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「政治活動 選挙運動」に関する裁判例(30)平成27年 7月 3日 東京地裁 平26(行ウ)13号 難民不認定処分取消請求事件

「政治活動 選挙運動」に関する裁判例(30)平成27年 7月 3日 東京地裁 平26(行ウ)13号 難民不認定処分取消請求事件

裁判年月日  平成27年 7月 3日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平26(行ウ)13号
事件名  難民不認定処分取消請求事件
文献番号  2015WLJPCA07038010

裁判年月日  平成27年 7月 3日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平26(行ウ)13号
事件名  難民不認定処分取消請求事件
文献番号  2015WLJPCA07038010

東京都葛飾区〈以下省略〉
原告 X
同訴訟代理人弁護士 松尾久美
東京都千代田区〈以下省略〉
被告 国
同代表者兼処分行政庁 法務大臣 A
被告指定代理人 Bほか別紙指定代理人目録記載のとおり

 

 

主文

1  原告の請求を棄却する。
2  訴訟費用は原告の負担とする。

 

事実及び理由

第1  請求
法務大臣が平成22年7月9日付けで原告に対してした難民の認定をしない処分(以下「本件不認定処分」という。)を取り消す。
第2  事案の概要
本件は,エチオピア連邦民主共和国(以下「エチオピア」という。)の国籍を有する外国人の女性である原告が,出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)61条の2第1項の規定に基づき難民である旨の認定の申請をしたところ,法務大臣から難民の認定をしない処分(本件不認定処分)を受けたことについて,本件不認定処分が違法であるとして,その取消しを求める事案である。
1  前提事実(当事者間に争いがないか,当裁判所に顕著な事実)
(1)  原告の身分事項
原告は,1987年(昭和62年)○月○日,エチオピアにおいて出生した同国の国籍を有する外国人の女性である。
(2)  原告の在留の状況
ア 原告は,平成20年10月1日,成田国際空港に到着し,東京入国管理局成田空港支局入国審査官に対し,上陸の申請をして,入管法所定の在留資格を「短期滞在」,在留期間を「30日」とする上陸許可の証印を受けて本邦に上陸した。
イ 原告は,居住地を「神奈川県横浜市〈以下省略〉」,世帯主を「X」,続柄を「本人」として,外国人登録法(平成21年法律第79号による廃止前のもの)3条1項の規定に基づく登録の申請をし,平成20年10月15日,その旨の登録を受けた。
ウ 原告は,平成20年10月29日,在留資格を「特定活動」,指定活動を「本邦に在留し難民認定申請を行っている者が行う日常的な活動(収入を伴う事業を運営する活動又は報酬を受ける活動を除く。)」,在留期間を「3月」とする在留資格の変更を受けた。
エ 原告は,平成21年1月23日,在留期間を「3月」とする在留期間の更新を受けた。
オ 原告は,平成21年4月21日,在留資格を「特定活動」,指定活動を「本邦に在留し難民認定申請を行っている者が行う,本邦の公私の機関に雇用されて行う報酬を受ける活動(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(昭和23年法律第122号)2条1項に規定する風俗営業若しくは同条6項に規定する店舗型性風俗特殊営業が営まれている営業所において行う報酬を受ける活動又は同条7項に規定する無店舗型性風俗特殊営業,同条8項に規定する映像送信型性風俗特殊営業,同条9項に規定する店舗型電話異性紹介営業若しくは同条10項に規定する無店舗型電話異性紹介営業に従事して行う報酬を受ける活動を除く。)」,在留期間を「3月」とする在留資格の変更を受け,同日,就労資格証明書の交付を受けた。
カ 原告は,平成21年7月13日,同年10月20日及び平成22年1月26日,在留期間を「3月」とする在留期間の更新を受けた。
キ 原告は,平成22年4月27日,同年10月18日,平成23年4月13日,同年10月28日,平成24年4月20日,同年10月5日及び平成25年4月9日,在留期間を「6月」とする在留期間の更新を受けた。
ク 原告は,平成25年10月15日,在留期間を「6月」とする在留期間の更新を受け,同日,就労資格証明書の交付を受けた。
(3)  難民の認定の手続に関する経緯
ア 原告は,平成20年10月8日,法務大臣に対し,難民である旨の認定に係る申請(以下「本件難民認定申請」という。)をした。
イ 東京入国管理局難民調査官は,平成22年4月27日,原告から事情を聴取するなどの調査をした。
ウ 法務大臣は,平成22年7月9日,本件難民認定申請について,本件不認定処分をし,同月23日,原告にその旨を通知した。
エ 原告は,平成22年7月23日,法務大臣に対し,本件不認定処分について異議申立てをした。
オ 東京入国管理局難民調査官は,平成23年10月14日,前記エの異議申立てについて,原告の口頭意見陳述及び審尋を実施した。
カ 法務大臣は,平成25年6月14日,前記エの異議申立てを棄却する旨の決定をし,同年7月25日,原告にその旨を通知した。
キ 原告は,平成25年9月30日,法務大臣に対し,2回目の難民である旨の認定に係る申請をした。
(4)  本件訴えの提起
原告は,平成26年1月17日,本件訴えを提起した。
2  争点及び争点に関する当事者の主張の要点
本件の争点は,本件不認定処分の適法性である。
(原告の主張の要点)
(1) 難民の意義及び難民該当性の立証責任
ア 「難民」とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」をいう。
「迫害」とは,生命又は自由に対する脅威,その他の人権の重大な侵害をいうと解すべきである。また,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要である。そして,客観的事情があるというためには,出身国の状況と個別事情とを考慮した結果,当該人が迫害を受ける合理的な可能性があることが必要であると解されるところ,必ずしも当該政府が特に当該人を迫害の対象としていることが明らかになるような個別的で具体的な事情までは要しないと解すべきである。
