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政治と選挙Q&A「政治資金規正法 ポスター貼り(掲示交渉)代行」に関する裁判例(111)平成16年 5月28日 東京地裁 平5(刑わ)2335号・平5(刑わ)2271号 贈賄被告事件 〔ゼネコン汚職事件〕

政治と選挙Q&A「政治資金規正法 ポスター貼り(掲示交渉)代行」に関する裁判例(111)平成16年 5月28日 東京地裁 平5(刑わ)2335号・平5(刑わ)2271号 贈賄被告事件 〔ゼネコン汚職事件〕

裁判年月日  平成16年 5月28日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平5(刑わ)2335号・平5(刑わ)2271号
事件名  贈賄被告事件 〔ゼネコン汚職事件〕
裁判結果  有罪  上訴等  控訴  文献番号  2004WLJPCA05280001

要旨
◆被告人及び事件関係者の各供述経過を立証趣旨として請求された同人らの捜査段階における一連の供述調書、上申書等について、非供述証拠として証拠能力が認められた事例
◆大手ゼネコン幹部二名による元茨城県知事に対する現金供与の有無が全面的に争われた贈賄被告事件について、詳細な理由を付して贈賄の事実を認定し、被告人両名にそれぞれ執行猶予の付いた有罪判決が言い渡された事例

出典
裁判所ウェブサイト
判時 1873号3頁
新日本法規提供

評釈
伊藤博路・信州大学法学論集 9号213頁

参照条文
刑事訴訟法320条1項
刑事訴訟法321条1項1号
刑事訴訟法321条1項2号
刑事訴訟法322条1項
刑法197条1項(平7法91改正前)
刑法198条(平7法91改正前)
裁判官
中谷雄二郎 (ナカタニユウジロウ) 第30期 現所属 定年退官
平成27年11月28日 ~ 定年退官
平成25年3月2日 ~ 大阪高等裁判所(部総括)
~ 平成25年3月1日 大分地方裁判所(所長)、大分家庭裁判所(所長)
平成22年4月1日 ~ 東京高等裁判所
平成17年2月15日 ~ 平成22年3月31日 さいたま地方裁判所(部総括)、さいたま家庭裁判所(部総括)
平成12年1月4日 ~ 平成17年2月14日 東京地方裁判所(部総括)
平成10年4月1日 ~ 平成12年1月3日 東京高等裁判所
平成6年4月1日 ~ 平成10年3月31日 最高裁判所調査官
平成3年4月1日 ~ 平成6年3月31日 大阪地方裁判所
~ 平成3年3月31日 東京地方裁判所

杉山愼治

田岡薫征 (タオカノブユキ) 第54期 現所属 旭川家庭裁判所、旭川地方裁判所
平成29年4月1日 ~ 旭川家庭裁判所、旭川地方裁判所
平成26年4月1日 ~ 秋田家庭裁判所、秋田地方裁判所
平成24年4月1日 ~ 札幌地方裁判所、札幌家庭裁判所
平成22年4月1日 ~ 平成24年3月31日 札幌法務局訟務部付
平成20年4月1日 ~ 平成22年3月31日 釧路家庭裁判所北見支部、釧路地方裁判所北見支部
平成17年4月1日 ~ 平成20年3月31日 松江地方裁判所、松江家庭裁判所
平成13年10月17日 ~ 平成17年3月31日 東京地方裁判所

関連判例
平成15年 1月14日 最高裁第二小法廷 決定 平13(あ)884号 斡旋贈賄、斡旋収賄被告事件 〔ゼネコン汚職政界ルート事件・上告審〕
平成 9年10月 1日 東京地裁 判決 平6(刑わ)509号・平6(刑わ)571号 斡旋贈収賄被告事件 〔ゼネコン汚職政界ルート事件・第一審〕
昭和28年12月24日 福岡高裁 判決 昭28(う)2065号 関税法違反被告事件

Westlaw作成目次

主  文
理  由
(犯罪事実)
(事実認定の補足説明)
第1 本件の争点等
1 関係各証拠から明らかな事実
2 本件の争点
第2 Zの各検察官調書等の証拠能力
1 問題の所在等
2 Zの供述経過等
3 捜査段階の供述の任意性ないし…
第3 a建設関係者の各検察官調書の…
1 被告人Y1の各検察官調書の証…
2 被告人Y2の各検察官調書の証…
3 Hの各検察官調書の証拠能力
第4 本件の背景事情等
1 茨城県における公共工事の指名…
2 Zに対するゼネコン等からの資…
3 a建設の本件当時の経営環境、…
4 小山ダム建設工事の進捗状況、…
5 県庁舎及び県立医療大学各新築…
6 本件面談の目的
第5 本件贈賄について
1 問題の所在
2 事件関係者の捜査段階の各供述…
3 Zの供述の信用性
4 本件贈賄の謀議、準備及び実行…
5 結論
(確定裁判)
(法令の適用)
(量刑の理由)
1 事案の概要
2 被告人両名の刑事責任を基礎付…
(1) 公共工事における指名競争入札…
(2) もっとも、a建設は、本件当時…
(3) さらに、本件の結果、茨城県知…
(4) 加えて、後に個別の情状として…
3 被告人両名の刑事責任を基礎付…
(1) 被告人Y1関係
(2) 被告人Y2関係
4 被告人両名のために酌むべき事情
ア しかし他方、本件の背景には、…
イ また、被告人両名はいずれも、…
ウ そして、本件犯行の動機も、あ…
エ その他、被告人Y1は、前記確…
5 結論

裁判年月日  平成16年 5月28日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平5(刑わ)2335号・平5(刑わ)2271号
事件名  贈賄被告事件 〔ゼネコン汚職事件〕
裁判結果  有罪  上訴等  控訴  文献番号  2004WLJPCA05280001

上記の者らに対する各贈賄被告事件について、当裁判所は、検察官小林英樹、同小出幹及び同池田宏行並びに弁護人早川晴雄(主任)、同山崎惠美子、同宇津呂英雄、同小林将啓及び同薄金孝太郎各出席の上審理し、次のとおり判決する。

主  文

被告人両名をそれぞれ懲役1年6月に処する。
未決勾留日数中、被告人Y1に対しては70日を、被告人Y2に対しては140日を、それぞれその刑に算入する。
この裁判確定の日から、被告人Y1に対しては5年間、被告人Y2に対しては4年間、それぞれその刑の執行を猶予する。
訴訟費用のうち、証人A、同B、同C、同D、同E、同F、同G、同H、同I、同J、同牧野忠、同L、同M、同N、同O、同P、同Q、同R、同S、同T1、同T2、同T3、同T4、同T5、同内尾武博及び同長野哲生並びに鑑定人T8に関する分は、被告人両名の連帯負担とする。

 

