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「演説会 告知 ポスター」に関する裁判例(20)平成23年 6月17日  東京地裁  平21(行ウ)494号 難民の認定をしない処分取消等請求事件

「演説会 告知 ポスター」に関する裁判例(20)平成23年 6月17日  東京地裁  平21(行ウ)494号 難民の認定をしない処分取消等請求事件

裁判年月日  平成23年 6月17日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平21(行ウ)494号
事件名  難民の認定をしない処分取消等請求事件
裁判結果  一部却下、一部棄却  文献番号  2011WLJPCA06178008

要旨
◆過去に2度にわたり不法残留の罪で有罪判決を受けたミャンマー連邦国籍を有する原告が、「難民」該当性を主張して、難民不認定処分の取消し、在留特別許可不許可処分の取消し又は同処分の無効確認、入管法49条1項に基づく異議の申出には理由がない旨の裁決の無効確認及び退去強制令書発付処分の無効確認を求めた事案において、本件不許可処分の取消しの訴えについては、出訴期間経過後に提起された不適法なものであるとして、これを却下した上で、本件不認定処分当時、原告が難民に該当していたとは認め難く、また、本件不許可処分についての判断が、社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかともいえないから、本件不許可処分は無効といえず、他に、本件裁決及び本件退令処分を違法、無効ということもできないとして、残余の請求を棄却した事例

参照条文
行政事件訴訟法3条
行政事件訴訟法14条1項
出入国管理及び難民認定法2条3号の2
出入国管理及び難民認定法24条1号
出入国管理及び難民認定法49条1項
出入国管理及び難民認定法50条1項
出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項
出入国管理及び難民認定法61条の2の6
難民の地位に関する条約1条
難民の地位に関する条約33条1項
難民の地位に関する議定書1条
拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取り扱い又は刑罰に関する条約3条1項

裁判年月日  平成23年 6月17日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平21(行ウ)494号
事件名  難民の認定をしない処分取消等請求事件
裁判結果  一部却下、一部棄却  文献番号  2011WLJPCA06178008

千葉県松戸市〈以下省略〉
原告 X
同訴訟代理人弁護士 野島正
東京都千代田区〈以下省略〉
被告 国
同代表者兼処分行政庁 法務大臣 A
処分行政庁兼裁決行政庁 東京入国管理局長 B
処分行政庁 東京入国管理局主任審査官 C
被告指定代理人 吉田俊介
同 田中国博
同 白寄禎
同 小田切弘明
同 浦上三四
同 中嶋一哉
同 伏見陽子
同 新田清文
同 鈴木功祐
同 堀籠和江

 

 

主文

1  本件訴えのうち,東京入国管理局長が平成19年11月30日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分の取消請求に係る部分を却下する。
2  本件訴えのその余の部分に係る原告の請求をいずれも棄却する。
3  訴訟費用は原告の負担とする。

 

