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政治と選挙Q&A「政党 公認 候補者 公募 ポスター」に関する裁判例(43)平成27年10月29日 東京地裁 平23(行ウ)738号・平24(行ウ)174号・平24(行ウ)249号・平24(行ウ)250号・平24(行ウ)251号・平24(行ウ)252号・平24(行ウ)253号・平24(行ウ)254号・平24(行ウ)255号・平24(行ウ)256号・平24(行ウ)258号・平24(行ウ)260号・平24(行ウ)262号・平24(行ウ)263号・平24(行ウ)265号・平25(行ウ)94号・平25(行ウ)336号 原爆症認定申請却下処分取消請求事件

「政党 公認 候補者 公募 ポスター」に関する裁判例(43)平成27年10月29日 東京地裁 平23(行ウ)738号・平24(行ウ)174号・平24(行ウ)249号・平24(行ウ)250号・平24(行ウ)251号・平24(行ウ)252号・平24(行ウ)253号・平24(行ウ)254号・平24(行ウ)255号・平24(行ウ)256号・平24(行ウ)258号・平24(行ウ)260号・平24(行ウ)262号・平24(行ウ)263号・平24(行ウ)265号・平25(行ウ)94号・平25(行ウ)336号 原爆症認定申請却下処分取消請求事件

裁判年月日  平成27年10月29日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平23(行ウ)738号・平24(行ウ)174号・平24(行ウ)249号・平24(行ウ)250号・平24(行ウ)251号・平24(行ウ)252号・平24(行ウ)253号・平24(行ウ)254号・平24(行ウ)255号・平24(行ウ)256号・平24(行ウ)258号・平24(行ウ)260号・平24(行ウ)262号・平24(行ウ)263号・平24(行ウ)265号・平25(行ウ)94号・平25(行ウ)336号
事件名  原爆症認定申請却下処分取消請求事件
文献番号  2015WLJPCA10298003

要旨
〔判示事項〕
◆原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の規定による原爆症認定の各申請を却下する旨の処分の全部又は一部が違法であるとして取り消された事例
〔裁判要旨〕
◆原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の規定による原爆症認定の各申請を却下する旨の処分の取消請求について、被爆者の被曝線量を評価するに当たっては、当該被爆者の被爆状況、被爆後の行動、活動内容、被爆後に生じた症状等に照らし、様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性がないかどうかを十分に検討して、被爆者において、健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたのかどうかについて判断していく必要があるというべきであり、平成25年12月16日に再改定された原爆症認定の運用に関する「新しい審査の方針」における放射線起因性を積極的に認定する範囲は、個々の被爆者の申請疾病の放射線起因性を判断する際の目安の一つであるとはいえるものの、個々の被爆者が同範囲に該当しない場合であっても、個々の被爆者の被爆状況や被爆後の健康状況、被爆者の罹患した疾病等の性質、他原因の有無等を個別具体的に検討した結果、当該被爆者の申請疾病の放射線起因性が肯定される場合もあるところ、本件の事実関係の下においては、前記の各申請に係る疾病のうち、下咽頭がん、腎細胞がん(2名)、胃がん、左乳がん術後皮膚潰瘍、膀胱がん、前立腺がん(2名)、胃切除後障害としてのダンピング症候群、心筋梗塞(2名)、狭心症(2名)、脳梗塞(2名)、甲状腺機能低下及びC型慢性肝炎について放射線起因性及び要医療性が認められるから、これらの申請を却下した上記処分は違法である。

裁判経過
控訴審 平成30年 3月27日 東京高裁 判決 平27(行コ)421号

出典
裁判所ウェブサイト

裁判年月日  平成27年10月29日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平23(行ウ)738号・平24(行ウ)174号・平24(行ウ)249号・平24(行ウ)250号・平24(行ウ)251号・平24(行ウ)252号・平24(行ウ)253号・平24(行ウ)254号・平24(行ウ)255号・平24(行ウ)256号・平24(行ウ)258号・平24(行ウ)260号・平24(行ウ)262号・平24(行ウ)263号・平24(行ウ)265号・平25(行ウ)94号・平25(行ウ)336号
事件名  原爆症認定申請却下処分取消請求事件
文献番号  2015WLJPCA10298003

当事者の表示 別紙1当事者目録記載のとおり

 

 

主文

1  処分行政庁が別紙2主文関係目録「却下処分日」欄記載の日付で同目録「申請者」欄記載の者に対してした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の認定の申請を却下する旨の処分をいずれも取り消す。
2  処分行政庁が平成22年3月19日付けで原告X13に対してした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の認定の申請を却下する旨の処分(ただし,申請疾病を胃切除後障害としてのダンピング症候群とするものに限る。)を取り消す。
3  原告X13のその余の請求を棄却する。
4  訴訟費用は,原告X13に生じた費用の2分の1と被告に生じた費用の34分の1を原告X13の負担とし,その余は被告の負担とする。

 

