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政治と選挙Q&A「国政政党 地域政党 政治塾 政経塾 個人(単独)ポスター掲示(貼り)交渉代行」に関する裁判例(75)平成19年11月21日 大阪地裁 平17(行ウ)54号 難民不認定処分取消等請求事件

政治と選挙Q&A「国政政党 地域政党 政治塾 政経塾 個人(単独)ポスター掲示(貼り)交渉代行」に関する裁判例(75)平成19年11月21日 大阪地裁 平17(行ウ)54号 難民不認定処分取消等請求事件

裁判年月日  平成19年11月21日  裁判所名  大阪地裁  裁判区分  判決
事件番号  平17(行ウ)54号
事件名  難民不認定処分取消等請求事件
裁判結果  請求棄却  上訴等  控訴  文献番号  2007WLJPCA11218004

要旨
◆ミャンマー旧政権につながる名家出身であることを理由に現政権から迫害を受けるおそれがあるとしてされた難民認定申請につき、そのような係累の存在が確認できないとして却下した処分には事実の誤認があるが、結論においては適法であるとされた事例
◆ミャンマー連邦国籍を有する外国人である原告が、法務大臣から原告の申立ては証明されず、また申請が入管法所定の期間を経過してされたとして難民不認定処分及びこれに対する異議申出を棄却する裁決を受けたことから、上記処分及び裁決の取消しを求めた事案において、原告はウ・タント元国連事務総長の親族であるとは認められるものの、このこと自体からミャンマー政府から迫害を受けるとはいえず、原告の難民該当性を否定して、原告の請求をいずれも棄却した事例

出典
判タ 1273号139頁

参照条文
出入国管理及び難民認定法2条3号の2(平16法73改正前)
出入国管理及び難民認定法61条の2(平16法73改正前)
難民の地位に関する条約1条
難民の地位に関する条約32条
難民の地位に関する条約33条
難民の地位に関する議定書1条

裁判年月日  平成19年11月21日  裁判所名  大阪地裁  裁判区分  判決
事件番号  平17(行ウ)54号
事件名  難民不認定処分取消等請求事件
裁判結果  請求棄却  上訴等  控訴  文献番号  2007WLJPCA11218004

大阪市〈以下省略〉
原告 X
同訴訟代理人弁護士 小切間俊司
同 伊賀恵
東京都千代田区〈以下省略〉
被告 国
同代表者(処分行政庁) 法務大臣鳩山邦夫
同指定代理人 山口浩
同 松田喜久
同 谷口道子
同 濱本英行
同 井上裕史
同 近藤寛
同 下茂真由
同 細谷謙治

 

 

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。
2  訴訟費用は,原告の負担とする。

 

 