事実及び理由

第1  請求
1  法務大臣が平成19年11月27日付けで原告に対してした難民の認定をしない処分を取り消す。
2(1)  主位的請求
東京入国管理局長が平成19年11月30日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分を取り消す。
(2)  予備的請求
東京入国管理局長が平成19年11月30日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
3  東京入国管理局長が平成21年12月6日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告の異議の申出には理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
4  東京入国管理局主任審査官が平成19年12月6日付けで原告に対してした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
第2  事案の概要
本件は,ミャンマー連邦(以下,時期を区別することなく,「ミャンマー」という。)の国籍を有する外国人である原告が,両親がミャンマー政府から迫害を受けてきた少数民族であること,ミャンマー及び本邦において反政府活動をしてきたこと等により帰国すれば迫害を受けるおそれがあることから出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)2条3号の2並びに難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条及び難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条にいう「難民」に該当すると主張して,原告に対してされた,(1)難民の認定をしない処分の取消し,(2)主位的に入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分の取消し及び予備的に上記処分が無効であることの確認,(3)入管法49条1項に基づく異議の申出には理由がない旨の裁決が無効であることの確認並びに(4)退去強制令書発付処分が無効であることの確認を求めた事案である。
1  前提事実(争いのない事実,各項末尾に掲記の証拠により容易に認められる事実及び当裁判所に顕著な事実)
(1)  原告の身分事項
原告は,昭和38年(1963年)○月○日にミャンマーにおいて出生したミャンマーの国籍を有する外国人である。
(2)  原告の前回の入国及び在留状況等
ア 原告は,平成2年2月26日,タイのバンコクから,航空機により新東京国際空港(現在の成田国際空港)に到着し,東京入国管理局(以下「東京入管」という。)成田支局(現在の成田空港支局)入国審査官に対し,自己名義の旅券を行使して上陸の申請をし,同審査官から,在留資格を平成元年法律第79号による改正前の入管法4条1項4号に規定するもの(現在の「短期滞在」)とし,在留期間を「15日」とする上陸許可を受けて,本邦に上陸した(これによる入国を,以下「前回入国」という。)。
イ 原告は,上記アの上陸許可による在留期間の末日である平成2年3月13日が経過した後も,在留期間の更新又は在留資格の変更を受けずに本邦に残留した。
ウ 原告は,平成7年1月13日,東京地方裁判所において,入管法違反(不法残留)の罪により,懲役2年に処し,その刑の執行を3年間猶予する旨の判決の宣告を受けた(この刑事事件を,以下「前回刑事事件」という。)。
エ 原告は,平成7年1月27日,送還先をミャンマーとする退去強制令書に基づき,退去強制(以下「前回退去強制」という。)を受け,本邦から出国した。
(3)  原告の今回の入国及び在留状況等
ア 原告は,平成15年7月9日,ミャンマーのヤンゴンから,大韓民国を経由して,航空機により関西空港に到着し,大阪入国管理局(以下「大阪入管」という。)関西空港支局入国審査官に対し,「D」名義の旅券を行使して上陸の申請をし,同審査官から,在留資格を「短期滞在」とし,在留期間を「90日」とする上陸許可を受けて,本邦に上陸した(これによる入国を,以下「今回入国」という。)。
イ 原告は,大阪市長に対し,氏名を「D」,生年月日を昭和46年(1971年)○月○日,居住地を同市〈以下省略〉として,外国人登録法(以下「外登法」という。)3条1項(平成16年法律第73号による改正前のもの)に基づく新規登録の申請をし,平成15年7月11日,その旨の登録を受け,同年8月20日,外国人登録証明書の交付を受けた(乙A2)。
ウ 原告は,東京都豊島区長に対し,新居住地を同区〈以下省略〉として,外登法8条1項に基づく居住地変更の登録を申請し,平成20年8月7日,その旨の登録を受けた。
エ 東京都豊島区長は,平成20年8月7日,外登法10条の2第1項に基づき,原告の外国人登録原票の氏名及び世帯主の記載を「D1」,生年月日の記載を昭和38年(1963年)△月△日に訂正した。
オ 原告は,平成20年9月4日,外国人登録証明書の切替交付を受け,東京都新宿区長に対し,新居住地を同区〈以下省略〉として,外登法8条1項に基づく居住地変更の登録を申請し,その旨の登録を受けた。
カ 原告は,東京都文京区長に対し,新居住地を同区〈以下省略〉として,外登法8条1項に基づく居住地変更の登録を申請し,平成21年2月17日,その旨の登録を受けた。
(4)  今回の退去強制の手続
ア 原告は,平成19年8月26日,入管法違反(不法残留)の被疑事実により逮捕され,同年10月25日,東京地方裁判所において,入管法違反(不法入国)の罪により,懲役2年6か月に処し,その刑の執行を4年間猶予する旨の判決の宣告を受けた(この刑事事件を,以下「今回刑事事件」という。)。
イ 東京入管入国警備官は,平成19年10月24日,原告が入管法24条1号に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,東京入管主任審査官から収容令書の発付を受け,同月25日,同令書を執行し,原告を東京入管収容場に収容するとともに,原告につき違反調査をし,入管法24条1号該当容疑者として原告を東京入管入国審査官に引き渡した。
ウ 東京入管入国審査官は,平成19年10月26日及び同月30日,原告につき違反審査をし,同日,原告が入管法24条1号に該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨の認定をし,原告にその旨を通知した。
原告は,同日,特別審理官に対し口頭審理の請求をした。
エ 東京入管特別審理官は,平成19年11月6日,原告につき口頭審理を行い,上記ウの東京入管入国審査官の認定に誤りがないとの判定をし,原告にその旨を通知した。
原告は,同日,法務大臣に対し異議を申し出た。
オ 法務大臣から権限の委任を受けた東京入国管理局長(以下「東京入管長」という。)は,平成19年12月6日,上記エの異議の申出には理由がないとの裁決(以下「本件裁決」という。)をした。
カ 東京入管主任審査官は,平成19年12月6日,東京入管長から本件裁決をした旨の通知を受け,原告に対し,本件裁決の通知を受けた旨を通知するとともに,送還先をミャンマーとする退去強制令書(以下「本件退去強制令書」という。)の発付(以下「本件退令発付処分」という。)をした。
キ 東京入管入国警備官は,平成19年12月6日,本件退去強制令書を執行し,原告を東京入管収容場に収容した。
ク 原告は,平成20年3月25日,仮放免された。
ケ 原告は,平成21年7月23日,仮放免の期間の延長の申請をしたが,東京入管主任審査官は,これを許可しない処分をし,原告にその旨を通知した。
コ 東京入管入国警備官は,平成21年7月23日,仮放免の期間の満了に伴い,本件退去強制令書を執行し,原告を東京入管収容場に収容した。
サ 原告は,平成22年3月9日,仮放免された(乙A34,乙A35)。
(5)  難民の認定手続
ア 原告は,平成19年10月29日,法務大臣に対し,東京入管において,難民の認定の申請(以下「本件難民認定申請」という。)をした。
イ 東京入管難民調査官は,平成19年11月14日及び同月15日,原告について事実の調査をした。
ウ 法務大臣は,平成19年11月27日,本件難民認定申請について,難民の認定をしない処分(以下「本件不認定処分」という。)をし,同年12月6日,原告にその旨を通知した。
エ 法務大臣から権限の委任を受けた東京入管長は,平成19年11月30日,原告について,入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分(以下「本件不許可処分」という。)をし,同年12月6日,原告にその旨を通知した。
オ 原告は,平成19年12月6日,法務大臣に対し,本件不認定処分について,異議申立て(以下「本件難民異議申立て」という。)をした。
カ 平成20年10月9日,原告に係る口頭での意見の陳述及び審尋がされた。
キ 法務大臣は,平成21年3月13日,本件難民異議申立てには理由がないので棄却する旨の決定をし,同年4月3日,原告にその旨を通知した。
(6)  本件訴えの提起
原告は,平成21年10月1日,当裁判所に対し,本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
2  争点及びこれについての当事者の主張
(1)  本件訴えのうち本件不許可処分の取消請求に係る部分につき,出訴期間が遵守されているか否か
(被告の主張)
原告が本件不許可処分の通知を受けて(平成19年12月6日)から本件訴えを提起する(平成21年10月1日)までに,既に6か月が経過していたから,本件訴えのうち本件不許可処分の取消請求に係る部分は,行政事件訴訟法14条1項本文に定める出訴期間を徒過して提起された不適法なものである。
(2)  原告の難民該当性等
(原告の主張)
ア ミャンマーの一般情勢
(ア) 昭和63年(1988年),全国的な民主的デモにより,26年間続いた社会主義政権が崩壊したが,国軍がデモを鎮圧し,国家法秩序回復評議会(SLORC。SLORCは,平成9年(1997年)に国家平和開発評議会(SPDC)へとその名称を変更したが,以下,名称変更の前後を区別することなく,「SLORC」という。)が政権を掌握した。
(イ) 平成2年(1990年)に行われた総選挙において,アウンサンスーチーの率いる国民民主連盟(以下「NLD」という。)が圧勝したが,SLORCは,民政へ移管するためには堅固な憲法が必要であるとして,政権を移譲しなかった。ミャンマー政府は,上記総選挙後,アウンサンスーチーに対し自宅軟禁の措置を執り,平成15年(2003年)5月30日,アウンサンスーチーを拘束した。その後,ミャンマー政府は,アウンサンスーチーの身柄を釈放したものの,同年9月以降,アウンサンスーチーに対し自宅軟禁の措置を執っていた。
(ウ) 平成19年(2007年)8月,SLORCがエネルギーの公定価格を大幅に引き上げたことが発端となり,同年9月,大規模なデモが発生した。また,同月,全国的な僧侶のデモが発生したが,治安当局に制圧され多数の死傷者が出た。
イ ミャンマーにおける基本的人権の抑圧状況
ミャンマーにおいては,①恣意的あるいは非合法的な生命の剥奪が行われていること,②国民や政治活動家が数時間から数週間にわたって失そうするという事態が発生していること,③身柄を拘束された者に対し拷問その他残虐で非人道的な,あるいは非常に侮辱的な処遇又は処罰が行われていること,④身体拘束の合法性を司法機関が判断する法規がないため,行政機関による恣意的な逮捕や接見禁止が日常的に行われていること,⑤司法機関が行政機関から独立しておらず,反体制運動の鎮圧を目的として司法制度が利用されるなど公正な公開裁判が行われていないこと,⑥多くの国民,特に政治的に活発な者のプライバシー,家族,住居又は通信への恣意的な干渉が行われていることなど,基本的人権が抑圧されている状況にある。
ウ シャン族及びモン族の基本的事件の抑圧状況
シャン族とは,タイ系諸族の1つで,一般には,ミャンマーのシャン州の平地に住むシャン人のことを指す。人口は約200万人おり,ミャンマーではビルマ人に次ぐ人口である。
シャン族は,ミャンマー政府から,シャン語の習得を禁止される,国軍による強姦の脅威にさらされる,強制労働を課せられる,財産を没収される,強制移住を強いられる等基本的人権が抑圧されている状況下にある。
また,モン族も,ミャンマー政府から,強制労働や拷問その他の刑罰が課せられるなど少数民族として迫害を受けている。
エ 原告の難民該当性を肯定する事情
(ア) 原告は,昭和58年(1983年)2月に第1医科大学に進学したが,原告の母がモン族であり,また,原告の父が,シャン族であった上,その後アメリカ合衆国の国籍を取得してミャンマーに帰国しなかったことから,ミャンマー政府軍の公安官から嫌がらせや虐待を受けていた。また,原告は,大学在学中に,クラスメートであったミャンマーの元首相の娘からも嫌がらせを受けていた。さらに,原告は,大学で優秀な成績を修めていたにもかかわらず,ミャンマー政府軍の公安官から,進級テストの受験を妨害され,昭和61年(1986年),大学を退学させられてしまった上,大学退学後も,退学命令書の発行を10年間保留され,他大学への転校を妨害された。
このように,原告は,民族や父が外国籍であること等を理由にミャンマー政府から差別及び迫害を受けてきた。
(イ) 原告は,昭和63年(1988年)ころ,ネウィン独裁政権に安全で平等な教育を要求するため,自らヤンゴン市内を回ってデモへの参加を呼びかける,第1医科大学等で演説を行う,デモ行進を繰り返すといった学生運動をしており,このような学生運動により,警察から指名手配されているということを友人から聞いたことがあった。
また,原告は,昭和62年(1987年)ころから在ミャンマー日本国大使館において,上司付きの運転手として勤務していたが,その際,同大使館のスタッフに対し,デモ関係の写真やミャンマーに関する情報を提供し,また,アウンサンスーチーとの会談の席を設けて通訳として同席するなどして,ミャンマーに関する情報収集の協力をしていた。このようなことから,原告は,ミャンマー政府から監視を受けていた。
(ウ) 原告は,在ミャンマー日本国大使館での勤務を辞めた後,アウンサンスーチー宅に滞在したり,アウンサンスーチーが演説する際のボディーガードをしていたことを契機として,昭和63年(1988年)末ころからNLDの活動に参加するようになり,平成元年(1989年)ころ,NLDに正式に入会した。また,原告は,NLDのナンバー2であるウーティンウーから指令を受け,その活動のためにミャンマーとタイの国境を越えようした際,カレン民族同盟(以下「KNU」という。)の有力な僧侶タマニュ・サヤドーと知り合い,KNUの傘下に全ビルマ学生民主戦線(以下「ABSDF」という。)を設立し,その小隊長となって,国軍と交戦して負傷するなどした。
原告は,同年10月ころ,ミャンマーとタイとの間の国境を越えようとしてミャンマー南方の港町ベークにいた際,ミャンマー政府軍の公安官らから荷物検査を受けて,所持していた反政府活動に関する書類を発見されて逮捕され,ミャンマー政府軍の施設に収容された。
