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政治と選挙Q&A「公認 候補者 公募 ポスター 新人 戸別訪問 国政政党 地域政党」に関する裁判例(31)平成19年 3月 6日 東京地裁 平17(行ウ)111号・平17(行ウ)113号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分無効確認請求事件

政治と選挙Q&A「公認 候補者 公募 ポスター 新人 戸別訪問 国政政党 地域政党」に関する裁判例(31)平成19年 3月 6日 東京地裁 平17(行ウ)111号・平17(行ウ)113号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分無効確認請求事件

裁判年月日  平成19年 3月 6日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平17(行ウ)111号・平17(行ウ)113号
事件名  難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分無効確認請求事件
裁判結果  一部認容  文献番号  2007WLJPCA03068005

要旨
◆ミャンマー連邦国籍の原告が、退去強制対象者の認定の異議申出に理由がない旨の裁決及び退去強制令書発付処分並びに難民不認定処分の取消しを求めた事案において、原告の難民認定の申請は60日条項に反するが、原告は軍情報部から注視される存在であり、2度にわたり逮捕、拘束され、政治運動をしないこと及び軍事政府を支持する旨の誓約にも関わらず、その後、CNFを支援したため、本国の実家を軍関係者が訪れ、家族が脅迫されたことなどから、退去強制発付処分及び難民不認定処分当時、原告は出入国管理及び難民認定法上の難民に該当しており、そのことを一切考慮しなかった本件裁決は無効で、これに従った退去強制処分も無効であるとした事例

参照条文
出入国管理及び難民認定法2条3号の2
難民の地位に関する条約1条
難民の地位に関する条約33条1
難民の地位に関する議定書1条
拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約3条1

裁判年月日  平成19年 3月 6日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平17(行ウ)111号・平17(行ウ)113号
事件名  難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分無効確認請求事件
裁判結果  一部認容  文献番号  2007WLJPCA03068005

平成17年(行ウ)第111号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(以下「甲事件」という。)

平成17年(行ウ)第113号 退去強制令書発付処分無効確認請求事件
(以下「乙事件」という。)

東京都品川区〈以下省略〉
甲,乙事件原告 X
訴訟代理人弁護士 伊藤和夫
高橋融
梓澤和幸
市川正司
伊藤敬史
岩重佳治
打越さく良
近藤博徳
猿田佐世
鈴木眞
鈴木雅子
田島浩
濱野泰嘉
原啓一郎
樋渡俊一
福地直樹
毛受久
山﨑健
山口元一
山本健一
渡邉彰悟
訴訟復代理人弁護士 白鳥玲子
村上一也
谷口太規
水内麻起子
島薗佐紀
東京都千代田区〈以下省略〉
甲事件被告 法務大臣長勢甚遠
東京都港区〈以下省略〉
乙事件被告 東京入国管理局主任審査官Y
上記両名指定代理人 中島千絵美
佐藤巧
廣川一己
中嶋一哉
宮林昭次
河村順一
村松順也
石橋美代子
上元哲也
甲事件被告指定代理人 久保礼子
丸岡敬
川畑豊隆

 

 

主文

1  乙事件被告が甲,乙事件原告に対して平成16年9月1日付けでした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。
2  甲,乙事件原告の甲事件被告に対する請求を棄却する。
3  訴訟費用は,全事件を通じて,甲,乙事件原告と甲事件被告との間においては,その全部を甲,乙事件原告の負担とし,甲,乙事件原告と乙事件被告との間においては,甲,乙事件原告に生じた費用の2分の1を乙事件被告の負担とし,その余は各自の負担とする。

 

 

