国管理法52条
出入国管理法53条
条約
人権B規約9条
日本国憲法33条
日本国憲法34条

裁判年月日  平成14年12月20日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平10(ワ)3147号
事件名  損害賠償請求事件
裁判結果  一部認容  文献番号  2002WLJPCA12200008

当事者の表示 別紙当事者目録記載のとおり

 

主  文

1  被告は、原告に対し、20万円を支払え。
2  原告のその余の請求を棄却する。
3  訴訟費用は、これを50分し、その3を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。
4  この判決は、第1項及び第3項に限り、仮に執行することができる。

 

事実及び理由

第1  請求
被告は、原告に対し、336万円を支払え。
第2  事案の概要
1  本件は、トルコ共和国(以下「トルコ」という。)の国籍を有する外国人である原告が、不法残留を理由に収容令書及び退去強制令書に基づき収容され、本邦から退去させられたことにつき、上記収容等の手続は、憲法、市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「国際人権B規約」という。)、難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)、出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)等に違反しており、原告は違法な手続によって精神的、肉体的な苦痛を受けたなどと主張して、被告に対し、国家賠償法に基づき損害賠償を請求する事案である。
2  前提事実(争いがない事実並びに掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
(1)  原告は、トルコ国籍を有する外国人である。
(2)  原告は、平成7年5月5日、「短期滞在」の在留資格で在留期間90日の上陸許可を受けて本邦に上陸した。その後、原告は、上記在留期間を超えて本邦に不法に残留した。
(3)  原告は、平成8年9月17日、法務大臣に対し、難民認定の申請をした。
(4)  東京入国管理局(以下「東京入管」という。)主任審査官は、平成9年7月30日、原告に対し収容令書(以下「本件収容令書」という。)を発付し、東京入管入国警備官は、同日、本件収容令書を執行して、東京都北区西が丘三丁目2番21号所在東京入管第二庁舎の東京入管収容場(以下「本件収容場」という。)に原告を収容した(乙4)。
(5)  東京入管入国審査官は、同年8月21日、審査の結果、原告が入管法24条4号ロの退去強制事由に該当するとの認定をし、原告にこれを通知した(乙7)。
これに対して、原告は、同日、東京入管特別審理官に対し口頭審理を請求した。
(6)  東京入管特別審理官は、同年9月1日、原告について口頭審理を行い、その結果、前記(5)の退去強制事由該当認定は誤りがないと判定し、原告にこれを通知した(乙8)。
これに対して、原告は、同日、法務大臣に対し異議を申し出た(乙9)。
(7)  法務大臣は、同月18日、前記(3)の難民認定の申請について、難民の認定をしない旨の処分をし、また、前記(6)の異議の申出について、理由がないとの裁決(以下「本件裁決」という。)をしたが、本件裁決に当たり、原告について在留を特別に許可すること(在留特別許可)はしなかった。
そして、東京入管主任審査官は、同日、原告に対し、送還先をトルコとする退去強制令書(以下「本件退去強制令書」という。)を発付し、東京入管入国警備官は、同日、本件退去強制令書を執行して、原告を引き続き本件収容場に収容した(乙11。以下、本件収容令書による収容及び本件退去強制令書による収容を併せて「本件収容」という。)。
(8)  原告は、同年11月18日、本邦から出国した。
3  争点
(1)  本件収容令書の執行前に原告に対し違法な拘束がされたか。
(2)  本件収容が難民条約31条に違反するか。
(3)  本件収容が収容の必要性を欠き違憲、違法であるか。
(4)  入管法39条及び同法52条5項が憲法33条に違反するか。
(5)  本件収容が国際人権B規約9条4項に違反するか。
(6)  原告について在留特別許可をしなかった本件裁決が違法であるか。
(7)  本件退去強制令書における送還先をトルコとしたことが難民条約33条1項及び入管法53条3項に違反するか。
(8)  本件収容中の原告に対する処遇が違法であるか。
(9)  本件退去強制令書の発付及びそれに基づく収容が難民不認定処分に対する原告の異議申出権を侵害し違法であるか。
(10)  損害の有無及び金額
4  争点に関する当事者の主張(なお、以下に引用する原告及び被告の総括準備書面(写し)において記載されている別紙表(すなわち、別紙「A主張整理表」)の頁数の部分は、いずれも引用しない。)
(1)  争点(1)(本件収容令書の執行前に原告に対し違法な拘束がされたか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第1のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第1のとおり
(2)  争点(2)(本件収容が難民条約31条に違反するか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第2のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第2のとおり
(3)  争点(3)(本件収容が収容の必要性を欠き違憲、違法であるか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第3並びに第10ないし第13のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第3並びに第10ないし第13のとおり
(4)  争点(4)(入管法39条及び同法52条5項が憲法33条に違反するか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第4のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第4のとおり
(5)  争点(5)(本件収容が国際人権B規約9条4項に違反するか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第5のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第5のとおり
(6)  争点(6)(原告について在留特別許可をしなかった本件裁決が違法であるか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第6のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第6のとおり
(7)  争点(7)(本件退去強制令書における送還先をトルコとしたことが難民条約33条1項及び入管法53条3項に違反するか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第7のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第7のとおり
(8)  争点(8)(本件収容中の原告に対する処遇が違法であるか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第8のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第8のとおり
(9)  争点(9)(本件退去強制令書の発付及びそれに基づく収容が難民不認定処分に対する原告の異議申出権を侵害し違法であるか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第9のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第9のとおり
(10)  争点(10)(損害の有無及び金額)について
ア 原告の主張
(ア) 原告は、本件に関する公務員の行為(違法な拘束、本件収容、本件裁決、本件退去強制令書発付、本件収容中の処遇)によって、多大の精神的、肉体的な苦痛を受け、劣悪な処遇の下で健康状態を害した。
(イ) これによる原告の精神的損害は、336万円(収容1日当たり3万円として、それに収容日数112日を乗じた金額)を下らない。
イ 被告の主張
否認又は争う。
第3  争点に対する判断
1  前記前提事実、証拠(甲28、29の1、30、乙1ないし17、18の1、18の2、19、20、42、50の1ないし50の3。ただし、甲29の1中、後記採用しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、甲29の1中、この認定に反する部分は採用することができない。
(1)  原告は、西暦1968年(昭和43年)1月4日生まれのトルコ国籍を有するクルド人である。
原告には、クルド人である両親及び5人の兄弟姉妹がいる。
原告は、トルコにおいて成育し、教育を受けた後、トルコ国籍のクルド人女性と結婚し、後記(2)の出国をするまで、トルコにおいて農業及び穀物の販売業を営んでいた。
(2)  原告は、平成7年4月11日、トルコ政府から一般旅券の発給を受け、同年5月3日、トルコを出国し、同月5日、東京入管成田空港支局入国審査官から、在留資格を「短期滞在」、在留期間を90日とする上陸許可を受けて本邦に上陸した。
しかし、原告は、上記在留期間の満了日である同年8月3日までに、在留資格の変更又は在留期間の更新若しくは変更を受けることなく、同日経過後も、本邦に不法に残留した。
なお、原告は、自己の周りに不法滞在者が多くいたため、上記在留期間経過後の滞在が法律違反となることについては、あまり気に留めなかった。
(3)  原告は、本邦に上陸してから約1年間は、知人のクルド人男性の世話を受けて、埼玉県川口市、同県鳩ヶ谷市等で生活し、その後、別のクルド人男性であるB(以下「B」という。)及びCと共に、同県蕨市中央四丁目18番16号林ビルの301号室で生活した(以下、同居していた原告及び上記2名を「原告ら3名」という。)。
原告は、本邦に上陸後、建築物の解体作業員(日給約1万円)、プラスチック工、ゴミの仕分け作業員(日給1万円)等の職業に従事し、平成9年1月17日からは、埼玉県戸田市早瀬二丁目26番5号所在の株式会社東京商会において、机、椅子等の集配の仕事(日給1万円)に従事していた。
なお、原告は、単身でトルコを出国し本邦に入国したものであり、原告の妻子、両親及び兄弟姉妹は、トルコに居住していた。原告は、本邦に滞在中も、トルコ在住の妻と継続的に連絡をとり、妻からの送金依頼に応じて、本邦での稼ぎをトルコの妻子に仕送りしていた。その滞在中の送金額は、合計で約1万米ドルになる。
(4)  原告は、平成8年4月4日、外国人登録法3条に基づく新規登録の申請をした。
(5)  原告は、同年9月17日、法務大臣に対し、難民認定の申請をした。
なお、原告は、本邦に入国した当時から難民認定申請については知っていたものの、いずれトルコに帰国する心積もりがあったことから、同日まで難民認定の申請をしなかったものである(この点、弁護士大橋毅(以下「大橋弁護士」という。)の平成9年8月7日付け報告書には、原告が日本の難民制度を知ったのは上記申請の2か月前であると原告から聴取した旨記載されている(甲29の1)。しかしながら、原告は、入国審査官に対する同月21日付け審査調書において、入国当時から難民認定申請については知っていたことを明確に述べた上(乙20)、同年9月1日の口頭審理において、上記審査調書の内容を訂正することなく、その成立について認めるとともに、難民認定申請が日本でできることは知っていたと供述しており(甲30)、これらに照らすと、上記報告書記載部分は採用することができない。)。
(6)ア  東京入管は、平成9年7月30日、埼玉県警察本部及び同県蕨警察署と合同で、前記林ビルの301号室、302号室、401号室及び502号室の4部屋を対象に、不法滞在の外国人の摘発を実施した。当日は、東京入管からは6名の入国警備官、蕨警察署からは18名の警察官が参加した。
イ  東京入管入国警備官及び警察官は、同日午前6時30分、一斉に各部屋の呼び鈴を鳴らし、又は扉をノックして、摘発を開始した。
東京入管入国警備官は、上記301号室の扉をノックして「おはようございます。」と言ったところ、原告ら3名のうち1名がその扉を開けたので、同人に証票を呈示しながら、「東京イミグレーションと埼玉ポリスです。パスポートを確認させてください。」、「中に入ってもいいですか。」などと日本語で告げた。すると、同人がうなずいたため、東京入管入国警備官及び警察官は上記301号室の中に入った。室内には、原告ら3名のうち残りの2名もおり、東京入管入国警備官は、再度、「東京イミグレーションと埼玉ポリスです。パスポートを確認させてください。」と日本語で告げた。
ウ  原告ら3名は、東京入管入国警備官に対し、特に不満を述べることもなく旅券を提示し、東京入管入国警備官は、その旅券を見て、原告ら3名がいずれもトルコ国籍を有していること、既に不法滞在の状態となっていること、うち2名については旅券に難民認定の申請受理票が添付されており難民認定の申請中であることを認識した。なお、東京入管入国警備官は、原告ら3名の同意を得た上で、各々の旅券を預かった。
そして、東京入管入国警備官は、原告ら3名に対し、「全員オーバーステイしているので、とりあえずポリスまで一緒に来てください。ここには帰れないかもしれませんので、貴重品や身の回りの荷物を今から整理して持ってきてください。」と言って同行を求めた。
これに対して、原告ら3名のうち1名が、東京入管入国警備官に対し、「私は難民の申請をしています。」と述べたが、東京入管入国警備官は、「難民の申請をしていても、オーバーステイしていることに間違いはないので、とりあえずは荷物を整理して一緒にポリスまで来てください。」と言ったところ、原告ら3名は、特に不満を述べることもなく、それぞれの荷物を整理した。
原告ら3名が30分程度で荷物の整理を終えたところで、東京入管入国警備官及び原告ら3名は庁用車で蕨警察署に向かった。
エ  蕨警察署に到着後、東京入管入国警備官は、再度原告ら3名の身分事項を確認して、「これから話を聞きたいので、東京イミグレーションまで一緒に来てください。」と言い、原告ら3名に庁用車に乗ってもらった上、同車で蕨警察署から東京入管第二庁舎まで移動した。
オ  東京入管第二庁舎に到着すると、東京入管入国警備官は、直ちに原告に対して違反調査を開始した。原告は、その違反調査において、東京入管入国警備官に対し、日本に来てから約2年2か月が経つため、簡単な日常会話程度の日本語なら話すことができると述べた上で、トルコから日本に来た経緯、日本での滞在中の経過等について供述し、原告には身元保証人は誰もいないが、難民申請の際に紹介してもらった弁護士がいるので何かあれば連絡してほしいなどと述べた。
上記取調べにおいては、基本的に日本語で、原告の分からないところはトルコ語で問答を行い、トルコ語を使用する場合には、当時原告と同居していたトルコ人であるBが通訳を行った。その上で、原告が供述人として、Bが通訳人として、供述調書(乙1)にそれぞれ署名指印をした。
なお、東京入管入国警備官は、本件が早朝の摘発であったことから、原告に対し昼食を提供するなどした。
(7)  東京入管主任審査官は、同日、本件収容令書を発付した。
東京入管入国警備官は、同日午後7時20分、本件収容令書を執行して、本件収容場に原告を収容した。
(8)  東京入管入国警備官は、同月31日、入管法24条4号ロ該当容疑を理由として、原告を東京入管入国審査官に引き渡した。
(9)  原告は、同年8月7日、本件収容令書発付処分が違法であるとして、その取消しを求める訴訟を東京地方裁判所に提起するとともに(東京地方裁判所平成9年(行ウ)第191号収容令書発付処分取消請求事件)、本件収容令書の執行停止を同裁判所に申し立てた(東京地方裁判所平成9年(行ク)第60号収容令書執行停止申立事件)。
(10)  東京入管入国審査官は、同月21日、審査の結果、原告が入管法24条4号ロの退去強制事由に該当するとの認定をし、原告にこれを通知したところ、原告は、同日、東京入管特別審理官に対し口頭審理を請求した。
(11)  原告は、同月27日、東京入管主任審査官に対し仮放免を請求した。
(12)  東京入管特別審理官は、同年9月1日、原告に対し、同代理人立会いの下で口頭審理を行い、その結果、前記(10)の入管法24条4号ロに該当するとの認定は誤りがないと判定し、原告にこれを通知した。
この判定に対して、原告は、同日、法務大臣に対し異議を申し出た。
(13)  東京地方裁判所は、同年9月3日、「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」(行政事件訴訟法25条2項)の疎明がないとの理由で、前記(9)の本件収容令書執行停止の申立てを却下するとの決定をした。
(14)  東京入管主任審査官は、同月5日、前記(11)の仮放免を不許可とした。
(15)  原告は、同月11日、前記(13)の本件収容令書執行停止の申立て却下決定に対して東京高等裁判所に即時抗告をした。
(16)  法務大臣は、同月18日、前記(5)の難民認定の申請について、入管法61条の2第2項所定の期間を経過してされたものであり、かつ、同項但書を適用すべき事情が認められないことを理由として、難民の認定をしない旨の処分をし、原告にこれを通知した。
また、法務大臣は、同日、前記(12)の異議の申出は理由がない旨の本件裁決をしたが、本件裁決に当たり、原告について在留特別許可はしなかった。
東京入管主任審査官は、同日、本件裁決がされた旨の通知を受けて、原告に対し、その旨を告知するとともに、入管法24条4号ロに該当することを理由として、送還先をトルコとする本件退去強制令書を発付した。
東京入管入国警備官は、同日午後6時4分、本件退去強制令書を執行して、原告を引き続き本件収容場に収容した。
また、原告は、同日、法務省東京入国管理局長を拘束者として人身保護請求の訴えを浦和地方裁判所に提起した(浦和地方裁判所平成9年(人)第1号人身保護請求事件)。
(17)  原告は、同月25日、前記(16)の難民の認定をしない処分について、法務大臣に対し異議を申し出た。
(18)  浦和地方裁判所は、同年10月17日、原告は本件収容場において適法に拘束されていると認め、前記(16)の人身保護請求を棄却するとの決定をした。
(19)  原告は、同月21日、本件退去強制令書発付処分の取消しを求める訴訟を東京地方裁判所に提起するとともに(東京地方裁判所平成9年(行ウ)第254号退去強制令書発付処分等取消請求事件)、本件退去強制令書の執行停止を同裁判所に申し立てた(東京地方裁判所平成9年(行ク)第73号退去強制令書執行停止申立事件)。
(20)  原告は、同月27日、前記(17)の異議の申出を取り下げた。
また、原告は、同日、友人のBから、500米ドル及び同日付けクアラルンプール経由イスタンブール行きの航空券予約票兼領収証を差し入れてもらった。
そして、原告は、同日、代理人である大橋弁護士に相談した上で、東京入管難民調査官に対し、近日中にトルコに帰る決意をしたこと、そのため友人に依頼してイスタンブール行きの航空券を購入したこと、これまでに提起した訴え等を取り下げる意思を有していることを明らかにした。
(21)  原告は、前記(2)の一般旅券の有効期間が経過していたので、同月28日、東京入管入国警備官に対し、旅券の有効期間延長申請の代行を依頼した。
そこで、東京入管入国警備官が、同月30日、在日トルコ大使館において上記旅券の有効期間延長申請を代行したところ、特に条件が付されることもなく同申請が許可され、上記旅券の有効期間は平成10年3月1日までとなった。
(22)  大橋弁護士は、同年11月11日、原告を代理して、前記(19)の本件退去強制令書執行停止の申立てを取り下げた。
(23)  原告は、同月18日、東京入管入国警備官により本件収容場から成田空港まで護送された後、前記(20)の航空券により航空機を利用して本邦から退去した。
(24)  原告は、その後、クアラルンプールを経由してトルコに帰国した。
2  争点(1)(本件収容令書の執行前に原告に対し違法な拘束がされたか)について
(1)  原告は、東京入管入国警備官及び警察官は、平成9年7月30日、〈1〉総勢10名以上で、原告の自宅に臨場し、早朝、事前の予告なしに摘発を開始した、〈2〉原告から弁護士に電話することを希望されたのに、それを許可しなかった、〈3〉原告に対し、通訳を介さずに旅券の提示を求めた、〈4〉東京入管又は警察が用意した乗用車に原告を乗せて、警察署から東京入管まで移動させた、〈5〉その乗車の際、原告に選択の余地を与えなかった、〈6〉東京入管においては、食事も施設内で取らせ、外出を認めず、取調べ終了後も本件収容令書執行までそのまま東京入管の施設内に留め置いた、〈7〉東京入管における取調べ時に通訳人を付さなかったと主張し、これらの事実をもとに、東京入管入国警備官等が、本件収容令書の執行前に、原告に対し、違法な拘束をしたと主張する。
しかしながら、上記〈2〉の事実を認めるに足りる証拠はなく(かえって、証拠(甲29の1、30、乙9)によれば、原告及び大橋弁護士は、大橋弁護士の原告からの平成9年8月5日付け聴取書及び大橋弁護士の同年9月1日付け意見書において、同年7月30日の違反調査の状況を述べ、その違法性を問題としているにもかかわらず、上記〈2〉の事実に言及していないこと、同年9月1日の口頭審理においてもそのような言及がなかったことが認められ、上記〈2〉の事実はなかったことが推認される。)、上記〈5〉の事実を認めるに足りる証拠もない。また、上記〈6〉については、原告が東京入管の施設内において外出を希望した事実及び東京入管入国警備官等が原告を東京入管の施設内に強制的に留め置いた事実は、これらを認めるに足りる証拠がない。さらに、前記1の認定事実によれば、東京入管における取調べ時には、原告の同居人であったBが通訳を行ったことが明らかであるから、上記〈7〉の事実は認められない(なお、原告の陳述書(甲31の1及び2)は、Bが通訳を行った事実自体を否定するものではないし、原告及びBの各署名による供述調書(乙1)が真正に成立したとの推定を覆すに足りるものでもない。)。
上記〈1〉ないし〈7〉のその余の各事実は当事者間に争いがない。前記1の認定事実によれば、東京入管入国警備官等は、入管法上の違反調査という正当な目的のために、原告に同行を求め、その取調べをしたものであるといえる。そして、前記1の認定事実によれば、原告は、当時、来日してから既に2年以上を経ており、簡単な日常会話程度の日本語は話すことができ、東京入管入国警備官等から同行を求められた際にも、同行を拒絶する意思を伝達する程度の日本語の会話能力はあったと推認されるところ、本件全証拠によっても、原告が、自宅から移動する際や、庁用車に乗車する際などに、同行について異議を述べたり、抵抗を示したりしたとの事実、あるいは、東京入管入国警備官等が、原告の同行及び取調べに際し、ことさらに原告の意思を抑圧するような言動をとったり、原告に対して有形力を行使したなどの事実を窺わせるものはない。したがって、上記〈1〉ないし〈7〉のその余の各事実をもって直ちに、東京入管入国警備官等が本件収容令書の執行前に原告に対し違法な拘束をしたとはいうことができない。
(2)  以上によれば、本件収容令書の執行前に原告に対し違法な拘束がされたとはいうことができず、この点に関する原告の主張は理由がない。
3  争点(2)(本件収容が難民条約31条に違反するか)について
原告は、自らが難民であり、難民認定申請をしていた者であることを理由に、本件収容は、生命又は自由が脅威にさらされていた領域から直接来た難民であって不法入国又は不法滞在している者に対し、不法入国又は不法滞在を理由として「不利益」(正文の「penalties」の原告代理人による訳。ただし、日本政府訳では「刑罰」とされている。)を課してはならないと定める難民条約31条1項に違反し、また、同項の規定に該当する難民の移動に対し必要な制限以外の制限を課してはならず、上記難民に対し他の国への入国許可を得るために妥当と認められる期間の猶予及びこのために必要なすべての便宜を与えることを定める同条2項に違反すると主張する。
ところで、同条1項は、「当該難民が遅滞なく当局に出頭し、かつ、不法に入国し又は不法にいることの相当な理由を示すことを条件とする。」とその適用のための条件を明文で規定しており、同条2項も、「1の規定に該当する難民の移動に対し」、「1の規定に該当する難民に対し」と規定し、同条1項に規定された条件を満たすことがその適用のための要件であることを明らかにしている。
前記1の認定事実によれば、原告は、在留期間を90日とする上陸許可を受けて本邦に入国し、その後在留期間の更新等を申請することなく、入国後約1年4か月、在留期間経過後約1年1か月が経過して初めて、難民認定の申請をしたものであるが、原告は、入国当時から難民認定申請については知っていたものの、いずれトルコに帰国する心積もりがあったことから、上記の時期に至るまで難民認定の申請をしなかったということになる。
そうすると、原告は、「遅滞なく」当局に出頭し、かつ、不法に入国し又は不法にいることの相当な理由を示すことという上記各条項の適用のための条件(要件)を満たしていないというほかはない。
したがって、その余の要件について判断するまでもなく、本件収容が難民条約31条に違反するとの原告の主張は理由がない。
4  争点(3)(本件収容が収容の必要性を欠き違憲、違法であるか)について
(1)  憲法34条後段違反の有無について
ア まず、原告は、本件収容は、収容の必要性を欠くから、何人も正当な理由がなければ拘禁されないと定める憲法34条後段に違反すると主張する。
これに対し、被告は、同条は刑事手続における身体拘束の際の適用を予定した規定であるところ、本件収容は、外国人の出入国の公正な管理という行政目的のための手続であって刑事責任追及を目的とする手続ではないから、同条後段の適用はない旨主張する。
この点、同条が直接には刑事手続に関する規定であることは被告主張のとおりであるが、本件収容が刑事責任追及を目的とする手続ではないとの理由のみで、本件収容による身柄拘束の手続が当然に同条後段による保障の枠外にあると判断することは相当ではない。
もっとも、前記1の認定事実によれば、本件収容は、不法残留者である原告に対し、入管法所定の手続に則ってされたものとみられ、外国人の出入国の公正な管理という正当な行政目的のために(入管法1条参照)、不法残留者を本邦から確実に退去させるべく、法定の手続に則ってされたものということができるから、収容の必要性を欠くことが明白であるなど特段の事情のない限り、憲法34条後段の正当な理由に基づくものというべきである。
そこで、本件収容について、上記特段の事情が認められるかを検討する。
イ この点、原告は、平成8年9月7日、自ら東京入管に出頭し、その所在を明らかにして難民認定の申請をし、その後も難民審査官からの出頭要請の便宜のためにその所在を継続的に申告していたと主張する。
しかしながら、前記1の認定事実によれば、原告は、平成7年5月5日、在留資格を「短期滞在」、在留期間を90日とする上陸許可を受けて本邦に上陸したが、その後2年以上経過した平成9年7月30日の本件収容時まで、在留資格の変更又は在留期間の更新若しくは変更を受けることなく、本邦に不法に残留していたこと、原告は単身で本邦に上陸、滞在したものであり、本件収容当時29歳であったが、その家族は全員トルコに居住しており、本邦にはその身元を保証できる者が特にいなかったこと、原告は、トルコ在住の妻からの送金依頼に応じて、本邦での稼ぎをトルコの妻子に仕送りしており、本邦から退去させられるならば、その仕送りもできなくなる立場にあったこと、原告は、本邦に滞在中、何度か住所を移転したことがあったほか、主として日給による職業を転々としていたことが明らかである。
これらの事情に照らすと、原告の上記主張に係る事実によっても、本件収容について、前記特段の事情を認めることはできない。
ウ 以上によれば、本件収容が憲法34条後段に違反するとの原告の主張は理由がない。
(2)  入管法違反の有無について
次に、原告は、本件収容は、収容の必要性を欠くから、入管法に違反すると主張する。
ところで、入管法は、外国人の出入国の公正な管理という目的のために(1条参照)、容疑者に退去強制事由該当性について入国審査官、特別審理官等による複数の判断の機会を受けることを手続上保障しつつ(45条、47条ないし48条参照)、退去強制事由に該当する者を確実に排除することができるように図ろうとするものであるところ、もともと退去強制手続は本邦に違法に在留している外国人を対象とする手続であることに鑑みると、容疑者を収容した上で手続を進めなければ、上記のような退去強制手続の実効性を確保することが困難となることが予想される。これに加え、前記(1)イに認定の諸事情を総合すると、仮に、入管法上、容疑者を収容するための要件として、明文の規定はないが「収容の必要性」が要求されると解したとしても、原告に対する本件収容に当たっては、その必要性が存していたと優に認められるところである。
以上によれば、入管法上、収容の必要性が要件となるか否かを判断するまでもなく、そもそも本件収容にはその必要性が認められるから、原告の上記主張は理由がない。
(3)  国際人権B規約9条1項、同条3項2文及び同条4項違反の有無について
原告によるこの点に関する主張については、いずれも、本件収容が収容の必要性を欠くことをその主張の前提としているところ、本件収容について、収容の必要性が存したことは前述のとおりであるから、原告の上記主張は、その前提を欠き、いずれも理由がない。なお、念のためその個別の主張に応じて検討しても、次のようにいずれも理由がない。
ア 原告は、本件収容は、収容の必要性を欠くから、何人も恣意的に逮捕され又は抑留されないと定める国際人権B規約9条1項に違反すると主張するが、前述のとおり、本件収容は、不法残留者である原告に対し、正当な行政目的のために、法定の手続に則ってされたものであるから、「恣意的」な身柄拘束といえないことは明らかであって、この点からも、原告の上記主張は理由がない。
イ 原告は、本件収容は、収容の必要性を欠くから、裁判に付される者を抑留することが原則であってはならないと定める国際人権B規約9条3項2文に違反すると主張するが、同項は、「刑事上の罪に問われて逮捕され又は抑留された者」についての規定であることを明記しているその体裁からして、刑事手続に関する規定であることが明らかである。
さらに、行政手続にもこの規定の趣旨が及ぶと解したとしても、前述のとおり、本件収容は入管法所定の要件を満たした上でされたものであり、「抑留を原則としている」とはいえないから、この点からも、原告の上記主張は理由がない。
ウ 原告は、本件収容は、収容の必要性を欠くから、「逮捕又は抑留によって自由を奪われた者は、裁判所がその抑留が合法的であるかどうかを遅滞なく決定すること及びその抑留が合法的でない場合にはその釈放を命ずることができるように、裁判所において手続をとる権利を有する。」と規定する国際人権B規約9条4項に違反すると主張する。原告は、同項の「合法的」とは収容の必要性があることを含むとの解釈を前提とするものであるが、当該「合法的」とは、法令に適合していること(適法であること)を意味するものにとどまると解すべきであるとともに、原告は、後記6のとおり、本件収容が合法的であるか否かを裁判所が遅滞なく決定できるように、裁判所において手続をとる権利を保障されていたものであるから、この点からも、原告の主張は理由がない。
5  争点(4)(入管法39条及び同法52条5項が憲法33条に違反するか)について
(1)  入管法39条は、入国警備官は、容疑者が同法24条各号のいずれかに該当すると疑うに足りる相当の理由があるときは、収容令書により容疑者を収容することができる旨を、同法52条5項は、入国警備官は、退去強制を受ける者を直ちに本邦外に送還することができないときは、送還可能のときまで、その者を収容することができる旨を規定するが、いずれも、その際に裁判官の令状を要する旨は規定していない。そこで、原告は、収容に関する上記各条項は、司法官憲の発する令状によらない身柄拘束を規定するものであるから、憲法33条に違反すると主張する。
この点、同条は直接には刑事手続に関する規定であることが問題となるが、入管法上の収容の手続が行政手続であって刑事責任追及を目的とするものではないとの理由のみで、その手続による身柄の拘束が当然に同条による保障の枠外にあると判断することは相当ではない。しかしながら、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政手続における身柄の拘束についてすべて裁判官の令状を要すると解するのは相当でなく、当該身柄の拘束によって達成しようとする公益の内容、程度、それが行政目的を達成するために欠くべからざるものであるかどうか、身柄を拘束する方法の相当性などの事情を総合考慮して、裁判官の令状の要否を決めるべきである。
(2)ア  そこで検討するに、そもそも、国家は、その主権に基づき、いかなる外国人を、いかなる条件で、自国に入国させ、自国に在留させるかについて広範な裁量を有しているところ、入管法上の収容の手続は、国家にとって好ましからざる者を強制的に退去させるための重要な手続であるから、その公益性が高いことはもとより、上記退去強制手続の実効性を確保し、もって外国人の出入国の公正な管理を図るという入管法の目的を達成するために必要不可欠な制度であるといえる。
イ  そして、入管法は、収容令書に基づく収容の手続について、収容令書の執行に当たる入国警備官とは別個の独立した権限を有する主任審査官(上級の入国審査官で法務大臣が指定する者(2条11号))が収容令書を発付するものとし(39条1項、2項)、身体を拘束する判断の適正を期している。収容令書には、容疑者の氏名、居住地及び国籍、容疑事実の要旨、収容すべき場所、有効期間、発付年月日等を記載することを要求し(40条)、収容の際に、収容令書の容疑者への呈示等を要求する(42条1項、2項)ほか、収容令書によって収容することができる期間を原則として30日以内に限定する(41条1項)など、容疑者の人権にも配慮している。さらに、その収容後には、適正な手続により、入国審査官による審査、特別審理官による口頭審理、法務大臣による裁決という3度の審理を受けられる機会を保障した上で(45条1項、2項、47条2項、3項、48条1項ないし5項、7項、49条1項ないし3項)、いずれかの時点で容疑者が24条各号のいずれにも該当しないことが判明した場合には、直ちに容疑者を放免しなければならないとして(47条1項、48条6項、49条4項)、判断の適正を担保するとともに、身柄拘束から解放される場合について明確に規定している。
また、入管法は、退去強制令書に基づく収容手続についても、上記と同様に、判断の適正を期している上(47条4項、48条8項、49条5項、52条1項、2項参照)、容疑者の人権に配慮し(51条、52条3項参照)、身柄拘束から解放される場合についても明確に規定している(52条6項参照)。
以上によれば、入管法に基づく身柄拘束の方法は相当性を有するといえる。
(3)  以上の事情を総合考慮すると、入管法上の収容の手続に裁判官の令状を要するということはできない。
したがって、入管法39条及び同法52条5項の規定が憲法33条に違反するとの原告の主張は理由がない。
6  争点(5)(本件収容が国際人権B規約9条4項に違反するか)について
原告は、国際人権B規約9条4項にいう「合法的」とは収容の必要性があることを含むとの解釈を前提とした上で、本件収容が合法的であるかどうかについて、遅滞なく裁判所の判断を受けることを保障されないまま、本件収容を継続されたと主張し、それを前提として、本件収容は国際人権B規約9条4項に違反すると主張する。
しかしながら、前記4(3)ウで述べたとおり当該「合法的」とは法令に適合していること(適法であること)を意味するにとどまると解されるところ、我が国において、収容令書及び退去強制令書によって収容された者は、その収容の適法性を争う場合には、行政事件訴訟法、人身保護法等に基づき、それについて裁判所の判断を求めることが可能である。
そして、前記1の認定事実によれば、原告は、現に、〈1〉本件収容令書の発付、執行の後まもなく、本件収容令書発付処分の取消しを求める訴訟を提起するとともに、本件収容令書の執行停止を申し立て、その約1か月後に同申立てを却下するとの決定を受けると、それに対して即時抗告をしたこと、〈2〉本件退去強制令書の執行と同日、人身保護請求訴訟を提起し、その約1か月後に同請求を棄却するとの決定を受け、その決定において、本件収容が適法な拘束である旨の判断を受けたこと、〈3〉本件退去強制令書の発付、執行の約1か月後、本件退去強制令書発付処分の取消しを求める訴訟を提起するとともに、本件退去強制令書の執行停止を申し立て、後にそれを取り下げたことが明らかである。
そうすると、原告は、裁判所が本件収容が合法的であるかどうかを遅滞なく決定することができるように、裁判所において手続をとる権利を保障されていたものであり、現実にその権利を行使し、本件収容が合法的であるかどうかの決定を受けたものということができる。
したがって、本件収容が国際人権B規約9条4項に違反するとの原告の主張は理由がない。
7  争点(6)(原告について在留特別許可をしなかった本件裁決が違法であるか)について
(1)  原告は、原告について在留特別許可をしなかった本件裁決は、法務大臣がその裁量を逸脱したものであって、違法であると主張する。
しかしながら、在留特別許可に関する法務大臣の処分は、その判断が全く事実の基礎を欠き、又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合に限り、裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして違法となるというべきである。
なぜならば、そもそも国際慣習法上、いかなる外国人につき、いかなる条件で自国内に在留させるかについては国家の裁量に委ねられていると解されるところ、在留特別許可の申請があった場合、国家としては、国益を保持し出入国の公正な管理を図る観点から、申請者の在留状況、申請者が我が国に居住することになった経緯、難民をめぐる国際情勢、国内の状況、我が国の外交政策、国際礼譲など諸般の事情を総合的に勘案した上、その許否につき判断する必要があり、そのような判断は、事柄の性質上、出入国管理行政の責任を負う法務大臣の広範な裁量に任せるのでなければ到底適切な結果を期待することができないからである。在留特別許可の制度を規定する入管法61条の2の8が、その許可の判断基準につき、何ら具体的に規定していないのも、在留を特別に許可するかどうかの判断については法務大臣に広範な裁量権を認める趣旨と解される。
(2)  そこで、以上の見地に立って、法務大臣が原告について在留特別許可をしなかった本件裁決が裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして違法であるかどうかについて検討する。
前記1の認定事実によれば、〈1〉原告は、短期滞在の在留資格で、在留期間を90日とする上陸許可を受けて本邦に上陸したものの、その後、在留期間の満了日までに、在留資格の変更又は在留期間の更新若しくは変更を受けなかったこと、〈2〉原告が外国人登録法3条に基づく新規登録の申請をしたのは、本邦上陸後1年以上が経過してからであったこと(この点に関し、同条1項は、上陸の日から90日以内に同申請をしなければならないと定めている。)、〈3〉原告が難民認定の申請をしたのは、本邦上陸後約1年4か月を経過してからであり、法務大臣は、本件裁決と同日、上記難民認定申請について、入管法61条の2第2項所定の期間(上陸した日から60日以内)を経過してされたものであり、かつ、同項但書を適用すべき事情が認められないことを理由として、難民の認定をしない旨の処分をしたこと、〈4〉原告は、27歳で本邦に入国するまでは、本国であるトルコにおいて成育し、妻子らとの生活を営んでいたものであり、本件裁決当時も、原告の家族は全員トルコに居住していたこと、〈5〉原告は、本邦に滞在中も、トルコ在住の妻と継続的に連絡をとり、妻からの送金依頼に応じて、本邦で集配業等に従事して得た収入をトルコの妻子に仕送りしていたことが明らかである。すなわち、原告は、本邦において不法に残留、就労するなどしたものであるが、難民と認定されたものではなく、また、原告と我が国とのかかわり合いは密接なものとはいえない。
これらの事情に加えて、後記8のとおり、クルド人である原告に対する本件退去強制令書において、送還先をトルコとしたことが難民条約や入管法に違背するものと認めることができないことに照らすと、法務大臣が本件裁決に当たって原告に在留特別許可をしなかった判断が、全く事実の基礎を欠くとか、社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるということはできない。
したがって、在留特別許可をしなかった本件裁決が、法務大臣の裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして違法であるということはできない。
(3)  以上によれば、この点に関する原告の主張は理由がない。
8  争点(7)(本件退去強制令書における送還先をトルコとしたことが難民条約33条1項及び入管法53条3項に違反するか)について
(1)  原告は、下記〈1〉のトルコにおける一般的情況に加え、下記〈2〉ないし〈7〉の原告の個別事情を根拠として、原告が平成9年当時トルコに帰国すると、クルド人であるとの民族的理由又は政治的意見により迫害を受けるおそれがあった。すなわち、原告にとってトルコは難民条約33条1項の「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域」に当たると主張し、本件退去強制令書における送還先をトルコとしたことは、上記領域の属する国への送還を禁止する難民条約33条1項及び入管法53条3項(いわゆるノンルフールマン原則)に違反すると主張する。