事実及び理由

第1  請求
1  法務大臣が原告に対し平成15年11月20日付けでした難民不認定処分を取り消す。
2  法務大臣が原告に対し平成16年12月21日付けでした異議申出棄却裁決を取り消す。
第2  事案の概要
本件は,ミャンマー連邦(旧国名ビルマ連邦又はビルマ連邦社会主義共和国。以下単に「ミャンマー」という。)国籍を有する外国人である原告が,出入国管理及び難民認定法(昭和26年政令第319号。ただし,平成16年法律第73号による改正前のもの。以下「入管法」という。)に基づく難民認定申請を行ったところ,法務大臣から,原告の申立ては証明されず,またその申請は入管法61条の2第2項所定の期間を経過してされたものであるとして難民の認定をしない旨の処分(以下「本件処分」という。)を受けた上,これに対する異議申出を棄却する裁決(以下「本件裁決」という。)を受けたために,本件処分及び本件裁決の各取消しを求めた事案である。
1  関係法令等の規定
(1)  入管法2条3号の2は,難民とは,難民の地位に関する条約(昭和56年条約第21号。以下「難民条約」という。)1条の規定又は難民の地位に関する議定書(昭和57年条約第1号。以下「難民議定書」という。)1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうとし,難民条約1条A項(2)は,難民とは,西暦1951年1月1日前に生じた事件の結果として,かつ,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの等をいうとし,難民議定書1条2は,この議定書の適用上,難民とは,難民条約1条A項(2)が定める定義のうち,「西暦1951年1月1日前に生じた事件の結果として,かつ,」及び「これらの事件の結果として」との要件を除いた部分に該当するすべての者をいうとし,同条1は,同条2に定義する難民に対し,難民条約2条から34条までの規定を適用することを約束する旨規定している。
以上から,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないものは,入管法にいう難民に該当することとなる。
(2)  難民条約32条1項は,締約国は,国の安全又は公共の秩序を理由とする場合を除くほか,合法的にその領域内にいる難民を追放してはならないとし,同条2項は,前項に規定する難民の追放は,法律の定める手続に従って行われた決定によってのみ行い,その場合,難民は,追放される理由がないことを明らかにする証拠の提出並びに権限のある機関又はその機関が特に指名する者に対する不服の申立て及びこのための代理人の出頭を認められる旨規定する。また,同条約33条1項は,締約国は,難民を,いかなる方法によっても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならないとするが,同条2項は,締約国にいる難民であって,当該締約国の安全にとって危険であると認めるに足りる相当な理由があるもの又は特に重大な犯罪について有罪の判決が確定し当該締約国の社会にとって危険な存在となったものは,前項の規定による利益の享受を要求することができないと規定する。
(3)  入管法61条の2第1項は,法務大臣は,本邦にある外国人から法務省令で定める手続により申請があったときは,その提出した資料に基づき,その者が難民である旨の認定を行うことができるとし,同条2項は,前項の申請は,その者が本邦に上陸した日(本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあっては,その事実を知った日)から60日以内に行わなければならないが,やむを得ない事情があるときは,この限りではないとする。
2  前提となる事実等(当事者間に争いがないか,掲記の書証等によって容易に認定することができる。)
(1)  原告の在留経過等について
ア 原告は,1956(昭和31)年○月○日に出生した,ミャンマー国籍を有する外国人である。
イ 原告は,ミャンマー政府に申請して有効な旅券の発給を受けた上,昭和57年8月11日,大阪空港に到着し,同日,大阪入国管理局(以下「大阪入管」という。)大阪空港出張所入国審査官から,平成元年法律第79号による改正前の入管法(以下「旧法」という。)4条1項6号の2所定の在留資格「本邦の公私の機関により受け入れられて産業上の技術又は技能を習得しようとする者」(入管法別表第1の4所定の在留資格「研修」に相当する。以下「在留資格4-1-6-2」という。),在留期間6月の上陸許可を受けて本邦に上陸した。
原告は,昭和58年2月8日,同年8月5日及び昭和59年2月9日,それぞれ在留期間を6月とする在留期間更新の許可を受けて本邦に在留し続け,その間,神戸市中央区所在の「イワラジ貿易有限会社」(以下「イワラジ貿易」という。)において技術研修のかたわら中古車販売員として稼働した。
原告は,同年8月8日,本邦から香港に向けて出国した。
【乙11】
ウ 原告は,昭和59年8月11日,香港から大阪空港に到着し,同日,大阪入管大阪空港出張所入国審査官から,在留資格4-1-6-2及び在留期間3月の上陸許可を受けて本邦に上陸した。
原告は,同年10月16日及び昭和60年1月11日,それぞれ在留期間を3月とする在留期間更新の許可を受けて本邦に在留し続け,その間,イワラジ貿易において稼働した。
原告は,同年5月11日,本邦から出国してミャンマーに帰国した。
【乙11】
エ 原告は,昭和61年3月13日,バンコクから大阪空港に到着し,旧法4条1項4号所定の在留資格「観光,保養,スポーツ,親族の訪問,見学,講習又は会合の参加,業務連絡その他これらに類似する目的をもって,短期間本邦に滞在しようとする者」(入管法別表第1の3所定の在留資格「短期滞在」に相当する。以下「在留資格4-1-4」という。)及び在留期間15日の上陸許可を受けて本邦に上陸した。
原告は,同月17日,本邦から出国してミャンマーに帰国した。
【乙11】
オ 原告は,昭和62年1月,ミャンマーからバンコクに出国した後,同年4月11日,バンコクから成田空港に到着し,同日,東京入国管理局成田空港支局入国審査官から,在留資格4-1-4及び在留期間90日の上陸許可を受けて本邦に上陸した。
原告は,同年6月15日,日本人であるA(昭和33年○月○日生。以下「A」という。)との婚姻を届け出た。
原告は,同年7月9日,在留期間更新の申請をし,同月10日に不許可となったものの,同年10月14日,旧法4条1項16号所定の在留資格「前各号に規定する者を除くほか,法務省令で特に定める者」のうち「日本人の配偶者又は子」(入管法別表第2所定の在留資格「日本人の配偶者等」に相当する。以下「在留資格4-1-16-1」という。)及び在留期間1年の在留特別許可を受け,昭和63年9月19日には,在留期間を1年とする在留期間更新の許可を受けた。
原告は,同年12月31日,再入国許可を受けてバンコクに向けて出国した。
【乙1,4,11】
カ 原告は,昭和64年1月4日,成田空港に到着し,同日,東京入国管理局成田空港支局入国審査官から,再入国許可に基づく上陸許可を受けて本邦に上陸した。
原告は,平成元年9月26日,在留期間を1年とする在留期間更新の許可を受け(なお,原告の旅券の有効期限は平成2年1月30日に満了となった。),同年9月11日,入管法2条2項別表2の在留資格「日本人の配偶者等」及び在留期間を1年とする在留期間更新の許可を受け,平成4年4月6日,平成6年9月22日及び平成9年11月7日,いずれも在留期間を3年とする在留期間更新の許可を受けた。
しかしながら,Aは行方不明となり,原告は,平成10年5月から約2年間,日本人であるBと同居した。
キ 原告は,① 平成11年4月14日,神戸簡易裁判所において,窃盗罪により懲役1年,執行猶予3年,② 同年10月14日,神戸地方裁判所にて窃盗罪により懲役1年,執行猶予4年の各判決宣告を受け,それぞれ確定した。
原告は,平成12年10月12日,在留期間更新の申請をしたが,平成13年3月30日,同居・協力し,扶助を行う配偶者としての実態を有していないために「日本人の配偶者等」の在留資格に該当するとは認められないとして不許可となり,最終の在留期限である平成12年10月14日を超えて,本邦に不法に在留することとなった。
原告は,平成13年2月16日,神戸地方裁判所において,窃盗罪により懲役1年の実刑判決の宣告を受け,同年3月3日,同判決は確定し,執行猶予が取り消された前2犯の刑と併せて,神戸刑務所に服役した。
【乙3】
(2)  原告に対する入管法違反に係る調査について
ア 大阪入管神戸支局(以下「神戸支局」という。)入国警備官は,平成14年5月30日及び同年6月25日の両日,原告について,入管法24条4号ロ(不法残留)該当容疑で違反調査を行った。同支局入国審査官は,同年9月5日,原告に対する審査を行った上,原告が入管法24条4号ロに該当する旨の認定をした。これに対し,原告は口頭審理を請求したが,同支局特別審理官は,同年10月8日,口頭審理を実施した上,入国審査官の前記認定には誤りがない旨判定した。原告は,同日,法務大臣に対して異議の申出をした。なお,原告は,その際,不服の事由として,おおむね,ミャンマー政府は自分にとって危険であり,帰国すれば刑務所に入れられる,妻が帰ってきたら一緒に日本で暮らしたい,という趣旨のことを英語で記載した。【乙9,10,16】
イ 法務大臣から権限の委任を受けた大阪入管局長は,平成15年6月25日付けで原告の異議の申出は理由がない旨の裁決を行い,神戸支局主任審査官に通知した。同主任審査官は,同月30日付けで原告に上記裁決を告知するとともに,退去強制令書を発付した。神戸支局入国警備官は,同年7月2日,神戸刑務所から仮出獄の許可を得て出所する原告に対し,上記令書を執行して原告を神戸支局収容場に収容し,同月25日,同人を西日本入国管理センター(以下「西日本センター」という。)に移送した。
【乙23】
(3)  原告による難民認定申請について
ア 原告は,平成15年7月7日,法務大臣に対し,西日本センターにおいて,難民認定申請をした(以下「本件申請」という。)。原告は,本件申請に係る難民認定申請書(原告はすべてビルマ語で記入した。以下「本件申請書」という。)の「1 もしあなたが本国へもどれば迫害を受ける理由はつぎのどれですか。」という問いに対し,「政治的意見」「その他」と回答し,「2 あなた又はあなたの家族が上記の理由により逮捕,抑留,拘禁その他身体の拘束を受けたことがありますか。」という問いに対し,「はい」と回答した上,その具体的内容について,父が政治活動を理由に監禁されたり逮捕されたこと,ウ・ヌー元首相と親戚だという理由で父や兄が逮捕されたり,家屋の捜索や家族一人一人の取調べを受けたこと,等を挙げた。さらに,「3 上記1の迫害を受ける理由,根拠を具体的に書いてください。」という問いに対しては,軍事政権に対しては親戚ぐるみで反対していること,父が亡くなった後も兄達が政治活動を行っていること,在京ミャンマー大使館と原告との関係も険悪であること,などと回答した。原告は,「4 あなたは本国政府に敵対する組織に属していましたか。」との問いには「いいえ」と回答していたが,「5 あなたは本国政府に敵対する政治的意見を表明したり,行動をとったことがありますか。」との問いに対しては「はい」と答え,「ウ・タント騒動」の際に軍事政権に反対する言動を行ったり,1988(昭和63)年から1989(平成元)年にかけての「アウンサン・スーチー騒動」の際には妻と一緒にタイへ赴き,逃げてきた学生達のために薬品,資金,衣服などを支援したり,ミャンマー政府の参事官と激しい口論をした旨を記載した。また,「6 あなたが本国に帰国するとすれば,いかなる事態が生じますか。その具体的内容及び理由を書いてください。」との問いには,兄達が反政府活動を行っていることから,自分も間違いなく軍事政権当局に逮捕されて刑務所に入れられる,在日ミャンマー大使館とうまくいっていないために旅券の延長もしてもらえない,ミャンマーに残っている家族にも困難を与える,などと,「11 その他特別の事情があれば,具体的に書いてください。」との問いに対しては,ネ・ウィン首相の娘たちと幼いころから学校でうまく行かなかったことから生命の危険もある,などと各回答した。【乙26】
イ 大阪入管難民調査官は,平成15年8月13日及び同月15日の両日,原告から事情を聴取し,資料の提出を受けるなどして事実調査を行った。【乙27,28】
ウ 被告は,平成15年11月20日,本件申請に対し,同人を難民と認定しない処分(本件処分)をし,同年12月5日,原告に通知した。通知書に記載された本件処分の理由は,以下のとおりである。【甲2】
「 あなたは,「政治的意見」及び「その他」(親族に反政府活動家等がいること)を理由とした迫害を受けるおそれがあると申し立てています。
しかしながら,
① 元ミャンマー首相ウ・ヌー及び元国連事務総長ウ・タントがあなたの親族であるとは認められず,親族に反政府活動家がいることを理由としてあなたが政府から個別に把握されているとは認められないこと
② あなたのタイにおける反政府活動家への援助がミャンマー政府に把握されているとする申立ては,その事実を証明する資料の提出がないこと及びあなた自身今まで反政府活動を行ったことがない旨供述していることなどから,あなたの憶測の域を出ないこと
等からすると,申立てを裏付けるに足りる十分な証拠があるとは認め難く,難民の地位に関する条約第1条A(2)及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認められません。
また,あなたの難民認定申請は,出入国管理及び難民認定法第61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり,かつ,同項ただし書の規定を適用すべき事情も認められません。」
エ 原告は,平成15年12月8日,本件処分を不服として,法務大臣に対し異議の申出をした。不服の理由は,① 原告がウ・ヌー及びウ・タントと親戚であるのは間違いなく,ウ・ヌーの息子Cは原告の従兄弟であって,同人は現在も反政府活動を行っていること,② 原告が妻と共に1988年12月から1989年1月にかけてタイでアウンサン・スーチーのために活動している者を援助する活動を行ったのは間違いなく,原告は17年間本国に帰っていないが,帰国すれば軍事政権によって逮捕されて取り調べられるほか,生命の危険もあること,③ 妻と一緒に暮らしていて在留資格があるために安心しており,入国後60日以内に難民認定申請を行わなければならないとは知らなかったこと,などであった。【乙30】
オ 神戸支局難民調査官は,平成16年3月15日,原告から事情を聴取し,資料の提出を受けるなどして事実調査を行った。【乙31】
カ 法務大臣は,平成16年12月21日,本件処分に対する原告からの異議申出を棄却する旨の裁決(本件裁決)をし,平成17年1月6日,原告に通知した。通知書に記載された決定の理由は,以下のとおりである。
【甲1】
「 あなたの原処分に対する異議申出における申立ては,原処分において申し立てた内容とほぼ同旨を申し立てるものであって,全記録により検討しても原処分に誤りはなく,平成15年11月20日付け「通知書」の理由のとおり,あなたが難民の地位に関する条約第1条A(2)及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認められません。
また,あなたの難民認定申請は,出入国管理及び難民認定法第61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり,かつ,同項ただし書の規定を適用すべき事情も認められません。」
キ 原告は,平成17年3月25日,西日本センターから仮放免許可された。【甲24,乙32】
3  争点