事実及び理由

第1章  請求
第1  原告X1,原告X2,原告X3,原告X4,亡X5訴訟承継人原告X6,原告X7及び原告X8,亡X9訴訟承継人原告X10,原告X11,原告X12,原告X14,原告X15,原告X16,原告X17,原告X18,原告X19,原告X20並びに原告X21
主文同旨
第2  原告X13
処分行政庁が平成22年3月19日付けで原告X13に対してした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の認定の申請を却下する旨の処分を取り消す。
第2章  事案の概要
第1  紛争の概要
本件は,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」という。)1条の被爆者である原告X1(以下「原告X1」という。),原告X2(以下「原告X2」という。),原告X3(以下「原告X3」という。),原告X4(以下「原告X4」という。),X5(以下「X5」という。),X9(以下「X9」という。),原告X11(以下「原告X11」という。),原告X12(以下「原告X12」という。),原告X13(以下「原告X13」という。),原告X14(以下「原告X14」という。),原告X15(以下「原告X15」という。),原告X16(以下「原告X16」という。),原告X17(以下「原告X17」という。),原告X18(以下「原告X18」という。),原告X19(以下「原告X19」という。),原告X20(以下「原告X20」という。)及び原告X21(以下「原告X21」という。)が,被爆者援護法11条1項の規定による認定(以下「原爆症認定」という。)の申請をしたところ(以下,上記17人を「本件申請者ら」という。),処分行政庁からこれらの申請をいずれも却下する旨の処分(以下,併せて「本件各却下処分」という。)を受けたため,原告らが,被告に対し,本件各却下処分の取消しを求めている事案である。なお,本文及び別紙中において定義した略称のうち,主なものは,別紙3「略語表」のとおりである。
第2  法令の定め
1  被爆者援護法の目的
被爆者援護法の前文は,被爆者援護法の目的について,「昭和20年8月,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は,幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず,たとい一命をとりとめた被爆者にも,生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し,不安の中での生活をもたらした。このような原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の保持及び増進並びに福祉を図るため,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律を制定し,医療の給付,医療特別手当等の支給をはじめとする各般の施策を講じてきた。また,我らは,再びこのような惨禍が繰り返されることがないようにとの固い決意の下,世界唯一の原子爆弾の被爆国として,核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の確立を全世界に訴え続けてきた。ここに,被爆後50年のときを迎えるに当たり,我らは,核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし,原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう,恒久の平和を念願するとともに,国の責任において,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ,あわせて,国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため,この法律を制定する。」と規定する。
2  被爆者
被爆者援護法において,「被爆者」とは,次の(1)ないし(4)のいずれかに該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう(被爆者援護法1条)。
(1) 原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内に在った者(同条1号。なお,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令(以下「被爆者援護法施行令」という。)1条1項,別表第一は,上記の「政令で定めるこれらに隣接する区域」として,広島県安佐郡祇園町(1号)等及び長崎県西彼杵郡福田村のうち,大浦郷,小浦郷,本村郷,小江郷及び小江原郷(5号)等を規定している。)
(2) 原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に上記(1)の区域のうちで政令で定める区域内に在った者(被爆者援護法1条2号。なお,被爆者援護法施行令1条2項は,上記の「政令で定める期間」を,広島市に投下された原子爆弾(以下「広島原爆」という。)については昭和20年8月20日まで,長崎市に投下された原子爆弾(以下「長崎原爆」という。)については同月23日までとしており,同条3項,別表第二は,上記の「政令で定める区域」として,広島市のうち楠木町1丁目等(1号)及び長崎市のうち西北郷等(2号),おおむね爆心地から2km以内の区域を規定している。)
(3) 上記(1)及び(2)に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者(被爆者援護法1条3号)
(4) 上記(1)ないし(3)に掲げる者がそれぞれに規定する事由に該当した当時その者の胎児であった者(同条4号)
3  被爆者健康手帳
被爆者健康手帳の交付を受けようとする者は,その居住地(居住地を有しないときは,その現在地とする。)の都道府県知事(広島市又は長崎市にあっては,当該市の長(被爆者援護法49条)。以下同じ。)に申請しなければならず(被爆者援護法2条1項),都道府県知事は,同申請に基づいて審査し,申請者が上記2(1)ないし(4)のいずれかに該当すると認めるときは,その者に被爆者健康手帳を交付するものとする(同条3項)。
4  被爆者に対する援護
(1) 健康管理
都道府県知事は,被爆者に対し,毎年,厚生労働省令で定めるところにより,健康診断を行い(被爆者援護法7条),同健康診断の結果必要があると認めるときは,当該健康診断を受けた者に対し,必要な指導を行うものとする(被爆者援護法9条)。
(2) 医療の給付
処分行政庁は,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,又は,疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者(ただし,当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときは,その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る。)に対し,必要な医療の給付を行う(被爆者援護法10条1項)。
上記の医療の給付の範囲は,①診察,②薬剤又は治療材料の支給,③医学的処置,手術及びその他の治療並びに施術,④居宅における療養上の管理及びその療養に伴う世話その他の看護,⑤病院又は診療所への入院及びその療養に伴う世話その他の看護,⑥移送であり(同条2項),これら医療の給付は,処分行政庁が被爆者援護法12条1項の規定により指定する医療機関に委託して行うものとする(同条3項)。
上記の医療の給付を受けようとする者は,あらかじめ,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の処分行政庁の認定(原爆症認定)を受けなければならない(被爆者援護法11条1項)。
(3) 一般疾病医療費の支給
処分行政庁は,被爆者が,負傷又は疾病(上記(2)の医療の給付を受けることができる負傷又は疾病,遺伝性疾病,先天性疾病及び処分行政庁の定めるその他の負傷又は疾病を除く。)につき,都道府県知事が被爆者援護法19条1項の規定により指定する医療機関から上記(2)①ないし⑥に掲げる医療を受け,又は,緊急その他やむを得ない理由により上記医療機関以外の者からこれらの医療を受けたときは,その者に対し,当該医療に要した費用の額を限度として,一般疾病医療費を支給することができる(被爆者援護法18条1項本文)。
(4) 医療特別手当の支給
都道府県知事は,原爆症認定を受けた者であって,当該認定に係る負傷又は疾病の状態にあるものに対し,医療特別手当を支給する(被爆者援護法24条1項)。
上記の者は,医療特別手当の支給を受けようとするときは,上記の要件に該当することについて,都道府県知事の認定を受けなければならない(同条2項)。医療特別手当は,月を単位として支給するものとし,その額は,1箇月につき13万5400円とする(同条3項。なお,上記の額は,後記(9)の規定により,平成17年以降,ほぼ1年ごとに改定されている。)。医療特別手当の支給は,上記の認定を受けた者が同認定の申請をした日の属する月の翌月から始め,上記の要件に該当しなくなった日の属する月で終わる(同条4項)。
(5) 特別手当の支給
都道府県知事は,原爆症認定を受けた者に対し,その者が医療特別手当の支給を受けている場合を除き,特別手当を支給する(被爆者援護法25条1項)。
上記の者は,特別手当の支給を受けようとするときは,上記の要件に該当することについて,都道府県知事の認定を受けなければならない(同条2項)。特別手当は,月を単位として支給するものとし,その額は,1箇月につき5万円とする(同条3項。なお,上記の額は,後記(9)の規定により,平成17年以降,ほぼ1年ごとに改定されている。)。特別手当の支給は,上記の認定を受けた者が同認定の申請をした日の属する月の翌月から始め,上記の要件に該当しなくなった日の属する月で終わる(同条4項)。
(6) 健康管理手当の支給
都道府県知事は,被爆者であって,造血機能障害,肝臓機能障害その他の厚生労働省令で定める障害を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。)にかかっているものに対し,その者が医療特別手当,特別手当又は原子爆弾小頭症手当の支給を受けている場合を除き,健康管理手当を支給する(被爆者援護法27条1項。なお,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行規則(以下「被爆者援護法施行規則」という。)51条は,上記の「厚生労働省令で定める障害」として,造血機能障害(1号),肝臓機能障害(2号),細胞増殖機能障害(3号),内分泌腺機能障害(4号)等を規定している。)。
(7) 保健手当の支給
都道府県知事は,被爆者のうち,原子爆弾が投下された際に爆心地から2kmの区域内に在った者又はその当時その者の胎児であった者に対し,これらの者が医療特別手当,特別手当,原子爆弾小頭症手当又は健康管理手当の支給を受けている場合を除き,保健手当を支給する(被爆者援護法28条1項)。
(8) その他の手当等の支給
都道府県知事は,一定の要件を満たす被爆者等に対し,原子爆弾小頭症手当(被爆者援護法26条),介護手当(被爆者援護法31条)等を支給する。
(9) 手当額の自動改定
医療特別手当,特別手当,原子爆弾小頭症手当,健康管理手当及び保健手当については,総務省において作成する年平均の全国消費者物価指数が平成5年(上記各手当の額の改定の措置が講じられたときは,直近の当該措置が講じられた年の前年)の物価指数を超え,又は,下るに至った場合においては,その上昇し,又は,低下した比率を基準として,その翌年の4月以降の当該手当の額を改定するものとし,その改定の措置は,政令(被爆者援護法施行令17条)で定める(被爆者援護法29条)。
5  原爆症認定の手続等
(1) 原爆症認定の申請
原爆症認定を受けようとする者は,厚生労働省令で定めるところにより,その居住地の都道府県知事を経由して,処分行政庁に申請書を提出しなければならない(被爆者援護法施行令8条1項)。
上記申請書は,① 被爆者の氏名,性別,生年月日及び居住地並びに被爆者健康手帳の番号,② 負傷又は疾病の名称,③ 被爆時の状況(入市の状況を含む。),④ 被爆直後の症状及びその後の健康状態の概要,⑤ 医療の給付を受けようとする指定医療機関の名称及び所在地等を記載した所定の様式の認定申請書によらなければならない(被爆者援護法施行規則12条1項)。また,上記申請書には,医師の意見書及び当該負傷又は疾病に係る検査成績を記載した書類を添えなければならず(同条3項),医師の意見書には,①疾病等の名称,②被爆者健康手帳の番号,③被爆者の氏名及び生年月日,④既往症,⑤現症所見,⑥当該疾病等に関する原子爆弾の放射線起因性等についての医師の意見及びその理由並びに⑦必要な医療の内容及び期間を記載すべきものとされている(被爆者援護法施行規則様式第6号)。
(2) 審議会等の意見聴取
処分行政庁は,原爆症認定を行うに当たっては,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかであるときを除き,審議会等(国家行政組織法8条に規定する機関をいう。)で政令で定めるものの意見を聴かなければならない(被爆者援護法11条2項)。そして,被爆者援護法施行令9条は,上記の審議会等で政令で定めるものを,疾病・障害認定審査会としている。
疾病・障害認定審査会は,厚生労働省に置かれ(厚生労働省組織令132条),委員30人以内で組織される(疾病・障害認定審査会令1条1項)。同審査会には,必要に応じて臨時委員及び専門委員を置くことができ,委員,臨時委員及び専門委員は,学識経験のある者等のうちから処分行政庁が任命する(同令1条2項,3項,2条)。同審査会には,被爆者援護法の規定により疾病・障害認定審査会の権限に属させられた事項を処理する分科会として,原子爆弾被爆者医療分科会(以下「医療分科会」という。)が置かれ(同令5条1項),医療分科会に属すべき委員,臨時委員及び専門委員は,処分行政庁が指名する(同条2項)。
(3) 認定書の交付
処分行政庁は,原爆症認定の申請書を提出した者につき原爆症認定をしたときは,その者の居住地等の都道府県知事を経由して,認定書を交付するものとする(被爆者援護法施行令8条4項)。
第3  前提事実
証拠等の掲記がないものは当事者間に争いがない。
1  原子爆弾の投下
米国軍は,昭和20年8月6日午前8時15分,広島市に広島原爆を投下し,同月9日午前11時2分,長崎市に長崎原爆を投下した。広島原爆はウラン爆弾であり,長崎原爆はプルトニウム爆弾であった(公知の事実)。
2  「原爆症認定に関する審査の方針」の策定
医療分科会は,平成13年5月25日,以下のような内容の「原爆症認定に関する審査の方針」(以下「旧審査の方針」という。)を策定し,原爆症認定に係る審査は,これに定める方針を目安として行うものとした(乙A2)。
(1) 原爆放射線起因性の判断
ア 判断に当たっての基本的な考え方
申請に係る疾病等における原爆放射線起因性の判断に当たっては,原因確率(疾病等の発生が原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率)及びしきい値(一定の被曝線量以上の放射線を曝露しなければ疾病等が発生しない値)を目安として,当該申請に係る疾病等の原爆放射線起因性に係る「高度の蓋然性」の有無を判断する。
この場合にあっては,当該申請に係る疾病等に関する原因確率が,① おおむね50%以上である場合には,当該申請に係る疾病の発生に関して原爆放射線による一定の健康影響の可能性があることを推定し,② おおむね10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定した上で,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案して判断を行う。また,原因確率又はしきい値が設けられていない疾病等に係る審査に当たっては,当該疾病等については原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていないことに留意しつつ,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別に判断する。
イ 原因確率
原因確率は,白血病,胃がん,大腸がん,甲状腺がん,乳がん,肺がん,肝臓がん,皮膚がん(悪性黒色腫を除く。),卵巣がん,尿路系がん(膀胱がんを含む。),食道がん,その他の悪性新生物及び副甲状腺機能亢進症について,それぞれ,申請者の性別,被曝時年齢及び被曝線量に応じた所定の率とする。
ウ しきい値
放射線白内障のしきい値は,1.75シーベルトとする。
エ 原爆放射線の被曝線量
申請者の被曝線量は,初期放射線による被曝線量の値に,残留放射線(誘導放射線)による被曝線量及び放射性降下物による被曝線量の値を加えて得た値とする。そして,① 初期放射線による被曝線量は,申請者の被爆地及び爆心地からの距離(2.5kmまで)の区分に応じた所定の値とし,② 残留放射線による被曝線量は,申請者の被爆地,爆心地からの距離(広島原爆については700mまで,長崎原爆については600mまで)及び爆発後の経過時間(72時間まで)の区分に応じた所定の値とし,③ 放射性降下物による放射線の被曝線量は,原爆投下の直後に所定の地域に滞在し,又は,その後,長期間にわたって当該所定の地域に居住していた場合についてそれぞれ所定の値とする。
(2) 要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断する。
3  旧審査の方針の見直し
(1) 「新しい審査の方針」の策定
医療分科会は,平成20年3月17日,以下のような内容の「新しい審査の方針」を策定し,原爆症認定に係る審査は,「被爆者援護法の精神に則り,より被爆者救済の立場に立ち,原因確率を改め,被爆の実態に一層即したものとするため」,これに定める方針を目安として行うものとした(乙A1の1。以下,この「新しい審査の方針」を「新審査の方針」という。)。
ア 放射線起因性の判断
(ア) 積極的に認定する範囲
①被爆地点が爆心地から約3.5km以内である者,②原爆投下から約100時間以内に爆心地から約2km以内に入市した者又は③原爆投下から約100時間経過後から,原爆投下から約2週間以内の期間に,爆心地から約2km以内の地点に1週間程度以上滞在した者から,放射線起因性が推認される以下の疾病についての申請がある場合については,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定する(以下,後記の改定後の新審査の方針及び再改定後の新審査の方針を含め,このような認定方法による認定を「積極認定」といい,積極認定の対象となる被爆態様及び疾病を,それぞれ「積極認定対象被爆」,「積極認定対象疾病」という。)。
a 悪性腫瘍(固形がんなど)
b 白血病
c 副甲状腺機能亢進症
d 放射線白内障(加齢性白内障を除く。)
e 放射線起因性が認められる心筋梗塞
この場合,認定の判断に当たっては,積極的に認定を行うため,申請者から可能な限り客観的な資料を求めることとするが,客観的な資料がない場合にも,申請書の記載内容の整合性やこれまでの認定例を参考にしつつ判断する。
(イ) それ以外の申請について
上記(ア)に該当する場合以外の申請についても,申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を総合的に判断する(以下,このような認定方法による認定を「総合認定」という。)。
イ 要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断する。
(2) 新審査の方針の改定
医療分科会は,平成21年6月22日,新審査の方針を改定し,積極認定対象疾病(前記(1)ア(ア)aないしe)に,「放射線起因性が認められる甲状腺機能低下症」及び「放射線起因性が認められる慢性肝炎・肝硬変」を追加した(乙A1の2。以下,この改定された新審査の方針を「改定後の新審査の方針」という。)。
(3) 新審査の方針の再改定
医療分科会は,平成25年12月16日,新審査の方針を以下のとおり再改定した(乙A16。以下,この再改定された新審査の方針を「再改定後の新審査の方針」という。)。
ア 放射線起因性の判断
放射線起因性の要件該当性の判断は,科学的知見を基本としながら,総合的に実施するものである。特に,被爆者救済及び審査の迅速化の見地から,現在の科学的知見として放射線被曝による健康影響を肯定することのできる範囲に加え,放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかでない範囲を含め,次のとおり積極認定の範囲を設定する。
(ア) 積極認定の範囲
a 悪性腫瘍(固形がんなど),白血病及び副甲状腺機能亢進症については,①被爆地点が爆心地から約3.5km以内である者,②原爆投下から約100時間以内に爆心地から約2km以内に入市した者又は③原爆投下から約100時間経過後から,原爆投下から約2週間以内の期間に,爆心地から約2km以内の地点に1週間程度以上滞在した者のいずれかに該当する者から申請がある場合については,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を原則的に認定する。
b 心筋梗塞,甲状腺機能低下症並びに慢性肝炎及び肝硬変については,①被爆地点が爆心地から約2km以内である者又は②原爆投下から翌日までに爆心地から約1km以内に入市した者のいずれかに該当する者から申請がある場合については,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定する。
c 放射線白内障(加齢性白内障を除く。)については,被爆地点が爆心地から約1.5km以内である者から申請がある場合については,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定する。
これらの場合,認定の判断に当たっては,積極的に認定を行うため,申請者から可能な限り客観的な資料を求めることとするが,客観的な資料がない場合にも,申請書の記載内容の整合性やこれまでの認定例を参考にしつつ判断する。
(イ) それ以外の申請について
上記(ア)に該当する場合以外の申請についても,申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を総合的に判断する(総合認定)。
イ 要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断する。
4  本件各却下処分の経緯等
(1) 原告X1
ア 原告X1は,昭和9年○月○日生まれの男性であり,被爆者健康手帳の交付を受けた広島原爆の被爆者である(乙Dイ1・1177頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ 原告X1は,平成21年1月30日,下咽頭がんを申請疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成22年8月26日付けで原告X1の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dイ1・1177頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
ウ 原告X1は,平成22年10月29日,処分行政庁に対し,上記イの処分に対する異議申立てをした(弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
エ 処分行政庁は,平成23年12月22日,上記ウの異議申立てを棄却した(弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
オ 原告X1は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(2) 原告X2
ア 原告X2は,昭和8年○月○日生まれの男性であり,被爆者健康手帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dロ1・239頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ 原告X2は,平成20年10月27日,右腎がん(腎細胞がん)を申請疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成22年10月25日付けで原告X2の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dロ1・239頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
ウ 原告X2は,平成23年1月12日,処分行政庁に対し,上記イの処分に対する異議申立てをした。
エ 原告X2は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
オ 処分行政庁は,平成24年4月27日,前記ウの異議申立てを棄却した(弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
(3) 原告X3
ア 原告X3は,昭和3年○月○日生まれの男性であり,被爆者健康手帳の交付を受けた広島原爆の被爆者である(乙Dハ1・705頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ 原告X3は,平成21年7月31日,右腎がん(腎細胞がん)を申請疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成22年11月26日付けで原告X3の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dハ1・705頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
ウ 原告X3は,平成23年1月31日,処分行政庁に対し,上記イの処分に対する異議申立てをした(弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
エ 原告X3は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
オ 処分行政庁は,平成24年4月27日,前記ウの異議申立てを棄却した(弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
(4) 原告X4
ア 原告X4は,昭和12年○月○日生まれの女性であり,被爆者健康手帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dニ1・345頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ 原告X4は,平成20年3月28日,胃がんを申請疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成22年5月27日付けで原告X4の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dニ1・345頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
ウ 原告X4は,平成22年8月12日,処分行政庁に対し,上記イの処分に対する異議申立てをした(乙Dニ3・1頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
エ 原告X4は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(5) X5
ア X5は,昭和11年○月○日生まれの女性であり,被爆者健康手帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dホ1・209頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ X5は,平成20年8月29日,左乳がん術後皮膚潰瘍を申請疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成22年10月25日付けでX5の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dホ1・209頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
ウ X5は,平成22年12月22日,処分行政庁に対し,上記イの処分に対する異議申立てをした(弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
エ X5は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
オ X5は,平成25年4月10日,死亡し,本件に係る権利関係は,X5の長女X6(昭和45年○月○日生),長男X7(昭和47年○月○日生)及び二女X8(昭和50年○月○日生)が承継した(以下,X6,X7及びX8を併せて「原告X5承継人ら」という。)(弁論の全趣旨・平成26年3月19日付け訴訟手続承継の届出書)。
(6) X9
ア X9は,大正10年○月○日生まれの男性であり,被爆者健康手帳の交付を受けた広島原爆の被爆者である(乙Dヘ1・755頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ X9は,平成22年6月30日,膀胱がんを申請疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成23年7月29日付けでX9の上記申請を却下する旨の処分をした(甲Dヘ3・11枚目,乙Dヘ1・755頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
ウ X9は,平成23年10月3日,処分行政庁に対し,上記イの処分に対する異議申立てをした。
エ X9は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
オ X9は,平成26年4月9日,死亡し,本件に係る権利関係は,X9の妻X10(昭和7年○月○日生)が承継した(以下,X10を「原告X9承継人」という。)(弁論の全趣旨・平成26年11月28日付け訴訟手続承継の届出書)。
(7) 原告X11
ア 原告X11は,昭和13年○月○日生まれの男性であり,被爆者健康手帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dト1・387頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ 原告X11は,平成18年10月6日,前立腺がんを申請疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成22年4月27日付けで原告X11の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dト1・387頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
ウ 原告X11は,平成22年7月23日,処分行政庁に対し,上記イの処分に対する異議申立てをした(乙Dト1・8枚目,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
エ 原告X11は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(8) 原告X12
ア 原告X12は,昭和17年○月○日生まれの男性であり,被爆者健康手帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dチ1・173頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ 原告X12は,平成20年5月27日,前立腺がんを申請疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成22年6月24日付けで原告X12の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dチ1・173頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
ウ 原告X12は,平成22年8月27日,処分行政庁に対し,上記イの処分に対する異議申立てをした。
エ 原告X12は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(9) 原告X13
ア 原告X13は,昭和20年○月○日生まれの男性であり,被爆者健康手帳の交付を受けた広島原爆の被爆者である(乙Dリ1・2837頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ 原告X13は,平成20年6月6日,胃がんを申請疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成22年3月19日付けで原告X13の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dリ1・2837頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
ウ 原告X13は,平成22年5月27日,処分行政庁に対し,上記イの処分に対する異議申立てをした(乙Dリ1・5枚目,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
エ 原告X13は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(10) 原告X14
ア 原告X14は,昭和6年○月○日生まれの男性であり,被爆者健康手帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dル1・29頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ 原告X14は,平成20年4月28日,心筋梗塞を申請疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成22年1月28日付けで原告X14の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dル1・30頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
ウ 原告X14は,平成22年3月30日,処分行政庁に対し,上記イの処分に対する異議申立てをした。
エ 処分行政庁は,平成24年3月23日,上記ウの異議申立てを棄却した(弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
オ 原告X14は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(11) 原告X15
ア 原告X15は,昭和7年○月○日生まれの男性であり,被爆者健康手帳の交付を受けた広島原爆の被爆者である(乙Dワ1・79頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
イ 原告X15は,平成20年10月31日,狭心症を申請疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成22年5月27日付けで原告X15の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dワ1・79頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
ウ 原告X15は,平成22年8月12日,処分行政庁に対し,上記イの処分に対する異議申立てをした(乙Dワ1・7枚目,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
エ 原告X15は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(12) 原告X16
ア 原告X16は,昭和8年○月○日生まれの男性であり,被爆者健康手帳の交付を受けた広島原爆の被爆者である(乙Dヨ1・1062頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
イ 原告X16は,平成20年4月21日,心筋梗塞を申請疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成22年3月19日付けで原告X16の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dヨ1・1062頁,14枚目,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
ウ 原告X16は,平成22年6月2日,処分行政庁に対し,上記イの処分に対する異議申立てをした。
エ 処分行政庁は,平成23年9月30日,上記ウの異議申立てを棄却した。
オ 原告X16は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(13) 原告X17
ア 原告X17は,昭和10年○月○日生まれの男性であり,被爆者健康手帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dタ1・136頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
イ 原告X17は,平成18年6月9日,脳梗塞を申請疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成22年2月23日付けで原告X17の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dタ1・136頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
ウ 原告X17は,平成22年4月26日,処分行政庁に対し,上記イの処分に対する異議申立てをした。
エ 原告X17は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(14) 原告X18
ア 原告X18は,昭和16年○月○日生まれの女性であり,被爆者健康手帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dソ1・607頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
イ 原告X18は,平成22年5月28日,甲状腺機能低下を申請疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成23年8月26日付けで原告X18の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dソ1・607頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
ウ 原告X18は,平成23年10月28日,処分行政庁に対し,上記イの処分に対する異議申立てをした。
エ 原告X18は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(15) 原告X19
ア 原告X19は,昭和3年○月○日生まれの女性であり,被爆者健康手帳の交付を受けた広島原爆の被爆者である(乙Dネ1・1066頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
イ 原告X19は,平成18年6月9日,C型肝炎(C型慢性肝炎)を申請疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成22年1月28日付けで原告X19の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dネ1・1066頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
ウ 原告X19は,平成22年3月30日,処分行政庁に対し,上記イの処分に対する異議申立てをした(乙Dネ1・5枚目,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
エ 処分行政庁は,平成23年5月27日,上記ウの異議申立てを棄却した(弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
オ 原告X19は,平成23年12月20日,前記イの処分の取消しを求める本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(16) 原告X20
ア 原告X20は,昭和11年○月○日生まれの男性であり,被爆者健康手帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dナ1・3頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
イ 原告X20は,平成21年4月22日,脳梗塞を申請疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成24年7月27日付けで原告X20の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dナ1・3頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
ウ 原告X20は,平成25年2月20日,上記イの処分の取消しを求める本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(17) 原告X21
ア 原告X21は,昭和6年○月○日生まれの女性であり,被爆者健康手帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dラ1・38頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
イ 原告X21は,平成23年6月24日,狭心症を申請疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成24年1月27日付けで原告X21の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dラ1・38頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
ウ 原告X21は,平成24年4月6日,処分行政庁に対し,上記イの処分に対する異議申立てをした(乙Dラ6・1頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
エ 処分行政庁は,平成24年12月14日,上記ウの異議申立てを棄却した。
オ 原告X21は,平成25年6月10日,前記イの処分の取消しを求める本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
5  関連事件の訴訟終了
B1(以下「B1」という。)の相続人であるB2,B3,B4,B5及びB6(以下,併せて「B1の相続人ら」という。),B7(以下「B7」という。),B8(以下「B8」という。),B9(以下「B9」という。)並びにB10(以下「B10」という。)の相続人であるB11(以下「B10の相続人」という。)は,平成24年3月27日,原爆症認定申請を却下する旨の処分の取消しを求める訴えを提起し,本件と弁論が併合されて審理されていた。
しかしながら,B7については,平成25年10月3日,B7が訴えの取下げをし,同月21日,被告がこれに同意し,B1,B8,B9及びB10については,処分行政庁がB1,B8,B9及びB10に対する上記処分を撤回した上で,原爆症認定をしたことから,平成26年6月17日,B1の相続人ら,B8,B9及びB10の相続人が訴えの取下げをし,同月26日,被告がこれに同意し,いずれも訴訟が終了した。
6  放射線
(1) 種類
原爆による被曝で問題となる放射線としては,アルファ線(α線),ベータ線(β線),ガンマ線(γ線)及び中性子線が挙げられる(乙B52・1頁,乙B62,乙B63・28頁,29頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)11頁,12頁)。
ア アルファ線
2個の陽子(プラスの電荷を帯びた粒子)と2個の中性子から成る粒子線である。ラジウム,プルトニウム,ウラン,ラドンなどの特定の放射性原子の自然崩壊によって生じる。物質との相互作用が強く,物質通過中に急速にエネルギーを失っていくので,透過力(物質を通過する力)は極めて小さい。空気中では数センチメートル程度しか飛ばず,薄い紙1枚で完全に止めることができる。
イ ベータ線
陽子や中性子の質量の約2000分の1の質量を持つ高速度の電子(マイナスの電荷を帯びた粒子)から成る粒子線である。トリチウム(水素の同位体),炭素14,リン32,ストロンチウム90など特定の放射性物質の自然崩壊によって発生する。空気中では数十センチメートルないし数メートルの距離まで届く。
ウ ガンマ線
粒子線であるアルファ線やベータ線と異なり,電磁波であり,質量や電荷を持たないため,物質との相互作用の程度が弱く,物質を通過する際になかなかエネルギーを失わないため,透過力が大きい。コバルト60のガンマ線は人体の深部まで透過することができるので,がんの放射線治療にも広く使用されている。
エ 中性子線
電荷を持たない中性子粒子から成る粒子線である。中性子粒子はウランやプルトニウムなどの核分裂によって発生する。原爆の爆発に至る原子核の連鎖反応を引き起こすのは中性子線であるといわれる。中性子自体は電荷を帯びていないので,細胞に損傷を与えることはほとんどないが,中性子が水素の原子核,すなわち,正の電荷を帯びた陽子にぶつかると,体内で電離を引き起こすとされる。中性子の質量は大きいが,電荷を持たないため,透過力は大きい。
(2) 単位
放射線の量は,放射線が物質や人体に及ぼす作用や影響の大きさにより評価され,どのような作用や影響に注目するかによっていくつかの線量とその単位が定義されて用いられている(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)106頁ないし108頁)。
ア 吸収線量(グレイ,ラド)
吸収線量とは,放射線のエネルギーがどれだけ物質に吸収されたかを表す単位であり,放射線が物質との相互作用を行った結果,その物質の単位質量当たりに吸収されたエネルギーをいう。吸収線量は,放射線の種類や物質の種類に関係なく使用される。1グレイは物質1kg当たり1ジュールのエネルギー吸収があるときの吸収線量である。
1グレイは,100センチグレイ又は1000ミリグレイであり,ラドは,1ラド当たり1センチグレイで換算される。
イ 等価線量(シーベルト)
等価線量(シーベルト)とは,ある組織や臓器への影響はどのくらいあるかを表す単位である。人体に放射線が当たった場合,同一の吸収線量であっても,放射線の種類やエネルギーによって与えられる影響の程度は異なることから,条件の異なった放射線照射により人体に与えられるリスク(危険度)を,同一尺度で計算し,放射線防護の目的で比較したり,加え合わせたりするために考え出された単位である。放射線の種類とエネルギーによって与えられる影響の程度が異なることを考慮するため,吸収線量(グレイ)に放射線荷重係数を掛けることになる。例えば,ベータ線やガンマ線は1,アルファ線は20とされ,中性子線は,エネルギーにより,5ないし20とされている。
なお,1シーベルトは,1000ミリシーベルト又は100万マイクロシーベルトである。
ウ 実効線量(シーベルト)
実効線量(シーベルト)とは,等価線量に個別の人体組織についての放射線感受性を表す組織荷重係数を掛けたものを,放射線を受けた組織について加え合わせたものであり,人体が受けるリスクの大きさを表す。人体が放射線を受けた場合,等価線量が同じでもその影響の現れ方は人体の組織や臓器によって異なるため,人体の様々な組織への影響を合計して評価するために定義された単位である。
エ 放射線を出す側,すなわち,放射能に着目した単位(ベクレル,キュリー)
ベクレルとは,放射線源に含まれる放射性同位元素の量を表す単位である。1ベクレルは,1秒間に1個の原子が崩壊するときの放射能の強さである。1キュリーは370億ベクレルに相当する。なお,1キュリーの1兆分の1が,1ピコキュリーである。
レントゲン(R)は,空気中に放射線(X線やガンマ線)を照射すると原子がイオン化(電離)される放射線の総量であり,1レントゲンは,放射線の照射によって標準状態の空気1cm3当たりに1静電単位(esu)のイオン電荷が発生したときの放射線の総量と定義される。1レントゲンは,ほぼ0.87ラドに相当する(乙B15・227頁)。
7  原爆傷害調査委員会及び放射線影響研究所
原爆傷害調査委員会(ABCC。以下「ABCC」という。)は,昭和22年,広島及び長崎の原爆被爆者の健康影響を調査するため,米国学士院により広島市及び長崎市に設立された(甲A503・1頁)。
ABCCは,昭和30年,昭和25年の国勢調査時に行われた原爆被爆者調査から得られた資料を用いて,固定集団の対象者になり得る者の包括的な名簿を作成した。具体的には,この国勢調査により,全国で28万4000人の日本人被爆者が確認され,このうち,昭和25年当時に広島又は長崎のいずれかに居住していた約20万人が基本群となり,この基本群から選ばれた副次集団について被爆者調査が実施された(甲A503・6頁)。
そして,昭和50年,放射線影響研究所(放影研。以下「放影研」という。)が日米両国政府の共同出資によって設立され,ABCCの被爆者調査は,放影研に引き継がれている(甲A503・1頁)。
8  原子放射線の影響に関する国連科学委員会
原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR。以下「UNSCEAR」という。)は,1950年(昭和25年)初頭に頻繁に行われた核実験による環境影響及び人間への健康影響を世界的に調査するために,1955年(昭和30年),国連に設置された委員会であり,現在では,1年に1回,世界21箇国から各国政府の代表団として100人程度の科学者が集まり,放射線による人体への影響についてその時点での最新の科学的知見を議論し,その結果を報告書にまとめている。この報告書は,国際放射線防護委員会(ICRP。以下「ICRP」という。)及び国際原子力委員会(IAEA。以下「IAEA」という。)の基礎資料となり,世界各国の放射線防護の基準の参考となっている(弁論の全趣旨・被告準備書面(1)33頁)。
第4  争点及び当事者の主張
1  総説
本件における争点は,① 原爆症認定における放射線起因性の判断基準,② 本件申請者らの原爆症認定要件該当性(放射線起因性及び要医療性)であり,これらの争点に関する当事者の主張は,別紙4「原告らの主張」及び別紙5「被告の主張」に記載のとおりであるが,その要旨は次のとおりである。
2  原爆症認定における放射線起因性の判断基準
(1) 原告らの主張の要旨
被爆者援護法の前文は,被爆者援護法制定の経緯,被爆者援護法の趣旨,目的等について宣言しているが,この前文の精神こそが,被爆者援護法の解釈及び適用に当たっての出発点でなければならない。そこに示されたものは,核廃絶への願いであり,被爆者の置かれた状況への理解である。
そうであるならば,被爆者援護法を解釈するに当たっては,原爆被害の実相を正しく受け止めるところから出発しなければならない。その上で,原爆被害であることを公的に認定する唯一の制度である原爆症認定の在り方を問うべきである。
そして,被爆者援護法の趣旨及び目的等から,原爆症認定の要件は,被爆者に過重な負担を掛けることのないよう解釈,運用されなければならず,起因性の要件に関しては,放射線被曝に関する当初の調査が不十分であったこと等からすれば,相当線量を被曝したと認められる事情にあり,当該被爆者が,放射線に影響があることが疫学的に予測される負傷又は疾病にかかった場合には放射線起因性が推定され,放射線の影響を否定し得る特段の事情が認められない限り,その負傷又は疾病は原爆放射線の影響を受けたものとして原爆症認定がされるべきである。
その場合,残留放射線や疫学調査における影響を受ける疾病の範囲の拡大,更には疾病発生の背景にある低線量部まで認められる炎症の持続や免疫の低下を考慮すべきである。
(2) 被告の主張の要旨
放射線起因性の要件該当性については,通常の民事訴訟と同様の立証の程度が要求されるべきである。すなわち,放射線起因性の要件該当性が認められるためには,「特定の被爆者の原爆放射線被曝」という特定の事実が,「特定の被爆者の申請疾病の発症」という特定の結果発生を招来した関係を是認し得る程度の高度の蓋然性を証明することが必要であり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることが必要である。そして,その主張立証責任はいうまでもなく個別の原告らに帰せられるべきものである。
この立場に依拠しつつ,本件申請者らの申請疾病のように原爆放射線被曝によらずに一般的に発症し得る疾病について放射線起因性の要件該当性を判断する場合の論理的構造を考察すると,以下の3点を順次検討することが不可欠ということになる。すなわち,① 放射線と疾病の発症との関係に係る疫学的な知見の的確な分析及び適用(因果関係判断の基礎となるべき疫学的知見の有無及びその内容),② 上記①の疫学的知見に特定の被爆者を当てはめ,特定の被爆者について原爆放射線被曝による発症のリスクを導き出すための科学的な知見に基づく的確な線量評価,③ 原爆放射線に基づく罹患リスクとそれ以外のリスク(原爆放射線被曝にかかわらずに発症することが医学的に一般的に認められている場合の罹患リスク等)を対比した上で,なお,高度の蓋然性をもって当該被爆者の原爆放射線被曝により当該被爆者の申請疾病を発症したと評価し得るかというリスクの的確な評価という3段階を経なければ,特定の被爆者が,当該被爆者が受けた原爆放射線に起因して当該被爆者の申請疾病を発症したということを,高度の蓋然性をもって証明したといえるか否かを判断することはできない。
3  本件申請者らの原爆症認定要件該当性
(1) 原告X1
ア 原告X1の主張の要旨
(ア) 原告X1は,平成20年9月,申請疾病である下咽頭がんと診断されたものである。
(イ) 下咽頭がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であるが,原告X1の被爆態様が積極認定対象被爆に当たらないため,総合認定の対象となるところ,原告X1の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
a 下咽頭がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b 原告X1は,広島原爆の投下から5日後,放射性降下物や誘導放射化された物質により高度に汚染されていたと考えられる広島の爆心地から約500mの地点近辺において,家族の捜索のため数時間滞在し,スコップで地面を掘ったり,水を飲んだりしており,外部被曝だけでなく,放射能に汚染された塵埃や水を体内に取り込んで内部被曝をした可能性が高い。しかも,原告X1は,その後も繰り返し爆心地付近で家族の捜索を行っている。また,原告X1が広島市内で接した多数の被爆者は,自らの体液や骨が誘導放射化された者や放射性降下物で高度に汚染されていた者であると考えられる。さらに,原告X1には,被爆後,胃腸が弱くなり下痢が多くなるという体調不良が生じている。
加えて,原告X1は11歳という若年時に被爆しており,被爆者調査で報告されている発がんリスクが高い群に極めて近い。また,申請疾病である下咽頭がんだけではなく,食道がんと胃がんにも罹患しているところ,こうした多重がんと放射線被曝との間には相関関係が認められている。
よって,これらの事情からすれば,原告X1は,相当量の残留放射線に被曝したということができる。
c 改定後の新審査の方針においては,「原爆投下から約100時間以内に爆心地から約2km以内に入市した者」を積極認定対象被爆とするが,「約100時間以内に約2km」という数字の算出根拠(科学的根拠)は不明であり,これを超える時期の放射線の影響については何ら説明をしていない。むしろ「約」という表現自体が幅のある表現であり,100時間を超えれば途端に放射線影響が0になるわけではないことを表している。
そして,原告X1が「約100時間後」よりも僅か1日後ないし1日半後に入市し,その後「約2km」よりもはるかに近距離(約500m以内)にまで到達したことからすれば,改定後の新審査の方針の積極認定対象被爆に匹敵する入市者であるといえる。各種判決でも,このような場合に放射線起因性を認めたものがある。
(ウ) 原告X1は,現在でも,下咽頭がんの治療のために通院治療中であり,定期的な頚部超音波検査及び内視鏡検査を受けており,申請疾病には要医療性が認められる。
イ 被告の主張の要旨
(ア) 原告X1が広島市中町の自宅付近まで入市したことによる原告X1の誘導放射線による推定積算線量は,0.003グレイを下回る。自らの人体が誘導放射化されたり,放射性降下物で高度に汚染されたりしていた多数の被爆者に接したことによる被曝線量もごく僅かにすぎない。内部被曝による被曝線量も微量にすぎない。
(イ) 原告X1の身体症状は,放射線被曝による急性症状とはいえない。
(ウ) 原告X1が若年被爆者であるとの主張は,放射線起因性を認める根拠とはなり得ない。また,原告X1が多重がんであることも,原告X1の下咽頭がんにつき放射線起因性を認める根拠とはならない。
(エ) 原告X1には,下咽頭がんの重大な危険因子である性差,加齢,喫煙及び飲酒が存在している。
(オ) 原告X1について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X1において,被告が指摘する原告X1の危険因子(性差,加齢,喫煙及び飲酒)の影響を超えて,原告X1の下咽頭がんの発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X1の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(下咽頭がん)と放射線被曝に関する知見の状況及び喫煙,飲酒等の危険因子の状況を総合考慮すれば,原告X1の申請疾病(下咽頭がん)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,喫煙,飲酒等の原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X1の申請疾病については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(2) 原告X2
ア 原告X2の主張の要旨
(ア) 原告X2は,腎臓に腫瘍があることが分かったことから,平成17年1月,右腎臓摘出手術を受け,申請疾病である腎細胞がんが確認されたものである。
(イ) 腎細胞がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,かつ,原告X2は,長崎原爆の投下翌日に,爆心地から600mないし800mの地点まで入市したものであるから,積極認定対象被爆に該当する。原告X2の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められるはずである。
a 腎細胞がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b 原告X2の被爆態様は,積極認定対象被爆に当たることから,原告X2の発症した腎細胞がんに放射線起因性が認められることも明らかである。
c 原告X2は,被爆後,屋外で自宅の周りの様子を見たり,片付けをしたりしている時,雨に体を打たれた。原告X2は,その雨が多少黒かったと記憶している。また,原告X2は,長崎原爆の投下当日も,長崎駅辺りまで入市している。
d 原告X2は,被爆して1週間ないし10日後から,吐き気,下痢及び発熱が続き,前頭部分の頭髪が抜けるなどの症状を生じた。その後,口内炎になり,喉の具合も悪くなった。また,体のあちらこちらに紫斑が出現した。原告X2は,翌年(中学校の3学期),肺門リンパ腺炎との診断を受け,休学した。原告X2は,この頃から,医師から貧血状態であるとの指摘を受けるようになり,腰などが痛むようになった。
その後,成人した後も,慢性的に貧血状態にあり,腰や膝の痛みも続いていた。また,喉の調子は悪くせきが出て,いつもたんが出るようになり,せき払いが習慣になった。
平成21年10月,がんが肝臓に転移した疑いが持たれ,原告X2は,同年11月に入院して抗がん剤治療を受けた。平成22年3月23日,肝部分切除手術を受け,肝臓にがんが転移していることが確認された。原告X2は,同年6月,同年7月及び同年9月,抗がん剤治療を受け,更に同年11月には再度,肝部分切除手術を受けた。原告X2は,平成23年11月8日から同月29日まで,急性虫垂炎及び腹膜炎で手術を受けた。さらに,原告X2は,同年12月7日から同月22日までの間,肝がんの治療のため,肝臓に経皮的エタノール注入手術を4回受けた。その後も経過観察をしていたが,平成24年4月末に,肝臓にがん転移が確認された。
(ウ) 原告X2の腎細胞がんは,肝臓に転移し,肝部分切除手術(平成22年11月16日)及び経皮的エタノール注入手術(平成23年12月から平成24年1月まで)を受け,外来で経過観察中であり,申請疾病には要医療性が認められる。
イ 被告の主張の要旨
(ア) 原告X2が長崎原爆の投下当日及び翌日に入市した事実は認められず,原告X2は「原爆投下から約100時間以内に爆心地から約2km以内に入市した者」には当たらない。雨に打たれたことによる原告X2の放射性降下物による被曝線量は微量にすぎない。原告X2の推定被曝線量は,全体量としても約0.0003グレイにすぎない。
(イ) 原告X2に紫斑が出現した事実は認められず,原告X2が挙げる各身体症状が出現していたとしても,その身体症状は放射線被曝の影響によるものとは認められない。
また,原告X2は,被爆後の病歴等を羅列するが,それらの疾病等の罹患が原告X2の腎細胞がんについて放射線起因性が認められることの根拠となる理由について何ら主張,立証がされてないから,原告X2の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(ウ) 腎細胞がんは,他のがんと比較して放射線被曝との関連性の程度が低い。
(エ) 原告X2には,腎細胞がんの重大な危険因子である性差,加齢,喫煙及び肥満が存在している。
(オ) 原告X2について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X2において,被告が指摘する原告X2の危険因子(性差,加齢,喫煙及び肥満)の影響を超えて,原告X2の腎細胞がんの発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X2の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(腎細胞がん)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢,喫煙等の危険因子の状況を総合考慮すれば,原告X2の申請疾病(腎細胞がん)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,喫煙等の原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X2の申請疾病については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(3) 原告X3
ア 原告X3の主張の要旨
(ア) 原告X3は,平成21年3月,申請疾病である腎細胞がんに罹患したものである。
(イ) 腎細胞がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,かつ,原告X3は,原爆投下から2週間以内の期間に,爆心地から2km以内の地点に1週間以上滞在したものであるから,積極認定対象被爆に該当する。原告X3の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められるはずである。
a 腎細胞がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b 原告X3は,昭和20年8月11日に広島市に入市し,爆心地付近を通り,広島市西天満町の自宅を経て,爆心地から約1.5kmの地点にある小河内橋付近のB12(以下「B12」という。)の自宅及び祖父の住む借家に合わせて同年10月頃まで滞在した。これは,積極認定対象被爆に該当する。また,小河内橋のある天満南三篠地区は黒い雨の降雨地域であった上,親族の安否確認のため死傷者の収容所を訪問して顔を確認したり,死亡した親族の遺体を素手で運んだりするなどして死傷者に直接接触し,遺体焼却に伴って発生する粉塵等を吸引することで,内部被曝を含め相当程度の残留放射線に被曝したことが認められる。さらに,被爆直後の疲れやすいという体調の変化や,多重がんに罹患した事実からも,原告X3が相当量の被曝をしたことが推測される。
(ウ) 原告X3は,平成24年10月に腎細胞がんが肺に転移したため手術を受け,現在も定期検診を受けており,申請疾病には要医療性が認められる。
イ 被告の主張の要旨
(ア) 原告X3が昭和20年8月12日から同年10月頃まで爆心地から約1.5kmの地点にあるB12の自宅及び祖父の住む借家に滞在したとは認められず,原告X3の推定被曝線量は,全体量としても0.016グレイを下回る程度である。
(イ) 原告X3の主張する身体症状は,放射線被曝を原因とする身体症状とはいえない。
(ウ) 多重がんであることは,原告X3の腎細胞がんにつき放射線起因性を認める根拠とはならない。
(エ) 原告X3には,腎細胞がんの重大な危険因子である性差,加齢,高血圧,肥満及び喫煙が存在している。
(オ) 原告X3について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X3において,被告が指摘する原告X3の危険因子(性差,加齢,高血圧,肥満及び喫煙)の影響を超えて,原告X3の腎細胞がんの発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X3の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(腎細胞がん)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢,高血圧等の危険因子の状況を総合考慮すれば,原告X3の申請疾病(腎細胞がん)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,高血圧等の原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X3の申請疾病については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(4) 原告X4
ア 原告X4の主張の要旨
(ア) 原告X4は,平成19年12月,食欲不振の症状により受診し,検査を受けたところ,申請疾病である胃がんと診断されたものである。
(イ) 胃がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であるが,原告X4の被爆態様が積極認定対象被爆に当たらないため,総合認定の対象となるところ,原告X4の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
a 胃がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b 原告X4は,直爆したのみならず,直後に黒い雨に全身を打たれており,しかも,その汚れはなかなか落ちなかったというのであって,直爆による放射線以外にも大量の放射線被曝をしたものと考えられる。また,原告X4は,被爆後に急性症状としての下痢を発症していること,成人した頃から現在に至るまでの長期にわたり,後記dの被爆者によくみられる体調不良に悩まされていることからすれば,相当程度の放射線被曝をしたものと考えられる。
c 原告X4の被爆地点は,長崎の爆心地から約3.6kmの地点であり,総合認定の対象となるとはいえ,積極認定対象被爆である「爆心地から約3.5km以内である者」と比較して,僅か100mほど離れた場所にすぎない。そもそも,この「約3.5km」という数字の算出根拠(科学的根拠)は不明であり,これを超える距離の放射線の影響については何ら説明をしていない。むしろ「約」という表現自体が幅のある表現であり,3.5kmの地点を僅かでも超えれば途端に放射線影響が0になるわけではない。各種判決でも,3.5kmを超える場合に放射線起因性を認めたものがある。
d 原告X4は,被爆の約1年後には,右足のすねに出来物ができ,血の膿が出た。この跡は今でも残っている。
その後,原告X4は,13歳頃から25歳頃まで,顔全体に赤黒い吹き出物が出て,血が混じった膿だらけになるという症状に悩まされ続けた。原告X4は,20歳前後の頃から,体温調節機能の異常を自覚し,また,20歳代の頃から不眠に悩まされており,平成4年には,これらの体温調節機能の異常と不眠について,自律神経失調症との診断を受けている。そして,原告X4は,このような体調不良のほか,これまで次のような病気に罹患している。原告X4は,昭和60年6月,十二指腸潰瘍により17日間入院し,手術はせずに投薬治療によって進行を抑えた。原告X4は,平成元年,肺炎により,約1箇月入院した。平成5年には痔核の手術が行われた。原告X4は,平成7年頃,白内障の診断を受け,現在も投薬治療中である。平成15年には平成5年の痔核治療の予後が悪く,痔核の再手術が行われた。
(ウ) 原告X4は,胃がんの切除手術を受けた後も,再発予防のための経過観察中であり,二,三箇月に1回,検査のため通院していることから,申請疾病には要医療性が認められる。
イ 被告の主張の要旨
(ア) 原告X4の推定被曝線量は,全体量としても約0.0007グレイにすぎない。
(イ) 原告X4に下痢や血の膿が出現したとは認められないし,仮にこれらが認められるとしても,放射線被曝による急性症状の特徴を有するとはいえない。
(ウ) 原告X4は,原告X4の被爆後の病歴等を羅列するが,それらの疾病等の罹患が原告X4の胃がんについて放射線起因性が認められることの根拠となる理由について何ら主張,立証がされていないから,原告X4の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(エ) 原告X4は若年被爆者であるが,そのことは放射線起因性を認める根拠となり得ない。
(オ) 原告X4には胃がんの重大な危険因子である加齢及びヘリコバクター・ピロリの感染が存在している可能性は否定することができない。
(カ) 原告X4について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X4において,被告が指摘する原告X4の危険因子(加齢及びヘリコバクター・ピロリの感染)の影響を超えて,原告X4の胃がんの発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X4の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(胃がん)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢等の危険因子の状況を総合考慮すれば,原告X4の申請疾病(胃がん)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,ヘリコバクター・ピロリの感染などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X4の申請疾病については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(5) X5
ア 原告X5承継人らの主張の要旨
(ア) X5は,昭和59年5月,申請疾病である左乳がん術後皮膚潰瘍の原疾病である乳がんと診断されたものである。
(イ)a X5の申請疾病は,左乳がん術後皮膚潰瘍であり,かつ,X5は爆心地から約3kmの地点にある長崎市馬町の自宅で被爆しているため,改定後の新審査の方針において積極認定の対象となるものである。
b X5の被爆態様は積極認定対象被爆であり,48歳の時に罹患した乳がんにより乳房切除手術を受け,患部に放射線照射を受けた後に,手術創の辺りに皮膚潰瘍が発生しているため,この皮膚潰瘍は,原疾病である乳がん(手術)と局所への放射線治療による連続的,一体的結果であって,積極認定対象疾病に当たる。よって,X5の申請疾病である左乳がん術後皮膚潰瘍には放射線起因性が認められる。
(ウ) X5は,左乳がん術後皮膚潰瘍について平成19年12月から南郷外科・整形外科医院で治療を受けている。治療を受けていた部位については,植皮による手術の必要性も指摘されており,手術がされなかったのは当時うつ病であったX5の「手術をしたくない」との意向からであり,やむなく塗り薬で対処していたものであり,仮に一時的に皮膚潰瘍に瘡蓋ができたとはいえ,完治というにはほど遠いものであった。実際に原爆症認定申請直後の平成20年9月の診療録には,「ulcer(潰瘍)+」と記載されており,その直前の原爆症認定申請時において,皮膚潰瘍が存在して治療が必要な状態にあったことは明らかであり,申請疾病には要医療性が認められる。
イ 被告の主張の要旨
(ア) X5の左胸部に皮膚潰瘍が生じたこと自体は認められるとしても,更に上記皮膚潰瘍が乳がんの手術又は放射線治療の結果生じた「左乳がん術後皮膚潰瘍」であることを認めることはできない。よって,X5の申請疾病である左乳がん術後皮膚潰瘍が被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすとはいえない。
(イ) X5の乳がんについて,再発,転移等による要医療性は認められない。また,皮膚潰瘍についても,少なくとも原爆症認定申請時において,「現に医療を要する状態にある」皮膚潰瘍は存在しておらず,せいぜい経過観察が行われていたにすぎないから,要医療性は認められない。
(6) X9
ア 原告X9承継人の主張の要旨
(ア) X9は,平成20年,申請疾病である膀胱がん(膀胱腫瘍)と診断されたものである。
(イ) 膀胱がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,かつ,X9は,爆心地から約3.5kmの地点にある「暁二九五三部隊」の練兵場で被爆し,翌日,同爆心地から約1.5kmの地点である広島日赤病院付近まで入市したものであるから,積極認定対象被爆に該当する。X9の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められるはずである。
a 膀胱がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b X9の被爆態様は,積極認定対象被爆に当たることから,X9の発症した膀胱がんに放射線起因性が認められることも明らかである。
c X9は,入市した後,発熱,嘔吐,下痢,貧血,めまい,食欲不振といった症状に悩まされることになった。X9は,発熱や嘔吐などのために兵舎において休養しなければならないときもあり,そのような症状が発生すると3日ないし4日くらい悩まされることになった。X9は,復員後の昭和25年頃から,体が重くなり,季節の変化で風邪を引きやすくなった。医者にかかるようになり,医師の指示によってレントゲン撮影を行ったところ,医師から心筋梗塞の気及び心臓肥大の傾向があるとの診断を受けた。それ以来,X9は,心臓の病気については通院を続けていた。
(ウ) X9は,平成20年の手術以降も治療や再手術を重ね,平成26年4月9日に死亡するまで治療を継続した。よって,申請疾病には要医療性が認められる。
イ 被告の主張の要旨
(ア) X9が爆心地から約3.5kmの地点にある「暁二九五三部隊」の練兵場で被爆したと認めることはできず,X9は,爆心地から約4.79kmの地点にある陸軍船舶司令部で被爆したと認められる。
(イ) X9が広島原爆の投下翌日に爆心地から約1.5kmの地点である広島日赤病院付近まで入市した事実は認められず,爆心地から約1kmの地点である県病院付近まで入市した事実も認められない。むしろ,X9が同日に入市した地点は,爆心地から約2.5kmの地点である御幸橋付近までであったと認定すべきである。
(ウ) 膀胱がんについて,放射線被曝との有意な関連性が認められているのは0.1グレイないし0.2グレイ以上の放射線被曝の場合であるところ,X9の被爆態様からすると,X9の推定被曝線量は,全体量としても0.0001グレイを更に下回る程度にすぎず,膀胱がんの放射線起因性が認められる程度の線量の放射線被曝を受けたとは認められない。
(エ) X9に嘔吐及び食欲不振が出現したとは認められず,X9が挙げる身体症状を全体としてみても,放射線被曝による急性症状とはいえない。
(オ) 原告X9承継人は,X9の被爆後の病歴等を羅列するが,それらの疾病等の罹患がX9の膀胱がんについて放射線起因性が認められることの根拠となる理由について何ら主張,立証がされていない。したがって,原告X9承継人の上記主張は失当である。
(カ) X9には膀胱がんの重大な危険因子である性差及び加齢が存在している。
(キ) X9について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X9承継人において,被告が指摘するX9の危険因子(性差及び加齢)の影響を超えて,X9の膀胱がんの発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,X9の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(膀胱がん)と放射線被曝に関する知見の状況並びに性差及び加齢という危険因子の状況を総合考慮すれば,X9の申請疾病(膀胱がん)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,性差,加齢などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,X9の申請疾病については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(7) 原告X11
ア 原告X11の主張の要旨
(ア) 原告X11は,平成15年8月,申請疾病である前立腺がんと診断されたものである。
(イ) 前立腺がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であるが,原告X11の被爆態様が積極認定対象被爆に該当しないため,総合認定の対象となるところ,原告X11の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
a 前立腺がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b 原告X11は,長崎の爆心地から約3.8kmという距離で被爆しただけでなく,近距離で被爆し被爆後数日中に死亡した伯父のB13(以下「B13」という。)や,B13を7人で連れだって長崎市城山町周辺まで捜索に行き連れ帰った原告X11の母ら親族の身辺にいた。これらの親族は,爆心地を通過し往復して戻ってきており,原告X11がB13や7人の親族の衣服,身体,頭髪等に付着した放射性降下物や誘導放射化された物質に由来する多量の残留放射線により,放射線感受性の高い幼少期(7歳)に被曝していることは明らかである。特に,救援には原告X11の母も参加し,原告X11は母やその他の親族にまとわりつき,B13の様子を間近に見たであろうことは十分に考えられ,何よりB14(以下「B14」という。)の自宅で起居していた原告X11は,救援に行った7人中,3人と一つ屋根の下で寝起きしたことになる。それ以外の親族も隣あって大家族のように住んでいたものである。さらに,被爆後,ガス状や粉塵になって大気中に存在した放射性物質を吸引し,あるいは,飲食物と共に摂取して内部被曝をしている可能性も大きい。被爆直後から強い倦怠感や鼻出血があり,これらは典型的な放射線による急性症状であった可能性が高いし,わざわざ母が保健所に連れて行くことや,白血球減少を指摘されることも,日常的にはない出来事であり,母として放っておけないような体調の変化や変調があったことの証左である。
そして,原告X11が前立腺がんの診断を受けたのが65歳と若い時期の発症であることも,被曝の影響を疑わせるものである。
c 原告X11の被爆地点は爆心地から約3.8kmの地点であり,総合認定の対象となるとはいえ,積極認定対象被爆である「被爆地点が爆心地から約3.5km以内である者」と比較して,僅か300mほど離れた場所にすぎない。3.5kmの地点を超えれば途端に放射線影響が0になるわけではなく,各種判決でも放射線起因性を認めたものがある。
d 原告X11は,被爆の約半年後に,歯茎が腫れて切開手術を受け,昭和28年頃と昭和33年頃の2回にわたって蓄膿症となり,手術を受けた。また,原告X11は,平成10年頃,白内障と診断され,治療を受けた。さらに,原告X11は,平成15年頃,頚椎ヘルニアと診断された。原告X11は,前立腺がん摘出手術の3日後に脳梗塞を発症した。
(ウ) 原告X11は,前立腺がんの切除手術を受けた後,前立腺がんが再発し,現在に至るまで治療を継続しており,申請疾病には要医療性が認められる。
イ 被告の主張の要旨
(ア) 原告X11の主張を前提としても,原告X11の初期放射線による被曝線量は,0.0003グレイを下回る程度である。近距離で被爆して数日中に死亡した伯父等の身辺にいたことによる被曝線量もごく僅かにすぎない。内部被曝による被曝線量も微量にすぎない。
(イ) 原告X11の身体症状は放射線被曝による急性症状とはいえない。
(ウ) 原告X11は,原告X11の被爆後の病歴を羅列して主張するが,これらの疾病の一つ一つが放射線被曝によって生じたことや,これらの疾病等の罹患が原告X11の前立腺がんについて放射線起因性が認められることの根拠となる理由について何ら主張,立証がされていないから,原告X11の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(エ) 原告X11が若年被爆者であるとの主張は,放射線起因性を認める根拠にならない。
(オ) 原告X11には前立腺がんの重大な危険因子である加齢及び喫煙が存在している。
(カ) 原告X11について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X11において,被告が指摘する原告X11の危険因子(加齢及び喫煙)の影響を超えて,原告X11の前立腺がんの発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X11の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(前立腺がん)と放射線被曝に関する知見の状況並びに加齢及び喫煙という危険因子の状況を総合考慮すれば,原告X11の申請疾病(前立腺がん)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,喫煙などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X11の申請疾病については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(8) 原告X12
ア 原告X12の主張の要旨
(ア) 原告X12は,平成19年11月,申請疾病である前立腺がんと診断されたものである。
(イ) 前立腺がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であるが,原告X12の被爆態様が積極認定対象被爆に当たらないため,総合認定の対象となるところ,原告X12の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
a 前立腺がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b 原告X12は,放射線の影響を受けやすい2歳という幼少時の被爆であり,かつ,直爆したのみならず,その後も昭和37年までその場所に住み続けている。長崎では,地形などの影響から爆心地の南東方向の原告X12の被爆地点にも相当量放射性降下物が飛散したと考えられ,原告X12は相当程度の放射線被曝をしていると考えられる。
また,幼少時にしばしば下痢を発症し,幼少期を過ぎてからも,リンパ腺が腫れるなどの症状が続き,成人になる頃まで倦怠感に悩まされ続けるなど,体調不良状態が長く継続しており,被曝の影響が強く体に現れているといえる。
さらに,本来高齢者に多い前立腺がんを,65歳という若年で発症していることからしても,原告X12は,相当程度の放射線被曝をしたものと考えられる。
c 原告X12の被爆地点は,長崎の爆心地から約3.6kmの地点であり,総合認定の対象となるとはいえ,積極認定対象被爆である「被爆地点が爆心地から約3.5km以内である者」と比較して,僅か100mほど離れた場所にすぎない。3.5kmの地点を超えれば途端に放射線影響が0になるわけではなく,各種判決でも放射線起因性を認めたものがある。
d 原告X12は,成人後も,扁桃腺肥大で,風邪を引きやすい体質であった。原告X12は,55歳頃,風邪で都立府中病院に1週間入院している。原告X12は,平成9年頃からは,高血圧で2箇月に一度,東京女子医科大学成人医学センターへの通院を続けている。平成19年か平成20年頃には,医師から腹部大動脈瘤が腫れているとの指摘があった。
(ウ) 申請疾病の要医療性
原告X12は,前立腺がんの切除手術を受けた後も,再発予防のための経過観察中であり,2箇月に1回,検査のため通院していることから,申請疾病には要医療性が認められる。
イ 被告の主張の要旨
(ア) 原告X12の初期放射線による被曝線量は,0.0006グレイを下回る程度である。放射性降下物による被曝線量も微量である。
(イ) 原告X12に下痢及び倦怠感を含めて何らかの身体症状が出現したとは認められず,原告X12が挙げる各身体症状が出現していたとしても,放射線被曝による急性症状とはいえない。
(ウ) 原告X12は,原告X12のこれまでの病歴を羅列し,原告X12の健康状態をもって前立腺がんの放射線起因性が認められる根拠の一つとしているが,これらの疾病等の一つ一つが放射線被曝によって生じたことや,これらの疾病等の罹患が原告X12の前立腺がんについて放射線起因性が認められる根拠となる理由について何ら主張,立証がされていないから,原告X12の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(エ) 原告X12が若年被爆者である旨の主張は,放射線起因性を認める根拠とはなり得ない。
(オ) 原告X12には前立腺がんの重大な危険因子である加齢,飲酒及び喫煙が存在している。
(カ) 原告X12について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X12において,被告が指摘する原告X12の危険因子(加齢,飲酒及び喫煙)の影響を超えて,原告X12の前立腺がんの発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X12の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(前立腺がん)と放射線被曝に関する知見の状況並びに加齢,飲酒及び喫煙という危険因子の状況を総合考慮すれば,原告X12の申請疾病(前立腺がん)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,飲酒,喫煙などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X12の申請疾病については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(9) 原告X13
ア 原告X13の主張の要旨
(ア) 原告X13は,平成5年,申請疾病である胃がんと診断されたものである。
(イ)a 原告X13の申請疾病は,胃がんであり,かつ,原告X13は広島原爆の投下翌日又は昭和20年8月8日に爆心地付近に入市しているため,改定後の新審査の方針において積極認定の対象となるものである。
なお,胃切除後障害は胃がんの摘出術の後遺症であるところ,「胃がん」での申請は,当然に「胃切除後障害」をも含めて原爆症認定を求める趣旨であることは明らかである。かかる解釈は,別件同種訴訟や認定実務においても実例がある。
b 胃がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
原告X13は,生後6箇月という若年で,母に背負われ,昭和20年8月8日(広島原爆の投下翌日である同月7日の可能性もある。)に,正に爆心地至近(広島市基町,同市紙屋町及び同市十日市町)を通過して市内を東西に往復しており,原告X13が放射性降下物や土壌及びがれき中の誘導放射化された物質による多量の残留放射線に被曝していることは明らかである。また,粉塵等の吸入や汚染された食べ物,水の摂取により内部被曝をしている可能性も大きい。したがって,原告X13が相当量の放射線被曝をしたことは明らかである。
c 胃を切除しなければ胃切除後の後遺症は発症しないのであるから,胃がん自体に放射線起因性が認められるのであれば,当然,胃切除後の後遺症にも放射線起因性が認められる。平成20年6月5日付け認定申請書の「被爆直後の症状及びその後の健康状態の概要」の欄には,「平成6年,胃がん手術,その後,今日まで,後遺症として,ダンピング症候群,鉄分不足で悩まされ,現在治療中」との記載があり,同申請書添付の虎の門病院医師のC1の平成20年5月23日付け意見書(以下「C1意見書」という。)には,「現症所見」の欄に,「現時点で,ビタミンB12の継続的な注射を行っているが,後遺症としてダンピング症候群,逆流性食道炎,鉄欠乏性貧血がみられる」との記載がある。
また,原告X13の胃切除後の上記症状が胃がんの治療として胃を切除したことによるものであることは,胃切除後障害の医学的機序からして明らかである。
さらに,原爆症認定申請は,原告X13が胃がんの摘出術を受けてから14年が経過した時期にされたものであり,医療を要する状態にあるのは,胃がんの再発に対する経過観察のみならず,胃切除後障害の治療のためでもある。
よって,原告X13に発症した胃がんのみならず,胃切除後障害にも放射線起因性が認められる。各種判決からも明らかであり,別件同種訴訟においても実例がある。
(ウ)a 原告X13は,胃がんについては,1年に一度の再発予防と残胃がんの確認のための胃カメラ検査を行っており,申請疾病のうち胃がんについては要医療性が認められる。
b(a) ダンピング症候群の治療には,原則として食事療法が行われ,苦痛を緩和するための対症療法には,薬物療法が行われる。薬物療法には,一般に消化剤や整腸剤が使用される。
原告X13は,継続的な食事療法のほか,約3箇月に一度の経過観察のための通院,治療薬のアセナリン,ベリチーム等の処方を受けており,原爆症認定申請後はビオフェルミンの処方も受けている。
原告X13は,整腸剤や消化剤の服用のほか,医師から,とにかく食事をゆっくり少量に分けて数回に,できれば1日6回とかそういう状況で食べて,胃を慣らすようにしてよくかんで,ゆっくり休みながら時間を掛けて食べるようにとの食事療法の指導を受けているとしており,実際に退院後から現在まで,毎食時,医師から言われた食事療法をできる限り心掛けて実行している。また,医師から飲酒量を抑えるように言われており,原告X13は,その指示に従って休肝日を週2回設けているとしているものであって,食事療法を実行しているものである。
(b) 逆流性食道炎の治療には,食事指導のほか,薬物療法が行われる。薬物療法には,ヒスタミンH2受容体拮抗薬などが使用される。
原告X13は,3箇月に一度,経過観察のため通院し,治療薬として,ガスター等の処方を受けている。ガスターは,胃酸分泌抑制薬(ヒスタミンH2受容体拮抗薬)であり,逆流性食道炎の治療薬であることは明らかである。
(c) 鉄欠乏性貧血の治療には,鉄剤が経口投与される。
原告X13は,3箇月に一度,経過観察のため通院し,平成20年5月8日には鉄剤であるフェロ・グラデュメットの処方を受けている。
(d) 巨赤芽球性貧血の治療には,巨赤芽球性貧血の予防の観点からビタミンB12の定期的な注射が行われる。
原告X13は,3箇月ないし6箇月に一度,経過観察のため通院し,ビタミンB12を補うためのメチコバールの注射を受け続けている。
(e) 以上のとおり,原告X13の受けているこれらの治療は,胃がんのための胃切除に伴う必然的,不可避的な治療であり,胃がんに罹患したことに起因して発症した後遺症に対する治療であることは明白であり,原告X13が医療を必要とする状態にあることが明らかである。したがって,申請疾病のうち胃切除後障害としての上記各疾病についても要医療性が認められる。各種判決及び別件同種訴訟の実例も同様である。
イ 被告の主張の要旨
(ア) 「現に医療を要する状態にある」にいう「医療」とは,原爆症認定に係る負傷又は疾病について医療効果の向上を図るべく,医師による継続的な医学的管理の下に,必要かつ適切な内容において行われる範囲の医療をいうものと解するのが相当である。したがって,再発予防の治療等も既に終了し経過観察をしているにすぎない場合や,医師による医療であっても不必要,不適切な内容の医療は,上記医療には当たらない。
(イ) 原爆症認定の要件としての要医療性についても原告X13が主張立証責任を負っているところ,原告X13は,原告X13の要医療性について抽象的な主張をするのみであり,申請疾病等の要医療性を基礎づける行為の実施時期も,当該行為の具体的内容も,何ら主張,立証がされていない。したがって,このような原告X13の主張,立証の状況だけをみても,原告X13の要医療性に係る主張は失当である。
(ウ) 原告X13の胃がんに要医療性があるとはいえない。
(エ) 原告X13が原爆症認定申請時においてダンピング症候群を発症していたか否か明らかでなく,仮にダンピング症候群を発症していたとしても,要医療性があるとはいえない。
(オ) 原告X13が原爆症認定申請時において逆流性食道炎を発症していたとは認められない。また,仮に逆流性食道炎を発症していたとしても,胃の部分切除に伴うものとは認められないし,要医療性があるとはいえない。
(カ) 原告X13が原爆症認定申請時において鉄欠乏性貧血を発症していたとは認められず,仮に鉄欠乏性貧血を発症していたとしても,要医療性があるとはいえない。
(キ) 胃切除後障害としての巨赤芽球性貧血の予防を目的とした投薬をもって,巨赤芽球性貧血に要医療性があるとはいえない。
(10) 原告X14
ア 原告X14の主張の要旨
(ア) 原告X14は,平成11年3月25日から2週間,通院して精密検査を受け,申請疾病である心筋梗塞と診断されたものである。
(イ) 心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,かつ,原告X14は,長崎の爆心地から約3.5kmの地点で直爆を受け,また,長崎原爆の投下翌日には長崎市内に入市して爆心地付近を通過したものであるから,再改定後の新審査の方針による積極認定対象被爆にも該当する。原告X14の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められるはずである。
a 心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b 原告X14は,被爆時年齢14歳で,爆心地から約3.5kmの地点で遮蔽物のない状態で直爆を受けた。のみならず,原告X14は,その後約20分にわたり黒い雨に打たれ,また,長崎原爆の投下翌日に爆心地付近まで入市するなど,放射性降下物や誘導放射化された環境に身を置いたことにより,残留放射線にさらされることとなった。そのため,原告X14は,被爆前は健康体であったが,被爆直後から吐き気,嘔吐,発熱,歯茎からの出血,下痢,脱毛,倦怠感などの急性症状を発症した。加えて,原告X14は,その後も後記cの様々な疾病に苦しんだ上で,今回の申請疾病である心筋梗塞の発症に至っている。
c 原告X14は,昭和22年頃からは,慢性の下痢の症状が始まり,その症状はその後約40年近く続いた。原告X14は,昭和27年,肛門周囲膿瘍にかかり手術を受けたが,その後も膿みが止まらなかったため入院し,退院するまで3回も同じ手術を受けた。原告X14は,昭和31年及び昭和39年,内痔核の手術を受けたが,その後,再発し,現在も座薬や軟膏などの薬で治療を受けている。原告X14は,昭和31年,肺結核にかかり,その後2年間,治療のために国立療養所に入院した。原告X14は,昭和54年,変形性脊椎症にかかり,現在も治療している。原告X14は,平成14年,前立腺肥大症にかかり,同年3月には温熱療法による治療を受けたが,症状は改善せず,現在でも治療を続けており,さらに,平成24年1月6日,下腹部に痛みを感じ,杏林大学附属病院でMRI検査を受けたところ,前立腺がんの可能性がある,骨転移の可能性もあると診断された。原告X14は,同月17日,大量の下血があり,同月18日に同病院に入院し,同月21日まで精密検査を受けたが,がんの特定には至らなかった。しかし,同年8月27日,再び同病院でMRI検査を受けたところ,前回検査より前立腺が軽度増大しており,前立腺がんの疑いとの診断がされた。さらに,原告X14は,同年12月11日にも大量の下血があったため,同月12日から同月18日まで同病院に入院して精密検査を受けたが,がんの特定までには至らなかった。
(ウ) 原告X14は,現在,杏林大学附属病院には3箇月に1回の頻度で,木下循環器クリニックには1箇月に1回の頻度でそれぞれ通院し,主治医の指示による内服治療を継続していることから,申請疾病には要医療性が認められる。
イ 被告の主張の要旨
(ア) 原告X14が長崎原爆の投下翌日に入市した事実を認めることはできず,昭和20年8月12日に入市したと認めるべきである。
(イ) 原告X14の初期放射線による推定被曝線量は約0.0008グレイである。黒い雨に打たれたことによる原告X14の放射性降下物による被曝線量は微量にすぎない。爆心地付近に入市したことによる原告X14の誘導放射線による推定積算線量は0.0057グレイを下回る。
以上によれば,原告X14の推定被曝線量は,全体量としても,0.0065グレイを大きく下回る程度にすぎない。
(ウ) 原告X14に吐き気,嘔吐,発熱,歯茎からの出血,下痢,脱毛及び倦怠感が出現したとは認められないし,仮にこれらが認められるとしても,放射線被曝による急性症状の特徴を有するとはいえない。
(エ) 原告X14が羅列する被爆後の病歴等については,それらの疾病等の罹患が原告X14の心筋梗塞について放射線起因性が認められることの根拠となる理由について何ら主張,立証がされていないから,放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(オ) 原告X14には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,喫煙,高血圧及び脂質異常症が存在している。
(カ) 原告X14について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X14において,被告が指摘する原告X14の危険因子(加齢,喫煙,高血圧及び脂質異常症)の影響を超えて,原告X14の心筋梗塞の発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X14の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(心筋梗塞)と放射線被曝に関する知見の状況並びに加齢,喫煙,高血圧及び脂質異常症という危険因子の状況を総合考慮すれば,原告X14の申請疾病(心筋梗塞)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,喫煙,高血圧,脂質異常症などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X14の申請疾病については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(11) 原告X15
ア 原告X15の主張の要旨
(ア) 原告X15は,平成9年7月頃,自覚症状が出たことにより,精密検査を受けた結果,申請疾病である狭心症と診断されたものである。
(イ) 原告X15は,広島の爆心地から約1kmの地点で被爆しており,改定後の新審査の方針における積極認定対象被爆である。また,狭心症は,発生機序など積極認定対象疾病である心筋梗塞と極めて類似した疾患である。そして,原告X15の申請疾病は,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
a 原告X15の狭心症は,動脈硬化性の狭心症である。心筋梗塞と動脈硬化性の狭心症の発生機序は全く同じである。心臓の血管が閉塞にまで進んで心筋の壊死に至るかどうかの違いしかない。病態的には何ら差はなく,両者を区別することは科学的根拠に欠ける。
そして,心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
よって,狭心症には放射線起因性が認められる。
b 原告X15は,広島の爆心地から約1kmの地点で被爆し,出血した状態で傷口を保護することもなく広島市内を徒歩で移動している。そして,被爆直後から血尿,血性下痢,発熱及び嘔吐が続き,やけどや外傷は化膿して1箇月以上治らず,顔面から首の左半分と右腕にケロイドが残った。ケロイドは被爆後68年を経ても目視で確認することができるほどであり,以前は更にはっきりと跡が残っていたことから,原告X15は人の目が気になって嫌な思いをしてきた。左腕には今でもガラス片と思われる異物が残存している。しばらくして顔,腕及び足に紫斑が出現し,常にだるさを感じ,疲れやすくなり,耐久力もなくなった。このように,原告X15には,近距離での被爆者にみられる症状がそろっており,相当量の初期放射線及び残留放射線に被曝したと考えられる。
c 左足の外側や背中の左側は麻痺して感覚のない状態が被爆後10年くらい(背中は20年くらい)続き,右手は今でもうまく握ることができない。その後,原告X15は,42歳の頃,十二指腸潰瘍で九段坂病院に入院し,47歳の頃,糖尿病を患い,平成7年にインスリンが導入された。また,平成21年頃からは,めまいが頻繁に起こるようになった。平成23年12月頃,高熱が続いて入院し,それから数箇月間,原告X15は入退院を繰り返した。この時の検査で脳梗塞が3箇所発見された。左耳の難聴や左目の視力低下も顕著となった。原告X15は,平成25年2月,急性腎盂腎炎で入院した。
(ウ) 原告X15は,現在も主治医の指示による内服治療を継続中である。また,原告X15は,平成24年3月にも経皮冠動脈形成術(PCI)を施された上,日常の軽い労作でも胸痛を感じている。今後も毎月の定期検査の結果を受けて,更に手術を受けることとなる可能性も高く,申請疾病には要医療性が認められる。
イ 被告の主張の要旨
(ア) 原告X15が直爆を受けた場所が広島の爆心地から約1kmの地点である広島市雑魚場町付近であると認めることはできず,原告X15の直爆の地点は爆心地から約1.92kmの地点にある広島駅前であると認められる。
(イ) 原告X15の初期放射線による被曝線量は約0.110711グレイである。傷口を保護することなく広島市内を徒歩で移動したことにより相当量の残留放射線に被曝したとの主張は全く不明確であり,その具体的な根拠も示されていない。
(ウ) 原告X15に血尿,血性下痢,発熱,嘔吐,紫斑及び倦怠感が出現した事実は認められない。原告X15に出現した血性でない下痢は,放射線被曝の影響によるものとは認められない。また,原告X15が主張する各症状は,放射線被曝による急性症状とはいえない。
(エ) 原告X15が羅列する病歴のうち脳梗塞を除く各疾病については,その一つ一つが放射線被曝によって生じたことについて何ら個別に主張,立証がされていない上に,これらの疾病等の罹患が原告X15の狭心症について放射線起因性が認められることの根拠となる理由についても何ら主張,立証がされていない。また,脳梗塞の既往についても,一般に脳梗塞について放射線との関係は認められないし,そもそも,他の疾病につき放射線との関係が認められるからといって,原告X15の狭心症につき放射線起因性が認められることにはならない。
(オ) 原告X15には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,高血圧,脂質異常症及び糖尿病が存在している。
(カ) 原告X15について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X15において,被告が指摘する原告X15の危険因子(加齢,高血圧,脂質異常症及び糖尿病)の影響を超えて,原告X15の狭心症の発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X15の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(狭心症)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢,糖尿病等の虚血性心疾患(動脈硬化)の危険因子の状況を総合考慮すれば,原告X15の申請疾病(狭心症)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,高血圧,脂質異常症,糖尿病などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X15の申請疾病については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(12) 原告X16
ア 原告X16の主張の要旨
(ア) 原告X16は,平成19年4月20日,自覚症状が出たことから,病院に救急搬送された結果,申請疾病である心筋梗塞と診断されたものである。
(イ) 原告X16は,広島の爆心地から約2.5kmの地点で被爆した。そして,心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,再改定後の新審査の方針においてもそれは維持されている。
ただし,再改定後の新審査の方針においては,「心筋梗塞」に関する積極認定対象被爆が「被爆地点が爆心地から約2km以内である者」又は「原爆投下から翌日までに爆心地から約1km以内に入市した者」に限られ,これらに該当しない場合には,総合認定の対象であるとされている。
しかしながら,原告X16の被爆態様が,悪性腫瘍等であれば積極認定対象被爆となるのに,疾病が異なると積極認定対象被爆の対象外となるのは,何ら理由なく不合理である。
そして,原告X16に生じた具体的事情を総合的に考慮すれば,原告X16の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
a 心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b 原告X16は,11歳の時に,広島の爆心地から約2.5kmの屋外で被爆し,被爆時に外傷を負い,更に周囲が暗くなるのを感じたり,逃げる際に暗い中を逃げたりするなど,放射性粉塵や放射性降下物により内外部を被曝したものと考えられる。また,爆心地付近で被爆した母と広島原爆の投下当日から昭和20年8月11日までの6日間,間近で寝泊まりをしていることなどから,かなり濃厚な放射性物質が漂う空間におり,体表面や呼吸を通じて被曝したと考えられることからも,相当量の放射線に被曝したことが明らかである。
そして,被爆後外傷の治癒が遅延したこと,各所に湿疹が生じすぐには治らなかったことに加え,成人してからも,会社での検診で貧血の指摘を受け,通学していた大学を休学するなどし,微量の炎症反応や,免疫能の低下を思わせる状態が継続していた可能性がある。
また,被爆時,原告X16とほぼ同じ行動をとった弟は,31歳の時に胃と十二指腸から出血して死亡した。また,妹も,平成20年に狭心症の発作を起こして倒れ,以来,ニトログリセリンを服用している。これらの事実は,原告X16と同様に,原爆放射線の影響が幼かった弟や妹に影響を及ぼしたことを推測させるものである。
(ウ) 原告X16は,2箇月に1回くらいの頻度で検査のために通院し,心筋梗塞の治療を受け,また,二次予防のために利尿剤(平成21年5月30日まで),降圧剤,脂質異常症治療薬,抗凝固薬など11種類の薬を退院後継続して服用している。原告X16は,平成20年6月2日ないし同月4日及び平成23年2月15日ないし同月17日に経過観察のため,心臓カテーテル検査を受けている。よって,申請疾病には要医療性が認められる。
イ 被告の主張の要旨
(ア) 原告X16の初期放射線による被曝線量は,0.0125199グレイ程度にすぎない。放射性粉塵や放射性降下物による外部被曝及び内部被曝による被曝線量は微量にすぎない。広島原爆の投下当日から昭和20年8月11日までの6日間,母の間近で寝泊まりをしたことによる被曝線量もごく僅かにすぎない。
(イ) 原告X16が,被爆後外傷の治癒が遅延したとか湿疹が治らなかったとし,また,被爆後の病歴等を羅列する点については,これらが放射線被曝の影響によるものであることについても,これらの疾病等の罹患が原告X16の心筋梗塞について放射線起因性が認められることの根拠となる理由についても,何ら主張,立証がされていないから,放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(ウ) 原告X16には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,高血圧及び脂質異常症が存在している。
(エ) 原告X16について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X16において,被告が指摘する原告X16の危険因子(加齢,高血圧及び脂質異常症)の影響を超えて,原告X16の心筋梗塞の発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X16の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(心筋梗塞)と放射線被曝に関する知見の状況並びに加齢,高血圧及び脂質異常症という危険因子の状況を総合考慮すれば,原告X16の申請疾病(心筋梗塞)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,高血圧,脂質異常症などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X16の申請疾病については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(13) 原告X17
ア 原告X17の主張の要旨
(ア) 原告X17は,平成17年1月,申請疾病である脳梗塞に罹患したものである。
(イ) 原告X17は,長崎の爆心地から約1.5kmの地点で被爆し,また,長崎原爆の投下翌日から連日,爆心地付近まで入市した。これは,改定後の新審査の方針における積極認定対象被爆に該当する。しかし,脳梗塞が積極認定対象疾病に当たらないため,総合認定の対象となるところ,原告X17の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
a 被爆者調査では,被爆者の脳梗塞を包含する「脳卒中」の死亡率の有意な増加が報告されている。また,被爆者と被爆者以外を比較した場合には被爆者の罹患率が高くなっていること,そして,脳梗塞の原因は脳血管の動脈硬化であり,その悪化要因が高血圧や慢性腎臓病,更には脳血管内膜に生じた無症状性の持続的炎症状態に関連していることは医学的に確立した知見であり,それらが放射線被曝に関連していることをも考えれば,脳梗塞が放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b 原告X17は,10歳の時に,長崎の爆心地から約1.5kmの地点にある長崎市家野町の小川の中で被爆し,同爆心地から約2.2kmの地点にある自宅に徒歩で移動中に灰のようなものを浴びた。原告X17は,長崎原爆の投下翌日からは連日,父に連れられて,爆心地付近を通過する経路で長崎市坂本町へ行き,遺体の運搬や処理などを行う父のそばにいた。原告X17は,飲み水は近くの小川の水を使い,長崎原爆の投下後は炊き出しのおにぎりや近所からもらった野菜などを食べていた。
このように,原告X17は近距離で被爆し,また,被爆翌日から爆心地付近に連日入市しているが,いずれの被爆態様も,改定後の新審査の方針における積極認定対象被爆である。また,自宅近くの小川の水,炊き出しのおにぎり,野菜などを飲食しており,これらも放射能に汚染されていたと考えられる。
したがって,原告X17は,放射線感受性の高い若年時に,初期放射線に加え,放射性降下物や誘導放射化された物質による残留放射線を外部及び内部から多量に浴びたことにより,相当量の被曝をしているものである。
c 原告X17は,平成13年,虎の門病院において両下肢静脈瘤の手術をし,糖尿病と高血圧を指摘された。また,原告X17は,平成17年,脂質異常症と診断され,現在まで治療中である。平成21年11月12日,脳内出血があり,東京慈恵会医科大学付属病院に入院することとなった。原告X17は,その約1箇月後に浮間中央病院に転院して治療を行い,平成22年1月15日に退院した。
(ウ) 原告X17は,現在も内服治療を継続しており,申請疾病には要医療性が認められる。
イ 被告の主張の要旨
(ア) 原告X17が直爆を受けた場所が爆心地から約1.5kmの地点にある長崎市家野町の小川の中であると認めることはできず,原告X17は,爆心地から約3.2kmの地点にある長崎市川平町の自宅前の小川の中で被爆したと認めるのが相当である。
(イ) 原告X17が長崎原爆の投下翌日から連日,父に連れられて長崎市坂本町と長崎市川平町を往復し,その際に爆心地付近を通過したとの主張に裏付けがあるとは認められない。
(ウ) 原告X17の初期放射線による被曝線量は,0.002グレイを下回る程度である。長崎市川平町の自宅に帰宅する途中で灰のようなものを浴びたことによる被曝線量は微量である。入市被爆による放射線被曝は認めることができない。遺体の運搬等を行っていた父のそばにいたことによる残留放射線の被曝線量も微量である。内部被曝による被曝線量も微量である。
(エ) 原告X17は,原告X17のこれまでの病歴を羅列して主張するが,これらの疾病等の一つ一つが放射線被曝によって生じたことや,これらの疾病等の罹患が原告X17の脳梗塞について放射線起因性が認められることの根拠となる理由についても何ら主張,立証がされていないから,原告X17の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(オ) 原告X17には脳梗塞の重大な危険因子である加齢,高血圧,脂質異常症,糖尿病及び肥満が存在している。
(カ) 原告X17について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X17において,被告が指摘する原告X17の危険因子(加齢,高血圧,脂質異常症,糖尿病及び肥満)の影響を超えて,原告X17の脳梗塞の発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X17の放射線被曝の程度,申請疾病(脳梗塞)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢,高血圧,糖尿病等の危険因子の状況を総合考慮すれば,原告X17の申請疾病(脳梗塞)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,高血圧,糖尿病等の原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X17の申請疾病については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(14) 原告X18
ア 原告X18の主張の要旨
(ア) 原告X18は,平成20年7月7日,検査を受けた結果,甲状腺機能亢進が認められて投薬を受け,さらに,平成21年1月7日,診察を受けた結果,申請疾病である甲状腺機能低下と診断されたものである。
(イ) 原告X18は,長崎の爆心地から約2.3kmの地点で被爆した。申請疾病は甲状腺機能低下であるが,原告X18は,原爆症認定申請時に甲状腺機能亢進症の治療のために通院中で,その治療過程で申請疾病である甲状腺機能低下状態にあったものであり,原告X18の抱える疾患は甲状腺機能亢進症である。そして,甲状腺機能亢進症は積極認定対象疾病に当たらないため,総合認定の対象となるところ,原告X18の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
a 甲状腺機能亢進症を含む甲状腺疾患については有意な線量反応関係が認められ,甲状腺機能亢進症の有症率と放射線量の関連を示唆する文献も存在する。甲状腺機能亢進症についての原爆被爆者と一般人口の有病率比較によっても原爆被爆者の有病率が明らかに高率となっている。また,放射線起因性が認められている甲状腺機能低下症と甲状腺機能亢進症には同質性,近似性も認められる。その他,放射線が甲状腺機能亢進症の発症に影響を与えているという報告が複数存在する。以上の前提において確定した各裁判例を基に判断するならば,甲状腺機能亢進症に放射線起因性が認められると判断するのが相当である。
b 原告X18は,3歳という幼年期に,爆心地から約2.3kmの地点で直接被爆した上に,左肩に裂傷を受けながらその付近に約1時間とどまっていた。その後,灰や塵が舞う中をより爆心地に近い金比羅山(爆心地から約1.6km)に登り,その途中で直接黒い雨に肌を打たれた。その後,下痢や発熱といった急性症状もあった。そして,原告X18は,金比羅山で約1箇月生活した。
このような原告X18の被爆時及び被爆後の状況からすれば,黒い雨を含む放射性降下物や誘導放射化された物質による多量の残留放射線に被曝したことが明らかである。また,周囲の粉塵を直接体内に取り込んだり,食生活などを通じたりして,多量に内部被曝をした可能性が高い。
c 原告X18は,四,五歳の頃はよく微熱が出ていた。被爆を境に急に元気がなくなり,原告X18は,母や祖母から,虚弱体質になったと言われていた。小学生になっても体調はよくならず,原告X18は,貧血気味で授業にも集中することができず,小学校3年生くらいまではよく早退していた。運動場で行われる朝礼の間,立っていられなくてうずくまることもあった。原告X18は,校庭での体育の授業には参加することができなかった。その後は,原告X18は,昭和50年,胆のう炎に罹患し,平成12年からは高血圧の治療をしている。
(ウ) 原告X18は,原爆症認定申請時に,甲状腺機能亢進症の治療のために通院中であり,原告X18が原爆症認定申請時に甲状腺機能低下状態にあったのは,甲状腺機能亢進症の治療の過程での投薬の影響からである。すなわち,原告X18は正に甲状腺機能亢進症の治療の最中であった。
したがって,原告X18は医療が必要な状態にあったものであり,申請疾病には要医療性が認められる。
イ 被告の主張の要旨
(ア) 原告X18が長崎原爆の投下当日に爆心地から約1.6kmの地点にある金比羅山に登り,その後,約1箇月間,金比羅山で生活した事実は認められない。原告X18が金比羅山に向かう途中で黒い雨に打たれた事実も認められない。
(イ) 原告X18の初期放射線による被曝線量は,約0.0465424グレイである。原告X18は,昭和20年8月12日午前5時頃まで,爆心地から約1.6kmの地点にある金比羅山や爆心地から約2.3kmの地点にある自宅付近に滞在していたものであるが,このことによる被曝線量は0.0000291グレイを下回る程度にすぎない。内部被曝による被曝線量も微量にすぎない。原告X18についてはそもそも黒い雨に打たれた事実は認められないことから,その被曝線量を考慮する必要はない。
(ウ) 原告X18は,四,五歳の頃はよく微熱が出ており,また,貧血気味で小学生の頃,運動場で行われる朝礼の間,立っていられなくてうずくまることもあり,体育の授業にも参加することができなかった,小学校3年生くらいまではよく早退していたなどとして健康状態に関する主張をしているが,上記の事実主張に関しては,放射線起因性の要件との関係すら何も主張されておらず,原告X18の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(エ) 原告X18に被爆直後に発熱が出現した事実は認められず,同期間に下痢が出現した事実も認められない。原告X18に下痢や発熱が出現したとしても,放射線被曝による急性症状であるとはいえない。
(オ) 若年被爆者の場合にバセドウ病の発症が多いといった科学的知見は見当たらず,原告X18が若年被爆者である旨の主張には理由がない。
(カ) 前記のとおり,原告X18の推定被曝線量は,全体量としても,0.0465715グレイを下回る程度にすぎない。これは,2回程度のCT検査で受ける被曝線量程度の低線量である。
そして,バセドウ病については,原爆被爆者でなくても発症し得る一般的な疾病であるから,当該被爆者の被曝線量の程度や,他の原因,症状の具体的態様等にかかわらず,一律に原爆放射線によるものであるということはできない。
そうすると,原告X18の放射線被曝の程度,バセドウ病と放射線被曝に関する知見の状況等を総合考慮すれば,原告X18の甲状腺機能亢進症が原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。
したがって,甲状腺機能亢進症の治療により生じた原告X18の申請疾病である甲状腺機能低下については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(15) 原告X19
ア 原告X19の主張の要旨
(ア) 原告X19は,平成8年頃,申請疾病であるC型慢性肝炎と診断されたものである。
(イ) 原告X19は,昭和20年8月8日に広島の爆心地から500m以内に入市している。そして,C型慢性肝炎は,「慢性肝炎・肝硬変」の一種として改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病とされており,再改定後の新審査の方針においてもそれは維持されている。
ただし,再改定後の新審査の方針においては,「慢性肝炎・肝硬変」に関する積極認定対象被爆が,「被爆地点が爆心地から約2km以内である者」又は「原爆投下から翌日までに爆心地から約1km以内に入市した者」に限られ,これらに該当しない場合には,総合認定の対象であるとされている。
しかし,原告X19の被爆態様が,悪性腫瘍等であれば積極認定対象被爆となるのに,疾病が異なると積極認定対象被爆の範囲外となるのは,何ら理由なく不合理である。
そして,原告X19に生じた具体的事情を総合的に考慮すれば,原告X19の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
a 原告X19の申請疾病はC型慢性肝炎である。C型慢性肝炎から肝がんに至る医学的な分野におけるこれまでの全ての研究は,一連の関係を被曝因子とC型肝炎ウイルス(HCV)因子の共同成因の過程として捉えており,その方向で研究が積み重ねられているというのが実態である。放射線起因性と肝機能障害に関する現代医学や科学の到達点は着実にこれまでの同種訴訟の判決に取り入れられ,その内容に反映されており,肝機能障害の放射線起因性を否定した判決は一例も存しない。したがって,C型慢性肝炎を含む慢性肝炎の放射線起因性は認められる。
b 原告X19は,広島原爆の投下当日や翌日に救護のために多くの重傷者と接触し,誘導放射化された人体に接したことによる被曝をした。また,原告X19は,昭和20年8月8日(原爆投下から約48時間後以降)に入市し,爆心地付近を訪れ,それから五,六日間,爆心地から500m以内の自宅に通い続け,がれきを掘り返しながら家族の捜索を行った。この時,原告X19は,残留放射線にさらされたほか,放射性降下物が堆積する場所で粉塵等を吸引し,内部被曝をした。さらに,原告X19は,重傷者である姉の看病を付添いで行った際にも,被曝の影響を受けている。
そして,原告X19は,入市後や終戦後以降,下痢,紫斑,吐き気,倦怠感,歯茎出血,生理不順など,いわば典型的ともいえる数々の急性症状を発症している。また,その後も貧血気味である,若いうちから歯が抜ける,倦怠感があるなどの体調不良状態が長く続いており,被曝の影響が強く体に現れているといえる。
さらに,原告X19は,後記cのとおり,様々な疾病に罹患しており,中でも肺がんにより既に原爆症認定を受けているということからすれば,原告X19の体に被曝の影響が生じていることを,被告自身が認めているものである。
よって,これらの事情を総合すれば,原告X19は,内部被曝を含め相当程度の残留放射線に被曝していることが推定される。
c 原告X19は,今から25年くらい前に関節リウマチとなり,また,20年くらい前に骨粗しょう症になった。さらに,原告X19は,高血圧,脂質異常症,胃悪性リンパ腫などにもなっている。加えて,原告X19は,平成21年7月,肺がんとなった。原告X19は,平成23年,心臓の弁を人工弁に変える手術を行い,平成25年以降は座骨神経痛に苦しんでいる。
(ウ) 原告X19は,荻窪病院において現在もC型慢性肝炎に対する内服治療を継続しており,定期的に腹部エコー検査及び血液検査を受けている。また,平成24年8月頃,肝硬変の診断を受け,投薬が増えた。よって,申請疾病には要医療性が認められる。
イ 被告の主張の要旨
(ア) 原告X19が爆心地に接近した正確な距離は明らかでないが,広島原爆投下の約二日後に広島の爆心地から500mの地点に入市し,その後,無限時間同じ所にとどまっていたという仮定に基づいて算出した誘導放射線の積算放射線量によれば,原告X19の誘導放射線の積算放射線量は0.012グレイを下回るといえる。
また,原告X19は,誘導放射化された人体による被曝の影響を主張するようであるが,このような主張は漠然とした抽象的なものであり,これにより一定程度高線量の被曝をしたことになる具体的な根拠も示されていない。放射線により誘導放射化された人体に接したことによる被曝線量はごく僅かにすぎない。衣服や身体に付着した放射性降下物による被曝を受けた人体に接したことについても,放射性降下物の量自体が極めて少ないことからすれば,同様である。
さらに,原告X19は,残留放射線による内部被曝を主張するようであるが,このような主張は,漠然とした抽象的なものであり,これにより一定程度高線量の被曝をしたことになる具体的な根拠も示されていない。かえって,仮に原告X19が内部被曝をしていたとしても,その被曝線量は誤差の範囲に収まる程度の微量にすぎない。
(イ) 原告X19の身体症状は,放射線被曝による急性症状とはいえない。
(ウ) 原告X19は,原告X19の被爆後の病歴等を羅列するが,これらの疾病の一つ一つが放射線被曝によって生じたことについて何ら個別に主張,立証がされていないから,原告X19の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(エ) 改定後の新審査の方針やC型慢性肝炎の放射線起因性を認める裁判例の存在は,C型慢性肝炎の放射線起因性を認める根拠とはならない。
(オ) 前記のとおり,原告X19の推定被曝線量は,全体量としても,0.012グレイを下回る程度にすぎない。これは,1回のCT検査で受ける被曝線量程度の低線量である。また,原告X19に発現したという下痢,紫斑,吐き気,倦怠感,歯茎出血,生理不順等の各身体症状が放射線被曝による急性症状の特徴を有しているとはいえず,これらをもって原告X19に放射線被曝による急性症状を発現し得る程度の線量の放射線被曝があったということはできない。さらに,少なくとも原告X19のような低線量の放射線被曝とC型慢性肝炎との関連性を認める科学的な知見はない。むしろ,C型肝炎ウイルス(HCV)の感染源は,C型肝炎ウイルス(HCV)が混入(C型肝炎ウイルス(HCV)に感染)したヒトの血液であり,そもそも放射線によって感染することなどということはあり得ない。そして,感染から平均10年で感染者の70%ないし80%が慢性肝炎に至るとされており,更に感染から平均21年後(平均的な慢性肝炎の発症から約11年後)に肝硬変に至るとされている。原告X19がC型肝炎ウイルス(HCV)に感染した時期は不明であるが,C型慢性肝炎と診断されてから既に11年以上経過しているにもかかわらず,いまだ肝硬変に進展していないということになり,上記の一般的な慢性肝炎から肝硬変に至る経過に比して,むしろ,原告X19のC型慢性肝炎の進展の程度は緩やかであって,肝硬変の発症が促進されているともいえない。
以上のような原告X19の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(C型慢性肝炎)と放射線被曝に関する知見の状況等を総合考慮すれば,原告X19の申請疾病(C型慢性肝炎)が原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。
したがって,原告X19の申請疾病については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(16) 原告X20
ア 原告X20の主張の要旨
(ア) 原告X20は,平成16年6月8日,申請疾病である脳梗塞を発症したものである。
(イ) 原告X20は,長崎の爆心地から約3.7kmの地点で被爆した。そして,申請疾病は,脳梗塞である。よって,改定後の新審査の方針における積極認定対象被爆よりも若干距離があり,また,申請疾病が積極認定対象疾病に当たらないため,総合認定の対象となるところ,原告X20の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
a 原告X17の主張の要旨において既に述べたとおり,脳梗塞は放射線起因性が認められる疾病である。
b 原告X20は,9歳の時に爆心地から約3.7kmの地点で被爆した。原告X20は,昭和20年8月15日頃から同年9月中旬までの間,数度にわたり爆心地に近い工場跡に行き,がれきをかき分けて,拾ったボールベアリングを叩いてさびを落として遊んでおり,相当の粉塵を吸い込んだと思われる。また,原告X20は,放射性降下物が多かった長崎の西山地区のカボチャを日常的に食べていた。このようなことから,原告X20は,誘導放射化された物質にさらされたり,堆積した放射性降下物の粉塵等を吸引したり,放射性降下物により汚染された野菜を口にすることにより体内に取り込んだりして,外部被曝や内部被曝をした可能性が大きい。
そして,原告X20は,被爆後に下痢,発熱,倦怠感といった,いわば典型的ともいえる数々の急性症状を発症している。また,その後も倦怠感が続き,傷が化膿しやすいという被爆者によくみられる体調不良が続いており,被曝の影響が強く体に現れている。
c 原告X20は,昭和37年7月,激しいけいれんと共に意識を失うという発作に襲われ,山口大学付属病院に入院し,治療を受けた。原告X20は,平成16年5月11日,めまいと吐き気,平衡感覚失調に襲われて救急搬送された。
(ウ) 原告X20は,現在でも,申請疾病である脳梗塞の治療のため,初富保険病院に入院中であり,申請疾病には要医療性が認められる。
イ 被告の主張の要旨
(ア) 原告X20の初期放射線による被曝線量は約0.0004グレイである。原告X20が赴いたという工場跡について,工場の名称も場所も全く特定されていないが,爆心地に近い工場跡に行ったことによる原告X20の誘導放射線による推定被曝線量は0.00004グレイを下回る。長崎の西山地区のカボチャを日常的に食べていたことによる被曝線量も微量にすぎない。
(イ) 原告X20について,倦怠感が被爆直後に出現していた事実を認めることはできない。原告X20に下痢,発熱及び倦怠感が出現したとしても,これらが放射線被曝による急性症状であるとはいえない。
(ウ) 原告X20がこれまで罹患したという疾病等は,その一つ一つが放射線被曝によって生じたことについても,これらの疾病等の罹患が原告X20の脳梗塞に放射線起因性が認められることの根拠となる理由についても,何ら主張,立証がされていないから,放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(エ) 原告X20には脳梗塞の重大な危険因子である加齢,高血圧及び心血管疾患が存在している。
(オ) 原告X20について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X20において,被告が指摘する原告X20の危険因子(加齢,高血圧及び心血管疾患)の影響を超えて,原告X20の脳梗塞の発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X20の放射線被曝の程度,申請疾病(脳梗塞)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢,高血圧等の危険因子の状況を総合考慮すれば,原告X20の申請疾病(脳梗塞)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,高血圧等の原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X20の申請疾病については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(17) 原告X21
ア 原告X21の主張の要旨
(ア) 原告X21は,40歳ないし50歳の時に,申請疾病である狭心症と診断されたものである。
(イ) 原告X21は,長崎の爆心地から約1.3kmの地点で被爆しており,改定後の新審査の方針における積極認定対象被爆である。また,狭心症は,発生機序など積極認定対象疾病である心筋梗塞と極めて類似した疾患である。そして,原告X21の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
a 原告X21の狭心症は,動脈硬化性の狭心症である。心筋梗塞と動脈硬化性の狭心症の発生機序は全く同じである。
そして,心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
よって,狭心症にも放射線起因性が認められる。
b 原告X21は,爆心地から僅か約1.3kmの地点で被爆し,しばらく近くの山に避難し,同所にとどまっていた。また,原告X21は,被爆後から脱毛,血便,血尿,嘔吐,発熱など複数の急性症状を発症し,一緒にいた同僚も同様の症状を発症し,近距離の被爆者にみられる症状を発症している。
その後も風邪を引きやすい,胃腸が弱くなる,貧血を起こしやすいなど虚弱な状態が続き,更には皮膚がんと診断され,原爆症認定を受けたこともある。
以上の被爆態様及び被爆後の症状からすれば,原告X21は,相当量の初期放射線及び残留放射線による被曝をしているものである。
なお,原告X21の狭心症は,動脈硬化性の狭心症であるところ,血管造影検査の結果をみると,右冠状動脈#3の狭窄が進行して90%に達していたためステント留置が行われており,狭窄は強度でそのまま放置すれば心筋梗塞を発症してもおかしくない状態であったものである。
c 原告X21は,30歳代に,高血圧と診断され,以後,高血圧の薬を飲んでいる。原告X21は,狭心症と診断されて以後,ニトログリセリンを持ち歩くようになった。
そして,原告X21は,40歳代の時に,子宮筋腫と診断され,平成16年頃,子宮筋腫の摘出手術を行った。原告X21は,胆のう炎に罹患し,胆のうも摘出した。
(ウ) 原告X21は,内服治療を継続しており,平成25年2月にはステント留置術を行っている。よって,申請疾病には要医療性が認められる。
イ 被告の主張の要旨
(ア) 原告X21が狭心症と診断されたのは,平成22年2月である。
(イ) 原告X21は爆心地から約1.4kmの地点で被爆したと認められるから,原告X21の初期放射線による被曝線量は1.4996グレイを下回る程度となる。そして,誘導放射線については,原告X21の主張を前提にしても,その誘導放射線量(積算線量)は約0.0000903グレイである。
(ウ) 原告X21の身体症状は,放射線被曝による急性症状とはいえない。
(エ) 原告X21は,原告X21の被爆後の病歴等を羅列するが,原告X21が羅列する疾病等の一つ一つが放射線被曝によって生じたことについて何ら個別に主張,立証がされていないから,原告X21の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
被爆後,原告X21に血尿が出現したと認めることはできない。仮に原告X21に血尿が生じていたとしても,放射線被曝の影響による症状であると認めることはできない。
(オ) 原告X21には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,高血圧及び脂質異常症が存在している。
(カ) 原告X21について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X21において,被告が指摘する原告X21の危険因子(加齢,高血圧及び脂質異常症)の影響を超えて,原告X21の狭心症の発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X21の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(狭心症)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢,高血圧等の虚血性心疾患の危険因子の状況を総合考慮すれば,原告X21の申請疾病(狭心症)が原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,高血圧,脂質異常症などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X21の申請疾病については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
第3章  当裁判所の判断
第1  原爆症認定における放射線起因性の判断基準
1  放射線起因性の立証の程度等
被爆者援護法10条1項,11条1項の規定によれば,原爆症認定をするためには,① 被爆者が現に医療を要する状態にあること(要医療性)のほか,② 現に医療を要する負傷若しくは疾病が原子爆弾の放射線に起因するものであるか,又は,上記負傷若しくは疾病が放射線以外の原子爆弾の傷害作用に起因するものであって,その者の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているため上記の状態にあること(放射線起因性)が必要であると解される。
そして,被爆者援護法は,給付ごとにそれぞれ支給要件を規定しているところ,健康管理手当及び介護手当の支給要件については,それぞれ「原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。」(被爆者援護法27条1項),「原子爆弾の傷害作用の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。」(被爆者援護法31条)などと,いずれも原因と結果の関係につき弱い因果関係があれば足りることが規定上明らかにされていることと対比すると,上記の放射線起因性については,放射線と負傷若しくは疾病の発症又は治癒能力の低下との間に通常の因果関係があることが要件とされていると解するのが相当である。
ところで,行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に,その拒否処分の取消訴訟において原告がすべき因果関係の立証の程度は,特別の定めがない限り,通常の民事訴訟における場合と異なるものではない。そして,訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とすると解すべきである。
そうであるところ,原爆症認定の要件としての放射線起因性については,上記の特別の定めはないから,原告において,原爆放射線に被曝したことにより,その負傷若しくは疾病又は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明する必要があり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを要すると解すべきである(最高裁平成10年(行ツ)第43号同12年7月18日第三小法廷判決・裁判集民事198号529頁参照)。
2  具体的な判断方法
放射線起因性について上記1のとおり解するとしても,人間の身体に疾病等が生じた場合に,その発症に至る過程においては,多くの要因が複合的に関連しているのが通常であり,特定の要因から当該疾病等の発症に至った機序を逐一解明することには困難が伴う。殊に,放射線が人体に影響を与える機序は,科学的にその詳細が解明されているものではなく,長年にわたる調査にもかかわらず,放射線と疾病等との関係についての知見は,統計学的,疫学的解析による有意性の確認など,限られたものにとどまっており,これらの科学的知見にも一定の限界が存する。
そこで,放射線起因性の判断に当たっては,当該疾病の発症等に至った医学的,病理学的機序を直接証明することを求めるのではなく,当該被爆者の放射線への被曝の程度と,統計学的,疫学的知見等に基づく申請疾病等と放射線被曝との関連性の有無及び程度とを中心的な考慮要素としつつ,これに当該疾病等の具体的症状やその症状の推移,その他の疾病に係る病歴(既往歴),当該疾病等に係る他の原因(危険因子)の有無及び程度等を総合的に考慮して,原爆放射線の被曝の事実が当該申請に係る疾病若しくは負傷又は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを経験則に照らして判断するのが相当である。
3  被曝線量の評価方法
(1) 検討対象
放射線起因性の判断に当たっては,当該被爆者の放射線への被曝の程度が中心的な考慮要素の一つとなる。
今日の科学的知見においては,一般に,原爆に関する被曝として,外部被曝と内部被曝がある。外部被曝には,初期放射線による被曝と残留放射線による被曝があり,残留放射線による被曝については,放射性降下物による被曝と初期放射線の中性子線によって誘導放射化された物質による被曝があると解されている。原爆症認定の審査においても,これらによる被曝の影響の有無及び程度を考慮した上で審査がされているものである(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)10頁)。
そこで,以下,これらの被曝について被曝線量や影響を検討するとともに,上記の各点に関連するものとして,遠距離被爆者及び入市被爆者に被爆後に生じた急性症状等について検討する。
(2) 初期放射線の被曝線量
ア 総説
初期放射線とは,原爆のウランあるいはプルトニウムが臨界状態に達し,原爆が爆発する直前に瞬時に放出される放射線である(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)14頁)。その主要成分は,ガンマ線と中性子線であり,線量としては,取り分けガンマ線の占める割合が高いといわれており(乙B5・4頁,335頁,乙B9・129頁),原爆から放出された放射線の90%以上はガンマ線で,残りは中性子線であるともされている(乙B64・2枚目)。
原爆症認定の審査においては,初期放射線による被曝線量評価方法に関しては,旧審査の方針の下ではDS86(Dosimetry System1986)が用いられていたが,新審査の方針の下では,DS86を更新するDS02(Dosimetry System2002)に基づく線量推定方式により線量評価が行われ,改定後の新審査の方針及び再改定後の新審査の方針においても,基本的にはこれを踏襲しているものと認められる(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)15頁)。
イ 各種知見
(ア) DS86
a 1965年(昭和40年)に米国のオークリッジ国立研究所(ORNL)の科学者によって線量評価システムであるT65D(Tentative1965Doses)が提案され,放影研による被爆者の疫学調査においては,この線量評価システムによって計算した線量が使用されていた。T65Dは,ネバダ砂漠にある米国ネバダ核実験場における長崎型原爆の爆発テスト,高い鉄塔に設置した小型原子炉あるいは強力なコバルト60源を用いた実験,日本家屋を建設して行った遮蔽実験等の結果を,広島原爆及び長崎原爆に当てはめ,放射線量を推定したものであった(乙B5・343頁,344頁,乙B6・1頁,2頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)15頁)。
しかしながら,1970年(昭和45年)代後半以降,T65Dに対してその信頼性に対する疑問が提起されるようになったことから,米国では,1981年(昭和56年)に線量再評価検討委員会,更にその結果を評価,吟味するための上級委員会が設置され,これに対応して日本側でも厚生省によって検討委員会と上級委員会が組織され,米国と共同してこの問題に当たることとなった(乙B5・343頁,乙B6・1頁,2頁,乙B7の1・2頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)15頁,16頁)。
昭和61年(1986年)に日米合同上級委員会において,新しい線量評価システムであるDS86が策定された(乙B5・343頁,乙B6・2頁,乙B7の1・3頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)16頁)。
b DS86は,広島原爆及び長崎原爆の物理学的特徴と,放出された放射線の量及びその放射線が空中をどのように移動し,建築物や人体の組織を通過した際にどのような影響を与えたかについての核物理学上の理論的モデルとに基づいて,放射線量の計算値を算出したものであり,具体的には,原爆放射線を構成するガンマ線及び中性子線の光子や粒子の1個1個の挙動や相互作用を最新の放射線物理学の理論によって忠実に再現し,最終的に全てのガンマ線と中性子線の動きを評価するものである(乙B5・332頁ないし342頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)16頁)。
DS86は,当時としては,最高の大型コンピュータを駆使した膨大な計算結果に基づいて作成されたものであり,その信頼性は高いものとされ,その線量推定方式は,後記の放影研を中心とした疫学調査や,原子力発電所及び医療用放射線の線量推定にも応用されていた(乙B8の1・ⅴ頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)16頁)。
c DS86では,放射線量を計算する前提として,広島原爆及び長崎原爆の出力について,複数の推定方式を用いた結果,広島原爆の出力は15kt(ktとは,原爆のエネルギーをTNT火薬の量で示したときの単位をいう。),誤差は±3ktの範囲に,長崎原爆の出力は21kt,誤差は±2ktの範囲に,それぞれあるとされた(乙B5・333頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)17頁)。
その上で,DS86では,① 爆弾から空気中を伝播してきた放射線量で被爆者周囲の遮蔽を介する前の被曝線量である空気中カーマ,② 被爆者の周囲の構造物による遮蔽を考慮した被曝線量である遮蔽カーマ,③ 人体組織による遮蔽も考慮した被曝線量である臓器カーマの計算モデルを統合し,被爆者の遮蔽データを入力して,初期放射線による被曝量が計算された(乙B5・334頁ないし336頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)17頁)。
d DS86は,実際の被曝試料を用いたガンマ線及び中性子線による検証がされ,それによって線量評価システムの客観性がおおむね裏付けられたものであったが,その一方で,様々な問題が指摘されていた(乙B8の1・ⅴ頁,13頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)18頁)。
すなわち,DS86の精度を評価するに当たり,まず,線量として占める割合の高いガンマ線の計算値を検証するために,熱ルミネセンス法(熱ルミネセンスとは,被曝した瓦やタイルに含まれている石英に熱を与えると光を発生する性質であり,熱ルミネセンス法とは,この光の量が被曝したガンマ線量に比例するため,この性質を利用して原爆の放射線量を見積もる測定法をいう。)による直接測定の結果(測定値)とDS86による計算結果(計算値)とを比較する方法が採られたが,広島においては,爆心地から1km以遠で測定値は計算値より大きく,近い距離においては逆に小さくなっており,長崎においてはこの関係は逆になった(乙B10・7頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)18頁,108頁)。
また,線量として占める割合が低い中性子線の計算値を検証するために,広島又は長崎で原爆の中性子によって特定の物質(元素)中に生成された放射性核種の放射線を測定し,この測定値から推定した中性子線量を,DS86の計算値と比較するという方法が採られた。硫黄が速中性子線(運動エネルギーの高い中性子線をいう。)により誘導放射化されて生ずるリン32は半減期が14.26日と短いため,DS86検討時には測定することができなかったが,原爆投下の数日後に測定したデータを再検討したところ,DS86による計算値との間には差がみられないとされた(乙B10・8頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)19頁)。しかしながら,コバルトが熱中性子線(運動エネルギーの低い中性子線をいう。)によって誘導放射化されたコバルト60については,爆心地から290mの地点においてDS86による計算値が測定値の1倍ないし1.5倍,爆心地から1180mの地点において上記計算値が測定値の3分の1倍であり(乙B10・8頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)19頁),このような比較を他の物質(元素)についても行った結果,熱中性子線によって誘導放射化された放射性核種ユーロピウム152及び塩素36由来の放射線の測定値と,これに対応するDS86による計算値との間に系統的な乖離がみられ,爆心地から近距離では計算値の方が測定値より高く,遠距離では逆に測定値の方が計算値より高くなっていた。この傾向は,DS86が策定されて以降,測定値の数が増加するとともに特に広島において顕著なものとなっており,長崎においても広島と同様の乖離を示すデータもあった(乙B10・9頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)19頁,20頁)。
(イ) DS02
a 平成12年,DS86策定後の研究の成果を踏まえてその問題を解決することを目的として日米合同実務研究班が設立され,DS86の再評価が行われることとなった(乙B8の1・2頁,13頁,14頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)20頁)。
すなわち,日米合同実務研究班では,DS86における評価方法を踏襲した上で,① 広島原爆及び長崎原爆の放射線出力及び放射線輸送の再計算を行う,② 試料を用いた既存の放射線測定値を全て再評価する,③ 新たに開発された測定方法により,ニッケル63を測定することによる速中性子の測定とそのモデル化計算を行う,④ 超低レベルバックグラウンドの測定施設でユーロピウム152の試料を再測定する,⑤ 花崗岩試料を用いた塩素36の熱中性子による放射化測定に関して,精度保証の伴った相互比較調査をする,⑥ 目印となる既知の場所を用いて,現在の新都市計画地図と1945年(昭和20年)の米国陸軍地図を合わせて爆心地を再決定する,⑦ 爆心地の補正とその他の誤差を考慮して,被曝試料の採取位置を修正する,⑧ 大きな地形の陰となったことによる遮蔽を放射線輸送計算に含める,⑨ 学校など大型の木造建造物や長崎の大きな工場の遮蔽を含め,遮蔽計算と遮蔽モデルを改良する,⑩ 被曝試料測定データを用いて出力と爆発高度の適合度解析を実施する,⑪ ガンマ線及び中性子線の両方について一致が得られるような新たな線量推定方式のパラメータ(原爆投下時の爆撃機の飛行方向,爆央,爆弾の出力及び爆発時の爆弾の傾きといった条件)を再決定する,⑫ 被爆者ごとの被曝線量の計算について誤差を解析するといったことが行われた(乙B8の1・13頁ないし16頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)20頁,21頁)。
b DS86の再評価の焦点は,当初,熱中性子による放射化の計算値と測定値の不一致の問題に関し,原爆からの放射線出力を再計算することに当てられており,DS86策定時よりも更に進歩した最新の大型コンピュータを駆使し,最新の核断面積(誘導放射化が起こる確率,すなわち,毎秒f個の粒子が単位面積当たりN個の原子核を含む物質の薄い層の標的に垂直に入射したとき,誘導放射化はσfN回起こるところ,このときの比例定数σを核断面積といい,誘導放射化の起こりやすさの指標となる。)データ等を使い,かつ,DS86策定後に可能になった手法である離散座標法(放射線が進む状況を計算で推定し,各位置における放射線量を推計する手法(乙B8の1・159頁参照))とモンテカルロ計算(ガンマ線及び中性子が物質中を動き回る様子を探るために考案された手法)等を用いるなどして,更に緻密な計算が行われ,その結果,広島原爆については以前の出力推定値よりも1kt高い出力が推定されたものの,DS86における熱中性子による放射化の計算値と測定値の不一致の問題を説明することはできず,かかる不一致が原爆からの放射線出力の計算に起因するものではないとされた(乙B8の1・16頁,17頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)21頁,108頁,109頁)。その上で,かかる不一致の原因となり得る他の要因の検討が進められ,ニッケル63による速中性子測定,超低レベルバックグラウンドでのユーロピウム152による熱中性子測定,塩素36の精度保証付き相互比較測定等を実施したところ(乙B8の1・26頁ないし37頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)21頁,22頁),広島の爆心地から1km以遠における中性子の不一致は,測定値における説明不可能なバックグラウンド値によるものであり,計算値の基本的問題によるものではなく(乙B8の1・16,17頁),広島原爆の真下における中性子の過大計算は,爆発高度が少し低く推定されていたためであるとされた(乙B8の1・17頁)。
c 上記検討と併せて,広島及び長崎両市におけるガンマ線量測定値の再評価も行われ,各測定値の検証,バックグラウンドや熱ルミネセンス法による測定自体の誤差等が検討されたが,現行の熱ルミネセンス法による測定値のうち,爆心地から約1.5km以遠の測定値については,原爆によるガンマ線量がバックグラウンド線量と同量となることから,バックグラウンド線量の誤差が測定線量に大きく影響を与えるため,その測定値をもって正確なガンマ線量を評価することが不可能であるとされた(乙B8の1・402頁,403頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)25頁)。
d このような再評価の過程で,更に新しい線量評価システムであるDS02が策定されるに至り(乙B8の1・46頁),科学的緻密性及び厳密性の見地からは,DS02がDS86に勝るものとされ,その結果,DS02は,平成15年3月以降放影研が実施する被爆者生存者追跡調査で用いる新たな線量推定方式として承認された(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)26頁)。
ウ 検討
(ア) DS86は,広島原爆及び長崎原爆の物理学的特徴と核物理学上の理論的モデルに基づき放射線量の計算値を算出したものであり,当時としては,最高の大型コンピュータを駆使した膨大な計算結果に基づき作成されたものであるところ,DS02は,このようなDS86における評価方法を踏襲した上で,更に進歩した最新の大型コンピュータを駆使し,最新のデータやDS86の策定後に可能となった最新の計算方法を用いるなどして,DS86よりも高い精度で被曝線量の評価を可能にしたものであり,一方で,DS02の計算過程に疑問を抱かせる事情や,より高次の合理性を備えた線量評価システムが他に存在することを認めるに足りる証拠はない。
そうすると,DS02は,被爆者の初期放射線による被曝線量を高い精度で算定することが可能な相当程度の科学的合理性を有するものであるということができる。
(イ)a もっとも,DS02は,コンピュータによるシミュレーション計算の結果を基礎として策定されたものである以上,それに基づく被曝線量の計算値(推定値)は,飽くまでも近似的なものにとどまらざるを得ないものと認められる。
確かに,DS02以前においては,米国ネバダ核実験場における長崎型原爆の爆発テスト,高い鉄塔に設置した小型原子炉あるいは強力なコバルト60源を用いた実験,日本家屋を建設して行った遮蔽実験等が行われている。しかしながら,このような実験において,距離以外の初期放射線の減衰要因の計測時の状況は,当時の広島及び長崎におけるそれと同一とはいえないという問題があり,例えば,地形の変化に乏しい乾燥したネバダ砂漠と違って,広島でも長崎でも水分量の分布の変化は激しいとの指摘があるところである(甲A7・108頁)。また,広島原爆については,広島原爆と同じ砲身式のウラン爆弾の爆発実験は行われておらず,広島原爆のレプリカと呼ばれる模擬原子炉の実験装置を用いた実験が行われたのみであり,現実の原爆の爆発で起こった即発放射線の火薬部分による中性子の吸収及び散乱と,模擬原子炉での吸収及び散乱とでは異なる可能性がある(甲A7・107頁)。
b 初期放射線のうちガンマ線については,DS86では,広島においては,爆心地から1km以遠で測定値は計算値より大きく,近い距離においては逆に小さくなっているとされている。この点については,DS02でも,広島及び長崎両市において,爆心地から約1.5km以遠の測定値については,原爆によるガンマ線量がバックグラウンド線量と同量となることから,バックグラウンド線量の誤差が測定線量に大きく影響を与えるため,その測定値をもって正確なガンマ線量を評価することが不可能であるとされている。同様のことは,全体の線量としてはさほど多いものとは認められないものの,広島の爆心地から1km以遠における中性子についてもいえるのであって,これらに照らすと,遠距離における過小評価の可能性は,DS02による検証を経てもなお完全には否定することができないというべきである。
この点については,DS02自体も,被爆者線量の誤差が広島及び長崎の両市とも30%程度であるが,合計線量の27%ないし45%の範囲であるとしており(乙B8の1・45頁),一定の誤差が生じていることを認めているものである。
(ウ) 以上によれば,DS02においても,特に爆心地から約1.5km以遠において初期放射線の被曝線量を過小評価している可能性を完全には否定することができない。もっとも,爆心地から遠距離における初期放射線の被曝線量の測定値と計算値との相違については,線量が小さくバックグラウンドとの区別が困難であることなどの測定値の不確実性等によるものと考えられ,過小評価の可能性があるとしても,その絶対値はそれほど大きなものであるとは考え難いから,これを過大視することはできないというべきである。
(エ) 以上を総合すれば,DS02は相当の科学的合理性を有し,これによって初期放射線の被曝線量を推定することには一定の合理性があるが,その適用については,上記の観点から一定の限界が存することにも留意する必要があるというべきである。
(3) 放射性降下物による放射線の被曝線量
ア 総説
放射性降下物による放射線とは,原爆の核分裂によって生成された放射性物質(放射性降下物。「フォールアウト」ともいう。)から発せられる放射線である(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)27頁)。
核分裂により生ずる放射性物質は,質量数90及び140付近の物質で約200種以上に及ぶが,核分裂によって生成される放射性物質の大部分は短寿命核種であるため,その放射能は急速に減衰し,放射線量も急速に減衰する(乙B5・352頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)27頁)。
旧審査の方針では,この放射性降下物の線量は,DS86を基にしていたところ,新審査の方針策定後の審査においては,従前の科学的知見に加え,DS86策定後に現れた最新の科学的知見をも踏まえ,その線量評価が行われることとなった(乙A6・2頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)27頁,28頁)。
イ 各種知見
(ア) 放射性降下物の測定調査
広島及び長崎においては,次のとおり,広島原爆及び長崎原爆の投下直後から複数の測定者が放射線量の測定調査をしており,広島では己斐高須地区,長崎では西山地区で放射線の影響が比較的顕著にみられるとの調査結果が得られたとし,原爆の爆発後,己斐高須地区及び西山地区において激しい降雨があり,これによって放射性降下物が降下したものであることが確認された。
a 仁科芳雄の調査
理化学研究所の仁科芳雄は,昭和20年8月8日,陸軍調査団と共に広島市に入り,同月9日,爆心から5km以内の28箇所の地点において土壌試料を収集した。同試料は,理化学研究所において分析され,銅線から放射能が検出されたことから,広島に原爆が投下されたことが確認された(乙B11・157頁)。
b 浅田常三郎らの調査
大阪帝国大学教授の浅田常三郎らは,昭和20年8月10日,広島において原爆の調査に着手した。浅田常三郎らは,同月11日,広島市内数箇所から砂を採取し,ガイガーミュラー計数管を使用して放射能を測定したところ,己斐駅付近及び爆心地付近(護国神社,西練兵場入口)において比較的放射能が高いことを確かめた。具体的には,自然計数が毎分27であるのに対し,己斐駅付近のある地点では毎分90,己斐駅付近の別の地点では,自然計数より稍少,護国神社では毎分120,西練兵場入口では毎分90であった(乙B11・157頁,乙B13・1頁ないし4頁,乙B66・12頁)。
c 荒勝文策らの調査
京都帝国大学教授の荒勝文策らは,昭和20年8月10日,広島において原爆の調査に着手した。荒勝文策らは,同月13日及び同月14日には,広島市の内外約100箇所において数百の試料を採集し,ガイガーミュラー計数管を使用して放射能を測定したところ,己斐駅に近い旭橋付近で採集された試料に比較的強い放射能を認めた。具体的には,自然計数が毎分18程度であるのに対し,旭橋東詰では,毎分106であった(乙B11・157頁,乙B12・5頁,6頁,9頁,乙B66・13頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)29頁)。
d 山崎文男らの調査
理化学研究所の山崎文男らは,昭和20年9月3日及び同月4日の二日にわたり,広島市内外に残留するガンマ線の強度を,ローリッツェン検電器を用いて測定した。その結果は,爆央付近に極大値をもつバックグラウンドのおよそ2倍程度のガンマ線が残留することを認めたほか,己斐から草津に至る山陽道国道上において,古江東部に極大を持つ上記爆央付近で見たと同程度のガンマ線の存在を確認したというものであった(乙B14・25頁)。
e マンハッタン管区原子爆弾調査団の調査
米国のマンハッタン管区原子爆弾調査団は,昭和20年9月20日から同年10月6日までの間,長崎に,同月3日から同月7日までの間,広島に派遣され,原子爆弾の影響を調査し,1946年(昭和21年),調査結果を「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」としてまとめた(甲A602・3頁,4頁)。「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」は,長崎の西山地区では1時間当たり1.8ミリレントゲンが観測され(甲A602・4頁),爆心地の西側の三重や野母半島でもそれぞれ1時間当たり0.014ミリレントゲン,1時間当たり0.013ミリレントゲンが観測されたとしている(甲A602・8頁)。
f チボートらの調査
チボートらは,マンハッタン技術部隊が昭和20年9月21日から同年10月4日までに長崎において行った調査に基づいて,西山地区における原爆の爆発1時間後から無限時間を想定した地上1mの地点での積算線量を算定し,これを29レントゲン又は24レントゲンないし43レントゲンと報告した(乙B15・215頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)30頁)。
また,チボートらは,マンハッタン技術部隊が同月3日から同月7日までに広島において行った調査に基づいて,己斐高須地区における原爆の爆発1時間後から無限時間を想定した地上1mの地点での積算線量を算定し,これを1.2レントゲンと報告した(乙B15・217頁,218頁・弁論の全趣旨・被告準備書面(2)31頁)。
g 藤原らの調査
藤原らは,昭和20年9月,広島において,ローリッツェン検電器を用いた放射線量の測定を行い,己斐高須地区における原爆の爆発1時間後から無限時間を想定した地上1mの地点での積算線量を算定し,これを1レントゲンと報告した(乙B15・217頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)30頁,31頁)。
h 日米合同調査団の調査
日米合同調査団は,昭和20年10月3日から同月7日までの間,広島の100箇所及び長崎の900箇所においてガイガーミュラー計数管を使用して調査を行い,両爆心地と風下に当たる広島の高須地区,長崎の西山地区で放射能が高いことを確認した(乙B11・157頁)。
i ペイスらの調査
ペイスらは,米国のNaval Medical Research Institute(NMRI。以下「NMRI」という。)が昭和20年10月15日から同月27日にかけて長崎において行った調査に基づいて,西山地区における原爆の爆発1時間後から無限時間を想定した地上1mの地点での積算線量を最大で42レントゲンと報告した(乙B15・215頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)30頁)。
また,ペイスらは,NMRIが同年11月1日及び同月2日に広島において行った調査に基づいて,己斐高須地区における原爆の爆発1時間後から無限時間を想定した地上1mの地点での積算線量を0.6レントゲンないし1.6レントゲンと報告した(乙B15・217頁,218頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)31頁)。
j 宮崎らの調査
宮崎らは,昭和21年1月27日から同年2月7日にかけて広島においてNeher宇宙線チャンバーを用いた測定を行い,己斐高須地区における原爆の爆発1時間後から無限時間を想定した地上1mの地点での積算線量を3レントゲンと報告した(乙B15・217頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)31頁)。
k ミラーの調査
ミラーは,昭和57年,核実験による放射性降下物の影響が大きくなる以前の昭和31年に採取されたセシウム137の測定データに基づいて,長崎の西山地区における原爆の爆発1時間後から無限時間を想定した地上1mの地点での積算線量を40レントゲンと報告した(乙B15・216頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)31頁,32頁)。
(イ) エドワード・荒川「広島及び長崎被爆生存者に関する放射線量測定」
昭和35年発表のABCCのエドワード・荒川の「広島及び長崎被爆生存者に関する放射線量測定」(以下「エドワード・荒川報告」という。)は,① 原爆の一次放射線を除けば,広島及び長崎の被爆生存者が有意線量を受けたという証左はほとんどなく,中性子に誘発された放射能は存在したが,これは恐らく被爆者が受けた総線量にほとんど寄与しなかったものと思われる,② 1954年(昭和29年)のビキニ核実験でマーシャル群島住民及び日本漁船の第五福龍丸が受けた種類及び程度の降下物の局地的落下は広島及び長崎にはなかった,③ 広島及び長崎における放射性降下物が少量であったのは,二つの因子によるものであり,一つは,投下された原爆がキロトン級のもので,そのエネルギーはビキニ核実験のメガトン級の約1000分の1であったこと,もう一つは,ビキニ核実験における局地的にみられた降下物は主として大気に吸い込まれた土及び破壊物であり,それらが中性子によって放射能を持ち,その大きな粒が降下物の形で大地に再び落下したが,広島及び長崎の場合,空中で爆発したので火球は大地に接触しなかったことから,上述のような事実はほとんど惹起しなかったことであるとしている(乙B18・6頁,7頁)。
(ウ) 岡島俊三らの調査
長崎大学医学部原爆後障害医療研究施設の岡島俊三らは,昭和44年から昭和46年までの間,原爆による放射性降下物が長崎の西山地区の住民に及ぼした細胞遺伝学的影響について3次にわたる染色体調査を実施したところ,染色体数の分布に関しては,西山地区の住民の群と他の群に余り差がなかったが,染色分体及び不安定型染色体異常は西山地区の住民の群に高い傾向がみられ,安定型染色体異常は,直接被爆者の群に最も高く,次いで西山地区の住民の群がやや高い傾向を示した。岡島俊三らは,この差は統計的に有意を示すまでには至らなかったとしながらも,体内あるいは尿中のセシウム137に関する測定値と平行した結果を示しており,放射性降下物による原爆直後の影響と共に長期微量放射能の影響を示唆しているように思われるとしている(乙B177・232頁,233頁,236頁)。
(エ) 「予研―ABCC寿命調査,広島・長崎 第5報 1950年10月-1966年9月の死亡率と線量との関係」
厚生省国立予防衛生研究所(予研)とABCCは,昭和25年から昭和41年までの寿命調査(LSS)対象者10万人中における死亡者1万5285人を調査し(なお,寿命調査(LSS)については,後記第2の1参照),「予研―ABCC寿命調査,広島・長崎 第5報 1950年10月-1966年9月の死亡率と線量との関係」(以下「LSS第5報」という。)としてまとめ(乙B99・1頁),昭和45年に発表した。
LSS第5報は,① 原爆投下時市内にいなかったが,原爆投下後30日以内に入市したと報告した者を早期入市者,これ以後に入市した者を後期入市者とし(乙B99・63頁),全死因について早期及び後期入市の別,また,原爆投下時に市内にいたか,いなかったかの別によって検討を加えると,早期入市者における死亡が相対的に少ないようである(乙B99・65頁),② 長崎では差はないが,広島においては早期入市者と後期入市者とのがん死亡率に差があり,早期入市者の方が死亡率が低いとしている(乙B99・69頁)。
(オ) 「原爆被爆者の死亡率調査 7. 1950-78年の死亡率;第2部.癌以外の死因による死亡率及び早期入市者の死亡率」
放影研は,昭和25年から昭和53年までの寿命調査(LSS)対象者の死亡率を調査し,「原爆被爆者の死亡率調査 7. 1950-78年の死亡率;第2部.癌以外の死因による死亡率及び早期入市者の死亡率」(以下「LSS第7報第2部」という。)としてまとめ(乙B100・193頁),昭和57年に発表した。
LSS第7報第2部は,① 全死因による死亡率について,早期入市者と後期入市者の間に有意差はない,② 早期入市者の白血病及びその他のがんの増加は認められなかった(乙B100・203頁),③ この調査対象中の早期入市者には,白血病又はその他の悪性腫瘍による死亡の増加は認められないとしている(乙B100・193頁)。
(カ) 「寿命調査第9報 第2部 原爆被爆者における癌以外の死因による死亡率,1950-78年」
放影研は,昭和50年から昭和53年までの4年間の寿命調査(LSS)対象者中の死亡者数を調べ,昭和25年からの28年間の死亡率を算定し,がん以外の死因による死亡率も増加しているかどうか,あるいは,放射線による非特異的な加齢促進が起こるかどうかを調べ,「寿命調査第9報 第2部 原爆被爆者における癌以外の死因による死亡率,1950-78年」(以下「LSS第9報第2部」という。)としてまとめ(乙B208・1頁),昭和57年に発表した。
LSS第9報第2部は,① 全死因による死亡率について,早期入市者と後期入市者との間に有意差はない,② 早期入市者の白血病は,被爆群に白血病が多く現れた昭和25年から昭和33年までには現れず,後になって現れたとしている(乙B208・19頁)。
(キ) 国連環境計画(UNEP)「放射線 その線量,影響,リスク」
昭和63年発表の国連環境計画(UNEP)の「放射線 その線量,影響,リスク」(以下「UNEP報告」という。)は,① 大気圏の核実験により生じた放射性物質(破片)の一部は,爆発地点に近いところに降下し,一部は大気圏の低い層,すなわち,対流圏にとどまり,風と共に地球の同緯度を移動し,その間に少しずつ大地に降下する,② 対流圏には,平均して約1箇月間とどまっているが,大部分のものは大気圏の2番目の層である成層圏(約10kmから約50km)に打ち上げられ,そこに何箇月もとどまり,徐々に地上に降下してくるとしている(乙B21・32頁)。
(ク) 「原爆線量再評価 広島および長崎における原子爆弾放射線の日米共同再評価」第6章
平成元年発表の「原爆線量再評価 広島および長崎における原子爆弾放射線の日米共同再評価」(以下「DS86報告書」という。)第6章は,前記(ア)の放射性降下物の測定調査を総括し,① 放射性降下物による累積的被曝の推定の大部分はよく一致しており,放射性降下物の累積的被曝への寄与は,広島の己斐高須地区では,恐らく1レントゲンないし3レントゲンの範囲であり,長崎の西山地区では,恐らく20レントゲンないし40レントゲンの範囲である(乙B15・218頁),② 組織吸収線量に換算すると,広島については0.6ラドないし2ラド(0.006グレイないし0.02グレイ),長崎については,12ラドないし24ラド(0.12グレイないし0.24グレイ)になるとしている(乙B15・228頁)。
また,放射性降下物の線量評価は,Xt=X1・t-1.2(Xtは測定被曝率,X1は原爆の爆発後1時間目における計算被曝率であり,tは1時間単位の爆発後の時間である。)の式で計算され,べき指数が-1.2とされた(乙B15・213頁)。
もっとも,DS86報告書第6章は,① 緊迫した状況であったことや,計器及び訓練された人員が不足していたことにより,関心のある地域についてのグリッド測定ができていなかったので,放射性降下物地域のデータがどれくらい代表的であるかは不明である,② 原爆の爆発後の3箇月間には広島で900mm,長崎で1200mmの大量の降雨があり,さらに,両市とも昭和20年9月17日に台風に遭い,広島は同年10月9日に2回目の台風に遭ったものであり,放射性降下物が測定の行われる前に風雨の影響により散乱されたかもしれない,③ 一般的に,降雨は地表の物質を斜面から低地帯又は排水装置へ洗い落とす傾向があるが,平坦な地域では放射性降下物を保持するかもしれない,④ 試料採取場所についての詳細な知識なしには風雨の影響を評価するのは不可能であり,それゆえ,測定データは風雨の影響に対する補正なしに使用されたとしている(乙B15・213頁,214頁)。
(ケ) 本田武夫ら「長崎市西山地区住民の染色体調査(第2報)」
放影研の本田武夫らは,原爆の放射性降下物による残留放射線被曝の人体に及ぼす影響が四十数年後にも染色体異常頻度を指標として検出可能であるか等を目的とした研究を行い,「長崎市西山地区住民の染色体調査(第2報)」(以下「本田武夫ら報告」という。)としてまとめ(乙B205・607頁),平成2年に発表した。
本田武夫ら報告は,長崎の西山地区住民30人のうち,原爆被災時の行動が判明している6人について,物理的な方法と細胞遺伝学的な方法により被曝線量の再検討を試みたところ,上記30人の原爆の放射性降下物による被曝線量を物理的方法では平均7.35ラド(0.0735グレイ),細胞遺伝学的方法では平均6.25ラド(0.0625グレイ)と推算したとしている(乙B205・610頁)。
(コ) 「黒い雨に関する専門家会議報告書」
広島県及び広島市が設置した黒い雨に関する専門家会議は,広島の残留放射能による被曝が住民の健康に影響を与える量であったかどうか,また,黒い雨の降雨地域が正しく判定されているかなどを検討し,「黒い雨に関する専門家会議報告書」としてまとめ(乙B97・「はじめに」,2頁),平成3年に発表した。
「黒い雨に関する専門家会議報告書」は,黒い雨に含まれる低線量放射線の人体への影響について,赤血球のMN血液型決定抗原であるグリコフォリンA蛋白遺伝子に生じた突然変異頻度及び末梢血リンパ球に誘発された染色体異常頻度の検討を行ったところ,グリコフォンA蛋白遺伝子に関しては,広島市己斐町,同市古田町,同市庚午町,広島県安佐郡祇園町などの降雨地域に当時在住し黒い雨にさらされた40人(男性20人及び女性20人)と広島市宇品町,同市翠町,同市皆実町,同市東雲町,同市出汐町,同市旭町などの対照地域に当時在住し黒い雨にさらされていない53人(男性21人及び女性32人)について調査した結果,降雨地域に統計的に有意な体細胞突然変異細胞の増加を認めず,染色体異常に関しても,同様に降雨地域の60人(男性29人及び女性31人)と対照地域の132人(男性65人及び女性67人)について検討したが,どの異常型においても統計的有意差は証明されなかったとしている(乙B97・7頁)。
(サ) 藤間清ら「広島原爆の早期調査での土壌サンプル中のセシウム137濃度と放射性降下物の累積線量評価」
広島大学工学部の藤間清らは,広島原爆の投下3日後に爆心地から5km以内で収集された土壌サンプル(仁科芳雄の調査で収集された試料)中のセシウム137濃度を測定し,放射性降下物が地表から1cmに分布したと仮定して,単位重さ当たりの放射能を面積当たりのセシウム沈着に換算することにより放射性降下物による累積被曝を評価し,「広島原爆の早期調査での土壌サンプル中のセシウム137濃度と放射性降下物の累積線量評価」(以下「藤間清ら報告」という。)としてまとめ(乙B16の1,乙B16の2・1頁,3頁,4頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)32頁,33頁),平成8年に発表した。
藤間清ら報告は,得られた放射性降下物による累積被曝は,強い放射性降下物地域を除く爆心地から5km以内では,1kg当たり0.31ミリキューリー(0.12±0.02レントゲン),広島の己斐高須地区の強い放射性降下物地域では1kg当たり1.0ミリキューリー(4レントゲン)であるとしている(乙B16の1,乙B16の2・4頁)。
(シ) UNSCEAR2000年報告書
UNSCEAR2000年報告書は,大気圏内核実験に伴う被曝は実験が行われた地点に限定されることなく,世界的に広がっており,現在でも世界中に核実験によるバックグラウンドが検出されるとしている(乙B20,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)37頁,39頁)。
(ス) 藤間清「「黒い雨」にともなう積算線量」
平成17年発表の広島大学大学院工学研究科の藤間清の「「黒い雨」にともなう積算線量」(以下「藤間清報告」という。)は,① 広島の高須地区の家屋の壁に残っていた黒い雨の痕跡に含まれているセシウム137の濃度を測定したところ,藤間清ら報告の積算線量の前提となった土壌サンプル(己斐橋付近のもの)中のセシウム137の濃度とほぼ一致している,② その濃度は,核実験フォールアウトのセシウム137の濃度の8分の1であった,③ セシウム137の測定データからの集積線量の推定値も基本的には線量率からの推定値と一致すべき値であり,長崎の場合,DS86報告書のセシウム137の測定データからの集積線量の推定値は線量率からの推定値とよく一致している,④ 広島の場合にはセシウム137の測定データからの集積線量の推定値がこれまで報告されていなかったが,この報告でそのデータを得ることができ,その値は3.7レントゲンとなり,線量率からの推定値よりやや高いがほぼ一致している,⑤ 己斐高須地区以外の広島市内のフォールアウトの線量は平均約0.10レントゲンと推定され,この値は爆心付近の集積線量の約100分の1であり,爆心から約2km付近における誘導放射線による集積線量に相当するとしている(乙B11・159頁ないし162頁)。
(セ) 放影研「原爆被爆者の長期健康影響調査に関する「Q&A」」
平成18年発表の放影研の「原爆被爆者の長期健康影響調査に関する「Q&A」」は,放射性降下物について,① 広島原爆及び長崎原爆は地上500mないし600mの高度で爆発し,巨大な火球となり,上昇気流によって上空に押し上げられた,② 爆弾の中にあった核物質の約10%が核分裂を起こし,残りの90%は火球と一緒に大気圏へ上昇したと考えられ,その後,火球は冷却され,放射線物質の一部がすすと共に黒い雨となって広島や長崎に降ったが,残りのウランやプルトニウムのほとんどは恐らく大気圏に広く拡散したと思われる,③ 当時,風があったので,雨は爆心地ではなく,広島では北西部(己斐高須地区),長崎では東部(西山地区)に多く降った,④ プルトニウム汚染については,原爆後早期に長崎で行われた測定があるが,ウラン又はプルトニウムが核分裂して生じる放射線原子の中で,フォールアウトによる線量への寄与が最も大きい原子(セシウム137)からの放射能レベルよりもはるかに低いレベルであった,⑤ 広島におけるウランの測定については,放射能レベルが低いため,測定値の解釈は困難であるとしている(乙B19・4頁目,5頁目)。
(ソ) 近藤久義ら「長崎市入市被爆者の死亡率と入市日の関連」
長崎大学大学院医歯薬学総合研究科原爆後障害医療研究施設の近藤久義らは,長崎市被爆者健康手帳保持者の中の入市被爆者について,残留放射線の被曝線量が高いと思われる早期入市被爆者とそれ以外の入市被爆者の死亡率を比較し,「長崎市入市被爆者の死亡率と入市日の関連」(以下「近藤久義ら第1報告」という。)としてまとめ(甲A614の15・198頁),平成22年に発表した。
近藤久義ら第1報告は,原爆の爆発時に長崎市内にいなかったが,昭和20年8月9日から同月23日までの間に長崎市内の爆心地付近(爆心地からおおむね2km以内に区分される町域)に入った入市被爆者で,昭和45年に生存し長崎市内に在住していた男性7980人及び女性7230人(入市時の平均年齢は男性24.1歳,女性23.3歳)を対象に,死亡を観察したところ(甲A614の15・198頁),長崎の爆心地付近に同月9日又は同月10日に入った早期入市者は,同月11日以降の入市者に比べて,全死因と脳血管疾患,心疾患の死亡率が高く,残留放射線被曝による後障害の可能性が示唆されたとしている(甲A614の15・201頁)。
(タ) 秋月辰一郎「死の同心円」
平成22年発表の長崎で被爆した医師の秋月辰一郎の「死の同心円」(以下「秋月辰一郎著書」という。)は,① 昭和20年9月17日の枕崎台風の豪雨が去った朝,秋月辰一郎や他の被爆者が一様にすがすがしい気持ちを味わった,② これは同月2日の豪雨の後に経験したものと同じものであり,更にそれ以上のさわやかさであった,③ この台風を境にして,急に病院付近の死亡者数が減少した,④ 秋月辰一郎や職員らの悪心や嘔吐,血便も回復し,頭髪も抜けなくなったとしている(甲A602の2の16・174頁,175頁)。
(チ) 平井裕子ら「歯エナメル質の電子スピン共鳴法による解析は大部分の遠距離被爆者が多量の放射線に被曝したことを示唆しない」
放影研の平井裕子らは,残留放射線からの線量が現行のがんリスク推定値や線量反応関係が無効になるほど大きい可能性があるという提言があることを受けて(乙B200の1,乙B200の2・1頁),歯エナメル質に含まれるCO2-ラジカルを電子スピン共鳴法(ESR)により測定することで,遠距離被爆者(爆心地から約3km以遠の者)の大半が大量に被曝したかどうかを検証する目的で調査を行い,その結果を「歯エナメル質の電子スピン共鳴法による解析は大部分の遠距離被爆者が多量の放射線に被曝したことを示唆しない」(以下「平井裕子ら報告」という。)としてまとめ(乙B200の1,乙B200の2・2頁),平成23年に発表した。
平井裕子ら報告は,① 広島で爆心地から約3km以上離れた場所で被爆し,DS02による推定線量(直接被曝線量)が5ミリグレイ(0.005グレイ)未満である49人の被爆者から提供された56本の大臼歯について,電子スピン共鳴法(ESR)による歯のエナメル質のCO2-ラジカルの測定を行った結果,推定線量値は-200ミリグレイ(-0.2グレイ)から500ミリグレイ(0.5グレイ)にわたり,中央値は,頬側試料では17ミリグレイ(0.017グレイ),舌側試料では13ミリグレイ(0.013グレイ)であった,② 以上の結果は,遠距離被爆者の大多数が浸透力の大きい残留放射線によって大きな線量(例えば1グレイ)を受けたという主張を支持しなかったとしている(乙B201)。
なお,平井裕子ら報告では,17歳から23歳までの非被爆者(一般人)から寄付された20個の親知らず(永久歯になってからおおむね10年程度)に放射線を照射して,その歯から得られた電子スピン共鳴信号をグラフにして,被曝線量と電子スピン共鳴信号の換算グラフを作成する手法が採られている。また,電子スピン共鳴信号は他の放射線(レントゲンなどの医療被曝)や紫外線などでもその量が増加することが知られており,そのような状況から,一般人と比較して電子スピン共鳴信号が低く出た被爆者については,-の被曝線量が結果として表示されることになるものである(弁論の全趣旨・被告準備書面(21)31頁)。
(ツ) 近藤久義ら「長崎市遠距離被爆者の死亡率と残留放射線との関連」
長崎大学大学院医歯薬学総合研究科原爆後障害医療研究施設の近藤久義らは,長崎市被爆者健康手帳保持者の中の遠距離被爆者について,残留放射線に被曝したと思われる群と残留放射線に被曝していない群の死亡率を比較し,「長崎市遠距離被爆者の死亡率と残留放射線との関連」(以下「近藤久義ら第2報告」)としてまとめ(乙B234・268頁),平成24年に発表した。
近藤久義ら第2報告は,① 長崎の爆心地から3km以遠で被爆後,残留放射線への被曝が考えられる昭和20年8月10日までに爆心地付近に立ち入った遠距離被爆者において,残留放射線被曝によると考えられる死亡率の増大は観察されなかった(乙B234・270頁),② この研究では,残留放射線による被曝線量が高いと考えられる早い時期に爆心地付近に立ち入った遠距離被爆者と立ち入らなかった遠距離被爆者の死亡率に差は認められず,近藤久義ら第1報告とは異なる結果が得られた,③ その理由については現時点では不明であるが,低線量の放射線を事前に照射すると,その後の放射線被曝による生物障害が軽減される現象(適応応答)が知られており,遠距離被爆者の残留放射線被曝群で死亡率の増大が観察されなかった理由の一つである可能性が考えられる,④ この研究においても,交絡因子の影響を除外することができず,今回得られた知見のみから,遠距離被爆者における残留放射線被曝による後障害を論じることはできないとしている(乙B234・269頁)。
(テ) 冨田哲治ら「リスク地図に基づく広島原爆被爆者の癌死亡の地理的分布の円非対称性の調査:空間的生存データの分析」
広島大学の冨田哲治らは,広島大学原子爆弾放射線医科学研究所に登録された原爆被爆者のデータベースを用いて,場所により評価したリスクに基づく地図を作成し,「リスク地図に基づく広島原爆被爆者の癌死亡の地理的分布の円非対称性の調査:空間的生存データの分析」(以下「冨田哲治ら第1報告」という)としてまとめ(甲A650の2の1,甲A650の2の2・2頁,弁論の全趣旨・原告ら最終準備書面81頁),平成24年に発表した。
冨田哲治ら第1報告は,① 爆心地から2kmの距離の危険率に焦点を当てると,最高と最小の相対リスクは1.6であり,このことは,直接被爆以外の原因による約0.6の過剰相対リスク(ERR)を示唆する,② この値は,もし,この付加的なリスクが直接被爆に含まれない外部被曝により生ずるとすれば相当大きな線量(1グレイ以上)となる,③ このことは,例えば,環境サンプルによる事後的な熱ルミネセンス法による実験で証明された直接被曝線量ではなさそうであり,追加的な慢性持続的被曝と内部被曝による個人的多様性が大きな影響を与えた可能性があり得る,④ 社会経済的地位,生活スタイル及び環境要因により,観察された非対称性を部分的に説明することができる,⑤ 利用することのできるデータが限られていることから,これらの要因を調査することは困難であるとしている(甲A650の2の2・4頁)。
(ト) 冨田哲治ら「広島原爆被爆者における死亡危険度地図の推定範囲拡大の試み」
県立広島大学経営情報学部の冨田哲治らは,広島原爆被爆者コホートデータベースの整備に伴い,新たに被爆時所在地の座標化が行われたコホートデータを用いて,固形がん死亡危険度地図の推定範囲の拡大を行い,また,固形がん死亡の年齢依存性について三相多段階発がん数理モデルを用いて定式化し,年齢依存性を考慮した死亡危険度地図の推定を試み,「広島原爆被爆者における死亡危険度地図の推定範囲拡大の試み」(以下「冨田哲治ら第2報告」という。)としてまとめ(乙B242・222頁),平成26年に発表した。
冨田哲治ら第2報告は,① 爆心地から離れるにつれて死亡危険度は減少しているが,西地域は減少が緩やかであり,他の方角に比べて死亡危険度が高い傾向にあった,② 爆心地から南の海岸線付近の死亡危険度が高い傾向にあった,③ 爆心地から西の地域に死亡危険度が高いことは,黒い雨等による放射線降下物による間接被爆の影響であると考えられる,④ 爆心地から南の海岸線地域の死亡危険度が高いことについては,その理由に関して更に議論を積み重ねる必要があるとしている(乙B242・224頁,225頁)。
(ナ) C2の意見
立命館大学国際関係学部教授のC2は,① 広島原爆の爆発により1核分裂破片当たり平均4種類ほどの核種が生成し,結果として,亜鉛30からテルビウム65に至る36種類の元素,約300種類の放射性核種が生み出され,これらの元素は様々な核特性を持ち,単体としての,あるいは,化合物としての物理的,化学的性質は一様ではない(甲A303・7頁),② 核分裂によって生み出された放射性原子核はプラズマ状態(周囲の電子を剥ぎ取られた裸の原子核の状態をいう。)で大気中に放出されたが,温度の低下に従って大気中の酸素原子などと結合し,例えばセシウム137が過酸化セシウムとなるように,様々な化合物に変化していった,③ それらの放射性核物質は火球と共に上昇するが,熱線と爆風の作用によって作り出された火事嵐も強い上昇気流を発生させ,大量の煤煙(不完全燃焼によって生じるすすなどの大気汚染物質)を爆心地周辺の上空一帯に充満させた,④ 核爆発によって発生した多種多様な放射性化合物は,大気中の水分子を付着させて細かい水滴になったり,すすに付着したりして空気中を漂い,原子雲(キノコ雲)の流動及び拡散に応じて複雑な挙動を示した,⑤ これらの放射性粒子は,条件次第では黒い雨などの降水となって地上に降り,土や構造物の表面の放射能汚染をもたらした,⑥ 粒子の大きさが微細な場合には沈降速度は極めて遅く,地表面に達するには何日も何週間も掛かる場合もあり,その間に風に運ばれて爆心から遠く離れた地域に運ばれていった,⑦ これらの放射性核種は大気中を漂いながらもベータ線やガンマ線を放射し,高さに応じて通過地域にいる者に大小の放射線被曝を与えた(甲A303・8頁),⑧ ベータ線は透過力がガンマ線に比して小さいため,放射性物質が対外にある場合には被曝線量評価の上で軽視されがちであるが,ベータ放射体が体表面の近傍に存在する場合やベータ放射体が一面を覆っている地面に被爆者が横たわっている場合などではベータ線による被曝は無視することのできないレベルに達し得る(甲A303・9頁),⑨ 広島原爆の爆発に伴って原子核分裂反応を起こしたウラン235は約1kgと僅かであり,残りの約50kgのウランは未分裂のまま周囲に放出された,⑩ ウラン原子核から放出されるアルファ線の飛ぶ距離は空気中でも数センチメートルにすぎないため,対外にウランが存在している場合,アルファ線の外部被曝が問題となることはないが,アルファ放射体が呼吸器系,消化器系,皮膚などを通じて体内に侵入した場合には,細胞レベルでの被曝が問題となり得るとしている(甲A303・10頁)。
(ニ) C3の意見
名古屋大学名誉教授のC3は,① 原爆が投下されたとき,広島及び長崎上空では,100万分の1秒間という極めて短時間にウラン235及びプルトニウム239の原子核が次々と核分裂を起こす連鎖反応が数十段階も繰り返され,広島では約800gのウラン235の原子核が,長崎では約1kgのプルトニウム239の原子核が核分裂した,② ウラン235及びプルトニウム239の核分裂の連鎖反応により作られた大量のガンマ線と中性子線が,爆弾容器を貫いて大気中に放出された(甲A271・5頁,6頁),③ 放出されたガンマ線の大部分を吸収した周辺の大気は,数百万度,数十万気圧という超高温,超高圧のプラズマ状態の火球を作り出した,④ 火球の内部には,ウラン235及びプルトニウム239の核分裂によって作られた核分裂生成物の原子核が3兆の1兆倍個あるいは5兆の1兆倍個,核分裂しなかったウラン235の原子核が150兆の1兆倍個,核分裂しなかったプルトニウム239の原子核が20兆の1兆倍個,中性子を吸収して誘導放射化された原爆機材及び容器の原子核が2兆ないし5兆の1兆倍個作られたと推定される,⑤ 火球の膨張によって,火球表面にショックフロントと呼ばれる大気の超高圧の層が形成され,ショックフロントの高圧層の伝搬速度が火球の膨張速度を超えると,火球から離れて強い衝撃波となって外に向かって伝搬した,⑥ 衝撃波と大気の圧力差によって外向きの強烈な爆風が作られ,衝撃波の通過直後に爆風が襲って衝撃波で分解された建造物を破壊し倒壊させた,⑦ これらは原爆の爆発後10秒間で起こり,衝撃波が発生して火球から離れたとき,大量の放射性物質は火球の内部にあり,これら放射性物質が爆風によって吹き飛ばされたわけではない,⑧ 火球が急上昇して冷却すると放射性原子核は電子を捉えて放射性の原子になり,大気中の酸素や窒素と結合して分子になり,更に合体して放射性微粒子になる,⑨ 放射性微粒子には大気中の水蒸気が吸着されて水滴が作られ,原子雲が形成される(甲A271・6頁,7頁),⑩ 原子雲の中央部分は圏界面(地上約10km前後)に達しても上昇を続け,雨滴は氷塊になって結合して大きくなり,重くなっていわゆる激しい黒い雨として降下した,⑪ 1時間後の広島原爆の原子雲は,高度が約15km,横の広がりも約15kmであり,40分後の長崎原爆の原子雲は,南側は爆心地から約20kmの長崎の野母崎地区まで,北側も長崎県大村市付近まで広がっている(甲A271・7頁),⑫ 下降した水滴は温度の上昇によって水分を蒸発させ,放射性粒子となって下降した(甲A271・7頁,8頁),⑬ 放射性物質の大部分は地表面を流れた雨水と共に流失し,また,地表面に堆積して乾燥した放射性物質は風によって運び去られたと考えられ,この可能性を考慮すると,土壌への残留率は,地形や土壌の雨水吸収能力及び雨水保持能力に大きく依存するとしている(甲A271・9頁)。
(ヌ) C4の意見
琉球大学理学部のC4は,① 放射性降下物が爆風によって四散したというのは間違った見解である(甲A278・7頁),② 原爆の爆発直後に爆風が地上に襲来する時には,地上で生じた中性子誘導放射化原子を除いて,一切の放射能原子は上空の火球と火球が膨張,冷却して原子雲になる前の気塊の内部にある,③ 高温の火球がゆっくり膨張しながら上昇し,原子雲ができる(甲A278・8頁),④ 水平方向に広がる原子雲を形成した放射性原子は,その後,下降気流や雨と一緒になって地上に降り注ぐ(甲A278・9頁),⑤ 放射性物質を体に浴びたり,飲み込んだり,吸い込んだりするのは,爆風の収まった後からであり,降り注ぐ範囲も原子雲の広がった範囲全域であると考えられる,⑥ 原子雲から降る雨には放射性物質が含まれているが,雨が降らない地域であっても,下降気流に乗って放射性微粒子が降り注ぐ(甲A278・9頁,10頁),⑦ 黒い雨が降った地域ではセシウム137が確認され,特に広島の己斐地区の太田川縁で測定値が高い結果を示している反面,逆に黒い雨が降らなかった地域にはセシウム137は確認されていないか,計測量が僅かであるが,このことをもって放射性降下物はあったとしても黒い雨の降雨地域に限られ,黒い雨の降らなかった所には放射性降下物はなかったというのは誤りである,⑧ 放射性降下物は,雨が降ることにより,雨に溶けたものが雨と共に土壌中に滲入するのであり,空気中に放射性降下物が濃厚に存在しても,これらは土壌中には滲入せず,原爆投下後3日目では,乾燥した放射性降下物はまだ空中浮揚のものが多量であることが推測される(甲A278・13頁),⑨ 核分裂生成原子は,1回ベータ線を出しても安定な状態になるとは限らず,次々とベータ崩壊を繰り返し,これらが体内に入った場合は,放射系列を無視して計算した場合の何倍もの被曝を与える(甲A278・21頁),⑩ 放射系列を形成する場合,いずれの場合も系列の中の長い半減期に従うことになり,放射能の強度は,最初の原子の崩壊だけの場合よりもはるかに強いものになる,⑪ 1週間以上の崩壊系列最長半減期は,核分裂生成原子の崩壊系列で62%を占めており,2週間時点での放射線強度は,投下直後に比べて大して減少していないとしている(甲A278・23頁)。
(ネ) C5及びC6の意見
国際医療福祉大学放射線医学センター長のC5及び大分県立看護科学大学学長のC6は,① 放射性降下物が多かった例の代表であるビキニ核実験では,大量の放射性降下物が地上に降下し,広範囲に影響を及ぼしたが,これは地表面で核爆発を引き起こした結果,未分裂の核物質や核分裂生成物が大量の土砂と共に巻き上げられ,放射性降下物として周辺に降下したからであり,一方,広島原爆及び長崎原爆は,上空での爆発であり,未分裂の核物質や核分裂生成物の大半は,瞬時に蒸散して火球と共に上昇し,成層圏にまで達した後,上層の気流によって広範囲に広がったものであり,広島市及び長崎市に降り注いだ放射性降下物は極めて少なかったと考えられている,② 黒い雨は,火災によりすすが巻き上げられ,雨と共に降下したものであり,黒い雨と放射性降下物は必ずしも同じものではない,③ 黒い雨の原因となる炭素は,吸収断面積が3ミリバーンであり,放射化されにくい核種であるから,黒い雨が有意な放射能を有するわけではなく,例えば,鉄の吸収断面積は2.81バーンであり,炭素はその900分の1である(なお,バーンについては,後記(4)アを参照),④ 放射性降下物が取り込まれた黒い雨が降った地域は,広島の己斐高須地区及び長崎の西山地区に限られており,これら以外の地域においては極めて微量なものであったため,これが人体に付着したとしても有意な被曝線源となることは考えられない(乙B17・13頁),⑤ 広い範囲の地面にほぼ均等に付着した放射性降下物からの外部被曝線量(線量率)は,地面からのどの位置(高さ)で計測したとしても異なるものではない(乙B17・14頁),⑥ 放射性降下物が直接皮膚に付着して相当量の被曝があったとすれば,必ず,紅斑,水疱などの放射線皮膚障害が生じたはずであるが,実際には,黒い雨を直接浴びた場合であっても,放射線皮膚障害がみられたとの報告はない(乙B17・14頁,15頁),⑦ 原爆の爆発後に行われた複数の調査結果を基にして,原爆の爆発1時間後から現在に至るまでとどまり続けていたという仮定をした場合,己斐高須地区で0.006グレイないし0.02グレイ,西山地区で0.12グレイないし0.24グレイと想定されており,これは放射性降下物による外部被曝線量を地上1mの高さで推定しているが,そのことは現在の線量評価の常識から考えて問題はないとしている(乙B3・13頁)。
(ノ) C6の意見
大分県立看護科学大学学長のC6は,① 黒い雨が人体に付着したことを重視する見解があるが,人の皮膚は常に新陳代謝が行われており,あかと一緒に落ちるので,仮に汚染されて入浴もしなかったとしても,だいたい1週間から10日経てば,あかとして落ちてしまう(乙B22の1・111項),② 放射線が距離の二乗に反比例して急激に低減するといった法則が当てはまるのは点線源の場合であるところ(乙B22の1・149項),残留放射線は面線源である(乙B22の1・152項)から,残留放射線について,地面すれすれのところで測定したとしても,地面から1mの高さで測定したとしてもそう違いはないとしている(乙B22の1・147項)。なお,上記②については,厚生労働省健康局総務課作成の「点線源と面線源それぞれにおける,線源からの距離と被曝線量との関係」も同旨である(乙B27)。
(ハ) C7らの意見
東京理科大学総合研究所教授のC7らは,① 雨が黒いことと放射性降下物を含有していることとは必ずしも対応しない,② 原爆の爆風によって舞い上がった粉塵及び原爆の熱線によって燃焼した火災煙は,必ずしも原爆の中性子線によって放射化されておらず,爆発時においては,爆心地から遠距離の地点では,放射性核種を含んでいないものが大部分であったと考えられるとしている(乙B25・4頁)。
ウ 検討
(ア) 広島原爆及び長崎原爆の放射性降下物については,「原爆被爆者の長期健康影響調査に関する「Q&A」」のように,そのほとんどが大気圏に広く拡散したとする見解がある(エドワード・荒川報告,UNEP報告及びUNSCEAR2000年報告書も同趣旨)。また,C7らの意見は,爆心地から遠距離の地点の降下物は放射性核種を含んでいないものが大部分であったと考えられるともしている。
(イ) この点,広島及び長崎において,原爆投下の数日後から複数の測定者による放射性降下物の測定調査が行われ,これらの調査の結果,広島の己斐高須地区及び長崎の西山地区において,それぞれ放射線の影響が比較的顕著にみられることが判明し,これは,原爆の爆発後,己斐高須地区及び西山地区において激しい降雨があり,これによって放射性降下物が降下したことによるものであることが確認されている。そして,DS86報告書第6章は,これらの測定調査を総括して,放射性降下物の累積的被曝への寄与は,己斐高須地区では,恐らく1レントゲンないし3レントゲンの範囲であり,西山地区では,恐らく20レントゲンないし40レントゲンの範囲であるとし,組織吸収線量に換算すると,広島については0.6ラドないし2ラド(0.006グレイないし0.02グレイ),長崎については12ラドないし24ラド(0.12グレイないし0.24グレイ)になると結論付けている。DS86報告書第6章は,上記のとおり原爆投下直後の複数の測定調査を総括したものであり,その後の調査結果による推定値もこれと特に矛盾するものではないこと等をも考慮すると,DS86報告書第6章の放射性降下物による放射線の外部被曝線量の算定方法は,一定の科学的根拠に基づくものということができる。
(ウ) しかしながら,放射性降下物の測定結果については,DS86報告書第6章自体が測定等の精度の非常に低いことを強調している。特に,べき指数が-1.2とされたことについては,放射性降下物が風雨の影響を全く受けず,その場にとどまった場合の理論値であり(甲A602・17頁),風雨の影響により放射性物質の減衰が早まる場合には,崩壊べき指数の-の数値は大きくなるように補正される必要があることが認められる。実際,上記放射性降下物の調査の多くは風雨による影響を受けた後に行われたものである。また,広島においては,仁科芳雄の調査,浅田常三郎らの調査及び荒勝文策らの調査のように早期の段階で調査が行われたものもあるが,これらの調査についても観測地点が限られているなどの限界がある上,さほど離れているわけではないのに放射線量が大きく異なっているものがあること(浅田常三郎らの調査の己斐駅付近の地点の調査)が認められる。枕崎台風の後に被爆者の体調が回復したという秋月辰一郎著書も実際の体験として軽視することはできないものである。
そして,チボートは,① 核分裂生成物からのベータ線とガンマ線の全放射線の強度を求める関数について,べき指数の値は,実験室系における核分裂生成物では-1.2,ニューメキシコの核実験で地面に広がった核分裂生成物では-1.5であった,② 長崎のように放射性降下物が雨などにより浸食を受けやすい場合には,べき指数の値はニューメキシコの核実験の-1.5に近い値と考えられた,③ 原爆から6週間後,長崎の西山地区の水源地での最も強いガンマ線の線量率は1時間当たり1.8ミリレントゲンであり,これは27レントゲン(べき指数の値が-1.2の場合)ないし110レントゲン(べき指数の値が-1.5の場合)の積算放射線量に相当するとしている(甲A602・18頁)。チボートが,西山地区での積算放射線量を27レントゲンないし110レントゲンとしていることについては,その前提となっているマンハッタン管区原子爆弾調査団の調査のデータが,大地からの自然放射線を十分に評価していない等の指摘からすれば(弁論の全趣旨・被告準備書面(18)13頁),そのまま採用することはできないものの,DS86報告書第6章の算定よりも相当程度高くなっていた可能性は否定することできない。
また,ウィルソンも,西山地区の生涯累積線量の計算において,原爆投下二日目以降はべき指数の値を-1.5として,生涯累積線量を100レントゲンと推定している(甲A602・19頁)。
加えて,DS86報告書第6章に対しては,① 衣服や身体に付着した物の残留放射線による被曝による影響や,② 残留放射線による被曝線量は,地面から1mの高さで評価したものであるところ,放射線量は放射線源からの距離の二乗に反比例して急激に低減するといった物理的法則に照らしても,地面付近で作業をしたり,横たわったりなどした場合や放射性物質が衣服や身体に付着した場合には,更に被曝線量が高かったことなどの指摘もされているのであって(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)38頁),C5及びC6の意見,あるいは,C6の意見を踏まえても,このような指摘が全く当たらないとはいえない。
そうであるとすれば,DS86報告書第6章の算定方法による放射性降下物による放射線の外部被曝線量の算定については,上記のような測定精度や測定試料等の制約から一定の限界が存するというべきである。
(エ) 放射性降下物による累積被曝を少なく評価する藤間清ら報告や藤間清報告に対しては,まず,藤間清ら報告については,前記のとおり,報告の前提である仁科芳雄の調査について観測地点が限られているなどの限界がある上,同調査により広島原爆の投下3日後に爆心地から5km以内で収集された土壌試料についても,検出することのできたセシウム137が放射性降雨に含まれて地中に浸透することができたものだけであって,大部分は,地表面を流れて失われ,また,地表面に堆積したものは風によって運び去られたとの指摘があり(甲A303・6頁,7頁),この点は,C3の意見やC4の意見も同様の趣旨である。また,被曝線量を算定するに当たって,原爆により生じた全核分裂生成物に換算するとされてはいる(乙B22の1・112項,113項)ものの,実際に測定されたのはセシウム137のみであることから,その換算にも限界はあるものといわざるを得ない。
一方,藤間清報告については,黒い雨の痕跡の残る壁面は,昭和42年に自宅改装の際に広島平和記念資料館に寄贈されたものであり,その一部が拭き取られるなどしており(乙B11・160頁),適切な保存状態にあったとまではいえない。
したがって,これらの報告によっても,放射性降下物による被曝線量が無視することのできる範囲であったと解することはできない。
(オ) LSS第5報,LSS第7報第2部及びLSS第9報第2部は,全体として,早期入市者と後期入市者との間に死亡率には有意差がなかったとしているが,飽くまでも死亡率のみの比較であり,有病率を比較したものではない上,LSS第5報においては,全死因について早期入市者における死亡が相対的に少ない等とされていたところ,LSS第7報第2部においては,全死因による死亡率について,早期入市者と後期入市者の間に有意差はないとされ,更にLSS第9報第2部においても同様とされているのであって,このような変化が生じている理由を後記の健康者選択効果に求めるかどうかは考慮の余地があるとしても,少なくとも,死亡率についても徐々に早期入市者と後期入市者の率に逆転がみられつつあったという事実は認めることができる。
(カ) 遠距離被爆者の大多数が浸透力の大きい残留放射線によって大きな線量を受けたという主張を支持しなかったとする平井裕子ら報告も,少数の被爆者を対象としたものであって,これが本件申請者らを含めた他の被爆者に同様に当てはまるかについては明らかでないといわざるを得ない上,電子スピン共鳴法(ESR)はガンマ線のみ,300ミリグレイ(0.3グレイ)以上しか測定することができないというのであって(甲A653・8枚目),その測定にも限界があるというべきである。
(キ) かえって,C3の意見は,大量の放射性物質が爆風によって吹き飛ばされずに原子雲を形成し,黒い雨として降下したとしており,1時間後の広島原爆の原子雲は,高度が約15km,横の広がりも約15kmであり,40分後の長崎原爆の原子雲は,南側は爆心地から約20kmの長崎の野母崎地区まで,北側も長崎県大村市付近まで広がっているとしている。
C4の意見も同趣旨であり,さらに,C4の意見は,核分裂生成原子が放射系列を形成する場合,いずれの場合も系列の中の長い半減期に従うことになり,放射能の強度は,最初の原子の崩壊だけの場合よりもはるかに強いものになり,1週間以上の崩壊系列最長半減期は,核分裂生成原子の崩壊系列で62%を占めており,2週間時点での放射線強度は,投下直後に比べて大して減少していないとしている。
また,一方で,C2の意見は,広島原爆の爆発により1核分裂破片当たり平均4種類ほどの核種が生成し,結果として,亜鉛30からテルビウム65に至る36種類の元素,約300種類の放射性核種が生み出され,これらの元素は様々な核特性を持ち,単体としての,あるいは,化合物としての物理的,化学的性質は一様ではないとしており,これは長崎原爆の爆発においても同様に当てはまるものと考えられるところ,このような多種の元素や放射性核種の中には半減期の極めて短い元素や放射性核種もあったものと考えられる。そして,そのように半減期の極めて短い元素や放射性核種については,その大半がすぐに消失してしまうため測定することができないものである。
(ク) 近藤久義ら第1報告と近藤久義ら第2報告については,これらの報告を総合すれば,被爆者に対する残留放射線の影響を必ずしも明確に示したものとまではいえないが,後記(6)の急性症状等において検討するとおり,遠距離被爆者や入市被爆者において,初期放射線による被曝では説明することのできないような放射線の影響によるものと思われる急性症状等が生じているのも事実である。
(ケ) 上記(ウ)ないし(ク)で検討した点に鑑みれば,広島原爆及び長崎原爆の爆発によって,相当量の放射性降下物が広範囲に降下したことは否定することができないというべきである。
なお,長崎の西山地区において,比較的早期の時期から染色体調査が行われており(岡島俊三らの調査),同調査では,統計的に有意を示すまでには至らなかったとしている。また,本田武夫ら報告も,放射性降下物による被曝線量は僅かであると推算している。しかしながら,岡島俊三らの調査は,同時に,放射性降下物による原爆直後の影響と共に長期微量放射能の影響を示唆しているように思われるともしており,一方で,本田武夫ら報告については,対象者の数が少ないこと等を指摘することができ,上記の結論を左右する調査及び報告とまでは認められない。
(コ) さらに,冨田哲治ら第1報告や冨田哲治ら第2報告によれば,放射性降下物による被曝線量は必ずしも同心円状に減衰するわけではないということができるのであって,地形や気象条件等によって,放射性降下物がより遠くへ飛散し,降下したことにより,強い放射線を発した場合もあったものというべきである。
この点,「黒い雨に関する専門家会議報告書」は,広島市宇品町,同市翠町,同市皆実町,同市東雲町,同市出汐町,同市旭町などを対照地域として,降雨地域における体細胞突然変異細胞の増加や染色体異常の有意差を否定しているが,対照地域とされている地域にも放射性降下物があった可能性は否定することができないのであって,その検討結果について疑問を差し挟む余地がある。
(サ) 以上の点を考慮すると,放射性降下物による放射線の被曝線量について,実際に被爆者の被曝線量を評価するに当たっては,広島の己斐高須地区又は長崎の西山地区以外の地域にも放射性降下物が相当量降下し又は浮遊していた可能性を考慮に入れ,かつ,当該被爆者の被爆後の行動,活動内容,被爆後に生じた症状等に照らし,放射性降下物による様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性がないかどうかを十分に検討する必要があるというべきである。
(4) 誘導放射線の被曝線量
ア 総説
(ア) 誘導放射線とは,地上に到達した初期放射線の中性子が,建物や地面を構成する物質の特定の元素の原子核と反応を起こし((誘導)放射化),これによって生じた放射性物質が放出する放射線である(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)49頁)。
(イ) 放射化は,安定した原子核(非放射性)が中性子を吸収することによって生じるものであるが,吸収反応が起こる確率,すなわち,放射化の程度(吸収断面積又は核反応断面積といい,物理量(バーン)で表される。)は,中性子のエネルギーと原子核の種類によって大きく異なり,中性子を吸収しても,別の安定した核種となり,放射化しないものがあることが知られている。瞬間的,すなわち,極めて短時間の間に誘導放射化する元素は限られており,全ての元素が放射化するわけではないことも知られている(乙B3・10頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)50頁,51頁)。
例えば,鉄(鉄56)の吸収断面積は,2.81バーンであるが,木材を構成する炭素の吸収断面積は,3ミリバーンで鉄の900分の1にすぎず,極めて放射化しづらい核種である(乙B17・13頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)51頁)。
(ウ) 原爆中性子線の瞬間的な中性子照射によって起こりやすい反応としては,アルミニウム28,マンガン56,ナトリウム24,鉄56といった金属元素が高速中性子(速中性子)を吸収することによって起こされる反応(荷重粒子放出反応)がある(乙B3・10頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)51頁)。被曝に寄与する誘導放射性核種は,核種ごとに半減期が物理的に決まっており,速中性子の吸収によって新たに生じた放射性核種の半減期は比較的短いことが特徴である(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)51頁)。
中性子は,爆央から大気中を伝播する過程において大気中の水蒸気等との相互作用により,急速にエネルギーを低下させ熱中性子へと変化する。エネルギーが低くなった原爆中性子(熱中性子)の吸収によって生ずる反応(捕獲反応)は,ホウ素,カドミウム,ユウロピウム,ガドリニウムなどの元素にみられるが,これらは土壌中にはほとんど存在しない(乙B3・10頁)。
(エ) 広島及び長崎の土壌中の組成で比較的高い誘導放射線を示す核種は,アルミニウム28,マンガン56及びナトリウム24であるが,アルミニウム28の半減期は,2.31分と極めて短い(乙B15・83頁,85頁,220頁)。なお,鉄は,1g当たりの重量が比較的高いが,その大半を占める鉄56の核種が中性子を捕捉しても,安定元素である鉄57となるだけであるため,放射能を出さない。一方,中性子を捕捉して半減期の短い鉄59となる鉄58は自然界にほとんど存在しないため,放射能量は極めて低い(乙B29,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)53頁)。
(オ) 新審査の方針策定後の審査においては,誘導放射線について,DS86策定後に現れた科学的知見を踏まえて,その線量評価が行われている(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)49頁)。
イ 各種知見
(ア) 橋詰雅ら「広島・長崎における中性子誘導放射能からのガンマ線量の推定」
ABCCの橋詰雅らは,中性子によって土壌及び建築材料に誘導された放射能からのガンマ線量を実験データに基づいて推定し,「広島・長崎における中性子誘導放射能からのガンマ線量の推定」(以下「橋詰雅ら報告」という。)としてまとめ(乙B32・1頁),昭和44年に発表した。
橋詰雅ら報告は,① 土壌中の誘導放射能からのガンマ線量は,主として,ナトリウム24及びマンガン56に負うものであることが判明した,② 原爆投下後1日目に広島の爆心地付近に入り,そこに8時間滞在した者の推定被曝線量は3ラド(0.03グレイ)である,③ 広島の爆心地から500m及び1000mの距離における線量は,それぞれ爆心地の線量の18%及び0.07%であった,④ 原爆の爆発直後から無限時までの累積ガンマ線量は,広島では爆心地で約80ラド(約0.8グレイ),長崎では同じく約30ラド(約0.3グレイ)であると推定されたとしている(乙B32・1頁)。
(イ) グリッツナーらの線量評価
グリッツナーらは,昭和61年にDS86による原爆の初期放射線の被曝線量評価が策定された際に,広島及び長崎の実際の土壌中の元素の種類,含有量及びこれらの元素の吸収断面積を基に生成された放射能量を計算し,その結果,原爆の爆発後1時間における誘導放射線量は,広島では爆心地から700m,長崎では爆心地から600mの地点に至ると,ほぼ0.001グレイにまで低減するとした(乙B5・349頁,351頁,乙B31・7頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)53頁,54頁)。
また,グリッツナーらは,爆心地における土壌の放射化による線量率が時間とともに減衰する様子を計算したが,線量率の変化は,見掛け上,三つのふくらんだ部分から成っていた。このうち,第一の部分は,主として短寿命のアルミニウム28の寄与であり,約30分後からの第二の部分は,マンガン56及びナトリウム24の寄与であり,1週間後からの第三の部分は,鉄59及びスカンジウム46の寄与によるものであった。そして,約1年後には,マンガン54(半減期312日)やセシウム134(半減期2.06年)の寄与が主となった(乙B5・350頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)55頁)。
鉄59やスカンジウム46による誘導放射線について,爆心地において,1時間当たりの線量率は,0.00001グレイを下回っていた。なお,アルミニウム28による1時間当たりの線量率は極めて高いものの,その半減期は2.31分と極めて短く(前記ア(エ)),爆心地において原爆の爆発直後からアルミニウム28による誘導放射線の被曝をしても,その最大積算線量は,広島において0.48グレイ,長崎において0.336グレイであった(乙B30・6頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)55頁,56頁)。
(ウ) DS86報告書第6章
平成元年発表のDS86報告書第6章は,橋詰雅ら報告等を総括し,爆心地での誘導放射能からの外部放射線への潜在的最大被曝は,広島について約80レントゲン,長崎について30レントゲンないし40レントゲンであると推定され(乙B15・227頁),組織吸収線量に換算すると,広島では約50ラド(0.5グレイ),長崎では18ラドないし24ラド(0.18グレイないし0.24グレイ)になるとしている(乙B15・227頁,228頁)。
(エ) JCO臨界事故
平成11年9月30日午前10時35分頃,東海村のJCOウラン加工工場で臨界事故が発生し,ウラン精製作業中の3人の従業員が大量の放射線に被曝した(甲A280・ⅳ頁)。そのうち最も線量推定が大きかった16グレイないし25グレイの被曝をした者(甲A280・48頁)の誘導放射化を調べたところ,その被曝線量は,一番高かった右肩部でも1時間当たり10.1マイクロシーベルト程度であった(甲A280・118頁)。
(オ) 今中哲二「DS02に基づく誘導放射線量の評価」
京都大学原子炉実験所の今中哲二は,グリッツナーらの線量評価をDS02に応用することにより,誘導放射能による地上1mでの外部被曝を評価し,「DS02に基づく誘導放射線量の評価」(以下「今中哲二報告」という。)としてまとめ(乙B9・150頁),平成16年に発表した。
今中哲二報告は,① 原爆の爆発1分後の爆心地での放射線量率は,広島で1時間当たり約600センチグレイ(約6グレイ),長崎で1時間当たり約400センチグレイ(約4グレイ)となっているが,広島,長崎ともに,1日後には1000分の1に,1週間後には100万分の1に減少している(乙B9・151頁),② 原爆の爆発直後から無限時間同じ場所に居続けたと仮定したときの放射線量(積算線量)は,爆心地では広島で120センチグレイ(1.2グレイ),長崎で57センチグレイ(0.57グレイ),爆心から1000mでは広島で0.39センチグレイ(0.0039グレイ),長崎で0.14センチグレイ(0.0014グレイ),爆心から1500mでは広島で0.01センチグレイ(0.0001グレイ),長崎で0.005センチグレイ(0.00005グレイ)となり,これ以上の距離での誘導放射線被曝は無視して構わないとしている(乙B9・152頁,153頁)。
(カ) 田中憲一ら「広島原爆の放射化土壌によるβ線及びγ線皮膚線量の評価」
広島大学の田中憲一らは,皮膚被曝について,ベータ線及びガンマ線の両方が関与し得たと考えられ,特に,放射化土壌が皮膚に付着した場合にはベータ線の寄与が支配的になる例が考えられるとし,ベータ線及びガンマ線由来の皮膚線量を,放射化した地面による被曝及び皮膚に付着した放射化土壌による被曝の両方について評価し,「広島原爆の放射化土壌によるβ線及びγ線皮膚線量の評価」(以下「田中憲一ら報告」という。)としてまとめ(乙B28・33頁),平成19年に発表した。
田中憲一ら報告は,① 放射化土壌による皮膚線量は,原爆の爆発から1週間の期間について,爆心で地面からの高さ1mにおいて0.84グレイと,脱毛が起こるとされている2グレイ程度よりも低い結果となった,② このうち,放射化した地面による被曝は99%程度で,このうちガンマ線によるものは75%であり,一方,皮膚に付着した放射化土壌による被曝は1%程度であり(乙B28・33頁),0.00936グレイであった,③ 同様に,爆心地から500mの地点の皮膚線量は0.001339グレイ,爆心地から1kmの地点の皮膚線量は0.00003294グレイであり,これに寄与する放射線は,ほぼベータ線であった(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)48頁),④ 土壌の厚さのばらつきや放射性降下物などの要因を考慮すると,より大きな線量が算出される可能性もあり,また,脱毛と被曝線量の相関の研究においては,付着土壌の厚さや入市者の爆心からの距離の時間変化に加えて,内部被曝の評価も必要と考えられるとしている(乙B28・33頁)。
(キ) 鎌田七男ら「0.5Sv以上の残留放射線に被曝したと推定される事例―白血球数と染色体異常率からの検証」
平成19年発表の広島大学名誉教授の鎌田七男らの「0.5Sv以上の残留放射線に被曝したと推定される事例―白血球数と染色体異常率からの検証」(以下「鎌田七男ら第1報告」という。)は,原爆の中性子により様々な金属が放射化され,例えば,1km以内の922本の電柱及び電柱1本につきガラス10個ないし20個が焼失,折損で地上に落ちたとしている(甲A270添付資料・9枚目)。
(ク) George Kerrら「原爆放射線量に関する報告のワークショップ―残留放射線被曝:今後の研究に関する最近の研究と示唆」
Kerr ConsultingのGeorge Kerrらは,広島と長崎における残留放射線被曝の最新の課題を検討する必要性があるとの認識の下に2012年(平成24年)に行われた,米国カリフォルニア州サクラメントでの第57回保健物理学会年次会合の技術セッションにおける最近報告された研究を再検討し,「原爆放射線量に関する報告のワークショップ―残留放射線被曝:今後の研究に関する最近の研究と示唆」(以下「Kerrら報告」という。)としてまとめ(甲A606の1,甲A606の2・1頁),平成25年に発表した。
Kerrら報告は,① 広島と長崎における爆心地域付近の最も考え得る残留放射線の重要な被曝源は,〈ア〉誘導放射化された土壌及びその環境にあった物の,原爆の爆発の爆風の土壌への衝撃による大気への巻き上げと〈イ〉爆風によって地面や水から水平的にこすり取られたかすやくずで,誘導放射化された物質がより遠い距離へと運ばれたものである(甲A606の1,甲A606の2・6頁),② 被爆者の皮膚は,〈ア〉原爆の爆発による爆風によって浮遊した土壌やその他の環境物質の大気中の浮遊,〈イ〉中性子で誘導放射化された放射性物質である地面や川の水塵の爆風による遠距離への移動及び〈ウ〉汚染された物質を扱うことによる汚染した身体の移動により汚染されたかもしれない(甲A606の1,甲A606の2・7頁),③ 土壌粒子の大きさの分布と汽水の塩分濃度の測定が勧告された今後の研究である(甲A606の1,甲A606の2・8頁),④ 被爆者の生物学的影響の非対称性及び異常性を示唆するいくつかの研究があり,これらはDS02では説明することができないものである(甲A606の1,甲A606の2・9頁),⑤ 日本と米国の調査者ともに,DS02の計算による爆心地を囲む評価線量のシンメトリーと比較したときに,広島及び長崎の原爆の爆発に関するいくつかの調査結果に例外がみられることを認めたが,この例外の可能な説明は,多様で場所的に均一でない残留放射線による被曝である,⑥ これらの被曝の起源は,汚染された雨か,中性子線で活性化した土壌を削り取り一掃する爆風の作用であるかもしれない,⑦ 現時点では,これらの特異的事象を説明する量的証拠は僅かしかないが,このワークショップは,残留放射線に関するよりよい理解を導くであろう更なる研究への多くのアイデアを発展させており,放射線防護の分野に対して,原爆放射線量の重要性を考えると,これらの理解は必須であるとしている(甲A606の1,甲A606の2・9頁,10頁)。
(ケ) C3の意見
名古屋大学名誉教授のC3は,① 起伏に富む広島及び長崎の地形や建造物の存在は,ほとんど平坦とみなすことのできるネバダ砂漠とは異なり,そのために生じる衝撃波及び爆風の非等方性が熱中性子や放射性物質の移動にも影響を与えたことが考えられる,② ネバダ砂漠のような平坦な場所では,強烈な衝撃波による爆風は1秒以内に内向きの吹き返しの風に変わり,衝撃波で巻き上げられた土砂や埃の移動は差し引きほぼ0となる,③ しかし,広島や長崎のように山に挟まれた吹き出し口があると,衝撃波及び爆風は放射性物質を含んだ「黒い津波」のようになって周辺部に向かって広がる,④ その一方で,米国ネバダ核実験場の核爆発実験でみられたような中心部に向かう吹き返しの風はそれほど強くならず,その結果,放射能を含んだ空気や土砂,建造物の破片は遠方に運ばれたまま残される,⑤ 全壊ないし半壊になった建造物が密集していると,これらに囲まれた地表付近では,被爆者は放射能を帯びた埃の中で呼吸し,放射能で汚れた飲食物を口にすることになり,山が高く,接近している長崎ではこうした地形の効果はいっそう顕著に現れるはずであり,事実,稲佐山の中腹から,長崎市稲佐町のすぐ対岸の長崎駅と長崎港付近を見ていて,この地域が黄色いもやのようなものでしばらく覆われていたという証言があるとしている(甲A7・75頁,甲A26・10頁,11頁)。
(コ) C8の意見
C8は,① 爆心地から約7.5km離れた長崎の間の瀬地区に住む住民を調査したところ,黒い雨に遭ったとする者が相当数おり,脱毛も認められた(証人C8・調書3頁ないし5頁),② 九州帝国大学理学部教授の(甲A602の2の2・53頁,65頁)篠原健一は,長崎の西山地区の水源地の南側で取れた泥のようなもののついた木の葉が変色していたことから,西山地区を調査したところ,放射線が非常に高い線量であるのを確認した,③ 西山地区において泥の雨が降ったとされており,放射性粉塵と思われる(証人C8・調書19頁,20頁),④ 放射性粉塵の影響は,長崎の東長崎地区まで広がったと推測される(証人C8・調書20頁),⑤ 放射性粉塵には距離依存性はないとしている(証人C8・調書28頁)。
ウ 検討
(ア) 橋詰雅ら報告等を総括したDS86報告書第6章が計算した誘導放射線からの被曝量は極めて少ないところ,放射性降下物において検討したとおり,DS86報告書第6章に対しては,① 衣服や身体に付着した物の残留放射線による被曝による影響や,② 残留放射線による被曝線量は,地面から1mの高さで評価したものであるところ,放射線量は放射線源からの距離の二乗に反比例して急激に低減するといった物理的法則に照らしても,地面付近で作業をしたり,横たわったりなどした場合や放射性物質が衣服や身体に付着した場合には,更に被曝線量が高かったことなどの指摘もされており(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)38頁),DS86報告書第6章が計算した誘導放射線からの被曝量を直ちに採用することはできない。
(イ) 今中哲二報告は,グリッツナーらの線量評価をDS02に応用したものであり,誘導放射能による地上1mでの外部被曝を評価した結果,原爆の爆発直後から無限時間同じ所に居続けたと仮定したときの放射線量(積算線量)は,爆心地では広島で120センチグレイ(1.2グレイ),長崎で57センチグレイ(0.57グレイ),爆心から1000mでは広島で0.39センチグレイ(0.0039グレイ),長崎で0.14センチグレイ(0.0014グレイ),爆心から1500mでは広島で0.01センチグレイ(0.0001グレイ),長崎で0.005センチグレイ(0.00005グレイ)となったとし,これ以上の距離での誘導放射線被曝は無視して構わないとしている。
(ウ) しかしながら,初期放射線について,DS02自体も,被爆者線量の誤差が広島及び長崎の両市とも30%程度であるが,合計線量の27%ないし45%の範囲であるとしているところであって(乙B8の1・45頁),一定の誤差が生じていることを認めているものであり,これを前提とした誘導放射線の線量評価についても,初期放射線の誤差に従い誤差が生じてくることは否定することができない。
(エ) また,田中憲一ら報告は,放射化土壌による皮膚線量は,原爆の爆発から1週間の期間について,爆心で地面からの高さ1mにおいて0.84グレイであったとしているが,土壌の厚さのばらつきや放射性降下物などの要因を考慮すると,より大きな線量が算出される可能性もあるとしており,また,内部被曝の評価も必要と考えられるとしているのであって,誘導放射線の線量評価に当たっては,初期放射線のみならず,このような土壌の状態や後記(5)の内部被曝をも考慮する必要があるということができる。
(オ) さらに,鎌田七男ら第1報告は,原爆の中性子により様々な金属が誘導放射化され,多数の電柱やガラスが焼失,折損で地上に落ちたとしており,土壌自体からの誘導放射線に加え,これらによる誘導放射線も考慮する必要があるといえる。
(カ) 誘導放射化されたのは,物に限らず,人体も想定することができるというべきである。
この点,JCO臨界事故の調査結果は,高線量被曝をした者の誘導放射化による被曝線量について極めて低い数値となっている。しかしながら,人体にはナトリウム23,リン31,カリウム39,カリウム41,カルシウム44といった熱中性子により放射化されやすい核種が含まれているところ,このうちナトリウム23から生成されるナトリウム24は,生成放射能が多く,全身に均等分布し,半減期も14.96時間と適度に長く,また,検出しやすい高エネルギーガンマ線を放出するとされているところ(甲A280・17頁),臨界事故は,平成11年9月30日午前10時35分頃に発生しているのに対し,測定は翌日の同年10月1日午後4時53分に行われているのであって(甲A280・118頁),線量が減衰していた可能性は否定することができない。臨界事故当日の同年9月30日午後3時25分頃のGMサーベイメータ測定において,異常に高い数値であることが報告されたことは,このことを裏付けるものといえる(甲A280・117頁)。また,TLD(熱ルミネセンス線量計)については,患者自身での装着が不可能であったため,布団の上から装着し,布団についても測定時間中必ず掛けていたわけではないとされている(甲A280・118頁)ことからすれば,10.1マイクロシーベルトとの測定結果自体についてもその正確性に疑問を差し挟む余地がある。
(キ) さらに,Kerrら報告やC8の意見のように,広島原爆及び長崎原爆の投下により放射性粉塵が発生し,これが周囲に降り注いだとする見解もあるところ,かかる見解も相応の根拠に裏付けられているものであって,誘導放射線による被曝を検討するに当たり,このような放射性粉塵による被曝の可能性について推測の域を出ないものとして一概に否定することもできない。特に,放射性粉塵による誘導放射線については,汽水の誘導放射化が重要であると認められる。
(ク) そして,放射性降下物において説示したことと同様に,後記(6)の急性症状等において検討するとおり,遠距離被爆者や入市被爆者において,初期放射線による被曝では説明することのできないような放射線の影響によるものと思われる急性症状等が生じているのも事実であるし,残留放射線の被曝線量について,同心円状に減衰していくわけではない(C3の意見)ことも考慮すべきである。
(ケ) 以上の点を考慮すると,誘導放射線の被曝線量について,実際に被爆者の被曝線量を評価するに当たっては,爆心地から相当程度離れた地域にも誘導放射化された物質が相当量存在していた可能性を考慮に入れ,かつ,その被爆状況,被爆後の行動,活動内容,被爆後に生じた症状等に照らして,誘導放射化された物質による様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性を十分に検討する必要があるというべきである。
(5) 内部被曝の影響
ア 総説
(ア) 内部被曝とは,呼吸,飲食,外傷,皮膚等を通じて体内に取り込まれた放射性物質が放出する放射線による被曝をいう。原爆で問題となる内部被曝は,放射性降下物及び誘導放射線によるものである(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)62頁)。
(イ) 内部被曝を検討するに当たっては,取り込まれた放射性核種の量のみならず,その代謝による排出も考慮する必要がある。原爆の核分裂生成物であるセシウム137とストロンチウム90の物理的半減期はそれぞれ約30年,約29年であるが,体内に取り込まれた放射性核種は,その物理的崩壊による減衰だけではなく,人体に備わった代謝機能により,各元素に特有の代謝過程を経て,最終的には腎臓,消化管などから体外に排泄される(乙B35,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)63頁)。
体内に取り込まれた放射性物質は,その臓器親和性に従って種々の臓器や組織に分布し,その後,排出されるものであり,生物学的減少は実際には複雑な過程をたどるが,指数関数的に減少するものと仮定し,排泄機構により体内量が2分の1になるまでの時間を生物学的半減期という。放射性物質の体内量の減少は,①放射性崩壊による物理的減衰と②排泄機構による生物学的減少の二つに支配され,この両者による放射性物質の体内量の減少を併せて表したものを有効半減期(実効半減期)という(乙B36・294頁)。
例えば,セシウム137の生物学的半減期は,約110日とされている(乙B35)。経口摂取されたセシウム137は,その全てが胃腸管から血中に吸収され,10%は生物学的半減期2日で,90%は生物学的半減期110日で体外へ排せつされるとされており,10年後には7.3×10-11,すなわち,100億分の1以下に減衰することになる。一方,経口摂取されたストロンチウム90は,30%が血中に吸収され,残りは便として排せつされるとされており,1ベクレルを経口摂取した場合には,10年後には軟組織全体に残留しているのは1.2×10-4ベクレル,すなわち,約8300分の1以下に減衰することになる(乙B37・3頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)64頁,65頁)。
また,放射性物質の中には,それぞれ特異的に集積する臓器が決まっているものがあり,例えば,ヨウ素131は甲状腺に,ストロンチウム90は骨に集積する性質がある(乙B39,乙B22の1・177項)。
イ 各種知見
(ア) 内部被曝に関連する理論
内部被曝に関連する理論として,①逆線量率効果,②バイスタンダー効果,③ゲノム不安定性及び④ホット・パーティクル理論の各理論が挙げられる。
a 逆線量率効果
(a) 意義
逆線量率効果とは,同じ被曝線量であれば,長期にわたって被曝した場合の方が,リスクが上昇することをいう(弁論の全趣旨・原告準備書面(1)39頁)。
(b) 低線量放射線影響分科会「低線量放射線リスクの科学的基盤―現状と課題―」
平成16年発表の低線量放射線影響分科会の「低線量放射線リスクの科学的基盤―現状と課題―」(以下「低線量放射線影響分科会報告」という。)は,① 高LET放射線(LETとはLinear Energy Transferの頭文字をとったものであり,日本語では線エネルギー付与と訳され,放射線が物質中(生物体内など)を通過する際に,その物質に与えるエネルギーを指す。LETの値の高低によって,放射線を高LET放射線と低LET放射線に区別する(弁論の全趣旨・被告準備書面(3)37頁)。),取り分け核分裂中性子線については,低線量率照射の方が高線量率照射よりも影響が大きい場合が報告されている,② 培養細胞での試験管内がん化を指標にした研究では,核分裂中性子線による細胞照射について明らかな逆線量率効果が報告され,低LET放射線でも,毎分0.1ミリグレイ(0.0001グレイ)ないし1ミリグレイ(0.001グレイ)程度の線量率で突然変異の誘発を指標に逆線量率効果がみられるとの報告がある(乙B113・18頁),③ 多くの場合,培養系を用いた実験で逆線量率効果がみられているが,これらの実験では,対数増殖期の細胞群を数百時間にわたって照射するもので,このような長期実験を緻密に制御する困難さや,微妙な細胞周期の偏りが突然変異頻度や試験管内がん化頻度に影響すること,また,動物個体レベルの発がん実験で逆線量率効果は一般的にはみられないことなどから,これがヒトの低線量リスク評価に大きく寄与するものとは現在のところ考えにくいとしている(乙B113・19頁)。
b バイスタンダー効果
(a) 意義
バイスタンダー効果とは,被曝した細胞から周辺の被曝しなかった細胞へ遠隔的に被曝の情報が伝えられ,被曝しなかった細胞にも遺伝的影響が及ぶ現象をいう(弁論の全趣旨・原告準備書面(1)39頁)。
(b) 低線量放射線影響分科会報告
平成16年発表の低線量放射線影響分科会報告は,① 1990年(平成2年)代半ばからアルファ線照射を受けた細胞に隣接し,自身は照射を受けていない細胞に染色体異常,突然変異あるいは細胞がん化などの遺伝的効果が生ずることが指摘されるようになった,② バイスタンダー効果の存在は,放射線による遺伝的影響の標的分子がDNAだけでない可能性を示唆している,③ 加えて,低線量や低線量率照射の場合には,放射線を被曝しなかった細胞にもDNAの損傷が生ずることから,高線量や高線量率照射に比べ単位線量当たりの遺伝的効果リスクが高くなることを示唆するものであり,低線量放射線のリスク評価のために解決すべき重要な課題であるとしている(乙B113・19頁)。
c ゲノム不安定性
(a) 意義
ゲノム不安定性とは,放射線被曝によって生じた初期の損傷を乗り越え生き残った細胞集団に遺伝的不安定性が誘導され,長期間にわたって様々な遺伝的変化が非照射時の数倍ないし数十倍高い頻度で生ずる状態が続く現象をいう(弁論の全趣旨・原告準備書面(1)40頁,41頁)。
ゲノム不安定性の特徴は,非標的性(DNAの損傷を受けていない部位において突然変異が生ずること)と遅延性(放射線を受けた細胞において,何代もの分裂を経過しても,突然変異頻度が遅延的に誘発され続けること)であるとされている(乙B114・87頁)。
(b) 低線量放射線影響分科会報告
平成16年発表の低線量放射線影響分科会報告は,① 近年になり,放射線による間接的な突然変異誘発機構としてのゲノム不安定性の誘導が注目を集めるようになった,② 哺乳類胎児培養細胞を用いた実験で,100ミリグレイ(0.1グレイ)ないし200ミリグレイ(0.2グレイ)の低線量域では,培養細胞でDNA突然変異の頻度よりも悪性形質転換の頻度の方が圧倒的に高いことから,DNAではなく細胞膜の異変から発がん過程が始まるモデルが提唱されている,③ ゲノム不安定性などの間接的な発がん機構は,その誘導にある一定以上の線量を必要とすることが十分に予想され,その意味で低線量リスクにとって重要な意味をもつ,④ ゲノム不安定性誘導の分子機構がいまだに不明である現時点においてその低線量リスクへの関わりは明確ではないとしている(乙B113・20頁)。
d ホット・パーティクル理論
(a) 意義
肺や皮膚の発がんリスクは均一な被曝よりも非常に不均一な被曝の方がずっと高いという考え方をいい,内部被曝についていえば,体内に取り込まれた放射性微粒子による不均一な局所被曝の方が,他の被曝より危険性が高いとする理論である(乙B48の1,乙B48の2,弁論の全趣旨・被告準備書面(6)34頁)。
(b) チャールズらによる動物実験
チャールズらは,1988年(昭和63年)頃,ホット・パーティクル理論が,極小範囲に集中的に高線量を被曝すると発がんリスクが高まるとしていることから,その真偽を確認するため,① 均等被曝(広範囲にまんべんなく均等な線量を被曝する態様),② 不均等被曝(極小範囲に集中的に高線量を被曝する態様)とそれぞれ被曝態様を変え(ただし,両者の照射範囲内の総被曝線量は同一とする。),放射線を動物の皮膚組織に照射して,両者で皮膚がんの発生率が変化するか否かを検証した。具体的には,①均一照射の場合(均等被曝に相当する。面線源から照射)のほか,②32箇所線源の場合(①と後記③の中間の被曝態様),③8箇所線源の場合(ホット・パーティクル理論に最も近い被曝態様)の3通りの被曝態様になるよう,ツリウム170線源(ベータ線,ガンマ線放出核種)を配置して面積8cm2の皮膚に放射線を照射したところ,累積腫瘍発生率は①が最大で,③が最小であった(乙B47の1・乙B47の2,乙B48の1・乙B48の2,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)73頁ないし77頁)。
(c) ICRP1991年勧告
ICRP1991年勧告は,① 低線量での広い範囲の不均一照射では,皮膚がんのリスクが被曝した面積,すなわち,照射された細胞数,そして皮膚への平均線量に比例するということが合理的な考えであり,ホット・パーティクル理論が知られてきたが,何年間にもわたって均一被曝よりも不均一被曝の方が効果が弱いという逆の考え方が同意されており,この主張はアルバートらの研究で支持されていた,② これらの研究者は電子線とベータ線を用いて,ふるい状の照射で皮膚の腫瘍発生が低下し,格子状の場合に腫瘍発現が遅延することでそのことを示した,③ これらの研究者はまた,遮蔽された領域が低線量被曝を受けると,その腫瘍発生は均一照射に匹敵することにも注目した,④ これらの結果は,照射されていない細胞が皮膚腫瘍の発生に,あるいは,恐らく成長に影響を与えていることを示している,⑤ チャールズらによる動物実験は,均一被曝が最も発がん性が高いことを明確に示した,⑥ 不均一被曝の余剰効果が細胞不活性化の相違によって説明されるとは思われないとしている(乙B48の1,乙B48の2)。
(イ) 内部被曝に関する事故
これまでに発生した内部被曝に関する事故としては,①トロトラストの事例,②ロッキーフラットでの内部被曝事例,③チェルノブイリ原発事故及び④ゴイアニア事故が挙げられる。
a トロトラストの事例
トロトラストはアルファ線を放出する二酸化トリウムコロイドであり,1930年(昭和5年)代ないし1940年(昭和15年)代において造影剤として用いられており,静注することで脳動脈撮影などにおける血管構造を可視化したが,肝臓,脾臓及び骨の網内系においてトロトラストが長期間滞留したために,生涯にわたるアルファ粒子被曝が引き起こされた。リスク評価に用いることができる主なコホートは,トロトラストに曝露されたドイツ人,デンマーク人及び日本人の患者であるところ,約3700例において,1999年(平成11年)までに681例の肝がんが報告されており,白血病(慢性リンパ性白血病を除く。)の発生率は,5倍ないし20倍増加した(乙B47の1,乙B47の2・19頁)。なお,トリウムの生物学的半減期は400年であり(乙B84・7頁),また,トロトラストの1回の標準的な注射の後では,1年当たりの被曝量は約400ミリグレイ(約0.4グレイ)であると見積もられている(乙B85の1,2)。
b ロッキーフラットでの内部被曝事例
1965年(昭和40年),米国のロッキーフラットで火災が発生し,プルトニウムを肺に吸入したという内部被曝事例が発生したが,40年以上経た後も,内部被曝者のうち肺がんを発症した者は,一人もいなかった(乙B22の2・402項ないし411項)。
c チェルノブイリ原発事故
チェルノブイリ原発事故は,1986年(昭和61年)4月26日に発生し,同年5月6日にかけて,300メガキュリーの放射性物質が放出された。300メガキュリーの放射性物質のうち,ヨウ素131は40メガキュリーであり,短寿命放射性ヨウ素は100メガキュリーであった(乙B40・149頁)。
チェルノブイリ原発事故では,事故後10年後辺りから甲状腺がんの有意な増加がみられるようになった。チェルノブイリ原発事故の一般住民に対する身体的影響は,原爆被爆者の場合とは大きく異なっており,甲状腺がんの発生が顕著であるとされ,特に小児甲状腺がんが多数発生した(乙B40・150頁)。これは,ミルク摂取等によりヨウ素131が体内に入り,これによる内部被曝を受けたことが主因であるとされている(乙B39,乙B40・151頁)。チェルノブイリ原発事故では原子炉が溶解したため,揮発性の放射性ヨウ素が拡散し,これが牧草に取り込まれ,牧草から乳牛へ,乳牛から牛乳へ,牛乳から人間へという食物連鎖を通じて人体内に取り込まれた結果,放射性ヨウ素による内部被曝の影響が顕著に現れたものであった(乙B42,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)71頁)。
d ゴイアニア事故
ゴイアニア事故とは,1987年(昭和62年)9月,ブラジルのゴイアニア市の廃院に放置されていた放射線療法用の医療機器内の放射線源格納容器が解体され,露出した線源からセシウム137が周囲の環境に拡散して多数人が被曝し,うち4人が放射線障害で死亡したという事故である(乙B34の2・45頁,46頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)82頁)。
ゴイアニア事故では,地面を掘り起こして土を廃棄したり,民家を解体したりして,汚染除去作業が行われた(乙B34の2・45頁,46頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)82頁)。
(ウ) 岡島俊三らの調査
長崎大学の岡島俊三らは,昭和44年,長崎の西山地区の住民を対象とし,ホールボディカウンター(人間の体内に摂取された放射性物質の量を体外から測定する装置)を用いて,セシウム137による放射線量を実測し,内部被曝線量の評価をした。その結果,対照群と比較すると,長崎原爆の放射性降下物による寄与は,男性で1kg当たり13ピコキュリー,女性で1kg当たり10ピコキュリーであった(乙B15・219頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)65頁,66頁)。
また,岡島俊三らは,昭和56年にも,昭和44年の上記調査において比較的高い線量値を示した者を対象として同様の測定調査を行ったところ,昭和44年当時の平均値である1kg当たり48.6ピコキュリーは,1kg当たり15.6ピコキュリーにまで低下しており,環境半減期は7.4年となった。なお,環境半減期とは,土壌中のセシウム137が食物摂取に寄与する程度がどの程度減っていくかをみたものであり,身体に入った特定のセシウム137がどの程度の期間で体外に排出されるかをみた生物学的半減期(セシウム137の場合は約110日とされている。)とは異なるものである(乙B15・219頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)66頁)。
そして,岡島俊三らは,上記のデータを用いて,昭和20年から昭和60年までの40年間に及ぶ内部被曝線量を積算したところ,男性で0.0001グレイ,女性で0.00008グレイであるとした(乙B15・219頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)66頁)。
岡島俊三らの調査は,セシウム137のガンマ線量を基に,ベータ線量も加算して内部被曝線量の積算をしたものであった。なお,セシウム137は,アルファ線を放出しない(乙B22の1・173項,乙B38・19頁)。
(エ) 今中哲二報告
平成16年発表の今中哲二報告は,DS02に基づき,原爆当日に広島で8時間の焼け跡の片付けに従事した人々の塵埃吸入を想定して,内部被曝による線量評価を試みているが,0.06マイクロシーベルトにすぎず,外部被曝に比べ無視することのできるレベルであったとしている(乙B9・153頁,154頁)。
(オ) 丹羽太貫ら「放射性物質による内部被ばくについて」
平成23年発表のICRPの丹羽太貫らの「放射性物質による内部被ばくについて」(以下「丹羽太貫ら報告」という。)は,内部被曝の健康影響について,外部被曝と比較して線量が同じであれば同等かあるいは低いことが示されており,内部被曝をより危険とする根拠はないとしている(乙B83・40頁)。
(カ) 放影研「「残留放射線」に関する放影研の見解」
平成24年発表の「「残留放射線」に関する放影研の見解」(以下「平成24年放影研見解」という。)は,① 広島及び長崎に投下された原爆の放射線被曝線量については,放影研や,その他多くの研究者によって解析されてきており,その結果,「残留放射線」の関与は「初期放射線(直接放射線)」の被曝線量推定値の誤差範囲内にあることが示されている(乙B105・1頁),② 放影研はこれまでに「残留放射線」の影響が無視することのできる程度に少なかったと考えられる証拠を種々の実測データ解析結果や調査報告例により提示してきた(乙B105・3頁),③ 平成24年放影研見解を出した理由について,放影研は以前から「残留放射線」の関与は「初期放射線(直接放射線)」の被曝線量推定値の誤差範囲内にあることを公表し,説明してきたが,「残留放射線のデータが考慮されていない」との批判や疑問も繰り返し提起されてきた(乙B105・1頁),④ 放影研での原爆放射線によるがん罹患,死亡等のリスク評価は,1グレイないし4グレイという高線量に被曝した者のリスク推定値が被曝線量に対して明確な量反応関係を示していることに立脚しており,10ミリグレイ(0.01グレイ)ないし100ミリグレイ(0.1グレイ)程度と見積もられる残留放射線被曝を受けた少数の者が,初期放射線量が0や低線量である多数の者の中にある程度含まれていたとしても,主として100ミリシーベルトを超える高線量被曝の結果から算出されたリスク推定値に対して大きな影響を与えるものではない(乙B105・4頁),⑤ 依然として「内部被曝は外部被曝よりも1000倍危険」などと心配されているが,これを説明する科学的根拠はない,⑥ 重要なことは,どちらの場合でもリスクの大きさは,がん発症の当事者たる細胞(組織の幹細胞と考えられる。)が受ける放射線の量に依存し,被曝が外部か内部かの問題ではないということである,⑦ ICRPは,体内に取り込まれた粒子からの放射線(つまり「内部被曝」)によるがん化について,放射性物質が全身に均等に分布した場合に「外部被曝」と同等になり,偏在した場合にはむしろ低下するのではないかと考えている,⑧ これは,大量の動物を使った高精度の動物実験において,放射性ヨウ素投与による「内部被曝」とX線による「外部被曝」を比較して,甲状腺発がん頻度に差のないことで実証されている(乙B105・5頁),⑨ 以上のような観点から,被曝線量を考慮せず,「内部被曝の方が外部被曝より危険だ」という単純な主張には全く根拠がないことが分かるとしている(乙B105・6頁)。
なお,平成19年発表の「原爆症認定の在り方に関する検討会報告」も,内部被曝は,外部被曝に比して,同じ臓器線量であれば,影響は同等であるとしている(乙A6・2頁)。
(キ) 鳥居寛之ら「放射線を科学的に理解する―基礎からわかる東大教養の講義」
東京大学教養学部の鳥居寛之らは,一般の読者に放射線について科学的に理解してもらうことを目的として放射線の知識を「放射線を科学的に理解する―基礎からわかる東大教養の講義」(以下「鳥居寛之ら教科書」という。)としてまとめ(乙B207・ⅳ頁),平成24年に発表した。
鳥居寛之ら教科書は,① トータルの被曝線量が同じでも,短時間で浴びる急性被曝と,長期間で浴びる慢性被曝とでは,危険性や体への影響が異なると考えられている,② 同じ被曝線量を受けても低線量率で長時間受ける方が影響は少ないと考えられている,③ 直感的には長期間の被曝の方がむしろ大きな影響が出ると思うかもしれないが,ゆっくり浴びるのであればその都度修復の作用が間に合うと考えられる,④ 一度に浴びると修復が利く前にDNAの損傷の量が限度を超えてしまう可能性があり,細胞が分裂することができなくなってしまうのが急性被曝である(乙B207・140頁),⑤ ICRPが内部被曝を考慮していないというのは正しくない,⑥ 内部被曝については,放射性核種がどのように摂取された場合に,どの程度が体内に取り込まれ,全身に運ばれるか,又は,特定の臓器に集まるかあるいは排泄されるかといったモデルに基づいて計算を行い,放射能(ベクレル)から内部被曝線量(シーベルト)への換算係数(実効線量係数)が導かれている,⑦ 内部被曝量自体の計測が難しいこともあり,実際に精度よく評価することができるわけではないことは確かである,⑧ ICRPを批判するヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)という名の市民団体が,ストロンチウムの内部被曝の影響を600倍に見積もるなどして危険を説いているが,科学的根拠に乏しく論理的整合性もないとして,大方の専門家からは評価されていないとしている(乙B207・211頁)。
(ク) C2の意見
立命館大学国際関係学部教授のC2は,① 現在,ICRRが採用している内部被曝線量評価方法の原型は,アメリカ核医学会内に設置された医学内部放射線量委員会によって開発されたミルド法(MIRD法)である,② ある放射性核種による体内汚染に伴って,ある臓器にどれだけの被曝線量がもたらされるかを評価するためには,〈ア〉体内にいつどれだけの放射性核種が入ってきたか,〈イ〉その放射性核種が,注目する臓器及び周辺臓器にどのような時間的変化で存在したか,〈ウ〉注目する臓器内及び周辺臓器内での放射性核種の崩壊に伴って,内部被曝線量を評価しようとする臓器にどれだけの放射線エネルギーが与えられたか及び〈エ〉当該臓器の質量の四つの情報が必要であるところ,ミルド法が発展させたのは〈ウ〉だけであり,原爆被爆者の場合,原爆投下直後の時期における〈ア〉についての実測的情報は皆無に等しく,仮説によらざるを得ない(甲A303・11頁,12頁),③ 〈ア〉が不明である以上,〈イ〉の正確な情報も望むことができず,また,放射性物質を体内摂取した場合,その体内残留量は単純な時間の関数で減少するわけではなく,多くの核種の場合,排泄速度の異なるいくつかの相から成る複雑な時間的推移を示す,④ 〈エ〉についても,例えば肝臓の質量は被爆者によって異なるのでミルド法によって標準化されたデータからは大きく乖離する場合があり(甲A303・13頁),臓器質量の差が線量評価にもたらす誤差は無視することのできる範囲を超えており,一般には,特定の臓器の被曝線量を評価する場合には,当該臓器に取り込まれた放射性物質による被曝線量だけでなく,他の臓器に沈着した放射性物質から放出される透過性の放射線,主としてガンマ線やX線,エネルギーの強いベータ線などによる被曝線量への寄与も評価しなければならない,⑤ 放射性核種別の体内摂取量,各臓器への移行量やその時間変化などの情報も定かでない被爆者について,ある仮説に基づいて内部被曝線量の評価を試みるにしても,そこには極めて大きな誤差を伴うとしている(甲A303・14頁)。
(ケ) C9の意見
放射線医学総合研究所のC9は,上記複数の研究者によるセシウム137の降下量の調査を基に,浦上川の河川水を汚染した可能性のある放射性核種の放射能について,① 最も高い推定値は長崎の西山地区における1cm2当たり3.3ベクレルであり,爆心地付近での降下量は西山地区の10分の1程度と考えられていることから,浦上川の水面への降下量は西山地区の値である1cm2当たり3.3ベクレルを超えていたとは考えにくい,② 核分裂によるストロンチウム90の生成量はセシウム137よりも少ないので,ストロンチウム90の水面への降下量も1cm2当たり3.3ベクレルを超えていたとは考えにくい,③ 被爆者が飲んだ河川水の量を1リットルと仮定すると,この水中の放射能は,セシウム137,ストロンチウム90のいずれの放射性核種についても330ベクレル以下となる,④ ICRPの線量換算係数によれば,1ベクレル経口摂取したときに肝臓の受ける線量の50年間の合計は,セシウム137では1.4×10-8シーベルト,ストロンチウム90では6.6×10-10シーベルトであるから,330ベクレル経口摂取した場合の肝臓の受ける線量の50年間の合計は,セシウム137が4.6×10-6シーベルト,ストロンチウム90が2.2×10-7シーベルトと算出されるとしている(乙B37・2頁)。
(コ) C5及びC6の意見
国際医療福祉大学放射線医学センター長のC5及び大分県立看護科学大学学長のC6は,① 現在は,線量換算係数を用いて,摂取した放射性核種の量から内部被曝線量を算定することができる,② 体内に摂取した放射性核種の量は,ホールボディカウンターや肺モニター,体内から排出される尿などを測定することによって把握することができ,このように放射性核種による内部被曝に関しては,かなり研究が進んでいる(乙B3・14頁),③ 1グレイの被曝がもたらされる場合の1回の摂取量は,例えば,広島原爆については,マンガン56であれば,土壌36kgを,ナトリウム24であれば,土壌111kgを,それぞれ摂取する必要がある(乙B17・23頁。なお,C6について,乙B22の1・163項ないし167項も同旨である。),④ 放射性核種の種類によって,排せつされる速度や割合を生物学的半減期として測定することができるとしている(乙B2・19頁)。
また,C6は,放射性物質は50核種くらいであり,半減期等を考慮すると,内部被曝が問題となる核種としては,セシウム137とストロンチウム90を考えればよいとしている(乙B22の1・175項)。
ウ 検討
(ア) 岡島俊三らの調査は,昭和20年から昭和60年までの40年間に及ぶ内部被曝線量を積算した結果,男性で0.0001グレイ,女性で0.00008グレイであるとしており,今中哲二報告は,DS02に基づき,原爆当日に広島で8時間の焼け跡の片付けに従事した人々の塵埃吸入を想定して,内部被曝による線量評価を試みた結果,0.06マイクロシーベルトであるとしている。確かに,これらの調査や報告の示す線量は,極めて僅かなものであって,それ自体は放射線被曝による影響をさほど考慮しなくてもよい数値である。
この点,マハーラーらは,1981年(昭和56年),ミラーは,1982年(昭和57年),長崎の西山地区におけるセシウム137の降下量を調査しているところ,その中でも最も高い推定値は,1km2当たり900ミリキュリー(マハーラーらの推定値。なお,ミラーの推定値では1km2当たり130ミリキュリーである。),すなわち,1cm2当たり3.3ベクレルであり,爆心地付近ではこの10分の1程度と考えられている(乙B15・216頁,乙B37・2頁)。そして,上記の調査を基にすれば,広島では,放射性核種が高く検出された己斐高須地区においても,セシウム137の降下量は1km2当たり3ミリキュリーないし10ミリキュリーとされ,マハーラーらの推定値と比較すると90分の1以下となり,爆心地付近ではこの10分の1程度と考えられているのであって(乙B5・354頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)67頁),マハーラーら及びミラーの調査は,岡島俊三らの調査や今中哲二報告を支持するものとなっている。
(イ) しかしながら,まず,岡島俊三らの調査についてみると,調査が行われたのは昭和44年以降であり,短期間で大きな内部被曝を生じさせる可能性のある放射性物質(短半減期核種)による内部被曝線量が考慮されていないという問題や,ホールボディカウンターで計測したセシウム137から放出されたガンマ線を調査したにすぎず,このようなホールボディカウンターによる計測では標準以下のエネルギーしか有していないベータ線を測定することができない(甲A237・16頁,17頁,甲A267の1・24頁,甲A602の2の25・11頁)という問題を指摘することができるのであって,これをもって内部被曝の積算線量の程度が上記のように僅少であると断定することはできない。一方,今中哲二報告についても,今中哲二報告は,おおよその仮定を基にどの程度の被曝になりそうか見積もってみたものにすぎず,吸入の対象とした放射能は土壌中のナトリウム24とスカンジウム46に限られているのであって(乙B9・153頁),これをもって内部被曝の程度が上記のように僅少であるともいえない。
マハーラーら及びミラーの調査も,セシウム137の降下量を測定したにとどまるものである上,その推定値も,両者において大きな開きがあるものである。
さらに,爆心地付近に限らず局地的に放射性降下物や誘導放射化された物質が集積するなどしている場合があり得ることも考慮すると,内部被曝線量は無視し得る程度のものであると評価することには,なお疑問が残るといわざるを得ない。
(ウ) 内部被曝については,丹羽太貫ら報告や平成24年放影研見解のように,人体に与える影響では,外部被曝と余り違いがないとする見解や,C9の意見やC5及びC6の意見のように,内部被曝の影響が生ずるには飲食物の大量摂取が必要であるとする見解もある。
しかしながら,内部被曝に関係する理論は,内部被曝が人体に与える影響が,外部被曝よりも大きいことを示唆するものである。
このうちホット・パーティクル理論については,ロッキーフラットでの内部被曝事例やチャールズらによる動物実験に整合せず,ICRP1991年勧告も,チャールズらによる動物実験が,均一被曝が最も発がん性が高いことを明確に示したとしているが,内部被曝の機序について必ずしも科学的に解明されているわけではない。
一方,逆線量率効果,バイスタンダー効果及びゲノム不安定性については,低線量放射線による継続的被曝が高線量放射線の短時間被曝よりも深刻な障害を引き起こす可能性を指摘するものであるところ,低線量放射線による継続的被曝については,鳥井寛之ら教科書のように同じ被曝線量を受けても低線量率で長時間受ける方が影響は少ないと考えられているとする見解や,放射線ホルミシスや適応応答のように,むしろ微量放射線によって生体に刺激作用がもたらされるとか,生体の防御機能が増強されるとする見解もあるものの(乙B114・131頁),低線量放射線影響分科会報告は,逆線量率効果,バイスタンダー効果及びゲノム不安定性の可能性を指摘しているのであって,このような科学的知見を無視することはできないものというべきである。
また,トロトラストの事例は静注に基づく内部被曝であり,原爆による内部被曝にそのまま当てはめることはできないとしても,チェルノブイリ原発事故の事例は,内部被曝が特定の臓器に影響を与えることを裏付けるものであり,ゴイアニア事故では,土を廃棄したり,民家を解体したりして汚染除去作業まで行われている。そうであるとすれば,やはり,内部被曝については,外部被曝とは異なり,場合によっては外部被曝よりも人体に大きな影響を与える場合があることは否定することができないものというべきである。また,C2の意見のように,臓器の質量等による個人差を考慮する必要もある。
(エ) 確かに,放射線医療の現場においては,放射性核種を投与して診断に役立てており(乙B43・151頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)71頁),この核医学では体の特定の部位に集まる放射性核種を投与するということが行われている。そして,例えば,テクネシウム99mを用いた場合は骨等に,ヨード125やヨード131を用いた場合は甲状腺組織に集まることが分かっており,これを診断に役立てることになるが,その場合の線量は,テクネシウム99mの場合,7.5ミリグレイ(0.0075グレイ),ヨード131の場合,1405.4ミリグレイ(1.4054グレイ)などとなっている(乙B44・82頁,83頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)71頁)。
しかしながら,このように放射線医療の現場において,相当量の放射性核種が投与されているからといって,これにより内部被曝の影響が生じていないとする根拠はないし,医療上の必要により放射性物質が投与される場合には,現代の医療水準に基づき,放射性物質による影響をできる限り少なくするための処置が講じられていると考えられるのであって,全く無防備で特段の事後対応もされなかった原爆被爆者の場合と同視することはできないといわざるを得ない。
(オ) 以上によれば,被爆者の被曝線量を評価するに当たっては,当該被爆者の被爆状況,被爆後の行動,活動内容,被爆後に生じた症状等に照らして,放射性降下物及び誘導放射化された物質を体内に取り込んだことによる内部被曝の可能性がないかどうかを十分に検討する必要があるというべきであり,加えて,内部被曝による身体への影響には,一時的な外部被曝とは異なる特徴があり得ることを念頭に置く必要があるというべきである。なお,その際には,IAEAのレポートに,「放射性核種は,洗浄,溶解あるいは,剥離物質の皮膚への塗布により,除去されるべきである。全身への汚染の拡大は,是非とも防がなければならない。ルールは,表皮剥離を避けるというものである。皮膚を通しての物質の通過を促進する物質を使ってはならず,主要な皮膚の汚染除去は,その部分だけで行われるべきである。」とあるように(甲A282の1,甲A282の3・16頁),被爆者が外傷を負っているか否かについても,内部被曝においては考慮すべき重要な事情であるというべきである。
(6) 急性症状等
ア 総説
(ア) 下痢に関する一般的な医学的知見
a 概要
下痢とは,元来,糞便中の水分の増加を意味する。日本人の1日の糞便量は約150gで,水分含有量はその60%ないし70%であるが,80%ないし90%になると軟便から泥状便,90%以上では水様便になる(乙B116・727頁)。下痢は,持続期間により,2週間以内のものについては「急性」,2週間ないし4週間のものについては「持続性」,4週間を超過するものについては「慢性」と定義されている(乙B117・261頁)。
下痢の原因としては,種々のものがあり,その症状も様々である(乙B117・262ないし266頁,乙B118・83頁)。
b 急性下痢症
急性下痢症は,90%以上が感染症によるものであり,感染性下痢症は,一般的には,ヒトや動物の便に由来する病原体が,汚染された食物や水を介して経口的に感染して起こるとされている。感染性下痢症の症状としては,しばしば嘔吐,発熱及び腹痛を伴うことが挙げられる。腸管内には,500種類以上の細菌が常在しているが,これらが下痢の原因となることはほとんどなく,感染性下痢症は,胃腸に侵入した病原微生物が宿主の胃酸,消化酵素,粘液分泌,蠕動及び細菌による抑制などの防御機能を圧倒あるいは回避することによって起こる(乙B117・262頁)。
c 慢性下痢症
慢性下痢症の場合は,急性下痢症とは対照的に,その原因のほとんどが非感染性である。また,慢性下痢症の原因を病態生理に基づいて分類すれば,分泌性,浸透圧性,脂肪性,炎症性,腸管運動機能不全等に大きく分類できる(乙B117・264頁)。
分泌性の下痢は,腸管において水分や電解質の分泌を促進して起こる下痢である。慢性分泌性下痢症の原因として最も多いのは,薬物や特定の毒素(砒素など)の定期的な摂取による副作用であり,ほかにも,腸管切除,腸管疾患,腸管瘻や,ホルモン等も原因として挙げられる。分泌性の下痢は,痛みを伴わず,絶食後も持続する水様で大量の便排出によって特徴づけられている(乙B116・727頁,乙B117・264頁)。
浸透圧性の下痢は,吸収されにくく浸透圧の高い物質が摂取されて腸管内に多くの液体を吸い込み,その量が結腸の再吸収能を上回る場合に起こる下痢である。便への水分排出は,溶質の摂取量に比例して増加する。浸透圧性の下痢の原因としては,マグネシウムを含む制酸薬,健康サプリメントや下剤の摂取によるものなどが挙げられる。浸透圧性の下痢は,絶食や原因物質の摂取を止めることにより収まるのが特徴である(乙B117・265頁)。
肪肪性の下痢は,脂肪の吸収不良による下痢である。油分が多く,悪臭を伴う下痢を生じ,しばしば体重減少や栄養失調を引き起こす。また,腸管内での消化不良を引き起こすこともある(乙B117・265頁)。
炎症性の下痢は,一般的に,疼痛,発熱,出血,その他の炎症所見を伴う下痢である。炎症性の下痢では,炎症による滲出や腸管の運動性亢進などが原因となり得る(乙B117・265頁)。
腸管運動機能不全による慢性下痢症は,腸管の内容物の通過時間の異常を原因とするものである。腸の運動機能が低下した場合であれば,腸管の内容物の停滞による細菌の過剰増殖が起こり,結果として下痢を引き起こすことがある。また,腸の運動機能が亢進した場合(過敏性腸症候群や甲状腺機能亢進症)も,結果として下痢を引き起こす。非常に頻度の高い疾患である過敏性腸症候群は,腸管(特に大腸)の機能的疾患であり,副交感神経系の持続的緊張亢進状態によって,腸管の運動亢進や分泌亢進が起こり,腹痛,下痢,粘液便,便秘,腹部膨満などを起こす状態をいう。便通の状態により,便秘型,下痢型及び下痢便秘交代型に分けられるが,同一例に種々の型が出現する。このうち,下痢型は,しばしば突発する腹痛と共に起こり,排便により寛解する。過敏性腸症候群は,粘液便を伴うことが多く,青壮年層に多くみられ,精神的ストレスや環境の変化によって増悪するとされている(乙B116・410頁,727頁,乙B117・266頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)8頁)。
d 乳幼児及び小児期の下痢
乳幼児及び小児期には,急性感染性下痢症や過食,風邪に伴う下痢が多いとされており,その多くは原因が判明しないうちに治癒に至る。急性下痢症の原因であるウイルス性胃腸炎は,乳幼児及び小児にも多くみられることが特徴的であるとされている。現在,ウイルス性胃腸炎を引き起こすウイルスとしては,ロタウイルス,アデノウイルス,ノーウォークウイルス,ノロウイルス及びアストロウイルスの五つが知られている(乙B116・1872頁,乙B119・1338頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)8頁)。
(イ) 脱毛に関する一般的な医学的知見
脱毛症とは,正常に存在していなければならない毛が欠如しているか,脱落してまばら又は消失している状態をいう。一般に脱毛症として問題にされるのは毛髪に被われた頭部の毛であるところ,頭毛の数は,個人差はあるが約10万本とされており,1日に50本程度の抜け毛は生理的に生じる(乙B116・1573頁)。
器質的異常としての脱毛は,臨床上,先天性脱毛症と後天性脱毛症とに大別される。先天性脱毛症にはびまん性(隅々まで広がる性質)のものと限局性のものとがあり,後天性脱毛症には症候性のものと非症候性で他の皮膚病変を伴わないものとがある(乙B116・1573頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)9頁)。
後天性脱毛症のうち,主な類型としては,① 円形脱毛症(遺伝的背景や自己免疫,精神的ストレスが原因とされている。),② 男性型脱毛症(壮年性脱毛症。男性ホルモンが原因とされている。),③ 薬物による脱毛症(抗腫瘍薬や抗精神薬等の薬物が原因とされている。),④ 外傷性脱毛症(物理的外力が原因とされている。),⑤ 休止期脱毛状態(成長期毛が休止期毛に移行して起こる脱毛をいう。持続性高熱,難産,外科的ショック,ストレス,出血,急激なダイエットなどが原因とされている。),⑥ 感染性脱毛症(種々の病原体の感染により毛や毛包が傷害を受けて生じた脱毛の総称をいう。),⑦ 全身性疾患に伴う脱毛症などが挙げられ,さらに,全身性疾患に伴う脱毛症としては,栄養障害及び代謝障害に伴う脱毛,内分泌障害に伴う脱毛,膠原病に伴う脱毛,全身性感染症(梅毒等)に伴う脱毛並びに腫瘍による脱毛が挙げられる。このように,脱毛症の種類及び原因には様々なものがある(乙B120・518ないし525頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)9頁)。また,脱毛症の頻度としては,円形脱毛症と男性型脱毛症(壮年性脱毛症)が多いとされている(乙B121・246,247頁)。
円形脱毛症は,脱毛の程度や部位などから主に四つに分類される。①通常型は最も多くみられる型であり,孤立性の脱毛巣が一,二個できる単発型と,脱毛巣がより多く出現する多発型とがある。通常型以外には,②全頭脱毛症(頭髪のほとんどが脱落する型),③汎発性脱毛症(頭髪のみならず,眉毛,睫毛,ひげ,腋毛,陰毛及び体毛も抜ける型)及び④蛇行状脱毛症(後頭部から側頭部の毛の生え際に沿って境界鮮明な帯状で不整形に脱毛する型)がある(乙B120・519頁,乙B122・23頁,24頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)9頁,10頁)。
(ウ) 出血傾向に関する一般的な医学的知見
出血傾向とは,正常にあるべき止血機構が障害された結果生ずる易出血状態又は止血困難な状態をいう。一般的には,皮膚,粘膜などの紫斑,組織内への自然出血,1箇所以上の出血,局所に異常がない鼻出血,産婦人科的疾患がない過多月経や性器出血,軽度の打撲後の易出血性などが挙げられる(乙B119・229頁)。
正常な止血機構は,血管,血小板,血漿蛋白(凝固線溶因子)などの制御機構が正常に働くことによりされている。大きな動脈や静脈が損傷を受けたときや局所に出血を引き起こす原因となる疾患がある場合は,正常の止血機構が働いていても,多量の出血を来す。しかし,そのような外傷や原因がなくても出血又は止血困難を呈する場合は,先天性又は後天性に正常の止血機構が障害されており,血管,血小板,血漿蛋白(凝固線溶因子)などの量的,質的異常が出血傾向を招来していると考えることができる(乙B119・229頁)。
出血傾向を引き起こす原因としては,血小板異常(血小板減少症及び血小板機能異常症),血管異常及び血漿蛋白(凝固線溶因子)異常に分けられ,それぞれ多種多様の疾患の存在が考えられる(乙B119・232頁)。
後天性の血管異常を引き起こす「壊血病」は,ヒトにおけるビタミンC欠乏症として古くから知られている疾患である。壊血病は,点状出血,歯肉の出血,毛嚢の角化症,毛包周囲の出血,関節痛,関節の浸出,疲労感,抑うつ症や心気症によって特徴づけられ,また,感染に対する抵抗力が低下するとされている。壊血病は,栄養状態が改善している現在の日本ではほとんどみられないが,先進国であっても,アルコール中毒症,栄養的無知及び貧困によって生じ得るとされている(乙B123・213頁,乙B124・121頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)10頁,11頁)。
また,後天性の血漿蛋白(凝固線溶因子)異常を引き起こす「ビタミンK欠乏症」により,血液を凝固させる因子の合成に関わっているビタミンKが欠乏すると,血が固まりにくくなり,出血傾向となる(乙B124・114頁,116頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)10頁,11頁)。ビタミンKには,緑葉に多いビタミンK1と細菌が産生するビタミンK2の2種が存在している(乙B116・2079頁)。ビタミンK1は植物に広く分布しており,また,ビタミンK2はヒトの体内の腸内細菌によって必要量にほぼ見合う量の産生ができるため,ビタミンK欠乏症は健常人の間では一般的ではない(乙B123・200頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)11頁)。そのため,成人におけるビタミンK欠乏の原因は,主として疾病あるいは薬物療法による二次的なものとされており,現在では,食事制限によりビタミンKの摂取が少ない患者や,抗生物質を投与され非経口栄養に頼っている患者などにビタミンK欠乏による出血傾向が一般に観察されやすいことが知られている。また,成人とは異なり,新生児の場合は,胎盤を通してのビタミンKの輸送が乏しいため,ビタミンKの貯蔵は出生直後には低く,また,新生児の腸管は無菌状態であるため,しばらくの間はビタミンK1の合成ができないことに加え,母乳中のビタミンK含有量も低いことから,ビタミンK欠乏による出血傾向が多くみられ,注意が必要であるとされている(乙B123・200頁,201頁,乙B124・116頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)11頁,12頁)。
イ 各種知見
(ア) 急性放射線症候群
a 総説
1グレイを超す急性被曝を全身に受けた場合に被曝した放射線量の線量に応じて発現する骨髄障害,皮膚障害,口腔粘膜障害,消化管障害,中枢神経障害などの放射線による確定的影響は,「急性放射線症候群」として整理されている。この概念は,広島原爆及び長崎原爆の被爆医療調査や米国における原子力の軍事応用の開発初期に起こった被曝事故の診療経験をまとめる過程で出来上がったものとされている(乙B130・75頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)16頁)。
上記のとおり,急性放射線症候群は,しきい値を超えて被曝した場合に症状が出現する確定的影響に属するものとされており,しきい値以下の被曝では症状が出現しないことが大きな特徴の一つである(乙B52・2頁)。なお,同じ被曝線量であっても,分割照射による被曝又は持続的であるが時間当たりの線量が低い被曝の場合には,しきい値線量の値が高くなり,被曝線量の総量に比して症状は少なく,放射線障害も軽いとされている(乙B52・2頁,乙B130・79頁)
また,急性放射線症候群は,① 前駆症状と呼ばれる症状が一過性に発現する「前駆期」(被曝後48時間以内),② 前駆症状が消え無症状となる「潜伏期」(被曝後3日ないし1箇月程度),③ 主症状としての種々の症候群(骨髄障害,皮膚障害,消化管障害等)を発症する「発症期」,④ その後の「回復期」(又は死亡)という時間的経過をたどるという大きな特徴がある(乙B52・3頁,4頁,乙B130・75頁,77頁,79頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)16頁)。
b 前駆期の症状(前駆症状)の特徴
最低1グレイ以上(発熱は2グレイ以上)の放射線に被曝すると,48時間以内に,悪心,嘔吐,下痢,発熱,初期紅斑,唾液腺の腫脹等の前駆症状と呼ばれる症状が一過性に出現する。これらの前駆症状は,消化管の蠕動運動が高まること(亢進)や,消化管ホルモンの分泌が高まること,皮膚や粘膜の毛細血管の拡張及び透過性が高まること,神経血管反応が高まることなどの基礎病態に基づいている(乙B130・75頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)17頁)。
出現する前駆症状の種類は,被曝線量により異なり,前駆症状の出現時期も被曝線量により異なる。被曝線量が高くなれば前駆症状の出現までの時間は早くなる(乙B130・79頁)。
この前駆症状自体は,日常的にもみられる非特異的な症状であることから,急性放射線症候群であるか否かを判断するためには,更に潜伏期以降の症状の現れ方をみなければならない(乙B130・79頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)18頁)。
前駆症状として出現する下痢は,4グレイないし6グレイの全身被曝であれば,被曝後3時間ないし8時間の間に一過性に出現し(発現頻度は10%未満),6グレイないし8グレイの全身被曝であれば,被曝後1時間ないし3時間の間に一過性に出現する(発現頻度は10%以上)が,4グレイ以下であれば,出現しない(乙B52・3頁,4頁)。
この前駆症状として出現する下痢は,上記のとおり,毛細血管の透過性や消化管の蠕動運動が高まることによって生じるものであることから水様性であるという特徴があり,また,潜伏期に入るとすぐに軽減することも明確な特徴ということができる(弁論の全趣旨・被告準備書面(7)20頁)。
c 潜伏期の特徴
潜伏期とは,放射線感受性が高い組織の細胞死に伴う細胞欠落症状が発現するまでの,比較的無症状の期間をいう。すなわち,前駆期を過ぎると,一時的に前駆期にみられた前駆症状は消え,無症状の時期(潜伏期)に入る(乙B130・75頁)。これは,前駆症状は炎症反応とされるところ,人の体の中には炎症反応が起きると,それを抑えようとする恒常性を保つという反応が起きて,この炎症を抑えることができるようになることによるものである(乙B34の1・6頁)。したがって,前駆期にみられる前駆症状としての下痢は,その後すぐに軽減し,消えてしまう(乙B34の1・10頁)。この潜伏期の存在が,放射線被曝による急性症状の大きな特徴の一つとされている(弁論の全趣旨・被告準備書面(7)20頁)。
この潜伏期の長さも被曝線量に依存し,被曝線量が高いほど短くなる(乙B130・75頁)。
d 発症期の症状(主症状)の特徴
潜伏期を経て発症期に入ると,主症状としての種々の症候群(骨髄障害,皮膚障害,消化管障害等)が発症する。主症状も,被曝線量に応じて出現する種類及び時期が異なる。
もっとも,発症期における主症状も非特異的なものであることから,単にこれらの症状がみられたというだけでは,その原因が放射線被曝であると判断することはできない(乙B52・4頁,乙B130・79頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)21頁,22頁)。
発症期における主な主症状の特徴は,以下のとおりである。
(a) 骨髄障害(出血傾向等)
1グレイ以上の全身被曝では,主症状としての骨髄症候群が発症する。これは,放射線被曝によって骨髄の造血幹細胞の細胞死が加速して減少することにより生じる病態であり,白血球が減少することによる易感染性,血小板が減少することによる出血傾向(歯茎からの出血,紫斑など)などが挙げられる(乙B130・75頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)22頁)。
このうち,出血傾向についてみると,例えば,4グレイないし5グレイ以下の骨髄機能が回復する可能性のある放射線被曝の場合は,おおよそ被曝後1時間以降(48時間以内)に嘔吐,微熱,更には軽度頭痛などの前駆症状が出現し,2週間ないし3週間の潜伏期を経て,血小板の減少に伴い出血傾向の症状が出現する(乙B130・75頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)22頁)。
この点,一般に,血小板数は2万/μLないし3万/μL(0.2ないし0.3×1011/L)以下にならなければ,日常生活で出血傾向を来すことはまずないとされているところ,UNSCEAR1988年報告書によれば,被曝線量に応じた被曝後の血小板数の変化については,2グレイ程度以上被曝した場合に0.2ないし0.3×1011/Lを下回り,出血傾向が生じる(乙B130・79頁,乙B132・2頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)22頁)。
そして,2グレイ程度の被曝の場合であれば,血小板数は,被曝後10日過ぎ頃から急激に低減し,被曝後3週間程度経過した頃に最も低下するが,被曝後1箇月余りで回復に向かう(乙B52・4頁,5頁,乙B130・79頁)。したがって,このような血小板数の変化に伴い,出血傾向も,被曝後3週間程度経過した頃から出現し,血小板数の回復に沿って消失することになる(弁論の全趣旨・被告準備書面(7)23頁)。
このように,急性放射線症候群による主症状としての出血傾向は,前駆期や潜伏期に相当する時期には出現しないということと,出血傾向が長期間継続しないということが極めて大きな特徴であるということができる(弁論の全趣旨・被告準備書面(7)23頁)。
(b) 皮膚障害(脱毛等)
急性放射線症候群による主症状としての皮膚障害としては,被曝線量によっても異なるが,時間の経過とともに脱毛,色素沈着,落屑,水疱等が生じる。また,ICRP1991年勧告においても,それぞれのしきい線量と出現時間が明らかにされている(乙B52・6頁)。
上記の皮膚障害のうち,脱毛は,3グレイ程度以上被曝した場合に生じるとされており,このようなしきい値があることが大きな特徴の一つである(乙B52・6頁)。
急性放射線症候群による主症状として生じる脱毛は,毛髪の元となる毛母細胞が放射線被曝により障害されて少なくなることにより,通常よりも成長しない細い毛髪が根本に生えることから既存の太い毛髪を支えられなくなって生じる。3グレイ程度の全身被曝をした場合,頭髪の一部だけが抜けたり,少量ずつ抜けたりすることはない。また,3グレイ程度の被曝であれば,被曝後15日以降に脱毛が生じ,8週間ないし12週間後には発毛がみられるが,7グレイ程度の被曝であれば,被曝後11日以降に生じ,永久脱毛となる。放射線被曝による主症状として生じる脱毛が,1年,2年,あるいは,十数年と継続した後で発毛することはない(乙B22の1・46項ないし60項,乙B34の1・12頁ないし14頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)24頁)。
(c) 消化管障害(主症状としての下痢等)
急性放射線症候群による主症状としての消化管障害は,約8グレイないし10グレイ以上の被曝で発症するとされている(乙B52・5頁)。急性放射線症候群による主症状としての消化管障害は,放射線による粘膜上皮細胞(消化管の上皮細胞)の幹細胞が死滅して粘膜組織が欠落し,しかも,粘膜上皮細胞の再生が障害されることによって生じるものであり,腸管蠕動障害,吸収障害及び下痢が出現し,更に粘膜組織の剥奪が進行すると血管がむき出しになる一方で,上記のとおり,骨髄障害により血小板が減少していることから,消化管内の血管が破綻し,制御不能の消化管出血が生じることになる(乙B34の1・10頁,乙B52・5頁,乙B130・76頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)24頁,25頁)。
このように,放射線被曝による主症状としての下痢は,前駆症状としての下痢とはその程度も内容も全く異なり,大量出血を伴う重篤かつ血性の下痢であるという大きな特徴があり,主症状としての下痢を発症するような事態に至れば,消化管の細胞を再生させる医療技術がないため,現代の医学水準をもってしても救命可能性はないとされている(乙B34の1・10頁,11頁,乙B130・82頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)25頁)。
また,主症状としての下痢は,6グレイ以上の極めて重傷ないし致死的な急性放射線症候群の症状であり,4グレイないし6グレイの被曝による重傷の急性放射線症候群であっても,出現するのがまれであるということも大きな特徴である(乙B130・77頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)25頁)。
(イ) 被曝以外の原因による身体症状
被爆後に被爆者に生じた症状について,被曝以外の可能性のあるものとして,①戦時下の栄養状態,②戦時下の生活環境,③当時よくみられていた下痢及び腸炎の可能性並びに④心的なトラウマ体験が挙げられる。
a 戦時下の栄養状態
戦時下においては,深刻な食糧難の状況にあり,国民の多くは,栄養失調を来して体力の低下が著しい状況にあった(乙B125・68頁ないし74頁,乙B126・74頁ないし82頁)。日本人一人当たりのカロリー摂取量についてみると,戦前である昭和6年ないし昭和15年を100とした場合,戦中の昭和18年は87,昭和19年は86,昭和20年は60と急激に落ち込んでいった。その背景には,農業人口の流失及び農業生産資材の窮乏等による農業生産高の減少や,漁業における魚介類の水揚げ高の深刻な落ち込み(昭和14年を基準とすると昭和20年にはその13%)があった(乙B125・68頁,71頁)。
法制度上も,昭和13年4月に国家総動員法が公布され,国内の人的物的資源が統制されることとなった。生活物資の統制については,ガソリン,米穀,木炭,砂糖及びマッチの配給統制等が敷かれ,昭和16年4月には,生活必需物資統制令が公布されるなど相次いで物資の統制が進められた。このような状況の中で,国民生活は貧困を極めていき,食糧事情は終戦まで悪化の一途をたどり,国民は,配給制の下,配給物資に欠乏する状態で,野草を食用とするなどしていた(乙B125・72頁ないし74頁,乙B126・74頁ないし82頁)。
このような食糧難と栄養失調状態は,学童,妊婦,胎児,成人などあらゆる世代の国民の体位や体力を低下させていた(乙B126・76頁ないし82頁)。
b 戦時下の生活環境
戦時下においては,保健衛生の観点からみても劣悪な生活環境にあった。例えば,伝染病についてみると,昭和6年以降,赤痢,ジフテリア,狸紅熱などを中心として,年々増加の傾向を示し,昭和14年を最高として以後次第に減少していったが,戦時下の昭和18年になると,腸チフス,パラチフス及びジフテリアの増加が顕著となり,赤痢及び狸紅熱も増加した。その他の疾病についても,戦争が長期化し,本格化するにつれ,保健衛生のほか,国民の体力そのものの低下もあって,罹病者が増加する傾向を示していた(乙B126・68頁,69頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)13頁)。その一方で,医薬品については元々輸入に頼っていた面が強いこともあり,極度の不足を来していた(乙B126・51頁ないし55頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)14頁)。
c 当時よくみられていた下痢及び腸炎の可能性
当時,下痢及び腸炎はよくみられる疾患であった。厚生省大臣官房統計調査部による昭和28年の患者調査によれば,病院の1日における「下痢及び腸炎(新生児を除く)」は3492人,「新生児下痢」は20人であり(乙B87・73頁),一般診療所の1日における「下痢及び腸炎(新生児を除く)」は2588人,「新生児下痢」は8人であり(乙B87・76頁),歯科診療所の1日における「下痢及び腸炎(新生児を除く)」は6人,「新生児下痢」は1人であった(乙B87・78頁)。そして,抽出間隔は,病院5.2734,一般診療所50.2687,歯科診療所208.5044であることから(乙B87・9頁),1日における下痢の患者数は,病院は,(3492人+20人)×5.2734=1万8520人,一般診療所は,(2588人+8人)×50.2687=13万0498人,歯科診療所は,(6人+1人)×208.5044=1460人であり,合計15万0478人であった(弁論の全趣旨・被告準備書面(4)28頁)。
d 心的なトラウマ体験
最近の精神医学における研究によれば,戦争体験等の心的なトラウマ体験が身体的健康に影響する可能性があるとされている(乙B128・465頁・466頁)。
具体的な例としては,次のようなものが挙げられる。
(a) 大規模な自然災害
阪神・淡路大震災,中越沖地震などの自然災害の被災者において,被災後,嘔吐,発熱,下痢,鼻出血,倦怠感,不眠といった様々な身体症状の発症が確認されており,心身医学の分野では,これらが被災後に発症したものである場合には,被災による精神的影響と考えられている。なお,自然災害で脱毛がみられたとの報告はない(乙乙B22の2・340項ないし344項,B49・3頁,4頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)80頁,81頁)。
(b) 東京大空襲
東京大空襲の経験者には様々な発症時期の脱毛がみられたことが分かっており(乙B50・181項ないし186項),自然災害では確認されない集団的な脱毛が,戦争体験では確認されていることについては,心身医学の立場から自然災害と戦争体験とで受ける精神的影響の格段の違いと,現代と昭和20年頃の衛生環境及び栄養状態の格段の違いによるとされている(乙B22の2・346項ないし351項,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)81頁)。
(c) JCO臨界事故のウラン加工工場の周辺住民
JCO臨界事故のウラン加工工場の周辺住民は,事故後2年以上を経過した段階において,様々な身体症状を発症しており,その発症率はウラン加工工場から離れるに従って減少していくことが統計的に有意に認められており,これらの身体症状は,自分も被曝をしているのではないかといった不安や風評被害などに基づく精神的影響によるものであり,その精神的影響がウラン加工工場から離れるに従って低減し,その結果,身体症状の発現率もウラン加工工場から離れるに従って減っていったとする見解がある(乙B22の2・354項ないし360項,乙B51,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)81頁,82頁)。
(ウ) 放射線被曝と多重がんとの関連についての報告
放射線被曝と多重がんとの関連についての報告としては,以下のものがある。
a 朝長万左男「原爆被爆者医療の最近の動向」
長崎大学医学部原爆後障害医療研究施設の朝長万左男は,平成14年,平成14年度原子爆弾被爆者指定医療機関等医師研修会において,「原爆被爆者医療の最近の動向」と題する講演(以下「朝長万左男講演」という。)を行った(甲A41文献27・1枚目)。
朝長万左男講演は,① 被爆者では一般集団のそれを上回る多重がんの発生がみられるか調査が必要となってきた,② 放射線の全身照射を受けた被爆者では,複数の臓器が被曝していると容易に想像することができ,被爆者のがん発生リスクを個体レベルで考える上で,この多重がんの問題は大きな影響を与えるとしている(甲A41文献27・2枚目)。
b 関根一郎ら「長崎原爆被爆者の重複癌の発生に関する検討」
長崎大学医歯薬学総合研究科原爆後障害医療研究施設の関根一郎らは,長崎原爆被爆者の腫瘍に関する分子疫学研究の一環として,病理学的診断の裏付けのある重複がん症例の病理学的検討を行い,「長崎原爆被爆者の重複癌の発生に関する検討」(以下「関根一郎ら報告」という。)としてまとめ(甲A67・144頁),平成16年に発表した。
関根一郎ら報告は,① 昭和37年から平成11年までの37年間に観察された長崎原爆被爆者の腫瘍症例から,668例の重複がん症例を抽出し検討したところ,被爆距離に反比例して重複がんの頻度が高かった,② 頻度の増加は昭和63年以降顕著となった,③ 若年被爆者に重複がんの頻度は高かった,④ 重複がんは胃がんと大腸がんの組み合わせが最も多かったとしている(甲A67・150頁)。
c 中島正洋ら「長崎原爆生存者における多重原発癌の発症率:放射線被爆との関連」
長崎大学医歯薬学総合研究科原爆後障害医療研究施設の中島正洋らは,多重原発がん発症率への原爆放射線被曝の影響を評価するため,長崎原爆生存者における第二原発がん発症率と被爆距離との関連を解析し,「長崎原爆生存者における多重原発癌の発症率:放射線被爆との関連」(以下「中島正洋ら報告」という。)としてまとめ(甲A290,弁論の全趣旨・原告主張要約書68頁),平成20年に発表した。
中島正洋ら報告は,① 長崎原爆生存者における第二原発がん発症率と被爆距離との関連を解析したところ,7572人のがん発症生存者において,511人の多重原発がんが認められ,粗発症率は10万人年につき27.6であった,② 第二原発がん発症率は爆心地からの距離が増加するのに従って有意に減少し,相対リスクは1kmにつき0.89(95%信頼区間は0.84ないし0.94)であった,③ 第二原発がんの到達年齢に基づいて被爆時年齢が高齢であるほど第二原発がん発症率は減少することも認められ,相対リスクは1年につき0.91(95%信頼区間は0.90ないし0.92)であった,④ これらの所見は,被爆が多重原発がん発症率に影響を及ぼしたことを示唆する,⑤ さらに,第一原発がんと比較すると,生存者における第二原発がん発症率へのより強力な距離効果が示唆された,⑥ この研究は,生存者における多重原発がんへの原爆被爆の有意な影響を示唆するものであるとしている(甲A290)。
(エ) B15の事例
B15は,昭和20年8月6日午前9時30分頃,広島市宇品町に到着した後,爆心地から1.5kmの位置にある広島日赤病院に行き,救援活動に当たった。B15は,部下と共に,広島日赤病院の池の水を沸騰させて飲んだところ,同月8日,全員に下痢の症状が出て,活動不能となった。B15は,その後,広島市西天満町の実家にいる家族の救出に当たることになり,同月9日,下痢の体調で,爆心地を通過した。B15は,体に紫斑が出て,頭髪や体毛が脱毛した(甲A276・5頁ないし8頁)。
(オ) 九州大学第二外科が実施した胃液検査
九州大学第二外科は,昭和20年9月頃,被爆者40人を対象として胃液検査を実施したところ,その際に確認された白血球数について,2km以遠で被爆した21人の被爆者のうち10人に白血球数減少が認められた(甲A602・67頁ないし69頁)。
(カ) 篠原健一ら及び松浦啓一の調査
九州帝国大学理学部の篠原健一らは,昭和20年10月1日,同月15日,同月28日,その後連続して4回の調査を長崎市西山町4丁目の住民に対して行ったところ(甲A602の2の42・990頁),各年齢を通じて白血球数が増加の傾向を有した(甲A602の2の42・998頁)。
一方,九州大学医学部の松浦啓一は,その後も継続調査を行い,白血球数の増加が被爆後8箇月頃を頂点として1年半余りにわたり明瞭に認められ,一次放射線被曝量によって分けた各群間には差を認めず,また,二次放射能の被曝推定線量の大小によっては明らかな差異を認め得なかった。松浦啓一は,この特異な現象は,核分裂生成物からの体外,体内照射による影響であると考察した(甲A602の2の20・614頁,615頁,625頁,626頁)。
(キ) 陸軍軍医学校臨時東京第1陸軍病院「原子爆弾による広島戦災医学的調査報告」
昭和20年作成の陸軍軍医学校臨時東京第1陸軍病院の「原子爆弾による広島戦災医学的調査報告」は,① 陸軍軍医学校は,同年8月8日から広島市において救護及び調査活動に従事したが(乙B96・285頁),脱毛患者の発生地域は,爆心から半径約1.03kmの地点以内の地域であった(乙B96・340頁),② 陸軍船舶練習部第10教育隊のB32隊(同月6日夕刻から爆心から0.3kmの地点にある広島市紙屋町に露営し,同月11日まで,爆心から1km以内で死体発掘その他の作業に服した。)や,B33隊(同月8日から,爆心から0.2kmないし1.5kmの地点で宿営しつつ,同月11日夜半まで清掃作業を行った。)等,広島原爆の投下後1週間以内に爆心地付近に入り,作業を行った兵員について,白血球数等の検査を実施したところ,同年9月24日に白血球数が3200であった一人を除き,全く異常を認めなかった(乙B56・387頁,388頁),③ 同月15日から同月30日までの間,宇品分院外来において,広島市宇品町で被爆した後中心地で行動した市民20人に血液検査を実施したが,白血球減少者はおらず(乙B56・388頁),同年8月10日に広島に帰り,爆心から500mの地点において各種作業を行った一人については,白血球数が少なかったものの,すぐに回復し,脱毛等の症状もなかったとしている(乙B56・389頁)。
なお,半径約1.03kmは,半径約1.3kmの誤記である可能性がある(乙B96・339頁,340頁)。
(ク) 「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」
1946年(昭和21年)作成の「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」は,① 爆心地から2.25kmないし4.25kmで被爆した男女46人中8人に脱毛がみられ,2.25kmないし3.35kmで被爆した41人中14人に皮下出血がみられた(乙B182),② 生存した症例のうち放射線に起因する症状や所見を示したものの多くは,爆心から1kmないし1.5kmで被爆したことが明らかであるが,長崎においては4kmまでの距離の被爆者に放射線の影響がみられたことを示唆する日本側のデータがあるとしている(乙B183・106頁)。
(ケ) 日米合同調査団の報告書
昭和26年作成の日米合同調査団の報告書は,長崎において,脱毛は,爆心地から3.1kmないし4kmの地点で1.3%,爆心地から4.1kmないし5kmの地点で0.4%であり,紫斑は,爆心地から3.1kmないし4kmの地点で1.4%,爆心地から4.1kmないし5kmの地点で0.4%であるとしている(甲A19・93頁)。また,遮蔽の有無によっても差が生じている(甲A19)。
(コ) 家森武夫「原子爆弾症(長崎)の病理学的研究報告」
山口県立医学専門学校教授の家森武夫は,山口県立医学専門学校研究治療班が昭和20年9月14日から約1週間剖検を行った13例を検討し,「原子爆弾症(長崎)の病理学的研究報告」(以下「家森武夫報告」という。)としてまとめ(甲A276資料36・1244頁),昭和28年に発表した。
家森武夫報告は,① 11歳の女性は,爆心地から約3kmの地点において木造家屋の下敷きとなって,右足を骨折した,② 被爆後10日程元気であったが,その後,咽頭痛,点状出血及び発熱があり,脱毛はなかったが,更に歯根の腫脹出血と食欲不振が出た(甲A276資料36・1253頁),③ 同女性の卵巣について,graaf氏瀘胞の変性があり,やや多数の原始瀘胞を認め,約二層の顆粒層及び著明な卵丘を有する卵胞を認めるが,顆粒層は卵胞膜から剥離している(甲A276資料36・1254頁),④ リンパ濾胞は減少している(甲A276資料36・1272頁),⑤ 大腿骨骨髄の肉眼的所見は,骨幹部はおおむね黄色脂肪髄であるが,時に赤色味を帯びており,これは充血や出血の結果であると思われる,⑥ 通常造血の行われている骨端部の骨髄では反対に稍黄色を帯びた赤色で水腫性であるとしている(甲A276資料36・1274頁)。
(サ) 沢田藤一郎ら「原子爆弾症の臨床的研究(1)」
昭和28年発表の九州大学医学部教授の沢田藤一郎らの「原子爆弾症の臨床的研究(1)」(以下「沢田藤一郎ら報告」という。)は,① 原爆の爆発当日遠隔地に在り,数時間後ないし翌日から爆心地に居住する者10人中成人8人の白血球数は最低4400,最高8200で,1人を除いては5400以上を呈し,成人8人の平均は6350で全く正常値であった,② 爆発当日長崎市又はその近郊にあり,数時間後から爆心地に居住する者7人中成人6人の白血球数は最低3000,最高7320,平均4600であり,6人中3人は3200以下で明らかに減少していた,③ 九大救護班員13人についての成績は最低5200,最高8200,平均6440で全く正常値であった(乙B58・1055頁),④ この成績からみて,原爆に直接被爆しなければ,現地に居住しても,残存放射能によって大した障害を起こすものではなく,爆心地滞在によって少なくとも爆発1箇月後において,人体に影響が認められることを証明することはできなかった(乙B58・1055,1056頁),⑤ 救護班員として現地に滞在した後に,疲労感あるいは下痢を訴えた者があり,これを残存放射能の作用に帰し,また,白血球が減少したと危惧した者もあったが,このような者らを再検査したところ正常であり,当時の長崎市における食糧,宿舎及び仕事の量等を想起する時,むしろ,かかる訴えは疲労,不摂生等によって起こったり,また,神経性で起こったりしたものもあったと考えられるとしている(乙B58・1056頁)。
(シ) 中島良貞ら「長崎市における原子爆弾による人体被害の調査」
昭和28年発表の九州帝国大学医学部教授の中島良貞らの「長崎市における原子爆弾による人体被害の調査」(以下「中島良貞ら報告」という。)は,① 爆心地から1000mないし1500mにあった三菱兵器大橋工場の従業員110人について,昭和20年9月10日及び同月11日に白血球数の集団検診を行ったところ,33人が4000以下であった(乙B59・949頁,950頁),② 原爆の爆発当日に遠隔地にいて原爆の直撃を受けず,その直後又は数日中に同工場に駆け付け同月10日まで約1箇月間救護その他に当たった17人については,一人として白血球数4000以下の者はいなかった(乙B59・954頁,956頁),③ 爆心地並びにその付近の土地は人体に傷害を及ぼす程の残留放射能を有していないとしている(乙B59・978頁)。
(ス) 都築正男「医学の立場から見た原子爆弾の災害」
昭和29年発表の東京大学名誉教授の都築正男の「医学の立場から見た原子爆弾の災害」(以下「都築正男報告」という。)は,① 原子爆弾に遭った者らがその後何年か経た後に訴える特徴のない諸症状を一括して「慢性原子爆弾症」と呼ぶ,② これは,主として,第一次放射能の傷害により,身体の諸臓器にそれぞれある程度の影響を被ったものの,その程度が軽かったために,中度以下の放射線病にかかったが,回復し,又は,放射線病の症状は示さなかったが,いわゆる潜在性放射線病者として経過した者らで,それぞれの業務を営んではいるが,常に疲れやすいことを訴え,業務に対する興味ないし意欲が少なく,しばしば感冒や胃腸障害,特に下痢に悩んでいる者らのことをいい,健康者と病者との中間に位置する(甲A41文献3・83頁),③ 慢性原子爆弾症の診断は,〈ア〉 被爆当時,どのくらいの第一次放射能の傷害を受けたか,〈イ〉 急性放射線病の症状を発したか,発症した場合には,その程度はどうであったか,〈ウ〉 被爆直後1箇月ないし2箇月の間に第二次放射能の影響を受ける機会が濃厚であったかから判断するほかない(甲A41文献3・84頁),④ 以上の3点を調べて,相当の放射能傷害を被っている疑いが濃厚である者が,後になって明らかに他の疾患又は状態で惹起されたと考えられないような訴えがあったら,ひとまず慢性原子爆弾症ではないかと判断するのが妥当ではないかとしている(甲A41文献3・85頁)。
(セ) 於保源作「原爆残留放射能障碍の統計的観察」
広島市翠町の於保源作は,広島市内の一定地区(爆心地から2kmないし7km)に住む被爆生存者3946人について,被爆条件,急性原爆症の有無及び程度,被爆後3箇月間の行動等を各個人ごとに調査し,「原爆残留放射能障碍の統計的観察」(以下「於保源作報告」という。)としてまとめ(甲A20・21頁,22頁),昭和32年に発表した。
於保源作報告は,① 原爆直後中心地に入らなかった屋内被爆者の場合,〈ア〉 有症率は20.2%を示し,被爆距離別の有症率は被爆距離と反比例し,被爆距離が短いほど高率であった,〈イ〉 急性原爆症の各症候の発現率も被爆距離が短いほど高く,それが長いほど低率になっており,その低下の具合はかなり整然としている,② 原爆直後中心地に出入りした屋内被爆者の場合,〈ア〉 有症率は36.5%を示し,被爆距離別の有症率は被爆距離の延長に従って低率を示さなかった,〈イ〉 急性原爆症の各症候の距離別発現率も被爆距離に反比例して整然と低下はしていない,③ 原爆直後中心地に入らなかった屋外被爆者の場合,〈ア〉 有症率は44%を示し,屋内被爆者よりも高率であり,被爆距離別有症率は,被爆距離に反比例して低下している,〈イ〉 急性原爆症の各症状の発現率も被爆距離に反比例している,④ 原爆直後中心地に出入りした屋外被爆者の場合,有症率は51%であり,被爆距離別有症率がその距離に反比例して低率を示さなかった(甲A20・22頁,23頁),⑤ 原爆直後入市した非被爆者の場合,〈ア〉 原爆直後から20日以内に中心地に出入りした者に有症率が高く,1箇月後に中心地に入った者の有症率は極めて低かった,〈イ〉 中心地滞在時間が4時間以下の場合は有症者が少なく,10時間以上の場合は有症率が高いとしている(甲A20・23頁,24頁)。
C3は,於保源作報告の急性原爆症の発症率を図にまとめているところ,同図によれば,「屋外被爆,中心地出入りなし」,「屋内被爆,中心地出入りあり」,「屋内被爆,中心地出入りなし」,「屋外被爆,中心地出入りあり」のいずれも,爆心地からの距離が離れるにつれ,おおむね急性症状の発症率が減少してきてはいるが,中心地に出入りした被爆者は,4km以遠においても20%以上の有症率となっており,また,中心地出入りなしの3km以遠で,屋外被爆が屋内被爆に比較して有症率が増加している(甲A48・図15)。
(ソ) 厚生省公衆衛生局「原子爆弾被爆者実態調査」
厚生省公衆衛生局は,昭和40年における被爆者の状況について実態調査を実施し,「原子爆弾被爆者実態調査」(以下「実態調査」という。)としてまとめ(甲A276資料30・1頁),昭和42年に発表した。
実態調査は,「病気にかかりやすい」,「体力がない」,「原爆ぶらぶら病」などの言葉はしばしば耳にするところであり,これらには一面心理的要因が働いていることも想像されるが,調査の結果は,これらの事実を肯定する資料も否定する資料も得ることはできなかったとしている(甲A276資料30・46頁)。
(タ) 西山地区の白血病及び甲状腺結節発症例
白血病の発生率は,10万人に約6人であるところ,長崎の西山地区の人口約600人中,昭和45年までに慢性骨髄性白血病が2例発生した(甲A602・52頁,53頁)。
また,平成元年,原爆投下後10年以上西山地区に居住している住民247人のうち184人に甲状腺の超音波断層検査が行われ,9人に甲状腺結節が見つかった。対照として行った非被爆者では,甲状腺結節は,368人中3人であった(甲A602・53頁)。
(チ) 調来助ら「長崎ニ於ケル原子爆弾災害ノ統計的観察(抄録)」
長崎医科大学教授の調来助らは,昭和20年10月から同年12月までの3箇月長崎の各地区を訪問し,調査票を基にした聴取りにより,各地区ごとの罹災状況を調査し,爆心からの距離と死亡率との関係等について統計的観察を試み,「長崎ニ於ケル原子爆弾災害ノ統計的観察(抄録)」(以下「調来助ら報告という。」)としてまとめ(甲A602・59頁,甲A602の2の52資料2・1頁),昭和57年に発表した。
調来助ら報告は,① 発熱,下痢,出血傾向及び脱毛について,いずれの症状も爆心地からの距離が遠くなるほど発現率が低くなる距離依存性を示し,4kmを超えても0とはならない(甲A602・61頁,甲A602の2の52資料2・69頁,75頁,80頁,87頁),② 下痢について,4kmを超えても0とならない理由は,普通の健康人でも夏季中に1回くらい下痢をすることがあり,これも統計の中に入っているものと思われる(甲A602の2の52資料2・69頁),③ 発熱について,生存者の頻度が4kmを超えても0とならないのは,他の原因に基づくものが算入されたものと想像されるとしている(甲A602の2の52資料2・75頁)。
なお,調来助は,脱毛について,調査時期が秋であり,自然脱毛も統計の中に入っていると思われるとしている(甲A602の2の52・86頁)。
(ツ) 日本原水爆被害者団体協議会「日本被団協「原爆被害者調査」第1次報告」
昭和61年発表の日本原水爆被害者団体協議会の「日本被団協「原爆被害者調査」第1次報告」(以下「日本被団協報告」という。)は,① いわゆる「原爆ぶらぶら病」については,「あった」と答えた被爆者は60.5%,「なし」と答えた被爆者は21.4%であった,② 「被爆したために健康状態が変わった」と答えた被爆者は,「すっかり」と「すこし」を合わせると43.4%であった,③ 現在の体調について,「病がち」と答えた被爆者は44.7%,「元気」と答えた被爆者は4.3%であった,④ 入通院しているか「仕事を休んでいる」と答えた被爆者は76.3%であったとしている(甲A52の2・4頁)。
(テ) 日本放送出版協会「ヒロシマ残留放射能の四十二年」
昭和63年発表の日本放送出版協会の「ヒロシマ残留放射能の四十二年」は,入市被爆者に生じたとされる急性症状に関する専門家の見解を次のとおりであるとしている。
すなわち,近畿大学教授(乙B101・178頁)の近藤宗平は,① 細胞はいろいろな条件で死ぬものであり,脱毛を放射線に結びつけることはない,② 被曝はほとんどしていないかもしれないが,極限状態で重労働をして,多数の死体を片付けるといったことをしており,過度に働いたための疲れや精神的なストレスが脱毛の形で出ていると考えられ,いろいろな程度や形の脱毛があっても不思議ではないとし(乙B101・188頁),国立名古屋病院院長(乙B101・178頁)の大北威は,① 広島原爆及び長崎原爆は空中爆発であり,地表爆発であるビキニ核実験と比べてフォールアウトの量が桁違いに低く,ほとんど誘導放射能だけであった,② 広島及び長崎において,後々まで健康を害するほどの影響を受けた者は少ないと考えてよいとし(乙B101・189頁,190頁),放射線医学総合研究所(乙B101・178頁)の丸山隆司は,局所的に降った土を頭から被ったか,そのような土が混じった水を被ったということで,ベータ線を入れれば,皮膚線量が100ラド(1グレイ)を超えた可能性もあると思われ,いずれにしても脱毛を起こした原因として考えられるベータ線の問題やこれらを含む内部被曝の問題をもっと細かくみていかなければならないとしている(乙B101・188頁)。
(ト) 丸山隆司「賀北部隊工月中隊の被曝線量の物理的計算」
昭和63年発表の放射線医学総合研究所の丸山隆司の「賀北部隊工月中隊の被曝線量の物理的計算」(以下「丸山隆司報告」という。)は,① DS86のデータから計算した中性子誘導放射能は,先発隊が11.8ラド(0.118グレイ),第一小隊が3.4ラド(0.034グレイ),原子雲(フォールアウト)は,先発隊が0.08ラド(0.0008グレイ),第一小隊が0.04ラド(0.0004グレイ),衝撃塵(フォールアウト)は,先発隊が0.02ラド(0.0002グレイ),第一小隊が0.01ラド(0.0001グレイ),火災煙(フォールアウト)は,先発隊が0.1ラド(0.001グレイ),第一小隊が0.04ラド(0.0004グレイ)である,② 先発隊,第一小隊ともに内部被曝線量はいずれも約1.14マイクロラド(約0.0000000114グレイ)と推定される,③ この値は,土壌のナトリウム24のみを考えており,実際の線量を過小評価している,④ 今後,放射性降下物による被曝線量について検討する必要があり,その結果によっては,その被曝線量は修正されると思われるとしている(乙B196・222頁)。
なお,賀北部隊工月中隊は,広島県賀茂郡在住の部隊であり,昭和20年8月7日に広島市内に入市し,西練兵場付近で救護活動などの作業に4日間ないし7日間滞在して従事しており,入市被爆者の中で最も多く被曝していると考えられるともされている(乙B199・238頁)。
(ナ) 加藤寛夫ら「賀北部隊工月中隊の疫学的調査」
放影研の加藤寛夫らは,昭和62年に賀北部隊工月中隊99人を対象に疫学調査を行い,「賀北部隊工月中隊の疫学的調査」(以下「加藤寛夫ら報告」という。)としてまとめ,昭和63年に発表した。なお,調査方法は,アンケート形式であり,面会による聴取りを原則とし,会うことができない場合は電話による聴取りを行い,死亡者については可能な限り近親者の答申を得るようにして行われた(乙B196・226頁)。
加藤寛夫ら報告は,① 急性放射線症状としては,頭髪の脱毛,歯根出血,皮膚の点状出血,口内炎,嘔吐,下痢などの胃腸障害などが典型的なものであるところ,42年前の記憶を基に,面接又は電話による応答でこのような急性放射線症状があったと答えた者は32人いた,② 下痢,歯根出血,口内炎などは被爆直後の栄養障害や過酷な肉体労働,精神的ストレスを受けたことを考えれば,放射線に直接起因するものではなく,これらの異常環境要因で起きたことも充分に考えられることから,症状の重症度(脱毛を例にとると,脱毛の範囲が頭髪の3分の2以上,3分の2ないし4分の1,4分の1以下に分けている。),経過期間などにより,それぞれ確実なものと不確実なものとに分けた,③ ほぼ確実な急性放射線症状があったと思われるものは,脱毛6人(うち3分の2以上頭髪が抜けた者が3人),歯根出血5人,口内炎1人及び白血球減少症2人であり,このうち2人は脱毛と歯根出血の両症状が現れていた,④ 今回の調査対象者のような低線量被曝者では急性放射線症状は現れないか,現れたとしても頻度は非常に小さい,⑤ はっきりと急性症状を示した者は数人みられたが,同様の症状は,放射線以外の栄養障害や種々のストレスによっても起こると考えられるので,急性放射線症状の頻度をここで問題にすることは適当ではなく,むしろ,このような低い推定線量(最大約12ラド(約0.12グレイ),全隊員平均約1.3ラド(約0.013グレイ))の放射線に被曝したにもかかわらず,急性放射線症状を現したものがいる(らしい)という事実に注目すべきである(乙B196・230頁,231頁),⑥ もし,放射線による急性症状とすれば,前述の特殊環境下における人体の放射線に対する抵抗性の低下によることも考えられるし,また,飲食物による内部被曝の影響の可能性も否定し切れない(ただし,フォールアウトによる被曝線量はほとんど無視することができることが今回の調査で明らかになった。)としている(乙B196・232頁)。なお,加藤寛夫ら報告は,① 死亡追跡調査について,42年間の総死亡率は99分の27(27.3%)であり,日本全国の生命表の平均死亡率と差異は認められなかった,② がんで死亡したと判断されたのは6人,その割合は27分の6(22.2%)であり,日本全国の死亡統計の28.7%とほとんど変わりはみられない,③ 調査対象者の被曝後42年間の死亡率は日本全国の年平均死亡率とほとんど変わらなかったと結論付けることができる(乙B196・229頁,230頁)ともしている。
(ニ) 鎌田七男「賀北部隊工月中隊における残留放射能被曝線量の推定―染色体異常率を基にして―」
広島大学原爆放射能医学研究所の鎌田七男は,昭和20年8月7日から7日間,西練兵場付近で救護活動に従事し,調査当時広島県賀茂郡在住の賀北部隊工月中隊員28人と,同年齢で同一地域(広島県賀茂郡)に在住する10人(対照者)について,数回の個人面接を行い,広島市内への入市日,行動経路,作業内容,当日の服装,帰省後の身体状況,その後の体調,医療用放射線被曝の回数とその内容などを聴き取り,末梢血10mlを採血して染色体分析を行い,「賀北部隊工月中隊における残留放射能被曝線量の推定―染色体異常率を基にして―」(以下「鎌田七男報告」という。)としてまとめ(乙B196・236頁),昭和63年に発表した。なお,賀北部隊工月中隊員28人とその対照者10人について,全員染色体標本の作製が可能であったが,面接調査で判明した10回以上の胃,十二指腸透視をしている者や腰痛障害によって頻回のレントゲン線照射を受けている者26人(賀北部隊工月中隊員18人及び対照者8人)は,当時受けた残留放射線とそれ以後受けた医療用放射線の両方の影響が考えられるため対象外とされた(乙B196・236頁)。
鎌田七男報告は,① 賀北部隊工月中隊員の染色体異常率は非常に少なく,不安定型細胞と安定型細胞を合計しても最低500観察細胞中1細胞の者から18細胞の者しか認められなかった,② 放射線により傷つけられた染色体部位数(ヒット)は,1ないし36に分布していた,③ これらの資料により,既に求められている染色体異常数に基づく被曝線量の推定式に当てはめてみると,5例が6ラド(0.06グレイ)以上(13ラド(0.13グレイ)が1例,10ラド(0.1グレイ)が3例及び6ラド(0.06グレイ)が1例)の被曝線量と推定され,残りの5例は1ラド(0.01グレイ)未満であった,④ 対照群では,いずれも2ラド(0.02グレイ)以下の被曝線量と推定された,⑤ 賀北部隊工月中隊の入市被爆者の被曝線量はせいぜい10ラド(0.1グレイ)前後と考えられたとしている(乙B196・236頁,237頁)。
(ヌ) ダニエル・ストラムら「重度の脱毛に関する資料を用いての原爆放射線被曝線量推定方式DS86の解析」
放影研のダニエル・ストラムらは,放射線被曝急性効果としての重度の脱毛に関する広島及び長崎の資料を,DS86及びT65Dにより再解析し,「重度の脱毛に関する資料を用いての原爆放射線被曝線量推定方式DS86の解析」(以下「ストラムら報告」という。)としてまとめ(乙B93・1頁),平成元年に発表した。
ストラムら報告は,脱毛の訴え率は,75ラド(0.75グレイ)辺りから線量に伴って著しく増大し,250ラド(2.5グレイ)辺りから横ばいとなり,最後には低下傾向を示すという非線形性を示したとしている(乙B93・1頁,6頁)。なお,この脱毛発症率は,医学的に脱毛の診断を受けた者ではなく,記憶に基づいて重度脱毛を訴えた被爆者の値を純粋プロットしたものであり,バックグラウンド発症頻度を差し引く作業等は行われていない(乙B93・7頁,乙B94,弁論の全趣旨・被告準備書面(4)42頁)。
(ネ) 「原爆放射線の人体影響1992」
平成4年発表の「原爆放射線の人体影響1992」は,① 賀北部隊工月中隊員20人と原爆投下直後から3日以内に爆心地付近に入った者20人を対象とし,長期入市滞在者(賀北部隊工月中隊員)10人(A群),長期入市滞在者で医療被曝の多い者(賀北部隊工月中隊員)10人(B群),短期入市滞在者6人(C群)及び短期入市滞在者で医療被曝の多い者14人(D群)の4群に区分し,染色体分析を行ったところ,推定線量は,A群が1ラド(0.01グレイ)以下ないし13.5ラド(0.135グレイ)で平均4.8ラド(0.048グレイ),B群が1ラド(0.01グレイ)以下ないし71.2ラド(0.712グレイ)で平均13.9ラド(0.139グレイ),C群が1ラド(0.01グレイ)以下,D群が1ラド(0.01グレイ)以下ないし21.2ラド(0.212グレイ)で平均1.9ラド(0.019グレイ)であった(甲A37・238頁ないし240頁),② 滞在期間の差が染色体異常に反映された,③ 同じ群の中でもばらつきが大きいが,これらの成績を単純に考えると長期滞在者の原爆放射能は4.8ラド(0.048グレイ)以下で,短期滞在者のそれは1ラド(0.01グレイ)以下となり,長期滞在者は短期滞在者と比べて3.8ラド(0.038グレイ)ほど多く原爆放射能を受けたことになるとしている(甲A37・241頁)。
(ノ) デイル・プレストンら「原爆被爆者における脱毛と爆心地からの距離の関係」
放影研のデイル・プレストンらは,放影研で行っている寿命調査(LSS)対象者について集められたデータに基づいて脱毛と爆心地からの距離との関係を検討し,「原爆被爆者における脱毛と爆心地からの距離の関係」(以下「プレストンら第1報告」という。)としてまとめ(甲A91・251頁),平成10年に発表した。
プレストンら第1報告は,① 爆心地から2km以内での脱毛の頻度は爆心に近いほど高く,爆心地からの距離とともに急速に減少し,2kmから3kmにかけて緩やかに減少し(3%前後),3km以遠でも少しは症状が認められているが(約1%),ほとんど距離とは独立である,② 脱毛の程度についてみると,遠距離にみられる脱毛はほとんど全てが軽度であったが,2km以内では重度の脱毛の割合が高く,このようなパターンを総合すると,3km以遠の脱毛が放射線以外の要因,例えば被爆によるストレスや食糧事情などを反映しているのかもしれず,特に低線量域では,脱毛と放射線との関係について論ずる場合や脱毛のデータから原爆被曝線量の妥当性について論ずる場合には注意を要すると思われる,③ 遠距離の脱毛が放射線以外の要因を反映しているのかもしれないことが示唆されたとしている(甲A91・251頁・252頁)。
(ハ) 京泉誠之ら「SCID-hu Miceにおけるヒトの毛嚢の放射線感受性」
放影研の京泉誠之らは,重症免疫不全の22匹のマウスに対して5体のヒトの胎児から採取した頭皮組織を移植し,移植の約5箇月後,1グレイ未満から6グレイまでの範囲で放射線を照射し,前後で約100本の毛髪のうち何本が抜けるかを測定してヒトの毛嚢の機能に対する放射線照射の効果を評価し,「SCID-hu Miceにおけるヒトの毛嚢の放射線感受性」(以下「京泉誠之ら報告」という。)としてまとめ(甲A78資料4の1,甲A78資料4の2,乙B95),平成10年に発表した。
京泉誠之ら報告は,① 放射線照射後第1週目には抜けた髪はなかった,② 6グレイを照射された移植片でさえも同様の結果であったが,基質の不活性化により毛球が明らかに縮小し,脂肪層における毛嚢の深さは浅くなった,③ 放射線照射後第2週目には,2グレイ以上の大量照射群において脱毛が観察され始めた,④ 放射線照射後第3週目には,照射前の毛髪数と比較することにより脱毛率が計測され,1グレイまでは脱毛は観察されず,2グレイないし3グレイ以降で脱毛率が急激に上昇することが分かった,⑤ 3グレイ以上では半分以上の毛髪が脱落し,4.5グレイないし6グレイの照射では10%に満たない毛髪しか残らなかった,⑥ 放射線照射後第5週目には,6グレイが照射された皮膚移植片においても,毛嚢の一部が再生し始め,黒髪が生え始めた,⑦ 放射線照射後第9週目には,6グレイを照射後再生した毛嚢も組織学的に正常の毛嚢と異なるところはなく,1グレイ又は2グレイでは毛髪数はほぼ回復した,⑧ 放射線照射後第22週目にも,3グレイ及び6グレイでも,それぞれ7%,33%の毛髪が再成長しなかったとしている(乙B95・2枚目)。
(ヒ) 横田賢一ら「長崎原爆における被爆距離別の急性症状に関する研究」
長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設の横田賢一らは,長崎の被爆者3000人を対象に急性症状の頻度等の解析を行い,「長崎原爆における被爆距離別の急性症状に関する研究」(以下「横田賢一ら第1報告」という。)としてまとめ(甲A107・247頁),平成10年に発表した。
横田賢一ら第1報告は,① 脱毛の程度について,近距離ほど中等度,重度の割合が多くなっている(甲A107・248頁),② 2km以遠の脱毛について,放射線を要因とするものか否かを判断するためには更に詳細な調査が必要であるとしている(甲A107・250頁)。
(フ) 横田賢一ら「被爆状況別の急性症状に関する研究」
長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設の横田賢一らは,爆心地からの距離が4km未満の1万2905人(男性5316人及び女性7589人)を対象に,脱毛の発症頻度等を調査し,「被爆状況別の急性症状に関する研究」(以下「横田賢一ら第2報告」という。)としてまとめ(甲A106・256頁),平成12年に発表した。
横田賢一ら第2報告は,① 脱毛の頻度について,爆心地から2km以遠においても遮蔽の有無で明らかな差がみられ,脱毛の程度について,爆心地から2km以遠においても被爆距離との相関がみられた,② ただし,これらのことから直ちに要因が放射線であると判断することはできず,放射線との因果関係を調査するためには染色体分析調査などにより,個人レベルで放射線を受けたことを確認する調査を行う必要があるとしている(甲A106・257頁)。
(ヘ) C10の証人調書
平成16年作成の被爆後爆心地から約6kmの地点にある広島県安芸郡戸坂村で診療に当たっていた医師のC10の証人調書(以下「C10調書」という。)は,1週間後に広島に入り,夫を探して1週間歩いた後,広島県安芸郡戸坂村を訪れた松江の女性が,C10の診察を受けた時の状況について,当初風邪と思って診察したが,同女性の胸元に紫色の斑点が出ており,その後,二,三週間経ってから吐血をして,脱毛して死亡したとしている(甲A36の1・1頁,13頁ないし15頁,81頁)。
(ホ) 島方時夫ら「三次高等女学校の入市被爆者についての調査報告書」
平成18年作成の弁護士島方時夫らの「三次高等女学校の入市被爆者についての調査報告書」(以下「島方時夫ら報告」という。)は,① 広島県立三次高等女学校から派遣された被爆者救護隊の一員として,昭和20年8月19日から同月25日までの間,広島市の爆心地から350mの地点にある本川国民学校において,1週間の救護活動に従事した救護隊二十数人のうち氏名等が判明したのは,死没者13人,生存者10人の23人であった(甲A187・1頁,2頁),② 平成17年12月31日現在の生存者の年齢はおおよそ76歳であるところ,平成16年簡易生命表によると,女性10万人の出生に対して76歳の生存者数は8万3711人となっており,上記救護隊の生存者の割合(10人÷23人=43%)は,上記簡易生命表における生存者の割合(8万3711人÷10万人=83.7%)に比べ,非常に低い(甲A187・9頁),③ 生存者について,ほとんど全員(10人中6人)に急性症状をみることができたとしている(甲A187・10頁)。
(マ) 横田賢一ら「長崎原爆被爆者の急性症状に関する情報の確かさ」
平成18年発表の長崎大学大学院医歯薬学総合研究科附属原爆後障害医療研究施設の横田賢一らの「長崎原爆被爆者の急性症状に関する情報の確かさ」(以下「横田賢一ら第3報告」という。)は,① 被爆直後の調査と被爆から15年ないし20年後の調査について両方の回答をしていた627人を対象に急性症状の有無に関する回答の一致率について検討したところ,前者の調査を基準とした場合は脱毛と皮下出血の一致率が高く,後者の調査を基準とした場合は下痢と嘔吐の一致率が高かったが,いずれの場合も高い一致率を示したものはなく,回答は安定していなかった,② 爆心地から2km以上の地点では,嘔吐,脱毛及び歯茎出血の一致率が低かった(乙B60・228頁),③ カッパ係数は最大のものでも皮下出血の0.46であったとしている(乙B60・227頁)。なお,カッパ係数(カッパ統計量)は,1に近づくほど一致率が高く,1になった場合は「完全な一致」,0.75超から1の間にあれば「極めてよく一致」,0.4から0.75の間にあれば「比較的よく一致」,0から0.4未満の間にあれば「一致性に問題あり」とされている(乙B61・76頁)。
(ミ) 鎌田七男ら「フォールアウトによると思われる3重癌と3つの放射線関連疾患を持つ1症例」
平成20年発表の広島大学名誉教授の鎌田七男らの「フォールアウトによると思われる3重癌と3つの放射線関連疾患を持つ1症例」(以下「鎌田七男ら第2報告」という。)は,① 爆心地から4.1kmの地点にある広島市古田町の29歳の女性は,被爆時,同町の藁葺き小屋内におり,産後で動けないため,親戚から届けられた食物と小屋近くの畑にあった野菜などを食べ,井戸の水を飲んで2週間を過ごし,その後,広島市草津町(広島の高須地区の隣町)の自宅に帰った,② 同女性は,60歳頃から骨粗しょう症となり,68歳の時に卵巣のう腫摘出手術を受け,82歳の時に肺がんと胃がんの手術を,83歳の時に残胃がんの手術を,84歳の時に大腸がんの手術をそれぞれ受けた,③ 組織型は,肺がんが中分化型腺がん,胃がんが低分化型腺がん,大腸がんが高分化ないし中分化型管状腺がんであった(乙B67・335頁),④ 同女性は,87歳の時に甲状腺機能低下症となった(乙B67・336頁),⑤ 染色体検査において,二動原体染色体,環状染色体,転座染色体,微小染色体など染色体型異常が1142分裂細胞観察中25個(2.19%)にみられ,特に二動原体染色体2個と環状染色体3個(計5個,出現率0.44%)はそれぞれ断片を伴っており,被曝後間もない分裂細胞であることが想定された,⑥ 日本人60歳以上の正常人での染色体型異常出現率の平均値が0.4%(二動原体染色体と環状染色体の和の出現率が0.14%)と観察されており,同女性の値はかなり高率な出現であると考えることができるとしている(乙B67・338頁,339頁)。
(ム) 土山秀夫「被爆地の一角から」
平成20年発表の元長崎大学学長で病理学を専門とする土山秀夫の「被爆地の一角から」(以下「土山秀夫エッセー」という。)は,昭和20年8月10日午前5時頃,医師の兄と二人で佐賀から道ノ尾駅にたどり着き,長崎で10日ほど救援活動に当たっていたところ,兄に急に脱力や嘔吐,脱毛,鼻出血や皮下出血の症状が現れ,一時は生命も危ぶまれるほどの状態であったとしている(甲A286の1)。
(メ) 齋藤紀ら「入市被爆者の亜致死的放射線急性症状」
わたり病院の齋藤紀らは,米国国立公文書館において確認された医学専門学校の医学生の手記に基づいて入市被曝線量を推定し,「入市被爆者の亜致死的放射線急性症状」(以下「齋藤紀ら報告」という。)としてまとめ(甲A614の16・331頁),平成24年に発表した。
齋藤紀ら報告は,① 同医学生は,昭和20年8月8日,広島市内に入市し,親族の捜索の後,同月10日から,爆心地から0.3kmの地点にある本川国民学校において救護や遺体の処理に従事したところ,そのうちに吐き気,頭痛などの体調の変化が生じ,同月15日に意識を喪失したため,郷里の父の医院に戻って治療を受けた,② 臨床経過中において,高熱,唾液腺痛,点状出血斑,更には歯茎の化膿,喉頭壊死などの口腔症状が出現した,③ 救護活動後間もなく発症した同医学生の一連の症状を急性放射線症候群とみれば,2グレイないし5グレイ相当の症状と理解することができる(甲A614の16・332頁),④ 土壌の構成元素に限定した誘導放射線で残留放射線被曝量を推定するならば,同医学生が崩壊建造物に近接し,高線量被爆者の介護に当たり,遺体を焼いたときの粉塵に当たる等の実際の行為に関わる外部被曝及び内部被曝が看過されることになる,⑤ 土壌以外の誘導放射線の外部被曝及び内部被曝の問題が残されているとの指摘もあるとおり,入市被爆者の線量評価はより根本的な訂正が求められているといわざるを得ないとしている(甲A614の16・333頁)。
(モ) 「広島・長崎における原子爆弾の影響」
日本映画社の記録映画である「広島・長崎における原子爆弾の影響」は,広島市船入町の自宅の2階で被爆した姉弟の事例を紹介しているところ,同姉弟は,その外見にほとんど外傷が観察されないにもかかわらず,脱毛が生じている(甲A602・56頁)。
(ヤ) C8の意見
C8は,① ABCCの山田広明とオークリッジ国立研究所のT.Jonesが,昭和47年,広島で爆心地から1600m以遠で被爆し,黒い雨を浴びた236人について,放射線被曝による急性症状の発現率を分析したところ,黒い雨を浴びた群では発熱が13.56%,下痢が16.53%,脱毛が68.64%であり,高率に急性症状が認められた(甲A615の1・1頁),② 山田広明らの分析結果について,対象者が236人と少なく,コンピュータリストにも不備があったことから正確な結論を導き出すことができなかったため,放影研から提供を受けた資料を基に山田広明らの解析と同じ手法を用い,黒い雨の人体影響に関する再検証を行った(甲A615の1・6頁),③ 爆心地から1600mないし2000mの地点の群の脱毛率は8.8%,爆心地から2000mを超える地点の群の脱毛率は1.7%であり,有意な差がみられた(甲A615の1・9頁),④ 2000mを境にストレスや栄養失調,殺鼠剤等の薬物への曝露に違いがあるとは考えられない,⑤ DS86によれば,広島の初期放射線は,爆心地から1600mの地点で330ミリグレイ(0.33グレイ),爆心地から2000mの地点で70ミリグレイ(0.07グレイ)であり,初期放射線の影響だけで説明することはできず,残留放射線の影響によるものと考えるのが合理的であるとしている(甲A615の1・10頁)。
ウ 検討
(ア) 遠距離被爆者に生じた症状について
a 遠距離被爆者に生じた症状については,「原子爆弾による広島戦災医学的調査報告」が,脱毛患者の発生地域は爆心から半径1km程度の地点以内の地域であり,比較的近距離にのみ脱毛が発生したとし,プレストンら第1報告が,遠距離の脱毛が放射線以外の要因を反映している可能性があることが示唆されたとするなど,原爆放射線による被曝との関連性を否定する報告も存在する。
b しかしながら,於保源作報告は,爆心地からの距離が離れるにつれ,おおむね急性症状の発症率が減少しており,中心地出入りなしの3km以遠で,屋外被爆が屋内被爆に比較して有症率が増加しているとしている。
同様に,「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」や日米合同調査団の報告書,調来助ら報告,横田賢一ら第1報告及び横田賢一ら第2報告も,被爆距離に応じて脱毛の症状の発生率等が減少するが,2kmないし3km以遠においても症状が発生したとしているものである。
これらの報告の中には,自らの報告内容の正確性に一定の疑義を呈しているものもあるが(横田賢一ら第3報告等),これだけの報告が遠距離被爆者における脱毛等の症状を報告し,しかも,おおむね爆心地からの距離が離れるに従って,症状が減少していく傾向を示し,遮蔽の有無によっても差が生じているなどとしている事実は重視すべきである。
c 個別の具体的な症例についてみても,「広島・長崎における原子爆弾の影響」では,広島市舟入町で被爆した姉弟に脱毛が生じている。同姉弟の被爆地点については,爆心地から約1kmであるとする文献もある(乙B193,乙B194)。しかしながら,仮に爆心地から約1kmであるとすれば,かなりの近距離被爆であるというべきところ,このような近距離被爆であることは,同姉弟の外見にほとんど外傷が観察されていないことと整合しないものというべきである。むしろ,記録映画のプロデューサーであるC11の製作ノートは,同姉弟の被爆地点については,爆心から西南2kmであるとしている(甲A651・3枚目)ところ,その距離は,同姉弟の外見とも整合するものであり,同姉弟は,爆心地から2kmの地点で被爆したものと認めるのが相当である。
家森武夫報告は,爆心地から約3kmの地点において被爆した11歳の女性について,卵巣や大腿骨骨髄等に変性がみられたとし,特に,大腿骨骨髄の肉眼的所見は,骨幹部はおおむね黄色脂肪髄であるが,時に赤色味を帯びており,通常造血の行われている骨端部の骨髄では反対に稍黄色を帯びた赤色で水腫性であるなどとしている。この点,齋藤紀は,放射線の障害性は物理的エネルギーの付与(障害)として対象(臓器及び細胞)を制限しないのに対し,血液疾患,栄養障害,感染症等の障害性はそれぞれ特有の関わり方をし,放射線のような臓器(細胞)無差別的な障害性を持っていないとして(甲A301の1・9頁),放射線の障害とそれ以外とは明確に区別することができるとしているところ,家森武夫報告は,骨端部の黄色脂肪髄の変化については「赤色で水腫様である」としており,他原因による骨髄障害との差異があるとしているのであって(甲A301の1・12頁,13頁),家森武夫報告も,残留放射線の影響が遠距離被爆者に及んでいることを示唆するものである。
d 朝長万左男講演を始めとする放射線被曝と多重がんとの関連についての報告は,放射線被曝と多重がんとの因果関係を強く推測させるものである。多重がんの発症自体は被爆者固有のものではないということができるとしても(乙B69・2枚目),原爆による外部被曝が全身被曝であり,全身の細胞に影響を与えるものであることから,被爆者に多重がんが発生していることは,被爆者の放射線量が相当程度に上ることの徴表の一つであるというべきである。そうすると,鎌田七男ら第2報告の多重がんの事例は,遠距離被爆者について多量の残留放射線の影響を受けたことを示唆する重要な事実であるというべきである。確かに,鎌田七男ら第2報告については,同女性について,転座染色体に着目すると,その頻度は1142分裂細胞中7個であり,出現率は,約0.61%となり(乙B67・337頁),70歳以上の者の出現率が平均約1.07%であることや(乙B73の1,乙B73の2・2枚目),92歳の者の出現率が2.31%であることと比べると(乙B75の1・5枚目,乙B75の2・2枚目,弁論の全趣旨・被告準備書面(21)60頁)むしろ低くなっているという事実があるものの,全体としてみれば,同女性の染色体型異常出現率の値はかなり高率であるというべきである。この点,C6も,鎌田七男ら第2報告について,同女性の染色体型異常出現率が原爆の影響であることを否定まではしていないものである(乙B22の2・132項)。
e そして,九州大学第二外科が実施した胃液検査や篠原健一ら及び松浦啓一の調査にみられるように,白血球数の調査について遠距離被爆者において異常を示す結果が出ていることや,長崎の西山地区において白血病や甲状腺結節が高率で発生していることも併せ考慮すれば,遠距離被爆者に生じている脱毛,紫斑等の症状は,放射線による影響も存するものと推認するのが相当である。
(イ) 入市被爆者に生じた症状について
a 入市被爆者に生じた症状についても,「原子爆弾による広島戦災医学的調査報告」や沢田藤一郎ら報告,さらには,中島良貞ら報告が,入市被爆者に白血球の減少がほぼなかったとし,「ヒロシマ残留放射能の四十二年」の専門家の見解の中には,入市被爆者に生じたとされる脱毛について,疲れや精神的なストレスを指摘するものがあるなど,原爆放射線による被曝との関連性を否定する報告も複数存在する。
b しかしながら,「ヒロシマ残留放射能の四十二年」の専門家の見解の中には,逆に,局所的に降った土を頭から被るなどして,ベータ線を入れれば,皮膚線量が100ラド(1グレイ)を超えた可能性もあるとして,脱毛を起こした原因として考えられるベータ線の問題やこれらを含む内部被曝の問題を指摘するものもある。そして,於保源作報告は,急性原爆症の発症率について,中心地に出入りした被爆者は,4km以遠の被爆者においても20%以上の有症率であるとし,さらに,原爆直後入市した非被爆者の場合,原爆直後から20日以内に中心地に出入りした者の有症率が高い一方で,1箇月後に中心地に入った者の有症率は極めて低いとし,また,中心地滞在時間が4時間以下の場合は有症者が少なく,10時間以上の場合は有症率が高いとしており,爆心地に入った時期が早く,また,滞在期間が長いほど有症率が高いとしているものである。
c 個別の具体的な症例についてみても,B15の事例や,C10調書,島方時夫ら報告,土山秀夫エッセー及び齋藤紀ら報告は,入市被爆者に下痢,紫斑,脱毛等の症状が出たとしているのであって,これだけの事例において症状が出ている事実は重視すべきである。
d 賀北部隊工月中隊については,丸山隆司報告がDS86のデータからの計算により被曝線量を推定し,また,鎌田七男報告や「原爆放射線の人体影響1992」が染色体異常を基に被曝線量を推定しているところ,これらによれば,被曝線量自体は非常に少ない結果となっている。
しかしながら,丸山隆司報告については,DS86自体の問題点を指摘することができる。また,鎌田七男報告や「原爆放射線の人体影響1992」についても,不安定型染色体異常は,非被曝者にはほとんどみられず,放射線に対する特異性が高いが,細胞分裂により失われることから,被曝後長期間が経過すると指標として使うことができなくなり,一方,安定型染色体異常は,放射線に対する特異性が低く,バックグラウンド値が高いためにバックグラウンド値を無視することができるほどの高線量被曝時(具体的には1シーベルト以上),又は,被曝前のバックグラウンド値が分かっているときにのみ線量推定が可能であることが明らかになっているというのであって(甲A652・2枚目,弁論の全趣旨・原告最終準備書面66頁,67頁),さほど高線量とはいえない放射線の影響を調べることは困難なものであるということができる。そうであるとすれば,上記知見から直ちに入市被爆者が健康に影響を及ぼすような線量の放射線に被曝していないとまでは認められないといわざるを得ない。
むしろ,加藤寛夫ら報告は,脱毛や歯根出血等の急性放射線症状があったと答えた者が多数いたとしているのであって,賀北部隊工月中隊についても,疫学的な調査からこのような症状があったことを重視すべきである。
以上によれば,入市被爆者に生じている脱毛,紫斑等の症状は,放射線による影響も存するものと推認するのが相当である。
(ウ) 急性放射線症候群との関係について
a 被爆者にみられる被爆後の症状は,急性放射線症候群の概念からは説明することができないものではある。
しかしながら,急性放射線症候群は,透過性の放射線の外部被曝を念頭に置いているものと認められるところ(乙B34の1・6頁,7頁),原爆による被爆者については,外部被曝に加えて,内部被曝も軽視することができないというべきである。さらに,本件申請者らのような被爆者は,原爆の爆発等によって外傷を負っている場合もあるところ,外傷によって放射性物質を体内に取り込みやすくなっている場合もある(乙B34の2・12頁)。また,外部被曝についても,ゴイアニア事故において,被爆者の線量評価をすることが非常に困難であるとしている上(甲A281の1,甲A281の2・7頁),JCO臨界事故においても,線量の評価については,一定の幅がみられるのであって(甲A280・103頁,乙B34の1・2頁),その評価自体も誤差が生じていることは否定することができない。
b ストラムら報告は,脱毛の訴え率が75ラド(0.75グレイ)辺りから線量に伴って著しく増大しているものであるところ,ストラムら報告については,急性放射線症候群の見地から,脱毛についての3グレイというしきい値に矛盾し(乙B52・6頁,7頁),現在の医学的常識と異なり,また,不確かな記憶に依存しているとの批判もあり(乙B34の1・15頁),京泉誠之ら報告も,必ずしもストラムら報告と整合するものではない。しかしながら,脱毛についての3グレイというしきい値の根拠は,ブタ等の動物実験から得られたものであったというのであって(乙B34の2・18頁),人体に対するしきい値として相当なものかについては疑問を差し挟む余地もある。また,ストラムら報告のデータは,放影研のデータで重度の脱毛(67%以上)としてコード化されているものを使用している(甲A288の2・3頁)というのであって,その情報の正確性についても一定程度は認められるというべきである。
したがって,急性放射線症候群についても,いまだ科学的に不動の概念であるとまではいえないというべきであって,被爆者にみられた症状が急性放射線症候群とその特徴が異なるものであったとしても,それが原爆による放射線の影響でないということはできない。
c 倦怠感については,そもそも急性放射線症候群としてみられる症状に含まれておらず,実態調査も「病気にかかりやすい」,「体力がない」,「原爆ぶらぶら病」などの言葉はしばしば耳にするところであり,これらには一面心理的要因が働いていることも想像されるが,調査の結果は,これらの事実を肯定する資料も否定する資料も得ることはできなかったとしている。
しかしながら,都築正男報告は,「慢性原子爆弾症」との名称で,被爆者にみられる症状として倦怠感を挙げており,日本被団協報告も,いわゆる「原爆ぶらぶら病」については,「あった」と答えた被爆者は60.5%にも上るとしている。さらに,「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について」(昭和33年衛発第727号厚生省公衆衛生局長通知)も,被爆者の中には原爆による熱線又は爆風により熱傷又は外傷を受けた者及び放射能の影響により急性又は悪急性の造血機能障害等を出現した者のほかに,被爆後10年以上を経過した今日,いまだに原子爆弾後障害症というべき症状を呈する者があり,特に,この種の疾病には被爆時の影響が慢性化して引き続き身体に異常を認める者と,一見良好な健康状態にあるかにみえながら,被爆による影響が滞在し,突然造血機能障害等の疾病を出現する者がある(甲A15・241頁)としていたのであって,このような各種知見からすれば,被爆者にみられる倦怠感も,原爆放射線による症状の一つとして考えるべきである。
(エ) 他原因について
被爆者らの訴える身体症状について,戦時下の栄養状態や戦時下の生活環境等,被曝以外の原因によって生じたものが存在する可能性は否定することができないが,遠距離被爆者について爆心地からの距離や遮蔽の存在等に応じて脱毛等の症状が減少するといった傾向や,入市被爆者について,爆心地に入った時期が早く,また,滞在期間が長いほど有症率が高いといった傾向がみられるのであって,このような傾向に照らすと,当該症状の多くが放射線被曝以外の原因によるものと理解することは困難というべきであり,仮に,原爆放射線以外の原因によって一定割合で身体症状が生じていたとしても,直ちに上記の評価を左右するものということはできない。この点は,C8の意見も,爆心地から1600mないし2000mの地点の群の脱毛率が爆心地から2000mを超える地点の群の脱毛率に比べて有意な差がみられるところ,2000mを境にストレスや栄養失調等に違いがみられないことから,これらの脱毛が残留放射線の影響によるものと考えるのが合理的であるとしているところである。
エ 小括
以上によれば,個別の遠距離被爆者及び入市被爆者に生じた上記のような症状が放射線被曝による急性症状であるか否かについては,これらの症状が放射線被曝以外の原因によっても生じ得るものであること等を踏まえて慎重に検討する必要があるとしても,遠距離被爆者及び入市被爆者に生じた症状が,およそ放射線の影響によるものではないとすることは不合理であり,遠距離被爆者及び入市被爆者であっても有意な放射線被曝をすることによって急性症状を生じ得ることは否定することができないというべきである。なお,明確な急性症状がないからといって,直ちに有意な放射線被曝をしていないということにはならないのも当然である。
(7) まとめ
以上によれば,被爆者の被曝線量を評価するに当たり,DS02等により算定される被曝線量は,飽くまでも一応の目安とするにとどめるのが相当であって,当該被爆者の被爆状況,被爆後の行動,活動内容,被爆後に生じた症状等に照らし,様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性がないかどうかを十分に検討した上で,被爆者において,健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたのかどうかについて判断していく必要があるというべきである。
4  再改定後の新審査の方針
(1) 再改定後の新審査の方針の策定の経緯
ア 前記のとおり,行政における原爆症認定審査の指針を定めたものとして,新審査の方針(乙A1の1)及び改定後の新審査の方針(乙A1の2)が策定されており,これらに基づき認定実務が運用されてきた。
その後,平成21年12月に「原爆症認定集団訴訟の原告に係る問題の解決のための基金に対する補助に関する法律」(平成21年法律第99号。以下「基金法」という。)が制定され,その附則2条において,「政府は,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律第11条の認定等に係る制度の在り方について検討を加え,その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。」とされた。これを受け,平成22年12月,処分行政庁の下,医学,放射線防護学,法律,財政学等の専門家や被爆者団体の代表といった有識者によって構成された「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」(以下「在り方検討会」という。)が設置され,3年間にわたって検討が続けられた。在り方検討会では,全ての被爆者を対象として手当を支給すべきとする被爆者団体の代表による意見もある中,多数意見としては,引き続き放射線起因性を要件とする必要があるとした。また,その多数意見は,残留放射線については基本的に健康に影響を与えるような量が確認されていないことや,非がん疾病(心筋梗塞,甲状腺機能低下症,慢性肝炎及び肝硬変並びに白内障)はしきい値がないとはいえず,低線量での影響は認められないことなどを,現時点における科学的知見の到達点として確認した。そして,検討の最終的な結果として,平成25年12月4日,「原爆症認定制度の在り方に関する検討会報告書」(以下「在り方検討会報告書」という。)が取りまとめられた。在り方検討会報告書においては,従来の行政認定と司法判断との乖離については,現在でも行政認定は救済の観点から厳密な科学的知見を超えて放射線起因性を認めているのに対し,判決を一般化して基準を設定するのは難しいとした上,3.5km以内の直接被爆等の従来の基準は放射線の影響が不明確な範囲にまで広げており,現状以上に緩和することは慎重に考えるべきであり,また,残留放射線に着目して積極認定の範囲を現行以上に広げることも適当ではないが,非がん疾病については従来の基準が分かりづらいことから一定の距離等の外形的な標準を示し,それを満たしているものは柔軟に認定することが適当であり,その標準を定めるに当たってはこれまでの認定範囲を狭めることがあってはならないとされた。医療分科会では,この在り方検討会報告書及び自民党の議員連盟が行った決議等を踏まえて作成された再改定後の新審査の方針の案について検討がされ,現在の科学的知見からは健康影響を肯定することのできる範囲から相当拡大されているとの指摘があったものの,被爆者援護の精神に基づく提案であるとして了承され,同月16日,基金法の附則2条の「必要な措置」として,原爆症認定に関する方針である改定後の新審査の方針が再改定された(再改定後の新審査の方針。乙A14ないし乙A16,弁論の全趣旨・被告準備書面(17)1頁ないし3頁)。
イ 再改定後の新審査の方針は,「悪性腫瘍(固形がんなど),白血病及び副甲状腺機能亢進症」,「心筋梗塞,甲状腺機能低下症及び慢性肝炎・肝硬変」,「放射線白内障(加齢性白内障を除く)」という7種類の疾病のカテゴリについては,被爆地点の爆心地からの距離や,原爆投下からの一定の時間内に爆心地からの一定の距離の範囲内に入市し,又は,一定時間滞在したことといった基準により,これに該当する場合に原則的に又は積極的に原爆症と認定するとし(積極認定),積極認定に該当する場合以外の申請についても,申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を総合的に判断するとした(総合認定)。なお,要医療性については,改定後の新審査の方針と同じく,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断するものとされている(乙A16)。
(2) 検討
ア 上記のとおり,再改定後の新審査の方針は,7種類の疾病のカテゴリについて,被爆地点が爆心地から一定の距離の範囲内にある,あるいは,原爆投下からの一定の時間内に爆心地からの一定の距離の範囲内に入市し又は一定時間滞在したといった基準を設け,これに該当する場合に積極認定とするものとしてその範囲を明確にしたことに意義があるということができる。そして,かかる再改定後の新審査の方針は,専門家や有識者によって構成された在り方検討会において長期間にわたって検討が続けられるなどした結果,策定されたものであって,このような経緯により策定された積極認定の範囲は,個々の被爆者の放射線起因性を判断する際の目安の一つであるとはいえる。
イ もっとも,原爆放射線による被曝を検討するに当たっては,初期放射線に加えて,放射性降下物や誘導放射線,更に内部被曝といった残留放射線の影響も十分に考慮しなければならないことは前記3で検討したとおりであり,また,後記で検討するとおり,若年被爆者にみられるように,放射線に対する感受性には個人差があり,このような感受性の差異によって,同一線量の放射線においても,被曝の影響が生じる場合と生じない場合があるのも事実であって,必ずしも,爆心地から同心円状に被曝の影響が徐々に減衰していくものということはできない。
さらに,再改定後の新審査の方針は,積極認定対象疾病を限定しているところ,狭心症等,再改定後の新審査の方針の積極認定対象疾病以外の疾病についても一般に放射線起因性が認められる疾病があることは第2で検討するとおりである。
そうであるとすれば,個々の被爆者が積極認定の範囲に該当しない場合であっても,個々の被爆者の被爆状況等や被爆後の健康状況,被爆者の罹患した疾病等の性質,他原因の有無等を個別具体的に検討した結果,当該被爆者の放射線起因性が肯定される場合もあるものというべきである。
そして,この点については,再改定後の新審査の方針も,積極認定の範囲に該当する場合以外の申請についても,申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を総合的に判断する(総合認定)としているところである。
第2  申請疾病の放射線起因性
1  疫学調査
(1) ABCC及び放影研による疫学調査
ABCC及び放影研は,疫学調査として,寿命調査(LSS)及び成人健康調査(AHS)を行っている。
ア 寿命調査(LSS)は死因調査を中心とするものであり,寿命調査(LSS)集団は,基本群(昭和25年の国勢調査により確認された日本人被爆者のうち,同年当時に広島又は長崎のいずれかに居住していた者)に含まれる被爆者の中で,本籍が広島か長崎にあり,効果的な追跡が可能な条件を満たす者の中から選ばれ,① 爆心地から2000m以内で被爆した「基本群」被爆者全員から成る中心グループ(近距離被爆者),② 爆心地から2000mないし2500mで被爆した「基本群」全員,③ 中心グループと性及び年齢が一致するように選ばれた,爆心地から2500mないし10000mで被爆した者(遠距離被爆者),④ 中心グループと性及び年齢が一致するように選ばれた,1950年(昭和25年)代前半に広島及び長崎に居住していたが,広島原爆及び長崎原爆の投下当時に広島,長崎両市内にいなかった者(原爆時市内不在者。入市被爆者も含まれている。)の4群から構成されている(甲A503・6頁,7頁)。なお,現在の解析では,原爆時市内不在者の群は,解析に含まれていない(弁論の全趣旨・原告最終準備書面88頁)。
寿命調査(LSS)集団は,当初,9万9393人で構成されていたが,その後,集団を拡大し,現在では,12万0321人となっている(甲A503・7頁)。
イ 成人健康調査(AHS)は,2年ごとの健康診断を中心とした臨床調査プログラムである。その主な目的は原爆放射線の健康に及ぼす影響を調査することにあり,寿命調査(LSS)集団の中から選ばれた1万9961人について,昭和33年から追跡調査が行われている。そして,対象者の健康診断により収集されたデータを用いて,各種疾患の有病率や発生率,生理学的及び生化学的検査結果の変動について長期にわたる追跡調査を実施しており,解析結果はある程度集計されるごとに公表されている(甲A503・8頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)9頁)。
中心グループは,昭和25年当時生存していた爆心地から2000m以内で被爆し,急性放射線症状を示した4993人である。このほかに,都市,年齢及び性を一致させた三つのグループ(いずれも中心グループとほぼ同数)から成る。三つのグループとは,① 爆心地から2000m以内で被爆し,急性放射線症状を示さなかった者,② 広島では爆心地から3000mないし3500m,長崎では3000mないし4000mで被爆した者,③ 原爆投下当時,広島及び長崎にいなかった者であり,その後,集団を拡大して,2万3418人となっている(甲A503・8頁)。成人健康調査(AHS)集団でも,原爆時市内不在者の群は解析に含まれていない(甲A306文献1・7頁)。
(2) 疫学調査の問題
ア このようなABCC及び放影研による疫学調査については,次のような問題があると指摘することができる。
(ア) 残留放射線の評価について
上記のABCC及び放影研による疫学調査においては,調査対象者に割り当てられている線量は初期放射線だけであり,放射性降下物及び誘導放射線といった残留放射線が考慮されていないところ(甲A601・56頁),被曝線量の評価に当たっては,残留放射線も無視することができないというべきである。そして,残留放射線に被曝した者が対照群に含まれてしまう結果,放射線による疾病の発症に係る超過リスクが現れにくくなることになる。
(イ) 調査開始までの死亡被爆者について
ABCC及び放影研による疫学調査については,調査が開始された昭和25年における生存者のみを対象としているため,それまでの死亡者に係るデータが反映されておらず,相対的に放射線に対する耐性の強い者が調査対象として選別されてしまっているおそれがある。この点については,アリス・スチュワートが,健康者選択効果として,被爆生存者は,例外的に高いレベルの免疫的能力を持っていると提唱しているものである(甲A130の2・2頁)。
健康者選択効果に対しては,現在寿命調査(LSS)で得られているリスク推定は,「被爆者のうち昭和25年当時生存していた者」という集団におけるリスク推定となるが,現時点において生存している被爆者は,昭和25年の時点においても生存していたのであるから,昭和25年時点での生存者に原爆放射線のリスク評価としてABCC及び放影研による疫学調査の結果を応用することの問題は少ないとの批判もあるが(乙B107・9頁),現時点において生存している被爆者が昭和25年の時点においても生存していたからといって,当該被爆者が例外的に高いレベルの免疫的能力を持っているとは限らないから,このような批判は当たらないというべきである。
イ 以上によれば,ABCC及び放影研による疫学調査については,申請疾病の放射線起因性を判断するに当たって,その有用性は一定の範囲で肯定することができるというべきであるが,上記のような問題により,原爆放射線が人体に及ぼす影響を過小評価する結果に傾きがちになることも十分踏まえた上で,検討するべきである。
(3) 疫学調査を検討する上での留意点
さらに,ABCC及び放影研による疫学調査を検討するに当たっては,次の点にも留意する必要がある。
ア 疾患名について
(ア) ABCC及び放影研による疫学調査については,例えば,「固形がん」や「心疾患」などといった大項目の疾患名に関して検討結果を報告しているものも存在する。
(イ) この点,心筋梗塞を例に挙げれば,確かに,心臓に生じた病態を細分化した小項目の疾患名で認識することは,疾病を治療していく場合に必要なことである(甲A649・9頁)。
しかしながら,一方で,病態を心臓疾患全体として統合的に理解することは,放射線被曝の影響を適正に検出しようとする場合,特に有意義なものであるということができる。細分化した小項目の疾患名では個々の事例数が時に過小となり,むしろ放射線被曝の影響を適正に検出することができなくなるおそれがある。また,現在の医療では,症例によっては,冠動脈の完全閉塞を未然に防止し,部分的な心筋壊死や虚血状態に押しとどめることができるため,被曝の影響は心筋梗塞の死亡率のリスクには反映せず,心不全や高血圧性心疾患の死亡率増加に反映することになるのであって,このような場合,「心疾患」という大項目の疾患名で事例数を集約することで初めて被曝の有意の影響を見出すことができることになる(甲A649・9頁)。さらに,後記で検討するとおり,循環器系一般にも関連すると思料される心筋梗塞の危険因子についても,放射線起因性が認められることからすれば,報告の対象である疾患を心筋梗塞に特定していなくても,そのことから心筋梗塞の放射線起因性を判断することに対する有用性が否定されることにはならないというべきである。
(ウ) そうであるとすれば,小項目の疾患名の放射線被曝の影響を検討するに際しては,大項目の疾患名の放射線被曝の影響を検討することは有意義であるというべきである。
イ P値及び信頼区間について
ABCC及び放影研による疫学調査については,例えば,P値が基準であるとされる0.05未満でなかったり,過剰相対リスクの場合に信頼区間が0をまたいでいたりするものもある。
しかしながら,P値についてみると,文献では,例えば,「臨床のための疫学」は,0.05未満のP値で表される差は,しばしば統計学的に有意とされているが,その区切り点を0.05に定めるのは全く便宜的なものであり,理論的な者は,より高い値を認容したり,より低い値を主張したりするかもしれないが,それぞれの置かれた状況における偽陽性の結論の重要性によって決めているようであるとしているし(甲A292の8・205頁),「数学いらずの医科統計学」も,P値が0.05とされている理由は「習慣上」とされ,その根拠が必ずしも明確ではなく,0.10に設定する場合もあるとしている(甲A292の10・107頁,108頁)。このように,一般に「確からしさ」とは,あるかないかの二者択一ではなく,元来,連続性を持った概念であり,P値が基準を上回っていても,放射線起因性の法律判断の前提となり得る資料として採用することは許容されるものというべきである。
そして,同じことは信頼区間にも当てはまるものである。
2  本件申請者らの疾病
本件申請者らの申請疾病については,①固形がん,具体的には,下咽頭がん,腎細胞がん,胃がん,膀胱がん及び前立腺がん,②乳がん術後皮膚潰瘍,③心筋梗塞,④狭心症,⑤脳梗塞,⑥甲状腺機能低下(ただし,甲状腺機能亢進症によるものであることから,検討の対象としては甲状腺機能亢進症となる。)並びに⑦C型慢性肝炎に分類することができる。そこで,以下,これらの疾病の放射線起因性について,個別に検討することとする。
3  各疾病等の検討
(1) 固形がんの放射線起因性
ア 総説
(ア) 腫瘍一般
人体は数十兆個の細胞から構成されているところ,この細胞に由来し,進行性に増えたものを腫瘍という。腫瘍は,その生物学的性格に応じて,良性と悪性に分類される。良性腫瘍は,局所に限局して増殖し,基本的には宿主の死にはつながらない腫瘍である。一方,悪性腫瘍とは増殖が局所にとどまらず,周囲組織に浸潤し,ひいては遠隔臓器にも転移して宿主を死に至らしめるものである。固形がんは悪性腫瘍に含まれる(弁論の全趣旨・被告準備書面(3)28頁)。
(イ) 下咽頭がん
下咽頭は,喉の奥につながる部分を指し,この部分にできたがんを下咽頭がんという(乙Dイ2・1枚目及び2枚目)。下咽頭がんは,喫煙や飲酒との因果関係が強いとされており,喫煙量や飲酒量が多いほど下咽頭がんにかかりやすく,これらの者は,下咽頭がんの「高危険群」とされている。また,男性は女性の4倍から5倍の頻度で下咽頭がんが発生し,年齢は50歳代から60歳代に多く,下咽頭がん全体の60%はこの年代に発症する(乙Dイ2・3枚目)。
また,下咽頭がんにかかった者の25%ないし30%に食道がんが見つかっており,これは食道がんの発生が下咽頭がんと同様に,喫煙や飲酒と関係があることが原因と考えられている(乙Dイ2・2頁,乙Dイ3・1668頁)。一方,食道がんについては,頭頚部がんや胃がんとの重複が比較的多いことが知られている(乙Dイ4・436頁,乙Dイ5・A-24頁)。
(ウ) 腎細胞がん
腎臓は,肋骨の下端の高さの左右両方にあるソラマメのような形をした臓器で,血液をこして尿を生成し,血圧のコントロールに関するホルモンや,造血に関するホルモンを産生している(乙Dハ2・1枚目)。腎臓にできるがんには,成人に発生する腎細胞がんと,腎盂がん,小児に発生するウィルムス腫瘍があり,また,まれながんとして肉腫がある(乙Dハ2・1枚目,乙Dハ3・3頁)。
腎細胞がんの年間発生患者数は1万人から1万2000人と推定されており(乙Dハ4・1枚目),年齢別にみた腎細胞がんの罹患率は,50歳から70歳まで増加し(乙Dハ2・1枚目),発生頻度は,男女比2ないし3対1で,男性に多いがんとされる(乙Dハ3・4頁,乙Dハ4・1枚目)。また,死亡率も,男性の方が女性より高く,男性の死亡率は女性の約3倍である(乙Dハ2・1枚目)。
腎細胞がんの確立されたリスク要因は,喫煙と肥満とされている。その他,高血圧,降圧薬服用,利尿剤の服用(特に女性)及びフェナセチン含有鎮痛剤がリスク要因の候補に挙げられている。また,アスベストやテトラクロロエチレン曝露などの職業性曝露が可能性のあるリスク要因として指摘されている。さらに,基礎疾患や発生しやすい家系があることも判明している(乙Dハ5・10枚目)
喫煙という危険因子を保有している場合は,これを保有していない場合に比べ,腎細胞がんの発症リスクが約2倍程度になるとされている(乙Dロ12・1枚目)。また,肥満によって,腎細胞がんに罹患するリスクは4倍になる(乙Dロ13・3頁)。
(エ) 胃がん
悪性新生物(悪性腫瘍)が我が国の死亡率の第1位であるところ,その中で,胃がんは,部位別のがん死亡率では肺がんに次いで第2位である。また,胃がんの罹患数は,平成11年では10万3685人と,全部位でのがん罹患数の19.6%と最も多い(乙Dニ6・832頁)。年齢別にみると,40歳以上に好発するが,最近では70歳以上の高齢者が占める割合が増加してきている(乙Dニ7・1700頁)。
胃がんの原因はいまだ明らかにされていないものの,その発生に関与する要因は,宿主要因(内因)と環境要因(外因)の大きく二つに分けることができ,これらが互いに関与しているが,胃がんの場合,後者が大きな要因であることが疫学的,統計学的に指摘されている(乙Dニ7・1700頁)。
宿主要因としては,遺伝及び性が挙げられる。他方,環境要因として最も大きいものは食物であり,そのリスクファクターとして,塩分の過剰摂取,炭水化物,燻煙した肉類,焼け焦げた魚介類などが挙げられ,また,その他のリスクファクターとして,喫煙,飲酒,ヘリコバクター・ピロリの感染などが挙げられる(乙Dニ7・1700頁,1701頁)。ヘリコバクター・ピロリは,胃を守っている粘液を減らし,酸の攻撃を受けやすくする作用を有するほか,Vac Aという毒素を出したり,胃粘膜に炎症を引き起こしたりするなど,様々な形で胃粘膜を傷つけることで胃や十二指腸の粘膜がえぐられて消化性潰瘍を発症させる要因となるとされており,こうした胃粘膜刺激の繰り返しにより胃がんになる場合があるとされている。また,最近の研究では,ヘリコバクター・ピロリはCag Aと呼ばれる蛋白を胃粘膜上皮細胞に注入することが分かっており,この蛋白は胃粘膜上皮細胞を変化させることで,前記のメカニズムと併せ,胃のがん化を進めるのではないかとも考えられている。ヘリコバクター・ピロリの発がん性は医学的に明らかであることから,WHO/IARC(世界保健機構の国際がん研究機関)においても,確実な発がん因子(group Ⅰ)と認定されている(乙Dニ8,乙Dニ9・316頁ないし318頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(15)12頁)。
日本人のヘリコバクター・ピロリ感染率は,先進国の中では際だって高率であり,世代別では,上下水道などの衛生環境が十分に整っていない時代に生まれ育った者ほど感染率が高く,50歳代以上では80%程度である(乙Dニ14,乙Dニ15・71頁)。ヘリコバクター・ピロリの陽性者では,胃がんのリスクが5倍になるといわれており(乙Dニ16の1,乙Dニ16の2),胃がんは60歳を超えると急速に発生が増加する(乙Dニ15・74頁)。
(オ) 膀胱がん
膀胱がんは,年齢別にみた罹患率では,男女とも60歳以降で増加し,40歳未満の若年では低いとされる。また,女性よりも男性の方が罹患率が高く,男性の罹患率は,女性の約4倍であるとされている。膀胱がんの危険因子は,上記の加齢(高齢者)のほか,喫煙や職業性曝露による,ナフチルアミン,ベンジジン,アミノビフェニル等があるとされている(乙Dヘ4・1頁)。
(カ) 前立腺がん
前立腺がんは,加齢とともに増加するがんの典型とされており,特に,その罹患率は65歳以上で増加するとされている。前立腺がんの中には比較的進行が遅く,寿命に影響を来さないであろうと考えられるがんも存在しており,他の原因で死亡した日本人男性においても,70歳を超える者の2割ないし3割,80歳を超える者の3割ないし4割に前立腺がんが発生しているとされている。前立腺がんの発生には,IGF-1といったホルモンバランスの変化が影響していると考えられている(乙Dト3・1頁,2頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(8)13頁,14頁)。
前立腺がんの危険因子としては,加齢(高齢者)のほか,人種,家族歴が一般的な医学的知見として確立されており,他にも脂質,乳製品,カルシウム,喫煙,体格,アルコール,身体活動等も関連する可能性があるとされている(乙Dト3・2頁)。
イ 各種知見
(ア) 松田正裕ら「広島大学原医研附属原爆被災学術資料センターに保存されている被爆者剖検例前立腺癌の特徴」
広島大学原爆放射能医学研究所の松田正裕らは,前立腺がんと被爆との関連性を明らかにするために,広島大学原爆放射能医学研究所附属原爆被災学術資料センターに保存されている被爆がん死亡者剖検例のうち,男性被爆者前立腺がん症例を用いて,年齢別,組織型別及び被爆距離別に分類し,その特徴について検討し,「広島大学原医研附属原爆被災学術資料センターに保存されている被爆者剖検例前立腺癌の特徴」(以下「松田正裕ら報告」という。)としてまとめ(甲A80文献7・373頁),平成4年に発表した。
松田正裕ら報告は,① 対照群の粗発生頻度は1.15%であるのに対し,被爆者群の粗発生頻度は2.03%であり,統計学的に1%以下の危険率で有意さを示し,被爆者群において粗発生頻度の高いことが示された(甲A80文献7・373頁,374頁),② 前立腺がん自体が高齢者に多い疾患でもあり,被爆者全体に高齢者が多いので,年齢による訂正が必要であると考えられるとしている(甲A80文献7・376頁)。
(イ) デズモンド・トンプソンら「原爆被爆者におけるがん発生率。第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」
放影研のデズモンド・トンプソンらは,寿命調査拡大集団(LSS-E85)における原爆被爆者の充実性腫瘍罹患データとリスク推定を検討し,「原爆被爆者におけるがん発生率。第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」(以下「トンプソンら報告」という。)としてまとめ(甲A80文献4・1頁),平成6年に発表した。
トンプソンら報告は,① 死亡に関するこれまでの寿命調査(LSS)所見と同様に,全充実性腫瘍について統計学的に有意な過剰リスクが立証された(1シーベルトでの過剰相対リスクは0.63),② 胃(1シーベルトでの過剰相対リスクは0.32),結腸(1シーベルトでの過剰相対リスクは0.72),肺(1シーベルトでの過剰相対リスクは0.95),乳房(1シーベルトでの過剰相対リスクは1.59),卵巣(1シーベルトでの過剰相対リスクは0.99),膀胱(1シーベルトでの過剰相対リスクは1.02)及び甲状腺(1シーベルトでの過剰相対リスクは1.15)のがんにおいて,放射線との有意な関連性が認められた,③ 放射線と肝臓(1シーベルトでの過剰相対リスクは0.49),及び黒色腫を除く皮膚(1シーベルトでの過剰相対リスクは1.0)のがん罹患との関連性がみられた(甲A80文献4・2頁),④ 前立腺がんについては,1.5グレイ未満では放射線の影響があることを示す証拠はなく,有意な線形や非線型線量反応も認められず,年齢(被爆時又は到達)あるいは時間による影響修飾を示す兆しもなかったとしている(甲A80文献4・70頁)。
(ウ) 藤原恵ら「原爆被爆者における顕性前立腺癌の検討」
広島赤十字・原爆病院の藤原恵らは,生検又は手術で組織学的に確認した顕性前立腺がんを検討し,「原爆被爆者における顕性前立腺癌の検討」(以下「藤原恵ら報告」という。)としてまとめ(甲A80文献6・333頁),平成10年に発表した。
藤原恵ら報告は,① 今回の検討でも前立腺がんは被曝線量に比例していないことから,被爆との関係は否定的であるものの,臨床的に発見される進行した前立腺がんはどの角度からみても遠距離被爆群に多く発生していた,② 推測の域を出ないものの,低線量の被曝が前立腺がんに関わっている可能性は否定することができないとしている(甲A80文献6・335頁)。
(エ) UNSCEAR2000年報告書
UNSCEAR2000年報告書は,① 放射線起因性がんについて,最も単純な説明は線形関係であり,入手可能な機序面でのデータや量的データのほとんどと一致する,② 線形しきい値なし線量反応関係(LNT仮説)は,低線量電離放射線によるがんリスク評価として一般的に国内及び国際組織から受け入れられてきた,③ この仮説は,線量増加に伴って直線的にがん増加のリスクがあること,しきい値は存在しないことを意味しているとしている(甲A661の4の1,甲A661の4の2・1頁,2頁)。なお,LNT仮説とは,低線量領域においても,放射線被曝線量の増加に正比例してがんが発生するという見解である(弁論の全趣旨・被告準備書面(3)37頁)。
(オ) 「原爆被爆者の死亡率調査 第13報 固形がんおよびがん以外の疾患による死亡率:1950-1997年」
放影研は,昭和25年から平成9年までの47年間の原爆被爆者集団の死亡率を追跡調査し,固形がんとがん以外の疾患による死亡について検討し,「原爆被爆者の死亡率調査 第13報 固形がんおよびがん以外の疾患による死亡率:1950-1997年」(以下「LSS第13報」という。)としてまとめ(甲A77資料11-1・1頁),平成15年に発表した。
LSS第13報は,① 固形がんの過剰リスクは,0ミリシーベルトないし150ミリシーベルトの線量範囲においても線量に関して線形であるようだ,② 子供の時に被爆した者は相対リスクが最も高い(甲A77資料11-1・1頁),③ 前立腺がんの1シーベルト当たりの過剰相対リスクは0.21(90%信頼区間は-0.3未満ないし0.96)であるとしている(甲A77資料11-1・43頁)。
(カ) UNSCEAR2006年報告書
UNSCEAR2006年報告書は,放射線被曝に伴って前立腺がんリスクが統計学的に有意に増加することを示すものはないとしている(乙Dト6・100頁)。
(キ) デイル・プレストンら「原爆被爆者における固形がん罹患率:1958-1998年」
米国HiroSoft International Corporationのデイル・プレストンらは,広島及び長崎の原爆被爆者から成る寿命調査(LSS)集団における固形がん罹患率に対する放射線の影響に関する2回目の全般的な検討を行い,「原爆被爆者における固形がん罹患率:1958-1998年」(以下「プレストンら第2報告」という。)としてまとめ(甲A614の1の2・1枚目),平成19年に発表した。
プレストンら第2報告は,① 1回目よりも追跡調査を11年間延長し,市内不在群を新たに解析に含めた結果,がん症例が56%増加した(甲A614の1の3・9頁),② 0グレイないし2グレイの範囲では一貫して線形の線量反応関係が認められ,さらに,被曝線量が0.15グレイ以下の対象者に解析を限定した場合にも,統計的に有意な線量反応が認められた(甲A614の1の2・1枚目),③ 被爆時年齢が30歳の場合,70歳における固形がん罹患率は,1グレイ当たり,男性で約35%(90%信頼区間は28%ないし43%),女性で約58%(90%信頼区間は43%ないし69%)増加すると推定された(甲A614の1の2・1枚目,2枚目),④ 過剰絶対率は調査期間を通じて増加するようにみられ,放射線に関連したがん罹患率の増加が,被爆時年齢にかかわらず生涯を通じて持続することを更に裏付けている,⑤ 口腔がん,食道がん,胃がん,結腸がん,肝がん,肺がん,黒色腫以外の皮膚がん,乳がん,卵巣がん,膀胱がん,神経系がん及び甲状腺がんを含む,ほとんどのがん部位について放射線に関連したリスクの有意な増加が認められた,⑥ 膵臓がん,前立腺がん及び腎臓がんについては統計的に有意な線量反応は示唆されなかったが,これらの部位の過剰相対リスクも,全固形がんを一つのグループとした場合のそれと一致していた,⑦ 全ての組織型群(扁平上皮がん,腺がん,その他の上皮性がん,肉腫及びその他の非上皮性がん)についてリスクの増加が認められたとしている(甲A614の1の2・2枚目)。
(ク) ICRP2007年勧告
ICRP2007年勧告は,① 約100ミリグレイ(約0.1グレイ。低LET放射線又は高LET放射線)までの吸収線量域では,どの組織も臨床的に意味のある機能障害を示すとは判断されない(乙C29・16頁),② ICRPが勧告する実用的な放射線防護体系は,約100ミリシーベルトを下回る線量においては,ある一定の線量の増加はそれに正比例して放射線起因の発がん又は遺伝性影響の確率の増加を生じるであろうという仮定に引き続き根拠を置くこととするとしている(乙C29・17頁)。
(ケ) 放影研の要覧
平成20年発表の放影研の要覧(以下「平成20年放影研要覧」という。)は,① 胃,肺,肝臓,結腸,膀胱,乳房,卵巣,甲状腺,皮膚などの主要な固形がんの場合には,有意な過剰リスクが認められている,② 統計学的に常に有意であるわけではないが,他の多くの部位におけるがんにもリスクの増加が認められる,③ したがって,被爆者のデータは,放射線が事実上全ての部位におけるがんの過剰リスクを増加させるという見解と合致しているとしている(甲A503・15頁)。
(コ) UNSCEAR2010年報告書
UNSCEAR2010年報告書は,固形がんの低線量における死亡率に対する線量反応関係について,統計学的に有意なリスク上昇は100ミリグレイ(0.1グレイ)ないし200ミリグレイ(0.2グレイ)又はそれ以上で観察され,疫学研究だけではこれらのレベルを大きく下回る場合の有意なリスク上昇を同定することはできそうにないとしている(乙Dイ11・9頁)。
(サ) 「原爆被爆者の死亡率に関する研究 第14報 1950-2003年:がんおよびがん以外の疾患の概要」
放影研は,昭和25年から平成15年までの原爆被爆者の集団である寿命調査(LSS)集団での死亡状況を追跡調査し,「原爆被爆者の死亡率に関する研究 第14報 1950-2003年:がんおよびがん以外の疾患の概要」(以下「LSS第14報」という。)としてまとめ(甲A614の3・1頁),平成24年に発表した。
LSS第14報は,① がんの死亡率が17%増加し,特に被爆時年齢10歳未満の群で58%増加した,② 固形がんに関する付加的な放射線リスクは,線形の線量反応関係を示し,生涯を通して増加を続けている,③ 全固形がんについて,線型モデルに基づく男女平均の1グレイ当たりの過剰相対リスクは,30歳で被爆した者が70歳になった時点で0.42(95%信頼区間は0.32ないし0.53)であり,そのリスクは,被爆時年齢が10歳若くなると約29%増加した(95%信頼区間は17%ないし41%),④ 全固形がんについて過剰相対リスクが有意となる最小推定線量範囲は,0グレイないし0.2グレイであり,定型的な線量しきい値解析(線量反応に関する近似直線モデル)ではしきい値は示されず,0線量が最良のしきい値推定値であった(甲A614の3・1頁),⑤ 主要部位のがん死亡リスクは,胃,肺,肝臓,結腸,乳房,胆のう,食道,膀胱及び卵巣で有意に増加した一方,直腸,膵臓,子宮,前立腺及び腎実質では有意な増加は認められなかった(甲A614の3・1頁,2頁),⑥ 特定部位のがんにおける年齢の影響は全固形がんの場合と類似していたが,大部分は統計学的に有意ではなかったとしている(甲A614の3・9頁,10頁)。
(シ) 近藤久義ら「長崎市原爆被爆者の癌罹患率の被爆状況による比較と推移(1970-2007年)」
長崎大学大学院医歯薬学総合研究科原爆後障害医療研究施設の近藤久義らは,放射線被曝の発がんへの影響を正確に評価するため,がん死亡率ではなくがん罹患率を調べる必要があるとし,長崎県がん登録室の資料を使用して,昭和45年から平成19年までの37年間の60歳以上の長崎市原爆被爆者について,被爆状況別にがんの年齢調整罹患率を調査し,「長崎市原爆被爆者の癌罹患率の被爆状況による比較と推移(1970-2007年)」(以下「近藤久義ら第3報告」という。)としてまとめ(甲A614の5・191頁),平成24年に発表した。
近藤久義ら第3報告は,① 37年間で,男性8855人,女性8487人ががんに罹患している(甲A614の5・191頁),② 近距離被爆者群は男女の全がん,男性の前立腺がん及び女性の乳がんの年齢調整罹患率が遠距離被爆者群及び入市被爆者群よりも高い状態が続いていることが示唆された,③ 前立腺がん及び乳がんの年齢調整罹患率は上昇傾向にある(甲A614の5・193頁),④ プレストンら第2報告では,被曝放射線量と罹患率との間の明確な関連は観察されなかったが,罹患数が限られているなどの理由で結論が出されておらず,実際,プレストンら第2報告の前立腺がんの罹患数が387例であるのに対して,対象数と観察期間が少ないにもかかわらず,この研究では2倍以上の998例の罹患が報告されており,最近の罹患数の増加を考慮して評価する必要があると思われるとしている(甲A614の5・192頁)。
(ス) 「原爆放射線の人体影響 改訂第2版」
平成24年発表の「原爆放射線の人体影響 改訂第2版」は,① 腎細胞がんリスクと放射線量の間には量反応関係の存在が示唆されているが,被曝線量1グレイ当たりの過剰相対リスクは0.13(90%信頼区間は-0.25ないし0.75),過剰絶対リスクは0.08(90%信頼区間は-0.16ないし0.44)であり,膀胱がんに比べてはるかに小さく,腎細胞がんについては放射線被曝に起因して発生したと推計されるがん症例数が少ないため,現段階ではその影響について断定的な結論を下すことは困難といえる,② 前立腺がんについても,被曝線量と過剰リスクの間に量反応関係の存在が示唆されているものの,0.005グレイ以上の放射線被曝における寄与割合は2.2%と小さく,過剰相対リスクは被曝線量1グレイ当たり0.11(90%信頼区間は-0.10ないし0.54),過剰絶対リスクは0.34(90%信頼区間は-0.64ないし1.60)であり,いずれも統計学的に有意な上昇は認められておらず,腎細胞がん同様,被曝による過剰発生と考えられる症例数が限られており,放射線被曝のがん罹患リスクに対する影響の有無はいまだ結論を出しにくい状況であるとしている(乙Dト5・144頁,145頁)。
(セ) 古川恭治ら「日本人原爆被爆者における甲状腺がん:被爆後60年の長期的傾向」
放影研の古川恭治らは,放射線に誘発される甲状腺がんリスクの長期傾向や被爆時年齢による変動を特徴づけるため,日本人原爆被爆者の寿命調査(LSS)対象者10万5401人における昭和23年から平成17年までの甲状腺がん罹患データを解析し,「日本人原爆被爆者における甲状腺がん:被爆後60年の長期的傾向」(以下「古川恭治ら報告」という。)としてまとめ(甲A614の4の1,甲A614の4の2),平成25年に発表した。
古川恭治ら報告は,① 1グレイの放射線被曝に対する甲状腺がんの過剰相対リスクは,10歳時で急性被曝後の60歳時において,1.28(95%信頼区間は0.59ないし2.70)と推定された,② リスクは被爆時年齢とともに急速に減少し,20歳時以降に被爆した者に対しては有意な甲状腺がんの上昇はみられなかった,③ 20歳未満で被爆した者の甲状腺がんのうち,約36%が放射線被曝と関連していると推定された,④ 過剰リスクの大きさは到達年齢の上昇あるいは被爆後の経過時間とともに減少したが,小児期での被爆に関連した甲状腺がんの過剰リスクは,被爆後50年以上を経てもなお存在するとみられるとしている(甲A614の4の1,甲A614の4の2)。
ウ 改定後の新審査の方針及び再改定後の新審査の方針
改定後の新審査の方針は「悪性腫瘍(固形がんなど)」を積極認定対象疾病としており,再改定後の新審査の方針も同様である。
エ 検討
(ア) 固形がんについては,トンプソンら報告が,全充実性腫瘍について統計学的に有意な過剰リスクが立証されたとし,平成20年放影研要覧も,主要な固形がんの場合には,有意な過剰リスクが認められており,統計学的に常に有意であるわけではないが,他の多くの部位におけるがんにもリスクの増加が認められるとしており,これらの知見を含めた前記各種知見を総合し,改定後の新審査の方針は「悪性腫瘍(固形がんなど)」を積極認定対象疾病としており,再改定後の新審査の方針も同様であることも併せ考慮すれば,固形がんは,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるというべきである。
この点,一部のがんについて,UNSCEAR2006年報告書が,放射線被曝に伴って前立腺がんリスクが統計学的に有意に増加することを示すものはないとし,LSS第14報が,主要部位のがん死亡リスクは,直腸,膵臓,子宮,前立腺及び腎実質では有意な増加は認められなかったとするなど,放射線被曝との関連性に消極的と思われる報告が複数あり,また,「原爆放射線の人体影響 改訂第2版」も,腎細胞がんと前立腺がんについて,放射線被曝のがん罹患リスクに対する影響の有無はいまだ結論を出しにくい状況であるとして,これらのがんの放射線被曝との関連性を留保している。
しかしながら,一方で,松田正裕ら報告は,前立腺がんについて,被爆者群は,対照群に比べ,粗発生頻度の高いことが示されたとし,近藤久義ら第3報告も,近距離被爆者群は,男女の全がん,男性の前立腺がん及び女性の乳がんの年齢調整罹患率が遠距離被爆者群及び入市被爆者群よりも高い状態が続いていることが示唆されたとしている。また,藤原恵ら報告は,前立腺がんは被曝線量に比例していないことから,被爆との関係は否定的であるとしながらも,低線量の被曝が前立腺がんに関わっている可能性は否定することができないとし,プレストンら第2報告も,膵臓がん,前立腺がん及び腎臓がんについて,統計的に有意な線量反応は示唆されなかったとしながらも,これらの部位の過剰相対リスクも,全固形がんを一つのグループとした場合のそれと一致していたとしている。LSS第14報も,全体としてみれば,全固形がんについて放射線リスクを検討しているのであって,一部のがんについて放射線起因性を排除するものとまでは認められない。
以上によれば,固形がんについては,全固形がんに放射線被曝との関連性が認められると解するのが相当である。
(イ) 固形がんのしきい値について,確かに,UNSCEAR2010年報告書が,固形がんの低線量における死亡率に対する線量反応関係について,統計学的に有意なリスク上昇は100ミリグレイ(0.1グレイ)ないし200ミリグレイ(0.2グレイ)又はそれ以上で観察されるとしている。
しかしながら,一方で,プレストンら第2報告は,0グレイないし2グレイの範囲では一貫して線形の線量反応関係が認められ,さらに,被曝線量が0.15グレイ以下の対象者に解析を限定した場合にも,統計的に有意な線量反応が認められたとしている。また,LSS第14報も,全固形がんについて過剰相対リスクが有意となる最小推定線量範囲は,0グレイないし0.2グレイであり,定型的な線量しきい値解析ではしきい値は示されず,0線量が最良のしきい値推定値であったとしている。LNT仮説については,フランス医学アカデミーが同仮説に反対する(乙C30・33頁)など,いまだ定説がない状況にあるということができるものの,全米科学アカデミーのBEIR委員会が,発がんリスクは低線量域でもしきい値なく線形で連続しているとの結論に達したとし(甲A660・6頁,甲A661の7の1,甲A661の7の2,乙C30・33頁),ICRP2007年勧告も,その勧告する実用的な放射線防護体系は,約100ミリシーベルトを下回る線量においては,ある一定の線量の増加はそれに正比例して放射線起因の発がん又は遺伝性影響の確率の増加を生じるであろうという仮定に根拠を置くこととするとしているのであって,かかる仮説を一概に否定することはできない。この点については,UNSCEAR2000年報告書も,LNT仮説が,低線量電離放射線によるがんリスク評価として一般的に国内及び国際組織から受け入れられてきたとしているものである。
近時においても,1985年(昭和60年)から2008年(平成20年)までにCT検査を受けた22歳未満の者に対する後ろ向きコホート研究において,17万6587人中135人が脳腫瘍と診断され,CT検査による線量と脳腫瘍との間に正の相関を認めたとの英国での報告もある(マーク・ピアースら「幼児期CTスキャンによる放射線被曝と白血病及び脳腫瘍リスク:後ろ向きコホート研究」。甲A661の8の1,甲A661の8の2)。
これらの知見を含めた前記各種知見を総合すれば,固形がんのしきい値は観念されないものというべきである。なお,固形がんが確率的影響に係る疾病であること自体については,被告も積極的に争っていないものと認められる(弁論の全趣旨・被告準備書面(25)116頁)。
(ウ) 若年被爆者への影響については,LSS第13報が,子供の時に被爆した者は相対リスクが最も高いとし,LSS第14報も,過剰相対リスクは被爆時年齢が10歳若くなると約29%増加したとしており,さらに,甲状腺がんに限定してではあるが,古川恭治ら報告も,リスクは被爆時年齢とともに急速に減少し,20歳時以降に被爆した者に対しては有意な甲状腺がんの上昇はみられなかったとした上で,小児期での被爆に関連した甲状腺がんの過剰リスクは,被爆後50年以上を経てもなお存在するとみられるとしており,これらの知見を総合すれば,若年での被爆はリスクを相当程度高めるものというべきである。
(2) 乳がん術後皮膚潰瘍
ア 総説
(ア) 乳房は,母乳(乳汁)をつくる乳腺と,乳汁を運ぶ乳管,それらを支える脂肪などからなる。それぞれの乳腺は小葉に分かれ,小葉は乳管という管状の構造でつながっている。乳がんは,乳管や乳腺小葉の上皮が悪性化したものである(乙C50の1・1頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)56頁)。
(イ) 乳がんの治療には,外科療法,放射線療法及び薬物療法がある。外科療法と放射線療法は治療を行った部分にだけ効果を期待することができる「局所療法」であり,薬物療法は「全身療法」として位置づけられる(乙C50の1・5頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)59頁)。
(ウ) 放射線治療について,乳がんでは,外科手術でがんを切除した後に乳房やその領域の再発を予防する目的で行う術後照射と,胸壁再発や遠隔転移に対して行われるものがある。放射線を照射する範囲や量は,放射線治療を行う目的,病巣のある場所,病変の広さなどによって選択される(乙C50の1・6頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)62頁)。
(エ) 乳がんの放射線治療後に副作用として皮膚障害が発生する可能性があるが,独立行政法人国立がん研究センターがん対策情報センターは,① 照射開始後2週ないし3週,照射量20グレイないし30グレイの場合,第1度皮膚炎(赤み,脱毛及び皮膚乾燥)の症状が現れ,治療後2箇月ないし3箇月で回復する,② 照射開始後3.5週ないし4.5週,照射量35グレイないし45グレイの場合,第2度皮膚炎(著明な赤み,腫れ及び痛み)の症状が現れ,色素沈着及び皮膚の乾燥状態が残るが,徐々に正常皮膚に回復する,③ 照射開始後5週ないし6週,照射量50グレイないし60グレイの場合,第3度皮膚炎(水疱,びらん及び易出血)の症状が現れ,皮膚の萎縮,色素沈着,永久的脱毛,毛細血管の拡張,皮下硬結などが残る,④ 耐用量以上の照射量の場合,第4度皮膚炎(回復不可能な皮膚潰瘍及び壊死(皮膚の欠損))の症状が現れ,外科的切除及び皮膚移植が必要であるとしている(乙C50の2・2枚目,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)63頁)。
(オ) 放射線治療による急性の皮膚障害は,治療中から治療終了直後に起こるが,その多くは一時的な症状であり,治療終了後1箇月ないし3箇月で回復する(乙C50の2・2枚目)。
また,放射線治療による皮膚障害は,頻度は低いものの,晩期障害としても起こり得るところであり,放射線治療終了後,数箇月から数年を経過して潰瘍を形成する場合があるなど,回復に時間を要することもある(乙C50の2・2枚目)。
(カ) 皮膚組織は,外面に接している面から順次,表皮,真皮及び皮下組織の三層に分けられる(乙C56・4頁)。皮膚潰瘍とは真皮ないし皮下組織に達する深い組織欠損の状態をいい,表皮までの欠損を意味する「びらん」よりも深い傷である。通常,潰瘍の底面に出血及び漿液浸出,膿苔,痂皮を伴い,先行病変の一部が残存することが多い。びらんでは治癒後に痕跡を残さず表皮が再生するが,潰瘍は痕跡を残して治癒する。皮膚潰瘍は,一般に,膠原病や糖尿病,血管炎など血行障害を起こしやすい病気に引き続いて起こることが多く,何らかの感染症で発生する場合もある(乙C56・48頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)64頁)。
イ 改定後の新審査の方針及び再改定後の新審査の方針
改定後の新審査の方針は「悪性腫瘍(固形がんなど)」を積極認定対象疾病としており,再改定後の新審査の方針でも同様である。
ウ 検討
(ア) 乳がんは,固形がんに該当するところ,前記(1)のとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるというべきである。なお,乳がんのしきい値については,固形がんにおいて検討したとおりであり,乳がんはしきい値が観念されない疾病であると解するのが相当である。
(イ) 乳がん術後皮膚潰瘍についても,乳がんの放射線治療によって生ずる障害であるから,同様に,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるというべきである。
(3) 心筋梗塞
ア 意義
(ア) 心筋梗塞は,いわゆる虚血性心疾患の一種であり,冠動脈の部分的な又は完全閉鎖によって,急激に冠動脈血流が減少し,これにより心筋壊死を来す疾患をいう(乙Dカ5・585頁,乙Dカ6・503頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(8)19頁)。すなわち,心筋梗塞は,心筋虚血(心筋への血液供給が阻害され,その結果,心筋細胞が酸素不足(虚血)に陥った状態)が一定時間持続した結果,心筋が壊死(心筋細胞死)するに至った不可逆的虚血である(乙Dカ6・503頁,乙Dカ7・9頁ないし12頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(8)19頁)。なお,急性期の状態は急性心筋梗塞症と称される(乙Dカ6・503頁)。
(イ) 心筋梗塞は,大部分の症例で冠動脈硬化が原因と考えられている(乙Dカ5・585頁)。動脈硬化病変のうち最も頻度の高い動脈硬化病変が粥状(アテローム)動脈硬化であり(乙Dカ8・21頁),血管内に形成されたアテローム(粥腫)により局所に血栓が形成され,血管が塞がれることにより心筋梗塞に至ると考えられている(弁論の全趣旨・被告準備書面(8)20頁)。
(ウ) 虚血性心疾患の危険因子(動脈硬化の危険因子)としては,喫煙,高血圧,脂質異常症及び糖尿病のいわゆる4大危険因子のほか,年齢(加齢。男性45歳以上,女性55歳以上),肥満,家族歴(遺伝),ストレスなどが挙げられ,保有している危険因子の数が多いほど冠動脈疾患の発症リスクは上がることが知られている(弁論の全趣旨・被告準備書面(8)20頁)。
a 喫煙すると,血中の一酸化窒素(NO)が低下し,その結果,活性酸素(O2-)が増加して動脈壁(内皮)を繰り返し損傷し,その都度,これを修復するために,平滑筋細胞の増殖が過度に促進され,コラーゲンなどの基質を形成して内膜の肥厚を増大させる。また,血流中の単球は内皮下に滑り込んだ後マクロファージに変換されるが,マクロファージは種々の炎症性サイトカイン等を放出し,低比重リポ蛋白LDLを酸化して酸化LDLとして取り込み,さらに,これが多くの単球及びマクロファージを引き寄せるとともに,ついには泡沫細胞に変質して蓄積し,冠動脈の内膜にコレステロール状の層が次第に沈着し,内膜が強く肥厚して血管の内腔が狭められ粥状動脈硬化の状態となり,それが虚血性心疾患,すなわち,心筋梗塞をもたらす原因となる(乙Dカ13・106頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(8)22頁)。
b 血液が血管内を流れていく場合に血圧が高いことは,血管の壁に高い圧力が掛かることを意味するところ(乙Dカ10・1枚目),一般に高血圧によって血管に負担が掛かると,血管の内皮細胞に傷がつき,内皮細胞が有する動脈硬化を防ぐ働きが失われるとされている。また,高血圧は細動脈の硬化を促すほか,高血圧になると,心臓も高い圧力で血液を全身に送らなければならなくなるので,心臓にもそれだけ余計な負担が掛かることになる(弁論の全趣旨・被告準備書面(8)21頁,22頁)。
このような高血圧の要因としては,一般に塩分の取り過ぎや,年齢,喫煙,肥満などがリスクファクターとなる(乙Dカ11,弁論の全趣旨・被告準備書面(8)22頁)。
c 動脈硬化予防の標準的診療を提示する日本動脈硬化学会によるガイドラインでは,従来,動脈硬化の危険因子の一つとして「高脂血症」という表現が用いられていたが,動脈硬化性疾患の危険因子として,高LDLコレステロール血症のみならず,低HDLコレステロール血症(低HDL-C血症)も含まれることは既に世界的な一般的知見として確立していた(乙Dカ9・7頁,13頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(8)20頁,21頁)。日本動脈硬化学会は,重要な脂質異常である低HDLコレステロール血症(低HDL-C血症)を含む表現として,従前の「高脂血症」という表現は適切ではなく,また,諸外国における表現との統一を図るという見地から,「動脈硬化性疾患予防ガイドライン 2007年度版」において,従前の「高脂血症」という表現を変更し,①高LDLコレステロール血症,②低HDLコレステロール血症(低HDL-C血症)及び③高トリグリセライド(中性脂肪)血症を総合した表現として「脂質異常症」という表現を用いることとし,脂質異常症の診断基準(空腹時採血)を定めた。これによれば,高LDLコレステロール血症は,LDLコレステロールが140mg/dl以上,低HDLコレステロール血症は,HDLコレステロールが40mg/dl未満,高トリグリセライド血症は,トリグリセライドが150mg/dl以上である(乙Dカ9・5頁,6頁,11頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(8)21頁)。
従前の「高脂血症」である①高LDLコレステロール血症及び③高トリグリセライド血症については,動脈壁への刺激となり,血管内膜の組織障害が生じることで動脈硬化に発展することになるが,②低HDLコレステロール血症も動脈硬化性疾患の危険因子である(乙Dカ9・7頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(8)21頁)。
d 糖尿病は,血液中の糖の濃度(血糖値)が異常に高くなる病気であり,食生活,運動不足等の生活習慣の変化により,最近増加している病気である。糖尿病による高インスリン血症が動脈硬化に有意に関与することになるほか,高血圧,低HDLコレステロール血症などもしばしば起こるようになる(乙Dカ12,弁論の全趣旨・被告準備書面(8)22頁)。なお,糖尿病の患者は正常の患者と比較して心臓発作及び脳卒中の発生率が3倍高いとの報告もある(乙Dカ10・2枚目)。
e 肥満は,高血圧,脂質異常症,糖尿病と並び死に結び付きやすい重要なリスクファクターとされる。肥満は,血液中の脂肪が過多になりやすい状態となるほか,高血圧,高尿酸血症,糖尿病などを合併しやすいため,血管内膜を傷害する危険因子となる(弁論の全趣旨・被告準備書面(8)23頁)。
f 心身にストレスを感じると,交感神経を異常に興奮させ,これによりホルモンバランスが崩れ,血圧上昇,不整脈及び腎臓病を来し,心臓発作の引き金になることから,心筋梗塞の発症のリスクファクターであるといわれ,阪神・淡路大震災等の世界中の大地震では心筋梗塞の発生率が増加したとの報告もある(乙Dカ10・2枚目)。
また,几帳面で周りの社会や組織に気を配る性格のタイプの者(「タイプA」)とそうでない,のんびり型,マイペース型のタイプの者(「タイプB」)とを比較すれば,前者(タイプA)の方が心筋梗塞に罹患する割合が2倍多いとの報告もある(乙Dカ10・3枚目,弁論の全趣旨・被告準備書面(8)23頁)。
g 過度の飲酒は,動脈硬化のリスクファクターとなると考えられている(弁論の全趣旨・被告準備書面(8)23頁)。
h 以上の危険因子は,多くなればなるほど有病率は加速度的に増加するとされているといわれ,中でも高血圧,高脂血症(脂質異常症)及び喫煙は,動脈硬化の3大危険因子といわれる(乙Dカ14・6枚目)。
米国マサチューセッツ州フラミンガムで危険因子と心臓病の関係を明らかにするための疫学調査が行われ,その結果,総コレステロールに高血圧,喫煙,耐糖能異常(糖尿病),更に心電図異常(左室肥大)が加わるにつれ,心筋梗塞や狭心症などの心疾患の頻度が高くなった(乙Dカ14・6枚目)。
イ 各種知見
(ア) LSS第9報第2部
昭和57年発表のLSS第9報第2部は,がん以外の特定死因で,原爆被爆との有意な関係を示すものはみられないとしている(乙B208・1頁)。
(イ) 「寿命調査 第11報 第3部 改訂被曝線量(DS86)に基づく癌以外の死因による死亡率 1950-85年」
放影研は,寿命調査(LSS)集団における昭和25年から昭和60年までの死亡調査を行い,がん以外の死因による死亡について被曝線量との関連を調べ,「寿命調査 第11報 第3部 改訂被曝線量(DS86)に基づく癌以外の死因による死亡率 1950-85年」(以下「LSS第11報第3部」という。)としてまとめ(甲A41文献29・1頁),平成4年に発表した。
LSS第11報第3部は,① まだ限られた根拠しかないが,高線量域(2グレイ又は3グレイ以上)において,がん以外の疾患による死亡リスクの過剰があるように思われ,統計学的にみると,二次モデル又は線形―しきい値モデル(推定しきい値線量1.4グレイ(0.6グレイないし2.8グレイ))の方が,単純な線形又は線形―二次モデルよりもよく当てはまる,② がん以外の疾患による死亡率のこのような増加は,一般的に昭和40年以降で若年被爆群(被爆時年齢40歳以下)において認められ,若年被爆者の感受性が高いことを示唆している(甲A41文献29・1頁),③ 昭和25年から昭和60年までの循環器疾患による死亡率は,線量との有意な関連を示し,脳卒中以外の循環器疾患は全期間で有意な傾向を示した,④ 後期(昭和41年から昭和60年まで)になると,被爆時年齢が低い群(40歳未満)では,循環器疾患全体の死亡率及び心疾患の死亡率は,線量と有意な関係を示し,線量反応曲線は純粋な二次又は線形―しきい値型を示した,⑤ 心疾患群のうち最も死亡者数が多い冠状動脈性心疾患の死亡率は,同じ期間,同じ被爆時年齢区分の心疾患と同じ傾向を示しているとしている(甲A41文献29・12頁)。
(ウ) 「原爆放射線の人体影響1992」
平成4年発表の「原爆放射線の人体影響1992」は,膵臓は放射線感受性の低い臓器と考えられており,放射線被曝の急性期においても数百ラドの放射線被曝では組織学的にも内分泌学的にも異常は報告されておらず,放射線被曝と糖尿病発症との関連については,インスリン分泌低下,糖尿病頻度,糖尿病発症率及び合併症についての報告がみられるが,いずれも否定的な見解が得られているとしている(甲A37・129頁)。
(エ) 「成人健康調査第7報 原爆被爆者における癌以外の疾患の発生率,1958-86年(第1-14診察周期)」
放影研は,昭和33年から昭和61年までに収集された成人健康調査(AHS)集団の長期データを用いて悪性腫瘍を除く19の疾患の発生率と電離放射線被曝との関係を初めて調査し,「成人健康調査第7報原爆被爆者における癌以外の疾患の発生率,1958-86年(第1-14診察周期)」(以下「AHS第7報」という。)としてまとめ(乙Dネ6・1頁),平成6年に発表した。
AHS第7報は,① 心臓血管系の疾患について,いずれにも有意な線量反応関係は認められなかった,② しかし,近年,若年被爆者では心筋梗塞の発生が増加しており,特に最近二,三年ではこの傾向はほかの調査でも認められる,③ 成人健康調査(AHS)において心筋梗塞と確認された症例は77例に限られ,この中には致死症例は含まれておらず,今回有意な結果が得られなかったのは症例数の不足のためかもしれないとしている(乙Dネ6・2頁)。
(オ) 「原爆被爆者の死亡率調査 第12報,第2部 がん以外の死亡率:1950-1990年」
放影研は,放影研の寿命調査(LSS)集団のうち被曝線量が推定されている8万6572人の原爆被爆者におけるがん以外の死亡率調査をし,「原爆被爆者の死亡率調査 第12報,第2部 がん以外の死亡率:1950-1990年」(以下「LSS第12報第2部」という。)としてまとめ(乙Dネ14・1頁),平成11年に発表した。
LSS第12報第2部は,① 今回の解析結果は,放射線量とともにがん以外の疾患の死亡率が統計的に有意に増加するという前回の解析結果を強化するものであり,有意な増加が循環器疾患に観察された,② 1シーベルトの放射線に被曝した者の死亡率の増加は約10%で,がんと比べるとかなり小さかった,③ 今回のデータからはっきりした線量反応曲線の形を示すことはできなかった,④ 統計的に非直線性を示す証拠はなかったが,0.5シーベルト未満では,リスクを無視することができるほど小さいか0である線量反応曲線にも矛盾しなかった(乙Dネ14・1頁),⑤ 潜在的な重要交絡因子の影響は極めて小さく,寿命調査(LSS)集団において放射線とがん以外の死因による死亡率との間にみられる関連性は交絡に起因するものではないと思われるとしている(乙Dネ14・16頁)。
(カ) F.Wongら「原爆被爆者の血清総コレステロール値の経時的変化における放射線の影響」
平成11年発表の放影研のF.Wongらの「原爆被爆者の血清総コレステロール値の経時的変化における放射線の影響」(以下「ワンら報告」という。)は,1グレイ当たりのコレステロールの最大の増加は,女性では昭和5年のコホートで52歳だった者にみられ,広島で2.5mg/dl(95%信頼区間は1.6mg/dlないし3.3mg/dl),長崎で2.3mg/dl(95%信頼区間は1.5mg/dlないし3.1mg/dl)であり,男性では昭和15年のコホートで29歳だった者にみられ,広島で1.6mg/dl(95%信頼区間は0.4mg/dlないし2.8mg/dl),長崎で1.4mg/dl(95%信頼区間は0.3mg/dlないし2.6mg/dl)であったとしている(乙C61の1・736頁,乙C61の2)。
(キ) 佐々木英夫ら「原爆被爆者の血圧に対する加齢および放射線被曝の影響」
放影研の佐々木英夫らは,成人健康調査(AHS)集団について連続的に測定されたデータに混合影響モデルを当てはめることにより,血圧における年齢に関連した変化の検討及び放射線影響の検出を目的とした研究を行い,「原爆被爆者の血圧に対する加齢および放射線被曝の影響」(以下「佐々木英夫ら報告」という。)としてまとめ(乙C64の1,乙C64の2・1頁),平成14年に発表した。
佐々木英夫ら報告は,① 今回の解析では,収縮期血圧と拡張期血圧の縦断的変化のいずれにも,小さいが統計的に有意な電離放射線の影響が認められ,この現象は電離放射線が血管の変性に影響を与えることを示唆している(乙C64の1,乙C64の2・1頁),② 昭和15年に生まれ,1グレイの原爆放射線に被曝した男性の40歳における収縮期血圧の平均値は,同様の条件の非被曝者男性よりも約1.0mmHg(95%信頼区間は0.6mmHgないし1.5mmHg)高かった(乙C64の1,乙C64の2・9頁),③ 昭和15年に生まれ,1グレイの原爆放射線に被曝した男性の40歳における拡張期血圧の平均値は,同様の条件の非被曝者男性よりも約0.8mmHg(95%信頼区間は0.2mmHgないし1.2mmHg)高かったとしている(乙C64の1,乙C64の2・10頁)。
(ク) 林奉権ら「原爆放射線のヒト免疫応答に及ぼす影響(第17報):原爆放射線における炎症応答マーカーの放射線量依存的上昇」
放影研の林奉権らは,原爆被爆者の免疫機能の低下がバクテリアなどの感染を介して持続的な炎症を誘起しているのではないかとの仮説の検証のために,炎症の指標と考えられているC-反応性蛋白(CRP)とインターロイキン(IL)-6の血漿中レベルに対する放射線の長期的影響並びにそれら炎症マーカーの血漿中レベルとCD4ヘルパーT細胞(ヘルパーT細胞とは,蛋白質やT細胞依存性抗原に対するB細胞の抗体産生を助ける働きをするT細胞をいい,CD4ヘルパーT細胞は,リンホカイン(リンパ球由来の活性因子で,遅延型アレルギーなどの細胞免疫現象を仲介する一種の作用物質)を産生する。)の割合との関係について調べ,「原爆放射線のヒト免疫応答に及ぼす影響(第17報):原爆放射線における炎症応答マーカーの放射線量依存的上昇」(以下「林奉権ら第1報告」という。)としてまとめ(甲A98・231頁),平成14年に発表した。
林奉権ら第1報告は,① 前向き研究ではないために,要因ではなく結果である可能性を否定することができないものの,心筋梗塞の既往歴のある被爆者ではC-反応性蛋白(CRP)レベルとインターロイキン(IL)-6レベルの有意な上昇が認めている,② 原爆放射線による免疫機能の低下と炎症の亢進が被爆者に発症する心血管疾患の一部に関連している可能性が示唆される,③ 今後,前向き研究を進めるとともに,腫瘍壊死因子(TNF)-αなどの他の炎症関連因子に及ぼす放射線の影響を調べ,心血管疾患などに対する炎症反応の関与について,更に検討する必要があるとしている(甲A98・233頁)。
(ケ) LSS第13報
平成15年発表のLSS第13報は,① がん以外の疾患による死亡率に対する放射線の影響については,追跡調査期間中(昭和25年から平成9年まで)の最後の30年間では,1シーベルト当たり約14%の割合でリスクが増加しており,依然として統計的に確かな証拠が示された,② 心臓疾患に関して統計的に有意な増加がみられたが,約0.5シーベルト未満の線量については放射線影響の直接的な証拠は認められなかった(甲A77資料11-1・2頁),③ 被爆者において,大動脈弓石灰化,収縮期高血圧並びにコレステロール及び血圧の年齢に伴う変動など,がん以外の疾患のいくつかの前駆症状について長期にわたる僅かな放射線との関連が報告されており,最近の調査では,被爆者に持続性の免疫学的不均衡及び無症状性炎症と放射線との関連が認められた,④ これらは,がん以外の広範な疾患に対する放射線影響の機序と関連するかもしれない,⑤ 寿命調査(LSS)におけるがん以外の疾患に関する所見は,これらの疾患の率に対する放射線影響の機序を同定あるいは否定する上で役立つであろう更なる調査の必要性を強調しているとしている(甲A77資料11-1・41頁)。
(コ) 「成人健康調査第8報 原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率,1958-1998年」
放影研は,昭和33年から平成10年までの成人健康調査(AHS)受診者から成る約1万人の長期データを用いて,がん以外の疾患の発生率と原爆放射線被曝線量との関係を調査し,「成人健康調査第8報 原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率,1958-1998年」(以下「AHS第8報」という。)としてまとめ(乙C7・25頁),平成16年に発表した。
AHS第8報は,① 高血圧(P値は0.028)と40歳未満で被爆した者の心筋梗塞(P値は0.049)に有意な二次線量反応を認め,喫煙や飲酒で調整してもその結果は変わらなかった(乙C7・1頁),② 血清総コレステロール値に関する成人健康調査(AHS)の縦断的解析では,被爆者のコレステロール値が非被爆者より有意に高いことを示しており,同じ傾向が若年コホートの血圧傾向においてもみられた,③ これらの増加は,若年被爆者の心筋梗塞の発生率の上昇をある程度説明するのかもしれないとしている(乙C7・9頁)。
(サ) 楠洋一郎ら「原爆放射線が免疫系に及ぼす長期的影響:半世紀を超えて」
平成16年発表の放影研の楠洋一郎らの「原爆放射線が免疫系に及ぼす長期的影響:半世紀を超えて」(以下「楠洋一郎ら報告」という。)は,① 原爆放射線が人体にどのような生物学的影響を与えるのか,また,これらの影響ががんだけではなくがん以外の疾患を含む多くの異なる病気をどのように引き起こすのかについては明確な解答はないが,最近,原爆被爆者においてがん以外のほとんどの主要な疾患による死亡率と放射線量との間にも明確な関連性が観察されている,② 興味深い意見として,これらの放射線関連疾患,特に,がん以外の疾患には免疫系への放射線影響がある程度関係しているかもしれないという仮説がある,③ 被爆者の免疫系には過去の放射線被曝の顕著な影響がリンパ系細胞の構成や機能に観察されている,④ これらの影響によって生じる変化の大部分は,被曝線量1グレイ当たり数パーセントと小さいように思われるので,免疫系におけるこの僅かな変化のために特定の疾患に罹患するという筋書きは描きにくいかもしれないが,僅かな免疫学的変化でさえ,その変化が数十年以上継続する場合には,原爆被爆者集団にしばしば観察される疾患のリスクを増加させたかもしれないと考えることは可能である(甲A87・7頁),⑤ 成人健康調査(AHS)対象者においてこれまで実施した調査から得たデータを綿密に解析した結果,広島で原爆に被爆した時に20歳未満だった者は,2型糖尿病の有病率と放射線量との間に有意な正の相関関係が示唆された,⑥ 20歳未満の若年高線量被爆者における糖尿病のリスクに強く関わる免疫系の何らかの構成要素は,特定の遺伝子の影響を受けると考えられる(甲A87・11頁),⑦ 原爆放射線が長期にわたる炎症を誘発し,それが疾患の発生につながったとの仮説も考えられ,放影研の多面的な研究環境により,原爆被爆者における疾患発生の基盤を成す免疫学的機序について包括的な研究を実施することができると考えており,原爆被爆者における糖尿病,冠状動脈性心疾患等の疾患の発生に関し,免疫,炎症の媒体と生活習慣因子との相互作用の有無について調査する予定であるとしている(甲A87・13頁)。
(シ) 森下ゆかりら「原爆放射線のヒト免疫応答におよぼす影響 第23報:炎症マーカーの長期的上昇」
放影研の森下ゆかりらは,インターロイキン(IL)-6及びインターロイキン(IL)-6により誘導される炎症指標の一つであるC-反応性蛋白(CRP)以外の炎症マーカー及び免疫グロブリン(Ig)の血漿レベルを測定し,被曝線量との関係を総合的に検討し,「原爆放射線のヒト免疫応答におよぼす影響 第23報:炎症マーカーの長期的上昇」(以下「森下ゆかりら報告」という。)としてまとめ(甲A292の1資料8・413頁),平成18年に発表した。
森下ゆかりら報告は,① 被曝線量の増加に伴い,〈ア〉炎症性サイトカインの腫瘍壊死因子(TNF)-α,インターフェロン(IFN)-γ及びインターロイキン(IL)-10,〈イ〉赤血球沈降速度並びに〈ウ〉Total免疫グロブリン(Ig),免疫グロブリン(Ig)A及び免疫グロブリン(Ig)Mレベルの各マーカーが統計学的に有意に上昇することを見出した,② 放射線被曝と加齢のどちらもこの研究で調べたほとんどの炎症マーカーの上昇を伴っていたことから,放射線の影響を加齢に換算して検討を行ったところ,1グレイの放射線被曝は,被爆者の赤血球沈降速度(ESR)と腫瘍壊死因子(TNF)-α,インターロイキン(IL)-10及びTotal免疫グロブリン(Ig)レベルから判断して,約9年の免疫学的加齢に相当する効果を示すことが分かった,③ これらの結果は,原爆放射線が炎症状態の加齢による亢進を更に促進しているということを示しているのかもしれないとしている(甲A292の1資料8・415頁,416頁)。
(ス) UNSCEAR2006年報告書
UNSCEAR2006年報告書は,① 約1グレイないし2グレイ未満の線量域での致死的な心血管疾患と放射線被曝の関連を示す証拠は,これまで日本における原爆被爆者のデータ解析から得られているだけである,② その他の研究は,約1グレイないし2グレイ未満の放射線量による心血管疾患のリスクに関する明確なあるいは一貫した証拠を提供していない,③ 科学的データも,約1グレイないし2グレイ未満の線量における電離放射線への被曝と心血管疾患の罹患との間に因果関係があると結論付けるには現在不十分である(乙Dル7・6頁),④ 冠状動脈心疾患について,0.5シーベルト未満での過剰リスクの証拠もほとんどなかった(乙Dル7・349頁),⑤ 被曝した対象において,いくつかの炎症マーカーに関して統計的に有意な線量影響関係が認められた,⑥ 電離放射線によって持続的に炎症が続く状態は,非がん疾患のリスクを増加させるかもしれない,⑦ 被曝した者らに認められる心筋梗塞などの心血管疾患の発症に炎症反応が重要な役割を果たしていることを示しているとしている(甲A661の5の2・180頁,181頁)。
(セ) 赤星正純「原爆被爆者の動脈硬化・虚血性心疾患の疫学」
放影研の赤星正純は,放射線被曝の心血管疾患及びその危険因子に及ぼす影響について,主に放影研で行われた調査を基に,これまでに分かったことを検討し,「原爆被爆者の動脈硬化・虚血性心疾患の疫学」(以下「赤星正純報告」という。)としてまとめ(甲A604・205頁),平成20年に発表した。
赤星正純報告は,① 放射線が血圧に及ぼす影響については,1930年(昭和5年)代以降に生まれた若年被爆者において,加齢に伴う収縮期血圧及び拡張期血圧経過が上方に偏位している(甲A604・207頁),② 高血圧,高脂血症及び炎症にも放射線被曝が関与していることも明らかになったとしている(甲A604・208頁)。
(ソ) 清水由紀子ら「放射線被曝と循環器疾患リスク:広島・長崎の原爆被爆者データ,1950-2003」
清水由紀子らは,昭和25年から平成15年までの寿命調査(LSS)集団を対象として,原爆放射線と脳卒中及び心疾患を原因とする死亡率との線量反応関係を調査し,「放射線被曝と循環器疾患リスク:広島・長崎の原爆被爆者データ,1950-2003」(以下「清水由紀子ら報告」という。)としてまとめ(乙Dタ10),平成22年に発表した。
清水由紀子ら報告は,① 心疾患の1グレイ当たりの過剰相対リスクの推定値は14%(95%信頼区間は6%ないし23%。P値は0.001未満)で線型モデルが最もよく適合し,低線量でも過剰リスクの存在が示唆された,② 0グレイないし0.5グレイに限定した場合,線量反応は有意ではなかった,③ 前向き研究で得られた喫煙,飲酒,教育歴,職歴,肥満及び糖尿病のデータは,心疾患の放射線リスク推定にもほとんど影響を及ぼさず,がんが循環器疾患と誤診されることも,観察された関係を説明することができなかった,④ 結論として,0.5グレイを超える被曝線量では,心疾患のリスクの増加がみられたが,低線量でのリスクの程度は明らかでなく,被爆者において,脳卒中と心疾患を合わせた放射線関連の過剰死亡数はがんによる過剰死亡数の約3分の1である(乙Dタ10),⑤ 心疾患について,しきい値線量の最高の推定値は0グレイであり,95%信頼区間の上限でおよそ0.5グレイであった(乙Dタ12・6頁),⑥ 2グレイ以下の放射線被曝が循環器疾患を引き起こし得るメカニズムについての知識は非常に限定されており,証拠といえることといえば,放射線に誘発されたような炎症反応,内皮細胞の細胞喪失や機能変化あるいは微小血管性損傷などが,放射線関連の心疾患の病理学的な変化につながる病原性変化の初期の現象といえるかもしれないということである,⑦ これらは,他の危険因子,例えば,高血圧,高脂血症,喫煙,糖尿病や感染症など心疾患を促進する因子を増加させているのかもしれない,⑧ 放射線被曝線量と炎症マーカーの長期間レベルとの関連について,被爆者を対象として調査がされてきたが,放射線が腎臓実質の微小血管や血管内皮細胞の障害を引き起こすことが高血圧や虚血変化を促進しているかもしれないとしている(乙Dタ12・11頁,12頁)。
(タ) UNSCEAR2010年報告書
UNSCEAR2010年報告書は,① 放射線被曝に関連した致死的な心血管疾患の過剰リスクを示す唯一の明確な証拠は,心臓への線量が約1グレイないし2グレイ未満では,原爆被爆者のデータから得られている,② 約1グレイないし2グレイ未満の線量の被曝と心血管疾患の過剰発生との間の直接的な因果関係についての結論を下すことはできなかった,③ これらの疾患の低線量における線量反応関係の形状はまだ明らかでない,④ 1グレイないし2グレイ未満の線量,また,はるかに低い線量の場合においても,非がん疾患のリスクが増加することを示す最近の疫学調査からの新たな証拠があるが,関連するメカニズムはいまだ不明瞭で,低線量におけるリスク推定には問題が残るとしている(乙Dル9・16頁)。
(チ) ICRP2011年勧告
ICRP2011年勧告は,不確実性は残るものの,循環器疾患のしきい吸収線量は,心臓に対しては,0.5グレイ程度まで低いかもしれないことを医療従事者は認識させられなければならないとしている(乙C12の1,乙C12の2)。
(ツ) LSS第14報
平成24年発表のLSS第14報は,① 非腫瘍性疾患では,循環器疾患で放射線によるリスクの増加が示されたが,放射線との因果関係については今後の研究が必要である(甲A614の3・2頁),② 過剰リスクの有意な増加が循環器系(0.11(95%信頼区間は0.05ないし0.17))で認められた(甲A614の3・12頁),③ 追跡調査の初期(昭和25年から昭和40年まで)におけるがん以外の疾患の死亡率の線量反応関係には約1.5グレイ未満で放射線影響は基本的には認められなかったが,後期(昭和41年から平成15年まで)においては,全体的にがん以外の疾患についてほぼ線形の線量反応関係が認められ,両期間における線量反応の形状の差異は有意であるが,循環器疾患では両期間に差異は認められなかったとしている(甲A614の3・12頁,13頁)。
(テ) 林奉権ら「放射線と加齢の影響に特に関連した原爆被爆者の全身性炎症指標の評価」
放影研の林奉権らは,活性酸素(ROS),インターロイキン(IL)-6,腫瘍壊死因子(TNF)-α,C-反応性蛋白(CRP),インターロイキン(IL)-4,インターロイキン(IL)-10及び免疫グロブリン(Ig)の血漿中レベル並びに赤血球沈降速度(ESR)から成る8種類の炎症指標により,442人の原爆被爆者の無症候性の炎症状態について調査し,これらの指標に対する過去の放射線被曝と自然老化の影響を個々人について評価比較した上で,これらの指標の相互関係によって隠されていた炎症と放射線被曝又は加齢の生物学的に重要な関連を評価するために,選択した指標の線形結合によるスコアを多変量統計解析を用いて計算し,全身性炎症指標を評価し,「放射線と加齢の影響に特に関連した原爆被爆者の全身性炎症指標の評価」(以下「林奉権ら第2報告」という。)としてまとめ(甲A614の14の1の1,甲A614の14の1の2),平成24年に発表した。
林奉権ら第2報告は,① 活性酸素(ROS),インターロイキン(IL)-6,C-反応性蛋白(CRP)及び赤血球沈降速度(ESR)の線形結合によって炎症状態を最もよく表すことができることを示し,また,そのスコアにより炎症に対する統計学的に有意な放射線量と加齢の影響が明確に示されることが分かった,② これらの結果は,総合的に判断して,放射線被曝が自然老化と共に原爆被爆者の持続的炎症状態を亢進している可能性を示唆しているとしている(甲A614の14の1の1,甲A614の14の1の2)。
(ト) ICRP2012年勧告
ICRP2012年勧告は,① 最近更新された原爆被爆者データの分析(清水由紀子ら報告)によると,心疾患の推定しきい線量は0グレイとされ,95%信頼区間の上限は0.5グレイであった,② しかしながら,0グレイないし0.5グレイの範囲を通して,線量反応関係は統計学的に有意ではなく,低線量の情報が不十分であることを示している(乙Dル11の1,乙Dル11の2・4頁),③ 0.5グレイ以下の線量域における,いかなる重症度や種類の循環器疾患リスクも,依然として不確実であることが強調されるべきであるとしている(乙Dル11の1,11の2・5頁)。
(ナ) 「原爆放射線の人体影響 改訂第2版」
平成24年発表の「原爆放射線の人体影響 改訂第2版」は,① 原爆被爆後60年以上を経た今日においても,被爆者の免疫系,すなわち,細胞集団の構成及び細胞機能に放射線被曝に関連した変化が観察されており,それらは,Tリンパ球を中心とする適応免疫の低下と活性化された自然免疫によると考えられる軽度な炎症状態である,② 放射線がどのようにして免疫系に長期にわたる影響を及ぼすのか,その機序はほとんど分かっていないが,放射線被曝に関連してみられる免疫系の変化の多くは加齢に伴って免疫機能が衰退していく様相と類似しており,原爆被爆者では過去の放射線被曝によって免疫老化が促進している可能性が示唆される,③ 放射線被曝者では,免疫老化の促進に伴って炎症応答が増強され,それにより炎症が関わる疾患発生のリスクが高くなる可能性があると考えられるとしている(甲A614の14の2・284頁)。
(ニ) 齋藤紀の意見
わたり病院医師の齋藤紀は,① 非がん疾患でも,多種の細胞と組織(血管,筋肉等)で構成される臓器(心臓)の機能低下が晩発的に生じてくる場合,しきい値を有する確定的影響となるかどうかはアプリオリにはいえない,② 心疾患という統合的機能低下は,単一細胞の遺伝子変異の結果ではないが,心臓を構成する多様な細胞群及び心臓に影響を与える全身を循環する様々な細胞(群),因子(群)を通じて,被曝による多面的な影響を受けているとみられる,③ 心疾患と被曝との間にみられた線形の相関性を非がん疾患だからとして否定することはできないとしている(甲A649・9頁)。
ウ 改定後の新審査の方針及び再改定後の新審査の方針
改定後の新審査の方針は,「放射線起因性が認められる心筋梗塞」を積極認定対象疾病としており,再改定後の新審査の方針も「心筋梗塞」を積極認定対象疾病としている。
エ 検討
(ア) 心筋梗塞については,LSS第9報第2部,LSS第11報第3部,LSS第12報第2部,LSS第13報,LSS第14報,清水由紀子ら報告等によって,疫学的知見が集積されてきている。これらの報告は,当初は,LSS第9報第2部が,がん以外の特定死因で原爆被爆との有意な関係を示すものはみられないとして,心筋梗塞と放射線被曝との関連性について否定的であったが,その後は,例えば,LSS第14報が循環器疾患で放射線によるリスクの増加が示されたとし,清水由紀子ら報告が心疾患の1グレイ当たりの過剰リスクの推定値は14%で線型モデルが最もよく適合しているとするなど,おおむね心筋梗塞と放射線被曝との関連性を肯定するものとなっている。
これらの知見を含めた前記各種知見を総合し,改定後の新審査の方針は「放射線起因性が認められる心筋梗塞」を積極認定対象疾病とし,再改定後の新審査の方針も「心筋梗塞」を積極認定対象疾病としていることも併せ考慮すれば,心筋梗塞は,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるというべきである。
(イ)a 次に,心筋梗塞のしきい値について検討する。
b この点,清水由紀子ら報告は,心疾患について,0グレイないし0.5グレイに限定した場合,線量反応は有意ではなく,95%信頼区間の上限でおよそ0.5グレイであったとし,UNSCEAR2010年報告書も,約1グレイないし2グレイ未満の線量の被曝と心血管疾患の過剰発生との間の直接的な因果関係についての結論を下すことはできなかったとしている。UNSCEAR2006年報告書,ICRP2011年勧告及びICRP2012年勧告も,少なくとも0.5グレイ程度に満たない低線量の被曝についてはその影響を否定するかのようなものとなっている。
c しかしながら,清水由紀子ら報告は,同時に,心疾患のしきい値線量の最高の推定値は0グレイであったともしている。
一方,心筋梗塞に関する危険因子に関する知見として,林奉権ら第1報告が,原爆放射線による免疫機能の低下と炎症の亢進が被爆者に発症する心血管疾患の一部に関連している可能性が示唆されるとし,「原爆放射線の人体影響 改訂第2版」が,放射線被曝者では,免疫老化の促進に伴って炎症応答が増強され,それにより炎症が関わる疾患発生のリスクが高くなる可能性があると考えられるとし,さらに,林奉権ら第2報告が,放射線被曝が自然老化と共に原爆被爆者の持続的炎症状態を亢進している可能性を示唆しているとしている。また,森下ゆかりら報告は,1グレイの放射線被曝は,約9年の免疫学的加齢に相当する効果を示すことが分かったともしている。そして,佐々木英夫ら報告は,電離放射線が血管の変性に影響を与えることを示唆しているとし,AHS第8報やワンら報告は,被爆者のコレステロールの増加を指摘している。糖尿病については,「原爆放射線の人体影響1992」が放射線被曝と糖尿病発症との関連についてインスリン分泌低下,糖尿病頻度,糖尿病発症率及び合併症についての報告がみられるが,いずれも否定的な見解が得られているとしているものの,楠洋一郎ら報告は,これとは異なり,広島で原爆に被爆した時に20歳未満だった者は,2型糖尿病の有病率と放射線量との間に有意な正の相関関係が示唆されたとしているものである。加えて,赤星正純報告が,高血圧,高脂血症及び炎症には放射線被曝が関与していることが明らかになったとし,清水由紀子ら報告も,放射線に誘発されたような炎症反応,内皮細胞の細胞喪失や機能変化あるいは微小血管性損傷などが,放射線関連の心疾患の病理学的な変化につながる病原性変化の初期の現象といえるかもしれず,これらは,他の危険因子,例えば,高血圧,高脂血症,喫煙,糖尿病や感染症など心疾患を促進する因子を増加させているのかもしれないとしているのであって,少なくとも心筋梗塞に関する危険因子である高血圧,脂質異常症及び糖尿病については放射線被曝との関連性が認められる症状であるというべきである。さらに,齋藤紀の意見も,心疾患という統合的機能低下は,心臓を構成する多様な細胞群及び心臓に影響を与える全身を循環する様々な細胞(群),因子(群)を通じて,被曝による多面的な影響を受けているとしているのであって,これらの知見を含めた前記各種知見を総合すれば,心筋梗塞についても,固形がんと同様,しきい値がないものとして考えるのが相当というべきである。
(ウ) 若年被爆者への影響について,LSS第11報第3部が,がん以外の疾患による死亡率の増加は,一般的に昭和40年以降で若年被爆群(被爆時年齢40歳以下)において認められ,若年被爆者の感受性が高いことを示唆しているとしている。また,AHS第7報が,若年被爆者では心筋梗塞の発生が増加しているとし,AHS第8報も,若年コホートの血圧傾向において被爆者が非被爆者より有意に高いとしており,これらの知見からすれば,若年被爆者におけるほど放射線の影響は大きいものと優に推認することができるものというべきである。
(エ) さらに,交絡因子については,LSS第12報第2部が,潜在的な重要交絡因子の影響は極めて小さく,寿命調査(LSS)集団において放射線とがん以外の死因による死亡率との間にみられる関連性は交絡に起因するものではないと思われるとし,AHS第8報が,喫煙や飲酒で調整しても,高血圧と40歳未満で被爆した者の心筋梗塞の有意な二次線量反応の結果は変わらなかったとし,清水由紀子ら報告も,前向き研究で得られた喫煙,飲酒,教育歴,職歴,肥満及び糖尿病のデータは,心疾患の放射線リスク推定にほとんど影響を及ぼさないとしていることからすれば,心筋梗塞においてはそもそもその影響が極めて小さいものであることが認められる。
(4) 狭心症
ア 総説
狭心症は,一過性の心筋虚血を原因とし,胸部又はその周辺の不快感を主症状とする臨床症候群であり,心筋梗塞と同じ虚血性心疾患の一つであるが,疾病経過としては可逆的である点が心筋梗塞と異なる。狭心症は,発生機序,誘因及び経過の観点からそれぞれ分類があるが,大まかには,主に動脈硬化が原因となり器質的に(物理的に)冠動脈が狭窄することによって起こるもの(器質性狭心症)と,必ずしも器質的な病変を伴わないが冠動脈平滑筋が攣縮することによって起こるもの(冠攣縮性狭心症)とに分けることができる(乙C14・9頁,10頁,12頁,乙C15・9頁ないし12頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(10)21頁,22頁)。
このうち,器質的な病変を伴う場合の危険因子については,心筋梗塞と共通しており(虚血性心疾患の危険因子),喫煙,高血圧,脂質異常症,糖尿病,年齢(加齢。男性45歳以上,女性55歳以上),家族歴などが危険因子とされる(弁論の全趣旨・被告準備書面(10)22頁)。
狭心症は,原爆に被爆していなくても,誰にでも発症し得る疾患であり,一般的には生活習慣病の一つとされている。そして,発症要因が不明とされる疾患も多数ある中で,狭心症は,上記のリスク要因(危険因子)が存在し(特に喫煙,高血圧,脂質異常症(高脂血症)及び糖尿病が4大危険因子と言われている。),これらの危険因子が多くなればなるほど有病率が加速度的に増加するなど,そのリスク要因やリスク上昇の程度が,疫学上もメカニズム上も比較的明瞭にされている疾患である(弁論の全趣旨・被告準備書面(10)22頁)。
イ 検討
狭心症そのものに対する疫学調査は存在しないと認められるものの(弁論の全趣旨),LSS第14報及び清水由紀子ら報告は,循環器疾患ないし心疾患全体の検討の中で狭心症を含めて疫学調査をし,放射線被曝の影響を指摘しているものである。そして,心筋梗塞が心筋虚血が一定時間持続した結果,心筋が壊死するに至った不可逆的虚血であるのに対して,狭心症は一過性の心筋虚血を原因とし,胸部又はその周辺の不快感を主症状とする臨床症候群であり,心筋梗塞と同じ虚血性心疾患の一つであって,いわば同質の疾病である。そうであるとすれば,狭心症についても,心筋梗塞に準じて考えることができるものというべきである。
したがって,狭心症は,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であり,しきい値もないものとして考えるのが相当である。さらに,狭心症は,若年被爆者におけるほど放射線の影響が大きい疾病であって,交絡因子の影響も極めて小さいものと認めるのが相当である。
(5) 脳梗塞
ア 総説
(ア) 脳梗塞は脳血管障害の一つである。脳血管障害は,脳の一部が虚血あるいは出血により一過性又は持続性に障害を受けるか,脳の血管が病理的変化により一次的に侵される場合,又は,この両者が混在する全ての疾患と定義され,脳卒中の同義語として用いられている(乙C1・1761頁)。
(イ) 脳梗塞は,米国立神経疾患・脳卒中研究所(NINDS)による脳血管障害の臨床的分類によれば,脳出血,くも膜下出血及び動静脈奇形による頭蓋内出血と共に,局所性脳機能障害の一つである脳卒中の一病型として分類されている(乙C1・1762頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)7頁)。なお,脳出血,くも膜下出血及び動静脈奇形による頭蓋内出血を総称して「出血性脳卒中」と呼び,脳梗塞を「虚血性脳卒中」と呼ぶ場合もある(乙C2・11頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)7頁)。
また,脳梗塞の臨床病型は,①心原性脳塞栓症,②アテローム血栓性脳梗塞及び③ラクナ梗塞に分類されている(乙C1・1762頁)。
(ウ) 脳梗塞は,何らかの原因で脳の虚血(動脈血量の減少による貧血)が発生している状態をいう。そして,虚血の発生機序は,①血栓性(動脈硬化により,その部分に血栓が形成され虚血を呈するもの),②塞栓性(血流の上流から栓子が流入して,血流を塞いで虚血を呈するもの)及び③血行力学性(灌流圧の低下により,灌流圧の最も低い部分(分水嶺)が虚血となるもの)に大別される(弁論の全趣旨・被告準備書面(3)7頁)。
(エ) 上記の発症機序を前提に臨床病型をみると,心原性脳塞栓症は,心臓由来の血栓(心房細動が主な原因となる。)により血管が詰まるもの(塞栓性),ラクナ梗塞は,細い血管病変に血栓ができることで起きるもの(血栓性)ということができる。また,アテローム血栓性脳梗塞は,頭蓋内外の主幹動脈のアテローム硬化(コレステロールなどの脂質が動脈壁内に沈着することによりできる粥状硬化)により血栓を生じるなどするもの(血栓性),栓子が流れてきた際に詰まるもの(塞栓性),あるいは,血流不足が生じやすいなどの原因で当該部位が閉塞するもの(血行力学性)ということができる(乙C2・12頁,13頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)8頁)。
(オ) 脳卒中(脳血管障害)は生活習慣病の一つとされ(乙C3・1枚目),悪性新生物,心疾患,肺炎に続いて国民の死因の上位(平成23年で4位,全死亡の9.9%)を占めている(乙C4・14頁)。脳卒中データバンク2009によれば,脳梗塞は,入院加療となる脳卒中の症例のうちの4分の3を占めており(乙C2・11頁),その臨床病型は,アテローム血栓性脳梗塞,ラクナ梗塞,心原性脳塞栓症の症例でほぼ3分されている(乙C2・13頁)。
脳梗塞を起こしやすくする危険因子としては,高血圧,脂質異常症,糖尿病,心房細動,喫煙等が挙げられている(乙C5・21頁ないし36頁,C6・22頁ないし26頁)。
イ 各種知見
(ア) LSS第9報第2部
昭和57年発表のLSS第9報第2部は,がん以外の特定死因で,原爆被爆との有意な関係を示すものはみられないとしている(乙B208・1頁)。
(イ) LSS第11報第3部
平成4年発表のLSS第11報第3部は,① まだ限られた根拠しかないが,高線量域(2グレイ又は3グレイ以上)において,がん以外の疾患による死亡リスクの過剰があるように思われ,統計学的にみると,二次モデル又は線形―しきい値モデル(推定しきい値線量1.4グレイ(0.6グレイないし2.8グレイ))の方が,単純な線形又は線形―二次モデルよりもよく当てはまる,② がん以外の疾患による死亡率のこのような増加は,一般的に昭和40年以降で若年被爆群(被爆時年齢40歳以下)において認められ,若年被爆者の感受性が高いことを示唆している(甲A41文献29・1頁),③ 昭和25年から昭和60年までの循環器疾患による死亡率は,線量との有意な関連を示したが,脳卒中による死亡率にはそのような関連は認められなかった,④ 後期(昭和41年から昭和60年まで)になると,被爆時年齢が低い群(40歳未満)では,循環器疾患全体の死亡率及び脳卒中の死亡率は,線量と有意な関係を示し,線量反応曲線は純粋な二次又は線形―しきい値型を示したとしている(甲A41文献29・12頁)。
(ウ) LSS第12報第2部
平成11年発表のLSS第12報第2部は,① 今回の解析結果は,放射線量とともにがん以外の疾患の死亡率が統計的に有意に増加するという前回の解析結果を強化するものであり,有意な増加が循環器疾患に観察された,② 1シーベルトの放射線に被曝した者の死亡率の増加は約10%で,がんと比べるとかなり小さかった,③ 今回のデータからはっきりした線量反応曲線の形を示すことはできなかった,④ 統計的に非直線性を示す証拠はなかったが,0.5シーベルト未満では,リスクを無視することができるほど小さいか0である線量反応曲線にも矛盾しなかった(乙Dネ14・1頁),⑤ 潜在的な重要交絡因子の影響は極めて小さく,寿命調査(LSS)集団において放射線とがん以外の死因による死亡率との間にみられる関連性は交絡に起因するものではないと思われるとしている(乙Dネ14・16頁)。
(エ) LSS第13報
平成15年発表のLSS第13報は,① がん以外の疾患による死亡率に対する放射線の影響については,追跡調査期間中(昭和25年から平成9年まで)の最後の30年間では,1シーベルト当たり約14%の割合でリスクが増加しており,依然として統計的に確かな証拠が示された,② 脳卒中に関して統計的に有意な増加がみられたが,約0.5シーベルト未満の線量については放射線影響の直接的な証拠は認められなかったとしている(甲A77資料11-1・2頁)。
(オ) UNSCEAR2006年報告書
UNSCEAR2006年報告書は,① 心血管疾患やがんとは異なる全ての疾患群の死亡について,約1グレイないし2グレイ未満の線量の放射線被曝との関連を示す証拠は,原爆被爆者データの解析から得られているだけである,② その他の研究からの科学的な証拠は,約1グレイないし2グレイ未満の線量の放射線被曝との因果関係を推論するためには,その集団における心血管疾患に関する証拠よりも更に不十分である(乙Dル7・6頁),③ 脳卒中について,0.5シーベルト未満での過剰リスクの証拠もほとんどなかったとしている(乙Dル7・349頁)。
(カ) 清水由紀子ら報告
平成22年発表の清水由紀子ら報告は,① 脳卒中の線形線量反応モデルに基づく1グレイ当たりの過剰相対リスクの推定値は9%(95%信頼区間は1%ないし17%。P値は0.02)であったが,上向きの曲線傾向がみられることから,低線量では比較的リスクが少ないことが示唆された,② 0グレイないし0.5グレイに限定した場合,線量反応は有意ではなかった,③ 前向き研究で得られた喫煙,飲酒,教育歴,職歴,肥満及び糖尿病のデータは,脳卒中の放射線リスク推定にもほとんど影響を及ぼさず,がんが循環器疾患と誤診されることも,観察された関係を説明することができなかった,④ 結論として,0.5グレイを超える被曝線量では,脳卒中のリスクの増加がみられたが,低線量のリスクの程度は明らかでなく,被爆者において,脳卒中と心疾患を合わせた放射線関連の過剰死亡数はがんによる過剰死亡数の約3分の1である(乙Dタ10),⑤ 脳卒中について,しきい値線量の最良の推定は0.5グレイであり,95%の信頼限界の上限は2グレイであったが,下限は0を超えるものではなく,しきい線量は存在しないかもしれないとしている(乙Dタ12・6頁)。
(キ) UNSCEAR2010年報告書
UNSCEAR2010年報告書は,① 約1グレイないし2グレイ未満の線量の被曝と心血管疾患以外の非がん疾患の過剰発生との間の直接的な因果関係についての結論を下すことはできなかった,② これらの疾患の低線量における線量反応関係の形状はまだ明らかでない,③ 1グレイないし2グレイ未満の線量,また,はるかに低い線量の場合においても,非がん疾患のリスクが増加することを示す最近の疫学調査からの新たな証拠があるが,関連するメカニズムはいまだ不明瞭で,低線量におけるリスク推定には問題が残るとしている(乙Dル9・16頁)。
(ク) ICRP2011年勧告
ICRP2011年勧告は,不確実性は残るものの,循環器疾患のしきい吸収線量は,脳に対しては,0.5グレイ程度まで低いかもしれないことを医療従事者は認識させられなければならないとしている(乙C12の1・乙C12の2)。
(ケ) LSS第14報
平成24年発表のLSS第14報は,① 非腫瘍性疾患では,循環器疾患で放射線によるリスクの増加が示されたが,放射線との因果関係については今後の研究が必要である(甲A614の3・2頁),② 過剰リスクの有意な増加が循環器系(0.11(95%信頼区間は0.05ないし0.17))で認められた(甲A614の3・12頁),③ 追跡調査の初期(昭和25年から昭和40年まで)におけるがん以外の疾患の死亡率の線量反応関係には約1.5グレイ未満で放射線影響は基本的には認められなかったが,後期(昭和41年から平成15年まで)においては,全体的にがん以外の疾患についてほぼ線形の線量反応関係が認められ,両期間における線量反応の形状の差異は有意であるが,循環器疾患では両期間に差異は認められなかったとしている(甲A614の3・12頁,13頁)。
(コ) 高橋郁乃ら「広島・長崎の原爆被爆者の致死的・非致死的脳卒中と放射線被曝の関連についての前向き追跡研究(1980-2003年)」
高橋郁乃らは,原爆による放射線被爆者9515人について昭和55年から24年間追跡を行い,日本人原爆被爆者における放射線被曝と脳卒中発生の関連を調べ,「広島・長崎の原爆被爆者の致死的・非致死的脳卒中と放射線被曝の関連についての前向き追跡研究(1980-2003年)」(以下「高橋郁乃ら報告」という。)としてまとめ(甲A614の8の1),平成24年に発表した。
高橋郁乃ら報告は,① 昭和55年から平成15年までの研究期間中に,235人の出血性脳卒中及び607人の虚血性脳卒中が確認された,② 年齢及び危険因子の調整後,出血性脳卒中のリスクは,男性では被曝線量が0.05グレイ未満の群から2グレイ以上の群に増加するに伴い,直線的な線量反応関係で増加した(P値は0.009),③ 1グレイ未満の群においても,しきい値のない発生率の増加を認めた(P値は0.004),④ 女性では被曝線量の増加に伴い出血性脳卒中のリスクが増加したが,しきい値1.3グレイ未満ではリスク増加は認められなかった,⑤ 男女ともに被曝線量と虚血性脳卒中に関連は認めなかったとしている(甲A614の8の1)。
(サ) ICRP2012年勧告
ICRP2012年勧告は,① 最近更新された原爆被爆者データの分析(清水由紀子ら報告)によると,脳卒中に関しては,推定しきい線量は0.5グレイとされ,95%信頼区間の上限は2グレイであった(乙Dル11の1,乙Dル11の2・4頁),② 0.5グレイ以下の線量域における,いかなる重症度や種類の循環器疾患リスクも,依然として不確実であることが強調されるべきであるとしている(乙Dル11の1,乙Dル11の2・5頁)。
(シ) C12らの意見
生協きたはま診療所医師のC12らは,脳梗塞の原因が脳血管の動脈硬化であり,その悪化要因が高血圧や慢性腎臓病,更には脳血管内膜に生じた無症状性の持続的炎症状態に関連していることも医学的に確立した知見であり,それらが放射線被曝に関連している以上,被爆者の疾病発生リスクの増加につながっていることは否定することができないとしている(甲A613・13頁)。
ウ 検討
(ア) 脳梗塞についても,心筋梗塞と同様,LSS第9報第2部,LSS第11報第3部,LSS第12報第2部,LSS第13報,LSS第14報,清水由紀子ら報告等によって,疫学的知見が集積されてきている。これらの報告は,当初は,LSS第9報第2部が,がん以外の特定死因で原爆被爆との有意な関係を示すものはみられないとして,脳梗塞と放射線被曝との関連性について否定的であったが,その後は,例えば,LSS第14報が循環器疾患で放射線によるリスクの増加が示されたとし,清水由紀子ら報告が脳卒中の線形線量反応モデルに基づく1グレイ当たりの過剰相対リスクの推定値は9%であったとするなど,おおむね脳梗塞と放射線被曝との関連性を肯定するものとなっている。
これらの知見を含めた前記各種知見を総合し,改定後の新審査の方針は「放射線起因性が認められる心筋梗塞」を積極認定対象疾病とし,再改定後の新審査の方針も「心筋梗塞」を積極認定対象疾病としているところ,脳梗塞は,心筋梗塞とは循環器疾患であるという点において共通することも併せ考慮すれば,脳梗塞は,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるというべきである。
(イ) この点,高橋郁乃ら報告は,出血性脳卒中のリスクが,男性では直線的な線量反応関係で増加したとしつつも,男女ともに被曝線量と虚血性脳卒中に関連は認めなかったとしている。しかしながら,高橋郁乃ら報告に対しては,① 死亡例に関して,線量反応関係でほとんど0に近いとされているグループにおいて脳梗塞が一定程度認められる,② 久山町研究は,我が国における成人病の有病率の調査としては,非常に国際的な評価の高い精緻な調査であるところ,全く被曝のない集団を対象とした久山町研究と被爆者の集団とを比較した場合に,被爆者の集団は,脳梗塞の有病率が高いことが認められるなどの批判があり(証人C12・調書21頁ないし22頁),高橋郁乃ら報告についても,疫学調査の問題として指摘したところが当てはまるのであって,高橋郁乃ら報告が上記のような報告をしているからといって,前記各種知見の総合に基づく脳梗塞の放射線起因性が否定されることにはならないというべきである。
(ウ) 次に,脳梗塞のしきい値について検討するに,UNSCEAR2006年報告書,UNSCEAR2010年報告書,清水由紀子ら報告,ICRP2011年勧告及びICRP2012年勧告は,少なくとも0.5グレイ程度に満たない低線量の被曝についてはその影響を否定するかのようなものとなっている。
しかしながら,C12らの意見は,脳梗塞の原因が脳血管の動脈硬化であり,その悪化要因が高血圧や慢性腎臓病,更には脳血管内膜に生じた無症状性の持続的炎症状態に関連していることも医学的に確立した知見であり,それらが放射線被曝に関連している以上,被爆者の疾病発生リスクの増加につながっていることは否定することができないとしているのであって,脳梗塞についても,心筋梗塞で検討したところと同様の理由から,しきい値がないものとして考えるのが相当というべきである。
(エ) 若年被爆者への影響について,LSS第11報第3部が,がん以外の疾患による死亡率の増加は,一般的に昭和40年以降で若年被爆群(被爆時年齢40歳以下)において認められ,若年被爆者の感受性が高いことを示唆しているとしている。また,脳梗塞は,心筋梗塞とは循環器疾患であるという点において共通するところ,心筋梗塞について,若年被爆者におけるほど放射線の影響は大きいものと推認することができることからすれば,脳梗塞についても,若年被爆者におけるほど放射線の影響は大きいものと優に推認することができるものというべきである。
(オ) さらに,交絡因子については,LSS第12報第2部が,潜在的な重要交絡因子の影響は極めて小さく,寿命調査(LSS)集団において放射線とがん以外の死因による死亡率との間にみられる関連性は交絡に起因するものではないと思われるとし,清水由紀子ら報告が,前向き研究で得られた喫煙,飲酒,教育歴,職歴,肥満及び糖尿病のデータは,脳卒中の放射線リスク推定にもほとんど影響を及ぼさないとしていることからすれば,脳梗塞においてはそもそもその影響が極めて小さいものであることが認められる。
(6) 甲状腺機能亢進症
ア 総説
(ア) 甲状腺機能亢進症とは,甲状腺自体の活動が亢進し,そのため甲状腺における甲状腺ホルモンの合成,分泌が高まっている病態を指す。バセドウ病(グレーブズ病ともいう。)とは,自己免疫異常の関与により甲状腺において過剰の甲状腺ホルモンが合成,分泌される疾患をいい,甲状腺機能亢進症の最も代表的な疾患であり(乙Dソ2・1349頁,1350頁),原告X18もバセドウ病との診断を受けていることから(後記第3の14参照),以下,バセドウ病を中心に検討する。
(イ) バセドウ病は自己免疫疾患の一つであり,その発生機序としては,TSH受容体に対する自己抗体(抗TSH受容体抗体。この抗TSH受容体抗体には,受容体機能を刺激する甲状腺刺激抗体が含まれている。なお,自己抗体が生じる詳細な機序は未解決とされている。)が,甲状腺刺激ホルモン(TSH)の代わりにTSH受容体に結合してこれを持続的に刺激することによりTSH受容体の機能が活性化し,抑制が効かない状態で,TSH受容体から甲状腺ホルモンが大量に生産,放出されて体内に多くの甲状腺ホルモンが存在する状態(甲状腺機能亢進症)となるとされている(乙Dソ2・1350ページ,乙Dソ3・169ないし171頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(13)9頁,10頁)。すなわち,バセドウ病は,甲状腺自体に異常を来しているわけではなく,飽くまでも異常な物質(甲状腺刺激抗体が含まれている抗TSH受容体抗体)がTSH受容体を刺激することで,甲状腺の働きを異常にしてしまうものである(弁論の全趣旨・被告準備書面(13)10頁)。
(ウ) バセドウ病の原因としては,環境的要因と遺伝的要因があると考えられており,環境的要因(環境因子)としては,ストレス,喫煙,感染,ヨード摂取量,ホルモン,妊娠などが重要であるとされている(乙Dソ2・1350頁)。
(エ) バセドウ病の主な治療法としては,① 薬物で甲状腺ホルモンの合成を抑制する「抗甲状腺薬による治療」,② 手術により甲状腺を減らし,残存甲状腺が正常人と同じ程度のホルモン生成及び分泌を行うようにする「手術療法」,③ 放射性ヨード(ヨウ素131)の内服によって,放射線により甲状腺を破壊縮小して過剰のホルモン合成を抑制する「放射線ヨード治療」の三つに大きく分けられる(乙Dソ2・1353頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(13)10頁,11頁)。
(オ) 一方,慢性甲状腺炎の発生機序は,甲状腺ホルモンを合成する甲状腺そのものに慢性の炎症が起き,甲状腺が徐々に破壊された結果,甲状腺ホルモンを十分に産生できなくなり,甲状腺機能低下症の症状に至るものであるとされている。慢性甲状腺炎では,自己免疫の結果として,抗サイログロブリン抗体(抗Tg抗体(TgAb))や抗甲状腺ペルオキシダーゼ抗体(抗TPO抗体(TPOAb))などが検出され,これらは診断に活用されている(乙Dソ4・98頁,101頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(13)11頁)。しかし,これらの抗体は生体内で慢性甲状腺炎の病態そのものに影響を与えるものではないと考えられており(乙Dソ4・98頁,99頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(13)12頁),細胞傷害性T細胞という免疫担当細胞の一種により直接甲状腺細胞が破壊されることが病態の主要メカニズムとして考えられている(乙Dソ6の1,乙Dソ6の2,弁論の全趣旨・被告準備書面(13)12頁)。
(カ) また,一般に内分泌腺は発育中あるいは増殖状態にある場合にはより感受性が高くなり,甲状腺についても,成人よりも小児の方がより放射線の影響を受けやすいとされている(乙C44・40頁)
イ 各種知見
(ア) 横田素一郎ら「原爆被爆者にみられた甲状腺障碍について」
長崎原爆病院の横田素一郎らは,昭和33年から昭和35年までの約2年5箇月の間に4回の定期検診を除き,何らかの愁訴をもって来院した外来患者7735人中54人(0.69%)の甲状腺疾患患者を経験したことから,臨床的及び統計的観察をし,「原爆被爆者にみられた甲状腺障碍について」(以下「横田素一郎ら報告」という。)としてまとめ(甲A293文献4・750頁),同年に発表した。
横田素一郎ら報告は,① 単純性甲状腺腫が25人で最も多く,以下,甲状腺機能亢進症,悪性甲状腺腫及び甲状腺機能低下症の順であった,② 2km内外の被爆距離別発現頻度では,甲状腺機能亢進症と単純性甲状腺腫においては,全く有意の差を認めることはできなかったが,甲状腺機能低下症と悪性甲状腺腫では,2km以内の発現頻度が高かったとしている(甲A293文献4・750頁)。
(イ) 片山茂裕ら「放射線照射に関連した甲状腺機能亢進症」
昭和58年発表の埼玉医大の片山茂裕らの「放射線照射に関連した甲状腺機能亢進症」(以下「片山茂裕ら報告」という。)は,甲状腺機能亢進症が放射線療法後に散見され,放射線照射に関連した甲状腺機能亢進症が,患者99人中10人に認められたことにより,甲状腺機能亢進症の発症機序に放射線が重要な役割を果たすものと結論付けられるとしている(甲A306文献12)。
(ウ) 伊藤千賀子「原爆被爆者の甲状腺機能に関する検討」
広島原爆被爆者健康管理所の伊藤千賀子は,甲状腺機能に及ぼす原爆放射線の影響を検討することを目的として,1.5km以内の直接被爆者と3km以遠の直接被爆者を対象として,血中の甲状腺刺激ホルモン(TSH)値と抗甲状腺抗体の検索を中心にして,両群における甲状腺刺激ホルモン(TSH)レベル,甲状腺機能低下症の頻度並びにその成因について比較検討し,「原爆被爆者の甲状腺機能に関する検討」(以下「伊藤千賀子報告」という。)としてまとめ(甲A293文献5・18頁),昭和60年に発表した。
伊藤千賀子報告は,甲状腺機能低下症の頻度は,1.5km以内の直接被爆者の群及び3km以遠の直接被爆者の群について,男性ではそれぞれ1.22%,0.35%,女性ではそれぞれ7.08%,1.18%であり,男女とも1.5km以内の直接被爆者の群で有意に高率であったとしている(甲A293文献5・19頁)。
(エ) ICRP「電離放射線の非確率的影響」
昭和62年発表のICRPの「電離放射線の非確率的影響」は,① 核実験による放射性降下物に5歳以下の時に被曝したマーシャル群島の5人の少年のうち2人に甲状腺機能の著しい低下がみられ,この甲状腺機能低下には発育遅滞が伴い,体外ガンマ線と体内に沈着した放射性ヨウ素による7グレイないし14グレイの線量を甲状腺に受けたためとされた,② 同様に,10歳以下の年齢で被曝したマーシャル群島の子供達で甲状腺の線量が平均12グレイであったと推定される22人のうちの7人にそれ以後顕性の甲状腺機能低下あるいは無症候性の甲状腺予備能力の低下,すなわち,血清中の甲状腺刺激ホルモン(TSH)の基礎レベルの増加,又は,サイロトロピン放出ホルモンに対するTSH反応の亢進が起こった,③ 被曝時に10歳以上であった子供達で甲状腺の線量が平均4グレイよりやや少ないと推定された45人のうち4人に甲状腺予備能力の低下を示す,同様なある種の臨床症状として現れない証拠が認められた,④ 頚部の腫瘍にX線分割照射を行った成人で,粘液浮腫を伴う甲状腺損傷が26グレイないし48グレイの照射後4箇月以内から3年間に発生したことが報告されている,⑤ これらの観察から甲状腺全体が照射された場合,正常な成人の甲状腺に対するこのような重篤な機能的損傷のしきい値は,30日間の分割照射で約25グレイないし30グレイ程度であると推定されるが,もっと低線量でも臨床症状として現れない損傷を受ける可能性はあるとしている(乙C44・40頁,41頁)。
(オ) 井上修二ら「長崎原爆被爆者における甲状腺疾患の調査(第3報)」
放影研の井上修二らは,昭和59年から長崎の成人健康調査(AHS)集団を対象とし,全ての甲状腺疾患の発生頻度について調査を行い,「長崎原爆被爆者における甲状腺疾患の調査(第3報)」(以下「井上修二ら報告」という。)としてまとめ(甲A293文献7・587頁),昭和63年に発表した。
井上修二ら報告は,① 原爆被爆の人体に及ぼす長期影響として,高線量被曝者に結節性甲状腺腫の発生頻度の増加を,低線量被曝者のみに橋本病による甲状腺機能低下症の有意の増加を認めた,② 今後は,高線量被曝のみならず低線量被曝の人体に及ぼす影響を注意深く調査する必要があると考えられたとしている(甲A293文献7・591頁)。
(カ) LESLIE DeGroot「放射線と甲状腺疾患」
昭和63年発表の米国ローデアイランド大学教授のLESLIE DeGrootの「放射線と甲状腺疾患」(以下「DeGroot報告」という。)は,甲状腺へのX線照射は,腺腫と甲状腺機能低下の高い発生率を含む他の組織学的異常を誘発するだけではなく,自己免疫性甲状腺疾患の罹患率の増加と恐らく眼球突出やグレーブズ病の発症と関係しているとしている(甲A306文献11の1,甲A306文献11の2)。
(キ) 長瀧重信ら「放射性降下物地域における甲状腺結節の高有病率」
長瀧重信らは,被爆後,長崎の西山地区に少なくとも10年以上住み,調査時点で長崎市に住む247人のうち,184人について甲状腺疾患を調査し,「放射性降下物地域における甲状腺結節の高有病率」(以下「長瀧重信ら第1報告」という。)としてまとめ(甲A614の21の1,甲A614の21の2),平成元年に発表した。
長瀧重信ら第1報告は,対照群では368人中1人に甲状腺機能亢進症の病歴があったのに対し,西山地区では184人中4人に甲状腺機能亢進症の病歴があり,うち1人は被爆前の病歴があったとしている(甲A614の21の1,甲A614の21の2)。
(ク) AHS第7報
平成6年発表のAHS第7報は,① 甲状腺疾患発生率と放射線との有意な正の線量反応が認められた(乙Dネ6・16頁),② ただし,甲状腺疾患とは,非中毒性結節性甲状腺腫,び慢性甲状腺腫,甲状腺中毒症,甲状腺炎及び甲状腺機能低下症のうち一つ以上が存在する疾患であると広義に定義した,③ 特に若年者の甲状腺は悪性腫瘍だけでなく,その他の甲状腺疾患をもたらすということでも電離放射線の影響に敏感であることが示された,④ 電離放射線とがん以外の特定の種類の甲状腺疾患の関係は,それを解明するために特別に企画された調査を通して検討しなければならないとしている(乙Dネ6・22頁)。
(ケ) 長瀧重信ら「長崎原爆被爆者における甲状腺疾患」
長崎大学医学部教授の長瀧重信らは,放影研の長崎の成人健康調査(AHS)集団における甲状腺疾患の現状を明らかにすることを目的として,昭和59年から昭和62年にかけて実施された長崎の成人健康調査(AHS)対象者2856人のうち2587人について調査研究をし,「長崎原爆被爆者における甲状腺疾患」(以下「長瀧重信ら第2報告」という。)としてまとめ(甲A306文献7・64頁),平成6年に発表した。
長瀧重信ら第2報告は,① がん,腺腫,腺腫様甲状腺腫及び組織学的診断のない結節を含む充実性結節並びに抗体陽性特発性甲状腺機能低下症(自己免疫性甲状腺機能低下症)においては有意な線量反応関係が認められたが,他の疾患では認められなかった(甲A306文献7・64頁),② この調査によって,原爆被爆者において自己免疫性甲状腺機能低下症の有病率が増加していることが初めて示され,線量反応曲線は上に凸で,約0.7シーベルトで最大に達するが,これは比較的低線量の放射線が甲状腺に及ぼす影響を更に研究することの必要性を示しているとしている(甲A306文献7・73頁)。
(コ) 今野則道ら「北海道在住成人における甲状腺疾患の疫学的調査―ヨード摂取量と甲状腺機能との関係―」
北海道社会保険中央病院の今野則道らは,札幌及び本道沿岸の5地域の住民について甲状腺疾患の疫学調査を行い,ヨード摂取量と甲状腺機能異常の頻度との関係を検討し,「北海道在住成人における甲状腺疾患の疫学的調査―ヨード摂取量と甲状腺機能との関係―」(以下「今野則道ら報告」という。)としてまとめ(甲A614の20の2・614頁,615頁),平成6年に発表した。
今野則道ら報告は,平均年齢46.0歳±10.0歳の男性及び平均年齢44.9歳±10.2歳の女性の札幌群において,低血中甲状腺刺激ホルモン(低TSH)の頻度は0.61%であり,バセドウ病の頻度は0.39%であったとしている(甲A614の2の2・615頁,617頁)。
(サ) 新内科書
平成8年発表の新内科書は,① バセドウ病は自己免疫性の甲状腺疾患であり,TSH受容体に結合する自己抗体の存在によって甲状腺が刺激されるため機能亢進が起こるものと考えられているが,甲状腺に対する自己免疫の成立する機序についてははっきりしていない,② バセドウ病と橋本病(甲状腺機能低下症)でみられる遺伝的,免疫学的な特徴はほとんど共通しており,また,経過中に両者の間を移行する症例もみられることから,これらは実は本来同種の自己免疫性甲状腺疾患であって,TSH受容体刺激性抗体が優位か細胞障害性免疫が優位かによって現れ方が違うだけではないかという考え方があるとしている(甲A620・1057頁)。
(シ) D.Shilin「ロシア領内のチェルノブイリ原発事故における放射線汚染地域に住むGraves病の子どもにおける放射線被曝の臨床症状と病歴についてのいくつかのデータ」
平成12年発表の卒後教育のためのロシア医学アカデミーのD.Shilinの「ロシア領内のチェルノブイリ原発事故における放射線汚染地域に住むGraves病の子どもにおける放射線被曝の臨床症状と病歴についてのいくつかのデータ」(以下「Shilin報告」という。)は,① コホートの中でグレーブズ病に罹患する平均相対リスクは,チェルノブイリ原発事故以後最初の5年間と比較すると,最近の5年間(1995年(平成7年)ないし1999年(平成11年))では約3倍に増加した,② 1986年(昭和61年)ないし1994年(平成6年)のグレーブズ病の罹患率は低く,年当たり100分の0.45というごく少数の子供が記録されたが,その後,1995年(平成7年)ないし1999年(平成11年)の間に1.02に増加し,残りの多数が含まれる,③ 個体発生の早期における低線量被曝は,小児の甲状腺自己免疫病態の進展において,発病前のリスクファクターであるかもしれないとしている(甲A306文献10の1,甲A306文献10の2)。
(ス) UNSCEAR2000年報告書
UNSCEAR2000年報告書は,① 労働者や小児に放射線被曝に関連しない甲状腺結節の発生がみられる以外には,チェルノブイリ原発事故の影響を受ける集団の中で甲状腺異常が生じる証拠はない,② 1991年(平成3年)から1996年(平成8年)までの間にチェルノブイリ笹川健康医療コーポレーションが実施した事故時に10歳未満の小児16万人を対象とした大規模なスクリーニングプログラムにおいてさえ,電離放射線に関連する甲状腺機能低下症,甲状腺機能亢進症及び結節性甲状腺腫のリスクは増加しなかった,③ いくつかのマイナーな研究とは矛盾するが,甲状腺抗体の増加もみられなかったとしている(乙Dソ8の1,乙Dソ8の2)。
(セ) Christie Ehemanら「総説 環境による甲状腺被曝に伴う自己免疫性甲状腺疾患」
平成15年発表の米疾病予防管理センター(CDC)のChristie Ehemanらの「総説 環境による甲状腺被曝に伴う自己免疫性甲状腺疾患」(以下「Ehemanら報告」という。)は,① 甲状腺機能の異常は,甲状腺機能亢進症としても甲状腺機能低下症としても出現し得る,② 両コンディションの鑑別診断は大変広範囲に渡るが,臨床的に有意な甲状腺機能障害の共通の原因は,自己免疫プロセスにおいて甲状腺特異抗原に対する抗体によって仲介されることである,③ TSH受容体を刺激する抗体は,結果として甲状腺機能亢進状態を起こし,対照的に,甲状腺内での慢性炎症性破壊過程に関与する抗体は,甲状腺機能低下症を引き起こし得る(甲A306文献3の1,甲A306文献3の2・2頁),④ 抗甲状腺抗体の発現は,多くの部分は被曝した者の免疫機構によって決定されているので,放射線起因性の抗体形成は,厳密に線量に相関した現象ではないであろう,⑤ 反応性に富む免疫機構を持った患者では,低線量の被曝による少数の抗原への曝露ですらも大量の抗体形成の結果,甲状腺疾患の発症へと至ることができるとの仮説を立てることができ,環境被曝と個人被曝線量との線形の線量反応関係がないことをもって,原因と効果の関係を除外することはできない,⑥ 主に生態学的研究の形で,低線量の環境被曝は,期待されるよりも高い抗甲状腺抗体発症率を伴うであろうということを示すいくつかのエビデンスがあるとしている(甲A306文献3の1,甲A306文献3の2・10頁)。
(ソ) AHS第8報
平成16年発表のAHS第8報は,① 放射線と関連した甲状腺異常が,延長された経過観察中に発生し続けた,② 悪性,良性の甲状腺腫瘍が原爆での被曝線量に伴い増加したにもかかわらず,大半の症例が複数の甲状腺異常を有しており,また,甲状腺機能試験及び超音波検査法が定期的に実施されなかったため,特定の甲状腺疾患に対する放射線の影響はこの段階では評価することは不可能であった,③ 平成12年に開始された広島及び長崎で進行中の成人健康調査(AHS)甲状腺研究(後記の今泉美彩ら報告を指す。)は,特定の甲状腺疾患への放射線の影響を検証し,また,甲状腺機能低下症と自己免疫性甲状腺疾患に関する最近の成人健康調査(AHS)の知見を確証するために有用となるであろうとしている(乙C7・6頁)。
(タ) 今泉美彩ら「広島・長崎の原爆被爆者における甲状腺疾患の放射線量反応関係」
放影研の今泉美彩らは,長瀧重信ら第2報告が,長崎における昭和59年から昭和62年までの甲状腺調査で成人健康調査(AHS)集団において甲状腺結節と自己免疫性甲状腺疾患の線量反応を評価したことを受けて,平成12年から平成15年までの平均年齢71歳の広島及び長崎の成人健康調査(AHS)対象者3185人(男性1023人,女性2162人)について甲状腺疾患の臨床調査を実施し,「広島・長崎の原爆被爆者における甲状腺疾患の放射線量反応関係」(以下「今泉美彩ら報告」という。)としてまとめ(甲A306文献4の1・13頁,甲A306文献4の2),平成17年に発表した。
今泉美彩ら報告は,① 甲状腺抗体陽性率,甲状腺自己抗体陽性甲状腺機能低下症及びバセドウ病の有病率は,それぞれ28.2%,3.2%及び1.2%であった(甲A306文献4の1・13頁,甲A306文献4の2),② バセドウ病有病率と放射線量の関連が示唆されたが,統計的に有意なレベルには達しなかった(95%信頼区間は-0.06ないし1.69。P値は0.10)(甲A306文献4の1・14頁,15頁,甲A306文献4の2),③ 線量反応解析では,甲状腺自己抗体陽性率と甲状腺自己抗体陽性甲状腺機能低下症のいずれについても有意な放射線量反応関係は認められなかった,④ この結果は,ハンフォード核施設からのヨウ素131に若年で被曝した者らに関する最近の報告結果及び原爆被爆者に関する以前の疫学調査結果と一致している,⑤ 自己免疫性甲状腺疾患は放射線被曝には有意に関連していなかったとしている(甲A306文献4の1・16頁,甲A306文献4の2)。
(チ) 第16回在北米被爆者健康診断
2007年(平成19年),ロサンゼルス,ホノルル,サンフランシスコ及びシアトルの4都市において,被爆者426人(うち70人は被爆二世)を対象に第16回在北米被爆者健康診断が行われた(甲A306文献8・162頁)。診断の結果,被爆二世を除く被爆者356人のうち7人に甲状腺機能亢進症の既往又は治療が認められたが(甲A306・6頁),受診した被爆者について被爆状況別に検討した結果,被爆状況との間に統計的に有意な関連を認めた疾患や検査所見はなかった(甲A306文献8・162頁)。
(ツ) UNSCEAR2008年報告書
UNSCEAR2008年報告書は,① 甲状腺線量と自己免疫性甲状腺疾患との関連について,いかなる決定的証拠をも提供しなかった,② この研究はハンフォード核施設及び広島と長崎の原爆投下によって被曝した者らの研究の知見と一致する(乙Dソ19・176頁),③ これまでの証拠は,放射線被曝と臨床的に意味のある自己免疫性甲状腺炎との関係を示唆していないとしている(乙Dソ19・185頁)。
(テ) ICRP2012年勧告
ICRP2012年勧告は,甲状腺機能亢進症は,35グレイを超える線量の分割照射の約8年後程度から発症する可能性があるが,それほど一般的ではないとしている(乙Dソ20の1,乙Dソ20の2)。
(ト) 「原爆放射線の人体影響 改訂第2版」
平成24年発表の「原爆放射線の人体影響 改訂第2版」は,① 昭和26年から昭和60年までの広島の原爆被爆者を対象として放影研が行った3821例の剖検結果では,腺腫様甲状腺腫と甲状腺被曝線量との間に有意な関連は認められない(乙C49・211頁),② 甲状腺機能亢進症に関しては,現在のところ明らかな放射線被曝の影響を示唆する結果はないが,研究自体が少なく今後の検討課題である,③ 甲状腺機能亢進症に関しては,ホジキン病の放射線治療や甲状腺結節のヨウ素131内照射治療による高線量被曝で発症のリスクが高まるとの報告があるが,甲状腺被曝線量と線量反応関係は不明で,結論は出ていない(乙Dソ9・213頁),④ 昭和59年ないし昭和62年に長崎の成人健康調査(AHS)対象者に行われた甲状腺調査(長瀧重信ら第2報告)では,甲状腺機能亢進症(TSH低値かつfT4高値)は有意な甲状腺被曝線量(DS86)との関連を認めず,また,平成12年ないし平成15年の広島及び長崎の成人健康調査(AHS)対象者における甲状腺調査(今泉美彩ら報告)では,甲状腺機能亢進症の主な原因であるバセドウ病に関して解析が行われたが,長崎の結果と同様に甲状腺被曝線量(DS02)との有意な関連を認めなかった(乙Dソ9・215頁),⑤ 低ないし中線量の被曝による甲状腺機能亢進症の研究は少なく,ハンフォード核施設周辺住民の調査(平均甲状腺線量0.17グレイ)及びウクライナにおけるチェルノブイリ原発事故後の検討(平均被曝線量0.77グレイ)では,いずれも甲状腺機能亢進症と甲状腺被曝線量との有意な関連を認めなかったとしている(乙Dソ9・216頁)。
(ナ) チェルノブイリ原発事故後の調査報告
チェルノブイリ原発事故後,高度汚染地区のベラルーシでは,甲状腺機能亢進症が0.16%ないし0.18%にみられ,ロシアやウクライナの0.05%ないし0.08%より多い(甲A306・8頁)。また,甲状腺機能亢進症と甲状腺機能低下症について,ベラルーシのモギリョフにおける割合がそれぞれ0.16%,0.06%,ウクライナのキエフにおける割合がそれぞれ0.08%,0.05%となっており,甲状腺機能低下症よりも甲状腺機能亢進症の患者数が多くなっている(甲A306文献9の1・399頁)。
(ニ) C12の意見
C12は,① 甲状腺機能低下症は甲状腺ホルモンが不足している状態であるのに対し,甲状腺機能亢進症は,甲状腺ホルモンが過剰になっている状態であり,臨床的には区別すべき問題である,② しかしながら,その発生機序について考察すると,両者とも,自己免疫疾患とされており,未解明な部分が数多くある,③ 甲状腺機能亢進症と診断されている患者の中に甲状腺機能低下症の代表的な疾患である橋本病の自己抗体を有している割合も一定程度あり,また,逆のこともある,④ 甲状腺機能亢進症から同じ共通の自己免疫疾患である橋本病に実際に病態が移行しているというケースもあるとの報告があり,この二つの疾患は,自己免疫という現象では共通している,⑤ したがって,甲状腺機能低下症と甲状腺機能亢進症を全く別の疾患であると考えるのは一面しかみておらず,放射線の影響を考える際には,もう少し様々な角度からこの二つの疾患の有する共通性を十分に考える必要性があるとしている(証人C12・調書35頁)。
ウ 改定後の新審査の方針及び再改定後の新審査の方針
改定後の新審査の方針は,「放射線起因性が認められる甲状腺機能低下症」を積極認定対象疾病としており,再改定後の新審査の方針も「甲状腺機能低下症」を積極認定対象疾病としている。
エ 検討
(ア)a 甲状腺機能亢進症(バセドウ病)については,UNSCEAR2008年報告書が甲状腺線量と自己免疫性甲状腺疾患との関連について,いかなる決定的証拠をも提供しなかったとし,第16回在北米被爆者健康診断も,診断の結果,被爆二世を除く被爆者356人のうち7人に甲状腺機能亢進症の既往又は治療が認められたが,受診した被爆者について被爆状況別に検討した結果,被爆状況との間に統計的に有意な関連を認めた疾患や検査所見はなかったとしている。UNSCEAR2000年報告書も同趣旨であり,また,「原爆放射線の人体影響 改訂第2版」も,甲状腺機能亢進症に関しては,甲状腺被曝線量との線量反応関係は不明で結論は出ておらず,複数の報告でも,甲状腺機能亢進症ないしバセドウ病と甲状腺被曝線量の有意な関連は認められていないとしている。
このように放射線被曝との関連性を否定するかのような知見が複数ある一方で,「電離放射線の非確率的影響」やICRP2012年勧告のように,そもそも高線量被曝のみを前提としているような知見もある。
しかしながら,AHS第7報は,甲状腺疾患を非中毒性結節性甲状腺腫,び慢性甲状腺腫,甲状腺中毒症,甲状腺炎及び甲状腺機能低下症のうち一つ以上が存在する疾患であると広義に定義した上で,甲状腺疾患発生率と放射線との有意な正の線量反応が認められたとし,AHS第8報は,特定の甲状腺疾患に対する放射線の影響を評価することは不可能であったとしながらも,放射線と関連した甲状腺異常が発生し続けたとしている。このような報告を経た上で,今泉美彩ら報告は,統計的に有意なレベルには達しなかったとしながらも,バセドウ病有病率と放射線量の関連が示唆されたとしているものである。この点については,片山茂裕ら報告及びDeGroot報告も同趣旨であり,また,井上修二ら報告は,甲状腺疾患に関し,低線量被曝の人体に及ぼす影響を注意深く調査する必要があるともしているものである。
一方,今野則道ら報告は,平均年齢46.0歳±10.0歳の男性及び平均年齢44.9歳±10.2歳の女性の札幌群において,バセドウ病の頻度は0.39%であったとしているところ,今泉美彩ら報告は,平均年齢71歳の広島及び長崎の成人健康調査(AHS)対象者について甲状腺疾患の臨床調査を実施したところ,バセドウ病の有病率は1.2%であったとしており,両報告には年齢に差異がある等の批判があることを考慮してもかなりの高率であると認められる。同様に,長瀧重信ら第1報告も,長崎の西山地区に少なくとも10年以上住んでいた184人のうち,4人に甲状腺機能亢進症の病歴があるとしているのであって,うち1人は被爆前の病歴があったことを考慮しても,対照群が368人中1人にしか甲状腺機能亢進症の病歴が認められないことと比較してかなりの高率であると認められる。
さらに,Shilin報告やチェルノブイリ原発事故後の調査報告などにおいても,チェルノブイリ原発事故後に甲状腺機能亢進症の増加が認められる。
b 横田素一郎ら報告や伊藤千賀子報告は,甲状腺機能低下症と原爆放射線との関連を示す報告をしており,また,長瀧重信ら第2報告も,原爆被爆者において自己免疫性甲状腺機能低下症の有病率が増加していることが示されたとしているところ,改定後の新審査の方針が「放射線起因性が認められる甲状腺機能低下症」を積極認定対象疾病とし,再改定後の新審査の方針も「甲状腺機能低下症」を積極認定対象疾病としていることも併せ考慮すれば,甲状腺機能低下症は,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であると認めることができる。
一方,甲状腺機能低下症と甲状腺機能亢進症(バセドウ病)との関係について,新内科書は,甲状腺に対する自己免疫の成立する機序についてははっきりしておらず,バセドウ病と橋本病(甲状腺機能低下症)でみられる遺伝的,免疫学的な特徴はほとんど共通しており,また,経過中に両者の間を移行する症例もみられることから,これらは本来同種の自己免疫性甲状腺疾患であって,TSH受容体刺激性抗体が優位か細胞障害性免疫が優位かによって現れ方が違うだけではないかとの考え方があるとしており,C12の意見も,甲状腺機能低下症,甲状腺機能亢進症とも自己免疫疾患とされており,未解明な部分が数多くあるとした上で,両者を全く別の疾患であると考えるのは一面しかみておらず,放射線の影響を考える際には,もう少し様々な角度からこの二つの疾患の有する共通性を十分に考える必要があるとしている。この点は,Ehemanら報告もおおむね同趣旨である。
これらの知見によれば,両疾病は,相互に関連性の高い疾病であると認められる。
c 以上の各種知見を総合すれば,甲状腺機能低下症と並んで甲状腺機能亢進症(バセドウ病)も,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるというべきである。
(イ) 次に,甲状腺機能亢進症(バセドウ病)のしきい値について検討するに,長瀧重信ら第2報告は,自己免疫性甲状腺機能低下症の線量反応曲線が上に凸で,約0.7シーベルトで最大に達し,比較的低線量の放射線が甲状腺に及ぼす影響を更に研究することが必要であるとし,Shilin報告も,個体発生の早期における低線量被曝は,小児の甲状腺自己免疫病態の進展において,発病前のリスクファクターであるかもしれないとしている。また,Ehemanら報告は,抗甲状腺抗体の発現は,多くの部分は被曝した者の免疫機構によって決定されているので,放射線起因性の抗体形成は,厳密に線量に相関した現象ではないであろうとした上で,反応性に富む免疫機構を持った患者では,低線量の被曝による少数の抗原への曝露ですらも大量の抗体形成の結果,甲状腺疾患の発症へと至ることができるとの仮説を立てることができ,環境被曝と個人被曝線量との線形の線量反応関係がないことをもって,原因と効果の関係を除外することはできないとしており,甲状腺については,放射線被曝の影響との関係では,感受性の程度が大きく影響していると考えられるとしている。さらに,甲状腺に対する自己免疫の成立する機序についてははっきりしていないとされている(新内科書)ことからすれば,甲状腺機能亢進症(バセドウ病)についても,固形がんと同様,しきい値がないものとして考えるのが相当というべきである。
(ウ) 若年被爆者への影響について,前記アのとおり,甲状腺については,成人よりも小児の方がより放射線の影響を受けやすいとされているところ,AHS第7報が,若年者の甲状腺は悪性腫瘍だけでなく,その他の甲状腺疾患をもたらすということでも電離放射線の影響に敏感であることが示されたとし,Shilin報告が,個体発生の早期における低線量被曝は,小児の甲状腺自己免疫病態の進展において,発病前のリスクファクターであるかもしれないとしていることからすれば,若年被爆者におけるほど放射線の影響は大きいものというべきである。
(7) C型慢性肝炎
ア 総説
(ア) 慢性肝炎は,慢性肝機能障害の一つであるところ,本来的には病理学的な概念であり,持続性の炎症性病変としての肝門脈域を中心とした単核球浸潤と繊維増殖がその基本であり,その成立には,ウイルス,自己免疫,薬物,金属(銅など)のほか,先天性代謝異常(ウィルソン病等)など幹細胞障害をもたらす因子が持続的に存在することが必須であるとされている(乙C35・1頁,2頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)43頁)
このうち,ウイルス性の慢性肝炎は,臨床的には6箇月以上の肝機能検査値の異常とウイルス感染が持続している状態(新犬山分類)と定義されており,慢性の肝障害の90%を占めている。現在知られている肝炎ウイルスは五つ存在するが,持続感染によって慢性化するのは,B型,C型及びD型の肝炎ウイルスである。全国における慢性肝炎の患者数は150万人ないし200万人とされており,その4分の3はC型肝炎ウイルス(HCV)が原因であるとされている(乙C32・1845頁,1846頁,乙C33・B-19頁,B-25頁,B-26頁,乙C34・16項,乙C35・1頁,2頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)43頁)。
(イ) C型慢性肝炎とは,C型肝炎ウイルス(HCV)の感染によって起こる慢性肝炎である(乙C39・9枚目)。
C型肝炎の感染源は,C型肝炎ウイルス(HCV)に感染しているヒトの血液であり,具体的な感染経路は輸血,刺青,人工透析,血液製剤,滅菌が不十分な医療器具による医療行為,医療従事者の針刺事故,注射器の回し打ち等が指摘されている(乙C33・B-25頁,乙C39・26枚目,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)45頁)。
C型肝炎ウイルス(HCV)に感染すると,半月から半年以内に急性肝炎症状を発症する。また,一旦感染すると,持続感染により慢性肝炎を発症する例が多く,C型肝炎ウイルス(HCV)感染者の70%ないし80%が慢性肝炎に至るとされており(乙C33・B-25頁,乙C34・22項,46項,48項,230項,乙C35・2頁,4頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)45頁),C型肝炎ウイルス(HCV)のキャリアは,感染後平均10年で繊維化が進行して慢性肝炎に至り,さらに,肝病変が徐々に進行して,ウイルス感染の時から平均21年後に肝硬変に,平均29年後に肝細胞がんに進展したとの症例報告もある(乙C38・25頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)45頁,46頁)。そして,C型肝炎ウイルス(HCV)初感染者の70%前後は持続感染状態に陥り,C型肝炎ウイルス(HCV)持続感染者(C型肝炎ウイルス(HCV)キャリア)100人が適切な治療を受けずに70歳まで過ごした場合,10人ないし16人が肝硬変に,20人ないし25人が肝がんに進行すると予測されている(乙C39・35枚目)。
イ 各種知見
(ア) LSS第11報第3部
平成4年発表のLSS第11報第3部は,① 昭和25年から昭和60年までの消化器疾患の死亡率には,線量に伴う有意な増加傾向が認められ,この傾向は後期(昭和41年ないし昭和60年)の被爆時年齢が低い群で認められる,② 消化器疾患のうち,肝硬変の死亡率は消化器疾患全体と同じ線量反応を示しているとしている(甲A41文献29・12頁)。
(イ) 「原爆放射線の人体影響1992」
平成4年発表の「原爆放射線の人体影響1992」は,① 昭和37年に広島市の原爆医療認定申請書を用いて行った統計的調査において,被爆者の肝疾患の頻度は国民健康調査と比べて3倍近く高率であり,近距離被爆者で特に高い傾向を認めた(甲A37・181頁),② 昭和50年からの2年間に,成人健康調査(AHS)対象中の1グレイ以上の高線量被爆者全員と,その対照者として性,年齢及び受診年月日を一致させた0グレイないし0.9グレイ線量群の同数を選び,その総計2566人についてHBs抗原と抗体の測定を行ったところ,HBs抗体の陽性率に差はみられなかったが,HBs抗原の陽性率は1グレイ以上の高線量群の方が対照群よりも有意に高く(3.4%対2.0%),その傾向は被爆当時20歳以下の若年の者につきより明らかであり,高線量被曝群での免疫能の低下を示唆するものではないかと考えられた,③ 放影研の疫学的調査研究の結果,寿命調査(LSS)集団での昭和25年から昭和60年までの非腫瘍性疾患の死亡調査では,肝硬変による死亡が放射線量により明らかな増加を認め,この傾向は特に比較的若年被爆者に最近みられるようであり,また,成人健康調査(AHS)集団における発生率の解析でも,慢性肝炎又は肝硬変の発生と放射線被曝の関連を示唆する結果が得られつつあり,一方,寿命調査(LSS)集団でより確実な情報である腫瘍登録データを用いた解析では,初めて原発性肝がんと放射線の有意な関連が示されてきているとしている(甲A37・182頁,183頁)。
(ウ) AHS第7報
平成6年発表のAHS第7報は,① 放射線被曝との有意な正の関連性(P値は0.05未満)が慢性肝疾患及び肝硬変にあることが判明した(乙Dネ6・14頁ないし16頁),② ウイルス性肝炎では,昭和33年から昭和61年までの成人健康調査(AHS)対象者には統計的に有意な放射線の影響はみられなかったとしている(乙Dネ6・16頁)。
(エ) トンプソンら報告
平成6年発表のトンプソンら報告は,① 死亡に関するこれまでの寿命調査(LSS)の所見と同様に,全充実性腫瘍について統計学的に有意な過剰リスクが立証された(1シーベルトでの過剰相対リスクは0.63),② 放射線と肝臓(1シーベルトでの過剰相対リスクは0.49)のがん罹患との関連性がみられたとしている(甲A80文献4・2頁)。
(オ) Keisuke Iwamotoら「原爆被爆者の肝細胞癌におけるp53突然変異の頻度」
放影研のKeisuke Iwamotoらは,原爆による肝細胞がんリスクの増加を説明する一助となる分子事象を究明するために,0ミリシーベルトないし1569ミリシーベルト(肝臓線量)の様々な放射線量に被曝した原爆被爆者120人の肝細胞がん組織試料におけるp53遺伝子(がん抑制遺伝子)を解析し,「原爆被爆者の肝細胞癌におけるp53突然変異の頻度」(以下「岩本ら報告」という。)としてまとめ(乙Dネ16の1,乙Dネ16の2・1頁),平成10年に発表した。
岩本ら報告は,① 腫瘍組織にp53突然変異を有する肝細胞がん組織試料の割合には,統計学的に有意な線量反応があった(乙Dネ16の1,乙Dネ16の2・2頁),② 放射線の直接の標的は,放射線誘発突然変異によって突然変異誘発因子へと変化する遺伝子である可能性が高い,③ 突然変異誘発遺伝子の誘発は線量に伴い増加すると考えられ,これにより単一の細胞又はその子孫が,正常細胞からがん細胞への変換に必要な複数の突然変異を蓄積すると思われる,④ p53突然変異と細胞死,再生,損傷の慢性周期を導くB型及びC型肝炎ウイルス感染(日本人の肝細胞がん患者集団で頻繁に観察される)の関連について,更に被爆者集団を用いて調査することにより,放射線が誘発する肝がんの病因についてより明確な手掛かりが得られるであろうとしている(乙Dネ16の1,乙Dネ16の2・3頁)。
(カ) LSS第12報第2部
平成11年発表のLSS第12報第2部は,① 慢性肝疾患がB型及びC型肝炎ウイルス感染と関係があることはよく知られている,② 放射線被曝がB型肝炎ウイルス(HBV)・キャリアの率の増加に関連していることは成人健康調査(AHS)において観察されているとしている(乙Dネ14・27頁)。
(キ) 藤原佐枝子ら「原爆被爆者におけるC型肝炎抗体陽性率および慢性肝疾患の有病率」
放影研の藤原佐枝子らは,原爆放射線被曝がC型肝炎ウイルス(HCV)感染陽性率を変化させるかどうか,あるいは,C型肝炎ウイルス(HCV)感染後に慢性肝炎への進行を促進するかどうかを検討するため,広島及び長崎の原爆被爆者から成る成人健康調査(AHS)対象者6121人について血清抗HCV抗体陽性率を調査し,「原爆被爆者におけるC型肝炎抗体陽性率および慢性肝疾患の有病率」(以下「藤原佐枝子ら報告」という。)としてまとめ(甲A275添付資料3・1頁),平成12年に発表した。
藤原佐枝子ら報告は,① 抗HCV抗体陽性率は,線量0の者に比べて線量を持つ者では低かったが(相対有病率0.84。P値は0.022),スムーズな線量反応関係はみられなかった,② しかし,これらのデータから,慢性肝疾患に対する放射線量反応関係は,抗HCV抗体陰性の被爆者に比べて,抗HCV抗体陽性の被爆者において大きいことが示唆された,③ 抗HCV抗体陽性率と被曝線量との間に線量反応関係はみられなかったが,抗HCV抗体陽性者において,慢性肝疾患に対する放射線量反応の増加の可能性が示唆された(甲A275添付資料3・1頁,乙Dネ21の2),④ 慢性肝疾患の有病率は,抗HCV抗体陽性の対象者と陰性の対象者の両方について放射線量とともに増加し(95%信頼区間は,陽性の場合,-1.05ないし9.02,陰性の場合,-0.05ないし0,46),線量反応関係を示す曲線は,抗HCV抗体陽性の対象者において20倍近く高い勾配を示したが,これは有意に近いが有意ではなかった(P値は0.097)(甲A275添付資料3・9頁,乙Dネ21の2),⑤ 結論として,放射線被曝は,C型肝炎ウイルス(HCV)感染に関連した慢性肝疾患の進行を促進するのかもしれないとしている(甲A275添付資料3・1頁)。
なお,藤原佐枝子は,抗HCV抗体陽性における慢性肝疾患の有病率について,放射線の影響がみられていないともしている(乙Dネ20・135項)。
(ク) 中島栄二ら「主成分分析を用いた原爆被爆者における炎症性検査の解析」
放影研の中島栄二らは,線量(DS86),喫煙など資料のそろった成人健康調査(AHS)対象者6304人について,複数の炎症性検査から成るデータに対し主成分分析を適応することにより得た個体の炎症状態を最もよく反映する指標(主成分分析からの標準化スコア)と線量との相関を調べ,「主成分分析を用いた原爆被爆者における炎症性検査の解析」(以下「中島栄二ら報告」という。)としてまとめ(甲A275添付資料9・267頁),平成12年に発表した。
中島栄二ら報告は,① 慢性肝疾患に線量との有意な相関が認められた(甲A275添付資料9・268頁),② 慢性肝疾患に線量との有意な相関が認められたのは,各種肝炎ウイルスによる持続的炎症の存在が考えられる,③ 被爆者の免疫障害が背景にあると考えられ,予備的研究でCD4ヘルパーT細胞比と炎症性検査は有意な負の相関が認められ,自己抗体陽性者では特に強い負の相関が認められたとしている(甲A275添付資料9・269頁)。
(ケ) LSS第13報
平成15年発表のLSS第13報は,① 寿命調査(LSS)の肝がん罹患率に関する放影研での最近の解析結果は,肝がんの過剰相対リスクが被爆時年齢に依存することを示唆しており,20歳代で被爆した者に高いリスクが認められたが,10歳未満あるいは45歳以上で被爆した者に過剰リスクはほとんど認められなかった(甲A77添付資料11の1・24頁),② 消化器疾患に有意な過剰リスクが認められるとしている(甲A77資料11-1・36頁)。
(コ) ジェラルド・シャープら「原爆被爆者における肝細胞癌:C型肝炎ウイルス感染と放射線の有意な相互作用」
放影研のジェラルド・シャープらは,肝細胞がんのリスクに及ぼす放射線とB型肝炎ウイルス(HBV)及びC型肝炎ウイルス(HCV)の同時効果について調査するため,原爆に被爆した日本人被爆者集団においてコホート内症例対照調査を実施し,「原爆被爆者における肝細胞癌:C型肝炎ウイルス感染と放射線の有意な相互作用」(以下「シャープら第1報告」という。)としてまとめ(乙Dネ17の1,乙Dネ17の2・1頁),平成15年に発表した。
シャープら第1報告は,① 肝硬変に罹患していない者について,肝臓の放射線被曝とC型肝炎ウイルス(HCV)の間に肝細胞がんのリスクにつき有意な正の相互作用がみられた(P値は0.017),② 肝硬変に罹患していないC型肝炎ウイルス(HCV)感染者の肝細胞がんのリスクは肝臓線量1シーベルト当たり58倍増加するが,このオッズ比の95%信頼区間は広い(1.99ないし無限大),③ 肝硬変を伴う肝細胞がんの発症においてC型肝炎ウイルス(HCV)と放射線の間に有意な相互作用はみられなかった(オッズ比は0.4。P値は0.67)(乙Dネ17の1,乙Dネ17の2・7頁),④ C型肝炎ウイルス(HCV)感染者は特に放射線被曝に対する感受性が高く,逆もまた同様であることを示唆しているとしている(乙Dネ17の1,乙Dネ17の2・12頁)。
(サ) AHS第8報
平成16年発表のAHS第8報は,① 肝疾患における1シーベルトでの推定相対リスクは,1.15(95%信頼区間は1.06ないし1.25。P値は0.001)であった,② 慢性肝疾患には,アルコール性肝疾患,慢性肝炎,飲酒歴のない肝硬変,胆汁性肝硬変及び他の非アルコール性慢性肝疾患が含まれるところ,非アルコール性慢性肝疾患を主として,昭和61年6月以降,大幅な症例数の増加を来たし,非アルコール性慢性肝疾患は発症症例数の69%を占めていた,③ 平成3年以降,超音波検査法がルーチンに行われ,脂肪肝の診断を劇的に増加させる結果となったが,他の慢性肝疾患の診断に関しては顕著な変化はなかった,④ 昭和61年以降に発生した脂肪肝単独と他の全ての慢性肝疾患での放射線影響を調べたところ,全ての肝疾患で有意な線形線量反応があり,1シーベルトでの推定相対リスクは,1.14(95%信頼区間は1.0ないし1.32。P値は0.054)であった,⑤ 脂肪肝の445症例のみでは1シーベルトでの推定相対リスクは1.16(95%信頼区間は0.99ないし1.37。P値は0.073)であり,線形線量反応が考えられたが,他の慢性肝疾患の199症例では,1シーベルトでの推定相対リスクは1.06(95%信頼区間は0.84ないし1.40。P値は0.64)であり,放射線の影響は有意ではなかった(乙C7・4頁),⑥ 成人健康調査(AHS)での放射線量に伴う慢性肝疾患及び肝硬変の発生率の有意な上昇は,寿命調査(LSS)での知見と一致している,⑦ 日本での慢性肝炎及び肝硬変の主因はC型肝炎ウイルス(HCV),B型肝炎ウイルス(HBV)の各感染症及び過度のアルコール摂取であるところ,平成5年から平成7年までの抗HCV抗体陽性率に関する成人健康調査(AHS)は線量反応を示さなかったが(全陽性率は9%),慢性肝疾患での放射線量に関連した上昇の可能性が,抗HCV抗体陽性者の者にみられ,この研究での慢性肝疾患及び肝硬変の線量に関係した発生率の上昇は,高線量の被爆者でのB型肝炎ウイルス(HBV)持続感染,又は,活性化したC型肝炎ウイルス(HCV)感染の促進により,部分的には説明されるかもしれないとしている(乙C7・7頁)。
(シ) 戸田剛太郎「肝機能障害の放射線起因性に関する研究」
財団法人船員保険会せんぽ東京高輪病院の戸田剛太郎は,現時点における肝疾患に関する基礎的,臨床的研究の成果を踏まえて,被爆が慢性肝障害の原因となり得るか,ウイルス性慢性肝障害(慢性肝炎及び肝硬変)の発症及び進展に関わっているかについて,被爆者における慢性肝障害に関する過去の研究によってどこまで解明されたかを明らかにすることを目的とした研究を行い,「肝機能障害の放射線起因性に関する研究」(以下「戸田剛太郎報告」という。)としてまとめ(乙Dネ8の1・2頁),平成18年に発表した。
戸田剛太郎報告は,C型肝炎ウイルス(HCV)感染に対する被爆の影響について,① 平成5年から平成7年までの2年間の成人健康調査(AHS)受診者において,被爆者にC型肝炎ウイルス(HCV)持続感染者の比率は多いという知見は得られず,むしろ有意に低率であり,C型肝炎ウイルス(HCV)持続感染成立に関する被爆の促進的な効果については否定的な結果であった,② C型肝炎ウイルス(HCV)感染者における肝障害発現についても,C型肝炎ウイルス(HCV)が持続感染していると考えられるHCV抗体高力価陽性者において,慢性肝障害有病率について有意の線量反応はみられず,C型肝炎ウイルス(HCV)感染者において被爆が肝障害発現を促進する可能性を示す知見は得られなかった,③ C型慢性肝炎成立には被爆は関わっていないと考えられるとしている(乙Dネ8の3・1頁)。
(ス) 田中英夫「原爆による放射線被爆と慢性肝疾患発症との関連性」
大阪府成人病センターの田中英夫は,藤原佐枝子ら報告のデータセットを用いて,ロジスティック回帰分析によりC型肝炎ウイルス(HCV)感染者540人について線量カテゴリ別の調整オッズ比を算出し,肝障害発現について線量しきい値の設定が可能かどうかについて検討し,「原爆による放射線被爆と慢性肝疾患発症との関連性」(以下「田中英夫報告」という。)としてまとめ(乙Dネ8の1・30頁),平成18年に発表した。
田中英夫報告は,① B型肝炎ウイルス(HBV)感染者,C型肝炎ウイルス(HCV)感染者いずれにおいても,有意に肝障害発現頻度が高い線量カテゴリはなく,統計学的有意性をもってしきい値の設定を考えた場合,その設定は困難であった,② 続いて,肝障害発現について検討したところ,C型肝炎ウイルス(HCV)感染非被爆者及びC型肝炎ウイルス(HCV)感染被爆者のオッズ比は,それぞれ15.057,15.056であり,差はみられなかったとしている(乙Dネ8の1・30頁)。
(セ) ジェラルド・シャープら「電離放射線急性被曝と肝硬変との間に関連性はない」
放影研のジェラルド・シャープらは,広島及び長崎の原爆被爆者に関する以前の調査には,急性放射線被曝による肝硬変リスクの有意な増加を示したものと,慢性肝疾患リスクの有意な増加を示したものがあるが,これらの調査ではB型肝炎ウイルス(HBV)感染が考慮されていなかったとして,B型肝炎ウイルス(HBV)感染,併発する原発性肝がん及びその他の交絡因子を調整した上で,電離放射線急性被曝と肝硬変との関係を検討し,「電離放射線急性被曝と肝硬変との間に関連性はない」(以下「シャープら第2報告」という。)としてまとめ(乙Dネ12の1,乙Dネ12の2・1頁),平成18年に発表した。
シャープら第2報告は,① 肝がんの有無にかかわらず,喫煙及び肝臓線量は肝硬変に関連していなかった,② 死亡年が昭和45年以前,昭和45年から昭和54年まで,昭和54年以降の対象者について放射線による肝硬変のリスクを検討したところ,被爆後経過時間にかかわらず,放射線被曝は肝硬変に関係していなかった,③ 線量1シーベルトにおける調整していない粗のオッズ比は1.07であり,原発性肝がんの有無,B型肝炎ウイルス(HBV),他の交絡となり得る因子について調整した後は0.59に減少した(乙Dネ12の1,乙Dネ12の2・8頁),④ 急性被曝とは対照的に,電離放射線への慢性被曝は肝硬変リスクを有意に増加させるとしている(乙Dネ12の1,乙Dネ12の2・10頁)。
(ソ) 大石和佳「原爆被爆者における肝細胞癌リスクへの放射線被曝と肝炎ウイルス感染の影響」
放影研の大石和佳は,肝炎ウイルス感染,飲酒量,BMI及び喫煙習慣の調整後でも,放射線被曝が肝細胞がんの独立リスク因子であるかを究明するため,保存血清を用いて原爆被爆者におけるコホート内症例対照研究を行い,また,放射線,飲酒量,BMIの増加及び喫煙習慣が非B非C型肝細胞がんのリスク増加に寄与するかどうかについても評価し,「原爆被爆者における肝細胞癌リスクへの放射線被曝と肝炎ウイルス感染の影響」(以下「大石和佳報告」という。)としてまとめ(乙Dネ19・21頁),平成23年に発表した。
大石和佳報告は,① 肝細胞がん診断前の6年以内に収集されていた229例の血清試料のうち保存血清の状態が良好でなかった5例を除く224例を調査対象とし,コホート内症例対照方式により,1症例当たり3対照血清を,性,年齢,都市,血清保存の時期及び方法を一致させ,放射線量に基づくカウンターマッチングによって選択した(乙Dネ19・21頁)結果,カテゴリ化飲酒量,BMI及び喫煙習慣の調整後でも,肝細胞がんと放射線量若しくは肝炎ウイルス感染の間に有意な関連が認められ,放射線と肝炎ウイルス感染を一緒に適合させてもほとんど変わらなかった(乙Dネ19・23頁),② ウイルスによる放射線リスクの仲介がある場合には,ウイルス感染の有無を調整した場合にはリスクは減少するはずであるが,減少はしなかったとしている(乙Dネ19・24頁)。
(タ) LSS第14報
平成24年発表のLSS第14報は,肝硬変は,調査期間全体(昭和25年から平成15年まで)と昭和40年以降のいずれでも放射線リスクの増加を示さなかった(前者は1グレイ当たりの過剰相対リスク0.11(95%信頼区間は-0.07ないし0.34),後者は1グレイ当たりの過剰相対リスク0.17(95%信頼区間は-0.04ないし0.42))としている(甲A614の3・12頁)。
(チ) 「原爆放射線の人体影響 改訂第2版」
平成24年発表の「原爆放射線の人体影響 改訂第2版」は,① 原爆被爆者では,被曝線量が抗HCV抗体陽性者の増加に関連するという知見は,現在のところ得られていない(乙Dネ9・243頁),② これまでに報告された慢性肝疾患における線量反応関係の有意性が脂肪肝と関連することを示唆しているとしている(乙Dネ9・247頁)。
(ツ) 放影研の要覧
平成26年発表の放影研の要覧(以下「平成26年放影研要覧」という。)は,① 昭和61年以降に限ると,慢性肝疾患の相対リスクは1.14(95%信頼区間は0.84ないし1.40)であり,有意ではない,② 慢性肝疾患を脂肪肝と脂肪肝以外に分類した場合,脂肪肝のリスクのみ放射線量に示唆的関連を認めることから(相対リスク1.16(95%信頼区間は0.99ないし1.37)),慢性肝疾患における線量反応関係の有意性が脂肪肝と関連する可能性が示唆されているとしている(乙C73・25頁)。
ウ 改定後の新審査の方針及び再改定後の新審査の方針
改定後の新審査の方針は,「放射線起因性が認められる慢性肝炎・肝硬変」を積極認定対象疾病としており,再改定後の新審査の方針も,「慢性肝炎・肝硬変」を積極認定対象疾病としている。
エ 検討
(ア)a C型慢性肝炎については,戸田剛太郎報告が,C型慢性肝炎成立には被爆は関わっていないと考えられるとし,「原爆放射線の人体影響 改訂第2版」と平成26年放影研要覧が,慢性肝疾患における線量反応関係の有意性が脂肪肝と関連することを示唆しているとするなど,放射線被曝との関連性を否定する報告もある。なお,肝硬変についてであるが,LSS第14報は,放射線リスクの増加を示さなかったとしている。
しかしながら,一方で,「原爆放射線の人体影響1992」は,被爆者の肝疾患の頻度が高率であるとし,B型肝炎ウイルス(HBV)に関してであるが,LSS第12報第2部は,放射線被曝がキャリアの率の増加に関連しているとしている。B型肝炎ウイルス(HBV)とC型肝炎ウイルス(HCV)とでは,肝硬変組織形成能において,前者が後者よりも高いという違いはあるものの(甲A275・15頁),両者は同じく持続感染によって慢性化する肝炎ウイルスであり,C型慢性肝炎の放射線被曝との関連性を検討する上では,B型肝炎ウイルス(HBV)に関する報告も参考になるものというべきである。
また,AHS第7報は,放射線被曝との有意な正の関連性が慢性肝疾患及び肝硬変にあることが判明したとし,AHS第8報も昭和61年以降に発生した脂肪肝単独と他の全ての慢性肝疾患での放射線影響を調べたところ,全ての肝疾患で有意な線形線量反応があり,慢性肝疾患及び肝硬変の線量に関係した発生率の上昇は,活性化したC型肝炎ウイルス(HCV)感染の促進により部分的には説明されるかもしれないとしている。確かに,これらの報告は,C型慢性肝炎に特定したものではないが,前記アのとおり,ウイルス性の慢性肝炎は慢性の肝障害の90%を占めており,慢性肝炎の4分の3はC型肝炎ウイルス(HCV)が原因であるとされているとされ,C型肝炎ウイルス(HCV)感染者の70%ないし80%が慢性肝炎に至るとされている。そして,C型肝炎ウイルス(HCV)のキャリアは,感染後平均10年で繊維化が進行して慢性肝炎に至り,さらに,肝病変が徐々に進行して,ウイルス感染の時から平均21年後に肝硬変に,平均29年後に肝細胞がんに進展したとの症例報告もあるのであって,C型慢性肝炎が慢性肝疾患及び肝硬変の主要部分を占めるものであることは疑いのない事実である。この点,慢性肝炎以外の慢性肝疾患についてみても,① 慢性肝疾患のうち慢性肝炎の次に多いとされているのはアルコール性肝障害であるが,全肝疾患の中でも10%前後とされ,② 薬物性肝障害も更に稀少であり,当該薬物の中止や適切な治療で改善することがほとんどであり,③ 近年その実態が解明されつつある自己免疫性肝炎も独立した疾患としての頻度は低く,治療効果も得られ,自然寛解するものも知られているとされているのであって(甲A292の1・30頁,31頁),このことからも,C型慢性肝炎以外の肝疾患の慢性肝疾患及び肝硬変に占める割合は極めて低いものということができる。
一方,AHS第8報は,平成3年以降,超音波検査法がルーチンに行われ,脂肪肝の診断を劇的に増加させる結果となったが,他の慢性肝疾患の診断に関しては顕著な変化はなかったとし,慢性肝疾患のうちC型慢性肝炎の占める割合が低いかのような結果となっているが,この点についても,AHS第8報の後半の10年間において,血液製剤のウイルス・スクリーニングが徹底されるようになったために新規のウイルス性肝炎の発症が減少したことを反映していると考えられるのであって(甲A292の1・33頁),C型慢性肝炎が慢性肝疾患及び肝硬変の主要部分を占めるとの上記認定を左右するものではない。
また,AHS第8報は,前記のとおり,全ての肝疾患で有意な線形線量反応があったとしつつも,脂肪肝では線形線量反応が考えられたが,他の慢性肝疾患では放射線の影響は有意ではなかったともしているところ,C型慢性肝炎は「他の慢性肝疾患」に含まれるものであるが,これは199症例と極めて少ない症例を対象としたことから生じたとも考えることができるのであって,このことをもってC型慢性肝炎と放射線被曝との関連性を否定する根拠とはならない。
そうであるとすれば,AHS第7報やAHS第8報は,C型慢性肝炎について,放射線被曝との有意な線形線量反応を示唆する有力な報告であるというべきである。なお,このような前提に立てば,LSS第11報第3部が,肝硬変の死亡率について線量に伴う有意な増加傾向が認められるとしていることも,C型慢性肝炎の放射線起因性を示唆するものということができる。
さらに,藤原佐枝子ら報告は,慢性肝疾患の有病率は,抗HCV抗体陽性の対象者と陰性の対象者の両方について放射線量とともに増加し,線量反応関係を示す曲線は,抗HCV抗体陽性の対象者において20倍近く高い勾配を示したことにつき,これは有意に近いが有意ではなかったとしつつ,結論として,放射線被曝は,C型肝炎ウイルス(HCV)感染に関連した慢性肝疾患の進行を促進するのかもしれないとしており,藤原佐枝子ら報告も,全体としてみれば,C型慢性肝炎と放射線被曝との関連を裏付ける報告というべきである。
加えて,シャープら第1報告も,C型肝炎ウイルス(HCV)感染者は特に放射線被曝に対する感受性が高く,逆もまた同様であることを示唆しているとしているものである。
なお,田中英夫報告は,肝障害発現について,C型肝炎ウイルス(HCV)感染非被爆者及びC型肝炎ウイルス(HCV)感染被爆者のオッズ比に差はみられなかったとしているが,そもそも田中英夫報告の目的は,肝障害発現について線量しきい値の設定が可能かどうかについて検討することにあったのであり,田中英夫報告の上記結果をもって,C型慢性肝炎と放射線被曝との関連性を否定することはできない。
b 原発性肝がんの95.6%が肝細胞がんであり,その76.0%が抗HCV抗体陽性のC型肝がんである(甲A292の1資料1・240頁)ことからすれば,C型肝炎ウイルス(HCV)と放射線被曝との関連性を検討するに当たっては,肝がんと放射線被曝との関連性を検討することも有用であるというべきである。特に,C型慢性肝炎による肝細胞がん発生の機序は,C型肝炎ウイルス(HCV)によって生じる持続炎症により発生した活性酸素が直接遺伝子を傷害し,炎症がもたらした肝細胞壊死が細胞周期を早め,このように炎症によって肝細胞の遺伝子異常が蓄積してくると考えられているとされているところであり(甲A292の1・4頁),この見解を前提とすれば,放射線被曝がC型慢性肝炎という経過を経て肝がんに寄与する面も否定することができないというべきである。
そこで,肝がんと放射線被曝との関連性について検討するに,岩本ら報告は,腫瘍組織にp53突然変異を有する肝細胞がん組織試料の割合には,統計学的に有意な線量反応があり,放射線の直接の標的は,放射線誘発突然変異によって突然変異誘発因子へと変化する遺伝子である可能性が高く,突然変異誘発遺伝子の誘発は線量に伴い増加すると考えられ,これにより単一の細胞又はその子孫が正常細胞からがん細胞への変換に必要な複数の突然変異を蓄積すると思われるとしており,放射線ががん抑制遺伝子であるp53遺伝子に影響を与えるという機序があることを示唆しているものである。
しかしながら,岩本ら報告は,p53突然変異と細胞死,再生,損傷の慢性周期を導くB型及びC型肝炎ウイルス感染の関連について,更に被爆者集団を用いて調査することにより,放射線が誘発する肝がんの病因についてより明確な手掛かりが得られるであろうともしているのであって,岩本ら報告は必ずしも放射線被曝がC型慢性肝炎の発症に寄与しないことを意味するものではないというべきである。
また,大石和佳報告も,肝細胞がんと放射線量若しくは肝炎ウイルス感染の間に有意な関連が認められ,放射線と肝炎ウイルス感染を一緒に適合させてもほとんど変わらなかったとしているが,このことは放射線被曝が肝細胞がんの独立リスク因子であることを指摘するにとどまるものであって,岩本ら報告と同様,必ずしも放射線被曝がC型慢性肝炎の発症に寄与しないことを意味するものではないというべきである。
そして,肝がんを含む固形がんについて放射線起因性が認められるのは前記(1)で検討したとおりであり,トンプソンら報告は,放射線と肝臓のがん罹患との関連性がみられたとし,LSS第13報は,寿命調査(LSS)の肝がん罹患率に関する放影研での最近の解析結果は,肝がんの過剰相対リスクが被爆時年齢に依存することを示唆しており,20歳代で被爆した者に高いリスクが認められたとしている。なお,LSS第13報は,10歳未満で被爆した者に過剰リスクはほとんど認められなかったとしているが,過剰リスクを完全に否定するものでもない。
c シャープら第2報告は,電離放射線急性被曝と肝硬変との関係の有無を調査した近年の報告であり,肝臓線量が肝硬変に関連していなかったとしているものの,調査集団は,原発性肝がんに罹患した335人及び罹患していない776人に限られており(乙Dネ12の1,乙Dネ12の2・2頁),母数として少ないものである。また,シャープら第2報告は,放射性降下物や放射性粉塵,内部被曝を考慮していないという問題もある(甲A275・16頁)。そもそも,放射線被曝をした方が肝硬変を発症しにくいという結果自体,奇異なものであり,このような結論は,上記調査集団の母数の問題や放射性降下物等を考慮していないことから生じた可能性を否定することはできないのであって,シャープら第2報告をそのまま支持することはできないというべきである。なお,シャープら第2報告は,一方で,急性被曝とは対照的に,電離放射線への慢性被曝は肝硬変リスクを有意に増加させるとしているところ,このこと自体は,原爆放射線の内部被曝による影響を受けていると思料される被爆者にとっては考慮すべき知見であるということができる。
また,シャープら第1報告も,肝硬変を伴う肝細胞がんの発症においてC型肝炎ウイルス(HCV)と放射線の間に有意な相互作用はみられなかったとしているが,肝硬変に罹患しており,被曝情報が完全である142人のみについて解析しているというのであって(乙Dネ17の1,乙Dネ17の2・9頁),シャープ第2報告と同様,調査集団の母数の問題があったことから生じた可能性を否定することはできないのであって,シャープら第1報告の上記結論をそのまま支持することはできないというべきである。むしろ,シャープら第1報告は,肝硬変に罹患していない者について,肝臓の放射線被曝とC型肝炎ウイルス(HCV)の間に肝細胞がんのリスクにつき有意な正の相互作用がみられたという点に意義があるものというべきである。
d さらに,前記(3)で検討した森下ゆかりら報告は,被曝線量の増加に伴い,インターフェロン(IFN)-γが増加するとしている。確かに,インターフェロン(IFN)-γは,C型慢性肝炎の治療に有用ではあるが,インターフェロン(IFN)-γは高力価製剤の大量投与によって初めてウイルス排除が可能となるものである上,現在でもインターフェロン(IFN)-γの単独投与ではC型慢性肝炎の治癒を十分に期待することができず,いくつかの製剤による多剤療法が進められているというのであって(甲A662・10頁),上記の事象をもって,C型慢性肝炎の放射線被曝との関連を否定することはできない。
e 以上の各種知見を総合し,改定後の新審査の方針が「放射線起因性が認められる慢性肝炎・肝硬変」を積極認定対象疾病とし,再改定後の新審査の方針も「慢性肝炎・肝硬変」を積極認定対象疾病としていることも併せ考慮すれば,C型慢性肝炎は,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるというべきである。
(イ) C型慢性肝炎のしきい値についてみるに,中島栄二ら報告は,慢性肝疾患に線量との有意な相関が認められ,各種肝炎ウイルスによる持続的炎症の存在が考えられるとし,予備的研究でCD4ヘルパーT細胞比と炎症性検査は有意な負の相関が認められるとしている。そして,シャープら第1報告も,肝硬変に罹患していない者について,肝臓の放射線被曝とC型肝炎ウイルス(HCV)の間に肝細胞がんのリスクにつき有意な正の相互作用がみられたとしていることやC型慢性肝炎にしきい値があるとする有力な知見もないことからすれば,C型慢性肝炎についても,固形がんと同様,しきい値はないものとして考えるのが相当というべきである。
第3  本件申請者らの原爆症認定要件該当性
1  原告X1
(1) 認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被爆状況等
(ア) 原告X1は,昭和9年○月○日生まれの男性であり,広島原爆の投下当時,11歳であった。原告X1は,被爆前,健康状況に特段の問題はなかった。原告X1は,学童疎開により,爆心地から約500mの地点にある広島市中町の自宅を離れ,爆心地から50km以上離れた広島県双三郡神杉村(以下「神杉村」という。)で集団生活をしていた(前提事実4(1)ア,甲Dイ1・1頁,甲Dイ2・1頁)。
(イ) 原告X1は,昭和20年8月11日,その日の朝に岡山県から迎えに来た伯父と共に,自宅で暮らしていた母,弟及び祖父母の安否を確認するため,広島市に向かった。原告X1は神杉村から汽車で矢賀駅まで行き,矢賀駅から線路沿いに広島駅まで歩いた(甲Dイ1・2頁,甲Dイ2・1頁)。
原告X1は,同日午後,広島駅に到着し,広島駅から線路沿いに荒神橋と稲荷橋を渡り,福屋百貨店まで歩き,福屋百貨店を南方向に曲がり,本通りと思われる道を歩いた(甲Dイ2・1頁,原告X1本人・調書13頁)。鉄筋の建物はところどころ残っていたが,ぼろぼろになった人々が歩いており,異臭が漂っていた(原告X1本人・調書3頁)。原告X1は,暑さのため,歩く途中,広島市内の所々で壊れた水道管から出ている水を持参した水筒に入れ,水分を補給することを繰り返した(甲Dイ2・1頁,原告X1本人・調書4頁,5頁)。
広島市中町と思われる場所は一面が焼け野原となっており,自宅がどこにあったのかも分からないような状況であった(甲Dイ1・2頁,原告X13頁・4頁)。そのため,原告X1は,伯父と共に,自宅があったと思われる場所を探し回ったり,スコップで地面を掘り返したりして,土や埃の舞う中,家族の手掛かりを探し続けたが,燃えかす以外は,何も出てこなかった。原告X1は,水道管から水を汲んで飲むなどし,2時間余り滞在した(甲Dイ2・1頁,原告X14頁)。
原告X1は,袋町小学校などにも行き,重症を負った被爆者の中に家族がいないかを探したが,家族のみならず,知り合いすら見つけることもできなかった。原告X1は,大勢の者が広島市段原町方面へと避難したという話を聞いたことから,広島市中町から広島市段原町方面へと歩きながら,各所にある救護所を回って,瀕死の重傷を負った被爆者の中に家族がいないかを探し続けた。しかしながら,原告X1は,家族を見つけることができず,段原の救護所で支給されたサツマイモと麦飯を食べ,一晩を過ごした。救護所に収容されていた者らは,皆瀕死の重体であり,夜中に「水を飲みたい。」とか,「水をくれ。」と言ってうめき声を上げていた(甲Dイ1・3頁,原告X1本人・調書6頁)。
(ウ) 原告X1は,昭和20年8月12日朝,再び広島市中町と思われる場所に戻り,前日と同様,付近を歩き回ったり,スコップで地面を掘り返したりして,家族を探したが,結局,誰も見つからず,昼に一旦家族を探すのを中断し,行きと同様の道順で神杉村に帰った(甲Dイ1・3頁,甲Dイ2・2頁)。
(エ) 原告X1は,終戦後の昭和20年8月16日から数日間,再び神杉村から広島市中町まで行き,一人で自宅があったと思われる場所で家族を探したが,見つからなかった(甲Dイ1・3頁,甲Dイ2・2頁,原告X1本人・調書7頁)
イ 被爆後の健康状況等
(ア) 原告X1は,被爆後,数年経ってから,胃腸が弱くなり,下痢が多くなった(甲Dイ1・4頁,原告X1本人・調書20頁)。原告X1の下痢の症状は,腹を冷やしたり,冷たいものを食べたりしたときに起こるものであり,病院に入院してもその原因が分からず,神経性の下痢ではないかとの診断であった(原告X1本人・調書14頁,15頁)。
(イ) 原告X1は,平成13年,食道がんとの診断を受けて入院し,化学療法と放射線治療を受けた(甲Dイ2・2頁)。
(ウ) 原告X1は,平成16年,早期胃がんとの診断を受け,胃粘膜切除手術を受けた(甲Dイ2・2頁)。
(エ) 原告X1は,平成20年,声帯腫瘍の切除手術を受けた(甲Dイ2・2頁)。
(オ) 原告X1は,平成20年9月,下咽頭がんとの診断を受け,切除手術を受けた(甲Dイ2・2頁)。原告X1は,下咽頭がんの治療のため通院加療中であり,定期的な頚部超音波検査や内視鏡検査を受けている(甲Dイ2・4頁)。
(カ) 原告X1の伯父は,平成2年に肝がんで死亡した(甲Dイ1・5頁)。
ウ C12の意見
C12は,① 原告X1は,11歳であったが,爆心地から500mの地点に自宅があり,自宅にいた家族を探すということで,昭和20年8月11日から入市している,② 広島では,同日の時点で水道が復旧しており,水道管から水が出ていたが,この水は放射性物質に汚染された浄水場から来たものであり,このような水をたくさん飲めば,当然,内部被曝が起こる,③ スコップで地面を掘り起こして遺骨を探す中で,粉塵等による被曝をする,④ 救護所で様々な食料を支給されているところ,食料にも一定程度放射線の汚染の可能性がある,⑤ 被爆後の症状は,下痢や,その後の晩発性障害としての食道がんがあり,被爆者にみられる後遺症と考えてよいとしている(証人C12・調書38頁)。
(2) 原告X1の放射線被曝の程度
ア 初期放射線
原告X1は,広島原爆の投下当時,爆心地から約500mの地点にある広島市中町の自宅を離れ,爆心地から50km以上離れた神杉村で集団生活をしていたことから,初期放射線による被曝はないものと認められる。
イ 放射性降下物
原告X1は,広島原爆の投下当時,神杉村で集団生活をしており,黒い雨に打たれたといった事情も認められない。
しかしながら,原告X1は,昭和20年8月11日に広島駅から徒歩で爆心地付近まで入市し,家族を探すために数時間滞在し,同月12日も,朝から昼に掛けて爆心地付近で家族を探している。原告X1は,家族を探している間,スコップで地面を掘り返すなどしており,土や埃が舞うなどしている。また,原告X1は,家族を探すため,爆心地付近の小学校などに行き,各所にある救護所を回り,救護所で一晩を過ごすなどしている。さらに,原告X1は,同月16日,広島市中町に入市し,家族を探すために数日間滞在している。原告X1は,この間,多数の被爆者とも接触している。
原告X1が爆心地付近に入市した時期は,広島原爆の投下から間もない頃であり,爆心地付近は放射性降下物に相当程度汚染されていたものということができる。接触した被爆者も放射性降下物に汚染されていたと考えられる。
ウ 誘導放射線
原告X1の上記のような被爆状況等からすると,原告X1が誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は高いものと認められる。原告X1が接触した多数の被爆者は,誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていたと考えられる。
エ 内部被曝
原告X1の上記のような被爆状況等からすると,原告X1は,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性がある。原告X1は,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵に汚染されたと考えられる爆心地付近の水を飲んでいる。また,原告X1が救護所で支給されて食べたサツマイモと麦飯が,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵に汚染されていた可能性もある。
オ 急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告X1は,被爆後,胃腸が弱くなり,下痢が多くなるという体調不良が生じている。また,原告X1は,多重がんにも罹患している。
カ その他
原告X1は,被爆当時11歳であり,比較的若年での被爆であると認められる。
また,原告X1と共に入市した原告X1の伯父も,肝がんで死亡している。
キ 小括
以上の事実を総合すれば,原告X1は健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたものと認められる。
(3) 申請疾病の放射線起因性
原告X1の申請疾病は下咽頭がんである。下咽頭がんは固形がんの一つであり,積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(1)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(4) 他原因の検討
ア 被告は,原告X1には,下咽頭がんの重大な危険因子である性差,加齢,喫煙及び飲酒が存在している旨主張する。
イ この点,原告X1は男性であるところ,下咽頭がんの罹患率は女性の4倍ないし5倍とされている。原告X1が下咽頭がんと診断されたのは,被爆の63年後であって,好発期である50歳から60歳代を優に超えた74歳の時である。
原告X1は,20歳代から喫煙を始め,平成13年12月の時点で,喫煙を40年間続けており,1日当たりの喫煙量も30本程度である(乙Dイ7・26頁,原告X1本人・調書19頁)。また,原告X1は,元々酒が合わない体質であったが(原告X1本人・調書16頁ないし18頁),20歳の時に上京する以前から飲酒を始め(原告X1本人・調書19頁),ブランデーダブル約60mlを2杯ないし3杯飲むこともあったものである(乙Dイ7・26頁)。さらに,原告X1は,下咽頭がんを発症した平成20年9月の時点においても,禁酒することなく,1回当たりビール350ml及びワイン180mlを付き合い程度の頻度で摂取している(乙Dイ6・10頁)。
ウ ところで,疾病の発症に関する放射線起因性については,前記第1の1で説示したとおり,放射線と疾病の発症との間に通常の因果関係があることが要件とされていると解するのが相当であるところ,疾病の発症においては,一般に,複数の要素が複合的に関与するものであるから,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当である。
これを原告X1についてみると,前記(2)のとおり,原告X1は,健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(3)のとおり,原告X1の申請疾病である下咽頭がんは,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるところ,原告X1の上記イの事情については,上記特段の事情とまでは認められず,むしろ,上記イの事情の下で,原爆の放射線によって下咽頭がんの発症が促進されたものと認めるのが相当である。
(5) 原告X1の下咽頭がんの放射線起因性
以上によれば,原告X1が発症した下咽頭がんの放射線起因性を認めることができるというべきである。
(6) 申請疾病の要医療性
原告X1は,下咽頭がんの治療のため通院加療中であり,定期的な頚部超音波検査や内視鏡検査を受けているから,申請疾病について要医療性が認められる。
(7) 総括
以上のとおり,原告X1は,処分当時,原爆症認定申請に係る下咽頭がんについて放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるから,原告X1に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべきである。
2  原告X2
(1) 認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被爆状況等
(ア) 原告X2は,昭和8年○月○日生まれの男性であり,長崎原爆の投下当時,12歳であった。原告X2は,被爆前,健康状況に特段の問題はなかった。原告X2は,長崎市の長崎中学校に在籍していた。自宅は,爆心地から約4kmの長崎市東小島町であり,母と生活していた(前提事実4(2)ア,甲Dロ2・1枚目,甲Dロ4・1頁)。
(イ) 原告X2は,昭和20年8月9日,長崎原爆の投下直前,自宅1階の東側にあるベランダの横の部屋にいたが,空襲警報が解除されたのに爆音が聞こえてきたことから不審に思い,ベランダに出て北側を見た。すると,爆音のする方角から「白いもの」が見えたので,原告X2は,何かと思って一生懸命見ていると,それが激しく光り,目の前が一瞬真っ白になった(甲Dロ6・2頁,3頁)。
原告X2は,驚いて部屋に戻り,走って部屋を駆け抜け,庭にある防空壕に入った。防空壕に入る前に大きな音がし,背中に爆風が感じられたが,防空壕に入ることはできた(甲Dロ6・3頁)。防空壕に入る直前に,自宅のガラスが散り散りに砕け散って,腕の付け根から手首の辺りと,半ズボンでむき出しになっていたすねの横側に刺さった(甲Dロ6・3頁,21頁)。ガラスの破片は,左右両側に刺さったが,右側の方が特にひどかった(甲Dロ6・21頁)。
防空壕に入ってしばらくすると,辺りが静かな様子になったことから,原告X2が外に出てみると,自宅の廊下のガラス戸や障子が吹き飛ばされ,部屋の天井も50cmほど全体に吹き上がっていた。その後,原告X2は,屋外で自宅の周りの様子を見たり,片付けをしたりしていたが,暗くなって雨が降り始めたことから,その雨に体を打たれた(甲Dロ6・3頁,4頁,22頁)。雨は多少黒ずんでいた(甲Dロ6・23頁)。
当時自宅の2階には,長崎市立商業中学校の教員をしていた夫とその妻(以下,教員をしていた夫を「教員の夫」,教員の夫の妻を「教員の妻」という。)が間借りをしていた(甲Dロ6・6頁)。午後になり,教員の夫が,両手や肩の辺りにひどいやけどを負い,シャツもちぎれたような姿で帰宅したが,長崎医科大学附属病院に行ったまま帰らない教員の妻を心配して,爆心地から600mないし800mの地点にある長崎医科大学附属病院に向かった(甲Dロ6・7頁,8頁,弁論の全趣旨・原告最終準備書面221頁)。
原告X2は,教員の夫がやけどをしていたことから手助けになればと思い,教員の夫に一緒について行くこととした(甲Dロ6・8頁)。
原告X2と教員の夫は,長崎駅まではたどり着いたものの,そこから先は火の手が強かったため行くことができず,やむなく二人で自宅に戻った(甲Dロ6・9頁)。
(ウ) 原告X2と教員の夫は,教員の妻が自宅に帰って来なかったことから,長崎原爆の投下翌日も,長崎医科大学附属病院に向かった。この時は既に火の手も収まっていたが,長崎医科大学附属病院までの道のりでは,全てが破壊され焼かれており,あちらこちらに死体が転がっていた(甲Dロ6・9頁,10頁)。
原告X2と教員の夫は,長崎医科大学附属病院にたどり着くことができたものの,同病院は,コンクリートの壁が崩れて中は燃え尽きており,廃墟となっていた(甲Dロ4・2頁,3頁)。病院の中には死体が数多くあり,死体の相当数はがれきの下敷きになっていた(甲Dロ4・3頁,甲Dロ6・10頁)。原告X2と教員の夫は,時間を掛けて念入りに探したものの,教員の妻を見つけることはできなかった(甲Dロ6・11頁)。
(エ) 教員の夫は,長崎医科大学附属病院で教員の妻を探した翌日,高熱を発して寝たきりとなり,やけどの傷が腐ってウジが湧き,原告X2の母がウジを取り消毒するなどして看病したが,数日後に死亡した。原告X2は,教員の夫の遺体を長崎市の中心部の焼け跡まで運び,材木を積んで焼いた(甲Dロ6・11頁)。
イ 被爆後の健康状況等
(ア) 原告X2は,被爆7日ないし10日後から,吐き気,下痢及び発熱が続き,前頭部分の頭髪が抜けた。その後,口内炎となり,喉の具合も悪くなった。また,体の様々な部分に紫斑が出た。昭和21年に入ると,肺門リンパ腺炎との診断を受けて休学を余儀なくされ,この頃,医師から貧血との指摘を受けるようになり,腰などが痛むようになった(甲Dロ4・4頁)。
(イ) 原告X2は,成人後も,慢性的に貧血状態にあり,腰や膝の痛みも続いた。また,喉の調子が悪く,せきやたんが出るようになり,せき払いが癖になった(甲Dロ4・5頁)。
(ウ) 原告X2は,平成16年11月には尿潜血反応の指摘を受け,精密検査の結果,腎臓に腫瘍があることが分かった。平成17年1月に右腎摘出手術を受け,腫瘍ががんであることも確認された。原告X2は,東京に転居し,再発予防の治療を受けた(甲Dロ4・5頁)。
(エ) 原告X2は,平成21年10月,がんの肝臓への転移の疑いが持たれ,同年11月,入院して抗がん剤治療を受けた(甲Dロ4・5頁)。
(オ) 原告X2は,平成22年3月23日,肝部分切除手術を受け,肝臓にがんが転移していることが確認された(甲Dロ4・5頁)。
(カ) 原告X2は,平成22年6月,同年7月及び同年9月に抗がん剤治療を受け,更に同年11月16日,肝部分切除手術を受けた(甲Dロ1,甲Dロ4・5頁)。
(キ) 原告X2は,平成23年11月8日から同月29日まで,急性虫垂炎及び腹膜炎で手術を受けた(甲Dロ4・5頁)。
(ク) 原告X2は,平成23年12月7日から同月22日までの間,肝がんの治療のため,肝臓に経皮的エタノール注入手術を4回にわたり受けた(甲Dロ4・5頁,弁論の全趣旨・原告最終準備書面223頁)。
(ケ) 原告X2は,経過観察中の平成24年4月末,肝臓にがんの転移が確認された(甲Dロ4・5頁)。
ウ C12の意見
C12は,① 原告X2は,被爆時,初期放射線が届く距離ではなかった,② 原告X2は,長崎原爆の投下当日,爆心地の近くである長崎医科大学附属病院に向かったが,長崎駅までしか行けなかった,③ 原告X2は,長崎原爆の投下翌日,長崎医科大学附属病院にたどり着いたが,その状況は残留放射線の中を歩いて行ったというものであった,④ 被爆7日ないし10日後に吐き気や下痢,発熱などの急性症状があり,脱毛も起こった,⑤ これらの状況を考えると,原告X2が一定の線量を受けていることは間違いないとしている(証人C12・調書47頁)。
(2) 事実認定の補足説明
ア 入市の有無について
(ア) 被告は,原告X2が長崎原爆の投下当日及び翌日に入市した事実は認められない旨主張する。
(イ) しかしながら,原告X2は,平成20年10月23日付け認定申請書(乙Dロ1・239頁ないし241頁)のみならず,平成17年5月26日付け認定申請書(甲Dロ2)においても,長崎原爆の投下当日及び翌日に入市したとしているものであり,その内容も具体的なものである。また,原告X2は,両申請の間である平成20年5月15日に発行された機関誌「大友」においても,長崎原爆の投下翌日に入市したとしているものである(甲Dロ3)。
(ウ) 確かに,昭和32年6月6日付け被爆者健康手帳交付申請書においては,原告X2が入市した事実については記載がなく(乙Dロ1・252頁),機関誌「大友」においても,長崎原爆の投下当日に入市した事実については記載がない(甲Dロ3)。
この点,原告X2は,陳述書では,昭和32年6月6日付け被爆者健康手帳交付申請書において原告X2が入市した事実の記載がないことについて,① 被爆者健康手帳の申請は,原告X2が入った勤務先銀行の寮の管理人であるB16,B17夫妻(以下「B16夫妻」という。)の強い勧めによるものであった,② B16夫妻は,役所で原告X2が被爆当時長崎市東小島町に居住していたことの証明人となってくれた,③ 原告X2は,B16夫妻から「申請書に本籍,住所,氏名及び被爆地を書いてとにかく出せ。」と言われており,被爆者健康手帳を取得するためには長崎市東小島町で被爆したことをもって十分であり,入市の事実まで書く必要はなく,当時は,B16夫妻も原告X2も忙しかったことから直爆の事実のみを書いてB16夫妻に渡した,④ 寮は二,三人の相部屋であったが,長崎以外から来た者が多く,原告X2としては被爆したことは余り言いたくないという気持ちが強く,また,翌日,長崎医科大学附属病院まで行ったことについて,興味本位で爆心地に行ったと思われたくなかったという気持ちがあったとしており,機関誌「大友」においても長崎原爆の投下当日に入市した事実については記載がないことについて,二日にわたって市内に行ったとなるとまるで物見遊山に行ったかのように思われかねず,事実のとおりに書くことがはばかられたとしている(甲Dロ4・3頁,4頁)ところ,このような理由はいずれも不自然,不合理なものとまではいい切れない。
むしろ,昭和32年6月6日付け被爆者健康手帳交付申請書において,「中心地から二K以内の地域に,投下後二週間以内にはいりこんだ時と場所とその理由」の欄は空欄になっているにすぎず(乙Dロ1・252頁),一方,機関誌「大友」において,「二階のご主人は上半身に火傷を負い帰宅された。未だ帰られない奥さんを案じ,また浦上の方へ探しに行かれた。翌日は私も一緒に奥さんを探しに行ったが見付からなかった。」と記載されており(乙Dロ1・261頁),これらはいずれも原告X2が原爆投下の当日及び翌日入市しなかった事実を積極的に否定する内容とはなっていないことからすれば,上記認定を左右するものとはいえないというべきである。
(エ) したがって,原告X2は,長崎原爆の投下当日及び翌日に入市したものと認められる。
イ 紫斑の出現の有無について
(ア) 被告は,原告X2に紫斑が出現した事実は認められない旨主張する。
(イ) 確かに,昭和32年6月作成の原告X2の原爆被爆者調書票の「皮下に血のはんてんがでた」の欄には何も記載されていない(乙Dロ1・253頁)。
(ウ) この点,原告X2は,血の斑点が紫の斑点と同一ものかどうかが分からなかったとしているところ(甲Dロ6・13頁),血の斑点と紫斑とが同一の意義であると解さなかったとしても不自然,不合理なものではない。また,「その他」の欄にも何ら記載がないが(乙Dロ1・253頁),そうであるからといって,原告X2が当時,紫斑が生じていなかったとの記憶の下で「その他」の欄をあえて空欄としたものとまでは推認することはできない。むしろ,原告X2は,平成17年5月26日付け認定申請書(甲Dロ2)以降,一貫して,紫斑が出たとしているのであって,その信用性は高いものというべきである。
(エ) したがって,原告X2には紫斑が出現したものと認められる。
(3) 原告X2の放射線被曝の程度
ア 初期放射線
原告X2は爆心地から約4kmの地点で被爆しており,DS02による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ 放射性降下物
原告X2は,長崎原爆の投下直後,自宅付近で多少黒ずんでいる雨に打たれているところ,この雨が放射性降下物を含んでいた可能性は高いものと認められる。この点,放射性降下物は,長崎においては,一般に,土壌のプルトニウム調査の結果から,爆心地の真東から北に15度,南に10度の扇形の方向に広がったと考えられてはいるが(乙Dタ4・37頁,乙Dタ5・4頁,5頁),地形の影響等により上記以外の場所にも広がった可能性があることは前記第1の3(3)で検討したとおりであり,爆心地から南南東方向の(乙D全3)原告X2の自宅付近にも飛散した可能性も十分にあるというべきである。また,原告X2は,教員の夫と共に,長崎原爆の投下当日に長崎駅に,翌日に爆心地から600mないし800mの地点にある長崎医科大学附属病院に行っている。原告X2は,この間,多数の死体とも遭遇している。さらに,原告X2は,教員の夫の遺体を焼け跡まで運び,焼いている。
原告X2が爆心地付近に入市した時期は,長崎原爆の投下から間もない頃であり,爆心地付近は放射性降下物に相当程度汚染されていたものということができる。遭遇した死体も放射性降下物に汚染されていたと考えられる。原告X2が行動を共にし,その遺体も焼いた教員の夫が放射性降下物に汚染されていた可能性もある。
ウ 誘導放射線
原告X2の上記のような被爆状況等からすると,原告X2が誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は高いものと認められる。原告X2が遭遇した多数の死体は,誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていたと考えられる。教員の夫が誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていた可能性もある。
エ 内部被曝
原告X2の上記のような被爆状況等からすると,原告X2は,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸入したり,負傷部位からこれらが侵入したりした可能性がある。
オ 急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告X2は,被爆7日ないし10日後から,吐き気,下痢及び発熱が続き,前頭部分の頭髪が抜けたり,口内炎になったりしている。また,原告X2は,体の様々な部分に紫斑が出た上,肺門リンパ腺炎や貧血状態等にもなっている。
カ その他
原告X2は,長崎原爆の投下翌日に,爆心地から600mないし800mの地点まで入市しており,積極認定対象被爆に該当する。
キ 小括
以上の事実を総合すれば,原告X2は健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたものと認められる。
(4) 申請疾病の放射線起因性
原告X2の申請疾病は腎細胞がんである。腎細胞がんは固形がんの一つであり,積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(1)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(5) 他原因の検討
ア 被告は,原告X2には,腎細胞がんの重大な危険因子である性差,加齢,喫煙及び肥満が存在している旨主張する。
イ この点,原告X2は男性であり,また,原告X2が腎細胞がんと診断されたのは,被爆の59年後であって,好発年齢の71歳の時である。
原告X2は,1日40本程度の喫煙を22歳の頃から約10年程度続けている(甲Dロ6・38頁,乙Dロ11)。また,原告X2は,身長が165cmないし166cmであるのに対し,体重は重いときには七十四,五キログラム程度である(甲Dロ6・38頁,39頁)。
ウ しかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当である。
これを原告X2についてみると,前記(3)のとおり,原告X2は,健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)のとおり,原告X2の申請疾病である腎細胞がんは,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるところ,原告X2の上記イの事情については,上記特段の事情とまでは認められず,むしろ,上記イの事情の下で,原爆の放射線によって腎細胞がんの発症が促進されたものと認めるのが相当である。
(6) 原告X2の腎細胞がんの放射線起因性
以上によれば,原告X2が発症した腎細胞がんの放射線起因性を認めることができるというべきである。
(7) 申請疾病の要医療性
原告X2の腎細胞がんは,肝臓に転移しており,平成22年11月16日,肝部分切除手術を受け,平成23年12月,肝がんの治療のため,肝臓に経皮的エタノール注入手術を4回にわたり受けたが,経過観察中の平成24年4月末,肝臓にがんの転移が確認されているのであって,申請疾病について要医療性が認められる。
(8) 総括
以上のとおり,原告X2は,処分当時,原爆症認定申請に係る腎細胞がんについて放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるから,原告X2に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべきである。
3  原告X3
(1) 認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被爆状況等
(ア) 原告X3は,昭和3年○月○日生まれの男性であり,広島原爆の投下当時,17歳であった。原告X3は,被爆前,健康状況に特段の問題はなかった(前提事実4(3)ア,甲Dハ2・1枚目,甲Dハ7・1頁)。原告X3の自宅は広島市西天満町〈以下省略〉にあったが,原告X3は,米国のサンフランシスコで生まれ育ったため英語が堪能であり,当時は,東京の阿佐ヶ谷付近の陸軍情報部で通信解読の任務に従事していた(甲Dハ1・1頁)。
(イ) 原告X3は,陸軍から広島に大きな爆弾が落とされたことを聞き,家族の安否確認のため,帰省するように指示を受けた。そこで,原告X3は,昭和20年8月7日又は同月8日,東京を出発し,列車内で宿泊しつつ広島に向かった(甲Dハ1・1頁)。
(ウ) 原告X3は,昭和20年8月11日早朝,広島駅に到着し,広島駅から市電の線路上を歩いて八丁堀を通過し,爆心地付近である原爆ドームの脇を通り,さらに,相生橋を渡った。原告X3は,広島市十日市町,土橋を通過し,天満橋を渡り,爆心地から約1.5kmの地点にある広島市西天満町の自宅付近に到着した(甲Dハ1・1頁,甲Dハ7・1頁,弁論の全趣旨・原告最終準備書面230頁)。
自宅付近は,焼け野原となっていた。原告X3は,自宅付近にあった個人経営の会社の従業員寮を目印に自宅を探し,建物が焼失している自宅跡地にたどり着いた(甲Dハ1・1頁,2頁)。
原告X3は,隣家の者から,原告X3の家族が遠縁の衆議院議員であるB12の自宅に身を寄せていることを教えられ,B12の自宅に向かった(甲Dハ1・2頁)。B12の自宅は広島市南三條町〈以下省略〉にあり(甲Dハ8・2枚目),爆心地から約1.5kmの小河内橋の付近にあった(甲Dハ7・1頁,甲Dハ9・3枚目)。小河内橋のある天満南三條地区は,黒い雨の降雨地域であった(甲Dハ7・3頁)。
原告X3は,B12の自宅で,原告X3の父母と姉に再会することができた(甲Dハ1・2頁)。
原告X3の母は,自宅で被爆し,家屋の下敷きになったところを救助されたとのことであり,全身が傷だらけになっていた(甲Dハ1・2頁)。
原告X3の父は,広島市大州町の中国電力の営業所敷地の屋外で被爆した際,強い爆風により体が飛ばされたとのことであったが,目立った怪我はなかった(甲Dハ1・2頁)。
原告X3の姉は,広島日赤病院の待合室のドアの横に立っていた時に被爆したとのことであったが,やけどはなかった(甲Dハ1・2頁)。
しかし,原告X3の弟は,広島市十日市町付近で建物疎開作業をしている時に被爆し,翌日,死亡したとのことであった(甲Dハ1・2頁)。
原告X3は,再会した家族と共にB12の自宅で世話になることになった(甲Dハ1・2頁)。
(エ) 原告X3は,B12の自宅に滞在したまま,従兄弟のB18と共に,親族の安否確認のため,負傷者や遺体の収容所として使用されていた病院や学校等を訪れ,負傷者や遺体の顔を確認しながら2週間にわたり親族を探し回った(甲Dハ1・2頁,甲Dハ4,甲Dハ5)。
原告X3は,福島川の川原において,親戚の遺体を焼くのを手伝った(甲Dハ1・2頁,甲Dハ3・1頁,甲Dハ5)。その際,原告X3は,遺体を手で運び,焼け残った木片などの上に遺体を積み重ねる作業をした(甲Dハ1・2頁)。
(オ) その後,原告X3は,B12の自宅を出て,小河内橋の広島市中広町側で,小河内橋から約100mの場所にある祖父の住む借家に移り住んだ(甲Dハ1・2頁)。
(カ) 原告X3は,米国軍が昭和20年10月7日頃に広島県呉市に上陸すると(甲Dハ10・3頁),広島市役所の指示により,広島駅前において,来日した外国人の通訳や案内をするようになった(甲Dハ1・3頁,甲Dハ5)。
(キ) 原告X3は,昭和20年10月頃まで,祖父の住む借家に住んでいた(甲Dハ1・2頁,3頁)。
イ 被爆後の健康状況等
(ア) 原告X3は,被爆直後,1日が長く感じるようになり,夕方になると疲れを感じるようになった(甲Dハ1・3頁)。
(イ) 原告X3は,昭和30年,肝臓病に罹患した(甲Dハ1・3頁)。
(ウ) 原告X3は,昭和61年,十二指腸潰瘍に罹患した(甲Dハ1・3頁)。
(エ) 原告X3は,平成4年,高血圧及び甲状腺がんになった(甲Dハ1・3頁)。
(オ) 原告X3は,平成8年,S字結腸がんに罹患した(甲Dハ1・3頁)。
(カ) 原告X3は,平成15年,多発性脳梗塞に罹患した(甲Dハ1・3頁)。
(キ) 原告X3は,平成21年2月,腎細胞がんに罹患し,下大静脈腫瘍塞栓も発見されたため,手術を受けた。原告X3は,同年,帯状疱疹,腸感染症及び多発性胃潰瘍を発症した(甲Dハ1・3頁,乙Dハ6・152頁)。
(ク) 原告X3は,平成22年,胃酸逆流の症状が現れた(甲Dハ1・3頁)。
(ケ) 原告X3は,平成23年2月頃,心不全に罹患した(甲Dハ1・3頁)。
(コ) 原告X3は,平成24年10月,腎細胞がんが肺に転移したため,肺がんの手術を受け,現在も定期検診を受けている(甲Dハ7・3頁,弁論の全趣旨・原告最終準備書面234頁,235頁)。
ウ C12の意見
C12は,① 原告X3は,17歳の時に入市しているが,広島市西天満町の自宅に戻るときに,爆心地を通らざるを得なかった,② その後,爆心地から約1.5kmの地点にある知人の自宅に身を寄せて親族の捜索を行っており,その間に様々な遺体処理も手伝ったものであり,この中で残留放射線による被曝は相当あると思われる,③ 被爆後の症状も,倦怠感があり,甲状腺がん,S字結腸がん等のいわゆる異時多重がんであり,これは被爆者によくみられる現象であるとしている(証人C12・調書38頁,39頁)。
(2) 事実認定の補足説明
ア 被告は,原告X3が昭和20年8月12日から同年10月頃まで爆心地から約1.5kmの地点にあるB12の自宅及び祖父の住む借家に滞在したとは認められない旨主張する。
イ 確かに,昭和59年9月8日付け被爆者健康手帳交付申請書には,原告X3がB12の自宅に向かったとの記載があるのみであり,原告X3がB12の自宅や祖父の住む借家に滞在したとの記載はない(乙Dハ1・722頁)。
しかしながら,原告X3の当時の行動を知る第三者が記載した被爆証明書には,原告X3がB12の家に世話になったことがあることや遺体処理に当たって一定期間滞在していた旨が記載されている(甲Dハ3)。また,原告X3の従姉妹である(弁論の全趣旨・原告最終準備書面233頁)B19が作成した陳述書にも,同旨の記載があるのであって(甲Dハ5),原告X3がB12の自宅に滞在した事実は優に認定することができるというべきである。そして,原告X3の陳述書は,B12の自宅への滞在の事実とともに,小河内橋の広島市中広町側で,小河内橋から約100mの場所にある祖父の住む借家に移り住んだとしており,その内容に矛盾はない上,祖父の住む借家の場所も極めて詳細なものであることからすれば,その信用性は高いものというべきである。
ウ したがって,原告X3は,昭和20年8月12日から同年10月頃まで爆心地から約1.5kmの地点にあるB12の自宅及び祖父の住む借家に滞在したものと認められる。
(3) 原告X3の放射線被曝の程度
ア 初期放射線
原告X3は,広島原爆の投下当時,東京にいたことから,初期放射線による被曝はないものと認められる。
イ 放射性降下物
原告X3は,昭和20年8月11日に爆心地付近である原爆ドームの脇を通るなどして,爆心地から約1.5kmの地点にある自宅付近に行き,その後,爆心地から約1.5kmの付近にあるB12の自宅に2週間滞在しているところ,B12の自宅のあった地域は,黒い雨の降雨地域である。また,原告X3は,B12の自宅にいる間,負傷者や遺体の収容所として使用されていた病院や学校等を訪れ,負傷者や遺体の顔を確認したり,川原で遺体を焼くのを手伝ったりしている。さらに,原告X3は,同年10月頃まで,B12の自宅の近辺の祖父の住む借家に住んでいる。
原告X3が爆心地付近に入市した時期は,広島原爆の投下から間もない頃であり,爆心地付近は放射性降下物に相当程度汚染されていたものということができる。接触した負傷者や遺体も放射性降下物に汚染されていたと考えられる。
ウ 誘導放射線
原告X3の上記のような被爆状況等からすると,原告X3が誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は高いものと認められる。原告X3が接触した負傷者や遺体は,誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていたと考えられる。
エ 内部被曝
原告X3の上記のような被爆状況等からすると,原告X3は,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性がある。
オ 急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告X3は,被爆後疲れやすくなり,肝臓病,多重がん,多発性脳梗塞及び心不全に罹患している。また,後記で検討するとおり,原告X3は,高血圧でもある。
カ その他
原告X3は,昭和20年8月11日に入市し,爆心地付近を通り,爆心地から約1.5kmの地点に同年10月頃まで滞在したものであり,積極認定対象被爆に該当する。
キ 小括
以上の事実を総合すれば,原告X3は健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたものと認められる。
(4) 申請疾病の放射線起因性
原告X3の申請疾病は腎細胞がんである。腎細胞がんは固形がんの一つであり,積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(1)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(5) 他原因の検討
ア 被告は,原告X3には,腎細胞がんの重大な危険因子である性差,加齢,高血圧,肥満及び喫煙が存在している旨主張する。
イ この点,原告X3は男性であり,原告X3が腎細胞がんと診断されたのは,被爆の六十三,四年後であって,80歳の時である。
原告X3は,平成4年に高血圧になり,更に平成15年4月から日本赤十字社医療センターにおいて高血圧の診療を受けており(乙Dハ7・106頁),降圧剤を服用している(乙Dハ7・37頁)。原告X3の身長は,平成8年当時,164cmであったが,体重は74.5kg,BMIは27.7であり,肥満傾向にあったものである(乙Dハ7・44頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(27)141頁)。また,喫煙歴もある(乙Dハ6・44頁)。
ウ しかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当である。
これを原告X3についてみると,前記(3)のとおり,原告X3は,健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)のとおり,原告X3の申請疾病である腎細胞がんは,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるところ,原告X3の上記イの事情のうち,性差,加齢,肥満及び喫煙については,上記特段の事情とまでは認められず,むしろ,これらの事情の下で,原爆の放射線によって腎細胞がんの発症が促進されたものと認めるのが相当である。
また,高血圧については,そもそもこの症状が放射線被曝との関連性が認められるものであって,この症状があることをもって原告X3の腎細胞がんの放射線起因性を否定することはできないというべきである。
(6) 原告X3の腎細胞がんの放射線起因性
以上によれば,原告X3が発症した腎細胞がんの放射線起因性を認めることができるというべきである。
(7) 申請疾病の要医療性
原告X3は,平成24年10月,腎細胞がんが肺に転移したため,肺がんの手術を受け,現在も定期検診を受けており,申請疾病について要医療性が認められる。
(8) 総括
以上のとおり,原告X3は,処分当時,原爆症認定申請に係る腎細胞がんについて放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるから,原告X3に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべきである。
4  原告X4
(1) 認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被爆状況等
(ア) 原告X4は,昭和12年○月○日生まれの女性であり,長崎原爆の投下当時,8歳であった。原告X4は,被爆前,健康状況に特段の問題はなかった。原告X4は,伊良林国民学校に在籍していた。原告X4の自宅は,長崎市矢ノ平町にあり,爆心地から約3.6kmの地点にあった(前提事実4(4)ア,甲Dニ1・1頁,甲Dニ2・1頁)。
(イ) 原告X4は,昭和20年8月9日,長崎原爆の投下当時,伊良林国民学校に登校していたところ,空襲警報が発令されたため,同校から自宅に帰った。空襲警報は間もなく解除されたが,原告X4は,母から,爆音がかすかに聞こえるので自宅の庭にある防空壕に入るようにと言われた。防空壕は,土を1mほど掘って上に板と土を乗せただけのものであり,三,四人くらいが入ることのできる程度の簡易なものであった。原告X4が姉と共に防空壕に入ったところ,すぐに長崎原爆の投下を受けた(甲Dニ1・1頁)。閃光があり,原告X4は,爆音と爆風を受けてしばらくの間気絶した(甲Dニ1・1頁,2頁)。自宅は,爆風で壊れ,輪郭は残っていたものの,屋根は一部吹き飛び,畳も飛んでいた(甲Dニ1・2頁)。
原告X4が防空壕からはい出ると,それまで晴れていた空が暗くなり,その直後に黒い雨が降ってきた。原告X4は,自宅の縁側に座ったが,屋根がほとんどなくなっていたため,雨に全身を打たれた。原告X4は,風呂の水もない状態だったことから,雨による汚れをしばらく落とすことができなかった(甲Dニ1・2頁)。
(ウ) その後,原告X4は,昭和29年頃まで,自宅に住み続けた(甲Dニ1・2頁)。
イ 被爆後の健康状況等
(ア) 原告X4は,長崎原爆の投下の1週間後くらい水様の激しい下痢に見舞われ,このような下痢の症状は2週間くらい続いた(甲Dニ1・2頁,乙Dニ1・346頁,乙Dニ3・3頁)。
(イ) 原告X4は,13歳頃から25歳頃まで,顔全体に赤黒い吹き出物が出て,血の混じった膿が大量に出るという症状が続いた(甲Dニ1・3頁)。
(ウ) 原告X4は,昭和60年6月,十二指腸潰瘍により17日間入院し,投薬治療を受けた(甲Dニ1・3頁)。
(エ) 原告X4は,平成元年,肺炎を患い,約1箇月間入院した(甲Dニ1・3頁)。
(オ) 原告X4は,20歳前後頃から,体温調節機能の異常を自覚するようになり,夏に寒さを感じたり,逆に,冬に暑さを感じたりし,不眠もあったが,平成4年,これらの症状について,自律神経失調症との診断を受け,神経薬であるドグマチール・セパゾンと精神安定剤であるアルプラゾラム錠を処方されて服用するようになった(甲Dニ1・3頁)。
(カ) 原告X4は,平成5年,痔核を患い,痔核の手術をした(甲Dニ1・4頁)。
(キ) 原告X4は,平成7年頃,白内障との診断を受けた(甲Dニ1・4頁)。
(ク) 原告X4は,平成15年,痔核の再手術をした(甲Dニ1・4頁)。
(ケ) 原告X4は,平成19年12月,食欲不振の症状があったため,受診し,内視鏡検査を受けたところ,胃がんの診断を受けた。原告X4は,複十字病院に40日間入院し,胃の約半分を切除する手術を受け,その後も,経過観察のため,同病院に二,三箇月に1回の割合で通院している(甲Dニ1・4頁)。
(コ) 原告X4の母と姉は,自律神経失調症を患っている(甲Dニ1・3頁)。
ウ C12の意見
C12は,① 原告X4は8歳での被爆である,② 爆心地から約3.6kmの自宅での被爆であり,初期放射線量はそれほどではないが,その後に黒い雨に打たれる等している,③ 被爆直後に下痢を起こし,そのほか,皮膚病に非常に悩まされ,20歳頃からは体温調節機能の異常といったような症状が出ており,これらは被爆者の健康調査で指摘されているところであり,一定の残留放射線の被曝を含めた被曝の状態にあると考えられるとしている(証人C12・調書39頁)。
(2) 事実認定の補足説明
ア 下痢の出現の有無について
(ア) 被告は,原告X4に下痢が出現した事実は認められない旨主張する。
(イ) 原告X4の被爆後の下痢については,平成20年3月3日付け認定申請書において,下痢が何日間か続いたという抽象的なものであった(乙Dニ1・346頁)が,平成22年8月11日付け異議申立書において,長崎原爆の投下後1週間後くらいから水様の激しい下痢に見舞われ,それが2週間くらい続いた(乙Dニ3・3頁)とし,更に,陳述書においては,長崎原爆の投下翌日くらいから10日間くらいにわたり,激しい下痢に見舞われた(甲Dニ1・2頁)としている。
このうち,平成20年3月3日付け認定申請書と平成22年8月11日付け異議申立書については,これらが相互に矛盾するものとまではいえず,また,その信用性に疑いを差し挟むべき特段の事情も見当たらない。一方,陳述書については,同異議申立書よりも後に作成されたものであることから,当時の記憶が薄れている可能性を否定することができず,その信用性が同異議申立書よりも高いものとはいえない。
(ウ) したがって,原告X4には下痢が出現したものと認められ,その内容については,長崎原爆の投下後1週間後くらいから水様の激しい下痢に見舞われ,それが2週間くらい続いたものと認められる。
イ 血の膿の出現の有無について
(ア) 原告X4は,被爆の約1年後には,右足のすねに出来物ができ,血の膿が出た旨主張する。
(イ) しかしながら,原告X4は,陳述書において初めて血の膿の出現を記載しているものであり(甲Dニ1・2頁),それ以前にかかる事実について全く触れなかったことについて,合理的,説得的な説明はしていない。
(ウ) したがって,原告X4に,被爆の約1年後に右足のすねに出来物ができ,血の膿が出た事実は認められない。
(3) 原告X4の放射線被曝の程度
ア 初期放射線
原告X4は爆心地から約3.6kmの地点で被爆しており,DS02による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ 放射性降下物
原告X4は,長崎原爆の投下直後,自宅付近で黒い雨に全身を打たれ,雨による汚れをしばらく落とすことができなかったものである。また,原告X4は,その後も黒い雨の降った地域に住み続けている。この黒い雨が放射性降下物を含んでいた可能性は高いものと認められる。
この点,放射性降下物は,長崎においては,一般に,土壌のプルトニウム調査の結果から,爆心地の真東から北に15度,南に10度の扇形の方向に広がったと考えられてはいるが(乙Dタ4・37頁,乙Dタ5・4頁,5頁),地形の影響等により上記以外の場所にも広がった可能性があることは前記第1の3(3)で検討したとおりであり,爆心地から南東方向の(乙D全3)原告X4の自宅付近にも飛散した可能性も十分にあるというべきである。
ウ 誘導放射線
原告X4の上記のような被爆状況等からすると,原告X4は,誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性がある。
エ 内部被曝
原告X4の上記のような被爆状況等からすると,原告X4は,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性がある。特に,原告X4は,黒い雨に全身を打たれ,また,黒い雨の降った地域に住み続けているものである。
オ 急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告X4は,被爆後,1週間後くらいから水様の激しい下痢に見舞われ,それが2週間くらい続いたものであり,また,13歳頃から25歳頃まで顔全体に赤黒い吹き出物が出て,血の混じった膿が大量に出るという症状が続いている。さらに,原告X4は,成人した頃から現在に至るまでの長期間にわたり,自律神経失調症に悩まされている。
カ その他
原告X4は,被爆当時8歳であり,若年での被爆であると認められる。
また,原告X4は,爆心地から約3.6kmの地点で被爆しており,積極認定対象被爆に近い態様での被爆である。
さらに,原告X4の母と姉も,原告X4と同様,自律神経失調症を患っている。
キ 小括
以上の事実を総合すれば,原告X4は健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたものと認められる。
(4) 申請疾病の放射線起因性
原告X4の申請疾病は胃がんである。胃がんは固形がんの一つであり,積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(1)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(5) 他原因の検討
ア 被告は,原告X4には胃がんの重大な危険因子である加齢及びヘリコバクター・ピロリの感染が存在している可能性は否定することができない旨主張する。
イ この点,原告X4が胃がんと診断されたのは被爆の62年後であって,胃がんの好発年齢である70歳の時である。
また,前記第2の3(1)ア(エ)のとおり,日本人のヘリコバクター・ピロリの感染率は,50歳代以上では80%程度である。
ウ しかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当である。
これを原告X4についてみると,前記(3)のとおり,原告X4は,健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)のとおり,原告X4の申請疾病である胃がんは,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるところ,原告X4の上記イの事情のうち,加齢については,上記特段の事情とまでは認められず,原爆の放射線によって胃がんの発症が促進されたものと認めるのが相当である。
なお,ヘリコバクター・ピロリへの感染についてみれば,原告X4がこれに感染していると認めるに足りる証拠はない(乙Dニ10・6頁参照)。
(6) 原告X4の胃がんの放射線起因性
以上によれば,原告X4が発症した胃がんの放射線起因性を認めることができるというべきである。
(7) 申請疾病の要医療性
原告X4は,胃がんについて切除手術を受け,その後も,経過観察のため,二,三箇月に1回の割合で通院していることから,申請疾病について要医療性が認められる。
(8) 総括
以上のとおり,原告X4は,処分当時,原爆症認定申請に係る胃がんについて放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるから,原告X4に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべきである。
5  X5
(1) 認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被爆状況等
X5は,昭和11年○月○日生まれの女性であり,長崎原爆の投下当時,9歳であった。X5は,長崎原爆の投下直前,爆心地から約3kmの地点にある長崎市馬町〈以下省略〉の自宅の玄関前の屋外にいた。X5は,長崎原爆が爆発した瞬間,激しい光と爆風を感じ,真正面から被爆した(前提事実4(5)ア,乙Dホ1・210頁)。
X5は,恐怖を感じて自宅に駆け込んだところ,X5の母は,X5の妹を抱いてX5の弟を探していた。X5の弟は,頭から血を流していた(乙Dホ1・210頁)。
イ 被爆後の健康状況等
(ア) X5は,昭和59年5月,乳がんの診断を受け,同月末頃,東京慈恵会医科大学青戸病院に入院して左乳房切除手術を受け,乳房から胸筋,脇の下のリンパ腺などを全て切除した(乙Dホ1・210頁,227頁)。X5は,同年11月末頃まで,患部に放射線照射を受けるため,東京慈恵会医科太学付属病院(本院)に通った(甲Dホ1・2頁,甲Dホ9・2枚目,乙Dホ1・227頁)。出血は,放射線照射後2週間ほどで止まったが,その後,放射線照射を受けた部位が崩れて皮膚潰瘍となり,二日に一度ほど50ccくらいの血のようなものがたまるようになった(乙Dホ1・227頁)。X5が受診したところ,手術痕の下の毛細血管が切れているとの診断を受け,昭和60年1月上旬,再度入院し,止血のための再手術を受けた(甲Dホ2・2頁,乙Dホ1・227頁,228頁)。その後も左腕に力が入らない,手術痕が引きつれ違和感があるという状態が続いた(甲Dホ2・2頁)。
(イ) 皮膚潰瘍は小康状態を保っていたが,平成19年12月頃,皮膚潰瘍の傷が広がった。X5は,同月,乳房切除手術の術前の診断を受けた近所にある南郷外科・整形外科医院を受診した。受診後半年ほどしてから瘡蓋ができ,皮膚潰瘍の広がりが一旦止まったものの,更に出血の状態は続いた。X5は,平成20年9月,皮膚潰瘍について治療を受けた(甲Dホ2・2頁)。
(ウ) この頃までに,X5は,うつ病のため,医療法人財団神経科土田病院(以下「土田病院」という。)で入退院を繰り返していた(甲Dホ1・2頁,甲Dホ2・2頁,甲Dホ7)。
(エ) X5の父は,長崎三菱製鋼所で稼働していたが,長崎原爆投下の3日後に死亡した(乙Dホ1・210頁)。
(オ) X5の母は,昭和25年,胃がんで死亡した(甲Dホ2・1頁)。
(2) 事実認定の補足説明
ア 被告は,X5の左胸部に皮膚潰瘍が生じたこと自体は認められるとしても,更に上記皮膚潰瘍が乳がんの手術又は放射線治療の結果生じた「左乳がん術後皮膚潰瘍」であることを認めることはできない旨主張する。
イ この点,確かに,平成20年8月27日付け認定申請書添付の四ツ木診療所医師のC13の意見書によれば,同人自身は,X5の乳房切除術の執刀医ではなく,乳房切除手術を受けた当時の診療録は焼却されて存在していないことが認められる(乙Dホ1・211頁)。また,南郷外科・整形外科医院の診療録には,X5から,乳がんが原爆に関連して発生したとの証明ができないかとの質問があり,同医院医師のC14が難しいのではないかとの回答をしたこと,この時,X5は,放射線治療を40回受けたと述べたことが記載されていることが認められる(乙Dホ2・14頁)。
ウ しかしながら,まず,X5が乳がんの手術を受けたことについて,X5が葛飾区の被爆者の会である葛友会の会合の記録をしていた手記には,昭和59年5月に左乳がんの手術を受けたことが記載されており(甲Dホ9・2枚目,弁論の全趣旨・原告最終準備書面243頁),X5が日常生活の記録をしていた手記も,乳がんの手術を受けるまでの詳細な経緯が記載されている(甲Dホ3・4枚目)。X5の夫も,手術後に,執刀医から,重い乳がんであり,広い範囲で切除したがいつ転移するか分からないので,生命の保証はできないと言われている(甲Dホ2・1頁,乙Dホ1・227頁)。
原告X6は,X5の手術に叔母と一緒に立ち会い,X5の病気が乳がんであると聞いてショックを受けたことを覚えており,X5が昭和60年に再手術のために入院していたことも覚えている(甲Dホ1)。
以上によれば,X5が乳がんの確定診断を受け,乳がんの手術をしたことは疑いのない事実であるというべきである。
エ 次に,皮膚潰瘍が乳がんの手術又は放射線治療の結果生じたものであることについて,C14の平成22年4月24日付け意見書は,① 左前胸部の乳房は切除されており,左前胸部から左腋窩に至る手術創瘢痕と皮膚瘢痕があり,同部に色素沈着を認める,② こうした状態は,乳房切除術及び周術期に施行された放射線療法の結果生じたものと考えられる,③ 平成20年9月5日,乳がん術後皮膚瘢痕部に1cm大の不正円形皮膚潰瘍が生じた,④ 同皮膚潰瘍の発生は,乳がん治療のために必要とした放射線治療の影響が考えられるとしているところ,同人は,実際にX5の皮膚潰瘍の治療に当たっていたものである(乙Dホ1・231頁)
また,X5の皮膚潰瘍については,左乳がん手術後の放射線治療によるもの以外には,その原因は特段見当たらないものである。
そうであるとすれば,X5の皮膚潰瘍は左乳がん手術後の放射線治療の結果生じたものであると強く推認することができるというべきである。
なお,確かに,X5の左乳がん術後皮膚潰瘍については,植皮による治療等が行われていないものであるが,後記(6)で検討するとおり,これはX5がこのような治療を望んでいなかったことによるものであるから,治療方法が通常と異なっていたことによってX5の皮膚潰瘍が左乳がん手術後の放射線治療の結果生じたものであるとの推認が覆るものではない。
そうであるとすれば,X5は,乳がん手術後に受けた放射線療法により左乳がん術後皮膚潰瘍となったものと認められる。
オ そして,このような認定は,X5の疾病を左乳がん術後皮膚潰瘍とするC13の意見書(乙Dホ1・211頁)やC14の診断書(乙Dホ1・214頁)の各記載にも沿うものである。
カ したがって,X5は,左乳がん術後皮膚潰瘍に罹患したものと認められる。
(3) X5の放射線被曝の程度
ア 初期放射線
X5は爆心地から約3kmの地点で被爆しており,DS02による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ 放射性降下物
X5が黒い雨に打たれたといった事情は認められないものの,爆心地から約3kmの地点にある自宅付近で被爆したことからすると,同所付近が放射性降下物に汚染されていた可能性がある。この点,放射性降下物は,長崎においては,一般に,土壌のプルトニウム調査の結果から,爆心地の真東から北に15度,南に10度の扇形の方向に広がったと考えられてはいるが(乙Dタ4・37頁,乙Dタ5・4頁,5頁),地形の影響等により上記以外の場所にも広がった可能性があることは前記第1の3(3)で検討したとおりであり,爆心地から南東方向の(乙D全3)X5の自宅付近にも飛散した可能性も十分にあるというべきである。
ウ 誘導放射線
X5の上記のような被爆状況等からすると,X5は,誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性がある。
エ 内部被曝
X5の上記のような被爆状況等からすると,X5が放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性を否定することはできない。
オ 急性症状等
X5に急性症状等が生じたか否かについては不明である。
カ その他
X5は,爆心地から約3kmの地点で被爆しており,乳がんとの関係で積極認定対象被爆に該当する。
また,被爆当時X5の近くにいたX5の母も胃がんで死亡している。
キ 小括
以上の事実を総合すれば,X5は健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたものと認められる。
(4) 申請疾病の放射線起因性
X5の申請疾病は,左乳がん術後皮膚潰瘍である。乳がんは固形がんの一つであり,積極認定対象疾病に該当し,前記第2の3(1)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるところ,乳がん術後皮膚潰瘍も,前記第2の3(2)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(5) X5の左乳がん術後皮膚潰瘍の放射線起因性
以上によれば,X5が発症した乳がんについては,放射線起因性を認めることができ,また,X5は,乳がんを発症したことによって,その治療として放射線治療を受けることを余儀なくされたものであり,X5の左乳がん術後皮膚潰瘍は,乳がんの放射線治療によって生じたものであると認められるから,X5が発症した左乳がん術後皮膚潰瘍の放射線起因性も認めることができるというべきである。
(6) 申請疾病の要医療性
X5は,左乳がん術後皮膚潰瘍について,平成19年12月から南郷外科・整形外科医院で治療を受けている。
確かに,X5の左乳がん術後皮膚潰瘍について,植皮による治療等は行われていない。しかしながら,X5は,うつ病で土田病院の診療を受け,入退院を繰り返していたものである。このような状況の中で,南郷外科・整形外科医院医師のC14は,平成20年12月3日,土田病院医師のC15に対し,X5に植皮による治療を勧めたものの,X5が手術をしたくないとの意向であったため,局所の消毒のみ行った旨伝えているのであり(甲Dホ8),植皮による治療等が行われなかったのは,うつ病を患っていたX5の意向によるものである。そして,X5の左乳がん術後皮膚潰瘍は,一次的に皮膚潰瘍に瘡蓋ができたとはいえ完治には至っていなかったものであり,再発の可能性も否定することができないものであったということができる(乙Dホ1・214頁)。
現に,この間の同年9月5月には,乳がん術後皮膚瘢痕部に1cm大の不正円形皮膚潰瘍を生じ,同年12月3日まで治療したとされており(乙Dホ1・231頁,乙Dホ2・3枚目),内服薬の処方として平成19年12月26日と平成20年9月5日の2回,抗生物質製剤であるフロモックス(乙Dホ7)が5日ないし7日分処方され(乙Dホ2・9頁,14頁),診察の際の処置として外用消毒剤であるイソジンゲル(乙Dホ8)が塗布されており(乙Dホ2・14頁),乳がん術後皮膚潰瘍はいまだ完治しておらず,治療が必要な状態であったと認められる。
この点,C12も,① X5の乳がんの手術は恐らく拡大手術であり,乳腺及び周辺組織を徹底的に取るものであった,② そのため非常に胸が薄くなっていたが,その状況で放射線治療を行ったことで皮膚の状態が非常に悪化した,③ 繰り返し腫瘍ができて困っていたところ,主治医としては当然,植皮による治療を考えていたが,X5が同意しなかったものであるとしている(証人C12・調書43頁)。
以上によれば,申請疾病について要医療性が認められる。
(7) 総括
以上のとおり,X5は,処分当時,原爆症認定申請に係る左乳がん術後皮膚潰瘍について放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるから,X5に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべきである。
6  X9
(1) 認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被爆状況等
(ア) X9は,大正10年○月○日生まれの男性であり,広島原爆の投下当時,24歳であった。X9は,被爆前,健康状況に特段の問題はなかった。X9は,昭和16年,20歳の時に徴兵検査を受け,昭和17年4月から近衛歩兵部隊に入隊した。X9は,昭和18年以降は,南方への輸送部隊として,輸送船で台湾,パラオ,フィリピン,ラバウル等を転々とした(前提事実4(6)ア,甲Dヘ1・1頁,2頁)。
X9は,昭和20年4月から,広島市宇品町の爆心地から約4.79kmの地点にある陸軍船舶司令部に配属され,兵器係として勤務していた(甲Dヘ1・2頁,乙Dヘ10の6)。陸軍船舶司令部には,本部や兵舎,兵器庫,弾薬庫等の施設があった(乙Dヘ1・763頁,X9本人・調書15頁)。
(イ) X9は,昭和20年8月6日,広島原爆の投下当日の朝,陸軍船舶司令部の屋外東側におり,朝礼に参加していたところ,朝礼の途中で空襲警報が鳴った(X9本人・調書2頁)。X9は,休憩の号令によって休んでいたところ,雲の中から現れた爆撃機から落下傘を付けた黒い物体が投下されるのを見た。強烈な光線及び熱線が目の前を走り,顔や手が熱くなった(X9本人・調書2頁,3頁,21頁)。
X9は,他の部隊員と共に兵舎や物陰に避難したが,その際,左側の腰を強打して負傷した。X9が空を見上げると,晴れていた空は巨大な黒い雲に隠れ,雲と共に真っ赤な炎が天に浮いて降りてくるように見えた。やがて雷鳴がして,雨が降り始め,辺りは夕暮れのような暗さになった(甲Dヘ1・2頁)。
X9は,各自の勤務場所の状況を確認することとなったため,兵器庫の事務室に戻った。兵舎は,ガラスの破片や落下物により負傷者が多数出ており,X9は,窓の補修や兵舎の倒壊を修理する応援に出て,夜まで仕事をした(甲Dヘ1・2頁,3頁)。
(ウ) X9は,広島原爆の投下翌日,朝礼後の午前9時半頃に,上司の中隊長の命令により,上司の中隊長と共に自転車で防空隊のある広島市己斐町に行くことになった(甲Dヘ1・3頁,X9本人・調書3頁)。X9は,上司の中隊長を追い掛ける形となったが,間もなく追いついた(X9本人・調書3頁)。X9と上司の中隊長は,自転車で市電の電車道をたどりながら広島市己斐町に向かった(X9本人・調書4頁)。広島の町は一面焼け野原であり,遠くの山がかすんで見えた(甲Dヘ1・3頁)。X9は,夢中で上司の中隊長について行き,御幸橋を渡って,爆心地から約2.3kmの地点にある御幸橋の西詰めを通過した(甲Dヘ1・添付図面,甲Dヘ4,X9本人・調書4頁)。
X9は,御幸橋を渡ったところで,白い制服を着た女学生らしい集団の死体を見た。死体は折り重なるようにして倒れており,白い制服の半袖から出ていた細い腕が黒く焼け,半袖の布地に覆われている部分は焼けていなかった(甲Dヘ1・3頁,X9本人・調書4頁,5頁)。
X9は,御幸橋を渡った後も同様に広島市己斐町の方に向かったが,御幸橋を渡って5分ないし10分ほど走った地点で自転車のタイヤがパンクした。X9は上司の中隊長にパンクしたことを伝えようと呼び掛けたが,上司の中隊長は,振り向きもせず自転車で先に進んでしまった(X9本人・調書5頁)。X9は,上司の中隊長の命令には軍人として従うほかなく,タイヤがパンクしてからも10分ないし15分ほどの間は,自転車を引きながら歩いて上司の中隊長を追い掛けたが,結局追いつけず,爆心地から約1.5kmの地点にある広島日赤病院の付近で陸軍船舶司令部に引き返すこととした(甲Dヘ1・4頁,添付図面,X9本人・調書6頁,23頁)。
X9は,自転車を引きながら再び御幸橋を渡り,午前11時半頃に陸軍船舶司令部に戻った(X9本人・調書6頁,7頁)。
(エ) X9は,昭和20年8月8日,兵舎や担当の兵器庫の状態を見て回るなどした(X9本人・調書7頁)。
また,仮の収容所となっていた兵器庫には,重症の被爆者が15人ほど収容されており,衛生兵二,三人が治療に当たっていたが,陸軍船舶司令部にいる兵士のうちの手の空いている者が救護の応援を行うこととなり,X9も,救護に当たることとなった(X9本人・調書7頁,8頁)。X9は,兵器庫の仕事をしながら救護の補助をし,3人くらいの被爆者を救護した。救護は,仮設ベッドを雨戸や板で作り,軍用の毛布や枕などを使用して行われた(甲Dヘ1・4頁,X9本人・8頁)。重傷者らは黒く焼けており,男女の区別の付かない者もいた(甲Dヘ1・5頁,X9本人・調書8頁)。X9は,衛生兵が重傷者の傷に薬を塗った後に,包帯を巻くなどの作業を行った(X9本人・調書8頁)。X9は,1回当たり2時間ほどの時間を掛けて,二,三回作業を行った(X9本人・調書9頁)。
(オ) X9は,昭和20年8月15日,陸軍船舶司令部の営庭において,他の兵士と共に玉音放送を聞き,同月25日頃から連合軍の兵器接収の準備をした(甲Dヘ1・5頁)。
(カ) X9は,昭和20年9月1日,復員した(甲Dヘ1・5頁)。
イ 被爆後の健康状況等
(ア) X9は,広島原爆の投下翌日に入市した後,発熱,下痢,貧血,めまい,吐き気,食欲不振といった症状があった。X9は,38℃の発熱や嘔吐などのために兵舎で休養しなければならないこともあり,そのような症状は一旦発生すると,三,四日続いた(甲Dヘ1・5頁,X9本人・調書10頁)。そのような時には,下士官の軍曹が,X9を休ませてくれたこともあった(X9本人・調書10頁)。しかしながら,陸軍船舶司令部は,負傷した市民の看護で手一杯だったため,X9が医務室を利用したり,衛生兵から治療を受けたりする機会はなかった(甲Dヘ1・5頁)。
(イ) X9は,昭和25年頃から,体調の不調が著しくなり,季節の変化で風邪を引きやすくなるなどした。X9は,医者にかかるようになり,医師の指示によってレントゲン撮影を行ったところ,心筋梗塞の疑い及び心臓肥大の傾向があるとの診断を受けた。以後,X9は,心臓の疾患について通院を続けた(甲Dヘ1・5頁,6頁,乙Dヘ1・19枚目,X9本人・調書11頁)。
(ウ) X9は,平成20年,東京都立墨東病院において,膀胱腫瘍の診断を受け,通院治療を始めたが,症状が悪化したため,同年11月25日,入院し,同月27日,経尿道的膀胱腫瘍摘出手術を受け,同年12月5日,退院した。なお,腫瘍はがんであった(甲Dヘ1・6頁,乙Dヘ1・757頁,X9本人・調書12頁)。
(エ) 以後,X9は,化学療法である動注化学療法を受けるなどしたが,平成21年8月20日,再び経尿道的膀胱腫瘍摘出手術を受けた(甲Dヘ1・6頁)。X9は,手術後も,週に1回の割合で,膀胱の内視鏡検査を受けたり,投薬治療を受けたりした(X9本人・調書13頁)。
ウ C12の意見
C12は,① X9は24歳の被爆であるところ,被爆地点は,爆心地から約3.5kmの地点の広島市宇品町であり,初期放射線は少ない地域である,② 自転車を使って北上し,御幸橋の辺りで自転車がパンクして先に行くことができずに戻り,また,その後,重傷者の看護をするようになったことから,当然,放射能でまみれた重傷者からの被曝もある,③ 入市後に,熱が出る,下痢を起こす,貧血症状が出るという症状があり,およそ被爆者の急性症状の一つであると考えられるので,一定の被曝があったことは間違いないとしている(証人C12・調書39頁,40頁)。
(2) 事実認定の補足説明
ア 被爆地点について
(ア) X9が被爆した地点について,原告X9承継人は爆心地から約3.5kmの地点にある「暁二九五三部隊」の練兵場である旨主張し,被告は,爆心地から約4.79kmの地点にある陸軍船舶司令部である旨主張する。
(イ) この点,「暁二九五三部隊」とは,船舶砲兵第一連隊の名称であり,同部隊は,昭和16年7月26日に「軍令陸甲第四二号により船舶高射砲連隊」として編成下令,同年8月5日に編成完結し,昭和17年7月7日に「軍令陸甲第九七号により編成改正下令」,同月31日に編成完結し,同日,船舶高射砲連隊から船舶砲兵第一連隊へ改称している(乙Dヘ5・2枚目)。その後,同部隊は,昭和20年3月17日に「軍令陸甲第五二号により編成改正下令」,同月20日に「福山において編成改正完結」となり,同年8月15日に「福山において停戦」として,そのまま終戦を迎えている(乙Dヘ5・3枚目)。船舶砲兵第一連隊は,昭和20年8月6日当時,広島の宇品地区に所在した陸軍部隊集団には含まれていない(乙Dヘ6)。
X9は,陳述書において,近衛歩兵部隊に入隊し,昭和17年12月まで半年ほど皇居などで勤務した後,船舶砲兵第三部隊(暁二九五三部隊)という新しい部隊が編成されるということで,近衛歩兵部隊からX9を含めて30人ほどが広島の部隊に転属とされ,南方への輸送部隊として各地を転々としたとしている(甲Dヘ1・1頁)ところ,「暁二九五三部隊」は船舶砲兵第三部隊を指す名称ではなく,その編成時期についても,昭和17年12月以降に初めて編成されたものではなく,また,同月頃に編成改正がされたとの証拠もない。
また,X9は,本人尋問等において,X9が被爆した地点付近には,本部や兵舎,兵器庫,弾薬庫等の施設があったとし(乙Dヘ1・763頁,X9本人・調書15頁),広島原爆が投下された時に本部に残っていた者については,兵舎のガラスの破片や落下物で負傷者が多数出ていたとしているが(甲Dヘ1・2頁,乙Dヘ1・16枚目),「在広主要部隊配置図」(乙Dヘ7・36頁)には,船舶砲兵第一連隊に係る記録はなく,船舶砲兵第一連隊は,「福山」において編成改正完結となり,そのまま終戦を迎えたものであり,広島市内に本部があったとも考え難いものである。
さらに,X9の部隊の被災状況についてみるに,X9は,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書において,三,四日で倒れた兵舎も修復することができて起居することができる状態になり,通常と変わりなく勤務が続いたとし(乙Dヘ1・764頁),本人尋問においても,昭和20年8月8日は兵舎やX9が担当の兵器庫がどのような状況か分からないので見回りをしたところ,異常がなかったようであったが,兵舎の中には屋根がめくれたり,半壊したりしている兵舎もあったとしている(X9本人・調書7頁)。しかしながら,広島市において,半壊又は半焼以上の被害を受けた建物の割合は,爆心地から3.5kmの地点では76.9%,同4.5kmの地点では60.0%,同5kmの地点では17.6%とされており(乙Dヘ8・732頁),X9の部隊の被災状況とは隔たりがある。
以上によれば,爆心地から約3.5kmの地点に「暁二九五三部隊」の練兵場があったとは認められず,X9が同所で被爆したとも認められない。
(ウ) 陸軍船舶司令部は宇品地区に所在する部隊であり,その所在地は,広島市宇品海岸付近であり,爆心地から約4.79kmの地点に位置する(乙Dヘ7・36頁,乙Dヘ10の1・1枚目)。陸軍船舶司令部は通称「暁」部隊と呼ばれており(乙Dヘ9・706頁,乙Dヘ10の1・1枚目),暁二九五三部隊と一部名称が共通しているものである。
また,X9が原爆投下直後の情景を描いたものとして広島平和記念資料館のホームページ上で公開されている複数の絵の説明書きによれば,X9が被爆した地点は,爆心地から約4.79kmの地点にある陸軍船舶司令部であり,その所在地は,現在の「宇品海岸三丁目」ないし「宇品三丁目」であると明記されている(乙Dヘ10の1ないし6)。同じくX9が描いたものとして広島平和記念資料館のホームページ上で公開されている絵のうち,入市状況を描いた絵の裏側にX9自身が記載したとされる説明書きでは,昭和20年8月7日午前9時頃,上司の中隊長の後を追って,被爆で焼け野原となった道を自転車で走り,破片が散乱した道を走ってタイヤがパンクし,3km余りの道を自転車を押しながら部隊へ帰ったとされており,爆心地から約2kmの地点にある御幸橋付近を描いたとされていることからすれば(乙Dヘ10の7),X9は,昭和20年8月7日,御幸橋付近で自転車のタイヤがパンクし,その後部隊に引き返したが,引き返した地点から部隊まで約3kmの距離があったと認められる。X9が引き返した地点は後記のとおり爆心地から約1.5kmの地点にある広島日赤病院付近であったと認められるところ,陸軍船舶司令部は,爆心地から約4.79kmの地点にあることから,引き返した地点から部隊まで約3kmの距離があったということと整合する。
なお,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書には,被爆地点について,爆心地から4kmの広島市宇品町であると記載されているが(乙Dヘ1・761頁),このことはX9が爆心地から約4.79kmの地点にある陸軍船舶司令部で被爆したことと矛盾するとまではいえない。
(エ) したがって,X9が被爆した地点については,爆心地から約4.79kmの地点にある陸軍船舶司令部であると認められる。
イ 入市地点について
(ア) 被告は,X9が広島原爆の投下翌日に広島日赤病院付近まで入市した事実は認められない旨主張する。
(イ) この点,X9は,本人尋問において,どこまで入市したかという点について,はっきり分からないとしながらも(X9本人・調書23頁),御幸橋から5分ないし10分ほど自転車で走行した後,自転車のタイヤがパンクしたため,10分ないし15分ほど自転車を引いて徒歩で向かったと供述しているものであり(X9本人・調書5頁,6頁),その供述は具体的である。また,X9は,平成22年6月26日付け認定申請書添付の申述書に,広島日赤病院辺りまで行った記憶がある旨記載しており(乙Dヘ1・756頁),この記載は上記供述と整合する。なお,X9は,陳述書において,爆心地から1km以内の県病院の辺りまで入市したとしており(甲Dヘ1・4頁),上記申述書と齟齬がみられるが,大きな齟齬とまでは認められない。
また,広島原爆戦災誌第五巻所収の「被爆者救済活動の手記集(暁部隊)」によれば,広島原爆の投下当日及び翌日,陸軍船舶練習部の複数の者が,救援等のため組織的に広島の宇品方面から北上して御幸橋を渡っている(甲Dヘ5・429頁,433頁,497頁,542頁)。特に,陸軍船舶練習部第10教育隊兵長のB20は,宇品方面から,御幸橋,広島日赤病院へと北上しているのであって(甲Dヘ5・510頁),この軌跡は,X9の主張する軌跡と一致するものである。
なお,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書には,X9が御幸橋を渡って間もなく,釘や金物の破片が刺さってタイヤがパンクしたため,上司の中隊長に同行することができなくなり,上司の中隊長は広島市己斐町に向かって走っていったが,X9は自転車を引きながら部隊に帰ってきたとの記載がある(乙Dヘ1・764頁)が,この記載によっても,X9が御幸橋付近で直ちに引き返したかどうかは不明であり,X9の本人尋問における供述と矛盾するものでもない。
(ウ) したがって,X9は,爆心地から約1.5kmの地点にある広島日赤病院付近まで入市したものと認められる。
ウ 嘔吐及び食欲不振の出現の有無について
(ア) 被告は,X9に嘔吐及び食欲不振が出現したとはいえない旨主張する。
(イ) 確かに,嘔吐及び食欲不振については,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書の「(6ヶ月以内にあらわれた症状の有無)」欄に記載がないが,そもそも嘔吐及び食欲不振については,同欄の項目に挙がっておらず,仮にこれらを記載するとすれば,あえて「その他」の欄に記載する必要があるものである(乙Dヘ1・762頁)。そして,X9には様々な急性症状等が出現しており,それらの症状については,該当する項目に丸印を付したり,記載をしたりしているのであって,同欄に嘔吐及び食欲不振の記載がないことについては,X9において,急性症状等が余りに多数であったため,記載漏れが生じたと考えることも十分可能である。
そして,X9は,平成22年6月26日付け認定申請書添付の申述書において,被爆後,食欲不振があったとしており(乙Dヘ1・756頁),更に,陳述書及び本人尋問において,嘔吐,吐き気や食欲不振があったとしているものである(甲Dヘ1・5頁,X9本人・調書10頁)。
(ウ) したがって,X9には嘔吐及び食欲不振が出現したものと認められる。
(3) X9の放射線被曝の程度
ア 初期放射線
X9は,爆心地から約4.79kmの地点で被爆しており,DS02による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ 放射性降下物
X9は,広島原爆の投下翌日,自転車及び徒歩で爆心地から約1.5kmの地点まで入市している。X9は,この間,多数の死体とも遭遇している。また,X9は,陸軍船舶司令部に戻った後も,重症被爆者らの救護に従事している。
X9が爆心地付近に入市した時期は,広島原爆の投下から間もない頃であり,爆心地付近は放射性降下物に相当程度汚染されていたものということができる。遭遇した多数の死体も放射性降下物に汚染されていたと考えられる。救護に従事した重症被爆者らが放射性降下物に汚染されていた可能性もある。
ウ 誘導放射線
X9の上記のような被爆状況等からすると,X9が誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は高いものと認められる。X9が遭遇した多数の死体は,誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていたと考えられる。また,救護に従事した重症被爆者らが誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていた可能性もある。
エ 内部被曝
X9の上記のような被爆状況等からすると,X9は,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性がある。救護に従事した重症被爆者を通じて放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性もある。
オ 急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,X9は,入市後,発熱,下痢,貧血,めまい,吐き気,食欲不振といった症状が現れ,嘔吐もあったものである。また,X9は,心筋梗塞の疑い及び心臓肥大の傾向があるとの診断を受けている。
カ その他
X9は,広島原爆の投下翌日に,爆心地から約1.5kmの地点まで入市しており,積極認定対象被爆に該当する。
キ 小括
以上の事実を総合すれば,X9は健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたものと認められる。
(4) 申請疾病の放射線起因性
X9の申請疾病は膀胱がんである。膀胱がんは固形がんの一つであり,積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(1)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(5) 他原因の検討
ア 被告は,X9には膀胱がんの重大な危険因子である性差及び加齢が存在している旨主張する。
イ この点,X9は男性であり,また,X9が膀胱腫瘍(膀胱がん)と診断されたのは被爆の63年後の87歳の時である。
ウ しかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当である。
これをX9についてみると,前記(3)のとおり,X9は,健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)のとおり,X9の申請疾病である膀胱がんは,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるところ,X9の上記イの事情については,上記特段の事情とまでは認められず,むしろ,上記イの事情の下で,原爆の放射線によって膀胱がんの発症が促進されたものと認めるのが相当である。
(6) X9の膀胱がんの放射線起因性
以上によれば,X9が発症した膀胱がんの放射線起因性を認めることができるというべきである。
(7) 申請疾病の要医療性
X9は,平成20年11月27日に経尿道的膀胱腫瘍摘出手術を受けて以降,治療及び再手術を重ね,平成26年4月9日に死亡するまで治療を継続していたのであるから,申請疾病について要医療性が認められる。
(8) 総括
以上のとおり,X9は,処分当時,原爆症認定申請に係る膀胱がんについて放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるから,X9に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべきである。
7  原告X11
(1) 認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被爆状況等
(ア) 原告X11は,昭和13年○月○日生まれの男性であり,長崎原爆の投下当時,7歳であった。原告X11は,被爆前,健康状況に特段の問題はなかった。原告X11は,国民学校に在籍していた。原告X11は,長崎県佐世保市において,母及び長崎原爆の投下当時5歳であった弟と共に生活していたが,空襲で焼け出されてしまったため,長崎市館内町の父方の親族であるB14の自宅に身を寄せていた(前提事実4(7)ア,甲Dト1・1頁,乙Dト1・397頁,399頁)。当時,B14の自宅には,原告X11,原告X11の母,原告X11の弟のほかに,B14の子のB21(以下「B21」という。)も同居していた(甲Dト4・1頁)。B14の自宅は,爆心地から約3.8kmの地点にあった(甲Dト2・1頁)。また,原告X11の伯父のB13,B13の妻,子等の原告X11の多数の親族は,被爆当時,原告X11の近所に集まって生活していた(甲Dト4・1頁,2頁)。
(イ) 原告X11は,長崎原爆の投下直前,近所に住む友人から少年雑誌を借りてB14の自宅近くの路上で読んでいたが,上空から爆撃機の爆音が聞こえてきたため,防空壕に避難しようと走り出したところ,強烈な閃光があった。原告X11は,とっさに目の前の駄菓子屋に飛び込んだが,ほぼ同時に猛烈な爆風に襲われた。駄菓子屋の中の陳列品は飛び散り,原告X11は,両手で頭を抱えて座り込んだ(甲Dト1・1頁,原告X11本人・調書2頁)。
しばらくすると,爆風が止み,原告X11は,防空壕に避難した。原告X11は,防空壕の中で,母や弟と合流した(甲Dト1・1頁,2頁)。
長崎放送局に勤務していたB13は,爆心地から約800mの地点にある八幡神社付近で被爆した(甲Dト1・2頁,甲Dト4・2頁,甲Dト5)。
B13は,長崎原爆の投下翌日,原告X11の母やB21らの7人の親族に救助され,戸板に乗せられて帰宅した(甲Dト1・2頁,甲Dト4・2頁ないし4頁)。7人の親族は,爆心地を通過して大橋付近まで至り,そこから引き返して八幡神社の境内でB13を救助した後,再び長崎市館内町を目指し,体中埃や泥だらけになりながら汗だくの状態でB13を連れ帰ったものであった(甲Dト4・3頁,4頁)。原告X11は,弟と共に,B13の救助に向かった親族を待っていた(甲Dト4・2頁)。B13は,顔以外の全身が焼けただれるほどの重度のやけどを負い,被爆後数日のうちに死亡したが(甲Dト4・4頁),原告X11は,B13が寝ているそばでその様子を見ていた(原告X11本人・調書5頁)。
(ウ) 防空壕には近隣の住民など数多くの者が避難していたが,長崎原爆の投下翌日か翌々日には,やけどをして皮膚がぼろぼろになった者も来たことがあった(原告X11本人・調書3頁)。
原告X11は,しばらくの間,B14の自宅と防空壕とを行ったり来たりしており,そのような者らを間近で見た(原告X11本人・調書3頁,19頁)。
被爆者の遺体は,毎日,B14の自宅近くの広場において焼かれ,原告X11は,その様子を見ていた(甲Dト1・2頁)。
(エ) 原告X11は,被爆から1週間ほど経った頃,母や弟と共に,佐賀県杵島郡中通村にある母の郷里に疎開することとなり,B14の自宅から徒歩で長崎駅に行き,長崎駅から汽車で疎開先に向かった(甲Dト1・2頁,原告X11本人・調書5頁)。原告X11は,汽車に乗っているとき,車窓から,田の中に家畜の死体が数多く転がっているのを見た(甲Dト1・2頁,原告X11本人・調書5頁,6頁)。
イ 被爆後の健康状況等
(ア) 原告X11は,被爆後,全身がだるい状態が続き,また,よく鼻血を出し,貧血気味であった(甲Dト1・3頁,甲Dト2・2頁)。全身がだるい状態は被爆後3年程度継続し,原告X11の母が心配して原告X11を保健所に連れて行ったところ,白血球が減少しているとのことであった(甲Dト1・3頁,甲Dト2・2頁)。
(イ) 原告X11は,被爆から半年ほどしてから,歯茎が腫れたため,切開手術を受けた(甲Dト1・3頁)。
(ウ) 原告X11は,昭和28年頃,蓄膿症で手術を受け,昭和33年頃も同様に蓄膿症で手術を受けた(甲Dト1・3頁)。
(エ) その後も,原告X11は,結婚に際し,被爆していることを気にしてちゅうちょしたり,妻の出産の際に健康な子が生まれるかを気にしたりして,被爆のことを忘れることができなかった(原告X11本人・調書9頁)。
(オ) 原告X11は,平成10年頃,白内障と診断され,治療を受けた(甲Dト1・3頁)。
(カ) 原告X11は,平成15年頃,頚椎ヘルニアと診断された(甲Dト1・3頁)。
(キ) 原告X11は,平成15年10月,健康診断を受けたところ,前立腺がんが発見された。診断は,針生検では,高分化腺がんであったが,摘出した前立腺の病理組織診断では,増生する中ないし低分化腺がんが主体で,前立腺被膜及び傍神経への浸潤が認められた進行がんであった(甲Dト2・2頁)。
(ク) 原告X11は,摘出手術の3日後,脳梗塞を発症した(甲Dト2・2頁)。
(ケ) 原告X11は,摘出手術後,3年程度にわたり,ホルモン注射を受けた。原告X11の症状は,平成16年8月には,傷がややケロイド状となっており,痛がゆいというものであった(甲Dト2・2頁)。
(コ) 原告X11は,平成18年9月,一旦,注射を終了し,定期的に経過観察となったが,徐々に腫瘍マーカーが上昇し,平成21年10月から治療が再開された(甲Dト2・2頁)。
(サ) 原告X11は,現在も,毎月1回,定期的に医師の診察を受け,その都度,薬剤の処方を受けている(甲Dト2・2頁)。
ウ C12の意見
C12は,① 原告X11は,爆心地から約3.8kmで被爆しており,初期放射線による被曝はほとんどないと思われる,② その後,近距離被爆者のB13が重症の被爆により担ぎ込まれ,原告X11は,B13のそばにずっといたことから残留放射線による被曝をした,③ 原告X11は,被爆時7歳であることから,若年被爆であり,被爆後の倦怠感や貧血の症状,白血球の減少は被曝によるものであると思われる,④ 前立腺がんは高齢者に多いがんであり,原告X11が発症時60歳代半ばであることからすると,若い時期の発症であると思われる,⑤ 前立腺がんは残留放射線被曝でもかなり発症するとしている(証人C12・調書40頁,41頁)。
(2) 原告X11の放射線被曝の程度
ア 初期放射線
原告X11は爆心地から約3.8kmの地点で被爆しており,DS02による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ 放射性降下物
原告X11は,被爆後,爆心地付近で被爆したB13や爆心地付近にいたB13を連れ帰った原告X11の親族の身近にいたものである。また,原告X11は,防空壕に避難してきた被爆者を間近で見たり,毎日,被爆者の遺体が焼かれる様子を見たりしている。接触したB13及び原告X11の親族は放射性降下物に汚染されていたと考えられる。防空壕に避難してきた被爆者及び被爆者の遺体が放射性降下物に汚染されていた可能性もある。
ウ 誘導放射線
原告X11の上記のような被爆状況等からすると,原告X11は,誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性がある。B13は,誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていたと考えられ,原告X11の親族も誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されていたと考えられる。また,防空壕に避難してきた被爆者及び被爆者の遺体が誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていた可能性もある。
エ 内部被曝
原告X11の上記のような被爆状況等からすると,原告X11が放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性を否定することはできない。
オ 急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告X11は,被爆後,倦怠感や鼻血があり,白血球も減少し,歯茎が腫れるなどしており,白内障や脳梗塞にも罹患している。
カ その他
原告X11は,被爆当時7歳であり,若年での被爆であると認められる。
キ 小括
以上の事実を総合すれば,原告X11は健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたものと認められる。
(3) 申請疾病の放射線起因性
原告X11の申請疾病は前立腺がんである。前立腺がんは固形がんの一つであり,積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(1)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(4) 他原因の検討
ア 被告は,原告X11には前立腺がんの重大な危険因子である加齢及び喫煙が存在している旨主張する。
イ この点,原告X11が前立腺がんと診断されたのは,被爆の58年後であって,正に前立腺がんの好発年齢である65歳の時である。
また,原告X11は,20歳頃から60歳頃まで,1日当たり20本ないし30本程度の喫煙をしていたことが認められる(原告X11本人・調書18頁)。
ウ しかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当である。
これを原告X11についてみると,前記(2)のとおり,原告X11は,健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(3)のとおり,原告X11の申請疾病である前立腺がんは,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるところ,原告X11の上記イの事情については,上記特段の事情とまでは認められず,むしろ,上記イの事情の下で,原爆の放射線によって前立腺がんの発症が促進されたものと認めるのが相当である。
(5) 原告X11の前立腺がんの放射線起因性
以上によれば,原告X11が発症した前立腺がんの放射線起因性を認めることができるというべきである。
(6) 申請疾病の要医療性
原告X11は,前立腺がんの治療として摘出手術を受け,一旦は経過観察となったものの,徐々に腫瘍マーカーが上昇したため,平成21年10月から治療が再開され,現在も,毎月1回,定期的に医師の診察を受け,その都度薬剤の処方を受けており,申請疾病について要医療性が認められる。
(7) 総括
以上のとおり,原告X11は,処分当時,原爆症認定申請に係る前立腺がんについて放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるから,原告X11に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべきである。
8  原告X12
(1) 認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被爆状況等
(ア) 原告X12は,昭和17年○月○日生まれの男性であり,長崎原爆の投下当時,2歳であった(前提事実4(8)ア,甲Dチ1・1頁)。原告X12は,被爆前,健康状態に特段の問題はなかった(原告X12本人・調書2頁)。原告X12の自宅は,長崎市今籠町(○番地)にあり,被爆地点は,爆心地から約3.6kmの自宅前の路上であった(甲Dチ1・1頁)。
(イ) 原告X12は,昭和20年8月9日,長崎原爆の投下直前,自宅前のアスファルトと石畳の道路で,隣家の子らと共に,ろう石で絵を描いて遊んでいた。原告X12は,長崎原爆の投下直後,爆風に襲われたが,隣家の者が,原告X12を隣家に引っ張り込んで布団を被せたため事なきを得,特に怪我もしなかった(甲Dチ1・1頁,2頁)。原告X12の自宅は,倒壊は免れたものの,瓦はほとんど飛んでしまい,壁も破損した(原告X12本人・調書3頁)。
(ウ) 原告X12は,昭和37年に大学進学のために長崎を離れるまで自宅に住み続けた(甲Dチ1・2頁)。
イ 被爆後の健康状況等
(ア) 原告X12の被爆直後の健康状態やその後の健康状態については不明であり,原告X12の母も,原告X12との間で,これらを話題に出したことはなかった(乙Dチ1・173)。
(イ) 原告X12は,自宅や病院で,貧血により失神することがよくあった(甲Dチ1・3頁)。原告X12は,小学校の低学年の頃,足の付け根のリンパ腺が腫れ,病院で治療を受け,1週間ほど学校を休んで家で寝ていたこともあった。原告X12は,小学生の半ば頃までは,体力がなく,病気にかかりやすかった(甲Dチ1・3頁,原告X12本人・調書5頁)。原告X12は,20歳頃まで倦怠感にも悩まされた(甲Dチ2・2頁)。
(ウ) 原告X12は,成人後,扁桃腺肥大により風邪を引きやすい体質を有しており,55歳頃,風邪で都立府中病院に1週間入院した(甲Dチ1・3頁)。
(エ) 原告X12は,平成9年頃から2箇月に1度,高血圧で東京女子医科大学成人医学センターに通院している(甲Dチ1・3頁)。
(オ) 原告X12は,平成19年ないし平成20年頃,医師から腹部大動脈瘤の腫れを指摘され,平成19年11月,東京女子医科大学成人医学センターで前立腺がんと診断され,平成20年3月,東京女子医科大学病院で手術を受けた。原告X12は,現在も,約2箇月おきに通院しており,腫瘍マーカー等の検査による経過観察を継続している(甲Dチ1・3頁)。
ウ C12の意見
C12は,① 原告X12は,爆心地の南約3.6kmの地点で被爆し,そこで生活し続けたものであり,同地域は,長崎の西山地区とも近く,一定程度の残留放射線がある地域であると思われる,② 原告X12は,2歳であったことから,記憶がはっきりと残っているわけではないが,被爆後の病態として,下痢に悩まされる,貧血が続くなどの症状があり,健康状態がよくなかったものである,③ 前立腺がんを65歳という若年で発症しているところ,長崎では最近でも前立腺がんの発症が多いという報告があり,放射線の一定の被曝とその影響が十分考えられるケースであるとしている(証人C12・調書41頁,42頁)。
(2) 事実認定の補足説明
ア 下痢の発症の有無について
(ア) 原告X12は,幼少時にしばしば下痢を発症していた旨主張する。
(イ) この点,昭和37年5月30日付け被爆者健康手帳交付申請書添付の原爆被爆者調査表の「原爆による急性症状(おゝむね六ケ月以内)」の欄には,下痢や脱毛等の身体症状について記載する欄が設けられているところ,何も記載がされていないことが認められる(乙Dチ1・181頁)。一方で,同調査表には,被爆前に,下痢の症状を通常伴う赤痢に罹患していた旨も明記されている(乙Dチ1・181頁)。
原告X12は,平成20年5月23日付け認定申請書においても,被爆直後の健康状態やその後の健康状態について,当時の身体的状況は分からず,戦後の病状についても,母から特に聞いたことはないとしているものである(乙Dチ1・173頁)。
確かに,平成22年8月27日付け異議申立書には,原告X12が被爆直後の3歳頃から,しばしば下痢の症状で苦しみ,病院にも通院したとの記載があり(乙Dチ1・10枚目),陳述書にも,被爆直後3歳頃からよく腹を壊して病院に通院していたとの記載があり(甲Dト1・2頁),原告X12は,本人尋問においても,原告X12の母から下痢をして食事が取れずに何回も死にかけたといった話を聞かされた旨供述している(原告X12本人・調書12頁)が,このような変遷について,何ら合理的な説明はされていない。
(ウ) したがって,原告X12が幼少時にしばしば下痢を発症していた事実は認められない。
イ 下痢以外の倦怠感等の身体症状の出現の有無について
(ア) 被告は,下痢以外についても,倦怠感を含めて何らかの身体症状が出現したとは認められない旨主張する。
(イ) 確かに,平成20年5月23日付け認定申請書には,倦怠感等の身体症状に関する記載はない(乙Dチ1・173頁)。
しかしながら,同申請書は,これらの症状がなかったとまではしておらず,かえって,昭和37年5月30日付け被爆者健康手帳交付申請書添付の原爆被爆者調査表では,「現在の健康状態」の欄の「つかれやすい」との項目に丸印が付いており(乙Dチ1・181頁),平成22年8月27日付け異議申立書(乙Dチ1・10枚目,11枚目)や陳述書(甲Dチ1・3頁)では,貧血(気味)でよく失神することがあり,足の付け根のリンパ腺が腫れて,病院で治療を受け,家で療養したこともあったとし,さらに,陳述書(甲Dチ1・3頁)では,倦怠感に悩まされ続けたともしており,その内容は一貫している。
(ウ) したがって,原告X12には認定事実記載のとおりの身体症状が出現したものと認められる。
もっとも,原告X12は,本人尋問において,倦怠感の内容は登山した際に他人よりも早く疲れるというものであるとしているにすぎず(原告X12本人・調書10頁),極めて抽象的で漠然としていることからすれば,倦怠感については,その程度は軽かったものと認められる。
(3) 原告X12の放射線被曝の程度
ア 初期放射線
原告X12は爆心地から約3.6kmの地点で被爆しており,DS02による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ 放射性降下物
原告X12が黒い雨に打たれたといった事実は認められないものの,被爆後生活していた自宅が長崎の西山地区の付近に位置することからすれば,同所付近が放射性降下物に汚染されていた可能性がある。この点,放射性降下物は,長崎においては,一般に,土壌のプルトニウム調査の結果から,爆心地の真東から北に15度,南に10度の扇形の方向に広がったと考えられてはいるが(乙Dタ4・37頁,乙Dタ5・4頁,5頁),地形の影響等により上記以外の場所にも広がった可能性があることは前記第1の3(3)で検討したとおりであり,爆心地から南東方向の(乙Dチ3)原告X12の自宅付近にも飛散した可能性も十分にあるというべきである。
ウ 誘導放射線
原告X12の上記のような被爆状況等からすると,原告X12は,誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性がある。
エ 内部被曝
原告X12の上記のような被爆状況等からすると,原告X12が放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引等した可能性を否定することはできない。
オ 急性症状等
原告X12が幼少時にしばしば下痢を発症していた事実を認めることはできず,原告X12に急性症状が生じたか否かについては不明である。しかしながら,放射線被曝を裏付けるものとして,原告X12は,貧血により失神することがよくあり,小学生の低学年の頃,足の付け根のリンパ腺が腫れ,病院で治療を受け,1週間ほど学校を休んで家で寝ていたことがある。また,原告X12は,程度は軽いものの,倦怠感にも悩まされている。さらに,原告X12は,成人後,扁桃腺肥大により風邪を引きやすい体質を有しており,55歳頃,風邪で1週間入院したこともあり,高血圧で通院もしている。
カ その他
原告X12は,被爆当時2歳であり,若年での被爆であると認められる。
また,原告X12は,爆心地から約3.6kmの地点で被爆しており,積極認定対象被爆に近い態様での被爆である。
キ 小括
以上の事実を総合すれば,原告X12は健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたものと認められる。
(4) 申請疾病の放射線起因性
原告X12の申請疾病は前立腺がんである。前立腺がんは固形がんの一つであり,積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(1)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(5) 他原因の検討
ア 被告は,原告X12には前立腺がんの重大な危険因子である加齢,飲酒及び喫煙が存在している旨主張する。
イ この点,原告X12が前立腺がんと診断されたのは被爆の62年後であって,好発年齢である65歳の時である。
また,原告X12は,飲酒の習慣があり(原告X12本人・調書14頁),58歳頃まで,1日当たり1箱ないし40本程度の喫煙もしていた(原告X12本人・調書15頁)。
ウ しかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当である。
これを原告X12についてみると,前記(3)のとおり,原告X12は,健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)のとおり,原告X12の申請疾病である前立腺がんは,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるところ,原告X12の上記イの事情については,上記特段の事情とまでは認められず,むしろ,上記イの事情の下で,原爆の放射線によって前立腺がんの発症が促進されたものと認めるのが相当である。
(6) 原告X12の前立腺がんの放射線起因性
以上によれば,原告X12が発症した前立腺がんの放射線起因性を認めることができるというべきである。
(7) 申請疾病の要医療性
原告X12は,前立腺がんの手術を受け,その後も,約2箇月おきに通院して,腫瘍マーカー等の検査による経過観察を継続しており,申請疾病について要医療性が認められる。
(8) 総括
以上のとおり,原告X12は,処分当時,原爆症認定申請に係る前立腺がんについて放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるから,原告X12に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべきである。
9  原告X13
(1) 認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被爆状況等
(ア) 原告X13は,昭和20年○月○日生まれの男性であり,広島原爆の投下当時,生後6箇月であった。原告X13は,乳児ではあるものの,被爆前の健康状況について特段の問題はなかった。原告X13は,神杉村廻神に疎開していた(前提事実4(9)ア,甲Dリ1・1頁,原告X13本人・調書5頁,6頁)。
(イ) 原告X13は,広島原爆の投下翌日から昭和20年8月8日までの間又は同日から同月9日までの間,原告X13の母や二人の姉と共に,広島の造船所に勤務していた原告X13の父を探すため,爆心地付近に入市した。原告X13は,母に背負われて,芸備線の汽車に乗って広島駅に行き,広島駅からは広島市南観音町の自宅方面に向かって市電の線路沿いを歩き,広島市紙屋町,同市基町,同市十日市町辺りまで歩いたが,周囲はがれきに埋もれ,それ以上歩いて進むことができなかったことから,広島市十日市町を過ぎた辺りで来た道を再び引き返した(甲Dリ1・1頁,2頁)。
その後も,原告X13,原告X13の母及び二人の姉は,広島市内に二日ほどとどまり,原告X13の父を探した(甲Dリ1・2頁)。
イ 被爆後の健康状況等
(ア) 原告X13が乳児であったため,被爆による急性症状があったかどうかは不明である(甲Dリ1・3頁)。
(イ) 原告X13は,17歳の頃,腎臓病を発症し,40日間入院した(甲Dリ1・3頁)。
(ウ) 原告X13は,平成5年に人間ドックを受けた際に,胃がんが発見され,平成6年2月,幽門側胃切除術を受け,胃の3分の2を切除した(甲Dリ1・3頁,乙Dリ1・2838頁)。
原告X13は,経過観察として,1年に一度,定期的に,内視鏡検査を受けるなどの再発防止のための通院を続けているが,再発は認められない(甲Dリ2・4頁,原告X13本人・調書14頁)。
しかしながら,原告X13は,その後も,胃切除後障害を発症しているとされ,具体的には,ダンピング症候群,逆流性食道炎及び鉄欠乏性貧血を指摘されている(甲Dリ1・3頁)。
(2) 事実認定の補足説明
ア 原告X13の申請疾病について
原告X13は,認定申請に当たって,平成20年6月5日付け認定申請書の「負傷又は疾病の名称」の欄に「胃がん」と記載している(乙Dリ1・2837頁)。
しかしながら,原告X13は,同申請書の「被爆直後の症状及びその後の健康状態の概要」の欄に,後遺症としてダンピング症候群があり,鉄分不足で悩まされ,現在治療中である旨記載し(乙Dリ1・2837頁),同申請書添付のC1意見書も,「現症所見」の欄に,現時点で,ビタミンB12の継続的な注射を行っているが,後遺症としてダンピング症候群,逆流性食道炎及び鉄欠乏性貧血がみられる(乙Dリ1・2838頁)としていることからすれば,胃がんのみならず,胃切除後障害としてのダンピング症候群,逆流性食道炎,鉄欠乏性貧血及びビタミンB12の欠乏による巨赤芽球性貧血についても申請疾病に含まれるものと解するのが相当である。
イ 胃切除後障害の発症の有無について
(ア) ダンピング症候群
a 胃切除後障害(胃切除術後症候群)とは,胃切除に伴う食物貯留能の低下や食物消化経路の変更などによって生じる機能的障害(早期及び後期ダンピング症候群,消化吸収障害及び貧血,骨障害等)及び器質的障害(逆流性食道炎等)をいう(乙Dリ4・129頁)。
ダンピング症候群とは,胃切除後の患者において食後にみられる様々な症状を呈する病態を指し,食後20分ないし30分で生じる早期ダンピング症候群と,食後2時間ないし3時間で生じる後期ダンピング症候群に分類される(乙Dリ4・129頁)。
早期ダンピング症候群とは,胃切除後の患者において,腸蠕動亢進,腹部不快感,腹痛,悪心及び嘔吐,下痢などの腹部症状と,全身倦怠感,めまい,頻脈,発汗及び動悸を呈する血管運動性症状(全身症状)が食後20分ないし30分で生じ,1時間ないし2時間持続するものをいう。早期ダンピング症候群の発症頻度は10%ないし20%とされている。早期ダンピング症候群の発生機序としては,胃切除後,胃の貯蔵能が低下して高張(浸透圧が高い状態)な食物が十二指腸や空腸に急速に流入することにより,循環血漿量の減少,上部空腸の拡張進展,消化ホルモン(血管作動体液性因子。セロトニン,ヒスタミン,ブラジキニン等)の増加が生じ,上記の各症状が生じるとされている(乙Dリ4・129頁,乙Dリ5・369頁,乙Dリ6・533頁,534頁,乙Dリ7・A-54頁,乙Dリ8・81頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(9)16頁)。
b 早期ダンピング症候群の診断は,①臨床症状,②ダンピング誘発試験(チューブを空腸内に留置して50%ブドウ糖液を5分以内に急速注入し,症状の発現,循環血流量及び消化ホルモン測定を行う。)及び③食後の血糖や血清インスリン,C-ペプチド,IRI(免疫活性インスリン)の測定により行う(乙Dリ4・129頁,乙Dリ5・369頁,370頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(9)16頁)。また,日本消化器外科学会が昭和46年に提案した中間報告案によれば,食事との関連で生ずる種々の症状や身体所見で診断が可能であるとされており,11項目(①冷や汗をかく,②動悸がする,③めまいがする,④しびれや失神がある,⑤顔色が赤くなる,⑥顔色が青くなる,⑦全身が熱くなる,⑧全身がだるく力が抜けるようになる,⑨眠くてたまらなくなる,⑩頭痛や頭重がある及び⑪胸苦しくなる)のうちの一つでも当てはまれば早期ダンピング症候群と判定するとされている(甲Dリ7・117頁)。
c C1意見書は,原告X13に胃切除後障害としてのダンピング症候群がみられるとしている(乙Dリ1・2838頁)。
また,原告X13は,平成6年2月に胃切除術を受けたが,その後,同年3月17日に下痢の症状があり(乙Dリ9・175頁),同月28日にも腹痛及び下痢の症状があることから,治療薬としてアセナリンとベリチーム等が継続的に処方されている(乙Dリ9・176頁)。原告X13は,同年5月9日も下痢及び腹痛があり(乙Dリ9・176頁),平成12年3月23日(乙Dリ9・182頁),平成13年4月5日及び同年7月19日(乙Dリ9・183頁),ダンピングがあると診断され,平成14年1月31日(乙Dリ9・183頁),胸焼けがあり,ダンピングがあると診断され,さらに,原爆症認定申請直前の平成20年5月8日も食後の冷や汗があり,ダンピングがあると診断され(乙Dリ9・188頁),原爆症認定申請直後の同年8月7日も同様に冷や汗があり,ダンピングがあると診断されている(乙Dリ9・189頁)。
原告X13の各症状は,胃切除術を受ける前には全くなかったものである(原告X13本人・調書7頁)。
そして,上記のとおり,原告X13は,冷や汗があり,上記中間報告案の早期ダンピング症候群の判定基準も満たしている。
d したがって,原告X13は,胃切除後障害としての早期ダンピング症候群を発症しているものと認められる。
(イ) 逆流性食道炎
a 逆流性食道炎は,胃液の食道内逆流によって発生する疾病である。胃粘膜は,細胞傷害性及び消化力の強い胃液に対する防御機構を持っているが,食道はそのような防御機構が弱いため,逆流した胃液に長時間接すると,粘膜上皮が傷害を受け,傷害を受けた食道には強い炎症が起こり,びらんや潰瘍が形成される。この状態が逆流性食道炎と呼ばれる。逆流性食道炎は,極めて高頻度にみられる疾患であり,一般人口の10%程度にみられる。また,最近,ヘリコバクター・ピロリ除去などによる日本人の胃酸分泌能の増加と食生活の欧米化(高脂肪及び高蛋白食)に伴って増加傾向にある(乙Dリ12・800頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(9)22頁)。
胃切除後障害としての逆流性食道炎は,胃切除により噴門や下部食道括約筋(LES)の機能障害を生じ,胃液などの消化液が食道に逆流して起きる食道炎をいう(乙Dリ5・370頁)。胃全摘後であれば胆汁や膵液が,胃部分切除後であればこれに胃液を混入したものが食道内に逆流することになるが,手術術式の改善などによって,胃切除後障害としての逆流性食道炎は減少傾向にあるとされている(乙Dリ12・801頁)。胃切除後障害としての逆流性食道炎は,術後1年以内にみられるとされている(乙Dリ13・90頁)。
逆流性食道炎の治療は,生活及び食事指導,薬物治療並びに手術治療の三つに分けられる。薬物治療では,主に胃酸分泌を抑制する胃酸分泌抑制薬(ヒスタミンH2受容体拮抗薬やプロトンポンプ阻害薬)と,分泌された酸を中和する酸中和剤(水酸化マグネシウム/水酸化アルミニウムゲルなど)が用いられる(乙Dリ12・802頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(9)22頁,23頁)。胃切除後障害としての逆流性食道炎の場合は,胃部分切除後の例では,胃酸分泌抑制薬や酸中和剤も用いられているが,それ以外に膵液中のトリプシンの作用を阻害して食道粘膜の損傷を防ぐために蛋白分解酵素阻害薬であるメシル酸カモスタットの投与が行われる(乙Dリ12・802頁,803頁)。
b C1意見書は,原告X13に胃切除後障害としての逆流性食道炎がみられるとしている(乙Dリ1・2838頁)。
しかしながら,上記のとおり,胃切除後障害としての逆流性食道炎は,術後1年以内にみられるとされているところ,原告X13は,平成6年2月に胃切除術を受けているが,原爆症認定申請直前の平成20年5月8日,逆流性食道炎がないとの診断を受けており(乙Dリ9・188頁),逆流性食道炎については,同年10月28日の内視鏡検査で食道裂孔ヘルニア(滑脱型)と合わせて初めて診断を受けたものであって,その程度も軽度である(乙Dリ9・22頁)。また,食道裂孔ヘルニア(滑脱型)は,逆流性食道炎を合併することがあるとされていること(乙Dリ12・800頁)や,アルコールの摂取は逆流性食道炎の原因とされているところ(乙Dリ22・1枚目),原告X13がアルコールを継続的に摂取していたことも認められる(乙Dリ9・182頁,184頁,192頁,原告X13本人・調書10頁,11頁,16頁ないし18頁)。
これらの点に鑑みると,原告X13が胃切除後障害としての逆流性食道炎を発症した事実は認めることができない。
(ウ) 鉄欠乏性貧血
a 貧血とは,末梢血中のヘモグロビン濃度(Hb)が基準値以下に低下した状態をいう。通常は末梢血中のヘモグロビン濃度が最もよい貧血の指標とされている。WHOでは貧血の基準値を成人男性で13g/dl未満,成人女性で12g/dl未満と定義しているが,高齢になると健常人でもヘモグロビン濃度が低下し,男女差が少なくなるとされている(乙Dリ14・14頁)。
貧血のうち,鉄欠乏性貧血とは,鉄の欠乏によって,ヘモグロビン合成が低下して起こる貧血をいい,貧血の中では最も頻度が高い。鉄欠乏性貧血を来す原因としては,胃切除後や鉄の摂取量が少ないことによる「吸収低下」,妊娠や成長期などの「需要増大」,慢性消化管出血などの「喪失亢進」に大別される(乙Dリ14・22頁,23頁)。
なお,胃切除後障害としての貧血には,鉄欠乏性貧血(小球性低色素性貧血)のほかに,後記のビタミンB12の吸収障害による巨赤芽球性貧血もある(乙Dリ5・370頁)。
鉄欠乏性貧血の診断は,血液検査から容易に行うことができ,①貧血(貧血の指標であるヘモグロビン値が12g/dl以下)があり,②小球性(平均赤血球容積(MCV)が82fl以下)で,かつ,③鉄欠乏状態(体内貯蔵鉄の指標である血清フェリチン値が12ng/ml未満)であれば,鉄欠乏性貧血と診断することができる(乙Dリ15・587頁,乙Dリ23・13頁)。なお,血清鉄値が40μg/dl以下であることも鉄欠乏性貧血の所見の一つに挙げられるが(乙Dリ16・G-20頁),血清鉄は体内の鉄の貯蔵量を反映するものではなく,慢性炎症による貧血などでも低値となるため,必ずしも鉄欠乏の指標にはならず,必ず血清フェリチン値をみて鉄剤投与の必要性を判断するものとされている(乙Dリ15・587頁)。
鉄欠乏性貧血の治療は,鉄剤(フェリチン錠やフェロ・グラデュメット錠)の経口投与が原則とされている(乙Dリ14・25頁,乙Dリ15・587頁,乙Dリ16・G-20頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(9)25頁)。もっとも,治療対象となる鉄欠乏性貧血の目安は,ヘモグロビン値10.0g/dl未満,血清フェリチン値12ng/ml未満とされている(乙Dリ17・38頁)。そして,鉄剤の経口投与による治療においては,症状が改善しても,貯蔵鉄を反映する血清フェリチン値が正常化するまで服用を続けることが重要であるとされている(乙Dリ14・25頁,乙Dリ16・G-20頁)。
b C1意見書は,原告X13に胃切除後障害としての鉄欠乏性貧血がみられるとしており(乙Dリ1・2838頁),また,虎の門病院医師のC16の平成6年3月30日付け診断書も,鉄欠乏性貧血と診断し,今後も経過観察が必要であるとしている(乙Dリ9・222頁)。
しかしながら,原告X13は,ヘモグロビン値が13g/dlを下回ったことはあるものの,12g/dl以下であったことはなく,平均赤血球容積(MCV)も82fl以下であったことはない。血清フェリチン値も,平成23年10月6日の時点ではあるが,22ng/mlである(乙Dリ9,弁論の全趣旨・被告準備書面(9)別紙2)。
c したがって,原告X13が胃切除後障害としての鉄欠乏性貧血を発症した事実は認められない。
(エ) 巨赤芽球性貧血
a 貧血のうち,巨赤芽球性貧血は,骨髄に巨赤芽球が出現する貧血の総称をいう。成因は,①ビタミンB12欠乏と,②葉酸欠乏に大別されるが,ビタミンB12欠乏によるものが最も多い。原因としては,自己免疫が関与する胃粘液萎縮による貧血(悪性貧血)と,胃全摘によるものが大部命を占める。ビタミンB12欠乏に伴う症状として,舌炎や神経症がある(乙Dリ14・28頁ないし31頁,乙Dリ16・G-34頁ないしG-36頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(9)28頁)。
巨赤芽球性貧血の診断には,特徴的な検査所見とされる血清ビタミンB12の低下が参考となる(乙Dリ14・28頁,乙Dリ16・G-35頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(9)28頁)。
巨赤芽球性貧血の治療としては,ビタミンB12製剤のメチコバールの筋肉注射が一般的である(乙Dリ14・30頁,乙Dリ15・590頁,乙Dリ16・G-35頁)。
b 医師意見書では,原告X13が胃切除後障害としての巨赤芽球性貧血の予防を目的としてメチコバールの注射を3箇月から6箇月ごとに受け続けているとし(甲Dリ2・6頁),C12も,370台あったビタミンB12がどんどんと減り,調べる度に減って250くらいになっており,これは何年か経って起こってくるものであるが,ビタミンB12が欠乏し始めているということを示しているものであって,主治医が巨赤芽球性貧血であると考えたことは間違いないとしている(証人C12・調書45頁)。
しかしながら,原告X13のビタミンB12の数値が正常値の範囲外となったのは,平成22年10月21日の1回のみである上,そもそも,平成16年4月15日から平成22年10月20日までの間は,ビタミンB12の測定すらされていないものであり(乙Dリ9,弁論の全趣旨・被告準備書面(9)別紙2),メチコバールを注射しなければビタミンB12が正常値を下回るほど減少してしまうような状況にあったのかについて疑問がある。また,医師意見書やC12の意見も飽くまで巨赤芽球性貧血の予防を前提としており,その発症を前提としているものではない。
c その他,原告X13が胃切除後障害としての巨赤芽球性貧血を発症した事実を認めるに足りる証拠はない。
(3) 原告X13の胃がんの放射線起因性
原告X13が発症した胃がんの放射線起因性が認められることについては,当事者間に争いがない。
(4) 原告X13の胃切除後障害としてのダンピング症候群の放射線起因性
上記のとおり,原告X13が発症した胃がんの放射線起因性を肯定することができるところ,原告X13は,胃がんを発症したことによって,その治療として胃の切除手術を受けることを余儀なくされたものであり,原告X13が胃がんを発症したことと胃の切除手術を受けたこととの間には因果関係があるというべきである。そして,原告X13の胃切除後障害としてのダンピング症候群は,その発症時期からしても,胃の切除手術によって発生したものであることが明らかであるから,原告X13が発症した胃切除後障害としてのダンピング症候群の放射線起因性を認めることができるというべきである。
(5) 申請疾病の要医療性
ア 原告X13の胃がん
(ア) 被爆者援護法10条1項は,処分行政庁は,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,又は,疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者に対して必要な医療の給付を行うと規定し,同条2項は,上記医療の給付の範囲を,① 診察,② 薬剤又は治療材料の支給,③ 医学的処置,手術及びその他の治療並びに施術,④ 居宅における療養上の管理及びその療養に伴う世話その他の看護,⑤ 病院又は診療所への入院及びその療養に伴う世話その他の看護,⑥ 移送としている。これらの規定に照らすと,疾病等が「現に医療を要する状態にある」(要医療性)とは,当該疾病等に関し,同項の規定する医療の給付を要する状態にあることをいうものと解するのが相当である。
そして,積極的な治療行為を伴わない定期検査等の経過観察については,広い意味での「診察」に含まれ得るとしても,「負傷し,又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にある」という文言の自然な意味内容のほか,被爆者援護法が「健康管理」と「医療」とを区別し,健康管理(第3章第2節)の内容として,都道府県知事が,被爆者に対し,毎年,厚生労働省令で定めるところにより,健康診断を行うものとして(被爆者援護法7条),一般検査の結果必要があれば精密検査を行うものとし,その検査の方法は特に制限されていないこと(被爆者援護法施行規則9条)等に照らすと,当該疾病につき再発や悪化の可能性が高い等の特段の事情がない限り,上記の「医療」には当たらないと解するのが相当である。
(イ) 原告X13は,胃がんについて,平成6年2月に幽門側胃切除術を受けた後,再発が全く認められていないものである。原告X13は,経過観察として,1年に一度,定期的に,内視鏡検査を受けるなどの再発防止のための通院を続けているものの,その程度は一般に実施される胃がん検診等(乙Dリ3の2・3頁)と同程度のものであるというべきであって,原告X13の胃がんについては既に要医療性がないものというべきである。なお,一般に,悪性腫瘍の治癒判定については手術後5年とされているものである(乙Dリ2・50頁)。
この点,C12は,原告X13は,定期的に胃カメラ検査を受けており,主治医は,胃切除後の残胃に発生する胃がんを再発後見逃さないように細心の注意を払って指導していると思うとしているが(証人C12・調書46頁),このことは一般に実施される胃がん検診等であっても同様であるというべきであって,C12の意見によっても,原告X13の胃がんの要医療性が否定されることは揺るがない。
(ウ) 以上によれば,申請疾病のうち胃がんについて要医療性は認められない。
イ 原告X13の胃切除後障害としてのダンピング症候群
(ア) 原告X13の胃切除後障害としてのダンピング症候群は早期ダンピング症候群であるところ,早期ダンピング症候群の治療方法としては,原則として食事療法が行われ,薬物療法は重症例等で行われる。薬物療法には,一般に消化剤や整腸剤が使用される(甲Dリ2・5頁,甲Dリ7・117頁,甲Dリ8,甲Dリ9・215頁,乙Dリ4・129頁,乙Dリ5・370頁,乙Dリ6・534頁,乙Dリ7・A-54頁,乙Dリ8・81頁,乙Dリ12・843頁)。
(イ) 原告X13は,3箇月に1回ほどの割合で通院し(乙Dリ9,原告X13本人・調書10頁),早く食べない,アルコールを減らす等の継続的な食事療法(乙Dリ9・179頁,184頁)のほか,消化酵素剤であるベリチーム等の処方を受けており(乙Dリ9・176頁,乙Dリ10,原告X13本人・調書10頁),原爆症認定申請後ではあるが,整腸剤のビオフェルミンの処方も受けているのであって(乙Dリ9・145頁,乙Dリ11),原告X13のダンピング症候群の要医療性は認められる。
なお,食事療法により軽快するダンピング症候群は軽度のダンピング症候群に限られ(乙Dリ8・81頁),全てのダンピング症候群に当てはまらない上,原告X13のダンピング症候群が長期間にわたり継続していることからすれば,原告X13のダンピング症候群は,食事療法により軽快するダンピング症候群ではないものと認められる。
この点,C12も,① ダンピングの治療の基本は食事療法であり,1度に食事を取ると胃から小腸に急激に食物が移動し,多量の水分が出て下痢を起こすことから,回数を細かく分けて食べるように指導をするものであり,原告X13に対してもこのような指導が行われていると判断することができる,② 同時に,原告X13に対して,胃の運動を押さえたり,腹痛を抑えたり,消化を助けたりといった,様々な本人の苦痛を緩和するための胃腸薬が継続的に処方されていることが分かるとしているものである(証人C12・調書45頁,46頁)。
(ウ) 以上によれば,申請疾病のうち胃切除後障害としてのダンピング症候群について要医療性が認められる。
(6) 総括
以上のとおり,原告X13は,処分当時,原爆症認定申請のうち胃切除後障害としてのダンピング症候群については,放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるから,原告X13に係る原爆症認定申請却下処分はその範囲において違法であり,取り消されるべきである。
10  原告X14
(1) 認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被爆状況等
(ア) 原告X14は,昭和6年○月○日生まれの男性であり,長崎原爆の投下当時,14歳であった。原告X14は,被爆前,健康状況に特段の問題はなかった。原告X14は,爆心地から約3.5kmの地点にある長崎市麹屋町〈以下省略〉の原告X14の自宅で生活していた。原告X14の家族も,同所において生活していたが,被爆当時,原告X14の家族は,長崎県南高来郡加津佐町にある原告X14の母の実家に疎開していた(前提事実4(10)ア,甲Dル1・1頁,乙Dル1・29頁)。
原告X14は,被爆当時,長崎商業学校に在籍しており,さらに,昭和19年4月1日からは学徒動員で三菱兵器大橋工場に勤務し,原告X14の自宅に残って生活していた。原告X14の自宅の一部は他人に賃貸しており,原告X14は,自宅の2階の1室に住んでいた(甲Dル1・1頁)。
(イ) 原告X14は,長崎原爆の投下当日である昭和20年8月9日,朝から三菱兵器大橋工場で働いていたが,警戒警報が発令されたため,会社から,学生は警戒警報が解除されるまで工場から離れて自宅の町内の消防団の仕事を手伝うようにとの指示を受けた。原告X14は,会社からの指示に従い,長崎市麹屋町内の消防団の詰所に行ったところ,消防団から,学生は空襲警報が発令されるまで自宅で待機するようにと言われたため,原告X14の自宅に戻り,2階の自室で待機していた(甲Dル1・1頁)。
午前11時頃,爆音が上空からしたため,原告X14は,自室の窓ガラスを開け,窓際から上空を見上げた。すると,爆撃機が上空を飛んでおり,爆撃機から落とされた落下傘がゆらゆらと落下してくるのが見えた。その瞬間,落下傘の方向が,激しく光った(甲Dル1・1頁)。
激しい閃光があった直後,爆風が襲い,原告X14の自宅2階の自室の隣の部屋の屋根が大きな音を立てて崩れ落ち,原告X14の自室にも大量の粉塵が入ってきた。原告X14の自宅は,屋根が崩れるなどして半壊したが,火事にはならなかった(甲Dル1・1頁,2頁)。
原告X14は,更なる空襲に備え,すぐに原告X14の自宅の敷地内にあった防空壕に一時的に避難し,その後,正午過ぎ頃,近所の者らと共に,長崎市寺町にあった墓地の周辺の竹林に避難した。原告X14が竹林に到着した頃,黒い雨が20分ほど降り,原告X14も黒い雨に打たれてずぶ濡れとなった(甲Dル1・2頁)。
原告X14は,同日は,近所の者らと共に,竹林の中で野宿した(甲Dル1・2頁)。
(ウ) 原告X14は,昭和20年8月12日,長崎医科大学に通っていた友人の遺骨を探しに爆心地から約500mの地点にある同大学に行った(甲A8の2,乙Dル1・36頁)。
イ 被爆後の健康状況等
(ア) 原告X14は,昭和20年10月頃から,強い倦怠感に悩まされ,その症状は昭和21年3月頃まで続いた(甲Dル1・3頁)。
(イ) 原告X14は,昭和22年頃から,慢性の下痢の症状が始まり,その症状はその後40年近く続いた(甲Dル1・3頁)。
(ウ) 原告X14は,昭和27年,肛門周囲膿瘍にかかり手術を受けたが,その後も膿が止まらなかったため,入院し,退院するまで同じ手術を3回にわたり受けた。原告X14は,昭和31年及び昭和39年,内痔核の手術を受けたが,その後,再発し,現在も座薬や軟膏などの薬剤での治療を受けている(甲Dル1・3頁,4頁)。
(エ) 原告X14は,昭和31年,肺結核にかかり,その後2年間にわたり,治療のために国立療養所に入院した(甲Dル1・4頁,原告X14本人・調書1頁)。
(オ) 原告X14は,昭和54年,変形性脊椎症にかかり,現在も治療を受けている(甲Dル1・4頁)。
(カ) 原告X14は,58歳の時に脂質異常症を指摘された(乙Dル4・7頁)。
(キ) 原告X14は,平成11年3月6日,激しい胸痛等の発作が起こり,同月10日から同月21日までの間,久我山病院に入院し,その後,同月25日から2週間,杏林大学附属病院に通院して精密検査を受けた結果,心筋梗塞と診断された(甲Dル1・4頁,5頁)。
なお,原告X14の血圧は,同月7日に久我山病院で受診した際の収縮期血圧が140mmHgであり,高血圧であった(弁論の全趣旨・被告準備書面(27)244頁)。
(ク) 原告X14は,平成14年,前立腺肥大症にかかり,同年3月,温熱療法による治療を受けたが,症状は改善せず,現在も治療を続けている(甲Dル1・4頁)。
(ケ) 原告X14は,平成24年1月6日,下腹部に痛みを感じ,杏林大学附属病院でMRI検査を受けたところ,前立腺がんの可能性があり,骨転移の可能性もあると診断された(甲Dル1・4頁)。
同月17日,大量の下血があり,原告X14は,同月18日,同病院に入院し,同月21日まで精密検査を受けたが,がんの特定には至らなかった(甲Dル1・4頁)。
原告X14は,同年8月27日,再び同病院でMRI検査を受けたところ,前回検査よりも前立腺が軽度増大しており,前立腺がんの疑いと診断された(甲Dル1・4頁)。
さらに,同年12月11日,大量の下血があり,原告X14は,同月12日から同月18日までの間,同病院に入院して精密検査を受けたが,がんの特定までには至らなかった(甲Dル1・4頁)。
(コ) 原告X14は,現在も3箇月に1回の割合で杏林大学附属病院に通院している。また,原告X14は,平成16年3月16日から,併せて1箇月に1回の割合で木下循環器科クリニックに通院している。原告X14は,いつ心筋梗塞の発作が起こるか分からないことから,外出する際には,ニトログリセリン,健康保険証及び被爆者健康手帳を常に携帯している(甲Dル1・5頁)。
ウ C12の意見
C12は,① 原告X14は,残留放射線の被曝であり,黒い雨に打たれている,② 原告X14は,長崎原爆の投下翌日,まだ火災煙や粉塵が残っている中で爆心地付近を通って長崎医科大学まで行っており,その中で誘導放射線や残留放射線の被曝を受けた,③ その結果,原告X14は,吐き気,下痢及び発熱の急性症状が出現し,10日ほど後,脱毛が始まった,④ これらからすると明らかな被曝の実態があるとしている(証人C12・調書15頁)。
(2) 事実認定の補足説明
ア 入市状況について
(ア) 原告X14は,原告X14が長崎原爆の投下翌日に爆心地付近まで入市した旨主張している。
(イ) この点,原告X14は,陳述書や本人尋問において,入市の経緯について以下のとおりであるとしている(甲Dル1・2頁,3頁,原告X14本人・調書4頁ないし9頁)。
a 原告X14は,長崎原爆の投下翌日,一緒に竹林に避難した近所の者から,同人の息子が長崎医科大学に通っているが,大学から帰って来ないので探しに行ってくれないかと頼まれた。
そこで,原告X14は,その息子を探すため,同日正午過ぎ頃に長崎医科大学に向かって出発した。原告X14は,徒歩で,電車道を通って北上し,長崎市松山町の辺りで東の方に曲がり,爆心地付近を通過して長崎医科大学にたどり着いた。
b 長崎市内は,一面焼け野原であり,ほとんどの建物が崩れ落ちており,まだ火がくすぶっている建物もあった。黒焦げになった人の死体が,至る所に転がっていた。原告X14は,長崎駅を過ぎた辺りで,2倍くらいの大きさにふくれあがった馬の死体を目撃し,また,浦上駅の辺りは特に異臭が強く,何度も吐き気を催すほどであった。さらに,原告X14は,三菱長崎製鋼所の鉄骨が激しく折れ曲がっているのを目撃し,爆弾の威力の大きさに衝撃を受けた。
c 原告X14が長崎医科大学のあった辺りに到着すると,がれきの山になっていた。原告X14が現地にいた大学関係者と思われる者に尋ねると,爆弾が落ちた当時は木造校舎の中で授業中であったため,教員も学生もほとんど即死したのではないかとのことであった。
d 原告X14は,長崎医科大学で1時間ほど捜索を続けたが,近所の者の息子を発見することはできなかった。原告X14は,やむを得ず,来たときと同じ道順で長崎市寺町に引き返し,午後5時頃,長崎市寺町の竹林にたどり着いた。
(ウ) しかしながら,原告X14が記載した昭和32年6月18日付け被爆者健康手帳交付申請書添付の居所証明書には,「中心地から2K以内の地域に,投下後二週間以内にはいりこんだ時と場所とその理由」の欄の「はいりこんだ時」の欄に「八月十二日」,「はいりこんだ場所」の欄に「坂本町」,「その理由」の欄に「当時医専の学生であった友人の遺骨さがし。医大の構内に。」と記載されている(乙Dル1・36頁,原告X14本人・調書4頁,6頁)。同記載によれば,原告X14は,長崎原爆の投下から3日後,爆心地付近に所在する長崎医科大学の学生であった友人が既に死亡していることを前提に,その遺骨を探すために入市をしたということになるところ,原爆投下から3日を経て,爆心地付近の原爆による被害が極めて甚大であることについて,ある程度理解した上での行動としては整合的なものであり,内容に十分な合理性があるものというべきである。
また,同証明書については,原告X14と同じ町内に居住していたB22とB23の二人が証明人として署名押印しているものである(乙Dル1・36頁)。
以上によれば,同証明書は極めて信用性が高いというべきであり,一方で,原告X14は,供述等が変遷している理由について何ら合理的な説明をしていないことからすれば(原告X14本人・調書5頁,6頁),長崎原爆の投下翌日に入市した旨の原告X14の供述等を採用することはできないものというべきである。
(エ) したがって,原告X14が長崎原爆の投下翌日に爆心地付近まで入市した事実は認められず,原告X14は,昭和20年8月12日に入市したものと認められる。
イ 急性症状の発症の有無について
(ア) 原告X14は,被爆直後から吐き気,嘔吐,発熱,歯茎からの出血,下痢,脱毛,倦怠感などの急性症状を発症した旨主張する。
(イ) しかしながら,原告X14は,昭和32年6月18日付け被爆者健康手帳交付申請書添付の原爆被爆者調書票の「原爆による急性症状(おゝむね六ヶ月以内)」の欄に,上記症状について一つも記載していないものである(乙Dル1・37頁)。この点につき,原告X14は,本人尋問において,被爆の事実をできるだけ隠したいという気持ちから特に記載しなかった旨供述するが(原告X14本人・調書10頁,11頁,24頁,25頁),記載しなかったものが被爆者健康手帳交付申請書の添付書類であることからすると,そのような理由に合理性はないというべきである。
(ウ) したがって,原告X14が被爆直後から吐き気,嘔吐,発熱,歯茎からの出血,下痢,脱毛,倦怠感などの急性症状を発症した事実は認められない。
(3) 原告X14の放射線被曝の程度
ア 初期放射線
原告X14は爆心地から約3.5kmの地点で被爆しており,DS02による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ 放射性降下物
原告X14は,長崎原爆の投下直後,長崎市寺町において,長時間にわたり黒い雨に打たれているところ,この雨が放射性降下物を含んでいた可能性は高いものと認められる。この点,放射性降下物は,長崎においては,一般に,土壌のプルトニウム調査の結果から,爆心地の真東から北に15度,南に10度の扇形の方向に広がったと考えられてはいるが(乙Dタ4・37頁,乙Dタ5・4頁,5頁),地形の影響等により上記以外の場所にも広がった可能性があることは前記第1の3(3)で検討したとおりであり,爆心地から南南東方向の(乙Dル3)長崎市寺町にも飛散した可能性も十分にあるというべきである。
また,原告X14が長崎原爆の投下翌日に爆心地付近まで入市した事実は認められないが,原告X14は,昭和20年8月12日に爆心地付近の長崎医科大学に行っている。
原告X14が爆心地付近に入市した時期は,長崎原爆の投下から間もない頃であり,爆心地付近は放射性降下物に相当程度汚染されていたものということができる。
ウ 誘導放射線
原告X14の上記のような被爆状況等からすると,原告X14は,誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性がある。
エ 内部被曝
原告X14の上記のような被爆状況等からすると,原告X14は,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性がある。
オ 急性症状等
原告X14が被爆直後から吐き気,嘔吐,発熱,歯茎からの出血,下痢,脱毛,倦怠感などの急性症状を発症した事実は認められない。しかしながら,放射線被曝を裏付けるものとして,原告X14は,しばらくしてから,倦怠感や下痢などの症状に悩まされている。また,後記で検討するとおり,原告X14は,高血圧があり,脂質異常症も指摘されている。さらに,原告X14は,前立腺肥大症や前立腺がんの疑いと診断されている。
カ 小括
以上の事実を総合すれば,原告X14は健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたものと認められる。
(4) 申請疾病の放射線起因性
原告X14の申請疾病は心筋梗塞である。心筋梗塞は積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(3)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(5) 他原因の検討
ア 被告は,原告X14には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,喫煙,高血圧及び脂質異常症が存在している旨主張する。
イ この点,原告X14が心筋梗塞と診断されたのは,被爆の54年後であって,68歳の時であり,虚血性心疾患の危険因子として加齢を考慮する45歳を大きく超えている。
また,原告X14は,20歳から50歳まで30年にわたり喫煙を続けている(乙Dル4・7頁)。
喫煙量について,原告X14が平成23年11月に受診した杏林大学附属病院の診療記録によれば,1日20本である(乙Dル4・7頁)。なお,原告X14は,本人尋問において,1日五,六本であり,多くても10本を超すことはなかったとしているが(原告X14本人・調書13頁),上記診療記録に照らし,採用することはできない。
なお,原告X14は,50歳頃から,年に一,二回の頻度で胸痛発作がみられており(乙Dル4・7頁),この時点で既に狭心症を発症していた可能性が高いと認められる。
原告X14は,58歳の時に脂質異常症を指摘されており,平成23年11月28日の栄養指導指示箋・指導記録によれば,この時点においても,① 食事以外は甘い物をよく食べている,② オレンジジュースとピルクルを水代わりに飲んでいる,③ まんじゅう,カステラ,ピーナッツ,チョコレートなどをよく食べているとのことであり(乙Dル4・172頁,原告X14本人・調書31頁,34頁ないし36頁),① 1日1食を二,三食にする,② 量とバランスに気をつけて食べる,③ 1800キロカロリー食にする,④ 嗜好品を控える,⑤ 減塩するなどといった栄養指導がされている(乙Dル4・172頁)。
原告X14の血圧は,平成11年3月7日に久我山病院で受診した際の収縮期血圧が140mmHgであり,その後,同年8月24日に降圧剤の処方が中止されたが(乙Dル4・13頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(27)244頁),その後の外来診療時においても収縮期血圧が140mmHgを超える日が複数回認められる(乙Dル4・15頁)。「高血圧治療ガイドライン2009」によれば,上記の血圧値は,血圧分類では「Ⅰ度高血圧」の範疇に当たり,また,① 心筋梗塞の発症当時,65歳以上であり,② 30年にわたる喫煙歴があり,③ 58歳の時に脂質異常症を指摘され,その後の食生活も良好なものであったとはいい難く,④ 狭心症を発症させていた可能性も高いことから,「リスク第三層」に該当し,当時の脳心血管リスクは高リスクであった(乙Dカ20・14頁ないし16頁)。
ウ しかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当である。
これを原告X14についてみると,前記(3)のとおり,原告X14は,健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)のとおり,原告X14の申請疾病である心筋梗塞は,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であり,さらに,前記第2の3(3)のとおり,心筋梗塞については,そもそも交絡因子の影響が極めて小さいものであるところ,原告X14の上記イの事情のうち,加齢及び喫煙については,上記特段の事情とまでは認められず,むしろ,これらの事情の下で,原爆の放射線によって心筋梗塞の発症が促進されたものと認めるのが相当である。
また,高血圧及び脂質異常症,更には狭心症については,そもそもこれらの症状が放射線被曝との関連性が認められるものであって,これらの症状があることをもって原告X14の心筋梗塞の放射線起因性を否定することはできないというべきである。
(6) 原告X14の心筋梗塞の放射線起因性
以上によれば,原告X14が発症した心筋梗塞の放射線起因性を認めることができるというべきである。
(7) 申請疾病の要医療性
原告X14は,3箇月に1回の割合で,杏林大学附属病院に,1箇月に1回の割合で木下循環器科クリニックに通院しており,ニトログリセリンの処方も受けていることが認められ,申請疾病について要医療性を認めることができる。
(8) 総括
以上のとおり,原告X14は,処分当時,原爆症認定申請に係る心筋梗塞について放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるから,原告X14に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべきである。
11  原告X15
(1) 認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被爆状況等
(ア) 原告X15は,昭和7年○月○日生まれの男性であり,広島原爆の投下当時,13歳であった。原告X15は,被爆前,健康状況に特段の問題はなかった(前提事実4(11)ア,甲Dワ1・1頁)。原告X15は,広島県立呉第二中学校に在籍しており,広島県呉市内神町(以下「内神町」という。)にある親戚の家に住んでいた(甲Dワ1・1頁,甲Dワ2・2頁)。
(イ) 原告X15は,昭和20年8月6日,広島原爆の投下直前,学徒動員で爆心地から約1.92kmの地点にある広島駅前にいた(乙Dワ9の2・19頁,22頁)ところ,写真機のストロボが目の前でたかれたような強烈な閃光を感じるとともに,爆風で吹き飛ばされて気を失った(甲Dワ1・2頁,甲Dワ2・1頁)。
気がつくと,原告X15は,気を失う前に倒れていた場所とは違う場所に倒れていた。被っていた制帽はなくなっており,開襟シャツやズボンも破れていた。原告X15は,特に左側の顔面が腫れ上がっているような感覚であった(甲Dワ1・2頁)。また,右腕が腫れ上がり,両足もやけどを負っていた(甲Dワ1・2頁,原告X15本人・調書4頁)。さらに,左腕は,ガラス片によって負傷していた(甲Dワ2・1頁)。
辺りには砂埃や黒煙が立ちこめていた(原告X15本人・調書4頁)。
原告X15は,とにかく内神町にある親戚の家に帰らなければならないと考え,広島駅の方に逃げることとした。多数の被爆者が列を作って歩いていたことから,原告X15も,この列について行った(甲Dワ1・2頁,原告X15本人・調書5頁)。
広島駅は破壊されており,列車の運行は不可能となっていた(甲Dワ1・2頁)。原告X15は,駅の北口にある集会所のような建物に避難したが,大怪我をした者が次々と押し寄せるように集まってきたことから,歩くことのできる者は出て行くようにとの指示を受け,広島駅を出て線路に沿って歩き続けた(甲Dワ1・2頁,3頁)。
向洋駅の手前辺りには怪我人が集まっている建物があり,原告X15は,この建物の中に入ってしばらくの間休んだ(甲Dワ1・3頁)。原告X15が建物の中で休んでいると,灰色の雨が降り始め,原告X15は,その飛沫を浴びた(甲Dワ1・3頁,原告X15本人・調書7頁,28頁)。
原告X15は,このままここで死んでしまうのではないかとの不安に駆られたため,夕方頃,建物を出て,再び,海田市駅を目指して歩き始めた。原告X15が海田市駅に着くと,列車は動いていなかった。また,海田市駅にも多数の負傷者がいた。原告X15は,数時間ほど列車が動くのを待ったところ,列車が折り返し運転を始めたので,周囲の者に手助けしてもらって,呉駅行きの列車に乗せてもらった(甲Dワ1・3頁,原告X15本人・8頁)。
原告X15が呉駅に着くと,心配した母が駅で待っていた。しかしながら,原告X15の顔が腫れ上がっていたため,原告X15の母は,原告X15が近づいていっても自分の息子とは気付かなかった。原告X15が話しかけると,原告X15の母は,驚いた顔をした。原告X15は,母に再会した途端,一歩も歩くことができなくなり,そのまま呉駅の近くにある海軍の共済病院に運ばれて入院した(甲Dワ1・3頁)。
(ウ) 原告X15は,病院では治療らしい治療を受けることはできず,母が原告X15の右腕に湧いたウジを箸で1匹1匹取り除くような状態であった。原告X15は,およそ1週間後,自力で歩くことはできなかったが,板の担架に乗せられて退院し,内神町にある親戚の家に戻った(甲Dワ1・3頁,4頁)。
(エ) 原告X15は,終戦後は,広島県尾道市の奥の方に転居したが,その時も動けるような状態ではなく,荷馬車に乗せられて移動し,同所でも寝たきりの生活をしていた(原告X15本人・調書10頁)。
イ 被爆後の健康状況等
(ア) 原告X15は,被爆直後から血尿,血性下痢,発熱及び嘔吐が続いた。しばらくすると,顔,腕及び足に紫斑が出現し,常にだるさを感じ,疲れやすくなり,耐久力もなくなった(甲Dワ1・4頁)。発熱は,昭和20年8月末か同年9月初め頃まで,血尿や血性下痢は,同月末頃まで続いた(原告X15本人・調書12頁)。
(イ) やけどと外傷は,化膿して1箇月以上治癒せず,顔面から首の辺りの左半分には目立つケロイドが残り,右腕にもケロイドが残った。原告X15の左腕にはガラス片と思われる異物が残った(甲Dワ1・4頁)。
(ウ) 原告X15の左足の外側や背中の左側は,麻痺して感覚がなく,そのような状態は左足の外側については10年ほど,背中の左側については20年ほど続いた。右手は今でもうまく握ることができないような状態である(甲Dワ1・4頁)。
(エ) 原告X15は,42歳の頃,十二指腸潰瘍で九段坂病院に入院した(甲Dワ1・5頁)。
(オ) 原告X15は,47歳の頃,糖尿病を患い,平成7年からインスリンが導入された(甲Dワ1・5頁,乙Dワ1・84頁)。
(カ) 原告X15は,平成9年7月頃から,息苦しさを覚えるようになったことから,中野総合病院で診察を受けたところ,同病院の紹介により,心臓血管研究所付属病院に入院し,精密検査を受けた結果,狭心症と診断された(甲Dワ1・5頁,甲Dワ2・3頁)。この時の冠動脈造影検査の結果は,冠動脈の主要な3本の血管である右冠動脈,左前下行枝,左回旋枝のいずれにも狭窄が認められ,3枝病変であった。バルーン拡張術(POBA)と経皮的冠動脈再建術(PTCRA)が施行された(甲Dワ2・3頁)。
(キ) 原告X15は,平成11年,冠動脈造影検査で前下行枝と回旋枝に再狭窄が見つかったため,同年6月17日,心臓血管研究所付属病院で冠動脈バイパス手術を受けた(甲Dワ2・3頁)。
(ク) 原告X15は,平成19年,冠動脈造影検査を受け,右冠動脈にステントを挿入した。原告X15は,平成20年にも,同様にステントを挿入した(甲Dワ2・3頁)。
(ケ) 原告X15は,平成21年頃から,頻繁にめまいが起こるようになった(甲Dワ1・5頁)。
(コ) 原告X15は,平成23年,ステントを挿入した(甲Dワ2・3頁)。
(サ) 原告X15は,平成23年12月頃,40℃の高熱が続いて入院し,その後,数箇月間にわたり,入退院を繰り返した。この時の検査により脳梗塞が3箇所発見された。また,左耳の難聴や左目の視力低下も顕著であった(甲Dワ1・5頁,6頁)。
(シ) 原告X15は,平成24年2月,冠動脈造影検査でステント内再狭窄が判明し,同年3月13日,再度ステントを挿入した。以後,原告X15は,少なくとも毎月1回,検査のために心臓血管研究所付属病院に通院し,年に一,二回,心臓カテーテル検査を受けている。また,原告X15は,薬の服用も継続している(甲Dワ2・3頁)。
(ス) 原告X15は,平成25年2月,急性腎盂腎炎で入院した(甲Dワ1・6頁)。
(セ) 原告X15には,高血圧と脂質異常症がある(甲Dワ2・5頁,原告X15本人・調書28頁)
ウ C12の意見
C12は,① 1kmという近距離被爆である,② その後,被爆により受けた傷や,その後の症状も典型的な近距離被爆者のものといえる,③ 狭心症という病名により却下処分がされたものと思われるが,実際には平成11年から平成24年まで5回にわたり手術を受け,ステントを入れていることから,狭心症から心筋梗塞に進行しないように医療が救護した結果である,④ ステントを入れることは,そもそも冠動脈狭窄があるということであり,動脈硬化性の狭心症であって,放置しておくと心筋梗塞になるというケースであり,心筋梗塞と同様に放射線起因性は十分にあるとしている(証人C12・調書18頁,19頁)。
(2) 事実認定の補足説明
ア 被爆地点について
(ア) 原告X15が被爆した地点について,原告X15は爆心地から約1kmの地点である旨主張し,被告は爆心地から約1.92kmの地点にある広島駅前である旨主張する。
(イ) この点,原告X15の被爆者健康手帳は,被爆の場所が,爆心地から1kmの地点にある広島市雑魚場町であるとしている(乙Dワ1・135頁)。しかしながら,被爆者健康手帳は,後記のABCCの調査記録よりも相当期間経過した後である昭和35年に作成されたものである。広島市雑魚場町付近は,動員学徒等の約80%が死亡したとされており(乙Dワ10・33頁),甚大な被害状況であったということができるが,このような状況と原告X15の負傷状況とはやや一致しないものといわざるを得ない。
(ウ) また,原告X15は,平成22年8月11日付け異議申立書(乙Dワ1・8枚目)や陳述書(甲Dワ1・2頁)では,被爆地点が広島市雑魚場町付近であったとしており,被爆者健康手帳と合致しているものの,本人尋問では,爆心地から約900mの地点にある(乙Dワ6)中国新聞社の付近であったとしており(原告X15本人・調書18頁),変遷がみられるものである。陳述書や本人尋問において,原告X15が被爆後の経路として挙げている猿猴橋についても,実際には,欄干の上の猿の彫刻や欄干の猿の彫り物などなかったにもかかわらず(乙Dワ7,乙Dワ12の1・2枚目),そのようなものがあったとしているものであり(甲Dワ1・2頁,原告X15本人・調書5頁,21頁),実際の状況と一致していない。
(エ) 一方,ABCCの調査記録は,直爆の地点について,爆心地から約1.92kmの地点にある広島駅前としている(乙Dワ9の2・19頁,22頁)。確かに,ABCCの調査に対しては,被爆者において,ABCCが治療をしないとの不信や,何度も検査を受けなければならなくなることへの嫌悪から,少なくとも急性症状については過小に申告することがあったことが認められ(甲A296の5・3頁,4頁),ABCCの調査記録の信用性を検討するに当たっては,このような特殊性を考慮すべきであるといえるところ,本件のような直爆の地点についての記録部分に関しては,その懸念は小さいものということができる。そして,ABCCの調査記録が,原爆投下の僅か8年後である昭和28年に行われた調査に基づくものであり,しかも,原告X15に対する聴取りを情報源とし,調査員もその内容の信頼度を「公正」としていることからすれば(乙Dワ9の2・19頁,22頁),その信用性を肯定することができる。
(オ) したがって,原告X15が被爆した地点については,爆心地から約1kmの地点ではなく,爆心地から約1.92kmの地点にある広島駅付近であるものと認められる。
イ 血尿,血性下痢,発熱,嘔吐,紫斑及び倦怠感の出現の有無
(ア) 被告は,原告X15に血尿,血性下痢,発熱,嘔吐,紫斑及び倦怠感が出現した事実は認められない旨主張する。
(イ) この点,ABCCの調査記録は,昭和20年10月に二日間,血性でない下痢があったとしているにとどまるものであり,血性下痢,発熱,嘔吐及び紫斑については,むしろ症状がないとしている(乙Dワ9の2・18頁,21頁,22頁)。
しかしながら,前記のとおり,ABCCの調査については,少なくとも急性症状については過小に申告することがあったことが認められるところ,原告X15は,平成20年10月27日付け認定申請書添付の申述書では血性下痢,発熱及び倦怠感があったとし(乙Dワ1・80頁),陳述書(甲Dワ1・4頁)及び本人尋問(原告X15本人・9頁,12頁)においては,一貫して,血尿,血性下痢,発熱,嘔吐,紫斑及び倦怠感があったとしているものである。
更にいえば,血尿及び倦怠感については,ABCCの調査記録も症状を訴えていないとしているにとどまるものである(乙Dワ9の2・18頁)。
(ウ) 以上のような証拠関係の下においては,原告X15には,血尿,血性下痢,発熱,嘔吐,紫斑及び倦怠感が出現したものと認めるのが相当であり,この認定を覆すに足りる証拠はない。
(3) 原告X15の放射線被曝の程度
ア 初期放射線
原告X15は,爆心地から約1.92kmの地点で被爆しており,DS02による初期放射線の被曝線量は0.1グレイ程度のものである(乙Dワ14)。
ただし,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ 放射性降下物
原告X15は,被爆後,気を失っているが,気がつくと,辺りには砂埃や黒煙が立ちこめている。原告X15は,向洋駅付近で灰色の雨の飛沫も浴びている。この砂埃や黒煙,灰色の雨の飛沫が放射性降下物を含んでいた可能性は高いものと認められる。この点,放射性降下物は,広島においては,爆心地から約3kmの距離で西に向けて発生したとされてはいるが(乙B15・210頁,211頁),地形の影響等により上記以外の場所にも広がった可能性があることは前記第1の3(3)で検討したとおりであり,爆心地から東の(乙D全2)広島駅付近や南東方向の(弁論の全趣旨・被告準備書面(10)20頁)向洋駅付近にも飛散した可能性も十分にあるというべきである。
また,原告X15は,広島駅付近や向洋駅付近,海田市駅において,多数の被爆者や負傷者と接触している。接触した被爆者や負傷者は,放射性降下物に汚染されていたと考えられる。
ウ 誘導放射線
原告X15の上記のような被爆状況等からすると,原告X15が誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は高いものと認められる。原告X15が接触した多数の被爆者や負傷者は,誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていたと考えられる。
エ 内部被曝
原告X15の上記のような被爆状況等からすると,原告X15は,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引したり,体中の負傷部位からこれらが侵入したりした可能性がある。
オ 急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告X15は,被爆直後から,血尿,血性下痢,発熱及び嘔吐が続き,また,顔,腕及び足に紫斑が出現し,常にだるさを感じ,疲れやすくなり,耐久力もなくなっている。さらに,原告X15は,十二指腸潰瘍や脳梗塞に罹患し,後記で検討するとおり,高血圧や脂質異常症があり,糖尿病にも罹患している。
カ 小括
以上の事実を総合すれば,原告X15は健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたものと認められる。
(4) 申請疾病の放射線起因性
原告X15の申請疾病は,狭心症である。狭心症は,積極認定対象疾病に該当しないが,前記第2の3(4)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(5) 他原因の検討
ア 被告は,原告X15には,虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,高血圧,脂質異常症及び糖尿病が存在している旨主張する。
イ この点,原告X15は,平成8年12月頃から胸痛が出現している(乙Dワ3・80頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(27)281頁)。原告X15は,当時64歳であり,虚血性心疾患の危険因子として加齢を考慮する45歳を大きく超えている。
また,原告X15は,胸痛が出現する20年ほども前の47歳の頃に糖尿病に罹患しており,平成4年5月から中野診療所を受診し,平成7年からはインスリンが導入されている(乙Dワ3・80頁)。原告X15は,少なくとも平成5年7月には,糖尿病による合併症である糖尿病性網膜症に罹患している(乙Dワ3・2頁裏,原告X15本人・調書28頁)。
加えて,原告X15には,高血圧と脂質異常症もある。
ウ しかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当である。
これを原告X15についてみると,前記(3)のとおり,原告X15は,健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)のとおり,原告X15の申請疾病である狭心症は,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であり,さらに,前記第2の3(4)のとおり,狭心症については,そもそも交絡因子の影響が極めて小さいものであるところ,原告X15の上記イの事情のうち,加齢については,上記特段の事情とまでは認められず,原爆の放射線によって原告X15の狭心症の発症が促進されたものと認めるのが相当である。
また,高血圧,脂質異常症及び糖尿病については,そもそもこれらの症状が放射線被曝との関連性が認められるものであって,これらの症状があることをもって原告X15の狭心症の放射線起因性を否定することはできないというべきである。
(6) 原告X15の狭心症の放射線起因性
以上によれば,原告X15が発症した狭心症の放射線起因性を認めることができるというべきである。
(7) 申請疾病の要医療性
原告X15には,ステントの挿入が繰り返されており,原告X15は,少なくとも毎月1回,検査のために心臓血管研究所付属病院に通院し,年に一,二回,心臓カテーテル検査を受けている。また,原告X15は,薬の服用も継続している。なお,原告X15は,日常の軽い動作でも胸痛があり,毎月の定期検査の結果によっては,今後,更に手術を受ける可能性もある(甲Dワ2・5頁)。
以上によれば,申請疾病について要医療性が認められる。
(8) 総括
以上のとおり,原告X15は,処分当時,原爆症認定申請に係る狭心症について放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるから,原告X15に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべきである。
12  原告X16
(1) 認定事実
前提事実に加え,証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被爆状況等
(ア) 原告X16は,昭和8年○月○日生まれの男性であり,広島原爆の投下当時,11歳であった。原告X16は,昭和20年春,学童疎開をしたが,梅雨明けの頃から体調不良のため,爆心地から約2.5kmの地点にある広島市牛田町〈以下省略〉の自宅に母,弟及び妹と共に住んでいた(前提事実4(12)ア,甲Dヨ1・1頁,甲Dヨ2・1頁)。
(イ) 原告X16は,昭和20年8月6日,広島原爆の投下当日の朝,自宅にいた(原告X16本人・調書2頁)。原告X16の母は,原告X16の薬を処方してもらうため,早朝から爆心地の近くである八丁堀付近の医院に出掛けていた(甲Dヨ1・1頁,原告X16本人・調書2頁)。原告X16は,爆音を聞いて,弟,妹と共に庭に飛び出し,頭上を見上げたところ,北上する爆撃機の機体を見た。原告X16は,一瞬,その機体に閃光が走ったのを見るとともに,顔の右側に熱風のようなものを感じ,意識を失った(甲Dヨ1・1頁)。
その後,原告X16は意識が戻り,暗闇の中で遠くに小さな光のようなものが見えたり,自分が自宅の薄暗い裏手にいると思ったりしつつ,二度にわたり意識を失った(原告X16本人・調書3頁,4頁)。
原告X16は,意識が完全に戻り,隣組の防空壕に逃げたが,顔や手足から血を流した隣組の者らが集まってくるなどした。原告X16自身も,左足のかかとの出血がひどく,布きれでしばってもらい,表の道に出ると,自宅周辺の道には人が倒れたり,うずくまったりしていた(甲Dヨ1・2頁,原告X16本人・調書4頁)。原告X16は,自宅の中にあった非常袋を取りに庭に入ったが,自宅内は損壊しており,障子とふすまが燃え始めていたため,怖くて中に入ることができなかった(原告X16本人・調書4頁,5頁)。
原告X16は,隣組の者に連れられて,自宅から150m先にある早稲田神社の森に避難した。原告X16が神社の高台から市内を一望すると,神田川の向こう岸は,巨大な火柱が上がっていた(甲Dヨ1・2頁,原告X16本人・調書5頁)。
(ウ) 原告X16の母は,昭和20年8月6日の夕方,隣組の者に抱きかかえられて戻ってきた。原告X16の母は,衣服やもんぺが焼け焦げてぼろぼろになっていたものの,顔だけは真っ白であったが,翌日になると,状況は一変し,顔,両手,両足など,服から出ているところは全てひどいやけどとなっており,特に顔は崩れ落ちたようになり,目や鼻が区別できないような状態であった(原告X16本人・調書6頁,7頁)。原告X16の母は,同月11日,死亡した。原告X16は,この間,ずっと原告X16の母に付き添い,寝泊まりをしていた(甲Dヨ1・2頁,3頁,原告X16本人・調書7頁)。水をあげることは止められていたものの,原告X16の母が余りに水を欲しがるため,原告X16は,水差しを使って少しずつ飲ませた。原告X16も,その水を飲んだ(原告X16本人・調書7頁)。原告X16の自宅の周辺の道には黒焦げになった遺体が数多く散乱しており,何日も放置され,異臭が立ちこめていた(甲Dヨ1・3頁)。
イ 被爆後の健康状況等
(ア) 原告X16は,被爆によって,左右のすねと左足のかかとを負傷したが,かかとの傷は化膿がひどく,ウジが湧いた(甲Dヨ1・3頁)。かかとの傷は,治るまでに三,四箇月を要し(原告X16本人・調書9頁),現在でもすねの傷は残っており,左足のかかとのウジが湧いた所はケロイド状となっている(甲Dヨ1・3頁)。
(イ) 原告X16は,被爆後三,四箇月ほどしてから,全身が皮膚病のような状態となり,広島の白島にある逓信病院で治療を受けた。皮膚病のような状態となった箇所は,主に胸や背中であったが,それ以外にも体中の様々な所に湿疹のような出来物ができ,所々化膿し,風呂に入ることもできない状態であった。これらは,治るまでに3箇月ないし5箇月を要した(甲Dヨ1・3頁,原告X16本人・調書9頁)。
(ウ) 原告X16は,上京し,夜間,大学に通いながら働いていたが,昭和31年頃,当時勤務していた税務署の健康診断で嘱託医から貧血を指摘された(甲Dヨ1・3頁)。原告X16は,嘱託医から余り無理はしない方がいいとの指導を受けたため,同年4月から1年間大学を休学したが,体調は余りよくならなかった(甲Dヨ1・3頁,4頁,原告X16本人・調書10頁)。
(エ) 原告X16の弟は,昭和46年,胃潰瘍と十二指腸潰瘍により大量吐血と大量下血をし,31歳で死亡した。原告X16は,上京後,周囲の者から顔色がよくなく,どこか悪いのではないかと言われていたこともあって不安になり,被爆者検診を受けることとなった(原告X16本人・調書10頁,27頁)。なお,原告X16の妹は,平成20年,61歳で狭心症の発作を起こして倒れ,現在もニトログリセリンを携行している(甲Dヨ1・4頁)。
(オ) 原告X16は,平成16年頃から,時々胸が苦しくなることがあったが,平成19年4月20日,朝から自宅で胸が苦しい状態が続き,午後11時になっても症状が治まらず我慢することができなくなったため,救急車を呼び,土浦協同病院に搬送された。入院時の同月21日の血圧検査の結果は,収縮期血圧が158mmHg,拡張期血圧が88mmHgであり,LDLコレステロール値は162mg/dlであった。原告X16は,心筋梗塞を発症しており,直ちにカテーテルによる治療を受け,同年5月8日及び同月14日,カテーテルによる経皮的冠動脈形成術を受け,合計5箇所にステントを挿入した(甲Dヨ1・4頁,甲Dヨ2・5頁,乙Dヨ2・200頁,355頁)。
原告X16は,退院後も,2箇月に1回ほどの割合で通院し,諸検査(血液,心電図及びエコー)を受けるとともに,血栓ができるのを防ぐバイアスピリン錠など11種類の薬を継続して服用している(甲Dヨ1・4頁,5頁)。
また,原告X16は,平成20年6月2日から同月4日までの間及び平成23年2月15日から同月17日までの間,経過観察のため,心臓カテーテル検査を受けている(甲Dヨ1・5頁)。
ウ C12の意見
C12は,① 原告X16は若年被爆であるところ,爆心地から約2.5kmの地点での被爆は,初期放射線が届く距離ではあるが,それだけでは僅かな被曝である,② しかし,その中で,原告X16は,周囲が非常に薄暗かったとの記憶であり,このことは,放射性降下物ないし放射性生成物による放射性粉塵のようなものが立ちこめている状況にあったことを表現している,③ 爆心地から500mほどの地点にある八丁堀で原告X16の母が全身に大やけどを負って帰宅したところ,原告X16は,母に付き添っていたものであり,原告X16の母が,放射能によって非常に汚染されている状況であり,原告X16が付き添っていたことによって受ける被曝も評価する必要がある,④ 原告X16は,被爆後の健康状態も良好ではなく,免疫力の低下を思わせるような症状があり,大学を1年間休学したことは体調が非常に悪かったことを示している,⑤ いわゆる「原爆ぶらぶら病」といわれるような全身倦怠感に悩まされていた時期があったと思われ,原告X16の心筋梗塞の放射線起因性は否定することができないとしている(証人C12・調書16頁,17頁)。
(2) 原告X16の放射線被曝の程度
ア 初期放射線
原告X16は爆心地から約2.5kmの地点で被爆しており,DS02による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ 放射性降下物
原告X16は,広島原爆の投下後,自宅付近において,周囲が暗闇ないし薄暗い状況であったとの印象であり,同所付近が放射性降下物に汚染されていた可能性がある。この点,放射性降下物は,広島においては,爆心地から約3kmの距離で西に向けて発生したとされてはいるが(乙B15・210頁,211頁),地形の影響等により上記以外の場所にも広がった可能性があることは前記第1の3(3)で検討したとおりであり,爆心地から北東方向の(乙D全2)の原告X16の自宅付近にも飛散した可能性も十分にあるというべきである。
また,原告X16は,爆心地にほど近い所で被爆した母に付き添っている。原告X16の母は,放射性降下物に汚染されていたと考えられる。
ウ 誘導放射線
原告X16の上記のような被爆状況等からすると,原告X16は,誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性がある。原告X16の母は,誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていたと考えられる。
エ 内部被曝
原告X16の上記のような被爆状況等からすると,原告X16は,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引したり,負傷部位からこれらが侵入したりした可能性がある。
オ 急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告X16は,被爆後三,四箇月ほどしてから,主に胸や背中が皮膚病のような状態となり,それ以外にも体中の様々な所に湿疹のような出来物ができ,所々化膿し,治るまでに3箇月ないし5箇月を要している。また,原告X16は,健康診断で貧血を指摘されたり,1年間大学を休学したりしており,体調不良の状態が続いている。さらに,後記で検討するとおり,原告X16は,平成19年4月21日の時点で,収縮期血圧が158mmHg,拡張期血圧が88mmHgであり,LDLコレステロール値も162mg/dlであって,高血圧や脂質異常症もあったものである。
カ その他
原告X16は,被爆当時11歳であり,比較的若年での被爆であると認められる。
また,原告X16とほぼ同じ行動をした弟と妹について,弟は,胃潰瘍と十二指腸潰瘍により31歳で死亡しており,妹も,61歳で狭心症の発作を起こして倒れ,ニトログリセリンを携行している。
キ 小括
以上の事実を総合すれば,原告X16は健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたものと認められる。
(3) 申請疾病の放射線起因性
原告X16の申請疾病は心筋梗塞である。心筋梗塞は,積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(3)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(4) 他原因の検討
ア 被告は,原告X16には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,高血圧及び脂質異常症が存在している旨主張する。
イ この点,原告X16が心筋梗塞と診断されたのは,被爆の62年後であって,73歳の時であり,虚血性心疾患の危険因子として加齢を考慮する45歳を大きく超えていたものである。
また,原告X16の血圧は,平成16年12月16日の時点で収縮期血圧が140mmHg,拡張期血圧が76mmHg,平成17年6月14日の時点で収縮期血圧が144mmHg,拡張期血圧が80mmHg(乙Dヨ1・1071頁),原告X16が心筋梗塞を発症して救急車で土浦協同病院に搬送され,入院した平成19年4月21日の時点で収縮期血圧が158mmHg,拡張期血圧が88mmHgであり,「高血圧治療ガイドライン2009」によれば,上記の血圧値は,血圧分類では「Ⅰ度高血圧」の範疇に当たる(乙Dカ20・14頁)。
さらに,原告X16の入院時の診療録には,「降圧剤内服していたが現在自己中断」と記載されており(乙Dヨ2・200頁),その入院時に原告X16の妻が記載したとされる「ご家族の皆様へ」と題する書面には,これまでの傷病の有無や治療状況等に関する質問に対し,「2年ほど前,風邪でかかった石岡市の寿成会診療所で高血圧が分かり,血圧降下剤を飲んでいたが,3カ月ぐらい前に服用を止めている。」と記載されていることからすれば(乙Dヨ2・279頁,原告X16本人・調書13頁),原告X16は,心筋梗塞発症の2年ほど前に高血圧を指摘され,それ以降,降圧剤を処方されていたが,途中で服用を自己中断し,そのまま放置していたものと認められる。
原告X16の平成19年4月21日の入院初日の時点のLDLコレステロール値は162mg/dlである。同入院開始時には持参薬がなかったことなどからすると(乙Dヨ2・200頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(27)255頁),コレステロールに関する何らかの治療を受けていたとは考えられず,高LDLコレステロール血症(140mg/dl以上)であったことが認められ,「リスク第二層」に該当し,当時の脳心血管リスクは中等リスクであった(乙Dカ20・15頁,16頁)。もっとも,原告X16は,昭和31年から平成4年まで受診していた年2回の健康診断やその後の人間ドック等において高コレステロールの指摘を受けていないものである(原告X16本人・調書15頁,22頁,23頁,25頁)。
ウ しかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当である。
これを原告X16についてみると,前記(2)のとおり,原告X16は,健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(3)のとおり,原告X16の申請疾病である心筋梗塞は,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であり,さらに,前記第2の3(3)のとおり,心筋梗塞については,そもそも交絡因子の影響が極めて小さいものであるところ,原告X16の上記イの事情のうち,加齢については,上記特段の事情とまでは認められず,原爆の放射線によって心筋梗塞の発症が促進されたものと認めるのが相当である。
また,高血圧及び脂質異常症については,そもそもこれらの症状が放射線被曝との関連性が認められるものであって,これらの症状があることをもって原告X16の心筋梗塞の放射線起因性を否定することはできないというべきである。なお,原告X16には,喫煙歴はあるものの,その程度については,23歳の頃にたばこを10本ほど吸った程度であり,既往症といえるような喫煙歴ではないから(甲Dヨ1・5頁,原告X16本人・調書12頁,21頁,22頁),心筋梗塞の放射線起因性を否定する事情とはいえない。
(5) 原告X16の心筋梗塞の放射線起因性
以上の事実を総合すれば,原告X16が発症した心筋梗塞の放射線起因性を認めることができるというべきである。
(6) 申請疾病の要医療性
原告X16は,退院後も,2箇月に1回ほどの割合で通院し,諸検査(血液,心電図及びエコー)を受けるとともに,血栓ができるのを防ぐバイアスピリン錠など11種類の薬を継続して服用している。また,原告X16は,平成20年6月2日から同月4日までの間及び平成23年2月15日から同月17日までの間,経過観察のため,心臓カテーテル検査を受けている。
以上によれば,申請疾病について要医療性が認められる。
(7) 総括
以上のとおり,原告X16は,処分当時,原爆症認定申請に係る心筋梗塞について放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるから,原告X16に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべきである。
13  原告X17
(1) 認定事実
前提事実に加え,証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被爆状況等
(ア) 原告X17は,昭和10年○月○日生まれの男性であり,長崎原爆の投下当時,10歳であった。原告X17は,被爆前,健康状況に特段の問題はなかった。原告X17は,西浦上国民学校に在籍していた(前提事実4(13)ア,甲Dタ1・1頁)。
(イ) 原告X17は,昭和20年8月9日,長崎原爆の投下直前,爆心地から約3.2kmの地点にある長崎市川平町の自宅前の小川で水浴びをしていたところ(甲Dタ1・1頁,乙Dタ1・137頁,147頁,乙D全1),辺りが真っ暗になり,周りの草木が全てなくなり,荷物や着替えも全てなくなった(甲Dタ1・1頁,原告X17本人・調書5頁)。
原告X17は,海水パンツだけを着用したままの状態で自宅に戻った(甲Dタ1・2頁,原告X17本人・調書5頁,10頁)。空は真っ暗であり,周辺の家屋は燃えていた(原告X17本人・調書5頁)。原告X17は,自宅に向かう途中,空から降ってくる灰のようなものを全身に浴びた(甲Dタ1・2頁)。原告X17は,帰宅すると,家族から体を洗ってくるようにと言われて自宅前の小川に戻り,体を洗い流した(原告X17本人・調書6頁,14頁,15頁)。
(ウ) 原告X17の父は,長崎原爆の投下翌日から連日,親戚や原告X17の父の知り合いの安否確認のために爆心地から約0.7kmの地点にある長崎市坂本町と長崎市川平町を往復し,その際に爆心地付近である長崎市松山町及び長崎市浜口町を通過し,何人もの遺体を運び,運んだ遺体を焼く作業を行うなどした(甲Dタ1・2頁,乙D全1,原告X17本人・調書26頁,27頁)。
(エ) 原告X17は,長崎市川平町の自宅では,自宅近くの小川の水を飲み,近所からもらった野菜やたぬきを食べた(原告X17本人・調書9頁)。
イ 被爆後の健康状況等
(ア) 原告X17は,平成13年,虎の門病院で両下肢静脈瘤の手術を受けたが,その際,糖尿病と高血圧を指摘された(甲Dタ1・2頁)。
(イ) 原告X17は,平成17年,脂質異常症と診断され,現在まで治療している(甲Dタ1・2頁)。
(ウ) 原告X17は,平成17年1月25日から同年2月2日までの間,脳梗塞を発症したことにより東京慈恵会医科大学付属病院に入院して治療を受け,その後も,同月7日から同月16日までの間及び平成18年1月19日から同年2月4日までの間の2回にわたり同病院に入院して脳梗塞の治療を受けたが,平成21年11月12日,脳内出血により,同病院に入院した。原告X17は,約1箇月後に浮間中央病院に転院して治療を受け,平成22年1月15日,退院した(甲Dタ1・2頁,3頁)。
(エ) 原告X17は,脳梗塞について,現在も内服治療を継続中である(甲Dタ2・4頁,原告X17本人・調書9頁)。
ウ C12の意見
C12は,証人尋問において,① 原告X17は,10歳での若年被爆である上,爆心地から約1.5kmという近距離で被爆をしており,直接受けた初期放射線量も相当のものであると思われる,② その後の行動も,爆心地付近を通って知人の多い長崎市坂本町を繰り返し往復したということであり,その間に受ける残留放射線の被曝も相当あったと思われる,③ 脳内出血や糖尿病,高血圧,高脂血症があったことを含めても放射線起因性を否定することはできないとしている(証人C12・調書23頁,24頁)。
(2) 事実認定の補足説明
ア 原告X17の被爆地点について
(ア) 原告X17が被爆した地点について,原告X17は爆心地から約1.5kmの地点にある長崎市家野町の小川の中である旨主張し,被告は爆心地から約3.2kmの地点にある長崎市川平町の自宅前の小川の中である旨主張する。
(イ) この点,原告X17は,平成22年4月23日付け異議申立書(乙Dタ1・7枚目),陳述書(甲Dタ1・1頁)及び本人尋問(原告X17本人・調書2頁,5頁,13頁)において,近所の知り合い四,五人と一緒に爆心地から約1.5kmの地点にある長崎市家野町の小川で水遊びをしている最中に被爆したとしている。
(ウ) しかしながら,原爆が爆発した際の熱線は非常に強く,長崎原爆の威力は,爆心地から3kmの地点においても黒い紙が自然発火して燃えるほどの威力であるところ(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)10頁),原告X17はやけどすら負わなかったものである(乙Dタ1・137頁)。
しかも,原告X17は,本人尋問において,当時,一緒に泳ぎに来ていた知り合い四,五人が被爆直後にどのような状態であったか覚えていない旨供述しており(原告X17本人・調書13頁),その供述は曖昧である。
(エ) かえって,昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書の証明書(申述書)部分は,長崎原爆投下の12年後に作成されたものであるところ,「投下された當時の住所」の欄には「長崎市川平町」と,当時の原告X17の自宅が記載され,そのすぐ横の「投下された時 居た所」の欄には「家の外」と記載されている(乙Dタ1・147頁)。同証明書(申述書)部分には,上記被爆状況についての記載内容の真実性を担保するため,「昭和二十年八月九日長崎市に原子爆弾が投下された当時は次の通りであったことを証明(申述)します。」として,原告X17の父が「証明人」として,署名押印をしている(乙Dタ1・147頁,原告X17本人・調書6頁)。また,同申請書には,原告X17本人の作成名義により,「私は申述書のとおり原子爆弾被爆者であり申述書に記載してあることは事実であることを誓約します。」と記載され,署名捺印がされた誓約書が添付されている(乙Dタ1・148頁)。
原告X17の本人尋問における供述によっても,長崎市川平町の原告X17の自宅前には川があり(原告X17本人・調書3頁,9頁,11頁),風呂代わりに同所で毎日水浴びをしていたことが認められる(原告X17本人・調書12頁)。
また,平成18年5月8日付け認定申請書添付の申述書には,「原爆が投下されたときにいた町名(わかれば番地も)」の欄に「長崎市川平町」として自宅所在地が記載され,そのすぐ下の「屋外の場合/目標になる建物など」「屋内の場合/建物の名称,木造や鉄筋などを具体的に」の欄に「上記の前には小川があり水浴の最中でした」として,自宅前の小川で水浴していた際に直爆があった旨が記載されている(乙Dタ1・137頁)。この申述書は,原告X17本人が記載したものである(原告X17本人・調書12頁)。
(オ) 以上の事実関係及び証拠関係の下では,原告X17が被爆した地点については,爆心地から約1.5kmの地点にある長崎市家野町の小川の中ではなく,爆心地から約3.2kmの地点にある長崎市川平町の自宅前の小川の中であるものと認めるのが相当である。
イ 入市の有無について
(ア) 原告X17は,長崎原爆の投下翌日から連日,爆心地付近を通過する経路で長崎市坂本町へ行った旨主張する。
(イ) この点,原告X17は,陳述書や本人尋問において,入市の経緯について以下のとおりであるとしている(甲Dタ1・2頁,原告X17本人・調書7頁ないし9頁,16頁,26頁ないし28頁)。
a 原告X17の家族は,長崎市川平町に移り住む前は長崎市坂本町に住んでおり,同町には親戚や原告X17の父の知り合いが多くおり,また,原告X17の父は,地域の役員にもなっていた。そのため,原告X17は,原告X17の父に連れられて,長崎原爆の投下翌日から連日,親戚や原告X17の父の知り合いの安否確認や後片付けをするために長崎市坂本町と長崎市川平町を往復し,その際に爆心地付近である長崎市松山町及び長崎市浜口町を通過した。
b 自宅から長崎市坂本町までの道は,がれきにより歩くのが危ない状況であり,火災の現場のようになっており,焦げたにおいや表現し難いほどのにおいがしていた。溝には子供の死体があり,また,大橋付近の川は数多くの死体があった。以前住んでいた所は何もなくなっており,がれきが散乱している状態になっていた。
(ウ) しかしながら,昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書の証明書(申述書)部分の「爆心地から二k以内の地域に投下後二週間以内にはいりこんだ時と場所とその理由」の欄は,いずれも空欄となっている(乙Dタ1・147頁)。
また,原告X17は,入市期間について,平成18年5月8日付け認定申請書添付の申述書(乙Dタ1・137頁),平成22年4月23日付け異議申立書(乙Dタ1・8枚目)及び陳述書(甲Dタ1・2頁)では,長崎原爆の投下翌日である昭和20年8月10日から同月13日頃までであるとしていたのに,本人尋問においては,長崎原爆の投下翌日から連続して10日くらいだと思うなどとして,内容を変遷させているものであり(原告X17本人・調書7頁),変遷に合理的な理由も見当たらない。
(エ) 以上の証拠関係の下では,原告X17が長崎原爆の投下翌日から連日,爆心地付近を通過する経路で長崎市坂本町へ行ったとは認められず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(3) 原告X17の放射線被曝の程度
ア 初期放射線
原告X17は,爆心地から約3.2kmの地点で被爆しており,DS02による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ 放射性降下物
原告X17が長崎原爆の投下翌日から連日,爆心地付近を通過する経路で長崎市坂本町へ行った事実は認められないが,長崎原爆の投下後,原告X17の周囲は暗くなり,原告X17は,しばらくしてから,自宅付近において,灰のような物を浴びているところ,この灰のような物が放射性降下物である可能性は高いものと認められる。この点,放射性降下物は,長崎においては,一般に,土壌のプルトニウム調査の結果から,爆心地の真東から北に15度,南に10度の扇形の方向に広がったと考えられてはいるが(乙Dタ4・37頁,乙Dタ5・4頁,5頁),地形の影響等により上記以外の場所にも広がった可能性があることは前記第1の3(3)で検討したとおりであり,爆心地から北東方向の(乙D全3)原告X17の自宅付近にも飛散した可能性も十分にあるというべきである。
また,同居していた原告X17の父は,長崎原爆の投下翌日から連日,親戚や原告X17の父の知り合いの安否確認のために長崎市坂本町と長崎市川平町を往復し,その際に爆心地付近である長崎市松山町及び長崎市浜口町を通過し,何人もの遺体を運び,運んだ遺体を焼く作業を行っており,原告X17の父は放射性降下物に汚染されていたと考えられる。
ウ 誘導放射線
原告X17の上記のような被爆状況等からすると,原告X17は,誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性がある。原告X17の父は,誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されていたと考えられる。
エ 内部被曝
原告X17の上記のような被爆状況等からすると,原告X17は,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性がある。原告X17は,自宅近くの小川の水,近所からもらった野菜などを飲食しているのであって,これらも放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵に汚染されていた可能性がある。
オ 急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告X17は,脳内出血に罹患しており,また,後記で検討するとおり,原告X17は,高血圧や脂質異常症があり,糖尿病にも罹患している。
カ その他
原告X17は,被爆当時10歳であり,若年での被爆であると認められる。
キ 小括
以上の事実を総合すれば,原告X17は健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたものと認められる。
(4) 申請疾病の放射線起因性
原告X17の申請疾病は脳梗塞である。脳梗塞は積極認定対象疾病に該当しないが,前記第2の3(5)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(5) 他原因の検討
ア 被告は,原告X17には脳梗塞の重大な危険因子である加齢,高血圧,脂質異常症,糖尿病及び肥満が存在している旨主張する。
イ この点,原告X17は,平成17年1月26日のMRI検査で多発性脳梗塞との所見であり,アテローム血栓性脳梗塞と診断されている(乙Dタ6・165頁裏)。原告X17がこのように診断されたのは被爆の五十九,六十年後であって,69歳の時であり,加齢による動脈硬化の進展がうかがわれる。
また,原告X17は,平成13年の時点で高血圧及び糖尿病を有していたことが認められ,脂質異常症も,平成17年に有していたことが認められるだけでなく,その10年前から有していたことがうかがわれる(乙Dタ6・174頁)。
さらに,原告X17は,上記入院当時,身長は168cm,体重は78kg,BMIは27.64であり,肥満であった(乙Dタ6・165頁)。
ウ しかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当である。
これを原告X17についてみると,前記(3)のとおり,原告X17は,健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)のとおり,原告X17の申請疾病である脳梗塞は,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であり,さらに,前記第2の3(5)のとおり,脳梗塞については,そもそも交絡因子の影響が極めて小さいものであるところ,原告X17の上記イの事情のうち,加齢及び肥満については,上記特段の事情とまでは認められず,むしろ,これらの事情の下で,原爆の放射線によって脳梗塞の発症が促進されたものと認めるのが相当である。
また,高血圧,脂質異常症及び糖尿病については,そもそもこれらの症状が放射線被曝との関連性が認められるものであって,これらの症状があることをもって原告X17の脳梗塞の放射線起因性を否定することはできないというべきである。
(6) 原告X17の脳梗塞の放射線起因性
以上によれば,原告X17が発症した脳梗塞の放射線起因性を認めることができるというべきである。
(7) 申請疾病の要医療性
原告X17は,脳梗塞について,現在も内服治療を継続中であり,申請疾病について要医療性が認められる。
(8) 総括
以上のとおり,原告X17は,処分当時,原爆症認定申請に係る脳梗塞について放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるから,原告X17に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべきである。
14  原告X18
(1) 認定事実
前提事実に加え,証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被爆状況等
(ア) 原告X18は,昭和16年○月○日生まれの女性であり,長崎原爆の投下当時,3歳であった。原告X18は,被爆前,健康状況に特段の問題はなかった(前提事実4(14)ア,甲Dソ1・1頁)。
(イ) 原告X18は,昭和20年8月9日,長崎駅の東側の爆心地から約2.3kmの地点にある長崎市大黒町〈以下省略〉の原告X18の自宅の2階で被爆した。原告X18は,長崎原爆の投下直前,同所で母,弟と共に昼寝をしていた(甲Dソ1・1頁,原告X18本人・調書2頁)。
原告X18の自宅は倒壊し,土壁が覆い被さったが,原告X18の母が支えになり,原告X18や原告X18の弟が押しつぶされないようにしてくれた。原告X18は,この時,肩にかすり傷を負った(甲Dソ1・1頁)。
原告X18は,約20分後,近所の者に助け出され,自宅近くの放送局の下に掘られていた防空壕に避難し,その日は,その場所で一泊した(甲Dソ1・1頁,乙Dソ17・1枚目)。
(ウ) 原告X18は,長崎原爆の投下翌日,金比羅山に登った。原告X18は,そこで一泊した後,昭和20年8月11日,焼け跡に戻って,一泊し,更に,同月12日早朝,長崎県南高来郡愛野町に向かい,同町において,しばらく生活した(乙Dソ17・1枚目,2枚目,原告X18本人・調書3頁)。
(エ) その後,原告X18,原告X18の母及び弟は,祖父母(母方)と共に,長崎市大黒町に戻り,自宅跡近くの高台の憲兵隊の敷地に高さ2mほどの石垣があったことから,祖父がこれを利用してバラック小屋を作り,原告X18は,このバラック小屋で小学校6年生の頃まで生活した(甲Dソ1・2頁)。
イ 被爆後の健康状況等
(ア) 原告X18は,昭和20年9月下旬頃,軽度の無血液性下痢が1週間くらい出現した。(乙Dソ17・5枚目)
(イ) 原告X18は,四,五歳の頃,時々風邪をひどくこじらせるなどした(原告X18本人・調書17頁)。原告X18は,母や祖母から,虚弱体質になったと言われた(甲Dソ1・2頁)。
(ウ) 原告X18の体調は,小学生になっても改善せず,貧血気味で授業にも集中することができず,小学校3年生の頃まではよく早退していた(甲Dソ1・2頁,3頁)。原告X18は,運動場で行われる朝礼の間,立っていることができずにうずくまることもあり,体育の授業に参加することもできなかった(原告X18本人・調書5頁)。
(エ) 原告X18は,昭和50年,胆のう炎に罹患した(甲Dソ3・2頁)。
(オ) 原告X18は,平成12年頃から,高血圧の治療を継続して受けている(甲Dソ3・2頁)。
(カ) 原告X18は,平成20年7月,城北診療所において,検査の結果,甲状腺に異常が見つかり,治療を受け始めた。原告X18は,同月7日,採血を受け,その結果,甲状腺機能亢進があることが判明し,投薬治療を受けた結果,甲状腺ホルモンは低下した。その後,城北診療所が閉鎖されたことから,原告X18は,平成21年1月7日,竹内医院で診察を受け,城北診療所から渡されて持参した検査データとメモにより甲状腺機能低下と診断され,甲状腺機能低下に対する薬剤が処方された。その後,甲状腺ホルモンの値は,機能亢進と機能低下を繰り返してコントロールが困難となり,平成22年8月,甲状腺疾患専門の伊藤病院を紹介され,同病院において,甲状腺機能亢進症であるバセドウ病との診断を受け,同病院において,治療を継続して受けている(甲Dソ3・2頁,3頁)。
(キ) 原告X18の弟は,被爆直後,高熱が出て目が飛び出し,約1箇月後に死亡した(甲Dソ1・2頁)。
ウ C12の意見
C12は,① 原告X18は,3歳での若年被爆である,② 爆心地から約2.3kmの地点にいたことも,初期放射線を一定程度受ける距離にいたということができる,③ その後,原告X18は,黒い雨の地域にも入っており,残留放射線の影響も受けていることから,相当の被曝を受けているとしている(証人C12・調書36頁,37頁)。
(2) 事実認定の補足説明
ア 金比羅山で生活した事実及び金比羅山に登る途中で黒い雨に打たれた事実の有無について
(ア) 原告X18は,灰や塵が舞う中を爆心地に近い金比羅山に登り,その途中で直接黒い雨に肌を打たれた,また,金比羅山で約1箇月生活した旨主張する。
(イ) 原告X18は,陳述書や本人尋問において,金比羅山で生活した経緯について以下のとおりであるとしている(甲Dソ1・1頁,2頁,原告X18本人・調書2頁ないし4頁,6頁ないし12頁)。
a 原告X18は,被爆の約1時間後に通りがかりの者によって救出された。原告X18は,原告X18の弟を抱えていた母から,「あなた一人だけでも逃げなさい。町内会の防空壕に行きなさい。」と言われ,一人で原告X18の自宅近くの放送局の下にあった防空壕まで行き,そこで,祖父母(母方)と再会した。祖父は,町内会長をしていたが,原告X18と祖母に対して,煙が来るようであり,また,防空壕には人が数多くいて入ることができないため移動した方がよいと言い,原告X18は,祖母に連れられて,金比羅高射砲隊の兵舎のあった金比羅山に避難した。一方,祖父は,防空壕に残った。
b 原告X18は,金比羅山に登る途中,コールタールのような黒い粘り気のある雨に遭った。原告X18は,当時,袖のない薄手の服を着ており,雨が直接顔や手に当たり,いくらぬぐってもとれず,皮膚に残っているような様子であった。原告X18が祖母にこれが雨なのかどうか聞くと,祖母は,これは雨ではないと答えた。
c 原告X18と祖母が金比羅山に着いてから1時間ほどすると,原告X18の母と弟が追いつき,また祖父も追いついた。
d 祖父の知り合いが兵舎にいたことから,原告X18は,原告X18の母,弟及び祖父母(母方)と共に,約1箇月間,避難生活を送った。なお,兵舎は,爆心地から約1.5kmの地点にあった。
(ウ) しかしながら,原爆投下から1時間程度しか経っていない時期に自宅が倒壊しているような中で,原告X18の母が僅か3歳の原告X18に対し,一人で防空壕に行かせるのは,明らかに不自然かつ不合理である。
むしろ,ABCCの調査記録には,前記認定事実の内容が記載されているところ(乙Dソ17・1枚目),同記録の内容は,極めて具体的で自然なものというべきである。
(エ) また,金比羅山に登る途中で黒い雨に打たれたとの点について,上記ABCCの調査記録では,雨に降られたかとの質問に対して,降られていない旨記載されている上(乙Dソ17・1枚目),原告X18が陳述書や本人尋問で記載ないし供述している原告X18と原告X18の祖母の会話も,抽象的なものである。加えて,原告X18は,平成22年5月26日付け認定申請書添付の申述書においては,陳述書や本人尋問とは異なり,被爆後,救出された後1時間ほど自宅の辺りにいたときに黒い雨に打たれたとしているものである(乙Dソ1・608頁)。
(オ) 以上の証拠関係の下では,原告X18が金比羅山で約1箇月間生活した事実や金比羅山に登る途中に黒い雨に打たれた事実は認められない。
イ 下痢及び発熱などの急性症状の有無について
(ア) 原告X18は,下痢や発熱といった急性症状があった旨主張する。
(イ) 確かに,昭和32年6月付け被爆者健康手帳交付申請書添付の原爆被爆者調書票には,下痢については昭和20年8月11日頃から同月20日頃まで続いた旨の記載がある(甲Dソ5・619頁)。
(ウ) しかしながら,上記調書票は,微熱についてはこれがあったとはしているものの,その期間が明記されていない(甲Dソ5・619頁)。さらに,ABCCの調査記録においては,原告X18は昭和20年9月下旬に軽度の無血液性下痢が1週間くらい出現した旨記載されている反面,熱についてはなしと記載されている(乙Dソ17・5枚目)。
ABCCの調査記録の信用性については,原爆被爆者調書票の二,三年ほど前の昭和29年3月26日及び昭和30年9月27日の原告X18の母からの聴取結果を記載したものであるところ,原告X18の母の調査態度が協力的であるとされていることからすれば,前記で検討したABCCの調査記録の問題点を勘案したとしても,その信用性を肯定することができるというべきである。
(エ) 以上の証拠関係の下では,原告X18に発熱があったとは認められず,また,下痢については,昭和20年9月下旬に軽度の無血液性下痢が1週間くらい出現したにとどまるものと認められる。
(3) 原告X18の放射線被曝の程度
ア 初期放射線
原告X18は爆心地から約2.3kmの地点で被爆しており,DS02による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ 放射性降下物
原告X18が金比羅山で約1箇月間生活した事実や金比羅山に登る途中に黒い雨に打たれた事実は認められない。しかしながら,原告X18の被爆地点は,爆心地から約2.3kmの地点にある自宅であり,原告X18は,被爆後,自宅近くの防空壕に一泊した後,金比羅山に登って一泊し,更に焼け跡に戻って一泊している。これらの場所付近が放射性降下物に汚染されていた可能性は高いものと認められる。この点,放射性降下物は,長崎においては,一般に,土壌のプルトニウム調査の結果から,爆心地の真東から北に15度,南に10度の扇形の方向に広がったと考えられており(乙Dタ4・37頁,乙Dタ5・4頁,5頁),爆心地から東方向の(乙D全3)金比羅山にも飛散したものと認められる。また,地形の影響等により上記以外の場所にも広がった可能性があることは前記第1の3(3)で検討したとおりであり,爆心地から南南東方向の(乙D全3)原告X18の自宅付近にも飛散した可能性も十分にあるというべきである。
ウ 誘導放射線
原告X18の上記のような被爆状況等からすると,原告X18は,誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性がある。
エ 内部被曝
原告X18の上記のような被爆状況等からすると,原告X18は,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引したり,負傷部位からこれらが侵入したりした可能性がある。
オ 急性症状等
原告X18に発熱の事実は認められない。しかしながら,放射線被曝を裏付けるものとして,原告X18は,被爆から間もない頃,軽度の無血液性下痢があったことが認められる。また,原告X18は,幼い頃,時々風邪をひどくこじらせるなどし,貧血もあり,学校の授業にも十分に参加することはできなかったものである。さらに,原告X18は,平成12年頃から,高血圧の治療を継続して受けている。
カ その他
原告X18は,被爆当時3歳であり,若年での被爆であると認められる。
また,被爆した時に一緒にいた原告X18の弟は,被爆直後,高熱が出て目が飛び出し,約1箇月後に死亡している。
キ 小括
以上の事実を総合すれば,原告X18は健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたものと認められる。
(4) 申請疾病の放射線起因性
原告X18の申請疾病は甲状腺機能低下であるが,上記の認定事実のとおり同疾病は甲状腺機能亢進症(バセドウ病)に由来していることから,放射線起因性の有無の判断の対象となる疾患は,甲状腺機能亢進症(バセドウ病)である。甲状腺機能亢進症(バセドウ病)は積極認定対象疾病に該当しないが,前記第2の3(6)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(5) 原告X18の甲状腺機能亢進症(バセドウ病)の放射線起因性
以上によれば,原告X18が発症した甲状腺機能亢進症(バセドウ病)の放射線起因性を認めることができるというべきである。
(6) 申請疾病の要医療性
原告X18は,甲状腺機能亢進に対する投薬治療を受けた結果,甲状腺ホルモンが低下し,平成21年1月7日には甲状腺機能低下と診断されている。そして,原告X18は,甲状腺機能低下に対する薬剤を処方され,甲状腺ホルモンの値は,機能亢進と機能低下を繰り返してコントロールが困難となり,平成22年8月,甲状腺機能亢進症であるバセドウ病と診断されて,治療を継続して受けている。甲状腺機能低下の状態にあったのは,甲状腺機能亢進症の治療による投薬の影響からであったということができる。
したがって,申請疾病について要医療性が認められる。
(7) 総括
以上のとおり,原告X18は,処分当時,原爆症認定申請に係る甲状腺機能亢進症(バセドウ病)について放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるから,原告X18に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべきである。
15  原告X19
(1) 認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被爆状況等
(ア) 原告X19は,昭和3年○月○日生まれの女性であり,広島原爆の投下当時,16歳であった。原告X19は,被爆前,健康状況に特段の問題はなかった。自宅は元々広島市雑魚場町にあったが,原告X19は,建物疎開のため広島市左官町の借家に転居していた。原告X19は,毎日自宅から市電に乗り,己斐駅まで行き,己斐駅から国鉄で爆心地から約7kmの地点にある広島県安佐郡川内村(以下「川内村」という。)の公会堂まで通い,挺身隊員として飛行服の製作に関わっており,広島原爆の投下当日も同様であった(前提事実4(15)ア,甲Dネ1・1頁,乙Dネ1・1067頁,乙Dネ2)。
(イ) 昭和20年8月6日,原告X19が公会堂内の朝礼で話を聞いている時に広島原爆の投下があった(甲Dネ1・1頁)。
大きな音と爆風があり,窓ガラスが割れたため,原告X19は,腕に軽い怪我を負った(甲Dネ1・1頁)。原告X19が外に出ると,真っ白な入道雲のようなものが湿布薬を剥ぐように爆風で次々とめくれている様子が見えた(原告X19本人・調書1頁,2頁)。
その後,原告X19は,竹藪に避難したが,途中で転んで足を痛めた(甲Dネ1・1頁)。
原告X19は,広島原爆の投下当日は,徹夜で,公会堂内において広島から逃げてきた者らの看病をした。原告X19は,やけどを負ってただれきった者の体に触って運ぶのを手伝ったり,重症の母に代わって,その乳飲み子を抱いてなだめたりした(甲Dネ1・1頁)。
(ウ) 原告X19は,広島原爆の投下翌日も川内村にとどまり,公会堂に運ばれた怪我人の看病を続けていた(甲Dネ1・1頁)。
(エ) 広島県安佐郡可部町(以下「可部町」という。)に住んでいるおじが昭和20年8月8日に原告X19を訪ねたことをきっかけとして,原告X19は,広島に戻って家族を探しに行くことになった(甲Dネ1・1頁)。原告X19は,己斐駅か横川駅まで行き,そこから市電の線路に沿って爆心地から500m以内の地点にある広島市左官町の自宅まで歩き,同所付近で,行方不明の父母と姉の捜索をした(甲Dネ1・1頁,原告X19本人・調書3頁)。
自宅の場所は,焼け野原となっていたため,すぐには分からず,原告X19は,まず,焼けただれたまま道路に寝転がっている者のむしろを1枚1枚剥いだり,銀行の壁に書かれた消息を見たりした。相生橋の下は,死体で埋まっており,川の水が見えないほどであった(原告X19本人・調書4頁)。釣り上げたマグロを引っ掛けるように,かぎ爪で死体を陸に上げている兵士もいた。死体があちらこちらに山のように積んであり,焼くと魚のようなにおいが立ちこめた(甲Dネ1・1頁,原告X19本人・調書4頁)。
原告X19は,その日には家族を見つけることはできなかった(甲Dネ1・1頁)。
(オ) 原告X19は,昭和20年8月9日以降も毎日,可部町のおじの家に宿泊しつつ,日中は捜索のため広島市内に出掛けた(甲Dネ1・1頁)。原告X19は,このように何日か出掛けるうち,自宅の倉の白い壁と戸のレールの近くに父の遺骨を発見した(甲Dネ1・1頁,2頁)。さらに,原告X19は,病気で寝ていた母の頭蓋骨と思われるものを枕と水差しの間に発見した。原告X19は,台所跡に割れたすり鉢と4番目の姉のものと思われる大腿骨を発見した(甲Dネ1・2頁,原告X19本人・調書5頁)。原告X19は,おじと共に,遺骨を拾って入れ物に入れた(原告X19本人・調書5頁)。遺骨を探す作業は,自宅付近のがれきをひっくり返したり,地面を掘ったり,灰を両手で払いのけたりしながらのものであり,毎日,土埃を浴びながらの作業であった(甲Dネ1・2頁,原告X19本人・調書6頁)。
(カ) 原告X19は,昭和20年8月14日頃以降は,広島の蟹屋(広島駅付近)に嫁いでいた2番目の姉の捜索を行った。原告X19は,道ばたに並べられた死体に掛けてあるむしろをめくったり,壁に書かれた消息を見たりした(甲Dネ1・2頁,原告X19本人・調書5頁)。
そうしているうちに,原告X19は,崩れていた2番目の姉の自宅をようやく見つけることができた。2番目の姉の自宅には同姉の親戚がおり,同姉は,背中に大やけどを負い,海田市駅付近の寺院に収容されているとのことであった(甲Dネ1・2頁)。
原告X19は,直ちに同寺院に行ったが,姉は寝たきりの状態であり,膿が背中からあふれていた(甲Dネ1・2頁,原告X19本人・調書6頁)。原告X19は,同寺院にしばらく泊まり込み,化膿した部分を油で洗い,きゅうりを置いてガーゼを被せ,それを剥ぐなどの看病をした(甲Dネ1・2頁,原告X19本人・調書6頁)。腕から出てきたウジを数えながら取ったが,その数は50匹以上にもなった(甲Dネ1・2頁)。原告X19は,同寺院で姉の看病をしながら玉音放送を聞いた(原告X19本人・調書7頁)。
その後,2番目の姉は回復したが,ケロイドが残り,20年ほど前に肺がんで死亡した(甲Dネ1・2頁)。
イ 被爆後の健康状況等
(ア) 原告X19は,広島市左官町で家族の捜索をしている時,下痢や紫斑,吐き気などを発症した(甲Dネ1・2頁,原告X19本人・調書17頁)。下痢は水気の多いものであり(原告X19本人・調書8頁),捜索を終えてからは,1日に五,六回の割合であった(原告X19本人・調書7頁,14頁)。下痢の症状は,二,三年は続いた(原告X19本人・調書13頁)。紫斑は,それほど目立つものではなかったが,まだらな斑点が両手や両足一杯に生じた。吐き気は食事をしようとすると生じ,食欲が出なかった(原告X19本人・調書8頁)。吐き気のみならず嘔吐をすることもあった(原告X19本人・調書17頁)。
(イ) 原告X19は,終戦後頃から,倦怠感,歯茎出血,生理不順などを発症した(甲Dネ1・2頁)。生理不順は,月経が不定期であるといった症状であり,異常な状態は他の症状に比べて長く続いた(原告X19本人・調書16頁)。
(ウ) 原告X19は,一旦,神奈川の鎌倉に引っ越したものの,1年後に広島に戻り,蟹屋に下宿しながら,放送局に六,七年勤務した。原告X19は,入市した友人の中に髪が抜けてすぐ死亡した者もいるとの話を聞いた(甲Dネ1・2頁)。放送局の何人かの同僚も,被爆した後,死亡した(原告X19本人・調書8頁)。
(エ) 原告X19は,被爆者である夫と婚姻して退職し,広島県廿日市市に移り住んだ。原告X19は,仕事に復帰することなく,子ができてしばらくしてからは東京に移り住んだ(甲Dネ1・2頁)。家事と体の弱い長男を含めた二人の息子の子育ての毎日であったことから,不安を感じている暇はなかったが,体調は常時不良であり,貧血気味であった(甲Dネ1・2頁,原告X19本人・調書9頁)。20歳頃からは,歯が次々と抜けるようになった(甲Dネ1・3頁,原告X19本人・調書16頁)。何もする気が起こらなくなる強い倦怠感も治らず,現在でも疲れやすい症状が続いている(甲Dネ1・3頁)。
(オ) 原告X19は,平成8年頃,関節リウマチになり,その後,骨そしょう症にもなった。また,原告X19は,同年頃,歯科治療のための血液検査を受けたところ,C型慢性肝炎に罹患していることが判明した(甲Dネ1・3頁)。
原告X19は,高血圧,脂質異常症,胃悪性リンパ腫などにも罹患しており,さらに,平成21年7月には肺がんに罹患した(甲Dネ1・3頁)。
これらの疾患は,全て現在も治療中であり,肺がんについては,原爆症認定がされている(甲Dネ1・3頁)。
(カ) 原告X19は,平成23年,心臓の弁を人工弁に変える手術を受けた。原告X19は,平成25年,座骨神経痛と診断された(原告X19本人・調書11頁)。
ウ C12の意見
C12は,① 原告X19が,被爆後,行方不明の両親や姉の捜索のために爆心地付近に行っている,② 原告X19の自宅の焼け跡のがれきをひっくり返すなどして,遺骨を拾う作業をしており,そのような中で残留放射線の含まれた粉塵を吸い込んでいると思われ,また,当時,誘導放射線もあり,そのような中で被曝をしている,③ 被爆者である姉に付き添って看病をしているところ,直接,放射線で汚染された姉からの被曝を受けたと思われる,④ 被爆後の下痢,紫斑,吐き気及び倦怠感は被爆者の急性症状と考えてよく,その後の長く続いた倦怠感や貧血は被爆者の後遺症と理解することができるとしている(証人C12・調書37頁,38頁)。
(2) 原告X19の放射線被曝の程度
ア 初期放射線
原告X19は爆心地から約7kmの地点で被爆しており,DS02による初期放射線の被曝線量は極めて僅少であると認めることができる。
イ 放射性降下物
原告X19は,広島原爆の投下当日及び投下翌日,救護のため多くの負傷者と接触している。原告X19は,昭和20年8月8日に入市し,爆心地付近を訪れ,負傷者や死体と接触し,さらに,その後,五,六日間,爆心地から500m以内の地点にある自宅に通い続け,土埃を浴びながら家族の捜索を行っている。また,原告X19は,2番目の姉の捜索をし,重傷者である同姉の看病もしている。
原告X19が爆心地付近に入市した時期は,広島原爆の投下から間もない頃であり,爆心地付近は放射性降下物に相当程度汚染されていたものということができる。接触した負傷者や死体も放射性降下物に汚染されていたと考えられる。2番目の姉が放射性降下物に汚染されていた可能性もある。
ウ 誘導放射線
原告X19の上記のような被爆状況等からすると,原告X19が誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は高いものと認められる。原告X19が接触した多くの負傷者や死体は,誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていたと考えられる。2番目の姉が誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていた可能性もある。
エ 内部被曝
原告X19の上記のような被爆状況等からすると,原告X19は,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性がある。
オ 急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告X19は,入市後や終戦後以降,下痢,紫斑,吐き気,倦怠感,歯茎出血,生理不順など,数々の急性症状を発症し,貧血気味である,若い頃から歯が抜ける,倦怠感があるなどの体調不良が長く続いている。さらに,原告X19は,高血圧,脂質異常症及び胃悪性リンパ腫などにもなり,肺がんにもなっている。
カ その他
原告X19は,肺がんについては,原爆症認定を受けている。
キ 小括
以上の事実を総合すれば,原告X19は健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたものと認められる。
(3) 申請疾病の放射線起因性
原告X19の申請疾病はC型慢性肝炎である。C型慢性肝炎は慢性肝炎の一つであり,積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(7)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(4) 原告X19のC型慢性肝炎の放射線起因性
以上によれば,原告X19が発症したC型慢性肝炎の放射線起因性を認めることができるというべきである。
なお,C型慢性肝炎発症から肝硬変発症までの期間が長いことは,必ずしもC型慢性肝炎の放射線起因性に影響を与えるものとはいえない。
(5) 申請疾病の要医療性
原告X19のHCV-RNA定量は高値を示しており,C型肝炎ウイルス(HCV)の持続感染状態にあることが認められる。また,原告X19は,血液検査において,膠質反応(ZTT,TTT)が高値を占めており,腹部エコー検査において肝臓の辺縁が鈍,内部が粗との所見であり,肝臓に慢性炎症があると診断されている。血清ヒアルロン酸値が上昇しており,腹部エコー検査において門脈圧亢進が認められることから,慢性炎症のために肝臓の線維化が進み,C型慢性肝炎からC型肝硬変に至る過程であった。原告X19は,現在もC型慢性肝炎に対する内服治療を継続しており,同時に,C型慢性肝炎,肝硬変に高率に発症するとされている肝細胞がんの早期発見のため,定期的に腹部エコー検査や血液検査を受けている(甲Dネ2・3頁)。
さらに,原告X19は,平成25年8月頃,定期検査を受けた際,肝硬変の診断を受け,ウルソやリーパクトを投薬されるようになった(原告X19本人・調書18頁,19頁)。
以上によれば,原告X19がC型慢性肝炎に罹患し,現在もその治療を継続していることが認められ,申請疾病について要医療性が認められる。
(6) 総括
以上のとおり,原告X19は,処分当時,原爆症認定申請に係るC型慢性肝炎について放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるから,原告X19に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべきである。
16  原告X20
(1) 認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被爆状況等
(ア) 原告X20は,昭和11年○月○日生まれの男性であり,長崎原爆の投下当時,9歳であった。原告X20は,被爆前,健康状況に特段の問題はなかった。原告X20は,爆心地から約3.7kmの地点にある長崎市岩瀬道町の自宅で生活していた(前提事実4(16)ア,甲Dナ1・3頁)。
(イ) 原告X20は,昭和20年8月9日,長崎原爆の投下直前,兄と共に自宅茶の間にいたところ,強い光があり,台所にいた母から,防空壕に逃げるように言われ,屋外の防空壕に向かったが,隣家の庭で強い爆風を受けた(甲Dナ1・3頁)。
(ウ) 原告X20は,長崎原爆の投下後も,自宅で生活し続けた。原告X20は,昭和20年8月15日頃から同年9月中頃までの間,兄と一緒に,数度にわたり,稲佐橋を越えて北に1kmの付近にある工場跡に遊びに出掛け,がれきをかき分けてボールベアリングを探しては拾い,さびたボールベアリングを叩いてさびを落として回るようにするという遊びをしていた(甲Dナ1・3頁)。
(エ) 原告X20とその家族は,長崎原爆の投下の前後を通じて,長崎の西山地区で農業をしていた父の部下から譲り受けたカボチャを食べていた(甲Dナ1・3頁)。
イ 被爆後の健康状況等
(ア) 原告X20は,長崎原爆の投下翌日,下痢及び発熱を発症したが,症状はさほどひどいものではなく,間もなく治った(乙Dナ1・12頁,17頁)。また,眼痛及び胸部痛もあり,原告X20は,三菱病院に通院した。貧血や白血球の増加があり,少しの傷でも化膿しやすい状態も続いた(乙Dナ1・6頁)。
(イ) 原告X20は,昭和37年7月,激しいけいれんと共に意識を失うという発作に襲われ,山口大学付属病院に入院し,治療を受けた(乙Dナ1・5頁)。
(ウ) 原告X20は,平成16年5月11日,めまいと吐き気,平衡感覚の失調に襲われ,救急搬送された(乙Dナ1・5頁)。
(エ) 原告X20は,平成16年6月8日,脳幹部脳梗塞を発症し,救急搬送されたが,首から下にほぼ全麻痺があり,症状が回復せず,初富保険病院に入院中である(甲Dナ2・2頁)。
なお,原告X20は,脳梗塞発症前に,高血圧及び狭心症の診療を受けており,高血圧については服薬もしていたが(乙Dナ3・40頁,乙Dナ4,乙Dナ5),同日の血圧は収縮期血圧が148mmHg,拡張期血圧が82mmHgであった(乙Dナ3・10頁)。
ウ C12の意見
C12は,① 原告X20は,被爆当時9歳であり,若年被爆であった,② 被爆地点は爆心地から約3.7kmの地点であり,長崎でも初期放射線はほとんどないものと思われる,③ 稲佐橋から北に1kmの地点は爆心地付近であるところ,原告X20は,被爆後の行動として,稲佐橋から北に行って,工場跡で遊んでおり,特にがれきの中で遊んでいる,④ ホールベアリングは金属であり,初期放射線の中性子線によって誘導放射化するし,がれきの中には様々な誘導放射化された物質や放射性降下物もあったと思われる,⑤ 長崎の西山地区は,残留放射線の高濃度汚染地域であり,同地区の農作物を食べたということであれば,それによる内部被曝もある,⑥ このような被曝の状況をみれば,遠距離で被爆しているといっても,被爆後の行動から相当量の被曝があったと考えてよいとしている(証人C12・調書24頁,25頁)。
(2) 事実認定の補足説明
ア 入市の有無について
(ア) 被告は,原告X20が赴いたという工場跡について,工場の名称も場所も全く特定されていない旨主張する。
(イ) しかしながら,原告ら代理人作成の平成25年9月30日付け聴取り報告書(甲Dナ1・3頁)には,上記認定事実の内容が記載されているところ,同報告書の内容は,確かに,工場の名前等について具体的に挙示はされていないものの,全体としてみれば,極めて具体的である。聴取りの方法は,原告X20が話すことができず,手を動かすこともできないため,透明アクリル板に50音の文字等を記載したボードに原告X20が視線を向けて,向けた先の文字を1文字ずつ読み取る方法で行われるなどしたものであるが,ボードの扱いに慣れた看護師を立ち会わせたり,二日に分け,休憩を挟んだりして行われたものであり,正確さが担保されるような配慮がされている。さらに,補充的に,原告X20と行動を共にした原告X20の兄からの聴取りも行われている。一方で,入市の事実がなかったことを疑わせるような事情は何ら存しない。
そうであるとすれば,上記聴取り報告書は信用性が高いというべきである。
(ウ) したがって,原告X20は,昭和20年8月15日頃から同年9月中頃までの間,数度にわたり,稲佐山を越えて北に約1kmの地点の付近にある工場跡に行き,ボールベアリングを拾って遊んだものと認められる。
イ 倦怠感を発症した事実の有無について
(ア) 原告X20は,被爆後に倦怠感を発症した旨主張する。
(イ) 確かに,原告ら代理人作成の平成25年9月30日付け聴取り報告書には,長崎原爆投下後1週間後くらいからだるさがあり,このだるさは20歳代頃までずっと続いた旨の記載がある(甲Dナ1・3頁)。
(ウ) しかしながら,平成2年10月25日付け被爆者健康手帳交付申請書には,下痢及び発熱の記載はあるものの,倦怠感についての記載はない(乙Dナ1・12頁,17頁)。そして,同申請書は,上記聴取り報告書の20年以上前に作成されたものであり,信用性は高いものと認められる。
(エ) 以上の証拠関係の下では,原告X20が被爆後に倦怠感を発症した事実は認められず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(3) 原告X20の放射線被曝の程度
ア 初期放射線
原告X20は爆心地から約3.7kmの地点で被爆しており,DS02による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ 放射性降下物
原告X20は,昭和20年8月15日頃から同年9月中旬頃までの間,数度にわたり爆心地付近の工場跡に行っている。
原告X20が爆心地付近に入市した時期は,長崎原爆の投下から間もない頃であり,爆心地付近は放射性降下物に相当程度汚染されていたものということができる。
ウ 誘導放射線
原告X20の上記のような被爆状況等からすると,原告X20が誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は高いものと認められる。原告X20は,爆心地付近の工場跡において,がれきから拾ったボールベアリングで遊んでいるところ,ボールベアリングやがれきは誘導放射化されていたものと認められる。
エ 内部被曝
原告X20の上記のような被爆状況等からすると,原告X20は,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性がある。また,原告X20が日常的に食べていた長崎の西山地区のカボチャが放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵に汚染されていた可能性もある。
オ 急性症状等
原告X20が被爆後に倦怠感を発症した事実は認められない。しかしながら,放射線被曝を裏付けるものとして,原告X20は,長崎原爆の投下翌日,下痢及び発熱を発症し,眼痛及び胸部痛もあり,通院している。また,原告X20は,貧血や白血球の増加があり,化膿しやすい状態も続いている。さらに,原告X20は,激しいけいれんと共に意識を失うという発作に襲われたり,めまいと吐き気,平衡感覚の失調に襲われ,救急搬送されたりし,後記で検討するとおり,高血圧と狭心症にもなっている。
カ 小括
以上の事実を総合すれば,原告X20は,健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたものと認められる。
(4) 申請疾病の放射線起因性
原告X20の申請疾病は脳梗塞である。脳梗塞は積極認定対象疾病に該当しないが,前記第2の3(5)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(5) 他原因の検討
ア 被告は,原告X20には脳梗塞の重大な危険因子である加齢,高血圧及び心血管疾患が存在している旨主張する。
イ 原告X20は,脳梗塞と診断されたのは被爆の59年後であって,68歳の時であり,加齢による動脈硬化の進展がうかがわれる上,脳梗塞発症前から,高血圧と狭心症の診療を受けていたものであり,高血圧については,服薬にもかかわらず,原告X20が脳梗塞を発症した時点では,収縮期血圧は148mmHg,拡張期血圧は82mmHgであり,「高血圧治療ガイドライン2009」によれば,「Ⅰ度高血圧」の範疇以上の血圧であったことがうかがわれる。狭心症は心血管病(心血管疾患)に該当することから「リスク第三層」に該当し,当時の原告X20の脳心血管リスクは「高リスク」であった(乙Dカ20・14頁ないし16頁)。
ウ しかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当である。
これを原告X20についてみると,前記(3)のとおり,原告X20は,健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)のとおり,原告X20の申請疾病である脳梗塞は,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であり,さらに,前記第2の3(5)のとおり,脳梗塞については,そもそも交絡因子の影響が極めて小さいものであるところ,原告X20の上記イの事情のうち,加齢については,特段の事情とまでは認められず,原爆の放射線によって脳梗塞の発症が促進されたものと認めるのが相当である。
また,高血圧及び心血管疾患については,そもそもこれらの症状が放射線被曝との関連性が認められるものであって,これらの症状があることをもって原告X20の脳梗塞の放射線起因性を否定することはできないというべきである。
(6) 原告X20の脳梗塞の放射線起因性
以上によれば,原告X20が発症した脳梗塞の放射線起因性を認めることができるというべきである。
(7) 申請疾病の要医療性
原告X20は,脳梗塞の症状が回復せずに初富保険病院に入院中であり,申請疾病について要医療性が認められる。
(8) 総括
以上のとおり,原告X20は,処分当時,原爆症認定申請に係る脳梗塞について放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるから,原告X20に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべきである。
17  原告X21
(1) 認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 被爆状況等
(ア) 原告X21は,昭和6年○月○日生まれの女性であり,長崎原爆の投下当時,14歳であった。原告X21は,被爆前,健康状況に特段の問題はなかった(前提事実4(17)ア,甲Dラ1・1頁)。
(イ) 原告X21は,昭和20年8月9日,長崎原爆の投下直前,爆心地から約1.4kmの地点にある三菱兵器大橋工場で稼働しており(甲A8の2,甲Dラ1・1頁),昼食の弁当を取りに行こうとして,同工場の建物入口付近で立ち止まっていた時に被爆した(甲Dラ1・1頁,原告X21本人・調書3頁)。
長崎原爆投下の瞬間は,突然,閃光が走り,大きな音がした。原告X21のいた建物は崩れ落ち,原告X21は,がれきの下敷きになって意識を失った。その後,原告X21は,同僚に声を掛けられて意識を取り戻し,がれきの中からはい出して三菱兵器大橋工場近くの線路を渡って向かいの山に避難した。原告X21のいた建物は全て崩れ,柱もひどく折れ曲がっていた(甲Dラ1・1頁,原告X21本人・調書4頁)。
原告X21が山に逃げる途中,周囲には真っ黒に焦げ,男女の区別もつかなくなったような負傷者が数多くいた。同様に,真っ黒に焦げ男女の区別もつかなくなったような死体も数多くあった。原告X21は,7歳くらいの女児から,家がつぶれてしまい,中にいる母を救い出してほしいと言われたが,女児の母を救い出すことはできなかった(甲Dラ1・1頁,2頁,原告X21本人・調書5頁)。
原告X21の避難した山は,負傷者であふれていた。原告X21の頭は,大量のガラスの破片が突き刺さっており,出血していた。また,原告X21の足は,切り傷ができていた(甲Dラ1・2頁,原告X21本人・調書16頁)。
(ウ) 原告X21は,長崎原爆の投下当日の夜まで避難した山にいたが,その後,線路伝いに道ノ尾駅まで歩いて行き,道ノ尾駅から負傷者で一杯になった汽車に乗って相浦駅まで行った。その後,原告X21は,迎えに来た船に乗って長崎の五島の実家に向かい,昭和20年8月14日までには,実家に着いた(甲Dラ1・2頁,原告X21本人・調書16頁)。
イ 被爆後の健康状況等
(ア) 原告X21は,実家に着いた後,数日経つと頭髪が抜け出し,最終的には頭髪の3分の2が抜けた(甲Dラ1・2頁,原告X21本人・調書8頁)。また,原告X21は,2週間ないし4週間にわたって,血便,嘔吐,発熱等の症状に苦しんだ(甲Dラ1・2頁)。原告X21は,頭髪の大半が抜けたため,周辺の住民から原爆症であると気づかれないように日中は家の地下で過ごし,外出するときは頭巾を被って頭部を隠した(原告X21本人・調書10頁)。頭部に突き刺さった大量のガラスの破片が取り除かれるには半年以上を要し,ガラスの破片は,被爆から20年以上経過した後にも頭部から出てきたことがあった(甲Dラ1・2頁)。
(イ) 原告X21と同じ場所で被爆して一緒に五島に帰った二人の同僚も,原告X21と同様に頭髪の大半が抜け,血便や嘔吐などの症状が出た(甲Dラ1・3頁)。
(ウ) 原告X21は,風邪を引きやすくなり,一度風邪を引くと完治するのに一,二箇月はかかった(原告X21本人・調書10頁)。また,胃腸が弱い,貧血を起こしやすいなどの体調不良も続いた(甲Dラ1・3頁)。原告X21は,18歳の時から10年ほど銀行で勤務したが,風邪を引きやすく,熱が出て欠勤することが多く,支店長に配慮してもらうことが多かった(原告X21本人・調書11頁)。
(エ) 原告X21は,30歳前後であった昭和33年ないし昭和34年頃,高血圧及び脂質異常症と診断され,以後,高血圧の薬を服用している(甲Dラ1・3頁,原告X21本人・調書20頁)。原告X21は,夫と婚姻した時,被爆者であることについては,体が弱いとか,生まれてくる子にも影響があるなどと思われることを懸念して話すことができなかったが,妊娠した時,被爆者であることを告白し,結局,子を産むことはできなかった(原告X21本人・調書13頁)。
(オ) 原告X21は,40歳代の時,子宮筋腫と診断され,平成16年頃,子宮筋腫の摘出手術を行った。原告X21は,胆のう炎にも罹患していたため,胆のうも摘出した(甲Dラ1・3頁)。
(カ) 原告X21は,平成17年,皮膚がんと診断され,原爆症認定を受けた(甲Dラ1・3頁)。なお,この原爆症認定は,平成26年6月20日,要医療性が失われたとして,同月から特別手当に切替えとなった(甲Dラ6)。
(キ) 原告X21は,狭心症については,平成22年2月に胸痛を訴え,東京北社会保険医院を受診し,冠動脈造影検査で狭窄病変が確認されたため,同年3月30日に冠動脈ステント留置術を受けた。また,その後も狭窄が進行したことから,原告X21は,平成25年2月19日,冠動脈ステント留置術を受けた(甲Dラ2・2頁)。原告X21は,現在,主治医の指示による内服治療を継続している(甲Dラ2・4頁)。
ウ C12の意見
C12は,① 爆心地から約1.3kmの地点での被爆であり,近距離被爆ということができ,相当な放射線量である,② 被爆後,脱毛が始まって血便や発熱があり,典型的な急性症状を示している,③ 皮膚がんにもかかり,皮膚がんでは原爆症認定を受けていたようであるが,この既往態様からみれば,明らかな放射線被曝であり,かなり高線量の被曝をしていることは間違いないとしている(証人C12・調書19頁,20頁)。
(2) 事実認定の補足説明
ア 血尿を発症した事実の有無について
(ア) 原告X21は,原告X21が被爆後血尿を発症した旨主張する。
(イ) この点,原告X21は,本人尋問において,長崎の五島の実家に戻ってすぐ血尿があったとしている(原告X21本人・調書7頁,8頁)。
(ウ) しかしながら,原告X21が血尿を発症したことについては,平成23年6月23日付け認定申請書添付の申述書(乙Dラ1・39頁),平成24年4月3日付け異議申立書(乙Dラ6・2頁,3頁),陳述書(甲Dラ1・2頁)のいずれにも記載がなかったものであって,その変遷に合理的な理由もない。
(エ) 以上の証拠関係の下では,原告X21が被爆後血尿を発症した事実は認められない。
イ 狭心症発症の時期について
(ア) 原告X21は,原告X21が40歳ないし50歳の時に狭心症と診断された旨主張する。
(イ) 確かに,陳述書では,原告X21が50歳になってから狭心症と診断されたとしており(甲Dラ1・3頁),原告X21は,本人尋問において,40歳の頃,狭心症と言われたとしている(原告X21本人・調書22頁)。また,原告X21がニトログリセリンを携行し,心臓が痛むときにこれを服用している事実も認められる(甲Dラ1・3頁,原告X21本人・調書22頁)。そうであるとすれば,原告X21が,40歳ないし50歳になってから,狭心症と診断されたことがあったことは否定することができない。
(ウ) しかしながら,原告X21は,その後も心臓肥大症との診断を受け(乙Dラ3・37頁,原告X21本人・調書22頁,23頁),平成16年8月5日には,東京北社会保険病院医師のC17から狭心症であることを否定されているものである(乙Dラ3・37頁)。
(エ) 以上の証拠関係の下では,少なくとも,原告X21が平成22年2月以前に狭心症を発症していた事実は認められない。
(3) 原告X21の放射線被曝の程度
ア 初期放射線
原告X21は爆心地から約1.4kmの地点で被爆しており,DS02による初期放射線の線量は1.5グレイ弱程度のものである(乙B8の1・201頁,乙B138)。
ただし,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ 放射性降下物
原告X21は,被爆後,被爆地点の近くの山に避難し,そこにとどまっているところ,同所付近が放射性降下物に汚染されていた可能性がある。この点,放射性降下物は,長崎においては,一般に,土壌のプルトニウム調査の結果から,爆心地の真東から北に15度,南に10度の扇形の方向に広がったと考えられてはいるが(乙Dタ4・37頁,乙Dタ5・4頁,5頁),地形の影響等により上記以外の場所にも広がった可能性があることは前記第1の3(3)で検討したとおりであり,爆心地から北方向の(乙D全3)原告X21の被爆地点の近くの山付近にも飛散した可能性も十分にあるというべきである。
また,原告X21は,近くの山に避難する途中,真っ黒に焦げた多数の負傷者と接触し,多数の死体にも遭遇している。さらに,原告X21は多数の負傷者と汽車に乗り合わせている。接触した負傷者や遭遇した死体は,放射性降下物に汚染されていたと考えられる。
ウ 誘導放射線
原告X21の上記のような被爆状況等からすると,原告X21が誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は高いものと認められる。原告X21が接触した負傷者や遭遇した死体は,誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていたと考えられる。
エ 内部被曝
原告X21の上記のような被爆状況等からすると,原告X21は,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引したり,体中の負傷部位からこれらが侵入したりした可能性がある。原告X21の体内にはガラスの破片が残り,その大半が取り除かれるには半年を要し,被爆から20年以上が経過した後にも,頭部からガラスの破片が出てきているところ,同破片は誘導放射化していた可能性がある。
オ 急性症状等
原告X21が血尿を発症した事実は認められない。しかしながら,放射線被曝を裏付けるものとして,原告X21は,被爆後から脱毛,血便,嘔吐,発熱など複数の急性症状を発症している。その後も,原告X21は,風邪を引きやすい,胃腸が弱い,貧血を起こしやすいなどの状態が続いている。また,原告X21は,皮膚がんにも罹患し,後記で検討するとおり,高血圧や脂質異常症とも診断されている。
カ その他
原告X21は,皮膚がんについては,原爆症認定を受けている。
また,原告X21と同じ場所で被爆した二人の同僚は,原告X21と同様,頭髪が抜ける等の症状が出ている。
キ 小括
以上の事実を総合すれば,原告X21は健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたものと認められる。
(4) 申請疾病の放射線起因性
原告X21の申請疾病は狭心症である。狭心症は積極認定対象疾病に該当しないが,前記第2の3(4)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。なお,原告X21は,冠動脈造影検査で狭窄病変が確認されたため,平成22年3月30日に冠動脈ステント留置術を受けたものであって,心筋壊死までは認められないとしても,その病態としては必ずしも軽いものとはいえなかったものと認められる。
(5) 他原因の検討
ア 被告は,原告X21には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,高血圧及び脂質異常症が存在している旨主張する。
イ この点,虚血性心疾患の危険因子として加齢を考慮するのは女性では55歳とされるところ,原告X21が狭心症と診断されたのは,被爆の六十四,五年後であって,79歳頃の時である。
原告X21は,昭和33年ないし昭和34年頃に高血圧と診断されているところ,ふだんから塩分が多く,加工食品が多い食生活であった(乙Dラ3・2144頁,2237頁,2271頁,2291頁)。原告X21は,同じ頃,脂質異常症にもなっている。
なお,原告X21には,糖尿病(乙Dラ3・768頁),発作性心房細動等(乙Dラ1・40頁)の虚血性心疾患の危険因子を重畳的に有していたことが認められる。
ウ しかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当である。
これを原告X21についてみると,前記(3)のとおり,原告X21は,健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)のとおり,原告X21の申請疾病である狭心症は,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であり,さらに,前記第2の3(4)のとおり,狭心症については,そもそも交絡因子の影響が極めて小さいものであるところ,原告X21の上記イの事情のうち,加齢については,上記特段の事情とまでは認められず,原爆の放射線によって狭心症の発症が促進されたものと認めるのが相当である。
また,高血圧及び脂質異常症,更に糖尿病や発作性心房細動等については,そもそもこれらの症状が放射線被曝との関連性が認められるものであって,これらの症状があることをもって原告X21の狭心症の放射線起因性を否定することはできないというべきである。
(6) 原告X21の狭心症の放射線起因性
以上によれば,原告X21の狭心症の放射線起因性を認めることができるというべきである。
(7) 申請疾病の要医療性
原告X21は,平成22年3月30日に冠動脈ステント留置術を受けた後も狭窄が進行し,平成25年2月19日,冠動脈ステント留置術を受け,現在,主治医の指示による内服治療を継続しているものであり,申請疾病について要医療性が認められる。
(8) 総括
以上のとおり,原告X21は,処分当時,原爆症認定申請に係る狭心症について放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるから,原告X21に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべきである。
第4章  結論
以上によれば,処分行政庁が別紙2主文関係目録「却下処分日」欄記載の日付で同目録「申請者」欄記載の者に対してした原爆症認定申請を却下する旨の処分及び処分行政庁が平成22年3月19日付けで原告X13に対してした原爆症認定申請を却下する旨の処分(ただし,申請疾病を胃切除後障害としてのダンピング症候群とするものに限る。)の取消しを求める部分は理由があるから,これらを認容し,原告X13のその余の請求は理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 増田稔 裁判官 齊藤充洋 裁判官 佐野義孝)