〈1〉 トルコ政府は、従来から、クルド人を民族的理由又は政治的意見により迫害してきた。
〈2〉 原告は、昭和60年頃、有名なクルド人歌手の歌をカセットテープで聞いたことを理由に、警察に拘束され、拷問を受けた。
〈3〉 昭和62年、原告の複数の友人が、クルド人の権利を擁護する主張を記載したチラシ、ビラの配布、ポスター貼り等の活動を行ったとの嫌疑で逮捕されたので、原告は、逮捕を逃れるためにトルコ国内の他の地方に逃亡し、兵役にも応じなかった。
〈4〉 原告は、平成3年、クルド人の権利を擁護する立場の新聞を携えていたのを警察に見とがめられ、派出所に連行されたところ、原告が政治犯容疑で追われ兵役に応じていないことが発覚し、治安警察に拘束され、拷問を受け、兵役に送られた。
〈5〉 原告は、兵役を終えた後、しばらくは家族と平穏に暮らしたが、一方でDEP(民主主義党。クルド人の権利を擁護する立場の政党の一つ)の事務所に出入りし、その選挙運動に協力するなどの政治活動を行っていた。
〈6〉 原告は、平成7年3月、ネブルズ祭のビラ配りに関与した容疑で逮捕され、拷問を受け、翌日釈放されたものの、その後尾行をされるなど当局の監視下に置かれた。
〈7〉 原告は、同年5月4日予定の裁判の出頭を命じられると、懲役刑が必至であると考え、これを逃れるため出国した。
(2)  そこで、原告の上記〈1〉の主張について検討するに、原告が証拠として提出する甲1、2、5ないし23の新聞記事等は、トルコにおいて、拷問等といった形でクルド人に対する迫害が行われていることを示唆するものということができるが、このことから直ちに原告がクルド人であるというだけで当然に迫害を受けるおそれがあるとまでいうことは困難である。実際、原告は、供述調書等(甲30、乙1、19、20)において、自らがトルコにおいて迫害を受けたことを述べる一方で、同じクルド人である原告の家族が迫害を受けたと窺えるようなことは一切述べていないばかりか、日本に家族を呼ぶつもりはないとも述べているのである。
もっとも、原告は、供述調書等において、自身のトルコにおける活動歴、逮捕歴及び拷問体験等について、上記〈2〉ないし〈7〉にそった事実を述べ(甲29の1、30、32、乙1、19、20)、さらに、平成9年にトルコに帰国した後も、拷問に遭ったと述べる(甲33)。
しかしながら、原告のトルコにおける上記活動歴、逮捕歴及び拷問体験等の事実については、客観的な裏付けとなる証拠がなく、直ちには認定できないといわざるを得ない。
また、原告はDEPの党員であったわけではなく(甲30)、仮に原告主張の上記活動歴があったとしても、その関与の程度はさほど深いものとはいえないから、原告が平成9年当時トルコに帰国したときに迫害を受けるおそれがあったことを十分に基礎付けるものとはいい難い。
なお、原告は、供述調書等において、平成9年当時にも、トルコでは警察が毎日のように原告宅に来て原告を捜している旨を妻から聞いたと述べるが(甲30、乙1、20)、伝聞であって具体性に乏しい上、警察が原告を捜し続ける目的も判然としないから、そのような事実をたやすく認定することができない。
(3)  ところで、前記1の認定事実によれば、〈1〉原告は、27歳までトルコで生まれ育ち、妻子らとの生活を営んでいたものであり、本件退去強制令書発付当時も、原告の家族は全員トルコに居住していたこと、〈2〉原告は、平成9年10月27日、トルコ人の友人を通じて、クアラルンプール経由イスタンブール行きの航空券予約票を取得したこと、〈3〉原告は、同日、代理人である大橋弁護士に相談した上で、東京入管難民調査官に対し、近日中にトルコに帰る決意をし、これまでに提起した訴え等を取り下げる意思を有していると述べたこと、〈4〉原告は、同月、東京入管入国警備官を介して、当時失効していたトルコ政府発行の一般旅券の有効期間延長申請をし、特に条件が付されることなく同申請が許可されたこと、〈5〉大橋弁護士は、同年11月11日、原告を代理して、本件退去強制令書執行停止の申立てを取り下げたこと、〈6〉原告は、上記航空券によりクアラルンプール経由の航空機を利用して本邦を出国したが、途中クアラルンプールに留まることもなく、トルコに帰国したことが明らかである。
これらの事実によれば、原告は、自己の本国であり家族が居住するトルコに帰国することを最終的には希望し、実際にそのとおりトルコに帰国したものとみられる。もっとも、原告は、当該帰国はその真意に出たものではないと主張するが、原告の帰国は、上記のとおり、代理人である大橋弁護士に相談した上で決められたことであり、その帰国に伴う本件退去強制令書執行停止の申立ての取下げ等も大橋弁護士が代理した上で行ったものであるから、帰国に至る経過について原告に不満があったかはさておき、トルコへの帰国自体が原告の真意に基づいていないとはいえない。
また、上記のとおり、原告の一般旅券の有効期間延長申請について、特に条件が付されることなく許可されたことに照らせば、原告は、少なくとも、トルコ政府に出入国を制限されるような人物としては把握されていなかったということもできる。
さらに、前記1の認定事実によれば、原告は、本邦上陸当時から難民認定申請については知っていたが、いずれトルコに帰国する心積もりがあったことから、その後約1年4か月を経過するまで、難民認定の申請をしなかったこと、原告は、本邦に滞在中も、トルコ在住の妻と継続的に連絡をとり、本邦で稼動して得た合計約1万米ドルをトルコの妻子に仕送りしていたことが明らかであり、原告は、迫害からの庇護を求めるというよりもむしろ経済的な目的のために、本邦に上陸、滞在した可能性が否定できない。
(4)  前記(2)及び(3)の検討結果に照らせば、本件全証拠によっても、原告が平成9年当時トルコに帰国すると、クルド人であるとの民族的理由又は政治的意見により迫害を受けるおそれがあったとまでは認めるに足りず、原告にとってトルコは難民条約33条1項の「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域」に当たるとはいえない。
したがって、本件退去強制令書における送還先をトルコとしたことが難民条約33条1項及び入管法53条3項に違反するとの原告の主張は理由がない。
9  争点(8)(本件収容中の原告に対する処遇が違法であるか)について
(1)  前記前提事実、証拠(甲29の2、乙29の1、29の2、43、45、46)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
ア 原告は、平成9年7月30日から同年11月18日までの112日間にわたり、本件収容令書及び本件退去強制令書に基づき本件収容場に収容された。
イ 本件収容場は、平成2年12月、東京地方検察庁の旧庁舎(当時築23年9月)の一部を改修して、収容令書又は退去強制令書により身柄を拘束した外国人の収容施設として開設されたものであるが、当初から、屋外運動場及び屋内運動場は設置されていなかった。
ウ 東京入管は、本件収容場の被収容者に対し、居室内でストレッチ体操等の軽い運動をすることについては特に制限していなかったが、他方で、とりたてて運動の機会を設けることはなく、戸外での運動の機会は全く与えていなかった。
エ 本件収容場において原告が収容された居室は、収容定員8名の雑居房であり、居室全体の広さは、縦約6.2メートル、横約5.8メートルであった。ただし、居室内には、別紙本件収容場トイレ図〈1〉のとおり、縦約1メートル、横約1.9メートルのトイレが設置されており、それを除いた部分が、居室内における運動が可能なスペースであった。
原告は、本件収容中、面会、シャワー等のために上記居室から出るほかは、上記居室内に居続けた。
オ 原告は、本件収容中、入浴はできなかったが、週に2回、各10分間、シャワーを浴びることができた。
カ 居室内のトイレの構造は、自損事故防止、保安上の観点等から、別紙本件収容場トイレ図〈2〉のとおりになっていた。居室内のトイレ設置スペースと畳部分との間には、高さ約135センチメートルの隠し板が立てられており、成人の被収容者が洋式の便器に座ったときに、畳部分に居る他の収容者からは頭部が見える程度であった。
なお、被収容者は、トイレを清掃するように指導されていた。
キ 東京入管においては、被収容者には、寝具として、夏季には毛布4枚並びに枕、シーツ、毛布カバー及び枕カバー各1個を貸与し、同毛布を敷布団又は掛布団替わりに使用させる扱いをしており、シーツ、毛布カバー及び枕カバーについては、約1か月をめどに被収容者からの申出等により交換しており、1か月以内であっても、被収容者から汚損等の申出があった場合には、その状況に応じて寝具の交換をする運用がされている。
このような運用に従い、原告は、平成9年9月30日、上記寝具一式を貸与され、同年10月18日、シーツ、毛布カバー及び枕カバーの交換を受けた。
(2)  戸外運動について
ア 原告は、本件収容中、一度も戸外に出ることはなく、屋内においても、本件収容場に運動場等がないため、運動の機会を与えられなかったとして、そのような処遇は、「所長等は、被収容者に毎日戸外の適当な場所で運動する機会を与えなければならない。ただし、荒天のとき又は収容所等の保安上若しくは衛生上支障があると認めるときは、この限りでない。」と規定する被収容者処遇規則28条に反して違法であると主張する。
イ ところで、荒天でなければ、居室内の閉塞的な空間から戸外の開放的な空間に出て、陽光を浴び、外気に触れつつ、適度の運動をすることは、病気その他の理由によりこれを避けるべき特段の事情がない限り、人の精神的、肉体的健康を保持する上で欠かせないものというべきであり、被収容者処遇規則28条も、このような観点から、被収容者に戸外での運動の機会を保障する趣旨と解される。
そうすると、被収容者に対し長期間にわたり戸外運動の機会を与えないことは、上記特段の事情がある場合のほか、荒天のとき又は収容所等の保安上若しくは衛生上支障があるとき(同条但書)や、同条が戸外運動の機会を保障した上記趣旨に適うだけの代替措置がとられた場合を除き、同条に反するものであるのみならず、違法性を有するものというべきである。
本件についてみると、前記(1)の認定事実によれば、原告は、本件収容中、112日もの長期間にわたり、戸外での運動の機会を全く与えられなかったというのである(以下、この原告に対する処遇を「本件処遇」という。)。
他方、原告に病気その他の理由により戸外運動を避けるべき特段の事情があったとも、原告が本件収容中に戸外運動をすることによって、本件収容場の保安上又は衛生上支障があったとも認めるに足りる証拠はない。
さらに、前記(1)の認定事実によれば、東京入管は、原告に対し、居室内でストレッチ体操等の軽い運動をすることについては特に制限していなかったというのであるが、外気等から遮断された閉塞的な居室内でその程度の運動の機会が与えられたからといって、被収容者処遇規則28条が戸外運動の機会を保障した上記趣旨に適うだけの代替措置がとられたということはできない。
以上によれば、本件処遇は、被収容者処遇規則28条に反するものであるとともに、違法なものであるというべきである。
ウ なお、被告は、〈1〉本件収容場の被収容者の処遇については、保安上支障のない範囲内においてできる限り自由を与えることを基本原則として、法令及び被収容者処遇規則に基づき運用していたものであり、具体的には、テレビの視聴や喫煙などの自由を与えていたこと、〈2〉収容が長期化することが見込まれる者等については、運動設備等が整備されている入国者収容所東日本入国管理センター等に移送する運用をしていたが、原告については、当時、東京入国管理局長を拘束者とする人身保護請求訴訟(前記1(16))が係属しており、上記移送によって拘束者が替わると同請求が却下されてしまうこととの関係で、同請求に対する裁判所の判断が出るまでの間は上記移送を見合わせたことを理由に、原告に戸外運動の機会をさせなかったことが直ちに違法となるものではないと主張する。そして、〈3〉そもそも本件収容場において戸外運動ができなかったことについては、東京入管入国審査官Dの陳述書(乙45)において、施設上及び人員上の余裕がなかったためである旨説明されている。
しかしながら、上記〈1〉については、原告がテレビの視聴や喫煙などの自由を与えられたとしても、被収容者処遇規則28条が人の精神的、肉体的健康のために戸外での運動の機会を保障した固有の趣旨(前記イ)を全うすることはできないから、本件処遇の違法性を否定する理由にはならない。
また、上記〈2〉については、人身保護請求の却下を回避するということが、原告に対して112日間にわたり戸外運動の機会を全く与えなかったこととに直接結び付くものではなく、合理的な理由とはなり得ない。
上記〈3〉については、本件処遇の背景に、東京入管の施設上及び人員上の窮状があるにしても、それは被告において改善すべき事柄であるといわざるを得ず、本件のように112日もの長期間にわたって、被収容者に被収容者処遇規則に定めた基本的な保障を与えないことを正当化し得るものということはできない。
以上のとおり、被告の上記主張等は、本件処遇が被収容者処遇規則28条に反し、違法なものであるとの前記結論を左右するものではない。
(3)  入浴について
原告は、本件収容中、週2回のシャワーを浴びることしか許されなかったとして、そのような処遇は、「所長等は、被収容者の衛生に留意し、適宜入浴させるほか、清掃及び消毒を励行し、食器及び寝具についても充分清潔を保持するように努めなければならない。」と定める被収容者処遇規則29条に反して違法であると主張する。
しかしながら、「適宜入浴させるように努めなければならない」という規定の文理に照らしても、被収容者に入浴をさせないことが直ちに同条の違反となるものではない。
そして、週2回のシャワーを浴びる機会を与えることは、同条が被収容者の衛生に留意することを要求した趣旨に適う入浴の代替措置ということができる。
したがって、上記のような処遇が被収容者処遇規則29条に反するものであり、あるいは違法性を有するものであるとすることはできず、この点に関する原告の主張は失当である。
(4)  トイレの設置状況について
原告は、本件収容中、トイレが置かれた居室内で食事をとらされたが、そのトイレは、側面3方向を囲まれているが1面は開いたままの、しかも使用者の顔まで隠しきれない高さの隠し板のみで仕切られたものであり、衛生的でなかったとして、そのような処遇は、被収容者処遇規則29条、「自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して、取り扱われる。」と定める国際人権B規約10条1項及び「衛生設備は、各拘禁者が、必要なとき、清潔に、かつ、不体裁でなく生理的要求を満たしうるものでなければならない。」と定める被拘禁者処遇最低基準規則(1955年犯罪防止及び犯罪人取扱いに関する第1回国際連合会議採択)12条に反して違法であると主張する。
しかしながら、上記トイレの設置状況が、衛生的でなく違法であるとまでは直ちにはいえない。
そもそも被収容者処遇規則29条及び国際人権B規約10条1項は、上記トイレの設置状況を違法とするような基準を示すものではないし、被拘禁者処遇最低基準規則は、我が国において法的拘束力を有するものではなく、これを違法性の根拠とすることはできない。
したがって、上記のような処遇が違法であるということはできず、この点に関する原告の主張は失当である。
(5)  寝具について
原告は、本件収容中、原告の寝具は1度も洗濯されず、交換もされなかったとして、そのような処遇は、「寝具は、支給時において清潔で、常に良好な状態に保たれ、かつ、清潔さを保つため頻繁に交換されなければならない。」と定める被拘禁者処遇最低基準規則19条に反して違法であると主張する。
しかしながら、被拘禁者処遇最低基準規則は、我が国において法的拘束力を有するものではないから、これを国家賠償法上の違法性の根拠とすることはできない。
また、前記(1)の認定事実によれば、原告は、平成9年9月30日、寝具として、毛布4枚並びに枕、シーツ、毛布カバー及び枕カバー各1個を貸与され、同年10月18日、シーツ、毛布カバー及び枕カバーの交換を受けたものであり(なお、大橋弁護士の平成9年9月17日付け報告書(甲29の2)及び平成14年4月26日付け陳述書(甲68)は、同人が原告に接見した平成9年9月16日の時点において、原告の毛布及び枕が一度も取り替えられていないことを示すものにすぎず、同年10月18日の上記寝具交換の事実を否定するものではない。)、汚損等があった場合には、それを申し出て、その状況に応じて寝具の交換を受けることができたものである。
そうすると、本件収容中、原告の寝具は1度も交換されなかったとの事実が認められないことはもとより、原告に対する処遇につき、清潔な寝具の提供を怠り違法であったということはできない。
したがって、本件収容中の寝具に関する原告の上記主張は理由がない。
(6)  食事について
原告は、本件収容中、トルコで育った者の嗜好を全く無視した食事を出されたため、急激にやせ衰え健康を害したとして、そのような処遇は、「各被拘禁者には、当局から、通常の食事時間に、健康・体力を保ちうる栄養価を持ち、衛生的な品質で、かつ、上手に調理、配膳された食事が与えられなければならない。」と定める被拘禁者処遇最低基準規則20条1項に反して違法であると主張する。
しかしながら、被拘禁者処遇最低基準規則を国家賠償法上の違法性の根拠とすることはできないことは既に述べたとおりである。
なおかつ、被収容者の食事については、その内容が宗教上の教義に抵触するなどといった事由の認められる場合に、特段の配慮の要請される場面のあることはさておき、これを超えて被収容者処遇規則25条ないし 27条の規定を離れて、各国の被収容者それぞれの嗜好に合わせた食事を提供しなければならないとする法的根拠を見出すことはできない。
したがって、本件収容中の食事に関する原告の上記主張は失当である。
10  争点(9)(本件退去強制令書の発付及びそれに基づく収容が難民不認定処分に対する原告の異議申出権を侵害し違法であるか)について
原告は、難民の認定をしない処分(難民不認定処分)を受けた者であっても、それに対する異議申出権を有する者に対し、退去を強制することは、その者が異議申出の審査を受けることを不可能にするから、本件において、原告が難民不認定処分を受けた直後に本件退去強制令書を発付し、それに基づく収容をしたことは、入管法61条の2の4が保障する原告の異議申出権を侵害し、違法であると主張する。
しかしながら、同条は、難民不認定処分に対して異議を申し出ることができる旨を定めているものの、入管法には、難民不認定処分に対する異議申出権を有する外国人について、異議申出の審査が終了するまで、退去を強制されずに我が国に在留する権利を認める規定はなく、他にそのような在留権を認めなければならないとする法的根拠は見いだせない。したがって、難民不認定処分を受けた者に対し、異議申出の審査が終了する前に退去を強制したとしても、同条に違反するということはできない。
そもそも入管法の定める難民認定手続と退去強制手続とは、別個独立の手続であって(このことは、入管法が、難民の認定を受けている者についても退去強制手続がとられることがあることを前提としていること(61条の2の7等参照)からも明らかである。)、難民認定手続の進行にかかわらず、退去強制手続は入管法に則って進められるべきところ、入管法49条5項は、主任審査官が法務大臣から、退去強制事由該当認定に関する特別審理官の判定に対する異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは、速やかに退去強制令書を発付しなければならない旨を規定している。
前記1の認定事実によれば、東京入管主任審査官は、平成9年9月18日、本件裁決がされた旨の通知を受けて、本件退去強制令書を発付し、東京入管入国警備官は、本件退去強制令書に基づき原告を収容したものであって、これらの手続が入管法の退去強制手続に関する定めに則ったものであることは明らかである。
以上によれば、本件において、原告が難民不認定処分を受けた直後に本件退去強制令書を発付し、それに基づく収容をしたことは、入管法61条の2の4が保障する原告の異議申出権を侵害して違法となるものではなく、この点に関する原告の主張は理由がない。
11  争点(10)(損害の有無及び額)について
証拠(甲29の2)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、戸外運動の機会を与えなかった本件処遇により、精神的、肉体的な苦痛を受けたと認められるから、本件収容所についての設置又は管理に瑕疵が存したか否かを判断するまでもなく、この点について、被告は国家賠償法1条1項によりその賠償義務を負うものと認められる。
前記9(1)の認定事実その他の諸般の事情を総合考慮すると、原告が受けた上記苦痛を慰謝するには、20万円が相当である。
そうすると、被告は、原告に対し、国家賠償法1条に基づき、上記損害20万円を賠償する義務を負うというべきである。
第4  結論
以上によれば、原告の請求は、20万円の支払を求める限度で理由があり、仮執行免脱宣言については、これを付するのは相当でないと判断し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大門匡 裁判官 高宮健二 裁判官 笹本哲朗は、差し支えにつき、署名押印することができない。裁判長裁判官 大門匡)

 

当事者目録
原告 A
訴訟代理人弁護士 伊藤和夫
同 井口克彦
同 石川勝利
同 市川正司
同 上柳敏郎
同 大木和弘
同 大橋毅
同 岡本政明
同 荻野明一
同 翁長裕子
同 萱場健一郎
同 木田卓寿
同 木本三郎
同 児玉晃一
同 小林明隆
同 小山達也
同 栄枝明典
同 関聡介
同 高澤廣茂
同 田鎖麻衣子
同 田島浩
同 古川絵里
同 正野嘉人
同 松村真理子
同 森田哲治
同 安田まり子
被告 国
代表者法務大臣 森山眞弓
指定代理人 小野寺雅之
同 西川義昭
同 岸本亮子
同 高林正浩
同 沼田光夫
同 石黒敏夫
同 吉岡聖剛
同 桐野裕一
同 丸山紀之
同 権田佳子
同 坂本香織

平成10年(ワ)第3147号損害賠償請求事件
原告 A
被告 国
総括準備書面
2001年5月28日
東京地方裁判所民事第16部 御中
原告訴訟代理人弁護士 大橋毅
同 児玉晃一
原告は、主張を以下のとおり総括する。以下、A主張整理表を「別紙表」という。
第1  別紙1の論点I(収容令書の執行前に原告に対し事実上の拘束がなされたか)
1 原告の主張
違法な逮捕に引き続く勾留請求が却下されるべきことは、争いがない(「新版令状基本問題」240頁)。同様に、違法な逮捕に引き続き収容令書発付請求がなされても、これを却下すべきである。
たとえ表面上任意同行の形式がとられていたとしても、実質的に逮捕と同視すべき強制が被疑者に加えられているときは、任意同行でなく逮捕であると評価すべきである。
そこで本件の事情を検討する(どのような事情が考慮されるべきかにつき「新版令状基本問題」68頁以下参照)。
(1)原告の主観
原告の主観に着目すると、自宅で逮捕されたと認識していることが明らかである。
パスポートの提示により不法滞在者との容疑を生じた者は通常は現行犯逮捕されるところ、従来は検挙の場に難民認定申請中の者がいても、パスポートに添付されている難民認定申請受理票(以下「受理票」という。)を提示して難民認定申請中の者であることを証明すれば連行されることはなかった。それゆえ、難民認定申請者であった原告は、パスポートに添付されている受理票を提示しなければその場で逮捕されるおそれがある一方、受理票を提示すれば逮捕を免れて連行されないものと認識していた。
原告は自宅で自分のパスポートに添付されている受理票を提示した。これは、自発的には同行に応じない意思を有していたからに他ならない。
そして、受理票によって難民認定申請中の者であることを証明したにもかかわらず同行を要求されたのであるから、原告が他の不法滞在者と同様逮捕されたと認識したことは当然であった。
また、連行の際、警察官もしくは入国警備官が原告に対し、同行の要求が拒否しうる任意のものであると説明した事実は認められない。
なお、連行の現場に通訳はおらず、仮に日本語の能力の低い原告に日本語で不法残留事実を指摘してその取調べの必要につき話したとしても、原告に理解できるはずがない。また原告がトルコ語で異議を申し述べても、警察官と入管職員には理解できなかったであろう。原告が任意同行というものを理解して同行に応じたと認めることはできない。この、連行時に(それどころかその後の取調べでも)通訳を保障しなかった点は、それ自体違法であるとすら言える、重大な問題である。この点、刑事手続に関してではあるが、外国人が手続の意味を理解してその所持品を任意提出したとは認められないとして、警察官の行為を違法な所持品検査であるとした裁判例に札幌地裁平成3年11月25日判決(判タ787号285頁)があり、参考となる。
(2)客観的状況
客観的な状況としても
〈1〉 早朝の午前6時30分であった。
〈2〉 原告の自宅であった。
〈3〉 警察官と入管職員合わせて10人以上が臨場していた。
〈4〉 原告らには事前になんらの予告も与えられず、連行はその日の就業に当然差し支える状況であった。
〈5〉 原告はすでに難民認定手続の援助を弁護士に依頼していたので、弁護士に電話することを希望したにも拘わらず、弁護士に直接電話をすることが許されなかった。
〈6〉 警察署で、パスポート等を調べられたが、このとき、通訳を介しての提示要請はなされていない。任意性のない捜査がなされたと言うほかはない。
なお、警察署でパスポート等を調べたのは、入管職員である。警察に連行したことは、まったく実質的意味をもっていない。原告の意思を制圧して連行する手段として警察が利用されていることが如実に現れている。
〈7〉 警察署から車に乗せられ、東京入管に移されたが、その際にもなんらの選択の余地がなく、引き回されている。
〈8〉 上記車両は警察ないし入管が用意したものであった。
〈9〉 食事も東京入管内でとらされ、1歩も外に出ることができず、入管で取調べを受けた際、通訳を求めたにもかかわらずこれが保障されず、取調べが終わっても収容令書執行までそのまま入管内に留め置かれた。
〈10〉 入管における取調べに、通訳人が付されなかった(以上につき、甲29の1別紙5、甲31の1・2)。
以上の事情に基づけば、すでに収容令書執行前の午前6時30分の時点で、事実上の逮捕がなされていたことは明らかである。
逮捕状もなく、現行犯・緊急逮捕の手続も踏まず、収容令書の発付もないままに、原告の身体拘束をし、実質的に逮捕・収容したのと同様の状態に置いたことは、明らかに違法である。
なお、原告は前述のように難民認定申請をしていた者であり、住居も身元関係もすでに入管に対し明らかにしており、逃亡のおそれもなかったから、身体拘束の必要性もなかった。その点でも身体拘束を正当化する余地がない。
上記の状況で収容令書を発付し、これによって原告を収容したことは明らかに違法である。
2 被告の認否および主張
上記原告の主張にかかる被告の認否および主張は、別紙表1「I」(1~2頁)のとおりである。
3 原告の再反論
被告は、食事の提供について、「「調査の間に食事の時間帯にさしかかった場合には、東京入管では食事を提供することにしている」と主張する(別表1「I〈9〉」)。
しかし、純粋な任意同行であれば、原告に食事を提供する義務は発生しない。したがって、東京入管が食事を提供したというのであれば、それは「任意」という名の下、実質的に強制力によって身体拘束をしていたことを裏付けるものである。
第2  別紙表1の論点II(本件収容が難民条約31条に違反するか)について
1 難民条約31条違反について
(1)原告の主張
原告が難民認定申請者であることを知りながら、被告が原告を収容したのは難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という)31条に違反する。
ア 難民条約31条1項違反
すなわち、難民の地位に関する条約31条1項は、「生命または自由が脅威にさらされていた領域から直接来た難民であって、不法入国または不法滞在している者に対し、不法入国または不法滞在を理由として不利益を課してはならない」と定めており、難民認定申請者である原告を収容したことは、同条項違反となる。
(ア) 難民条約31条1項の文理解釈
a 難民条約31条1項は、刑事司法手続のみに限定されるものではなく、行政手続上の重大な不利益にも適用されると解される。
難民条約の正文は英語とフランス語であるから(同条約末文)、その解釈は、正文を基準になされなくてはならない。
そして、難民条約31条1項の正文(英語)は、次のとおりである。
Article31,Refugees unlawfully in the country of refugee
1,The Contracting States shall not impose penalties,on account of their illegal entry or presence,on refugees who,coming directly from a territory where their life or freedom was threatened in the sense of article 1,enter or are present in their territory without authorization,provided they present themselves without delay to the authorities and show good cause for their illegal entry or presence.
b 難民条約の日本政府訳は、同条項の冒頭部分の「impose penalties」を、「刑罰を科す」と訳しているが、この訳は不正確である。「penalties」は、日本語で言う「刑事罰(punishment)」の他に、「不利益(disadvantage)」をも含む概念である。したがって、同条項は、前記のとおり「不利益を課してはならない」と訳すのが正確であり、刑事司法手続に限定されるものではない。行政手続上の処分であっても、「罰」と同等の重大な不利益は、同項によって禁じられていると解される。
c そして、入管法上の収容は身体の自由という、最も基本的な人権を奪い去る効果を伴う点で、刑事罰にも匹敵する著しい不利益であり、行政手続において収容をする場合にも、当然に上記条項の適用がなされるものである。
(イ) 他の解釈基準に従った難民条約31条1項の解釈
また、上記条約の解釈にあたっては、条約法に関するウィーン条約(以下「条約法条約」という)31条3項により、国際連合難民高等弁務官事務所(以下「UNHCR」という)執行委員会の結論第44の「庇護希望者の拘禁」(以下「結論44」という)並びに1996年10月の上記執行委員会で採択された「庇護希望者の拘禁に関してのUNHCRガイドライン」(以下「ガイドライン」という)を考慮する必要がある。
a 日本は同執行委員会のメンバーとして、上記結論44およびガイドラインの採択に合意したものであり、これは、条約法条約31条3項(a)の「条約の解釈又は適用につき当時国の間で後にされた合意」に該当するからである。
b また、仮に結論44およびガイドラインが上記の「合意」に該当しないとしても、少なくとも、同条(c)の「当事国の間の関係において適用される国際法の関連規則」に該当する。
c そして、結論44並びにガイドラインは、難民の地位に関する条約31条に関連して、下記のように定めている(甲47、甲48)。