事実及び理由

第1  請求
1  甲事件
甲事件被告が甲,乙事件原告に対して平成16年9月1日付けでした難民の認定をしない旨の処分を取り消す。
2  乙事件
主文第1項と同旨
第2  事案の概要
甲事件は,ミャンマー連邦(ミャンマー連邦は,平成元年に名称をビルマ連邦社会主義共和国から改称したものであるが,以下,改称の前後を区別することなく,同国を「ミャンマー」という。)の国籍を有する男性である甲,乙事件原告(以下「原告」という。)が,出入国管理及び難民認定法(平成16年法律第73号による改正前のもの。以下「入管法」という。)61条の2第1項に基づき難民の認定を申請したところ,甲事件被告(以下「被告法務大臣」という。)から難民の認定をしない旨の処分を受け,さらに,入管法61条の2の4に基づく異議の申出についても,被告法務大臣から理由がない旨の決定を受けたため,原告が「難民」に該当するのにこれを認めなかった上記不認定処分は違法であるなどと主張して,同処分の取消しを求める事案である。
乙事件は,原告が,東京入国管理局(以下「東京入管」という。)入国審査官から入管法24条6号(不法残留)に該当する旨の認定を受け,次いで,東京入管特別審理官から同認定に誤りがない旨の判定を受け,さらに,被告法務大臣から異議の申出には理由がない旨の裁決を受けたため,乙事件被告(以下「被告主任審査官」という。)からミャンマーを送還先とする退去強制令書の発付を受けたところ,難民である原告に対して本国を送還先とする退去強制令書を発付することは,難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)33条1並びに拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(以下「拷問等禁止条約」という。)3条1が規定するノン・ルフールマン原則に違反し,重大かつ明白な違法があるなどと主張して,上記退去強制令書発付処分が無効であることの確認を求める事案である。
1  前提事実
本件の前提事実は,次のとおりである。なお,証拠若しくは弁論の全趣旨により容易に認めることのできる事実又は当裁判所に顕著な事実は,その旨付記しており,それ以外の事実は,当事者間に争いがない。
(1)  原告の身分事項
原告は,昭和38年○月○日,ミャンマーにおいて出生したミャンマー国籍を有する外国人の男性である(甲35,乙1)。
(2)  原告の入国及び在留の状況
ア 原告は,平成3年4月4日,台湾船籍の漁船の船員として,清水港に到着し,名古屋入国管理局清水港出張所入国審査官から乗員上陸許可を受け,本邦に上陸したが,同船に帰船せず行方不明となり,上記上陸許可期限である同月11日を超えて,本邦に不法に残留した(乙2から6)。
イ 原告は,本邦に上陸後,東京都内の居酒屋で就労を開始し,その後,逮捕されるまでの約13年間,中華料理店,うどん屋,お好み焼き屋などで継続的に不法就労を行っていた(乙11,21)。
(3)  原告についての退去強制手続
ア 警視庁築地警察署警察官は,平成16年6月14日,原告を入管法違反(不法残留)容疑で逮捕した(乙8)。
イ 東京入管入国警備官は,平成16年7月5日,原告について違反調査を実施し,原告が入管法24条6号(不法残留)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,同日,被告主任審査官が同月2日付けで発付した収容令書を執行し,原告を東京入管収容場に収容した上,同月6日,原告を同号該当容疑者として東京入管入国審査官に引き渡した(乙7から9まで)。
ウ 東京入管入国審査官は,平成16年7月6日及び同月13日,東京入管において,原告について違反審査を実施し,その結果,同日,原告が入管法24条6号に該当する旨の認定を行い,原告に通知した。原告は,同日,特別審理官による口頭審理を請求した。(乙10から12まで)
エ 東京入管特別審理官は,平成16年7月28日,原告について口頭審理を実施し,その結果,東京入管入国審査官の上記認定に誤りがない旨判定し,原告に通知した。原告は,同日,被告法務大臣に対し,異議の申出をした。(乙13から15まで)
オ 被告法務大臣は,平成16年9月1日付けで,上記異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をした。本件裁決の通知を受けた被告主任審査官は,同日,原告に対し,本件裁決を通知するとともに,退去強制令書(以下「本件令書」という。)を発付した(以下,この処分を「本件退令処分」という。)。(乙16から18まで)
カ 東京入管入国警備官は,平成17年2月28日,原告を入国者収容所東日本入国管理センターに移収した(乙18)。
キ 原告は,平成17年7月14日,仮放免許可を受け,上記入国管理センターから出所した。原告は,現在も仮放免中である。(乙53,54)
(4)  原告についての難民認定手続
ア 原告は,被告法務大臣に対し,平成16年7月7日,難民の認定を申請した(乙19)。
イ 東京入管難民調査官は,平成16年8月4日,同月6日,同月10日及び同月12日,原告から事情を聴取するなどの調査をした(乙20から23まで)。
ウ 被告法務大臣は,平成16年9月1日付けで,上記難民認定申請について,「あなたは,『人種』,『宗教』及び『政治的意見』を理由とした迫害を受けるおそれがあると申し立てています。しかしながら,①あなたの供述及び提出された資料からは,あなたが本国政府から人種を理由に個別に把握され,難民条約上の迫害のおそれがあるとは認められないこと,②ミャンマーにおいてキリスト教徒であることのみを理由として迫害を受けるおそれがあるとは認められないこと,③あなたの所持する旅券によれば,あなたは本国で迫害を受けるおそれが生じたとする時以降正式に旅券の発給を受けたことが認められること等からすると,申立てを裏付けるに足りる十分な証拠があるとは認め難く,難民の地位に関する条約第1条A(2)及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認められません。また,あなたの難民認定申請は,出入国管理及び難民認定法第61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり,かつ,同項ただし書の規定を適用すべき事情も認められません。」という理由の付された難民の認定をしない旨の処分(以下「本件不認定処分」という。)をし,原告に通知した。原告は,同月7日,被告法務大臣に対し,異議の申出をした。(乙24,25)
エ 被告法務大臣は,平成16年12月21日付けで,上記異議の申出について,「あなたの原処分に対する異議申出における申立ては,原処分において申し立てた内容とほぼ同旨を申し立てるものであって,全記録により検討しても原処分に誤りはなく,平成16年9月1日付け『通知書』の理由のとおり,あなたが難民の地位に関する条約第1条A(2)及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認められません。また,あなたの難民認定申請は,出入国管理及び難民認定法第61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり,かつ,同項ただし書の規定を適用すべき事情も認められません。」として,異議の申出には理由がない旨の決定をし,同年12月24日,原告にこれを通知した(乙27)。
(5)  本件訴えの提起
原告は,平成17年3月18日,本件不認定処分の取消しを求める甲事件に係る訴え及び本件退令処分の無効確認を求める乙事件に係る訴えをそれぞれ当庁に提起した(当裁判所に顕著な事実)。
2  争点
(1)  原告の難民該当性の有無。具体的には,本件退令処分及び本件不認定処分がされた平成16年9月1日当時,原告は,①チン族であって,キリスト教徒であるという「人種」及び「宗教」,②ミャンマーにおいて,学生団体である全ビルマ学生連盟のメンバーと共に民主化運動を行ったという「政治的意見」,③インドとミャンマーとの国境付近において,CNF(チン愛国前線)を支援したという「政治的意見」,④本邦において,CNFに資金提供をしたという「政治的意見」,並びに⑤本邦において,CNC(在日チン族協会)やAUN(在日ビルマ連邦少数民族協議会)に所属してミャンマーの民主化運動を進めるという「政治的意見」を理由に,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しているために,国籍国の外にいる者ということができるか。
(2)  本件不認定処分の理由不備による違法の有無。具体的には,難民の認定をしないときは,入管法61条の2第3項に基づき,理由を付した書面をもってその旨通知しなければならないところ,本件においては,理由を付した書面により本件不認定処分の通知がされているということができるか。
(3)  いわゆる60日条項の難民条約適合性。具体的には,60日条項を規定する入管法61条の2第2項本文の規定は,難民条約に違反するか。
(4)  いわゆる60日条項違反の有無。具体的には,原告の難民認定申請は本邦上陸後60日以内にされなかったものであるところ,原告について,入管法61条の2第2項ただし書所定のやむを得ない事情が存在するか。
(5)  本件裁決の有効性。具体的には,本件裁決がされた平成16年9月1日当時,原告は,ミャンマーに送還されれば迫害を受けるおそれがあったので,在留特別許可を付与されるべきであったのに,これを付与せずにされた本件裁決は,難民条約33条1及び拷問等禁止条約3条1に違反し,被告法務大臣の有する裁量権を逸脱するなどしてされた重大かつ明白な違法があり,無効であるということができるか。
(6)  本件退令処分の有効性。具体的には,本件裁決が無効であるから,これを前提とする本件退令処分も無効であるということができるか。
3  当事者の主張の要旨
(1)  争点(1)(原告の難民該当性の有無)について
(原告の主張)
ア(ア) ミャンマーでは,昭和37年,ネ・ウィンが軍事クーデターにより全権を掌握し,ビルマ社会主義計画党によってミャンマーを一党支配した。同63年3月,ヤンゴン工科大学の一部の学生が体制に対して命懸けの抵抗を始め,同年8月後半から同年9月前半にかけて最も民主化運動が高揚した。しかし,同月18日,ミャンマー国軍の幹部20人を構成員とするSLORC(国家法秩序回復評議会)による軍事政権の成立が宣言され,それまで建前上は政治の表舞台に立つことがなかった軍が政治権力を行使することになった。
(イ) NLD(国民民主連盟)は,その書記長であったアウンサンスーチーが平成元年7月から自宅に軟禁されていたにもかかわらず,同2年5月27日,ミャンマーにおいて30年振りに複数政党が参加して実施された総選挙において,軍事政権の後押しした民族統一党に圧勝した。しかし,SLORCは,NLDに政権を委譲しなかった。軍事政権は,NLDを合法的な政党と認めているものの,その日常の政治活動を阻止し,明白な法的根拠のないままに国内各所の多くの党事務所を閉鎖したり,厳しい治安対策と脅威によって政治活動を抑圧している。例えば,アウンサンスーチーについては,同8年後半から再び自宅外へ出る自由及び訪問者を受け入れる自由を次第に制限するようになり,同10年8月,同12年8月及び同年9月の計3回にわたり,NLDの幹部と共に地方に赴こうとするアウンサンスーチーを強制的に自宅に連れ戻すという事件が起こり,その後は事実上の自宅軟禁措置を執り続け,同14年5月6日,ようやく軟禁状態を解いた。
また,同15年5月30日には,アウンサンスーチーらNLD党員が襲撃されるというディペイン事件があり,アウンサンスーチーらNLD党員が軍施設等に拘束され,その後釈放されたものの,自宅軟禁状態が現在まで続いている。現在も,NLDのメンバーらや国民の政治活動等の自由には制約が課されたままである。
(ウ) ミャンマーでは,国民及び政治活動家を尋問のために家族に通知することなく逮捕するので,これらの者が数時間から数週間にわたり行方不明となることがある。司法機関は行政機関から独立しておらず,政治的な裁判の場合には,裁判は公開されていない。
ミャンマー政府は,多くの国民の移動及び活動を綿密に監視しており,治安部隊関係者は,選択的に,私的な通信及び手紙を遮り,無令状で私有地及びその他の財産の捜索を行っている。
ミャンマーには,緊急事態法,非合法団体法,国家保護法,印刷出版登録法及びその改正法,1985年ビデオ法等,多くの政治囚を生み出すことを可能にする法律が存在する。このため,ミャンマー政府は,反政府の立場にある者を様々な法律を使って極めて簡単に処罰することが可能となっており,現にこれらの法律により多くの者が政治囚として捕らえられている。
ミャンマーでは,拷問や虐待が制度化されており,軍情報部員,刑務所の看守や警察官は,政治的理由による拘留者を尋問するとき,また,暴動をけん制するための手段として,拷問や虐待を用いている。治安部隊は,情報を引き出したり,政治犯や少数民族の人々を罰したり,軍事政権に批判的な人々に恐怖を植え付ける手段として,拷問を用いている。
イ(ア) 原告の父は,植民地時代に英国の軍隊に入り,キリスト教徒となった。除隊後,チン州ファラン市バザン村(以下「バザン村」という。)に戻り,村人たちにキリスト教の伝道を始め,村人全員がキリスト教徒となった。そのため,原告の父は,ミャンマーのキリスト教の団体から牧師として認められた。ミャンマー政府は,キリスト教が広まることを警戒しており,キリスト教を伝道する原告の父は,警察官などから何度も脅されたが,平成9年に亡くなるまで,牧師の活動を続けた。
(イ) 昭和63年8月8日,ミャンマーにおいて全国規模のデモ活動が広がり,原告も翌9日からデモ活動に参加した。その後,原告は,毎日のようにデモ活動に参加したが,同月12日,大統領のSein Lwinが辞任したため,いったんはデモ活動を休止した。しかし,その後も民主化が進まなかったため,原告はデモ活動を再開した。
同月22日,すべての省庁と全国の労働者が出勤を拒否し,すべての機関が閉鎖された。同月24日には,ヤンゴン市を統治していた軍が引き上げるとの発表があり,それ以降,原告は仲間と共に,毎朝タケタ市区のサッカー場に集まり,演説や集会を行った後,ヤンゴン市内を行進した。
同月26日,原告は,タケタ市区からアウンサンスーチーが演説しているシュエダゴンパゴダの西側まで行進した。原告は,学生連盟のメンバーらに政党の結成を相談したが,時期尚早との答えであった。
(ウ) 昭和63年9月1日,原告は,ヤンゴン市に住む姉Aの夫の兄であるB中佐を訪問した。原告は,同中佐の息子たちから,間もなく新しく軍事政権が誕生すると聞いた。
同月3日,原告は,学生連盟の指導者らに会い,直ちに政党を結成すべきであること,暫定政権を樹立し,米軍を招へいすべきであることなどを話し合った。
同月4日,原告は,ランマドーにあるウフノー教会において,ウヌ元首相と親しいVum Khua Hanと話していたところ,ウヌ元首相と会う機会を得たため,暫定政権を樹立し,米軍を呼び寄せることなどを話し合った。
そして,同月5日,原告は,タケタ市区のサッカー場での集会で,ミャンマーに米軍を呼び寄せようと演説した。その後,原告は,ヤンゴン人民病院に行き,同病院前を拠点としていた学生連盟のメンバーにアウンサンスーチーと会うための方法について相談し,翌6日朝,アウンサンスーチーに会った。しかし,アウンサンスーチーは,平和的なデモ活動によることを主張し,米軍を呼び寄せることに反対した。
同日午後,原告は,ボーダタウン市区のボージョー・アウンサン通りにおける集会で,直ちに政党を結成すべきこと,暫定政権を樹立し,米軍を呼び寄せることなどを演説した。
同日夜,原告がB中佐を訪問したところ,同中佐から,軍情報部の者から原告が反政府的な演説をしていたことを聞いたとして怒られ,反政府的な演説を行った者は,演説直後から軍情報部に尾行され,住所,親兄弟,親戚などが調査されることや,米軍を呼び寄せるとの発言は非常に危険であることを知らされた。そして,何かあったら助けてやるから,尋問を受けたときは軍事政権を支持すると言うようにと言われた。その後,原告は,演説の誘いを断り,反政府活動も中止した。
(エ) 昭和63年12月2日,原告は,自宅を訪れた警察官によってディンガンジュン警察署に連行された。そして,原告は,軍情報部員から,軍事政権をどう思うか,なぜ演説で米軍を呼び寄せようと言ったのかなどの尋問を受けた。原告は,B中佐の助言どおり軍事政権を支持するなどと答えたところ,同月5日に釈放された。
また,同月15日,原告が友人たちに,インドとの国境付近で軍事訓練を受け,帰ってきたら軍の指導者たちを暗殺する旨発言したところ,その夜2時ころに自宅に来た軍情報部員によって軍情報部のイェーチーアイン収容場に連行された。そして,原告は,狭い部屋に入れられ,食事も水も与えられず,7日間身柄を拘束された。原告は,8日目の夜に釈放されたが,それはB中佐らが10万チャットを支払ってくれたからであった。翌日,原告は,B中佐から軍事政権を批判するような言動を慎むこと,2度と政治活動をしないことを忠告され,もしそれを守らなければ,原告の身元保証人となった同中佐までもが処罰されるとして,忠告内容を守ることを約束させられた。
(オ) 原告は,平成3年4月7日,船員として清水港に入港し,本邦に上陸した。その後,原告は,母からの要請もあって,母を介して,CNFに対し,毎月10万円,合計120万円の資金提供を続けた。