本件における主要な争点は,① 原告が難民といえるか否か,② 本件申請が入管法61条の2第2項所定の期間を経過してされた不適法なものであるか否かの点であるところ,これに関する当事者双方の主張の要旨は,以下のとおりである。
(1)  争点1(原告の難民該当性)
(原告)
難民に該当するといえるためには,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由として迫害を受けるおそれがある十分な理由のある恐怖があることが要件となる。そして,難民認定を申請する者は,自国の当局に対して恐怖を有しており,自国の親類・知人の協力を得ることも困難であって,証拠を十分に収集することは到底不可能であるから,難民性の立証責任自体は申請者の側にあるとしても,申請者の説明が信ぴょう性を有すると思われるときは,反対の十分な理由がない限り,申請者に有利に認定されるべきである。
しかるところ,原告は,別表の家系図のとおり,その母方の祖父の義弟がウ・タント元国連事務総長,父の義兄がウ・ヌー元首相(なお,現政権は,ウ・ヌーから政権を奪取することによって樹立された。)であるが,両名はともに民主化の象徴となり得る存在であって,ミャンマー政権は,これらの者の親類が民主化運動を行ったり,その指導者として担ぎ出される可能性を懸念している。実際,別表記載のとおり,ウ・ヌーやウ・タントの親類の男性は,迫害を受けるおそれが大きいためにほぼ全員が国外に在住しており,原告の次兄らも反政府活動のために難民認定されている上,原告の父も反政府活動を行ったために財産を没収され,インセン刑務所に3か月間服役するなどしているのである。
これに対し,被告は,ウ・ヌーの息子であるCがミャンマー政府から死刑判決を受けたにもかかわらず同国に一時帰国することができた事実を指摘するが,この時は,ウ・ヌーがなお存命していたため,国際的な批判を避けるべく例外的に迫害しなかったにすぎない。
また,原告は,1974年(昭和49年)にウ・タントが死亡し,その遺体がミャンマーに送られてきた際,ネ・ウィン首相率いる当時の政権が国家としては同氏に対して特に葬儀の礼をとらない旨表明し,同氏の遺体を共同墓地へ運んだのに対し,同首相に反対する学生たちが,同氏を国葬にすべきだと主張し,同氏の遺体をラングーン大学の講堂へと運び出した上,これを民主化の象徴として掲げてデモや集会を開くに至った自然発生的な民主化運動(以下「ウ・タント騒動」という。)において,同大学の1回生としてこれに参加し,同大学最大の民主化運動団体ECの構成員となってデモを主導し,集会で演説を行い,講堂内にあったネ・ウィン首相の写真を引き下ろすなどした上,遺体を取り戻すために導入された軍隊の追跡を僧侶に変装して危うく逃れたこと,② ウ・タント騒動で逮捕を免れた学生たち約100名が,今後の民主化運動について論じるためシュエダゴン・パゴダで開いていた集会にも参加していたが,軍隊が同パゴダに侵入して学生らを逮捕した際に偶然その場にいなかったため難を逃れたこと,③ 1985(昭和60)年にミャンマーに帰国した際,空港における入国審査の際に軍人(MI)に呼び止められ,約5時間にわたって親戚や外国での行動内容のことなどを尋問され,所持品検査や全裸にされての身体検査をされ,写真フィルムや現金を没収されたこと,④ 1988(昭和63)年末に,配偶者とともにバンコクに赴き,そこでアウンサン・スーチーを支持する反政府勢力のメンバーと会って資金や物の援助をしたこと,⑤ 1989(平成元)年から1991(平成3)年ころにかけて,仕事上接するミャンマー人船員(ミャンマーでは特別な職業であり,軍人の子息など特権階級や現政権のスパイがなることも多かった。)に対して,アウンサン・スーチーや民主化に関するビデオを見せたり,これをタイで民主化運動をしている人たちに渡すよう依頼していたこと,⑥ 平成2年1月に原告の旅券の有効期限が徒過したため,在京ミャンマー大使館に対して電話で旅券の発給申請書を送付するよう依頼したにもかかわらず,大使館員から拒絶された上,原告を逮捕して帰国させる旨脅された経験があること,⑦ 原告が,現在も日本ビルマ救援センター(BRC-J)が主催する民主化運動に参加し,アウンサン・スーチーを激励するビラを大阪駅前で配布するなど反政府活動に関与していること,⑧ 原告が,ウ・ヌーの娘(原告の従姉妹)に当たるDとの電話で,しばしばタイにおける民主化運動や現政権への批判等を話題にしていること,などから明らかなように,ミャンマーの現政権に反対するとの政治的意見を有しており,かつ,そのことを同政権に把握されていることは明らかである。
これに対し,被告は,ミャンマー政府が原告による反政府活動を個別に把握しているとは認められない旨主張するが,上記③や⑥のような出来事に加え,ミャンマー政府が反政府運動の拠点として警戒し,多数の諜報員を送り込んでいるタイにおける原告の活動(上記④)や,特権階級やスパイが多く含まれる船員に対する反政府宣伝を目的とする原告の活動(上記⑤)を注視していないはずがなく,また,同国政府がアウンサン・スーチーと同様に民主化運動の象徴として担ぎ上げられる可能性があると警戒するDの電話(上記⑧)を盗聴していることはほぼ確実であること,などに照らすと,同国政府が原告の上記のような行動を把握しているであろうことは優に推認することができる。
次に,被告は,難民該当性についての原告の供述は変遷しているから信用できない旨主張するが,原告は,我が国でもほとんどビルマ語を使用して生活しており,刑務所での服役中に初めて読み書きを学び始めたことからも明らかなとおり,日本語での会話能力が乏しいところ,特別審理官らがその手続中で原告に日本語での会話能力があると判断した方法は,「はい」か「いいえ」の二者択一となるような,能力が低くても十分に回答できる質問をするというものであって,原告に具体的な文章を話させるような方法は採られていなかった。また,本件で問題になるのは,原告の難民性という,その説明にかなり高度な会話能力が必要となる事項であって,実際,原告は必要最小限のことしか話さなかった。よって,退去強制手続や難民認定手続における調書の記載は内容的に不十分かつ不正確であるから,その記述に変遷があったとしても,そのことによって供述内容の信用性が減殺されるなどとは考えられない(現に,原告の反政府活動についての公判廷における供述は一貫しており,主尋問,反対尋問を通じて一切変遷はない。)。
また,被告は,原告は特に近年においては反政府活動をほとんど行っていない旨主張するが,原告は,ミャンマー国内で民主化運動に対する弾圧が表面化するとともに,表だって反政府活動を行うことを危険だと認識するようになっただけであり,既に反政府活動を行っている以上,現政権にとっての危険性,ひいては迫害を受ける蓋然性に差異はないというべきである。
さらに,被告は,来日後も原告が度々ミャンマーに帰国していたことからすれば,原告に対する迫害のおそれは認められない旨主張するが,原告は,1988(昭和63)年にミャンマーで民主化運動が発生して以降は一度も帰国していないから,今後原告が帰国した場合にも現政権が原告を迫害するおそれがないとは到底いえないというべきである。
加えて,ミャンマーでは,国外で難民認定申請を行ったというだけで,治安を脅かし法と秩序の回復を妨げる行動をした罪などで逮捕されて刑務所に収容されているところ,本件申請については,ミャンマー政府が既にその存在を認識している可能性が大きい。
さらに,ミャンマーでは,その国民は有効な旅券を持たないまま帰国した場合,それだけで1947年ビルマ出入国管理法セクション13に基づいて勾留・投獄される可能性があるところ,上記のとおり,原告は同国から有効な旅券の発給を受けることができない。
そして,平成2年にDが,検閲を恐れてタイで投函した書簡中には,原告が帰国した場合,迫害を受けるおそれが極めて高いと記載されていたほか,甥(姉の息子)であるE(在シンガポール)から原告に届いた書簡にも,Dの書簡と同旨が記載されていた。
したがって,原告は,その血統,又は政治的意見等を理由として,ミャンマー政府当局から迫害を受けるというおそれを抱くのが相当といえるような客観的事情が存在し,かつ,原告が現にそのようなおそれを抱いていることも明らかである。
(被告)
ある者が難民であるためには,その者が,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を受けるおそれがあるという恐怖を有しており,かつ,通常人が同人の立場に置かれた場合にも同様の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要である。そして,① 一般的に,自らが便益を受ける処分についての主張立証責任は便益を受ける者が負うところ,難民認定申請は,申請人が自己の便益を受ける行為であること,② 難民認定手続については難民条約又は難民議定書には規定がなく,これらを締結した各国の立法政策にゆだねられており,我が国では入管法により規定されているところ,入管法61条の2第1項は,申請者の提出した資料に基づいて法務大臣がその者を難民と認定することができる旨規定し,同法61条の2の3第1項は,申請者の提出した資料のみでは適正な難民の認定ができないおそれがある場合等には,法務大臣が難民調査官に事実の調査をさせることができる旨規定しているなど,入管法上は難民認定申請者に難民該当性の主張立証が求められていると解されること,③ およそ難民該当性を基礎付ける事実は,本邦外での活動に関連することが多く,これらの事実の有無及びその内容について法務大臣が把握することは不可能であるから,それを直接体験した申請人が最もよく立証し得る立場にあること,などに照らすと,本件においても,難民該当性の主張立証責任は原告側にあることが明らかである。
これに対し,原告は,難民認定申請者の説明が信ぴょう性を有すると思われるときは,反対の十分な理由がない限り,申請者に有利に認定されるべきであるとするが,それが立証責任の転換を意味しているのであれば失当である上,原告にはミャンマー国外に居住している親族や,難民として認定された親族がいるとのことであるから,少なくとも原告に関し,資料収集が困難といった事情はない。かえって,迫害のおそれがないにもかかわらず単なる経済的な動機などから難民申請を行う者が多数存在していること,さらには,難民キャンプに国際的な過激組織の構成員が潜んでいるような場合も存在すること,等に照らすと,申請人の供述内容に信ぴょう性がなく客観的な裏付けもないような場合にまで,安易に難民該当性が認定されてはならないというべきである。
この点につき,まず,原告は,その親族関係から迫害のおそれが基礎づけられる旨主張するが,ウ・タントは,元国連事務総長であったというだけで,ミャンマーの現政権と直接敵対関係に立ったことはない上,1974(昭和49)年には死亡しているから,同人と親族関係があるというだけで,迫害を招くとは到底考えられない。また,ウ・ヌーは,1962(昭和37)年にクーデターが起きるまで首相を務めた後,一旦亡命したものの請われて帰国し,1988(昭和63)年ころからしばらく軟禁状態にあったものの,その後は迫害を受けていないと思われること,死刑判決を受けたその息子のCですら,ウ・ヌーに会うために一時帰国が許されたことからすれば,ウ・ヌーと親族関係にあることは,かえってむやみに迫害を受けるおそれがないことを基礎付ける事情というべきである。加えて,原告の次兄が難民として認定されているとの点についてみても,ヤンゴン(旧ラングーン。以下単にヤンゴンという。)のインセン刑務所に服役したことがあるという同人の事情と,原告の事情とは自ずから異なるから,この点だけで原告の難民性を根拠付けることはできない。
次に,原告は,ミャンマー情勢についてるる主張するが,同国内の一般的な人権状況が相当深刻であること,同国政府がある程度国外の民主化運動を把握している可能性があることは否定することができないものの,ミャンマー国外で民主化運動,反政府活動に参加している数万人に及ぶミャンマー人を同国政府がその政治的意見を理由として等しく迫害しようとしているとは考えられず,我が国で民主化団体に所属しているとしても,その団体の基本的運営方針を決する上で重要な役割を担っているわけではなく,あるいは,ミャンマー政府を批判するような政治デモに参加していても,大勢の参加者の一人として参加するにすぎないような者については,ミャンマーに帰国したとしても迫害される可能性はまずないと認められる上,本国ではさしたる政治活動をしておらず,外国で突然反政府的な活動を始めたような者についても,単に難民認定されてその国に在留することを目的としていることがミャンマー政府にも容易に分かることから,迫害の可能性はまずないと思料されるのである。こうした認識は,1992年から1996年までの4年間,国連人権委員会ミャンマー担当特別報告者として活動していたF中央大学法科大学院教授や,我が国で難民認定を受けたミャンマーの民主活動家にも共有されており,オーストラリア外務貿易省の国別報告書にも同様の記載がある。加えて,ミャンマーの国民民主連盟(以下「NLD」という。)は,2006(平成18)年2月12日,同国政府に対し,1990(平成2)年の総選挙の結果を認めるのであれば軍事政権の継続を容認するという柔軟路線のメッセージを発し,ほとんどの団体がこの路線を承認したということであるから,付和雷同的あるいは難民認定申請目的の一時的な政治活動については,なお一層迫害の危険性は少なくなっている。
しかるところ,原告は,ミャンマー政府からその本名で有効な旅券の発行を受け,1985(昭和60)年の帰国時に取調べを受けたという以外は,特に取調べを受けることもなく,その旅券について無効にする措置がとられることもなかったことから,同人は1987(昭和62)年1月27日にミャンマーを出国しているところ,同国では,政府が危険と考える人物に対しては旅券が発給されない状況があるから,1987(昭和62)年ころ以前の事情を理由に,原告がミャンマー政府から迫害を受けることは考え難い。しかも,ウ・タント騒動は民主化運動ではなく反ネ・ウィン運動であったというのであるから,これを理由に現政権が迫害を行うといったことは考えられないことに加え,同騒動の後も原告はミャンマーへの出入国を繰り返していることからすれば,同騒動に原告が参加したという事実は,通常人が原告の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情とは到底考えられない。また,1985(昭和60)年に原告がミャンマーへの帰国時に取調べを受けたとする点についても,その後原告が何らの問題もなく同国から出国していることに照らし,迫害に結びつくようなものとは考えられない。また,同人の供述を前提としても,タイで民主化運動のために現金合計80万円と薬・衣服等を提供したというその活動は,特段ミャンマー政府が注目するようなものではない上,本邦においてミャンマー人船員に対してビデオを見せたりポスターを配布したりしたとの点についても,回数や相手が極めて限定されており,特段反政府運動に対する影響力があったことはうかがわれず,しかも,原告は,平成3年以降は反政府活動を行わなかったことを自認している。