イ 入管法61条の2の14は,法務大臣及び難民調査官に事実を調査する権限を与えており,国際連合難民高等弁務官発行の「難民認定基準ハンドブック」には,事実を確認し評価する義務は申請者と審査官の間で分かち合うこと,事案によっては審査官が必要な証拠を拠出すべきであるという指針が示されていることからすれば,仮に立証責任が申請者側にあるとしても,難民認定の資料の提出義務については,自らが難民であると主張する申請者のみならず,難民認定処分を行う法務大臣も負うものと解すべきである。
そして,難民条約が保護しようとしているのは,難民の生命,身体など極めて重要な法益であり,難民認定手続における誤判によって難民とされる者が難民と認定されずに国籍国等に送還された場合,その者が被る被害は著しく重大で,法益侵害を回復することはできないのであるから,難民と認定されるための立証の程度は,通常の民事訴訟における一般原則である合理的な疑いを容れない程度の証明よりも緩和されると解すべきである。
(2) エチオピアの政治情勢
ア エチオピアは,エチオピア人民革命民主戦線(以下「EPRDF」という。)が,1991年(平成3年)7月から現在まで率いる連邦共和国であり,同国内では,違法な殺人,拷問,むち打ち,拘留者及び野党支持者に対する虐待が治安部隊,特に特別警察及び地方の民兵によって行われている。
イ エチオピアで2005年(平成17年)5月15日(エチオピア暦1997年9月7日)に行われた国政選挙では,EPRDFが勝利したとの暫定結果が発表されたところ,野党の統一民主連合(以下「CUD」という。)は,暫定結果に不服を申し立て,政府による大規模な不正行為がなければ,野党の圧倒的な勝利であったと主張した。
同年6月6日(エチオピア暦1997年9月29日),アディスアベバ大学のキャンパスで,数百人の学生によって上記国政選挙の暫定結果に抗議するデモが行われたところ,学生たちは,警官隊により,警棒とライフルの銃床で殴打され,逮捕された。続いて,同月8日(エチオピア暦1997年10月1日)には,アディスアベバで,野党と連携した人々によって更に大きなデモが行われたところ,治安部隊は,これらの人々を攻撃し,少なくとも36人を殺害し,数千人を逮捕した。また,治安部隊は,デモの後,野党を支持する住民を自宅から連行し,刑務所に不法に拘束した。
ウ エチオピアでは,反政府活動を抑制し処罰するために,政府当局や治安部隊による人権侵害が日常的に行われており,その対象には,CUD等の野党の党員だけでなく,野党支持者,野党支持者と疑われる者,政府に批判的な学生等も含まれる。
野党の党員や支持者と疑われる者に対する恣意的な逮捕拘禁も行われており,2007年(平成19年)7月20日(エチオピア暦1999年11月13日)に終身刑等の判決を受けたCUDの指導者など政治犯等に対して恩赦が与えられた後も,政府系民兵によりCUD支持者が拉致,逮捕され,撃ち殺され,警察と治安部隊によりCUDメンバーが逮捕され,拷問を受けたという報告がされているし,恩赦後も以前に逮捕されて拷問されたCUDメンバーの中には保釈を却下された者もおり,多数の野党の党員や支持者が逮捕され,不法に拘束され続けているという報告がされている。そして,2008年(平成20年)12月(エチオピア暦2001年4月頃)には,過去に与えられた恩赦に反する発言をしたとして,政府は野党の指導者を再逮捕し,終身刑を科している。
政府当局や治安部隊により,政府に批判的である者を長期間にわたり監視することも行われており,村民が小さな班に分けられた上で地元の役人に割り当てられ,民兵が反政府的な兆候がないか各家庭を監視している実態も報告されているし,政府は,電話公社に命令して,違法に市民の私的な通話を録音させたり,海外にいる難民に対しても,スパイウエアを利用してコンピュータネットワークを通して監視をしている。
そして,2009年(平成21年)7月,エチオピアでは,反テロ法が制定され,暴力に訴えていなくても政府に反対する者に厳しい刑罰を科せるようになり,同法が一般の野党支持者に適用されることも十分に考えられる。
エ エチオピアでは,当局が恒常的に令状なしに逮捕しており,法律では,逮捕された者に対して48時間以内に何の罪で拘束されたのか知らせなければならないと定められているが,概して実際には行われておらず,憲法や法律で禁止されている拷問,殴打又は虐待が行われている。
また,エチオピアの刑務所には,多数の未決の者が拘束されており,十分な食事が与えられておらず,警察官により身体的な虐待が加えられている。
(3) 原告の個別事情
ア(ア) 学生であった原告は,2005年(平成17年)5月(エチオピア暦1997年9月)の国政選挙の頃,エチオピアが抱える貧困,飢餓,病気等の問題を政府(EPRDF政権)が放置していることや,政府が独裁的であり,国民に言論の自由がないことを問題に思っており,野党のCUDは国を導き,問題に対処することができる政党であると考え,CUDを支持するようになった。
原告は,上記国政選挙の少し前から,CUDの支持者として,パンフレットを配ったり,同党への投票を呼び掛けるなどのCUDへの勧誘活動をし,政治活動(反政府活動)を始めるようになり,同年6月8日(エチオピア暦1997年10月1日)に上記国政選挙の暫定結果に抗議してアディスアベバで行われたデモにも参加した。原告ら学生は,デモの際,バスに石を投げつけたり,タイヤを燃やしたりしたところ,原告は,軍人らに捕まって膝立ちで座らされ,棒で殴られ,背中が赤く腫れ上がった。デモの後,原告の周辺では,学生や野党支持者を含む政府に反対する人々が逮捕され始め,当局に暴力をふるわれた者もいたため,原告は自分も同じ目に遭うのではないかと怖くなり,家族と離れ,一人でアディスアベバを出て,約8か月間,アワサに隠れて生活した。
原告は,2006年(平成18年)4月(エチオピア暦1998年8月)頃,アディスアベバに戻り,CUDを支持する活動を再開し,同年5月8日(エチオピア暦1998年8月30日)に行われた政府に反対する大規模なデモに参加した。
(イ) 原告は,2006年(平成18年)9月29日(エチオピア暦1999年1月19日),自宅で,逮捕状も示されずにただ用事があるとだけ言われ,警察官に逮捕された。原告は,カリティ刑務所に連れて行かれて拘束され,食事はパンと水しか与えられなかった。原告は,刑務所内で,警察官から,「一緒に活動した友達の名前を言え」,「なぜCUDを支援しているのか」などと取り調べられ,殴る,蹴るなどの暴行を受け,警察官にレイプされた。
原告は,同年10月29日(エチオピア暦1999年2月19日),原告の父親が保証人となり,保釈金4000ブルを支払ったため,釈放され,その際,警察官から「今後はCUDを支援してはいけない」,「EPRDFの支持者にならなければならない」と告げられたが,その後も地域の人で集まって,国の問題について話し合うといった政府に反対し,CUDを支持する活動を続けた。