(カ) 平成15年8月11日,CNFの下部組織CNAのリーダーであるUk Lian Thangが軍情報部によって逮捕された。同人は,CNFへの資金提供者リストを所持していたため,ミャンマー政府はCNFへの資金提供者を把握することになった。原告の実家のあるバザン村でも,CNFへの資金提供者が逮捕され,また逮捕から逃れるためインドへ逃げる者もいた。
原告は,同年10月末,これらのことをヤンゴン在住の姉Aから電話で聞いた。
(キ) 平成16年9月5日,軍情報部のアウンミョウ少佐,ソウウィン大尉,ソートゥン大尉がバザン村にある原告の実家を訪問した。その際,彼らは,実家に住む原告の兄Cに対し,原告がCNFに対し資金提供をしながら,どうして在日ミャンマー大使館に税金を納めないのか,13年間分の税金150万円を直ちに支払え,支払わなければCNFに資金提供をした罪で,家族全員を処罰するなどと怒鳴って脅迫した。
原告は,同月,これらのことをヤンゴン在住の姉Aから電話で聞いた。
(ク) また,平成17年5月15日には,国家情報局のキンマウンウィン少佐が10人の兵士を率いて原告の実家を訪れ,実家の捜索を行った。捜索の結果,何も見つからなかったが,同少佐らは,CNFに多額の寄付をしているにもかかわらず,政府には税金を納めていないとして,原告の実家の者をののしり,実家の壁などを叩いて壊した。また,同少佐らは,再びCNFに資金提供を行ったときには,家族全員を殺害するなどと脅迫した。
原告は,姉のAからの手紙により,これらの出来事を知った。
ウ 以上のとおり,原告は,ミャンマーにおいても,日本国内においても,反政府活動を行ってきており,ミャンマー軍事政権側には,反政府活動を進める者の1人として確実に把握されているから,難民と認められるべきである。
(被告らの主張)
ア 現在のミャンマーにおいて,政治的意見を理由に迫害を受けるという個別,具体的な事情が認められるためには,単にその者が何らかの反政府活動を行っているだけでは足りないのであって,積極的な反政府活動を行う団体をその中心的な構成員として組織している人物であれば格別,高い政治意識を持って積極的な反政府活動を行っているとは認められない者,例えば,日本でミャンマー人の民主化団体に所属するものの,その団体の基本的運営方針を決する上で重要な役割を担っているわけではなく,あるいは政府を批判する政治的デモに参加はするものの,大勢の参加者の1人として参加するにすぎないなど,いわば「その他大勢の活動家」にすぎない者については,ミャンマー政府から迫害の対象とされるという客観的,具体的な危険性は認められず,その政治的意見を理由に迫害を受けるという個別,具体的な事情は認められないというべきである。
このことは,国連人権委員会ミャンマー担当特別報告者としてミャンマーの人権状況の調査に従事した経験があり,ミャンマー情勢に詳しいD中央大学法科大学院教授の供述からも明らかである。
イ(ア) 原告は,チン族でキリスト教とであること,チン族がミャンマーにおいて,職場や学校教育等の公共の場で低い扱いを受けている旨供述し,「人種」,「宗教」を理由とする迫害のおそれがあると主張する。
しかしながら,一方で,CNFに対する資金援助以外にチン族であることを理由とする迫害を受けるおそれは抱いていない旨,これまでキリスト教徒であることを理由とする迫害を受けたことがない旨供述しており,また,原告の家族についても人種や宗教を理由に迫害を受けた旨の供述はなく,同じチン族であるB中佐は,中佐という役職にあった上,逮捕された原告を釈放させられるような人物というのである。これらからすれば,チン族であること及びキリスト教徒であることをもって,原告にミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるとはおよそ認められない。
(イ) 原告は,昭和63年9月6日の午後2時ころボーダタウン市区のボージョー・アウンサン通りで演説したところ,同日中に軍情報部に把握された上,かかる演説を理由として同年12月2日に軍情報部に逮捕されたと主張する。そして,この点について,原告は,軍情報部が原告の演説の事実等を把握することができた理由として,軍情報部員が,演説を終えた原告が帰宅するまで後を付け,帰った段階で分かった住所を基に区役所で原告の書類を調べることで原告の情報を知ることができたなどと供述する。
しかしながら,原告は,当初は,軍情報部員が原告の後を付けて区役所で書類を調べたなどといった供述はしておらず,また,演説後帰宅していないとしていたものであり,そうであるならば,原告自身の情報などを把握して,B中佐に報告することなど不可能であり,原告の供述は到底信用することができない。
(ウ) 原告が,本国内における政治活動として主張するものは,昭和63年8月から9月までの間におけるデモ活動や集会への参加とCNFへの資金援助であるところ,当時,原告はNLDや学生連盟等の組織に所属していたものではなく,原告が参加したデモ活動や集会というのも,市民,学生,公務員等も参加していたようなものである上,同月6日にB中佐から忠告を受けた後は,デモに参加することをやめ,友人たちからの演説の誘いも断ったというのである。
これらの状況からすれば,原告は,昭和63年当時,大規模に展開されていた反政府活動に一参加者として一時的に関与したにすぎないものであるから,この程度の活動を理由に本国政府から積極的な反政府活動家として関心を寄せられていたとはおよそ考えられない。
(エ) 原告は,昭和63年12月2日,警察官によりティンガンジュン警察署に連行され,3日間身柄を拘束されて取調べを受けた旨主張するが,前記のとおり,そもそも演説したことを軍情報部に把握されたなどの原告の供述は全く信用性が認められないから,かかる演説を理由に逮捕されたという供述もおよそ信用することはできない。
(オ) 原告は,昭和63年12月15日,友人と食事をした際,軍首脳部の暗殺を口にしたところ,翌日の午前2時ころに軍情報部に逮捕され,7日間身柄を拘束された旨主張するが,仮に,そのような理由で身柄拘束を受けたとすれば,7日間もの間,拷問どころか何ら取調べを受けることなく,ただ単に身柄を留置されていたのみであったなどということは明らかに不合理である。
また,この点をおくとしても,結局のところ,B中佐等の影響力のゆえに釈放されたなどというのであるから,原告の主張を前提としても,上記発言を理由に,ミャンマー政府が今なお原告を反政府活動家として敵視し,身柄拘束の対象としているとはおよそ認められない。
(カ) 原告は,正規の手続で自己名義の旅券を取得しており,何らの問題もなく出国することができたというのであるから,当時,原告が本国政府から関心を寄せられていなかったことは明らかである。
(キ) 原告は,平成3年1月に本国を出国してから同年4月に本邦に上陸するまでの間,タイ,マレーシア,シンガポールに滞在しているところ,この間滞在国においてひ護を求めたり難民認定申請に及ぶなどしておらず,来日後も,同16年6月に入管法違反容疑で逮捕されるまでの約13年2か月もの間,難民認定申請に及んでいなかったものであって,こうした行動は,真に本国政府から迫害を受けるおそれがあるという恐怖を感じてひ護を求めている者の行動とはおよそいえないものである。
(ク) 原告の家族がCNFへの資金援助を理由として軍情報部の調査を受けたとする原告の主張は,信用することができないところ,原告は,兄姉らと電話や手紙で頻繁に連絡を取ることができているのであり,また,家族が原告の政治活動等を理由として逮捕ないし身柄を拘束されたり,取調べを受けたことはなく,原告は,来日後稼働に専念して本国の家族に多額の送金をしていたのであるから,これらのことからすれば,本国の家族は,原告から多額の送金を受け,継続的かつ安定的に平穏な生活を送っていることが強く推認される。
(ケ) 以上のとおり,原告の難民該当性に係る供述は,相互にそごしているもの,不自然,不合理なもの,変遷が認められるもの等が多数見受けられ,かかる不自然な供述態度は,原告が難民認定を受けるべく意図的に虚偽供述をしていることによるものと考えるほかはなく,原告については,迫害を受けるおそれがある恐怖を抱くような客観的事情も主観的事情も認められないから,原告を難民と認めることはできない。
(2)  争点(2)(本件不認定処分の理由不備による違法の有無)について
(原告の主張)
入管法61条の2第3項は,難民の認定をしないときは,当該外国人に対し,理由を付した書面をもってその旨を通知することを規定している。これは,難民として認定しない場合に,その結論に至った経緯を明らかにし,それによって判断を慎重にし,処分の適正化を図るとともに,その処分に対して異議がある場合に,反論の機会を与える趣旨である。したがって,難民不認定処分をするに当たっては,その結論に至る判断の過程が明確となり,それによって処分の適正が担保され,反論の機会を与えるような理由が明記された書面が交付されなければならない。
ところが,本件不認定処分に当たって原告に通知された理由は,前記前提事実のとおりであり,難民認定の具体的な要件の充足性について,ほとんど具体的な事実の摘示のないままに抽象的に申立てを裏付ける証拠が十分に認められないとしているものであって,どのような基準によって難民性の判断がされているのか全く判明しない。
よって,本件不認定処分には理由不備の違法がある。
(被告法務大臣の主張)
難民の認定判断は,難民認定申請者が提出した資料に基づいて行われるのであるから,難民であることの立証責任は,当該難民認定申請者が負うものである。したがって,難民認定の申請に対して法務大臣が難民の認定をしない処分をする場合,一定の事実関係の存在を認定した上で,その旨の処分をしているのではなく,同申請者が主張する難民であることを基礎付ける事実関係について,証拠関係を総合しても,これを立証する具体的な証拠がないと判断してその旨の処分をするのである。
そうすると,難民の認定をしない処分の理由としては,難民であると認めるべき具体的根拠がない旨を記載するだけで,法の要求する理由付記として十分というべきであり,本件不認定処分には理由不備の違法は存在しない。
(3)  争点(3)(いわゆる60日条項の難民条約適合性)について
(原告の主張)
難民条約等において難民認定手続に関して特段の規定を設けなかった理由は,手続規定については締約国各国の諸事情や国内諸制度との整合性を図る必要があることから,一律な認定手続を設けるよりも締約国各国にゆだねた方が適正かつ迅速な難民認定を期待することができるとの考え方に立つものである。
他方で,難民条約等は,「難民」の定義及び要件を明確に規定し,これについて難民条約締約国には何らの裁量権もない。その理由は,「難民」の定義及びその認定要件が各国の解釈にゆだねられるときは自国の都合によって難民の解釈が変更され,難民の保護が実効性を有し得ないからである。
このように,難民認定等は,締約国が定める認定制度のいかんにかかわらず,難民条約等が難民と定めるものを難民と認定することを締約国に要求しているものである。換言すれば,各締約国は,いかなる難民認定制度を設けるにせよ,難民条約等が難民と定める者を難民と認定し得ないような手続とすることは難民条約等に反し許されないのである。
したがって,難民条約等が難民認定手続について具体的な規定を置いていないことを理由に,締約国はいかなる認定手続をも自由に決められるとするのは誤りである。
60日条項は,あくまでも努力条項であり,訓示的な規定と考えるべきであって,難民認定申請を受けた際に,これを理由に難民としての認定を拒否することはできないというべきである。
(被告法務大臣の主張)
難民条約及び難民議定書は,難民の定義及び締約国が執るべき保護措置の概要についての規定を設けているものの,難民認定手続については特段の定めを設けておらず,各締約国の立法裁量にゆだねており,難民条約の締約国は,各国の実情に応じた難民認定手続を定めることができるところ,入管法61条の2第2項が申請期間の制限を設けたのは,申請者が真に難民条約上の難民であるならば,迫害の恐怖から逃れるために一刻も早く他国のひ護を求めようとするのが通常である上に,認定者の側にとっても,入国後長期間経過後に難民認定申請がされると,事実関係の把握が困難となり,適正かつ公正な認定を行うことができなくなるおそれもあることが考慮されたものである。
したがって,難民認定申請について原則として60日間の期間制限を設けた入管法61条の2第2項は,合理的な立法裁量に基づいて設けられたものであるから,原告の主張には理由がない。
(4)  争点(4)(60日条項違反の有無)について
(原告の主張)
原告は,平成15年10月に,ミャンマーに帰国すると危険であると認識したが,日本において難民認定申請をしても,証拠資料がなければ,難民認定を受ける可能性はないと知ったことから,申請すべきか思い悩んでいるうちに,時間だけが過ぎてしまった。
原告は,元々,本国に帰れば,身柄を拘束され,拷問を受け,最後には殺されてしまうという恐怖感があるからこそ,日本政府にひ護を求めるため,難民認定申請をしたいと考えていたのであるが,難民認定申請をすることにより,かえって本国に強制送還されるおそれが強くなることが容易に予想される。したがって,原告が難民認定申請をすることにちゅうちょを感じざるを得なかったのは,やむを得ないものである。
原告は,平成16年6月14日に逮捕され,その後,同年7月5日に東京入管に収容されているが,その困難な状況の下で難民認定申請の準備を行い,同月7日に難民認定申請をしている。かかる状況を考慮して,入管法61条の2第2項ただし書の規定が適用されるべきであり,原告には,同項ただし書所定の「やむを得ない事情」が存在する。
(被告法務大臣の主張)
前記(3)において述べたような60日条項の趣旨を考慮すると,その例外を認めた入管法61条の2第2項ただし書の「やむを得ない事情」とは,病気,交通の途絶等の客観的,物理的事情により,本邦に上陸した日又は本邦に在る間に難民となる事由が生じた場合にあってはその事実を知った日から60日以内に入国管理官署に出向くことができなかった場合や,難民認定申請者が第三国において難民としての保護を求めることを希望し,その目的で当該第三国への入国申請等具体的な手続を行っていたものの,結果的にこれが認められず,その時点では既に申請期間が経過していた場合のように,本邦において難民認定の申請をするか否かの意思を決定するのが客観的にも困難と認められる特段の事情がある場合をいうものと解すべきである。
原告には,上記のような特段の事情が認められないことは明らかであり,入管法61条の2第2項ただし書の「やむを得ない事情」があったとは認められない。
(5)  争点(5)(本件裁決の有効性)について
(原告の主張)
被告法務大臣は,原告が入管法24条各号に掲げられた退去強制事由の1つに該当するとしても,難民条約上の難民に当たることを踏まえ,送還先について難民条約33条に反することのないように十分に検討した上で,在留特別許可をするか否かを判断すべきであったと認められるところ,この点については全く検討された形跡がない。これは,原告の難民認定の申請に対し,60日条項を適用して不認定としたことから,難民該当性について,それ以上の審査及び判断を行うことがなかったためと推測される。
そうすると,本件裁決は,難民条約上の「難民」である原告について,難民条約33条1のいわゆるノン・ルフールマン原則に違反して,本国へ送還しようとするものであることが明らかであり,このような内容の裁決は,在留特別許可に際しての被告法務大臣の裁量権を前提としても,それを逸脱又は濫用するものというほかないから,本件裁決には重大かつ明白な違法があり,無効というべきである。
(被告主任審査官の主張)
前記前提事実のとおり,原告は,入管法24条6号所定の退去強制事由の1つに該当することは明らかである。そして,前記のとおり,原告は難民に該当せず,原告の本国での生活に特段の支障も見当たらないことなどに照らせば,原告に在留を認めるべき積極的な理由があるとは到底いうことができず,被告法務大臣が在留特別許可を付与せずにした本件裁決に裁量権を逸脱濫用した違法があるということはできない。
(6)  争点(6)(本件退令処分の有効性)について
(原告の主張)
前記のとおり,本件裁決は重大かつ明白な違法があって無効である以上,これを手段として退去強制という同一の目的を達成する関係にあり,これと結合してその効果を完成する一連の行為を構成する本件退令処分も,その前提要件を欠くものとして重大かつ明白な違法があり,無効であるというべきである。
(被告主任審査官の主張)
退去強制手続において,法務大臣から「異議の申出には理由がない」との裁決をした旨の通知を受けた場合,主任審査官は,速やかに退去強制令書を発付しなければならないのであって,退去強制令書を発付するにつき全く裁量の余地はないのであるから,本件裁決が適法である以上,本件退令処分も当然に適法である。
第3  争点に対する判断
1  認定事実
(1)  ミャンマーの政治状況等
証拠(甲1から5まで,9から12まで)及び弁論の全趣旨を総合すると,以下の事実を認めることができる。
ア ミャンマーは,昭和23年1月4日に独立したが,同37年3月,ネ・ウィン将軍がクーデターを決行し,同将軍が率いる国軍が全権を掌握した。同年7月にはビルマ社会主義計画党が結成され,さらに,同39年3月の国家統制法により,他の政党が禁止された。
イ 昭和63年3月以降,ヤンゴンで学生らの反政府デモが日増しに拡大して警察や軍と衝突し,同年8月8日には,学生や市民による反政府ゼネストが全国で行われるなど,大規模な民主化運動が起こった。しかし,上記民主化運動は,軍によって弾圧され,同年9月18日,軍事クーデターにより,SLORCが全権を掌握し,SLORCによる軍事政権が成立した。