〈1〉結論44(b)
執行委員会は、難民の地位に関する1951年条約第31条を想起し、拘禁は、随伴する苦痛に鑑みて、通常は回避されるべきであるという意見を表明した。必要な場合、拘禁は身元を確認し、難民の地位もしくは庇護の申請の基礎となる要素を確定し、難民もしくは庇護希望者が庇護を申請しようと意図する国の機関の判断を誤らせる目的で旅行および/もしくは身分証明書を破棄しもしくは不真正文書を使用した場合に対処し、または、国の安全もしくは公の秩序を保護するために、法律で定められた理由にもとづいてのみ行うことができる。
〈2〉ガイドライン2「一般原則」
庇護希望者は、すでに出身国で何らかの迫害、もしくは他の苦難を経験した可能性を考慮して、いかなる形態の過酷な取扱いからも保護されるべきである。
一般原則として、庇護希望者を拘禁すべきでない。
庇護希望者の立場は、一般外国人の立場と根本的に異なる。不法滞在や不法入国に対する処罰や拘禁を決定する際、この点を考慮に入れるべきである。
〈3〉ガイドライン3「例外的に認められる場合」
国際人権法の一般的規範と原則に適合する国内法に明文化されている場合に限って、庇護希望者を例外的に拘禁することができる。
拘禁は通常、避けられるべきであるという一般原則の許容されうる例外は、法律によって定められていなければならない。そのような場合、庇護希望者の拘禁は、以下のようなやむを得ない場合に限って行うことができる。
・身分事項を確認する場合
・難民該当性を決定する場合
・旅券又は身分証明書を破棄した難民もしくは難民申請者を取り扱う場合、または庇護を申請している国の当局を混乱させる目的で難民もしくは難民申請者が偽造書類を使用した場合
・国の安全や公の秩序を守る場合
(中略)
拘禁に代わる監視(出頭義務や保証人条件など)が実行可能であるときは、その代替手段が有効でないという証拠がない限り、代替手段をまず適用すべきである。
上記以外を目的とした庇護希望者の拘禁はいかなるものであっても、国際的保護の原則に反する。
d 小括
上記のような結論44(b)およびガイドライン2、3が難民条約31条1項の解釈基準とされるのであるから、これらに定める例外的な場合を除いて、難民申請者は退去強制手続においても収容されてはならない。
イ 小括
しかるに、本件処分は、上記の原則を完全に無視して行われている。
すなわち、後述するとおり原告はクルド人であるという人種的ないし国籍上の理由、及びクルド人の権利を擁護する組織を支援するという政治的意見の理由により、本国において迫害を受ける十分に理由のある恐れを有するものであり、条約難民に該当する。同時に、日本の出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という)所定の難民認定申請手続に則り難民認定申請をした者である。
また、本件処分は、拘禁の代替手段の適用を一顧だにせず、全く突然に原告を拘束したものである。
したがって、「代替手段が有効でないという証拠」が存在しないから、例外事由にも該当しない。
よって、原告を収容したことは、難民条約31条1項に違反する。
(2)被告の認否および主張
上記原告の主張に対する被告の認否および主張は、別紙表1「II」(2頁)記載のとおりである。
(3)被告の主張に対する反論
ア 被告は執行委員会結論が同会の意見の表明であること、ガイドラインが同委員会の承認を受けたものであるとして、条約法条約31条3項のいずれにも該当しないと主張する(別紙表1「II」3頁)。
しかし、結論は意見表明につき執行委員会構成国が合意したものであり、またガイドラインは構成国が合意して承認したものであり、まさに難民条約31条の解釈につき締約国の間でなされた合意である。なお日本も執行委員会構成国である。
2 原告の難民該当性
(1)原告の主張
ア 難民性の立証の意義
本件訴訟では、原告の難民該当性が重要な論点であるので、その判断方法に関し必要な諸点を、詳細な事実主張に先立ち予め指摘しておく。
(ア) 難民性と難民認定の関係
a 人は、難民の定義を満たした時点で難民となる。これは必然的に、その人が難民として正式に認定される前のことである。したがって、難民認定とは確認的行為、つまり人が難民である事実を確認する行為である(UNHCR作成「難民認定ハンドブック」…以下「ハンドブック」という。甲24…28パラグラフ)。
つまり、難民性は、難民条約の規定する要件に該当するか否かの、法的判断であり、行政庁による裁量の余地はないし、行政庁による認定の有無に関わらず、難民条約の規定する難民の諸権利は当然に保障されるべきである。
b 行政庁による認定がなされていない場合の難民の諸権利の保障は司法判断に委ねられることになるが、難民該当性の判断については多くの特殊性があるので、以下その諸点につき述べる。
(イ) 難民該当性の判断
a 難民認定の申立とは、すなわち、難民条約第1条A(2)にある理由の1つ以上のために、申請者が迫害を受けるという十分に理由のある恐怖を有しているという主張である。
b 一般に、恐怖は、その出身国での居住を継続すれば定義にあるような理由で申請人が耐えがたいような状況になったであろうこと又は出身国に戻るならば同一の理由により耐えがたくなるであろうことを申請人が合理的な程度(to a reasonable degree)に立証すれば、十分に根拠があると見なされるべきである(ハンドブック42パラグラフ)
c 一般に申請者が提出しなくてはならない証拠は、迫害を受ける合理的な蓋然性または可能性を示すべきである。申請者の申立の確証までを要求するのは、難民条約の人道的精神と相容れない。このような立証基準の解釈は、各国の国内法において運用や法改正によって定着してきた。
〈1〉オーストラリア連邦最高裁は1989年9月12日 Chan Case 判決で、「十分に理由のある」とは恐怖の客観的な裏付けとなる可能性のことであり、その可能性の程度は「確率の優位性(起こる確率が起こらない確率より高い)」は必要でなく「現実的可能性」であると解し、可能性に一定の合理性、すなわち一般人が現実に感じとれる程度であれば足りるとした(法セミ454号62頁)。
〈2〉アメリカ合衆国連邦最高裁 1987 INS vs.Cardoza-Fonseca では、「十分に理由のある恐怖の立証は、恐怖という語が示すとおり、当該外国人の主観的要素を中心とするものであり、またそれゆえに客観的蓋然性が50パーセント以下の場合であっても、十分に理由のあることもありうる。」「難民条約の難民定義の出所である1946年国際難民機構規定においても、国連難民高等弁務官事務所による難民認定ハンドブックも、さらには国際法学者の研究も、迫害についての主観的要素を重視しており、客観的に迫害蓋然性が10パーセントに過ぎなくとも、十分に理由のある恐怖となりうることを指摘している。」と判示する(判タ675号51頁)。
(ウ) 立証責任と灰色の利益
a 難民認定のさらに重要な点は、申立の強度または真実性について疑わしい点をいかに判断するかということにある。
b 申請人は書類やその他の証拠によって自らの陳述を補強することができないことも少なくなく、むしろ、その陳述の全てについて証拠を提出できる場合の方が例外に属する。たいていの場合、迫害から逃走してくる者はごく最小の必需品のみを所持して到着するものであって、身分に関する書類すら所持しない例も多い。申請人がその主張を裏付けるために真に努力しても、その陳述のいくつかの部分について証拠が欠如することがあり得る。難民がその事案の全てを立証できることは希であって、もしこれを要求するとすれば難民の大半は認定を受けることができないことになる。
誤った不認定の決定が難民にもたらす極めて深刻な結果と、客観的な証拠など存在しないもしくは入手不可能である場合が多い難民の置かれた状況を考慮し、立証責任は柔軟にとらえられるべきである。
それ故、申請人に灰色の利益を与えることが頻繁に必要になる。すなわち、陳述に立証できないものが存在する場合において、申請人の説明が信憑性を有すると思われるときは、反対の十分な理由がない限り、申請人は灰色の利益を与えられるべきである。(ハンドブック196、203パラグラフ)
c 特に以下の場合は立証責任の弾力性が求められる。
〈1〉申立の動機となった恐怖が将来起こりうる出来事に基づくため、現在証明するのが不可能な場合
〈2〉出身国から逃れた状況では、書面による証拠を持っての出国が困難もしくは不可能であった場合
〈3〉迫害や逃亡の結果生じた恐怖やトラウマのため、供述に欠落している点や矛盾が見られる場合
〈4〉難民とは出身国に帰国できない人であるため、出身国から書面による証拠を入手するのが極めて難しいか危険である場合
このように、申請者がいわゆる明白な証拠を提出できなくても、恐れている迫害の種類と恐怖の理由について一貫性のある妥当な供述ができれば、立証責任が果たされていると解すべきである。
(エ) 以上のとおり、難民の供述は、その背景状況に照らして評価されなければならない。
難民の供述の信憑性と供述内容に十分に理由があるかどうかを判断するには、難民の出身国の状況に関する知識が中心的な役割を果たす。
出身国の状況は、迫害を受ける恐れの客観的理由となることはもちろん、難民の供述の信憑性の評価においても必要となる。
そこで次に、トルコ共和国の状況につき主張する。
イ トルコ政府のクルド人政策について(以下につき甲1ないし甲23、甲25ないし27)
(ア) トルコ共和国政府の対クルド人政策の概要
a クルド人とは
クルド人は中東第4の民族で、国家を持たない世界最大の民族である。
クルド人とは、「クルディスタン(トルコ・イラン・イラク・シリアの国境地帯にまたがる山岳地帯)」に居住する民であり、人種的にはイラン人と同じインド・ヨーロッパ系であり、中背、茶色の毛髪と目、浅黒い顔といった基本的形質人類学的特徴を持つ。これに対してトルコ人はアジア系である。クルド語は、インド・ヨーロッパ語族に属し、トルコ語と共通点はない。
宗教的にはスンニ派イスラム教が多い。
総人口については、統計が無いので明確ではないが、トルコ共和国内のクルド人は千数百万人程度、総人口の約4分の1とも推定されている。
b トルコ共和国の成立とクルド人に対する政策
〈1〉トルコ共和国の成立とクルド人の存在の否定
i ローザンヌ条約とクルディスタンの分割
国際的に見ると、クルド人の地位は大国の意思に左右されてきた。第1次世界大戦後のオスマントルコの処理に関するセーブル条約(1920年)ではクルド人に関し、次のとおり規定されていた。即ち、62条「クルド人が多数を占める東アナトリアの一部に自治権を与える」。64条「本条約発効後1年以内に、もし62条に規定された当該地域に居住する大多数のクルド住民がトルコから独立を希望している旨の訴状を国連委員会に提出し、委員会がこれを認めた場合、トルコはその勧告に従い当該地域における全ての権利と資格を放棄することに合意するものとする。また、もしこのような放棄が行われ、それまでモスール州に属していた住民が自主的に独立クルド国に所属することを希望した場合、主要同盟国はそれに異議を唱えないものとする」。この2条項は、クルド人を明らかに一民族として存在する民族と認め、また、固有の国家を持つ資格があるとして認めたものであった。しかし、この条約は、トルコのEの反対、イギリスの中東政策の変更等、国際社会の影響をまともに受け、結局発効されず、その後の1923年のローザンヌ条約では37-44条のマイノリティ保護条項に含められず、クルド民族の住むクルディスタンは、トルコ、イラン、イラク、シリアなどに分割されてしまったため、結局クルド人の民族としての独自性、クルディスタンの国家としての独立性は国際的に全く無視されてしまった。
ii トルコ共和国とその「民族主義」
トルコ共和国は、Eを中心に第1次世界大戦後に成立した。Eらはトルコの分割を画する欧州列強との戦いを祖国解放運動と位置づけ勝利した。その原動力として、トルコナショナリズムを標榜したという面がある。
他方、既に廃止されていたスルタンに続き、1924年3月4日に、カリフ制も廃止された。スルタン=カリフはイスラム教信者にとって「最高指導者」であり、それ故に全てのイスラム教徒の忠誠を受けることができた。つまり、スルタン=カリフ制はクルド人が人種も言語も異なるトルコ人に感じる唯一の理念的紐帯であったのであり、とりもなおさずその紐帯が失われたものである。
したがって、新生のトルコ共和国は、列強から独立を守り抜き、国家建設の原動力としてその中心にイスラム教ではなく、トルコナショナリズムを据え、この政策は、「民族主義」として重要な政治的イデオロギーとして機能していった。
iii トルコ「民族主義」とクルド人政策
しかし、この「民族主義」が、こと国内における統治政策として考えられると、特に人口の4分の1をも占めると言われるクルドなどの他民族の存在自体を否定し、少数民族の独自性を主張するあらゆる行動を弾圧する政策としてたちあらわれた。
具体的には、1924年憲法では「トルコ共和国の全住民に対して、宗教と人種の区別無しに、同胞として、トルコ人とみなす」と規定してある。その後憲法は、何度か改正されているが、現憲法も、前文には、「トルコの国家利益、国家と国土とが不可分であるというトルコの存立の原則、トルコ人であるという歴史的・精神的価値、アタチュルクの民族主義・原則・改革・文明性に反しては、いかなる思想も見解も保護されず、」と規定し、14条に「本憲法で定めるいかなる権利及び自由も、国土と国民とから成る不可分の国家の全体性を破壊し、トルコ国と共和制の存立を危うくし、基本的権利と自由を剥奪し、・・・言語、民族、宗教及び宗派の相違を惹起すること等、のいかなる方途であれ、かかる見解と思考に基づいた国家の秩序を構築する目的では行使し得ない」と規定して、これを受け継いでいる。
1924年には、法廷ではトルコ語だけを使用せよと主張され、クルド語は公式に禁止され、学校における使用も禁止された。1931年にはトルコ歴史学協会、1932年にはトルコ言語学協会が設立された。特にトルコ言語学協会では多くの学者を動員して、既存トルコ語の中からアラビア語やペルシャ語に由来する外来語を追放し「純粋トルコ語」を作る運動を進めた(トルコ語純化運動)が、外来語の完全な追放などできるはずもなく、1936年「トルコ語言語審議会」において「人類全ての言語はトルコ語に由来するものであり、トルコ語の中にあるペルシャ語やアラビア語の語彙も元々はトルコ語であったもので、トルコ人はそれを取り戻したにすぎない」とする「太陽言語理論」が発表された。
この民族主義の概念は、少数民族、とりわけクルド人諸反乱の弾圧及びクルド人政策の正当化に大きな役割を果たしてきた。クルド人たちがクルド語を話すことは、祖国とトルコ民族を分裂させるものとされ、クルド人が自らの民族の独自性を主張することは、トルコ民族主義に対する敵対行為であり、売国行為であるとされるのである。
〈2〉クルド人の反抗と政府の弾圧
i Fの反乱
1925年2月、Fの反乱がおこった。Fは、東部アナトリアに住むクルド人の有力者で、神秘主義教団ナクシュバンディーの長老である。この反乱は宗教的なものから発生したとする解釈もなされているが、その反乱の非常に早い広がり方を見れば、根底に政府の少数民族政策に対する不満があったことは否めない。
政府は、東部地方にただちに戒厳令を布くと同時に、軍に鎮圧を命じ、3月4日には治安維持法を制定した。Fは4月8日に逮捕され、多くの反乱参加者とともに処刑された。更に、その後見せしめとして何千人もの農民が虐殺され何百もの村が焼き打ちにされた。
反乱鎮圧後、政府はこのような反乱が起きないよう、いくつかの部族を根こそぎ故郷の地から追い出し、トルコ南西部のアダナに移住させた。追放されなかった部族指導者も称号を奪われ、権威を縮小された。一部指導者はイラン、イラクに逃れた。
ii アララット山の蜂起(ジェラリー族の反乱)
1929年、アララット山に集結したクルド人がジェレリー族を中心に蜂起した。指揮をとったのは、クルド民族連盟「ホイブーン(独立)」である。ホイブーンは1927年にレバノンで設立された。
トルコ政府は1930年5月に派兵を開始、6月に総攻撃を開始した。その際、クルド人の弾圧にかかわった何人も起訴されることはないとの法律が発布された(第1850号法)。
蜂起軍は同年夏には壊滅し、指導者の多くはとらえられ、処刑された。ヴァンでは何百人もの知識人たちが袋に詰められ、ヴァン湖に投げこまれた。
iii デルスィムの抵抗
1937~8年にかけてデルスィムで、トルコ政府軍による住民虐殺があった。
デルスィムは、北クルディスタンに位置するが、宗教的にはアレウィー教を信仰していた。険しい山々に囲まれた地形を利用して、住民たちは、トルコ=ロシア戦争・第1次世界大戦・トルコ独立戦争への参加を拒み、長く自治を維持してきたのである。これは、国内を完全にトルコ化しようという、Eの民族主義政策から見れば決して容認し得ない状況であった。その結果、老若男女無差別の民族虐殺を行ったものである。
iv その他の弾圧
既に述べたとおり、反抗が起こるたびに、政府は見せしめのための虐殺、焼き打ちなどを行ってきた。これは、クルド人の弾圧に関するいかなる行為も起訴されないという法律に守られ行われたのである。
また、戒厳令などにより、部族全体が他の地域に強制移住させられることもあった。即ち、1934年6月に、第2510号法が発効した。この法律は、トルコ国土を次にように3分した。a トルコ文化を保持する人々が密集してすむように維持されるべき地域、b トルコ語・トルコ文化に同化させるために非トルコ文化をもつ住民をそこに向けて移動させるべき地域、c 完全に住民を住まわせなくする地域、の3地域である。本法によって、部族、部族の地主、首長、長老の身分は剥奪され、彼らの不動産は自動的に没収された、そしてクルド人地域からトルコ人地域への強制移住が行われた。また、非トルコ語人口が多数を占めるいかなる組織も団体も禁止されたのである。
これらの弾圧により、クルド人の部族社会は壊滅し、民族としてのアイデンティティーを強制的に奪われつつあるクルド人の状況は陰惨なものになったのである。
c 第2次大戦後のトルコ政治
〈1〉基本的な対クルド人政策
i 一般情勢
1938年にEは死亡し、1946年1月に共和人民党が分裂して民主党が結成されると、数多くの政党が成立し、トルコは複数政党制の時代を迎えることになった。
しかし、現実のトルコの政党は、軍の許容する枠の内側で、あれこれ政策を立案したに過ぎず、軍の許容する枠の外に政治が踏み出し、あるいは一時的に混乱すると、軍がクーデターなどの手段で政治権力を握り、軍の許容する政権を作るということを繰り返してきた。
具体的には、トルコでは3度のクーデターが起こった。1960年のクーデターは、当時の政権党の民主党が独裁化し、腐敗したという理由でなされた。
2度目は書翰によるクーデターと言われるもので、1971年に起こった。軍部は、戒厳令を布告してすべての学生組織を解体し、あらゆる政治集会と労働者組織を禁止するとともに、左翼系新聞・雑誌の発行を停止し左翼系の作家・学者・労働組合幹部を保護の名のもとに拘束した。1980年に3度目のクーデターが起きた。このクーデターにより、現憲法が生み出された。この憲法の特徴は、大統領権限の拡大、強化と、国家治安の維持に関する規定を強化した点である。
ii 対クルド人政策
このように軍部は、自らケマリズムの守り手を任じ、ケマリズムが危機に瀕していると見れば、独自の判断でクーデターを起こし、あるいは独自に行動を行う。そして、クルド民族の独自性を主張するいかなる言動も、ケマリズムの柱である「民族主義」をないがしろにする分離主義者の言動ということとなり、そのような動きは、徹底的に弾圧するべき対象となる。
したがって、政府のクルド人に対する政策も、歴代大統領や首相による若干の違いがあるものの、軍の影響下におかれて、基本的には軍と同様の一貫した政策を維持している。
また、経済政策の面から見ても、クルド人の多くが居住する東部トルコ(クルディスタン北部)は、開発から取り残され、電気、水道等の社会資本の充実も極めて遅れている。また、産業資本も育成されないまま放置されてきた。したがって、東部地域とその他の地域の所得格差は極めて大きいと言われている。
以上の対クルド人政策は、戦後一貫しており、クルド人の抵抗とともにより厳しく、徹底したものとなってきている。以下、具体的に述べる。
〈2〉第2次大戦後から1970年代にかけて
第2次大戦後、トルコ政府の峻厳な対少数民族政策によって、しばらくの間、クルド人によるクルド人の独自性やクルド民族の独立、自治などを主張する動きは表面に出ることは少なかった。
しかし、1960年代に相対的に言論、出版の自由が認められていた時代があり、1961年には、トルコ労働者党(TIP)という政党も成立し、この中に相当数のクルド人が参加した。
そして、1965年、クルド人の弁護士Gと会計士Hによってクルディスタン民主主義者党(KDP)が設立された。しかし、ファイル・ブジャックは1966年にトルコの政治警察によって暗殺されたと言われ、その他の同党のメンバーは、1971年のクーデターの後、分離主義を唱えたことを理由に逮捕、起訴された。
また、トルコ労働者党のクルド人のメンバーが、1969年に、革命的東部文化クラブ(DDKO)を設立した。この団体は、政治団体ではなく、言論によってクルディスタンの政治的抑圧状況を告発する活動を行った。ところが、1971年クーデター後、その主要メンバーは逮捕され、大量に起訴された。この裁判の論告で、検察官は、歴史上クルド人という名で知られた民族など存在しなかった、この者たちの起源はトルコ人である、クルド語として知られる言語など存在しない、それはトルコ語のひとつの方言に過ぎないと主張し、軍事裁判所も同様の見解を採り、有罪判決を下した(「クルディスタン=多国間植民地」140頁など)。
そして、前述のトルコ労働者党は、1970年の党大会で、クルド人のI女史を党首とし、クルド人問題に関する動議を決議したが、やはり71年クーデターの際に、この決議を理由として閉鎖を命じられ、党幹部は6~15年の実刑判決を受けている。
1980年8月下旬には、クルディスタンの選挙区から選出された2名の代議士が「実は私たちはクルド人です。皆さんは御存じないかもしれないが、トルコ共和国にはクルド人がいるのです」と、記者会見で「発表」した。すると、即座に彼らは逮捕された。
また、当時エルズルムのアタテュルク大学文理学部の助手としてトルコ東部を研究テーマとしていたJは、1971年クーデターの後、「クルド人なる存在しない民族の存在を主張することによってトルコ共和国における国民の国家意識を弱体化させようとした」という容疑で逮捕され、禁固13年の実刑判決を受けた。Jは、その後も、出獄と入獄を繰り返し、1997年現在も入獄中である(前同書訳者あとがき、368頁)。
以上の事実から注目すべきことは、トルコ政府が、武力を伴わない平和的な政治活動や言論活動、研究活動に対しても、その担い手を容赦なく逮捕し、実刑判決を下している点である。1978年に成立したクルド労働者党(PKK)は、1980年のクーデターの後、1984年から武装闘争を開始し、トルコ政府はこのPKKの鎮圧を口実にトルコ東部及びそこに居住するクルド人に対して種々の制約を課し、日常的に逮捕、拘禁などを繰り返しているが、実際は、トルコ政府は、PKKが方針転換する以前から、平和的な言論であっても、無差別に容赦ない強制力を加え、沈黙を強いようとしていた。
〈3〉1980年クーデターから現在まで
i 一般情勢
1980年9月12日、陸、海、空軍及び憲兵(ジャンダルマ)によるクーデターが発生した。1984年に民政移管となったものの、現在の政治体制は、憲法も含めてこのクーデターにより作られた体制を受け継いでいる。
一方、クルド人の側では、1978年、それまでクルディスタンの独自性を主張して政治活動をしていたKを中心に、クルディスタンの独立を目指すクルド労働者党(又はクルディスタン労働者党、略称PKK)が設立された。同党は、その党是から言って非合法であったが、指示を広げていった。1980年クーデターの背景には、このようなクルド人の運動の盛り上がりに対する軍部の焦りも背景にあったと言われる。
ii 戒厳令
4軍からなるクーデターの司令部(「国家保安評議会」)は、トルコ全土に戒厳令を布告した。この戒厳令は徐々に解除されていったが、東部地域については解除は遅れ、現在においても、戒厳司令官のもとに、その一存で住民の諸権利が与奪される状態が続いている。
この状態を維持するために、戒厳令下の地域やその周辺の諸県には、憲兵(ジャンダルマ)が日常的に配置され、軍も、PKK及びその支援者を取り締まるという名目で活動している。
iii 村落防衛隊(キョイ・コルジュ)の組織
トルコ政府は、クルド人の独立運動を取り締まり、PKKを掃討する目的で、クルド人の村落に村落防衛隊を組織することとし、クルド人村落に防衛隊員を出すことを要求した。この村落防衛隊員は、クルド人の平均収入からすると破格の高収入を約束されていたが、その任務は、クルド人自身によってクルド人村落における独立運動を摘発させようとするもので、巧妙な分裂工作とも言える。クルド人の村落は、小単位の、血縁で結ばれた、結束の固いものであるから、村落によっては、村全体でこの村落防衛隊の組織を拒絶する村落もあった。すると、その村落は、トルコ政府からはPKKの支援者であるとみなされ、村落ごと焼き打ちにあったり、強制的に移住させられたりした。
iv クルド労働者党(PKK)に対する弾圧
1980年のクーデター直後、PKK党員であるという容疑で1790人が逮捕され、その多くが有罪判決を受けて受刑し、あるいは長期間勾留された。これらの状況を受けて、同党は、1984年以降、武装闘争の方針を採っている。
1990年代に入って、同党は、指示を広げ、オザル大統領の時代には、独立から自治に要求をトーンダウンし、一方的停戦を発表してトルコ政府に交渉を呼びかけ、オザル大統領も一時的にこれに呼応するかのような時期もあった。しかし、1993年にオザル大統領が急死してからはトルコ政府軍は逆に攻勢に出た。このため、和解の道が閉ざされ、再度衝突が続いている。
v その他の政党とこれに対する弾圧
その他クルド人の権利を擁護する政党として、1989年、社会民主人民党から除名された7人のクルド人国会議員が中心となって、人民労働党(略称HEP)が結成された。民族アイデンティティーを鮮明にした初めてのクルド人の合法政党の登場として東部で熱狂的に迎えられ、国会議員も選出された。しかし、国会の宣誓式でクルド語で宣誓を行おうとしたことを理由に刑事裁判にかけられている(甲2)。また、党の会議での言動などを根拠に、1992年、憲法裁判所で党の合憲性をめぐる審査が開始され、実質的に閉鎖に追い込まれた。
HEPの後継政党として、1993年に民主主義党(略称DEP)が結成された。しかし、これに対しても党首の逮捕、議員・党員の暗殺事件、党本部爆破事件が相次ぎ、1994年6月、憲法裁判所によって閉鎖命令を下され、所属議員の不逮捕特権も剥奪された。そして、所属議員の一部はヨーロッパに逃れ、残りは逮捕された。これに呼応するように議員・党員への街頭での銃殺事件、党本部爆破事件などが発生した。この問題はヨーロッパ評議会で大きく取り上げられ、トルコ政府への批判の声はかつて無いほど大きくなった。
さらに1994年7月、クルド人は、人民民主主義党(略称HADEP)を結成したが、現在これも閉鎖に追い込まれようとしている。
このように、トルコ政府は、武装方針を持たない合法政党に対しても、その言動を根拠にして閉鎖命令を出し、その党員を裁判にかけるなど、なりふり構わない抑圧を行っている。
d クルド人に対するトルコ共和国の現行法制度
〈1〉現行トルコ憲法及び第2932号法によるクルド語の使用禁止
トルコ国内においては憲法及び各種法律によってクルド人であることの主張が制約されてきた。トルコの憲法は、オスマントルコ末期の1826年に最初の憲法が制定されたが、オスマントルコの崩壊=トルコ共和国の成立後も政変の度に新憲法が制定され続けてきており、具体的にはトルコ共和国の最初の憲法である1924年憲法、1961年憲法、1982年憲法と、旧憲法の廃止と新憲法の制定が繰り返され現在に至っている。
現行の1982年憲法を見ると、その第26条3項は「思想の表現及び伝達において法律で禁止された言語は使用できない」とし、第28条2項は「法律で禁止された言語では出版を行い得ない」としている。また第42条9項は「トルコ語以外のいかなる言語も、教育及び教導の機関においてトルコ国民に対し母国語として教授されることはない」とされ、ケマリズムの強い影響の下、トルコ一民族主義とでも言うべきイデオロギーに支配されクルド語の使用禁止を念頭において言語面でのクルド人の独自性の主張が排除されているのである。
そして、これを具体化した法律が「トルコ語以外の諸言語での出版に関する法律」(第2932号法・1983年10月19日付)である。その第1条は「この法律は、国家の領土と民族の不可分の統一性(全体性)、主権、共和国、民族の安全、社会体制を守ることを目的として、思想の表現及び伝達において禁止される言語についての基本とその手順を定める」。第2条前段は「トルコ政府が認める第一公式言語以外のいかなる言語による思想の表現、広報、出版もこれを禁ずる」。第3条は「トルコ国民の母国語はトルコ語である。(a)トルコ語以外の言語を母語として使用し普及させる方向性を追及することは、いかなる活動においてもこれを禁ずる。(b)集会やデモにおいて、この法律で禁止されていないにしてもトルコ語以外の言葉で書いたポスター、プラカード、スローガン、看板及び類似のものを掲げること、レコード、音楽映像テープそのほかの表現手段、表現物で宣伝することは、その地域の最高責任者の許可が無いかぎり、これを禁ずる」。さらに4-6条で罰則が定められている。このように憲法及び2932号法で「クルド」という言葉を使用することなくクルド語の使用を禁じてきたのである。
〈2〉反テロリズム法によるクルド人の独自性の主張の抑圧
その後、第2932号法は1991年4月12日の反テロリズム法(以下「反テロ法」という。)の制定に伴い、廃止された。このことだけをみるならばクルド人に対するクルド語の使用が認められたことになる。
しかしながら、反テロ法は、クルド人の独立運動はもちろん、その独自性の主張等クルド問題の存在に関する言論を含め一切の活動を徹底的に排斥すべく立法されたものであり、自由なクルド語の使用を認めたものではなく、むしろクルド人に対する取締りの徹底を狙ったものと言える。即ち、反テロ法の主要な条文は次のとおりである。
第1条は、「テロリズム」の定義規定であり、共和国の基本政体、政治的・法的・経済的・社会的制度の変革等、若しくは国家の統治権を弱める等、あるいは公共の秩序を威力等により損なうことを目的とする団体に属する1人又は数人による一切の行為をいうとしている。
この条文の解釈のしかたにより、クルド人の独自性の主張をすること自体が政治的法的社会的制度の変革を目指す行為であり、その運動をすれば威力により公共の秩序を損なう行為と言えることになる。したがって、クルド人の自らの独自性を唱えるあらゆる活動は、すべて反テロ法の適用下にあると言っても過言ではなく、現にそのようなものとしての運用がなされているのである。
第5条に刑の加重に関する条文がある。この条文は、一般法規であるトルコ刑法に規定された一定の犯罪がテロリスト犯罪として行われた場合には、一般の法定刑の刑期及び罰金の額を1.5倍にするという内容の規定である。
第6条には、次のような条文が並ぶ。
まず、反テロ法に対し、これを特定の者の弾圧目的である旨の非難をするだけで、その非難をした者は重罰金に処せられる旨を規定する。また、テロリスト犯罪摘発に従事する公務員の氏名を公表した者も、それだけで重罰金に処せられる旨を規定する。テロリスト団体の宣言文、パンフレットを印刷若しくは出版した者も重罰金に処せられる旨を規定する。反テロ法違反に関する情報を当局に提供した者の氏名を公表した者も重罰金に処せられる旨を規定する。
このように、第6条は、反テロ法非難の言論をも規制し、さらに反テロ法の運用を強化させるため、取締当局に一方的に有利に情報が流通されることを狙ったものである。
第7条は、第1条でいうテロリストの団体を結成した者等を懲役刑及び重罰金刑の併科により処罰する規定である。
第8条は、トルコ共和国及びその領土の統一性を破壊することを目的とする宣伝、集会、デモンストレーションを一切禁止する。この条文の存在故に、クルド人はクルド民族の独自性、クルディスタンの自治権等に関する一切の言論活動を禁じられ、クルド人に対する弾圧が公然と行われている。
第9条から第15条までは手続規定が置かれている。
第9条は、反テロ法違反の罪に対しては、通常裁判所ではない特別の「国家保安裁判所」が管轄し、一般法の適用が排除されて、反テロ法のほか、国家保安裁判所の構成及び手続法(法律第2845号)が適用される旨を規定する。
第12条は、取調べ警察官の証人尋問に関する規定であるが、その証言は非公開の法廷で行う旨を規定している。この規定の存在のため、反テロ法違反事件の捜査段階での拷問の実態が隠蔽されている。
第13条は、反テロ法違反の罪の懲役刑の法定刑を罰金刑等に減じたり、これに執行猶予を付することを禁じている。
第14条は、反テロ法違反の行為又は行為者に関する情報を当局に提供した者の氏名の不開示を規定している。
第15条は、テロリズム犯罪防止のための職務に従事している警察、情報機関などの職員がその職務の遂行中の行為に関して訴追された場合に、懲役刑を免除する旨を規定し、更に、その場合3人以下の弁護人を所属機関の費用負担で付する旨を規定しているのである。この規定は、他の諸規定とも相まって取調べ時の拷問を推奨するかの機能を有しているのであり、現に、クルド人に対する取調べにおいては殴打等の単純な暴行だけでなく、電気ショック等物的設備を要する拷問までもが日常茶飯事のように行われているのである。
第16条から第18条は刑の執行に関する条文である。
第16条は、反テロ法違反の受刑者は、特別の行刑施設において刑の執行を受け、自由な面会が禁止され、受刑者同士の連絡も禁止される旨を規定する。
第17条は、反テロ法違反の受刑者に対する仮釈放の始期を制限する規定である。
第19条から第22条までは雑則規定である。
第19条は、反テロ法違反の犯人の逮捕に協力し、又は情報提供等をした者に対して報奨金を支給する旨を規定する。
第20条は、司法機関、情報機関、警察等の職員、あるいは反テロ法違反に関する情報提供者等の身辺保護に関し規定している。
以上は、反テロ法の骨子であり、クルド人が民族の独自性を主張すること自体が同法によって禁止されているだけでなく、クルド人のそのような活動を徹底的に封じ込めるためのあらゆる手段が同法に規定されているのである。更に、同法は、その運用過程においていくらでも反テロ法違反の「容疑」をかけることが可能な法律であり、一度その容疑者とされた者は、当局からの拷問に対し、トルコ共和国法上の保護を一切受けられないのである。
なお、このようなトルコ共和国の反テロ法に対する国際的な非難は根強く存在し、トルコ共和国のEUとの関税同盟加盟に際し、EUからトルコ政府は反テロ法の改善を求められていたが、結局、第8条の法定刑の上限を下げる程度の内容に止まり、むしろその法定刑の範囲内での運用が強化されている現実を見れば、実質的な改善は何らなされないまま今日に至っていると評価せざる得ない。
(イ) クルド人への迫害の具体的態様
以下のような迫害の具体的事例は、迫害の存在と、今後も迫害の恐れが十分あることを裏付ける。
a クルド迫害の広範性と迫害の主体
政治的意見又はクルド民族であるとの理由により、迫害を受けたクルド人の具体的事例は枚挙に暇がない。政府の暴挙を報道するジャーナリストに対しても、拉致、拷問といった攻撃が加えられる(世界的に見てもジャーナリストが拉致され行方不明となる事件数が最も多く確認されているのがトルコである。)ということもあり、トルコにおける迫害の実態を正確に把握することは困難である。しかし、そんな状況下にあっても、来日したクルド人がトルコに残してきた知人や家族などの限られたルートを通じ入手しえた新聞報道の中に、多様な迫害の事実を見ることができる。これらは、被拘禁者に地雷のしかけられた地面を歩かせるという拷問が加えられた事件、クルド人の村に対して爆撃が加えられ、子供までもが死亡した事件、合法政党であるHADEPへの支持を表明したクルド人の村への送電を憲兵が遮断した事件、ゲリラであることを疑われて捉えられた者が拷問を加えられた痕と見られる多数の傷跡を残して死体として発見された事件、クルド人の被拘禁者が拘禁中に尿を飲まされた事件、クルド人の村に人糞をまき散らしたことが人権侵害にあたるとして、ヨーロッパ人権委員会がトルコ政府に対し国家賠償を命じた事件などであり、トルコにおいてこれらの様々な迫害が常態化している実情を窺い知ることができる。
迫害の主体は、主として軍、警察又は憲兵であるが、MIT(ミツリー・イステイヒバラツト・テシユキリヤートウ、「トルコ諜報機関」「国家情報機関」などと邦訳される)と呼ばれ、日常は民間人と同じ職業を持って働いているように見えながら、実際には、政府の指示のもとに、情報収集や、暗殺等の任務を果す機関とその構成員も、クルド人への弾圧行為を行うことがある。
b 迫害事例
以下は(政府寄りとされる)新聞で報道された迫害実例のほんの一部である。
〈1〉1992年5月27日付トルコデイリーニュース(甲12の1)
1991年HEP総統Lが何者かに暗殺されるという事件が起こった。これを皮切りにクルド人の中心的居住地域(トルコ南東部、クルディスタンの一部)でクルドシンパが暗殺されるという事件が次々と発生し、約1年半の間に被害者数は90名にものぼった。これらの暗殺事件はいずれも、被害者がクルド人であり、クルド人の自由や平等を求める活動家であったか、分離主義者と敵対する治安部隊へ加わることを拒否した者であったという特徴を共通としている。
被害者のうち、多くの者は街頭で突然の銃撃を受け死亡するか、連れ去られて拷問を受けた後銃殺されるかの仕打ちを受けているが、比較的最近の被害の中には、ミニバスが突然複数の男達に襲われ、8名の乗客が降車を命ぜられた後、その場で銃殺されるケースや、複数の男達が2台の車に向けて銃を乱射し、またここでも8名の市民を銃殺したケースが報告されている。
犯人が誰であるかは明らかになってはいないが、狙われた被害者の特性、殺害の仕方などから反クルドの体制側による犯罪であると強く推定されており、法律的手続を踏まない死刑執行と専ら揶揄されている。
〈2〉1993年9月6日付トルコデイリーニュース(甲13)
1993年8月の1ヶ月の間に、トルコ東部の都市バットマンで総勢15人のクルド派の政党員や議員らが素性の知れない武装者によって銃殺され、同じくディヤルバクルでは4名がやはり同様の状況の下で殺害された。また、翌月9月にはこれらのバットマンでの殺害事件を調査するために、同市を訪れたDEP議員と地元のDEP幹部がやはり銃で武装した3人組によって殺害された。
政府当局はこの事件の直後、外出禁止令を発したが、事件発生の報告が政府当局にまで届いたのが事件後数時間後であったにもかかわらず、直後に外出禁止令を発したのはどのような経緯であったのかという点などで、政府が事件に関与していたのではないかとの疑いが持たれている。
〈3〉1995年2月4日付トルコデイリーニュース(甲14)
HADEP党員2名が複数の殺人者によって殺された。HEPの代理人2名が2年前にもバットマンで白昼堂々殺されており、バットマンがクルド人政治家殺害事件の名所として有名になっている。
こうした事態を受けてHADEPのボズラク議長は、同党が合法政党であることを強調した上、1994年5月11日の同党創立後20日目に創設者のうち2名が殺されたこと、8ヶ月間で10名の同党員が殺害されたことを語り、犯人が一人として捕まっていないことや真摯な捜査が行われていないことを非難した。同党によると、これまでに暗殺の犠牲となった人は421名を数えるとのことである。
〈4〉1993年9月17日付トルコデイリーニューズ(甲15)
PKKの活動が活発化した1991年頃からは、クルド人の村がPKKへの協力を疑われ、または村落防衛隊への参加に消極的だったことなどを理由に、次々と治安部隊によって焼き払われるという事件が多発した。この村の焼き討ちに対し、政府は約2年もの間事実の調査や攻撃をやめさせる措置をとらずに放置し、数々の被害実例が伝えられる中、当時の首相は1993年8月時点においてもなお憲兵による村の焼き討ちなどは事実ではないと明言していた。1993年8月ようやく重い腰を上げた首相が治安部隊の責任者である将軍と会談を持ち、以後村への焼き討ち攻撃は下火となった。しかし、会談に至るまでの間治安部隊は次々とクルド人の村を襲い、あるときはPKKへ協力したと疑われる者の住宅数軒を放火する報復的行動をとったり、あるときは村がPKKへの協力に再び利用されるのを防ぐとの口実のもと、村落の住居すべてを焼き払うという暴挙に出た。
実例の一部として例えば次のような事件が紹介されている。
i 1993年7月3日マルディン県セリク村
7月2日セリク村にほど近い憲兵隊駐屯地にPKKの攻撃が仕掛けられたことを直接の原因として、翌3日憲兵隊はセリク村を急襲し、村民は強制的に居宅から立ち退かされ、住居は家具その他の私有物もろとも燃やされた。この間70歳の老人を含む7名の民間人が殺された。これに対し、政府側は、9名のテロリストを殺害したと発表した。村民によれば、このうち2名のみがPKK戦闘家であったとのことである。
ii 1993年7月15日シルナック県イキジェ村
イキジェ村は7月15日、憲兵隊に包囲され、6つの家屋が損壊の被害を受けた。翌朝再び憲兵隊が同村に訪れ、全村民を強制的に立ち退かせた上、全住居に火をつけた。
こうした憲兵隊による焼き討ちの被害を受けたクルド人の村落として同紙は、334の村落を実名で報道している。また前述の首相と将軍の会談以後焼き討ちは下火となったが、憲兵隊によるクルド人村への無差別的急襲はなお続いている。
c 件数及び広がり
クルド民間活動家が暗殺されるという上述のような事件が発生し始めたのは、1980年代後半からであり、これまでにこうした暗殺によって命を落とした被害者数は、一説によれば千名にも達すると言われている。
また、村の焼き討ちによって自宅を失い平穏な生活を破壊されたクルド人被害者は200万人にものぼると推定されている。焼き討ちで家を初めとする全財産を失ったクルド人は、憲兵隊の命令で多くは強制疎開をさせられ、荒廃した土地の粗末な仮設住居で暮らすことを堪え忍んでいる(甲16)。
また、こうした村の焼き討ちの際、村民への弾圧の一手段として、憲兵隊が村民を無差別的に銃撃するケースも多い。一説によると、1992年前半南東部の各地で銃殺された村民の数は数百を数え、1996年までにこうした無差別的狙撃によって死亡した被害者の数は1000人を超える(甲17・31頁)。
さらに上記以外にも多くの迫害が様々な態様において行われている。
〈1〉暴力的尋問
迫害の態様として最も一般的かつ広範囲に行われているのはおそらく、一切のデュープロセスを無視した強制的かつ暴力的尋問であろう。軍や警察、憲兵の民間人への尋問は、多くの場合、突然の住居への乱入や有無を言わさぬ殴打、暴行によって始まる。尋問を受ける側には何の理由があってこのような仕打ちを受けるのか知らされないまま、突如として様々な尋問を受け、時には銃口を向けられた抑圧状況の下で尋問が行われる。また緊急性が皆無の場合であっても夜中に乱入を受けるといった事態は頻繁に発生し、平穏な生活は全く期待できない。そのためクルド人の家庭では、子供達は憲兵を見ると反射的に手をあげて服従の意思表示をするまでになっていると言われている。
〈2〉逮捕、拘禁、拷問
尋問に対する答えが満足のいくものでないと被害者は自宅から連れ去られ、身柄を何日も拘束されて更に厳しい尋問を受ける。こうした身柄拘束中には、尋問側はその望む答えを得るため、しばしば激しい殴打や様々な身体的苦痛を与える拷問を行う。
被害者からの訴えを受け、ヨーロッパ拷問防止委員会などの国際機関が実際に調査団をトルコに派遣し警察の留置場などを調査したが、同委員会はその際、電気ショックをかけるために使用する革ひものついたベルトや、腕を宙づりする道具などの存在を確認したと1996年12月の委員会報告の中で述べている(甲18)。
また、イスタンブール警察本部のテロ対策部門に勾留されていた人々を調査する中で、彼らの体に靴底で蹴られたことによる打撲、手の甲への強打、腕を宙づりにされた痕などの拷問の痕跡が残っていることを実際に確認している。更に欧州評議会のヨーロッパ人権委員会も、1995年10月、あるクルドシンパの被害者の申立に基づき証拠を精査し、1992年11月当時彼がマルディン警察本部の反テロ部局で殴打及び性器への電気ショックを受けたと認定した(甲18・31頁)。
被害者の申し立てた拷問の手口は、全裸にされて殴打される、後ろ手でしばって両腕から吊される、高圧の冷水を噴射される、性的な暴行を加えられる、口、四肢、性器などに電気ショックを与えられるなどの過酷なものであり(甲17・22頁)、こうした拷問を受けた被害者数は、1980年以来約25万人にのぼると言われている(甲19)。拷問の被害者の多くは反テロ法によって拘禁された人々であるが、それは同法が長期間の隔離拘禁を可能としている上、弁護士との接見も制限していることや、テロ犯罪防止の名の下に行われる職務については、どのような行為であっても懲役刑を免除していること(同法15条)等が大きな理由であると理解されている。
〈3〉拘禁中の死亡、行方不明
更に逮捕・拘禁・尋問中の拷問の過程で、拷問が余りに熾烈を究めたために被拘禁者が死亡するケースも少なくない。ある報告によれば1991年から96年までの5年間に少なくとも93人が拘禁中に死亡したとのことである。また拘禁後行方がわからず連絡も一切途絶え、生死の確認のとれないケースも1991年以後徐々に増加し、1995年までに累計で100件以上のケースが報告されている。生死不明となった者のほとんどは、政治活動の経験のないクルド人村民で、憲兵隊などによりPKKメンバーに食料を与えたり、かくまったという疑いで拘禁された人々である。1994年7月憲兵隊の焼き討ちにあったクルド人村の村長は、拘禁され肋骨の折れる拷問を受けた後に村の焼け跡に戻ったところ、兵士たちにヘリコプターで連れ去られ、以後消息不明となった(甲17・29頁ないし30頁)。
このような行方不明事例が年々増え続ける事態を憂慮し、「国連の強制的失踪に関するワーキンググループ」は1994年、トルコで強制的失踪の件数が次第に増えており、その報告件数は世界で1番多いことを公表した(甲17・29頁)。
d 国家による保護の欠如
以上のようなクルド人に対する夥しい数の弾圧は、その多くが警察、憲兵隊、軍隊などの国家組織によって行われているのであり、法律上も、テロ行為防止の職務としての行為は訴追されたとしても懲役刑を科されることはなく、また防御のための弁護人費用は国庫から拠出される(反テロ法15条)こととなっているため、クルド人が国内に留まる限り、国家による何らかの有効な保護が期待できる状況にはない。
そして、弾圧の主体がこれら国家組織によるものであることが確認できない場合であっても、政府は数々のクルド人の被害実例を目のあたりにしながらこれを放置している。世論や様々な国際的圧力にもかかわらず、暗殺などの重大な犯罪を阻止しようと真摯に考えるのであれば当然行うはずの徹底的捜査などの措置を一切とっていない。したがって、この意味でも、迫害の被害を受けうる立場にいる者は国家の保護を受けることが一切期待できない状況にある。
e 国際的非難
上記のようなトルコ政府の現状に鑑み、国連拷問禁止委員会は1993年11月に、ヨーロッパ拷問防止委員会は1996年12月に、それぞれ報告又は声明の中で、トルコ政府に対し、拷問を一掃するための勧告を行い、「国連の超法規的即決又は恣意的処刑に関する特別報告者」や「国連の強制的失踪に関するワーキンググループ」は、トルコ政府に対し調査の機会を与えるよう要請している。
また、国連人権委員会第53セッション予備協議事項第10項「違法の、即決あるいは恣意的な処刑」の議題について提出された特別報告担当官M氏の報告はその所見において「特別報告官は、PKKゲリラと闘う企ての中で、民間人に対しトルコ治安部隊が犯す生存権の侵害に引き続き関心を持つ」と述べている。
さらに、国際的市民団体であるアムネスティ・インターナショナルは、1996年6月、トルコの現状についての報告書を発表し、トルコ政府による様々な拷問、超法規的処刑などの事案を認定した上で、その是正のための勧告を行った(甲17)。
そして、ドイツはトルコへの武器輸出国であるが、1992年、94年、95年にそれぞれ、トルコ政府がドイツから輸出した武器をクルド人の迫害に使用していることを理由に、武器輸出を一時停止することを決定し、トルコ政府のクルド人に対する弾圧に対して抗議を表明した(甲20ないし22)。
スイスも、1993年6月に、トルコ大使館員が首都ベルンでクルド人デモ隊に発砲し、1名が死亡し7名が負傷したという事件を引き起こしたことに抗議して、大使館員の外交特権免除を要求した(甲23)。
1995年12月11日、PKKはトルコ政府に停戦を呼びかけた。
欧州議会は同停戦提案を評価し、1996年1月18日、「トルコの新政府には、民主主義的改革のための精査苦境下と人権尊重を求める。トルコ東南部地域の問題の、政治的かつ非暴力の解決を見いだすため対話が始められることを支持する。」「新政府には政治犯の解放を認めるための法改正を提案する。」との議決をした。ところがトルコ政府は、「1996年1月18日に欧州議会で採択された議決『トルコの現状とPKKによる停戦の提案』に対するトルコ政府の見解」と題する文書を発表して「統一国家は民族的アイデンティティに関心は持たない。トルコは国家の構造を変える必要は全くない。」「欧州議会の見解は、民主主義や人権に関連する配慮の表れではなく、法律的議論でもなく、政治的に動機づけられた干渉である」と反抗するばかりであり、停戦提案を無視した(甲27・210頁ないし215頁)。
1996年1月17日、欧州議会がNにサハロフ平和賞を授与した。同女は、DEPに属するトルコ国会議員であったが、1994年3月議員特権を剥奪され、1995年10月26日刑法及び反テロ法違反の罪で懲役15年の刑を言い渡され、服役中の者である(甲27・202頁)。
トルコ軍は1997年5月14日、PKK壊滅を目的として大規模兵力をイラク国境から越境させた。この軍事行動に対し、EU、国連、アラブ諸国から批判が相次いだ。
1997年12月12日EUは中・東欧諸国との加盟交渉を開始したが、同じく加盟を申請したトルコ共和国については、クルド人弾圧を主な理由の1つとして、加盟対象から外された。
以上のように、トルコ政府によるクルド人の弾圧は、その態様が余りにも苛酷でありその規模が余りにも大きいため、国際社会においても大きな非難の声を呼び起こしている。しかし、年々高まるこうした国際的非難の声にさらされながらも、トルコ政府の姿勢やトルコ国内のクルド人への迫害状況にはほとんど変化がなく、クルド人への弾圧は現在も続いている。
(ウ) 小括
このようなトルコ国内においてクルド人が置かれた一般的な状況は、原告の難民該当性判断においては、十分に考慮に入れられなくてはならない。
ウ 原告の個別事情
そして、原告については、次のような事情があり、上記のトルコ国内の一般的な状況に照らし、上述した難民該当性判断基準に従えば、原告がトルコに帰国した際には迫害を受けるという十分な理由がある(甲28、甲29の1別紙二及び三、甲33)。
(ア) 原告は、ティジレ教員学校在学中の1984年から85年にかけての学期休暇の際、クルド人のスヴァという有名な歌手のテープを聞いていたことを理由に、エルガニ中央警察に拘束された。そして、同所に6日間拘束され、同警察の詰所で拷問を受けた。
このときは、警察関係者であった親戚が手を回して、検察局に引き渡されたのちに釈放されたが、釈放後原告は転校を余儀なくされた。
(イ) 原告は、転校した学校を卒業した後、大学入学を目指して、その準備のためにガジアンテップにある予備校に通学した。
その在籍中であった1987年頃、原告は友人とともにクルド人の権利擁護等を訴える宣伝活動に携わるようになった。その具体的な活動内容は、クルド人の権利を求めるプロパガンダを書いたチラシ、ビラを家々に投函したり、ポスターを貼るという活動を夜間に人目に付かないように行うということだった。それらの内容は、例えば「この状態をやめよう。クルド人に自由、権利を与えるべきだ。拷問をやめよう」というものだった。
(ウ) そして1987年、原告の数人の友達が、クルド人の権利を求める主張を書いたチラシ、ビラを配付したり、ポスターを貼るという活動を行ったとの嫌疑で、逮捕され、原告の留守宅にも警察が来た。
原告は危険を感じ、叔母の住むアダナに逃げ、その家に身を寄せた。
(エ) 原告は、上記の事情で予備校に通うことができなくなり、大学進学を断念せざるをえなくなった。そのため、本来であれば20歳に達したとき(但しトルコでは生まれた時点で1歳と数える。)に就かなくてはならない兵役について、原告は進学予定を理由に猶予されていたが、それも取り消されてしまった。しかしながら、クルド人が兵役に応じると東部地域に派遣されてクルド人同士で戦うことを強制されるため、原告は兵役にも応じなかった。
(オ) 1991年、原告がシャンウルファ県に帰ろうとしてバス停留所にいたところ、オズギュル・ギュンデム新聞(クルド民族の権利を擁護する立場の新聞)を携えていたのを警官に見とがめられ、派出所に連行された。その後、身分照会の結果、政治犯罪容疑で追われていること、兵役を逃れていることが発覚し、ガジアンテップ県の警察署に引き渡された。そして、原告は地下の治安警察に連行され、目隠しをされた状態で、両手を上に伸ばして縛られ、首にタイヤを掛けられ、頭以外の体を、痕が残るくらい強く殴られ蹴られた。さらに電極を小指やペニスに巻いて、電気ショックを与えるなどの拷問を受けた。また、15分おきに「立て。何の罪を犯したんだ」と聞かれながら殴られた。
その上、原告は狭い独房に監禁される心理的拷問を受けた。
このような取扱いを受けながら、原告は「誰と一緒にビラやチラシを配ったか、どこでとのように配ったか」といったことを繰り返し尋問された。
結局、原告は15日間拘束され、その後裁判を受けたところ、無罪とされる引き換えに兵役を強制されることとなった。
(カ) 1992年11月、原告は兵役を終えて家に帰り、翌1993年5月結婚した。結婚後は、穀物の仕入販売の仕事をして暮らし、月収3000から3500万トルコリラの収入を得ていた。生活費としては、月800万トルコリラ程度あれば足りたため、父にも仕送りをする余裕があり、また、原告もアナドル大学の通信教育を受けるなどして、平穏に暮らしていた。
しかし一方で原告は、DEPの事務所に出入りし、選挙運動にも協力するなどの政治活動も行っていた。
(キ) 1995年3月、原告は突然、クルド人の権利を擁護する文章の記載された、ネブルズ祭り(クルド民族独自の新年の風習)のビラ配りに関わったという容疑で、逮捕され、連行された。
そして全裸にさせられ、壁に顔を向けて手を縛られ、睾丸を、にぎりつぶされるほど強く握られる拷問を受けた。
その後原告は一旦は釈放されたものの、5月4日に裁判所へ出頭することを命じられ、尾行をされるなど当局の監視下におかれた。
(ク) 原告は、裁判では、ビラを運んだ罪か、あるいはビラを運ぶことを知っていて当局に通報しなかった罪のいずれかで、いくら反論をしたところで有罪と認定され、約4年の実刑判決を受け、実際にも2年以上は刑に服さなくてはならないと考えていた。