理  由

(犯罪事実)
被告人Y1は、土木、建築等建設工事の請負等を業とするa建設株式会社代表取締役副社長の職にあった者、被告人Y2は、同社常務取締役建設総事業本部関東支店長の職にあった者、Zは、茨城県知事として、同県職員を指揮・監督し、同県が発注する各種公共工事に関し、請負業者選定のための指名競争入札の入札参加者の指名、発注予定価格の決定、請負契約の締結等の職務を統括管理していた者であるが、被告人両名は、共謀の上、平成4年12月22日、東京都千代田区平河町2丁目6番3号所在の都道府県会館内において、Zに対し、同県が発注した県立植物園温室新築工事等を同社が受注するに際し、指名競争入札の入札参加者に指名されるなどの好意ある取り計らいを受けたことに対する謝礼の趣旨及び将来同県が発注する予定の小山ダム建設工事、県庁舎新築工事、県立医療大学新築工事等について指名競争入札の入札参加者に指名されるなどの好意ある取り計らいを受けたいとの趣旨の下に現金2000万円を供与し、もって、Zの上記職務に関し賄賂を供与した。
(証拠の標目)(以下、各証拠を特定するため括弧内に付記する甲書《甲号証のうち証拠書類》・甲物《甲号証のうち証拠物》・物・人《検証を含む。》・乙書《乙号証のうち証拠書類》・乙物《乙号証のうち証拠物》の各番号は証拠等関係カード記載の検察官請求証拠番号を、弁書《証拠書類》・弁物《証拠物》・弁人《検証を含む。》の各番号は同カード記載の弁護人請求証拠番号を、職の各番号は同カード記載の職権取調べ証拠番号を、回数は人証が取り調べられ又は被告人質問が実施された公判期日の回数をそれぞれ示す。)
○ 被告人Y1の公判調書中の供述記載部分(122回~124回、126回、128回、130回~140回)及び検察官調書(4通。乙書12~15)
○ 被告人Y2の公判供述、公判調書中の供述記載部分(140回、141回)及び検察官調書(4通。乙書19~22)
○ 分離前の相被告人Zの公判調書中の供述記載部分(75回、76回、79回、81回~84回、87回~91回、93回~97回、99回~105回、107回、108回、110回~113回、115回~122回。ただし、76回は被告人Y1関係、81回は被告人Y2関係のみ)、裁判官調書(2通。職12(ただし、被告人Y2関係のみ)、14(ただし、被告人Y1関係のみ))及び検察官調書(7通。甲書131~137)
○ 証人P10の公判調書中の供述記載部分(4回、5回)、裁判官調書(謄本2通。甲48、49)及び検察官調書(抄本2通。甲書2、18)
○ 証人Dの公判調書中の供述記載部分(19回、22回、23回)及び検察官調書(抄本3通。甲書26、31、32)
○ 証人P1の公判調書中の供述記載部分(24回、25回)及び検察官調書(抄本3通。甲書29、30、34)
○ 証人Hの公判調書中の供述記載部分(32回~45回、47回~51回。ただし、49回は被告人Y1関係のみ)、裁判官調書(職3。ただし、被告人Y2関係のみ)及び検察官調書(甲書140)
○ 証人P2の公判調書中の供述記載部分(54回~59回)及び検察官調書(甲書35)
○ P3(謄本。甲書1)、P4(2通。甲書3、6)、C(謄本3通。甲書4、8、14)、G(甲書7)、P5(謄本。甲書16)、P6(抄本。甲書17)、F(謄本2通。甲書19、20)、P7(抄本。甲書22)、P8(抄本。甲書23)及びP9(謄本。甲書27)の各検察官調書
○ 商業登記簿謄本(甲書24)、実況見分調書(甲書95)
(事実認定の補足説明)
第1  本件の争点等
1  関係各証拠から明らかな事実
関係各証拠によれば、本件の前提となる事実関係として、以下の事実が明らかである。すなわち、
(1) a建設関係者等について
ア a建設の概要
(ア) a建設株式会社(以下「a建設」という。)は、天保11年(1840年)に創業し、昭和5年にいわゆる法人成りした(設立当初の商号は、株式会社a組)、土木、建築等建設工事の請負等を目的とする大手総合建設会社(いわゆるゼネコン)であり、平成4年4月期において、資本金が640億円余、従業員数が1万4000名余、売上高が約1兆9547億円、経常利益が約880億円に及ぶなど、我が国最大手のゼネコン企業のうちの1社であった。
(イ) a建設は、平成4年12月当時、東京都港区元赤坂1丁目2番7号に本店を置くほか、全国に本社の建設総事業本部に所属する支店を設置し、各支店ごとに管轄区域を決めていたところ、関東甲信一円については、東京支店が東京都及び千葉県の土木・建築工事を、関東支店が茨城、栃木、群馬、埼玉及び長野の各県の土木・建築工事並びに山梨県の土木工事を、横浜支店がその余を所管し、各支店の下に置かれた都内ないし各県の各営業所において、各担当地域内の土木・建築工事の営業、施工を行っていた。なお、昭和63年10月に東京支店及び関東支店が発足する以前は、関東甲信一円の土木工事については土木本部が、建築工事については建築本部がそれぞれ所管し、その下に置かれた都内ないし各県の各土木営業所が土木工事を、各建築営業所が建築工事をそれぞれ営業、施工していた。
(ウ) 茨城県内の官公庁及び民間発注の土木・建築工事については、従前、土木本部水戸土木営業所(後に茨城土木営業所に名称変更)が、建築工事については建築本部水戸建築営業所(後に茨城建築営業所に名称変更)が、それぞれその営業や施工を担当していたが、平成元年4月、茨城土木営業所と茨城建築営業所が合併して、茨城営業所(以下、その前後を問わず、「茨城営業所」という場合がある。)が発足し、その後は、関東支店の統括管理下において、同県内の土木・建築工事の営業や施工を担当していた。
イ 被告人両名の経歴、本件当時の地位等
(ア) 被告人Y1(以下「被告人Y1」という。)は、東京帝国大学工学部を卒業後、昭和22年にa建設に入社して、主に土木部門の職務に従事し、本社土木業務部第一部長、取締役土木営業部長、常務取締役土木営業部長、専務取締役、代表取締役専務取締役等を経て、昭和60年に代表取締役副社長に昇進し、本件当時もその職にあったが、本件による逮捕を契機として、平成5年11月に代表取締役副社長を辞任し、その後も、同社から顧問待遇を受けている。また、被告人Y1は、社団法人経済同友会(以下「経済同友会」という。)幹事、社団法人日本建設業団体連合会(以下「日建連」という。)広報副委員長、社団法人日本土木工業協会(以下「土工協」という。)契約制度研究委員会委員長、広報委員会委員長等の業界団体の役員を務めるなど、業界活動も精力的に行っていた。
(イ) 被告人Y2(以下「被告人Y2」という。)は、東京大学工学部を卒業後、昭和27年にa建設に入社して、主に土木部門の職務に従事し、取締役土木技術本部副本部長、常務取締役建設総事業本部土木技術本部長等を経て、平成4年6月に常務取締役建設総事業本部関東支店長に就任し、本件当時もその職にあり、平成5年6月には専務取締役建設総事業本部関東支店長に昇進した。しかし、被告人Y2は、本件による逮捕を契機として、同年11月に専務取締役関東支店長の職を辞任し、平成7年6月には取締役を退任して常任顧問になり、平成11年4月からは顧問の立場にある。
