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政治と選挙Q&A「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 議員 政治家」に関する裁判例(41)平成25年11月19日 東京地裁 平24(行ウ)274号 難民の認定をしない処分無効確認等請求事件

政治と選挙Q&A「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 議員 政治家」に関する裁判例(41)平成25年11月19日 東京地裁 平24(行ウ)274号 難民の認定をしない処分無効確認等請求事件

裁判年月日  平成25年11月19日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平24(行ウ)274号
事件名  難民の認定をしない処分無効確認等請求事件
裁判結果  請求棄却  文献番号  2013WLJPCA11198001

事案の概要
◇ミャンマー連邦共和国で出生した外国人男性である原告が、出入国管理及び難民認定法(平成21年法律第79号による改正前のもの。「入管法」)61条の2第1項の規定により、法務大臣に対し、難民認定申請をしたところ、法務大臣から難民の認定をしない処分を受けるとともに、法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長から在留特別許可をしない処分を受けたため、また、入管法24条1号(不法入国)に該当する旨の入管法47条3項の認定及びこの認定に誤りがない旨の入管法48条8項の判定を受け、法務大臣に対する異議の申出をしたところ、法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長から異議の申出に理由がない旨の裁決を受け、東京入管主任審査官から退去強制令書の発付処分を受けたため、自らはミャンマー連邦共和国国内において迫害を受けているロヒンギャ族であり、入管法2条3号の2所定の難民に該当すると主張して、処分行政庁の所属する国を被告として、本件難民不認定処分及び本件在特不許可処分の各無効確認を求めるとともに、本件退令処分の取消しを求めた事案

裁判年月日  平成25年11月19日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平24(行ウ)274号
事件名  難民の認定をしない処分無効確認等請求事件
裁判結果  請求棄却  文献番号  2013WLJPCA11198001

群馬県館林市〈以下省略〉
原告 X
同訴訟代理人弁護士 渡邉彰悟
宮内博史
東京都千代田区〈以下省略〉
被告 国
同代表者兼処分行政庁 法務大臣 A
処分行政庁 東京入国管理局長 B
処分行政庁 東京入国管理局主任審査官 C
同指定代理人 木村智博
新部宗一
竹内基司
麻生唯華
壽茂
村松順也
潮崎由美
藤永卓人
佐藤一道
安部知佳
遠藤英世

 

 

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。
2  訴訟費用は原告の負担とする。

 