そこで、原告はかかる迫害を避けるために、やむなく出国を決意したのである。
(ケ) 原告は、1995年4月11日、パスポートを入手した。これは旅行会社にいる原告の知人に5000マルクと原告の写真を渡して手配を依頼し、その人が賄賂を使って入手したものであった。その金は、信頼できる第三者の銀行口座に振込んで預け、パスポート入手を確認してから交付してもらうという慎重な手順を踏んでもらった。
(コ) 原告は、空港でパスポートの厳しいチェックを免れるために、通常よりも高額の費用を出してツアーに紛れこんだ。
(サ) そして1995年5月2日出国し、来日した。特に日本を選んだのではなく、トルコ共和国と日本とは査証免除協定を結んでいるから入国が容易だったので、逃げてきたものである。そして、原告は、同月5日、日本に短期滞在90日の在留資格・期間を得て上陸したが、在留期間経過後は無資格のまま日本に在留していた。
(シ) 原告は、トルコ共和国政府の対クルド民族政策が緩和され帰国が可能となることを待ち続けたが、その期待は全く裏切られ、対クルド人政策はむしろ厳しくなっていった。
現在も前記のとおりトルコ共和国においては反テロリズム法が適用され、原告が帰国すれば政治的意見ないし民族的理由により迫害を受ける十分に理由のある恐れを有している。
(ス) そこで、原告は1996年9月7日、東京入管あて難民認定申請をし受理されたのである。
エ 小括
以上の原告の個別事情を、既に述べた難民該当性判断基準にしたがって、トルコ国内におけるクルド人への人権侵害状況を併せ考慮すれば、原告に難民該当性が認められることは明白であり、原告は難民条約上の難民である。
(2)被告の認否および主張
上記原告の主張に対する被告の認否および主張は、別紙表1「II」(3頁)のとおりである。
3 難民条約31条2項違反
難民条約31条2項は、違法に在留する難民に対して、他の国への入国許可を得るために妥当と認められる期間の猶予及びこのために必要なすべての便宜を与える。
仮に移動の自由を制限する場合であっても、難民が自主的に第三国への出国の準備をすることのできる自由を認めている。よって、難民を収容することは許されない。
(1)難民条約31条2項の条文
難民は、移動に関し、必要な制限以外の制限を課してはならない。しかも移動の自由の制限は、必要がある場合でも、当該難民の当該締約国における滞在が合法的なものとなるまでの間または当該難民が他の国への入国許可を得るまでの間に限って許される。さらに、避難国に不法にいる難民について移動の自由に制約を課す場合でも、締約国は、条約難民で許可なく当該締約国の領域に入国したものに対して、他の国への入国許可を得るために妥当と認められる期間の猶予及びこのために必要な全ての便宜を与えるものとする(難民条約31条2項)。
(2)同条項の意義
同条項は、その表題にあるとおり、避難国に不法にいる難民に関するものである。つまり、在留が不法である難民について、同条約は移動の自由を原則として保障したのである。それゆえ、不法滞在の容疑を理由として移動の自由を奪うことは、背理である。なぜなら難民について不法滞在を理由として身体拘束ができるのであれば、すでに移動の自由はない。不法に滞在する難民を特に対象にして認められた権利を、不法滞在を理由に剥奪することが論理矛盾であることも明らかである。
ここにいう「必要」とは、難民の身分事項を確認する場合、旅券又は身分証明書を破棄した難民もしくは難民申請者を取り扱う場合、または庇護を申請している国の当局を混乱させる目的で難民もしくは難民申請者が偽造書類を使用した場合、ないし国の安全や公の秩序を守る場合にのみ認められ、国の安全や公の秩序を守る場合とは、大量の難民が一度に流入したような場合のようなことを意味し、単に出入国管理法制に違反するのみでは、それは避難国に不法にいる難民であることにすでに前提されているのであるから、ここにいう必要には該当しないと解される。
(3)退去強制時の収容も禁じていること
さらに、仮に難民が退去強制を受ける場合にあっても、これを収容することは許されない。
難民条約31条2項は、難民が自主的に第三国に出国する準備ができる自由を認めているのであり、これは例えば、他の国の大使館に行き、大使館員と交渉することの自由を保障するなどのことである。
すなわち、仮に移動の自由を制限する場合にあっても、難民が自主的に第三国に出国する準備ができる自由を認めているのであり、移動の自由を制限する場合にも、在留活動を一切禁じること、まして身体拘束することは許されないのである。移動の自由の制限として予定されているのは、住居の制限や、行動範囲の制限なのである。
難民を収容することは、許されないのである。
第3  別紙表1の論点III(本件収容が収容の必要性を欠き違憲、違法であるか)について
1 原告の主張
(1)憲法違反
憲法34条後段は、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されないと定める。
ここに正当な理由とは、犯罪の嫌疑などだけでは足りず、それを含めた拘禁を必要とする実質的合理的理由を意味する。
入管法も上記憲法の趣旨に沿って解されるべく、同法39条の収容令書ないし同法53条5項の退去強制令書の執行により容疑者を収容するためには、単に退去強制事由に該当すると疑うに足りる相当の理由があるだけでは足りず、収容を必要とする合理的な理由が存在することが必要であると解される(東京地裁昭和44年9月20日決定・判時569号25頁、東京高裁昭和47年4月15日判決・判時675号100頁参照)。
(2)市民的および政治的権利に関する国際規約(以下「自由権規約」という)9条1項違反
ア 自由権規約第9条1項は、「何人も、恣意的に逮捕又は抑留されない」と定める。そして、この「恣意的(arbitrary)」という概念は、「違法」ということとは必ずしも同義ではなく、不適切や正義に反するという要素をも含む広い概念であり、事案の全状況に照らし、逃走や証拠隠滅を防止する場合以外の収容は、「恣意的」なものとなる。
(ア) 原文の意味
「恣意的に」の語の原文は「arbitrary」である。この語の訳文としては、PMC出版「英和アメリカ法律用語辞典」によれば「1、専断的、監督を受けず、一般原則に従わず、あるいは規則によらず自己の意思により行動すること。2、気まぐれな、誠意のない、正当な理由のない」とある。
(イ) 解釈の補足的手段
また、条約法条約32条は、条約の意味を確認するためなどの場合に、解釈の補足的手段に依拠することができると定める。ここに解釈の補足的手段とは、条約の準備作業段階の事情、条約に基づく判例法、及び判例法が不十分な場合は、同種の他の条約または類似の条項に関する判例法が含まれると解される。
そして、自由権規約9条1項については、次のような条約の準備作業段階の事情ならびに判例法があり、これら解釈の補足的手段に依拠しても、逃走や証拠隠滅を防止する場合以外の収容は9条1項の禁止する「恣意的」なものとなる。
a 準備作業段階の記録(甲43)
自由権規約を審議した国連総会第3委員会における、9条1項に関する審議過程を紹介する。
〈1〉まず、現行の9条1項の規定「すべての者は、身体の自由及び安全についての権利を有する。何人も、恣意的に逮捕又は抑留されない。何人も、法律で定める理由及び手続によらない限り、その自由を奪われない。」通りの原案が提出された。
〈2〉英国は1項2文を削除して替わりに1項3文の末尾に「and as are not in themselves incompatible with respect for the right to liberty and security of person.」(仮訳:何人も、法律で定め、かつそれ自体身体の自由並びに安全の尊重と矛盾することのない理由及び手続によらない限り、その自由を奪われない)を付加するとの英国修正案が提出された。(甲43・119頁)
この英国案が提出された理由は「第2文に恣意性(arbitrariness)の基準を導入したのは第3文に述べられた法的根拠及び手続又は合法性の基準が恣意性の基準をもって問題とされるかも知れないからである。第2文の『恣意的に』の語は曖昧に過ぎ、人権宣言その他の法的文書における用い方は一般的性格のものである。もしこの修正案の解釈が間違っており、恣意性の語が国内立法に反していることを意味するなら第2文は余分である」とのことであった(同121頁)。
しかしこの案は、第2文を維持することを望む人々と英案の目的は第1文により包含されているとの見解を採る人々により反対された。
また、何人かの代表は修正案の第3文への追加は第2文を削除することなく受けいれられるべきだと示唆した。法律が不正であること又は不正な方法で適用されることを禁止する効果を持つからである。しかし、これが本条項に何かを付け加えるか疑問とされた。つまり修正案の目的は本条項において示されていると解された。
委員会の大多数は恣意性の概念とともに第2文を保持することが本条にとって基本的と考えた。
何人かの代表は、恣意性の語は「法的根拠なしに」を意味すると考えたが、何人かの代表は第2文は身体の自由又は安全が裁判所の判決か何らかの法的手続もなしに、裁量を有する行政府及び警察によって侵害される場合に言及したものと考え、そしてその他の多数派の代表は、恣意性 arbitraryはillegal ばかりでなく unjust を意味し、正義の原則、人間の尊厳と両立しないと考えた。これは国の不正に対するセーフガードである。なぜならそれは法律ばかりでなく、法令規則、及び行政部によりなされた全ての行為に適用されるからである。恣意的な行為は正義、道理又は立法を犯した行為であるかあるいは何人かの意志又は裁量にしたがってなされたか、あるいは気まぐれな、専制的な、尊大な、圧制的な、無制御の行為である、などの意見が述べられた。(同123頁)
〈3〉そして第2文削除案は賛成11、反対44で否決され、第2文を含む第1項全文は賛成67反対0で採択された。削除案反対および第1項全文賛成には日本も含まれている。(同125頁)
〈4〉以上の審議過程に依拠すれば、次のことが明らかである。
英案における追加案の目的であった、法定手続が身体の自由と安全を尊重するものであるべき要請は、明示されずとも9条1項に含まれていると解され、身体の自由の尊重と矛盾する手続による拘束は、恣意的拘束にあたる。
身体拘束の必要もないのに、手続対象全てを収容するという扱いは、明らかに身体の自由の尊重と矛盾する。
道理を犯した身体拘束は、恣意的拘束にあたる。
収容の必要性を根拠づける合理的理由を欠く収容は、道理を犯したものである。
また、無制御の身体拘束は、恣意的拘束にあたる。
身体拘束の必要の有無に関わらず手続対象全てを収容するという扱い、長期無期限に収容を継続するという扱いは、まさに無制御の身体の自由の侵害である。
以上のとおり、収容前置主義に基づく、収容を必要とする合理的理由のない長期無期限の収容は、恣意的拘禁として自由権規約9条1項に違反する。
b 個人通報事件決定
〈1〉この点については、「A対オーストラリア事件」における規約人権委員会の1997年4月30日決定が参考となる(甲41)。
上記事件は、1989年にオーストラリアに入国し、難民申請を行ったカンボジア国籍のAが、長期にわたり収容を受けた事案であり、自由権規約の第一選択議定書に基づき、規約人権委員会に対して通報を行ったものである。
〈2〉自由権規約締約国は、自由権規約28条に従って、1976年9月20日に国際人権規約委員会(以下「規約人権委員会」という)を設置した。同委員会は規約第40条に基づき、締約国から提出される報告書を審査し、一般的意見を作成すること、及び規約の定める権利のいずれかが侵害されたと規約選択議定書の定めに従って訴える個人からの通報を審理することを責務とする。
〈3〉個人からの通報に対する審理において示された解釈は、判例法と同様、同規約の解釈の補足的手段に該当すると解される。
よって、同規約の解釈確定は個人通報事件に対する規約人権委員会決定の中に示された解釈に依拠するべきである。
〈4〉そして、委員会は、収容が自由権規約9条1項に反するかどうかという点について、次のとおり、判断している。
「最初の問題について、委員会は、『恣意性』という概念は、『違法』ということとは必ずしも同義ではなく、不適切や正義に反するという要素をも含む、広い概念として解釈すべきであることを想起する。さらに、再勾留は、事件の全ての状況に照らして不必要な場合、例えば逃走や証拠の隠滅を防止する場合(この文脈においては、比較の要素として適切である。)以外には、『恣意的』と見なされる。けれども、国側は申立人に対する収容を、申立人がオーストラリアに不法入国したことや、もし捕まらなければ逃げていただろうと認められる申立人の動機をもって、正当化しようとしている。委員会にとっての問題は、これらの要素が無期限かつ長期の収容を正当化するために重要かどうか、ということである。」(決定9.2-甲41訳文16頁)
「委員会は、個人を収容所に留め置くための全ての決定は、収容が正当かどうかを審査するために、定期的に再審査する途が開かれているべきである。とにかく、収容は国が適切な弁明ができる期間を越えては継続すべきではない。例えば、不法入国の事実は、調査の必要性を示すものかもしれないし、その他、逃亡の蓋然性が高いことや非協力的だということなどの個々の特性があるかもしれず、そのような場合にはある期間の収容は正当化されよう。そのような要素がない収容は、たとえ、入国が不法であっても、恣意的なものとみなされる。」(決定9.4-甲41訳文16頁)
〈5〉A対オーストラリア事件の他にも、個人通報に基づくアルフェン対オランダ事件(1988年第305号)における規約人権委員会の決定で、恣意的の語は、不適切、不正、予測可能性の欠如をも意味し、拘禁は合法的なだけでなく全ての状況を考慮して合理的なものでなければならないとの判断を示している(甲44)。
イ 上記のとおり、事件の全ての状況に照らして不必要な場合、例えば逃走や証拠の隠滅を防止する場合以外に抑留することは、自由権規約9条1項の「恣意的な」抑留に該当すると解される。
ウ 本件は、事案も難民申請者を必要性もなく収容したという点で上記個人通報事件と酷似している。上記事件と同様、必要性もなく行われた本件収容は、自由権規約9条1項違反である。
(3)自由権規約9条3項2文違反
また、自由権規約9条3項は、裁判に付される者を抑留することが原則であってはならないこと、逮捕または抑留によって自由を奪われた者は、裁判所がその抑留が合法的であるかどうかを遅滞なく決定することおよびその抑留が合法的でない場合にはその釈放を命ずることができるように、裁判所において手続をとる権利を有する旨定めている。この9条3項2文は、「裁判に付される者」と規定するが、同文の趣旨は、拘束されて取調べを受けた者が、拘束による肉体的精神的圧迫や拘束中の過酷な処遇、虐待、拷問によって不任意に不利益供述をさせられた歴史的経験に鑑みたものであるところ、このような事態を防止すべきことは退去強制手続等行政手続における刑事手続に準じる拘束においても同様である。
そして、規約人権委員会の一般的意見15(1986年7月22日採択)も、「(外国人に対する強制的出国を対象とするすべての)手続に逮捕が伴う場合は、自由の剥奪に関連する規約上の保障規定(9条、10条)も適用されうる。」としている(甲36の2・431頁上から3行目以後)。
したがって、違反調査を受ける者についても、右規定が適用されるべきことは明らかである。
(4)自由権規約9条4項違反
また、自由権規約9条4項の「合法的」とは、実体的合法性つまり必要性があることを含むと解される。このことは、同項を具体化した「あらゆる形態の拘禁・収監下にあるすべての人の保護のための原則」(甲37)の原則37が「犯罪の嫌疑によって拘禁された者は、逮捕後すみやかに司法官もしくは法によって定められたその他の官憲の前に引致されなければならない。これらの官憲は、拘禁の合法性及び必要性につき遅滞なく判断しなければならない。」と、同39が「法律に規定された特別な場合を除き、犯罪の嫌疑によって拘禁された者は、司法官もしくはその他の官憲が司法運営の必要上別の決定をしない限り、法律に従って付されうる制限に従うことを条件に、公判終了までの間釈放される権利を有する。これらの官憲は拘禁の必要性を絶えず見直し、必要あるときのみ拘禁を続けなければならない」と定め、拘禁の必要性を要求することに明らかである(五十嵐二葉ら訳。同人ら編著「国際人権基準による刑事手続ハンドブック」559頁)。
(5)入管法違反
入管法も上記憲法の趣旨に沿って解されるべく、同法39条の収容令書により容疑者を収容するためには、単に退去強制事由に該当すると疑うに足りる相当の理由があるだけでは足りず、収容を必要とする合理的な理由が存在することが必要であると解される(東京地裁昭和44年9月20日決定判時569号25頁、東京高裁昭和47年4月15日判決判時675号100頁参照)。この点は、同法52条5項の退去強制令書により容疑者を収容する場合も同様である。
よって、抑留の必要性がなければ、収容を継続することは許されない。この点の詳細は、後述のとおりである(79頁以下参照)。
(6)本件における上記各法令違反
原告は、1996年9月7日、自ら東京入管に出頭し、その所在を明らかにして難民認定申請をした者である。その後も難民審査官からの出頭要請の便宜のためにその所在を継続的に申告している。仮に不法滞在であるからといっても、収容するべき必要性はなんら見出すことができない。
にもかかわらず原告を収容し、もって身体の自由を奪った本件収容令書発付処分及びその執行処分ならびに本件退令の収容部分の執行処分は、憲法、自由権規約及び入管法に違反する。
2 被告の認否および主張
上記原告の主張にかかる被告の認否および主張は別紙表1「III」(2~3頁)記載のとおりである。
第4  別紙表1の論点IV(収容に関する法の規定は憲法33条に反するか)について
1 原告の主張
(1)憲法33条は、何人も、権限を有する司法官憲が発した令状によらなければ、逮捕されない旨規定する。
入管法39条、 52条5項がそもそも司法官憲の令状によらない拘束を規定しており、違憲である。
(2)なお、これを合憲とする見解においても、「事後的にせよ究極的には司法裁判所による救済の方途が存置されている」ことを正当化の理由のひとつに挙げている(東京地判昭和49年7月15日判タ318号180頁)。
しかし、原告が平成9年8月7日東京地方裁判所あて本件収容令書発付処分取消訴訟を提起するとともに、収容令書発付処分の執行停止を申し立てたところ、執行停止については、9月3日付にて却下された。その理由とするところは、原告の被る不利益は収容処分により通常生じるものであって、そのゆえに回復困難と言えないというものであった。この判示はなんら論理的でなく、明らかに行政事件訴訟法25条の解釈を誤るものであるが、しかしかかる裁判実務においては、違法な収容からの司法的救済の方途は存在しないと言わざるをえない。なぜなら、収容令書の有効期間は30日であり、さらに30日の更新がありうるのみである(その後は、通常は退去強制令書による収容に切り替わる)が、本案訴訟が60日の間に判決に至ることは到底考えられず、収容令書による収容からの解放を司法に期待することができないのである。
そうすると、合憲とする見解の根拠は失われている。合憲論は存立の余地がない。
2 被告の認否および主張
上記原告の主張にかかる被告の認否および主張は、別紙表1「IV」(4頁)記載のとおりである。
3 原告の再反論
上記憲法の規定が入管法の収容にも適用されることは、第90回帝国議会衆議院委員会昭和21年7月18日に、青木泰助議員が「この条文がありましても、・・・行政執行法の検束と言うことが存置されておりますならば、30条(憲法33条)の条文は下級公務員に依って蹂躙されつつあるし、又今後蹂躙される虞があるのではないか。これをこの機会に明確に存廃の御答弁を願いたい」との質問に対し、司法大臣木村篤太郎は「行政執行法も恐らくこれは廃止の運命になるものではなかろうかと存じて居ります。今確信は申されませぬが、若しもこれが存置されるとしても、大幅の修正があって、御心配のような点は是正されて行くものだと存じて居ります。」と述べていることから明らかである(甲40・745頁)。
以上のことからして憲法33条が行政処分にも適用されることは明らかである。
第5  別紙表1の論点V(本件収容が国際人権B規約9条4項に違反するか)について
1 原告の主張
(1)自由権規約9条4項の定め
自由権規約9条4項は、逮捕または抑留によって自由を奪われた者は、裁判所がその抑留が合法的であるかどうかを遅滞なく決定することおよびその抑留が合法的でない場合にはその釈放を命ずることができるように、裁判所において手続をとる権利を有する旨定める。
同項の抑留が行政上のものも含むことは前述したとおりである(51頁参照)。
同項の権利を保障せずに抑留することは条約に反し違法である。
(2)入管法上の収容が自由権規約9条4項の要請を充たしていないこと
入管法は、収容令書によって収容した者について、裁判所がその抑留の合法性を決定する制度を有していない。
そこで原告は収容令書発付処分取消訴訟を提起するとともに執行停止を申し立てたが、執行停止申立事件を受理した裁判所は、本件収容が合法的であるかどうかを決定しないまま、「回復しがたい損害を生じるおそれの疎明がない」との理由で申立を却下し、さらに原告が抗告を申し立てたところ、抗告審では相手方東京入管主任審査官の反論書が提出されないうちに、退去強制令書が発付されて同執行停止申立事件の申立の利益が失われた。
また原告は、人身保護請求を行ったが、同請求を受理した裁判所は、任意同行であったか事実上の逮捕であったか、また収容の必要性があったか否かという合法性についての判断はおろか審尋すらすることなく、「著しい手続違反が顕著な場合でない」との安易な判断を下して、請求を却下した。
以上のとおり、原告は、収容が合法的であるかどうかについて遅滞なく裁判所の判断を受け得ることを保障されないまま収容を継続された。これは明らかに自由権規約9条4項に違反する。
2 被告の認否および主張
上記原告の主張に対する被告の認否および主張は、別紙表1「V」(4頁)記載のとおりである。
3 原告の再反論
たしかに被告が主張するとおり、原告は人身保護請求をなし、同請求は棄却された(以下「請求棄却決定」という)。
しかし同人身保護請求事件は、収容前置主義の解釈の可否について何ら判断せず、また収容が任意同行によるものだったか事実上の逮捕によるものだったかの事実判断について公開法廷における原告の証言を聞くことなく認定したなどの点で、収容が合法的であったかどうかの裁判所の判断とは言えず、到底自由権規約9条4項に合致するものではなかった。
以下詳述する。
(1)自由権規約の求める「裁判所による合法性の審査」
ア 自由権規約9条4項は、逮捕または抑留によって自由を奪われた者は、裁判所がその抑留が合法的であるかどうかを遅滞なく決定することおよびその抑留が合法的でない場合にはその釈放を命ずることができるように、裁判所において手続をとる権利を有する旨定める。
全体として、当該抑留が第9条に適合するか否かを判断する場合(恣意的であるか否か等)、第9条4項で要求される裁判所による審査の可能性が存在しなければならない(アルフレッド・デザイアス他「国際人権『自由権』規約入門」67頁)。
イ 前記A対オーストラリア事件についての審査結果でも、オーストラリアの裁判所が違法な拘束からの解放権限を有していないことを自由権規約9条4項違反としている(決定9.5-甲41訳文16~17頁)。
つまり、自由権規約9条4項は、単に裁判を行える権利を求めるのではなく、裁判所が逮捕又は抑留の合法性を審査すること、合法性が認められない場合は裁判所が解放する権限を有することを要求している。
そうすると、形式上裁判を受けたとしても、裁判所が抑留の合法性を判断しない場合、違法な抑留であっても救済しない場合は、自由権規約違反となる。
(2)原告の人身保護請求事件の問題点
しかるに請求棄却決定には、次のような問題点があり、これをもって自由権規約9条4項の要求を充たしたとは到底言えないものである。
ア 請求棄却決定は、収容の合法性を審査していない。
(ア) 人身保護請求事件における請求者たる原告の主張は、本件訴訟におけるとほぼ同趣旨であった。特に、入管法が収容前置主義に立つか収容謙抑主義に立つかについて、本件訴訟とほぼ同趣旨の詳細な主張をした。
にもかかわらず、請求棄却決定の理由には、この点についてなんら判断を示さなかった。請求棄却決定は、原告(請求者)の主張のほとんどについて、故意に判断を下さなかったのである。
これでは、収容の合法性について何ら判断したことにならない。自由権規約9条4項を充たすものではない。
(イ) 人身保護請求事件において原告は、「任意同行」と称して収容令書発付前に事実上拘束されたという入管法違反を主張した。
これに対し請求棄却決定は、審問手続を経ず、また、被拘束者たる原告がどのような意思で連行されたのかにつき、原告自身の尋問をおこなって調査することもないまま、収容令書発付前に事実上の拘束があったか任意同行であったかという事実判断をおこなったうえ、任意同行であるとの認定をして、拘束の違法性を否定した。
また原告が、連行の際職員にベルトを掴まれた等の事実について主張したのに、これら事実主張を斥けるについても、原告自身の尋問の機会を与えなかった。
これらは、裁判のそなえるべき適正手続に著しく反している。
このように原告の主張を無視し、立証の機会を与えずになされた請求棄却決定は、この点についても収容の合法性について判断したことにならず、自由権規約9条4項を充たすものではない。
イ このように請求棄却決定が収容の合法性の判断をしなかったのは、人身保護規則4条について、拘禁の手続的要件の瑕疵についてのみ申し立てることができ、しかもその瑕疵の解釈について、極めて厳格に解釈し、容易に救済を認めようとしない判例の傾向によるものと思われる。
(ア) この点について、日弁連人身保護法制に関する調査研究委員会意見書「人身保護法制に関する調査報告書」(日弁連1992年2月)は、次のように指摘し、人身保護規則4条を廃止することを提言した。
「せっかく人身保護請求が申し立てられても、そのほとんどが人身保護令状の発付も、従って審問もないまま救済を拒否されており、被拘束者にとっての最低限のニーズである拘束者に拘束の理由を開示させ裁判所に出頭してこれに反論し裁判所の審査を受けたいという要求はもとより、法の支配の精神からする全ての拘束に対して司法審査をすることによって公権力による不当な拘束を抑止すると言う要請さえ実現されていないのである。(32頁)」
入管法による拘束
・・・何らの司法審査もなく行政機関の判断だけでこれらの拘禁がなされていること等の人権保障規定の欠如は、大いに不当な拘禁を招来させる原因となりうるものである。
したがってこの場面においても人身保護手続が十分に機能することが期待されているのであるが、人身保護請求がなされるのは極めて希であり、過去において、人身保護手続で救済された者は存在しない。
判例は、他の場合と同じく、拘禁の手続的要件の瑕疵についてのみ救済を申し立てすることができ、その内容の適否を初めとする実体的要件の有無については、救済を求めることができないとしている。しかし、退去強制は、広範な裁量のもとに司法審査を経ずしてなされており、1度これが執行されれば国外退去と言う取り返しのつかない事態が発生するものであることを考えれば、実体的要件の欠如について救済を拒否することは著しく不当な結果をもたらす。しかも、手続的要件の瑕疵についても、判例は、極めて厳格に解釈し、容易に救済を認めようとしない傾向にある。これらは、結局、他の場合と同じく法2条、規則4条に起因するものである(64頁)。
(イ) 上記のような、人身保護規則4条の解釈適用のもとでの人身保護制度では、自由権規約9条4項の基準を満たさないことは、規約人権委員会も勧告している。
国連規約人権委員会は、1998年11月5日1726回及び1727回会議で採択された、国際人権(自由権)規約委員会「最終意見」の勧告24において、日本に対して「委員会は、人身保護法に基づく人身保護規則4条により、人身保護命令発付の要件が(a)拘束が法的権限なしにされ又は(b)適正手続の顕著な違反がある場合に限定されていることについて、懸念を有する。同法は、すべての救済手段が尽くされたことをも要件としている。委員会は、 同規則4条は、拘禁の法的正当性を争う手段の有効性を損なうものであり、従って規約9条と両立しないと考える。委員会は、日本に対し、 同規則4条を廃止して人身保護手続を制限や制約のない完全に実効的なものとするよう勧告する。」と述べた。人身保護請求をして、請求棄却決定を受けたことをもって、自由権規約9条4項の要件を満たしたとする被告の主張が失当であることは、以上から明らかである。
第6  別紙表1の論点VI(原告について在留特別許可をしなかった法務大臣の裁決が違法か)について
1 原告の主張
被告法務大臣が原告に対し在留特別許可を付与しないものと判断し、原告の申出に理由なしとした本件裁決は、以下に述べる理由から、裁量を逸脱したものであって違法である。
そして、法務大臣の本件裁決の違法性は、後行処分たる本件退令に承継されるから、本件退令に基づく収容は、違法である。
(1)難民該当性を考慮しなかったこと
ア 入管法61条の2の8の趣旨
難民認定を受けた者に対する在留特別許可につき、入管法61条の2の8は、第49条3項の裁決にあたって、同条1項の異議の申出をした者が難民の認定を受けている者である場合は、異議の申出が理由がないと認める場合でも、その者の在留を特別に許可することができると規定する。
特に法がこのような規定を設けた趣旨は、在留特別許可の可否の裁量判断においては難民認定を受けた事実を重要な事情として考慮すべきであり、特に著しく公益に反するような事情のない限り、原則として在留特別許可をなすことを期待したものであることは、明らかである。
そしてその趣旨は、難民については、人道的な見地から、在留を認める必要があるからであると解される。そうすると、難民認定を受けていなくとも、実体として条約難民である者につき同様の扱いをしないことは著しく不当と言わざるをえないことは、明らかである。
イ 原告の難民該当性
そして、原告は、前述のとおり、条約難民に該当する(9頁以下参照)。
ウ なお原告は、その難民認定申請に対して、1998年9月18日付で難民と認定しない旨の通知を法務大臣から受けた。
しかしその理由とするところは、入管法61条の2第2項規定の期間内に申請しなかったこと、及び同項但し書の適用事由がないこと、のみである。つまり、実質的難民該当性の審査はなんらなされておらず、原告の条約難民該当性についてなんら否定されていない。
そもそも、実質的難民該当性の審査・判断を行うことなく難民不認定処分を行うことは、難民条約に違反するものであって、その点に裁量権逸脱の違法がある。
(ア) すなわち、難民条約の解釈にあたっては、条約法条約31条3項により、UNHCR執行委員会の結論第15(以下「結論15」という)を考慮する必要がある。
日本は上記執行委員会のメンバーとして、上記の結論の採択に合意したものであり、これは、条約法条約31条3項(a)の「条約の解釈又は適用につき当事国の間で後にされた合意」に該当するからである。また、仮に結論15が上記の「合意」に該当しないとしても、少なくとも、同条(c)の「当事国の間の関係において適用される国際法の関連規則」に該当する。日本が加盟国となっていないヨーロッパ人権条約の条項に関するヨーロッパ人権裁判所の判決例ですら、上記「関連規則」として日本の国内の裁判における条約の解釈指針となりうる(徳島地裁平成8年3月15日判決・判時1597号115頁、高松高裁平成9年11月25日判決・判時1653号117頁参照)ことからすると、まして前記のとおり、日本がその採択に関与した結論15が「関連規則」に該当し、条約の解釈指針としなければならないことは当然である。
(イ) そして、難民条約に関するUNHCR執行委員会結論は、締約国が形式的手続要件不充足のみを理由として実質的難民該当性を審査しないことを、難民条約違反と解している。
すなわち、1979年第30回期のUNHCR執行委員会結論第15(i)項は、「難民申請者に対して、その申請を一定の期間内に行うように求めることはできる。しかし、右期間内に申請がない場合、又は他の形式的要件を充たさない場合も、その者の難民申請自体を検討の対象から除外する扱いはすべきでない」と述べている。
(ウ) よって、同決論を考慮して難民条約を解釈すれば、実質的難民該当性の審査・判断を行うことなく難民不認定処分を行うことは、難民条約に違反する。
(エ) このように、原告が難民と認定されなかったこと自体が、難民条約に違反する法の解釈運用に基づくのである。
この事情のもとでは、条約難民である限り、法務大臣の裁量判断において、難民認定を受けている者と同様に扱われるべきであり、原告の条約難民該当性を重要な事情として考慮すべきであった。
(2)原告の在留状況を考慮しなかったこと
また原告は、来日後2年以上、本邦において入管法違反以外の違法な行為をしたこともなく、机等の集配の仕事等に就業して、真面目に暮らしてきており、日本社会に適応していた。他方で、原告に関してわが国の公益に反する事情は認められない。
(3)事実誤認
他方で、本件裁決は、原告の来日目的を就労であるとの事実認定を基礎にしている。
しかし、前述のとおり原告は迫害の恐れを有して本国から本邦に逃れてきた難民であるから、上記は明らかに事実誤認である。
処分の基礎となった重要な事実に誤認がある以上、本件裁決は裁量を逸脱するものである。
(4)小括
上記のような事情の下で、原告に在留特別許可をせず強制的に国外退去させることは、人道に著しく反し、本件裁決は裁量を逸脱するものである。
2 被告の認否および主張
上記原告の主張にかかる被告の認否および主張は別紙表1「VI」(4~6頁)のとおりである。
3 原告の再反論
(1)在留特別許可の付与について、法務大臣に裁量権があることは認める。
しかし、常に在留特別許可が恩恵的であるという主張であるなら、争う。たとえば、今日多く在留特別許可をされているのは日本人と結婚したオーバーステイの外国人であるが、この場合の許可は、家族関係の保護の要請に基づくものである。家族関係の保護は自由権規約にも保障されており、その保障が、外国人の在留の要請を帰結する場合があることを規約人権委員会は明らかにしている。日本人と結婚したオーバーステイの外国人の場合の在留特別許可は、家族関係の保護と我が国の在留制度との調整のためにされているものであり、恩恵的なものとは言えない。このように、ある法的利益が在留の保障を帰結する場合には、在留特別許可についての法務大臣の裁量権は、広範なものとは言えない。
(2)また、在留特別許可を付与すべき要件について法が何らの基準も設けていないという主張であるなら、争う。
まさに入管法61条の2の8は、法務大臣の裁量権行使における基準を設けるものである。このような特別の規定があることの趣旨を無視して裁決をすることが許されないことは当然である。
そして、難民条約の趣旨とする難民の定住促進と、また同条約の保障するノンルフールマン原則の実施のため、入管法は在留の必要を認めて61条の2の8の規定を置いたものであるから、このような法的利益の保障のため、法務大臣の裁量は広範には認められない。
(3)被告は、法が難民認定手続と退去強制手続の関係について、何ら規定していないと主張するが、少なくとも入管法は難民認定手続の結果が確定するまでの間の在留の必要性を認めていると解される。
ア まず、入管法61条の2の8の規定からして、難民認定の可否が確定していない以前に法務大臣の裁決を下すことを入管法が予定していないことは明らかである。
イ また、入管法の一時庇護上陸許可制度は、入管法が難民認定手続中の在留の必要性を認めていることの明確な具体化である。
ウ このように、難民認定手続中の在留しうる地位の確保は入管法の趣旨とするところであり、法が明文をおいていない場合でも、解釈や運用によってこの趣旨を実現する必要があるし、我が国でも一部運用によってこの趣旨を実現しようという試みがされている。
(ア) 例えば、一時庇護制度は、アメリカ合衆国では上陸時だけではなく在留中においても利用が可能な仕組みになっているが、我が国入管法ではその点の明文がない。
しかし、在留中に難民認定申請をした場合にも同様に在留しうる地位の確保の必要があることは明らかである。
(イ) そこで現在の実務では、短期滞在の在留資格を有する者が難民認定申請をした場合、原則として短期滞在在留資格による在留期間の更新を許可している。
エ これらの要請は、たとえ難民の認定をしない処分を受けても、これに対する異議の申し出をした者については、同様に認められる。なぜなら、難民の認定を受けるかどうかが未だ確定していない、審査中であることに変わりがないからである。
オ では、なぜ入管法にこの点に関する規定がないかと言えば、入管法は難民条約の締結批准を受けて、難民該当性に関する行政上の扱いの統一を図るために難民認定手続をおくこととしたことにより、その手続について定めたものであって、難民条約の実施の全ての点について定めをおいていない。難民に保障される実体権の実施については関連各国内法が規定を設けるが、国内法(入管法を含め)に定めのない事柄については、上位法たる難民条約の解釈によるものなのである。
カ そして、難民条約の解釈上、本件のごとき本国への送還命令は明らかに認められないこと、第三国への退去命令であっても、当該第三国の許可なしには認められないこと、それゆえ原則として在留を認めるべきものであること、不法入国のみを理由としての我が国の退去強制令書の執行は、難民条約31条2項の定める保障を欠くので認められないことは、前述したとおりである。
第7  第7別紙表1の論点VII(原告をトルコに送還したことがノンルフールマン原則に反するか)について
1 原告の主張
本件退去強制令書発付処分は、原告の送還先をも特定してなされている。それは、トルコ共和国である。
難民の地位に関する条約第33条1項により、条約難民は迫害の恐れのある本国に送還されない権利を保障されている(いわゆるノンルフールマン原則)。
入管法53条3項もまた、同趣旨の規定をおいている。
なお、同項においては、難民の認定を受けていると否とに関わらず、難民条約33条1項を直接に引用して規定しているから、難民認定の有無と関わらないことが明らかである。
しかるに本件退去強制令書発付処分は、原告が迫害を受ける恐れのあるトルコ共和国に送還するものであるから、難民条約及び入管法の定めるノンルフールマン原則に違反することが明らかである。
違法な本件退令に基づく原告に対する収容は違法である。
2 被告の認否および主張
上記原告の主張にかかる被告の認否および主張は別紙表1「VII」(6頁)記載のとおりである。
3 原告の再反論
(1)原告が帰国したことについて
原告は、欲して本国から出国したのでなく、迫害の恐れを有してやむを得ず出国したものであった。だから迫害の恐れさえなければ帰国することがその希望するところであった。それ故原告は来日後もトルコ共和国政府の対クルド民族政策が緩和され帰国が可能となることを待ち続けた。当時、選挙対策として、クルド人に対する融和的政策が有力党の公約とされたが、選挙後その期待は全く裏切られ、対クルド人政策はむしろ厳しくなっていった。
1996年9月初めの日本における報道で、イラクにおけるクルド人迫害と虐殺をトルコ政府が容認したことを知った原告は、当面帰国する希望を断念し、同月7日、東京入管あて難民認定申請し、受理されたものである。原告がこのころ申請をしたのは上記経緯による。
(2)原告が難民不認定に対する異議を取り下げたことについて
また、たしかに最終的に原告は帰国意思を表明して難民不認定に対する異議を取り下げたが、それは苦渋の選択であった。その経緯は次のとおりである。
ア 原告は、1997年7月30日午前6時30分ころに「任意」という名の下で実質上の身体拘束を受け、同日夜に発付された収容令書によって、東京入管第2庁舎内の収容場に収容された(詳細は「第1」で述べたとおりである。)。
イ 同年8月7日、原告は収容令書発付処分取消訴訟を提起すると同時に同処分執行停止を申し立てた。
ウ 同月21日、原告は東京入管入国審査官から法24条4号ロに該当する旨の認定をされたので、同日、本邦在留を希望して口頭審理を請求した。
エ 同年9月1日特別審理官が口頭審理を行った。同日特別審理官は上記入国審査官の認定に誤りがない旨の判定をしたので、原告はさらに同日法務大臣宛異議の申出を行った。
オ 同月3日執行停止申立ては却下された。その理由とするところは、行政事件訴訟法25条の「事後的に回復困難な損害」につき「当該処分によって通常生じる損害は事後的に回復困難な損害に該当しない」という解釈論を前提として、原告の被る身体拘束という損害は、収容によって通常生じるものであるから、これに該当しないというものであった。つまり収容の違法性、原告の難民該当性はもちろん、原告の被る不利益が事後的に回復しうるものかどうかについてすら、なんら判断されなかった。
カ 同月10日、原告は上記却下決定に対し即時抗告をした。
キ 原告は、トルコ共和国において育ち、その食事の嗜好は、オリーブオイルの使用を基本としたもので、日本の料理は、個人の嗜好を越えて、文化的に合わなかった。
収容中に原告に提供された食事は、上記の嗜好を全く無視したものであった。そのため、原告は急激にやせ衰え、健康上重大な事態に到る危険を生じた。
ク 同月11日原告代理人弁護士大橋毅(以下「原告代理人大橋」という)が原告に接見した際、原告は、難民を収容することの不当性に抗議するためにハンガーストライキを行う意思を伝えた。原告代理人大橋は原告の健康を危惧し、自重を求めた。
ケ しかし、同月15日、原告はハンガーストライキを開始した。
コ 同月18日、上記9月1日に行った法務大臣宛の異議申出に理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という)がなされ、同日東京入管主任審査官が原告に対して退去強制令書発付処分をなし(以下「本件退令」という)、この令書の収容部分の執行によって収容が継続された。それと同時に、それまで原告の収容の根拠となっていた収容令書の効力が失われたために、収容令書による収容の執行停止申し立てに関する即時抗告の利益が失われた。
サ 同日、法務大臣から原告に対し難民認定をしない処分の通知があったが、その理由とするところは、原告の申請が入管法61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり、同項但書を適用すべき事情も認められないというに過ぎなかった。
シ 原告は、難民の認定をされなかったことに加え、不認定の理由がわずか数行の、上記のようなものであり、原告の難民該当性については何ら判断がなされなかったことに絶望を感じ、ハンガーストライキをうち切った。
ス 原告は同月25日難民の認定をしない処分に対する異議の申出をした。
セ 同月18日、原告は人身保護請求をなしたが(浦和地裁平成9年(人)第1号)、前記のとおり、審尋を経ずに10月17日棄却された。その理由とするところは、人身保護規則4条の要件に該当しないとするものであって、ここでも原告の難民該当性の有無も収容の違法であるか否かも判断が下されなかった。
ソ 10月21日、原告は退去強制令書発付処分取消訴訟を提起するとともに同令書の収容部分の執行停止の申立てをした。
タ しかしながら、11月12日に到っても執行停止申立事件の相手方東京入管主任審査官の意見書が提出されなかった。退去強制令書発付処分取消訴訟の継続する限り収容が無期限に継続されるおそれが十分に認められた。
チ 原告がこのように長期間しかも無期限に拘束されることで、自由刑の迫害を避けるという原告の来日目的はすでに裏切られ、後述する劣悪な処遇の下で健康を害し、また栄養状態を悪化させて痩せ細った。
ツ 原告は上記のとおり、なし得る限りの解放のための法的手段を行使したが、そのいずれにおいても、難民該当性の実質的判断も行われず、また収容が適法であるか違法であるかの判断も行われないまま、原告の申立は排斥され、原告は収容され続けた。
テ このような経過から、原告は、日本政府になんらの庇護をも期待しえないと判断した。
そこで、同月5日原告は、東京入管収容場において、東京入管審判部門職員O(以下「O」という。当時の東京入管側担当者の1人であった)の面前で陳述書を書き、同陳述書は同職員の手配していた通訳野中氏によって即時に翻訳された。その訳文には「本国での迫害を逃れてきました。しかし、日本で2番目の迫害に遭いました。裁判が終了していないのに、理由もなく逮捕されました。健康状態が危うくなりました。これらの理由から、本国に帰国し、戦う決意をしました。裁判を放棄します。これは、刑務所ということかも知れません、山中で殉死することかも知れません、援助及び身柄隠秘かもしれません、などということです。我が人民のために、闘うことを決意しました。」と記載されていた。
Oは、原告代理人大橋の事務所に電話して、「本日通訳を伴って本人に会い聴取したところ、出国を希望し、その旨書面を書いたので、(執行停止の)申立につき本人の意向に沿う処理をしたらどうか」と申し向けた。これに対して、原告代理人大橋が、「今日本人と会ったなら見たでしょう、本人はガリガリに痩せて、確かに危惧される健康状態にある」と指摘したところ、Oはこれを否定しなかったがなお「本人が裁判を放棄すると述べた」と言いつのった。原告代理人大橋が、そのようなことは原告本人と直接打ち合わせて決める旨述べたところ、同職員は「しかし、裁判を放棄する旨の書面を書いた。これと申立とは矛盾する」と言うので、文面の内容を問い質したところ、前述の文面を朗読した。原告代理人大橋は「上記文面は申立人が真意は帰国を希望しないのにもかかわらず、拘束と、劣悪な処遇とによって健康を害し、出国を余儀なくされているという趣旨であることは誰の目にも明らかでしょう。入管の収容と処遇が誤りでしょう」と抗議した。Oはこれを否定しなかったが、なお「では、本人に確かめない限りなにもしないのですね」と、威圧的口調で言った。原告代理人大橋がその書面をFAXするよう要求したところOはこれをFAX送信してきた(以上につき、甲32)。
ト 原告代理人大橋は翌日、上記状況を裁判官に伝える上申書を作成して裁判所に提出する準備をした上、原告と面会した。遺憾ながら原告は裁判断念の意思であったので、同日その旨を裁判官に伝え、後に執行停止申し立てを取り下げた。
ナ 11月18日、原告は自費出国の方法により退去強制に服した。
ニ このように、原告の帰国はその真意に出たものではなく、収容中の苦痛に耐えられなかったからである。
(3)原告の帰国という選択が、拘禁という迫害を避けるためのものだったこと
ただでさえ拘禁は著しい苦痛である。
難民申請者は犯罪者として罰せられるべき者ではない。彼らは収容という重大な人権制約を甘受する理由を自分のなかに備えていない。人権制約を受ける合理的理由を見出せない者にとってかかる人権制約は理不尽なものとして受け止められ、そのゆえに、精神的苦痛はさらに大きなものとなる。また、彼らは帰国した場合には迫害を受けるかもしれないという恐怖の中で、いつなされるかもしれない退去強制という事態に日々直面しているような環境の下に置かれる。その精神的に被る抑圧の大きさは想像を絶する。
さらに、トルコの刑務所なら言葉が通じ、また家族の面会もあるが、日本の収容所では孤独であることも苦痛である。そして裁判などを争う限り、収容がいつまで続くか、わからない。
難民認定の最大の利益は、本国における拘禁等を受ける恐れから逃れることである。これを我が国が長期かつ無期限に、違法な処遇下で拘禁するならば、庇護の期待はすでに裏切られ、本国から脱出した意味が無に帰している。
さらに、日本国によるこの虐待を一刻も早く逃れようと思えば、本国への送還を受諾するしかない。難民条約33条1項が「難民を、いかなる方法によっても、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされる恐れのある領域の国境へ追放してはならない」と、いわゆるノンルフールマン原則を定めるにもかかわらず、わが国は庇護希望者を長期・無期限に拘禁し非人道的かつ品位を傷つける扱いをするという間接的な方法により、難民に迫害国に帰ることを強いているに等しい。
このような収容の苦痛の一方、帰国した場合を考えると、難民にも、恐れる迫害の内容及び迫害の蓋然性には個人差がある。命が危ない、あるいは残酷な殺され方をされかねない者もいる。刑務所に入れられることを恐れる者もいる。生活する中で断続的にジャンダルマ(憲兵)の拷問を受けることを恐れる者もいる。政治犯として追われている者は、多額の賄賂を用意して、しかもそれが効を奏する役人に当たらない限り、空港で拘束されて、恐らく逃亡は困難である。しかしそこまで特定されていない者であれば、ある程度の賄賂で拘束を免れる可能性がある。
帰国した際の迫害の内容およびその蓋然性と前述の我が国において実際に受けている収容の苦痛とを天秤にかけたとき、収容されたまま争い続けることの方を選ぶ者が一体どれだけいるか、それだけでも疑問である。まして、収容の苦しさの中で、どれだけ合理的な判断ができるかも、問題がある。刑事の冤罪事件では、その場の苦しさを免れんがために犯してもいない殺人の罪すら認める人間もいる。刑事手続の勾留は20日に過ぎないが、退去強制令書を争う難民の収容は無制限である。
(4)原告の旅券について
原告の旅券は、1996年4月で失効したが、原告は更新をしていない。このことは、国籍国の保護を求める意思のなかったことの証明である。
なお、1997年10月30日付で、失効していた原告の旅券が更新されているが、これは、原告の収容中のことであり、退去強制令書執行の直前である。直接に大使館に更新申請をしたのは入管職員である。
また原告は真意から国籍国への帰国及びそのための旅券更新を望んだのではない。帰国の際の状況は、前述したとおり(65頁以下参照)である。
第8  別紙表1の論点VIII(本件収容後の原告に対する処遇は違法か)について
1 原告の主張
自由権規約10条は、自由を奪われたすべての者は、人道的かつ人間の固有の尊厳を尊重して、取り扱われると規定し、被拘禁者処遇最低基準規則(1955年犯罪防止および犯罪人取扱に関する第1回国際連合会議採択。甲49)は、同規定の実質的内容を定める。
また、我が国の被収容者処遇規則は、入管法に基づく収容における処遇の基準を定める。
しかるに原告の収容中の処遇と環境は極めて劣悪であり、上記各法令に違反するものだった。
したがって、東京入管第二庁舎内収容場において、被収容者の給養の適正と衛生の保持に努める義務がある東京入管局長P(被収容者処遇規則21条、同2条)には、同義務を怠って原告の肉体と精神の健康を損なわせた違法がある。
(1)運動について
最も明らかなのは被収容者処遇規則28条違反である。毎日戸外の適当な場所での運動の機会を与えられるべきであるのに、収容中一度たりとも戸外に出ることはなかった。屋内ですら運動場などもなく、房に拘禁されるのみであった。
ア 自由権規約10条1項は「自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して、取り扱われる」ものと規定し、同規定の実質的内容を定める被拘禁者処遇最低基準規則21条は、屋外作業に従事しない被拘禁者は、天候が許すかぎり、毎日少なくとも1時間、適当な屋外運動を行うものとする、と定めることに照らしても、上記の原告に対する処遇は、受忍限度を越えた虐待であることが明らかである。
イ (予備的主張)
東京入管第2庁舎収容場には野外運動場及び屋内運動場は設けられていないが、仮にこれを理由として公務員の不法行為が否定される場合のために、予備的に国賠法2条の適用を主張する。
屋外運動場がないことをもって屋外運動の機会を与えないことが違法なことは明白であるが、屋外運動場がない以上東京入管局長において原告に屋外運動を許可することも不可能であると解される余地もある。そこで、仮に東京入管局長において原告に屋外運動を許可することが不可能だとしても、その場合には、東京入管第2庁舎の建物にもともと屋外運動場が設けられていなかったという設置の瑕疵、ないしその後今日まで屋外運動場を設けなかった管理の瑕疵に基づいて、被告に対し賠償請求をするとの主張を追加しておく。
(2)入浴について
次に、被収容者処遇規則29条では「適宜入浴させ」とあるのに、週2回のシャワーしか許されなかったことも同条違反である。
(3)トイレの設置状況について
トイレが雑居房内にあり、食事も同房内でとらされた。トイレは、3面のみで1面は空いたままの、しかも顔まで隠れない高さの隠し板のみでしきられていた。この施設・処遇は、被収容者処遇規則29条の要求する衛生的な環境とは言えない。
自由権規約10条1項は「人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して、取り扱われる」ものと定め、被拘禁者処遇最低基準規則12条は、衛生設備は、各被拘禁者が、必要なとき、清潔に、かつ、不体裁でなく生理的要求を満たしうるものでなければならない、と定めるが、東京入国管理局収容場の上記設備は、上記規則に違反する、受忍限度を越えたものである。
(4)寝具について
原告の寝具は、収容後1度も洗濯されず、交換もされなかった。
被拘禁者処遇最低基準規則19条は、寝具は、支給時において清潔で、常に良好な状態に保たれ、かつ、清潔さを保つため頻繁に交換されなければならないと定めるが、原告に対する上記処遇が上記規則に違反することは明らかである。
(5)食事について
原告は、トルコ共和国において育ち、その食事の嗜好は、オリーブオイルの使用を基本としたもので、日本の料理は、個人の嗜好を越えて、文化的に合わなかった。
原告を含むトルコ国籍の被収容者に出されている食事は、上記の嗜好を全く無視したものである。そのため、原告をはじめとするトルコ国籍の被収容者はほぼ例外なく、急激にやせ衰えていって、健康上重大な事態に到る危険を生じさせていた。
被拘禁者処遇最低基準準則20条は、各被拘禁者には、当局から、健康・体力を保ちうる栄養価を持ち、衛生的な品質で、かつ、上手に調理、配膳された食事が与えられなければならないと定めるが、原告に対する上記処遇は、上記規定に違反する、受忍限度を超えたものである。
(6)以上のとおりの、自由権規約および被収容者処遇規則に違反する取扱いを続けていた山崎の行為は、故意により違法に原告に損害を与えたものである。
2 被告の認否および主張
上記原告の主張にかかる被告の認否および主張は別紙表表1「VIII」(6~8頁)記載のとおりである。
3 原告の再反論
(1)トイレについて
被告は、「被収容者に対し、収容所等における生活を円滑に行わせるために必要な指導を行うことは、収容所等の警備を職務とする入国警備官の本来的な職務に属」するので、「清潔保持のため被収容者にトイレを清掃させることも右職責に基づき行われる」と主張する。
しかし、収容所等の警備と清潔の保持とは全く別の概念であり、なにゆえ、清潔保持のための指導が「警備」に本来的に含まれるのか、理解しがたい。さらに、被告は被収容者処遇規則の平成10年8月18日改正により、トイレの清掃指導が規則化されたことを主張しているが、本件当時(平成9年)には上記規則は存在しなかった。そもそも、収容施設内の清潔保持は収容所長等の義務に属しており(法61条の7第3項、被収容者処遇規則29条参照)、望んで収容されている訳ではない被収容者にその義務を転嫁させること自体が問題である。