ウ SLORCは,平成元年7月,アウンサンスーチーを国家破壊分子法違反を理由に自宅軟禁し,その政治活動を禁止した。
エ 平成2年5月27日,約30年振りに複数政党参加による総選挙が施行され,アウンサンスーチーの率いるNLDが485議席中392議席を獲得し,勝利したにもかかわらず,SLORCは,民政移管のためには堅固な憲法が必要であるとして,NLDに政権を委譲しなかった。
オ SLORCは,平成8年5月及び同年9月に,NLD主催の議員総会や党集会の前に多数のNLD関係者を拘束して,議員総会や党集会の開催を妨害した。
カ 平成8年10月23日,ヤンゴンの学生約500人が警官の学生への暴力に抗議しデモを行ったのを始めとして,各地で学生デモが発生し,同年12月半ばまで続いたが,SLORCは学生を強制排除した。同9年1月18日,同8年12月のデモを扇動したとしてNLD党員6人を含む活動家20人が禁固7年の実刑判決を受け,同9年1月28日,NLD党員5人を含む活動家14人が同様の判決を受けた。
キ 平成8年12月25日,ヤンゴンの仏教寺院において爆弾が爆発して死傷者を出すという事件があり,SLORCは,同事件にABSDF(全ビルマ学生民主戦線)及びカレン民族同盟が関与している疑いがあると発表した。また,同9年4月6日,SLORCの第2書記であるティン ウー中将の自宅に小包が届き,これが爆発して同人の長女が死亡するという事件が起こった。
ク SLORCは,平成8年末から同9年にかけて,NLD党員ら多数を拘束し,20人以上のNLDの議員に辞職を強制した。
ケ SLORCは,平成9年11月15日,SPDC(国家平和開発評議会に改組された(なお,以下では,改組の前後を区別することなく,「SLORC」という。)。
コ アウンサンスーチーは,平成8年後半から再び自宅外に出る自由及び訪問者を受け入れる自由を次第に制限されるようになり,同10年8月,同12年8月及び同年9月の計3回にわたり,NLDの幹部と共に地方に赴こうとするのを強制的に自宅に連れ戻されるという事件が起こり,その後は事実上の自宅軟禁の措置が採られ続けていたが,同14年5月6日,ようやく軟禁状態が解かれた。しかし,同15年5月30日には,アウンサンスーチーが地方遊説に出掛けていた際,それを妨害しようとした政府系の反NLD組織であるUSDAによって襲撃され,アウンサンスーチー,ウーティンウーNLD副議長らがSLORCによって拘束されるというディペイン事件が起きた。
サ 平成16年10月19日,軍事政権の中では穏健派とされたキンニュン首相が失脚して自宅軟禁の状態に置かれ,同首相の後任にはディペイン事件の計画者とされるソーウィン第1書記が就任した。これにより軍事政権は強硬派で固められ,民主化活動家などの反政府活動家は,それまでと比べて,迫害にさらされるおそれが強まった。
シ SLORCは,現在においても,国民の政治的自由を認めずに人権抑圧の状態を継続している。ミャンマー政府は,言論,出版,集会,移動,政治活動及び結社の自由を制限しているほか,労働者の権利も制限し,労働組合を非合法化し,国民を強制労働に使用している。
ス ミャンマー政府は,政治活動家に対する嫌がらせ,脅迫,逮捕,拘禁及び身体的虐待によって政治活動家に対する管理を強化している。政治活動を抑圧するために,監視の手段として,電話の盗聴,郵便物の検閲,尾行等のし意的な干渉を行うことがある。また,非常事態法,国家保護法等の法律が,平和的な政治活動を行った市民を逮捕するためにも用いられている。そして,特にNLDのメンバーに焦点を絞った民主派への迫害が,脅迫,嫌がらせや長期刑等の形で続いている。
セ ミャンマーにおいては,人権尊重の理念が浸透しているとはいい難く,軍の兵士が武装していない国民に対して超法規的死刑の執行,即決死刑の執行,し意的死刑の執行,強制労働,強制移住,強制失踪,し意的逮捕,財産の破壊及び没収,強姦等を行ったことが報告されている。
(2)  原告の個別的事情
前記前提事実のほか,証拠及び弁論の全趣旨を総合すると,以下の事実を認めることができる。なお,証拠及び弁論の全趣旨により認定した事実については,認定の根拠を該当箇所に付記した。
ア 原告の家族関係等
原告は,昭和38年○月○日,バザン村において出生した。原告の父は,英国植民地時代に英国の軍隊に入り,キリスト教徒となり,除隊後,バザン村に戻り,村人たちにキリスト教の伝道をした。原告の父は,ミャンマーのキリスト教の団体から牧師として認められ,平成9年に亡くなるまで,牧師としての活動を続けた。(甲35,乙11,20,原告本人)
イ 原告のミャンマーにおける政治活動の状況等
(ア) 原告は,昭和63年当時,インドとミャンマーとの間の貿易業を営んでいた。原告は,ミャンマーのチン州と国境を接するインドのミゾラムに赴いて,ヤンゴンで仕入れた貴金属や宝石等を売り,これにより得た資金で自転車やミシンを購入して,ミャンマーのザカイン管区のカレイ市で売っていた。こうして,原告は,生活の半分をヤンゴンにいる姉のAの家で過ごし,残りの半分をバザン村の自宅で過ごしていた。(甲35,原告本人)
(イ) 昭和63年5月ころ,原告がヤンゴンにいた時に,高校の同窓生からデモ活動への参加を勧誘された。原告には,ミャンマーの民主化を求める運動に参加しようという気持ちはあったが,当時,ミャンマー国内の至る所で軍情報部が活動していたため,原告は友人からの誘いを何度も断った。(甲35,原告本人)
(ウ) 昭和63年8月8日,ミャンマーにおいて全国規模のデモ活動が広がり,原告も翌9日からデモ活動に参加した。その後,原告は,毎日のようにデモ活動に参加し,タケタ市区の学生連盟のメンバーらと共に活動した。
同月12日,大統領のSein Lwinから辞任の発表があり,デモ活動はいったんは沈静化したが,その後も民主化は進まず,同月19日,新大統領としてDr. Maung Maungが発表されたため,民衆はデモ活動を再開し,原告もデモ活動を再開した。
同月22日,すべての省庁と全国の労働者が出勤を拒否し,すべての省庁が閉鎖された。同月24日には,ヤンゴン市を統治していた軍が引き上げるとの発表があり,それ以降,原告は仲間と共に,毎朝タケタ市区内のサッカー場に集まり,演説や集会を行った後,ヤンゴン市内を行進した。
同月26日,原告は,タケタ市区からアウンサンスーチーが演説しているシュエダゴンパゴダの西側まで行進した。原告は,学生連盟のメンバーらに政党の結成について相談したが,時期尚早との答えであった。(甲35,乙21,原告本人)
(エ) 昭和63年9月1日,原告は,ヤンゴン市に住む姉Aの夫の兄であるB中佐を訪問した。同中佐は不在であったが,原告は,同中佐の息子たちから,間もなく新しく軍事政権が誕生する旨聞かされた。原告は,軍事政権が誕生すれば,民主化運動が抑圧されてしまうと危ぐし,これを阻止するためには,米国に武力援助を求める以外に方法がなく,そのためにはミャンマー国内に政党及び暫定政権が必要であると考えた。そして,その後,原告は,このような考えを指導者や民衆,学生らに呼びかけていく活動を行うようになった。
同月2日,原告は,ヤンゴン人民病院に行き,同病院前を拠点としていた学生連盟のメンバーらに,間もなく軍事政権が誕生する旨を伝え,同月3日には,学生連盟の指導者らに会い,直ちに政党を結成すべきであること,暫定政権を樹立し,米軍を招へいすべきであることなどを話し合った。
同月4日,原告は,ランマドーにあるウフノー教会において,ウヌ元首相と親しいVum Khua Hanと話していたところ,ウヌ元首相と会う機会を得たため,暫定政権を樹立し,米軍を呼び寄せることなどをウヌ元首相と話し合った。
そして,同月5日,原告は,タケタ市区のサッカー場における集会で,ミャンマーに米軍を呼び寄せようと演説した。その後,原告は,ヤンゴン人民病院に行き,学生連盟のメンバーらに,アウンサンスーチーと会うための方法について相談したところ,翌日,同病院に来る予定である旨聞かされた。
こうして,原告は,同月6日朝,ヤンゴン人民病院において,アウンサンスーチーに会った。原告は,アウンサンスーチーに対し,ミャンマーの民主化を達成するには軍隊の参加が必要であるが,ミャンマー軍が参加することはあり得ないので,米国などの外国の軍隊を呼ぶべきである旨話した。しかし,アウンサンスーチーは,外国の軍隊の援助を受けると,国内が内戦状態になってしまうとして,平和的なデモ活動によることを主張し,米軍を呼び寄せることに反対した。
同日午後2時ころ,原告は,ボーダタウン市区のボージョー・アウンサン通りにおける集会で,2000人から3000人の聴衆を前に演説をし,間もなく軍事政権が誕生すること,直ちに政党を結成すべきこと,暫定政権を樹立すべきこと,米軍を呼び寄せるべきことなどを述べた。
同日午後7時ころ,原告は,B中佐を訪問した。すると,同中佐は,原告に対し,原告が同月5日に学生連盟のメンバーと会ったことや同月6日に反政府的な演説をしたことを軍情報部の者から聞いたと述べた。そして,原告は,同中佐から,反政府的な演説を行った者は,軍情報部に尾行され,住所,親兄弟,親戚などが調査されることや,米軍を呼び寄せるとの発言は非常に危険であることを伝えられた。そして,何かあったら助けてやるので,尋問を受けたときは,軍事政権を支持する旨言うようにと言われた。
その後,原告は,演説の誘いを断り,反政府活動も中止した。(甲35,乙19,21,22,23,29,原告本人)
(オ) 昭和63年12月2日,原告は,自宅を訪れた警察官によってディンガンジュン警察署に連行された。そして,原告は,軍情報部員から,軍事政権をどう思うか,なぜ演説で米軍を呼び寄せようと言ったのかなどの尋問を受けた。これに対して,原告は,B中佐の助言のとおり,軍事政権を支持するなどと答えたところ,今後は政治活動をしない旨及び軍事政権を支持する旨の誓約書に署名させられた上,同月5日に釈放された。(甲35,乙10,22,23,26,原告本人)
(カ) 昭和63年12月15日午後5時ころ,原告が友人たちとレストランで話をしている際に,インドとの国境付近で軍事訓練を受けて,帰ってきたら軍事政権の指導者たちを暗殺する旨の冗談めいた発言をしたところ,翌16日午前2時ころ,原告は,自宅を訪れた3名の軍情報部員によって,軍情報部のイェーチーアイン収容場に連行された。連行される際,原告は,自宅にいた姉のAに対し,B中佐に連絡を取ってほしい旨伝えた。同収容場に収容された原告は,水も灯りもトイレもない狭い部屋に入れられ,食事も水も与えられず,7日間身柄を拘束されたが,その間,取調べや拷問を受けることはなかった。
8日目の夜,原告は,釈放された。翌日,原告は,B中佐から,姉のAからの依頼を受けて同中佐が軍情報局に10万チャットを支払ってくれたため釈放されたことを伝えられ,今後は軍事政権を批判するような言動を慎み,2度と政治活動をしないように忠告され,原告が忠告を守らなければ,原告の身元保証人となった同中佐までもが処罰されるとして,これらのことを約束させられた。(甲35,乙10,11,22,23,26,原告本人)
ウ 原告のミャンマーからの出国の経緯
(ア) その後,原告は,インドとミャンマーとの間で貿易業を行った。インドとチン州との国境付近には,ミャンマー政府から反政府団体と見られていたCNFのメンバーがおり,原告は,CNFのメンバーと接触することが多かった。原告は,しばしばCNFのメンバーに対して食事や金銭をカンパするなどの支援を行った。(甲35,乙20,原告本人)
(イ) 原告は,前記のとおり,二度と政治活動をしない旨誓約していたことから,同誓約をしたにもかかわらずCNFを支援していることがミャンマー政府に発覚した場合には,逮捕される危険があると感じるようになった。このため,原告は,姉の夫のEから,シンガポールに行けば船員の仕事に就くことができると聞き,ミャンマーを出国して,シンガポールに行くことにした。(甲35,乙13,20,21,原告本人)
(ウ) 原告は,ブローカーに依頼して,船員資格証明書と旅券を取得し,平成3年1月1日,ヤンゴンから空路でタイのバンコクへ向けて出国した。そして,原告は,タイから鉄道でマレーシアのクアラルンプールへ行き,その後,シンガポールに行って,船員の仕事を探した。原告は,船員になるため,何回も面接を受けたが,いずれも不採用になり,結局,台湾船籍の漁船に乗務することになった。そして,同年3月20日から,同船に乗船して働き始めた。(甲35,乙13,20,原告本人)
(エ) 乗船後,原告は,ひどい船酔いに悩まされ,港に着いた時に下船しようと考えるようになった。こうして,平成3年4月7日,同船が清水港に入港した際,原告は,乗員上陸許可を受けて本邦に上陸し,そのまま帰船しなかった。(甲35,乙11,13,20,原告本人)
エ 原告の来日後の政治活動の状況等
(ア) 原告は,来日後しばらくしてから,バザン村の実家に住む母からの要請を受けて,母を介して,CNFに対し,毎年10万円,合計120万円に及ぶ資金提供を続けた。バザン村では,ほとんどの家がCNFに対する資金提供を行っており,その提供額については,CNFが各戸の収入等を考慮して,一定の額を割り当てていたが,原告の実家では,原告が日本で就労していたことから,他の家と比較して多額の割当てを受けていた。原告からCNFに対する援助資金の送金を受けた母は,それをバザン村の村長に持参し,同村長は,それらを取りまとめて,CNFの資金調達の担当者に渡していた。バザン村は,原告が多額の資金提供を行っていたため,CNFに多額の資金提供をする村となっていた。(甲35,乙11,原告本人)
(イ) 平成15年8月11日,CNFの下部組織であるCNAのリーダーであるUk Lian Thangが軍情報部によって逮捕された。同人は,CNFに対する資金提供者のリストを所持していたため,ミャンマー政府はCNFへの資金提供者を把握することとなった。
こうして,軍情報部は,原告がCNFに多額の資金提供を行っていた事実を知ることとなり,同年9月5日,軍情報部のアウンミョウ少佐ら3名が,原告の実家を訪れた。同少佐らは,原告の兄のCに対し,原告がCNFに資金提供を行っていながら在日ミャンマー大使館に税金を納めていないことをとがめて,13年間分の税金約150万円を直ちに支払うことを求めるとともに,支払わなかったときにはCNFに資金提供をした罪で家族全員を処罰するなどと脅迫した。
原告は,同年10月末ころ,ヤンゴンに住む姉のAからの電話により,これらの出来事の概要を知った。(甲35,乙26,原告本人)
(ウ) また,平成17年5月15日には,国家情報局のキンマウンウィン少佐が10人の兵士を率いて原告の実家を訪れ,実家の捜索を行った。捜索の結果,何も見つからなかったが,同少佐らは,CNFに多額の寄付をしているにもかかわらず,政府には税金を納めていないとして,原告の実家の者をののしり,実家の壁などを叩いて壊した。また,同少佐らは,再びCNFに資金提供を行ったときには,家族全員を殺害するなどと脅迫した。
原告は,姉のAからの手紙により,これらの出来事を知った。(甲33,35,乙26,原告本人)
(エ) 原告は,仮放免された後の平成17年7月下旬ころ,CNCやAUNに加入した。現在,原告は,CNCの中央運営委員会の委員を務めており,AUNにおいては,執行委員会にCNC代表として出席するなど,中心的な活動を行っている。また,在日ミャンマー大使館前でのデモ活動にも参加している。(甲34,35,36,原告本人)
(3)  事実認定の補足説明
ア 前記認定事実について,被告らは,原告の供述のうち,①原告の昭和63年9月6日の演説がその日のうちに軍情報部に知られることとなったとする部分,②原告がディンガンジュン警察署に連行されて軍情報部の取調べを受けたとする部分,③原告が軍情報部に逮捕されて7日間身柄を拘束されたとする部分は,いずれも信用することができないと主張する。
イ しかしながら,まず,上記①の点については,前記認定事実においても示したとおり,原告は,昭和63年9月6日午後7時ころB中佐に会った際に,同中佐から,原告が同月5日に学生連盟のメンバーと会ったことや同月6日に反政府的な演説をしたことを軍情報部の者から聞いたと言われたものであって,難民調査官による調査においてもその旨供述している(乙22)。そうであるとすれば,原告は,同月5日にタケタ市区のサッカー場での集会において演説を行った時以降,軍情報部員によって尾行され,身元が把握されていた可能性があり,そうすると,原告の同月6日の演説がその日のうちに軍情報部に知られることとなったとしても,特段不合理ということはできない。
また,上記②及び③の点についても,上記①についての供述が信用し得るものであることを前提とすれば,特に不合理,不自然なものということはできない。そして,原告は,平成16年7月6日に行われた最初の違反審査において,昭和63年に2回逮捕されたことがあり,1回目においては3日間,2回目においては1週間それぞれ拘束された旨供述しているのであって(乙10),身柄の拘束を受けた回数,時期,期間についての供述内容は,当初から一貫している上,逮捕時及びその後の状況についての原告本人の供述(本人調書34頁以下)も具体的かつ詳細であって,迫真性があり,信用性が高いというべきである。
さらに,7日間の身柄拘束を受けた際に取調べを受けなかったとする点についても,軍情報部において原告から何らかの情報を入手する必要がなく,むしろ反政府的な言動の目立つ原告を死亡させることを意図していたとすれば,別段不自然なものということはできないのであって,同月13日に行われた2回目の違反審査においても同様の供述を行っていることを考慮すれば,原告の上記供述は高い信用性を有すると評価するのが相当である。