事実及び理由

第1  請求
1  法務大臣が平成22年3月31日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法(平成21年法律第79号による改正前のもの。以下「入管法」という。)61条の2第1項の規定による難民の認定をしない処分が無効であることを確認する。
2  東京入国管理局長(以下「東京入管局長」という。)が平成22年4月14日付けで原告に対してした入管法61条の2の2第2項の規定による在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。
3  東京入国管理局(以下「東京入管」という。)主任審査官が平成23年10月24日付けで原告に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。
第2  事案の概要
本件は,ミャンマー連邦共和国(以下「ミャンマー」という。)で出生した外国人男性である原告が,入管法61条の2第1項の規定により,法務大臣に対し,難民認定申請をしたところ,法務大臣から平成22年3月31日付けで難民の認定をしない処分(以下「本件難民不認定処分」という。)を受けるとともに,法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長から同年4月14日付けで在留特別許可をしない処分(以下「本件在特不許可処分」という。)を受けたため,また,入管法24条1号(不法入国)に該当する旨の入管法47条3項の認定及びこの認定に誤りがない旨の入管法48条8項の判定を受け,法務大臣に対する異議の申出をしたところ,法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長から平成23年10月13日付けで異議の申出に理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)を受け,東京入管主任審査官から同月24日付けで退去強制令書(以下「本件退令書」という。)の発付処分(以下「本件退令処分」という。)を受けたため,自らはミャンマー国内において迫害を受けているロヒンギャ族であり,入管法2条3号の2所定の難民に該当すると主張して,処分行政庁の所属する国を被告として,本件難民不認定処分及び本件在特不許可処分の各無効確認を求めるとともに,本件退令処分の取消しを求める事案である。
1  前提事実(顕著な事実,争いのない事実並びに掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
(1)  原告の身分事項
原告は,1970年(昭和45年)○月○日にミャンマー(当時のビルマ連邦社会主義共和国)で出生した外国人男性である。(乙1)
(2)  原告の入国及び在留の状況
ア 原告は,平成18年8月2日,有効な旅券又は乗員手帳を所持することなく,タイ王国のバンコクからエアインディア308便に搭乗して成田国際空港に到着し,もって本邦に不法入国した上,インドネシア共和国(以下「インドネシア」という。)の発給に係る他人(D1)名義の旅券を行使し,東京入管成田空港支局入国審査官から在留資格を「短期滞在」,在留期間を「15日」とする上陸許可を受けて,本邦に上陸した。(乙1)
イ 原告は,平成19年6月22日,館林市長に対し,氏名を「D2」,国籍を「ミャンマー」,生年月日を「1970年(昭和45年)○月○日」,居住地を「群馬県館林市〈以下省略〉」とする外国人登録法(平成21年法律第79号により廃止)3条1項の規定に基づく新規登録の申請をし,その旨の登録を受けた。(乙1)
(3)  原告の難民認定手続の経緯
ア 原告は,平成18年8月17日,入管法61条の2第1項の規定により,法務大臣に対し,難民認定申請(以下「本件難民認定申請」という。)をした。(乙22)
イ 法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長は,平成19年6月6日,入管法61条の2の4の規定により,原告の仮滞在を許可した。(乙23)
ウ 東京入管難民調査官は,平成20年3月11日,原告に係る難民調査を行った。(乙24)
エ 法務大臣は,平成22年3月31日,入管法61条の2第1項の規定により,原告に対し,本件難民不認定処分をした。(乙25)
本件難民不認定処分の理由は,「1 あなたは,本国において,1988年(昭和63年)の反政府活動に参加したことにより身柄拘束された旨申し立てていますが,あなたの供述を前提としても,あなたの活動内容は,一参加者としてデモに1回参加した程度にとどまること,釈放された後,当該事情を理由に再度身柄拘束されていないことなどを併せ考慮すれば,本国政府から反政府活動家として殊更注視されていたとは認められません」,「また,あなたは,1990年(平成2年)に行われた総選挙の選挙活動に参加したこと,バングラデシュにあるロヒンギャの組織に情報提供をしたことなどを申し立てていますが,これらの申立てには不自然,不合理な点が認められ,供述の信憑性に疑義があります」,「2 あなたは,本邦において,在日ビルマロヒンギャ協会(BRAJ)に加入し活動していることを理由に迫害を受けるおそれがある旨申し立てていますが,仮にあなたの供述を前提としても,その活動内容は,広報担当者として文書を作成することのほか,一参加者としてデモや集会に参加する程度にとどまることなどからすれば,本国政府が反政府活動家として関心を寄せる態様のものとは認められません」,「3 あなたは,ロヒンギャであること及びイスラム教徒であることを理由に迫害を受けるおそれがある旨申し立てていますが,各種関係資料によれば,ロヒンギャであることのみをもって迫害を受けるとは認められず,また,イスラム教モスクの存在,礼拝等が全面的に禁じられている状況は認められないことなどからすれば,これらの事情のみをもって迫害のおそれがあるとは認められません」,「その他のあなたの主張等を全て併せ考慮しても,あなたが難民に該当するとは認められません」というものである。
オ 法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長は,平成22年4月14日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告に対し,本件在特不許可処分をした。(乙26)
カ 原告は,平成22年4月16日,本件難民不認定処分及び本件在特不許可処分の通知を受けた。(乙25,26)
キ 原告は,平成22年4月16日,入管法61条の2の9の規定により,法務大臣に対し,本件難民不認定処分について異議申立てをした。(乙27)
ク 原告は,「家族と結婚のことで問題が起きた」という理由により,平成23年4月12日,上記キの異議申立てを取り下げた。その結果,入管法61条の2の4第5項2号の規定により,同日,原告の仮滞在の許可の終期が到来した。(乙28)
ケ 原告は,平成23年10月27日,入管法61条の2第1項の規定により,法務大臣に対し,2回目の難民認定申請をした。(乙1)
コ 法務大臣は,平成24年8月29日,入管法61条の2第1項の規定により,原告に対し,難民の認定をしない処分をした。法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長は,同年9月19日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告に対し,在留特別許可をしない処分をした。(乙35,36)
(4)  原告の退去強制手続の経緯
ア 東京入管入国警備官は,平成18年9月4日,原告について入管法24条1号(不法入国)該当容疑事件を立件した。(乙1)
イ 東京入管入国警備官は,平成19年4月23日及び同年5月7日,原告に係る違反調査を行った。(乙2,3,4)
ウ 東京入管入国警備官は,平成19年5月28日,原告が入管法24条1号に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,東京入管主任審査官から収容令書の発付を受けた。(乙5)
エ 東京入管入国警備官は,平成19年5月31日,上記ウの収容令書を執行して原告を東京入管収容場に収容し,原告を入管法24条1号該当容疑者として東京入管入国審査官に引き渡した。東京入管入国審査官は,同日,原告に係る違反審査を行った。(乙5,6,7)
オ 東京入管主任審査官は,平成19年5月31日,原告の仮放免を許可した。(乙5,8)
カ 原告の退去強制手続は,原告が上記(3)イの仮滞在の許可を受けたことにより,平成19年6月7日,入管法61条の2の6第2項の規定に基づいて停止された。(乙5)
キ 東京入管入国審査官は,原告の仮滞在の許可の終期が上記(3)クのとおり到来したことを受けて,平成23年4月12日,原告の退去強制手続を再開した。(乙5)
ク 東京入管入国警備官は,平成23年4月14日,上記ウの収容令書を執行して原告を東京入管収容場に再収容し,東京入管入国審査官は,同日,原告に係る違反審査を行った。(乙5,9)
ケ 東京入管主任審査官は,平成23年4月14日,原告の仮放免を許可した。(乙5,10)
コ 東京入管入国審査官は,平成23年6月20日,原告に係る違反審査を行い,同日,原告が入管法24条1号に該当する旨の認定をし,これを原告に通知したところ,原告は,同日,東京入管特別審理官の口頭審理の請求をした。(乙11,12)
サ 東京入管特別審理官は,平成23年8月29日,原告に係る口頭審理を行い,同日,東京入管入国審査官の認定に誤りがない旨の判定をし,これを原告に通知したところ,原告は,同日,法務大臣に対する異議の申出をした。(乙14,15,16)
シ 法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長は,平成23年10月13日,原告の異議の申出に理由がない旨の本件裁決をし,その旨を東京入管主任審査官に通知した。(乙17,18)
ス 本件裁決の通知を受けた東京入管主任審査官は,平成23年10月24日,本件裁決を原告に通知するとともに,原告に対し,本件退令処分をした。本件退令処分はミャンマーを送還先とするものである。東京入管入国警備官は,同日,本件退令書を執行して原告を東京入管収容場に収容した。(乙19,20)
セ 東京入管主任審査官は,平成24年3月15日,原告の仮放免を許可した。(乙20,21)
(5)  本件訴えの提起
原告は,平成24年4月24日に本件訴えを提起した。(顕著な事実)
2  争点
本件の争点は,① 本件難民不認定処分の効力の有無,具体的には,原告は入管法2条3号の2所定の難民に該当するか否か(争点1),② 本件在特不許可処分の効力の有無,具体的には,難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)33条1項,拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷付ける取扱い又は刑罰に関する条約(以下「拷問等禁止条約」という。)3条1項違反の有無(争点2),③ 本件退令処分の適否,具体的には,難民条約33条1項,拷問等禁止条約3条1項及び入管法53条3項,61条の2の6第1項違反の有無(争点3)である。
3  当事者の主張の要旨
(1)  本件難民不認定処分の効力の有無(争点1)について
(原告の主張)
原告は,次のとおり,入管法2条3号の2所定の難民に該当するものである。ところが,本件難民不認定処分は,原告の難民該当性を否定しているのであり,重大かつ明白な瑕疵があるものであるから,無効である。
ア 難民の意義
(ア) 入管法にいう「難民」とは,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないものをいうところ,上記「迫害」とは,「国による保護の懈怠を明らかにする,基本的人権の持続的又は組織的侵害」を意味し,また,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在することが必要であるが,そのような客観的事情があるというためには,当該人が自国に帰国すれば迫害されることについて,証拠に基づいた合理的ないし現実的な見込みがあれば足りるというべきである。
上記「迫害」の意義について,条約法に関するウィーン条約31条及び32条の規定が定め,国際慣習法上も確立している条約解釈に関する確立された規則に基づいて解釈を行った場合,難民条約の「文脈」である前文は,「世界人権宣言が,人間は基本的な権利及び自由を差別を受けることなく享有するとの原則を確認していることを考慮し,国際連合が,(中略)難民に対して基本的な権利及び自由のできる限り広範な行使を保証することに努力してきたことを考慮し」として,難民条約が,難民に対する基本的人権の保障を十全たるものとすべく採択されたものであることを明記しているのであるから,「迫害」も,「生命又は身体の自由の侵害又は抑圧」に限定するのではなく,広く基本的人権及び自由を保障する観点を取り入れて解釈されなければならないのである。この解釈は,難民条約の起草時における事情からも確認されるのみならず,国際的に広く認められている国連難民高等弁務官事務所(以下「UNHCR」という。)のハンドブックにおいても「人権の重大な侵害もまた迫害を構成するであろう」と記載されていることからもその正当性が基礎付けられる。
上記「通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在する」場合について,難民条約が,単なる恐怖ではなく,「十分に理由のある恐怖」を求めていることに鑑みれば,難民条約が,単なる主観的恐怖に加えて,当該恐怖に客観的な根拠があることを求めていることは否定し難い。他方で,客観性を求める余り,恐怖を裏付ける証拠を過度に求めたのでは,難民として認められるのはごく一握りの者だけになり,国際的保護を通じて「難民に対して基本的な権利及び自由のできる限り広範な行使を保証する」(難民条約前文)という目的が達成されないことになりかねない。そうであるとすれば,このような難民条約の趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い誠実に解釈した場合,十分に理由のある恐怖とは,最低限の客観性,すなわち,単なる主観的な可能性を超えて,証拠に基づく合理的ないし現実的な根拠を有する恐怖であると解釈するのが適切である。このように,難民条約の趣旨及び目的に基づいて「十分に理由のある恐怖」を解釈するほか,条約の起草過程等に基づいて解釈しても,それは,恐怖が単なる主観的なものを超えて客観的な根拠を有する場合,すなわち,恐怖が証拠に基づく合理的ないし現実的なものであることであると解される。そして,帰国した場合に迫害を受けることについて,合理的な疑いを差し挟む余地がないほどに証明することができるケースは,非常にまれであり,難民認定に当たり,こうした高い証明基準までは要求されない。想定される迫害者である政府当局に情報源として接触することは望ましくなく,政府当局が申請者の政治的意見について確実に把握していることを証明するのは困難であることを考慮すれば,公正に分析するためには,難民認定申請に対する決定権者は,政府当局が申請者の政治的活動を把握している合理的な可能性があり,迫害を行うおそれがあると結論付けることができるか否か,個別の申請ごとに判断することに集中すべきである。問題はここでいうところの「政府当局が申請者の政治的活動を把握している合理的な可能性」があるか否かをどのように判断するかであるが,主観的な恐怖が客観的事情によって裏打ちされているか否かをもって「十分に理由のある恐怖」を判断するのが適切であり,この客観的事情には,同一の人種的又は社会集団の他の構成員に起こったことなどが含まれる。
(イ) 被告の主張について
被告は,生命又は身体の自由のみが「迫害」において斟酌されるべき旨を主張するものの,何ら根拠がない。むしろ,少なくとも,我が国の憲法が定め,また,我が国が批准する国際人権条約においてその保障を即時に確保することが国家に義務付けられている人権については,その重要性の故に,当該人権の侵害が「迫害」を構成することはいうまでもない。これらの重要な基本的人権を侵害される十分に理由のある恐怖を有する者を難民の範疇から除いては,難民に対する人権保障が達成されないのは明らかである。
イ 原告が人種等を理由に迫害を受けてきたこと
原告は,ミャンマーのイスラム系少数民族であるロヒンギャ族の出自であり,同民族であることを理由に国籍及び市民権を否定されるなど様々な迫害を受けてきた。
(ア) ミャンマーにおけるロヒンギャ族の一般的状況
a 無国籍状態に置かれていること
ロヒンギャ族は,主としてヤカイン州(ラカイン州とも表記する。同州の名称は1990年(平成2年)まではアラカン州であった。)に居住するイスラム系少数民族であり,その人口は約80万人と推計されているところ,ミャンマーの国籍法においては国民として扱われておらず,国籍及び市民権を否定され,著しい人権侵害を受けている。1982年(昭和57年)制定のミャンマーの国籍法は,国民を「国民」,「準国民」及び「帰化国民」というランクに分けており,ミャンマーでは,そのランクごとに法的権利が付与されているところ,ロヒンギャ族は,上記国籍を有する135の「国家民族」に含まれておらず,上記国籍のいずれも与えられることなく,不法に滞在する外国人として扱われている。ロヒンギャ族は,無国籍状態のまま,国内の移動を制約され,医学や技術の分野での高度教育を禁止されており,政府の地位から除外され,過酷な法的,経済的,社会的差別を経験している。確かに,被告が指摘するように,ミャンマーではロヒンギャ族以外の少数民族に対しても厳しい取扱いがされているが,ロヒンギャ族は,国籍が否定されるなど,他の少数民族と比べても劣悪な立場に置かれている。
b 移動の自由の制限を受けていること
ミャンマー政府は,従来から移動の自由を制限してきたが,ほとんどの国民は国内を移動することができた。しかし,ロヒンギャ族は,例外である。ヤカイン州では,多くの統制と検閲がロヒンギャ族に適用されている。ミャンマー政府は,ロヒンギャ族の移動を厳しく規制しており,その規制は,バングラデシュ人民共和国(以下「バングラデシュ」という。)との国境沿いの各郡で特に厳しく行われている。ロヒンギャ族は,ナサカ(警察,軍諜報機関,治安警察,税関,移民人員担当局から成る準軍隊組織)に対価を支払ってその許可を受けることなく村の境界を越えて旅行することは許されておらず,遠方に赴くことは実質的に不可能である。そのため,農作業をすることができない乾季に仕事を探すことは極めて困難である。この移動の制限により,他村での仕事探しや,行商,漁業を妨げられ,親戚の葬儀に参加したり,医者に診てもらうことさえもできない。州外の大学や医学校への入学を許可された若者も,入学することができない。このような過剰かつ差別的な移動の制限により,ロヒンギャ族の生活には深刻な悪影響が及ぼされており,労働の権利と最低限の生活の権利を含む基本的人権が侵害されるに至っている。
c 強制労働に従事させられていること
強制労働はミャンマーの至る所で行われているが,ロヒンギャ族の負担は特に深刻である。ナサカは,ロヒンギャ族に対し,強制労働を強いている。その内容は,キャンプの維持,設営,道路補修,ナサカに属するプランテーションでの労働,水汲みなどである。こうした労役は,少数民族に課される典型的な強制労働であり,武装地域で特に過酷である。ロヒンギャ族は,ときには強制労働に対して報酬を受け取ることもあるが,その額は通常の賃金よりもはるかに低い。強制労働を担わされるのは最も貧しい人々である。ロヒンギャ族の50%は,貧しい土地なし労働者であるため,強制労働に駆り出されていると,生活のための現金収入を稼ぐ時間が不足し,家族の食料確保にも事欠くことになる。
d 宗教行為に対する制限を受けていること
ミャンマー政府は様々な方法により,ロヒンギャ族がイスラム教の宗教行為をするのを制限している。ミャンマー政府は,ヤカイン州北部の全域で多くのイスラム寺院と宗教学校(マドラサ)の閉鎖を命令した。ブーディーダウンでは,八つのイスラム寺院が閉鎖処分を受け,地元のイスラム教徒自らの手で破壊させられ,17のイスラム寺院と宗教学校,世俗学校が破壊命令を受けた。ロヒンギャ族は,新しいイスラム寺院や宗教学校の建立又は既存の宗教的建築物の拡張や修復をすることを許されておらず,多くのイスラム寺院が朽ち果てた状態にある。これらの寺院を許可なく修復したことを理由に投獄された者もいる。他に,個人の信仰の実践も制限されている。ミャンマー政府は,1970年代以降,コーランの出版や配布を規制し,ときには禁止し,旅券やビザの発給を制限することによりメッカ巡礼を制限してきた。ミャンマー政府は,宗教集会やイスラム教の儀式に対して様々な規制を実施しており,イスラム教徒は,礼拝のために集ったり,伝統的な仕来りに従って儀式を執り行ったりすることが困難となっている。ミャンマー政府は,ロヒンギャ族に仏塔と僧院を建てることを強制するなど極めて悪質な態様でロヒンギャ族の信仰を否定している。
e その他にも人権侵害を受けていること
ヤカイン州に居住するロヒンギャ族は,モデル村(ナタラ)や,ナサカ,国軍,警察のキャンプの建設等のため,土地を没収され,強制移住をさせられるなどの権利侵害を受けている。モデル村の周辺にロヒンギャ族の居住区が設置され,国軍がロヒンギャ族を監視し,軍の事業のために土地を没収することができるようにしている。2009年(平成21年)現在,ヤカイン州西部に100程度の村落が建設されており,ロヒンギャ族から没収した土地と財産を割り当てられたビルマ族とヤカイン族が入植している。ロヒンギャ族は,当局による強奪や恣意的な課税の対象とされたり,婚姻に対する著しい制限が加えられたり,他の民族にはない差別を受けている。
f 大量の難民が発生したこと
上記のような背景の下で,1991年(平成3年)12月から1992年(平成4年)3月にかけて,ヤカイン州の約25万人ないし30万人のロヒンギャ族がバングラデシュへ難民として流出するという事件が起き,その多くが,バングラデシュのミャンマーとの国境近くの町であるコックスバザールの難民キャンプで生活している。しかし,バングラデシュは,自らも経済的苦境にあるため,UNHCR等の非難にかかわらず,ロヒンギャ難民の強制送還を行ってきた。UNHCRによれば,ミャンマーからロヒンギャ族が流出したのは,上記aないしeのような要因が,組織的な人権侵害と,未開発のままに固定された状況と結び付いた結果であり,軍は,ロヒンギャ族を強制的に居住地から追い出し,それとともに,恣意的逮捕,殺害,強制労働,強姦が行われていたというのである。被告は,UNHCRの活動等を通じてロヒンギャ族がバングラデシュに難民として流出した問題は解決されたと主張するが,大量流出の原因となったミャンマー政府による不法移民取締政策(いわゆるドラゴン作戦)は行われなくなったとしても,ロヒンギャ族を取り巻く深刻な人権侵害状況という根本的問題は依然として残っている。
g 以上のとおり,ロヒンギャ族は,ミャンマー政府から自国民としてすらみなされていない。このように法的基盤を欠くロヒンギャ族は,様々な宗教的,民族的弾圧の対象とされ,囚人のような生活を強いられている。ロヒンギャ族は,普遍的かつ固有の基本的人権及び自由が多数侵害されている。これらの権利及び自由の中には,国籍を取得する権利,法の下の平等,権利と自由の享有に関する無差別待遇,移転の自由,信仰の自由,勤労の権利,強制労働ないし苦役からの自由,学問の自由,教育を受ける権利,財産権,婚姻の自由などが含まれている。
(イ) 原告の個別的事情
原告は,ヤカイン州マウンドー郡アレータンジョー村で出生したロヒンギャ族であり,次のとおり,① ロヒンギャ族であることを理由に,国民性を否定され,移動の自由の制限を受け,強制労働に従事させられるなどの重大な人権侵害(すなわち迫害)を受けてきたほか,② 反政府組織(後記のARIF)に対する情報提供活動を行うなど反政府活動に積極的に従事し政治活動を行ったことを理由に,身体の拘束及び拷問を受け,逮捕されそうになったため,ミャンマーを出国せざるを得なくなり,③ 来日後も反政府活動に従事してきたことから,ミャンマーに送還されれば,迫害を受ける現実的なおそれがある(原告が上記情報提供活動を行ったことなどからミャンマー政府当局によって個別に把握されるに至っていることは,後記のとおりである。)。なお,被告は,原告がロヒンギャ族であることを裏付ける客観的証拠がない旨を主張するが,原告がロヒンギャ族であることは,ロヒンギャ族である者のみに加入資格が認められる政治団体(後記のBRAJ)に加入していたことによって客観的に裏付けられる。
a 移動の自由の制限により教育の機会を剥奪されたこと
原告は,1993年(平成5年)にヤンゴン大学英語学部に入学したが,大学教育を受けることができなかった。原告は,同年8月,初年度の期末試験を終え,アレータンジョー村に帰郷した。原告は,ヤンゴンに戻るため,ブーディーダウンの船着場に行き,フェリーのチケットを購入するため,列に並んでいたところ,当局から,国民登録証の提示を求められた。原告は,ロヒンギャ族であり,国民登録証の発給を受けていなかったため,代わりにヤンゴン大学の学生証と移動許可証を提示したところ,当局は,納得せず,人種主義的で侮辱的な言葉を浴びせるとともに,尋問を開始した。原告は,顔をたたかれる,顔面を蹴られる等の暴行を加えられ,気絶した。原告は,房に移され,殴る,蹴るなどの暴行を受け,家族,人種,宗教のことを繰り返し侮辱された。このような状態が3日間続き,原告は,様々なことを尋問された。当局は,賄賂欲しさにこのような恣意的な抑留及び拷問をロヒンギャ族に対して日常的に行ってきたのであり,原告も,ロヒンギャ族であることから,被害に遭ったものである。原告が解放されたのは,原告の叔父で医師であるJが賄賂を支払ってからのことであった。しかし,ヤンゴンに戻り,大学教育を受けたいという原告の願いは叶わなかった。原告は,ヤンゴンへの移動が許可されず,ヤンゴンへの帰路が阻まれた結果,ヤンゴンの大学に通うことができず,大学教育を受ける機会を奪われたものである。被告は,ロヒンギャ族であっても許可を受ければ移動することができるのであるから,このような移動の制限をもって,直ちに迫害に該当するということはできないと主張するが,移動が許可制であること自体が深刻な人権侵害であり,移動が許可制であることは,原告が迫害を受けていたことを強く基礎付けるものである。また,被告は,原告がヤンゴンへ戻る際に国民登録証を所持していたことを指摘するが,原告が所持していた国民登録証は,原告が大学に入学するに先だってブローカーを通じて取得したものであり,原告の民族も「バンガリ」(ヤンゴンに居住するイスラム教徒(ロヒンギャ族は除く。))と偽られている。このような国民登録証を所持して移動することができる範囲は限られており,原告は,この国民登録証で実家のあるヤカイン州に行くことはできなかった。原告が国民登録証の代わりに学生証や移動許可証を提示したのはそのためである。
b 強制労働に従事させられたこと
原告は,少なくとも15回にわたり,軍や治安部隊に拘束され,ポーターないしその他の強制労働へと駆り出された。原告の家族は,最低でも週1回,通常は週2回,強制労働のための労働者を提供することを余儀なくされてきた。そのような中,原告は,1985年(昭和60年)7月,代わりの労働者を充てることができなかったことから,原告自身が強制労働に従事することになった。原告は,強制労働に駆り出され,エビ養殖用のダムの堤防を建築させられた。この労働は,対価が支払われないのはもちろんのこと,休憩も,食事も十分に与えられず,長時間にわたり従事させられる過酷なものであった。原告は,このような労働を他にも複数回経験している。そのほか,原告は,多数回にわたり,ポーターとして徴用された。原告は,1995年(平成7年)3月には,1m50cmの長さの木製の棒に結び付けられた鉄の箱を二人掛かりで運ぶことを強いられ,その際,右肩の皮膚を損傷した。原告は,医師である叔父Fの下で治療を受けたが,当該労働による傷跡は,今でも原告の身体に残っている。
被告は,原告は難民認定申請書において強制労働に係る記載をしておらず,難民調査官による事実の調査においても強制労働を課せられた旨の供述を全くしていないが,本件難民不認定処分に対する異議申立てを取り下げた後,本件退令処分の手続において,突如として強制労働を課せられたことがある者を述べ始めたと主張する。しかし,原告は,難民認定申請書に「国際労働機関(ILO)や人権団からの圧力にかかわらず,強制労働は未だ存在しています。(中略)私たちは,軍事施設,道路,橋,堤防,パゴダ,学校の診察室,池などを造るために強制労働者として利用され,報酬は一切ありません。(中略)強制労働の状況は非常に過酷なので,私たちは無職とならざるを得ず,逃れるところもありませんでした」と記載しているし,また,難民調査において強制労働を課せられた旨の供述をしていないのは,難民調査官による事実の調査が不十分かつ極めて不当なものであったためにほかならない。
c 民主化デモに参加し拷問を受けたこと
原告は,1988年(昭和63年)8月8日の民主化デモの際,ヤンゴンからアレータンジョー村に帰郷しており,他の学生と同様,軍事政権に反対するデモに参加した。これは,平和的なデモであったが,軍は弾圧に乗り出し,デモ参加者に発砲し,死傷者が出るに至った。原告の父は,同年10月,同人と原告に対し,軍情報部員であるEに会いに行くことを命ずる手紙を受け取った。これは,秘密警察が撮影したデモの写真に原告が写っていたことが原因であったと考えられる。原告の父は,原告の身を案じ,一人で当局に出頭した。原告の父は,原告の居場所を追及され,回答を拒絶したところ,棒で殴打するなどの虐待を受けた。原告の父は,1週間にわたり,房に閉じ込められ,その間,たばこの火でひげを燃やされるなどの虐待を受けた。このような状況を聞いた原告は,自ら出頭し,10日間にわたり,シャワーも食事もない房に抑留され,1日に10回以上取調べを受けた。原告は,取調べの際,殴る,蹴る,侮辱する等の物理的,精神的拷問を受けた。原告は,父が軍情報部の人を通じて賄賂を支払ったことから,解放された。
d 反政府組織で活動し捜査の対象とされたこと
(a) 原告は,ロヒンギャ族の反政府組織であるアラカン ロヒンギャイスラム戦線(以下「ARIF」という。なお,ARIFは,その後,組織再編を経て,1998年(平成10年),アラカン ロヒンギャ機構(以下「ARNO」という。)に名称変更をした。)に情報提供をしていたことを理由に,警察による捜査の対象となり,ミャンマーから出国せざるを得ない状況に追い込まれた。原告は,1994年(平成6年),叔父で医師であるFを通じて,原告の国立アレータンジョー中学校時代の恩師であり,ARIFの中央執行委員兼事務局長であるGと再会し,ARIFの地下活動メンバーとして採用された。原告は,ARIFの地下活動セルを組織しロヒンギャ族に対する迫害に関する情報を収集する任務を与えられ,1996年(平成8年)にかけて,バングラデシュのミャンマーとの国境近くにあるテクナフに赴き,同所に事務所を有するARIFやその他のNGOに情報提供をした。原告の実家の家業はエビの養殖及び販売であり,原告は,それを手伝っていたところ,商売のためバングラデシュに赴いた際,原告が居住していたアレータンジョー村及びその周辺一帯で収集した軍事政権のロヒンギャ族に対する迫害状況に関する情報を提供した。その回数は少なくとも20回に及ぶ。当時原告が居住していたヤカイン州の北部において,ロヒンギャ族は,ミャンマー政府から土地や財産の恣意的な接収,広範な強制労働という弾圧を受けていたところ,ARIFに提供した情報の内容に関する原告の供述は,このような当時のミャンマーの一般情勢と整合する。ミャンマー政府は,このような迫害ないし人権侵害の事実が外部に知られることを厳重に防止しようとしているところ,インターネットが普及しておらず,信書や電話,電子メールに対する検閲が広く行われているミャンマーにおいては,上記のような情報は,人づてによって初めて伝達することができるものであり,原告が携わっていた情報提供活動は,外部に公表されるはずのないロヒンギャ族に対する迫害の状況を世界に知らしめるものとして極めて重要な意義を有していた。ミャンマー政府は,ロヒンギャ族については特に厳重な監視態勢を敷いているのであり,原告は,ARIFに対する情報提供活動を行ったことにより,ミャンマー政府当局により個別に把握されるに至ったはずである。
(b) 原告は,ARIFに対する情報提供活動に携わった結果,ミャンマー政府に把握され,警察の捜査の対象となり,警察官は,1996年(平成8年)1月,原告を逮捕するため原告宅に赴いた。原告は,不在にしていたため,逮捕を免れたが,代わりに義理の姉が尋問及び虐待を受けた。原告の義理の姉は,2日に1回,警察に出頭し,原告の所在について報告することを命じられ,警察に出頭したところ,言葉で表現することができない不道徳な対応(強姦)を受けた。原告の義理の姉は,その後,1週間にわたり出頭しなかったところ,警察官は,原告宅に赴き,原告の義理の姉を気絶するまで殴打した。原告は,約1か月半にわたり,警察から身を隠していたが,同年2月,義理の姉に対する度を超えた捜査に身の危険を感じ,義理の姉及びその子どもと共にミャンマーを出国することを決意し,サウジアラビア王国(以下「サウジアラビア」という。)に居住する兄Hと連絡を取り,出国の手配を依頼した。原告は,船で国境を越えて,バングラデシュに逃れ,2週間後,マレーシアに渡航した。
(c) 被告の主張について
ⅰ 被告は,原告が,難民認定申請書の「あなたは本国政府に敵対する組織に属していましたか」という質問に対し「いいえ」と回答したことにつき,その本人尋問において,上記質問にいう「本国政府に敵対する組織」とは武装闘争をしている反政府組織であると考え,ARIFは武装闘争をしていないので「いいえ」と回答したものである旨を供述したことについて,原告が真にARIFに対する情報提供活動やその地下活動を行っていたのであれば,その組織の性格や目的を正しく認識していたはずであり,ARIFが武装組織であることを認識していなかったというのは不自然といわざるを得ないと主張する。
しかし,ARIF(ARNO)の武装グループは,いくつかの小分派に分裂している上,バングラデシュとミャンマーとの国境地帯にある小さな基地で活動を行っており,大規模な軍隊は有しておらず,多くは数十人程度であるのであって,原告がARIFの武装グループのことを認識していなかったからといって不自然ということはできない。
ⅱ 被告は,原告は難民認定手続においてARNOのメンバーではなかった旨を答えていると主張する。
しかし,原告は,ARNOのメンバーであった旨を答えたと記憶しているのであって,原告は,その問答に続く文脈においてどのような情報をARNOに提供していたかについて具体的に供述しているのであるから,原告の記憶が正しいと考えるのが自然かつ合理的である。
上記のような供述が録取されていることは,原告の難民調査の手続に重大な問題があったことの証左であり,原告はARNOのメンバーであった旨を答えたが,会員カード等の証拠がなかったことから,難民調査官が「メンバーではない」という調書の記載をしたものであると推測される。原告の難民調査の手続においては,他にも,原告は,ロヒンギャ族には国籍が否定されていることが迫害の根本原因であると繰り返し主張していたのに,原告の調書の冒頭には,「国籍は私が迫害を受ける理由ではないと思いますので,これは外してください」と記載されているなどの問題があるのであって,不当な聴取及び録取がされたことは明らかである。原告の難民調査の手続においては,原告が的確かつ適切に供述を行うことができるような状況が確保されておらず,原告が強制労働に従事したことに関する供述が録取されないなど,十分な調査が行われなかった。
なお,退去強制手続において作成された原告の調書には,ARIFに対する情報提供活動を行った事実はない旨の供述が録取されているが,この供述は,原告の難民認定手続における供述及び客観的証拠と真っ向から矛盾するものであり,誤った内容が録取されたか,又は不当な聴取が行われた結果であることが明らかである。
ⅲ 被告は,仮に原告がARIFに関与して反政府活動に従事していたとしても,ロヒンギャに関する一般的な情報提供にとどまり,原告の活動がおよそミャンマー政府から関心を寄せられるものでないことは明らかであると主張する。
しかし,原告が情報を提供していたARIF(後のARNO)は,ロヒンギャ族の反政府武装グループの中でも主たるものであり,原告が提供した情報は,ARIFが発行する雑誌である「月刊△△」に掲載されたり,ARIFによってインターネットニュースとして配信されていたのであって,原告の情報提供活動は,ARIFの情報発信活動の不可欠の前提を成し,非常に大きな影響力があった。原告は,情報提供活動のみならず,地域の様々な村における地下活動セルを組織するという任務を与えられており,ARIFへの貢献度は高かった。
ⅳ 被告は,原告は本件難民認定申請の段階では,警察に逮捕されそうになりミャンマーを出国した時期を1996年(平成8年)ではなく2006年(平成18年)と,その際に警察から暴行を加えられた人を義理の姉ではなく妻と偽り,妻及び子の国籍をインドネシアではなくビルマと偽ったと指摘し,原告の供述の信用性を否定する。
しかし,原告がこのように記載ないし供述をしたことには,次のとおり合理的な理由がある。
まず,妻及び子の国籍をインドネシアではなくビルマとしたのは,その当時加入していた政治団体(後記のJARO)の友人から「妻がインドネシア人であると書いたら,インドネシアに送還される可能性がある」という助言を受け,インドネシアに送還されることをおそれたためである。後記gのとおり,原告は,インドネシアで生活することができなくなったことから来日したものであり,原告が妻及び子の国籍を偽ったことは十分に了解することができる。原告は,本件難民不認定処分に対する異議申立ての手続中に原告代理人から教示を受け,妻及び子の国籍について真実を述べた。原告は,「インドネシアに戻り,妻子に会いたい」という理由で本件難民不認定処分に対する異議を取り下げているところ,これは,家族と一刻でも早く再会することを願ったあげく,やむを得ず行ったものであり,我が国で難民認定申請を続けたくないのではなく,インドネシアに戻らなければ妻子を失うことになるという思いによるものである。原告は,一貫して,我が国において難民認定を求める意思を有しており,だからこそ,難民認定申請時には「インドネシアに送還されたくない」という思いを持っていたものである。原告が本件難民不認定処分に対する異議を取り下げたのは,5年以上にもわたり我が国で難民認定申請をしていても先が見えない中,家族を失うかもしれないという不安に駆られたためであり,我が国の難民認定制度が申請者を長期間にわたり不安定な状況に置いていることに起因する。原告は,難民認定申請を放棄しインドネシアに積極的に戻ろうとしたものではない。
次に,ミャンマーを出国した時期を1996年(平成8年)ではなく2006年(平成18年)としたのは,妻及び子の国籍をインドネシアではなくビルマとしたため,妻と結婚した2000年(平成12年),子が生まれた2001年(平成13年),2002年(平成14年)及び2004年(平成16年)当時においても,ミャンマーにいたことにしなければ矛盾が生じてしまうと考え,つじつまを合わせるためである。原告は,本件難民不認定処分に対する異議申立ての手続中に原告代理人から教示を受け,妻及び子の国籍について真実を述べた際に,併せて,出国時期についても訂正している。
また,警察から暴行を加えられた人を義理の姉ではなく妻としたのは,ミャンマーを出国した時期を1996年(平成8年)ではなく2006年(平成18年)とし,その当時は既に結婚していたことを供述していたことから,それらとの整合性を保たせるためである。原告は,警察から暴行を加えられた人についても,本件難民不認定処分に対する異議申立ての手続中に原告代理人から教示を受け,妻及び子の国籍について真実を述べた際に,併せて訂正している。
e 来日後も反政府活動に従事してきたこと
原告は,平成18年8月に来日して以来,活発に政治活動に従事してきた。原告は,弟がメンバーであったこともあり,在日アラカン ロヒンギャ機構(以下「JARO」という。)に加入した。原告は,平成19年に,在日ロヒンギャ ビルマ人協会(以下「BRAJ」という。)に加入し,情報と広報を担当した。原告は,平成20年には,BRAJの執行部に名を連ねたが,当時の代表者と意見が対立し,同年,BRAJを脱退した。原告は,その後も,独自の活動を継続し,ウェブサイトを立ち上げるなどして,積極的にミャンマーにおけるロヒンギャ族に対する迫害の状況に関する情報を収集し,政治的意見を表明してきたところ,そこに掲出していた「※※※@yahoo.com」というメールアドレスの「※※※」は原告の本名であり,ミャンマー政府当局において上記サイトの運営者が原告であることを特定することは決して困難ではない。原告は,その後,BRAJでの活動を再開し,平成24年10月には事務局長として選出され,ミャンマー大使館前での抗議活動を先頭に立って行うなど指導的役割を担っている。原告の氏名は,BRAJの執行委員リストに掲載されており,そのリストは,BRAJのホームページで公開されている。これらによれば,原告が我が国において反政府活動を行っていることがミャンマー政府当局によって知られていることは明らかである。上記のとおり,原告がARIFに対する情報提供活動を行っていたことはミャンマー政府当局によって個別に把握されるに至っているのであり,その原告が我が国においてロヒンギャ族団体の幹部として反政府活動に携わっているのであるから,原告がミャンマーを出国してから長期間が経過しているとはいえ,ミャンマー政府当局の原告に対する関心は一層高まっているということができる。
