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政治と選挙Q&A「政党 衆議院議員 ポスター」に関する裁判例(37)平成 7年 3月 7日 最高裁第三小法廷 平元(オ)762号 損害賠償請求事件 〔泉佐野市民会館使用不許可に対する損害賠償請求訴訟・上告審〕

政治と選挙Q&A「政党 衆議院議員 ポスター」に関する裁判例(37)平成 7年 3月 7日 最高裁第三小法廷 平元(オ)762号 損害賠償請求事件 〔泉佐野市民会館使用不許可に対する損害賠償請求訴訟・上告審〕

裁判年月日  平成 7年 3月 7日  裁判所名  最高裁第三小法廷  裁判区分  判決
事件番号  平元(オ)762号
事件名  損害賠償請求事件 〔泉佐野市民会館使用不許可に対する損害賠償請求訴訟・上告審〕
裁判結果  棄却  文献番号  1995WLJPCA03070001

要旨
◆公の施設である市民会館の使用を許可してはならない事由として市立泉佐野市民会館条例(昭和三八年泉佐野市条例第二七号)七条一号の定める「公の秩序をみだすおそれがある場合」の意義と憲法二一条、地方自治法二四四条
◆「関西新空港反対全国総決起集会」開催のための市民会館の使用許可の申請に対し市立泉佐野市民会館条例(昭和三八年泉佐野市条例第二七号)七条一号が使用を許可してはならない事由として定める「公の秩序をみだすおそれがある場合」に当たるとして不許可とした処分が憲法二一条、地方自治法二四四条に違反しないとされた事例
◆公の施設である市民会館の使用を許可してはならない事由として市立泉佐野市民会館条例(昭和三八年泉佐野市条例第二七号)七条一号の定める「公の秩序をみだすおそれがある場合」とは、右会館における集会の自由を保障することの重要性よりも、右会館で集会が開かれることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合をいうものと限定して解すべきであり、その危険性の程度としては、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要であり、そう解する限り、このような規制は、憲法二一条、地方自治法二四四条に違反しない。(補足意見がある。)
◆「全関西実行委員会」による「関西新空港反対全国総決起集会」開催のための市民会館の使用許可の申請に対し、市立泉佐野市民会館条例(昭和三八年泉佐野市条例第二七号)七条一号が使用を許可してはならない事由として定める「公の秩序をみだすおそれがある場合」に当たるとして不許可とした処分は、当時、右集会の実質上の主催者と目されるグループが、関西新空港の建設に反対して違法な実力行使を繰り返し、対立する他のグループと暴力による抗争を続けてきており、右集会が右会館で開かれたならば、右会館内又はその付近の路上等においてグループ間で暴力の行使を伴う衝突が起こるなどの事態が生じ、その結果、右会館の職員、通行人、付近住民等の生命、身体又は財産が侵害される事態を生ずることが客観的事実によって具体的に明らかに予見されたという判示の事情の下においては、憲法二一条、地方自治法二四四条に違反しない。(補足意見がある。)

新判例体系
公法編 > 憲法 > 憲法〔昭和二一年一一… > 第三章 国民の権利及… > 第二一条 > ○表現の自由 > (四)法令の合憲性 > E その他
◆公の施設である市民会館の使用を許可してはならない事由として市立泉佐野市民会館条例(昭和三八年泉佐野市条例第二七号)第七条第一号の定める「公の秩序をみだすおそれがある場合」とは、右会館における集会の自由を保障することの重要性よりも、右会館で集会が開かれることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合をいうものと限定して解すべきであり、その危険性の程度としては、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要であり、そう解する限り、このような規制は、憲法第二一条に違反しない。

公法編 > 組織法 > 地方自治法〔昭和二二… > 第二編 普通地方公共… > 第一〇章 公の施設 > 第二四四条 > ○公の施設 > (三)施設の利用拒否 > A 利用拒否の要件
◆公の施設である市民会館の使用を許可してはならない事由として市立泉佐野市民会館条例(昭和三八年泉佐野市条例第二七号)第七条第一号の定める「公の秩序をみだすおそれがある場合」とは、右会館における集会の自由を保障することの重要性よりも、右会館で集会が開かれることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合をいうものと限定して解すべきであり、その危険性の程度としては、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要であり、そう解する限り、このような規制は、憲法第二一条、地方自治法第二四四条に違反しない。

 

裁判経過
控訴審 平成元年 1月25日 大阪高裁 判決 昭60(ネ)1727号 損害賠償請求事件
第一審 昭和60年 8月14日 大阪地裁 判決 昭59(ワ)4823号 損害賠償請求事件

出典
民集 49巻3号687頁
裁時 1142号3頁
判タ 876号84頁
判時 1525号34頁
判例地方自治 140号41頁

評釈
近藤崇晴・最高裁判所判例解説 民事篇(平成7年度) 282頁
近藤崇晴・判解12事件・曹時 47巻9号305頁
近藤崇晴・ジュリ 1069号82頁
藤井俊夫・ジュリ臨増 1091号16頁(平7重判解)
紙谷雅子・判評 442号21頁(判時1543号215頁)
木下智史・判時 2408号23頁
金澤孝・ジュリ別冊 245号175頁(憲法判例百選Ⅰ 第7版)
川岸令和・ジュリ別冊 217号182頁(憲法判例百選Ⅰ 第6版)
川岸令和・ジュリ別冊 186号178頁(憲法判例百選Ⅰ 第5版)
川岸令和・ジュリ別冊 154号174頁(憲法判例百選Ⅰ 第4版)
近藤崇晴・ジュリ増刊(最高裁時の判例1) 28頁
藤田達朗・民商 115巻1号17頁
佐々木善三・研修 608号61頁
関哲夫・ひろば 48巻8号66頁
上田健介・法時 91巻5号58頁
蟻川恒正・法教 417号85頁
亘理格・法教 339号37頁
米沢広一・法教 247号24頁
小高剛・法教 180号102頁
井上典之・法教別冊 186号13頁(付録・判例セレクト1995)
田川直之・行政関係判例解説 平成7年 108頁
田中舘照橘・法令解説資料総覧 162号102頁
青山武憲・法令ニュース 573号53頁
井上典之・法セ 619号66頁
塚田哲之・法セ 510号30頁
浅利祐一・法セ 488号75頁
日本評論社・法時 67巻8号101頁
中林暁生・法時 80巻6号55頁

参照条文
条例
地方自治法244条
日本国憲法21条

裁判年月日  平成 7年 3月 7日  裁判所名  最高裁第三小法廷  裁判区分  判決
事件番号  平元(オ)762号
事件名  損害賠償請求事件 〔泉佐野市民会館使用不許可に対する損害賠償請求訴訟・上告審〕
裁判結果  棄却  文献番号  1995WLJPCA03070001

上告人 森田恒一
同 山本善偉
同 加辺永吉
同 中島昭八
同 戸次公正
同 国賀祥司
同 永井満
右七名訴訟代理人弁護士 大野康平
北本修二
大石一二
佐々木哲蔵
仲田隆明
浦功
大野町子
後藤貞人
石川寛俊
三上陸
竹岡富美男
横井貞夫
中道武美
梶谷哲夫
黒田建一
信岡登紫子
永嶋靖久
泉裕二郎
森博行
池田直樹
福森亮二
小田幸児
被上告人 泉佐野市
右代表者市長 向江昇

 

主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。

理由
上告代理人大野康平、同北本修二、同大石一二、同佐々木哲蔵、同仲田隆明、同浦功、同大野町子、同後藤貞人、同石川寛俊、同三上陸、同竹岡富美男、同横井貞夫、同中道武美、同梶谷哲夫、同黒田建一、同信岡登紫子、同永嶋靖久、同泉裕二郎、同森博行、同池田直樹、同福森亮二、同小田幸児の上告理由について
一  原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
1  上告人らは、昭和五九年六月三日に市立泉佐野市民会館(以下「本件会館」という。)ホールで「関西新空港反対全国総決起集会」(以下「本件集会」という。)を開催することを企画し、同年四月二日、上告人国賀祥司が、泉佐野市長に対し、市立泉佐野市民会館条例(昭和三八年泉佐野市条例第二七号。以下「本件条例」という。)六条に基づき、使用団体名を「全関西実行委員会」として、右ホールの使用許可の申請をした(以下「本件申請」という。)。
2  本件会館は、被上告人が泉佐野市民の文化、教養の向上を図り、併せて集会等の用に供する目的で設置したものであり、南海電鉄泉佐野駅前ターミナルの一角にあって、付近は、道路を隔てて約二五〇店舗の商店街があり、市内最大の繁華街を形成している。本件会館ホールの定員は、八一六名(補助席を含めて一〇二八名)である。
3  本件申請の許否の専決権者である泉佐野市総務部長は、左記の理由により、本件集会のための本件会館の使用が、本件会館の使用を許可してはならない事由を定める本件条例七条のうち一号の「公の秩序をみだすおそれがある場合」及び三号の「その他会館の管理上支障があると認められる場合」に該当すると判断し、昭和五九年四月二三日、泉佐野市長の名で、本件申請を不許可とする処分(以下「本件不許可処分」という。)をした。
(一)  本件集会は、全関西実行委員会の名義で行うものとされているが、その実体はいわゆる中核派(全学連反戦青年委員会)が主催するものであり、中核派は、本件申請の直後である四月四日に後記の連続爆破事件を起こすなどした過激な活動組織であり、泉佐野商業連合会等の各種団体からいわゆる極左暴力集団に対しては本件会館を使用させないようにされたい旨の嘆願書や要望書も提出されていた。このような組織に本件会館を使用させることは、本件集会及びその前後のデモ行進などを通じて不測の事態を生ずることが憂慮され、かつ、その結果、本件会館周辺の住民の平穏な生活が脅かされるおそれがあって、公共の福祉に反する。
(二)  本件申請は、集会参加予定人員を三〇〇名としているが、本件集会は全国規模の集会であって右予定人員の信用性は疑わしく、本件会館ホールの定員との関係で問題がある。
(三)  本件申請をした上告人国賀は、後記のとり昭和五六年に関西新空港の説明会で混乱を引き起こしており、また、中核派は、従来から他の団体と対立抗争中で、昭和五八年には他の団体の主催する集会に乱入する事件を起こしているという状況からみて、本件集会にも対立団体が介入するなどして、本件会館のみならずその付近一帯が大混乱に陥るおそれがある。
4  本件集会に関連して、上告人らないし中核派については、次のような事実があった。
(一)(1)  本件集会の名義人である「全関西実行委員会」を構成する六団体は、関西新空港の建設に反対し、昭和五七年、五八年にも全国的規模の反対集会を大阪市内の扇町公園で平穏に開催するなどしてきた。
(2) 右六団体の一つで上告人国賀が運営委員である「泉佐野・新空港に反対する会」は、本件会館小会議室で過去に何度も講演等を開催してきた。
(3) 上告人永井満が代表者である「全関西実行委員会」は、反対集会を昭和五二年ころから大阪市内の中之島中央公会堂等で平穏に開催してきた。
(二)(1)  ところが、昭和五九年に至り、関西新空港につきいよいよ新会社が発足し、同年中にも工事に着手するような情勢になってくると、「全関西実行委員会」と密接な関係があり、本件集会について重要な地位を占める中核派は、関西新空港の建設を実力で阻止する闘争方針を打ち出し、デモ行進、集会等の合法的活動をするにとどまらず、例えば、① 昭和五九年三月一日、東京の新東京国際空港公団本部ビルに対し、付近の高速道路から火炎放射器様のもので火を噴き付け、② 同年四月四日、大阪市内の大阪科学技術センター(関西新空港対策室が所在)及び大阪府庁(企業局空港対策部が所在)に対し、時限発火装置による連続爆破や放火をして九人の負傷者を出すといった違法な実力行使について、自ら犯行声明を出すに至った。中核派は、特に右②の事件について、その機関紙『前進』において、「この戦闘は一五年余のたたかいをひきつぐ関西新空港粉砕闘争の本格的第一弾である。同時に三・一公団本社火炎攻撃、三・二五三里塚闘争の大高揚をひきつぎ、五・二〇―今秋二期決戦を切り開く巨弾である。」とした上、「四・四戦闘につづき五・二〇へ、そして、六・三関西新空港粉砕全国総決起へ進撃しよう。」と記載し、さらに、「肉迫攻撃を敵中枢に敢行したわが革命軍は、必要ならば百回でも二百回でもゲリラ攻撃を敢行し、新空港建設計画をズタズタにするであろう。」との決意を表明して、本件集会がこれらの事件の延長線上にある旨を強調している。
(2) 中核派は、本件不許可処分の日の前日である昭和五九年四月二二日、関西新空港反対闘争の一環として、泉佐野市臨海緑地から泉佐野駅前へのデモ行進を行ったが、「四・四ゲリラ闘争万才! 関西新空港実力阻止闘争 中核派」などと記載し、更に本件集会について「六・三大阪現地全国闘争へ!」と記載した横断幕を掲げるなどして、本件集会が右一連の闘争の大きな山場であることを明示し、参加者のほぼ全員がヘルメットにマスクという姿であり、その前後を警察官が警備するという状況であったため、これに不安を感じてシャッターを閉じる商店もあった。
(3) 上告人国賀は、中核派と活動を共にする活動家であり、昭和五六年八月に岸和田市市民会館で関西新空港の説明会が開催された際、壇上を占拠するなどして混乱を引き起こし、威力業務妨害罪により罰金刑に処せられたことがあった。また、右(2)のデモ行進の許可申請者兼責任者であり、自身もデモに参加してビラの配布活動等も行った。
(三)  中核派は、従来からいわゆる革マル派と内ゲバ殺人事件を起こすなど左翼運動の主導権をめぐって他のグループと対立抗争を続けてきたが、本件不許可処分のされた当時、次のように、他のグループとの対立抗争の緊張を高めていた。
(1) 昭和五八年七月一日、大阪市内の中之島中央公会堂でいわゆる第四インターの主催する三里塚闘争関西集会が開催された際、中核派が会場に乱入し、多数の負傷者や逮捕者を出した。
(2) 中核派は、同月一八日付けの機関紙『前進』において、「すべての第四インター分子は断罪と報復の対象である。絶対に等価以上の報復をたたきつけてやらなくてはならない。」と記述し、さらに、昭和五九年四月二日付けの同紙において、一〇年前に法政大学で中核派の同志が虐殺された事件の犯人が革マル派の者であることを報じて「革命的武装闘争」の中で「反革命カクマルをせん滅・一掃せよ!」と記述し、同月二三日付けの同紙において、「四・四戦闘の勝利は同時に、四―六月の三里塚二期、関西新空港闘争の大爆発の巨大な条件となっている。」とした上、「間断なき戦闘と戦略的エスカレーションの原則にのっとり革命的武装闘争をさらに発展させよ。この全過程を同時に脱落派、第四インター、日向派など、メンシェビキ、解党主義的腐敗分子、反革命との戦いで断固として主導権を堅持して戦い抜かなければならない。」と記述している。
5  上告人らは、本件会館の使用が許可されなかったため、会場を泉佐野市野出町の海浜に変更して本件集会を開催したところ、中核派の機関紙によれば二六〇〇名が結集したと報じられ、少なくとも約一〇〇〇名の参加があった。
二  原審は、右一の事実関係に基づき、次のように説示して、本件不許可処分が適法であるとした。(1) 中核派は、単に本件集会の一参加団体ないし支援団体というにとどまらず、本件集会の主体を成すか、そうでないとしても、本件集会の動向を左右し得る有力な団体として重要な地位を占めるものであった。(2) 本件集会が開催された場合、中核派と対立する団体がこれに介入するなどして、本件会館の内外に混乱が生ずることも多分に考えられる状況であった。(3) このような状況の下において、泉佐野市総務部長が、本件集会が開催されたならば、少なからぬ混乱が生じ、その結果、一般市民の生命、身体、財産に対する安全を侵害するおそれがある、すなわち公共の安全に対する明白かつ現在の危険があると判断し、本件条例七条一号の「公の秩序をみだすおそれがある場合」に当たるとしたことに責めるべき点はない。(4) また、本件集会の参加人員は、本件会館の定員をはるかに超える可能性が高かったから、本件条例七条三号の「その他会館の管理上支障があると認められる場合」にも当たる。
三  所論は、本件条例七条一号及び三号は、憲法二一条一項に違反し、無効であり、また、本件不許可処分は、同項の保障する集会の自由を侵害し、同条二項前段の禁止する検閲に当たり、地方自治法二四四条に違反すると主張するので、以下この点について判断する。
1  被上告人の設置した本件会館は、地方自治法二四四条にいう公の施設に当たるから、被上告人は、正当な理由がない限り、住民がこれを利用することを拒んではならず(同条二項)、また、住民の利用について不当な差別的取扱いをしてはならない(同条三項)。本件条例は、同法二四四条の二第一項に基づき、公の施設である本件会館の設置及び管理について定めるものであり、本件条例七条の各号は、その利用を拒否するために必要とされる右の正当な理由を具体化したものであると解される。
そして、地方自治法二四四条にいう普通地方公共団体の公の施設として、本件会館のように集会の用に供する施設が設けられている場合、住民は、その施設の設置目的に反しない限りその利用を原則的に認められることになるので、管理者が正当な理由なくその利用を拒否するときは、憲法の保障する集会の自由の不当な制限につながるおそれが生ずることになる。したがって、本件条例七条一号及び三号を解釈適用するに当たっては、本件会館の使用を拒否することによって憲法の保障する集会の自由を実質的に否定することにならないかどうかを検討すべきである。
2  このような観点からすると、集会の用に供される公共施設の管理者は、当該公共施設の種類に応じ、また、その規模、構造、設備等を勘案し、公共施設としての使命を十分達成せしめるよう適正にその管理権を行使すべきであって、これらの点からみて利用を不相当とする事由が認められないにもかかわらずその利用を拒否し得るのは、利用の希望が競合する場合のほかは、施設をその集会のために利用させることによって、他の基本的人権が侵害され、公共の福祉が損なわれる危険がある場合に限られるものというべきであり、このような場合には、その危険を回避し、防止するために、その施設における集会の開催が必要かつ合理的な範囲で制限を受けることがあるといわなければならない。そして、右の制限が必要かつ合理的なものとして肯認されるかどうかは、基本的には、基本的人権としての集会の自由の重要性と、当該集会が開かれることによって侵害されることのある他の基本的人権の内容や侵害の発生の危険性の程度等を較量して決せられるべきものである。本件条例七条による本件会館の使用の規制は、このような較量によって必要かつ合理的なものとして肯認される限りは、集会の自由を不当に侵害するものではなく、また、検閲に当たるものではなく、したがって、憲法二一条に違反するものではない。
以上のように解すべきことは、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和二七年(オ)第一一五〇号同二八年一二月二三日判決・民集七巻一三号一五六一頁、最高裁昭和五七年(行ツ)第一五六号同五九年一二月一二日判決・民集三八巻一二号一三〇八頁、最高裁昭和五六年(オ)第六〇九号同六一年六月一一日判決・民集四〇巻四号八七二頁、最高裁昭和六一年(行ツ)第一一号平成四年七月一日判決・民集四六巻五号四三七頁)の趣旨に徴して明らかである。
そして、このような較量をするに当たっては、集会の自由の制約は、基本的人権のうち精神的自由を制約するものであるから、経済的自由の制約における以上に厳格な基準の下にされなければならない(最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)。
3 本件条例七条一号は、「公の秩序をみだすおそれがある場合」を本件会館の使用を許可してはならない事由として規定しているが、同号は、広義の表現を採っているとはいえ、右のような趣旨からして、本件会館における集会の自由を保障することの重要性よりも、本件会館で集会が開かれることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合をいうものと限定して解すべきであり、その危険性の程度としては、前記各大法廷判決の趣旨によれば、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要であると解するのが相当である(最高裁昭和二六年(あ)第三一八八号同二九年一一月二四日大法廷判決・刑集八巻一一号一八六六頁参照)。そう解する限り、このような規制は、他の基本的人権に対する侵害を回避し、防止するために必要かつ合理的なものとして、憲法二一条に違反するものではなく、また、地方自治法二四四条に違反するものでもないというべきである。
そして、右事由の存在を肯認することができるのは、そのような事態の発生が許可権者の主観により予測されるだけではなく、客観的な事実に照らして具体的に明らかに予測される場合でなければならないことはいうまでもない。
なお、右の理由で本件条例七条一号に該当する事由があるとされる場合には、当然に同条三号の「その他会館の管理上支障があると認められる場合」にも該当するものと解するのが相当である。
四  以上を前提として、本件不許可処分の適否を検討する。
1  前記一の4の事実によれば、本件不許可処分のあった昭和五九年四月二三日の時点においては、本件集会の実質上の主催者と目される中核派は、関西新空港建設工事の着手を控えて、これを激しい実力行使によって阻止する闘争方針を採っており、現に同年三月、四月には、東京、大阪において、空港関係機関に対して爆破事件を起こして負傷者を出すなどし、六月三日に予定される本件集会をこれらの事件に引き続く関西新空港建設反対運動の山場としていたものであって、さらに、対立する他のグループとの対立緊張も一層増大していた。このような状況の下においては、それ以前において前記一の4(一)のように上告人らによる関西新空港建設反対のための集会が平穏に行われたこともあったことを考慮しても、右時点において本件集会が本件会館で開かれたならば、対立する他のグループがこれを阻止し、妨害するために本件会館に押しかけ、本件集会の主催者側も自らこれに積極的に対抗することにより、本件会館内又はその付近の路上等においてグループ間で暴力の行使を伴う衝突が起こるなどの事態が生じ、その結果、グループの構成員だけでなく、本件会館の職員、通行人、付近住民等の生命、身体又は財産が侵害されるという事態を生ずることが、客観的事実によって具体的に明らかに予見されたということができる。
2  もとより、普通地方公共団体が公の施設の使用の許否を決するに当たり、集会の目的や集会を主催する団体の性格そのものを理由として、使用を許可せず、あるいは不当に差別的に取り扱うことは許されない。しかしながら、本件において被上告人が上告人らに本件会館の使用を許可しなかったのが、上告人らの唱道する関西新空港建設反対という集会目的のためであると認める余地のないことは、前記一の4(一)(2)のとおり、被上告人が、過去に何度も、上告人国賀が運営委員である「泉佐野・新空港に反対する会」に対し、講演等のために本件会館小会議室を使用することを許可してきたことからも明らかである。また、本件集会が開かれることによって前示のような暴力の行使を伴う衝突が起こるなどの事態が生ずる明らかな差し迫った危険が予見される以上、本件会館の管理責任を負う被上告人がそのような事態を回避し、防止するための措置を採ることはやむを得ないところであって、本件不許可処分が本件会館の利用について上告人らを不当に差別的に取り扱ったものであるということはできない。それは、上告人らの言論の内容や団体の性格そのものによる差別ではなく、本件集会の実質上の主催者と目される中核派が当時激しい実力行使を繰り返し、対立する他のグループと抗争していたことから、その山場であるとされる本件集会には右の危険が伴うと認められることによる必要かつ合理的な制限であるということができる。
3  また、主催者が集会を平穏に行おうとしているのに、その集会の目的や主催者の思想、信条に反対する他のグループ等がこれを実力で阻止し、妨害しようとして紛争を起こすおそれがあることを理由に公の施設の利用を拒むことは、憲法二一条の趣旨に反するところである。しかしながら、本件集会の実質上の主催者と目される中核派は、関西新空港建設反対運動の主導権をめぐって他のグループと過激な対立抗争を続けており、他のグループの集会を攻撃して妨害し、更には人身に危害を加える事件も引き起こしていたのであって、これに対し他のグループから報復、襲撃を受ける危険があったことは前示のとおりであり、これを被上告人が警察に依頼するなどしてあらかじめ防止することは不可能に近かったといわなければならず、平穏な集会を行おうとしている者に対して一方的に実力による妨害がされる場合と同一に論ずることはできないのである。
4 このように、本件不許可処分は、本件集会の目的やその実質上の主催者と目される中核派という団体の性格そのものを理由とするものではなく、また、被上告人の主観的な判断による蓋然的な危険発生のおそれを理由とするものでもなく、中核派が、本件不許可処分のあった当時、関西新空港の建設に反対して違法な実力行使を繰り返し、対立する他のグループと暴力による抗争を続けてきたという客観的事実からみて、本件集会が本件会館で開かれたならば、本件会館内又はその付近の路上等においてグループ間で暴力の行使を伴う衝突が起こるなどの事態が生じ、その結果、グループの構成員だけでなく、本件会館の職員、通行人、付近住民等の生命、身体又は財産が侵害されるという事態を生ずることが、具体的に明らかに予見されることを理由とするものと認められる。
したがって、本件不許可処分が憲法二一条、地方自治法二四四条に違反するということはできない。
五  以上のとおりであるから、原審の判断は正当として是認することができ、その余の点を含め論旨はいずれも採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官園部逸夫の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官園部逸夫の補足意見は、次のとおりである。
一  一般に、公の施設は、本来住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設(地方自治法二四四条一項)であるから、住民による利用は原則として自由に行われるべきものであり、「正当な理由」がない限り利用を拒むことはできない(同条二項)。右の規定は、いずれも、住民の利用に関するものであるが、公の施設は、多くの場合、当該地方公共団体の住民に限らず広く一般の利用にも開放されているという実情があり、右の規定の趣旨は、一般の利用者にも適用されるものと解される。他方、公の施設は、地方公共団体の住民の公共用財産であるから、右財産の管理権者である地方公共団体の行政庁は、公の施設の使用について、住民・滞在者の利益(公益)を維持する必要があるか、あるいは、施設の保全上支障があると判断される場合には、公物管理の見地から、施設使用の条件につき十分な調整を図るとともに、最終的には、使用の不承認、承認の取消し、使用の停止を含む施設管理権の適正な行使に努めるべきである。
右の見地に立って本件をみると、会館の管理権者である市長(本件の場合、専決機関としての総務部長)が、本件不許可処分に当たって、「その他会館の管理上支障があると認められる場合」という要件を定めた本件条例七条三号を適用したことについては、法廷意見の挙示する原審の確定した事実関係の下では、総務部長の判断が不適切であったとはいえず、また、本件会館の使用に関する調整を行うことが期待できる状況でなかったことも認められる以上、右判断に裁量権の行使を誤った違法はないというべきである。
二  ところで、公の施設の利用を拒否できる「正当な理由」は、さきに述べた公の施設の一般的な性格から見て、専ら施設管理の観点から定めるべきものであることはいうまでもない。しかし、本件会館のような集会の用に供することを主な目的とする施設の管理規程については、その他の施設と異なり、単なる施設管理権の枠内では処理することができない問題が生ずる。
本件条例は会館が自ら実施する各種事業のほか、所定の集会に会館を供すること(同五条各号)、会館の使用については、市長の許可を要すること(同六条)、使用を不許可としなければならない要件(同七条各号)を定めている。右の要件の一つとして、七条一号(以下「本件規定」という。)に「公の秩序をみだすおそれがある場合」という要件があるが、これは、いわゆる行政法上の不確定な法概念であるから、平等原則、比例原則等解釈上適用すべき条理があるとはいえ、総務部長に対し、右要件の解釈適用についてかなり広範な行政裁量を認めるものといわなければならない。しかも、右の要件を適用して会館の使用の不許可処分をすることが、会館における集会を事実上禁止することになる場合は、たとい施設管理権の行使に由来するものであっても、実質的には、公の秩序維持を理由とする集会の禁止(いわゆる警察上の命令)と同じ効果をもたらす可能性がある。この種の会館の使用が、集会の自由ひいては表現の自由の保障に密接にかかわる可能性のある状況の下において、右要件により、広範な要件裁量の余地が認められ、かつ、本件条例のように右要件に当たると判断した場合は不許可処分をすることが義務付けられている場合は、条例の運用が、右の諸自由に対する公権力による恣意的な規制に至るおそれがないとはいえない。したがって、右要件の設定あるいは右要件の解釈については、憲法の定める集会の自由ひいては表現の自由の保障にかんがみ、特に周到な配慮が必要とされるのである。
本件条例は、公物管理条例であって、会館に関する公物管理権の行使について定めるのを本来の目的とするものであるから、公の施設の管理に関連するものであっても、地方公共の秩序の維持及び住民・滞在者の安全の保持のための規制に及ぶ場合は(地方自治法二条三項一号)、公物警察権行使のための組織・権限及び手続に関する法令(条例を含む。)に基づく適正な規制によるべきである。右の観点からすれば、本件条例七条一号は、「正当な理由」による公の施設利用拒否を規定する地方自治法二四四条二項の委任の範囲を超える疑いがないとはいえない(注)。
(注) 現に、自治省は、公の施設及び管理に関するモデル条例の中に置くことのできる規定として、「公益の維持管理上の必要及び施設保全に支障があると認められるときは、使用を承認しないことができる。」という例を示しており、本件規定のような明らかに警察許可に類する規制は認めていない。
三  私の見解は、以上のようなものであるところ、法廷意見の三は、本件規定について、極めて限定的な解釈を施している。私は右のような限定解釈により、本件規定を適用する局面が今後厳重に制限されることになるものと理解した上で、法廷意見の判断に与するものである。
(裁判長裁判官 大野正男 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