ウ 以上のとおり,原告の供述内容のうち,その中核部分というべき原告の行った反政府活動の状況や逮捕及び身柄の拘束に関する点は,当初の違反審査以降,特に変遷は認められず,その内容にも不自然,不合理な点は見当たらず,具体的かつ詳細であって迫真性があり,信用性が高いものというべきであるから,被告の上記①から③の点についての主張はいずれも採用することができない。そして,他に前記認定事実を左右するに足りる証拠はないというべきである。
2  争点(1)(原告の難民該当性の有無)について
(1)  難民の意義について
ア(ア) 入管法61条の2第1項は,「法務大臣は,本邦にある外国人から法務省令で定める手続により申請があつたときは,その提出した資料に基づき,その者が難民である旨の認定…(略)…を行うことができる。」と規定している。そして,入管法2条3号の2は,入管法における「難民」の意義について,難民条約1条の規定又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうものと規定している。
(イ) 難民条約1条A(2)は,「1951年1月1日前に生じた事件の結果として,かつ,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」は,難民条約の適用上,「難民」という旨規定している。
(ウ) 難民議定書1条2は,難民議定書の適用上,「難民」とは,難民条約1条A(2)の規定にある「1951年1月1日前に生じた事件の結果として,かつ,」及び「これらの事件の結果として」という文言が除かれているものとみなした場合に同条の定義に該当するすべての者をいう旨規定している。
イ 入管法にいう「難民」とは,入管法2条3号の2,難民条約1条A(2)及び難民議定書1条2を併せ読むと,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないものをいうこととなる。そして,上記の「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するものと解するのが相当であり,また,上記にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解するのが相当である。
(2)  原告の難民該当性について
ア(ア) 前記認定事実に基づき,本件退令処分及び本件不認定処分がされた平成16年9月1日当時,原告は,①チン族であって,キリスト教徒であるという「人種」及び「宗教」,②ミャンマーにおいて,学生団体である学生連盟のメンバーと共に民主化運動を行ったという「政治的意見」,③インドとミャンマーとの国境付近において,CNFを支援したという「政治的意見」,④本邦において,CNFに資金提供をしたという「政治的意見」,並びに⑤本邦において,CNCやAUNに所属してミャンマーの民主化運動を進めるという「政治的意見」を理由に,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しているために,国籍国の外にいる者ということができるかについて検討する。
(イ) 前記認定事実によると,①昭和63年8月8日,ミャンマーにおいて全国規模のデモ活動が広がり,原告も翌9日からデモ活動に参加し,その後も毎日のようにデモ活動に参加し,タケタ市区の学生連盟のメンバーらと共に活動したこと,②同月24日には,ヤンゴン市を統治していた軍が引き上げるとの発表があり,それ以降,原告は仲間と共に,毎朝タケタ市区内のサッカー場に集まり,演説や集会を行った後,ヤンゴン市内を行進したこと,③同月26日,原告は,タケタ市区からアウンサンスーチーが演説しているシュエダゴンパゴダの西側まで行進し,学生連盟のメンバーらに政党の結成について相談したこと,④同年9月1日,間もなく新しく軍事政権が誕生することを知った原告は,軍事政権が誕生すれば,民主化運動が抑圧されてしまうと危ぐし,これを阻止するためには,米国に武力援助を求める以外に方法がなく,そのためにはミャンマー国内に政党及び暫定政権が必要であると考えて,その後,原告は,このような考えを指導者や民衆,学生らに呼びかけていく活動を行うようになったこと,⑤同月2日,原告は,ヤンゴン人民病院に行き,同病院前を拠点としていた学生連盟のメンバーらに,間もなく軍事政権が誕生する旨を伝え,同月3日には,学生連盟の指導者らに会い,直ちに政党を結成すべきであること,暫定政権を樹立し,米軍を招へいすべきであることなどを話し合ったこと,⑥同月4日,原告は,ランマドーにあるウフノー教会において,ウヌ元首相と親しいVum Khua Hanと話していたところ,ウヌ元首相と会う機会を得たため,暫定政権を樹立し,米軍を呼び寄せることなどをウヌ元首相と話し合ったこと,⑦同月5日,原告は,タケタ市区のサッカー場での集会で,ミャンマーに米軍を呼び寄せようと演説したこと,⑧同月6日朝,ヤンゴン人民病院において,アウンサンスーチーに会い,ミャンマーの民主化を達成するには軍隊の参加が必要であるが,ミャンマー軍が参加することはあり得ないので,米国などの外国の軍隊を呼ぶべきである旨話したところ,アウンサンスーチーから反対されたこと,⑨同日午後2時ころ,ボーダタウン市区のボージョー・アウンサン通りにおける集会で演説をし,間もなく軍事政権が誕生すること,直ちに政党を結成すべきこと,暫定政権を樹立すべきこと,米軍を呼び寄せるべきことなどを述べたこと,⑩同日午後7時ころ,原告は,B中佐を訪問したところ,同中佐から,原告が同月5日に学生連盟のメンバーと会ったことや同月6日に反政府的な演説をしたことを軍情報部の者から聞いたと言われ,反政府的な演説を行った者は,軍情報部に尾行され,住所,親兄弟,親戚などが調査されることや,米軍を呼び寄せるとの発言は非常に危険であることを伝えられたこと,⑪同年12月2日,原告は,自宅を訪れた警察官によってディンガンジュン警察署に連行され,軍情報部員から,軍事政権をどう思うか,なぜ演説で米軍を呼び寄せようと言ったのかなどの尋問を受けたが,軍事政権を支持するなどと答えたところ,今後は政治活動をしないこと及び軍事政権を支持する旨の誓約書に署名させられた上,同月5日に釈放されたこと,⑫同月15日,原告が友人たちとレストランで話をしている際に,インドとの国境付近で軍事訓練を受けて,帰ってきたら軍事政権の指導者たちを暗殺する旨の冗談めいた発言をしたところ,翌16日午前2時ころ,原告は,自宅を訪れた3名の軍情報部員によって,軍情報部の収容場に連行され,水も灯りもトイレもない狭い部屋に入れられ,食事も水も与えられず,7日間身柄を拘束されたこと,⑬収容されてから8日目の夜,原告は釈放され,B中佐から,今後は軍事政権を批判するような言動を慎み,2度と政治活動をしないように忠告され,原告が忠告を守らなければ,原告の身元保証人となった同中佐までもが処罰されるとして,これらのことを約束させられたこと,⑭その後,原告は,インドとチン州との国境付近において,ミャンマー政府から反政府団体と見られていたCNFのメンバーに対して,食事や金銭をカンパするなどの支援を行ったこと,⑮二度と政治活動をしない旨誓約していたにもかかわらず,CNFのメンバーを支援していることがミャンマー政府に発覚した場合には,逮捕される危険があると感じるようになり,ミャンマーを出国したこと,⑯原告は,来日後しばらくしてから,バザン村の実家に住む母からの要請を受けて,CNFに対し,毎年10万円,合計120万円に及ぶ資金提供を続けたこと,⑰平成15年8月11日,CNFの下部組織であるCNAのリーダーであるUk Lian Thangが軍情報部によって逮捕されたところ,同人がCNFに対する資金提供者のリストを所持していたため,ミャンマー政府はCNFへの資金提供者を把握することとなったこと,⑱同年9月5日,軍情報部のアウンミョウ少佐ら3名が原告の実家を訪れ,原告の兄のCに対し,原告がCNFに資金提供を行っていながら在日ミャンマー大使館に税金を納めていないことをとがめて,13年間分の税金約150万円を直ちに支払うことを求めるとともに,支払わなかったときにはCNFに資金提供をした罪で家族全員を処罰するなどと脅迫したことがいずれも認められる。
これらの事実を総合すれば,原告は,ミャンマーにおける民主化運動や民主化運動家らとの交際などから軍情報部から注視される存在となり,2回にわたり逮捕,拘束され,今後は政治活動をしないこと及び軍事政権を支持する旨の誓約書に署名させられたにもかかわらず,その後,ミャンマー政府から反政府団体と見られているCNFに対して資金提供等の支援を行い,このことがミャンマー政府によって把握されたため,ミャンマーに在る原告の実家を軍関係者が訪れ,原告の家族が脅迫を受けたものであって,原告のこのような活動は,ミャンマー政府にとって不快なものであるということができる。
(ウ) そして,前述したように,原告は,ミャンマー政府によって反政府団体と見られているCNFに対し,日本で就労して得た収入から合計120万円にも及ぶ多額の資金提供を行っていたものであって,このことがミャンマー政府の知るところとなったため,原告の実家が軍関係者の訪問を受け,脅迫を受けたことをも勘案すると,原告としては,原告の実家に初めて軍関係者が訪れたことを知った平成15年10月ころの時点で,ミャンマー政府が,原告の活動に注目する蓋然性が高く,かつ,これを不快に感じているものと推測していたと認めることができ,かつ,原告がそのように推測していたことについては合理的な理由があるというべきである。
(エ) 以上によれば,本件退令処分及び本件不認定処分がされた平成16年9月1日当時,原告は,①ミャンマーにおいて,学生団体である学生連盟のメンバーと共に民主化運動を行ったという「政治的意見」,②インドとミャンマーとの国境付近において,CNFを支援したという「政治的意見」,③本邦において,CNFに資金提供をしたという「政治的意見」を理由に,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しているために,国籍国の外にいる者であると認めるのが相当である。
イ 以上によれば,原告については,本件退令処分及び本件不認定処分がされた平成16年9月1日当時,入管法に規定する難民に該当していたものということができる。
3  争点(2)(本件不認定処分の理由不備による違法の有無)について
原告は,本件不認定処分の通知書に付された理由の程度は,入管法61条の2第3項の求める相当な理由付記の程度を満たすものではない旨主張する。
しかしながら,難民の認定判断は,難民認定申請者が提出した資料に基づき行われるものであるから(同条1項参照),難民認定の申請に対して被告法務大臣が難民の認定をしない処分をする場合には,同申請者が主張する難民であることを基礎付ける事実関係について,証拠関係を総合してもこれを認めるに足りる具体的な証拠がないと判断してその旨の処分をすることとなる。そうすると,難民の認定をしない処分の理由としては,上記の難民であることを基礎付ける事実関係について,これを認めるに足りる具体的根拠がない旨を記載するのみで,理由付記としては十分であるというべきであり,難民の認定をしない処分をするに至った具体的な心証形成の過程までも示す必要はないと解するのが相当である。
そして,本件不認定処分の通知書には,前記前提事実のとおりの理由が記載されているところ,上記判示に照らすと,同通知書記載の内容をもって,入管法61条の2第3項の求める相当な理由付記の程度を満たすものと認めることができるから,本件不認定処分には理由不備の違法はないというべきである。
4  争点(3)(いわゆる60日条項の難民条約適合性)について
(1)  前記のとおり,入管法61条の2第2項は,難民認定の申請について,申請者が「本邦に上陸した日(本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあつては,その事実を知つた日)から60日以内に行わなければならない。」とし,その例外として,「やむを得ない事情があるときは,この限りでない。」旨規定している。
(2)  この入管法61条の2第2項の趣旨は,難民となる事由が生じてから長期間経過後に難民認定の申請がされると,事実の把握が困難となり,適正な難民認定ができなくなるおそれがあるため,我が国のひ護を受けるため難民認定の申請をしようとする者は,速やかにその申請をしなければならないことを定め,申請者が申請期間内に申請をすることを難民認定を受けるための手続的要件としたものと解することができる。また,これは,迫害から逃れて他国に移動した難民は,他国に入国後速やかにひ護を求めるのが一般的であるという経験則を背景としており,さらに,難民認定申請制度の濫用者が増加すると行政側の負担が過大となり,適正な難民認定が遅延し,誠実な難民認定申請者にとっても不利益となることから,このような濫用者の申請を可及的に排除することをも併せて目的としたものと解することができる。
もっとも,同項本文による60日の期間制限を一律に機械的に適用して取り扱うことは,具体的な事情の下において妥当でない場合があり得ることから,このことを考慮して,例外として同項ただし書を設け,申請期間経過後の申請であっても,申請期間の経過に「やむを得ない事情」があるときは,期間内にされた申請と同様に難民性の有無を判断することとして,個別に救済を図っているものと解すべきである。
(3)  これに対して,原告は,入管法61条の2第2項の規定について,難民条約等が難民認定手続につき具体的な規定を置いていないことを理由に,締約国はいかなる認定手続をも自由に決められるとするのは誤りであり,60日条項は単なる努力規定又は訓示的規定と解するのでなければ,難民条約に違反する旨主張する。
しかし,難民認定の申請と難民条約との関係を論ずるためには,まず,入管法62条の2第1項にいう難民の認定とは何かということを検討すべきであるところ,入管法及び難民条約の各規定からすると,難民の認定手続は,我が国が領土主権に基づき各種行政機関により難民に対して特別の取扱いや保護を行うため,個別の処遇局面ごとに難民条約上の難民か否かを判断するよりも,あらかじめ,一律に行政手続上難民であると認定する手続を設けておいた方が適切かつ円滑な処遇を期待しやすいことから,設けられているものと解するのが相当である。したがって,難民の認定手続とは,行政手続上我が国が当該難民のひ護の責務を負うことをあらかじめ明確にしておくことを目的とする外国人の管理行政上の特別な手続であり,難民の認定をしない旨の処分は,このような一律の行政手続上の認定を受けられなかったものにとどまり,難民条約における難民の定義に当たらないことを実体法上確定してしまうものではないというべきである。
そうすると,このような外国人の管理行政上の手続である難民認定手続における「難民」と難民条約上の「難民」とは,要件は同じであるが,実際には食い違いが生ずることがある。例えば,本邦に入国前に申請した場合や申請後に出国した場合は,難民条約上の難民であっても,我が国の難民認定手続の対象には含まれないことになる。また,難民の認定を申請していない者,さらには,申請後に難民の認定をしない旨の処分を受けた者であっても,難民条約上の「難民」に該当しないことが確定しているわけではないのであるから,実体法上,難民条約上の「難民」の定義に該当する者であれば,これを迫害国に送還することは難民条約違反になる可能性があるということになる。
このように考えると,入管法61条の2第2項は,前記のような特別な難民認定制度に乗せる対象を限定する規定であって,その性質上,難民要件とかかわりのある規定ではなく,難民条約上の難民要件に変更を加えるものではないと解すべきである。
(4)  以上を前提に,難民条約及び難民議定書をみると,このような難民認定手続の要否やその要件,手続について言及する規定はない。したがって,難民条約の締約国が前述したような難民認定制度を設け,かつ,その手続を定めて,この手続に乗せる期間を限定しても,それだけで難民条約等に違反しないことは明らかである。
もっとも,当該手続が難民の認定を受けることを著しく困難にするものであって,そのため結果的に,制度上難民に対するひ護を適切に行うことができなくなっているような場合には,手続規定自体が難民条約の趣旨に反すると解する余地も考えられなくはないので,以下,このような観点から,更に検討を進めることとする。
(5)  まず,どのような難民認定手続を定めるかについては,原則として,各締約国の主権国家としての立法裁量にゆだねられており,各締約国が,その実情等を勘案して合理的に定めることができると解すべきである。そして,難民認定手続につき,国際法上の一般原則があるわけではなく,諸外国においても,各国ごとに独自の立法により難民認定制度を定めている。
また,行政手続上,一定の認定申請につき期間制限を設けることにより早期の申請を促し,かつ,適正な行政を期することはごく一般的な手法である。そして,迫害の危険から逃れるために他国の保護を求めるという難民認定申請の性質からすると,一般論としては,前記経験則のとおり,実際に迫害の危険があるならば,本邦に入国後,速やかな申請がされるはずであるということができる。そして,入管法61条の2第2項が申請期間に制限を設けているのは,このような点を踏まえた上で,前記のとおり,入国後長期間経過後に難民認定申請がされると,入国当時の事実関係を把握することが困難となり,適正かつ公正な認定を行うことができなくなるおそれがあることから,難民認定行政の公正かつ円滑な実施を確保しようとするものであり,このような立法政策自体を不合理ということはできない。