f 以上のとおり,原告は,イスラム系少数民族であるロヒンギャ族の一員であるために,移動の制限,教育の機会の剥奪,強制労働に従事させられるなど身体的,精神的拷問を受けてきた。その背景には,そもそも,原告がミャンマー政府から国籍及び市民権を否定され,脆弱な法的地位に置かれていることがあることはいうまでもない。また,原告は,1988年(昭和63年)に民主化デモに参加したことを理由に取調べ及び拷問を受け,加えて,1994年(平成6年)から1996年(平成8年)にかけて,反政府組織であるARIFの活動に従事したことを理由に当局による捜査の対象とされてきた。さらに,原告は,平成18年に来日した後も,積極的に反政府活動に携わってきたものである。
g 被告の主張について
(a) 被告は,原告の本国の家族は,平穏かつ安寧に生活を続けていると主張するが,原告の家族は,逮捕や拘留等は受けていないものの,移動の自由の制限や強制的な財産収用等を日常的に受ける極めて厳しい環境に晒されている。
(b) 被告は,原告が本邦に入国した理由は,単なる親族間のトラブルから一時的に避難するためというものであるから,原告の難民該当性と全く関係性を有せず,原告は難民認定申請を目的として本邦に入国したものとは認められないと主張する。
確かに,原告が来日した背景には,原告とインドネシア国籍を有する原告の妻の家族との間に確執が生じ,原告のロヒンギャ族としての素性を警察に通報すると脅されたことがあるが,問題は,何故そのようなトラブル故に原告がインドネシアを離れ庇護を求めなければならなかったかである。原告は,ロヒンギャ族であり,ミャンマー政府から自国民としてみなされず,自己の国籍や身分を証明する証明書や旅券等を持ち合わせていない。そのため,原告は,常に自己の国籍や身分等を偽って生活することを強いられてきたのであり,このことこそが,原告が家族との確執の末にインドネシアを離れなければならなかった根本的な原因である。そして,このように国籍を有しないことは,ロヒンギャ族がミャンマー政府から受けている迫害にほかならない。原告が我が国に庇護を求めた理由は,原告の難民該当性と深く結び付いている。
原告は,ミャンマーを出国した後,自らの出自及び属性を偽って生きてきたものである。原告は,インドネシアで,インドネシア国籍を有する女性と知り合い,同女と結婚し,同女との間に3人の子をもうけた。原告は,家族を養うため,インドネシア及びマレーシアで繊維会社やインターネットカフェを経営していた。しかし,原告は,自らのロヒンギャ族としての出自や属性を明らかにしておらず,インドネシアのビンジャイで出生したインドネシア国籍を有するD1として生きてきた。原告は,妻の家族との確執を生じ,インドネシア当局に原告の真実の出自及び属性を通報すると脅され,ミャンマーに送還される危険に直面したことから,我が国に逃れてきたものであるが,原告が,来日直後に,本件難民認定申請をし,JAROにおける活動を開始していることによれば,原告が,我が国の庇護を求め,また,反政府活動に従事するために,来日したものであることは明らかである。原告は,来日後,2回にわたり各5万円ずつ送金した以外には,家族に対する送金をしていない。原告は,無職であり,弟の経済的援助を受けて生活している。原告は,インドネシアで会社を経営し,家族と生活していたのであって,就労目的で来日したものではない。
(c) 被告は,原告がマレーシア及びインドネシアにおいては両国政府に対し庇護を求めず,事業を営むなどして平穏な生活を送っていたことを指摘する。
しかし,原告は,ロヒンギャ族であるという自らの出自を秘匿し,インドネシア国籍の妻と婚姻することによりインドネシア国籍を有する者として平穏に生活していたのであり,そのような状況にあったからこそ,原告は,インドネシア及びマレーシアにおいて,送還されるリスクを冒してまで積極的に庇護を求めることをしなかった。インドネシア及びマレーシアは,いずれも,難民条約を批准しておらず,難民を保護すべき国際条約上の義務を負っていないのであって,そもそも,難民は,両国政府から庇護を受けることを期待することができない。原告がインドネシア及びマレーシアにおいて積極的に庇護を求めなかったことは,原告が迫害を受けてきたことの証左なのであって,庇護を求めなかったことの一事をもって原告の難民該当性を否定することはできない。
ウ 原告は難民に該当すること
原告は,イスラム系少数民族であるロヒンギャ族の一員であるが故に,国籍を剥奪されるなどの重大な人権侵害を受けてきた。また,反政府活動に従事したことを理由に,逮捕,抑留され,拷問を受けてきた。このような原告の事情に鑑みると,次のとおり,原告が難民に該当することは明らかである。
(ア) 原告は迫害を受けるおそれがあること
原告は,ロヒンギャ族であるという「人種」ないし「特定の社会的集団」の一員であること,無国籍であること,ミャンマーにおける少数派の宗教であるイスラム教徒であること,当局に反対する政治的意見を有していることを理由に重大な人権侵害を受けてきた。これらの人権侵害は,迫害に当たる。迫害とは,国による保護の懈怠を明らかにする,基本的人権の持続的又は組織的侵害であると解されるところ,ロヒンギャ族は,ミャンマー政府から国民性及び市民権を否定されている。原告は,重要な人権を侵害された上,身体的,精神的に抑圧されるなどの拷問を繰り返し受けている。これらは,ミャンマー政府の原告に対する保護の懈怠を明らかにする基本的人権の持続的,組織的侵害にほかならず,原告は,迫害を受けてきたものである。原告に迫害を受けるおそれがあることは,ロヒンギャ族に対するミャンマー政府の差別的措置からも基礎付けられる。すなわち,ミャンマー政府は,ロヒンギャ族を自国民として認めておらず,ロヒンギャ族は,様々な差別的政策の標的とされ,最も基本的な人権すら享受することができていない。このような差別的措置も,迫害にほかならない。
(イ) 原告の迫害を受けるおそれには十分な理由があること
原告は,ロヒンギャ族の一員として様々な迫害を受けてきた。加えて,原告は,民主化デモへの参加,反政府組織であるARIFへの情報提供等を理由に執拗な迫害を受けてきた。原告は,このような迫害を受けてきたにもかかわらず,来日後も,積極的に反政府活動を行っている。そうだとすれば,原告の有するミャンマーに送還された場合,再び迫害を受けるであろうとの恐怖は,単なる主観的なものではなく,客観的な状況により裏付けられているものであることが明らかである。したがって,原告の迫害を受けるおそれには十分に理由のある恐怖が存在する。
(ウ) よって,原告は,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること,又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するのであるから,原告は難民に該当するというべきである。
(被告の主張)
原告は,次のとおり,入管法2条3号の2所定の難民に該当するものではなく,本件難民不認定処分は適法な処分である。
ア 難民の意義
難民とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」をいう。そして,上記の迫害とは,「通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧」を意味し,また,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要である。
ところで,難民と認定されるための要件である「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」とは,単に迫害を受けるおそれがあるという抽象的な可能性が存するだけでは足りず,当該申請者について迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような個別かつ具体的な事情が存することが必要である。すなわち,上記のような客観的事情が存在しているということができるためには,政府によって民族浄化が図られていることが明らかであるような場合はともかく,そうでなければ,政府が特に当該人を迫害の対象としていることが明らかになるような個別的で具体的な事情があることを要するものと解すべきである。
そして,「難民」に該当することの立証責任は,難民であることを主張する原告にあり,原告自らが,原告が本件難民不認定処分当時において難民と認められるための要件である人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有していた点について「合理的な疑いを容れない程度の証明」をしなければならない。
イ 原告が人種等を理由に迫害を受けてきたことについて
原告は,ミャンマーのイスラム系少数民族であるロヒンギャ族の出自であり,同民族であることから様々な迫害を受けてきたと主張するが,そもそも,原告がヤカイン州で出生したロヒンギャ族であることを裏付ける証拠は全くない上,この点はおくとしても,原告がロヒンギャ族であることを理由に迫害を受けてきたということはできないことは,次のとおりである。
(ア) ロヒンギャ族であることのみを理由に迫害を受けることはないこと
a ミャンマーにおけるロヒンギャ族の一般的状況について
確かに,ロヒンギャ族と称される人々の中にはミャンマー政府から人権侵害を受けた者がいるが,ミャンマーでは,ロヒンギャ族以外の少数民族に対しても厳しい取扱いがされており,人権侵害はロヒンギャ族に固有の問題ではない。また,UNHCRは,バングラデシュに難民として流出したロヒンギャ族約20万人が1999年(平成11年)12月までに帰還し,大量流出を招いた原因がほぼ解決されたという見解を示している。すなわち,1990年代前半にロヒンギャ族がヤカイン州北部から国境を接する隣国であるバングラデシュに難民として流出する事件があったところ,1992年(平成4年)4月,ミャンマー政府とバングラデシュ政府との間で二国間協定に調印がされた結果,バングラデシュに流出した者はミャンマーに帰還し始め,1993年(平成5年),ミャンマー政府がヤカイン州でのUNHCRの活動を認めた結果,1994年(平成6年)4月にミャンマーにUNHCRの事務所が設置され,UNHCRはバングラデシュからの自主帰還を援助するようになったこと,UNHCRはヤカイン州に事務所を設置して以降,帰還民の再定着の促進と基本的なインフラの整備事業に着手しており,1995年(平成7年)にはバングラデシュにとどまっている者は約5万人にまで減少し,1999年(平成11年)12月までに約20万人が帰還し,バングラデシュに残るのは約2万2000人となり,帰還民が迫害ないし差別を受けたという事情がないこと,UNHCRもこのような活動を通じてミャンマー政府と意見交換をすることができる環境を整え,2000年(平成12年)現在において,ロヒンギャ族の国籍問題の解決と強制労働の廃止を訴えることができるまでになったことなどから,ロヒンギャ族がバングラデシュに難民として流出した問題は解決されたということができる。さらに,1994年(平成6年),ミャンマー政府及びバングラデシュ政府とUNHCRが協力する形でロヒンギャ族の帰還を支援する活動が開始され,バングラデシュ政府及びUNHCRの要請を受けたNPOにより,1995年(平成7年),マウンドー郡において,帰還者及び地域住民のための地域開発等の活動が開始されたことも,ミャンマーにおけるロヒンギャ族に関する問題がほぼ解決されたことの根拠ということができる。現在もマウンドー郡等を拠点として活動を継続しているNPOによれば,地域開発や技術訓練は村人も参加して行われる形態であり,異民族間の対立を和らげるため,帰還民イスラム教徒を含めた多様な民族が参加して行われるよう配慮されており,このような努力の結果,現在までに約9割の者が帰還していることから,事業は順調に展開されていることがうかがわれる。このような状況は,UNHCRが各国外交官から成る視察団を毎年マウンドーに招き,現地での活動の意義をアピールしていること,UNHCRの公開情報からも明らかである。
b 難民該当性は個別に判断されるべきものであること
難民と認定されるための要件である「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」とは,単に迫害を受けるおそれがあるという抽象的な可能性が存するだけでは足りず,当該申請者について迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような個別かつ具体的な事情が存することが必要であり,政府によって民族浄化が図られていることが明らかであるような場合はともかく,そうでなければ,政府が特に当該人を迫害の対象としていることが明らかになるような個別的で具体的な事情があることを要することは,上記アのとおりである。
これを本件についてみると,ロヒンギャ族の一員であることのみを理由に直ちに難民と認められる実態がミャンマーに存在するということはできない。すなわち,ロヒンギャ族の一員であることのみを理由に直ちに難民と認められるためには,例えば,ロヒンギャ族がミャンマー政府による民族浄化の対象とされていることが明らかであるような実態が明確に認められることが必要である。確かに,ミャンマーにおいては,ロヒンギャ族を自称する人々が存在し,その人々を含む人たちに対してミャンマー政府が何らかの不利益ないし人権侵害を及ぼしていることを認めることはできる。しかし,そもそも,ロヒンギャ族の一員であるという場合の「ロヒンギャ」とはいかなる範囲の者なのかということさえも明らかであるとは言い難い上,ロヒンギャ族に対する「迫害」の実態も明らかではないし,ロヒンギャ族を含む人たちに対する不利益ないし人権侵害,あるいは迫害の理由も一義的に明らかであるとは言い難い。そうすると,ロヒンギャ族に関する多くの報告書を考慮しても,ミャンマーにおいてロヒンギャ族の一員であることのみを理由に直ちに難民と認めることはできない。したがって,ロヒンギャ族を自称する者に対する迫害のおそれの有無は,ミャンマー政府が特に当該人を迫害の対象とした個別かつ具体的な事情から個別的に判断すべきであって,原告がミャンマー政府による迫害を受けている者として難民に該当するか否かは,ミャンマーにおけるロヒンギャ族の一般的状況だけではなく,原告について,迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような個別かつ具体的な事情(原告の出生地・出身地,ミャンマー国内における生活状況や国内において迫害そのもの,あるいは何らかの不利益を受けたか否か,もしそのような不利益を受けたのであればその内容,状況など,さらには出国の状況等)を総合考慮し,将来においても,ミャンマーにおいて迫害を受けるおそれがあるか否かを個別かつ具体的に判断すべきである。原告がロヒンギャ族であるとしても,その一事をもって原告を難民と認めることはできない。
(イ) 原告の個別的事情について
原告は,自身がロヒンギャ族であることのほか,自身の難民該当性を基礎付ける具体的事情として,移動の自由の制限による教育の機会の剥奪を受けたこと,強制労働に従事させられたこと,反政府活動に従事してきたことを主張するが,いずれも,当該事実を裏付ける根拠を欠き理由がないか,原告の難民該当性を基礎付ける事情とはならないことは,次のとおりである。
a 移動の自由の制限により教育の機会を剥奪されたことについて
原告は,ヤンゴンからマウンドー郡に帰郷した後,ヤンゴンに戻ろうとした際,当局により,3日間にわたり身柄を拘束され,殴る蹴るの暴行を受け,ヤンゴンに戻ることができず,大学教育を受ける機会を奪われた旨を主張する。
しかし,上記主張を裏付ける客観的証拠はなく,そもそも,上記主張に係る事実関係は認め難い上,仮に,原告の主張を前提としても,上記主張に係る事情をもって原告に迫害のおそれがあるということはできない。すなわち,上記主張によると,ロヒンギャ族であっても許可を受ければ移動することができるのであるから,このような移動の制限をもって,直ちに難民条約上の「迫害」(通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧)に該当するということはできない。また,移動の自由の制限については,原告にそのような制限があったとしても,それが原告がロヒンギャ族であることを理由とするのか明らかではない。原告は,本件難民認定申請の際に,国民登録証を提出しており,それには,「名前D3 別名D1」,「日付 1993年1月20日」,「注釈(1)旅行する際には携帯すること」と記載されている。このことからすれば,原告が,その主張する1993年(平成5年)8月にヤンゴンへ戻る際に,国民登録証を所持していたことは明らかであるし,旅行の際には携帯するように記載されている国民登録証の提示を警察から求められたにもかかわらず,それを提示しなかったために,身柄拘束を受けた可能性も否定することができない。原告が,3日後に釈放されたことも併せ考えれば,上記事情をもって原告の難民該当性を基礎付けるものということはできない。加えて,原告は,上記の出来事以外に,移動の自由を制限された経験について一切述べておらず,むしろ,原告が,マウンドー郡で出生したにもかかわらず,ヤンゴン市の高校に,また,少なくとも一時期はヤンゴン大学に通い,その間,ヤンゴン市に住み,カンドーレー地区に住んでいた同じくロヒンギャ族である祖父の従弟宅によく遊びに行っていたもので,1994年(平成6年)2月頃にヤンゴンから帰郷した際は手続上の問題はなかった旨を述べていることからすれば,原告は,上記の出来事以外は国内を自由に移動していたことがうかがわれる。原告は,上記の出来事以外に,移動の自由を制限された経験について一切述べておらず,また,上記のとおり過去にヤンゴンに移動することができていることからしても,上記の出来事をもって,原告が迫害を受けるおそれがあると認めることはできない。原告は,本人尋問において,国境警備隊に国民登録証を示すように求められた際,国民登録証を示す前に,国境警備隊が原告のことを「カラ」(ロヒンギャ族に対する差別的呼称)と呼んだことに逆上し,「俺はカラじゃない」と口答えをして口論となり,ケンカになってしまって,殴られたり蹴られたりという目に遭ったと供述しているのであり,国境警備隊とケンカをしたために身柄を拘束されたにすぎない。
なお,原告は,ヤンゴンに移動することができなかったことをもって大学教育を受ける機会を奪われたと主張するが,原告は,ヤンゴン大学英文科に在籍し,一時は通うこともできていたのであるから,原告にとって問題であったのは移動を制限されたとする上記の出来事であり,教育を受ける機会自体は確保されていたということができることを付言する。
b 強制労働に従事させられたことについて
原告は,強制労働は至る所で行われているが,ロヒンギャ族への負担は特に深刻であり,ロヒンギャ族は日常的に強制労働の対象とされてきたと主張する。
しかし,強制労働に関する一般的事情が原告の難民該当性を基礎付けるということはできない。原告の主張を前提としても,強制労働は,至る所で行われ,他の地域においても少数民族の人びとに課されるものであり,武装地域で特に過酷であるというのであるから,ミャンマーにおいてロヒンギャ族であるが故に強制労働を課せられている実態があると断定することはできない。そもそも,ロヒンギャ族一般の事情として原告が主張する強制労働については,その定義や具体的な態様が明らかではなく,しかも,原告の主張を前提としても,強制労働の内容は,「キャンプの維持,設営,道路補修,ナサカに属するプランテーションでの労働など」で,その程度や必要性も様々であるから,ロヒンギャ族に一律に強制労働が課される状況があるということをもって,そのような強制労働が直ちに「迫害」(通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧)に該当するということもできない。それゆえ,ロヒンギャ族を称する者が労働に強制的に従事させられるという迫害を過去に受けたことがあるか否か,あるいは,将来においてそのような迫害を受けるおそれがあるか否かについては,その供述に係る労働の具体的態様等を検討し,これが「迫害」であるか否かを検討しなければならず,強制労働の一般的な危険ないし状況があり,当該原告に強制労働の経験があるというだけでは,難民に該当するということはできない。
そこで,原告自身が従事させられたとする強制労働の具体的態様等を検討する前提として,強制労働に関する原告の供述の信用性について検討するに,原告は,難民認定手続及び退去強制手続のいずれにおいても,ロヒンギャ族であるが故にミャンマー政府から迫害を受けたと供述しているものの,その迫害の内容については,難民認定申請書において自らが強制労働を課せられた旨の記載をしておらず,難民調査官による事実の調査においても強制労働を課せられた旨の供述は全くしていない。ところが,原告は,本件難民不認定処分に対する異議申立てを取り下げた後,本件退令処分の手続において,原告代理人が平成23年8月29日付けで提出した意見書に添付された陳述書において,突如として,少なくとも15回強制労働を課せられ,そのうち,負傷までしたことがある旨を述べ始めたものであり,しかも,従前そのような供述をしなかった理由については何らの説明もしていない。原告が上記陳述書で述べるとおり,強制労働を課されて鉄の箱を運び負傷したのであれば,「家の中で5キロ以上の物を運んだ記憶も,家族の者から運ぶように頼まれた記憶も」ない原告にとって非常に印象に残るはずであり(原告自身,上記陳述書において「忘れることの出来ない記憶を私に与えました」,「強制労働の記憶が傷跡として残されたものです。それは1995年3月のことであり,私の人生で特筆すべき日となりました」と,当該出来事が非常に印象に残っている旨を記載している。),難民不認定処分を受けるまでそのことに一切触れないのは不自然なことというほかない。このような供述経過からすれば,ミャンマー政府から強制労働を課せられ負傷した旨の原告の供述は極めて不自然,不合理であるということができ,他にこの供述を裏付ける客観的証拠もないことも併せれば,原告の上記供述は容易に信用することができない。
仮に原告が供述するような強制労働があったとしても,原告は,上記陳述書において,「私の家族では,最低でも1週間に1回,通常は週に2回,強制労働のために労働者を提供しなければなりませんでした。私たちは,村長より強制労働命令が下されたときは,自分たちの労働者を送りました。軍が直接関与して労働者の徴集をしに村まで来る場合は,強制労働を逃れるため別の者を代替させることはできません」として,村長からの命令の場合は,原告自身又は原告の家族自身は強制労働に従事せず,原告の家族が使用していた労働者を提供していた旨を述べている。また,原告には,兄が1名,弟が2名いるのであるから,原告の家族が労働者を提供することを余儀なく強いられ,代わりの労働者を充てることができなかった場合であっても,原告ではなくその兄弟が,強制労働に従事する機会があったことも十分に考えられる。ところで,原告は,難民認定手続及び退去強制手続において,「父の名義で20エーカーくらいの土地を所有しており,父の死後は母親がその土地を所有しています。ただ,農地として使用しているのは12ないし13エーカーくらいで,海辺の土地はエビの養殖場にしています。他に農作業用の家畜も所有しています」,「(漁船を)1隻(所有しています)」,「(原告の家は)その地域では裕福な方でした」,「(原告は)家業としていた,労働者を雇って水田を耕かせたり,所有していた小型エンジン付き漁船で漁業をさせたりして収入を得ていました」などと原告の家が裕福であったことを述べている。ミャンマーにおいて,裕福な家の者が強制労働を免れ得ることは,「ほとんどの場合,強制労働を担わされるのは貧しい中でも最も貧しい人びとである。なぜなら,お金に余裕のある人びとは強制労働を免れるために当局に賄賂を払ったり,金銭や食料を供出したりすることができるからである」として原告も認めているところである。これらのことからすれば,裕福であった原告の家族は,普段は,強制労働を免れており,代わりの労働者を充てることができなかった場合のみ,原告やその兄弟が,順番又は不定期に強制労働に従事していたことが推認されるのであり,仮に,原告において,何らかの強制労働に従事させられたことがあったとしても,上記のとおり,原告自身,難民認定手続において,かかる事情を一切言及していなかったことに照らせば,原告自身,それが迫害であるという認識すらなかったと考えるのが自然かつ合理的であるから,同事実を理由として,原告の難民該当性を基礎付けることもできないというべきである。
c 民主化デモに参加し拷問を受けたことについて
原告は,軍事政権に反対するデモに参加したところ,軍情報部員から原告の居場所を追及され回答を拒絶した原告の父が暴行を受けたため,原告が自ら出頭すると,10日間にわたり,身柄を拘束され,取調べを受け,物理的,精神的拷問を受けた旨を主張する。
しかし,上記主張を裏付ける客観的証拠はなく,そもそも,上記主張に係る事実関係は認め難い。この点をおくとしても,原告の供述によれば,原告は,故郷のマウンドー郡で1988年(昭和63年),8月8日から同月15日までの期間に1日だけ行われた村人約150人が参加したデモに参加したのみであり,デモ当日の活動状況についても,布にスローガンを書いて叫んだりしていたというものにすぎず,原告は,全国的規模で展開され多数の国民が参加していた反政府活動の一参加者であったにすぎない上,当時ヤンゴンの高校に在籍していた原告は,デモの後,空港でお金を払うことにより,問題なくヤンゴンへ戻り,1990年(平成2年)頃及び1994年(平成6年)2月頃には,特に問題なく再びヤンゴンからマウンドー郡の実家に戻っているというのであるから,この程度の活動を理由として,原告がミャンマー政府から積極的な反政府活動家として関心を寄せられていたとは考え難い。さらに,原告は,釈放された際の状況について,「軍事情報部の職員と親しい人の助けによって,今回のことを贈賄で沈静化させることが合意されました」と供述していることからも,軍情報部は,原告を反政府活動家として把握していなかったということができる。加えて,原告の供述によれば,原告が1993年(平成5年)にマウンドー郡からヤンゴンに戻ろうとした際の身柄拘束において,原告が1988年(昭和63年)にデモに参加したことは,何ら取り上げられていなかったものであるから,原告が当該デモに参加したことについて,1993年(平成5年)の時点でミャンマー政府が把握し認識していたとは認めることができず,ひいては,現在において,ミャンマー政府が当該事実について把握し認識しているとも認めることができない。したがって,仮に原告が1988年(昭和63年)の民主化デモに参加したことが事実であるとしても,このことが原告の難民該当性を基礎付ける事情になるとは認め難い。
d 反政府組織で活動し捜査の対象とされたことについて
(a) 原告は,1994年(平成6年)から1996年(平成8年)にかけて,反政府組織であるARIFの地下活動メンバーとして情報提供をしていたことを理由に警察の捜査の対象となり,1996年(平成8年)1月には,原告の代わりに義理の姉が警察から尋問を受け,その後も警察への出頭を命ぜられ,繰り返し暴行を受けたため,ミャンマーから出国せざるを得ない状況に追い込まれた旨を主張する。
(b) しかし,上記主張を裏付ける客観的証拠はなく,難民認定手続におけるミャンマーからの出国の経緯に係る原告の供述が虚偽であること等からすれば,上記主張の信ぴょう性は到底認められない。
すなわち,原告がARIFの地下活動メンバーであったと認めることはできない。原告は,難民認定申請書の「あなたは本国政府に敵対する組織に属していましたか」という質問に対し,「いいえ」と回答している。原告は,本人尋問において,上記質問にいう「本国政府に敵対する組織」とは武装闘争をしている反政府組織であると考え,ARNO(ARIF)は武装闘争をしていないので「いいえ」と回答したものであると供述するが,ARIFはロヒンギャ武装グループであるとされているのであり,原告が真にARIFに対する情報提供活動やその地下活動を行っていたのであれば,その組織の性格や目的を正しく認識していたはずであるから,武装組織と認識していなかったというのは不自然といわざるを得ない。
また,原告は,難民認定手続において,難民調査官の「あなたは,ARNOのメンバーだったのでしょうか」という質問に対し,「いいえ」と答えている。仮に,原告が,ARIFのメンバーであったことが事実であったとすれば,そのような重大な事実については,難民調査官による事実の調査時に供述しているはずであり,ましてや,自身がARIFのメンバーではない旨の供述をすることは極めて不自然である。かえって,原告は,「私は常により高等な教育を受ける機会を求めており,何人かのロヒンギャ学生がARIFを通じて国際イスラム大学マレーシア校(IIUM)で学ぶためにマレーシアに行っていることを叔父であるF医師から聞きました」,「私は,再び学ぶ機会を求めていたこともあり,叔父を通じて,ARIFを紹介され,そこで,G氏と再会しました」と述べていることからすれば,原告がARIFと関わることとなったのは,マレーシアの大学での教育を受ける機会を求めていたからであって,ロヒンギャの反政府活動組織メンバーとして反政府活動を行う目的を有していたとは認め難い。以上によれば,原告が,ARIFの地下活動メンバーであったと認めることはできない。
(c) 仮に原告がARIFに関与して反政府活動に従事していたとしても,その具体的な内容は,「村での迫害状況を彼らに話していました」,「政府が村でお金を徴収したり,ポーターとして駆り出したり,土地を接収したり,バングラデシュを行き来する人たちからお金を取り立てているということを話しました」,「ロヒンギャに関する一般的な状況や軍人による迫害に関する情報を収集し,G氏に絶えず送りました」という,ロヒンギャに関する一般的な情報提供にとどまり,原告の活動がおよそミャンマー政府から関心を寄せられるものでないことは明らかであって,ミャンマー政府が10年以上も前のこの程度の情報提供の活動を理由として積極的な反政府活動家として原告に関心を寄せているとは到底考え難い。また,原告は,本人尋問において,原告がARIFに提供した情報は「月刊△△」という雑誌に掲載されたと思うが,その記事は原告名義で掲載されているのではなく,原告の先生の名義で掲載されていると思うと供述しているのであって,原告のARIFに対する情報提供活動を理由に,ミャンマー政府が原告に反政府活動家として関心を寄せているとは到底考え難い。
(d) 原告は,ARIFへの情報提供等を理由に警察が原告を逮捕しに来た時期及び原告がミャンマーを出国した時期について,本訴においては「1996年1月」,「1996年2月」とそれぞれ主張しているが,本件難民認定申請の段階では,難民認定申請書に,「2006年1月1日」,「2006年2月15日」とそれぞれ記載しており,難民認定手続においても,ミャンマーを出国した経緯については難民認定申請書に記載したとおりである旨を供述している。
この点について,原告は,上記bの本件難民不認定処分に対する異議申立てを取り下げた後に本件退令処分の手続において提出した陳述書で,「私の申請書において,私は,私がビルマを2006年に出国したと記載しました。しかし,真実は,私の陳述書で述べたとおりです」,「私の申請書において,私は,2006年にARNOの情報提供者であることを理由に罪を問われ,警察が,自宅に来て妻を尋問して暴行を加えたと書きました。しかし,真実は,私の陳述書で述べたとおりです。この事件は1996年に起こったもので,2006年ではありません。さらに,警察に尋問されて暴行を受けたのは,私の妻ではなく,私の義理の姉でした。当時,私は結婚しておらず,私の妻はこの事件での精神的なショックを理由に死んでもいません。前述した通り,私の妻はインドネシアで生きています」と難民認定申請書に虚偽の記載をしたことを自認しているのであり,原告は,難民認定手続においても,虚偽の供述をしていたものである。
ミャンマーにおいて警察が原告の反政府活動を理由に原告を逮捕しようとしたという点に関する証拠は,原告の供述のみである。すなわち,警察が原告を逮捕しようとしたという出来事に係る唯一の証拠となる原告の供述の信用性については,他の客観的証拠との整合性の観点から検証することができないため,その供述の内容自体や供述経過等に照らして,十分に吟味する必要がある。難民認定申請について公正な調査を行うためには,申請者から正しい申告がされることが当然の前提となるのであって,難民認定申請書の署名欄直上に「以上の記載は,事実に相違ありません」との記載がされているのも,この理を示すものである。
原告は,難民認定申請書に虚偽の記載をした理由について,「私が2006年にビルマから逃げたという供述との一貫性を維持するためです。私は,1996年ではなく,2006年に罪を問われたと言ったほうが良いと思い,また,警察に尋問されて暴行を受けたのが妻であるとしたほうが良いと思いました」と述べているが,何ら合理的な説明とはいうことができない。原告は,要は,難民認定申請書において,自身の難民該当性を基礎付けるべく,本国からの出国及び本邦への入国の経緯という難民該当性の判断において核心となる事情について,本国を出国してから第三国に10年以上滞在していたことを秘匿し,2006年(平成18年)に本国を出国したとして,本国を出国してから直ちに本邦に入国したように装うこと,また,原告の反政府活動を理由に暴行を受けた人物を自らの妻とすり替えて,更に妻がその暴行に起因して死亡したように装うことにより,自己に有利な内容の虚偽の供述を行っていたものであって,原告のこのような態度は,当該難民認定申請書における供述のみならず,本訴における原告の供述全般の信用性をも減殺させる要素である。以上のとおり,ARIFへの関与を理由とする警察の捜査及びミャンマーからの出国の経緯に係る原告の供述には信用性が到底認められず,本国においてARIFに関与していたことをもって,原告の難民該当性を基礎付けることはできない。原告が,ミャンマーにおける反政府活動を理由に捜査の対象とされ,政府から反政府活動家として関心を寄せられ,迫害を受けるおそれがあるとは到底認め難い。
e 来日後も反政府活動に従事してきたことについて
原告は,平成18年にJAROに加入したと主張するが,難民認定手続においては,JAROで活動した旨の供述は何ら行っておらず,上記陳述書において,突如として,JAROに加入した旨を述べ始めたものであり,しかも,従前そのような供述をしなかった理由については何らの説明もしていない。加えて,上記陳述書には,原告自身のJAROにおける具体的な活動内容は一切記載されておらず,「JARO代表の非民主主義的なリーダシップの批判を公言したことにより,JAROから正式な通知もなく辞めさせられました」と述べているのみである。したがって,原告がJAROに加入していたことについての信ぴょう性に疑義があるばかりか,仮に加入していたとしても,何ら具体的な活動を行っていなかったものというべきであるから,このような事情をもって,原告の難民該当性が基礎付けられるとは到底認められない。
原告は,平成19年にBRAJに加入し,情報広報担当者として活動し,平成20年には,BRAJの執行部に名を連ねた旨を主張するが,難民認定手続における原告の供述によれば,BRAJでの「文書を作成したり,ニュースレターを発行したりする活動」の具体的内容は,ニュースレターを毎月1回約200部発行し,同じものをEメールで各種団体に送るという程度のものにすぎない。また,上記陳述書においても,BRAJにおける活動内容について,執行部に名を連ねる以前のものとして「私は会員として,情報と広報の担当として活動し,その他の必要な文書が私によって準備されていました」と,執行部に名を連ねて以降のものとしても「BRAJの利益のために最善を尽くし,額面通りの形而的および独裁的な方法に基づく全ての活動に反対し,民主的な方法を目指しました」と,それぞれ述べるのみで,具体的な活動内容については述べられていない。結局のところ,原告は,「信用がない」という理由により,役職を解かれ,BRAJを脱退したのであり,上記の原告の活動内容をも併せ考えれば,BRAJにおける原告の活動は,ミャンマー政府が原告を反政府活動家として問題視ないし敵視するほどの活動とは到底認めることができず,原告の難民該当性を基礎付けるものとはいい難い。
原告は,BRAJ脱退後,独自に政治活動を継続し,ホームページを立ち上げ,積極的にビルマにおけるロヒンギャ族の迫害情報に関する情報を収集し,政治的な意見を表明してきた旨を主張するが,当該ホームページを一読しても,その開設者ないし管理者が原告であるかは不明であり,原告が当該ホームページの開設者ないし管理者であることを示す証拠は提出されていない。この点をおくとしても,上記ホームページは,ロヒンギャ族の困難な状況やミャンマーの民主化について,自らの意見を表明したり,他のニュースサイトなどの記事を掲載したものにすぎず,ミャンマー政府がその存在を知ったからといって,原告を反政府活動家として問題視するとは考え難い。加えて,上記ホームページにおいて,その開設者ないし管理者が原告であることが表示されている箇所はなく,連絡先としては「□□□@rohingyainfo.com」及び「※※※@yahoo.com」とのメールアドレス並びに東京の電話番号が表示されているのみであり,このような表示をもってホームページの開設者ないし管理者を特定することは,ミャンマー政府にとって非常に困難であるから,この点においても,同ホームページの存在をもって,原告自身がミャンマー政府から問題視されるとは考え難い。以上のとおりであるから,ホームページの立ち上げという原告の独自の政治活動をもって,原告の難民該当性を基礎付ける事情とはいい難い。
f 原告の家族がミャンマーで平穏な生活を営んでいること
原告の供述によれば,原告の母,弟及び3人の妹がミャンマーにおいて生活を続けており,弟は釣り船1隻の他に8エーカーの農場も持っているというのであるから,特に経済的に困窮しているような事情はないことが推認される。また,原告は,本国の家族が原告の出国後にミャンマー政府から逮捕や拘留,取調べ等を受けたことはない旨供述しており,本国の家族は,平穏かつ安寧に生活を続けていると認めることができる。仮に,ミャンマー政府が,原告を反政府活動家あるいは民主化活動家として把握し,迫害の対象として関心を寄せているとすれば,本国に在住している家族に対しても原告の所在や原告からの連絡の有無等を聴取するなど厳しい態度で臨むことは十分予想されるところであり,本国において原告の家族が平穏かつ安寧に生活していることは,それ自体,ミャンマー政府が原告を反政府活動家あるいは民主化活動家として把握していないことの証左であり,原告が難民でないことを裏付ける重要な事情の一つである。以上のとおりであるから,原告が主張する本国及び本邦における反政府活動について,原告の難民該当性を基礎付けるということはできない。
g 原告は我が国の庇護を求めて本邦に入国したものではないこと
原告は,本邦に入国した理由として,「私が日本に来たのは,インドネシアで妻の家族と確執が生じ,その家族達が私を『インドネシア人ではない。警察に通報する』と言われ,お金を要求されたり,嫌なことがあって同地にいるのが嫌になったこともあったからです」と述べる。難民とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であつて,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であつて,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」をいうところ,原告が本邦に入国した理由は,単なる親族間のトラブルから一時的に避難するためというものであるから,原告の難民該当性と全く関係性を有せず,原告は難民認定申請を目的として本邦に入国したものとは認められない。このような事情は,原告の難民該当性を否定する事情である。
h 原告は本邦に入国する前に滞在した国において庇護を求めていないこと
原告は,本邦に入国する前は,2000年(平成12年)4月1日にインドネシアで婚姻して子を3人もうけ,同年9月23日にはマレーシアへ向かい,マレーシアではa株式会社を設立して織物店とインターネットカフェを営み,2005年(平成17年)には,インドネシアに戻ってインターネットカフェを営んでいた旨を述べる。原告は,難民認定手続及び退去強制手続において,マレーシア及びインドネシアに滞在していた間の反政府活動についての供述は一切行っておらず,かえって,原告の供述からは,夫婦で会社を営み,子をもうけるといった,平穏で安全な生活を送っていたことがうかがえるものであり,原告も「マレーシアでは,私は,適法に,そして平和に,家族と過ごし,事業を営んでいました」と認めている。原告は,インドネシアでの状況について,義理の兄から虐待を受け,近所の人や警察が原告がビルマ人であることを知るに至り,警察からビルマから正式な書面を取得するように言われ,第三国での庇護を求めるため,マレーシアに赴いた旨を述べるが,原告がマレーシアにおいて庇護を求めたか否かについては明確な供述をせず,かえって,マレーシアでの状況について,「マレーシアでは,私は,適法に,そして平和に,家族と過ごし,事業を営んでいました。結婚の後,マレーシアで,私の不確実な状態,無国籍の人生がとうとう終わると思っていました。しかし,現実はそうではありませんでした。それは単なる夢でした。夢はいつも実現しないのです。結婚の後,私は他の国で庇護を求める意図がありませんでした。それが,私がUNHCRカードをマレーシアで取得しなかった理由です」と抽象的に述べる。この原告の供述は,ただ,妻の家族との折り合いが悪かったため,インドネシアからマレーシアに行き,マレーシアにおいてUNHCRに庇護を求めなかったことを述べているだけであり,インドネシア及びマレーシアにおいて庇護を求めなかった具体的かつ合理的な理由を何ら述べるものではない。結局,原告は,本国を出国後,インドネシア及びマレーシアにおいて,事業を行い,子をもうけるなど,妻の親族とトラブルがあった以外には平穏に暮らし,しかも,その相当長期にわたる滞在期間において,滞在国に対して庇護を求めたり難民申請に及んでいなかったものである。このような原告の行動からは,本国において自らの安全が脅かされるという切迫感や恐怖感は微塵もうかがえず,このような事情は,原告自身がミャンマー政府から反政府活動家として迫害されるおそれを認識していなかったことの証左であると認めることができ,原告の難民該当性を否定する事情である。