また,そもそも,難民該当性に関する原告の供述は以下のとおり信用性に乏しい。すなわち,ウ・タント騒動に関するその説明は,後になるにつれて難民性を根拠付けるかのような部分が付加されてきている上,その内容も,当時まだ19歳で通信教育を受ける学生にすぎなかった原告が中心的な役割を果たしたことになっていたり,騒動の約3か月後には復帰したものの特に検挙された形跡もないことなどに照らすと,誇張を交えた不自然なものというほかはない。加えて,タイでの原告の活動についても,その供述は現金等を渡したとする相手方や現金の額の点で変遷していたり,客観的な裏付けがないなどの点で信用することができず,せいぜい,現金40万円,衣服及び薬をタイでだれかに渡したことがうかがわれるにとどまる上,日本にある反政府組織については,組織の名称も知らず,加入もしていない旨述べるなど,その内容も不合理である。さらに,我が国においてビルマ人船員に対して民主化のための働きかけを行ったとの点についても,その供述は変遷を繰り返している上,原告がそのような活動を行ったことを裏付けるに足りる証拠はない。次いで,原告が旅券の更新を受けることができなかったその根拠についても,当初は所定の税金を支払わなかったためと述べていたのが,後には税金を支払うつもりであったにもかかわらず在京ミャンマー大使館職員から脅されたためであるとするなど,その供述が不自然に変遷している上,何度も旅券の更新を求め,その申請書の送付を依頼する旨の書簡を返信先を明示した上で同大使館に送ったという供述内容は,迫害のおそれを感じている者の行動としては不自然といわざるを得ない。これに対し,原告は,申立てが一貫しないのはその日本語の会話能力が低いためであるとするが,原告は,昭和57(1982)年以降,度々来日して稼働し,Aと婚姻した上,同人が行方不明になってからは日本人男性と同居したり,日本人のいわゆるホームレスと親交を持つなどしていたというのであるから,原告の基本的な日本語の会話能力に欠けるところがないのは明らかである。
さらに,原告は,本件申請を行ったこと自体によって迫害を受ける危険があるとも主張するが,難民認定申請を行った者であるという事実は,難民の要件である「人種」「宗教」「国籍」「特定の社会的集団の構成員であること」及び「政治的意見」のいずれにも該当しない上,国外で難民認定申請を行ったこと自体を理由にミャンマー国内で迫害を受けたことが確認できる実例はない。仮に難民認定申請自体が迫害を招く危険性があるとすれば,ミャンマー人のように,現政権による人権侵害等が認められる国に属する者は,たとい反政府活動等を行っていなくても,難民認定申請さえすればすべて難民として認定されるという事態になるが,このようなことは難民条約自体も予定していないというべきである。
しかも,原告は,平成14年5月30日の時点で,本国において死刑を含めた迫害のおそれがあることについて言及していたにもかかわらず,その段階では難民申請を行っていなかったものであるところ,原告が主張する難民性を基礎付ける事情はそれ以前から存在し,かつ,そのことは原告も認識していたはずであるから,それにもかかわらず本件申請より早い段階で難民申請を行わなかったという経緯に照らせば,同人が「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有」していたとはいえないことは明らかというべきである。
なお,仮放免を受けた原告が,本件処分後において本邦において反政府活動を行ったとしても,そうした活動は本件処分の違法性判断を左右するものではない上,証拠上認められるその内容は,原告が大阪駅前において写真やプラカードを持っていたという事実のみであって,デモよりもはるかに穏当なものにすぎない。また,平成3年以降は反政府活動を行っていないなど,一貫した政治的主義主張があるとは考えられない原告の活動の実態をみれば,本件処分後の本邦における政治活動は,難民認定を得るためだけのものと評価することができる(原告は,勤めていた会社が倒産したり,交通事故に遭うなど金銭面,精神面,肉体面で政治活動を続けることが困難であったとするが,たといそのような状態であったとしても,プラカードを掲げてビラを配布する程度のことが不可能であるはずがない。)。
以上によれば,原告については,何ら難民に該当することが立証されていないばかりか,むしろ,難民に該当しないことが明らかというべきである。
(2)  争点2(入管法61条の2第2項所定の期間制限)
(原告)
適正手続を保障する憲法31条は,行政手続にも準用されるところ,同条の趣旨からすれば,難民認定の申請手続に際しても,難民認定申請者が正当な理由なく難民認定申請を行う機会を奪われないこと,難民認定手続の準備のために十分な時間を与えられることが保障される必要がある。しかるところ,難民認定の申請は,その証拠を我が国にいる申請者において入手することが事案の性質上困難であること等からすると,入管法61条の2第2項所定の期間制限(以下「60日ルール」という。)は,我が国のように60日の経過という事実だけで申請者の難民性の有無を実体審査せずに申請を却下する運用の下では,憲法31条に反する。
さらに,我が国は,難民条約及び難民議定書に基づき,これらの条約上難民に該当するすべての者に対し様々な便宜を供与する義務を負うのであるから,上記各条約は,それらの規定によって難民に当たる者が締結国によりそのまま正確に難民と認定されることを要請していると解される。しかるところ,60日ルールによれば,上記各条約によれば難民に該当する者が入管法の難民認定手続によって難民と認定されないこととなる余地が生ずるから,同ルールは上記各条約に反する。
加えて,平成16年6月2日に公布された同年法律第73号(平成17年5月16日施行)によって60日ルールは撤廃されているところ,このことは,同ルールが上記各条約の趣旨に反することを明白に示している上,刑事事件における事後法の適用を禁止し,同時に,行為後の法律により刑が廃止又は軽減された場合には旧法を適用することも禁止していると解される憲法39条前段の趣旨からすれば,刑事手続と同様かそれ以上に人権を侵害する可能性を持つ難民認定手続においては,本件において60日ルールを適用することは,憲法39条前段にも反する。
仮に,60日ルールが有効であるとしても,上記各条約の趣旨等からすれば,同ルールは単なる努力目標を定めたにすぎず,仮に難民認定申請が60日ルールを徒過してされたものであるとしても,広く難民性の実体判断をすることが原則である。
また,入管法61条の2第2項かっこ書にいう「その事実を知った日」とは,自分が迫害を受けるおそれがあり,かつ,それにより,難民認定を受け得るという認識を有するに至った日と解すべきである。しかるところ,原告は,日本人と結婚して在留資格を得ていた上,在留資格更新が不許可となった後も,刑務所に収容されて懲役刑が執行されていたから,ミャンマーに送還されることはあり得ないと確信しており,刑務所から釈放されればAと一緒に住もうと考えていたところ,平成15年7月2日に仮出獄となるや,そのまま神戸支局に連行され,ここにおいて,本国への強制送還がきわめて現実的なものと感じ,また,連行される車中で読んだ甥からの手紙にも,「ビルマの状況が大変ひどいことになっているので,帰ることについては,しっかりよく気を付けて考えるように。」などと記載されていたことから,軍事政権はネ・ウィン政権よりも迫害が過酷であると知り,ミャンマーで迫害を受ける危険性を切迫したものとして痛切に感じ,初めて自らの難民該当性を認識したのである。これに対し,被告は,原告は遅くとも平成14年5月30日の入国警備官の違反調査時には「その事実を知った」といえる上,その後も難民認定申請について繰り返し説明した旨主張するが,原告に対する違反調査その他の手続は通訳人が一切付けられていない状況で行われていたから,日本語を正確に理解することができない原告が同日付けの調書どおりの供述を行ったか否かは不明である上,特別審理官や入国審査官から難民認定の申請をするか否か聞かれた際にも,背後に控えていた看守からは「証拠もないし,刑事で悪いことをしているから無理。」などと言い聞かされている状況であって,原告は看守の意に反する行動をすると懲罰を受けるのではないかと恐れていたから,自由な発言をできるはずもなかった。また,実際に原告は,原告代理人が難民認定申請の手続を説明するまで,60日ルールのことも,特別在留許可の申請と難民認定申請の違いも理解していなかったのであるから,原告が本件申請まで十分な説明を受けていなかったことは明らかである。
よって,原告が「その事実を知った日」とは平成15年7月2日であるところ,原告は,その日のうちに,入国管理局職員に難民申請の意思を口頭で伝え,その5日後の同月7日に本件申請を行ったのであるから,いずれにせよ60日ルールには違反していない。
さらに,同項ただし書にいう「やむを得ない事由」は,我が国において平穏に在留している以上は,それが申請権の濫用にわたるなど難民としての保護に値しないと認められる特段の事情がない限り定型的に認められるというべきであるところ,原告は,平成15年7月までは,在留資格を有し,または刑務所に収監されていたため,平穏に本邦に在留していたからであって,同月7日に至って初めて本件申請を行ったことには「やむを得ない事由」があったというべきである。仮に,「やむを得ない事由」について,病気や災害による交通途絶等の客観的事情により物理的に入国管理官署に出向くことができなかった場合のほか,在留資格を有する等の事情により難民認定を申請すべき何らの動機付けも存しない場合や,難民認定を申請することにより,その者の家族等に対して危機が及ぶことが予想される場合など,難民認定を申請する意思決定を行うことが客観的に困難な事情をいうと(狭く)解したとしても,上記のとおり,原告は,刑務所を仮出獄するまで難民認定を申請すべき何らの動機付けも有しなかった上,それまで原告は難民性を立証するための証拠を収集するために必要な在ミャンマーの親族の協力が不可欠であったところ,信書の検閲が常態化している同国において,原告が親族に対して協力を要請することができず,また,原告が難民認定を行うことで家族等に危難が及ぶことも予想されたため,難民認定を申請する意思決定を行うことが客観的に困難な事情があったから,いずれにせよ「やむを得ない事由」の存在は肯定される。
したがって,法務大臣は,本件申請について実体判断をすべきであった。
(被告)
難民条約及び難民議定書は,難民認定手続については何ら定めておらず,どのような手続を定めるかは締約国の裁量にゆだねていると解されるから,各締約国は,難民条約及び難民議定書の規定や趣旨に反しない限り,その国の事情に応じた難民認定手続を制定し得るのであって,当該国家の難民認定手続を遵守しなかったために,当該締約国の難民認定制度による難民として認定されない難民が理論上生じるとしても,そのこと自体から,直ちに難民条約及び難民議定書に違反するとは解し得ない。しかるところ,難民に該当する者は,その恐怖から早期に逃れるために速やかに他国に保護を求めるのが通常である上,難民となる事由が生じてから長期間経過後に難民認定が申請されると事実関係を把握するのが困難となり,難民の認定が適正にできなくなるおそれがあることから,入管法61条の2第2項は,60日という申請期間制限を設けているのであり,この60日という期間も,我が国の地理的,社会的実情に照らして申請者に過度の負担を強いるものではないと考えられる。さらに,同項ただし書にいう「やむを得ない事情」が認められる場合には,60日の期間内にされた申請と同様に難民性の有無を判断することも併せ勘案すれば,およそ入管法61条の2第2項の規定が難民条約及び難民議定書の趣旨に照らし合理性を欠くとか,憲法98条に反するとは解されない。また,行政手続に憲法31条の保障が及ぶ場合があることは否定できないが,その保障が及ぶかどうかは行政手続の性質等を考慮して判断されるべきであるところ,難民認定は受益処分であって,これによって制限を受ける権利利益はないから,法定手続を採ることが望ましいとしても,それを憲法上の要求とまで解する必要はないというべきである。
そして,原告の場合,その難民認定申請期間は,遅くとも,入国警備官に対し帰国した場合には投獄,死刑が待っている旨を申し立てていた平成14年5月30日から60日というべきであるが,原告が本件申請を行ったのは平成15年7月7日であるから,その申請が入管法61条の2第2項の申請期限を徒過してからされたものであることは明らかである。これに対し,原告は,同月2日に神戸刑務所を出所した直後,甥からの手紙を読んで迫害を受けるおそれがあるとの恐怖を感じた旨主張するが,原告は,前記のように平成14年5月30日の取調べ以降,入国警備官や入国審査官に対し度々迫害のおそれについて供述しているし,同年10月8日に行われた口頭審理において,特別審理官から難民認定申請の案内を受けたにもかかわらず,「何度も悪いことをし,刑務所に入っているから」などとして難民認定申請を行わなず,神戸刑務所で服役中の平成15年2月25日には,入国審査官から難民認定手続案内(ビルマ語及び英語各一部)及び難民認定申請書(ビルマ語一部)を手交された上,難民認定申請の手続案内を受け,同年3月25日にも再度難民認定の意思確認を受けたものの,刑務所に入っているため難民に認定されるとは思わない旨答え,刑務所に入っていることと難民であるかどうかは別問題である旨教えられたにもかかわらず,結局難民認定申請を行わなかったものである。
これに対し,原告は,違反調査等において通訳人が付けられていなかったために日本語が正確に理解できない状況であった旨主張するが,入国警備官は違反調査要領(平成14年2月27日付け改正)に基づいて調査を行っているところ,同要領は,相手に日本語の会話能力がある場合には通訳人を付けずに日本語で取り調べることも認めており,その60条4号は,「日本語で外国人を取り調べた場合には,日本語の修得方法等を具体的に記載し,供述者に会話能力があることを明らかにする」とし,原告の違反調査を行った入国警備官も,原告から,「日本語については,在日歴が約18年になりますので日常会話に困ることはありません」との供述を得ていたために日本語で聴取を行ったのであって,前記のとおり,原告に日常会話程度の日本語能力があったことは明らかである。加えて,刑務所の看守が原告の難民認定申請を妨害した事実もない。
また,60日ルールを設けた趣旨は,難民となる事由が生じてから長期間経過後に難民認定が申請されると事実の把握が困難となり,適正な難民認定申請ができなくなるおそれがあるので,我が国の庇護を受けるべく難民認定の申請をしようとする者は速やかにその申請をしなければならないことを定めたものと解されるから,入管法61条の2第2項ただし書の「やむを得ない事情」については,病気,交通の途絶等,客観的にみて60日以内に難民認定をすることができなかったことにつき合理的理由が存する場合をいうものと解すべきである。しかるところ,原告は,配偶者ビザを取得していたからミャンマーに送還されることはないと感じていた旨主張するが,原告が入管法別表第2所定の在留資格「日本人の配偶者等」に相当する在留資格を与えられていることと,難民認定されるということは全く別問題である上,前記のとおり,原告は,入国審査官から促されたにもかかわらず,平成13年3月30日に在留期間更新申請が不許可となり,退去強制手続が開始され,難民認定申請を行う動機付けが存することとなった後も難民認定申請をしなかったのであるから,本件申請が遅れたことについて「やむを得ない事情」はない。
なお,難民認定処分の要件は,申請が法61条の2第2項に適合すること,申請者が難民であると認められることの2つをいずれも充足することであるところ,これら両要件には法律上も何らの先後関係はなく,本件処分は,実体的にも原告が難民とは認められないことをも理由としているから,60日ルールに反する難民認定申請の場合には何ら実体についての審理が行われないことを前提とする原告の主張は,その前提を欠くというべきである。
第3  当裁判所の判断
1  難民該当性の判断基準(争点1)
(1)  総論
関係法令等の規定(1)記載のとおり,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないものは,入管法にいう難民に該当する。