 

別紙1
当事者目録
東京都目黒区〈以下省略〉
原告(平成24年(行ウ)第174号) X1
東京都大田区〈以下省略〉
原告(平成24年(行ウ)第249号) X2
東京都世田谷区〈以下省略〉
原告(平成24年(行ウ)第250号) X3
東京都練馬区〈以下省略〉
原告(平成24年(行ウ)第251号) X4
東京都葛飾区〈以下省略〉
亡X5訴訟承継人
原告(平成24年(行ウ)第252号) X6
千葉県習志野市〈以下省略〉
亡X5訴訟承継人
原告(平成24年(行ウ)第252号) X7
東京都世田谷区〈以下省略〉
亡X5訴訟承継人
原告(平成24年(行ウ)第252号) X8
東京都江戸川区〈以下省略〉
亡X9訴訟承継人
原告(平成24年(行ウ)第253号) X10
東京都日野市〈以下省略〉
原告(平成24年(行ウ)第254号) X11
東京都国分寺市〈以下省略〉
原告(平成24年(行ウ)第255号) X12
静岡県伊東市〈以下省略〉
原告(平成24年(行ウ)第256号) X13
東京都世田谷区〈以下省略〉
原告(平成24年(行ウ)第258号) X14
東京都杉並区〈以下省略〉
原告(平成24年(行ウ)第260号) X15
茨城県笠間市〈以下省略〉
原告(平成24年(行ウ)第262号) X16
東京都北区〈以下省略〉
原告(平成24年(行ウ)第263号) X17
東京都北区〈以下省略〉
原告(平成24年(行ウ)第265号) X18
東京都杉並区〈以下省略〉
原告(平成23年(行ウ)第738号) X19
東京都荒川区〈以下省略〉
原告(平成25年(行ウ)第94号) X20
東京都北区〈以下省略〉
原告(平成25年(行ウ)第336号) X21
原告ら訴訟代理人弁護士 内藤雅義
中川重德
小海範亮
池田眞規
竹内英一郎
福島晃
鹿野真美
田部知江子
坂田洋介
與那嶺慧理
菅井紀子
吉田悌一郎
芝田佳宜
高橋右京
森孝博
金井知明
内田耕司
内田明
長谷川弥生
久保田明人
原告X6,原告X7,原告X8,原告X10及び原告X21訴訟代理人弁護士 竹村和也
原告X10訴訟代理人及び原告ら訴訟復代理人弁護士 萱野唯
坂倉渉太
武田浩一
原告X10訴訟代理人弁護士 白神優理子
原告X19及び原告X21訴訟代理人弁護士 高見澤昭治
原告ら訴訟復代理人弁護士 宮原哲朗
安原幸彦
東京都千代田区〈以下省略〉
被告 国
同代表者法務大臣 A1
処分行政庁 厚生労働大臣 A2
同指定代理人 W1
W2
W3
W4
W5
W6
W7
W8
W9
W10
W11
W12
W13
W14
W15
W16
W17
W18
W19
W20
W21
W22
W23
W24
W25
W26
W27
W28
別紙2
主文関係目録

原告 申請者 却下処分日
原告X1 原告X1 平成22年8月26日
原告X2 原告X2 平成22年10月25日
原告X3 原告X3 平成22年11月26日
原告X4 原告X4 平成22年5月27日
(亡X5訴訟承継人)
原告X6
原告X7
原告X8
X5 平成22年10月25日
(亡X9訴訟承継人)
原告X10
X9 平成23年7月29日
原告X11 原告X11 平成22年4月27日
原告X12 原告X12 平成22年6月24日
原告X14 原告X14 平成22年1月28日
原告X15 原告X15 平成22年5月27日
原告X16 原告X16 平成22年3月19日
原告X17 原告X17 平成22年2月23日
原告X18 原告X18 平成23年8月26日
原告X19 原告X19 平成22年1月28日
原告X20 原告X20 平成24年7月27日
原告X21 原告X21 平成24年1月27日

別紙3
略語表

略称 意義
あ 赤星正純報告 赤星正純「原爆被爆者の動脈硬化・虚血性心疾患の疫学」
秋月辰一郎著書 秋月辰一郎「死の同心円」
朝長万左男講演 朝長万左男「原爆被爆者医療の最近の動向」
在り方検討会 「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」
在り方検討会報告書 「原爆症認定制度の在り方に関する検討会報告書」
い 家森武夫報告 家森武夫「原子爆弾症(長崎)の病理学的研究報告」
B16夫妻 B16,B17夫妻
伊藤千賀子報告 伊藤千賀子「原爆被爆者の甲状腺機能に関する検討」
井上修二ら報告 井上修二ら「長崎原爆被爆者における甲状腺疾患の調査(第3報)」
今泉美彩ら報告 今泉美彩ら「広島・長崎の原爆被爆者における甲状腺疾患の放射線量反応関係」
今中哲二報告 今中哲二「DS02に基づく誘導放射線量の評価」
医療分科会 原子爆弾被爆者医療分科会
岩本ら報告 Keisuke Iwamotoら「原爆被爆者の肝細胞癌におけるp53突然変異の頻度」
う 内神町 広島県呉市内神町
え エドワード・荒川報告 エドワード・荒川「広島及び長崎被爆生存者に関する放射線量測定」
お 大石和佳報告 大石和佳「原爆被爆者における肝細胞癌リスクへの放射線被曝と肝炎ウイルス感染の影響」
大石和佳報告の原著 肝臓疾患に関する国際的学術誌「Hepatology(肝臓病学)」第53巻の1237頁ないし1245頁に掲載された「Impact of Radiation and Hepatitis Virus Infection on Risk of Hepatocellular Carcinoma」(肝細胞がんリスクに対する放射線と肝炎ウイルス感染の影響)
大阪地裁平成18年判決 大阪地裁平成15年(行ウ)第53号ほか同18年5月12日判決・判時1944号3頁
大阪地裁平成25年判決 大阪地裁平成21年(行ウ)第224号同25年8月2日判決・判例秘書
B13 B13
於保源作報告 於保源作「原爆残留放射能障碍の統計的観察」
か 改定後の新審査の方針 平成21年6月22日に改定された「新しい審査の方針」
確認書 「原爆症認定訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」
B14 B14
片山茂裕ら報告 片山茂裕ら「放射線照射に関連した甲状腺機能亢進症」
加藤寛夫ら報告 加藤寛夫ら「賀北部隊工月中隊の疫学的調査」
可部町 広島県安佐郡可部町
鎌田七男報告 鎌田七男「賀北部隊工月中隊における残留放射能被曝線量の推定―染色体異常率を基にして―」
鎌田七男ら第1報告 鎌田七男ら「0.5Sv以上の残留放射線に被曝したと推定される事例―白血球数と染色体異常率からの検証」
鎌田七男ら第2報告 鎌田七男ら「フォールアウトによると思われる3重癌と3つの放射線関連疾患を持つ1症例」
神杉村 広島県双三郡神杉村
川内村 広島県安佐郡川内村
X9 X9
き 基金法 原爆症認定集団訴訟の原告に係る問題の解決のための基金に対する補助に関する法律
旧審査の方針 「原爆症認定に関する審査の方針」
京泉誠之ら報告 京泉誠之ら「SCID-hu Miceにおけるヒトの毛嚢の放射線感受性」
教員の夫 原告X2の自宅の2階に間借りをしていた長崎市立商業中学校の教員をしていた夫
教員の妻 原告X2の自宅の2階に間借りをしていた長崎市立商業中学校の教員をしていた夫の妻
く 楠洋一郎ら報告 楠洋一郎ら「原爆放射線が免疫系に及ぼす長期的影響:半世紀を超えて」
け 原告X19 原告X19
原告X21 原告X21
原告X15 原告X15
原告X20 原告X20
原告X9承継人 X10
原告X11 原告X11
原告X1 原告X1
原告X18 原告X18
原告X2 原告X2
原告X12 原告X12
原告X14 原告X14
原告X16 原告X16
原告X13 原告X13
原告X4 原告X4
原告X17 原告X17
原告X5承継人ら X6,X7及びX8
原告X3 原告X3
原爆症認定 原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の規定による認定
こ 近藤久義ら第1報告 近藤久義ら「長崎市入市被爆者の死亡率と入市日の関連」
近藤久義ら第2報告 近藤久義ら「長崎市遠距離被爆者の死亡率と残留放射線との関連」
近藤久義ら第3報告 近藤久義ら「長崎市原爆被爆者の癌罹患率の被爆状況による比較と推移(1970-2007年)」
今野則道ら報告 今野則道ら「北海道在住成人における甲状腺疾患の疫学的調査―ヨード摂取量と甲状腺機能との関係―」
さ 再改定後の新審査の方針 平成25年12月16日に再改定された「新しい審査の方針」
最高裁平成11年判決 最高裁平成7年(行ツ)第53号同11年10月12日第三小法廷判決・裁判集民事194号1頁
最高裁平成12年判決 最高裁平成10年(行ツ)第43号同12年7月18日第三小法廷判決・裁判集民事198号529頁
齋藤紀ら報告 齋藤紀ら「入市被爆者の亜致死的放射線急性症状」
佐々木英夫ら報告 佐々木英夫ら「原爆被爆者の血圧に対する加齢および放射線被曝の影響」
沢田藤一郎ら報告 沢田藤一郎ら「原子爆弾症の臨床的研究(1)」
し 実態調査 厚生省公衆衛生局「原子爆弾被爆者実態調査」
島方時夫ら報告 島方時夫ら「三次高等女学校の入市被爆者についての調査報告書」
清水由紀子ら報告 清水由紀子ら「放射線被曝と循環器疾患リスク:広島・長崎の原爆被爆者データ,1950-2003」
シャープら第1報告 ジェラルド・シャープら「原爆被爆者における肝細胞癌:C型肝炎ウイルス感染と放射線の有意な相互作用」
シャープら第2報告 ジェラルド・シャープら「電離放射線急性被曝と肝硬変との間に関連性はない」
調来助ら報告 調来助ら「長崎ニ於ケル原子爆弾災害ノ統計的観察(抄録)」
新審査の方針 「新しい審査の方針」
す ストラムら報告 ダニエル・ストラムら「重度の脱毛に関する資料を用いての原爆放射線被曝線量推定方式DS86の解析」
せ 関根一郎ら報告 関根一郎ら「長崎原爆被爆者の重複癌の発生に関する検討」
積極認定 改定後及び再改定後を含め「新しい審査の方針」において,所定の被爆地点や入市状況に該当する者から放射線起因性が推認される疾病について原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の規定による認定申請がある場合に,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定するという方法による認定
積極認定対象疾病 改定後及び再改定後を含め「新しい審査の方針」において,所定の被爆地点や入市状況に該当する者から放射線起因性が推認される疾病について原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の規定による認定申請がある場合に,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定するという方法による認定の対象となる疾病
積極認定対象被爆 改定後及び再改定後を含め「新しい審査の方針」において,所定の被爆地点や入市状況に該当する者から放射線起因性が推認される疾病について原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の規定による認定申請がある場合に,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定するという方法による認定の対象となる被爆態様
そ 総合認定 改定後及び再改定後を含め「新しい審査の方針」において,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の規定による認定申請がある場合に,申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を総合的に判断するという方法による認定
た B9 B9
高橋郁乃ら報告 高橋郁乃ら「広島・長崎の原爆被爆者の致死的・非致死的脳卒中と放射線被曝の関連についての前向き追跡研究(1980-2003年)」
B10 B10
B10の相続人 B11
田中憲一ら報告 田中憲一ら「広島原爆の放射化土壌によるβ線及びγ線皮膚線量の評価」
田中英夫報告 田中英夫「原爆による放射線被爆と慢性肝疾患発症との関連性」
つ 土田病院 医療法人財団神経科土田病院
土山秀夫エッセー 土山秀夫「被爆地の一角から」
都築正男報告 都築正男「医学の立場から見た原子爆弾の災害」
て 低線量放射線影響分科会報告 低線量放射線影響分科会「低線量放射線リスクの科学的基盤―現状と課題―」
B1 B1
B1の相続人ら B2,B3,B4,B5及びB6
と 東京高裁平成21年判決 東京高裁平成19年(行コ)第137号同21年5月28日判決・判例秘書
戸田剛太郎報告 戸田剛太郎「肝機能障害の放射線起因性に関する研究」
鳥居寛之ら教科書 鳥居寛之ら「放射線を科学的に理解する―基礎からわかる東大教養の講義」
冨田哲治ら第1報告 冨田哲治ら「リスク地図に基づく広島原爆被爆者の癌死亡の地理的分布の円非対称性の調査:空間的生存データの分析」
冨田哲治ら第2報告 冨田哲治ら「広島原爆被爆者における死亡危険度地図の推定範囲拡大の試み」
トンプソンら報告 デズモンド・トンプソンら「原爆被爆者におけるがん発生率。第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」
な 中島栄二ら報告 中島栄二ら「主成分分析を用いた原爆被爆者における炎症性検査の解析」
中島正洋ら報告 中島正洋ら「長崎原爆生存者における多重原発癌の発症率:放射線被爆との関連」
中島良貞ら報告 中島良貞ら「長崎市における原子爆弾による人体被害の調査」
B8 B8
長崎原爆 長崎市に投下された原子爆弾
長瀧重信ら第1報告 長瀧重信ら「放射性降下物地域における甲状腺結節の高有病率」
長瀧重信ら第2報告 長瀧重信ら「長崎原爆被爆者における甲状腺疾患」
に 日本被団協 日本原水爆被害者団体協議会
日本被団協報告 日本原水爆被害者団体協議会「日本被団協「原爆被害者調査」第1次報告」
丹羽太貫ら報告 丹羽太貫ら「放射性物質による内部被ばくについて」
は 橋詰雅ら報告 橋詰雅ら「広島・長崎における中性子誘導放射能からのガンマ線量の推定」
林奉権ら第1報告 林奉権ら「原爆放射線のヒト免疫応答に及ぼす影響(第17報):原爆放射線における炎症応答マーカーの放射線量依存的上昇」
林奉権ら第2報告 林奉権ら「放射線と加齢の影響に特に関連した原爆被爆者の全身性炎症指標の評価」
B7 B7
C1意見書 虎の門病院医師のC1の平成20年5月23日付け意見書
ひ ピアースら報告 マーク・ピアースら「幼児期CTスキャンによる放射線被曝と白血病及び脳腫瘍リスク:後ろ向きコホート研究」
C10調書 C10の証人調書
被爆者医療法 原子爆弾被爆者の医療等に関する法律
被爆者援護法 原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律
被爆者援護法施行規則 原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行規則
被爆者援護法施行令 原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令
平井裕子ら報告 平井裕子ら「歯エナメル質の電子スピン共鳴法による解析は大部分の遠距離被爆者が多量の放射線に被曝したことを示唆しない」
広島原爆 広島市に投下された原子爆弾
広島地裁平成18年判決 広島地裁平成15年(行ウ)第11号同18年8月4日判決・判タ1270号62頁
ふ 福岡高裁平成9年判決 福岡高裁平成5年(行コ)第17号同9年11月7日判決・判タ984号103頁
B21 B21
藤間清報告 藤間清「「黒い雨」にともなう積算線量」
藤間清ら報告 藤間清ら「広島原爆の早期調査での土壌サンプル中のセシウム137濃度と放射性降下物の累積線量評価」
藤原佐枝子ら報告 藤原佐枝子ら「原爆被爆者におけるC型肝炎抗体陽性率および慢性肝疾患の有病率」
藤原恵ら報告 藤原恵ら「原爆被爆者における顕性前立腺癌の検討」
古川恭治ら報告 古川恭治ら「日本人原爆被爆者における甲状腺がん:被爆後60年の長期的傾向」
B12 B12
プレストンら第1報告 デイル・プレストンら「原爆被爆者における脱毛と爆心地からの距離の関係」
プレストンら第2報告 デイル・プレストンら「原爆被爆者における固形がん罹患率:1958-1998年」
へ 平成20年放影研要覧 平成20年発表の放射線影響研究所の要覧
平成24年放影研見解 放射線影響研究所「「残留放射線」に関する放影研の見解」
平成26年放影研要覧 平成26年発表の放射線影響研究所の要覧
ほ 放影研 放射線影響研究所
本件各却下処分 処分行政庁がした,原告X1,原告X2,原告X3,原告X4,X5,X9,原告X11,原告X12,原告X13,原告X14,原告X15,原告X16,原告X17,原告X18,原告X19,原告X20及び原告X21がした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の規定による認定の申請を却下する旨の処分
本件申請者ら 原告X1,原告X2,原告X3,原告X4,X5,X9,原告X11,原告X12,原告X13,原告X14,原告X15,原告X16,原告X17,原告X18,原告X19,原告X20及び原告X21
本田武夫ら報告 本田武夫ら「長崎市西山地区住民の染色体調査(第2報)」
ま 松田正裕ら報告 松田正裕ら「広島大学原医研附属原爆被災学術資料センターに保存されている被爆者剖検例前立腺癌の特徴」
丸山隆司報告 丸山隆司「賀北部隊工月中隊の被曝線量の物理的計算」
み X5 X5
も 森下ゆかりら報告 森下ゆかりら「原爆放射線のヒト免疫応答におよぼす影響 第23報:炎症マーカーの長期的上昇」
よ 横田賢一ら第1報告 横田賢一ら「長崎原爆における被爆距離別の急性症状に関する研究」
横田賢一ら第2報告 横田賢一ら「被爆状況別の急性症状に関する研究」
横田賢一ら第3報告 横田賢一ら「長崎原爆被爆者の急性症状に関する情報の確かさ」
横田素一郎ら報告 横田素一郎ら「原爆被爆者にみられた甲状腺障碍について」
わ ワンら報告 F.Wongら「原爆被爆者の血清総コレステロール値の経時的変化における放射線の影響」
A ABCC 原爆傷害調査委員会
AHS第7報 「成人健康調査第7報 原爆被爆者における癌以外の疾患の発生率,1958-86年(第1-14診察周期)」
AHS第8報 「成人健康調査第8報 原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率,1958-1998年」
D DeGroot報告 LESLIE DeGroot「放射線と甲状腺疾患」
DS86報告書 「原爆線量再評価 広島および長崎における原子爆弾放射線の日米共同再評価」
E Ehemanら報告 Christie Ehemanら「総説 環境による甲状腺被曝に伴う自己免疫性甲状腺疾患」
I IAEA 国際原子力委員会
ICJ 国際司法裁判所
ICRP 国際放射線防護委員会
K Kerrら報告 George Kerrら「原爆放射線量に関する報告のワークショップ―残留放射線被曝:今後の研究に関する最近の研究と示唆」
L LSS第5報 予研―ABCC寿命調査,広島・長崎 第5報 1950年10月-1966年9月の死亡率と線量との関係
LSS第7報 「原爆被爆者の死亡率調査 7.1950-78年の死亡率;第2部.癌以外の死因による死亡率及び早期入市者の死亡率」
LSS第9報第2部 「寿命調査第9報 第2部 原爆被爆者における癌以外の死因による死亡率,1950-78年」
LSS第11報第3部 「寿命調査 第11報 第3部 改訂被曝線量(DS86)に基づく癌以外の死因による死亡率 1950-85年」
LSS第12報第2部 「原爆被爆者の死亡率調査 第12報,第2部 がん以外の死亡率:1950-1990年」
LSS第13報 「原爆被爆者の死亡率調査 第13報 固形がんおよびがん以外の疾患による死亡率:1950-1997年」
LSS第14報 「原爆被爆者の死亡率に関する研究 第14報 1950-2003年:がんおよびがん以外の疾患の概要」
N NMRI Naval Medical Research Institute
S Shilin報告 D.Shilin「ロシア領内のチェルノブイリ原発事故における放射線汚染地域に住むGraves病の子どもにおける放射線被曝の臨床症状と病歴についてのいくつかのデータ」
U UNEP報告 国連環境計画(UNEP)「放射線 その線量,影響,リスク」
UNSCEAR 原子放射線の影響に関する国連科学委員会