i 原告の供述の信憑性について
上記dのとおり,原告は,難民認定申請書において,本国を出国した時期等について虚偽の記載を行ったところ,これ以外にも,妻及び子の国籍がインドネシアであるにもかかわらず,ビルマである旨,妻及び子が現在もインドネシアに居住しているにもかかわらず,妻については,原告とともにバングラデシュに逃げた後,バングラデシュで死亡し,子についてはバングラデシュに居住している旨,弟が本邦に居住しているにもかかわらず,本国に居住している旨,それぞれ虚偽の記載ないし供述をしている。
原告は,上記陳述書において,妻の国籍を偽る記載をした理由について,妻がインドネシア人であり,原告もインドネシアから発給を受けた旅券を所持していれば,インドネシアに送還されるおそれがある旨の忠告を友人から受けたためであると弁解するが,原告は,上記陳述書の作成から約半年後の平成23年4月12日,「インドネシアに戻り,妻子に会いたい」という理由により本件難民不認定処分に対する異議申立てを取り下げたのであり,上記の弁解は,異議申立ての取下げの動機との矛盾を孕むものである。妻子に係る虚偽の記載ないし供述は,原告自身が陳述書において,「私が,2006年に本国から逃れたという供述との一貫性を維持するためです」,「警察に尋問されて暴行を受けたのが妻であるとしたほうがよいと思いました」と述べているとおり,自身の難民該当性を基礎付けるべく行った自己に有利な虚偽の供述にすぎない。
さらに,原告は,難民認定申請書において,警察が原告を逮捕するために自宅を訪問し,妻が「言い表す言葉もない」ような行為を警察に受けた後も,気を失うまで警察から殴られたという,本国を出国するに至った経緯について説明した上,「何故,妻はこのように非人間的な方法で迫害を受けなければならなかったのでしょうか?正義はどこに?人権はどこにあるのでしょう?人間とは何を意味するのでしょうか?一体,こういった事柄は皆どこへ行ってしまったのでしょうか?何故,他の国民ではなく我々が,常に被害者なのでしょうか?」などと記載し,難民認定手続においても,「妻は強姦されたショックで精神を患っており,私と一緒にバングラデシュにいた当時も気絶することがありました。死亡時にも気絶して病院に運ばれ,そこで亡くなったと聞いています」と供述しているが,これらは全て,原告が自身の供述の一貫性を維持するために行った虚偽の記載及び供述である。
原告は,難民認定申請に当たり,自身に有利な虚偽の内容を難民認定申請書に記載し,これに沿う供述をしているもので,難民認定を受け本邦に引き続き居住するため,当局に対し虚言をろうしていることを看取することができ,我が国の難民認定制度を軽んじているといわざるを得ない。原告の陳述書及び供述は自己に有利な虚偽を多く孕むものであって,真摯な供述態度は認められず,信用性において消極的な評価をせざるを得ない。
ウ 原告は難民に該当しないこと
以上のような,原告のミャンマーにおける生活状況,原告が主張する反政府活動とそれに伴うと主張する不利益状況,さらに,本邦における活動等を踏まえて判断しても,本件難民不認定処分の時において,原告が仮にミャンマーに送還されたとするならば迫害を受けるおそれについて十分に理由のある恐怖を有していたと認めることはできず,原告が難民に該当するということはできない。したがって,本件難民不認定処分は適法である。
原告は,本件難民不認定処分の無効確認を求めているところ,そもそも,行政処分が無効であるためには,当該処分に重大かつ明白な瑕疵が存在しなければならず,その瑕疵が明白であるか否かは,処分の外形上,客観的に瑕疵が一見して看取し得るか否かにより決せられるべきである。そして,重大かつ明白な瑕疵の存在に係る主張立証責任は原告にある。しかるに,本件難民不認定処分については,何ら瑕疵は存在せず,処分の外形上,客観的に瑕疵が一見して看取し得るものとは到底いえないから,原告の主張には理由がない。
(2)  本件在特不許可処分の効力の有無(争点2)について
(原告の主張)
被告は,難民条約,拷問等禁止条約の締約国である以上,難民条約33条1項,拷問等禁止条約3条1項に定めるノンルフールマン原則を遵守する義務を負っている。そして,原告は,難民に該当し,ミャンマーに送還されれば拷問ないし非人道的な又は品位を傷付ける取扱いがされるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある。したがって,東京入管局長は,ノンルフールマン原則を遵守するため,原告に対し在留特別許可を付与する義務を負っている。東京入管局長は,この義務に違反し,誤って本件在特不許可処分をしたものである。本件在特不許可処分は,難民に該当する原告に対し在留特別許可を付与することなく迫害を受けるおそれがあるミャンマーに送還しようとするものであり,難民条約33条1項及び拷問等禁止条約3条1項に定めるノンルフールマン原則に違反し,法務大臣等に与えられた裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用してしたものであるから,重大かつ明白な瑕疵があり,無効である。
(被告の主張)
ア 入管法61条の2の2第2項に基づく在留特別許可
(ア) 平成16年法律第73号の施行前,不法滞在者が難民認定申請を行った場合,その者の在留の許否の判断は,退去強制手続の中で行われることとされていたことから,難民認定手続において難民と認定された者についても,退去強制手続の中でその者の在留の可否を判断されていた。これに対して,平成16年法律第73号の施行後は,在留資格未取得外国人が難民認定申請を行った場合,その者の在留の許否の判断も,難民認定手続の中で行われることとされ,難民認定を受けた者で一定の要件を満たすものについては,入管法61条の2の2第1項の規定により定住者の在留資格の取得を許可し,難民認定を受けた者であるが同項の規定による在留資格の取得を許可されなかったもの及び難民認定を受けられなかった者については,同条2項の規定により在留特別許可の許否の判断をすることになり,退去強制手続の中では在留の許否の判断はされないことになった。入管法50条1項の規定は,退去強制手続の中で,異議の申出に対する裁決を行う法務大臣に,異議の申出に理由がない場合でも在留特別許可を付与する権限を認めた規定であるところ,平成16年法律第73号の施行後に難民認定申請を行った在留資格未取得外国人については,入管法61条の2の2の規定により,難民認定手続の中でその在留の許否の判断も行うものとされたことから,平成16年法律第73号による改正後の入管法61条の2の6第4項の規定は,このような場合には,入管法50条1項の規定の適用はなく,法務大臣は,専ら申立人が退去強制対象者に該当するかどうかに係る特別審理官の判定に対する申立人の異議の申出に理由があるか否かのみを判断することとしている。
(イ) 入管法61条の2の2第2項にいう「在留を特別に許可すべき事情」とは,入管法50条1項に規定する在留特別許可を判断する際に考慮すべき事情と同趣旨である。すなわち,入管法61条の2の2第2項の在留特別許可は,在留資格未取得外国人が,入管法24条各号の退去強制事由に該当する者であることを前提にした上で,法務大臣が,当該在留資格未取得外国人の在留を特別に許可すべき事情があるか否か,具体的には,当該在留資格未取得外国人の滞在中の一切の行状等の個別的事情のみならず,国内の治安や善良な風俗の維持,保健衛生の確保,労働市場の安定等の政治,経済,社会等の諸事情,当該外国人の本国との外交関係,我が国の外交政策,国際情勢といった諸般の事情をその時々に応じ,各事情に関する将来の変化の可能性なども含めて総合的に考慮し,我が国の国益を害せず,むしろ積極的に利すると認められるか否かを判断して行わなければならないものである。
(ウ) 入管法61条の2の2第2項は,在留特別許可の要件について,在留を特別に許可すべき事情があると認めるときと規定するのみで,何ら具体的に規定していない。この定め方は,入管法21条3項が,在留期間の更新について,「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるとき」に許可することができると規定し,「相当性」という要件を定めているのと比較しても,抽象的なものであり,入管法61条の2の2第2項の規定に基づく法務大臣の在留特別許可の許否に関する裁量権の範囲は,入管法50条1項の規定に基づく在留特別許可の場合と同様に,在留期間更新の許否に関する裁量の範囲よりも質的に格段に広範なものである(この理は,法務大臣から権限の委任を受けた地方入国管理局長にも妥当する。)。
そうすると,在留資格未取得外国人に対し入管法61条の2の2第2項の規定に基づく在留特別許可を付与しないという法務大臣の判断が裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法とされるような事態は,容易には想定し難いというべきであり,極めて例外的にその判断が違法となり得る場合があるとしても,それは,法律上当然に退去強制されるべき外国人について,なお我が国に在留することを認めなければならない積極的な理由があったにもかかわらずこれが看過されたなど,在留特別許可の制度を設けた入管法の趣旨に明らかに反するような極めて特別な事情が認められる場合に限られる。そして,この特別な事情の主張立証責任は原告にある。
イ 本件在特不許可処分の適法性
原告は,平成18年8月2日に不法入国するまでは,我が国と特段の関係を有しなかった者であり,原告が稼働能力を有する成人であることに鑑みても,在留を特別に認めるべき積極的な理由は見当たらず,原告に在留特別許可を付与すべき特別の事情は認められない。本件在特不許可処分は適法な処分である。原告は,自らが難民に該当することを前提に,本件在特不許可処分が違法である旨を主張するが,原告は難民に該当するものではないから,原告の上記主張はその前提を欠くものである。
原告は,本件在特不許可処分の無効確認を求めているが,行政処分が無効であるためには,当該処分に重大かつ明白な瑕疵が存在しなければならず,瑕疵が明白であるか否かは,処分の外形上,客観的に瑕疵が一見して看取し得るか否かにより決せられるべきであり,「重大かつ明白な瑕疵」の存在に係る主張立証責任は原告にある。本件在特不許可処分は,その瑕疵が外形上,客観的に一見して看取し得るものではないから,この点からしても原告の請求には理由がない。
(3)  本件退令処分の適否(争点3)について
(原告の主張)
ア 本件退令処分は,原告の難民該当性にもかかわらず,その送還先をミャンマーとしているのであって,難民条約33条1項,拷問等禁止条約3条1項及び入管法53条3項に違反する違法な処分であるから,取り消されるべきである。
イ そもそも,原告は,ミャンマー政府からミャンマー国籍を否定され,ミャンマー政府の発給に係る国民登録証や旅券を所持しない無国籍者であるから,入管法53条1項の規定により原告をミャンマーに送還すること自体が違法である。
(被告の主張)
ア 退去強制令書の発付に関する主任審査官の裁量
主任審査官は,法務大臣から異議の申出に理由がないとの裁決をした旨の通知を受けたときは,速やかに当該容疑者に対する退去強制令書を発付しなければならないのであり(入管法49条6項),退去強制令書の発付について裁量の余地は全くない。
なお,原告は,平成16年法律第73号の施行後に難民認定申請を行った在留資格未取得外国人であるところ,このような者については,入管法61条の2の2の規定により,難民認定手続の中で,在留の許否の判断も行うものとされ,このような者について,退去強制手続の中で,法務大臣が異議の申出に対する裁決を行うに当たっては,入管法50条1項の規定の適用はなく(入管法61条の2の6第4項),法務大臣は,専ら申立人が退去強制対象者に該当するかどうかに係る特別審理官の判定に対する申立人の異議の申出に理由があるか否かのみを判断することとなることは,上記(2)の被告の主張ア(ア)のとおりである。
イ 本件退令処分の適法性
原告は,本邦に不法入国した者であり,入管法24条1号所定の退去強制事由に該当するから,原告が法律上当然に退去強制されるべき外国人に当たることは明らかであり,本件裁決は適法である。そして,退去強制手続において,法務大臣から「異議の申出は理由がない」との裁決をした旨の通知を受けた主任審査官は,速やかに退去強制令書を発付しなければならないのであって(入管法49条6項),主任審査官には,退去強制令書の発付について裁量の余地は全くないから,本件裁決が適法である以上,本件退令処分も当然に適法である。
なお,原告は,自らが難民に該当することを前提に,原告の送還先をミャンマーとしたこと,そもそも退去強制手続を行ったことにつき本件退令処分の違法を主張するが,原告は難民に該当しないから,原告の上記主張は前提を欠くものである。
第3  当裁判所の判断
1  原告の難民該当性について
(1)  難民の意義等
ア 入管法2条3号の2は,入管法における難民の意義について,難民条約1条の規定又は難民の地位に関する議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうと定めているのであって,入管法にいう「難民」とは,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないものをいう。そして,上記「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命若しくは身体の自由の侵害若しくは抑圧(又はこれに匹敵する基本的自由の重大な侵害若しくは抑圧)を意味すると解するのが相当であり,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在することが必要であると解される。
なお,難民認定における立証責任の帰属については,入管法61条の2第1項の文理のほか,難民認定処分が授益処分であることなどに鑑みれば,その立証責任は原告にあると解すべきである。
イ 原告の主張について
原告は,上記「迫害」とは「国による保護の懈怠を明らかにする,基本的人権の持続的又は組織的侵害」を意味し,難民条約の「文脈」によりかつその趣旨及び目的に照らすと,「生命又は身体の自由の侵害又は抑圧」に限定するのではなく,広く基本的人権及び自由を保障する観点を取り入れて解釈されなければならず,少なくとも,我が国の憲法が定め,また,我が国が批准する国際人権条約においてその保障を即時に確保することが国家に義務付けられている人権については,その重要性の故に,当該人権の侵害が「迫害」を構成する旨を主張する。
しかし,難民条約が,42条1項の規定において,締約国が署名,批准又は加入の際に留保を付することができる規定の中から「難民」の定義規定(1条)を除外するにとどまり,当該「難民」の定義規定の解釈を他の国やUNHCR等による解釈と統一的なものとすべき旨の規定を置いていないことに照らすと,難民条約上の「難民」の意義をどのように解するかは基本的に各締約国の権限に委ねられているものと解すべきである。そして,難民条約31条1項は,締約国は,「その生命又は自由が第1条の意味において脅威にさらされていた」領域から直接来た難民について,不法に入国し又は不法にいることを理由として刑罰を科してはならないと規定し,また,難民条約33条1項は,締約国は,難民を,いかなる方法によっても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のために「その生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある」領域の国境へ追放し又は送還してはならないと規定しているところ,仮に「迫害」が「生命又は自由」以外の法益の侵害をも含むものとすると,受入国は,「生命又は自由」以外の法益を侵害された者を「難民」であるものとしながら,その一方で,その者については,「生命又は自由」を侵害された「難民」とは異なり,不法に入国し又は不法にいることを理由として刑罰を科すことができ,また,その法益が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還することができることとなるのであって,難民条約上の「迫害」が「生命又は自由」以外の法益の侵害をも含むものとすると,不合理な結果を招くというべきである。そうすると,難民条約上の「迫害」とは,「生命又は自由」の侵害又は抑圧をいうと解するのが相当であり,このように解することが,難民条約1条の文脈又はその趣旨若しくは目的に反するということはできないから,条約法に関するウィーン条約31条1項の規定に違反するということはできず,また,同条約32条の規定に違反するということもできない。
そして,ここにいう「自由」がいかなる自由を内包するかは,難民条約の規定上必ずしも明らかではなく,その用語の通常の意味からすれば,精神的自由や経済活動の自由等も含まれると解することもできないものではないが,上記「自由」が「生命」と並置されていること,及び,難民条約上の「難民」となり得るのは,迫害を受けるおそれがある状況に直面したときに「恐怖を有する」ような場合であると考えられること(難民条約1条A(2))からすると,その侵害又は抑圧が「迫害」に当たる「自由」は,主として,生命活動に関する自由,すなわち,肉体活動(身体)の自由を意味すると解するのが相当である。経済活動の自由等については,難民条約が,締約国は,難民に対し,農業,工業,手工業及び商業に従事する権利等(18条),自由業に従事すること(19条)及び初等教育以外の教育(22条2項)に関し,できる限り有利な待遇を与え,いかなる場合にも,同一の事情の下で一般に外国人に対して与える待遇よりも不利でない待遇を与えると規定して,経済活動等に関し難民に与える待遇を具体的にいかなるものとするかを各締約国に委ねていることからすると,上記「自由」に一般的に経済活動の自由等が含まれ,その侵害又は抑圧が「迫害」に当たるとするならば,受入国が,ある者の経済活動の自由等が本国において侵害又は抑圧されているとして難民と認定しながら,経済活動等に関しその者が本国において享受していた自由等よりも制限された待遇しか与えないという事態が生じ得るのであって,その侵害又は抑圧が「迫害」に当たる「自由」には,原則として,経済活動の自由等は含まれず,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧に匹敵する基本的自由の重大な侵害又は抑圧に限り,「迫害」に当たると解するのが相当である。
ウ 以上の見地から,ミャンマーにおけるロヒンギャ族の一般的事情及び原告の個別的事情を踏まえて,原告の難民該当性について検討することとする。
(2)  ミャンマーにおけるロヒンギャ族の一般的事情と原告の難民該当性
ア 難民該当性の判断の基礎となる事実関係
掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる(以下の認定に反する事実に係る原告の主張は,いずれも客観的な証拠等の裏付けを欠き,採用することができない。)。
(ア) ミャンマーの政治情勢(甲4,5,弁論の全趣旨)
a 軍事政権の成立
ミャンマーは,19世紀に,イギリスの植民地となり,英領インドの一部となっていたが,1948年(昭和23年)に独立した。1962年(昭和37年)3月,ネ ウィン将軍の率いる国軍による軍事クーデタが発生し,同将軍は,大統領に就任した後,多数民族であるビルマ族の主要宗教である仏教を基礎とする独自の社会主義路線を採用し,ビルマ社会主義計画党の議長となった。ネ ウィン将軍の軍事政権は,中国の支援を受けたビルマ共産党や国内の少数民族との武力闘争に勝利し,国家の一体性を保持することに成功したが,経済政策では失敗し,国民の生活水準は著しく低下した。
b 8888民主化運動
1988年(昭和63年)に入ると,民主化と経済発展を求めるデモやストライキが国内各地で発生するようになり,既に大統領を辞職していたネ ウィン将軍は同年7月にビルマ社会主義計画党の議長を辞職し,セイン ルイン政権が新たに成立した。同年8月8日に発生した大規模なデモにおいて治安部隊による流血事件が発生し,同政権が秩序回復に失敗すると,同月19日には,マウン マウン政権が成立したところ,同年9月18日には,国軍の参謀総長であったソウ マウンの率いる国軍による軍事クーデタが発生し,新たに発足した国家法秩序回復評議会(State Law and Order Restoration Council。以下「SLORC」という。)が政権を掌握し,民主化等を求めるデモやストライキを武力によって制圧した。なお,1989年(平成元年)には,国名がビルマからミャンマーに,首都名がラングーンからヤンゴンに変更された。
c 1990年の国民議会選挙
1990年(平成2年)5月,SLORCの管理の下で国民議会議員選挙が施行され,アウン サン スー チーの率いる野党 国民民主連盟(National League for Democracy。以下「NLD」という。)が,8割を超える議席(392議席)を占め,与党 国民統一党(ビルマ社会主義計画党の党員とSLORCの関係者によって結成された政党。10議席)に対し,圧倒的勝利を収めた。しかし,SLORCは,1989年(平成元年)7月以降,アウン サン スー チーをその自宅に軟禁し続けた上,上記選挙後も国民議会を招集しようとせず,上記選挙の結果に従ったNLDへの民主主義的な政権委譲を拒否した。SLORCは,国内におけるNLDの活動を禁止するとともに,NLDの幹部や党員の身柄の拘束をするなどして,国内の民主化を求める動きを抑圧した。SLORCは,1997年(平成9年)11月に国家平和開発評議会(State Peace and Development Council。以下「SPDC」という。)に改組された。SPDCは,1999年(平成11年)には,民主化運動の11周年記念として大規模な民主化運動が起きることを警戒し,多くの活動家を拘束した。
d 軍事政権による民主化
SPDCは,2001年(平成13年),国内におけるNLDの活動を許可し,身柄の拘束をしていたNLDの関係者を釈放した。SPDCは,2004年(平成16年)に憲法制定国民会議を開催し,NLDに協力を求めたが,NLDは拒否したため,国内におけるNLDの活動を再び禁止した。2007年(平成19年)10月,ティン セインが首相に就任したところ,SPDCは,2008年(平成20年)5月,新憲法の制定に関する国民投票を実施し,2010年(平成22年)11月,新たに制定された憲法に基づく総選挙を実施した上,2011年(平成23年)3月,大統領に就任したティン セインの新政府にその権限を委譲し,解散した。アウン サン スー チーは,断続的にその自宅に軟禁されていたところ,2010年(平成22年)11月,軟禁状態を解かれ,2011年(平成23年)7月に行われた政府との対話において国家の発展のために協力し合う旨の合意をし,その旨の共同声明を発表した。NLDは,同年11月,新たに政党登録を行い,2012年(平成24年)4月に行われた連邦議会補欠選挙にアウン サン スー チーほかの44名の候補を立候補させ,そのうちの40名を当選させた。
(イ) ミャンマーにおけるロヒンギャ族の状況
a ミャンマーの民族構成
ミャンマーは,全人口の60%ないし70%を占めるビルマ族と,多数の少数民族から構成される連邦国家であり,宗教的にみても,ビルマ族等の仏教徒(全人口の90%程度)のほか,キリスト教徒(4%程度),イスラム教徒(4%程度),精霊信仰者,ヒンズー教徒等が混在している。ロヒンギャ族とは,主としてミャンマーのヤカイン州(ラカイン州。同州の名称は1990年(平成2年)まではアラカン州であった。)に居住するイスラム教徒の民族集団であり,バングラデシュのチッタゴン地域で話されている言語に類似するベンガル語の方言を使用するとされている。ロヒンギャ族は,ヤカイン州の北部3郡(マウンドー郡,ブディーダウン郡,ラテーダウン郡)に集中して居住しており,その人口は,約72万8000人と推定されている。なお,ヤカイン州には,ビルマ族と同じ仏教徒であるヤカイン族(ラカイン族又はアラカン族),イスラム教徒であるカマン族等も居住している。(甲1ないし7,乙31)
b ミャンマー政府のロヒンギャ族に対する態度
ミャンマー政府は,ロヒンギャ族について,東ベンガル地方(現在のバングラデシュを中心とした地域)からヤカイン州に比較的新しい時代(ミャンマーがイギリスの植民地となった1824年の第1次英緬戦争以降の時代)に不法入国してきた外国人である(ロヒンギャ族に対する「バンガリ」(ベンガル人),「カラ」(インド人)という呼称はこれに由来している。)という立場に立っており,ミャンマーの国民と認めていない。ミャンマー政府は,1978年(昭和53年)には「ナーガミン(竜王)作戦」と呼ばれる大規模な「不法入国者」の取締りを実施し,バングラデシュとの国境付近に居住していた多数のロヒンギャ族を国境の外に追放した(なお,バングラデシュは,民族的,宗教的にはロヒンギャ族に近いものの,自らが既に1億5000万人という膨大な数の人口を抱えており,世界最貧国の一つでもあるため,ロヒンギャ族の積極的な受入れを拒否している。)。(甲1ないし6,28,53,62,乙31)
c ロヒンギャ族とミャンマー国籍
1948年(昭和23年)に制定されたミャンマーの国籍法は,全ての国民に平等な権利を認めており,ロヒンギャ族は,ミャンマー政府から国民としての地位を認められていた。これに対して,1982年(昭和57年)に制定されたミャンマーの国籍法の下では,ロヒンギャ族は,ミャンマー政府から国民としての地位を認められていない。すなわち,国籍法は,国民を,① ビルマ,カチン,カレン,チン,モン,ヤカイン,シャンなどの諸民族及び1823年以前から領土内に定住していた少数民族である「国民(full citizenship)」,② 特定の条件の下で1948年国籍法によって国籍を申請しており,その申請手続が1982年国籍法の発布当時進行中であった者とその子である「準国民(associate citizenship)」,③ 先住民族とは認められない少数民族である「帰化国民(naturalized citizenship)」に分類した上,ミャンマー政府は,準国民及び帰化国民が享有する権利と享有することができない権利とを裁量的に決定する権限を有するとともに,国家への不忠や不道徳行為を理由に準国民又は帰化国民たる地位を裁量的に剥奪する権限を有するものとしているところ,ロヒンギャ族は,上記①の国民たり得る少数民族(先住民族)ではないとされている上,形式的には上記②の準国民又は③の帰化国民には当たり得るが,ロヒンギャ族の者がその国籍の付与を求める申請をしても,それに対して国籍が付与される可能性は事実上存在しない。このように,ロヒンギャ族の大部分は,ミャンマーの国籍を有するものとされておらず,無国籍の状態に置かれている。(甲1ないし6,28,53,62,乙31)
d 国民登録証の交付及び家族票
1989年(平成元年),上記cの三つの区分に応じた国民登録証を交付する制度が導入され,「国民」はピンク色の登録証を,「準国民」は青色の登録証を,「帰化国民」は緑色の登録証を,それぞれ交付されたところ,ロヒンギャ族の大部分は,ミャンマー政府から国民としての地位を認められていないため,本来いずれの登録証も交付されるものではなく,ただその出自を偽りミャンマーの国民であるものとされている他のイスラム系民族集団として自らを登録することにより上記登録証の交付を受けることができた。また,ミャンマーでは,家族構成の変化や個人の動向が厳格に管理されており,各家族ごとに家族票(各家族のそれぞれの氏名等が記録されたもの)が作成され,出生,死亡,婚姻等による家族構成の変化,調査時に当該居住地に実際に居住していたか否か等が逐一記録されている。そして,調査時に家を不在にしていたり,後記の移動制限に違反して当局の許可なく移動していた場合などには,調査担当者等に「罰金」を支払って見逃してもらわない限りは,家族票からその者の情報が削除され,その者はその村に帰ることができなくなる。(甲1ないし6,28,53,62,乙31)
e ロヒンギャ族に対する差別的取扱い
ミャンマー政府は,ロヒンギャ族に対し,ロヒンギャ族であること又はイスラム教徒であることを理由に,次のような差別的取扱いを行っている旨の報告がある。(甲1ないし6,53,62)
(a) 移動の制限
ヤカイン州北部のロヒンギャ族は,厳しい移動の制限を受けており,隣村を訪れるにすぎない場合であっても,金銭を支払って当局の許可を受けなければならない。ロヒンギャ族の半数ほどは,土地などの生産手段を有しない貧しい日雇い労働者であるため,移動の制限は,他の村や町での仕事探しに大きな影響を与え,この影響は,特に,村での仕事がなくなる農閑期において深刻である。2001年(平成13年)2月,ヤカイン州の州都であるシットウェで,イスラム系住民と仏教徒住民との間の緊張が高まり,暴動が起きたことを契機として,ヤカイン州北部のロヒンギャ族は,シットウェに立ち入ることを禁止され,それまでは村が判断していた移動の許否の一部が国境警備隊(ナサカ)によって判断されるようになるなど移動の制限が強化された。このような移動制限により,ロヒンギャ族は,市場,雇用機会,医療機関及び教育機関へのアクセスを制限されている。
(b) 強制労働の賦課
治安部隊による強制労働の賦課はヤカイン州北部以外でもみられるが,ヤカイン州北部ではロヒンギャ族にのみ課されており,貧困層は,強制労働を避けるための賄賂を支払うことができず,それ故,自らに割り当てられた労働のみならず,賄賂を支払って強制労働を免れた者の分まで労働を強制されている。ロヒンギャ族の半数ほどは,土地などの生産手段を有しない貧しい日雇い労働者であるため,強制労働に駆り出されると,生活のための現金収入を稼ぐことができなくなる。ロヒンギャ族に対する強制労働の賦課は,ナサカ,軍及び警察によって行われており,ロヒンギャ族は,乾季の間には,基地の設営,維持及び管理,モデル村や道路の建設と補修,レンガ焼き,木材,丸太,竹及び薪の収集などに従事させられ,雨季の間には,田の耕作,植樹のためのジャングルの開墾,雨によって破損した道路や橋の修理などに従事させられる。また,一年を通じて,歩哨,日常的な基地の保全,軍がパトロールする際のポーターなどに従事させられる。後記gのとおり1991年(平成3年)末から1992年(平成4年)にかけてロヒンギャ族がバングラデシュに大量に流出したのは,広範囲にわたる強制労働その他の人権侵害が主たる理由であったといわれている。
(c) モデル村の建設
ヤカイン州北部では,1950年代から,ビルマ族,ヤカイン族等の仏教徒が定住するための村(モデル村)を建設する政策が進められており,ロヒンギャ族は,モデル村を建設するための土地を没収され,家屋,学校,僧院等の建設の強制労働に従事させられてきた。1992年(平成4年)以降,モデル村の建設数が増加し,ロヒンギャ族と仏教徒との間の対立が高まった。
(d) 財物提供の強要及び恣意的な課税
ヤカイン州北部のロヒンギャ族は,当局による財物提供の強要と恣意的な課税に服さなければならない。課税の対象は,薪や竹の採集,死亡届や出生届など多岐にわたる上,当局が恣意的に課税の種類や額を決定したものである。
(e) 土地の没収
ヤカイン州北部のロヒンギャ族は,エビの養殖場,樹木プランテーション,軍の食糧用の田,ナサカの基地の拡大,モデル村の建設及び拡大等のために土地を没収されている。
(f) 婚姻許可
ヤカイン州北部のロヒンギャ族が結婚する際には当局の許可を受けなければならず,近年では,当局が婚姻許可を求める人々に多額の金員の支払を要求し始めるとともに,年間の婚姻の許可数を制限している。この婚姻許可を受けなければならないという制約は,ヤカイン州北部のイスラム教徒にのみ課せられている。
(g) 宗教上の差別
ロヒンギャ族は,新しいモスク又はマドラサ(イスラム学校)の建設や既存のモスク等の拡充又は修繕を行うことは許されず,その結果,多くのモスク等が朽ち果てたまま放置されている。2006年(平成18年)7月には,ミャンマー当局が,ヤカイン州北部において,公式の許可がないこと及び資金の出所について説明することができないことを理由に多数のモスク等の閉鎖を命令し,数軒のモスク等を破壊した。その後,多くの閉鎖されたモスク等は多額の賄賂を当局に支払って再開されたが,いまだ閉鎖中のモスク等も存在している。
(h) 公務における差別
ロヒンギャは,国民と認められていないため,教員,看護師などの公務員の雇用から除外されている。
(i) 教育の利用制限
ヤカイン州北部の初等教育,中学校及び高等学校の施設は少なく,初等教育を修了する児童はほとんどいない。大学以上の教育は,州内では,シットウェでのみ受けることができるが,ロヒンギャ族は,シットウェへの立入りが禁止されているため,基本的に大学教育を受けることができない。
(j) 医療の利用制限
ヤカイン州北部では,地理的な制約からロヒンギャ族が利用することができる医療施設の数が少なく,利用することができる医療施設も十分な医療設備及び人員を備えていない上,ロヒンギャ族は,移動の制限を受けているため,適切な治療を適時に受けることができない。シットウェには,唯一の州立病院があり,医療設備や人員が整い,専門医療を受けることもできるが,ロヒンギャ族は,シットウェへの立入りが禁止されているため,そこで治療を受けることはできない。
f 1990年の国民議会選挙とロヒンギャ族
1990年(平成2年)5月の国民議会議員選挙の際には,ロヒンギャ族は,投票のみならず,立候補することも許された。1982年国籍法は,直ちに厳格に施行されたわけではなく,上記選挙の時点では,1948年国籍法によりミャンマー国籍を有していることを証する登録証(グリーンカード)の交付を受けているロヒンギャ族が相当数存在し,それらの者は,上記選挙に立候補し,又は投票をすることができた。上記選挙の結果,ロヒンギャ族を支持基盤とする国民人権民主党は,ブーディーダウンとマウンドーの選挙区で勝利を収め,4議席を獲得したが,ミャンマー政府は,1992年(平成4年)3月,国民人権民主党の政党登録を抹消し,その活動を禁止するとともに,その幹部や党員の身柄を拘束した。(甲1,62)
g ロヒンギャ族の大量流出
ミャンマー政府は,1990年(平成2年)5月の国民議会議員選挙の後,ロヒンギャ族に対する締付けを強め,ロヒンギャ族に対する強制労働の賦課,財物提供の強要等が横行した。その結果,1991年(平成3年)末から1992年(平成4年)にかけて,約25万人のロヒンギャ族がミャンマーとバングラデシュとの国境を越えてバングラデシュに流出し,バングラデシュの難民キャンプ等で生活するようになった。流出したロヒンギャ族の大部分は,土地を持たない貧しい日雇い労働者であり,土地を有する者は少なかった。同年4月,ミャンマー政府とバングラデシュ政府との間に二国間協定が成立し,バングラデシュ政府は,自国に流入したロヒンギャ族をミャンマー側に送還し始めた。ミャンマー政府は,ヤカイン州北部への外国人の立入りを制限しているが,1993年(平成5年),UNHCRの関係者がヤカイン州北部でロヒンギャ族に対する援助活動を行うことを認め,UNHCRは,1994年(平成6年)4月,ミャンマーに事務所を設置した。UNHCRは,ロヒンギャ族のバングラデシュからの帰還に対する援助活動を行い,1999年(平成11年)12月までに約20万人のロヒンギャ族がミャンマーに帰還した。(甲1,2,6,62,乙30,31,32)
h ミャンマー帰還後のロヒンギャ族
ミャンマー政府は,UNHCRとの協定により,ミャンマーに帰還したロヒンギャ族に対し,黄色の「帰還者身分証」を発行したが,これは,所持者がバングラデシュから帰還したものであることを示すにすぎず,所持者にミャンマー国籍を与えるものではなかった。1995年(平成7年)7月,UNHCRがミャンマー政府に対しヤカイン州北部のロヒンギャ族全員に何らかの身分証を発行するように説得し,ミャンマー政府は,一時滞在可能であることを示す「仮登録証」(ホワイトカード)をロヒンギャ族に発行したが,ロヒンギャ族全員がホワイトカードを受け取っているわけではなく,また,ホワイトカードには,所持者がミャンマー国籍を有する証拠にはならないことが明記されている。1992年(平成4年),治安当局の組織横断的な組織としてナサカが設立されるとともに,それ以降,仏教徒が定住するためのモデル村の建設数が増加し,ロヒンギャ族と仏教徒との間の対立が高まった。(甲1,2,62)
i ロヒンギャ族の状況に対する評価
UNHCRは,上記gのとおりミャンマーに設置した事務所を拠点として帰還後のロヒンギャ族の状況についてモニター活動を行っているところ,UNHCR自身によるロヒンギャ族の再定住確保のためのミャンマー国内における様々な施策の実施,UNHCRの委託を受けた民間の非営利団体等による技術修得や能力強化の機会の提供,収入向上のための支援,地域発展のためのインフラ等の環境基盤整備事業等への取組みなどにより,大量流出の原因はおおむね除去されたという見方を示しており,強制労働も減少しているとしている。もっとも,このような見方に対しては,バングラデシュからの帰還が自発的なものか懸念を表明する国際支援団体も存在し,バングラデシュから帰還したロヒンギャ族は,なお,ミャンマーにおいて,強制労働,国籍の否定等の不利益を受けており,帰還民の多くが再びバングラデシュに流出しているという報告もある。なお,バングラデシュ政府は,新たにバングラデシュに流出したロヒンギャ族は経済難民であると主張しており,そのようなロヒンギャ族が1991年(平成3年)の大量流出の際に設けられた難民キャンプに入ることを許さず,UNHCRがその保護や支援をすることも許していない。(甲1,62,乙30,31,32,33)
j ARIF及びARNO
ARIFは,複数あるロヒンギャ族による武装グループの一つであり,1996年(平成8年)にロヒンギャ連帯組織(RSO)と共同でロヒンギャ民族同盟(RNA)を結成し,1998年(平成10年)にはRSOの二つの分派とARIFとが統合してARNOとなった。ロヒンギャ族による武装グループの一部は,1991年(平成3年)にロヒンギャ族がバングラデシュに大量流出した頃から,難民キャンプで活動し始め,兵士の補充を試みたが,それ以降,いくつかの小分派に分裂し,大規模な軍隊は所有せず,多くは数十人規模で,バングラデシュとの国境地帯にある小さな基地から活動を行っているとされている。(甲1,2)
(ウ) 本件難民不認定処分後のミャンマーの状況
ヤカイン州北部では,仏教徒であるヤカイン族とイスラム教徒であるロヒンギャ族等との間の対立が高まり,ヤカイン族の女性をイスラム教徒の男性が殺害した事件を契機として,2012年(平成24年)6月,仏教徒がロヒンギャ族等の村を焼き討ちなどする暴動が起こった。暴動は,同年10月にも再燃し,武器を携行した仏教徒がロヒンギャ族等の村を焼き討ちし,その居住地から追放するなどした。治安部隊は暴動を鎮めようとせず,その一部は暴動に参加したとされている。(甲42,43,66,69,70)
イ ロヒンギャ族の一般的事情を踏まえた原告の難民該当性の検討
(ア) 原告がロヒンギャであるか否か
原告は,自らがミャンマーのイスラム系少数民族であるロヒンギャ族の出自であると主張するところ,原告は,ロヒンギャ族が使用しているロヒンギャ語(バングラデシュのチッタゴン地域で話されている言語に類似するベンガル語の方言)を母語として使用する者であり(乙2,9,11,22),ロヒンギャ族であることをその加入資格要件とするJARO及びBRAJに加入することを許されたものであること(甲12ないし14,原告本人)によれば,原告はロヒンギャ族であると認めるのが相当である。
(イ) ロヒンギャ族の一般的事情を踏まえた原告の難民該当性
原告は,自らがロヒンギャ族であることを理由に国籍及び市民権を否定されるなど様々な迫害を受けてきたと主張する。
確かに,ミャンマーにおいて,ロヒンギャ族は,東ベンガル地方からヤカイン州に比較的新しい時代に不法入国してきた外国人であるという立場に立つ政府により,国民と認められておらず,国外追放の対象とされており(上記ア(イ)b),その大部分は,ミャンマーの国籍を有するものとされておらず,無国籍の状態に置かれ(同c),国民登録証の交付を受けることもできず,家族票により家族構成の変化や個人の動向が厳格に管理されている(同d)。そして,ロヒンギャ族は,これを国民とは認めていない政府当局により,厳しい移動の制限を受け(同e(a)),モデル村の建設等のために土地を没収され,強制労働を差別的に賦課され,財物提供を強要されるなどし(同e(b)ないし(e)),婚姻,宗教上の活動,公務就任(公務員労働への就業),教育及び医療の利用など極めて広範な社会生活上の制限ないし差別的取扱いを受けている(同e(f)ないし(j))ものである。