その後,原告は,ミャンマー政府軍の施設において,拷問を伴う尋問を受けた上,チャイポ採石場に連行され,そこを脱出するまでの約1か月間,強制労働をさせられた。
(エ) 原告は,平成2年2月26日,ABSDFの反政府活動の資金集めを目的として前回入国をし,工場や寿司屋等で働き,約3年間にわたり,月10万円以上難民キャンプに資金援助をしていた。また,原告は,平成7年1月に前回退去強制を受けた後も,ミャンマーには戻らずに,タイの官憲に賄賂を贈って同国にとどまり,バンコクとタイ北部の町メソットを行き来しながら,日本からタイに輸入された中古車をミャンマーに密輸する事業をして,反政府活動の資金調達をしていた。
(オ) 原告は,平成11年(1999年)10月ころ,メソット付近の難民キャンプの友人の紹介で,山中の武装勢力のメンバーから,在タイミャンマー大使館まで20ないし30人ほどの人数で行ってデモを行うため,車を3台貸してほしいと頼まれたが,貸した車の行方が心配なので,見張りのため,バンコクまで貸した車に同乗した。ところが,その後,上記メンバーの同大使館に行く目的が,デモではなく,同大使館の職員を人質として,ミャンマーのインセイン刑務所に身柄を拘束されている仲間と人質交換をすることであると判明した。原告は,同大使館に到着した後,上記メンバーから参加を懇請され,結局上記メンバーの活動に協力することとした。原告は,同月1日から同月2日にかけて,護身用のナイフを所持し,4,5人の集団で同大使館の裏の塀を乗り越えて館内に入り,同大使館の表から銃を所持して侵入した集団の一部と合流し,同大使館の職員及びその家族を人質に取り,タイの外務省の職員との交渉に当たって,ミャンマー政府に対し反政府活動家の釈放を要求するとの発言を得た。
このように,原告は,同大使館を占拠し,同大使館の職員等を人質とし,ミャンマーのインセイン刑務所に収容されている反政府活動家の釈放を求める事件(以下「大使館占拠事件」という。)に関与した。
(カ) 原告は,平成12年(2000年)ないし平成13年(2001年)ころ,タイ北部の町メホンソン付近で,シャン統一革命軍(以下「SURA」という。)に加入し,ミャンマーのホメイン地域で,シャン族の反政府活動に協力した。また,原告は,その後,日本からタイに輸入された中古車をミャンマーや中国に密輸する事業をするに当たり,ミャンマーとタイとの間の国境を警備していたシャン州軍(以下「SSA」という。)との間で,原告が国境を越えるのと引き換えに賄賂を渡すとの約束をしたが,SSAから原告が約束を破ったと誤解されて身柄を拘束され,原告の身元をミャンマー政府に報告されたため,秘かにヤンゴンに入り,ブローカーから偽造旅券を入手して,本邦に逃亡し,今回入国をした。
(キ) 原告は,平成15年7月9日に本邦に今回入国をした後,反政府活動の資金を調達するため,身元を秘して,はしご付き消防車をミャンマー政府に輸出する事業やミャンマー政府の高官と縁のある会社であるトゥートレーティング(以下「HTOO」という。)に大阪のエンジン開発会社を仲介する事業をしたが,いずれの事業も,原告が反政府活動家であることが露見したため頓挫した。
また,原告が反政府活動家であることが露見したことにより,原告の母は,ミャンマー政府から,ヤンゴンにあったマンションを没収された。
さらに,原告は,原告の母が,最近,ミャンマー政府軍の公安官から見張られるようになった後に虐待を受けて亡くなったとの報告を受けた。
オ 原告の難民該当性
前記エで主張したように,原告については,人種や父の国籍を理由に大学で不公平な待遇を受けてきたこと,昭和63年(1988年)に行われたヤンゴンでのデモを始めとして反政府的な学生運動に参加する等したことにより,ミャンマー政府から監視を受けてきたこと,NLD等の反政府的な政治団体に関与してきたこと,事業を通じて反政府活動や難民キャンプへ資金援助をしてきたこと,大使館占拠事件に関与したこと等に鑑みると,ミャンマーにおいて,同政府から人種及び政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがある。
しかも,原告には,身柄を拘束され,強制収容所で過酷な強制労働をした経験があり,ミャンマーに帰国すれば同政府から迫害をうけるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を抱く主観的,客観的な事情がある。
したがって,原告は難民条約1条及び難民議定書1条にいう「難民」に該当するから,本件不認定処分は違法である。
この点,前回入国後に在留中の平成6年ないし平成7年当時,入管法は,難民の認定の申請の期間を上陸してから60日以内としていたが,平成6年12月ころには原告が本邦に上陸してから既に5年以上経過していたこと,この当時,本邦において,難民の認定を受けた者はごく僅かであり,法律の専門家の間でさえも難民の認定手続の知識が普及していなかったことから,原告は,上記の在留時,入国管理局の職員や刑事弁護人から,難民の認定手続について教示を受けたことはなく,難民の認定の申請ができることを知らなかった。そのため,原告としては,前回退去強制時において,入国管理局の職員らにミャンマーに強制送還しないよう求めるほかなかったのである。したがって,原告が,上記の在留時において,難民の認定の申請をしなかったことは,原告の難民該当性を否定するものではない。
(被告の主張)
ア 原告の難民該当性を肯定する事情について
(ア) 原告は,ミャンマー政府から迫害を受けているモン族の出身であり,また,原告の父がシャン族の出身である上,その後外国籍を取得して帰国しなかったことから,大学を強制的に退学させられた旨主張する。
しかしながら,原告が大学に進学するまで学業に関する差別を受けたとは認められない上,原告の供述によれば,原告の父は,シャン族出身でありながら,ビルマ社会主義計画経済党政権の命令で医学博士号を取得するためにアメリカ合衆国に渡っており,また,原告の母も弁護士や高校教師といった公職に就いていたほか,ミャンマー政府から年金の支給を受けていたというのである。これらのことに照らすと,仮に原告の主張するとおり,原告の父の国籍を理由に原告が大学を強制的に退学させられたとしても,それは父の国籍を理由として在学上不利益な取扱いを受けたということにすぎず,難民条約等における迫害には当たらないから,上記退学の事実は,本件不認定処分時において,原告に対する迫害のおそれがあったことを基礎付ける事実たり得ない。
この点をおいても,原告がモン族であることやそれを理由に迫害を受けたことを裏付ける客観的な証拠はない。原告が提出したいわゆる強制退学命令書(甲14の5)も,原告が前回退去強制を受けてミャンマーに帰国した後に,就職活動等の目的のために大学に請求して発給を受けた書類であって,原告が少数民族であること等から大学を強制退学させられた事実を裏付けるものではない。
(イ) 原告は,昭和63年(1988年)8月のミャンマーにおける民主化運動の前後にヤンゴンでデモに参加し,自ら演説をする等の政治活動を行い,警察に指名手配されるに至った旨主張する。
しかしながら,上記主張事実を裏付ける客観的な証拠はないし,また,上記主張事実があったとしても,ミャンマー全国で民主化運動が高揚し大規模なデモが頻繁に起きていた同年当時に,原告が反政府活動の指導的な立場にあったことをうかがわせる証拠はないのであって,ミャンマー政府が原告に対して反政府活動家として関心を寄せていたとか,そのことを理由に逮捕しようとしていたとは考え難い。
(ウ) 原告は,大学を退学後,在ミャンマー日本国大使館において上司付きの運転手として勤務していた際,同大使館のスタッフに対し,デモ関係の写真やミャンマーに関する情報を提供し,また,アウンサンスーチーとの会談の席を設けて通訳として同席するなどの協力をしていたことから,ミャンマー政府から監視を受けていた旨を主張する。
しかしながら,原告が昭和63年(1988年)7月ころから同年12月ころまで,当時在ミャンマー日本国大使館で働いていたE(以下「E」という。)の個人運転手として働いていたこと以外に上記主張事実を裏付ける客観的な証拠はない上,当時の状況に係る原告の供述内容は,ミャンマーに居住する者であれば誰でも把握しているような事柄や,アウンサンスーチーを始め著名人についての事柄にすぎず,具体性,迫真性を欠くものばかりである。かえって,当時在ミャンマー日本国大使館で働いていたEが,原告が反政府活動をしていた事実を全く認識していなかったことからすれば,上記主張事実はなかったというべきである。
また,上記主張事実があったとしても,アウンサンスーチーとの会談の設定は,原告の同級生がたまたまアウンサンスーチーの隣人であったことを奇貨とするものにすぎないこと,原告自身,軍秘密情報部に接触を受けたことはないと供述していることに照らすと,原告がミャンマー政府に注視されていたとは考え難い。
(エ) 原告は,NLDやABSDFに入会して活動していた旨主張する。
しかしながら,上記主張事実を裏付ける客観的な証拠はない上,非暴力主義を掲げるNLDと武装闘争を掲げるABSDFに同時期に加入していたとの原告の主張は不自然である。仮に,上記主張事実があったとしても,原告の両団体における活動期間は1年程度と短期間であり,両団体において主導的な役割をしていたとはいい難く,その程度の活動を理由として,原告がミャンマー政府から反政府活動家として関心を寄せられているとは解されない。
また,原告の供述するとおり,現在のABSDFは,原告が入会していた初期のものとは全く異なるものとなってしまったというのであれば,原告が入会していた初期のABSDFが現在も存在しているとはいい難いから,原告が初期のABSDFで行っていた活動を理由として,本件不認定処分当時に原告がミャンマー政府から反政府活動家として関心を寄せられていたとは解されない。
(オ) 原告は,NLDの指令により,ミャンマーとタイの国境を越えようとした際,身柄を拘束され,チャイポ採石場で強制労働させられた旨主張する。
しかしながら,上記主張事実を裏付ける客観的な証拠はなく,また,その主張内容も,ミャンマー人であれば誰もが知る著名な人名や事件に関わるものであって,これになぞらえて創作されたとの疑いは払拭できない。また,仮に,原告が賄賂を渡したことでチャイポ採石場から脱出することができたというのであれば,原告がミャンマー政府から反政府活動家として注目されていなかったというべきである。
(カ) 原告は,平成2年2月26日,ABSDFの反政府活動の資金集めを目的として本邦に前回入国をし,前回退去強制を受けるまで,本邦で稼働して得た資金を難民キャンプに送金していた旨主張する。
しかしながら,原告が前回入国後の本邦在留時に難民キャンプに送金していた事実を裏付ける客観的な証拠はない。むしろ,原告の母に送金していたとの原告の供述等に鑑みると,原告は単に不法就労を目的として本邦に入国した可能性が高い。仮に,原告が上記の在留時に難民キャンプに送金していたとしても,原告が供述するようなブローカーから毎月借金と一緒に給料から天引きされるというような送金方法であれば,上記送金の事実がミャンマー政府に把握されることはなかったと考えられるから,原告がミャンマー政府から反政府活動家として認識されていたとは認められない。
(キ) 原告は,前回退去強制を受けた後,タイにとどまり,中古車販売に従事し,反政府活動への資金調達をしていた旨主張する。
しかしながら,上記主張事実を裏付ける客観的な証拠はない。むしろ,原告が,前回退去強制を受けた後に,内妻とヤンゴンで知り合って同棲を開始したこと,原告と上記内妻の子が平成10年(1998年)ころヤンゴンで生まれたこと等に鑑みると,原告が,前回退去強制を受けた後にタイにとどまった事実はなく,少なくとも一旦は,ミャンマーに帰国し,ミャンマーで生活していたことは明らかであるというべきである。
この点をおいても,原告の供述によれば,原告は,中古車販売をし,それによって得た500万円以上の資金を用いて原告の母のためにヤンゴンに5階建てのマンションを建設したというのであるから,原告は,上記販売活動で得た利益を反政府活動の資金にしていたのではなく,自己や親族のための資金として利用していたにすぎないというべきである。また,上記主張事実があったとしても,ミャンマー政府が原告から難民キャンプへの送金を把握していたとは考え難く,原告がミャンマー政府から反政府活動家として認識されていたとは認められない。仮に原告がミャンマー政府の関心を引いていたとすれば,それは,原告が違法な密輸行為を手がけていたことに原因があるというべきである。
(ク) 原告は,大使館占拠事件に関与,協力した旨主張する。
しかしながら,上記主張事実を裏付ける客観的な証拠がない上,原告は,今回刑事事件に係る手続においてはもとより,平成19年10月29日付けの本件難民認定申請の申請書(乙A22)を提出する以前に行われた今回の退去強制の手続においても,大使館占拠事件に関与した旨を供述したことはない。
また,原告の同月15日の事実の調査時の供述(乙A24)及び同年12月12日付けの異議申立てに係る申述書(乙A29)と平成20年9月24日付けの意見書(甲14の1)とでは,大使館占拠事件の時期や計画への参加態様に係る内容に変遷がみられ,特に参加態様については,自ら仲間と一緒に,2,3か月をかけて計画し,実行したという供述から,一転して,事件前夜に出発してから翌朝の事件当日バンコクに着くまでの間に説得されて成り行きで関与することになったという異なる内容に転じているのであって,不自然である。他方,原告は,本人尋問時において,原告が大使館占拠事件に関与したことをミャンマー政府が把握している理由として,在タイミャンマー大使館の職員の中にFなる知人がいたからと供述しているが,このような事実を初めて供述したのは本件訴え提起後に作成された平成22年9月9日付け陳述書(甲38)においてであり,しかも,同陳述書に記載されている知人の氏名は,本人尋問時における知人の氏名と異なっている。加えて,原告の供述するとおり,原告自らが主導して,知人である在タイミャンマー大使館の職員を解放したというのであれば,真にミャンマー政府から迫害を受けるおそれを有していた者の行動としては,余りにも不自然といわざるを得ない。
他方,犯行グループの人数について,各紙報道では5人とされていたのに対し,原告は,19人又は20ないし30人ほどと供述していること,犯行グループの名称について,複数の新聞では「ビルマ学生壮士会」,「強健なビルマ学生戦士」などとされていたのに対し,原告は,犯行グループは組織でないので名前はないと供述していること,犯行グループの装備について,報道では銃や手榴弾が使用されたとされていたのに対し,原告は,銃器は所持していないと供述していること,犯行グループが取った人質について,報道では,邦人女性1名を含む外国人複数名が査証申請に訪れていて犯行に巻き込まれ,タイの副外相ら2人が身代わりになるまで解放されなかったとされていたのに対し,原告は,在タイミャンマー大使館の関係者だけを残して他の人は解放したと供述していることなどのように,犯行グループの人数,名称,装備や人質といった重要な点について,原告の供述は,報道されている事実と異なっている。
そして,ミャンマー政府は,大使館占拠事件の犯人をテロリストと認定しているのであるから,大使館占拠事件の犯人に対しては最大限の捜索をしていると考えられるところ,大使館占拠事件に関与したことが原因で原告がミャンマー政府に追われていることを示す的確な証拠はない。