(2)シーツについて
ア 被告は、「通常、シーツ等の交換の事実をその都度記録にとどめる扱いはしていない。」と主張するが、到底信じがたい主張である。
もし、上記主張が事実であるとすると、いつ、どの被収容者のシーツを交換したかにつき、入国管理局は管理する体制が存在しないということになる。東京入国管理局第2庁舎内の収容場の定員は450名であり、このような多人数の収容を予定する施設で、シーツの交換を記録する帳簿類すら存在しないと言うことは、全ての被収容者に対して恒常的に清潔保持義務(被収容者処遇規則29条)違反行為がされていることを示すものである。
イ 被告は、仮に原告のシーツが2か月18日間交換されなかったとしても違法ではないとする根拠として、「東京入管第2庁舎収容場の各居室は冷暖房が設けられている」ことを挙げている。
しかし、東京入管収容場に勤務していた複数の入国警備官の証言によれば、夏期の午前1時ころの収容場内の気温は30度くらいであったということである。
仮に「冷暖房が設けられている」のが事実だとしても、深夜に30度くらいにまで温度が上昇するというのは、夜間は運転を切っているのか、あるいは冷房効果が感じられない程度にしか作動していないのか、いずれかであって、違法性を否定する根拠とはなりえない。
(3)被拘禁者処遇最低基準規則の法的拘束力について
被告は、被拘禁者処遇最低基準規則の法的効力を否定するが、かかる主張は誤りである。
ア 被拘禁者処遇最低基準規則は、1957年の国連経済社会理事会で採択されて成立した。国連は、この規則の効果的な実施のための手続きを作成する(1984年の経済社会理事会で採択)などして、規則の効果的な実施に努力してきており、被拘禁者処遇最低基準規則の内容は、国際慣習法として認められている(甲42の1・166頁、甲42の2・327頁以下)。
イ また、規約人権委員会一般的意見21(44)(甲36の3・446頁)は、「締約国は、その報告において、被拘禁者の取り扱いに適用ある国際連合の基準をどの程度適用しているかを示すよう求められている。これは、・・・『あらゆる形態の拘禁・収監下にあるすべての人の保護のための原則』・・・である。」と述べ、同一般的意見により、同原則は自由権規約の具体的基準となっていると解される。
ウ なお、基準規則成立当時の1957年の行刑思想とその後の進展した行刑思想とにはかなりの違いが出てきており、地域レベルでは1973年のヨーロッパ被拘禁者処遇最低基準規則(1987年改正により「ヨーロッパ刑事施設規則」となった)が国連の最低基準規則を一部修正するものとして、ヨーロッパだけでなく日本を含めて世界的な影響力を行使した。国連自体においても、自由権規約を受けた、拷問等禁止条約、保護原則、法執行官行動綱領など、刑事施設に関する準則が数多く制定された。これらの諸基準の中には、もはや最低基準規則を越えているものもある。
つまり、被拘禁者処遇最低基準規則の内容はもともと拘禁中の処遇などの最低基準の要素を示すものであったところ、今日の国際人権水準では、最低基準はさらに同規則を越えたところにあると言える。被拘禁者処遇最低基準規則すら守られない状態が違法であることは明らかである。
エ 運動及び屋外活動に関する被収容者の権利を確認する国際判例法として次のものがある(甲52・176頁)。
(ア) 1992年7月27日、規約人権委員会は、個人の健康及び屋外運動を5分間に制限することは人道的で尊厳を持った処遇を受ける被収容者の権利を侵害していると判断した(Article10 CCRP / Parkanyi v.Hungary)。
(イ) コンジャーヨ事件において、エチオピアのハラル最高裁判所は、1991年1月24日と2月21日に運動及び屋外活動を行う被収容者の権利を認めた。
(ウ) 上記のような各判断は、極めて常識的なものであり、参照価値が高いというべきである。
第9  別紙表1の論点IX(難民不認定処分に対する異議申出権を侵害する本件退令発付の違法性)について
1 原告の主張
入管法61条の2の4は、難民認定申請に対して難民の認定をしない処分を受けた者は、異議申し出をすることができるとし、異議申し出をして審査を受ける権利を保障する。
難民の認定をしない処分を受けた者であっても、異議申し出権を有する者に対して、退去を命じることは、異議申し出権を侵害するものであって違法である。なぜなら、当該外国人が退去強制令書の命令に従って出国した場合は、本邦に在留しない者に対して我が国は難民認定をしないから、異議申し出の審査を受けることができなくなるからである。
訴外高山は、原告が難民の認定をしない処分を受けるや否や、同日夕刻には本件退去強制令書を発付した。しかし、原告は当然に難民の認定をしない処分に対する異議申し出権を有していたのであるから、上記の処分は、原告の異議申し出権を侵害するものであり違法である。
したがって、かかる違法な退令の執行としてなされた、原告に対する収容もまた違法である。
2 被告の認否および反論
上記原告の主張にかかる被告の認否および主張は別紙表1「IX」(8頁)のとおりである。
第10  別紙表2の論点I(不法入国者等退去強制手続令における収容の要件)について
1 原告の主張
現行の入管法およびその前身である出入国管理令は、収容につき必要性を要件としていた不法入国者等退去強制手続令の趣旨を継承している。したがって、現行法でも、たとえ退去強制事由に該当する場合であっても、逃亡等、当該容疑者の身体拘束をしておく必要性=収容の必要性がなければ収容することはできない。
そこで、現行法の解釈をするにあたっては、これら前身である不法入国者等退去強制手続令および出入国管理令の理解が不可欠であるので、以下、これらの立法経緯等につき論じる。
(1)不法入国者等退去強制手続令および出入国管理令の制定
ア 昭和24年8月、出入国管理に関する政令が制定され、占領軍総司令部の行う出入国管理の下に不法入国の取り締まりその他国内行政機関の行う事務及び実施に必要な機構が定められた。
イ 連合国最高司令官から、昭和25年2月20日、入国管理に関する既存の法令及び機構を再検討し、これを一般に認められた国際慣行に一致させるために必要な措置をできるだけ早く取るべき事を指令した覚え書きを受け、また同年9月15日、不法入国者または不法在留者を司法組織または警察組織と関係のない別個の機構に収容して所定の手続をとるべき事を要請する出入国管理に関する覚え書きを受けて、政府は昭和25年9月30日、ポツダム政令を以て出入国管理庁設置令を制定した。
ウ さらに総司令部側から、不法入国者に対する退去強制などの手続きが依然として司法手続きを基礎にしている点は一般国際慣行にマッチしていないとの理由で、改めて新手続き令を制定すべき旨の要望を受け、政府は昭和26年2月28日ポツダム政令を以て不法入国者等退去強制手続令を制定した。
エ 然るに、総司令部がアメリカから招聘した顧問から、上記手続令の実行上の難点及び講和を控えて出入国全般にわたっての手続を含んだ包括的管理令を制定すべき旨の勧告を受け、総司令部もその勧告を採用した結果、昭和26年10月4日、ポツダム政令として、出入国管理令の公布を見るに至った。(以上は第13回国会参議院外務・法務連合委員会会議録第1号昭和27年4月3日の政府委員鈴木一の説明による。甲38の1・2頁第1段ないし第3段)
オ 不法入国者等退去強制手続令のほとんどの規定は実施にいたらなかったが、その理由は、法務総合研究所作成研修教材出入国管理及び難民認定法I(第2版)9頁、及び川上巌「出入国管理の歩ゆみ(16)」(「外人登録」第104号23頁上段・甲39の3)によれば、財政的事情によるとされており、同令を完全に実施するためには相当の予算・人員を要するところ、当時の財政事情から直ちにこれを認められなかったことにあった。
(2)不法入国者等退去強制手続令が収容謙抑主義を採っていること
ア 同令は5条1項に、「入国審査官は、登録令第3条又は臨時措置令第1条の規定に違反した者がある場合において、その者を退去強制するかどうかを決定するために必要があるときは、第7条に規定する収容令書を発付して入国警備官にその者を収容することを命ずることができる。」と規定している(甲39の2・27頁上段)。
この
必要があるときは
という文言は、その前に「登録令第3条または臨時措置令第1条の規定に違反した者がある場合において」とある以上、退去強制事由該当容疑とは別個の要件であることが明らかである。
そしてこの
必要があるときは
という文言は、「退去強制をするかどうかを決定するための必要」、つまり逃亡・証拠隠滅などの、手続を阻害する行為を防ぐ必要の意味であることが明らかである。
イ また同令は第7条1項で「収容令書を発付するにおいては、予め当該入国審査官が地方審査会に収容を必要とする充分な理由を明示して、その承認を得なければならない。」と規定している。
この
収容を必要とする充分な理由
という文言は、単なる容疑のみを意味するのでないことは明らかであり、収容の必要性を含むことは明らかである。
以上のとおり同令は、収容の必要性がある場合にのみ収容令書を発付して収容することとし、収容の必要性につき入国審査官が判断した上、地方審査会という新機構に示して承認を得ることとして、収容謙抑主義に立つことが明文上明らかであった。
ウ なお、収容の期間は原則として14日以内とされ(同令7条3項)、差し戻しに基づく審理または不可抗力による事由のために必要な最小限度の期間を限って延長ができることとされた(同条4項。甲39の2・27頁下段)。
エ このように、不法入国者等退去強制手続令は、収容謙抑主義をとっていた。
2 被告の認否および反論
上記原告の主張にかかる被告の認否および主張は別紙表2「I」(9~10頁)のとおりである。
3 原告の再反論
(1)「必要があるとき」「収容を必要とする充分な理由」の解釈
被告は、不法入国者等退去強制手続令5条1項にいう「必要があるとき」とは、容疑者が、同令8条1項各号の1に該当すると疑うに足りる十分な理由がある場合を、また同令7条1項にいう「収容を必要とする充分な理由」とは、同令8条1項各号の1に該当すると疑うに足りる十分な理由を意味する、と主張する。
これはつまり、「必要があるとき」を「十分な理由のある嫌疑のある場合」であると解するものであろう。
ア しかし、「必要があるとき」という言葉の通常の用法として、嫌疑を指すとは、到底解し得ない。
イ また、同令8条は退去強制事由を定めているが、1項各号を具体的に見ると、たとえば1号は、「登録令第16条各号の1に該当するものであること」とあり、更に登録令第16条各号を見ると、例えばその1号は「(登録令)第3条の規定に違反して本邦に入った者」と規定している。
そうすると、被告の主張する解釈によれば、退去強制手続令5条1項は「入国審査官は、登録令第3条の規定に違反した者がある場合において、その者が登録令第3条に違反して本邦に入ったと疑うに足りる十分な理由がある場合は、収容令書を発付して入国警備官にその者を収容することを命ずることができる」と読み替えることになる。
「登録令第3条の規定に違反した者がある場合」と「登録令第3条に違反して本邦に入ったと疑うに足りる十分な理由がある場合」との2つが、重複した要件であることは明らかである。これが、解釈として不合理なものであることは一見して明らかであろう。
ウ もともと同令5条が違反審査を受けていない段階の者についての規定である以上、「登録令第3条の規定に違反した者がある場合」は、正確には「登録令第3条に違反すると疑うに足りる十分な理由がある場合」と規定すべきであったのであって、立法技術上の問題はあったのであろう。しかしいずれにしろ、「必要があるとき」という要件が、登録令第3条該当事由ないしその容疑を示すものでないことは明らかであって、それはすなわち同令8条1項各号該当事由ないしその容疑を示すものでもないことも意味する。
被告の主張は、失当である。
(2)また被告は、退去強制するかどうかを決定するためには収容する必要があるとし、不法入国者等退去強制手続令はこれを前提とすると主張する。
しかし、「退去強制するかどうかを決定するためには収容する必要がある」というが、なぜ収容が必要なのかその論理が理解できない。収容されている者に対してしか決定を下せない理由はない。
また、従来原告が「収容にはその必要性を要件とする」と主張してきたのに対し、被告は「然り。そして嫌疑ある者についてはすべて必要性が認められる」等という主張はしてこなかった。被告は「必要性を要件としない」と主張してきたものである。被告の論は既に混乱破綻している。
退去強制をするかどうかの決定に必ずしも収容は必要でない。決定手続の円滑のためには、逃亡をするなどによって決定が阻害されるおそれのある場合についてのみ収容すれば足ることはいうまでもない。
退去強制をするかどうかの決定に必ずしも収容が必要でないことは、後記のとおり後述の1952年6月27日成立にかかるアメリカ移民国籍法(以下「当時移民法」という)が収容前置主義を命じていなかったこと、1956年以降は運用上も収容前置主義を採っていないことからも、明らかである。
第11  別紙表2の論点II(出入国管理令における収容の要件)について
1 原告の主張
(1)出入国管理令39条について(甲45・31頁)
出入国管理令39条は、現行法39条と同様の文言であり、収容の必要性につき明文で触れていない。
しかしながら、それは収容の必要性を要件としない趣旨ではなく、これを要件とすることを当然のこととして、法文を簡素化したに過ぎないものと解される。
(2)出入国管理令と不法入国者等退去強制手続令の関係について
出入国管理令は不法入国者等退去強制手続令の収容に関する規定の基本構造を継承したものと解される。
なぜなら、不法入国者等退去強制手続令で問題とされたのは経済的理由であり、これを完全に実施するためには相当の予算・人員を要するところ、当時の財政事情から直ちにこれを認められなかったことにあった(甲39の2・23頁上段)。つまり収容の根本的要件を変える理由はないのみならず、収容の必要性を問わず収容する制度への変更はさらに予算・人員を要することとなり、そのような変更がなされるとは到底考えられない状況だったからである。
また、不法入国者等退去強制手続令において入国審査官による収容令書発付を収容の要件としたのは、収容の必要性の判断を経るためであることが明らかである。収容に収容令書を要するという基本構造を踏襲した出入国管理令は、不法入国者等退去強制手続令の上記趣旨を継承するものと解される。
(3)出入国管理令64条について(甲45・34頁)
不法入国者等退去強制手続令のうち、収容謙抑主義に基づく規定で、出入国管理令に引き継がれているものがある。すなわち、不法入国者等退去強制手続令5条4項から7項までは起訴前勾留中の不法入国者等につき検察官が起訴しないときのその後の手続を規定しており、そのうち同条5項は「収容令書を発付しないと決定したときは」として収容しない場合につき規定し、同条6及び7項は「収容令書を発付したときは」として収容する場合につき規定する。そして同令6条2項は、「刑期の満了、刑の執行の停止その他の事由により釈放される場合」に同令5条4項から7項を準用する。
そして出入国管理令64条2項もまた、刑期の満了、刑の執行停止その他の事由により釈放されるときにつき、「当該外国人に対し収容令書(または退去強制令書)の発付があったときは」として、不法入国者等退去強制手続令5条6項とほぼ共通の文言を使用して、収容する場合について規定している。同文言は、収容令書の発付をしないと決定する場合もあることを前提としていることが明らかであって、収容前置主義と明らかに矛盾することはもちろん、その趣旨は、不法入国者等退去強制手続令と文言がほぼ共通であることによって、同令と同様に収容謙抑主義を取るものであることが明らかである。
なお出入国管理令64条1項は、不法入国者等退去強制手続令5条4項ないし7項に対応する、起訴前勾留と収容との関係の規定であるが、「当該外国人に対し収容令書(または退去強制令書)の発付があったときは」との文言がない点で同条2項と異なる。これは、同令1項が「第70条の罪に係る被疑者を受け取った場合において」とあって、当該外国人が出入国管理令違反の罪名による勾留状の発付を受けていることを前提としているところ、勾留状発付には勾留の必要が要件となるのだから、当然に収容の必要があるとの前提からであると解される。この規定の出入国管理令64条2項との違いも、収容謙抑主義を間接的に示しているわけである。
2 被告の認否および主張
上記原告の主張にかかる被告の認否および主張は別紙表2「II」(10~12頁)のとおりである。
3 原告の再反論
(1)出入国管理令39条
被告は、不法入国者等退去強制手続令が全27条の命令であるのに対し、出入国管理令が全78条の命令であるから簡素化したとはいえないというが、不法入国者等退去強制手続令が退去強制手続についてのみ定めたものであったのに対し、出入国管理令は、在留資格制度、入国管理制度、在留管理制度など外国人の出入国及び在留についての全般的な法令であるから、条文数を単純に比較することに意味はない。
(2)出入国管理令と不法入国者等退去強制手続令の関係
ア 被告は、出入国管理令は不法入国者等退去強制手続令を実質的に継承するものではなく、諸外国の法令、特にアメリカの移民法案を参考としたとする。
イ この点につき、真実は定かでなく、認否の限りではないが、仮に諸外国の法令、特にアメリカの移民法案を参考としたものとしたとしても、その影響は、収容謙抑主義に向かうものであった。前掲「出入国管理の歩ゆみ(14)(甲39の1)の31頁上段には、当時の占領軍総司令部からの、退去強制手続法制についての要求内容が記録されているが、その2項に「入国審査官は、必要あるときは長官の承認を受け収容令書を発付し」とあり、総司令部の要求が、「必要あるとき」に収容するという法制であったことが明らかである。不法入国者等退去強制手続令も出入国管理令もいずれも占領軍総司令部からの要求に基づくものだったのであるから、その基本構造に継続性があることは自然なことである。
ウ また、被告の提出した乙第34号証によれば、昭和26年2月28日公布にかかる不法入国者等退去強制手続令についても、同年10月4日公布にかかる出入国管理令についても、同じく、1950年9月15日付け連合国最高司令官総司令部の日本政府に対する覚え書き「出入国に関する件」が参考とされる文書となっている。このことは、不法入国者等退去強制手続令作成と出入国管理令作成といずれも連合国最高司令官総司令部の特段の方針の影響があったこと、両者公布の間に、連合国最高司令官総司令部の特段の方針変更がなかったことを窺わせる。後者のみアメリカ移民法案の影響があったと主張する被告の主張は、根拠がない。
(3)アメリカ法の継受について
ア 被告は、連合国最高司令官総司令部の日本政府に対する覚え書きにおいて、連合国最高司令官が日本政府に指令する事項として、不法入国者等の逮捕・抑留が挙げられ、この場合の抑留を警察に依らざるものとするべきことがあったと主張する。
しかしこのことはなんら収容前置主義を明示していない。
イ 被告は、当時移民法が収容前置主義を採用していたと主張するが、否認する。
(ア) 被告平成11年12月17日付け証拠説明書では、乙第35号証の1が「米国移民国籍法において収容前置主義が採用されていたこと」を立証趣旨とするとしているが、同書証には収容前置主義に関する記述は見あたらない。
また乙第35号証の2に挙げられている現行移民法の明文もまた、退去強制手続を受ける者がすべて逮捕されるべきことを当時移民法が命じていたか否かについて明らかにするものではない。被告の主張は証拠に基づかないものである。
(イ) 当時移民法の趣旨について
この点について、我が国におけるアメリカ移民法研究の権威である川原謙一著「米国退去強制手続法の研究」524頁(甲51)によれば、次のことが明らかである。
a まず、ペンシルヴァニア州西部地区地方裁判所ミラー地方判事は、「連邦議会は現行移民法第242条において外国人の退去強制の決定に対して法務長官に逮捕状の発付の権限を付与しているが、しかしこのような手続を命令的なものとはしていないのである」と判示している。つまり収容前置主義を採っていないことを明らかに判示している。
当時移民法は、制定当初は逮捕状の発付をもって退去強制手続を開始するという運用をしていて、逮捕をもって退去強制手続の不可避的な前提要件とする運用であったといえる。しかしこのような運用は、当時移民法が要求したものではなく、ただ当時の同移民法施行規則の上で、手続開始の端緒についての定めが他になかったことによる運用上のものに過ぎなかった。
1956年2月6日以降、規則が改正されて理由開示命令の制度が設けられ、退去強制手続は理由開示命令によって開始されることとなった。これにより運用上も退去強制手続は逮捕を不可避としなくなった。
b ところでこの規則改正の際、当時移民法自体はなんら改正されなかった。前掲のミラー判事の判決は、この理由開示命令を当時移民法が許容していることを明らかにしたものである。つまり、当時移民法は容疑者の逮捕を不可避のものとしてはいなかったし、容疑者すべての逮捕を命じてもいなかったことが明らかである。
c さらに、川原前掲によれば「現行移民法は外国人に対する退去強制の決定が未決の間該外国人を法務長官の令状をもって逮捕し且つ収容することができる旨を規定しているが、しかし、このような法務長官の権限は合衆国の安全保障を促進するために必要であると思料されるか又は被告である外国人が逃亡するおそれがあるものと思料される具体的な根拠がある場合にのみ行使されるものである」(甲51・529頁ないし530頁)とされている。上記にいう「現行移民法」は、被告のいう1952年6月27日成立にかかる移民法から、法改正を経ていない同一のもの、すなわち当時移民法である。
d 以上から、当時移民法が収容前置主義を取っていなかったことは明らかである。
e なお、被告は、当時移民法制定当時アメリカ政府当局が同法について、収容前置主義を採るものとして解釈運用していたと反論する。
しかし、まず、当時移民法が収容前置主義を採っていないことは、既に述べたとおりアメリカの判決でも規則改正後の運用でも明らかで、仮に同法が収容前置主義を採っているとの解釈をする者があっても、その解釈は誤りである。
そのうえ、当時のアメリカ政府もそのような解釈を採っていなかったことは、収容を前提としない手続開始を明定した規則改正が、当初の規則制定から10年を待たずになされたこと、逮捕を要件とせずに退去強制手続を開始できるよう規則を制定したのはほかならぬアメリカ政府であること、同規則改正において法律改正はなされなかったこと、また同法が収容前置主義を採っていないことを明らかにした裁判で、被告となったアメリカ移民局自身が、収容前置主義を否定する主張をして勝訴したこと、から明らかである。
(ウ) 以上から、当時移民法が収容前置主義を採っていたとする被告の主張は、誤りである。
第12  別紙表2の論点III(収容制度に関する立法者意思)について
1 原告の主張
(1)出入国管理令の立法者意思
ア 出入国管理令はポツダム政令として公布されたから、当初は国会における審議対象ではなかった。しかし、「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律」(昭和27年4月28日法律)により法律としての効力を有するに際し、第13回国会の同法律案の審議において事実上審議対象となった。そこでその審議に立法者意思をみてとることができる。
イ その際参議院外務・法務連合委員会において伊藤修議員等より、収容につき、行政権のみの判断に基づいて30日から60日にも及ぶ身体拘束を許す事の問題が強く指摘された(甲38の2・4頁以下)。
これに対し法制意見長官佐藤達夫が政府委員として答弁し、「もとより自由に、その疑われた個人を自由に置いておくことは勿論かまわないと、むしろそれが原則でございますが、どうしてもやはり或る種の拘束を加えて置かないと危険であるという場合に限ってこの収容の条文が働くわけでございまするから、そのようなことを彼此勘案して考えますと言うと、人権を保障しつつ、而も我が国としては止むを得ざるこの退去の措置というものをやっていこう、そういうあらゆる観点から総合して適当な妥当なところをここで規定しておるというふうに言い得る」(甲38の2・8頁第1段ないし第2段)「十分な審査をするために必要なる期間というものは当然予想されるわけであります。而してその疑われた人によっては、その間どうしても放任して置けない人もある。従ってそういう人たちにつきましては、収容することができると書いてあるのでありまして、すべてを収容するわけでないことは明瞭であります。収容せざるを得ないような人たちについては、その審査の間収容しなければならん、止むを得んというそれは趣旨でできておるわけであります。」(甲38の2・8頁第3段ないし第4段)と説明して、収容謙抑主義に立つ立法であることを明らかにしている。
ウ この佐藤達夫氏は当時の法制意見長官であり、政府委員としては最高の責任者であり、憲法制定でも役割のあった人物であり、後には内閣法制局長官・人事院総裁を歴任した人物である。追及に当たった伊藤修議員も「常々あなたに申上げる通り、あなたを一番日本で頼りにしておるのですよ」(甲38の2・6頁第5段)と揶揄交じりに言われるような権威者であった。
エ この連合委員会審議の模様は参議院本会議にも報告されている。
オ このような説明を受けて議決したのであるから、立法者意思が収容謙抑主義にあったことは、明らかである。出入国管理令の規定をおおむね継承した入管法が、収容謙抑主義に立つものであることは、明らかである。
2 被告の認否および主張
上記原告の主張にかかる被告の認否および主張は別紙表2「III」(13~14頁)のとおりである。
3 原告の再反論
被告は上記佐藤達夫政府委員の答弁が仮放免制度について説明したものと主張する。
(1)しかし、同答弁のどこを見ても「仮放免」の言葉は見いだせない。
また仮放免について述べるのであれば「収容の必要のない場合には解放することができる」と言わなければならないはずであるのに、上記に引用したとおり、「放任しておけない人たちにつきましては、・・・収容することができる」と表現している。さらに「どうしてもやはりある種の拘束を加えて置かないと危険であるという場合に限ってこの収容の条文が働くわけでございまする」とある「この条文」とは、収容令書発付・執行に関する条文であることが明らかである。「而してその疑われた人によっては、その間どうしても放任して置けない人もある。従ってそういう人たちにつきましては、収容することができると書いてある」とあるのも、収容令書発付・執行に関する条文のことであることが明らかである。
仮放免に関する発言をここに見いだすことはできない。
(2)拘束期間の長さを指摘して質問を受けたことは事実であるが、それに対して佐藤政府委員は、「十分な審査をするために必要なる期間というものは当然予想される」としたうえで、その審査の間どうしても身体拘束を加えておかないと危険であるという場合に収容するのだとして、拘束期間を正当化する説明をしているのである。その反面で必要のない収容はしないことを明らかにして、人権保障の趣旨を示しているわけである。仮放免の制度とは関係のない説明である。
(3)ところで、被告が曲解して佐藤政府委員の説明を仮放免に関するものであると解したのであれば、その「理解」に基づいて、収容の必要性の見いだせなかった原告につき、仮放免を許可しなければならなかったはずである。しかし被告の機関である当時の東京入管主任審査官は、原告に対し仮放免すら許可しなかった。被告の上記主張がいかに場当たりのものであるかがよく判る。
第13  別紙表2の論点IV(現行法の解釈)について
1 被告の主張
被告の主張は、別紙表2「IV」(14~23頁)のとおりである。
2 原告の主張
(1)総論
収容前置主義の主張は争う。
ア 収容に関する根本的な解釈指針
(ア) 被告は、その収容前置主義の主張の根拠として入管法44条、 45条、47ないし49条を挙げるが、その主張のことごとくが、「暗黙のうちに前提していると解される」という類の、不分明なものに過ぎない。
収容という、国家権力の発動によって人身の自由を一方的に奪い取る強制処分について、被告が主張するような曖昧な根拠によって行うこと、ないし対象範囲を拡大することは、憲法原理上許されないのであり、被告の収容前置主義の主張は誤りである。
(イ) 入管法28条の趣旨
入管法28条は「強制の処分は、特別の規定がある場合でなければすることができない」と定め、任意の調査が原則であることを明らかにし、例外としての強制処分は、「特別の規定」がある場合にのみなしうると定める。この点、刑事訴訟法197条1項但し書きは、刑事訴訟法手続における強制処分について「但し、強制の処分は、この法律に特別の定のある場合でなければ、これをすることができない。」と、入管法28条とほぼ同文の規定を置いており、刑事訴訟法197条1項但し書きの趣旨は、入管法にもそのまま妥当するものと解される。そこでまず、同但し書きの強制処分法定主義の趣旨を明らかにする。
a 刑事訴訟法197条1項但し書きの趣旨
同但し書きは、国家刑罰権の手続規定である。
刑罰権を含めて国家権力のあり方について超憲法的な本質が存在するかということについて、憲法学においては、それが憲法原理に相対的であることは、ほぼ一般的に承認されている。
人権保障を国政目的として掲げかつ公権力をその手段と規定する市民憲法(日本国憲法)においては個人主義の観点から人権の最大限の尊重が義務づけられるから、刑罰権の発動もほかの国民に人権の平等の享有を確保する上で必要やむを得ない場合についてのみ認められることになる。
そして、日本国憲法下では、その基本原理の故に、刑事手続上、無罪推定原則、無この救済主義、それに仕える弾劾主義・当事者主義などがおそらく論理的に当然のこととなる。この点が、国政の目的を人権外の価値に求めかつ人権の観念自体を認めない外見的立憲主義の憲法(明治憲法)と全く異なるところである(以上、芦部「憲法III人権(2)」116頁)。
このように、日本国憲法のもとにおいて、個人主義の観点から人権の最大限の尊重が義務づけられ、刑罰権の発動もほかの国民に人権の平等の享有を確保する上で必要やむを得ない場合についてのみ認められる。
ではいかなる場合に、ほかの国民に人権の平等の享有を確保する上で必要やむを得ない場合といえるのか。
一般には、憲法13条が一般的な制約根拠規定となり、個々の人権の性質に従って、その制約の許される範囲が導かれる。
憲法31条以下の諸規定についても、13条の公共の福祉からの制約があり、例外が認められるとする見解もある。だが、そう考えるべきではない。
31条以下の適法手続条項は、13条の公共の福祉に基づく制約を具体化したものにほかならない。憲法31条以下の諸規定は、生命・自由の侵害の実体と手続きを規定したものであるが、それは生命・自由についての内在的制約を憲法自体が具体化したものにほかならないからである。それらの諸規定について内在的制約の名において法律で例外をもうけることが認められると解するならば、侵害の実体と手続を31条以下で限定していること自体がほとんど無意味になるだけでなく、そもそも31条以下と生命・自由の保障との関係を合理的に説明することが困難となる。
一般に憲法が自由の侵害の方法・手続を特定している場合には、憲法自身が既に公共の福祉と個人の自由との衡量をおこない、一切の事情を考慮した上で禁止を特定していると見るべきであるから、一般条項の場合と同じように公共の福祉による制限を認めることはできない。31条以下の諸規定はそのような場合に相当する(尾吹善人憲法学説判例事典1230頁、芦部「憲法III人権(2)」113頁)。
憲法がこのように、生命・自由の侵害について特に適正手続条項をもうけて、禁止を特定しているのは、拘束されて取調べを受けた者が、拘束による肉体的精神的圧迫や拘束中の過酷な処遇、虐待、拷問によって不任意に不利益供述をさせられた歴史的経験に鑑みたものである。
刑事訴訟法197条1項但し書きの強制処分法定主義は、この趣旨に基づく。
すなわち、超憲法的な国家刑罰権が認められない以上、刑罰権及びそれに付随する強制権限は、国会の制定した法律による明確な授権がない限り存在しない。これが憲法31条の法定手続保障の趣旨である。そして憲法31条以下の規定が、これらの規定の場合以外には公共の福祉による制限を認めることはできない趣旨と解されることから、国会の立法による授権規範も、憲法31条以下の規定を具体化したもの以外は認められず、また同規定に基づく手続規定を伴わなければ許されない。これが、適正手続保障の趣旨である。
b 入管法28条の趣旨
入管法28条が、刑事訴訟法197条1項但し書きと同じ規定をおくのは、退去強制手続における強制処分についても、上記の趣旨が妥当することに基づく。
〈1〉つまり、外国人の人身の自由の制約について、対外的国家主権の発動として広範な制約を正当化する見解は、超憲法的な人権制約原理を導入するものであって許されない。
個人主義の観点から人権の最大限の尊重が義務づけられるから、外国人の在留管理を目的とする強制権の発動も、人権の平等の享有を確保する上で必要やむを得ない場合についてのみ認められることになる。
憲法が外国人についても同様に人身の自由を保障すること、自由権規約が同様に人身の自由を保障し、自由の侵害の方法・手続を特定している場合には、条約自身が既に公共の福祉と個人の自由との衡量をおこない、一切の事情を考慮した上で禁止を特定していると見るべきであることから、公共の福祉による制限を認めることはできない。
〈2〉そして、拘束されて取調べを受ける者が、拘束による肉体的精神的圧迫や拘束中の過酷な処遇、虐待、拷問によって不任意に不利益供述をさせられることを絶対に防止するという趣旨は、入管法による強制処分においても、刑事訴訟法による強制処分におけると同様に存する。
〈3〉以上のことから、入管法上の強制処分にも憲法31条が準用されると解される。そして、その法定手続保障の側面を示すものが入管法28条である。同条は「強制の処分は、特別の規定がある場合でなければすることができない」と定め、任意の調査が原則であることを明らかにし、例外としての強制処分は、「特別の規定」がある場合にのみなしうると定める。
そうすると、ここに「特別の規定」とは、権利を制約することを明確に授権する根拠規範であると解されるとともに、その解釈にあたってはみだりに拡大解釈や類推解釈をすることは許されないと解される。
〈4〉そして、被告が収容前置主義の根拠条文として掲げる入管法44条、 45条、47ないし49条は、「特別の規定」たる明示的な根拠規範と認めることは到底できない。また上記各条を根拠として、39条の収容権限の対象を全容疑者に拡大することも、許されない。
(ウ) 不法入国者等退去強制手続令との関係
a 被告の主張は、収容謙抑主義を採る法律においてはすべからく、容疑者を収容しないで違反事件を取り扱う手続を詳細に定めていること、容疑者を収容しないで違反事件を入国審査官が審査する場合を定めた規定を詳細に定めていること、容疑者を収容しない場合で認定が事実に相違した場合、異議申し出が理由があるとされた場合を詳細に定めていることを論理の前提としている。
しかし、前記のとおり、不法入国者等退去強制手続令は収容謙抑主義を採っていたことは明らかである。
そして、その条文を見ても、入管法と同様、違反調査については同令8条に収容令書を発付した場合の手続を、口頭審理については同令10条に収容令書を発付した場合の手続を定めるのみであり、収容令書を発付しなかった場合の手続を詳細に定めた規定がなかった。すなわち被告の主張の論理的前提が成り立たない。
更に付加するに、事実誤認の判明などによる手続打ち切りについては、同令12条2項に「または退去強制令書の発付を受けた者を即時放免しなければならない」と、同令14条に「事件の差し戻し又は太鼓要請令書の発付を受けた者の即時放免若しくは退去強制を命じなければならない」と、各々収容令書を発付した場合の手続を定めるのみで、収容令書を発付しなかった場合の手続を詳細に定めた規定がないことも同様である。
b これに対し、被告は、
〈1〉同令8条1項が、入国審査官は、収容令書を発付した場合においては、その発付を受けた者が左の各号の1に該当するかどうかをすみやかに審査しなければならないとしていること
〈2〉審査事項として「登録令第16条各号の1に該当する者であること」及び「臨時措置令第5条の適用を受ける者であること」の2つを挙げること
〈3〉同令2項においては退去強制令書の発付要件について「入国審査官は、収容令書の発付を受けた者が前項各号の1に該当する場合においては、その者に対し退去強制令書を発付することができる」と規定していること
を挙げて、退去強制令書を発付するについては収容令書の発付がなされていることを前提としていると主張した上、「これらの規定からすれば退去強制手続令が収容前置主義を採用していることは明らかである」とする。
上記のうち〈2〉は、収容の要件の問題と、審査事項の問題を混同するものであって、いたずらに議論を混乱させるだけの無意味な主張である。同令8条1項が挙げるのは収容の要件ではなく、退去強制令書を発付する際の審査事項であり、収容の要件の議論と関係がない。
上記のうち〈1〉と〈3〉は、同令が、容疑者が収容されている場合についてのみ詳細に規定し、収容令書が発布されていない場合について詳細に規定していないことをいうものであり、この点については、原告と被告との間に争いがない。
そして、被告はこのことを論拠として、同令は収容前置主義を採ると主張する。被告の主張は、この主張を前提にしないと成り立たない。
一方原告は、この規定の仕方に関わらず同令が収容前置主義を採っていないことを論拠として、入管法が収容前置主義を採るとの被告の主張の前提を否定する。
つまり、被告の論が成立するか否かは、同令が収容前置主義を採っていたか否かにかかっている。もし同令が収容前置主義を採っていなかったことが明らかになれば、被告の論の前提は崩壊する。
以上のとおり、不法入国者等退去強制手続令が収容謙抑主義を採っていたか収容前置主義を採っていたかが、入管法44、45、47条、48条6項が収容前置主義の根拠となり得るかどうかの争点の分岐点となっている。
そして、不法入国者等退去強制手続令が収容謙抑主義をとっていたことは、前述のとおりであり、被告の論の前提が崩壊したのは明らかである。
(エ) 小括
以上のとおり、入管法28条の趣旨から考えても、収容という強制的な国家権力の発動を正当化するには、明示的な授権規範が存在しなくてはならない。人身の自由があるのが大前提であり、それを制限するのは例外であるという日本国憲法の大原則からすれば、それが当然の解釈である。被告の、入管法44条、 45条、47ないし49条を挙げ、「暗黙の前提としている。」という主張は、明治憲法下であればともかく、日本国憲法下では到底取り得ない解釈である。かかる解釈をすること自体、公務員の「憲法を尊重し擁護する義務」(憲法99条)を放棄するものであり、被告には猛省を促したい。
そして、不法入国者等退去強制手続令との比較でも、被告の主張が失当であることは明らかである。
(2)43条について
同法43条1項は要急収容を認めるとともに、同条3項は主任審査官が事後的に収容令書発付の審査をすることを定める。
ア まず1項が「収容令書の発付を待っていては逃亡のおそれがあると信ずるに足りる相当の理由」を要件とすること自体、収容の基盤が逃亡の防止にあることを示している。同項は、収容においては容疑のみならず逃亡のおそれが必要であることを前提に、容疑および逃亡のおそれの双方につき、通常以上の明白性、切迫性がある場合に、収容令書の発付を待たずに収容することができるとしたのである。
イ 次に、主任審査官による事後的審査において審査される要件は退去強制事由該当容疑だけでなく、「収容令書の発付を待っていては逃亡のおそれがあると信ずるに足りる相当の理由」も審査されることは文言上明らかである。公定解釈も、第1項の要件を充たしていないと判断したときは収容令書を発付しないものと解している(「出入国管理及び難民認定法逐条解説」561頁)。このように主任審査官は逃亡のおそれの程度を判断する権能を有している。
ウ そして、仮に同答弁書の主張のとおりに退去強制手続において退去強制事由該当容疑者を全件収容するのが法の建前であるとするなら、退去強制事由に明らかに該当する者について何故にさらに逃亡のおそれがあるか否かを審査するのか説明に窮する。
エ さらに、第1項の要件該当性を認めない場合は、放免しなければならない、と定め、つまり退去強制事由に明らかに該当する者であっても「収容令書の発付を待っていては逃亡のおそれがあると信ずるに足りる相当の理由」が認められない場合は収容令書は発付されないのであり、明らかに収容前置主義に対立する。
オ 加えて、ここに「放免する」と明文で定めることは重要である。この場合に釈放される者は、退去強制事由に明らかに該当する者であっても「収容令書の発付を待っていては逃亡のおそれがあると信ずるに足りる相当の理由」が認められない者を含む。そうすると、法は退去強制事由に該当するとして容疑を受けながら収容されない者があることを明らかに許容しているのである。
(3)44、45条について
被告は、入管法44条、 45条が入国警備官が容疑者を収容して違反事件を入国審査官に引き渡す手続を定めるのみで、容疑者を収容しないで違反事件を入国審査官に引き渡す手続を定めた規定がないことを根拠として主張する。
上記の主張は、収容謙抑主義を採る法律においてはすべからく、容疑者を収容しないで違反事件を取り扱う手続を詳細に定めていることを論理の前提としている。そこで前述のとおり(80頁以下参照)明らかに収容謙抑主義を採っていた不法入国者等退去強制手続令をみるに、その条文を見ても、入管法と同様、入国警備官が収容令書を発付した場合の手続を同令8条に定めるのみで、収容令書を発付しなかった場合の審査手続を定めた規定がなかった。このことは、上記の規定が収容前置主義の根拠とならないことを明らかにする。
ア 44条は、収容の期間を最小限にすべき趣旨から、収容した場合の時間の制限を規定したものであり、45条は、同様の趣旨から、収容状態で引渡を受けた場合には、速やかに審査しなければならないと定めたものである。上記はいずれも、警備官および審査官に、その権限行使にあたり守らなければならない手続(この場合は時間的制約など)を定める手続規範であり、容疑者を収容する場合において、容疑者の人権に配慮して手続を定めようとしたものである。収容しない場合にはそのような配慮は必要がないから、詳細な定めがないのである。
イ 強制の処分にわたらない事務については、法61条の3、3の2が定めている。上記は確かに包括的な規定であるが、もともと入管法は、強制処分にわたらない手続について必ずしも刑訴法ほどの詳細な規定をおいていない。例えば、入管法62条の通報を受けた場合の入国審査官又は入国警備官の処置につき刑訴法241条2項、同242条、同243条の規定に対応する規定をおいていない。だが通報を受けた入国審査官が何も手続をしないという趣旨でないことは明らかである。詳細な規定のない部分は強制処分によるのだと言う解釈は、入管法28条1項の趣旨に照らし失当であることが明らかである。
ウ 前述のとおり、入管法の前身たる不法入国者等退去強制手続令が容疑者を収容する場合の事件の取り扱いについて詳細な規定を持たなかったことが、入管法に受け継がれていると考えられ、このことが入管法が収容をしない場合の違反審査手続の規定をおかないことの沿革的理由を明らかにしている。
エ また、被告は「収容をしないで違反事件を主任審査官に引き渡す手続を定めた規定がない」と主張するが(別紙表2・28頁)、44条、45条の引渡の対象は「容疑者」であり、身体拘束の権限が移転する趣旨である。もともと「違反事件の引き渡し」の手続を定めた規定など収容した場合についても存在しない。
法63条をみると、刑事手続が行われている者については45条を「違反調査の結果、容疑者が第24条各号の1に該当すると疑うに足りる理由があるときは」と読み替えることとされており、容疑者の引渡の概念がなくなり、違反調査の結果によって当然に入国審査官の審査が開始されることとなり、そこに特に「違反事件の引き渡し」の手続は必要とされていない。同様に、収容をしない場合にも、違反調査の結果、容疑者が第24条各号の1に該当すると疑うに足りる理由があるときは当然に入国審査官の審査が開始されるのである。
(4)47条
被告は、入管法47条が容疑者が全て収容されていることを前提していると主張するが、47条は45条を引継ぎ、容疑者が収容された場合につき規定したものであるにすぎない。
前述のとおり不法入国者等退去強制手続令は明らかに収容謙抑主義を採っていたが(80頁以下参照)、その条文を見ても、入管法と同様、収容令書の発付を受けた者についての口頭審理の規定しか明文としてはおいていない。このことは、上記の規定が収容前置主義の根拠とならないことを明らかにするとともに、入管法が収容をしない場合の口頭審理手続の規定をおかないことの沿革的理由を明らかにしている。
(5)48条3項
ア 被告は、入管法48条3項に出頭要求の規定のないことを、口頭審理の段階では容疑者はすべて収容されている前提であることの根拠とするが、口頭審理は容疑者が当事者として請求する審理であって取調べではないことから、出頭要求という規定の体裁をとらなかったものであろう。時刻と場所の通知によって、呼出しはなされるのである。
上記の主張はあたかも口頭審理は収容場に身体拘束された者に対してのみなしうるかのような主張であるが、言うまでもなく、仮放免されている者も、口頭審理を受ける。同答弁書の論は全く採る余地がない。
被告の主張は、入管法48条6項、 49条4項が容疑者が全て収容されていることを前提していると主張するが、48条6項、49条4項は、45条を引継ぎ、容疑者が収容された場合につき規定したものであるにすぎない。
イ 被告は、「口頭審理の性格上、必ず容疑者の出頭のもとに特別審理官が容疑者と対面して審理を行うものであるところ、その出頭を求める規定は特に設けられていない。他方で、入国審査官の違反調査については、法29条が『・・・容疑者の出頭を求め、当該容疑者を取り調べることができる』とある。口頭審理に関しこのような規定がおかれていないのは、特別審理官の口頭審理の段階では容疑者はすべて収容されているという前提に立っている」と主張する。
しかし、昭和32年6月10日法務省訓令第1号「審判規程」別記第13号様式(甲50)を見ると、被告の主張が明らかな誤りであることがわかる。
同様式は、口頭審理期日通知書の様式である。現在は、入管法施行規則別記第56号様式がこれにあたるが、それ以前は、法務省訓令において様式を定めていたのである。
審判規程別記第13号様式(甲50)には、「下記のとおり口頭審理を行うから、出頭されたい。」「1.出頭の際はこの通知書を示されたい。」と記載され、違反調査と同様、口頭審理についても出頭を求めるものと理解されていたことが明らかである。
ウ また、同様式には「2.正当な理由がなく出頭しないときは、仮放免中の者は仮放免を取り消される。」との文言がある。「仮放免中の者は」と敢えて記されていることは重要である。被告の解釈によれば、退去強制事由に該当している者で口頭審理を受ける者は、仮放免を受けている場合を除いてすべて収容されているはずである。そうであれば、上記通知書を受け取るものはすべて仮放免中の者であるはずだから、あえて、「仮放免中の者は」という文言を記す必要はない。
しかるに、「仮放免中の者」という限定をしていることは、同通知を受け取る者の中に、収容されておらず、正当な理由がなく出頭しない者で、仮放免中の者以外にも口頭審理の呼び出しを受ける収容されていない容疑者が存在することを前提とすることは明らかである。口頭審理の段階で収容されておらず仮放免を受けていない容疑者の存在は、収容前置主義と矛盾する。
エ 上記主張に対して、被告は、上記様式の記載は仮放免中の者が出頭に応じない場合を想定した記載であって、仮放免を受けている者以外の者で、収容されていない者が存在することを前提とした記載ではないと主張する。
しかし、原告が、口頭審理の呼出状に出頭を求める文言があることを指摘したのは、被告が、「口頭審理の性格上、必ず容疑者の出頭のもとに特別審理官が容疑者と対面して審理を行うものであるところ、その出頭を求める規定は特に設けられていない。他方で、入国審査官の違反調査については、法29条が『・・・容疑者の出頭を求め、当該容疑者を取り調べることができる』とある。口頭審理に関しこのような規定がおかれていないのは、特別審理官の口頭審理の段階では容疑者はすべて収容されているという前提に立っている」と主張したことに対し、口頭審理においても出頭を求めることが「審判規程」の上から明らかであることを指摘して反論したものである。
さらにそれに加えて、同規程所定の様式には「正当な理由がなく出頭しないときは、仮放免中の者は仮放免を取り消される。」との文言があるのは、仮放免中の者以外にも口頭審理の呼び出しを受ける、収容されていない容疑者が存在していることを前提とすると指摘したのである。
(6)48条6項、49条4項
被告は、入管法48条6項、 49条4項が容疑者が全て収容されていることを前提していると主張するが、48条6項、49条4項は、45条を引継ぎ、容疑者が収容された場合につき規定したものであるにすぎない。
(7)63条
被告は、入管法63条1項が「その者を収容しないときでも」と規定するのは、容疑者が全て収容されていることを前提してその唯一の例外を規定するものであると主張する。
この説は、全件について主任審査官らが容疑者を収容する権限を有するのみならず、全件収容するべき義務を負っている事を前提にして、その義務を免除する規定と解するものである。しかし、全件を収容すべき義務を明示した規定は入管法上存在しない。
上記規定は現行入管法の前身である出入国管理令の制定時から、同令63条として存在した(甲45・34頁)。出入国管理令制定当時の趣旨を検討するに、当時、不法入国・不法滞在者に対する刑事手続と行政手続との関係について、司法処分先行主義を採っていた。このことは、出入国管理行政の人員及び設備の不備に基づくものであった(甲39の3・24頁)。上記の司法処分先行主義との関係をみるとき、出入国管理令63条は、上記の刑事手続前置主義の例外を許容することを明らかにすることに意義があったものであることがわかる。
そして、例外的に刑事手続中に退去強制手続を進行させる場合に、収容された場合の規定を適用するか、収容されない場合と同様に扱うかを立法上選択することになるところ、前者を選択したのが上記規定である。
入管法63条1項は、刑事訴訟手続による自由の制限を受けている者について、その間に並行して退去強制手続を進行させる場合、収容されていないわけであるが、収容された者に関する規定を準用することとして、「すみやかに」などの規定を準用することで、刑事手続による拘束ないし非拘束処分中に退去強制手続のうち退去強制令書執行を除く段階を終了させて、二重の拘束を免れる趣旨であると解される。
63条が準用する第5章は、もともと収容の有無に関わらない規定(第1節)と、収容された場合の規定(第3節)が含まれている。被告の解釈によれば、第1節も収容された者にのみ適用される規定であることになるが、出頭要求(29条)など、明らかに収容されていない者に関する規定があるから、同規定の主たる趣旨が、収容前置主義との関係ではないことが明らかである。
以上のとおり、被告の根拠として挙げることごとくが法文を曲解し、誤読するものである。
(8)64条2項について
入管法には、次のとおり、被告の収容前置主義の主張と明らかに両立しない規定が設けられている。
出入国管理令について前述したとおり、入管法64条2項は、「当該外国人に対し収容令書または退去強制令書の発付があったときは」と規定し、収容令書が発付されない場合のあることを明らかにしている。これは収容前置主義と矛盾する。
(9)刑事訴訟法との比較
ア 被告は、刑事訴訟法と入管法の規定の仕方の違いを根拠として収容前置主義を正当化しようとするが、収容の必要性は別段これを入管法が明文上規定していなくても、立法の趣旨に照らし、当然これを前提とするものと解すべきである(東京高裁昭和47年4月15日)。
イ 刑事訴訟法の規定も、逮捕につき、その必要性が要件であることを、消極的な形ではあるが、あらためて条文上明らかにするため、逮捕状に関する刑事訴訟法199条が改正された経緯があり、上記経緯に照らせば、入管法も、当然の事理が明文化されていないに過ぎないことが判る。
ウ また、被告は、「刑事訴訟法203条ないし 205条の条文が留置の必要がないことが判明したときは直ちに釈放すべきことを明定しているのであって、退去強制事由のみを収容の要件として規定する入管法の規定の仕方とは明らかに異なっている」「刑事訴訟法の建て前として保釈が原則とされているのに対し、入管法が収容を原則としているのは、外国人を国外に退去強制するという行政目的を達成するために不可欠な手続であることから当然のこと」とする。
しかし、上記主張は失当である。
(ア) まず入管法上の収容の目的を外国人を国外に退去強制するという行政目的にあるとする点については、妥当でない。前述のとおり入管法上の強制処分にも憲法31条が準用されることから、無罪推定原則、無この救済主義、それに仕える弾劾主義・当事者主義などが退去強制手続においても論理的に当然のこととなる。違反調査の段階で、容疑者を最終的に国外に退去強制することを目的として収容をすることは、上記の諸原理に反する。入管法に基づく収容も、逃亡のおそれなど、具体的な合理的理由があって初めて正当化されるものである点で、刑事訴訟法に基づく身体拘束と何ら変わりがない。
(イ) 次に、刑事訴訟法203条ないし 205条との比較も前提を欠く。
刑事訴訟法は、国家権力により被疑者・被告人の人権を制限できる場合の、制限に限界を画することに意義がある。留置の必要がないときに釈放するのは、いわば当然であって、刑事訴訟法203条ないし 205条の条文があるゆえに生じる法理ではない。 同条で重要なのは、留置の必要がないときには「直ちに」釈放すべきであり、必要がある場合であっても48時間ないし24時間の制限を設けていることである。入管法もまた、刑事訴訟法と共通する原理によって国家権力に限界を画するものであることは前述した。必要性のない収容が許されないことは、入管法においても当然である。
(10)仮放免制度の位置づけ
仮放免制度においては、保証金をもって逃亡防止を担保する手段としている。そして入管法54条2項からすると、仮放免の全件につき、保証金を課すこととなっている。これはまさしく、収容された者は逃亡の可能性のある者であることを前提としている。裏を返せば、逃亡のおそれのない者が収容されることは予定していないのである。
(11)子どもの権利条約との関係
法の解釈として収容前置主義をとることは子どもの権利条約に抵触することとなり、かかる解釈はとり得ない。
収容前置主義を採ることは、恣意的拘禁として、子どもの権利条約37条(b)1文に違反することとなる。
また、入管法上の収容は、同条約37条(b)二文における抑留に該当するので、収容は最後の解決手段としてもっとも短い適当な期間のみ用いる以外はしてはならない。しかるに必要性のない収容を認めようとする収容前置主義は、これに違反してしまう。
仮放免制度について、身体拘束の必要性がない場合には仮放免を義務的になすのでなければ、身体拘束に最小限性を要求する子どもの権利条約に適合するということはできない。しかるに、主任審査官等は、仮放免を自由裁量行為であると解して運用してきたのであるから、被告の主張は前提を欠く。
以上