別紙4
原告らの主張
(目次)
第1章 総論 462頁
第1 本件訴訟の概要 462頁
第2 原爆症認定基準の解釈の在り方 463頁
1 被爆者援護法前文の意義
2 最高裁平成10年(行ツ)第43号同12年7月18日第三小法廷判決・裁判集民事198号529頁が採用した起因性立証の程度である「高度の蓋然性」
3 原爆症認定の要件の解釈(特に起因性の要件について)
4 原爆症認定基準の策定の変遷とその認定審査実務の問題点
第3 原爆被害の実態(被曝の実相) 489頁
1 人類史上最初の核兵器被害
2 原爆の物理的威力
3 原爆放射線による被害
4 原爆による身体被害
5 精神的被害
6 社会的被害
7 原爆被害の複合性及び多様性
8 原爆被害の未解明性
第4 原爆放射線と人体影響についての知見 499頁
1 原爆放射線被曝
2 原爆放射線線量評価の困難性及び未解明性
3 放射線晩発性障害について
4 残留放射線による人体影響
5 急性放射線症候群(急性症状)の特徴
6 相当線量論について
第5 疾病総論 547頁
1 悪性腫瘍の放射線起因性
2 循環器疾患の放射線起因性
3 脳梗塞の放射線起因性
4 甲状腺機能亢進症の放射線起因性
5 肝機能障害の放射線起因性
第2章 本件申請者らの原爆症認定の要件該当性 618頁
第1 原告X1について 618頁
1 被爆状況及びその後の健康状態
2 申請疾病(下咽頭がん)の放射線起因性
3 申請疾病の要医療性
第2 原告X2について 625頁
1 被爆状況及びその後の健康状態
2 入市の事実に関する補足
3 申請疾病(腎細胞がん)の放射線起因性
4 申請疾病の要医療性
第3 原告X3について 632頁
1 被爆状況及びその後の健康状態
2 申請疾病(腎細胞がん)の放射線起因性(原告X3の相当量の被曝)
3 申請疾病の要医療性
第4 原告X4について 637頁
1 被爆状況及びその後の健康状態
2 申請疾病(胃がん)の放射線起因性
3 申請疾病の要医療性
第5 X5について 641頁
1 被爆状況及びその後の健康状態
2 申請疾病(左乳がん術後皮膚潰瘍)の存在
3 申請疾病の放射線起因性
4 申請疾病の要医療性
第6 X9について 645頁
1 被爆状況及びその後の健康状態
2 X9の被爆地点及び入市地点に関する補足
3 申請疾病(膀胱がん)の放射線起因性
4 申請疾病の要医療性
第7 原告X11について 655頁
1 被爆状況及びその後の健康状態
2 申請疾病(前立腺がん)の放射線起因性
3 申請疾病の要医療性
第8 原告X12について 659頁
1 被爆状況及びその後の健康状態
2 申請疾病(前立腺がん)の放射線起因性
3 申請疾病の要医療性
第9 原告X13について 662頁
1 被爆状況及びその後の健康状態
2 申請疾病(胃がん)の放射線起因性
3 申請疾病の要医療性
第10 原告X14について 673頁
1 被爆状況及びその後の健康状態
2 申請疾病(心筋梗塞)の放射線起因性
3 申請疾病の要医療性
第11 原告X15について 680頁
1 被爆状況及びその後の健康状態
2 申請疾病(狭心症)の放射線起因性
3 申請疾病の要医療性
第12 原告X16について 692頁
1 被爆状況及びその後の健康状態
2 申請疾病(心筋梗塞)の放射線起因性
3 申請疾病の要医療性
第13 原告X17について 699頁
1 被爆状況及びその後の健康状態
2 申請疾病(脳梗塞)の放射線起因性
3 申請疾病の要医療性
第14 原告X18について 706頁
1 被爆状況及びその後の健康状態
2 申請疾病(甲状腺機能亢進症由来の甲状腺機能低下状態)の放射線起因性
3 申請疾病の要医療性
第15 原告X19について 714頁
1 被爆状況及びその後の健康状態
2 申請疾病(C型慢性肝炎)の放射線起因性
3 申請疾病の要医療性
第16 原告X20について 720頁
1 被爆状況及びその後の健康状態
2 申請疾病(脳梗塞)の放射線起因性
3 申請疾病の要医療性
第17 原告X21について 722頁
1 被爆状況及びその後の健康状態
2 申請疾病(狭心症)の放射線起因性
3 申請疾病の要医療性
第1章 総論
第1 本件訴訟の概要
1 本件訴訟は,本件申請者らが,処分行政庁に対し,被爆者援護法に基づく原爆症認定申請をしたところ,処分行政庁が違法に本件各却下処分をしたため,その取消しを求めて提起されたものである。
2 ここに「原爆症」とは,被爆者援護法11条1項によって原子爆弾の傷害作に起因する旨認定される負傷又は疾病であり,被爆者援護法10条1項によれば,その認定のためには,①当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射線(法文の「放射能」は,正確には放射線の意味である。)に起因すること,又は,当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射線に起因するものでないときは,その治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けていること(起因性の要件)及び②現に医療を要する状態にあること(要医療性の要件)が必要である。
3 平成20年3月17日,被告は,原爆症認定集団訴訟の相次ぐ判決を受けて,原爆症認定に関する方針である新審査の方針を策定した(平成21年6月に改定後の新審査の方針が策定された。)。
しかし,処分行政庁は,① 積極認定の範囲外(直爆約3.5km以遠,原爆投下100時間以降の入市,対象とされていない疾病等)の申請については一律に却下し,更に② 非がん疾患については,副甲状腺機能亢進症を除く対象疾病に「放射線起因性の認められる」などという条件を付し,積極認定の範囲であっても近距離で直爆した者以外の申請を却下した。
また,平成21年8月6日に,日本原水爆被害者団体協議会(以下「日本被団協」という。)の代表者と内閣総理大臣との間で「原爆症認定訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」(以下「確認書」という。)が取り交わされた。確認書では,「今後,訴訟の場で争う必要のないよう」にすると述べられていたことから,被爆者側は,同年12月に成立した基金法の附則に基づいて設けられた在り方検討会において,訴訟によらない解決のために立法を求めるとともに,立法的解決の前に,それまでの司法判断と認定行政の乖離を埋めるため,① 積極認定の範囲外について総合認定の規定を活用すること,② 上述した「放射線起因性の認められる」などという条件を外すことの2点を強く求めたが,処分行政庁はその後も大量の却下処分を繰り返した。
原告らはいずれも,新審査の方針策定後に,原爆症認定申請が却下された被爆者及びその遺族であり,いずれも放射線の影響を強く受ける若年時に被爆したにもかかわらず,被爆地点や入市時期といった事実関係が争われている若干名を除くと,① 悪性腫瘍(がん)を申請疾病とする者については,積極認定の基準(直爆約3.5kmや原爆投下後約100時間以内の入市等)を若干超えた者ばかりであり,② 非がん疾患を申請疾病とする者については,被爆態様が上記基準内であるにもかかわらず申請を却下された者がほとんどである。原告らは,司法による被爆者救済を求めるものである。
第2 原爆症認定基準の解釈の在り方
1 被爆者援護法前文の意義
被爆者援護法の前文は,被爆者援護法制定の経緯,被爆者援護法の趣旨,目的等について宣言しているが,この前文の精神こそが,被爆者援護法の解釈及び適用に当たっての出発点でなければならない。そこに示されたものは,核廃絶への願いであり,被爆者の置かれた状況への理解である。
そうであるならば,被爆者援護法を解釈するに当たっては,原爆被害の実相を正しく受け止めるところから出発しなければならない。その上で,原爆被害であることを公的に認定する唯一の制度である原爆症認定の在り方を問うべきである。
2 最高裁平成10年(行ツ)第43号同12年7月18日第三小法廷判決・裁判集民事198号529頁が採用した起因性立証の程度である「高度の蓋然性」
(1) 最高裁平成10年(行ツ)第43号同12年7月18日第三小法廷判決・裁判集民事198号529頁(以下「最高裁平成12年判決」という。)は,起因性の立証の程度について,行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に,その拒否処分の取消訴訟において,被処分者がすべき因果関係の立証の程度は,特別の定めがない限り,通常の民事訴訟における場合と異なるものではないとして,その因果関係の立証の程度について「高度の蓋然性」を要するとしている。
しかし,実際に最高裁平成12年判決が行った「高度の蓋然性」の当てはめは,必ずしも一般の損害賠償請求事件等における高度の蓋然性を要求したものではない。むしろ,放射線の影響を受けたと認められる事情についての高度の蓋然性と解すべきである。現に,最高裁平成12年判決については,蓋然性の立証程度を下げたものとの評釈もある。
(2) そもそも損害賠償請求訴訟においても,「高度の蓋然性」という考え方は訴訟上の因果関係の立証について,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することで足りるとして,被害者救済のために,因果関係の立証の負担を軽減することを目的として,立論されたものである。
この考え方は,通常,被害者である国民側に因果関係の立証責任が課される国家賠償訴訟においてさえ,現実には因果関係の立証軽減の理論として使用されている(最高裁昭和48年(オ)第517号同50年10月24日第二小法廷判決・民集29巻9号1417頁)。
このような認定手法は,最高裁平成12年判決が前提にした,あるいは,それに影響を与えた多くの下級審判決にも共通にみられるところである(福岡高裁平成5年(行コ)第17号同9年11月7日判決・判タ984号103頁。以下「福岡高裁平成9年判決」という。)。つまり,これらの考えの根底には,福岡高裁平成9年判決の判示する,原子爆弾による被害の甚大性,原爆後遺障害の特殊性(原子爆弾の傷害作用が現在又は将来人体に及ぼす影響,更にはそれに対する治療方法がいまだ十分に解明されていないという特殊な健康状態にあること),被爆者援護法の前身である原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(以下「被爆者医療法」という。)の目的及び性格(被爆者医療法には国家補償的配慮が制度の根底にあること)がある。
3 原爆症認定の要件の解釈(特に起因性の要件について)
被爆者援護法の趣旨,目的及び以下の理由から,原爆症認定の要件は,被爆者に過重な負担を掛けることのないよう解釈,運用されなければならない。特に,起因性の要件に関しては,放射線被曝に関する当初の調査が不十分であったこと等からすれば,相当線量を被曝したと認められる事情にあり,当該被爆者が,放射線に影響があることが疫学的に予測される負傷又は疾病にかかった場合には放射線起因性が推定され,放射線の影響を否定し得る特段の事情が認められない限り,その負傷又は疾病は原爆放射線の影響を受けたものとして原爆症認定がされるべきである。
その場合,残留放射線や疫学調査における影響を受ける疾病の範囲の拡大,更には疾病発生の背景にある低線量部まで認められる炎症の持続や免疫の低下を考慮すべきである。
このように解釈することが,被爆者援護法10条1項が「当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときは,その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けている」こととする規定の趣旨にも合致する。
(1) 原爆投下の国際法違反性
1996年(平成8年)7月に言い渡された国際司法裁判所(ICJ。以下「ICJ」という。)の勧告的意見によれば,昭和20年8月の米国による広島及び長崎への原爆投下は明らかに国際法違反である。
国際人道法(人道原則によって武力紛争を規制する国際法規範。武力紛争に際して戦争犠牲者を保護することを目的とする1949年(昭和24年)のジュネーブ4条約等がある。)は,文民と民生施設の保護を目的とし,戦闘員と非戦闘員の区別を求めた上で,第1の原則として,国家は,文民を決して攻撃対象としてはならず,したがって,民生の標的と軍事標的を区別することのできない兵器は決して使ってはならないと命じている。次に,第2の原則として,戦闘員に不必要な苦痛を与えてはならず,そのような害を与え又は苦痛を不必要に増大させる兵器の使用は禁止されている。この第2の原則の適用において,国家は使用する兵器に関し選択の自由を無制限に有するものではないとされるのである。
これらを踏まえ,上述したICJの勧告的意見は,核兵器の威嚇及び使用が,一般的に国際人道法に違反するとした上で,「国家の存亡そのものが危険にさらされている自衛の極端な状況」という核兵器保有国にとってはほとんどあり得ない特別な条件以外の核兵器の威嚇及び使用は違法である,というICJの公的解釈が確定しているのである。つまり,米国が「国家の存亡そのものが危険にさらされている自衛の極端な状況」に置かれていたとは到底いい得ない昭和20年8月の広島及び長崎への米国による原爆投下行為は,国際法上明白に違法である。裁判例も,ほぼ同様の理由で,広島及び長崎に対する原爆投下は国際法違反であるとの判断を示している(東京地裁昭和30年(ワ)第2914号ほか同38年12月7日判決・下民集14巻12号2435頁)。
このような国際的に確定した原爆投下の国際法違反性,そして,被爆者援護法の前文の趣旨を踏まえれば,かかる違法かつ残虐な行為によって生じた被害の把握に関して,核兵器の影響を過小評価するのではなく,可能な限り広い範囲で原爆放射線の影響を認定することが,被爆国としての有り様であり,被爆者援護法の正しい法解釈の在り方である。
(2) 行政制度目的に合致した解釈
ある行政目的のために一定の行政制度が作られ,その制度においてある給付がされる場合において,その給付要件の判断及び解釈は,その行政制度の目的に合致するように判断されるべきであって,その給付要件の判断及び解釈が,一般の対等な市民関係を規定している民法の判断及び解釈と同一であってよいはずはない。このことは,例えば,労働災害補償保険給付請求事件における業務上外の認定に関する「業務起因性」を判断するに当たって求められる立証の程度が,一般の対等な市民関係において求められる因果関係の立証の程度よりも実質的に軽減されており,また,公害健康被害の補償等に関する法律に基づく補償給付を受けるに当たって,申請者の疾病が大気の汚染によるものであるか否かの認定を受けるについても,この「起因性」の判断において求められる立証の程度は,一般の対等な市民関係において求められる因果関係の立証の程度よりも軽減されるべきとされており,それが公害被害者の健康被害の填補及び公害被害者の福祉等を図るという同法の制度目的から導かれる当然の帰結であると解されていることからも明らかである。
したがって,被爆者援護法の判断において求められる立証の程度が,通常の損害賠償請求訴訟における因果関係の立証よりも軽減されるべきことは当然である。
その際,特に放射線の影響が未解明であること及び数十年も経過した後に,すなわち,被爆後70年近くも経過した後にその認定を行うこと,更に被爆者援護法前文において「高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策」と規定され,原爆症認定が医療給付を目的とするものであることを考えるべきである。
(3) 国家補償的配慮の存在
被爆者援護法の目的は,被告が加害者としての立場にあるものとして,戦争被害者に対する国家補償制度を創設する,という点にある。つまり,被爆者援護法は,本来被告の責任において賠償を行う国家賠償としての理念を根底に持ちつつも,人類史上最悪の被害を受けた被爆者が,放射線の影響を否定し得ない疾病などに冒された場合に,これを一律救済する,一種の社会保障的な性格を持つ被爆者救済のための立法,つまり,国家補償に基づく法律である。
最高裁昭和50年(行ツ)第98号同53年3月30日第一小法廷判決・民集32巻2号435頁も,被爆者援護法の前身である被爆者医療法が,実質的に国家補償的配慮が制度の根底にあることは否定することができないと判示している。さらに,近時の在外被爆者に関する裁判例の中で再三確認されているのは,この「国家補償的配慮」である。
したがって,原爆症認定制度は,第1に,国家補償制度であるから,処分行政庁の裁量の幅は極めて限定されており,その給付対象者指定について,被告の都合で狭く限定することは絶対に許されず,第2に,被爆者援護のための制度であるから,その給付手続は簡易にすべきであり,また,被爆者援護の目的からして援護の必要がある者を広く援護の対象とする解釈が採られるべきであり,制度の運用に当たっては,給付漏れを作ってはならないという国家の義務が認められる。
よって,原爆症認定における「起因性」の解釈については,国家補償的配慮から,当然,被爆者において放射線に影響があることを否定し得ない負傷又は疾病にかかり,医療を要する状態となった場合には,放射線起因性が推定され,放射線の影響を否定し得る特段の事情が認められない限り,その負傷又は疾病は原爆放射線の影響を受けたものとして原爆症認定がされると解釈すべきである。
(4) 規定の在り方からの解釈
被爆者援護法の法文の規定の仕方をみても,被爆者援護法24条の特別手当が,被爆者の病状や損害にかかわらず一律に支給される,すなわち,通常の民事訴訟における損害立証が全く求められていないこと,被爆者援護法10条及び11条2項には「起因」という文言が用いられ,通常因果関係を表す「より」とか「よる」などという文言が用いられていないことから,原因と結果との関係が一義的に対応しなくとも放射線が一つの原因となっている場合も含むと解せられること,被爆者援護法10条1項は,「必要な医療の給付を行うことができる」ではなく「給付を行う」とされていて,給付の義務を定めていることから,被爆者援護法の「起因性」については,損害賠償請求訴訟における因果関係とは全く異なった解釈を採るべきであり,その意味からも,原爆症認定申請者の立証責任は軽減されるべきである。
(5) 公平の理念に基づく立証負担の軽減
さらに,原爆放射線の起因性を判断するに当たっては,公平の理念に基づいて因果関係の立証責任を軽減させるべき事情が存在する。すなわち,放射線被害の未解明性,原爆被害の隠蔽と放置,そして,証拠の偏在である。証拠は散逸し,また,隠蔽され,被爆者の入手することのできる証拠は限られている。すなわち,原爆投下により,広島及び長崎の地域社会は崩壊ないし消滅し,公務所も破壊され,被爆について証人となってくれるはずの家族や職場の同僚も失われ,被爆者にとっては,被爆の事実を証明することさえ困難である。まして,爆心地近くに入った入市被爆者の場合,爆心地近くにはまともに生存者もなく,知り合いに会うことができない場合も多く,また,救援部隊として集団で入った者も,同僚は徐々に死に絶え,あるいは,散り散りになってしまっているのである。
さらに,昭和22年,米国によりABCCが設立され,被爆者の調査データを独占した。そして,その研究及びデータは昭和50年に日米共同出資で設立された放影研に引き継がれ,独占状態が続いている。すなわち,放射線の影響に関する科学的調査や疫学的調査など,本件訴訟の重要な証拠となる事項については,ABCCと放影研,ひいては厚生労働省が全てのデータを独占している状態ということができるのである。このような事情の下で,高齢化しており証拠を十分そろえられるはずもない被爆者に対し,放射線起因性の立証責任について通常の損害賠償請求訴訟の因果関係と同程度のものを求めることは公平の理念に著しく反する。したがって,放射線起因性の立証責任は当然軽減されるべきであるし,被爆者援護法もそれを予定しているというべきである。
4 原爆症認定基準の策定の変遷とその認定審査実務の問題点
(1) 旧審査の方針及び新審査の方針の策定経緯
最高裁平成12年判決及び大阪高裁平成11年(行コ)第13号同12年11月7日判決・判時1739号45頁を受けて,医療分科会は,平成13年5月25日に旧審査の方針を決定し,これを処分行政庁による原爆症認定の基準とした。これは,原爆の初期放射線と放影研による疫学調査結果を組み合わせて,悪性腫瘍と副甲状腺機能亢進症については,原因確率を基礎に認定し,非がん疾患である白内障については,しきい値を基礎に原爆症認定をするものであった。
しかし,この旧審査の方針は,最高裁平成12年判決の原告でさえ,原爆症認定がされないという最高裁平成12年判決に係る訴訟の趣旨に全く反する基準であった。
そのため,日本被団協の提唱により原爆症認定集団申請及び集団訴訟の取組みが行われ,平成15年4月17日に最初に提訴のあった集団訴訟は,全国17地裁に係属し,原告の数は306人に及んだ。そして,大阪地裁平成15年(行ウ)第53号ほか同18年5月12日判決・判時1944号3頁(以下「大阪地裁平成18年判決」という。),広島地裁平成15年(行ウ)第11号同18年8月4日判決・判タ1270号62頁(以下「広島地裁平成18年判決」という。)を始めとして,全国の裁判所で原告勝訴判決が相次いだ。
その結果,平成19年8月6日,内閣総理大臣が広島で認定基準の検討を指示し,これを受けて平成20年3月17日の医療分科会で新審査の方針が策定され,更に平成21年6月22日の医療分科会で改定後の新審査の方針が策定された。
(2) 新審査の方針の内容と問題点
ア 新審査の方針の内容
新審査の方針(改定後の新審査の方針を含む。)は,原因確率を改め,被爆の実態に一層即したものとするため,① 被爆地点が爆心地から約3.5km以内である者,② 原爆投下から約100時間以内に爆心地から約2km以内に入市した者,③ 原爆投下から約100時間経過後であって原爆投下から約2週間以内の期間に,爆心地から約2km以内の地点に1週間程度滞在した者(積極認定対象被爆)から,〈ア〉悪性腫瘍(固形がんなど),〈イ〉白血病,〈ウ〉副甲状腺機能亢進症,〈エ〉放射線白内障,〈オ〉放射線起因性が認められる心筋梗塞,〈カ〉放射線起因性が認められる甲状腺機能低下症並びに〈キ〉放射線起因性が認められる慢性肝炎及び肝硬変(積極認定対象疾病)の認定申請がされた場合には,格段の反対すべき事由がない限り,放射線起因性については積極的に認定する(積極認定)としている。
そして,これらに該当しない場合の申請については,申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその放射線起因性を総合的に判断する(総合認定)こととしている。
イ 新審査の方針における積極認定の意味
新審査の方針による積極認定には二つの意味があり,第1は,平成13年の旧審査の方針の誤りについて多くの判決の指摘を受け,これを受け入れたことである。そして,第2は,一定の範囲について,「格段の反対すべき事由がない限り,放射線起因性を積極的に認定する」として,放射線起因性を推定していることである。この場合の放射線起因性の推定は,① 積極認定対象被爆の範囲では,一定の放射線被曝を推定する,② 積極認定対象疾病について,〈ア〉 当該疾患が放射線の影響で発症するものであることを認める,〈イ〉 当該疾患を発病した被爆者が積極認定対象被爆をした被爆者であるときには,放射線起因性を推定するという意味を持っている。
ウ 積極認定対象被爆の意味
原爆症認定集団訴訟における原告勝訴判決の積み重ねを受け,全国の判決内容やそれを支持する証拠からみて一定範囲では被爆当時の個々人の感受性の相違から急性症状が出現しなくとも相当量の放射線被曝をしている者がいると考えられること,また,被爆後60年以上を経過しており,行政認定に当たって被爆当時の事情を明らかにすることが困難であること等を考慮し,一定範囲の被爆を受けた者が一定範囲の放射線の影響のある疾患を発症した場合には,個別に症状経過をみることなく,その発症した疾患が原爆放射線に起因するものと推定しようとしたのが,新審査の方針の積極認定対象被爆である。
ただし,残留放射線の量は,必ずしも距離と比例せずに影響がみられるにもかかわらず,厚生労働省は確率的影響とされる悪性腫瘍(がん)についても積極認定対象被爆の距離や時間を超えると一律に申請を却下するという処理を行っているという問題がある。
エ 積極認定対象疾病について
(ア) 積極認定対象疾病の内容
新審査の方針(改定後の新審査の方針を含む。)では,積極認定対象被爆をした被爆者から,前記7疾病について,申請がある場合には,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との間の関係を積極的に認定するとされた。
この7つの積極認定対象疾病のうち,〈ア〉悪性腫瘍(固形がんなど),〈イ〉白血病及び〈ウ〉副甲状腺機能亢進症は,平成13年5月に定められた旧審査の方針において,確率的影響によるとして「原因確率」による認定対象疾患とされていたものであり(旧審査の方針の第1の2及び別表1の1ないし8参照),また,〈エ〉放射線白内障はしきい値があるとして扱われてきた疾患(旧審査の方針の第1の3参照)である。これに,新たに〈オ〉心筋梗塞,〈カ〉甲状腺機能低下症並びに〈キ〉慢性肝炎及び肝硬変が加わった。
(イ) 非がん疾患における確定的影響と確率的影響峻別の残滓
大きな問題は,前記疾病のうち〈エ〉ないし〈キ〉については,「放射線」ないし「放射線起因性のある」という修飾語が付け加わっていることであり,そこに確定的影響における「しきい値」の残滓があることである。
従来,確定的影響とは,一定の被曝量(しきい値)で臓器や組織を構成する細胞の一定割合が,細胞死や細胞変性を起こして,症状が出現することとされており,組織ないし臓器の機能に影響が起こるほど一定の割合の細胞を傷つけるには,最低必要と考えられるしきい値(被曝線量)があるとされていた。これに対し,確率的影響については,細胞死を免れた細胞において「放射線がDNAに損傷を与え,このDNA損傷がある確率で遺伝子の突然変異になり,ある確率でがんになる」とされてきた。したがって,被曝線量にしきい値は想定されず,発生率が線量反応関係,つまり,被曝線量との比例関係を示すとされてきた。そして,これまで,原爆症認定においては,確率的影響はがんのみであり,非がん疾患は確定的影響であるとする前提で原爆症認定が進められてきた。
しかし,このようなドグマは,副甲状腺機能亢進症についての厚生労働省の扱いを見るだけで既に破綻していた。のみならず,放影研の長期にわたる研究の結果,被爆後,長期間経過後に現れる心筋梗塞や白内障,慢性肝炎,肝硬変についての放射線起因の機序について,単純に放射線被曝により損傷を受けた細胞の細胞死を中心とする確定的影響としてではなく,放射線を受けたことに伴う中間因子を介して,しきい値をもたない,確率的影響を表すのではないかということが示唆されるようになった。そして,がんの確率的影響が被爆時に形成された遺伝子の傷の単純な増幅であり,非がん疾患の確定的影響は被爆時の細胞死や細胞変性の単純なその出現過程であるという単純な区分,単純な確率的影響と確定的影響の峻別論は,その後の放影研の研究等を通じて,被爆者の長期生存によって非がん疾患の発症が線量に相関するという確率的影響が存在することが知られ,また,がんや非がん疾患の発症に影響を及ぼす免疫や炎症の異常も放射線の確率的影響を受け生じている点からみて,がんと非がん両者は接近し,確率的,確定的の両者の峻別に固執することの合理性そのものに重大な疑問が生じたのである。特に,被爆者の体内において炎症の長期間持続的亢進や免疫異常の長期的持続,更にはそれらの異常が被曝線量との有意な線量反応関係を持つこと等は,従来の確定的影響と確率的影響の峻別論では知られていなかった点である。
そして,疫学上は,しきい値を示さない線量反応関係の非がん疾患が徐々に明らかになっているのである。
(3) 新審査の方針下の原爆症認定と司法判断の乖離
このように,悪性腫瘍と非がん疾患を峻別することに問題があるのみならず,集団訴訟における非がん疾患の認定(すなわち,却下処分の取消し)状況をみるならば,慢性肝炎等を非がん疾患であるとして高いしきい値を設定し,遠距離被爆者や入市被爆者であるということを理由に近距離被爆者以外はその認定をしないということの誤りは明らかである。また,そこには初期放射線のみを重視するという誤りも複合して存在している。
しかし,処分行政庁は,「放射線」ないし「放射線に起因する」という修飾語が付された非がん疾患については,甲状腺機能低下症が2km前後まで認定される例があることを除けば,1.5km以内の近距離直接被爆者のみに対して原爆症認定をし,これを超える遠距離被爆者や入市被爆者に対しては原爆症認定をしないという処理を続けている。これは,新審査の方針の策定の契機となった司法判断の趣旨に反するものであり,前述した確認書の約旨にも反するものである。
(4) 再改定後の新審査の方針の策定経緯と在り方検討会
ア 在り方検討会の設置
新審査の方針の不十分さから,その策定後も司法判断と行政認定の矛盾,乖離は解消せず,被告の敗訴判決が続き,平成21年8月6日,日本被団協と内閣総理大臣との間で確認書が締結されるとともに,「19度にわたって,国の原爆症認定行政について厳しい司法判断が示されたことについて,国としてこれを厳粛に受け止め,この間,裁判が長期化し,被爆者の高齢化,病気の深刻化などによる被爆者の方々の筆舌に尽くしがたい苦しみや,集団訴訟に込められた原告の皆さまの心情に思いを致し,これを陳謝致します」という官房長官談話が発表されるに至った。
そして,同年12月1日に全政党,全会派一致の下で成立した基金法の附則に基づき,司法判断と行政認定の矛盾,乖離を解消するため,在り方検討会が設置された。
しかし,再改定後の新審査の方針の前提となった在り方検討会報告書をまとめた在り方検討会は,在り方検討会報告書の策定に当たって,在り方検討会に求められた司法判断と行政判断の矛盾,乖離を解消するという本来的役割を全く果たさず,むしろ,厚生労働省が恣意的に放射線起因性の判断基準を策定するための根拠とされることとなった。さらに,この在り方検討会報告書を受けた医療分科会における不合理及び不可解な議論,審理の末に策定されたものが,平成25年12月16日に医療分科会において策定された再改定後の新審査の方針なのである。
イ 在り方検討会の原点
在り方検討会は,原爆症認定集団訴訟に連敗した被告が被爆者に対して認定制度を抜本的に改定することを約束したことが原点である。そのことは取りも直さず被爆実態に寄り添い,被爆者の声に謙虚に耳を傾けることでもある。そして,このことが在り方検討会の冒頭で,原爆症認定制度に関する被爆者の思いという形で語られていたことは重要である。
また,在り方検討会のもう一つの原点は,厚生労働省自身が,行政認定と司法判断の乖離を正面から認め,その矛盾を解決する制度について真剣に議論を行い,具体的な方策,つまり,制度の改善を検討することであった。
ウ 在り方検討会の実情
(ア) 構成員の偏り
在り方検討会の構成メンバーは,厚生労働省が,日本被団協が推薦した多くのメンバーの採用を拒み,また,日本被団協の「人選の事前協議」要請も無視した上で,厚生労働省の独断で選任された者が多数を占めた。これは,司法判断と行政認定の矛盾や乖離について議論が行われる場としての人選としては極めて不自然なことである。特に,在り方検討会は,認定審査自体が重大な争点となっているにもかかわらず,原爆症認定審査を行っている医療分科会の現職あるいは元職の委員が選任され,在り方検討会の議論をリードしていたことも極めて不自然である。このような委員による在り方検討会の議論が,決して公平かつ合理的なものではなく,妥当な結論も導かれるはずがなく,実際にも,在り方検討会の議論の方向性は,厚生労働省による不自然な誤導や誘導により運営され,その結果,在り方検討会の報告が取りまとめられたというのが実態である。
(イ) 在り方検討会における検討状況
a 第1回から第6回まで(知る段階)
在り方検討会は,平成22年12月9日から平成25年12月5日までの3年にわたり,合計26回開かれた。その検討内容は,大きく三つの段階に分かれており,① 「知る段階」(第1回から第6回まで),② 「考える段階」(第7回から11回まで),③ 「作る段階」(第12回から第26回まで)で構成されている。
その第1回では,委員である日本被団協事務局長の田中熙巳から,「原爆症認定制度の在り方に関する検討会の議論にあたって」という文書が提出され,現行の原爆症認定制度の重大な欠陥の指摘,原爆による放射線被害の正しい理解の欠落の指摘がされ,在り方検討会が被爆者の実情や思いを尊重し,自主的にかつ民主的に運営されることを願う旨の発言がされた。また,第2回から第4回までにわたっては,① 被曝実態の認識の共有の議論(第2回),② 参考人である日本被団協の伊藤直子の「原爆症認定制度の問題点と在り方」と題する提案(第2回),③ 参考人の齋藤紀の「認定制度のあり方について」と題する報告(第4回),④ 参考人である原爆症認定集団訴訟全国弁護団連絡会の事務局長の宮原哲朗の「司法と行政の乖離に関する意見書」と題する報告(第4回)やその他参考人らのヒアリングが行われた。
しかし,厚生労働省は,第5回及び第6回において,「原爆症認定審査の現状について」と題する資料(第5回の資料2)を提出して説明を行ったものの,同資料は,単に認定制度の仕組みの説明,認定疾病に関する医学的な説明及び医療分科会の審査の状況の説明をするにとどまるものであった。また,厚生労働省が提出した資料である「原爆症認定に係わる司法判断について」(第5回の資料3)も,形式的に司法判断と行政判断の違いを説明し,あるいは,圧倒的に少数の被告勝訴判決と圧倒的に多数の被告敗訴判決を単純に並列的に並べた上で,両者に矛盾があると説明するものであった。
このように,厚生労働省は,被告の圧倒的な敗訴の原因を分析し,更にその敗訴の実態に見合った審査状況になっていない現状の真摯な検討を行わなかった。
かかる厚生労働省の対応に対し,第6回において,田中熙巳は,「第5回原爆症認定制度の在り方検討会における厚生労働省の報告等に対する意見」を提出し,厚生労働省の前記報告に対して「大変失望した。」との意見を提出した。また,宮原哲朗は「原爆症認定制度の在り方に関する検討会(第5回)について」という報告書を提出し,厚生労働省が残留放射線を考慮しないことについて反論した。さらに,原爆症認定集団訴訟弁護団の内藤雅義は,残留放射線の評価に関する厚生労働省の誤った認識に対して「厚生労働省の原爆症認定をめぐる最後の抵抗」と題する意見書を提出した。
b 第7回から第11回まで(考える段階)
第7回と第8回には,司法判断と行政認定の乖離の問題について議論が行われた。
そして,第8回検討会において,田中熙巳から健康局長のC22宛てに「第7回検討会の議論をより充実して行うために」と題する文書が提出され,厚生労働省に対し,① 悪性腫瘍と非がん疾患の審査実務の実態は明らかに隔絶しており,白内障,甲状腺機能低下症,心筋梗塞,肝機能低下症など,非がん疾患については集団訴訟の判決との矛盾は更に拡大していること,② 公開された認定,却下別審査結果一覧表によれば,悪性腫瘍は3.5kmあるいは100時間を少しでも超えるとほとんど認定されず,また,非がん疾患は,被爆距離1.5km以内(ただし,甲状腺機能低下症に若干の例外がある。)でしか認定されず,入市被爆者は一人も認定されておらず,集団訴訟の判決と明らかに矛盾する認定が行われていることの説明を求めるとともに,③ 厚生労働省が第5回の「原爆症認定集団訴訟の判決に関するデータ」で整理したとおり,原爆症認定申請却下処分を取り消した判決は180件(提訴者数の89.5%)と,被告の敗訴比率が圧倒的に高いことから,単純に被告の敗訴判決と勝訴判決を比較するのではなく,どのような理由で圧倒的な敗訴判決が積み重ねられたのかに対する分析の必要性を求めた。
また,第9回から第11回まででは,① 基本的な制度の在り方,② 原爆症認定制度を前提とした場合の認定制度,③ 原爆症認定制度における手当についての議論が行われたが,この段階での議論の重要な点は,上記の①②③に関して田中熙巳から,日本被団協の原爆症認定制度に関する改定内容の提案が,その根拠を示しつつ具体的に提起されたことであり,また,それを支持する意見がその前後に多く出されていたことである(第3回における参考人の谷口英樹,第6回における委員の高橋進,第10回における委員の長瀧重信及び第11回における委員の高橋進の各意見)。日本被団協が提案した「原爆症認定制度の在り方に関する日本被団協の提言」の概要は,① 被爆者援護法10条及び11条の原爆症認定制度を廃止し,その上で医療特別手当,特別手当,健康管理手当及び保健手当は全て廃止した上で被爆者手当を創設する,② そして,申請者が一定の疾病に罹患した場合には障害の度合いに応じて,手当の「加算」を行う(第9回の資料4)というものである。
また,第9回の議論を開始するに当たって,それまでの在り方検討会のまとめが事務局から提出された。
しかし,その内容はこれまでの在り方検討会の議論の経過を正確に反映するものでなかったため,第10回において,田中熙巳から「「論点整理」の提出と「議論のポイント」への意見,及び日本被団協の「提言」について」と題した文書が提出された。同文書には,在り方検討会のこれまでの議論と経過を踏まえた上で,「原爆症認定制度の改正に関する論点整理」として,在り方検討会のそれまでの経過に関する全面的かつ詳細な批判等の報告がされている。
c 第12回から第26回まで(作る段階)
(a) 中間取りまとめの内容(第13回)
第13回において,①基本的な制度の在り方,②原爆症認定制度の認定基準及び③手当に関して,これまでの議論を基におおむね認識の共有が図られつつあると考えられる事項と,更なる議論が必要と考えられる事項に振り分けられ,これを基に「中間とりまとめ」が策定された。しかし,「中間とりまとめ」には,共通化が図られつつあるとする事項での重要な欠落があるなどの問題があり,田中熙巳から取りまとめの問題点を指摘した「「中間とりまとめに向けた議論の整理(案)」に関する意見」が提出された。
(b) 具体的な制度設計に向けた議論(第14回から第22回まで)の内容
この点,被告は,中間取りまとめの議論を踏まえて,具体的な制度設計として二つの方向性,すなわち①現行の原爆症認定制度を廃止し,全ての被爆者に基本的な手当を支給する方向性(方向性1)と,②現行の原爆症認定制度をよりよいものにしていくことを基本として,審査基準を客観化し,司法判断と行政認定の乖離をできる限り縮めていく努力をする方向性(方向性2)を想定した上で,いきなり制度の改廃を議論するよりも,司法判断と行政認定の乖離を認め,どのように埋めていくかという問題をいかに解決すべきかという観点を先行させることが有益であるとして議論が整理されたと主張する。
しかし,上記のような整理がされたことはなく,在り方検討会では,認定制度改廃の議論は,それ以前も,また,その後も,ことある毎に俎上に上り,また,繰り返し議論が行われていたというのが在り方検討会の現実であった。
そして,「作る段階」に入ったにもかかわらず堂々巡りの議論が行われている在り方検討会の議論に対して,田中熙巳は,第17回において,「原爆症認定制度の在り方検討会の今後の進め方について・司法と行政の乖離の解決のために」と題する書面を提出しているが,そこには在り方検討会の発足の原点,「中間とりまとめ」にみられるこれまでの議論の到達点,更に今後の議論の方向性を決める残留放射線問題に関する記載がされている。
また,被告は,在り方検討会において,平成24年12月に公表された放影研の平成24年放影研見解についても議論が行われたことを強調する。
しかし,平成24年放影研見解に関しては,放影研は平成25年4月11日に広島県原爆被害者団体協議会や広島県黒い雨原爆被害者の会との協議を経た後に,平成24年放影研見解の末尾に,「この「見解」の趣旨は,広島・長崎に投下された原爆の場合,直接放射線に比べて残留放射線への曝露量が小さいことを説明したものであり,原爆の残留放射線による健康影響がないことを説明したものではありません(2013年5月1日)」との記載をしていることに留意しなければならない。
さらに,平成24年放影研見解に対しては,第20回において,田中熙巳から「「残留放射線」に関する放影研の見解と,これに基づく第19回在り方検討会の議論の問題点」という明確な反論が提出されている。
(c) まとめに入った在り方検討会に対する批判意見の提出
第23回では,厚生労働省から提出された「検討会におけるこれまでの議論の整理」をめぐって議論が交わされた。田中熙巳は,第24回において,上記の資料と議論に関して,「第23回検討会報告における議論の整理に対する意見」を提出した。田中熙巳は,同意見書で,「司法判断と行政認定の解消について」,「放射線起因性」,「要医療性」と順次詳細にその問題点を指摘した上で,最後に在り方検討会の整理の具体的な方向性として,日本被団協の提言の正確な理解を求め,かつ,厚生労働省の提案に対して批判を加えている。
また,田中熙巳は,第25回において,第24回において厚生労働省から提出された「原爆症認定制度の在り方に関する検討会報告骨子案」に対して,「検討会報告の骨子案批判」を提出している。
この意見書は上記骨子案に対する総括的な批判であるが,この中で,田中熙巳は,なぜ司法判断と行政判断との乖離が生まれたのか,この在り方検討会は乖離を埋めるためにどのような方向に進むべきか,ということに関する的確な分析が行われていないこと等を指摘し,正に「竜頭蛇尾」,「羊頭を掲げて狗肉を売る」がごとくであるため,このような方向で検討会の骨子がまとめられるようであれば,日本被団協としては,そのような在り方検討会の報告には同意することができないと明言した。
さらに,田中熙巳は,第26回において,厚生労働省から提出された「原爆症認定制度の在り方に関する検討会報告書(案)」に対して,「原爆症認定制度の在り方に関する検討会報告書(案)への対案」を提出し,在り方検討会の報告案の全ての項目について詳細に対案を提示した。
(ウ) 在り方検討会報告書の内容
平成25年12月4日,在り方検討会報告書がまとめられた。
その内容は,議論の到達点を示すものではなく,日本被団協が推薦する委員の賛同が得られない状況の中で,形式上は両論併記の形を採りつつ,実際には,中間段階までに積み上げられた貴重な共通認識も無視され,厚生労働省側の誘導あるいは誤導によりまとめられたものである。
そして,このようにして取りまとめられた在り方検討会報告書を踏まえ,第151回の医療分科会において再改定後の新審査の方針は策定されたのである。
(5) 再改定後の新審査の方針について
ア 再改定後の新審査の方針が積極認定とする内容は,以下のとおりである。
(ア) 悪性腫瘍(固形がん),白血病,副甲状腺機能亢進症
① 被爆地点が爆心地から約3.5km以内である者,② 原爆投下から約100時間以内に爆心地から約2km以内に入市した者,③ 原爆投下から約100時間経過後から,原爆投下から約2週間以内の期間に,爆心地から約2km以内の地点に1週間程度以上滞在した者のいずれかに該当する者から申請がある場合については,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を原則的に認定するものとする。
(イ) 心筋梗塞,甲状腺機能低下症,慢性肝炎及び肝硬変
① 被爆地点が爆心地から約2km以内である者,② 原爆投下から翌日までに爆心地から約1km以内に入市した者のいずれかに該当する者から申請がある場合については,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定するものとする。
(ウ) 放射線白内障(加齢性白内障を除く)
① 被爆地点が爆心地から約1.5km以内である者から申請がある場合については,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定するものとする。
なお,上記(ア)ないし(ウ)に該当する場合以外の申請についても,「申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を総合的に判断するものとする」とされている。
イ この再改定後の新審査の方針も,これまでの司法判断と行政判断の矛盾,乖離を解消するものでなく,甚だ不十分な内容であるが,その積極的な側面は以下のとおりである。
(ア) DS86,DS02と原因確率,しきい値を軸とする旧審査の方針の誤りを自認するものであること
(イ) 被爆者援護法の放射線起因性の判断において,被爆者救済という被爆者援護法の趣旨を踏まえる必要があることを自認したこと
(ウ) 少なくとも,爆心地から約3.5km以内の被爆や原爆投下後100時間以内に爆心地から約2km以内に入市した場合,原爆投下から約100時間経過後から,原爆投下から約2週間以内の期間に,爆心地から約2km以内の地点に1週間程度以上滞在した場合に,当該被爆者が放射線の影響を受けたこと,残留放射線又は放射性降下物の影響が認められることが争いのない事実となったこと(なお,心筋梗塞,甲状腺機能低下症並びに慢性肝炎及び肝硬変については,爆心地から約2km以内の被爆や,原爆投下後翌日までに爆心地から約1km以内に入市した場合に限定されているが,後述のとおり,かかる線引きに合理性はなく,少なくとも上述した当該態様で被爆した被爆者に初期放射線,残留放射線又は放射性降下物の影響など,放射線の影響が認められることは明らかである。)
(エ) 積極認定対象疾病は,放射線の影響によって一般的に発症する可能性のある疾病であることが争いのない事実となったこと
(オ) 積極認定に該当しない場合であっても,放射線起因性は否定することができず,総合的な判断(総合認定)が必要であること
ウ 被告は再改定後の新審査の方針策定を契機に「見直し」を行ったが,上述したような不合理な線引きによって認定されなかった申請者らが各地の裁判所で却下処分の取消しを求め続けている。本件訴訟の原告らもその一員であるが,本件訴訟に先行して大阪地裁平成22年(行ウ)第144号ほか同26年3月20日判決で4人が勝訴し,熊本地裁平成23年(行ウ)第1号ほか同26年3月28日判決・判例秘書で5人が勝訴した。さらに,大阪地裁平成22年(行ウ)第56号同26年5月9日判決・判例秘書でも2人が勝訴した。
これは,被告の再改定後の新審査の方針及びその運用による原爆症認定行政が,被爆者援護法の趣旨にかなうものではなく,司法判断を無視し続けるものであることにほかならない。
(6) 積極認定の範囲で線引きすることの不合理性及び非科学性について
そもそも原爆症認定の要件である放射線起因性が認められるか否かは,被爆者援護法の趣旨に基づきされる法的な判断である。そして,残留放射線の問題や原爆放射線の人体影響が原爆投下から70年になろうとする現在においても,なお未解明であることを前提に,高齢化の進行している被爆者の救済を図るために被爆者援護法が制定されている。つまり,積極認定の範囲で線引きすることは,被爆者援護法の趣旨を没却するものであり,既に再三裁判所で否定されてきたものでもある(例えば,東京高裁平成19年(行コ)第137号同21年5月28日判決・判例秘書(以下「東京高裁平成21年判決」という。))。
また,以下に述べるとおり,残留放射線に関する研究や被爆者の疫学調査から得られた近時の知見等に照らしても,積極認定の範囲での線引きは,原爆放射線の影響を矮小化するものであることが明らかである。
ア 距離ないし時間による線引きの不合理性
(ア) 遠距離被爆について
a 膨大な量の放射性物質を含む広島の原子雲は,米国軍機撮影の写真からは原爆投下後1時間で爆心から15km程度まで広がった。また,長崎の原子雲は,雲仙測候所のスケッチから,北は大村から南は野母崎まで,爆心から20km程度まで広がった。ネバダ砂漠の核実験においても,50レントゲンの照射線量(ほぼ吸収線量の0.45グレイに相当)の地域がテスト・サイトから20km以上はみ出している。放射性微粒子の総量は膨大な量に及ぶので,そのほんの一部分だけが地上に降下したと考えるだけでも,大量の放射性降下物が爆心から少なくとも3.5kmをはるかに超えた範囲に降り注いだことは明らかである。
b 火球と衝撃波の外にあって原爆から放射された中性子線により誘導放射化された地上の物質(誘導放射能)は,衝撃波と爆風により爆心地から粉砕,飛散したものと考えられ,これが残留放射能として影響を与えたことも否定することができない。さらに,このような誘導放射化された物質は,原爆炸裂後に発生した火災により,広い範囲で降下したと考えられる。
(イ) 入市被爆について
a 生活の場であった広島,長崎両市においては,初期放射線により誘導放射化された物質の量も看過し得ない多量のものであり,誘導放射化された土壌からの土埃,建築資材,家屋の木材が焼けたすすなどは,原爆による衝撃波や火災の影響もあって大量に上空に舞い上がり,原爆本体由来の放射性微粒子と共に,単に地上から外部被曝をするだけではなく,皮膚に付着しあるいは体内に取り込んで影響を与えることがあった。
加えて,誘導放射化された物質の全てが極短半減期のものとはいえず(今中哲二報告,DS86報告書第6章),例えば,鉄59の半減期は45.5日,コバルト60の半減期は5.3年,硫黄35の半減期は14日,リン32の半減期は14日である(鎌田七男ら第1報告)。したがって,地上の物質から持続的に被曝した場合には,大きな影響を受けることもあり得た。
b また,原爆炸裂後100時間の時点では,放射性降下物はベータ崩壊系列の途中であり,ベータ線は放射し続けられていた。この点,崩壊系列の最長半減期が1週間以上となるものは,核分裂生成原子の崩壊系列で62%を占め,このことからも,爆発後100時間あるいは1週間の時点では,放射線強度は投下直後に比べてさほど減少していないとも指摘されている。
(ウ) 以上のとおり,放射性降下物の降下範囲や,爆風,火災による誘導放射化された物質の飛散などからすれば,爆心地から2kmないし3.5kmを超えれば放射線被曝がなかったと考えることはできず,あたかも原爆放射線は初期放射線に限られるかのごとく,2kmないし3.5kmという爆心地からの同心円状の距離をもって線引きすることは不合理である。
しかも,近年の研究によって,被爆地点が同じでも,若年者ほど被爆によるリスクが大きいことが示されている。被爆時年齢も考慮せずに単純に距離で線引きをして「放射線起因性を認めるべき科学的根拠が一般的に乏しい」とすることは,むしろ非科学的ともいえる。
さらに,がんリスクにしきい値がないことが一層強化されるとともに,非がん疾患についてもしきい値がないと考えることが合理的であることが示されている。すなわち,近時の知見によって,がんと非がん疾患を確率的影響と確定的影響に峻別する従来の考え方自体が大きく揺らいできているのである。それにもかかわらず,がんは直爆約3.5km以内とする一方で,心筋梗塞,甲状腺機能低下症並びに慢性肝炎及び肝硬変については直爆2km以内と,大幅に限定すること自体も不合理,非科学的である。
(エ) また,入市時間についても,誘導放射化された物質全てが極短半減期のものとはいえないこと,核分裂生成物質の放射線強度は爆発後100時間あるいは1週間の時点では投下直後に比べてさほど減少していないとも指摘されていることからすれば,原爆投下翌日ないし約100時間を経過すれば,直ちに放射線が消失したと考えることはできない。
既に明らかになっている知見に照らしても,同じ入市時間でも若年者ほど被爆によるリスクが大きくなることも示されている以上,一律に入市時期だけで線引きして「放射線起因性を認めるべき科学的根拠が一般的に乏しい」とすることもできないことは明らかである。
また,近時の知見によって,がんと非がん疾患を確率的影響と確定的影響に峻別する従来の考え方自体が大きく揺らいできていることからすれば,がんは約100時間以内に約2km内の入市等とする一方で,心筋梗塞,甲状腺機能低下症並びに慢性肝炎及び肝硬変については翌日までに約1km内の入市と,大幅に限定すること自体も不合理,非科学的である。
イ 疾病による線引きの不合理性
(ア) いまだ原爆放射線の影響評価には未解明な部分が数多く存在し,被爆者の追跡調査を継続していく中で,時間の経過とともに徐々に多くの疾患に対する放射線影響が明らかになっている途上である。その傾向は近年も同様で,慢性腎臓病,高度腎機能障害,正常眼圧緑内障など,積極認定対象疾病とされている疾病以外でも,広く放射線影響が示唆されるようになっている。
さらに,放射線被曝が自然老化の促進と共に原爆被爆者の持続的炎症状態を亢進している可能性が認められ,免疫老化の促進に伴う炎症応答によって起こり得る疾患自体への放射線影響も示唆されている。UNSCEAR2010年報告書ですら,原理的には,もし,放射線が,身体の持っている感染,がん又は他の疾患に対する免疫応答の能力を強化又は低下するように働けば,放射線被曝によりいかなる疾患のリスクも影響を受けることになる旨言及するに至っている。
こうした被爆者の疫学調査が歩んできた経過や機序の面から広範な影響が示唆されてきていることからすれば,被爆者に生じた病気が原爆放射線と関係がないと判断することは極めて慎重でなければならない。ましてや積極認定の対象とされていないから原爆症ではないなどと判断することはあってはならないのであって,疾病で線引きすることに合理的根拠はない。
(イ) それにもかかわらず,疾病名だけで線引きしようとすることがもたらす不合理性が最も端的に表れているのが狭心症である。心筋梗塞と動脈硬化性の狭心症の発生機序は全く同じであり,両疾病の違いは血管が閉塞して心筋が壊死してしまうか否か,すなわち,症状が可逆的であるか不可逆的であるかの違いしかない。したがって,疾病の発生に対する放射線の影響は全く同様に考えられ,放射線起因性に関しては両疾病を区別して考える必要は全くない。各地の裁判例も,両者を「いわば同質の疾病」等と述べて放射線起因性を論じている。
第3 原爆被害の実態(被曝の実相)
原爆症の認定に当たっては,放射線のみを分離して理解するのではなく,原爆被害全体,それもその後の被告の対応も含めて理解することが必要である。
1 人類史上最初の核兵器被害
昭和20年8月までにおいて,既に日本の多くの大都市は空襲により焦土と化し,沖縄は米国軍によって占領され,戦争の大勢は決まっていた。そして,同年7月26日には日本の無条件降伏を求めたポツダム宣言が発せられていたが,ポツダム宣言受諾を先延ばしにしていた時期に広島と長崎に原爆は投下された。
同年8月6日午前8時15分に広島に,そして同月9日午前11時2分に長崎に投下された原爆は,人類が初めて経験する核兵器による攻撃であった。
核実験による周辺住民等への被害やイラク戦争等で使用された劣化ウラン弾による被害が新たに生じてはいるものの,兵器として原爆が使用された例は,その後,現在に至るまで世界中のどこにもない。
2 原爆の物理的威力
広島に投下された原爆はウラン爆弾であり,ウラン235が核分裂性物質(核爆薬)として使われた。広島原爆は,TNT火薬に換算して約15kt,すなわち,1t爆弾で1万5000発分の威力を持ち,リトルボーイと呼ばれた。
また,長崎に投下された原爆はプルトニウム爆弾であり,プルトニウム239が核分裂性物質(核爆薬)として使われた。長崎原爆は,TNT火薬に換算して約21kt,すなわち,1t爆弾で2万1000発分の威力を持ち,ファットマンと呼ばれた。
広島原爆は二つの臨界未満の濃縮ウラン片を火薬の爆発による推進力で急速に合体させ,長崎原爆は臨界未満のプルトニウム塊を周囲に配置した高性能爆薬による収斂的な衝撃波によって圧縮して(爆縮レンズ),臨界量を超えさせると同時に引き金の中性子を打ち込むことにより,核分裂連鎖反応を開始させた。連鎖反応が続く100万分の1秒という瞬間に,広島原爆では約700g,長崎原爆では約1kgの核爆薬が核分裂して核爆発が起こった。
瞬間的な核分裂の連鎖反応により原爆が炸裂すると,炸裂の中心に数百万度,数百万気圧にも達する高温高圧状態のプラズマ,すなわち,火球が形成される。広島及び長崎では爆発から1秒後には,この火球は爆発地点(広島で地上約600m,長崎で地上約500m)を中心に半径約150mの大きさになり,表面温度約5000℃となった。頭上数百メートルのところに,いわば人工の太陽が出現したのである。
原爆のエネルギーの約35%は熱線となり,原爆の爆発と同時に空中に発生した火球は,爆発の瞬間に最高数百万度に達し,0.3秒後に火球の表面温度が約7000℃に達した(ちなみに,太陽の表面温度は約6000℃である。)。爆心地付近の温度は,約3000℃ないし4000℃に達したものと推定されている(ちなみに,鉄が溶ける温度は1500℃である。)。この熱線による皮膚のやけどは広島で爆心から3.5km,長崎では4kmの地点にまで及んだ。
また,原爆のエネルギーの50%は爆風となった。形成された火球は超高圧の大気の膨張となり,音速をはるかに超えて伝播する衝撃波(高圧な空気の壁)を生み出し,瞬時に建物を破壊した。衝撃波は,爆発2秒後に爆心から1kmの地点,4.5秒後に2kmの地点に達し,30秒後には約11kmの距離に達した。
そしてこれを追うように爆風が吹いた。その風速は,爆心地から500mの地点では秒速280mという強烈なものであった。
この外向きの爆風が吹き止むと,次は外側から内側へ空気が流れ込み,爆心地付近では上昇気流となってキノコ雲の幹を形成した。衝撃波と爆風によって爆心地から2km以内の木造家屋は壊滅的な損傷を受け,爆心地から0.5km以内では鉄筋コンクリート建物ですら多くが崩壊した。
さらに,原爆のエネルギーの15%は,放射線として人々を襲った。初期放射線として5%が,そして,残留放射線として10%が作用した。
これらの物理的威力が,そこで生活をしていた人々の上に襲いかかったのである。
3 原爆放射線による被害
原爆の核分裂の連鎖反応によって,ばくだいな数の中性子,ガンマ線及びその他の放射線が放出された。原爆容器から放出された中性子線とガンマ線は,大気中や地上の原子核に散乱され,吸収されて線量を減少させながら地上に到達する。大量のガンマ線を吸収して作られた火球からもガンマ線が放出された。原爆及び火球から放出された空気中の原子核がガンマ線や中性子線を吸収して放射性原子核になると,そこからもガンマ線が放出される。原爆が爆発して1分以内に被爆者に到達した放射線を「初期放射線」と呼ぶ。初期放射線としてはガンマ線と中性子線による直爆被爆者の体外被曝が問題になる。
核分裂の連鎖反応と同時に大量の放射性核分裂物質(「死の灰」とも呼ばれる。)が生成され,核分裂をしなかったウランも放射性物質として残り,原爆容器の原子核も「誘導放射化」される。誘導放射化された原子核は,主としてガンマ線やベータ線を放出する。こうして生じた放射性物質は,「誘導放射能」,「誘導放射化物質」(「残留放射能」と呼ばれることもある。)と呼ばれる。
これら大量の放射性物質が火球の中に含まれる。火球が膨張し,上昇して温度が下がると,火球に含まれていた様々な放射性物質は,微粒子あるいは「黒いすす」となる。更に上昇して温度が下がると,この微粒子や「黒いすす」が空気中の水蒸気を吸着して水滴となり,放射性物質を大量に含んだキノコ雲が作られる。このキノコ雲は更に上昇しながら成長し,遂には崩れて広がっていく。大きくなった水滴は,放射能を帯びた「黒い雨」となって地上に降ってくる。一旦できた水滴も,太陽に照らされて水分が蒸発すると,再び「黒いすす」になり,初めに作られた放射性微粒子や「黒いすす」と共に広範囲に地上に降ってくる。これが初期(原爆爆発後30分ないし2時間)の「黒い雨」や「黒いすす」などの「放射性降下物」である。更に微細な放射性微粒子もある。誘導放射化された物質が,爆風や衝撃波によって巻き上げられ,更に飛散することもある。また,原爆の熱線によって発生した空前の大火災によって巨大な火事嵐や竜巻が生じ,誘導放射化された地上の土砂や物体が巻き上げられて,再び「黒い雨」や「黒いすす」と共に地上に降ってくる。これも,初期の「黒い雨」に比べるとやや放射能は弱くなるが,やはり放射性降下物である。この「黒い雨」は2時間後からかなり後の時間まで断続的に降ってきた。放射性降下物から放出される放射線は,ガンマ線とベータ線及びアルファ線が重要になる。ここで,「黒い雨」は注目されやすいが,「黒いすす」や目に見えない放射性微粒子は,火災の煙であったり,目で見えなかったりするためほとんどの被爆者に気づかれなかったことは留意する必要がある(なお,残留放射能に関しては,追って詳細に述べる。)。
4 原爆による身体被害
(1) 死亡
死亡は身体被害の最たるものである。原爆による死亡原因は,熱線によるもの,衝撃波や爆風によるもの,火災によるもの,放射線によるものなど様々な要因のいずれか又は複数が複合して生じている。
なお,被爆者の死亡について,濱谷正晴によれば,被爆当日に死亡した者の半数は圧焼死,約34%は戸外で爆死している。それに対し,翌日以降1週間以内の死亡者の3分の2は大やけどが原因であり,それ以降の時期になると,次第に原爆症で死亡した者の割合が増え,60%を超える状態で年末まで続いていることが分かる。また,年内死者については,爆心地から日を追うごとに同心円上に外に広がっていることが分かる。さらに,昭和21年以降も被爆による死亡は続いている。特に,がんによる死亡者は,昭和20年代は14%であったのが,昭和30年代は26.8%,その後は30%近くに上っていることが分かる。
(2) 熱線による傷害及び後遺障害
原爆から発生した超高温の熱線は,人を炭化させ,あるいは,人間としての外見上の体裁が保てないほどに焼き払った。また,熱線による建築物等への全面的な着火は大規模な火災を引き起こし,巨大な火事嵐となって大災害につながった。熱線によって着火した建築物等は,続いてやって来た衝撃波と爆風によって着火したまま崩壊し,屋内にいた人間をその下敷きにし,無数の人々が焼死することにもなった。爆風ともあいまって,地上に地獄を現出させたのである。熱線を受けながらもかろうじて生き残った者であっても,熱傷が全身の各臓器に障害を招いたり,熱傷が皮膚のある深さ(真皮乳頭層)を超えると,後障害として瘢痕やケロイドが生じるに至った。
(3) 爆風などによる傷害及び後遺障害
爆風の直撃により身体が障害物に叩きつけられたり,爆風で吹き飛ばされた物体の直撃を受けたりした際の打撲,骨折及び創傷が身体障害の後遺症として残った。
(4) 放射線による傷害及び後障害
ア 放射線傷害の態様
原爆の炸裂した瞬間に放出されて地上に到達した初期放射線であるガンマ線と中性子線は,そこにいた人々(直爆被爆者)を放射線被曝させた。しかし,原爆の放射線の影響は,この初期放射線に限られなかった。誘導放射能や放射性降下物は,初期放射線を浴びた直爆被爆者のみならず,原爆の爆発時には市内にいなかったが,救援や家族を探し求めるため市内に入った人々(いわゆる「入市被爆者」)の皮膚や髪,衣服に付着し,呼吸や飲食,あるいは,傷口を通じて体内に入り,体外から(外部被曝),また,体内から(内部被曝),継続的に放射線を浴びせ続けた。その結果,原爆炸裂時には,地下防空壕にいたり,爆心地から遠隔地あるいは市外にいたりして,初期放射線を浴びなかった人々も,放射線に被曝した。
かかる多様かつ複雑な放射線被曝は,多くの人々に死をもたらした。また,運よく生き延びたとしても,その後,様々な後遺障害が現れ,生涯にわたって被爆者を苦しめ続けている。
イ 急性障害(急性症状)
直爆被爆者,そして,入市被爆者にも,放射線による下痢,脱毛,皮下出血,紫斑等の急性症状が現れた。この急性症状は,致死量を超える多量の放射線を浴びた場合には,被爆直後から数時間以内に発症し,ショック状態に陥って1週間以内に死亡した。致死量前後の放射線を浴びた場合には,程なく脱力感,吐き気,嘔吐などの急性症状が現れた後,発熱,脱毛,下血,吐血,血便,紫斑などの症状が継続し,体が衰弱して10日前後から2箇月くらいの間に多くの者が死亡した。しかし,急性症状を発症した者の中には,運よく2箇月ないし3箇月前後で回復に向かう者もいた。
なお,被爆後1箇月程度で現れるものは,亜急性症状と呼ばれる。外傷を負った者については,外傷及び外傷に伴う感染症も複合して,その症状は重篤化した。
ウ 晩発性障害と多疾傾向
放射線被曝により,被爆者は,様々な後影響(後障害)に苦しめられることになった。具体的には,白血病を含むがん,白内障,心筋梗塞症を始めとする心疾患,脳卒中,肺疾患,肝機能障害,消化器疾患,晩発性の白血球減少症や重症貧血などの造血機能障害,甲状腺機能低下症,慢性甲状腺炎,被爆当日に生じた外傷の治癒が遅れたことによる運動機能障害,ガラス片や異物の残存による傷害などである。
また,厚生省公衆衛生局の実態調査においても,被爆者の全般的な多疾傾向が示され,「現在でも,ケロイド,白内障等の身体異常およびその他の身体障害のある者がかなり存在し」「被爆の影響が今日なお歴然と残され,そのために健康と生活を脅かされている被爆者は現に存しているのであり,この現実を正しく直視し,今後の被爆者問題に対処してゆく態度が必要であると考える。」と述べられている。
そして,放影研の被爆者の疫学調査により,これらの背景に炎症の持続や免疫の低下が存在していることが明らかになりつつある。
5 精神的被害
被爆者は様々な心の傷を負っている。被爆直後における人々の地獄の苦しみやその死に様を目撃した者は,その恐怖を一生忘れることができない。また,被爆時に生き延び,あるいは,被爆後,広島や長崎の市内に入り,苦しむ人々を救うことができなかった心の痛みは,多くの被爆者の心を苦しめ続けている。いくら語ろうとしてもその無惨さは語りつくせるものではなく,語ったからといって完全に癒されるものではない。逆に思い出したくない,語りたくないという者もいる。
被爆者の多くは,極限状態を体験したことによって刻まれた身体や心の傷,自身の健康に対する強い不安で苦しみ,生きる意欲すら失っている。
精神科医の中沢正夫も,被爆者は全員,重篤なPTSDを現在も引きずっていると述べている。そして,これら心理的影響及び精神的影響は,気力を奪い,また,免疫を抑制する作用をもたらした。
6 社会的被害
(1) 非人間化
原爆の超高温の熱線は,人々の皮膚の奥まで焼き,皮膚を肉体から剥離させた。また,強烈な衝撃波と爆風は,眼球を眼窩から押し出し,人を木の葉のように吹き飛ばし,叩きつけた。ある者は,血と体液をしたたらせた皮膚を垂れ下げ,また,ある者は,眼球を眼窩から垂れ下げながら,幽霊のように歩きさまよい,救いを求めた。広島と長崎の川は,無数の死体で埋まった。その瞬間,あらゆる人と人との関係が切断された。熱線によって発生した火災は,破壊された建物に生きたまま下敷きになった人々を襲った。人は我先に死体を踏みながら逃げ惑い,子が親を捨て,場合によって親が子を捨てることさえ起こった。原爆による被害の特質として,瞬間奇襲性,無差別性,根絶性及び持続拡大性が指摘されてきた。原爆の被害により地域は消滅し,人間が非人間化したのである。この非人間化は,その後の社会生活を構築する上での障害となった。
(2) 地域社会の徹底破壊
原爆は社会そのものを破壊した。生き残った者もそれまでの生活基盤を破壊され,親兄弟などの家族,近隣や知人などの交友,家や家財道具などの財産,稼働や学業など,人間が人間らしい生活を送るための前提となる身近な生活環境が全て失われた。
(3) 差別
被爆者は,戦後の社会生活を生きていく中で,身体の後障害や体調不良ゆえに社会生活上の差別を受けた。当初から伝染病扱いで周囲に忌み嫌われることもあり,特に,結婚や就職における差別は深刻であった。女性,男性を問わず,ケロイドや瘢痕,子孫への遺伝的影響という風説,病弱等が結婚の障害となった。また,被爆者の身体の後障害が労働能力の低下をもたらし,これを理由に就職に際して採用拒否された例は相当数に上る。そのため,多くの被爆者は結婚や就職に際して被爆者であることを隠していた。しかし,結婚後あるいは就職後に被爆者であることが発覚し,離婚や解雇となる場合も少なくはない。例えば,ひどい倦怠感(ぶらぶら病)は被爆者の多くにみられる症状であるが,他人からはそれが原爆症との理解を得られないため,怠惰であると思われて離婚や解雇に至る場合もある。逆に,このような社会的差別を恐れるがゆえに,体調不良にもかかわらず健康人と同様の労働を行おうとする結果,健康を害することにもなった。
(4) 生活の困窮
差別のために就職自体が困難であるばかりか,就職しても身体の後遺障害や体調不良ゆえに通常人と同様の労働ができず,低廉な給料しか得られない,その一方で複数の疾病を発症するため医療費がかさみ,生活水準はますます落ち込み,経済的に厳しい生活を送っている被爆者も多い。
さらに,差別を受けたり,受けることを恐れたりして,結婚や出産をあきらめた結果,高齢となった現在になって,扶養してくれる子や孫がおらずに困っている者もいる。
7 原爆被害の複合性及び多様性
原爆被害としての身体的被害,精神的被害及び社会的被害は,不可分一体のものとして多重に複合していることに留意する必要がある。
例えば,身体的被害については,放射線被害として初期の直爆放射線による被害があるばかりか,残留放射線による被害が加わる。さらに,熱線による外傷や爆風による外傷が加わり,これらに感染症の合併が加わる。また,例えば,後障害としてのがんに苦しむ者にとって,それは肉体的苦痛(身体的被害)であるとともに精神的苦痛(精神的被害)の連続でもあり,そして,より貧困となること(社会的被害)を意味する。
さらに,原爆被害は,人類が経験したことのない破局的な破壊であり,当然のことながら,そこにいた人間に様々なPTSDをもたらした。そして,これらのPTSDは生きている人間の気力を奪い,免疫を低下させ,また,症状の改善にも抑制的に作用して,上記の肉体的な被害に加えて様々な影響を被爆者の人生に与えた。
したがって,被害を総合的,複合的,協働的及び相関的に捉えなければならないという点にも原爆被害の大きな特徴があり,初期放射線の身体的影響だけを切り分けることはできないのである。
8 原爆被害の未解明性
(1) 戦後の原爆被害の隠蔽と放置
戦後,米国軍占領期間は,原爆被害の実態を訴えることは,GHQのプレスコードにより禁止された。しかも,昭和20年9月3日,米国の原爆調査団は,「死ぬべき被爆者は全部死亡し,現在原爆症で苦しんでいる者はない」との公式見解を発表し,拡大を続ける被害実態の隠蔽を図った。この時の状況について,当時,映画プロデューサーとして,広島及び長崎のドキュメンタリー映画を作成していたC11の発言や,長崎の嬉野海軍病院における進駐軍とのやり取りの記録がある。
その一方で,米国政府は,広島及び長崎にABCCを開設し,被爆者の検診をして調査研究を続けたが,行うべき治療は行わなかった。さらに,日本政府も米国政府の原爆被害を過小に評価する政治的配慮に従い,被爆者に対する援護措置,特に,身体被害の調査,治療方法の研究や治療の実施を戦後長期にわたり事実上放置してきた。
このように,原爆投下後の被告の対応は,原爆被害の実体解明に極めて消極的であり,行うべき治療を目的とした行うべき調査研究及び記録作業がされているとは到底いい難い状況であった。
(2) 科学的未解明性
原爆による傷害は,これまでに例がなく,圧倒的な物理的攻撃によるものばかりではなく,放射線による影響を含むものであり,多くは従来の医学では説明困難であった。これは現在においても異ならない。
特に残留放射線による内部被曝の機序についてはいまだ必ずしも科学的に解明や実証がされておらず,これに関する科学的知見が確立しているとはいい難い状況にあるものの,内部被曝の機序を指摘する科学文献も少なからず存在しているのであって,このような知見の存在を無視することはできない。
さらに,将来の原爆症発症や死に対する不安,自分だけが生き残ってしまったことに対する罪の意識などの心の傷については,それが原爆の被害実態における重要な一部分でありながら,いまだ被告による科学的調査及び研究は全くされていないといわざるを得ない。
第4 原爆放射線と人体影響についての知見
1 原爆放射線被曝
(1) 原爆放射線の概要
原爆の空中爆発によりもたらされた放射線は,初期放射線と残留放射線とに分類されることは,既に述べたとおりである。
ア 初期放射線
初期放射線には,中性子線とガンマ線がある。原爆放射線の線量評価が,DS86からDS02へと検討が進められるに従って,初期放射線の線量評価はある程度正確になりつつある。しかし,ウラン爆弾が広島でのみ用いられ核兵器実験もその後ないことから,その中性子線量は長崎のプルトニウム爆弾に比較して必ずしも正確に追試されていないという問題がある。更に,仮に中性子線量の評価が正確になっても,人体影響の指標とされる中性子線のRBE(ガンマ線と中性子線との間の生物学的影響の比。同一吸収線量(グレイ)でも中性子線の方が生体への影響が大きい。)は,既知の理論的な数値ではなく,広島原爆における中性子線量とガンマ線量,長崎原爆の中性子線量とガンマ線量を踏まえて,双方で生じた人体影響を比較検討することでしか算出することのできない数値であり,そこに,後述するような残留放射線による影響の評価の問題が介在するため,初期放射線の人体影響を評価しようにもその段階で不確定性が残ることになる。
加えて,ウラン爆弾の爆発が1回だけということから,誘導放射線量や放射性降下物の組成に関わる評価の問題が存在する。特に,原爆自体が軍事機密であり,そのために原爆の構造や機材の内容の詳細は不明で,そのことによって誘導放射線や放射性降下物の評価線量の正確性に影響を及ぼす側面も否定することができない。
イ 放射性降下物
放射性降下物については,1核分裂当たり平均4種類の核種が形成され,ウラン爆弾の爆発によって,結果として36種類の元素,約300種類の放射性核種が生み出された。更にこれらの核種は様々な核特性を持ち,単体としての,あるいは,化合物としての物理的,化学的性質も一様ではない。さらに,原爆の核分裂連鎖反応により生成された火球中には,中性子に誘導放射化された原爆容器の機材,また,未分裂の核燃料も含まれていた。これらの結果生み出された放射性物質は,大気中の酸素原子等と結合し,様々な化合物に変化する。例えば,セシウム137が過酸化セシウムとなる。これらの原子や化合物は,連鎖反応によって生成された火球に伴って上昇するが,これらの物質は,原爆の爆風と熱線の作用によって作り出された火事嵐による煤煙,更には大気中の水蒸気にも付着するなどして,原子雲となり,流動や拡散に応じて極めて複雑な挙動を示した。
このようにして生成された放射性物質は,拡散,下降,巻込み及び上昇というダイナミックな循環流動を繰り返しながら,被曝を与え続けたと考えられる。そして,これに伴う放射線には,ガンマ線だけではなく,ベータ線やアルファ線も存在した。
さらに,放射性降下物による被曝としては,黒い雨による被曝が強調されるが,黒い雨に限らず,黒いすすや放射性微粒子による被曝もあることを忘れてはならない。
ウ 誘導放射線とその飛散
初期放射線,特に中性子が地上の物質の原子核に衝突して誘導放射化された物質は,ガンマ線とベータ線を出し続ける。初期放射線としての中性子線量はDS86,更にはDS02により,比較的正確に評価されてきているが,地上にあった物質によって生成される誘導放射化された物質(誘導放射能)は,異なる。広島及び長崎の地上の物質は,必ずしも均質,均等ではない。加えて,誘導放射化された物質は,衝撃波によって遠方へ飛散したものがあると考えられている。ネバダ砂漠のような平坦な地面の場合とは異なり,広島や長崎のような山による吹き出し口があると,衝撃波や爆風の吹き返しの風はそれほど強くならず,黒い津波のようになって周辺部へ向かい,また,周辺部にこの放射性物質が飛散することになる。また,この場合の誘導放射化された物質としては,土壌や構造物だけではなく,広島では,川の汽水(海水と混合した水)に含まれる塩分も問題となり得る。
このようにして飛散した誘導放射化された物質も,放射線被曝の原因となる。
(2) 原爆放射線被曝の態様
ア 外部被曝と内部被曝
原爆放射線による被曝態様には,外部被曝と内部被曝とがある。
外部被曝は,被爆者の体の外部にある放射性物質から放射線を受けることにより生じる。そして,この外部被曝は,初期放射線によるものと残留放射線によるものとに分けられる。初期放射線による外部被曝は,放射線そのものが人体を透過する際に,そこで電離作用を起こすことによって生じる被曝形態である。他方,残留放射線による外部被曝は,地上あるいは浮遊する放射性降下物や誘導放射能といった放射性物質から発せられる放射線に被曝する被曝形態と,人体の体表に付着した放射性物質から放射線を受けることによって生ずる被曝形態がある。
次に,内部被曝は,放射性物質が被爆者の体内に入り,体内において被曝する被曝形態をいう。原爆放射線による内部被曝は,放射性降下物や誘導放射能といった残留放射能が体内に侵入することによって生じる。それには,体内の消化管を通過する場合に限らず,血中等から各臓器等へ到達沈着する場合がある。
内部被曝の機序については,誘導放射化された塵や埃を呼吸により吸入するという態様,また,放射性物質により汚染された食物や飲み水を経口摂取するという態様,更には,被爆者が熱線により負ったやけどや衝撃波により破壊された建物等に下敷きになるなどして負った傷口から体内に直接放射性物質が入り込むなどの態様が存在する。
イ 持続的被曝
原爆による被曝態様の大きな特徴として,速やかな汚染除去が行われなかった結果,被爆者が放射性物質から放出される放射線により持続的に被曝したことがある。IAEAのレポートも述べるとおり,汚染除去は被曝初期の重要な課題とされ,更には内部蓄積した放射能を体外に排出する努力が必要となる。しかし,原爆の場合,そもそも被爆当時,被爆者も医師も,それが放射線被曝であるという認識を欠いていたのであるから,そのような汚染除去は行い得なかった。そのため,原爆被爆者は,放射性物質の充満した被爆地に留まり,体内はもちろん,体表面から放射性物質を取り除くという努力は,一切されなかったのである。さらに,事情を知らない広島,長崎の市民や救護者は,積極的に被爆地に入り,放射性物質に汚染された。その結果,原爆被爆者は,様々な放射性物質に,体外あるいは体内から持続的に被曝した。
このように,内部被曝が深刻な問題となるのは,放射性物質の排除(除染)が非常に困難であること,しかも,排除ができない場合に,体内で持続的に被曝を受けるという点である。取り分け,原爆の場合,短半減期で線量率,つまり,単位時間当たりの被曝線量が高い放射性物質が様々生み出され,そして,それが体内で放射線を照射し続けるため,これを無視して,外部被曝と内部被曝が同じというのは,余りにも実態を無視した議論といわなければならない。
ウ 内部被曝とその評価の前提
ICRPでも内部被曝線量評価法を考察しており,その方法としてアメリカ核医学会の医学内部放射線量委員会が開発したミルド法(MIRD法)がある。
放射性核種による体内汚染に伴って,ある臓器にどれだけの被曝線量がもたらされるかを評価するには,① 体内にどれだけの放射性核種が入ってきたか,② その放射性核種が問題とする特定臓器にどのような時間的推移の中で存在したか,③ その間,放射性核種がどの程度,崩壊に伴ってその臓器に放射線エネルギーを付与したか,④ 当該臓器の質量の四つの要素が必要であるとする。この中で上記の医学内部放射線量委員会が発展させたのは上記の③だけであり,原爆の場合,出発点となる①についての情報が全くないに等しい。①がなければ,②の生物学的半減期の前提が成り立たないばかりではなく,②についていえば,環境中の特定の放射性物質の線量が高いからといって,他の物質や個人差から体内の線量が必ずしも高いとはいえない。臓器の質量にも個人差があるという問題がある。
さらに,核種によって化学的性質が異なることから,その放射性物質が集積する場所,放出する放射線の種類(ガンマ線かアルファ線か,ベータ線か)が異なる。
例えば,チェルノブイリ原発事故では,放射性ヨウ素の甲状腺への集積が問題となった(その問題となる期間は,半減期から考えてそれほど長くない)。また,カルシウムと類似するストロンチウムであれば,骨に蓄積して,ベータ線を持続的,継続的に被曝させるという問題がある。
特にこの内部被曝の問題をめぐっては,アルファ線やベータ線等,飛程の短い放射線による影響について,細胞に対するダメージからみるのか,それとも臓器単位でみるのかについて,科学者の間で議論が分かれている。仮に臓器単位で考えるとしても,上記のように極めて複雑な問題が絡み,基礎となる線量評価をどうするか,非常に複雑な問題をはらむことになる。
(3) ホット・パーティクル理論について
ホット・パーティクル理論について,被告は,ICRPによって否定されるなど,現在では,ホット・パーティクル理論の誤りは世界の科学者の共通の理解となっているとか,ホット・パーティクル周辺の放射線を浴びた細胞は死滅し,がん化しようがないと主張するが,これは,明らかに誤りである。
原告らは,アルファ線によるホット・パーティクル理論のみに依拠して議論をしているわけではなく,同じく体内で被曝した場合に大きな影響を及ぼすベータ線の影響も主張している。そして,ガンマ線についても,遮蔽の有無で線量が異なる以上,例えば,骨に蓄積する場合に,骨髄に外部から被曝するのとは異なった影響を及ぼすことは明らかである。そして,一定範囲で直接被曝していない細胞の周囲に遺伝的不安定性をもたらすバイスタンダー効果や,ゲノム不安定性にむしろ注目が集まりつつあることを考えれば,アルファ線のみに依拠した議論とはならないのである。
また,ICRPも,ホット・パーティクル周辺では局所線量が非常に高くなる可能性を認めており,ICRPがホット・パーティクル理論そのものを否定しているわけではない。ただ,局所高線量による細胞死(アポトーシス)との関係から将来のリスク係数をどう見るかについて,ヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)等と争いがあるにすぎない。さらに,ホット・パーティクルによる局所的な高線量被曝を受け,細胞死に至る細胞があるとしても,当該細胞の周囲には,細胞死に至らない更に多数の細胞が存在するのであるから,そのような細胞に後述するバイスタンダー効果による遺伝的効果が生じ,がん化する可能性もある。
(4) 低線量被曝の影響
低線量被曝の人体影響については,現在においても未解明な部分が多くを占めている。これは,低線量被曝の人体影響を疫学的に証明するためには,1000万人規模の疫学調査が必要となり,疫学的側面からの裏付けが事実上不可能だからである。しかし,細胞レベルや動物実験レベルにおける研究においては,逆線量率効果やバイスタンダー効果,ゲノム不安定性等の現象が報告されており,これらの現象は低線量被曝の危険性を示唆するものである。これらの現象については,内閣府が管轄する低線量放射線影響分科会が平成16年3月にまとめた「低線量放射線リスクの科学的基盤―現状と課題―(案)」において議論状況が整理されている。
ア 逆線量率効果
単位時間当たりの放射線量を線量率という。逆線量率効果とは,同じ被曝線量であれば,長期にわたって被曝した場合の方が,リスクが上昇することである。
「低線量放射線リスクの科学的基盤―現状と課題―(案)」においても,「高LET放射線,とりわけ,核分裂中性子については,低線量率の方が高線量率照射よりも影響が大きい場合が報告されており,逆線量率効果(inverse dose rate effect)とよばれている。培養細胞での試験管内がん化を指標にした研究では,核分裂中性子線による対数増殖期のC3H10T1/2細胞照射について明らかな逆線量率効果が報告された。低LET放射線でもV79-S細胞において0.1-0.01cGy/min程度の線量率で突然変異の誘発を指標に,逆線量率効果が見られるとの報告がある。」などと指摘されており,確立した現象とまではいい難いものの,少なくとも,「総線量が同じであれば,時間をかけての被曝の方が,短時間の被曝(急性被曝)より影響が少ない」(C5及びC6の意見)などとは断定することができず,低線量率被曝の人体影響が大きい可能性を示唆している。
イ バイスタンダー効果
バイスタンダー効果とは,被曝した細胞から周辺の被曝しなかった細胞へ遠隔的に被曝の情報が伝えられ,被曝しなかった細胞にも遺伝的影響が及ぶ現象である。「低線量放射線リスクの科学的基盤―現状と課題―(案)」においても,「1990年代半ばからアルファー線照射を受けた細胞に隣接し,自身は照射を受けていない細胞に染色体異常突然変異あるいは細胞がん化などの遺伝的効果が生ずることが指摘されるようになった。この効果は“バイスタンダー(細胞隣接)効果”と総称され,照射を受けた細胞から隣接する細胞に被ばくの情報が伝わる現象である。バイスタンダー効果の存在は,放射線による遺伝的効果の標的分子がDNAだけでないことを示唆している。加えて,低線量や低線量率照射の場合には,放射線を被ばくしなかった細胞にも遺伝子(DNA)損傷が生ずることから,高線量や高線量率照射に比べ遺伝的効果リスクが高くなることを示唆するものであり,低線量放射線のリスク評価のために解決すべき重要な課題である」などと指摘されており,現象としてはほぼ確立されており,低線量(率)被曝の遺伝的リスクが高くなることが示唆されている。
ウ ゲノム不安定性
ゲノム不安定性とは,放射線被曝によって生じた初期の損傷を乗り越え生き残った細胞集団に「遺伝的不安定性」が誘導され,長期間にわたって様々な遺伝的変化が非照射時の数倍ないし数十倍の高い頻度で生じ続ける状態が続く現象である。
「低線量放射線リスクの科学的基盤―現状と課題―(案)」においても,「近年になり放射線による間接的な突然変異誘発機構としてのゲノム不安定性の誘導が注目を集めるようになった。哺乳動物胎児培養細胞をもちいた実験で,0.1~0.2Gyの低線量域では培養細胞でDNA突然変異の頻度よりも悪性形質転換の頻度のほうが圧倒的に高いことから,DNAではなく細胞膜の異変から発がん過程が始まるモデルが提唱されている」などと指摘されており,ゲノム不安定性の現象が低線量域において影響を与える可能性が指摘されている。
エ トロトラスト
医療用照射として低線量と考えられていたトロトラストによる肝がんの発症等無視し得ない影響が現れたことは,否定することができないといわれている。
オ 国際機関による見直しの開始
最近に至って,劣化ウランの影響の大きさが国際的に大きく注目され,概念が古いとされるIAEAやWHO等の国際機関が徐々に見直しを開始している。
カ チェルノブイリ原発事故による人体影響
被告は,チェルノブイリ原発事故では事故後10年くらいから甲状腺がんの有意な増加,特に小児甲状腺がんが多発し,したがって,チェルノブイリ原発事故の場合は,ミルク摂取によりヨウ素131が体内に入ったことによる内部被曝が主因であるとされると主張する。さらに,被告は,チェルノブイリ原発事故では,広島原爆とは比較にならない大量の放射性物質が放出されたが,被爆者にはチェルノブイリ原発事故のように特定のがんが多発したという傾向がみられないことは,原爆放射線による内部被曝の影響を重視する必要がないことの証左であると主張する。
しかし,チェルノブイリ原発事故の問題の一つは,放射線影響の範囲が広範囲に及んだことによる,その線量評価の困難性にあり,そのため,どの範囲に影響があったかについて様々な議論が行われている点にある。
例えば,トルコの黒海沿岸では,がんの死亡率が他の地域に比較して上昇したという議論や,チェルノブイリ原発事故以後に,非がん疾患の発症率が増加しているといった報告(ベラルーシ科学アカデミー・物理化学放射線問題研究所のミハイル・マリコの「チェルノブイリ原発事故:国際原子力共同体の危機」)等があり,チェルノブイリ原発事故の現在の評価だけで被爆者における内部被曝の影響を否定することはできない。さらに,原爆においても,がんについて放射線影響が認められるようになったのは,かなり年月が経過した後のことであり,線量評価の困難性(特に対照群設定)を考えると,有意な相関を示さないことが放射線影響を否定する論拠とはならない。
むしろ,チェルノブイリ原発事故における甲状腺の異常については,内部被曝の影響が大きいことを示唆するものとして活用すべきである。
2 原爆放射線線量評価の困難性及び未解明性
(1) 残留放射線評価の困難性
被爆者の受けた身体に影響を与える被曝線量を評価するには,初期放射線のみならず,残留放射線,すなわち,放射性降下物,誘導放射線といった放射性物質による被曝線量を評価しなければならない。その際には,外部被曝のみならず,内部被曝の線量も評価しなければならない。しかし,残留放射線については,多種多様な放射性物質が生成され,それらがそれぞれ異なった挙動をすることになる。つまり,原爆の残留放射線による人体影響を評価するには,被爆者が受けた線量を評価する必要があり,それをどこまで正確に評価することができるかが問題となる。
放射性降下物では多様な放射性降下物が浮遊,降下したし,また,誘導放射化された物質にも衝撃波や爆風に伴う飛散,降下及び沈着の問題がある。また,放射性物質による被曝の場合には,体の外部から被曝するだけではなく,飲食や呼吸を通じて,場合によっては,傷口を通じて体内に入り,体の内部からも被曝することがあり,更に放射性物質の多様性や,被曝態様の複雑性に加えて,放射性物質の半減期という問題がある。セシウムやストロンチウムといった半減期が何十年にも及ぶ放射性物質は,ある程度その元の線量を推測することができるが,半減期の短い放射性物質の場合には,しばらくすると測定することが不可能となる。そして,半減期の短い放射性物質ほど,単位時間当たりの線量(線量率)は,高くなるということを踏まえる必要がある。
また,昭和20年9月17日に戦後最大級の台風の一つである枕崎台風が広島と長崎を襲っている。加えて,長崎では同月2日に大雨が降り,そして,広島では,同年10月10日にも台風が襲来している。これらの風雨が残されたデータにどのような影響を与えたかもみる必要がある。
(2) 放射性降下物の線量評価方法とその限界
ア 放射性降下物の線量評価方法
原爆の炸裂により生じた放射性降下物(核分裂生成物)だけをみても,様々な放射性物質が生成されて地上に降下したが,かかる放射性物質から放出される放射線は時間とともに減衰していく。このような放射性降下物による放射線量が減衰する過程から,残留放射線の全体の線量を推計する方法がある。
一つは,一定の時点ないし一定の時間を経て測定された線量率(単位時間当たりの線量)を基礎に全体の残留放射線の被曝積算線量を再構成する(単位時間当たりの線量率を積分することによって,累積線量を出す。)という方法である。なお,かかる単位時間当たりの線量率は,地上高さ1mのところの線量であり,外部線量である。
DS86では,Xt=X1・t-1.2(この場合,Xtはt時間後の1時間当たりの線量率,X1は原爆炸裂後1時間後の1時間当たりの線量率である。)の式で計算され,核分裂生成物は-1.2のべき指数で崩壊するとしている。
全体の被曝線量を推計するもう一つの方法として,残存した長半減期の放射性物質,具体的にはセシウム137に注目して,このセシウム137の測定時の線量率から被曝当時以後の全体の残留放射線による積算線量を推計するというものがあるとされている。これは,セシウム137の半減期が約30年と長いこと,また,ガンマ線を放出するために測定しやすいこと,更に土壌に吸着しやすく,他の放射性物質に比べてその場に残存しやすいことという性質を利用したものである。
そして,放射性降下物の組成中の変化(分別―fractionationという)をみて,これと,前述のXt=X1・t-1.2の式を合わせることによって,総線量を推計しようとするものである。
イ 被曝積算線量の再構成による評価方法と問題点
前述のように,DS86では,べき指数を-1.2として計算し,積算線量を推計しているが,この-1.2というべき指数は,放射性降下物が風雨の影響を全く受けず,その場に留まった場合の理論値であり,前提条件が異なれば,べき指数も異なることを忘れてはならない(C8の意見)。すなわち,風雨の影響などを受け,放射性物質の減衰が速まる場合には,減衰率はDS86より大きくなるのであり,べき指数のマイナスの数値は大きくなるよう補正されなければならない(C8の意見)。
例えば,「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」のSectionBを執筆したチボートは,核分裂生成物からのベータ線とガンマ線の全放射線の強度を求める関数について,「崩壊べき指数(n)の値は実験室系における核分裂生成物では1.2,ニューメキシコの核実験で地面に広がった核分裂生成物では1.5であった」と述べ,「長崎のように放射性降下物が雨などにより浸食を受けやすい場合には,nの値はニューメキシコの核実験の1.5に近い値と考えられた。」としている。もし,nが1.5であれば(測定結果のガンマ線の)線量率の値を60倍すれば積算線量が得られると考察し,風雨の影響による補正を行っている。
また,DS86が引用しているウィルソンも,原爆投下二日目以降はnの値について1.5を採用して,長崎の西山地区の生涯累積線量を100レントゲンと推定している。
さらに,DS86報告書自体も,測定データについては,風雨の影響に対する補正なしに使用された。
つまり,長崎や広島の大雨の影響を考慮すれば,べき指数の-の数値は1.2より大きくなるのであり,そのため積算線量も大きく修正されることになる。
ウ 土壌中のセシウム137による線量推計方法とその問題点
土壌中のセシウム137に着目して,放射性降下物の組成中の変化(分別―fractionation)をみて,これと,前述のXt=X1・t-1.2の式を合わせることによって,総線量を推計しようとする方法にも問題がある。
具体的には,セシウムは,原爆の場合,核分裂反応の時間が短いために,セシウムの線量の割合が低く(原子力発電所の場合には,長時間にわたり,核分裂を続けるため,半減期の長いセシウムが蓄積しやすく,その割合が高くなる。),また,土壌から採取するとしてどの部分の土壌を採取するかでも割合が異なり得るという問題がある。
また,更に大きな問題としては,セシウム137によっては,土壌に固着しなかった放射性物質を含む線量全体を推定することにはならないということである。すなわち,放射性降下物が土壌中に滲入するのは,雨が降ることにより,雨に溶けたものが雨と共に土壌中に滲入するためであって,空気中にいかに放射性降下物が濃厚に存在していても,これらは土壌中に滲入しないのである。
エ 再構成に放射性粉塵が含まれないこと
誘導放射化された物質はいずれも半減期が短いため,「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」の線量推計の基礎には入っていない(C8の意見)。
すなわち,前述のXt=X1・t-1.2という式には,風雨に加えて,そもそも放射性粉塵が含まれていない。したがって,この式では放射性粉塵を交えた全体の再構成ができないという問題がある。
(3) 誘導放射線の未解明性について
ア 誘導放射線の評価について
爆心地付近で原爆の中心から飛来した中性子線により誘導放射化された物質は,その後,猛烈な衝撃波で破壊され,一定の範囲で飛散したと考えられている。
例えば,2012年(平成24年)7月に米国カリフォルニア州サクラメントで行われた保健物理学会の残留放射線に関するワークショップでは,残留放射線の評価が議論された(Kerrら報告)。このワークショップは,米国エネルギー省や,放影研の研究者等が参加して開かれたが,未解決な問題が多いことに加えて,誘導放射能が巻き上げられて降下した可能性が議論された。高空爆発であることを理由に,歴史的には,残留放射線の影響が少ないとされてきたものの,Kerrら報告の「ヒロシマ,ナガサキでの残留放射線に関するワークショップ―要約」の部分では,放射性降下物については研究がされていないものの,「ヒロシマとナガサキにおける爆心地域付近の最も考えうる残留放射線の重要な被曝源は,(1)誘導放射化された土壌及びその環境にあった物の爆発の爆風からの土壌への衝撃による大気へ巻き上げ」「(2)爆風によって地面や水から水平的にこすり取られたカスや屑で,誘導放射化物質がより遠い距離へと運ばれたものである」との記載や,「被爆者の皮膚は,以下の誘導放射化物質によって汚染されたのかも知れない。すなわち,(1)爆発による爆風によって浮遊した土壌やその他の環境物質の大気中の浮遊(2)爆風による地面や川の水塵,これらは中性子で誘導放射化された放射性物質をより遠距離へと移動させた,そして(3)汚染された物質を扱うことによる汚染の身体への移動である。」との記載等が存在する。
また,Kerrら報告の「勧告された今後の研究」の部分において,費用面を考慮しているとはいえ,第1の優先課題として,土壌粒子の大きさの分布と汽水の塩分濃度の測定が挙げられている。
これらをみれば分かるように,土壌及び建築物,更には河川水の誘導放射化された物質の周辺への飛散及び原子雲の一部となって降下した放射性降下物による調査の必要性や人体影響の可能性に関心が集まっている。
イ 放射性降下物と誘導放射能の一体的理解の必要
このように,誘導放射化された物質についても飛散した可能性が議論されており(C8はこれを放射性粉塵と呼んでいる),その飛散による被曝は,入市被爆者に対するのと同じような人体影響を惹起することが考えられるのである。
さらに,Kerrら報告の「勧告された今後の研究」の部分には,「最後に,被爆者の生物学的影響の非対称性および異常性を示唆する幾つかの研究があった。これらはDS02線量体系では説明できないものである。幾つかの生物学的エンドポイントがあり,これらについては,知られていない放射性降下物の可能性のあるホットスポットを示唆するのか,それとも,提案されている経路を経ての特定の爆弾破片の堆積と誘導放射化された地面の特定地域の存在を支持するものであるのか,空間パターンを特定するために空間分析ができよう。これらの生物学的エンドポイントの幾つかは,他の原因よりも,電離放射線被曝により特異のものであり,そして,これら全ては,他の電離放射線と共変関係にあるものによって影響を受ける周波数で起こるものであることに注目すべきである。」との記載が存在している。
そして,結論部分では,「日本とアメリカの両方の調査者ともに,DS02の計算による爆心地を囲む評価線量のシンメトリーと比較したときに,広島,長崎の炸裂に関するいくつかの調査結果に例外(異常=abnomalous)が見られることを認めた。これらの例外の可能な説明は,多様で場所的に均一でない残留放射線による被曝である。これらの被曝の起源は,汚染された雨(すなわち,黒い雨)か,中性子線で活性化した土壌を削り取り一掃する爆風の作用であるかも知れなかった。現時点では,一方でこれらの特異的事象を説明する量的証拠は僅かしかないが,このワークショップは,残留放射線に関するより良い理解を導くであろう更なる研究への多くのアイディアを発展させた。放射線防護の分野に対して,原爆放射線量の重要性を考えると,これらの理解は,必須である。」と記載されている。
これらをみれば,誘導放射線と放射性降下物を分離して理解するのではなく,むしろ,人体に起こったことから全体としての放射線の影響を理解することが必要であること,そして,誘導放射線についても,放射性降下物と同様に未解決の問題が残存していることが理解し得る。
(4) DS86による線量評価法の不十分さの自認
ア DS86及びDS02と残留放射線
DS86及びDS02は,ABCC以来行われてきた放影研の疫学調査の基礎となる線量評価としての意味を持つ。すなわち,原爆放射線の人体影響について疫学調査を行うためには,被曝の有無及び程度によって調査対象者をグループ分けし,グループごとの疾病の頻度を比較することが必要になるが,グループ分けのための被曝線量はDS86によって割り付けられている(DS86報告書)。
ところが,放影研は,個々の調査対象被爆者に線量を割り当てるについては,初期放射線のみを割り当ててきた。これは,原爆被爆者の行動を把握することができないことによる。グループ分けにおいて残留放射線を考慮していない以上,残留放射線の多寡による影響を知ることはできないし,現実には存在する残留放射線をなかったものとして線量を割り付けているので,実際には過小評価となり,線量ごとの人体影響を正確に知ることは困難である。
このため,放影研の疫学調査は,昭和53年に行われたNGO主催の被爆者国際シンポジウム等でも,残留放射線を考慮していないことについて,強い批判にさらされた。そこで,DS86報告書は,その第6章において,「残留放射線の放射線量」という章を設け,残留放射線を扱うに至った。しかし,これも,線量評価を行っているものではない(「原爆放射線の人体影響1992」参照)。
イ DS86による残留放射線調査の不十分さの自認
刊行されたDS86報告書では,残留放射線のデータに問題が少なくないことが指摘されている。まず,最初のまとめの部分には,「我々は,多数の測定の精度や全ての外挿の精度が非常に低いことを強調する。2つの有意な数字が計算によって出されているが,2番目のは正確とみなしてはならないだろう」との記載があり,更に,第6章の総括では,「短命核分裂生成物への潜在的被曝を評価する方法はない。」との記載がある。
このように,DS86報告書自身が,データとして残されている範囲での推定は可能であるが,半減期の短い放射性物質による被曝については分からないと述べている。
原爆投下後に残留放射線に関する調査は行われているものの,終戦前に日本側により行われたいくつかの調査は,そもそも原爆かどうかさえも不明な状態で行われたものであるために極めて不十分であり,その後の日本側の調査は,原爆という米国占領軍にとっての最重要機密と関わるものであり,プレスコードの存在等を考えれば,米国軍の監督や了解なしに十分な調査ができるはずもなかった。そして,更に米国による調査も,短半減期の放射性物質の測定が不能になってから後のものであり,しかも,多くが台風等で放射性物質が流された後のものだったのである。DS86報告書が残留放射線評価の限界を自認するとおり,短半減期放射性物質の調査の不十分さ,データ不足,風雨の影響等を考えれば,残留放射線による影響を残された物質のデータから評価することはできないというのが実際である。特に,初期放射線しか考慮しない放影研の疫学調査の前提としてDS86が策定されたのにもかかわらず,DS86報告書があえて残留放射線評価の限界を指摘していることを考えれば,残留放射線線量を個々の被爆者に当てはめるのに,DS86報告書第6章の記載を前提にすることは許されない。
(5) 残留放射線評価に関する東京高裁平成21年判決
残留放射線の評価についての代表的な裁判例として,東京高裁平成21年判決は,残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)についての影響の程度について,平成13年に厚生労働省が策定した旧審査の方針が定めたような方式により被爆者ごとに機械的に線量評価をしてよいかどうかについては疑問があり,内部被曝の影響が無視し得るものであることを前提とした原爆症認定審査については相当とは考えられないと判示した。
これは,旧審査の方針に対するものであるが,本件訴訟でも,残留放射線量についての被告の主張は旧審査の方針当時と全く変わっておらず,厚生労働省は,平成20年に策定した新審査の方針及び平成21年に策定した改定後の新審査の方針の下でも,残留放射線の線量評価が問題となる場面,具体的には非がん疾患についての認定申請者の線量評価や,積極認定の範囲を超える悪性腫瘍の線量評価では,旧審査の方針当時と全く異ならない主張に基づく運用をしている。
3 放射線晩発性障害について
(1) 放射線晩発性障害の特徴
ア 非特異性
原爆症認定の対象となる疾病は,いわゆる晩発性障害である。晩発性障害の特徴として,まず理解されるべき点は,非特異性である。
すなわち,出現してきた人体影響は,個々の症例を観察する限り,放射線に特異的な症状を持っているわけではなく,一般にみられる疾病と全く同様の症状を持っており,放射線に起因するか否かの見極めは不可能な疾患とされる。例えば,被爆者のがんを取り出してそのがんが放射線の影響によるものか,あるいは,たばこによるものか,それともウイルスによるものかを区別することができない。
イ 遅発性
加えて,放射線晩発性障害の場合には,急性症状のようにすぐに出現するものではなく,白血病については数年,がんについては数年から数十年という期間を要しており,更に非がん疾患についても原爆放射線の影響の全体像がみえていない状況にある。
(2) 疫学の必要性と問題点
ア かかる放射線の特徴から,放射線の影響であるかを判断するには,原因としての放射線の影響と,結果としての晩発性障害との間について,大規模な調査をして統計的に関係を判断(疫学調査と判断)をする必要がある。その場合,原因と疾患との関係を判別するために,定性的調査(あるかないかの判断)と定量的調査(原因物質等の量と疾患数との関係)があり,原爆の場合には,定量的調査が基礎とされてきたが,そこには,問題点が伏在している。
イ 疫学調査の問題点
(ア) ABCC及び放影研の調査
被爆者については,昭和22年に米国によって設立されたABCCとその後身で昭和50年に発足した日米合同の特殊財団である放影研による疫学調査が行われ,その調査結果が原爆症認定の基礎とされてきた。
取り分け,寿命調査(LSS)と呼ばれる死因調査を中心とする調査と,その下部集団を対象とする成人健康調査(AHS)と呼ばれる健康調査が認定の基礎とされてきた。ただ,そこには,線量の割当てや対象者等の問題点が存在していた。
(イ) 線量の割当ての問題(残留放射線の無視)
被爆者の疫学調査について,放影研では,定量的調査を基礎にし,被曝線量とその後の疾病発生との関係(線量反応関係)を調査している。調査対象集団である集団の一人一人について当時のABCCによる調査を基礎に線量を割り当て,それとその後の死因や健康調査結果との関係を調査し,その関係を統計処理している。
原爆被爆者が被曝した放射線には,原爆の中心部から飛び出した初期放射線と放射性物質による残留放射線(放射性降下物及び誘導放射線によるもの)がある。
しかし,放射性降下物による被曝については,原爆被爆においては急性症状が出現するほどの被曝をしているにもかかわらず,この線量が全く考慮されておらず,結果的に放射線影響の過小評価につながる要因となっている。
(ウ) 調査の対象者の問題
寿命調査(LSS)については昭和25年10月を調査開始時期とし,それ以後の死亡者の調査を行い,成人健康調査(AHS)については昭和33年から調査が開始された。このことは,この時までに生き残った者だけが調査対象者となったこと,つまり,放射線の影響を中心に原爆の破局的事態を生き抜いた人々が調査対象者となったことを意味する。この点については,アリス・スチュワートが指摘するとおりであり,当初,がんについてもしきい値があるとされたのも,調査対象者の問題が影響しているとされる。放影研理事長の大久保利晃も,平成18年8月のインタビュー記事において「原爆放射線の晩発性影響で分かっているのは,まだ,5パーセントくらいかも知れない」と,問題意識を有していることを示した。
(3) 他要因関与の問題
ア 原爆被害が複合的被害であること
被爆者は放射線だけを受けたのではなく,原爆の熱線や爆風といった圧倒的な物理的破壊力と合わせて放射線を浴びたのである。これら物理的破壊は,身体的障害のみならず,心理的,精神的障害を被爆者にもたらした。
身体的要因を越えて,精神心理的要因が多く重なっている。原爆被爆は,被害内容からみて,被爆者にPTSDをもたらしたが,これが身体的影響をもたらすことは広く知られたところであり,特に免疫抑制をもたらしていると考えられる。さらに,それを強めたのが,家族や地域社会の崩壊といった社会崩壊であり,被爆者が生きていくための大きな障害となったことも容易に想像することができる。
イ 時間経過の中での他の要因関与
放射線晩発性障害は,被爆から疾患の出現まで長期間を要し,かつ,様々な要因が複合し,晩発性障害の非特異性も加わって,放射線の影響の有無を区別することが困難となる。
ウ 発病の促進に対する疫学的判断が重要であること
放射線の影響は,基本的に発病の促進であるということが重要である。アメリカの著名な疫学者であるグリーンランドは,放射線の影響が促進であるとすれば,疫学調査上は,比較対照群との間で増加した分,つまり過剰相対リスクだけが放射線の影響を受けたとみるべきではなく,極端な場合,数字上増加をしていなくても,全員が放射線の影響を受けているとみるべきであるという。すなわち,全員が少しずつ促進しているような場合には,全体が影響を受けていると考えるべきなのである。
特に,放射線の影響は,寿命短縮が言われており(C19の意見),原爆放射線は,加齢と同様に炎症マーカーや抗体産生量の増加に寄与しており,したがって,放射線被曝が加齢による炎症状態の亢進を更に促進しているかも知れないということが示唆されるとされるに至っている。
4 残留放射線による人体影響
(1) 残留放射線によるとしか考えられない急性症状等の存在
最高裁平成12年判決に係る訴訟以来,被爆者に認められた脱毛,紫斑,下痢,嘔吐等の急性症状に関し,初期放射線の線量としきい値理論では説明することのできない症状が認められ,しかも,放射線によるとしか考えられない症状が多数認められたことから,これらの症状を放射線の症状で説明する必要に迫られた。特に,初期放射線に被曝していないのに,入市被爆者に重篤な症状が現れ,中には死亡する者が出たことも大きな要因である。
(2) 遠距離被爆者及び入市被爆者の急性症状の事例
ア C8の意見
昭和47年にABCCの山田広明とオークリッジ国立研究所のT.Jonesが,広島で爆心地から1600m以遠で被爆し,黒い雨を浴びた236人について,放射線の急性症状の発現率を分析した結果は,当時のコンピュータ・データが不完全であったこと,対象者が236人と少ないことなどから,その正確性に疑問が生じていた。そこで,C8において,放影研からデータの提供を受けた約1万7000人の基本調査票(MSQ)のデータを統計処理し,再度,広島の爆心地から1600mないし2000mの被爆者と2000m以遠の対象者の比較を行ったところ,広島の爆心地から1600mないし2000mの被爆者に起こった脱毛と,2000m以遠の被爆者に起こった脱毛とでは脱毛率に明らかな有意差が認められた。
この分析結果から明らかになったことは,① 2000mを境にストレスや栄養失調,殺鼠剤の使用に違いがあるとは考えられないため,これらの脱毛は原爆放射線の影響であること,② DS86によれば,爆心地から1600mの初期放射線量は約330ミリグレイ(約0.33グレイ)(なお,2000mでは約70ミリグレイ(約0.07グレイ))程度であり,少なくとも1600m以遠で生じた脱毛は,初期放射線の影響だけで説明することは困難であり,相当程度の残留放射線の影響によるものと考えるのが合理的であるということである。
イ 日米合同調査団の報告書の調査結果
平成10年6月7日に開催された原爆後障害研究会において,長崎大学医学部助教授の三根真理子は,日米合同調査団の報告書を調査した結果を報告した。
長崎において,典型的な急性症状である脱毛は,3.1kmないし4kmで1.3%,4.1kmないし5kmでも0.4%の発症がみられ,紫斑も3.1kmないし4kmで1.4%,4.1kmないし5kmでも0.4%の発症がみられる。また,遮蔽の有無によっても差があることが示されている。
ここで重要なことは,於保源作報告なども含めて,調査主体,調査規模及び調査時期が異なるにもかかわらず,広島についても,長崎についても,一貫して,爆心地から2km以遠で被爆した者でも脱毛や皮下出血,紫斑を生じたこと,のみならず,これらの症状を生じたとする者の割合が,被爆距離に応じて減少しており,地形や遮蔽による相違も認められることである。すなわち,これらの脱毛や皮下出血,紫斑などは,放射線による急性症状とみることが最も合理的である。この点について,東京高裁平成21年判決も,脱毛発現率の数値にばらつきがあっても,被爆者における脱毛が原爆放射線に起因するという関係を推認するについて妨げとなる事情とまではいえないと判示している。
ウ 放射性降下物に関する冨田哲治らの報告
最近注目されているのが,方角によるがん死亡率等の相違の調査による残留放射線の影響の可能性の指摘である。
これまで被曝線量(実質は遮蔽を考慮した被爆距離)のみによるリスク評価がされてきた。この場合には,放射線の影響は同心円を示すことになる。これに対し,広島大学の冨田哲治ら広島大学原子爆弾放射線医科学研究所のグループは,広島大学の被爆者データ(ABSと略称される。)を基に,被爆者の被爆地点を基準にして被爆地点の方角による死亡率の比較調査を行った(冨田哲治ら第1報告)。ちなみに,データそのものは,冨田哲治ら第1報告によると,放影研の寿命調査(LSS)のデータと重複部分があり,その部分の線量評価は近似しているとされる。
冨田哲治ら第1報告は,被爆直後に黒い雨が広島の爆心地から西ないし西北西に降ったとされていることから,被爆地点をメッシュに分けるとともに,エンドポイントをがん死亡にして分析をした。つまり,がん死亡に焦点を当てて調べたものである。
被爆地点による直接放射線量(初期放射線の外部被曝)で等線量線(contour)を描くとほぼ同心円を描くことになり,他の要因が無視し得るのであれば,がん死亡のリスクもほぼ同じとなるはずであるとする。
ところが,実際のがん死亡のマップは,ゆがんだ形となった。次いで,冨田哲治らは,このマップから直接被爆のリスクを取り除くことを考え,除去を行い,その結果を2km地点に焦点を当てると,最高と最小の地点の相対リスクは1.6,したがって,過剰相対リスクは0.6となったとする。この過剰相対リスク0.6という値は放射線量として1グレイに相当する相違であるとする。
黒い雨の降雨方向と一致していること,また,以前,放影研のデイル・プレストンらが爆心地からの8分円の方角に分けて分析した内容と一致する内容となっており,特に放射性降下物の強い影響を示唆する内容となっている。
エ 於保源作報告
医師の於保源作が広島で急性症状の発症率を調査した於保源作報告は,距離ごとの有症率だけでなく,被爆時に屋内にいたか屋外にいたかの別,被爆後に中心部に出入りしたかの有無により区分されており,初期放射線の影響を比較的よく表している。しかし,この調査によっても,2kmで30%の急性症状有症率があり,3km以遠においても多くの急性症状が発症している。
ここで重要なのは,この調査のみならず日米合同調査団による調査なども含め,調査主体,調査規模及び調査時期が異なるにもかかわらず,広島についても,長崎についても,一貫して,爆心地から2km以遠で被爆した者でも脱毛や皮下出血,紫斑を生じたこと,それのみならず,これらの症状を生じたとする者の割合が,被爆距離に応じて減少しており,地形や遮蔽による相違も認められることであり,これらの事実に照らすならば,被爆者に現れた脱毛等の症状は,原爆放射線による急性症状であると解するほかない。
オ 広島市古田町の女性の多重がんの事例
鎌田七男ら第2報告によれば,広島市古田町(被爆地点は爆心から約4kmの地点)の女性(被爆時年齢29歳。被爆時は出産直後で動くことができなかった。)の多重がんの事例が報告されており,この症例で注目すべきは,がんに対して化学療法及び放射線治療が行われていないにもかかわらず,日本人の成人の正常値の2.6倍もの染色体異常率がみられたという点である。これは原爆による放射線,特に放射性降下物による残留放射線の影響であると考えるほかはない。
なお,C6も,「2.6倍もの染色体異常率は原爆の影響ではないとは言い切れない」旨の証言をしている。
また,多重がんについては,これまでいくつもの報告が広島や長崎の病理研究者から報告されてきており,長崎大学医歯薬学総合研究科原爆後障害医療研究施設の中島正洋及び関根一郎らがそのことを疫学的に立証している。
つまり,多重がんは,被爆者に多くみられる症例であるのみならず,放射線被曝との線量反応関係も認められることから,同事例も放射線被曝による多重がんであると考えることが合理的であり,爆心地から4kmの地点でも放射性降下物等の影響を受けているものと考えられる。
カ 長崎の11歳女性の剖検例
家森武夫報告には,山口県立医学専門学校研究治療班が昭和20年9月14日から約1週間剖検を行った13例が記載されている。その13例のうち,爆心地から約3kmの地点の自宅の屋内で被爆した11歳の長崎の女性の剖検例(第6例)が記載されている。
放射線感受性が最も高い組織として,一般に生殖組織,造血組織(骨髄)及びリンパ組織が挙げられるところであるが,まず,同女性の卵巣は変性を来し,また,そのリンパ濾胞は減少している。さらに,同女性の大腿骨の骨髄,特に,通常造血作用の行われている骨端部は,造血組織の死滅により黄色になっている。これらの生殖組織,造血組織(骨髄)及びリンパ組織にみられた変化は,PTSD等の精神的,心理的影響ではもちろんなく,伝染病(感染症)によっても説明が不可能であり,放射線の影響でしか説明ができないものである。
なお,家森武夫報告の13例については,骨髄のみならずほとんど全身性に各臓器や組織に変化が現れるという点で,感染症や栄養障害などとは明確に区別することができることから,「亜急性放射線障害」として家森武夫により報告されている。栄養障害及び感染症は異なる臓器や細胞ごとに異なった関わり方,影響の与え方をするのに対し,放射線は臓器(細胞)無差別的な障害性を持っていることから,放射線障害の場合,全身性に各臓器や組織に変化が現れるのであり,これは栄養障害や感染症原因とは明確に区別ができるものである。
さらに,骨端部の黄色脂肪髄変化については「赤色で水腫性である」と指摘するなど,放射線による特異な骨髄障害の病理学的特徴が指摘されており,このことからも,同症例は,放射線性骨髄障害であると考えるほかはない。
このように,DS86では全く放射線が到達しないとされる爆心地から約3kmの被爆者に,およそ放射線の影響としか考えられない組織の変容が生じているのであるから,同症例は残留放射線の影響によるものといわざるを得ない。
キ 西山地区の白血病異常事例
九州帝国大学の篠原健一らは,昭和20年10月から,長崎市西山町に入り,約200人の住民のうち157人について白血球数検査を行ったところ,ほとんどの住民の白血球数に異常が認められたと報告している。
また,九州大学の松浦啓一の報告によれば,その後の継続調査によって,黒い雨を浴びた者だけでなく,屋内にいて黒い雨を浴びなかった者や原爆投下時には西山地区に不在でその後西山地区に入った者にも白血球増加が認められたことが報告されている。当時,西山地区には白血球増加の原因となるような感染症の流行はなく,松浦啓一も「この特異なる現象は核分裂生成物よりの体外,体内照射による影響と考える外はないように思う」と考察している。
生体が一定量以上の放射線を浴びると防衛反応として白血球数が増加し,更に被曝線量が高くなると骨髄抑制のために白血球数は減少する。しかし,被曝線量が低い場合には骨髄抑制が起きないため,最初の反応性増加のピークを過ぎると白血球数は正常化する。西山地区でみられたような低線量の持続被曝の場合には,被曝が続いている間は白血球数が増加し,被曝がなくなると正常化すると想定される。
原爆投下後,西山地区では山菜を好んで食べたといわれており,放射性降下物に含まれたストロンチウム81やイットリウム91などのベータ線核種によって汚染された山菜の摂取による内部被曝の関与が大きいと考えられる。
また,低線量内部被曝において白血球の増加が発生することは,動物実験でも確認されている現象であり,低線量持続被曝で白血球の減少が観察された事例が存在することをもって,実際に観察された西山地区住民の白血球の増加について放射線被曝の影響によるものであることを否定し得るものではない。
むしろ,西山地区住民の白血球の増加については,松浦啓一が指摘するように,その検査時において感染症罹患をうかがわせるような症状は観察されなかったこと,それにもかかわらず集団的に発生しているものであることからして,低線量被曝の影響によるものとしか考えられないのである。
ク 「広島・長崎における原子爆弾の影響」の中の姉弟の事例
日本映画社の「広島・長崎における原子爆弾の影響」では,爆心地から約2kmの広島市舟入町で被爆し,脱毛症状を呈している姉弟の映像が残されている。なお,同姉弟の被爆地点について,日本映画社において上記記録映画の製作プロデューサーであったC11が,同姉弟の被爆地点は「爆心から西南2キロ」メートルであるとの詳細なメモに残している(「C11の製作ノート」)。
ケ 調来助ら報告
調来助は,マンハッタン管区原子爆弾調査団が帰国した後に調査を引き継いだ日米合同調査団の長崎での調査を行った長崎大学の調査団長であり,昭和20年10月下旬から同年11月中旬にかけて,長崎大学の医師,医学生約50人が長崎市内各地を訪問し,調査票を基に長崎の被爆者から聴き取る形で,生存者5500人余り,死亡者333人のデータが集約された。その後も調査は継続され,最終的には日米合同調査団の資料(調来助ら報告)として集計され,米国国立公文書館に保管された。その保管資料の中に,発熱,下痢,出血傾向及び脱毛の四つの症状について,死亡者と生存者を区別して,それぞれ爆心地からの距離と発現率を示した表が存在した。
これらの表は,いずれの症状も爆心地からの距離が遠くなるほど発現率が低くなる距離依存性を示している。また,これらの表から,生存者の発現率に比べて死亡者の発現率が高いという特徴を指摘することができる。そして,調来助ら報告の調査結果の一覧表から,爆心地から2km以遠においても,発熱,下痢,出血傾向及び脱毛といった被爆者に観察される急性症状を呈して死亡した者が観察される。
調来助ら報告によれば,爆心地から2kmないし3kmで被爆した死亡者22例のうち発熱は55%,下痢は64%,出血傾向は36%,脱毛は14%と高率で急性症状が現れている。そして,爆心地から1.5km以遠であろうと距離が遠くなるに従って逓減していく様子が観察されることから,距離依存性は明らかである。
なお,C8は,調来助ら報告で爆心地から2km以遠で被爆し死亡した被爆者のうち「発熱,下痢」が50%程度,「脱毛」が20%程度出現していることが示されていることから,偶発的に自然の脱毛が交じったのではなく,急性放射線症状を呈して死亡したということが妥当と結論付けている。
コ 「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」のSectionA
「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」のSectionA(医学的調査)として報告されている大村海軍病院に収容された入院患者についての調査は,調査対象者を最重度群(死亡率ほぼ100%の群),中等度群(死亡率約50%の群),軽度群(死亡率が中等度群以下の群)に分類し,症状と発現時期を調べたものである。
この調査結果について注目すべきは,軽度群においても被爆後20日で脱毛,倦怠感及び咽頭痛が始まり,約24日後に点状出血や下痢が出現している点である。つまり,脱毛や点状出血,下痢は必ずしも高線量被曝者にのみ認められるものではない。そして,この調査において,脱毛及び出血傾向を呈した者107人中20人が2km以遠での被爆者であり,その割合は19%を占めているのである。この結果は,脱毛及び下痢に関するしきい値論の矛盾を示すものとして重要である。
なお,「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」が示す大村海軍病院の調査結果は,大村海軍病院長であった泰山弘道の記録に示された「大村海軍病院に収容せる原子爆弾遭難患者の調査概要(昭和20年9月1日現在)」を基礎資料としていると考えられるところ,収容患者総数のうち97%が「直接原子爆弾に依る受傷者」であり,死亡者総数155人のうち「特異症状(脱毛,血便,嘔吐,皮膚および粘膜の溢血,高熱等)を呈し死亡せる患者」が153人だったのである。要するに,「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」のSectionAの調査結果は,大村海軍病院に収容された患者それぞれが爆心地からいかなる距離で被爆したものかについては記録はないものの,「特異症状」を呈して死亡した被爆者のうち相当な割合が放射線に起因する症状であったことを示す資料として評価するのが妥当である。
サ 九州大学第二外科が実施した胃液検査
昭和20年9月頃に九州大学第二外科が実施した被爆者40人を対象とした胃液検査の際に確認された白血球数について,2km以遠で被爆した21人の被爆者のうち10人に白血球減少が認められた。白血球減少はストレスや栄養失調,感染症では生じないことから,放射線以外に白血球減少を来す要因は考えられず,初期放射線の影響であるとの説明も困難である以上,これも残留放射線の影響としか考えられない。
シ 白血病発症例
長崎の西山地区では,昭和45年までに2例の慢性骨髄性白血病が発生している。白血病の発生率は10万人に約6人であることを考えると,西山地区の住民数約600人のうちの2例は高い発生率ということができる。つまり,かかる2例の白血病は偶然に発生したものではなく,残留放射線の影響によって生じた可能性が高いと考えることが合理的である。
ス 甲状腺結節発症例
平成元年,長瀧重信らは,直接被爆しなかったが原爆投下後10年以上西山地区に居住している住民247人のうち184人に検査を行った結果,9人(4.9%)に甲状腺結節が見つかった。対照群とした非被爆者では甲状腺結節は368人中3人(0.8%)で,西山地区住民の甲状腺結節の発生率は対照群の約6倍と統計学的に有意に高かった。
この甲状腺結節の多発が残留放射線によって引き起こされた可能性は高い。
セ C10調書
医師のC10は,被爆後,広島市の北方の広島県安芸郡戸坂村で診療に当たっていたが,被爆後に治療を行った際に高熱が出て死ぬ者の中に,明らかな入市被爆者が多数いた。
また,C10は,原爆投下1週間後に広島に入り,夫を探して1週間町を歩いて,C10のいる同村を訪れた松江の女性について,紫斑が出現し,その後2週間後か3週間後に吐血及び脱毛を経て死亡した症例があったことを証言している。
C10は,これらの広島での体験から,山口県柳井の病院へ移った後も,入市被爆者が数多く死亡していくのを目の当たりにし,さらに,昭和25年に東京に出てからも,被爆者の診察を行う中で,爆心地から遠くで被爆したり,後から被爆地に入ったりした者の中に,「だるい」と訴える多くの被爆者に接したことから,いわゆる「ぶらぶら病」を共通の放射線被曝の影響であると考えるに至った。
ソ 三次高等女学校の事例
原爆投下の13日後である昭和20年8月19日に入市したB24は,訴訟において放射線起因性を認められた(広島地裁平成18年判決)。
B24は,昭和20年8月6日,広島から50km以上離れた広島県三次市の三次高等女学校で広島の閃光を見た。そして,同月19日の夕方から同月25日まで「広島に救援に行く決死隊」の一員として,広島の爆心地から約350mの本川国民学校で被爆者の救援に当たった。B24は,被爆前は健康であったにもかかわらず,広島県三次市に広島から帰宅した直後から,全身の倦怠感,吐き気,嘔吐,食欲不振,激しい下痢,下血及び脱毛に見舞われ,それがかなり長期間続いたため,同年9月から始まった学校は1箇月程度休学した。その後は,乳がん,白血球減少症,胃がん,肝機能障害,卵巣がん及び腸閉塞に罹患している。また,昭和53年には長女が甲状腺がんの手術を受けている。このような被爆実態をたどったB24に対し,裁判所は放射線起因性を認めた。
ここで重視すべきは,B24と同様な症状が,B24と同様の行動をした入市被爆者(同級生)に認められていることである。旧三次高等女学校の同窓会誌には,他の生徒にも脱毛が認められ,また,B24と共に本川国民学校に派遣され,救護活動に当たった当時の三次高等女学校の生徒らに対する調査結果によれば,救護活動に参加したと判明した23人のうち,平成17年12月31日時点での生存者は10人,死亡者は13人であり,生存率が43%となり,平成16年簡易生命表による76歳の平均生存率83.7%よりもはるかに低い数値である。
また,人口統計によれば,昭和20年の全国の女子の16歳の人口は81万9000人,当時16歳の女子が76歳となった平成17年の全国の女子の76歳の人口は62万6316人であり,その生存率は76.47%である。これに対し,本件の三次高等女学校の卒業生に関しては,昭和20年時の生存者は23人であるのに対し,平成17年時の生存者は10人であり,その生存率は43%と全国の生存率より約33%も低くなっている。
その死亡原因の内訳をみると,白血病2人(死亡時50歳及び57歳),卵巣がん1人(死亡時47歳),肝臓がん2人(死亡時63歳及び71歳),胃がん1人(死亡時43歳),膵臓がん1人(死亡時65歳),腸捻転1人(死亡時16歳),くも膜下出血1人(死亡時70歳),心疾患2人(死亡時61歳及び75歳)及び不明2人(死亡時17歳及び24歳)であった。また,急性症状の有無についての聴取りをみると,調査に協力を得られた7人の生存者のうち,B24を除く6人については,1人を除いて急性症状を訴え,更に全員が健康状態について放射線の影響を強く推認させる疾患(肝機能障害,流産,甲状腺腫瘍,がん,白内障等)に罹患していた。この事実を心理的影響とみるのは不可能である。
タ B15の事例
入市被爆者に生じた急性症状の典型例として挙げられるのが,B15の事例である。
B15は,広島原爆投下後の昭和20年8月6日午前に爆心地から1.5kmの広島日赤病院(市内南西部)へ入市し,更に同月9日,爆心地を通過し,1.5kmの広島市西天満町(市内東部)へ到達した。B15は,部下と共に,広島日赤病院の池の水を煮沸して飲み,3日目(同月8日)には,全員下痢で活動不能となっている。そして,更にB15は,下痢や紫斑と共に,頭髪,ひげ,眉毛及び陰毛に脱毛が生じた。
チ 齋藤紀ら報告
齋藤紀ら報告は,米国国立公文書館から発掘された重篤な放射線急性症状を呈した広島入市被爆者(医学専門学校の医学生)の詳細な手記記録に基づいて入市被曝線量の推定を行ったものである。
同医学生は,昭和20年8月8日に広島市内に入市し,親族の探索の後,同月10日から軍医と共に本川小学校救護所(爆心から0.3km)で救護や遺体処理に従事した。そのうちに吐き気,頭痛など体調の変化が起こり,同月15日に意識を喪失したため,郷里の父の医院へ戻り,治療を受けた。臨床経過中において,高熱,唾液腺痛,点状出血斑,歯茎の化膿,喉頭壊死などの口腔症状が出現した。
これらを踏まえ,齋藤紀ら報告は,「救護活動後まもなく発症した医学生の一連の症状を急性放射線症候群と見れば,2Gy~5Gy相当の症状と理解することができる」とし,土壌線量のみを入市被曝線量として推計する手法について,「土壌以外の誘導放射線の外部,内部被曝の問題が残されていると指摘されており,入市被爆者の線量評価はより根本的な訂正が求められていると言わざるをえない」としている。
ツ 近藤久義ら第1報告
近藤久義ら第1報告は,入市被爆者における放射線被曝の影響,つまり,残留放射線被曝の影響を検討するため,早期入市被爆者とそれ以外の入市被爆者の死亡率を比較検討したものである。
対象は昭和45年に生存していた男性7980人及び女性7230人で,入市時の平均年齢は男性24.1歳及び女性23.3歳である。これを昭和20年8月9日,同月10日及び同月11日以降の入市の3群に分け,昭和45年から平成19年まで追跡し,死亡を観察した上,死因と死亡率を比較した。
その結果,近藤久義ら第1報告は,「長崎の爆心地付近に8月9日または10日に入った早期入市者は,11日以降入市者に比べて,全死因と脳血管疾患,心疾患の死亡率が高く,残留放射線被曝による後障害の可能性が示唆された」とした。
近藤久義ら第1報告では交絡因子の検討まではされていないが,残留放射線の影響を証明した大規模研究として評価される。
5 急性放射線症候群(急性症状)の特徴
(1) 急性放射線症候群概念
ア 被告が論拠とするC20の説明によると,チェルノブイリ原発事故,ゴイアニア事故,エルサルバドルの事故等の放射線事故を通じて,「急性放射線症候群」という概念が確立し,この「急性放射線症候群」の症状経過や脱毛,下痢,紫斑,口腔咽頭病変等の放射線症状のしきい値からみると,被爆者の臨床経過や発現率はそれに合致しないので,被爆者にみられるこれらの症状は放射線症状ではないという。
しかし,かかる説明は,東京高裁平成21年判決において明確に退けられている。
イ また,被告は,被爆者の身体症状につき,東京大空襲の被災者に発現した状況,JCO臨界事故発生時の周辺住民の状況などを列挙して,被曝以外の原因により発症し得るものであるとし,また,衛生状況や栄養状況の悪化,あるいは,精神的影響に起因するとみることが自然かつ合理的であるから,身体症状の存在をもってそれが急性症状であると判断することはできないとする。
しかし,この主張も,既に東京高裁21年判決において明確に退けられている。
ウ IAEAにおける「急性放射線症候群」の意味
IAEAのレポートで用いられている「急性放射線症候群」(ARS)という概念は,透過性の放射線による外部被曝のうちの全身を被曝した場合であり,その結果起こる「血液・骨髄障害」の「治療」を中心とする概念として用いられているということであり,残留放射線による被曝を受けた原爆被爆者には,そのまま当てはまらないものである。
それは,IAEAのレポートの正式名称が「放射線傷害の診断と治療」であって,急性放射線症候群のみを解説した文献ではないことや,IAEAのレポートの(序文)に記載されているように,放射線による傷害の初期治療,すなわち,急性傷害ないし亜急性傷害の治療を目的としたものであることからも明らかである。
つまり,医学においては,診断は治療との間の目的的な概念であるから,その前駆症状等の臨床症状は,結局,血液及び骨髄障害の程度を判断するための基礎資料にしかすぎない位置づけとなっているのである。
したがって,IAEAのレポートにおける血液及び骨髄障害の診断のための概念である「急性放射線症候群」と被爆者に出現した放射線による身体影響を受けたか否かの基準である「急性症状」とは異なる概念であることに留意が必要である。すなわち,被爆者の示した急性症状の中には,急性放射線症状を示すものと,血液及び骨髄障害を示していないが放射線によるとしか考えられない症状を示していたものも含んでおり,完全に一致していない。加えて,被爆者の場合には,放射線に加え,熱線及び爆風による影響を受け,更に心理的影響も受けてこれが増強しているために,単純に放射線の人体影響単独では評価することができないものを含んでいるのであり,これらも全体として放射線の影響と認めるべきことになる。
(2) 放射線事故調査における急性症状の記載及び線量評価の限界
ア 事故態様等の相違
IAEAのレポートのイントロダクションには,参照した放射線事故が記載されている。そこでは,放射線傷害の診断,監視(経過観察)及び治療について重要な情報を提供したとされる事故として,チェルノブイリ原発事故とゴイアニア事故及びエルサルバドルの事故が記載されている。
しかし,前述の骨髄被曝を通じて,血液に異常をもたらす被曝という趣旨からすると,原爆被爆とチェルノブイリ原発事故,ゴイアニア事故及びエルサルバドルの事故とでは,被曝状況が異なり,症状経過も異なるものである。したがって,これらを中心に再構成された急性放射線症候群の概念と,原爆で認められる急性症状とでは自ずから内容や程度が異なるものであり,どれだけ原爆被爆に適用することができるのか,極めて疑問といわなければならない。
イ 急性症状のしきい値の問題点
C20の「放射線による急性障害に関する意見書」が述べるように,脱毛のしきい値は,動物実験で得られたものであって,放射線事故で得られた知見からそのしきい値が確立したわけではない。
また,急性放射線症候群の部分に記載されているしきい値や症状経過は,外部被曝のみの場合を想定して記載されたものであり,放射線事故による汚染の場合には,異なった対応となるのであり,これを無視することには問題がある。
ウ 放射線事故の線量評価
さらに,ゴイアニア事故のレポートによれば,他で得られた生物学的線量評価による方法でその後の医療措置の必要性を判断しているのであり,これらの事故の線量評価そのものをしているのではない。もちろん,放射線被害者から得られた臨床知見と,物理学的線量評価や生物学的線量評価との間の知見を総合的に判断するという努力がされていることは否定しない。しかし,それでも,事故における線量評価の困難性,そして,事故それぞれの相違を考えれば,臨床症状について,線量に対応した急性放射線症候群の統一的な知見が確立されたというわけではないのである。
例えば,IAEAのレポートで生物学的線量評価法として最も信頼性が高いとされる染色体異常率は,放射線による血液及び骨髄障害(基本的に放射線による骨髄抑制)の状態を把握することが主たる目的であり,そのことを通じて,骨髄抑制に起因する合併症を防止するための検査である。この検査で得られた異常率から骨髄抑制の状態を把握し,入院を要するか,外来による経過観察で足りるか,更に入院患者について,血液製剤の投与,抗生剤の投与,隔離の必要性,骨髄移植を要するか等を鑑別診断するのである。その際,染色体異常率の線量評価に当たって用いられる線量は,放射線事故から得られた線量ではない。C20も認めるように,研究施設においてリンパ球に放射線を当てることによって標準曲線を得て,その標準曲線から得られる染色体異常率から線量を得ているものである。そして,ここで注意すべきは,全身を放射線照射した結果による線量と変異との関係を出す検量曲線は存在していないということである。
また,セシウム137による放射線事故であるゴイアニア事故においても,セシウム137ではなく,コバルト60によって得られた線量曲線を補正して線量推定を行っているのであり,正確な線量評価に基づくデータが放射線事故を通じて得られているわけではない。
急性放射線症候群もこのようなトライアンドエラーの積み重ねの途上にあるということを理解する必要がある。まして,臨床症状は,様々な条件で相違のあること,そして,一般的な外部被曝であることを前提に,急性放射線症候群を診断する一応の診断の目安として記載されているにすぎないものであり,汚染型事故で,臨床症状が全て同じというわけではないのである。
なお,このような問題に加え,染色体異常による生物学的線量評価では,1シーベルト(ガンマ線にして1グレイ)以下の線量評価はできないとされている。しかも,それは飽くまで骨髄線量としてである。
エ 外部被曝線量評価の困難と限界
比較的単純な放射線事故であるJCO臨界事故でも外部被曝線量評価には一定の幅が出されている。この点,C20は,最大の被曝を受けたのが25グレイと証言するが,「ウラン加工工場臨界事故患者の線量推定最終報告書」では19グレイと評価されていることからも分かる。のみならず,そもそも外部被曝線量を測定することすら困難な場合があり,取り分け「汚染」事故とされるものではそのことがいえる。前述のとおり,染色体異常率の検査は,IAEAのレポートでは,生物学的線量評価として一番信頼性が高いとされるが,内部被曝の場合に,異なる放射性核種が様々分布する場合には,いつでも線量評価ができるわけではないとIAEAのレポートでも指摘されているところである。のみならず,生物学的線量評価が正しいかどうかを評価するためには,様々な生物学的線量評価法を照らし合わせ,あるいは,行動経過からみた外部線量と比較する必要があるが,汚染事故の場合には,どこを基準にするかによって内部被曝線量評価が困難であるし,また,行動経過からみた外部被曝線量評価が著しく困難なのである。外部被曝線量評価の困難性については,ゴイアニア事故のレポートにおいて,「ゴイアニア事故が分かるや否や,被害者の線量評価をすることが非常に困難であることが明らかになった」と記載されていることからも認められるところである。
線量評価が著しく困難であることは,ゴイアニア事故のみならず,チェルノブイリ原発事故等の「汚染」型の放射線事故でも同様であり,このことから,IAEAのレポートが正確な線量評価に基づいてまとめられたわけではないことが分かる。
オ JCO臨界事故からうかがえる急性放射線症候群の未解明性
JCO臨界事故は,中性子線とガンマ線による外部被曝のみによる事故という点で,急性放射線症候群としては,比較的単純な事故である。しかし,JCO臨界事故による調査結果から,むしろ,急性放射線症候群の前駆症状や潜伏期間等の概念が必ずしも確立していないことが明らかになっている。
(ア) 意識障害について
C20は,意識障害については,50グレイを超える被曝で現れるとされているが,JCO臨界事故では,より低い線量でも起きているとしている。
JCO臨界事故では,一番高い被害者でもガンマ線相当量で19グレイの被曝をしたと考えられるが,このように文献の値と大きくずれている事実が存在するのであり,このことは,線量評価が不確実であることを示すものである。
(イ) 消化管障害の発現期間について
また,消化管障害について,C20は,約8グレイから10グレイ以上の被曝で現れるとされるとしている。これは,血液及び骨髄障害について,相当断定的な表現をしているのとは異なり,下痢等の消化管障害が,被曝線量が不確定な状況で発生していることを示すことを強く疑わせるものである。また,同様に消化管障害の出現が数日内に発症すると考えられていたが,実際に現れたのはかなり時間を経てからであり,今後の研究課題であるとされており,この点からもIAEAのレポートの症状経過の期間そのものが,確定的なものではないことが分かる。
これらのことから,外部照射によって胃腸管にまで放射線が到達する事故は少なく,確定した知見は得られていないことが分かる。
(ウ) 嘔吐の発現率の幅について
さらに,C20は,前駆症状としての嘔吐について,1グレイないし2グレイで,2時間以後に10%ないし50%の範囲で発症するとしているが,このように幅があるということは,しきい値や発症率等に未確定部分が多数存在していることを示すものであると同時に,出現の幅が非常に大きいであろうことも示すものである。
6 相当線量論について
(1) 被告主張の不合理性
ア 被告は,原告らが相当量の放射線に被曝したという主張に対し,放射線起因性については,原告らが主張,立証すべきものであるとの前提の下,① その根拠となる疫学調査が定量的に関係づけられている,② 科学的知見を科学的経験則として用いるのであれば,定量的な放射線被曝線量評価をしない限りは,当該経験則を用いることができない,③ 少なくとも,上記のような疫学調査等との比較ができる程度には,具体的かつ正確に線量評価がされなければならないと主張する。
その上で,被告は,従前の裁判における主張と同様,DS86及びDS02に基づき推定被曝線量を本件申請者らに割り付け,また,残留放射線の影響はほとんどないかのごとく主張する。
しかし,被告の主張は,被爆の実態とかけ離れたものであることから,既に原爆症認定集団訴訟及びその後の裁判において繰り返し否定されてきたものである。そして,原爆症認定集団訴訟において,被告の当該主張が各地の裁判所で次々と否定され,被告が敗訴する判決が連続したことを受け,新審査の方針が策定されることとなったのである。つまり,被告の主張は,既に決着済みの争点の蒸し返しであり,現在,厚生労働省が行っている改定後の新審査の方針及び再改定後の新審査の方針に基づく行政認定とも相反するものであり,極めて不合理な内容である。
イ 新審査の方針の策定には大きく二つの意義がある。
一つは,被告が,それまでかたくなに否定してきた残留放射線の影響を認めざるを得ず,旧審査の方針からの大転換が行われたことである。被告の主張では,DS86及びDS02による推定被曝線量は爆心地から2.5km以遠ではほとんど0とされてきた。また,原爆投下当日に入市してもほとんど被曝はしないとされてきた。これら被告の主張を前提とすると,3.5kmの地点では初期放射線の影響により疾病が発症することはなく,また,原爆投下後100時間後の入市で被曝の影響により疾病が発症することもない。しかし,初期放射線以外に,残留放射線の影響としか考えられないような被爆の実態があることから,被告は認定基準を「被爆の実態に一層即したもの」とするために,認定の範囲を広げざるを得なかったのである。つまり,新審査の方針の策定により,約3.5km以内の被爆や,約100時間以内の入市など,積極認定に該当する被爆態様が認められる場合には,初期放射線や残留放射線により相当程度の被曝,すなわち,疾病を発症する程度の放射線影響を受けたことが争いのない事実になった。このように考えなければ,現在,厚生労働省が行っている認定行政との整合性がとれないものである。
ウ もう一つの意義は,積極認定の対象の範囲にならない場合でも,「被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を総合的に判断するものとする。」とされたことである。放射線の影響は3.5kmや100時間で突然に消失するものではない。また,放射線感受性の高い若年で被爆した者は,放射線の影響を強く受けるなど,被爆者の状況も個々人によって異なるという事情もある。そして,被爆の影響のある疾病も改定後の新審査の方針に個別に記載された疾病に限られるものではない。つまり,被爆の影響により疾病が発症することが,積極認定の範囲に限られるものではないことから,個々の被爆者の被爆態様などを総合的に考慮し,原爆症認定を行うこととなったのである。
取り分け3.5km以遠や100時間を超える入市であっても,若年者であったり,あるいは,黒い雨,放射性粉塵,更に内部被曝を受けるような状況であったりした場合には,放射線起因性を認めるだけの相当線量の被曝があったと認められなければならない。
エ 平成25年12月に改定後の新審査の方針が再改定され,再改定後の新審査の方針が策定された。しかし,以上の2点については,同様の指摘が変わらずに当てはまる。なお,再改定後の新審査の方針では心筋梗塞,甲状腺機能低下症,慢性肝炎及び肝硬変といった非がん疾患については,がんと区別し,積極認定の範囲を爆心地から約2km以内の被爆や,原爆投下後翌日までに爆心地から約1km以内に入市した場合に限定する線引きがされている。しかし,当該線引きが不合理であることは前述したとおりである上,被爆態様が約3.5km以内の被爆や約100時間以内の入市などの場合に悪性腫瘍について相当線量の被曝をしたとして原則認定する以上,当該被爆態様が疾病を発症する程度の被爆態様であることに変わりはない。
オ 被告は,本件訴訟においても,従前の裁判と同様に本件申請者らにDS02による放射線被曝線量を割り当て,また,残留放射線の影響は無視することができるとの主張をし,本件申請者らがほとんど被曝していないかのような主張をしている。しかし,不十分ながらも新審査の方針が策定され,認定行政が改められた結果,被告の主張は自身の原爆症認定行政とすら矛盾する極めて不合理な内容となっている。
実際に,本件訴訟において,被告は,B8の被曝線量は合計でも0.18920424グレイを下回る,B1の被曝線量は合計でも0.237249グレイであるとして,しきい値の0.5グレイ程度を大きく下回る低線量であることから放射線起因性は認められないと主張していたものの,訴え提起後に,B8やB1の心筋梗塞について,処分行政庁は,自ら却下処分を撤回し原爆症認定をした。また,被告は,原告X19に対しても,推定被曝線量は約0.012グレイを下回る程度にすぎないとし,ほとんど被曝をしていないかのような主張をしているが,原告X19は,平成25年12月の再改定後の新審査の方針の策定前に,既に肺がんで原爆症認定を受けている。
さらに,被告は,一般に,肝臓は中等度の放射線感受性を有する臓器であるとされており,全肝に2週間ないし3週間にわたり持続的に25グレイを照射すると肝実質障害は発生しないが,3週間にわたり持続的に30グレイ超を照射すると肝実質障害が発生するとされていると主張していたが,その一方で,再改定後の新審査の方針に基づく認定行政においては,慢性肝炎及び肝硬変について爆心地から約2km以内の被爆や,原爆投下後翌日までに爆心地から約1km以内に入市した場合に格段に反対すべき事由がない限り積極的に認定するとして(積極認定),原爆症の認定行政を行っているのであり,被告の主張は,自らの認定行政とすら矛盾する,合理性のないものであることは明らかである。
(2) 誘導放射線被曝(入市被爆)の線量評価について
ア 被告は,原告らの主張が誘導放射線による被曝線量を著しく過大に評価するものであるとし,それは入市被爆者の被曝線量の最大限を画する賀北部隊工月中隊のケースで明らかになった推定被曝線量の最大値ですら0.118グレイ又は0.135グレイであり,平均値でみれば0.051グレイ又は0.048グレイであったことに照らしても明らかであると主張する。
しかし,① 被爆から42年経過後に行われた賀北部隊工月中隊の調査では,放射線に特異的な異常についてはおよそ評価が困難であり,放射線に特異的でない異常を把握しようとすると,高線量に被曝していない限り放射線の影響だと判定することができないこと,② 細胞分化上の問題により,放射線被曝後,長年月を経た後の血液リンパ球における染色体異常のデータから放射線の被曝線量を推測することは極めて困難であること,③ 原爆による放射線被曝は,初期放射線に加え,多種多様な核種や線質,異なる飛程等を有する残留放射線に囲まれての被曝であり,しかも,全身に対する照射であって,実験室における細胞照射実験に基づいて作られた安定型染色体異常の線量評価基準を適用することは,そもそも限界があること,④ 染色体異常とDS86との間の線量相関も大きくばらついていること,⑤ ベータ線等による外部,内部被曝が様々な形で被爆者の人体に影響を及ぼしている可能性が高いが,染色体異常の線量評価は骨髄線量が基準であり,上述した影響についてほとんど考慮ができていないこと,⑥ 賀北部隊工月中隊の調査は調査手法に問題のあるギムザ法で行われたこと等から,賀北部隊工月中隊の調査データをもって入市被爆による被曝線量が著しく低いということはできず,被告の主張は失当である。むしろ,賀北部隊工月中隊のうち32人が急性症状を発症し(うち10人が2症状,3人が3症状を発症。急性症状の内訳は出血14人,脱毛18人,皮下出血1人,口内炎4人及び白血球減少症11人),放影研も脱毛6人,歯根出血5人,口内炎1人及び白血球減少症2人についてはほぼ確実な放射線による急性症状があったとしていること,すなわち,入市被爆者に残留放射線によるとしか考えられない急性症状が認められていることこそが賀北部隊工月中隊の調査データの核心である。
被告は,この点を無視して,賀北部隊工月中隊の調査データをもって入市被爆による被曝線量が著しく低いというものであり,明らかに失当である。
イ また,被爆者の生活の場であった広島,長崎両市においては,初期放射線により誘導放射化された物質の量も看過し得ない多量のものであり,誘導放射化された土壌からの土埃,建築資材,家屋の木材が焼けたすすなどは,原爆による衝撃波や火災の影響もあって大量に上空に舞い上がり,原爆本体由来の放射性微粒子と共に,単に地上から外部被曝をするだけではなく,皮膚に付着しあるいは体内に取り込んで影響を与えたものである。今中哲二報告の内容は,土壌中の物質の誘導放射化を検討したもので,しかも,地上1mでのガンマ線による外部被曝線量を計算したものにすぎないのであり,今中哲二報告を根拠に誘導放射線被曝の人体影響を否定する被告の主張が不合理であることは明らかである。大阪地裁平成21年(行ウ)第224号同25年8月2日判決・判例秘書(確定。以下「大阪地裁平成25年判決」という。)も,同様の指摘をしている。むしろ,今中哲二自身が,自らの報告で,土壌以外の物質からの誘導放射線や,それらの内部被曝の影響などを含めた被曝リスクが重要であることを指摘している。
ウ さらに,被告は,いわゆるJCO臨界事故で高線量被曝をした従業員の人体の誘導放射化を調査した結果において,調査対象者のうち汚染検査において最も高い放射線量を示した者(上半身)の右肩部の放射線量の測定結果は,1時間当たり10マイクロシーベルトであり,この値は,歯科撮影であれば1回程度の放射線量にすぎないと主張する。
しかし,JCO臨界事故は中性子線とガンマ線による外部被曝のみによる事故であるのに対し,原爆被爆者は放射性物質が充満する環境の中に置かれ,表面汚染も極めて深刻だったのであり,JCO臨界事故の調査結果をもって,被爆者と接したことによる被曝の影響を否定することはできない。
また,人体の誘導放射化について,「ウラン加工工場臨界事故患者の線量推定最終報告書」でも「人体にはナトリウム(23Na),リン(31P),カリウム(39K,41K),カルシウム(44Ca)といった熱中性子により放射化されやすい核種が含まれている」と指摘されている。さらに,ナトリウム23から生成されるナトリウム24は,生成放射能が多く,全身に均等分布し,半減期も14.96時間と適度に長く,また,検出しやすい高エネルギーガンマ線を放出するとも指摘されているところ,被告の依拠する上記測定が実施されたのはJCO臨界事故発生(平成11年9月30日午前10時35分頃)から30時間以上が経過した時点である。その上,「注)TLD(熱ルミネセンス線量計を指す。)については患者自身での装着が不可能であったため,布団の上から装着した。なお,布団についても測定時間中必ず掛けていたわけではない」という注意書きも付されており,測定結果の正確性についても疑義がある。
むしろ,「ウラン加工工場臨界事故患者の線量推定最終報告書」で「同15時25分頃(事故発生当日を指す。),3名の被ばく従業員を受け入れ,廊下にて,それぞれの表面汚染検査をアルファ線サーベイメータ及びGMサーベイメータ測定担当1名および記録員1名の2名1チームで実施した。サーベイの測定より,異常に高い数値であることが次々と記録報告された」と指摘され,放射化した人体内から多量の放射線が放出されていたことが示唆されていることこそが重要である。
以上のとおり,自らの人体が誘導放射化されたり,放射性降下物で高度に汚染された多数の被爆者に接したりしたことによる被曝線量もごく僅かにすぎないといった被告の主張も失当といわざるを得ない。
(3) 内部被曝線量について
ア 被告は,生物学的線量推定法によって得られた遠距離被爆者及び入市被爆者の推定被曝線量等に照らせば,仮に内部被曝をしたとしても,その被曝線量はDS02の誤差の範囲に収まる程度の微量にすぎないと主張する。
しかし,染色体異常の線量評価の困難性等から,被告の依拠する生物学的線量推定法には大きな限界があるのであり,これをもって内部被曝を無視することができるとすることは誤りである。
イ また,被告は,① 原爆当日に広島で焼け跡につき8時間の片付けに従事した人々の塵埃吸入を想定して,内部被曝による線量評価を試みたところ,0.00000006シーベルトにすぎなかった,② 放射性降下物が最も多く堆積し,原爆の放射線による内部被曝で最も考慮しなければならない長崎の西山地区の住民についてさえ,昭和20年から昭和60年までの40年間にも及ぶ内部被曝の積算線量は男性で僅か0.0001グレイ,女性で僅か0.00008グレイにすぎず,自然放射線による年間の内部被曝線量の10分の1以下の格段に小さなものであることが科学的に実証されているとも主張している。
しかし,被告が依拠する今中哲二報告は,① 今中哲二自身が「おおざっぱな仮定を基にどの程度の被曝になりそうか見積もってみること」にしたものにすぎないと認めていること,② 誘導放射線による内部被曝のみを計算しているにすぎず,放射性降下物による内部被曝については考慮していないこと,③ 吸入の対象とした放射能も土壌中のナトリウムとスカンジウムに限られていること(したがって,汽水は考慮されない。),④ 人体に現実に発生した健康状態を検討することなく,「考えられる外部被曝にくらべ無視できるレベル」との結論のみを示すにすぎないことから,今中哲二報告をもって内部被曝の影響を無視してもよいとする理由にはなり得ない。
また,被告が依拠する岡島俊三らの調査についても,調査が行われたのは昭和44年以降であり,短時間で大きな内部被曝を生じさせる可能性のある放射性物質による内部被曝線量は全く考慮されていない。この点,岡島俊三らの調査の調査結果を引用するDS86報告書においても「短命核分裂生成物への潜在的被曝を評価する方法はない」と指摘されているところである。しかも,同調査は,ホールボディカウンターで計測したセシウム137から放出されたガンマ線の数値をいうのみであって,これでは飛程の短いベータ線を測定することができない。したがって,岡島俊三らの調査をもって内部被曝の影響を無視してもよいとする理由にはなり得ない。同旨のものとして,東京高裁平成21年判決や大阪地裁平成25年判決(確定)がある。
第5 疾病総論
1 悪性腫瘍の放射線起因性
(1) 近年の新知見について
ア プレストンら第2報告
プレストンら第2報告は,寿命調査(LSS)集団における固形がん罹患率に対する放射線影響に関する2回目の全般的な報告書であり,平成6年に放影研から発表されたトンプソンら報告の続報である。
プレストンら第2報告では,トンプソンら報告より観察期間が11年間延長され,当日の市内不在者(NIC)群を新たに解析に含めた結果,がん症例は56%増加し,がんリスク解析の正確性が増した。また,プレストンら第2報告では,トンプソンら報告と同様に,全固形がん,ほとんどのがん部位に加え,がんの五つの組織型(扁平上皮がん,腺がん,その他の上皮がん,肉腫及びその他の非上皮がん)について,統計的に有意な線量反応が,しかも,一貫してしきい値のない線形の線量反応が認められると報告されている。
さらに,固形がんの罹患率は,被爆時年齢が30歳の場合,到達年齢70歳において1グレイ当たり男性で約35%,女性で約58%増加すると推定され,また,放射線に関連したがん罹患率の増加は被爆時年齢にかかわらず生涯を通じて持続することも裏付けられたと報告されている。
イ 大石和佳報告
大石和佳が平成23年に発表した大石和佳報告では,放射線量に伴う肝細胞がんの累積発生率について,放射線被曝と肝炎ウイルス感染が肝細胞がんリスクの増加に独立して関連していることが示された。
そして,大石和佳報告は,結論として,「HBVまたはHCV感染,飲酒量,BMI,喫煙習慣の調整後でも,放射線被曝はHCC(肝細胞がんを指す。)のリスク増加に関連していた。更に,放射線被曝は,飲酒量,BMI,喫煙習慣と明らかに交絡しない,非B非C型HCCの独立したリスク因子であった」としている。
ウ LSS第14報
LSS14報は,寿命調査(LSS)集団での死亡状況に関して定期的に行われてきた総合的報告の第14報であり,前報(LSS第13報)から観察期間を6年間延伸して解析している。その結果,多くの情報が得られ(がん死亡の17%増加),特に被爆時年齢10歳未満の群で増加した(58%増加)と報告している。
そして,重要な点として,固形がんによる死亡リスクががん罹患率を調べたプレストンら第2報告と同様に線形反応関係を示し,定型的な線量解析ではしきい値は認められず,生涯を通じて増加を続けていること,若年被爆者ほどがん死亡リスクは高いことが示されたのである。
また,がん以外の非腫瘍性疾患の死亡リスクでは,循環器,呼吸器及び消化器系疾患での増加が示された。
さらに,LSS第14報の考察の部分では,低線量域の単位線量当たりの死亡リスクが高いことについて,放射性降下物や残留放射線に関する情報が不十分であるとして結論を避けているものの,放射性降下物及び残留放射線を含む他の被曝源の可能性について言及している。また,寿命調査(LSS)集団の選択的バイアス,すなわち,昭和25年以前の早期死亡者の存在,同年以前に発生した白血病症例,非がん疾患死亡の早期と後期での有意な不一致などに言及し,更なる調査分析の必要性を認めている。
そして,LSS第14報は,結論として「1950年から2003年までの間に,LSS対象者において,ほとんどの部位の悪性新生物およびがん以外の幾つかの疾患の死亡リスクに線量に依存した増加が認められた。放射線による固形がんの相対リスクは若年被爆者において最も高かった。調査期間を6年間延長した本調査で得られた結果は,以前の報告書に示した結果と整合しており,被爆者の生涯を通じたがんリスクの増加を引き続き示している」と述べた上,「疫学的評価は,結果(すなわち死亡)が生じた後にのみ実施できるものであり,亡くなった方々に心から敬意を表したい。原爆放射線の健康後影響の究明が被爆者の福祉にとって基礎的な情報を提供することができれば幸いである。LSS対象者全体の42%および被爆時年齢20歳以下の人の80%が2003年の追跡調査期間終了時に生存されていたので,LSSが引き続きリスク推定の正確性の改善に寄与し,その他の因子によるリスク修飾に関する追加情報を提供するであろうことは明らかである」と述べている。
エ 古川恭治ら報告
古川恭治ら報告は,原爆被爆者の寿命調査(LSS)対象者10万5401人における昭和33年から平成17年まで,つまり,被爆後13年から60年までの甲状腺がん罹患データを解析したものである。
調査期間中,371例の原発性甲状腺がんが確認された(ただし,直径10mm未満の微小がんは除かれている。)。そして,1グレイ当たりの過剰相対リスクは,10歳時被爆で60歳到達時において,1.28(約2.3倍。なお95%信頼区間は0.59ないし2.70)と推定された。罹患リスクは被爆時年齢が高くなるとともに急速に減少し,20歳以降に被爆した者の有意な上昇はみられなかった。
これらの結果から,古川恭治ら報告は「小児期での被爆に関連した甲状腺がんの過剰リスクは,被爆後50年以上を経てもなお存在するとみられる」と推測している。
オ 近藤久義ら第3報告
近藤久義ら第3報告は,放射線被曝の発がんへの影響を正確に評価するためには,診断技術や治療法の進歩によりがん患者の生存率が著しく向上していることから,寿命調査(LSS)のようながん死亡率でなく罹患率を調べる必要性を述べ,長崎県がん登録室の資料を使って,昭和45年から平成19年までの37年間の60歳以上の長崎市原爆被爆者について,被爆状況別にがんの年齢調整罹患率を調べたものである。
上記37年間で,男性8855人及び女性8487人ががんに罹患していた。そして,近距離被爆群は男女の全がん,男性の前立腺がん及び女性の乳がんの罹患率が遠距離被爆者群及び入市群より高い状態が続いていることが示された。また,前立腺がんでは平成2年以降,乳がんでは昭和60年以降に近距離,遠距離,入市被爆のいずれも増加しているということも示された。
また,近藤久義ら第3報告は,プレストンら第2報告が前立腺がんの罹患率と放射線量との統計的に有意な関連を認めていないことについて,「Prestonらの報告では,被曝放射線量と罹患率の間の明確な関連は観察されなかったが,罹患数が限られていることなどの理由で結論は出されていない。実際,Prestonらが報告した前立腺癌の罹患数が387例であるのに対して,対象数と観察期間が少ないにもかかわらず,本研究では2倍以上の998例の罹患が報告されており,最近の罹患数の増加を考慮しておく必要があると思われる」と指摘しており,プレストンら第2報告では最近の前立腺がん罹患数の増加を反映していないことが明らかにされている。
(2) 科学的知見の到達点
ア がんにはしきい値がないことが更に強化
プレストンら第2報告では,前報のトンプソンら報告に続き,全固形がん,ほとんどのがん部位に加え,がんの五つの組織型(扁平上皮がん,腺がん,その他の上皮がん,肉腫及びその他の非上皮がん)の罹患率について,統計的に有意な線量反応が,しかも,一貫してしきい値のない線形の線量反応が認められた。
また,LSS第14報でも,固形がんによる死亡リスクが,がん罹患率を調べたプレストンら第2報告と同様に線形反応関係を示し,定型的な線量解析ではしきい値は認められず,生涯を通じて増加を続けていることが認められた。
これらの報告により,固形がんに対する放射線影響は0線量まで直線的な関係でリスクが残っていく,つまり,しきい値がないということが更に強化された。
イ 若年被爆のリスクを重視しなければならないこと
プレストンら第2報告では,固形がんの罹患率は,被爆時年齢が30歳の場合,到達年齢70歳において1グレイ当たり男性で約35%,女性で約58%増加すると推定され,放射線に関連したがん罹患率の増加は,被爆時年齢にかかわらず生涯を通じて持続することが確認された。
また,LSS第14報でも,固形がんの死亡リスクでは,線形モデルに基づく過剰相対リスクは男女平均で被爆時年齢が30歳の場合,70歳に到達した時点で0.42であり,そのリスクは被爆時年齢が10歳若くなると約29%増加する,すなわち,若年被爆者ほどがん死亡リスクが高いことが確認された。
さらに,古川恭治ら報告でも,1グレイ当たりの過剰相対リスクは,10歳時被爆で60歳到達時において,1.28(約2.3倍)と推定され,小児期に被爆した場合の甲状腺がんの過剰リスクは被爆後50年以上を経てもなお存在すると推測された。
これらの報告により,被爆に関連したがん発生のリスクは,年数を経るとともに増加の過程にあること,若年被爆者ほどリスクが高いことが示された。
2 循環器疾患の放射線起因性
(1) 循環器疾患の放射線起因性に関する科学的な到達点
ア 寿命調査(LSS)の報告の流れ
(ア) LSS第9報第2部
LSS第9報第2部は,昭和25年から昭和48年にかけて行われた寿命調査(LSS)のデータを用いて,非がん疾患の死亡率と放射線被曝の関係を調べたものであるが,「癌以外の特定死因で,原爆被爆との有意な関係を示すものはみられない。」との結果であった。
(イ) LSS第11報第3部
LSS第11報第3部では,調査期間が昭和60年まで7年間延長された。その結果,「高線量域(2または3Gy以上)において癌以外の疾患による死亡リスクの過剰があるように思われる」「死因別にみると,循環器および消化器系疾患について,高線量域(2Gy以上)で相対リスクの過剰が認められる」との報告がされ,高線量域に限定してではあるが,被爆者のがん以外の疾患による死亡率が上昇していることが判明した。そして,循環器疾患について,「1950-85年の循環器疾患による死亡率は,線量との有意な関連を示した。脳卒中による死亡率にはそのような関連は認められなかったが,脳卒中以外の循環器疾患(ここでは心疾患とした)は全期間で有意な傾向を示した。しかし後期(1965-85年)になると被爆時年齢が低い群(40歳未満)では,循環器疾患全体の死亡率ならびに脳卒中または“心疾患”の死亡率は,線量と有意な関係を示し,線量反応関係は純粋な二次または線形―閾値型を示した」と報告された。
(ウ) LSS第12報第2部
LSS第12報第2部では,期間を平成2年まで更に5年間延長した結果,「放射線量と共にがん以外の疾患の死亡率が統計的に有意に増加するという前回の解析結果(LSS第11報第3部を指す。)を強化するもの」となり,「有意な増加は,循環器疾患,消化器疾患,呼吸器疾患に観察された。」との報告がされた。また,「低線量,例えば約0.5Svにおいてどの程度の関連性があるかはまだ不明であるが,影響はもはや最も高い線量域に限らない。」との報告もされ,高線量域以外でも被爆者のがん以外の疾患による死亡率が上昇していることが明らかになった。
このように,高線量域以外でも非がん疾患について放射線の影響がみられるようになってきたことについて,LSS第12報第2部は,時間の経過とともに,放射線に強くて生き残った,いわゆる健康な被爆者の影響が徐々に消失し,追跡調査を続けるにつれて,放射線域がより明確に出現してきたことを指摘している。
また,LSS第12報第2部は,交絡因子との関係について,「がん以外のリスクが線量に伴い増加することから,影響は交絡に起因するものではないと思われるが,更に詳しい考察が重要である。ここでは二つの方法で行う。第一に,線量反応解析を近距離被爆者に限定する方法,第二に,考えられる様々な交絡因子の効果の調整が線量反応にどう作用するのかを検討する方法である」と指摘し,「がん以外の疾患の線量反応解析を爆心から3,000m以内で被爆したLSS対象者61,048人に限定すると,推定された線量効果(ERR/Sv0.11)は有意なままで(P<0.001)コホート全体の場合の結果と近似している。更に,爆心から900-1,200m以内で被爆した2,891人を対象に解析をおこなった場合でも,統計的に有意な(P=0.01)線量反応が観察される」「このように狭い距離範囲に,線量と強く関連するこの線量反応関係を説明できるような人口統計的な多様性があるとは考えにくい」「表4は,個々の交絡因子をカテゴリー変数としてバックグラウンドモデルを入れて調整した場合としなかった場合の,がん以外の死因による死亡率における線形放射線量効果の推定値を示す。上記で示唆されたように,喫煙を調整するとERR/Svは0.01足らず減少する。これらの要因を考慮しても,がん以外の推定リスクは大きく影響されなかった。表中の解析に加え,二つの調査からデータを得た五つの危険因子すべてをまとめて調整した場合の影響を調べた。これには解析の対象を全問回答者25,401人に限定し,五つの全危険因子のカテゴリー変数とするモデルを使用した。調整しない場合のこれらの人のERR/Sv推定値は0.097で,調整した場合は0.087である」と報告している。
そして,LSS第12報第2部は,これらを踏まえ,「総括的に見て,解析を近距離被爆者に限定しても線量反応が強く示され,郵便調査から判明した潜在的な重要交絡因子の影響は極めて小さいので,LSS集団において放射線とがん以外の死因による死亡率との間に見られる関連性は交絡に起因するものではないと思われる。」「はっきりした線量反応が爆心から900-1200mの地点で被爆した対象者にも見られるので,この関連性を偏りや交絡で説明できるとは思えない。また,LSS郵便調査で得られた危険因子と線量および死亡率との関連性を解析してもこの結論は裏付けられる」と総括している。つまり,統計学的に,交絡因子を考慮しても,原爆放射線の影響を否定することはできないということが示されたのである。
(エ) LSS第13報
調査期間を平成9年まで更に7年間延長したLSS第13報は,上記のLSS第11報第3部からLSS第12報第2部の流れを更に強化して,非がん疾患における線量反応関係を明瞭に示す報告となった。すなわち,LSS第13報では,「心疾患,脳卒中,呼吸器疾患および消化器疾患に有意な過剰リスクが認められる」と報告され,心疾患の1シーベルト当たりの過剰相対リスクは0.17(90%信頼区間は0.08ないし0.26),脳卒中の1シーベルト当たりの過剰相対リスクは0.12(90%信頼区間は0.02ないし0.22)と報告された。
また,前述のとおり,LSS第12報第2部で「影響はもはや最も高い線量域に限らない。」と報告されたが,LSS第13報では,更に「がん以外の疾患に関する解析は,過剰死亡率が時間と共に増加し,高線量に限定されないことを強く示している。」「がん以外の疾患のリスクは1Sv以下の線量においても増加していることを示す強力な統計的な証拠がある。」と報告された。非がん疾患についても,高線量域に限定されず,高線量域から低線量域にかけても線量反応関係が認められるということがより明らかにされたのである。
(オ) LSS第14報
調査期間を平成15年まで更に6年間延長したLSS第14報においても,それまでの調査の進展の流れを受け,「リスクの有意な増加が血液,循環器系および呼吸器系の非腫瘍性疾患で認められた」と報告された。
また,LSS第14報は,「長期追跡調査期間における線量反応の変化については,循環器・呼吸器・消化器疾患のリスクがすべて1965年以降有意に増加した」と報告した。そして,追跡調査の初期(昭和25年から昭和40年まで)と後期(昭和41年から平成15年まで)における非がん疾患の死亡率の線量反応関係を比較し,「初期における線量反応関係(点線)は約1.5Gy未満で放射線影響は認められなかったが,後期においては,全体的にがん以外の疾患についてほぼ線形の線量反応関係が認められ,両期間における線量反応の形状の差異は有意であった(図6-A,P=0.02)」「がん以外の疾患における初期と後期の間の有意差(P=0.02)は,がん以外の疾患全体に選択バイアスがある可能性を示唆している」と述べている。
このように,追跡調査の経過からも,「ほぼ線形の線量反応関係」,つまり,高線量域から低線量域にかけても線量反応関係が認められるということがより明らかとされているのである。
(カ) 以上のとおり,寿命調査(LSS)の報告を,順を追ってみてみると,当初は放射線と循環器疾患との線量反応関係は認められなかったが,調査期間の延長とともに,まず,高線量域において線量反応関係が認められるようになり,更には高線量域から低線量域にかけて線量反応関係が示されるようになるに至っている。今後もその流れが強まることは間違いない。
イ 成人健康調査(AHS)の報告の流れ
(ア) AHS第7報
成人健康調査(AHS)においても,寿命調査(LSS)と同様の傾向が示されている。すなわち,昭和33年から昭和61年にかけて行われた成人健康調査(AHS)のデータを用いて,被爆者における非がん疾患の発症と放射線被曝との関連を調べたAHS第7報で,「若年被爆者では心筋梗塞の発生が増加している」との報告がされてはいた。もっとも,「心臓血管系の疾患については,いずれにも有意な線量反応関係は認められなかった」とされていた。
(イ) AHS第8報
しかし,AHS第8報では,調査期間が昭和33年から平成10年までと12年間延長された結果,「高血圧症(P=0.028)と40歳未満で被爆した人の心筋梗塞(P=0.049)に有意な二次線量反応関係を認めた。」と報告され,心筋梗塞は線量反応関係のある疾患と認められるに至った。
さらに,この結果は,「喫煙や飲酒で調整しても上記の結果は変わらなかった。」とされ,交絡因子の存在が結論を左右しないことも示された。また,「血清総コレステロール値に関するAHSの縦断的解析では,被爆者のコレステロール値が非被爆者より有意に高いことを示しており,同じ傾向が若年コホートの血圧傾向においてもみられた」とも報告された。
このように,成人健康調査(AHS)においても年数の経過とともに心筋梗塞の線量反応関係が明らかになったのは,いわゆる健康な被爆者の影響が徐々に消失し,放射線域がより明確に出現してきたことによる。
そして,非がん疾患の発症に対する放射線被曝の影響は今後の追跡調査でより明らかになるはずであり,AHS第8報も「癌以外の疾患の発現における,放射線被曝の影響を十分に明らかにするためには,高齢化している被爆者の追跡調査を続ける必要がある。」として,同様のことを述べている。
ウ 赤星正純報告
赤星正純報告は,それまでの放影研の研究報告を踏まえ,「心疾患による死亡および心筋梗塞が増加しており,大動脈弓の石灰化および網膜細動脈硬化を認めることから被爆者でも被曝の影響として動脈硬化による,心・血管疾患が増加していると考えられた」「動脈硬化あるいは心・血管疾患の危険因子である高血圧,高脂血症および炎症にも放射線被曝が関与している事も明らかになり,これらを介して動脈硬化が促進され心・血管疾患の増加に繋がったと考えられる」としている。
つまり,赤星正純報告は,心血管のみならず網膜細動脈という脳血管でも放射線被曝による炎症の結果とそれにより生ずる動脈硬化が認められたこと,被爆者は放射線に被曝したことによって炎症が持続し,非被爆者と比べると加齢現象が進むこと,被爆者に生じた高血圧や高脂血症,炎症にも放射線の関与が認められる証拠があることを示すものである。
エ 清水由紀子ら報告
清水由紀子ら報告は,脳卒中及び心疾患のリスクそれぞれについて,「全線量範囲にわたる線形モデルに基づく脳卒中の1Gy当たりのERRは9パーセント(CI:1-17パーセント,P=0.02)であった」「閾値線量の最良推定値は0.5Gyであり,95パーセント信頼上限は約2Gyであった。しかし,信頼下限が0未満であるため閾値線量がない可能性もある」「全線量範囲にわたる線形モデルに基づくすべての心疾患のリスク推定値は,1Gy当たりのERRが14パーセント(CI:6-23パーセント,P<0.001)であった」「閾値線量の最良推定値は0Gyであり,95パーセント信頼上限は約0.5Gyだった」と報告した。これは循環器疾患に対する放射線影響には,しきい値がないことを示唆したものである。
また,清水由紀子ら報告は,交絡因子について「循環器疾患に関係するその他の考え得るリスク因子(肥満,糖尿病,喫煙,飲酒,学歴,職業)を調整しても,放射線との関連性にはほとんど影響しなかった」と報告した。これは交絡因子を考慮し調整しても,放射線による死亡リスクは消失しなかったことを示したものである。
オ 以上のとおり,疫学調査から,被爆者に生じた循環器疾患に対する放射線影響はもはや疑いない。なお,厚生労働省も,新審査の方針において心筋梗塞を積極認定対象疾病と位置づけ,代表的な循環器疾患である心筋梗塞に対する放射線の影響を認めるに至っている。
しかも,疫学調査から,その影響は,高線量域のみならず低線量域にも及び,しきい値なしと考えることが合理的であることも示されている。また,喫煙,飲酒等といった交絡因子によっても放射線の影響を否定することができないことも明らかにされているのである。
さらに,被爆後,長期間経過後に現れる動脈硬化性の循環器疾患についての放影研の長期にわたる研究の結果の一つとして,被爆者に線量に応じた持続的な免疫機能の低下や,それによって生じる持続的な炎症反応が認められ,この持続的炎症反応がアテローム性動脈硬化に結びつくことが示唆されるようになっている。すなわち,放影研の研究で,被爆者は,被曝線量に応じて,免疫機能において重要な役割を果たすCD4ヘルパーT細胞の割合が減少し,免疫機能が低下していることが明らかになった。また,被爆者のCD4ヘルパーT細胞の減少に伴って,炎症反応の指標となるC-反応性蛋白(CRP)やインターロイキン(IL)-6の血漿中レベルが上昇していることも明らかになった。このように,被爆者においてCD4ヘルパーT細胞の減少と血漿中のC-反応性蛋白(CRP)やインターロイキン(IL)-6レベルの上昇という相関関係がみられたことは,被曝による免疫機能の低下により炎症反応を制御することができなくなっていることを示している。そして,動脈内膜の炎症過程がアテローム性動脈硬化の要因となることが医学的にほぼ定立した知見とされているところ,上記のような放射線被曝によって起こる免疫機能の低下と炎症反応の持続こそが,被爆者にアテローム性動脈硬化を引き起こし,被爆者にアテローム性動脈硬化を背景とする循環器疾患が多発していることの原因と強く疑われるようになっているのである。
この点,「原爆放射線の人体影響 改訂第2版」においても,「放射線被曝者では,免疫老化の促進に伴って炎症応答が増強され,それにより炎症が関わる疾患発生のリスクが高くなる可能性がある」と指摘されている。また,UNSCEAR2006年報告書においても,「被ばくした対象において,いくつかの炎症マーカーに関して統計的に有意な線量影響関係が認められた。電離放射線によって持続的に炎症が続く状態は,がんと非がん疾患の両方のリスクを増加させるかもしれない。血漿中の炎症マーカーと末梢血中のCD4+ヘルパーT細胞の割合の間に負の相関関係が存在することから,放射線による細胞性免疫の障害と,様々な疾患の発症を促進する可能性がある前臨床的な炎症状態との間に関係があることが示唆される」「CD4+細胞の割合は,被ばく線量に比例して心筋梗塞の既往のある原爆被爆者で有意に減少する。この知見の機序としては,心血管疾患の発症に関係する特定の感染症に対する免疫反応の低下を原因とするという可能性が示峻されている。その上,炎症マーカーがこれらの患者で有意に上昇していることは,被ばくした人々に認められる心筋梗塞などの心血管疾患の発症に炎症反応が重要な役割を果たしていることを示している」と指摘されている。
このように,被爆後に発症する動脈硬化を背景とする循環器疾患についての放射線影響の機序解明も進み,前述の被爆者の疫学調査によって得られた知見が機序の面からも裏付けられつつあり,被爆者に生じた循環器疾患に対する放射線影響はもはや明白である。
(2) 狭心症の放射線起因性(心筋梗塞と狭心症の同質性(区別の不合理性))
平成18年に心筋梗塞が積極認定対象疾病と位置づけられ,心筋梗塞が放射線の影響により発症する疾病であることはもはや争いがなくなった。
一方で,再改定後の新審査の方針でも,動脈硬化性の狭心症は積極認定対象疾病と定められてはいない。しかし,被爆者に生じた動脈硬化性の狭心症に放射線起因性が認められることは明らかである。
ア 動脈硬化性の狭心症は,心筋梗塞と同様に,冠動脈の内壁や中膜にコレステロールのような一種の脂質が沈着し,その部分が肥厚して,血管内の血流を妨げることによって生じるものである。つまり,心筋梗塞と動脈硬化性の狭心症の発生機序は全く同じであり,両疾病の違いは血管が閉塞して心筋が壊死してしまうか否か,すなわち,症状が可逆的であるか不可逆的であるかの違いしかないのである。したがって,疾病の発生に対する放射線の影響は全く同様に考えられ,放射線起因性に関しては両疾病を区別して考える必要は全くないのである。
イ また,循環器疾患全体の死亡率及び心疾患の死亡率や,動脈硬化性の循環器疾患である心筋梗塞の発症率と放射線量との有意な関係が疫学調査によって明らかになったのみならず,原爆放射線の被曝によって動脈硬化性の循環器疾患の発症が促進される機序も科学的に解明されつつあるのであって,かかる点からも心筋梗塞と動脈硬化性の狭心症を区別することに何らの合理性もない。
ウ C12も,近距離で被爆し,狭心症を申請疾病とする原告X15や原告X21の実態をも踏まえた上,心筋梗塞と狭心症を線引きする新審査の方針や被告の主張がいかに非科学的かつ不合理なものであるかを明らかにしている。
(3) 一連の判決とその概要
これまでの原爆症認定訴訟の判決においても,虚血性心疾患ないしその95%以上を占める心筋梗塞及び狭心症について,いずれも区別することなく放射線起因性を認めている。
これらの判決は,寿命調査(LSS)の報告,成人健康調査(AHS)の報告,赤星正純報告,清水由紀子ら報告といった科学的知見等を根拠に,心筋梗塞,狭心症及びこれらの総称である虚血性心疾患を区別することなく,その放射線起因性を認めている。また,単純に距離で線引きすることなく,爆心地から3.5kmで被爆した被爆者の心筋梗塞,爆心地から3.3kmで被爆した被爆者の心筋梗塞,爆心地から3.8kmで被爆した被爆者の虚血性心疾患といった遠距離被爆者に生じた循環器疾患について,いずれも放射線起因性を認めている。同様に単純に時間で線引きすることもなく,判決は,昭和20年8月6日に広島の爆心地付近へ入市した被爆者の循環器疾患,同月11日に長崎の爆心地付近へ入市した被爆者の陳旧性心筋梗塞及び狭心症,同月6日及び同月7日に広島の爆心地付近へ入市した被爆者の虚血性心疾患といった入市被爆者に生じた循環器疾患についても,いずれも放射線起因性を認めている。さらに,判決は,赤星正純報告,清水由紀子ら報告といった近時の知見を正しく踏まえ,心筋梗塞等にしきい値がないと考えるのが合理的であることを示している。また,喫煙などのリスクファクターがあり,当該要因による疾病発症への寄与の可能性があるとしても,疫学調査で喫煙を考慮してもなお放射線被曝と有意な関係にあることが判明していること等を根拠にして,他原因がある場合でも被爆者らに生じた循環器疾患の放射線起因性を認めている。
(4) しきい値について
LSS第13報では,「がん以外の疾患のリスクは1Sv以下の線量においても増加していることを示す強力な統計的な証拠がある。低線量における線量反応の形状については著しい不確実性が認められ,特に約0.5Sv以下ではリスクの存在を示す直接的な証拠はほとんどないが,LSSデータはこの線量範囲で線形性に矛盾しない」と報告されていた。
そして,清水由紀子ら報告では,心疾患のリスクについて「全線量範囲にわたる線形モデルに基づくすべての心疾患のリスク推定値は,1Gy当たりのERRが14パーセント(CI:6-23パーセント,P<0.001)であった」「閾値線量の最良推定値は0Gyであり,95パーセント信頼上限は約0.5Gyだった」と報告され,循環器疾患に対する放射線影響にはしきい値がないことが示唆されている。
齋藤紀の意見も,清水由紀子ら報告等の研究報告を踏まえ,「このような解析(清水由紀子ら報告を指す。)のもとで理解される放射線被ばくと心疾患リスクとの関連性を,一定のしきい値を想定する「確定的影響」とはよばない」「心疾患と被ばくとの間にみられた線形の相関性を,非がん疾患だからとして否定する必要はない。また否定できるものでもない」「例えば非がん疾患である放射線白内障の発症は,従来は水晶体被ばく線量1.75グレイにしきい値を有する典型的な確定的影響(水晶体上皮細胞の細胞傷害)とされていたが,今日では,しきい値は無いか,極めて低値と考えられている。そこには水晶体上皮細胞の遺伝子変異や全身的,多面的な被ばくの影響が想定されている」として,非がん疾患であればしきい値を想定する確定的影響であるとする理解はもはや成り立たないことを指摘している。
このように,近年の研究報告を踏まえれば,循環器疾患と放射線被曝との関連性につき,しきい値が存在しないことを想定しているとみるのが合理的である。
このことはUNSCEARの報告書も同様である。すなわち,UNSCEAR2006年報告書は,「今日まで,致死的な心血管疾患と1~2Gy未満の範囲の放射線量との間の関連を示す証拠は,日本の原爆被爆者のデータの解析だけから得られる。その他の研究は,放射線量が1~2Gy未満での致死的な心血管疾患のリスクについて,明瞭な,あるいは一貫した証拠は提供していない。」「循環器疾患およびがん以外の疾患の死亡でも,約1~2Gy未満の線量の放射線との関連を示す証拠は,原爆被爆者のデータのみから得られている」として,被爆者の研究では1グレイないし2グレイ未満で線量とリスクの関連性が得られていることを指摘していた。
そして,続くUNSCEAR2010年報告書でも,「放射線被ばくに関連した致死的な心血管疾患の過剰リスクを示す唯一の明確な証拠は,心臓への線量が約1-2Gyでは,原爆被爆者のデータから得られている」「1-2Gy未満の線量,またはるかに低い線量の場合においても,非がん疾患のリスクが増加することを示す最近の疫学調査からの新たな証拠がある」として,清水由紀子ら報告等の意義を正しく踏まえて,原爆被爆者のデータで,1グレイないし2グレイ未満の線量,また,はるかに低い線量の場合においても,非がん疾患のリスクが増加していることを指摘しているのである。
さらに,UNSCEAR2010年報告書は「この疫学的レビューから下される明確な結論は,日本の原爆被爆者の研究を別にすれば,非がん疾患リスクについてのデータは,質と量の2点において不足しているということである」として,原爆被爆者の疫学調査の確実性や信用性を否定しているのではなく,他の研究の疫学的精度(量と質)の不十分さを問題にしているにすぎない。
以上のとおり,UNSCEARの報告書の内容からしても,循環器疾患と放射線被曝との関連性につき,しきい値が存在しないことを想定しているとみるのが合理的であり,大阪地裁平成25年判決も同様の判断をし,この判断は被告の控訴がされないまま確定している。
(5) 疾病名の細分化の問題点
放射線被曝の影響を検出しようとする場合,被爆者の心臓に生じた病態を細分化することは,むしろその影響を過小評価することになりかねない。すなわち,原爆被爆者は例数が限られており,疾病名を細分化すれば,必然的に個々の事例数が時に過小となり,被曝線量とリスクの関係が検出しにくくなる。また,細分化の正確性の問題もある。さらに,医学の進歩により,例えば,かつては心筋梗塞を至らしめた病態が,心不全や高血圧性疾患の死亡率増加に反映されるようにもなっている。それゆえ,放射線被曝の影響を適正に検出しようとする場合,「心疾患」という項目のように被爆者の心臓に生じた病態を全体として捉えることこそが有意義なのである。
この点,齋藤紀の意見も「心臓に生じた病態を個々の小項目的疾患名で認識することは疾病を治療してゆく場合に必要なことである。他方,病態を心臓疾患全体として統合的に理解することは,放射線被ばくの影響を適正に検出しようとする場合,とくに有意義である。小項目に細分化した疾患名では個々の事例数が時に過小となり,線量とリスクの相関性は有意性なしとされる。また医学の進歩も考慮される必要がある。現在の医療では冠動脈の完全閉塞(広範囲,重度の心筋壊死)を未然に防止し,部分的な心筋壊死や虚血状態に押しとどめてしまうため,被ばくの影響は心筋梗塞の死亡率リスクに直接は反映しない。しかし心筋の再生や心機能の十全の回復はできず,被ばくと関連している高血圧などとも相互に連動し,かつて心筋梗塞に至らしめた病態は,心不全や高血圧性疾患の死亡率増加に反映することになる。このような場合,「心疾患」という大項目で事例を集約することで初めて,被ばくの有意の影響を見出すことが可能となる」と指摘するところである。
また,C12も,病名の細分化について,「細分化されて対象者が減ってくると当然ここはP値が広がって大きくなっちゃうという,そういう統計上の問題は必ず付いてくると思います」と指摘した上,そもそも原爆被爆者については例数を増やして再調査することができないという限界も指摘している。
そもそも,有意性自体が連続性をもった概念であり,そこに科学上の厳密な争いがあるからといって放射線起因性を否定することにはならないのであり(東京高裁平成21年判決),ましてや病名を細分化して症例数が減少すれば当然にP値や95%信頼区間が広がることからするとなおさらである。
(6) 他原因論について
清水由紀子ら報告において,「循環器疾患に関係するその他の考え得るリスク因子(肥満,糖尿病,喫煙,飲酒,学歴,職業)を調整しても,放射線との関連性にはほとんど影響しなかった」と報告されているとおり,いわゆる他原因によって放射線起因性が否定されることにはならない。また,赤星正純報告では,心血管疾患の危険因子である高血圧及び高脂血症には放射線被曝が関与していることが指摘されており,むしろ放射線の影響を推認させる場合すらある。
そもそも病気の発症には一般に複数の要因が複合的に関与するものであり,原爆放射線と他の要因を比較して放射線起因性が認められる否かを論じること自体が実態にそぐわないものである。つまり,特段の事情がない限り,他原因があったとしても,放射線起因性を否定することはできないのである(東京高裁平成21年判決)。
ア 喫煙及び飲酒について
AHS第8報は,40歳未満で被爆した者の心筋梗塞に有意な二次線量反応関係を認めたところ,その結果は喫煙や飲酒で調整してしても変わらなかったと述べており,喫煙や飲酒によって被爆者の心筋梗塞の放射線起因性が消失しないと結論付けている。
また,LSS第12報第2部も同様に,「潜在的な重要交絡因子の影響は極めて小さいので,LSS集団において放射線とがん以外の死因による死亡率との間に見られる関連性は交絡に起因するものではないと思われる。」と報告しており,喫煙や飲酒という交絡因子の影響があっても,被爆者の非がん疾患に対する放射線の影響は否定することができないとしている。
さらに,前述のとおり,清水由紀子ら報告においても,「循環器疾患に関係するその他の考え得るリスク因子(肥満,糖尿病,喫煙,飲酒,学歴,職業)を調整しても,放射線との関連性にはほとんど影響しなかった」と報告されている。つまり,喫煙等の交絡因子が存在したとしても,放射線のリスクが消えないことが明確に示されているのである。
このように,放影研の報告で,喫煙歴や飲酒歴があっても,被爆者の動脈硬化性の循環器疾患に対する放射線の影響は否定することができないと明確に述べられている。また,喫煙,飲酒等の交絡因子が存在したとしても,放射線被曝と共同成因的に働いている可能性もあり,交絡因子の存在が放射線の影響を打ち消すことはない。
同様の判断をした裁判例もある。
イ 高血圧及び脂質異常症について
AHS第8報では高血圧に有意な二次線量反応関係を認め,若年で被爆した者の血圧が高くなる傾向があることを報告している。また,脂質異常症についても,被爆者のコレステロール値が非被爆者よりも高いことも報告している。
そして,赤星正純報告において「動脈硬化あるいは心・血管疾患の危険因子である高血圧,高脂血症および炎症にも放射線被曝が関与している事も明らかとなり,これらを介して動脈硬化が促進され心・血管疾患の増加に繋がっていたと考えられる」と報告されている。
これらの報告からすれば,被爆者に生じた高血圧や脂質異常症(高脂血症)も原爆放射線が影響していることが強く疑われ,被爆者の高血圧や脂質異常症(高脂血症)は,被爆者に生じた心筋梗塞や狭心症などの放射線起因性を否定するものではなく,むしろ被爆者に生じた心筋梗塞や狭心症などの放射線起因性を推認させる事情といえる。
この点,C12も「被爆者は,被曝していることによってそもそもリスクを負っていると。それが高血圧あるいは高脂血症にも反映されているということですから,その放射線リスクを除いて,例えば高血圧や高脂血症の原因にだけ注目するということは,私は納得できないというところです。」「結果として,被爆者に高血圧や高脂血症の増加が認められるということですから,当然,高血圧や高脂血症自体の発症にも放射線の影響が否定できないわけですね。そのことはこの赤星報告(赤星正純報告を指す。)の中で見て取れるところです」としている。
同様の判断をした裁判例も存在する。
ウ 糖尿病及び肥満について
糖尿病及び肥満については,清水由紀子ら報告で「循環器疾患に関係するその他の考え得るリスク因子(肥満,糖尿病,喫煙,飲酒,学歴,職業)を調整しても,放射線との関連性にはほとんど影響しなかった」と報告されているとおり,被爆者に生じた心筋梗塞等の放射線起因性を否定するものではない。
また,放影研が成人健康調査(AHS)対象者において実施した調査から得たデータを綿密に解析した結果,特定の遺伝子を有する者について,日本人の全糖尿病患者の約95%を占める2型糖尿病の発生率と放射線の関係があることが報告されており,被爆者の糖尿病についても原爆放射線が影響していることが強く疑われている。被爆者の糖尿病は,むしろ被爆者に生じた心筋梗塞と狭心症の放射線起因性を推認させる事情といえる。
糖尿病に関し同趣旨の判断をした裁判例も存在する。
エ 加齢について
加齢については,林奉権ら第2報告で「放射線被曝が自然老化の促進と共に原爆被爆者の持続的炎症状態を亢進している可能性を示唆している」と指摘されているとおり,被爆者の加齢現象自体への放射線関与が指摘されているのであり,被爆者に生じた心筋梗塞等への放射線起因性を否定する根拠にはならない。
この点,C12も「加齢によってこういう疾患(循環器疾患を指す。)が一般的に増えてくることは,もちろん医学的な常識ですけれども,被爆者の場合には,その加齢という現象そのもの,つまり加齢によって動脈硬化が起こってくる,そこのところの原因として,この炎症が絡んでいるということが,この研究(赤星正純報告を指す。)の結果,否定できないわけで,ですから被爆者の場合には,その加齢現象そのものにも放射線が影響して,動脈硬化が促進されているというふうに考えるべきだと思います」としている。
同趣旨の判断をした裁判例も存在する。
(7) 小結
以上のとおり,数々の知見等に照らせば,被爆者に生じた心筋梗塞及び動脈硬化性の狭心症に対する原爆放射線の影響は科学的に明らかであり,裁判例も確立している。そして,残留放射能の広範な影響や,若年被爆のリスクを重視する必要があること,心疾患にはしきい値がないと想定することが合理的であること,飲酒や喫煙といった交絡因子によっても放射線影響は消失しないことも踏まえれば,放射線の影響が広く及んでいることを念頭に,積極認定の対象とされていない2km以遠の直爆,原爆投下翌日以降の入市であっても,心筋梗塞及び狭心症の放射線起因性が認められるべきである。
3 脳梗塞の放射線起因性
(1) 脳梗塞の放射線起因性に関する科学的到達点
脳梗塞は,脳動脈の一部に局限性の閉塞が何らかの機序により起こると,その血管によって灌流されている部位が壊死して起こるとされており,発生機序から,血栓性,塞栓性及び血行力学性に分けられている。脳梗塞は,循環器疾患である脳卒中の3分の2に当たるとされている。
そして,ABCC及び放影研による大規模かつ長期間の追跡調査によって,放射線が脳梗塞を含む循環器疾患に及ぼす影響が明らかとなり,その機序についても解明されつつある。
ア 寿命調査(LSS)の報告の流れ
(ア) LSS第11報第3部
LSS第9報第2部では,「癌以外の特定死因で,原爆被爆との有意な関係を示すものはみられない。」との結果であったが,LSS第11報第3部では,「後期(1966-85年)になると,被爆時年齢が低い群(40歳未満)では,循環器疾患全体の死亡率ならびに脳卒中または心疾患の死亡率は,線量と有意な関係を示し,線量反応曲線は純粋な二次または線形―閾値型を示した」と,脳卒中の有意な線量反応関係が報告されるに至った。
(イ) LSS第12報第2部
LSS第12報第2部では,期間を平成2年まで更に5年間延長した結果,「放射線量と共にがん以外の疾患の死亡率が統計的に有意に増加するという前回の解析結果(LSS第11報第3部を指す。)を強化するもの」となり,「有意な増加は,循環器疾患,消化器疾患,呼吸器疾患に観察された。」との報告がされ,循環器疾患である脳梗塞についてもその放射線起因性を肯定した内容となった。
また,「低線量,例えば約0.5Svにおいてどの程度の関連性があるかはまだ不明であるが,影響はもはや最も高い線量域に限らない。」との報告もされ,高線量域以外でも被爆者のがん以外の疾患による死亡率が上昇していることが明らかになった。
さらに,統計学的に交絡因子を考慮しても,原爆放射線の影響を否定することはできないということが示された。
(ウ) LSS第13報
調査期間を平成9年まで更に7年間延長したLSS第13報は,上記のLSS第11報第3部からLSS第12報第2部の流れを更に強化して,非がん疾患における線量反応関係を明瞭に示す報告となった。
すなわち,LSS第13報では,「心疾患,脳卒中,呼吸器疾患および消化器疾患に有意な過剰リスクが認められる」と報告され,脳卒中の1シーベルト当たりの過剰相対リスクは0.12(90%信頼区間は0.02ないし0.22)と報告された。また,「がん以外の疾患に関する解析は,過剰死亡率が時間と共に増加し,高線量に限定されないことを強く示している。」「がん以外の疾患のリスクは1Sv以下の線量においても増加していることを示す強力な統計的な証拠がある。」と報告され,非がん疾患についても,高線量域に限定されず,高線量域から低線量域にかけても線量反応関係が認められるということがより明らかにされた。
(エ) LSS第14報
調査期間を平成15年まで更に6年間延長したLSS第14報においても,それまでの調査の進展の流れを受け,「リスクの有意な増加が血液,循環器系および呼吸器系の非腫瘍性疾患で認められた」と報告され,脳梗塞を含む循環器疾患の放射線起因性が強化された。
以上のとおり,寿命調査(LSS)の報告を順を追ってみてみると,最新の報告で,脳梗塞の有意性はもはや確立されたと評価することができる。
イ 成人健康調査(AHS)の報告の流れ
AHS第8報で,40歳未満の心筋梗塞と共に,高血圧について,有意な二次線量反応関係が報告された。高血圧は,脳梗塞の大きなリスクの一つであるから,高血圧を伴う脳梗塞被爆者については,この点からも脳梗塞発症への放射線の影響が裏付けられることとなった。
さらに,この結果は,「喫煙や飲酒で調整しても上記の結果は変わらなかった。」とされ,交絡因子の存在が結論を左右しないことが示され,被爆者の脳梗塞は,喫煙及び飲酒の有無にかかわらず,その放射線起因性を否定することができないことも示されている。
ウ 赤星正純報告
赤星正純報告は,これまでの放影研の研究報告を踏まえ,「心疾患による死亡および心筋梗塞が増加しており,大動脈弓の石灰化および網膜細動脈硬化を認めることから被爆者でも被曝の影響として動脈硬化による,心・血管疾患が増加していると考えられた」「動脈硬化あるいは心・血管疾患の危険因子である高血圧,高脂血症および炎症にも放射線被曝が関与している事も明らかになり,これらを介して動脈硬化が促進され心・血管疾患の増加に繋がったと考えられる」としている。
つまり,赤星正純報告は,網膜細動脈という脳血管でも放射線被曝による炎症の結果とそれにより生ずる動脈硬化が認められたこと,被爆者は放射線に被曝したことによって炎症が持続し,非被爆者と比べると加齢現象が進むこと,被爆者に生じた高血圧や高脂血症にも放射線の関与が認められる証拠があることを示しているのである。
エ 清水由紀子ら報告
清水由紀子ら報告は,脳卒中のリスクについては「全線量範囲にわたる線形モデルに基づく脳卒中の1Gy当たりのERRは9パーセント(CI:1-17パーセント,P=0.02)であった」「閾値線量の最良推定値は0.5Gyであり,95パーセント信頼上限は約2Gyであった。しかし,信頼下限が0未満であるため閾値線量がない可能性もある」と報告した。
また,清水由紀子ら報告は,交絡因子について「循環器疾患に関係するその他の考え得るリスク因子(肥満,糖尿病,喫煙,飲酒,学歴,職業)を調整しても,放射線との関連性にはほとんど影響しなかった」と報告し,こうした交絡因子を考慮して調整しても,放射線による死亡リスクは消失しなかったことを示したものである。
(2) 一連の判決とその概要
これまでの原爆症認定訴訟の判決も,脳梗塞の放射線起因性を認めている。
これらの判決は,上記科学的知見等を根拠に,脳梗塞の放射線起因性を認めている。動脈硬化を基礎とする循環器疾患という点で,心筋梗塞等と共通することを指摘している点も重要である。また,これらの判決は,2km以遠の直爆や原爆投下翌日以降の入市であっても,被爆者に生じた脳梗塞の放射線起因性を認めている。他原因がある場合でも被爆者に生じた脳梗塞の放射線起因性を認めている点も心疾患と同様である。
(3) しきい値について
脳梗塞のしきい値については,同じ循環器疾患である心筋梗塞及び狭心症における主張とほぼ同様である。
また,清水由紀子ら報告は,脳卒中のリスクについても「全線量範囲にわたる線形モデルに基づく脳卒中の1Gy当たりのERRは9パーセント(CI:1-17パーセント,P=0.02)であった」と報告し,しきい値線量の最良推定値は0.5グレイであると述べつつ「信頼下限が0未満であるため閾値線量がない可能性もある」と報告している。つまり,脳梗塞についてもしきい値が存在しないと想定するのが合理的であることが示唆されている。それは,動脈硬化という心筋梗塞等との共通性からすればなおさらである。
さらに,UNSCEAR2006年報告書でも,「今日まで,致死的な心血管疾患と1~2Gy未満の範囲の放射線量との間の関連を示す証拠は,日本の原爆被爆者のデータの解析だけから得られる。」と指摘されている。
以上によれば,むしろ脳梗塞についても,一定のしきい値は存在しないと考えるのが合理的である。
(4) 病名の細分化の問題点
この点も,狭心症で述べた原告らの反論がそのまま当てはまる。
(5) 高橋郁乃ら報告
高橋郁乃ら報告は,脳卒中に罹患した被爆者について,DS02の線量,つまり外部被曝線量との線量相関関係があるかどうかを調査したものにすぎず,しかも,この線量相関関係の判断は,0線量群とされた被曝線量0.05グレイ未満の対照群の発生率との比較である。これは寿命調査(LSS)の非被爆群(0.005グレイ未満)と比較すると10倍の被曝線量である。この高橋郁乃ら報告の対照群に含まれたものの中には,残留放射線で追加被曝をした者が多く含まれる可能性が高く,したがって,線量反応関係が過小評価となっている可能性も高い。
実際,高橋郁乃ら報告で対照群とされた0.05グレイ未満群の脳卒中罹患率(1万人年当たり。以下同じ。)は男性56.1,女性52.0であるのに対し,成人健康調査(AHS)コホートで世界的に有名な久山町研究(昭和63年から平成12年まで)で示された脳卒中発生率は男性53,女性39である。この傾向は脳梗塞に限ってみても同様であり,高橋郁乃ら報告では男性39.4,女性34.4であるのに対し,久山町研究では男性36,女性26となっている。
したがって,高橋郁乃ら報告の結果をもって,脳梗塞の放射線起因性を否定することはできないのである。
むしろ,C12が,上記比較に基づいて「0.05グレイ未満というのは,高橋論文(高橋郁乃ら報告を指す。)が線量反応関係を確かめる上で行った分類,グループ分類ですけれども,非常に低線量の人たちということなんでしょうけれども,そういう人たちと比べてみても,いかに低線量であるといっても脳梗塞の発症率が高いかということが,それで見て取れると思います」と証言するとおり,DS02の線量で低線量とされる者らでも脳梗塞が多発しているという点こそが重要なのである。
(6) 他原因論について
これも前記で述べたとおりであり,例えば,清水由紀子ら報告で「循環器疾患に関係するその他の考え得るリスク因子(肥満,糖尿病,喫煙,飲酒,学歴,職業)を調整しても,放射線との関連性にはほとんど影響しなかった」と報告されているように,他原因によって放射線起因性が否定されることにはならない。また,赤星正純報告で,心血管疾患の危険因子である高血圧,高脂血症には放射線被曝が関与していることが指摘されており,むしろ放射線の影響を推認させるのであり,脳梗塞の放射線起因性が否定されるとする被告の主張は理由がない。
(7) 小結
以上のとおり,被爆者に生じた脳梗塞について,寿命調査(LSS)ないし成人健康調査(AHS)等を始めとするABCC及び放影研の報告から検討してきたとおり,長期的観察を経て,被爆者の脳卒中ないし脳梗塞の放射線起因性はもはや確立しており,これを否定することはできない。また,脳梗塞の原因は脳血管の動脈硬化であり,その悪化要因が高血圧や脳血管内膜に生じた無症状性の持続的炎症状態に関連していることも医学的に確立した知見であり,それらが放射線被曝に関連している以上,被爆者の疾病発生リスクの増加につながっていることは機序の面からも否定することができない。こうした知見を踏まえ,脳梗塞についての放射線起因性を認めることはこれまでの判決においても確たる流れとなっている。
さらに,清水由紀子ら報告等でしきい値がないことも示唆されていることや,交絡因子によっても放射線影響は消失しないことも踏まえ,放射線の影響が広く及んでいることを念頭に,脳梗塞の放射線起因性が認められるべきである。
4 甲状腺機能亢進症の放射線起因性
(1) 甲状腺機能亢進症の放射線起因性に関する科学的到達点
ア 甲状腺は,人間の成長や発達,生命維持機構にとって必要不可欠な甲状腺ホルモンの生成を行う器官である。甲状腺は,甲状腺ホルモンをヨウ素を基に生成する器官であるところ,化学的性質は全く同一である放射性ヨウ素から自らを防御する仕組みを有していない。
ところで,原爆の爆発で生じた多数の核分裂生成物の中には多量の放射性ヨウ素が含まれていた。放射性ヨウ素を体内に取り込むと,その放射線による内部照射の影響を受けやすくなる(すなわち,内部被曝を受ける。)。特に若年時の被爆による甲状腺の発がんリスクの増加は,原爆被爆者を始め,チェルノブイリ原発事故,医療被曝の影響として,既に医学的に確立した知見となっている。甲状腺組織は,人体臓器の中では放射線感受性の高い組織である。
AHS第7報においても,「以前AHS集団について行われた甲状腺疾患の調査は,癌,非中毒性結節性甲状腺腫を含む様々な甲状腺疾患と放射線量には正の関係があることを示した。本調査でも,有意な正の線量反応関係が非特異的甲状腺疾患の発生率にあることが認められた。」として,「甲状腺は電離放射線に敏感だとされている」と記述されている。
イ 甲状腺機能亢進症を含む甲状腺疾患一般の有意な線量反応関係
(ア) AHS第7報では,甲状腺疾患一般について,「有意な正の線量反応関係が非特異的甲状腺疾患の発生率にあることが認められた。ただし甲状腺疾患とは,非中毒性甲状腺線種結節,び漫性甲状腺種,甲状腺中毒症(甲状腺機能亢進症及びバセドウ病を指す。),慢性リンパ球性甲状腺炎,甲状腺機能低下症(橋本病を指す。)のうち一つ以上が存在する疾患であると広義に定義した」「交絡効果を取り除くために甲状腺癌と診断されたAHS対象者を除いて行った解析は一貫して正の線量反応を示した。このように我々は,特に若年者の甲状腺は悪性腫瘍だけでなくその他の甲状腺疾患をもたらすということでも電離放射線の影響には敏感であることを示した。甲状腺疾患の過剰リスクが数十年の追跡期間中不変であったことは注目すべき」と記述されており,甲状腺機能亢進症を含む甲状腺疾患一般について,有意な正の線量反応関係が認められている。
(イ) AHS第8報においても,「放射能と関連した甲状腺異常が,長期間での追跡調査中に発生し続けた。」と「甲状腺疾患」をひとくくりにした項目では,線量反応関係があるとしている。
(ウ) 今泉美彩ら報告においては,95%信頼区間の下限が-であり,P値が0.10と有意なレベルに達しなかっため有意差がないとされたものの,甲状腺機能亢進症の有病率と放射線量の関連が示唆されている。
ウ 有病率の比較
(ア) 一般人口の有病率
今野則道ら報告では,平成2年から平成3年に無作為に選んだ成人4138人(平均年齢46.0歳±10.0歳)を対象として調査を行った結果,甲状腺機能亢進症(グレーブズ病)の一般人口の期間有病率は0.48%であった。
(イ) 原爆被爆者の有病率
今泉美彩ら報告における調査は,平成12年3月から平成15年2月までの3年間に行われたもので,調査数は成人健康調査(AHS)集団の中の4091人(平均年齢70歳±9歳)であった。この調査における甲状腺機能亢進症(グレーブズ病)の有病率は1.2%であった。
(ウ) 今野則道ら報告と今泉美彩ら報告の比較
原爆被爆者の有病率である1.2%は,一般人口の有病率である0.48%をはるかに上回るものであった(前者は後者の2.5倍)。
(エ) 今野則道ら報告と今泉美彩ら報告の有病率は十分比較に値する。
今野則道ら報告における調査では,甲状腺機能亢進症とグレーブズ病を区別して記載し,甲状腺機能亢進症の診断にはTSHやFT4,更にグレーブズ病に特有のTSHレセプター抗体(TRad)を使用している点において今泉美彩ら報告とも共通しているので,両者の数値を比較することに支障はない。
また,調査対象集団の年齢に差異があることをもって両集団の有病率の比較ができないということにはならない。この点,被告は,今野則道ら報告の対象集団の平均年齢(46.0歳±10.0歳)と今泉美彩ら報告の対象集団の平均年齢(70歳±9歳)に差異があることをもって,後者の有病率が高率になることが当然であるかのような主張をしている。しかしながら,甲状腺機能亢進症については,60歳以上及び70歳以上の者らに甲状腺機能亢進症が起こってくる割合はそれほど多くはなく,成人期に近づくに従って増え,老年期には減るという傾向のある疾患である。
そもそも,バセドウ病は20歳代から30歳代の女性に多くみられる疾患であり,年齢が上がるにつれ,患者数は少なくなる。50歳代以降でも甲状腺機能亢進症で受療している患者は一定数存在するが,その多くはそれ以前に発症し,それ以降の年齢になるまで治療を継続しているのであって新たに発症する例は少ない。
ちなみに,吉村弘「高齢者の甲状腺疾患」に基づいて60歳以降の未治療発生の割合を推定すると,同文献から60歳以上の未治療バセドウ病初診患者は911例中44例で4.8%にすぎない。
また,村上修二ら「高齢者バセドウ病の頻度とその臨床的特徴」では,60歳以上の高齢者の頻度は4%,70歳以上に限ると僅か0.6%であることが示されている(平成元年から平成2年までの2年間の統計)。
以上の次第であって,今野則道ら報告の対象集団と今泉美彩ら報告の対象集団の平均年齢の差異を考慮しても,このことのみから,後者の有病率が前者の有病率の2.5倍という,著しい差異が生じていることを説明することはできない。
また,今泉美彩ら報告は,被爆後55年後の生存者の調査であり,被爆後間もない時期の後遺症や他の疾患で早逝した被爆者は除外されたことになるので,実際よりも少ない有病率である。
以上の点を考慮すると,今野則道ら報告と今泉美彩ら報告の有病率は十分比較に値するものであるということができる。
エ その他の文献の存在
(ア) チェルノブイリ原発事故後の調査報告
チェルノブイリ原発事故後の調査報告によれば,高度汚染地区のベラルーシでは,甲状腺機能亢進症が0.16%ないし0.18%にみられる。また,甲状腺機能亢進症と甲状腺機能低下症について,ベラルーシのモギリョフにおける割合がそれぞれ0.16%,0.06%,ウクライナのキエフにおける割合がそれぞれ0.08%,0.05%となっており,放射線起因性が認められている甲状腺機能低下症よりも甲状腺機能亢進症の患者数が多くなっている。
(イ) Shilin報告
Shilin報告は,「1986-94年のGraves病の罹患率は低く,年当たり0.45(/100.00)というごく少数の子どもが記録された(n=36;グループ1)が,その後1995-99の間に1.02に増加し,残りの多数が含まれる」「コホートの中でGraves病に罹患する平均相対リスクは,事故以後最初の5年間と比較すると,最近の5年間(1995~99)では約3倍に増加した」「個体発生の早期における低線量被曝は,小児の甲状腺自己免疫病態の進展において,発症前のリスクファクターであるかもしれない」と分析している。
(ウ) DeGroot報告
DeGroot報告は,甲状腺へのX線照射は,線腫と甲状腺機能低下の高い発生率を含む他の組織学的異常を誘発するだけではなく,自己免疫性甲状腺疾患の罹患率の増加と,恐らく眼球突出やグレーブズ病の発症と関係しているとしている。
(エ) 片山茂裕ら報告
片山茂裕ら報告は,① 甲状腺機能亢進症が放射線療法後に散見される,② 放射線照射に関連した甲状腺機能亢進症が,本症患者99例中,計10例に認められたことにより,本症の発症機序に放射線が重要な役割を果たすものと結論されるとしている。
オ 甲状腺機能低下症との対比
(ア) 甲状腺機能低下症は積極認定対象疾病とされていること
甲状腺機能低下症については,長瀧重信ら第2報告やAHS第8報で線量反応関係が認められ,東京高裁平成21年判決においても放射線起因性が認められ,東京高裁平成21年判決は確定した。
そして,厚生労働省も改定後の新審査の方針において「放射線起因性の認められる」と留保を付けながらも甲状腺機能低下症を積極認定対象疾病とした。その後の再改定後の新審査の方針によって,「放射線起因性の認められる」との留保も外され,「被爆地点が爆心地から約2km以内である者」,「原爆投下から翌日までに爆心地から約1km以内に入市した者」の甲状腺機能低下症については,積極的に放射線との関係を認定するものとした(積極認定)。
このように,甲状腺機能低下症が積極認定対象疾病として認められたということは,少なくとも甲状腺機能低下症については,放射線の影響によって発症する可能性のある疾病であることが,原告ら及び被告間の争いのない事実として確認されたということである。
(イ) 甲状腺機能低下症と甲状腺機能亢進症の同質性,近似性
Ehemanら報告によれば,甲状腺機能亢進症も甲状腺機能低下症も,抗体が関与する対象が異なるだけであって,基本的プロセスを同じくしているため,甲状腺機能の異常は,亢進症としても低下症としても出現し得ると考えられている。
確かに,甲状腺機能亢進症(バセドウ病)と甲状腺機能低下症(橋本病)の二つの疾患が,自己免疫現象という共通性を持ちながら,甲状腺ホルモンの過剰分泌である甲状腺中毒症とホルモン分泌欠乏状態という全く正反対の臨床症状を呈する理由やその発生機序については未解明である。しかし,いずれの病態も,ウイルスや細菌といった病原体の感染を伴わない甲状腺の炎症や組織の傷害に伴って放出される自己構成成分(生体成分)が自然免疫系を活性化することに起因していると考えられている。この生体成分には,甲状腺細胞に対する放射線の外部あるいは内部照射によっても生じ得るようなDNAの断片,活性酸素なども含まれることが知られている。
また,バセドウ病では甲状腺自体に異常はないので橋本病とは全く違うという考え方では,例えば,バセドウ病で90%以上陽性となるTSHレセプター抗体(TRad)が橋本病でも一定の率で陽性となること,逆に,橋本病で95%以上陽性となるTPO(甲状腺ペルオキシダーゼ)抗体はバセドウ病でもかなり陽性となるという事実を説明することができない。
C12も,甲状腺機能低下症と甲状腺機能亢進症を全く別の疾病とする理解は正しいとはいえず,共通性を十分に考えていく必要性があるとしている。
新内科書においても,「(バセドウ病は)自己免疫性の甲状腺疾患である。TSH受容体に結合する自己抗体の存在によって甲状腺が刺激されるため機能亢進が起こるものと考えられている。しかし,甲状腺に対する自己免疫の成立する機序についてははっきりしていない。」「Basedow病と橋本病(甲状腺機能低下症を指す。)でみられる遺伝的,免疫学的な特徴はほとんど共通しており,また,経過中に両者のあいだを移行する症例も見られることから,これらは実は本来同種の自己免疫性甲状腺疾患であって,TSH受容体刺激性抗体が優位か細胞障害性免疫が優位かによって現れ方が違うだけではないかという考え方がある。」との記載がある。この記載は,正に上記C12の意見を裏付けるものである。
また,両疾患の発生する原因等の詳細がなお明らかとはされておらず,直ちに否定されるとまでは解し難いとして甲状腺機能亢進症の放射線起因性を認めた裁判例もある。
カ 線量反応関係が有意に認められないことをもって甲状腺機能亢進症の放射線起因性を否定することはできない
(ア) AHS第8報は,「甲状腺疾患」というひとくくりの項目では線量反応関係があるとしていながらも,「考察」においては「大半の症例が複数の甲状腺異常を有しており,また甲状腺機能試験および超音波検査法が定期的に実施されなかったために特定の甲状腺疾患に対する放射線の影響はこの段階では評価することは不可能であった」と述べ,「統一した診断基準を適用した最近の長崎におけるAHSでの甲状腺疾患の発生率研究(長瀧重信ら第2報告を指す。)」での結論を引用して甲状腺機能亢進症での放射線影響を認めていない。
また,今泉美彩ら報告においては,「バセドウ病有病率と放射線量の関連は示唆された」としながらも,95%信頼区間の下限が-であり,P値が0.10であったことから,「統計的に有意なレベルに達しなかった」とされていた。
しかしながら,これらの報告からも,甲状腺機能亢進症の放射線起因性を否定することはできない。なぜなら,これらの報告は,DS02の線量評価を前提に統計処理をしているが,DS02の線量評価では,肝心の集団での甲状腺外部及び内部被曝線量を正しく測定することができていないからである。
すなわち,原爆の爆発によって発生した放射性ヨードは内部被曝も起こしているが,それはDS02では評価されていない。今泉美彩ら報告は,飽くまで成人健康調査(AHS)の調査対象である被爆者の中での比較をしているので,DS02による被曝線量で外部放射線量がないとされている者らの中で,放射性ヨードによる内部被曝によるバセドウ病の発症が相当あるとすると,線量反応関係は消えてしまう。今泉美彩ら報告における0.005シーベルト未満のグレーブス病(甲状腺機能亢進症)の罹患率が0.8%であり,今野則道ら報告における一般有病率である0.48%よりも高い値になっているが,これはDS02では評価されていない残留放射線や初期放射線以外の影響が当然加わっていると考えられ,これが,今泉美彩ら報告において甲状腺機能亢進症の線量反応関係が明確に出にくい理由となっている。
ちなみに,長瀧重信ら第1報告では,放射性降下物の汚染地域である長崎の西山地区の住人には,甲状腺機能亢進症が高率(1.6%)で発生し,その数値は,対照群の有病率(0.27%)より高値(5.9倍)であり,かつ,今泉美彩ら報告における原爆被爆者の有病率1.2%より高い数値であったとしている。これは,放射性降下物が甲状腺機能亢進症の発症に影響を与えると考える一つの根拠となる。
また,甲状腺抗体の発現は,多くの場合は被曝した者の免疫機構によって決定されているので,放射線起因性の抗体形成は,厳密に線量に相関した現象ではないと考えられる。すなわち,反応性に富む免疫機構を持った患者では,低線量の被曝による少量の抗原への曝露ですらも大量の抗体形成の結果,甲状腺疾患の発症へと至ることができると考えられているのである。他の疾患のように,被曝放射線量が多いほど発症しやすいという一般論が甲状腺疾患については成立しないのであるから,線量反応関係が有意に認められないことをもって,放射線起因性を否定する根拠とすることはできない。
また,Ehemanら報告は,結論として,「抗甲状腺抗体は引き続く甲状腺機能障害発症の強力な予測因子であるので,適正な線量評価による長期にわたる研究が,低線量環境被曝と臨床的に有意な非腫瘍性甲状腺疾患との複合関係を評価するために必要とされている。」とも述べている。
(イ) これまで出された同種事案の裁判例でも,既存の文献によって有意な線量反応関係が認められていない数多くの疾病について,放射線起因性が認められている。しかも,これらの判決は全て確定し,それに基づいて当該疾病が原爆症認定を受けている。
a 東京高裁平成21年判決は,甲状腺機能低下症のうち,自己免疫性甲状腺機能低下症は線量反応関係が認められた報告が存在するが,自己免疫性ではない甲状腺機能低下症について,原爆放射線との線量反応関係を認めた研究結果は現れていないとの前提の下,線量反応関係を認めた研究結果の存在しない自己免疫性甲状腺機能低下症についても放射線起因性を認めた。
b 「2型糖尿病の有病率と放射線量との間に有意な正の相関関係が示唆」されていることをもって,糖尿病の放射線起因性を認めた裁判例がある。
同裁判例の枠組みによれば,今泉美彩ら報告においては,P値が0.10と有意差がないとされたものの,有病率と放射線量の関連が示唆されている甲状腺機能亢進症についても放射線起因性が認められるべきである。
c 平成18年広島地裁判決は,膵炎そのものの発生については疫学的に有意な放射線の直接の影響を認めることはできないとしつつも,膵炎の発症機序についていまだ明らかとはいえないこと,膵炎に副甲状腺機能亢進症や高カルシウム血症が背景となることが認められ,かつ,被爆者において,そのような病態が放射線被曝と有意の関連を持っていることが明示されていることを根拠に慢性膵炎及び膵石症の放射線起因性を認めた。
平成18年広島地裁判決は,申請疾病自体に疫学的に有意な放射線の直接の影響が認められなくても,その原因の背景と考えられている疾病に放射線との有意な関連があることを理由に申請疾病の放射線起因性を認めたものである。
d 肺気腫の発症は,原爆放射線との間に統計学上有意な関係が認められていないものの,「肺気腫を含む呼吸器疾患による死亡は,放射線被曝との間に統計学上有意な関係が認められ」ることをもって,肺気腫の放射線起因性を認めた裁判例がある。
同裁判例の考え方を前提にすれば,甲状腺機能亢進症についても,これを含む甲状腺疾患一般については統計学上有意な正の線量反応関係が認められているのであるから,甲状腺機能亢進症について放射線起因性を認めることに問題はない。
e 「消化器疾患による死亡について,原爆放射線被曝との間に統計的に有意な関係が認められている」ことを根拠に,消化器疾患に含まれる申請疾病である胃潰瘍と十二指腸潰瘍の放射線起因性を認めた裁判例がある。
同裁判例の考え方を前提とすれば,甲状腺疾患一般については統計学上有意な正の線量反応関係が認められているのであるから,甲状腺機能亢進症について放射線起因性を認めることに問題はない。
f 原告の申請疾病である貧血が,一般的に放射線起因性があると承認されている骨髄障害の結果として発症した貧血ではないとしながらも,原爆被爆者における貧血の有病率が他の集団に比べて高いこと等を根拠に,この原告の貧血に放射線起因性が認められるとした裁判例がある。
甲状腺機能亢進症についても,原爆被爆者の有病率が,非被爆者集団の有病率の2.5倍となるとの報告もあることから,甲状腺機能亢進症についても放射線起因性を認めるのが相当である。
g 慢性腎不全については,放影研の疫学調査の結果によっては有意な線量反応関係が認められるとの報告もされておらず,慢性腎不全が原爆放射線の影響で発症し得る疾病であるかについては,疑義を差し挟む余地がないではないとしつつも,「放射線医学においては,両腎が5週間で30Gyの放射線照射を受けた場合には腎障害が発症するとの知見があり,また,放影研の寿命調査においても,被爆者中に腎炎による死亡率の増大を示すともみられるデータも認められる」ことを根拠に慢性腎不全の放射線起因性を認めた裁判例がある。
(2) 一連の判決とその概要
甲状腺機能亢進症(バセドウ病)の放射線起因性については,これまでの原爆症認定訴訟においても認定され続けてきており,確立した判断となっているといえる。
(3) 小結
以上のとおり,甲状腺機能亢進症の放射線起因性については,放射線起因性が認められている甲状腺機能低下症と同質性,近似性が認められ,甲状腺機能亢進症を含む甲状腺疾患については有意な線量反応関係が認められ,甲状腺機能亢進症の有病率と放射線量の関連を示唆する文献も存在する。さらに,甲状腺機能亢進症についての原爆被爆者と一般人口の有病率比較によっても,原爆被爆者の有病率が明らかに高率となっており,その他,放射線が甲状腺機能亢進症の発症に影響を与えているという文献が複数存在する。加えて,いくつもの裁判例が甲状腺機能亢進症の放射線起因性を認め,これが確定しているのであるから,甲状腺機能亢進症の放射線起因性が認められることは既に確立したものといえる。
5 肝機能障害の放射線起因性
(1) 科学的知見の到達点
ア AHS第7報とAHS第8報について
(ア) 慢性肝疾患(肝硬変)と放射線との線量関係を初めて示した放影研のAHS第7報は,正式に国際的学術誌であるRadiation Research誌(第135巻。1993年(平成5年))に掲載されたものである。
また,AHS第8報は,AHS第7報の調査期間を更に10年間延長したものであるが,その結果,慢性肝疾患(肝硬変)の相対リスクは1.15,その疫学的有意差は,P値が0.0010であることを示した。そして,その意義が認められ,Radiation Research誌に受理掲載されたのである(第161巻。2004年(平成16年))。
このように,AHS第7報とAHS第8報は,昭和33年から数十年にわたる成人健康調査(AHS)のデータを解析して,慢性肝疾患について有意な線量反応関係を報告した。そして,相対リスクは観察期間中一定であったことが強調されている。
そして,これらの報告は,C型慢性肝炎の放射線起因性について重要である。
(イ) この点について,被告は,B型肝炎や脂肪肝等を含む「慢性肝疾患」と放射線との間に有意な線量相関関係が認められたとしても,その結果をもって,C型慢性肝炎についても放射線との間に有意な線量相関関係を認めたことにはならないと主張する。
しかし,今日,日本において,慢性肝疾患の圧倒的多数を占めるのは慢性肝炎(肝硬変)である。そのうち90%以上がウイルス性であり,約70%がC型慢性肝炎,約20%がB型慢性肝炎である。
現在,C型肝炎ウイルス(HCV)のキャリア(保持者)は国内で200万人とされ,その約7割は慢性肝炎に移行する。また,B型肝炎ウイルス(HBV)のキャリアは国内で150万人とされ,その1割が進行性であるとされている。
したがって,慢性肝炎患者の大部分はC型慢性肝炎の患者であり,慢性肝疾患と放射線に有意な線量相関が認められる以上,C型慢性肝炎と放射線との間に有意な線量相関関係が認められる可能性が非常に高い。
(ウ) C型慢性肝炎以外の肝炎について
被告は,仮に慢性肝疾患の7割程度がC型慢性肝炎であったとしても,残りの3割の患者はC型肝炎ウイルス(HCV)と無関係の原因(他のウイルス,アルコール,薬物,自己免疫及び肝脂肪)で発症しており,この残りの3割の患者の寄与によって線量相関関係が有意になった可能性があると主張する。
しかし,慢性肝疾患のうち次に多いとされているアルコール性肝障害については,全肝疾患の中でも約10%前後(8.2%ないし14.1%)とされている。
また,薬物性肝障害は罹患することが稀少であり,しかも,当該薬剤の中止や適切な治療で改善することがほとんどであって,薬剤性肝障害は一般に慢性化するものではない。さらに,自己免疫性肝炎も,治癒及び改善も含め低頻度であり,特にC型慢性肝炎の多い日本ではC型慢性肝炎に関連して発症する場合も考えられている。このため薬物性肝障害も自己免疫性肝炎も長期持続する慢性肝疾患としての線量相関を形成することができない。
このような事情から,AHS第7報は,調査対象群の圧倒的多数はウイルス性肝炎であり,かつ残余はアルコール性肝障害に占められていることを前提としている。つまり,C型慢性肝炎と被曝との関連を考えるとき,AHS第7報やAHS第8報の意義を否定することはできない。東京高裁平成21年判決も同様の判示をしている。
イ 被告がC型慢性肝炎の放射線起因性を否定する根拠に対する反論
(ア) C型慢性肝炎から肝がんの発症に至る機序
被告の主張の基礎には,C型慢性肝炎は必ずしも肝硬変を経て肝がんに至るわけではなく,肝がんにおいては,C型肝炎ウイルス(HCV)は放射線とは別の独立したリスクであるという考え方がある。また,被告は,C型肝炎ウイルス(HCV)に感染すると慢性肝炎になり繊維化が進み,いずれ肝硬変になり肝がんに至るという考え方は誤りであると主張する。
しかし,被告の上記の考え方は,C型慢性肝炎から肝がんの発症する過程に関する医学的な理解不足に基づくものである。
日本医師会雑誌特別号「肝疾患診療マニュアル」では,日本における肝がんに占めるウイルス性肝炎からの発がんの割合が92.6%,また,肝がんに占めるC型慢性肝炎からの発症の割合は76.0%としている。いずれにしても肝がんの圧倒的多数がC型慢性肝炎からの発症であることは間違いない。
次に,C型慢性肝炎は,治療により炎症が鎮静化されない限り,炎症(肝細胞壊死及び再生)の過程で肝線維化という現象が起きる。したがって,炎症の進展は,肝細胞の壊死程度(肝機能検査での血液中ALT増加。なお,ALTは肝細胞壊死に際して細胞中から放出される酵素で炎症程度を反映し,旧来のGPTに該当する。)と,肝線維化の程度及び肝がんの発生程度という三つの視点からみることができる。そして,線維化の程度は,軽度線維化の慢性肝炎がF1,中等度線維化の慢性肝炎がF2,高度線維化の慢性肝炎がF3と示され,F4のレベルを肝硬変と呼んでいる。肝硬変(F4)は,独特の「高度の結合織の造生と再生結節の形成がびまん性にみられる」状態をいう。そして,重要な点は,慢性肝炎(C型慢性肝炎)の炎症亢進状態は肝硬変(F4)に至って初めて出現するものではなく,繊維化がF1からF2,F3へと進行している状態でも,ALT(GPT)の高値持続状態であれば存在するものであり,したがって,診断名が慢性肝炎であり,肝硬変(F4)でないからといって,「炎症亢進状態」が否定されるものではない。
つまり,炎症亢進状態持続を背景に肝がんが発症するのであるが,肝硬変(F4)に至らず肝がんを発症しても(つまり「肝硬変を経ずして肝がんを発症」した場合でも),肝硬変になっていないのだから放射線が炎症(慢性肝炎)に影響は与えていないとして,C型慢性肝炎と放射線との関連を否定することはできないのである。
更にいえば,同じ肝硬変(F4)同士でも,炎症(ALT高値)の度合いが強いほど肝がんの発症率が高く,その場合はALTの多寡が炎症亢進の目安となり,肝硬変の存在自体が目安になるわけではない。
齋藤紀は上記の考え方を更に詳細に裏付けるために,炎症の役割,ジェネティックおよびエピジェネティックな遺伝子変異,慢性肝炎及び肝硬変段階での遺伝子異常,治療効果からの理解,サイトカイン(腫瘍壊死因子(TNF)-α及びインターロイキン(IL)-6)の産生,がん抑制遺伝子であるp53への影響と詳細に説明を加えている。そして,齋藤紀は,結論として,C型慢性肝炎から肝がん発症の機序を,炎症の役割,ROS(活性酸素),遺伝子異常,炎症性サイトカイン等を通じて俯瞰してきたところ,肝硬変へ至る過程で既に肝細胞には遺伝子異常が蓄積されてきていること,そして,肝がん発症には炎症持続亢進が決定的に重要なことを述べている。つまり,被告の「放射線がC型肝炎ウイルスの活動とは別に直接がん抑制遺伝子を障害する結果,肝がんの発症リスクを高めている」という主張は,このような現代の医学の到達点からみると明確な誤りであることは明らかである。
(イ) LSS第14報について
被告は,LSS第14報について,慢性肝炎について放射線起因性を示唆した記述がなく,肝硬変と放射線との線量相関関係は否定されていると主張している。
しかし,寿命調査(LSS)は死亡(率)調査であり,存命者の発症率調査ではない。被爆者のC型慢性肝炎は慢性肝炎の早期に肝がんを高率に発症し死亡率を高めたことは,シャープら第1報告が,放射線との超相乗的効果として指摘している。
また,肝硬変は,年間8%の率で肝がんが発生する。10年を経ると肝硬変患者の80%は肝がんを発症し,多くは肝がん死へ至る。これは被爆者においても同様である。つまり,臨床的にいえば,慢性肝炎という病名での死亡は基本的にないのである。また,肝硬変という病態に対する対処療法も日進月歩で進み生命予後を改善してきており,肝硬変という病名での死亡も減少し,代わりに肝がん発症(肝がん死)を増加させていることになる。したがって,LSS第14報に慢性肝炎や肝硬変の放射線起因性の記載がないことをもって,慢性肝炎や肝硬変に放射線の影響のないことの証明となるものではない。LSS第13報の場合でも同様のことがいえる。
(ウ) 岩本ら報告に関する被告の主張に対する反論
被告は,具体的に観察対象集団を肝がんとするトンプソンら報告及びLSS第13報をもって,C型慢性肝炎と放射線との関連性を肯定することはできないと主張する。そして,被告は上記の根拠の一つとして,岩本ら報告を引用し,近時の知見によれば,放射線がC型肝炎ウイルス(HCV)の活動とは別に,直接がん抑制遺伝子を障害する結果,肝がんの発症リスクを高めているので,放射線は慢性肝炎から肝硬変へ進行を促進するものではないことが明らかになっていると主張する。
ところで,岩本ら報告は「原爆によるHCC(肝がんを指す。)リスク増加を説明する一助となる分子事象を究明するために,0-1569mSv(肝臓線量)の様々な放射線量に被曝した原爆被爆者120人のHCC組織試料におけるp53遺伝子を解析した」ものである。そして,岩本ら報告の英文の原文の図1は,横軸に「mSv単位の肝臓被曝線量」,縦軸に「p53突然変異を有する肝がんの百分率」が示され,グラフは線量増加に伴って突然変異を有する肝がんの率が増加していることを示している(P値は0.0446)。本文の説明では「腫瘍組織にp53点突然変異を有するHCC試料の割合には,統計学的に有意な線量反応があった」と指摘している。
しかし,岩本ら報告の線量反応関係を示した図1の説明は,上記の説明だけであり,岩本ら報告の論述の大部分を実際の突然変異の内容と,放射線がどのように突然変異を起こしているのかについての考察に充てている。後者を分かりやすく説明すると,放射線の関与は肝がんを引き起こした突然変異を直接生じさせたのではなく,そのような突然変異を誘発させる遺伝子を生じさせることに関与していることを述べているのである。そして「これにより単一の細胞またはその子孫が,正常細胞からがん細胞への変換に必要な複数の突然変異を蓄積すると思われる」としている。上記のとおり,岩本ら報告の第1の成果は,図1で示された被曝量とp53がん抑制遺伝子の変異(を有する肝がん率)の相関を示したことであるが,第二の成果は遺伝子異常の内容の検討から,放射線の関与は肝細胞の中に,漸次複数の突然変異を蓄積させるような,広い範囲の影響性(「突然変異誘発因子」,今日では「遺伝的不安定性」と名称されている)を指摘したことである。つまり,岩本ら報告は,放射線の遺伝子への影響を広く捉えさせる契機の一つになっている。
したがって,まず指摘できることは,岩本ら報告自体,被告のような推察を報告中どこにも行っていないという点である。
また,岩本ら報告が,仮に被告主張のように「C型肝炎ウイルスの活動とは別に」被爆者肝がんの問題を解明することができると考えているとすれば,岩本ら報告自体が,岩本ら報告の末尾で,「(被曝の影響による)p53突然変異と細胞死・再生・損傷の慢性周期を導くB型およびC型肝炎ウイルス感染(日本人のHCC患者集団で頻繁に観察される)の関連について,さらに被爆者集団を用いて調査することにより,放射線が誘発するヒト肝がんの病因についてより明確な手がかりが得られるであろう」と述べるはずはないのである。
以上のとおり,被告の岩本ら報告の解釈は,岩本ら報告を曲解し,意図的に誤った結論を導こうとするものであることは,慢性肝炎からの肝がん発症に関する現代の医学の到達水準を前提としつつ,これまで詳細に述べてきたところから明らかである。さらに,C型慢性肝炎と放射線との関わりに関連していえば,岩本ら報告は,放射線の影響は単一の特定の突然変異に限定して影響を与えているのではなく,「突然変異誘発因子」(遺伝的不安定性)を生じさせ,複数の遺伝子異常の蓄積にこそ影響を与えていると指摘しているのである。したがって,被告の「放射線が(C型肝炎ウイルスの活動とは別に)直接がん抑制遺伝子を障害する結果」という表現や主張も,岩本ら報告の誤読である。
今日,肝がんの90%以上はウイルス性慢性肝炎からの発症であること,また,ウイルス性肝炎の進展により遺伝子変異が蓄積し肝がんが発症すること,この二つは医学界では自明であり,同じ疫学的バックグラウンドの日本における被爆者肝がんも,この点においては全く同様である。
したがって,被曝量増加に伴って肝がんが高率に発生するとしたトンプソンら報告,被曝量増加とp53突然変異,肝がんの増加や突然変異誘発因子(遺伝的不安定性)の誘導を指摘した岩本ら報告を踏まえれば,被爆者肝がんにおいてはウイルス性肝炎という要素と被曝という要素との共同成因(相互作用)の解明こそが課題とならざるを得ないのである。被告の分離(「C型肝炎ウイルスの活動とは別に」)こそ正しいという理解や主張は,岩本ら報告やそれまでの放射線と肝機能障害の関係を論じてきた一連の報告を誤って理解し,主張しているものである。
東京高裁平成21年判決も,岩本ら報告によって,「ワン論文(AHS第7報を指す。),藤原論文(藤原佐枝子ら報告を指す。),山田論文(AHS第8報を指す。)の結論を否定し去る根拠とすることはできない。」として被告の主張を退けている。
(エ) シャープら第1報告に関する被告主張に対する反論
a 被告は,シャープら第1報告では,肝硬変に罹患している感染被爆者は,感染非被爆者と比べても肝がん発症のリスクは基準値1を下回る0.4となり,むしろ肝がんを発症しにくいという結果になっている,つまり,シャープら第1報告によれば,肝硬変を伴う肝細胞がんの発症において,C型肝炎ウイルス(HCV)と放射線との間に有意な相互作用はみられなかったと主張する。
しかし,シャープら第1報告は,被告の主張とは逆に,C型肝がん発症の生物学的機序に放射線がいかに関与するかについて比較的詳しく論究しているものであり,C型慢性肝炎からの肝がんの発症機序(発がんプロセス)を裏付けるものとなっている。つまり,シャープら第1報告は,被告の主張とは逆に,被曝因子とウイルス因子という両因子間に相互作用が存在していること,放射線被曝がC型慢性肝炎の促進に動いていることを,疫学的手法から明らかにしたものであるといえる。
b そして,シャープら第1報告の表4に関する分析の結論として,シャープら第1報告は,「従って我々の結果は,HCC(肝細胞がんを指す。)の発生におけるHCVと肝臓放射線被曝との間に,相乗関係を越える関係があることを示唆しているという点で一貫しており,これは特に肝硬変に罹患していない人たちに顕著であった」と述べていること,また,シャープら第1報告は,対照数の寡少という疫学的事情に触れた後に,「HCCの発生において肝臓放射線被曝とHCVの間に相乗的相互作用を越える統計的に有意な関係が一貫して我々の調査では見られている(が」「十分に定量化されていないと見なされねばならない)」と述べていること,加えて,シャープら第1報告の「肝硬変に罹患している人と罹患していない人を一緒に解析に含め肝硬変について調整した場合と,肝硬変に罹患していない人に限定して解析した場合のいずれにおいても,超相乗的相互作用が認められた」との記載から,表4(表中及び注記)の結果は,被告の「肝硬変に罹患している感染被爆者は,むしろ肝がんを発症しにくいという結論になった」との主張とは明確に異なるものであるということができる。
c また,シャープら第1報告は,疾患発症において二つのリスク因子が考えられる場合,両リスクが発症経路で重複しない場合,「1つの作用因子(被曝因子)が主に肝細胞の遺伝子変化に関与し,もう一つの作用因子(HCV因子)がクローン性増殖に至る細胞増殖と肝臓の再生に関与している時に,リスク間に相乗的または超相乗的な相互作用が報告されている」として,相互作用のリスク増強効果は大きくなることに言及している。
さらに,シャープら第1報告は,B型肝炎ウイルス(HBV)とC型肝炎ウイルス(HCV)の両リスク因子の超相加的相互作用の場合を例示した後,「対照的に,我々が報告した急性放射線被曝とHCVの間の超相乗的相互作用は,急性放射線被曝が突然変異発生やエピジェネティックな変化の作用因子として,またHCVが主に細胞増殖の作用因子として働いており」「重複がそれ程大きくない」と説明している。
d シャープら第1報告の表3の最下段の「HCV―放射線相互作用項」の欄には,肝硬変非合併群での肝がん発症のオッズ比が58.0倍と示され,他方,肝硬変合併群のオッズ比が0.4と示されている。
この点,シャープら第1報告は,肝硬変に罹患した者で,相乗的相互作用の統計モデルで有意のオッズ比が算出されなかったことについて,疫学的検出力の観点から,「我々のデータはかなり少なかった」とし,また(表3の肝硬変合併群では)「肝硬変に罹患しており,被曝情報が完全である142人のみについて解析しているので,肝硬変が有る場合のHCCの発生において相互作用はなしとする我々の所見は慎重に解釈されるべきである」としている。
e シャープら第1報告は,C型肝炎ウイルス(HCV)と被曝の相互作用の機序論の観点からも言及している。つまり,被爆者のC型慢性肝炎の多くは,昭和20年の原爆被爆後に感染しているのではないかと推測する理由がいくつかあるとした上で,「多くの場合に肝細胞は原爆放射線によって突然変異を起こしたが,HCVに感染しウイルスが肝細胞の破壊と再生のサイクルを開始するまで,発がんのプロセスが継続しなかったと考えることは,推測の域を超えないことは否めないが,合理的であると思われる」としている。つまり,上記の「HCVに感染しウイルスが肝細胞の破壊と再生のサイクルを開始するまで,発がんのプロセスが継続しなかった」との部分は,C型慢性肝炎感染までに肝がんの発がんプロセスは,本格的に進展しなかった(継続しなかった)ことを推測しているということである。
その上で,シャープら第1報告は,「(肝)細胞の突然変異やエピジェネティックな変化がHCV感染に関連した細胞増殖の後ではなく,そのような増殖の前に発生するならば,発がんのプロセスは肝硬変の段階を飛ばしてHCCに進行するかもしれない」と述べている。つまり,上記のことは,被曝から何年間かの間で,かつ,C型肝炎ウイルス(HCV)に感染前に,既に遺伝子変異の蓄積がみられる場合には,C型肝炎ウイルス(HCV)の感染により発がんプロセスが早く進行し,肝硬変の段階の前に発がんに至る可能性を意味している。
シャープら第1報告は,上記のように考察した上で,「ゆえに,肝硬変を伴う場合のHCCの発生において,放射線とHCVの相互作用を認めなかった我々の所見は,そのような相互作用がないことを,意味しないかもしれない」と結論付けているが,これは,肝硬変に至るまでの間に炎症を促進させる両リスク因子の相互作用は継続しており,その過程で被爆者C型慢性肝炎の一定数(相対的多数)は,発がんプロセスが早かったために,肝線維化が肝硬変(F4)になる前に肝細胞がんを発症させ,一定数(相対的少数)は発がんプロセスが肝硬変合併までずれ込んだとみることができる。
したがって,かかる機序論からすれば,肝硬変合併までずれ込んだ発がんプロセスだけが画然として「炎症」と「放射線」の相互作用を全く持たない経過であるなどという考えが,到底成り立たないことは明らかである。
f シャープら第1報告の最後に記された文章は簡明である。「HCV感染者は特に放射線被曝に対する感受性が高く,逆もまた同様であることを示唆している。肝臓の放射線とHCCに関する今後の調査では,HCVの感染状況を考慮すべきである」としている。ここにいう「逆もまた同様である」とは,放射線被曝がC型慢性肝炎に影響を与えることであり,ここでの感受性とは放射線被曝の影響とC型慢性肝炎の病態(炎症)とが相互にリスクを高め合う関係を指している。そして,シャープら第1報告はそれが高いと指摘しているのである。このように,シャープら第1報告の核心は,C型慢性肝炎と放射線の相互作用を述べることにこそ見出されるべきである。
g シャープら第1報告に関して,東京高裁平成21年判決は,「シャープ論文2003(シャープら第1報告を指す。)は,肝細胞がん(HCC)の発生における原爆放射線とHCVの間に統計的に有意な,かつ超相乗的な相互作用が観察されたという意味に読むべきであって,1審被告らの主張する同論文の評価は,同論文がそうした内容を明示しているものでないことはもちろん,具体的裏付けもなく,牽強付会の印象がぬぐえない。」として被告側の主張を退けている。
(オ) 大石和佳報告に関する被告の主張に対する反論
a 被告は,大石和佳報告では,B型肝炎ウイルス(HBV)又はC型肝炎ウイルス(HCV)の感染者を除外した後でも,放射線被曝が肝細胞がんのリスクの増加と有意に関連することが示された,つまり,C型肝炎ウイルス(HCV)と放射線被曝は,各々独立して肝細胞がんのリスクになったと考えることが相当であると主張する。
しかし,被告の主張は大石和佳報告の部分訳に基づくものであり,また,大石和佳報告の意義を曲解するものである。
b 大石和佳報告の原著は,2011年(平成23年)発表の肝臓疾患に関する国際的学術誌「Hepatology(肝臓病学)」第53巻の1237頁ないし1245頁に掲載された「Impact of Radiation and Hepatitis Virus Infection on Risk of Hepatocellular Carcinoma」(肝細胞がんリスクに対する放射線と肝炎ウイルス感染の影響)である(以下「大石和佳報告の原著」という)。つまり,大石和佳報告は,放影研の定期刊行物の記事として,大石和佳報告の原著から邦訳されている。
また,同記事は大石和佳報告の原著の大意を伝えた邦訳であるが,全訳ではなく厳密には部分訳にすぎない。大石和佳報告の原著(英文)と同記事(邦文)と照合すると,同記事に邦訳されていない個所は,単文節あるいは連続する数文節を1箇所とすると,「緒言」部分で4箇所,「材料および方法」部分で3箇所,「結果」の部分で3箇所,「考察」の部分で1箇所である。
さらに,同記事には「要約」と「結論」が記載されているが,その最下段の注記には「本報告書を引用し,またはその他の方法で使用するときは,同掲載論文のテキスト(英文)によるべきである」と指摘し,被爆者の肝がんリスクに対する放射線と肝炎ウイルスの影響を議論する場合,大石和佳報告の原著を直接参考にすることを求めている。
c 大石和佳報告の意義としては,次の4点が重要である。
まず,第1に,放射線被曝はごく低い放射線レベルから肝がん発症へ独立して関わっているということである。大石和佳報告の放射線量別の肝細胞がん累積発生率の図A及び図Bは,それぞれ追跡期間と到達年齢を横軸とし,肝細胞がん累積発生率をみたものである。つまり,図A及び図Bは,被爆者における肝細胞がん発症が持続していることを示している。また,層別化された被曝線量で累積を追うと,①群(0.001グレイ未満群)に比して②群(0.001グレイ以上群),③群(1グレイ以上群)では曲線が上位にいき,肝細胞がん発症に対する放射線リスクが線量に応じて増大していることを示している。そして,②群の被曝量下限値の0.001グレイ(DS02)は被爆距離で2.5km以遠であり,非常に低い線量域から,放射線は肝細胞がん発症を有意に増加させるリスクであることを示している(DS86でみても,爆心地から2.5kmは約0.01グレイ)。
つまり,大石和佳報告の全体の主旨を踏まえていえば,他のリスクの併存の有無にかかわらず,放射線被曝はごく低い放射線レベルから肝がん発症へ独立して関わっているといえる。
第2に,大石和佳報告が,ウイルス感染やその他の肝がん誘発因子を補正した後でも,放射線は肝がん発症に独立したリスクとして関与するとした意味は,放射線被曝という事象が長期にわたり肝炎の活動性に関与し続けていることを意味する。このことは,放射線は慢性肝炎の進行と無関係に肝がん発症のリスクとして関与しているとの被告の主張が到底成り立たないことを意味している。細胞破壊,再生増殖(活動性肝炎の病態)もなく,細胞分裂のない静まり返った1個の肝細胞の中で遺伝子異常の淘汰や進展は生じないからである。
第3に,放影研の定期刊行物の記事では,大石和佳報告の原著の「考察」の所の放射線のリスクとB型肝炎ウイルス(HBV)及びC型肝炎ウイルス(HCV)感染のリスクの共同効果(joint effects)について,邦訳されていないことである。わたり病院の齋藤紀の「意見書 被爆者慢性肝機能障害の放射線起因性に関する理解について」では,大石和佳報告の原著のかかる部分の邦訳を行っているが,要約すると,放射線のリスクと肝炎ウイルス感染のリスクの絡み,相互の介在を否定していないこと,しかし,現時点では疫学的検証方法や表示方法が十分にできていないこと,放射線のリスクが肝炎ウイルス感染のリスクの中に一部含まれてしまっているならば,肝炎ウイルスの疫学的補正によって放射線リスクが減少してしまうものであるが,そのような介在(吸収)は少ないかもしれないこと,さらに,両因子の共同効果を解明するべく方法を研究中であることが記載されている。
第4に,放射線リスクと肝炎ウイルス感染リスクとの相互の介在について,大石和佳報告は,例えば,放射線のリスクがB型肝炎ウイルス感染のリスクに隠れてしまう可能性について述べ,したがって,B型肝炎ウイルス感染のリスクを補正した場合,放射線リスクは肝炎ウイルスのリスクに吸収され,疫学的評価として減じて表現されてしまう可能性に触れているが,「実際の介在は小さいのかもしれない」としている。
他方で,シャープら第1報告は,C型肝炎ウイルス(HCV)を中心に,肝がんリスクに対する放射線リスクとC型肝炎ウイルス(HCV)感染リスクの関係について,発がんに至る複数の段階で,二つのリスク因子(放射線被曝とC型肝炎ウイルス(HCV)感染)がそれぞれ,「発がんプロセスが異なる段階で積極的な役割を果たすときに,リスク間に最大の相互作用が認められる。HCCでは,1つの作用因子が主に肝細胞の遺伝子変化に関与し,もう一つの作用因子がクローン性増殖に至る細胞増殖と肝臓の再生に関与している時に,リスク間に相乗的または超相乗的な相互作用が報告されている」「我々が報告した急性放射線被曝とHCV(C型肝炎ウイルス)の間の超相乗的相互作用は,急性放射線被曝が突然変異発生やエピジェネティックな変化の作用因子として,またHCVが主に細胞増殖の作用因子として働いている」と述べている。
なお,被告はB型肝炎ウイルス(HBV)陽性を除外した症例の1グレイでの肝細胞がん発症の相対リスクが1.91であるが,これについてC型肝炎ウイルス(HCV)を調整するとむしろ相対リスクが2.32に上昇し,同様のことはC型肝炎ウイルス(HCV)陽性を除外した症例でもいえるので,放射線被曝とウイルスとの相乗効果,共同成因の存在が否定されるかのように主張する。しかし,大石和佳報告の真意は,ウイルス性肝炎と放射線被曝の関連性を否定するものではないことから,この点でも被告の主張は誤っている。
以上のとおり,大石和佳報告は,放射線リスクが独立したものであることを明確にしたものであり,そこから導かれる臨床的理解は,肝がん発現前の肝細胞群に対する放射線の独立した影響を一層示唆するものである。
ウ 藤原佐枝子ら報告
(ア) 藤原佐枝子ら報告の意義
放射線と肝がんとの関係でいえば,肝がんは当初「増加確認群」にも「増加示唆群」にも含まれていなかったが,今では放射線との有意な関係が示されている。同様に放射線と肝機能障害に関する研究も,1950年(昭和25年)代から積み重ねられてきており,被爆者が非被爆者と比較して肝機能障害の頻度が高いことは疑いのない事実となっている。そして,寿命調査(LSS)ではなく生存者の成人健康調査(AHS)を基にしたAHS第7報を契機として,原爆放射線被爆と肝機能障害との間に有意な過剰リスク,有意な正の関係(線量反応関係)が認められるようになった。
つまり,慢性肝機能障害の多くは,肝がんなどとは異なり致死性ではないため,寿命調査(LSS)ではなく生存者の調査が必要とされるが,死亡率の調査を基本とする放影研では,肝機能障害に関する本格的な生存者調査はかなり遅れて始められ,適切な数の被爆者を集めることが困難になっている現実がある。
このような状況を前提として,藤原佐枝子を中心として更に研究が進められ,諸報告が公表されているが,藤原佐枝子ら報告では放射線被曝がC型慢性肝炎感染に関連した慢性肝疾患の進行を促進する可能性が示唆されており,放影研ではその延長線上で更に研究が進められているというのが現状である。
(イ) 藤原佐枝子ら報告の目的と論旨,結論
藤原佐枝子ら報告の目的は,HCV抗体の陽性率については線量反応関係がないが,AHS第7報では被曝線量が多いほど慢性肝炎の者が多いことが明らかとなったことから,C型肝炎ウイルス(HCV)感染者のうち被曝した者の場合には,C型肝炎ウイルス(HCV)が慢性肝炎の発症を促進するのではないかということを調査することにあった(「要約」の項)。
そして,藤原佐枝子ら報告はC型慢性肝炎の対象数の寡少さに疫学的限界性を考慮しながらも,「これらのデータから慢性肝疾患に対する放射線量反応関係は,HCV抗体陰性の被爆者に比べてHCV抗体陽性の被爆者において大きいことが示唆された(スロープ比20)。結論として,抗HCV抗体陽性者と被曝線量との関係には線量反応関係は見られなかったが,抗HCV抗体陽性者において,慢性肝疾患に対する放射線量反応の増加が認められた。従って,放射線被曝はC型肝炎感染に関連した慢性肝疾患の進行を促進するかも知れない」と記している(「要約」の項)。また,藤原佐枝子ら報告は,「考察」の項でも,「放射線量に伴うCLD(慢性肝疾患を指す。)の有病率の増加は,抗HCV抗体陽性の対象者において極めて顕著であり,被曝が,HCV感染後による肝機能異常を伴う慢性肝炎の進行を促進した可能性を示した。HCV感染が放射線被曝の前か後かに関係なく,放射線量はHCVが関与した慢性肝炎の経過に影響するかも知れない」と述べている。
そして,藤原佐枝子ら報告は,その「結論」の項でも再び「抗HCV抗体陽性率と放射線との間には関連性がないが,慢性肝疾患の有病率は,抗HCV抗体陰性の人よりも陽性の人において,放射線量に伴い大きく増加したようである。この所見は,放射線被曝がHCV感染後の肝炎の進行を促進した可能性を示唆した」としている。
かかる結論部分の意味について,藤原佐枝子は,別件訴訟における証人尋問で,代理人からの「「放射線量に伴うCLDの有病率の増加は,抗HCV抗体陽性の対象者において極めて顕著であり」とお書きになっているのですが,先ほどP値は0.05になる,つまり帰無仮説は棄却されないのでは」という趣旨の質問に対して,「これは先ほどのカーブの勾配(図2の陽性の勾配を指す。)が極めて著明であるという意味で書いている。」,あるいは,「図2の陰性の勾配と陽性の勾配の差が,それこそマージナリーシグニフィカントだったけれども,著明だったということを,ここでは言っているんだと思います。この文章ではそれを言っています。」と証言している。さらに,藤原佐枝子は,「その傾斜が少しわずか,統計的には有意ではないけれども,0.09だったので,可能性を示唆していると表現しております。」と証言している。加えて,藤原佐枝子は,「C型ウイルスと放射線があった時には相乗作用がある」とも証言していることも重要な点である。
そして,更に重要なことは,その結論のみならず,その結論を導き出した疫学的方法の全てを含めて,国際的学術誌であるRadiation Research誌はその価値を認め,藤原佐枝子ら報告を受理し,掲載したのである。したがって,この結論及び知見は,国際的に認められたものとなっている。
(ウ) P値が0.097であることについて
被告は,95%信頼区間に幅があるとしても,P値が0.097と0.05より小さくなっていないため帰無仮説が棄却できないと主張する。
しかし,P値(有意水準)を0.05とすることは,疫学的な統計として唯一絶対の要請ということではない。「臨床のための疫学」には「P値を0.05に決めるのは全く便宜的なものだ,ということを記憶しておくことは重要である。理論的な人は,より高い値を認容するかも知れないし,もっと低い値を主張するかも知れないが,それぞれの置かれた状況における偽陽性の重要性によって決めているようである」と書かれている(「数学いらずの医科統計学」も同旨。)。
そして,有意水準を0.097とする条件設定は,放影研が,被爆者の死亡原因や疾病名を必ずしも正確に把握しているとは限らず,更に時間の経過とともに多くの被爆者は死亡し,特に高線量域での死亡者は年代を経るとともに増加し十分なデータを収集,集積することができないという状況から導き出された結果であることを顧慮すべきである。例えば,藤原佐枝子ら報告の表5「抗HCV抗体の有無および放射線量別に示した慢性肝疾患の症例数」をみると,C型肝炎ウイルス(HCV)陽性者,陰性者を問わず,線量が1.5グレイないし2グレイ以上の被爆者データはほとんど一桁の人数しか把握されていない。つまり,ここからも,被爆者を対象とした長期的調査データを分析する際には,そのデータ収集の不十分さゆえに,ある程度の幅をもって判断せざるを得ない実情を十分に読み取ることができ,場合によってはP値を0.097以上に設定することもある。このことは,放影研が発表している多くの報告からも理解できる。例えば,トンプソンら報告の表30及び表33では,いずれも「P値が0.1以下の場合に記述した」と記載されている。
なお,放影研では,P値が0.05から0.1までを「かろうじて有意」と表現していること,放影研の業績報告書において,P値を0.1として記述を行うこともあることに留意すべきである。放影研のこの考え方は,「原爆放射線の人体影響1992」をみても十分に推測することができる。「原爆放射線の人体影響1992」では,ABCCや放影研が通常「増加確認群」と「増加示唆群」との分類を行っている旨が記載されている。このように,ABCCや放影研自身が一定幅をもって統計的処理を行っている実態が存在する。
東京高裁平成21年判決も,「藤原論文(藤原佐枝子ら報告を指す。)の解析結果については,P値が0.097という検定結果であったということ,疫学上,通常はP値を0.05としてこれ以下のものを「有意である」としていることを,科学上の厳密な争いが存するがゆえに全て捨象するのではなく,一定水準にある学問成果として肯定されたものについては,あるがままの学的状況を科学(水準)として,原爆症認定における放射線起因性有無の法律判断の前提となり得る資料として採用することは否定されるべきではない。」として,被告の主張を退けている。
(エ) 田中英夫報告との関係について
被告は,田中英夫報告を引用し,田中英夫報告は,C型慢性肝炎を発症するのに必要な被曝線量(しきい線量)を探求したが,しきい線量を設定することはできなかったため,前提に立ち返り,C型慢性肝炎と放射線との関係を検討したが,関連性は認められなかった旨の主張をしている。
しかし,田中英夫報告は単に肝障害発現について線量しきい値の設定が可能であるか否かについて検討した報告にすぎず,C型慢性肝炎成立に放射線が関わっているか否かについて結論を示すものではない。この点は,中島栄二ら報告が,慢性肝疾患1030例の検討から,被爆者慢性肝炎の炎症標準化スコアの亢進がしきい値をもたない線形の線量反応関係を示していることからも裏付けられている。
なお,医療分科会においても,田中英夫報告が不十分な内容であることが指摘されている。さらに,東京高裁平成21年判決も,田中英夫報告について,「オッズ比について何らのコメントがなく,解析結果の意味付けが論文自体から不明である。」「田中論文(田中英夫報告を指す。)中のオッズ比の結果を1審被告ら主張のように読むべきであるとする根拠は証拠上不明といわなければならない。」として,被告側の主張を退けている。
(オ) 藤原佐枝子ら報告は仮説にすぎないという被告の主張に対する反論
被告は,藤原佐枝子ら報告は仮説を立てたにすぎないと主張する。
しかし,藤原佐枝子ら報告が単なる仮説ではないことは今まで述べてきたとおり明らかである。さらに,厚生労働省は,改定後の新審査の方針で肝機能障害の放射線起因性を認め,再改定後の新審査の方針では爆心地から約2kmの地点の被爆の放射線起因性を肯定するに至っている。したがって,藤原佐枝子ら報告,AHS第8報,LSS第11報第3部,LSS第12報第2部等は,上記の基準を裏付ける重要な科学的知見といわざるを得ない。被告がこれらの報告の科学性を否定することは,自らが改定した審査基準の科学的な根拠を自らが堀崩すことになりかねない。
(カ) シャープら第2報告に関する被告の主張とそれに対する反論
a 被告は,LSS第11報第3部及びLSS第12報第2部は,肝硬変の有無について死亡診断書に基づいて決定したので,肝硬変の評価に不正確な点があった,あるいは,AHS第7報の症例の定義は,症状,腹水の触診等に基づいているが,シャープら第2報告は主に剖検からの組織試料に関する3人の病理学者による独立した評価及び同意に基づいたもので,LSS第11報第3部,LSS第12報第2部やAHS第7報に比べ,シャープら第2報告の方が信頼性が高いと主張する。
また,被告は,シャープら第2報告では,様々な交絡因子について考慮すると,むしろオッズ比が1を下回る0.59,すなわち,放射線に被曝した方が肝硬変を発症しにくいという結論になる,したがって,シャープら第2報告は,放射線による肝硬変リスクについて,被爆後の経過時間にかかわらず放射線被曝は肝硬変に関係していないとして,藤原佐枝子ら報告の仮説を明確に否定し,また,AHS第7報やAHS第8報,更にはLSS第11報第3部及びLSS第12報第2部の結論も否定するものであると主張する。
b しかし,被告は,シャープら第2報告についても曲解をし,誤った結論を導き出しているにすぎない。シャープら第2報告はむしろ藤原佐枝子ら報告等の価値を高めるものではあっても,決してその価値を否定するものでない。
まず,LSS第11報第3部及びLSS第12報第2部についていえば,肝硬変での「死亡」を登録する死亡診断書は,生前の臨床症状や検査所見を基本とした診断であり,死後得られた肝臓の病理組織を顕微鏡下で確認して診断されているものではない。したがって,LSS第11報第3部及びLSS第12報第2部は,厳密にいえば,臨床診断における肝硬変死の(放射線の)リスク評価に関わったものであり,遺体剖検後の顕微鏡的,病理学的検索を踏まえた肝硬変組織形成の放射線のリスク評価に関わったものではない。
一方で,慢性肝炎から肝硬変への過程は肝線維化の漸進的な過程であり,慢性肝炎の進展期(F2及びF3)と肝硬変(F4)初期が臨床診断では画然と区別することができないのであるから,LSS第11報第3部及びLSS第12報第2部の対象とされた事例は,少なくとも長い慢性肝炎の臨床経過(長い肝線維化の経過),そして,現実の肝硬変の徴候を踏まえているものであり,厳密にいえば肝硬変(F4)でなかった者が含まれているとしても,肝硬変(F4)あるいはその進行過程にある群と理解することができる。この意味で,厳格な顕微鏡的,病理学的レベルからみればその肝硬変の診断(肝硬変移行の診断)が「不正確」とされたとしても,肝硬変死へ向かう臨床過程に放射線被曝の影響が促進的に関わっているとされた知見は否定されることはない。
また,LSS第11報第3部及びLSS第12報第2部は,生前の臨床症状や検査所見を基本とした診断であるから,肝硬変組織に混在した肝がん組織を臨床的に診断することができない場合もあり得る。その場合も,厳密にいえば,肝硬変組織形成のリスク評価という点では「不正確」をもたらす要因といえる。しかし,肝がん発症も臨床的には肝硬変の進行過程におけるリスクにほかならず,食道静脈瘤などの他の合併症と同様,肝硬変死を規定する重要なリスクである。したがって,肝硬変に罹患している被爆者にとって,LSS第11報第3部及びLSS第12報第2部の意義は消えないのである。
c AHS第7報とAHS第8報においても,臨床的には慢性肝炎進展期(F2及びF3)と肝硬変(F4)の初期を画然と区別することは不可能であるからこそ,両報告は存命被爆者の慢性肝疾患の解析においては圧倒的多数を占める慢性肝炎と少数の肝硬変の両疾病を「慢性肝疾患」(肝線維化過程の疾患)として共通のカテゴリに含めて解析し,その結果,統計学的有意性をもって放射線被曝のリスクを示したのである(AHS第7報については,相対リスクは1.14,P値は0.0065。AHS第8報については,相対リスクは1.15,P値は0.001。)。したがって,AHS第7報とAHS第8報が,数的多数を占める慢性肝炎と放射線との関連が示されたと理解することは誤りではなく,肝硬変の診断が厳密な意味で「不正確」だからといって,その意義が消えるものではない。
d シャープら第2報告の「結論:PLC(肝がん)の有無にかかわらず,肝臓の放射線急性被曝によって肝硬変リスクは増加しない」という結論は,急性照射放射線が独自では肝硬変の組織形成リスクにはなっていないことを指摘したにすぎない。つまり,シャープら第2報告は,線量と相関する被爆者の肝硬変死亡リスクがLSS第11報第3部によって高い疫学的有意性(P値は0.003。線形モデル)をもって示されたこと自体を間違いとして否定しているわけではないことに注意すべきである。
このことは戸田剛太郎報告自体が,LSS第13報の問題点を踏まえながらも,LSS第12報第2部,LSS第13報の両者の報告とも,肝硬変死において正の線量反応があることを支持していると指摘するところからも明らかである。
e 次に,交絡因子を補正した場合,放射線は肝硬変組織形成のリスクを示さず,交絡因子を補正しない場合の生身の被爆者の肝硬変死亡においては高い疫学的有意性をもち(P値は0.003。線形モデル),リスクを示すのかという点については,放射線がそれ独自では肝硬変組織形成のリスクを示し得なかったとしても,放射線は肝硬変死を助長する様々な因子(炎症,感染,血管障害等)に被曝線量に応じた感受性を持ち,そのことによって被爆者において肝硬変死亡のリスクを高めているものということができる。齋藤紀が,「被爆者慢性肝障害は原爆放射線被曝と無縁か―「肝機能障害の放射線起因性に関する研究」について」において,放射線被曝の有意の過剰相対リスクが,肝硬変の組織構築のハザードに対してではなく,LSS第11報第3部及びLSS第12報第2部において,肝硬変死亡へのハザードとして示されたことの臨床的意義は大きく,放射線被曝がトータルな意味で被爆者肝硬変の病態(救命しづらさに)に影響を与えていることを示唆していると指摘するとおりである。
したがって,シャープら第2報告は,それに先行する各報告の知見を誤りとして否定するものではない。
東京高裁平成21年判決も,かかる被告の主張を退けている。
また,放射線と肝硬変組織形成との関係をみたシャープら第2報告の表3について述べると,1シーベルト当たりの放射線の肝硬変組織形成のオッズ比について,交絡となり得る因子(肝がん,B型肝炎ウイルス(HBV),C型肝炎ウイルス(HCV)及び喫煙)を調整しない場合は,1.07倍(P値は0.76),肝がんを調整した場合は0.93倍(P値は0.77),B型肝炎ウイルス(HBV)とC型肝炎ウイルス(HCV)を調整した場合は0.59倍(P値は0.18)まで順次減少する。
しかし,このことは逆にいえば,被爆者における肝硬変組織形成には,ウイルス等の交絡性が強く示唆されることを意味する。被曝によって交絡因子(B型肝炎ウイルス(HBV))を排除することはできず,また,被曝によって交絡因子(ウイルス)の交絡性が助長されていること(シャープら第1報告)などを考えれば,放射線独自の肝硬変組織形成のリスクが交絡因子の疫学的補正によって低下するのは当然である。
したがって,被告が,放射線の肝硬変組織形成リスクのオッズ比が0.59と低下したことをもって,「放射線に被曝した方が肝硬変を発症しにくいという結果になった」との主張は,統計学(目的及び手法)と現実(被爆者)を混同しているものといわざるを得ない。
つまり,オッズ比0.59は放射線の独立したリスクをみた場合のものであり,被曝をすることで示される現実の肝硬変組織形成のリスクは交絡因子の未調整のリスク(1.07)に示されるように,対照に対するリスクは減じないのである。更に臨床経過(肝硬変死)という視点でいえば,LSS第12報第2部の指摘のように,被曝によるリスクは更に高くなるのである(相対リスク1.18)。被告の主張は,放射線の独立した肝硬変組織形成リスクを求めた統計学と,被爆者肝硬変の臨床徴候及び合併症,ひいては肝硬変死を含めた現実のリスクを混同するものである。
リスクの評価という点で被爆者にとって重大なことは,放射線によって(肝硬変の)臨床的徴候が発現するリスクは,肝硬変組織形成のリスクに単純には環元できず,LSS第11報第3部及びLSS第12報第2部が検討した肝硬変死のリスクにこそ総合的に反映されるという点にある。なぜなら,既述のように肝硬変組織形成のリスクがそのまま画一的に臨床症状のリスクを決定するわけではないからである。
シャープら第2報告の表4上段部分には,肝硬変組織型別の対照数(ウイルス陰性)及び対象数(ウイルス陽性)が示されているが,肝硬変を有し死亡した者らの組織型は混合型が最多であり(計138例),肝硬変が最も進行したとみられる大結節型は計25例と,小結節型の計23例とほぼ同数である。つまり,実際の肝硬変死は組織形態上,大結節型に集中しているのではない。この点からみても,肝硬変患者の臨床的リスク(死のリスク)は病理組織から単純に決定されているものでないことが分かるのである。
肝硬変の被爆者が生きていく上での放射線リスクは,LSS第12報第2部が示した死亡リスクの1.18であり,交絡因子補正後の肝硬変組織形成のリスク(0.59)を示されても,現実に高い疫学的有意性を示した1.18倍のリスクが消えるわけではない。実際の被爆者においては所与の交絡因子を調整することができないこと(排除することができないこと)を含め,人体に総合的に関わった放射線のリスクこそが現実のリスクだからである。
肝がんの交絡因子を疫学研究のようには調整することができないまま歩んでいる被爆者において,肝硬変死へのリスクが被曝と正の相関があるとされた知見は,やはり重要な意味を持つものといわざるを得ない。
(キ) シャープら第2報告とC型慢性肝炎について
シャープら第2報告は,C型慢性肝炎については,放射線被曝(急性照射)はそれ独自では肝硬変組織形成のリスクを持たず,また,ウイルスの肝硬変組織形成能は被爆者においてB型肝炎ウイルス(HBV)に高く,C型肝炎ウイルス(HCV)に相対的に低いことを示した。このことは,藤原佐枝子ら報告が,シャープら第2報告について,「C型肝炎ウイルス自体は,肝硬変組織形成能はB型肝炎ウイルスほどではないことを示している。しかし被爆者のC型慢性肝炎においては,肝硬変合併前の肝がん高率発生が被爆と相互作用(supermultiplicativeinteraction effect)で認められるので,放射線が肝炎の活動性に影響を与えていることを否定することはできない」と述べているとおりである。
シャープら第2報告の意義は以上で述べてきたとおりであり,シャープら第2報告の結論をもって,藤原佐枝子ら報告やLSS第11報第3部及びLSS第12報第2部の結論が否定されたことには全くならない。
(ク) シャープら第2報告が慢性被曝に関して重要な事実を指摘していること
これまで原爆被爆者における慢性被曝は,ほとんど研究されてこなかった。その理由は,被告が残留放射線被曝の危険性をほとんど否定,軽視してきた問題があったからである。具体的には,残留放射線による内部被曝(吸入及び飲食を通じた残留放射性物質への曝露)が慢性被曝の態様であることから,残留放射線被曝の否定と軽視はそのまま慢性被曝の軽視につながっていた。
その意味で,シャープら第2報告が,肝臓に対する急性放射線照射について検討し,随所で慢性被曝の危険性を指摘していることは注目に値し,かつ,重要である。
エ 脂肪肝の有意な線量反応関係について
被告は,AHS第8報について,① 昭和61年以降の「慢性肝疾患」の69%が非アルコール性脂肪肝であることが判明しており,「脂肪肝」単独と「他の全ての慢性肝疾患」(C型慢性肝炎はこの中に含まれる)とに疾病分類を細分化した上,それぞれに放射線影響を調査し直したところ,包括的な疾病分類では有意だったが,他の慢性肝疾患の199例では,放射線の影響は有意ではなかったとしている。また,被告は,② 69%が非アルコール性脂肪肝であることは,我が国の慢性肝疾患の圧倒的多数がC型慢性肝炎であるという指摘が誤りであることを意味するとも主張する。
しかし,①についていえば,AHS第8報の199例で線量反応関係が明確に表れなかった理由は,199と症例数が少ないことと,さらに,藤原佐枝子ら報告でも指摘されているように,高線量被曝で肝機能障害に罹患した被爆者が死亡したため,低線量から高線量にかけての線量反応を求める場合,疫学的な有意性を検出することができないことにあると考えられる。むしろ,AHS第8報は,純粋な脂肪肝(非がん疾患)にも放射線の影響(多様な影響)が明らかになったことに意味があるといえる。
また,②についていえば,確かに,AHS第8報の10年間延長の調査期間(昭和61年から平成10年まで)においては,それまでのAHS第7報の期間に比べてウイルス性肝炎の少ないことが強調されている。しかし,AHS第8報の上記指摘は,AHS第7報の対象期間(昭和33年から昭和61年まで)後である昭和61年以降の調査結果の分析であるにすぎないことを忘れてはならない。AHS第7報の調査期間は,戦後の日本の覚せい剤乱用の時期及び売血制度の時期,外科手術の進歩と興隆,輸血繁用の時期,注射針再使用の時期並びに汚染血液製剤の輸入の時期と重なり,肝炎ウイルスの大蔓延の期間であった。したがって,その後,血液製剤のウイルス・スクリーニングが徹底されるようになり,AHS第8報で調査が行われた10年間においては,高齢被爆者(成人健康調査(AHS)固定集団)において,新規のウイルス性肝炎の発症が激減したことを反映しているにすぎない。つまり,被爆者の総体では,現時点でもなお「慢性肝疾患の7割以上がC型慢性肝炎である」ことは誤りではなく,十分理由のあることである。東京高裁平成21年判決も同様の理由により被告の主張を排斥している。なお,AHS第8報が上記の限定された期間の限定された数の分析であることからしても,昭和33年から昭和61年までという長期間に集積されたデータの分析及び調査を行ったAHS第7報の価値が否定されることはない。
オ 科学的知見の到達点
以上のとおり,C型慢性肝炎から肝がんに至る医学的な分野におけるこれまでの全ての研究は,一連の関係を被曝因子とC型肝炎ウイルス(HCV)因子の共同成因の過程として捉えており,その方向で研究が積み重ねられているというのが実態である。
その意味で,肝がんの放射線起因性に関する,トンプソンら報告,LSS第13報,あるいは,肝硬変の死亡例を調査したLSS第11報第3部及びLSS第12報第2部は,肝機能障害(慢性肝障害及び肝硬変)の放射線起因性を理解する上で極めて有用かつ重要な研究成果である。
また,成人健康調査(AHS)に基礎を置きつつ,肝機能障害(ウイルス性肝炎も含む。)の放射線起因性について研究したAHS第7報,AHS第8報及び藤原佐枝子ら報告について,これらの報告の持つ科学性や有用性は,これまで詳細に述べてきたとおり失われていない。
そして,被告が上記各報告の価値を否定するために引用する岩本ら報告,シャープら第1報告及びシャープら第2報告についても,むしろ藤原佐枝子ら報告等の価値を高めており,決してその価値を否定するものでないことも詳述したとおりである。
(2) 肝機能障害の放射線起因性を認めた裁判例
以上述べた放射線起因性と肝機能障害に関する現代医学や,科学の到達点は着実にこれまでの同種訴訟の判決に取り入れられ,その内容に反映されている。これまで40件(理由中の判断も含む)もの認容判決があり,肝機能障害の放射線起因性を否定した判決は一例も存しない。
また,各判決の特徴は,上記の個々の報告や研究成果を分断して個別に判断するのではなく,一連の研究成果をトータルに把握し,総合的な判断を行う必要性を述べた上で,「少なくともHCVを成因とする慢性肝炎ないし肝硬変についてその発症と原爆放射線被曝との関の有意な関係の存在を示す疫学的知見が集積しつつあることに加えて,疫学的知見の集積状況に照らして肝硬変の発症と原爆放射線被曝との間に有意な関係の存在を認めることができ,肝硬変の成因に占めるHCV感染の割合の大きさからみると,HCV感染を成因とするいわゆるC型肝硬変についても,その発症と放射線被曝との間に有意な関係があることを推認することが合理的かつ自然というべきである」「本件において,C型慢性肝疾患について放射線起因性が一般的に認められないとする1審被告らの主張は採用しがたく,C型慢性肝疾患については,放射線起因性があり得るものとして,原爆症認定においては審査に当たるのが相当である」などと結論付けている点である。
つまり,被告の主張は,既に決着済みの論点の蒸し返しにすぎないのである。
(3) 再改定後の新審査の方針と被告の主張の矛盾
被告は,再改定後の新審査の方針は,C型慢性肝炎の放射線起因性を認める根拠にならないと主張するが,被告の主張はいずれも矛盾に満ちたものばかりである。
ア 被告は,放射線起因性が認められるとは,放射線量にかかわらず,慢性肝炎及び肝硬変全てに放射線起因性を認める趣旨ではないと主張する。しかし,被告はどのような放射線量で,慢性肝炎及び肝硬変の放射線起因性を認めるのか,その基準や根拠を全く示していない。
仮に被告が主張する,一般に肝臓は中等度の放射線感受性を有する臓器であるとされており,全肝に2週間ないし3週間にわたり持続的に25グレイを照射すると肝実質障害は発生しないが,3週間にわたり持続的に30グレイ超を照射すると肝実質障害が発生するとされているという主張をいまだに維持しているとすれば,それは自らが新設した再改定後の新審査の方針を全面否定することになる。
原爆放射線は全身被曝だから,肝臓が25グレイ被曝するということは25グレイの全身照射を受けたことを意味する。しかし,10グレイの全身照射を受けた場合,被曝した者の100%が急性死亡するといわれており,仮に広島や長崎で被告が主張するような高線量被曝をしたとすれば,当該原爆被爆者が現在まで生存している可能性はない。ところが,再改定後の新審査の方針では,到底これに及ばない線量である2kmの地点まで積極的に認定すると定めているのであり,全く説明がつかない。
イ また,被告は,再改定後の新審査の方針の積極認定対象疾病に慢性肝炎及び肝硬変が盛り込まれていることをもって,慢性肝炎及び肝硬変の放射線起因性が,現在の科学的知見の到達点として認められることにはならないと主張する。一方で,被告は,再改定後の新審査の方針が前提とする「科学的知見」は,国際的なコンセンサスが得られたものとして多数の科学者が承認することのできるような内容の知見であるとも主張している。
さらに,被告は,本件訴訟においても,① 既存の研究において,そもそもC型慢性肝炎の放射線起因性を肯定する科学的な知見はない,② シャープら第2報告を適切に評価すれば,C型慢性肝炎と放射線との関連性は否定されることになると述べるなど,各所で肝炎の放射線起因性を全面的に否定するがごとき主張を繰り返している。しかし,それでは再改定後の新審査の方針が前提とする「科学的知見」,つまり,国際的なコンセンサスが得られたものとして多数の科学者が承認することのできるような内容の知見とはどのような報告を指すのであろうか。被告からはその根拠が全く提示されていないが,再改定後の新審査の方針が科学的に裏付けられるのであれば,それは藤原佐枝子ら報告,AHS第7報等に求めざるを得ないことは明らかである。
したがって,被告が藤原佐枝子ら報告,AHS第7報等の科学性を否定するのであれば,それは自己矛盾の主張といわざるを得ない。
第2章 本件申請者らの原爆症認定の要件該当性
第1 原告X1について
原告X1の申請疾病は下咽頭がんであり,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であるが,原告X1の被爆態様が積極認定対象被爆に当たらないため,総合認定の対象となるところ,原告X1の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
1 被爆状況及びその後の健康状態
(1) 昭和20年8月11日入市時の行動
原告X1(当時11歳)は,昭和20年8月6日は広島市内の自宅を離れ,学童疎開により神杉村で集団生活をしていたため,直爆は免れた。
原告X1は,同月11日朝,岡山県から迎えに来た伯父と共に,自宅で暮らしていた母,弟及び祖父母の安否を確認するために,広島市内に向かうことになった。神杉村から汽車で矢賀駅まで行き,そこから線路沿いに広島駅まで歩き,昼過ぎに到着した。広島駅からも線路に沿って,荒神橋と稲荷橋を渡り,福屋百貨店まで歩いた。そして,福屋百貨店の所で南方向に曲がり,本通りと思われる道を通った。所々鉄筋の建物が残っていたが,様々な人がぼろぼろになって歩いており,異臭が漂っていた。真夏日だったので,原告X1は,歩く途中,所々で壊れた水道管から出ている水を持参した水筒に入れ,水分を補給するということを繰り返した。
広島市中町〈以下省略〉の自宅(爆心地から約500m)と思われる場所は一面焼け野原となっており,建物がどこにあったのかも分からないような状況であった。そのため,原告X1は,伯父と共に,自宅があったと思われる場所を探し回ったり,スコップで地面を掘り返したりして,土や埃の舞う中,家族の手掛かりを探し続けた。しかし,ごみのような焼けかす以外は何も出てこなかった。なお,この際にも,原告X1は水道管から水を汲んで飲んだ。この場所には,2時間余り滞在した。
また,袋町小学校などにも行き,重傷を負った被爆者の中に家族がいないかを探した。さらに,大勢の人が広島市段原町方面へと避難していったという話を聞いたので,広島市中町から広島市段原町方面へ歩きながら,各所の救護所を回って,瀕死の重傷を負った被爆者の中に家族がいないかを探し続けた。
しかし,家族は見つからず,段原の救護所で支給されたサツマイモと麦飯を食べ,一晩を過ごした。収容されていた人々は,皆やけどで瀕死の重体であった。夜中に水を飲みたいとか,水をくれといううめき声が聞こえていた。
(2) 昭和20年8月12日以降の入市時の行動
原告X1は,昭和20年8月12日朝,再び自宅と思われる場所に戻り,前日と同様に付近を歩き回ったり,スコップで地面を掘り返したりしたが,結局誰一人見つからず,昼に一旦捜索を打ち切り,行きと同様の道順で神杉村に帰った。
また,原告X1は,終戦後の同月16日から数日間,再び神杉村から広島市中町まで行き,一人で家族を探し回ったが,見つからなかった。その間,原告X1は,夜は広島市袋町辺りの救護所に滞在した。
(3) 被爆後の健康状態
原告X1は,被爆前は健康であったが,被爆後は胃腸が弱くなり,下痢が多くなるようになった。原告X1は,伯父の家に引き取られ,その後,石川県の父の実家に引き取られたが,父の戦死の知らせが届き絶望した。広島市に戻り,祖父の弟が営む履物屋に住み込みで働いたが疎外感を受け,その後は広島市や呉市などで住み込みの仕事をしながら,20歳の時に東京に来るなど,生活は常に苦しかった。
原告X1は,平成13年に食道がんと診断され,入院し,化学療法と放射線治療を受けた。原告X1は,平成16年には早期胃がんと診断され,胃粘膜切除手術を受けた。原告X1は,平成20年,声帯腫瘍の切除手術を受けた。そして,原告X1は,同年9月,申請疾病である下咽頭がんと診断され,切除手術を受けた。
なお,原告X1と共に広島に入市した伯父は,平成2年に肝がんで死亡した。
2 申請疾病(下咽頭がん)の放射線起因性
(1) 原告X1の相当量の被曝
下咽頭がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
原告X1は,広島原爆投下から5日後,放射性降下物や誘導放射化された物質により高度に汚染されていたと考えられる広島の爆心地から約500mの地点近辺において,家族の捜索のため数時間滞在し,スコップで地面を掘ったり,水を飲んだりしており,外部被曝だけでなく,放射能に汚染された塵埃や水を体内に取り込んで内部被曝をした可能性が高い。しかも,原告X1は,その後も繰り返し爆心地付近で家族の捜索を行っている。また,原告X1が広島市内で接した多数の被爆者は,自らの体液や骨が誘導放射化された者や放射性降下物で高度に汚染されていた者であると考えられる。さらに,原告X1には,被爆後,胃腸が弱くなり下痢が多くなるという体調不良が生じている。
加えて,原告X1は11歳という若年時に被爆しており,被爆者調査(LSS第14報)で報告されている発がんリスクが高い群に極めて近い。また,申請疾病である下咽頭がんだけではなく,食道がんと胃がんにも罹患しているところ,こうした多重がんと放射線被曝との間には相関関係が認められている。
よって,これらの事情からすれば,原告X1は,相当量の残留放射線に被曝したということができる。
(2) 改定後の新審査の方針との関係
改定後の新審査の方針においては,「原爆投下から約100時間以内に爆心地から約2km以内に入市した者」を積極認定対象被爆とするが,「約100時間以内に約2km」という数字の算出根拠(科学的根拠)は不明であり,これを超える時期の放射線の影響については何ら説明をしていない。むしろ「約」という表現自体が幅のある表現であり,100時間を超えれば途端に放射線影響が0になるわけではないことを表している。
そして,原告X1が「約100時間後」から僅か1日後ないし1日半後に入市し,その後,「約2km」よりもはるかに近距離(約500m以内)にまで到達したことからすれば,改定後の新審査の方針の積極認定対象被爆に匹敵する入市者であるといえる。各種判決でも,このような場合に放射線起因性を認めたものがある。
したがって,原告X1に発症した下咽頭がんには放射線起因性が認められる。
(3) 他原因論に対する反論
被告は,原告X1の喫煙や飲酒などを他原因として主張するようであるが,これらの生活歴が原告X1の下咽頭がんの放射線起因性を否定するものではない。
すなわち,喫煙や飲酒などの危険因子は,原爆放射線という危険因子と重なって存在するだけであり,喫煙や飲酒などの危険因子があることで,原爆放射線という危険因子が消滅するものではない。原爆放射線が他要因と共に発症を促進させていると考えるべき現実的な可能性があり,他要因の存在を列挙することによって放射線起因性が否定されるとする被告の主張は根本的に誤っている。LSS第14報においても,「放射線と喫煙の強い相互作用が肺がんリスクに認められたので,喫煙に関連したがんの高いERRは,一部このような相互作用に起因しているかもしれない」と指摘されている。
なお,被告は,診療録に基づき,原告X1は平成13年12月時点で1日30本の喫煙を40年間続けており,ブランデー(ダブル約60ml)をほぼ毎日2杯ないし3杯摂取していたと述べる。
しかし,実際の喫煙量は,当初は1日一,二本であり,1日30本程度の喫煙をしたのは一時期のみである。よって,上記診療録の記載を,1日30本の喫煙を40年間続けていたと読むのは誤りである。また,元々アルコールに弱い体質で,酒は付き合いのあるときに口にする程度であり,晩酌の習慣もない。上記診療録の記載は,最も多く飲酒した場合の量と頻度であり,長期間にわたって継続したわけではない。
さらに,日本禁煙学会が編集した「禁煙学」テキストによると,禁煙効果,すなわち,禁煙による強力な疾患予防及び生命予後改善効果は明らかであり,しかも,発症や死亡のリスクの低下が禁煙後比較的早期に現れるとされている。そして,禁煙すればその有害な影響は時間とともに逓減していくことが様々な調査結果で裏付けられていると指摘されているところ,原告X1は,食道がんに罹患した平成13年12月以降は禁煙し,申請疾病である下咽頭がんを発症したのはその約7年後のことであり,リスクは大きく低下していたものである。
飲酒についても,食道がんに罹患した同月以降は付き合い程度で少量の飲酒をするぐらいである。被告は,原告X1の主治医の意見書に「わざわざアルコール飲酒が原因である可能性が特記されている」などと主張しているが,同意見書は「判定は不明である」として,放射線後障害の非特異性に言及しているにすぎず,被告の上記主張は牽強付会な解釈といわざるを得ない。
(4) 若年被爆は放射線起因性を認める根拠とはならないとの被告の主張に対する反論
被告は,若年被爆のリスクについて,被爆時年齢が下がるほどリスクが増加するか否かはがん部位によって明らかではないというのが現在の統計学的な知見における到達点であるなどと主張する。
しかし,被告の上記主張は,LSS第14報の意義を歪曲し,若年被爆のリスクを矮小化しようとするものである。LSS第14報は,若年被爆によるがんリスクの増加は「重要な調査結果」と評価している。
しかも,そのリスクは被爆時年齢が10歳減少するごとに1.408倍増加する,すなわち,被爆当時30歳の者と比較して,同様の被曝であっても20歳の者は1.408倍,10歳の者は1.982倍(1.408×2)のリスクを負うということであり,この影響は到底看過し得ない。被爆時11歳であった原告X1は,被爆時30歳の者が同一の被爆をした場合と比較して2倍近いリスクを負うのであり,原告X1の放射線影響を考えるに当たり,この点を全く考慮しない被告の主張は非科学的というほかない。
(5) 現在の科学的知見の到達点としてがんと放射線被曝との相関関係が認められるのは,0.1グレイないし0.2グレイ以上の場合であるとの被告の主張に対する反論
被告は,① 放射線による健康影響があると科学的な事実として認められているのは0.1グレイないし0.2グレイ以上であり,② 0.1グレイを下回る放射線での健康影響は確認することができないというのが現在の科学的知見の到達点であるなどと主張する。
しかし,がんにはしきい値がないということが一層強化されているのが現在の科学的知見の到達点である。また,LNT仮説には科学的に強い根拠が得られ,国際的にも広く受け入れられている。一方では「国際的な専門家の合意」なるものを強調しつつ,他方では,LNT仮説に対する国際的な理解すら無視して放射線影響を否定する被告の主張は失当といわなければならない。
そもそも,原告X1の推定被曝線量は,全体としても0.003グレイを下回る程度であるなどという主張自体が大きな誤りなのであり,二重に失当である。
(6) 多重がんであることは,原告X1の申請疾病につき放射線起因性を認める根拠とはならないとの主張に対する反論
被告は,一生に二度,三度とがんに罹患するということも,さして珍しいことではなく,多重がんであるからといって,それが原爆放射線に起因するものであるなどと推論することはできないなどと述べ,原告らの指摘する文献について,これらは,いずれも非被爆者対照群との比較を示すものではなく,長崎原爆被爆者における重複がん発症者の一般的傾向を指摘するものであり,かかる傾向は,単発のがん発症者にもみられるものであるから,多重がんを発症したこと自体が放射線被曝によるものとする根拠となるものではないと主張する。
しかし,これまでも,被爆者には多重がんが多い傾向があるといういくつもの報告が広島や長崎の病理研究者から報告されてきた。そして,そのことは中島正洋ら報告によって疫学的にも立証されている。多重がんについては,被爆者に多くみられるのみならず,放射線被曝との線量反応関係もみられることから,放射線被曝によるものと考えることは合理的である。上述した研究結果の意義を踏まえず,「一般的傾向」などと矮小化する被告の主張は失当といわざるを得ない。
3 申請疾病の要医療性
原告X1は,現在でも,下咽頭がんの治療のために通院治療中であり,定期的な頚部超音波検査及び内視鏡検査を受けており,申請疾病には要医療性が認められる。
第2 原告X2について
原告X2の申請疾病の腎細胞がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,かつ,長崎原爆の投下翌日に,爆心地から600mないし800mの地点まで入市したものであるから,積極認定対象被爆に該当し,放射線起因性が認められるはずである。しかし,被告は上記入市の事実を争っている。
1 被爆状況及びその後の健康状態
(1) 昭和20年8月9日被爆時及び同月10日入市時の行動
原告X2(当時12歳)は,昭和20年8月9日,長崎市東小島町の自宅(爆心地から約4km)で直爆を受けた。自宅1階のベランダの横の部屋にいたところ,空襲警報が解除されても爆音が聞こえてきたので,その部屋から自宅1階の東側に向いたベランダに出た。爆心地の方角である北側を見ると,爆音がするところで白いものが見えたので,何かなと思って一生懸命見ていると,それがぴかっと光って,目の前が一瞬真っ白になった。原告X2は,驚いて部屋に入り,走って部屋を駆け抜け,庭にある防空壕に行った。入る直前に大きな音がし,背中に爆風が感じられたが,防空壕に入ることができた。その直前に自宅のガラスが散り散りに砕け散って,それが手(腕の付け根から手首の辺り)と,半ズボンでむき出しになった足(すねの横側)に刺さっていた。左側にもガラスの破片が刺さったが,右側の方が特にひどかった。
防空壕に入ってしばらくすると,辺りが落ち着いた静かな様子になったので,外に出てみると,自宅の廊下のガラス戸や障子が吹き飛ばされ,自宅にあった家具類も庭や縁側に吹き飛ばされていた。部屋の天井も,50cmほど全体に吹き上がっていた。その後,原告X2は,屋外で自宅の周りの様子を見たり,片付けをしたりしている時に,暗くなって雨が降ってきたため,その雨に体を打たれた。原告X2は,その雨が多少黒かったと記憶している。
当時自宅の2階には,長崎市立商業中学校で教員をしていた教員の夫及びその妻である教員の妻が間借りをしていた。原告X2は,養子になっていたところ,教員の夫及び教員の妻は,その養親と関係のある者のようであった。午後になって,教員の夫が,両手や肩辺りにひどいやけどを負って,シャツもちぎれたような姿で帰宅したが,長崎医科大学附属病院に行ったまま帰らぬ教員の妻の安否を案じて,爆心地から600mないし800mの地点にある同病院へ向かった。教員の夫はやけどをしていたので,原告X2は,手助けになればと思って一緒に付いて行くことにした。原告X2と教員の夫は,長崎駅辺りまではたどり着くことができたが,それから先は火の手が強くそれ以上進むことができなかったので,やむなく二人で自宅に戻った。
当日の夜も教員の妻が自宅に帰って来なかったことから,翌日も,教員の夫は,再度,教員の妻を探しに長崎医科大学附属病院へ向かった。この日も,原告X2は,やけどをしていた教員の夫の手助けになればと思い,教員の夫に同行した。この日は火の手も収まっており,前日より前に進むことができたが,長崎医科大学附属病院までの道では,全てが破壊され,焼かれ,あちらこちらに死体が転がっているなど凄惨を極めていた。
原告X2と教員の夫は,長崎医科大学附属病院までたどり着くことができたが,同病院は,コンクリートの壁は崩れて残ってはいるものの,中は燃え尽きており,廃墟となっていた。同病院の中には死体がたくさんあったが,死体の相当数はがれきの下敷きになっており,大分時間を掛けて念入りに探したが,教員の妻を見つけることはできなかった。原告X2と教員の夫は,自宅への道すがら,教員の妻を探しながら帰ったが,結局,見つけることはできずに自宅に帰った。
その後,教員の夫は,高熱を発し,寝たきりとなった。やけどの傷が腐ってウジが湧いてしまい,原告X2の母がウジを取り,消毒するなど看病をしたが,数日後に死亡した。原告X2は,教員の夫の遺体を市の中心部の焼け跡まで運び,材木を積んで火葬した。
(2) 被爆後の健康状態
原告X2は,被爆前は健康に問題はなかったが,被爆して1週間ないし10日後から,吐き気,下痢及び発熱が続き,前頭部分の頭髪が抜けるなどの症状を生じた。その後,口内炎になり,喉の具合も悪くなった。また,体のあちらこちらに紫斑が出現した。原告X2は,翌年(中学校の3学期),肺門リンパ腺炎との診断を受け,休学した。原告X2は,この頃から,医師から貧血状態であるとの指摘を受けるようになり,腰などが痛むようになった。
その後,成人した後も,慢性的に貧血状態にあり,腰や膝の痛みも続いていた。また,喉の調子は悪くせきが出て,いつもたんが出るようになり,せき払いが習慣になった。
そして,平成16年11月に,尿潜血反応が指摘され,精密検査の結果,腎臓に腫瘍があることが分かった。翌年1月に右腎臓摘出手術を受け,がんであることが確認された。そこで,原告X2は,長崎から東京に転居し,再発予防の治療を受けていた。しかし,平成21年10月にはがんが肝臓に転移した疑いが持たれ,原告X2は,同年11月に入院して抗がん剤治療を受けた。平成22年3月23日,肝部分切除手術を受け,肝臓にがんが転移していることが確認された。原告X2は,同年6月,同年7月及び同年9月,抗がん剤治療を受け,更に同年11月には再度,肝部分切除手術を受けた。原告X2は,平成23年11月8日から同月29日まで,急性虫垂炎及び腹膜炎で手術を受けた。さらに,原告X2は,同年12月7日から同月22日までの間,肝がんの治療のため,肝臓に経皮的エタノール注入手術を4回受けた。その後も経過観察をしていたが,平成24年4月末に,肝臓にがん転移が確認された。
2 入市の事実に関する補足
(1) 長崎原爆の投下翌日に長崎医科大学附属病院に行く十分な理由があったこと
教員の夫及び教員の妻は,建物疎開で長崎駅前にあった自宅を取り壊され,原告X2の自宅の2階に間借りしていたものであるが,教員の夫及び教員の妻は,原告X2の養親と関係のある人のようであり,原告X2は,教員の夫及び教員の妻が原告X2の自宅の2階に間借りする前から,教員の夫及び教員の妻の長崎駅前の自宅に遊びに行っており,教員の夫及び教員の妻が原告X2の自宅の2階に間借りしてきてからも,長崎市立商業中学校の英語の教師であった教員の夫からは,勉強を教えてもらい,教員の妻からは,菓子や食べ物をもらったり,かわいがってもらったりする濃密な関係であった。
このような原告X2と教員の夫及び教員の妻との関係を前提にすると,被爆当日,上半身に大やけどを負って帰宅した教員の夫が,帰らぬ教員の妻を心配して探しに行くのに,原告X2が同行することには十分な理由があるといえ,極めて自然な経過ということができる。
(2) 原告X2の供述は,具体的かつ精緻であること
原告X2は,教員の妻を探しに長崎医科大学附属病院を目指した際の様子について,長崎原爆の投下当日の入市状況,翌日の入市状況ともに,状況を具体的かつ精緻に述べている。このような供述は通常,自身が体験していないとすることができないものである。
(3) 原告X2は,平成17年時点において入市の事実を外部に表明していたこと
原告X2は,平成17年5月26日にも,原爆症認定申請をしており,その際,同日付け認定申請書添付の「被爆直後の行動(3週間の行動)」において,教員の夫が「当日と翌日に大学病院迄奥さんを探しに行かれ私も同道した」と記載していた。新審査の方針は,平成20年3月17日に策定されたものであり,原告X2の入市の主張は,これよりも2年10箇月程度前から,明確にされていた。
(4) 被告主張の諸点は原告X2の供述の信用性を減殺するものではないこと
被告は,長崎原爆の投下翌日に長崎医科大学附属病院まで行ったとの原告X2の供述は到底信用することができず,原告X2が入市したとの事実を認めることはできない旨主張するが,その理由として,① 昭和32年6月6日付け被爆者健康手帳交付申請書に入市したとの記載がないこと,② 記載しなかったことについての原告X2の説明が合理的ではないこと,③ 平成17年5月26日付け認定申請書添付の「被爆直後の行動(3週間の行動)」の記載と,平成20年5月15日に発行された機関誌「大友」における原告X2の手記の入市の記載が変遷していること,④ 機関誌「大友」に長崎原爆の投下翌日の入市の事実だけを記載した理由を,二日にもわたって入市したと記載すると,物見遊山で出掛けたと思われかねず,記載がはばかられた旨述べるが,それは極めて不自然であることを挙げている。
しかしながら,被告主張の各点は,以下のとおり,原告X2の供述の信用性を減殺するものではない。
ア ①及び②の主張に対して
原告X2が,昭和32年6月6日に被爆者健康手帳交付申請をした際,提出した「居所証明書」の「中心地から二キロ以内の地域に,投下後二週間以内にはいりこんだ時と場所とその理由」の欄に記入をしなかったのは,以下の事情によるものであった。
(ア) 被爆者健康手帳交付申請は,証明人であり,原告X2の勤務先銀行の寮の管理人であるB16夫妻の強い勧めで行ったものであった。
(イ) B16夫妻は,役所で原告X2が被爆当時長崎市東小島町に居住していたことを確認し,証明人となってくれた。
(ウ) 原告X2は,B16夫妻から「申請書に本籍,住所,氏名及び被爆地を書いてとにかく早く出せ」と言われていた。被爆者健康手帳を取得するには長崎市東小島町で被爆したことをもって十分であり,入市の事実まで書く必要はなかった(実際,入市の記載がなくても原告X2は被爆者健康手帳の交付を受けている。)。当時はB16夫妻も原告X2も忙しかったので,原告X2は直爆の事実だけを書いてB16夫妻に同書類を渡した。
(エ) 寮(二,三人の相部屋)には長崎以外から来た者が多く(地元長崎の者は入寮しないため),原告X2としては被爆したことは知られたくないという気持ちも強かったし,長崎原爆の投下翌日,長崎医科大学附属病院まで行ったことについて,興味本位で爆心地に行ったと思われたくなかったという気持ちがあった。
(オ) そこで,原告X2は,「投下された当時の住所」の欄に「長崎市東小島町〈以下省略〉」,「投下された時居た場所」の欄に「同屋内ベランダ」と記入し,その他の欄は特に記入しなかった。
このような経緯から昭和32年6月6日付け被爆者健康手帳交付申請書に入市の事実が記載されていないのであるから,同申請書に入市の事実が記載されていないことをもって,原告X2の供述の信用性を減殺することにはならない。
また,被告は,〈ア〉 入市状況を記載することはそれほど手間が掛かるとは到底考えられない,〈イ〉 相部屋の同僚に被爆の事実を知られたくなかったのであれば,被爆者健康手帳交付申請書を同僚に見せなければ足りるとも主張するが,これらは,原告X2が,被爆者健康手帳の交付のために不必要な記載をしなければならない理由にはおよそなり得ず失当である。
被告は,興味本位で爆心地に行ったと思われたくなかったという点についても,入市した理由が行方不明者の捜索であると記載すれば足りるとも主張する。
しかしながら,この点について,原告X2は,証拠保全においても,〈ア〉 爆心地の方に行ってみたいという気持ちも多少あった,〈イ〉 最初に負傷者の列を見た時に驚きと同時に現場を確かめたいという気持ちが多少あったと,教員の妻が心配で捜索に同行したという理由に加えて,興味から爆心地方向に向かったという側面もあったことを正直に吐露していた。原告X2は,実際にこのような心情も有していたことから,入市の事実を表明することに抵抗があった。よって,この点についての原告X2の説明が合理的でないとはおよそいうことができない。
イ ③及び④の主張に対して
被告は,平成17年5月26日付け認定申請書添付の「被爆直後の行動(3週間の行動)」では,長崎原爆の投下当日及び翌日に長崎医科大学附属病院に行ったと記載されているが,長崎原爆の投下当日に長崎駅辺りで引き返したことについては記載されておらず,機関誌「大友」では長崎原爆の投下翌日だけ長崎医科大学附属病院に行ったと記載されているとして,内容が変遷し,その変遷している理由が合理的に説明されていないと主張する。
しかしながら,原告X2による両記載ともに,長崎原爆の投下翌日に長崎医科大学附属病院まで行ったという一番重要な点において一貫しており,変遷は全くない。「被爆直後の行動(3週間の行動)」の記載において,原告X2が,長崎原爆の投下当日も長崎医科大学附属病院を目指したが「長崎駅辺りで引き返したこと」,機関誌「大友」の手記においては,当日に「家の二階に間借りされていたご夫妻」の「ご主人」に同行したことが,それぞれ省略して記載されているだけであって,両記述が矛盾,変遷しているものではない。
そして,上記アでも述べたとおり,原告X2が,教員の夫と共に,爆心地方向の長崎医科大学附属病院に向かったのは,教員の妻が心配であるという理由のほか,爆心地方向の様子に興味があったという側面もあったのであった。実際このような心情があったことから,物見遊山で行ったかのように思われ,記載するのがはばかられたという原告X2の供述が極めて不自然ということはできない。
3 申請疾病(腎細胞がん)の放射線起因性
腎細胞がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。そして,原告X2の被爆態様は,積極認定対象被爆に当たることから,原告X2の発症した腎細胞がんに放射線起因性が認められることも明らかである。
4 申請疾病の要医療性
原告X2の腎細胞がんは,肝臓に転移し,肝部分切除手術(平成22年11月16日)及び経皮的エタノール注入手術(平成23年12月から平成24年1月まで)を受け,外来で経過観察中であり,申請疾病には要医療性が認められる。
第3 原告X3について
原告X3の申請疾病の腎細胞がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,かつ,原爆投下から2週間以内の期間に,爆心地から2km以内の地点に1週間以上滞在したものであるから積極認定対象被爆に該当し,放射線起因性が認められるはずである。しかし,被告は上記滞在の事実を争っている。
1 被爆状況及びその後の健康状態
(1) 昭和20年8月11日入市時の行動
原告X3(当時17歳)の自宅は広島市西天満町〈以下省略〉にあったが,原告X3は,東京の阿佐ヶ谷付近の陸軍情報部で通信解読の仕事に従事していた。原告X3は,軍から広島に大きな爆弾が落とされたことを聞かされ,家族の安否確認のために帰省するよう指示を受けた。そこで,昭和20年8月7日又は同月8日に東京を出発し,同月11日早朝に広島駅に到着した。原告X3は,そこから市電の線路上を歩いて,八丁堀を通過し,原爆ドームの脇(爆心地付近)を通り,相生橋を渡り,広島市十日市町,土橋を通過し,天満橋を渡り,自宅のある広島市西天満町(爆心地から約1.5km)に到着した。
付近は焼け野原となっていたが,原告X3は,自宅付近にあったはずの建物(東洋工業という個人経営の会社の従業員寮)を目印に探し,建物が焼失している自宅跡地にたどり着くことができた。そこで,原告X3は,隣家の者から,原告X3の家族が遠縁のB12の自宅に身を寄せていることを聞き,小河内橋(爆心地から約1.5km)の近くにあるB12の自宅に向かった。
B12は当時の衆議院議員であり,B12の自宅は,小河内橋の西側すぐの広島市南三篠町〈以下省略〉にあった。
原告X3は,B12の自宅において両親と姉に再会することができた。母は自宅で被爆し,家屋の下敷きになったところを救助されたとのことで,全身傷だらけだった。父は,中国電力の大洲営業所敷地の屋外で被爆した際,強い爆風により体が飛ばされたとのことだったが,目立った怪我はなかった。姉は,広島日赤病院の待合室のドアの横に立っていた時に被爆したとのことだったが,やけどはなかった。ただし,原告X3の一つ年下の弟は,広島市十日市町付近で建物疎開作業をしている時に被爆し,翌日死亡したと聞いた。原告X3は,再開した家族と共に,B12の自宅で世話になることになった。
(2) 昭和20年8月12日以降の入市時の行動
原告X3は,B12の自宅に滞在したまま,従兄弟のB18と一緒に,親族の安否確認のため,負傷者や遺体の収容所として使用されていた病院や学校などを訪ね歩き,負傷者や遺体の顔を確認しながら2週間にわたり親族を探し回った。また,原告X3は,福島川の川原において,親戚の遺体を焼くのを手伝った。その際,原告X3は,遺体を手に持って運び,焼け残った木片などの上に遺体を重ねる作業を行った。
その後,原告X3は,B12の自宅を出て,小河内橋の広島市中広町側(小河内橋の東側)で,小河内橋から約100mの場所にあった祖父の住む借家に移った。
(3) 入市滞在期間について
昭和20年10月7日頃,進駐軍が広島県呉市に上陸した。同じ頃,原告X3は,広島市役所の指示により,広島駅前において,来日した外国人の通訳及び案内をするようになった。結局,原告X3は,同月頃まで,祖父の住む借家に滞在したことになる。
なお,入市滞在期間に関し,被告は,まず,原告X3が滞在したとするB12の自宅及び祖父の住む借家は正確な場所が特定されていないとする。しかし,B12は当時の衆議院議員で知名度があったため,「広島県概況」という書物に住所が記されており,当時の広島市の地図と照らし合わせれば,その場所はほぼ特定されている。そして,原告X3は,原爆投下当時は東京にいたとはいえ,自宅は広島市西天満町であり,付近の土地勘があったと考えるのが自然であるため,小河内橋を他の橋と見間違う可能性もなく,小河内橋から約100mの場所にあったという祖父の住む借家に移り住んだとする陳述に不自然な点は見当たらない。
確かに,被告が主張するように,昭和59年9月8日付け被爆者健康手帳交付申請書には,原告X3がB12の自宅に向かった旨の記載はあるものの,B12の自宅及び祖父の住む借家に滞在したとの記載はない。しかし,それは「書かなかった」だけのことであって,矛盾が生じているというわけではない。そもそも,新審査の方針によって滞在場所と期間が重要なメルクマールとされるようになったのは,つい最近のことであり,原告X3にとって,被爆者健康手帳交付申請時に申告が必要だった情報は,自宅住所が広島市西天満町(入市被爆対象地域内の町名の一つ)であること及び入市の目的地が自宅であったこと等にすぎない。実際に,同申請書の内容を見れば明らかなように,目的地に入市した後の行動や滞在場所を問われる項目はない。
また,被爆証明書も同様の趣旨である。それどころか,むしろこの証明書には,たまたま「B12氏(B12を指す。)の家に世話になり家族,身内の遺体処理にあたっていたのを覚えております」と記載されており,原告X3の当時の行動を知る第三者が,原告X3はB12の自宅に世話になったことがあること及び遺体処理に当たっていたとして一定期間滞在していたことを認めていることが重要である。
同様に,原告X3の従姉妹であるB19が作成した陳述書について,被告は,本件訴訟に至って初めて提出されたものである上,代筆されたものであり,その信用性には疑問を抱かざるを得ないと主張するが,約70年も前の原告X3の行動について,現在でも具体的に語ることのできる第三者が生存していたことを重視すべきである。
したがって,以上のような被告の各批判は当たらない。
(4) 被爆後の健康状態
原告X3は,被爆前は特に健康に問題はなかった。しかし,原告X3は,被爆直後から,1日が長く感じるようになり,夕方になると疲れを感じるようになった。
その後,原告X3は,多くの病気を経験した。原告X3は,昭和30年に肝臓病,昭和61年に十二指腸潰瘍を発症した。さらに,平成4年に甲状腺がんと高血圧,平成8年にS状結腸がん,平成15年に多発性脳梗塞に罹患した。
そして,原告X3は,平成21年3月,申請疾病である腎細胞がんに罹患した。下大静脈腫瘍塞栓も発見され,原告X3は,手術を受けた。同年に,帯状疱疹,腸の感染症,多発性胃潰瘍にもかかり,平成22年には胃酸逆流の症状が現れた。その後も,原告X3は,平成23年2月頃に心不全を起こしたり,平成24年に腎細胞がんの転移で肺がんにも罹患したりして,手術を受けた。
2 申請疾病(腎細胞がん)の放射線起因性(原告X3の相当量の被曝)
腎細胞がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
原告X3は,昭和20年8月11日に広島市に入市し,爆心地付近を通り,広島市西天満町の自宅を経て,小河内橋(爆心地から約1.5km)付近のB12の自宅及び祖父の住む借家に合わせて同年10月頃まで滞在した。これは,積極認定対象被爆に該当する。また,小河内橋のある天満南三篠地区は黒い雨の降雨地域であった上,親族の安否確認のため死傷者の収容所を訪問して顔を確認したり,死亡した親族の遺体を素手で運んだりするなどして死傷者に直接接触し,遺体焼却に伴って発生する粉塵等を吸引することで,内部被曝を含め相当程度の残留放射線に被曝したことが認められる。さらに,被爆直後の疲れやすいという体調の変化や,多重がんに罹患した事実からも,原告X3が相当量の被曝をしたことが推測される。
3 申請疾病の要医療性
原告X3は,平成24年10月に腎細胞がんが肺に転移したため手術を受け,現在も定期検診を受けており,申請疾病には要医療性が認められる。
第4 原告X4について
原告X4の申請疾病は,胃がんであり,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であるが,原告X4の被爆態様が積極認定対象被爆に当たらないため,総合認定の対象となるところ,原告X4の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
1 被爆状況及びその後の健康状態
(1) 昭和20年8月9日被爆時の行動とその後の状況
原告X4(当時8歳)は,昭和20年8月9日,長崎市矢ノ平町の自宅(爆心地から約3.6km)の庭で直爆を受けた。夏休み中であったが,国民学校があって登校していたところ,空襲警報が発令されたため自宅へ帰宅し,間もなく空襲警報は解除されたものの,母から「爆音がかすかに聞こえるから防空壕に入りなさい。」と言われたため,家の庭にある簡単な防空壕(土を1mほど掘って上に板と土を乗せただけのもの。三,四人くらいは入れる大きさ。)に姉と一緒に入ったところであった。防空壕の入口から閃光が入り,爆音と爆風を受けて,原告X4はしばらく気絶した。自宅は,原爆の爆風で倒壊し,家の輪郭は残っていたが,屋根も一部吹き飛んでしまい,畳もめくれて飛んでしまっていた。
防空壕からはい出ると,晴天だった空が暗くなって,その直後に,強い雨が降ってきた。原告X4は,家の縁側に座っている時に雨に全身を打たれた。雨は黒っぽい雨で,その汚れは,しばらく落とすこともできなかった。
原告X4は,その後も昭和29年頃まで引き続き,長崎市矢ノ平町の自宅に住み続けた。
(2) 被爆後の健康状態
原告X4は,被爆前は健康状態に問題はなかったが,被爆の翌日頃からおよそ10日間にわたり,水様便の激しい下痢に見舞われた。また,約1年後には,右足のすねに出来物ができ,血の膿が出た。この跡は今でも残っている。
その後,原告X4は,13歳頃から25歳頃まで,顔全体に赤黒い吹き出物が出て,血が混じった膿だらけになるという症状に悩まされ続け,何回か死のうと思うくらい苦しんだ。このときの吹き出物の跡は,今でも染みになって顔に残っている。
原告X4は,20歳前後の頃から,体温調節機能の異常を自覚し,暑い,寒いという感覚がおかしく,夏に冷房が付けられなかったり,真夏でもセーターを着なければならなかったり,逆に,冬に暑さを感じて窓を開け放ったり,時折かーっと暑さを感じるなどした。この感覚異常は現在まで続いており,原告X4は,悩まされ続けている。また,原告X4は,20歳代の頃から不眠に悩まされており,これも現在まで続いている。
原告X4は,平成4年には,体温調節機能の異常と不眠について,自律神経失調症との診断を受けている。原告X4は,病院から神経の薬(ドグマチール・セパゾン)と精神安定剤(アルプラゾラム錠)を処方されて飲んでいる。疲れていても自然に眠くならず,薬が必要な状態である。なお,同じ場所で被爆した母と姉も自律神経失調症になっている。
そして,原告X4は,このような体調不良のほか,これまで次のような病気に罹患している。原告X4は,昭和60年6月,十二指腸潰瘍により17日間入院し,手術はせずに投薬治療によって進行を抑えた。原告X4は,平成元年,肺炎により,約1箇月入院した。原告X4は,平成4年には,自律神経失調症との診断を受けた(前述の体温調節機能の異常など)。平成5年には痔核の手術が行われた。原告X4は,平成7年頃,白内障の診断を受け,現在も投薬治療中である。平成15年には平成5年の痔核治療の予後が悪く,痔核の再手術が行われた。
原告X4は,平成19年12月には,食欲不振の症状がひどく出たため,豊島園肛門科を受診し,内視鏡検査を受けたところ,胃がんの診断を受けた。原告X4は,複十字病院に40日間入院し,胃の約半分を切除する手術を受けた。原告X4は,その後も経過観察を行い,複十字病院に二,三箇月に一度通院している。
(3) 下痢の出現時期に関する陳述が変遷しているとの被告の主張に対する反論
被告は,下痢については発症時期や継続期間の点で大きく変遷しており,また,脱毛及び右足のすねの出来物(血の膿)についても,上記の陳述経緯等は不自然であって,いずれの身体症状についてもその存在自体が疑わしいといわざるを得ないなどと主張する。
しかし,確かに,原告X4の陳述としては,平成20年3月3日付け認定申請書,平成22年8月11日付け異議申立書及び陳述書があるが,このうち,最も新しい陳述書の内容が,原告X4の現在の記憶である。被爆当時8歳という幼さであったため,当時の記憶に曖昧さが残るものであるが,少なくとも被爆後近い時期に下痢が一定期間続いたこと及び1年ほど後に右足のすねに出来物ができ,血の膿が出たことは,覚えているものである。特に,下痢については,各陳述内容をみれば明らかなように,症状が発現し,それが一定期間持続したこと自体は一貫している。また,原告X4の陳述は具体化しているだけであり,変遷しているという評価は,失当である。
そもそも,各種判決においても言及されているように,当時の具体的行動その他の状況等の被爆の実情や,被爆直後からの身体の状態の推移等についての各個人の供述等に係る証拠は,原爆被害を身をもって体験した者によるいわば第一次的な証拠の一種として,主観の影響や期間の経過による記憶の変容等の可能性に留意しつつ,その重要性を適切に評価することが必要とされる。よって,検討の基礎となる証拠が変容しているからといって,それらの証拠としての価値についておしなべて低いものとして評価することは相当ではない。
2 申請疾病(胃がん)の放射線起因性
(1) 原告X4の相当量の被曝
胃がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
原告X4は,直爆したのみならず,直後に黒い雨に全身を打たれており,しかも,その汚れはなかなか落ちなかったというのであって,直爆による放射線以外にも大量の放射線被曝をしたものと考えられる。また,原告X4は,被爆後に急性症状としての下痢を発症していること,成人した頃から現在に至るまでの長期にわたり,被爆者によくみられる体調不良に悩まされていることからすれば,相当程度の放射線被曝をしたものと考えられる。
(2) 改定後の新審査の方針との関係
原告X4の被爆地点は,長崎の爆心地から約3.6kmの地点であり,総合認定の対象となるとはいえ,積極認定対象被爆である「爆心地から約3.5km以内である者」と比較して,僅か100mほど離れた場所にすぎない。そもそも,この「約3.5km」という数字の算出根拠(科学的根拠)は不明であり,これを超える距離の放射線の影響については何ら説明をしていない。むしろ「約」という表現自体が幅のある表現であり,3.5kmの地点を僅かでも超えれば途端に放射線影響が0になるわけではない。各種判決でも,3.5kmを超える場合に放射線起因性を認めたものがある。
したがって,原告X4の発症した胃がんには,放射線起因性が認められる。
(3) ヘリコバクター・ピロリの感染について
被告は,原告X4に十二指腸潰瘍の既往歴があることから,胃がんの原因となるヘリコバクター・ピロリの感染が疑われると主張するが,原告X4のカルテには,「※HE染色上明らかなH.Pyloriを認めません。」との記載があり,原告X4にヘリコバクター・ピロリの感染がないことは明白である。
3 申請疾病の要医療性
原告X4は,胃がんの切除手術を受けた後も,再発予防のための経過観察中であり,二,三箇月に1回,検査のため通院していることから,申請疾病には要医療性が認められる。
第5 X5について
X5の申請疾病は,左乳がん術後皮膚潰瘍であり,かつ,X5は長崎市馬町の自宅(爆心地から約3km)で被爆しているため,改定後の新審査の方針において積極認定の対象となるものである。しかし,被告は,乳がん発症並びにそれに伴う乳房切除手術及び術後の放射線治療による皮膚潰瘍の発症という一連の事実の存在を争い,また,原爆症認定申請時の皮膚潰瘍の要医療性を争っている。
1 被爆状況及びその後の健康状態
X5(当時9歳)は,昭和20年8月9日,長崎市馬町〈以下省略〉の自宅(爆心地から約3km)の玄関前の屋外で直爆を受けた。X5は,激しい光と爆風を感じ,真正面から上半身を被爆した。恐怖と共に自宅に駆け込んだところ,X5の母は,X5の妹を抱いてX5の弟を探していた。X5の弟は,頭から血を流していた。
X5の父は,長崎三菱製作所で働いていたが,3日後に死亡した。X5の母は,X5を含む5人の子を必死に育てたが,昭和25年に胃がんで死亡した。原爆により両親を失った兄弟は,成人するまで親族に面倒を見てもらったが,皆苦学した。
X5は,平成25年4月,入院先の土田病院で死亡した。
2 申請疾病(左乳がん術後皮膚潰瘍)の存在
(1) 乳がんの手術及びその後の放射線治療
X5は,昭和59年5月,48歳の時に乳がんと診断され,同月31日,東京慈恵会医科大学青戸病院(現同大学付属病院葛飾医療センター)において左乳房切除手術を受けた。この時,X5は,乳房から胸筋,脇の下のリンパ腺などを全て切除した。X5は,乳房切除手術後,同年11月末頃まで,患部に放射線照射を受けるために,東京慈恵会医科大学付属病院に通った。放射線照射を終えて2週間くらいで出血等は止まったが,その後,放射線照射を受けた所が崩れて二日に一度ほど50ccくらいの血がたまるようになり,手術痕の下の毛細血管が切れていると診断された。昭和60年1月上旬に再度入院して,乳房切除の執刀医による再手術を受けたが,その後も,左腕に力が入らない,手術痕が引きつれ違和感があるという状態がずっと続き,乳がんの手術の跡を見られるのを嫌がり,長女である原告X6とも一緒に風呂に入ることはなくなった。
また,X5の夫は,執刀医から手術後に「重い乳がんである。広い範囲で切り取ったが,いつ転移するのか分からないので,生命の保証はできない。」と言われた。
さらに,原告X6は,14歳の時,X5が東京慈恵会医科大学青戸病院で乳房切除手術を受けた際に,おばと一緒に手術に立ち会った。その時に乳がんであると聞いて,原告X6は非常にショックを受けた。加えて,X5が昭和60年に再手術のために入院していた時は,原告X6は,中学3年生で高校受験があり,受験当日の弁当を自分で作らねばならず,非常に悲しかったことを今でも覚えている。
この点,被告は,X5が乳房切除手術を受けた当時の診療録が焼却されて存在しておらず,平成20年8月27日付け認定申請書添付の医師の意見書や診断書にある乳がんの手術に関する記載は,X5の説明に基づいて作成されたものにすぎないと主張し,X5が乳がんを発症し,乳房切除手術後に放射線治療を受け,これによって皮膚潰瘍が生じたこと自体を争っている。しかし,X5には左乳房切除手術後の手術創があること,その後,X5の夫が医師から乳がんであるとの説明を受けていることなどから,切除した腫瘍の病理検査によって乳がんの確定診断があったことは疑う余地がなく,昭和59年5月にX5が東京慈恵会医科大学青戸病院で受けた手術は,乳がんの切除手術であったことは疑いがない。
(2) その後の症状
皮膚潰瘍は小康状態を保っていたものの,平成19年12月頃,皮膚潰瘍の傷が広がったために,X5は,乳房切除手術の術前の診断を受けた南郷外科・整形外科医院を受診した。受診してから半年ほどかかって瘡蓋ができ,皮膚潰瘍の広がりは一旦止まったものの,更に出血が続く状態が続き,平成20年9月に皮膚潰瘍について治療を受けた。
その後,X5は,うつ病になり,土田病院で入退院を繰り返していた。南郷外科・整形外科医院医師のC14が平成20年12月に土田病院医師のC15に宛てた文書によれば,「植皮による治療を勧めたが,本人は「手術をしたくない」とのことで,局所の消毒のみを行った」とされている。
昭和59年当時の乳がんによる乳房切除手術は,現在のように乳房温存手術といった時代ではなかったため,乳がんの手術は拡大手術という,乳腺や周辺組織を徹底的に切り取る手術であったと考えられ,そのためにX5の胸は非常に薄くなっていたと考えられる。その上,その術部に放射線照射を行ったものであり,薄い皮に放射線治療を加えることで皮膚が非常に悪化し,繰り返し潰瘍ができていたものである。主治医としては繰り返しできる潰瘍に対して植皮による治療を考えたものの,X5が同意せず,やむなく植皮による治療ができなかったものと考えられる。
3 申請疾病の放射線起因性
X5の被爆態様は積極認定対象被爆であり,48歳の時に罹患した乳がんにより乳房切除手術を受け,患部に放射線照射を受けた後に,手術創の辺りに皮膚潰瘍が発生しているため,この皮膚潰瘍は,原疾病である乳がん(手術)と局所への放射線治療による連続的,一体的結果であって,積極認定対象疾病に当たる。よって,X5の申請疾病である皮膚潰瘍には放射線起因性が認められる。
4 申請疾病の要医療性
X5は,皮膚潰瘍について平成19年12月から南郷外科・整形外科医院で治療を受けている。治療を受けていた部位については,植皮による手術の必要性も指摘されており,手術がされなかったのは当時うつ病であったX5の「手術をしたくない」との意向からであり,やむなく塗り薬で対処していたものであり,仮に一時的に皮膚潰瘍に瘡蓋ができたとはいえ,完治というにはほど遠いものであった。実際に原爆症認定申請直後の平成20年9月の診療録には,「ulcer(潰瘍)+」と記載されており,その直前の原爆症認定申請時において,皮膚潰瘍が存在して治療が必要な状態にあったことは明らかである。
被告は,C14の平成20年7月16日付け診断書及び診療録により,原爆症認定申請時にはX5に皮膚潰瘍は存在しておらず,経過観察が行われていたにすぎないと主張する。しかし,X5の皮膚潰瘍の状態は,上記のとおり,瘡蓋ができてもすぐにまた潰瘍になる状態にあり,植皮による治療が必要な状態にあったのであるから,皮膚潰瘍は継続的に存在していたものであり,医師が継続的に皮膚潰瘍の状態を見極め,適切に対処していたものであるから,被告の主張は認められるべきではない。
また,被告は,X5に対する治療が,内服薬の処方や軟膏の塗布にすぎないのであるから,医師による継続的な医学的管理の下に,必要かつ適切な内容において行われる範囲の医療に当たらないと主張する。しかし,正に,X5は,平成19年頃から継続して,皮膚潰瘍について南郷外科・整形外科医院を受診し,C14からは植皮による手術を勧められていたものであり,X5のうつ病の状態を見ながら手術のタイミングを見計らい,継続的に皮膚潰瘍について治療をしていたものである。内服薬や軟膏でX5の皮膚潰瘍が完治していたわけではない。
したがって,X5がC14から受けていた処置は「医療」に当たり,申請疾病には要医療性が認められる。
第6 X9について
X9の申請疾病の膀胱がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,かつ,爆心地から約3.5kmの地点にある「暁二九五三部隊」の練兵場で被爆し,翌日,同爆心地から約1.5kmの地点である広島日赤病院付近まで入市したものであるから積極認定対象被爆に該当し,放射線起因性が認められるはずである。しかし,被告は,上記被爆地点及び入市地点を争っている。
1 被爆状況及びその後の健康状態
(1) 昭和20年8月6日被爆時の行動
X9(当時24歳)は,昭和20年4月から広島市宇品町の暁二九五三部隊に配属され,同部隊の練兵場で兵器係として勤務していた。その場所は,広島高校と宇品駅のおよそ中間地点に位置していた(爆心地から約3.5km)。同年8月6日,X9は,練兵場の屋外東側におり,同部隊の朝礼に参加していた。朝礼の途中で空襲警報が鳴り,X9は,休憩の号令によって休んでいたところ,雲の中から出てきた爆撃機から落下傘を付けた黒い物体が投下されるのを見た。そして,強烈な光線及び熱線が目の前を走り,顔や手が熱くなった。
X9は,他の部隊員と共に兵舎や物陰に避難したが,その際,左側の腰を強打して怪我を負った。また,空を見上げると,晴れていた空は巨大な黒い雲に隠れ,雲と共に直紅な炎が天に浮いて降りてくるように見えた。やがて,雷鳴が鳴り,雨が降り始め,辺りは夕暮れのような暗さになった。その後,各自の勤務場所の状況を確認することになり,X9は,兵器庫の事務室に戻った。兵舎のガラスの破片や落下物で負傷者が多数出ており,X9は,窓の補修や兵舎の倒れを修理する応援に出て,夜まで手伝いをした。
(2) 昭和20年8月7日入市時の行動
昭和20年8月7日,X9は,朝礼を終えた午前9時半頃から同40分頃,上司の中隊長から兵器廠の入口で大きな声で「付いてこい」と言われた。上司の中隊長は急いで自転車で出発したので,X9は後ろから慌てて自転車で追い掛け,練兵場近くにある市電の停留所を過ぎた辺りで追いつくことができた。上司の中隊長によると,防空隊のある広島市己斐町に行くとのことであった。X9は,防空隊の十五,六人の兵士の安否を確認するために広島市己斐町に向かうのだと考えた。
上司の中隊長とX9は,自転車に乗って市電の電車道をたどりながら広島市己斐町に向かった。広島の町は一面焼野原で遠くの山がかすんで見えたが,夢中で上司の中隊長を追い掛けたため,周りの景色を意識して見ることはできなかった。
そして,上司の中隊長とX9は,御幸橋を渡った。御幸橋を渡り切った西詰めは,爆心地から約2.3kmの地点にある。X9は,御幸橋を渡ったところで,セーラー服を着た女学生らしい死体を見た。女学生は,折り重なるようにして倒れ,白い制服の半袖から出ていた細い腕は真っ黒に焼け,半袖の布地に覆われている部分は焼けていなかった。X9は,その光景を,65年以上経過しても鮮明に覚えていた。
X9は,御幸橋を渡ってからも自転車に乗り市電の電車道をたどりながら広島市己斐町の方に向かったが,御幸橋を渡って5分ないし10分ほどの地点で自転車のタイヤがパンクしてしまった。X9は,上司の中隊長に自転車のタイヤがパンクしたことを伝えようと呼びかけたが,上司の中隊長は振り向きもせず自転車で先に進んでいってしまった。X9は,上官である上司の中隊長の命令には軍人として従うほかなく,パンクしてからも10分ないし15分は自転車を引きながら歩いて上司の中隊長を追い掛けたが,結局追いつくことができず,練兵場に引き返すことにした。そして,X9は,自転車を引きながら再び御幸橋を渡り,午前11時半頃に広島市宇品町の練兵場に戻った。
(3) 昭和20年8月7日以降の行動
X9は,昭和20年8月7日,まずは自分が担当している兵器廠の状態を見て回るなどした。その後,X9は,練兵場の兵器廠に設営された被爆者の収容所で救護に当たった。同収容所には,重傷の被爆者が約15人収容されており,衛生兵二,三人が治療に当たっていた。軍医はいたが,治療に当たってはいなかった。さらに,練兵場にいる兵士のうち手の空いている者は救護の応援を行っていたところ,X9も,兵器廠の仕事をしつつ,救護の補助をし,3人くらいの被爆者を救護した。当時,救護に従事していた兵士は,X9のほか,上等兵を含む3人であった。救護は,仮設ベッドや雨戸で板を作り,軍用の毛布や枕などを使用して行われた。重傷者らは真っ黒に焼けており,男女の区別も付かない者もいた。X9は,衛生兵や自分が重傷者に薬を塗った後に,ガーゼ等を付けて包帯を巻いたりするなどの措置を行っていた。X9は,1回につき2時間ほどの時間を掛けることを二,三回行った。
なお,X9は,収容所において,「兵隊さん,水をください」と小さい声でささやく中学生くらいの少年をかわいそうに思い,水を与えようとしたところ,衛生兵から大きな声で「水をやるな,死んでしまうぞ,それ以上悪くなるぞ」と言われ,与えることができなかったことを強く覚えていた。
(4) 被爆後の健康状態
X9は,被爆前は健康であったが,広島原爆の投下翌日に入市した後,発熱,嘔吐,下痢,貧血,めまい,食欲不振といった症状に悩まされることになった。X9は,38℃の発熱や嘔吐などのために兵舎において休養しなければならない時もあり,そのような症状が発生すると3日ないし4日くらい悩まされることになった。下士官の軍曹が「X9,おまえは,調子が悪ければ休め」と言って,X9を休ませてくれたこともあった。もっとも,練兵場においては,負傷した市民の看護で手が一杯であり,兵士であるX9が医務室を利用したり,衛生兵から治療を受けたりすることはできなかった。
X9は,昭和20年8月15日,練兵場の営庭において,他の兵士と共に玉音放送を聴いた。そして,X9は,同月25日頃から連合軍の兵器接収の準備を行い,その後,同年9月1日に復員した。しかし,X9は,復員後の昭和25年頃から,体が重くなり,季節の変化で風邪を引きやすくなった。医者にかかるようになり,医師の指示によってレントゲン撮影を行ったところ,医師から,心筋梗塞の気及び心臓肥大の傾向があるとの診断を受けた。それ以来,X9は,心臓の病気については通院を続けていた。
また,X9は,平成20年,墨東病院において膀胱腫瘍の診断を受け,通院を始めた。その後,X9は,状態が悪くなり摘出手術を受けることになった。X9は,同年11月25日から入院し,同月27日に経尿道的膀胱腫瘍摘出手術を受け,同年12月5日に退院した。以後,X9は,化学療法(動注化学療法)を受けるなどしたが,同月16日,三度目の経尿道的膀胱腫瘍摘出手術を受けた。その後も,X9は,がん化学療法や放射線治療による治療を受けたが,平成21年8月20日,再び経尿道的膀胱腫瘍摘出手術が施行された。X9は,当該手術後も,週に1回ほど通院して膀胱の内視鏡検査を受けたり,投薬治療を受けたりしていた。
2 X9の被爆地点及び入市地点に関する補足
(1) 被爆地点に関する被告の主張に対する反論
被告は,X9が所属していた「暁二九五三部隊」の練兵場とは,陸軍船舶司令部のことであると断定した上で,陸軍船舶司令部は爆心地から約4.79kmの地点であると主張する。
しかし,「暁二九五三部隊」の練兵場が陸軍船舶司令部のことである証拠は何ら示されておらず,仮に,暁二九五三部隊が陸軍船舶司令部に所在していたとしても,X9が勤務していた練兵場は異なる場所に所在していた。この点,陸軍船舶司令部は兵舎や兵器庫,部隊の本部等を擁する相当程度の大きさを持つ施設であったのに対して,X9が勤務していた練兵場は,本格的な兵舎や弾薬庫,兵器庫を持っておらず,バラックに手を加えたようなものであった。このことからしても,X9が勤務していた練兵場が陸軍船舶司令部とは別の施設であることが分かる。X9は,陸軍船舶司令部について,X9が勤務していた部隊とは全然関係ないと断言している。
したがって,「暁二九五三部隊」の練兵場の位置は,X9本人の記憶である広島高校と宇品駅のおよそ中間地点(爆心地から約3.5km)が正しい。
なお,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書においては,一番上の欄に「広島市宇品町」を指して「(4.0)キロメートル」との記載がある。しかし,当該記載はX9が記入したものではないし,そもそも広島市宇品町一般を指した記載であって,X9が被爆した練兵場の爆心地からの距離を示したものではない。
(2) 入市地点に関する被告の主張に対する反論
ア 被告の主張
被告は,X9の入市地点について,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書の記載を引いて,X9は,御幸橋付近(爆心地から約2.5km)でタイヤがパンクして引き返したと考えるのが合理的であると主張する。御幸橋西詰めは「約2.5km」ではなく「約2.3km」であるから,この点からして被告の主張は誤りである。
また,同申請書には「御幸橋を渡って間もなくタイヤがパンクし同行できない タイヤに釘や金物の破片は刺さっていた B25中尉(上司の中隊長を指す。)は己斐に向かって走っていった 私は自転車を曳きながら部隊に帰ってきた」と記載されている。「御幸橋を渡って間もなく」というのは自転車のタイヤがパンクした地点を指しているだけであり,引き返した地点については記載されていない。この日,X9は,軍隊の上官である上司の中隊長の命に従い,広島市己斐町に向かって同行していたのであるから,自転車のタイヤがパンクしたからと行ってすぐ引き返すなどということはあり得ず,パンクしてもなおそこから上官を追って進んで行ったはずである。そして,そのパンクした地点である「御幸橋を渡って間もなく」という記載も幅のある表現である。
イ X9の供述から推論される入市地点
X9は,練兵場に引き返した当時は正確な病院名までは記憶していなかったが,練兵場に戻った後,上官の兵士から広島日赤病院辺りまで通ったのではないかということを指摘されたと供述している。
そして,「広島原爆戦災誌」第五巻所収の「被爆者救済活動の手記集(暁部隊)」によれば,原爆投下当日である昭和20年8月6日や同月7日,多数の軍部隊が,救援等のため組織的に宇品方面から北上して御幸橋を渡り,少し先にある広島電鉄本社(爆心地から約1920m)には軍の救護本部も設置され,これらの軍人が爆心地方面に向かって行動していたことが分かる。
例えば,陸軍船舶練習部副官で陸軍少佐のB26は,同日早朝に「御幸橋~鷹野橋~紙屋町~西練兵場付近~鉄砲町(自宅住居)~八丁堀~宇品と任務についた」。陸軍船舶練習部で主計軍曹のB27は,同月6日に自転車で「御幸橋を渡り,広島電鉄本社前まで来た」後,徒歩で市内に進んでいる。さらに,陸軍船舶練習部第10教育隊で兵長のB28は,同日,市内中心部に向かい,「御幸橋より広電本社前に到」っており,同じく陸軍船舶練習部第10教育隊で兵長のB20は,同日,「宇品→御幸橋→赤十字病院と北上して」いる。陸軍船舶練習部第10教育隊で特別幹部候補生のB29も,同日,「宇品から御幸橋を経て,鷹野橋に至り,さらに水主町の県庁付近に前進」している。
このように,X9の供述と同様の行動が,X9と同じ軍隊においてとられている。御幸橋を渡って,更に市内中心部に向かうことが同月7日当時において可能だったことは明らかである。X9の供述は,当時の状況に照らして不自然どころか,X9は,原爆投下の直後から,原子野と化した広島市内を軍命により行動した多数の軍人の一人にすぎなかったのである。
そして,X9は,御幸橋から5分ないし10分ほど自転車で走行したのち,自転車のタイヤがパンクしたため,10分ないし15分ほど歩行したと具体的かつ詳細に供述している。広島日赤病院は爆心地から約1.5kmであるところ,爆心地から約2.3kmの位置にある御幸橋の西詰めからは約800mの距離しかない。御幸橋から5分ないし10分ほど自転車で走行した後,10分ないし15分ほど歩けば,800m以上は進んでいることに間違いはない。自転車が時速21km(分速350m),徒歩が時速4km(分速約67m)であるとすれば,当時の道の状況においても優に1kmは進んでいるのである。つまり,X9が,少なくとも広島日赤病院まで入市したことは間違いない。
なお,X9は,陳述書において「爆心地より1km以内の県病院あたりまで入市しています。」と述べているが,平成22年6月26日付け認定申請書添付の申述書には「日赤病院あたりまで行った記憶があります」と記載している。この点については,上述のとおり,X9としては正確な病院名の記憶はないが,練兵場に戻ってから受けた指摘及び御幸橋の爆心地からの距離,X9の御幸橋からの自転車走行時間及び歩行時間等を勘案すれば,X9は,少なくとも広島日赤病院までは入市したものと解される。そして,X9の本人尋問における供述は,上述のとおり詳細かつ具体的であり,しかも,上記被爆者健康手帳交付申請書の記載内容と矛盾するわけでもない。
以上のとおり,X9は,御幸橋を渡り,広島日赤病院付近(爆心地から約1.5km)まで入市したと考えるのが合理的である。
ウ X9は広島日赤病院付近まで入市したと考えるのが合理的であること
この点,被告は,X9が,本人尋問において,「はっきりしたところは,住所も何も私はその当時,分かりませんでした。」「はっきり自分で,ここが日赤だったという記憶はありません」と述べていることから,X9が広島日赤病院付近まで入市したとは認め難いなどと主張するが,X9の供述全体を他の証拠や客観的状況を踏まえて考察すれば,広島日赤病院付近まで入市したことは明らかといえる。
まず,X9は,平成22年6月26日付け認定申請書において,「途中御幸橋を渡って間もなく,タイヤがパンクしてしまい,中隊長に同行できず,自転車を引いて徒歩で部隊に戻りました。日赤病院あたりまで行った記憶があります」と陳述している。さらに,X9は,陳述書においても病院まで行った旨を述べている。これらに共通していることは,上司の中隊長に命じられ,上司の中隊長の後について自転車で広島市己斐町へ向かったこと,御幸橋を渡ったこと,大きな病院付近まで行ったことである。陳述書では「県病院」とあるが,本人の記憶の骨格は飽くまでも御幸橋を渡り,大きな病院の付近まで行ったという点にあり,客観状況からすれば,これは「日赤病院」のことと解される。このように,X9は,認定申請書や陳述書において広島日赤病院まで入市したことを明確に述べており,本人尋問でも,広島日赤病院付近を通過した(「通った」)という認識を繰り返し述べているのである。
被告は,このような陳述を捉えて根拠薄弱等と論難する。しかし,X9は,元々広島の地理に明るくない上に,原爆により通常の街並みとは情景が一変した中を入市したものであること,本人尋問は被爆から70年を経過し,更には尋問当時X9が92歳であったことも考えれば,どこまで入市したのか(住所)や病院の詳細な外形等についての明確な記憶を求めること自体に無理がある。原爆被害を,身をもって体験した者によるいわば第一次的な証拠の一種として,主観の影響や期間の経過による記憶の変容等の可能性に留意しつつ,その重要性を適切に評価することが必要なのである。
本人尋問によれば,X9は,入市当日,部隊へ帰ってから,上官の兵士から,「私がそのときの状況を,状況というよりも走った経路を話したときに,ああ,じゃあ,おまえ,日赤のあたりにも行ったんだな」と言われたという。X9と上司の中隊長は,広島原爆の投下翌日に営舎を出て市内に向かったというのであるから,帰隊後にその始終が話題になることは自然なことであり,その際の会話の中で,広島の地理にも明るいであろう「長年,部隊に勤めている兵士」が,X9の話を聞いてあれこれ談義することも十分考えられる。その兵士は,X9の行動や経路を聞いた上で言ったというのであるから,「日赤病院を通過した」というのは根拠のあるものと考えなければならない。
さらに,X9は,御幸橋から5分ないし10分ほど自転車で走行した後,自転車のタイヤがパンクしたため,10分ないし15分ほど歩行したと具体的かつ詳細に供述している。平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書にも「御幸橋を渡って間もなくタイヤがパンク」との表現があり,これと符合している。なお,同申請書には「御幸橋を渡ったところで自転車がパンク」との表現もあり微妙に異なるが,この記載は,「4ページの二段目(「御幸橋を渡って間もなくタイヤがパンク」との表現を指す。)と同じ」と断った上で当日の経路全体を僅か2行で記載しており,事の次第が大幅に省略されていることは明らかであるから,これをもって御幸橋から5分ないし10分ほど自転車で走行した事実と矛盾するものと考えるべきではない。
重要なことは,X9が御幸橋を渡ってからも自転車や徒歩で市内に進んでいた事実を明確に供述するとともに,暁部隊に所属していた多くの兵士が,御幸橋を渡ってから広島市内に向かい,その中にはX9と同様に広島日赤病院付近まで行った者も存在するという事実である。つまり,X9が広島日赤病院まで進んだとの供述は,その重要性はもとより,それに沿う合理的根拠まで存在しているのである。
エ X9の陳述の「変遷」との主張について
また,被告は,X9の入市状況に係る陳述は,時の経過に伴って徐々にX9に有利に,そして,詳細かつ具体的に変遷しているのであって,信用することができない,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書の陳述が合理的であって,当該陳述は信用することができるなどとも主張する。
しかし,まず,被爆者健康手帳交付申請においては,具体的な入市地点は問題とならず,取り分けX9のように直接被爆者(1号)として交付申請をする場合は,その点を事細かに記述していないことは何ら不自然ではない。
ましてや,X9は,同申請書においても,「御幸橋を渡って」と御幸橋を渡った事実を記述している。つまり,これは御幸橋を渡って広島日赤病院まで行ったこと,御幸橋から5分ないし10分ほど自転車で走行した後,自転車のタイヤがパンクしたため,10分ないし15分ほど歩行したことと何ら矛盾するものではなく,入市地点に関する陳述がより具体的になっただけである。
さらに,平成22年6月26日付け認定申請書においても,「御幸橋を渡って間もなく,タイヤがパンクし」「日赤病院あたりまで行った記憶があります」と明確に陳述している。
これに対し,被告は,上記申請書の作成時期は新審査の方針によって積極認定の範囲が示された後であり,自己が認定を受けられるように有利に陳述を変遷させたなどとも主張するが,そもそも入市に関する陳述が具体化しただけで,それを「変遷」などとあげつらう被告の評価自体が失当である。しかも,それは,被爆者健康手帳交付申請時点においては入市地点は大きく問題とならず「御幸橋を渡って」という程度の記述にとどめたのに対し,原爆症認定申請においてはその点をより詳細に記述しただけのことである。
なお,X9は,陳述書において「県病院あたりまで入市」したとしていたが,X9の記憶の骨格は,御幸橋を渡ってしばらく自転車や徒歩で進んだこと,病院まで行ったこと,という点にあるのであり,これも「変遷」などと評価するような問題ではない。当時,御幸橋を渡った先には広島日赤病院と県病院が存在しており,本件訴訟における本人尋問で,御幸橋を渡ってからの行動が詳細に供述されており,それに基づけば少なくとも広島日赤病院付近まで行ったことは優に推認することができる上,同様の経路で広島日赤病院まで行った暁部隊の兵士も存在しているのであり,X9の供述は何ら不自然ではない。
3 申請疾病(膀胱がん)の放射線起因性
膀胱がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
そして,X9の被爆態様は,積極認定対象被爆に当たることから,X9の発症した膀胱がんに放射線起因性が認められることも明らかである。
4 申請疾病の要医療性
X9は,平成20年の手術以降も治療や再手術を重ね,平成26年4月9日に死亡するまで治療を継続した。よって,申請疾病には要医療性が認められる。
第7 原告X11について
原告X11の申請疾病は前立腺がんであり,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であるが,原告X11の被爆態様が積極認定対象被爆に該当しないため,総合認定の対象となるところ,原告X11の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
1 被爆状況及びその後の健康状態
(1) 昭和20年8月9日被爆時の行動
原告X11(当時7歳)は,佐世保空襲で焼け出され,長崎市館内町の父方親族であるB14の自宅に身を寄せていた際に被爆した。当時,B14の自宅には,原告X11を含む原告X11の家族3人のほかに,B14の子であるB21も同居していた。
昭和20年8月9日,原告X11は,近所に住む友人から少年雑誌を借りて,路上で読んでいたところ(爆心地から約3.8km),上空から爆撃機の爆音が聞こえてきたため,防空壕へ避難しようと走り出した瞬間,強烈な閃光が光った。とっさに目の前の駄菓子屋へ飛び込むと同時に猛烈な爆風に襲われ,駄菓子屋の中の陳列品が飛び散る中,原告X11は,頭を両手で抱えて座り込んでいた。しばらくして爆風が止んだので,原告X11は,防空壕へ避難し,そこで母及び弟と合流した。防空壕には,近隣の住民などたくさんの者が避難してきた。やけどをして皮膚がぼろぼろになった者もいた。
(2) 被爆後の周囲の人物の行動等
被爆当時,原告X11の近所には,伯父であるB13や,B13の妻,子など,多数の親族が集まって居住していた。B13は,被爆当時,長崎放送局に勤務しており,爆心地から800m付近の八幡神社周辺で被爆した。B13は,被爆の翌朝に救助に向かった原告X11の母やB21を始め7人の親族に救助されて,戸板に載せられて帰宅した。原告X11も,母のそばにいることを望み,一緒に行きたがったが,年齢が幼かったこともあり,弟と共にB14の自宅にとどまり,B13の救助に向かった親族の帰りを待っていた。連れだって救援に向かった7人の親族は,爆心地を通過して大橋付近にまで至り,そこから引き返して八幡神社の境内でB13を救助した後,再び爆心地を通過して,頭の先からつま先まで埃だらけ泥だらけになりながら汗だくの状態でB13を連れ帰った。B13は,顔以外全身焼けただれるほどの重度のやけどを負い,被爆後数日のうちに死亡した。実際に捜索に参加したB21の記憶では,B13は,昭和20年8月12日午前中に死亡している。原告X11は,B13が寝かされているそばでその様子を見ていた。
原告X11が避難した防空壕には,被爆の翌日か翌々日には,全身やけどをして皮膚がぼろぼろの状態になった人が逃れてきた。原告X11は,しばらくの期間,家と防空壕を行ったり来たりしており,それらの人を間近で見ている。また,原告X11の自宅であるB14の自宅近くの広場では,被爆後,犠牲者の遺体が焼かれていた。原告X11は,いつもその様子を見ていた。
(3) その後の状況
被爆から一週間程度した頃,原告X11は,母及び弟と共に,佐賀県杵島郡中通村の母の郷里に疎開するため,B14の自宅から徒歩で長崎駅に向かい,長崎駅から汽車に乗って疎開先に向かった。汽車の車窓から,田の中に家畜の死体がたくさん転がっているのが見えた。
(4) 被爆後の健康状態
原告X11は,被爆前は健康上の問題はなかったが,被爆後から全身がだるい状態が続き,よく鼻血を出していて貧血気味の体調であった。原告X11の倦怠感は,被爆後3年間程度(小学校3年生くらいまで)継続した。心配した母が保健所に連れて行き,白血球が減少していると言われた。また,被爆の約半年後に,原告X11は,歯茎が腫れて切開手術を受けた。
さらに,原告X11は,昭和28年頃と昭和33年頃の2回にわたって蓄膿症となり,手術を受けた。その後も,原告X11は,結婚に際して被爆していることが心の負担になってちゅうちょしたり,妻の出産の際に健康な子が産まれるかを非常に心配したりと,被爆のことを忘れることができなかった。そして,原告X11は,平成10年頃,白内障と診断され,治療を受けた。また,原告X11は,平成15年頃,頚椎ヘルニアと診断された。
原告X11が申請疾病である前立腺がんと確定的に診断されたのは,平成15年8月で,65歳の時であった。前立腺がんは,健康診断で発見され,針生検では高分化腺がんの診断であったが,摘出した前立腺の病理組織診断では増生する中ないし低分化腺がんが主体で,前立腺被膜及び傍神経への浸潤が認められた進行がんであった。原告X11は,摘出手術の3日後に脳梗塞を発症した。
原告X11は,手術後,3年間程度にわたってホルモン注射を受けていた。その間,術後10箇月経った平成16年8月,カルテには「Woundややケロイド状で痛かゆい」との記載がされている。平成18年9月に一旦注射を終了し,定期的に経過観察をしていたが,徐々に腫瘍マーカーの上昇を認め,平成21年10月から治療が再開された。原告X11は,現在も,毎月1回,定期的に医師の診察を受けており,その都度薬を処方されている。
2 申請疾病(前立腺がん)の放射線起因性
(1) 原告X11の相当量の被曝
前述のように,前立腺がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
原告X11は,長崎の爆心地から約3.8kmという距離で被爆しただけでなく,近距離で被爆し被爆後数日中に死亡したB13や,B13を7人で連れだって長崎市城山町周辺まで捜索に行き連れ帰った原告X11の母ら親族の身辺にいた。これら親族は,爆心地を通過し往復して戻ってきており,原告X11がB13や7人の親族の衣服,身体,頭髪等に付着した放射性降下物や誘導放射化された物質に由来する多量の残留放射線により,放射線感受性の高い幼少期(7歳)に被曝していることは明らかである。特に,救援には原告X11の母も参加し,原告X11は母やその他の親族にまとわりつき,B13の様子を間近に見たであろうことは十分に考えられ,何よりB14の自宅で起居していた原告X11は,救援に行った7人中,母,B14及びB14の子B21の3人と一つ屋根に下で寝起きしたことになる。それ以外の親族も隣あって大家族のように住んでいたのである。さらに,被爆後,ガス状や粉塵になって大気中に存在した放射性物質を吸引し,あるいは,飲食物と共に摂取して内部被曝をしている可能性も大きい。被爆直後から強い倦怠感や鼻出血があり,これらは典型的な放射線による急性症状であった可能性が高いし,わざわざ母が保健所に連れて行くことや,白血球減少を指摘されることも,日常的にはない出来事であり,母として放っておけないような体調の変化や変調があったことの証左である。
そして,原告X11が前立腺がんの診断を受けたのが65歳と若い時期の発症であることも,被曝の影響を疑わせるものである。
(2) 改定後の新審査の方針との関係
原告X11の被爆地点は爆心地から約3.8kmの地点であり,総合認定の対象となるとはいえ,積極認定対象被爆である「被爆地点が爆心地から約3.5km以内である者」と比較して,僅か300mほど離れた場所にすぎない。原告X4について述べたと同様,3.5kmの地点を越えれば途端に放射線影響が0になるわけではなく,各種判決でも放射線起因性を認めたものがある。
したがって,原告X11の発症した前立腺がんには,放射線起因性が認められる。
3 申請疾病の要医療性
原告X11は,前立腺がんの切除手術を受けた後,前立腺がんが再発し,現在に至るまで治療を継続しており,申請疾病には要医療性が認められる。
第8 原告X12について
原告X12の申請疾病は,前立腺がんであり,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であるが,原告X12の被爆態様が積極認定対象被爆に当たらないため,総合認定の対象となるところ,原告X12の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
1 被爆状況及びその後の健康状態
(1) 昭和20年8月9日被爆時の状況及びその後の状況
原告X12(当時2歳)は,昭和20年8月9日,長崎市今籠町〈以下省略〉の自宅(爆心地から約3.6km)前の路上で直爆を受けた。自宅前のアスファルトと石畳の道路で,隣の家の子らと共に,ろう石で絵を描いて遊んでいたところ,爆風が襲ってきたが,隣家の者が原告X12を隣家に引っ張り込んで布団を被せて事なきを得,特に怪我もせずに済んだ。原告X12の自宅も,倒壊は免れたものの,瓦はほとんど飛んでしまい,壁も破損した。
その後,原告X12は,昭和37年に大学進学のために長崎を離れるまで,長崎市今籠町の自宅に住み続けた。
(2) 被爆後の健康状態
原告X12は,被爆前は健康状態に問題はなかった。しかし,原告X12は,被爆直後の3歳頃から,しばしば腹を壊して病院に通院するようになった。その後も,原告X12は,小学校3年生くらいまで,度々ひどい下痢をし,病院に担ぎ込まれていた。母は,「よく死にかけていた」と言っている。
また,原告X12は,自宅や病院で貧血のためよく失神をしていた。原告X12は,小学校の中頃までは,とにかく体力がなく,病気になりやすかった。低学年のころ,足の付け根のリンパ腺が腫れ,病院で治療を受け,1週間ほど学校を休んで家で寝ていたこともあった。そして,大変疲れやすく,原告X12は,この倦怠感には,その後も20歳頃まで悩まされ続けた。
原告X12は,成人後も,扁桃腺肥大で,風邪を引きやすい体質であった。原告X12は,55歳頃,風邪で都立府中病院に1週間入院している。原告X12は,平成9年頃からは,高血圧で2箇月に一度,東京女子医科大学成人医学センターへの通院を続けている。平成19年か平成20年頃には,医師から腹部大動脈瘤が腫れているとの指摘があった。
さらに,原告X12は,平成19年11月には,東京女子医科大学成人医学センターで申請疾病である前立腺がんと診断され,平成20年3月に東京女子医科大学病院で手術を受けた。原告X12は,現在も約2箇月おきに通院しており,腫瘍マーカー等の検査による経過観察のため通院継続中である。
2 申請疾病(前立腺がん)の放射線起因性
(1) 原告X12の相当量の被曝
前立腺がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
原告X12は,放射線の影響を受けやすい2歳という幼少時の被爆であり,かつ,直爆したのみならず,その後も,昭和37年までその場所に住み続けている。長崎では,地形などの影響から爆心地の南東方向の原告X12の被爆地点にも相当量放射性降下物が飛散したと考えられ,原告X12は相当程度の放射線被曝をしていると考えられる。
また,幼少時にしばしば下痢を発症し,幼少期を過ぎてからも,リンパ腺が腫れるなどの症状が続き,成人になる頃まで倦怠感に悩まされ続けるなど,体調不良状態が長く継続しており,被曝の影響が強く体に現れているといえる。
さらに,本来高齢者に多い前立腺がんを,65歳という若年で発症していることからしても,原告X12は,相当程度の放射線被曝をしたものと考えられる。
(2) 改定後の新審査の方針との関係
原告X12の被爆地点は,長崎の爆心地から約3.6kmの地点であり,総合認定の対象となるとはいえ,積極認定対象被爆である「被爆地点が爆心から約3.5km以内である者」と比較して,僅か100mほど離れた場所にすぎない。原告X4について述べたと同様,3.5kmの地点を超えれば途端に放射線影響が0になるわけではなく,各種判決でも放射線起因性を認めたものがある。
したがって,原告X12の発症した前立腺がんには,放射線起因性が認められる。
3 申請疾病の要医療性
原告X12は,前立腺がんの切除手術を受けた後も,再発予防のための経過観察中であり,2箇月に1回,検査のため通院していることから,申請疾病には要医療性が認められる。
第9 原告X13について
原告X13の申請疾病は,胃がんであり,かつ,原告X13は昭和20年8月7日又は同月8日に爆心地付近に入市しているため,改定後の新審査の方針において積極認定の対象となるものである。しかし,被告は,胃がんによる胃切除後の後遺症の発症の事実を争い,また,原爆症認定申請時の要医療性を争っている。
なお,被告は,原告X13の申請疾病は胃がんであって,胃切除後障害は申請疾病に含まれないと主張するが,胃切除後障害は,胃がんの摘出術の後遺症であるところ,「胃がん」での申請は,当然に「胃切除後障害」をも含めて原爆症認定を求める趣旨であることは明らかである。かかる解釈は,別件同種訴訟や認定実務においても実例がある。
1 被爆状況及びその後の健康状態
(1) 被爆時の行動
原告X13(当時生後6箇月)は,昭和20年8月6日,神杉村廻神に疎開しており,同月8日から同月9日にかけて(同月7日から同月8日にかけての可能性もある。)爆心地付近に入市した。原告X13の母が原告X13を背負って原告X13の姉を連れ,三菱重工広島造船所に勤務していた原告X13の父を探しに行った。原告X13の母らは,広島駅まで芸備線の汽車に乗り,原告X13の父を探して広島駅から広島市南観音町の自宅方面に向かって市電の線路沿いを歩き,広島市基町,同市紙屋町及び同市十日市町辺りまで歩いたが,がれきに埋もれ,それ以上歩いて進むことができなかったため,広島市十日市町を過ぎた辺りで来た道を再び引き返した。
原告X13の母らは,その後も広島市内に二日ほどとどまって原告X13の父を探した。
(2) 被爆後の健康状態
原告X13は,被爆前の健康状態については問題はなかったと母から聞いていたが,被爆によって急性症状を発症したかどうかは確認していない。原告X13自身が幼すぎたことから不明であるにすぎず,急性症状がなかったと断定すべきではない。
その後,原告X13は,17歳頃,腎臓病を患い,40日間入院した。
そして,原告X13は,平成5年,48歳の時に胃がんと診断され,平成6年2月に胃の3分の2を切除した。
しかし,胃切除後の後遺症に悩まされ続け,現在に至るまで全く状況は変わっていない。具体的には,ダンピング症候群,逆流性食道炎及び鉄欠乏性貧血と医師から診断を受けた。また,巨赤芽球性貧血の状態にもある。
(3) 胃切除後障害の医学的機序,診断基準及び治療方法
被告は,原告X13の胃切除後障害の存在自体及び放射線起因性のいずれも争うので,以下,胃切除後障害の医学的機序等について述べる。
ア ダンピング症候群
ダンピング症候群には,早期に現れるものと後期に現れるものがある。早期の症状は,食後30分以内に突然出現する全身症状及び腹部症状であり,食物が胃から十二指腸,あるいは,上部空腸内に急速に排出されることが引き金になって起こる生体反応であり,冷や汗,動悸,めまい,しびれ,失神,顔面紅潮,顔面蒼白,全身熱感,全身脱力感,眠気,頭痛及び頭重,胸苦しさ,腹鳴,腹痛,下痢,悪心,嘔吐,腹部膨満感並びに腹部不快感などの諸症状を呈する。
ダンピング症候群は,胃切除により,速やかに相当量の食物を受け付け,それらを一定時間蓄えて効率よく徐々に腸に送り出すという胃の本来の役割が損なわれたために起こる症状である。診断基準は,昭和46年日本消化器外科学会で提案された中間報告案が一般的に使用されており(11項目のうち一つでも当てはまれば早期ダンピング症候群と判定するとされている。),食事との関連で生じる種々の症状や身体所見で診断が可能である。
原告X13は,冷や汗,めまい,全身がだるく力が抜けるようになること,腹痛,下痢,吐き気等の症状が出現しており,上記診断基準中,少なくとも6項目に該当しており,カルテにも「dumping(+)」との記載があることからも,ダンピング症候群であることが明らかである。
イ 逆流性食道炎
逆流性食道炎の症状は,胸やけ,逆流感,胸骨後部の灼熱感,口中の苦味,心窩部痛,しみる感じなどがある。
逆流性食道炎は,胃切除による噴門部の生理的逆流防止機構の破壊と,それに伴う胆汁,膵液などの消化液の食道内への逆流が繰り返されるために生じる。診断は,臨床症状及び上部内視鏡検査による。
原告X13には,胸焼け,逆流感などの臨床症状が出現しており,逆流性食道炎を発症していることは明らかである。
ウ 鉄欠乏性貧血
鉄の効率的な吸収のためには,胃酸による二価鉄から三価鉄への還元反応が起こらなければならない。しかし,胃の相当部分が切除されると胃酸分泌が低下し,還元反応が障害されるため,鉄の吸収障害が起こり,鉄欠乏性貧血が起こる。
貧血とは,血液単位容積当たりのヘモグロビン量の減少を意味し,WHOの基準によれば,成人男性では,13g/dl未満が貧血の指標とされている。鉄欠乏は,血清鉄とフェリチンの低下,不飽和鉄結合能(UIBC)の上昇によって診断され,巨赤芽球性貧血と区別され得る。
原告X13は,ヘモグロビン値が13g/dlを頻繁に下回り,血清鉄の値も正常値を頻繁に下回っており,鉄剤の投与がされている事実からも,鉄欠乏性貧血であることは明らかである。
エ 巨赤芽球性貧血
胃切除後には,ビタミンB12の吸収障害が起こり得る。切除された胃が極めて少量の食事しか保持できないため,胃粘膜がもはや機能しなくなり,胃内因子を生成することができなくなる。ビタミンB12の吸収を促進する胃内因子が分泌されないため,巨赤芽球性貧血が結果として引き起こされる。巨赤芽球性貧血は,血清ビタミンB12の低下によって診断する。
原告X13は,ビタミンB12の値の低下が顕著に認められ,メチコバールの投与を定期的に受けていることからも,巨赤芽球性貧血であることが明らかである。
(4) 被告の主張に対する反論
上記のように,原告X13の胃切除後障害の存在は明らかであるが,被告はその存在自体を否定するため,以下,反論する。
ア ダンピング症候群
被告は,原告X13がダンピング症候群を発症しているかどうかは不明であるとする。
しかし,原告X13は,医師から,ダンピング症候群の診断を受けているほか,カルテ上にも胃切除手術を受けた平成6年2月28日の直後である同年3月17日の欄にダンピング症候群の症状である下痢の症状が記載され,同年3月28日の欄にもダンピング症候群の症状である「腹痛(+),下痢(+)」の記載があり,それに対する治療薬として「アセナリン」と「ベリチーム」等が継続的に処方されている。同年4月11日の欄にも下痢の意味を表す「Diarrhea(+)」,「腹痛(+)」の記載,同年5月9日にも「腹痛(+),下痢(+)」の記載があり,手術直後からダンピング症候群が発症していたことが明らかである。
その後もこれらの症状は続き,平成12年3月23日,平成13年4月5日,同年7月19日及び平成14年1月31日には「dumping(+)」との記載もあり,原爆症認定申請日である平成20年6月5日の直前である同年5月8日の欄にも「dumping有 食後ひやあせ」との記載があり,申請直後の同年8月7日の欄にも「dumping有 ひやあせ」との記載があることから,原告X13が,胃切除後から原爆症認定申請時点まで継続してダンピング症候群を発症していたことが明白である。
原告X13自身も,「術後からすぐ,医師からは,ダンピング症候群だと聞いております。食後が特に倦怠感,脱力感が襲いまして,通常では立っていられないような状況に陥ることがあります。そういう症状で,下痢も起こしますし,それは毎食後,継続して起きております。」と述べ,その他,腹痛,冷や汗,めまい,吐き気,腹部膨満感などの症状があること,このような症状は胃切除手術を受ける前には全くなかったことを述べている。
また,原告X13のダンピング症候群の症状は非常に重く,毎食後横になって脱力感が去るまで待つ必要があり,具体的には,朝は出勤前で時間がないため,食事を少量にした上で,20分程度横になって休み,昼は食後30分ないし1時間程度横になって休み,夜は,1回目の食事をした後,30分ないし1時間程度横になって休んだ後,2回目の食事を取るというように,食事を分割して休みながら取らなければならないほどなのである。
なお,被告は,ダンピング誘発試験等の客観的な検査所見がないことを理由に,ダンピング症候群の発症を否定するが,食事との関連で生じる種々の症状や身体所見で診断が可能であり,通常は誘発試験等は行わずに診断がされる。診断基準としては,前述した昭和46年日本消化器外科学会で提案された中間報告案が一般的に使用されており,原告X13は,診断項目中,冷や汗,めまい,全身がだるく力が抜けるようになる,腹痛,下痢,吐き気等少なくとも6項目に該当し,ダンピング症候群であることが明らかである。
また,被告は,食事療法を自然と体得することにより,術後の経過により軽快するものとされていると主張するが,それは軽症のダンピング症候群の場合であり,原告X13のような重度の場合には当てはまらない。
イ 逆流性食道炎について
被告は,原告X13が,原爆症認定申請時に逆流性食道炎の状態にあったとはいえない,原告X13の逆流性食道炎は胃切除に伴うものとは認められないと主張する。
しかし,平成20年6月5日付け認定申請書添付のC1意見書の「現症所見」の欄には,疾病の名称を胃がんとした上で,後遺症として逆流性食道炎がみられるとの記載があり,また,健康管理手当用の平成11年3月19日付け診断書の所見欄にも,今後,胃切除後の後遺症である逆流性食道炎の発症につき定期的観察が必要との記載がある。
また,原告X13は,吐き気が出て嘔吐し,その際,一種独特の液が出てきたこと,胸焼けの症状があると述べており,逆流性食道炎の典型的な症状が出現している。
よって,原告X13の逆流性食道炎は,胃切除に伴うものであること及び原爆症認定申請時にも原告X13は逆流性食道炎の状態にあったことは明らかである。
ウ 鉄欠乏性貧血について
被告は,原告X13は,鉄欠乏性貧血の状態にあるとはいえないと主張する。
しかし,平成20年6月5日付け認定申請書添付のC1意見書の「現症所見」の欄には,「疾病の名称」を胃がんとした上で,後遺症として,鉄欠乏性貧血がみられるとの記載があり,虎の門病院医師のC16の平成6年3月30日付け診断書の「疾病の名称」の欄には「鉄欠乏性貧血」,下段の「その他特記すべき事項」の欄には「又 術後鉄欠乏性貧血状態であり」との記載がある。また,平成11年3月19日付け診断書の「疾病の名称」の欄には明確に「胃癌術後鉄欠乏性貧血」と書かれており,「所見」の欄にも「今後,胃切除後の後遺症」である「鉄欠乏性貧血の発症等につき定期的観察が必要」との記載があり,医師により,胃切除に伴う鉄欠乏性貧血であることが明確に認められている。