ウ その余のa建設関係者らの経歴、本件当時の地位等
(ア) P16(以下「P16」という。)は、昭和39年にa建設に入社して、主に経理部門の職務に従事し、昭和61年に本社主計部次長兼税務課長、平成4年5月に本社主計部担当部長にそれぞれ就任し、本件当時に至っており、平成5年9月から11月までの取調べ当時も上記職にあった。その後、P16は、取締役資金部長、専務取締役財務本部長を歴任し、平成12年7月から同年10月までの証人尋問当時も専務取締役財務本部長の職にあった。
(イ) H(以下「H」という。)は、昭和38年にa建設に入社して、主に経理部門の職務に従事し、土木本部東京東部出張所(後に関東支店東部出張所に名称変更)次長等を経て、平成3年2月に建設総事業本部関東支店(以下「関東支店」という。)茨城営業所副所長、平成4年6月に関東支店経理部長にそれぞれ就任し、本件当時に至っており、平成5年10月から12月までの取調べ及び平成7年9月から平成8年11月までの証人尋問当時も上記職にあった。
(ウ) P2は、昭和36年にa建設に入社した後、土木部門の職務に従事し、工事事務所長等として、主に関東地方の土木工事現場を回り、昭和60年4月に土木本部茨城土木営業所(平成元年4月以降は茨城営業所)次長、昭和61年4月に同副所長に昇進し、本件当時及び平成5年10月から平成6年1月までの取調べ当時もその職にあった。その後、P2は、平成8年10月、関東支店次長に昇進し、平成9年1月から同年6月までの証人尋問当時も上記職にあった。
(エ) D(以下「D」という。)は、昭和33年にa建設に入社して、昭和49年から茨城土木営業所(平成元年4月以降は茨城営業所)に勤務し、昭和59年に同所長、平成5年3月から関東支店次長兼労務安全部長の職に就き、平成5年10月及び11月の取調べ当時並びに平成6年11月及び12月の証人尋問当時も上記職にあったが、平成7年3月に同社を退社し、平成11年3月の証人尋問当時は、民間会社に勤務していた。
(オ) P1は、昭和30年にa建設に入社して、主に建築関係の職務に従事し、昭和60年から茨城建築営業所副所長、同所長を歴任して、平成元年4月から関東支店営業部長兼茨城営業所統括副所長、平成5年3月からは茨城営業所所長の職に就き、同年10月及び11月の取調べ当時も上記職にあり、平成7年1月及び2月の証人尋問当時は、関東支店次長兼営業統括部長の職にあった。
(カ) E(以下「E」という。)は、昭和29年にa建設に入社して、昭和50年ころから昭和58年12月まで茨城土木営業所副所長として勤務し、その後、土木本部営業部長兼茨城土木営業所参与を経て、昭和63年10月から関東支店営業部長の職にあったが、平成4年3月に同社を退社し、平成5年11月から平成6年2月までの取調べ当時並びに平成7年3月及び4月の証人尋問当時は、民間会社の代表取締役の職にあった。
(2) 茨城県関係者等について
ア Zの経歴、本件当時の地位、職務権限等
(ア) Z(以下「Z」という。)は、旧制水戸高等学校、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、昭和17年に厚生省に入省し、兵役等を経て、昭和23年に建設省に入省し、人事課長、都市局長等を務め、首都圏整備委員会事務局長を最後に、昭和45年10月に同省を退職した。Zは、翌46年6月施行の参議院議員選挙に茨城地方区から立候補して初当選したが、昭和50年3月に任期途中で辞職し、同年4月施行の茨城県知事選挙に立候補して初当選し、以後、5期連続して同県知事を務め、本件当時も上記職にあった(平成5年8月辞職)。
(イ) Zは、本件当時、地方自治法に基づき、茨城県知事として、同県を統轄し、これを代表し、同県の事務を管理するとともにこれを執行し、同県職員を指揮監督する職務権限を有しており、同法、同法施行令及び同県内部規程に基づき、上記「県の事務」に含まれる各種公の施設の設置、管理に関し、県内の公共工事について、指名競争入札の入札参加者の指名、発注予定価格の設定、請負契約の締結等の権限を有していた。
イ 指名業者決定に関わる茨城県の組織の概要等
(ア) 茨城県では、地方自治法、同県行政組織条例及び同規則に基づき、各部課を設置し、知事の権限に属する事務を分掌させていたが、県発注の土木・建築工事に関する事務は土木部に分掌され、さらに、各種工事等に関する事務が同部内に設置された各課に分掌されており、このうち、ダム建設工事はダム砂防課、県有住宅を除く県有建築物の建築工事に関する事務については営繕課の各所管とされていた。
(イ) 土木部では、県発注の土木・建築工事の入札・契約手続も担当していたが、指名競争入札の参加業者選定は、内部規程により、土木部内に、土木部長を長とし、次長、技監、都市局長及び各課長で構成するいわゆる部委員会、建築三課の各課長以下の課員で構成するいわゆる三課合同委員会並びに各課の課長以下の課員で構成するいわゆる課委員会が設置され、工事の予定金額に応じて各委員会に指名業者の決定権限が分掌されていた。
ウ 茨城県関係者の本件当時の地位、職務等
(ア) P4(以下「P4」という。)は、昭和60年4月に建設省から出向して茨城県土木部長に就任し、以後、昭和63年3月まで上記職にあり、土木部所管事務全般を統括するほか、前記部委員会の委員長として、同県発注公共工事の指名競争入札の指名業者の決定に関与していた。なお、P4は、上記職を最後に退職し、平成5年8月の取調べ当時は、民間設計事務所を経営していた。
(イ) G(以下「G」という。)は、P4の後任として、昭和63年4月から同県土木部長に就任し、以後、平成3年3月まで上記職にあり、P4と同様の職務に従事していた。なお、Gは、平成5年8月の取調べ当時並びに平成7年6月及び7月の証人尋問当時は、民間会社に勤務していた。
(ウ) C(以下「C」という。)は、Gの後任として、平成3年4月に建設省から出向して同県土木部長に就任し、本件当時も同職にあり、P4及びGと同様の職務に従事していた。なお、Cは、平成5年1月に建設省土木研究所に転出し、同年8月から平成6年1月までの取調べ当時も上記職にあり、平成6年9月から11月までの証人尋問当時は財団法人理事の職にあった。
(エ) P10(以下「P10」という。)は、昭和36年に茨城県職員として採用され、土木部建築課、同住宅課等の勤務を経て、平成3年4月土木部営繕課長に就任し、以後、平成6年3月31日までの間、同課長として、同課所管事務全般を統括するほか、前記部委員会、三課合同委員会及び課委員会の構成員ないし委員長として、同県発注公共工事の指名競争入札の指名業者決定に関与していた。なお、P10は、平成5年8月から同年10月までの取調べ当時は上記職にあり、平成6年4月から6月までのZに対するe建設株式会社(以下「e建設」という。)幹部からの収賄被告事件(東京地方裁判所平成5年刑(わ)第1962号。以下、e建設幹部からの収賄事件を「eルート」又は「eルート事件」という。)及び本件における証人尋問当時は土木部都市局建築指導課長の職にあった。