平成10年(ワ)第03147号
原告 A
被告 国
総括準備書面
平成13年5月18日
東京地方裁判所民事第16部 御中
被告指定代理人
小池充夫
西川義昭
白井ときわ
岸本亮子
久保実能
宮林昭次
廣川一己
吉岡聖剛
桐野裕一
丸山紀之
権田佳子
坂本香織
送達場所
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(電話 03-3214-0719)
被告は、本訴における主張をとりまとめて以下のとおり主張する。略称等は従前の例による。
第1  別紙表1の論点Iについて
1 原告の主張及び原告の主張のうち事実関係に係る被告の認否について
原告の主張及び原告の主張のうち事実関係に係る被告の認否は、別紙表1(1ページ)記載のとおりである。
2 被告の主張について
そもそも東京入管入国警備官は、司法警察職員ではなく逮捕権限を有しないことは答弁書第二の四の2の(六)で述べたとおりであり、行政作用と刑事司法作用は、その目的、制度、処分権者等を異にする独立した権力作用であることからすれば、本件のような事案において、逮捕と関係なく、入国警備官が法24条の退去強制事由に当たる容疑者について違反調査を進めることはその職務の内容である。
また、原告の主張が、収容令書執行前に東京入管入国警備官らによって事実上身柄を拘束されていると解したとしても、以下に述べるとおり原告の主張は理由がない。
(1) すなわち、平成9年7月30日、東京入管入国警備官及び埼玉県蕨警察署員らは、林ビルにある4室を調査したものであるところ、1室については不在で、2室については正規に在留する外国人が居住していることが判明し、残る1室である301号室で原告を含む3名の不法残留していた外国人を発見したものである。301号室への立入りは、東京入管入国警備官2名及び蕨警察署員2名で、東京入管入国警備官がドアをノックし、応対に出た外国人に対し、居室内への立入りの同意を得た上で入室した上、同室にいた3名に対し旅券の提示を求め、いずれも提示した旅券から不法残留の容疑事実が明らかになったため、とりあえず蕨警察署までの出頭を求めたものである。
東京入管入国警備官は、その場において、「全員オーバーステイしているので、とりあえずポリスまで一緒に来てください。ここには帰れないかもしれませんので、貴重品や身の回りの荷物を今から整理して持ってきてください。」と告げて任意同行を求めたところ、そのうち1名が日本語で「私は難民の申請をしています。」と述べたが、東京入管入国警備官が、「難民の申請をしていても、オーバーステイしていることに間違いはないので、とりあえずは荷物を整理して、一緒にポリスまで来てください。」と答えると、別に不満も述べるわけでもなく、荷物整理を行い、東京入管が用意した車輌に乗車したもので、蕨警察署に任意同行し、同署に到着後、東京入管入国警備官は、身分事項や違反事実について旅券などから再確認し、引き続いて違反調査を行うために東京入管第二庁舎へ同行するよう求めたところ、3名はこれに同意したところから、原告らの身柄は東京入管第二庁舎へ移送されたものである(乙第18号証の1、2・東京入管入国警備官による陳述書)。
(2) 通訳については、ペルシャ語、ウルドゥ語及びスペイン語の通訳を配置していたが、トルコ人がいることを予想していなかったので、トルコ語又はクルド語の通訳については用意していなかったが、原告は、平成7年5月5日に来日し、収容されるまでの約2年間日本で不法就労して、収容されるまでは、埼玉県戸田市内の(株)東京商会において机等の集配の業務を行っていたもので、日常生活に困らない程度の日本語の会話能力を十分に有していたものである。仮に、原告が東京入管入国警備官の説明を理解できなかったとしても、同じく不法残留容疑で任意同行を求められた同国人Bが十分な日本語を解する者であり、原告は、林ビル301号室から東京入管第二庁舎に至るまでBと行動を一緒にしていたことから、Bを通じ、東京入管入国警備官の説明を十分に承知して行動していたものである。また、東京入管における入国警備官の違反調査もBの協力の下、必要な事情聴取等が行われており(乙第1号証12ページ)、原告との意思の疎通が十分とれていたことは明らかである。
(3) 原告は、弁護士との電話連絡を希望したにもかかわらず、これが許可されなかった旨主張する。しかしながら、当日原告が弁護士との電話連絡を希望したという事実はない(乙第18号証の1・4ページ、2・3ページ・東京入管入国警備官による陳述書)。
また、東京入管第二庁舎には、庁舎内の廊下に公衆電話が設置されており、違反調査のあい間に、同電話から弁護士に容易に連絡できたものであって、これらのことからしても、原告の弁護士に電話することを希望したにも関わらず、弁護士に直接電話をすることが許されなかったという主張は何ら根拠がない。
さらに、収容令書を発付された後の平成9年9月1日、原告に対して、特別審理官による口頭審理が、田島浩弁護士及び大橋毅弁護士同席のもと実施されている(甲第30号証、乙第9号証3ページ)が、その際も、原告は弁護士との電話連絡を希望したことが許可されなかったとは全く述べていなかったほか、大橋弁護士もその際提出した意見書に全くふれていなかった(甲第30号証、乙第9号証3ページ)ことを見ても、原告の主張が根拠を欠いたものであることは明らかである。
(4) ところで、原告は、食事も東京入管でとらされ、一歩も外に出ることができず取調べが終っても収容令書執行までそのまま入管内に止め置かれた旨主張する。
確かに当日は、原告に対して食事を提供したが、これは、早朝等の調査で、外国人に任意同行を求め、調査の間に食事の時間帯にかかった場合には、東京入管においては食事を提供することとしており、このことは、原告に限ったことではない。本件も朝食を摂っていなかった原告らに配慮し、東京入管が用意したものであり、収容令書発付前に食事を提供したことをあたかも実質的な身柄拘束の根拠とするような原告の主張は何ら根拠のないものである。また、一歩も外に出ることができなかったとの主張についても、原告が外出を希望したとの事実もなく、上記主張と同様に根拠のないものである(乙第18号証の1、2・東京入管入国警備官の陳述書)。
第2  別紙表1の論点IIについて
1 原告の主張及び原告の主張のうち事実関係に係る被告の認否について
原告の主張及び原告の主張のうち事実関係に係る被告の認否は、別紙表1(2ページ)記載のとおりである。
2 被告の主張について
(1) 原告は、本件収令発付処分は、難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)31条に違反していること、同条約を解釈するに当たっては、UNHCR執行委員会の結論第44及びガイドラインの各規範を考慮する必要があり、難民認定申請者に対する拘禁を原則として禁止していると解すべきである旨主張する。
しかし、上記主張についても、以下のとおり失当である。
ア 難民条約31条1項は、締約国の国内法において不法入国又は不法残留を処罰することとされている場合において、同項の規定に該当する難民については当該刑罰法規を適用して処罰してはならないことを定めたものであるところ、収容令書に基づく収容は、退去強制という行政目的を達成するためになされる行政手続であって刑罰ではないから、同収容について難民条約31条1項の適用がないことは明らかである。
また、同項の規定に該当する難民とは「その生命又は自由が第1条の意味において脅威にさらされていた領域から直接来た難民であって許可なく当該締約国の領域に入国し又は許可なく当該締約国の領域内にいるもの」をいうものであるところ、原告は、トルコからマレーシアを経由して来日しており、直接本邦に来たものではないから(乙第1号証3丁表・添付の旅券11ページ)、同項の適用を受けない。
加えて、原告は、不法残留状態になった後約1年1月もの長期間を経過してから難民認定申請のため出頭したものであり、同項ただし書にいう「遅滞なく当局に出頭し、かつ、不法に入国し又は不法にいることの相当な理由を示すことを条件とする」ことに当たらないから、仮に、原告が難民条約の適用を受ける難民に該当したとしても、同項の適用はないことは明らかである。
イ また以下の理由から、難民条約31条の解釈について、UNHCR執行委員会の結論第44及び「庇護希望者の拘禁に関するUNHCRガイドライン」(以下「ガイドライン」という。)は、条約法条約31条3項aないしcのいずれにも該当せず、我が国が難民条約31条について同結論及びガイドラインを考慮して解釈をしなければならない法的義務を負っていないことは明らかである。
(ア) 難民条約35条及び難民の地位に関する議定書(以下「議定書」という。)2条には、締約国がUNHCRの任務遂行に協力すべきこと、特に、難民条約、議定書の適用を監督するための任務の遂行に関しUNHCRに便宜を与えるべきこと、並びに締約国がUNHCRに対し難民の状態、難民条約及び議定書の実施状況、難民に対する現行法令と難民に関して将来施行される法令についての情報及び統計を報告すべきことが定められているところ、我が国はこれらの条約上の義務を誠実に履行しているところである。
ところで、UNHCR執行委員会は、UNHCR事務所規程4項(ただし、数回の国際連合総会決議により部分的に改正されている。)に基づき設けられているものであり、その任務は「その権限に基づいて、特に高等弁務官事務所の物質的援助計画を承認かつ監督し、また高等弁務官の要請に基づいて、高等弁務官が規程上の任務を遂行するに際し助言を与える」ことである(乙第21号証)。したがって、UNHCR執行委員会の結論や同委員会が承認したガイドラインは、法的に難民条約締約国(以下「締約国」という。)を拘束するものではなく、仮に締約国がこれらの結論等に従わない場合があったとしても、何ら違法の問題を生じない(乙第22号証24ページ、23号証2、3ページ、24号証10ページないし15ページ、25号証3ページ)。
(イ) 難民条約31条の規定は難民条約の適用を受ける難民の取扱いに関する規定であるのに対し、UNHCR執行委員会結論第44は、そのような難民及び庇護希望者の取扱いに関するものであり、ガイドラインも、その表題から明らかなとおり、庇護希望者の取扱いに関するものである。
また、収容が許容される場合について述べたUNHCR執行委員会結論第44(b)項は、その冒頭に「Expressed the opinion」とあるとおり、UNHCR計画執行委員会の意見を表明したものに過ぎず、また、ガイドラインは、UNHCRとしての立場でその見解をとりまとめ、同委員会の承認を受けたものである。
したがって、これらの結論やガイドラインは難民条約31条の解釈又は適用につき締約国の間でなされた合意ではなく、まして、同条の適用についての慣行を述べたものでもない。
(ウ) 条約法条約31条3項は、条約の解釈について、
(a) 条約の解釈又は適用につき当事国の間で後にされた合意
(b) 条約の適用につき後に生じた慣行であって、条約の解釈についての当事国の合意を確立するもの
(c) 当事国の間の関係において適用される国際法の関連規則を考慮する旨規定しているが、前記(ア)及び(イ)に述べたところからすれば、難民条約31条の解釈について、UNHCR執行委員会の結論第44及びガイドラインが条約法条約31条3項(a)ないし(c)のいずれにも該当しないことは明らかであり、我が国が結論及びガイドラインを考慮して難民条約31条を解釈しなければならない法的義務を負うものではないから、原告の主張は前提を欠くものであって、失当である。
(2) 原告は、原告が難民であると主張している事情として、原告は、〈1〉1987年、原告の複数の友人が、クルド人の権利を擁護する主張を記載したチラシ・ビラの配布、ポスター貼りなどの活動を行ったとの嫌疑で逮捕されたので、原告は逮捕を逃れるため国内を逃亡し兵役にも応じなかったこと、〈2〉1991年、政治犯として追われ兵役に応じていないことが発覚し、治安警察に拘束され拷問を受け、15か月の兵役に送られたこと、〈3〉1995年3月、ネブルズ祭のビラ配りに関与した容疑で逮捕され、拷問を受けた後、翌日釈放されたものの、尾行・監視の下に置かれ、同年5月4日予定の裁判の出頭を命じられ、懲役刑が必至であると考え、これを逃れるため出国したことを主張する。
しかしながら、本国における上記活動歴、逮捕歴及び裁判出頭命令等については、これを裏付ける資料は提出されておらず、上記主張自体を直ちに措信することができないことはもとより、以下に述べるところからすれば、原告は、迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しているとは認められない。
ア すなわち、原告は、退去強制手続において、上記〈1〉及び〈2〉の主張について、クルド人向けの新聞を所持していたことから警察署に連行され、原告を探していた他の警察署に移送された上で15日間留置され、その後、通算15月間兵役に付かされた旨を述べている(乙第20号証5丁裏ないし7丁表)が、仮にそのような事実があったとしても、兵役自体は迫害に当たらず、その後は、1995年3月9日に逮捕されるまで、1994年3月の祭日にプロパガンダが印刷されたビラを運んだ以外特段の政治活動を行うことなく、同国人女性と婚姻し、平穏な生活を送っていたものであり(乙第20号証7丁表ないし8丁表)、上記のビラ運搬について本国政府に知らされていたとも解されないことからすれば、15日間の勾留の事件は、既にそれ自体によって完結し、その後同一理由で逮捕されるなどのおそれはなかったとみられるのであり、原告が帰国した場合の迫害のおそれの根拠となりうるものではない。
イ また、上記〈3〉の逮捕については、原告は、原告自身は何もしていないのに、何者かが原告がビラを運んだと言ったことから、原告に容疑がかけられたためであると供述している(乙第20号証8丁表)が、仮にそのような事実があったとしても、同年5月4日の裁判所への出頭を命じられたものの、逮捕された翌日には釈放され(乙第20号証8丁表及び裏)、釈放後の監視も、原告の店に出入りする者の監視が主であった(甲第30号証6丁表)ことに照らせば、当局は原告に対するビラ運搬の容疑を重要視していなかったことが窺われるのであるから、原告の供述する事実があったとしても、原告が帰国した場合に迫害を受けるおそれがあるとは認め難い。
ウ なお、原告は、家には毎日のように警察が来ており原告を捜しているとも供述している(甲第30号証6丁裏、乙第1号証6丁表、20号証10丁裏)が、仮にそれが事実であったとしても、警察が原告を捜している理由については不明であり、仮に裁判不出頭を理由とするものであったとしても、それのみでは単なる普通犯罪の容疑によるものであるから、迫害には当たらない。
エ およそ難民であれば、入国の容易な近隣諸国等に逃れて庇護を求めるのが自然であると解されるところ、原告がこれらの国に庇護を求めた事実も認められず、しかも原告は、平成7年4月11日、国籍国から旅券の発給を受け、何ら問題なく、通常の出国手続を経て出国しているのである(甲第30号証6丁表、乙第1号証3ページ表、20号証10丁表)。
オ さらに、法は、本邦上陸後60日以内に難民認定申請を行わなければならない旨定めているところ(法61条の2第2項)、これは、迫害を受けるおそれがあるとして我が国に庇護を求める者は、速やかにその旨を申し出るべきであること、我が国の国土面積、交通、通信機関、地方入国管理官署の所在地等の地理的、社会的実情からすれば60日という期間は申請に十分な期間と考えられること等の理由によるのである。原告は、本国での迫害を逃れて今回来日したものであるところ、本邦上陸の約1年後初めて外国人登録をした上で、さらに、その5か月後(本邦上陸後1年4月余)にはじめて難民認定申請に及んだものであり、このように長期にわたり難民認定申請が遅延したこと自体からも、また、その後の本件不認定処分に対する異議申出後、帰国意思を表明をして同異議申出を取り下げていることからも、その主張する難民該当事由の根拠が極めて希薄であることが認められるものである。
カ 原告は、本国での迫害を逃れるために出国したと述べているが、入国後間もなく稼働を開始し本国の妻子に合計1万米ドルを送金していた(乙第19号証6丁表、裏)ことからすれば、当初から稼働目的のため本邦に計画的に居座る目的で虚偽の上陸申請をしたとみられるのである。
キ 以上に述べたことからすれば、原告がトルコ政府から迫害を受ける恐怖を抱いているという事情があるものとは到底認めることはできない。また、そもそも結果として、原告は自らトルコへの帰国を希望し、在日トルコ大使館において失効していた原告名義のトルコ旅券の更新を求め、これを許可された経緯があった(乙第3、16号証1ページ裏)ことから見ても、原告の主張はその前提を欠き失当である。
(3) 原告は、原告は難民であるところ、難民を収容することは、難民条約31条2項に違反し、許されない旨主張する。
ア しかしながら、原告が難民であるとは認められないことは前記(2)で述べたとおりである。
イ また、難民条約31条2項は、同条1項の規定に該当する難民に係る規定であるところ、原告が、同条1項の定める「直接本邦に来た」要件及び「遅滞なく当局に出頭」した要件を欠き、同条1項の規定の適用を受けないことは、(1)アにおいて主張したとおりであるから、原告は、難民条約31条2項所定の保護措置の対象となる者ではない。したがって、原告の主張は理由がない。
第3  別紙表1の論点IIIについて
1 原告の主張について
原告の主張については、別紙表1(3ないし5ページ)記載のとおりである。
2 被告の主張について
(1) 原告は、本件収令発付処分が、憲法34条第2文の「何人も、正当な理由がなければ、拘禁されない」、B規約9条3項第2文の「裁判に付される者を抑留することが原則であってはならない」、同条4項の「逮捕又は抑留によって自由を奪われた者は、裁判所がその抑留が合法的であるかどうかを遅滞なく決定すること及びその抑留が合法的でない場合にはその釈放を命ずることができるように、裁判所において手続をとる権利を有する。」との各規定に違反する旨主張する(訴状6丁裏)。
しかしながら、次に述べるとおり、上記主張はいずれも失当である。
ア すなわち、憲法34条は、直接的には刑事手続における身体の拘束の際の適用を予定した規定であって、外国人の出入国の公正な管理という行政目的のための手続である収容令書による収容には適用がないものというべきである(東京高裁昭和50年11月26日判決、訟務月報21巻12号2518ページ)。
イ そして、B規約9条3項については、恣意的抑留の禁止及び法定の理由・手続による自由剥奪を定める同条1項が刑事手続と行政手続とを区別していないのに対して、裁判を受ける権利の保障及び裁判に付される者について抑留を原則とすることの禁止を定める同条3項が特に刑事手続に限って適用されるものであることは文言上明らかであるから、行政手続である令書による収容については同項の適用はない。
ウ また、B規約9条4項については、そもそも9条が、人身の自由を剥奪することについて司法機関の許可又は命令を要し行政機関のみの判断・決定によって行うことを許さないものとするか否かに関しては全く言及していないものであるから、同条違反の問題が生じる余地はないものであるところ、かえって、同条4項が、裁判所による事後の審査によって不適法な自由剥奪からの救済を規定していることは、行政機関が司法的抑制を受けることなく法の定める手続に従って、自由を剥奪することのできる場合があることを前提としていることを意味するものといえる。
第4  別紙表1の論点IVについて
1 原告の主張について
原告の主張については、別紙表1(5ページ)記載のとおりである。
2 被告の主張について
原告は、法39条及び52条5項は、司法官憲の発した令状によらない拘束を規定しており、憲法33条に違反するものであると主張する(訴状7丁表)。
しかしながら、そもそも、憲法33条は、主として刑事手続における身体の拘束を念頭に置いたものと解されるべきであり、外国人の送還のための身柄確保と「法に定められた在留資格制度により認められた範囲を超える外国人の本邦における在留活動を制約することを目的」とした行政手続である入管法を同列に論ずることは根拠を欠くものである。なお、法52条と憲法の関係について最高裁昭和55年5月30日第二小法廷判決(訟務月報26巻9号1602ページ)は、出入国管理令52条所定の退去強制令書に基づく収容が、憲法31条、33条に違反するものであるとの主張に対し、その性質、目的、態様のいずれの面においても刑事手続における逮捕勾留と類似すべき点がないから、憲法31条、33条に違反するとの主張は、その前提を欠くものであると判示している。
以上のとおり、原告の主張は根拠を欠く失当なものである。
第5  別紙表1の論点Vについて
1 原告の主張について
原告の主張については別紙表1(7ページ)記載のとおりである。
2 被告の主張について
原告は、B規約9条4項の規定を引用し、同項の権利を保障せずに抑留することは条約に反し違法であるとした上で、本件収令発付処分に係る執行停止申立事件においても、また、本件収令収容に対する人身保護請求事件においても、裁判所が本件収令収容の合法性について判断しなかったことに言及しつつ、原告は収容が合法的であったかどうかについて遅滞なく裁判所の判断を受け得ることを保障されないままに収容を継続されたが、これは明らかに条約違反であるとして、本件収令収容がB規約9条4項に違反し、違法である旨主張するもののようである(原告準備書面(一)22ページ)。
しかしながら、原告の主張は以下のとおり失当である。
ア B規約9条4項は、人身保護の手続を定め、法律上正当な手続によらないで身体の拘束が行われている場合に、その者をその拘束から解放することを定めたものである。
ここにいう「逮捕又は抑留」には、行政手続によるものも含まれるが、我が国において、収容が違法であると考える者は人身保護法又は行政事件訴訟法により収容の適法性について裁判所の判断を求めることが可能であるから、法の定める収容手続は、何らB規約9条4項に反するものではないというべきである(東京地裁平成9年9月29日判決(乙第31号証))。
本件について見ても、原告は、本件収令収容が法律上正当な手続によらないで身体の自由を拘束するものであるとして裁判所に人身保護請求をしているのであり、裁判所は、人身保護法の規定された準備調査を行った上で請求に理由がないことが明白であるとして当該請求を棄却したのであるから(乙第12号証)、B規約9条4項に規定された権利が保障されていたことは明白である。
また、原告は、裁判所が本件収令収容の合法性について判断しなかったと主張するが、当該請求について、裁判所は、「請求者(原告)は、東京入管収容場において、拘束者(東京入管主任審査官)によって適法に拘束されているものと認められる(浦和地方裁判所平成9年10月17日決定(乙第12号証))」として、本件収令収容の合法性についても判断した上で当該請求を棄却したのであるから、原告の主張は明らかに誤りである。
イ 前記アに述べたとおり、原告には、B規約9条4項に規定する権利が保障されているのであって、原告の主張は事実に反するものであって失当である。
第6  別紙表1の論点VIについて
1 原告の主張について
原告の主張については別紙表1(7ないし10ページ)記載のとおりである。
2 被告の主張について
原告は、法務大臣が原告に対し在留特別許可を付与しない裁決を行ったことは、原告の難民該当性を考慮しなかったこと、原告が来日後2年以上、法以外の違法な行為をしたこともなく、机等の集配の仕事等に就業して、真面目に暮らしてきており、日本社会に適応し、公益に反する事情も認められなかったことの事情を考慮せずに行われた裁量を逸脱した違法なものであると主張する(訴状7丁裏)。
しかしながら原告の主張は以下のとおりいずれも失当である。
(1) 仮に、難民であったとしても、それは在留特別許可の付与を判断する際考慮する一事情にすぎないが、原告が難民であるとは認められないことについては、前記第2の2(2)で述べたとおりである。
(2) 在留特別許可に関する法務大臣の裁量権について
ア 憲法上、外国人は、本邦に入国する自由を保障されているものでないことはもちろん、在留の権利ないし引き続き本邦に在留することを要求する権利を保障されているものでもない(最高裁昭和53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223ページ)。
イ かかる基本的な考え方からすれば、法50条1項所定の在留特別許可を与えるか否かは法務大臣の広範な自由裁量にゆだねられているものと解すべきであり、このことは、法50条1項の規定の仕方からも明らかであって、判例上も確立しているところである(東京高裁昭和32年10月31日判決・行裁例集8巻10号1903ページ、最高裁昭和34年11月10日第三小法廷判決・民集13巻12号1493ページ)。
さらに、在留特別許可は、外国人の出入国に関する処分であり、その判断をするに当たっては、当該外国人の個人的事情のみならず、その時々の国内の政治・経済・社会等の諸事情、外交政策、当該外国人の本国との外交関係等の諸般の事情を総合的に考慮すべきものであることから、同許可に係る裁量の範囲は極めて広範なものというべきである。
しかも、在留特別許可は、退去強制事由に該当することが明らかで当然に本邦からの退去を強制されるべき者に対し、特に在留を認める処分であって、他の一般の行政処分と異なり、その性質は、恩恵的なものである(東京高裁昭和54年1月30日判決・訟務月報25巻5号1382ページ)。
ウ ところで、前記最高裁昭和53年10月4日大法廷判決は、出入国管理令(昭和26年政令第319号)21条3項に基づく法務大臣の在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由の有無の判断について、「裁判所は、法務大臣の右判断についてそれが違法となるかどうかを審理、判断するに当たっては、右判断が法務大臣の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り、右判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があったものとして違法であるとすることができるものと解するのが相当である。」と判示しているところ、上記法理は、法50条1項に基づく在留特別許可の付与に関する法務大臣の裁量権の行使についても当然に当てはまるものというべきである(前記最高裁昭和34年11月10日判決・民集13巻12号1493ページ、大阪地裁昭和59年12月26日判決・乙第26号証)。すなわち、法が在留特別許可の付与を法務大臣の裁量にゆだねることとした趣旨が、前述のとおり在留特別許可の許否を的確に判断するについて、多面的専門的知識を要し、かつ、政治的配慮をしなければならないとするところにあることからすると、その判断は、国内及び国外の情勢について通曉し、常に出入国管理の衝に当たる者の裁量に任せるのでなければ到底適切な結果を期待することができないからであり、それゆえ、裁判所が法務大臣の裁量権の行使としてなされた在留特別許可の許否の決定の適否を審査するに当たっては、法務大臣と同一の立場に立って在留特別許可をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断するのではなく、法務大臣の第一次的な裁量判断が既に存在することを前提として、その判断が社会通念上著しく妥当性を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められるかどうかを判断すべきであるものというべく、しかして逸脱、濫用したものと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして、法務大臣の決定は違法とならないものというべきである。
エ さらに、法50条1項の在留特別許可の付与についての裁量権の範囲について、在留期間の更新許可の付与の場合と比較すると、在留期間の更新が、適法に在留する外国人を対象として行われるものであり、また、その申請権も認めているのに対し、在留特別許可の許否は、法24条各号所定の退去強制事由に該当する容疑者を対象として判断されるものであって、それらの者には、在留特別許可の申請権も認めておらず、また、法文上も在留期間の更新について定めた法21条3項では、「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるとき」に許可することができるとされているのに対し、在留特別許可について定めた法50条1項3号では、単に「特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」に許可することができると規定されており、在留特別許可を付与すべき要件が何ら具体的に規定されていないのである。
したがって、法務大臣の在留特別許可の付与についての裁量権の範囲は、在留期間の更新の場合の法務大臣の裁量権よりも更に格段に広範なものであり、反面において、裁判所の審査の及ぶ範囲は、極めて狭いものとなるのであって、上記裁量権の行使が裁量権の範囲を超え又はその濫用があったものとして違法であるとの評価をするには、在留期間の更新に関する前記最高裁大法廷判決の示した基準より更に厳格な基準によるべきであり、結局、法務大臣がその付与された権限の趣旨に明らかに背いて裁量権を行使したものと認め得るような「特別の事情」がある場合等極めて例外的な場合に限られるものといわなければならない(同趣旨の判決として東京高裁平成12年6月28日判決(乙41号証)・17ページ参照)。
原告は、この特別の事情を主張していないから、その主張自体失当である。
(3) 原告は、法61条の2の8の規定からして、難民認定の可否が確定する以前に法務大臣の裁決を下すことを法が予定していないことは明らかである旨主張する。
法は、24条において退去強制事由を列挙し、27条以下において退去強制手続を規定する一方、61条の2以下において難民認定の手続について規定するが、難民認定手続と退去強制手続の関係について何ら規定しておらず、むしろ法61条の2の8の規定からは、難民認定を受けている者についても法24条1項各号の一に該当するものと認定し、退去強制手続を進めうることを前提としていると理解することができるのであり、結局難民認定申請をしていること又は難民認定を受けていること自体は、退去強制手続を当然に停止せしめるものではなく、単に法務大臣が在留特別許可(難民認定を受けている者については法61条の2の8に基づき、それ以外の者については法50条に基づく。)を付与するか否かについて判断する際、考慮することになる事情の一つにすぎないものである。
そして、それらの事情を考慮する際の法務大臣の裁量は非常に広範なものであり、前記のとおり、裁量権の行使が違法と評価されるのは、法務大臣がその付与された権限の趣旨に明らかに背いて裁量を行使したものと認め得るような特別の事情がある場合など極めて例外的な場合に限られるものといわなければならない。
(4) 原告は、法は、難民認定手続の結果が確定するまでの間の在留の必要性を認めているとし、一時庇護上陸許可制度はこの明確な具体化である旨主張し、また、現在の実務では、短期滞在在留資格を有する者が難民認定申請をした場合、原則として短期滞在在留資格の更新を許可していることを挙げ、この要請は、たとえ難民の認定をしない処分を受けても、これに対する異議の申出をした者についても、難民の認定を受けるかどうかが未だ確定していない、審査中であることに変わりがないから、同様に認められるのであって、そうでなければ手続的権利を付与していることの侵害になる旨主張する。
しかしながら、原告の主張が失当であることは以下述べるところから明らかである。
ア 国際法上、国家は、その領土主権に基づき、原則として、いかなる外国人も自由に受け入れることができるものとされている。同様に、国家は、庇護権、すなわち、本国で迫害を受け又は迫害を受けるおそれのある者が庇護を求める場合に、その被迫害者を領土内に受け入れて保護を与えることができる権利を有することが認められている。
法18条の2に規定する一時庇護のための上陸の許可は、船舶等に乗っている外国人が難民に該当する可能性があり、かつ、その者を一時的に上陸させるのが相当であると思料するときに入国審査官が与える上陸許可であり、諸般の情況から判断して難民らしいと思料される外国人に対して簡易な手続により一時的な入国・滞在を認めることができるようにしたもので、その本質は我が国の領土主権に基づく庇護権の行使であって(乙第33号証404、405ページ)、難民条約上の義務を履行するために設けられた制度ではないのである。
他方、法61条の2に規定する難民の認定は、本邦にある外国人からの申請に基づき、法務大臣が行うものであるところ、難民の認定の申請を行うことができるのは、「本邦にある外国人」であって、「本邦外にある外国人」は難民の認定の申請ができない。これは、難民条約が締約国の領域内にある難民に対して各種の保護を与えるべきことを締約国に義務付けるにとどまり、難民の受入れを締約国に義務付けていないことに対応するものである(乙第33号証661ページ)。
以上のとおり、法に定める一時庇護のための上陸の許可の制度と難民認定制度とはその趣旨、目的を異にしているのである。
また、一時庇護のための上陸の許可は、「その者が難民条約1条A(2)に規定する理由その他これに準ずる理由により、その生命、身体又は身体の自由を害されるおそれのあった領域から逃れて、本邦に入った者であること。」及び「その者を一時的に上陸させることが相当であること」を許可の要件としており(法18条の2第1項)、難民認定申請をした者をその対象としているものではなく、また、通常、一時庇護のための上陸の許可を受けて上陸した後に難民認定申請に及ぶことが想定されるのであるし、同許可の上陸期間は、6月を超えない範囲内で定められるが(法18条の2第3項、法施行規則18条4項)、法文上、難民認定手続の結果が確定するまでの間の上陸を認める旨の規定があるわけでもない。
イ また、難民不認定処分に対して異議申出をしても、難民不認定処分がなされた以上、同処分は、行政処分の公定力により、正規の手続によって取り消されない限り有効なものとして扱われるのであり、その点においていまだ処分がなされていない難民認定申請中の者とは法律上の地位がそもそも異なっている上、異議の申出をしたからといって、そのことから、直ちに、原告が条約難民であるということができないことはもちろん、難民認定手続が終了するまでの間、難民認定申請をした外国人に対し、我が国における在留を認めなければならないとする法的根拠も存しないことは明らかであるから、原告の主張は前提を欠き失当である。
(5) 原告は、在留特別許可を認めるべき「特別の事情」を主張しないから、主張自体失当であるが、なお念のため、以下に述べる諸事情を勘案するならば、本件裁決については、およそ法務大臣の裁量権の逸脱又は濫用を認める余地は全くない。
ア すなわち、原告は、本国トルコで出生して成育し、本国で教育を受け、妻子と共に本国内で生活を営んできたものであって、本邦に入国するまで、本邦とは何らかかわりのなかったものである。
イ また、上陸申請においては、外国人入国記録の入国目的欄に「休暇」、滞在予定期間欄に「3日」とそれぞれ記載して、東京入管成田空港支局入国審査官から、在留資格「短期滞在」及び在留期間「90日」の上陸許可を受けたが、在留期間の更新又は在留資格の変更申請をすることなく、約2年間、本邦に不法残留しているものであって、本来退去強制されるべき者である。
ウ 原告は、本邦上陸後、今回の収容に至るまで不法就労活動に従事していたことからすれば、虚偽の上陸申請をして、当初から稼働目的のため本邦に計画的に居座る目的であったことは容易に推測されるものである。
エ 原告は、来日後2年以上、法違反以外の違法な行為をしたこともなく、机等の集配の仕事等に就業して真面目に暮らしてきており、日本社会に適応し、我が国の公益に反する事情は認められない旨主張するところ、原告が、外国人登録法3条に基づく新規登録申請をしたのは、本邦に上陸して約1年も経過した(難民認定申請をする約5か月前)平成8年4月4日であり、外国人登録法3条1項に違反していた者であって、「原告は法違反以外の違法な行為をしたこともなく…」との主張は事実に反する。また、我が国が高賃金であるため不法入国、不法残留等手段を問わず我が国に入国・滞在し、就労して蓄財しようとする外国人は、依然、後を絶たず、極めて多数にのぼっており、このような状況にあって我が国に不法残留し不法就労活動を行ってきた原告について放置することになると、国内の治安と善良の風俗の維持、保健・衛生の確保、労働市場の安定などの国益の保持に重大な影響を及ぼす恐れがあることは明らかである。
第7  別紙表1の論点VIIについて
1 原告の主張について
原告の主張については別紙表1(9ないし10ページ)記載のとおりである。
2 被告の主張について
原告は、本件退令発付処分により、迫害を受ける恐れのあるトルコに送還したことは、難民条約33条1項及び法53条3項によるノンルフールマン原則(迫害国への送還禁止)に違反した旨主張するが、第2の2(2)に述べたとおり、原告が難民に該当しなかったことは明らかであり、そもそも結果として、原告は自らトルコへの帰国を希望し、在日トルコ大使館において失効していた原告名義のトルコ旅券の更新を求めこれを許可された経緯があった(乙第3、16号証1ページ裏)ことから見ても、原告の主張はその前提を欠き失当である。
第8  別紙表1の論点VIIIについて
1 原告の主張について
原告の主張及び原告の主張のうち事実関係に係る被告の認否については別紙表1(10ないし12ページ)記載のとおりである。
2 被告の主張について
(1)ア 原告は、収容中毎日戸外の適当な場所での運動の機会を与えられるべきであるのに、収容中一度も戸外に出ることはなかったとし、東京入管第二庁舎の取扱いは、被収容者処遇規則28条及びB規約10条1項に違反する旨主張する(訴状9ページ)。
ところで、被収容者処遇規則28条は、「所長等は、被収容者に毎日戸外の適当な場所で運動する機会を与えなければならない。ただし、荒天の時又は収容所等の保安上若しくは衛生上支障があると認められるときは、この限りでない。」と規定しているところ、被収容者を戸外運動させないことが、直ちに違法な収容となるものではない。収容令書及び退去強制令書により収容された者の処遇については、保安上支障のない範囲内において、できる限り自由を与えることを基本原則として法令及び被収容者処遇規則に基づき運用されており、東京入管収容場においても、各居室は冷暖房が設けられ、さらに、各居室には、テレビも設置され、午前9時(点呼終了後)から午後9時まで視聴が可能である他、午前7時から午後9時50分の間は、喫煙も自由である。また、収容が長期化することが見込まれる者等については、被収容者の健康その他人権を考慮し、より自由が享受できるように配慮された入国者収容所東日本入国管理センター(以下「東日本センター」という。)等に移送される手続がとられているものであるところ、原告にあっては、答弁書第三の一の14記載のとおり、本件退令収容中である平成9年9月18日に、東京入国管理局長を拘束者とする人身保護請求の訴えを提起したため、仮に同請求中に原告を収容中の東京入管第二庁舎から東日本センターに移送した場合、拘束者が東京入国管理局長から入国者収容所東日本入国管理センター長(以下「東日本センター長」という。)になる(法務省設置法13条、 21条)結果、同請求は却下されることとなるが、〈1〉請求の適法性が争われている以上、その判断を仰ぐのが適当と思料されたこと、〈2〉請求が却下された場合には、あらためて東日本センター長を拘束者とする人身保護請求が提起されることが予想されること、から、同請求に対する裁判所の判断が出るまでの間は、原告の東日本センターへの移送を見合わせたものである。
したがって、東京入管においても、被収容者の処遇については、保安上支障のない範囲内において、できる限り自由を与えることを基本原則として法令及び被収容者処遇規則に基づき運用されているのであるから、原告の戸外運動をさせなかったことをもって東京入管における原告の取扱いが、被収容者処遇規則28条、B規約10条1項に違反する旨の原告の主張は失当である。
イ 原告は、運動場が設けられておらず、今日まで設けてこなかったことが設置・管理の瑕疵であり、国賠法2条に違反する旨主張する。
しかしながら、「国家賠償法2条1項の営造物の設置または管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをい」(最高裁昭和45年8月20日第1小法廷判決・民集24巻9号1268ページ)うのであり、営造物が通常有すべき安全性を欠くか否かの判断は、「当該営造物の構造、本来の用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的、個別的に判断すべきものである。」(最高裁昭和53年7月4日第3小法廷判決・民集32巻5号809ページ)ところ、原告主張に係る野外運動場及び屋内運動場が設けられていないとの事実は、営造物の通常有すべき安全性に何ら関わりのない事実であって、営造物の設置または管理の瑕疵に当たらないことは明らかである。
したがって、原告の主張は、国賠法2条1項に関する独自の解釈を前提とするものにすぎず、主張自体失当である。
(2) 原告は、被収容者処遇規則29条に「適宜入浴させ」とあるのに、週2回のシャワーしか許されなかったことをもって、違反がある旨主張する。
そもそも、被収容者処遇規則29条は、「所長等は、被収容者の衛生に留意し、適宜入浴させるほか、清掃及び消毒を励行し、食器及び寝具等についても十分に清潔を保持するように努めなければならない。」と「衛生」について規定したものであって、適宜入浴の代替手段として週2回のシャワーを浴びさせることが、衛生のことを規定した被収容者処遇規則29条に直ちに違反になるものではない。
(3)ア 原告は、東京入管収容場内のトイレの構造を挙げて、施設・処遇は被収容者処遇規則29条に要求する衛生的な環境とはいえない旨主張する。
東京入管収容場内の居室のトイレの構造はおおむね原告の主張のように、腰の高さ程度の隠し板があり、座れば成人の頭が見える程度となっているが、これは、自損事故防止、保安上等の観点からそのようになっているものであり、また、被収容者に清掃させて常に衛生的に保つような配慮をしている。
したがって、トイレの構造を挙げて施設・処遇は被収容者処遇規則29条に要求する衛生的な環境とはいえないとする原告の主張は、何ら根拠のない失当なものである。
イ 原告は、収容所等の警備と清潔の保持とは全く別の概念であり、何故、清潔保持のための指導が「警備」に本来的に含まれるのか理解し難く、そもそも、収容施設内の清潔保持は収容所長等の義務に属しており、望んで収容されているわけではない被収容者にその義務を転嫁させること自体が問題である旨主張するが、清潔の保持は、収容所等における生活を円滑に行わせるために必要な事項であって、トイレの清掃はその一環として行わせるものであることからすれば、入国警備官は本来的な職責に基づいて清潔保持のため被収容者にトイレを清掃させているのであって、また、被収容者以外の者が収容居室内に入ってトイレの清掃を行うことには保安上の問題が伴うことをも考慮すれば、トイレの清掃を被収容者自身にさせたとしても、収容施設の清潔保持についての入国者収容所長等の義務を被収容者に転嫁させることにならないことは、社会通念に照らし明らかである。
(4)ア 原告は、原告が東京入管収容中、原告の寝具は一度も洗濯されず、交換もされなかった旨主張する(訴状10丁表)。
しかしながら、原告の上記主張は、事実に反するものである。すなわち東京入管においては、被収容者には寝具として、夏季には1人あたり毛布4枚及びシーツ、枕、枕カバー、毛布カバー各1個を貸与し、同毛布を敷蒲団あるいは掛蒲団代わり使用させており、原告についても、収容の際(平成9年7月30日)、上に述べたものを貸与したもので、原告のシーツ、毛布カバー及び枕カバーは、平成9年10月18日に清潔なものに交換されている。その際、毛布及び枕を交換したか否かは不明である(乙第28号証の1、2)。
また、東京入管においては、被収容者からシーツ、枕カバーについては、約1か月をめどに被収容者からの申出等により交換しているところ、東京入管第二庁舎収容場の各居室は冷暖房が設けられており、1か月程度の使用期間であれば十分に清潔は保持されること、1か月以内であっても、被収容者から汚損等の申出があった場合には、その状況に応じて交換する取扱いを行っているのであって(乙第28号証の1、2)、原告の上記主張も理由がない。
なお、シーツ等を申し出により交換する旨を被収容者各人の母国語で各人に対して周知させているわけではないが、被収容者は、常時、処遇に関して職員に尋ねることができ、また、同一居室の他の被収容者が職員から説明されているのを見聞する機会は常にあり、シーツ、毛布カバー及び枕カバーの取扱いについては周知されている。
イ 原告は、東京入管第二庁舎の収容場のように多人数の収容を予定する施設で、シーツの交換を記録する帳簿類すら存在しないということは、すべての被収容者に対して恒常的に清潔保持義務(被収容者処遇規則29条)違反行為がされていることを示すものである旨主張するが、東京入管においては、上記のとおり、シーツ等については、約1か月をめどに被収容者からの申出等により交換しているところ、上記1か月の期間については、シーツ等の交換の事実を記録する帳簿等によらなくとも、当該被収容者の収容期間を基にして把握することで十分足りることなどからすれば、シーツ等の交換の事実をその都度記録にとどめる扱いをしていなかったとしても、そのことから、直ちに、被収容者処遇規則29条違反とはならないし、まして、恒常的に同条違反行為がされているとはいえないことは明らかである。
(5) 原告は、原告が東京入管収容中、トルコ国籍の被収容者に出された食事は、嗜好を全く無視したものであり、原告は、このため、急激にやせ衰えたものである旨主張する。しかし、被収容者の嗜好は別としても、被収容者の食事については、被収容者処遇規則25条ないし 27条に規定されており、東京入管においても同規則に基づいた運用がなされているのであるから、何ら違法の余地が生じることはない。
(6) 原告は、前記(1)ないし(5)に関し、1955年犯罪防止及び犯罪人取扱いに関する第1回国際連合会議で採択された被拘禁者処遇最低基準規則違反の主張をするものであるところ、我が国は同規則を批准しておらず、同規則は何ら法的拘束力を有するものではない。さらに原告は、〈1〉被拘禁者処遇最低基準規則の内容は、国際慣習法として認められており、また、〈2〉規約人権委員会一般的意見21(44)が、「締約国は、その報告において、被拘禁者の取扱いに適用ある国際連合の基準をどの程度適用しているかを示すよう求められている。これは、…「あらゆる形態の拘禁・収監下にあるすべての人の保護のための原則」…である。」としていることをもって、同一般的意見により、同原則はB規約の具体的基準となっていると解されるとし、〈3〉被拘禁者処遇最低基準規則の内容はもともと拘禁中の処遇などの最低基準の要素を示すものであったところ、今日の国際人権水準では、最低基準はさらに同規則を超えたところにあり、被拘禁者処遇最低基準規則すら守れない状態が違法であることは明らかであると主張する。
しかしながら、原告の主張が失当であることは以下に述べるところから明らかである。
ア 国際慣習法は、国際社会の構成員間で行われる特定の国家の実行の積み重ね、いわゆる国家間の国際慣行を基礎として形成された国際法規範であり、同じく国際法の法源でありながら、原則として合意した当事国のみを拘束する成文国際法である条約に対して、その妥当範囲が国際社会全体に及ぶことから、講学上の普遍的国際法又は一般国際法と呼ばれている。国際慣習法も条約と同様、国際社会において一般的に妥当する法形式の一つである以上、単に特定の事項について大多数の国家間に一定の国際的な慣行が成立していると認められるだけでは足りず、さらに右の慣行につき、主要な国家を含んだ大多数の国家において法的に義務的なものとの信念が介在していることによって初めて国際法規範として法的拘束力を取得するに至るものというべきである(東京高裁平成5年3月5日判決・訟務月報40巻9号2051ページ)。
イ 原告は、被拘禁者処遇最低基準規則の内容は、国際慣習法として認められていると主張し、1973年のヨーロッパ被拘禁者処遇最低基準規則が被拘禁者処遇最低基準規則を一部修正するものとして、ヨーロッパだけでなく日本を含めて世界的な影響力を行使し、国連自体においても、拷問等禁止条約、保護原則、法執行官行動綱領など、刑事施設に関する準則が数多く制定され、これらの諸基準の中には、もはや被拘禁者処遇最低基準規則を超えているものもあると主張するが、そのような諸基準が存在するからといって、被拘禁者処遇最低基準規則の内容について、前記アに述べた「主要な国家を含んだ大多数の国家において法的に義務的なものとの信念が介在している」といえないことは明らかである。
ウ また、今日の国際人権水準では、最低基準はさらに同規則を超えたところにあり、被拘禁者処遇最低基準規則すら守れない状態が違法であることは明らかであるとの主張も、国際慣習法違反をいうのであれば、前記イに述べたとおり失当であることは明らかであり、国際慣習法違反をいうのでないとすれば、「今日の国際人権水準では、最低基準はさらに被拘禁者処遇最低基準規則を超えたところにある」ことをもって、「被拘禁者処遇最低基準規則すら守れない状態が違法である」ということにはならないから、原告の主張はその根拠を欠き失当である。
第9  別紙表1の論点IXについて
1 原告の主張について
原告の主張については別紙表1(13ないし14ページ)のとおりである。
2 被告の主張について
そもそも主任審査官は、法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは、すみやかに退去強制令書を発付しなければならず(法49条5項)、き束されている。