しかし,ある者が「難民」に該当するためには,当該人が人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しなければならず,上記「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命若しくは身体の自由の侵害若しくは抑圧(又はこれに匹敵する基本的自由の重大な侵害若しくは抑圧)を意味し,上記「十分に理由のある恐怖を有する」というためには,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在することが必要であると解されることは,上記(1)アのとおりである。そして,ヤカイン州北部には,本件難民不認定処分の当時,数十万人に及ぶロヒンギャ族が居住しており(弁論の全趣旨),そのロヒンギャ族は,貧しい人たちばかりではなく,その中には,原告の家族がそうであるように,土地や漁業用船舶といった生産手段を有し,一定の経済的能力を備えた富裕層が相当数存在していたことがうかがわれるところ,① 1991年(平成3年)末から1992年(平成4年)にかけて約25万人のロヒンギャ族がバングラデシュに大量流出した際,流出したロヒンギャ族の大部分は,土地を持たない貧しい日雇い労働者であり,土地を有する者は少なかった(上記ア(イ)g)のであって,このことに加えて,② ヤカイン州北部のロヒンギャ族は,厳しい移動の制限を受けており,隣村を訪れるにすぎない場合であっても,金銭を支払って当局の許可を受けなければならず,ロヒンギャ族の半数ほどを占める貧しい日雇い労働者は,他の村や町での仕事探しに大きな影響を被っている(上記ア(イ)e(a))が,その一方で,原告のように,国民登録証を入手してヤンゴンで教育を受ける者もいるのであって,ロヒンギャ族であっても,一定の金銭的負担をしさえすれば,比較的自由に移動をすることができることがうかがわれること,③ ヤカイン州北部では,治安部隊による強制労働の賦課はロヒンギャ族にのみ行われており,ロヒンギャ族の半数ほどを占める貧しい日雇い労働者などの貧困層は,強制労働を避けるための賄賂を支払うことができず,強制労働に駆り出されると,生活のための現金収入を稼ぐことができなくなる(上記ア(イ)e(b))が,そうであることからすると,ヤカイン州北部においてロヒンギャ族に課されている強制労働は,治安部隊の係官等に賄賂を支払い,又は代替の労働者を提供することにより,免れることができるものであることがうかがわれることをも併せ考えると,ロヒンギャ族の半数ほどは,土地などの生産手段を有しない貧しい日雇い労働者であり,移動の制限や強制労働の賦課等により大きな影響を受けざるを得ない状態にあったものの,ロヒンギャ族であっても,土地や漁業用船舶といった生産手段を有し,一定の経済的能力を備えた富裕層に属する者は,政府当局による厳しい移動の制限や強制労働の賦課,財物提供の強要,極めて広範な社会生活上の制限ないし差別的取扱いにかかわらず,必ずしも,上記のような意味における「迫害」に該当するような不利益までは課されてはいなかったと推認することができる(なお,移動をするためには金銭を支払って当局の許可を受けなければならず,強制労働を免れるためには治安部隊の係官等に賄賂を支払い又は代替の労働者を提供しなければならないということは,それ自体が重大な人権侵害であるが,上記のような意味における「迫害」に該当するような生命又は身体の自由の侵害又は抑圧に匹敵する基本的自由の重大な侵害又は抑圧であるということまではできない。)。そうすると,ミャンマーにおいては,本件難民不認定処分の当時,ロヒンギャ族が,政府により国民と認められておらず,政府当局により厳しい移動の制限や強制労働の賦課,財物提供の強要,極めて広範な社会生活上の制限ないし差別的取扱いを受けていたことは,上記のとおりであるが,そうであるからといって,それらの一般的事情のみから,当該人の個別的事情を考慮するまでもなく,直ちに,当該人が上記のような意味における「迫害」を受けるおそれがあるという「十分に理由のある恐怖」を有していたと認めることはできないのであって,ロヒンギャ族に属する者(原告)の難民該当性を判断するためには,ロヒンギャ族の上記一般的事情を踏まえつつ,当該人の個別的事情を検討しなければならないというべきである。
(3)  原告の個別的事情と難民該当性
そこで,次に,原告の個別的事情に基づいて原告の難民該当性を認めることができるか否かについて検討する。
ア 難民該当性の判断の基礎となる事実関係
前提事実並びに掲記の証拠(次の認定事実に反する部分を除く。)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実を認めることができる。
(ア) 原告は,2000年(平成12年)4月1日,インドネシアのメダンで,インドネシア国籍を有するI(1975年(昭和50年)○月○日生)と婚姻し,長女及び長男,二男をもうけた。原告は,ブローカーに依頼して,インドネシアの居住者身分証明カードを入手した。原告は,2001年(平成13年)1月,マレーシアのペナンで,a株式会社を設立して,事業を営み,2002年(平成14年)5月には,同会社の商号をa1株式会社に変更した。なお,ミャンマーにおいては,原告は,原告の家族の家族票から「1996年逃亡」として抹消されている。(甲39,58ないし61)
(イ) 原告が平成18年8月2日に本邦に上陸した際に所持していた旅券は,インドネシア政府が2005年(平成17年)4月14日に発給したものであり,氏名「D1」,性別「男性」,国籍「インドネシア」,生年月日「1970年○月○日」,出生地「BINJAI」という記載がある。この旅券には,2006年(平成18年)5月23日にマレーシアのクアラルンプールで発給された我が国の査証が貼付されており,タイ王国のマレーシアとの国境の町であるサダオの出入国管理官署の同年6月16日付け入国証印,同月17日付け出国証印及び同年7月24日付け入国証印が押捺されているのに加えて,同証印の直近に日付不明の出国証印が押捺されているほかは,タイ王国の出入国証印は押捺されていない。(乙1)
(ウ) 原告が2006年(平成18年)8月17日付けで提出した本件難民認定申請に係る難民認定申請書には,次のとおりの記載がある。同申請書には,ミャンマー政府が発行した原告の国民登録証が添付されている。この国民登録証は,1993年(平成5年)1月20日付けで発行されたものであり,原告の民族を「バンガリ」としている。(乙22)
a 国籍 ミャンマー
b 本国に戻った場合に迫害を受ける理由 人種,宗教,国籍,政治的意見
c 上記bの迫害を受ける理由,根拠
(a) ミャンマーには300万人以上のロヒンギャ族がいる。ミャンマー国内での迫害,偏見,民族浄化のため,半数近くの人々が国外で生活している。ミャンマー政府は,ロヒンギャ族はミャンマーの少数民族でも国民でもないと公言している。ミャンマー政府は,原告の故郷である北ヤカイン州のロヒンギャ族の根絶,資産の押収,所有物の破壊を計画している。ミャンマー政府は,イスラム教の宗教施設を破壊し,ロヒンギャ族の土地を補償なしに収用し,仏教の宗教施設や政府の施設を建設している。北ヤカイン州には,新しいアラカン人が定住し,仏教の宗教施設が建設されている。ロヒンギャ族は,ヤカイン州の植民地化,脱イスラム化を図る政府のプロジェクトに対し,金銭,食料,物資又は無償労働を寄付することを強いられている。モデル村建設の名の下,本来の所有者であるロヒンギャ族が強制移住させられ,資産は没収される。
(b) 北ヤカイン州は,人権侵害が増加する軍事ゾーンになった。強制労働は,国際労働機関(ILO)と人権グループからの圧力が増大しているにもかかわらず,存在している。ロヒンギャ族は,軍事施設,道路,橋,堤防,パゴダ,学校の医務室,池などを無償で建設する強制労働者として利用されている。ロヒンギャ族は,自らの農地,農耕具,牛,家,建築資材,新しい定住者への基金を寄付させられるだけではなく,しばしば行われる仏教の祭への支払も強制されている。ロヒンギャ族は,強制労働のため失業者となるなど,非常に過酷な環境に置かれている。
(c) ロヒンギャ族の移動には制限がある。ロヒンギャ族は,ヤカイン州外に行くことができず,当局の許可なしに州内の他の場所へ移動することも許可されていない。深刻な医療上の理由があっても,ロヒンギャ族は,ラングーンやミャンマーに旅行することは一切認められていない。このことによって,多くのロヒンギャ族の家庭が分離を余儀なくされた。1982年国籍法の公布以来,ロヒンギャ族の学生は基本的な教育の権利を否認されている。ミャンマー政府は中等以上の教育の機会を国民に限定しており,ロヒンギャ族は初等教育以外は公立の学校に入ることができない。ロヒンギャ族には専門課程が禁止されているため,ロヒンギャ族は高等教育を受けることができない。専門教育施設は全てヤカイン州外にあり,ロヒンギャ族の学生は移動を禁じられているため,勉強をすることができない。教育機関から入学を正式に認められた学生でも,移動が認められないため,学業を修めることができない。
d 上記bの理由により身体の拘束や暴行を受けた経験
(a) 1988年(昭和63年)8月8日,ミャンマーでは,軍事政権に対する全国的な抗議活動が行われた。原告は,アレータンジョー村で学生と村人が行った平和的デモに参加した。軍はデモ隊に発砲し,学生が1人死亡した。1週間後,原告ほかのデモに参加した学生等の両親に軍情報部から出頭を指示する手紙が送られて来た。原告の父は,1人で軍情報部に出頭し,原告の所在を明らかにしなかったところ,1週間にわたり,身体の拘束を受け,あごひげに火を着けられるなどの迫害を受けた。原告は,父の身を案じて,軍情報部に出頭したところ,10日にわたり,身体の拘束を受け,鞭で殴る,平手打ちをする,蹴るなどの暴行を受けた。原告は,父が土地を売って得た10万チャットの賄賂を支払ったことから,身柄を解放された。
(b) 原告は,1994年(平成6年),ヤンゴン大学の英文科の試験終了後,アレータンジョー村に帰郷した。原告は,同年5月,大学が再開することから,ヤンゴンに戻るため,ブーディーダウンのフェリー乗場に赴き,チケット売場の列に並んだ。原告は,窓口で国民登録証を提示するよう求められ,国民登録証の代わりに学生証と村の議長の証明書を提示したところ,警察から「あなたはロヒンギャかバンガリ カラか」と質問されたことから,ロヒンギャ族であると答えた。すると,警察は,原告に対し,平手打ちをする,顔を蹴るという暴行を加え,身柄を拘束された。原告は,ロヒンギャ族について質問を受け,これに答えると,警察は,原告に対し,「ミャンマーには135の民族が存在するが,ロヒンギャ族はその中に入っていない。ロヒンギャ族は外国人であり,バンガリ カラなのだ。だからお前をヤンゴンに勉強しに行かせない。勉強をしたいのならばバングラデシュに行け」と述べた。原告は,3日にわたり身柄を拘束され,叔父で医師であるJが20万チャットの賄賂を支払ったことから,身柄を解放されたが,ヤンゴンに行くことは許されなかった。原告は,ロヒンギャ族であるという理由によりヤンゴンで高等教育を受けることを政府に拒否された犠牲者である。原告は,その後,10日間の特別パスでバングラデシュのタクナフで国境貿易をしていた頃,ARNOやその他のバングラデシュのNGOに情報を提供していた。
e 上記bの理由により身体の拘束や暴行を受けた家族
(a) 原告の父は,上記d(a)のとおり,1988年(昭和63年)8月8日,身体の拘束と暴行を受けた。
(b) 原告の兄Hは,バングラデシュ経由でサウジアラビアに避難した後,1996年(平成8年)6月5日にミャンマーに帰国したところ,逮捕され,移民法の規定により,懲役6月,罰金5000チャットの判決の言渡しを受けた。Hは,服役中,十分な食料や医療を与えられないまま強制労働に従事したため,1998年(平成10年)に死亡した。
f 本国政府に敵対する組織に属していた経験 なし
g 本国政府に敵対する政治的意見を表明し又は行動をとった経験
原告は,上記d(a)のとおり,1988年(昭和63年)8月8日,本国政府に敵対する政治的意見を表明した。
h 上記bの理由により逮捕状の発付又は手配がされた事実
2006年(平成18年)1月1日,警察が,ARNO及びバングラデシュのNGOに情報を提供しているという理由で,原告を逮捕するため原告宅を訪れた。原告は不在であった。警察は,原告の妻であるIに原告の所在を尋ねた。妻は,蹴られ,平手打ちされ,侮辱された。警察は,妻に警察に来るように言い,妻が断ると,髪をつかみ,家の外に引き摺り出した。妻は,2日ごとに,警察に出頭し,原告の所在について報告した。警官は,時折,不道徳な行為をし,同月26日は,妻にとって人生最悪の日となった。警官が妻に何をしたのか言い表す言葉もない。妻は,その後,警察に報告に行かなくなったところ,1週間後,警察が原告宅を訪ね,妻に暴行を加えた。原告は,妻及び子と共にミャンマーを出国し,原告の家族は,現在,バングラデシュのチッタゴンにいる。
i 本国に帰国した場合に生ずる事態
原告は,ミャンマーに帰国すれば,頭を切断されるなどの迫害を受ける。
j 来日前,刑法犯罪を犯したことにより警察に逮捕され,起訴された経験 なし
(エ) 原告は,平成19年4月23日,東京入管入国警備官の違反調査において,次のとおり供述した。その際に作成された違反調書には,ミャンマー政府が発行した原告の国民登録証(原告の民族をバンガリとするもの。上記(ウ))及び出生証明書(英語に翻訳されたもの)が添付されている。この出生証明書は,原告の父母のrace(人種・民族)をいずれも「ヤカイン族」としている。(乙2)
a 原告は,両親から「D1」という名前をもらい,高等学校を卒業するまで使っていたが,大学に進学するには国民登録をする必要があったため,ミャンマー式の名前である「X」を使うことになった。
b 原告の両親は,ミャンマー国籍を有するロヒンギャ族であり,国民登録をしている。しかし,1982年(昭和57年)の憲法改正によりロヒンギャ族は国民登録をすることができなくなったため,原告は,正式な国民登録をしていない。上記国民登録証は,ブローカーに依頼して入手したものである。この国民登録証は,ミャンマー政府が発行した本物であるが,正規のものではない。
c 原告は,自分がミャンマー国籍を有していると考えているが,政府は国民登録を認めてくれない。入管の手続ではミャンマー国籍を有しているものとして取り扱ってほしい。
d 原告は,中学校までヤカイン州の学校に通っていたが,高等学校からはヤンゴンで生活をしていた。
(オ) 原告は,平成19年4月23日,東京入管入国警備官の違反調査において,次のとおり供述した。(乙3)
a 原告の父の名前は「K」,母の名前は「L」であり,原告は,11人きょうだい(5男,6女)の6番目三男として生まれた。
b 原告は,マウンドー郡アレータンジョー村の小学校及び中学校に通学し,ヤンゴン市内にある高等学校に進学した。原告は,高等学校を卒業した後,1992年(平成4年)に,ヤンゴン大学の英文科に進学した。
c 原告は,1994年(平成6年)2月に,アレータンジョー村に帰郷し,同年5月に,ヤンゴンに戻ろうとしたところ,原告がロヒンギャ族であることと,イスラム教徒であることを理由に,警察に3日間留置され,20万チャットのお金を払って解放された。当時,ロヒンギャ族がバングラデシュに大量に流入する事態になったことから,ロヒンギャ族の移動に対する規制が厳格化していた。
d このような状況であったことから,原告は,大学へ行くことをあきらめ,労働者を雇って,水田を耕させたり,所有する小型エンジン付きの漁船で漁業をさせたりするという家業に従事して,収入を得ていた。原告は,父が死亡した2000年(平成12年)には家業を継ぎ,乾季のエビが取れる時期には月に2,3回程度バングラデシュに持って行き売る商売を始めた。原告は,ミャンマー人のIと結婚し,二人の息子と一人の娘をもうけた。
e 原告は,2006年(平成18年)1月,バングラデシュにあるロヒンギャ族の組織であるARNOに情報を流したとして,警察に捕まりそうになった。原告が情報を流した事実はなく,警察は,事実をでっち上げ,ロヒンギャ族である原告を捕まえようとしたものである。警察が来ることを事前に知っていた原告は逮捕を免れたが,自宅にいた妻が警察に暴力を受け,1月26日には犯されてしまった。
f 原告は,2か月近くの間,ヤカイン州内を転々と隠れ住んでいたが,妻を家に置いておくとまたひどい目に遭うことが分かっていたことから,2006年(平成18年)2月15日,妻と子を連れてバングラデシュに出国した。
(カ) 原告は,平成19年5月7日,東京入管入国警備官の違反調査において,次のとおり供述した。(乙4)
a 原告は,妻と子を連れてバングラデシュのチッタゴンに住んでいる親族の元に赴き,2006年(平成18年)2月24日,妻と子を置いて,マレーシアに渡航した。原告は,マレーシアのペナンでインターネットショップ(我が国でいうネットカフェに近いもの)の店員をしていた。
b 原告は,2006年(平成18年)7月22日,マレーシアからタイ王国に渡航し,同年8月2日に来日した。原告は,所持金が少なくなってきたことから,RHQという難民を支援する組織に相談したが,金銭面での支援を受けることはできなかった。原告は,稼働目的で来日したものではないが,やむを得ず働くこととし,同年10月頃から,群馬県館林市内のペットボトル工場等で稼働するようになった。
c 原告は,マレーシア政府から仮滞在の許可を受けるためにマレーシアに渡航したが,同許可を受けることができなかった。原告は,ペナンで働きながら,難民として受け入れてくれる国を探していたところ,国籍不明のMという中国系の男性から我が国に渡航することを勧められ,9000ドルの手数料を支払ってその手続を依頼した。原告は,Mが用意した「D1」名義の偽造旅券を所持して,2006年(平成18年)8月2日に来日した。
d 原告の母,弟1名及び妹2名はヤカイン州に居住している。原告の兄1名,弟1名,姉3名及び妹1名はサウジアラビアに居住している。原告の父及び兄のうち1名は死亡している。原告の妻(I)は,2006年(平成18年)12月24日にバングラデシュで死亡した。原告の子3名はチッタゴンに居住している。原告は,バングラデシュにいる子の生活費として,今までに2回,1回につき5万円を送金した。
(キ) 原告は,平成20年3月11日,東京入管難民調査官の難民調査において,次のとおり供述した。(乙24)
a 私は,難民認定申請書には,自身を難民と考える理由として,人種,宗教,国籍及び政治的意見を記載していますが,今考えてみると,国籍は,私が迫害を受ける理由ではないと思いますので,これは外してください。それ以外に理由はありません。
b 原告の家は,原告が生まれ育った地域の中で裕福な家庭であり,亡父の名義で,20エーカー(8094m2)くらいの土地を所有しており,そのうちの12ないし13エーカーを農地として使用し,海辺の土地はエビの養殖場にしている。他に,農作業用の家畜も所有しており,漁船も1隻所有している。
c 原告の妻であるIは,強姦されたショックで精神を患っており,原告と一緒にバングラデシュにいた当時も気絶することがあった。妻は,死亡時にも,気絶して病院に運ばれ,そこで死亡したと聞いている。
d 原告は,ヤンゴンで高等学校に通っていた頃はヤンゴン市内のボークタウン区カンナン通りにある民間の寮に住み,大学に通っていた頃はチーミンダイン区にある民間の寮に住んでいた。当時,カンドーレー区には,祖父の従兄弟が住んでいたので,そこにはよく遊びに行っていた。
e 原告は,ヤンゴンとヤカイン州とを行き来する際,入管のチェックを受けていたが,賄賂を渡して通過していた。入管の手続のためには国民登録証が必要であるが,原告は,1986年(昭和61年)頃にヤカイン州シットゥエで国民登録証の発給を受け,1990年(平成2年)にはヤンゴンで新たに国民登録証の発給を受けた。この国民登録証はピンク色をしており,ミャンマーの国籍法にいう「国民」に対して発行されるものであるが,大学に入学するため,ブローカーに頼んで作ってもらったものであり,この登録証でヤカイン州に行くことはできない。イギリス植民地時代,バングラデシュから流入してヤンゴンなどに住んでいるのが「バンガリ」であり,それ以前からヤカイン州に住んでいるのが「ロヒンギャ」である。ミャンマー政府は,ロヒンギャ族を「バンガリ」にしようとしているので,「バンガリ」と記載された国民登録証を見ればロヒンギャ族ではないかと考える。なお,学生であれば,学生証と学校が発行する文書形式の身分証明書により入管のチェックを通過することもできる。
f 原告は,ヤカイン州に戻った後,父の家業を継ぎ,バングラデシュにエビを売りに行く商売をしていた。バングラデシュとの間を行き来する際には,国境警備管理局に金銭を払い,1週間以内の出国が許されるボーダーパスの発行を受ける必要がある。
g 原告の兄Hは,1990年(平成2年)頃に,ロヒンギャ族の迫害のためにミャンマーから避難せざるを得ず,バングラデシュ経由でサウジアラビアに避難したが,1996年(平成8年)6月に帰国すると直ちに逮捕されて6か月間身柄を拘束され,同年末頃に釈放されたものの,1998年(平成10年)に死亡した。Hが迫害を受けたという具体的な事情はない。
h 原告は,1994年(平成6年)2月にヤンゴンからヤカイン州に帰郷した後,同年5月にヤンゴンに戻ろうとしたところ,原告がロヒンギャ族であることを理由に移動が許可されず,警察に3日間留置された。
i 原告は,1988年(昭和63年)の反政府デモに参加した後,同年9月頃にヤンゴンに戻り,その後,1994年(平成6年)2月に帰郷するまで,一度もヤカイン州に戻っていない。この帰郷の時には,手続上の問題はなかった。
j 原告は,1988年(昭和63年)8月8日のデモ参加を理由として父と共に身柄を拘束されたことがある。原告がミャンマーで参加した政治活動はこれだけである。原告が当時帰郷していたのは,ヤンゴンで騒動が起き始めたことにより,大学が閉鎖され,学生が帰郷させられたためである。原告が参加したデモは,アレータンジョー村の村人150人くらいが参加したものであり,原告は,布にスローガンを書いて叫んだりしていた。原告は,その後,ヤンゴンに戻る際には,金銭を支払って手続上の問題を解決した。
k 原告は,1990年(平成2年)頃にヤカイン州で選挙活動に参加した(iでは,「1994年(平成6年)2月に帰郷するまで,一度もヤカイン州に戻っていない」と言ったが,このことを言い忘れていた。)。原告は,国民人権民主党を支持し,投票したが,党員にはなっていない。原告や原告の家族がこの党に関与したことを理由に逮捕されたり尋問されたりしたことはない。
l 原告は,ARNOに情報提供をしていたという疑いにより逮捕されるおそれがあったため,妻及び子と共にバングラデシュに逃げた。原告は,ARNOのメンバーではないが,ARNOに対し,村での迫害に関する情報提供をしていた。ARNOは,原告が提供した情報をインターネットニュースとして配信していた。
m 原告は,(日本で,)工場の検品作業に従事し,手取りで月額30万円の給与を得ており,2か月に1回,バングラデシュに住む子に対し,5万円くらいを送金している。
n 原告は,平成18年12月10日,BRAJに加入し,広報担当として,文書を作成したり,ニュースレターを発行したりし,平成20年からは広報担当の責任者となった。ニュースレターは,月1回200部程度発行され,同じものが各種団体に電子メールで送信される。原告は,PFBが主催する集会に参加したり,特別な日のデモに参加するなどの政治活動をしている。
o 原告は,バングラデシュに残してきた家族と連絡を取る中で,原告の家族がミャンマー政府から身柄を拘束されたり尋問されたという話は聞いていない。原告は,家族と共に,ヤカイン州で家族票に登録されていたが,原告の名前は抹消されている。
(ク) 原告は,平成23年4月12日,本件難民不認定処分に対する異議申立てを取り下げたところ,同月14日,東京入管入国審査官の違反審査において,次のとおり供述した。(乙9)
a 原告は,早急にインドネシアに行かなければならない事情ができたことから,本件難民不認定処分に対する異議申立てを取り下げた。
b これまで,軽はずみに,両親や兄弟姉妹はミャンマー人であるという供述をしていたが,いろいろ勉強して考えてみると,私を含め,両親や兄弟姉妹にはきちんとした国籍がないのではないかという考えも浮かんできました。その理由は,私の家族がロヒンギャ族であり,ミャンマーでは国民としてきちんと認められていない部分があったからです。私は,子どもの頃,両親が所持していた緑色の国民登録証を見たことがあります。ですが,それはミャンマー国籍を証明,保障してくれるものでは決してなく,その身分は不安定なものでした。その後,ミャンマー政府の方針で国民登録証は一時登録カードに変更になりましたが,一時登録カードに効力はありませんでした。一時登録カードを所持していても,現在もミャンマー政府は私の両親にミャンマー国籍を認めていないことは周知の事実ですので,私の両親はミャンマー人であると自信をもって言えないのです。
c 両親がこのような状況ですから,私も国民登録証,一時登録カードをもらうことができませんでした。私は,出生登録や身分証といった公的な書類を得ることができないまま,ミャンマーで育ちました。私は,東京入管の手続において,ミャンマーの国民登録証を提示していますが,これは私が実家を出た後に,ヤンゴンで不正に取得したものです。ヤンゴン大学へ入学するのにどうしても身分証明書が必要であったため,ブローカーにお金を払い,国民登録証を用意してもらいました。この国民登録証には,ビルマ族としての名前である「X」と,ムスリムとしての名前である「D1」の二つの氏名が書かれています。私は,20歳の頃までは,ムスリムとしての名前である「D1」を使っていましたが,ヤンゴン大学では,ビルマ族としての名前を使っていました。自分の国籍や正式な氏名は,私には国籍がなく,名前はD1になります。
d 原告は,ミャンマー政府に対し旅券の発給を申請したことがなく,ミャンマー政府から旅券の発給を受けたこともない。原告が本邦に上陸した際に所持していたインドネシアの旅券は,原告がブローカーに依頼して不正に入手したものである。
e 私には,もう日本で難民として保護を受けるつもりはありません。インドネシアで生活している妻子に早く会いに行きたいのです。妻は,5年間,私と離れて生活していることに耐えられず,あと2か月以内にインドネシアに来てくれなければ,他の男のところに行くと言っています。私は,妻子を失うことに耐えられません。インドネシアに行きたいのです。早く日本を出国するために,異議申立てを取り下げました。取り下げたといっても,私がミャンマーに行けば,また差別と人権を無視された生活が待っているだけなので,どうか妻子の待つインドネシアへ送還してください。
(ケ) 原告は,平成23年6月20日,東京入管入国審査官の違反審査において,次のとおり供述した。(乙11)
a 原告は,来日する前,インドネシアで妻子と暮らしていた。原告は,インドネシア人を装っていたが,妻の兄から「お前の本当の身分事項をばらす」と脅されて,インドネシアから逃げてきた。原告は,バンコクに行き,そこで知り合った人にお金を払い,インドネシアの旅券を作ってもらい,その旅券を所持して,2006年(平成18年)8月2日,バンコクを出発した。
b 入国してから約5年間,私が難民として認められることはありませんでした。いつまで経ってもインタビューが終わらず,私は手続が嫌になってしまったのです。私は妻や子と早く会いたいと思い,インドネシアへ出国させてもらえるのであればという条件を付けて,異議申立てを取り下げました。当初,私は,日本に不法入国した際のインドネシア旅券を在東京インドネシア領事館において更新してもらい,ビザをもらってインドネシアに出国しようと思っていました。しかし,嘘の旅券を使ってインドネシアに出国することが許されないことだと説明を受けてよく分かりました。私としては,日本政府から難民として認定してもらい,日本で難民として暮らしていきたいという思いが消えたわけではありません。しかし,再度,難民認定申請をしてしまうと,また5年,6年と長い時間待たされてしまうので,2回目の難民認定申請をしたくありません。代わりに退去強制手続を受け,よい結果を得られることを望みます。私は,在留特別許可を認めてもらい,日本で生活していきたいと思っています。妻や子どものことが心配なので,インドネシアに行きたい気持ちもありますが,今の私は不安定な立場です。
c 私は,生活のため,昨年まで,アルバイトをしていましたが,今年に入ってからは,一度も働いていません。生活費は,日本にいる私の弟Nに助けてもらい,家賃や食費などを支払っています。弟は,在留資格「特定活動」,在留期間「1年」の在留資格を有して日本に在留しています。
d 私が退去強制手続において「ミャンマー国籍」の保有者として扱われていることには,反対の意見があります。私はミャンマー政府から,正式な国民として認められていないからです。
e 上記aには「バンコクで知り合った人にインドネシアの旅券を作ってもらった」とありますが,私が旅券を作ってもらったのはインドネシアですので,そのように訂正して下さい。また,上記bには,私がインドネシアに行こうと思った理由について,「妻と子どものことが心配で」とありますが,本当に解決したかったのは妻との間に発生した問題だったのでそのように書いて下さい。
(コ) 原告は,平成23年8月29日に東京入管特別審理官の口頭審理に提出された原告代理人の意見書に添付された陳述書に,次のとおり記載している。(甲9,乙13)
a 原告は,1993年(平成5年)8月,初年度の英語学部の期末試験の後,マウンドー郡に帰省し,同年9月,ヤンゴン大学の第2学年に通学するため,ラングーン(ヤンゴン)に向かった。原告は,ブーディーダウンの船着場で,シットウェ行きのフェリーのチケットを買うため,列に並んだ。原告は,窓口で,国民登録証の提示を求められ,学生証と移動許可証を提示したところ,治安部隊は,原告を呼び止め,原告に対し,「カラ」や「バンガリ カラ」など悪意のある呼び掛けをし,それに対する原告の反応を理由に,原告を尋問した。治安部隊は,原告の顔をはたいたほか,原告の顔面を蹴り,原告の身柄を拘束した。治安部隊は,3日にわたり,原告の身柄を拘束し,原告に対し,殴る,蹴るの暴行を加え,原告を侮辱した。原告は,叔父(父の弟)であるドクター Jが20万チャットの賄賂を支払ったことから,釈放され,家に帰ることができたが,治安部隊は,原告がヤンゴンに行くことを許さなかったため,ヤンゴン大学で教育を受けることができなかった。
b 原告は,少なくとも15回にわたり,警察,軍及び治安部隊により,ポーター及び強制労働に従事させるため,身柄を拘束され,連行された。原告の家族は,最低でも1週間に1回,通常は週に2回,強制労働のために労働者を提供しなければならなかった。原告の家族は,村長から命令されたときは,雇っている労働者を送ったが,軍が直接関与しているときは,別の者を代替させることはできなかった。原告は,1985年(昭和60年)7月,初めて強制労働に駆り出され,多量の降雨のために破損したエビ養殖用ダムの堤防の補修作業に従事した。原告は,その後,4,5回にわたり,道路や軍事施設,その他の政府事務所を建設するための強制労働に従事し,少なくとも10回にわたり,ポーターとして徴用された。原告は,1995年(平成7年)3月,ポーターとして徴用された際に,二人で1.5mの長さの木の棒に結び付けられた鉄の箱を運び,右肩の皮膚を損傷した。原告は,叔父(祖父の弟)で医師であるFの治療を受けたが,新しい皮膚ができるまで数か月を要した。
c 原告は,1988年(昭和63年)8月頃,ヤンゴンからマウンドー郡アレータンジョー村に帰省した。村では,村人と学生が平和的にデモを続け,原告も参加した。軍は,デモ参加者を直接銃撃し,デモは安全のため退散した。この銃撃により参加者の1人が死亡した。軍情報部は,同年10月,デモ参加者の親に対し,デモ参加者と共に出頭することを命ずる手紙を送付し,原告の父も,原告と共に出頭することを命ずる手紙を受け取った。原告の父は,一人で出頭し,原告の所在を明らかにしなかったところ,竹の棒で殴るなど暴行を受け,1週間にわたり身柄を拘束された。原告の父は,ひげに火を着けるなどの虐待を受けた。原告は,自ら出頭し,10日にわたり身柄拘束を受け,殴る,蹴る,侮辱するなどの迫害を受けた。原告は,父が10万チャットの賄賂を支払ったことから,釈放された。
d 原告は,父のエビ養殖とバングラデシュの市場でエビを売る手伝いをし,12月から5月にかけて週1,2回バングラデシュに行くようになった。原告は,叔父で医師であるFの紹介で,ARIFの中央執行委員会委員兼事務局長であるGと再会し(同人は,国立アレータンジョー中学校での原告の恩師である。),ARIFの地下活動メンバーとして採用され,様々な村で地下活動セルを組織することと,迫害などの情報を収集する任務を与えられた。原告は,ARIFやGに紹介されたNGOに対する情報提供活動等に従事した。
e 原告は,1996年(平成8年)2月,ARIFに対する情報提供活動を行ったことを理由として警察から指名手配されたため,ミャンマーを出国した。同年1月,警察が,ARIFに対する情報提供活動の容疑で原告を逮捕するため原告宅に来た。当時,原告は在宅しておらず,警察は,原告の義理の姉であるO(原告の兄Hの妻)に対し,原告の所在を尋ねたところ,義理の姉は,原告は商用でバングラデシュに行っていると答えた。警察は,これを信用せず,義理の姉に対し,たたく,蹴るという暴行を加え,侮辱した。義理の姉は,警察の指示に従い,2日に1回出頭し,原告の所在について報告したところ,ときには,警察から不道徳な対応を受けた。義理の姉は,不道徳な対応を受けた後,警察に出頭しなくなったところ,1週間後,自宅を訪れた警察から,その理由を尋ねられ,殴るなどの暴行を受けた。原告は,身を隠していたが,この状況を見て,サウジアラビアにいた兄と連絡を取り,義理の姉及びその子と共に,船に乗り,バングラデシュのチッタゴンに逃れ,マレーシアに渡航した。義理の姉とその子は,兄のいるサウジアラビアに渡航した。
f 原告は,1998年(平成10年),Iと知り合った。原告は,2002年(平成14年)2月,マレーシアのペナンから船でインドネシアに行き,ブローカーに依頼して,インドネシアの出生証明書,国民カードを入手した(原告は,その後,旅券も取得した。)。原告は,同年4月,インドネシアでIと結婚し,3人の子をもうけた。原告は,同年9月,マレーシアでa株式会社(その後,a1株式会社に商号変更)を経営し,織物店とインターネットカフェを経営していた。原告は,2005年(平成17年),インドネシアでゲームセンターとインターネットカフェを経営していた。しかし,2006年(平成18年)3月,妻の兄が,原告がインドネシア人ではないことを漏らし,そのことが警察の耳にも入ったことから,原告は,インドネシアにいられなくなり,マレーシア,タイ王国を経て,日本に渡航した。
g 原告は,来日後,先に来日していた弟NがメンバーであったJAROに加入したが,代表者の非民主主義的なリーダーシップを批判したため,除名された。原告は,平成19年,BRAJに加入し,情報と広報を担当し,その他の必要な文書を準備した。原告は,平成20年には,BRAJの執行部に名を連ねたが,代表者と対立し,脱退した。原告は,自らのホームページを開設し,世界中にロヒンギャの声を伝えた。
h 本件難民認定申請に係る申請書を記載した際,それを見たJAROの友人が私に対し,「もし妻がビルマ人ではなくインドネシア人であり,インドネシア旅券も持っていると書いたなら,インドネシアに送還される可能性がある」と忠告しました。私には,日本の難民認定手続についての知識がなかったため,私は,彼の忠告に従い,「インドネシア」ではなく,「ビルマ」と妻と子どもたちの国籍を書きました。また,この理由で,私は,妻の名前を「I」ではなく,イスラム名の「I1」と記載しました。なぜなら,妻の名前は,明らかにインドネシア人だからです。
私は,上記申請書において,ビルマを2006年(平成18年)に出国したと記載しました。しかし,真実はこの陳述書で述べたとおりです。私は,1996年(平成8年)にビルマから去りました。私は,上記申請書に妻と子どもたちがビルマ人であると書きました。私は,2000年(平成12年)に妻と結婚し,2001年(平成13年),2002年(平成14年),2004年(平成16年)に子どもを授かりました。それ故,私が1996年(平成8年)にビルマを出国したと言った場合に,矛盾が生じてしまいます。そのような理由で,私は,1996年(平成8年)ではなく,2006年(平成18年)にビルマを出国したと言いました。
私は,上記申請書において,2006年(平成18年)にARNOの情報提供者であることを理由に罪に問われ,警察が自宅にきて妻を尋問して暴行を加えたと記載しました。しかし,真実はこの陳述書で述べたとおりです。この事件は1996年(平成8年)に起こったもので,2006年(平成18年)ではありません。さらに,警察に尋問されて暴行を受けたのは,私の妻ではなく,私の義理の姉でした。当時,私は結婚しておらず,私の妻はこの事件での精神的なショックを理由に死んでもいません。インドネシアで生きています。
私が真実を上記申請書に書かなかった理由は,私が2006年(平成18年)にビルマから逃れたという供述との一貫性を維持するためです。私は,1996年(平成8年)ではなく,2006年(平成18年)に罪に問われたといった方がよいと思い,警察に尋問されて暴行を受けたのが妻であるとした方がよいと思いました。
(サ) 原告は,平成23年8月29日,東京入管特別審理官の口頭審理において,次のとおり供述した。(乙14)
a 私が異議申立てを取り下げた理由は,インドネシアのメダンで暮らしている妻が「インドネシアに帰ってきてほしい。帰ってこないならば他の人と結婚する」と言っており,妻側の親族に面倒をみてもらっている状況であったためです。日本で難民認定申請をしていても先が見えない不安があり,インドネシアに戻らなければ妻子を失うことになるとの焦りがありました。私は,難民認定申請を続けたくないのではなく,妻子を失いたくない思いから異議申立てを取り下げました。この際,取下げの理由書には,「法務大臣が私をインドネシアに行かせてくれるならば,私はこの取下げをする。だからミャンマーに行けない」という一文を入れました。私は,インドネシアに帰りたいのですが,法的書類がないので,インドネシアに行くことができません。私は,人間として認められていないので,(インドネシア政府から発給を受けた)旅行証を所持していません。だから,インドネシアには行けません。
b ヤカイン州には,母,弟,3人の妹が暮らしています。弟は,釣り船1隻を持つ漁師であり,8エーカー(3237m2)の農場を持っていますが,いつ政府に取り上げられるか分からない状況にあります。弟の生活状況は,政府から土地の没収や重税などがなければ,母を何とか養っていけるだけの生活程度です。
c 私は,1年前まで,時々アルバイトをしていましたが,その後,仕事はしていません。今は,弟が飲料メーカーで働いて収入があるので,弟から経済的援助を受けています。弟と私は,お互い住まいがちょうど向かい合わせです。
d 私は,ミャンマー国籍者ではなく,無国籍者であるから,国籍を持たない私に入管法が適用されるのは納得が行きませんでした。私は,今の時点で帰国できる状況にないので,ミャンマー政府から正式な国民と認められていないので,退去強制手続においてミャンマー国籍を有する者として扱われていることに納得が行かない旨申し上げ,ミャンマー政府から正式な国民と認められていないミャンマーに行くことができない立場にあり,日本で暮らしていくことを望んでいることを理由に口頭審理請求をしました。
ミャンマー政府が私たちロヒンギャ族を市民として認め,受け入れてくれるならば,帰ってもよいと思います。そうでないなら帰りません。本国には帰国できませんし,インドネシアにも入国が困難な事情がありますので,このまま日本に居させていただきたい。今ミャンマーに帰ったら,何の疑いもなく即捕まり,投獄され,ひどい迫害を受けるでしょう。何故ならば,我々ロヒンギャ族をビルマから根絶したいからです。ですから,私は,帰国したくても,帰国することができないのです。
(シ) 原告は,平成25年2月18日,当裁判所で行われた本人尋問において,次のとおり供述した。(原告本人)
a 原告は,17歳であった1988年(昭和63年)8月8月の民主化デモに参加した。原告は,村でデモ行進をし,スローガンを書いたサインボードを持って,それを叫びながら,政府関係の役所の前などで反政府のスローガンを大声で叫んだりしていた。原告の父は,同年10月,原告に出頭を命ずる警察からの手紙を受け取り,一人で出頭し,殴られたり,蹴られたり,あごひげに火を着けるというような残虐行為を受けた。原告は,警察に出頭したところ,10日間身柄の拘束を受け,厳しく尋問され,棒で殴る,拳で殴る,平手で打つ,足に足かせをはめるという暴行を受けた。原告は,10万チャットの賄賂を支払って解放された。
b 原告は,1993年(平成5年)8月,ヤンゴン大学の英語学部の学生であり,マウンドーに帰郷した後,ヤンゴンに戻るため,ブーディーダウンで船に乗ろうとしたところ,国境警備隊から「国民登録証を見せろ。カラ」と言われ,逆上して,「俺はカラじゃない」と口答えをしたことから,口論になり,殴られたり,蹴られたりという目に遭った。原告は,ブローカーから入手した国民登録証を有していたが,シットウェに住む知人に預けてあったし,それを示すとかえって当局の疑いを招き,よりひどい目に遭ったと思う。原告は,3日間身柄の拘束を受け,尋問を受けた。
c 原告は,1994年(平成6年)から1996年(平成8年)にかけて,ARIFに対する情報提供活動を行っていた。原告は,中学校の時代の恩師であるGがARIFに参加していたことが切っ掛けとなって,その活動を始めた。原告は,家業であるエビの養殖に関連してバングラデシュに赴いた際,テクナフにあるARIFの事務所に赴き,少なくとも20回は,自分が住んでいたアレータンジョー村とその周辺におけるロヒンギャ族に対する迫害に関する情報を提供した。原告が提供した情報は,ARIFが発行している「月刊△△」に掲載されたが,報告者名は,原告ではなく,Gになっている。
d 原告は,1996年(平成8年)1月,何者かの密告により警察がARIFに対する情報提供行為の容疑で原告を逮捕するため原告宅を訪れたことから,ミャンマーを出国した。原告の義理の姉は,原告宅を訪れた警察から暴行を受け,強姦までされたと聞いている。原告は,義理の姉と共に,ミャンマーを出国し,バングラデシュに逃れ,自らはマレーシアに渡航した。義理の姉は,兄がいるサウジアラビアに渡航した。