上告代理人大野康平、同北本修二、同大石一二、同佐々木哲蔵、同仲田隆明、同浦功、同大野町子、同後藤貞人、同石川寛俊、同三上陸、同竹岡富美男、同横井貞夫、同中道武美、同梶谷哲夫、同黒田建一、同信岡登紫子、同永嶋靖久、同泉裕二郎、同森博行、同池田直樹、同福森亮二、同小田幸児の上告理由
《もくじ》
はじめに
一 原判決の粗雑さ
二 本件事案の特徴点―屋内集会に対する事前抑制
三 上告の対象とする原判決の主要な判断内容
四 本件上告理由の骨子
五 省略表記についての断わり(凡例)
上告理由第一点 憲法第二一条の解釈適用の誤り
第一 表現の自由および集会の自由の意義
一 表現の自由の意義(一般)
1 表現の自由の民主主義過程における意義
2 表現の自由の個人主義的・自由主義的意義
3 表現の自由の現代的意義
4 表現の自由規制に対する合憲性判定基準概略
二 集会の自由の意義
1 集会の自由の意義と制約に対する合憲性判定基準概略
2 集会の自由の今日的意義
三 憲法の価値体系と反体制的団体の表現の自由
1 原判決の反体制的団体の表現の自由に対する誤り
2 「全関西実行委員会」=中核派とすることの経験則違反
3 反体制的集団と表現の自由
第二 原判決は、検閲の定義を誤っているとともに、検閲を容認するものであって、憲法第二一条第二項前段に違反する違憲な判決である
一 はじめに
二 検閲の定義
1 検閲の機能
2 最高裁は、検閲を次のように定義する
3 学説における検閲の定義
4 原判決の検閲の定義の誤り
5 原判決は、集会の内容そのものの事前審査を容認した
三 原判決は、本件において検閲を容認している
1 原判決は、被上告人の検閲行為をそのまま追認した
2 原判決の容認した集会の目的等の審査は、「時・場所・方法」にかんする調整範囲を明らかに逸脱している
3 「網羅性・一般性」の要件は不当であるが、これを容認するとしても原判決の判示は許されない
第三 憲法第二一条第一項についての解釈適用の誤り(主として屋内集会の事前抑制にかんする判断の違憲性)
一 事実関係の確認
二 原判決の判断
三 「市民会館における屋内集会」に対する規制の違憲性について
1 公共施設の設置目的と国民の利用権限
2 公共用物管理者の調整権限とその職責
3 敵対団体の妨害行為を理由とする使用拒否は主催団体の性格に基づく規制であり厳禁される
四 集会の「事前抑制」に該当し違憲である
1 憲法第二一条第一項と第二項の位置づけと最高裁大法廷判決
2 事前抑制の原則禁止にかんする学説の概要
3 名誉・プライバシー等にかんする事前抑制理論の判例検討
4 本件事案に近接した領域における最高裁判例(集団行進についての二つの公安条例判決)とその批判
5 「屋内集会に対する事前抑制」についての学説の検討
五 事前抑制を許すばあいの違憲審査規準について
1 表現の自由に対する事前抑制は原則的に禁止され、それじたい文面無効である
2 「必要最小限度」(LRA)の基準について
3 明確性(漠然性)の基準と過度の広汎さ故の無効基準について
4 利益衡量基準の問題性について
第四 事前抑制にかんする違憲判断の具体的事実
一 原判決の本件条例の合憲理由
二 原判決の集会の自由に対する無理解
三 原判決が本件不許可処分を是認したことは違憲というべきである
四 参加人員の調整について
第五 「明白かつ現在の危険」の理論を用いたことの誤りおよびその適用の誤り
一 原判決の「明白かつ現在の危険」の異様な用法とそのあるべき姿
二 破防法等にかんする判例における「明白かつ現在の危険」の理論
三 「明白かつ現在の危険」理論の問題点
上告理由第二点 判決に影響をおよぼすことの明らかな法令違背―原判決には地方自治法第二四四条の違反がある
第一 地方自治法第二四四条の趣旨
第二 本件条例七条は地方自治法に違反し無効である
第三 原判決の条例解釈の誤りについて
上告理由第三点 判決に影響をおよぼすことの明らかな経験則違背(集会参加人員にかんして)
第一 原判決の事実認定
第二 採証法則、経験則違背
第三 原判決の詭弁
第四 調整義務を怠ったうえ、全国的抗議の高まりにより増加した参加人員を上告人らの不利に採証することは許されない
上告理由第四点 民事訴訟法第三九五条一項六号の違反
第一 概説
第二 何についての「明白かつ現在の危険」か
第三 原判決の判断根拠と推論の欠落
はじめに
一 原判決の粗雑さ
「裁判所のこの点に関する審査は、正直いってたいへんお粗末である。『集会の自由は……最大限に尊重されなければならないことはいうまでもない。しかしながら』(傍点―引用者)として、管理目的上『合理的な』利用条件を定めた規定だから、本件条例は違憲ではない、と結論を急ぐのである。私は、この手の、『最大限尊重』を枕言にする『いうまでもない。しかしながら』の論法に三〇年以上もつき合ってきて、完全に食傷気味であり、『またか』とうんざりである。」――これは、本件の第一審判決が言渡された年(一九八五年)、「法学セミナー」の一二月号で奥平康弘教授が慨嘆された一節である。まさに然り。現実の秩序侵害のおそれのみではなく、秩序侵害行為を「助長するおそれ」があるばあいも、市民会館の使用を拒否しうるという結論を用意している判決が、かりにも「表現の自由の最大限尊重」をうたうことじたい、甚だおこがましいというべきである。むしろ、「表現の自由は国家権力=公共の福祉にとって危険千万なるこというまでもない。それゆえこの権利は最大限に抑制されるべきである。」というのが胸中の本音に近いのではないか。一審判決をみて、上告人らは一様にこのような憤りをおぼえたのである。
原判決(第二審判決)は、さすがにかような「粗野」ともいうべき判示は削除した。ところが今度は、おどろいたことに、まちがった部面で、かつ、まちがった意味あいで「明白かつ現在の危険」なるものを持ち出し、かくして一件落着とばかり控訴を棄却した。本件は、表現の自由にかんする憲法・法律・条例の解釈適用が中心的争点の一になっている事案であるから、「明白かつ現在の危険」という高度に憲法的な法概念に論及する以上、裁判所としてはこの点についての当事者の主張を事実摘示し、あるいはこれをしないまでもみぎ概念の基本的問題点を説示したうえで論理をすすめるべきが当然である。そして、この点について上告人らは原審における昭和六一年二月五日付準備書面において、「明白かつ現在の危険」は表現行為に対する事前抑制についての審査基準ではなく、事後処罰に際しての判断基準であることを指摘し(三〇頁)、かつ、会館使用につき事前抑制を加えることの原則禁止とその部面における厳格な審査基準についても明確に主張していたのであるが(二三〜二五頁)、原判決は、まず本件についてのみぎ法律主張を全く事実摘示しなかっただけでなく、それが基本的にいかなる位置づけと内容のものであるべきかについても一言の説明をもしないまま、いきなり「すなわち公共の安全に対する明白かつ現在の危険があると判断したことは、真に無理からぬもの」などと言いなしたのである。このようであるから、現時点までに積み重ねられ到達している表現の自由についての最高裁判所の理論水準にくらべ、原判決のそれは余りにも低レベルないし粗雑であると、上告人らは考えざるをえない。
二 本件事案の特徴点――屋内集会に対する事前抑制
本件事案は、これまでの判例史にてらし、最高裁判所が未だ判断を示したことのない「市民会館における屋内集会に対する事前抑制」についての憲法事例であるという点で、きわだった特徴を帯有している。本論で詳しくふれるが、下級審の判例で、公用物にかんする事例、あるいは公会堂の使用許可取消処分にかんする執行停止の事例などが散見されるが、市民会館の利用につき当初から不許可処分にした事例についての最高裁判所段階における内容判断は、見当らなかった。
ところで、地方公共団体における市民会館・公会堂などの設置条例において、「公の秩序をみだすおそれ」、ないし、「公の秩序又は風俗をみだすおそれ」があるばあいとか、「会館の管理上支障をきたす」ばあいには不許可とする例があることにつき、これに論及する憲法学者は、こぞって違憲ないし濃厚な違憲の疑いありとせられており、また、下級審判例(高裁判例を含む。)においてもこの部面における事前抑制が重大な憲法問題であり、許可処分の取消は不相当とするのが主潮である。したがって上告人らとしては、ぜひともこれらの点についての正しい憲法判断を、最高裁判所に期待せざるをえない次第である。
三 上告の対象とする原判決の主要な判断内容
本件上告理由の骨子は、つぎの四に記載するとおり第一点から第四点にまでわかれるが、ここで、上告人らが上告の対象とする原判決の判断内容の主要なものをとりまとめると、つぎのとおりである(各本論において再引用・追加補充をすることがある。)。原判決は、その理由説示において、型の如く、一部訂正・付加するほかは原判決(第一審判決)理由説示のとおりであるとの構成をとっているので、引用部分を丁数で特定することは不適切であるから、一・二審判決を一体として構成し、その内容を掲記することとする。
1 「地方公共団体が集会の用に供する目的で設置した公の施設については、設置者においてその設置目的を達成するため施設の維持、管理、利用関係の調整等、運営それ自体に本来内在する管理作用を有し、右管理権の行使として施設の利用条件を定める必要があるから、公の施設で集会を行おうとする者は、右利用条件が合理的なものである限りこれに服さなければならないのであり、集会の自由を理由に当然に施設利用の利益を享受できるものではない。」
2 「地方自治法二四四条二、三項も住民が公の施設を利用するにつき、地方公共団体は正当な理由のない限りこれを拒否できず、不当な差別的取扱をしてはならない旨定めているのであって、無制限に住民の利用権を保障するものではない。」
3 「本件条例は……七条一ないし三号で不許可とすべき場合を規定しているのであるが、右許可制そのものは公共財産たる本件会館の前示設置目的を効果的に達成すること及び適正な管理の必要から採られたものであって何ら不合理なものではないし、右七条一ないし三号の規定は地方自治法二四四条二項にいう正当な理由を具体化したものと解されるところ、右規定の文言がある程度抽象的であるのは事柄の性質上やむをえないところであり、その内容も本件会館の前記設置目的、構造、管理の必要等に照らして不合理、不必要であるとはいえず、またその趣旨も必ずしも不明確であるとはいえないから、本件条例をもって直ちに違憲、違法ということはできない。」
4 「本件条例七条一号にいう『公の秩序をみだすおそれがある場合』とは、他の人々の生命、身体、財産の安全を不当に侵害するおそれのある場合のことであるが、かかる事由によって基本的人権たる集会、表現の自由を制限できるのは、右公共の安全に対する明白かつ現在の危険が存在する場合に限ると解するのが相当である。」
5 「そして、かかる見地から本件不許可処分をみるに、前認定のとおり、中核派は、関西新空港反対闘争の一環として、本件不許可処分をなした昭和五九年四月二三日の直前の同月四日に、大阪科学技術センター及び大阪府庁において連続爆破事件を起し多数の負傷者を出すなど人の生命、身体、財産を侵害する違法な実力行使を行って一般市民に対して畏怖の念を抱かせているばかりではなく、本件集会は、かかる闘争の延長線上にあるものと位置付けていたこと、一方、前認定の中核派と控訴人国賀ないしは同永井及び同人らが主催する全関西実行委員会との関係、同控訴人ら及び同委員会の本件集会における位置、役割、本件集会の目的、中核派の闘争方針及び本件集会への対応、本件不許可処分前日の控訴人国賀が許可申請者となっていた関西新空港反対のデモ行進における中核派の役割及び行動等を総合すると、同派は、単に本件集会における一参加団体ないし支援団体というに止まらず、本件集会の主体をなすか、そうでないとしても本件集会の動向を左右し得る有力な団体として重要な地位を占めるものであったことは明らかである。
このような状況に加えて、前示のとおり、控訴人国賀は昭和五六年の集会において混乱を惹起したことがあること、中核派が他の団体と対立抗争中であることは公知の事実であり、同派が他の団体の主催する集会へ乱入する事件を起こしたことがあることからして、本件集会に同派と対立する団体が介入するなどして本件会館内外に混乱が生ずることも多分に考えられたこと、本件不許可処分前日の中核派も参加したデモ行進については、市民の間からも不安の声が挙がり、このような極左暴力集団に対しては、本件会館を貸さないようにとの要望等がなされていた。」
6 「このような状況の下において、控訴人らの集会、表現の自由を確保すべきこともさることながら、同時に、その市民の平穏な生活の保持につき、これを配慮すべき立場にもある被控訴人において、本件集会が開催されたならば、少なからぬ混乱が生じ、その結果、一般市民の生命、身体、財産に対する安全を侵害するおそれがあること、すなわち公共の安全に対する明白かつ現在の危険があると判断したことは、真に無理からぬものというべく、被控訴人市長から権限の委任を受けた総務部長において、本件集会につき、本件条例七条一号にいう『公の秩序をみだすおそれがある場合』に当ると判断し、その申請を不許可としたことについては、責むべき点はないものというべきである。」
7 「また、被控訴人が、申請者、その構成員、集会の目的等につき調査をすることは、右申請の許否を判断するに必要な範囲に止り、かつ、その方法が適法なものである限り、当然許されるものというべきであって、本件において被控訴人のした前示調査を違法なものと認めることはできないから、右調査が違法な検閲に該当するものと認めることもできない。」
8 「また、本件会館ホールの定員は補助席を含めても一〇二八名であり、定員を超える集会等については使用許可しない取扱いであったこと、本件申請上本件集会の参加予定人員は三〇〇名とされていたが、本件集会の趣旨、目的、態様及び昭和五八年の同旨の集会には一一〇〇名を超える参加があったことは前記認定のとおりであり、さらに控訴人らが本件不許可処分の執行停止申立事件(当庁昭和五九年行ク第四号)において、本件集会には約一〇〇〇名の参加が予定され、全関西実行委員会主催の集会にはこれまで一〇〇〇名から二〇〇〇名の参加があった旨主張していたものであってこれらを総合すると、本件集会の参加人員は三〇〇名程度にとどまらず、本件会館ホールの定員をはるかに超える可能性が高く(このことは、泉佐野市野出町海浜で実施された本件集会に約一〇〇〇名ないし二六〇〇名の参加があったことからも裏付けられる。)、控訴人国賀においてもこれを十分予想していたと推認できる。このような事態が本件会館の管理に支障を来たすことは明らかであり、本件条例七条三号に該当するというべきである。」
9 「なお、控訴人らは、本件集会の参加人員が本件会館の収容能力を超えるおそれがあるとするなら、主催者にこれを問い質しこれを調整することは可能であったのにこれをしないで本件不許可処分に及んだことは手続的にも不当であると主張するが、被控訴人の総務部長が収容能力の点から本件条例七条三号該当の有無を判断するに際しては、右集会に予想される参加人員と本件会館の収容能力の点を勘案すれば足り、参加人員を調整することまで要求されるものではないから、控訴人らの右主張は採用しない。」
四 本件上告理由の骨子
本件上告理由の内容はそれぞれ本論で詳記するとおりであるが、その骨子はつぎのとおりである。
1 上告理由の第一点は、「憲法第二一条の解釈適用の誤り」である。ここでは、
第一 表現の自由および集会の自由の意義
第二 原判決は、検閲の定義を誤っているとともに、検閲を容認するものであって、憲法第二一条第二項前段に違反する違憲な判決である
第三 憲法第二一条第一項についての解釈適用の誤り(主として屋内集会の事前抑制にかんする判断の違憲性)
第四 事前抑制にかんする違憲判断の具体的事実
第五 「明白かつ現在の危険」の理論を用いたことの誤りおよびその適用の誤り
の五点にわけて論ずる。
2 上告理由の第二点は、「判決に影響をおよぼすことの明らかな法令違背――原判決には地方自治法第二四四条の違反がある」である。ここでは、主として地方自治法二四四条と、これに関連して本件条例の解釈・適用につき、原判決の判断の誤りを論ずる。
3 上告理由の第三点は、「判決に影響をおよぼすことの明らかな経験則違背(集会参加人員にかんして)」である。ここでは、主として本件市民会館ホールの収容人員と上告人らが予定していた集会参加者の人数との関係について、原判決が著しく採証法則ないし経験則に違背した判断を示していることを指摘し、これが明らかに判決に影響をおよぼしているゆえんを明らかにする。
4 上告理由の第四点は、「民事訴訟第三九五条一項六号の違反」である。ここでは、前期上告理由第一点の第五の論点とは別に、原判決にはさらに、自らの認定事実を前提として「明白かつ現在の危険」の存在を結論する論理の過程において、理由不備ないし理由齟齬の違法があること、すなわち原判決認定の中核派の違法な実力行動・本件集会における中核派の地位役割など五項目の事実がいずれもそのまま存在するとしても、そのことから、本件集会の開催によって公共の安全に対する「明白かつ現在の危険」が生ずるとする推論部分については何の検証も加えられておらず、そこに推論の重大な欠落が存することを論ずるものである。
五 省略表記についての断わり(凡例)
本上告理由書の執筆上の省略表記としては、原判決の例にそろえ、つぎのように統一することとする。
「関西新空港反対全国総決起集会」→「本件集会」
「市立泉佐野市民会館」→「本件会館」
「市立泉佐野市民会館条例」→「本件条例」
「本件会館の使用許可申請」→「本件申請」
「本件申請を不許可とする旨の処分」→「本件不許可処分」
「三里塚決戦勝利百万人動員全関西実行委員会」→「全関西実行委員会」
「上告人国賀祥司」→上告人国賀
上告理由第一点 憲法第二一条の解釈適用の誤り
第一 表現の自由および集会の自由の意義
一 表現の自由の意義(一般)
1 表現の自由の民主主義過程における意義
(一) 憲法二一条一項は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」と規定する。右規定は、「人の最も貴重な権利の一つ」(フランス人権宣言一一条)として「人類の多年にわたる自由獲得の努力」(憲法九七条)の結果、勝ち取られたもので、その人類史的意義を正確に認識することがまず重要である。とりわけ我が国においては、明治憲法二九条で「言論著作印行集会及結社ノ自由」が保障されていたものの、それは「法律ノ範囲内」における自由にすぎなかったため、「集会及政社法」(明治二三年、二六年)、「治安警察法」(同三三年)、「出版法」(同二六年)、「新聞紙法」(同四二年)、「治安維持法」(大正一四年)、「不穏文書取締法」(昭和一一年)、「新聞紙等掲載制限令」(同一六年)、「言論・出版・集会・結社等臨時取締法」(同年)等により反政府的言論、集会、団体の表現がほとんど封殺され、その結果、日本人民の健全な批判精神は窒息状態となり、「万世一系」の天皇の下アジアに対する侵略戦争への道へとつき進んでいったことを忘れてはならない。即ち、かかる歴史の反省のうえにたって憲法二一条は規定されたものであり、「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信」(憲法前文)じて、かかる規範を民主主義政治によって現実的・実際的に実効あらしめるものとして同条を位置付けたものと解されるものである。即ち、国家権力の専制、腐敗を排し、真に国政が民意を反映した国民主権原理を実効あらしめるために表現の自由は必要不可欠の権利であるとの認識が存在するといえる。換言すれば、対外的には平和主義、対内的には民主主義の実現を図る基礎として表現の自由が位置付けられるのである。
このように、表現の自由はとりわけ民主主義政治の過程において必要不可欠である。国民主権原理にたつ民主主義政治にとって、主権者たる国民が自由に意見を表明し討論することはアルファーでありオメガである。
(二) ところで国民主権の意義については憲法学説上争いのあるところであるが、国民主権は、まず、国家統治のあり方の把握にかかわる憲法を制定しかつ支える権威が国民にあることを意味する。のみならず、その憲法を前提に、国家の統治制度が国民の意思ないし権威を活かすよう組織されていなければならないが、それとともに、国の統治制度全般とりわけ国民の代表たる機関の組織と活動に民意が十分反映されているか否かを不断に問いうる回路を要請する。従って、国民主権の原理上右の統治制度とその活動のあり方を不断に監視し問うことを可能ならしめる公開討論の場が国民の間に確保されなければならないのである。即ち、いわゆる知る権利を含む表現の自由は、民意を国政に反映させ、国民による政治を実現する手段であるという意味においても、公開討論の場を維持発展させ統治制度を不断に監視し問うという意味においても、国民主権と直結する側面を有している。
換言すれば「市民の、市民による、市民のための政府という命題が、たんなる空念仏に終わらないためには、政府を構成する代表者を市民が選挙する制度を設けるだけでは不十分である。市民が効果的な投票をおこなえるためには、適確にして十分な情報を有し、市民の間に討論の自由が確保されていなければならない。しかも、そのことは、たまたま選挙が近づいたときに必要なのでなく、日常、つねに必要なのである。そればかりではない。政府関係者は、市民の信託した事務を、市民のためにおこなっているのだから、公務につき市民からの批判や攻撃にさらされることを覚悟してかからねばならない」(奥平康弘「表現の自由とはなにか」中公新書四八頁)のである。
2 表現の自由の個人主義的・自由主義的意義
(一) かように表現の自由は民主主義政治の過程において必要不可欠な重要な意義を有する。のみならず「個人の自己実現」にとって、又、「思想の自由市場」にとって必要不可欠の価値を有する。即ち、前者については、精神的・知的な存在である人間にとって、言いたいことを言うというのは、その本性ともいうべきことであり、また、自己の精神的活動の所為を外部に表明し、あるいは人のそれを受けることによって、人格的な発展を遂げることができるとするものである。又、後者については、各人が自己の意見を自由に表明しあうことによって、それぞれ「真理」を発見することができるのであり、また、その結果として、社会全体としても、正しい結論に到達することができるとするものである。
(二) このような個人主義的・自由主義的観点からの意義の指摘は、例えば、いわゆる都条例事件判決(最高裁昭三五・七・二〇大法廷判決)における垂水克己裁判官の反対意見やいわゆる北方ジャーナル事件(最高裁昭六一・六・一一大法廷判決)における谷口正孝裁判官の意見の中にもみられるものである。即ち、垂水裁判官は「一人一人の人間から奪われてはならない、侵すことのできない基本的自由のうち表現の自由こそは最も大切なものの一つであるとする精神はわが憲法を一貫している。その精神は何か。一人一人の個性は尊い、誇り高い存在である。国民の各人は何が真理であり、善であるか、美であるかを宗教、信条、道徳、学問、世界・人生観の分野において、また社会、政治、経済、文化、芸術等あらゆる分野において、自由に考え、考えたところを自由に公表することができるとともに、自分の考えと異なる他人の考えを知ることができ、彼と互いに腕力ではなく活発自由な言論や芸術的表現の交換によって深思反省切磋琢磨するときは各人は各自の個性を開発成長洗練させ自己を完成し生き甲斐のある尊い一生を送ることができるのみならず、その総合的成果は次代への遺産となり全人類の進化に貢献することが大きいのである。法律や政治が言論統制をしないで表現の自由競争を認めるなら、遂には真理が勝ち、あるいは百花共に咲き実るであろう」と述べる。
また、谷口裁判官は、憲法二一条は「公的問題に関する討論や意思決定に必要・有益な情報の自由な流通、すなわち公権力による干渉を受けない意見の発表と情報授受の自由を保障し」、その保障は「活力ある民主政治の営為にとって必須の要素となるものであるから、憲法の定めた他の一般的諸権利の保護に対し、憲法上『優越的保障』を主張しうべき法益である」と指摘した上で、「自己検閲」、公的問題に関する討論に関連して次のように語る。「言論の内容が真実に反するものであり、意見の表明が……真実に反する事実に基づくものであっても、その提示と自由な討論は、かえってそれと矛盾する意見にその再考と再吟味を強い、その意見が支持されるべき理由についてのより深い意見形成とその意味のより十分な認識とをもたらすであろう。このような観点に立てば、誤った言論にも、自由な討論に有益なものとして積極的に是認しうる面があり、真実に反する言論にも、それを保護し、それを表現させる自由を保障する必要性・有用性のあることを肯定しなければならない」。
(三) このように表現の自由に関する個人主義的・自由主義的な意義、「それは何よりも、人間の認識や判断――いな人間そのもの――が不完全であり、つねに誤謬や偏見に陥りやすい事実から考えて、自由な討論の場を開いておかなければならない、という経験則を説いている点にある。自由な討論から『真理』が選択される保証はないが、討論なしに『真理』が啓示や権威などによって上から与えられることの禍害は、歴史的に無数の例証が示している。とりわけ権力による自由な討論の禁圧は、その支配の下に置かれる人々の人格や文化の伸張を妨げるだけでなく、社会を停滞させその弾力的な改造や進歩を不可能にし、誤謬の修正さえも困難にするであろう。この点で、意見の発表の禁圧は『人類の利益を奪いとることだ』といったJ・S・ミルの言葉は、決して誇張とはいいえない」(小林直樹「現代基本権の展開」岩波書店一〇四頁)のである。
以上述べた表現の自由の価値については、「民主主義の過程」における価値が最重要環であると解すべきであるが、しかし、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」(憲法一三条)のであるから、「自己実現」の価値および「思想の自由市場」の価値も強調されなければならない。
3 表現の自由の現代的意義
(一) つぎに、巨大マスメディアや政府が、情報を独占的に管理支配し、情報の流れが一方的なものにならざるを得ない現代社会の状況を鑑みるならば、表現の自由の意義に照らし、それだけ一層、市民の主体的、自主的表現の確保実現が重要となってくると言わなければならない。即ち、現代社会において一般市民は情報の「受け手」たらざるを得ず、政府ないし巨大マスメディアの流す情報の中に身を置かざるをえない。それ故、情報手段を有しない政府情報に批判的な市民は自らの見解を他者に広く伝え、市民レベルからの主体的な相互批判を通じた民意反映、統治制度の監視の回路を期待することは極めて困難という他ないことになる。その結果、一般市民は単なる選挙の際の没主体的な投票行為者としてしか現われることができず、被統治者たる地位に甘んじることを余儀なくされ、国政は民意から遊離した密室政治に堕するものであることは明らかであろう。即ち、一般市民が政府ないし巨大マスメディアの流す情報にのみ依拠し、一般市民の政府に対する批判的言論の回路、公開討論の場が保障されないとすれば、民意から遊離した政府の政策および統治機関の腐敗を招き民主政治は死滅するに至る。しかも、そのことは、政府ないしマスメディアの情報にしろ、それに対する批判的見解にしろ、誤謬や偏見に基づくものであった場合、それを修正ないし再吟味することを通じた人格の発展をも阻害し、従って、社会の進歩や改造をも困難にするものといえよう。かかる広く、深刻な民主制の危機を回避しようとすれば「市民は権力からの抑圧のみならず、社会的なタブーや妨害をも排除して、市民レベルで可能なかぎり自由に表現できる方法を考案し、実行していく必要」(小林前掲書一〇九頁)があるのであり、「それだけ一層、国民の『語る権利』と『知る権利』を日常の場で拡大していく必要」(小林前掲書一〇九頁)があるのである。判例も右の「語る権利」ないし「知る権利」に注目し、後者について「憲法二一条一項の規定は、表現の自由を保障している。そうして、各人が自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、その者が個人として自己の思想及び人格を形成、発展させ、社会生活の中にこれを反映させていく上において欠くことのできないものであり、民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめるためにも必要であって、このような情報等に接し、これを摂取する自由は、右規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところである(最高裁昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁参照)」(平元・三・八最高裁大法廷判決)とする。
(二) このように現代社会における市民的表現の自由とりわけ「知る権利」については判例も承認するところであるが、その場合、右市民的表現は政府批判的表現が多いであろう。「放っておけば、時の政府にとって好ましくない要求や叫びが市民の大衆的表現の形をとって現われる場合がむしろ多いとみてよい。それだけに、政府や支配層が、そうした市民的表現に神経を尖らせ、力による抑圧の誘惑に駆られるとしても、不思議ではない。国家権力と表現の自由との間の古典的な衝突が、今でも絶えず生ずるのは、このような場面である。したがってまた、表現の自由がとくに守られなければならないのも、――一見逆説的ながら――政治に関する市民の反体制的表現だということになろう。体制側にとって好ましい支持や迎合の表現ならば、どんなに専制的な政府でも、“完全な自由”を当然に与えるだろうから、およそ原理としての自由が問題になるのは、支配者が嫌悪するような『危険』思想の表現についてである」(小林前掲書一一〇頁)。
即ち、かかる政府に批判的言論ないし「危険」思想の表現の自由の確保こそ、活力ある民主制にとって不可欠であり、表現の自由の原理的問題であることが想起されねばならないのである。そうして現代の巨大マスメディアないし政府・公権力の情報独占、市民の表現の自由の確保の困難性という状況に照らして考えるならば、市民の積極的な表現活動の拡張の努力は多とすべきであり、一方、政府その他公権力は右努力に対し誠実に応えるべきことが要請されるのである。
4 表現の自由規制に対する合憲性判定基準概略
(一) 以上述べたように表現の自由は重要な価値を有し、立憲民主制の維持保全に必要不可欠の権利であるから人権カタログ上優越的地位を有すると解される。従って、右表現の自由を規制する場合についての合憲性の判定基準は厳格になされねばならない。即ち、表現の自由に対する規制については合憲性の推定が排除され、むしろ違憲性の推定原則が妥当する。この点の詳細は後に論ずるが、そこでは規制目的の正当性が厳密に問われなければならないことはもとより、規制の程度・手段が規制目的を達成する上で必要最小限度であるか否かが厳密に検討されなければならない。しかも、表現の自由に対する萎縮的効果に鑑みるならば規制する法律の文言の審査のみによって違憲判断がなされるべきとする「文面上無効の法理」が広く考察の対象とならなければならないと解される。
(二) まず、表現の自由の制限が、その目的において合憲とされるためには、政策的目的による制約は許されず、内在的制約の範囲内のもののみが許される。即ち、①他人の生命・身体・健康への侵害の防止、②他人の人間としての尊厳を傷つける行為等の防止、③他人の人権と衝突する場合の相互調整という目的のものであることが示されなければならない(浦部法穂〔樋口陽一他編「注釈日本国憲法上巻」〕青林書院新社四一七頁、四二三頁参照)。
(三) 次に規制の手段・方法の正当性については、その規制は「必要最小限度」でなければならない。この場合、まず、表現行為がなされるに先立ち公権力が何らかの方法で抑制すること、および実質的にこれと同視できるような影響を表現行為に及ぼす規制方法は原則として許されないとする「事前抑制の原則的禁止の法理」が妥当する。けだし、表現行為に対する事前抑制は、①情報が「市場」に出る前に、それを抑制するものであること、②手続上の保障や実際上の抑止効果において事後規制の場合に比べて問題が多いこと等からである(検閲はその中でも表現の抑止効果が最たるもので、絶対的禁止が帰結されるものである。)。これらの点については後に詳論する。また、憲法一三条により、およそ基本的人権の制約は最小限のものにとどまらなければならないが、表現の自由の優越的地位に鑑み、そして表現行為に対する萎縮的効果に鑑み、その制約が規制する文言から不明確でないか、過度に広汎にわたっていないか、ないしより制限的でない他の選択しうる手段が存在しないか否かが厳格に問われなければならない(「不明確故の無効の法理」、「過度の広汎性の法理」ないし「LRAの法理」。後に詳論する。尚、前二者につき一定の場合、文面無効の法理が適用されることにつき後述。)。しかもかかる審査にあたっては規制対象の言論が公的(政治的)言論か、私的言論か、ないし営利的言論か、非営利的言論か等についても厳しく吟味する必要があることはいうまでもない。