そして,難民条約及び難民議定書の締約国は,これら各条約上の難民に対して難民条約2条から34条までの規定を適用する国際法上の義務を負うのであって,裁量的又は恩恵的にのみ庇護を与えることは許されないから,我が国において,ある難民認定申請者が難民に該当するか否かは,入管法上は法務大臣が第一義的にその判断を行う権限を有するとしても,最終的には,当該処分時に客観的に存在したすべての事情を考慮して,裁判所がその適否をいわば覆審的に判断すべきものと解される。他方,難民不認定処分の適否についてのこのような司法審査の方法にかんがみると,仮に法務大臣の難民不認定処分が前提とした事実に誤認があるとしても,それだけで当該処分を取り消した上で再度法務大臣に正しい事実認定を前提とした処分を行わせなければならない必然性はなく,裁判所において,その事実認定を前提に,当該難民認定申請者の難民性が認められるか否かを自ら判断することも当然に許されると解すべきである。
また,難民該当性の認定に係る手続については,難民条約や難民議定書には特段の規定が置かれていないことから,各締約国の立法政策にゆだねられており,我が国においては入管法において手続が規定されているものと解される。そして,前記のとおり,同法61条の2第1項は,法務大臣は,本邦にある外国人から法務省令で定める手続により申請があったときは,その提出した資料に基づき,その者が難民である旨の認定を行うことができる旨規定し,同法61条の2の3第1項は,法務大臣は,同法61条の2第1項の規定により提出された資料のみでは適正な難民の認定ができないおそれがある場合その他難民の認定又はその取消しに関する処分を行うため必要がある場合には,難民調査官に事実の調査をさせることができる旨規定している。これらの規定の文理等からすれば,入管法は,難民認定申請者において,自ら宗教等を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有すること,すなわち,宗教等を理由に当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いている主観的事情があり,かつ,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情も存在していることを認めるに足るだけの資料を提出すべきものと規定していると解される。これを実質的にみても,難民該当性の判断に必要な出来事は,外国において,しかも秘密裏にされたものであることが多く,したがって,それを直接体験した申請人が最もよく主張し得る立場にあると考えられるのであって,難民認定申請者において難民の認定に必要な資料を提出すべきものとする制度は,このような観点からも合理性を有するものといえる。
(2)  「特定の社会的集団」の意義
ところで,上記のような難民該当性の定義に照らすと,ある者が難民であるといえるためには,その者が迫害を受けるおそれがあるのみならず,その理由がその者の人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見にあることが必要である。そして,「特定の社会的集団の構成員であること」(membership of a particular social group)とは,難民条約1条A項(2)が掲げる迫害の他の理由が人種,宗教,国籍及び政治的意見とされていることから推して,これらと同程度に人格や自己同一性と密接に関連しているため,その帰属を変更することが不可能であるか,又は著しく困難であるといえるような社会的集団の構成員であることを指すものと解すべきである。しかるところ,申請者が出身国の政権と敵対する有力な一族に属しているという事実は,その者の自己同一性と密接に関連し,かつ,その帰属を変更することも通常は困難であるから,上記「特定の社会的集団の構成員であること」に該当すると解すべきである。
(3)  「迫害」の意義
また,難民該当性の要件である「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体ないしその自由の侵害又は抑圧を意味し,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解される。
2  本件における事実関係
以上を前提に,原告の難民該当性について検討するに,掲記の証拠によれば,以下の事実関係を認めることができる。
(1)ア  ミャンマーにおける一般的な人権状況等
ミャンマーは,1948(昭和23)年にビルマ連邦との国号で旧宗主国であった英国からの独立を果たし,前年に暗殺された建国の指導者アウンサンから反ファシスト人民自由連盟(以下その別名である「パサパラ」と呼称する。)の指導者としての地位を引き継いだウ・ヌーがその初代首相に就任したが,独立当初から少数民族等による武装蜂起が相次ぎ,次第に国軍による政治介入が強まった。1962(昭和37)年,当時の陸軍総司令官ネ・ウィンがクーデターでウ・ヌーから政権を奪取し,同人を1966(昭和41)年まで投獄するとともに,ビルマ社会主義計画党(BSPP)を発足させて,自らその議長に就任した(ウ・ヌーは,1969(昭和44)年,その子Cらとともに出国し,1974(昭和49)年にインドに亡命した。)。ネ・ウィンは,企業国有化などのビルマ式社会主義経済政策を実施するとともに,自由な言論と政治活動を認めない一党支配体制を敷いたが,その間に経済は疲弊した。1974(昭和49)年,国号がビルマ連邦社会主義共和国に改められ,ネ・ウィンがその大統領に就任したが,同年,同国出身のウ・タント前国連事務総長の遺体の取扱いを巡って学生らが反政府運動を起こして軍により鎮圧される事件が発生し(ウ・タント騒動),その後も散発的に学生・労働者らによる反政府運動が続いた。1988(昭和63)年,ラングーン大学とラングーン工科大学の学生デモを政権側が鎮圧する過程で犠牲者が出たことを契機として学生・市民によるデモ活動が激化し,ネ・ウィンはビルマ社会主義計画党の議長を辞任した。こうした中で,同年9月,ウ・ヌー(1980(昭和55)年に恩赦で帰国した後は目立った政治活動を避けていた。)は自ら政府の首相である旨宣言するに至ったが,同月,軍がクーデターを起こし,国家法秩序回復評議会(以下「SLORC」という。)を設立してすべての国家権力を掌握するとともに,デモを武力で鎮圧し,ウ・ヌーを1992(平成4)年4月まで自宅軟禁下に置いた。国号をミャンマーに改めたSLORCは,アウンサンの娘で,1988年9月にNLDが結成されるとその書記長となったアウンサン・スーチーを自宅軟禁下に置くなどして学生運動を封じ込める一方,複数政党制の下での総選挙を公約したが,NLDが1990(平成2)年におおむね自由かつ公正に実施された総選挙で圧勝すると,SLORCは,自らが選出した制憲国民会議(NC)による新憲法の起草手続を先行させるとしてNLDへの政権委譲を拒否し,1997(平成9)年には国家平和発展評議会(以下「SPDC」という。)へと改組して軍事政権を継続した。これに対抗する形で,NLDが1998(平成10)年に当選議員10人からなる国会代表者委員会(CRPP)を発足させて独自の新憲法草案作成に着手すると,SPDCのNLDに対する弾圧は激しさを増し,NLD所属議員の当選資格のはく奪や,予防拘禁を認める国家防御法その他の様々な治安維持関連法に基づくNLD関係者の検挙が行われ,同党の支部はすべて閉鎖を余儀なくされた。また,SPDCは,亡命学生を主体とする全ビルマ学生民主戦線(以下「ABSDF」という。),1990(平成2)年の総選挙で選出された議員を主体とするビルマ国民連邦連合政府(以下「NCGUB」という。)及びタイに拠点を置く反政府諸団体等の活動に対しても批判を強め,圧力を加えている。
ミャンマーにおいては,公務員に対する思想調査と統制,弁護人抜きの裁判,政治犯に対する超法規的な身柄拘束等が実施されているほか,道路や鉄道の建設工事等に軍事政権が地元住民を強制的に使役したり,住民を強制的に移住させるなどの事例もあるとされ,国連人権委員会等から度々非難されている。また,同国では,平成17年の1年間だけでも1100人以上の政治犯が逮捕又は拘禁の状態に置かれている旨,複数の国際NGOが報告している。さらに,アメリカ国務省によれば,軍による民間人に対する恣意的な処刑や脅迫の事例が多数あり,治安部隊による私信の検閲や電話の盗聴も恒常的に行われているほか,刑務所では政治犯への拷問が横行しており,その衛生状態は劣悪である。また,同じくアメリカ国務省によれば,大学の教師は,その言論,政治活動,出版に制限が加えられているほか,国家公務員と同様に,政府の大衆動員組織である連邦団結発展協会(USDA)への加入を求められている。加えて,同国の司法制度は政治犯に対しては有効に機能しておらず,反体制運動を封じ込めるための軍事政権の道具となっている旨の指摘も複数ある。
また,ミャンマーでは,政府が国民の海外渡航計画を精査する目的で旅券と出国ビザの発給を厳格に管理しているため,その手続に数か月から数年を要することもまれではない上(そのため,旅券の申請を行う者は,ブローカーに高額の賄賂を渡して手続の促進を図ることが多い。),政治的な理由で旅券の発給が拒否される例があるほか,違法に出国した者(政府の許可なく出国した者に加え,許可された出国条件では行くことが認められていなかった国へ渡航した者を含む。)は帰国時に長期の懲役刑に課せられる可能性が高いことも報告されている。有効期限の切れた旅券で帰国したミャンマー国民は,1947年出入国管理法違反として投獄される現実的危険性があり,その際,政府が当該国民は外国で難民申請を行ったものの不認定とされた者である事実を把握していれば,その刑期が加重される旨の報告がある。一方,イギリス内務省によれば,有効な旅券で出国したミャンマー国民は,当該旅券の有効期限が切れたとしても,通常,当該旅券を提出して未払の税金を支払うことによって在外公館で当該旅券を更新することができ,そのようにして更新を受けた者は,仮に同国政府によって難民申請を行った事実が把握されていたとしても,反体制派であるとみなされない限り,帰国時に迫害に直面するおそれは少ない。
なお,オーストラリア外務貿易省によれば,同国において反政府組織に参加しているミャンマー国民のうち,単に非暴力的なデモに参加しているにすぎない者は,仮に当局にその身元を把握されているとしても,帰国の際に尋問を受ける懸念がある程度であるのに対し,指導者的地位にある者として軍事政権に把握されている者は迫害を受けるおそれがあり(特に,ABSDFやNCGUBの中核メンバーはその危険性が高い。),その他にも,海外で長期間滞在した後に帰国した者は,一定期間その動静を監視される可能性が高い。
そして,平成4年から平成8年までの間,国連人権委員会ミャンマー担当特別報告者の任にあったF中央大学法科大学院教授は,国外において政府を批判するようなデモに参加したり,メディアを通じて批判的な意見を述べた数万人のミャンマー人につき,同国政府はその活動のほぼ全容を把握しているとみられるが,SPDCは統治能力に自信を付け,批判者に対しても冷静に対処することができるようになってきており,最近,国内で収容していた政治犯を相当数釈放していることもその証左であるとみている。そして,同教授は,そのような姿勢にかんがみると,SPDCが自由な活動を許しておくと民主化運動全体が活発化するような危険性のある人物(NCGUBの要人等)以外の人物についてまで迫害しようとしているとは解し難く,そのような危険性のある人物と政府から判断されるか否かのメルクマールとしては,対象者の経歴(軍人・ヤンゴン大学を卒業しているような知識人階層・外国に留学した者は危険性が高い。),本国での活動歴の有無(自分の名前で旅券が発給されている者はその時点で政府から関心を寄せられていなかったものと推認することができる。),などがあるが,日本で難民認定申請を行ったこと自体は特に迫害の危険性をもたらすものではないとの意見を有している。また,同教授によれば,ミャンマーは基本的に階級社会であり,同一の階級に属する者同士は,たとい政治的には互いに対立していても,日常生活においては友人や幼なじみであるような例が少なくないとされる。
【甲3,7,10ないし12,16,18,28,29,36,乙35,証人C】
イ  原告の経歴等
原告は,1956(昭和31)年,ヤンゴンにおいて,米や食料油の輸出等を業とする会社を経営していた比較的裕福な実業家の家に生まれた。原告の父は,ウ・ヌーの妻の従兄弟(ウ・ヌーの妻の母と,原告の父の母が姉妹)であり,原告の母は,ウ・タントの妻の姪(ウ・タントの妻と,原告の母の父が兄妹)に当たるが,いずれもビルマ人である。原告には,3人の兄と2人の姉がいた。
原告は,1974(昭和49)年,ラングーン大学経済学部の通信課程(5か年)に入学したが(なお,原告が同大学1年生の時に同大学を舞台とするウ・タント騒動が発生した。),学問を継続するより自動車販売等の実業に関心を有するに至ったことなどから,同大学を卒業することなく2年間で退学し,1979(昭和54)年に父が死亡すると,イワラジ貿易に就職し,そのころ同国人と最初の婚姻をした。
原告は,正規の旅券の発給を受け,昭和57年に最初に来日してからしばらくは研修生としてイワラジ貿易で働き,その間にAと知り合った。原告は,昭和61年に最初の妻と離婚した後,昭和62年4月にAと婚姻すべく在留資格4-1-4で本邦に上陸したが,上陸後も,婚姻手続のための書類が本国から到着するのを待つ間にイワラジ貿易で就労していたため,同年6月15日に神戸支局に資格外活動の容疑で摘発された。原告は,同日,Aとの間の婚姻届を提出し,同年10月14日に在留資格4-1-16-1の在留特別許可を得て,その後は自動車のスクラップ工員,ミャンマー人船員等を顧客とした自動車の販売,自動車貿易業,パチンコ店店員等の職業を転々とした。
原告は,昭和62年1月に旅券の更新を受け,ミャンマーにおける民主化運動がSLORCのクーデターによって頓挫した直後である昭和63年12月31日から平成元年1月4日にかけてAと共にバンコクを訪れ,同地で入院していたウ・タントの妻を見舞うとともに,その娘(原告の母の従姉妹)で,当時同地で勤務していた国連職員のG,母方の叔母Hやその子(原告の従兄弟)でドイツで難民として暮らすIら親戚と再会し,ミャンマーからの難民に手渡すために友人から託されて持参した古着や現金・小切手をその関係者に手渡すなどした。なお,当時,ADSBという数千人規模の反政府団体を結成してその書記長に就任していたCもタイのミャンマー国境付近にいて武装闘争に従事していた(このことが理由で,Cは,1989(平成元)年にミャンマーでの欠席裁判で死刑判決を受けたが,1995(平成7)年に一時的に帰国を許され,空港で余命幾ばくもなかったウ・ヌーと面会した。)が,この際には原告と接触することはなかった。
原告は,平成4年12月,酒に酔って歩行中にタクシーに接触する交通事故に遭い,その自宅療養中に酒浸りとなってしまい,平成9年夏ころにはアルコール依存症で入退院を繰り返すようになって仕事は全く行っていなかったところ,Aは,同年12月ころまでに行き先を告げないまま原告の下を去った(もっとも,原告とAとは戸籍上なお夫婦である。)。原告は,Aと連絡が取れなくなったため,平成10年5月ころ以降,日本人の友人であるBと同居していた。なお,二度の婚姻を通じ,原告に子はない。
原告は,① 平成11年2月14日に中古ビデオテープ2点(価格合計2000円相当)を窃取したとして懲役1年執行猶予3年の刑を受け,② 同年7月27日にサングラス等計6点(価格合計7316円相当)をスーパーで窃取したとして懲役1年執行猶予4年付保護観察の刑を受け(知人のホームレスに酒を振る舞ってもらい,そのお礼としてプレゼントするためのサングラスに加え,酒のつまみ用の納豆や冷凍食品とを万引きし,現行犯逮捕されたという事案である。なお,①のほかに同種の前歴が3件あることが判決で認定されている。),③ 平成12年11月20日にデジタルボイスレコーダー等計4点(価格合計1万4820円相当)をホームセンターで窃取したとして懲役1年の刑を受け,いずれも確定している。