また、難民条約においては、難民認定手続については定めがなく、その実施方法については、各国の立法政策にゆだねられており、そして、我が国の法には、難民認定手続が終了するまでの間、難民認定申請をする外国人に対し、我が国における在留権を認める旨の規定はないし、明文の規定がなくとも、法の定める難民認定手続が終了するまでの間、難民認定申請をする外国人に対し、我が国における在留権を認めなければならないとする法的根拠もないのであるから(乙第24、25号証)、本件不認定処分をしたのと同日に本件退令発付処分を行ったことが何ら違法となることはない。
第10  別紙表2の論点Iについて
1 原告の主張について
原告の主張については別紙表2(15ページ)のとおりである。
2 被告の主張について
(1) 不法入国者等退去強制手続令(以下「退去強制手続令」という。)についていえば、そもそも原告は、同令5条1項と7条1項の規定を根拠として挙げているが、各規定は、原告が主張するような「収容謙抑主義」なる規定などではない。
すなわち、同令5条1項は、「入国審査官は、登録令第3条又は臨時措置令第1条の規定に違反した者がある場合において、その者を退去強制するかどうかを決定するために必要があるときは、第7条に規定する収容令書を発付して入国警備官にその者を収容することを命ずることができる。」と規定し、入国審査官の収容令書発付権限と入国審査官による入国警備官に対する収容令書執行命令の権限を定める一方、同令7条1項において、「収容令書を発付する場合においては、あらかじめ当該入国審査官が地方審査会に収容を必要とする十分な理由を明示してその承認を受けなければならない。」と規定して、収容令書発付手続を明定しているが、他方同令8条においては、「入国審査官は、収容令書を発付した場合においては、その発付を受けた者が左の各号の一に該当するかをすみやかに審査しなければならない。」と入国審査官による違反審査手続を規定しているのであり、同規定をみれば、入国審査官による違反審査が、すべてにおいて、収容令書発付を前提としていることは明らかである。
(2) 原告は、退去強制手続令5条の「必要があるときは」という文言は、その前に「登録令第3条または臨時措置令第1条の規定に違反した者がある場合において」とある以上、退去強制事由該当容疑とは別個の要件であり、「退去強制をするかどうかを決定するための必要」、つまり逃亡・証拠隠滅などの、手続を阻害する行為を防ぐ必要の意味であることが明らかであり、また、同令7条1項の「収容を必要とする十分な理由」についても、単なる容疑のみを意味するのではなく、収容の必要性を含むことは明らかであるとして、同令は、原告のいう収容謙抑主義に立つことが明文上明らかである旨主張する。
しかしながら、原告の主張は以下のとおり失当である。
ア 退去強制手続令5条にいう「必要があるとき」とは、「その者を退去強制するかどうかを決定するため」の必要があるときである。そして、退去強制手続令で「必要があるとき」に収容できるとした趣旨は、「違反者を退去強制という行政処分をする前に、新たに行政上の拘束を認めその任に当る入国審査官が十分審査できる機会を与える」(甲第39号証の3、21ページ下段)ことにあった。
イ すなわち、退去強制手続令は、「退去強制するかどうかを決定する」ためには収容する必要があることを前提としているのであり、退去強制手続令5条1項にいう「必要があるとき」とは、容疑者が、同令8条1項各号の1に該当すると疑うに足りる十分な理由がある場合を、また、同令7条1項にいう「収容を必要とする充分な理由」とは、同令8条1項各号の1に該当すると疑うに足りる十分な理由を意味する。
(3) 前記(2)の点に関し、原告は、退去強制手続令5条の「必要があるときは」という文言は、その前に「登録令第3条または臨時措置令第1条の規定に違反した者がある場合において」とある以上、退去強制事由該当容疑とは別個の要件であることが明らかであると主張するが、退去強制手続令8条1項は、入国審査官は、収容令書の発付を受けた者が同条各号の1に該当するかどうかを審査しなければならない旨定めているのであり、同令5条1項にいう「登録令第3条または臨時措置令第1条の規定に違反した者」とは、同令8条1項に規定する入国審査官の審査を経ていない者をいうのであるから、同令5条1項の「必要があるとき」の趣旨を前記3のように解したとしても、同項の規定は矛盾しないのである。
第11  別紙表2の論点IIについて
1 原告の主張について
原告の主張については別紙表2(16ないし20ページ)のとおりである。
2 被告の主張について
(1) 出入国管理令39条について
原告は、出入国管理令39条の文言が現行法39条と同様の文言であり、収容の必要性につき、明文で触れていないことについて、「それは収容の必要性を要件としない趣旨ではなく、これを要件とすることを当然のこととして、法文を簡素化したにすぎないものと解される。」として、さらに退去強制手続令で問題とされたのは経済的理由であり、これを完全に実施するについて相当の予算・人員を要するところ、当時の財政事情から直ちにこれを認められなかったことにあったもので収容の根本的要件を変える理由はないなどとして収容の必要性が要件とされている旨主張する。
しかしながら、第10の2で明らかにしたように退去強制手続令において、収容令書・退去強制令書の発付に収容の必要性が要件となるとの前提がそもそも誤っている上、退去強制手続令は全27条の命令であるのに対し、出入国管理令は全78条の命令で、各種規定が整備され、手続要件が明確になりこそすれ、法文の簡素化の名目で必要な記載が省かれるなどということは到底考えられないのである。
退去強制手続令の下においても収容令書・退去強制令書発付に収容の必要性は要件とされていなかったことから、出入国管理令においてはそのことを明確にしたにすぎないと解するべきである。
(2) 出入国管理令64条2項について
原告は、出入国管理令64条2項が、「当該外国人に対し収容令書又は退去強制令書の発付があったときは」といわば限定していることを挙げて、退去強制事由該当容疑者の退去強制手続を進めるに当たり、容疑者をすべて収容する制度(以下「収容前置主義」という。)との矛盾を主張するが、出入国管理令62条3項及び4項は、矯正施設の長及び地方更正委員会に対し外国人が刑の執行を受けている場合の通報義務について規定し、出入国管理令63条は退去強制手続と刑事手続が競合する場合の一連の退去強制手続を規定するもので、出入国管理令63条1項の規定により退去強制手続が進行し、退去強制令書が発付された外国人については、退去強制令書をもって、また、退去強制令書が発付されていない外国人については、収容令書をもって、矯正施設の長が外国人を釈放するときの入国警備官への身柄引き渡しに関する規定であって、収容前置主義と何ら矛盾するものではない。
すなわち、出入国管理令62条3項は、矯正施設の長は、退去強制事由に該当すると思料する外国人が刑の執行を受けている場合において、当該外国人が当該施設から刑期の満了等による釈放等その収容が解かれるときは、その旨を通報しなければならないことを定めたものであり、同条4項は、地方更生保護委員会は、退去強制事由に該当すると思料する外国人が刑の執行を受けている場合において、当該外国人に対し仮出獄等の許可の決定をしたときは、その旨を通報しなければならないことを定めたものであり、出入国管理令62条3項又は4項に規定する通報の対象者は、いずれも、矯正施設の長又は地方更正保護委員会が「退去強制事由に該当すると思料する外国人」である。これに対し、出入国管理令64条2項の規定に基づき収容令書の呈示をまって引き渡される外国人は、「第24条各号の1に該当すると疑うに足りる相当の理由がある」(出入国管理令39条1項)外国人であるから、出入国管理令62条3項又は4項に規定する通報の対象者よりも限定されているのであり、まして、出入国管理令64条2項の規定に基づき退去強制令書の呈示をまって引き渡される外国人が更に限定されていることはいうまでもない。
したがって、出入国管理令62条3項及び4項に規定する通報の対象者の中には、「第24条各号の1に該当すると疑うに足りる相当の理由がある」とまでは認められず、退去強制手続がとられない外国人も含まれているのであって、このような趣旨から、令64条2項は、同条1項と異なり、「当該外国人に対し収容令書又は退去強制令書の発付があったときは」との規定を置いているのであり、このような規定の存在は、収容前置主義に矛盾するものではないのである。
(3) 法と退去強制手続令の関係について
ア 原告は、退去強制手続令5条1項に「入国審査官は、登録令第3条又は臨時措置令第1条の規定に違反したものがある場合において、その者を退去強制するかどうかを決定するために必要があるときは、第7条に規定する収容令書を発付して入国警備官にその者を収容することを命ずることができる。」と、また7条1項に「収容令書を発付する場合においては、あらかじめ当該入国審査官が地方審査会に収容を必要とする十分な理由を明示してその承認を得なければならない。」とそれぞれ規定していることをとらえて、収容の必要性がある場合にのみ収容令書を発付することとしたものであるなどとして原告らの主張する収容謙抑主義に立つことが明文上明らかであったなどと主張し、また、この収容謙抑主義の趣旨は出入国管理令においても承継されるものと解される旨主張する。
イ しかしながら、退去強制手続令及び出入国管理令の立法の経緯を見ると出入国管理令が退去強制手続令を実質的に承継するものであるとは直ちに言えないというべきである。
すなわち、政府は、昭和24年8月10日「出入国の管理に関する政令」(昭和24年政令第299号)を発し、外務省管理局に入国管理部を置くなどしたが、当時の出入国管理は、正規出入国は外務省、外国人登録は法務府民事局、違反取締りは法務府検務局、収容は厚生省引揚げ援護局、護送及び送還は国家警察がそれぞれ行うなど、事項別に異なる機構で処理され、その連絡調整に入国管理部が当たるという状態であったが、総司令部は昭和25年9月15日に「入国に関する覚書」を発し、〈1〉外国人の出入国管理を警察機関とは全く別個の機関の所管事項とすること、〈2〉正規入国と不法入国とを一体とした入国関係事項全般にわたる機構の確立を求めることを内容とする日本政府の出入国管理機構の改善を命じた。
これを受けた日本政府は、昭和25年9月「出入国管理庁設置令」(政令第295号)を制定し同年10月1日外務省の外局として「出入国管理庁」が設置され、出入国、外国人登録、退去強制令書発付、収容、護送、送還等出入国管理が統一的な機構によって一体的に運営されるようになった。
新機構の発足後、さらに総司令部からの要望に基づき管理体制の確立を図るため、昭和26年2月に退去強制手続令が制定されたが、その実施前に総司令部から、出入国及び退去強制の手続を含んだ全般的な法令を制定するよう勧告があり、折から、平和条約締結が議題に上っていたなどの事情もあり、我が国の国際復帰に備え、諸外国の法令、特にアメリカの移民法案を参考として、昭和26年10月4日「出入国管理令」が制定公布され、同年11月1日から施行され、同「出入国管理令」の制定に伴い、退去強制手続令は廃止されたものである。
このように、出入国管理令は外国の諸法令、特にアメリカの移民法案を参考として制定されたものであり、退去強制手続令等の趣旨をそのまま承継したものとは直ちに言えないのであり、退去強制手続令の趣旨を出入国管理令が承継していることを前提とする原告の主張は根拠がないというべきである。
(4) 出入国管理令が収容前置主義を採っていたことについて
出入国管理令が収容前置主義を採っていたことは、以下の事実からも裏付けられるところである。
ア 出入国管理令の立案に当たっては、「昭和25年9月15日付連合国最高司令官総司令部覚書『出入国に関する件』に基づき、すべての人の出入国の公正な管理を実施するため、現行の出入国の管理に関する制令を廃止して、新たに出入国管理令を制定する必要があるからである。」旨の「理由」が添付されている(乙第34号証128ページ上段)。
そして、同覚書の二においては、連合国最高司令官が日本政府に指令する事項として、「a、個人の日本入国に関する連合国最高司令官の取締規定及び日本の法律に違反して日本に入国し又は居留した者を、逮捕し抑留すること」(乙第34号証100ページ上段)が掲げられており、不法入国者等を逮捕し、抑留することが日本政府に対して指令されていたのであって、この場合の「抑留」が、刑事手続における「抑留」を意味するものでないことは、次項において、「b、不法入国により逮捕された者を抑留する為め、矯正保護組織又は国家警察ないし自治警察組織に全く属さず又何等関係のない所要のプロセスイング・センターを設置すること」とされていることからも明らかである。
イ 出入国管理令の制定に際し参考とされたアメリカの移民法案は、1952年6月27日、連邦議会を通過し、「移民国籍法」(Immigration and Nationality Act of 1952)と命名されているが(乙第35号証の1、20ページ)、「外国人の逮捕および退去強制」について規定した同法242条(a)は、「本条の(b)項に規定する外国人の場合の退去強制の決定が未決の間は、その外国人は司法長官の令状によって逮捕ならびに収捕される。収捕された外国人は、退去強制の最終決定が未決の間は、司法長官の裁量によって以下の扱いを受ける。」(乙第35号証の2、184ページ)と規定しており、同法においても、当時、収容前置主義が採用されていたのである。
原告は、米国移民法について、収容前置主義を採っていないことを明らかに判示した裁判例があり、制定当時は逮捕状の発付をもって退去強制手続を開始するという運用をしていたが、1956年2月6日以降、移民法施行規則が改正されて、退去強制手続は理由開示命令によって開始されることとなり、これにより運用上も退去強制手続は逮捕を不可避としなくなっており、当時移民法が容疑者の逮捕を不可避のものとしておらず、容疑者すべての逮捕を命じてもいなかったことが明らかである旨主張する。
しかしながら、「外国人の逮捕および退去強制」について規定した米国移民法242条(a)は、「本条の(b)項に規定する外国人の場合の退去強制の決定が未決の間は、その外国人は司法長官の令状によって逮捕ならびに収捕される。」(乙第35号証の2、184ページ)と規定しており、これを受けて、制定当時、逮捕状の発付をもって退去強制手続を開始するという運用が行われ、当時の移民法規則上、手続開始の端緒についての定めが他になかったのであるから、かかる事実は、当時においては、米国移民法の上記規定について、収容前置主義を採るものと解釈されていたことを示すものである。
ウ 原告は、前記イの主張に対し、仮に諸外国の法令、特にアメリカの移民法案を参考としたものとしたとしても、その影響は、収容謙抑主義に向かうものであったと主張し、甲第39号証の1に「入国審査官は、必要あるときは長官の承認を受け収容令書を発付し」とあり、占領軍総司令部の要求が、「必要あるとき」に収容するという法制であったことが明らかであり、退去強制手続令も入国管理令もいずれも占領軍総司令部からの要求に基づくものだったのであるから、その基本構造に継続性があることは自然なことであると主張する。
しかしながら、原告引用部分は、出入国管理庁が、占領軍総司令部から示されたメモを検討し、さらに具体案の提出を求められて作成した外国人登録令改正要綱案の一部であって、占領軍総司令部のメモ(甲第39号証の1、29ページ上段ないし30ページ下段)には、「必要あるとき」に収容する趣旨の文言はなく、また、退去強制手続令も昭和26年に制定公布された出入国管理令も「必要あるとき」に収容するという規定は存在しないから、原告の主張は、その前提を誤っており失当である。
エ 第10で述べたとおり、退去強制手続令においても、退去強制令書を発付するに当たっては、収容令書が発付されていることが前提とされており、また退去強制事由該当性のみが判断されれば足りることは明らかで、収容されることなく退去強制令書が発付される手続が予定されていないとの意味において退去強制手続令が収容前置主義を採用していることは明らかというべきである。
そして、退去強制手続令が収容前置主義を採っていたことは、以下の事実からも裏付けられるところである。
すなわち、退去強制手続令の立案に当たっては、「昭和二五年九月一五日付連合国最高司令官総司令部覚書『出入国に関する件』に基き、不法入国者等の退去強制に関する公正な手続を至急整備する必要があるからである。」旨の「理由」が添付されている(乙第34号証97ページ下段)。出入国管理令と同様に、前記アで述べた覚書の指令を実施することが「理由」とされているのであるが、同覚書において、不法入国者等を逮捕し、抑留することが指令されていることも、前記アで述べたとおりである。
第12  別紙表2の論点IIIについて
1 原告の主張について
原告の主張については別紙表2(21ないし23ページ)のとおりである。
2 被告の主張について
ア 原告は、過去における立法の趣旨等からみて、収容前置主義を採用していなかったのは明らかであると主張する。
しかしながら、原告が引用する昭和27年4月15日付け参議院外務・法務連合委員会における佐藤達夫政府委員による答弁は、「…疑われただけで60日も異国の地において収容されるという苦痛は堪えられないものであると思う。だからこれはできる限り制約すべきが本来ではないか。(中略)併しかような長期間というものをここで漫然賄って置くということは、私はそれ自体が諸外国に対して笑われる事実として指摘されるじやないか、こう思うのです。」との質問(甲第38号証の2、8ページ第2、3段目)に対してなされたものであるところ、上記質問の内容からして、上記答弁の趣旨は、退去強制手続が終了しない者については、必ず60日間収容するというものではなく、場合によっては、収容を解いたうえで、退去強制手続を行うことも有りうることを示唆したものであると考えるべきであり、すなわち、同令54条に定められた仮放免手続による対応を念頭に置いた上で述べているものであるとみるべきであり、原告の主張は、失当である。
イ 原告は、前記アの主張に対し、仮放免に関する発言をここに見いだすことはできず、必要のない収容はしないことを明らかにして、人権保障の趣旨を示しているのであり、仮放免の制度とは関係のない説明である旨主張する。
しかしながら、出入国管理の当局者が出入国管理令39条の収容について収容前置主義を採るとの理解に立っていたことは、前記委員会において、収容の法律的な意味に関する質問に対し、当時の鈴木政勝入国管理庁審判調査部長が、「一つは管理令に違反して退去強制の処分を受けるような該当者、容疑者と申しますか、こういったような者がある場合に、三十九条によりまして二十四条の退去強制の事由に該当すると認めるに相当の理由があるときは、収容令書によってその者を収容する」(甲第38号証の2、3ページ)と答弁し、行政手続で人身を拘束することはあり得ないとの質問者の考え方に対し、「私どもの考えといたしましては、これは行政措置として身柄を拘束するという根本の考え方があるわけでございまして、(中略)外国人が不法に入国して来たり、或いは日本の秩序或いは社会公共の福祉に反する者を日本の国から出て行ってもらうと、こういった場合、これは言葉を換えて言えば、むしろ個人のそういった自由の尊重というよりも、社会の秩序といいますか、公共の福祉というものが優先する、その社会の福祉、公共の安全という範囲内において人の自由というものが尊重される、かような精神におきましてこれは止むを得ない措置である。」(甲第38号証の2、4、5ページ)と答弁し、「容疑があるというだけで以て、而もあなたたちの認定だけで、それで以て六十日の間の基本人権を制約しても差支えないという議論は、私はいわゆる公共の福祉ということにはちっとも当てはまらんと思うのです。」との質問者の見解に対し、「六十日が長過ぎるというお尋ねでございまするけれども、これは先ほども申上げましたように、その者が二十四条の退去強制事由に該当するという容疑によって予備調査が始まりましてから、身柄を収容されて先ず第一に審査官によって審査を受けます。」(甲第38号証の2、5ページ)と答弁し、収容前置主義の前提に立った説明をしているのであり、前記の佐藤達夫政府委員による答弁もこの前提に立った上で、出入国管理令54条に定められた仮放免手続による対応を念頭に置いて述べているのである。仮に原告のいうように同委員の答弁が必要のない収容はしないことを明らかにして人権保障の趣旨を示すものであるとすると、それぞれの答弁に齟齬が生じることになることからも、原告の主張は明らかに失当である。
第13  別紙表2の論点IVについて
1 原告の主張について
原告の主張については別紙表2(23ないし36ページ)のとおりである。
2 被告の主張について
(1) 総論
ア 法は、次の理由から、収容前置主義を採用している(坂中英徳・齋藤利男共著・出入国管理及び難民認定法逐条解説545ページ以下。乙第27号証)。
(ア) 法は、入国警備官の違反調査と入国審査官の違反審査とを結び付ける手続として、容疑者の引渡しの制度を設けている。すなわち、法44条は、「容疑者を収容したときは、容疑者の身体を拘束した時から四十八時間以内に、調書及び証拠物とともに、当該容疑者を入国審査官に引き渡さなければならない。」と規定し、これを受けて同45条は、「入国審査官は、前条の規定により容疑者の引渡を受けたときは、容疑者が第二十四条各号の一に該当するかどうかをすみやかに審査しなければならない。」と規定するのみで、入国警備官が容疑者を収容しないで違反事件を入国審査官に引き渡す手続を定めた規定はない。
(イ) 法47条は、「入国審査官は、審査の結果、容疑者が第二十四条各号のいずれにも該当しないと認定したときは、直ちにその者を放免しなければならない。」と規定しているが、これは入国審査官の審査の段階では容疑者はすべて収容されていることを前提とした規定であると解される。
(ウ) 法48条3項は、「特別審理官は、第一項の口頭審理の請求があったときは、容疑者に対し、時及び場所を通知してすみやかに口頭審理を行わなければならない。」と規定しているが、口頭審理の性格上、必ず容疑者の出頭の下に特別審理官が容疑者と対面して審理を行うものであるところ、その出頭を求める規定は特に設けられていない。他方、入国警備官の違反調査については、法29条が「…容疑者の出頭を求め、当該容疑者を取り調べることができる。」として、容疑者の取調べに先立ち容疑者の出頭を求めるべきことが規定されていることに照らせば、口頭審理に関しこのような規定が置かれていないのは、特別審理官の口頭審理の段階では容疑者は全て収容されているという前提に立っているためであると解される。
(エ) 法48条6項は、「特別審理官は、口頭審理の結果、前条第2項の認定が事実に相違すると判定したときは、直ちにその者を放免しなければならない。」と規定し、また、同49条4項が、「主任審査官は、法務大臣から異議の申出が理由があると裁決した旨の通知を受けたときは、直ちに当該容疑者を放免しなければならない。」と規定しているのも、前記(イ)で述べたのと同様に、特別審理官の口頭審理や法務大臣に対する異議の申出の段階においても、容疑者はすべて収容されているとの前提に立っているためであると解される。
(オ) 法63条1項は、「第二十四条各号の一に該当する外国人について刑事訴訟に関する法令、刑の執行に関する法令又は少年院若しくは婦人補導院の在院者の処遇に関する法令の規定による手続が行われる場合には、その者を収容しないときでも、その者について第五(第二節並びに第五十二条及び第五十三条を除く。)の規定に準じ退去強制の手続を行うことができる。」と規定しているが、ここにいう「その者を収容しないときでも」とは、「収容令書による収容を行わない場合であっても」という意味であり、同条項は、この規定に該当する外国人以外の容疑者はすべて収容されているという前提で、収容前置主義の唯一の例外を定めたものであると解される。
(カ) 前記(オ)の規定の趣旨とするところは、送還のための身柄確保の必要があるほか、元来、不法入国者のみならず、不法上陸者及び不法残留者は、本邦において在留活動をすることは許されないのにかかわらず、身柄を収容し在留活動を禁止しなければ、事実上在留活動を容認することとなり、在留資格制度の建前をびん乱することとなるからであり、そうすると法の規定する退去強制手続は身柄を収容して行うのを原則とすることは明らかである(福岡地裁平成7年9月14日判決40丁表ないし48丁裏、乙第30号証。東京地裁昭和51年9月27日判決。訟務月報23巻2号359ページ、乙第28号証、東京地裁平成11年6月16日、乙第32号証31ページ)。
イ 原告は、被告の「退去強制事由の一に該当すると疑うに足りる相当の理由がある場合に、退去強制手続を進めるに当たって、容疑者の身体を義務的に拘束することは、外国人を国外に退去強制するという行政目的を達成するための不可欠な手続であることから導かれる当然の帰結である。」との主張について、法上の強制処分にも憲法31条が準用されるから、無罪推定原則、無辜の救済主義、それに仕える弾劾主義・当事者主義などが退去強制手続においても論理的に当然のこととなり、違反調査の段階で、容疑者を最終的に国外に退去強制することを目的として収容をすることは、上記の諸原則に反し、法に基づく収容も、逃亡の怖れなど、具体的な合理的理由があって初めて正当化されるものであり、刑事訴訟法に基づく身体拘束と何ら変わりがない旨主張する。
しかしながら、法に規定する退去強制手続において、原告のいう弾劾主義や当事者主義が採られていないことからも明らかなとおり、退去強制手続は、刑事手続とはおよそ性格を異にするものであり、法上、刑事手続と類似の規定も部分的には見られるが、それは、便宜的に用いられた外形的な要素に過ぎない。
ウ 原告は、刑罰権及びそれに付随する強制権限は、国会の制定した法律による明確な授権がない限り存在せず、国会の立法による授権規範も、憲法31条以下の規定を具体化したもの以外は認められず、また、同規定に基づく手続規定を伴わなければ許されず、この趣旨は、法28条についても妥当することを前提として、法28条にいう「特別の規定」とは、権利を制限することを明確に授権する根拠規範であると解されるとともに、その解釈に当たってはみだりに拡大解釈や類推解釈をすることは許されないから、被告国が収容前置主義の根拠条文として掲げる法44条、45条、47条ないし49条は、「特別の規定」たる明示的な根拠規定と認めることは到底できないし、また、同各条を根拠として、39条の収容権限の対象を全容疑者に拡大することも許されない旨主張する。
しかしながら、原告の主張は、以下のとおり失当である。
(ア) 被告国は、前記アで収容前置主義の根拠条文として法44条、45条、47条ないし49条を挙げたが、これらの規定を、法28条にいう「特別の規定」として挙げたものではないし、また、全容疑者に対する収容権限の根拠規定として挙げたものでもない。
(イ) 収容令書に基づく入国警備官の収容権限の根拠規定は、あくまでも法39条の規定であって、同規定は、法28条にいう「特別の規定」である。
そして、入国警備官が法24条各号の一に該当すると思料する外国人(容疑者)(法27条)のうち、法「24条の各号の一に該当すると疑うに足りる相当の理由がある」者のすべてについて、入国警備官に収容の権限があると解されることは、法39条の規定の文言から明らかであり、同規定が、このような容疑者の権利を制限することを明確に授権した根拠規定であることも、また、上記の解釈が、拡大解釈や類推解釈に当たらず、収容権限の対象を拡大するものでないことも、その文言から明らかである。
(ウ) 憲法31条は、直接には刑事手続に関する規定であって、収容令書に基づく収容に適用されるか否かについては疑義があるところ、仮に憲法31条の趣旨を収容令書に基づく収容に及ぼして考えてみても、すでに述べたとおり、法「24条の各号の一に該当すると疑うに足りる相当の理由がある」者のすべてについて、入国警備官に収容の権限があると解することは、何ら憲法31条に違反するものではない。
(2) 法39条1項について
法39条1項は、収容令書に基づいて収容するにあたっては、「第24条各号の一に該当すると疑うに足りる相当の理由がある」ことを唯一の要件として定めており、「収容を必要とする合理的な理由の存在」を要件としていない。
法39条1項は、収容令書により容疑者を収容する入国警備官の権限を定めたもので、容疑者が第24条各号の一に該当すると疑うに足りる相当の理由があるときは、収容令書によりその者を収容することが「できる」と規定するが、前記(1)ア(オ)で述べたところからすれば、入国警備官が違反事件を入国審査官に引き渡すときには、法63条1項に該当する場合を除き、収容令書に基づき容疑者を収容しなければならず、入国警備官が違反事件を入国審査官に引き渡すにあたっては、当該収容は義務的なものである(乙第27号証545ページ)。
(3) 法39条2項について
法39条2項は、主任審査官の収容令書の発付の権限を定めていると同時に、収容令書発付の義務を定めたものである。すなわち、収容令書は、入国警備官の請求に基づき、主任審査官が発付するものであるが、主任審査官は、入国警備官の請求に係る容疑者が「法第24条各号の一に該当すると疑うに足りる相当の理由がある」と認める場合には、収容令書をき束的に発付しなければならないのであり、容疑者が法24条各号の一に該当すると疑うに足りる相当の理由があると認められるにもかかわらず、主任審査官がその裁量により収容令書を発付しないことは許されないのである(乙第27号証547ページ以下)。
(4) 法43条について
ア 原告は、法43条1項が、「収容令書の発付をまっていては逃亡の虞があると信ずるに足りる相当の理由」を要件とすること自体、収容の基盤が逃亡の防止にあることを示しており、同項は、収容においては容疑のみならず逃亡の恐れが必要であることを前提に、容疑および逃亡のおそれの双方につき、通常以上の明白性、切迫性がある場合に、収容令書の発付を待たずに収容することができるとしたものである旨主張する。
しかしながら、原告の主張は、以下のとおり失当である。
(ア) 退去強制手続において、退去強制事由該当容疑者の収容は、収容令書に基づいて行うのが原則である(法39条、以下「通常収容」という。)が、その例外として、法43条は、退去強制事由に明らかに該当する者が収容令書の発付をまっていては逃亡のおそれがあると信ずるに足りる相当の理由があるときには、入国警備官は収容令書の発付をまたずに当該容疑者を収容することができる要急収容について規定している。
そして、かかる要急収容を行うためには、〈1〉「第24条各号の一に明らかに該当する者」、すなわち退去強制事由に該当すると明らかに認められる者がその現場にいること、〈2〉「収容令書の発付をまっていては逃亡の虞がある」という切迫した状況下にあること、〈3〉入国警備官においてそのように「信ずるに足りる相当の理由がある」ことが要件とされる。
(イ) しかしながら、前記(ア)〈1〉の「第24条各号の一に明らかに該当する者」、すなわち退去強制事由に該当すると明らかに認められる者がその現場にいることとの要件については、通常収容の要件が、「容疑者が第24条各号の一に該当すると疑うに足りる相当の理由がある」ことであるのと比較して、退去強制事由に該当することがより明白であることが要求されているといえるが、しかし、だからといって、〈2〉の「収容令書の発付をまっていては逃亡の虞がある」という切迫した状況下にあることを要件としていることが、論理必然的に、通常収容においても逃亡の虞を要件とすることを前提としていることにはならないのであって、法43条1項の規定が、収容においては容疑のみならず逃亡のおそれが必要であることを前提としている旨の原告の主張は、独自の見解を述べたものに過ぎない。
イ 原告は、法43条3項について、主任審査官による事後的審査において審査される要件は、退去強制事由該当容疑だけでなく、「収容令書の発付をまっていては逃亡の虞があると信ずるに足りる相当の理由」も審査されることは文言上明らかであり、退去強制手続において退去強制事由該当容疑者を全件収容するのが法の建前であるとするなら、退去強制事由に明らかに該当する者について何故にさらに逃亡のおそれがあるか否かを審査するのか説明に窮する旨主張する。
そこで、この点について説明すると、法43条2項の規定に基づき入国警備官から収容令書の発付の請求があったときは、主任審査官は、収容が同条1項に定める要件を満たしているか否かを速やかに検討し、満たしていると判断したときは、収容令書を発付し、満たしていないと判断したときは、収容令書を発付しない旨を決定するのであり、後者の場合には、入国警備官は、もはや容疑者の拘束を継続することはできず、直ちに放免しなければならない。
すなわち、要急収容は、例外的に収容令書の発付を待たずに行われる収容であるから、事後的にその収容が適法に行われたか否かを確認する必要があり、そのために主任審査官は、その収容が前記ア(ア)で述べた〈1〉ないし〈3〉の各要件をすべて満たしているかどうか確認するのであって、〈1〉「第24条各号の一に明らかに該当する者」、すなわち退去強制事由に該当すると明らかに認められる者がその現場にいることとの要件が満たされているからといって、〈2〉及び〈3〉の要件が満たされているか否かを確認しないことは許されないのである。
したがって、法43条2項の規定に基づき入国警備官から収容令書の発付の請求があったときは、主任審査官は当然〈2〉の要件が満たされているか否かを判断することになるが、このことが、収容前置主義を採用していることと矛盾しないことは、前記ア(イ)で述べたことからも明らかである。
ウ 原告は、退去強制事由に明らかに該当する者であっても「収容令書の発付をまっていては逃亡の虞があると信ずるに足りる相当の理由」が認められない場合は収容令書は発付されないのであり、明らかに収容前置主義に対立すると主張する。
しかしながら、退去強制事由に明らかに該当する者であっても「収容令書の発付を待っていては逃亡のおそれがあると信ずるに足りる相当の理由」が認められない場合は、要急収容の要件である、前記ア(ア)で述べた〈1〉ないし〈3〉の各要件をすべて満たしているとはいえず、法43条2項の規定に基づき入国警備官から収容令書の発付の請求があったとしても、主任審査官が収容令書を発付しないのは当然である。
(5) 法44条・45条について
法44条・45条に定めるとおり、入国警備官が容疑者を収容しないで違反事件を入国審査官に引き渡す手続を定めた規定はないことは、前記(1)ア(ア)で述べたとおりである。
(6) 法46条について
原告は、法44条及び45条の規定はいずれも、警備官及び審査官に、その権限行使にあたり守らなければならない手続(この場合は時間的制約など)を定める手続規範であり、容疑者を収容する場合において、容疑者の人権に配慮して手続を定めようとしたものであり、収容しない場合にはそのような配慮は必要がないから、詳細な定めがないのである旨主張し、法44条及び45条の規定が収容前置主義の論拠とならない旨主張するもののようである。
しかしながら、仮に原告の主張するように、法が原告のいう収容謙抑主義を採っており、法44条及び45条の規定が、容疑者を収容した場合についての規定であるとすると、容疑者に立証責任を課した法46条の規定は、法45条の審査を受ける容疑者に関するものであるから、容疑者を収容しない場合については適用されず、収容されない容疑者については法46条に定める立証責任が課されないという矛盾が生じるのであるから、原告の主張は明らかに失当である。
(7) 法47条について
ア 法47条が、入国審査官の審査の段階では容疑者はすべて収容されていることを前提とした規定であると解されることについては前記(1)ア(イ)で述べたとおりである。
イ 原告は、強制にわたらない事務については、法61条の3及び61条の3の2が定めていると主張し、また、法47条、48条6項、49条4項は、45条を引き継ぎ容疑者が収容された場合につき規定したものであるにすぎないとも主張するが、仮に原告の主張するとおりであれば、退去強制令書発付について規定した法47条4項、48条8項及び49条5項の規定についても容疑者が収容された場合について規定したものであるということになり、容疑者が収容されないまま退去強制手続が進められた場合の退去強制令書の発付は、法61条の3第2項2号によるしかないことになるが、これは、まさに、「特別の規定」がないまま強制の処分をすることになるから、原告の主張はそれ自体矛盾しており、失当である。
(8) 法48条3項について
ア 法48条3項に容疑者の出頭を求める規定がないのは、特別審理官の口頭審理の段階では容疑者はすべて収容されているという前提に立っているためであると解されることについては、前記(1)ア(ウ)で述べたとおりである。
イ 原告は、昭和32年6月10日法務省訓令第1号による「審判規程」別記第13号様式の口頭審理期日通知書の様式には、「下記の通り口頭審理を行うから、出頭されたい。」、「出頭の際はこの通知書を示されたい。」と記載され、違反調査と同様、口頭審理についても出頭を求めるものと理解されていたことが明らかであるが、同様式には、「正当な理由がなく出頭しないときは、仮放免中の者は仮放免を取り消される。」との文言があり、かかる文言は、収容されておらず、正当な理由がなく出頭しない者で、仮放免を受けている者以外の者があることを前提とすることは明らかであって、収容前置主義と矛盾する旨主張する。
しかしながら、原告の主張は、以下のとおり失当である。
(ア) 特別審理官による口頭審理は、入国審査官による審査とは異なり、容疑者の請求に基づいて実施され、特別審理官が一方的に容疑者を取り調べるのではなく、容疑者も当事者として、定められた手続に従って、事実関係を明らかにしていくという手続構造となっていることから、容疑者が口頭審理に向けて所要の準備をする時間的余裕を与えるため、口頭審理を行う日時及び場所を事前に通知することとされているのであり、そのような意味において、口頭審理期日通知書においては、容疑者に出頭を求める体裁が取られているのである。
(イ) 確かに、制定当時の「審判規程」別記第13号様式の口頭審理期日通知書には、「正当な理由がなく出頭しないときは、仮放免中の者は仮放免を取り消される。」旨記載されているが、その趣旨は、仮放免中の者が出頭に応じない場合を想定した記載であって、仮放免を受けている者以外の者で、収容されていない者が存在することを前提とした記載ではない。このことは、当該記載の英文訳が、「If you are under the provisional release and fail to appear without due reason, your provisional release will be revoked.」(仮放免中の者が正当な理由なく出頭しないときは、仮放免を取り消される。)となっていることからも明らかである(乙第36号証)。
(9) 法48条6項・49条4項について
法48条6項・49条4項が、それぞれ認定に誤りがあった場合、異議の申出に理由がある旨の法務大臣の裁決があった場合について、直ちに容疑者を放免すべきことを規定しているのは、特別審理官の口頭審理や法務大臣に対する異議の申出の段階においても、容疑者はすべて収容されているとの前提に立っているためであると解されることについては前記(1)ア(エ)で述べたとおりである。
(10) 法63条1項について
ア 法63条1項が、収容前置主義の唯一の例外を定めたものであると解されることについては、前記(1)ア(オ)で述べたとおりである。
イ 原告は、法63条の規定は、令の制定時から、令63条として存在したが、当時、不法入国・不法滞在者に対する刑事手続と行政手続との関係について、司法処分先行主義を採っていたことから、令63条は、右の刑事手続前置主義の例外を許容することを明らかにすることに意義があったものであることがわかると主張するが、令においては、司法処分と行政処分とを並行して行い得るのであり、すでに刑事手続前置主義は採られていないから、原告の主張が失当であることは明らかである。
ウ 原告は、法63条が準用する法5章は、収容の有無に関わらない規定(第1節)と、収容された場合の規定(第3節)が含まれ、被告の解釈によれば、第1節も収容された者にのみ適用される規定であることになるが、法5章1節にも出頭要求(法29条)など、明らかに収容されていない者に関する規定があるから、同規定の主たる趣旨が、収容前置主義との関係ではないことが明らかであると主張する。
しかしながら、被告の解釈によっても、法5章1節が収容された者にのみ適用される規定であることにはならない。
すなわち、法5章1節は、入国警備官による違反調査に関し規定したものであり、この違反調査は、法39条に定める収容令書による収容に先行するものであるからである。このことは、法27条が、違反調査の開始について、「入国警備官は、第24条各号の一に該当すると思料する外国人があるときは、当該外国人(以下「容疑者」という。)につき違反調査をすることができる。」と規定して、入国警備官が「該当すると思料する」という一応の容疑に係らしめているのに対し、法39条は、収容について、「入国警備官は、容疑者が第24条各号の一に該当すると疑うに足りる相当の理由があるときは」と規定して、違反調査開始の要件としての単なる「容疑者」から、さらに容疑事実を肯定する客観的かつ合理的な根拠があることまでを求め、より厳格な要件を課していることからも明らかである。
したがって、法29条に規定する容疑者の出頭要求など容疑者が収容されていないことを前提とする法5章1節中の各規定も、法39条に定める収容令書による収容以前の手続であるから、容疑者が収容されていないのは当然であり、同規定は収容前置主義に何ら矛盾するものではない。
以上からすれば、原告の主張が失当であることは明らかである。
(11) 法64条第2項について
原告は、法64条2項は、「当該外国人に対し収容令書または退去強制令書の発付があったときは」と規定し、これは収容前置主義に矛盾すると主張するが、同主張が失当であることは、前記第11の2(2)に述べたとおりである。
(12) 刑事訴訟法との比較について
ア(ア) 刑事訴訟法199条1項は、検察官、検察事務官又は司法警察職員が、「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるとき」は、裁判官のあらかじめ発する逮捕状により被疑者を逮捕することができることを定めるが、同条2項は、「明らかに逮捕の必要がないと認めるときは」逮捕状を発することができない旨定め、同法203条ないし 205条は、逮捕した者についても「留置の必要がないと思料するとき」は直ちに釈放すべきことを定めている。このように刑事訴訟法においては、逮捕の必要性を逮捕の要件として規定し、留置の必要がないことが判明したときには直ちに釈放すべきことを明定しているのであって、退去強制事由のみを収容の要件として規定する出入国管理及び難民認定法の規定の仕方とは明らかに異なっており、このような規定の仕方と比較しても、法が収容を必要とする合理的な理由の存在を要件としていないことは明らかと言うべきである。
また、刑事訴訟法の建前として保釈が原則とされているのに対し、法が収容を原則とされているのは、そもそも外国人の入国及び在留については、国際慣習法上、国家の主権にかかわる事項として国家の広範な自由裁量にゆだねられており、憲法上の基本的人権として認められないものであるから、その帰結として、入国及び在留の許否が在留資格制度の枠内において認められるに過ぎないことはもとより、本邦での在留が否定された不法残留者等の退去強制事由該当者については、退去強制手続において在留活動を禁止してすべて身柄を収容して行うことが原則とされる。
(イ) 主権国家が併存する現代国際社会において、国民以外の者を「外国人」と位置付け、どのような外国人を受け入れ、どのような外国人を排除するかを自由に決定する国家の権利が国際法上認められている。
主任審査官が発付する収容令書に基づく収容は、このような国家の権利として認められている外国人の退去強制の実施を目的として、退去強制事由に該当すると疑うに足りる相当の理由がある外国人の退去強制を進めるに当たりその身体を拘束することを内容とするものであり、前記(2)及び(3)で述べたとおり、退去強制事由の一に該当すると疑うに足りる相当の理由がある場合に、退去強制手続を進めるに当たって、当該容疑者の身体を義務的に拘束することは、外国人を国外に退去強制するという行政目的を達成するための不可欠な手続であることから導かれる帰結である。
イ 原告は、被告の前記アの主張について、法上の強制処分にも憲法31条が準用されるから、無罪推定原則、無辜の救済主義、それに仕える弾劾主義・当事者主義などが退去強制手続においても論理的に当然のこととなり、違反調査の段階で、容疑者を最終的に国外に退去強制することを目的として収容をすることは、上記の諸原則に反し、法に基づく収容も、逃亡の怖れなど、具体的な合理的理由があって初めて正当化されるものであり、刑事訴訟法に基づく身体拘束と何ら変わりがない旨主張する。
(ア) しかしながら、退去強制手続は、刑事手続とはおよそ性格を異にするものであることについては、前記(1)イで述べたとおりである。
(イ) また、収容令書に基づく容疑者の収容は、容疑者に退去強制令書が発付された場合の送還を確保するために行うものであって、外国人を国外に退去強制するという行政目的を達成するための不可欠な手続として行うものであるが、収容令書発付の段階では容疑者を法24条の各号の一に該当することが確定している者と同視して扱っているわけではなく、その後入国審査官による審査(法46条)、口頭審理の請求があった場合の特別審理官による口頭審理(法48条)、さらには法務大臣による異議申出に対する裁決(法49条)という慎重な手続が予定されているのである。したがって、たとえ憲法31条1項の趣旨を収容令書に基づく収容に及ぼすとしても、無罪推定原則に反するものではないことは明らかである。
(13) 仮放免制度の位置付けについて
ア 法は、退去強制事由に該当すると疑うに足りる相当の理由がある者について、入国審査官に事件を引き渡すに当たっては、退去強制事由に該当することのみをその要件とし、収容を必要とする合理的な理由の存在を要件とはしていないが、その一方で、法54条は、収容令書若しくは退去強制令書の発付を受けて収容されている者について仮放免の制度を設け、同条1項では、「収容令書若しくは退去強制令書の発付を受けて収容されている者又はその者の代理人、保佐人、配偶者、直系の親族若しくは兄弟姉妹は、法務省令で定める手続により、入国者収容所長又は主任審査官に対し、その者の仮放免を請求することができる。」と、また、同条2項では、「入国者収容所長又は主任審査官は、前項の請求により又は職権で、法務省令で定めるところにより、収容令書又は退去強制令書の発付を受けて収容されている者の情状及び仮放免の請求の理由となる証拠並びにその者の性格、資産等を考慮して、300万円を超えない範囲内で法務省令で定める額の保証金を納付させ、かつ、住居及び行動範囲の制限、呼出しに対する出頭の義務その他必要と認める条件を付して、その者を仮放免することができる。」と規定されているとおり、病気の場合、種々の事由で送還が遅延し収容期間が長期化した場合等収容の継続が相当でないと認められる特別な事由が生じた場合に、本人若しくは一定の関係人の請求又は入国者収容所長若しくは主任審査官の自由裁量として、一時的に収容を停止し、一定の条件を付した上で身体の自由の拘束を一時的に解くことが可能となっており、収容の継続に問題があるものについてもこの仮放免の制度によって対応するというのが法の趣旨と解することができる。
イ 原告は、法54条2項からすると、仮放免の全件につき、保証金を課すこととなっており、これはまさしく、収容された者は逃亡の可能性のある者であることを前提としており、裏を返せば、逃亡のおそれのない者が収容されることは予定していないのである旨主張する。
しかしながら、法54条2項は、入国者収容所長又は主任審査官が、収容令書又は退去強制令書の発付を受けて収容されている者につき、同条1項の請求又は職権により仮放免する場合の条件の一として、「300万円を超えない範囲内で法務省令で定める額の保証金を納付させ」ることを定めており、かかる保証金納付についての条件は、収容令書の発付を受けている者のみならず、退去強制令書の発付を受けている者についても同様に課されているのである。
ところで、退去強制令書に基づく収容は、法52条5項に基づくものであるところ、退去強制令書の発付を受けた者を「直ちに本邦外に送還することができない」ことのみを要件としているのであり、原告のいう収容謙抑主義は採られていないから、仮放免の全件について保証金納付の条件を課すことは逃亡の恐れのない者の収容を予定していない旨の原告の主張は、明らかに失当である。
(14) 原告は、児童の権利に関する条約(以下「児童の権利条約」という。)37条(b)により、児童の収容は最後の解決手段として最も短い適当な期間のみ用いる以外はしてはならないところ、法39条は、児童への適用について何ら明文の除外をしていないから、収容前置主義を採ることは、児童の権利条約37条(b)に違反する旨主張する。
しかしながら、収容令書に基づく容疑者の収容は、外国人を国外に退去強制するという行政目的を達成するための不可欠な手続として、容疑者に退去強制令書が発付された場合の送還を確保するために行うものであるところ、これは、成人の場合であろうと児童の場合であろうと差異はなく、児童の適用について明文の除外をすることは必要ではない。また、収容令書に基づく収容は、30日(主任審査官がやむを得ない事情があると認めるときは、更に30日)以内に制限されている上、児童を収容した場合においても、法54条の規定に基づき、入国者収容所長又は主任審査官は、請求により又は職権で、当該児童を仮放免することができるのであるから、収容前置主義を採ることが直ちに児童の権利条約37条(b)に違反することにはならない。