(四) 更に、右に述べたように目的審査、手段審査を実際になすには広範囲な立法事実の審査を不可避とするが、表現の自由の優越性は、一定の場合には、そのような複雑な事実を審査するまでもなく、法令を文面上無効とすべきことを要求する(浦部前掲書四三三〜四三八頁参照)。即ち、当該法令の文言が漠然不明確であって、どのような行為を規制しようとするものか、一義的に明らかでない場合、および、規制が過度に広汎であって本来制限すべきでない行為をも規制対象に含む結果となる場合である。これらの場合、どのような行為が規制対象となるのか「適正な告知」をなしえず、また恣意的な法適用を招く危険があり、表現の自由に萎縮的効果をもたらすからである。この点についても後に詳論する。
二 集会の自由の意義
1 集会の自由の意義と制約に対する合憲性判定基準概略
集会の自由とは「特定又は不特定の多数人が一定の場所において事実上集まる一時的集合体」の自由であり、一に述べた表現の自由とともに憲法二一条一項において保障されている。そこには何らの条件も附されておらず、我国憲法は集会の自由に対する強い決意を示すものである。従って、当然一で述べた表現の自由一般の意義および、合憲性の審査基準が基本的に妥当する。ただ集会の自由は、他の表現には代替せしめられない意見・情報の相互交換、情感上の相互作用、連帯感等独自の価値を担っているとともに、反面、道路・公園・公会堂その他公共施設の利用という側面からの内在的制約が存することが留意さるべきである。その場合、「規制には次の原則が基礎となっていなければならない。まず、集会の自由を優越させる規制方法がとられること、したがって、規制手段が必要最小限のものであり、事前の規制に至らない方法がとられること、次に、その規制目的が集会を主催する団体の傾向や集会の内容に向けられないこと、すなわち、規制目的が中立であること、さらに、規制立法は、規制権限を与える行政機関に対し、その権限を恣意的に行使させる裁量の余地を与えないこと、したがって、平等な規制がなされることが必要」(伊藤正己「憲法」弘文堂二八七頁)なのである。
2 集会の自由の今日的意義
(一) 前述したように今日情報の「受け手」たらざるを得ない一般市民にとって「語る権利」、「知る権利」が十全に保障されることは、国民の代表たる機関と組織の活動のあり方に十分に民意を反映させ、かつ、統治制度とその活動のあり方を不断に監視することにつき不可欠の要請である。このことは日常的に必要な事柄であり、まさに「集会の自由」は立憲民主主義過程の維持にとって不可欠であり、そこには参政権的要素をも認めることができるものである。ここに、巨大化・複雑化した社会における個人の活動範囲や基盤が縮小し、それを補充するものとしての集会のもつ意義ないし大衆民主主義社会に伴う大衆運動の有する意義の一つを見出すことが可能である。換言すれば、「いわゆる大衆にとっては、集会や集団示威運動といった集団の行動形態をとることが、自らの意見の表明、他者との意見交換、自己の思想形成のために最も有効な手段であるということができる。こうして、現代社会においては、集会・結社の自由が大衆の表現行為として重要視されねばならないのである。次に……民主主義の政治過程における少数派との関係で、集会・結社の自由の現代的意義を強調することができる。すなわち、現代の議会政は、国民の多様な意見をくみとり国の政策決定に反映させる機能に種々の欠陥を生じせしめており、ことに、政治的少数派にとっては、国の政治過程に参加する道がしばしば閉ざされたままとなっているのである。そこで、彼らにとっては、集会や結社という集団を形成し、それにより自らの意見を表明する手段をとらざるをえない。政府や社会の支配体制に対する少数派による批判を保障することは、民主政の維持・発展のための基本的要請であり、また、少数派個人の権利や利益を保障するという人権の基本的原理から生ずる要請でもある」(伊藤前掲書二八五頁)。
(二) しかも、前述の集会の独自の価値に鑑みると次の点も又、指摘できるであろう。即ち、情報の「受け手」と「送り手」が時間的・空間的に分離した現代社会において、情報の「受け手」であり、かつ、「送り手」であるということが著しく困難になっている。そのため情報の交換・コミュニケーションを通じた相互批判・自己批判の契機を踏まえて個々人が真に人格的自律の存在として主権者としての主体的判断に基づく政治的選択を為す機会が著しく狭められている。その結果、主権者とは選挙における単なる投票者という意味に堕してしまっているのが現状である。こうした中で、集会の自由、とりわけ屋内集会においては、情報の相互交換、コミュニケーションを通じて情感上の相互作用、連帯感を伴いながら、主権者として主体的判断を形成していくことが期待されるのである。集会に参加する、集会として表現することを通じて市民が日々統治過程に対する批判の目を養い、主権者として国政に自らの声を反映させ、又国政を監視していくための公開討論の場の確保・維持を実効あらしめることができるのである。加えて、集会においては情報の相互交換・コミュニケーションを通じた相互批判・自己批判という自由な討論の場ということが期待できることからすれば、集会参加者自身の誤謬や偏見の修正という契機も重要である。屋内という一定の閉じられた空間において、意見の表明、及びそれに対する批判ないし反対意見の表明が、相互に情感ないし連帯感を伴いながらなされることに鑑みると、より深い意見形成とその意味のより十分な認識とがもたらされるのであって、各人が各人の個性に従った個人の発展を期待できると考えられるのである。
(三) かような意義に照らすと、右集会が政府ないし地方公共団体の設置する場におけるものである場合、なおさら、その自由は一層保障されねばならない。けだし、右政府等公権力は国民の信託にこそその正当性の根拠が存するものであり、主権者が自らの主権の行使として集会を行っているのであるから、政府等はその声に真摯に耳を傾けなければならないのである。のみならず、市民において自らの見解を広く伝えることが困難であり、それだけ一層「語る権利」と「知る権利」を日常的に拡大していく必要がある現代社会の状況下では、右の場はまさに本来かかる者の為にこそ、その設置が予定されているからである。
本件で問題となった市立泉佐野市民会館は、地方自治法二四四条二、三項の「公の施設」にあたるが、右は表現の自由のための「公の広場」(Public forum)に該当する。「公の広場」の概念とは、表現の自由に関し場所的要素を憲法保障のなかにとり込んだ観念である。それは、一般市民が意見を表明し交換し形成しようとする場合、人が集まる場所を必要とし、または、ひとが集まっている場所への接近とその利用を不可欠とするが、表現の自由の意義に照らし、右自由の場所的な確保、利用を憲法保障の下に置こうとするものに他ならない。市民会館とはまさに会合、集会用の施設として公費をもって建てられたものであるから「公の広場」に該当するものであることは疑いをいれない。従って、「公の広場」である市民会館はその使用基準の適用(許否決定)において、市民の表現の自由に対し最大限の配慮を要求され、特定の者や集団を故なく拒んだ場合には、その者や集団の表現の自由を侵害したことになるのである。
三 憲法の価値体系と反体制的団体の表現の自由
1 原判決の反体制的団体の表現の自由に対する誤り
原判決は、後述するように本件主催団体「三里塚決戦勝利百万人動員全関西実行委員会」の主催する関西新空港反対全国総決起集会において、中核派が本件集会の主体をなすか、本件集会の動向を左右し得る有力な団体である旨の事実認識を示した上で控訴棄却の判決をしているものである。しかし、右判断については経験則に反するのみならず、中核派が存在それ自体許されるべきでないような非合法団体であり、かつ、その表現行為は許されないものであるかのような認識が底流として存在しているのではないかとの疑いを払拭できない。この点につき憲法の規範体系に照らし、若干主張しておきたい。
2 「全関西実行委員会」=中核派とすることの経験則違反
ところでまず事実認識の点についてである。原判決も正当に認定しているごとく、本件集会は「全関西実行委員会」らが主催したものであるが、「全関西実行委員会」は、「淡路国際空港淡路町反対期成同盟」、「関西新空港建設反対明石住民の会」、「新関西国際空港建設反対東灘区住民の会」「姫路いのちを守る会」の四団体が構成員となった団体である。また右五団体及び「泉佐野・新空港に反対する会」の六団体は関西新空港建設反対の立場から、昭和五七、五八年にも全国的規模の反対集会を平穏に開催してきていたものであり、「全関西実行委員会」は昭和五二年ころから年二回反対集会を平穏に開催してきたものである。それが、何故に同五九年の本件集会開催に至り、中核派が本件集会の主体をなすか、本件集会の動向を左右し得る有力な団体という事実認定に至るのであろうか。右認定の根拠として示されているのはわずかに「中核派と上告人国賀ないしは同永井及び同人らが主催する全関西実行委員会との関係、同上告人ら及び同委員会の本件集会における位置、役割、本件集会の目的、中核派の闘争方針及び本件集会への対応、本件不許可処分前日の上告人国賀が許可申請者となっていた関西新空港反対のデモ行進における中核派の役割及び行動等にすぎない。これを以て、中核派が本件集会の主体ないし動向を左右し得る有力団体というには根拠薄弱に過ぎ経験則に反することは明らかである。
3 反体制的集団と表現の自由
右経験則違反の問題もさることながら、より根本的な問題は「中核派は……一般市民に対して畏怖の念を抱かせている」違法な暴力集団であり、かかる中核派には集会の自由は保障する必要はないかのごとく判断している点である。仮に中核派が右のような存在であり、かつ、反体制的違法集団であったとしても、行為それ自体が違法でない限り、集会の自由を抑制することは憲法規範上許されない。かかる認識が誤りであることは多言を要しないであろう。
そもそも我国の憲法は相対主義的価値哲学に立脚しているものである。即ち、憲法は「国家の利害と同一化されたはずの国民自体内部の政治的・社会的闘争の契機を重くみて、国民全体の名において個人や少数者が不当に抑圧されないようにする趣旨から、国民主権はあくまで『自由のもたらす恵沢を確保』するためのものであることを強調しているものと解される」(佐藤幸治「憲法」青林書院新社六四頁)のである。そして、個人の尊厳を規定する憲法一三条以下詳細な人権カタログを規定するとともに権力分立や「法の支配」原理を採用している。個人の尊厳原理を宣明する憲法一三条は幸福追求の権利については国政の上で最大の尊重を必要とする旨規定する。「幸福の権利」ではなく「幸福追求の権利」と規定する趣旨は、「幸福の内容は各自の決定するところで、ただそれを追求する諸条件・手段を保障しようとする」(佐藤前掲書三一〇頁)ものであって、右諸条件・手段の確保につき国政の上で最大の尊重が図られなければならないとするのである。かかる趣旨から、公的事項に関する討議を通じた治者と被治者の同意の原理も導かれる。そして又、権力相互間の抑制・均衡システムとしての権力分立制を採用し、権力の濫用による個人の自由に対する侵害を可及的に防止しようと努めるとともに、専断支配を抑制し、公権力の恣意性をコントロールし、個人の権利を保障するために裁判所に「違憲立法審査権」を与え、「法の支配」原理を採用したものである。このことは、つまり、全体(国ないし公権力)が「自由」や「民主主義」を措定し、体現するという考え方を排し、人格的自律の存在たる個人を出発点とし、民主主義にしろ、国民主権にしろ、それは右人格的自律の存在たる個人の「自由」の全面開花を確保するためにこそ存在意義を有するとの認識にたつものといえる。そしてここでは、裁判所が人権保障機関としての重要な位置付けがなされていることが重要である。
しかも、我国の憲法は西ドイツの憲法と異なり、自由の否定者には自由を与えるべきではないという思想(いわゆる「闘う民主制」)の下「自由な民主的基本秩序」に反する政党を違憲として禁止する途など用意されていないということが想起されねばならない。「自由市場の真理選択の機能を確信しえないわれわれにとって、反人間的なファシズム等が“勝つかもしれない”可能性を認識しながら、“それでもなお表現の自由を無制約に許容せよというのか”という反問は、きわめて厳しい批判になる……。――これに対しても、……原理上“然り”と答えなければならないとおもう。その積極的な理由は、……主体的な人間と民主的な社会は表現の自由なしには存立しえないということにあるが、それに加えて“反民主的な表現は許されない”という原則が樹てられた場合、その拡大適用によって自由一般が失われる可能性も、否定しえないからである。更にまた、通常の状態では、重大な禍害を生ずるような『行動』――外部に明らさまに現われた破壊行為等――を取締れば、民主社会の擁護には事欠かないであろう。左右両翼のどんな思想でも、その表現には広い場を提供しておくことは、かえって民主体制の優越性を示すゆえんでもある」(小林前掲書一一二頁)。
中核派それ自体が存在を許されるべきでないような、非合法団体でないことは明らかであるが、仮に中核派が違法な暴力集団であったとしても、右のような相対主義的価値哲学に基づく価値観を憲法は有しているのであるから、その表現の自由は他の組織・他の市民と同じく保障されなければならないのはいうまでもない。
従って、問題は、中核派であるか否かではなく、個々の表現行為が許されるか、否かであり、前述した表現、集会の意義に照らし、厳格な合憲性の判断基準によって、制約が許されるか否かに存するのである。そして、後に詳論するとおり本件において本件市民会館の使用を拒否すべき正当な理由など存在しないのであり、中核派にも「集会を開き討論する自由が保障されるべきであるとすれば、それを実効あらしめるためには他の市民や集団と同じように、集会の場所の使用が認められなければならないのである」(奥平康弘「法学セミナー一九八五年一二月号」)。
第二 原判決は、検閲の定義を誤っているとともに、検閲を容認するものであって、憲法第二一条第二項前段に違反する違憲な判決である
一 はじめに
原判決は、「被控訴人が申請者、その構成員、集会の目的等につき調査することは、右申請の許否を判断するに必要な範囲に止り、かつ、その方法が適法なものである限り、当然許されるものというべきであって、本件において被控訴人のした前示調査を違法なものと認めることはできないから、右調査が検閲に該当するものと認めることもできない」と判示する。
しかし、原判決の右検閲に関する摘示は、従前の最高裁判例の検閲の定義と齟齬するのみならず、最高裁判例並びに学説等の検閲の定義に従えば、原判決は文字通り本件において検閲を容認したものであり、憲法二一条二項前段違反として破棄されるべきものである。
二 検閲の定義
1 検閲の機能
憲法二一条二項前段において、明文でもって検閲が禁止されているのは、言うまでもなくそれが表現の自由に対する規制として禁止されている事前抑制の典型的なものであり、その弊害が著しく大きいからである。
検閲は、一切の例外を許さず、絶対的に禁止される。
すなわち、当該規制が検閲に該当する要件を備えていれば、諸々の判断手続を経ることなく、直ちにその違憲性が確定されることになる。
従って、検閲概念の解釈について議論は多岐に分かれているが、いづれの概念を採用するにしても、原判決のごとき解釈は存在しない。
2 最高裁は、検閲を次のように定義する
「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきである。」とする(最大判昭和五九年一二月一二日民集三八巻一二号一三〇八頁)。
なお、右検閲の定義は税関検査に関する事件のものであるが、その後のいわゆる北方ジャーナル事件(最大判昭和六一年六月一一日民集四〇巻四号八七二頁)においても右定義は承継されている。
右最高裁の検閲の定義から明らかなごとく、検閲に関する論点に基づいて分析すれば、検閲の主体を行政権に限定し、検閲の対象物を「思想の内容」に限定せず、「思想の内容等の表現物」と広く解釈し、「事前」に「一定の表現物につき網羅的一般的に……その内容を審査」し「不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えているもの」が検閲に該当するという。
そして、右判例の中で、検閲の禁止が「公共の福祉」による制約を許さない絶対的なものであることも明らかにしている。
3 学説における検閲の定義
学説における種々の検閲の定義の中で、従来有力に主張されてきたものとして宮沢俊義博士の定義がある。
すなわち、検閲とは「公権力が外に発表されるべき思想の内容をあらかじめ審査し、不適当とみとめるときは、その発表を禁止すること、すなわち、事前審査を意味する」とされる。
しかし、右定義は、検閲の主体を「公権力」一般と広くとらえる点や、禁止されるべき検閲の対象物を「思想の内容」と限定されている点に問題があるとして、最近においては次のような定義が有力であると言われている。
検閲とは、「表現行為に先立ち行政権がその内容を事前に審査し、不適当と認める場合にその表現行為を禁止すること」を意味するとされている(佐藤幸治教授の見解)。
右検閲の定義からも明らかなごとく、検閲の対象物を「思想の内容」に限定せず「表現行為」一般と解するとともに、検閲は伝統的には出版物を対象としていたが、映画・放送等様々なコミュニケーション手段が発達した現代社会においては、出版物に限ることなく、より一般的に「具体的形式を欠く表現形態」すべてに及ぶと解されており、集会も検閲の対象物となりうるとする。
4 原判決の検閲の定義の誤り
最高裁及び学説のいづれの検閲の定義を採るにしろ、行政権が事前に「内容を審査」して、不適当とみとめる場合には、その表現行為を禁止するのが検閲であるなら、原判決の検閲の定義は誤っているものと言わざるを得ない。
すなわち、原判決は、「右申請の許否を判断するに必要な範囲に止まり、かつ、その方法が適法なものである限り」と調査の範囲・方法について限定を設けてはいるものの、「申請者、その構成員、集会の目的等につき調査することは、……当然許されるものというべきであって、……右調査が検閲に該当するものと認めることもできない」(傍点は上告代理人)と判示し、「集会の目的等」内容にかかわる調査を行政権が行う事を承認していながら、その調査が検閲に該当しないと原判決が判示する為には、原判決の検閲の定義には、「内容の審査」が要件になっていないものと思われる。
しかし、「内容の審査」を要件から除く検閲の定義は、いかなる学説・判例にもありえないのであるから、右原判決の検閲の定義は、最高裁の検閲の定義に違反しているだけでなく、そもそも検閲の定義として誤っているものである。
5 原判決は、集会の内容そのものの事前審査を容認した
なお、原判決が摘示する「集会の目的等」とは、単に「集会の目的」だけにとどまらず、まさに「集会の内容」そのものを意味していることは、被上告人の本件不許可処分の正当性を根拠づけている各事実の摘示からも明らかである。
原判決は、中核派が関西新空港反対闘争の一環として、昭和五九年四月四日に連続爆破(実際は放火に過ぎないが――上告代理人注)事件を起こして違法な実力行使を行い、本件集会をかかる闘争の延長線上にあるものと位置付けており、中核派は、本件集会の一参加団体に止まらず、その主体をなすか、または本件集会の動向を左右し得る有力な団体として重要な地位を占めるものであり、上告人国賀は、昭和五六年の集会において混乱を惹起したことがあるとして、本件集会に中核派と対立する団体が介入するなどして本件会館内外に混乱が生ずることも多分に考えられたとし、本件不許可処分前日の中核派も参加したデモ行進については、市民の間からも不安の声が挙がり、このような極左暴力集団に対しては本件会館を貸さないようにとの要望がなされていたと判示している。
すなわち、原判決は本件集会において、どのような団体・人物が参加し、それらの団体・人物がどのような行動を過去行い、かつ、それらの団体・人物が本件集会をどのように位置づけているか等を摘示し、それを受けて「被控訴人が、申請者、その構成員、集会の目的等について調査することは、……許される」としていることからすれば、「集会の目的等」が集会の内容そのものを意味することは明らかである。
三  原判決は、本件において検閲を容認している
1 原判決は、被上告人の検閲行為をそのまま追認した
原判決は、被上告人たる行政機関が、中核派の機関紙「前進」及び、宣伝ビラを収集調査し、申請人たる上告人国賀の経歴・活動歴・前科等を調べ、全関西実行委員会の組織実態及びその代表者上告人永井の、別の集会での発言内容を調べ、かつ中核派の集団示威行進の状況及び活動状況を昭和五九年四月二日から同月二三日までの約二〇日間にわたって調査・審査したうえ、第一に本件集会は、中核派が主催するものであると判断されるが、中核派は連続爆破(実際は放火―前出)事件を起こすなどの過激な活動組織であり、当時の社会的な情勢からして、本件集会及びその前後のデモ行進などを通じて不測の事態を生ずることが憂慮され、かつその結果、本件会館周辺の住民の平穏な生活が脅かされるおそれがあって、公共の福祉に反するものであること、第二に本件申請上の集会予定人員は三〇〇名となっているが、右予定人員の信憑性は疑わしく、本件会館ホールの定員との関係で問題があること、第三に原告国賀は昭和五六年に集会で混乱を惹起しており、また中核派は他の団体と対立抗争中で、本件集会においても対立団体が介入するなどして、本件会館のみならず、同会館付近一帯が大混乱に陥るおそれがあること等の事実から、本件条例七条一号及び三号に該当すると判断して、本件不許可処分をなしたと事実認定したうえ、被上告人が不許可処分をしたことについては、「責むべき点はない」と判示している。
被上告人の右行為は、明らかに集会の内容についての調査、審査であって検閲に該当する行為であるにもかかわらず、原判決は被上告人の右検閲行為を容認しているものであるから、他の点を考慮するまでもなく違憲無効とされるべきである。
2 原判決の容認した集会の目的等の審査は、「時・場所・方法」にかんする調整範囲を明らかに逸脱している
検閲の概念の、いづれの定義を採るとしても表現物の「内容の審査」が不可欠のものであるにしろ、「集会」の事前の抑制が、集会の内容に関するものではなく、もっぱらその物理的外形に着目してなされる、いわゆる「時・場所・方法」の規制にとどまる限りは、検閲の要件を満たすものではないと見るべきであろうとする見解がある(浜田純一・講座憲法訴訟第二巻二七六頁)。
これは、前述したごとく、集会という行為からくる特性上要求されるものであり、その特性に応じて先願者主義の原則に依って管理調整を行う為に、集会場所・時間等の物理的外形を届出させるなり又、調査して規制することは、検閲に該当しないという。
原判決が「申請者、その構成員」につき調査をすることは、その限りにおいて「右申請の許否を判断するに必要な範囲に止まり」当然許されるものであって、「検閲に該当するものと認めることもできない」と判示したことは、右見解を採る限り正しい。
しかし、原判決が摘示する「集会の目的等」の内容については、他の競合利用者との調整をはかるために斟酌すべき必要な事項ではないのであるから、絶対に許されるべきではなく、そもそも「右申請の許否を判断するに必要な範囲」だとして、右調査を行うこと自体、検閲行為に該当する事は明らかである。
3 「網羅性・一般性」の要件は不当であるが、これを容認するとしても原判決の判示は許されない
なお、最高裁は、検閲概念の一要素として、審査の「網羅性・一般性」の要件を掲げている。
この「網羅性・一般性」の要件の具体的内容は明らかではないが、ある学者は「計画性」を要件に入れていると解している(浜田純一・前掲二七八頁)。
しかし、主たる学説においては、検閲の概念に右要件を加味するものはないのであるから、最高裁が検閲概念に「網羅性・一般性」の要件を加味しているのは検閲の範囲を狭めることとなり不当であり、右「網羅性・一般性」の要件が認められたとしても、行政権による「事前の内容の審査」による表現禁止行為である限り、検閲に該当するものとして絶対的に禁止すべきである。
第三 憲法第二一条第一項についての解釈適用の誤り(主として屋内集会の事前抑制にかんする判断の違憲性)
一 事実関係の確認
1 本件集会の場所、使用許可のための申請、これに対する処分等について原判決が確定した事実は、つぎのとおりである。
(一) 上告人国賀は、一九八四年四月二日泉佐野市長に対し、本件条例六条に基づき、使用団体名を「全関西実行委員会」として、同年六月三日午前九時から午後四時三〇分まで、本件集会のため、本件会館ホールの使用許可を受けるべく本件申請をし、泉佐野市長はこれに対し同年四月二三日、本件条例七条一号および三号に該当するとの理由で本件不許可処分をした。
(二) 本件条例によれば、本件会館の使用については泉佐野市長の許可を要することとされ、また、同七条によれば市長が同条一号ないし三号、すなわち(一)公の秩序をみだすおそれがある場合、(二)建物、設備等を破損または汚損するおそれがある場合、(三)その他会館の管理上支障があると認められる場合のいずれかに該当すると認めた場合には、不許可とすべき旨規定されている。
2 以上の事実を要約すれば、本件事案の特徴点として、つぎの各点を指摘することができる。
(一) 本件条例は、市民会館の使用につき事前許可制を採るものであること。
(二) 泉佐野市長は本件会館の使用を本件条例七条一号および三号に該当するとして、不許可としたのであるところ、一号は「公の秩序をみだすおそれがある場合」と規定し、三号は「その他会館の管理上支障があると認められる場合」と規定し、いずれも広汎、抽象的、不明確かつあいまいな文言であること。
(三) 本件集会は、「関西新空港反対全国総決起集会」という名称から一見して明らかなとおり、公共の重要な問題にかんする政治的色彩の濃い集会であること。
(四) 本件集会が市民会館というほんらい市民が集会の用に使用することを主目的の一とする公共用物における屋内集会であること。
二 原判決の判断
一に記載した事実関係のもとで、原判決は、「はじめに」の三の1ないし4に記載した判断を示し、また5に記載した事実認定を経て、6および7のように判示し、さらに8および9の事実認識ならびに判断に到達しているが、以下にのべるとおり、これらの判断は憲法二一条第一項の解釈適用を誤まったものである。
三 「市民会館における屋内集会」に対する規制の違法性について
一の2でとりまとめた本件事案の特徴点は、大別すれば、①市民会館における屋内集会に対する規制であること、および、②その規制(許可制)が事前抑制に属すること、の二点に分れるものである。そこでまず、①の特徴点について論述し、ついで②の点について論及することとする。けだし、市民会館という公共用の施設内における集会に対する規制について最高裁判所が憲法上の判断を示した前例はいまだ存在せず、その意味で本件は一のきわだった特徴を帯有しているので、まずこの点の問題点から論ずるのが適当と思料するからである。
1 公共施設の設置目的と国民の利用権限
(一) 公物のうち、いわゆる公用物はいちおう別論として、公共用物は、ほんらい一般公衆の自由な使用に供することを目的として設計され設置されるものである。そして、そのなかでもとくに本件会館のような市民会館・公会堂の類は――公共団体が主催する行事に使用されることももちろんありうるが――一般市民・国民が各種の会合や集会・催し物等の会場として利用することを中心的な用法として設計・設置されるものであり、市民・国民にひろく開かれた施設であるところにその特色をもっている。
(二) このような公共用物の目的ないし性質にてらし、これを利用して集会をもとうとする者は、その管理者たる公権力に対し、公共施設の利用を請求できる権利を有するものと理解される。地方自治法が普通地方公共団体に公の施設の設置を義務づけ(地方自治法二四四条一項)、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない(同法同条二項)と定めているのは、この趣旨に基づくと考えられる(伊藤正己「憲法」《弘文堂、法律学講座双書》二八六頁)。もっとも、屋内集会のためにする施設利用請求権をみぎ地方自治法の規定を根拠に直接導き出しうるかについては全く疑問がないというわけではなく(伊藤前掲書もこれを明言せられるものとは即断しがたい。)、日本国憲法が明文をもって保障する集会の自由と公共用施設の前記ほんらいの目的・性質から当然に導かれるとする立論も成立しうると思料され、さらには、わざわざ施設利用請求権を論証するまでの必要はないとの考え方もありえよう(佐藤幸治編著「憲法Ⅱ・基本的人権」《成文堂、大学講義双書》二四三頁以下によれば、地方自治法二四四条一項にいう公の施設の設置義務は憲法二五条上の文化的環境権として要請される事柄であり、同二項にいう不当な利用拒否の禁止は平等利用の確保のためにとどまるものとされつつ、後述する別の論拠によって、利用拒否の違憲性を論定せられる。)。
(三) いずれにせよ、市民会館・公会堂などの公共用建物は、ひろく公共用物とされる諸施設(公園・道路などを含む。)のなかでもとくに市民・国民が集会等に利用することを中心的ないしほんらいの設置目的とするものであるから、その使用関係において公権力の規制をはたらかせることは、原則として許されない(許されるのはよほど例外的なばあいに限られる。)ということを、まず指摘しておくこととする。
2 公共用物管理者の調整権限とその職責
(一) ところで、公共用物の使用関係にかんする判例・学説を顧るに、かってアメリカの最高裁判所では、私人の所有権のばあいと同様に考えて、利用を拒絶ないし排除しうると判示したこともあるが(奥平康弘「表現の自由とはなにか」《中公新書》一七九頁)、わが最高裁判所はつとに「その利用が……公共の用に供せられる目的に副うものである限り、管理権者の単なる自由裁量に属するものではない」と判示し(最大判昭和二八・一二・二三、民集七巻一三号一五六一頁)、学説も、管理権者は公共施設の本来の機能を害するものでないかぎり、その使用を許可すべき義務を負い、法規裁量に属すると解する立場が一般的である、とされている(佐藤幸治編著前掲書二四五頁)。なおこの間、――公用物については原則的に集会の自由は通用しないとされるなかで――ひとくちに公用物といっても各種のものがあり、たとえば町立小学校を集会のために使用する申請不許可処分取消請求事件において広島地判(昭和五〇・一一・二五、判時八一七号六〇頁)は、他の場所で集会を行なうことが困難であり、当該使用により施設に物的支障が生じないなど、公用物のほんらい的利用目的・用途と抵触しないかぎりその使用を認める趣旨の判断を示している。
(二) 一方、公共用の施設であるからといって国民が全く無制限にこれを使用しうるものでないことはいうまでもなく、上告人らとしてもそのように主張するものではない。問題は、公共用物における集会の自由はどのような観点から制約されうるかである。この点については、屋内集会という行為の特性、すなわち一定の施設を多数のものが一時的に占有するという事態から論理必然的に導かれる限界が存在することを認めないわけにはいかない。つまり、同一施設を同一時間帯において異なる集団がともに占有することは物理的に不能であることから、公物管理者としては、①当該施設の競合利用の調整権限、および、②当該施設の通常の利用目的・用途と集会利用との調整権限を当然に付与されるとともに、この権限を適正に行使すべき義務をも負っていると解するのが相当である。したがって、たとえば、行政権が、集会に先立ってその主催者に、集会場所・時間・参加予定者数・主催者の氏名名称・連絡先などを届出させ、先願主義の原則に則りつつ、利用が競合するばあいは受理しないとか、開催時刻・時間帯・参加者数等を調整するなどは前記調整権限にとって必要な事項であり、かつ、当然の職務として実行すべき責務があるというべきである。