また,原告X13はヘモグロビン値が13g/dlを下回っており,血清鉄も低いことが明白である。
さらに,原告X13自身には,胸焼け,腹痛,全身倦怠感,めまい等の症状が現れており,鉄欠乏性貧血の典型的な症状が出現している。
エ 巨赤芽球性貧血について
被告は,原告X13は巨赤芽球性貧血の状態ではないと主張する。
しかし,ビタミンB12のデータについてみると,平成9年1月8日には374であったが,平成10年1月12日には325,同年4月2日には288,同年7月13日には254と激減していることからみれば,ビタミンB12が欠乏する巨赤芽球性貧血の状態にあると認めることができる。
以上によれば,原告X13が胃切除に伴いダンピング症候群,逆流性食道炎,鉄欠乏性貧血及び巨赤芽球性貧血の状態にあることは明白である。
2 申請疾病(胃がん)の放射線起因性
(1) 原告X13の相当量の被曝
胃がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
原告X13は,生後6箇月という若年で,母に背負われ,昭和20年8月8日(広島原爆の投下翌日である同月7日の可能性もある。)に,正に爆心地至近(広島市基町,同市紙屋町及び同市十日市町)を通過して市内を東西に往復しており,原告X13が放射性降下物や土壌及びがれき中の誘導放射化された物質による多量の残留放射線に被曝していることは明らかである。また,粉塵等の吸入や汚染された食べ物,水の摂取により内部被曝をしている可能性も大きい。したがって,原告X13が相当量の放射線被曝をしたことは明らかである。
(2) 胃切除後の後遺症の放射線起因性
胃を切除しなければ胃切除後の後遺症は発症しないのであるから,胃がん自体に放射線起因性が認められるのであれば,当然,胃切除後の後遺症にも放射線起因性が認められる。平成20年6月5日付け認定申請書の「被爆直後の症状及びその後の健康状態の概要」の欄には,「平成6年,胃がん手術,その後,今日まで,後遺症として,ダンピング症候群,鉄分不足で悩まされ,現在治療中」と記載があり,同申請書添付のC1意見書には,「現症所見」の欄に,「現時点で,ビタミンB12の継続的な注射を行っているが,後遺症としてダンピング症候群,逆流性食道炎,鉄欠乏性貧血がみられる」との記載がある。
また,原告X13の胃切除後の上記症状が胃がんの治療として胃を切除したことによるものであることは,上述した胃切除後障害の医学的機序からして明らかである。
さらに,原爆症認定申請は,原告X13が胃がんの摘出術を受けてから14年経過した時期にされたものであり,医療を要する状態にあるのは,胃がんの再発に対する経過観察のみならず,胃切除後障害の治療のためでもある。
よって,原告X13に発症した胃がんのみならず,胃切除後障害にも放射線起因性が認められる。各種判決からも明らかであり,別件同種訴訟においても実例がある。
3 申請疾病の要医療性
(1) 胃がん
原告X13は,胃がんについては,1年に一度の再発予防と残胃がんの確認のための胃カメラ検査を行っており,要医療性がある。
これに対し,被告は,定期検査等による1年に一度の通院といった積極的な治療を施さない経過観察を受けていることをもって要医療性ありとはいえないと主張するが,原告X13は,医師から,胃がんの再発の可能性を指摘されており,それを予防するために,医師の指示の下,上記検査を行ってきた。胃がんの再発は高頻度で起こるものであるから,それを予防する検査は必ず必要になるものである以上,積極的治療に匹敵するものと考えるべきである。各種判決も同様の判断である。
(2) 胃切除後の後遺症
ア ダンピング症候群
治療には原則として食事療法が行われ,苦痛を緩和するための対症療法には,薬物療法が行われる。薬物療法には,一般に消化剤や整腸剤が使用される。
原告X13は,継続的な食事療法のほか,約3箇月に一度の経過観察のための通院,治療薬のアセナリン,ベリチーム等の処方を受けており,原爆症認定申請後はビオフェルミンの処方も受けている。
原告X13は,整腸剤や消化剤の服用のほか,医師から,とにかく食事をゆっくり少量に分けて数回に,できれば1日6回とかそういう状況で食べて,胃を慣らすようにしてよくかんで,ゆっくり休みながら時間を掛けて食べるようにとの食事療法の指導を受けているとしており,実際に退院から現在まで,毎食時,医師から言われた食事療法をできる限り心掛けて実行している。また,医師から飲酒量を抑えるように言われており,原告X13は,その指示に従って休肝日を週2回設けているとしているものであって,食事療法を実行しているのである。
これに対し,被告は,原告X13がアルコールを摂取していたことを捉え,アルコール摂取が下痢の要因となっていたことも否定することができないと主張するが,原告X13は,酒を飲んだ日と飲まない日とで,食後のつらい症状に違いはないと述べ,医師からも食後のつらい症状が酒によるものだという説明を受けたことはないのであるから,下痢がアルコール摂取を要因とするものだとする根拠はない。
また,被告は,ベリチームは平成22年6月3日から投薬されているのであり,原爆症認定申請後に処方されているにすぎないと主張するが,ベリチームの処方は平成6年3月28日からであり,明らかに原爆症認定申請前,しかも手術直後に処方されている。
さらに,被告は,ベリチームもビオフェルミンも早期ダンピング症候群の薬物療法に用いられる薬剤ではないと主張するが,ベリチームは,消化作用のある消化酵素薬であり,ビオフェルミンは下痢を抑制する整腸薬であって,早期ダンピング症候群の対症療法として適切な処方薬である。そもそもダンピング症候群の治療は食事療法を中心に行われるものであり,投薬は,補助的な対症療法である。つまり,食事療法という中心的治療こそが要医療性の判断となり,投薬の有無に左右されるものではない。原告X13は,胃の摘出後現在に至るまで何年もの間,毎食後ダンピング症候群の症状に襲われ,連日のように苦しんでおり,そのために適宜医師と相談するなど,医師の管理下において,医師の指示を仰ぎながら治療効果向上を目指しているのであるから,現に医療を要する状態にあることは明らかである。被告の主張は,ダンピング症候群の治療といえるためには,消化ホルモンに対する拮抗薬や精神安定剤が処方されている場合に限定されているというように読めるが,このように薬剤を限定しなければならない根拠はなく,食事療法や対症療法としての治療薬の投与であっても,医師の指示の下で行われる現在起きているダンピング症候群の症状に対する治療である以上,これが医療効果の向上を図るべく必要かつ適切な内容において行われる範囲の医療であることは明らかである。
イ 逆流性食道炎
治療には,食事指導のほか,薬物療法が行われる。薬物療法には,ヒスタミンH2受容体拮抗薬などが使用される。
原告X13は,3箇月に一度,経過観察のため通院し,治療薬として,ガスター等の処方を受けている。ガスターは,胃酸分泌抑制薬(ヒスタミンH2受容体拮抗薬)であり,逆流性食道炎の治療薬であることは明らかである。
ウ 鉄欠乏性貧血
治療には,鉄剤が経口投与される。
原告X13は,3箇月に一度,経過観察のため通院し,平成20年5月8日には鉄剤であるフェロ・グラデュメットの処方を受けている。
これに対し,被告は,フェロ・グラデュメットを1回処方するだけでは,治療が必要な鉄欠乏性貧血の処方とはいえないと主張するが,1回の処方だけであっても,医師が鉄欠乏を補う必要性があって投与したのである以上,当然,現に医療を要する状態にあるといえる。
エ 巨赤芽球性貧血
治療として,巨赤芽球性貧血の予防の観点からビタミンB12の定期的な注射が行われる。
原告X13は,3箇月ないし6箇月に一度,経過観察のため通院し,ビタミンB12を補うためのメチコバールの注射を受け続けている。
これに対し,被告は,予防的な投薬は要医療性があるとはいえないと主張するが,ビタミンB12の欠乏はこれを放置しておけば様々な合併症を起こし,これらを治すのは非常に困難となるため,ビタミンB12が欠乏してから治療をしても遅いのであり,ビタミンB12が減少し続けている状態でメチコバールを投与することは当然のことである。
以上のとおり,原告X13の受けているこれらの治療は,胃がんのための胃切除に伴う必然的,不可避的な治療であり,胃がんに罹患したことに起因して発症した後遺症に対する治療であることは明白であり,原告X13が医療を必要とする状態にあることが明らかである。したがって,申請疾病のうち胃切除後障害としての上記各疾病についても要医療性が認められる。各種判決及び別件同種訴訟の実例も同様である。
第10 原告X14について
原告X14の申請疾病の心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,かつ,昭和20年8月9日に長崎の爆心地から約3.5kmの地点で直爆を受け,また,同月10日には長崎市内に入市して爆心地付近を通過したものであるから,再改定後の新審査の方針による積極認定対象被爆にも該当し,放射線起因性が認められるはずである。しかし,被告は上記入市の事実を争うなどしている。
1 被爆状況及びその後の健康状態
(1) 昭和20年8月9日被爆時の行動
原告X14(当時14歳)は,昭和20年8月9日,長崎市麹屋町〈以下省略〉の自宅(爆心地から約3.5km)で直爆を受けた。原告X14以外の家族は長崎県南高来郡加津佐町(現在の南島原市)にある母の実家に疎開していた。原告X14は,長崎商業学校に在学中であったが,前年の昭和19年4月1日から学徒動員で三菱兵器大橋工場に勤務していたため,長崎の自宅に残って生活していた。原告X14は,昭和20年8月9日当日は,朝から勤務先である三菱兵器大橋工場で働いていたが,勤務中に警戒警報が発令されたため,警戒警報が解除されるまで工場から離れて自宅の町内の消防団の仕事を手伝うようにと命じられた。そこで,原告X14は,自宅の町内の消防団の詰所に行ったものの,学生は空襲警報が発令されるまで自宅で待機するようにと言われたため自宅に戻り,2階の自室において待機していた。同日午前11時頃,上空から爆音が聞こえてきたため,原告X14は,自宅2階の自室のガラス窓を開け,窓際から上空を見上げた。すると,上空に爆撃機が飛んでおり,その爆撃機から落とされた落下傘がゆらゆらと落ちてくるのが見えた。その瞬間,落下傘の方向がピカッと激しく光った。
そして,激しい閃光があったすぐ後に,今度は強烈な爆風が襲って来て,原告X14の自室の隣の部屋の屋根が大きな音を立てて崩れ落ち,自室にも大量の粉塵が入ってきた。結局,自宅は,屋根が崩れるなど半壊したが,幸い火事には至らなかった。
原告X14は,更なる空襲に備え,すぐに自宅の敷地内にあった防空壕に一時的に避難し,その後,正午過ぎ頃,近所の者らと共に,長崎市寺町にあった墓地の周辺の竹林に避難した。竹林に着いた頃,黒い雨が20分くらい降り,原告X14は,これに打たれてずぶ濡れになった。結局,原告X14は,同日は,近所の者らと共にこの竹林の中で野宿した。
(2) 昭和20年8月10日以降の行動
昭和20年8月10日,原告X14は,一緒に長崎市寺町の竹林に避難していた近所の親しい者から,その者の息子を探しに行ってくれないかと頼まれた。その息子は,当時,長崎医科大学に通っていたが,同大学から帰って来ないということだった。
そこで,原告X14は,その息子を捜索するため,同日正午過ぎ頃に長崎医科大学に向けて長崎市寺町を出発した。原告X14は,徒歩で電車道を通って北上し,長崎市松山町辺りで東の方に曲がり,爆心地付近を通過して長崎医科大学にたどり着いた。
長崎市内は一面焼け野原であり,ほとんどの建物が崩れ落ちていて,まだ火がくすぶっている建物もあった。至る所に黒焦げになった人の死体が転がっていた。原告X14は,長崎駅を過ぎた辺りで,2倍くらいの大きさにふくれあがった馬の死体を目撃した。また,浦上駅辺りは特に異臭が強く,原告X14は,何度も吐き気を催すほどであった。さらに,原告X14は,三菱長崎製鋼所の鉄骨がグニャグニャになっているのを目撃し,爆弾の威力の凄さにショックを受けた。原告X14は,途中で,山王神社の一本足の鳥居を見たことを記憶している。
長崎医科大学の辺りに到着すると,辺りはがれきの山になっていた。現地にいた大学関係者とおぼしき人物に尋ねてみたが,爆弾が落ちた当時は木造校舎の中で授業中であったため,教員も学生もほとんど即死してしまったのではないかということであった。
原告X14は,長崎医科大学で1時間ほど捜索を続けたが,発見することができなかったため,やむを得ず,来たときと同じルートで長崎市寺町に引き返した。原告X14が長崎市寺町の竹林に帰ってきたのが,同日午後5時頃であり,結局,原告X14はこの日,4時間ないし5時間ほど,長崎市内の爆心地付近を歩き回っていたことになる。
なお,昭和32年6月18日付け被爆者健康手帳交付申請書添付の居所証明書では,3の「はいりこんだ時」の欄に「八月十二日」,「その理由」の欄に「当時医専の学生であった友人の遺骨さがし。医大の構内に。」と記載されているが,これは原告X14の記憶違いである。同証明書を作成したのは,昭和32年であり,原爆投下から12年後のことでかなり時間が経っている。被爆後,原爆の性質が徐々に明らかにされ,当時,長崎の地には70年間草木も生えないということがまことしやかにうわさされていた。そして,被爆したために,将来,結婚や就職などで不利になる,被爆した事実はできるだけ隠した方がよいという意識が働き,入市の日時を実際の日時よりも遅らせて記載した可能性がある。また,原告X14は,捜索に出掛ける前は,長崎市内が焼け野原になっていることも知らず,その息子が死亡しているとは思っていなかったので,友人の遺骨を探しに行ったとの上記記載も記憶違いである。
(3) 被爆後の健康状態
原告X14は,被爆前の健康に問題はなかったが,被爆直後の昭和20年8月12日頃から,吐き気,嘔吐,発熱,ひどい下痢,歯茎からの出血,脱毛などの症状が出始めた。さらに,同年10月頃からは,ひどい倦怠感に悩まされ,その症状は,昭和21年3月頃まで続いた。また,昭和22年頃からは,慢性の下痢の症状が始まり,その症状はその後約40年近く続いた。
原告X14は,昭和27年,肛門周囲膿瘍にかかり手術を受けたが,その後も膿みが止まらなかったため入院し,退院するまで3回も同じ手術を受けた。原告X14は,昭和31年及び昭和39年,内痔核の手術を受けたが,その後,再発し,現在も座薬や軟膏などの薬で治療を受けている。原告X14は,昭和31年,肺結核にかかり,その後2年間,治療のために国立療養所に入院した。原告X14は,昭和54年,変形性脊椎症にかかり,現在も治療している。原告X14は,平成14年,前立腺肥大症にかかり,同年3月には温熱療法による治療を受けたが,症状は改善せず,現在でも治療を続けている。
原告X14は,平成24年1月6日,下腹部に痛みを感じ,杏林大学附属病院でMRI検査を受けたところ,前立腺がんの可能性がある,骨転移の可能性もあると診断された。原告X14は,同月17日,大量の下血があり,同月18日に同病院に入院し,同月21日まで精密検査を受けたが,がんの特定には至らなかった。しかし,同年8月27日,再び同病院でMRI検査を受けたところ,前回検査より前立腺が軽度増大しており,前立腺がんの疑いとの診断がされた。さらに,原告X14は,同年12月11日にも大量の下血があったため,同月12日から同月18日まで同病院に入院して精密検査を受けたが,やはりがんの特定までには至らなかった。
また,原告X14は,平成11年3月6日に激しい胸痛等の発作が起こり,同月10日から同月21日まで久我山病院に入院し,その後,同月25日から2週間,杏林大学附属病院に通院して精密検査を受け,心筋梗塞と診断された。原告X14は,現在も3箇月おきに杏林大学附属病院に通院するほか,平成16年3月16日からは,木下循環器科クリニックにも1箇月に1回通院している。いつ心筋梗塞の発作が起こるか分からないため,外出する際には必ずニトログリセリン,健康保険証及び被爆者健康手帳を携帯することが不可欠である。
なお,昭和32年6月18日付け被爆者健康手帳交付申請書添付の原爆被爆者調書票の「原爆による急性症状」の欄には,急性症状の記載がない。しかし,これは,上記の居所証明書の記載と同様の事情で,被爆の事実をできるだけ隠したいという気持ちから,原告X14が特に記載をしなかったものである。
2 申請疾病(心筋梗塞)の放射線起因性
(1) 心筋梗塞の放射線起因性
心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
念のため付言すると,被爆者の死亡率に関する追跡調査である放影研の寿命調査(LSS)が,最初に循環器疾患の死亡率に線量反応関係があること,すなわち,被爆放射線量と心疾患との間に有意な関係があることを示唆したのはLSS第11報第3部である。続くLSS第12報第2部,LSS第13報,更に最新のLSS第14報でも循環器疾患の死亡率に線量反応関係があることが認められた。
また,疾患の発生率に関する調査である成人健康調査(AHS)では,AHS第7報において若年被爆者の心筋梗塞の増加が示唆され,続くAHS第8報では,被爆時年齢40歳未満の若年被爆者における心筋梗塞発症率に有意な二次の線量反応関係が認められた(原告X14は被爆時14歳である。)。
そして,原爆放射線は,動脈硬化の促進に抗する生理的,免疫学的防御機構に長期間にわたって影響を与え,心血管疾患発症の原因となったことが指摘されているところである。
以上のとおり,心筋梗塞の放射線起因性については,疫学的に因果関係が認められるのみならず,その機序についても相応の科学的根拠があり,放射線起因性が認められることは明らかである。
(2) 原告X14の相当量の被曝
原告X14は,被爆時年齢14歳で,爆心地から約3.5kmの地点で遮蔽物のない状況で直爆を受けた。のみならず,原告X14は,その後約20分にわたり黒い雨に打たれ,また,昭和20年8月10日に爆心地付近まで入市するなど,放射性降下物や誘導放射化された環境に身を置いたことにより,残留放射線にさらされることとなった。そのため,原告X14は,被爆前は健康体であったが,被爆直後から吐き気,嘔吐,発熱,歯茎からの出血,下痢,脱毛,倦怠感などの急性症状を発症した。加えて,原告X14は,その後も様々な疾病に苦しんだ上で,今回の申請疾病である心筋梗塞の発症に至っている。
したがって,原告X14の発症した心筋梗塞には,放射線起因性が認められる。
(3) 他原因論に対する反論
これに対し,被告は,原告X14の心筋梗塞は,原爆放射線により発症したとはいえず,むしろ,長年の喫煙習慣,加齢,高血圧,脂質異常症といった原爆放射線以外の要因(危険因子)が重畳的に存在していたことにより発症した旨主張している。
しかしながら,高血圧については,AHS第8報でその有意な増加が報告されており,また,脂質異常症についても,AHS第8報の血清総コレステロール値に関する解析で,被爆者のコレステロール値が非被爆者に比べて有意に高いことが報告されている。
また,がん以外の死亡率について報告したLSS第12報第2部では,「潜在的な重要交絡因子の影響はきわめて小さいので,LSS集団において放射線とがん以外の死因による死亡率との間に見られる関連性は交絡に起因するものではないと思われる。」と明確に総括されている。
したがって,上記のいくつかのリスクファクターがあったとしても,原告X14の申請疾病である心筋梗塞の放射線起因性を否定することはできない。
より具体的には,まず喫煙に関しては,20歳から50歳までの間吸っており,本数は1日当たり5本ないし6本程度であった。そして,原告X14が心筋梗塞を発症したのは68歳の時であるから,それよりも18年も前に喫煙は止めていたことになる。
また,被告は,原告X14が58歳の時に脂質異常症と指摘されて栄養指導をされ,頻繁に甘い物等を間食する食生活を継続してきたようであるなどと主張する。しかし,原告X14は58歳で酒を止めたため,甘い物を少しは食べるようになったが,それは,暴飲暴食など,甘い物を食べ過ぎたなどということではなく,ほんの間食でぼた餅を一つ食べる程度のものであった。そして,医師からの栄養指導を受けて以降は,間食は全くしなくなり,ほとんど甘い物も口にしなくなった。
なお,被告は,原告X14には50歳頃から年に一,二回の頻度で胸痛発作がみられており,原告X14はこの時点で既に狭心症を発症していた可能性が高いと考えられると主張する。この点,心筋梗塞を発症する以前に,その前触れ的な胸痛は起こり得るのであり,冠動脈狭窄による狭心症の状態があった可能性がある。そして,こうした狭心症がより若年で発症していたのだとすれば,より放射線被曝の影響があると考えられる。被告は,喫煙を止めた時期と胸痛発作が生じた時期が近接するために,上記狭心症状態が喫煙の影響により生じたことを強調するものであるが,リスクファクターがあるからといって放射線起因性を否定することはできないのは前述したとおりであるし,喫煙を止めてから18年も経ってからより重い心筋梗塞を発症したのであるから,いずれにしろその影響が大きいということはできない。
3 申請疾病の要医療性
原告X14は,現在,杏林大学附属病院には3箇月に1回の頻度で,木下循環器クリニックには1箇月に1回の頻度でそれぞれ通院し,主治医の指示による内服治療を継続していることから,申請疾病には要医療性が認められる。
第11 原告X15について
原告X15は,広島の爆心地から約1kmの地点で被爆しており,改定後の新審査の方針における積極認定対象被爆である。また,申請疾病である狭心症は,発生機序など積極認定対象疾病である心筋梗塞と極めて類似した疾患である。そして,原告X15の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
1 被爆状況及びその後の健康状態
(1) 昭和20年8月6日被爆時の行動
原告X15(当時13歳)は,昭和20年8月6日,広島市雑魚場町(爆心地から約1km)で直爆を受けた。広島県立呉第二中学校に在学中であったが,学徒動員のため広島市雑魚場町の屋外で待機していた時,写真機のストロボが目の前でたかれたような強烈な光を感じた。原告X15は,爆風で吹き飛ばされ,気を失い,気がつくと,元の場所ではないところに倒れていた。被っていた制帽はなくなっており,開襟シャツもズボンも破れていた。原告X15は,顔面,特に左側が腫れ上がっているような感じを覚えた。また,右腕が腫れ上がり,両足もやけどをしていた。左腕はガラス片によって負傷した。辺りには砂埃や黒煙が立ち込めていた。
ともかく内神町にある親戚の家に帰らなければと思い,広島駅の方へ逃げた。他の被爆者がぞろぞろ歩いていたので,それについて行った。広島駅までたどり着くと,駅は破壊されており,列車の運行は不可能となっていた。原告X15は,駅北口にある集会所のような建物に避難したが,大怪我をした者がどんどん押し寄せるように集まってきて,「歩けるなら出て行け」と言われたため,そこを出て線路に沿って歩き続けた。
向洋駅の手前辺りに怪我人が集まっている建物があり,原告X15は,中に入ってしばらく休んだ。その際,灰色の雨が降ってきて,原告X15はその飛沫を浴びた。夕方頃,このままここで死んでしまうのではないかという不安にかられ,原告X15は,建物を出て,再び海田市駅を目指して歩き始めた。たどり着いた海田市駅でも,たくさんの負傷者がおり,原告X15も数時間列車を待ったところ,ようやく列車が折り返しの運転を始めた。原告X15は,周囲の者に手助けしてもらって呉駅行きの列車に乗せてもらった。
呉駅に着いたとき,原告X15の母が心配して呉駅で待っていてくれた。しかし,原告X15の顔が腫れ上がっていたため,原告X15が近付いていっても母は自分の息子だと気付かなかった。原告X15が母の目の前で「オレだよ。オレだよ。」と言うと,母はびっくりした顔をして「おまえは本当に宣明か。」と言った。母に再会した途端,原告X15は,一歩も歩けなくなってしまい,そのまま呉駅の近くにある海軍の共済病院に運ばれ,入院した。
(2) その後の状況
原告X15は,病院では治療らしいことは受けられず,右腕に湧いたウジを原告X15の母が箸で1匹1匹取り除くような状態だった。約1週間後,原告X15は,自力で動くことができなかったため,板の担架に乗せられて退院し,内神町にある親戚の家に戻った。
昭和20年8月15日の終戦後は広島県尾道市の奥の方に移動したが,その時も動くことのできるような状態ではなく,荷車に乗せられて行き,同市でも寝たきりの生活をしていた。
(3) 被爆後の健康状態
原告X15の被爆前の健康状態に問題はなかったが,被爆直後から血尿と血性下痢の症状が生じた。食べたり飲んだりした途端に血性下痢や血尿が出るという状態だった。高熱や嘔吐の症状も出た。嘔吐は昭和20年8月中,高熱は同月末か同年9月の始め,血尿や血性下痢の症状も同月末頃まで続いた。やけどと外傷は化膿して1箇月以上治らず,顔面から首の辺りの左半分には目立つケロイドが残った。右腕にもケロイドができた。左腕にもガラス片と思われる異物が残った。
被爆からしばらくして紫色の斑点が顔,腕及び足に出た。また,常にだるいと感じるようになり,疲れやすく,耐久力もなくなった。さらに,左足の外側や背中の左側は麻痺して感覚のない状態が被爆後10年くらい(背中は20年くらい)続き,右手は今でもうまく握ることができない。
その後,原告X15は,42歳の頃(昭和49年頃),十二指腸潰瘍で九段坂病院に入院した。47歳の頃(昭和54年頃),糖尿病を患い,平成7年にインスリンが導入された。また,平成21年頃からは,めまいが頻繁に起こるようになった。平成23年12月頃,40℃の高熱が続いて入院し,それから数箇月間,原告X15は入退院を繰り返した。この時の検査で脳梗塞が3箇所発見された。左耳の難聴や左目の視力低下も顕著となった。原告X15は,平成25年2月には,急性腎盂腎炎で入院した。
申請疾病である狭心症の状況は,次のとおりである。原告X15は,平成9年7月頃から息苦しさを覚えるようになったため,中野総合病院に行ったところ,同病院の紹介により,心臓血管研究所付属病院に入院し,精密検査を受け,狭心症と診断された。この時の冠動脈造影の結果は,冠動脈の主要な3本の血管である右冠動脈,左前下行枝,左回旋枝のいずれにも狭窄のある3枝病変であった(#4PD:75%,#6:70%,#9:99%,#10:100%,#11:90%,#13:99%,#14:99%)。その後,#6,#11,#13及び#14にバルーン拡張術(POBA)と経皮的冠動脈再建術(PTCRA)が施行された。ところが,平成11年の冠動脈造影で前下行枝と回旋枝が再狭窄(#6:75%,#11:75%,#14:90%)していたため,平成11年6月17日,心臓血管研究所付属病院において,冠動脈バイパス手術を受けた。原告X15は,平成19年に冠動脈造影検査を受け,右冠動脈にステント挿入(PCI)を受け,平成20年に#6にステント挿入を受けた。原告X15は,平成23年にも#2にステント挿入を受け,平成24年2月の冠動脈造影検査でステント内再狭窄が分かり,同年3月13日,#2に再度ステント挿入を受けた。
そして,現在,原告X15は,毎月1回は検査のために心臓血管研究所付属病院に通院し,1年に一,二回,カテーテル検査を受けている。また,薬の服用も続けている。
(4) 被爆者健康手帳の記載に基づき被爆場所を特定するのは相当でないとの被告の主張に対する反論
被告は,広島市雑魚場町付近では,動員学徒等の約80%が死亡したとされており,このような致死的な状況であったにもかかわらず,原告X15が主張する程度の被害にとどまっている点においても,被爆者健康手帳の被爆場所の記載の正確性ないし被爆者健康手帳の申請時における原告X15の申請内容の信用性は疑義が生じると主張する。
確かに,原告X15は広島市内の地理に明るくないため,正確な被爆地点が多少異なっている可能性があるが,原告X15の被爆地点が広島市雑魚場町付近であることに変わりはない。すなわち,「広島原爆戦災誌」に記述があるとおり,昭和20年8月6日当時,建物疎開作業は,中国新聞社の裏手にある広島市堀川町や広島市下流川町等から広島市雑魚場町にかけて広く行われていた実態を踏まえ(いずれも爆心地から約1kmないし1.5kmに位置している),中国新聞社建物の近くへ作業に行った原告X15の申請に基づき「広島市雑魚場町」という被爆者健康手帳を交付されたものである。
(5) 原告X15の被爆状況に関する陳述は信用することはできないとの被告の主張に対する反論
被告は,原告X15の陳述について「齟齬」や「変遷」などとるる述べて信用性がないなどと主張しているが,被爆者の供述等の持つ重要性や特殊性を全く理解していない点で失当といわざるを得ない。しかも,以下で述べるとおり,被告が原告X15の陳述について指摘する各内容は,いずれも些末にすぎないものばかりであり,供述の重要性を何ら否定するものでない。
ア 戦没学徒出身校の記録について
被告は,戦没学徒出身校の記録をみても,原告X15が通っていた広島県立呉第二中学校の記録はないと主張する。
しかし,被告が依拠する学徒動員誌は,「名簿は関係学校に照合して蒐集したものであるが,何分戦後相当の時日を経ており調査は極めて困難であった。従って脱漏,誤字があることを免れない」「よって追加,訂正を要するものは本会にご報告あれば補遺訂正して完璧を期したい」と記載されているとおり,不完全なものである。ここに記録されていないことと,原告X15の供述は何ら矛盾するものではない。
イ 被爆後の経路について
被告は,戦時中の物資不足による供出のため,昭和18年頃までに,親柱等のワシの像も欄干の「猿猴」の透かし彫りも撤去され,「猿猴」の透かし彫りがされていない石の欄干に交換されていたため,原告X15が被爆直後に広島駅方面に逃げる際に通ったとして鮮明に記憶していると供述する猿猴橋の状況は,客観的事実とは明らかに齟齬しているとも主張している。
しかし,当時,広島駅前には駅前橋,猿猴橋及び荒神橋の三つの橋が架かっていたところ,駅前橋は被爆により落橋している。そして,原告X15が「市電は通っていませんでした」と供述するとおり,残る猿猴橋と荒神橋のうち,市電の線路が敷設されていないのは猿猴橋だけであり,原告X15の陳述は,十分に客観的事実と一致している。また,細部については,69年前の極限状態下での記憶が混同するなどの可能性はあるにせよ,そもそも原告X15が猿猴橋を知っていたのは,幼少の頃に親に連れられて買い物に行ったことがあったためであり,全体として橋を見間違うようなことも考えられない。
ウ 「変遷」という主張について
被告は,当初,一貫して広島市雑魚場町としていた直爆の地点を,本件訴訟に至って,突如,中国新聞社付近へと変遷させた合理的な理由は全く説明することができないと主張しているが,前述のように,中国新聞社の裏手にある広島市堀川町や広島市下流川町等から広島市雑魚場町にかけて広く建物疎開作業が行われていたのが実態であり,それを基に原告X15は被爆体験を申告して「雑魚場町」と記載された被爆者健康手帳の交付を受け,本件訴訟においても同様の供述をしているのであり,何らの変遷もない。
この点,被告は,広島市雑魚場町は爆心地から約1kmであるのに対し,中国新聞社は爆心地から約900mであることからすると,原告X15の上記陳述の変遷は,原爆症認定を受けやすくするために,より爆心地に近かったとする趣旨でされたものであるとも考えられるとか,恣意的に変遷させたものと解する方が合理的とさえいえる等とも主張しているが,原爆症認定を受ける上で被爆地点0.9kmと1kmで実質的な違いがあると考えている時点で失当であるし,何よりこのような根拠のない憶測に基づいて恣意的に変遷させたなどと,いわば被爆者が嘘をついているかのごとく主張すること自体が,余りに非常識といわざるをえない。
なお,被告は,原告X15の被爆当時の状況についても変遷があるとか,陳述を翻したなどと主張しているが,原告X15が広島市雑魚場町付近で建物疎開に動員されていたという重要な点は一貫している上,被告の指摘する内容も当時の状況を詳しく説明しただけにすぎず,「変遷」などという評価自体が誤りである。
(6) 原告X15の直爆の地点については,ABCCの調査記録の記載に基づき爆心地から1.92kmと認定するのが合理的であるとの被告の主張に対する反論
被告は,ABCCの調査記録の信用性は一般的に高く,原告X15に係るABCCの調査記録の信用性も高いと主張している。
しかし,以下に述べるように,ABCCは原爆を投下した米国の調査機関であること,調査はするが治療はしないこと,社会における被爆者に対する差別的扱いなどから,被爆者はABCCの調査に対して強い不信感や反感を抱いており,その調査記録は被爆実態を必ずしも正確に反映したものにはなっていない。各種判決においても述べられてきたところである。
ア 被爆者がABCCに対して強い不信感を抱いていたこと
ABCCは,広島及び長崎に原爆を投下し,類例のない死者が出た米国の設立した機関であり,原爆投下によって多大な被害を受けた被爆者にとってABCC(及び米国)は怨恨の対象であった。加えて,多くの被爆者は,ABCCが体を隅々まで調べるものの,一切治療はしてくれない機関であるということを知っており,多くの被爆者にとってABCCは何をされるか分からない畏怖の対象であった。平成7年5月に,中国新聞に「治療しない研究所」として連載された取材記事は,ABCCの暗部に触れた数少ない報道記事の一つであり,「被爆者をモルモット扱いしているという日本側の抜き難い不信」「被爆者が逆に,利用されているという不信感を募らせたのも無理はない」,原爆病院で血液検査を受ける被爆者について「ABCCは被爆者を奪われるのではないかと警戒した」「消えない不信の最大の要因は,被爆者の遺体解剖にあったようだ。そんな声を多くの被爆者から聞いた」と言及している。
したがって,被爆者の立場では,こうしたABCCの調査に積極的に協力するということはおよそ考えられないことであり,被爆者が調査の継続を嫌って自身の症状を正確に告知しようとしなかったことは,容易に想像することができる。
イ ABCCが行った調査は,被爆者の人間としての尊厳を踏みにじり,極めて屈辱的なものであったこと
ABCCが行った被爆者の調査は,① 女性も子供も例外なく裸にして写真を撮る,② 腋毛,恥毛,肛門周辺の毛等のあらゆる体毛を観察される,③ 女性は乳房の大きさや形状の分類がされる,④ 男性は陰茎の長さまで測られる,⑤ 死亡直後の被爆者の遺族の下に行き,遺体を解剖させてほしいと要求する等のものであった。このように,ABCCの調査は,被爆者をモルモット扱いするような方法で行われており,被爆者の人間としての尊厳を踏みにじり,極めて屈辱的なものであった。
したがって,被爆者がABCCの調査に利用されていると感じ,不信感を抱くと同時に,調査を早く終わらせ,二度と調査を受けることがないように自身の被爆状況,急性症状を正確に告知しなかった被爆者が多くいたことは容易に想像することができる。
ウ 被爆者が差別等を恐れて被爆の事実を過小申告する傾向があったこと
当時,被爆者に対しては,根強い差別や偏見があり,多くの被爆者は,自身の就職や結婚等の際にそうした差別を受けることを恐れ,自身の被爆体験や急性症状等を隠す者が多かったという現実がある。特に,低年齢の被爆者については,その両親が代わってABCCの調査を受けているケースが少なくないが,その場合には,なおさら親が我が子の将来を案じ,放射線ないし放射線の影響をできるだけ隠そうとした。現に原爆症がうつるといわれたことさえあり,また,上記のような被爆者の立場からみたABCCの評価を考えれば,ABCCの調査に対して,被爆者としてはできるだけ被爆による影響から自らないし子を遠ざけようとしていたと容易に想像することができる。
エ 被爆者にとって原爆投下後比較的間がない時期に,自らの被爆体験や身体症状について語ること自体が非常な苦痛であったこと
原爆投下から生き残った被爆者の多くは,その後も,自分の家族や周囲にいた被爆者が,原爆症で苦しみ,死んでいく姿を目の当たりにしている。それゆえ,いつ自分も原爆症に倒れるか分からないという恐怖感や不安を常に抱えたまま生きているのである。また,そうした認識が,結婚へのためらいや結婚を許さない差別,出産における不安や被爆の周囲への秘匿,そして広く社会的な不利益へとつながるものであった。
急性症状の記憶は,被爆者にとっては,凄惨な被爆体験を思い起こさせることになる。悲惨な体験をした被爆者は,その体験自体を記憶の中から閉め出すことによって,何とか人間としてのバランスを保って生活をしているというケースが少なくない。被爆後は被爆体験について心を堅く閉ざしてしまい,心を開くことができるようになるまで長期間を要するという被爆者も多い。
こうした心理状態にある被爆者が,ABCCの調査を受けた際,「二度とあの悲惨な経験を思い出したくない」「早く調査が終わってほしい」との思いから,「急性症状はなかった」と回答したことも少なくなかった。また,治療機関でもないABCCに対して,自身の健康不安をあおられるような調査に余り協力したくないと思うのも自然であった。
オ ABCCが被爆者のための治療機関ではなく,調査対象が近距離被爆者に限定されていたこと
ABCCによる調査の目的は,原爆の放射線が人体に与える長期的影響を調査することにより,原爆の軍事利用ないし原子力推進を目的としたものであり,何よりも優先されるべき目の前で苦しんでいる被爆者の治療という目的が欠如したものであった。
また,ABCCによる調査では,原爆投下時に広島や長崎市内にいなかった者は解析に含まれておらず,近距離被爆者を主眼において調査を行っていた。このように,調査対象を選別し,調査が近距離被爆者に主眼が置かれていることから,入市被爆者や遠距離被爆者の人体影響は軽視されており,人体影響の評価には元々バイアスがかかっていた。
カ 調査手法に問題があったこと
ABCCによる聴取り調査は,医療従事者によって行われたものではなく,基本的には医学的知識を有しないABCCの調査員によって行われた。また,その調査員は,十分な人数が確保されていなかったため,限られた人員で大勢の被爆者の調査を行わなければならず,1日で35人の被爆者に対して調査を行う,遠方の地域を1日で10件訪問する等,被爆者一人一人に対する調査がずさんなものであった。
キ まとめ
以上のとおり,ABCCの調査は様々な問題をはらんだものであり,取り分け被爆による被害が過小に記録されているおそれが高い。各種判決も,ABCCの調査に対しては,被爆による被害が大きくなかったように述べる傾向があったと考えられ,その意味でABCCの調査記録の上記記載部分は必ずしも信ぴょう性の高いものとは考えられないなどと判示している。
実際,原告X15は,被爆によって生じた顔のケロイドを他人に見られることで嫌な思いをしてきたとともに,ABCCが被爆者をモルモットにしているのではないかといううわさを聞いたり,ABCCで不愉快な思いをしたりしたことを覚えており,原告X15の被爆地点や身体症状に関するABCCの調査記録は安易に信用することはできない。
したがって,ABCCの調査記録に係る被告の主張は失当である。
2 申請疾病(狭心症)の放射線起因性
(1) 狭心症の放射線起因性
原告X15の狭心症は,動脈硬化性の狭心症である。心筋梗塞と動脈硬化性の狭心症の発生機序は全く同じである。心臓の血管が閉塞にまで進んで心筋の壊死に至るかどうかの違いしかない。病態的には何ら差はなく,両者を区別することは科学的根拠に欠ける。
そして,心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
よって,狭心症にも放射線起因性が認められる。
(2) 原告X15の相当量の被曝
原告X15は,広島の爆心地から約1kmの地点で被爆し,出血した状態で傷口を保護することもなく広島市内を徒歩で移動している。そして,被爆直後から血尿,血性下痢,発熱及び嘔吐が続き,やけどや外傷は化膿して1箇月以上治らず,顔面から首の左半分と右腕にケロイドが残った。ケロイドは被爆後68年を経ても目視で確認することができるほどであり,以前は更にはっきりと跡が残っていたことから,原告X15は人の目が気になって嫌な思いをしてきた。左腕には今でもガラス片と思われる異物が残存している。しばらくして,顔,腕及び足に紫斑が出現し,常にだるさを感じ,疲れやすくなり,耐久力もなくなった。このように,原告X15には,近距離での被爆者にみられる症状がそろっており,相当量の初期放射線及び残留放射線に被曝したと考えられる。
したがって,原告X15の発症した狭心症には,放射線起因性が認められる。
(3) 他原因論に対する反論
これに対し,被告は,原告X15が,加齢,糖尿病,脂質異常症,高血圧などの虚血性心疾患の危険因子を重畳的に有していたと主張する。
しかし,いくつかのリスクファクターがあったとしても,原告X15の申請疾病である狭心症の放射線起因性を否定することができないのは,既に述べたとおりである。
また,「広島で原爆に被爆した時に20歳未満だった人では,2型糖尿病の有病率と放射線量との間に有意な正の相関関係が示唆された」「20歳未満の若年高線量被爆者における糖尿病のリスクに強くかかわる免疫系の何らかの構成要素は,特定のHLAクラスⅡ遺伝子(あるいは,緊密に関係する特定の遺伝子や遺伝子群の場合もあり得る)の影響を受けると考えられる」とされている(楠洋一郎ら報告)。原告X15は,若い頃に体重が83kgあり,47歳で発症していることから2型糖尿病と考えられ,糖尿病自体が,原爆放射線の影響を受けている可能性もある。
同様に,脂質異常症や高血圧についても,それ自体の発症に放射線の影響を否定することはできない。赤星正純報告にも「又,動脈硬化あるいは心・血管疾患の危険因子である高血圧,高脂血症および炎症にも放射線被曝が関与している事も明らかになり」との記載があり,心筋梗塞等動脈硬化性の疾患は,被曝によって起こる免疫的な機能の低下によって炎症が持続し,高血圧や高脂血症があれば更に炎症は進むが,その高血圧や高脂血症にも放射線の関与が認められる証拠がある。なお,清水由紀子ら報告でも「循環器疾患に関係するその他の考え得るリスク因子(肥満,糖尿病,喫煙,飲酒,学歴,職業)を調整しても,放射線との関連性にはほとんど影響はなかった」と報告されている。
したがって,被告の批判は当たらず,原告X15に生じた狭心症の放射線起因性が否定されるわけではない。
3 申請疾病の要医療性
原告X15は,現在も主治医の指示による内服治療を継続中である。また,原告X15は,平成24年3月にも経皮冠動脈形成術(PCI)を施された上,日常の軽い労作でも胸痛を感じている。今後も毎月の定期検査の結果を受けて,更に手術を受けることとなる可能性も高く,申請疾病には要医療性が認められる。
第12 原告X16について
原告X16は,広島の爆心地から約2.5kmの地点で被爆した。そして,申請疾病である心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,再改定後の新審査の方針においてもそれは維持されている。
ただし,再改定後の新審査の方針においては,「心筋梗塞」に関する積極認定対象被爆が「被爆地点が爆心地から約2km以内である者」又は「原爆投下から翌日までに爆心地から約1km以内に入市した者」に限られ,これらに該当しない場合には,総合認定の対象であるとされている。
しかし,原告X16の被爆態様が,悪性腫瘍等であれば積極認定対象被爆となるのに,疾病が異なると積極認定対象被爆の対象外となるのは,何ら理由なく不合理である。
そして,原告X16に生じた具体的事情を総合的に考慮すれば,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
1 被爆状況及びその後の健康状態
(1) 昭和20年8月6日被爆時の行動
原告X16(当時11歳)は,昭和20年8月6日,広島市牛田町〈以下省略〉の自宅(爆心地から約2.5km)で直爆を受けた。原告X16は,同年の春に学童疎開をしたが,梅雨明けの頃から体調不良のため広島市牛田町の自宅に戻ってきていた。弟及び妹も一緒であり,当日は,母が原告X16の薬を処方してもらうため,早朝から八丁堀付近の医院に出掛けていた。原告X16は,爆音を聞いて,弟や妹と庭に飛び出し頭上を見上げると,北上する1機の爆撃機の機体が見えた。一瞬,その機体に閃光が走り,原告X16は,顔の右側に熱風のようなものを感じ,記憶を失った。一旦,意識が戻り,真っ暗闇の中で遠くに小さな光のようなものが見え,原告X16は,また意識を失った。さらに,原告X16は,家の裏手にいて,そこが薄暗かったことを覚えているが,再び意識を失った。
意識回復後は,隣組の防空壕に逃げていくと,顔や手足から血を流した隣組の者らが集まって来た。原告X16自身も左足のかかとなどの出血がひどく,布きれで縛ってもらい,表の道に出ると,自宅周辺の道では,人が倒れたり,うずくまったりしていた。自宅の中にあった非常袋を取りに庭に入ったが,自宅内は倒壊してめちゃくちゃになっており,しかも障子とふすまが燃え始めていたため,怖くて入ることができなかった。その後,原告X16は,隣組の者に連れられて,自宅から150m先の早稲田神社の森に避難した。市内を一望することのできる神社の高台から見ると,神田川から向こう側は,火の海というよりも巨大な火柱となっており,凄惨な状況であった。
同日の夕方遅く,原告X16の母が隣組の者に抱きかかえられて帰ってきた。衣服やもんぺは焼け焦げてぼろぼろになっていたが,顔だけは真っ白で,きれいに見えた。しかし,翌朝になると一変し,顔,両手,両足など,服から出ている所は全てひどいやけどであり,特に顔は崩れ落ちたような状態であり,目や鼻も区別することができないほどであった。自宅の庭に運ばれてきた戸板に寝かせたまま,母は同月11日に死亡したが,それまでの間,原告X16はずっと母に付き添い,寝泊まりをしていた。水をあげることは止められていたが,母が余りに水を欲しがるため,少しずつ水差しで飲ませてあげた。原告X16は,自分自身でもその水を飲んだ。なお,自宅の周辺の道には,黒焦げの遺体が数多く散乱し,何日も放置され,異臭が立ちこめる中,原告X16は放心状態のまま時が過ぎた。
(2) 被爆後の健康状態
原告X16は,被爆により,左右のすねと左足のかかとに傷を負い,かかとの傷はひどく化膿し,ウジが湧いた。かかとの傷が治るのに三,四箇月を要した。ただし,今でもすねの傷は残っているし,ウジが湧いた左足のかかとの部分はケロイド状となっている。
また,原告X16は,被爆後三,四箇月くらいしてから,全身が皮膚病のような状態になり,広島の白島の逓信病院で治療を受けた。皮膚病は主に胸や背中であったが,その他,身体のいろいろな所に湿疹のような出来物ができ,所々化膿し風呂にも入ることのできない状態であった。これらは,治るまでに3箇月ないし5箇月を要した。
原告X16は,高校卒業後,東京で大学(夜間)に通いながら就職していたが,昭和31年,勤務していた税務署の健康診断の際に,嘱託医から貧血と言われた。そして,余り無理をしない方がいいとの指導を受けたため,大学を1年間(昭和31年4月から昭和32年3月まで)休学した。しかし,体調は余りよくならなかった。
その後,昭和46年に,被爆時に一緒にいた弟が,胃潰瘍と十二指腸潰瘍を原因とする大量吐血と下血により31歳の若さで亡くなった。東京に出てきた頃から,周りの人から「顔色がよくない。どこか悪いんじゃないか。」と言われていたことに大きな不安を感じたことから,原告X16は,被爆者検診を受けるようになった。なお,同じく共に被爆した妹は,平成20年,61歳の時に狭心症の発作を起こして倒れ,現在もニトログリセリンを携行している。
更にその後,平成16年頃から,時々胸が苦しくなることがあった。そして,平成19年4月20日,朝から,自宅で胸が苦しい状態が続き,午後11時になっても症状が治まらず我慢することができなくなったため,原告X16は,救急車を呼び,土浦協同病院に搬送された。原告X16は,心筋梗塞を発症していたため,即カテーテルによる治療を受け,同年5月8日と同月14日にカテーテルによる経皮的冠動脈形成術を受け,合計5箇所にステントを挿入した。原告X16は,退院後も通院し,投薬治療を継続している。
2 申請疾病(心筋梗塞)の放射線起因性
(1) 原告X16の相当量の被曝
心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
原告X16は,11歳の時に,広島の爆心地から約2.5kmの屋外で被爆し,被爆時に外傷を負い,更に周囲が暗くなるのを感じたり,逃げる際に暗い中を逃げたりするなど,放射性粉塵や放射性降下物により内外部を被曝したものと考えられる。また,爆心地付近で被爆した母と広島原爆の投下当日から昭和20年8月11日までの6日間,間近で寝泊まりをしていることなどから,かなり濃厚な放射性物質が漂う空間におり,体表面や呼吸を通じて被曝したと考えられることからも,相当量の放射線に被曝したことが明らかである。
そして,被爆後外傷の治癒が遅延したこと,各所に湿疹が生じすぐには治らなかったことに加え,成人してからも,会社での検診で貧血の指摘を受け,通学していた大学を休学するなどし,微量の炎症反応や,免疫能の低下を思わせる状態が継続していた可能性がある。
また,被爆時,原告X16とほぼ同じ行動をとった弟は,31歳の時に胃と十二指腸から出血して死亡した。また,妹も,平成20年に狭心症の発作を起こして倒れ,以来,ニトログリセリンを服用している。これらの事実は,原告X16と同様に,原爆放射線の影響が幼かった弟や妹に影響を及ぼしたことを推測させるものである。
したがって,原告X16の発症した心筋梗塞には,放射線起因性が認められる。
(2) 他原因論に対する反論
ア 高血圧について
被告は,原告X16が心筋梗塞発症の約2年前に高血圧を指摘されて薬(降圧剤)を処方されていたが,途中で自己中断し,そのまま放置していたことがうかがわれると主張する。
しかし,被告がその主張の根拠とする書面は,原告X16が心筋梗塞で入院する際に原告X16の妻が記入した書面であり,その書面には,2年ほど前病院を受診した際に原告X16の高血圧が分かったと記されているが,これは,風邪で受診した病院の診察待ちの間に血圧計で血圧を計ったところ,いつもの血圧よりも高かったことから,原告X16の妻が,原告X16が高血圧だと勝手に推測したものであり,原告X16が医師から高血圧だと診断されたものではない。
また,被告がその主張の根拠とするカルテの「高血圧」の記載は,原告X16の妻が記入した上記の文章を基にして医師がそのまま書いたものである。同様に,平成20年4月21日付け認定申請書添付の意見書の既往症欄の「高血圧」の記載も,原告X16の妻が記入した文章を基にして医師が書いたものである。
この点,原告X16は,心筋梗塞で入院するまでの間,高血圧を指摘されたことも,高血圧の薬を服用したこともないと供述している。ただし,同意見書作成当時は,原告X16は実際に高血圧の治療を受けていたため,既往症欄の「高血圧」の記載については特に違和感を持たなかったため,訂正を求めることはしなかったものである。
次に,被告は,原告X16が平成16年の被爆者健診において既に高血圧の状態にあったとし,被爆者健康手帳の交付を受けて以降,平成16年まで健康診断を受けていなかったことがうかがわれ,その間に高血圧が悪化し,放置され続けていたと主張するが,被爆者健診の血圧は,収縮期血圧が140mmHg,拡張期血圧が76mmHgであり,高血圧ではない。その上,原告X16は,昭和31年から平成4年までは勤務先の年2回の健康診断を定期的に受け,退職後も人間ドックを受けており,特に異常は指摘されていない。
さらに,被告は,立証趣旨を「原告X16が血圧を下げる薬剤,コレステロールを下げる薬剤を原爆症認定申請以前から内服していたこと」として,「原告X16の審査資料(抜粋)(平成20年3月15日の処方内容)」を提出し,これをもって原告X16の心筋梗塞の放射線起因性を否定するようであるが,これらの薬の調剤日は平成20年3月15日となっており,原告X16が心筋梗塞を発症した平成19年4月以降の処方である。原告X16は,心筋梗塞発症後に血圧を下げる薬剤,コレステロールを下げる薬剤を服用していることには争いがなく,かかる事実が心筋梗塞の放射線起因性を否定するものでないことは明らかであり,被告の主張は失当である。
以上によれば,原告X16が心筋梗塞発症以前に医師から高血圧との指摘を受けたことはなく,そのような客観的データもないことから,原告X16が心筋梗塞発症前に高血圧を患い,それを放置していたという事実はないことは明らかである。
加えて,仮に若干の血圧の上昇があったとしても,高血圧そのものも放射線の影響が考えられることも考慮すべきである。
イ 高コレステロールについて
被告は,原告X16は,心筋梗塞で入院した初日,コレステロールが高く,入院開始時,持参薬がなかったことなどから,それ以前も高コレステロール血症であったことが認められると主張する。
しかし,原告X16は,昭和31年から平成4年までの年2回の健診及び退職後の人間ドックにおいて高コレステロールの指摘を受けたことはない。
また,被告は,医師意見書において,「第一回入院中にLDLコレステロール162の記載があるが,これに対する高脂血症治療薬は初回発症のリスクになったと考えるより,二次予防に使用されており,LDLコレステロール70以下という十分な効果が得られていることから,その程度は軽いと考えられる」との意見が述べられていることについて,脂質異常症は,インフルエンザなどの感染症のごとく一朝一夕になる病気ではないため,入院日に未治療の異常値が認められたということは,それ以前から脂質異常症が存在していた可能性があるといえ,この脂質異常症も原告X16が初回の心筋梗塞を発症させる一つの危険因子であったと考えられると主張する。
しかし,原告X16は,入院以前に,職場の年2回の健康診断及び退職後の人間ドックにおいて,脂質異常症の指摘を受けたことは一切ない。
以上によれば,心筋梗塞発症以前に原告X16が高コレステロールであった事実はない。
ウ 喫煙について
平成20年4月21日付け認定申請書添付の意見書の既往症欄の「喫煙」については,事実と異なるため,原告X16自身が医師に訂正を求め,訂正されたものである。原告X16の喫煙歴は,23歳の頃に試しにたばこを吹かした程度で,その本数は合計10本程度であって,既往症ということのできるような喫煙歴ではない。
3 申請疾病の要医療性
原告X16は,2箇月に1回くらいの頻度で検査のために通院し,心筋梗塞の治療を受け,また,二次予防のために利尿剤(平成21年5月30日まで),降圧剤,脂質異常症治療薬,抗凝固薬など11種類の薬を退院後継続して服用している。また,原告X16は,平成20年6月2日ないし同月4日及び平成23年2月15日ないし同月17日に経過観察のため,心臓カテーテル検査を受けている。よって,申請疾病には要医療性が認められる。
第13 原告X17について
原告X17は,長崎の爆心地から約1.5kmの地点で被爆し,また,昭和20年8月10日以降,連日,爆心地付近まで入市した。これは,改定後の新審査の方針における積極認定対象被爆に該当する。しかし,申請疾病である脳梗塞が,積極認定対象疾病に当たらないため,総合認定の対象となるところ,原告X17の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
1 被爆状況及びその後の健康状態
(1) 昭和20年8月9日被爆時の行動
原告X17(当時10歳)は,昭和20年8月9日,長崎市家野町の国鉄(長崎本線)の線路横を流れていた照円寺の近くの小川(爆心地から約1.5km)で友達と水遊びをしていた。長崎原爆が投下されると,辺りが真っ暗になって,周りの草木が全てなくなり,荷物や着替えも全てなくなった。
その後,長崎市川平町の自宅(爆心地から2.2km)に水着(海水パンツ)だけを着たままの状態で帰った。空は真っ暗で,周辺の家屋は燃えていた。帰り道,灰のようなものが降ってきて,原告X17は,全身に浴びた。長崎市川平町の自宅に帰ると,家族から体を洗ってこいと言われて,原告X17は,自宅近くの川で洗い流した。その川は,普段は風呂代わりに水浴びをしていた川であった。
(2) 被爆地点が長崎市川平町の自宅近くであったとする被告の主張に対する反論
これに対し,被告は,原告X17の被爆地点について,昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書及び平成18年5月8日付け認定申請書添付の申述書の記載から,長崎市川平町の当時の自宅近くであったと主張する。
ア 昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書の記載について
確かに,昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書には,投下された時の場所として家の外と記載されているが,「家の外」という記載は抽象的であり,必ずしも「自宅すぐ近く」を意味するとは限らず,単に「屋外」との意味にも取れる。
また,いうまでもなく,被爆者健康手帳交付申請書は,被爆者健康手帳の交付を受けるため,手当の支給を受けるために作成する書面である。そのため,被爆者にとってみれば,被爆者健康手帳の交付が受けられればよいのであり,その申請内容の正確性よりも証明の容易さを優先させることは多々あったものである。例えば,現住所地以外の場所で被爆し罹災証明書の交付を受けた者が現住所地を被爆地として申請を行うこと,罹災証明や公の証明がない場合に所属が同一の軍人や学生などがまとめて同一の第三者を証人として申請を行うこと,親が,被爆地が異なる子を一緒に被爆したものとして家族全員まとめて同一被爆地点で申請を行うことなどは一般的であった。つまり,被爆者健康手帳交付申請書上は,真実と異なり,「直爆」が「入市」になったり,被爆距離がより遠距離になったりすることもあったのである。
その上,差別や偏見を怖れて,わざわざ被爆地点が遠距離であるとして申請したり,家族の被爆状況について,あえて事実と異なる記載をしたりする例も多くみられたものである。
したがって,被爆者健康手帳交付申請書の内容が被爆実態に即していないことは十分あり得ることであり,被爆者健康手帳交付申請書の内容と被爆者の供述内容との間に齟齬が存在する場合には,その程度と生じた理由につき,慎重に検討を行わなければならない。被爆者健康手帳交付申請書の内容を鵜呑みにし,安易に被爆者の供述の信用性を否定することはあってはならない。各種判決でも同様の趣旨を述べる。
この点,原告X17についてみると,家族のうち原告X17のみ被爆地点が異なること,他の家族の被爆地点が当時の自宅であり,原告X17の被爆地点より明確であること,原告X17を含む家族全員の被爆者健康手帳交付申請を父がまとめて行ったこと,原告X17の被爆地点より自宅の方が爆心地から遠距離であることからすれば,当時の住所地(長崎市川平町)を被爆地として被爆者健康手帳交付申請を行ったことはむしろ当然である。よって,昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書の内容は事実と異なるものであり,原告X17の供述こそが真実というべきである。
イ 平成18年5月8日付け認定申請書添付の申述書の記載について
平成18年5月8日付け認定申請書添付の申述書も,原爆が投下された時にいた町名として長崎市川平町と記載され,上記の前には小川があり水浴の最中だったと記載されている。しかし,これは原告X17が町名について自宅を記載するものと勘違いしたことによるものである。
ウ 近距離被爆で熱傷を負わなかった点について
被告は,原告X17が爆心地から約1.5kmの地点の川で遊んでいたのであれば,何らの熱傷を負わなかったのは不自然であると主張する。
しかし,「長崎戦災誌」の長崎市家野町の自宅で被爆した子供の手記によれば,川に泳ぎに行った兄が足を少しすりむいただけで帰宅したとの記述がある。
原告X17と同じ場所にいたかどうかは不明であるが,少なくとも同じような距離で川に泳ぎに行き屋外で被爆した者の中にも,足をすりむいた程度の者もいるのであり,原告X17が熱傷を負っていないとしても,直爆地点との関係で何ら不自然なものではない。
エ 原告X17の供述に関する指摘について
被告は,原告X17の供述に曖昧さや矛盾があるなどと指摘し,信用することができないと主張する。
しかし,70年近く前で,かつ,原爆投下後の極限状態での10歳時の記憶である。被爆者の中には,家族の死などに遭遇し当時の事実を鮮明に覚えている者もいれば,逆に衝撃の余り全く記憶を失ってしまった者もいる。多少の曖昧さや細かい矛盾があったとしても当然のことであり,殊更に信用性を否定する根拠とするのは誤りである。
この点,長崎市川平町の自宅近くにも川があるが,それは風呂代わりに水浴びをしていた場所であり,遊びのために泳いでいたものではない。原告X17は,長崎原爆が投下された時,鉄道の近くを流れる川で泳いでいたものであるところ,長崎市川平町に鉄道はない。そして,周辺の家屋が燃える中,がれきの中,2時間程度掛けて自宅に帰ったことからしても,原告X17が自宅近くの川にいたものではないことは明らかである。さらに,原告X17は,自宅に帰った後に,体に付いた灰を川で落としてくるように家族から言われた。普段風呂代わりに水浴びをしていた場所にいて帰宅したにもかかわらず,更に同じ場所に行き体を洗ってこいと家族に言われるはずはない。この点からも自宅近くの川ではなく,長崎市家野町の川で泳いでおり,自宅に帰る途中に身体に付着した灰を落としてくるように言われ,普段水浴びをしていた自宅近くの川に行ったものであることは明らかである。
原告X17は,本人尋問で,原爆投下時にいた場所について「家野町」の「小川」で,近くに「国鉄があって,お寺がありました」と具体的に述べ,被爆当時の地図で当時いた場所を指し示して,被爆地点を明確に特定しているものであり,原告X17が,原爆投下時に,自宅近くでなく長崎市家野町の近くの小川にいたことは明らかである。
(3) 昭和20年8月10日以降の入市時の行動
原告X17の家族は,原爆が投下される前,長崎市坂本町に住んでいた。そのため,長崎市坂本町には,親戚や原告X17の父の知り合いが多くおり,また,原告X17の父は地域の役員をしていた。このような経緯から,原告X17は,父に連れられて,昭和20年8月10日から連日,親戚や知り合いの安否確認や後片付けをするため,長崎市坂本町と長崎市川平町を往復し,その際に爆心地付近(長崎市松山町や長崎市浜口町)を通過した。
自宅から長崎市坂本町までの道は,がれきで歩くのに危ない状況で,火事の現場のようになっており,焦げたにおいや口では表現し難いほどのにおいがしていた。また,溝には子供の死体があり,大橋付近の川は死体で一杯だった。以前住んでいた場所は何もなく,がれきが散乱している状態になっていた。原告X17の父は,何人もの遺体を運んだり,死亡した者を焼く作業などを行い,原告X17はそのような作業は手伝わなかったが,父にずっと付いていた。食べ物は炊き出しのおにぎりを食べた。
原爆投下後の長崎市川平町での生活で,原告X17は,飲み水は近くの小川の水を使い,近所からもらった野菜,たぬきなどを食べていた。
(4) 入市の事実がないとする被告の主張に対する反論
被告は,昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書に入市の記載がないことから原告X17の入市の事実が認められないと主張する。しかし,原告X17は直接被爆者(1号)として被爆者健康手帳を取得しているところ,被爆者健康手帳の交付を受けるため直爆で取得することができれば入市は記載しないのが申請書記載の通例であり,現に,東京都では,直爆の態様が被爆者健康手帳交付の要件を充たしていれば,特段入市については記載の必要はないと指導していた。よって,昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書に入市の事実の記載がないのはむしろ当然であって,原告X17が実際には入市していた事実を否定する根拠とはならない。
また,被告は,陳述書では入市は昭和20年8月10日から同月13日頃までとしていたのが,本人尋問では10日間くらいと自己に有利に変遷させていることから信用することができないとも主張する。しかし,長崎原爆の投下翌日から連日入市していることには全く違いはない。入市した期間に多少の違いがあっても,原告X17の入市の事実を否定する根拠にはならない。むしろ,原告X17は,そもそも開戦時には長崎市坂本町に住んでおり,同町には親戚がいた。長崎に原爆が落ち(当時は原爆との認識はなかったが),市街が大変な事態になっている話を聞けば,親戚の安否を心配しすぐに探しに行くのが自然である。また,入市の時の様子も,大橋の辺りは川が人の死体で一杯だった,溝に死亡した子供がいた,かなり煙が立ってくすんでいた,歩くのに危ないほどのがれきがあった,口では言うことのできないようなにおいがしたなど,原爆投下間もない市街の様子が具体的に語られている。さらに,原告X17の父が人探しやがれき処理,遺体を焼く作業を行い,原告X17はそれに付いていったものであるが,これらが1日で終わるはずもない。原告X17が,長崎原爆の投下翌日から連日,少なくとも同月13日頃までは長崎市川平町から爆心地を通過して長崎市坂本町に入市していたことは明らかである。
(5) 被爆後の健康状態
原告X17は,平成13年,虎の門病院において両下肢静脈瘤の手術をし,糖尿病と高血圧を指摘された。また,原告X17は,平成17年,脂質異常症と診断され,現在まで治療中である。その後,原告X17は,脳梗塞に罹患し,東京慈恵会医科大学付属病院に,これまでに3回入院し(平成17年1月25日から同年2月2日まで,同月7日から同月16日まで及び平成18年1月19日から同年2月4日まで),治療を受けた。
さらに,平成21年11月12日,脳内出血があり,東京慈恵会医科大学付属病院に入院することとなった。原告X17は,その約1箇月後に浮間中央病院に転院して治療を行い,平成22年1月15日に退院した。
2 申請疾病(脳梗塞)の放射線起因性
(1) 脳梗塞の放射線起因性
被爆者の死亡率に関する追跡調査である寿命調査(LSS)では,LSS第12報第2部以降(昭和40年から昭和60年までについてはLSS第11報第3部以降),被爆者の脳梗塞を包含する「脳卒中」の死亡率の有意な増加が報告され,最新のLSS第14報でも,脳卒中を包含する「循環器疾患」についてリスクが有意に高いことが指摘され,LSS第14報で引用されている報告においても,脳卒中のリスクの増加が報告されている。
また,被爆者と被爆者以外を比較した場合には被爆者の罹患率が高くなっていること,そして,脳梗塞の原因は脳血管の動脈硬化であり,その悪化要因が高血圧や慢性腎臓病,更には脳血管内膜に生じた無症状性の持続的炎症状態に関連していることは医学的に確立した知見であり,それらが放射線被曝に関連していることをも考えれば,脳梗塞が放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
(2) 原告X17の相当量の被曝
原告X17は,10歳の時に,長崎の爆心地から約1.5kmの地点にある長崎市家野町の小川の中で被爆し,同爆心地から約2.2kmの地点にある自宅に徒歩で移動中に灰のようなものを浴びた。原告X17は,長崎原爆の投下翌日からは連日,父に連れられて,爆心地付近を通過する経路で長崎市坂本町へ行き,遺体の運搬や処理などを行う父のそばにいた。原告X17は,飲み水は近くの小川の水を使い,長崎原爆の投下後は炊き出しのおにぎりや近所からもらった野菜などを食べていた。
このように,原告X17は近距離で被爆し,また,被爆翌日から爆心地付近に連日入市しているが,いずれの被爆態様も,改定後の新審査の方針における積極認定対象被爆である。また,自宅近くの小川の水,炊き出しのおにぎり,野菜などを飲食しており,これらも放射能に汚染されていたと考えられる。
したがって,原告X17は,放射線感受性の高い若年時に,初期放射線に加え,放射性降下物や誘導放射化された物質による残留放射線を外部及び内部から多量に浴びたことにより,相当量の被曝をしているものである。
(3) 他原因論に対する反論
これに対し,被告は,原告X17に肥満,高血圧,糖尿病及び脂質異常症の危険因子があることから,原爆放射線以外の要因により脳梗塞が発症したと主張する。
しかし,いくつかのリスクファクターがあったとしても,原告X17の申請疾病である脳梗塞の放射線起因性を否定することができないのは,既に述べたとおりである。
3 申請疾病の要医療性
原告X17は,現在も内服治療を継続しており,申請疾病には要医療性が認められる。
第14 原告X18について
原告X18は,長崎の爆心地から約2.3kmの地点で被爆した。そして,申請疾病は甲状腺機能低下状態であるが,原告X18は,原爆症認定申請時に甲状腺機能亢進症の治療のために通院中で,その治療過程で申請疾病である甲状腺機能低下状態にあったものであり,原告X18の抱える疾患は甲状腺機能亢進症である。そして,甲状腺機能亢進症は積極認定対象疾病に当たらないため,総合認定の対象となる。
1 被爆状況及びその後の健康状態
(1) 昭和20年8月9日被爆時の行動
原告X18(当時3歳)は,昭和20年8月9日,長崎市大黒町〈以下省略〉(爆心地から約2.3km)の自宅で直爆を受けた。自宅の2階で母及び弟と共に昼寝をしていたが,自宅が倒壊し,自宅の土壁が覆い被さった。母が支えになり,子供達が押しつぶされないようにしてくれた。原告X18はこの時左肩にかすり傷を受けた。そして,約1時間後に通りがかりの者に救出された。原告X18は,原告X18の弟を抱えていた原告X18の母から「あなた一人だけでも逃げなさい。町内会の防空壕に行きなさい。」と言われ,一人で自宅近くの放送局の下にあった防空壕まで行き,同所で母方の祖父母と再会した。町内会長だった祖父は,祖母と原告X18に対して,煙が来るようだし防空壕は人で一杯で入れないから移動した方がよいと言い,原告X18は祖母に連れられて,金比羅高射砲隊兵舎のあった金比羅山(地元では五社山と呼ばれていた。)に避難した。祖父は,その時は防空壕に残った。
金比羅山に登る途中で,原告X18は,コールタールのような黒い粘り気のある雨に遭った。その時,原告X18は,袖のない薄手の服を着ており,雨が直接顔や手に当たっていくらぬぐっても取れず皮膚に残っているような感じであった。また,原告X18は,祖母に「これは雨なのか」と聞いたところ,祖母から「これは雨ではないよ」と言われた。
原告X18と祖母が金比羅山に着いた後1時間くらいして,原告X18は,後から来た原告X18の母及び原告X18の弟と再会し,また,原告X18の祖父とも再会した。
(2) その後の状況
金比羅山を登ったところに兵舎があり(爆心地から約1.5km),同所に祖父の知り合いがいたことから,原告X18は,家族と共に,その兵舎で約1箇月間,避難生活を送った。
その後,原告X18とその家族は元の自宅があった長崎市大黒町に戻り,自宅跡近くの高台の憲兵隊の兵舎があった敷地に高さ2mくらいの石垣があったことから,祖父がそれを利用してバラック小屋を作り,そこで小学校6年生頃まで生活をした。
(3) 原告X18自身の記憶について
原告X18は被爆時3歳であり,詳細な事実については記憶していない。しかし,非常時のことであり,当時3歳であったといえども,原告X18自身の記憶として,自宅が倒壊して周りの家もなくなり,非常に広々と感じたこと,金比羅山に向かう途中でコールタールのような粘り気の強い黒い雨が降ってきて肌に付き,いくらぬぐっても落ちなかったこと,及び,その肌についた黒い雨について祖母から「これは雨ではないよ」と言われたことについては,記憶が残っている。
その他の事情については,原告X18は,毎年のように,原爆投下日である8月9日や,原爆で死亡した弟の命日などに,当時の様子を母又は祖母から繰り返し聞かされて知っているものである。
なお,ABCCでの聴取り調査を受けたのも被爆者健康手帳の申請をしたのも原告X18の母であり,記載内容の真偽について原告X18は知らない。
(4) 被爆後の健康状況
原告X18は,被爆前の健康に問題はなかった。急性症状については記憶がないが,母が記入した,昭和32年6月付け被爆者健康手帳交付申請書添付の原爆被爆者調書票には,昭和20年8月11日頃から同月20日頃まで,軽い下痢と微熱があったと記載されている。なお,ABCCの調査記録からも下痢があったという記載が読める。四,五歳の頃はよく微熱が出ていた。元々健康な子供であったが,被爆を境に急に元気がなくなり,原告X18は,母や祖母から,虚弱体質になったと言われていた。一緒に被爆した弟は,被爆直後から高熱が出て目が飛び出し,被爆から約1箇月後に死亡した。
また,小学生になっても体調はよくならず,原告X18は,貧血気味で授業にも集中することができず,小学校3年生くらいまではよく早退していた。運動場で行われる朝礼の間,立っていられなくてうずくまることもあった。原告X18は,校庭での体育の授業には参加することができなかった。
その後は,原告X18は,昭和50年に胆のう炎に罹患し,平成12年からは高血圧の治療をしている。
そして,平成20年7月に城北診療所において検査の結果,甲状腺に異常が見つかり,原告X18は,治療を受け始めた。同月7日の採血で甲状腺機能亢進があり,投薬を受けたため,甲状腺ホルモンは低下した。その後,同診療所が閉鎖されたため,原告X18は,平成21年1月7日に竹内医院において診察を受け,城北診療所から渡されて持参した検査データとメモにより甲状腺機能低下と診断され,甲状腺機能低下に対処する薬が処方された。しかし,甲状腺ホルモンの値は機能亢進になったり,機能低下になったりしてコントロールが困難となり,原告X18は,平成22年8月に,甲状腺疾患専門の伊藤病院を紹介され,伊藤病院においてバセドウ病と診断された。その後は,原告X18は,伊藤病院において治療を継続して受けている。
2 申請疾病(甲状腺機能亢進症由来の甲状腺機能低下状態)の放射線起因性
(1) 甲状腺機能亢進症の放射線起因性
原告X18の甲状腺疾患に関する治療経過は上記のとおりであり,原爆症認定申請を行った当時治療を受けていた竹内医院においては甲状腺機能低下であると聞いていたため,原告X18は,申請疾病を甲状腺機能低下としている。しかし,上記のとおり,原告X18の申請疾病は甲状腺機能亢進症由来の甲状腺機能低下状態であり,放射線起因性の有無の判断の対象疾患は,甲状腺機能亢進症である。
そして,甲状腺機能亢進症の放射線起因性については,甲状腺機能亢進症を含む甲状腺疾患については有意な線量反応関係が認められ(AHS第7報及びAHS第8報),甲状腺機能亢進症の有症率と放射線量の関連を示唆する文献(今泉美彩ら報告)も存在する。甲状腺機能亢進症についての原爆被爆者と一般人口の有病率比較によっても原爆被爆者の有病率が明らかに高率となっている。また,放射線起因性が認められている甲状腺機能低下症と甲状腺機能亢進症には同質性,近似性も認められる。その他,放射線が甲状腺機能亢進症の発症に影響を与えているという報告が複数存在する。
以上の前提において確定した各裁判例を基に判断するならば,甲状腺機能亢進症に放射線起因性が認められると判断するのが相当である。
(2) UNSCEARの報告書及びICRPの勧告によってバセドウ病の放射線起因性を認める根拠とならないことが統括されているという被告の主張に対する反論
被告は,バセドウ病については,放射線被曝の影響(相関関係)が認められないと主張し,その理由の一つとして,UNSCEARの報告書及びICRPの勧告によって,バセドウ病について,放射線起因性が認められないことが統括されているとするが,以下のとおり,妥当ではない。
ア UNSCEAR2000年報告書の附属書J
被告は,1991年(平成3年)から1996年(平成8年)までに実施した,チェルノブイリ原発事故時に10歳未満の小児16万人を対象にしたスクリーニングプログラムにおいて,電離放射線に関連する甲状腺機能低下症,甲状腺機能亢進症及び結節性甲状腺種のリスクが増大しなかったとする研究結果を引用し,甲状腺機能亢進症に放射線起因性が認められないかのような主張をする。この報告は,甲状腺機能亢進症のみならず,甲状腺機能低下症も放射線によりリスクが増大しなかったとするものである。
しかしながら,甲状腺機能低下症と原爆放射線との関連性については,昭和35年には横田素一郎ら報告によって,甲状腺機能低下症及び悪性甲状腺腫で2km以内の発現頻度が有意に高かったことが報告されており,かなり早い時期から注目されていた。その後,自己免疫性甲状腺機能低下症は,伊藤千賀子報告(昭和60年),井上修二ら報告(昭和63年),長瀧重信ら第2報告(平成6年),AHS第8報(平成16年)において,放射線との線量反応関係が認められ,特に長瀧重信ら第2報告では,0.7グレイの被曝線量において最も高い有病率が示されている。
このような報告が存在することから,現在の原爆症認定行政においてすら,甲状腺機能低下症は,放射線起因性が認められるとして,改定後の新審査の方針でも既に積極認定対象疾病とされ,原爆症認定するという運用がされている。現在の原爆症認定行政にすら反する被告の主張は,およそ不適切である。
イ UNSCEAR2008年報告書の附属書D
被告は,UNSCEAR2008年報告書の附属書Dにおいて,放射線被曝と自己免疫性甲状腺炎(慢性甲状腺炎)との間に関係は見出せないと結論付けられていると主張する。
しかしながら,自己免疫性甲状腺機能低下症について,放射線との線量反応関係を示す報告が複数存在していることは,前述のとおりである。そもそも,この報告は,甲状腺機能低下症をもたらす原因の一つである慢性甲状腺炎について論及した考察であって,本件で検討すべきバセドウ病の放射線起因性に直接論及した考察ではない。
ウ ICRP2012年勧告
被告は,ICRP2012年勧告の「甲状腺機能亢進症もまた,35Gy(グレイ)を超える線量の分割照射の約8年後から発症する可能性もあるが,それほど一般的ではない」との記載から,高線量の放射線被曝の場合にすら,発症する可能性があるにとどまり,1グレイ未満の低線量被曝のような場合に影響があるとする知見は存在しないと主張する。
しかしながら,放射線治療における照射は,局部に対する外部照射であって,全身に外部被曝を受け,併せて,内部被曝をした原爆被爆者の被曝態様とは大きく異なっている。このように被曝態様が大きく異なる放射線治療における局所外部照射と原爆被爆による全身被曝を同列に論ずることはできない。
(3) 有病率比較によって甲状腺機能亢進症の放射線起因性を認める根拠とすることはできないという被告の主張に対する反論
被告は,今野則道ら報告における調査対象者の平均年齢が45.6歳±10.3歳であるのに対し,今泉美彩ら報告の調査対象者の平均年齢が71歳であるところ,甲状腺機能亢進症は高齢になってからも新規に発症し得るものであるから,両者の有病率を比較することは誤っている旨主張する。
しかしながら,バセドウ病は20歳代から30歳代までの女性に多くみられる疾患であり,年齢が上がるにつれ,患者数は少なくなる。50歳代以降でも甲状腺機能亢進症で受療している患者は一定数存在するが,その多くはそれ以前に発症し,それ以降の年齢になるまで治療を継続しているのであって新たに発症する例は少ない。ちなみに,吉村弘「高齢者の甲状腺疾患」に基づいて60歳以降の未治療発生の割合を推定すると,60歳以上の未治療バセドウ病初診患者は911例中44例で,4.8%にすぎない。また,村上修二ら「高齢者バセドウ病の頻度とその臨床的特徴」では,60歳以上の高齢者の頻度は4%,70歳以上に限ると僅か0.6%であることが示されている(平成元年から平成2年までの2年間の統計)。
以上の次第であって,平均年齢の違いが,今野則道ら報告及び今泉美彩ら報告の有病率に与える影響はそれほど大きいものではないと考えられる。そして,両者の年齢の違いのみから,一般人口の有病率(0.48%)と原爆被爆者の有病率(1.2%)という,2.5倍もの格差を説明することはできず,原爆による被曝の影響が,原爆被爆者の甲状腺機能亢進症の発症に影響を与えていることを示すものといえる。
また,被告は,今野則道ら報告と今泉美彩ら報告におけるバセドウ病の定義が異なっているとして,両者の有病率を単純に比較することはできないとも主張する。
しかしながら,両者とも,その値に多少の違いがあるとはいえ,TSH値を基準に甲状腺機能亢進症を捉え,そのうち,TSH受容抗体が陽性である,ということをバセドウ病の判断基準としている(ただし,今泉美彩ら報告ではその他に甲状腺刺激抗体,シンチグラフィーでの放射性核種の取込み亢進のいずれかが陽性反応を示した者もバセドウ病とするが,その頻度は明らかではなく,ごく少ないと考えられる。)のであり,基本的な判断要素を共通としている。
よって,両者はバセドウ病の診断に大きな差をもたらすものではない。
今野則道ら報告及び今泉美彩ら報告において,その調査対象者の平均年齢及びバセドウ病と診断するTSH値等の僅かな違いがあるとはいえ,今野則道ら報告(一般人口)の有病率(0.48%)と今泉美彩ら報告(原爆被爆者)の有病率(1.2%)には,後者が前者の2.5倍にもなるという大きな格差が存在する。これは,被告が指摘する両者の調査対象の差異を踏まえたとしても,そのことのみから説明することはできず,原爆による被曝の影響が,原爆被爆者の甲状腺機能亢進症の発症に影響を与えていることを示すものといえる。以上等からすれば,甲状腺機能亢進症が放射線起因性を有することは疑いがなく,AHS第7報及びAHS第8報の「甲状腺疾患」,今泉美彩ら報告の「グレーブス病」がいずれも線形の相関を示していることからすれば,低線量域からの放射線起因性が肯定される。
(4) 原告X18の相当量の被曝
原告X18は,3歳という幼年期に,爆心地から約2.3kmの地点で直接被爆した上に,左肩に裂傷を受けながらその付近に約1時間とどまっていた。更にその後,灰や塵が舞う中をより爆心地に近い金比羅山(爆心地から約1.6km)に登り,その途中で直接黒い雨に肌を打たれた。その後,下痢や発熱といった急性症状もあった。そして,原告X18は,金比羅山で約1箇月生活した。
このような原告X18の被爆時及び被爆後の状況からすれば,黒い雨を含む放射性降下物や誘導放射化された物質による多量の残留放射線に被曝したことが明らかである。また,周囲の粉塵を直接体内に取り込んだり,食生活などを通じたりして,多量に内部被曝をした可能性が高い。
したがって,原告X18の発症した甲状腺機能低下状態(甲状腺機能亢進症由来)には,放射線起因性が認められる。
3 申請疾病の要医療性
原告X18は,原爆症認定申請時に,甲状腺機能亢進症の治療のために通院中であり,原告X18が原爆症認定申請時に甲状腺機能低下状態にあったのは,甲状腺機能亢進症の治療の過程での投薬の影響からである。すなわち,原告X18は,正に甲状腺機能亢進症の治療の最中であったものである。
したがって,原告X18は,医療が必要な状態にあったものであり,申請疾病には要医療性が認められる。
第15 原告X19について
原告X19は,昭和20年8月8日に広島の爆心地から500m以内に入市している。そして,申請疾病であるC型慢性肝炎は,「慢性肝炎・肝硬変」の一種として改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病とされており,再改定後の新審査の方針においてもそれは維持されている。
ただし,再改定後の新審査の方針においては,「慢性肝炎・肝硬変」に関する積極認定対象被爆が,「被爆地点が爆心地から約2km以内である者」又は「原爆投下から翌日までに爆心地から約1km以内に入市した者」に限られ,これらに該当しない場合には,総合認定の対象であるとされている。
しかし,原告X19の被爆態様が,悪性腫瘍等であれば積極認定対象被爆となるのに,疾病が異なると積極認定対象被爆の範囲外となるのは,何ら理由なく不合理である。
そして,原告X19に生じた具体的事情を総合的に考慮すれば,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
1 被爆状況及びその後の健康状態
(1) 昭和20年8月8日入市時の行動
原告X19(当時16歳)は,建物疎開のため広島市雑魚場町から広島市左官町に引っ越した自宅から,挺身隊員として飛行服の製作のため川内村に通っており,昭和20年8月6日も,川内村の公会堂内の朝礼で先生の話を聞いている時に広島原爆が投下された。
大きな音と急な爆風で窓ガラスが割れ,腕に軽い怪我を負った。外に出た時に目に入ったのは,真っ白な入道雲のようなものがサロンパスを剥ぐようにどんどん爆風でめくれているような様子であった。その後,原告X19は,竹藪に避難したが,途中で転んで足を痛めた。原告X19は,その日は,公会堂内で,広島から逃げてきた者らの看病を徹夜で行った。原告X19は,ただれきったやけどを負った人の体に触り運ぶのを手伝ったり,重症の母に代わり乳飲み子を抱いてなだめたりした。原告X19は,翌日も川内村にとどまり,公会堂に運ばれたり,逃げて来たりした怪我人の看病を続けていた。
同月8日に可部町に住んでいる遠縁のおじが原告X19を訪ねて来て,原告X19は,広島に戻り家族を探しに行くことになった。原告X19は,己斐駅か横川駅まで行き,そこから市電の線路に沿って広島市左官町の自宅(爆心地から500m以内)まで歩き,その付近で,行方不明の両親と姉の捜索を行った。焼け野原となっていたためすぐに自宅の場所が分からず,まずは焼けただれたまま道路に寝転がっている者のむしろを1枚1枚剥いだり,銀行の壁に墨汁で名前が走り書きしてあるのを探したりという作業をした。相生橋の下は死体で埋まっており,川の水が見えないほどであった。釣り上げたマグロを引っ掛けるように,かぎ爪で死体を陸に揚げている兵隊がいた。死体があちらこちらに山のように積んであり,焼くと魚のようなにおいが立ちこめていた。結局,その日は家族を見つけることができなかった。
(2) 昭和20年8月9日以降の入市時の行動
原告X19は,昭和20年8月9日以降も毎日,可部町の親戚の家に泊まりつつ,日中は捜索のため広島市内に出掛けた。何日か通う中で,自宅の倉の白い壁と戸のレールの近くに父の遺骨が見つかった。また,原告X19は,病気で寝ていた母の頭蓋骨と思われるものを枕と水差しの間に見つけ,鞄に入れた。さらに,原告X19は,台所跡に割れたすり鉢と4番目の姉のものと思われる大腿骨を見つけた。原告X19は,悲しさや驚きも通り越して,ただ,涙も出ずに淡々と,おじと一緒に骨を拾って入れ物に入れた。結局,自宅近くを捜索したのは同月8日から五,六日間である。自宅付近のがれきをひっくり返したり,地面を掘ったり,灰を両手で払いのけたりしながら探し続けたので,毎日土埃を浴びながらの捜索であった。
(3) その後の状況
さらに,その後(昭和20年8月14日以降),原告X19は,広島の蟹屋(広島駅付近)に嫁いでいた2番目の姉の捜索を行った。道ばたに並べられた死体に掛けてあるむしろをめくったり,壁に書かれた消息を探したりした。崩れていた同姉の自宅をやっと見つけたところ,同姉の親戚がおり,同姉は背中の大やけどで海田市駅付近の寺院に収容されていると聞き,原告X19は,すぐに向かった。同姉は,伏せったままで,背中はどろどろの膿で一杯であった。原告X19は,そこにしばらく泊まり込み,化膿した所を油で洗い,きゅうりを置いてガーゼを被せ,それを剥ぐなどの看病を行った。腕からウジが出てきて数えながら取ると,50匹以上もいた。原告X19は,終戦の玉音放送を,同寺院で姉の看病をしながら聞いた。なお,同姉はケロイドが残り,20年以上前に肺がんで死亡している。
(4) 被爆後の健康状態
原告X19は,被爆前は健康であったが,被爆後様々な急性症状に見舞われた。まず,下痢や紫斑,吐き気は,早い時期,すなわち,家族の捜索のために広島市左官町に通っている時に発症した。下痢は水気の多いもので,特に捜索を終えてからは1日に五,六回などであり,原告X19は,かなり悩まされた。下痢の症状は,二,三年は続いた。紫斑はひどい者に比べるとそれほどでもなかったが,まだらな斑点が両手や両足一杯に生じた。吐き気は食事をしようとすると生じ,食欲が出なかった。吐き気のみならず,嘔吐することもあった。なお,被告は,吐き気又は嘔吐の出現時期に係る原告X19の陳述は合理的な理由なく変遷していることから疑わしいとするが,家族の捜索をしている時期に生じたものであることには変わりなく,また,様々な急性症状が次々に発症している中での吐き気の症状であり,この当時,吐き気だけが原告X19の体に生じた特徴的な変調であったわけでもない。したがって,被告の指摘は,陳述の変遷と評価すべきほどの内容ではない。
また,終戦後くらいから倦怠感,歯茎出血,生理不順などの症状が出るようになった。生理不順は,月経が不定期で量も異常な状態が続いた。
原告X19は,一旦,神奈川の鎌倉に引っ越したものの,1年後に広島に戻り,広島の蟹屋に下宿しながら放送局に六,七年勤めた。広島に入った友人や,入市の際に出会った友人の中には,髪が抜けてすぐ死亡した者もいると聞いており,放送局の同僚の中でも,被爆した何人かが死亡した。
原告X19は,同じ被爆者と結婚して退職し,広島県廿日市市に住んだ。その後は仕事に復帰せず,原告X19は,子ができてしばらくして東京に移り住んだ。家事と二人の息子(特に長男は体が弱かった。)の子育ての毎日に夢中であったため,原告X19は,不安などを感じている暇はなかったが,体調不良は常にあり,貧血気味であった。歯茎は終戦直後から次第に悪くなり,20歳頃から歯が次々と抜けるようになった。何もする気が起きなくなる強い倦怠感も治らず,未だに疲れやすい症状が続いている。
そして,原告X19は,これまでに様々な病気に罹患している。原告X19は,今から25年くらい前に関節リウマチとなり,また,20年くらい前に骨粗しょう症になった。また,平成8年頃,歯科治療のための血液検査でC型慢性肝炎であることが分かった。さらに,原告X19は,高血圧,脂質異常症,胃悪性リンパ腫などにもなっている。加えて,原告X19は,平成21年7月,肺がんとなった。これらは全て現在も治療を継続している。最近では,原告X19は,平成23年に心臓の弁を人工弁に変える手術を行い,平成25年以降は座骨神経痛に苦しんでいる。
なお,肺がんについても同様に原爆症認定申請を行っており,肺がんは,原爆症認定がされている。
2 申請疾病(C型慢性肝炎)の放射線起因性
(1) C型慢性肝炎の放射線起因性
原告X19の申請疾病はC型慢性肝炎である。
C型慢性肝炎を含む慢性肝炎の放射線起因性が認められることは既に述べたとおりである。
(2) 原告X19の相当量の被曝
原告X19は,昭和20年8月6日や同月7日に救護のために多くの重傷者と接触し,誘導放射化された人体に接したことによる被曝をした。また,原告X19は,同月8日(原爆投下から約48時間後以降)に入市し,爆心地付近を訪れ,それから五,六日間,爆心地から500m以内の自宅に通い続け,がれきを掘り返しながら家族の捜索を行った。この時,原告X19は,残留放射線にさらされたほか,放射性降下物が堆積する場所で粉塵等を吸引し,内部被曝をした。さらに,原告X19は,重傷者である姉の看病を付添いで行った際にも,被曝の影響を受けている。
そして,原告X19は,入市後や終戦後以降,下痢,紫斑,吐き気,倦怠感,歯茎出血,生理不順など,いわば典型的ともいえる数々の急性症状を発症している。また,その後も貧血気味である,若いうちから歯が抜ける,倦怠感があるなどの体調不良状態が長く続いており,被曝の影響が強く体に現れているといえる。
さらに,原告X19は,前述したような様々な疾病に罹患しており,中でも肺がんにより既に原爆症認定を受けているということからすれば,原告X19の体に被曝の影響が生じていることを,被告自身が認めていることにほかならない。なお,この点につき,被告は,放影研の疫学調査の結果等をみれば明らかであるように,そもそも疾病と放射線被曝との関係(相関関係)というものは,個別の疾病ごとに具体的な放射線量の値との関係で結果が示されるものであるから,肺がんの放射線起因性が認められるからといって,当然にC型慢性肝炎の放射線起因性が認められることにはならないと主張する。
しかし,原告X19は,そのような主張をしておらず,過去に肺がんで原爆症認定された事実が,原告X19の相当量の被曝を裏付ける重要な事情であるとして主張しているものである。むしろ,被告は,原告X19の推定被曝線量は,全体量としても,約0.012グレイを下回る程度にすぎないと主張するが,これは肺がんにおいては放射線起因性を認め,原爆症認定をしたことと矛盾する。被告の主張する推定被曝線量が科学的に正しいものであるとするならば,原告X19のケースで肺がんにおいて放射線起因性を認める認定行政との齟齬について説明がつかないのである。
よって,これらの事情を総合すれば,原告X19は,内部被曝を含め相当程度の残留放射線に被曝していることが推定される。
したがって,原告X19の発症したC型慢性肝炎には,放射線起因性が認められる。
なお,被告は,C型慢性肝炎と診断されてから既に11年以上経過しているにもかかわらず,いまだ肝硬変に進展していないということになり,上記の一般的な慢性肝炎から肝硬変に至る経過に比して,格別特異な点がみられるとはいえず,むしろ,原告X19のC型慢性肝炎の進展の程度は緩やかであって,肝硬変の発症が促進されているともいえないと主張する。しかし,原告X19は,平成25年8月頃,定期検査の際に,医師から肝硬変に進展したとの診断を受けている。また,そもそも原告X19の申請疾病はC型慢性肝炎であり,C型慢性肝炎罹患後の肝硬変発症や,発症経過の特異性が,判断要素として求められているわけではない。これは各種判決の判断からも明らかである。
3 申請疾病の要医療性
原告X19は,荻窪病院において現在もC型慢性肝炎に対する内服治療を継続しており,定期的に腹部エコー検査及び血液検査を受けている。また,平成25年8月頃,肝硬変の診断を受け,投薬が増えた。よって,申請疾病には要医療性が認められる。
第16 原告X20について
原告X20は,長崎の爆心地から約3.7kmの地点で被爆した。そして,申請疾病は,脳梗塞である。よって,改定後の新審査の方針における積極認定対象被爆よりも若干距離があり,また,申請疾病が積極認定対象疾病に当たらないため,総合認定の対象となる。
1 被爆状況及びその後の健康状態
(1) 昭和20年8月9日の被爆の状況
原告X20(当時9歳)は,昭和20年8月9日,長崎市岩瀬道町の自宅(爆心地から約3.7km)の茶の間で直爆を受けた。兄と共に茶の間にいたところ,ピカッと強い光が光ったので,台所にいた母に「防空壕に逃げろ」と言われ,屋外の防空壕に向かったところ,隣家の庭で強い爆風を受けた。
(2) その後の状況
原告X20は,その後もずっと長崎市岩瀬道町の自宅で生活していた。昭和20年8月15日頃から,同月9月中頃までの間,兄と一緒に,数度にわたり,稲佐橋を越えて北に約1kmの付近の工場跡に遊びに出掛け,がれきをかき分けてボールベアリングを探しては拾い,さびたボールベアリングを叩いてさびを落として回るようにするという遊びをしていた。
また,原告X20の家族は,長崎原爆の投下前から終戦後まで,農業をしていた原告X20の父の部下が長崎の西山地区で収穫したカボチャばかりを食べる生活をしていた。
(3) 被爆後の健康状態
原告X20は,被爆前の健康に問題はなかったが,被爆して約1週間後頃から,下痢を発症した。また,下痢のみならず,眼痛,胸部痛及び発熱も起こし,三菱病院に通院している。また,同じ頃から倦怠感を感じるようになり,倦怠感は,20歳代頃まで続いた。貧血及び白血球の増加により,少しの傷でも化膿しやすい状態も続いた。
原告X20は,昭和37年7月,激しいけいれんと共に意識を失うという発作に襲われ,山口大学付属病院に入院し,治療を受けた。原告X20は,平成16年5月11日,めまいと吐き気,平衡感覚失調に襲われて救急搬送された。
原告X20は,同年6月8日,申請疾病である(脳幹部)脳梗塞を発症し,救急搬送されたが,首から下のほぼ全麻痺に襲われ,症状は回復しないまま現在に至っており,初富保険病院に入院中である。
2 申請疾病(脳梗塞)の放射線起因性
(1) 原告X20の相当量の被曝
脳梗塞に放射線起因性が認められることは既に述べたとおりである。
原告X20は,9歳の時に爆心地から約3.7kmの地点で被爆した。そして,原告X20は,昭和20年8月15日頃から同年9月中旬までの間,数度にわたり爆心地に近い工場跡に行き,がれきをかき分けて,拾ったボールベアリングを叩いてさびを落として遊んでおり,相当の粉塵を吸い込んだと思われる。また,原告X20は,放射性降下物が多かった長崎の西山地区のカボチャを日常的に食べていた。このようなことから,原告X20は,誘導放射化された物体にさらされたり,堆積した放射性降下物の粉塵等を吸引したり,放射性降下物により汚染された野菜を口にすることにより体内に取り込んだりして,外部被曝や内部被曝をした可能性が大きい。
そして,原告X20は,被爆後に下痢,発熱,倦怠感といった,いわば典型的ともいえる数々の急性症状を発症している。また,その後も倦怠感が続き,傷が化膿しやすいという被爆者によくみられる体調不良が続いており,被曝の影響が強く体に現れているといえる。
したがって,原告X20の発症した脳梗塞には,放射線起因性が認められる。
(2) 他原因論に対する反論
これに対し,被告は,原告X20が年齢や高血圧という脳梗塞の危険因子を有していたと考えられると主張する。
しかし,いくつかのリスクファクターがあったとしても,原告X20の申請疾病である脳梗塞の放射線起因性を否定することはできないのは,既に述べたとおりである。
3 申請疾病の要医療性
原告X20は,現在でも,申請疾病である脳梗塞の治療のため,初富保険病院に入院中であり,申請疾病について要医療性が認められる。
第17 原告X21について
原告X21は,長崎の爆心地から約1.3kmの地点で被爆しており,改定後の新審査の方針における積極認定対象被爆である。また,申請疾病である狭心症は,発生機序など積極認定対象疾病である心筋梗塞と極めて類似した疾患である。そして,原告X21の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
1 被爆状況及びその後の健康状態
(1) 昭和20年8月9日被爆時の行動
原告X21(当時14歳)は,昭和20年8月9日,長崎市内の三菱兵器大橋工場(爆心地から約1.3km)で直爆を受けた。原告X21は,昼食の弁当を取りに行こうとして,勤務していた同工場の建物入口付近で立ち止まっていた時に被爆した。なお,爆心地からの距離は,原告X21の被爆者健康手帳では0.7kmと記載されているが,実際には,約1.3kmである。
原爆が投下された瞬間,突然,ピカッと光り,大きな音がした。原告X21は,がれきの下敷きになって気を失った。その後,同僚に声を掛けられ気を取り戻し,がれきの中からはい出て三菱兵器大橋工場近くの線路を渡って向かいの山に避難した。建物は全て崩れ,柱も飴のようにぐにゃぐにゃになっていた。
山に逃げる途中,周辺には真っ黒に焦げ男女も分からないような負傷者や死体がたくさんあった。家が潰れた六,七歳の女児から,同人の母の助けを求められたが,助けることはできなかった。避難した山も,負傷者で一杯だった。原告X21は,頭に大量のガラスの破片が刺さっており,出血していた。また,足にも切り傷ができた。原告X21は,同日は,夜まで避難した山にいたが,線路伝いに道ノ尾駅まで歩いて行き,その後,負傷者で一杯になった汽車に乗って相浦駅まで行き,迎えに来た船に乗って実家のある長崎の五島に帰った。
(2) 被爆後の健康状態
原告X21は,昭和20年8月10日に実家に帰ったが,その後,数日経って髪が抜け始めた。最終的には,3分の2が抜けた。また,血便,血尿,嘔吐及び発熱などの症状が出て2週間ないし4週間は苦しんだ。頭髪の大半が抜けたため,周辺の住民から原爆病だと言われることを避けるため,日中は家の地下で過ごし,外に出るときは頭巾を被って頭を隠さなければならなかった。頭に大量に刺さったガラスの大半が取り除かれるのに半年を要し,被爆後20年以上経過した後にも,頭からガラスの破片が出てきた。原告X21と同じ場所で被爆し,一緒に長崎の五島へ帰った同僚二人も,原告X21と同様にほとんど髪が抜け,血便や嘔吐などの症状が出た。
原告X21は,その後も,風邪を引きやすくなり,風邪に一度かかってしまうと完治に一,二箇月かかる,胃腸などが弱くなる,貧血を起こしやすくなるなどの体調不良が続いた。18歳から銀行に約10年勤務したが,風邪を引きやすく,熱が出て休むことが多く,支店長に配慮してもらうことが多かった。
原告X21は,30歳代で高血圧と診断された。以後,高血圧の薬を飲んでいる。結婚の時,体が弱い,生まれてくる子供に影響が出るなどの理由で嫌われることを懸念して,被爆者であることを夫に話すことはできなかった。その後,原告X21は,妊娠した際に,被爆者であることを告白したが,子供に影響が出ることを心配され,子供を産むことはできなかった。
そして,原告X21は,40歳ないし50歳の時に狭心症と診断され,以後,ニトログリセリンを持ち歩くようになった。また,原告X21は,40歳代の時に,子宮筋腫と診断され,平成16年頃,子宮筋腫の摘出手術を行った。胆のう炎に罹患し,胆のうも摘出した。原告X21は,平成17年には皮膚がんと診断され,原爆症認定を受けている。ただし,この原爆症認定は,平成26年6月20日に,要医療性が失われたとして同月から特別手当に切替えとなっている。平成22年2月に胸痛を訴え,東京北社会保険病院を受診し,冠動脈造影検査で狭窄病変が確認されたため,同年3月30日に冠動脈ステント留置術が行われた。また,その後も狭窄の進行があり,平成25年2月19日に冠動脈ステント留置術が行われている。
2 申請疾病(狭心症)の放射線起因性
(1) 狭心症の放射線起因性
原告X21の狭心症は,動脈硬化性の狭心症である。心筋梗塞と動脈硬化性の狭心症の発生機序は全く同じである。
そして,心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
よって,狭心症にも放射線起因性が認められる。
(2) 原告X21の相当量の被曝
原告X21は,爆心地から僅か1.3kmの地点で被爆し,しばらく近くの山に避難し,同所にとどまっていた。また,原告X21は,被爆後から脱毛,血便,血尿,嘔吐,発熱など複数の急性症状を発症し,一緒にいた同僚も同様の症状を発症し,近距離の被爆者にみられる症状を発症している。
また,その後も風邪を引きやすい,胃腸が弱くなる,貧血を起こしやすいなど虚弱な状態が続き,更には皮膚がんと診断され,原爆症認定を受けたこともある。
以上の被爆態様及び被爆後の症状からすれば,原告X21は,相当量の初期放射線及び残留放射線による被曝をしているものである。
なお,原告X21の狭心症は,動脈硬化性の狭心症であるところ,血管造影検査の結果をみると,右冠状動脈#3の狭窄が進行して90%に達していたためステント留置が行われており,狭窄は強度でそのまま放置すれば心筋梗塞を発症してもおかしくない状態であったものである。
したがって,原告X21の発症した狭心症には,放射線起因性が認められる。
(3) 他原因論に対する反論
これに対し,被告は原告X21の狭心症が,高血圧,脂質異常症及び加齢により発症したと主張する。
しかし,いくつかのリスクファクターがあったとしても,原告X21の申請疾病である狭心症の放射線起因性を否定することができないのは,既に述べたとおりである。
3 申請疾病の要医療性
原告X21は,内服治療を継続しており,平成25年2月にはステント留置術を行っている。よって,申請疾病には要医療性が認められる。
別紙5
被告の主張
(目次)
第1章 総論 732頁
第1 放射線起因性の要件該当性判断の論理的構造 732頁
1 事案の概要等
2 放射線起因性の要件該当性判断の論理的構造
3 放射線起因性に関する原告らの主張の根本的な誤り
第2 本件訴訟における放射線起因性に係る基本的な争点及びこれに対する被告の主張の骨子 752頁
第2章 残留放射線による外部被曝及び内部被曝の線量評価について 755頁
第1 はじめに 755頁
第2 残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による外部被曝及び内部被曝による線量を過大評価する原告らの主張の誤り 757頁
1 はじめに
2 放射線被曝線量の推定方法に関する基本的な考え方
3 賀北部隊工月中隊のケースを基にした残留放射線の被曝線量の推定により,残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による被曝線量は低線量であることが裏付けられること
4 生物学的線量推定法を採用した最近の調査においても,遠距離被爆者の残留放射線による被曝線量は,放射線被曝による急性症状が発症する線量には到達し得ないことが明らかとなったこと
5 放射性降下物が最も強く残留したとされている西山地区の住民についても,物理学的推定法と生物学的線量推定法(染色体異常頻度)は整合して低線量の被曝線量を示していること
6 賀北部隊工月中隊の総死亡率及びがん死亡率調査(加藤寛夫ら報告)では,日本全国の統計と有意な差は認められておらず,物理学的推定法及び生物学的線量推定法による賀北部隊工月中隊の線量推定の正しさが裏付けられていること
7 残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による外部被曝及び内部被曝の線量は少なく,DS02による線量評価の誤差に含めて考えられるというのが現在の科学的知見の到達点であること
8 放影研の寿命調査(LSS)における被曝線量の推計に基づかない入市被爆者の調査では,がん死亡リスクの上昇が認められないことが示されていること
9 推定被曝線量の正確性
10 原告らの主張に対する反論
第3 遠距離被爆者及び入市被爆者に被爆後に生じた身体症状の評価に関する原告らの主張の誤り 785頁
1 はじめに
2 遠距離被爆者に生じた身体症状に関する調査結果をもって,放射線による急性症状であるとみるのが,最も合理的である,あるいは,放射線の影響を受けたと解するのが最も自然な理解であるとはいえないこと
3 入市被爆者に生じた身体症状に関する調査結果をもって,放射線の影響により急性症状が出現したとはいえないこと
4 原告らが前記文献以外に挙げる根拠をもってしても,遠距離被爆者及び入市被爆者に生じた身体症状が放射線による急性症状であるとみるのが,最も合理的であるとはいえないこと
5 原告らの依拠する被曝線量の評価方法によっては,科学的に合理性を持った放射線による人体への影響を評価することはできないこと
6 まとめ
第3章 各論 829頁
第1 原告X1について 829頁
1 原告X1の申請疾病である下咽頭がんが原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
2 結論
第2 原告X2について 846頁
1 原告X2の申請疾病である右腎がん(腎細胞がん)が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
2 結論
第3 原告X3について 857頁
1 原告X3の申請疾病である右腎がん(腎細胞がん)が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
2 結論
第4 原告X4について 863頁
1 原告X4の申請疾病である胃がんが原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
2 結論
第5 X5について 870頁
1 X5に生じた皮膚潰瘍が,乳がんの手術又は放射線治療の結果生じた「左乳がん術後皮膚潰瘍」であることを認めるに足りる証拠がないこと(放射線起因性が認められないこと)
2 X5の申請疾病(左乳がん術後皮膚潰瘍)には要医療性も認められないこと
3 結論
第6 X9について 873頁
1 X9の申請疾病である膀胱がんが原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
2 結論
第7 原告X11について 898頁
1 原告X11の申請疾病である前立腺がんが原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
2 結論
第8 原告X12について 908頁
1 原告X12の申請疾病である前立腺がんが原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
2 結論
第9 原告X13について 914頁
1 原告X13の申請疾病について
2 被爆者援護法における要医療性の内容について
3 原告X13の申請疾病等には,いずれも要医療性がないこと
4 結論
第10 原告X14について 924頁
1 原告X14の申請疾病である心筋梗塞が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
2 結論
第11 原告X15について 968頁
1 原告X15の申請疾病である狭心症が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
2 結論
第12 原告X16について 994頁
1 原告X16の申請疾病である心筋梗塞が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
2 結論
第13 原告X17について 1001頁
1 原告X17の申請疾病である脳梗塞が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
2 結論
第14 原告X18について 1028頁
1 原告X18のバセドウ病が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
2 結論
第15 原告X19について 1041頁
1 原告X19のC型慢性肝炎が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
2 結論
第16 原告X20について 1067頁
1 原告X20の申請疾病である脳梗塞が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
2 結論
第17 原告X21について 1073頁
1 原告X21の申請疾病である狭心症が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
2 結論
第1章 総論
第1 放射線起因性の要件該当性判断の論理的構造
1 事案の概要等
本件は,被爆者援護法1条に定める被爆者である本件申請者らが,処分行政庁から,被爆者援護法11条1項に基づく原爆症認定の申請を却下する旨の本件各却下処分を受けたため,被告に対し,本件各却下処分の取消しを求める事案である。
本件の主な争点は,本件申請者らの各申請疾病に被爆者援護法10条1項所定の放射線起因性,すなわち,「原子爆弾の傷害作用に起因する」ことが認められるか否か及び申請疾病に要医療性,すなわち,「現に医療を要する状態」であることが認められるか否かである。
2 放射線起因性の要件該当性判断の論理的構造
(1) 放射線被曝によらずに一般的に発症し得る疾病について放射線起因性の要件該当性を判断する場合の論理的構造
放射線起因性の要件該当性について,通常の民事訴訟と同様の立証の程度を要求するのは,確定した最高裁判決である(最高裁平成12年判決)。すなわち,放射線起因性の要件該当性が認められるためには,「特定の被爆者の原爆放射線被曝」という特定の事実が,「特定の被爆者の申請疾病の発症」という特定の結果発生を招来した関係を是認し得る程度の高度の蓋然性を証明することが必要であり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることが必要である。そして,その主張立証責任はいうまでもなく個別の原告に帰せられるべきものである。
ここで,留意すべきは,最高裁平成12年判決の事例判断は,放射線被曝によらずに一般的に発症し得る疾病についての放射線起因性の要件該当性の判断には当然に妥当するものではないということである。それというのも,最高裁平成12年判決の事例判断は,外傷性の申請疾病について判断されたという特異性を有する点で,また,前提とする科学的知見が原審口頭弁論終結時(少なくとも原判決が言い渡された平成9年11月7日よりも前)のものにとどまっている点で,特別の考慮が必要となるからである。
すなわち,最高裁平成12年判決は,被爆者の申請疾病の状態を観察し,これが通常の医学的知見に基づき認められる疾病の経過とは異なることを認定し,その重篤化の原因を放射線に求めることも経験則上成り立ち得ないではないとの判断を示したものである。これに対し,がんや心筋梗塞等,本件における本件申請者らの申請疾病のように,放射線被曝によらずに一般的に発症し得る疾病については,その発症の時期や症状の経過について被爆者に特異な事情を見いだすことがおよそ困難であるという特殊性がある。それゆえに,通常人にとっては,被爆者に生じた当該疾病の発症が放射線被曝によるかどうかの確信を持つことは困難であり,ましてや,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持つことは相当困難といわざるを得ないのである。
また,科学的知見は日々進歩するものであり,放射線被曝についての知見も例外ではない。そして,例えば,最高裁平成12年判決において「現在も見直しが続けられている」と判示されたDS86については,正にその改正版であるDS02が,最高裁平成12年判決の2年後である平成14年に公にされている。また,最高裁平成12年判決は,「放射線による急性症状の一つの典型である脱毛について,DS86としきい値理論を機械的に適用する限りでは発生するはずのない地域で発生した脱毛の大半を」「放射線以外の原因によるものと断ずることには,ちゅうちょを覚えざるを得ない。」として,これをも前記判断の根拠として挙げている。しかし,最高裁平成12年判決が前提とする事実認定は原審口頭弁論終結時を基準時とするものであり,当時はまだIAEA等による「急性放射線症候群」についての知見が取りまとめられていなかった(IAEAやWHO(世界保健機構)が急性放射線症候群についての知見を取りまとめて公にしたのは,1998年(平成10年)のことである。)。現在の科学的知見においては,「放射線による急性症状の一つの典型である脱毛」は,単に脱毛があったか否かによって鑑別するものとしては理解されておらず,症候群的な特徴を踏まえて鑑別されるようになっている。さらに,放射線被曝と疾病との疫学的因果関係についての研究も,放影研を中心に進行しているところである。
このような諸点を考慮すると,最高裁平成12年判決に依拠しつつ,本件申請者らの申請疾病のように原爆放射線被曝によらずに一般的に発症し得る疾病について放射線起因性の要件該当性を判断する場合の論理的構造を考察すると,以下の3点を順次検討することが不可欠ということになる。すなわち,
① 放射線と疾病の発症との関係に係る疫学的な知見の的確な分析及び適用(因果関係判断の基礎となるべき疫学的知見の有無及びその内容)
② 上記①の疫学的知見に特定の被爆者を当てはめ,特定の被爆者について原爆放射線被曝による発症のリスクを導き出すための科学的な知見に基づく的確な線量評価
③ 原爆放射線に基づく罹患リスクとそれ以外のリスク(原爆放射線被曝にかかわらずに発症することが医学的に一般的に認められている場合の罹患リスク等)を対比した上で,なお,高度の蓋然性をもって当該被爆者らの原爆放射線被曝により当該被爆者らの申請疾病を発症したと評価し得るかというリスクの的確な評価
という3段階を経なければ,特定の被爆者が,当該被爆者が受けた原爆放射線に起因して当該被爆者の申請疾病を発症したということを,高度の蓋然性をもって証明したといえるか否かを判断することはできないのである。
(2) 高度の蓋然性をもって放射線起因性を認めるためには,放射線と疾病との関係に係る疫学的な知見について的確に分析しかつ用いる必要があること(上記(1)①について)
ア 放射線起因性の判断における疫学的知見の位置づけ
「特定の被爆者の原爆放射線被曝」という特定の事実が,「特定の被爆者の申請疾病の発症」という特定の結果発生を招来した関係(放射線起因性)が認められるか否かを判断するためには,因果関係判断の基礎となるべき両者の関係性を肯定する医学的な知見の存在が大前提となる。
そして,この関係(放射線起因性)が認められるか否かを判断するための基礎となるべき医学的な知見としては,当該分野における臨床的及び実験的研究の困難性ないし限界に鑑み,多くは,放射線と疾病との関係を疫学的に研究した知見(疫学的知見)が用いられることになる。
イ 疫学的知見を用いる場合の留意点
(ア) 疫学的な研究には,記載疫学,仮説設定及び分析疫学の3段階がある。まず,疫学調査においては,誰が(性,年齢及び職業別),いつ(時間的),どこで(空間的),どのような疾病に,多くあるいは少なく罹患しているかを調べ(記載疫学),これにより,その疾病の増加又は減少の原因であろうと考えられる事象を仮説として設定する(仮説設定)。これに続く分析疫学において,仮説として設定された病因らしき事象と疾病との関係を証明する。
(イ) 分析疫学においては,対象疾病の定義及び疾病罹患の特定がされると,対象疾病の発生と関連性のある因子の抽出作業が行われる。ここでは,当該疾病の増加とある因子との間の関連性の有無と,相対リスク又はオッズ比の値で表される関連性の度合い(程度)を探ることになる。また,関連性については,更にその関連性に有意な差があるかを調べなければならない。
(ウ) 統計学的に有意な相関関係が認められたとしても,直ちに疫学的な意味での因果関係が認められるものではない。
a 因果関係が認められるためには,相関関係(統計学的関連性)が認められるだけでは足りず,研究結果に,偶然や,真の状況とは系統的に異なる影響(バイアス)がないかを見極める必要がある。バイアスが存在する場合,疫学的因果関係があると推理することは困難である。このような要因が存在する場合には,その影響を除くための作業として,「調整」等が行われなければならない。
b Aという事象とBという事象との間に統計学的関連性が認められた場合であっても,その関連性は,AとBの両方に関係のある因子の影響を,誤って関連性として観察してしまったということもあれば,関連性がみられた両事象のうちどちらが原因でどちらが結果であるかを確定することができないこともある。そのため,そこに原因,結果の関係があると直ちに判断することはできない。そこで,疫学的因果関係として一般に受け入れられるためには,関連の一致性又は普遍性,関連の強固性,関連の特異性,関連の時間的関係,関連の整合性,量反応関係といった諸条件(判断基準)を備える必要がある。
殊に,被爆者に関する疫学調査においては,重大な交絡因子として,原爆による爆風や熱線の直接的影響,それに伴う社会的,精神的影響等,種々のものが存在していることは明らかである。そして,原爆被爆者の放射線被曝による影響について,バイアスを完全に除外した疫学調査を行うことは困難である。そのため,疫学的因果関係の推理においては,上記の検討が不可欠といえる。
(エ) さらに,疫学的因果関係は,集団現象としての疾病についての原因を記述するのみであり,その集団に帰属する個人の罹患する疾病の原因を記述するものではないという特質を有する。
この点,疫学的因果関係を基に具体的個人の罹患した疾病の原因について何らかの言及ができるとするならば,当該疫学的因果関係の認定に用いられた関連の強固性(関連性の強さ)の指標である相対的危険度(相対リスク)を基に,具体的個人の疾病への罹患が疫学的に原因とされた因子に曝露されたことによって増大したことにつき一定の推論をすることだけである。
ウ 疫学的知見を科学的経験則として用いる場合の評価方法
(ア) 仮説はそれのみでは科学的な経験則として用いることはできないこと
以上によれば,科学的経験則として放射線の人体影響等を疫学的に研究した様々な文献等を用いる場合には,それが科学的経験則として用いるに値するものであるか否かを厳密に検討することが必要となる。疫学的な研究には各種の段階があり,科学的な事実は,仮説に対して実験や調査,検証を経ながら一定の科学共同体の中で徐々に創出されるというプロセスを経るものである。このようなプロセスにおいて,疫学的な因果関係についての仮説は自然科学的な証明に向かってその実質を高めていくことになり,法的な因果関係としての蓋然性もより高度になっていくことになる。この点,最高裁平成12年判決が判示するとおり,法的な因果関係が認められるためには,自然科学的証明までは必要とされていない。そのため,ある科学的知見が(有意な)関連性を示すにとどまり,疫学的因果関係の証明がされていない段階にあったとしても,これを用いて法的な因果関係を認めることが考えられないではないが,その場合であっても,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることが必要である。そして,そのような確信を持ち得るものといえるためには,当該確信を得られる程度の意味のある関連性であることが必要であるから,通常,関連性が「有意」なものでなければならないし,一般的に考えられるような交絡因子その他のバイアスは当然に排除し得るような知見でなければならないと考えられる。仮説の提示それ自体は,検証未了の一可能性を示したものにすぎず,科学的な意味のみならず,常識的な意味においても,当該仮説の一般的な法則性の獲得を直ちに意味するものではあり得ない。そして,「経験則」とは,「経験から帰納して得られる事物の性状や因果関係等についての知識や法則」であるから,科学的に提示された仮説それ自体は,自然科学的のみならず法的な意味でも,科学的な経験則とはなり得ないのである。
(イ) 科学的知見を経験則として用いる場合の評価方法
ある科学的な研究結果に基づく意見Aが単なる仮説にとどまる場合や,少なくともこれに矛盾する反対の考え方Bが成り立ち得る場合,当該意見Aをもって経験則として用いるためには,当該意見Aについて,反対の考え方Bを上回る合理性が認められなければならない。このような合理性が認められないにもかかわらず,当該意見Aを経験則として用いるということは,反対の考え方Bを経験則として用いる余地をも許容することになり,相互に矛盾する結論が並立することになる。これでは,当該意見Aを適用した結果について通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るということはできないのであって,高度の蓋然性の証明があったことにはならない。
そして,ある科学的意見について,反対の考え方を上回る合理性が認められるためには,まず,当該意見自体の科学的合理性の有無について,科学的観点から慎重に吟味されなければならない。これが疫学的研究であれば,前記イ(ウ)に述べたバイアスや交絡因子に対する配慮等,疫学的な条件を満たすものである必要がある。次に,上記の科学的合理性が認められるためには,それのみならず,当該意見について,反対の考え方との比較において,当該意見を採用すべき積極的な根拠が認められなければならない。そして,これらの主張立証責任は,当該経験則の存在について主張立証責任を負う原告らが負担すべきものである。
(ウ) 以上の考え方は判例においても是認されていること
長年にわたり粉塵作業に従事し,じん肺及びこれに合併する肺結核に罹患した後に原発性肺がんにより死亡した労働者について粉塵作業と肺がんによる死亡との業務起因性が争点となった事案である最高裁平成7年(行ツ)第53号同11年10月12日第三小法廷判決・裁判集民事194号1頁(以下「最高裁平成11年判決」という。)ないしその原審判決は,じん肺と肺がんとの関連性について「人体影響の未解明性」があることを指摘しつつも,高度の蓋然性をもってじん肺と肺がんとの因果関係を認めるためには,両者の関係ないし関連性について,単に「仮説」によって認められたり,関連性が「示唆」されたりするだけでは足りず,「医学上の定説」レベルのものが必要である旨を判示している(なお,合併症である結核と肺がんとの関係に関しても,単なる仮説や可能性では足りないとする。)。他方で,肺がん発生リスクについても検討を加えており,けい肺における肺がんリスクと既知の職業的有害因子(職業がんのリスク)とのリスクの比較ないし喫煙による肺がんリスクについての検討を踏まえて,他原因の可能性を否定することができない旨を判示している。
このように,最高裁の因果関係の判断においては,「人体影響の未解明性」という制約があったとしても,単なる「仮説」や「可能性」,「関連性の示唆」でこれを認めることは許されない旨が明確に示されているのである。
(3) 疫学的知見を特定の被爆者に当てはめ,放射線起因性の判断に用いるためには,科学的な知見に基づく的確な線量評価が不可欠であること(前記(1)②について)
ア 疫学的因果関係に係る知見を特定の被爆者に当てはめることにより得られる内容について
放射線起因性を判断するためには,疫学的知見を個別的に特定された被爆者に当てはめるというプロセスが必要となる。
そして,これによって得られる内容を放射線と疾病との関係で言い換えると,特定個人が被曝した放射線量が判明すれば,これに量反応関係をもって対応する当該個人の疾病発症リスクの程度を推定することができるということであり,かつ,これに尽きるということである。すなわち,被爆者である特定個人について,放射線との疫学的因果関係が認められる疾病を発症したことが認められたとしても,それは一定の疾病を発症するリスクのうち,自然に発生するリスクを除いた放射線被曝により過剰に疾病を発症するリスクの「推定値」が認められるにとどまり,これを超えて特定個人の当該疾病が原爆放射線被曝により発症したこと(放射線起因性)が直ちに確定的な事実として認められるものではない。
イ 定量的なリスクの評価を用いることによって初めて原爆放射線被曝の影響を適切に評価することができ,正しく放射線起因性の有無を判断することができること
(ア) 上記アに述べたところに照らせば,個別的に特定された被爆者の放射線起因性を判断するに当たっては,「一定の疾病を発症するリスクのうち,自然に発生するリスクを除いた放射線被曝により過剰に疾病を発症するリスクの推定値」からいかにして個別的な事実の認定に到達するのかというプロセスが,別途考察されなければならない。
この点,本件申請者らの申請疾病は,通常の日常生活を送っていたとしても,その発症リスクを避けることはできない。このような発症リスクの原因は,その一部がリスクファクターとして解明されているにすぎず,一般的には未解明であることが多い。そして,例えば,放射線被曝による疾病発症の相対リスクが1.5という場合,そこには一般的集団である「対照群」の発症リスク分である「1」が既に含まれており,放射線被曝による過剰な発症リスク自体は,実際には「対照群」の発症リスクの半分にすぎない。そうすると,当該疾病の発症は,放射線被曝によるというよりも,一般的な発症のリスクが現実化したと考えるのが,通常人の感覚にも合致するものである。さらに,前記(1)において指摘したとおり,本件申請者らの申請疾病は,いずれも放射線被曝以外の医学的に一般的に認められている罹患リスク(生活習慣,加齢,ウイルス感染等)によっても発症し得るものである。これらはいずれも当該疾病の発症原因となる可能性が認められる事情であるから,かかる場合に当該疾病がどのリスクに基づき現実化したのかを判断するためには,当該被爆者の受けた原爆放射線の量から算出される罹患リスクと,一般的集団である「対照群」の罹患リスクに加え,当該被爆者の保有する放射線被曝以外の既知のリスクファクターによる罹患リスクとを比較した上で,相対的な発症リスク(相対リスク)の中で,放射線曝露という因子が,未解明なものも含めたその他の発症の原因を超えて疾病の発症に影響を及ぼしたかを,しかも,高度の蓋然性をもった証明によって,判断しなければならないはずである。
例えば,放射線と生活習慣の発がんの相対リスクを比較すると,野菜不足のリスクは1.06倍,100ミリシーベルトないし200ミリシーベルトの放射線被曝のリスクは1.08倍,塩分の取り過ぎは1.11倍ないし1.15倍,運動不足は1.15倍ないし1.19倍,200ミリシーベルトないし500ミリシーベルトの放射線被曝のリスクは1.19倍,肥満は1.22倍,500ミリシーベルトないし1000ミリシーベルトの放射線被曝のリスクは1.4倍,毎日2合以上の飲酒は1.4倍,喫煙や毎日3合以上の飲酒のリスクは1.5倍,1000ミリシーベルトないし2000ミリシーベルトの放射線被曝のリスクは1.8倍とされている。このように,当該がんの発症が,放射線被曝によるものか,それ以外の喫煙,肥満,運動不足等のリスクによるものかの科学的な比較は,放射線被曝線量が定量的に明らかにされない限りは行うことができない。
そして,性質の異なる両者を比較しながら,当該被爆者が受けた原爆放射線被曝が当該被爆者の申請疾病の発症に与える影響を適切に評価し,正しく放射線起因性の有無を判断することは,定量的な原爆放射線被曝の程度を当てはめて明らかとなった定量的な「疾病発症リスク(相対リスク)」や「放射線被曝により過剰に疾病を発症するリスク(過剰相対リスク)」を用いることによって初めて可能となる(最高裁平成11年判決においても,このような観点からの検討がされている。)。
(イ) また,定量的な被曝線量を推定することの重要性は,疫学的因果関係が一定の線量以上の放射線被曝の場合にのみ認められる,いわゆるしきい値がある疾病の場合をみれば明らかである。かかる場合には,ある一定の線量に満たない線量の放射線被曝があっただけでは,疫学的な意味での因果関係さえ認められないことになるから,上記(ア)に述べた「疾病発症リスク(相対リスク)」を導き出す前段階として,定量的な被曝線量を推定することが必須となる。
ウ 放射線起因性の要件が高度の蓋然性をもって証明されたと判断するためには,被爆後の身体症状に基づく被曝線量の評価も定量的に行われなければならないこと
(ア) 誤解のないように指摘しておくと,放射線起因性の有無を判断するに当たって定量的な視点に基づき放射線被曝の量を評価することが必要である旨の被告の主張は,何も原告らにDS02等の推定線量で表されるような厳密な線量評価を求めるものでは全くない。疫学的因果関係を用いつつ,放射線被曝の人体影響を的確に把握しようとするためには,放射線被曝を受けたか否かという二者択一の観点のみでは足りず,これに加えて,放射線被曝を量的に把握することが不可避であるということである。そして,その趣旨は,前記イ(ア)のようなリスクの比較が可能となり,また,上記イ(イ)のようなしきい値を上回るか否かを判断することが可能となる限度において,定量的に被曝線量を把握する必要があるということである。
(イ) そして,被爆後の身体症状により線量を評価する場合(原告らの主張は,不完全ながらも,このような考え方に依拠しているようにも思われる。),その基礎となった身体症状についての考察が疫学的な研究に基づくものであれば,これがいかなる段階の疫学研究であり,科学的な経験則となり得るものであるのか否かが慎重に吟味されなければならない。すなわち,被爆後の身体症状により線量を評価するための知見についても,前記(2)ウで述べたところと同様に,単なる「仮説」や「可能性」,「関連性の示唆」や「関連性」では足りないのである。
(4) 高度の蓋然性をもって放射線起因性を判断するためには,原爆放射線被曝による罹患リスクとそれ以外の罹患リスクとを対比し,的確に評価することが不可欠であること(前記(1)③について)
ア 本件申請者らの申請疾病は被爆者に特異的な疾患ではないこと
本件訴訟における本件申請者らの申請疾病は,いずれも被爆者でない通常人においても一般的に発症するような,いわば極めてありふれた疾病である。例えば,本件における申請疾病のうちがんについてみると,厚生労働省が行った人口動態調査の結果によれば,平成25年の死因の第1位はがん(悪性新生物)であり,死亡総数に占める割合は28.8%に上っている(ちなみに,心疾患は15.5%で2位,脳血管疾患は9.3%で4位であり,死因の過半数ががん及び脳心疾患で占められている。)。また,がんの罹患リスクの実態についてみると,厚生労働省の「健康日本21(第2次)の推進に関する参考資料」によれば,生涯を通じて考えた場合,男性の54%,女性の41%ががんに罹患するという計算になり,二人に一人は一生のうちに何らかのがんに罹患するということが示されている。
イ 放射線に非特異的な疾患を発症した場合の放射線起因性の判断方法
(ア) 当該申請疾病の一般的な罹患リスクと当該被爆者の原爆放射線被曝による当該疾病の発症リスクを対比する必要性
本件申請者らの申請疾病のような一般的な疾病については,それに罹患すること自体は,放射線に原因を求めるまでもなく常に一般的に起こり得る。つまり,当該疾病を発症したというだけでは,放射線についてPがなければQがないという因果関係の定式を満たさないのである。それにもかかわらず,当該疾病の発症について放射線起因性の要件該当性を認めるためには,前記(3)イ(ア)のとおり,当該疾病の原爆放射線被曝による発症リスクが,それ以外のリスクを上回ることが高度の蓋然性をもって証明されることが必要となる(最高裁平成11年判決も同趣旨を判示する。)。
(イ) 他原因についての立証として求められる程度
特定の事実が特定の損害の発生を招来したことを是認し得る高度の蓋然性が証明されたというためには,他原因の可能性を原告らが高度の蓋然性をもって否定する必要があり,個別の原告は,本証として,他原因の不存在を高度の蓋然性をもって立証する必要があるのに対し,被告は,反証として,当該結果の発生が専ら他原因によるのではないかとの疑いを抱かせる程度の立証をすれば足りるものと解されている。
以上のことは,放射線に非特異的な疾患を発症した場合の放射線起因性の判断についても,同様に妥当する。すなわち,個別的に特定された被爆者について放射線起因性の有無について判断するためには,特定された個別の被爆者ごとに原爆放射線以外の他原因と当該疾病の発症との因果関係の存否についても検討する必要がある。そして,当該因果関係が存在する可能性を否定することができない場合には放射線起因性の要件該当性を認めることは許されず,他原因の不存在についての立証責任は,個別の原告が負担すべきことになる。
ウ 原爆放射線被曝による罹患リスク以外の罹患リスクを考慮しないで放射線起因性を肯定することは,到底国民の理解を得られないこと
以上述べたとおり,本件申請者らの申請疾病のような一般的に罹患する疾病の発症について放射線起因性の要件該当性を認めるためには,自然発生,生活習慣,加齢,ウイルス感染等の一般的な罹患リスクを凌駕するような原爆放射線被曝による発症リスク(過剰相対リスク)が明確に認定されなければならない。このような事情に欠ける場合,被爆者でない通常の日本人が,本件申請者らと同様の年齢でがんや脳心疾患等を発症した場合との差異を合理的に説明することはできず,それでは,放射線起因性について,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るとは到底いうことができないからである。それにもかかわらず放射線起因性を肯定することは,いわば被爆者であること自体を理由として13万5400円もの高額な医療特別手当の支給を是認するものであり,著しく公平を欠き,到底国民の理解を得ることはできないというべきである。
3 放射線起因性に関する原告らの主張の根本的な誤り
(1) 原告らの主張の要旨
原告らは,原爆症認定は原爆放射線の人体影響の未解明性及び被爆者援護法の国家補償法的な配慮を踏まえて判断することが必要であると主張する。
すなわち,原告らは,原爆症認定の要件について,「被爆者に過重な負担を掛けないよう解釈,運用されなければならない」という考え方に基づき,「被爆者が,放射線に影響があることを否定し得ない負傷又は疾病にかかり,医療を要する状態となった場合には,放射線起因性が推定され,放射線の影響を否定し得る特段の事情が認められない限り,その負傷又は疾病は原爆放射線の影響を受けたものとして原爆症認定がされるべきである。」として,原告らの立証負担を軽減すべきとの解釈を一貫して主張している。結局のところは,放射線の人体影響に関する知見が通常の民事訴訟で要求される因果関係の立証の程度に達しないものであっても,「放射線に影響があることを否定し得ない負傷又は疾病」であること,言い換えれば,「放射線と負傷又は疾病との間に何らかの関連性があること」さえ認められれば,放射線起因性を肯定すべきとの考え方を志向するものにほかならない。
(2) 原告らの主張は最高裁平成12年判決に反するものであること
しかしながら,最高裁平成12年判決は,「行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に,その拒否処分の取消訴訟において被処分者がすべき因果関係の立証の程度は,特別の定めがない限り,通常の民事訴訟における場合と異なるものではない。」「法(被爆者医療法を指す。)8条1項の認定の要件とされている放射線起因性についても,要証事実につき「相当程度の蓋然性」さえ立証すれば足りるとすることはできない。」として,立証負担の軽減を図る考え方を明確に排斥している。
(3) 原告らの主張は実質的に立法論を述べるものであること
原告らは,「線量評価の困難性及び未解明性」として,原告らが「相当量」の放射線被曝をしたことの根拠として挙げる残留放射線の線量評価は困難ないし不能であり,あるいは,限界があるなどとして,るる主張する。
しかしながら,原爆放射線の人体影響の未解明性は,放射線起因性判断,特に科学的知見ないし経験則の採否において,何ら影響を及ぼすべきものではない。このことは,前記2(2)ウ(ウ)において述べたとおり,最高裁平成11年判決においても是認されているところである。かかる主張は,原告らが「相当量」の放射線被曝をした旨の主張の根拠を科学的に説明することがもはや不可能であることを,原告ら自身が認めるものにほかならない。そして,放射線によらなくても生活習慣等により一般的に発症し得る疾病について,放射線被曝による影響を的確に把握し,個別の本件申請者らについて当該疾病に係る放射線起因性の要件該当性を正しく判断するためには,定量的な線量評価を行うことは不可欠であって,それができないことによる不利益は,当該原告に帰せられるべきものである。
また,被爆者援護法の国家補償法的な配慮についても,被爆者援護法は後記(4)のとおり多段階の援護施策を用意しており,国家補償法的な配慮はそれらの総体について及ぼされるべきものである。原爆症認定はその中でも最も厚い援護施策である医療特別手当(被爆者援護法24条1項)を受給するための前提条件なのであって,全ての被爆者がこれに妥当するということは,むしろ国家補償法的配慮に基づく立法政策を無にするに等しいといわざるを得ない。この点,最高裁平成12年判決は,国家補償法的配慮があることを考慮に入れたとしても,原告らの主張するような考え方は採用し得ないことを明示している。
結局のところ,原告らの前記主張の帰着するところは,「誘導放射化された塵や埃を吸う」などいった被爆者であればほとんど誰にでも当てはまるような態様の被曝に係る事実と申請疾病に罹患した事実さえあれば,原爆放射線によって生じたものとして直ちに因果関係が認められるべきであるというものであり,その際,当該被爆者が危険因子を有していたとしても放射線起因性の要件該当性判断には何らの影響も及ぼさないという理解であると思われる。
しかしながら,原告らの上記考え方は,訴訟上の主張としては,放射線起因性の要件解釈の形を採っているものの,その実質は,放射線による被害に限定することなく,広く本件申請者ら全員が原爆症認定を受けて救済されることを求めるものであって,実質的に立法論を目指すものといわざるを得ない。したがって,現行法の解釈としては到底採用し得ないものである。
(4) 原告らの主張は,被爆者援護法に基づく援護制度及び原爆症認定制度についての正確な理解を欠くものであること
ア 原告らの主張の根底にあるもの
原告らの主張の根底には,「本件で問題となっている原告ら,被爆者に生じた原爆放射線による晩発性障害は,多重的,複合的な原爆被害の一側面,すなわち,原爆投下によって生じた熱線や爆風,衝撃波による身体的被害,更にはそれを超えた精神的被害,社会的被害などと不可分一体となった被害なのであり,放射線被害自体の未解明性も併せ鑑みると,原爆被害の実態(全体像)を認識した上で,総合的,相関的に捉えることが必要不可欠である。原爆症認定の要件の解釈,適用に当たって,原爆被害の実態(全体像)に対する的確な理解がなければ,適正な判断ができないのである。」との理解があるようである。
イ 原爆症認定は総合的な援護対策の一環としてその一部に位置づけられるべきものであること
この点,昭和20年8月に広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器が,幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず,一命をとりとめた被爆者にも,生涯癒やすことのできない傷跡と後遺症を残し,不安の中での生活をもたらしたことは,被告としても決して否定するものではない。このような原爆放射線に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の保持及び増進並びに福祉を図るため,被告は,被爆後50年を機に,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じるため,平成7年に被爆者援護法を施行し,援護施策を実施してきたものである(被爆者援護法前文参照)。
原告らが求める原爆症認定は,飽くまで上記のような総合的な援護対策の一環としてその一部に位置づけられるべきものであり,かつ,法定の要件(放射線起因性及び要医療性)が満たされて初めて認められるべきものである。被爆者援護法は,「被爆者の受けた原爆被害」についての援護対策を,原爆症認定及びこれに基づく医療特別手当等の支給のみによって行うという立法政策を採用していない。原告らの上記主張のように,あたかも原爆症認定及びこれに基づく医療特別手当等の支給によってのみ「被爆者の受けた原爆被害」の援護がされているというのは誤りであって,この点についても総合的な援護対策全体の中で考慮すべきなのである。
ウ 我が国における援護施策の概要
そして,我が国においては,被爆者援護法に基づいて,被爆者に対し,医療,福祉,介護にわたって,一般の高齢者に対する施策に上乗せする形で給付が行われている。これは,他の社会保障制度と比べても,その給付の範囲,水準において最も充実している分野であるということができる(予算規模でみても,平成26年度は約1449億円に上っている。)。
また,各給付の要件も被爆者救済の観点から大きく緩和されている。被爆者援護法では,各人が実際に放射線による健康被害を受けているか否かを問うことなく,健康診断や,一般疾病医療費の支給等が行われている(平成26年3月末現在までに,約19万3000人が被爆者健康手帳の交付を受けている。被爆者一人当たりの一般疾病医療費の平均支給額は19万円程度であり,平成26年度は,約400億円の予算を計上している。)。そのほかに,都道府県知事は,被爆者のうち,原爆が投下された際,爆心地から2kmの区域内に在った者又はその当時その者の胎児であった者に対し,月額1万6670円又は3万3230円(いずれも平成26年度)の保健手当を支給する(被爆者援護法28条)。これは,特別手当や健康管理手当の支給対象とならない場合であっても,被爆距離に鑑み,日常生活において健康の保持増進に特段の配慮を払うことが必要であると考えられることから行われている援護である。さらに,都道府県知事は,被爆者であって,厚生労働省令で定める障害を伴う疾病(原爆放射線の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。)にかかっているものに対し,月額3万3230円(年額39万8760円)の健康管理手当を支給する(被爆者援護法27条)。これは,同条に規定された11類型に属する疾病について,原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかでない限りは個別の因果関係を問うことなく給付を行う制度である(平成26年度は,同手当のために約650億円の予算を計上しており,被爆者の約84.8%に当たる約16万3000人が支給を受けている。)。
これに対し,本件の対象となっている原爆症認定を受けることにより,医療特別手当の支給を受けることが可能となるが,この医療特別手当は,元来,不治の病と考えられていたがん,白血病等を想定し,こうした疾患に罹患した被爆者に対する特別な配慮として創設されたものである。そのため,原爆症認定を受けた者に対しては,他制度には余り例をみない,極めて高額な給付(月額13万5130円)を行うものとされつつ,他方で,原爆症認定を受けるためには,「当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因する」こと(放射線起因性)という要件を充足することが求められているのである。この原爆症認定の実績は,平成20年4月以降,平成26年3月現在までに,1万1567件となっている。平成20年4月以前の認定者が,概ね年間100人程度であったことを踏まえると,認定者は大幅に増加している。そして,医療特別手当に係る平成26年度予算額も,約227億円に上っている。
エ 医療特別手当の特殊性及び医療特別手当を取り巻く現在の状況
他者の原因行為により疾病,負傷等した場合に,医療費に加えて,医療に関する手当を給付する類似の制度として,予防接種被害救済制度,医薬品副作用被害救済制度,公害健康被害補償制度等が存在する。これらの各制度では,被爆者援護法の医療特別手当と同様に,原因行為と疾病との個別の因果関係の有無を審査した上で,医療費や医療に関する手当が支給されているが,その手当の水準は,被爆者援護法における健康管理手当と同程度となっている。
これに対し,被爆者援護法の医療特別手当のような高額の手当が支給されるのは,血液製剤によりエイズを発症した場合の手当など,極めて特殊な場合に限られている。
このように,医療特別手当は,他制度と比べても高い水準の給付がされるものであり,それは原爆放射線による健康被害という特殊性,疾病の重篤性を念頭に置いたものであることは明らかである。原爆症認定に当たっては,こうした医療特別手当の趣旨を踏まえて慎重に検討する必要がある。
他方で,原爆投下から年数を経て,医療技術は大幅に進化している。その結果,昭和37年から昭和41年にかけてのがんの5年生存率(男性)は,前立腺がんでは,36.3%であったのが,平成9年ないし平成11年には98.9%に改善した。胃がんでは,32.3%であったのが74.4%に,大腸がんでは,37.1%であったのが68.9%に改善した。特に,早期がんの場合は,胃がんも大腸がんも95%を優に超えている。また,白血病でも,9.9%であったのが45.7%に改善している。白内障は,従来は失明の原因となっていたが,現在では簡単な手術により視力が回復する疾病と認識されている。このように,今日,医療特別手当を取り巻く環境は大きく変化してきている。
オ 小括
以上述べたとおり,原爆症認定の要件の解釈,適用に当たって適正な判断をするためには,被爆者援護法に基づく援護制度,その中に位置づけられる原爆症認定制度の趣旨,目的,更には医療特別手当を取り巻く状況の変化等についての正確な理解が不可欠である。原告らの主張は,この点についての正確な理解に欠けるものであり,失当といわざるを得ない。
(5) 線量評価に対する近時の裁判例をみても,通常の民事訴訟と同様の因果関係の判断がされていること
近時の原爆症認定訴訟の高等裁判所における判決においては,いわゆる従前の原爆症認定集団訴訟の事案においても,それ以外の本人訴訟の事案においても,残留放射線量が未解明ながらも人体影響を与え得る「相当量」のものであるから放射線起因性を肯定し得るなどといった判断はされておらず,通常の民事訴訟と同様に,原告側に因果関係(放射線起因性の要件)の主張立証責任があることを前提とし,仮説と定説,関連性と因果関係の違いについてもきちんと区別しながら原告側が根拠として挙げる研究報告や意見書等が因果関係の判断に用いることができる科学的経験則ないし科学的知見に当たるかについて慎重に吟味して的確に証拠評価を行い,被告が勝訴している。
この点,原告らは,残留放射線評価についての裁判所の見方を示すものとして,東京高裁平成21年判決の判示を挙げる。しかしながら,少なくとも,東京高裁平成21年判決は,飽くまでその当時の原告らと被告の主張立証を踏まえて判断がされたものであって,それ自体が科学的な経験則となるべきものではない。被告は,本件訴訟において,その後の科学的知見の進展の状況や3年間26回にも及ぶ在り方検討会での有識者による原爆症認定制度に係る議論等を踏まえた新たな主張及び反証を行っているのであって,同列に論じられるべきものではない。
第2 本件訴訟における放射線起因性に係る基本的な争点及びこれに対する被告の主張の骨子
以上を前提に,本件訴訟における当事者双方の放射線起因性に係る主張構造について検討すると,その基本的な争点は論理的に次のように整理することができる。
1 すなわち,まず,被爆状況についての事実関係を確定した上で,当該被爆状況に基づき本件申請者らがそれぞれいかなる線量の放射線被曝を受けたのかが問題となる。この場面では,個別の被爆者についての被爆状況に係る事実認定が争いになるほか,線量評価が争いとなる。
この点,原告らは,残留放射線によると考えられる急性症状等の人体影響が記載された文献等として列挙されたものをもって,残留放射線による外部被曝及び内部被曝によって,低線量ではない線量(原告らがいうところの「相当量」)の放射線被曝を受けた旨を主張するとともに,残留放射線の線量評価に係る被告の主張を論難するもののようである。そうすると,前記第1の2(2)及び(3)ウに述べたところに照らして,原告らが主張するところの残留放射線による被曝線量評価についての科学的根拠の有無及びその合理性,特に,これに対立するものとして被告が挙げる根拠を上回るといえるような合理性の有無が問われなければならないことになる。
しかしながら,後記第2章において詳述するとおり,原告らが挙げる文献等は,いずれも原告らの上記主張を認める根拠となる科学的経験則となり得るものではない。
また,後記第2章において詳述するとおり,被告の主張を論難する原告らの主張内容を勘案しても,被告の主張が一般的に合理性を欠くということはできないのであって,残留放射線による被曝線量がなお著しく低線量である可能性を否定することはできない。そうである以上,残留放射線の線量評価の観点からも,原告らの主張を採用することはできないというべきである。
なお,個別の本件申請者らの被爆状況等に係る原告らの個別主張に対しては,後記第3章において必要に応じて反論する。
2 次に,本件申請者らの申請疾病と放射線被曝との関係が問題となる。この場面では,まず,前記第1の2に述べたところに照らして,申請疾病ごとに,放射線被曝と発症との関連性ないし程度に係る科学的知見の有無ないしその合理性が争いになるほか,当該科学的知見をもって科学的経験則ということができる場合に,個別の本件申請者らにこれを当てはめることができるかが争いとなる。
この点,原告らは,文献等を列挙し,本件申請者らの申請疾病と放射線被曝との関連性の存在を主張するもののようである。そうすると,前記第1の2(2)イに述べたところに照らして,原告らが主張するところの放射線被曝と疾病との関連性についての科学的根拠の有無及びその合理性,特に,これに対立するものとして被告が挙げる根拠を上回るといえるような合理性の有無が問われなければならないことになる。
しかしながら,後記第3章において関係する本件申請者らごとに詳述するとおり,原告らが挙げる文献等は,いずれも原告らの上記主張を認める根拠となる科学的経験則となり得るものではない。
また,後記第3章において関係する本件申請者らごとに詳述するとおり,被告の主張を論難する原告らの主張内容を勘案しても,そこで原告らの主張の根拠として挙げられた科学的な文献等は,ある疾病と放射線の関係についての仮説にとどまり,科学的なコンセンサスを得られているものではない。これでは,両者が関係している可能性を示唆するものということはできても,疫学的な意味での因果関係を認めることができないことはもとより,他原因に基づき発症する可能性を超えて,ある疾病が放射線に起因することを高度の蓋然性をもって判断することは不可能である。したがって,このような文献等をもって個別の本件申請者らの放射線起因性を肯定する前提としての科学的経験則として用いることは許されるものではない。
更にいえば,後記第3章において関係する本件申請者らごとに詳述するとおり,原告らの主張は,いずれも疾病と放射線被曝との「関連性」のみを明らかにするものにとどまり,関連性の程度については何ら明らかにするところがない。前記第1の2(4)で述べたとおり,本件申請者らの申請疾病のような一般的な疾病において放射線起因性の要件該当性を判断するためには,一般的な罹患リスクを凌駕するような放射線被曝による発症リスクの有無が厳密に検討されなければならない。原告らの主張は,かかる観点を欠き,単なる関連性の存在のみで無条件に放射線起因性の要件該当性を帰結している点で,明らかに失当といわなければならない。また,原告らの被曝線量に関する主張は,単に「相当量」を被曝したという抽象的なものにとどまり,それが当該疾病を発症するに足りる程度の線量であるか否かも不明である。その意味でも,放射線被曝と疾病の発症についての疫学的知見を適用する前提に欠けるというべきである。
以下,詳述する。
第2章 残留放射線による外部被曝及び内部被曝の線量評価について
第1 はじめに
1 原告らは,遠距離被爆者及び入市被爆者にみられたとする脱毛等の身体症状から,残留放射線による外部被曝及び内部被曝の影響があるとし,DS86やDS02では正しく被爆者の放射線被曝を評価することはできないと主張しているようである。
しかしながら,原告らの主張は,被告が① 原爆本体由来の放射性降下物の量を低くみている,② 誘導放射化された物質の量を低くみているという点で,放射性降下物の量と降下範囲を不当に限定し,放射性降下物及び残留放射線の影響を不当に軽視するものであるなどと,被告の線量評価を批判するのみで,原告らが理解する「残留放射線の影響」というものが,定量的にいかなる程度を想定しているのか,全く主張も立証もされていない。同様に,入市被爆者についても,例えば,原爆投下の二日後に爆心地を通過した被爆者の場合,残留放射線の影響による被曝線量としていかなる線量を想定しているのか,全く主張も立証もされていない。
また,本件申請者ら個別の被曝の程度(被曝線量)についても,原告らは,「相当量の放射線に被曝したことは明らかである」といった漠然とした主張をするにとどまっている。DS86やDS02を批判し,これに依拠しない原告らが用いる「相当量」というのが,いかなる線量を想定するものなのか,その具体的な内容も,裏付けとなる科学的根拠(文献)も,全く不明である。
そもそも,原爆症認定の要件である,当該疾病が原子爆弾の放射線に起因するものであること(放射線起因性)については,原告らが主張,立証すべきものである。そして,被告による本件申請者ら個別の具体的被曝線量に関する主張及び立証というものは,飽くまでも原告らが主張立証責任を負う放射線起因性の要件該当性に関する主張,すなわち,原告ら個別の「相当量」の放射線被曝をしたとする主張に対する反論,反証として位置づけられるものである。したがって,仮に,被告が依拠するDS02等による被曝線量評価が一般的に過小であると解したとしても,直ちに本件申請者ら個別の被曝線量が「相当量」であるとの主張を基礎づけることにはならない。依然として,原告らにおいて,放射線起因性につき,本件申請者ら個別の「相当量」の線量の被曝なるものが具体的にいかなるものであるのか,特に,それが科学的な線量評価に関わるものである以上,その科学的根拠と共に具体的に主張,立証しなければならないのである。
2 更にいえば,原告らが放射線起因性が認められることの根拠として挙げる放影研等における疫学的調査の結果自体が,そもそも対象者ごとに被曝線量を推計し,その数値を指標として,それと放射線の人体影響との関係について調査,考察を加えるものであることを看過してはならない。放射線起因性は,疾病と放射線被曝との相関関係(関連性)の有無,程度等の諸事情を総合考慮して認定されるものであるが,その認定に当たり,放影研の疫学論文その他の研究により認められた科学的知見を科学的経験則として用いるのであれば,定量的な放射線被曝線量評価をしない限りは,当該経験則を当てはめることが可能であるか否かさえ,正確に判断することはできないはずである。
3 このように,原爆症認定においては,当該申請者が原爆放射線に被曝していることのみならず,いかなる線量の原爆放射線に被曝したかを具体的かつ正確に評価し,特定されることが大前提とされなければならない。したがって,このように本件申請者ら個別の被曝線量を定量的に特定することもせずに,「相当量」などという被曝線量の主張及び立証に基づき,放影研等の疫学調査等の結果を本件申請者らに当てはめようとすること自体が誤りであるといわざるを得ない。
第2 残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による外部被曝及び内部被曝による線量を過大評価する原告らの主張の誤り
1 はじめに
(1) 線量評価の方法に関する原告らの主張
被曝線量に関する原告らの主張は,遠距離被爆者及び入市被爆者の脱毛等の身体症状の発生傾向等を考慮すれば,こうした身体症状は放射線被曝による急性症状であるとみるのが自然であり,残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による外部被曝及び内部被曝の各線量は過小評価されているとして,これらの被曝線量が相当程度に上るとの理解を前提とする。その上で,残留放射線による外部被曝及び内部被曝を受ける状況(砂埃を浴びたことなど)が認められれば,具体的な線量はともかく,健康影響をもたらす程度の相当量の放射線被曝があったと認めることができるというもののようである。
ところで,科学的観点からみた場合,現在の主な放射線被曝線量の推定方法としては,①爆心地からの距離と遮蔽状況を基に計算で被曝線量を求める物理学的推定法,②実際に被曝した者の生体資料を調べて,その検査結果から線量を推定する生物学的線量推定法及び③放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)の特徴から放射線被曝線量を推定する方法が挙げられる。
この点,原告らの上記主張は,遠距離被爆者及び入市被爆者の身体症状が放射線による急性症状であると定性的に認識した上で,これを放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)から被曝線量を推定する方法にそのまま当てはめ,放射線被曝による急性症状を惹起する程度の被曝線量,すなわち,「相当量の放射線被曝」があったと考え,これと対比することで,①の物理学的推定法による被告の全ての線量評価が過小評価となっていると主張するものといえる。
(2) 原告らの線量評価の方法に関する主張の誤り
しかしながら,以下に述べるとおり,原告らの主張は,上記(1)の三つの線量評価方法相互の科学的な位置づけを正解せず,遠距離被爆者及び入市被爆者に現れた身体症状を不完全に③の放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)の特徴から放射線被曝線量を推定する方法に当てはめ,もって誘導放射線による外部被曝及び内部被曝による線量を過大評価するものである。このような判断方法は,現在の科学的知見とはおよそ相容れない独自の理解に基づくものであり,明らかに誤っている。
2 放射線被曝線量の推定方法に関する基本的な考え方
前記1で述べたとおり,現在の主な放射線被曝線量の推定方法としては,①物理学的推定法,②生物学的線量推定法及び③放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)から推定する方法が挙げられる。
物理学的推定法は,爆心地からの距離と遮蔽状況を基に計算で被曝線量を求めたものをいい,DS86やDS02に基づく初期放射線による被曝線量評価や今中哲二報告に基づく誘導放射線積算線量評価などは,この物理学的推定法によるものといえる。この方法は,原爆被爆者の放射線被曝線量の推定方法として最も基本に位置づけられているものである。
また,生物学的線量推定法とは,実際に被曝した者の生体資料を調べて,その検査結果から線量を推定する方法をいう。現在では,末梢Tリンパ球による染色体異常頻度から被曝線量を推定する方法や,歯エナメル質を用いた電子スピン共鳴法(ESR)などが知られている。研究の蓄積の結果,現在の科学的知見として,染色体異常頻度による推定線量と歯エナメル質を用いた電子スピン共鳴法(ESR)による推定線量は互いに良い相関を示していること,すなわち,これらの方法により求められた推定線量の信頼性が高いことが判明している。そこで,現在,研究者は,このような生物学的線量推定法による推定線量を指標として,物理学的推定法を用いた基本的な線量推定システムであるDS02の偏りを特定し,その精度を高める努力を続けているところである。
このような科学的知見に照らすと,放射線被曝線量を推定する場合には,基本となるDS02等の物理学的推定法に加え,生物学的線量推定法の観点を考慮することが,正確な推定線量を得る上で非常に重要であるということができる。
他方で,放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)から推定する方法は,原爆被爆者に限らず,多様な事故経験等を踏まえたものであり,明らかな高線量被曝が前提となった段階で初めて適切な適用ができるものである(当該手法は,飽くまで高線量被曝が確実である場合に,その被曝の程度を表すものとしての被曝線量を推測するために用いられる。)。初期の前駆症状や局所の所見はいずれも非特異的なものであるから,当該手法による線量推定のみで被曝の根拠とするのは誤用である。
さらに,疫学的手法による被爆者の身体症状の解析においては,後記第3の2(3)ウ(エ)で述べるとおり,調査時期によって時間的経過による記憶の減退,記憶違いといった,いわゆるリコールバイアス(思い出しによるバイアス)が生じる可能性がある。また,原爆症認定や被爆者健康手帳の交付が受けられるかもしれないという状況下においては,レポーティングバイアス(情報提供者の意欲の差に基づく系統的誤差)なども起きやすく,その精度に問題が生じやすいことは研究者の間で一般的な常識として知られている。そのため,被爆者の疫学的追跡調査方法を行う場合には,物理学的推定法による被爆者個人の受けた放射線量の推定のための個人の詳細な行動内容の調査を行う必要がある。また,被曝を確実に診断(確診)するためには,染色体異常頻度等の生物学的線量推定法も実施することが重要であるとされている。
このように,放射線被曝線量を推定する上記三つの方法については,①の物理学的推定法を基本としながら,②の生物学的線量推定法から推定する方法を併せて総合的に考慮されるべきである。他方で,③の放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)から推定する方法は,①の物理学的推定法及び②の生物学的線量推定法が有効でなく,その他の情報から高線量放射線被曝が確信されているような場面において,被曝線量の程度を計る目的で暫定的に使用されるものである。その場合には,それぞれの問題点を踏まえつつ,全体として矛盾なく理解することができるよう,留意する必要がある。
3 賀北部隊工月中隊のケースを基にした残留放射線の被曝線量の推定により,残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による被曝線量は低線量であることが裏付けられること
(1) 入市被爆者の被曝線量の最大限を画する賀北部隊工月中隊のケースは,残留放射線による外部被曝及び内部被曝が僅かであったことを裏付けるものであること
原告らは,前記1(1)で述べたように,遠距離被爆者や入市被爆者に原告らの理解する「放射線被曝による急性症状」なる身体症状が生じていることをもって,本件申請者らが「相当量」の残留放射線に被曝したとして,放射線起因性の要件を満たすことの根拠としているようである。
しかしながら,残留放射線による被曝線量が僅かであったことは,現在の科学的知見の到達点から明らかになっており,このことは遠距離被爆者や入市被爆者の推定被曝線量が低線量であることからも裏付けられる。
まず,入市被爆者の被曝線量に関しては,賀北部隊工月中隊に関する研究が存在している。賀北部隊工月中隊は,広島原爆が投下された日の翌日である昭和20年8月7日から同月13日までの7日間にわたって入市し,負傷者の救護や死体の処理に当たった部隊である。この賀北部隊工月中隊のケースは,「入市被爆者の中でも最も多く被曝していると考えられる人達」であるとされている。しかも,早期入市後の活動状況がほぼ全員同一であることから,早期入市で長期滞在被爆者の被曝線量を推定する対象として非常に的確であるとされている。
賀北部隊工月中隊のケースについては,①の物理学的推定法として,丸山隆司報告,②の生物学的線量推定法である染色体異常頻度の方法を用いたものとして,鎌田七男報告と,同じ賀北部隊工月中隊員のデータを用いて鎌田七男報告とは異なる対照群と比較した「原爆放射線の人体影響1992」,③の放射線被曝による急性症状(急性放射線障害)に関する疫学的調査として,加藤寛夫ら報告の各報告がある。
そして,①の物理学的推定法及び②の生物学的線量推定法の方法から導き出された線量推定結果を照らし合わせ,その整合性等の観点から入市被爆者の最大限度の被曝線量を検討すると,以下のとおり,入市被爆者の被曝線量の最大限を画する賀北部隊工月中隊のケースでさえも,その線量が著しく低いことが科学的に明らかとされているのである。また,③の放射線被曝による急性症状(急性放射線障害)から推定する方法によっても,賀北部隊工月中隊員が高線量の放射線被曝を受けたとはいえないことが明らかとなっている。
(2) 物理学的推定法(丸山隆司報告)と生物学的線量推定法(鎌田七男報告及び「原爆放射線の人体影響1992」)による推定線量が合致していること
ア 物理学的推定法(丸山隆司報告)により明らかとなった賀北部隊工月中隊員の推定被曝線量
残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による被曝線量は,個人の行動,特に作業地点の爆心からの距離と滞留時期,時間によって,極端に違ってくるとされている。また,行動内容について個人の記憶に依存する場合,それが不正確なものである危険性は常に否定することができないが,賀北部隊工月中隊については,作業が主に小隊単位でされており,小隊の行動としてはかなり正確な情報が得られたという特徴がある。そこで,丸山隆司報告においては,作業の状況を細かにチェックしながら同一行動を取った小集団(本部6人,指導班3人,第一小隊先発隊7人,第一小隊本隊33人,第2小隊23人及び第3小隊27人)ごとに,DS86等を用いた複雑な物理学的計算(フォールアウトによる外部被曝線量,中性子誘導被曝線量,降下物及び誘導放射能による内部被曝線量)により,推定被曝線量の計算が行われた。
そして,丸山隆司報告において行われた推定被曝線量の計算の結果は,残留放射線による被曝線量が最も大きいと思われる第一小隊先発隊7人(部隊の先発隊として,昭和20年8月6日深夜に爆心地付近の西練兵場に到着し,同月7日昼,本隊の到着と共に第一小隊に合流した者)については,最大11.8ラド(0.118グレイ),最小2.1ラド(0.021グレイ),平均5.1ラド(0.051グレイ)であり,全隊員の平均は1.3ラド(0.013グレイ)であった。
イ 生物学的線量推定法(鎌田七男報告及び「原爆放射線の人体影響1992」)により明らかとなった賀北部隊工月中隊員の推定被曝線量
(ア) 鎌田七男報告による推定被曝線量
鎌田七男報告は,昭和20年8月7日から7日間,旧西練兵場近くで救護活動を行い,調査当時広島県賀茂郡に在住していた賀北部隊工月中隊員28人と,同年齢で同一地域(広島県賀茂郡)に在住していた10人(対照者)について,数回の個人面接を行い,広島市内への入市日,行動経路,作業内容,当日の服装,帰省後の身体状況,その後の体調,医療用放射線被曝の回数とその内容などを聴き取り,末梢血10mlを採血し,染色体分析を行ったことについて取りまとめられた論文である。
その結果,賀北部隊工月中隊の入市被爆者は,入市被爆者の中でも最も多く残留放射線により被曝していると考えられる者であるにもかかわらず,その被曝線量は細胞生物学的にはせいぜい10ラド(0.1グレイ)前後であったと推定されている。10ラドは,昭和50年以前の胃レントゲンであれば1回ないし2回,最近の胃レントゲンであれば3回ないし5回で受ける線量に相当する。
なお,鎌田七男報告では,鎌田七男報告による推定線量が,他の研究結果との関係で客観性を保ち得ることが指摘されている。
(イ) 「原爆放射線の人体影響1992」
「原爆放射線の人体影響1992」では,鎌田七男報告と同じ賀北部隊工月中隊員のデータを用いて,鎌田七男報告とは異なる対照群との比較検討が行われている。
「原爆放射線の人体影響1992」は,これらの調査結果を踏まえ,②の生物学的線量推定法の結果について,滞在期間の差が染色体異常に反映されたこと,長期滞在者の原爆放射能は4.8ラド(0.048グレイ)以下で,短期滞在者のそれは1ラド(0.01グレイ)以下となること,長期滞在者は短期滞在者と比べて3.8ラド(0.038グレイ)ほど多く原爆放射能を受けたことになることを指摘している。
ウ 物理学的推定法と生物学的線量推定法の各推定線量が整合的であり,多角的に検証された推定線量は正確性を有すること
以上のとおり,同じ賀北部隊工月中隊員について,丸山隆司報告では①の物理学的推定法により,鎌田七男報告及び「原爆放射線の人体影響1992」では②の生物学的線量推定法(染色体異常頻度)により,それぞれ被曝線量の推定が行われており,その推定結果を比較すると,前者(丸山隆司報告において行われた推定被曝線量の計算の結果)では,残留放射線による被曝線量が最も大きいと思われる第一小隊先発隊の推定被曝線量の最大値が,11.8ラド(0.118グレイ),最小2.1ラド(0.021グレイ),平均5.1ラド(0.051グレイ)であったのに対し,後者(「原爆放射線の人体影響1992」)では,最大13.5ラド(0.135グレイ),最小1ラド(0.01グレイ)以下,平均4.8ラド(0.048グレイ)であり,両者は最大値,最小値,平均値のいずれにおいても整合的であった。このように,全く異なった手法による推定値がこれだけ一致していることからすれば,いずれの推定も正確性を有すると評価されるものである。
(3) 賀北部隊工月中隊の疫学的調査(加藤寛夫ら報告)からは同隊員が高線量の放射線被曝を受けたと特定することはできないこと
ア 加藤寛夫ら報告における疫学的調査の内容
加藤寛夫ら報告の基となった疫学調査は,ほぼ全員の名簿の作成に成功した賀北部隊工月中隊所属の99人(生存者72人,死亡者27人)を対象に,被爆後42年を経た後に行われた。
調査方法は,アンケート形式を取り,面会による聴取りを原則とし,面会ができない場合は電話による聴取りを行い,死亡者については可能な限り近親者の答申を得るようにした。そして,調査項目のうち,広島から帰った後の体の異常は「急性放射線症状」と略称され,特に歯根出血などの出血症状,脱毛,皮下出血斑,口内炎,白血球減少などについて,その発現時期,期間などの答申を基に,確認作業を行った。
イ 加藤寛夫ら報告で挙げられた「急性放射線症状」が直ちに「放射線被曝による急性症状」を意味するものではないこと
加藤寛夫ら報告は,飽くまで,上記①の物理学的推定法による推定被曝線量を前提とするならば,「今回の調査対象者のような低線量被曝者では急性放射線症状は現れないか,現れたとしても頻度は非常に小さい」はずであるという,これまでの科学的知見を踏まえた帰結を指摘した上で,それにもかかわらず,「急性放射線症状を現したものがいる(らしい)と言う事実」が結果として出たことが「興味深い」として,「もし,放射線による急性症状とすれば」「特殊環境下における人体の放射線に対する抵抗性の低下」や「内部被曝」の可能性が考えられるとしているにすぎない。すなわち,加藤寛夫ら報告は「ほぼ確実な急性放射線症状」という表現を採ってはいるものの,同時に「栄養障害,種々のストレスによってもおこる」と明確に述べているし,「仮に」,それが放射線による急性症状であるとするならば,原因として,特殊環境下における人体の抵抗性の低下と内部被曝の「可能性」を挙げているにすぎない。
したがって,この加藤寛夫ら報告の調査結果をもって,加藤寛夫ら報告で挙げられた「急性放射線症状」が直ちに「放射線による急性症状」を意味するということはできない。
(4) 上記(1)ないし(3)を踏まえた検討
ア ①の物理学的推定法については,一般的には,DS02によっても誤差があることはそのとおりであるが,その誤差の原因は,面接調査で得られた爆心地からの距離等の情報の誤差あるいは線量推定誤差の影響が大きいと考えられている。この点,賀北部隊工月中隊のケースは,前記のとおり,「行動内容は作業が主に小隊単位でなされており,個人の記憶としては不正確なものもあったが,小隊の行動としてはかなり正確な情報が得られたので,作業の状況を細かにチェックしながら同一行動を取った」「小集団ごとに」「(物理学的推定法により)被曝線量の計算を行った。」とあるように,基礎とした情報の正確性が高いとされている。
その上で,前記(2)において述べたとおり,賀北部隊工月中隊のケースにおいては,①の物理学的推定法により計算した丸山隆司報告における被曝線量と,②の生物学的線量推定法により導き出した鎌田七男報告等による被曝線量とがほぼ一致している。
そして,染色体異常率を用いた生物学的線量推定法は,「精度の点でこれまでのところ染色体異常に勝る生物学的線量推定法は現れていない」と一般的に評価され,信頼性が高いものである。しかも,いうまでもなく,上記二つの推定法は,一方が物理学的観点から組み立てられた推定法,他方が生物学的観点から組み立てられた推定法であり,線量を推定するためのアプローチが全く異なるのであって,それにもかかわらず両者の結果が一致したということは,基礎とした情報の正確性をも併せ考慮すれば,当該推定線量の正確性が極めて高いことを意味することになる。
イ 他方,前記(3)において述べたとおり,加藤寛夫ら報告でみられた「ほぼ確実な急性放射線症状」は,「栄養障害,種々のストレスによってもおこる」とされて,加藤寛夫ら報告においても,残留放射線による外部被曝及び内部被曝の影響によるものと断定されてはいない。そもそも,加藤寛夫ら報告は,急性症状様の症状についてアンケート調査を行ったものにとどまり,そこから具体的な線量推計は相当でないため行っていない上,前記2で述べたとおり,③の放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)から推定する方法が,①の物理学的推定法及び②の生物学的線量推定法による線量推定が有効でない場面の暫定的な位置づけであることに鑑みれば,加藤寛夫ら報告でみられた「ほぼ確実な急性放射線症状」が放射線被曝(誘導放射線や放射性降下物による外部被曝及び内部被曝)の影響によって発現したものと理解することは困難というべきである。したがって,加藤寛夫ら報告の疫学的調査の結果は,丸山隆司報告,鎌田七男報告及び「原爆放射線の人体影響1992」によって得られた推定線量の正確性を左右するものではない。
ウ さらに,入市被爆者の残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による被曝線量が,原爆投下の翌日に入市して爆心地付近で7日間にわたって救護活動に当たっていた賀北部隊工月中隊員について①の物理学的推定法(丸山隆司報告)及び②の生物学的線量推定法(鎌田七男報告及び「原爆放射線の人体影響1992」)により推定した被曝線量を大幅に超え,最低でも前駆症状としての下痢を発症させる被曝線量である1グレイに達することがあり,主症状としての出血傾向(歯茎からの出血,紫斑など)を発症させる被曝線量である2グレイ,場合によっては主症状としての脱毛を発症させる被曝線量である3グレイ又は主症状としての下痢を発症させる被曝線量である4グレイに達することもあるとする科学的知見は存在しないから,上記賀北部隊工月中隊の染色体異常率調査の染色体異常率を基にした残留放射線被曝線量の推定値が極めて過小評価であるということはあり得ないというべきである。
エ なお,原告らの主張は,線量評価が可能な放射線被曝による急性症状との対比に基づかずに,単にこれに類する身体症状を捉えて直ちに相当量の被曝があったと帰結する点で,③の放射線被曝による急性症状から線量を推定する方法とは全く異なるものである。その上,前記2のとおり,③の放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)から線量を推定する方法でさえ,①の物理学的推定法及び②の生物学的線量推定法による線量推定が有効でない場面の暫定的な位置づけである。以上に鑑みれば,単なる身体症状を捉えて上記①及び②の線量推定方法の一致した結果を否定することは,線量推定方法の基本的な意義をも正解しないものといわざるを得ない。
4 生物学的線量推定法を採用した最近の調査においても,遠距離被爆者の残留放射線による被曝線量は,放射線被曝による急性症状が発症する線量には到達し得ないことが明らかとなったこと
(1) はじめに
平成23年に発表された平井裕子ら報告において,原告らにおける上記のような考え方は,客観的な科学的知見に反することが明らかにされた。
(2) 平井裕子ら報告によれば,遠距離被爆者等が1グレイを超えるような被曝をした事実を認めることはできないこと
平井裕子ら報告は,原告らの主張のように,残留放射線からの線量が現行のがんリスク推定値や線量反応関係が無効になるほど大きい可能性があるという見解があることを受けて,②の生物学的線量推定法である歯エナメル質の電子スピン共鳴法(ESR)により,広島で爆心地から約3km以上離れた場所で被爆し,①の物理学的線量推定法であるDS02による推定線量(直接被曝線量)が0.005グレイ未満である49人の被爆者から提供された56本の大臼歯について測定を行った。その結果,推定線量の値は-0.2グレイから0.5グレイにわたり,中央値は,頬側試料では0.017グレイ,舌側試料では0.013グレイであった。そして,平井裕子ら報告は,この結果について,「遠距離被爆者の大多数が浸透力の大きい残留放射線によって大きな線量(例えば1Gy)を受けたという主張を支持しなかった。」と結論付けている。
(3) DS02による物理学的線量推定と平井裕子ら報告における生物学的線量推定に実質的に差はなかったこと
DS02による推定線量は初期放射線による直接被曝線量のみを表すものであるのに対し,歯エナメル質の電子スピン共鳴法(ESR)によって得られた線量は初期放射線による外部被曝や残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による被曝を含めた,調査対象者が永久歯に生え替わってから調査時までに受けた全ての被曝線量(自然放射線や医療用放射線も含む。)を表すものである。仮に,残留放射線による被曝が,放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)を引き起こすほどに大きいものであったとすれば,両者の間に大幅な差が生じるはずである。しかしながら,両者の間に実質的には差がなく,結局のところ,被爆者が残留放射線等により大きな線量の被曝をしなかったことが示された。
なお,上記調査結果では,56本の大臼歯のうち3個は頬側も舌側も共に0.3ないし0.4グレイの値が示されたとして,一部の個人に0.3グレイを超える推定値が示されているが,胃レントゲンで受ける線量に鑑みれば,上記のような値を合理的に説明することは可能である上,いずれの個人も1グレイといった放射線被曝による急性症状の発症をうかがわせる線量には遠く及んでいない。
(4) 平井裕子ら報告によれば,遠距離被爆者等が残留放射線により高線量の被曝をした事実を認めることができないこと
また,広島原爆では,爆発に伴う衝撃波が爆風となり,超音速で大気中に伝播した。すなわち,衝撃波は爆発2秒後に爆心地から1kmの地点に,4.5秒後に爆心地から2kmの地点に,30秒後には爆心地から約11kmの地点に達し,衝撃波の後に強い外向きの風が続き,爆心地で秒速280m,爆心地から3.2kmの地点で秒速28mであったとされている。そして,爆風と火災によって灰燼に帰した総面積は,約13km2であり,爆発後30分頃から大火となって火事嵐が吹き始め,その風速は二,三時間後には秒速18mに達し,午前11時から午後3時には,市の中心部から北半分で局所に激しい旋風が起こったとされ,木造家屋の半壊は半径約4kmの範囲まで及んでいる。
そして,平井裕子ら報告における調査対象者は,広島の爆心地から3km以遠の被爆者49人であるが,そのほとんどは,3kmから4kmまでの間で被爆した者である。そうすると,平井裕子ら報告の調査対象者が被爆した場所においても,当然ながら煙やすす,埃が舞い,同調査対象者においても,粉塵等に少なからず接していたと考えるのが合理的である。
仮に,その粉塵等が誘導放射化された微粒子を相当量含んでおり,それを吸い込むことにより「相当量の外部被曝及び内部被曝をした」というのであれば,この結果に現れていなければならない。
しかしながら,同調査対象者の推定線量の結果は前記(2)のとおりであり,後述するような本件申請者らの被曝形態により放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)が出るような線量(1グレイ以上)の被曝をしたと認めることには全く合理性がないことが明らかとなった。
(5) 小括
このように,②の生物学的線量推定法として染色体異常頻度と並んで極めて信頼性が高い歯エナメル質の電子スピン共鳴法(ESR)による推定線量と,①の物理学的推定法であるDS02による推定線量とで,線量を推定するためのアプローチが全く異なるにもかかわらずおおむね整合的な結果が得られたのであり,いずれの推定線量も正確性があるといえる。そして,これらの推定線量,すなわち,歯エナメル質の電子スピン共鳴法(ESR)の中央値でみれば,0.013グレイないし0.017グレイ程度は,放射線被曝による急性症状としての脱毛が生じるしきい値である3グレイと比べて極めて低線量である。
したがって,DS02による物理学的な線量推定方法の合理性がより明らかになった上,本件申請者らに現れたとされる脱毛等の症状についても,原告らが主張するように,初期放射線による外部被曝に加えて,残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による外部被曝及び内部被曝をしたことによる急性症状であると評価することは到底できず,本件申請者らに現れたとされる脱毛等が残留放射線による被曝の影響であるとする原告らの主張は,誤りであることが明らかである。
5 放射性降下物が最も強く残留したとされている西山地区の住民についても,物理学的推定法と生物学的線量推定法(染色体異常頻度)は整合して低線量の被曝線量を示していること
長崎の西山地区については,物理学的推定法を用いて,住民30人のうち被災時の行動が判明している6人の行動記録を基に,遮蔽効果を加味した放射性降下物の積算被曝線量を推定した結果,上記6人の平均被曝線量として7.35±1.38ラド(0.0735±0.0138グレイ)という値が得られた。次に,上記6人につき,各々500細胞を用いて染色体異常頻度から当該個人の受けた包括的な被曝線量を推定した結果,同様に6.25ラド(0.0625グレイ)という値が得られた。
このように,放射性降下物が最も強く残留したとされている西山地区における被曝線量の推定値は,全く異なる手法を用いたにもかかわらず,いずれも極めて低線量の結果が整合的に得られている。したがって,このような結果に照らしてみても,被告の被曝線量の評価方法は合理的であって,これが過小評価になっているおそれが強いとか,誘導放射化された物質や放射性降下物による外部被曝の影響を軽視しているとはいえない。
6 賀北部隊工月中隊の総死亡率及びがん死亡率調査(加藤寛夫ら報告)では,日本全国の統計と有意な差は認められておらず,物理学的推定法及び生物学的線量推定法による賀北部隊工月中隊の線量推定の正しさが裏付けられていること
さらに,加藤寛夫ら報告の基となった疫学的調査においては,急性放射線症状の頻度の調査と並んで,死亡者27人全員について,死亡届も入手した上で,死亡追跡調査が行われている。
これによると,調査対象集団(死亡者27人)の昭和20年8月から昭和62年5月までの42年間の総死亡率は27.3%となり,これと比較するために日本全国の生命表の平均死亡率を基に,調査対象と同年齢の者が同期間に死亡する確率を計算すると26.7%となり,両者に有意な差異は認められなかった。
また,調査対象者においてがんによる死亡が多くなっている可能性も考えられたが,死亡者27人中25人については死亡届の写しを基に,死因についてより正確な分析をした結果,がんで死亡したと判断されたケースは6件であった。日本全国の死亡統計で同年齢の者の死亡者中のがん死亡の割合は28.7%であり,調査対象者で死亡した者の中に占めるがん死亡の割合は22.2%であって,ほとんど変わりはみられなかった。
以上によれば,加藤寛夫ら報告では,賀北部隊工月中隊の死亡者の被爆後42年間の死亡率は日本全国の年平均死亡率とほとんど変わらなかったと結論付けられている。
加藤寛夫ら報告は,がんが最も放射線被曝に対して鋭敏な指標であるにもかかわらず,賀北部隊工月中隊員にがんに対する影響がみられていないこと,すなわち,健康影響を及ぼすほどの被曝があったとする合理的な根拠が欠如していることを指摘しているものといえる。
7 残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による外部被曝及び内部被曝の線量は少なく,DS02による線量評価の誤差に含めて考えられるというのが現在の科学的知見の到達点であること
(1) 平成24年放影研見解
平成24年放影研見解は,「広島・長崎に投下された原子爆弾の放射線被曝線量については,」「放影研」「やその他多くの研究者によって解析されてきました。その結果,「残留放射線」の関与は「初期放射線(直接放射線)」の被曝線量推定値の誤差範囲内にあることが示されております。」として,種々の実測データ解析結果や調査報告例を掲げている。
放影研は,平成24年放影研見解を出した理由として,「放影研は以前よりこのこと(上記引用部分を指す。)を公表し,説明してまいりましたが」「残念ながら一部の方々から「残留放射線のデータが考慮されていない」との批判や疑問が繰り返し提起されてきました。本稿は,そうした批判と疑問が誤解に基づくものであることを述べ,皆様に正しい知識を提供することを目的とするものです。」「最近では,放射線リスク解析に用いられる放射線被曝線量に「残留放射線」によるものが含まれていないがゆえに「放影研のリスクデータは役に立たない」とするテレビ番組まで放映されるなど,このままでは世界の放射線リスクおよび放射線防護基準の科学的根拠となっている放影研の研究成果が著しく誤解されはしないか,その結果,被爆者の方々をはじめとする関係者の皆様に無用のご心配を引き起こしかねないのではないか,と憂慮しております。そこで,放影研としてここに改めて本件に関する見解の説明,ならびに情報提供をさせていただくものです。」としている。
そして,「依然として「内部被曝は外部被曝よりも1000倍危険」などと心配されていますが,これを説明する科学的根拠はありません。」「ただし重要なことは,どちらの場合でもリスクの大きさは,がん発症の当事者たる細胞(組織の幹細胞と考えられる)が受ける放射線の量に依存し,被曝が外部か内部かの問題ではないということです。」「このような知見から,国際放射線防護委員会(ICRP)は,体内に取り込まれた粒子からの放射線(つまり「内部被曝」)によるがん化について,放射性物質が全身に均等に分布した場合に「外部被曝」と同等になり,偏在した場合にはむしろ低下するのではないかと考えています。これは,大量の動物を使った高精度の動物実験において,放射性ヨウ素投与による「内部被曝」とX線による「外部被曝」と比較して,甲状腺発がん頻度に差のないことで実証されています。」「以上のような観点から,被曝線量を考慮せず,「内部被曝の方が外部被曝より危険だ」という単純な主張には全く根拠がないことが分かります。」と説明している。
(2) 在り方検討会における専門家の説明等
また,これまでの多数の原爆症認定訴訟における下級審では,原告らが挙げるように残留放射線による外部被曝や内部被曝が相当量に上るとして被告が敗訴するという事態が生じたことは事実である。そのような事態を受けて,平成22年12月から平成25年12月まで26回にわたり,法律家を含む学識経験者及び関係団体等の有識者を参集して開催された在り方検討会において,国(医療分科会)における線量評価,特に,残留放射線による外部被曝及び内部被曝の線量評価が過小であるか否かについても,専門家のヒアリング等を踏まえながら議論がされたが,結局,過小評価といえる科学的な根拠がないことが改めて確認された(第3回の在り方検討会における参考人の丹羽太貫(京都大学名誉教授。ICRP主委員会委員)からのヒアリング及びその後の質疑応答での丹羽太貫の発言,第22回の在り方検討会における委員の長瀧重信(放影研元理事長。元長崎大学教授)による放射線に起因する疾患についての概括的な説明及びその後の質疑応答での長瀧重信の発言等参照)。
(3) 大学教育現場における教科書的文献の記述内容
近時の東京大学教養学部の大学1年生及び大学2年生を対象に平成23年講義内容を基に編纂された,鳥居寛之ら教科書においても,内部被曝に関し,被告の主張と同旨の説明がされている。
8 放影研の寿命調査(LSS)における被曝線量の推計に基づかない入市被爆者の調査では,がん死亡リスクの上昇が認められないことが示されていること
さらに,原爆被爆者12万0321人を対象とした放影研の大規模な疫学調査である寿命調査(LSS)において,原爆投下後1箇月以内に入市した「早期入市者」の白血病以外の全部位のがんによる死亡率の調査が行われ,早期入市者の白血病以外のがんについては増加が認められなかったと結論付けられている。
がんは最も放射線被曝に対して鋭敏な指標であって,大量の残留放射線被曝があったのであれば,早期入市者においても顕著ながん死亡率の増加がみられるはずであるが,そのような傾向は全く認められていない。
9 推定被曝線量の正確性
以上のとおり,信頼性の高い生物学的観点から組み立てられた推定法による結果と,アプローチが全く異なる物理学的観点から組み立てられた推定法による結果とが整合的であることに加え,上記の各生物学的線量推定法及び物理学的推定法において基礎とした情報の正確性をも併せ考慮すれば,当該推定線量の正確性は極めて高いというべきである。
したがって,原告らが遠距離被爆者や入市被爆者が「放射線被曝による急性症状」が出現するほどの高線量の残留放射線に被曝しているとする点は,現在の科学的知見に反し,被曝線量を過大視するものであり,むしろ,これら被爆者の被曝線量は低線量であったという知見が一般的であることが更に裏付けられたというべきであるから,この点に関する原告らの主張は明らかに誤りである。
10 原告らの主張に対する反論
(1) 原告らの反論は問題設定を誤るものであること
原告らは,前記被告の主張に対し,そもそも賀北部隊工月中隊について行われた当時の染色体異常による線量評価が,「急性症状」に対する放射線の関与(放射線起因)を否定し切れるほどの信頼性を持っているものなのかが問われることになると問題設定をしている。
しかしながら,被告の主張は,残留放射線による被曝線量について,人体影響を伴う高線量のものであると解することとは矛盾するような知見が存在することを反証として挙げた上で,残留放射線の被曝線量についての原告らの主張が科学的根拠に基づかないことを明らかにしたものである。したがって,被告において放射線の関与(放射線起因)を否定し切るか否かを問題とすることは誤りであり,むしろ,主張立証責任を有している原告らにおいて,被告の上記反論及び反証を完全に否定することが必要なのである。
しかるに,後記第3において詳述するとおり,そもそも遠距離被爆者及び入市被爆者にみられた身体症状に基づき本件申請者らが多量の残留放射線を浴びたとする主張においてすら,その根拠としている疫学的な研究について,それらが単なる仮説にすぎないか,また,交絡因子が混入していないかといった初歩的な疫学的知見としての的確性について全く吟味がされていない。
しかも,被告が挙げた科学的な知見は,賀北部隊工月中隊を始めとした近時の放影研等における研究において,物理学的推定法(DS86,DS02)による線量評価の値と,生物学的線量推定法(染色体異常頻度及び歯エナメル質の電子スピン共鳴法(ESR))による線量評価の値とが,おおむね整合的であるという結果が出ているという点にとどまるものではない。被告は,現在の科学的知見として,上記の各生物学的線量推定法による推定線量は互いに良い相関を示し,信頼性が高いと評価されており,研究者において指標として用いられているということを踏まえた上で,これまでの賀北部隊工月中隊を初めとした生物学的線量推定法による研究では,いずれもせいぜい0.01グレイ台ないし0.1グレイ台の推定線量の値しか得られておらず,残留放射線を考慮した場合であっても遠距離被爆者や入市被爆者において急性放射線症候群が生じる1グレイを超えるような被曝をした事実が認められる結果が出ていないという点も主張の根拠の一つとしている。しかるに,原告らが個別に反論するところをみても,原告らの主張は,上記のような意味で被告が既にした反論,反証を完全に否定することができるものではない。以下,必要な範囲で指摘しておく。
(2) 鎌田七男報告及び「原爆放射線の人体影響1992」について
ア 染色体異常における検知問題について
原告らは,被爆後から42年経過後に行われた賀北部隊工月中隊の検査データでは,放射線特異的な異常については,およそ評価が困難であり,放射線特異的でない異常を把握しようとすると,高い線量を被曝していない限り,放射線の影響だと判定することができないなどと主張している。
まず,原告らが主張する「高い線量」とは1シーベルト(1グレイ)以上を指しているようであるから,逆にいえば,賀北部隊工月中隊員の被曝線量は少なくとも1グレイに至るものではなかったということを原告らも自認しているに等しく,何ら反論になっていない。
また,原子力百科事典ATOMICA「放射線と染色体異常」をみると,染色体転座の場合,放射線に対する特異性が低く,①バックグラウンド値が高いためにバックグラウンド値を無視することができるほどの高線量被曝(1シーベルト以上)時又は②被曝前のバックグラウンド値が分かっている時にのみ,線量推定が可能であることが明らかになってきているとされているのである。すなわち,鎌田七男報告及び「原爆放射線の人体影響1992」のいずれにおいても,医療被曝歴等のバックグラウンド値の評価をしていることから,上記ATOMICAの②被曝前のバックグラウンド値が分かっている時に該当し,線量推定が可能であることが示されている。
以上によれば,原告らの上記指摘には理由がない。
イ 線質とエネルギー依存の問題
原告らは,① 基準とすべき補正曲線自体が実験室で作られるものにすぎず,実際の原爆被爆者における適用においては限界があることは十分考慮されなければならない,② 原爆放射線被曝の場合は,線量評価の困難が増すことは明らかである,③ しかも,細胞に対する照射ではなく,人体の全身に対する照射である,④ 原爆の放射線被曝は,大量破壊兵器による放射線被曝であり,実験室での実験と同列に扱って判断することは許されないなどと主張している。
しかしながら,原告らは,染色体異常頻度による線量評価の困難性を一般的に指摘するにとどまり,鎌田七男や放影研の研究者といった一定の技量を有する者による線量評価の信用性までも一律に否定することができるものではない。むしろ,十分に管理された,実験室での実験により線量評価をするからこそ,信頼性の高い結果を導くことができるといえる。
ウ 染色体異常のばらつきについて
原告らは,染色体異常とDS86との線量相関のばらつきの原因が主に調査方法(遮蔽や被爆地点の情報の誤り)によるものであると考察した「原爆放射線の人体影響 改訂第2版」中の指摘はばらつきの問題の回答となっていない,電子スピン共鳴法(ESR)との相関度が高くなったということにも限界があるなどと主張する。
しかしながら,問題の回答とはならない,限界があるとする根拠が全く不明であり,反論となっていない。
しかも,上記のばらつきについては既に十分な原因の検証がされている。すなわち,放影研における染色体異常頻度を用いた生物学的線量評価と物理学的線量評価との比較をした上記指摘は,広島,長崎両市の被爆者約3000人から得られた染色体調査の結果を利用して,個々の被爆者に対する推定被曝線量(DS86)との関連性について解析を行ったものである。
そして,上記各調査結果の分析として,ばらつきの原因としては,面接調査で得られた遮蔽状況についての情報の誤差あるいは線量推定誤差の影響が大きい旨が考察されており,さらには,日本家屋内被爆者のデータが正しいとすると,長崎工場内被爆者及び屋外無遮蔽被爆者(両市とも)の推定被曝線量が過大評価されている可能性さえも示唆されている。このように,「測定値のばらつき」の大きさの主な原因は物理学的推定法における遮蔽状況についての情報の誤差等の問題であって,生物学的線量推定法による推定被曝線量の誤差範囲が大きいことを意味するものではない。生物学的線量推定法による推定被曝線量が信頼性を有するものであることは,現在の科学的経験則として明らかとなっているのである。
エ 原爆の残留放射線の線種上の問題について
原告らは,染色体異常の線量評価は骨髄線量の基準となるものとして行われているが,原爆被爆者,取り分け,残留放射線で急性症状を引き起こしたものについては,誘導放射線のガンマ線に加え,原爆投下後の塵埃,降雨等のベータ線の関与を否定することができない,これらの放射線は皮膚からの外部被曝では骨髄に届かない場合もある,ベータ線核種を含む残留放射線核種が,外部,内部被曝をもたらし,それが様々な形の人体影響を及ぼしている可能性が高いといわざるを得ないなどと主張する。
しかしながら,染色体異常による生物学的線量推定法は内部被曝まで含めた測定時までの総被曝線量を表すものである。原告らの上記主張はいずれも根拠が不明な推測に基づくものにすぎず,反論となり得ていない。なお,ベータ線核種を含む残留放射線核種が,外部,内部被曝をもたらし,それが様々な形の人体影響を及ぼしている可能性が高いという点についても,そもそも仮定の主張にすぎず,また,外部からのベータ線被曝というものは,そもそも皮膚に遮られて,本件申請者ら個別の申請疾病について影響を及ぼす可能性は極めて低いものである。
オ ギムザ染色法等の調査方法の問題について
原告らは,現在,かなり線量評価が可能となっている不安定型染色体による線量評価でさえ,評価可能な線量は200ミリグレイ(0.2グレイ)とされていると主張する。
しかしながら,被告は,原告らが主張する「相当量」の被曝,すなわち,少なくとも急性放射線症候群が生じるような1グレイ以上の被曝をしていることを証明する結果が出ていない旨指摘しているのであって,原告らの上記主張は反論になっていない。
また,原告らは,賀北部隊工月中隊の調査を行った当時の線量評価は,調査手法に問題のあるギムザ染色法であったので,これを根拠に被告のような具体的な線量の主張はできないと主張する。
しかしながら,ギムザ染色法は,1960年(昭和35年)代後半に開始された原爆被爆者の本格的な染色体異常頻度に関する調査において,約30年間にわたって用いられてきた方法である。
そして,近時,FISH(蛍光in situハイブリダイゼーション)法を利用することができるようになったことから,放影研において,200人以上の原爆被爆者について,同一検体についてのギムザ染色法とFISH法による転座(安定型染色体変異)の検出結果について比較する検証をした。すると,ギムザ染色法による検出力はFISH法の転座検出率の約70%であることが判明し,このようなギムザ染色法を用いた転座の検出精度は,その実施方法によっては決して低くないことが明らかとなったと評価されている。したがって,ギムザ染色法を用いたとしても安定型染色体異常頻度による線量推計は十分にできるものといえ,上記の検出力の違いが存在するからといって,ギムザ染色法自体の信頼性を疑わせるものとはならない。このことは,放影研が,現時点においても,安定型染色体異常の検出調査の方法として,FISH法のみを推奨するのではなく,ギムザ染色法も有用である旨述べていることからも裏付けられている。また,ギムザ染色法とFISH法では,染色体異常個数の「検出力」には違いがあり,そこから推計される被曝線量値の精度に差が生じる可能性はあるものの,それが過小評価であるとはいえない。
したがって,ギムザ染色法による調査方法に問題がある旨の原告らの主張には理由がない。
なお,原告らは,原告らも身体傷害や心理的付加との複合により急性症状が増強されることがあり得ること自体を否定するものではないが,それが放射線によるものであることを否定することにはつながらないとして,原告らの残留放射線による被曝線量が1グレイを下回ることを認めるかのような主張もしているが,いずれにせよ,原告らにおいて根拠とする遠距離被爆者及び入市被爆者の身体症状が放射線によるものであることを積極的に立証しなければならないのであって,「放射線によるものであることを否定することにはつながらない」などという主張は主張立証責任の所在を正解しない誤った主張にすぎない。
なお,評価可能な線量は200ミリグレイ(0.2グレイ)とされているということから,線量評価が可能ではないとする原告らの主張は,結局,入市被爆者の被曝線量として最大限と考えられている賀北部隊工月中隊の被曝線量は0.2グレイよりも低いことを前提とするものであり,その点でも,反論の体を成していない。
カ 染色体異常と電子スピン共鳴法(ESR)について
原告らは,電子スピン共鳴法(ESR)と染色体異常の相互関係を示した「原爆放射線の人体影響 改訂第2版」をみても,1シーベルト付近までは必ずしも相関がみえないなどとして,少なくとも賀北部隊工月中隊での染色体異常で出された結論を支持するものではないと主張する。しかしながら,被告は,上記のとおり,少なくとも急性放射線症候群が生じるような1グレイ以上の被曝をしていることを証明する結果が出ていない旨指摘しているのであって,上記主張は反論になっていない。
なお,原告らは,賀北部隊工月中隊でみられた身体症状が精神的ストレスで生じることは考えにくいとするが,考えにくいとする根拠が不明である。
また,放射線の影響であることは否定されるべきものではない,入市被爆者の症状を否定する基準にはなり得ないといった主張が,主張立証責任の所在を正解しない誤った主張であることは前記のとおりである。
(3) 平井裕子ら報告について
ア 原告らは,平井裕子ら報告のデータには,電子スピン共鳴法(ESR)の線量評価上,0.3グレイを超える線量を浴びたと考えられるものが6例あることに注目すべきであるとし,上記の例について平井裕子ら報告では医療被曝があった可能性が指摘されている旨の被告の主張について,被告の主張は全くの可能性にすぎず,むしろ,このような線量が出ている事実そのものが重要であると主張する。
しかしながら,そもそも平井裕子ら報告は残留放射線による被曝線量が大きいとする原告らの主張に対する反証として挙げたものであるから,これについて0.3グレイを超える線量を浴びたと考えられるものが6例あることに注目すべきであると指摘するだけでは,0.017グレイ(頬側試料)ないし0.013グレイ(舌側試料)という平井裕子ら報告の線量推定値を否定するものではなく,反証としての証拠価値を何ら減殺するものではない。むしろ,「可能性」ということであれば,誤差を考慮すれば最高値よりも中央値や平均値の方が可能性が高いといえる。更にいえば,かかる原告らの主張を前提にしても,仮に残留放射線の線量が0.3グレイないし0.4グレイ程度になる場合があり得ること(可能性)が認められるにとどまり,残留放射線が一般的に大きいはずであるとの原告らの主張の裏付けにさえならないし,急性放射線症候群が生じる1グレイにさえ遠く及ばないものであって,そもそも失当であるといわざるを得ない。
イ また,原告らは,電子スピン共鳴法(ESR)についても,染色体異常と同様な線質及びエネルギー依存性の問題があるなどと主張するが,電子スピン共鳴法(ESR)は大筋でエネルギー依存性は少ないとされているところであり,原告らの主張も,「「大筋で」という曖昧な表現から分かるように,確定的にいえるわけではない」という控えめなものであって,反論になっているとはいえない。
ウ さらに,原告らは,電子スピン共鳴法(ESR)で測定することができるのはガンマ線だけであり,ベータ線,取り分け内部被曝を測定する方法はない,そもそもそのガンマ線自体も300ミリグレイ(0.3グレイ)以下は,測定ができないという問題が存在する,更に平井裕子ら報告自体が認めている提供データの少なさといった問題が存在しているなどと主張する。
しかしながら,平井裕子ら報告では,上記のとおり医療被曝の可能性が指摘されている最大値の6例をみても,0.3グレイないし0.4グレイであって,これらは原告らの主張によっても測定可能な線量である。また,提供データは少ないとしても,前記のとおり,現在の科学的知見によれば,生物学的線量推定法についての信頼性は高く,指標として用いられるものであることからすれば,提供データが少ないことをもって,直ちにその信頼性が減殺されることにはならない。
エ 原告らは,電子スピン共鳴法(ESR)のデータで,また,染色体異常と電子スピン共鳴法(ESR)を併せても,残留放射線の線量が低かったという結論を導き出すことはできないといわなければならないと結論付けているが,かかる主張も,原告らに主張立証責任があることを正解しないものである。ここで問題とすべきは,原告らの主張と矛盾する反証が客観的に存在するという点であって,原告らにおいて上記反証を覆すことができない以上,被告において残留放射線の線量が低かったという結論まで導き出す必要はない。
そして,被告が反証として挙げている近時の生物学的線量推定法による線量推定において,少なくとも急性放射線症候群が生じるような1グレイ以上の被曝をしていることを証明する結果が出ていないということからすれば,遠距離被爆者や入市被爆者にみられた脱毛等の身体症状が放射線被曝による急性症状であることを根拠として残留放射線による被曝線量が定性的に多量であるとする原告らの主張及び立証(本証)に対して疑義を生じさせるのに十分であることは明らかである。
(4) 西山地区の住民の染色体異常頻度について
原告らは,本田武夫ら報告に基づく長崎の西山地区の住民6人の物理学的推定法による平均被曝線量の推定値の主張について,賀北部隊工月中隊の染色体異常による線量評価で述べたところが全く同様に指摘できると主張する。しかしながら,そもそも賀北部隊工月中隊の染色体異常による線量評価に関する原告らの主張にはいずれも理由がないことについては,前記(1)ないし(3)で述べたとおりである。
また,原告らは,本田武夫ら報告の前の本田武夫らの調査結果(「予報」)において20.25ラド(0.2025グレイ)の結果が出ており,比較対照群との異常率は有意であったとして,明らかに比較対照群との相違が存在することの方が重要であると主張する。しかしながら,比較対照群との相違が存在するということだけでは,当該西山地区の住民の被曝の程度は全く不明であって意味がない。むしろ,より信頼度を向上させる手法で再検討した本田武夫ら報告の結論に対して,従前の本田武夫らの調査結果に基づき反論することは,それ自体失当であることは明らかである。
(5) 賀北部隊工月中隊の総死亡率及びがん死亡率調査(加藤寛夫ら報告)並びに放影研の寿命調査(LSS)における被曝線量の推計に基づかない入市被爆者の調査について
原告らは,LSS第9報の入市被爆者の調査でがん死亡リスクの上昇が認められない旨の被告の主張に対し,健康者選択効果として,LSS第14報の記載を指摘した上で,賀北部隊工月中隊で広島へ早期に入市した人々は,被爆直後に爆心地に入ることができたという意味で健康者であった可能性が強く,賀北部隊工月中隊については,昭和62年では,健康者選択効果により,放射線の影響が現れる時期に至っていなかったと考えられ,このような場合,更に時期を経ないと影響が認められるようにならないなどと主張する。
しかしながら,まず,原告らが挙げているLSS第14報の記載については,原告らの指摘部分の後に,「しかし,発がんなどの確率的健康後影響はこのような選択バイアスの影響を受けていないと思われる」と記載されており,特に,がんの発症等については問題ないとの見解を示している。また,若年時に健康な者がその後にがんになりづらいというような知見は特になく,賀北部隊工月中隊の病気の発症が遅れる可能性があったとする根拠を原告らは何ら示していない。そして,当時徴兵されていた若者はごく一般的な若者であったと考えられ,更に賀北部隊工月中隊の調査では,調査自体においても死亡者の漏れによって,健康な生存者だけを調査対象にしたり,生存者でも,転出や記憶の漏れにより脱落するなどの偏りが少なく,この調査の対象者の確認の精度はかなり高いと考えられるとされている。
つまり,原告らの上記指摘は,漠然と放射線の影響が現れる時期に至っていなかった可能性を指摘するのみにとどまっており,残留放射線による被曝線量が大きいとする原告らの主張に対する反証としての証拠価値を何ら減殺するものではない。
第3 遠距離被爆者及び入市被爆者に被爆後に生じた身体症状の評価に関する原告らの主張の誤り
1 はじめに
原告らは,被告が主張する「急性放射線症候群」とは異なる概念として「急性症状」という語を用いつつ,各種研究等に表れた遠距離被爆者及び入市被爆者の脱毛等の身体症状を根拠として,「放射性物質による残留放射線被曝について,原爆被爆においては急性症状が出現するほどの高線量の被曝をしている」と主張しているようである。
しかしながら,以下のとおり,原告らの主張は,科学的合理性を欠くものであって,放射線による人体への影響を正当に評価するものではない。
2 遠距離被爆者に生じた身体症状に関する調査結果をもって,放射線による急性症状であるとみるのが,最も合理的である,あるいは,放射線の影響を受けたと解するのが最も自然な理解であるとはいえないこと
(1) 遠距離被爆者に生じた身体症状が放射線による急性症状等であるとする原告らの主張
原告らは,日米合同調査団の報告書等の各調査の結果について,調査主体,調査規模及び調査時期が異なるにもかかわらず,いずれも一致して,広島についても,長崎についても,爆心地から3km以遠,4km以遠で被爆した者でも,脱毛や紫斑ないし皮下出血が生じたとするものであるのみならず,これらの症状を生じたとする者の割合が,被爆距離に応じて減少しており,地形や遮蔽による相違も認められることを考えると,これらの急性症状は放射線による急性症状とみるのが,最も合理的というべきであるなどと主張する。
しかしながら,原告らの上記主張は,各調査結果中の信頼性に疑問のある数値(データ)を無批判に前提としている点など,評価を誤っている。
以下,詳述する。
(2) 2km以遠の被爆者に脱毛が起こったとの調査結果に対する科学的な評価としては,その要因が放射線であると直ちに判断することはできないとされていること
ア 放影研による寿命調査(LSS)集団に基づく大規模な調査(プレストンら第1報告)では,3km以遠の被爆者に生じた脱毛が放射線の影響によるものであると即断することに注意を促していること
放影研は,寿命調査(LSS)集団を対象者として集められたデータ(広島5万8500人,長崎2万8132人)に基づいて,脱毛と爆心地からの距離との関係を検討し,原告らも挙げている日米合同調査団の報告書を脱毛と放射線との関係に関する主要調査と位置づけて,これらとの比較検討を行った。その結果,脱毛と爆心地からの距離との関係について,3km以遠の被爆者に生じた脱毛が,距離とは無関係(独立)に発生していること,また,その頻度が僅か1%程度にすぎないことから,これらの脱毛について放射線による有意な影響を統計的に導くことが困難であることを指摘している。
このように,原告らが挙げる日米合同調査団の報告書による調査において,3km以遠の被爆者において脱毛がみられたからといって,これを安易に放射線の影響によるものと決めつけることはできない。
イ 横田賢一ら第2報告では,2km以遠の被爆者に生じた脱毛等の身体症状の要因が放射線であると判断するためには染色体分析調査などの更なる調査を行う必要があるとされていること
横田賢一ら第2報告(対象者1万2905人)は,横田賢一ら第1報告を,対象者数を拡大し,遮蔽状況を考慮するなどして発展させたものである。横田賢一ら第2報告においても,下痢及び発熱は,例えば感染症など放射線以外の要因によることが考えられるとされている。また,脱毛についても,2km以遠で起こった脱毛も放射線を要因としていることが考えられると仮説を提示しつつも,続けて,これらのことから直ちに要因が放射線であると判断することはできない,放射線との因果関係を調査するためには染色体分析調査などにより個人レベルで放射線を受けたことを確認する調査を行う必要があるとして,飽くまで染色体分析調査などによる検証を経なければ,当該脱毛の原因が放射線であると判断することはできないとされている。
このような評価は,被爆者の急性症状に関する情報の信頼性についての考察に基づくものである。すなわち,横田賢一ら第3報告は,被爆直後の調査結果と15年後以降の調査結果との一致の程度を調べることにより急性症状に関する情報の確かさを検討することを目的として,急性症状の有無に関する回答の一致率についても調査している。その結果,特に脱毛(中でも重度脱毛)については,調査ごとにその有無についての回答を変えている者が多数いたことが明らかになっている。このような調査結果について,横田賢一ら第3報告は,回答は安定していなかったと評価している。
ウ 小括
このように,遠距離被爆者に生じた身体症状の発現傾向(距離との相関関係や頻度等)や,各種調査結果が基礎とする情報の信頼性の問題から,科学的には,2km以遠の被爆者についてみられた脱毛等の身体症状の要因を安易に放射線に求めることは疑問視されており,むしろ,放射線以外の理由も十分考えられるとして,染色体分析調査など異なる観点に基づく検証が求められているのである。そして,そのような生物学的線量推定法の一つである歯エナメル質の電子スピン共鳴法(ESR)を遠距離被爆者に対して行った放影研の調査が,前記第2の4で述べた平井裕子ら報告であり,遠距離被爆者の大多数が浸透力の大きい残留放射線によって大きな線量(例えば1グレイ)を受けたという主張を支持しなかったとの結論が出ている。
以上によれば,少なくとも爆心地からの2km以遠の被爆者については,原告らが主張するように,脱毛等の身体症状が放射線による急性症状とみるのが,最も合理的であるなどと安易にいえるものではなく,むしろ,このような考え方は,現時点における科学的知見の到達点を踏まえれば,否定されるべきことは明らかである。
(3) 原告らが挙げる各種調査結果を精査しても,遠距離被爆者に現れたとされる身体症状の要因が放射線の影響にあると即断することはできないこと
ア はじめに
以上述べたとおり,被爆者の身体症状に関する調査結果の信頼性には問題点が指摘されており,しかも,前記第2のとおり,遠距離被爆者及び入市被爆者の被曝線量に関する最新の調査においても,これらの被爆者に急性放射線症候群に該当する症状を発症する程度の放射線被曝があったと解することに対しては明確な反証が存在することになる。そうすると,原告らが挙げる身体症状に関する各種調査結果に基づき,前記(1)で原告らが主張するような傾向,すなわち,当該身体症状の要因が放射線であることを前提とする傾向を導き出そうというのであれば,単に一定の「傾向」の発現を指摘するだけでは足りず,当該傾向が,基礎となるデータの信頼性や,前記生物学的線量推定法による調査結果と矛盾するものであることについて,合理的な説明が加えられなければならない。
しかるに,原告らが挙げる前記(1)の各調査結果を精査してみても,上記のような問題点を克服することができるような合理的な説明は困難であり,むしろ,それぞれについて問題点を指摘することができるのであって,原告らの上記主張が根拠がないものであることは更に明らかというべきである。
イ 日米合同調査団の報告書
原告らは,前記(1)に挙げた傾向(脱毛等の身体症状を生じたとする者の割合が爆心地からの距離や遮蔽の存在に応じて減少するとの傾向)があることの根拠として,日米合同調査団の報告書を挙げる。しかしながら,原告らの主張は,日米合同調査団の報告書のうち,長崎における屋外又は日本家屋内(Outdoors or in Japanese type building)での被爆者における脱毛(Epilation)及び紫斑(Purpura)を訴える者の割合のみを取り上げ,また,遮蔽の有無については,差があることが示されていると述べるのみで,いかなる部分をもって,上記の主張の根拠としているのかも,明らかではない。
この点,日米合同調査団の報告書の原文全体をみれば,必ずしも,脱毛や紫斑を生じたとする者の割合が,爆心地からの距離や遮蔽の存在に応じて減少する傾向があるとはいえず,むしろこれに矛盾する結果が多数みられる。
すなわち,距離との関係についてみると,長崎の調査結果に関しては,屋外又は日本家屋内(Outdoors or in Japanese type building)での被爆者における紫斑(Purpura)を訴える者の割合は,2.6kmないし3kmよりも,3.1kmないし4kmの方が,爆心地からの距離が遠くなったにもかかわらず増加している。また,長崎におけるビルディング内(Indoors Heavy Building)での被爆者においても,脱毛(Epilation)を訴える者の割合は,2.6kmないし3kmでは2.1kmないし2.5kmと比べて3倍以上に増加しており,紫斑を訴える者の割合も,2.1kmないし2.5kmよりも,2.6kmないし3kmの方が,爆心地からの距離が遠くなったにもかかわらず増加している。
また,遮蔽の有無や遮蔽状況との関係をみても,長崎,広島のいずれをも問わず,また,脱毛や紫斑のいずれにおいても,遮蔽の有無や状況によって被曝線量に差があるという常識的な理解とは全く整合しない結果が得られていることは一見して明らかである(脱毛の頻度(遮蔽状況別)参照)。
このような調査結果からは,2km以遠の遠距離被爆者に現れた身体症状が,距離や遮蔽に依存しないものであると評価することができる。このことは,むしろ,これら調査結果に表れた身体症状の要因が放射線によるものではないことを示すものである。
更にいえば,日米合同調査団の報告書では,脱毛の内容及び程度,発症時期等について,明確な定義づけがされておらず,放射線の影響によるものかどうかの検討も全くされていない。
以上によれば,日米合同調査団の報告書に基づき,原告らが前記(1)のとおり主張した結論を導くことはできない。原告らは,日米合同調査団の報告書のうちのごく一部のみのデータを取り出して一般化し,遠距離被爆者に生じたとされる脱毛等の身体症状の要因を放射線によるものであると主張しているが,そのような評価は明らかに科学的合理性に欠けるものである。
なお,日米合同調査団の報告書の調査結果については,遠距離被爆者に低い頻度で脱毛等の症状がみられたことについて,放影研により,これは放射線以外の理由によるものと考えられていると解説されている。
ウ 於保源作報告及び於保源作報告に関するC3の意見
(ア) 原告らは,於保源作報告及び於保源作報告に関するC3の意見をもって,前記(1)の主張の根拠とするようである。
(イ) しかしながら,有症率のうち,例えば脱毛の発症率についてみると,原爆直後中心地に入らなかった屋内被爆者,屋外被爆者のいずれにおいても,爆心地からの距離が遠くなるに従って発症率が低下するという相関関係を示していない。
このことは,むしろ,当該脱毛が放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)とはいえないことを裏付けている。
(ウ) また,原告らは,C3の意見を根拠として,中心地出入りなしの3km以遠で,屋外被爆者が屋内被爆者に比較して有症率が増加している,遮蔽がない屋外被爆者に有症率が高いということは,人体に影響を与える多量の放射線が3km以遠の遠距離にまで到達していることを物語っていると主張する。
しかしながら,於保源作報告にいう「有症者」とは,「原爆放射能障碍及び同熱障碍を受けた人」とされているとおり,原爆放射線を受けた者だけでなく,熱線による傷害を受けた者も含まれている。そして,原告らが指摘する3km以遠のうち,特に3kmと3.5kmの場合に,屋外被爆者の方が屋内被爆者よりも有症率が高くなっているということは,むしろ熱線による傷害の影響が反映されていることで合理的に説明可能である(於保源作報告の熱火傷の割合を比較してみても,屋内被爆者と屋外被爆者とで大きな差が認められ,熱線傷害の影響が裏付けられる。)。
以上によれば,原告らが主張するように,C3の意見を根拠として,人体に影響を与える多量の放射線が3km以遠の遠距離にまで到達していることを物語っているなどということはできない。
(エ) 加えて,そもそも,於保源作報告では,放射線以外の原因でみられる身体症状との区別をしていない。また,聴取り調査を行うに当たり,身体症状の出現時期として単に原爆による被爆から3箇月以内の出現として調査を行っており,放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)ごとに特有の出現時期,経過をたどっているかには留意がされていない。
さらに,於保源作報告における調査は,原爆投下後12年経過してから実施されたものであり,既にリコールバイアスによる影響を受けている可能性が高い上,上記のとおり於保源作報告における「急性原爆症」は,それらに罹患したとされる期間を被曝から3箇月以内としているため,放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)に特有の出現時期,経過等が認められない身体症状についても補捉している可能性が高い。
したがって,於保源作報告による結果をもって,遠距離被爆者に生じた下痢等の身体症状が放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)であると評価することはできない。
エ 鎌田七男ら第2報告
(ア) 原告らは,爆心地から約4.1kmの広島市古田町(高須地区)で被爆した女性が,多重がんの症例を示すとともに,日本の成人の正常値の2.6倍の染色体異常率が認められたとする鎌田七男ら第2報告を根拠として,これは原爆による放射線,特に,放射性降下物による残留放射線の影響であると考えるほかはないなどと主張する。
(イ) しかしながら,多重がんは,放射線被曝者にだけにみられる特異的な疾病ではない。がんの罹患率に照らせば,一生に二度,三度とがんに罹患するということも,決して珍しいことではない。鎌田七男ら第2報告の被験者の場合も82歳時に肺がんと診断され,その後,間もなく胃がんに罹患し,84歳時には大腸がんに罹患するという経過をたどっているようであるが,年齢からすれば何ら特異なことではない(肺がん,胃がん及び大腸がんは,いずれも女性の罹患数で第2位ないし第4位を占めるがんである。)。更にいえば,鎌田七男ら第2報告は,上記のとおり,放射線被曝がなくても発症し得る「三重がん」を発症した被爆者が一人存在することを報告したものにすぎず,これを一般化し,原爆放射線に起因するものであるなどと推論することはできない。
(ウ) また,染色体異常頻度についても,鎌田七男ら第2報告の被験者の染色体異常が一般と比べて多いとはいえない。
すなわち,原告らは,鎌田七男ら第2報告において,被験者の染色体異常の頻度が1142分裂細胞観察中25個(2.19%)とされ,この2.19%という頻度は,日本人60歳以上の正常人での染色体型異常出現率の平均値が0.4%であることからすれば,正常人よりかなり高率であったとされていることから,日本人の成人の正常値の2.6倍もの染色体異常率がみられたとし,これは原爆による放射線,特に放射性降下物による残留放射線の影響であると考えるほかはないと主張するものと思われる。
しかしながら,鎌田七男ら第2報告の被験者の1142分裂細胞観察中25個(2.19%)の染色体異常というのは,安定型染色体異常だけでなく,不安定型染色体異常も含んでいることからすれば,上記の染色体異常頻度が直ちに原爆による放射線被曝の影響によるものということはできない。
また,安定型染色体異常の中で一般的に線量評価に用いられる転座に着目して,この被験者のケースを分析してみると,その頻度は1142分裂細胞観察中7個であるから,約0.61パーセントとなる。これに対し,70歳以上の者(健康成人)の相互転座の頻度は細胞1000個当たり平均約10.7個,すなわち,平均1.07%とされている。このように,鎌田七男ら第2報告の被験者の安定型染色体異常の転座頻度である約0.61%という値は,70歳以上の転座頻度の平均(1.07%)より統計学上は明らかに低い値であるといえる。
さらに,鎌田七男ら第2報告が比較対象とした上記の日本人60歳以上の正常人での染色体型異常出現率の平均値が0.4%の「60歳以上の正常人」というのは,鎌田七男ら第2報告の参照文献であるTonomuraらの報告をみると,正確には,60歳前後(58歳ないし62歳)の正常人を指している。そうすると,被験者は大正5年生まれであり,染色体異常検査が実施された平成20年には92歳であったのであるから,染色体型異常出現率が0.4%の群とは30歳以上もの年齢の開きがあることになる。そして,安定型染色体異常の頻度も,不安定型染色体異常の頻度も,年齢が上がるに従って増加することが知られている。このように,加齢による染色体異常頻度の増加というものが科学的知見として明らかになっている以上,約30歳以上もの年齢の開きのある被験者と比較すること自体,手法としても適切なものとはいえない。
(エ) なお,念のため,健常人における染色体転座の頻度と年齢の関係を調査するために世界16の研究所における1933例の末梢血リンパ球を解析した研究を基に,鎌田七男ら第2報告の被験者の転座頻度を同年齢の健常者の転座頻度と比較しても,鎌田七男ら第2報告の被験者の転座頻度は,年齢相応,あるいは,それ以下である。
(オ) 以上によれば,鎌田七男ら第2報告の事例が,特に放射性降下物による残留放射能の影響であると考えるほかないなどということはできない。かえって,上記の被験者の安定型染色体異常の頻度によれば,放射線被曝の影響を示すような結果とはなっておらず,むしろ放射性降下物が多いとされる高須地区に被爆直後から2週間近く居続けたという被験者にも有意な被曝がなかったことを裏付ける結果となっているといえる。
オ 家森武夫報告
(ア) 原告らは,昭和20年9月に山口県立医学専門学校教授の家森武夫が長崎において行った病理解剖に基づく研究報告(家森武夫報告)の中の,爆心地から3km離れた自宅屋内で被爆した11歳の女性の剖検例(第6例)について,これらの生殖組織,造血組織(骨髄)及びリンパ組織にみられた変化は,被告の主張するPTSD等の精神的,心理的影響ではもちろん,伝染病(感染症)によっても説明が不可能であり,放射線の影響でしか説明ができないものであるなどと主張する。
(イ) しかしながら,家森武夫報告の内容をみても,そこに挙げられた病理解剖所見が放射線に起因したものか否かを検討したものではない(家森武夫報告が掲載されている原子爆弾災害調査報告集においては,剖検例である亜急性原子爆弾症によって死亡した者について,人体が直接及び間接に被る傷害を総括して原子爆弾傷と呼ぶこととするとして,放射線以外の「原子爆弾熱傷」,「原子爆弾外傷」等により死亡した者も含むものとして総称している。)。このことからもうかがわれるように,この当時は,「原子爆弾症」を原爆の放射線に起因する症状に限定していない。家森武夫も,放射線被曝による死亡者のみを対象に病理解剖したものではなく,また,その研究報告の内容をみても,剖検例の各臓器の病理解剖所見等を報告したにすぎない。したがって,このような研究報告に基づき,放射線の影響でしか説明ができないものであるなどと決めつけることは明らかな論理の飛躍である。
原告らが指摘する家森武夫報告中の第6例は,昭和20年9月16日に11歳で死亡した女性の剖検例である。この女性は,被爆当時,長崎の爆心地から約3km離れた木造家屋内におり,原爆の爆風で倒壊した家屋の下敷きとなって右足を骨折している(なお,原爆の威力の85%は,熱線と爆風であり,これが広範囲に及んだことと,初期放射線の影響が及んだ距離を混同してはならない。)。同女性には,死亡前に咽頭痛及び発熱があったとされ,さらに,腎臓の諸所に細菌集落の存在や白血球浸潤が認められることからすれば,咽頭炎や扁桃腺炎,あるいは,膀胱炎等の先行感染(細菌感染)があり,これらによる糸球体腎炎や腎盂腎炎を発症していたと考えられ,これらが死因となった可能性も十分に考えられる。
(ウ) これに対し,原告らは,上記の第6例について,①卵巣の変性の存在,②リンパ濾胞の減少及び③大腿骨の骨髄において造血細胞の死滅を意味する黄色髄が指摘されていることをもって,同女性にみられた変化は原爆放射線によるものであると主張するようである。
しかしながら,原告らが挙げる上記①ないし③はいずれも原告らの主張を根拠づけるものではない。すなわち,上記①の卵巣の変性に係る主張は,graaf氏濾胞の顆粒層は卵胞膜から剥離している旨の記載を指すものと解されるが,この点は,家森武夫報告においては,「成熟障害」による変性と結論付けられている。そうすると,卵巣の成熟障害に基づく変性と,死亡する僅か1箇月前の被爆とが無関係であることは明らかである。むしろ,資料(身長及び甲状腺等の臓器の萎縮)に照らせば,当該事例の女性は栄養不良状態にあったことがうかがわれる。栄養不良状態は生殖機能の低下をもたらすことが知られており,当該事例の女性に卵巣の成熟障害の所見が認められたとしても何ら不自然ではない。
また,上記②のリンパ濾胞の減少についても,原告らはリンパ組織が放射線感受性が高い組織であることのみを理由に放射線の影響でしか説明ができないものと主張するが,そのように決めつける根拠は不明である。
さらに,上記③の大腿骨の黄色骨髄の所見についても,そもそも,骨髄は,胎児や生後間もなくの頃は赤色骨髄のみからなるが,生後5歳以降,成長するにつれて徐々に脂肪化して黄色骨髄に置き換わるものである。そうすると,同女性の大腿骨に黄色骨髄の所見が認められたということだけで造血機能に異常があったと断定することはできない。
したがって,上記①ないし③のいずれの所見も,同女性が放射線に被曝したことによるものとはいえない。
(エ) なお,原告らは,家森武夫報告の13例については,骨髄のみならずほとんど全身性に各臓器や組織に現れるなどと,家森武夫報告の13例に全身性の組織変化がみられていることを根拠にして,上記第6例の症状が栄養不良等と区別できると主張する。
しかしながら,原告らが取り上げた第6例以外の症例は,全て爆心地から2km以内で被爆した症例であり,その過半数は爆心地から1km地点での症例であって,第6例のケースとは被爆状況が全く異なる。取り分け,爆心地から1km圏内は初期放射線の影響も大きかったのであるから,家森武夫報告において多数の症例に放射線由来と考えられる組織変化がみられたと記載されているとしても,それらの症例をもって,第6例の症状まで放射線に起因したものであるということはできない。
カ 西山地区の事例
原告らは,低線量の持続被曝の場合には,被曝が続いている間は白血球数が増加し,被曝がなくなると正常化することを前提とした上で,長崎の西山地区住民に白血球数の増加傾向が認められたことをもって,放射性降下物による内部被曝の関与が大きいと主張するようである。
しかしながら,1グレイ以上の急性放射線被曝の際には,白血球数は,数日の単位で一過性に増えた後,減少する。他方,1グレイ以下では白血球数の低下は認められるが,一過性の増加がほとんどみられず,低線量持続被曝の知見においても,白血球数の低下は認められるがその逆は認められていない。このように,そもそも低線量の持続被曝の場合には,被曝が続いている間は白血球数が増加し,被曝がなくなると正常化するという主張の前提自体が誤っており,原告らの上記主張には理由がない。
また,原告らは,西山地区の住民には,約600人のうちの2例という高い発生率で慢性骨髄性白血病が発生しており,184人中9人(4.9%)に甲状腺結節が認められているとして,これらは残留放射線の影響によって生じた可能性が高いなどと主張するようである。しかしながら,西山地区は,他の地域と比較し,最も放射性降下物が多かったとされる地区であるから,少なくとも西山地区での事象をもってその他の被爆地域一般について論じることはできない。また,白血病患者については2例にすぎない上に,そもそも統計的に有意に発症しているかといった検証を経たものでもなく,このことから西山地区住民に放射性降下物による被曝によって白血病が発症したなどとはいえない。さらに,甲状腺結節についても,そもそもはっきりとした原因が判明しているものではなく,西山地区において甲状腺結節が統計上有意に高かったからといって,これが放射性降下物による被曝によるものであるなどということもできない。したがって,白血病についても,甲状腺結節についても,残留放射線の影響によって生じた可能性が高いとはいえない。
キ 日本映画社の「広島・長崎における原子爆弾の影響」の中の姉弟の事例
原告らは,日本映画社の「広島・長崎における原子爆弾の影響」の三つの映像の爆心地から2kmの地点で被爆した被爆者らには,いずれも(原告らの理解する)「急性症状」が発現しているとした上で,爆心地から2kmの地点における初期放射線の被曝線量からすると上記の初期放射線の影響だけで「急性症状」の発現を説明することは困難である旨主張する。
しかしながら,少なくとも広島の二つの症例の被爆者らの被爆地である「舟入町」は広島の爆心地から南東0.9kmないし1.3km圏の地域に所在しており,爆心地から2kmの地点ではなく,主張の前提にそもそも誤りがある。DS02によれば,爆心地から0.9kmないし1.3kmの地点は,約6.99グレイないし約1.22グレイの被曝が推定される場所であって,急性放射線症候群が発現しても何ら不自然ではない。
この点につき,C8は,証人尋問において,広島市舟入町は飽くまで爆心地から2kmの地点にあると証言する。しかしながら,上記姉弟が被爆した風呂屋の2階とは,広島市舟入町のみはらし湯の2階にあった神崎国民学校の分散授業所と考えられ,同所が爆心地から1km以内の地点にあることは明らかである。したがって,C8の上記証言は信用することができず,原告らが主張するように,少なくとも日本映画社の映像にみられる広島市舟入町の被爆者らの脱毛等の身体症状の発現をもって,初期放射線の影響だけで「急性症状」の発現を説明することは困難であるとはいえない。
ク 調来助ら報告
原告らは,調来助ら報告によれば,発熱,下痢等の症状に距離依存性が認められ,爆心地から2kmないし3kmで被爆した死亡者に高率で急性症状が現れているなどと主張する。
しかしながら,調来助ら報告の発熱に関する「第十三図」,出血傾向に関する「第十七図」,脱毛に関する「第二十一図」によれば,調来助ら報告の調査における距離別の身体症状の頻度は,爆心地から1.5kmまでで急激に下落し,2km以遠では余り変化がみられないといえる。
また,調来助自身,当時の調査に,急性症状の脱毛ではない,単なる自然脱毛が含まれていた可能性を指摘している。
さらに,下痢について,当時から,調来助自身も放射線以外の原因による下痢が含まれていた可能性を指摘している。
このように,調査者である調来助自身が放射線以外の原因による可能性を指摘している調査結果をもって,遠距離被爆者に生じた症状を放射線被曝によるものとすることができないことは明らかである。
ケ 「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」の事例
原告らは,「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」の調査結果を根拠として,脱毛や点状出血,下痢は必ずしも高線量被爆者にのみ認められるものではない,脱毛及び下痢に関するしきい値論の矛盾を示すものとして重要であるなどと主張する。
しかしながら,この「マンハッタン管区原子爆弾調査団報告書」のデータについては,放影研により,他の脱毛や皮下出血に関する調査(日米合同調査団の調査,東京帝国大学の調査,放影研の調査)に比べ,1.5km以遠でずば抜けて高い数字であることが指摘されており,その正確性に疑問が呈されている。
そして,放影研は,このような差異が生じた理由について,調査対象となった被爆者が入院患者に限られており,「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」にある2.25km以遠の被爆者は,多くの遠距離被爆者の中でも入院する必要のあったごく一部の者と考えられ,遠距離被爆者の症状出現頻度を,このように少数の偏りのある可能性が高い患者群から判断することはできない,脱毛症状は,放射線被曝以外にも様々な理由で生じることが知られており,入院患者における脱毛症状が全て放射線に起因するとは考えられないなどと考察している。
その上で,放影研は,① 「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」における遠距離被爆者の脱毛や皮下出血はより信頼性が高い他の調査報告と比較して著しく頻度が高く出ている,② これは調査のバイアスによってもたらされた可能性が高く,実状とかけ離れたものと考えられる,③ したがって,今回の「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」についての報道がDS86の見直しに直結するものとは考えられないと明確に述べている。
このように,マンハッタン管区原子爆弾調査団の調査結果をもって,脱毛及び下痢に関するしきい値論の矛盾を示すものとして重要であるなどと結論付けることは,評価を誤るものであって,科学的な合理性に欠ける。
コ 九州大学第二外科の事例
原告らは,白血球減少はストレスや栄養失調,感染症では生じないことから,放射線以外に白血球減少を来す要因は考えられず,2km以遠で被爆した21人の被爆者のうち10人に白血球減少が認められていることについては残留放射線の影響としか考えられないと主張する。
しかしながら,白血球減少については,好中球減少であっても,リンパ球減少であっても,ウイルス等の感染症が原因の一つとされており,戦時下においては,保健衛生の観点からみて劣悪な生活環境にあったことに照らせば,原告らが主張するように残留放射線の影響としか考えられないなどということができないことは明らかである。
(4) 各調査結果に表れた身体症状は放射線以外の原因で説明することができること
以上によれば,原告らが挙げる調査結果を詳細に検討しても,これらに表れた身体症状の要因が放射線にあると即断することはできず,かえって,基礎となるデータの不完全性や原告らが主張する傾向に矛盾するデータの存在を指摘することができる。
そして,原爆による被害は,放射線のみならず熱線や爆風によっても生じているのであって,当然,放射線以外の爆風や熱線による被害(傷害)も,爆心地からの距離と相関して生じているはずである(しかも,放射線よりも広範囲にわたってそのような傾向が認められることになる。)。その被害の内容としては,むしろ,被爆直後の状況下においては熱線や爆風による被害の方が直接的であったということさえできる。したがって,やけどや外傷によって,身体的,精神的ストレスが過重となり,抵抗力が弱まり,また,栄養障害も重なり,感染症等に罹患しやすい状態にあったことを看過してはならない。原爆による爆風や熱線は爆心地から遠く離れた場所にまで及び,家屋等を損壊させて避難を余儀なくさせた(広島原爆の爆風により,木造家屋の半壊は半径約4kmの範囲にまで及んでいる。)。このように,避難生活に伴う不衛生な環境やストレスも身体的変化を来す原因となったことは,人体の生理を考えれば明らかである。下痢や脱毛等の症状は,上記のような放射線以外の原因によるものとして十分に説明することができるのであるから,その詳細な症状(特徴)を吟味しなければ,放射線の影響により生じたものであるか判断することはできないはずである。それにもかかわらず,原告らのように,各種調査における脱毛等の発症原因を放射線による急性症状とみるのが,最も合理的であるなどと結論付けることは,原爆被害の一面のみをみて,全体を見誤るものにほかならない。
3 入市被爆者に生じた身体症状に関する調査結果をもって,放射線の影響により急性症状が出現したとはいえないこと
(1) 入市被爆者に生じた身体症状が急性症状であるとする原告らの主張
原告らは,於保源作報告に関するC3の意見,C10調書,土山秀夫エッセイ,島方時夫ら報告,加藤寛夫ら報告,B15の事例及び齋藤紀ら報告によれば,入市被爆者についても放射線の影響により急性症状が出現したとみるべきであると主張する。
(2) 原告らが挙げる各種調査結果を精査しても,入市被爆者に現れたとされる身体症状の要因が放射線の影響にあると即断することはできないこと
ア はじめに
原告らが挙げる各調査結果にみられたとする身体症状によって,入市被爆者に生じた身体症状の多くが放射線被曝の影響によるものであるといえるのか,根拠が不明といわざるを得ない。前記2(3)アに述べたとおり,少なくとも,原告らが挙げるような各種調査結果に基づき,上記(1)で原告らが主張するように当該身体症状の要因が放射線であることを前提とする傾向を導き出そうというのであれば,単に一定の「傾向」の発現を指摘するだけでは足りず,当該傾向が,基礎となるデータの信頼性や,生物学的線量推定法による調査結果と矛盾するものであることについて,合理的な説明が加えられなければならない。
しかるに,原告らが挙げる各種調査結果を精査してみても合理的な説明は困難であり,むしろ,それぞれについて以下のような問題点を指摘することができるのであって,原告らの上記主張が根拠がないものであることは明らかというべきである。
以下,順次述べる。
イ 於保源作報告に関するC3の意見
原告らは,於保源作報告そのものではなく,於保源作報告に関するC3の意見を根拠として,爆心地から1kmの中心地に出入りした被爆者は,4km以遠においても20%以上の有症率であり,このことは,中心地への出入りにより強い放射線を浴びていることを裏付けており,中心部付近の残留放射線の影響が非常に大きかったことを物語っていると主張し,入市被爆者に放射線被曝による急性症状が生じていたことの根拠とするようである。
しかしながら,中心地に出入りした者について,C3の意見や於保源作報告をみても,4km以遠の者が,原爆投下から何日後に中心地(爆心地から1km以内)に出入りしたのか,明らかではない。むしろ,於保源作報告では,「原爆中心地への出入りの有無」というのは,原爆直後から3箇月以内に中心地に出入りしたことを指すとされている。
また,於保源作報告をみても,昭和20年8月9日以降に入市した非被爆者の有症者数は,日数が経過しても減少傾向がみられず,かえって同月15日には著しく増加している。また,「発熱」,「下痢」,「皮粘膜出血」,「咽頭痛」及び「脱毛」の各欄の各症状の有症率をみても,爆心地付近に入った時期が早いほど有症率が高いという傾向が認められないことは明らかである。このことは,むしろ於保源作報告で指摘された身体症状の相当程度に放射線によるものではないものが含まれていることを裏付けているといえる。したがって,於保源作報告は,入市被爆者に現れた身体症状が原爆放射線の影響によるものであることを裏付ける根拠になるものとはいえない。
さらに,前記2(3)ウ(エ)で述べたとおり,於保源作報告は,放射線以外の原因でみられる身体症状との区別をしておらず,また,バイアスにも留意していないなど,疫学調査としての問題点も有している。
したがって,於保源作報告による結果をもって,入市被爆者に生じた下痢等の身体症状についても,放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)であると評価することはできない。
ウ C10調書
(ア) 原告らは,C10調書の紫斑,脱毛及び倦怠感(ぶらぶら病)を訴える入市被爆者についての内容をもって,入市被爆者に放射線被曝による急性症状が生じていたことの根拠とするようである。
しかしながら,C10調書の身体症状については,それらが急性放射線症候群の特徴を有するものであるか否かが吟味されておらず,何ら入市被爆者に放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)が生じていたことの根拠となるものではない。
また,C10調書の「ぶらぶら病」は,医学用語ではなく,被爆者が訴える全身倦怠感等の状態像を表す俗語であって,医学的に確立した診断基準等があるものでもない。かかる症状は,今日でいうPTSDと考えてよいともいわれているのであって,放射線被曝の直接的影響によって生じたなどということができるものではない。
(イ) また,原告らは,低線量の内部被曝や持続的被曝についてのC10調書に関連して,被告は初期放射線による外部被曝のみならず放射性物質の取込みによる内部被曝が複合する原爆による複雑な放射線被曝の態様を無視したものであるなどと主張する。
しかしながら,この点についてICRP2007年勧告においては,慢性的な被曝では被曝中にも同時に組織のダメージが回復することから,一般に,低線量率での分割線量あるいは遷延した線量では,急性の線量よりも損傷を受ける程度は少ないとされている。
したがって,原告らの上記主張には理由がない。
エ 島方時夫ら報告
(ア) 原告らは,三次高等女学校のB24及びその同級生を調査対象者とした,島方時夫ら報告をもって,入市被爆者に放射線被曝による急性症状が生じていたことの根拠とするようである。
しかしながら,島方時夫ら報告をみても,急性症状を聴取したと記載されているだけで,島方時夫ら報告において,そもそもいかなる時期に生じたいかなる内容,程度の身体症状をもって「急性症状」と定義づけているのか,全く不明である。また,島方時夫ら報告の「三次高等女学校調査結果一覧表」の「④急性症状」の欄をみても,単に,「発熱」,「倦怠感」等の身体症状が羅列されているにすぎず,その出現時期,継続期間,症状の内容,程度等の具体的な記載は何もない。このような聴取事項の記載及び調査結果一覧表の記載からすると,この調査では詳細な事情聴取は行っておらず,その正確性には疑問が残るといわざるを得ない。
また,島方時夫ら報告は,原爆投下から約60年も経過した後に行われた調査に基づくものであるから,その意味においても脱毛,下痢等の身体症状の具体的内容の正確性には相当疑問がある上,対象者も23人と少ないこと,上記調査の主体が統計学的な調査手法にどれだけ精通しているのか不明であり,しかも,実際に聴取を行ったのは,原爆被爆者の相談等を受けている「原爆被害者相談員の会」という民間団体の者であり,バイアスの存在を否定し得ないことなど,統計的な調査として放影研等による調査と同列に扱うことができるものとはいえない。
さらに,島方時夫ら報告では,調査結果の特徴点として,「生存者については,ほとんど全員に急性症状を見ることができた。」と記載されているが,「三次高等女学校調査結果一覧表」では,生存者10人のうち急性症状欄に身体症状の記載があるのは6人にすぎないことからすると,「ほとんど全員に急性症状を見ることができた」というのは過大な表現といわざるを得ない。
このように,島方時夫ら報告の調査結果をもって入市被爆者に現れた身体症状が原爆放射線の影響によるものであることを裏付ける根拠になるものとはいえない。
(イ) なお,島方時夫ら報告では,調査結果の特徴点として,生存者の割合が43%であり,平成16年簡易生命表による76歳まで生存する者の割合(83.7%)と比べて非常に低いと記載しており,原告らも同旨の主張をする。
しかしながら,上記の島方時夫ら報告の指摘(原告らの主張)は,生命表の解釈方法の誤りに由来するものであって,正確な評価とはいえない(生命表は,ある時点で生存していた者がその後どの程度生存していたかを統計的に表現したものではない。)。本件においても,我が国において昭和22年当時に生存していた18歳女性のうち,調査時(平成16年)にも生存していた者の現実の割合(生存率)と,調査対象者の生存率を比較するのであればまだしも,生命表記載の生存率と調査対象者の生存率とを比較することには意味がない。
なお,当時(昭和22年)の生命表の調査結果に基づくと,三次高等女学校の調査対象者23人の生存率(43%)が殊更に低かったとはいえず,同人らに特殊なことであったともいえない。さらに,調査当時も,日本人の死因の第1位はがんなのであるから,死没者の多くががんで死亡していたとしても何ら不自然ではない。
オ 土山秀夫エッセイ
原告らは,土山秀夫エッセイの兄の身体症状に関する記載をもって,入市被爆者に放射線被曝による急性症状が生じていたことの根拠とするようである。
しかしながら,土山秀夫エッセイは,原爆症の認定制度が原因確率を採用していた旧審査の方針から新審査の方針に切り替わった際の土山秀夫の個人的見解を述べているエッセイにすぎない。このようなエッセイ中の事例を取り出して,入市被爆者に現れた身体症状が原爆放射線の影響によるものであることを裏付ける根拠になると主張することは,明らかに論理の飛躍であり,およそ科学的なものではない。
また,原爆が投下された終戦直前直後は,栄養状態の悪化や衛生環境の悪化が最も深刻な事態に陥っていた時期である上,被爆者の多くは,原爆投下という悲惨な実体験をしていることに照らせば,被爆者が訴える下痢等の身体症状が,こうした放射線被曝以外の要因によって生じた可能性は十分に考えられる。土山秀夫の兄の身体症状についても,放射線被曝以外の原因によっても十分説明することができるのである。
さらに,土山秀夫自身も兄と同様に入市し,救護活動に当たったにもかかわらず,土山秀夫自身の放射線被曝による身体症状については,何ら言及されていない。
カ 「ヒロシマ残留放射能の四十二年」
「ヒロシマ残留放射能の四十二年」の調査結果は,前記第2の3(3)で述べた賀北部隊工月中隊の疫学調査(加藤寛夫ら報告)である。原告らは,この加藤寛夫ら報告における賀北部隊工月中隊の調査結果をもって,入市被爆者に放射線被曝による急性症状が生じていたことの根拠とするようである。
しかしながら,前記第2の3(3)イで述べたとおり,加藤寛夫ら報告で挙げられた「急性放射線症状」は直ちに「放射線被曝による急性症状」(急性放射線症候群)を意味するものとはいえない。加藤寛夫ら報告は「ほぼ確実な急性放射線症状」という表現を採ってはいるものの,同時に「栄養障害,種々のストレスによってもおこる」と明確に述べており,原告らのいうように,「残留放射能によるとしか考えられない」などとは結論付けていない。
キ B15の事例
原告らは,B15の事例でみられた下痢をもって,内部被曝による下痢の典型例であると主張している。
しかしながら,B15が述べる下痢は,その発現時期の点でも,症状の点でも,急性放射線症候群の前駆症状としての下痢の特徴も,主症状としての下痢の特徴も備えているとはいえない。むしろ,戦時下での劣悪な生活環境によって生じた黄色ブドウ球菌等による食あたり等であったとみるのが合理的である。
また,B15の事例における他の身体症状についても,内部被曝による影響を示すものとはいえない。すなわち,B15の脱毛症状は,毛が戻っていない点で,「汎発性脱毛症」の特徴と合致している。また,紫斑については,そもそも具体的な出現時期,継続期間などの経過も明らかでなく,むしろ栄養不足,特にビタミン不足の可能性が高い。
ク 齋藤紀ら報告は残留放射線が多いことの根拠とならないこと
(ア) 原告らは,残留放射線の被曝線量が小さいものではなかったことを示す事例の一つとして,齋藤紀ら報告の入市被爆者である医学生の事例を挙げる。
しかしながら,齋藤紀ら報告は,1例の報告にすぎず,そこから疫学的に一定の結論を導き出すことは不可能といわなければならない。そもそも,前記第2で述べたとおり,三つの主な放射線被曝線量の推定法のうち二つの推定法において,残留放射線を含めた推定被曝線量が極めて低線量であるという結果が整合的に得られているのである。それにもかかわらず,個別的に齋藤紀ら報告のような事例がみられたことによって,被告の上記主張が覆るものではないし,一般的に残留放射線の被曝線量が高いと評価することができるものでもない。
(イ) また,齋藤紀ら報告は,医学生に順次みられた吐き気,頭痛,唾液腺痛,高熱,重度の口腔所見及び広範囲の皮膚出血は,「潜伏期のないことを別とすれば」,急性放射線症候群の病像そのものであり,取り分け唾液腺痛の記載は高線量放射線被曝の特異的徴候として理解されている,医学生の一連の症状を急性放射線症候群とみれば,2グレイないし5グレイ相当の症状と理解することができるとして,急性放射線症候群(放射線被曝による急性症状)から放射線被曝線量を推定している。
しかしながら,齋藤紀らは,血球の減少や出血症状が出現したという事実だけをもって医学生の被曝線量の推定を行っており,適切ではない。齋藤紀ら報告自体が認めているように,齋藤紀ら報告で調査の対象とされた者に生じた身体症状には潜伏期がみられず,急性放射線症候群の特徴にはむしろ合致していないと評価することも十分に可能である。実際,医学生の発熱は広島に着いてから約1週間の時点で生じており,約3週間で回復に至っているが,被曝が原因と考えるのであれば,発熱が生じたタイミングは前駆症状としては明らかに遅い。これを主症状と考えるのであれば,6グレイ程度以上の被曝線量があることになるが,その場合には,脱毛が生じていないことは明らかに不自然である。
また,医学生は,約3週間で回復に至っているが,放射線により骨髄抑制が行われた場合における回復のタイミングについてみると,3週間後は5グレイ以上であれば骨髄抑制のピークであり,2グレイ程度であれば底値は更に後になるのであって,3週間で改善に至ることはあり得ない。
また,皮膚の出血斑についても同様であり,広島到着後約10日で出血斑が出現しているが,経過としては明らかに早い。すなわち,被曝後約10日で急激に血小板が低下する場合は約6グレイ以上の線量と考えられるが,その場合には,やはり脱毛が生じていないことは明らかに不自然である。実際,原文をみると,医学生本人が,自分の症状について一点原爆の患者と異なる部分があると述べており,脱毛がない点が自分と原爆の患者の異なる点であると指摘している。
(ウ) また,齋藤紀ら報告は唾液腺痛が高線量被曝の特異的兆候として理解されていると述べている。確かに,唾液腺は放射線感受性が高いとのことであり,被曝後2日間ないし3日間顎下線や耳下腺が腫脹し圧痛がみられるとされている。しかしながら,この医学生に被曝開始数日で唾液腺痛が生じたという所見はない。しかも,齋藤紀ら報告には昭和20年8月16日に嚥下時の唾液腺痛と記載があるが,原文によると,同日の夜に嚥下時に唾液を飲み込むと痛みがあったと記載があるのみであり,決して唾液腺が痛いとは書いていないのである。このように,唾液腺痛自体存在していないのであるから,決して放射線による症状として典型的などということはできない。
(エ) 同様に,唾液腺痛は,細菌性唾液腺炎などの感染症によっても生じるものであり,出血傾向についても,感染症が重症化することで播種性血管内凝固症候群(DIC)により生じたということも考えられることから,放射線以外の原因による合理的な説明も十分に可能である。
そして,発熱と嚥下時の痛みを主訴としていることからすると,医学生は咽頭炎に感染していたと考えることができる。例えば,A群連鎖球菌による咽頭感染症などは,軽度の咽頭症状のみで身体所見に乏しいものから,高熱と激しい咽頭痛を訴え,咽頭粘膜の強い発赤腫脹及び咽頭後壁から膿性の滲出物を伴うものまで様々な病態が考えられ,特に医学生の症状と合致する。そして,連鎖球菌性咽頭炎の化膿性合併症は,抗菌薬が広く使用されるまでは多く生じていたとされており,合併症には扁桃周囲膿瘍や咽頭後部膿瘍,さらに,菌血症などが生じるとされている。その結果,重症感染症になり,敗血症から播種性血管内凝固症候群(DIC)となり,血小板減少に伴う出血傾向によって全身に点状出血が生じたと考えることは,臨床的な経過としては特に不自然な点はない。そうであれば,歯茎からの出血傾向なども合理的に説明ができる。また,A群連鎖球菌感染の咽頭炎によって生じる猩紅熱という病気でも全身に皮疹が生じ,肘か部の点状出血,口蓋の点状出血なども生じることから医学生がこのような病態であった可能性もある。そして,連鎖球菌などによる咽頭炎などは全ての年齢にみられる一般的に感染する病気であり,重症化することも抗菌薬が一般的ではない時代には多くあった。
(オ) このように,症状の発現経過も急性放射線症候群の知見と異なり,潜伏期もなく,脱毛もなく,さらに,齋藤紀らが特徴的と述べている唾液腺の痛みもないのであるから,放射線の影響によるものというよりも別の感染症等により重症の経過をたどったものと考えることの方が合理的といえる。
以上によれば,齋藤紀ら報告の上記症例1例のみをもって,残留放射線の影響が大きいという結論を導くことはできない。したがって,原告らの上記主張には理由がない。
ケ 近藤久義ら第1報告について
原告らは,近藤久義ら第1報告において,長崎の爆心地付近に昭和20年8月9日又は同月10日に入った早期入市者は,同月11日以降の入市者に比べて,全死因と脳血管疾患,心疾患の死亡率が高く,残留放射線被曝による後障害の可能性が示唆されたと報告されていることをもって,残留放射線の影響を証明した大規模研究として評価されると主張している。
しかしながら,近藤久義ら第1報告の結論部分には,今回得られた知見のみから,早期入市者における残留放射線の後障害を論ずることはできないと明確に記載されており,結語においても,残留放射線被曝による後障害の可能性が示唆されたと述べられているにとどまる。かかる記載があるにもかかわらず,これを残留放射線の影響を証明したと主張することは,明らかな誤導である。
また,近藤久義ら第1報告から約2年後である平成24年に同じ研究者グループによって報告された近藤久義ら第2報告では,長崎の爆心から3km以遠で被爆後,残留放射線への被曝が考えられる昭和20年8月10日までに爆心付近に立ち入った遠距離被爆者において,残留放射線被曝によると考えられる死亡率(全死因,悪性腫瘍,脳血管疾患,心疾患及び肺炎について,それぞれの死亡リスクを検討。)の増大は観察されなかったと結論付けられており,近藤久義ら第1報告とは異なる結果が得られたことが確認されている。そして,その理由については現時点では不明であるとしながらも,適応応答により死亡率が増大しなかった可能性が指摘されている。さらに,近藤久義ら第2報告においても,交絡因子の影響を除外することができず,したがって,今回得られた知見のみから,遠距離被爆者における残留放射線被曝による後障害を論じることはできないと明記されている。
近藤久義ら第1報告には,早期入市者において,原爆投下3日目以降の入市者に比べて,全死因と脳血管疾患及び心疾患の死亡率が高いにもかかわらず,悪性腫瘍に関して入市日の影響が観察されなかった(すなわち,悪性腫瘍については,残留放射線被曝による後障害の可能性が示唆されなかったということもできる。)という点で,報告内で整合性がないという大きな問題がある。それに加えて,近藤久義ら第1報告においても交絡因子の検討まではされておらず,近藤久義ら第2報告が指摘するように,近藤久義ら第1報告で得られた結論のみから,入市被爆者における残留放射線被曝による後障害を論じることもできないはずである。したがって,近藤久義ら第1報告をもって,残留放射線の影響を証明したとはいえず,原告らの上記主張は,誤っている。
コ LSS第9報第2部について
原告らは,LSS第9報第2部が,早期入市者の白血病が後になって現れた,広瀬の報告に基づいて早期入市者の白血病の発生率増加を示し,これは低線量放射線影響の明白な例であるとしているなどと主張する。
しかしながら,この引用は,原告らの主張に都合のよい部分だけを恣意的に取り上げるものである。LSS第9報第2部には早期入市者の白血病は,被爆群に白血病が多く現れた昭和25年ないし昭和33年には現れず,後になって現れたとされているが,これについては,さらに,早期入市者の白血病例は被爆者と同様の病型別分布を示すが(慢性骨髄細胞性白血病が主),被爆者のように白血病のピークを1950年(昭和25年)代初めに示さず,被爆者の白血病数が非常に少なくなった1960年(昭和35年)代初めに白血病が最も多かった,寿命調査(LSS)集団における推定では,白血病のリスク増加は被爆後7年ないし8年にピークに達した後減少し続けているとされ,若年被爆者ほどリスクの上昇は大きく,ピークを迎えた後の減少も急激であるとされている。すなわち,放射線被曝後の白血病には発症の時期に特徴があることが明らかになっており,LSS第9報第2部の早期入市者の白血病は,放射線被曝に特徴的な時期に発症したものではないとされているのである。なお,原告らは,LSS第9報第2部についての被告の主張には,「白血病以外の全部位のがん」という限定が付されていることに注意すべきであるなどとしているが,LSS第9報第2部には,この調査対象中の早期入市者には,白血病又はその他の悪性腫瘍による死亡の増加は認められていないとされているところである。
また,広瀬の報告についても,実際には,LSS第9報第2部により,① Rotblatは広瀬の報告に基づいて早期入市者の白血病の発生率増加を示し,これは低線量放射線影響の明白な例であるとしている,② 広瀬の白血病例は広島及び長崎の登録に基づいており,診断には問題はないと思われる,③ これらの例の被曝状態は,主として昭和33年の被爆者医療法公布以後被爆者に交付されている被爆者健康手帳から得られており,個人の報告に基づいている,④ 被爆者健康手帳保持者は,白血病等の特定疾患については無料で医療が受けられる,⑤ したがって,被爆者健康手帳から白血病例を集計する場合,症例数が多い方に偏る可能性があるという問題点が指摘されているところである。
したがって,原告らの上記主張には理由がない。
(3) 小括
以上によれば,原告らが挙げる入市被爆者についての調査結果を詳細に検討しても,これらに表れた身体症状の要因が放射線にあると即断することはできない。
したがって,このような調査結果を無批判に前提とし,これらの身体症状の要因が放射線にあるとして一定の傾向(入市被爆者一般に残留放射線による高線量の被曝があったこと)を導くことには科学的な合理性を認めることはできず,誤りといわなければならない。
4 原告らが前記文献以外に挙げる根拠をもってしても,遠距離被爆者及び入市被爆者に生じた身体症状が放射線による急性症状であるとみるのが,最も合理的であるとはいえないこと
(1) 「放射性粉塵」による被曝の概念は,現時点における科学的経験則として用いることのできる科学的知見とはいえないこと
原告らは,放射性降下物による被曝につき,黒い雨による被曝,放射性微粒子による被曝に加えて,C8が提唱する「放射性粉塵」による被曝の3類型があると主張する。
同主張は,C8の証人尋問を踏まえたものであるが,C8は,長崎において爆心地からみてドーナツ型の地域に脱毛が発現していることを根拠として,人体に健康影響を与える程度の線量の被曝を「放射性粉塵」によって受けたとしているようである。
しかしながら,C8において,上記の「脱毛」が放射線被曝によって生じたものであるか否かについて慎重に吟味された形跡は見当たらない。例えば,C8は,自ら開業する医院の通院患者らである「間の瀬地区」の住民から聴取り調査をし,脱毛があった旨の回答を得た旨証言する。当該聴取りは被爆から65年以上が経過した平成23年に,しかも,被爆した本人だけではなく,家族等についての伝聞を含むものである。したがって,前記第1章第1の2に述べた各種のバイアスを持ち出すまでもなく,その信用性について慎重な配慮が必要であることは明らかである。それにもかかわらず,C8はその聴取り結果をそのまま上記意見の基礎としているようであり,そのような意見は疫学的な意味での信用性に極めて乏しいといわざるを得ない。また,C8は,脱毛が発現したときにどの程度の被曝線量であったかということは明らかにすることができないとしつつ,急性放射線症候群に関するIAEAの知見とは異なることが原爆の場では起こっていると証言する。ところが,その意見の根拠は,自ら全部が全部放射線によるものかどうかという判断が付かないと認めるほど,甚だ曖昧なものである。しかも,C8自身,IAEAの脱毛の基準である3グレイよりも低い線量で放射線被曝の影響による脱毛が起こるかもしれないという上記の意見について,「仮説」として考えているのかと問われて,仮説のレベルにも至っていない「考え」にすぎないことを述べている。また,そのような「考え」に賛同する科学者や文献があるかと問われて,C3という,本件訴訟において原告ら側に立って意見書を作成している者の名前のみを挙げるにとどまり,ほかには「すぐにはちょっと思い浮かばない」というものである。この点,C8が述べる「放射性粉塵」なる「考え」が事実であるならば,当該態様の被爆の影響により,爆心地からドーナツ型の地域において疾病の罹患率ないし死亡率が有意に上がらなければならないはずである。しかるに,原告らの提出する証拠によってもそのような事実は認めることができないのであって,C8の上記「考え」は,客観的かつ実証的な根拠に基づかないものである。
なお,C8は,物理学や統計学,疫学を専門とする大学院の修士,博士課程を経ていないし,物理学者,統計学者及び疫学者としての勤務や経験はないのであって,放射線に関してはいわば素人同然の門外漢ともいうべき経歴の持ち主である。それにもかかわらず,本件訴訟において上記のような「考え」を述べるに至った理由について,C8は,「全国反核医師の会」に所属していた際に黒い雨に関する講演会を企画することになり,長崎においても黒い雨と住民の健康障害についてまとめてみようと思ったことをきっかけとして,数年前から原爆放射線について発表や講演をするようになった旨述べる。また,C8の医院は,現在係属中のいわゆる「被爆体験者訴訟」と呼ばれる別件訴訟(被爆者援護法上の「被爆者」には該当しないため,被爆者健康手帳の交付対象とはならなかった者が,長崎原爆の投下時及びその後,爆心地から12kmの範囲内の地域に存在した者は,その場所が爆心地から7.5km以上離れた地点であっても,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するなどと主張して,その交付等を求めて被告を訴えた訴訟)の原告らを患者に持ち,自らも同訴訟において原告ら側の証人として申請されている人物である。このような事情に鑑みれば,C8の意見が原告らに有利に働くよう,強いバイアスに基づき述べられたものであることは明らかである。
このようなC8による「放射性粉塵」による被曝という概念は,未だ「仮説」の段階にも至っていない「私見」ないし「推測」にとどまるものであって(原告らの主張においても,「推測」である旨明記されている。),およそ科学的経験則として用いることができるものではない。
なお,原告らは,長崎と同じ程度の粉塵の飛散及び上昇は広島でも同様にあったと考えられるとも主張している。しかしながら,上記のとおり,C8自身が「放射性粉塵」による被曝線量について定量的な値を明らかにすることができておらず,「長崎と同じ程度」の粉塵の飛散及び上昇というのもいかなる程度であるのか全く不明であるといわざるを得ない。また,「広島でも同様にあったと考えられる」とする根拠も不明である。
以上のとおり,「放射線粉塵」による被曝というものは,いまだその存在も内容も具体性のない一私見にとどまるものであり,このような一私見をもって,本件申請者らの放射線起因性の要件該当性を認める根拠とすることはできない。
(2) 原爆の爆発後100時間あるいは1週間の時点では,誘導放射線の放射線強度は原爆の投下直後に比べてさほど減少していない旨の原告らの主張には理由がないこと
原告らは,矢ヶ﨑克馬の意見に基づき,原爆の爆発後100時間あるいは1週間の時点では,放射線強度は投下直後に比べてさほど減少していない旨主張する。
しかしながら,上記主張の根拠となるC4の意見は,そもそも核生成物の核種構成比率や,その推計方法等について,独自の仮定に基づいた推論にすぎず,科学的な根拠に乏しいものである。
原告らは,誘導放射化された粉塵を吸引することによる内部被曝の健康影響を殊更強調するが,今中哲二報告では,爆心地で誘導放射化された粉塵を吸引した場合の内部被曝線量を推計しているのであるから,仮に,爆心地における粉塵が,爆風の影響等により,遠距離にもたらされたとしても,これを大きく超えるような被曝線量にはならない。また,そもそも誘導放射化された粉塵の吸引は,爆風の影響を受ける範囲の直爆被爆者や入市被爆者であれば一般的に経験する被曝態様であるから,これに着目することで,上記の今中哲二報告における線量推計値を大きく超えるような被曝線量を帰結することは誤りである。
(3) 遠距離被爆者の脱毛等の身体症状の距離に応じた減少傾向(距離依存性)に係る主張と,距離依存性のない「放射性粉塵」による被曝に係る主張とは両立するものではなく,原告らの主張は論理的に破綻していること
原告らは,脱毛等の身体症状を生じたとする者の割合が,被爆距離に応じて減少していること(距離依存性があること)をもって,上記の身体症状が原爆放射線による急性症状であることの根拠として主張しつつ,他方で,放射性降下物の一類型として,爆心地を中心にドーナツ状の距離依存性のない「放射性粉塵」による被曝というものが存在するとも主張している。
しかしながら,「放射性粉塵」によって「人体に健康影響を与える程度の線量」の被曝をドーナツ状という距離依存性のない形で受けたというのであれば,日米合同調査団の報告書,於保源作報告及び調来助ら報告における脱毛等の身体症状を生じたとする者の割合が,被爆距離に応じて減少し,距離依存性の傾向がみられることについて合理的な説明をし得ないはずである。「放射性粉塵」による被曝が存在する旨の原告らの主張と,遠距離被爆者の脱毛等の身体症状に距離依存性の傾向がみられる旨の原告らの主張は両立するものではなく,論理的に破綻している。
このような観点からみても,原告らの主張は科学的根拠に基づかない恣意的な主張といわざるを得ず,失当である。
(4) 古田町の女性の多重がんの症例が放射線被曝によるものと考えることが合理的であるとはいえないこと
原告らは,中島正洋ら報告において多重がんと放射線被曝との線量反応関係がみられたことを根拠として,広島市古田町の女性の多重がんも放射線被曝によるものと考えることが合理的である旨主張する。
しかしながら,多重がんと放射線被曝との線量反応関係(関連性)が認められたとしても,広島市古田町の女性の多重がんが放射線被曝によるものとはいえないことは,前記第1章第1の2に述べた疫学の基本に照らして明らかである。しかも,このような論理は,がんと放射線被曝との線量反応関係(関連性)が認められた疾病に罹患しさえすれば,常に放射線が原因となるとするに等しいものであるから,その意味においても明らかに失当といわざるを得ない。したがって,原告らの上記主張には理由がない。
(5) 西山地区の住民の白血球数の増加が放射線被曝の影響によるものであると断定する根拠はないこと
原告らは,長崎の西山地区の住民にみられた白血球数の増加(篠原健一ら及び松浦啓一の調査)は放射線被曝の影響によるものであると主張し,低線量持続被曝では白血球数の低下は認められても増加は認められない旨の被告の主張に対して反論する。しかしながら,その反論の根拠は,当時,西山地区には白血球増加の原因となるような感染症の流行はなく,松浦啓一も「この特異なる現象はFission Product(核分裂生成物)よりの体外,体内照射による影響と考える外はないように思う。」と考察しているという消極的な理由であり,説得的なものではない。そして,低線量内部被曝において白血球の増多が発生する根拠として原告らが挙げているのは,「家兎や白鼠においても確認されている現象である」との報告のみである。
この点,原告らが根拠とするもののうち家兎についての報告は,「放射線の家うさぎ骨髄体外組織培養に及ぼす影響に関する研究」に記載されている「少量では白血球の増多を大量では減少を示すもののようである」との部分であると解される。しかしながら,線量によっては一過性の白血球上昇からの減少などが認められることから,この実験で使用された被曝形態が低線量持続被曝に当たるのか,また,どのような白血球数の挙動を示したのかが分からなければ,低線量持続被曝による白血球増多の根拠にすることはできない。また,白鼠の実験結果については,「白血球数は各群何れも6~24時間で初期増加を示し,1~2週後白血球が減少を来たす。その後恢復してゆくが」「然しSr90 5μC/100g及び0.5μC/100g注射群では3週間後は旧値以上となる」と記載されている。これは,「骨髄が放射線の影響から回復すると白血球数も元にもどり,さらにリバウンド現象で元の値よりも若干高くなる。」としてC8が自ら一時的に大量被曝をした際の白血球の挙動として述べているものと一致しており,高線量被曝の際の白血球の動きを確認したものとなっている(1グレイ以上での被曝での一過性の増加は被告も否定していない。)。また,この実験はストロンチウム90の腹腔内投与の動物実験であり,同様の被曝形態は人には当てはめることはできず,低線量持続被曝の例となるかは疑わしい。つまり,これらの報告をもって西山地区の白血球増多の原因が低線量持続被曝であるということはできない。そして,白血球増加の原因として考えられることとしては,例えば,銅,鉛,鉄,カドミウム,亜鉛など多くの重金属が白血球増加を誘導することが知られており,原爆後の火災などによる降灰物に含まれていた重金属により白血球増加が誘発されていた可能性もある。このように,西山地区の住民の白血球増加症を低線量持続被曝によるものと決めつけることができるものではない。
(6) 冨田哲治ら第1報告について
原告らは,冨田哲治ら第1報告における,被爆地点の方角によるがん死亡率の調査において,最高と最小の地点の過剰相対リスクが0.6となり,放射線量として1グレイに相当する相違であるとした上で,黒い雨の降雨方向と一致していることなどから,「特に放射性降下物の強い影響を示唆する内容となっている」旨主張する。
しかしながら,冨田哲治ら第1報告は,そのリスクの差異が直接被曝以外の放射線によるもので生じているとした場合には1グレイ以上もの差異となると述べており,さらに,上記の過剰相対リスクの差については,冨田哲治ら第1報告においても,社会経済的地位や生活スタイルが影響を及ぼしている可能性を否定していないのであって,冨田哲治ら第1報告中でも,「例えば社会的経済的地位,生活スタイル,そして環境要因が観察された非対称性を部分的に説明でき得る」と述べており,さらに,「リスク等量線に対応する線量はまた,将来の課題である。」としている。つまり,原告らが主張するように「特に放射性降下物の強い影響を示唆する内容となっている」ということができるものではない。
しかも,喜田哲治ら第1報告の内容は,放射性降下物の影響を「示唆」し,残留放射線の影響の「可能性」を指摘する,いまだ仮説段階のものにすぎないのであって,これをもって残留放射線による被曝線量が多量であるとはいえない。実際,平成26年6月1日に第55回原子爆弾後障害研究会が長崎原爆資料館で行われ,冨田哲治ら第2報告が発表され,長崎医学界雑誌89巻に報告が記載されている。その中では固形がん死亡危険度地図の推定範囲の拡大を行ったものの,その研究の結論としては黒い雨での説明がつかないことから,「その理由に関してさらに議論を積み重ねる必要がある。」としており,相対リスクに差が生じていることの原因は結論が出ていない。加えて,前述したように,冨田哲治ら第1報告では放射線以外の要素についての影響の可能性を除外していないのであり,原告らの述べるように「特に放射性降下物の強い影響を示唆する内容となっている」といえるものではない。
したがって,原告らの主張には理由がない。
(7) LSS第14報について
LSS第14報では,「線量が50mGyまでの対象者は爆心地から約2-4kmの範囲にいた。従って,このように広い地理的分布では,付加的放射線源への差異的な被曝は考えにくい。」などと考察されている。
原告らは,LSS第14報の図5において上向き曲率の結果が出ていることについて,爆心地から2kmないし4kmの範囲の人々が放射性粉塵を含む放射性降下物を浴びたために影響が現れているとも考えられると主張している。
しかしながら,そもそも放射性粉塵による被曝という概念自体が仮説の域を出ないものにすぎず,原告らのLSS第14報の図5についての上記解釈の根拠も全く不明である。そもそも,この原告らの主張は,爆心地から約2kmないし4kmという範囲のみの被爆者が,「放射性粉塵」から差異的に追加的被曝をするというのであり,これまで原告らが,本件申請者らのうち爆心地から約2km以内の者についても,「放射性粉塵」から被曝を受けたと主張していることと,明らかに矛盾している。また,爆心地から約2kmないし4kmの範囲の対象者は,DS02における被曝線量が50ミリグレイ(0.05グレイ)までであることからすると,想定される追加放射線量はせいぜい数十ミリグレイ(0.02グレイ以上0.1グレイ未満)であり,遠距離被爆者及び入市被爆者が身体症状が出現するほどの放射線に被曝し,距離依存性をもって減少している旨の原告らの主張とも両立するものとはいえない。このように,都合よく「放射性粉塵」なるものがあったとする原告らの主張は極めて恣意的であり,むしろ,「放射性粉塵」が,およそ合理的根拠のない仮想的概念であることを端的に表しているものであるといえる。
したがって,原告らの上記主張には理由がない。
5 原告らの依拠する被曝線量の評価方法によっては,科学的に合理性を持った放射線による人体への影響を評価することはできないこと
(1) 原告らが依拠する被曝線量の評価方法は,仮説に基づく一推論にとどまるものであって,科学的な合理性を認められるものではないこと
ア 被爆者に生じた身体症状に基づく線量評価方法が科学的な合理性を認められるためには,少なくとも,① 線量評価の基礎となる線量と身体症状との相関関係に関する科学的知見が正確なものでなければならないし,② 身体症状として挙げられる症状が必ずしも放射線被曝に特異的でない場合には,当該身体症状が放射線被曝に基づくものであると認められる,換言すれば,当該身体症状が上記①の科学的知見で示された放射線被曝による身体症状の特徴と整合するものでなければならない。
イ 上記アの①の点については,現在の科学的知見において科学的な信頼性を得ているものは,IAEAやWHOがまとめた「急性放射線症候群」の概念である。
この点,原告らは,被告の「急性放射線症候群」に関する主張への反論として,C20の平成19年6月15日付け意見書及び平成20年3月及び5月に実施された別件訴訟の証人尋問におけるC20の証言を挙げてるる批判する。しかしながら,急性放射線症候群の特徴等に関しては,東京大学名誉教授らが監修した,放射線医療に携わる臨床医に向けた教科書的文献である「緊急被ばく医療テキスト」等にも取り上げられるなど,もはや科学的知見として確立しているのであって,原告らの批判は妥当しないのである。
更にいえば,急性放射線症候群という概念自体が広島及び長崎のそれぞれ6000人以上の追跡調査等をまとめる過程で検証され,現在の科学的知見として確立されるに至ったものである。したがって,遠距離被爆者及び入市被爆者の身体症状については,これらの特徴の有無について吟味した上で,放射線による急性症状(急性放射線症候群)であるかどうかが認定されなければならないのである。
かえって,原告らは,「急性放射線症候群」とは異なる趣旨で「急性症状」という語を用いているようであるが,そもそも原告らが用いている「急性症状」という概念の具体的内容も明らかではなく,そのような理解が科学的な信頼性を得ているものであるかも明らかではない。また,「急性症状が出現するほどの高線量の被曝をしている」というのが,IAEAやWHOがまとめた「急性放射線症候群」と同等又はそれ以上の線量を想定しているのか,それを下回るのであればどの程度の線量であるのか,全く不明である。さらに,原告らが主張する上記の「急性症状」の時間的経過等についても,いかなる科学的根拠に基づいているのか,裏付けとする証拠も全く摘示されていない。しかも,原告らは,急性放射線症候群概念の限界,原爆被爆者の被爆状況の相違を考えれば,原爆被爆者にみられた脱毛,下痢等が放射線の影響によるものであることは明らかであると主張するが,「急性放射線症候群」の典型的な特徴やしきい値についての現在の科学的知見の到達点を踏まえずに,「急性放射線症候群概念の限界」と「原爆被爆者の被爆状況の相違」から,なぜ「原爆被爆者にみられた脱毛,下痢等が放射線の影響によるものであることは明らか」ということが導けるのか,著しい論理の飛躍といわざるを得ない。このことは,原告らの主張が科学的根拠に基づかないことを示すものである。
ウ 前記アの②の点においても,原告らの依拠する線量評価方法の科学的合理性を認めることができない。前記2及び3に詳述したとおり,原告らが列挙する調査結果に表れた身体症状をみても,これらは,いずれも,単に「脱毛」や「皮下出血(紫斑)」といった放射線被曝に非特異的な身体症状の存在を示すだけで,当該身体症状の内容及び程度,発現時期等について不明確であったり,明確な定義づけがされていなかったりするなど,科学的な被曝線量の評価を行うには,著しく不十分といわざるを得ない。これでは,これらが科学的な信頼を得ている急性放射線症候群としての特徴にどのように整合するのかについて検証することは不可能であるし,このような調査結果に基づいては,一推論ないし仮説としてならばともかく,これに依拠して科学的に合理性を有する被曝線量の評価を行うことは不可能である。そうであるがゆえに,研究を行っている科学者自らが,自らの意見について仮説として提示したものであることや,研究結果に表れた身体症状の原因が放射線であると判断することはできないとの認識の下,染色体分析調査などの更なる調査を行う必要があると指摘しているのである。
しかるに,原告らは,このような調査結果を無批判に推論の根拠とし,これに基づき被曝線量の評価を行おうというものであり,しかも,これに矛盾する物理学的な推定方法については「過小評価」という言葉だけで片付けようとするものであり,更には生物学的な推定方法については何ら考慮するところがない。このような主張は,研究者の意図をはるかに超えるものであって,科学的な合理性を認めることはできない。
(2) 原告らの採用する被曝線量の評価方法によっては,科学的に合理性を有する線量評価を行うことは不可能であること
ア 前記第2の1に指摘したとおり,原告らは,遠距離被爆者及び入市被爆者の身体症状に関する各疫学調査結果の傾向から定性的に上記身体症状が放射線による急性症状であるとした上で,疫学調査の結果,ある地点において一定の身体症状を示す例が認められれば,同地点において放射線被曝による急性症状を惹起する程度の被曝線量があったと考えるものである。
そして,原告らが,原告ら各人の被曝線量について定量的に示すところがなく,単に相当量と主張していることや,原告らは「急性症状」という語をIAEAやWHOによる「急性放射線症候群」とは異なるものとして用いているようであることからすると,原告らは,原爆放射線による急性症状は低線量でも生じるとの考え方を前提にしているものとも解することができる。
イ しかしながら,このように,原爆放射線による急性症状を,IAEAやWHOの国際的知見が前提とする急性放射線症候群と区別するという考え方自体が否定されるべきである。少なくとも,そのような考え方を示す明確な科学的知見は見当たらないのであって,原告らもそのような考え方の根拠についてこれまで積極的な主張をしていない。
また,仮に,原爆放射線による急性症状は低線量でも生じるとの考え方を考慮したとしても,単に「低線量」というだけでは被曝線量を定量的に明らかにすることはできない。前記第1章第1の2(3)イに述べたところに照らせば,これでは放射線起因性の有無を判断するための被曝線量の評価方法として用いることはできないはずであるし,放射線被曝に特異的でない疾病の場合,一般的な発病のリスクに基づいて発症したのか,それとも,放射線被曝の影響により発症したのかを判断することもできないはずである。放射線起因性の有無を判断するに当たっては,放射線と疾病発症との関連性が存在するだけでは足りず,関連の程度を具体的に検討することが不可欠なのである。
ウ 仮に原告らが列挙する調査結果に表れた身体症状について放射線被曝の影響を観念する余地があるとしても,その原因は単に粉塵等に接したことによるとは考えられない。
すなわち,これらの調査結果で表れた身体症状は,遠距離被爆者又は入市被爆者のうちの一部の者についてのみ認められている。前記第2の4において述べたとおり,広島原爆では爆心地から3kmないし4kmの地点においても,原爆の衝撃波や爆風により煙やすす,埃が舞い,遠距離被爆者であったとしても粉塵等に少なからず接していたと考えられるが,上記のような身体症状は一般的に生じているわけではない(例えば,前記2(2)アで述べたプレストンら第1報告においても,脱毛がみられたのは,2kmから3kmにかけて3%前後,3km以遠では約1%にすぎないとされている。)。また,前記3(2)イで指摘したとおり,於保源作報告においても,入市被爆者に発生したとされる身体症状は,原爆投下の3日後には変化がみられなくなっているのであって,粉塵等との関係のみで説明することは困難である(この調査結果からは,上記のような身体症状が全て放射線によるものであると仮定したとしても,放射線の影響は本来的にごく初期の入市被爆者のみにとどまると解すべきことになる。)。そうすると,遠距離被爆者や入市被爆者一般が,単に粉塵等に接したことで一般的に「急性放射線症候群」を発症し得る程度の線量の放射線を被曝したと解することは困難であり,そこには当該急性症状の発症者に特有の何らかの特異例外的な事情が存在したと解するほかない。しかしながら,原告らは,このような特異例外的な事情が何であるか,その科学的根拠が何であるかについて主張するところはなく,また,本件申請者ら各人について,単に粉塵等に接する以外の特異例外的な事情が存することについて主張するところはない。
なお,本件申請者ら各人に「急性症状」がみられることによって,このような特異例外的な事情を推認することができるというのであれば,なおさらIAEAやWHOの国際的な知見に基づく急性放射線症候群としての特徴との整合性が厳格に問われなければならない。
(3) 原告らの被爆後の身体症状等に係る文献に基づく主張は被告が指摘した問題点を克服し得るものではないこと
原告らは,残留放射線被曝による急性症状等の人体影響に関する研究等を挙げた上で,① 最高裁平成12年判決に係る訴訟以来,被爆者に認められた脱毛,紫斑,下痢,嘔吐等,放射線の線量,取り分け急性症状に関する初期放射線の線量としきい値理論では説明することのできない症状が認められ,しかも,放射線によるとしか考えられない症状が多数認められたことから,これらの症状を放射線の症状で説明する必要に迫られた,② これらの症状は,初期放射線や他原因では説明することができず,残留放射線による被曝の影響でしか説明することができないと主張する。
しかしながら,既に詳述したとおり,原告らが挙げる各種調査結果を精査しても,遠距離被爆者や入市被爆者に現れたとされる身体症状の要因が放射線の影響にあると認めることはできず,少なくとも,当該調査結果をもって,遠距離被爆者ないし入市被爆者が被告が主張するところの急性放射線症候群を発症し得る程度の高線量の被曝をしたことの根拠とすることはできない。そして,個別に指摘したもの以外の調査結果等に関しても,これらを「原爆放射線被曝によって当該身体症状が発生した」という意味での疫学的な知見として用いるためには,前記第1章第1の2に述べたとおり,これらが単なる仮説や可能性,関連性の示唆にとどまるものではないことが論証されなければならない。それにもかかわらず,原告らはこの点について何ら的確な論証をし得ていない。したがって,「これらの症状は,初期放射線や他原因では説明することができず,残留放射線による被曝の影響でしか説明することができない」などということができるものではない。
6 まとめ
以上によれば,原告らが列挙する調査結果等をもって,遠距離被爆者及び入市被爆者に生じた身体症状が「放射線による急性症状であるとみるのが,最も合理的」などということができないことは明らかである。
そして,前記第2の3(2)ウ及び(4),4及び5で述べたとおり,生物学的線量推定法による値と物理学的推定法による値との間では整合的な結果が得られている。
したがって,被曝線量の信頼性については,原告らのように,上記調査結果の存在のみにとらわれて,これと整合しないDS02等の物理学的推定法による値が過小評価であるとみるのではなく,逆に,全く異なるアプローチである生物学的線量推定法と整合的な結果が得られていることをもって,DS02等の物理学的推定法による値は十分に信頼性のある合理的な線量評価方法であるとした上で,これと整合しない上記調査結果が放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)を必ずしも正確に表しているわけではないと理解すべきなのである。
第3章 各論
第1 原告X1について
1 原告X1の申請疾病である下咽頭がんが原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
(1) 相当量の残留放射線に被曝したとの主張に理由がないこと
ア 相当量の残留放射線に被曝したとの主張は不明確であり,少なくとも科学的根拠に基づくものとは考え難いこと
原告X1は,残留放射線による外部被曝や内部被曝によって相当量の放射線に被曝したと主張しているものと解される。
しかしながら,「相当量の」とは何グレイ程度を想定しているのか全く不明であり,いかなる内実を有するものであるのか全く不明である。このような主張は,残留放射線を受ける状況さえあれば「相当量」の線量の被曝があったとして,放射線起因性を基礎づけようとする恣意的な主張というほかなく,もはや科学的な根拠に基づくものとは考えられない。
しかも,この点については,前記第2章第2において述べたとおり,原告X1の主張するような被曝態様では,残留放射線による外部被曝及び内部被曝の線量が人体に影響を及ぼすものではないことを客観的に示す明確な反証が存在する。
イ 原告X1の推定被曝線量は,全体量としても0.003グレイを下回る程度であること
(ア) 広島市中町の自宅付近まで入市したことによる原告X1の誘導放射線による推定積算線量は0.003グレイを下回ること
原告X1は,昭和20年8月11日,同月12日,同月16日以降数日間,爆心地から約500mの地点にあった広島市中町の自宅付近まで入市し,それぞれ数時間滞在したとして,「相当量の残留放射線に被曝した」と主張するようである。
しかしながら,原告X1がその理由として挙げる,爆心地近辺は放射性降下物や誘導放射化された物質により高度に汚染されていたと考えられるとの主張は,漠然とした抽象的なものであり,その根拠も不明である。そもそも,誘導放射線量率は時間とともに急速に減衰するのであって,原告X1の上記主張は時間的な経過による被曝線量の変化が全く考慮されていない。上記主張が被曝線量を著しく過大に評価するものであることは,入市被爆者の被曝線量の最大限を画する賀北部隊工月中隊のケースに照らしても明らかである。かえって,今中哲二報告に基づく原告X1の誘導放射線による推定積算被曝線量は,0.003グレイを下回る程度にすぎない。
(イ) 自らの人体が誘導放射化されたり,放射性降下物で高度に汚染されたりしていた多数の被爆者に接したことによる被曝線量もごく僅かにすぎないこと
原告X1は,自らの体液や骨が誘導放射化されたり,放射性降下物で高度に汚染されたりしていた多数の被爆者に接し,これによって相当量の残留放射線に被曝したと主張する。
しかしながら,かかる主張は,漠然とした抽象的なものであり,これにより一定程度高線量の被曝をしたことになる具体的な根拠も示されていない。上記主張が被曝線量を著しく過大に評価するものであることは,上記賀北部隊工月中隊のケースに照らしても明らかである。
また,放射線により誘導放射化された人体に接したことによる被曝の影響については,いわゆるJCO臨界事故で約25グレイもの高線量被曝をした従業員の人体の誘導放射化を調査した結果,歯科撮影1回程度のごく僅かなものであることが判明している。
さらに,放射性降下物による被曝を受けた人体に接したことについても,放射性降下物の量自体が極めて少ないことからすれば,原告X1の放射性降下物による外部被曝もごく僅かにすぎない。
(ウ) 内部被曝による被曝線量も微量にすぎないこと
原告X1は,昭和20年8月11日,同月12日,同月16日以降の数日間,放射能に汚染された塵埃や水を体内に取り込んで内部被曝したことにより,相当量の残留放射線に被曝したと主張するようである。
しかしながら,かかる主張は漠然とした抽象的なものであり,その根拠も示されていない。また,時間的経過による被曝線量の変化についても何ら考慮されていない。
かえって,生物学的線量推定法によって得られた遠距離被爆者及び入市被爆者の推定被曝線量等に照らせば,仮に,原告X1が内部被曝をしていたとしても,その被曝線量はDS02の誤差の範囲に収まる程度の微量にすぎない。この点は,今中哲二報告とも整合的である。
加えて,放射性降下物が最も多く堆積した長崎の西山地区の住民についてさえ,昭和20年から昭和60年までの40年間にも及ぶ内部被曝の積算線量は,ごく僅かであったことが科学的に実証されている。
(エ) 原告X1の推定被曝線量の全体量と当該主張の位置づけ
以上によれば,原告X1の推定被曝線量は,全体量としても,約0.003グレイを下回る程度にすぎない。これは,一人当たりの自然放射線(年間)の日本平均の値(0.0021グレイ)を若干上回る程度であり,胃のX線検診1回分で受ける被曝線量の半分程度にすぎない値である。したがって,このような線量評価の観点からみても,原告X1が「相当量の残留放射線に被曝した」ということはできず,原告X1の主張には理由がない。
なお,仮に,上記の被告における線量評価が一般的に過小であると解されるようなことがあったとしても,そのことから直ちに,原告X1の被曝線量が「相当量」であるとの主張が基礎づけられるものではない(以下個別に繰り返さないが,同様のことは全ての本件申請者らに妥当する。)。
(2) 原告X1の身体症状は,放射線被曝による急性症状とはいえないこと
原告X1は,被爆後,胃腸が弱くなり下痢が多くなるという体調不良が生じていることをもって,原告X1が相当量の残留放射線に被曝したと主張する。
しかしながら,原告X1は,そもそも「胃腸が弱くなり下痢が多くなる」との事実と放射線起因性との関係すら主張していない。また,上記の身体症状が原告らの理解する「放射線被曝による急性症状」に当たると主張しているのかさえ明らかではない。
そもそも,原告らの理解する「放射線被曝による急性症状」とは,IAEAやWHOがまとめた急性放射線症候群とは異なる概念を意味しているようであるが,その具体的内容(特徴)はこれまで全く明らかにされていない。これでは,例えば,放射線被曝以外にも日常的に生じ得るはずの下痢が被爆者に出現した場合に,どのようにしてこれを「放射線被曝による急性症状」に該当すると解することになるのか全く不明であり,被爆者に下痢の身体症状が現れた場合は,常に放射線被曝によるものであると解することにもなりかねない。
以上によれば,原告X1に出現したという上記の「胃腸が弱くなり下痢が多くなる」との症状が放射線被曝によって生じたものであるということはできず,このような身体症状の存在をもって,原告X1が相当量の残留放射線に被曝したことの根拠として用いることは許されない。
なお,原告X1に出現したという「胃腸が弱くなり下痢が多くなる」との症状の具体的内容をみても,そもそも発現時期が被爆直後ではなく,何年か経ってからというのであるから,IAEA及びWHOが取りまとめた急性放射線症候群の特徴を備えるものではなく,また,原告X1の下痢の症状は,年中続くわけではなく,普通の便通もあるが,腹が冷えたり,氷を食べたりというように何かの拍子に下痢をするというものであり,病院に入院してもその原因が判明せず,結局のところは神経性の下痢ではないかとされている。以上によれば,原告X1に出現したという「胃腸が弱くなり下痢が多くなる」との症状は,放射線被曝者以外の者にも一般的にみられる通常の下痢の症状と何ら異なるものではなく,急性放射線症候群としての下痢であると認めることはできない。
(3) 原告X1が若年被爆者であるとの主張は,放射線起因性を認める根拠とならないこと
原告X1は,原告X1が11歳という若年時に被爆しており,LSS第14報で報告されている発がんリスクが高い群に極めて近いと主張する。
しかしながら,LSS第14報では,特定のがん部位における年齢の影響は,大部分は統計学的に有意ではなかったとされている。被爆時年齢が下がるほどリスクが増加するか否かはがん部位によって明らかではないというのが現在の統計学的な知見における到達点なのである。
また,原告X1の推定被曝量に基づく,被爆時年齢30歳の場合のLNTモデルにより推計した固形がんの過剰相対リスクは,約0.00141を下回る程度であり,被爆時年齢を10歳と仮定しても,被爆時年齢を加味した過剰相対リスクは約0.0028にすぎない。
よって,若年被爆者であることを考慮したとしても,原告X1の下咽頭がんの放射線起因性を認める根拠とはなり得ない。
(4) 原告X1が挙げる報告等は下咽頭がんの放射線起因性を認める根拠となり得ないこと
ア 原告X1の主張
原告X1は,放影研の疫学調査であるLSS第9報から最新のLSS第14報までを根拠として,原告X1の下咽頭がんにつき放射線起因性が認められる旨主張している(なお,原告らは,疾病について被曝線量との相関関係(関連性)を認めた報告が存在することを「放射線起因性」という用語を用いて表現しているが,前記第1章第1の2に述べた疫学の基本に照らして失当である。)。
イ 現在の科学的知見の到達点としてがんと放射線被曝との有意な関連性
(相関関係)が認められているのは,0.1グレイないし0.2グレイ以上の放射線被曝の場合であること
(ア) がんと放射線被曝との関係については,0.1グレイを下回る放射線では健康影響があるとはいえないというのが現在の科学的知見の到達点であること
がんと放射線被曝との関係については,① 放射線による健康影響があると科学的な事実として認められている(発がんのリスクが統計学的に有意に上昇する)のは,0.1グレイないし0.2グレイ以上である,② 0.1グレイを下回る放射線では健康影響があるとはいえない(直線性になるか否かも含めて,どのようなグラフになるか分からない)というのが現在の科学的知見の到達点である。
事実認定に用いる科学的経験則は,一般的な科学的,医学的知見を踏まえたものでなければならない。特に,UNSCEARの報告書は,国際連合の下に設置され,参加21箇国,オブザーバー6箇国の科学者百余人の団体における合議により合意された科学的知見を取りまとめたものである。その記載内容は,その時点における放射線の人体影響に係る知見を集約した国際的な基準として尊重されているものであって,極めて信頼性が高い。このような知見は,裁判上の原爆症認定における放射線起因性の判断の際にも,国際的に確立した知見として十分に尊重されなければならない。
そして,最新のUNSCEAR2010年報告書では,がんと放射線被曝との関連性について,「統計学的に有意なリスク上昇は100-200mGyまたはそれ以上で観察される。疫学研究だけでは,これらのレベルを大きく下回る場合の有意なリスク上昇を同定することはできそうにない」とされている。
すなわち,低線量の放射線被曝によって,がんの発生がどれだけ増大するかについては,十分には解明されておらず,少なくとも低線量については,そもそも疫学調査から統計学的に判断がつかず,現在でも科学者の間で意見が分かれている(放射線量とがんの発生確率との関係として,複数の仮説が唱えられている状況にある。)。ICRPでは,飽くまで放射線防護の観点からLNT仮説を採用しているが,放射線防護を規制等を通じて達成するという制度的な目的から,飽くまでも仮説であることを前提として採用されているにすぎない。
(イ) 在り方検討会におけるがんと放射線被曝との関係に関する丹羽太貫の説明と長瀧重信の説明においても,0.1グレイを下回る放射線では健康影響があるとはいえないとされていること
在り方検討会におけるがんと放射線被曝との関係に関する丹羽太貫の説明では,0.1グレイを下回る放射線被曝と固形がんの間に統計上有意な関係がないことが科学的知見としてコンセンサスを得ていることや,上記のように0.1グレイを下回るものが除かれる根拠について,同旨の説明がされている。さらに,UNSCEARの考え方とICRPの考え方との違いについても,前者は国際的な専門家の合意であるが,後者は放射線防護の観点からの仮説であるとの説明がされている。
また,在り方検討会におけるがんと放射線被曝との関係に関する長瀧重信の説明でも,0.1グレイの被曝によるがん死亡のリスクが自然発生の1.05倍であることの統計学的な意義について,日本では日常生活のがんのリスクより少ない「肥満」,「やせ」,「運動不足」,「野菜不足」などの方が,リスクが大きいことになり,ほかの発がんのリスクに紛れてしまうので,放射線の影響だけを取り出して論じることはできないなどと説明されている。UNSCEARとICRPとの取扱いの違いについても,UNSCEARの取扱いについて丹羽太貫と同旨の説明をした上で,ICRPの取扱いについて,放射線防護の考え方である旨説明がされている。
(ウ) 原告X1が根拠とするLSS第14報も総固形がん死亡の過剰相対リスクが有意となる線量域は0.2グレイ以上であったとしていること
原告X1は,最新のLSS第14報では,全固形がんにおける被爆による過剰がん症例数が線形線量反応関係を示し,生涯を通して増加し続けていることを報告していると主張する。
しかしながら,LSS第14報では,数学的モデルを適用し全体(全線量域)を通じた放射線による健康影響の傾向を把握することと,どの線量から健康影響が明らかに認められるか(リスクが統計学的に有意となるか)とは別次元の話として取り扱われている。すなわち,死亡リスクが有意となったのは0.2グレイであり,UNSCEAR2010年報告書の結果と合致する結果が示されている。統計学的モデルは生物学的影響を検討するに当たっての仮説にすぎず,健康影響そのものがあることを示すものではないところ,LSS第14報は,飽くまで疫学調査の結果を当てはめた統計学的モデルとして直線しきい値なしモデルが最も適合するとしているにすぎないから,これまでの国際的に承認された科学的知見を上回る事実を示したものではない。むしろ,健康影響が認められる線量域(有意な関連性が認められる線量域)が0.1グレイではなく0.2グレイに引き上げられている点に着目すべきである。
ウ がんと放射線被曝との関係についての原告らの主張に対する反論
(ア) ICRPがLNT仮説を採用していることは,低線量被曝によりがんなどの健康影響が生じることが国際的に承認された科学的知見であることの根拠とはならないこと
原告らは,ICRP2007年勧告の総括部分の記載に基づき,ICRPがLNT仮説を採用していることをもって,これが確立した知見であるかのように主張する。
しかしながら,ICRP2007年勧告をみても,LNT仮説は飽くまで「仮定」とされ,「放射線防護の目的には」,「実用的な放射線防護体系は」とあるように,ICRPは,放射線防護を目的としてLNT仮説を採用していることは明らかである。ICRP2007年勧告は,LNT仮説が飽くまで科学的に正当性が検証されたことのない仮説であることを強調し,放射線防護のためにかかる仮説を採用する旨を明らかにしている。
しかも,ICRP2007年勧告においても,0.1グレイ以下の極めて低い線量の被曝のリスクを多人数の集団線量に適用して,リスク推定に用いることは,不確かさが非常に大きくなるため不適切であるとされているのである。
そして,LNT仮説における固形がんのリスクが有意になる線量域については,現時点における疫学調査の結果によっても,およそ0.1グレイないし0.2グレイを下回る線量域では,明らかな関連性は認められておらず,過剰相対リスクの増加もあるとはいえないとされている。
したがって,ICRPが放射線防護の観点からLNT仮説を採用していることは,低線量被曝によりがんなどの健康影響が生じることが国際的に承認された科学的知見である根拠とはならない。
(イ) UNSCEAR2000年報告書等は,低線量被曝によりがんなどの健康影響が生じることが国際的に承認された科学的知見であることの根拠とはならないこと
原告らは,UNSCEAR2000年報告書における記載をもって,LNT仮説が一般的に観察されているとの認識が示されているとし,この認識はUNSCEAR2006年報告書及びUNSCEAR2010年報告書でも一貫している旨指摘する。
しかしながら,そもそも原告らが指摘しているのは,関連性(相関関係及び線量反応関係)の存在に関する記載のみであって,「有意な」関連性の存在についての記載ではない。そして,最新のUNSCEAR2010年報告書においても,被曝により有意ながんのリスク上昇があるとされているのは0.1グレイないし0.2グレイ以上であって,原告らが指摘する上記のUNSCEAR2000年報告書の上記記載をもって,LNT仮説により0.1グレイないし0.2グレイを下回る低線量被曝によりがんなどの健康影響が生じることが国際的に承認された科学的知見であるなどとはいえない。
そもそも,原告らが指摘するUNSCEAR2000年報告書の記載は,UNSCEARが科学的真実としてLNT仮説を採用することを宣言したものではない。UNSCEAR2000年報告書における「国内国際組織から受け入れられてきた」との記述も,LNT仮説が一つの仮説として低線量被曝におけるがんリスクを評価する際に用いられてきたことを記したものにすぎない。また,「最も単純な説明は」との記載も,「最も単純な説明」としてLNT仮説を採用したとしても,入手可能な機械的データや量的データと矛盾しないことを述べたにとどまり,他の仮説が成り立つ可能性を否定するものではない。
(ウ) BEIR委員会の報告書は,低線量被曝によりがんなどの健康影響が生じることが国際的に承認された科学的知見であることの根拠とはならないこと
原告らは,BEIR委員会のⅦ報告書において,入手可能な生物学的データの包括的検討の結果,LNT仮説を支持するとし,米国人の放射線によるがん発生リスクは100ミリシーベルト当たり100人に1人(固形がんと白血病)で,低線量では比例して低下し,10ミリシーベルトでは1000人に1人放射線で発がんするとされていることをもって,LNT仮説が国際的な合意となっていることの根拠として挙げる。
しかしながら,BEIR委員会のⅦ報告書も,前記のICRP2007勧告やUNSCEARの報告書と同様に,LNT仮説が飽くまで100ミリグレイ(0.1グレイ)以下の線量域については有意な影響が観察されていないことを前提とする「仮説」であることを踏まえた上で,飽くまで「リスク推定において」「放射線被ばくに伴うがん化の仕組みに重きをおき」「いかなるリスクモデルがリスク推定に合理的であるか」議論をしたものにすぎない。
したがって,BEIR委員会のⅦ報告書が,LNT仮説を採用しているからといって,LNT仮説により0.1グレイないし0.2グレイを下回る低線量被曝によりがんなどの健康影響が生じることが国際的に承認された科学的知見であるなどとはいえない。
(エ) マーク・ピアースら「幼児期CTスキャンによる放射線被曝と白血病及び脳腫瘍リスク:後ろ向きコホート研究」(以下「ピアースら報告」という。)は,低線量被曝によりがんなどの健康影響が生じることが国際的に承認された科学的知見であることの根拠とはならないこと
原告らは,低線量域に係るLNT仮説を支持する報告が最近の疫学研究で次々と明らかになっているとして,ピアースら報告において,「白血病では約50mGy以下の赤色骨髄線量で,線形閾値なしの線量反応関係を示し,脳腫瘍では約350mGy以下の線量で,線形閾値なし線量反応関係を示し」たと報告されていることを挙げる。
しかしながら,ピアースら報告は,日本国内における放射線影響研究の中心学会である日本放射線影響学会の吉永信治による紹介記事において,CT検査と白血病あるいは脳腫瘍との間に見掛け上の関連をもたらすことになることから,バイアスを調整する必要性が指摘されている。前記第1章第1の2において述べたとおり,疫学的に何らかの関連性が認められたとしても,それが疫学的にも法的にも因果関係を有しているとは限らないのである。
また,吉永信治は,同人らの予備的な検討ではリスク推定値が過大評価される可能性が示唆されており,線量の推定誤差があるという限界を指摘し,ピアースら報告で示された白血病及び脳腫瘍の有意なリスク増加が放射線被曝によるものか,それとも,交絡やバイアスなどで説明され得るのかについては結論を下すことは難しいと評価している。この点も,上記のような報告のみから直ちに因果関係を認めることができないことを明らかにするものである。
このように,ピアースら報告の結論は,放射線被曝によるものではなく,交絡因子やバイアスなどで説明され得るものであるから,低線量被曝によりがんなどの健康影響が生じることが国際的に承認された科学的知見であることの根拠とはならない。
(5) 多重がんであることは原告X1の下咽頭がんにつき放射線起因性を認める根拠とはならないこと
原告X1は,原告X1が多重がんに罹患しており,多重がんと放射線被曝との間には相関関係が認められているとして,原告X1の下咽頭がんにつき放射線起因性が認められる根拠とする。
しかしながら,前記第2章第3の2(3)エで述べたとおり,多重がんは放射線被曝者に特異的な疾病ではなく,多重がんであるからといって,それが原爆放射線に起因するものであるなどと推論することはできない。
なお,原告X1が上記主張の根拠として挙げる文献は,飽くまで「調査が必要」とされていたり,長崎原爆被爆者における重複がん発症者の一般的傾向を指摘したりするにすぎないものであり,多重がんを発症したこと自体が放射線被曝によるものとする根拠となるものではない。
(6) 原告X1には下咽頭がんの重大な危険因子である性差,加齢,喫煙及び飲酒が存在していること
ア 下咽頭がんは,喫煙や飲酒との因果関係が強いとされ,喫煙量や飲酒量が多いほど下咽頭がんにかかりやすいとされている。また,男性は女性の4倍ないし5倍の頻度で下咽頭がんが発生し,年齢は50歳代ないし60歳代に多く,下咽頭がん全体の60%はこの年代に発症するとされている。また,下咽頭がんにかかった者の25%ないし30%に食道がんが見つかっている。これは食道がんの発生が下咽頭がんと同様に,飲酒や喫煙と関係があることが原因と考えられている。特に,元々酒に弱い体質であるのに,鍛えて強くなった者に下咽頭と食道の重複がんが多いことが最近の研究で分かってきている。
イ 原告X1は男性であり,原告X1が下咽頭がんと診断されたのは,原告X1が74歳の時である。原告X1は,元々酒が飲めない体質であったが,20歳の時に上京する以前から飲酒を始め,食道がんと診断された平成13年12月の時点で,ブランデー(ダブル。約60ml)をほぼ毎日2杯から3杯摂取していた。また,原告X1は,「20歳か20歳過ぎぐらい」から喫煙を始め,同じく食道がんと診断された平成13年12月の時点で,1日30本の喫煙を40年間続けていた。このように,原告X1は,下咽頭がんと同じく飲酒や喫煙との関係が深い食道がんを発症しているとともに,食道がん発症後である平成20年9月の時点でさえ,禁酒することなく,ビールやワインを「付き合い程度」の頻度で摂取していた。
これらの事情に照らせば,原告X1には,性差や加齢だけでなく,喫煙及び飲酒という下咽頭がんの重大な危険因子が併せて存在していた。この点,主治医の意見書においても,原告X1の申請疾病(下咽頭がん)について,わざわざ飲酒が原因である可能性が特記されている。
ウ これに対し,原告X1は,飲酒量や喫煙量について,殊更に過小に主張し,本人尋問においても同旨を述べる。
しかしながら,被告の主張は,原告X1の診療録の記載に基づくものであるが,食道がんの治療目的で入院している原告X1が,あえて自分の飲酒歴及び喫煙歴について,事実と異なる内容の申告をする動機や合理的理由は考え難い。他方で,原告X1において,その主張が上記診療録の記載と矛盾することについて,何ら合理的な説明をし得ていない。
そうすると,原告X1の飲酒歴及び喫煙歴については,上記診療録の記載に従って認定されるべきであり,原告X1の主張は採用し得ない。
また,原告X1の本人尋問における飲酒歴及び喫煙歴に関する供述はにわかに信用することができない。
すなわち,まず,飲酒に関しては,原告X1は,本人尋問において,飲酒の開始時期について,主尋問では,「二十五,六のときからですかね。自分で商売をやるようになって飲むようになりましたね。」と供述していたにもかかわらず,反対尋問では,20歳の頃に上京してバーに勤務する以前から飲酒していた旨供述を変遷させている。また,原告X1は,自らが勤務するバーでの飲酒の有無についても,客から酒を勧められることはなかった旨供述する一方で,客に勧められて飲むこともある旨,相矛盾する供述をしている。この点,原告X1が平成20年9月に川崎市立川崎病院を受診した際に,原告X1が自ら記載したと思われる質問紙には,飲酒を始めた年齢として,「20歳頃から」と明確に記載されている。
また,喫煙に関しては,原告X1は,当初の喫煙量について,主尋問では,「一番最初は1日に四,五本」と供述しながら,その後の裁判官による補充尋問に対し,「最初は1日に二,三本」と殊更にその本数を過少に変遷させている。しかも,原告ら最終準備書面では,「当初は1日1,2本」などと,本人尋問における供述からも更に過少に主張している。もっとも,いずれにせよ,原告X1自身も,喫煙の本数が最初は1日に数本であったとしても,「それがだんだん本数が上がってきた」と供述していることや,上記のとおり,病院で喫煙の本数を申告する際には,その時点の喫煙量を申告するのが通常であると考えられることからすれば,原告X1が主張するように,「1日30本程度の喫煙をしていたのは一時期のみ」であったとは考え難い。
このように,原告X1の本人尋問における供述及び訴訟における態度は,自分の飲酒歴及び喫煙歴について,これを過少に申告しようとする姿勢が顕著であり,かかる原告X1の供述態度に加え,そもそも飲酒歴及び喫煙歴は原告X1の申請疾病である下咽頭がんの重大な危険因子であり,本件訴訟において殊更過少に申告する十分な動機を有していること等に照らすと,原告X1の飲酒歴及び喫煙歴に関する供述は直ちに信用することができず,これに基づく原告X1の上記主張もおよそ採用することができないというべきである。
エ 以上のとおり,原告X1に下咽頭がんの重大な危険因子が存在していることになる。そして,がんが加齢等に伴い一般的に発症し得るものであることは,これまで繰り返し述べたとおりである。このように,がんについて被爆者に特異的に発症するという知見がない以上は,放射線起因性の要件該当性については,一般的な発症リスクを正当に評価した上で,慎重に判断しなければならない。
これを前記第1章第1の2に述べた観点から更にふえんすると,原告X1は「20歳か20歳過ぎくらい」から喫煙を始め,同じく食道がんと診断された平成13年12月の時点で,1日30本の喫煙を40年間続けていた。そして,下咽頭がんは喫煙との因果関係が強く,喫煙者が下咽頭がんにおいて何倍程度(相対リスク)がんのリスクが高くなったのかをみると,30pack-year(箱数×喫煙年数)以上の喫煙で4倍までリスクが上昇することが報告されている。そして,原告X1は1日1.5箱の喫煙を40年継続していたのであるから,60pack-yearもの喫煙量になっており,更にリスクは高かったと考えられる。
また,飲酒も下咽頭がんの重大なリスク因子とされており,こちらも原告X1は20歳の時に上京する以前から飲酒を始め,食道がんと診断された平成13年12月の時点で,ブランデー(ダブル。約60ml)をほぼ毎日2杯ないし3杯摂取していた。1日1.5合以上の飲酒でリスクが8倍になるといわれており,原告X1はアルコール換算で更に多い量を飲んでいたことに照らすと,少なくとも8倍以上のリスクがあったと考えられる。また,喫煙と飲酒の相乗効果によっては30倍ものリスクになるとされている。それと比較すると,1グレイもの高線量の被曝をした時でさえ相対リスクは僅か1.5程度であり,原告X1の飲酒及び喫煙によるリスク上昇と比較してごく僅かにすぎない(原告X1の推定被曝線量は1グレイを大幅に下回ることから,放射線被曝によるリスクはもはや有意なものとは考え難い。)。原告X1の喫煙及び飲酒によるリスクの上昇が30倍程度であることなどからすれば,原告X1の疾病が放射線被曝の影響により発症したものであるとは到底考え難い。
いうまでもないが,被爆者以外の集団においても,特に原因が分からないままに重症の病気が発症するということは,むしろ世上一般的にみられることである。それにもかかわらず,原告らの主張のように,「被爆者」という特殊な事情のみを殊更に重視し,粉塵を吸い込んだなどという,被爆者でありさえすれば例外なく妥当するような事実をもって,安易に被曝による病気であると判断することは許されない。
(7) 共同成因等の主張について
なお,原告X1に固有の主張ではないが,原告らに共通の主張として,「共同成因」等なるものが主張されていることから,便宜,これに対する被告の主張を述べておくことにする。
原告らは,「共同成因」や「促進」なる概念に基づき,特段の事情が認められない限り,放射線は全ての被爆者の発症に促進的に作用していると考えるべきであるなどと主張し,東京高裁平成21年判決を根拠として挙げる。
しかしながら,原告らの上記主張は,被爆者が何らかの疾病を発症したとして原爆症認定申請をすれば,要医療性の要件を満たす限りは常に原爆症認定をすべきというに等しい。かかる解釈は,被爆者援護法10条1項が放射線起因性の要件を設けたことを全く無意味にするものである。
この点,原告らが挙げる東京高裁平成21年判決は,他の発症要因がある場合に,それだけで「放射線起因性」が否定されることにはならないことを注意的に述べた上で,この場合に放射線起因性が認められるためには,「原爆の放射線によって疾病の発症が促進されたと判断される場合」,すなわち,疾病の発症を促進するという形で「原子爆弾の被爆がなければこのような病気にならなかった」という条件関係が必要であると判示しているにすぎない。原告らの上記解釈は,東京高裁平成21年判決の判示を曲解した独自の見解にすぎない。
(8) 原告X1の被曝線量等に照らせば,原告X1が原爆放射線に被曝したことにより,下咽頭がんを発症したことが高度の蓋然性をもって認められるとはいえないこと
原告X1について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X1において,被告が指摘する原告X1の危険因子(性差,加齢,喫煙及び飲酒)の影響を超えて,原告X1の下咽頭がんの発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X1の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(下咽頭がん)と放射線被曝に関する知見の状況及び喫煙,飲酒等の危険因子の状況は以上のとおりであり,これらを総合考慮すれば,原告X1の申請疾病(下咽頭がん)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,喫煙,飲酒等の原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X1の申請疾病(下咽頭がん)については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
2 結論
以上のとおり,原告X1の下咽頭がんは,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たしているとはいえないから,原告X1の原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分が違法であるとする原告X1の主張には理由がない。
第2 原告X2について
1 原告X2の申請疾病である右腎がん(腎細胞がん)が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
(1) 原告X2が「原爆投下から約100時間以内に爆心地から約2km以内に入市した者」に当たるとの主張に理由がないこと
ア 原告X2が長崎原爆の投下当日及び翌日に入市した事実は認められないこと
原告X2に係る昭和32年6月6日付け被爆者健康手帳交付申請書では,原告X2が入市した事実については何ら記載がない。また,平成17年5月26日付け認定申請書添付の「被爆直後の行動(3週間の行動)」では,入市状況として,長崎原爆の投下翌日だけでなく,当日も長崎医科大学附属病院に行った旨記載しており,長崎駅辺りで引き返した事実の記載はない。さらに,平成20年5月15日に発行された機関誌「大友」に掲載された原告X2の手記においては,長崎原爆の投下翌日だけ長崎医科大学附属病院に行った旨記載している。
このように,原告X2が長崎原爆の投下当日と翌日に入市した事実については,原告X2自身の陳述が変遷しており,しかも,その変遷について何ら合理的な理由は見いだせない。したがって,原告X2の入市に関する陳述は信用することができず,原告X2が長崎原爆の投下当日及び翌日に入市した事実を認めることはできない。
イ 雨に打たれたことによる原告X2の放射性降下物による被曝線量は微量にすぎないこと
原告X2は,原爆投下後に雨に打たれたとしているが,かかる主張は,漠然とした抽象的なものであり,これにより一定程度高線量の被曝をしたことになる具体的な根拠も示されていない。
かえって,放射性降下物による被曝線量は,多数の調査研究,原爆投下当時の試料に基づき判定された実測値並びに広島及び長崎の原爆の爆発状況によれば,健康被害の影響という見地からみると,極めて少ない量であることが明らかになっている。
また,爆心地の南南東方向は,原爆投下時の風向きからみて放射性降下物の落下確率が低いと考えられており,実際に南東側の採取地で検出されたプルトニウムの量も,放射性降下物の影響を最も受けたとされている長崎の西山地区に比べて圧倒的に少なかったという結果が出ている。
しかも,放射性降下物が最も強く残留したとされている西山地区の住民を対象とした生物学的線量推定法(染色体異常頻度)による被曝線量の推定値をみても,当該個人の受けた全被曝量は,0.0625グレイという微量であったという結果が得られている。
したがって,放射性降下物が仮に存在していたとしても,原告X2が受けた放射性降下物の被曝線量の程度は極めて微量であったといえる。
ウ 原告X2の推定被曝線量は,全体量としても約0.0003グレイにすぎないこと
原告X2は,昭和20年8月9日に,爆心地から約4kmの地点にある長崎市東小島町の自宅のベランダで直爆を受けたというものである。そうすると,DS02による被曝線量推計計算によれば,原告X2の初期放射線による被曝線量は約0.0003グレイである。これは東京とニューヨークとの間を飛行機で往復した際に受ける被曝線量程度の低線量である。
なお,原告X2が長崎原爆の投下当日及び翌日に入市した事実を認めることはできないから,入市による誘導放射線の被曝線量を考慮する必要はないし,内部被曝による被曝線量も微量である。
(2) 原告X2の身体症状は放射線被曝を原因とする急性症状とはいえないこと
ア 原告X2に紫斑が出現した事実は認められないこと
原告X2は,被爆後,少し紫の斑点が手や脇腹に出たと供述している。
しかしながら,そもそも,昭和32年6月作成の原告X2の原爆被爆者調書票の「皮下に血のはんてんがでた」の欄には何も記載されておらず,原告X2に放射線被曝の影響による紫斑が生じたとは認め難い。
この点について,原告X2は,「血の斑点が紫の斑点なのかということが,その辺がよく分からなかった」ことから,原爆被爆者調書票に記載しなかった旨供述している。しかしながら,原告X2の腕や脇腹に出現したのが放射線被曝の影響により出現した紫斑であれば,その特徴に鑑みて内出血以外によるものと考えることの方が困難である。そうすると,「血のはんてん」かどうか分からなかったという原告X2の上記供述は,原告X2に生じたとされる「紫の斑点」がいわゆる放射線被曝の影響による紫斑ではなかったことと整合するものである。また,仮に原告X2が「紫の斑点」を真に放射線被曝の影響によるものと考えていたのであれば,「皮下に血のはんてんがでた」の欄ではなくとも,原爆被爆者調書票の「その他」の欄に記載するはずであるが,「その他」の欄は空欄になっている。そうすると,「血のはんてん」が「紫の斑点」のこととは分からなかった旨の原告X2の供述をもってしても,原告X2に放射線被曝の影響により紫斑が出現したと認めることはできないというべきである。
イ 原告X2が挙げる各身体症状が出現していたとしても,放射線被曝の影響によるものとは認められないこと
(ア) 原告X2に出現したという下痢については,赤痢や大腸カタルという明確な他原因が認められること
原告X2に出現したという下痢については,昭和32年6月作成の原爆被爆者調書票によれば,原告X2は赤痢や大腸カタルの診断を受けたことが認められるのであるから,放射線被曝の影響によるものと認めることはできない。
(イ) 原告X2の主張する被爆直後に出現した身体症状を全体としてみた場合に,急性放射線症候群の特徴とされる「前駆期」の存在が認められないこと
急性放射線症候群は,① 前駆症状と呼ばれる症状が一過性に発現する「前駆期」(被曝後48時間以内),② 前駆症状が消え無症状となる「潜伏期」(被曝後3日ないし1箇月程度),③ 主症状としての種々の症候群(骨髄障害,皮膚障害,消化管障害等)を発症する「発症期」,④ その後の「回復期」(又は死亡)という時間的経過をたどるという大きな特徴があるところ,原告X2が挙げる身体症状を全体としてみても,症状が出現した時期は「被爆後1週間から10日後」であって,前駆期の存在が認められない。
(ウ) 原告X2の主張する被爆直後に出現した身体症状を個別にみても,それが急性放射線症候群の特徴を有するとはいえないこと
a 下痢
原告X2に出現したという下痢については,昭和32年6月作成の原爆被爆者調書票によれば,原爆投下の7日後に出現し,約1箇月間継続したことが認められるのであるから,被爆後48時間以内に出現し,すぐに潜伏期を迎える前駆症状としての下痢とは考え難い。
また,主症状としての下痢は,6グレイ以上の極めて重症ないし致死的な急性放射線症候群の症状であり,4グレイないし6グレイの被曝による重症の急性放射線症候群であっても出現するのがまれであるというものであって,大量出血を伴う重篤かつ血性の下痢であるという大きな特徴があり,現代の医学水準をもってしても救命可能性はないとされている。そうすると,約1箇月間も継続した原告X2の下痢がこのような主症状としての下痢とも考えられない。
b 脱毛
原告X2に出現したという脱毛については,潜伏期の長さを考えると,原爆投下の7日後に出現した脱毛が急性放射線症候群としての脱毛であれば,被爆後11日以降に脱毛が生じるという7グレイよりも更に高線量の極めて重症ないし致死的な急性放射線症候群となるが,原告X2が,当時,そのような致死的な状況にあったことはうかがわれない。
脱毛の程度も「前の部分はぬけた」という部分脱毛であり,頭髪の一部だけが抜けたり,少量ずつ抜けることはない主症状としての脱毛の特徴と整合しない。
c 紫斑
急性放射線症候群としての紫斑(出血傾向)は,2グレイ程度以上被曝した場合に骨髄が障害され,血小板が一時的に減少することによって生じる症状である。そして,被曝後3週間程度経過した頃から出現し,血小板数の回復に沿って消失するものであり,前駆期や潜伏期に相当する時期に発症することもなければ,出血傾向が長期間継続しないということが極めて大きな特徴である。
しかしながら,原告X2に生じたとする「紫の斑点」については,被爆後どのくらいの日数が経過した後に出現したのか,どの程度の期間出現していたのか,といった詳細が全く不明であり,急性放射線症候群としての紫斑の特徴を有しているとは認められない。
d 口内炎及び喉の痛み
急性放射線症候群としての口腔粘膜障害については,被曝線量に応じて,口腔粘膜に発赤,腫脹,出血,潰瘍及び壊死を生じ,粘膜障害は,頬部,軟口蓋及び舌下部に強く現れる。顔面に5グレイないし10グレイの被曝を受けると,1日目には眼球結膜の充血が出現し,数日後には後部喉頭,咽頭壁や軟口蓋,頬,鼻腔粘膜に浮腫を生じ,痛みを伴う。2日目以降これらの徴候は,歯肉,舌及び軟口蓋へと拡大する。その後に,壊死を生じることがある。10グレイ以下の被曝では,被曝後2週間ないし3週間に粘膜再生が始まる。10グレイないし20グレイの被曝では,口内の痛み,浮腫が早期に出現してやがて広範な粘膜の壊死が起こる。粘膜の再生は遅く,数箇月を要する。局所の出血と共に感染を合併し,白血球の減少がある場合は細菌性副鼻腔炎を合併し重篤化する。
そうすると,原告X2に出現したとする口内炎及び喉の痛みは,原爆投下の1箇月後くらいから出現し,二,三日程度継続し,軽症(少々)であったというのであるから,放射線被曝による急性症状としての口腔粘膜障害の所見とは合致せず,放射線被曝が原因であるとは認められない。
e 吐き気
原告X2に出現したという吐き気は,昭和32年6月作成の原爆被爆者調書票によれば,原爆投下の7日後に出現し,二,三時間継続したこと,程度は少々と軽度であったことが認められる。そうすると,被曝後48時間以内に出現し,すぐに潜伏期を迎える前駆症状としての吐き気とは考え難い。
また,発症期における臨床症状としての嘔吐に準じるものとしても,6グレイ以上の極めて重症ないし致死的な急性放射線症候群のみられる臨床症状とされている。しかしながら,原告X2が,当時,そのような致死的な状況にあったことはうかがわれない。
むしろ,原告X2に生じたという吐き気は,当時の衛生環境や栄養状況,原爆を体験した精神的ストレスによって生じたと考えるのが自然であるばかりか,原告X2が被爆後に赤痢と診断されていることに鑑みても,感染症に対する不快感による吐き気とみるのが,医学的経験則に合致し,自然であるというべきである。
f 発熱
原告X2に出現したという発熱は,昭和32年6月作成の原爆被爆者調書票によれば,原爆投下の7日後に出現し,20日間継続したこと,程度は39℃の高熱であったことが認められる。そうすると,被曝後48時間以内に出現し,すぐに潜伏期を迎える前駆症状としての発熱とは考え難い。
また,発症期における臨床症状としての発熱であるとしても,39℃という高熱であることからすれば,4グレイ以上の重症の急性放射線症候群にみられる臨床症状とされている。しかしながら,原告X2は,少なくとも発熱が生じていた当時は,学校にも通っていたようであり,入院が必要な状況にあったことはうかがわれない。
むしろ,原告X2に生じたという発熱は,当時の衛生環境や栄養状況,原爆を体験した精神的ストレスによって生じたと考えるのが自然であるばかりか,原告X2が被爆後に赤痢と診断されていることに鑑みても,感染症に対する防護反応としての発熱とみるのが,医学的経験則に合致し,自然であるというべきである。
g 肺門リンパ腺炎
原告X2に生じたという肺門リンパ腺炎については,具体的にどのような疾患を指しているのか明らかではない。また,少なくとも,急性放射線症候群として肺門リンパ腺炎が生じるとの医学的知見はない。
h 貧血
放射線被曝による骨髄障害は,確定的影響の一つである。最も感受性が高い組織はリンパ球で,0.5グレイ程度の放射線を受けると,被曝後早期にリンパ球数が低下する。1グレイを超える被曝では,リンパ球以外の白血球,血小板及び赤血球も減少する。
放射線被曝による貧血の機序は,放射線が骨髄に存在する造血組織を害することにより,赤血球が減少して貧血状態になるというものであることから,このような機序に照らしても,被曝後数週間以内に生じるものであって,長期間経過後に発症するものではなく,長期間にわたって継続することも考え難い。
しかるに,原告X2に出現したという貧血は,原告X2の陳述によれば,被爆翌年の3学期頃から指摘を受けるようになり,成人後も継続したというのであるから,上記の放射線被曝による貧血の特徴と整合しない。
i 腰痛
原告X2は,被爆翌年頃から腰などが痛むようになった旨主張するが,急性放射線症候群として腰痛が生じるとの医学的知見はない。
(3) 原告X2の被爆後の健康状態に関する主張が失当であること
原告X2は,被爆後の病歴等を羅列するが,それらの疾病等の罹患が原告X2の腎細胞がんについて放射線起因性が認められることの根拠となる理由について何ら主張,立証がされていないから,原告X2の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(4) 腎細胞がんは,他のがんと比較して,放射線被曝との関連性の程度が低いこと
ア 現在の科学的知見の到達点としてがんと放射線被曝との有意な関連性(相関関係)が認められているのは,0.1グレイないし0.2グレイ以上の放射線被曝の場合であること
原告X2は,腎細胞がんを含む悪性腫瘍が改定後の新審査の方針において積極認定対象疾病とされていることから,原告X2の腎細胞がんについても放射線起因性が認められる旨主張するようである。
しかしながら,① 放射線による健康影響があると科学的な事実として認められている(発がんのリスクが統計学的に有意に上昇する,グラフに直線性がある)のは0.1グレイないし0.2グレイ以上であり,② 0.1グレイを下回る放射線では健康影響がある(グラフに直線性がある)ということはできない,というのが現在の科学的知見の到達点である。しかも,最新のLSS第14報では,健康影響が認められる線量域(有意な関連性が認められる線量域)が0.1グレイではなく0.2グレイに引き上げられている点に着目しなければならない。
イ 腎細胞がんは,他のがんと比較しても,放射線被曝との関連性の程度が低いこと
固形がんのうちの「腎細胞がん」というカテゴリで放射線被曝との関連性をみれば,被曝線量と過剰リスクとの間に量反応関係の存在が示唆されているものの,原告X2が属する0.005グレイ未満集団での放射線被曝における寄与割合は,0.0パーセントである。
また,被曝線量1グレイによる腎細胞がん罹患の過剰相対リスクについても,統計学的に有意な上昇は認められておらず,腎細胞がんについては,放射線被曝のがん罹患リスクに対する影響の有無は,現段階では断定的な結論を下すことは困難であるとされている。
この点,最新のLSS第14報においても,腎実質がん(腎細胞がんは腎実質に生じた悪性腫瘍である。)の過剰相対リスクは0.52とされているものの,その95%信頼区間が0をまたいでいることから,「腎(実質)では有意なリスクの増加は見られなかった。」とされている。
このように,腎細胞がんは,他のがんと比較して,放射線被曝との関連性の程度がそもそも低いことに留意する必要がある。
(5) 原告X2には腎細胞がんの重大な危険因子である性差,加齢,喫煙及び肥満が存在していること
ア 腎細胞がんについては,一般的な医学的知見によれば,罹患率は50歳から70歳まで増加し,男性に多いがんとされており,確立された危険因子としては喫煙と肥満があるほか,種々の要因が危険因子とされているのであるから,当該被爆者の被曝線量の程度や,ほかの要因等にかかわらず,一律に原爆放射線によって発症したものということはできない。
イ 原告X2は男性であり,腎細胞がんと診断されたのは,被爆の59年後である平成16年12月であり,原告X2は好発年齢である71歳である。また,原告X2は,1日40本程度の喫煙を22歳の頃から約10年程度続けていた。さらに,原告X2は,身長166cmであるにもかかわらず,重いときには体重が74.5kg程度あったというのであるから,肥満体型であったといえる。
そうすると,原告X2は,性差や加齢だけでなく,喫煙及び肥満という腎細胞がんの危険因子を複数保有していたといえる。
ウ 原告X2の腎細胞がんについての危険因子の評価について更にふえんすると,原告X2は1日40本程度の喫煙を22歳の頃から約10年程度続けている。そして,喫煙という危険因子を保有している場合,保有しない場合に比べ,腎細胞がんの発症リスクが約2倍程度になるとされている。
また,原告X2は肥満(身長166cm,体重74.5kg,BMI27.0)を有していたこともあるが,肥満は腎細胞がんのリスク上昇因子であり,肥満によって腎細胞がんに罹患するリスクは4倍にもなる。
以上と比較して,放射線被曝によるリスクの上昇について考慮すると,1グレイもの大量の被曝をした場合の全固形がんの相対リスクですら,1.5倍程度である。そして,腎細胞がんは放射線被曝との関連性の程度が低い,つまり,個別のがんごとにみるとリスクの上昇が明らかになっていない程度のものである。そして,原告X2の推定被曝線量は僅か約0.0003グレイにすぎないことからすると,原告X2の受けた放射線被曝による原告X2の腎細胞がん発症のリスクの上昇は,ごく僅かなものであると考えられる。
(6) 原告X2の被曝線量等に照らせば,原告X2が原爆放射線に被曝したことにより,腎細胞がんを発症したことが高度の蓋然性をもって認められるとはいえないこと
原告X2について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X2において,被告が指摘する原告X2の危険因子(性差,加齢,喫煙及び肥満)の影響を超えて,原告X2の腎細胞がんの発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X2の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(腎細胞がん)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢,喫煙等の危険因子の状況は以上のとおりであり,これらを総合考慮すれば,原告X2の申請疾病(腎細胞がん)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,喫煙等の原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X2の申請疾病(腎細胞がん)については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
2 結論
以上のとおり,原告X2の腎細胞がんは,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たしているとはいえないから,原告X2の原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分が違法であるとする原告X2の主張には理由がない。
第3 原告X3について
1 原告X3の申請疾病である右腎がん(腎細胞がん)が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
(1) 「相当量の放射線に被曝している」との主張に理由がないこと
ア 原告X3が昭和20年8月12日から同年10月頃まで爆心地から約1.5kmの地点にあるB12の自宅及び祖父の住む借家に滞在したとは認められないこと
原告X3は,原爆投下の5日後である昭和20年8月12日から同年10月頃まで,爆心地から約1.5km付近にあるB12の自宅及び祖父の住む借家に滞在したとして,改定後の新審査の方針の積極認定対象被爆(「原爆投下から約100時間経過後から,原爆投下から約2週間以内の期間に,爆心地から約2km以内の地点に1週間程度以上滞在した者」)に当たり,相当量の放射線に被曝していると主張するようである。
しかしながら,昭和59年9月8日付け被爆者健康手帳交付申請書には,原告X3がB12の自宅及び祖父の住む借家に滞在したとの記載はない。さらに,C23作成の被爆証明書では,原告X3がB12の自宅に滞在した期間が「1週間程度以上」であるか否かも明らかでないし,B19が作成した陳述書も,本件訴訟に至って初めて提出されたものであることに加え,同陳述書が代筆されたものであることからすれば,その信用性には疑問がある。そもそも,B12の自宅及び祖父の住む借家の正確な場所が何ら特定されていない。その他,原告X3の上記主張に沿う客観的な証拠は見当たらない。そうすると,原告X3が昭和20年8月12日から1週間程度以上,爆心地から2km以内に存在するB12の自宅及び祖父の住む借家にとどまっていたと認めることはできない。
イ 原告X3の推定被曝線量は,全体量としても0.016グレイを下回る程度であること
相当量の放射線に被曝している旨の主張が不明確であり,科学的根拠に基づくものとは考え難いことは,既に述べたとおりである。そして,DS02に基づく最新の研究分析によれば,原告X3の誘導放射線の積算放射線量は,原告X3の主張を前提としても,0.016グレイを大幅に下回る程度にすぎない。なお,上記アの各事実以外の誘導放射線,放射性降下物及び内部被曝による被曝線量も,いずれも微量である。
(2) 原告X3の身体症状は放射線被曝を原因とする急性症状とはいえないこと
原告X3は,被爆直後,1日が長く感じるようになり,夕方になると疲れを感じるようになったと主張するが,原告X3は,そもそも上記事実と放射線起因性との関係すら主張していない。また,上記身体症状が,原告らの理解する「放射線被曝による急性症状」に当たると主張しているのかさえ明らかではない。さらに,原告X3が主張する上記事実は,極めて曖昧かつ主観的なものであり,いかようにも解釈が可能である。もとより,上記身体症状は,IAEA及びWHOが取りまとめた急性放射線症候群としての特徴を備えるものではない。
したがって,いずれの意味においても,原告X3の主張する身体症状が放射線被曝を原因とするものと認めることはできない。
(3) 原告X3が挙げる報告等は原告X3の腎細胞がんの放射線起因性を認める根拠となり得ないこと
ア 現在の科学的知見の到達点としてがんと放射線被曝との有意な関連性(相関関係)が認められているのは,0.1グレイないし0.2グレイ以上の放射線被曝の場合であること,また,腎細胞がんは,他のがんと比較しても,放射線被曝との関連性の程度が低いことは,既に述べたとおりである。
なお,原告X3は,改定後の新審査の方針において,腎細胞がんが積極認定対象疾病とされていることなどから,腎細胞がんに放射線起因性が認められると主張するようである。
しかしながら,再改定後の新審査の方針の策定の際にも,「被爆者救済及び審査の迅速化の観点から,現在の科学的知見として放射線被曝による健康影響を肯定できる範囲に加え,放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかでない範囲」をも含めることとして,再改定後の新審査の方針として成立させている。改定後の新審査の方針については,積極認定対象疾病であっても,カテゴリ中の各疾病を個別に厳密にみると必ずしも放射線による健康影響を認めるだけの科学的知見が存するとはいえない疾病が含まれている。したがって,積極認定対象疾病が,全て網羅的に現在の科学的知見として放射線被曝による健康影響を肯定することのできる疾病であるというものではないから,原告X3の上記主張は失当である。
イ また,原告X3が放射線起因性の根拠として挙げる報告等を個別にみても,腎細胞がんが放射線の影響で生じることの根拠とすることはできない。
(ア) プレストンら第2報告
原告X3は,プレストンら第2報告の記載をもって,腎臓がんの放射線起因性を事実上認めていると主張する。
しかしながら,プレストンら第2報告を子細にみれば,腎臓がんと放射線被曝との間に有意な関連性を認めるものではなく,プレストンら第2報告では,調査結果としては,膵臓がん,前立腺がん及び腎臓がんについては統計学的に有意な線量反応関係は認められなかったというものしか得られていない。原告X3の指摘部分は,飽くまで,腎臓がん等について「有意な線量反応関係が認められたと仮定した場合」に過剰相対リスクが全固形がんを一つのグループとしたときのものと一致するという,仮定に基づく傾向を記載したものにすぎない。なお,プレストンら第2報告の5年後に論文掲載された,LSS第14報においても,「腎(実質)では有意なリスクの増加は見られなかった。」という結果が得られている。
(イ) 平成20年放影研要覧
原告X3は,平成20年放影研要覧が,被爆者のデータは,放射線が事実上全ての部位におけるがんの過剰リスクを増加させるという見解と合致していると総括していることをもって,腎臓がんの放射線起因性の根拠として主張するようである。
しかしながら,原告X3が指摘する平成20年放影研要覧の上記記載部分の基となっているのは,上記(ア)で挙げたプレストンら第2報告であり,上記(ア)において述べたことと同様のことが当てはまる。
(4) 多重がんであることは原告X3の腎細胞がんにつき放射線起因性を認める根拠とはならないこと
原告X1に関して述べたとおり,多重がんは放射線被曝者に特異的な疾病ではなく,多重がんを発症したことそれ自体が放射線被曝によるものとする根拠はない。
(5) 原告X3には腎細胞がんの重大な危険因子である性差,加齢,高血圧,肥満及び喫煙が存在していること
ア 腎細胞がんの罹患率は50歳から70歳まで増加し,男性に多いがんとされており,確立された危険因子としては喫煙,肥満のほか,高血圧など種々の要因が危険因子とされている。
イ 原告X3は男性であり,腎細胞がんと診断されたのは,原告X3が80歳の時である。また,原告X3は,平成15年4月からは日本赤十字社医療センターにおいて高血圧の診療を受けており,降圧剤を服用していた。さらに,原告X3は,平成8年当時,肥満傾向にあった。なお,原告X3には喫煙歴もある。
そうすると,原告X3は,性差や加齢だけでなく,高血圧,肥満及び喫煙という腎細胞がんの危険因子を複数保有していたといえる。
ウ 原告X3の危険因子の評価について更にふえんすると,原告X3には喫煙歴がある。そして,喫煙という危険因子を保有している場合,保有しない場合に比べ,腎細胞がんの発症リスクが約2倍程度とされている。
また,原告X3は平成8年当時,身長164cmで体重74.5kg,BMI27.7と肥満傾向にあった。そして,肥満は腎細胞がんのリスク因子であり,肥満によって腎細胞がんに罹患しやすくなるリスクは4倍にもなる。
さらに,原告X3は平成15年4月からは日本赤十字社医療センターにおいて高血圧の診療を受けており,降圧剤を服用していた。高血圧も腎細胞がんの発症リスクを上げるものであり,リスクが約2倍になるといわれている。
それと比較して,放射線被曝によるリスクの上昇について考慮すると,1グレイもの大量の被曝をした場合の全固形がんの相対リスクですら,1.5倍程度である。そして,腎細胞がんは放射線被曝との関連性の程度が低い,つまり,個別のがんごとにみるとリスクの上昇が明らかになっていない程度のものである。この点,原告X3の推定被曝線量は僅か0.016グレイを下回る程度にすぎないことからすると,原告X3の受けた放射線被曝による原告X3の腎細胞がん発症のリスクの上昇は,ごく僅かなものであると考えられる。
(6) 原告X3の被曝線量等に照らせば,原告X3が原爆放射線に被曝したことにより,腎細胞がんを発症したことが高度の蓋然性をもって認められるとはいえないこと
原告X3について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X3において,被告が指摘する危険因子(性差,加齢,高血圧(降圧剤服用),肥満及び喫煙)の影響を超えて,原告X3の腎細胞がんの発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X3の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(腎細胞がん)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢,高血圧等の危険因子の状況は以上のとおりであり,これらを総合考慮すれば,原告X3の申請疾病(腎細胞がん)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,高血圧等の原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X3の申請疾病(腎細胞がん)については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
2 結論
以上のとおり,原告X3の腎細胞がんは,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たしているとはいえないから,原告X3の原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分が違法であるとする原告X3の主張には理由がない。
第4 原告X4について
1 原告X4の申請疾病である胃がんが原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
(1) 相当量の放射線に被曝しているとの主張に理由がないこと(原告X4の推定被曝線量は,全体量としても約0.0007グレイにすぎないこと)
ア 相当量の放射線に被曝している旨の主張が不明確であり,科学的根拠に基づくものとは考え難いことは,既に述べたとおりである。そして,原告X4は,昭和20年8月9日に,爆心地から約3.6kmの地点にある長崎市矢ノ平町の自宅庭の簡易防空壕内で直爆を受けたというものである。そうすると,DS02による被曝線量推計計算によれば,原告X4の初期放射線による被曝線量は約0.0007グレイである。これは日本において一人当たりが年間に受ける自然放射線による被曝線量(0.0021グレイ)の3分の1程度の低線量である。
イ なお,原告X4は,黒い雨に全身を打たれたとして,放射性降下物による外部被曝によって相当量の放射線に被曝した旨主張するようである。
しかしながら,かかる主張は,漠然とした抽象的なものであり,これにより一定程度高線量の被曝をしたことになる具体的な根拠も示されていない。かえって,広島及び長崎の原爆から放出され,地上に降り注いだ放射性降下物による被曝線量は,多数の調査研究,原爆投下当時の試料に基づき判定された実測値並びに広島及び長崎の原爆の爆発状況によれば,健康被害の影響という見地からみると,極めて少ない量であることが明らかになっている。
また,原告X4の自宅のあった爆心地の南東方向は,原爆投下時の風向きからみて放射性降下物の落下確率が低いと考えられており,実際に南東側の採取地で検出されたプルトニウムの量も,放射性降下物の影響を最も受けたとされている長崎の西山地区に比べて圧倒的に少なかったという結果が出ている。
しかも,放射性降下物が最も強く残留したとされている西山地区の住民を対象とした生物学的線量推定法(染色体異常頻度)による被曝線量の推定値をみても,当該個人の受けた全被曝量,すなわち,初期放射線に限らず,誘導放射線や放射性降下物(いわゆる黒い雨を含む。)といった原爆放射線による被曝だけでなく,自然放射線や医療用放射線による被曝も全て含まれた包括的な線量推計として得られた値であるにもかかわらず,0.0625グレイという微量であったという結果が得られている。
したがって,放射性降下物が仮に存在していたとしても,原告X4が受けた放射性降下物の被曝線量の程度は極めて微量であったといわざるを得ない。
(2) 原告X4に下痢が出現したとは認められないし,仮にこれが認められるとしても,放射線被曝による急性症状の特徴を有するとはいえないこと
ア 原告X4が主張する被爆直後の身体症状について
原告X4は,被爆の1週間後くらいから,激しい水様便の下痢が出現し,約2週間続いたことから,原告X4が相当量の放射線に被曝していると主張するようである。
原告X4の下痢が出現した旨の主張は,原告らの理解する「放射線被曝による急性症状」の具体的内容(特徴)についてこれまで全く明らかにされていないことから,原告X4に出現したという下痢の症状が放射線被曝によって生じたものであるか否かを判別することはそもそも不可能なはずである。したがって,このような身体症状の存在をもって,原告X4が高線量の放射線に被曝したことの根拠として用いることは許されない。
イ 原告X4に下痢が出現した事実は認められないこと
原告X4は,被爆後に出現したという下痢について,平成20年3月3日付け認定申請書では,「下痢が何日間か続いた」という抽象的なものであったが,平成22年8月11日付け異議申立書では,原爆投下の1週間後くらいから水様の激しい下痢に見舞われ,それが2週間くらい続いた旨を述べ,陳述書では,「原爆投下のすぐあと翌日くらいから10日間くらいにわたり,激しい下痢に見舞われました(水様便)。」と述べる。これらの記載においては,特に後二者において,出現時期や継続期間の点で明らかに齟齬が生じている。原告X4については,法廷における本人尋問が実施されていないことから,その陳述の信用性については,慎重に判断されるべきであり,上記のような陳述の変遷について,何ら合理的な説明はされていないのであるから,下痢の存在自体が疑わしいといわざるを得ない。
ウ 原告X4に下痢が出現していたとしても,急性放射線症候群の特徴を有しているとはいえないこと
原告X4が挙げる身体症状(下痢)を全体としてみても,原告X4が主張する下痢の出現時期は,「被爆の1週間後」というのであるから,前駆症状としての下痢とも,主症状としての下痢とも考えられない。
むしろ,原爆投下当時は,劣悪な衛生環境及び栄養状態にあったことなど,下痢が発現しやすい状況下にあったといえる。原告X4も,戦時下の逼迫した食料状況の下,恒常的な栄養不良状態が継続していたことがうかがわれるし,原爆の体験による極度の精神的ストレス,原爆投下後の極度の不衛生環境等を考慮すると,下痢の症状が生じたとしても不自然ではなく,それが放射線被曝以外の原因によることも十分考えられる。そして,原告X4の主張する下痢の症状は,放射線被曝に関わりのない一般的な下痢の症状と全く異なるところがない。
以上によれば,仮に原告X4に下痢が生じていたとしても,放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)であるとはいえない。
エ 血の膿について
原告X4は,従前の主張では明確ではなかったが,原告ら最終準備書面に至って,原爆の約1年後には,右足のすねに出来物ができ,血の膿が出て,この跡は今でも残っているなどとして,被爆後に血の膿が出現したことも,放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)の一つとして主張するようである。
しかしながら,原告X4は,血の膿について,当初は何も述べておらず,陳述書において初めて血の膿の出現について言及している。陳述の経緯として不自然といわざるを得ない。したがって,被爆後に血の膿が出現した事実自体を認めることができない。
また,仮に原告X4の上記主張を前提としたとしても,放射線被曝後,1年後に血の膿が出るという身体症状を引き起こすという科学的知見はない。
以上によれば,原告X4に生じたとする身体症状は急性放射線症候群とみることはできない。
(3) 原告X4の被爆後の健康状態に関する主張が失当であること
原告X4は,原告X4の被爆後の病歴等を羅列するが,それらの疾病等の罹患が原告X4の胃がんについて放射線起因性が認められることの根拠となる理由について何ら主張,立証がされていないから,原告X4の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(4) 原告X4が若年被爆者である旨の主張は放射線起因性を認める根拠となり得ないこと
原告X4は,LSS第14報が,全固形がんにおける被曝による過剰がん症例数が線形線量反応関係を示し,生涯を通して増加し続けていることを報告し,特に被爆時年齢10歳未満の群でのリスクの増加を強調しているとして,原告X4が被爆時8歳で,若年被爆者であったことから,原告X4の胃がんに放射線起因性が認められると主張する。
しかしながら,LSS第14報を考慮しても,被爆時年齢が下がるほどにリスクが高いか否かはがん部位によっては明らかではないというのが現在の統計学的な知見における到達点なのである。したがって,全固形がんについて被爆時年齢が増加するごとにリスクが有意に減少したとの結果が得られたとしても,原告X4の申請疾病である胃がんという特定のがん部位について,これが直ちに当てはまるものとはいえず,若年時に被爆したことをもってリスクが高いとする原告X4の主張には理由がない。
また,仮に原告X4が主張するように,LSS第14報に基づいて,被爆時年齢0歳とした過剰相対リスクを推計すると,原告X4の推定被曝線量に基づく,被爆時年齢30歳の場合のLNTモデルにより推計した固形がんの過剰相対リスクは0.000329程度である。そうすると,被爆時年齢を0歳と仮定しても,被爆時年齢を加味した過剰相対リスクは0.000919程度にすぎない。
よって,原告X4は若年被爆者であるが,そのことは原告X4の放射線起因性を認める根拠となり得ない。
(5) 原告X4が挙げる報告等は胃がんの放射線起因性を認める根拠となり得ないこと
原告X4は,放影研の疫学調査において,胃がんについては早くから有意な増加が認められ,放影研の寿命調査(LSS)においても,最新のLSS第14報に至るまで一貫して放射線起因性が指摘されており,最新のLSS第14報では,全固形がんにおける被爆による過剰がん症例数が線形線量反応関係を示し,生涯を通して増加し続けていることを報告していることから,原告X4の申請疾病(胃がん)につき放射線起因性が認められる旨主張しているようである。
しかしながら,最新のUNSCEAR2010年報告書や最新のLSS第14報によれば,① 放射線による健康影響があると科学的な事実として認められている(発がんのリスクが統計学的に有意に上昇する,グラフに直線性がある)のは,0.1グレイないし0.2グレイ以上であり,② 0.1グレイを下回る放射線では健康影響がある(グラフに直線性がある)とはいえないというのが現在の科学的知見の到達点である。しかも,最新のLSS第14報では,健康影響が認められる線量域(有意な関連性が認められる線量域)が0.1グレイではなく0.2グレイに引き上げられている点に着目しなければならない。
したがって,LSS第14報を根拠として原告X4の胃がんの放射線起因性が認められるとすることはできない。
(6) 原告X4には胃がんの重大な危険因子である加齢及びヘリコバクター・ピロリの感染が存在している可能性は否定することができないこと
ア 胃がんについては,一般的な医学的知見によれば,ヘリコバクター・ピロリの感染等の種々の要因の下で発症し得るものであるから,当該被爆者の被曝線量の程度や,ほかの要因等にかかわらず,一律に原爆放射線によって発症したものということはできない。
イ これを原告X4についてみると,原告X4が胃がんと診断されたのは,被爆の62年後である平成19年12月27日であり,原告X4は胃がんの好発年齢である70歳である。また,原告X4は,ヘリコバクター・ピロリが原因となる十二指腸潰瘍を既往に持つのであるから,ヘリコバクター・ピロリに感染していたことを疑うことが十分に可能である。原告X4に対して行われている検査からも,ヘリコバクター・ピロリの存在を否定し切れるものではない。そうすると,原告X4の胃がんもヘリコバクター・ピロリの感染が一因となって発症した可能性は十分考えることができる。
ウ 原告X4の危険因子の評価について更にふえんすると,胃がんは悪性腫瘍の死亡の第2位を占める極めて一般的な病気である。
また,日本人のヘリコバクター・ピロリの感染率は,先進国の中では際だって高率であり,世代別では,上下水道などの衛生環境が十分に整っていない時代に生まれ育った人ほど感染率が高く,50歳代以上では80%程度である。そうすると,原告X4がヘリコバクター・ピロリに感染していた可能性は非常に高いと考えられる。そして,ヘリコバクター・ピロリの陽性者では,胃がんのリスクが5倍となるといわれている。
さらに,胃がんは60歳を超えると急速に発生が増加する。
これに対し,被曝によるがんのリスクの上昇は固形がん全体でみて1グレイもの線量被曝をした場合でも相対リスクは1.5にすぎない。そして,原告X4の推定被曝線量は約0.0007グレイにすぎないことからすると,原告X4の受けた放射線被曝による原告X4の胃がん発症のリスクの上昇は,ごく僅かなものであると考えられる。
(7) 原告X4の被曝線量等に照らせば,原告X4が原爆放射線に被曝したことにより,胃がんを発症したことが高度の蓋然性をもって認められるとはいえないこと
原告X4について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X4において,被告が指摘する原告X4の危険因子(加齢及びヘリコバクター・ピロリの感染)の影響を超えて,原告X4の胃がんの発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X4の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(胃がん)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢等の危険因子の状況は以上のとおりであり,これらを総合考慮すれば,原告X4の申請疾病(胃がん)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,ヘリコバクター・ピロリの感染などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X4の申請疾病(胃がん)については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
2 結論
以上のとおり,原告X4の胃がんは,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たしているとはいえないから,原告X4の原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分が違法であるとする原告X4の主張には理由がない。
第5 X5について
1 X5に生じた皮膚潰瘍が,乳がんの手術又は放射線治療の結果生じた「左乳がん術後皮膚潰瘍」であることを認めるに足りる証拠がないこと(放射線起因性が認められないこと)
原爆症認定を受けることは,被爆者援護法が定める各種手当の中でも格段に手厚い援護措置である「医療特別手当及び特別手当の支給を受けるための前提要件」であるから,申請者が原爆放射線に起因して負傷又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にあることについては,客観的に証明する必要がある。そこで,被爆者援護法11条1項による処分行政庁の認定を受けようとする者は,認定申請書に,当該申請書に記載された負傷又は疾病についての医師の意見書及び当該負傷又は疾病に係る検査成績を記載した書類を添付し,その居住地の都道府県知事を経由して,これを処分行政庁に提出するものとされている(被爆者援護法施行令8条,被爆者援護法施行規則12条)。
これをX5の左乳がん術後皮膚潰瘍についてみると,平成20年8月27日付け認定申請書添付の四ツ木診療所医師のC13の意見書によれば,C13自身はX5の乳房切除術の執刀医ではなく,X5が乳房切除術を受けた当時の診療録も焼却されて存在していない。また,同申請書添付の南郷外科・整形外科医院医師のC14の診断書には,X5について,「昭和59年 乳房切除術および術後放射線療法を施行された」との記載はあるものの,他方で,南郷外科・整形外科医院の診療録には,X5から「乳癌が原爆に関連して発生したと証明できないか」との質問があり,これに対してC14は,「しかし,難しいのではなかろうか。」と回答したこと,その際,X5自身が「radiation(放射線治療を指す。)40回した」と述べていたことが記載されている。
以上の事実に照らせば,結局,上記C13の意見書も,上記C14の診断書も,X5自身による,昭和59年に乳がんを発症して乳房切除術を受けた旨の説明や,術後に放射線療法を受けた結果として皮膚潰瘍が生じた旨の説明に基づいて作成されたものにすぎないといえる。そうすると,X5の原爆症認定申請に関しては,X5の説明に基づいて作成された同意見書及び同診断書以外には,X5が乳がんを発症し,乳房切除術後に放射線治療を受け,これによって皮膚潰瘍が生じたことを裏付ける直接的かつ客観的な証拠は何ら提出されていないといわざるを得ない。
したがって,X5の左胸部に皮膚潰瘍が生じたこと自体は認められるとしても,更に上記皮膚潰瘍が乳がんの手術又は放射線治療の結果生じた「左乳がん術後皮膚潰瘍」であることを認めることはできない。よって,X5の申請疾病である左乳がん術後皮膚潰瘍が被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすとはいえない。
2 X5の申請疾病(左乳がん術後皮膚潰瘍)には要医療性も認められないこと
(1) 乳がんの再発,転移等による要医療性
被爆者援護法10条1項の「現に医療を要する状態にある」にいう「医療」とは,「認定に係る負傷又は疾病」について医療効果の向上を図るべく,医師による継続的な医学的管理の下に,必要かつ適切な内容において行われる範囲の医療をいうものと解するのが相当であって,経過観察をしているにすぎない場合などについて,医療の給付を目的とする原爆症認定をすることは,被爆者援護法上予定されていないというほかない。仮に再発や増悪があった場合には,その時点における新たな申請に基づき原爆症認定がされることとなる。
この点,X5は,その主張を前提にしても,昭和59年に乳がん摘出手術を受け,術後に放射線治療を受けたものである。そして,乳がんの手術後に年に頻回の検査が必要となるのはおおむね5年程度とされており,手術後6年目以降の推奨検診頻度は年1回とされている。
しかるに,X5が原爆症認定申請をしたのは,手術から約24年が経過した平成20年8月末(認定申請書の受付は同月29日)である。その際提出された上記C13の意見書及び上記C14の診断書をみても,がんの再発及び転移に関する記載はなく,化学療法等の特別な治療を行っている旨の記載も見当たらない。X5自身も,乳がんの再発,転移等については何も述べていない。
したがって,乳がんそのものについて要医療性があるとはいえない。
(2) 皮膚潰瘍による要医療性について
上記C14の診断書には,「平成19年12月より手術部に皮膚潰瘍を形成し」「現在創は閉鎖し小康状態であるが,今後再発の可能性が残っている。継続した経過観察と再発時の治療を要す見込みである」と記載されている。また,平成20年7月16日の診療録をみても,皮膚潰瘍の状態に関する記載はなく,治療が行われた形跡も見当たらない。以上によれば,少なくとも原爆症認定申請(平成20年8月)の時点においては,X5には,「現に医療を要する状態にある」皮膚潰瘍は存在しておらず,せいぜい経過観察が行われていたにすぎないといえる。
なお,C14の平成22年4月24日付け意見書には,「平成20年9月5日,乳癌術後皮膚瘢痕部に1cm大の不正円形皮膚潰瘍が生じ,」「平成20年12月3日まで治療した。」旨の記載があり,診療録にも,潰瘍に対する処置や投薬の記載はあるが,X5の診療録に記載された治療内容をみると,内服薬の処方としては,平成19年12月26日と平成20年9月5日の2回,抗菌薬(フロモックス)が5日分ないし7日分処方されただけであり,しかも,いずれもその後の継続的な処方はされていない。また,診察の際の処置としても,X5自身も行うことができる程度の消毒成分を含む軟膏(イソジンゲル)を塗布する処置が行われたにすぎない。これらの事情からすれば,X5の皮膚潰瘍が,原爆症認定申請時点において,医師による継続的な医学的管理の下に,必要かつ適切な内容において行われる範囲の医療を現に要する状態にあるとはいえないというべきである。
以上によれば,皮膚潰瘍についても,要医療性の要件を満たすとはいえない。
3 結論