A主張整理表〈省略〉
本件収容所トイレ図〈1〉〈省略〉
本件収容所トイレ図〈2〉〈省略〉


「選挙 ビラ チラシ」に関する裁判例一覧

(1)平成23年 1月18日  東京地裁  平22(行ウ)287号 政務調査費交付額確定処分取消請求事件
(2)平成22年 6月 8日  東京地裁  平21(行ウ)144号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(3)平成21年 2月17日  東京地裁  平20(行ウ)307号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(4)平成21年 1月28日  東京地裁  平17(ワ)9248号 損害賠償等請求事件
(5)平成20年11月28日  東京地裁  平19(行ウ)435号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(6)平成20年 9月19日  東京地裁  平17(特わ)5633号 国家公務員法被告事件
(7)平成20年 7月25日  東京地裁  平19(行ウ)654号 政務調査費返還命令取消請求事件
(8)平成20年 4月11日  最高裁第二小法廷  平17(あ)2652号 住居侵入被告事件 〔立川反戦ビラ事件・上告審〕
(9)平成20年 3月25日  東京地裁  平19(行ウ)14号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(10)平成19年 6月14日  宇都宮地裁  平15(ワ)407号 損害賠償請求事件
(11)平成18年12月 7日  東京高裁  平17(ネ)4922号 損害賠償等請求控訴事件 〔スズキ事件・控訴審〕
(12)平成18年 4月14日  名古屋地裁  平16(ワ)695号・平16(ワ)1458号・平16(ワ)2632号・平16(ワ)4887号・平17(ワ)2956号 自衛隊のイラク派兵差止等請求事件
(13)平成17年 9月 5日  静岡地裁浜松支部  平12(ワ)274号・平13(ワ)384号 損害賠償請求事件、損害賠償等請求事件 〔スズキ事件・第一審〕
(14)平成17年 5月19日  東京地裁  平12(行ウ)319号・平12(行ウ)327号・平12(行ウ)315号・平12(行ウ)313号・平12(行ウ)317号・平12(行ウ)323号・平12(行ウ)321号・平12(行ウ)325号・平12(行ウ)329号・平12(行ウ)311号 固定資産税賦課徴収懈怠違法確認請求、損害賠償(住民訴訟)請求事件
(15)平成16年11月29日  東京高裁  平15(ネ)1464号 損害賠償等請求控訴事件 〔創価学会写真ビラ事件・控訴審〕
(16)平成16年10月 1日  東京地裁  平14(行ウ)53号・平14(行ウ)218号 退去強制令書発付処分取消等請求、退去強制令書発付処分無効確認等請求事件
(17)平成16年 4月15日  名古屋地裁  平14(行ウ)49号 難民不認定処分取消等請求事件
(18)平成15年 4月24日  神戸地裁  平11(わ)433号 公職選挙法違反被告事件
(19)平成15年 2月26日  さいたま地裁  平12(ワ)2782号 損害賠償請求事件 〔桶川女子大生刺殺事件国賠訴訟・第一審〕
(20)平成14年12月20日  東京地裁  平10(ワ)3147号 損害賠償請求事件
(21)平成14年 1月25日  福岡高裁宮崎支部  平13(行ケ)4号 当選無効及び立候補禁止請求事件
(22)平成13年12月26日  東京高裁  平13(ネ)1786号 謝罪広告等請求控訴事件
(23)平成12年10月25日  東京高裁  平12(ネ)1759号 損害賠償請求控訴事件
(24)平成12年 8月 7日  名古屋地裁  平10(ワ)2510号 損害賠償請求事件
(25)平成12年 6月26日  東京地裁  平8(ワ)15300号・平9(ワ)16055号 損害賠償等請求事件
(26)平成12年 2月24日  東京地裁八王子支部  平8(ワ)815号・平6(ワ)2029号 損害賠償請求事件
(27)平成11年 4月15日  東京地裁  平6(行ウ)277号 懲戒戒告処分裁決取消請求事件 〔人事院(全日本国立医療労組)事件〕
(28)平成 6年 3月31日  長野地裁  昭51(ワ)216号 損害賠償等請求事件 〔長野東電訴訟〕
(29)平成 5年12月22日  甲府地裁  昭51(ワ)289号 損害賠償請求事件 〔山梨東電訴訟〕
(30)平成 4年 7月16日  東京地裁  昭60(ワ)10866号・昭60(ワ)10864号・昭60(ワ)10867号・昭60(ワ)10865号・平2(ワ)10447号・昭60(ワ)10868号 立替金請求併合事件 〔全逓信労働組合事件〕
(31)平成 2年 6月29日  水戸地裁  昭63(ワ)264号 市立コミュニティセンターの使用許可を取消されたことによる損害賠償請求事件
(32)昭和63年 4月28日  宮崎地裁  昭47(行ウ)3号 行政処分取消請求事件 〔宮崎県立大宮第二高校事件〕
(33)昭和57年 4月30日  東京地裁  昭56(行ク)118号 緊急命令申立事件 〔学習研究社緊急命令事件〕
(34)昭和56年 9月28日  大阪地裁  昭48(ワ)6008号 謝罪文交付等請求事件 〔全電通大阪東支部事件〕
(35)昭和55年 9月26日  長崎地裁  昭50(ワ)412号 未払給与請求事件 〔福江市未払給与請求事件〕
(36)昭和54年 7月30日  大阪高裁  昭53(行コ)24号 助成金交付申請却下処分無効確認等請求控訴事件
(37)昭和53年 5月12日  新潟地裁  昭48(ワ)375号・昭45(ワ)583号 懲戒処分無効確認等、損害賠償金請求事件 〔新潟放送出勤停止事件〕
(38)昭和52年 7月13日  東京地裁  昭49(ワ)6408号 反論文掲載請求訴訟 〔サンケイ新聞意見広告に対する反論文掲載請求事件・第一審〕
(39)昭和50年 4月30日  大阪高裁  昭45(ネ)860号 損害賠償ならびに謝罪文交付請求控訴事件
(40)昭和47年 3月29日  東京地裁  昭47(行ク)8号 緊急命令申立事件 〔五所川原市緊急命令申立事件〕
(41)昭和46年 4月14日  広島高裁  昭46(行ス)2号 行政処分執行停止決定に対する即時抗告申立事件 〔天皇来広糾弾広島県民集会事件〕
(42)昭和46年 4月12日  広島地裁  昭46(行ク)5号 行政処分執行停止申立事件
(43)昭和45年 4月 9日  青森地裁  昭43(ヨ)143号 仮処分申請事件 〔青森銀行懲戒解雇事件〕
(44)昭和37年 4月18日  東京高裁  昭35(ナ)15号 選挙無効確認請求事件
(45)昭和36年 6月 6日  東京高裁  昭35(う)2624号 公職選挙法違反被告事件
(46)昭和35年 6月18日  東京高裁  昭34(ナ)12号 選挙無効請求事件
(47)昭和29年 8月 3日  名古屋高裁  昭29(う)487号 公職選挙法違反事件
(48)昭和27年 3月19日  仙台高裁  昭26(ナ)7号 当選無効請求事件
(49)平成30年 7月20日  福岡地裁久留米支部  平28(ワ)69号 損害賠償請求事件


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