(オ) また、同県土木部ダム砂防課長の職は、昭和63年4月から平成元年5月まで立原信永が、平成元年6月から平成4年3月までA(以下「A」という。)が、平成4年4月から平成5年3月までB(以下「B」という。)が、平成5年4月から廣澤行雄がそれぞれ務めて、同課所管事務全般を統括しており、同課課長補佐の職は、平成4年4月から平成6年3月まで、Fが務めていた。なお、上記の者らはいずれも、平成5年8月の取調べ当時もその後の証人尋問当時も、茨城県職員又は同県関連団体役員の職にあった。
(3) 本件面談の概要
被告人Y1は、P2の依頼に応じて、平成4年12月22日(以下「面談当日」という。)、被告人Y2及びP2と共に、判示の都道府県会館(以下「都道府県会館」という。)に当時茨城県知事であったZを訪問し、同会館内において、Zと面談した(以下「本件面談」という。)。
2  本件の争点
被告人両名はいずれも、公判段階において、本件面談の事実は認めるものの、現金を供与した事実を否認し、本件面談の趣旨は儀礼的なあいさつであり、Zに対して、茨城県発注の工事をa建設が受注するに際し、有利便宜な取り計らいを受けたことに対する謝礼及び同県が今後発注する小山ダム建設工事等の受注に関して同様の有利便宜な取り計らいを受けたい旨の陳情をしたこともないと供述している。また、公判段階において、Zも、被告人両名の供述に沿い、本件面談の際に現金授受はなかった旨供述し、Hは、被告人両名の供述に沿い、被告人Y2を介して被告人Y1から現金準備の指示を受け、これを準備したことはなかった旨供述する。
ところが、被告人両名を含む上記の者らはいずれも、捜査段階における検察官の取調べに対しては、本件面談の際の現金の授受(以下「本件現金授受」ということもある。)について認めるか、これを裏付ける供述をし、本件面談の趣旨についてもZに対する上記のような謝礼及び陳情であった旨の供述をしていたところ、弁護人らは、上記の者らの各検察官調書の証拠能力及びその内容の信用性を争い、被告人両名の各公判供述に沿って、本件現金授受の存在を否定し、被告人両名はいずれも無罪である旨主張する。
そこで、以下、被告人両名及び上記関係者らの各検察官調書の証拠能力及びその供述内容の信用性を中心としながら本件現金授受の有無及びその趣旨について検討することとする。
第2  Zの各検察官調書等の証拠能力
1  問題の所在等
(1) 問題の所在
ア 検察官は、Zの検察官調書のうち9通(甲書129~137)について、刑訴法321条1項2号後段に基づき取調べを請求した。
イ これに対し、弁護人は、Zの後記のような公判供述に基づき、Zの捜査段階の自白が任意性に欠けるとともに公判段階の供述よりも特に信用すべき情況の下でされたものでないこと、すなわち、Zの検察官調書等は、Zの供述に基づくものではなく、検察官が押し付けて作成したものであり、特に平成5年8月18日(以下、第2及び第3の各項において、同年中の捜査状況については、「平成5年」の表記を省略する。)以降の検察官調書は、検察官の偽計に基づく違法な取調べにより、Zが大鶴検事に対する心底からの恐怖感に基づく精神及び思考の錯乱の中で重大な錯誤に陥った末に誤信させられ、その影響の下に作成されたものであって、いずれも任意性はもとより特信性がないことは明らかであるから、検察官請求に係るZの前記検察官調書9通にはいずれも証拠能力がない旨主張する。すなわち、
(ア) 本件でZの取調べを担当した東京地方検察庁特別捜査部(以下「東京地検特捜部」という。)所属の大鶴基成検事(以下「大鶴検事」という。)は、Zが7月23日の突然の逮捕により大きなショックを受けて頭が混乱した状態にあるのに付け込んで、〈1〉Zに対し、ゼネコンからもらった政治献金の一覧表を書かせた上、これらが賄賂であると決め付けて、捜査を引き延ばすと脅す一方、正直に話せば線引きをして全部は起訴しないと利益誘導し、〈2〉Zが交際していた女性について、うそを付いたら全部プライバシーをばらす、Zが保有する多額の財産について、国税当局に全部取り上げさせる、県庁職員を洗いざらい調べるなどと言って脅し、〈3〉「金をもらったような気がするというのは、どこでいつもらったか分からなくても、金をもらった記憶がある、金をもらったということだ。」という特異な記憶論を押し付けるなど、強引な取調べを行って、虚偽内容の自白調書等に署名指印させるなどした。
(イ) 株式会社f組(以下「f組」という。)のP11会長(以下「P11」という。)からの一連の収賄事件(以下、f組幹部からの収賄事件を「fルート」又は「fルート事件」という。)について、8月13日に行われた起訴後の勾留質問で、Zが事実を否認するや、大鶴検事は、「あなたのことはもう絶対に許さない。私だけではない。あなたのことは、本部の者も皆、うそ付きだと言って怒っている。総長もあなたのことをうそ付きだと言って怒っている。もうこれからは、どんな小さな罪でも、あなたの罪は徹底的にやる。女のこともばらす。」と激しい口調で叱責して、Zを恐怖で震え上がらせ、Zをして、大鶴検事を恐れる余り、記憶にないことまで認めざるを得ない心境に追い込み、自分の言うがままの上申書を作成させ、供述調書に署名指印させていった。
(ウ) さらに、大鶴検事は、同月17日、Zが本件当時に行った割引債券の新規購入(新たに割引債券を購入すること)や買い増し(既に保有している割引債券に現金を足して額面の大きな割引債券に乗り換えること。以下「買い増し」という。)の原資が被告人Y1から受け取った現金であったという虚偽の事実を伝えることにより、Zを偽計して誘導し、誤信したZをして、被告人Y1から2000万円を受け取ったとする内容の自白調書(乙物8)の作成に応じさせた。ところが、その夜に記憶を喚起したZから、上記割引債券の新規購入等の原資は、c工業株式会社(以下「c工業」という。)顧問のL(以下「L」という。)及びd工業株式会社(以下「d工業」という。)会長のT10(以下「T10」という。)から受け取った現金で賄ったから、被告人Y1からは1000万円もの大金をもらっていないとして、調書の訂正を求められるや、Zが上記割引債券を新規購入したのはその日の午前中で、LやT10と会ったのはその日の午後であったという虚偽の事実を繰り返し伝えて偽計し、その反論を封じることによって、翌18日以降も、被告人Y1から2000万円を受け取ったことを認める自白調書(乙物67、69等)の作成に応じさせた。
(エ) 大鶴検事は、9月7日、Zに対し、当時のZの弁護人が捜査情報をマスコミに発表することを批判して、その解任を勧める不当な干渉を行うことにより、その弁護人を交替させており、捜査における適正手続を逸脱する不当極まりないものである。
(オ) 大鶴検事は、その後も、Zが自己の意に沿う供述をしないと、Zに対し、「全部起訴する。求刑は極刑にする。」、「あなたの体中を錐で刺してやりたい気持ちだ。」などと言って脅迫し、引き続き自己の意向に沿った自白調書の作成に応じさせていったものである。
ウ そこで、以下、検察官請求に係るZの前記検察官調書9通(甲書129~137)の任意性、特信性の有無について検討することとする。
(2) 特信性の判断資料として請求されたZの検察官調書等の証拠能力