原告の母と2人の姉は,いずれもヤンゴンで生活しており,姉の夫はそれぞれ大学教師と運転手をしていた。他方,原告の兄の1人Jはウ・タント騒動などに参加した学生活動家で,反政府活動を理由にミャンマーのインセン刑務所に1年間投獄された経験を有し,1989(昭和64)年1月初めころタイ・ミャンマーの国境地帯に逃れてADSBの幹部となり,2001(平成13)年ころオランダで難民認定を受けている。また,原告の別の兄の1人Kは,タイの難民キャンプで病死した。
原告は,母国語のビルマ語,ミャンマーの小学校,中学校及び高等学校時代に授業で学んだ英語に加え,日本語についても,昭和57年8月の来日時に神戸のYMCAで6か月間勉強し,その後約20年にわたって本邦に居住しているため,現在では日常会話で困らない程度に話せるほか,刑務所で服役中に平仮名,片仮名の読み書きも学んだ。
原告は,慢性肝炎,前立腺肥大症,急性表層性胃炎,両変形性膝関節症等の病気に罹患し(平成17年3月の時点でいずれも経過観察中であり,投薬等を行っている。),さらに腰椎々間板ヘルニアも併発して,後者の治療のため大阪警察病院に通院している。
【甲8,9,16,18,19,24,39ないし42,乙4ないし7,9,10,13,27,28,39,証人C,原告本人,弁論の全趣旨】
ウ  退去強制手続における原告の供述等
原告は,平成14年5月30日,神戸支局入国警備官による退去強制事由の調査に際し,① 1986(昭和61)年末ころミャンマーを出国した理由について,自分及びその親戚がみなミャンマー軍事政権に反対する活動を行っており,父も1964(昭和39)年にその経営していた会社を政府に接収され,1972(昭和47)年には政治犯として投獄されるなどしていたことから,いまだ現実に迫害をされていたわけではなかったものの投獄等の危険があると判断したためである旨,② 家族や親戚の反政府活動を理由に,自分が本国に送還された場合には投獄や死刑の可能性がある旨,③ 自分がウ・ヌーやウ・タントと親族関係にあることから,1990(平成2)年に在京ミャンマー大使館で旅券の有効期限の延長を申請した際にもその手続を受けることができなかった旨,いずれも日本語で供述した。
また,原告は,平成14年6月25日,神戸支局入国警備官による退去強制事由の調査に際し,① 原告の父は1962(昭和37)年に誕生した軍事政権に反対しており,1964(昭和39)年から週1,2回の割合でパサパラの党員と一緒に会合を開いていたが,1972(昭和47)年ころにその存在が発覚し,父を含めたその参加者がみな投獄された(まだ若かった原告は,横で話を聞く程度で上記会合には参加していなかったため投獄を免れた)旨,② 原告は,1975(昭和50)年ころに発生したウ・タント騒動に学生の1人として参加し,拡声器で軍に対して訴えかけをしたものの,同騒動が軍によって鎮圧された際にはその場を逃れ,1988(昭和63)年末には,バンコクでミャンマー軍事政権に反対していた学生達に金銭・衣服・薬を援助した旨,いずれも日本語で供述した。
原告は,平成14年9月5日,神戸支局入国審査官による退去強制事由の認定手続において,① 1987(昭和62)年にミャンマーを出国した理由は,タイでAと落ち合う予定であったことのほか,ミャンマーでは軍事政権下で自由な主張や行動ができず,ウ・ヌーやウ・タントとの親族関係を理由として迫害を受け,ミャンマーでは暮らしたくないと思っていたことがあり,3人の兄も1988(昭和63)年に相次いで出国したが,Aと日本で暮らすことが目的であったためタイでも本邦でも難民申請は行っていなかったところ,Aが行方不明になり,このままでは刑務所を出所後にミャンマーへ強制送還されてしまうことから難民申請を行ったものであること,② 有罪判決を受けた3回の窃盗事件は,いずれも公園にいるホームレスと一緒に好きな酒を飲んでいる間に記憶がなくなり,いつのまにか犯したものであること,③ 本国で所属していた反政府団体はなく,警察に逮捕される等の具体的な迫害を受けたことはない上,本邦においても内通者がいるおそれがあるのでそのような団体には所属していないが,日本に2年8か月生活してミャンマーに帰国した際に空港で裸にされて持ち物をすべて検査されたこと,④ 本邦内で原告がビラを配る等の方法で反政府活動を行ったことはないが,昭和63年ころに大阪や神戸の貿易会社を回って支援金の寄付を募ったことはあり,この時は40万円を集めてタイで反政府活動を行っていた学生のリーダーで親戚のGに寄付したが,同国には軍事政権に近い者もいるので上記寄付の事実は軍事政権側にも知れていること,⑤ 在京ミャンマー大使館は,無職であるために旅券の更新に必要な毎月の給料の1割の手数料を支払うことができないとの原告の説明を受け入れず,原告としても軍事政権に税金を支払うことに抵抗があり,本邦に滞在している以上そこまでして旅券の有効期限を延長する必要はないと思ったことから,税金を支払わないまま,返信用封筒と切手を同封して大使館に郵送して申請書の送付を依頼したものの,大使館は旅券延長のための申請書を送ってこなかったことなどを,いずれも日本語で供述した。
原告は,平成14年10月8日,神戸支局特別審理官による口頭審理において,① 口頭審理を請求した理由は,ミャンマーに帰ると刑務所に入れられるか殺されるためであること,② Aが戻れば一緒に本邦で暮らしたいが,一緒に暮らさないのであれば離婚手続をする希望があること,③ ウ・タント騒動の際に逃避できたのは,ちょうど昼休みで帰宅していた時に逮捕が行われたためであるが,その際に写真を撮られたこと,③ 1985(昭和60)年に一時帰国した際,ミャンマーの空港で自分だけが裸にされて身体検査を受け,カメラのフィルムを引き出され,持ち物も全部検査されたことなどからみて,ミャンマー政府から反政府活動家として把握されていると考えられること,⑤ 親戚に迷惑が掛かるといけないので本邦では反政府活動は行っていないが,1988(昭和63)年にタイでミャンマーの学生らに対して援助活動をしたのは,タイでの活動まではミャンマー政府にも分からないだろうと思ったからであること,⑥ 難民申請をしても刑務所に入っている事実などに照らし認定は無理と考えているため,難民認定の申請を行うつもりはないこと,などをいずれも日本語で供述した。
【乙9ないし11,13】
エ  難民認定申請手続における原告の供述等
神戸支局入国審査官は,平成15年2月25日,神戸刑務所に赴き,難民認定申請書(日本語の説明にビルマ語の訳が付記されているもの),並びにビルマ語及び英語の難民認定手続案内各1部を原告に交付し,退去強制と難民認定とは別個の手続であり,難民性は難民調査を受けなければ判断できないことを説明した上,難民認定申請をするか否か決めるよう日本語で述べたところ,原告は,迷っているような様子であったが,申請をするか否かについてもう一度考える旨述べた。
原告は,この時受領した難民認定申請書に,氏名,性別,生年月日,国籍等,自らの人定事項を記入した上,迫害を受ける理由や身体の拘束を受けた事実の有無等については空欄のまま,署名欄に「ミャンマーに帰りたい」と英語で記載し,署名及び指印したものを神戸支局に郵送し,同支局は,同年3月17日,上記申請書を受領した。神戸支局入国審査官は,原告の意思を確認するため,同月25日,再度神戸刑務所を訪れたところ,原告は,難民認定申請はしない旨答え,申告書と題する法務大臣宛ての書面に,認定されるとは思えないので難民認定申請は行わないが,日本には居住したいと思っている旨を英語で自署し,署名及び指印して提出した。
しかしながら,原告は,同年7月7日に至り,法務大臣に対し,前記前提となる事実等(3)アのとおり,本件申請をした。なお,原告は,本件申請書において,60日ルールを遵守することができなかった理由として,日本人の配偶者としての在留資格で安心して本邦に在住しており,難民認定申請手続の方法については知らなかったこと,平成15年2月ころに難民認定申請を行う機会があったが,周囲からは申請しても無理だといわれ,自分の気持ちがはっきりしなかったので断ったこと,同年7月に至ってシンガポール在住の甥からミャンマーの状況が良くないと聞き,難民認定申請をしなければ命の危険があると感じて本件申請に及んだことなどを陳述した。
原告は,同年8月13日,西日本センターにおいて,大阪入管難民調査官に対し,難民認定申請の理由につき,① 兄から電話で依頼を受け,1988(昭和63)年12月にタイで反政府学生に対して薬(サロンパス・風邪薬・胃薬等)・服(人からもらった古着)・現金40万円を渡したことがミャンマー政府に把握されているであろうこと,② 1990(平成2)年1月に有効期限が徒過した原告の旅券について,以前と同様給料の1割を支払う目的で在職証明書や給料明細書を提出した上,在京ミャンマー大使館に平成9年ころまで電話や手紙で延長を依頼したものの,「自分でやったことを自分で分かるでしょう」などと言われ,旅券の有効期限を延長するための申請書の送付を受けることができなかったこと,③ 自分は本邦やミャンマーで反政府活動を行ったことはないが,2人の兄が1988(昭和63)年8月の反政府デモに参加し,同年10月にバンコクに逃避しており,うち1名は現在アメリカに在住していること,④ 1985(昭和60)年5月に約2年9か月ぶりにミャンマーに帰国した際,空港で当局に手荷物や身体の検査を受け,午後5時から6時間にわたって反政府活動への関与がないか調べられたこと,⑤ 父が,その姉がウ・ヌーの妻であるという理由で,反政府グループのメンバーと話をしただけで他に何らの反政府活動も行っていないにもかかわらず,1972(昭和47)年ころから1年8か月にわたって身柄を拘束されたこと,⑥ 母方の祖父の妹がウ・タントの妻であり,原告もラングーン大学の学生であった時にウ・タント騒動に参加して政府当局に写真を撮られたこと,を挙げた上,自らの難民性について,本邦入国時にはそのような意識はなかったが,平成14年6月ころに入国管理局の取調べを受けてから,ミャンマーに送還されて逮捕される危険性を感じて難民認定申請を考えるようになったものの,窃盗罪で3回も逮捕されているために認定は無理だと考えて申請を控えていたところ,平成15年7月2日に退去強制令書を見せられたことなどから,同月7日に難民認定申請をした,などとビルマ語の通訳を介し,又は日本語で供述した。
原告は,同年8月15日,西日本センターにおいて,大阪入管難民調査官に対し,① 1986(昭和61)年3月13日にミャンマーを出国し,同月17日に帰国し,1987(昭和62)年1月に再度タイに向けて出国した際には,いずれも空港での尋問は受けなかった旨,② 原告がミャンマーで迫害を受けるおそれがある理由のうち最大のものは,2人の兄がミャンマーから出国していること,及び,在京ミャンマー大使館と旅券の有効期限延長を巡り問題が生じていることの2つである旨,③ ミャンマーにいる母や2人の姉に政府が危害を加えたという事実はないが,軍人が2人の兄のことで話を聞きに来たことがある旨,それぞれビルマ語の通訳を介し,又は日本語で供述した。
原告は,平成16年3月15日,西日本センターにおいて,神戸支局難民調査官に対し,① オランダにいる兄Jから同年2月半ばころに届いた手紙(下記A),② タイにいるCから同年3月4日に届いた手紙(下記B),及び③ ミャンマーにいる姉から同年2月末ころに届いた手紙(下記C)であるとして,これらを提出した上で自らの難民性を訴えるとともに,④ Cのことを今まで供述していなかったのは,同人と今まで連絡が取れなかったことによるものであること,⑤ ミャンマーにいる母や姉から政府が原告の行方を追っている旨の話を聞いたことはないが,仮にそのような事実があるとしても電話では言えないはずであること,⑥ 今まで話してはいなかったが,1989(平成元)年,バンコクに向かうタイ船籍の貨物船を利用して,自ら通関手続を行い,同国で反政府活動を行っていたミャンマー人学生らに古着や胃薬,風邪薬など各2から3万円相当の品物を5,6回送った事実もあること,などをそれぞれビルマ語の通訳を介し,又は日本語で供述した。
なお,上記AないしCの手紙の要約は以下のとおりである。
A(英語):
現在のビルマの状況は,非常に愚かな軍事政権のために,政治については最悪です。彼らが疑わしいとしたら,だれでも捕まえて拷問を繰り返すことができるのです。私はここで仲間たちと共に,ビルマに民主主義をもたらすよう努力に努力を重ねています。私の兄弟よ,今ビルマに戻ってはいけない。もし戻ってくるならば,1988年の時のタイでの学生たちや政治家らと同様の事態に直面します。過去15年,あなたはタイに来て40万円と衣服と薬を援助してくれました。これがビルマ政府に知られている事柄の一つです。もしビルマに帰ってきたら,軍事政権があなたを捕らえ,刑務所に入れ,拷問を与えます。あなたの将来は日本,又は他の外国でいる方が良い状況なのかも知れません。
B(英語):
私はCと申しまして,最初で唯一の,合法的に選出されたビルマ首相ウ・ヌーの息子です。原告の父は私の母の従兄弟でしたが,1969年,ウ・ヌーが軍事政権に対しての革命を起こしたとき,原告の父は軍情報部に捕らえられ,令状なしで家宅捜索を受けました。原告は,1974年のウ・タント騒動の際,学生らと共に先頭を切って軍事政権に立ち向かいました。また,1988年の民主化運動が頂点に達した後,タイ・ビルマ国境へと脱出した学生たちにも堂々と資金の寄付をしました。我々の関連組織のメンバーの一人が捕らえられて拷問を受けた際,資金源として原告の名も含まれるリストを渡してしまいました。もしもビルマに原告が戻されたら,はっきりと期限は分からないが,すぐに捕らえられるでしょう。彼がもし,恐ろしい軍情報部の手によって投獄や拷問,屈辱的行為を受けなかったとしたら,彼はとても幸運です。彼は,長年反政府活動に携わってきた人物として知られているのですから。
C(ビルマ語):
永遠に断酒して下さい。日本に続けて住むことができるように頑張って下さい。こっちには帰って来ないで下さい。帰ってくるのは良くないです。分かるでしょ。私の言っていることが分かるでしょ。ここでは経済的にうまくいっていません。お経をいつも唱えて下さい。もう更生して下さいね。
【乙17,18ないし22,25ないし28,31,33】
オ  本訴における原告の供述等
原告は,① 父は,反政府活動をしたために財産を没収された上で2年8か月の間投獄され,刑務所内での虐待等がもとで1979(昭和54)年に死亡した,② 長兄Kと次兄Jはいずれも反政府活動に関与していたが,長兄はタイで死亡し,次兄は難民認定を受けてオランダにいる,③ ラングーン大学1年生の時にウ・タント騒動に参加し,同大学の学位授与ホールの壁に掛かっていたネ・ウィン将軍の写真を外して割ったり,民主主義の確立のために演説をしたほか,ECという構成員300人程度の団体に加わってウ・タントの遺体を特別な場所に埋葬することを要求するなどの運動をし,仲間のために食料の調達などに従事した,約1週間後の早朝,鎮圧のために軍隊が侵入してきた際には構内から逃げてシュエダゴン・パゴダに逃げ込み,そこで数百人の学生らとともに革命について3日間議論したが,軍隊がこれを武力で解散させた際には現場を離れていたために難を逃れ,ミャンマーの南部で僧侶になって約3か月間潜伏していた,④ 1988(昭和63)年,日本に寄港するミャンマーの船の船員らから募金を集めてタイに行き,現金計80万円や薬品・衣服などを同地にいたGと次兄に渡して,同地に逃れてきていた反政府活動家を援助したほか(送金などの手続によらず,わざわざ持参したのは,Aと一緒にタイに行って親戚に会いたいという考えもあった。),次兄が参加していたDYFという組織の会議に出席するなどした,⑤ タイから日本に帰った後も,日タイ間を往復するミャンマー船で働いている船員たちを通じて4,5回程度資金や医薬品,衣類等を援助したり,ネ・ウィン政権が反政府活動を武力で弾圧した場面を撮影したNHK番組のビデオやポスターを見せるなどした,⑥ 1987(昭和62)年1月に発給されたパスポートの有効期限が切れた1990(平成2)年1月にその再発行の手続を受けようとしたが,当時1か月に30万円余りの収入があったために再発行に必要な税金を支払う旨申し入れたにもかかわらず,在京ミャンマー大使館の職員は必要な申請書を郵送しようとはせず,かえって「自分のやったことは知っているでしょう。」「捕まえて国に返す。」などと言って取り合ってくれなかったが,あきらめずに1997(平成9)年ころまで勤め先の住所に申請書を送るよう手紙で依頼をし続けた,⑦ 1990(平成3)年にウ・ヌーの娘であるDからの手紙を受け取ったが,その中には,電話で反政府に関わる会話をすると帰国時に捕まるから注意するようにとの記述があったところ,原告は既に同人に対し,タイに資金を持っていったことや,日本のNHKでミャンマー政府の悪行について報道した内容などを話した後であった,⑧ 1991(平成3)年以降,反政府活動を行わなかった理由は,同年末に交通事故に遭ったことと,翌年に当時勤めていた神戸スターという会社が破産し,ミャンマー人船員と接触する機会がなくなったことからである,⑨ 刑務所において服役中は,出所したらまたAと暮らそうと思っており,同人がいる以上は本邦に残留できると思っていたが,出所してすぐに西日本センターに送られたため,本国へ送還される可能性を具体的に認識し,また,そのころミャンマーの状況が悪化していることを知らせる甥からの手紙を読んで恐ろしくなり,本件申請をすることになった,⑩ 現在では,本邦でミャンマー政府に対しアウンサン・スーチーの解放や民主化を求める抗議活動に関与している,などとビルマ語の通訳を介して供述した。【甲24,原告本人】