(三) そしてこのばあい、公共用物が集会に利用される結果若干の損傷等をこうむるとしても、管理権者はむしろ公物管理権の積極的作用としてこれを受認し修繕する義務を負うべきであり(東京地判昭和二九・四・二七、行集五巻四号九二二頁)、皇居外苑使用不許可事件における前掲最大判がせっかく管理者の単なる自由裁量を否定しながら「集会を許可すれば公園の管理保存に著しい支障を与え、また一般国民による公園の本来的利用が全く阻害される」との理由で厚生大臣の不許可処分を正当と判断したのは、公物に対する障害の除去という公物管理権の消極的作用の側面を強調しすぎたきらいがあるとの批判を免れないというべきである(佐藤幸治編著前掲書二四六頁)。なお、前掲最大判は皇居外苑の利用にかんする「許可」制についてのものではあるが、本件会館の集会使用とは異なり、あくまでも国民公園の利用にかんする許可不許可についての事例であり、厚生大臣の権限とされていない集会ないし示威運動についての許可不許可にかんするものではないことが、同判決においてとくに指摘されているものである(この点については、栗山裁判官のきわめて注目すべき少数意見――公共用物の使用許可のなかには往々にして警察許可を性質を帯有するものがあり、警察許可を課するには法律の規定をまたねばならないから、本件規則は違法である、等――が含まれているが、判例のいわゆる射程範囲という視点からすれば多数意見の立場にそくしてあくまでも公物管理上の使用許可に限定されたものであると理解される《奥平康弘「表現の自由Ⅲ」―政治的自由―《有斐閣》一六六頁参照》。)。
3 敵対団体の妨害行為を理由とする使用拒否は主催団体の性格に基づく規制であり厳禁される
公共用物ことに市民会館・公会堂などにおける集会については、以上にのべたとおりこの行為の特性に必然的に伴なう調整原理による以外これを規制することは許されないところであるが、このことを別言すれば、集会の主催団体の傾向などによってこれに規制を加えることは最も許し難いところであるということに帰着する。このことは、もともと集会一般についていえることであり(伊藤正己前掲書二八七頁)、実際には、ある団体が集会をもとうとするとき、その団体に敵対する別の団体等の妨害行為が生じ安全が保たれないことを理由に施設の利用が拒否されるばあいがあるが、それは、集会の内容や主催団体の性格に基づく規制にほかならず、集会の自由の保障の趣旨に反することが明らかである。かりに集会の申請が競合するばあいでも、中立の原則・平等の原則が貫徹されなければならない(同書二九〇頁参照)。原判決は、中小の集会には上告人らの会合についても差別なく使用を認めていたことを論拠に差別的取扱いはなかったかのようにいうが、こと本件集会じたいの判断に至っては主催者団体ないし中核派の言動・性向・敵対集団との抗争を正面から詳論して不許可の正当性を根拠づけようとしたものであり、論旨は誠に粗雑であるといわなければならない。
四 集会の「事前抑制」に該当し違憲である
1 憲法第二一条第一項と第二項の位置づけと最高裁大法廷判決
憲法二一条が、一項で表現の自由を一般的に保障し、二項でさらに検閲の禁止を規定していることの意味あいについては、種々のとらえ方がありうるが、事前抑制の禁止という視点からすれば一項は表現の自由の優越的地位に基づいて事前抑制を原則的に禁止したものであり、二項ではその典型的な形態としての検閲を絶対的に禁止することを明文により明らかにしたものと位置づけ、さらに、二項でわざわざ検閲の禁止を宣明しているところにてらしても、表現行為に対する事前抑制はきわめて厳格な要件を充足するのでないかぎり許容されない、と解するのが相当であると思料する。
この点、いわゆる北方ジャーナル事件についての最高裁大法廷判決(昭和六一・六・一一、民集四〇巻四号八七二頁)が、他の論点はさておき、まず検閲の絶対的禁止を論じ、ついでこれとは別に表現行為に対する事前抑制に論及して
「表現行為に対する事前抑制は、新聞、雑誌その他の出版物や放送等の表現物がその自由市場に出る前に抑止してその内容を読者ないし聴視者の側に到達させる途を閉ざし又はその到達を遅らせてその意義を失わせ、公の批判の機会を減少させるものであり、また、事前抑制たることの性質上、予測に基づくものとならざるをえないこと等から事後制裁の場合よりも広汎にわたり易く、濫用の虞があるうえ、実際上の抑止的効果が事後制裁の場合より大きいと考えられるのであって、表現行為に対する事前抑制は表現の自由を保障し検閲を禁止する憲法二一条の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容されうるものといわなければならない。」と判示している(傍点は上告代理人)のは、きわめて正当なものを含んでいると考えられる。
2 事前抑制の原則禁止にかんする学説の概要
そこで、表現行為に対する事前抑制を原則的に禁止すべしとする実際的な理由とこれが許容されうる限界は如何という点につき学説等を調べるに、まず事前抑制の害悪ないし特質点としては、およそつぎのような点が指摘されている(伊藤正己「言論・出版の自由」《岩波書店》一三四〜一三七頁、浦部法穂「違憲審査の基準」《勁草書房》六七頁、佐藤幸治編著前掲書二一一頁)。
① 当該表現が「市場」に出る前に公権力がそれを抑止する点で、すべての思想はともかくも公にされるべきであるとする「思想の自由市場」の観念に反すること。
② 事前抑制にかかる表現行為のすべてが、まずもって公権力の判断をうけることとなり、したがって、訴追をうけた特定の表現行為についてのみ判断がなされる事後抑制にくらべ、公権力による抑制の範囲がはるかに広汎におよぶこと。
③ 手続上の保障や実際の抑止的効果の点でも、事後抑制のばあいにくらべて問題が多いこと。
④ 事前抑制のばあい、行政官が簡易な手続で表現を抑えることができ、これを争うばあいにそれに必要な負担は市民の側に課せられるため、結果において表現の自由に不利な決定を招くことが容易であること。
⑤ 司法審査の道が開かれていても、行政官の決定が先行している事実はそれが専門家の決定として裁判所によって尊重されがちであること。
⑥ 事前抑制のばあい、心理的制度的な力が働き、抑制者の恣意的な権限行使に基づく抑制が行なわれやすいこと。
⑦ 表現せんとする人物、方法および内容が公権力によって事前にある程度特定化され、そのために顕著な萎縮効果を与えること。
最高裁判所の前記大法廷判決は、みぎ①ないし⑦の論点のうち①、②、③、および、⑥の一部(濫用のおそれがある、という表現)を明らかに指摘し、反面④、⑤、⑥のその余の一部、ならびに⑦については文字どおりの表現ではふれられていない。しかし、その全体の論旨からすればこれらの論点を積極的に否定ないし無視したというよりは、事前抑制の主要な弊害のいくつかを例示して、その許容されざるゆえんを説示したものと理解される。いずれにせよ、みぎ判例は表現行為に対する事前抑制の害悪ないし特質についてこのように深い考察を経たうえで、事前抑制の原則的禁止をうたっているものである以上、これが解除されるための条件としていう「厳格かつ明確な要件」なるものの内容においても、これにふさわしい深みのあるものが要求されることは、いうまでもないであろう。
3 名誉・プライバシー等にかんする事前抑制理論の判例検討
(一) よって、すすんで表現行為に対する事前抑制が許容されるのはいかなるばあいであるかについての判例をみるに、最近のこの点についての重要な関連判例としては前記北方ジャーナル事件についての最高裁大法廷判決と、いわゆる税関検査にかんする最高裁大法廷判決(昭和五九・一二・一二)があり、古くには政見放送等における発言文言にかかる最高裁大法廷判決(昭和三一・七・四、民集一〇巻七号七八五頁)や岩代毎夕新聞の記事にかかる最高裁小法廷判決(昭和三三・四・一〇、刑集一二巻五号八三〇頁)があるほか、下級審判例としては映画「エロス+虐殺」事件についての東京高裁決定(昭和四五・四・一三、判時五八七号三一頁)等が存在する。ところが、これらの判例はいずれもわいせつ文書や人の名誉・プライバシーを極度に侵害する表現物にかんし、概ね、法益の比較衡量ないし当該表現行為が憲法二一条によって保護されるに値するものか否か等を論じたものであり、本件事案とは著しく趣を異にしている。したがって、これらの判例に示されている「事前抑制許容の論理」は、本件事案にかんする限り、これをそのまま適用することは許されないといわなければならない。
(二) もっとも、最高裁判所の最近の前記二判例は、事前抑制立法の「明確性」という基準にかんしてのべるところがあるので、ここで検討を加えておくこととする。まず、税関検査にかんする前記昭和五九年判決は、表現の自由は、「憲法の保障する基本的人権の中でも特に重要視されるべきものであって、法律をもって表現の自由を規制するについては、基準の広汎、不明確の故に当該規制が本来憲法上許容されるべき表現にまで及ぼされて表現の自由が不当に制限されるという結果を招くことがないように配慮する必要があり、事前規制的なものについては特に然りというべきである」と判示して、「事前規制的なもの」につき特別の強調を行なっている。最高裁判所はこのように、同じく明確性を論ずるについても事後規制と事前抑制とではその程度に差異があるべきことを一般的には指摘しているが、その具体的適用というべき限定解釈が許容されるための判断基準としては、事後規制(処罰)についての判例(徳島市公安条例事件)である最高裁昭和五〇年九月一〇日大法廷判決・刑集二九巻八号四八九頁をほぼそのまま引き、「一般国民の理解において、具体的場合に当該表現物が規制の対象となるかどうかの判断を可能ならしめるような基準をその規定から読み取ることができる」こと、というにとどまっているのである。これに対し、反対意見の四裁判官は両者の違いを正しくかつ鮮明に認識し、「殊に、表現の自由の規制が事前のものである場合は、その規定は立法上可能な限り明確な基準を示すものであることが必要である。それ故、表現の自由を規制する法律の規定が、国民に対し何が規制の対象となるかについて適正な告知をする機能を果たし得ず、また、規制機関の恣意的な適用を許す余地がある程に不明確な場合には、その規定は、憲法二一条一項に違反し、無効であると判断されなければならない。」と判示している(傍点は上告代理人)のであって、この反対意見の方が、「事前規制的なものについては特に然り」とする多数意見の思考との関係ではるかに一貫性を有していることは誰の目にも明らかであろう。学説が、この部分にかんする多数意見を鋭く批判しているのは理由があるというべきである(ジュリスト、一九八五・二・一五NO.八三〇、二七頁以下とくに二九頁上・中段、芦部信喜編「憲法訴訟」第二巻《有斐閣》二八八〜二九一頁参照)。
(三) つぎに、北方ジャーナル事件についての前記昭和六一年判決においては、前述のとおり「厳格かつ明確な要件」を要求しつつ、出版物に対する事前抑制についてそれが公共の利害に関するときは原則的に許されないとの趣旨をのべたのち、「ただ、右のような場合においても、その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものでないことが明白であって、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞がある」という実体的要件があるときに限って、「例外的に事前差止めが許される」旨判示している。しかし――これは出版者と被害者という対立構造にかかわる事例であって本件事案とは趣を異にすること、先にのべたとおりであるが、――最高裁判所がみぎ判示によって利益衡量論をとったとまでいえるか、かりにこれをとったものとしてそれがいわゆる個別的衡量説であるか類型的衡量説あるかという点は、伊藤・大橋(牧裁判官同調)各裁判官の補足意見にてらし、不明というほかなかろう(ジュリスト一九八六・九・一NO.八六七、五六〜五七頁の論評によれば、多数意見は類型的衡量説に立つものと思われるとされているが、多数意見の解釈じたいにつき伊藤裁判官と大橋裁判官とで見解の相違がみられることにてらし、妥当とは思われない。ただそれはいずれにせよ、論者もその五六頁第二段でのべるとおり、この判示は「事前抑制の理論に従って、名誉毀損による不法行為責任のうち差止めにつき特別の要件を設定」するばあいという特定の限局された分野における立言であって、市民会館における屋内集会の事前許可制が問題となっている本件事案を含む一切の表現行為につき妥当するものではないこと、いうまでもないであろう。)。
4 本件事案に近接した領域における最高裁判例(集団行進についての二つの公安条例判決)とその批判
いかなるばあいに表現の自由に対する事前抑制が許容されるかという点について、本件事案にやや近似した事例を求めるとすれば、けっきょく広場や道路上における集会・集団行進にかんする先例をたどるということにならざるをえない。ただし、このうち公園(広場)を利用する集会についてはすでにふれたので(三の2)、ここでは集団行進にかんする代表事例にかぎって簡単にふりかえっておくこととする。
(一) まず、新潟県公安条例についての最高裁大法廷判決(昭和二九・一一・二四、刑集八巻一一号一八六六頁)は、「集団行動を一般的許可制により事前に抑制することは憲法上許されない。」としつつも、①しかし、特定の場所または方法について「合理的かつ明確な基準」のもとで許可制をとることは憲法の趣旨に反せず、さらに、②公共の安全に対し「明らかな差迫った危険を及ぼすことが予見されるときは、これらの行動を許可せずまたは禁止できる旨の規定を設けることができる」旨判示した。
ついで、東京都公安条例についての最高裁大法廷判決(昭和三五・七・二〇、刑集一四巻九号一二四三頁)は、――余りにも著名なものであるから原文の引用はさけるが――要旨つぎのようにのべている。
① 集団行動による思想等の表現は、単なる言論・出版等によるものとは異なっている。
② それは、現在する多数人の集合体じたいの力、つまり潜在する一種の物理的力によって支持されていることを特徴とする。
③ 平穏静粛な集団でも、時に昂奮・激昂の渦中に巻きこまれ、甚だしいばあいには一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によって法と秩序を蹂躙し、その指揮者はもとより警察力をもってしても如何ともしえない事態に発展する危険がある。
④ それゆえ、純粋な意味における表現といえる出版等についての事前規制である検閲が憲法二一条二項によって禁止されているにかかわらず、集団行動による表現の自由にかんする限り、法と秩序を維持するに必要かつ最小限度の措置を事前に講ずることはやむをえない。
⑤ (そのばあい)公安条例の定める集団行動にかんして要求される条件が「許可」をうることまたは「届出」をすることのいずれであるかというような、概念ないし用語のみによって判断すべきでなく、これが判断にあたっては条例の立法技術上のいくらかの欠陥にも拘泥してはならない。
⑥ 東京都公安条例のばあい、許可が義務づけられており、不許可のばあいが厳格に制限されているので、文面上は許可制をとっているが、その実質においては届出制とことならない。
(二) みぎの二判決については、すでにその当時から学者の鋭い批判が相つぎ、ことにいわゆる都条例判決については「かの悪名高き」三五年判決とか、デモ隊暴徒論とかの形容付きで引用されているものであって、今ここに改めて詳論するかぎりではない(もっとも、新潟県公安条例事件については、一般的許可制を憲法上許されないとする部分についてはこれを評価し、その具体的適用について批判する論調が主流であるとみられる。)。しかしながら、みぎ三五年都条例判決が、憲法二一条二項の検閲禁止にまで言及し、「純粋の表現」と「集団活動による表現」とを峻別して論じている(したがって、読みようによっては集団行動については検閲もゆるされるかの観がある。)部分にかんしては、その後やがて三〇年を経た今日の時点で、改めてその意味を問いなおす必要があろう。けだし、憲法問題にかんする判例といえども(否むしろそこにおいてこそ)、時の歴史的状況とはなれてその意義を論ずることはできず、日米安保条約に反対する数万、数十万の民衆が国会議事堂の周辺を埋めつくすという国家権力にとって最大の危機的状況のもとで発せられた最高裁判決であるということを、この際はっきりとさせなければならない。もとより、だからといって同判決が批判から免責されるというものではなく、逆にそのような危機的状況にあってこそ民意を直載に国政に反映させるべく、違憲立法審査権を全的に発動すべき最高裁判所がことここに出なかったという意味において、その責任はきわめて重大であると上告人らは考えるものである。ただ、上告人らにとってはこの点の論議よりもさらに差し迫った問題が存在する。それは、同時にまた、最高裁判所じしんが問われている問題でもあるというべきである。
その問題とは、ほかでもなく、上来引用せる五九年判決・六一年判決とみぎ三五年判決との関係如何ということである。最高裁判所はかって「喫煙の自由」が問題となったケースにつき、これをおごそかに「憲法一三条の保障する基本的人権の一に含まれる」と判断した(昭和四五・九・一六最大判、民集二四巻一〇号一四一〇頁)。五九年判決は前記のように、表現の自由は「憲法の保障する基本的人権の中でも特に重要視されるべきで」あるとし、六一年判決はまた「表現の自由、とりわけ、公共的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利として尊重されなければならない」と判示している。われわれはしかし、はじめにものべたように「何々の自由は……最大限に尊重されなければならないことはいうまでもない。しかしながら」式の枕言によって、幾度もくりかえし、にえ湯を飲まされてきた(奥平康弘「『公の秩序をみだすおそれ』の拡張解釈」法学セミナー一九八五・一二、九〜一〇頁)。五九年判決・六一年判決は、ともに表現の自由の特別な重要さを高らかにうたい上げている。しかしながら、「いつ暴徒化するやも知れぬ潜在力を秘めた集団行動による表現の自由については、話は全く別だ。」というのであれば、ことは振り出しにもどってしまう。やがて三〇年にわたる学説、下級審判例ならびに最高裁判所じしんの前記二判例による努力と進歩を逆向きに飛越して、こと集団行動にかんする分野にかぎり、三五年判決の荒廃した古巣にタイムスリップするのかどうか。上告人らの本件事案は屋外での集団行動ではない点で直接の影響は及ばないというべきではあるが、いわば連続する隣接分野の問題であるだけに重大な関心を抱かずにはおられない。この問題についてのあるべき方向については項を改めて論ずる。
5 「屋内集会に体する事前抑制」についての学説の検討
(一) 市民会館・公会堂などにおける屋内集会に対し事前抑制を加えることが許されるか、許されるとすればいかなる内容のものであるべきかについて、主として学説の状況を整理し、まとめをしておくこととする。
(二) 昭和四三年から四四年にかけ、公会堂の使用を当局がいったん許可したのちにこれを取り消す(撤回)という事案が三件続いて発生したが、その司法処理について、奥平康弘教授は、地方自治体のなかの行政機関よりも裁判所の人権感覚がたしかであることを評価する論評を加えている(前出「表現の自由とはなにか」一八二〜一八四頁)。事案の一は判例時報五一七号二三頁以下に掲載されているが、東京都北区長が公会堂の使用をいったん承認しながら、後日当初の使用目的と実際の使用目的が相違していること(中核派が主催することなど)を理由にこれを取り消したのに対し、東京地裁決定(昭和四三・五・二〇)は、「前示講演会開催の趣旨並びに表現の自由の本質にかんがみ」みぎ使用承認の取消処分により申立人には回復の困難な損害を避けるため緊急の必要がある(傍点は上告代理人)と判示した。ここでは、「集会が暴徒と化するおそれがあるから表現の自由の中でも別扱いにすべし」という流儀の議論はみられない。事案の二、三は同誌五七五頁二八号以下に紹介されているとおりで、まず広島高決(昭和四四・九・三)は、「前示討論集会開催の趣旨および集会・表現の自由の本質にかんがみ……回復の困難な損害を避けるため緊急の必要がある」との広島地裁決定をそのまま維持し、加えて、「抗告人は、広島市公会堂で前記集会が行なわれた場合に、反対勢力等からの妨害により混乱を生じ破壊行為がなされるおそれがあると主張する。しかし、昨今の大学紛争における暴力事件頻発の状況から直ちに、これと条件を異にする前記集会の場においても同種事件の発生の危険性があるとすることは根拠に乏しく、……相手方らの集会自由の侵害をやむなしとするに足りるだけの危険性があるとは認められない。」と指摘して市長の抗告を棄却している。また大阪高決(昭和四四・七・二一)は、「本件許可の取消処分それ自体が憲法二一条の保障する国民の基本的人権たる表現の自由・集会の自由に対する重大かつ明白な侵害である。」との部分を含む主催者側の主張を容認した大阪地裁決定をそのまま維持して、公会堂管理者の抗告を棄却したものであった。
(三) この問題にかんし、さらに直接的かつ詳細に論ぜられているのは、佐藤幸治編著の前出「憲法Ⅱ・基本的人権」二四六頁以下である。すなわち、同書では、公共用物一般の使用許可の関係について(つまり屋内集会にかぎらないで)、先に引用した部分に続いて、
「これに対し、集会という行為の特性上、必然的に要請される調整権限を超えて、事前に一定条件の充足を表現行為者に要求するとすれば、それは事前抑制に該当する。その典型例が、管理権を理由とする許可制である。公共用物を集会用に供することは、原則的には、その本来的利用・用途の範囲内であり、管理権者が、その範囲内での調整権限を行使するためには、届出制で十分のはずである。公共用物の利用につき、一般的禁止を個別的に解除する許可制は、右に述べた調整権限を超えたものであり、したがって、事前抑制に該当するものと解すべきである。」と論定したうえ、公会堂における集会に焦点をあてて、つぎのように指摘されている。
「……。これに対し、集会特有の性質以外を根拠とする事前措置、たとえば、安寧秩序の破壊のおそれ(公物警察権)を理由とする許可制は、右特性を根拠とするものではなく、本来的表現形態としての表現である集会に対し、事前に一定条件の遵守を要求する手続であるから、事前抑制に該当し(中略)、強い違憲の推定が及ぶと解される。地方自治法によれば、地方公共団体の長は条例に基づいて、公物警察権を行使できる(地自二四四条の二第一項)。その条例として『公安または風俗を害する虞』があるときは公会堂の利用を許可しないとする公会堂条例がある。この種の条例については、実体的側面からは、規定の明確性に欠けないかという疑義が残る。また手続的側面からみれば、右許可制は事前抑制に該当し、したがって、地方公共団体の長は、(1)集会により侵害されようとしている法益が重大であり、(2)事前に抑制しないかぎり、直接かつ回復不可能な害悪の発生することが明白であり、(3)事前抑制によって生ずる不利益が最小限度にとどまること、を明らかにしないかぎり、許可しなければならないものと解される。もっとも、現実には右のような不許可理由を満たす集会は考えられず、また考えうるとしても規制されるべきは、集会そのもの(権利行使)ではなく、集会を妨害する他の勢力である。……このような公会堂条例は文面違憲と考えるべきであろう。」(同書二四八〜二四九頁)。
(四) 前出伊藤正己「憲法」の同様趣旨の論述(敵対団体の妨害を理由とする利用拒否は不可)については、三の3で引用したので、ここでは再掲しない。
(五) さらに、樋口陽一・佐藤幸治・中村睦男・浦部法穂の共著かかる「注釈日本国憲法上巻」《青林書院新社》の四三九頁以下においても、この問題がつぎのように本格的・体系的に論ぜられている。
「問題となるのは、道路・公園や公会堂などの公共の場所・施設における集会である。この場合には、集会参加者以外の一般公衆の利用との調整、あるいは集会の競合による混乱を回避するための調整などの観点からする制約を免れず、しかも、そのために事前の規制を必要とする場合も少なくない。そのため、とくに、事前抑制禁止の原則とのかかわりで問題が生ずるが、この場合にも、事前抑制禁止の法理は妥当すべく、事前の規制は厳格な条件のもとにのみ許されるとしなければならない(本条注釈一)。」(四四一頁)「本来国民の自由な使用に供することを目的とした公共用物につき、集会の場所としての使用を管理権者の許可にかからしめることは、集会に対する事前抑制にあたるとみるべきであろう。そうであれば、この場合にも、事前抑制の原則的禁止の法理が妥当するから、公物管理権の行使としての許可制も無条件的に合憲とされるべきものではなく、厳格な条件のもとにのみ許容されるにすぎないとしなければならない。その意味で、前記国民公園管理規則のように具体的・明確な基準もなしに公園内における集会を一般的に許可にかからしめることは、憲法上疑義があるというべきであり、利用の調整の観点から何らかの事前の措置が必要であるとしても、一般的には届出制をもって妥当とすべく、ただ、公園の収容能力をはるかにこえる規模の集会であるなどの特別の事情の存する場合とか、同一時刻・同一場所に集会が競合するという場合にのみ、届出を受理せずもしくは時刻等の変更の条件を付することができる旨を明記するにとどめるべきであると考えられる(佐藤《幸》〔芦部編・憲法Ⅱ〕五七五頁。なお、集会の競合の場合については、そのいずれが公園の性格本質にそうものであるかを勘案していずれかに許可を与えるべきであるとする見解がある〔奥平・前掲判例憲法(2)六八頁、東京地判昭和二九・四・二七行集五巻四号九二二頁〕が、このように解することは、行政権に集会の内容についての審査を許容することとなり、妥当ではない。競合の場合は機械的に申請順とすべきである)。」(四四三頁)
「公会堂等については、地方公共団体の条例で、その利用に当って許可をうけるべきものとされているが、許否の基準に関して、『公益を害するおそれ』、『公安又は風俗を害するおそれ』、『管理上支障があるとき』といった漠然とした規定をおいているものが多い。実際にも、管理上の理由に基づかない政治的もしくは治安上の理由によって、集会のための公会堂の使用が不許可とされた例がいくつかあり(東京地決昭和四三・五・二〇判時五一七号二三頁、大阪地決昭和四四・七・二一判時五七五号二八頁。広島高決昭和四六・四・一四判時六二八号三二頁など参照)、きわめて疑問がある。」(四四四頁)
なお、同書のこの部分における筆者は、みぎ引用部分のあとで公会堂にかんし許可制をとることじたいは肯認するにしても、かように漠然とした基準による許可制の合憲性ははなはだ疑問とすると論じているが、全体の論述の流れとしては、要するに本件条例のような漠然とした許可基準は認容しえないことを指摘したものと解せられる。
五 事前抑制を許すばあいの違憲審査基準について
ここまで、三においては本件事案が屋内集会に対する規制であるという特徴をもっていることと、一般に公共用物の利用関係においては先願主義の原則に則った調整原理が妥当すべきであるとの上告人らの主張を概説し、四においては事前抑制が何ゆえに原則禁止とされるのかにかんする判例学説の検討および近接領域に属する集団行進についての従前の判例に対する批判的検討を試み、すすんで屋内集会に限局して本件条例と同一ないし同様な許可制をとる地方公共団体の条例は違憲、もしくは少なくとも濃厚な違憲の疑いがあるとするの学説をやや詳しく紹介してきた。
ところで、集会に対する事前抑制が検閲にまでは該当しないという一般レベルにおける論述においては、当然のことながら「許可制の絶対禁止」という帰結には至らず、すでに引用した各学説にも度々あらわれているように、きわめて厳格な基準のもとにおいては許可制が違憲とはならないことがありうるというところに帰着するわけである。したがうて、ここにいう厳格な違憲審査基準の内容はどうか、ということが実際にはことがらの帰すうを決定することになる。この点にかんしては、しかし、市民会館などにおける屋内集会特有の基準という形での論述というよりは、むしろ表現行為に対する事前抑制の一般について論じられているので、ここに項を改め、この点についての上告人らの主張を明らかにすることとする。
1 表現の自由に対する事前抑制は原則的に禁止され、それじたい文面無効である
(一) 表現の自由に対する事前抑制が原則的に禁止されること、およびその根拠については、前記四の1、2ですでに明らかにしたとおりである。したがって、表現行為に対する事前抑制を定める法令は、その制限の目的を問うまでもなく、原則として、事前抑制という規制手段をとっていることじたいにおいて、文面上違憲とされなければならない。
(二) 表現行為に対する事前抑制が例外的に許されるがためには、「きわめて厳格な条件」が必要とされなければならない。このことは、最高裁判所じしんが前出の北方ジャーナル事件についての昭和六一年判決で実質的に確定した法理に属すると思料される。
(三) 問題はその内容であるが、事前抑制が肯定されるためには、少なくともまず、それが行政権力による表現内容の審査を伴なわないものでならないこと、検閲の絶対禁止の観点から当然である。また、表現の時・場所・方法についての規制であっても、行政権に許否の裁量権を与えるものであってはならない(許否権限を伴なわない単なる届出制が容認されうるのは、この理による。)。
(四) 許否権限を伴なうばあいには、許否の基準が明確に法定されていなければならず、このばあいの明確性は、事後規制の法令に要求される明確性よりもいっそう厳格に、裁量の余地を残さない程度のものでなければならない(この点は税関検閲についての最高裁判所前出五九年判決ですでに基本的に明らかにされているが、その多数意見の到達点がいま一歩不十分であることはさきにのべた。)。
(五) 以上の要件をみたさないときは、当該法令は文面無効である。しかし、重要なことは、これらの要件をみたしたからといって、それだけで直ちに当該法令が合憲とされるものでないこと、いうまでもないという点である。表現行為に対する事前抑制が認められるには、さらに、①事後抑制によっては制限の目的が達成しえないことが明白で、かつ、②許否権限を伴なう事前抑制にあっては、単なる届出制によってはどうしても目的を達成しえないばあいにかぎるのであり(「必要最少限度」ないしLRAの基準)、さらには、③制限の目的じたいが改めて問いなおされなければならないのである。
2 「必要最少限度」(LRA)の基準について
表現行為に対する事前抑制をいうばあい、許可制をとる以前に、多少の調整権限を伴なう届出によって事態を処理しうるならば(これによって処理しえないということはふつう考えられないが)、許可制は許される余地がない。たとえば、道路上で行なわれる集団行進について、それがときとばあいにより暴徒化するおそれがあるということが問題であるならば、あらかじめその主催者に対しこれを防止するために必要な最少限度の遵守事項を課し、かりにこれに違反する行動が生じたとすればこれに対する適正な制止、処罰を課するということで十分のはずである。最高裁判所の「かの悪名高き」昭和三五年判決における「集団行動暴徒観」ですら、集団行動をはじめから暴徒であるといっているのではけっしてなく、あくまでも暴徒に「変じうる」ことをいっているにすぎない。してみれば、東京都公安条例における許可制は、届出制によって処理しうる事態に対し、必要以上に強い規制を採用したものであって、LRAの原則に反し、違憲というべきである(この部分の論述につき、藤井俊夫著「憲法訴訟と違憲審査基準」《成文堂》七二〜七三頁参照)。ましてや、本件のような市民会館における屋内集会について、本件条例のような許可制を採用すべき理由はなく、文面違憲たることは明らかである。
3 明確性(漠然性)の基準と過度の広汎さ故の無効基準について