イ 原告は,2007年(平成19年)8月7日(エチオピア暦1999年12月1日),芸能プロダクションに登録し,女優の仕事を始めたところ,映画撮影の仕事で日本に行くこととなり,2008年(平成20年)8月5日(エチオピア暦2000年11月29日),旅券を取得し,同年9月5日(エチオピア暦2000年12月30日),日本の査証を取得した。
原告は,同月17日(エチオピア暦2001年1月7日),外出していたところ,警察官が原告を訪れ,原告の家族に対し,案件をもう一度見る旨の記載のある原告宛ての出頭命令書を手渡した。原告は,出頭命令書を受け取った後,怖くなってエラにある叔母の家に隠れ,出国までそこに滞在し,家には戻らなかった。原告は,同月30日(エチオピア暦2001年1月20日),ボレ空港からエチオピアを出国し,同年10月1日,成田国際空港から日本に入国した。
原告は,日本において,女優として映画の撮影を行い,来日の数日後,エチオピアの家族に電話をかけたところ,警察が原告のことを捜していると聞き,以前逮捕されたときのような迫害を受けると思い,映画撮影の仕事が終わっても帰国せずに日本に残り,日本で本件難民認定申請をすることとした。
ウ 原告は,本件難民認定申請後しばらくして,日本において,EPRDF政権に反対し,民主化を求める政治活動を再開し,カナダ在住のエチオピア人,Cが主催する人権団体SMNEのメンバーとして,定例の集会に参加して意見を述べ,組織として書簡を発信したりするなどの政治活動を行っている。また,原告は,平成23年12月7日,在日エチオピア大使館周辺で行われたエチオピアの民主化を求めるデモに参加した。
原告は,平成21年4月21日に特定活動(就労可)の在留資格を取得して以降,就労して収入を得ているが,エチオピアの家族への仕送りは一切行っておらず,真の難民でないのに,家族と離れてエチオピアに仕送りもせずに,不安定な立場で日本にとどまり続ける理由がない。
エ 以上と同趣旨を述べる原告の供述は,エチオピアの政治情勢や客観的事実と整合するもので,詳細かつ具体的であり,全体としてみると,ほとんどの出来事の時期及び内容について変遷はなく,不利益な事実も一貫して供述していることからすると,信用性がある。
そして,上記事実からすると,原告はデモに参加して軍人から殴られるという迫害を受け,野党であるCUDを支援し,政府に反対する政治的意見を表明したことを理由に逮捕され,1か月もの長期間にわたり刑務所に拘留され,警察官から暴行されるという迫害を受けている上,原告宛ての出頭命令書も発付されていて,本邦に上陸して以降も反政府的色彩を持つSMNEの活動に参加しているのであるから,たとえ原告がエチオピア政府当局から殊更に関心を抱かれる者ではないとしても,原告がエチオピアに帰国した場合,政府当局から迫害を受けるおそれが十分にある。
したがって,原告には,主観的に迫害の恐怖を抱いているだけではなく,迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在しているから,原告が難民に該当することは明らかである。
(被告の主張の要点)
(1) 難民の意義及び難民該当性の立証責任
ア 「難民」とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であつて,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であつて,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」をいう。
そして,「迫害」とは,「通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧」を意味する。また,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が,迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要である。そして,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」とは,単に迫害を受けるおそれがあるという抽象的な可能性が存するにすぎないといった事情では足りず,当該人について迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような個別かつ具体的な事情が存することが必要であり,ある国の政府によって民族浄化が図られていることが明らかであるような場合はともかく,そうでなければ,当該政府が特に当該人を迫害の対象としていることが明らかになるような個別的で具体的な事情があることを要するものと解すべきである。
イ そして,「難民」に該当することの立証責任が,難民であることを主張する原告側にあることは,入管法61条の2第1項及び同法施行規則55条1項の規定により,難民認定申請者に対し申請資料として「難民に該当することを証する資料」の提出が求められていることから明らかであり,難民不認定処分は,申請者において,自らが難民であることを証明した場合に初めて違法とされるべきである。
このことは,難民認定処分は,法務大臣により難民認定を受けていることが,他の利益的取扱いを受けるための法律上の要件となっており,授益処分とみることができること,難民該当性を基礎付ける諸事情は,事柄の性質上,外国で,しかも秘密裡にされたものであることが多く,このような事情の有無やその内容等は,それを直接体験した申請者こそが最もよく知ることのできる立場にある一方,法務大臣はそれらの事実につき資料を収集することがそもそも困難であり,難民該当性を基礎付ける事実の不存在を立証する資料の収集は不可能に近いことからしても合理的である。
そして,立証の程度については,原告が本件不認定処分当時において難民と認められるに必要な十分に理由のある迫害の恐怖を有していたか否かが訴訟の場において争われているのであるから,原告がこの点について「合理的な疑いを容れない程度の証明」をしなければならないのは当然であり,立証責任を緩和する旨の規定も存しないのに,その程度が緩和されるべきであるとする原告の主張は独自の見解というほかない。
(2) エチオピアの政治情勢
ア 現在のエチオピアは,1995年(平成7年)8月の憲法改正により成立した国家である。その前身であるエチオピア人民民主共和国は,EPRDFの軍事攻勢によって崩壊し,その後,EPRDFが,メレス・ゼナウィを議長として暫定政権を樹立し,1995年(平成7年)8月に現在のエチオピアが成立した。
現在のエチオピアでは,EPRDFが与党第一党となっており,エチオピア民主統一軍(以下「UEDF」という。)とCUDの二つの政党連合が野党の2大勢力となっている。