ア 検察官の証拠請求
検察官は、Zの上記検察官調書9通(甲書129~137)の特信性立証のために、以下の証拠の取調べを請求した。
(ア) 非供述証拠としての請求
〈1〉 上記検察官調書9通を含むZの捜査段階における一連の検察官調書55通(乙物1~21、42、44~46、48~51、53~55、58~62、67~72、74、76、77、79、80、83、86~91。ただし、乙物1、42、79はいずれも抄本。甲書129は乙物4、甲書130は乙物61、甲書131は乙物6、甲書132は乙物7、甲書133は乙物12、甲書134は乙物83、甲書135は乙物17、甲書136は乙物18、甲書137は乙物20とそれぞれ同一である。)、弁解録取書2通(乙物47、84)及び勾留質問調書2通(乙物52、85)並びにZ作成名義の上申書等の書面13通(乙物43、56、57、63~66、73、75、78、81、82、92)
〈2〉 eルートにおけるZの被告人質問調書20通(乙物22~41)
(イ) 刑訴法321条1項1号後段に基づく請求 eルートにおけるZの被告人質問調書4通(甲書125~128)
イ Zの一連の検察官調書等の非供述証拠としての証拠能力
(ア) 弁護人は、Zの上記検察官調書等72通(乙物1~21、42~92)及びeルートにおける上記被告人質問調書20通(乙物22~41)を非供述証拠として取り調べることは、伝聞法則の潜脱に当たり、弁護人の反対尋問権を侵害するものであるから、上記検察官調書等及び被告人質問調書はいずれも非供述証拠としても証拠能力がない旨主張する。
(イ) しかしながら、上記検察官調書等及び被告人質問調書はすべて、非供述証拠として請求されたものであり、Zの供述経過のみが立証趣旨とされている。しかも、上記各被告人質問調書がZのeルートにおける供述を録取したものであることは、当裁判所に顕著な事実であり、また、上記検察官調書等についても、本件におけるZに対する一連の被告人質問によって、そのいずれも、Zが自ら署名指印し又は作成したものであることが明らかとなり、関連性が立証されるとともに、Zの捜査段階における供述経過も具体的に立証されている。さらに、本件被告人質問の際には、本件弁護人だけでなくZの弁護人からも、Zの上記検察官調書等の信用性を弾劾する趣旨からの詳細な質問がされ、また、上記被告人質問調書についても、後にみるとおり、その供述経過について質問する機会が十分あったのである。このように、上記検察官調書等及び被告人質問調書により、Zの捜査段階における供述の真実性まで立証される余地はなく、その供述経過については、反対尋問が十分に尽くされ、あるいは少なくともその機会が十分あったのであるから、上記検察官調書等及び被告人質問調書を非供述証拠として採用しても、弁護人の反対尋問権を何ら侵害することにはならないし、伝聞法則に反しないことも明らかである。したがって、弁護人の上記主張は理由がない。
ウ Zのeルートにおける被告人質問調書の証拠能力
(ア) 弁護人は、Zのeルートにおける前記被告人質問調書4通(甲書125~128)について、反対尋問の機会が与えられていないから、刑訴法321条1項1号後段の要件を欠き、証拠能力がない旨主張する。
(イ)a しかしながら、Zのeルートにおける被告人質問調書のうち第40回から第50回まで、第52回から第54回まで及び第58回から第63回までの各公判期日に関する20通(乙物22~41。ただし、乙物29は甲書125、乙物30は甲書126、乙物38は甲書127と同一である。)については、検察官から、平成10年11月26日に非供述証拠として取調べが請求されており、これに先だって弁護人に証拠開示されていたことがうかがわれる。しかも、検察官は、このうちの第48回公判期日の被告人質問調書(乙物30・甲書126)について、本件第100回公判期日(平成12年6月16日)のZに対する被告人質問の中で、検察官指摘の相反部分につき指摘している。
また、Zのeルートにおける第104回公判期日の被告人質問調書(甲書128)については、検察官から、他の上記被告人質問調書3通(甲書125~127)と共に、本件第162回公判期日(平成15年2月28日)に、本件での被告人質問におけるZの供述との相反部分を指摘して、刑訴法321条1項1号後段に基づく取調べが請求されており、これに先だって弁護人には証拠開示されていたことがうかがわれる。
そして、Zに対しては、本件においても、第75回(平成10年9月25日)から第122回(平成13年7月6日)までの公判期日の間に38期日にわたって被告人質問を実施し、本件弁護人からも、第119回(同年5月25日)ないし第121回(同年6月22日)の各公判期日に詳細な質問がされている。しかも、本件では、第173回公判期日(平成15年8月1日)まで、Zに対する被告人両名からの収賄被告事件を併合して審理し、各公判期日には、Zが原則として出頭していたところ、上記証拠請求のあった第162回公判期日以降も、弁護人からは、Zに対する補充的な被告人質問の申出はなかったのである。
b このように、弁護人は、Zのeルートにおける上記被告人質問調書4通のいずれについても事前に開示を受けており、続行中の被告人質問の中で、あるいは補充的な被告人質問を新たに申し出ることにより、Zに対する反対尋問をする機会は十分にあったというべきであるから、弁護人の前記主張は、すべてその前提を欠くものとして、採用することができない。
2  Zの供述経過等
(1) 関係各証拠によれば、Zの捜査段階の供述経過等として、次のような事実が認められる。すなわち、
ア(ア) Zは、7月23日午前から、滞在先である都内のホテルの客室で、大鶴検事の任意の取調べを受けて、その際、証拠隠滅の状況やf組のP11との面談状況に関する検察官調書3通(乙物44~46)が作成された。
(イ) Zは、同日夕刻、当時の大森区検察庁に任意同行され、午後7時13分にfルート事件で逮捕されたが、その逮捕事実である現金授受について、逮捕直後の弁解録取の時点から、「確かに平成2年2月下旬にP11会長から知事公館で1000万円をもらった記憶はあると思います。」と述べて、当初からこれを認める供述をしており(乙物47)、7月25日に行われた勾留質問でも、「その日時にP11さんから1000万円くらいのお金をいただいたような気がする。場所については、公舎でなく隣の県の公館であった記憶がある。」などと述べて、趣旨はともかく、現金を受け取った事実については否定していない(乙物52)。
イ 上記逮捕の翌日である7月24日夜、大鶴検事が、f組以外のゼネコンからも現金をもらっていないかどうか尋ねたところ、Zは、政治献金であるとの留保を付けつつも、a建設を始めゼネコン数社から現金を受け取ったことを認めて、平成4年に現金をもらったゼネコンの名称、金額等を記載した一覧表を作成し、その後の取調べにおいて、a建設関係は、同年に被告人Y1から茨城県東京事務所で現金1000万円をもらった旨の検察官調書(乙物42)が作成された(Z79回、大鶴154回等)。