(2)  上記認定事実のとおり,原告がその難民性を基礎付ける事情として主張している事実のうち,ウ・ヌー及びウ・タントがその親族であるとの点は,いずれも真実であると認められ,これらを認めるに足りる証拠がないとした本件処分及び本件裁決には,事実の誤認があるというほかない。そして,既に前記1(2)において説示したとおり,難民認定申請者が,その出身国の政権と敵対する有力な一族に属しており,かつ,そのことを理由にして迫害を受けるおそれがあるのであれば,難民に該当するというべきである。
しかしながら,上記(1)で認定した事実及び前提となる事実等で摘示した事実を総合すれば,① SPDCが,1974(昭和49)年に死亡したウ・タントの親族であるというだけの理由で,その者を自らにとって敵対的であるとみなしていると考えるべき根拠は特段見当たらず,本件申請書にも原告がウ・タントの親族である事実が迫害の理由となることをうかがわせる記載がないことに加え,② 原告の父がかつて投獄されたことが仮に事実であるとしても,同人が当時ミャンマー国内でネ・ウィン政権に敵対する政治活動を展開していたことによるものであった様子がうかがわれるのであって(証人C),原告の母及び2人の姉,ウ・ヌーの娘の1人Dはいずれもミャンマー国内に居住しており,同人らが投獄等の迫害を受けていることをうかがわせる証拠も全くないこと,③ 原告が,真正な旅券と出国ビザを得て1982(昭和57)年にミャンマーを出国して本邦に上陸・滞在し,その後1987(昭和62)年に最終的に本邦に上陸するまでの間,同様に正規の旅券を用いてミャンマーに計2回の出入国を繰り返していたところ,原告が当時の本国政府から反体制派に属するとみなされていたのであれば,このような自由な出入国が容認されたとは考え難いこと,④ 原告の兄の1人Jがオランダにおいて難民として認定された理由は,反政府活動に加わってインセン刑務所に投獄され,ADSBの幹部としてタイで活動していたというその経歴そのものがミャンマー政権による迫害を招くに十分であるとみなされたものと推認することができ,同人がウ・ヌーないしウ・タントの親族であること自体によるものとは解し難いこと,⑤ 原告のもう1人の兄Kはタイの難民キャンプで死亡したものの,同人がその生前において積極的に反政府活動に従事していたと認めるに足りる客観的証拠はないこと,⑥ ウ・ヌー自身も1980(昭和55)年には恩赦でミャンマーへの帰国を許され,1988(昭和63)年の反政府運動に関与したためにその後約3年間は自宅軟禁下に置かれたものの,その死亡直前には息子でADSBの最高幹部として軍事政権に対する武力闘争に関与し,死刑判決を受けたCとの空港での一時的な面会まで許されていたこと,などが認められ,以上によれば,ウ・タントやウ・ヌーの一族に属する者が,そのこと自体からSPDCから敵対者とみなされているとまで認めるに足りる証拠はないというべきである。
(3)  これに対し,原告は,ウ・タントやウ・ヌーはともに民主化の象徴となり得る存在であって,ミャンマー政府はこれらの者の親類が民主化運動の指導者として担ぎ出される可能性を懸念している旨主張する。しかしながら,前記のとおり,原告の親族のうちにはミャンマーに長年在住し続けている者もおり(原告は,親族の中で本国にとどまっているのはほとんどが女性であると指摘するが,同国においても女性が傑出した政治的指導者になり得ると認識されていることは,アウンサン・スーチーの例から明らかである。),その中には比較的社会的地位の高い者や,ウ・ヌーの娘を始め原告よりも血縁的にウ・タントやウ・ヌーに近い者がいることからすると,親族の一人とはいえウ・ヌーやウ・タントとの血縁が遠い上,前記認定のような学歴,経歴を有するにすぎない原告について,SPDCが現時点で原告が主張する前記のような懸念を有しているとは認め難い。
(4)  次に,原告がその政治的意見を理由として迫害されるべき十分に根拠のある理由があるか否かについて検討するに,上記(1)で認定した事実を総合すれば,① 原告がウ・タント騒動で中心的役割を果たした,との供述については,これを裏付けるに足りる客観的な証拠がないことはもとより,後記のとおり他の客観的事実等に照らして信用することができないこと,② 原告が,平成元年から平成3年にかけて,仕事上接するミャンマー人船員に対し,民主化運動に関するビデオを見せたり,タイにいる同志に資金や医薬品,衣類等を送るよう依頼するなどの活動をしたとの供述については,そもそも,本件処分に対する異議申出段階で初めて言及し始めた事由であることに加え,これを裏付けるに足りる的確な証拠もなく,前記認定事実からして原告がその仕事上の立場を利用する形でミャンマーからの難民への援助物資の送付手続に何らかの関与をしたことがあった可能性までは否定し切れないとしても,そのような活動に原告が供述するような態様で積極的にかかわっていたとは到底認め難いこと,③ 原告が,1988(昭和63)年末にAと共にバンコクを訪れた際,親戚らを介して当時ミャンマーから逃れてきていた反体制派の難民に40万円ないし80万円程度の資金や衣服等を援助したこと自体は,単発的な行為にすぎない上,原告自身がそのための出捐を一部なりとも担ったか否かすら明らかではなく,反体制活動に対する関与の形態も,デモへの参加やメディアにおける政権批判等に比べると非公然性が高くかつ間接的なものにすぎないことなどにかんがみると,いかにミャンマー政府のタイにおける情報網が発達しているとしても,当該政府が原告の上記活動をとらえて原告がタイにおいて重大な反政府活動に関与した要注意人物であるとの認識を抱くとはにわかに考え難いのみならず,そもそも,原告本人の本法廷における供述や,当初はAとバンコクで婚姻する予定であり,そのために昭和62年4月に本邦に入国する前の数か月間Gのアパートに滞在していたという原告の退去強制手続における供述等に照らすと,原告が昭和63年末にバンコクを訪問したのは,ミャンマーの反体制派を支援するというより,年末年始の休暇の時期に,同地に入院していたウ・タントの妻を見舞うとともに,同人を含む自らの親戚に対し,当時結婚して約1年であったAを紹介するという私的な目的が主であったと推認することができること,④ 原告が1985(昭和60)年にミャンマーに約2年9か月ぶりに帰国した際,空港で厳しい身体検査や所持品検査を受けた上,数時間にわたって尋問を受けたという事実が仮にあるとしても,同国では,長年外国に滞在していた国民が帰国した場合,反体制派との接触を疑われて尋問を受ける事例は珍しくないことに照らすと,それだけでは原告が反体制派に属する要注意人物であると軍事政権に疑われていたとまでは認めることができず,かえって,その後に原告が特段の障害もなく同国からの出入国を繰り返していることにかんがみれば,少なくとも昭和62年1月にミャンマーを出国するまでは,軍事政権から反体制派との関わりを特段疑われていなかったと推認するのが自然であること,⑤ 平成2年1月に有効期限が到来した旅券の更新を在京ミャンマー大使館で受けることができなかった主な原因は,原告の退去強制手続における供述から,当時「日本人の配偶者」として本邦における安定的な在留資格を有していた原告が,旅券の有効期限の更新のために必要な多額の手数料をミャンマー政府に支払う必要性を強く感じておらず,これを支払わないままに更新を受けようとしたからであることがうかがわれ,他にこれを覆すに足りる十分な証拠もないこと(原告は,自身の日本語での会話能力が不十分であるとして,日本語で行われた退去強制手続におけるその供述の信用性を否定するが,その滞日歴が約20年に及んでいることや,日本人であるAと約10年にわたって婚姻生活を営み,その後も日本人の友人と同居していたこと,原告が日本人のホームレスと交歓することも多かったことなどに照らすと,少なくとも会話に関する限り,原告の日本語能力が不十分であったと推認することは困難である。),⑥ 原告のその本国や我が国におけるこれまでの生活状況等に照らし,SPDCが原告について反政府運動の指導者的地位に立つ資質を有する警戒すべき人物であると判断することは容易に想定し難いこと,が認められる。以上によれば,原告には,本件処分時において,その政治的意見を理由としてミャンマー政府から迫害を受けることをおそれるべき客観的事情があったと認めることはできないというほかない。
(5)  これに対し,原告は,自身がウ・タント騒動で中心的な役割を果たしたことは事実である旨主張し,原告本人及び証人Cの供述中にもこれに沿う部分がある。しかしながら,原告は当時ラングーン大学で通信課程の1年生にすぎなかったところ,同人自身の供述によっても,同人の役割は食料の調達等であったというのであって,たとい同人がウ・タントの親族であった事実を考慮しても,原告の兄はともかく,原告本人が上記騒動において中心的な役割を果たしたとはにわかに信じ難い上,証人Cのこの点に関する供述も伝聞に基づくものにすぎない。のみならず,原告がネ・ウィン将軍の写真を引き下ろしたという,本来は最も印象的かつ象徴的であるべき事実に難民調査手続(しかも,同手続における事情聴取はビルマ語の通訳を介して行われた。)等で一切言及することなく,本訴において初めて供述するなど,同騒動における役割についてのその供述の変遷経緯が不自然である上,既に摘示したように,原告は同騒動の約8年後には正規の旅券の発給を受けてミャンマーを適法に出国していたことなどに照らすと,原告が上記騒動に何らかの形で関与した事実が仮にあったとしても,軍事政権がその事実を把握し,かつ,これを脅威に感じていたと認めることはできない。
また,原告は,本邦を訪れたミャンマー人船員に対してアウンサン・スーチーのビデオを見せるなどの活動をした旨主張するが,原告がこのような主張を明示的に行い始めたのは本訴になってからであり(本件申請書には,ビルマ語で「人が持ってきた政府のたくさんのTVニュースをコピーして配ったりしました。」との旨の記載があることが認められるが(乙26),その趣旨は必ずしも明らかではない。),退去強制手続においてはもとより,ビルマ語の通訳を介した難民認定手続における調査でも同様の供述はしていなかったことに照らすと,そのような働きかけを原告が行ったこと自体認め難い。
さらに,原告は,ミャンマーにいた親族らとの電話の中で,原告がSPDCについて批判的な言葉を口にし,そのことが盗聴等によって政権側に知られている可能性が高いとも主張する。確かに,政権側によって盗聴されていた原告の親族に対する電話でのやり取りにおいて,原告が政権を批判する内容を口にした可能性があることは否定できないが,デモ等と異なり,電話における会話で政権を批判したとしても,性質上その伝播力は弱いことが明らかである上,原告の供述によっても,その批判の内容は,NHKがミャンマー政府による弾圧に関する番組を放映している事実があること等を伝えるという程度のものであって,いずれにせよ,SPDCにおいて真剣に原告への対抗策を講じさせるような性質を有するとは認められない。
加えて,原告は,有効な旅券を保持せずに帰国した場合,ミャンマーの出入国管理法に違反したことを理由として処罰されるから,これが迫害に当たる旨主張する。しかしながら,原告がミャンマーの国内法に違反することによって処罰される可能性があるとしても,それは政治的理由に基づくものではないから,難民条約にいう迫害に直ちに当たるものではない上(証拠(甲7)によれば,イギリス内務省も,有効な旅券のないまま帰国したミャンマー人が同国法によって処罰をされるのはそれが同国法上犯罪を構成するからであって,その者の難民該当性を直接基礎付けるものではないと判断していることが認められる。),また,本件全証拠によっても,期限切れではあるが正規に発給されたパスポートを現に所持している原告が,在京ミャンマー大使館に対して正規の手数料を支払うことによってもその更新を受け得ないと断定するに足りる根拠はないというほかない。また,原告が本件申請を行ったことについて,ミャンマー政府が個別に把握していると認めるに足りる証拠もない上,仮に同国政府がその事実を把握していたとしても,前記認定事実に照らすと,それが直ちに迫害のおそれにつながるとも解し難い。
なお,原告の親族らが,原告が帰国によってその身に危険が生じかねないと懸念していることは,その書簡等の内容からうかがわれるが,上記(1)で認定した事実に照らすと,原告が帰国した場合,原告が我が国に長期滞在していたという事実ゆえに,外国での長期滞在を終えて帰国する国民一般に対する取扱いの一環として,SPDCから監視下に置かれたり,尋問を受ける可能性があることまでは否定できないとしても,本件全証拠を総合しても,特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に原告のみならず通常人もSPDCから迫害を受けるとの恐怖を抱くであろうような客観的事情の存在をうかがわせる証拠までは存在しないというべきである。
また,原告が健康上の問題を抱えており,我が国における方がより適切な治療を受けることができるであろうことは認められるが,その病状は一応安定しており,重篤であるとまでは認められない上,そもそも,原告の健康状態は,同人に在留特別許可を与えるか否かの判断等においては格別,その難民性を基礎付ける事実としては無関係というべきであって,その主張自体失当というほかはない。
(6)  以上のとおり,原告が難民に該当すると認めるに足りる証拠はない。
3  したがって,原告が難民条約1条の規定又は難民議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民に該当すると認めるに足りる証拠はないことに帰するから,その余の点について判断するまでもなく,本件処分に違法な点があるとは認められない。
4  また,原告は,本件裁決につきその固有の違法事由を主張していない上,本件全証拠に照らしても,本件裁決につき手続上の瑕疵があることを疑わせるような事情は認められない。
第4  結論
以上のとおりであるから,原告の請求は理由がないのでいずれも棄却することとし,訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条,民訴法61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 西川知一郎 裁判官 岡田幸人 裁判官 石川慧子)