以上のとおり,X5の左乳がん術後皮膚潰瘍は,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件も要医療性の要件も満たしているとはいえないから,X5の原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分が違法であるとする原告X5承継人らの主張には理由がない。
第6 X9について
1 X9の申請疾病である膀胱がんが原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
(1) 被爆態様に関する原告X9承継人の主張が認められないこと
ア X9が直爆を受けた「暁二九五三部隊」の練兵場が,爆心地から約3.5kmの地点であると認めることはできないこと
(ア) 「暁二九五三部隊」の練兵場等が,爆心地から約3.5kmの「広島高校と宇品駅のおよそ中間地点に位置」していたとは認められないこと
原告X9承継人は,X9が,昭和20年8月6日,広島高校と宇品駅のおよそ中間地点,すなわち,爆心地から約3.5kmの地点にある「暁二九五三部隊」の練兵場の屋外東側で被爆したと主張するが,同地点に「暁二九五三部隊」の練兵場が存在したことを証する客観的な証拠はない。
ここで,「暁二九五三部隊」とされているのは,正しくは「船舶砲兵第一連隊」のことを指す名称である。同部隊は,昭和16年7月26日に「軍令陸甲第四二号により船舶高射砲連隊」として編成下令,同年8月5日に編成完結し,昭和17年7月7日に「軍令陸甲第九七号により編成改正下令」,同月31日に編成完結し,同日,船舶高射砲連隊から船舶砲兵第一連隊へ改称した。その後,昭和20年3月17日に「軍令陸甲第五二号により編成改正下令」,同月20日に「福山において編成改正完結」となり,同年8月15日に「福山において停戦」として,そのまま終戦を迎えている。「暁二九五三部隊」は,昭和20年8月6日当時,宇品地区に所在した陸軍部隊集団には含まれていない。この点,X9は,昭和17年12月まで天皇を守る部隊として半年ほど皇居などで勤務した後,「船舶砲兵第三部隊(暁2953部隊)という新しい部隊が編成されるということで,近衛歩兵部隊から30名ほど広島の部隊に転属とされ」たと述べている。しかしながら,上記のとおり,「暁二九五三部隊」は,「船舶砲兵第三部隊」を指す名称ではないし,その編成時期についても,昭和17年12月以降に初めて編成されたものではなく,同月頃に編成改正がされたとの記録もない。
また,X9は,X9が被爆した地点付近には,練兵場のほか,本部や兵舎,兵器庫,弾薬庫等の施設があったと述べているほか,原爆投下された時に部隊本部に残っていた者の中には,兵舎のガラスの破片や落下物で負傷者が多数いたとして,X9が被爆した地点には練兵場のほかに「部隊本部」すなわち暁二九五三部隊の本部があったと述べるようである。これによれば,X9の所属部隊は,X9が被爆した地点付近に,ある程度の規模で駐留していたと推測されるが,「在広主要部隊配置図」にも「広島高校と宇品駅のおよそ中間地点」付近に同部隊に係る記録はないし,上記のとおり,「福山において編成改正完結」となり,そのまま終戦を迎えた部隊の「本部」が,広島市内にあったとは考え難い。
さらに,「部隊」の被災状況についてみても,X9は,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書において「三,四日で倒れた兵舎も修復でき起居できる状態になった 勤務は通常と変わりなく続いた」と記載している。また,X9は,本人尋問において「己斐の翌日(昭和20年8月8日を指す。)は兵舎や,それから私が関係している兵器庫がどんな状態かわからないので,一応見て回りました。異常がなかったような記憶です。ただ,兵舎の中には屋根がめくれたり,あるいは建物が全壊というわけじゃありませんけど,半分ぐらい損壊している兵舎もありました。」と供述している。これらを前提とすれば,X9が被爆した「部隊」では建物が全壊するようなことはなく,被害は一部半壊程度のものがみられたものの,全体としては比較的軽度にとどまっていたことがうかがえる。この点,広島市において半壊又は半焼以上の被害を受けた建物の割合は,爆心地から3.5kmの地点では76.9%,爆心地から4.5kmの地点では60.0%,爆心地から5kmの地点では17.6%とされている。そうすると,X9が供述する上記のような「部隊」の被災状況によれば,「部隊」の建物の約8割が半壊以上の損傷を受けたとは認められないから,「部隊」は,爆心地から3.5kmの地点にあったとは考え難い。
以上によれば,「暁二九五三部隊」の練兵場等が「広島高校と宇品駅のおよそ中間地点」に位置していたとは認められない。
(イ) X9は,爆心地から約4.79kmの地点にある「陸軍船舶司令部」で被爆したと認められること
むしろ,この当時,宇品地区に所在した部隊として「陸軍船舶司令部」があるが,その所在地は,広島市作成の「広島原爆戦災誌 第1編 総説」の地図によれば,現在の広島市宇品海岸付近であり,X9の主張する「広島高校と宇品駅のおよそ中間地点」ではない。この「陸軍船舶司令部」は通称「暁部隊」と呼ばれており,X9が陳述する「暁二九五三部隊」と一部名称が共通しており,X9において記憶に混同を来していたか,あるいは,仮に「船舶砲兵第三部隊(暁二九五三部隊)」なる部隊が実在したとしても,この「暁部隊」(陸軍船舶司令部)の隷下に属していたとも考えられる。それらのいずれにせよ,X9が所属していた部隊の練兵場等一連の施設は陸軍船舶司令部内に存在したと認めるのが合理的である。
そして,以上を裏付けるように,X9が原爆投下前後の情景を描いたものとして広島平和記念資料館のホームページ上で公開されている複数の絵の説明書きによれば,X9が被爆した地点は,爆心地から「4790」メートルの地点にある「陸軍船舶司令部」であり,その所在地は,現在の「宇品海岸三丁目」と明記されている。また,同じくX9が描いたものとして広島平和記念資料館のホームページ上で公開されている絵のうち,入市状況を描いた絵の裏側にX9自身が記載したとされる説明書きには,「一九四五(昭和二十年)八月七日午前九時頃 中隊長の後を自転車で被爆で焼野原となった道を行く。」「破片が散乱した道を走ってきたがパンク。三キロ余りの道を自転車を押しながら部隊へ帰る。」「(爆心地より約二キロの地点 御幸橋附近)平成十四年六月二十一日描」と記載されている。この記載によれば,X9は,昭和20年8月7日,御幸橋付近で自転車のタイヤがパンクして「部隊」へ引き返したこと,引き返した地点から「部隊」まで約3kmの距離があったことが認められる。このような記載は,御幸橋付近からの距離という点では,X9が被爆したとされる「部隊」(「暁二九五三部隊」の一連の施設)が,「広島高校と宇品駅のおよそ中間地点」であることとは整合せず,船舶司令部(現在の広島市宇品海岸3丁目)であることと整合する。爆心地からの距離が約4.79kmであることは,上記(ア)で述べた広島市における建物の損壊状況と爆心地からの距離との関係とも整合するものといえる。
以上によれば,X9は,爆心地から約4.79kmの地点にある陸軍船舶司令部で被爆したものと認められる。
(ウ) 被爆地点に係るX9の陳述の変遷をみても,X9が爆心地から約3.5kmの地点である広島高校と宇品駅のおよそ中間地点で被爆したとの陳述を信用することはできないこと
a X9の被爆地点に係る陳述については,暁二九五三部隊の練兵場で朝礼中に被爆したとの点では一貫しているものの,爆心地から被爆地点までの距離,すなわち,同練兵場の所在については,時の経過にもかかわらず,陳述内容が次第に具体的になっており,かかる変遷について何ら合理的な説明はされていない。
b また,X9の被爆地点に係る陳述の変遷を具体的にみると,X9は,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書には,「広島市宇品町」に所在する「暁二九五三部隊」の「部隊練兵場」で被爆したとのみ記載して,広島市宇品町以下の住所や爆心地からの距離は記載していなかった。そして,X9は,爆心地から4kmの地点で被爆したと記載された被爆者健康手帳の交付を受けた。
また,X9は,その後の平成22年6月26日付け認定申請書添付の申述書においても,「私は朝礼の最中,部隊の練兵場で被爆しました被爆者健康手帳に記載された被爆距離は4.0kmです。」として,爆心地から4kmの地点で被爆したことを前提とした記載をしていた。
しかしながら,X9は,平成23年10月3日付け異議申立書では,陳述書添付の図面と同一の図面を添付し,被爆した地点は,爆心地から3.3kmないし4km以内の地点にある同図面の青色で囲んだ部分であるとした。
そして,陳述書では,被爆した地点は爆心地から約3.5km以内の地点にある上記青色で囲んだ部分であると述べるに至った。
c このような経過によれば,① X9が,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書には,被爆した地点の所在を「広島市宇品町」としか記載していなかったこと,② 爆心地から4kmの地点で被爆したとする被爆者健康手帳を何ら異議なく受領していたこと,③ 平成22年6月26日付け申請書添付の申述書に同手帳の記載を前提とした記載をしていたことが認められる。そして,これに加え,④ X9の本籍地は東京都,原爆投下時の家族の住所地が栃木県とされており,X9の陳述を前提としても,X9は,昭和20年4月に広島勤務となるまでは広島市と関わりがあったとは認められないこと,⑤ X9が,本人尋問において「私は暁2953部隊に転属になったときに,1日休暇がありまして,その休暇のときに広島の市内のことを知りたいと思って地図を探したんです。ところが,どこの本屋に行っても地図がなくて,それで後になって考えてみたら,防諜上の関係で地図は売ってなかったんじゃないかというふうな考えでしたけども,日赤がそこにあるなんてことは全く知らなかったんです。」などとして,昭和20年8月7日の時点において,広島市の地理に明るくなかったと供述していることからすれば,少なくとも同申述書を作成した平成22年6月26日頃までは,X9は,自らが被爆した地点として主張する暁二九五三部隊の練兵場が具体的に宇品地区におけるどの地点に位置していたかを正確に認識していなかったものと考えるのが合理的である。
これに対し,その後,X9が,平成23年10月3日付け異議申立書及び陳述書において,X9が被爆した地点は,X9に係る陳述書添付の図面の青色で囲んだ部分であるとして,その具体的な位置を述べるに至ったことについては,一般に,記憶が時の経過に伴って薄れていくものであることからすれば,被爆後約66年が経過した後に陳述が具体的になるというのは不自然かつ不合理であるといわざるを得ない。しかも,新審査の方針が,X9の申請疾病である膀胱がんを含む悪性腫瘍について,新たに「被爆地点が約3.5km以内である者」について積極認定の範囲とする旨の方針を示したことと軌を一にするかのように陳述を変遷させていることからすれば,自ら積極認定の範囲に含まれるように恣意的に陳述を変遷させたと解したとしても何ら不合理ではないというべきである。
d 以上によれば,爆心地から約3.5kmの地点にある広島高校と宇品駅のおよそ中間地点(陳述書添付図面の青色で囲んだ部分)で被爆したとするX9の陳述に合理性はない。かえって,X9の供述によれば,X9は自らが被爆した地点の正確な位置を把握していなかったと考えるのが合理的である。
(エ) 小括
以上のとおり,X9が爆心地から約3.5kmの地点である,広島高校と宇品駅のおよそ中間地点において被爆したと認めることはできない。むしろ,X9は,爆心地から約4.79kmの地点にある陸軍船舶司令部で被爆したというべきである。
イ X9が,広島原爆の投下翌日に爆心地から約1.5kmの地点である広島日赤病院まで入市した事実は認められないこと
(ア) X9の供述を前提としても,X9が広島日赤病院付近まで入市した事実は認められないこと
a X9は,昭和20年8月7日に上司の中隊長の命令に従って御幸橋を渡ってから市電の線路沿いに自転車で5分ないし10分,更には徒歩で10分ないし15分ほど爆心地方面に向かい,爆心地から約1.5kmの地点である広島日赤病院の付近まで入市したと主張するところ,このようなX9の主張する入市状況は,X9の本人尋問の結果を根拠とするもののようである。
しかしながら,本人尋問においても,X9は,どこまで入市したかという点については,「周りがとにかくがれきでもって,ほとんど見通しというか目標になるものがありませんので,はっきり分かりません。」「とにかく周りがそんな状態ですから,はっきりしたところは,住所も何も私はその当時,分かりませんでした。」として,どこまで入市したか分からないことを明確に繰り返し述べている。
したがって,このようなX9の本人尋問の結果をもってさえ,X9が爆心地から約1.5kmの地点である広島日赤病院の辺りまで入市したなどと入市地点を特定することはできない。
b この点,X9は,平成22年6月26日付け認定申請書添付の申述書において,広島日赤病院付近まで入市したと記載していた。
しかしながら,X9は,本人尋問において,上記申述書の記載について,少なくとも入市した地点に病院の建物があったという記憶があるのかと問われたのに対し,「その当時は頭が真っ白で,とにかくもう何が起こったんだというような考えが頭にありまして,周りの状況はほとんど分からなかったです。」として,同記載は,広島日赤病院付近まで入市したとの自己の記憶に基づいて記載したものではないことを認めている。また,上記aで述べたとおり,X9は,本人尋問において,どこまで入市したか分からないことを明確に繰り返し述べている上,「はっきり自分で,ここが日赤だったという記憶はありません。」として,広島日赤病院付近まで入市した記憶がないことさえ自認しているのである。そして,X9が,上記申述書に広島日赤病院辺りまで入市したと記載した根拠については,X9が「部隊」へ帰着した後に,「上級」の兵士の「ああ,日赤辺りのところを通ったんだなという冗談まじりのそんな言葉を聞いて,ああ,そうかなと思った」という,極めて薄弱な根拠に基づくものである。
このようなX9の供述によれば,広島日赤病院付近まで入市したとの上記申述書等の記載は到底信用することができず,これに基づいて,X9が広島日赤病院付近まで入市したなどと認めることはできない。
c 仮に,X9が,陳述書添付の図面の「自転車で走った道」に記載された経路をたどって広島日赤病院付近まで入市したのだとすると,X9は,広島電鉄の線路上をタイヤがパンクした自転車を引きながら,東から西に向かって,広島日赤病院の本館を正面から見たことになる。そうすると,当時の広島日赤病院周辺の情景について,これを実際に見た者は,広島日赤病院だけ残って,その周りは,見渡す限り焼失してしまったようだったなどと述べていることに照らせば,X9がこのような印象的な情景を全く記憶にとどめておらず,上記bで述べたように病院の建物があったことさえ覚えていないというのは不自然である。この点からもX9が広島日赤病院付近まで入市したとは認め難い。
(イ) X9の陳述の変遷からも,X9が広島日赤病院付近まで入市した事実は認められないこと
a X9の陳述経過をみると,X9は,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書においても,平成14年6月21日にX9が描いたとされる絵の裏に記載された説明書きにおいても,いずれも御幸橋(爆心地からの距離は約2.5km)を渡って間もなく引き返したと記載されている。
しかしながら,平成22年6月26日付け認定申請書添付の申述書では「途中御幸橋を渡って間もなく,タイヤがパンクしてしまい,中隊長に同行できず,自転車を引いて徒歩で部隊に戻りました。このとき日赤病院あたりまで行った記憶があります。」として,入市地点を爆心地から約1.5kmの地点にある広島日赤病院に変更した。
その後,平成23年10月3日付け異議申立書において,「御幸橋を渡って間もなく,申立人(X9を指す。)乗車の自転車のタイヤがパンクしてしまい,それ以上,中隊長に同行することが困難となってしまった。」「その後,中隊長は己斐に向かって,自転車で走って行ったが,申立人は自転車を曳きながら部隊に帰らざるを得なかった。」として,県病院付近まで入市したことを示す図面を添付して「爆心地より1km以内の日赤病院あたりまで入市している。」として,更に入市地点を爆心地から約1km以内の地点にある広島日赤病院に変更した。
そして,陳述書では,御幸橋を渡って「しばらく進んだところで,私が乗っていた自転車のタイヤがパンクしてしまいました。」「そこで,私は自転車をひきながら歩いて中隊長を追いかけましたが,中隊長は私にかまわずどんどん先に行ってしまいました。そのうち中隊長の姿が見えなくなってしまい,それ以上,中隊長に同行することが困難となってしまいました。そこで,私はやむなく自転車をひきながら宇品の部隊に帰ることにしました。」として「爆心地より1km以内の県病院のあたりまで入市しています。」として,入市地点を爆心地から約1km以内の県病院に変更した。
最後に,本人尋問では,「御幸橋を渡ってから5分か10分ぐらい」自転車で走行した後にタイヤがパンクし,その後,「大体10分か15分ぐらい」タイヤがパンクした状態の自転車を引いて歩いたと述べるものの,引き返した地点については,「周りがとにかくがれきでもって,ほとんど見通しというか目標になるものがありませんので,はっきり分かりません。」として,入市地点につき,曖昧な形に更に変遷させるに至った。
b 以上のような陳述経過によれば,X9の入市状況については,自転車のタイヤがパンクした地点につき,「御幸橋を渡って間もなく」としていたものを,「御幸橋を渡ってから5分か10分ぐらい」へと変遷させている。また,「部隊」へ引き返した地点についても,爆心地から約2.5kmの地点である御幸橋付近としていたものを,爆心地から約1.5kmの地点である広島日赤病院付近,爆心地から約1km以内である県病院付近へと徐々にX9に有利に変遷させていたが,本人尋問では,御幸橋を渡った後の進路について具体的な所要時間で示す形に変更し,引き返した地点の目標物については,変遷はあるものの具体的に建物等を明確に挙げていたそれまでの陳述とは全く異なり,「ほとんど見通しというか目標になるものがありませんので,はっきり分かりません。」と極めて曖昧に述べるにとどめている。
このように,X9の入市状況に係る陳述は,時の経過に伴って徐々にX9に有利に,そして,詳細かつ具体的に変遷している(ただし,上記のとおり,引き返した地点の目標物については,本人尋問の段階に至って,全く逆に曖昧な形に変遷させている。)。そして,後述するように,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書の記載には高い信用性が認められる一方で,その後の陳述の変遷については何ら合理的な説明がされていない。
かえって,まず,変遷時期についてみると,入市地点につき,爆心地から約2.5kmの地点である御幸橋付近から,爆心地から約1.5kmの地点である広島日赤病院付近へと変遷させたのは,平成22年6月26日付け認定申請書添付の申述書である。この時期は,新審査の方針において,X9の申請疾病である膀胱がんを含む悪性腫瘍について,新たに「原爆投下から約100時間以内に爆心地から約2km以内に入市した者」について積極認定の範囲とする旨の方針を示した後である。そうすると,このような新審査の方針の影響を受けて原爆症認定を受けられるように,「約2km以内に入市した者」に含まれるように自己に有利に陳述を変遷させたとも考えられる。また,平成23年10月3日付け異議申立書において,入市地点につき更に広島日赤病院付近から県病院付近へと変遷させ,陳述書において,自転車のタイヤがパンクした地点につき「御幸橋を渡って間もなく」から「御幸橋を渡ってから5分か10分ぐらい」へ変遷させている。これは,新審査の方針の積極認定の範囲に含まれる爆心地から約1.5kmの地点まで入市した旨の従前のX9の陳述を前提としてもなお認定を得られなかったことから,異議申立てやその後の訴訟を遂行するに当たって,より推定被曝線量が高く,認定を得やすい方向へと変遷したものとも考えられるところである。
次に,陳述内容についてみると,真に,X9が「御幸橋を渡ってから5分か10分ぐらい」自転車で走行した後にタイヤがパンクし,その後,「大体10分か15分ぐらい」タイヤがパンクした状態の自転車を引いて歩き,最終的に爆心地から約1kmの地点である県病院付近まで入市したというのであれば,「被爆者」たる地位を得ることを目的に作成した被爆者健康手帳交付申請書の段階でそのように明示して記載するのが自然かつ合理的であり,あえて爆心地から約2.5kmの地点にある御幸橋を渡って間もなく引き返したなどと自己に不利な方向での記載をする実益はない。したがって,変遷後のX9の陳述は,その内容が不自然かつ不合理であるといわざるを得ない。
以上のとおり,X9の陳述経過の観点からみても,変遷後のX9の入市状況に係る陳述は不自然かつ不合理であるから,これを根拠としてX9の入市状況を認めることはできない。
(ウ) X9が爆心地から約1kmの地点である県病院付近まで入市した事実も認められないこと
X9が県病院付近まで入市したとのX9の陳述については,そもそも原告ら代理人自身が,「本人の記憶の骨格は,御幸橋を渡り大きな病院付近で引き返したというものであり,本人が92歳の高齢であることに照らせば,上記のとおり,日赤病院付近まで至り,引き返したと考えるのが合理的である」と主張し,上記陳述に合理性が認められないことを認めている。
また,前記(イ)aで述べたとおり,X9は,陳述書の作成日から約5箇月足らずの後に実施された本人尋問において,陳述書添付の図面における入市地点について,「そうですね。とにかく周りがそんな状態ですから,はっきりしたところは,住所も何も私はその当時,わかりませんでした」として入市地点を特定することができないと述べており,入市した当時の状況について,「その当時は頭が真っ白で,とにかくもう何が起こったんだというような考えが頭にありまして,周りの状況はほとんど分からなかったです」として病院の建物が近くにあったかどうかさえ分からなかったと述べている。このようなX9の本人尋問における供述に照らせば,爆心地から約1kmの地点にある県病院まで入市した旨のX9の陳述は信用することができない。
そして,このほかに,X9が県病院まで入市したことを証する証拠はないから,X9が爆心地から約1kmの地点にある県病院まで入市した事実を認めることはできない。
(エ) X9の入市状況については,被爆者健康手帳交付申請書の記載に基づいて認定されるべきであること
a 被爆者健康手帳交付申請書の性格及び目的
被爆者健康手帳交付申請書は,被爆者援護法に規定された各種援護施策を受けることのできる「被爆者」たる地位を得るために作成するものである(被爆者援護法2条及び1条。被爆者医療法3条及び2条に相当)。都道府県知事は,その申請に基づいて審査し,申請者が被爆者援護法1条(被爆者医療法2条)各号のいずれかに該当すると認めるときは,その者に被爆者健康手帳を交付するものとされている(被爆者援護法2条2項。被爆者医療法3条2項に相当)。
このように,被爆者健康手帳交付申請書は,申請者が被爆者健康手帳の交付を受けて「被爆者」たる地位を得ることを目的に作成されるという基本的な性格を有するものである。そのため,入市「被爆者」に当たるとして被爆者健康手帳の交付を申請する者は,被爆者援護法1条が入市「被爆者」として定める要件,すなわち,原子爆弾が投下された時から起算して政令で定められた一定期間内に一定区域内に在ったこと(同条2号)について申告すべきことになる。X9においても,被爆者健康手帳交付申請書の「2 被爆の状況」「(2) 入市被爆者の場合」の項における「あなたがはじめて入市したのはいつですか。入市先はどこですか。」との欄に,「4ページの二段目と同じ。部隊を出て広島電鉄の線路を走り,御幸橋を渡ったところで自転車がパンクして来た道を戻る」と記載して,同申請書4頁の記載を引用し,入市の日及び場所や,これを裏付ける具体的な事情を詳細に記載している。
そして,申請者は,被爆者健康手帳交付申請において,当該申請者が上記要件に該当する事実を認めることができる書類(被爆者援護法施行規則1条1項),具体的には,① 当時の罹災証明その他公の機関が発行した証明書,② (①がない場合は)当時の書簡,写真等の記録書類,③ (②がない場合は)市町村長等の証明書,④ (③がない場合は)第三者(三親等以内の親族を除く。)二人以上の証明書を提出すべきものとされている。これらの書類を提出することができない場合には,被爆者健康手帳交付申請書に虚偽の事実を記載するような不正な申請があってはならないことから,その内容の真実性を担保するため,被爆者健康手帳交付申請書を提出する際には,誓約書を併せて提出するものとされており,X9は,上記④の証明書を提出するとともに,「申請書に記載した内容は,事実と相違ありません。もし,事実に相違したことが判明した場合は,被爆者健康手帳の返納はもちろん,これに伴う一切の責任をとることを誓約いたします。」と記載された誓約書に署名押印している。
b 平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書の記載内容の合理性等
(a) 入市状況に関する記載内容
平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書の「2 被爆の状況」「(2) 入市被爆者の場合」の項における「○あなたがはじめて入市したのはいつですか。入市先はどこですか。」の欄には,「4ページの二段目と同じ 部隊を出て広島電鉄の線路を走り御幸橋を渡ったところで自転車がパンクして来た道を徒歩で戻る」と記載され,同申請書「4ページ」の記載が引用されているが,ここで引用されているのは同「(1) 直接被爆者の場合」の項の「原爆が落ちた後の行動」のうち「○その翌日からどうしましたか。どこに落ちつきましたか。」の欄の記載である。そして,同欄には「被爆の翌日(8月7日)の朝9時頃事務室に居た時中隊長B25中尉が同行せよと云われ何處へ行くのかわからないが中隊長は自転車で急ぐように衛門を出ていった 私も自転車で後を追った 中隊長が途中で己斐の防空陣地に行くと云われ後について走った 広島電鉄の線路の中を走る途中に家屋が破壊していた 無人の電車も止っていた 人影は一人か二人しか見えなかった しばらく走ると一面焼野原で遠くに山がかすんで見えた 地面に白い薬品を撒いたように広ろがり異様な臭がしていた 御幸橋を渡って間もなくタイヤがパンクし同行できない タイヤに釘や金物の破片が刺っていた B25中尉は己斐に向って走っていった 私は自転車を曳きながら部隊に帰ってきた」と記載されている。
(b) 記載内容が合理的であること
平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書に記載された内容を精査すると,入市するに至った経緯について,上司の中隊長(B25中尉)からの命令であったこと,事務室にいたときに同命令を受けたこと,同命令を受けて出発した時刻,自転車で走行した経路やそのとき見た情景などを相当程度具体的かつ詳細に説明するものであり,陳述内容には,矛盾する箇所や不自然,不合理な箇所は見当たらない。
また,同申請書に記載された入市状況は,平成14年6月21日にX9が描いたとされる絵の裏に記載された説明書きの「中隊長の後を自転車で被爆で焼野原となった道を行く。」「破片が散乱した道を走ってきたがパンク。三キロ余りの道を自転車を押しながら部隊へ帰る。」「(爆心地より約二キロの地点 御幸橋附近)」との記載とも整合している。このような説明書きを含む絵は,原爆症認定手続とは関係なく,「市民の手による原爆被災の記録」として収集されたものであるから,自己の体験した事実を可能な限り正確に迫真性をもって後世に伝えるために作成されたものと考えられ,その記載内容には相応の信用性が認められる。
さらに,広島市の被災状況については,「爆心地から二七〇〇メートル余りの円内では一切のものをほとんど焼きつくし,それ以上の距離にある所では,爆風によつて,破壊された建物の上に熱線をふり注いで,全市一円に火災を発生させた 火災は八日まで続いた」とされ(新修広島市史 第二巻 政治史編),また,「広島市被爆被害状況図」(新修広島市史 第二巻 政治史編)によれば,おおむね2kmの範囲が全焼,おおむね2.5kmの範囲が全壊,おおむね3.5kmの範囲が半壊との被災状況とされているところ,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書における「広島電鉄の線路の中を走る途中に家屋が破壊していた 無人の電車も止っていた 人影は一人か二人しか見えなかった しばらく走ると一面焼野原で遠くに山がかすんで見えた」との記載は,爆心地から約4.79kmの地点にあった「部隊」(陸軍船舶司令部)を出発した後,家屋や電車が焼損していたのではなく「破壊」や「止まっていた」とされている点,しばらく進んだところから「一面焼野原」となっていたとされている点が,上記文献に示された広島市の被災状況とよく整合している。
その他,上記(a)の記載において,当時の歴史的な事実や客観的な証拠に照らして不整合な点は見当たらない。
(c) 平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書の記載には高い信用性が認められること
上記(b)で述べたところから明らかなように,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書の記載内容は相当程度詳細かつ具体的である上,X9自身の信用性のある過去の陳述や客観的な証拠とも整合し,合理性を有する。
その上,前記aで述べたとおり,X9は,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書を提出するに当たり,記載内容が事実と相違ない旨の誓約書に署名押印している。さらに,本人尋問において,同申請書は全て自ら記載したものであり,中でも,同申請書の前記「○その翌日からどうしましたか。どこに落ち着きましたか。」の欄の「御幸橋を渡って間もなくタイヤがパンクし同行できないタイヤに釘や金物の破片が刺っていた B25中尉は己斐に向って走っていった 私は自転車を曳きながら部隊に帰ってきた」との記載は,同申請書作成時の記憶のとおり記載したものである旨供述している。
加えて,前記aに述べた被爆者援護法1条2号が定める入市「被爆者」の要件並びに被爆者健康手帳交付申請書の性格及び目的に照らせば,同申請書において入市状況に係る記載は被爆者健康手帳の交付を受けるための正に核心部分ということができ,審査の対象として当該部分の真実性は極めて重視される部分ということができる。そのため,申請者においても,自己の記憶に基づき,事実に合致するよう,特に慎重に記載するのが通常である。また,その目的に照らして,手帳を得るために状況を誇張して記載する動機を考慮する余地はあっても,過小に記載することは通常考え難い。
以上に照らせば,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書の入市状況に関する記載は高い信用性が認められるというべきである。
(d) 小括
したがって,X9の入市状況については,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書の記載に基づいて認定されるべきである。
(オ) まとめ
以上によれば,X9が,昭和20年8月7日に,爆心地から約1.5kmの地点にある広島日赤病院まで入市した事実は認められない。むしろ,X9が同日に入市した地点は,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書の記載のとおり,爆心地から約2.5kmの地点である御幸橋付近までであったと認定すべきである。
(2) X9の被爆態様からすると,膀胱がんの放射線起因性が認められる程度の線量の放射線被曝を受けたとは認められないこと
ア X9は,初期放射線及び残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による外部被曝をもって膀胱がんの放射線起因性が認められると主張しているものと解されるが,このようなX9の主張は不明確であり,少なくとも科学的根拠に基づくものとは考えられない。
イ X9の推定被曝線量は,全体量としても0.0001グレイを更に下回る程度にすぎない。
すなわち,初期放射線については,前記(1)アで述べたとおり,X9は,爆心地から約4.79kmの地点で被爆したと認められるから,DS02による被曝線量推計計算によれば,X9の初期放射線による被曝線量は0.0001グレイを更に下回る程度となる。
そして,誘導放射線については,前記(1)イで述べたとおり,X9は,爆心地から約2.5kmの地点まで入市したものと認められるから,DS02による最新の研究分析によれば,X9の誘導放射線による被曝線量の程度はごく僅かにすぎない。
さらに,原告X9承継人は,近距離で重症の被爆者を看護していた事実をもって,誘導放射化された人体による被曝の影響を主張するものと理解されるが,原告X9承継人のかかる主張は漠然とした抽象的なものであり,これにより一定程度高線量の被曝をしたことになる具体的な根拠も示されていない。かえって,いわゆるJCO臨界事故における測定結果によれば,近距離での重症の被爆者を看護したことによる被曝線量はごく僅かにすぎない。
以上によれば,X9の推定被曝線量は,全体量としても,0.0001グレイを更に下回る程度にすぎず,これは,せいぜい,1回の胸部X線検査で受ける被曝線量を下回る程度の低線量である。
(3) X9の身体症状は,放射線被曝を原因とする急性症状とはいえないこと
ア 原告X9承継人が主張する被爆直後の身体症状の内容
原告X9承継人は,昭和20年8月7日の入市後,発熱,嘔吐,下痢,貧血,めまい,食欲不振といった症状に悩まされた事実をもって,膀胱がんの放射線起因性が認められる根拠の一つとして主張するが,原告らの理解する「放射線被曝による急性症状」の具体的内容(特徴)についてこれまで全く明らかにされていないことから,このような身体症状の存在をもって,X9が高線量の放射線に被曝したことの根拠として用いることは許されない。
イ X9に嘔吐及び食欲不振が出現したとは認められないこと
平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書の「被爆後6か月以内にあらわれた症状の有無」の欄には,嘔吐及び食欲不振については何も記載されていない。そして,前記(1)イ(エ)aで述べた被爆者健康手帳交付申請書の性格及び目的に照らせば,実際に被爆後6箇月以内に生じた身体症状を被爆者健康手帳交付申請書に記載しないというのは不自然かつ不合理であるから,X9の本人尋問における供述内容は信用することができず,被爆直後の症状として嘔吐及び食欲不振が出現していたとは認められない。
ウ X9に原告X9承継人が主張する前記各身体症状が出現していたとしても,いずれも急性放射線症候群の特徴を有しているとはいえないこと
(ア) 原告X9承継人の主張する被爆直後に出現した身体症状を全体としてみた場合に,急性放射線症候群の特徴とされる「前駆期」の存在が認められないこと
原告X9承継人が挙げる身体症状を全体としてみても,X9自身が,本人尋問において,昭和20年8月6日及び同月7日には身体症状は出現していなかったこと,同月10日又は同月11日頃になって各身体症状が出現したことを明確に述べている。そうすると,被爆後48時間以内に発現するとされている前駆症状が何も出現しておらず,前駆期の存在が認められない。そのため,その後の無症状の潜伏期の存在も不明であるといわざるを得ない。
(イ) X9の供述する身体症状は,急性放射線症候群の特徴を備えているとはいえないこと
a X9が本人尋問において供述した発熱の具体的な症状によれば,まず,出現時期からみて,前駆症状としての発熱とは考え難い。また,発症期における臨床症状としての発熱であるとすれば,その被曝線量は6グレイないし8グレイと考えられるが,6グレイないし8グレイであれば,致死率が50%ないし100%で緊急入院が必要とされている状況であったはずである。しかしながら,X9の供述を前提としても,そのような緊急入院が必要な状況にあったとは到底認められない。他方,2グレイないし4グレイの被曝線量であったと考えても,この場合には潜伏期の長さが,X9の供述する症状の出現時期と整合しない。むしろ,X9に生じたという発熱も,当時の衛生環境や栄養状況,原爆を体験した精神的ストレスによって生じたと考えるのが自然である。
b 前記イで述べたとおり,X9の嘔吐については,そもそもそのような症状が出現していた事実自体が認められない上,X9の本人尋問における供述によれば,正確には「嘔吐」ではなく「吐き気」を指しているにすぎない。
そして,仮にX9に吐き気が出現していたとしても,X9が本人尋問において供述した吐き気の具体的な症状によれば,その出現時期からみて,前駆症状としての吐き気とは考え難い。なお,発症期における臨床症状としての嘔吐に準じるものとしても,6グレイ以上の極めて重症ないし致死的な急性放射線症候群にみられる臨床症状とされているが,上記aで発熱に関して述べたのと同様に,X9が,当時,そのような致死的な状況にあったことはうかがわれない。むしろ,吐き気については,当時の衛生環境や栄養状況,原爆を体験した精神的ストレスによって生じたと考えるのが自然である。
c X9が本人尋問において供述した下痢の具体的な症状によれば,その発現時期からみて,前駆症状としての下痢とは考え難い。また,主症状としての下痢であるとすると,激しいものではない下痢が1回か2回程度あったにすぎないX9の下痢の症状は,「大量出血を伴う重篤かつ血性の下痢」であるという大きな特徴と全く整合していない。また,急性放射線症候群としての下痢は,4グレイまでの被曝線量では前駆症状,主症状ともに現れないとされているから,上記下痢が放射線被曝による急性症状であれば,X9は4グレイ以上を被曝したことになる。しかしながら,4グレイないし6グレイの被曝線量の場合は,致死率が20%ないし70%で入院が必要な状態であるが,前記aで述べたとおり,X9がそのような状態であったとは到底認められない。むしろ,X9の下痢は,当時の衛生環境や栄養状況,原爆を体験した精神的ストレスによって生じたと考えるのが自然である。
d X9は,被爆後4日から5日ほど経過した頃から,3日か4日ほど貧血が続いたと述べるが,前駆症状として貧血が出現する旨の知見はない。また,主症状としての出血傾向に含まれるものであるとしても,一般に,血小板数は,被曝直後には変化が生じず,回復可能な障害の場合,被曝後10日過ぎ頃から低減し,30日前後で最も低下するが,間もなく回復する。また,出血傾向については,出血を止める作用を有する血小板の減少に由来する全身的な影響であるから,真に放射線被曝に由来するものであれば,紫斑や歯茎からの出血など他の症状が随伴する。そうすると,X9に生じたとする貧血の具体的な経過は不明であるが,仮に,昭和20年8月10日か同月11日頃に症状が出現したとすると,上記放射線被曝に由来する出血傾向の経過と整合しない。
e X9に出現したというめまいが,発症期における臨床症状としてのめまいであるとすると,少なくとも,6グレイないし8グレイの被曝線量を受けた,極めて重症の急性放射線症候群にみられる臨床症状としてのめまいということになる。しかし,前記aで述べたとおり,X9がこのような緊急入院が必要な状況にあったとはいえない。
f 前記イで述べたとおり,X9の食欲不振については,そもそもそのような症状が出現していた事実自体が認められない。もっとも,仮に,X9に食欲不振の症状が出現していたとしても,食欲不振が急性放射線症候群の症状の一つであるとする科学的知見は見当たらない。
(4) 原告X9承継人の被爆後の健康状態に関する主張が失当であること
原告X9承継人は,X9の被爆後の病歴等を羅列するが,それらの疾病等の罹患がX9の膀胱がんについて放射線起因性が認められることの根拠となる理由について何ら主張,立証がされていない。したがって,原告X9承継人の上記主張は失当である。
(5) 膀胱がんについても,放射線被曝との有意な関連性が認められているのは,0.1グレイないし0.2グレイ以上の放射線被曝の場合であること
① 放射線による健康影響があると科学的な事実として認められているのは0.1グレイないし0.2グレイ以上であり,② 0.1グレイを下回る放射線では健康影響があるということはできない,というのが現在の科学的知見の到達点である。しかも,最新のLSS第14報では,健康影響が認められる線量域が0.1グレイではなく0.2グレイに引き上げられている点に着目しなければならない。このように,改定後の新審査の方針においても,がんについては,被曝状況いかんにかかわらず,全て放射線起因性が認められると理解されていたものではない。
(6) X9には膀胱がんの重大な危険因子が存在していること
ア 一般的な医学的知見によれば,膀胱がんの危険因子としては,加齢,性差等があり,当該被爆者の被曝線量の程度や,ほかの要因等にかかわらず,一律に原爆放射線によって発症したものということはできない。
そこでX9についてみるに,X9は男性であり,X9が膀胱がんと診断されたのは,平成20年10月であり,膀胱がんの好発年齢である87歳である。そうすると,X9は,性差及び加齢という膀胱がんの危険因子を複数保有していたといえる。
イ なお,X9の危険因子は「性差」及び「加齢」という一般的なものであるが,がんの発症リスクは年齢によって著しく高まるのであって,一般的なリスクであるがためにこれを軽視することは,当該リスクを評価する態度として許されるものではない。
そして,X9は,男性の平均寿命である80歳を7年も超えた87歳で膀胱がんを発症しており,そのリスクは極めて重大であったというべきである。
その上,放射線によるがんの発症リスクにおいても,1グレイもの高線量を被曝した場合でも相対リスクは1.5であると言われており,X9の推定被曝線量は0.0001グレイ以下程度にすぎないことからすると,X9の受けた放射線被曝によるX9の膀胱がん発症のリスクの上昇は,ごく僅かなものであると考えられる。
(7) X9の被曝線量等に照らせば,X9が原爆放射線に被曝したことにより,膀胱がんを発症したことが高度の蓋然性をもって認められるとはいえないこと
X9について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X9承継人において,被告が指摘するX9の危険因子(性差及び加齢)の影響を超えて,X9の膀胱がんの発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,X9の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(膀胱がん)と放射線被曝に関する知見の状況並びに性差及び加齢という危険因子の状況は以上のとおりであり,これらを総合考慮すれば,X9の申請疾病(膀胱がん)が,危険因子の影響を越えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,性差,加齢などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。この点,平成22年6月26日付け認定申請書添付の東京都立墨東病院泌尿器科医師のC21の同月4日付け意見書においても,X9の申請疾病に関する原爆の放射線起因性は「不明」とされている。
したがって,X9の申請疾病(膀胱がん)については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
2 結論
以上のとおり,X9の膀胱がんは,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たしているとはいえないから,X9の原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分が違法であるとする原告X9承継人の主張には理由がない。
第7 原告X11について
1 原告X11の申請疾病である前立腺がんが原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
(1) 相当量の被曝をしたとの主張に理由がないこと
ア 原告X11の推定被曝線量は,全体量としても0.0003グレイを下回る程度であること
相当量の被曝という主張が失当であることは,既に述べたとおりである。そして,DS02による被曝線量推計計算によれば,原告X11の主張を前提としても,原告X11の初期放射線による被曝線量は,0.0003グレイを下回る程度である。
イ 近距離で被爆して数日中に死亡した伯父等の身辺にいたことによる原告X11の被曝線量もごく僅かにすぎないこと
原告X11は,被爆後に,近距離で被爆し被爆後数日中に死亡した伯父や,この伯父を長崎市城山町周辺まで捜索に行き連れ帰った原告X11の母や同居の従姉妹ら多数の親族の身辺にいたことにより,これらの者の衣服,身体,頭髪等に付着した放射性降下物や誘導放射化された物質由来の多量の残留放射線に被曝していることは明らかであると主張するが,かかる主張は漠然とした抽象的なものであり,具体的な根拠も示されていない。かえって,放射線により誘導放射化された人体に接したことによる被曝の影響については,いわゆるJCO臨界事故で約25グレイもの高線量被曝をした従業員の人体の誘導放射化を調査した結果,ごく僅かであることが判明している。
また,衣服や身体に付着した放射性降下物による被曝を受けた人体に接したことについても,放射性降下物の量自体が極めて少ないことからすれば,原告X11の放射性降下物による外部被曝もごく僅かにすぎない。
ウ 内部被曝による被曝線量も微量にすぎないこと
原告X11は,被爆後,ガス状や粉塵になって飛散し大気中に存在した放射性物質を吸引し,あるいは,飲食物と共に摂取して内部被曝をしている可能性も大きいと主張するが,かかる主張も,漠然とした抽象的なものであり,具体的な根拠も示されていない。
かえって,生物学的線量推定法によって得られた遠距離被爆者及び入市被爆者の推定被曝線量等に照らせば,仮に原告X11が内部被曝をしていたとしても,その被曝線量はDS02の誤差の範囲に収まる程度の微量にすぎない。この点は,今中哲二報告とも整合的である。
加えて,放射性降下物が最も多く堆積した長崎の西山地区の住民についてさえ,40年間にも及ぶ内部被曝線量は,ごく僅かであったことが科学的に実証されている。
(2) 原告X11の身体症状は放射線被曝による急性症状とはいえないこと
ア 原告X11が主張する被爆直後の身体症状の内容
原告X11は,被爆直後から,強い倦怠感や鼻出血があり,これらは典型的な放射線による急性症状であった可能性が高いと主張するが,原告らの理解する「放射線被曝による急性症状」の具体的内容(特徴)についてこれまで全く明らかにされていないから,原告X11に出現したという上記症状が放射線被曝によって生じたものであるか否かを判別することはそもそも不可能である。この点をおいても,原告X11が主張する倦怠感という事実は極めて曖昧かつ主観的なものであり,いかようにも解釈が可能であって,かかる事実を取り上げて放射線被曝の根拠とすることは許されない。
イ 原告X11に前記各身体症状が出現していたとしても,急性放射線症候群の特徴を有しているとはいえないこと
原告X11の昭和46年8月付け被爆者健康手帳交付申請書の中の「被爆状況申立書」の記載内容や,原告X11の本人尋問における供述内容からすると,原告X11の主張する身体症状には前駆期及び潜伏期の存在が認められず,これらの身体症状を全体としてみれば,急性放射線症候群の大きな特徴とされている時間的経過をたどっているものでないから,いずれも急性放射線症候群であるとはいえない。
(3) 原告X11の被爆後の健康状態に関する主張が失当であること
原告X11は,原告X11の被爆後の病歴を羅列して主張するが,これらの疾病等の一つ一つが放射線被曝によって生じたことや,これらの疾病等の罹患が原告X11の前立腺がんについて放射線起因性が認められることの根拠となる理由について何ら主張,立証がされていないから,原告X11の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(4) 原告X11が若年被爆者であるとの主張は,放射線起因性を認める根拠にならないこと
原告X11は,原告X11が若年被爆者であることを根拠に,原告X11の前立腺がんにつき放射線起因性が認められると主張するようであるが,LSS第14報を考慮しても,被爆時年齢が下がるほどリスクが増加するか否かはがん部位によっては明らかではないというのが現在の統計学的な知見における到達点である。
また,原告X11の推定被曝線量に基づく被爆時年齢30歳の場合のLNTモデルにより推計した固形がんの過剰相対リスクは,0.000141程度であり,被爆時年齢を0歳と仮定しても,被爆時年齢を加味した過剰相対リスクは約0.000394程度にすぎない。
よって,若年被爆者であることを考慮したとしても,放射線起因性を認める根拠とはなり得ない。
(5) 原告X11が挙げる報告等は前立腺がんの放射線起因性を認める根拠となり得ないこと
ア がんと放射線被曝との有意な関連性(相関関係)が認められているのは,0.1グレイないし0.2グレイ以上の放射線被曝の場合であること
原告X11は,LSS第14報でも全固形がんにおける被爆による過剰がん症例数が,線形線量反応関係を示し生涯を通して増加し続けていることが報告されていることから,全固形がんに包含される原告X11の前立腺がんについても放射線起因性が認められると主張する。
しかしながら,最新のUNSCEAR2010年報告書や最新のLSS第14報によれば,① 放射線による健康影響があると科学的な事実として認められているのは,0.1グレイないし0.2グレイ以上であり,② 0.1グレイを下回る放射線では健康影響があるとはいえないというのが現在の科学的知見の到達点である。しかも,LSS第14報では,健康影響が認められる線量域が0.1グレイではなく0.2グレイに引き上げられている点に着目しなければならない。
イ 前立腺がんについては,UNSCEAR2006年報告書においても,最新のLSS第14報においても,一致して「放射線に関連していない」とされていること
被曝線量1グレイによる前立腺がん罹患の過剰相対リスクについては,統計学的に有意な上昇は認められておらず,前立腺がんについては,放射線被曝のがん罹患リスクに対する影響の有無は,いまだ結論を出しにくい状況であるとされており,UNSCEAR2006年報告書では,「放射線被ばくによる前立腺がんリスクへの影響については示すものがほとんどない。」と結論付けられている。
また,最新のLSS第14報(原著論文は平成24年に掲載されている。)においても,前立腺がんの過剰相対リスクは0.33とされているものの,その95%信頼区間が0をまたいでいることから,前立腺では有意なリスク増加はみられなかったとされている。そして,UNSCEAR2006年報告書の部位別がんのリスクに関する調査結果との比較を内容とする考察部分において,LSS第14報の考えがかかる調査結果と「整合している」旨が明記されている。
このように,前立腺がんについては,部位別でみた場合には,UNSCEARの報告書においても,最新のLSS第14報においても,「放射線に関連していない」とされている。
ウ 原告X11が放射線起因性の根拠として挙げる報告等を個別にみても,原告X11の前立腺がんの放射線起因性を認める根拠とすることはできないこと
これに対し,原告X11は,LSS第13報等や,プレストンら第2報告及び平成20年放影研要覧を挙げ,原告X11の前立腺がんに放射線起因性が認められることの根拠とするようである。
しかしながら,UNSCEAR2006年報告書が各国の科学者の合議で取りまとめられ,さらに,最新の寿命調査(LSS)の報告書として,LSS第14報の原著論文が発表されたのは,いずれも原告らが根拠とする「原爆被爆者の前立腺がんについての意見書」が作成された後であり,「原爆被爆者の前立腺がんについての意見書」及びそこで挙げられているLSS第13報等を含めた関係報告は既にレビューされた上で,上記の結論に至っている。したがって,前立腺がんについては「放射線に関連していない」との一致した結論が,現時点における科学的知見の到達点であることは明らかであり,原告らが根拠とする意見書や報告等と,UNSCEARの上記報告書及び放影研の疫学調査の報告であるLSS第14報とでは,後者を採用すべきことは疑う余地がない。
加えて,原告X11が挙げる各報告を個別にみても,これらを前立腺がんの放射線起因性を認める根拠とすることはできない。
(ア) LSS第13報
LSS第13報の「付録:固形がんの部位別リスクの要約推定値」によれば,1シーベルト当たりの過剰相対リスクは0.21とされているものの,その90%信頼区間は-0.3未満ないし0.96とされており,信頼区間が0をまたいでいることから,前立腺がんと放射線被曝との間に統計学的に有意な関連性は認められていない。このことは,UNSCEAR2006年報告書において,LSS第13報の評価として,「罹患データ(トンプソンら報告を指す。)と同様,放射線被ばくに伴って前立腺がんリスクが統計学的に有意に増加することを示すものはない。」と指摘されていることからも明らかである。
(イ) トンプソンら報告
トンプソンら報告でも,前立腺がんの1シーベルトでの過剰相対リスクは,統計学的に有意であるとは認められていない。かえって,トンプソンら報告によれば,1.5グレイ未満では放射線の影響があることを示す証拠はなく,有意な線形や非線形線量反応は認められず,年齢(被爆時又は到達)あるいは時間による影響修飾を示す兆しもなかったとされている。なお,UNSCEAR2006年報告書においても,トンプソンら報告について,「放射線被ばくに伴って前立腺がんリスクが統計学的に有意に増加することを示すものはない。」と評価されている。
(ウ) プレストンら第2報告
プレストンら第2報告の調査結果としては,膵臓がん,前立腺がん及び腎臓がんについては統計学的に有意な線量反応関係は認められなかったというものしか得られていない。過剰相対リスクが全固形がんを一つのグループとしたときのものと一致するというのは,飽くまで仮定を前提とした上でそのような傾向がみられたとするものにすぎず,前立腺がんと放射線被曝との間に有意な関連性を事実上認めているわけではない。なお,LSS第14報においても,前立腺では有意なリスク増加はみられなかったという結果が得られている。
(エ) 平成20年放影研要覧
平成20年放影研要覧の記載部分の基となっているのは,プレストンら第2報告であり,上記(ウ)において述べたことと同様のことが当てはまる。
(オ) 藤原恵ら報告
藤原恵ら報告は,被爆者を近距離被爆群と遠距離被爆群に分け,それに非被爆者群を加えた合計3群で,一定期間内に提出された前立腺の病理標本の中でがんと診断された割合を比較したものである。
藤原恵ら報告は,飽くまで前立腺がんと原爆放射線被曝との関係が否定的であるとした上で,推測として低線量被曝が前立腺がんの進行に関わっている可能性を否定することができないことを述べたにすぎない。かかる推測にすぎない記載をもって,低線量被曝が前立腺がんの進行と関係があるなどと認めることはできない。むしろ,藤原恵ら報告においても,前立腺がんと原爆放射線被曝との関係(線量反応関係)については否定されている。
(カ) 松田正裕ら報告
松田正裕ら報告で対象とされた被爆者群と非被爆者対照群の平均年齢を比較すると,被爆者群の方が5歳程度も平均年齢が高く,松田正裕ら報告で示された結果は,年齢による影響を加味していない点で採用し得ないものである。そもそも前立腺がんは,加齢と共に増加するがんの典型であり,65歳以上で罹患率が増加するとされている。この点,平成22年の年齢階級別死亡率をみても,65歳以上の前立腺がんの症例数は,年齢が5歳増加するごとに約2倍に増加していることが読み取れる。
そうすると,松田正裕ら報告でみられた粗発生頻度の差については,年齢の増加によって説明することが可能であり,このことは,松田正裕ら報告の著者自身が「Ⅳ 考察」の項において,「前立腺癌自体が高齢者に多い疾患でもあり,被爆者全体に高齢者が多いので,今後,年齢による訂正が必要であると考えられる。」として,その問題点を指摘していることからも明らかである。
したがって,松田正裕ら報告を根拠として前立腺がんと放射線被曝の間に関連性があるとする原告X11の主張には理由がない。
(6) 原告X11には前立腺がんの重大な危険因子である加齢及び喫煙が存在していること
ア 前立腺がんは,加齢とともに増加するがんの典型とされ,特に,その罹患率は65歳以上で増加するとされている。前立腺がんの中には比較的進行が遅く,寿命に影響を来さないであろうと考えられるがんも存在しており,他の原因で死亡した日本人男性においても,70歳を超える者の2割ないし3割,80歳を超える者の3割ないし4割の者に前立腺がんが発生しているとされている。前立腺がんの発生には,IGF-1といったホルモンバランスの変化が影響していると考えられている。
そして,前立腺がんの危険因子としては,加齢(高齢者)のほか,人種,家族歴が一般的な医学的知見として確立されており,他にも脂質,乳製品,カルシウム,喫煙,体格,アルコール,身体活動等も関連する可能性があるとされている。
イ 原告X11が前立腺がんと診断されたのは,原告X11が正に前立腺がんの好発年齢である65歳の時である。原告X11は,65歳が若年の発症であると主張するが,被爆者において若年で前立腺がんが発症しやすいという知見があるのであればまだしも,そのような知見を示すことなく,「若年」の発症であることをもって,被曝の影響に結びつけることはできない。
また,原告X11は,20歳頃から60歳頃まで,1日当たり20本ないし30本程度の喫煙をしていた。
以上によれば,原告X11は,加齢とともに増加するがんの典型とされている前立腺がんを好発年齢で発症したものであり,危険因子を有していたといえる。
ウ 原告X11の危険因子の評価について更にふえんすると,前立腺がんは非常に頻度の高いがんであり,他の原因で死亡した日本人男性においても70歳を超える者のうち2割ないし3割,80歳を超える者の3割ないし4割もの者に前立腺がんが発生しているとされている疾患である。当人の被曝によるリスクの上昇を考える上で,被曝がない状態でどの程度前立腺がんが発生する可能性があるかを把握しておくことは必要である。
また,喫煙者は全固形がんの発症が相対リスクで1.6倍高いといわれている。
さらに,前立腺がんは被曝によるリスクの上昇がはっきりしておらず,UNSCEAR2006年報告書の「放射線被ばくによる前立腺がんリスクへの影響については示すものがほとんどない。」というのが現在の科学的知見の到達点である。そして,原告X11の推定被曝線量は0.0003グレイを下回る程度にすぎないことからすると,原告X11の受けた放射線被曝による原告X11の前立腺がん発症のリスクの上昇は,ごく僅かなものであると考えられる。
(7) 原告X11の被曝線量等に照らせば,原告X11が原爆放射線に被曝したことにより,原告X11の前立腺がんの発症又は治癒能力の低下が生じたことが高度の蓋然性をもって認められるとはいえないこと
原告X11について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X11において,被告が指摘する危険因子(加齢及び喫煙)の影響を超えて,原告X11の前立腺がんの発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X11の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(前立腺がん)と放射線被曝に関する知見の状況並びに加齢及び喫煙という危険因子の状況は以上のとおりであり,これらを総合考慮すれば,原告X11の申請疾病(前立腺がん)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,喫煙などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X11の申請疾病(前立腺がん)については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
2 結論
以上のとおり,原告X11の前立腺がんは,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たしているとはいえないから,原告X11の原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分が違法であるとする原告X11の主張には理由がない。
第8 原告X12について
1 原告X12の申請疾病である前立腺がんが原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
(1) 相当量の放射線に被曝しているとの主張に理由がないこと
相当量の被曝という主張が失当であることは,既に述べたとおりである。
そして,DS02による被曝線量推計計算によれば,原告X12の主張を前提としても,原告X12の初期放射線による被曝線量は,0.0006グレイを下回る程度である。なお,上記事実以外の放射性降下物による被曝線量も微量である。以上によれば,原告X12の推定被曝線量は,0.0006グレイを下回る程度にすぎない。
(2) 原告X12の身体症状は放射線被曝を原因とする急性症状とはいえないこと
ア 原告X12の主張する被爆直後の身体症状の内容
原告X12は,被爆後,体調不良(下痢を指しているものと解される。)や倦怠感に悩まされていたことをもって,相当量の放射線に被曝したことの根拠として主張する。
しかしながら,原告X12は,そもそも上記の各身体症状が出現したとの事実と放射線起因性との関係すら主張,立証していない。また,上記身体症状が原告らの理解する「放射線被曝による急性症状」に当たると主張しているのかさえ明らかではない。かかる身体症状の存在をもって原告X12が高線量の放射線に被曝したことの根拠として用いることは許されない。
イ 被爆直後に原告X12に下痢及び倦怠感を含めて何らかの身体症状が出現したとは認められないこと
原告X12は,被爆直後3歳頃からよく腹を壊して通院していた,成人になる頃まで,倦怠感に悩まされていたと主張する。
しかしながら,原告X12が主張する上記各症状については何ら客観的裏付けがない。むしろ,昭和37年5月30日付け被爆者健康手帳交付申請書添付の原爆被爆者調査表の「原爆による急性症状(おゝむね六ケ月以内)」の欄には,「げり」,「毛がぬけた」等の身体症状について記載する欄が設けられているが,「げり」も含めて何も記載されていない。しかも,同調査表には,被爆前に,下痢の症状を通常伴う赤痢に罹患していた旨も明記されているにもかかわらず,上記の被爆後6か月以内の「げり」の欄には何も記載されておらず,平成20年5月23日付け認定申請書においても,被爆直後の健康状態やその後の健康状態について,「当時の身体的な状態もわかりません。」「戦後の病状についても,とくに母から聞かされていることはありません。」と記載されている。それにもかかわらず,平成22年8月27日付け異議申立書に至って,突如,「被爆直後の3歳頃から,しばしば下痢等の症状で苦しみ,病院にも通院した。」と記載され,陳述書にも,「被爆直後3歳頃から,私はよくおなかを壊して病院に通院していました。」との記載がみられるようになった。そして,原告X12は,本人尋問において,原告X12の母から,下痢をして食事が取れずに何回も死にかけたといった話を聞かされていた旨述べる一方で,平成20年5月23日付け認定申請書にそのような記載がない点については,何ら合理的な説明をしていない。また,原告X12は,下痢をして小児科病院に運び込まれることもあったと供述しながら,その原因については分からないと供述し,その内容についても「よくあった」という以外に何ら具体的な供述をしていないのであって,放射線被曝とは無関係に生じる下痢と異なる特徴を備えるものであったとは認めることができない。以上のとおり,上記各書面の作成時期や供述時期,変遷の時期及び変遷について何ら合理的な理由が述べられていないこと,供述内容も漠然とした抽象的なものにとどまっていることなどに照らせば,被爆直後に下痢が出現した旨の原告X12の陳述は信用することができない。同様に,倦怠感についても,昭和37年5月30日付け被爆者健康手帳交付申請書添付の原爆被爆者調査表及び平成20年5月23日付け認定申請書には何も記載されておらず,登山した際に他人よりも早く疲れるというものにすぎず,極めて抽象的で漠然とした供述にとどまっている。
以上によれば,被爆直後に,原告X12が主張するような下痢や倦怠感が出現した旨の原告X12の供述等は信用することができず,かかる事実を認めることはできない。
ウ 原告X12が挙げる各身体症状が出現していたとしても,急性放射線症候群の特徴を有しているとはいえないこと
平成22年8月27日付け異議申立書及び陳述書の内容を前提としても,原告X12に下痢が出現したのは,「3歳頃」というのであるから,原告X12が3歳の誕生日を迎えた,原爆投下から少なくとも1箇月以上経過した後ということになる。また,倦怠感については,そもそも出現時期は何も特定されていない。そうすると,原告X12の主張する身体症状には,前駆期の存在が認められず,潜伏期の存在も不明であり,これら身体症状を全体としてみれば,急性放射線症候群の大きな特徴とされている時間的経過をたどっているものでないことは明らかである。また,下痢について個別的にみても,原告X12の下痢は,被爆後48時間以内に出現したものではないことから,主症状としての下痢しか考えられないが,被爆後1箇月以上経過した後に出現している点で整合しない。また,主症状としての下痢であれば,大量出血を伴う重篤かつ血性の下痢であるという大きな特徴があり,現代の医学水準をもってしても救命可能性はないとされていることからすると,下痢をして食事が取れずに何回も死にかけたとか,下痢をして小児科病院に運び込まれることもあったという程度の原告X12の述べる下痢は,急性放射線症候群としての下痢の所見とは合致しない。
したがって,仮に原告X12に被爆直後に下痢及び倦怠感が出現していたとしても,これらは急性放射線症候群であるとはいえない。
(3) 原告X12の被爆後の健康状態に関する主張が失当であること
原告X12は,原告X12のこれまでの病歴を羅列し,原告X12の健康状態をもって前立腺がんの放射線起因性が認められる根拠の一つとしているが,これらの疾病等の一つ一つが放射線被曝によって生じたことや,これらの疾病等の罹患が原告X12の前立腺がんについて放射線起因性が認められる根拠となる理由について何ら主張,立証がされていないから,原告X12の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(4) 原告X12が若年被爆者である旨の主張は,放射線起因性を認める根拠となり得ないこと
原告X12は,原告X12が若年被爆者であることを根拠に,原告X12の前立腺がんにつき放射線起因性が認められると主張するようであるが,LSS第14報を考慮しても,被爆時年齢が下がるほどリスクが増加するか否かはがん部位によっては明らかではないというのが現在の統計学的な知見における到達点である。
また,原告X12の推定被曝線量に基づく被爆時年齢30歳の場合のLNTモデルにより推計した固形がんの過剰相対リスクは0.000282程度であり,被爆時年齢を0歳と仮定しても,被爆時年齢を加味した過剰相対リスクは0.000787程度にすぎない。
よって,若年被爆者であることを考慮したとしても,原告X12の放射線起因性を認める根拠とはなり得ない。
(5) 原告X12が挙げる報告等は前立腺がんの放射線起因性を認める根拠となり得ないこと
原告X12が挙げる報告等は原告X11と同様であって,原告X12についても,原告X11に関して述べた内容がそのまま当てはまる。したがって,この点に関する原告X12の主張は理由がない。
(6) 原告X12には前立腺がんの重大な危険因子である加齢,飲酒及び喫煙が存在していること
ア 前立腺がんは加齢とともに増加するがんの典型とされ,特に,その罹患率は65歳以上で増加するとされている。前立腺がんの中には比較的進行が遅く,寿命に影響を来さないであろうと考えられるがんも存在しており,他の原因で死亡した日本人男性においても,70歳を超える者の2割ないし3割,80歳を超える者の3割ないし4割の者に前立腺がんが発生しているとされている。前立腺がんの発生には,IGF-1といったホルモンバランスの変化が影響していると考えられている。
そして,前立腺がんの危険因子としては,上記のように加齢(高齢者)のほか,脂質,乳製品,カルシウム,喫煙,体格,アルコール,身体活動等も関連する可能性があるとされている。
イ 原告X12が前立腺がんと診断されたのは,原告X12が好発年齢である65歳の時である。また,原告X12は,飲酒の習慣がある上,20歳頃から58歳頃(平成12年頃)まで,1日当たり一箱ないし40本程度の喫煙をしていたものである。
そうすると,原告X12は,加齢という前立腺がんの典型的な危険因子に加え,飲酒及び喫煙という前立腺がんの危険因子を複数保有していた。
ウ 原告X12の危険因子の評価について更にふえんすると,原告X12は,好発年齢で発症しているほか,喫煙者は全固形がんの発症の相対リスクが1.6と言われている。飲酒についても,エタノール換算で週当たり300gから449gの飲酒者と時々飲む程度の飲酒者との全固形がんの相対リスクのみをみても1.4倍とされている。
そして,前立腺がんは被曝によるリスクの上昇がはっきりしておらず,UNSCEAR2006年報告書の「放射線被ばくによる前立腺がんリスクへの影響については示すものがほとんどない。」というのが現在の科学的知見の到達点である。そして,原告X12の推定被曝線量は0.0006グレイを下回る程度にすぎないことからすると,原告X12の受けた放射線被曝による原告X12の前立腺がん発症のリスクの上昇は,ごく僅かなものであると考えられる。
(7) 原告X12の被曝線量等に照らせば,原告X12が原爆放射線に被曝したことにより,原告X12の前立腺がんの発症又は治癒能力の低下が生じたことが高度の蓋然性をもって認められるとはいえないこと
原告X12について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X12において,被告が指摘する危険因子(加齢,飲酒及び喫煙)の影響を超えて,原告X12の前立腺がんの発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X12の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(前立腺がん)と放射線被曝に関する知見の状況並びに加齢,飲酒及び喫煙という危険因子の状況は以上のとおりであり,これらを総合考慮すれば,原告X12の申請疾病(前立腺がん)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,飲酒,喫煙などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X12の申請疾病(前立腺がん)については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
2 結論
以上のとおり,原告X12の前立腺がんは,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たしているとはいえないから,原告X12の原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分が違法であるとする原告X12の主張には理由がない。
第9 原告X13について
1 原告X13の申請疾病について
原告X13の申請疾病は,本来,認定申請書の「負傷又は疾病の名称」の欄に記載のある「胃がん」のみである(いわゆる申請主義)。もっとも,原告X13の認定申請書等の記載内容も踏まえれば,胃切除後障害としてのダンピング症候群,逆流性食道炎,鉄欠乏性貧血及び巨赤芽球性貧血についても申請疾病に含まれると解する余地があるものとして,以下,これらの各疾病について,要医療性の要件を満たさないことを明らかにする。
2 被爆者援護法における要医療性の内容について
「現に医療を要する状態にある」にいう「医療」とは,原爆症認定に係る負傷又は疾病について医療効果の向上を図るべく,医師による継続的な医学的管理の下に,必要かつ適切な内容において行われる範囲の医療をいうものと解するのが相当である。したがって,再発予防の治療等も既に終了し経過観察をしているにすぎない場合や,医師による医療であっても不必要,不適切な内容の医療は,上記医療には当たらない。
3 原告X13の申請疾病等には,いずれも要医療性がないこと
(1) 原告X13の要医療性に関する主張が失当であること
原爆症認定の要件としての要医療性についても原告X13が主張立証責任を負っているところ,原告X13は,原告X13の要医療性について抽象的な主張をするのみであり,その根拠となる診療録等の書証の指摘もない。このため,申請疾病等の要医療性を基礎づける行為の実施時期も,当該行為の具体的内容も,何ら主張,立証がされていない。したがって,このような原告X13の主張,立証の状況だけをみても,原告X13の要医療性に係る主張は失当である。
(2) 原告X13の胃がんに要医療性があるとはいえないこと
原告X13は,平成6年2月に,幽門側胃切除術を受けた後,14年が経過した原爆症認定申請時においても,再発は認められない。一般に,悪性腫瘍が手術後5年で治癒したと判定されることからすれば,原告X13の胃がんも既に治癒したものといえる。
この点,原告X13は,1年に一度の再発予防のための胃カメラの検査を行っていることをもって,胃がんについて要医療性の要件を満たすと主張するようであるが,疾病の有無にかかわらず,一般に実施される胃がん検診等と同程度の胃がんの定期検査等といった積極的な治療を施さない経過観察を受けていることをもって,要医療性があるとはいえない。
(3) 胃切除後障害としての各疾病も,要医療性があるとはいえないこと
ア 早期ダンピング症候群に,要医療性があるとはいえないこと
(ア) 胃切除後障害としての早期ダンピング症候群の一般的な医学的知見
早期ダンピング症候群の一般的な医学的知見のうち,重要な点としては,① 早期ダンピング症候群の診断は,〈ア〉臨床症状,〈イ〉ダンピング誘発試験及び〈ウ〉食後の血糖や血清インスリン,C-ペプチド,IRI(免疫活性インスリン)の測定により行うこと,② 早期ダンピング症候群は比較的軽症の場合が多く,ほとんどは食事療法で軽快するが,薬物療法を実施する場合には,消化ホルモンに対する拮抗薬や精神安定剤等が使用されること,③ ダンピング症候群に罹患しているという場合,同様の機序により胃切除後消化吸収障害や下痢症も併発することから,栄養状態等を確認するために体重の定期的な計測を行うことが通常であることなどが挙げられる。
(イ) 原爆症認定申請時において,原告X13が早期ダンピング症候群を発症していたか否か明らかでないこと
早期ダンピング症候群にみられる胸焼け等の諸症状は,胃切除以外の要因によっても一般的に生じるものであるため,早期ダンピング症候群によって生じたものであるかについては十分吟味しなければならない。そして,原告X13については,上記(ア)①〈イ〉及び〈ウ〉で述べたダンピング誘発試験等の客観的な検査所見は見当たらない。
むしろ,原告X13の下痢に関しては,原告X13の診療録の記載及び原告X13自身が本人尋問において胃切除術後6箇月頃から継続的にアルコールを摂取していたと述べていることによれば,このようなアルコールの摂取が下痢の要因となっていたことも否定することができない。
さらに,上記(ア)③で述べたとおり,ダンピング症候群には栄養障害を伴うことが想定されるところ,原告X13の診療録の記載及び原告X13の供述によれば,原告X13の栄養状態には問題がないことがうかがえる。体重についても,胃を切った人の平均体重は,術前の体重の90%とされているが,原告X13もおおむね同水準で推移している。血液検査においても,総蛋白質,アルブミンについて特段の低値を認めない。
以上によれば,原告X13が胃切除後遺症としての早期ダンピング症候群であるか否かは必ずしも明らかであるとはいえない。
(ウ) 仮に原告X13が原爆症認定申請時に早期ダンピング症候群を発症していたとしても,要医療性があるとはいえないこと
a 食事療法の指示をもって要医療性があるとはいえないこと
(a) 原告X13に対する食事療法の指示の必要性には疑義があること
前記(ア)②で述べたとおり,早期ダンピング症候群は,患者自身が食事療法を自然と体得することで,術後の経過により軽快するものとされている。このため,医師の食事指導に従っていながら,術後14年余りが経過した原爆症認定申請時に至ってもなお,早期ダンピング症候群が軽快しないということはおよそ考えられない。このため,術後約14年余りにわたって漫然と繰り返される原告X13に対する食事指導の必要性には疑義がある。
(b) 早期ダンピング症候群が原爆症認定申請時においても軽快していないことは,専ら原告X13自身の要因によるものであること
仮に,原告X13が早期ダンピング症候群を発症しており,原爆症認定申請の時点でも軽快していなかったとしても,原告X13が術後約17年が経過した平成23年8月4日時点においても,いまだ医師から食事指導を受けていたこと及び食事療法によって改善がみられることからすると,原告X13は,同月に至るまで,医師の食事療法の指示に従った食生活の改善が十分にできておらず,このために症状が改善しなかったものと考えられる。このことは,原告X13自身が,本人尋問において,医師から指示された食事療法を正確には実践していなかったと述べていることからも明らかである。したがって,このような食事療法の指示をもって,要医療性の要件を満たすとはいえない。なお,このような食事療法の指示は,被爆者援護法9条による健康指導をもって十分賄い得る。
b 薬の処方の事実から要医療性があるとはいえないこと
原告X13の診療録によれば,平成6年3月28日からアセナリンとベリチームが処方されているものの,同年10月24日を最後に一旦処方が終了し,その後は,平成7年3月20日及び平成9年10月30日に各1回処方されたのみであって,当初から継続的な処方が行われていたとはいえない。その後も,ベリチームについては平成22年6月3日から,ビオフェルミンについては平成24年4月26日から,それぞれ処方が開始されたのであって,いずれも原告X13の原爆症認定申請の後に処方されているにすぎない。
また,原告X13に処方されたベリチーム,アセナリン及びビオフェルミンは,いずれも前記(ア)②で述べた早期ダンピング症候群に対する薬物療法に用いられる薬剤には該当せず,早期ダンピング症候群の医療効果の向上のために処方する治療薬とはいえない。特に,アセナリンは,セロトニン5HT4受容体刺激薬であり,早期ダンピング症候群の治療薬としては適切ではない。
その他,原告X13の診療録をみても,上記の薬物療法に継続的に用いられる薬剤の処方は見当たらない。
c 小活
以上によれば,原告X13は,原爆症認定申請時において,仮に早期ダンピング症候群の状態にあったとしても,被爆者援護法10条1項の要医療性の要件を満たすとはいえない。
イ 原告X13の逆流性食道炎に要医療性があるとはいえないこと
(ア) 胃切除後障害としての逆流性食道炎の一般的な医学的知見
逆流性食道炎の一般的な医学的知見のうち,重要な点としては,① 逆流性食道炎は,一般人口の10%程度に極めて高頻度にみられる疾患であること,② 胃切除後障害としての逆流性食道炎は,術後1年以内にみられること,③ 胃切除後障害としての逆流性食道炎に薬物治療を実施する場合には,胃部分切除後の例では,胃酸分泌抑制薬や酸中和剤も用いられているが,それ以外にメシル酸カモスタットの投与が行われることなどが挙げられる。
(イ) 原告X13が,原爆症認定申請時において,逆流性食道炎を発症していたとは認められないこと
原告X13については,平成6年の胃切除術後,おおむね1年に1回程度の胃内視鏡検査が行われているが,原告X13の診療録によれば,平成20年5月8日の欄に「逆流 〈無〉」との記載があり,この時点で原告X13が逆流性食道炎を発症していたとは認められない。また,同日以前の診療録をみても,逆流性食道炎と診断した旨の記載は見当たらない。
また,逆流性食道炎の治療として,アルコールなどの酸分泌を促す強い刺激物を避けることが必要とされているにもかかわらず,原告X13は,医師から「お酒が特に体に悪いとは聞いておりません」として,前記ア(イ)で述べたように,術後6箇月頃から継続的にアルコールを摂取している。そうすると,原告X13に逆流性食道炎が発症していたとは考え難い。
(ウ) 原告X13の原爆症認定申請後に発症したとされる逆流性食道炎は,胃の部分切除に伴うものとは認められないこと
前記(ア)②で述べたとおり,胃切除後遺症としての逆流性食道炎は,術後1年以内にみられるとされているが,原告X13は,胃切除術後14年余り経過した平成20年10月28日に軽度の逆流性食道炎との診断を受けている。
一方で,原告X13は,同日の内視鏡検査により,逆流性食道炎と併せて食道裂孔ヘルニア(滑脱型)も初めて指摘されている。この食道裂孔ヘルニアは,胃液の食道内逆流を伴いやすいとされている。
また,アルコールの摂取は,逆流性食道炎の原因とされているが,前記ア(イ)で述べたように,原告X13は,術後6箇月頃から継続的にアルコールを摂取していたのであるから,このようなアルコールの摂取が逆流性食道炎の要因となった可能性がある。
以上によれば,原告X13の逆流性食道炎は,胃切除後障害としての逆流性食道炎であるとは認められない。
(エ) 仮に原告X13が原爆症認定申請時に胃切除に伴う逆流性食道炎を発症していたとしても,要医療性があるとはいえないこと
診療録によれば,前記(ア)③で述べた逆流性食道炎の治療に用いられる薬剤の処方は見当たらない。また,前記(イ)で述べたように,原告X13は,逆流性食道炎の治療としては避けることが必要とされているアルコールを術後6箇月頃から継続的に摂取している。これによれば,原爆症認定申請時に,原告X13の逆流性食道炎に要医療性があるとはいえない。
この点,原告X13は,平成14年1月31日の診療録の記載をもって,原告X13に逆流性食道炎の治療薬である「ガスター」が処方されたと主張している。しかしながら,そもそも同診療録の記載が「ガスター」であるか否か疑義がある上,仮に,同診療録の記載が「ガスター」であるとしても,同記載のほかには,原告X13の診療録上,逆流性食道炎の治療に用いられる薬剤(胃酸分泌抑制薬,酸中和剤及びメシル酸カモスタット)の処方は見当たらない。そうすると,原爆症認定申請の6年以上も前にたった1回ガスターが処方されたことをもって,原告X13の逆流性食道炎が原爆症認定申請時に「現に医療を要する状態」にあったといえないことは明らかである。
ウ 原告X13の鉄欠乏性貧血に要医療性があるとはいえないこと
(ア) 胃切除後障害としての鉄欠乏性貧血の一般的な医学的知見
鉄欠乏性貧血の一般的な医学的知見のうち,重要な点としては,① 鉄欠乏性貧血の診断は,血液検査によって行い,〈ア〉貧血(貧血の指標であるヘモグロビン値が12g/dl以下)があり,〈イ〉小球性(平均赤血球容積が82fl以下)で,かつ,〈ウ〉鉄欠乏状態(血清フェリチン値が12ng/ml未満)であれば,鉄欠乏性貧血と診断することができること,② 治療対象となる鉄欠乏性貧血の目安は,ヘモグロビン値10.0g/dl未満,血清フェリチン値12ng/ml未満とされており,必ず血清フェリチン値をみて鉄剤投与の必要性を判断するものとされていること,③ 鉄剤の経口投与による治療においては,一般的な回復機序として,鉄剤を経口投与した場合には,投与の7日ないし10日後に網赤血球数が上昇し,2箇月ないし3箇月後に血清ヘモグロビン値が上昇し,3箇月ないし6箇月後に血清フェリチン値が上昇するとされ,症状が改善しても,貯蔵鉄を反映する血清フェリチン値が正常化するまで服用を続けることが重要であるとされていることなどが挙げられる。
(イ) 原爆症認定申請時において,原告X13が鉄欠乏性貧血を発症していたとは認められないこと
まず,原告X13は,貧血の指標であるヘモグロビン値について,上記(ア)①で述べた鉄欠乏性貧血の診断基準を下回ったことは一度もない。また,平均赤血球容積についても,同診断基準以下は一度もない。さらに,血清フェリチン値については,平成11年11月5日と平成23年10月6日の2回だけ測定されているにすぎず,その値をみても,同診断基準を大幅に上回っている。なお,同診断基準から明らかなように,血清鉄値は必ずしも鉄欠乏の指標となるものとはいえないが,おおむね正常範囲内であり,鉄欠乏性貧血の検査所見とされる値を下回ったことは一度もない。さらに,不飽和鉄結合能も,大幅に下回っているものでもない。
以上によれば,原告X13は,原爆症認定申請時のみならず,胃切除術後全体をみても,鉄欠乏性貧血であったとはいえない。
(ウ) 仮に原告X13が原爆症認定申請時に鉄欠乏性貧血を発症していたとしても,要医療性があるとはいえないこと
原告X13にフェロ・グラデュメットが投与されたのは,平成20年5月8日の1回のみである。しかも,その直前の血液検査の結果(同月2日)をみても,ヘモグロビン値は,WHOの基準値は下回っているものの,前記(ア)①及び②で述べた診断基準の値は満たしており,治療対象となる鉄欠乏性貧血の目安も上回っている。また,前記(ア)③で述べた,鉄剤の経口投与による治療における一般的な回復機序に照らせば,フェロ・グラデュメットを1回処方するだけでは治療が必要な鉄欠乏性貧血に対する処方といえない。さらに,原告X13の血清フェリチン値は,平成11年11月5日に測定された後,平成23年10月6日まで一度も測定されていない。このため,原告X13に対する平成20年5月8日のフェロ・グラデュメットの経口投与については,その処方の要否を決する際及びその処方を中止する際に,フェリチン値が一切考慮されていない。このようなフェロ・グラデュメットの投与は,鉄欠乏性貧血の治療を目的とした投与とはいえず,投与の必要性には疑義がある。
以上によれば,仮に,原告X13が胃切除後障害としての鉄欠乏性貧血であったとしても,原爆症認定申請時において,要医療性の要件を満たすとはいえない。
エ 原告X13の巨赤芽球性貧血に要医療性があるとはいえないこと
(ア) 胃切除後障害としての巨赤芽球性貧血の一般的な医学的知見
巨赤芽球性貧血の一般的な医学的知見のうち,重要な点としては,① 巨赤芽球性貧血の原因は,自己免疫が関与する胃粘液萎縮による貧血(悪性貧血)と,胃全摘によるものが大部分を占め,胃の部分切除の場合は,僅か1%ないし2%にすぎないこと,② 巨赤芽球性貧血の診断には,特徴的な検査所見とされる血清ビタミンB12の低下が参考となることなどが挙げられる。
(イ) 胃切除後障害としての巨赤芽球性貧血の予防を目的とした投薬をもって要医療性があるとはいえないこと
原告X13のビタミンB12の数値は,平成22年10月21日以外は,原爆症認定申請の直前も含めて一貫して正常値の範囲内であるから,原告X13は巨赤芽球性貧血の発症の原因であるビタミン12欠乏の状態にさえない。したがって,原告X13が,原爆症認定申請時に,巨赤芽球性貧血を発症していたとは認められない。
また,原告X13に対する予防目的のメチコバールの投与をもって,要医療性の要件を満たすとはいえない。
すなわち,上記(ア)①で述べたとおり,一般的には,胃の部分切除の場合は,経過観察をすれば足り,ビタミンB12の補充は必須ではないとされている。
次に,原告X13の主張によっても,メチコバールは巨赤芽球性貧血の予防を目的として投与されたものであるが,メチコバール注射液の医薬品インタビューフォームによれば,メチコバールの「承認を受けた効能又は効果」に巨赤芽球性貧血の予防は含まれていないから,原告X13に対するメチコバールの投与は,「承認を受けた効能又は効果」に対する投与とはいえない。
また,原告X13に対するメチコバールの投与の状況は,平成10年7月23日に投与が開始された後,2回目は平成11年7月8日,3回目は同年12月9日であるし,平成12年7月17日の投与の後も,平成13年7月19日まで一度も投与されておらず,その後も平成14年4月25日まで間隔が空いているなど,開始当初から,インタビューフォームに記載された用法及び用量に反する不適切なものである。
さらに,インタビューフォームに記載された用法及び用量に基づいて投与した場合の「臨床効果」については,「ビタミンB12欠乏による巨赤芽球性貧血に対して,3週間から2ヵ月で貧血像や一般症状の回復が認められ」「本剤投与で効果が認められない場合,月余にわたって漫然と使用すべきでない」とされている。原告X13についてみると,平成10年7月23日から平成24年1月26日まで約13年半にわたってメチコバールが投与され続けているが,平成16年4月14日から平成22年10月21日までの約6年半もの間,一度もビタミンB12が測定されていないことからすれば,少なくともこの間については,メチコバール投与による効果の検証を一切することなく,漫然と投与が継続されていたものといえる。
以上のように,原告X13に対するメチコバールの投与の必要性には疑義があるといわざるを得ない。
したがって,原告X13がメチコバールの筋肉注射を受けていることをもって,原告X13の巨血芽球性貧血について,要医療性の要件を満たすとはいえない。
4 結論
以上のとおり,原告X13の胃がん及び胃切除後障害としての各疾病等については,いずれも要医療性の要件を満たしているとはいえないから,原告X13の原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分が違法であるとする原告X13の主張には理由がない。
第10 原告X14について
1 原告X14の申請疾病である心筋梗塞が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
(1) 入市被爆に関する原告X14の主張が認められないこと
ア 原告X14の主張等
原告X14は,昭和20年8月10日,知人を捜索するために,同日正午頃,長崎市寺町の避難先を出発し,爆心地付近(長崎市松山町)を通過して爆心地から約0.5kmの地点にある長崎医科大学に赴き,30分から1時間程度捜索活動を行った後,同じルートで長崎市寺町に戻ったと主張し,平成20年4月20日付け認定申請書,陳述書及び本人尋問においても同旨の陳述をしている。
イ 原告X14の入市状況については,被爆者健康手帳交付申請書の記載に基づいて認定されるべきであること
(ア) 被爆者健康手帳交付申請書の性格及び目的
被爆者健康手帳交付申請書は,申請者が被爆者健康手帳の交付を受けて各種援護措置を受けることのできる「被爆者」たる地位を得ることを目的に作成されるという基本的な性格を有するものである。そのため,入市「被爆者」に当たるとして被爆者健康手帳の交付を申請する者は,被爆者援護法1条が入市「被爆者」として定める要件,すなわち,原子爆弾が投下された時から起算して政令で定められた一定期間内に一定区域内に在ったこと(同条2号)について申告すべきことになる。
(イ) 原告X14に係る被爆者健康手帳交付申請書の記載内容の合理性等
a 入市状況に関する記載内容が合理的であること
原告X14自身が作成した昭和32年6月18日付け被爆者健康手帳交付申請書添付の居所証明書には,「中心地から2K以内の地域に,投下後二週間以内にはいりこんだ時と場所とその理由」の欄の「はいりこんだ時」の欄に「八月十二日」,「はいりこんだ場所」の欄に「坂本町」,「その理由」の欄に「当時医専の学生であった友人の遺骨さがし。医大の構内に。」と明確に記載されている。
入市状況に関する上記の記載内容は,原爆投下から3日後,爆心地付近に所在する医大の学生であった友人が既に死亡していることを前提に,その「遺骨」を探すために入市をしたというものである。これは,原爆投下から3日を経て,爆心地付近の原爆による被害が極めて甚大であることについて,ある程度理解が浸透していたと思われる状況を踏まえた認識として整合的であり,内容にも十分な合理性が認められる。
b 記載内容が真実である旨の証明が付されていること
昭和32年6月18日付け被爆者健康手帳交付申請書添付の居所証明書には,上記入市被爆についての記載内容の真実性を担保するため,「昭和二十年八月九日長崎市に原子爆弾が投下された当時は,次の通りであったことを証明します。」として,上記aで述べた記載に添えて,当時原告X14と同じ町内(被爆地である長崎市麹屋町)に居住していたB22とB23の二人が「証明人」として,署名押印をしている。このように,上記記載内容の真実性及び合理性は,第三者の証明によっても裏付けられているのである。
(ウ) 昭和20年8月10日に入市した旨の原告X14の陳述は信用することができないこと
これに対し,原告X14の爆心地付近への入市に関する平成20年4月20日付け認定申請書,陳述書及び本人尋問における陳述は,昭和20年8月10日に入市した旨変遷し,入市の目的についても,友人が死亡していることを前提とした遺骨探しから,生死が不明の幼なじみの捜索目的へと変遷している。
この点,原告X14は,本人尋問で,昭和32年当時,被爆者健康手帳交付申請書を作成した記憶はないと述べるが,一方で,同申請書添付の居所証明書の氏名欄に記載された原告X14の署名の筆跡は原告X14自身のもので間違いない旨述べている。そうすると,昭和20年8月12日に入市したとの記載は,原告X14自らの認識に基づき記載されたと解するのが合理的であって,仮にこれが事実と異なるのであれば,あえて虚偽の内容を記載した理由が合理的に説明されなければならない。しかるに,原告X14は,どうして同日に入市した旨を記載したのかを問われて,「被爆によって私たちは身体に傷害を受けているから,将来結婚をしたりあるいは就職をするときに,被爆者だということを明らかにすると非常に不利になると。なるべく隠しておいた方がいいよということが,私たち当時も一般常識として流布されておりました。そういう状態の頃だったと思います。」として,同日の入市を記載した理由とは異なる,作成当時の一般的な状況を述べるにとどまる。しかも,原告X14は,「そういう頃だったから,そういう認識だったから,どうして8月12日と書いたんだと思うんですか。」との原告ら代理人の質問に対しては,「それが,ですから私がなぜ,この爆心地にほぼ近い,ここまで行ったということは今まで誰にも話したことがないんですけれども,なぜこれをここに書いたのか,これを見るまで全く記憶がありませんでした。」と供述するにとどまる。結局のところ,原告X14は,陳述の変遷について,被爆者健康手帳交付申請書の作成当時の記憶がないとの供述に終始し,同日に入市した旨を自ら記載したことを自認しているにもかかわらず,その理由を合理的に説明することができないのである。さらに,本人尋問における供述によれば,原告X14は,避難していた(長崎市寺町の)竹林において,上記の幼なじみの母から捜索を頼まれ,長崎原爆の投下翌日である同月10日に一人で幼なじみを捜索しに行ったことになる。しかしながら,避難先には,ほかにも近所の者らが10人ないし20人くらいいたにもかかわらず,幼なじみの母が,自ら同行することもなく,長崎原爆の投下翌日に,爆心地付近にある長崎医科大学まで,当時14歳の原告X14一人を息子の捜索に行かせるということは,明らかに不自然かつ不合理であるといわざるを得ない。その他,原告X14が本人尋問において供述する入市時に目撃した状況等は,原告X14が同日ではなく,同月12日に入市したものであったとしても,何ら矛盾するものではない。
以上のとおり,爆心地付近への入市に関する原告X14の陳述は,入市日及び入市目的という主要な点が大きく変遷しているが,変遷の理由は合理的なものとはいえない。
(エ) 小括
以上のとおり,被爆から12年後の昭和32年に自ら記載した被爆者健康手帳交付申請書の内容と,被爆から60年余りが経過した時点で作成された平成20年4月20日付け認定申請書や,それから更に後の本件訴訟係属後に作成された陳述書や本人尋問における供述の内容とでは,記憶の鮮明さに照らして,前者の正確性が勝ることは論じるまでもない。これに加えて,陳述の変遷に関する供述内容等を併せ考慮すれば,前者の記載内容を信用すべきことは疑う余地がないというべきである。
したがって,原告X14が長崎原爆の投下翌日である昭和20年8月10日に入市した事実を認めることはできず,同月12日に入市したと認めるべきである。
(2) 相当量の放射線に被曝しているとの主張に理由がないこと
ア 原告X14の初期放射線による推定被曝線量は約0.0008グレイであること
相当量の放射線に被曝しているとの主張が不明確であり,少なくとも科学的根拠に基づくものとは考え難いことは既に述べたとおりである。そして,原告X14は,爆心地から約3.5kmの地点にある長崎市麹屋町〈以下省略〉の自宅2階の窓際で被爆したというのであり,DS02による被曝線量推計計算によれば,その初期放射線による被曝線量は約0.0008グレイである。
イ 黒い雨に打たれたことによる原告X14の放射性降下物による被曝線量は微量にすぎないこと
原告X14は,昭和20年8月9日の正午過ぎ頃,長崎市寺町の竹林まで避難した後,20分ほど黒い雨に打たれたと主張する。
しかしながら,原告X14は,上記事実により高線量の被曝をしたことになる具体的な根拠も示していない。かえって,広島及び長崎の原爆から放出され,地上に降り注いだ放射性降下物による被曝線量は,多数の調査研究,原爆投下当時の試料に基づき判定された実測値並びに広島及び長崎の原爆の爆発状況によれば,健康被害の影響という見地からみると,極めて少ない量であることが明らかになっている。
また,原告X14が黒い雨に打たれたとする長崎市寺町に最も近い長崎市本河内町で検出されたプルトニウムの量は放射性降下物の影響が大きいとされる長崎の西山地区よりも圧倒的に少なかったことが判明しており,黒い雨に打たれたことによる被曝線量は微量であったといえる。
しかも,放射性降下物が最も強く残留したとされている西山地区の住民を対象とした生物学的線量推定法(染色体異常頻度)による被曝線量の推定値をみても,当該個人の受けた全被曝量,すなわち,初期放射線に限らず,誘導放射線や放射性降下物(いわゆる黒い雨を含む。)といった原爆放射線による被曝だけでなく,自然放射線や医療用放射線による被曝も全て含まれた包括的な線量推計として得られた値であるにもかかわらず,0.0625グレイという微量であったという結果が得られている。
したがって,放射性降下物が仮に存在していたとしても,原告X14が受けた放射性降下物の被曝線量の程度は極めて微量であったといわざるを得ないのであって,このような原告X14の主張によって,原告X14が人体に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたと認定することも許されない。
ウ 爆心地付近に入市したことによる原告X14の誘導放射線による推定積算線量は0.0057グレイを下回ること
前記(1)で述べたとおり,原告X14が爆心地付近に入市したのは,原告X14が主張する昭和20年8月10日ではなく,同月12日と認められるのであり,今中哲二報告に基づく誘導放射線による推定積算被曝線量は,0.0057グレイを下回る程度にすぎない。
エ 小括
以上によれば,原告X14の推定被曝線量は,全体量としても,0.0065グレイを大きく下回る程度にすぎない。これは,せいぜい1回の胃のX線検査で受ける被曝線量程度の低線量である。このことは,入市被爆者に関する賀北部隊工月中隊の調査結果,遠距離被爆者に関する電子スピン共鳴法(ESR)による調査結果及び放射性降下物が最も多かったとされる西山地区の住民に対する染色体異常頻度の調査で得られた推定被曝線量がいずれもごく僅かであることと整合する。
(3) 原告X14に吐き気,嘔吐,発熱,歯茎からの出血,下痢,脱毛及び倦怠感が出現したとは認められないし,仮にこれらが認められるとしても,放射線被曝による急性症状の特徴を有するとはいえないこと
ア 被爆直後に原告X14が主張する各身体症状が出現した事実は認められないこと
原告X14は,昭和20年8月12日頃(原告X14の主張する入市日から二,三日後)から吐き気,嘔吐,発熱,歯茎からの出血などの身体症状が出始め,同月15日頃からひどい下痢になり,同月20日頃から脱毛が始まり,同年10月頃から昭和21年3月頃までひどい倦怠感が続いた旨主張し,平成20年4月20日付け認定申請書,陳述書及び本人尋問において,おおむねこれに沿う陳述をしている。
しかしながら,昭和32年6月18日付け被爆者健康手帳交付申請書添付の原爆被爆者調書票の「原爆による急性症状(おゝむね六ヶ月以内)」の欄には,「食べ物をはく」,「げり」,「熱がでた」,「毛がぬけた」,「歯ぐきから血がでた」といった欄があるにもかかわらず,原告X14自身が何も記載していない。
この点について,原告X14は,上記調書票の筆跡が自分のものであることを認めながらも,上記調書票を作成した記憶はないと述べるにとどまり,その変遷について合理的な理由を説明し得ていない。原告X14は,「被爆症状が出たということを書くのはマイナスにこそなれプラスにならないと言われておりましたので,書いておりません。」とも供述するが,推測を述べるにすぎない。このように,原告X14が述べる変遷の理由は,何ら合理的なものとはいえない。
また,歯茎からの出血については,平成20年4月20日付け認定申請書や平成22年3月26日付け異議申立書の申立ての理由,陳述書にも記載がなく,本人尋問で初めて供述されたものにすぎない。
加えて,原告X14の本人尋問における供述をみても,嘔吐したか否かははっきりしないと述べ,発熱についても,単に「熱感はあっただろう」程度の感覚を述べているにすぎず,倦怠感の時期(疲れやすくなった時期)についてもはっきりとは分からないと述べており,曖昧な供述にとどまっている。
以上によれば,原告X14が挙げる上記各身体症状が被爆後6箇月以内に出現した事実を認めることはできない。
イ 原告X14に前記各身体症状が出現していたとしても,急性放射線症候群の特徴を有しているとはいえないこと
(ア) 原告X14の主張する被爆直後に出現した各身体症状を全体としてみた場合に,急性放射線症候群の特徴とされる「潜伏期」の存在が認められないこと
原告X14が挙げる各身体症状を全体としてみても,潜伏期の存在が認められない。このように,原告X14が挙げる身体症状を全体としてみれば,急性放射線症候群の大きな特徴とされている時間的経過をたどっているものでないのであり,放射線被曝によって生じたものとはいえない。
(イ) 原告X14の発熱は,急性放射線症候群の特徴を備えているとはいえないこと
原告X14は,被曝(原告X14の主張によれば昭和20年8月10日)の二日後(原告X14の主張によれば同月12日)に発熱が出現した旨主張するが,仮に2グレイ以上の被曝による微熱であっても,被曝後1時間ないし3時間で出現するものであるから,被曝の二日後に出現した原告X14の発熱は急性放射線症候群の前駆症状としての発熱ではない。
(ウ) 原告X14の歯茎からの出血は急性放射線症候群の特徴を備えているとはいえないこと
原告X14は,被曝の二日後に歯茎からの出血が出現した旨主張するが,急性放射線症候群の出血傾向は,主症状としての骨髄症候群として生じるものであり,前駆期や潜伏期に相当する時期には出現しないということが大きな特徴の一つとされているのであり,原告X14の歯茎からの出血は急性放射線症候群の出血傾向の特徴を備えていない。
(エ) 原告X14の下痢は急性放射線症候群の特徴を備えているとはいえないこと
原告X14は,原告X14の主張する入市日(昭和20年8月10日)の5日後(同月15日)頃からひどい下痢になった旨主張し,本人尋問では,その下痢はずっと尋問時に至るまで,いまだに続いていると供述するが,原告X14に出現したという下痢は,その出現時期からすれば前駆症状としての下痢とは考えられない。また,その継続期間からすれば,主症状としての下痢とも考えられない。かえって,被曝後4日ないし5日に出現する下痢は8グレイ以上の被曝をした致死的な急性放射線症候群にみられる身体症状となるが,原告X14が致死的な状況にあったとする主張や立証はなく,また,主症状としての下痢の大きな特徴である大量出血を伴う血性の下痢であるか否かも明らかではない。
むしろ,原爆投下当時は,劣悪な衛生環境及び栄養状態にあったことなど,下痢が発現しやすい状況下にあったといえる。原告X14も,戦時下の逼迫した食料状況の下,恒常的な栄養不良状態が継続していたことがうかがわれるし,原爆の体験による極度の精神的ストレス,原爆投下後の極度の不衛生環境等を考慮すると,下痢の症状が生じたとしても不自然ではなく,それが放射線被曝以外の原因によることも十分考えられる。そして,原告X14の主張する下痢の症状は,放射線被曝に関わりのない一般的な下痢の症状と全く異なるところがない。
以上によれば,仮に原告X14に下痢が生じていたとしても,急性放射線症候群であるとはいえない。
(オ) 原告X14の脱毛は急性放射線症候群の特徴を備えているとはいえないこと
原告X14は,原告X14の主張する入市日(昭和20年8月10日)の10日後(同月20日)頃から脱毛になった旨主張しており,本人尋問では,頭をかくとばらばら毛が落ちてくるような状態であり,ほかの体毛が抜けたという記憶はない旨供述している。
しかしながら,潜伏期の長さを考えると,被曝の10日後に出現した脱毛が急性放射線症候群としての脱毛であれば,被曝後11日以降に脱毛が生じるという7グレイと同程度の極めて重症ないし致死的な急性放射線症候群となるが,原告X14が,当時,そのような致死的な状況にあったことはうかがわれない。
脱毛の程度も,頭髪のみの脱毛であって,他の体毛は抜けていないというのであるから,急性放射線症候群としての脱毛の特徴を満たしていない。
したがって,仮に原告X14に脱毛が出現していたとしても,急性放射線症候群であるとはいえない。
(カ) 原告X14の倦怠感は急性放射線症候群の特徴を備えているとはいえないこと
原告X14は,原告X14の主張する入市日(昭和20年8月10日)の2箇月後(同年10月)頃からひどい倦怠感に悩まされた旨主張するが,1グレイないし2グレイの軽症の急性放射線症候群の臨床症状としての倦怠感であれば,潜伏期の長さは最長でも35日とされており,原告X14の倦怠感は急性放射線症候群の特徴を満たしていない。
(4) 原告X14の被爆後の健康状態に関する主張には理由がないこと
原告X14が羅列する被爆後の病歴等については,それらの疾病等の罹患が原告X14の心筋梗塞について放射線起因性が認められることの根拠となる理由について何ら主張,立証がされていないから,放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(5) 原告X14の医師意見書が挙げる報告等は原告X14の心筋梗塞の放射線起因性を認める根拠となり得ないこと
ア 原告X14の医師意見書が挙げる報告等は,放射線の影響に関する世界的権威であるUNSCEARの報告書及びICRPの勧告によって低線量被曝における心筋梗塞の放射線起因性を認める根拠として不十分であることが総括されていること
原告X14の医師意見書では,原告X14の心筋梗塞の放射線起因性を裏付ける報告として,LSS第11報第3部,LSS第12報第2部,LSS第13報,LSS第14報,AHS第7報及びAHS第8報を挙げる。
しかしながら,これらのうち,LSS第12報第2部,LSS第13報及びAHS第8報の内容は,既に,UNSCEARの報告書によって総括された上で,「約1-2Gy未満の線量における電離放射線への被ばくと心血管疾患の罹患との間に因果関係があると結論づけるには現在不十分である」とすることが国際的に承認されている。
そして,「放射線被ばく後の心血管疾患およびその他の非がん疾患の疫学的評価」と題されたUNSCEAR2006年報告書の附属書Bでは,最も一般的な疾患の一つで,放射線被曝が原因である可能性について比較的多くの情報が入手可能である心血管疾患について,疫学データが詳細にレビューされている。そこでは,「放射線治療の間に受けることがある心臓への高い放射線量に関連した心血管疾患のリスク増加がある。」「約1-2グレイ(Gy)未満の線量域での致死的な心血管疾患と放射線被ばくの間の関連を示す証拠は,これまで日本の原爆被爆者のデータ解析から得られているだけである。その他の研究は,約1-2Gy未満の放射線量による心血管疾患のリスクに関する明確なあるいは一貫した証拠を提供していない。本委員会(UNSCEARを指す。)は,これらのエンドポイントに関する適切なリスクモデルを定めるにはデータが不十分であると総合的に判断する。また,科学的データも,約1-2Gy未満の線量における電離放射線への被ばくと心血管疾患の罹患との間に因果関係があると結論づけるには現在不十分である」と結論付けられている。このUNSCEAR2006年報告書の結論を導くに当たってレビューされた疫学データには,原告X14の医師意見書が挙げる報告等のうち,LSS第12報第2部,LSS第13報及びAHS第8報が含まれている。
また,UNSCEAR2010年報告書においても,上記のUNSCEAR2006年報告書と同様に,「放射線被ばくに関連した致死的な心血管疾患の過剰リスクを示す唯一の明確な証拠は,心臓への線量が約1-2Gy未満では,原爆被爆者のデータから得られている。本委員会(UNSCEARを指す。)によってレビューされたその他の研究では,もっと高い線量で心血管疾患過剰についての証拠を示している。」「本委員会のレビューは,約1-2Gy未満の線量の被ばくと心血管疾患およびその他の非がん疾患の過剰発生との間の直接的な因果関係についての結論を下すことはできなかった。」と結論付けられている。
このように,原告X14の医師意見書で挙げる報告等のうち,LSS第12報第2部,LSS第13報及びAHS第8報の内容については,既に,UNSCEARの報告書の中で,全世界の科学者100人の合議により承認された科学的知見として総括されている。ここで留意されるべきは,UNSCEARの報告書における上記総括は,「約1-2グレイ(Gy)未満の線量域での致死的な心血管疾患と放射線被ばくの間の関連を示す証拠は,これまで日本の原爆被爆者のデータ解析から得られている」だけであることが前提とされていることである。これを言い換えれば,低線量の放射線被曝と致死的な心血管疾患との間の関連(因果関係ではない)を示すような「証拠」(報告)が存在しても,それは仮説にとどまり,科学的知見として確立したものとはいえないことを,UNSCEARの報告書が認定したことを意味する。このようなUNSCEARの報告書の信用性を一般的に失わせるような特段の事情は存在しないのであるから,原告X14の医師意見書が根拠とする上記寿命調査(LSS)及び成人健康調査(AHS)の報告書等の存在をもって,上記のUNSCEARの報告書の内容と明らかに抵触する,約1グレイないし2グレイ未満の線量の被曝と心血管疾患の過剰発生との間の直接的な因果関係が認められるという結論を導くことは,明らかに科学的経験則に反するものであり,許されない。
なお,UNSCEAR2006年報告書及びUNSCEAR2010年報告書の結論における,「約1-2グレイ(Gy)未満の線量域での致死的な心血管疾患と放射線被ばくの間の関連を示す証拠は,これまで日本の原爆被爆者のデータ解析から得られているだけである。」とあるうちの「日本の原爆被爆者のデータ」とは,LSS第13報を指している。その中では,「0.5Sv(0.5シーベルト(0.5グレイ)を指す。)未満での過剰リスクの証拠もほとんどなかった」と記載されている。
そして,このUNSCEAR2006年報告書の記載の存在を受けて,放射線防護の観点から基準を定めるICRPは,平成23年4月に,「不確実性は残るものの,循環器疾患のしきい吸収線量は,心臓や脳に対しては,0.5グレイ程度まで低いかもしれないことを医療従事者は認識させられなければならない。」という勧告(ICRP2011年勧告)を出している。さらに,近時,放射線防護の観点から出されたICRP2012年勧告は,上記のUNSCEAR2006年報告書の記載についても取り上げた上で,「0.5グレイ以下の線量域における,いかなる重症度や種類の循環器疾患リスクも,依然として不確実であることが強調されるべきである」と結論付けている。このように,上記のICRP2012年勧告の内容は,放射線防護の観点から低線量被曝の影響に関する科学的知見の最下限を画する最新のものとして,既に国際的に共有されている。このようなICRPの勧告の信用性を一般的に失わせるような特段の事情があるならばともかく,少なくとも原告らにおいてこの点についての主張及び立証は全くない。したがって,それにもかかわらず,0.5グレイを下回る被曝線量についてまで心疾患と放射線被曝との間の直接的な因果関係が認められるという結論を導くことは,その意味においても科学的経験則に反し,許されるものではない(なお,ここでいう「心疾患」とは,心筋梗塞そのものではないことにも注意を要する。)。
イ 原告X14の医師意見書が放射線起因性の根拠として挙げる報告等を個別にみても,低線量被曝における心筋梗塞の放射線起因性を認める根拠とすることはできないこと
原告X14の医師意見書が挙げる報告等を個別にみても,これらが低線量被曝における心筋梗塞の放射線起因性を認める根拠とすることはできない。以下,整理して述べる。
なお,念のため指摘しておくが,以下の報告等の検討に関する被告の主張について,仮にその論拠の一部について原告X14の医師意見書の意見を容れる余地があると解したとしても,そのことから直ちに放射線起因性を肯定できるものではない。これらの報告等は,原告X14が主張立証責任を負う放射線起因性があることの根拠として原告X14が挙げたものである。そうである以上,原告X14は,上記アにおいて被告が述べたUNSCEAR等の国際的な知見との関係も含め,全ての報告等に対する被告の全ての反論を排斥し,これらの報告等が放射線起因性の判断において科学的経験則としての使用に耐え得る知見であることを,相互に矛盾なく本証として立証しなければならない。これをせずに,疑義をとどめたままこれらの報告等を科学的経験則として用いることは,経験則違背の違法を犯すことにほかならないからである(この点は,他の原告らが挙げる報告等についても同様である。)。
(ア) LSS第11報第3部
a 原告X14は,LSS第11報第3部が,循環器疾患の死亡率に線量反応関係があること,すなわち,被曝放射線量と心疾患との間に有意な関係があることを示唆したと主張するようである。
b しかしながら,LSS第11報第3部における「循環器疾患」には脳卒中と心疾患が含まれ,更に「心疾患」という疾病分類の中にも機序や病態等がそれぞれ異なる様々な疾患が含まれている。このように,LSS第11報第3部は,飽くまで様々な疾患を含む「循環器疾患」という疾病分類において死亡率の上昇と放射線被曝との間に有意な関連が認められたというものにすぎず,これをもって,「心筋梗塞」という疾病分類における死亡率の上昇についてまでも放射線被曝と有意な関連があることが認められるわけではない。
c 上記の点をひとまずおくとしても,LSS第11報第3部において,「循環器疾患」による死亡率の上昇について放射線被曝との間に有意な関連は認められたが,低線量域における死亡率上昇の相対リスクはほぼ1前後であって,放射線被曝による死亡率の上昇はほとんど認められない。
すなわち,LSS第11報第3部の表5は,DS86に基づき,距離や遮蔽の状況から被曝線量を推定し,被曝線量別の群ごと,死因ごとに死亡率上昇の相対リスクを算定したものである。
これをみると,循環器疾患という大きな疾病分類及び心疾患という小さな疾病分類のいずれをみても,それらの相対リスクは,0グレイの群から1.00グレイないし1.99グレイの群までは,ほぼ1前後である(すなわち,被曝によって当該疾病の死亡率が上昇するリスクは被曝していない群とほぼ同じであり,被曝によって当該疾病の死亡率の上昇がほとんどないか,全くないことを示している。)のに対し,2.00グレイないし2.99グレイ以上の群では,1以上となっていることが分かる。
また,LSS第11報第3部のグラフは,被爆時年齢が40歳未満の者と40歳以上の者とで区分して,循環器疾患及び心疾患による死亡率上昇の相対リスクをグラフにしたものである。
これをみると,循環器疾患及び心疾患については,被爆時年齢が40歳未満の者では,被曝線量が約1グレイ,あるいは,より低線量被曝の群においては,その相対リスクは,ほぼ1前後であること,すなわち,被曝による死亡率上昇リスクがほとんどないか,全くないことが分かる。また,被爆時年齢が40歳以上の者では,被曝線量が約2グレイ,あるいは,より低線量被曝の群においては,その相対リスクは,ほぼ1前後であること,すなわち,被曝による死亡率上昇リスクがほとんどないか,全くないことが分かる。
このように,LSS第11報第3部において,循環器疾患ないし心疾患の死亡率の上昇が推定されているのは,被曝線量が高線量域(2グレイ又は3グレイ以上)の場合であって,1グレイ未満の低線量域についてまで死亡率が上昇することは認められていない。LSS第11報第3部の要約部分においても,「まだ限られた根拠しかないが,高線量域(2または3Gy以上)において癌以外の疾患による死亡リスクの過剰があるように思われる。」「死因別にみると,循環器および消化器系疾患について,高線量域(2Gy以上)で相対リスクの過剰が認められる。」とされており,低線量域については,このような相対リスクの過剰が認められたとはされていない。
d 更にいえば,「これらの所見は,死亡診断書に基づいているので信頼性には限界がある。おそらく最も重要な問題は,放射線誘発癌が他の死因に誤って分類される可能性があることである。」と指摘されているように,寿命調査(LSS)においては死亡診断書に基づいて死因を分類するため,放射線に起因するがんによって死亡した患者をがん以外による死亡と誤って観察した結果による可能性があることから寿命調査(LSS)の信頼性には限界がある。
ちなみに,我が国では,1990年(平成2年)に開催された第43回WHO総会で採択された「疾病及び関連保健問題の国際統計分類第10回修正」(ICD-10)の勧告に伴い,死亡診断書の全面的な改正を行っている。この主な改正点の一つに,死亡診断書の死亡原因記入欄に,「疾患の終末期の状態としての心不全,呼吸不全等は書かないでください」との注意書きを加えたことが挙げられる。そして,平成7年1月からは,我が国の人口動態統計調査にもICD-10の導入による改正が行われている。つまり,上記改正がされる以前は,死亡診断書について,例えば,がんを患っている患者が心不全を直接の原因として死亡した場合であっても,死亡診断書の死亡原因記入欄に心不全との記載がされていたケースなどが考えられるのであって,そのため,こうしたケースについても心不全患者として統計がとられていた可能性を否定することができないのである。この点で,死亡診断書に基づく寿命調査(LSS)の信頼性には限界があるとされている(この問題は,LSS第11報第3部に限ったものではなく,その他の寿命調査(LSS)の報告書に等しくいえることである。)。
(イ) LSS第12報第2部
LSS第12報第2部も,前記(ア)と同様に,「循環器疾患」による死亡率について放射線被曝との有意な関連を示した報告にすぎず,「心筋梗塞」による死亡率について放射線被曝との有意な関連を示したものではない。
また,LSS第12報第2部によれば,「心疾患」全体についてみると,LSS第12報第2部の図1のとおり,「心疾患」の過剰相対リスクは,被曝線量が0.5シーベルト(0.5グレイ)未満の二つの群ではほぼ0であり,被曝線量が0.5シーベルト(0.5グレイ)ないし1.0シーベルト(1.0グレイ)の群では約0.2となるが,被曝線量が1.0シーベルト(1.0グレイ)ないし1.5シーベルト(1.5グレイ)の群では再びほぼ0に下降するという,いびつな形状の線量関係が示された。
さらに,LSS第12報第2部によれば,「心疾患」より小さいカテゴリで,心筋梗塞を含む疾病分類である「冠状動脈性心疾患」をみると,1シーベルト(1グレイ)当たりの過剰相対リスクは0.06とされているが,この値については,90%信頼区間の下限値が-0.06となっている。90%信頼区間とは,その値が上限下限ともに0(過剰相対リスクについての場合。なお,相対リスクについては1を基準にする。)を上回る場合には,被曝線量が増加することにより冠状動脈性心疾患による死亡率が上昇するリスクが高くなることが90%の確率でいえることになるのに対し,信頼区間の下限値が0を下回る場合は,被曝線量が増加しても死亡率が上昇しない可能性が,上昇する可能性と同程度にあることを意味する。すなわち,信頼区間の下限値が0を下回る場合には,被曝線量が増加するからといって,必ずしも当該疾病による死亡率が上昇するとは限らないこととなる。
そうすると,「冠状動脈性心疾患」という疾病分類でみた場合,信頼区間の下限値が0を下回っているのであるから,被曝線量が増加するからといって,必ずしも冠状動脈性心疾患による死亡率が上昇するとは限らないこととなる。換言すれば,原爆放射線との関連性に統計学上有意な結果は出なかったことが示されたことになる。
したがって,LSS第12報第2部において,低線量被曝と心筋梗塞との間に有意な関連があるとされたとはいえず,LSS第12報第2部をもって原告X14の心筋梗塞に放射線被曝の影響があったとみることはできない。
(ウ) LSS第13報
上記(ア)及び(イ)で述べたところから明らかなとおり,LSS第13報も,「心疾患」による死亡率が放射線被曝と有意な関連を有することを示したものにすぎず,「心筋梗塞」による死亡率について,放射線被曝との有意な関連を示したものではない。
また,LSS第13報では,放射線被曝との有意な関連があるとされた「心臓疾患」などについても,「約0.5Sv未満の線量については放射線影響の直接的な証拠は認められなかった。」として,約0.5シーベルト(約0.5グレイ)未満の低線量域の放射線影響を肯定したものでないことが示されている。
この点,LSS第13報では,表13のとおり,心疾患全体という大きい疾患概念において死亡率上昇の過剰相対リスクが算出されているが,1シーベルト当たりの過剰相対リスクは0.17(90%信頼区間は0.08ないし0.26)であったことが示されている。
これは,低線量群についてまで線量反応関係が認められるということまでをも意味するものではない。すなわち,表13における「1シーベルト当たりの過剰相対リスクは0.17」というのは,当該研究結果に基づき,過剰相対リスクにつき,いずれの線量においても一定の割合で変化するものと仮定した数学的モデルである線形線量反応モデルを仮説として採用した場合に,1シーベルト当たりの傾きが0.17であったということを示しているにすぎない。そのため,「1シーベルト当たりの過剰相対リスクは0.17」とされたからといって,低線量群で当然に1シーベルト当たりの傾きが0.17であることが実証されたことにはならない。つまり,飽くまで全線量域についての解析をしたのであって,低線量域にも当てはまるとは限らない。
実際,LSS第13報の図13は,推定される被曝線量ごとの過剰相対リスクを図上に点で示したものであるが,被曝線量が約1シーベルトや約0.5シーベルト以下群では,過剰相対リスクが0を下回っていることが分かる。
さらに,LSS第13報では,前提となる線形線量反応モデルについて,がん以外の疾患全体について検討した結果,「この図(図10を指す。)は,線量反応関係について,あるいは約0.5Sv以下の線量における影響の存在についても大幅な不確実性を示している」とされている。これは,LSS第13報において,がん以外の疾患で線形線量反応関係を用いて検討しているが,そもそも0.5シーベルト(0.5グレイ)以下の低線量域においては,線形線量反応関係モデルに従っているとはいい難いことを意味するものである。その上で,LSS第13報では,心疾患などの「リスク増加の全般的特徴から,また機序に関する知識が欠如していることから,因果関係については当然懸念が生ずる」などとして,因果関係(放射線起因性)が認め難いことも明らかにされている。そして,「LSSにおけるがん以外の疾患に関する所見は,これらの疾患の率に対する放射線影響の機序を同定あるいは否定する上で役立つであろう更なる調査の必要性を強調している。」として,放射線影響の機序を同定あるいは否定するための更なる調査の必要性を指摘する。これは,低線量被曝との関連性を肯定する意見はいまだ仮説にとどまることを意味している。
以上によれば,LSS第13報は,心疾患を含むがん以外の疾患における低線量の放射線影響については,飽くまで「がん以外の広範な疾患に対する放射線影響の機序と関連するものかもしれない」として,現時点では正しいのか誤りなのか未確定な仮説を提示して,上記のとおり,今後の更なる調査を促しているものと理解すべきである。そうである以上,LSS第13報の存在をもって,心疾患について低線量の放射線被曝との間に有意な関連を認めたものと解することは,その意義を誤解するものであり,許されない。
(エ) LSS第14報
LSS第14報では,脳梗塞や心疾患等を含む「循環器疾患」という大きな疾病分類について,放射線影響のリスクの増加が示されたのみであって,「心筋梗塞」について放射線被曝との有意な関連が示されたものではない上,循環器疾患についても,「放射線との因果関係については更なる検討を要する」とされている。
また,循環器疾患死亡に関する詳細な結果が報告されているとしてLSS第14報で引用されている文献である清水由紀子ら報告をみると,清水由紀子ら報告添付のウェブ表Bにおいて,心筋梗塞以外に急性リウマチ熱や肺循環疾患など多数の疾患が含まれる「心疾患」という大きな疾病分類では,有意な死亡リスクの増加が認められているが,それより小さい「虚血性心疾患」及び「急性心筋梗塞」の各疾患群では,いずれもP値が0.5を超えており,過剰相対リスクの95%信頼区間も「0」をまたいでいるのであって,放射線被曝による有意な死亡リスクの増加が認められていないことが分かる。
さらに,清水由紀子ら報告では,有意な関連が認められるとされた「心疾患」についてでさえ,「低線量(0.5グレイ以下を指す。)でのリスクの程度は明らかでない。」として,「心疾患」と低線量被曝との関連が認められていないことが示されているのである。
以上のとおり,LSS第14報及びそこで引用された清水由紀子ら報告では,「心筋梗塞」については有意な増加があるとは認められなかったことが示されている上,より大きな疾病分類である「心疾患」についても,0.5グレイを超える放射線被曝によるリスクの増加が認められたと報告されたにすぎず,0.5グレイ以下の低線量被曝との関連は示されていないのであるから,LSS第14報及び清水由紀子ら報告をもって,「心筋梗塞」と原告X14のような低線量の放射線被曝との間に有意な関連を認めたと解することは,その報告内容を正解しないものであり,許されない。
(オ) AHS第7報
AHS第7報の表6は,がん以外の疾患発生率の線量反応関係を示したものである。表6によると,「虚血性心疾患」(狭心症が含まれる。)と「心筋梗塞」のどちらのくくりでみても,P値が0.05をはるかに超えている上,相対リスクの上昇も95%信頼区間の下限値が1を下回っており(この場合は相対リスクなので1を基準とする。),放射線被曝との有意な関連は認められていない。
また,AHS第7報の表8は,心筋梗塞を含む3疾病について,性,市,被爆時年齢及び観察期間ごとに発生率の相対リスクを分析したものである。
表8によると,心筋梗塞について,被爆時年齢が上がるごとに発生率の相対リスクが低下しており,若年被爆者の相対リスクがより年齢が高い層に比べて高いことが示されている。しかし,これについても,P値が0.05をはるかに上回る0.35とされており,有意とはされていない。したがって,AHS第7報をもって,若年被爆者について心筋梗塞発症と放射線被曝との間に有意な関連が認められると解することはできない。
(カ) AHS第8報
AHS第8報の表3は,がん以外の疾患発生率の線量反応関係を示したものであるところ,まず,「虚血性心疾患」全体についてみると,1シーベルト(1グレイ)当たりの相対リスクの推定値は,1.04であるが,95%信頼区間の下限が0.94となり,1を下回っているため,有意に相対リスクが上昇するとはいえない。
次に,「心筋梗塞」についてみると,1シーベルト(1グレイ)当たりの相対リスクは,1.11であるが,虚血性心疾患と同様,相対リスクの信頼区間の下限が0.90となり,1を下回っているため,上記同様,放射線被曝により心筋梗塞の発生率が有意に上昇するとはいえない。
そして,心筋梗塞のうち,「<40g」との付記がされているもの(被爆時に40歳未満であった被爆者という意味である。)についてみると,1シーベルト(1グレイ)当たりの相対リスクは,1.25(95%信頼区間は1.00ないし1.69)とされているが,「表3(続き)」での「階層化に喫煙と飲酒を含めた場合」,すなわち,統計上喫煙と飲酒による影響が出ないようにこれらの因子を調整した場合におけるP値は0.14であって,0.05を超えており,また,1シーベルト(1グレイ)当たりの相対リスクの95%信頼区間の下限値は0.97であって,1を下回っている。そうすると,40歳未満で被爆した者の心筋梗塞の発生と放射線被曝との間に有意な関連は認められない。
なお,この相対リスクは,昭和43年から平成10年までの発症率と被爆時年齢40歳未満に関する二次線量反応モデルに基づく数値である。これを図示したものが,AHS第8報の図2である。
このように,図2は,線量と反応(疾病)の関係を,二次線量反応関係(曲線)のモデルに当てはめている。
統計的に何らかの要因が変動した場合に他の要因に変動が生じるか否かを分析する際には,関係性を数式で表すことを目指す。まず,どのような形の式に当てはまるかを推測する。基本的には,最も単純な形である直線への当てはめを行う。AHS第8報では,「線形の線量反応は,全MI(P=0.38)およびMI<40の発生率(P値は0.10)において有意ではなかったが,MI<40において有意な二次関係が明瞭であった」(「MI」とは心筋梗塞,「<40」とは被爆時年齢40歳未満を意味する。)とされており,40歳未満で被爆した者の心筋梗塞の発生と放射線被曝の線量との間に直線の関係である一次線量反応関係はみられず,二次曲線の関係である二次線量反応関係がみられたとされている。
しかしながら,そもそも心筋梗塞の各線量域についての相対リスクは,95%信頼区間が各線量域において相対リスク1をまたいでおり,有意ではない。AHS第8報においても,上記の線量反応関係の記載に先立ち,「有意な放射線影響は,心筋梗塞(MI)を含めた他の心臓血管疾患では認められなかった」「心臓血管疾患のいずれも放射線量との有意な関係は示さなかった」として,心筋梗塞を含めた心臓血管疾患と放射線量との有意な相関関係(関連)が認められていないことを明確に述べている。
このように,低線量から高線量までの全線量域を対象とした解析で二次線量反応関係が認められるということと,各線量域で相対リスクの上昇が有意に認められるかどうかは別の問題であることに留意しなければならない。すなわち,この線量反応関係に関する解析で述べているのは低線量から高線量までの全線量域を対象に解析をしたところ,数学的に有意な線が引けたということを意味するのみであり,上記のとおり,各線量域をそれぞれ区切って行った解析では,相対リスクの上昇は,有意ではないとされている。
以上をまとめると,AHS第8報は,各線量域それぞれにおいて有意なリスク上昇は認めなかったが,40歳未満で被爆した者の心筋梗塞の発生と放射線被曝線量との関係に関する低線量から高線量までの全線量域を対象とした解析では,数学的には二次曲線を引くことができた(二次線量反応関係が認められた)ということを述べているにとどまり,低線量域での心筋梗塞と放射線被曝との間に有意な関係があることを認めたものではないのである。
(キ) 林奉権ら第1報告
林奉権ら第1報告では,未発表データに基づき,心筋梗塞の既往症のある被爆者において,炎症の指標と考えられているC-反応性蛋白(CRP)レベルとインターロイキン(IL)-6レベルの有意な上昇が認められたとしつつ,この結果について,「前向き研究(研究開始後に新たに生じる事象について調査する研究を指す。なお,過去の事象について調査する研究を後ろ向き研究という。)ではないために,要因ではなく結果である(上記の「有意な上昇」を指す。)可能性を否定できない」「今後,前向き研究を進めるとともに,TNF(腫瘍壊死因子を指す。)-αなどの他の炎症関連因子に及ぼす放射線の影響を調べ,心血管疾患などに対する炎症反応の関与について,さらに検討する必要があると考えられる。」とされている。このように,そもそも上記の有意な上昇に関するデータ自体が未発表のものであって,いかなる批判にもさらされていないものであり,その信用性を直ちに首肯することができるものではないし,放射線被曝が心血管疾患発症の原因となった可能性があるとの意見は,いまだ仮説の域を出ないものであるから,林奉権ら第1報告に記載された研究結果を直ちに科学的経験則として用いることは許されない。
(ク) 小括
以上のとおり,原告X14の医師意見書が挙げる報告等をみても,それぞれ原告X14の心筋梗塞の発症ないし動脈硬化の促進と低線量の放射線起因性を基礎づける根拠となるものではない。
ウ 心筋梗塞,狭心症と放射線被曝との関係についての原告らの主張に対する反論
(ア) 清水由紀子ら報告の記載をもって,心筋梗塞又は狭心症を申請疾病とする本件申請者らの放射線起因性の要件該当性を認める根拠とすることはできないこと
a しきい値について
原告らは,清水由紀子ら報告に,「全線量範囲にわたる線形モデルに基づくすべての心疾患のリスク推定値は,1Gy当たりのERR(過剰相対リスクを指す。)が14%(CI:6-23%,P<0.01)であった」「閾値線量の最良推定値は0Gyであり,95%信頼上限は約0.5Gyだった」旨の記載があるとして,C12の意見にあるように,清水由紀子ら報告の上記記載は,循環器疾患に対する放射線影響には,しきい値がないことを示唆したものであると主張している。
しかしながら,前記第1章第1の2で述べたとおり,疫学文献を因果関係の判断に用いる場合には,当該疫学研究が,仮説の設定から疫学的因果関係の証明に至るどの段階に位置づけられる研究であるのかを正確に把握した上で,当該疫学調査の結果により何が認められたといえるのか(関連性の存在までなのか,有意な関連性の存在までなのか,更に疫学的因果関係まで証明するものであるのか)という点を慎重に吟味して科学的経験則として用いることができる科学的知見であるか否かを判断しなければならない。
この点,原告らは,清水由紀子ら報告のしきい値線量の最良推定値は0グレイであったという記載から,しきい値がないことを示唆したものであると主張しているものと思われる。しかしながら,何かを示唆した報告が存在することのみをもって,科学的経験則として用いることのできる科学的知見が存在するとはいえない。清水由紀子ら報告においては上記記載の後に「95%信頼上限は約0.5Gyだった」と続いているとおり,95%の確率でしきい値が0グレイないし0.5グレイの間にあるということであり,飽くまで「統計解析の結果としてはしきい値がないとしても矛盾はしない」ということを述べているにすぎず,「しきい値がない」としているものではない。そうすると,清水由紀子ら報告は,結局,心疾患の場合には,最大限下げたしきい値が0グレイである可能性を,仮説として示唆しているにとどまる。清水由紀子ら報告でも「この証拠を更に確認する別の調査による強固な証拠が必要である。」と記載されている。ICRP2012年勧告においても,清水由紀子ら報告を取り上げた上で,「最近更新された原爆被爆者データの分析によると」「推定しきい線量(重み付け結腸線量)は0Gyとされ,95%信頼区間の上限は0.5Gyであった。しかしながら,0-0.5Gyの範囲を通して,線量反応関係は統計的に有意ではなく,低線量の情報が不十分であることを示している。」とされている。
したがって,このような清水由紀子ら報告の記載をもって,心疾患のしきい値が0グレイであることを科学的経験則として用いることは誤りといわなければならない。
b 交絡因子について
原告らは,清水由紀子ら報告に,循環器疾患に関係するその他の考え得るリスク因子(肥満,糖尿病,喫煙,飲酒,学歴及び職業)を調整しても,放射線との関連性にはほとんど影響しなかった旨の記載があるとして,C12の意見にあるように,これは交絡因子を考慮し調整しても,放射線による死亡リスクは消失しなかったことを示したものであるとし,喫煙,飲酒等といった交絡因子によっても放射線の影響を否定することはできない旨主張している。
しかしながら,交絡因子とは,見掛け上の関連性が認められる要因Aと疾患Bとの関係において,要因Aが疾患Bの発症の原因といえるか否かを検討する場合において,要因Aとは関係のないこれ以外の因子(要因C)で,疾患Bの発症に影響を与え得る因子のことを指すものである。このような交絡因子が意味を持つのは,飽くまで要因Aと疾患Bの発症との間に見掛け上の関連性が認められる場合である。
そして,清水由紀子ら報告においては,そもそも,低線量被曝あるいは0グレイから0.5グレイの被曝線量では,放射線被曝(要因A)と脳卒中及び心疾患(疾患B)との有意な関連が認められない,すなわち両者の間には見掛け上の関連があるとすら認められていない。そうすると,低線量被曝における脳卒中及び心疾患との間において,交絡因子(要因C)を考慮する意味がないことが明らかである。原告らの上記主張は,交絡因子の意義を誤り,又は,清水由紀子ら報告の報告内容を正解しないものといわざるを得ず,失当である。
なお,念のため述べると,清水由紀子ら報告では,交絡因子や循環器疾患の発生機序と放射線被曝の関係について,他国における研究を検討し,「米国放射能科学技術者の研究を除いて,多くの研究は,潜在的なライフスタイル因子や交絡因子に対する調整ができていない。さらに研究のいくつかについては個々の被曝線量について評価されていなかったり,大まかな評価にとどまっていた。低線量被曝の研究のほとんどが,統計的検出力の限界やバイアス(偏り)を持っていた。その結果,偽陽性,偽陰性の両方ともの可能性が高いかもしれない。原爆放射線影響に関する国連科学委員会UNSCEARは,原子爆弾の研究を除いて,1-2Gyより少ない低線量領域においては,循環器疾患と放射線との関係を支持するような証拠はほとんど認めていないと結論付けている」として,交絡因子に係る清水由紀子ら報告における報告内容が,国際的に確立されるに至ったものでないことをも自己分析しているところである。
更にいえば,疫学論文におけるリスク因子(交絡因子)の調整は疫学的因果関係の証明の過程で行われるものであるから,交絡因子を調整した結果,関連性に影響がなかったとしても,それは疫学的な意味を有するにとどまり,個別具体的な因果関係の判断に直ちに妥当するものではない。すなわち,上記のような関係が疫学的に認められたからといって,個別の被爆者についての各申請疾病が放射線以外の危険因子によって発症した可能性は何ら否定されるものではない。放射線起因性の要件該当性の判断の際には,当該被爆者が有する危険因子の有無及び程度をも考慮する必要があることはいうまでもない。
したがって,その意味においても,清水由紀子ら報告の上記記載をもって,喫煙,飲酒等といった交絡因子によっても放射線の影響は否定することができないことも明らかにされているとする原告らの上記主張は失当である。
c 清水由紀子ら報告の研究対象疾患についての疫学的な意義
なお,上記のとおり,清水由紀子ら報告において放射線被曝との関連が指摘されているのは「心疾患」であって,「心筋梗塞」や「狭心症」ではない。
清水由紀子ら報告の末尾の「結論と意味すること」という項目には,「本調査は,中程度の線量(主に0.5-2Gy)で」「心疾患の死亡率が放射線により増加している可能性を示す現在のところ最強の証拠を提示するが,この証拠を更に確認する別の調査による強固な証拠が必要である。現在得られている0.5Gy未満の結果は統計的に有意ではないが,追跡期間が延長されるにつれて更に症例が加わっていくので,低線量リスクをより正確に推定することが可能になるであろう。」と記載されている。
上記記載からは,① 清水由紀子ら報告において放射線との関連性を示したのが「虚血性心疾患」,「高血圧性心疾患」,「リウマチ性心疾患」,「心不全」及び「その他の心疾患」の全てを含んだ広いカテゴリである「心疾患」に関するものであって,「心筋梗塞」や「狭心症(虚血性心疾患)」に関するものではないこと,② 0.5グレイを下回る低線量被曝については,「心疾患」の死亡率との間にでさえ統計学的に有意な関係は得られなかったことが明らかにされているといえる。
疫学的な研究においては,大きなカテゴリ(A)において有意な関連性が認められたとしても,その中の細分化されたカテゴリ(abc)の全てについて有意な関連性が認められるとは限らない。このことは,細分化されたカテゴリ内の特定因子(a)によって見掛け上の関連性が作られている場合を想定すれば明らかである。すなわち,この場合に,当該aを調整(除去)すると,b及びcのいずれにおいても有意な関連性は認められなくなる。上記bにおいて見掛け上の関連性ないし交絡因子との関係において述べたとおり,このような関係は,疫学においては常識的な事柄に属するのであって,むしろ,疫学的な研究(疫学的因果関係の証明)は,上記のような大きなカテゴリに有意性が認められた後に,そこから交絡因子である特定因子を除去する過程を経ることによって成り立っていることが銘記されなければならない。
そして,清水由紀子ら報告添付のウェブ表Bによれば,最も狭いカテゴリである「心筋梗塞」におけるP値は「>0.5」であり,1グレイ当たりの過剰相対リスクの95%信頼区間は「0(-0.6to0.9)」で「0」をまたいでいるから,「心筋梗塞」の死亡率と放射線被曝との関連性については,統計学的に有意ではない。
(イ) 赤星正純報告の記載をもって,心筋梗塞又は狭心症を申請疾病とする本件申請者らの放射線起因性の要件該当性を認める根拠とすることはできないこと
a 低線量被曝が心血管疾患等に及ぼす影響について
原告らは,心筋梗塞及び狭心症に関して,赤星正純報告に「心疾患による死亡および心筋梗塞が増加しており,大動脈弓の石灰化および網膜細動脈硬化を認めることから被爆者でも被曝の影響として動脈硬化による,心・血管疾患が増加していると考えられた」「動脈硬化あるいは心・血管疾患の危険因子である高血圧,高脂血症および炎症にも放射線被曝が関与している事も明らかになり,これらを介して動脈硬化が促進され,心・血管疾患の増加に繋がったと考えられる」旨の記載があることをもって,C12の意見にあるように,赤星正純報告は,① 心血管のみならず網膜細動脈という脳血管でも放射線被曝による炎症の結果と生ずる動脈硬化が認められたこと,② 被爆者は放射線に被曝したことによって炎症が持続し,非被爆者と比べると加齢現象が進むこと,③ 被爆者に生じた高血圧や高脂血症(脂質異常症),炎症にも放射線の関与が認められている証拠があることを示しているなどと主張する。
しかしながら,そもそも,赤星正純報告では,低線量被曝の心血管疾患に及ぼす影響については,放射線被曝により心血管疾患が増加するとした報告と増加を認めなかったとする報告が半々であり,まだ一定の見解は得られていないと明記されている。放射線被曝により心血管疾患が増加するか否かについて相反する報告が半々ずつ存在しているということは,低線量被曝と心血管疾患の関係について,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るような知見がいまだ確立されていないことを意味するのであって,赤星正純報告における原告ら指摘の記載についても,単に研究途上段階での可能性を述べるものにすぎないと理解せざるを得ない。
したがって,赤星正純報告に,被爆者でも被曝の影響による動脈硬化による心血管疾患が増加していると考えられたなどの上記各記載があることをもって,心血管疾患と放射線被曝との関連性の存在が認められるとはいえず,赤星正純報告の上記各記載内容を正解しないものといわざるを得ない。まして,赤星正純報告の上記各記載をもって,本件申請者らの放射線起因性の要件該当性の判断の際に用いる科学的経験則として一般化して用いることができるものではない。
b 放射線被曝が高血圧等に及ぼす影響について
原告らは,赤星正純報告の「動脈硬化あるいは心・血管疾患の危険因子である高血圧,高脂血症および炎症にも放射線被曝が関与している事も明らかになり,これらを介して動脈硬化が促進され,心・血管疾患の増加に繋がったと考えられる」旨の記載に関して,被爆者に生じた高血圧や高脂血症(脂質異常症),炎症にも放射線の関与が認められる証拠があることを示しているなどと主張する。
しかしながら,赤星正純報告の上記記載は,「心・血管疾患の増加に繋がったと考えられる」とあるとおり,飽くまで「考えられる」事柄について仮説を提示したものにすぎない(これを実証するに当たって必要となる研究の内容が,その後の「今後の研究」の項に記載されている。)。
また,疫学では,「有意な」関連性の存在というものは,疫学的因果関係の検討に入る最低条件にすぎず,このことから直ちに法的な因果関係を帰結し得るものではない。この点,原告らは,赤星正純報告によって被爆者に生じた高血圧や高脂血症(脂質異常症),炎症にも放射線の関与が認められる証拠があるなどと主張するが,そもそも「放射線の関与が認められる」というだけで当該被爆者の高血圧や脂質異常症,炎症についても放射線被曝が原因であると直ちにいうことができるものではなく,当該被爆者の原爆放射線による被曝線量に応じた当該被爆者の高血圧等の上昇の程度(関連性の程度)についても考慮しなければならない。
そして,高血圧及び脂質異常症については,いずれも1グレイ当たりの上昇は僅かであるため,医学上のリスクが1段階高まるためには十数グレイもの高線量の放射線被曝が必要となる。結局,赤星正純報告並びにその元となった佐々木英夫ら報告及びワンら報告は,単に,放射線被曝によって血圧値やコレステロール値に科学的な変動が生じることを示すにとどまり,放射線被曝が医学的にみて血圧値やコレステロール値の上昇にとって重要な要因であることを示すものではない。
(ウ) 原告らが挙げるその他の疫学文献をもってしても,心筋梗塞ないし狭心症について0.5グレイないし1グレイを下回る低線量域における因果関係は認められないこと
原告らは,清水由紀子ら報告及び赤星正純報告に関する主張に加えて,① 寿命調査(LSS)を,順を追ってみてみると,調査期間の延長とともに,まず,高線量域において線量反応関係が認められるようになり,更には高線量域から低線量域にかけて線量反応関係が示されるようになるに至っており,今後もその流れが強まることは間違いない,② 成人健康調査(AHS)においても,年数の経過とともに心筋梗塞の線量反応関係が明らかになり,非がん疾患の発症に対する放射線被曝の影響は今後の追跡調査でより明らかになるはずであるとし,疫学調査から,被爆者に生じた循環器疾患に対する放射線影響はもはや疑いなく,しかも,疫学調査から,その影響は,高線量域のみならず低線量域にも及び,しきい値なしと考えることが合理的であることも示されていると主張している。
しかしながら,原告らの上記主張は,関連性(線量反応関係)の存在のみに着目するものであって,「有意な」関連性がどの範囲(線量域)で存在しているのかという点や,当該被爆者の受けた原爆放射線による申請疾病の発症リスク(関連性の程度)がどの程度であるのかという点については全く考慮しておらず,因果関係の判断の基礎とすることはできない。最新のUNSCEAR2010年報告書は,「本委員会(UNSCEARを指す。)のレビューは,約1-2Gy未満の線量の被ばくと心血管疾患およびその他の非がん疾患の過剰発生との間の直接的な因果関係についての結論を下すことが出来なかった。」として,「これらの疾患の低線量における線量反応関係の形状はまだ明らかでない。」と結論付けている。
以上からすれば,原告らが重視すべきとしている日本の原爆被爆者に関する研究や清水由紀子ら報告の結果を踏まえても,現時点において科学的経験則として因果関係が認められているのは,0.5グレイないし1グレイ以上の線量域に限られるというべきである。このことは,前記(ア)で述べた清水由紀子ら報告の結果とも整合する。
したがって,循環器疾患に対する放射線の影響は,低線量域にも及び,しきい値なしと考えることが合理的であるとする原告らの上記主張には理由がなく,因果関係(放射線起因性)の判断の基礎とすることはできない。
この点,原告らは,C12が,証人尋問で,「この放影研の報告(LSS第12報第2部を指す。)を見ますと,高線量で認められていたと思われる疾患でも,徐々にそれが下がってくる。線量がかなり下のほうまで,低線量に至るまで影響があるということが分かってきた。」などと証言したことを上記の原告らの主張の根拠としているようであるが,C12が上記証言の根拠としたLSS第12報第2部によったとしても,0.5グレイないし1グレイを下回る低線量域において心疾患と放射線被曝との因果関係が認められているとはいえない。さらに,死亡調査である清水由紀子ら報告での対象は致死的な心疾患に限られる。つまり,0.5グレイ以上の被曝線量を浴びたとしても,致死的でない心疾患についての因果関係を認めているものではないことに留意しなければならない。
(エ) 動脈硬化性の循環器疾患が被爆者の線量に応じた持続的な免疫機能の低下やそれによって生じる持続的な炎症反応により生じる旨の原告らの主張は仮説にすぎないこと
a 原告らは,被爆後,長期間経過後に現れる動脈硬化性の循環器疾患についての放射線影響の機序が明らかになりつつあるとして,被爆者に線量に応じた持続的な免疫機能の低下や,それによって生じる持続的な炎症反応が認められ,この持続的炎症反応がアテローム性動脈硬化に結びつくことが示唆されるようになっているなどと主張している。
しかしながら,免疫と放射線被曝との関係については,個別の報告を総合的にレビューしたUNSCEAR2006年報告書において,「免疫老化の加速とがんあるいは炎症性疾患との関連は,原爆被爆者でまだ実証されていない。」とされている。そして,その後に出されたUNSCEAR2010年報告書においても,「原理的には,もし放射線が,身体がもっている感染,がんまたは他の疾患に対する免疫応答の能力を強化または低下するように働けば,放射線被ばくによりいかなる疾患のリスクも影響を受けることになる。多数の研究が検討されたが,低線量放射線の免疫系への影響が,免疫応答を刺激あるいは制御するように働くかどうかについて,明確な判断を下すことはまだできない。」とされている。このように,少なくとも低線量被曝の免疫系への影響は認められていないというのが現在の科学的知見の到達点である。
b また,原告らは,上記主張の根拠として,「原爆放射線の人体影響改訂第2版」の記載も挙げている。
しかしながら,上記「原爆放射線の人体影響 改訂第2版」は,「放射線がどのようにして免疫系に長期にわたる影響を及ぼすのか,その機序はほとんどわかっていない」とした上で,「Tリンパ球が行う適応免疫の機能低下や自然免疫における炎症反応の亢進などが,高線量の被曝を受けた原爆被爆者では被曝していない同じ年齢の人に比べて加齢による変化が大きいことになる。言葉を変えれば,放射線に被曝した人では老化による免疫の衰え(免疫老化)がより進んでいる可能性がある。免疫老化は高齢で疾患感受性が高くなることや治療が遅れることに一部関係すると考えられている。放射線による免疫老化の促進という仮説を支持する知見が蓄積されれば,放射線被曝で加齢関連疾患のリスクが高くなる機序を一部説明できるかもしれない。」としている。このように,放射線と免疫老化の促進との関連は,飽くまでも「仮説」にすぎないことを前提とした上で,今後の他の研究による実証を待つこととしたものである。
(オ) LSS第12報第2部をもって,心筋梗塞又は狭心症を申請疾病とする本件申請者らの放射線起因性の要件該当性を認める根拠とすることはできないこと
原告らは,LSS第12報第2部における「交絡因子との関係」に関する報告内容を挙げた上で,LSS第12報第2部について,統計学的に,交絡因子を考慮しても,原爆放射線の影響を否定することはできないということが示されたと主張する。
しかしながら,清水由紀子ら報告における交絡因子に関して述べたことは,LSS第12報第2部における交絡因子の検討にも同様に当てはまる。すなわち,LSS第12報第2部では,がん以外の死亡率調査において,0.5シーベルト(0.5グレイ)を下回る放射線被曝については,そもそも有意に増加するとの線量反応が認められていないのであるから,この結論に交絡因子が関与しているか否かを検討するまでもなく,かかる低線量被曝と循環器疾患との間に有意な関連は認められない。そして,0.5グレイ以上においても前記のように交絡因子を完全に除去することは不可能であることから,この報告をそのまま科学的経験則とすることはできない。また,そもそも循環器疾患の死亡率調査の結果をもって,原告らの心筋梗塞や狭心症と放射線被曝との因果関係が認められるとする原告らの主張は失当である。
(6) 原告X14には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,喫煙,高血圧及び脂質異常症が存在していること
ア 心筋梗塞は,原爆に被爆していなくても,誰にでも発症し得る疾患であり,一般的には生活習慣病の一つとされている。そして,発症要因が不明とされる疾患も多数ある中で,心筋梗塞は,喫煙,脂質異常症,高血圧,年齢(加齢。男性45歳以上,女性55歳以上),家族歴などの危険因子が存在し(特に,喫煙,高血圧,脂質異常症(高脂血症)及び糖尿病が4大危険因子といわれている。),これらの危険因子が多くなればなるほど有病率が加速度的に増加するなど,そのリスク要因やリスク上昇の程度が,疫学上もメカニズム上も比較的明瞭にされている疾患である。
イ そこで,原告X14についてみると,複数の虚血性心疾患(動脈硬化)の危険因子を有していることが認められる。
すなわち,原告X14は,心筋梗塞を発症した平成11年4月20日当時68歳であり,虚血性心疾患の危険因子として加齢を考慮する45歳を大きく超えていた上,20歳から50歳までの30年近くにわたり喫煙していた。なお,喫煙量(本数)について,原告X14が平成23年11月に受診した杏林大学附属病院の診療記録には,1日20本と記載されているのに対し,原告X14は,本人尋問で,1日五,六本であり,多くても10本を超すことはなかったと述べている。しかしながら,受診した病院においては,自己の健康に関する事情をより正確に話したものと考えるのが自然であることからすれば,原告X14の上記供述により同診療記録の記載の信用性が減殺されるとはいい難く,原告X14の上記供述は信用できるものではない。
また,原告X14は,50歳頃から年に一,二回の頻度で胸痛発作がみられていることからすれば,この時点で既に狭心症を発症していた可能性が高い(なお,狭心症も心筋梗塞と同じ虚血性心疾患の一つであり,上記喫煙習慣は狭心症の危険因子にも当たる。)。
さらに,原告X14は,58歳の時に脂質異常症も指摘されている。なお,原告X14は,平成23年11月28日の栄養指導指示箋・指導記録によれば,この時点においても,「食事以外は甘い物が置いてるので,よく食べています。」「オレンジジュース・ピルクルは水代わりに飲んでいます。」「饅頭・カステラ・ピーナッツ・チョコなどよく食べます。」とのことで,1日1食に加えて頻繁に甘い物等を間食する食生活を継続してきたようであり,「1食→2~3食にする」「量とバランスに気をつけて食べる」「1800kcal食にする」「嗜好品を控える」「減塩する」などといった栄養指導がされている。
加えて,原告X14の血圧は,平成11年3月7日に久我山病院で受診した際の収縮期血圧が140mmHgであり,その後,同年8月24日に降圧剤の処方が中止されたが(杏林大学附属病院の診察記録中の「レニベースoff」。なお,レニベースは降圧剤の一種である。),その後の外来受診時においても収縮期血圧が140mmHgを超える日が複数回認められる(平成11年10月19日に142mmHg,同年11月16日に146mmHg,同月30日に156mmHg)。
しかるところ,「高血圧治療ガイドライン2009」の表2-8によれば,上記の血圧値は,血圧分類では,「Ⅰ度高血圧」の範疇に当たり,また,上記のとおり,原告X14は,① 心筋梗塞の発症当時,高齢(65歳以上)であり,② 30年近くにわたる喫煙歴があり,③ 58歳の時に脂質異常症を指摘され,その後の食生活も良好なものであったとはいい難く,さらに,④ 狭心症を発症させていた可能性も高いのであるから,同表の「リスク第三層」に該当し,当時の脳心血管リスクは「高リスク」であった。
ウ 原告X14のリスクファクターについて,前記第1章第1の2に述べたところに照らして,更にふえんして述べる。
(ア) 脂質異常症について
我が国の前向き疫学調査であるNIPPON DATA80によると,脂質異常症の程度による冠動脈疾患死亡の相対危険度は,総コレステロール値では,200mg/dl以上から上昇し,200mg/dlないし219mg/dl群ですら1.4倍,220mg/dlないし239mg/dl群では1.6倍,240mg/dlないし259mg/dl群では1.8倍,260mg/dl以上群では3.8倍もの上昇になっている。そして,血中のトリグリセライドの値でみると,冠動脈疾患発症の相対危険度は85mg/dlないし115mg/dl群で1.8倍程度の上昇が認められており,116mg/dlないし164mg/dl群で2倍,165mg/dl群で2.9倍程度の上昇となっている。さらに,HDLコレステロールは低値であると脂質異常症になるのであるが,50mg/dl以下程度から冠動脈疾患合併率が上昇し,35mg/dl以下であれば,50mg/dl以上の場合の5倍以上になっている。
そして,高脂血症の診断基準は変遷しているが(呼称も高脂血症から脂質異常症へ変化している。),昭和62年の時点で総コレステロール220mg/dl以上,トリグリセライド150mg/dl以上,HDLコレステロール40mg/dl未満とされていた。平成9年に,総コレステロール220mg/dlに対応するものとしてLDLコレステロール140mg/dlが提示され,現在のガイドライン上では,LDLコレステロール140mg/dl以上又はHDLコレステロール40mg/dl未満又はトリグリセライド150mg/dl以上とされている。総コレステロールの値は基準から外れたが,前述のように総コレステロール220mg/dlに対応するように作成されている。
原告X14は,58歳の時に脂質異常症を指摘されており,平成元年頃と考えられるが,その当時の診断基準に照らすと,総コレステロール220mg/dl以上,トリグリセライド150mg/dl以上,HDLコレステロール40mg/dl未満のいずれかを満たしていたと考えられる。つまり,原告X14は,総コレステロールからみた場合であれば,冠動脈疾患の死亡相対危険度として1.6倍以上のリスク,トリグリセライドでみると冠動脈疾患発症の相対危険度が2倍以上,そして,HDLコレステロールでみても,冠動脈疾患合併率としてHDLコレステロールが50mg/dl以上の者と比較して5倍以上となるような状態であったといえる。
(イ) 高血圧について
高血圧治療ガイドラインによると,血圧が至適血圧(収縮期血圧120mmHg未満かつ拡張期血圧80mmHg未満)を超えて血圧が高くなるほど,全心血管病及び心筋梗塞等の罹患リスク及び死亡リスクは高くなる。さらに,冠動脈疾患死亡の59%が,至適血圧を超える血圧高値に起因する死亡と評価され,Ⅰ度高血圧からの過剰死亡数が最も多かったとされている。そして,男性の収縮期血圧が10mmHg上昇すると冠動脈疾患罹患及び死亡のリスクは約15%増加するとされている。
原告X14は心筋梗塞の発症前の収縮期血圧は140mmHgであり,至適血圧よりも20mmHg高値であったことを踏まえると,リスクは約1.3倍(1.15×1.15)以上上がっていたと考えられる。
そして,高血圧にその他の確立した危険因子が集積すると,心血管病リスクは更に上昇する。原告X14が脂質異常症と高血圧という二つの危険因子を持っていたことを踏まえると,危険因子を有することによる死亡ハザード比は危険因子がない群と比較して,3.51倍,冠動脈疾患の発症率でも危険因子がない者と比較して2倍近い発症が認められている。当然原告X14の脂質異常症の程度によっては,前述したように,それ以上のリスクがあったと考えられる。
(ウ) 放射線被曝によるリスク
比較の観点から被曝によるリスクの上昇についてみると,清水由紀子ら報告における被曝1グレイ当たりの心疾患についての過剰相対リスクが14%であることを踏まえると,被曝による相対リスクは1グレイもの放射線を浴びたとしても1.14倍程度にとどまる。そして,原告X14の被曝線量は0.0065グレイを大幅に下回る程度にすぎないことからすると,そのリスクは統計学的に有意なレベルであるとは考えられず,心疾患でみても,原告X14の受けた放射線被曝による原告X14の発症のリスクの上昇は,ごく僅かなものであると考えられる。
エ 原告X14は,高血圧やコレステロール自体についても放射線との関連について,以下のLSS第13報,楠洋一郎ら報告といった報告等を挙げるが,いずれも心筋梗塞の放射線起因性の判断における経験則として用いることは許されない。
(ア) LSS第13報
LSS第13報には,「被爆者において,大動脈弓石灰化,収縮期高血圧,ならびにコレステロールおよび血圧等の年齢に伴う変化など,がん以外の疾患の幾つかの前駆症状について長期にわたる僅かな放射線との関連が報告されている。最近の調査では,被爆者に持続性の免疫学的不均衡および無症状性炎症と放射線との関連が認められた。」との記載がみられるものの,同時に,「これら(上記の記載を指す。)は,がん以外の広範な疾患に対する放射線影響の機序と関連するものかもしれない。」「これらのLSSにおけるがん以外の広範な疾患に関する所見は,これらの疾患の率に対する放射線影響の機序を同定あるいは否定する上で役立つであろう更なる調査の必要性を強調している。」として,上記の大動脈弓石灰化等や持続性の免疫学的不均衡等と放射線との関連等が,がん以外の疾患に対する放射線影響の機序に何らかの関連性を有するか否かについては,今後更なる調査を要するものであり,これが「関連するものかもしれない」という程度の,一つの可能性が述べられたものにすぎないことが明らかにされている。
そうである以上,LSS第13報の上記記載をもって,大動脈弓石灰化等や持続性の免疫学的不均衡等と放射線との関連が,心疾患を含むがん以外の疾患に対する放射線影響の機序に何らかの関連性を有するものと解することはできないのであって,このような関連性があることを前提として低線量被曝における心筋梗塞の放射線起因性を判断することは許されない。
(イ) 楠洋一郎ら報告
楠洋一郎ら報告では,「興味深い意見として,これらの放射線関連疾患,特にがん以外の疾患には免疫系への放射線影響がある程度関係しているかもしれないという仮説がある。」とされており,放射線関連疾患において免疫系への放射線影響があるとの見解については,いまだ仮説の域を出ないことが明らかにされているばかりか,むしろ,「免疫系への放射線影響と疾患発生の直接的な関連性についてはほとんど分かっていない。」とさえ指摘されている。そして,楠洋一郎ら報告においては,放射線被曝による被爆者の免疫系に対する影響がリンパ系細胞の構成や機能に観察されたなどと指摘しつつ,「これらの影響によって生じる変化の大部分は,被曝線量1Gy当たり数パーセントと小さいように思われる」とされており,「免疫系におけるこのわずかな変化のために特定の疾患に罹患するという筋書きは描きにくいかもしれない。」とも指摘されている。その上,僅かな免疫学的変化が長期間継続した場合に,原爆被爆者集団にしばしば観察される疾患のリスクを増加させたかもしれないと考えることは可能であるとしつつ,これについても,「第二の仮説は,原爆放射線が長期にわたる炎症を誘発し,それが疾患の発生につながったというものである。」として,上記見解が仮説にすぎないことを明言した上で,この仮説につき,今後,「前向きおよび後ろ向きに検討する予定である。」「原爆被爆者におけるこれらの疾患の発生に関し,免疫,炎症の媒体」「と生活習慣因子との相互作用の有無について調査する予定である。」と帰結されている。
以上のとおり,楠洋一郎ら報告をみても,原告X16の医師意見書に記載されたような,「放射線が免疫機能の低下をもたらし,引き起こされた慢性感染が動脈硬化促進を助長するとの報告」がされたものでないことは明らかであるし,また,上記医師意見書の記載のうち,「被爆者において,大動脈弓石灰化,収縮期高血圧,コレステロール,血圧等いわゆる前駆症状の放射線との関連が明らかにされている」との点や,「最近では,放射線が遺伝子の不安定化に加担して持続的な無症状性炎症を引き起こすとの報告」があるとの点については,楠洋一郎ら報告には何ら記載されていない。
したがって,楠洋一郎ら報告をもって,放射線被曝により免疫機能の低下が生じ,これにより心筋梗塞が発症するとの科学的経験則があるとすることも,その余の上記医師意見書の記載を経験則として用いることも,誤りであるというべきである。
(7) 原告X14の被曝線量等に照らせば,原告X14が原爆放射線に被曝したことにより,心筋梗塞を発症したことが高度の蓋然性をもって認められるとはいえないこと
原告X14について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X14において,被告が指摘する原告X14の危険因子(加齢,喫煙,高血圧及び脂質異常症)の影響を超えて,原告X14の心筋梗塞の発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X14の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(心筋梗塞)と放射線被曝に関する知見の状況並びに加齢,喫煙,高血圧及び脂質異常症という危険因子の状況は以上のとおりであり,これらを総合考慮すれば,原告X14の申請疾病(心筋梗塞)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,喫煙,高血圧,脂質異常症などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X14の申請疾病(心筋梗塞)については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
2 結論
以上のとおり,原告X14の心筋梗塞は,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たしているとはいえないから,原告X14の原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分が違法であるとする原告X14の主張には理由がない。
第11 原告X15について
1 原告X15の申請疾病である狭心症が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
(1) 原告X15が直爆を受けた場所が,爆心地から約1kmの地点である広島市雑魚場町付近であると認めることはできないこと
ア 原告X15の被爆者健康手帳の記載に基づいて原告X15の被爆の場所を認定するのは相当ではないこと
直爆の状況に関する原告X15の主張は,昭和20年8月6日に,爆心地から1kmの地点である広島市雑魚場町付近で被爆したというものであり,原告X15の被爆者健康手帳には,被爆の場所として,「広島市雑魚場町」,「爆心地から1.00キロメートル」と記載されている。しかしながら,原告X15は,自らの被爆場所について,被爆者健康手帳に記載されていたことで初めて広島市雑魚場町で被爆したことを知ったとして,同手帳の記載が自己の認識を表したものではない旨述べている。そもそも,原告X15は,爆心地から約1kmという至近距離で,遮るもののない状態で直爆を受けたというのである。広島市雑魚場町付近では,動員学徒等の約80%が死亡したとされており,このような致死的な状況であったにもかかわらず,原告X15が主張する程度の被害にとどまっている点においても,同手帳の被爆場所の記載の正確性ないし同手帳の申請時における原告X15の申請内容の信用性には疑義が生じるものといわざるを得ない。したがって,具体的な申請内容を検討するなどその信用性を明らかにしなければ,同手帳の記載に従った事実認定をすることはできないというべきである。
しかるところ,原告X15の被爆者健康手帳交付申請書や原告X15の申請時の認識を表す書類などは証拠上何ら明らかとなっておらず,同手帳の記載のみからでは,原告X15が広島市雑魚場町で被爆したとする具体的状況や,それにつき不自然な点や客観的状況と矛盾するなどの点がなかったかなど,同手帳の記載の正確性ないしそれに関する申請内容の信用性を検証することはできない。
イ 原告X15の被爆状況に関する陳述は信用することができないこと
(ア) 原告X15の被爆状況等に関する陳述の要旨
この点,原告X15の被爆状況等に関する陳述内容をみると,原告X15は,本件訴訟提起後の日付(平成25年4月3日付け)の陳述書において,原爆投下当日の行動につき,建物疎開で壊された家のがれきを撤去する作業をするため,朝8時に中国新聞社の建物の裏手辺りに集合するように言われており,広島駅に行き,広島駅から同級生達と移動して集合場所に到着し,そこからそれぞれの持ち場に向かったものであり,遅れて撤去作業に来る人を待つために少し休んでいたところで被爆したとする。なお,直爆の地点については,「私ががれき撤去作業で向かった場所は,当時は中国新聞社の建物の近くという認識でしたが,戦後に雑魚場町付近であったことがわかりました。」と修正している。
また,被爆後に逃げた際の状況については,「詳しいことはあまりよく覚えていません。ただ,逃げる途中,欄干に猿の彫り物がされている橋(猿猴橋)を通ったことは覚えています。」などと述べている。要するに,広島駅から集合場所である中国新聞社の建物の裏手に赴いた後,持ち場に移動した場所が広島市雑魚場町であったと聞いたとのことであり,その場で,遅れてくる人を待つために少し休んでいた際に被爆し,逃げる際には猿猴橋を渡ったというのである。
(イ) 原告X15の陳述に従い直爆の地点を広島市雑魚場町付近と解することは客観的状況と齟齬を来すことになること
a 戦没学徒出身校の記録と齟齬すること
前記アに述べたとおり,爆心地から約1kmの地点にある広島市雑魚場町は,動員学徒等の死亡率が約80%に達するほどの壊滅的な状況であったのであり,仮に原告X15が学徒動員されて広島市雑魚場町で作業に従事していたのであれば,原告X15自身のみならず共に学徒動員されていたと思われる同じ学校の生徒も甚大な被害を被ったと解するのが合理的である。そして,これに沿うように,原告X15は,広島県立呉第二中学校の同級生のうち,学徒動員で自身と共に広島市雑魚場町で作業に当たっていた者が全員死亡したと聞いたとし,その人数を七,八人くらいであると供述している。
しかしながら,戦没学徒出身校の記録をみても,広島県立呉第一中学校の記録はみられるものの,原告X15が通っていた広島県立呉第二中学校の記録はない。すなわち,原告X15の同級生が,原告X15と共に学徒動員していた際に,被爆により死亡した事実は認められないのである。上記のように,広島市雑魚場町の動員学徒等の死亡率は約80%に達し,動員された学校によっては,引率者を含め全員が死亡した所さえあったにもかかわらず,広島県立呉第二中学校のみが一人も死亡者を出さなかったと解することは明らかに不自然かつ不合理である。そうすると,学徒動員で同級生らと共に広島市雑魚場町付近にいたとする原告X15の陳述は,信用することができない。
b 被爆後の経路についての陳述は当時の客観的な状況と齟齬していること
原告X15の直爆の地点が広島市雑魚場町付近であったとすれば,そこから広島駅方面に向かう場合に猿猴橋を渡ることは,経路として一応合理的であると考えられる。そして,これに沿うように,原告X15自身も,前記(ア)のとおり,陳述書において猿猴橋を渡った旨陳述している。本人尋問においても,原告X15は,「途中,川を渡りましたときに,猿猴橋と言っておったようですけど,欄干の上に猿の彫刻があった橋を渡った記憶は,鮮烈に覚えてます」,猿の彫刻について,橋を渡ったときに,「すぐ右手に見たという記憶はある」,「欄干の上にあったと思いますよ。」,欄干の上に「石の彫り物があったと思います」と詳細かつ具体的に供述している。
しかしながら,原告X15が渡ったとする猿猴橋には,大正15年2月の架橋当時こそ,親柱や橋脚上に,「地球儀の上で羽を広げたワシの像(金属製)」が立ち,欄干に「猿猴」の透かし彫り(金属製)が施されていたが,戦時中の物資不足による供出のため,昭和18年頃までに,親柱等のワシの像も欄干の「猿猴」の透かし彫りも撤去され,「猿猴」の透かし彫りがされていない石の欄干に交換されていた(なお,「猿猴」とは河童のことであり,猿ではない。)。そうすると,原告X15が,昭和20年8月6日の原爆投下後に,猿猴橋において見たと供述する「欄干上にある石の猿の彫り物(彫刻)」というものは,そもそもこれまで存在したことがないのであるから,これを見たということはあり得ない。また,原告X15の被爆時には,欄干の「猿猴」の透かし彫りも既に撤去されていたのであるから,この欄干の「猿猴」の透かし彫りを見たことと記憶が混同することもあり得ない。
このように,原告X15が被爆直後に広島駅方面に逃げる際に通ったとして鮮明に記憶していると供述する猿猴橋の状況は,客観的事実とは明らかに齟齬しているのである。そうすると,原告X15が,直爆後に猿猴橋を渡って逃げたという供述内容自体に疑義があるといわざるを得ないのであって,このことは,そもそもの直爆の地点が広島市雑魚場町であったことを疑わせる事情といわざるを得ない。
(ウ) 原告X15の直爆の地点等に関する陳述は合理的理由なく変遷していること
a 原告X15の陳述は,核心部分である直爆の地点について合理的理由なく変遷していること
原告X15は,平成20年10月27日付け認定申請書添付の申述書には,「広島市雑魚場町で被爆しました。」と記載していた。平成22年8月11日付け異議申立書においても,「雑魚場町付近(爆心地から1キロメートル)」で「建物疎開で壊された家屋の後片付け作業に従事していた。作業を一時中断し休んでいたところ,作業再開の声がかかり,みなで現場に向かおうとしたところで」被爆したと記載し,自己の被爆場所が広島市雑魚場町であることを明記していた。
ところが,本件訴訟提起後になると,原告X15は,陳述書では,前記(ア)のとおり,「私ががれき撤去作業で向かった場所は,当時は中国新聞社の建物の近くという認識でしたが,戦後に雑魚場町付近であったことがわかりました。」として,自己が中国新聞社付近にいた可能性を示唆するとともに,従前述べていた広島市雑魚場町という被爆場所が自らの認識とは異なることを示唆し始めた。そして,本人尋問においては,従前,被爆場所を広島市雑魚場町としていたことについて,被爆者健康手帳の記載によって初めて同所で被爆したことを知ったとして,広島市雑魚場町というのが自己の認識を表したものではない旨述べた上で,実際に被爆した場所は,作業場ではなく,作業場に行く途中であり,中国新聞社の裏手に集合した後,その近くで休んでいる時であった旨供述して,広島市雑魚場町ではなかったことを明らかにし,陳述を変遷させるに至っている。
しかしながら,中国新聞社と広島市雑魚場町とは,直線距離にしても約1km以上離れており,両者を混同して記憶することはにわかに信じ難い。しかも,原告X15の直爆の地点に関する本人尋問における供述は,「私なんかはここの人間じゃないですから,何がどこ,何町がどうなっているのか,全然知らないですから。」,「あなたが被爆した場所は,今話してくれた,中国新聞社の,地図で言うと胡町と書かれたあたりのところで休んでいるときということになるんですか。」との質問に答えて,「まあ,そういうことになるかもしれないですね。」と,極めて曖昧なものに終始しており,当初一貫して広島市雑魚場町としていた直爆の地点を,本件訴訟に至って突如,中国新聞社付近へと変遷させた合理的な理由は,全く説明することができないのである。
かえって,広島市雑魚場町は爆心地から約1kmであるのに対し,中国新聞社は爆心地から約900mであることからすると,原告X15の上記陳述の変遷は,原爆症認定を受けやすくするために,より爆心地に近かったとする趣旨でされたものであるとも考えられる。また,前記(イ)で述べたとおり,原告X15の訴訟前の認識に従い直爆の地点を広島市雑魚場町付近と解することは,客観的状況と齟齬を来すことになることから,かかる矛盾を指摘されることを回避するために,広島市雑魚場町ではなく中国新聞社へと陳述を変遷させたことも考えられる。なお,念のため付言すれば,前記(イ)aで述べたところに照らせば,原告X15の直爆の地点が広島市雑魚場町ではなく,より爆心地に近い中国新聞社付近であればなおさら,戦没学徒出身校に原告X15が通っていた広島県立呉第二中学校が含まれていないことの合理的な説明が困難なはずである。また,仮に直爆の地点が中国新聞社付近であった場合でも,広島駅へ行くため猿猴橋を渡ることは考えられるものの,そうであったとしても,上記(イ)bで述べた,陳述と客観的状況との間に齟齬を来すことは避けられないというべきである。
このように,原告X15が陳述を変遷させたことに合理的な理由は認められず,むしろ,恣意的に変遷させたものと解する方が合理的とさえいえるのである。
b 原告X15の被爆に至るまでの陳述も合理的理由なく変遷していること
原告X15の陳述は,建物疎開に係る作業現場に赴いていたか,そこで作業を開始していたかという点においても陳述が変遷している。すなわち,原告X15は,本件訴訟提起前の異議申立て時には,建物疎開で壊された家屋の後片付け作業に従事していた,作業を一時中断し休んでいたところ,作業再開の声がかかったと陳述していた。しかるに,本件訴訟提起後に作成した陳述書では,「それぞれの持ち場に向かいました。」「遅れて撤去作業に来る人を待つために少し休んでいた」として,作業場に到着していたか否かにつき曖昧に陳述するとともに,作業を開始していたとは述べていない。そして,本人尋問では,「作業場のそこへ行ったわけじゃない」,「集合して集まって,遅れた者がそこへ行こうということだった」,あるいは,その場所に集合してからは,10分くらい座っていただけで,作業は「してない。」と明確に述べて,中国新聞社の裏手に集合した後,被爆するまでの間,作業場に到着しておらず,作業に従事することもなかったと,合理的理由なく陳述を変遷させるに至ったものである。しかも,反対尋問において,平成22年8月11日付け異議申立書に「建物疎開で壊された家屋の後片付け作業に従事していました。」などといった記載があることを指摘されると,「まあ,なんかぞろぞろ,汚い木の木くずなんかを持ってきまして,それをちょっとこっちへ持ってきてそこへ置いといてくれというような手助けはした記憶があります。」などと,更に供述を翻すに至っている。
そもそも,原告X15にとって,学徒動員による作業に赴いたのは,原爆投下の日が最後であり,真に広島市雑魚場町ないしその近辺で被爆したとすれば,余りに印象深い出来事のはずである。しかも,平成22年8月11日付け異議申立書はその当時の記憶に基づいて記載されたはずであり,被爆後約65年という長期間経過した作成時まで残存していた記憶が,その後の僅か数年の時間経過によって,合理的な理由もないのに変化するのは,明らかに不自然といわざるを得ない(陳述書の作成は平成25年4月3日,本人尋問は同年9月26日である。)。なお,同異議申立書を作成した代理人は,本件訴訟における原告ら代理人の一人であり,当然のことながら,その聴取りは正確を期して行っていたはずであり,その内容が不正確であったなどとは通常であれば考えられない。
(エ) 小括
以上のとおり,直爆の地点ないし被爆前後の状況に関する原告X15の陳述は,直爆の地点を広島市雑魚場町,中国新聞社付近とする点のいずれにおいても,客観的状況と齟齬を来す上,その陳述は不自然に変遷するものであり,陳述相互間で明らかな矛盾も認められ,しかも,これらについて何ら合理的な説明をし得ていないのであって,到底信用に値しないというべきである。
ウ 原告X15の直爆の地点については,ABCCの調査記録の記載に基づき爆心地から約1.92kmの地点と認定するのが合理的であること
(ア) ABCCの調査記録の性格等
ABCCの調査記録は,放影研の前身であるABCCが,被爆生存者の放射線の影響を具体的に解明する研究を行う前提として,研究対象となる被爆者の被爆状況を確定することが不可欠であることから,各被爆者の具体的な被爆状況(被爆位置,距離及び状況)及び被爆後の身体症状等を正確に把握することを目的として,疫学的研究の前提として事実調査を行い,その結果を記録したものである。ABCCの調査は,原爆投下後の比較的早い時期から行われている。その調査方法は,強制や利益誘導等をすることなく任意の協力を得た上で,ABCCに所属する日本人職員が,原則として被爆者本人から直接聴取り調査を行ったものである。したがって,ABCCの調査記録の信用性は一般的に高いということができる。
(イ) 原告X15に係るABCCの調査記録の信用性
原告X15に係るABCCの調査記録は,「20Aug.53」すなわち,昭和28年8月20日という,原爆投下の約8年後に行われた調査に基づくものである。情報源は「Pt」すなわち患者であると記載されており,原告X15本人が述べた内容であることが認められる。同調査記録には,顔,手及び肩にやけどを負った事実や,被爆後すぐに広島県呉市に行った事実など,原告X15の陳述に具体的に合致する内容が記載されている。すなわち,原告X15自身が,13歳の時に被爆した事実を,その僅か約8年後である21歳の時にABCCの日本人調査員に対して述べた内容が記録されたものである。しかも,原告X15の調査に関しては,調査員がその内容の信頼性を「fair」,すなわち,公正であるとしているのであって,その他,特段矛盾する点も不自然な点もない。したがって,原告X15に係るABCCの調査記録の信用性は高いというべきである。
この点,原告X15は,ABCCに行った時期について,「昭和20年12月かな,それか11月か,ともかく寒いとき」であるとし,被爆したその年に行ったのかとの問いに対しても,「はい。」と答え,それ以降にABCCに行ったことはなく,昭和28年にも行っていないと供述している。しかしながら,そもそも,ABCCが設立されたのは昭和22年であって,原告X15がABCCに行ったとする昭和20年には,いまだABCCは存在していない。そうすると,昭和20年にABCCに行き,その後は行っていないとする原告X15の供述は,明らかに信用することができない。したがって,原告X15の本人尋問における供述をもって,ABCCの調査記録の上記記載内容の正確性や信用性が減殺されるものとはいえない。
(ウ) 原告X15に係るABCCの調査記録によれば,原告X15の直爆の地点は爆心地から約1.92kmの地点であると認められること
以上のように信用性が高いと認められる原告X15に係るABCCの調査記録には,原告X15の被爆時の位置について,爆心地からの距離が「1920」m,被爆時の位置の名称が「IN front of Hiroshima Station(in the open ground)」,すなわち,広島駅前(広場)と記載されている。このような記載は直爆の地点を特定する上で十分に具体的であり,前記(ア)に述べたABCCの調査記録の性格等とあいまって優に信用に値するというべきである。
また,このように広島駅前で被爆したと解すると,爆心地からの距離に照らし,原告X15と同じく学徒動員で広島駅付近にいた同級生が死亡しなかったとしてもあながち不自然とはいい難いこととなり,前記イ(イ)aで述べた戦没学徒出身校の記録とも整合する。そうすると,これらの事情からしても,広島駅前で被爆したと考えることが合理的である。
したがって,原告X15の直爆の地点は,爆心地から約1.92kmの広島駅前であったと認めるのが相当である。
エ 小括
以上のとおり,原告X15の直爆の位置については,被爆者健康手帳の記載に疑義があり,その真偽は慎重に検討しなければならないところ,原告X15の被爆状況等に関する陳述は,戦没学徒出身校の記載内容と整合せず,猿猴橋の客観的状況とも齟齬するものである。しかも,原告X15の陳述は,その核心部分である直爆の地点やその前後の状況について,合理的な理由なく変遷しており,その変遷は時間の経過による記憶の低下を考慮してもなお不自然,不合理といわざるを得ない。そうすると,原告X15が広島市雑魚場町ないし中国新聞社の付近で被爆したとは認められない。かえって,ABCCの調査記録にあるとおり,原告X15は,爆心地から約1.92kmの地点にある広島駅前で被爆したと認めるのが相当である。
(2) 相当量の放射線に被曝しているとの主張に理由がないこと
ア 相当量の被曝をしているとの主張は不明確であり,少なくとも科学的根拠に基づくものとは考え難いこと
原告X15は,初期放射線及び残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による外部被曝によって相当量の放射線に被曝したと主張しているものと解される。
しかしながら,原告X1に関して述べたとおり,原告X15が主張する「相当量」という量の放射線被曝がいかなる内実を有するものであるのか全く不明である。このような主張は,残留放射線を受ける状況さえあれば「相当量」の線量の被曝があったとして,放射線起因性を基礎づけようとする恣意的な主張というほかないのであって,もはや科学的な根拠に基づくものとは考えられない。
したがって,原告X1について述べた指摘は,原告X15についてもそのまま当てはまる。
イ 原告X15の推定被曝線量は,全体量としても約0.110711グレイにすぎないこと
(ア) 原告X15の初期放射線による推定被曝線量は約0.110711グレイであること
原告X15は,爆心地から約1.92kmの地点にある広島駅前において直爆を受けたものというべきである。
そうすると,DS02による被曝線量推計計算によれば,原告X15の初期放射線による被曝線量は,約0.110711グレイである。
(イ) 傷口を保護することなく広島市内を徒歩で移動したことにより相当量の残留放射線に被曝したという主張は不明確であること
原告X15は,出血した状態で傷口を保護することもなく広島市内を徒歩で移動したことにより,相当量の残留放射線に被曝したと主張する。
しかしながら,このような主張は,漠然とした抽象的なものであり,広島市内を徒歩で移動したことにより,そもそもどのような被曝をどの程度したという主張であるのか,全く不明確であり,その具体的な根拠も示されていない。したがって,原告X15の上記主張は失当である。
(ウ) 小括
以上によれば,原告X15の推定被曝線量は,全体量としても約0.110711グレイにすぎない。
この点,原告X1に関して主張したとおり,上記の被告における線量評価は過小と評価することはできないし,仮に,一部の下級審裁判例のように,これが一般的に過小であると解されるようなことがあったとしても,そのことから直ちに,原告X15の被曝線量が「相当量」であるとの主張が基礎づけられるものではない。
したがって,このような線量評価の観点からみても,原告X15が「相当量」の放射線に被曝しているということはできず,原告X15の主張には理由がない。
なお,原告X15は,直爆の事実及び広島市内を徒歩で移動した事実のみを原告X15の狭心症における放射線起因性を満たすことの根拠として挙げており,それ以外の事実主張は単なる事情にすぎないようであるが,放射性降下物による被曝線量も,誘導放射化された人体による被曝も,いずれも微量である。
(3) 原告X15の身体症状は放射線被曝を原因とする急性症状とはいえないこと
ア 原告X15が主張する被爆直後の身体症状の内容
原告X15は,被爆直後から,血尿,血性下痢,発熱及び嘔吐の各身体症状が出現し,嘔吐は昭和20年8月中まで,高熱は同月末か同年9月初めまで,血尿及び血性下痢は同月末頃まで続いたこと,やけどや外傷が化膿して1箇月以上治らず,ケロイドが残ったこと,被爆からしばらくして顔,腕及び足に紫斑が出現したこと,常にだるさを感じるようになり,疲れやすくなったことをもって,相当量の初期放射線及び残留放射線の被曝の根拠とするようであり,上記各身体症状が,原告らの理解する放射線被曝による急性症状に当たると主張しているものと解される。
しかしながら,原告X1に関して述べたとおり,原告らの理解する「放射線被曝による急性症状」の具体的内容(特徴)についてこれまで全く明らかにされていないことから,原告X15に出現したという上記各身体症状が放射線被曝によって生じたものであるか否かを判別することはそもそも不可能なはずである。したがって,このような身体症状の存在をもって,原告X15が高線量の放射線に被曝したことの根拠として用いることは許されない。
以上の点をおいても,原告X15の主張する上記の各身体症状はIAEA及びWHOが取りまとめた急性放射線症候群の特徴に当たらず,放射線被曝が原因であるといえないことは明らかである。
イ 原告X15に血尿,血性下痢,発熱,嘔吐,紫斑及び倦怠感が出現した事実は認められないこと
原告X15は,被爆直後から血尿,血性下痢,発熱(高熱),嘔吐,紫斑及び倦怠感が出現した旨主張する。
しかしながら,原告X15のABCCの調査記録をみると,原告X15に係る昭和28年8月20日の原告X15本人を情報源とする調査においても,昭和30年1月4日の原告X15の診療記録を情報源とする調査においても,昭和20年10月に二日間,血性でない下痢をしたことが記載されているにとどまる。そして,発熱,嘔吐,血性下痢,紫斑等については,診察記録上,症状がみられなかった旨の所見が明記されている。また,血尿及び倦怠感についても,昭和28年の上記調査記録には,血尿があったとは記載されていないし,昭和30年の上記調査記録には,「倦怠感」及び「その他の出血」については「症状を訴えていない」,すなわち,患者自身からの申告がないことが明記されている。
このように,原爆投下の8年後である昭和28年及び原爆投下の10年後である昭和30年のABCCにおける上記各調査記録では,本件訴訟における上記の各身体症状の主張とは全く異なる記載がされているのであって,上記ABCCの各調査が原爆投下後10年以内にされたものであること,上記のとおり,ABCCの各調査では,出現した症状(血性でない下痢)と出現していない症状とが書き分けられていることなどに照らせば,ABCCの上記各調査記録の記載は十分信用することができ,これと全く異なる原告X15の上記申述書,陳述書及び本人尋問における供述は全く信用することができない。
以上によれば,原告X15に生じた身体症状は,昭和20年10月に二日間出現した血性でない下痢のみであって,それ以外の原告X15が主張する各身体症状が被爆直後に出現した事実は認められない。
ウ 原告X15に出現した血性でない下痢は,放射線被曝の影響によるものとは認められないこと
上記イで述べたとおり,原告X15に出現したと認められる身体症状は,血性でない下痢のみであるが,出現時期は原爆投下から2箇月後の昭和20年10月であるから,急性放射線症候群の特徴である被爆後48時間以内に出現する前駆症状としての下痢とは考え難い。また,血性でない下痢であるから,大量出血を伴う血性の下痢を特徴とする主症状としての下痢の特徴とも整合しない。したがって,原告X15に出現したと認められる血性でない下痢についても,放射線被曝の影響によるものであるといえないことは明らかである。
また,仮に,原告X15に上記各身体症状が発症していたとしても,その具体的な症状からすれば,それらが急性放射線症候群ではないことは明らかであるし,その他,それらの症状が放射線被曝の影響を受けて発症したものとも認められないというべきである。すなわち,血性下痢について,原告X15は,陳述書において,原爆投下当日に入院したが,1週間もしないうちに病院を出たと陳述し,退院翌日から血性下痢が生じ,それが昭和20年10月頃まで続いたと陳述する。そして,その下痢の程度については,便については,「たしか柔らかいものでした」,「水のような下痢ではなかったです。軟便に近い下痢でした。」とし,また,出血状況については,血の量を問われたのに対し,「血は分からないです。赤かったと。」,「ただ赤かったとしか覚えてないです。」と述べる。
しかるところ,急性放射線症候群としての下痢については,前駆症状としての下痢は,水様性の水のような下痢であって,原告X15が述べるような軟便といった程度のものではないし,主症状としての下痢は,大量出血を伴う重篤な血性下痢であり,これを発症すれば現代の医学水準をもってしても救命可能性がないほどの症状であって,原告X15が述べるように,その出血の量が,ただ赤かったとしか覚えがないという程度のものとは全く異なるものであるから,原告X15のいう血性下痢というのが,急性放射線症候群にいう血性下痢でないことは明らかというべきである。
そして,放射線被曝とは無関係の一般的な急性下痢症は,その90%以上が感染症によるものであり,一般に,人や動物の便に由来する病原体が,汚染された食物や水を介して経口的に感染して起こるとされており,また,慢性下痢症は,いくつかの分類があり,例えば,炎症性の下痢は,炎症による滲出や腸管の運動性亢進などが原因となり得るものであるし,腸管運動機能不全による慢性下痢症は,腸管の内容物の通過時間の異常を原因とするものであって,腸の運動機能が低下した場合には,腸管の内容物の停滞による細菌の過剰増殖によって下痢が引き起こされ,また,腸の運動機能が亢進した場合,特に過敏性腸症候群については,非常に発症頻度が高い疾病であって,精神的ストレスや環境の変化によって増悪するとされている。
この点,戦時下では,深刻な食糧難の状況にあり,国民の多くは栄養失調を来して体力の低下が著しい状態にあり,かつ,赤痢,狸紅熱といった伝染病が増加し,腸チフス,パラチフス及びジフテリアの増加が顕著となっていたなど,保健衛生の観点からみても劣悪な生活環境にあった。また,このような状況下では,十分な食事を取れないこと自体が精神的ストレスになり得るし,まして戦争体験は大きな精神的ストレスになり得るものである。原告X15も,「ものを食べてませんのでそんなに」と述べており,当時の食糧難の影響を受けていたといえ,また,複数の同級生が死亡したとのうわさを聞いたなどと述べていることからすれば,原告X15が,身近な者が戦争により死亡したという恐怖感,虚無感等を含めた察するに余りある精神的苦痛を受けたことは想像に難くない。
そうすると,原告X15が,食糧不足や精神的ストレスによる腸管運動機能不全を生じ,又は,劣悪な衛生環境の下で細菌感染して急性下痢症を生じたなどと考えるのは,ごく自然なことといえるから,原告X15に発症した下痢は,放射線被曝とは無関係の一般的な下痢と考えるのが自然というべきである。そして,そのように考えることは,原告X15に急性放射線症候群の症状が認められないこと(下痢については上記のとおり。その他は後記のとおり)とも整合する。
これに対し,原告X15に生じたとされる下痢が,放射線の影響により生じたものであるというべき事情は見当たらない。仮に,原告X15の主張する下痢を根拠として,原告X15に「相当量の放射線被曝」があったと帰結するのであれば,いかなる症状があればいかなる量の放射線被曝をしたことになるのか,その科学的根拠を具体的に挙げて,吟味及び検証の対象(争点)とすべきである。しかるに,本件訴訟において,原告X15からその点についての具体的な主張及び立証はされていない。
以上からすれば,原告X15に生じたとされる下痢は,急性放射線症候群でないことはもとより,放射線被曝の影響による症状であることも認められないというべきである。
エ 紫斑について
原告X15は,「紫色の点々が顔,腕,足に出ました。」とし,それが出たのがやけどで入院した二,三日後であると供述しており,原告X15が入院したのが原爆投下当日とのことであるから,その二,三日後である昭和20年8月8日ないし同月9日頃に紫斑が出たことを意味するものと解される。
しかしながら,前記イで述べたとおり,ABCCの調査記録によると,原告X15には紫斑はなかった旨記載されており,平成20年10月27日付け認定申請書添付の申述書には,原告X15が述べる上記のような紫斑が出現したことが記載されていなかったことからすれば,そのような紫斑があったものとは認め難い。この点をおいても,紫斑は出血傾向の出現により生じるものであり,出血傾向は,前駆期(被曝後48時間以内)や潜伏期(その長さは8日ないし35日程度)に相当する時期には出現しないというのが大きな特徴であるところ,原告X15の上記紫斑は,潜伏期の初期段階に生じたというのであるから,これが急性放射線症候群に当たらないことは明らかである。
また,原告X15の供述をみても,単に「紫色の点々」とするのみであり,その具体的な大きさも色合いや出現状況等も何ら述べられていないのであって,それがいわゆる紫斑といった類いの症状であるか否かは全く明らかにされていない。そして,上記ウで述べた生活環境等からすれば,むしろ,原告X15に生じたとされる上記症状が,例えばアトピー性皮膚炎やダニ刺されの痕など,放射線被曝とは関わりない身体症状であると考えることも何ら不自然とはいえないのであり,そのような可能性を排斥するなど,上記症状が放射線被曝の影響によるものであるといえる事情は,何ら主張,立証されていない。したがって,この症状に関する事実をもって,原告X15が相当量の放射線被曝をしたと判断することはできないというべきである。
オ 血尿について
血尿についても,原告X15は,被爆直後から生じた旨述べるが,前記イで述べたとおり,ABCCの調査記録からして,原告X15に血尿が生じたとは認められず,また,一般論として,急性放射線症候群である出血傾向が認められる場合に,血尿が生じやすくなることはあり得るとしても,前記イで述べたとおり,そもそも原告X15には出血傾向が出現していなかったといえるのであり,このことからしても原告X15に血尿が生じたものとは認められない。
なお,念のため述べると,仮に,原告X15に血尿が生じていたとしても,血尿は,様々な原因により生じるものであり,小児であってもその発症原因は多岐にわたる上,特に小児については,蛋白尿が陰性で血尿のみが陽性である場合(血尿単独陽性),原因を確定することができない無症候血尿が最も多いのであるから,当時13歳であった原告X15に,放射線被曝を原因としない血尿が生じることは,十分あり得る。また,原告X15の陳述によれば,被爆した際に吹き飛ばされて地面に倒れたとのことであるから,その際に腎臓や尿管等が傷付き,その外傷により一時的に血尿が生じたということも十分にあり得るのであって,このように考えることは特段不自然ではない。さらに,出血性膀胱炎など感染症に伴う疾患も血尿の原因疾患になるところ,前記ウで述べたとおり,原告X15が戦時下の衛生状態の悪い状況下で生活していたことからすれば,かかる衛生状態による感染症に伴う疾患を原因として血尿が生じたとも考え得る。更にいえば,走るなどの運動の後に一過性の糸球体性血尿が出ることや,強く足を踏み込むことを繰り返す運動では,溶血によりヘモグロビン尿が出ることが知られているのであって,原告X15についても,被爆後の環境が負荷となり,上記同様,一過性の糸球体性血尿やヘモグロビン尿が生じたとも考え得る。
以上からすれば,仮に,原告X15に血尿が生じていたとしても,被爆時の外傷や負荷,戦時下の栄養状態などにより,放射線被曝とは無関係の血尿が生じたことは十分考え得るし,そのように考えることは特段不自然ではないのであるから,原告X15に血尿が生じていたことをもって,それが放射線被曝の影響による症状であると認めることはできないというべきである。
カ その他の身体症状について
その他,原告X15は,原爆投下から間もない時期に,発熱や嘔吐があったとか,その後,常にだるさを感じるようになり,疲れやすくなったとも述べる。
しかしながら,発熱や嘔吐は,放射線被曝と無関係の一般的な下痢に伴って頻繁に生じる症状であって,原告X15の陳述どおり,原告X15に下痢が生じていたとすれば,発熱や嘔吐が生じたことを一般的な下痢に伴うものと考えることに何ら不自然はない。また,前記ウで述べた栄養状況や衛生状況等の下における摂取食物等の影響で,又は,前記ウで述べたような精神的ストレスの影響で,発熱や嘔吐が生じたと考えることも特段不自然とはいえないし,そのような生活状況や精神状態からして,だるさや疲れやすさを感じるなど体力の低下等がみられても,特段不自然ではない。これに対し,原告X15の上記各症状が上記のような事情によるものではなく,放射線被曝の影響による症状であるといえる事情は,何ら主張,立証されていない。
以上からすれば,原告X15に生じたとされる上記各症状をもって,原告X15が放射線被曝の影響を受けたものと判断することはできない。
そして,原告X15に上記血尿を始めとする各症状が生じていたとしても,これまで述べたとおり,放射線被曝の影響がなくとも,戦時下においてこれらが重畳的に生じることは,何ら不自然とはいえない。それにもかかわらず,これらの症状が放射線被曝の影響によるものであるといえる事情は何ら主張,立証されていないのであるから,上記血尿を始めとする各症状が重畳的に生じたからといって,放射線被曝の影響を受けたとはいえないのであり,これらの症状に関する事実をもって相当量の放射線被曝をしたと認定することは許されない。
キ 小括
以上のとおり,原告X15が主張する各症状は,急性放射線症候群であることはもとより,放射線被曝の影響により生じたものとは認められないから,上記のような身体症状に基づき相当量の初期放射線及び残留放射線に被曝したと帰結することは許されない。
(4) 原告X15の健康状態に関する主張が失当であること
原告X15が羅列する病歴のうち脳梗塞を除く各疾病については,その一つ一つが放射線被曝によって生じたことについて何ら個別に主張,立証がされていない上に,これらの疾病等の罹患が原告X15の狭心症について放射線起因性が認められることの根拠となる理由についても何ら主張,立証がされていない。また,脳梗塞の既往についても,原告X15以外の原告(原告X17及び原告X20)に関して主張はされているものの,原告X17につき述べるとおり,一般に脳梗塞について放射線との関係は認められないし,そもそも,他の疾病につき放射線との関係が認められるからといって,原告X15の狭心症につき放射線起因性が認められることにはならない。
(5) 原告X15が挙げる報告等は低線量被曝における心筋梗塞の放射線起因性を認める根拠となり得ないこと
ア 原告X15は,狭心症の放射線起因性について,心筋梗塞と同等と考えられるとした上で,原告X14に関して述べたのと同様の報告等を根拠として挙げている。
しかしながら,原告X14に関して述べたとおり,そもそもUNSCEARの報告書においても,約1グレイないし2グレイ未満の線量域については,「致死的な心血管疾患と放射線被曝の間の関連性を示す証拠は,これまで日本の原爆被爆者のデータ解析から得られているだけである」とされているのであって,低線量被曝での影響はいまだ仮説である上,そもそも「致死的な心血管疾患」に狭心症が含まれないことは明らかである。
また,原告X15が狭心症の放射線起因性が認められる根拠として挙げる報告等については,原告X14に関する主張がそのまま当てはまる。
したがって,原告X15の挙げる各報告等は,低線量の放射線被曝と狭心症の発症ないし動脈硬化の促進との関係を基礎づける根拠となるものとはいえない。
イ なお,原告X15は,① 原告X15が受けている一連の冠動脈再建術の原因は心筋梗塞と同じ冠動脈の動脈硬化による狭窄である,② 平成11年6月17日の冠動脈バイパス手術時の術者の手術記録には左室側壁に陳急性心筋梗塞(OMI(Old Myocardial Infarction))の所見を認めたという記載がある,③ 原告X15の申請疾病は狭心症であり,しかも,原告X15の場合,心筋梗塞と同等と考えられると主張する。
しかしながら,心筋梗塞は,心筋が壊死し,不可逆となるのであって,当該壊死部分の心臓の動きが悪くなり,二度と回復しないものである。原告X15の心臓超音波検査の結果を経時的にみると,平成10年7月27日の検査では,「hypokinesis(低運動を指す。)」の所見が散見されるが,平成11年6月17日の検査では,「左室壁運動良好」とされ,平成17年2月17日の検査では,再び「hypokinesis」の所見が散見され,平成20年6月30日の検査では,「壁運動正常」との所見になっている。このように,原告X15の心臓は,動きの悪いときと異常のみられないときとが交互に存在しているのであって,いまだ可逆性を保っているものとみるべきであり,原告X15が心筋梗塞と同等の状態にあるとはいえない。
この点,原告X15の主治医である心臓血管研究所付属病院医師のC18の平成20年10月9日付け意見書においても,「負傷又は疾病の名称欄」の記載は「狭心症」となっている。また,原告X15の平成11年6月17日付け手術記録には,術前診断として狭心症と記載されており,術後診断においても狭心症と記載されている。以上の記載に照らしても,原告X15が心筋梗塞と同等の状態にあるとはいえない。
ウ 以上に対し,原告X15は,心筋梗塞と狭心症の差異を考慮することなく,心筋梗塞と動脈硬化性の狭心症の発症機序は全く同じであり,病態的には何ら差はなく両者を区別することは科学的根拠に欠けるとして,心筋梗塞と狭心症を同列に理解することを前提に,放射線起因性の要件該当性を主張している。
しかしながら,動脈硬化は本質的には加齢に伴った老化現象といえるとされており,ヒト冠動脈には,加齢に伴い,プラーク(plaque)とよばれる内膜の肥厚性病変が形成される。こうしたプラークの進展や増大によって生じる内宮の狭小化が心筋への酸素供給量を低下させ,その結果,需要量との間で較差を生じることで心筋虚血がもたらされる。これが安定狭心症の発症機序と考えられているのに対し,不安定狭心症や急性心筋梗塞,更には冠動脈疾患に起因した虚血性突然死などは,急性冠動脈症候群(ACS)と総称されるが,この発症機序としては,プラークそのものによる冠動脈内腔の狭小化というよりは,むしろ,プラークの破裂及びびらんと,それに続く血栓形成が主な機序であると考えられており,安定狭心症と急性冠動脈症候群では,臨床的な経過及び病態の違いと共に,病理学的なプラーク組織性状においても大きく異なっていることが明らかにされている。つまり,致死的な急性冠動脈症候群とそれ以外の狭心症を全く機序が同一であると考えることは明らかに失当である。
実際に,急性心筋梗塞症,不安定狭心症など急性冠動脈症候群の約70%では急性期における冠動脈造影検査上,冠動脈狭窄率が50%以下の軽度狭窄であることが指摘されている。したがって,急性冠動脈症候群患者の多くは発症まで無症状であることが多いのであり,労作性狭心症が,動脈硬化が徐々に進展することで心筋梗塞に至る同一機序の一連の疾患とすることはできないのである。
したがって,原告X15の上記主張は,前提において失当である。
(6) 原告X15には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,高血圧,脂質異常症及び糖尿病が存在していること
原告X14に関して述べたとおり,虚血性心疾患の危険因子は一般的な医学的知見として明らかとなっている。原告X15は,複数の虚血性心疾患(動脈硬化)の危険因子を有していることが認められる。
ア 加齢
原告X15は,平成8年12月頃から胸痛が出現しており,その頃には狭心症を発症していたと考えられる。そして,原告X15は,当時64歳であり,虚血性心疾患の危険因子として加齢を考慮する45歳を大きく超えていた。
イ 糖尿病
原告X15は,胸痛を自覚する約20年前の47歳から糖尿病に罹患しており,平成4年5月から中野診療所を受診し,平成7年7月にはインスリン注射による治療が開始されている。すなわち,糖尿病では,血糖のコントロール目標を達成することができなくなることにより,段階的に,食事療法等の非薬物療法から,経口内服薬による治療,インスリン注射による治療へと進んでいく。そして,上記のとおり,原告X15については,平成7年7月の時点でインスリン注射による治療が開始されている。そうすると,原告X15の血糖のコントロール状態は,余り良好でない状態であったことがうかがえる。また,原告X15は,少なくとも平成5年7月10日には,糖尿病による合併症である糖尿病性網膜症に罹患しており,このことからも,原告X15の血糖のコントロール状態が悪かったことがうかがえる。
ウ その他の危険因子(脂質異常症及び高血圧)
加えて,原告X15については,医師意見書に,原告X15の危険因子として,糖尿病のほかに脂質異常症と高血圧がある旨の記載がある。脂質異常症については,原告X15が,本人尋問において,「それ(高脂血症と言われたことを指す。)はありますね。」と述べ,処方された薬について,「高脂血症で,その当時は飲んだような気もします」と述べている。また,高血圧については,中野総合病院に初めて入院した平成10年6月25日の時点の診療録には,以前から診療していた旨及び高血圧である旨が記載され,降圧剤が処方されており,治療中であったことが認められる。
以上からすれば,原告X15が,狭心症発症時(平成8年12月)において,脂質異常症及び高血圧をも有していたものと認められる。
エ 放射線被曝と糖尿病との関連性が科学的知見として認められているともいえないこと
なお,原告X15の医師意見書では,原告X15が2型糖尿病として差し支えないといえるとし,楠洋一郎ら報告を挙げて,原告X15の有する糖尿病自体が原爆放射線の影響を受けている可能性も否定することができないとされている。
しかしながら,楠洋一郎ら報告から糖尿病と放射線被曝の間に関連があるなどということはできない。また,上記医師意見書においても,楠洋一郎ら報告以外の文献は示されておらず,その他糖尿病と放射線被曝との関連性を裏付ける根拠は何ら示されていない。
したがって,楠洋一郎ら報告及び上記医師意見書をもって,原爆放射線の被曝と原告X15の糖尿病との関連があると認めることはできない。
オ 以上述べた原告X15のリスクファクターについて,前記第1章第1の2に述べた観点から,ここに再度ふえんして述べる。
糖尿病は冠動脈疾患発症の重大な危険因子であり,冠動脈疾患発症の相対リスクは2.6倍にもなる。また,血圧上昇も重大な危険因子であり,冠動脈疾患発症の相対危険度は女性が2.5倍,男性が2.3倍にもなる。さらに,我が国の前向き疫学調査であるNIPPON DATA80によると,脂質異常症の程度による冠動脈疾患死亡の相対危険度は総コレステロール値では,200mg/dl以上から上昇し,200mg/dlないし219mg/dl群ですら1.4倍,220mg/dlないし239mg/dl群では1.6倍,240mg/dlないし259mg/dl群では1.8倍,260mg/dl以上群では3.8倍もの上昇になっている。そして,血中のトリグリセライドの値でみると,冠動脈疾患発症の相対危険度が85mg/dlないし115mg/dl群で1.8倍程度の上昇が認められており,116mg/dlないし164mg/dl群で2倍,165mg/dl群で2.9倍程度の上昇となっている。さらにHDLコレステロールは低値であると脂質異常症になるのであるが,50mg/dl以下程度から冠動脈疾患合併率が上昇し,35mg/dl以下の場合は50mg/dl以上の場合の5倍以上になっている。そして,危険因子の合併数によっても,冠動脈疾患のリスクは上昇し,冠動脈疾患による死亡ハザード比はリスクがない群を1として,8.04と非常に高値となっている。原告X15の狭心症発症前の糖尿病,脂質異常症及び高血圧の程度によっては,それ以上のリスクがあったと考えられる。
これに対し,放射線被曝と狭心症発症との関連を認めた科学的知見は存在しないのであって,その中で,多数のリスクファクターを持っている原告X15の狭心症が放射線以外の影響によって生じたものであることは明らかである。
(7) 原告X15の被爆状況,被爆後の身体症状,動脈硬化の危険因子保有状況等に照らせば,原告X15が原爆放射線に被曝したことにより,狭心症を発症したことが高度の蓋然性をもって認められるとはいえないこと
原告X15について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X15において,被告が指摘する原告X15の危険因子(加齢,高血圧,脂質異常症及び糖尿病)の影響を超えて,原告X15の狭心症の発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X15の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(狭心症)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢,糖尿病等の虚血性心疾患(動脈硬化)の危険因子の状況は以上のとおりであり,これらを総合考慮すれば,原告X15の申請疾病(狭心症)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,高血圧,脂質異常症,糖尿病などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X15の申請疾病(狭心症)については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
2 結論
以上のとおり,原告X15の狭心症は,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たしているとはいえないから,原告X15の原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分が違法であるとする主張には理由がない。
第12 原告X16について
1 原告X16の申請疾病である心筋梗塞が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
(1) 相当量の放射線に被曝しているとの主張に理由がないこと
ア 原告X16の推定被曝線量は,全体量としても0.0125199グレイ程度にすぎないこと
相当量の被曝という主張が失当であることは既に述べたとおりである。そして,原告X16は,昭和20年8月6日に,爆心地から約2.5kmの地点にある広島市牛田町の自宅の庭で被爆したというのであり,DS02による被曝線量推計計算によれば,その初期放射線による被曝線量は0.0125199グレイ程度である。
イ 放射性粉塵や放射性降下物による外部被曝及び内部被曝による被曝線量は微量にすぎないこと
原告X16は,自宅から逃げる際に放射性粉塵や放射性降下物により外部被曝及び内部被曝をしたと主張するが,漠然とした抽象的な主張であり,これにより一定程度高線量の被曝をしたことになる具体的な根拠も示されていない。
かえって,原告X1に関して述べたとおり,生物学的線量推定法によって得られた遠距離被爆者及び入市被爆者の推定被曝線量等に照らせば,仮に原告X16が内部被曝をしていたとしても,その被曝線量はDS02の誤差の範囲に収まる程度の微量にすぎない。この点は,物理学的推定法であるDS02に基づき内部被曝による線量評価を試みた今中哲二報告とも整合的である。
加えて,原告X1に関して述べたとおり,原爆の放射線による内部被曝で最も考慮しなければならない長崎の西山地区の住民についてさえ,昭和20年から昭和60年までの40年間にも及ぶ内部被曝線量は,自然放射線による年間の内部被曝線量の10分の1以下の格段に小さなものであることが科学的に実証されている。
ウ 広島原爆の投下当日である昭和20年8月6日から6日間,母の間近で寝泊まりをしたことによる原告X16の被曝線量もごく僅かにすぎないこと原告X16は,昭和20年8月6日から同月11日までの6日間,爆心地で被爆した母の間近で寝泊まりしたことから,濃厚な放射性物質が漂う空間にいて,体表面や呼吸を通じて被曝したと考えられるとして,誘導放射化された人体による被曝の影響を主張するようである。
しかしながら,そもそも原告X16が主張する母の被爆状況については,原告X16の母が被爆した地点は明らかではなく,原告X16の母が「爆心地」やその付近で被爆したと認めるに足りる証拠はない。
また,原告X16自身の被爆状況に関する上記主張は漠然とした抽象的なものであり,これにより一定程度高線量の被曝をしたことになる具体的な根拠も示されていない。かえって,原告X1に関して述べたとおり,いわゆるJCO臨界事故で約25グレイもの高線量被曝をした従業員のうち汚染検査において最も高い放射線量を示した者の右肩部の放射線量の測定結果(誘導放射化の調査結果)でさえ,1時間当たりで10マイクロシーベルト(0.00001グレイ)と,歯科撮影であれば1回程度の放射線量にすぎない。
また,原告X1に関して述べたとおり,放射性降下物の量自体が極めて少ないことから,衣服や身体に付着した放射性降下物による被曝を受けた人体に接したことによる外部被曝もごく僅かにすぎない。
エ 小括
以上によれば,原告X16の推定被曝線量は,全体量としても,0.0125199グレイ程度にすぎない。これは,せいぜい,1回のCT検査で受ける被曝線量程度の低線量である。
(2) 原告X16の被爆後の健康状態に関する主張が失当であること
原告X16が,被爆後外傷の治癒が遅延したとか湿疹が治らなかったなどとし,また,被爆後の病歴等を羅列する点については,これらが放射線被曝の影響によるものであることについても,それらの疾病等の罹患が原告X16の心筋梗塞について放射線起因性が認められることの根拠となる理由についても,何ら主張,立証がされていないから,放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(3) 原告X16が挙げる報告等は心筋梗塞の放射線起因性を認める根拠となり得ないこと
原告X16の挙げる各報告等は,低線量の放射線被曝と心筋梗塞の発症ないし動脈硬化の促進との関係を基礎づける根拠となるものとはいえない。
(4) 原告X16には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,高血圧及び脂質異常症が存在していること
ア 原告X16は,心筋梗塞を発症した平成19年4月20日当時73歳であり,虚血性心疾患の危険因子として加齢を考慮する45歳を大きく超えていた。
イ 原告X16の血圧は,被爆者健診時である平成16年12月16日及び平成17年6月14日の時点で,それぞれ収縮期血圧140mmHg,拡張期血圧76mmHg及び収縮期血圧144mmHg,拡張期血圧80mmHgであり,原告X16が心筋梗塞を発症して救急車で土浦協同病院に搬送された平成19年4月21日の時点では,収縮期血圧158mmHg,拡張期血圧88mmHgであった。上記血圧は,「高血圧治療ガイドライン2009」の表2-8における血圧分類では,「Ⅰ度高血圧」に該当する。
また,原告X16の入院時の診療録には,「降圧剤内服していたが,現在自己中断」と記載されており,その入院時に原告X16の妻が記載したとされる「ご家族の皆様へ」と題する書面には,これまでの傷病の有無や治療状況等に関する質問に対し,「2年ほど前,風邪でかかった石岡市の寿成会診療所で高血圧が分かり,血圧降下剤を飲んでいたが,3カ月ぐらい前に服用を止めている。」と記載されていることからすれば,原告X16は,心筋梗塞発症の約2年前に高血圧を指摘され,それ以降,降圧剤を処方されていたが,途中で内服を自己中断し,そのまま放置していたものと認められる。
これに対し,原告X16は,本人尋問において,医師から高血圧であると言われたことはない,降圧剤の服用を指示されたり,これを処方されたりしたことはない,「ご家族の皆様へ」と題する書面の記載については,妻がそのように思い込んで書いたと言っていたなどと供述するが,そもそも,「ご家族の皆様へ」と題する書面には,降圧剤を服用していたこと,これを処方した診療所,処方に至った経緯,その服用開始及び終了の時期について,具体的かつ明確に記載されていることに照らせば,これらの記載を単なる妻の思い込みとする原告X16の供述は不合理といわざるを得ない。また,妻が思い込みをしたとする理由をみても,原告X16は,原告X16が上記診療所において風邪で診察を受けた後,待合室の血圧計で血圧を測った際,血圧が150mmHgくらいあり,驚いた妻から再度診察を受けるように言われて,再度診察を受けた経緯があったため,妻が原告X16について「風邪にかかって何か一時的に血圧が高くなったんだというふうに思ってたらしくて,それでなんか自分で高血圧だというふうな,そういうふうな書き方をした」と供述しているが,上記経緯をもって,原告X16の妻が,原告X16が数箇月にわたり降圧剤の服用を継続していたものと思い込むとは考え難い。さらに,原告X16は,妻自身が緊張性頭痛で通院した際に血圧が高くて降圧剤をもらって飲んでいたことがあり,何箇月か通院するうちに頭痛が治まり,医師から降圧剤を飲まなくてよいと言われたことが頭にあったらしいなどとも述べるが,このような事情があったからといって,原告X16が降圧剤を服用していたものと妻が思い込むとは考え難い。むしろ,原告X16の妻が自ら降圧剤を服用していたのであれば,降圧剤に対する知識や関心もあったと考えられるのであって,原告X16が服用している薬を何ら確認することもなく降圧剤であると思い込んだというのは不自然である。加えて,原告X16が単なる風邪で三,四箇月もの長期にわたって通院していたとも考え難く,真に風邪でそのように長期間にわたって通院していたのであれば,妻が,上記書面に記載するに当たり,風邪で寿成会診療所に診察を受けに行ったことのみ記載し,その後の風邪に関する治療や投薬について一切記載しないというのは不自然である。
このように,医師から高血圧であると言われたことはなく,降圧剤の処方もされていなかったという原告X16の供述は,明らかに不自然かつ不合理であって信用することができるものではない。これに対し,原告X16の妻が作成したという上記の「ご家族の皆様へ」と題する書面の記載内容は具体的で明確かつ合理的である。したがって,原告X16の上記供述をもって,原告X16が高血圧であった事実を否定することができるものではない。
さらに,原告X16の医師意見書で,「胸痛を平成16年(2004年)ごろから感じており,これを初発と考えると,発症は降圧剤内服以前ということになる」との意見が述べられている点については,高血圧には特有の自覚症状はないため,定期的に健康診断などで血圧を測定しなければ発見し難いのであって,医師から高血圧であると指摘されたり,内服治療を開始した時期が,高血圧の発症時期であるとは限らない。原告X16は,上記のとおり,平成16年に行われた被爆者検診において,既に高血圧の状態にあった。それ以前に原告X16が健康診断を定期的に受けていたかは定かでなく,特に東京国税局を退職した平成4年以降,自ら税理士業を営んでいた時期には,職場での法定検診もなかった。その上,被爆者健康手帳の健康診断結果の記載欄をみても,最初の検査年月日は平成16年12月16日となっており,原告X16は同手帳の交付を受けて以降,同年まで健康診断を受けていなかったことがうかがわれる。このように血圧の測定がされない間に原告X16の高血圧が悪化し,放置され続けていた可能性が十分に考えられる。
ウ 原告X16は,平成19年4月21日の入院初日の時点のLDLコレステロール値は162mg/dl(基準値140mg/dl以下)であった。同入院開始時には持参薬がなかったことなどからすると,コレステロールに関する何らかの治療を受けていたとは考えられず,高LDLコレステロール血症であったことが認められる。
この点,原告X16の医師意見書では,第1回入院中にLDLコレステロール162mg/dlの記録があるが,これに対する脂質異常症の治療薬は初回発症のリスクになったと考えるより,二次予防に使用されており,LDLコレステロール70mg/dl以下という十分な効果が得られていることから,その程度は軽いと考えられるとの意見が述べられているが,脂質異常症は,インフルエンザなどの感染症のような一朝一夕になる病気ではないため,入院日に未治療の異常値が認められたということは,それ以前から脂質異常症が存在していた可能性があるといえる。
エ 原告X16は,心筋梗塞を発症した時点で,上記の虚血性心疾患の各危険因子を保有していたことから,「高血圧治療ガイドライン2009」の表2-8「(診察室)血圧に基づいた脳心血管リスク層別化」の「リスク第二層」に該当し,脳心血管リスクは「中等リスク」であった。
オ 以上述べた原告X16のリスクファクターについて,前記第1章第1の2に述べたところに照らして,ここに再度ふえんして述べる。
原告X16は平成19年の時点で総コレステロール227mg/dl,LDLコレステロール162mg/dlと高値を認めており,診断基準の総コレステロール220mg/dl以上を満たしていた。したがって,総コレステロールの値からすれば,冠動脈疾患の死亡相対危険度として1.6倍以上のリスクがあったといえる。
原告X16の心筋梗塞の発症前の収縮期血圧は140mmHg以上であり,至適血圧よりも20mmHg以上高値であったことを踏まえると,リスクは約1.3倍(1.15×1.15)以上上がっていたと考えられる。
そして,高血圧にそのほかの確立した危険因子が集積すると,心血管病リスクは更に上昇する。原告X16が脂質異常症と高血圧という二つの危険因子を持っていたことを踏まえると,危険因子を複数有することによる死亡ハザード比は危険因子がない群と比較して,3.51倍,冠動脈疾患の発症率でも危険因子がない者と比較して2倍近い発症が認められている。
このような原告X16のリスクファクターの大きさに鑑みれば,原告X16の心筋梗塞の発症は当該リスクファクターによる影響によるものとみるのが相当である。
(5) 原告X16の被曝線量等に照らせば,原告X16が原爆放射線に被曝したことにより,心筋梗塞を発症したことが高度の蓋然性をもって認められるとはいえないこと
原告X16について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X16において,被告が指摘する原告X16の危険因子(加齢,高血圧及び脂質異常症)の影響を超えて,原告X16の心筋梗塞の発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X16の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(心筋梗塞)と放射線被曝に関する知見の状況並びに加齢,高血圧及び脂質異常症という危険因子の状況は以上のとおりであり,これらを総合考慮すれば,原告X16の申請疾病(心筋梗塞)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,高血圧,脂質異常症などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。この点,原告X16の原爆症認定申請の際に提出された医師意見書の「当該負傷又は疾病に関する原子爆弾の放射線起因性等についての医師の意見及びその理由」の欄にも,「高血圧,という危険因子を有する為放射線との関係は全くの不明である。」と記載されている。
したがって,原告X16の申請疾病(心筋梗塞)については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
2 結論
以上のとおり,原告X16の心筋梗塞は,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たしているとはいえないから,原告X16の原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分が違法であるとする原告X16の主張には理由がない。
第13 原告X17について
1 原告X17の申請疾病である脳梗塞が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
(1) 被爆態様に関する原告X17の主張は認められないこと
ア 原告X17が直爆を受けた場所が,爆心地から約1.5kmの地点にある長崎市家野町にある小川の中であると認めることはできないこと
(ア) 原告X17の直爆時の状況に関する主張
原告X17は,昭和20年8月9日に,長崎市家野町の国鉄線路横を流れていた小川(爆心地から約1.5kmの地点)で友達と水遊びをしていた最中に被爆したと主張するが,原告X17が爆心地から約1.5kmの地点にある長崎市家野町の小川で被爆したとは認められない。かえって,原告X17は,爆心地から約3.2kmの地点にある長崎市川平町の小川で被爆したというべきである。
(イ) 昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書の内容によれば,原告X17は自宅付近にある小川で被爆したと認めるのが相当であること
a 被爆者健康手帳交付申請書の性格及び目的
被爆者健康手帳交付申請書は,申請者が被爆者健康手帳の交付を受けて各種援護措置を受けることのできる「被爆者」たる地位を得ることを目的に作成されるという基本的な性格を有するものである。そのため,入市「被爆者」に当たるとして被爆者健康手帳の交付を申請する者は,被爆者援護法1条が入市「被爆者」として定める要件,すなわち,原子爆弾が投下された時から起算して政令で定められた一定期間内に一定区域内に在ったこと(同条2号)について申告すべきことになる。
b 昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書の記載内容の合理性等
(a) 直爆の状況に関する記載内容が合理的であること
昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書の証明書(申述書)部分は,原爆投下の12年後である同日付けで作成されており,「投下された當時の住所」の欄には「長崎市川平町」という当時の原告X17の自宅が記載され,そのすぐ横の「投下された時居た所」の欄には「家の外」と記載されている。
原告X17の本人尋問における供述によっても,長崎市川平町の原告X17の自宅前には川があり,風呂代わりに同所で毎日水浴びをしていたというのである。長崎市川平町付近に川が流れていることは,旧長崎市地図によっても客観的に裏付けられている。
また,上記の記載は,原告X17が,平成18年5月18日付け認定申請書添付の申述書の記載によっても裏付けられている。すなわち,同申述書には,「原爆が投下されたときにいた町名(わかれば番地も)」の欄に「長崎市川平町」として自宅所在地が記載され,そのすぐ下の「屋外の場合/目標になる建物など」「屋内の場合/建物の名称,木造や鉄筋などを具体的に」の欄に「上記の前には小川があり水浴の最中でした」として,自宅前の小川で水浴していた際に直爆があった旨が記載されている。この申述書は,原告X17本人が記載したものである。
そうすると,昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書の記載内容は合理的なものということができる。
(b) 記載内容が真実である旨の証明等が付されていること
昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書の証明書(申述書)部分には,上記被爆状況についての記載内容の真実性を担保するため,「昭和二十年八月九日長崎市に原子爆弾が投下された当時は,次の通りであったことを証明(申述)します。」として,上記(a)で述べた記載に添えて,原告X17の父であるB30が「証明人」として,署名押印をしている。
また,同申請書には,原告X17本人の作成名義によって,「私は申述書のとおり原子爆弾被爆者であり申述書に記載してあることは事実であることを誓約します。」と記載され,署名捺印がされた誓約書が添付されている。
このように,昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書の記載内容の真実性及び合理性は,第三者の証明と原告X17自身の誓約書によっても裏付けられている。
c 爆心地から1.5kmの地点で直爆を受けた旨の原告X17の陳述は信用することができないこと
(a) 原告X17の陳述内容
これに対し,原告X17は,平成22年4月23日付け異議申立書及び陳述書では,直爆を受けた地点を,長崎市川平町の小川から長崎市家野町の小川に変遷させ,本人尋問においても,長崎市家野町の近所の知人四,五人と一緒に同町の小川で水遊びをしている最中に被爆した旨供述する。
(b) 原告X17の陳述内容は客観的に不自然,不合理であること
しかしながら,原爆が爆発した際の熱線は非常に強く,長崎原爆の威力は,爆心地から3kmの地点でさえ黒い紙が自然発火して燃えるほどの威力であったから,仮に,原告X17が爆心地から1.5kmないし2kmの地点で水浴びをしていたというのであれば,原告X17が熱傷すら負わなかったというのは極めて不自然である(平成18年5月8日付け認定申請書添付の申述書の「ヤケドを受けた部分と治った時期/具体的に」の欄には,自筆で「特になし。」と記載されている。)。
しかも,原告X17は,当時,一緒に泳ぎに来ていた友人四,五人が,被爆直後にどのような状態であったか覚えていない旨陳述する。しかしながら,原告X17の本人尋問における供述によれば,被爆後,川の周りに生い茂っていた草木さえ,「もうなくなっていました」というほど,原爆の威力が凄まじかったというのであるから,原告X17のみならず,一緒の友人らも無事であったとは到底考え難い。それにもかかわらず,友人らの様子を全く記憶していないというのは,明らかに不自然である。
更にいえば,原告X17は,原爆投下当日に長崎市家野町の小川で遊ぶことになった経緯や理由についても,「X17さんがそれぞれ四,五人の方々の家を回って遊びに行こうと誘われたということですか。」との質問に対し,「いえ,何となくみんな集まって。」などと曖昧な供述をしている。また,「家野町の近くの川に行こうというのは,どうしてそういうことになったんですか。」との質問に対しても,「そこしかありませんから,川が。」などと,長崎市川平町の自宅の前にも小川があり,毎日水浴びをしていたという事実とは矛盾する供述をしている。さらに,被爆した時,水の中にいたと供述しつつ,「潜ってたというふうにお聞きしていいの。」との質問に対しては,「その点は分かりませんね。」と,直爆時の状況についてさえ,曖昧な供述をしている。その上,原告X17は,原告ら代理人からの,長崎市家野町の近くの川で原爆が投下される前遊んでいたことはあるかとの質問に対し,一旦は「ありません。」と供述したにもかかわらず,その後,被告代理人からの「被爆したときに泳いでいたという小川へは,何度くらい泳ぎに行ったことがありますか。」との質問に対し,「毎日行っていました。」と相矛盾する供述をし,更にその後,被告代理人からの「家野町は余り入っていない。」との質問に対しては,「ほとんど入っていません。」などと再度供述を変遷させている。このように,原告X17は,原爆投下よりも前に長崎市家野町の小川に行ったことがあるか否かについて,本人尋問の最中においてさえ,その供述を二転三転させている。
そもそも,原告X17は,原爆投下から65年経過した時点で,直爆地点という最も重要な事実に関して,爆心地から約3.2kmの地点にある「川平町の小川」から,爆心地から約1.5kmの地点にある「家野町の小川」へと陳述を変遷させている。しかも,一連の原爆症認定申請段階と異議申立て段階とで直爆地点を変遷させているのは,明らかに不自然である。
(c) 原告X17が述べる陳述を変遷させた理由も不自然かつ不合理であること
以上に対し,原告X17は,上記のような陳述を変遷させた理由に関して,平成18年5月8日付け認定申請書添付の申述書の「原爆が投下されたときにいた町名」の欄に「長崎市川平町」と記載したのは,同欄には「当時居住していた自宅」を記載するものと勘違いしたためである旨陳述する。
しかしながら,上記申述書には,「原爆が投下されたときにいた町名」の欄に続けて,「屋外の場合/目標になる建物など」「屋内の場合/建物の名称,木造や鉄筋などを具体的に」というように,具体的な被爆状況を記載する欄が設けられている。同欄は,「屋外の場合」,「屋内の場合」等の記載に照らして,被爆時の状況を記載する欄であることは明らかであり,同欄についてまで,原爆が投下された「当時居住していた居宅」を記載するものと勘違いすることはおよそ考え難い。そして,実際にも,原告X17は,同欄に,「上記の前には小川があり水浴の最中でした」として,被爆時の状況を記載しているのである。ここで「上記」とあるのは,自宅のある長崎市川平町が記入された「原爆が投下されたときにいた町名」の欄を指すことは明らかであり,このような記載をみれば,原告X17が,被爆時の状況について,長崎市川平町の自宅前の小川で水浴中であったものと認識し,その旨申述したものであることは,疑う余地がないというべきである。仮に原告X17が原爆投下時に長崎市家野町の小川で水遊びをしていたのが事実で,「原爆が投下された時にいた町名」の欄を「当時居住していた自宅」と勘違いして「長崎市川平町」と記載したとすると,そのすぐ下の「屋外の場合/目標になる建物など」「屋内の場合/建物の名称,木造や鉄筋などを具体的に」の欄に「長崎市家野町の小川で水浴びの最中でした」などと当時の居住していた住所地とは異なる場所にいた旨が明らかになるように記載するはずであり,「上記の前には小川があり水浴の最中でした」と記載するのは不合理である。このように,原告X17が述べる上記の変遷の理由は明らかに不自然かつ不合理であるといわざるを得ない。
しかも,原告X17は,同申請書の記載についてのみ上記のような理由を述べるが,昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書の記載に関しては,何ら陳述を変遷させた理由を述べるところがない。そして,同申請書の証明書(申述書)部分における「家の外」との記載は,被爆時の状況を記載したものであることは明らかであるから,その意味においても,原告X17の上記陳述は不自然かつ不合理である。
d 小括
上記のような原告X17の陳述内容の曖昧さ,不自然さに照らすと,長崎市家野町の近所の知人四,五人と一緒に同町の小川で水遊びをしている最中に被爆したとする原告X17の陳述を信用することができないことは明らかである。かえって,その不自然さに照らせば,原告X17は,長崎市川平町の自宅前における直爆の経験を殊更に長崎市家野町の小川における出来事として陳述することで,被爆状況について有利な認定を得ようとしているものと解さざるを得ない。
そして,前記aに述べた被爆者健康手帳交付申請書の性格等や,前記bに述べた同記載の合理性に照らせば,原告X17は,爆心地から約3.2kmの地点にある長崎市川平町の自宅前の小川で被爆したと認めるのが相当である。
イ 入市被爆に関する原告X17の主張も認めることはできないこと
原告X17は,親戚や知り合いの安否を確認するため,長崎原爆の投下翌日である昭和20年8月10日から連日,父に連れられて,長崎市坂本町と長崎市川平町を往復し,その際に爆心地付近を通過した旨主張ないし陳述する。
しかしながら,原告X17の昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書の証明書(申述書)部分の「爆心地から二k以内の地域に投下後二週間以内にはいりこんだ時と場所とその理由」の欄は,いずれも空欄となっており,上記の爆心地付近の入市の事実の記載はない。この点,原告X17は,原告X17の父が原告X17の被爆者健康手帳交付申請をした旨供述しているが,仮にこれが事実であったとするならば,原告X17が原爆投下の翌日から連日,父に連れられて爆心地付近を通過したという事実を,原告X17の父が被爆者健康手帳の交付申請時に同欄に記載しなかったとは考えられない。
また,原告X17は,入市期間について,原爆投下の翌日である昭和20年8月10日から同月13日頃までであると主張及び陳述していたにもかかわらず,本人尋問においては,原爆投下の翌日から連続して「10日くらいだと思います。」などと,合理的理由もなく入市期間に関する陳述を自己に有利に変遷させている。
これらのことからすると,原告X17が長崎原爆の投下翌日から連日,父に連れられて長崎市坂本町と長崎市川平町を往復し,その際に爆心地付近を通過したとする原告X17の上記主張ないし陳述に事実の裏付けがあるとは,到底認めることはできない。
(2) 相当量の放射線に被曝しているとの主張に理由がないこと
ア 相当量の放射線に被曝しているとの主張は不明確であり,少なくとも科学的根拠に基づくものとは考え難いこと
原告X17は,初期放射線及び残留放射線による外部被曝並びに内部被曝によって相当量の放射線に被曝したと主張するが,かかる主張は,残留放射線を受ける状況さえあれば「相当量」の線量の被曝があったとして,放射線起因性を基礎づけようとする恣意的な主張というほかないのであって,もはや科学的な根拠に基づくものとは考えられない。
イ 原告X17の推定被曝線量は,全体量としても0.002グレイを下回る程度であること
(ア) 原告X17の初期放射線による被曝線量は0.002グレイを下回る程度であること
原告X17の直爆地点は,爆心地から約1.5kmの地点にある長崎市家野町の小川ではなく,爆心地から約3.2kmの地点にある長崎市川平町の小川であると認められる。
そうすると,DS02による被曝線量推計計算によれば,原告X17の初期放射線による被曝線量は,0.002グレイを下回る程度である。
(イ) 長崎市川平町の自宅に帰宅する途中で灰のようなものを浴びたことによる被曝線量は微量であること
原告X17は,被爆後に灰のようなものを浴びたことをもって,相当量の残留放射線に被曝したと主張するが,原告X17が長崎市川平町にある自宅近くの小川で直爆を受けたと認められることからすると,仮に被爆後に灰のようなものを浴びたとすれば,その場所も長崎市川平町にある当時の原告X17の自宅付近であったと考えられる。
そして,平成3年に報告された長崎原爆残留放射能プルトニウム調査報告書によれば,長崎市川平町に最も近い土壌サンプルといえる長崎市三川町で検出されたプルトニウムは,最も放射性降下物の量が多かったとされる西山地区より圧倒的に低く,国内のバックグラウンドを加味するとその量が有意に多いとはいえない。
したがって,仮に原告X17が放射性降下物による外部被曝をしたとしても,その被曝線量は僅かであるにすぎない。
(ウ) 入市被爆による放射線被曝は認めることができないこと
原告X17は,長崎原爆の投下翌日である昭和20年8月10日から連日,父に連れられて,長崎市坂本町と長崎市川平町を往復し,その際に爆心地付近を通過した旨主張するが,かかる事実が認められないことは,既に述べたとおりである。
(エ) 遺体の運搬等を行っていた原告X17の父のそばにいたことによる残留放射線の被曝線量も微量であること
原告X17は,何人もの遺体を運んだり,遺体を焼いたりしていた原告X17の父のそばにいたことをもって,相当量の残留放射線に被曝したとして,誘導放射化された人体による被曝の影響を主張するものと解されるが,かかる主張は漠然とした抽象的なものであり,具体的な根拠も示されていない。
かえって,放射線により誘導放射化された人体に接したことによる被曝の影響については,いわゆるJCO臨界事故で約25グレイもの高線量被曝をした従業員の人体の誘導放射化を調査した結果,ごく僅かであることが判明している。
(オ) 内部被曝による被曝線量も微量であること
原告X17は,原爆投下後,飲み水は近くの小川の水を使い,炊き出しのおにぎりや近所からもらった野菜などを食べていたことから,相当量の残留放射線に被曝したと主張するが,かかる主張も,漠然とした抽象的なものであり,具体的な根拠も示されていない。
かえって,放射性降下物が最も多く堆積した長崎の西山地区の住民についてさえ,40年間にも及ぶ内部被曝線量は,ごく僅かであったことが科学的に実証されている。
(カ) 小括
以上によれば,原告X17の推定被曝線量は,全体量としても,0.002グレイを下回る程度にすぎない。このことは,近時の生物学的線量推定法による研究の結果,遠距離被爆者及び入市被爆者の被曝線量がごく僅かであることが客観的に裏付けられていることと整合する。
(3) 原告X17の被爆後の健康状態に関する主張が失当であること
原告X17は,原告X17のこれまでの病歴を羅列して主張するが,これらの疾病等の一つ一つが放射線被曝によって生じたことや,これらの疾病等の罹患が原告X17の脳梗塞について放射線起因性が認められることの根拠となる理由についても何ら主張,立証がされていないから,原告X17の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(4) 原告X17が挙げる報告等は原告X17における脳梗塞の放射線起因性を認める根拠となり得ないこと
ア 原告X17が挙げる報告等の結果は,放射線の影響に関する世界的権威であるUNSCEARの報告書及びICRPの勧告によって脳梗塞の放射線起因性を認める根拠とならないことが総括されていること
(ア) 原告X17は,脳梗塞の放射線起因性を裏付ける報告として,LSS第11報第3部,LSS第12報第2部,LSS第13報,LSS第14報,清水由紀子ら報告,C12らの意見,赤星正純報告,高橋郁乃ら報告を挙げる。
(イ) しかしながら,これらのうち,LSS第12報第2部及びLSS第13報の内容は,既に,UNSCEARの報告書によって総括された上で,「約1-2Gy未満の被ばくと心血管疾患およびその他の非がん疾患の過剰発生との間の直接的な因果関係についての結論を下すことは出来なかった。」とする国際的に承認された科学的知見が取りまとめられている。
すなわち,UNSCEARの報告書は,国際連合の下に設置され,参加21箇国,オブザーバー6箇国の科学者百余人の団体における合議により合意された科学的知見を取りまとめたものである。その記載内容は,全世界の一科学者はもとより,世界各国においてもその時点における放射線の人体影響に係る知見を集約した国際的な基準として尊重されているものであって,極めて信頼性が高い。
そして,「放射線被ばく後の心血管疾患およびその他の非がん疾患の疫学的評価」と題されたUNSCEAR2006年報告書の附属書Bでは,心血管疾患について,「約1-2グレイ(Gy)未満の線量域での致死的な心血管疾患と放射線被ばくの間の関連を示す証拠は,これまで日本の原爆被爆者のデータ解析から得られているだけである。その他の研究は,約1-2Gy未満の放射線量による心血管疾患のリスクに関する明確なあるいは一貫した証拠を提供していない。本委員会(UNSCEARを指す。)は,これらのエンドポイントに関する適切なリスクモデルを定めるにはデータが不十分であると総合的に判断する。また,科学的データも,約1-2Gy未満の線量における電離放射線への被ばくと心血管疾患の罹患との間に因果関係があると結論づけるには現在不十分である」と報告された上で,脳梗塞等を含めた,がん及び心血管疾患以外の疾患全般について,「心血管疾患やがんとは異なるすべての疾患群の死亡についても,約1-2Gy未満の線量の放射線被ばくとの関連を示す証拠は,やはり原爆被爆者データの解析から得られているだけである。その他の研究からの科学的な証拠は,約1-2Gy未満の線量の放射線被ばくとの因果関係を推論するためには,その集団における心血管疾患に関する証拠よりもさらに不十分である」と結論付けられている。このUNSCEAR2006年報告書の結論を導くに当たってレビューされた疫学データには,原告X17が上記(ア)で挙げる各報告等のうち,LSS第12報第2部及びLSS第13報が含まれている。
また,UNSCEAR2010年報告書においても,上記のUNSCEAR2006年報告書と同様に,「本委員会(UNSCEARを指す。)のレビューは,約1-2Gy未満の線量の被ばくと心血管疾患およびその他の非がん疾患の過剰発生との間の直接的な因果関係についての結論を下すことは出来なかった。」と結論付けられている。
このように,原告X17が挙げる各報告等のうち,上記寿命調査(LSS)の内容については,既に,UNSCEARの報告書の中で,全世界の科学者100人の合議により合意された科学的知見として総括されている。ここで留意されるべきは,UNSCEARの報告書における上記総括は,「心血管疾患やがんとは異なるすべての疾患群の死亡についても,約1-2Gy未満の線量の放射線被ばくとの関連を示す証拠は,やはり原爆被爆者データの解析から得られているだけである」ことが前提とされていることである。これを言い換えれば,低線量の放射線被曝とがん及び心血管疾患以外の全疾患(脳梗塞を含む)との間の関連(因果関係ではない)を示すような「証拠」(報告)が存在しても,それは仮説にとどまり,科学的知見として確立したものとはいえないことを,UNSCEARの報告書が認定したことを意味する。このようなUNSCEARの報告書の信用性を一般的に失わせるような特段の事情があればともかく,少なくとも原告らにおいてこの点についての主張及び立証は全くない。そうすると,原告X17が根拠とする上記寿命調査(LSS)の報告書等の存在をもって,上記のUNSCEARの報告書の内容と明らかに抵触する,約1グレイないし2グレイ未満の線量の被曝と脳梗塞等の過剰発生との間の直接的な因果関係が認められるという結論を導くことは,明らかに科学的経験則に反するものであり,許されない。
(ウ) なお,UNSCEAR2006年報告書の結論における,「約1-2Gy未満の線量の放射線被ばくとの関連を示す証拠は,やはり原爆被爆者データの解析から得られているだけである。」とあるうちの「原爆被爆者のデータ」とは,LSS第13報を指している。そして,UNSCEAR2006年報告書では,「0.5Sv未満での過剰リスクの証拠もほとんどなかった」と記載されている。
また,このUNSCEAR2006年報告書の記載やC12らの意見で挙げられている清水由紀子ら報告の存在を受けて,放射線防護の観点から基準を定めるICRPは,平成23年4月に,「不確実性は残るものの,循環器疾患のしきい吸収線量は,心臓や脳に対しては,0.5グレイ程度まで低いかもしれないことを医療従事者は認識させられなければならない。」という勧告(ICRP2011年勧告)を出している。さらに,近時,放射線防護の観点から出されたICRP2012年勧告は,上記のUNSCEAR2006年報告書の記載に加えて,その後出された清水由紀子ら報告についても取り上げた上で,「0.5グレイ以下の線量域における,いかなる重症度や種類の循環器疾患リスクも,依然として不確実であることが強調されるべきである」と結論付けている。このように,上記のICRP2012年勧告の内容は,清水由紀子ら報告の内容についても考慮した上で,放射線防護の観点から低線量被曝の影響に関する科学的知見の最下限を画する最新のものとして,既に国際的に共有されている。このようなICRPの勧告の信用性を一般的に失わせるような特段の事情があるならばともかく,少なくとも原告らにおいてこの点についての主張及び立証は全くない。したがって,それにもかかわらず,清水由紀子ら報告をもって,0.5グレイを下回る被曝線量についてまで脳卒中と放射線被曝との間の直接的な因果関係が認められるという結論を導くことは,その意味においても科学的経験則に反し,許されるものではない(なお,ここでいう「脳卒中」とは,脳梗塞そのものではないことにも注意を要する。後記のとおり,清水由紀子ら報告でも,脳梗塞については放射線被曝との有意な関連が認められていない。)。
(エ) また,赤星正純報告は,それまでに出されたLSS第13報やAHS第8報等を取りまとめてシンポジウムにおいて報告したものであり,赤星正純報告が基礎とした報告等は上記のUNSCEARの報告書やICRPの勧告でも取り上げられている。したがって,赤星正純報告についても,上記(イ)及び(ウ)と同様,その内容は国際的に承認されたものではないし,国際的に承認された科学的知見の信用性を失わせるような特段の事情も認められないから,赤星正純報告をもって脳梗塞と放射線被曝との因果関係を認めることも,科学的経験則に反し,許されない。
(オ) さらに,脳疾患に関する最新の放影研の研究結果である高橋郁乃ら報告は,原爆による放射線被曝者について,24年間にわたる追跡調査を行い,放射線被曝と脳卒中発生の関連を調べたものであるが,高橋郁乃ら報告の結果においても,「男女ともに被曝線量と虚血性脳卒中には関連を認めなかった。」とされている。
イ 原告X17が放射線起因性の根拠として挙げる報告等を個別にみても,脳梗塞の放射線起因性を認める根拠とすることはできないこと
原告X17が挙げる各報告等を個別にみても,これらを脳梗塞の放射線起因性を認める根拠とすることはできない。
(ア) LSS第11報第3部
LSS第11報第3部にいう「脳卒中」には,くも膜下出血,脳出血,脳梗塞等の様々な疾患が含まれており,これらの各疾病は機序や病態等がそれぞれ異なるのであるから,LSS第11報第3部が「脳卒中」による死亡率と放射線被曝との有意な関連を示したからといって,「脳梗塞」による死亡率についてまで放射線被曝と有意な関連があることを示したことにはならない。このように,複数の疾病を包含した疾病分類と放射線被曝との間に有意な関連が認められたからといって,当該分類に含まれた特定の疾病にまで有意な関連が認められることにはならない。このことは,LSS第11報第3部が,「1950-85年の循環器疾患による死亡率は,線量との有意な関連を示した。」として,脳卒中や心疾患などが含まれる大きな疾病分類である「循環器疾患」については線量との有意な関連ありとしながら,他方で,「循環器疾患」のうち「脳卒中」に絞ってみた場合には,「脳卒中による死亡率にはそのような関連は認められなかった」としていることからも明らかである。
また,LSS第11報第3部の昭和41年ないし昭和60年の「脳卒中」に係る報告をみても,LSS第11報第3部の図3のうち「被爆時年齢40歳未満,1966-85年」の「脳卒中」に関する図で明らかにされているとおり,被曝線量が約1グレイ以下の場合には,相対リスクが1を下回ったものとされており(すなわち,被爆者群の脳卒中による死亡率が非被爆者群の同疾病による死亡率の1倍を下回る倍率にすぎないと推定されることを意味している。),90%信頼区間も「1」をまたいでいる(すなわち,有意な差がなく,影響がない。)。さらに,上に示したLSS第11報第3部の表6をみても,「脳卒中」については,2グレイ未満の相対リスクは1を下回っている。このように,LSS第11報第3部では,被曝線量が約1グレイ,あるいは,より低線量の被曝の場合には,被爆時年齢40歳未満の被爆者であっても,その「脳卒中」による死亡率は放射線被曝との有意な関連が認められなかったことが示されたといえる。
以上のとおり,原告X17が挙げるLSS第11報第3部は,昭和41年ないし昭和60年の被爆時年齢40歳未満の者に関する報告においても,被曝線量が約1グレイあるいはそれを下回る場合には,脳卒中の死亡率に放射線被曝の影響は認められないことを示しているのであるから,あたかもLSS第11報第3部が脳卒中と1グレイ程度以下の放射線被曝との間にまで有意な関連を認めたかのような原告X17の主張は,LSS第11報第3部の読み方を誤るものであり,失当である。そして,そもそも「脳卒中」とは「脳梗塞」自体を示しているわけではないことは上記のとおりである。
(イ) LSS第12報第2部
LSS第12報第2部で有意差が生じているとされたのは,「脳卒中」という分類においてであるところ,「脳卒中」には脳梗塞以外の脳血管疾患も含まれているのであり,「脳卒中」につき放射線被曝との有意な関連があるとされたからといって,そこに含まれる「脳梗塞」についてまで有意な関連があることにはならない。
そして,「脳梗塞」については,LSS第12報第2部の表2において,「脳卒中」とは別に「脳梗塞」それ自体の過剰相対リスクやその90%信頼区間が示されているところ,その90%信頼区間は「-0.09,0.25」と0をまたいでおり,非被爆者群との有意な差は生じていないことが示されている。
したがって,LSS第12報第2部は,「脳梗塞」と放射線被曝との有意な関連を示したものとはいえないのであるから,LSS第12報第2部をもって,原告X17の申請疾病である脳梗塞と放射線被曝との間に関連があるとすることはできない。
(ウ) LSS第13報
LSS第13報も,脳出血などの他疾患を含めた「脳卒中」による死亡率と放射線被曝との有意な関連を示したにすぎず,「脳梗塞」と放射線被曝との有意な関連を示したものではない。
また,放射線被曝との関連があるとされた「脳卒中」などについても,LSS第13報では,「約0.5Sv未満の線量については放射線影響の直接的な証拠は認められなかった。」として,約0.5シーベルト(約0.5グレイ)未満の低線量域の放射線影響を肯定したものでないことが示されている。
この点,LSS第13報では,「脳卒中」について,「1シーベルト辺りの過剰相対リスクは0.12」とされているが,これは低線量群についてまで線量反応関係が認められることを意味するものではない。すなわち,「1シーベルト当たりの過剰相対リスクは0.12」というのは,当該研究結果に基づき過剰相対リスクにつき,いずれの線量においても一定の割合で変化するものと仮定した数学的モデルである線形線量反応モデルを仮説として採用した場合に,1シーベルト当たりの傾きが0.12であったということを示しているにすぎない。つまり,飽くまで全線量域についての解析をしたのであって,低線量域にも当てはまるとは限らない。そして,線量ごとの解析は行われていない上に,LSS第13報においては,「脳卒中」に関する過剰相対リスクの数値(図13のうち「脳卒中」の図中,点で示されたもの)が,0.5シーベルト以下群では,その大半が「0」を下回っているのであって,0.5シーベルト以下の低線量群では,過剰相対リスクの上昇が必ずしも明らかでないといえる。
さらに,前提となる線形線量反応モデルについて,LSS第13報では,がん以外の疾患全体について検討した結果,「この図(図10を指す。)は,線量反応関係について,あるいは約0.5Sv以下の線量における影響の存在についても大幅な不確実性を示している」としている。これは,LSS第13報において,がん以外の疾患で線形線量反応関係を用いて検討しているが,そもそも0.5シーベルト(0.5グレイ)以下の低線量域においては,線形線量反応関係モデルに従っているとはいい難いことを意味するものである。その上で,LSS第13報では,脳卒中などの「リスク増加の全般的特徴から,また機序に関する知識が欠如していることから,因果関係については当然懸念が生ずる」などとして,因果関係(放射線起因性)が認め難いことも明らかにされている。そして,「LSSにおけるがん以外の疾患に関する所見は,これらの疾患の率に対する放射線影響の機序を同定あるいは否定する上で役立つであろう更なる調査の必要性を強調している。」として,放射線影響の機序を同定あるいは否定するための更なる調査の必要性が指摘されている。これは,低線量被曝との関連性を肯定する意見はいまだ仮説にとどまることを意味している。
以上によれば,LSS第13報は,脳卒中を含むがん以外の疾患における低線量の放射線影響については,飽くまで「がん以外の広範な疾患に対する放射線影響の機序と関連するものかもしれない」として,現時点では正しいのか誤りなのか未確定な仮説を提示して,上記のとおり,今後の更なる調査を促しているものと理解すべきである。そうである以上,LSS第13報の存在をもって,「脳梗塞」はもとより,「脳卒中」についてすら,低線量の放射線被曝と間に有意な関連を認めたものと解することは,その意義を誤解するものであり,許されない。
(エ) LSS第14報及び清水由紀子ら報告
LSS第14報は,脳梗塞や心疾患等を含む「循環器疾患」という疾病分類について,放射線影響のリスクの増加が示されたとするのみであって,「脳梗塞」について放射線被曝との有意な関連を示したものではない上,循環器疾患についても,「放射線との因果関係については更なる検討を要する」としている。
また,LSS第14報が循環器疾患死亡に関する詳細な結果が報告されているとして引用する文献である清水由紀子ら報告をみると,清水由紀子ら報告添付のウェブ表Bにおいて,「脳梗塞」それ自体については,P値が0.5より大きく,過剰相対リスクの95%信頼区間が「-10~20」,すなわち「0」を挟んでいるのであって,放射線被曝との有意な関連が認められないことが明示されている。
さらに,清水由紀子ら報告では,「脳卒中」についてでさえ,「低線量(0.5グレイ以下を指す。)でのリスクの程度は明らかでない。」として,「脳卒中」と低線量被曝との関連が認められていないことを示しているのである。
以上のとおり,LSS第14報及びそこで引用された清水由紀子ら報告では,「脳梗塞」については有意な増加があるとは認められなかったことが示されている上,より大きな疾病分類である「脳卒中」についても,0.5グレイを超える放射線被曝によるリスクの増加が認められたと報告したにすぎず,0.5グレイ以下の低線量被曝との関連は示されていないのであるから,LSS第14報及び清水由紀子ら報告をもって,「脳梗塞」と原告X17のような低線量の放射線被曝との間に有意な関連を認めたと解することは,その報告内容を正解しないものであり,許されない。
(オ) 赤星正純報告
そもそも,赤星正純報告においては,「低線量被曝の心・血管疾患に及ぼす影響については」「放射線被曝により心・血管疾患が増加するとした報告と増加を認めなかったとする報告が半々であり,まだ一定の見解は得られていない。」と整理されている。すなわち,赤星正純報告の上記記載は,低線量被曝と心血管疾患の関係について,単に研究途上における可能性を述べるものにすぎない。したがって,赤星正純報告に「被爆者でも,被曝の影響による動脈硬化による心・血管疾患が増加していると考えられた」という記載があるからといって,心血管疾患についてでさえ,これを直ちに科学的経験則として一般化して用いることは誤りであるし,まして動脈硬化や他の疾病である脳梗塞についてまで,それらに放射線被曝との関連があるとすることは,赤星正純報告の記載内容を正解しないものといわざるを得ず,許されない。
(カ) 清水由紀子ら報告
清水由紀子ら報告において放射線被曝との関連が指摘されているのは「脳卒中」であって「脳梗塞」ではない。清水由紀子ら報告の末尾には,「結論と意味すること」という項目の中に,「本研究は,放射線が中程度の線量レベル(主に0.5-2Gy)で脳卒中」「の率(死亡率を指す。)を上昇させるかもしれないとする論拠となる最も強力な証拠を提供している。しかし,さらに,他の研究からの強い確証する証拠が必要である。我々の研究結果では0.5Gy以下は統計的に有意ではなかった。これからのより長期間のフォローアップの追加研究が,低線量被爆のリスクを,より正確に推定することが可能になるであろう。」との記載がある。上記記載からは,① 清水由紀子ら報告が放射線との関連を示したのが脳出血等を含んだ広いカテゴリである「脳卒中」に関するものであって(ウェブ表Bの「疾患名」の欄参照),「脳梗塞」に関するものではないこと,② 0.5グレイを下回る低線量被曝については,「脳卒中」の死亡率との間にでさえ統計学的に有意な関係は得られなかったことが明らかにされているといえる。
そして,清水由紀子ら報告に添付されたウェブ表Bによれば,最も狭いカテゴリである「脳梗塞」におけるP値は「>0.5」であり,1グレイ当たりの過剰相対リスクの95%信頼区間は「-10to20」で「0」をまたいでいるから,「脳梗塞」の死亡率と放射線被曝との関連性については,統計学的に有意ではない。
また,清水由紀子ら報告では,循環器疾患の発生機序と放射線被曝の関係について,「2Gy以下の放射線被曝が循環器疾患を引き起こし得るメカニズムについての知識は,非常に限定されている。証拠と言えることといえば,放射線に誘発されたような炎症反応や内皮細胞の細胞喪失や機能変化あるいは微小血管性損傷などが,放射線関連の心疾患の病理学的な変化」「につながる病原性変化の初期の現象と言えるかもしれないことだ」「これらは他の危険因子,例えば高血圧」「など心疾患を促進する因子を増加させているのかも知れない」とされている。清水由紀子ら報告は,2グレイ以下の放射線被曝が循環器疾患を引き起こすメカニズムに関する知識や証拠自体が限定されていることを前提として,放射線に誘発されたような炎症反応等が心疾患の病理学的な変化につながる初期現象といえる可能性を示唆するとともに,そのことが高血圧等の危険因子を増加させている可能性を示唆したにすぎないのであるから,この程度の可能性をもって,これを科学的経験則として用い,高度の蓋然性が認められる事象と捉えることは,許されない。
以上によれば,清水由紀子ら報告をもって,脳梗塞の放射線起因性を認める根拠とすることはできない。
(キ) C12らの意見
C12らがその意見の根拠として挙げるいずれの文献においても,C12らの意見に記載されたような放射線被曝と高血圧等との有意な関連は認められていないし,その他,C12らの意見には意見の根拠は示されていない。このことからも明らかなとおり,C12らの意見は,確立した知見や実証に基づかない仮説や推測を述べたものにすぎないから,C12らの意見をもって高血圧等が放射線被曝に関連していると認めることは許されない。
ウ 脳梗塞と放射線被曝との関係についての原告らの主張に対する反論
(ア) 高橋郁乃ら報告における対照群の発症率に関する原告らの指摘は,その結論の信頼性を何ら左右するものではないこと
原告らは,高橋郁乃ら報告に対し,低線量対照群(0.05グレイ未満)における発症率を久山町研究の調査結果と比較し,男女の低線量対照群における出血性脳卒中の発症率が非被爆者に比して高いことなどを根拠として,高橋郁乃ら報告の結果をもって脳梗塞の放射線起因性を否定することはできないと主張する。
しかしながら,原爆による放射線被曝者について,24年間にわたる追跡調査を行い,放射線被曝と脳卒中発生の関連を調べた高橋郁乃ら報告の結果においても,「男女ともに被曝線量と虚血性脳卒中には関連を認めなかった。」とされている。脳梗塞は,一般的に,年齢によって罹患率が異なり,年齢が高くなるにつれて飛躍的に罹患率が高くなる。高橋郁乃ら報告の成人健康調査(AHS)集団と久山町研究とでは,それぞれの集団において経過観察期間の年齢構成が異なるのであるから,これらの二つの異なる集団を対象とした研究において罹患率が異なるのはむしろ当然のことである。したがって,高橋郁乃ら報告の罹患率から,残留放射線による影響が高いと帰結することはできない。また,原告らは,高橋郁乃ら報告の対象者と久山町研究の対象者の平均年齢が近いことから,両者の罹患率の比較に意味があると主張しているのかもしれない。しかしながら,久山町研究の対象者の観察期間は13年間であるのに対し,高橋郁乃ら報告の対象者である成人健康調査(AHS)集団の観察期間は24年間である。調査開始時の平均年齢から単純計算すると,久山町研究では,女性なら59歳から71歳まで,高橋郁乃ら報告では,四つの集団に分けられているうちの「女性,0.05グレイ未満」であれば,平均年齢で59歳から82歳までを対象に観察をしたことになる。このように,高橋郁乃ら報告における観察期間の方が11年も長い。脳梗塞は加齢により発症率が増加していく疾患であって,観察対象者の観察時の年齢が高いほど発症率も高くなる。したがって,高橋郁乃ら報告において,その発症率がより高くなるのは当然である。このことは,平成24年4月に島根県がまとめた脳卒中発症状況調査において,脳卒中の発症率が年齢が上がるほど高くなっていることからも明らかである。
以上のとおりであるから,高橋郁乃ら報告における対照群の発症率に関する原告らの上記主張は,虚血性脳卒中(脳梗塞)と放射線被曝に関連が認められないとした髙橋郁乃ら報告の結論の信頼性に何ら影響を与えるものではない。
(イ) しきい値等の主張について
原告らは,脳梗塞について,一定のしきい値は存在しないと考えるのが合理的であるとするなど,心筋梗塞及び狭心症とほぼ同様の主張をしているが,それらについては,心筋梗塞及び狭心症について述べた反論がそのまま当てはまる。
エ まとめ
以上のとおり,原告X17が挙げた各報告等は,いずれも脳梗塞の放射線起因性を認める根拠となる科学的知見とはいえない。
(5) 原告X17には脳梗塞の重大な危険因子である加齢,高血圧,脂質異常症,糖尿病及び肥満が存在していること
ア 脳梗塞は脳血管障害(脳卒中)の一つであって,原爆に被爆していなくても,誰にでも発症し得る生活習慣病の一つとされている疾患であり,危険因子として,高血圧,糖尿病,脂質異常症,心房細動,喫煙等が挙げられ,これらが存在すれば,当然発症しやすくなるが,特段のリスクファクターがなくとも生じ得る疾病であり,例えば,アテローム血栓性脳梗塞は,加齢による動脈硬化により起きやすくなる。
イ 原告X17は,平成17年1月26日のMRI検査により,多発性脳梗塞の所見がみられ,アテローム血栓性脳梗塞と診断されている。そして,その当時,原告X17は69歳であり,加齢による動脈硬化の進展がうかがわれる。
また,原告X17は,平成13年の時点で高血圧及び糖尿病を有していたことが認められ,脂質異常症も,上記平成17年1月の入院の際に有していたことが認められるだけでなく,その10年前から有していたことがうかがわれる。
さらに,原告X17は,上記入院当時,身長168cm,体重78kgであり,脳梗塞の発症当時は,肥満であったと認められる。
ウ 以上述べた原告X17のリスクファクターについて,前記第1章第1の2に述べたところに照らして,ここに再度ふえんして述べる。
(ア) 糖尿病について
日本を代表する疫学コホート研究である久山町研究によると,糖尿病患者の脳梗塞罹患のリスクは相対危険度で男性は2.5倍,女性は2.0倍とかなりの上昇が認められる。平成13年から糖尿病の内服加療を行っていたX17は,脳梗塞に対し,上記のようなリスクがあった。
(イ) 肥満について
メタボリックシンドロームでは,これではない群と比較して相対危険度は男性で3.1倍,女性で2.2倍と同様にかなりのリスク上昇が認められる。
原告X17は,入院時に身長168cmに対し,体重78kg,BMI27.64と肥満であった。したがって,原告X17の腹囲が85cm以下であったとは考えづらい。また,原告X17は,中性脂肪(TG)178mg/dl(>150mg/dl),HDLコレステロール18.4mg/dl(<40mg/dl),収縮期血圧174mmHg,拡張期血圧110mmHg,空腹期血糖値(BS)134mg/dl(>110mg/dl)とメタボリックシンドロームの診断基準を十分に満たすことから,それによるリスクの上昇もあった。
(ウ) コレステロールについて
総コレステロールと脳梗塞との関係については,29の研究結果を基にしたAsian Pacific Chort Studies Collaborationによると,総コレステロール38.7mg/dl上昇ごとに脳梗塞の発症が25%上昇(つまり,1.25倍発症)することが示されている。
原告X17は,入院時の総コレステロールが232mg/dlと高値であり,脂質異常症であった。したがって,これによりリスクの増大があったことは疑いようがない。
(エ) 高血圧について
高血圧は脳梗塞の発症に対し最大の危険因子であり,ガイドラインの記載では収縮期血圧160mmHg以上の患者の脳梗塞の発症リスクは3.46倍,拡張期血圧95mmHg以上の患者のそれは3.18倍とされている。また,久山町研究の結果をみると,男性,女性ともに収縮期血圧140mmHg,拡張期血圧90mmHg以上からリスクの上昇を認め,その発症率は,男性において,収縮期血圧140mmHg,拡張期血圧90mmHg以上では約2倍以上,収縮期血圧160mmHg,拡張期血圧100mmHg以上では約3倍,収縮期血圧180mmHg,拡張期血圧110mmHg以上では約8倍以上ものリスク上昇が報告されている。
原告X17は病院受診時にアムロジンという降圧剤を飲んでいたにもかかわらず,収縮期血圧174mmHg,拡張期血圧110mmHgと高血圧を呈しており,拡張期血圧110mmHgという値からみると,前述のとおり約8倍以上ものリスクがあったことも考えられる。そのために,原告X17の入院時総括では,今後は,リスクファクターのコントロールが極めて重要であると記載されているのである。
(オ) 放射線被曝によるリスク
比較の観点から被曝によるリスクの上昇についてみると,清水由紀子ら報告における脳出血と脳梗塞を含んだ脳卒中における1グレイ当たりの過剰相対リスクが9%であったことを採用したとしても,被曝による相対リスクは1グレイもの放射線を浴びたとしても1.09倍にしかならない。そして,原告X17の被曝線量は0.002グレイを大幅に下回る程度であることからすると,そのリスクは統計学的に有意なレベルであるとは考えられない。
このような原告X17のリスクファクターの大きさに鑑みれば,原告X17の心筋梗塞の発症は当該リスクファクターによる影響によるものとみるのが相当である。
(6) 原告X17の被曝線量等に照らせば,原告X17が原爆放射線に被曝したことにより,原告X17が脳梗塞を発症したことが高度の蓋然性をもって認められるとはいえないこと
原告X17について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X17において,被告が指摘する危険因子(加齢,高血圧,脂質異常症,糖尿病及び肥満)の影響を超えて,原告X17の脳梗塞の発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X17の放射線被曝の程度,申請疾病(脳梗塞)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢,高血圧,糖尿病等の危険因子の状況は以上のとおりであり,これらを総合考慮すれば,原告X17の申請疾病(脳梗塞)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,高血圧,糖尿病等の原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X17の申請疾病(脳梗塞)については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
2 結論
以上のとおり,原告X17の脳梗塞は,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たしているとはいえないから,原告X17の原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分が違法であるとする原告X17の主張には理由がない。
第14 原告X18について
1 原告X18のバセドウ病が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
(1) 被爆状況に関する原告X18の主張が認められないこと
ア 原告X18が長崎原爆の投下当日である昭和20年8月9日に爆心地から約1.6kmの地点にある金比羅山に登り,その後,約1箇月間,金比羅山で生活した事実は認められないこと
原告X18は,被爆後,母に言われて一人で家の近くの防空壕に行き,祖父母と再会したが,防空壕が人で一杯であったため,祖母に連れられて,金比羅山(五社山)に避難した,金比羅山で後から来た母及び弟と再会し,金比羅山にあった兵舎で約1箇月避難生活を送ったと主張し,原告X18は,陳述書及び本人尋問においても,これに沿う陳述をしている。
しかしながら,原告X18は当時3歳であり,原告X18の陳述には客観的な裏付けはなく,陳述内容それ自体も何ら具体性がない。また,原爆投下から1時間程度しか経っていない時期に,自宅が倒壊しているような中で,家の近くであるとはいえ,原告X18の母が,僅か3歳であった原告X18に対して,一人で防空壕に行かせるというのは,明らかに不自然かつ不合理である。原告X18自身,記憶があるのは家が倒壊して救出された際に周囲に何もなかったことと黒い雨に打たれたことだけであり,それ以外の話は母や祖母に聞いたものであると供述している。
そして,原告X18の母が回答した,原告X18に関する昭和30年9月27日付けのABCCの調査記録には,原告X18が,昭和20年8月9日,被爆と同時に「壁土の下敷きとなり,約20分後,近所のB31氏に助け出され,放送局下の横穴式防空壕(自宅近くの放送局の下に掘られていた防空壕を指す。)に避難し其の日は此處で1泊,翌日(同月10日を指す。)は五社山に登り1泊,11日は大黒町85の焼跡に1泊,12日にAM5時20分頃汽車にて愛野町(長崎県南高来郡愛野町を指す。)に向い落ちつく。」と記載されている。そして,原告X18に係るABCCの調査記録に記載されている原告X18の母の回答内容は,「12日にAM5時20分頃汽車にて愛野町に向い落ちつく」など,極めて具体的で自然なものとなっており,原告X18の母が調査に対してあえて虚偽の回答をしなければならない理由も見当たらないことなどを併せ考慮すれば,上記のABCCの調査記録の記載の信用性は極めて高いといえる。
そうすると,原爆投下の当日である昭和20年8月9日に金比羅山に登り,その後,約1箇月間,金比羅山の兵舎で生活したという原告X18の陳述は,信用性の高いABCCの調査記録の内容と明らかに齟齬しており,到底信用することはできず,上記事実を認めることはできない。
イ 原告X18が昭和20年8月9日に金比羅山に向かう途中で黒い雨に打たれた事実も認められないこと
原告X18は,昭和20年8月9日の原爆投下当日に,祖母に連れられて金比羅山に向かう途中で,いわゆる黒い雨に打たれた旨主張し,原告X18は,陳述書及び本人尋問においても,これに沿う陳述をしている。原告X18の上記主張の根拠は,原告X18自身の記憶だけであり,原告X18は,黒い雨に打たれた際の状況について,一緒に金比羅山を登っていた祖母に,「これは雨じゃないか」と尋ねたところ,祖母が「雨じゃないよ」と答えたこと,その黒い雨はコールタールのような黒い粘り気のあるものであり,指でぬぐっても取れなかったことを,それぞれ覚えている旨陳述する。
しかしながら,信用性の高い原告X18の上記ABCCの調査記録によれば,原告X18が金比羅山に登ったのは長崎原爆の投下翌日である昭和20年8月10日であって,長崎原爆の投下当日ではない。そして,原告X18の母が回答した原告X18の上記ABCCの調査記録では,雨に降られたか(Was Person Caught in Fallout Rain)という質問に対して「いいえ(No)」と記載されている。
また,原告X18のいうところの「黒い雨」は,コールタールのような黒い粘り気のあるもので,原告X18が雨だと感じ,原告X18の祖母にも降りかかったというのであるが,原告X18の祖母は,「雨じゃないよ」と答えたきり,ほかに何も言わなかったというのであるし,原告X18自身も,祖母から「雨じゃないよ」と言われて,それ以上,話題にしなかったというのであって,上空から黒い物体が落下して肌に付着したという非日常的な状況である割には,原告X18の陳述は,表面的なものにとどまり,迫真性がなく,極めて不自然であるといわざるを得ない(なお,「コールタールのように強い粘り気がある」との黒い雨の表現は広く知れ渡ったものであり,このような表現をもって原告X18の陳述が具体的であるとして陳述の信用性を肯定する根拠とはならないというべきである。)。
さらに,そもそも,原告X18は被爆当時3歳であって,3歳時の記憶が残っていること自体,極めて特異というべきである。また,原告X18は,平成22年5月26日付け認定申請書添付の申述書においては,「救出された後1時間位自宅のあたりにいましたが,そのとき黒い雨が降ってきて,顔や手に付きました。」と,上記陳述書や本人尋問における陳述とは異なる記載を自らしている。そして,そのように異なる記載がされている理由を問われても,何ら変遷の合理的な理由を答えられていない。このように,原告X18の黒い雨に関する陳述は,祖母から「雨じゃないよ」と言われたという記憶の根幹部分に重大な変遷が認められるのであって,もはや,単なる記憶違いで説明することができるものではない。
以上を併せ考慮すれば,昭和20年8月9日に金比羅山に向かう途中で黒い雨に打たれた旨の原告X18の陳述は信用することはできず,上記事実を認めることはできない。
(2) 多量の放射線に被曝しているとの主張に理由がないこと
ア 原告X18の初期放射線による被曝線量は約0.0465424グレイであること
原告X18は,爆心地から約2.3kmの地点にある長崎市大黒町〈以下省略〉の自宅の2階で被爆したというものであるから,DS02による被曝線量推計計算によれば,原告X18の初期放射線による被曝線量は,約0.0465424グレイである。
イ 原告X18が昭和20年8月12日午前5時頃まで,爆心地から約1.6kmの地点にある金比羅山や爆心地から約2.3kmの地点にある自宅付近に滞在していたことによる被曝線量は,0.0000291グレイを下回る程度にすぎないこと
原告X18は,長崎原爆の投下当日である昭和20年8月9日は,爆心地から約2.3kmの地点にある自宅付近(防空壕)で過ごし,長崎原爆の投下翌日である同月10日に爆心地から約1.6kmの地点にある金比羅山に登り,1泊したが,同月11日には,再び上記自宅付近に戻って1泊し,同月12日午前5時20分頃,汽車で同所を離れたものと認められる。
そうすると,長崎において,長崎原爆の投下当日に爆心地から1.6kmの地点に入市し,その後,原爆投下の70時間後までの間,同じ所にとどまっていたという仮定に基づいて,今中哲二報告に基づく誘導放射線による推定積算線量を再計算すると,0.0000291グレイであり,原告X18が爆心地から1.6kmの金比羅山にいたのは1日程度にすぎないことから,実際は,上記数値を更に下回る程度にすぎない。
ウ 内部被曝による被曝線量も微量にすぎないこと
原告X18は,周囲の粉塵を直接体内に取り込んだり,食生活などを通したりして多量に内部被曝した可能性が高いと主張するが,かかる主張も,漠然とした抽象的なものであり,これにより一定程度高線量の被曝をしたことになる具体的な根拠も示されていない。
かえって,生物学的線量推定法によって得られた遠距離被爆者及び入市被爆者の推定被曝線量等に照らせば,仮に原告X18が内部被曝をしていたとしても,その被曝線量はDS02の誤差の範囲に収まる程度の微量にすぎない。
したがって,このような原告X18の主張によって,原告X18が人体に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたと認定することも許されない。
エ 小括
原告X18についてはそもそも黒い雨に打たれた事実は認められないことから,その被曝線量を考慮する必要はない。以上によれば,原告X18の推定被曝線量は,全体量としても,0.0465715グレイを下回る程度にすぎない。これは,2回程度のCT検査で受ける被曝線量程度の低線量である。
(3) 原告X18の被爆後の健康状態に関する主張が失当であること
ア 身体症状について
原告X18は,急性症状については記憶がないとした上で,① 四,五歳の頃よく微熱が出ていた,② また,貧血気味で,小学生の頃,運動場で行われる朝礼の間,立っていられなくてうずくまることもあり,体育の授業にも参加することができなかった,③ 小学校3年生くらいまではよく早退していたとして健康状態に関する主張をしているが,上記の事実主張に関しては,放射線起因性の要件との関係すら何も主張されておらず,原告X18の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
イ 急性症状について
(ア) 原告X18が主張を変更したこと
原告X18は,原告ら最終準備書面において,新たに,昭和32年6月付け被爆者健康手帳交付申請書添付の原爆被爆者調書票の記載に基づき,昭和20年8月11日頃から同月20日頃まで軽い下痢が出現し,さらに,微熱(発熱)があったと主張を変更した。
しかしながら,原告X18の主張をもってしても,原告X18は,身体症状の存在していた事実を主張するのみで,それが本件においてどのような意味があるのか,放射線被曝による急性症状に当たると主張するのかも含めて何も主張していない。したがって,このような主張は失当であるといわざるを得ない。
(イ) 原爆被爆者調書票の記載について
原告X18は,昭和32年6月付け被爆者健康手帳交付申請書添付の原爆被爆者調書票には,昭和20年8月11日頃から同月20日頃まで,軽い下痢と微熱があったと記載されていると主張している。
しかしながら,上記調書票には,下痢については,昭和20年8月11日頃から同月20日頃まで続いた旨の記載はあるものの,微熱については,特にいつからいつまで続いたか,明記されていない。
また,原告X18も下痢の根拠として挙げているABCCの調査記録には,軽度の「無血液性下痢」が昭和20年9月下旬に1週間くらい出現した旨記載されており,熱については「なし」と記載されている。
このように,原爆被爆者調書票の記載と,ABCCの調査記録の記載とは整合していないが,後者は前者よりも3年前の昭和29年3月26日及び昭和30年9月27日の原告X18の母からの聴取り調査結果を記載したものであること,その調査態度は協力的であるとされていることなどからすれば,後者のABCCの調査記録の記載の方が信用性が高いというべきである。
したがって,原告X18に被爆直後の昭和20年8月11日頃から同月20日頃まで発熱が出現した事実は認められず,同期間に下痢が出現した事実も認められない。
(ウ) 原告X18に下痢及び発熱が出現していたとしても,急性放射線症候群の特徴を有しているとはいえないこと
また,原告X18に昭和20年8月11日頃から同月20日頃まで下痢及び発熱が出現していたとしても,これらの身体症状は,全体としてみても,各症状ごとに個別にみても,急性放射線症候群の特徴を有しているとはいえない。
すなわち,昭和32年6月付け被爆者健康手帳交付申請書添付の原爆被爆者調書票の記載によると,少なくとも下痢は昭和20年8月11日頃から同月20日頃まで出現していたことになるが,微熱の出現時期は不明である。そうすると,急性放射線症候群の特徴とされる「潜伏期」の存在が認められない。
また,原告X18の下痢は被爆後二日経過して出現したというのであるから,その出現時期からして前駆症状としての下痢とは考えられない。
さらに,原告X18に出現したとする微熱が急性放射線症候群でみられる前駆症状としての微熱であるとすれば,原告X18は2グレイないし4グレイの被曝をしたものと推定されるが,2グレイないし4グレイの被曝では前駆症状としての下痢は出現しない。
他方,ABCCの調査記録の記載によったとしても,原告X18には,原爆投下から1箇月半余り経過した昭和20年9月下旬頃に1週間くらい血液性でない軽度の下痢が出現したというのであるから,大量出血を伴う重篤かつ血性の下痢という主症状としての下痢の大きな特徴と整合しないことは明らかである。
以上によれば,原告X18に出現したとする身体症状(下痢及び微熱)が急性放射線症候群(放射線被曝による急性症状)であると評価することはできない。
むしろ,原爆投下当時は,劣悪な衛生環境及び栄養状態にあったことなど,下痢や微熱が発現しやすい状況にあったといえるのであり,原告X18の主張する身体症状も,放射線被曝に関わりのない一般的な下痢や微熱の症状と全く異なるところがない。
以上によれば,仮に原告X18に下痢や発熱が生じていたとしても,急性放射線症候群(放射線被曝による急性症状)であるとはいえない。
(4) 原告X18が若年被爆者である旨の主張に理由がないこと
原告X18は,3歳という幼児期に,直爆のみでなく,長期間の残留放射線被曝,内部被曝を受けたとして,若年被爆者であることが原告X18のバセドウ病について放射線起因性が認められる根拠となると主張するようであるが,若年被爆者の場合にバセドウ病の発症が多いといった科学的知見は見当たらず,原告X18においても,上記主張を根拠づける証拠を何ら提出していないのであるから,理由がないといわざるを得ない。
(5) 原告X18の医師意見書が挙げる報告等はバセドウ病の放射線起因性を認める根拠となり得ないこと
ア 原告X18の医師意見書が挙げる報告等は放射線の影響に関する世界的権威であるUNSCEARの報告書及びICRPの勧告によってバセドウ病の放射線起因性を認める根拠とならないことが総括されていること
(ア) 現段階において,バセドウ病と放射線被曝との間に有意な関連を認めた科学的知見はない。すなわち,UNSCEARの報告書の記載内容は,全世界の一科学者はもとより,世界各国においてもその時点における放射線の人体影響に係る知見を集約した国際的な基準として尊重されているものであって,極めて信頼性が高いものであるところ,UNSCEAR2000年報告書の附属書Jは,1991年(平成3年)から1996年(平成8年)に実施されたチェルノブイリ原発事故時に10歳未満の小児16万人を対象とした大規模なスクリーニングプログラムにおいて,電離放射線に関連する甲状腺機能低下症,甲状腺機能亢進症(バセドウ病を含む。)及び結節性甲状腺腫のリスクは増加しなかったと結論付けている。
また,UNSCEAR2008年報告書の附属書Dでは,チェルノブイリ原発事故の放射線被曝による健康影響として,自己免疫性甲状腺炎の罹患にも焦点が当てられた。UNSCEAR2008年報告書の附属書Dは,自己免疫性甲状腺炎(慢性甲状腺炎等)について,「甲状腺線量と」「自己免疫性甲状腺疾患との関連について,いかなる決定的証拠をも提供しなかった。このように,この研究はハンフォード核施設[D9],および広島と長崎の原爆投下[127,N11]によって被ばくした人々の研究の知見と一致する」「これまでの証拠は,放射線被ばくと臨床的に意味のある自己免疫性甲状腺炎との関係を示唆していない」として,原爆被爆者の調査結果を含め,放射線被曝と自己免疫性甲状腺炎(慢性甲状腺炎)の間に関係は見いだせないと結論付けている。
(イ) 平成24年発表のICRP2012年勧告では,組織及び臓器における放射線の早期及び晩期影響について取りまとめがされた。その中で甲状腺への影響についても触れられており,甲状腺機能亢進症(バセドウ病を含む)については,「甲状腺機能亢進症もまた,35Gy(グレイ)を超える線量の分割照射の約8年後程度から発症する可能性があるが,それほど一般的ではない」との記載がある。このように,放射線防護の観点から勧告を行う最近のICRPの勧告においても,甲状腺機能亢進症に関する放射線の影響については,放射線治療に応用されるような極めて高線量の放射線被曝をした場合にすら,発症する可能性があるとされるにとどまり,1グレイ未満の低線量被曝のような場合に影響があるとする知見は存在しない。
(ウ) このように,原告X18の医師意見書が挙げる報告等の内容は,既に,UNSCEARの報告書の中で,全世界の科学者100人の合議により科学的な信用性等が精査され,上記のとおり総括されているのである。また,最新のICRPの勧告においても,甲状腺機能亢進症に関する放射線の影響については,極めて高線量の放射線被曝をした場合に発症することがあるかもしれないとされるにとどまり,1グレイ未満の低線量被曝のような場合に影響があるとする知見は存在しない。したがって,原告X18が根拠とする報告等が存在するからといって,上記のUNSCEARの報告書やICRPの勧告の内容と明らかに抵触する「低線量の放射線被曝によりバセドウ病が発症する」という結論を導くことは,明らかに科学的経験則に反するものであり,許されない。
イ 甲状腺機能亢進症の有病率を比較することによって甲状腺機能亢進症の放射線起因性を認める根拠とすることはできないこと
(ア) 今野則道ら報告
原告X18は,今野則道ら報告で示された有病率が「期間有病率」であるとした上で,今野則道ら報告で示された札幌市内に居住する成人男女における甲状腺機能亢進症の期間有病率が今泉美彩ら報告で示された原爆被爆者における甲状腺機能亢進症の期間有病率をはるかに下回るとして,このことが甲状腺機能亢進症の放射線起因性を認める根拠となるとするものと思われる。
しかしながら,今野則道ら報告における調査対象者の平均年齢が45.6±10.3歳(男性46.0±10.0歳,女性44.9±10.2歳)であるのに対し,今泉美彩ら報告の調査対象者の平均年齢は71歳と高齢である。そうすると,今泉美彩ら報告で調査されている期間有病率は,出生から調査時期までにおける甲状腺機能亢進症の罹患の有無であるから,年齢層の高い調査対象群において期間有病率が高いとする結果が出ることは,当然にあり得ることである。この点,C12は,甲状腺機能亢進症について,「一般的に言えば,まず子供に少ないですね。成人期に近づくに従って増えて,老年期には減るという傾向だと思います。」として,老年期における発症を考慮する必要はないかのように証言する。しかしながら,甲状腺機能亢進症は,高齢になってからも新規に発症し得るものであるから(「図解・甲状腺の病気がよくわかる最新治療と正しい知識」),老年期における新規発症を考慮しないまま,今野則道ら報告及び今泉美彩ら報告で示された有病率を比較することはそもそも手法として誤っているといわざるを得ない。
また,甲状腺機能亢進症の定義についても,今野則道ら報告は,TSH値0.15mU/lを基準として,これより低値のものを甲状腺機能亢進症と捉え,そのうちでTSH受容体抗体が陽性であった者をバセドウ病に罹患していると判断している。これに対し,今泉美彩ら報告では,TSH値が0.41mU/l未満であり,かつ,FT4値1.52ng/dlを超えるものを甲状腺機能亢進症と捉えているほか,TSH受容体抗体,甲状腺刺激抗体及びシンチグラフィーでの放射性核種の取り込み亢進のいずれかが陽性反応を示した者をバセドウ病に罹患している者と判断している。このように,今野則道ら報告と今泉美彩ら報告とでは,そもそもバセドウ病の定義自体も異なっているのであって,このようなものを単純に比較することができないことは明らかである。
したがって,これらの比較をもって,原告X18のバセドウ病の放射線起因性が認められる根拠とすることはできない。
(イ) 長瀧重信ら第1報告
また,原告X18は,長瀧重信ら第1報告を挙げ,長崎の西山地区の甲状腺機能亢進症の有病率が高いとして,甲状腺機能亢進症の放射線起因性を認める根拠となるとする。
しかしながら,そもそも,長瀧重信ら第1報告は,「唯一の有意な相違は,甲状腺充実性結節である。」とあるように,甲状腺結節の増加にのみ放射線被曝との関連性について有意差が出たという報告であって,甲状腺機能亢進症については放射線被曝との関連性について有意であったとはされていない。
したがって,長瀧重信ら第1報告をもって,甲状腺機能亢進症の発症と放射線被曝との間に関連性を認める根拠とすることはできない。
ウ 原告らが挙げる疫学文献をもってしても,甲状腺機能亢進症について因果関係は認められないこと
原告らは,現時点において有意な正の線量反応関係を認めた報告が存在しないことのみをもって,甲状腺機能亢進症の放射線起因性を否定することは許されないとして,① 甲状腺機能亢進症を含む甲状腺疾患については有意な線量反応関係が認められていること,② 甲状腺機能亢進症の有病率と放射線量の関連を示唆する文献も存在すること,③ 甲状腺機能亢進症についての原爆被爆者と一般人口の有病率比較によっても原爆被爆者の有病率が明らかに高率となっていること,④ 放射線起因性が認められている甲状腺機能低下症と甲状腺機能亢進症には同質性や近似性も認められること,⑤ その他,放射線が甲状腺機能亢進症の発症に影響を与えているという文献が複数存在することを挙げる。
しかしながら,原告ら自身も認めているように,甲状腺機能亢進症については,現時点において,有意な正の線量反応関係(関連性)すら認めた文献等が存在しない。このような現時点における知見の状況に照らせば,甲状腺機能亢進症については,通常の民事訴訟における因果関係判断の基礎となるべき科学的知見が現時点では存在しないものとして判断されなければならない。
また,原告らの上記①ないし⑤の主張はそもそも失当であるが,それをおいても,上記①の点は,「甲状腺疾患」の中には,有意な関連性が認められている甲状腺結節(がんはこれに含まれる。)を始めとして,甲状腺機能障害に分類される甲状腺機能亢進症とは全く発症機序の異なる多数の疾病が含まれているのであるから,「甲状腺疾患」について有意な線量反応関係が認められたということによって,「甲状腺機能亢進症」と放射線被曝との因果関係の根拠となるものではない。また,上記②についても,今泉美彩ら報告において「有意差がないとされたものの甲状腺機能亢進症の有病率と放射線量の関連が示唆されている」というものであって,このような「有意差がない」「関連が示唆されている」にすぎない報告の存在が,甲状腺機能亢進症と放射線被曝の因果関係の根拠となるものではない。さらに,上記③及び⑤が甲状腺機能亢進症と放射線被曝の因果関係の根拠となるものではないことについては,既に述べたとことから明らかであり,上記④については,そもそも「放射線起因性が認められている甲状腺機能低下症」という前提自体が誤っている。
したがって,原告らの上記主張はいずれにせよ失当である。
(6) 原告X18の被曝線量等に照らせば,原告X18が原爆放射線に被曝したことにより,バセドウ病を発症したことが高度の蓋然性をもって認められるとはいえないこと
原告X18の推定被曝線量は,全体量としても,0.0465715グレイを下回る程度にすぎない。これは,2回程度のCT検査で受ける被曝線量程度の低線量である。
そして,バセドウ病については,原爆被爆者でなくても発症し得る一般的な疾病であるから,当該被爆者の被曝線量の程度や,他の原因,症状の具体的態様等にかかわらず,一律に原爆放射線によるものであるということはできない。
そうすると,原告X18の放射線被曝の程度,バセドウ病と放射線被曝に関する知見の状況等を総合考慮すれば,原告X18の甲状腺機能亢進症(バセドウ病)が原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。
したがって,甲状腺機能亢進症の治療により生じた原告X18の申請疾病である甲状腺機能低下については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
2 結論
以上のとおり,原告X18の甲状腺機能低下は,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たしているとはいえないから,原告X18の原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分が違法であるとする原告X18の主張には理由がない。
第15 原告X19について
1 原告X19のC型慢性肝炎が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
(1) 相当程度の放射線に被曝しているとの主張に理由がないこと
原告X19は,相当程度の放射線に被曝したと主張するが,このような原告X19の主張は不明確であり,少なくとも科学的根拠に基づくものとは考えられないことは,既に述べたとおりである。
そして,原告X19の本人尋問の結果を踏まえても,原告X19が爆心地に接近した正確な距離は明らかでないが,広島原爆投下の約二日後に爆心地から500mの地点に入市し,その後,無限時間同じ所にとどまっていたという仮定に基づいて算出した誘導放射線の積算放射線量によれば,原告X19の誘導放射線の積算放射線量は0.012グレイを下回るといえる。
また,原告X19は,誘導放射化された人体による被曝の影響を主張するようであるが,このような主張は漠然とした抽象的なものであり,これにより一定程度高線量の被曝をしたことになる具体的な根拠も示されていない。かえって,いわゆるJCO臨界事故での測定結果等によれば,放射線により誘導放射化された人体に接したことによる被曝線量はごく僅かにすぎない。衣服や身体に付着した放射性降下物による被曝を受けた人体に接したことについても,放射性降下物の量自体が極めて少ないことからすれば,同様である。
さらに,原告X19は,残留放射線による内部被曝を主張するようであるが,このような主張は,漠然とした抽象的なものであり,これにより一定程度高線量の被曝をしたことになる具体的な根拠も示されていない。かえって,仮に原告X19が内部被曝をしていたとしても,その被曝線量はDS02の誤差の範囲に収まる程度の微量にすぎない。
以上によれば,原告X19の推定被曝線量は,全体量としても,0.012グレイを下回る程度にすぎない。
(2) 原告X19の身体症状は放射線被曝による急性症状とはいえないこと
原告X19の身体症状が出現していたとしても,急性放射線症候群の特徴を有しているとはいえない。
ア 原告X19については,本人尋問の結果を踏まえても,急性放射線症候群の特徴とされる無症状の潜伏期の存在が認められない。
イ この点をおき,原告X19に生じたとされる各身体症状を個別にみても,それが急性放射線症候群の特徴を備えているとはいえない。
原告X19が本人尋問において供述した下痢の具体的症状によれば,その出現時期は前駆症状としての下痢と整合するものの,原告X19の下痢は二,三年間続いたというのであるから,極めて短期間で治まり,無症状の潜伏期に入る前駆症状としての下痢の特徴とは整合しない。また,原告X19の下痢は「水気の多い下痢」であるから,大量出血を伴う重篤かつ血性の下痢であるという主症状としての下痢の特徴とも整合しない。
急性放射線症候群としての紫斑や歯茎出血は,被曝後3週間程度経過した頃から出現し,血小板数の回復に沿って消失するものであるから,前駆期や潜伏期に相当する時期に発症することもなければ,出血傾向が長期間継続しないということが極めて大きな特徴である。しかし,原告X19に生じたとする紫斑は入市の当日から5日後までの間に出現したというのであり,また,歯茎の出血も入市の1週間後に出現したというのであるから,上記急性放射線症候群としての紫斑や歯茎出血の出現時期の特徴と整合しない。
吐き気又は嘔吐の発現時期に係る原告X19の陳述は,終戦後から昭和20年8月8日へと変遷しており,このような変遷に合理的な理由はないことから,原告X19に吐き気又は嘔吐が出現していたかどうかも疑わしいが,仮に原告X19に吐き気又は嘔吐が出現していたとしても,その出現時期や具体的な症状等が全く不明であり,このような漠然とした症状をもって,急性放射線症候群としての吐き気又は嘔吐と認めることはできない。
原告X19は終戦後から倦怠感が生じたと主張するが,その具体的な出現時期や症状等が全く不明であり,このような漠然とした症状をもって,急性放射線症候群としての倦怠感と認めることはできない。
原告X19の生理不順については,原告X19の平成18年5月5日付け認定申請書添付の申述書には記載がないため,原告X19に生理不順が生じていたのかも疑わしい。また,本人尋問における原告X19の供述によれば,その出現時期も被爆の4年後(20歳頃)であるというのであるから,放射線被曝による急性症状などということはできない。
(3) 原告X19の被爆後の健康状態等に関する主張が失当であること
原告X19は,原告X19の被爆後の病歴等を羅列するが,これらの疾病の一つ一つが放射線被曝によって生じたことについて何ら個別に主張,立証がされていないから,原告X19の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
なお,原告X19は,肺がんについて原爆症認定を受けているが,疾病と放射線被曝との関係は,個別の疾病ごとに具体的な放射線量の値との関係で結果が示されるものである。「肺がん」の放射線起因性が認められるからといって,当然に「C型慢性肝炎」の放射線起因性が認められることにはならない。
(4) 原告X19が挙げる報告等はC型慢性肝炎の放射線起因性を認める根拠となり得ないこと
ア 原告X19が挙げる放影研の疫学調査は,C型慢性肝炎の放射線起因性の根拠とならないこと
(ア) 原告X19の主張は,疫学調査結果の理解を誤っていること
原告X19が,C型慢性肝炎の放射線起因性の根拠として挙げる成人健康調査(AHS)の報告書も寿命調査(LSS)の報告書も,C型慢性肝炎について有意な線量相関関係が認められたとするものではない。そもそも,B型肝炎や脂肪肝等も含む「慢性肝疾患」と放射線との間に有意な線量相関関係が認められたとしても,その調査結果をもってC型慢性肝炎についても放射線との間に有意な線量相関関係が認められたことにはならない。また,線量相関関係が認められたとする一つの疫学的調査結果が存在するからといって,直ちに,疫学的因果関係まで認められることにはならない。
(イ) AHS第7報及びAHS第8報によっても,「C型慢性肝炎」という疾病分類について有意な線量相関関係が認められているとはいえないこと
a AHS第7報及びAHS第8報において,「慢性肝疾患」という包括的な疾病分類でみた場合に有意な線量相関関係が認められたのは,「慢性肝疾患」の大部分を占める「脂肪肝」が大きな影響を与えていたことによるものと合理的に解釈することができる。そして,AHS第8報は,C型慢性肝炎を含む「脂肪肝以外の慢性肝疾患」という疾病分類では,「放射線の影響は有意ではなかった」と結論付けている。そうすると,AHS第7報及びAHS第8報において,C型慢性肝炎について有意な線量相関関係が認められているといえないことは明らかである。
b そして,齋藤紀は,我が国の慢性肝疾患の圧倒的多数がC型肝炎ウイルス(HCV)による慢性肝疾患であることを前提として,原爆被爆者がC型肝炎ウイルス(HCV)による慢性肝炎に罹患していることが判明した場合には,AHS第7報をもって,その放射線の影響を肯定し得るとの意見を述べているが,AHS第8報では,昭和61年以降の「慢性肝疾患」の69%が非アルコール性脂肪肝であったことが指摘されているのであって,これは上記齋藤紀の意見の指摘が誤りであることを端的に示している。
c また,齋藤紀の意見は,AHS第8報の対象期間は,肝炎ウイルスが蔓延していた1950年(昭和25年)代を含む成人健康調査(AHS)前半期ではなく昭和61年以降であるから,高齢被爆者において新規のウイルス性肝炎の発症が激減したのであり,被爆者の総体では現時点でもなお慢性肝疾患の7割以上がC型慢性肝炎であることは誤りではないとしている。しかしながら,仮に慢性肝疾患の7割程度がC型慢性肝炎であったとしても,C型肝炎ウイルス(HCV)とは無関係の原因で発症した残り3割の寄与によって,線量相関関係が有意になった可能性があるのであり,慢性肝疾患の中でC型慢性肝炎の割合が高いことは,C型慢性肝炎の発症と被曝線量との相関関係を肯定する理由にはならない。また,AHS第8報において言及されている「活性化したHCV感染の促進」との仮説は国際的に認められた知見でないことは明らかであるが,仮に上記仮説が成り立つとしても,推定被曝線量が0.1グレイにも満たない原告X19に上記仮説は全く当てはまらない。さらに,1950年(昭和25年)代を含む成人健康調査(AHS)前半期が肝炎ウイルスの大蔓延の時期であったとの齋藤紀の意見の指摘は何ら根拠が示されていない。
d この点,戸田剛太郎報告も,AHS第7報及びAHS第8報は,「慢性肝疾患の種類,進展度,活動性,成因も検討することなく,解析がなされており,研究の評価がきわめて困難である。」と指摘している。
また,放影研は,AHS第7報及びAHS第8報において,成人健康調査(AHS)対象者について,慢性肝疾患(肝硬変を含む)で有意な線量反応関係を認めたものの,慢性肝疾患を脂肪肝と脂肪肝以外に分類した場合には,脂肪肝のリスクのみ放射線量に示唆的関連を認めることから,慢性肝疾患における線量反応関係の有意性が脂肪肝と関連する可能性が示されたとの解釈を示している。このような放影研の解釈は,「慢性肝疾患」という包括的な疾病分類でみた場合に有意な線量相関関係が認められたのは,「慢性肝疾患」の大部分を占める「脂肪肝」が大きな影響を与えていたことによるものであるとの被告の解釈と整合するものであり,AHS第8報において,C型慢性肝炎を含む「脂肪肝以外の慢性肝疾患」という疾病分類では,「放射線の影響は有意ではなかった」と結論付けられていることからすると,AHS第7報及びAHS第8報において,C型慢性肝炎について有意な線量相関関係が認められているとはいえないことは明らかである。
e 以上によれば,AHS第7報及びAHS第8報をもって,放射線とC型慢性肝炎との線量相関関係を肯定する根拠とすることはできない。
(ウ) 原告X19が挙げる寿命調査(LSS)の報告書によっても,「C型慢性肝炎」という疾病分類について有意な線量相関関係が認められているとはいえないこと
原告X19は,LSS第11報第3部以降で,肝機能障害について,原爆放射線との有意な線量相関関係が認められていると主張するが,LSS第11報第3部からLSS第14報までのいずれにおいても,「慢性肝炎」という疾病分類について放射線との有意な線量相関関係が認められる旨の記載はない。「肝硬変」という疾病分類についても,LSS第13報及びLSS第14報では,放射線との線量相関関係は否定されている。したがって,寿命調査(LSS)の報告書をもって,放射線とC型慢性肝炎との有意な線量相関関係を肯定する根拠とすることはできない。
(エ) 小括
以上によれば,原告X19が挙げる成人健康調査(AHS)の報告書及び寿命調査(LSS)の報告書は,いずれもC型慢性肝炎の放射線起因性の根拠となるものではない。
イ 肝がんと放射線との関連性をみた疫学調査結果をC型慢性肝炎と放射線との関連性を肯定する根拠として用いることはできないこと
(ア) 齋藤紀の意見における指摘
齋藤紀は,C型慢性肝炎と放射線との関連性を評価するに当たっては,肝がんと放射線との関連性を示した報告を根拠として用いることができると指摘するようであるが,前記アで述べたとおり,原告X19が挙げる成人健康調査(AHS)の報告書も寿命調査(LSS)の報告書も,C型慢性肝炎の放射線起因性を認める根拠となるものではなく,それ以外の報告等を踏まえても,C型慢性肝炎の放射線起因性を認めることはできない。
(イ) 肝がんと放射線との関連性を調べた各報告をC型慢性肝炎と放射線との関連性を検討する上で重視することは誤りであること
a 観察対象集団を肝がんとするトンプソンら報告及びLSS第13報をもって,C型慢性肝炎と放射線との関連性を肯定することはできないこと
トンプソンら報告及びLSS第13報は,いずれもがんと放射線との関連性についての研究であり,C型慢性肝炎に関するものではない。つまり,肝がんの中にはC型肝炎ウイルス(HCV)以外の原因による原発性肝がんの症例や,他の臓器から肝臓に転移したがんが多数存在する。特にトンプソンら報告では,肝がんと診断されたものの33%は死亡診断書のみによって確認されたが,「診断の精度は疑わしい」と指摘されている。したがって,肝がんという観察対象集団を用いたトンプソンら報告及びLSS第13報の結論は,C型慢性肝炎と放射線との関連性を合理的に示すものとはいい難い。
b 近時の知見によれば,放射線は慢性肝炎から肝硬変,肝がんへの進行を促進するものではないことが明らかとなっていること
(a) 岩本ら報告によれば,がん抑制遺伝子とされるp53の突然変異率は,統計的に有意な線量反応関係があったとされている。この放射線被曝の程度が高くなると肝細胞がん細胞中のp53の突然変異率が高まるという現象は,放射線がC型肝炎ウイルス(HCV)の活動とは別に直接がん抑制遺伝子を障害する結果,肝がんの発症リスクを高めていることによると考えられる。
以上に対し,齋藤紀は,C型肝炎ウイルス(HCV)と放射線被曝の共同成因により,間接的にがん抑制遺伝子が障害され,その結果,肝がんが発症する可能性があると指摘するが,後記ウで述べるとおり,C型肝炎ウイルス(HCV)の感染及びC型慢性肝炎の発症,進展ともに放射線被曝とは関係がない。そのため,仮に上記指摘が正しいとしても,それはC型肝炎ウイルス(HCV)感染者(又はC型慢性肝炎罹患者)の肝がんについての放射線起因性を基礎づけているにすぎない。したがって,C型肝炎ウイルス(HCV)と放射線被曝が,肝がんの共同成因であることは,C型慢性肝炎の放射線起因性についての結論に全く影響を与えない。こうした評価は,次に述べるシャープら第1報告とも整合するものである。
(b) ジェラルド・シャープらは,肝がんの発症にC型肝炎ウイルス(HCV)と放射線被曝がどのように関係しているかとの観点から疫学調査を行い,「肝硬変を伴うHCC(肝細胞がんを指す。)の発症においてHCVと放射線の間に有意な相互作用は見られなかった」と結論付けている。このような調査結果に鑑みれば,放射線は,C型肝炎ウイルス(HCV)感染被爆者が,慢性肝炎,肝硬変,肝がんという通常の進行経過をたどらずに,直接,肝がんを発症するというリスクを高める可能性があり得るとしても,C型慢性肝炎の発症や進展に寄与するものであるといった結論を導くことはできない。
(ウ) 肝がんにおいては,C型肝炎ウイルス(HCV)は放射線とは別の独立したリスク因子であること
慢性肝炎になれば,肝硬変を経るか否かにかかわらず,あらゆる段階でがん化し得るのであり,C型肝炎ウイルス(HCV)に感染すると,慢性肝炎になり線維化が進み,いずれ肝硬変となり最終的に肝がんに至るとの考えは誤りである。
また,大石和佳報告では,B型肝炎ウイルス(HBV)又はC型肝炎ウイルス(HCV)の感染者を除外した後でも,放射線被曝が肝細胞がんリスクの増加と有意に関連することが示されており,齋藤紀の意見で指摘されている上記共同成因という仮説に対し,否定的な結果が示された。
さらに,齋藤紀が述べる共同成因とは,放射線とウイルス感染が互いに相乗効果となって肝がん発生を促進するという仮説であるが,これが事実であるとすれば,B型肝炎ウイルス(HBV)やC型肝炎ウイルス(HCV)といったリスクを調整した場合には,相乗効果が減じられることから,肝がんのリスクは小さくなると予想される。しかしながら,大石和佳報告では,B型肝炎ウイルス(HBV)陽性を除外した症例についてC型肝炎ウイルス(HCV)に係る調整を行った場合と,C型肝炎ウイルス(HCV)陽性を除外した症例についてB型肝炎ウイルス(HBV)に係る調整を行った場合のいずれも,相乗効果が否定される結果となった。この点については,著者自身も,「仲介(ウイルスによる放射線リスクの仲介を指す。)がある場合には,ウイルス感染の有無を調整した場合にはリスクは減少するはずであるが,減少はしなかった。」と述べている。
したがって,最新の知見を踏まえれば,上記共同成因仮説は否定され,むしろC型肝炎ウイルス(HCV)と放射線被曝は,各々独立して肝細胞がんのリスクとなっていると考えるのが相当である。
(エ) 原告X19が想定する放射線による炎症のメカニズムは,原告X19に当てはまるとは考え難いこと
原告X19は,C型肝炎ウイルス(HCV)と放射線被曝が相互にリスクを高めるメカニズムとして,C型慢性肝炎の病態が炎症であり,放射線被曝もまた炎症を惹起することを主張する。しかし,原告X19がこの仮説の根拠とする森下ゆかりら報告によれば,1グレイ当たりの被曝によりインターフェロンγが12%上昇するとされているところ,インターフェロンγがC型肝炎ウイルス(HCV)を排除するための治療薬として用いられる物質であることからすると,原告X19の主張を前提としても,放射線被曝によるとされる炎症が,C型慢性肝炎を促進する方向に働くのか,又は,抑制する方向に働くのか明らかではないということになる。
なお,森下ゆかりら報告によれば,1グレイ当たりの上昇割合が明らかにされているのみであり,そもそも0.1グレイに満たない原告X19の被曝線量で,このような炎症反応の亢進が起こるのかどうかも,明らかではない。仮に炎症反応の亢進があるとしても,1グレイ当たりの被曝は約9年の免疫学的加齢に相当すると推定されていることから,原告X19の被曝線量である0.012グレイを下回る程度では免疫学的加齢は1年に満たないから,影響があるとは考え難い。
したがって,放射線による炎症がどのように原告X19に影響するのかというメカニズムの観点からも,C型慢性肝炎の放射線起因性は全く立証されていない。
(オ) まとめ
以上述べたとおり,肝がんと放射線との関連性を検討した疫学調査の結果をもって,C型慢性肝炎と放射線との関連性を肯定する根拠とすることはできない。
ウ 藤原佐枝子ら報告はC型慢性肝炎と放射線との関連性を肯定する根拠にならないこと
(ア) はじめに
藤原佐枝子ら報告は,C型慢性肝炎と放射線との関連性を正しくみるためにデザインされた疫学調査に基づくものであるところ,この藤原佐枝子ら報告では,放射線は,C型肝炎ウイルス(HCV)の感染には全く寄与しないことが明らかにされている。そして,藤原佐枝子ら報告の表6及び図2で示されているとおり,原爆放射線に被曝したこととC型慢性肝炎の発症及び進行との間にも関連性を認めることはできない。
(イ) 「抗HCV抗体の状態別に示した線量反応」(表6)の評価
a 放射線被曝によりC型慢性肝炎のリスクが増加するか否かは,表6で示されたC型肝炎ウイルス(HCV)陽性者のP値が有意水準0.05を満たしているか否かによるところ,表6では,このP値がいずれも0.05を10倍以上も上回る0.57や0.55となっており,およそ有意な関連性を認める余地はない。藤原佐枝子ら報告によれば,放射線とC型慢性肝炎の発症や進行との間には,有意な関連性がないことが明らかである。
b そして,この点については,藤原佐枝子ら報告で用いられたものと同じデータに基づいて分かりやすく解析した,田中英夫報告によっても明確に示されている。
c これに対し,齋藤紀は,田中英夫報告について,田中英夫報告自体は,「肝障害発現について線量閾値の設定が可能かどうかについて検討した」ものであるとしているが,田中英夫報告の論旨は,仮にC型慢性肝炎と放射線に関連性があるとして,同疾患を発症するのに必要な被曝線量(しきい線量,しきい値)を探求したものの,しきい線量を設定することはできなかったため,前提に立ち返り,C型慢性肝炎と放射線との関連性の有無を検討したところ,関連性すら認められなかったということである。田中英夫報告は,およそ,齋藤紀が指摘するようなしきい値設定の可否を検討したにとどまるものではない。
齋藤紀は,医療分科会における一委員がした,田中英夫報告に書いてある内容だけでは少なくともその解析が正しいのかどうかということを評価しにくいとの発言を指摘するが,田中英夫報告は,藤原佐枝子ら報告で使用されたものと同じデータセットを利用し,計算もロジスティック回帰分析という,疫学者であれば誰でも理解している解析方式を用いている。仮に同委員の指摘が正しいとすれば,藤原佐枝子ら報告の解析の正確性についても評価することができないことになる。
d また,藤原佐枝子ら報告において,C型肝炎ウイルス(HCV)陽性群の95%信頼区間をみてみると,いずれも-から+まで大きな開きが認められる。これは,放射線被曝によりC型慢性肝炎を発症,進行しやすい場合もしにくい場合もあるということであるから,結局,被曝線量が増加したからといって,有病率が増加する関係にあるとはいえず,原爆放射線とC型慢性肝炎の発症及び進行との間には何の関連性もないということになる。
(ウ) 「抗HCV抗体の有無に基づいた線量別肝疾患相対リスク」(図2)の評価
藤原佐枝子ら報告の図2は,陰性群と陽性群とに分けて,被曝線量に伴う肝疾患の相対リスクを表したものであるところ,95%信頼区間は,陽性群及び陰性群のいずれも-から+まで大きな開きが認められ,これは実線の傾きが+の傾きになる可能性も,-の傾きになる可能性も否定することができないということを表していることになる。
この点,95%信頼区間には幅があるものではあるが,実線を基にして陽性群の勾配と陰性群の勾配とを比較した場合,その勾配に有意差があるかどうかを示すP値の値は0.097と算出されており,これは,統計学的にみると,帰無仮説が棄却できないことを表している。
また,実線を基にした陽性群全体のP値は,藤原佐枝子ら報告には記載はないものの,藤原佐枝子ら報告の表6の陽性群のうち低抗体価グループのP値が0.57,高抗体価グループのP値が0.55であることからすれば,陽性群全体のP値もこれに近い値であることが予想され,0.05といった値にはならないとされている。そうすると,この場合も統計学的にみて,帰無仮説が棄却できないことになり,陽性群の実線が増加傾向になるか否かについては何ら触れるものではない。
このように,藤原佐枝子ら報告では,以上の統計学的結論を背景とした上で,あえて「放射線被曝がHCV感染後の肝炎の進行を促進した」という「仮説」を立てたというにすぎないのであって,藤原佐枝子ら報告は,いまだ単なる「仮説」の域を出ないからこそ,「この仮説を明らかにするために,更なる研究が必要である。」と結ばれているのである。そして,後記エで述べるとおり,その後の研究において,藤原佐枝子ら報告の「仮説」は否定されている。
(エ) まとめ
以上によれば,C型慢性肝炎と放射線との関連性をみることを目的とした藤原佐枝子ら報告においても,C型慢性肝炎と放射線との関連性は認められない。
エ 藤原佐枝子ら報告の後続研究であるシャープら第2報告も,C型慢性肝炎の放射線との関連性を否定していること
(ア) 藤原佐枝子ら報告の後続研究論文がシャープら第2報告であること
前記ウ(ウ)で述べたとおり,藤原佐枝子ら報告は,前記仮説の真偽を後の研究に譲っている。この点,藤原佐枝子は,平成15年当時,放影研において,剖検例に基づく肝硬変と放射線との関連性についての研究が進んでおり,途中経過ではあるが,C型肝炎ウイルス(HCV)感染者について,放射線被曝により肝硬変になりやすいという証拠はないと述べていた。そして,藤原佐枝子が指摘する研究がシャープら第2報告であり,シャープら第2報告は,結論として,肝硬変と放射線との関連性を否定している。
(イ) シャープら第2報告は,藤原佐枝子ら報告の仮説を否定していること
戸田剛太郎報告が指摘するとおり,肝がんは,慢性肝障害の終末像ではなく,別の要因によっても発症するものであるから,分けて考慮すべきであるが,肝硬変を慢性肝炎と同一の概念として(実際,両者とも「慢性肝疾患」と呼称される。)検討することには合理性がある。
これを踏まえて,シャープら第2報告をみると,シャープら第2報告は,「B型肝炎ウイルスおよびC型肝炎ウイルス(HCV)への感染・PLC(原発肝がんを指す。)の有無・年齢・性・その他の交絡因子について考慮して,原爆放射線と肝硬変の関係を調査すること」を目的として調査されたものであるところ,シャープら第2報告は,肝硬変と放射線との関連性が認められなかったことを明らかにし,藤原佐枝子ら報告の立てた仮説を明確に否定している。なお,この調査結果については,戸田剛太郎も,海外のレビューを受けて最終的な要約をまとめた修正要約の注意書きにおいてシャープら第2報告の要旨を追加指摘しているところである。
(ウ) シャープら第2報告は,AHS第7報,AHS第8報,LSS第11報第3部及びLSS第12報第2部の結論を否定していること
a まず,シャープら第2報告は,LSS第11報第3部及びLSS第12報第2部には,調査に必要不可欠である疾病の同定そのものに問題があったことをジェラルド・シャープら本人が検討して明らかにした。
そして,戸田剛太郎報告においては,LSS第11報第3部及びLSS第12報第2部とLSS第13報とで結論を異にするのは,LSS第13報において症例数が減少したためではないかとの一般的な可能性が指摘されていたが,上記のように,実際は,LSS第11報第3部及びLSS第12報第2部における症例の診断に問題があったというのであるから,症例数の減少を理由に放射線との関連性を示さなかったLSS第13報を信頼することができないといえるものではない。
以上に対し,齋藤紀は,LSS第11報第3部及びLSS第12報第2部の対象とされた事例は,少なくとも長い慢性肝炎の臨床経過(長い肝線維化の経過),そして,現実の肝硬変の兆候を踏まえているものであり,したがって,F4を中心に,その進行過程にある群と理解することができると指摘する。しかしながら,上記のとおり,LSS第11報第3部及びLSS第12報第2部の調査では,「肝硬変死」についての診断が正確でないのであるから,これらの調査において「肝硬変死ではない」とされたものの中には,実際には「肝硬変死である」ものが含まれ,反対に,同調査において「肝硬変死である」とされたものの中には,実際には「肝硬変死ではない」ものが含まれていた可能性がある。そうすると,LSS第11報第3部及びLSS第12報第2部は,これらの報告の結論の正にその前提を失ったといえる。
以上によれば,疾病の同定に問題があるLSS第11報第3部及びLSS第12報第2部をもって,被爆者において肝硬変による死亡率が高くなるということはできず,より正確な診断を行ったシャープら第2報告の結論の信頼性が高いことは明らかである。
b また,AHS第7報及びAHS第8報については,既に前記アで指摘したとおり,およそC型慢性肝炎と放射線との関連性があるとする資料たり得ない重大な問題を含んでおり,シャープら第2報告も同旨の指摘をしている。また,シャープら第2報告は,様々な交絡因子について考慮すると,むしろオッズ比が基準値1を下回る0.59,すなわち放射線に被曝した方が肝硬変を発症しにくいという結果になったというのである。
さらに,シャープら第2報告において肝硬変を定義するために用いられた病理学的診断は,臨床医学においてはあらゆる検査のうちで最も正確な検査である。一方で,AHS第7報やAHS第8報が用いた診断では,症状及び腹水等の理学的所見といっても肝硬変特有のものではないし,B型肝炎ウイルス(HBV)及び肝機能検査といっても慢性肝炎との区別は十分にはできないため,肝硬変を正確に診断することはできない(そもそも,これらの報告では慢性肝炎と肝硬変を区別していない。)。このように,AHS第7報及びAHS第8報は,シャープら第2報告とは,肝硬変の診断の正確性において比較にならないものである。
そうであれば,およそAHS第7報やAHS第8報を根拠にC型慢性肝炎と放射線との関連性を肯定することはできず,より正確に診断し,詳細に交絡因子の調整を行ったシャープら第2報告の結論こそが正当であるというべきである。
なお,シャープら第2報告に対しては,調査対象者数の少なさが一応問題となり得ようが,この点は,シャープら第2報告が,「本調査は肝硬変に罹患した268人と罹患していない843人を対象としており,検出力は十分であった。」と指摘していることから明らかなとおり,問題たり得ない。
(エ) 齋藤紀の批判に理由がないこと
齋藤紀は,シャープら第2報告は「慢性放射線被曝」の観点を取り入れていないため,調査対象群の被曝リスク(オッズ比)を適切に算出することができなくなる可能性があると指摘する。しかしながら,齋藤紀が指摘する「慢性放射線被曝」は残留放射線による内部被曝(吸入,引水及び摂食を通じた残留放射性物質への曝露)であるとされている。残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による外部被曝及び内部被曝の線量は少なく,その影響は,DS86による線量評価の誤差に含めて考えられ,無視することができるほど小さいというのが現在の科学的知見の到達点である。そうすると,残留放射線による内部被曝を考慮していないことを問題とする齋藤紀の上記指摘には理由がない。
かえって,これまで述べてきたように,既存の研究において,そもそもC型慢性肝炎の放射線起因性を肯定する科学的知見がない上,「慢性放射線被曝」のみによってC型慢性肝炎が発症するとの科学的知見は一切示されていないのである。したがって,このような科学的根拠に基づかない抽象的な可能性を指摘するにすぎない齋藤紀の上記指摘に理由がないことは明らかである。
(オ) 小括
以上述べたとおり,シャープら第2報告を適切に評価すれば,C型慢性肝炎と放射線との関連性は否定される。
オ 肝硬変による死亡率を調査したLSS第11報第3部及びLSS第12報第2部は,被爆者におけるC型慢性肝炎と放射線との関連性をみるには適切でないこと
前記エで述べたとおり,LSS第11報第3部及びLSS第12報第2部は,肝硬変の診断そのものに問題があると指摘されており,その信頼性が低いものである以上,信頼性の低いLSS第11報第3部及びLSS第12報第2部のみを殊更積極的に評価しつつ,肝硬変と放射線との関連性を示さなかったシャープら第2報告等を殊更過小評価して,C型慢性肝炎と放射線との関連性を肯定することは,到底許されない。
カ 原告X19の主張に対する反論
(ア) LSS第14報について
原告X19は,LSS第14報に慢性肝炎及び肝硬変の放射線起因性の記載がないことをもって,慢性肝炎や肝硬変に放射線の影響のないことの証明となるものではないと主張するが,前記のとおり,LSS第14報においては,「肝硬変について放射線によるリスク上昇が認められなかったことが明らかになっている」として,肝硬変についての放射線の影響が認められないことが明確に記載されている。原告X19の主張は前提を誤るものであり,失当である。
(イ) 岩本ら報告について
原告X19は,被告の岩本ら報告の解釈は,岩本ら報告を曲解し,意図的に誤った結論を導こうとするものであるなどと主張する。
しかしながら,原告X19の上記主張は被告の主張の趣旨を誤解するものであり,批判は何ら当たらない。岩本ら報告を前提とする限り,C型肝炎ウイルス(HCV)と放射線被曝が肝がんの共同成因である旨の原告X19の主張が妥当するのは,肝細胞がんの放射線起因性について検討するような場合のことであって,原告X19のように慢性肝炎自体の放射線起因性を検討するような場合には妥当しないのである。
したがって,原告X19の上記主張は,原告X19の慢性肝炎についての放射線起因性を基礎づけることにはならない。
(ウ) シャープら第1報告について
原告X19は,齋藤紀の意見を引用して,シャープら第1報告は,「被告の主張とは逆に,被曝因子とウイルス因子という両因子間に相互作用が存在していること,放射線被曝がC型慢性肝炎の促進に動いていることを,疫学的手法から明らかにしたものであるといえる。」と主張する。
しかしながら,そもそも,「被曝因子とウイルス因子という両因子間の相互作用」ということは,必ずしも「放射線被曝がC型慢性肝炎の促進に動いていること」を意味するものではない。この点,原告X19は,シャープら第1報告における,「HCCの発生において肝臓放射線被曝とHCVの間に相乗的相互作用を超える統計的に有意な関係が一貫して我々の調査では見られている」とか,「超相乗的相互作用が認められた」との記載を挙げるが,これらはいずれも,C型慢性肝炎及び肝硬変自体の促進について記載されたものではない。シャープら第1報告の調査結果に鑑みれば,放射線被曝は,C型肝炎ウイルス(HCV)感染被爆者が,慢性肝炎,肝硬変,肝がんという進行経過をたどらずに,直接,肝がんを発症するというリスクを高める可能性があり得るとしても,C型慢性肝炎自体の発症や進展に寄与するものであるといった結論を導くことはできないのである。原告X19の上記主張は,C型肝炎ウイルス(HCV)感染者に係る肝細胞がんの放射線起因性と,C型慢性肝炎の放射線起因性とを混同しており,失当である。
また,原告X19は,C型慢性肝炎と放射線被曝の関係について,シャープら第1報告の「我々の調査結果は,HCV感染者は特に放射線被曝に対する感受性が高く,逆もまた同様であることを示唆している」との記載を挙げて,① 「逆もまた同様である」とは,放射線被曝がC型慢性肝炎に影響を与えることであり,ここでの感受性とは放射線被曝の影響とC型慢性肝炎の病態(炎症)とが相互にリスクを高め合う関係を指している,② そして,シャープら第1報告はそれが高いと指摘していると主張する。しかしながら,シャープら第1報告において用いられている「感受性」とは,肝細胞がん発症のリスクについての感受性を指しているのであって,シャープら第1報告において,放射線被曝が「C型慢性肝炎の病態(炎症)」自体を促進する,といった結論は示されていない。
したがって,シャープら第1報告についての原告X19の主張は理由がない。
(エ) 大石和佳報告について
原告X19は,大石和佳報告が,ウイルス感染やその他の肝がん誘発因子を補正した後でも,放射線は肝がん発症に独立したリスクとして関与するとした意味は,放射線被曝という事象が長期にわたり肝炎の活動性に関与し続けていることを意味しているなどと主張するが,大石和佳報告を正解しないものである。
すなわち,大石和佳報告における「放射線は肝がん発症に独立したリスクとして関与する」との記載は,C型肝炎ウイルス(HCV)感染の有無と関わりなく,放射線被曝が肝がんのリスクとなるということを意味している。また,齋藤紀は,独立したリスクとは遺伝子の変異を誘発し,更に悪性度の高い遺伝子へと変化させる環境(肝炎状態)を独立して作りだす力があるということであると結論付けているが,ここでも,肝がんが独立したリスクであるということが,肝炎状態を独立して作り出す力であることに根拠なく曲解されている。
さらに,原告X19は,齋藤紀が,被告のインターフェロンγに関する被告の主張に対しても,的確な反論を加えているなどと主張する。しかしながら,被告は,インターフェロンγの分泌が放射線被曝の影響によるものであるか否かにかかわらず,そもそもインターフェロンγの分泌自体が,肝炎惹起と持続に関与しているとはいえないと主張しているのであって,このような指摘は何ら反論となり得るものではない。
(オ) 藤原佐枝子ら報告について
原告X19は,東京高裁平成21年判決を挙げ,あたかも藤原佐枝子ら報告が,放射線とC型慢性肝炎との間に有意な関連を認めたかのように主張する。
しかしながら,藤原佐枝子は,通常はP値が0.05より小さくなれば帰無仮説を棄却できるとの正しい認識を示した上で,藤原佐枝子ら報告の結論について,差異が有意であったことを明確に否定している。つまり,藤原佐枝子ら報告は,有意水準を0.05から0.1まで引き上げたのではなく,有意水準は0.05に保ったまま,0.05から0.1までの領域を「マージナリーシグニフィカント」と英語表現したにすぎないのである。そして,この「マージナリーシグニフィカント」なる語は,当時の藤原佐枝子ら報告によれば,「かろうじて有意な」と和訳されているが,その意味について,藤原佐枝子は,一貫して,有意であるとの意味ではないことを明らかにしている。
このように,藤原佐枝子ら報告の執筆者である藤原佐枝子本人が,有意水準を0.05と設定した上で,有意な差異や関連があるということはできないとしているのであるから,原告X19の上記主張は,藤原佐枝子ら報告の趣旨を曲解したものというほかない。藤原佐枝子ら報告は,研究者の意図から離れた判示等があったことを受けて,その後,「線量反応関係を示す曲線は,抗HCV抗体陽性の対象者において20倍近く高い勾配を示したが」「これはかろうじて有意な差異であった(P=0.097)。」との記載を,「これは有意に近いが有意ではなかった(P=0.097)。」と訂正して,誤解のないよう有意でなかったことを明確にし,結論についても,「慢性肝疾患に対する放射線量反応の増加が認められた。」との記載を,「慢性肝疾患に対する放射線量反応の増加の可能性が示唆された。」と訂正している。これは,藤原佐枝子の意図とかけ離れた藤原佐枝子ら報告についての誤った評価を,是正しようとしたものである。
(カ) シャープら第2報告について
原告X19は,① 齋藤紀は,シャープら第2報告は,「放射線が肝硬変の独立したリスク因子であるか」否かを調べるとして,交絡因子としてのB型肝炎ウイルス(HBV),C型肝炎ウイルス(HCV)等を疫学的に補正して検討したものであり,藤原佐枝子ら報告の結論に影響しない趣旨として理解している,② 齋藤紀のような理解も不当とはいえないものと考えるとの東京高裁平成21年判決の判示を引用し,シャープら第2報告についての齋藤紀の理解が正当であることの裏付けとして主張するようである。
この点,齋藤紀の意見における「交絡因子としてのHBV,HCV等を疫学的に補正して検討した」部分というのは,「オッズ比0.59は肝硬変の独立したリスクを見た場合のものであり,被曝をすることで示される現実の肝硬変組織形成のリスクは交絡因子未調整のリスク(1.07)に示されるように対象に対するリスクは減じないのである。」などというものである。
しかしながら,齋藤紀の上記の意見の部分は,疫学における因果関係と単なる相関関係とを混同していることを端的に示している。交絡因子の調整とは,因果関係ではない部分についての影響を取り除き,見掛け上だけではない因果関係の有無を検証する作業である。それにもかかわらず,齋藤紀の上記意見は,「被曝をすることで示される現実の肝硬変組織形成のリスク」などとして,正に見掛け上の関係を示しているにすぎない可能性のある部分を取り出して論及するものである。このような検討はおよそ交絡因子の調整を行うことの疫学的な意義を正解しないものであるし,これによって因果関係の有無について意味のある結論を導くことはできない。確かに,ある交絡因子に,放射線被曝との因果関係が認められている場合には,その交絡因子を調整することで,因果関係の相関の程度を検討するに当たって,必要以上に調整してしまうことが考えられる。例えば,仮にB型肝炎ウイルス(HBV)感染と放射線被曝との関係に因果関係が認められるのであれば,放射線が肝硬変の独立したリスク因子であるかどうかをみる際に「HBV感染」を調整すると,齋藤紀が指摘するとおり,放射線被曝→HBV持続感染者の増加→肝炎・肝硬変の増加という経路についての被曝と肝硬変との関連性を,リスクの推計値から除いてしまうことが考えられないではない。したがって,その限度においては,齋藤紀の指摘は当たっているとみる余地もある。しかしながら,仮に齋藤紀が指摘するように交絡因子としてHBV感染を調整することが問題であるとしても,少なくとも肝がんを調整した場合のオッズ比は0.93(ただし,統計学的にはP値が0.77であり,被曝によるオッズ比の変化が有意な差とはいえないとの結論である。)とされているのであって,結局のところ,C型肝炎ウイルス(HCV)感染者も含んだ,全体としての放射線被曝と肝硬変の相関関係自体について否定的な結果となっており,因果関係についても否定的な結果が示されているといえる。
したがって,原告X19の上記主張は失当である。
(5) 改定後の新審査の方針がC型慢性肝炎の放射線起因性を認める根拠とならないこと
原告X19は,改定後の新審査の方針の積極認定の対象となる疾病に「慢性肝炎・肝硬変」が盛り込まれたことをもって,C型慢性肝炎の放射線起因性が認められる根拠とするようである。しかしながら,慢性肝炎及び肝硬変については,「「放射線起因性が認められる」慢性肝炎・肝硬変」が新審査の方針の改定に盛り込まれたものであり,放射線量いかんにかかわらず,慢性肝炎及び肝硬変全てに放射線起因性が認められると理解されていたものではない。
また,再改定後の新審査の方針における積極認定の対象は,国際的なコンセンサスが得られたものとして多数の科学者が承認する科学的知見においても放射線影響が明らかとされていない範囲をも取り込む形で拡大したものであるから,このような積極認定の対象にさえ当たらない場合は,放射線起因性を認めるべき科学的根拠が一般的に乏しいものということができる。そのため,このような場合について放射線起因性を肯定するためには,上記の意味での「科学的知見」に相当する新たな知見が獲得されたといえるような事情が必要である。
そして,原告X19は,再改定後の新審査の方針が慢性肝炎及び肝硬変について新たに定めた積極認定の対象に該当しない。その上,上記の意味での新たな知見が獲得されたといえる事情の主張及び立証はない。したがって,原告X19の主張は,失当である。
(6) C型慢性肝炎の放射線起因性を認める下級審裁判例の存在をもって,原告X19のC型慢性肝炎の放射線起因性を肯定する根拠となるものではないこと
原告X19は,下級審裁判例がC型慢性肝炎の放射線起因性を認めてきたと主張するが,裁判例における判断は,個別の事例において,当該事件における証拠関係に基づきされたものであり,これにより直ちに原告X19が罹患している疾病の放射線起因性が認められるものではないし,このような裁判例がC型慢性肝炎について放射線起因性を肯定する科学的知見となるものでもない。
(7) 原告X19の被曝線量等に照らせば,原告X19が原爆放射線に被曝したことにより,原告X19のC型慢性肝炎が発症ないし促進されたことが高度の蓋然性をもって認められるとはいえないこと
原告X19の推定被曝線量は,全体量としても,0.012グレイを下回る程度にすぎない。これは,1回のCT検査で受ける被曝線量程度の低線量である。また,原告X19に発現したという下痢,紫斑,吐き気,倦怠感,歯茎出血,生理不順等の各身体症状が急性放射線症候群(放射線被曝による急性症状)の特徴を有しているとはいえず,これらをもって原告X19に急性放射線症候群(放射線被曝による急性症状)を発現し得る程度の線量の放射線被曝があったということはできない。さらに,原告X19が列挙する報告等は,原告X19のC型慢性肝炎の放射線起因性を認める根拠とはなり得ず,少なくとも原告X19のような低線量の放射線被曝とC型慢性肝炎との関連性を認める科学的な知見はない。むしろ,C型肝炎ウイルス(HCV)の感染源は,C型肝炎ウイルス(HCV)が混入(C型肝炎ウイルス(HCV)に感染)したヒトの血液であり,そもそも放射線によって感染することなどということはあり得ない。そして,感染から平均10年で感染者の70%ないし80%が慢性肝炎に至るとされており,更に感染から平均21年後(平均的な慢性肝炎の発症から約11年後)に肝硬変に至るとされている。原告X19がC型肝炎ウイルス(HCV)に感染した時期は不明であるが,C型慢性肝炎と診断されてから既に11年以上経過しているにもかかわらず,いまだ肝硬変に進展していないということになり,上記の一般的な慢性肝炎から肝硬変に至る経過に比して,格別特異な点がみられるとはいえない。むしろ,原告X19のC型慢性肝炎の進展の程度は緩やかであって,肝硬変の発症が促進されているともいえない。
以上のような原告X19の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(C型慢性肝炎)と放射線被曝に関する知見の状況等を総合考慮すれば,原告X19の申請疾病(C型慢性肝炎)が原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。
したがって,原告X19の申請疾病(C型慢性肝炎)については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
2 結論
以上のとおり,原告X19のC型慢性肝炎は,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たしているとはいえないから,原告X19の原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分が違法であるとする原告X19の主張には理由がない。
第16 原告X20について
1 原告X20の申請疾病である脳梗塞が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
(1) 相当量の放射線に被曝しているとの主張に理由がないこと
ア 原告X20の初期放射線による被曝線量は約0.0004グレイであること
相当量の線量の被曝があったとして,放射線起因性を基礎づけようとする主張が失当であることは,既に述べたとおりである。そして,原告X20は,爆心地から約3.7kmの地点にある長崎市岩瀬道町の自宅で被爆したというのであり,DS02による被曝線量推計計算によれば,その初期放射線による被曝線量は約0.0004グレイである。
イ 稲佐橋の北側にある工場跡に行ったことによる原告X20の誘導放射線による推定被曝線量は0.00004グレイを下回ること
原告X20は,昭和20年8月15日頃から同年9月にかけて数回,稲佐橋の北約1kmの地点にある工場跡に行って遊んだことにより,相当量の放射線に被曝したと主張する。
しかしながら,そもそも,原告X20が赴いたという工場跡について,工場の名称も場所も全く特定されておらず,稲佐橋の北約1kmという主張の根拠も全く不明であり,また,工場跡に行ったことによって一定程度高線量の被曝をしたことになる具体的な根拠も示されていない。
また,上記工場が爆心地から約1km程度の地点にあると仮定し,原告X20の上記主張を前提として,長崎において原爆投下の6日後に爆心地から1kmの地点に入市し,その後,原爆投下の2箇月後までの間,同じ所にとどまっていたという仮定に基づいて,今中哲二報告に基づく誘導放射線による推定積算線量を再計算すると,その線量は0.00004グレイ程度にすぎない。
ウ 長崎の西山地区のカボチャを日常的に食べていたことによる被曝線量も微量にすぎないこと
原告X20は,放射性降下物が多かった長崎の西山地区のカボチャを日常的に食べていたことから,相当量の放射線に被曝していると主張するが,漠然とした抽象的な主張にすぎず,これにより一定程度高線量の被曝をしたことになる具体的な根拠も示されていない。
かえって,生物学的線量推定法によって得られた遠距離被爆者及び入市被爆者の推定被曝線量等に照らせば,仮に原告X20が内部被曝をしていたとしても,その被曝線量はDS02の誤差の範囲に収まる程度の微量にすぎない。この点は,物理学的推定法であるDS02に基づき,原爆当日に広島で焼け跡につき8時間の片付けに従事した人々の塵埃吸入を想定して,内部被曝による線量評価を試みたところ,0.00000006シーベルトにすぎなかったという今中哲二報告の研究結果とも整合的である。
加えて,放射性降下物が最も多く堆積し,原爆の放射線による内部被曝で最も考慮しなければならない西山地区の住民についてさえ,昭和20年から昭和60年までの40年間にも及ぶ内部被曝線量は,男性で僅か0.0001グレイ,女性で僅か0.00008グレイにすぎず,自然放射線による年間の内部被曝線量の10分の1以下の格段に小さなものであることが科学的に実証されている。
したがって,このような原告X20の主張によって,原告X20が人体に影響を及ぼす程度の線量の内部被曝をしたと認定することも許されない。
エ 小括
以上によれば,原告X20の推定被曝線量は,全体量としても,0.00044グレイを大きく下回る程度にすぎない。このことは,近時の生物学的線量推定法(染色体異常頻度や歯エナメル質の電子スピン共鳴法(ESR))による研究の結果,遠距離被爆者及び入市被爆者の被曝線量がごく僅かであることが客観的に裏付けられていることと整合する。
(2) 原告X20に放射線被曝による急性症状は存しないこと
ア 原告X20の主張について
原告X20は,従前,原告X20が相当量の放射線に被曝した根拠として,「被爆後に下痢を発症していること」のみを挙げていたが,原告ら最終準備書面において,被爆後に下痢,発熱,倦怠感といった,いわば典型的ともいえる数々の急性症状を発症していることを一根拠として原告X20の発症した脳梗塞には放射線起因性が認められるとして,「発熱」及び「倦怠感」をも「急性症状」に当たり放射線起因性を根拠づけるものであるとの主張を新たに付け加えた。
しかしながら,原告X20のいう「急性症状」については,原告らの理解する「放射線被曝による急性症状」の具体的内容(特徴)についてこれまで全く明らかにされていないことから,原告X20に出現したという発熱及び倦怠感といった症状についても放射線被曝によって生じたものであるか否かを判別することはそもそも不可能である。
したがって,このような身体症状の存在をもって,原告X20が相当量の放射線に被曝したことの根拠となるものではない。
イ 倦怠感が被爆直後に出現していた事実を認めることはできないこと
倦怠感については,従前,終戦後も,疲労感が激しい状態が続いたとの主張にとどまり,原告X20の平成2年10月25日付け被爆者健康手帳交付申請書には,下痢及び発熱の記載はあるものの,倦怠感についての記載は全くない。なお,原告ら代理人作成の平成25年9月30日付け聴取り報告書には,原爆投下の1週間後くらいからだるさがあり,このだるさは20歳代頃までずっと続いた旨の記載がある。しかしながら,上記被爆者健康手帳交付申請書は,上記聴取り報告書の20年以上前に原告X20自身が作成したものであり,上記聴取り報告書の聴取り方法等も踏まえれば,上記被爆者健康手帳交付申請書の記載の方が信用性が高いことは明らかである。
以上によれば,原告X20が原告ら最終準備書面で主張する身体症状のうち,倦怠感が被爆直後に出現していた事実を認めることはできない。
ウ 原告X20に下痢,発熱及び倦怠感が出現したとしても,急性放射線症候群(放射線被曝による急性症状)の特徴を有しているとはいえないこと
また,原告X20に倦怠感が出現していたとしても,原告X20の主張する被爆直後に出現した身体症状(下痢,発熱及び倦怠感)は,全体としてみても,各症状ごとに個別にみても,急性放射線症候群(放射線被曝による急性症状)の特徴を有しているとはいえない。
すなわち,原告X20の下痢及び発熱は,原告X20の平成2年10月25日付け被爆者健康手帳交付申請書の記載によれば,長崎原爆の投下翌日である昭和20年8月10日に出現し,症状は余りひどくはなく,じきに治ったというものである。また,原告X20の倦怠感(だるさ)は,上記聴取り報告書を前提とすれば,1週間後くらいから出現したとされている。
そうすると,原告X20に出現した下痢及び発熱がいずれも急性放射線症候群でみられる前駆症状としての下痢及び発熱であるとすれば,原告X20は4グレイないし6グレイの被曝をしたことが推定され,発熱は被爆後1時間ないし2時間くらいに,下痢は被爆後3時間ないし8時間くらいに出現したはずであるが,原告X20に発熱及び下痢が出現したのは上記のとおり長崎原爆の投下翌日であるというのであるから,出現時期の点で必ずしも整合しない。
また,原告X20が4グレイないし6グレイの被曝をしたのであれば,急性放射線症候群としては入院が必要な程度の重症であるはずであるが,提出された証拠をみても,原告X20が入院が必要なほど重症の状態にあった事実は認められない。
さらに,倦怠感は,発症期における臨床症状の一つとして挙げられてはいるものの,4グレイないし6グレイではなく1グレイないし2グレイの被曝線量で出現するとされているものであり,発熱及び下痢が前駆症状であった場合に推定される被曝線量と整合しない。
更にいえば,1グレイないし2グレイの被曝線量の場合の潜伏期の長さは21日ないし35日とされており,1週間後に出現したとされる原告X20の倦怠感は出現時期の点でも急性放射線症候群の特徴に整合しない。
以上によれば,原告X20に生じたとする身体症状(下痢,発熱及び倦怠感)が急性放射線症候群であると評価することはできない。したがって,下痢,発熱及び倦怠感をもって原告X20が相当量の放射線に被曝したとする原告X20の主張には理由がない。
(3) 原告X20の被爆後の健康状態に関する主張が失当であること
原告X20がこれまで罹患したという疾病等は,その一つ一つが放射線被曝によって生じたことについても,これらの疾病等の罹患が原告X20の脳梗塞に放射線起因性が認められることの根拠となる理由についても,何ら主張,立証がされていないから,放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(4) 原告X20が挙げる報告等は脳梗塞の放射線起因性を認める根拠となり得ないこと
原告X20が挙げた各報告等は,いずれも脳梗塞の放射線起因性を認める根拠となる科学的知見とはいえない。
(5) 原告X20には脳梗塞の重大な危険因子である加齢,高血圧及び心血管疾患が存在していること
原告X20は,脳梗塞を発症した当時68歳であり,加齢による動脈硬化の進展がうかがわれる上,脳梗塞で入院する以前から,高血圧と狭心症について診療を受けていたものと考えられ,原告X20が脳梗塞を発症した時点では,少なくとも「高血圧治療ガイドライン2009」におけるⅠ度高血圧(収縮期血圧が140mmHgないし159mmHg,拡張期血圧が90mmHgないし99mmHg)以上の血圧であったことがうかがえる。これは同ガイドラインの表2-8の「リスク第三層」に該当し,当時の原告X20の脳心血管リスクは「高リスク」であった。すなわち,脳梗塞を発症した時点で,既に脳心血管疾患を起こすリスクは,相当高かったといえる。
原告X20のリスクファクターについて,前記第1章第1の2に述べたところに照らして,ここに再度ふえんして述べると,原告X20は病院受診時に降圧剤を飲んでいたにもかかわらず,収縮期血圧148mmHg,拡張期血圧82mmHgと高血圧を呈しており,約2倍以上ものリスクがあった。
また,脳幹梗塞は脳梗塞の中でも重症の病気であるが,特に被曝によらずとも,加齢により一般的に生じ得る。そして,脳梗塞発症者でも軽症から重症までが混在することは被爆者に限らず自然なことである。
(6) 原告X20の被曝線量等に照らせば,原告X20が原爆放射線に被曝したことにより,脳梗塞を発症したことが高度の蓋然性をもって認められるとはいえないこと
原告X20について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X20において,被告の指摘した原告X20の危険因子(加齢,高血圧及び心血管疾患)の影響を超えて,原告X20の脳梗塞の発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X20の放射線被曝の程度,申請疾病(脳梗塞)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢,高血圧等の危険因子の状況は以上のとおりであり,これらを総合考慮すれば,原告X20の申請疾病(脳梗塞)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,高血圧等の原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X20の申請疾病(脳梗塞)については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
2 結論
以上のとおり,原告X20の脳梗塞は被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たしているとはいえないから,原告X20の原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分が違法であるとする原告X20の主張には理由がない。
第17 原告X21について
1 原告X21の申請疾病である狭心症が原爆放射線に被曝したことに起因するものであることを是認し得る高度の蓋然性の証明があるとはいえないこと(放射線起因性について)
(1) 相当量の放射線に被曝しているとの主張に理由がないこと
相当量の放射線に被曝したとの主張が不明確であり,少なくとも科学的根拠に基づくものとは考えられないことは既に述べたとおりである。そして,原告X21は爆心地から約1.4kmの地点で被爆したと認められるから,DS02による被曝線量推計計算によれば,原告X21の初期放射線による被曝線量は1.4996グレイを下回る程度となる。そして,誘導放射線については,原告X21の主張を前提にしても,DS02に基づく最新の研究分析によれば,原告X21の誘導放射線量(積算線量)は約0.0000903グレイである。
したがって,原告X21の推定被曝線量は,全体量としても1.4996903グレイを下回る程度である。
(2) 原告X21の身体症状は放射線被曝による急性症状とはいえないこと
ア 原告X21が主張する被爆直後の身体症状の内容
原告X21は,脱毛,血便,嘔吐及び発熱の症状が発現したとして,これをもって高線量被曝の根拠とするようであるが,原告らの理解する「放射線被曝による急性症状」の具体的内容(特徴)についてこれまで全く明らかにされていないことから,このような身体症状の存在をもって,原告X21が高線量の放射線に被曝したことの根拠として用いることは許されない。
イ 原告X21が挙げる各身体症状が出現していたとしても,急性放射線症候群の特徴を有しているとはいえないこと
(ア) 原告X21が挙げる各身体症状を全体としてみても,原告X21が主張する各身体症状の出現時期は,実家の長崎の五島に帰った更に「数日後」というのであるから,急性放射線症候群の特徴とされる前駆期の存在が認められない。なお,原告X21が実家に到着した日については,本人尋問における原告X21の供述等によれば,昭和20年8月13日ないし同月14日であると解される。
(イ) 以上の点をおき,原告X21に生じたとされる各身体症状を個別にみても,それが急性放射線症候群の特徴を有するとはいえない。
a 原告X21に生じたとされる脱毛については,その開始時期は3グレイ程度の全身被曝の場合の急性放射線症候群の特徴と整合するものの,発毛時期や脱毛の態様が整合しない上,原告X21の陳述を前提としても,原告X21に少なくとも被曝後1時間ないし2時間で,前駆症状としての嘔吐の症状が発現したとは認められない。また,脱毛と同時に発熱,感染,出血,衰弱といった症状がみられ,入院が必要な状態にあったとは認められない。
b 原告X21が本人尋問において供述した下痢の具体的な症状によれば,原告X21に生じたとされる下痢は,放射線被曝によって生じる重篤な主症状としての出血を伴う下痢であるとは考え難い。また,上記下痢が放射線被曝による急性症状であれば,原告X21は4グレイ以上を被曝したことになる。しかしながら,4グレイの場合の前駆症状としての下痢は中等度のものであるが,少なくとも「止まっては出,止まっては出」という原告X21の供述から中等度の下痢があったものとは認められない。また,4グレイないし6グレイの被曝線量の場合は,致死率が20%ないし70%で入院が必要な状態であるが,原告X21がそのような状態であったとは認められない。
c 原告X21に生じたという嘔吐は,その出現時期も出現期間も不明であり,この症状が,一般的な急性放射線症候群のうちの前駆期,潜伏期及び主症状のどの段階におけるものとする趣旨かも判然としない。
d 原告X21が本人尋問において供述した発熱の具体的な症状によれば,このような発熱は,出現時期からみて,前駆症状としての発熱とは考え難い。また,主症状としての発熱だとすれば,その被曝線量としては,6グレイないし8グレイと考えられるが,この場合の致死率は50%ないし100%であり,緊急入院が必要とされている状況であったはずである。しかしながら,原告X21の供述を前提としても,原告X21がそのような状況にあったとは認められない。他方,2グレイないし4グレイの被曝線量であったと考えても,この場合には潜伏期の長さが,原告X21が供述する症状の出現時期と整合しない。
(3) 原告X21の健康状態に関する主張が失当であること
ア 原告X21は,原告X21の被爆後の病歴等を羅列するが,原告X21が羅列する疾病等の一つ一つが放射線被曝によって生じたことについて何ら個別に主張,立証がされていないから,原告X21の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
イ この点,原告X21は,原告ら最終準備書面において,被爆後,血尿の症状が出現し,2週間ないし4週間続いた旨新たに明示的に主張する。しかしながら,被爆後に原告X21に血尿が出現したことについては,これまで明示的には一切主張されておらず,証拠をみても,平成23年6月23日付け認定申請書添付の申述書や平成24年4月3日付け異議申立書,陳述書にも記載がなく,本人尋問においても供述されていない。このように,被爆後,原告X21に血尿が出現したことを裏付ける証拠は一切ないのであるから,被爆後,原告X21に血尿が出現したと認めることができないことは明らかである。
ウ 原告X21に血尿が生じていたとしても,急性放射線症候群の特徴を有しているとはいえないこと
なお,念のため述べると,仮に,原告X21に血尿が生じていたとしても,血尿は,急性放射線症候群でみられる臨床症状としては格別挙げられていない。
また,血尿は,様々な原因により生じるものである。小児であってもその発症原因は多岐にわたる上,特に小児については,蛋白尿が陰性で血尿のみが陽性である場合(血尿単独陽性),原因が確定できない無症候血尿が最も多いのであるから,当時14歳であった原告X21に,放射線被曝を原因としない血尿が生じることは,十分あり得る。
さらに,原告X21の陳述によれば,被爆した際に木材やガラスなどの下敷きになったとのことであるから,その際に腎臓や尿管等が傷付き,その外傷により一時的に血尿が生じたということも十分にあり得るのであって,このように考えることは特段不自然ではない。
更にいえば,出血性膀胱炎など感染症に伴う疾患も血尿の原因疾患になるところ,原告X21が戦時下の衛生状態の悪い状況下で生活していたことからすれば,かかる衛生状態による感染症に伴う疾患を原因として血尿が生じたとも考え得る。さらに,走るなどの運動の後に一過性の糸球体性血尿が出ることや,強く足を踏み込むことを繰り返す運動では,溶血によりヘモグロビン尿が出ることが知られているのであって,原告X21についても,被爆後の環境が負荷となり,上記同様,一過性の糸球体性血尿やヘモグロビン尿が生じたとも考え得る。
以上からすれば,仮に,原告X21に血尿が生じていたとしても,被爆時の外傷や負荷,戦時下の栄養状態などにより,放射線被曝とは無関係の血尿が生じたことは十分考え得るし,そのように考えることは特段不自然ではない。したがって,原告X21に血尿が生じていたことをもって,それが放射線被曝の影響による症状であると認めることはできないというべきである。
(4) 原告X21が挙げる報告等は狭心症の放射線起因性を認める根拠となり得ないこと
原告X21が挙げる報告等は,UNSCEARの報告書によって,放射線被曝と狭心症との関係を認める根拠とならないことが総括されている上,同報告等を個別にみても,放射線被曝により狭心症が発症することが科学的知見として認められるものではないから,同報告書等を放射線起因性を認める科学的経験則として用いることは許されない。
なお,原告X21が狭心症と診断されたのは平成22年2月であった。そして,同年3月1日及び平成24年6月20日に実施された心筋シンチグラフィー検査の検査報告書では,虚血病変に係る記載があるのみで,心筋壊死の状態は認められていない。したがって,原告X21の狭心症が心筋梗塞と同等の状態にあるとはいえない。
(5) 原告X21には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,高血圧及び脂質異常症が存在していること
ア 加齢
(ア) 虚血性心疾患の危険因子として加齢を考慮するのは45歳であるとされるところ,原告X21が狭心症を発症したのは,これを大きく上回る79歳頃(平成22年2月頃)である。
(イ) 以上に対し,原告X21は,原告X21の陳述書を根拠として,原告X21は50歳頃(昭和56年頃)に狭心症を発症したと主張するようである。
しかしながら,原告X21は,本人尋問において,狭心症と診断された時期について,昭和56年頃ではなく,「やっぱし若い頃だから,40歳の頃,狭心症と言われました」として,上記陳述書の記載とは異なる供述をしている。また,東京北社会保険病院の診療記録における「以前に狭心症といわれ薬を飲んだ。違うところでは違うと言われた。」との記載について,健康診断では狭心症ではなく心臓肥大症と診断された旨を供述している。以上によれば,50歳頃(昭和56年頃)に狭心症と診断されたとする原告X21の上記供述はにわかには信用することができない。かえって,平成16年8月5日,東京北社会保険病院医師のC17は,原告X21が狭心症であることを否定しており,また,これ以降も繰り返し循環器科で精査されてはいるものの,いずれも虚血性変化が認められないため,狭心症ではなく心臓神経症と診断されている。そして,このような様相が変化し,原告X21が狭心症と診断されたのは,平成22年2月のことである。
イ 高血圧
高血圧については,原告X21自身が,昭和33年ないし昭和34年頃に高血圧と診断されたと陳述している。また,診療記録から確認できる範囲でも,平成16年9月8日以降,東京北社会保険病院において降圧剤が継続的に処方されているが,その血圧の状態は決してよいものではなく,同院に通院を始めた頃は,少なくともⅠ度高血圧以上を示しており,このような血圧の状況は,狭心症と診断された平成22年2月頃においても改善していない。また,狭心症と診断される以前の食事については,ふだんから「塩分多い 加工食品が多い」生活習慣があったとされる。
ウ 脂質異常症
原告X21は,脂質異常症と診断された時期について,本人尋問において,高血圧と同じ昭和33年ないし昭和34年頃であると述べる。この点については,診療記録上,診断時期は明らかでないが,平成16年以前から板橋中央病院に通院し投薬治療を受けていたとされる上,同年9月8日からは内服薬が処方されている。それにもかかわらず,同年10月4日の時点で,高中性脂肪(トリグリセライド)血症,低HDLコレステロール血症のいずれも認められ,狭心症の診断がされる直前でも正常範囲には至っておらず,依然,危険因子としての存在を確認することができる。
エ その他
以上のほかにも,原告X21は,「発作性心房細動等」,「糖尿病,閉経女性」など,虚血性心疾患の危険因子を重畳的に有していた。
オ 以上述べた原告X21のリスクファクターについて,前記第1章第1の2に述べたところに照らして,ここに再度ふえんして述べる。
我が国の前向き疫学調査であるNIPPON DATA80によると,高血圧の程度ごとの循環器疾患による死亡リスクは75歳以上において収縮期血圧が180mmHg以上であると,相対危険度が3近くにもなる。全年齢でみると,5以上の相対リスクになる。また,冠動脈疾患の相対危険度は,女性が2.5倍,男性が2.3倍にもなる。原告X21は収縮期血圧が190mmHgを超えるようなこともあるようなコントロール不良の高血圧を有していた。
また,脂質異常症についても,原告X21は,内服治療を行っていた平成16年10月4日の時点において,中性脂肪319H(高値を指す。),HDLコレステロール35.2L(低値を指す。)と明らかな異常値が出ている。そして,危険因子が集積すると,心血管疾患の発症リスクは更に上昇する。原告X21が脂質異常症と高血圧という危険因子の二つを持っていたことを踏まえると,危険因子を複数有することによる死亡ハザード比は危険因子がない群と比較して,3.51倍,冠動脈疾患の発症率でも危険因子がない者と比較して2倍近い発症が認められている。原告X21には前述したようにコントロール不良の脂質異常症と高血圧というリスクが存在したことから,リスクは高かったと考えられる。
(6) 原告X21の被曝線量等に照らせば,原告X21が原爆放射線に被曝したことにより,狭心症の発症又は治癒能力の低下が生じたことが高度の蓋然性をもって認められるとはいえないこと
原告X21について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告X21において,被告の指摘した原告X21の危険因子(加齢,高血圧及び脂質異常症)の影響を超えて,原告X21の狭心症の発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告X21の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(狭心症)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢,高血圧等の虚血性心疾患の危険因子の状況は以上のとおりであり,これらを総合考慮すれば,原告X21の申請疾病(狭心症)が原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,高血圧及び脂質異常症などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告X21の申請疾病(狭心症)については,被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
2 結論
以上のとおり,原告X21の狭心症は被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たしているとはいえないから,原告X21の原爆症認定申請を却下した処分行政庁の処分が違法であるとする原告X21の主張には理由がない。