1995年(平成7年)の第1回総選挙後,2000年(平成12年),2005年(平成17年)及び2010年(平成22年)に第2回ないし第4回の国政選挙が実施され,いずれも与党EPRDFが勝利した。2005年(平成17年)5月に行われた第3回総選挙において,CUDは,下院の547議席中109議席を獲得して野党第一党となったが,2010年(平成22年)に行われた第4回総選挙においては,EPRDFとその支持政党が下院の547議席中545議席を獲得した。
イ 英国内務省の報告によれば,2007年(平成19年)7月20日,2005年の総選挙の結果を受けて発生した大規模な抗議デモに関連して身柄を拘束され,終身刑等の判決を受けたCUDの指導者など政治犯38名に対して恩赦が与えられ,上記選挙に関連して逮捕された野党指導者,マスメディア及び市民活動家131人のほぼ全てが2007年夏に赦免され,刑務所から釈放され,2008年(平成20年)3月の時点において,約150人の野党国会議員が議席を維持している。
(3) 原告の個別事情
ア(ア) 原告が2005年(平成17年)5月に実施された国政選挙において,CUDの支持者として選挙運動に参加し,同党のパンフレットを配布したり同党への投票を呼び掛けたりしたこと等を裏付ける客観的な証拠はない上,原告は,地元の選挙区で当選した候補者を承知していないことからすれば,原告が同党の支持者として活発に選挙運動を行っていた者とは認められない。
原告は,2005年(平成17年)6月の国政選挙に関連し暴動に発展したデモに参加し,軍人等から暴行を加えられたと主張するが,本人尋問において,デモに参加して政府関係者から暴行を加えられてけがをさせられたことは,難民認定をする者にとって大切な事情であると承知しており,忘れることができるような事件ではない旨供述しているにもかかわらず,本件難民認定申請時に,上記デモに参加し,暴行を受けたことを申請書に記載しておらず,しかも,そのことについておよそ合理的な説明をしていない。そして,同デモにおける負傷についても,原告は,平成22年4月27日の難民調査時には,暴行を受けたとは述べるものの,負傷したことは何ら述べていなかったのに,陳述書(甲15)では,重いけがを負ったと述べるに至ったが,本人尋問においては,難民調査時の供述調書に負傷したことが記載されていないことについて明確な説明ができておらず,負傷の程度も背中が腫れて赤くなったと供述する程度である。さらに,原告は,当初,上記デモにおいて,平和的に政府に対する抗議の声を上げていたにすぎないと主張していたのに,本人尋問においては,原告自身もバスに石を投げ,タイヤを燃やすなどした旨供述するなど,自身の活動についても矛盾している。これらの事情からすると,原告が,2005年(平成17年)6月(エチオピア暦1997年10番目の月)の抗議デモで政治活動を理由に暴行を受けたとは認め難い。
また,原告は,上記デモの後,友達がほとんど殺されたため,アワサに逃げたと供述するが,友人の名前や原告との関係について何ら説明できておらず,不自然である。仮に原告が上記デモに参加していたとしても,膨大な人数の参加者があったというのであるから,政府関係者が,CUDの重要な役職に就いているわけでもなく,党員ですらない原告を個別に把握していたとは考えられない。しかも,原告は,アワサに逃げた後,学校を続けたい,家族に会いたいとの理由で,8か月程度でアディスアベバに戻ったと供述するが,周囲の多くの友人等が殺害・逮捕等され,原告自身も殺される危険があったとするにもかかわらず,アディスアベバに戻り,その後デモにも参加したという原告の行動は不合理である。
(イ) そして,原告は,警察官に逮捕され,カリティ刑務所で暴行を受け,強姦されたと供述するが,これを裏付ける客観的な証拠はない上,具体的な容疑名も不明であり,原告が積極的に政治活動をしたとも認められないことからすると,逮捕された事実を認めることはできない。
また,原告は,本件難民認定申請時及び難民調査時の供述では,刑務所において,強姦されそうになったとするものの強姦されたとはしていなかったにもかかわらず,本件不認定処分後は,刑務所で強姦されたと供述を変遷させており,強姦した人数についても,難民異議申立手続では4人としていたのに,本人尋問では1人としており,供述が一貫していない。このように原告が一貫した供述をしていないことからすると,原告が刑務所において強姦されたとの供述は信用することができず,刑務所で取調べを受けたとの供述も信用することができない。
(ウ) 仮に原告の主張を前提としても,デモの際の暴行や刑務所での取調べ等の出来事があった当時,未だ若年であり,CUDの党員でもない単なる支持者でしかなかった原告について,エチオピア政府関係者が,その動静を注視し,帰国後改めて原告に危害を加えることなど想定し難い。
イ 原告は,原告に対する出頭命令書が発付されていると主張するが,これを認めるに足りる客観的証拠はない上,原告の供述によってもこれを恐れていたとはうかがえず,出頭命令書の交付の状況やその後出頭命令書がどうなったかについての供述を変遷させているところ,当時,エチオピアではCUDの指導者等の政治犯に対して恩赦が与えられていたというエチオピアの一般情勢に照らしても,原告に対して出頭命令書が発付されたとは認められないというべきである。
また,仮に,エチオピア政府関係者において,原告に危害を加える意思があり,出頭を求めるなどしていたのであれば,原告について,正規に旅券を発給すること自体考え難く,出頭命令が出ているのに原告の出国を認めるとは考え難いのであって,原告自らが旅券発給事務所に出向いて正規旅券の発給を受け,同旅券を用いて正規の出国手続を受け,何ら問題なくエチオピアを出国できたことは,当時,原告がエチオピア政府から迫害を受ける恐怖を抱いていたという主観的事情も,エチオピア政府が原告を迫害の対象としていたという客観的事情もなかったことの証左といえる。
さらに,原告は,短期商用目的で本邦に入国した者であって,エチオピア政府から逃れてきたのではなく,原告が迫害を受ける恐怖から逃れるために本邦に入国した者ではないことは明らかである。さらに,エチオピアにいる原告の家族が継続して平穏な生活を営んでいることからしても,原告がエチオピア政府から敵視されていないことを推認させる事情の一つといえる。
ウ 原告の供述等によれば,原告がメンバーとなったというSMNEは,カナダに在住するCを中心とした団体であるが,本邦には同団体の支部といえるような組織はなく,また,原告は同団体において何らの役職にも就いていない上,同団体のホームページに原告の氏名や写真が掲載されたというような事実もない。