この両基準は、いずれも表現の自由に対する萎縮効果に配慮した理論であるが、明確性(漠然性故の無効)の基準は、漠然とした法令は、何が禁止された表現行為かにつき公正な告知を与えることに失敗しており、一方行政権に対しては恣意的な執行を許し、司法機関に対しては紛争解決の基準を与えていないことにより、当該法令を文面無効とするものであって、まさに本件条例の七条一号・三号はこれに該当するものである。漠然とした法令はこれについての解釈が可分的か不可分的かじたいが不明であるから、合憲的限定解釈をとる余地もないものである。一方、広汎さの故の無効基準は、当該法令の違憲部分と合憲部分の可分的でないことが明らかで、そのため相当数の違憲的適用が可能であるばあいに、立法目的がいかにやむをえざるものであっても文面違憲とするモデルであって、かりに本件条例の前記条項を「不可分・可分じたいが不明のばあいではない」(換言すれば不可分的であることが明らかである)と評価したばあい、まさにこの基準によって文面違憲とされるべきものである。本件条例七条の一号について、かりにこのなかに「他の人々の生命、身体、財産の安全を不当に侵害するおそれのある場合」(原判決の解釈)が含まれるとしても、それ以外にみぎ規定による規制の対象として何が含まれるのかは不明確であり、規制の対象の一部が明らかになっているにすぎない。このようなばあい、広汎な法令を限定解釈した際の漠然性から、ひるがえって限定解釈の限界が明らかになるのであって、文面違憲・文面無効の事態に変わりないことはいうまでもない。
4 利益衡量基準の問題性について
先にものべたとおり、表現行為に対する事前抑制につき他のすべての条件がクリアされたとしても、最後にはその立法目的の正当性の吟味を免れることはできない。まだ、同じことではあるが、まず最初に法益の比較衡量を行なって、規制法の定める手段・方法によって達成される利益が、それによって失われる利益(権利の側の損失)より大きいと判断されることから直ちに、事前抑制の合憲性を肯認するような態度は厳に戒められなければならない。
わが国の判例史上、利益衡量論は、昭和四〇年代以前の「公共の福祉」を概念絶対化しそれさえ持ち出せば人権の制約はほとんど正当化されるという最高裁判所の判例のあり方に対して、何がしかの権利保障機能を期待する向から苦心して構築されたものではあったが、昭和四九年の猿払事件上告審判決(最大判昭和四九・一一・六、刑集二八巻九号三九四頁)いらい、けっきょくはかつての「公共の福祉論」の言いかえにすぎないという批判に、甘んぜざるをえないこととなっているものである。
もともと、立法目的にてらし裁判所が法益の比較衡量をするというとき、裁判所は広大な立法事実を把握して対立利益の評量をすることになるが、ぼう大な官僚組織に支えられた立法府(議院内閣制をとるわが国の実質にてらし)の機能を裁判所が再現ないし肩替わりすることじたいが重大な問題点であり、いきおい裁判所は立法府の行なった比較衡量的判断をそのまま「尊重」するという危険をはらむのであって、悪くすれば場あたり的・恣意的にすら流れる可能性を否定しえない。かくては、国民の側からみて何が許され何が違法とされるかについての予測が立たず、いたずらに自己規制を加えて萎縮せざるをえないこととなろう。けっきょく、これまで頻用されてきたような利益衡量の基準は、表現の自由にとってむしろ敵対物に化していることを率直に認めるほかないのである。
第四 事前抑制にかんする違憲判断の具体的事実
一 原判決の本件条例の合憲理由
事前抑制を許す場合の違憲審査基準で述べたごとく、集会に対する事前抑制たる許可制が合憲であるためには、きわめて厳格な基準のもとにおいてのみ許容されるにすぎないのであるにもかかわらず、原判決は「本件条例は、……七条一ないし三号で不許可とすべき場合を規定しているのであるが、右許可制そのものは公共財産たる本件会館の前示設置目的を効果的に達成することおよび適正な管理の必要から採られたものであって何ら不合理なものではないし、右七条一ないし三号の規定は地方自治法二四四条二項にいう正当な理由を具体化したものと解されるところ、右規定の文言がある程度抽象的であるのは事柄の性質上やむをえないところであり、その内容も本件会館の前記設置目的、構造、管理の必要等に照らして不合理、不必要であるとはいえず、またその趣旨も必ずしも不明確であるとはいえないから、本件条例をもって直ちに違憲、違法ということはできない。」と判示し、極めて杜撰に本件条例の合憲性を認定している。
すなわち、原判決は「右許可制そのものは公共財産たる本件会館の前示設置目的を効果的に達成すること及び適正な管理の必要から採られたものであって何ら不合理なものではない」と判示しているが、会館の設置目的を効果的に達成し、適正な管理を行うためには、届出制で十分であって、集会の自由に対する事前抑制にあたる許可制を正当化する合理的理由には何らなっていない。
しかも、その許可基準たる本件条例七条一ないし三号は、それぞれ「公の秩序をみだすおそれがある場合」(一号)、「その他会館の管理上支障があると認められる場合」(三号)という極めて抽象的・不明確・漠然とした規定であるにもかかわらず、原判決は「右規定の文言がある程度抽象的であるのは事柄の性質上やむえない」ところであると判示するが、どのような事柄の性質からやむえないというべきかを具体的に何ら明らかにすることなく漠然と文言の抽象性を合憲としたことは、事前抑制の原則的禁止の法理に要求される裁量の余地を残さないほど明確でなければならない、という違憲審査基準に違反するものである。
さらに、原判決は、「その内容も本件会館の前記設置目的、構造、管理の必要等に照らして不合理、不必要であるとはいえない」と判示するが、本件会館の管理の必要上許される許可審査は、競合利用の調整権限についてだけである以上、一号のごとき「公の秩序をみだすおそれがある場合」の規定などは、まさに「不合理、不必要」な規定というべきものである。
加えて、原判決は、「また、その趣旨も必ずしも不明確であるとはいえない」と判示していながら、その直後に原判決自ら「本件条例七条一号にいう『公の秩序をみだすおそれがある場合』とは、他の人々の生命、身体、財産の安全を不当に侵害するおそれのある場合のことである」と注釈して限定解釈をほどこしているのであるから、右規定について原判決自ら「不明確である」と自認しているというべきである。
二 原判決の集会の自由に対する無理解
原判決が、極めて杜撰な根拠でもって、本件条例七条一ないし三号を合憲と判断するに至った理由は、ひとえに基本的人権の中でも優越的地位が与えられている表現・集会の自由の無理解に尽きる。
すなわち、原判決も一般論としては正しく次のように判示する。
「もとより、集会の自由は表現の自由を確保するという民主主義社会存立の基盤をなす最も重要な基本的人権の一つであり、地方自治の場においても最大限に尊重されなければならないことはいうまでもない。しかしながら、地方公共団体が集会の用に供する目的で設置した公の施設については、設置者においてその設置目的を達成するため施設の維持、管理、利用関係の調整等、運営それ自体に本来内在する管理作用を有し、右管理権の行使として施設の利用条件を定める必要があるから、公の施設で集会を行おうとする者は、右利用条件が合理的なものである限りこれに服さなければならない」
しかし、原判決は続けて、「また、地方自治法二四四条二、三項も住民が公の施設を利用するにつき、地方公共団体は正当な理由のない限りこれを拒否できず、不当な差別的取扱いをしてはならない旨定めている」と地方自治法の規定を引用した後、だからこそ「無制限に住民の利用権を保障するものではない」と原判決は判示する。
原判決は、最後の結論部分「無制限に住民の利用権を保障するものではない」と言いたいがために、地方自治法二四四条二、三項の規定を引用してきているのであるが、本末転倒もはなはだしい引用であり、このような論理を公然と摘示するところに原判決の集会の自由に対する無理解さが露呈しているというべきである。
けだし、地方自治法二四四条全体は、地方公共団体は住民の集会の自由のために積極的に公共施設を利用させるべきであって、みだりに施設の利用を拒んではならないことを明記している規定であって、住民の施設利用権を制限する根拠規定ではないにもかかわらず、原判決は右地方自治法の規定をもって住民の利用権を制限しうる根拠規定に引用しているからである。
三 原判決が本件不許可処分を是認したことは違憲というべきである
1 公共用物ことに市民会館などにおける集会については、多数者が一定の場所・施設を一時的に占有するという行為の特性に必然的に伴う調整原理以外これを規制することは許されない。
従って、集会を主催する団体の傾向や集会の内容によってこれに規制を加えることは許されないし、安寧秩序の破壊のおそれや治安妨害のおそれ等、集会特有の性質以外を根拠とする許可制は、違憲である(この点については前述の詳論を参照)。
2 原判決が、被上告人の不許可処分を正当と認めたのは、「中核派は、関西新空港反対闘争の一環として、本件不許可処分をなした昭和五九年四月二三日の直前の同月四日に、大阪科学技術センター及び大阪府庁において連続爆破(実際は放火―前出)を起し多数の負傷者を出すなど人の生命、身体、財産を侵害する違法な実力行使を行って一般市民に対して畏怖の念を抱かせているばかりでなく、本件集会は、かかる闘争の延長線上にあるものと位置付けていたこと、一方、前認定の中核派と控訴人国賀ないしは同永井及び同人らが主催する全関西実行委員会との関係、同控訴人ら及び同委員会の本件集会における位置、役割、本件集会の目的、中核派の闘争方針及び本件集会への対応、本件不許可処分前日の控訴人国賀が許可申請者となっていた関西新空港反対のデモ行進における中核派の役割及び行動等を総合すると、同派は、単に本件集会における一参加団体ないし支援団体というに止まらず、本件集会の主体をなすか、そうでないとしても本件集会の動向を左右し得る有力な団体として重要な地位を占めるものであったことは明らかである。このような状況に加えて、前示のとおり、控訴人国賀は昭和五六年の集会において混乱を惹起したことがあること、中核派が他の団体と対立抗争中であることは公知の事実であり、同派が他の団体の主催する集会へ乱入する事件を起こしたことがあることからして、本件集会に同派と対立する団体が介入するなどして本件会館内に混乱が生ずることも多分に考えられたこと、本件不許可処分前日の中核派も参加したデモ行進については、市民の間からも不安の声が挙がり、このような極左暴力集団に対しては、本件会館を貸さないようにとの要望等がなされていた」という事由をもって根拠づけている。
3 しかし、右に詳しく引用したごとく、原判決は正に中核派の活動、言動、申請者や主催者の言動、活動関係、敵対集団との抗争を理由として本件不許可処分を正当化しているものであるから、主催団体の性格に基づく事前抑制禁止の原則に反して合憲の判断を行ったと断ぜざるを得ない。
4 さらに、原判決は「このような状況下において、控訴人らの集会、表現の自由を確保すべきこともさることながら、同時に、その市民の平穏な生活の保持につき、これを配慮すべき立場にもある被控訴人において、本件集会が開催されたならば、少なからぬ混乱が生じ、その結果、一般市民の生命、身体、財産に対する安全を侵害するおそれがあること、すなわち公共の安全に対する明白かつ現在の危険があると判断したことは、真に無理からぬものというべく、被控訴人市長から権限の委任を受けた総務部長において、本件集会につき、本件条例七条一号にいう『公の秩序をみだすおそれがある場合』に当ると判断し、その申請を不許可としたことについては、責むべき点はないものというべきである」と判示する。
しかし、「本件集会が開催されたならば、少なからぬ混乱が生じ、その結果、一般市民の生命、身体、財産に対する安全を侵害するおそれがある」と判示するが、「少なからぬ混乱」とはどのような混乱なのか判っきりしないし、そもそも本件集会自体の混乱なのか、本件集会参加者以外の人々に対する混乱なのかも判っきりしない(ちなみに、被上告人が本件会館周辺の住民の平穏な生活が脅かされるおそれがあると判断したのは、本件集会の開催だけではなく、その後のデモ行進なども考慮して総合的に判断した結果であるが、右被上告人の判断は本件集会以外の事由をも考慮して不許可としている点でさらに強く違憲性を有するものであることは論を俟たない)。
又、「一般市民の生命、身体、財産に対する安全を侵害するおそれがある」と判示するが、この点も、どのような因果関係、切迫性があるのか判っきりしない。
この点の批判は、原判決が「明白かつ現在の危険」の理論を用いたことの誤り及びその適用の誤りの箇所で詳論するが、いづれにしても原判決は集会という行為の特性上必然的に要請される調整権限でもって本件不許可処分を根拠づけていないことは明らかである。
むしろ、原判決は、集会に参加する中核派は、過激な活動を行い、本件集会をこのような闘争の延長線上に位置づけているし又、中核派が他の団体とは対立抗争をしているから不許可としたのであるということにつきる。
正にこのような理由で不許可として集会の自由を制限することは、管理上の理由に基づかない政治的もしくは、治安上の理由による不許可処分というべきものであって、原判決の違憲性は免れない。
四 参加人員の調整について
1 原判決は、「なお、控訴人らは、本件集会の参加人員が本件会館の収容能力を超えるおそれがあるとするなら、主催者にこれを問い質しこれを調整することは可能であったのにこれをしないで本件不許可処分に及んだことは手続的にも不当であると主張するが、被控訴人の総務部長が収容能力の点から本件条例七条三号該当の有無を判断するに際しては、右集会に予想される参加人員と本件会館の収容能力の点を勘案すれば足り、参加人員を調整することまで要求されるものでないから、控訴人らの右主張は採用しない」と判示する。
2 しかし、地方自治法二四四条より本件会館等の公共用物の管理者は、単に施設の利用調整権限を有するだけでなく、調整義務をも有していると解されていることは前述のとおりである(第三、二、2)。
従って、被上告人とすれば、本件集会の参加人数が、本件会館の定員を超過するおそれがあると判断したならば、その点を主催者に告知して、主催者がその告知に従って入場制限を行うなど参加人数を調整する機会を与えるべきであったにもかかわらず、そのような告知を為さず不許可処分に及んだことは、本件事前抑制の違憲性をいっそう強めるものである。
3 しかも、本件においては、主催者側は、決定権限を有する被上告人の総務部長と面談し、混乱防止のためにとるべき必要な条件を提示されたいこと、その条件は必らず守ることを誠心誠意述べているにもかかわらず、参加予定人員の問題には一切触れずに秘密にしておいた後、被上告人が不許可処分の判断を下していることは、集会の全面禁止という厳しい結果を回避するためにも、とりうる他の規制方法を採るべしという必要最少限度の制限原則に違反するだけでなく、適正手続の保障という観点からの違反も免れない。
第五 「明白かつ現在の危険」の理論を用いたことの誤りおよびその適用の誤り
一 原判決の「明白かつ現在の危険」の異様な用法とそのあるべき姿
1 原判決は集会、表現の自由の制約につき「明白かつ現在の危険」の理論を用いて本件不許可処分を正当としたのであるが、これは憲法二一条に違反するものである。
「明白かつ現在の危険」の理論は、周知のようにアメリカ合衆国において一九一九年のスケンク事件についてのホームズ裁判官の意見にはじまり、ホームズ裁判官、プランダイス裁判官によって精密化され一九四〇年代に発展したものである。しかしこの理論は、一九五一年のデニス事件によって、大きく歪曲されることにより、その役割を終了したといわれる。
もっとも、日本においてはその後も判例学説上広く引用されてきた理論である。
「明白かつ現在の危険」の理論は、「公共の福祉」や「危険な傾向」といった不明確な理由による広汎な規制を排して、集会、表現の自由の制約される場合について厳格な基準を設け、不当な侵害から基本的人権を保障しようという志向に出たものであるといえよう。
原判決は従来の「明白かつ現在の危険」の理論とは全く相違する状況で「明白かつ現在の危険」があったとするものであり、これまでいわれていた如何なるゆるやかな拡張解釈を認める立場からも、右危険の存在は肯定されないものであって、「明白かつ現在の危険」という用語こそ共通するものの、とうてい右理論の正当な適用とはいえない。
これまでアメリカ合衆国においても、日本においても、有力な学説は「明白かつ現在の危険」の理論について鋭く批判を加えてきていたが(エマースン、奥平教授等)、本件控訴審判決にみられる右理論の濫用ないし誤用といわざるを得ない異様な「適用」をみると、これらの学説の批判の正当であったことを改めて確認しないわけには行かない。
原判決においては、右理論につきかねて指摘されていた問題点が全面的に露呈したものということもできるが、しかしまた何人も原判決ほどに歪曲した適用は予想しなかったものであって「明白かつ現在の危険」の理論をどのように解釈する立場からしても原判決はとうてい是認できないものである。
2 原判決は、本件条例七条一号の「公の秩序をみだすおそれがある場合」という文言の不明確さ、あいまいさを救済するため、これは「他の人々の生命、身体、財産の安全を不当に侵害するおそれのある場合」のことであると解釈の限定を加えた。
そのうえで、かかる事由によって、集会、表現の自由を制限できるのは右公共の安全に対する「明白かつ現在の危険」が存在する場合に限るとして、一見集会、表現の自由の保障に理解を示すかのような限定を行っている。
しかしながら、原判決は「明白かつ現在の危険」の内容については全く論定せず、右危険をどのように解釈する立場からも危険があるとは予想できない状況で唐突に右文言を持ち出して本件不許可処分を適法としたのである。
3 「明白かつ現在の危険」の理論とは、
「ある法律が人の表現行為を処罰できる規定を設けているとき、その規定の適用を法の防止目的とする実質的害悪をひき起こす明白にして差し迫った危険を作り出す状況に限るとする基準ないしテストである。」(伊藤・憲法三〇四ページ)。
この理論は先に触れたようにホームズ裁判官、ブランダイス裁判官らによって展開されたアメリカ合衆国連邦最高裁判所の判例理論であって、当初は表現行為を事後に処罰するための法適用の合憲性の判断基準であったが、後には立法そのものの合憲性の判断基準としても用いられるようになった。
4 「明白かつ現在の危険」の理論の骨子は、一九四一年のブリッジス事件におけるブラック裁判官による多数意見で次のように述べられている。
「スケンク事件の『明白にして現在の危険』の文言は、表現の自由の憲法上の保護の範囲が争われた多種多様の事件において実際上の指針を与えてきた。……相当の害悪の生ずる可能性がいかに大であっても、それのみでは言論出版の自由の制約を正当化することはできない。その害悪自体が実質的なものでなければならず、それは重大なものでなければならない。……『明白にして現在の危険』の諸判例から最終的にひき出されるものは、発言が処罰きれるには、実質的害悪が極度に重大であり、切迫の程度が極度に高くなければならないという指導的原則なのである。」(伊藤「言論・出版の自由」二四四ページより引用)。
5 表現行為を処罰するためには、実質的害悪が極度に重大であり、切迫の程度が極度に高くなければならず、それ以外の場合はどのような「危険な傾向」があろうと表現行為は処罰されてはならないというものであり、表現の自由の優越的地位を保障しようという志向を有するのが右理論である。
6 ここにいう「明白」とは特定の表現行為と害悪の発生との間に単なる合理的根拠以上の明白な因果関係の存在、必らず害悪を生じるか、少なくともその発生がほとんど不可避であることの立証が要求されるものと解される。
7 「現在」とは、表現行為とそれによって発生する害悪との間に明白な因果関係のあることだけでは足りず、その間に時間的な近接性あることを要求するのであり、表現行為が時間的に切迫した害悪を発生しないときは規制されてはならないことを意味するのである。
害悪の発生につき時間的にみて予測を必要とする程に隔たっているときはもはや「現在の危険」とはいえないが、しかしどの程度の近接性をもって要件を満たすかについては幅があるとせざるを得ない。
「言論の自由の行使から重大な害悪を生じるという緊急の切迫した危険があって、他の手段でその発生を防止しえず、しかも、言論と害悪の発生との間に不可避的な密接な因果関係のある場合にのみ、言論の制限が正当化される」(伊藤・「言論・出版の自由」二八三ページ)というのが「明白かつ現在の危険」の標準的な理論である。そしてこれは表現の自由行使の時、場所、方法の規制についても適用されるものである。
二 破防法等にかんする判例における「明白かつ現在の危険」の理論
1 わが国の判例においても従来「明白かつ現在の危険」の理論が用いられたものとして破防法に関する事件があげられるが、破防法に関し右理論を適用した判例はいずれも、具体的事件に関して右理論を適用して無罪を言い渡したものである。
釧路地方裁判所は
「言論の自由は一切の暴力と専制主義の支配を排除し、民主主義の健全な発展を培う本質的要件である。したがって言論の自由は、たとい多少の行過があると認められても、これを刑罰法規によって制限することは慎重に考慮しなければならないところであって、これを制限するには社会公共の安全福祉に対し、明白且つ現在の危険の生じている時に限定すべきものであって、かりに将来において社会公共の安全福祉の害される可能性が論理的に肯定しうるというが如き程度ではこれを制限することはできないものと解すべきである」
としている(昭和二九・九・一五 釧路地方裁判所判決)。
2 津地方裁判所は
「ホームズ判事がいみじくも言論を制限する基準として『明白かつ現在の危険の原則』を宣明したのも破壊活動防止法第二条の『公共の安全の確保のために必要な最小限度』に合致するところであってこれをそのまま法第三八条第二項第二号の『内乱の罪を実行させる目的』に採って以って適用すべきものと信ずる。即ちかかる害悪の生ずる明白かつ現在の危険がないのに、単に将来かかる害悪の生ずる虞あることを揣摩臆測して言論を制限、処罰することは民主主義の根本原則に反するからである」
としている(昭和三〇・二・二八 津地方裁判所判決)。
3 京都地方裁判所は、アメリカ合衆国における一九五一年のデニス事件による「明白かつ現在の危険」理論の変更に触れ、ヴィンソン長官の意見を支持できないとして
「同法(破防法)第二条にこの法律は国民の基本的人権に重大な関係を有するから公共の安全を確保するために必要な最小限度において適用すべきであって、苟もこれを拡張するようなことはあってはならないと明記しているのは当然である。それはホームズ、ブランダイス両判事の所謂明白かつ現在の危険の法則に従って本法を適用することとその趣旨に変わりはない」
としている(昭和三一・一二・二七 京都地方裁判所判決)。
4 なおアカハタ指令を内容とする政令第三二五号につき、東京地方裁判所は
「公共の福祉による表現の自由の制限については極めて慎重であることを要するのであって、殊に政治的言論に関しては、これを社会そのものの存立に関わる緊迫した危険が明白かつ現在に存在するときに限り社会として自衛上真に必要己むを得ない限度でだけ制限することができるものと解すべきであり、苟くも拡張して解釈されるようなことがあってはならないものと考える」
としている(昭和二七・一〇・七 東京地方裁判所判決)。
5 なお、最高裁判所は、公職選挙法第一三八条第一項の個別訪問の禁止に関し「明白かつ現在の危険」理論を排斥しているが(昭和四二・一一・二一判決、刑集二一―九―一二四五)、これは選挙の公正を期するためのものであって、表現の自由一般について右理論を排斥したものではないと見られる。
三 「明白かつ現在の危険」理論の問題点
1 「明白かつ現在の危険」の理論は、その要件の認定から主観性を完全に排除することが困難であるという難点がある。
表現行為をそのもたらす「危険性」の故に規制しうるとし、必らずしも現実の害悪発生を要件としないことからすれば、危険性につきいかにその明白性・現在性を要求したとしても、それは害悪発生のおそれでしかなく、ある行為が危険性を有するかどうかの判断から主観性を完全に排除することはほとんど不可能である。
このような観点から右理論の適用については批判が加えられてきた。
2 法が事前の抑制を定める場合は第一次的には事前抑制禁止の法理にしたがうべきであり、「明白かつ現在の危険」の理論は適用されるべきでない。
「明白かつ現在の危険」理論は行政庁による事前抑制の合憲性の基準として用いられてはならないのである。
表現の自由の事前抑制とは、表現行為がなされるに先立ち公権力が何らかの方法でこれを抑制すること、および実質的にこれと同視しうる影響を表現行為に及ぼす規制方法をいうのであるが、事前の抑止という点である思想が思想の自由市場に登場する前にその機会を奪ってしまうものであり、たとえ「明白かつ現在の危険」がある場合であっても、危険を理由として表現を事前に抑制することは原則として禁じられると解すべきである。危険は未だ害悪そのものではなくあくまで害悪発生のおそれに過ぎず、危険の存在を理由として事前の抑止をする権限を公権力に与えることは表現の自由保障の趣旨を没却することになるからである。
事前抑制については、事後処罰の場合よりも、公権力の規制の範囲がはるかに広汎に及ぶこととなり、公権力の介入の時期が表現の前であるという相違があるほか、行政庁による決定であって、事後処罰の場合は裁判手続が保障されていることに比べて、手続的保障における差異があり、結果において言論出版の自由に不利な決定を招くものである。
先に触れたとおり「北方ジャーナル事件」において、最高裁判所は事前抑制の原則禁止を判示しているところである。
3 奥平教授は、次のとおり「明白かつ現在の危険」の理論は行政庁による表現の自由の事前抑制に用いられてはならないとされている。
すなわち、
「明白かつ現在の危険」の理論は、元来表現行為を事後処罰によって禁止する制定法が、合憲であるか否かの判断基準として確立したものであり、表現行為を事前に禁止する制定法が合憲であるかいなかの判断基準として確立したものではない。
刑罰を科するかどうかを事後的に司法手続きにのっとって冷静に判断する基準として「明白かつ現在の危険」が適切であるとしても、行政庁が早急に司法手続とはおよそ異なる手続によって判断する基準としては適切でない。したがって、日本の判例が事前抑制を合憲たらしめる要素として、この法理をもちこんだことは、誤解であるか、独創であるとしても的外れである。
事前抑制との関係で問題となる基準は、事後処罰の場合よりも一層厳格でなければならない。事前抑制一般は憲法の趣旨に違反する。どうしても事前抑制が必要であるとすれば許可庁において全く自由裁量の余地のない基準を意味するのでなければならない(奥平「表現の自由Ⅲ」一四九ページ、一五〇ページ)。
上告理由第二点 判決に影響をおよぼすことの明らかな法令違背―原判決には地方自治法第二四四条の違反がある
第一 地方自治法第二四四条の趣旨
一 日本国憲法は、二一条一項で集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由を保障するとともに、二項で、検閲を禁止しかつ通信の秘密はこれを侵してはならない旨定めている。そして他方では、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める」こととし(九二条)、また「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する機能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる」(九四条)として、いわゆる団体自治の原則を明記している。このように、地方自治の制度は日本国憲法によって新たに認められた憲法上の原則であり、たとえば右に引用した条例制定権も憲法で直接保障しているものであるから、法律をもってこの自主立法権を否定することはもちろん許されないし、その内容においても一々法律の授権を必要とするものではないと解される。
二 しかし、憲法自体が条例の制定権を「法律の範囲内で」認めることとしているのであるから、法律に違反した条例が許されずその効力がないことも自明のところである(まして憲法違反の条例が無効のものであることは、憲法九八条の定めをまつまでもなく当然というべきである。このこととの関係で、条例により罰則を設けることを許している地方自治法一四条第五項の定めが憲法三一条に違反するのではないかとの問題提起がなされている。本件には直接関係ないものの、条例制定権にも様々の限界があることは、念のため留意されねばならない)。
地方自治法は、法律と条例についての上記憲法上の制約について、地方公共団体は法令に違反しない限りにおいて条例を定めうるものと定め、両者の関係を明確にしているのである。
三 さて、地方公共団体は、以上のような意味で条例を「制定しうる」ものであるが、それは単に制定することができるという消極的な機能を意味するだけではなく、むしろ積極的に適切な条例を制定すべき憲法上の責務にも、裏打ちされた権能だといわなければならない。すなわち、地方公共団体は、住民自治及び団体自治の原則に則り、自らに託された公共事務ないし行政事務を積極的に推進すべきものであり(その具体的例示は地方自治法二条第三項にみられる)、「その属する普通地方公共団体の役務の提供をひとしくうける権利を有する」(一〇条第二項)住民のため、その「福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設(これを公の施設という。)を設けるもの」とし(二四四条第一項)、「正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならず」(同条第二項)、「住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない。」(同条第三項)と定められているのである。地方自治法のこれらの定めが、憲法一一条(基本的人権の享有とその性質)、一三条(個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重)、一四条第一項(法の下の平等)、二一条第一項、第二項(集会、結社、表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密)ならびに、二五条(生存権、国の生存権保障義務)と密接不可分の関係にあることは改めていうまでもないであろう。
四 集会の自由を実質的に保障するためには、これを「国家からの自由」という消極的なとらえ方で考えるのでは全く不十分であって、国民が国家ないし地方公共団体に対し公共施設の利用を積極的に要求する権利として認識ないし把握することが必要であり、また、憲法ならびに地方自治法の前述した原則および立法趣旨に適合するところであるといわなければならない。
すなわち国ないし地方公共団体は、集会の自由の場所的条件について保障の責務を負うとともに、設置された公の施設に対する国民の利用権を平等かつ積極的におしすすめる基本的な責任があり、主催者や集会の内容により利用を拒絶してはならないということができるのである。
なお、以上の論点に関係する限度で地方自治法二四四条の各論的な解釈につき付言するに、同条にいう「公の施設」は、その定義じたいにおいて「住民の利用に供する」ためのものとされており、本件市民会館が右の「公の施設」に該当することは明らかである。
憲法八九条により公の施設の利用供与を禁ぜられている宗教上の組織・団体ないし慈善等の事業についても、特恵的な利用供与にわたらない限り、一般人と同様に利用せしめることは差し支えないというふうに、公の施設の利用についてはできるだけ広く住民の権利を認める方向での解釈努力がなされている。
五 地方自治法二四四条第三項にいう、不当な差別的取扱いの禁止は、憲法一四条にいう「信条、性別、社会的身分、」等による不当差別を禁ずるものであって、主催者の信条や集会の内容を理由とする差別的な利用拒否をしてはならないことを意味しているのである。
第二 本件条例七条は地方自治法に違反し無効である
一 「公の秩序をみだすおそれがある場合」、および「その他会館の管理上支障があると認められる場合」に、市民会館の使用を不許可とする旨の本件条例七条(その一号および三号)は、漠然、不明確な文言で市長に恣意的な使用許可、不許可を決する過度に広汎な権限を与えるものであり、地方自治法二四四条第二項、同条第三項に違反し、無効である。