さらに,60日という期間については,我が国の地理的,社会的実情や交通事情等に照らすと,申請者が,難民認定申請をするかどうかを一定期間考慮したり,本国の情勢を把握する必要がある場合であっても,そのための期間として必ずしも不十分であるということはできず,他方,60日という期間が不十分であるというような一般的な事情は見当たらない。加えるに,具体的な事情の下において,この期間制限を適用することが妥当でない場合があり得ることから,そのことを考慮して,同項ただし書を設け,申請期間の経過に「やむを得ない事情」があるときは,期間内にされた申請と同様に難民性の有無を判断することとして,個別に救済を図っているのである。
(6)  そうすると,60日という期間制限が,事実上難民認定の申請を著しく困難にするような短きに失する期間であると断定することはできず,入管法61条の2第2項の規定が,実質的に難民のひ護を適切に行うことをできなくするものであるとまでいうことはできない。
したがって,60日間の申請期間の制限を設けている入管法61条の2第2項の規定は,立法裁量の枠内にあるものであって,難民条約に違反するものではなく,難民条約と入管法との効力関係等について検討するまでもなく,有効というべきである。
5  争点(4)(60日条項違反の有無)について
(1)  原告も主張するように,難民の認定を申請することは,申請者にとって重大な決断を要するものであり,したがって,難民の中には,難民に対する取扱いについて十分な知識がないか,あるいは,難民認定申請手続に関する誤解等の下に,自ら難民である旨を明らかにした場合には,入国を拒否されてその場で直ちに送還されたり,拘禁施設に収容されてしまうのではないかとの危惧を抱く者もあり得るであろうから,入国後直ちに難民認定申請をするのではなく,まず平穏に日本に入国することを望み,入国後,難民に対する取扱いについての知識を得てから,難民認定申請をしようとする者など前記の経験則によらない者もあると推測される。そうすると,入管法61条の2第2項本文による申請期間の制限を一律に機械的に適用することが妥当でない場合もあり得るものと考えられる。
そこで,同項ただし書は,このような例外的な場合があり得ることを考慮して,期間を経過した申請についても,個別に具体的な事情を検討して,期間を経過したことに合理的理由がある場合には「やむを得ない事情」があるものとして救済を図り,期間内にされた申請と同様に難民性の有無を判断することとしたものというべきであって,同項ただし書の「やむを得ない事情」の意義も,こうした救済規定としての趣旨に適合するように解釈されなければならない。
このような救済規定としての趣旨に照らせば,同項ただし書にいう「やむを得ない事情」とは,本邦に上陸した日又は本邦にある間に難民となる事由が生じた場合にあってはその事実を知った日から60日以内に難民認定の申請をする意思を有していた者が,病気,交通の途絶等の客観的な事情により物理的に入国管理官署に出向くことができなかった場合に限らず,本邦において難民認定の申請をするか否かの意思を決定することが,出国の経緯,我が国の難民認定制度に対する情報面や心理面における障害の内容と程度,証明書類等の所持の有無,申請者にとっての言語上の障害,申請までの期間等を総合的に検討し,当該期間を経過したことに合理的理由があり,入国後速やかに難民としてのひ護を求めなかったことが必ずしも難民でないことを事実上推認させるものではない場合をいうと解するのが相当である。
(2)  そこで,このような観点から,原告の難民認定申請について入管法61条の2第2項ただし書にいう「やむを得ない事情」の有無を検討すると,原告は,平成3年4月に本邦に上陸し,前記のとおり難民該当性が生じたと認められる平成15年10月ころまでに,既に12年以上の長期にわたって日本において生活を送っており,同時点において日常的な日本語の会話は可能であったこと(乙11によれば,同16年7月の時点で,日本語で簡単な日常会話をすることができた上,簡単な漢字も読むことができたことが認められる。),日本において長期間にわたり就労を続けており,日本人の知人も複数いたこと(乙11及び13により認められる。)が認められる。
そのほか前記認定事実も加えて総合勘案すると,原告は,ミャンマーにおいて,単にデモに参加したり,ビラを配るなどといったものではなく,反政府活動家の指導者らとも交友があったほか,日本における反政府活動についても,仮放免後におけるCNCやAUNへの加入や役員への就任等を考え合わせると,いわゆる知識人の立場で,反政府活動に関与していたものということができる。そして,原告のこのような活動や立場からすると,原告は,難民制度一般や,日本における難民認定制度,あるいは難民認定申請を助けてもらうための組織や弁護士等についても,一般のミャンマー人より多くの知識を有していたものと推認するのが相当である。
そうすると,このような原告としては,入管法61条の2第2項本文括弧書きにいう「その事実を知つた日」から速やかに難民認定申請をすることもできたはずであり,原告が難民に該当することとなってから,7か月余りも難民認定申請をしなかったことに合理的理由があるということはできない。したがって,原告には,入管法61条の2第2項ただし書にいう「やむを得ない事情」が存在すると認めることはできない。
(3)  これに対して,原告は,難民認定申請をすることにより,かえって本国に強制送還されるおそれが強くなることが容易に予想されるとし,原告が難民認定申請をすることにちゅうちょを感じざるを得なかったのは,やむを得ないものであるとして,原告の難民認定申請が入管法61条の2第2項所定の期間内にされなかったことについて,「やむを得ない事情」があるとする。
しかしながら,「やむを得ない事情」の有無について,原告の上記主張のように緩やかに解することは,既に述べたような入管法61条の2第2項が申請期間に制限を設けた趣旨,すなわち,入国した時から長期間が経過した後に難民認定申請がされると,入国当時の事実関係を把握することが困難となり,適正かつ公正な難民認定を行うことができなくなるおそれがあることに照らし,相当ではないというべきであるから,原告の上記主張は採用しない。
6  争点(5)(本件裁決の有効性)について
(1)  まず,法務大臣の裁量権について検討する。
ア 憲法22条1項は,日本国内における居住・移転の自由を保障するにとどまっており,憲法は,外国人の日本へ入国する権利や在留する権利等について何ら規定しておらず,日本への入国又は在留を許容すべきことを義務付けている条項は存在しない。このことは,国際慣習法上,国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく,特別な条約がない限り,外国人を受け入れるかどうか,受け入れる場合にいかなる条件を付するかについては,当該国家が自由に決定することができるとされていることと考えを同じくするものと解される。したがって,憲法上,外国人は,日本に入国する自由が保障されていないことはもとより,在留する権利ないし引き続き在留することを要求する権利を保障されているということはできない。このように外国人の入国及び在留の許否は国家が自由に決定することができるのであるから,我が国に在留する外国人は,入管法に基づく外国人在留制度の枠内においてのみ憲法に規定される基本的人権の保障が与えられているものと解するのが相当である(最高裁昭和50年(行ツ)第120号同昭和53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁,最高裁昭和29年(あ)第3594号同32年6月19日大法廷判決・刑集11巻6号1663頁参照)。
イ 入管法2条の2,7条等は,憲法の上記の趣旨を前提として,外国人に対し原則として一定の期間を限り特定の資格により我が国への上陸,在留を許すものとしている。したがって,上陸を許された外国人は,その在留期間が経過した場合は当然我が国から退去しなければならないことになる。そして,入管法21条は,当該外国人が在留期間の更新を申請することができることとしているが,この申請に対しては法務大臣が「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り,これを許可することができる。」ものと定められている。これらによると,入管法においても,在留期間の更新が当該外国人の権利として保障されていないことは明らかであり,法務大臣は,更新事由の有無の判断につき広範な裁量権を有するというべきである(前掲昭和53年10月4日最高裁大法廷判決参照)。
ウ また,入管法50条1項3号は,入管法49条1項所定の異議の申出を受理したときにおける同条3項所定の裁決に当たって,異議の申出が理由がないと認める場合でも,法務大臣は在留を特別に許可することができるとし,入管法50条3項は,上記の許可をもって異議の申出が理由がある旨の裁決とみなす旨定めている。
しかし,①前記のように外国人には我が国における在留を要求する権利が当然にあるわけではないこと,②入管法50条1項柱書き及び同項3号は,「特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」に在留を特別に許可することができると規定するだけであって,この在留特別許可の判断の要件,基準等については何ら定められていないこと,③入管法には,そのほか,上記在留特別許可の許否の判断に当たって考慮しなければならない事項の定めなど上記の判断をき束するような規定は何も存在しないこと,④在留特別許可の判断の対象となる者は,在留期間更新の場合のように適法に在留している外国人とは異なり,既に入管法24条各号の規定する退去強制事由に該当し,本来的には退去強制の対象となる外国人であること,並びに⑤外国人の出入国管理は,国内の治安と善良な風俗の維持,保健・衛生の確保,外交関係の安定,労働市場の安定等,種々の国益の保持を目的として行われるものであって,このような国益の保持の判断については,広く情報を収集し,時宜に応じた専門的・政策的考慮を行うことが必要であり,時には高度な政治的判断を要することもあり,特に,既に退去強制されるべき地位にある者に対してされる在留特別許可の許否の判断に当たっては,このような考慮が必要であることを総合勘案すると,上記在留特別許可を付与するか否かの判断は,法務大臣の極めて広範な裁量にゆだねられていると解すべきである。そして,その裁量権の範囲は,在留期間更新許可の場合よりも更に広範であると解するのが相当である。
したがって,これらの点からすれば,在留特別許可を付与するか否かについての法務大臣の判断が違法とされるのは,その判断が全く事実の基礎を欠き,又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるなど,法務大臣が裁量権の範囲を逸脱し,又は濫用した場合に限られるというべきである。
(2)  そこで,以上の判断の枠組みに従って,原告に在留特別許可を付与しないとした被告法務大臣の判断に裁量権の逸脱又は濫用があるといえるか否かについて検討する必要があるところ,原告は,入管法2条3号の2,難民条約1条に規定する「難民」に該当するというべきであるから,これを前提として,本件裁決の違法性の有無について検討する。
(3)ア  原告は,前記前提事実のとおり,乗員上陸許可を受けて本邦に上陸した後,その上陸許可期限を超えて,本邦に不法に残留した者であり,入管法24条6号所定の退去強制事由に該当するというべきである。
イ  しかしながら,入管法61条の2の8によれば,法務大臣は,難民の認定を受けている者に対しては,異議の申出に理由がない場合であっても,その裁量によって在留を特別に許可することができる旨定められている。このような同条の規定振り並びに入管法上の難民の意義及び性格からすると,当該外国人が入管法上の難民に当たるか否かは,法務大臣が在留を特別に許可するか否かについて判断する場合に当然に考慮すべき極めて重要な考慮要素であるというべきである。
ところが,被告法務大臣は,前記のとおり,本件裁決と同日付けで,原告に対して本件不認定処分を行っているのであるから,原告が入管法による難民認定を受けるべき者であることを考慮せずに本件裁決を行ったことは明らかである。そうすると,本件裁決は,原告が入管法上の難民に該当するという当然に考慮すべき極めて重要な要素を一切考慮せずに行われたものといわざるを得ない。
したがって,本件裁決は,その裁量権の範囲を逸脱する違法な処分というべきである。
ウ  さらに,前記のとおり,難民条約32条1は,「締約国は,国の安全又は公の秩序を理由とする場合を除くほか,合法的にその領域内にいる難民を追放してはならない。」と規定し,難民条約33条1は,「締約国は,難民を,いかなる方法によつても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。」と規定している。
被告法務大臣は,原告が入管法上の難民に該当するのであるから,本件裁決が上記規定に反する結果とならないかについても吟味する必要があったところ,このような吟味をしたことをうかがわせる事情はない。
したがって,この点においても,本件裁決は,被告法務大臣の裁量権の範囲を逸脱する違法な処分というべきである。
(4)  ところで,行政処分が法定の処分要件を欠き違法である場合に,当該処分の取消しを求める司法上の救済手続においては,法定の出訴期間の遵守が要求され,その所定の期間を経過した後においては,原則としてもはや当該処分の瑕疵を理由としてその効力を争うことはできないものとされているが,その瑕疵が重大かつ明白で当該処分が無効と評価される場合には,このような出訴期間による制限は課されないものとされている。ここで,無効原因として瑕疵の明白性が要求される理由は,重大な瑕疵による処分によって侵害された国民の権利保護の要請と,これに対するものとしての法的安定及び第三者の信頼保護(換言すれば,処分を無効とすることによって侵害される既得の権利の保護)の要請の調和を図る必要性にあるということができる。
そうであるとすると,一般に,入管法49条1項による異議の申出に理由がない旨の裁決が当該外国人に対してのみ効力を有するもので,当該裁決の存在を信頼する第三者の保護を考慮する必要が乏しいこと等を考慮すれば,当該裁決の瑕疵が入管法の根幹についてのそれであって,出入国管理行政の安定とその円滑な運営の要請を考慮してもなお,出訴期間の経過による不可争的効果の発生を理由として当該外国人に当該裁決による重大な不利益を甘受させることが著しく不当と認められるような例外的な事情のある場合には,前記の過誤による瑕疵が必ずしも明白なものでなくても,当該裁決は当然無効と解するのが相当である(最高裁昭和42年(行ツ)第57号同48年4月26日第一小法廷判決・民集27巻3号629頁参照)。
(5)  そこで,これを本件についてみるに,本件裁決は,難民である原告を,これを迫害するおそれのあるミャンマーに送還するという本件退令処分の前提となるものであるところ,我が国が難民条約及び拷問等禁止条約を批准し,難民条約33条1を前提に入管法53条3項を設けていること,並びに入管法上の難民の意義及び性質に照らせば,難民である外国人を,これを迫害するおそれのある国に向けて送還してはならないことは,入管法上自明のことであるから,本件裁決は,難民である原告を,これを迫害するおそれのある国に向けて送還しようとする本件退令処分の前提となる点において,入管法の根幹についての重大な過誤というべき瑕疵を有するものといわなければならない。
そうすると,本件裁決には,出入国管理行政の安定とその円滑な運営の要請を考慮してもなお,出訴期間の経過による不可争的効果の発生を理由として,難民である原告に,本件裁決及びこれに引続く本件退令処分によって原告をその迫害を受けるおそれのある国に送還するという不利益を甘受させることが,著しく不当と認められるような例外的な事情があるというべきである。したがって,前記の過誤による瑕疵が明白なものでなくても,本件裁決は当然無効と解するのが相当である。
(6)  以上によれば,本件裁決は無効であるというべきである。
7  争点(6)(本件退令処分の有効性)について
法務大臣は,入管法49条1項による異議の申出を受理したときには,異議の申出が理由があるかどうかを裁決して,その結果を主任審査官に通知しなければならず(同条3項),主任審査官は,法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときには,速やかに当該容疑者に対し,その旨を知らせるとともに,入管法51条の規定する退去強制令書を発付しなければならない(入管法49条5項)。
そうすると,前記のとおり,本件裁決が無効である以上,これに従ってされた本件退令処分も当然に無効であるといわざるを得ない。
第4  結論
よって,原告の請求のうち,本件退令処分が無効であることの確認を求める部分は,理由があるからこれを認容することとし,その余の請求は理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき,行政事件訴訟法7条,民訴法61条,64条本文を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 杉原則彦 裁判官 市原義孝 裁判官 島村典男)