ウ(ア) Zは、7月25、6日ころ、改めてf組以外のゼネコンから受け取った現金に関するメモ(乙物43)を作成したが、a建設関係は、時期について「平4」の記載の右横に「or平3」と書いて消した後に「頃」を挿入し、相手の氏名について「Y1副社長」、金額について「500万-1000万」と記載して、場所は空欄とした。
(イ) さらに、Zは、同月27日の取調べの際にも「平成4年ゼネコンからもらった政治献金」と題する一覧表を2枚作成し、その1枚目(乙物57)には、政治献金をしたゼネコンの筆頭として、会社名を「a建設」、担当者を「多分Y1副社長」、金額を「500万-1000万」、工事名を「おそらく県庁新設の希望を含む」と記載した。ところが、3番目以下に記載した他のゼネコンに関する工事名欄に誤って現金授受の場所を記載したため、大鶴検事から書き直しを求められて、2枚目(乙物1の検察官調書に添付のもの)を作成したが、その際、a建設関係について、上記一覧表と同旨の記載をしたほか、現金授受の場所については「分からない」と記載して、その一覧表と同旨の検察官調書(乙物1)が作成されている。
エ(ア) その後しばらくは、fルート関係のほか、Zの身上経歴や知事としての職務権限、茨城県発注の工事計画の進捗状況、ゼネコンからの継続的な多額の現金の収受、その使途、証拠隠滅等の総論的事項に関する取調べが続き、8月12日、fルート事件として、従来の勾留事実に3件を加えた4件の収賄事実で起訴された。これに伴い、検察官から勾留請求があったが、翌13日に行われた勾留質問の中で、Zは、上記公訴事実のうち平成4年の3000万円収賄については、記憶にない旨供述した。
(イ) Zは、同月14日、大鶴検事から、勾留質問における供述について問いただされて、「裁判官殿 1.はっきりした記憶がないと言ったのは、そのとき情景について具体的にはっきりした記憶がないということを言ったのであります。 2.供述調書と矛盾することを言ったのではありません。」と記載した上申書(乙物92)を作成した。
オ その後、大鶴検事が余罪の取調べを再開したが、その過程において、Zは、a建設関係では、同月15日付けで1通、翌16日付けで2通の各上申書を作成している。すなわち、
(ア) Zは、同月15日付けで合計8通の上申書を作成したが、そのうち「a建設について」と題する上申書(乙物64)において、「最近では、昨年Y1副社長が県庁か県公館に来られ、私と会いました。主な話は、諸工事受注のお礼、県庁舎新築工事のお願いがありました。」、「県立医療大学については、このとき聞いていたかどうか分かりません。」、「Y1副社長来庁の折、お金をもらったかどうかはっきりとは覚えておりませんが、お金をもらったと思います。1000万円ぐらいから2000万円ぐらいだと思います。」、「その後、本年(平成5年)初めになって、小山ダムについては受注をしない、受注したいという希望を放棄する、ただし、指名には入れてもらいたいという話が、確か電話で本社の相当上のクラスの重役(Y1副社長ではない人)からありました。」などと記載している。
(イ) また、翌16日付けの「a建設についての説明の訂正」と題する上申書(乙物66)では、上記「a建設について」のうち、小山ダムを受注したいという希望を放棄する旨の話は、平成5年5月末か6月ころに、「Y1副社長の代わりだという人」が県公館に来てしたと訂正する旨の記載をした。
(ウ) 次いで、同日付けの「a建設についての説明」と題する上申書(乙物65)では、「昨年Y1副社長に会ったのは、昨年暮れの国の予算案編成の終盤近く、私が上京していた折です。昨年12月下旬ころと思います。場所は、都道府県会館の知事談話室で約15分ぐらいだったと思います。諸工事受注のお礼とともに、県立医療大学の建築を受注したいということと県庁舎建築についても受注したい旨の陳情があったと思います。Y1副社長来訪の折、この知事談話室でお金の入っている封筒を受け取りました。金額は1000万円か2000万円ぐらいだったと思っています。」などと記載し、併せて被告人Y1らと面談した際の同室での着席位置等についての図面も記載している。
カ(ア) 同月17日付け検察官調書(乙物8)には、その時点のまとめの調書として、本件収賄の状況について、上記上申書2通(乙物64、65)をより詳しくした内容の記載及び添付図面があるほか、被告人Y1から受け取った現金は1000万円ではなく2000万円だったのではないかと思うこと、その使途等として、平成4年12月24日に、当時の株式会社日本興業銀行(以下「興銀」という。)本店での割引債券の新規購入に1707万円、興銀日本橋支店での割引債券の買い増しに190万円の合計1897万円を使ったことなどが記載されている。
なお、大鶴検事は、その日に、Zに対し、当時、茨城県職員でZの随行秘書を務めていたM(以下「M」という。)がZの行動記録を付けていたノート(M74回の速記録末尾に写しを添付したもの。以下「Mノート」という。)のうち、平成4年12月22日から24日までの欄に基づいてその間のZの行動日程を説明し、Zに記憶を喚起させている(乙物67参照)。
(イ) ところが、翌18日付け検察官調書(乙物67)には、最初に、平成4年12月24日にc工業のLから200~300万円、d工業のT10からも1200~1300万円もらっているので、被告人Y1からもらったのは200万円か300万円だったのではないかと思う旨の記載がある。
次いで、大鶴検事からの、Zが200万円か300万円と話したことはないとの指摘、さらに、昨日、平成4年12月22日から24日までの行動日程を時刻を含めて説明したことを書き取ったメモを見て、もう一度考えるとどうなるかとの質問の記載があった後に、これに対するZの答えとして、「私が今日の取調べの冒頭で話したことは勘違いでした。昨日教えてもらった行動日程では、私は24日の午前中に興銀等に出掛けていますが、LさんやT10さんと会ったのは、24日の午後のことです。ですから、ワリコー(興銀発行の割引債券)を買い増すのに充てた1897万円の中にLさんとT10さんから受け取った現金が含まれていることはあり得ません。」、「やはりY1副社長からもらった金の額は2000万円だったのではないかと思います。その中からワリコーの買い増しに1897万円を使い、22日にb建設の副社長(b建設工業株式会社(以下「b建設」という。)副社長のQ(以下「Q」という。))からもらった200~300万円とLさん及びT10さんからもらった金の合計1700~2000万円くらいを水戸に持ち帰って知事公舎の段ボール箱の中にしまったと思います。」と記載されている。
キ(ア) 8月20日付け検察官調書は2通ある。
a そのうち1通(乙物68)には、昨日午前、伊藤卓蔵弁護士(以下「伊藤弁護士」という。)と面会した際、面談当日に被告人Y1から受け取った大型封筒の中身は、同被告人の対談集である書籍1冊であったことを思い出した、したがって、大型封筒に1000万円か2000万円が入っていたという記憶もなくなった旨記載されている。