 

〈以下省略〉

 

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政治と選挙の裁判例「国政政党 地域政党 政治塾 政経塾 個人(単独)ポスター」に関する裁判例一覧
(1)平成21年 1月20日 東京地裁 平19(行ウ)649号・平19(行ウ)650号 難民の認定をしない処分取消等請求事件 〔ミャンマー人強制退去訴訟〕
(2)平成20年12月26日 静岡地裁 平17(行ウ)28号 政務調査費返還請求事件
(3)平成20年12月 1日 仙台地裁 平19(行ウ)17号 政務調査費返還履行等請求事件
(4)平成20年11月28日 東京地裁 平19(行ウ)435号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(5)平成20年11月27日 東京地裁 平19(行ウ)70号・平20(行ウ)17号・平20(行ウ)18号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(6)平成20年11月26日 東京地裁 平19(行ウ)512号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(7)平成20年11月19日 東京地裁 平19(ワ)15568号 損害賠償等請求事件
(8)平成20年11月13日 東京地裁 平19(行ウ)76号・平19(行ウ)436号 在留特別許可をしない処分無効確認請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(9)平成20年11月12日 大阪高裁 平20(ネ)1189号・平20(ネ)1764号 債務不存在確認等請求控訴、会費請求反訴事件
(10)平成20年11月10日 松江地裁 平18(行ウ)8号 政務調査費返還請求事件
(11)平成20年10月31日 東京地裁 平18(行ウ)531号・平18(行ウ)549号・平19(行ウ)556号・平19(行ウ)578号 在留を特別に許可しない処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(12)平成20年10月31日 東京地裁 平19(ワ)17519号 損害賠償請求事件
(13)平成20年10月28日 東京地裁 平20(ワ)16346号 損害賠償等請求事件
(14)平成20年10月 8日 東京地裁 平13(ワ)12188号・平14(ワ)21402号 各損害賠償請求事件
(15)平成20年 9月29日 東京高裁 平20(う)1187号 脅迫被告事件
(16)平成20年 9月26日 東京地裁 平19(行ウ)530号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(17)平成20年 9月26日 東京地裁 平19(行ウ)358号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(18)平成20年 9月19日 東京地裁 平19(行ウ)520号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(19)平成20年 9月19日 東京地裁 平17(特わ)5633号 国家公務員法被告事件
(20)平成20年 9月 9日 東京地裁 平18(ワ)18306号 損害賠償等請求事件
(21)平成20年 9月 5日 東京地裁 平19(行ウ)485号・平19(行ウ)508号 難民の認定をしない処分取消等請求事件、在留特別許可をしない処分無効確認請求事件
(22)平成20年 9月 5日 東京地裁 平19(行ウ)462号 不当利得返還(住民訴訟)請求事件
(23)平成20年 8月22日 東京地裁 平18(行ウ)528号・平19(行ウ)359号 在留を特別に許可しない処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(24)平成20年 7月17日 東京高裁 平20(行コ)15号 公文書非開示処分取消等請求控訴事件
(25)平成20年 7月16日 東京地裁 平18(行ウ)693号・平19(行ウ)587号 難民の認定をしない処分取消等請求事件、退去強制令書発付処分取消等請求事件
(26)平成20年 7月 7日 札幌地裁 平18(行ウ)13号 懲戒処分取消請求事件
(27)平成20年 6月27日 東京地裁 平18(行ウ)595号・平19(行ウ)328号 在留を特別に許可しない処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(28)平成20年 6月26日 那覇地裁沖縄支部 平14(ワ)513号・平15(ワ)171号 普天間米軍基地爆音差止等請求事件 〔普天間基地騒音公害訴訟・第一審〕
(29)平成20年 5月30日 東京地裁 平19(行ウ)142号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(30)平成20年 5月22日 東京地裁 平18(行ウ)477号・平19(行ウ)50号・平19(行ウ)51号・平19(行ウ)52号・平19(行ウ)53号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(31)平成20年 5月16日 大阪地裁 平19(行ウ)159号 町議会議員辞職許可無効確認等請求事件
(32)平成20年 5月 8日 松江地裁 平20(む)40号 証拠開示を命ずる旨の裁定の請求事件
(33)平成20年 4月24日 名古屋地裁 平18(行ウ)46号 退去強制令書発付処分取消請求事件
(34)平成20年 4月22日 東京地裁 平18(ワ)21980号 地位確認等請求事件 〔財団法人市川房江記念会事件〕
(35)平成20年 4月16日 東京地裁 平18(行ウ)752号・平18(行ウ)754号・平19(行ウ)548号・平19(行ウ)565号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(36)平成20年 4月16日 東京地裁 平17(ワ)7357号 出版物の発行差止等請求事件
(37)平成20年 4月11日 最高裁第二小法廷 平17(あ)2652号 住居侵入被告事件 〔立川反戦ビラ事件・上告審〕
(38)平成20年 4月11日 東京地裁 平18(行ウ)410号・平18(行ウ)542号 難民の認定をしない処分取消等請求事件、退去強制令書発付処分取消等請求事件
(39)平成20年 3月28日 東京地裁 平18(行ウ)596号・平18(行ウ)609号・平19(行ウ)115号・平19(行ウ)116号 在留を特別に許可しない処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(40)平成20年 3月27日 最高裁第三小法廷 平18(あ)348号 受託収賄被告事件 〔KSD事件〕
(41)平成20年 3月27日 東京地裁 平18(ワ)18305号 損害賠償等請求事件
(42)平成20年 3月26日 東京地裁 平19(行ウ)71号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(43)平成20年 3月25日 東京地裁 平19(行ウ)14号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(44)平成20年 3月24日 仙台地裁 平18(行ウ)4号 政務調査費返還代位請求事件
(45)平成20年 3月21日 東京地裁 平19(行ウ)196号 損害賠償(住民訴訟)請求事件 〔目黒区長新年会費公金支出損害賠償請求住民訴訟事件〕
(46)平成20年 3月17日 東京地裁 平17(行ウ)524号・平18(行ウ)224号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分取消等請求事件
(47)平成20年 3月14日 和歌山地裁田辺支部 平18(ワ)167号 債務不存在確認等請求事件
(48)平成20年 3月12日 名古屋地裁 平18(行ウ)38号 帰化申請不許可処分取消等請求事件
(49)平成20年 3月11日 仙台地裁 平13(行ウ)12号 行政文書非開示処分取消請求事件
(50)平成20年 2月29日 東京地裁 平18(行ウ)552号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(51)平成20年 2月28日 神戸地裁尼崎支部 平17(ワ)213号・平17(ワ)327号 解雇無効確認等請求事件、損害賠償等請求事件
(52)平成20年 2月27日 東京地裁 平14(行ウ)418号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(53)平成20年 2月21日 東京地裁 平19(行ウ)43号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(54)平成20年 2月21日 東京地裁 平17(行ウ)493号・平18(行ウ)451号・平18(行ウ)452号・平18(行ウ)453号・平18(行ウ)706号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件、訴えの追加的併合申立て事件
(55)平成20年 2月18日 東京地裁 平18(行ウ)433号・平18(行ウ)434号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(56)平成20年 2月 8日 東京地裁 平18(行ウ)491号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(57)平成20年 2月 7日 東京地裁 平18(行ウ)547号・平18(行ウ)548号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分取消等請求事件
(58)平成20年 1月25日 東京地裁 平17(ワ)23269号 損害賠償請求事件 〔規制緩和政策タクシー訴訟〕
(59)平成20年 1月22日 東京地裁 平19(ワ)12276号 職務執行禁止請求事件
(60)平成20年 1月21日 東京地裁 平17(行ウ)405号・平18(行ウ)315号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(61)平成20年 1月17日 東京地裁 平17(行ウ)492号・平18(行ウ)233号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(62)平成20年 1月16日 東京地裁 平18(行ウ)409号・平18(行ウ)415号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(63)平成20年 1月10日 東京地裁 平19(ワ)20886号 損害賠償等請求事件
(64)平成19年12月21日 東京地裁 平17(行ウ)494号・平18(行ウ)330号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(65)平成19年12月20日 仙台高裁 平19(行コ)15号 政務調査費返還代位請求控訴事件
(66)平成19年12月20日 東京地裁 平19(行ウ)286号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(67)平成19年12月19日 仙台高裁 平19(行コ)14号 政務調査費返還等代位請求控訴事件
(68)平成19年12月18日 東京地裁 平18(ワ)22942号 謝罪広告等請求事件
(69)平成19年12月11日 東京高裁 平18(う)2754号 住居侵入被告事件 〔葛飾政党ビラ配布事件・控訴審〕
(70)平成19年12月10日 東京地裁 平18(ワ)28336号 慰謝料等請求事件
(71)平成19年11月26日 東京地裁 平18(行ウ)160号 不当労働行為救済命令一部取消請求事件
(72)平成19年11月26日 東京地裁 平17(行ウ)393号・平17(行ウ)394 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(73)平成19年11月22日 仙台高裁 平19(行ケ)2号 裁決取消等請求事件
(74)平成19年11月22日 大阪地裁 平17(わ)6219号 公職選挙法違反被告事件
(75)平成19年11月21日 大阪地裁 平17(行ウ)54号 難民不認定処分取消等請求事件
(76)平成19年11月14日 東京地裁 平14(行ウ)251号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(77)平成19年11月13日 仙台地裁 平15(行ウ)30号 政務調査費返還代位請求事件
(78)平成19年11月 6日 東京地裁 平18(行ウ)331号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(79)平成19年11月 2日 東京地裁 平17(行ウ)431号・平17(行ウ)511号 難民の認定をしない処分取消請求事件、不法残留認定処分取消請求事件
(80)平成19年10月31日 東京地裁 平17(行ウ)450号・平18(行ウ)192号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分取消等請求事件
(81)平成19年10月25日 東京地裁 平17(行ウ)490号・平18(行ウ)310号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(82)平成19年10月12日 長野地裁 平17(行ウ)16号 政務調査費返還請求権行使請求事件
(83)平成19年 9月27日 名古屋地裁 平18(ワ)3715号 弁護士報酬等請求事件
(84)平成19年 9月26日 東京地裁 平17(行ウ)408号・平18(行ウ)274号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(85)平成19年 9月21日 東京地裁 平16(行ウ)404号・平17(行ウ)141号 退去強制令書発付処分無効確認請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(86)平成19年 9月14日 東京地裁 平18(行ウ)289号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(87)平成19年 9月12日 東京地裁 平17(行ウ)34号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(88)平成19年 9月 7日 福岡高裁 平18(う)116号 公職選挙法違反被告事件
(89)平成19年 9月 6日 東京地裁 平17(行ウ)138号 損害賠償請求事件
(90)平成19年 8月31日 東京地裁 平15(行ウ)645号・平18(行ウ)189号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分取消等請求事件
(91)平成19年 8月30日 東京地裁 平16(行ウ)144号・平18(行ウ)170号・平18(行ウ)171号 退去強制令書発付処分等取消請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(92)平成19年 8月30日 東京地裁 平17(ワ)21062号 地位確認等請求事件
(93)平成19年 8月30日 大阪地裁 平19(行ウ)83号 行政文書不開示決定処分取消等請求事件
(94)平成19年 8月29日 東京地裁 平14(行ウ)248号・平14(行ウ)306号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(95)平成19年 8月22日 東京地裁 平14(行ウ)245号・平14(行ウ)307号 退去強制令書発付処分取消等消請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(96)平成19年 8月10日 東京地裁 平18(ワ)19755号 謝罪広告等請求事件
(97)平成19年 7月27日 東京地裁 平17(行ウ)102号・平17(行ウ)438号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(98)平成19年 7月20日 東京地裁 平17(行ウ)365号・平18(行ウ)217号・平18(行ウ)327号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件、在留特別許可をしない処分取消等請求事件
(99)平成19年 7月19日 東京地裁 平16(行ウ)536号・平17(行ウ)539号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分無効確認請求事件
(100)平成19年 7月17日 神戸地裁尼崎支部 平17(ワ)1227号 総会決議一部無効確認等請求事件


政治と選挙の裁判例(裁判例リスト)

■「選挙 コンサルタント」に関する裁判例一覧【1-101】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-consultant/

■「選挙 立候補」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-rikkouho/

■「政治活動 選挙運動」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seijikatsudou-senkyoundou/

■「公職選挙法 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kousyokusenkyohou-poster/

■「選挙 ビラ チラシ」に関する裁判例一覧【1~49】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-bira-chirashi/

■「政務活動費 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seimu-katsudouhi-poster/

■「演説会 告知 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/senkyo-seiji-enzetsukai-kokuchi-poster/

■「公職選挙法 ポスター 掲示交渉」に関する裁判例一覧【101~210】
https://www.senkyo.win/kousyokusenkyohou-negotiate-put-up-poster/

■「政治ポスター貼り 公職選挙法 解釈」に関する裁判例一覧【211~327】
https://www.senkyo.win/political-poster-kousyokusenkyohou-explanation/

■「公職選挙法」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kousyokusenkyohou/

■「選挙 公報 広報 ポスター ビラ」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/senkyo-kouhou-poster-bira/

■「選挙妨害」に関する裁判例一覧【1~90】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-bougai-poster/

■「二連(三連)ポスター 政党 公認 候補者」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-2ren-3ren-poster-political-party-official-candidate/

■「個人(単独)ポスター 政党 公認 候補者」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kojin-tandoku-poster-political-party-official-candidate/

■「政党 公認 候補者 公募 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-political-party-official-candidate-koubo-poster/

■「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 議員 政治家」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokuji-kouji-kouei-kousetsu-keijiban-poster-political-party-politician/

■「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 公報 広報」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokuji-kouji-kouei-kousetsu-keijiban-poster-political-party-campaign-bulletin-gazette-public-relations/

■「国政政党 地域政党 二連(三連)ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokusei-seitou-chiiki-seitou-2ren-3ren-poster/

■「国政政党 地域政党 個人(単独)ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokusei-seitou-chiiki-seitou-kojin-tandoku-poster/

■「公認 候補者 公募 ポスター 国政政党 地域政党」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-official-candidate-koubo-poster-kokusei-seitou-chiiki-seitou/

■「政治団体 公認 候補者 告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-political-organization-official-candidate-kokuji-kouji-kouei-kousetsu-keijiban-poster/

■「政治団体 後援会 選挙事務所 候補者 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-political-organization-kouenkai-senkyo-jimusho-official-candidate-poster/

■「政党 衆議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-shuugiin-giin-poster/

■「政党 参議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-sangiin-giin-poster/

■「政党 地方議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-chihou-giin-poster/

■「政党 代議士 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-daigishi-giin-poster/

■「政党 ポスター貼り ボランティア」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-poster-hari-volunteer/

■「政党 党員 入党 入会 獲得 募集 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-touin-nyuutou-nyuukai-kakutoku-boshuu-daikou/

■「政治団体 党員 入党 入会 獲得 募集 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seiji-dantai-nyuutou-nyuukai-kakutoku-boshuu-daikou/

■「後援会 入会 募集 獲得 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kouenkai-nyuukai-boshuu-kakutoku-daikou/


■選挙の種類一覧
選挙①【衆議院議員総選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙②【参議院議員通常選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙③【一般選挙(地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙④【特別選挙(国政選挙|地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)


【資料】政治活動用事前街頭ポスター新規掲示交渉実績一覧【PRドットウィン!】選挙,ポスター,貼り,代行,ポスター貼り,業者,選挙,ポスター,貼り,業者,ポスター,貼り,依頼,タウン,ポスター,ポスター,貼る,許可,ポスター,貼ってもらう,頼み方,ポスター,貼れる場所,ポスター,貼付,街,貼り,ポスター,政治活動ポスター,演説会,告知,選挙ポスター,イラスト,選挙ポスター,画像,明るい選挙ポスター,書き方,明るい選挙ポスター,東京,中学生,選挙ポスター,デザイン


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(8)貼る専門!ポスター新規掲示! ☆貼!勝つ!広報活動・事前街頭(単独/二連)選挙ポスター!
政治活動/選挙運動ポスター貼り 勝つ!選挙広報支援事前ポスター 1枚から貼る事前選挙ポスター!
「政治活動・選挙運動ポスターを貼りたい!」という選挙立候補(予定)者のための、選挙広報支援プロ集団「選挙.WIN!」の事前街頭ポスター新規掲示プランです。

(9)選挙立札看板設置/証票申請代行 絶対ここに設置したい!選挙立札看板(選挙事務所/後援会連絡所)
選挙事務所/後援会連絡所届出代行 公職選挙法の上限/立て札看板設置 1台から可能な選挙立札看板設置
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