また,原告が参加した同団体の集会は,エチオピアの政治状況に関してではなく,本邦におけるエチオピア人難民申請者の収容状況及び生活状況等について話し合うためのものであったというのであり,同団体が組織として発信したという書簡についても,国際連合難民高等弁務官及び日本国政府に対し,難民申請者の収容状況及び生活状況等の改善を求めるものにすぎず,そのほかに組織として政治的主張を掲げてデモに参加したりインターネット等で政治的意見を発信したりしたことはないというのである。
加えて,エチオピアにおいては,原告が本邦に入国した後の平成21年(2009年)7月,反テロリズム法が成立し,人権団体等は同法律の適用範囲等に懸念を示しているとされているところ,原告は,平成23年10月14日の審尋の時点においてすら同法律が成立したことを一切承知しておらず,SMNEの集会においても同法律の話題が出たことはないというのである。
以上のとおり,SMNEの活動は,それ自体,政治的色彩を有するものとはいえない上,原告は,同団体において何ら指導的立場にあったものではなく,原告自身がエチオピアの政治状況について詳細に把握している状況もうかがわれないことからすれば,このような団体における活動を理由に,原告に迫害を受けるおそれがあるとは到底考え難い。
なお,原告は,平成23年12月7日,在日エチオピア大使館前で行われたデモに参加した旨も主張するが,同事実はそもそも本件不認定処分後に生じた事情である上,同デモに参加したことによりエチオピア当局に格別の関心を抱かれるとも考え難い。
エ 以上のとおり,原告が主張する事情は,いずれも,これを事実とは認め難いか,又は迫害とは評価し得ないものであり,原告に対する迫害のおそれがあることを裏付けるものとはいえず,原告を難民と認めることはできないから,本件不認定処分は適法である。
第3  当裁判所の判断
1  難民の意義等について
入管法2条3号の2は,同法における「難民」の意義について,難民の地位に関する条約1条(以下「難民条約」という。)の規定又は難民の地位に関する議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうと規定している。このような同法の規定に照らせば,同法にいう難民とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であつて,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であつて,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」をいうと解するのが相当である。
そして,上記の「迫害」の意義については,難民条約31条1項が,「締約国は,その生命又は自由が第1条の意味において脅威にさらされていた領域から直接来た難民」について「不法に入国し又は不法にいることを理由として刑罰を科してはならない。」とし,難民条約33条1項が,「締約国は,難民を,いかなる方法によっても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。」としていることに照らすと,「生命又は自由」の侵害又は抑圧をいうと解するのが相当であり,ここにおいて「自由」が「生命」と併置されており,「難民」となり得るのは,迫害を受けるおそれがあるという状況に直面したときに「恐怖を有する」ような場合であると考えられること(難民条約1条A(2)参照)からすれば,この「自由」は,生命活動に関する自由,すなわち肉体活動の自由を意味するものと解するのが合理的である。そして,難民条約は,農業,工業,手工業,商業などの自営業に関して(18条),自由業に関して(19条),また,初等教育以外の教育に関して(22条2項),いずれも,締約国は,「できる限り有利な待遇」を与え,かつ,「いかなる場合にも,同一の事情の下で一般に外国人に対して与える待遇よりも不利でない待遇を与える」ものとしており,動産及び不動産に関する権利に関して(13条),賃金が支払われる職業に関して(17条),公的扶助に関して(23条),また,労働法制及び社会保障に関して(24条)も,類似の定めがあるが,上記のような待遇が外国人に付与されるか否かは,難民条約の締約国の国内法制によるものと考えられることに照らすと,上記の「自由」に経済的自由等が含まれるとは解し難い。そうすると,上記の「迫害」の意義については,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するものと解するのが相当である。また,上記にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解される。
なお,上記の難民該当性に係る各要件については,難民である旨の認定に係る申請をしようとする外国人に対して難民に該当することを証する資料の提出を求めている入管法61条の2第1項及び出入国管理及び難民認定法施行規則55条1項の趣旨に照らし,申請者たる原告が立証すべきものと解するのが相当である。
2  エチオピアの一般情勢
証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1)  エチオピアの国家体制
エチオピアにおいては,メンギスツ政権が,1991年(平成3年)にEPRDFの軍事攻勢を受けて崩壊し,その後,EPRDFによってメレス・ゼナウィを指導者とする暫定政府が樹立された後,エチオピア連邦民主共和国の憲法が採択され,1995年(平成7年)8月,エチオピア連邦民主共和国政府が樹立された(乙15~17)。
エチオピアは,2007年(平成19年)現在,人種を基盤とした九つの州と二つの自治政府から構成される連邦共和国であり,議会は,連邦議会(上院)及び人民代表議会(下院)からなる二院制で,両院議員とも任期は5年である(甲11,乙16)。
(2)  エチオピアの政治情勢
ア エチオピアの政党
エチオピアでは,1995年(平成7年)以降,5年ごとに国政選挙が実施されており,2000年(平成12年)から2010年(平成22年)までの間に実施された第2回ないし第4回国政選挙では,いずれもEPRDFが勝利して与党となり,メレス・ゼナウィが首相に再任された(甲1,2,乙15,16)。
2005年(平成17年)5月15日に実施された第3回国政選挙においては,下院の547議席中,EPRDFが327議席を獲得し,CUDが109議席,UEDFが52議席を獲得した(乙16)。
イ 第3回国政選挙及びその後の経過