なお,大使館に侵入し,銃やナイフといった武器を用いて人々を制圧し,人質をして監禁するといった行為は,そもそも各国の国内法及び条約に違反する行為であるのみならず,一般にテロ行為と評価される行動であるから,仮に,原告が大使館占拠事件に関わりを持っていたとしても,このような行為の実行犯に対し,ミャンマー政府が取り締まり,指名手配等を行うことは,国内の治安を維持し,国民の安全を図るために行った当然の対応であって,このようなミャンマー政府の行為を直ちに迫害と結びつけるのは相当でない。
(ケ) 原告は,SURAに加入して活動していたほか,SSAに誤解から身柄を拘束された旨主張する。
しかしながら,上記主張事実を裏付ける客観的な証拠はない。また,上記主張事実があったとしても,原告が,SURAにおいて主導的な役割をしていたとはいい難く,原告がミャンマー政府から積極的な反政府活動家として関心を寄せられているとは考え難い。また,原告の供述によれば,原告がSSAに拘束されたのは,違法な中古車密輸行為自体に基づくものか,あるいは,単に賄賂をめぐるトラブルによるものにすぎず,上記拘束は,反政府活動を理由とするミャンマー政府からの迫害には当たらないから,上記拘束の事実をもって,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるとは認められない。さらに,原告は,SSAに身柄を解放されてから,今回入国の渡航準備のために,1か月以上ヤンゴンに滞在しており,このような今回入国に至るまでの経緯に鑑みると,原告が,ミャンマー政府から逮捕等をされる危険を感じていたとは認められない。
(コ) 原告は,平成15年7月9日に本邦に今回入国をした後,はしご車をミャンマー政府に輸出する事業やHTOOに大阪のエンジン開発会社を仲介する事業をしたが,いずれの事業も,原告が反政府活動家であることが露見したため頓挫した旨主張する。
しかしながら,原告がミャンマー政府から迫害を受けるおそれを抱いていたというのであれば,ミャンマー政府やHTOOに対し,原告自らが積極的に接触し取引をしていたというのは甚だ不自然である。
また,原告とHTOOとの取引が失敗したのは,単に同社が原告を介することなく直接取引をすることを望んだことが理由であって,原告が反政府活動家であることが理由ではない。
(サ) 原告は,反政府活動家であることが露見したことにより,原告の母が,そのマンションをミャンマー政府に没収された上,虐待を受けて亡くなった旨主張する。
しかしながら,上記マンションが取られたのは,原告に借金があったからであって,原告がミャンマー政府に危険人物として注視されていたからではない。また,原告の陳述書(甲38)及び原告本人尋問の供述によれば,原告の母は現在もヤンゴンに住んでいるというのであるから,原告の母が虐待を受けて亡くなった旨の原告の主張は虚偽である。
イ 原告の難民該当性を否定する事情
(ア) 原告は,平成2年2月26日に本邦に前回入国をする前,ミャンマー当局から自己名義の旅券の発給を受けたほか,上記入国後においても,在日本ミャンマー大使館で,自己名義の旅券の再発給を受けた。このように,原告が何ら支障なく旅券の発給を受けたことは,ミャンマー政府が原告を反政府活動家として迫害の対象としていなかったことを示す事情である。
(イ) 原告は,前回入国後の本邦在留時に前回刑事事件に係る裁判を受けた際,裁判官や弁護人に対し,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるとの申出をしなかった。また,原告は,上記裁判後も,難民認定申請をしなかっただけでなく,入国管理局の職員に対して,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるとの説明をしなかったばかりか,本邦での在留の希望すら述べなかった。このような原告の行動は,原告がミャンマーに送還されることについて何ら恐怖を感じていなかったことを示す事情である。
(ウ) 原告は,平成15年7月9日に本邦に今回入国をしてから,今回刑事事件に係る逮捕後の日である平成19年10月29日に本件難民認定申請をするまで,約4年3か月もの間,庇護又は保護を求める行動を執らなかった。このように,原告が,本邦に今回入国をしてから,長期にわたり,庇護又は保護を求める行動をしていないことは,原告がミャンマー政府から迫害を受けるおそれがなく,主観的にも原告が迫害をうけるおそれがあるとの恐怖を抱いていなかったことを示す事情である。
(エ) 原告は,今回の退去強制の手続において,平成15年7月9日に本邦に今回入国をしてから,在日本ミャンマー大使館に2回行った旨を供述しているところ,原告が供述するこのような行動は,原告が,真にミャンマー政府からの迫害を恐れて国外にいる者であれば当然に抱くであろうミャンマー政府に対する恐怖や切迫感とは無縁であったことを示す事情である。
(オ) 原告は,平成15年7月9日,単なる不法就労を目的として本邦に今回入国をし,専ら同棲女性との生活費用を捻出することを目的としてミャンマー政府及びHTOOと商取引を行っていたところ,このような原告の行動は,原告が,反政府運動家としての身の危険を感じていなかったことを示す事情である。
(カ) 原告は,今回刑事事件に係る捜査や公判において,ミャンマーに帰国することに懸念を示していなかったところ,このような原告の行動は,原告がミャンマーに帰国すれば迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を抱いていなかったことを示す事情である。
ウ 原告の難民該当性について
上記ア及びイで主張したところによれば,原告が,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあったとは認めることができず,原告が難民に該当しないことは明らかである。
(3)  本件不許可処分の適法性及び効力
(原告の主張)
被告は,難民条約及び拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(以下「拷問等禁止条約」という。)の締結国である以上,難民条約33条1項及び拷問等禁止条約3条1項が定めるノンルフールマン原則を遵守する義務を負っていたところ,原告は,難民であり,ミャンマーに送還されれば,非人道的又は品位を傷つける取扱いが行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があった。
したがって,本件不許可処分は,ノンルフールマン原則を遵守せずにされたものであって,難民条約33条1項や拷問等禁止条約3条1項が定めるノンルフールマン原則に反する違法なもので,無効である。
(被告の主張)
在留特別許可の許否に係る法務大臣等の裁量の範囲は極めて広範であり,その判断が裁量権の逸脱,濫用として違法となり得る場合があるとしても,それは,法律上当然に退去強制されるべき外国人について,なお本邦に在留することを認めなければならない積極的な理由があったにもかかわらずこれが看過されたなど,在留特別許可の制度を設けた法の趣旨に明らかに反するような極めて特別な事情が認められる場合に限られるというべきである。
しかるに,原告が難民であるとは認められず,ミャンマーへ送還されても迫害の危険はないことは,既に主張したとおりである。また,原告は,ミャンマーで生育したミャンマー国籍を有する者であり,前回入国まで本邦とは何ら関わりがなかったこと,原告が稼働能力を有する成人であること,原告にはミャンマーに母及び子がいることに鑑みると,他に在留を特別に許可すべき積極的な理由は見当たらず,本件不許可処分が適法なものであることは明らかである。
また,行政処分が無効であるというためには,当該処分に重大かつ明白な瑕疵が存在しなければならず,その瑕疵が明白であるか否かは,処分の外見上,客観的に瑕疵が一見して看取し得るか否かにより決せられるべきものであるところ,上記のとおり,本件不許可処分には,外形上,客観的に一見して看取し得るような重大かつ明白な瑕疵がないことは明らかであるから,本件不許可処分が無効であるということはできない。
(4)  本件裁決の効力
(原告の主張)
平成16年法律第73号による入管法の改正により,難民認定申請者に対する退去強制の手続については,退去強制の手続における在留特別許可について定める同法50条1項の適用がなくなった(同法61条の2の6第4項)。しかしながら,同法49条1項に基づく異議の申出は理由がないとの裁決がされると,原則として退去強制令書が発付されることになる(同条6項)。したがって,上記裁決をすると,退去強制令書が発付される事態が生じる以上,東京入管長は,上記裁決をしない義務を負っていたというべきであり,この義務に反してされた本件裁決は,難民条約33条1項や拷問等禁止条約3条1項が定めるノンルフールマン原則,入管法61条の2の6第1項に反する違法なもので,無効である。
(被告の主張)
ア 原告は,入管法24条1項に定める退去強制事由に該当するから,原告の同法49条1項に基づく異議の申出に理由がないことは明らかである。
したがって,本件裁決は適法なものである。
イ 難民認定申請をした在留資格未取得外国人については,入管法50条1項の適用はなく,法務大臣又は法務大臣から権限の委任を受けた地方入国管理局長は,入管法上,専ら上記申出に理由があるか否かのみを判断することとされている。
したがって,原告が,自身が難民であることを本件裁決の違法事由として主張することは許されない。
ウ 原告が主張するように,東京入管長が,難民に対して,入管法49条1項に基づく異議の申出は理由がないとの裁決をした場合,その裁決が違法となると解したとしても,原告が一見明らかに難民であるといえない本件においては,本件裁決に,処分の外形上,客観的に瑕疵が一見して看取し得るような重大かつ明白な瑕疵がないことは明らかであるから,本件裁決が無効であるということはできない。
(5)  本件退令発付処分の効力
(原告の主張)
本件退令発付処分は,ミャンマーを送還先とするものであるところ,これは原告が難民であることを看過するものであって,難民条約33条1項,拷問等禁止条約3条1項,入管法53条3項,同法61条の2の6第1項に反する違法なもので,無効である。
(被告の主張)
退去強制の手続において,法務大臣等から,異議の申出は理由がないとの裁決をした旨の通知を受けた場合,主任審査官は,速やかに退去強制令書を発付しなければならないのであって(入管法49条6項),退去強制令書を発付するにつき全く裁量の余地はないのであるから,本件裁決が適法である以上,本件退令発付処分もまた適法である。
また,原告は難民に該当する者ではなく,原告をミャンマーに送還したとしても,難民条約33条1項に定めるノンルフールマン原則に反する余地はなく,入管法53条3項にも抵触しないといえるから,本件退令発付処分で送還先がミャンマーと指定されている点についても何ら瑕疵はない。
したがって,本件退令発付処分には,外形上,客観的に一見して看取し得るような重大かつ明白な瑕疵がないことは明らかであるから,本件退令発付処分が無効であるということはできない。
第3  争点に対する判断
1  本件訴えのうち本件不許可処分の取消請求に係る部分につき,出訴期間が遵守されているか否かについて
証拠(乙A27の1・2)によれば,原告は,平成19年12月6日,本件不許可処分に係る通知書の交付を受け,本件不許可処分があったことを知ったものと認められるところ,前記前提事実(第2の1)で述べたように,原告が本件訴えを提起したのは平成21年10月1日であったから,本件訴えのうち本件不許可処分の取消請求に係る部分については,本件訴えが提起される前に,既に行政事件訴訟法14条1項本文所定の6か月の出訴期間が経過していたことになる。
そして,証拠(乙A27の1・2)によれば,原告は,上記のように本件不許可処分の通知を受けた際に,本件不許可処分に係る取消訴訟の出訴期間について教示を受けたと認められ,本件訴えのうち本件不許可処分の取消請求に係る部分につき出訴期間が経過した後に提起されたことについて,同項ただし書所定の正当な理由があったと認めるに足りる証拠ないし事情は見当たらない。
したがって,本件訴えのうち本件不許可処分の取消請求に係る部分は,出訴期間経過後に提起された不適法なものであるというべきである。
2  原告の難民該当性等について
(1)  前記前提事実(第2の1),証拠(文中記載のもの)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められ,この認定を覆すに足りる的確な証拠はない。
ア ミャンマーの一般情勢等(甲1~甲13,甲14の1・2・8・16,乙B1)
(ア) ミャンマーは,昭和23年(1948年)にイギリスから独立したが,ネウィンが,昭和37年(1962年),軍事クーデターを決行して全権を掌握し,独自の社会主義思想に基づいて国軍の指導の下にビルマ社会主義計画党による一党支配を続けた。しかし,ミャンマーは,その後,極端な経済不振に陥り,昭和62年(1987年)3月,国際連合により後発発展途上国に認定された。
(イ) 昭和63年(1988年)3月ころ,ヤンゴン工科大学の学生による抵抗運動が開始され,同年8月後半から同年9月前半ころにかけて民主化闘争へと展開したが,同月18日,SLORCが全権を掌握し,SLORCによる軍事政権が成立した。
(ウ) SLORCは,平成元年(1989年)7月,アウンサンスーチーを国家破壊分子法違反を理由に自宅軟禁し,その政治活動を禁止した。
(エ) 平成2年(1990年)5月27日,約30年ぶりに実施されたミャンマーの総選挙において,NLDが485議席中392議席を獲得したが,SLORCは,民政移管のためには堅固な憲法が必要であるとして,NLDへの政権移譲を拒否した。
(オ) 平成15年(2003年)5月30日,ミャンマー北部のディペインにおいて,遊説中のアウンサンスーチーを始め,多数のNLD党員及び支持者が襲撃され,身柄を拘束されるというディペイン事件が起きた。アウンサンスーチーは,その後,釈放されたものの,同年9月から自宅軟禁の状態が続いた。
(カ) 平成19年(2007年)8月,SLORCがエネルギーの公定価格を大幅に引き上げたことが発端となり,同年9月,大規模なデモが発生した。また,同月,全国的な僧侶のデモが発生し,治安当局による制圧により,邦人1名を含む多数の死傷者が出た。
(キ) アメリカ合衆国は,ディペイン事件を受け,対ミャンマー制裁法を制定し,EUは,平成16年(2004年)10月,ミャンマーの民主化進展状況に進展が見られないとして,ミャンマー国営企業への借款の禁止等を含む制裁措置の強化を決定した。
(ク) 平成19年(2007年)9月に公定価格の引き上げを発端にして発生したデモの参加者に対するミャンマー政府の実力行使を受け,アメリカ合衆国及びEUは,ミャンマーに対する経済制裁措置を強化し,オーストラリアも金融制裁措置を執った。
(ケ) 日本は,ディペイン事件によりアウンサンスーチーが拘束されて以降の状況に鑑み,緊急性が高く,真に人道的な案件等を除き,新規の経済協力案件については基本的に実施を見合わせており,また,平成19年(2007年)9月のデモの弾圧を受け,同年10月,従来より限定して行っている案件の一層の絞り込みを行うこととした。