二 すなわち、地方自治法一条は地方自治の本旨をうたい、その一〇条第二項は住民は法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の役務の提供をひとしく受ける権利を有するとし、一四条は普通地方公共団体は法令に違反しない限度で条例を制定することができると定め、一四九条はその長の担任事務の一として公の施設の設置、管理、廃止をかかげ、さらに、二四四条第二項で普通地方公共団体は正当な理由がない限り住民が公の施設を利用することを拒んではならない旨定めており、これら法条の解釈ないし意義等はすでに第一の一、および二で明らかにしたとおりである。
しかるに本件条例七条がすでに引いた控訴審判決のような解釈を許す内容のものであるとするならば、同条は右に引用した地方自治法の各法条にそれぞれ違反する違法無効のものであることは自明である。その原因は、七条一号が公の秩序をみだす「おそれ」という文言を用い、また、三号で「その他…支障があると認められる場合」と表現してその具体的内容につき抽象的かつ無限定なものとなっているところにもあるのであって、かように無効の条例に基づきなされた市長の不許可処分は当然その効なきものである。よって、本件条例を有効なものと判断した原判決は、この意味においても違法であり、取消を免れない。
第三 原判決の条例解釈の誤りについて
一 原判決は、本件条例七条一号に関し、そこで「公の秩序をみだすおそれがある場合」の公の秩序をみだすというのは、人々の生命、身体、財産の安全を不当に侵害することを意味し、かかる事由によって基本的人権たる集会、表現の自由が制限されるのは右安全に対する「明白かつ現在の危険」ある場合に限るとする。
しかし、行政庁による集会の事前規制を意味する右条例の解釈については「明白かつ現在の危険」の理論は用いられるべきではなく、表現、集会の自由を侵すことのないよう厳格に解釈されなければならず、これについては上告理由第一点で詳述したところである。
二 原判決は、一方では集会の自由を最も重要な基本的人権の一つであり地方自治の場でも最大限に尊重されねばならないとか、条例の解釈に当たっても、集会の自由や住民の公の施設の利用権を不当に制限することのないよう厳格に(判断)されねばならない、などの美辞を忘れずに掲げるだけでなく、条例七条の性格については、それが公の施設の維持、管理、利用関係調整のための「利用条件」を定めるものにほかならないことを判示している。
そうだとすれば、泉佐野市長には、まさに右施設の維持、管理、利用関係の調整という視点と範囲とにおいて市民からの使用申込みに対し平等かつ適切な取扱をなすべき法律上の権限ならびに義務があるとともに、他方では、それ以外にわたって特定の政治的団体が将来のいかなる時点で、また全国のいかなる場所で、どのような闘争行為をするやも判らないなどという広汎かつ不定量の事項についてまで判断し、裁量を下すような資格はない。市長にはそのような権限もなければ、そのような判断ないし裁量をさせる必要も全くない。
大阪府公安委員会は当日、南海泉佐野駅およびその付近の各商店街を通過して本件市民会館裏で解散するデモ行進について許可しているところであって、これと対比して泉佐野市長の不許可処分の不当であることは明らかである。
三 本件条例は、憲法、地方自治法の集会、表現の自由の保障と集会のための公の施設の設置を定め、これを公平に利用させることを保障している趣旨に従って解釈されるべきであるにかかわらず、原判決はこれに反する本件不許可処分を適法なものとしたのであって、本件条例の解釈を誤ったものである。
上告理由第三点 判決に影響をおよぼすことの明らかな経験則違背(集会参加人員にかんして)
第一 原判決の事実認定
原判決は、集会参加人員について次のように判示する。
「本件会館ホールの定員は、補助席を含めても一〇二八名であり、定員を超える集会等については、使用を許可しない取扱いであったこと、本件申請上本件集会の参加予定人員は三〇〇名とされていたが、本件集会の趣旨、目的、態様及び昭和五八年の同旨の集会には一一〇〇名を超える参加があったことは前記認定のとおりであり、さらに、原告らが本件不許可処分の執行停止申立事件(当庁昭和五九年行ク第四号)において、本件集会には約一〇〇〇名の参加が予定され、全関西実行委員会主催の集会にはこれまで一〇〇〇名から二〇〇〇名の参加があった旨主張していたものであって、これらを総合すると、本件集会の参加人員は三〇〇名程度にとどまらず、本件会館ホールの定員をはるかに超える可能性が高く(このことは、泉佐野市野出町海浜で実施された本件集会に約一〇〇〇名ないし二六〇〇名の参加があったことからも裏付けられる。)、原告国賀においてもこれを十分予想していたと推認できる。このような事態が本件会館の管理に支障を来すことは明らかであり、本件条例七条三号に該当するというべきである。」
すなわち、原判決は、「本件集会の参加人員は、三〇〇名程度にとどまらず、本件会館ホールの定員をはるかに超える可能性が高く、原告国賀においてもこれを十分に予想していたと推認できる」と認定しているのである。
第二 採証法則、経験則違背
しかし、被上告人が集会参加人員が本件会館の定員を超過することをもって、不許可事由とした旨主張するようになったのは、本件についての第一審訴訟の段階からであって、不許可処分をした昭和五九年四月二三日時点では右定員問題は考慮されていなかったものである。
本件処分がなされる以前に上告人国賀及び同森田は、被上告人の総務部長と交渉しているが、その交渉において本件集会の参加予定人員が定員を超えるので問題があるとの発言は聞いていない。
すなわち、被上告人が本件集会の参加人員が本件会館の定員を超過すると主張するところの事実は、本件申請上本件集会の参加予定人員は三〇〇名と記載されていたが、① 本件集会の趣旨、目的、態様、② 昭和五八年の同旨の集会には一一〇〇名を超える参加があったこと、③ 上告人らが本件不許可処分の執行停止申立事件において、本件集会には約一〇〇〇名の参加が予定されていると主張していたこと、④ 全関西実行委員会主催の集会にはこれまで一〇〇〇名から二〇〇〇名の参加があったこと、⑤ 泉佐野市野出町海浜で実施された本件集会に約一〇〇〇名の参加があったこと、の五点であるが、右②③④⑤の事実はいづれも、本件不許可処分がなされた後に被上告人が知った事情であるから、被上告人が本件不許可処分を下す際の判断資料としては、参加人員については、申請書記載人員以外確たる資料はなかったものである。
仮に、被上告人が本件集会の参加人員を考えていたとしても、本件集会が全国規模の集会であって参加人数も多いだろうという漠然とした予想だけであって、確かな資料でもって定員を超過すると判断したものでないことは明らかである(なお、被上告人が右②④の各集会の参加人数を知ったのは、本件訴訟になってからであることは被上告人が証拠として引用している書証が、上告人らより提出された甲号各証によっていることからも明らかである)。
従って、原判決が参加人員について認定の根拠として採証した事実は、いづれも本件不許可処分がなされた後に確知した事実であるから、それらの事実をもって不許可処分の際の被上告人の判断を正当化することはできず、判決に影響を及ぼすことが明らかな採証法則の違背があるというべきである。
しかるに、原判決は、参加人員について右のように違法な採証によって事実を認定したうえ「このような事態が本件会館の管理に支障を来すことは明らかであり、本件条例七条三号に該当するというべきである」と判示したことは、判断資料として用いるべきでない事実を根拠として事実を認定しているものであるから、原判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則違反があると言わざるを得ない。
第三 原判決の詭弁
なお、原判決は、「原告国賀、同森田は、本件申請につき館長との交渉過程で許可にならない旨聞かされていたが、館長は不許可の理由の中には原告国賀に関する事由も含まれていたので、理由をすべて明示することはしなかった。」と判示して、被上告人の主張の矛盾を糊塗しようとするが、参加予定人員の問題は上告人国賀の個人的事由とは関わりないことであるから、右理由でもって被上告人の主張の矛盾を正当化しうるものではない。
なお、この点について、許可決定権者たる被上告人が、上告人らの誠実な交渉過程で秘密主義を貫くことが許されず、それ自体が手続き違背である事は前述しているところである。
第四 調整義務を怠ったうえ、全国的抗議の高まりにより増加した参加人員を上告人らの不利に採証することは許されない
原判決は、「これらを総合すると、本件集会の参加人員は三〇〇名程度にとどまらず、本件会館ホールの定員をはるかに超える可能性が高い」と判示する。
しかし、本件会館ホールの定員は補助席を含めると一〇二八名である。
仮に、一〇〇〇名を少し超えるとしても、定員を僅かに超えるという程度ならば、入場券を発行する等して主催者が参加人員を調整することが可能であったのであるから、定員超過人員にならないように十分調整できたものである。
従って、明らかに調整不可能と思われる程の多くの集会参加者が集まると認められる場合でないかぎり、一律に定員超過の理由でもって不許可とすべきでない。
この点、前述したごとく、被上告人は施設管理権者として調整義務を有すると解する立場からすれば、僅かであるか否かにかかわらず当然調整義務を行使すべきという事になる。
なお、いづれの集会であっても、参加人員の正確な把握が困難なので、集会の成功を報告するために、多少参加人員を実数より多く報告することは応々にしてみられることである。
現に、泉佐野市野出町海浜で実施された本件集会の参加人員についても約一〇〇〇名から二五六〇名の参加があったと、報告者によって参加人員に差異が生じているものである。
従って、これらの報告のどの数字が正確なのかは慎重に判断されるべきであるが、これらの不明確な参加人員でもって一律に、定員超過として不許可処分を下すことは、集会の自由を不当に制限することになりかねないので、許されないというべきである。
原判決は、「泉佐野市野出町海浜で実施された本件集会に約一〇〇〇名ないし二六〇〇名の参加があった」ことを定員超過の裏付け証拠としているが、本件集会の参加者が、過去の同様の集会と比べて参加者が多かったのは、被上告人の不当な不許可処分が、全国的に伝わりこれに対して多くの人々が批判・抗議の意志を表すために参加したが故に増加したものであって、被上告人に責めある前提事実を抜きに、本件集会参加人員を上告人らに不利に採証することは、筋ちがいであり、論外であることは繰り返し言ってきたことであるにもかかわらず、原判決がこの点も第一審判決を是正することなく、容認しているのは許されない。
上告理由第四点 民事訴訟法第三九五条一項六号の違反
第一 概説
原判決には以下のとおり理由の不備ないし齟齬の違法がある。
上告人らは、表現の自由の行使に対する行政庁による事前抑制の基準として「明白かつ現在の危険」の理論を用いることは誤っていると主張するものであり、原判決の「明白かつ現在の危険」の理論の適用に関する事実の認定は証拠に基づいて合理的に認定されるものではなく、経験法則に違反するものであるが、この点についても先に論述した。
しかしながら、「明白かつ現在の危険」の理論による市民会館の使用不許可を合憲であるとしても、原判決の認定事実からは、とうてい本件使用申込を不許可とするに足りる「明白かつ現在の危険」があるとは認められず、これを存在するとした点で理由不備ないし齟齬の違法があることは明らかである。
第二 何についての「明白かつ現在の危険」か
原判決は、「明白かつ現在の危険」の理論の要件たる害悪として「他の人々の生命、身体、財産の安全を不当に侵害する」ことであると判断しているものと解されるが、他人の生命、身体、財産に対する不当な侵害が防止されるべき害悪であることについては右の安全を不当に拡張解釈するものでない限り、異論はないところであろう。原判決は「公の秩序」、「国の公安」といった漠然たる基準ではなく、市民の生命、身体、財産というより明確な価値に限定したわけである。
本件集会の開催自体によって、直接かつ即時に他人の生命、身体、財産が侵害されることが、「明白かつ現在の危険」の理論の適用の要件であることは当然である。
従って、問題は右の不当な侵害についての「明白かつ現在の危険」の有無である。
「明白かつ現在の危険」の理論によって本件不許可処分が合憲であるというためには、本件集会の開催によって、他人の生命、身体、財産に対する不当な侵害を生ずるという緊急の切迫した危険があり、会館使用を禁止するほか防止することができず、しかも本件集会と他人の生命、身体、財産に対する不当な侵害との間に不可避的な密接な因果関係がなければならないのである。
原判決は、本件集会の開催によって混乱が生じ、そのことが他人の生命、身体、財産に対する不当な侵害をもたらす危険があるとしているのであるから、問題は、本件集会が混乱する危険があったか否かということに帰着する。
第三 原判決の判断根拠と推論の欠落
一 原判決が本件において「明白かつ現在の危険」があったと判断した根拠は、判決文からすれば、次の状況があったと認定したことによる。
(1) 中核派が関西新空港反対闘争の一環として、昭和五九年四月四日に連続(放火)爆破事件を起して違法な実力行使を行い、本件集会をかかる闘争の延長線上にあるものと位置付けていた。
(2) 中核派は、本件集会の一参加団体に止まらず、その主体をなすか、または本件集会の動向を左右し得る有力な団体として重要な地位を占めるものであった。
(3) 上告人国賀は、昭和五六年の集会において混乱を惹起したことがある。
(4) 本件集会に中核派と対立する団体が介入するなどして本件会館内外に混乱が生ずることも多分に考えられた。
(5) 本件不許可処分前日の中核派も参加したデモ行進については、市民の間からも不安の声が挙がり、このような極左暴力集団に対しては本件会館を貸さないようにとの要望がなされていた。
二 右(1)ないし(5)の事実認定の不当性はさておき、このような状況があったとしたところで、本件集会の開催によって「少なからぬ混乱」が生じ、「一般市民の生命、身体、財産に対する安全を侵害するおそれがあること、すなわち公共の安全に対する明白かつ現在の危険があると判断したことは、真に無理からぬものというべく」という控訴審判決の結論部分を導き出すことは不可能であり、民事訴訟法第三九五条一項六号の理由不備ないし理由齟齬の違法がある。
三 すなわち前記(1)、(2)の事実についてみれば、本件集会に自ら積極的に参加しようとする中核派が、本件集会を成功させようと努力することこそ考えられても、混乱を持ち込むことを企図したり、混乱を引き起こしたりすることは考えられないことである。
四 また、前記(3)についてみれば、本件集会の主催者のひとりである上告人国賀が自ら集会に混乱を起こすことなど右同様あり得ないことである。
なお上告人国賀が昭和五六年に集会で起こした混乱というのも新空港に関する説明会において不当な発言、質問禁止に対し抗議の発言をしたというものであった。そして、この事実を被上告人の主張どおりに解釈したところで、本件集会の三年前の出来事が、本件の集会の混乱の発生とどう関連するのか理解することは不可能である。
五 前記(4)の中核派と対立する団体の介入のおそれについては、第一審判決において明確に否定されたところである。そして控訴審判決のいう「(他団体が)介入するなどして本件会館内外に混乱が生ずることも多分に考えられた」という「多分に考えられた」という程度では侵害の明白性、切迫性を認めることができないことも多言を要しない。
百歩譲って、他団体の介入があるとしても、集会内部での不規則発言等による円滑な進行の妨害以上のものを想定することはとうてい不可能であり、何故一般市民の生命、身体、財産に対する不当な侵害が発生するというのか理由は明らかでない。
六 前記(5)の「市民の間に不安があり、本件会館を貸さないようにという要望がなされていた」ということからも、それが混乱の発生と結びつくものではない。控訴審判決裁判所も、一般市民が本件集会の阻止、妨害をはかって違法な実力行使をすると想定しているとは思えず、右状況と混乱発生とがいかに関連するのか、全く理由は明らかにされていない。
七 以上のとおり、原判決の根拠とした状況事実のいずれをとっても、またそれらをすべてあわせて評価しても、本件集会の混乱発生その他「生命、身体、財産に対する不当な侵害」についての「明白かつ現在の危険」はとうてい導き出し得ないのである。
八 なお、念のため付言すると、仮に集会の開催に敵対する別の団体等の妨害行為が生じ安全が保たれないという事情があったとしても、かかる理由では施設の利用拒否は許されない。
そのような規制は集会の内容や主催団体の性格に基づく規制であって集会の自由の保障に反する(伊藤「憲法」二九〇ページ)。
そして、敵対する別の団体等の妨害行為が違法なものとなれば、規制されるべきは敵対団体の妨害行為であって集会ではない。
対立団体等の妨害を理由とする施設の利用拒否が是認されるのであれば、集会を開催させないためには、妨害行動を通告さえすれば良いことになり、そのような事態が集会の自由保障の趣旨に反することは明らかである。
九1 実際に本件集会の予定日である昭和五九年六月三日に野出浜海岸において開催された集会においては何の混乱も発生しなかった。そして集会終了後参加者によるデモが野出浜海岸を出発し、南海電車泉佐野駅およびその海側、山側の各商店街を通過して本件泉佐野市民会館裏で解散した(昭和六二年六月二日の金田稔証人調書一一丁表)が、別段混乱は生じなかった。
このデモが公安委員会の許可を得たものであることはいうまでもない。
そして、このデモにおいてもなんらの混乱は生じず、市民の身体、生命、財産が傷つけられるということも全くなかったのであり(昭和六三年八月四日の永井満本人調書一八丁表)、これに対する反証は全くない。
同様のデモは昭和五九年四月二二日にも行われ、またその後も何回か行われているのであるが、混乱が発生したことは全くない。
2 このように、公安委員会においてデモ行進を許可しているのであって、実際にも混乱が起こったことはないのである。
金田証人は普通のデモではないといいながら混乱の発生はなかったことを認めざるを得ず、かつ混乱の発生のおそれがあったことについて具体的な事実を挙げることは出来ず、客観的にみてデモ行進に混乱はなかったこと、またそのおそれもなかったことは明らかなのである。
3 このように、本件集会以前にも以後にも上告人らが関与して泉佐野市で行われたデモで混乱が発生したことがないことは、本件集会当時もまた同じ状況であったことを明らかにするものである。
4 公安委員会が日時、場所をほぼ共通にするデモ行進につき許可をしたところからしても、本件集会当時「明白かつ現在の危険」が存在しなかったことは明らかである。
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政治と選挙の裁判例「政党 衆議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧
(1)平成 9年 7月17日 大阪地裁 平5(行ウ)34号 違法支出金返還等請求事件
(2)平成 9年 6月26日 東京高裁 平6(ネ)3688号・平6(ネ)3881号・平6(ネ)3908号・平6(ネ)3960号 損害賠償請求控訴事件 〔日本共産党幹部宅盗聴損害賠償訴訟控訴審判決〕
(3)平成 9年 6月20日 静岡地裁 平4(ワ)307号・平7(ワ)481号 損害賠償請求事件 〔ヤマト運輸事件・第一審〕
(4)平成 9年 6月18日 東京高裁 平8(ネ)354号 損害賠償請求控訴事件
(5)平成 9年 5月30日 大阪地裁 平7(ワ)892号 損害賠償請求事件
(6)平成 9年 3月31日 秋田地裁 平4(行ウ)3号・平4(行ウ)5号・平6(行ウ)2号 違法公金支出差止請求事件、損害賠償請求事件
(7)平成 9年 3月21日 東京地裁 平5(刑わ)2020号・平5(刑わ)2442号・平6(刑わ)161号・平5(刑わ)2220号 収賄、贈賄等被告事件 〔ゼネコン汚職事件(宮城県知事ルート)〕
(8)平成 9年 3月21日 秋田地裁 平4(行ウ)3号・平4(行ウ)5号・平6(行ウ)2号 違法公金支出差止請求事件、損害賠償請求事件 〔秋田県・秋田市工業用水道料金補助・産廃処分場許可事件〕
(9)平成 9年 3月18日 大阪高裁 平8(行コ)35号 供託金返還請求控訴事件
(10)平成 9年 2月20日 大阪地裁 平7(行ウ)60号・平7(行ウ)70号 政党助成法に基づく政党交付金交付差止等請求事件
(11)平成 9年 2月13日 大阪高裁 平8(う)518号 業務妨害被告事件
(12)平成 9年 2月 7日 盛岡地裁 平5(ワ)339号 建物明渡請求事件
(13)平成 9年 2月 4日 東京地裁 平8(行ウ)31号 都非公開処分取消請求事件
(14)平成 8年12月25日 千葉地裁 平4(行ウ)8号・平4(行ウ)22号・平6(行ウ)24号 損害賠償請求(関連請求の追加的併合の訴え)、労働者委員選任処分取消等請求事件 〔千葉県地方労働委員会事件〕
(15)平成 8年12月20日 札幌地裁 平7(ワ)1598号 損害賠償等請求事件
(16)平成 8年10月28日 大津地裁 平7(行ウ)11号 損害賠償請求事件
(17)平成 8年 9月11日 最高裁大法廷 平6(行ツ)59号 選挙無効請求事件 〔参議院議員定数配分規定不均衡訴訟・大法廷判決〕
(18)平成 8年 8月 7日 神戸地裁 平7(行ウ)41号 選挙供託による供託金返還請求事件
(19)平成 8年 7月 8日 仙台高裁 平7(行ケ)3号 当選無効及び立候補禁止請求事件 〔青森県議会議員選挙候補者連座訴訟・第一審〕
(20)平成 8年 5月20日 大阪地裁 平4(ワ)8931号・平5(ワ)3260号・平5(ワ)3261号・平4(ワ)9972号・平4(ワ)8064号 各損害賠償請求事件 〔関西PKO訴訟判決〕
(21)平成 8年 4月10日 東京地裁 平6(ワ)23782号・平5(ワ)23246号 預金返還請求事件 〔自由民主党同志会預金訴訟判決〕
(22)平成 8年 3月29日 東京地裁 平5(特わ)546号・平5(特わ)682号 所得税法違反被告事件
(23)平成 8年 3月27日 大阪高裁 平6(ネ)3497号 損害賠償請求控訴事件
(24)平成 8年 3月25日 東京地裁 平元(ワ)14010号 損害賠償等請求事件
(25)平成 8年 3月19日 最高裁第三小法廷 平4(オ)1796号 選挙権被選挙権停止処分無効確認等請求事件 〔南九州税理士会政治献金徴収拒否訴訟・上告審〕
(26)平成 8年 3月15日 最高裁第二小法廷 平5(オ)1285号 国家賠償請求事件 〔上尾市福祉会館使用不許可に対する損害賠償請求訴訟・告審〕
(27)平成 8年 3月 8日 最高裁第二小法廷 平4(オ)78号 損害賠償請求事件
(28)平成 8年 1月18日 東京高裁 平7(行ケ)236号 当選無効及び立候補禁止請求事件
(29)平成 7年12月26日 東京高裁 平5(ネ)931号 航空機発着差止等請求控訴、同附帯控訴事件 〔厚木基地騒音公害第一次訴訟差戻後・控訴審〕
(30)平成 7年12月19日 大阪地裁 昭61(ワ)1542号 損害賠償等請求事件 〔小説「捜査一課長」訴訟〕
(31)平成 7年11月21日 東京高裁 平6(行コ)207号 建物取壊決定処分取消請求控訴事件
(32)平成 7年10月 9日 仙台高裁 平7(行ケ)2号 当選無効及び立候補禁止請求事件 〔山形県議会議員選挙候補者連座訴訟〕
(33)平成 7年 9月20日 東京地裁 平5(行ウ)301号 損害賠償請求事件
(34)平成 7年 6月22日 東京高裁 平6(行コ)26号 不当労働行為救済命令取消請求控訴事件 〔千代田化工建設事件・控訴審〕
(35)平成 7年 5月25日 最高裁第一小法廷 平7(行ツ)19号 選挙無効請求事件 〔日本新党繰上当選無効訴訟・上告審〕
(36)平成 7年 3月20日 宮崎地裁 平6(ワ)169号 損害賠償請求事件
(37)平成 7年 3月 7日 最高裁第三小法廷 平元(オ)762号 損害賠償請求事件 〔泉佐野市民会館使用不許可に対する損害賠償請求訴訟・上告審〕
(38)平成 7年 2月22日 東京地裁 昭49(ワ)4723号 損害賠償請求事件 〔全税関東京損害賠償事件〕
(39)平成 7年 2月13日 大阪地裁 平6(わ)3556号 政治資金規正法違反被告事件 〔大阪府知事後援会ヤミ献金事件〕
(40)平成 7年 2月 9日 大阪高裁 平6(ネ)292号・平4(ネ)2265号 損害賠償請求控訴、同附帯控訴事件 〔全税関大阪訴訟・控訴審〕
(41)平成 7年 1月26日 東京地裁 平5(行ウ)353号 損害賠償請求事件
(42)平成 6年12月20日 浦和地裁 平5(わ)564号 受託収賄被告事件
(43)平成 6年12月 9日 大阪地裁 平5(ワ)1384号 損害賠償請求事件
(44)平成 6年12月 6日 東京地裁 平2(ワ)2211号 除名処分無効確認請求事件
(45)平成 6年11月29日 東京高裁 平5(行ケ)108号 選挙無効請求事件 〔日本新党参議院議員比例代表選出繰上当選無効請求訴訟〕
(46)平成 6年11月25日 東京地裁 平6(ヨ)21141号 地位保全仮処分申立事件
(47)平成 6年11月15日 横浜地裁 昭51(ワ)1606号 損害賠償請求事件 〔東京電力(神奈川)事件〕
(48)平成 6年10月27日 名古屋高裁 平6(ネ)134号 慰謝料等請求控訴事件
(49)平成 6年10月25日 新潟地裁 平4(わ)223号 政治資金規正法違反被告事件 〔佐川急便新潟県知事事件〕
(50)平成 6年 9月30日 広島高裁 平5(行ケ)1号 衆議院議員定数配分規定違憲訴訟広島高裁判決
(51)平成 6年 9月 6日 東京地裁 昭63(ワ)12066号 共産党幹部宅盗聴事件
(52)平成 6年 8月31日 東京地裁八王子支部 平3(ワ)1677号 譴責処分無効確認等請求事件 〔日本電信電話事件〕
(53)平成 6年 6月 3日 東京高裁 平5(行ケ)134号 衆議院議員定数配分規定違憲訴訟東京高裁判決
(54)平成 6年 6月 3日 東京高裁 平5(行ケ)133号 選挙無効請求事件
(55)平成 6年 6月 3日 東京高裁 平5(行ケ)118号 選挙無効確認請求事件 〔衆議院議員定数配分違憲訴訟・第一審〕
(56)平成 6年 6月 3日 東京高裁 平5(行ケ)114号 選挙無効請求事件
(57)平成 6年 5月23日 千葉地裁 昭51(ワ)698号 損害賠償等請求事件 〔千葉東電訴訟判決〕
(58)平成 6年 4月26日 旭川地裁 平2(行ウ)1号 地方自治法第二四二条の二第一項に基づく住民訴訟事件
(59)平成 6年 3月31日 長野地裁 昭51(ワ)216号 損害賠償等請求事件 〔長野東電訴訟〕
(60)平成 6年 3月16日 東京高裁 平5(行コ)68号・平5(行コ)86号 所得税更正処分・過少申告加算税賦課決定処分取消請求各控訴事件
(61)平成 6年 2月 1日 横浜地裁 平2(ワ)775号 損害賠償請求事件
(62)平成 6年 1月31日 最高裁第二小法廷 平5(行ツ)158号 当選無効等請求事件
(63)平成 6年 1月31日 津地裁 平4(ワ)117号 慰謝料等請求事件
(64)平成 6年 1月27日 最高裁第一小法廷 平3(行ツ)18号 行政処分取消請求事件 〔大阪府知事交際費情報公開請求事件・差戻前上告審〕
(65)平成 6年 1月27日 東京地裁 平4(行ウ)126号 不当労働行為救済命令取消請求事件 〔千代田化工建設事件・第一審〕
(66)平成 5年12月24日 名古屋地裁 平5(わ)1207号 公職選挙法違反被告事件 〔参議院議員経歴詐称事件・第一審〕
(67)平成 5年12月22日 甲府地裁 昭51(ワ)289号 損害賠償請求事件 〔山梨東電訴訟〕
(68)平成 5年12月16日 大阪高裁 平4(行ケ)5号 選挙無効請求事件 〔参議院(選挙区選出)議員定数配分規定違憲判決〕
(69)平成 5年12月15日 大阪高裁 平5(行コ)17号 大阪府会議員運転手付自家用車供用損害賠償請求控訴事件 〔大阪府議運転手付庁用車供用損害賠償訴訟・控訴審〕
(70)平成 5年 9月10日 最高裁第二小法廷 平4(行ツ)46号 損害賠償請求上告事件
(71)平成 5年 8月24日 前橋地裁 昭51(ワ)313号 損害賠償請求事件 〔東京電力(群馬)事件〕
(72)平成 5年 7月20日 最高裁第三小法廷 平2(オ)1231号 建物明渡、地位確認等請求事件 〔日蓮正宗末寺事件・上告審〕
(73)平成 5年 7月15日 福岡高裁那覇支部 平4(行ケ)1号 当選無効等請求事件
(74)平成 5年 7月15日 福岡地裁大牟田支部 平5(わ)18号 強制執行不正免脱、公正証書原本不実記載、同行使被告事件
(75)平成 5年 6月29日 名古屋高裁 平5(行ケ)1号 当選の効力に関する審査裁決取消請求事件
(76)平成 5年 5月28日 徳島地裁 昭63(行ウ)12号 徳島県議会県政調査研究費交付金返還等請求事件
(77)平成 5年 5月27日 最高裁第一小法廷 平元(オ)1605号 会費一部返還請求事件 〔大阪合同税理士会会費返還請求事件・上告審〕
(78)平成 5年 5月25日 福井地裁武生支部 昭63(ワ)4号 損害賠償請求事件 〔福井鉄道事件〕
(79)平成 5年 5月13日 大阪地裁 平4(ワ)619号 損害賠償請求事件
(80)平成 5年 3月25日 仙台高裁 事件番号不詳 公職選挙法違反被告事件
(81)平成 5年 3月22日 福岡高裁宮崎支部 昭63(行コ)1号 行政処分取消請求控訴事件 〔宮崎県立大宮第二高校懲戒処分取消請求訴訟・控訴審〕
(82)平成 5年 3月22日 浦和地裁 平元(行ウ)4号 所得税更正処分・過少申告加算税賦課決定処分取消請求事件
(83)平成 5年 3月17日 東京地裁 平元(行ウ)219号 一般旅券返納命令処分取消請求事件
(84)平成 5年 3月17日 神戸地裁 昭62(ワ)1670号 損害賠償請求事件
(85)平成 5年 3月16日 札幌地裁 平元(わ)559号・平元(わ)561号・平元(わ)560号 受託収賄被告事件 〔北海道新長計汚職事件〕
(86)平成 5年 3月15日 東京地裁 平4(行ウ)175号 教科書検定合格処分無効確認等請求事件
(87)平成 5年 1月22日 東京地裁 平3(ワ)6321号 損害賠償等請求事件
(88)平成 5年 1月20日 最高裁大法廷 平3(行ツ)184号 選挙無効請求事件
(89)平成 4年12月24日 横浜地裁 昭49(ワ)847号・昭50(ワ)111号 損害賠償請求事件 〔全税関横浜訴訟・第一審〕
(90)平成 4年12月17日 名古屋高裁 平4(行ケ)1号 参議院議員選挙当選無効請求事件
(91)平成 4年11月25日 東京高裁 平4(く)200号 接見等禁止一部解除決定に対する抗告申立事件 〔東京佐川急便事件関連接見等禁止一部解除事件〕
(92)平成 4年11月24日 大阪地裁 平2(行ウ)81号・平2(行ウ)97号・平2(行ウ)94号 即位の礼・大嘗祭訴訟第一審判決
(93)平成 4年10月26日 東京地裁 昭61(ワ)4793号 損害賠償請求事件 〔報徳会宇都宮病院訴訟〕
(94)平成 4年10月23日 東京高裁 昭59(行コ)38号 事業認定処分取消請求、特定公共事業認定処分取消請求各控訴事件 〔成田空港訴訟・控訴審〕
(95)平成 4年 9月22日 大阪地裁 昭49(ワ)2701号 損害賠償請求事件 〔全税関大阪訴訟・第一審〕
(96)平成 4年 7月16日 東京地裁 昭60(ワ)10866号・昭60(ワ)10864号・昭60(ワ)10867号・昭60(ワ)10865号・平2(ワ)10447号・昭60(ワ)10868号 立替金請求併合事件 〔全逓信労働組合事件〕
(97)平成 4年 6月26日 大阪高裁 平2(う)966号 公職選挙法違反被告事件
(98)平成 4年 6月15日 東京地裁 平3(ワ)4745号 謝罪広告等請求事件
(99)平成 4年 4月28日 最高裁第三小法廷 昭60(オ)1427号 損害賠償請求事件 〔台湾住民元日本兵戦死傷者の損失補償請求事件・上告審〕
(100)平成 4年 4月24日 福岡高裁 昭62(ネ)551号・昭61(ネ)106号 選挙権被選挙権停止処分無効確認等請求控訴、附帯控訴事件 〔南九州税理士会政治献金徴収拒否訴訟・控訴審〕