(ア) CUDは,第3回国政選挙について,政府による大規模な不正行為がなければ,野党の圧倒的な勝利であったと主張し,不正選挙疑惑に関するCUDの苦情が解決されない限り,次の議会のボイコットも辞さないとの声明をした。同選挙については,投票者や選挙監視員の脅迫を含む,規則違反が横行し,監視員によれば,殺人,行方不明,投票者の脅迫,いじめ,反対政党支持者などへの違法な拘束が行われた,全ての票数計算の監視が認められない場合もあったなどと報告されている(甲2,11,12,乙16)。
(イ) 暫定結果によりEPRDFが議席の過半数を占めたことが発表された後,数百人の学生が,アディスアベバ大学のキャンパスにおいて,2005年(平成17年)6月6日,平穏なデモを行ったが,警官隊により警棒とライフル銃の銃床で殴打された。また,同月8日には,アディスアベバでさらに大きなデモが行われたが,治安部隊は,参加者を攻撃し,少なくとも36人を殺害し,数千人を逮捕したとされている(甲2,乙16)。
(ウ) エチオピア当局は,2005年(平成17年)9月から,予定されているデモに参加できないよう,反対派の逮捕を開始し,反政府抗議の計画に参加したなどとして,CUD議長のHailu Shawelを含むCUDの指導者の多くを拘束した(甲2,11,乙16)。
エチオピアの裁判所は,2007年(平成19年)7月,CUD議長のHailu Shawelを含む反対派の指導者らを有罪としたところ,これら反対派の指導者らは,判決の数日後,恩赦により釈放された(乙16,17)。
ウ その後のエチオピアの状況
エチオピアにおいては,2008年(平成20年)3月現在,約150人の野党国会議員が議席を維持している(乙17)。
2007年(平成19年)12月,CUDの支持者が政府系民兵に拉致されて撃ち殺された,2008年(平成20年)1月,CUDのメンバーが警察と治安部隊に逮捕され,拷問された,2006年(平成18年)5月に逮捕され拷問されたCUDのメンバー37人のうち,26人は2007年(平成19年)10月に釈放されたが,9人は同年末時点で収監されたままであり,2人は獄中で死亡した,2008年(平成20年)3月,CUDの支持者は令状もなく自宅で逮捕され,収容中,家族が訪問する権利が拒否されたなどと報告されている(甲7)。
また,2008年(平成20年)12月,過去に与えられた恩赦に反する発言をしたとして,野党指導者が再び無期懲役の刑に処されたと報告されている(甲17)。
3  原告の個別事情等
前記2のエチオピアの一般情勢を踏まえ,原告が主張する個別事情の有無及びその個別事情が原告の難民該当性を基礎付けるか否かについて検討する。
(1)  2005年(平成17年)6月のデモについて
ア 原告は,2005年(平成17年)5月の国政選挙の際,CUDの支持者として,パンフレットを配ったり,投票を呼び掛けたりするなどの政治活動をし,選挙後の同年6月8日のデモに参加してバスに石を投げたり,タイヤを燃やしたりしたところ,軍人らに捕まって膝立ちで座らされ,棒で殴られ,背中が赤く腫れ上がったのであり,その後,原告の周辺で政府に反対する人々が逮捕され始めたため,一人でアディスアベバを離れ,アワサに隠れて生活したなどと主張する。
イ(ア) 証拠(甲14,15,乙4,5,9)によれば,原告は,平成20年10月8日の本件難民認定申請に際して記載した申請書には,「平和的なデモ」に参加したことは記載したものの,死傷者が生じるようなデモに参加して暴行を受けたとは記載しなかったこと,平成22年4月27日にされた難民調査官による調査に際しての供述調書には,上記デモに参加して棒で殴られたとするものの,傷害を負ったとの記載はないこと,原告は,本件不認定処分に対する異議申立てに際し提出した陳述書には,上記デモに参加して兵士に殴られ,重い傷を負ったと記載したことが認められる。
(イ) 原告は,上記デモに参加して暴行を受けたことは忘れることができないことであり,難民認定に際して大切な事情であることを理解していたと供述(原告本人)する一方で,本件難民認定申請の申請書に上記デモに参加して暴行を受けたとは記載しなかったことについて,同申請書にはそのことを書くのに十分な場所がなく,後に出す予定の陳述書に記載する予定であったと供述している。
上記デモはEPRDFが国政選挙で勝利したという暫定結果が発表された後,これに抗議する目的で行われたものであり,そのようなデモに参加して軍人に暴行を受けたことは,原告も認識するとおり,難民であるかどうかを判断するに当たり重要な事情の一つといえるから,真に上記デモに参加して暴行を受けたのであれば,当然,本件難民認定申請に係る申請書に記載すべきことと考え,その旨の記載をするのが自然である。
しかるに,証拠(乙4)によれば,上記申請書には,用紙の体裁等からして,デモに参加して暴行を受けたことを記載することは十分に可能であった上,原告は所定の用紙に加え,「平和的なデモ」に参加した際の状況やその後の状況等を記載した別紙も添付して提出したことが認められるところであり,これらの事情に照らすと,原告が上記デモに参加して暴行を受けたことを同申請書に記載しなかったことについて,書くのに十分な場所がなかったという原告の上記供述は,合理的な説明であるとはいい難く,他に合理的な理由もうかがわれない。
(ウ) 原告は,本人尋問において,上記デモに参加した際,背中を棒で殴られ,赤いやつが出たため,動くこともできなかった,その際の傷害について平成22年4月27日の難民調査官による調査の際に話したか分からないと供述する。
しかし,原告が上記デモに際して重傷を負ったのであれば,暴行について供述する際に傷害についても説明するのが通常であると考えられるのに,前記認定のとおり難民調査官による調査の際の供述調書(乙5)にはその旨の記載はないのであるから,上記の供述に際してその旨の説明をしたとは認め難いし,原告の本人尋問における供述においても,傷害の程度は具体的に明らかでない。
ウ また,平成22年4月27日にされた難民調査官による調査に際しての原告の供述調書(乙5)には,「アワサに隠れたときに,CUDとのだいたいの関係は止めました」と記載されているが,他方において,原告は,上記デモにおいて,原告の友達も皆捕まり,殺されたところ,3か月ほどした2005年(平成17年)9月初め,周辺の人々も逮捕され始めたため,アディスアベバからバスで7~8時間を要するアワサに逃げ,8か月ほどしてから,家族が恋しくなってアディスアベバに帰り,再びCUDの支持を始め,2006年(平成18年)5月のデモにも参加した旨の陳述(甲14,15,乙9,13)ないし供述(原告本人)をしている。
原告がアディスアベバに帰って参加したという第3回国政選挙後のデモから1年程度経過した時期である2006年(平成18年)5月頃のエチオピアの情勢については,CUDの指導者らは拘束されていた(前記2(2)イ(ウ))のであり,CUD支持の活動をしても迫害されない状況であったとは必ずしもいえない。このようなエチオピアの情勢の下において,恐怖を感じてアワサに逃げたという原告が,家族が恋しいという理由でアディスアベバに帰った上,再びCUD支持の活動を始めるというのは極めて不自然である。