(コ) ミャンマーについては,①恣意的あるいは非合法的な生命の剥奪が行われている,②国民や政治活動家が数時間から数週間にわたって失そうするという事態が発生している,③身柄を拘束された者に対し拷問その他残虐で非人道的な,あるいは非常に侮辱的な処遇又は処罰が行われている,④身体拘束の合法性を司法機関が判断する法規がないため,行政機関による恣意的な逮捕や接見禁止が日常的に行われている,⑤司法機関が行政機関から独立しておらず,反体制運動の鎮圧を目的として司法制度が利用されるなど公正な公開裁判が行われていない,⑥多くの国民,特に政治的に活発な者のプライバシー,家族,住居又は通信への恣意的な干渉が行われているといった深刻な人権侵害の状況が多数報告されている。
ミャンマーにおいては,少数者に対する政府による差別は様々な領域で続いており,国内の民族的少数者の多くと,政府と国軍を支配するビルマ民族との対立は,依然として武力紛争の原因となっており,これによって近年にも深刻な人権侵害が生じていると報告されている。この報告によれば,侵害行為の内容は,殺害,殴打,拷問,強制労働,強制移住,強姦等であり,チン,カチン,カレンニー,シャン,モンその他の民族集団に対し,国軍兵士が行ったものであったとされている。
イ 原告の個別事情
(ア) 原告及びその父母に関する状況
a 原告は,昭和38年(1963年)○月○日,ミャンマーのヤンゴンにおいて出生したミャンマー国籍を有する者であり,父母を同じくする兄弟はいない。原告は,ヤンゴンにおいて,昭和55年(1980年),高等学校を卒業し,その後,予備大学院に通い,第1医科大学に入学したが,昭和61年(1986年),同大学を退学した。なお,このことについては,同年までの学年度において3回落第したため,大学の規則にのっとり第1医科大学から在籍資格の停止を受けたことを証する旨の記載のある平成7年(1995年)2月24日付けの同大学発行の証明書の写しが存在する(甲14の1・4・5,甲16,甲25,甲38,乙A1,乙A9,乙A10,乙A12,乙A22,乙A23,乙A24,乙A29,乙A30,乙A37,乙A38,乙A39,乙A45,原告)。
b 原告の父は,ビルマ族及びシャン族の血統を有する医師であり,原告が幼少のころに,原告の母と離婚し,その後,当時の政権の命令で医学博士号を取得するためアメリカ合衆国に渡り,同国の国籍を取得し,現在,同国等で生活しているとみられるが,原告及びその母との交流はない(甲14の1,甲38,乙A7,乙A10,乙A12,乙A22,乙A23,乙A37,原告)。
c 原告の母は,モン族出身であり,ヤンゴン大学の法学部を卒業し,国の弁護士として活動した後,高等学校の教師をしていたが,定年退職し,現在,年金の支給を受けてヤンゴンにある知人のマンションに住んでいる(甲14の1,甲16,甲38,乙A10,乙A12,乙A22,乙A23,乙A24,乙A37,原告)。
(イ) 前回入国前における原告の活動
a 原告は,昭和63年(1988年)7月末ないし8月初めころ,ヤンゴン工業大学の前で開催された演説会で演説し,医科大学では両親がミャンマー国籍を有しないと学業を続けられない等の実情について述べた。この演説会を主催したのはヤンゴン工業大学の学生で,学生,一般人を含めて5000人が集まり,同大学の学生だけでなく,他大学の学生も演説した。また,原告は,このころ,ヤンゴンにあるヤンゴン中央大学や第1医科大学,第2医科大学などで演説したこともあった。
同月8日,学生による大規模な反政府デモがヤンゴンで起こり,ミャンマー全国に広がったが,原告は,これらのデモに,3週間で10回ないし20回参加した。これらのデモの中には,5000人くらい参加したものもあれば,いろいろな地区から人が集まり何万人もの人が参加したものもあった(甲14の1・6・14,甲16,甲25,乙A22,乙A24,乙A29)。
b 原告は,昭和61年(1986年)12月から昭和63年(1988年)12月まで,Eほか1名の在ミャンマー日本国大使館の職員の個人についての運転手として働き,Eの運転手をしていた際には,週6日勤務で,運転のほか,治安が悪化した際には徹夜でEの自宅周辺の見張りをする等様々な雑事をこなしていた(甲14の1,甲16,甲25,甲35,甲36,甲38,乙A10,乙A12,乙A22~乙A24,乙A29,乙A30,原告)。
(ウ) 前回入国後の本邦在留時における原告の活動
a 原告は,平成2年2月26日,タイのバンコクから本邦に到着し,自己名義の旅券を行使して上陸許可の申請をし,在留資格を「短期滞在」とし,在留期間を「15日」とする上陸許可を受けて,本邦に前回入国をし,本邦において,チョコレート工場や寿司屋,ビル建設現場,パチンコ店等で働いた(甲14の1,甲25,甲38,乙A1,乙A5の1,乙A7,乙A10,乙A22~乙A24,乙A30,乙A36,乙A37,乙A39,乙A40,乙A42,原告)。
b 原告は,前回入国後,すぐにブローカーに自己名義の旅券を取り上げられ,返してもらえなかったことから,平成7年ころ,在日本ミャンマー大使館で自己名義の旅券の再発行を受けた(甲14の1,甲25,甲38,原告)。
c 原告は,平成7年1月27日,送還先をミャンマーとする退去強制令書に基づき,前回退去強制を受け,本邦から出国した(甲14の1,乙A1,乙A9,乙A10,乙A37,乙A40,乙A42,原告)。
(エ) 前回退去強制後から今回入国前における原告の活動
a 原告は,前回退去強制を受けた後,今回入国をするまでの間に,500万円を提供して,ヤンゴンにある原告の母の土地に原告の母名義のマンションを建設した(甲14の1,乙A24,原告)。
b 原告は,平成15年(2003年),ヤンゴンにおいて,「D」名義の国民登録証明書(同年4月25日付け)及び旅券(同年6月11日付け)を取得した上,大阪にいる行政書士と連絡を取って査証の取得に必要な書類を送ってもらい,在ミャンマー日本国大使館にこれらの書類を持って行き,査証(同年7月2日付け)の発給を受ける等して,本邦への渡航の準備をした(甲14の1,乙A4,乙A7,乙A10,乙A12,乙A22,乙A29,乙A30,乙A36,乙A38,乙A42,原告)。
(オ) 今回入国後の本邦在留時における原告の活動
a 原告は,平成15年7月9日,ミャンマーのヤンゴンから大韓民国を経由して本邦に到着し,「D」名義のミャンマー旅券を行使して上陸の申請をし,同審査官から,在留資格を「短期滞在」とし,在留期間を「90日」とする上陸許可を受けて,本邦に今回入国をした(甲14の1,甲25,乙A1,乙A2,乙A4,乙A5の2,乙A6,乙A7,乙A9,乙A10,乙A12,乙A22,乙A23,乙29,乙A30,乙A36~乙A40,乙A42)。
b 原告は,平成15年末ころ,日本人女性と親密な関係となり,大阪市淀川区にあるマンションで同居していたが,遅くとも平成19年6月までに,同女と別居するに至り,その少し前ころから,本邦において難民の認定の申請をするための具体的な手続につき調査を始めた(甲14の1・14,甲16,甲25,甲38,乙A9,乙A10,乙A22,乙A24,乙A29,乙A42,原告)。
c 原告は,日本からはしご付き消防車をミャンマー政府に輸出したり,HTOOに大阪のエンジン開発会社を仲介する事業をしていた(甲14の1,甲16,甲25~甲28,甲31,甲32の1,甲34,甲38,乙A10,乙A22,乙A24,乙A29,乙A37,原告)。
d 原告は,今回入国をした後,在日本ミャンマー大使館に1回又は2回行った(乙A10,原告)。
e 原告は,今回入国後の本邦在留時において,ミャンマー政府に対する反政府活動に参加したことはなかった(乙A10,乙A22,乙A30)。
f 原告は,今回入国前には,本邦において難民の認定の申請をすることができるということは一応知っており,今回入国に係る在留期間の満了する平成15年10月ころ,東京入国管理局に本邦に引き続き在留するための手続について問い合わせをしたものの,難民の認定の申請をするための具体的な手続につき調査を始めた経緯等はbに述べたとおりであり,本件難民認定申請をするまで約4年の間,難民の認定の申請をすることはなかった(甲14の1,甲25,甲38,乙A10,乙A12,乙A22,乙A29,乙A30,乙A38,乙A42,原告)。
(2)  ところで,入管法2条3号の2は,同法における「難民」の意義について,難民条約1条の規定又は難民議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうと規定している。したがって,入管法にいう難民とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」をいうと解するのが相当である。
そして,上記の「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するものと解するのが相当であり,また,上記にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解される。
(3)  そこで,上記(1)で認定した事実や上記(2)で説示した難民の意義を踏まえ,原告の主張するその難民該当性を肯定する事情の有無等について検討する。
ア 原告は,第1医科大学において,民族や原告の父の国籍等を理由に,ミャンマー政府軍の公安官やクラスメートであったミャンマーの元首相の娘から虐待や嫌がらせ等を受けたほか,ミャンマー政府軍の公安官から進級テストの受験を妨害されて大学を退学させられてしまった上,大学退学後も,退学命令書の発行を10年間保留され,他大学への転校を妨害されたと主張し,これに沿う原告の供述等を内容とする証拠(甲14の1,甲16,甲25,甲38,乙A10,乙A22,乙A23,乙A28~乙A30,乙A38,乙A40,乙A42,原告)もある。そして,原告が,昭和61年(1986年)までの学年度において3回落第したため,大学の規則にのっとり第1医科大学の在籍資格の停止を受けた旨の証明書の写しが存することは,上記(1)イ(ア)aで認定したとおりである。
しかしながら,①シャン族の血統を有する原告の父は,医師となり,当時の政権の命令で医学博士号を取得するためにアメリカ合衆国に渡る機会を得,モン族である原告の母は,ヤンゴン大学を卒業して国の弁護士等として働き,現在は,年金の支給を受け生活していることは,上記(1)イ(ア)で認定したとおりであること,②原告が第1医科大学に進学するまでの間に,その進学等につき民族や父の国籍等を理由に不利益な取扱いを受けたことをうかがわせる証拠は見当たらず,また,原告は,自身が第1医科大学を退学することとなった理由について,当時の政権の下において,学生の在籍の資格一般として両親の国籍が問題とされたためであると述べており(甲14の1,甲16,甲25,甲38,乙A10,乙A22~乙A24,乙A29,乙A30,原告),それは民族ないしは原告個人の事情に着目しての取扱いとは別の事柄であること,③本件全証拠によっても,原告が退学命令書と主張する第1医科大学発行の証明書の作成の経緯等は明らかではないこと(なお,第1医科大学を退学した後に原告が他の大学に転じようとしたとの事情をうかがわせる証拠は見当たらない。)のほか,④原告が民族を理由とする他の不利益として述べるところ(甲14の1,甲16,甲38,乙A23,乙A29,原告)は,その母等に係るものや,既に退学した第1医科大学在籍中の事情に係るもの以外は,ミャンマーにおける少数民族の一般的な情勢に係るものであって,他に,原告につきその民族又は父の国籍等のみを理由としてミャンマー政府により具体的な不利益が課せられるべきことをうかがわせる証拠は見当たらないことを考慮すると,これらの事情をもって,本件不認定処分の当時において,原告につき(2)に述べたところを満たすものであったと認めるには足りないというべきである。
イ 原告は,昭和63年(1988年)ころ,ネウィン独裁政権に安全で平等な教育を要求するため,自らヤンゴン市内を回ってデモへの参加を呼びかける,第1医科大学等で演説を行う,デモ行進を繰り返すといった学生運動をしていたと主張する。そして,原告が,同年7月末ないし8月初めころ,ヤンゴン工業大学の前で開催された演説会等で演説し,また,反政府デモに繰り返し参加したことは,上記(1)イ(イ)aで認定したとおりである。
しかしながら,原告の活動の内容をみても,多数の者が参加する演説会で演説をしたり,デモの多数の一般的な参加者と同様の活動をしたりしたというのにとどまり,原告が指導的な立場でこれらの運動に関与していたことを認めるに足りる証拠は見当たらない(なお,原告の知人の書簡である甲14の6の関係する部分の内容は,具体性に乏しく,上記の判断を左右するものではない。)。
原告は,上記のような活動をしたことにより,警察から指名手配されているということを友人から聞いたことがあったと主張し,これに沿う原告の供述等を内容とする証拠(甲14の1,甲16,甲25,乙A7,乙A9,乙A10,乙A12,乙A24,乙A29,乙A30,乙A42)もあるが,上記のとおり,原告が指導的な立場でこれらの学生運動に関与していたとまでは認め難いところであり,原告がミャンマーにおいてこれらの活動に関連して事情を聴取されるなどしたことをうかがわせる証拠は見当たらないこと(なお,乙A22においては,原告が指名手配を受けた時期等につき,後記オにおいて述べる身柄の拘束の後のこととされている。)に照らし,上記の活動を理由に当時の政権において原告につき特別の関心を抱いていたとみることには疑問が残るところであり,また,原告の主張する活動は基本的に旧政権下のものであることも考慮すると,いずれにせよ,上記の原告の主張するような事情をもって,本件不認定処分の当時において,原告につき(2)に述べたところを満たすものであったと認めるには足りないというべきである。
ウ 原告は,昭和62年(1987年)ころから在ミャンマー日本国大使館において上司付きの運転手として勤務していたが,その際,この上司とは異なる同大使館の職員に対し,デモ関係の写真やミャンマーに関する情報を提供し,また,アウンサンスーチーとの会談の席を設けて通訳として同席するなどして,ミャンマーに関する情報収集の協力をしたため,ミャンマー政府から監視を受けていたと主張し,これに沿う原告の供述等を内容とする証拠(甲14の1,甲16,甲25,甲38,乙A22~乙A24,乙A29,乙A30,乙A42,原告)もある。そして,原告が,昭和61年(1986年)12月から昭和63年(1988年)12月まで,Eほか1名の在ミャンマー日本国大使館の職員の個人についての運転手として働いていたことは,上記(1)イ(イ)bで認定したとおりである。