 

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政治と選挙の裁判例「政党 公認 候補者 公募 ポスター」に関する裁判例一覧
(1)平成28年 6月28日 東京地裁 平26(行ウ)603号 難民の認定をしない処分等取消請求事件
(2)平成28年 6月22日 仙台高裁 平27(行コ)2号・平27(行コ)9号 政務調査費返還履行等請求控訴、同附帯控訴事件
(3)平成28年 6月22日 山口地裁 平26(行ウ)7号 不当利得返還請求住民訴訟事件
(4)平成28年 6月 8日 大阪地裁 平25(行ウ)101号 違法支出金返還請求事件(住民訴訟)
(5)平成28年 5月31日 東京地裁 平26(行ウ)407号・平27(行ウ)22号 難民の認定をしない処分に係る決定取消等請求事件、訴えの追加的併合事件
(6)平成28年 5月31日 東京地裁 平26(行ウ)221号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(7)平成28年 5月25日 東京地裁 平27(行ウ)458号 難民不認定処分取消請求事件
(8)平成28年 5月17日 山形地裁 平23(行ウ)2号 山形県議会議員政務調査費返還等請求事件
(9)平成28年 4月28日 大阪高裁 平27(行コ)156号 損害賠償等請求控訴事件
(10)平成28年 4月27日 岡山地裁 平25(行ウ)12号 不当利得返還請求事件
(11)平成28年 4月22日 新潟地裁 平25(行ウ)7号 政務調査費返還履行請求事件
(12)平成28年 4月19日 大阪地裁 平27(ワ)5302号 損害賠償等請求事件
(13)平成28年 4月15日 秋田地裁 平27(行ウ)2号 損害賠償等義務付け等請求事件
(14)平成28年 4月13日 福井地裁 平25(行ウ)2号 2011年度福井県議会政務調査費人件費等返還請求事件
(15)平成28年 3月25日 大阪高裁 平27(ネ)1608号・平27(ネ)2427号 損害賠償請求控訴、同附帯控訴事件
(16)平成28年 3月22日 札幌高裁 平27(行コ)11号 政務調査費返還履行請求控訴事件
(17)平成28年 3月22日 東京地裁 平26(行ウ)582号 政務活動費返還請求事件
(18)平成28年 3月15日 大阪地裁 平27(ワ)3109号 損害賠償等請求事件
(19)平成28年 3月11日 東京地裁 平26(行ウ)133号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(20)平成28年 3月11日 東京地裁 平25(行ウ)677号 政務調査研究費返還請求事件
(21)昭和25年 9月 5日 秋田地裁 昭25(ヨ)71号 仮処分申請事件 〔日通秋田支店スト事件〕
(22)昭和25年 9月 1日 広島高裁岡山支部 事件番号不詳 昭和22年勅令第1号違反被告事件
(23)昭和25年 8月30日 福岡高裁 昭24(ナ)6号 教育委員会の委員の当選の効力に関する異議事件
(24)昭和25年 7月19日 福岡高裁 昭24(つ)1580号
(25)昭和25年 7月 3日 広島高裁松江支部 昭25(う)28号 暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件
(26)昭和25年 6月27日 福岡高裁 事件番号不詳
(27)昭和25年 6月17日 札幌高裁 事件番号不詳 公務執行妨害暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件
(28)昭和25年 6月15日 東京地裁 昭25(ヨ)3号 仮処分申請事件 〔池貝鉄工整理解雇事件〕
(29)昭和25年 6月15日 青森地裁 昭25(行)4号 指名推選無効確認等請求事件
(30)昭和25年 6月 6日 東京高裁 事件番号不詳
(31)昭和25年 5月24日 東京高裁 事件番号不詳 昭和22年勅令第1号違反被告事件
(32)昭和25年 5月18日 長崎地裁 昭25(ワ)40号 事業区域内立入禁止等請求事件 〔松島炭鉱懲戒解雇事件〕
(33)昭和25年 5月16日 名古屋高裁 昭23(ナ)2号・昭23(ナ)3号 議会解散賛否投票の効力に関する訴願裁決に対する訴訟併合事件
(34)昭和25年 5月13日 大阪高裁 事件番号不詳 収賄等被告事件
(35)昭和25年 4月27日 東京高裁 事件番号不詳 経済関係罰則の整備に関する法律違反、公職に関する就職禁止退官退職等に関する勅令違反、贈賄、収賄各被告事件
(36)昭和25年 4月 8日 福岡地裁 昭24(ヨ)36号・昭24(ヨ)37号・昭24(ヨ)44号・昭24(ヨ)85号 仮処分申請事件 〔西鉄スト事件〕
(37)昭和25年 2月 7日 福岡高裁 昭24(つ)1072号
(38)昭和24年11月29日 札幌高裁 事件番号不詳 雇傭契約解除無効確認俸給支払請求控訴事件〔十勝女子商業事件〕
(39)昭和24年11月17日 最高裁第一小法廷 昭24(れ)2339号 昭和二二年勅令第一号違反被告事件
(40)昭和24年11月15日 東京高裁 昭24(ナ)10号 衆議院議員選挙無効事件
(41)平成27年11月17日 東京地裁 平26(行ウ)356号 難民不認定処分取消請求事件
(42)平成27年11月12日 名古屋地裁 平26(行ウ)136号 難民不認定処分取消等請求事件
(43)平成27年10月29日 東京地裁 平23(行ウ)738号・平24(行ウ)174号・平24(行ウ)249号・平24(行ウ)250号・平24(行ウ)251号・平24(行ウ)252号・平24(行ウ)253号・平24(行ウ)254号・平24(行ウ)255号・平24(行ウ)256号・平24(行ウ)258号・平24(行ウ)260号・平24(行ウ)262号・平24(行ウ)263号・平24(行ウ)265号・平25(行ウ)94号・平25(行ウ)336号 原爆症認定申請却下処分取消請求事件
(44)平成27年10月27日 岡山地裁 平24(行ウ)15号 不当利得返還請求事件
(45)平成27年10月16日 東京地裁 平26(行ウ)131号 難民不認定処分取消請求事件
(46)平成27年10月15日 大阪地裁 平25(行ウ)40号 損害賠償等請求事件(住民訴訟)
(47)平成27年10月14日 東京地裁 平26(ワ)9411号 損害賠償等請求事件
(48)平成27年10月13日 大阪高裁 平27(行コ)2号 会場使用許可処分義務付等、会場使用許可処分の義務付け等請求控訴事件
(49)平成27年10月13日 東京地裁 平26(行ウ)89号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(50)平成27年10月 6日 東京地裁 平26(行ウ)269号 難民不認定処分取消等請求事件
(51)平成27年10月 5日 大阪地裁 平26(ワ)2019号 損害賠償請求事件
(52)平成27年 9月28日 名古屋地裁 平26(行ウ)148号 議場における発言取消命令取消請求事件
(53)平成27年 9月15日 東京地裁 平27(行ウ)227号・平27(行ウ)231号 帰化申請不許可処分無効確認等請求事件
(54)平成27年 9月11日 東京地裁 平25(行ウ)465号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(55)平成27年 9月10日 知財高裁 平27(ネ)10009号 書籍出版差止等請求控訴事件
(56)平成27年 9月10日 東京地裁 平27(行ウ)232号 帰化申請不許可処分無効確認等請求事件
(57)平成27年 9月10日 東京地裁 平27(行ウ)228号 帰化申請不許可処分無効確認等請求事件
(58)平成27年 9月 2日 東京地裁 平27(行ウ)226号・平27(行ウ)230号・平27(行ウ)234号 帰化申請不許可処分無効確認等請求事件
(59)平成27年 9月 2日 東京地裁 平26(行ウ)139号 難民不認定処分取消請求事件
(60)平成27年 8月28日 東京地裁 平25(行ウ)237号・平25(行ウ)462号・平26(行ウ)285号 難民認定等請求事件、訴えの追加的併合申立事件
(61)平成27年 8月 5日 東京地裁 平23(ワ)36772号 損害賠償等請求事件
(62)平成27年 7月30日 東京地裁 平27(行ウ)225号・平27(行ウ)229号・平27(行ウ)233号 帰化申請不許可処分無効確認等請求事件
(63)平成27年 7月17日 東京地裁 平25(行ウ)699号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(64)平成27年 7月10日 東京地裁 平24(行ウ)873号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(65)平成27年 7月 3日 東京地裁 平26(行ウ)13号 難民不認定処分取消請求事件
(66)平成27年 6月26日 大阪高裁 平26(行コ)163号 建物使用不許可処分取消等・建物明渡・使用不許可処分取消等請求控訴事件
(67)平成27年 6月24日 宇都宮地裁 平22(行ウ)8号 政務調査費返還履行請求事件
(68)平成27年 6月17日 大阪地裁 平26(行ウ)117号 公金支出金返還請求事件
(69)平成27年 6月12日 札幌高裁 平26(行コ)12号 政務調査費返還履行請求控訴事件
(70)平成27年 6月10日 知財高裁 平27(行コ)10001号 特許庁長官方式指令無効確認請求控訴事件
(71)平成27年 6月 1日 大阪地裁 平27(ヨ)290号 投稿動画削除等仮処分命令申立事件
(72)平成27年 5月28日 東京地裁 平23(ワ)21209号 株主代表訴訟事件
(73)平成27年 5月26日 札幌地裁 平21(行ウ)36号 政務調査費返還履行請求事件
(74)平成27年 4月28日 広島高裁岡山支部 平26(行ケ)1号 選挙無効請求事件
(75)平成27年 4月16日 東京地裁 平25(行ウ)803号 帰化申請不許可処分無効確認等請求事件
(76)平成27年 4月 8日 大阪地裁 平24(行ウ)129号 政務調査費返還請求事件
(77)平成27年 3月27日 徳島地裁 平25(ワ)282号 損害賠償請求事件
(78)平成27年 3月26日 大阪高裁 平26(行ケ)5号 選挙無効請求事件
(79)平成27年 3月25日 東京高裁 平26(行ケ)24号 選挙無効請求事件
(80)平成27年 3月25日 広島高裁松江支部 平26(行ケ)1号 選挙無効請求事件
(81)平成27年 3月25日 東京地裁 平25(行ウ)187号・平25(行ウ)194号 難民不認定処分取消等請求事件
(82)平成27年 3月24日 東京地裁 平26(ワ)9407号 損害賠償等請求事件
(83)平成27年 3月23日 大阪高裁 平26(行ケ)4号 選挙無効請求事件
(84)平成27年 3月20日 東京地裁 平26(行ウ)242号・平26(行ウ)447号 退去強制令書発付処分等取消請求事件、追加的併合事件
(85)平成27年 3月12日 東京地裁 平25(行ウ)596号・平25(行ウ)623号・平25(行ウ)624号・平26(行ウ)492号・平26(行ウ)505号・平26(行ウ)506号 帰化許可申請不許可処分取消請求事件、訴えの追加的併合事件
(86)平成27年 3月 6日 東京地裁 平26(行ウ)529号 特許庁長官方式指令無効確認請求事件
(87)平成27年 2月19日 横浜地裁 平25(ワ)680号 損害賠償請求事件
(88)平成27年 2月 6日 東京地裁 平26(行ウ)74号・平26(行ウ)76号 帰化許可処分の義務付け等請求事件
(89)平成27年 1月16日 東京地裁 平22(行ウ)94号 懲戒処分取消等請求事件
(90)平成27年 1月13日 長崎地裁 平24(ワ)530号 政務調査費返還請求事件
(91)平成26年12月11日 東京地裁 平25(行ウ)247号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(92)平成26年11月27日 奈良地裁 平25(行ウ)15号 奈良県議会派並びに同議会議員に係る不当利得返還請求事件
(93)平成26年11月27日 仙台地裁 平22(行ウ)13号 政務調査費返還履行等請求事件
(94)平成26年11月26日 最高裁大法廷 平26(行ツ)78号・平26(行ツ)79号 選挙無効請求事件
(95)平成26年11月26日 最高裁大法廷 平26(行ツ)155号・平26(行ツ)156号 選挙無効請求事件 〔参議院議員定数訴訟〕
(96)平成26年11月26日 大阪地裁 平24(行ウ)164号・平25(行ウ)156号 会場使用許可処分義務付等請求事件(第1事件)、会場使用許可処分の義務付け等請求事件(第2事件)
(97)平成26年10月31日 東京地裁 平25(行ウ)274号 難民不認定処分取消請求事件
(98)平成26年10月30日 東京地裁 平24(行ウ)347号・平24(行ウ)501号・平24(行ウ)502号 給与等請求事件
(99)平成26年10月24日 和歌山地裁 平23(行ウ)7号 政務調査費違法支出金返還請求事件
(100)平成26年10月 8日 東京地裁 平25(行ウ)589号 難民不認定処分取消請求事件