政治と選挙の裁判例(裁判例リスト)

■「選挙 コンサルタント」に関する裁判例一覧【1-101】
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■「選挙 立候補」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政治活動 選挙運動」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「公職選挙法 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「選挙 ビラ チラシ」に関する裁判例一覧【1~49】
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■「政務活動費 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「演説会 告知 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「公職選挙法 ポスター 掲示交渉」に関する裁判例一覧【101~210】
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■「政治ポスター貼り 公職選挙法 解釈」に関する裁判例一覧【211~327】
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■「公職選挙法」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「選挙 公報 広報 ポスター ビラ」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「選挙妨害」に関する裁判例一覧【1~90】
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■「二連(三連)ポスター 政党 公認 候補者」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「個人(単独)ポスター 政党 公認 候補者」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 公認 候補者 公募 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 議員 政治家」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 公報 広報」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「国政政党 地域政党 二連(三連)ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「国政政党 地域政党 個人(単独)ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「公認 候補者 公募 ポスター 国政政党 地域政党」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政治団体 公認 候補者 告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政治団体 後援会 選挙事務所 候補者 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 衆議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 参議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 地方議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 代議士 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 ポスター貼り ボランティア」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 党員 入党 入会 獲得 募集 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政治団体 党員 入党 入会 獲得 募集 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「後援会 入会 募集 獲得 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
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■選挙の種類一覧
選挙①【衆議院議員総選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙②【参議院議員通常選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙③【一般選挙(地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙④【特別選挙(国政選挙|地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)