しかしながら,本件全証拠によっても,情報収集等の協力をしていたとされる在ミャンマー日本国大使館の職員が誰であるかについては明らかでないし(Eの陳述書(甲35)にも,原告が,在ミャンマー日本国大使館の別の職員に対し,上記のようなミャンマーに関する情報収集の協力をしていた旨の記載はなく,原告は,本人尋問において,同大使館の日本人の職員の中に原告が情報提供をしていた事実を知っている者はいない旨述べている。),原告が提供したとする情報が,当時の政権下におけるミャンマーの一般的な社会情勢に係るものを超えて,現在のミャンマー政府が問題視するような内容のものであると認めるに足りる証拠もない。また,アウンサンスーチーとの会談の機会の設定についても,既に掲げたこれに係る証拠を参照しても,原告の高等学校時代の同級生がアウンサンスーチー宅の隣で店舗を経営していたとの偶然的な事情により可能となったというにとどまる。そして,原告が,当時においてミャンマー政府当局から接触を受けたことはない旨を述べていること(乙A24)にも照らすと,仮に原告がその主張するところに沿うような活動をしていたとしても,そのことをもって,本件不認定処分の当時において,原告につき(2)に述べたところを満たすものであったと認めるには足りないというべきである。
エ 原告は,昭和63年(1988年)末ころからNLDの活動に参加するようになり,平成元年(1989年)ころ,NLDに正式に入会し,その活動のためにミャンマーとタイの国境を越えようした際,ABSDFを設立し,その小隊長となって,国軍と交戦するなどしたと主張し,これに沿う原告の供述等を内容とする証拠(甲14の1・6・14,甲16,甲25,甲38,乙A10,乙A22~乙A24,乙A29,乙A30,乙A38,乙A42,原告)もある。
しかしながら,当時のABSDFの参加者を撮影したとされる写真(甲29,甲37)を見ても,これらの中に実際に原告がいることについては明らかであるとまでいえないし,交戦により受けた原告の胸の傷跡を撮影したとされる写真(甲14の9)を見ても,当該傷跡とされるものがいつどのような事情において生じたものか明らかではない。また,現在存するABSDFの議長であるタン・ケーが原告に送ったとされる平成20年(2008年)8月31日付けのインターネットのメール(甲14の15)についても,それは,原告の活動を直接には知らない人物が,原告の難民の認定手続のためにサンプルとして送信したものというのであって(甲14の1,甲25),それに記載された内容も,原告の具体的な活動を明らかにするものではない。原告の知人の書簡である甲14の6の関係する部分の内容は,原告自身がした説明を反映するにとどまるものと推認され,具体性にも乏しい。
また,原告の主張や供述等の内容をみても,例えば,原告がABSDFに入隊して活動をした時期について,後記オにおいて述べる身柄の拘束の後のものとするものもあるほか(乙A22,乙A24),入隊の事実に言及のないものもあり(乙A29),原告の述べるところには一貫性が欠ける。また,既に掲げた証拠において述べられたその原告の活動内容等をみても,NLDでは,外国に向けてミャンマーの状況を伝える役割を,ABSDFでは,30隊ある部隊の小隊長の1人として,タイとの情報交換や武器の取扱いを指導する役割を果たしていたというにとどまり,NLDでの活動については,ミャンマー政府に知られているかは分からないというのである上,ABSDFでの活動については,平成2年(1990年)2月に原告が本邦に前回入国をするまでの1年弱の間のもので,当時の組織は既に活動を終了しているというのである。そして,当時の組織と現在存するABSDFとの関係を明らかにする証拠は見当たらないことも考慮すると,仮に原告がその主張するところに沿うような活動をしていたとしても,そのことをもって,本件不認定処分の当時において,原告につき(2)に述べたところを満たすものであったと認めるには足りないというべきである。
オ 原告は,平成元年(1989年)10月ころ,ミャンマー政府軍の公安官らより反政府活動を理由に逮捕されて,ミャンマー政府軍の施設に収容され,拷問を伴う尋問を受けた上,チャイポ採石場に連行され,約1か月間強制労働をさせられたと主張し,これに沿う原告の供述等を内容とする証拠(甲14の1・6・10~12,甲16,甲25,甲38,乙A22~乙A24,乙A29,乙A30,乙A37,乙A38,乙A42,原告)もある。
しかしながら,上記の強制労働の際に受けた原告の右手の傷跡を撮影したとされる写真(甲14の13)を見ても,当該傷跡とされるものがいつどのような事情において生じたものかは不明というほかなく,これらの点が,他の客観的資料によって明らかにされているものともいい難い。原告の知人の書簡である甲14の6の関係する部分の内容は,原告自身がした説明を反映するにとどまるものである。
また,原告が,平成2年2月に本邦に前回入国をした後の平成7年ころ,在日本ミャンマー大使館で自己名義の旅券の再発行を受けたことは,上記(1)イ(ウ)bで認定したとおりであるところ,このようにミャンマー政府が原告に旅券を再発給したことは,原告を反政府活動家として把握していなかったことを示唆するものといえるし,他方で,ミャンマー大使館に出向くといった原告の上記行動は,政治的活動を理由にミャンマー政府から拷問を受け強制労働させられた者であれば当然に有するであろう恐怖や切迫感との整合性に疑問を抱かせるものといえる。
さらに,証拠(原告)によれば,原告は,前回入国後の本邦在留時において,少なくとも前回刑事事件に係る公判手続や前回退去強制に係る手続においては,政治的活動を理由に身柄を拘束され強制労働させられたことは述べなかったものと認められるところ,このような原告の行動も,上記のような恐怖や切迫感との整合性に疑問を抱かせるものといえる。
その上で,原告の主張や供述等の内容をみても,例えば,身柄を拘束されるに至った経緯や理由等について,ヤンゴンにおけるイ及びウに述べたような活動による政府当局の追及から逃れる際のことであるとするものや(乙A22),タイ経由で本邦に行こうとした不法出国によるとするものもある(乙A10)。また,既に掲げた証拠の中には,原告は,上記の身柄の拘束を受けた当時に既に本邦への入国に係る査証を付した自己名義の旅券を所持しており,上記の拘束を脱する際に担当者からその返還を受けたと述べるものがある一方で,平成2年(1990年)2月に本邦に前回入国をするに当たりタイでブローカーを通じて旅券等を入手したとするものもある(甲25)。これらの点やエに述べたABSDFに入隊して活動をした時期に係る事情にも照らすと(なお,乙A29においては,上記の身柄の拘束を脱した後に「タイミャンマー国境へ逃亡しその後私はタイのバンコク空港から日本へ出発しました。」とも述べられている。),原告の述べるところにはやはり一貫性が欠けるというべきである。
これらのことからすると,上記の原告の主張に沿う証拠をもって,本件不認定処分の当時において原告につき(2)に述べたところを満たす事情が存したと認めるに足りるものであるとは解し難いというべきである。
カ 原告は,ABSDFの反政府活動の資金集めを目的として本邦に前回入国をし,工場や寿司屋等で働き,約3年間にわたり,月10万円以上難民キャンプに資金援助をしていたと主張し,これに沿う原告の供述等を内容とする証拠(甲14の1,甲25,甲38,乙A22,乙A24,乙A29,乙A30,乙A38,乙A40,原告)もある。
しかしながら,原告の本人尋問における供述によれば,その送金方法は,原告の自己名義の旅券を取り上げたブローカーが,原告の給料の一部を天引きして送金するというものであって,その金員を受け取った相手が誰であるか等を明らかにし得る証拠はない。
また,ミャンマー政府において,原告がその主張するような資金援助の活動をしていたことを把握していたことをうかがわせる証拠は見当たらず,原告の主張に係るその送金額の大きさや,それが遅くとも平成7年1月に前回退去強制を受けるまでの間のものにとどまることにも照らし,仮に原告がその主張するところに沿うような活動をしていたとしても,そのことをもって,本件不認定処分の当時において,原告につき(2)に述べたところを満たすものであったと認めるには足りないというべきである。
キ 原告は,前回強制退去を受けた後も,ミャンマーには戻らずにタイにとどまり,バンコクとメソットを行き来しながら,日本からタイに輸入された中古車をミャンマーに密輸する事業をして,反政府活動の資金調達をしていたと主張し,これに沿う原告の供述等を内容とする証拠(甲14の1,甲38,乙A7,乙A10,乙A12,乙A22~乙A24,乙A29,乙A30,原告)もある。
しかしながら,原告が,①平成7年1月27日,送還先をミャンマーとする退去強制令書に基づき,前回退去強制を受け,本邦から出国し,②その後,ヤンゴンにおいて,原告の母名義のマンションを建設し,③平成15年(2003年)ころ,ヤンゴンにおいて,本邦への渡航準備をした上で,ミャンマーを出国したことは,上記(1)イ(ウ)c並びに同(エ)a及びbで認定したとおりであるところ,原告は,本件難民認定申請をする前にされた今回刑事事件に係る司法警察員による取調べの際には,ミャンマーに送還されたことを前提に,友達の家で生活していた旨等を供述し(乙A37,乙A38,乙A40),やはり同申請をする前にされた今回刑事事件に係る被告人質問の際には,前回退去強制後はミャンマーで生活していた旨を供述していたほか(乙A42),同申請をした翌日にされた違反調査の際にも,「ミャンマーに帰国した後に」女性と同棲をしていた旨を供述していたものである(乙A10)。そして,原告は,本人尋問においても,前回退去強制を受けた後,ヤンゴンで,内妻と知り合い,平成10年(1998年)ころ,内妻との間に子が生まれた旨を供述している。以上述べたところに照らせば,前回退去強制を受けた後にミャンマーに戻らずタイにとどまったとする上記証拠については,その信用性に相当疑問が残るものというほかない。
また,ミャンマー政府において,原告がその主張するような資金調達の活動をしていたことを把握していたことをうかがわせる証拠は見当たらず,仮に原告がその主張するところに沿うような活動をしていたとしても,そのことをもって,本件不認定処分の当時において,原告につき(2)に述べたところを満たすものであったと認めるには足りないというべきである。
ク(ア) 原告は,次のような形で大使館占拠事件に関与したと主張し,これに沿う原告の供述等を内容とする証拠(甲14の1,甲16,甲25,甲38,乙A30,原告)もある。
a 原告は,平成11年(1999年)10月ころ,難民キャンプの友人の紹介で,山中の武装勢力のメンバーから,在タイミャンマー大使館まで20ないし30人ほどの人数で行ってデモを行うため,車を3台貸してほしいと頼まれたが,貸した車の行方が心配なので,見張りのため,バンコクまで貸した車に同乗した。
b ところが,その後,上記メンバーの同大使館に行く目的が,デモではなく,同大使館の職員を人質として,ミャンマーのインセイン刑務所に身柄を拘束されている仲間と人質交換をすることであると判明した。
c 原告は,同大使館に到着した後,上記メンバーから参加を懇請され,結局上記メンバーの活動に協力することとした。
d 原告は,同月1日から同月2日にかけて,護身用のナイフを所持し,4,5人の集団で同大使館の裏の塀を乗り越えて館内に入り,同大使館の表から銃を所持して侵入した集団の一部と合流し,同大使館の職員及びその家族を人質に取り,タイの外務省の職員との交渉に当たって,ミャンマー政府に対し反政府活動家の釈放を要求するとの発言を得た。
そして,証拠(甲30の1・3,乙A32の1~8,乙A44)及び弁論の全趣旨によれば,ミャンマー人の反政府学生武装グループが,同月1日から同月2日にかけて,在タイミャンマー大使館を占拠して同大使館の職員やその職員,査証申請等のために同大使館を訪れた民間人を人質とし,ミャンマー政府に対し,政治犯の釈放等を求めるとともに,タイ政府に対し,逃走用のヘリコプターを用意するよう求めた事件があったことが認められる。
(イ) しかしながら,原告は,今回刑事事件に係る手続においてはおろか,退去強制の手続の当初においても,大使館占拠事件に関与したことは供述していなかったものである。
また,大使館占拠事件に関与するに至るまでの経緯につき,平成19年10月29日付けの本件難民認定申請の申請書(乙A22)には,原告を含む反政府活動家が,大使館に侵入し,身柄を交換する計画を作った旨の記載が,同年11月15日付けの供述調書(乙A24)には,原告は,2か月から3か月かけて,一緒に活動していた仲間と大使館を占拠する計画を立てた旨の記載があり,このような記載は,原告の主張及びこれに沿う上記証拠の内容と大幅に異なっているが,このように供述等を変遷させたことについて首肯するに足りる説明はされていない。
さらに,原告は,本人尋問において,大使館占拠事件の対象となった在タイミャンマー大使館の職員であるFと顔見知りであったため,ミャンマー政府は原告が大使館占拠事件に関与したことを把握している旨を供述しているところ,関係者に知人がいた旨の説明は,原告が陳述書(甲38)に記載するまではされていなかった上,この知人の氏名について,原告が本人尋問で述べた氏名(F)は,上記の陳述書に記載された氏名(G)と異なっている。
加えて,ミャンマー政府において,原告が大使館占拠事件に関与していたことを把握していたと認識していたのであれば,原告としては,できる限りミャンマー政府と接触するのを避けようとするのが通常であると考えられるところ,上記(1)イ(オ)c及びdで認定したように,原告は,今回入国後において,当時は偽名を用いていたとはいえ,ミャンマー政府やHTOOとの間で事業を行ったり,在日本ミャンマー大使館を訪れたりしており,このような原告の行動は,ミャンマー政府に所在を察知される恐怖や切迫感との整合性に疑問を抱かせるものといわざるを得ない。
これらのことのほか,大使館占拠事件の発生したこと及びその事実関係の概要については,その発生の直後ころに報道されていたことも考慮すると,上記の原告の主張に沿う証拠をもって,本件不認定処分の当時において原告につき(2)に述べたところを満たす事情が存したと認めるに足りるものであるとは解し難いというべきである。
そして,以上に述べたところからすると,原告が大使館占拠事件に関与したことにより指名手配されているとする趣旨と解される証拠(甲14の1,乙A22,乙A24,乙A29,乙A30,原告)についても,同様に評価するのが相当である。
ケ 原告は,平成12年(2000年)ないし平成13年(2001年)ころ,タイ北部のメホンソン付近で,SURAに加入し,ミャンマーのホメイン地域で,シャン族の反政府活動に協力したと主張し,これに沿う原告の供述等を内容とする証拠(甲14の1,甲25,甲38,乙A30,原告)もある。
しかしながら,原告は,本件難民異議申立てに係る手続前には,SURAに加入し反政府活動をしていたことについて供述していなかったものであり,かえって,難民調査官による事実の調査の際には,NLD及びABSDF以外に所属している組織はない旨明言していたものであるほか(乙A23),平成7年(1995年)1月に前回退去強制を受けた後はミャワディーの反政府組織で今回入国をする直前の平成15年(2003年)2月ころか3月ころまで活動していた旨供述していたこともあるのであって(乙A38),これらの事情に照らすと,上記の原告の主張に沿う証拠をもって,本件不認定処分の当時において原告につき(2)に述べたところを満たす事情が存したと認めるに足りるものであるとは解し難いというべきである。
なお,原告の主張や供述等をみても,SURAでの活動の内容というのは,ミャンマー政府の迫害から逃亡してきたシャン族を,警護しつつタイに逃すというものにとどまり,原告が指導的な立場でシャン族の反政府活動に関与していたとは認め難いから,仮に原告がその主張するところに沿うような活動をしていたとしても,そのことをもって,本件不認定処分の当時において,原告につき(2)に述べたところを満たすものであったと認めるには足りないというべきである。