e 原告は,マレーシアでインドネシア人の妻と知り合い,インドネシアで,自分の出自を隠し,インドネシア人を装って妻と結婚した。原告は,仕事のことで仲違いをした妻の弟が警察に対し原告がインドネシア人に成り済ましていることを告げてしまったことから,妻及び子を残して,難民認定を受けるため,来日した。
f 原告は,難民認定申請書に,妻はビルマ国籍を有しており,ミャンマーを出国したのは2006年であると記載した。その理由は,原告は我が国の難民認定申請がどのように行われているかをよく知らなかったところ,「お前は,インドネシア人の奥さんがいる。インドネシアのパスポートで日本に来ている。そういうお前が入管に申請すれば,お前は,インドネシアにデポテーション(強制送還)されるぞ」と周りから言われ,それを信じたためである。原告は,その後,「真実を書かなければいけないんだ,そして公平な判断をしてもらうんだ」という気持ちになり,また,原告代理人から本当のことを書くように指導されて,真実を述べた。
g 原告は,2011年(平成23年)4月12日,異議申立てを取り下げたが,難民認定を受ける気がなくなったためではなく,妻の母が妻を他の男と結婚させるための行動を始め(イスラム法では,夫が妻を6か月放置すれば,妻は他の男性と婚姻することができる。),家族を失うおそれがあったためである。
h 原告は,ヤンゴン市内の高等学校に通っていた間は,警察に身柄を拘束されたことがない。原告が通っていた高等学校にロヒンギャ族の生徒はいたが,その生徒はもともとヤンゴンに住んでいるロヒンギャ族であり,ヤカイン州から入学したのは原告だけであった。原告は,ロヒンギャ族と同じイスラム教徒であるカマン族を装って国民登録証を作り,大学に入学した。原告の民族名が「バンガリ」と記載されている乙第22号証の2の国民登録証は,原告が有していた四つの国民登録証の一つである。
(ス) ARIFの中央執行委員会委員兼事務局長であるGは,原告代理人による聴取に対し,同人が中学校の教員として担当していた学級には原告が所属していたこと,原告はロヒンギャ族としては珍しくヤンゴンの高等学校及び大学に進学したこと,1994年(平成6年),原告をARIFの組織化担当者とし,ロヒンギャ族に対する迫害に関する情報の提供を受けたこと,原告から提供を受けた情報は月刊△△に掲載されたこと,情報提供者(原告)の氏名は掲載しなかったこと,原告は1996年(平成8年)にミャンマーから逃れたと聞いていることを供述した。Gは,2010年(平成22年)9月2日付けで作成した証明書においても,1994年(平成6年),原告をARIFの地下活動メンバーとして採用し,情報収集等の任務を与えたこと,原告は1996年(平成8年)に警察から逃れるためミャンマーを出国したことを証明している。(甲11,35,40)
(セ) 原告は,平成18年8月に来日した後,在日アラカン ロヒンギャ機構(JARO)に加入し,平成19年には,在日ロヒンギャ ビルマ人協会(BRAJ)に加入し,情報と広報を担当した。原告は,平成20年には,BRAJの執行役員の一人となったが,同年,BRAJを脱退した。原告は,その後は,個人でウェブサイトを開設し,ミャンマーにおけるロヒンギャ族の状況等に関する記事を掲載するなどしてきたところ,このウェブサイトには,「※※※@yahoo.com」というメールアドレス及び「〈省略〉」という電話番号が掲出されていた。原告は,本件難民不認定処分後である平成24年,再度BRAJに加入し,その事務局長となり,同年12月には,ミャンマー大使館の前において抗議行動を行った。(甲12ないし15,36,44,53,54)
イ 原告の供述等の信用性について
原告は,(ア) ロヒンギャ族であることを理由に,国民性を否定され,移動の自由の制限を受け,強制労働に従事させられるなどの重大な人権侵害を受けてきたほか,(イ) 8888民主化運動の際にデモに参加し,また,ARIFに対する情報提供活動を行うなど,反政府活動に従事し,そのことを理由に,身体の拘束及び拷問を受け,また,逮捕されそうになったため,ミャンマーを出国せざるを得なくなり,(ウ) 来日後も,反政府活動に従事してきたことから,ミャンマーに送還されれば,迫害を受ける現実的なおそれがある旨を主張し,上記アのとおり,① 1985年(昭和60年)以降,少なくとも15回にわたり強制労働に従事させられ,1995年(平成7年)には,右肩の皮膚を損傷した,② 1988年(昭和63年)8月8日,アレータンジョー村で行われたデモに参加し,軍情報部から出頭を指示され,原告の代わりに出頭した原告の父が,1週間にわたり身体の拘束を受け,顎ひげに火を着けられるなどの迫害を受けたため,自ら出頭したところ,10日にわたり身体の拘束を受け,鞭で殴る,平手打ちをする,蹴るなどの暴行を受けた,③ ヤンゴン大学に在学中,アレータンジョー村からヤンゴンに戻るため,ブーディーダウンのフェリー乗場に赴いたところ,チケット売場で当局と口論となり,平手打ちをする,顔を蹴るという暴行を受けた上,3日にわたり身柄の拘束を受け,解放後もヤンゴンに行くことを許されなかったため,大学教育を受けることができなかった,④ 1994年(平成6年),エビを養殖しバングラデシュで売る商売をしていた頃,恩師でARIFの中央執行委員会委員兼事務局長であるGと再会し,ARIFの地下活動メンバーとして採用され,ARIFに対する情報提供活動等に従事した,⑤ 1996年(平成8年),ARIFに対する情報提供活動を理由に逮捕されそうになり,義理の姉であるO及びその子と共にミャンマーを出国し,バングラデシュのチッタゴンに逃れた旨を記載又は供述する。
しかし,上記①について,甲第10号証(原告の右肩の写真)によるも,原告の右肩の皮膚に損傷の跡があると認めることはできないことに加えて,原告は,自らが強制労働を課せられたことを記載又は供述することにつき何らの妨げとなる事情もなかったにもかかわらず,難民認定申請書において自らに課せられた強制労働に係る記載をしておらず,難民調査官による難民調査においても強制労働を課せられた旨の供述をしていないのであって,平成23年4月12日に本件難民不認定処分に対する異議申立てを取り下げた後,本件退令処分の手続において,初めて自らが強制労働を課せられたことがある旨を述べたことによれば,上記①の強制労働の賦課に関する記載及び供述は措信するに足りない(この点について,原告は,難民認定申請書の記載を引用して反論するが,原告の引用に係る記載は,原告が強制労働を課せられた旨の記載ではなく,ロヒンギャ族が強制労働を課せられた旨の一般的な記載であることが明らかである。また,原告は,難民調査官による事実の調査が不十分かつ極めて不当なものであった旨を主張し,甲第38号証(本件難民不認定処分についての異議申立手続において提出された原告作成の平成22年9月30日付け申述書),甲第41号証(原告代理人作成の平成24年12月17日付け原告からの聴取結果報告書)及び原告本人尋問の結果の中には,これに沿う記載又は供述があるが,難民調査官による難民調査が不十分又は不当なものであったことを裏付ける客観的証拠は存在しない。)。次に,上記③について,原告は,難民認定申請書並びに平成19年4月23日に行われた入国警備官による違反調査及び平成20年3月11日に行われた難民調査官による難民調査においては上記③のブーディーダウンのフェリー乗場での出来事が起きたのは「1994年(平成6年)5月」のことであるとしているのに対し,本件難民不認定処分に対する異議申立てを取り下げた後,平成23年8月29日に行われた特別審理官による口頭審理においては「1993年(平成5年)8月ないし9月」のことであるとしているほか,原告が当局により身柄の拘束を受けた経緯についてもその記載及び供述を細部において変遷させているところ,原告が,真実,その出来事を契機として大学教育を受けることができなくなり,その後の人生に大きな影響が生じたものであるならば,その出来事が起きた時期やその経緯は,原告の記憶に深く刻まれているはずなのであって,これらの点に関する記載又は供述が変遷するとは考え難い。さらに,上記⑤について,原告は,難民認定申請書及び難民調査官による難民調査においては,原告がARIFに対する情報提供活動を理由に逮捕されそうになってミャンマーを出国したのは2006年(平成18年)のことであり,その際に原告と共にミャンマーを出国したのはミャンマーで結婚したIとその子であって,Iは警察から暴行(強姦)を受けたショックにより精神を患い,バングラデシュで死亡した聞いていると記載又は供述していたところ,本件難民不認定処分に対する異議申立てを取り下げた後,本件退令処分の手続において,初めて上記⑤のとおり記載又は供述するようになったものである。この点について,原告は,その当時加入していたJAROの友人から「妻がインドネシア人であると書いたら,インドネシアに送還される可能性がある」という助言を受け,インドネシアに送還されることをおそれて,妻及び子の国籍をビルマと偽り,そのことから,妻と結婚した2000年(平成12年),子が生まれた2001年(平成13年),2002年(平成14年)及び2004年(平成16年)当時においても,ミャンマーにいたことにしなければ矛盾が生じてしまうと考え,つじつまを合わせるために,ミャンマーを出国した時期を2006年(平成18年)とし,さらに,そのこととの整合性を保たせるため,警察から暴行を加えられた人を妻としたものであると説明するが,原告がJAROの友人から上記のような助言を受けたことを裏付ける客観的証拠は存在しない上,仮にそのような助言を受けた原告がそれを信じたものとしても,ミャンマーで結婚した妻が警察から暴行を受けたショックにより精神を患い,バングラデシュで死亡したと聞いているとまで偽る必要はないのであって,難民認定申請書及び難民調査官による難民調査において原告がした記載及び供述には,難民認定に関して原告に有利なように意図的に虚偽の内容を作出したものが見られ,原告には,自ら及び自らの家族に生じた事象について真摯に述べようとする態度が欠けているといわざるを得ない。そうすると,原告の上記①ないし⑤の各記載及び供述は,いずれも,客観的事実ないし第三者の供述等によって裏付けられている部分を除いては,たやすく措信し難いのであって,原告の個別的事情は,上記のとおり裏付けられている部分によって支持されている範囲においてのみ認めるのが相当である。
ウ 原告の個別的事情を踏まえた原告の難民該当性の検討
(ア) 原告の個別的事情
そこで,上記イを前提として,原告の個別的事情について検討するに,上記アによれば,① 原告は,ヤカイン州北部にあるマウンドー郡アレータンジョー村の裕福なロヒンギャ族の家庭に生まれ,村の小学校及び中学校を卒業した後,ヤンゴンにある高等学校に進学し,その高等学校を卒業した後,ヤンゴン大学の英文科に進学したものである,② 原告の家族は,相当な広さの土地及び農作業用の家畜を所有し,他のロヒンギャ族を雇って,水田を耕作させたり,海辺の土地でエビを養殖したりしており,そのほかにも,小型エンジン付きの漁船1隻を所有し,漁業をさせたりもしていた,③ 原告の家族は,他の貧しいロヒンギャ族とは異なり,治安部隊から強制労働を賦課されても,原則的に,自らそれに従事することはなく,家業のために雇用している他のロヒンギャ族等をして自らに代わり強制労働に従事させていたため,経済的にはともかく,身体的には,過酷な状態に陥ることは少なかった,④ 原告の家族も,他のロヒンギャ族と同様に,移動の制限を受けていたが,早くとも1991年(平成3年)末から1992年(平成4年)にかけてロヒンギャ族の大量流出により移動の制限が強化されるまでは,金銭を支払って当局の許可を受けることにより,比較的自由にヤンゴンなどとの間を行き来することができたし,それ以降においても,治安当局に金銭を支払うことにより,バングラデシュに商用に赴くなどすることができる状態にあった,⑤ 原告は,1994年(平成6年),養殖したエビをバングラデシュで売る商売をしていた頃に,中学校時代の恩師でARIFの中央執行委員会委員兼事務局長であるGと再会し,ARIFに対する情報提供活動に従事するようになった,⑥ 原告がARIFに提供した情報は,ARIFが発行する雑誌である「月刊△△」に掲載されたが,Gは,原告に不利益が及ぶことをおそれ,情報提供者(原告)の名前は明らかにしていなかった,⑦ 原告は,1996年(平成8年),義理の姉であるO及びその子と共にミャンマーを出国し,バングラデシュのチッタゴンに赴いた,⑧ 原告は,チッタゴンで義理の姉及びその子と別れ,マレーシアのペナンに渡航し(なお,義理の姉及びその子は,その夫ないし父(原告の兄)が滞在していたサウジアラビアに渡航した。),繊維店の店員等として稼働していたところ,インドネシア国籍を有するIと知り合い,2000年(平成12年)4月1日,インドネシアのメダンで,同女と婚姻し,長女及び長男,二男をもうけた,⑨ 原告は,ペナンで,a株式会社を設立するなどして,事業を営んでいたが,妻の親族との関係が悪化し,原告が不法滞在の状態にあることを当局に通報されたことから,インドネシアを出国し,平成18年8月2日,本邦に上陸した,⑩ 原告は,本邦に上陸した後,JAROに加入し,その後,除名され,平成19年には,BRAJに加入し,情報と広報を担当したところ,平成20年には,その執行役員の一人となったが,同年,脱退し,その後は,個人でウェブサイトを開設し,ミャンマーにおけるロヒンギャ族の状況等に関する記事を掲載するなどしていた(このウェブサイトには「※※※@yahoo.com」というメールアドレス及び「〈省略〉」という電話番号が掲出されていた。)と認めることができる。
上記イのとおり,原告は,8888民主化運動の際にデモに参加し,そのことを理由に,身体の拘束及び拷問を受けた旨を主張し,上記アのとおり,1988年(昭和63年)8月8日,アレータンジョー村で行われたデモに参加し,軍情報部から出頭を指示され,原告の代わりに出頭した原告の父が,1週間にわたり身体の拘束を受け,顎ひげに火を着けられるなどの迫害を受けたため,自ら出頭したところ,10日にわたり身体の拘束を受け,鞭で殴る,平手打ちをする,蹴るなどの暴行を受けた旨を記載又は供述するが,この記載及び供述は,客観的事実ないし第三者の供述等によって裏付けられておらず,上記イのとおり,たやすく措信し難いのであって,原告の上記主張に係る事実を認めることはできない。
(イ) 原告の個別的事情を踏まえた原告の難民該当性
原告は,ロヒンギャ族であることを理由に,国民性を否定され,① 移動の自由の制限を受け,② 強制労働に従事させられるなどの重大な人権侵害を受けてきたほか,③ 8888民主化運動の際にデモに参加し,また,④ ARIFに対する情報提供活動を行うなど,反政府活動に従事し,そのことを理由に,身体の拘束及び拷問を受け,また,逮捕されそうになったため,ミャンマーを出国せざるを得なくなり,⑤ 来日後も,反政府活動に従事してきたことから,ミャンマーに送還されれば,迫害を受ける現実的なおそれがある旨を主張していることは,上記イのとおりである。
しかし,ある者が「難民」に該当するためには,当該人が人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しなければならず,上記「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命若しくは身体の自由の侵害若しくは抑圧(又はこれに匹敵する基本的自由の重大な侵害若しくは抑圧)を意味し,上記「十分に理由のある恐怖を有する」というためには,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在することが必要であると解されることは,上記(1)アのとおりである。そして,原告の家族も,他のロヒンギャ族と同様に,移動の制限を受けていたが,早くともロヒンギャ族の大量流出により移動の制限が強化されるまでは,金銭を支払って当局の許可を受けることにより,比較的自由にヤンゴンなどとの間を行き来することができたし,それ以降においても,治安当局に金銭を支払うことにより,バングラデシュに商用に赴くなどすることができる状態にあったこと(上記(ア)④),及び,原告の家族は,他の貧しいロヒンギャ族とは異なり,治安部隊から強制労働を賦課されても,原則的に,自らそれに従事することはなく,家業のために雇用している他のロヒンギャ族等をして自らに代わり強制労働に従事させていたため,経済的にはともかく,身体的には,過酷な状態に陥ることは少なかったこと(上記(ア)③)に加えて,原告の母,弟及び3人の妹がヤカイン州で暮らしていること等(上記ア(サ)b)にもよれば,原告の家族は,政府当局による厳しい移動の制限や強制労働の賦課,財物提供の強要,極めて広範な社会生活上の制限ないし差別的取扱いにかかわらず,必ずしも,上記のような意味における「迫害」に該当するような不利益を課されてはいなかったと認めることができる(なお,仮に,移動の制限が強化されたことにより,原告が大学教育を受けることができなくなったものであるとしても,そのことは,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧に匹敵する基本的自由の重大な侵害又は抑圧に当たるものではないというべきである。)。また,原告が8888民主化運動の際にデモに参加し,そのことを理由に,身体の拘束及び拷問を受けたと認めることはできないことは,上記(ア)のとおりであるし,仮に原告が8888民主化運動の際にデモに参加した事実を認めることができるものとしても,原告は,アレータンジョー村の村人150人くらいが参加したデモで,布にスローガンを書いて叫んだりしていた(上記ア(キ)j)か,又は村でデモ行進をし,スローガンを書いたサインボードを持って,それを叫びながら,政府関係の役所の前などで反政府のスローガンを大声で叫んだりしていた(上記ア(シ)a)にすぎないのであって,国内各地でデモやストライキが発生する中で行われた小規模なデモの参加者の一人にすぎない原告について,それから20年以上が経過していた本件難民不認定処分の当時においてもなお,ミャンマー政府当局が反政府活動に従事する活動家として個別的に把握するなど特段の関心を寄せていたとは考え難い。次に,原告は,1994年(平成6年),中学校時代の恩師でARIFの中央執行委員会委員兼事務局長であるGと再会し,ARIFに対する情報提供活動に従事するようになったと認めることができる(上記(ア)⑤)が,原告がARIFに提供した情報は,ARIFが発行する雑誌である「月刊△△」に掲載されたものの,Gは,原告に不利益が及ぶことをおそれ,情報提供者である原告の名前は明らかにしていなかったこと(上記(ア)⑥)によれば,本件難民不認定処分の当時,ミャンマー政府当局が反政府活動に従事する活動家として原告を個別的に把握するなど特段の関心を寄せていたとは考え難い。さらに,原告は,平成18年8月2日,本邦に上陸した後,JAROに加入し,平成19年には,BRAJに加入し,情報と広報を担当し,平成20年には,その執行役員の一人となり,同年,BRAJを脱退した後は,個人でウェブサイトを開設し,ミャンマーにおけるロヒンギャ族の状況等に関する記事を掲載するなどしていたと認めることができる(上記(ア)⑩)が,原告のJARO及びBRAJにおける活動の具体的内容は明らかでない上,本件難民不認定処分の当時,ミャンマー政府当局が原告の本邦における活動を個別的に把握していたと認めるに足りる証拠はないのであって(原告が個人で開設していたウェブサイトには「※※※@yahoo.com」というメールアドレス及び「〈省略〉」という電話番号が掲出されていたが,「日本に電話連絡先を有する◎◎」というだけで原告を特定することができることを認めるに足りる証拠はない。),本件難民不認定処分の当時,ミャンマー政府当局が反政府活動に従事する活動家として原告を個別的に把握するなど特段の関心を寄せていたとは考え難い。そうすると,ミャンマーにおいては,ロヒンギャ族が,政府により国民と認められておらず,政府当局により厳しい移動の制限や強制労働の賦課,財物提供の強要,極めて広範な社会生活上の制限ないし差別的取扱いを受けていたという一般的事情のみではなく,原告の個別的事情をも踏まえてみても,本件難民不認定処分の当時,原告について,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも,理由のない身柄の拘束や拷問,虐待等を受けるなど生命若しくは身体の自由の侵害若しくは抑圧(又はこれに匹敵する基本的自由の重大な侵害若しくは抑圧)というべき迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在したと認めることはできず,原告が,自らがロヒンギャ族であること又はミャンマーにおいてARIFに対する情報提供活動をし,本邦においてロヒンギャ族の権利を主張する政治団体に所属するなどしていたことを理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有していたと認めることはできないのであって,本件難民不認定処分の当時,原告が難民に該当するものであったということはできない。
(4)  本件難民不認定処分の効力について
本件難民不認定処分の当時,原告が難民に該当するものであったということはできないことは,上記(3)ウ(イ)のとおりであるところ,原告は,自らの難民該当性のほかには本件難民不認定処分の違法事由を主張しておらず,本件難民不認定処分からはその他の違法をうかがうこともできない。したがって,本件難民不認定処分は適法な処分であり,これに無効事由が存在しないことも明らかである。
2  本件在特不許可処分の効力について
(1)  法務大臣は,難民認定の申請をした在留資格未取得外国人(入管法61条の2の2第1項柱書き参照)について,難民の認定をしない処分をするとき,又は定住者の在留資格の取得を許可しないときは,当該在留資格未取得外国人の在留を特別に許可すべき事情があるか否かを審査し,当該事情があると認めるときは,その在留を特別に許可することができる(同条2項)。そして,入管法61条の2の2第2項に規定する法務大臣の権限は地方入国管理局長に委任することができ(入管法69条の2,出入国管理及び難民認定法施行規則61条の2第13号),本件においては東京入管局長がその委任を受けている。
前提事実によれば,原告は,難民認定の申請をした在留資格未取得外国人であると認めることができ,東京入管局長は,法務大臣が原告に対して本件難民不認定処分をするに当たり,原告の在留を特別に許可すべき事情があるか否かを審査し,当該事情があると認めることはできないことから,本件在特不許可処分をしたものである。
そこで,在留資格未取得外国人の在留を特別に許可すべき事情があるか否かに関する法務大臣等の判断の性格及び同判断が違法となる場合について,検討する。
(2)  憲法は,日本国内における居住・移転の自由及び外国への移住の自由を保障する(22条)にとどまっており,外国人が本邦に入国し又は在留することについては何ら規定しておらず,国に対し外国人の入国又は在留を許容することを義務付ける規定も置いていない。このことは,国際慣習法上,国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく,特別の条約がない限り,外国人を自国内に受け入れるか否か,外国人を受け入れる場谷にはいかなる条件を付するかを,当該国家が自由に決定することができるものとされていることと,その考えを同じくするものであると解される。したがって,憲法上,外国人は,本邦に入国する自由を保障されていないことはもとより,本邦に在留する権利ないし引き続き在留することを要求し得る権利を保障されているものでもなく,入管法に基づく外国人在留制度の枠内においてのみ本邦に在留し得る地位を認められているにとどまるものと解すべきである(最高裁昭和50年(行ツ)第120号同53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁,最高裁昭和29年(あ)第3594号同32年6月19日大法廷判決・刑集11巻6号1663頁参照)。
そして,入管法61条の2の2第2項は,「当該在留資格未取得外国人の在留を特別に許可すべき事情」があると認めるときと規定するのみであり,文言上その要件を具体的に限定するものはなく,入管法上,法務大臣等が考慮すべき事項を掲げるなどしてその判断を覊束するような規定も存在しない。また,このような在留特別許可の許否の判断の対象となる者は,在留期間更新許可の許否の判断の場合が本邦に適法に在留している外国人であるのとは異なり,在留資格未取得外国人で難民に該当しないもの又は難民には該当するが同条1項各号の除外事由に該当し定住者の在留資格の取得を許可されないものであり,本来的には本邦に在留することを許されない外国人である。さらに,外国人の出入国管理は,国内の治安と善良な風俗の維持,保健・衛生の確保,労働市場の安定等の国益の保持を目的として行われるものであって,その性質上,広く情報を収集し,その分析を踏まえて,時宜に応じた専門的・政策的な判断を行うことが求められ,高度な政治的判断を要する場合もあり得るところである。
以上のことを総合勘案すれば,入管法61条の2の2第2項の規定に基づく在留特別許可の許否の判断は,法務大臣等の極めて広範な裁量に委ねられており,その裁量権の範囲は,在留期間更新許可の場合よりも更に広範であると解するのが相当であって,法務大臣等は,前述した外国人の出入国管理の目的である国内の治安と善良な風俗の維持,保健・衛生の確保,労働市場の安定等の国益の保持の見地に立って,当該外国人の在留の状況,特別に在留を求める理由の当否のみならず,国内の政治,経済,社会等の諸事情,国際情勢,外交関係,国際礼譲等の諸般の事情を総合的に勘案してその許否を判断する裁量を与えられていると解される。したがって,在留資格未取得外国人の在留を特別に許可すべき事情の有無に関する法務大臣等の判断が違法となるのは,その判断が全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるなど,法務大臣等に与えられた裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用した場合に限られる(前掲最高裁昭和53年10月4日大法廷判決参照)。
そこで,上記の判断の枠組みに従って,原告の在留を特別に許可すべき事情があると認めることはできないとした東京入管局長の判断がその裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したということができるか否かについて,次に検討する。
(3)  前提事実及び上記1(3)アの認定事実を踏まえ,上記の判断の枠組みに従って,本件在特不許可処分に関する諸事情についてみると,次のとおり指摘することができる。
ア 原告の入国の状況について
原告が平成18年8月2日に本邦に入国した際に所持していた旅券は,インドネシア政府から適式に発給されたものであるが,原告がブローカーに依頼して国籍その他の身分事項を偽って発給を受けたものであるから,有効ではない。したがって,原告は,有効な旅券又は乗員手帳を所持することなく,入管法3条1項1号の規定に違反して本邦に入ったものであって,入管法24条1号の退去強制事由(不法入国)に該当する。そして,原告の不法入国が,身分事項を偽って外形上有効な旅券の発給を受けそれを所持して本邦に入るという極めて巧妙な欺罔的手段によるものであり,その態様において我が国の出入国管理秩序を著しく侵害する非常に悪質なものであって,入管法違反の程度において重大であることからすると,このような入国の状況が在留特別許可の許否の判断に当たり重要な消極要素として考慮されることもやむを得ない。
イ 原告の在留の状況について
原告は,就労目的で本邦に上陸したものとはいえないが,所持金が少なくなってきたことから,RHQという難民を支援する組織に相談したものの,金銭面での支援を受けることはできなかったため,やむを得ず働くこととし,平成18年10月頃から,群馬県館林市内のペットボトル工場等で稼働していたのであり,原告の在留の状況は,資格等のない外国人の不法就労を禁止する入管法秩序に反するものといわざるを得ず,在留特別許可の許否の判断に当たり消極要素として考慮されることもやむを得ない。
ウ 原告を本国に送還するについての特段の支障について
原告は,ミャンマーで成育した者であり,ミャンマー語及びロヒンギャ語の読み書きや会話を何不自由なくすることができる。原告は,稼働能力を有する成人男性であり,ミャンマーの高等学校を卒業した後,ヤンゴン大学の英文科に入学し,家業のエビの養殖及び販売業を手伝っていた経験もある。ミャンマーには,原告の母,弟,3人の妹が暮らしており,弟は,漁船1隻と8エーカーの農場を所有している。これらの事情によれば,原告を本国であるミャンマーに送還するにつき特段の支障があるということはできない。
なお,ミャンマーでは,各家族ごとに家族票が作成され,出生,死亡,婚姻等による家族構成の変化,調査時に当該居住地に実際に居住していたか否か等が逐一記録されており,調査時に移動制限に違反して当局の許可なく移動していた場合などには,家族票からその者の情報が削除され,その者はその村に帰ることができなくなる(上記1(2)ア(イ)d)ところ,原告は,原告の家族の家族票から「1996年逃亡」として抹消されているが,調査時に移動制限に違反して当局の許可なく移動していた場合にも,調査担当者等に「罰金」を支払って見逃してもらうという便法があることからすると,上記抹消の事実は,必ずしも原告を本国に送還するについての支障にはならない。
(4)  以上によれば,原告には,本件在特不許可処分の当時,在留特別許可の許否の判断に当たり消極要素として考慮されることもやむを得ない事情があり,その一方で,原告が原告の家族の家族票から抹消されていることのほかには重要な積極要素として考慮され得る事情は見当たらないのであって,上記各事情を総合考慮しても,本件在特不許可処分において原告に対し在留特別許可を付与しなかった東京入管局長の判断が,全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるなど,その裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したということはできない。
(5)  原告の主張について
原告は,自らが難民に該当することを前提として,東京入管局長は,原告に対し在留特別許可を付与する義務を負っていたのに,誤って本件在特不許可処分をしたものであり,本件在特不許可処分は,難民条約33条1項及び拷問等禁止条約3条1項に定めるノンルフールマン原則に違反し,法務大臣等に与えられた裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用してしたものである旨を主張する。
難民条約32条1項の規定は,締約国が,一定の場合を除くほか,合法的にその領域内にいる難民を追放することを禁止しており,33条1項の規定は,締約国が,難民を,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還することを禁止している。拷問等禁止条約3条1項の規定は,締約国が,いずれの者をも,その者に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある他の国へ追放し,送還し又は引き渡すことを禁止している。入管法は,退去強制を受ける者の送還先には,難民条約33条1項に規定する領域の属する国及び拷問等禁止条約3条1項に規定する国を含まないものとしており(53条3項),これらの定めはノンルフールマン原則と総称されている。
そして,難民条約33条1項の規定は,追放等の対象者が難民に該当することを前提とするものであるところ,上記1(3)ウ(イ)のとおり,本件難民不認定処分(本件在特不許可処分)の当時,原告が難民に該当するものであったということはできない。また,上記1(3)ウ(イ)によれば,本件在特不許可処分の当時,原告をミャンマーに送還すれば原告に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があったということはできないのであり,原告をミャンマーに送還することは拷問等禁止条約3条1項に違反するものではない。そうすると,原告をミャンマーに送還することはノンルフールマン原則に違反するものではないのであって,原告の上記主張はその前提を欠くものである。
(6)  原告は,本件在特不許可処分の違法事由を他に主張しておらず,本件在特不許可処分からはその他の違法をうかがうこともできない。したがって,本件在特不許可処分は適法な処分であり,これに無効事由が存在しないことも明らかである。
3  本件退令処分の適否について
(1)  入管法上,難民認定の申請をした在留資格未取得外国人については,その在留資格に係る許否は,在留特別許可の許否を含め,難民認定手続の中で判断され(61条の2の2),在留資格未取得外国人で仮滞在の許可を受けていないものに対する退去強制手続には,入管法50条1項の規定は適用されない(61条の2の6第4項)ところ,前提事実によれば,原告は,在留資格未取得外国人で仮滞在の許可を受けていないものに該当するから,原告に対する退去強制手続には,入管法50条1項の規定は適用されず,入管法49条1項の規定による異議の申出に対する裁決においては在留特別許可の許否についての判断はされない。前提事実によれば,原告には入管法24条1号所定の退去強制事由(不法入国)が認められ,本件裁決に固有の瑕疵が存することもうかがえないから,原告の入管法49条1項の規定による異議の申出に理由がないとした本件裁決は適法である。
そして,主任審査官は,法務大臣等から異議の申出に理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは,速やかに当該容疑者に対し,その旨を知らせるとともに,入管法51条の規定による退去強制令書を発付しなければならない(入管法49条6項)のであって,東京入管主任審査官は,東京入管局長から本件裁決の通知を受けた以上,速やかに原告に対し,退去強制令書を発付しなければならず,これを発付するか否かについての裁量を有するものではなかったのであるから,本件裁決が適法である以上,本件退令処分もまた適法である。
(2)  原告の主張について
ア 原告は,自らが難民に該当することを前提として,原告の送還先をミャンマーとする本件退令処分は,難民条約33条1項,拷問等禁止条約3条1項及び入管法53条3項に違反し違法である旨を主張する。
しかし,難民条約33条1項の規定は,追放等の対象者が難民に該当することを前提とするものであるところ,上記1(3)ウ(イ)によれば,本件退令処分の当時,原告が難民に該当するものであったということはできない。また,上記1(3)ウ(イ)によれば,本件退令処分の当時,原告をミャンマーに送還すれば原告に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があったということはできないのであり,原告をミャンマーに送還することは拷問等禁止条約3条1項及び入管法53条3項に違反するものではない。したがって,原告の上記主張は失当である。
イ 原告は,そもそも,ミャンマー政府からミャンマー国籍を否定され,ミャンマー政府の発給に係る国民登録証や旅券を所持しない無国籍者であるから,入管法53条1項の規定により原告をミャンマーに送還すること自体が違法である旨を主張する。
しかし,原告は,1970年(昭和45年)○月○日にミャンマーで出生し,1996年(平成8年)に出国するまでミャンマーに居住していたものであるところ,① 原告は,難民認定申請書においては,自らの国籍をミャンマーとしていたこと(上記1(3)ア(ウ)a),② 原告は,平成19年4月23日に行われた違反調査において,原告の両親はミャンマーの国民登録をしており,自分はミャンマー国籍を有していると考えているので,ミャンマー政府は国民登録を認めてくれないが,入管の手続ではミャンマー国籍を有しているものとして取り扱ってほしいと供述していたこと(上記1(3)ア(エ)b及びc),③ ミャンマー政府が原告又はその家族に対し退去強制等の措置を執ったことは,本件全証拠によってもこれを認めるに足りず,かえって,原告(及びその父)は,バングラデシュにエビを売りに行く商売をしていた際,国境警備管理局に金銭を払い,1週間以内の出国が許されるボーダーパスの発行を受け,バングラデシュとの間を行き来していたこと(上記1(3)ア(キ)f)によれば,原告及びその家族は,ミャンマー政府からミャンマー国内に居住することを不法とはされていなかったことがうかがわれることに,④ 1982年(昭和57年)に制定されたミャンマーの国籍法は,「国民」の意義について,「カチン,カヤー,カレン,チン,ビルマ,モン,ラカイン,シャンなどの諸民族及び西暦1823年以前から国内に永住の地として定住していた諸民族は,ミャンマー国民である」,「国家評議会は,いかなる諸民族が国民であるか否かを決定することができる」と規定しており,国家評議会は,ロヒンギャ族をミャンマー国民である「諸民族」であると決定していないが,その一方で,1982年国籍法は,「国民である両親を持つ全ての国民と人民は,生まれながらにして国民である」,「この法律の発効日時点で既に国民であった者は,国民である」とも規定していること(甲1)をも併せ考えると,原告はミャンマー国籍を有するものであると認めることも十分に可能であって,原告の送還先をミャンマーとした本件退令処分は入管法53条1項の規定に違反するものではないというべきである。
また,仮に原告がミャンマー国籍を有するものではないとすると,入管法53条1項の規定により,原告の送還先をミャンマーとすることはできないこととなり,かつ,原告は,ミャンマーに送還されることを希望していない(上記1(3)ア(サ)d)が,同条2項の規定が本人の希望により送還先を決定することとしているのは,国籍又は市民権の属する国以外の国を送還先に決定する場合には,本人の希望を聴いた上,最も適当な送還先を決定するのが相当であるためであり,本人が希望しない国を送還先と指定することを禁止する趣旨までは含まれていないから,原告がミャンマーに送還されることを希望していないからといって,直ちに原告の送還先をミャンマーとすることができなくなるものではない。そして,原告が,ミャンマーで出生し,1996年(平成8年)に出国するまでミャンマーに居住していたものであることは,上記のとおりであって,ヤカイン州には,原告の母,弟,3人の妹が暮らしており(上記1(3)ア(サ)b),その一方で,インドネシアには,原告の妻及び子がいるが,原告は,インドネシア政府が発給した旅行証を所持しておらず(なお,原告が平成18年8月2日に本邦に入国した際に所持していたインドネシア政府の発給に係る旅券は,原告がブローカーに依頼して不正に入手した他人名義の旅券であり(上記1(3)ア(ク)d),有効なものではない。),インドネシアに渡航することができない(上記1(3)ア(サ)a)上,原告は,身分事項を偽り,インドネシアに不法滞在していたものにすぎず(上記1(3)ア(ア)),原告とインドネシアとの結び付きは強固なものということができないのであって,これらの事情によれば,原告の送還先として最も適当であるのは,「本邦に入国する前に居住していたことのある国」であるミャンマーであるということができるから,入管法53条2項2号の規定により,原告の送還先をミャンマーとすることができることとなる。
なお,ミャンマー政府がロヒンギャ族である原告の受入れを拒否した場合には,本件退令書の送還部分は執行不能であることとなるが,入管法52条5項が,入国警備官は,退去強制を受ける者を直ちに本邦外に送還することができないときは,送還可能のときまで,その者を入国者収容所等に収容することができると定め,同条6項が,入国者収容所長又は主任審査官は,前項の場合において,退去強制を受ける者を送還することができないことが明らかになったときは,必要と認める条件を附して,その者を放免することができると定めていることによれば,入管法は,送還することができない国を送還先に指定して退去強制令書を発付することを予定していると解されるのであって(上記収容及び放免(いわゆる特別放免)は,いずれも,退去強制令書の効力を前提とする措置であり,その執行の一態様であると解され,その後,送還可能となれば当該退去強制令書に基づいて送還がされることとなる。),送還先に指定した国に送還することができないことは,退去強制令書発付処分の違法事由となるものではないというべきである。
(3)  原告は,本件退令処分の違法事由を他に主張しておらず,本件退令処分からはその他の違法をうかがうこともできない。したがって,本件退令処分は適法な処分である。
4  本件難民不認定処分後の事情について
なお,ヤカイン州北部では,仏教徒であるヤカイン族とイスラム教徒であるロヒンギャ族等との間の対立が高まり,2012年(平成24年)6月,仏教徒がロヒンギャ族等の村を焼き討ちなどする暴動が起こり,同年10月にも,武器を携行した仏教徒がロヒンギャ族等の村を焼き討ちし,その居住地から追放するなどしたこと(上記1(2)ア(ウ)),及び,原告は,平成24年,再度BRAJに加入し,その事務局長となり,同年12月には,ミャンマー大使館の前において抗議行動を行ったこと(上記1(3)ア(セ))を認めることができるが,これらの事情は,いずれも,本件難民不認定処分,本件在特不許可処分及び本件退令処分がされた後の事情であるから,これらの処分の適否に影響を及ぼすものではない。これらの事情は,原告が新たな難民認定申請をした場合に初めて原告の難民該当性の判断の基礎となるものである。
第4  結論
よって,原告の請求はいずれも理由がないから,これらを棄却することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 川神裕 裁判官 内野俊夫 裁判官 佐野義孝)