 

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政治と選挙の裁判例「公認 候補者 公募 ポスター 国政政党 地域政党」に関する裁判例一覧
(1)平成19年 7月12日 東京地裁 平17(行ウ)63号・平17(行ウ)295号・平17(行ウ)296号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(2)平成19年 7月 3日 東京地裁 平17(行ウ)530号・平17(行ウ)531号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分無効確認請求事件
(3)平成19年 6月21日 東京地裁 平16(ワ)10840号 損害賠償等請求事件
(4)平成19年 6月14日 宇都宮地裁 平15(ワ)407号 損害賠償請求事件
(5)平成19年 6月13日 最高裁大法廷 平18(行ツ)176号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(6)平成19年 6月13日 最高裁大法廷 平18(行ツ)175号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟〕
(7)平成19年 6月 8日 東京地裁 平18(行ウ)14号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(8)平成19年 5月30日 東京地裁 平19(ワ)4768号 損害賠償請求事件
(9)平成19年 5月30日 東京地裁 平17(行ウ)55号・平17(行ウ)132号・平17(行ウ)133号・平17(行ウ)134号 各難民の認定をしない処分取消請求事件
(10)平成19年 5月25日 東京地裁 平17(行ウ)337号・平17(行ウ)338号・平17(行ウ)339号・平17(行ウ)340号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分取消等請求事件
(11)平成19年 5月25日 青森地裁 平17(行ウ)7号 政務調査費返還代位請求事件
(12)平成19年 5月10日 東京高裁 平18(う)2029号 政治資金規正法違反被告事件 〔いわゆる1億円ヤミ献金事件・控訴審〕
(13)平成19年 5月 9日 東京地裁 平18(行ウ)290号 損害賠償等(住民訴訟)請求事件
(14)平成19年 4月27日 東京地裁 平17(行ウ)439号・平18(行ウ)495号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(15)平成19年 4月27日 東京地裁 平14(行ウ)390号・平17(行ウ)328号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分取消請求事件
(16)平成19年 4月27日 東京地裁 平14(ワ)28215号 損害賠償請求事件
(17)平成19年 4月27日 仙台地裁 平15(行ウ)8号 政務調査費返還代位請求事件
(18)平成19年 4月26日 東京地裁 平17(行ウ)60号 退去強制令書発付処分無効確認等請求事件
(19)平成19年 4月20日 東京地裁 平15(ワ)29718号・平16(ワ)13573号 損害賠償等請求事件
(20)平成19年 4月13日 東京地裁 平17(行ウ)223号・平18(行ウ)40号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(21)平成19年 4月13日 東京地裁 平17(行ウ)329号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(22)平成19年 4月12日 東京地裁 平17(行ウ)166号 退去強制令書発付処分無効確認等請求事件
(23)平成19年 4月11日 東京地裁 平17(ワ)11486号 地位確認等請求事件
(24)平成19年 3月29日 仙台高裁 平18(行コ)25号 違法公金支出による損害賠償請求履行請求住民訴訟控訴事件
(25)平成19年 3月28日 東京地裁 平17(行ウ)523号・平17(行ウ)534号・平17(行ウ)535号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(26)平成19年 3月28日 東京地裁 平17(行ウ)424号・平17(行ウ)425号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分無効確認請求事件
(27)平成19年 3月27日 岡山地裁 平11(ワ)101号・平13(ワ)257号・平13(ワ)1119号・平13(ワ)1439号・平14(ワ)1177号・平14(ワ)1178号 退職慰労金請求事件、貸金請求事件、損害賠償請求事件、所有権移転登記抹消登記手続等請求事件 〔岡山市民信金訴訟・第一審〕
(28)平成19年 3月23日 東京地裁 平17(行ウ)474号・平17(行ウ)525号・平18(行ウ)118号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分取消等請求事件、訴えの追加的併合申立事件
(29)平成19年 3月23日 東京地裁 平16(行ウ)462号・平17(行ウ)344号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(30)平成19年 3月16日 東京地裁 平17(行ウ)380号・平17(行ウ)381号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分取消等請求事件
(31)平成19年 3月 6日 東京地裁 平17(行ウ)111号・平17(行ウ)113号 難民の認定をしない処分取消請求事件、退去強制令書発付処分無効確認請求事件
(32)平成19年 2月28日 東京地裁 平16(行ウ)174号・平17(行ウ)162号 退去強制令書発付処分無効確認等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(33)平成19年 2月26日 熊本地裁 平17(わ)55号・平17(わ)113号 贈賄被告事件
(34)平成19年 2月22日 東京地裁 平16(行ウ)479号・平16(行ウ)480号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(35)平成19年 2月21日 東京地裁 平17(行ウ)375号・平17(行ウ)376号 退去強制令書発付処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(36)平成19年 2月 9日 東京地裁 平17(行ウ)154号・平17(行ウ)155号・平17(行ウ)479号・平17(行ウ)480号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、退去強制令書発付処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(37)平成19年 2月 8日 東京地裁 平17(行ウ)22号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(38)平成19年 2月 7日 大阪地裁 平17(わ)7238号・平17(わ)7539号 弁護士法違反、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律違反被告事件
(39)平成19年 1月31日 東京地裁 平16(行ウ)323号・平17(行ウ)469号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(40)平成19年 1月31日 東京地裁 平16(行ウ)396号・平16(行ウ)399号 退去強制令書発付処分無効確認等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(41)昭和27年 4月 4日 佐賀地裁 昭25(行)1号 休職退職取消並びに損害賠償請求事件
(42)昭和27年 1月14日 福岡高裁 昭26(ナ)9号 裁決取消ならびに当選有効確認事件
(43)昭和26年12月25日 福岡高裁 昭26(う)2846号 団体等規正令違反事件
(44)昭和26年12月 3日 大阪高裁 昭26(う)1094号 昭和二五年政令第三二五号違反被告事件
(45)昭和26年11月30日 福岡高裁 昭26(ナ)4号 当選の無効に関する異議申立に対する決定取消請求事件
(46)昭和26年11月20日 名古屋高裁 昭26(ナ)12号 町長選挙に関する選挙無効事件
(47)昭和26年11月 1日 名古屋地裁 昭24(ワ)561号 解雇無効確認請求事件 〔名古屋市職員免職事件〕
(48)昭和26年10月24日 広島高裁松江支部 昭26(う)54号 収賄被告事件
(49)昭和26年10月19日 福岡高裁 昭26(う)2437号 公職選挙法違反被告事件
(50)昭和26年 9月29日 名古屋地裁 昭24(ワ)561号 組合員除名無効確認請求事件 〔名古屋交通組合除名事件〕
(51)昭和26年 9月26日 札幌高裁 昭26(う)365号・昭26(う)366号・昭26(う)367号 国家公務員法違反被告事件
(52)昭和26年 9月 3日 札幌高裁 昭26(う)507号 昭和二五年政令第三二五号違反被告事件
(53)昭和26年 8月24日 高松高裁 昭24(控)1374号・昭24(控)1375号・昭24(控)1376号・昭24(控)1377号・昭24(控)1378号 衆議院議員選挙法違反・虚偽有印公文書作成・同行使等被告事件
(54)昭和26年 8月 7日 札幌高裁 昭26(う)475号 昭和二一年勅令第三一一号違反被告事件
(55)昭和26年 7月 7日 東京地裁 昭25(モ)2716号 仮処分異議申立事件 〔池貝鉄工整理解雇事件〕
(56)昭和26年 6月15日 名古屋高裁 昭26(う)529号 公職選挙法違反事件
(57)昭和26年 5月26日 大阪地裁 昭25(ワ)1824号 解雇無効確認請求事件 〔大阪陶業不当解雇事件〕
(58)昭和26年 5月 9日 広島高裁 昭25(ナ)2号 当選の効力に関する訴訟事件
(59)昭和26年 3月30日 東京高裁 昭25(う)4120号 電車顛覆致死偽証各被告事件 〔三鷹事件・控訴審〕
(60)昭和26年 3月28日 札幌高裁 昭25(う)692号 地方税法違反被告事件
(61)平成18年 6月29日 東京地裁 平16(特わ)973号 国家公務員法違反事件 〔国家公務員赤旗配付事件〕
(62)平成18年 6月20日 京都地裁 平16(行ウ)40号 地労委任命処分取消等請求事件
(63)平成18年 6月13日 東京地裁 平15(行ウ)416号・平16(行ウ)289号 難民の認定をしない処分取消等請求、退去強制令書発付処分取消等請求事件
(64)平成18年 5月15日 東京地裁 平17(ワ)1922号 慰謝料等請求事件
(65)平成18年 4月21日 東京地裁 平16(ワ)7187号 謝罪広告等請求事件
(66)平成18年 3月31日 大阪高裁 平17(行コ)22号・平17(行コ)23号 同和奨学金賠償命令履行請求各控訴事件
(67)平成18年 3月30日 東京地裁 平16(特わ)5359号 政治資金規正法違反被告事件 〔いわゆる1億円ヤミ献金事件・第一審〕
(68)平成18年 3月30日 京都地裁 平17(ワ)1776号・平17(ワ)3127号 地位不存在確認請求事件
(69)平成18年 3月29日 東京地裁 平17(行ウ)157号・平17(行ウ)184号・平17(行ウ)185号・平17(行ウ)186号・平17(行ウ)187号・平17(行ウ)188号・平17(行ウ)189号・平17(行ウ)190号・平17(行ウ)191号 国籍確認請求事件 〔国籍法三条一項違憲訴訟・第一審〕
(70)平成18年 3月28日 東京高裁 平17(行ケ)157号・平17(行ケ)158号・平17(行ケ)159号・平17(行ケ)160号・平17(行ケ)161号・平17(行ケ)162号・平17(行ケ)163号 選挙無効請求事件
(71)平成18年 3月23日 名古屋地裁 平16(行ウ)73号・平16(行ウ)76号 退去強制令書発付処分取消請求、難民不認定処分等無効確認請求事件
(72)平成18年 2月28日 東京地裁 平13(行ウ)150号 行政文書不開示処分取消請求事件 〔外務省機密費訴訟〕
(73)平成18年 2月28日 横浜地裁 平16(行ウ)1号 不当労働行為救済命令取消請求事件 〔神奈川県労委(東芝・配転)事件・第一審〕
(74)平成18年 2月 2日 福岡高裁 平17(行コ)12号 固定資産税等の免除措置無効確認等請求控訴事件
(75)平成18年 1月19日 最高裁第一小法廷 平15(行ヒ)299号 違法公金支出返還請求事件
(76)平成18年 1月12日 大分地裁 平15(わ)188号 公職選挙法違反被告事件
(77)平成18年 1月11日 名古屋高裁金沢支部 平15(ネ)63号 熊谷組株主代表訴訟控訴事件 〔熊谷組政治献金事件・控訴審〕
(78)平成17年12月26日 東京地裁 平17(行ウ)11号 不当労働行為救済命令取消請求事件 〔JR西(岡山)組合脱退慫慂事件〕
(79)平成17年12月 1日 東京高裁 平16(行コ)347号 難民の認定をしない処分取消請求控訴事件
(80)平成17年11月15日 東京地裁 平16(ワ)23544号 損害賠償請求事件
(81)平成17年11月10日 最高裁第一小法廷 平17(行フ)2号 文書提出命令申立却下決定に対する抗告棄却決定に対する許可抗告事件 〔政務調査費調査研究報告書文書提出命令事件〕
(82)平成17年10月25日 東京地裁 平16(ワ)14421号 損害賠償請求事件
(83)平成17年 9月15日 東京高裁 平17(ネ)707号 謝罪放送等請求事件
(84)平成17年 9月14日 大阪地裁 平15(行ウ)55号・平15(行ウ)56号・平15(行ウ)57号 所得税賦課決定処分取消請求事件
(85)平成17年 9月 8日 名古屋地裁 平16(行ウ)46号 難民不認定処分取消請求事件
(86)平成17年 8月31日 名古屋地裁 平16(行ウ)48号・平16(行ウ)49号・平16(行ウ)50号 裁決取消等請求各事件
(87)平成17年 8月25日 京都地裁 平16(行ウ)12号 損害賠償請求事件
(88)平成17年 7月 6日 大阪地裁 平15(ワ)13831号 損害賠償請求事件 〔中国残留孤児国賠訴訟〕
(89)平成17年 6月15日 大阪高裁 平16(行コ)89号 難民不認定処分取消、退去強制命令書発付取消等各請求控訴事件
(90)平成17年 5月31日 東京地裁 平16(刑わ)1835号・平16(刑わ)2219号・平16(刑わ)3329号・平16(特わ)5239号 贈賄、業務上横領、政治資金規正法違反被告事件 〔日本歯科医師会事件〕
(91)平成17年 5月30日 名古屋地裁 平15(行ウ)63号 政務調査費返還請求事件
(92)平成17年 5月26日 名古屋地裁 平16(行ウ)40号 岡崎市議会政務調査費返還請求事件
(93)平成17年 5月24日 岡山地裁 平8(行ウ)23号 損害賠償等請求事件
(94)平成17年 5月19日 東京地裁 平12(行ウ)319号・平12(行ウ)327号・平12(行ウ)315号・平12(行ウ)313号・平12(行ウ)317号・平12(行ウ)323号・平12(行ウ)321号・平12(行ウ)325号・平12(行ウ)329号・平12(行ウ)311号 固定資産税賦課徴収懈怠違法確認請求、損害賠償(住民訴訟)請求事件
(95)平成17年 5月18日 東京高裁 平16(行ケ)356号 選挙無効請求事件
(96)平成17年 4月27日 仙台高裁 平17(行ケ)1号 当選無効及び立候補禁止請求事件
(97)平成17年 4月21日 熊本地裁 平16(行ウ)1号 固定資産税等の免除措置無効確認等請求事件
(98)平成17年 4月13日 東京地裁 平15(行ウ)110号 退去強制令書発付処分取消等請求事件 〔国籍法違憲訴訟・第一審〕
(99)平成17年 3月25日 東京地裁 平15(行ウ)360号・平16(行ウ)197号 難民の認定をしない処分取消請求、退去強制令書発付処分等取消請求事件
(100)平成17年 3月23日 東京地裁 平14(行ウ)44号・平13(行ウ)401号 退去強制令書発付処分取消等請求事件