b ところが、他の1通(乙物69)には、「先ほど、私は検事にうそを付いていました。」とした上で、伊藤弁護士から、a建設側が、面談当日、被告人Y1は対談集1冊を大型封筒に入れて渡しただけで、お金は一切渡していないと話していることを聞いて、同弁護士に、本をもらっていることを話すと、同弁護士から、「それならば、検事に、Y1副社長からもらった大型封筒にはその本が入っていたと言いなさい。お金については記憶にないと言いなさい。」などと言われたので、この助言に従った旨記載されている。
(イ) さらに、翌21日付け検察官調書も2通ある。
a そのうち1通(乙物70)には、伊藤弁護士ら弁護人との一連の接見状況について記載されており、その中で、Zは、面談当日に、被告人Y1から大型封筒に入った1000万円か2000万円をもらったこと自体は覚えていたこと、しかし、何とか処罰を免れる方法はないかと考え抜いて、LやT10から金をもらったことを思い出し、これにQからもらった金を合わせると、被告人Y1からもらった金額は200~300万円だったという話を作ることができると考え、その旨大鶴検事にも話したこと、ところが、興銀に行ったのが平成4年12月24日の午前であり、LやT10に会ったのが同日午後であったことから、うそがばれてしまい、被告人Y1から2000万円受け取ったことを再び認めたこと、8月19日午前の接見で、伊藤弁護士から、「Y1副社長からもらった大型封筒には、本が入っていたのであり、お金については覚えがないと言いなさい。」などと言われ、被告人Y1の話と合わせる考えであると思い、その指示に従ってうそを付いたことなどが記載されている。
b また、他の1通(乙物71)にも、前日の否認供述がうそであることを認めた上、大鶴検事から「クリスチャンになろうと考えているのであれば、すべてを懺悔するのでなければいけないのではないか。」、「今回の事件に関連して自殺した人がいるという話を聞いて恥じ入るところはないか考えてみなさい。」などと説得を受けた状況、その結果、Zが正直に話すことを決意するに至ったこと、面談当日に被告人Y1から大型封筒に入ったお金と本1冊をもらい、その金額は2000万円であったことなどが記載されている。
ク(ア) Zは、9月7日に伊藤弁護士らそれまでの弁護人全員を解任し、翌8日には猪狩俊郎弁護士(以下「猪狩弁護士」という。)と接見するとともに弁護人に選任した。
(イ) そして、同日付け検察官調書(乙物9)には、猪狩弁護士から、「公人として潔く話をするのは大事ですが、古い友人を失うことは、罪を償った余生において、自分の人生を寂しくすることになるわけで、これも同じぐらい重要ですよ。」と言われたが、この際、公人として私情にとらわれることなく真実を話すことで、ゼネコンと政治の関係を改革するのに少しでも役立ちたい、今後もできるだけ記憶を呼び戻すように努め、ありのままに話すつもりであることなどが記載されており、Zは、同日付けで、同旨の上申書(乙物73)も作成している。
ケ(ア) 9月18日付け検察官調書(乙物10)には、平成4年12月24日に、興銀日本橋支店でワリコーの買い増しに191万円を支払い、興銀本店でワリコーの新規購入に1707万円を支払ったこと、興銀本店でワリコーを新規購入したのは、それまで日本橋支店で再三ワリコーの乗り換えを行ってきたので、銀行員に顔を覚えられているかもしれない危惧があり、被告人Y1からもらった2000万円でワリコーを買って、その金の出所が捜査されることになった場合には困ると思ったためであることなどが記載されている。
(イ) また、9月20日付け検察官調書(乙物77)には、まず、その日に大鶴検事から、平成4年12月24日の午前中に、興銀日本橋支店及び農林中央金庫(以下「農林中金」という。)本店に行き、正午過ぎから午後1時過ぎまでの間に、ホテル「オークラ」でL及びT10と順次会い、その後興銀本店に行っていると聞かされた旨の記載があり、それに続けて、被告人Y1からもらったお金の金額が2000万円に間違いないとした上、同日の行動日程、その日のワリコーの新規購入や買い増しは当初から被告人Y1からもらった2000万円の金でしようと考えていたので、LやT10から受け取った金はかばんに入れ、その後、水戸に持ち帰って公舎の段ボール箱にしまい、興銀本店では、被告人Y1からもらった金のうち1700万円を出してワリコーを新規購入したことなどが記載されている。
(ウ) そして、同日付け検察官調書(乙物11)には、その時点のまとめの調書として、面談当日に被告人Y1から2000万円をもらった状況のほか、その後の行動日程や2000万円の使途等が記載されているが、8月17日付け検察官調書(乙物8)と比較すると、被告人Y1からもらった現金を2000万円と断定している点、お金の入った大型封筒とは別に対談集1冊を別の大型封筒に入れて同時にもらったとする点、被告人Y1に随行者が一、二名おり、現金授受の際に随行者が先に出ていたかもしれないとする点などで異なっている。
コ(ア) Zは、eルート事件で、9月21日逮捕されて10月11日起訴され、次いで、同月26日に本件で逮捕されたが、本件収賄の被疑事実については、その間も引き続き認めており(甲書134・乙物83(10月17日付け)、14(同月25日付け)、84(同月26日付け弁解録取書))、同月27日に行われた勾留質問でも「事実はそのとおり間違いありません。」と述べ(乙物85)、その後も、11月15日に本件で起訴されるまでの間、面談当日に被告人Y1から2000万円を受け取った事実については、終始供述を翻すことはなかった。
(イ) もっとも、その後の検察官調書では、供述内容がより詳細になっているほか、従前の検察官調書や上申書の記載内容を一部訂正した部分もみられる。すなわち、
a 11月5日付け検察官調書(乙物15)には、都道府県会館別館2階にある知事会談話室(以下「知事会談話室」という。)の内部の写真を見せられて、8月17日付け検察官調書(乙物8)に添付された図面等は、同会館3階にある知事会役員室と勘違いをして作成したものである旨の記載がある。
b 11月13日付け検察官調書2通(乙物19、89)には、L及びT10からもらった合計1600万円くらいは、もらった後ショルダーバッグに入れて、知事専用車のトランクの中にしまっておき、当日の夜にショルダーバッグから出して、ホテル「オークラ」の宿泊した客室の番号式の小さな金庫に収納し、Qからもらった200万円と被告人Y1からもらった残金の合計300万円くらいは、背広の内ポケットにしまったままにしておいた旨の記載がある。
c 同月14日付け検察官調書(乙物21)には、本件面談の際、被告人Y1から、「今日はお土産を持参することにしていたのですが、重い物ですから、かえって知事が水戸にお帰りになるときに荷物になってはと思いましたので、後日持参させることにしました。」と言われたとの記載がある。
(2) なお、Zは、fルート事件により逮捕された後、拘置所内で取調べ状況等についてノートに書き記していたところ、このうち「No.1訴訟用」と題するノート(弁物145。以下「ZノートNo.1」という。ただし、勾留中いったん宅下げされた当時の写しが弁物147、その反訳書が弁物197)及び「No.2訴訟用」と題するノート(弁物146。以下「ZノートNo.2」という。ただし、勾留中いったん宅下げされた当時の写しが弁物148、その反訳書が弁物198)の2冊(以下、2冊を併せて「Zノート」という。)が証拠調べされている。