 

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政治と選挙の裁判例「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 議員 政治家」に関する裁判例一覧
(1)平成26年 9月25日 東京地裁 平21(ワ)46404号・平22(ワ)16316号 損害賠償(株主代表訴訟)請求事件(第2事件)、損害賠償(株主代表訴訟)請求事件(第3事件)
(2)平成26年 9月17日 知財高裁 平26(行ケ)10090号 審決取消請求事件
(3)平成26年 9月11日 大阪高裁 平26(行コ)79号・平26(行コ)123号 政務調査費返還請求控訴事件、同附帯控訴事件
(4)平成26年 9月11日 知財高裁 平26(行ケ)10092号 審決取消請求事件
(5)平成26年 9月10日 大阪地裁 平24(行ウ)78号・平25(行ウ)80号・平26(行ウ)65号 行政財産使用不許可処分取消等請求事件・組合事務所使用不許可処分取消等請求事件
(6)平成26年 9月10日 大阪地裁 平24(行ウ)49号・平24(ワ)4909号・平25(行ウ)75号・平26(行ウ)59号 建物使用不許可処分取消等請求事件、建物明渡請求事件、使用不許可処分取消等請求事件 〔大阪市役所組合事務所使用不許可処分取〕
(7)平成26年 9月 3日 東京地裁 平25(行ウ)184号 政務調査費返還請求事件
(8)平成26年 8月 8日 東京地裁 平25(行ウ)590号 難民不認定処分取消請求事件
(9)平成26年 7月25日 東京地裁 平25(行ウ)277号 難民の認定をしない処分等取消請求事件
(10)平成26年 7月16日 東京地裁 平25(行ウ)259号 難民不認定処分取消等請求事件
(11)平成26年 7月11日 札幌地裁 平22(行ウ)42号 政務調査費返還履行請求事件
(12)平成26年 6月12日 東京地裁 平25(ワ)9239号・平25(ワ)21308号・平25(ワ)21318号 損害賠償請求本訴事件(本訴)、損害賠償請求反訴事件(反訴)
(13)平成26年 5月21日 横浜地裁 平19(ワ)4917号・平20(ワ)1532号 損害賠償等請求事件
(14)平成26年 5月14日 名古屋地裁 平22(ワ)5995号 損害賠償請求事件 〔S社(思想信条)事件〕
(15)平成26年 4月 9日 東京地裁 平24(ワ)33978号 損害賠償請求事件
(16)平成26年 3月26日 大阪地裁 平22(行ウ)27号・平23(行ウ)77号 政務調査費返還請求事件(住民訴訟)
(17)平成26年 3月25日 東京地裁 平25(ワ)18483号 損害賠償請求事件
(18)平成26年 3月18日 大阪高裁 平25(行コ)149号 政務調査費違法支出不当利得返還命令請求控訴事件
(19)平成26年 3月11日 東京地裁 平25(ワ)11889号 損害賠償等請求事件
(20)平成26年 2月26日 東京地裁 平24(ワ)10342号 謝罪広告掲載等請求事件
(21)平成26年 2月21日 東京地裁 平25(行ウ)52号 難民の認定をしない処分等取消請求事件
(22)平成26年 2月21日 宮崎地裁 平25(ワ)276号 謝罪放送等請求事件
(23)平成26年 1月31日 東京地裁 平24(行ウ)146号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(24)平成26年 1月30日 大阪高裁 平25(行コ)40号 政務調査費違法支出金返還請求控訴事件
(25)平成26年 1月16日 名古屋地裁 平23(行ウ)68号 愛知県議会議員政務調査費住民訴訟事件
(26)平成25年12月25日 東京高裁 平25(行ケ)83号 選挙無効事件
(27)平成25年12月25日 広島高裁松江支部 平25(行ケ)1号 選挙無効請求事件
(28)平成25年12月24日 東京地裁 平24(行ウ)747号 難民不認定処分取消請求事件
(29)平成25年12月20日 東京高裁 平25(行ケ)70号・平25(行ケ)71号・平25(行ケ)72号・平25(行ケ)73号・平25(行ケ)74号・平25(行ケ)75号・平25(行ケ)76号・平25(行ケ)77号・平25(行ケ)78号・平25(行ケ)79号・平25(行ケ)80号 各選挙無効請求事件
(30)平成25年12月20日 仙台高裁 平25(行ケ)2号・平25(行ケ)3号・平25(行ケ)4号・平25(行ケ)5号・平25(行ケ)6号
(31)平成25年12月19日 東京地裁 平24(行ウ)59号 懲戒処分取消等請求事件
(32)平成25年12月18日 名古屋高裁 平25(行ケ)1号・平25(行ケ)2号・平25(行ケ)3号 選挙無効請求事件
(33)平成25年12月16日 名古屋高裁金沢支部 平25(行ケ)2号・平25(行ケ)3号・平25(行ケ)4号 選挙無効請求事件
(34)平成25年12月12日 東京地裁 平24(行ウ)719号 裁決取消等請求事件
(35)平成25年12月 6日 札幌高裁 平25(行ケ)1号 参議院議員選挙無効請求事件
(36)平成25年12月 5日 広島高裁 平25(行ケ)3号 選挙無効請求事件
(37)平成25年12月 3日 東京地裁 平24(行ウ)423号 難民不認定処分取消請求事件
(38)平成25年11月28日 広島高裁岡山支部 平25(行ケ)1号 選挙無効請求事件
(39)平成25年11月20日 最高裁大法廷 平25(行ツ)226号 選挙無効請求事件
(40)平成25年11月20日 最高裁大法廷 平25(行ツ)209号・平25(行ツ)210号・平25(行ツ)211号 選挙無効請求事件 〔平成24年衆議院議員総選挙定数訴訟大法廷判決〕
(41)平成25年11月19日 東京地裁 平24(行ウ)274号 難民の認定をしない処分無効確認等請求事件
(42)平成25年11月18日 福岡地裁 平19(行ウ)70号 政務調査費返還請求事件
(43)平成25年11月15日 東京地裁 平24(行ウ)753号 難民不認定処分無効確認等請求事件
(44)平成25年11月 8日 盛岡地裁 平24(ワ)319号 損害賠償請求事件
(45)平成25年10月21日 東京地裁 平24(ワ)2752号 損害賠償請求事件
(46)平成25年10月16日 東京地裁 平23(行ウ)292号 報酬返還請求事件
(47)平成25年10月 4日 東京地裁 平24(行ウ)76号・平24(行ウ)77号・平24(行ウ)78号・平24(行ウ)79号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(48)平成25年10月 2日 東京地裁 平23(行ウ)657号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(49)平成25年 9月26日 大阪高裁 平25(行コ)82号・平25(行コ)114号 不当利得返還等請求行為請求控訴、同附帯控訴事件
(50)平成25年 8月27日 東京地裁 平24(行ウ)647号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(51)平成25年 8月23日 東京地裁 平24(行ウ)90号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(52)平成25年 8月 5日 東京地裁 平25(ワ)8154号 発信者情報開示請求事件
(53)平成25年 7月30日 東京地裁 平24(行ウ)427号・平25(行ウ)224号 難民不認定処分取消請求事件、追加的併合請求事件
(54)平成25年 7月26日 静岡地裁 平21(行ウ)19号 不当利得返還請求権行使請求事件
(55)平成25年 7月23日 東京地裁 平24(行ウ)393号 難民の認定をしない処分等取消請求事件
(56)平成25年 7月 4日 名古屋高裁 平25(行コ)18号 議員除名処分取消等請求控訴事件
(57)平成25年 7月 3日 名古屋高裁金沢支部 平24(行コ)16号 政務調査費返還請求控訴事件
(58)平成25年 6月19日 横浜地裁 平20(行ウ)19号 政務調査費返還履行等代位請求事件
(59)平成25年 6月 4日 東京高裁 平24(行コ)350号 政務調査費返還履行請求控訴事件
(60)平成25年 5月29日 広島地裁 平23(ワ)1500号 損害賠償等請求事件
(61)平成25年 5月15日 東京地裁 平23(行ウ)697号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(62)平成25年 4月11日 東京地裁 平24(行ウ)115号・平24(行ウ)127号・平24(行ウ)128号・平24(行ウ)129号・平24(行ウ)130号・平24(行ウ)614号・平24(行ウ)620号・平24(行ウ)621号・平24(行ウ)622号・平24(行ウ)623号 在留特別許可をしない処分取消等請求事件、在留特別許可をしない処分無効確認請求事件
(63)平成25年 4月11日 東京地裁 平23(行ウ)757号・平24(行ウ)1号・平24(行ウ)2号・平24(行ウ)3号・平24(行ウ)4号・平24(行ウ)5号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(64)平成25年 3月28日 京都地裁 平20(行ウ)10号 不当利得返還等請求行為請求事件
(65)平成25年 3月26日 東京高裁 平24(行ケ)26号・平24(行ケ)27号・平24(行ケ)28号・平24(行ケ)29号・平24(行ケ)30号・平24(行ケ)31号・平24(行ケ)32号 各選挙無効請求事件
(66)平成25年 3月25日 広島高裁 平24(行ケ)4号・平24(行ケ)5号 選挙無効請求事件
(67)平成25年 3月19日 東京地裁 平24(ワ)11787号 損害賠償請求事件
(68)平成25年 3月14日 名古屋高裁 平24(行ケ)1号・平24(行ケ)2号・平24(行ケ)3号・平24(行ケ)4号 選挙無効請求事件
(69)平成25年 3月14日 東京地裁 平23(行ウ)63号 選挙権確認請求事件 〔成年被後見人選挙件確認訴訟・第一審〕
(70)平成25年 3月 6日 東京高裁 平24(行ケ)21号 選挙無効請求事件
(71)平成25年 2月28日 東京地裁 平22(ワ)47235号 業務委託料請求事件
(72)平成25年 2月20日 宇都宮地裁 平23(行ウ)13号 政務調査費返還請求事件
(73)平成25年 2月15日 福岡地裁 平23(行ウ)25号 教育振興費補助金支出取消等請求事件
(74)平成25年 1月29日 岡山地裁 平22(行ウ)15号 不当利得返還請求事件
(75)平成25年 1月21日 東京地裁 平24(ワ)2152号 謝罪広告掲載要求等請求事件
(76)平成25年 1月18日 東京地裁 平23(行ウ)442号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(77)平成25年 1月16日 東京地裁 平23(行ウ)52号 難民不認定処分取消請求事件
(78)平成25年 1月16日 大阪地裁 平19(行ウ)135号 不当利得返還等請求事件
(79)平成24年12月 7日 最高裁第二小法廷 平22(あ)957号 国家公務員法違反被告事件
(80)平成24年12月 7日 最高裁第二小法廷 平22(あ)762号 国家公務員法違反被告事件
(81)平成24年11月20日 東京地裁 平22(行ウ)563号 難民不認定処分取消請求事件
(82)平成24年11月 2日 東京地裁 平23(行ウ)492号 難民不認定処分取消等請求事件
(83)平成24年10月18日 大阪地裁 平22(行ウ)160号 政務調査費返還(住民訴訟)請求事件
(84)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)95号 選挙無効請求事件
(85)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)72号 選挙無効請求事件
(86)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)65号 選挙無効請求事件
(87)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)64号 選挙無効請求事件
(88)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)59号 選挙無効請求事件
(89)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)52号 選挙無効請求事件
(90)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)51号 選挙無効請求事件 〔参議院議員定数訴訟・大法廷判決〕
(91)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)179号
(92)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)174号 参議院議員選挙無効請求事件
(93)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)171号 選挙無効請求事件
(94)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)155号 選挙無効請求事件
(95)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)154号 選挙無効請求事件
(96)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)153号 選挙無効請求事件
(97)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)135号 選挙無効請求事件
(98)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)133号 選挙無効請求事件
(99)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)132号 選挙無効請求事件
(100)平成24年10月17日 最高裁大法廷 平23(行ツ)131号 選挙無効請求事件