コ 原告は,日本からタイに輸入された中古車をミャンマーや中国に密輸する事業をするに当たり,SSAとの間で,原告が国境を越えるのと引き換えに賄賂を渡すとの約束をしたが,SSAから原告が約束を破ったと誤解されて身柄を拘束され,原告の身元をミャンマー政府に報告されたため,秘かにヤンゴンに入って偽装旅券で本邦に逃亡し,今回入国をしたと主張し,これに沿う原告の供述等を内容とする証拠(甲14の1,甲16,甲25,甲38,乙A30,原告)もある。
しかしながら,原告は,本件難民認定申請をした当初には,ミャンマーから出国するに至った事情について,ともに活動をしていたカレン族ないしDKBAが軍事政権と緩和したために原告の身に危険が迫った旨述べていたものであり(乙A22),また,本件難民異議申立てに係る手続が開始された当初までは,SSAの関与については述べていなかったものである(乙A24,乙A29)。原告の主張や供述等をみても,SSAから身柄を解放された後,ヤンゴンに赴き本邦への渡航準備をしたというのであるが,その期間は,最初に入手したとする他人名義の国民登録証明書が平成15年(2003年)4月25日付けのものであることからすると,原告が本人尋問において供述しているように,少なくとも3か月弱程度に及ぶものであったと考えられ,しかも,本人尋問においては,この間に本邦への入国及び本邦において行うことを企図していた事業の準備のために,本邦の関係機関の所在する建物に出入りして調査をしたり,ミャンマーの企業の経営者と面談したりするなどしていたと供述しているのであって,このような原告の行動は,ミャンマー政府に身元を把握される恐怖や切迫感との整合性に疑問を抱かせるものといわざるを得ない。このような疑問は,他人名義の国民登録証明書を入手した経緯について,当初は,自ら入国管理局の職員に賄賂を渡して入手した旨を述べていたところ(乙A38,乙A39,乙A42),後にこれを知人ないしはブローカーを介して入手したものと改め(乙A10,乙A22等),このように供述等を変遷させたことについて首肯するに足りる説明のないことを考慮すると,一層強まるものである。
これらのことからすると,上記の原告の主張に沿う証拠をもって,本件不認定処分の当時において原告につき(2)に述べたところを満たす事情が存したと認めるに足りるものであるとは解し難いというべきである。
サ 原告は,今回入国をした後,反政府活動の資金を調達するため,身元を秘して,ミャンマー政府やHTOOと事業をしたが,いずれの事業も,原告が反政府活動家であることが露見したため頓挫したと主張し,これに沿う原告の供述等を内容とする証拠(甲14の1,甲25,甲38,乙A24,乙A29,原告)もある。そして,原告が,今回入国後において,ミャンマー政府にはしご付き消防車を輸出する事業をするとともに,HTOOに大阪のエンジン開発会社を仲介する事業をしていたことは,上記(1)オ(エ)cで認定したとおりである。
しかしながら,当時は偽名を用いていたとはいえ,このような原告の行動は,在日本ミャンマー大使館を訪れたりしたことと併せ,原告がその主張するような立場において抱いているはずの恐怖や切迫感との整合性に疑問を抱かせるものといわざるを得ないことは,既に述べたとおりである(なお,原告は,同大使館を訪れた事情について,当初は,知人の日本人のビザの取得のためと,同居していた女性との婚姻の手続に必要な書類についての問い合わせのための2回であったと供述していたが(乙A10),その後,本人尋問において,同大使館を訪れたのは1回であり,大使の氏名が父の弟のものと同一であったことから,荷物を預けに行ったが,日曜日なので閉まっていたと供述しているところ,このように供述を変遷させたことについて首肯するに足りる説明はなく,かつ,上記の本人尋問における供述は,原告がその主張するような立場において抱いているはずの恐怖や切迫感との整合性に強い疑問を抱かせるものといわざるを得ない。)。
また,原告は,HTOOとの事業が失敗に帰した原因について,当初は,両方のミスで失敗したとか(乙A22),HTOOが原告の仲介を経ずに日本企業と直接取引をしようとしたためであると述べるにとどまっていたものである(乙A24)。さらに,ミャンマー政府との取引については,本件難民認定申請の際には,そもそも言及がなく(乙A22),それが中断した事情についても,当初は格別の理由は述べていなかったところである(乙A10)。そして,偽造旅券をもってミャンマーを出国し,個人として事業を行っている原告については,一般的には,取引の相手方として信用性が高いとはいい難いことも考慮すると,上記の各取引が失敗に帰した原因が原告の主張するようなものであったかは,相当疑わしいものといわざるを得ず,上記の原告の主張に沿う証拠をもって,本件不認定処分の当時において原告につき(2)に述べたところを満たす事情が存したと認めるに足りるものであるとは解し難いというべきである。
シ 原告は,反政府活動家であることが露見したことにより,原告の母は,ミャンマー政府から,ヤンゴンにあったマンションを没収されたと主張し,これに沿う原告の供述を内容とする証拠(甲14の1,甲16,甲25,甲38,乙A22,乙A29,原告)もある。
しかしながら,原告は,今回刑事事件に係る取調べにおいて,タイやミャンマーの商社に合計800万円くらいの借金を負った旨を供述していたところ(乙A38),難民の認定手続において,原告の借金が原因となってマンションを没収された旨を供述しており(乙A24),その後も同旨を述べる証拠があること(甲16)に照らすと,上記主張は直ちには採用し難いというべきである。
また,原告は,原告の母が,最近,ミャンマー政府軍の公安官から虐待を受けて亡くなったとの報告を受けたと主張し,これに沿う原告の供述等を内容とする証拠(甲14の1,甲25,乙A10,乙A12,乙A22,乙A24,乙A28,乙A29,乙A42)もあるが,原告の母が,現在,年金の支給を受けてヤンゴンにある知人のマンションに住んでいるのは,上記(1)イ(ア)cで認定したとおりであり,上記の証拠において原告が述べるところは,母と連絡が取りにくい状況にあることを前提に,推測に基づき,又は的確な裏付けのない伝聞によるものであって,上記主張も直ちには採用し難いというべきである。
(4)  以上に検討したところによれば,ミャンマーの一般情勢等を考慮しても,(2)に述べたところに照らし,本件不認定処分の当時において,原告が入管法所定の難民に該当していたとは認め難いものというべきである。
3  本件不許可処分の効力について
(1)  国際慣習法上,国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく,特別の条約がない限り,外国人を自国内に受け入れるかどうか,また,これを受け入れる場合にいかなる条件を付すかは,専ら当該国家の立法政策に委ねられており,憲法上,外国人は,本邦に入国する自由が保障されていないことはもとより,在留する権利又は引き続き在留することを要求することができる権利を保障されているということもできない(最高裁昭和29年(あ)第3594号同32年6月19日大法廷判決・刑集11巻6号1663頁,最高裁昭和50年(行ツ)第120号同53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁参照)。
そして,法務大臣が,難民の認定の申請をした在留資格未取得外国人について,難民の認定をしない処分をするときに検討する入管法61条の2の2第2項の在留特別許可については,当該在留資格未取得外国人の在留を特別に許可すべき事情があると認めるときにすることができるとされているほかは,その許否の判断の要件ないし基準とすべき事項は定められていない上,外国人の出入国の管理及び在留の規制は国内の治安と善良な風俗の維持,保健・衛生の確保,労働市場の安定等の国益の保持を目的として行われるものであって,このような国益の保持の判断については,広く情報を収集し,その分析の上に立って時宜に応じた的確な判断を行うことが必要であり,高度な政治的判断を要求される場合もあり得ることを勘案すれば,在留特別許可をすべきか否かの判断は,法務大臣の広範な裁量に委ねられていると解すべきである。そして,このことは,法務大臣から権限の委任を受けた地方入国管理局長についても,同様であると解される。
もっとも,その裁量権の内容は全く無制約のものではなく,その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により判断が全く事実の基礎を欠く場合や,事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかである場合には,法務大臣等の判断が裁量権の範囲を逸脱し,又はこれを濫用したものとして違法になることがあるものと解される。
(2)  これを本件についてみると,上記2で説示したところによれば,本件不許可処分の当時,原告が難民に該当したとは認められず,他に,本件不許可処分について,その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により判断が全く事実の基礎を欠く,あるいは,事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるといったことをうかがわせる事情は認められないから,本件不許可処分が無効なものということはできない。
4  本件裁決の効力について
(1)  原告は,入管法50条1項の適用のない難民の認定の申請をした在留資格未取得外国人に対し,同法49条1項に基づく異議の申出は理由がないとの裁決をすると,退去強制令書が発付される事態が生じる以上,東京入管長は,上記のような難民の認定の申請をした在留資格未取得外国人に対し,上記裁決をしない義務を負っていたと主張する。
しかしながら,入管法50条1項は,法務大臣は,退去強制の手続において同法49条1項に基づく異議の申出に対する裁決をするに当たって,異議の申出に理由がないと認める場合でも在留特別許可をすることができる旨を定めている一方,同法61条の2の6第4項は,同法50条1項の規定は,同法61条の2の6第2項に規定する者(難民の認定の申請をした在留資格未取得外国人)で,同法61条の2の4第5項1号から3号までのいずれかに該当することとなったもの又は同法61条の2の6第3項に規定する者に対する同法第5章に規定する退去強制の手続については,適用しない旨を定めている。
このように,同法61条の2の6第4項において難民の認定の申請をした在留資格未取得外国人に対する退去強制の手続につき同法50条1項の規定の適用が除外されたのは,難民の認定の申請をした在留資格未取得外国人については,同法61条の2の2において,法務大臣が難民の認定手続の中で本邦への在留の許否について判断することとしたことから,かかる場合に,法務大臣が,退去強制の手続において同法49条1項に基づく異議の申出に対する裁決をするに当たっては,異議を申し出た者が退去強制対象者に該当するかどうかという点に関する特別審理官の判定に対する異議の申出に理由があるかどうかを判断すれば足りることとしたものと解するのが,その文理解釈上相当というべきである。そして,このことは,法務大臣から権限の委任を受けた地方入国管理局長についても同様と解される。
また,難民の認定手続と退去強制の手続との関係について定めた規定である入管法61条の2の6は,難民の認定の申請をした在留資格未取得外国人のうち,①仮滞在の許可を受けたものについては,退去強制事由に該当すると疑うに足りる相当な理由がある場合であっても,仮滞在の期間が経過するまでの間は退去強制の手続それ自体を停止する旨を定めている(同条2項)一方,②仮滞在の許可を受けていないもの又は仮滞在の期間が経過することとなったもの(同法61条の2の4第5項1号から3号まで及び5号に該当するものを除く。)については,「退去強制の手続を行う場合」には,同項1号から3号までに掲げるいずれかの事由に該当することとなるまでの間は,同法「52条3項の規定による送還(同項ただし書の規定による引渡し及び59条の規定による送還を含む。)」を停止する旨を定めるにとどまる(同法61条の2の6第3項)。そして,同条を含む入管法の規定をみても,難民の認定の申請をした在留資格未取得外国人のうち上記②に該当するものについて,同法49条1項に基づく異議の申出には理由がない旨を裁決することを禁ずる旨を定めた規定は存在しない。
このような同法61条の2の6第2項及び3項の規定の文理等からすれば,難民の認定の申請をした在留資格未取得外国人のうち上記②に該当するものに係る退去強制の手続において,法務大臣等が同法49条1項に基づく異議の申出には理由がない旨の裁決をしない義務を負うことはないというべきである。入管法は,退去強制令書の執行において,退去強制を受ける者を難民条約33条及び拷問等禁止条約3条1項に規定する国には送還しない旨を定め(入管法53条3項1号,2号),また,難民の認定手続において在留許可を受けた外国人については,当該外国人が当該許可を受けたときに同法24条各号のいずれかに該当していたことを理由としては,退去強制の手続を行わない旨を定めている(同法61条2の6第1項)から,上記のように解したとしても,難民条約33条,拷問等禁止条約3条1項,入管法61条の2の6第1項に反しないことは明らかである。
(2)  これを本件についてみると,原告は,不法に入国した者であって,入管法24条1号所定の退去強制事由に該当し,出国命令対象者に該当しないことは明らかであるから,本件裁決を違法であるということはできず,これが無効であるということもできない。
5  本件退令発付処分の効力について
原告は,本件退令発付処分は,ミャンマーを送還先とするものであるところ,これは原告が難民であることを看過するものであって,違法なものであると主張する。
しかしながら,上記2で説示したところに照らすと,本件退令発付処分の当時において,原告が難民に該当したとは認められず,また,入管法53条3項に違反する事由があったとも認め難いところであって,本件退去強制令処分における送還先が原告の国籍国であるミャンマーであったからといって,本件退令発付処分が違法であるということはできない。
そして,退去強制の手続において,法務大臣等から異議の申出は理由がないとの裁決をした旨の通知を受けた場合,主任審査官は,速やかに退去強制令書を発付しなければならないのであって(入管法49条6項),主任審査官には退去強制令書を発付するか否かにつき裁量の余地はないのであるから,本件裁決が違法であるとはいえない以上,本件退令発付処分もまた違法であるとはいえず,これが無効であるということもできない。
第4  結論
以上によれば,本件訴えのうち,本件不許可部分の取消請求に係る部分は,不適法であるからこれを却下し,本件訴えのその余の部分に係る原告の請求は,いずれも理由がないからこれらを棄却することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 八木一洋 裁判官 田中一彦 裁判官 齊藤敦)