また,友人が実際に殺されたのであれば,名前を挙げるなどして具体的な供述ができると考えられるのに,原告は,2005年(平成17年)6月のデモにおいて,殺されたという友人の名前を挙げられず,何ら具体的な供述ができていない。
エ 以上に検討したところからすれば,2005年(平成17年)6月の国政選挙の結果に抗議するデモに参加して,暴行を受けて重傷を負い,その後,アワサに逃れていたがアディスアベバに帰り,再びCUD支持の活動を始めたとする原告の供述は信用することができないといわざるを得ず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。
また,原告が主張するとおり,原告が2005年(平成17年)5月の国政選挙の際,CUDのパンフレットを配ったり,投票を呼び掛けたりしたとしても,それほど活発な政治活動であるとは評価し難いし,その後のデモに参加して暴行を受けたとも認められないことに加え,原告は,当時18歳の高校生であり,CUDの党員でもなかったこと(乙5,原告本人)にも鑑みれば,その政治活動によってエチオピア政府から注目されることとなったと認めることも困難である。
(2)  原告の逮捕及び刑務所での拘束について
ア 原告は,2006年(平成18年)9月29日,自宅で逮捕状も示されずに逮捕され,カリティ刑務所に連れて行かれて拘束された上,殴る蹴るなどの暴行を受け,警察官に強姦されたと主張し,これに沿う供述をする。
イ 証拠(甲14,15,乙4,5,9)によれば,原告は,平成20年10月8日の本件難民認定申請に際して記載した申請書には,カリティ刑務所において殴られ,強姦も試みられたと記載したこと,平成22年4月27日にされた難民調査官による調査に際しての供述調書には,CUDを支援していたため逮捕され,逮捕中に,なぜCUDを支援したのかなどの取調べを受け,殴られたり蹴られたりし,性的暴行もされそうになったが,実際にはされていないと記載されていること,原告が本件不認定処分に対する異議申立てに際して提出した陳述書には,カリティ刑務所において,一人の秘密警察員から強姦されそうになったが抵抗して逃げることができたと記載した一方で,エチオピアでは強姦された人間はとても軽蔑されるため言わなかったが,実際には強姦されたことがあると記載したことが認められる。
また,証拠(乙10,13)によれば,原告は,本件不認定処分に対する異議申立てに際して提出した陳述書には,カリティ刑務所において,4人に誘拐されて強姦されたと記載し,同異議申立ての際の審尋において,1度強姦未遂があり,2度目に4人に連行されて強姦されたと供述したことが認められるところ,本人尋問においては,原告は,逮捕状も見せられずに用事があるとだけ言われて逮捕され,カリティ刑務所において,なぜCUDを支援するのだと取調べを受けて殴られ,また,連邦警察から聞きたいことがあると言われ,別室に入れられて1人の人に強姦されたと供述し,また,強姦に関して4人の男に誘拐されたことがないかとの質問に対し,強姦されたのは1人であると供述する。
ウ 前記2(2)ウのとおり,エチオピアではCUDの支持者が令状もなく逮捕されたと報告されていることからすると,一般に,CUDの支持者が令状もなく,逮捕の理由となる容疑について告げられずに逮捕されることがおよそ考えられないとまではいえないところ,原告は,本件難民認定申請の際から一貫して,2006年(平成18年)9月に逮捕されたと陳述ないし供述している。
しかし,前記(1)で検討したとおり,原告は,CUDの党員ではなく,2005年(平成17年)6月のデモに参加したとも認められず,それほど活発な政治活動をしていたとはいえないことからすれば,エチオピア政府から特に注目されていたとは認められない上,後記(3)で検討するとおり,原告は,2008年(平成20年)5月,旅券を取得しているところ,政治活動を理由に逮捕されたことがあるのであれば,旅券を取得するのが困難になるとも考えられるのに,そのような事情もうかがわれない。
また,証拠(乙4)によれば,原告は,本件難民認定申請に際し,逮捕後に保釈された際の書類を提出する旨の記載をしたものの,その後,同書類を提出していないのであって,そもそも,逮捕ないし保釈に関する原告の上記主張を裏付ける客観的な証拠は存在しない。そして,証拠(乙5,9)によれば,平成22年4月27日にされた難民調査官による調査に際しての供述調書には,原告の父に保釈の書類を送ってくれるように頼んだが,原告の父は,原告に「出頭命令書」が出された後,警察が原告を捜しに来た際にどこかに隠し,見つかっていないと述べた旨記載されていること,原告は,本件不認定処分に対する異議申立てに際し提出した陳述書には,原告の家族は,原告関係の証拠は捨てて一部は隠したと記載したことが認められるところ,上記のとおり,原告が,本邦に上陸してから1週間後に本件難民認定申請をした際,保釈の書類を提出するとしていたことからすれば,すぐに原告の家族に連絡を取り,同書類を送ってくれるよう頼むものと考えられ,その時点では原告の主張を前提とすると原告に「出頭命令書」が出されてから1か月も経過していないのであり,原告の家族が同書類の隠し場所を忘れるとは考え難いことからすると,同書類を提出できないことについて,合理的な説明がされているとはいえない。
そして,強姦された人間は軽蔑されるため,当初は逮捕中に刑務所において強姦されたことを言えなかったとの原告の説明自体は不合理ということはできないが,その後,原告は,強姦された人数はともかく,強姦に至る経緯として,4人に誘拐ないし連行されたとしていたのに,本人尋問においては,4人に誘拐された旨を供述しておらず,その供述の変遷が合理的であるとはいえない。
エ 以上のとおり,原告はその政治活動のためエチオピア政府から特に注目される存在ではなかったところ,原告の主張を裏付ける客観的な証拠はなく,原告の陳述ないし供述は,逮捕中に強姦されたことを認めるようになって以降も,強姦に至る経緯について合理的に説明することができない変遷があることなどからすると,2006年(平成18年)9月に逮捕され,刑務所において強姦されたとする原告の陳述ないし供述は信用することができないといわざるを得ず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(3)  原告に対する出頭命令及び原告の出国の経緯について