政治と選挙の裁判例(裁判例リスト)

■「選挙 コンサルタント」に関する裁判例一覧【1-101】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-consultant/

■「選挙 立候補」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-rikkouho/

■「政治活動 選挙運動」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seijikatsudou-senkyoundou/

■「公職選挙法 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kousyokusenkyohou-poster/

■「選挙 ビラ チラシ」に関する裁判例一覧【1~49】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-bira-chirashi/

■「政務活動費 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seimu-katsudouhi-poster/

■「演説会 告知 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/senkyo-seiji-enzetsukai-kokuchi-poster/

■「公職選挙法 ポスター 掲示交渉」に関する裁判例一覧【101~210】
https://www.senkyo.win/kousyokusenkyohou-negotiate-put-up-poster/

■「政治ポスター貼り 公職選挙法 解釈」に関する裁判例一覧【211~327】
https://www.senkyo.win/political-poster-kousyokusenkyohou-explanation/

■「公職選挙法」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kousyokusenkyohou/

■「選挙 公報 広報 ポスター ビラ」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/senkyo-kouhou-poster-bira/

■「選挙妨害」に関する裁判例一覧【1~90】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-bougai-poster/

■「二連(三連)ポスター 政党 公認 候補者」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-2ren-3ren-poster-political-party-official-candidate/

■「個人(単独)ポスター 政党 公認 候補者」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kojin-tandoku-poster-political-party-official-candidate/

■「政党 公認 候補者 公募 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-political-party-official-candidate-koubo-poster/

■「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 議員 政治家」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokuji-kouji-kouei-kousetsu-keijiban-poster-political-party-politician/

■「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 公報 広報」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokuji-kouji-kouei-kousetsu-keijiban-poster-political-party-campaign-bulletin-gazette-public-relations/

■「国政政党 地域政党 二連(三連)ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokusei-seitou-chiiki-seitou-2ren-3ren-poster/

■「国政政党 地域政党 個人(単独)ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokusei-seitou-chiiki-seitou-kojin-tandoku-poster/

■「公認 候補者 公募 ポスター 国政政党 地域政党」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-official-candidate-koubo-poster-kokusei-seitou-chiiki-seitou/

■「政治団体 公認 候補者 告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-political-organization-official-candidate-kokuji-kouji-kouei-kousetsu-keijiban-poster/

■「政治団体 後援会 選挙事務所 候補者 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-political-organization-kouenkai-senkyo-jimusho-official-candidate-poster/

■「政党 衆議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-shuugiin-giin-poster/

■「政党 参議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-sangiin-giin-poster/

■「政党 地方議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-chihou-giin-poster/

■「政党 代議士 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-daigishi-giin-poster/

■「政党 ポスター貼り ボランティア」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-poster-hari-volunteer/

■「政党 党員 入党 入会 獲得 募集 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-touin-nyuutou-nyuukai-kakutoku-boshuu-daikou/

■「政治団体 党員 入党 入会 獲得 募集 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seiji-dantai-nyuutou-nyuukai-kakutoku-boshuu-daikou/

■「後援会 入会 募集 獲得 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kouenkai-nyuukai-boshuu-kakutoku-daikou/


■選挙の種類一覧
選挙①【衆議院議員総選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙②【参議院議員通常選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙③【一般選挙(地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙④【特別選挙(国政選挙|地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)


【資料】政治活動用事前街頭ポスター新規掲示交渉実績一覧【PRドットウィン!】選挙,ポスター,貼り,代行,ポスター貼り,業者,選挙,ポスター,貼り,業者,ポスター,貼り,依頼,タウン,ポスター,ポスター,貼る,許可,ポスター,貼ってもらう,頼み方,ポスター,貼れる場所,ポスター,貼付,街,貼り,ポスター,政治活動ポスター,演説会,告知,選挙ポスター,イラスト,選挙ポスター,画像,明るい選挙ポスター,書き方,明るい選挙ポスター,東京,中学生,選挙ポスター,デザイン


(1)政治活動/選挙運動ポスター貼り ☆祝!勝つ!広報活動・事前街頭(単独/二連)選挙ポスター!
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(6)握手代行/戸別訪問/ご挨拶回り 御用聞きによる戸別訪問型ご挨拶回り代行をいたします!
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(7)地域密着型ポスターPR広告貼り 地域密着型ポスターPR広告(街頭外壁掲示許可交渉代行)
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【対応可能な業種リスト|名称一覧】地域密着型ポスターPR広告(街頭外壁掲示許可交渉代行)貼り「ガンガン注目される訴求型PRポスターを貼りたい!」街頭外壁掲示ポスター新規掲示プランです。

(8)貼る専門!ポスター新規掲示! ☆貼!勝つ!広報活動・事前街頭(単独/二連)選挙ポスター!
政治活動/選挙運動ポスター貼り 勝つ!選挙広報支援事前ポスター 1枚から貼る事前選挙ポスター!
「政治活動・選挙運動ポスターを貼りたい!」という選挙立候補(予定)者のための、選挙広報支援プロ集団「選挙.WIN!」の事前街頭ポスター新規掲示プランです。

(9)選挙立札看板設置/証票申請代行 絶対ここに設置したい!選挙立札看板(選挙事務所/後援会連絡所)
選挙事務所/後援会連絡所届出代行 公職選挙法の上限/立て札看板設置 1台から可能な選挙立札看板設置
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