「演説会 告知 ポスター」に関する裁判例一覧
(1)平成31年 4月26日  大阪高裁  平30(行ケ)1号 裁決取消請求事件
(2)平成31年 2月19日  奈良地裁  平29(行ウ)10号 奈良県議会議員に係わる不当利得返還請求事件
(3)平成30年 8月 9日  札幌高裁  平29(行コ)8号 政務調査費返還履行請求控訴事件
(4)平成30年 7月25日  東京高裁  平30(行ケ)8号 裁決取消請求事件
(5)平成30年 2月15日  東京地裁  平28(ワ)6477号・平28(ワ)14082号 共有物分割等請求事件、遺産分割協議不存在確認等請求事件
(6)平成28年 5月17日  広島高裁  平28(行ケ)1号 裁決取消請求事件
(7)平成28年 4月28日  青森地裁八戸支部  平28(わ)12号 各公職選挙法違反被告事件
(8)平成28年 2月12日  東京地裁  平27(ワ)11886号 街宣活動等差止請求事件
(9)平成28年 1月28日  名古屋地裁  平23(行ウ)109号 難民不認定処分等取消請求事件
(10)平成27年10月27日  岡山地裁  平24(行ウ)15号 不当利得返還請求事件
(11)平成27年 6月 1日  大阪地裁  平27(ヨ)290号 投稿動画削除等仮処分命令申立事件
(12)平成25年11月18日  福岡地裁  平19(行ウ)70号 政務調査費返還請求事件
(13)平成25年10月16日  東京地裁  平23(行ウ)292号 報酬返還請求事件
(14)平成25年 5月15日  東京地裁  平23(行ウ)697号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(15)平成25年 3月26日  東京高裁  平24(行ケ)26号・平24(行ケ)27号・平24(行ケ)28号・平24(行ケ)29号・平24(行ケ)30号・平24(行ケ)31号・平24(行ケ)32号 各選挙無効請求事件
(16)平成25年 2月28日  東京地裁  平22(ワ)47235号 業務委託料請求事件
(17)平成25年 1月18日  東京地裁  平23(行ウ)442号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(18)平成24年 3月27日  和歌山地裁  平19(行ウ)8号 政務調査費返還代位請求事件
(19)平成24年 1月18日  横浜地裁  平19(行ウ)105号 政務調査費返還履行等代位請求事件
(20)平成23年 6月17日  東京地裁  平21(行ウ)494号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(21)昭和56年 3月 3日  東京高裁  昭54(う)2209号・昭54(う)2210号 地方自治法違反被告事件
(22)昭和55年 7月29日  東京高裁  昭53(う)1259号 公職選挙法違反被告事件
(23)昭和55年 6月24日  千葉地裁  昭54(わ)1292号・昭54(わ)1160号・昭54(わ)1216号 公職選挙法違反事件 〔宇野派選挙違反事件・第一審〕
(24)昭和55年 4月28日  広島高裁松江支部  昭54(う)11号 公職選挙法違反被告事件 〔戸別訪問禁止違憲事件・控訴審〕
(25)昭和55年 2月29日  最高裁第三小法廷  昭54(あ)809号 暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件 〔「殺人シール」事件・上告審決定〕
(26)昭和55年 2月 4日  福岡地裁小倉支部  昭51(ワ)32号 損害賠償請求事件
(27)昭和54年 9月 7日  福岡地裁柳川支部  昭49(わ)33号 公職選挙法違反被告事件
(28)昭和54年 3月20日  東京高裁  昭53(う)1253号 暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件
(29)昭和54年 1月30日  高松高裁  昭49(う)198号 国家公務員法違反被告事件 〔高松簡易保険局選挙応援演説事件・控訴審〕
(30)昭和54年 1月24日  松江地裁出雲支部  昭51(わ)43号・昭51(わ)42号 公職選挙法違反被告事件 〔戸別訪問禁止違憲事件〕
(31)昭和54年 1月18日  東京高裁  昭53(う)2007号 公職選挙法違反被告事件
(32)昭和53年12月11日  大阪地裁 昭50(ワ)479号
(33)昭和53年 9月 4日  最高裁第二小法廷  昭50(あ)787号 騒擾、暴力行為等処罰に関する法律違反、放火未遂、外国人登録法違反外国人登録令違反被告事件 〔大須事件・上告審決定〕
(34)昭和53年 6月13日  仙台高裁秋田支部  昭53(う)10号 公職選挙法違反被告事件
(35)昭和53年 6月 6日  東京高裁  昭49(ネ)1988号 解雇無効確認並びに給料請求控訴事件 〔国鉄甲府赤穂車掌区事件〕
(36)昭和53年 5月30日  東京高裁  昭51(う)701号 公職選挙法違反被告事件
(37)昭和53年 5月30日  東京高裁  昭50(う)2024号 公職選挙法違反・名誉毀損被告事件
(38)昭和53年 4月17日  東京地裁  昭52(刑わ)2736号 暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件
(39)昭和53年 3月30日  松山地裁西条支部  昭48(わ)107号 公職選挙法違反被告事件
(40)昭和52年12月22日  神戸地裁柏原支部  昭48(わ)4号 公職選挙法違反被告事件
(41)昭和52年10月27日  大阪高裁  昭52(行ケ)2号
(42)昭和52年 6月28日  神戸家裁  昭51(少)1968号 殺人予備等保護事件
(43)昭和52年 6月14日  名古屋高裁  昭52(う)90号 公職選挙法違反被告事件
(44)昭和52年 3月18日  名古屋地裁  昭49(わ)1549号・昭49(わ)1544号 公職選挙法違反事件
(45)昭和51年12月24日  最高裁第二小法廷  昭51(あ)192号 公職選挙法違反被告事件
(46)昭和51年11月29日  千葉地裁  昭51(行ウ)10号 選挙公示差止請求事件
(47)昭和51年 3月19日  仙台高裁秋田支部  昭49(行ケ)1号 市長選挙における選挙の効力に関する裁決取消等請求事件
(48)昭和51年 3月 9日  東京高裁  昭47(う)3294号 埼玉県屋外広告物条例違反等被告事件
(49)昭和50年12月23日  広島高裁  昭47(ネ)86号 解雇無効確認等請求控訴事件 〔電電公社下関局事件〕
(50)昭和50年 6月30日  東京高裁  昭47(う)3293号 埼玉県屋外広告物条例違反・軽犯罪法違反被告事件
(51)昭和50年 4月30日  名古屋高裁  昭48(う)509号 公職選挙法違反・名誉毀損被告事件
(52)昭和50年 4月16日  大阪地裁  昭42(わ)2678号 公職選挙法違反被告事件
(53)昭和50年 3月27日  名古屋高裁  昭45(う)101号・昭45(う)100号・昭45(う)102号・昭45(う)99号 騒擾、放火、同未遂、爆発物取締罰則違反、外国人登録法違反各被告事件 〔大須事件・控訴審〕
(54)昭和50年 3月 3日  東京地裁  昭47(行ウ)160号 損害賠償請求事件
(55)昭和49年11月 6日  最高裁大法廷  昭47(あ)1168号 公職選挙法違反、国家公務員法違反各被告事件 〔総理府統計局事件・上告審〕
(56)昭和49年11月 6日  最高裁大法廷  昭46(あ)2147号 国家公務員法違反被告事件 〔徳島郵便局事件・上告審〕
(57)昭和49年11月 6日  最高裁大法廷  昭44(あ)1501号 国家公務員法違反被告事件 〔猿払事件・上告審〕
(58)昭和49年 6月28日  高松地裁  昭40(わ)250号 国家公務員法違反被告事件 〔高松簡易保険局員選挙応援演説事件・第一審〕
(59)昭和49年 5月21日  広島高裁岡山支部  昭48(う)124号 公職選挙法違反事件
(60)昭和49年 5月14日  仙台高裁  昭48(う)133号 公職選挙法違反被告事件 〔仙台市労連事件・控訴審〕
(61)昭和48年 9月26日  名古屋高裁  昭47(行ケ)4号 市議会議員当選の効力に関する訴願裁決取消請求事件
(62)昭和48年 9月13日  名古屋高裁  昭47(う)510号 公職選挙法違反被告事件
(63)昭和48年 3月29日  仙台地裁  昭42(わ)120号 公職選挙法違反被告事件
(64)昭和48年 3月 1日  大阪地裁  昭43(わ)2537号・昭43(わ)3309号 公職選挙法違反被告事件
(65)昭和47年12月22日  東京高裁  昭46(行ケ)100号・昭46(行タ)13号 裁決取消請求及び同参加事件
(66)昭和47年12月22日  札幌地裁  昭41(行ウ)1号・昭41(行ウ)4号 課税処分取消請求事件
(67)昭和47年 3月 3日  東京地裁  昭45(特わ)135号・昭45(特わ)136号・昭45(特わ)134号・昭45(特わ)137号・昭44(特わ)496号・昭44(特わ)445号・昭45(特わ)133号 公職選挙法違反被告事件
(68)昭和47年 2月28日  山口地裁  昭44(ワ)160号 解雇無効確認等請求事件 〔下関電報局職員免職事件〕
(69)昭和47年 1月19日  仙台高裁  昭44(行ケ)1号 町長選挙の効力に関する訴願裁決取消請求事件
(70)昭和46年10月 4日  東京高裁  昭44(う)32号 公職選挙法違反被告事件
(71)昭和46年 5月10日  高松高裁  昭44(う)178号 国家公務員法違反事件 〔徳島郵便局事件・控訴審〕
(72)昭和46年 3月15日  東京高裁  昭45(う)2675号 公職選挙法違反被告事件
(73)昭和46年 3月11日  仙台高裁  昭44(う)161号 公職選挙法違反被告事件
(74)昭和45年12月28日  横浜地裁川崎支部  昭42(ワ)271号 賃金請求等事件 〔日本鋼管賃金請求事件〕
(75)昭和45年11月14日  札幌地裁  昭38(わ)450号 公職選挙法違反・政治資金規正法違反被告事件
(76)昭和45年 9月25日  大阪高裁  昭43(う)1525号 公職選挙法違反被告事件
(77)昭和45年 7月16日  東京高裁  昭43(行ケ)99号 選挙の効力に関する訴訟事件
(78)昭和45年 3月31日  広島高裁  昭43(う)329号 公職選挙法違反各被告事件
(79)昭和45年 3月31日  広島高裁  昭43(う)328号 公職選挙法違反被告事件
(80)昭和44年11月11日  名古屋地裁  昭28(わ)2403号 騒擾,放火,同未遂,爆発物取締罰則違反,外国人登録法違反各被告事件 〔大須事件・第一審〕
(81)平成 9年 7月15日  最高裁第三小法廷  平9(行ツ)31号 当選無効及び立候補禁止請求事件 〔愛媛県議会議員選挙候補者連座訴訟・上告審〕
(82)平成 9年 4月23日  大阪地裁  平4(ワ)7577号 損害賠償請求事件
(83)平成 9年 3月18日  大阪高裁  平8(行コ)35号 供託金返還請求控訴事件
(84)平成 8年11月13日  高松高裁  平7(行ケ)3号 当選無効及び立候補禁止請求事件
(85)平成 8年 9月27日  大阪高裁  平8(行ケ)1号 立候補禁止請求事件
(86)平成 8年 8月 7日  神戸地裁  平7(行ウ)41号 選挙供託による供託金返還請求事件
(87)平成 8年 7月 8日  仙台高裁  平7(行ケ)3号 当選無効及び立候補禁止請求事件 〔青森県議会議員選挙候補者連座訴訟・第一審〕
(88)平成 8年 1月18日  東京高裁  平7(行ケ)236号 当選無効及び立候補禁止請求事件
(89)平成 7年12月11日  名古屋高裁金沢支部  平5(行ケ)1号・平5(行ケ)2号 珠洲市長選無効訴訟判決
(90)平成 7年10月 9日  仙台高裁  平7(行ケ)2号 当選無効及び立候補禁止請求事件 〔山形県議会議員選挙候補者連座訴訟〕
(91)平成 6年 5月23日  千葉地裁  昭51(ワ)698号 損害賠償等請求事件 〔千葉東電訴訟判決〕
(92)平成 6年 4月26日  名古屋高裁  平6(う)17号 公職選挙法違反被告事件 〔参議院議員経歴詐称事件・控訴審〕
(93)平成 6年 2月21日  福岡高裁  平元(ネ)608号 接見交通妨害損害賠償請求事件
(94)平成 5年12月24日  名古屋地裁  平5(わ)1207号 公職選挙法違反被告事件 〔参議院議員経歴詐称事件・第一審〕
(95)平成 5年10月12日  松山地裁  平2(わ)207号・平2(わ)118号・平2(わ)104号・平2(わ)112号・平2(わ)140号・平2(わ)134号・平2(わ)116号・平2(わ)125号・平2(わ)117号・平2(わ)131号・平2(わ)129号・平2(わ)105号・平2(わ)120号・平2(わ)108号・平2(わ)133号・平2(わ)107号・平2(わ)138号・平2(わ)128号・平2(わ)132号・平2(わ)102号・平2(わ)114号・平2(わ)126号・平2(わ)208号・平2(わ)137号・平2(わ)124号・平2(わ)141号・平2(わ)130号・平2(わ)209号・平2(わ)110号・平2(わ)109号・平2(わ)135号・平2(わ)136号・平2(わ)115号・平2(わ)127号・平2(わ)139号・平2(わ)111号・平2(わ)121号・平2(わ)73号・平2(わ)122号・平2(わ)119号・平2(わ)106号・平2(わ)123号 公職選挙法違反被告事件
(96)平成 5年 5月13日  大阪地裁  平4(ワ)619号 損害賠償請求事件
(97)平成 5年 2月18日  最高裁第一小法廷  平4(行ツ)175号 市議会議員の当選の効力に関する裁決取消請求事件
(98)平成 4年12月17日  名古屋高裁  平4(行ケ)1号 参議院議員選挙当選無効請求事件
(99)平成 4年11月19日  名古屋高裁  平2(う)261号 公職選挙法違反事件
(100)平成 4年 7月30日  名古屋高裁  平3(行ケ)6号 市議会議員の当選の効力に関する裁決取消請求事件


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