ア 原告は,女優の仕事を始め,映画の撮影のため日本に行くことになり,2008年(平成20年)8月5日,旅券を取得し,同年9月5日,日本国領事館等による査証を受けたところ,同月17日,警察官が原告の家族に原告宛ての出頭命令書を手渡したため,叔母の家に隠れ,同月30日,エチオピアを出国し,同年10月1日,本邦に上陸したと主張する。
イ 証拠(乙4,5,9)によれば,原告は,本件難民認定申請に際して記載した申請書には,連邦警察から,逮捕された件に関してもう一度調査しなければならないとして出頭命令書が届けられたと記載したこと,平成22年4月27日にされた難民調査官による調査に際し,逮捕された後,釈放されてからは,CUD支援の活動をしていなかったところ,来日の12日前に出頭命令が出され,当初は大きな問題ではないと思っていたが,来日してから家族に電話して,捜されていると聞き,大変だと思ったと供述したこと,本件不認定処分に対する異議申立てに際して提出した陳述書には,エチオピアの警察が原告の家に出頭命令書を持ってきたため,原告は身を守るために家を変えたところ,秘密警察は,2回,原告の家に来て,原告の家族に原告の居場所を言わなければ逮捕すると脅したと記載したことが認められる。
ウ 前記2(2)で認定したとおり,エチオピアにおいては,2007年(平成19年)7月に,反対派の指導者らは恩赦により釈放されており,同年12月から2008年(平成20年)にかけて,CUDの党員や支持者が警察等に逮捕されるなどしたという報告がされているものの,同年3月時点では,約150人の野党国会議員が議席を維持しているという情勢であった。そして,こうした事情に加え,前記(1),(2)のとおり,原告が2005年(平成17年)の国政選挙の頃から活発な政治活動をしてきたとも,2006年(平成18年)9月に逮捕されたことがあるとも認められない上,原告は,2006年(平成18年)9月に逮捕された後,釈放されてからも地区で集まって国の問題について話合いをしていたとの供述(原告本人)をするに至っているものの,これを前提としてもそれほど活発な政治活動をしていたと評価することはできないこと,さらには,原告は2008年(平成20年)8月5日にエチオピア政府から自己名義旅券の発給を受けて,同年9月30日に正規の出国手続を経てエチオピアから支障なく出国していること(乙2,5)に照らすと,同年9月時点で,原告に対して「出頭命令書」が出されたと直ちには考え難い。
また,証拠(乙4)によれば,原告は,本件難民認定申請に際し,上記出頭命令書を提出する旨の記載をしたものの,その後,同出頭命令書を提出していないのであって,そもそも,同出頭命令に関する原告の主張を裏付ける客観的な証拠は存在しない。そして,前記(2)ウで逮捕後の保釈に関する書類について説示したのと同様に,出頭命令書を提出できないことについて,合理的な説明がされているとはいえない。
さらに,原告は,出頭命令書が届き,非常に怖く思って他の地域に逃げ,そこに暮らしていたところ,本邦に上陸した後,エチオピアの家族に電話して,警察が原告のことを捜していると聞いて,本件難民認定申請をすることとしたと供述するが,出頭命令書が出ているのであれば,エチオピアを出国するのが難しくなるとも考えられるのに,前記のとおり,原告は正規の手続を経て支障なくエチオピアを出国している。
これに加えて,原告において,出頭命令書を出されたため,怖いと思って逃げたというのであれば,平成20年10月1日に本邦に上陸した後,直ちに難民である旨の認定に係る申請をすることも考えられるのに,同申請をしたのは,家族に連絡してなお警察が捜しているという事情を知った後の同月8日というのである。
エ 以上のとおり,エチオピアの一般情勢や原告本人の供述する政治活動を前提としたとき,原告に2008年(平成20年)9月時点で出頭命令書が出されるとは考え難いことに加え,出頭命令書が出されたことを裏付ける客観的な証拠はなく,かえって原告が正規の手続を経て支障なくエチオピアを出国したことなどからすると,出頭命令書が出されたという原告本人の陳述ないし供述は信用することができないといわざるを得ず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(4)  原告の本邦上陸後の活動について
原告は,本邦において,SMNEのメンバーとして活動しており,平成23年12月7日,在日エチオピア大使館周辺で行われたエチオピアの民主化を求めるデモにも参加したなどと主張する。
証拠(甲3,乙11~13,原告本人)によれば,SMNEは,カナダ在住のエチオピア人,Cが主催する団体であり,本邦に支部はなく,本邦においては,難民である旨の認定に係る申請をしているエチオピア人の待遇の改善を図ることを目的として活動していること,原告は,SMNEにおいて何らの役職にも就いておらず,ホームページに写真は掲載されておらず,氏名も確認できないことが認められる。
このようなSMNEの活動状況や,原告のSMNEにおける地位等からすれば,原告がSMNEのメンバーであることをもって,原告が迫害を受けるとは考え難い。
また,原告が,在日エチオピア大使館周辺で行われたデモに参加したという点についても,そもそも本件不認定処分後のことであるし,同デモに参加したことにより,原告がエチオピア政府から関心を抱かれたと認めるに足りる証拠もない。
そうすると,原告の本邦上陸後の活動によって,原告の難民該当性が基礎付けられるとはいえない。
(5)  以上のとおり,原告は,これまで活発な政治活動をしたとは評価できず,2005年(平成17年)6月のデモに参加し,暴行を受けて傷害を負ったこと,2006年(平成18年)9月に逮捕されてカリティ刑務所に拘束され,強姦されたこと,2008年(平成20年)9月,原告に対して出頭命令書が出されたことは,いずれも認められないというほかなく,原告の本邦上陸後の活動についても,これを理由に原告が迫害を受けることになるような活動であるとはいえない。
したがって,原告について,迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するとは認められず,原告を難民と認めることはできない。
4  以上の検討によれば,本件不認定処分の当時,原告が難民に該当したとは認められないから,本件不認定処分に原告の難民該当性の判断を誤った違法はなく,本件不認定処分は適法である。
第4  結論
よって,原告の請求は,理由がないから,これを棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 舘内比佐志 裁判官 荒谷謙介 裁判官 宮端謙一)

 

別紙
指定代理人目録〈省略〉

 

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