政治と選挙の裁判例(裁判例リスト)

■「選挙 コンサルタント」に関する裁判例一覧【1-101】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-consultant/

■「選挙 立候補」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-rikkouho/

■「政治活動 選挙運動」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seijikatsudou-senkyoundou/

■「公職選挙法 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kousyokusenkyohou-poster/

■「選挙 ビラ チラシ」に関する裁判例一覧【1~49】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-bira-chirashi/

■「政務活動費 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「演説会 告知 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「公職選挙法 ポスター 掲示交渉」に関する裁判例一覧【101~210】
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■「政治ポスター貼り 公職選挙法 解釈」に関する裁判例一覧【211~327】
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■「公職選挙法」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kousyokusenkyohou/

■「選挙 公報 広報 ポスター ビラ」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「選挙妨害」に関する裁判例一覧【1~90】
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■「二連(三連)ポスター 政党 公認 候補者」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「個人(単独)ポスター 政党 公認 候補者」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 公認 候補者 公募 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 議員 政治家」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 公報 広報」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「国政政党 地域政党 二連(三連)ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「国政政党 地域政党 個人(単独)ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「公認 候補者 公募 ポスター 国政政党 地域政党」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政治団体 公認 候補者 告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政治団体 後援会 選挙事務所 候補者 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 衆議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 参議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 地方議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-chihou-giin-poster/

■「政党 代議士 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-daigishi-giin-poster/

■「政党 ポスター貼り ボランティア」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 党員 入党 入会 獲得 募集 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-touin-nyuutou-nyuukai-kakutoku-boshuu-daikou/

■「政治団体 党員 入党 入会 獲得 募集 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seiji-dantai-nyuutou-nyuukai-kakutoku-boshuu-daikou/

■「後援会 入会 募集 獲得 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kouenkai-nyuukai-boshuu-kakutoku-daikou/


■選挙の種類一覧
選挙①【衆議院議員総選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙②【参議院議員通常選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙③【一般選挙(地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙④【特別選挙(国政選挙|地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)


 

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