政治と選挙の裁判例(裁判例リスト)

■「選挙 コンサルタント」に関する裁判例一覧【1-101】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-consultant/

■「選挙 立候補」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-rikkouho/

■「政治活動 選挙運動」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seijikatsudou-senkyoundou/

■「公職選挙法 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kousyokusenkyohou-poster/

■「選挙 ビラ チラシ」に関する裁判例一覧【1~49】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-bira-chirashi/

■「政務活動費 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seimu-katsudouhi-poster/

■「演説会 告知 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/senkyo-seiji-enzetsukai-kokuchi-poster/

■「公職選挙法 ポスター 掲示交渉」に関する裁判例一覧【101~210】
https://www.senkyo.win/kousyokusenkyohou-negotiate-put-up-poster/

■「政治ポスター貼り 公職選挙法 解釈」に関する裁判例一覧【211~327】
https://www.senkyo.win/political-poster-kousyokusenkyohou-explanation/

■「公職選挙法」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kousyokusenkyohou/

■「選挙 公報 広報 ポスター ビラ」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/senkyo-kouhou-poster-bira/

■「選挙妨害」に関する裁判例一覧【1~90】
https://www.senkyo.win/hanrei-senkyo-bougai-poster/

■「二連(三連)ポスター 政党 公認 候補者」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-2ren-3ren-poster-political-party-official-candidate/

■「個人(単独)ポスター 政党 公認 候補者」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kojin-tandoku-poster-political-party-official-candidate/

■「政党 公認 候補者 公募 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-political-party-official-candidate-koubo-poster/

■「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 議員 政治家」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokuji-kouji-kouei-kousetsu-keijiban-poster-political-party-politician/

■「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 公報 広報」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokuji-kouji-kouei-kousetsu-keijiban-poster-political-party-campaign-bulletin-gazette-public-relations/

■「国政政党 地域政党 二連(三連)ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokusei-seitou-chiiki-seitou-2ren-3ren-poster/

■「国政政党 地域政党 個人(単独)ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kokusei-seitou-chiiki-seitou-kojin-tandoku-poster/

■「公認 候補者 公募 ポスター 国政政党 地域政党」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-official-candidate-koubo-poster-kokusei-seitou-chiiki-seitou/

■「政治団体 公認 候補者 告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-political-organization-official-candidate-kokuji-kouji-kouei-kousetsu-keijiban-poster/

■「政治団体 後援会 選挙事務所 候補者 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-political-organization-kouenkai-senkyo-jimusho-official-candidate-poster/

■「政党 衆議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-shuugiin-giin-poster/

■「政党 参議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-sangiin-giin-poster/

■「政党 地方議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-chihou-giin-poster/

■「政党 代議士 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-daigishi-giin-poster/

■「政党 ポスター貼り ボランティア」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-poster-hari-volunteer/

■「政党 党員 入党 入会 獲得 募集 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seitou-touin-nyuutou-nyuukai-kakutoku-boshuu-daikou/

■「政治団体 党員 入党 入会 獲得 募集 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-seiji-dantai-nyuutou-nyuukai-kakutoku-boshuu-daikou/

■「後援会 入会 募集 獲得 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
https://www.senkyo.win/hanrei-kouenkai-nyuukai-boshuu-kakutoku-daikou/


■選挙の種類一覧
選挙①【衆議院議員総選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙②【参議院議員通常選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙③【一般選挙(地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙④【特別選挙(国政選挙|地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)


【資料】政治活動用事前街頭ポスター新規掲示交渉実績一覧【PRドットウィン!】選挙,ポスター,貼り,代行,ポスター貼り,業者,選挙,ポスター,貼り,業者,ポスター,貼り,依頼,タウン,ポスター,ポスター,貼る,許可,ポスター,貼ってもらう,頼み方,ポスター,貼れる場所,ポスター,貼付,街,貼り,ポスター,政治活動ポスター,演説会,告知,選挙ポスター,イラスト,選挙ポスター,画像,明るい選挙ポスター,書き方,明るい選挙ポスター,東京,中学生,選挙ポスター,デザイン


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