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(7)地域密着型ポスターPR広告貼り 地域密着型ポスターPR広告(街頭外壁掲示許可交渉代行)
街頭外壁掲示許可交渉代行/全業種 期間限定!貴社(貴店)ポスター貼り サイズ/枚数/全国エリア対応可能!
【対応可能な業種リスト|名称一覧】地域密着型ポスターPR広告(街頭外壁掲示許可交渉代行)貼り「ガンガン注目される訴求型PRポスターを貼りたい!」街頭外壁掲示ポスター新規掲示プランです。

(8)貼る専門!ポスター新規掲示! ☆貼!勝つ!広報活動・事前街頭(単独/二連)選挙ポスター!
政治活動/選挙運動ポスター貼り 勝つ!選挙広報支援事前ポスター 1枚から貼る事前選挙ポスター!
「政治活動・選挙運動ポスターを貼りたい!」という選挙立候補(予定)者のための、選挙広報支援プロ集団「選挙.WIN!」の事前街頭ポスター新規掲示プランです。

(9)選挙立札看板設置/証票申請代行 絶対ここに設置したい!選挙立札看板(選挙事務所/後援会連絡所)
選挙事務所/後援会連絡所届出代行 公職選挙法の上限/立て札看板設置 1台から可能な選挙立札看板設置
最強の立札看板設置代行/広報(公報)支援/選挙立候補者後援会立札看板/選挙立候補者連絡所立札看板/政治活動用事務所に掲示する立て札・看板/証票申請代行/ガンガン独占設置!


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