(3) そして、Zの公判供述によっても、一連の上申書は、Zが自ら作成し、一連の検察官調書も、大鶴検事が勝手に作成したようなものではなく、Z自身の供述に基づいて録取されたものであることが明らかである。
3  捜査段階の供述の任意性ないし特信性
そこで、以上のようなZの供述経過等を踏まえつつ、Zの捜査段階の供述の任意性ないし特信性について検討することとする。
(1) 早期の独自で自発的かつ客観的事実に沿う自白
ア 初期自白の任意性・特信性
(ア) 十分な事前準備
まず、関係各証拠によれば、Zは、検察官から取調べを受けるのに先だって、弁護士2名や知人らから、建設関係者からの具体的な現金収受の事実を念頭に置きながら、逮捕や検察官の取調べに臨む心構えや対処方法等について、繰り返しアドバイスを受けて、取調べ等に臨む方針を自ら固めるなど、予想される逮捕や検察官の取調べに対する十分な準備をしていたことが認められる。すなわち、
a 逮捕時にZから押収されたメモ等(甲物51~109)及びZの公判供述を中心とする関係各証拠によると、Zは、f組からの収賄容疑に関する新聞報道等を契機として、逮捕される2週間くらい前より、猪狩弁護士、伊藤弁護士、法律に詳しいと称する知人らから、具体的な現金収受に関する収賄罪の成否のほか、予想される逮捕や検察官による取調べに臨む心構えないし対処方法等について繰り返しアドバイスを受けていたことが認められる。
b ちなみに、Zが当時作成していたメモ類には、収賄罪や公訴時効に関する刑法や刑訴法の条文(甲物96)のほか、聴取したアドバイスの内容や取調べに臨む自らの方針等として、「時効を効果的に利用したら」(甲物74)、「第1回は強く否認した方がいい。認めると逮捕される。」(甲物85)、「向こうは気持ちを読む。ぽんぽんしゃべるな。聞かれたことのみしゃべり、強く否定する。」(甲物57)、「絶対否認していれば8割ぐらいは帰される」、「認めれば終り」、「気持ちの上では、相手がどこまで知っているか探るようなつもりで。聞かれたことしかしゃべらない」、「否認は強くすること(ありません○-覚えていません×)、(記憶にない○-知らない×)」(甲物89)、「職務権限で頑張ってもだめ」、「会ってないと言うと、会える状況にないと言うと、勾留21日間となろう」、「授受否認で頑張る-3か月地獄の戦い」(甲物91)旨の記載が認められる。
c そして、Zは、公判供述において、猪狩弁護士からは、検察官の取調べが非常に厳しく、金の趣旨を否認しても結局起訴されてしまうので、金の授受を否認するほかないとのアドバイスを受け、知人からも、金についてはかなり突っ込んだ調べがあるから、それに耐えられないと検察に破られる、伊藤弁護士に再度確認して、金をくれた業者には万全の準備をしてもらう必要があるなどというアドバイスを受けたことを認めているのである。
(イ) 早期の自白
Zは、上記のように取調べに向けた十分な準備を行っていたにもかかわらず、a建設を含むゼネコン各社からの現金収受の事実について、極めて早期に自白を開始している。すなわち、
a Zは、7月23日の朝から滞在先のホテルで任意の取調べを受け、その日の夕刻に検察庁に任意同行された上、逮捕されたが、その逮捕直後から、後に現金の授受自体を否認するに至るP11からの収賄の被疑事実を認める趣旨の供述をし、その後の勾留質問では、同旨の供述をするとともに、現金を受け取った場所を訂正する供述までしている。
b さらに、Zは、逮捕の翌日である同月24日、大鶴検事から、f組以外のゼネコンからも現金をもらっていないかどうか尋ねられて、政治献金であるとの留保を付けながらも、a建設を始めとするゼネコン数社から現金を受け取ったことを認めて、平成4年に現金をもらったゼネコンの名称、金額等を記載した一覧表を作成するとともに、その日の取調べにおいて、a建設関係については、その年に被告人Y1から茨城県東京事務所で現金1000万円をもらった旨の検察官調書(乙物42)の作成に応じているのである。
(ウ) 特段の追及的取調べのない段階での自白
Zは、その公判供述によっても、7月24日、すなわち、Zがf組以外のゼネコン数社からの政治献金に関する一覧表を作成するとともに、本件に関する最初の自白調書(乙物42)に署名指印するまでに、大鶴検事から特段の追及的な取調べを受けたような形跡は全くうかがわれない。かえって、Zは、大鶴検事から「平成4年に受け取った政治献金を一覧表にして出してください。」と言われただけで、a建設の被告人Y1から1000万円を受け取ったことなどを記載した一覧表を自ら作成し、その後、大鶴検事から小声で、「何の見返りもないのに金を持ってくる業者があるか。」と独り言のように言われただけで、上記一覧表の内容に沿う上記検察官調書に署名指印したというのである。
(エ) 供述内容の独自性
関係各証拠を子細に検討しても、大鶴検事が、Zに対し、f組以外のゼネコンからの収賄について具体的嫌疑や証拠資料を有していたことをうかがわせる状況は全く認められず、かえって、f組以外のゼネコン各社からの収賄については、Z供述が先行して、その後に裏付け捜査が進められていったことがうかがわれるのである。
(オ) 供述内容の客観的事実との整合性
Zが7月24日にa建設に関して供述した内容のうち、平成4年に都道府県会館内にある茨城県東京事務所で被告人Y1と面談した点については、後に、同年12月22日、Zが上記東京事務所で執務中に同会館内の知事会談話室で被告人Y1と面談したという事実が判明することにより、客観的に裏付けられている。
(カ) まとめ
以上のように、Zは、事前に逮捕や検察官の取調べに対する十分な準備をして臨んだにもかかわらず、大鶴検事が特段の追及的取調べをしたわけでもないのに、逮捕された直後から、逮捕事実であるf組からの現金収受を認めただけではなく、その翌日には、大鶴検事が具体的嫌疑や証拠資料を有していない他のゼネコン数社からの現金収受をも認めるに至り、しかも、その内容のうち、少なくともa建設の被告人Y1との面談の日時及び場所の点は、客観的事実に合致するものであったのである。
そして、このようなZの初期供述の在り方は、Zが事前に準備した取調べに臨む心構えや弁解に関する心づもりとは大きく異なるものであり、Zにとっては、突然の逮捕により衝撃を受けた結果、不用意にされたものであることがうかがわれるものの、その供述の任意性自体に疑問を生じさせるようなものではなく、かえって、Zがその記憶の内容を思わず吐露したものとして、高い信用性を裏付けるものである。
イ 弁護人の主張について
(ア) 弁護人の主張及びZの公判供述
弁護人は、Zの当初の自白について、Zの記憶に基づかない信用性に欠けるものである旨主張し、Zは、公判段階において、捜査段階の当初、a建設から現金を収受したことを認める自白をした理由について、以下のように供述し、記憶に基づかない自白であった旨弁解している。すなわち、
a 私は、f組のP11からの収賄容疑で最初に事情聴取を受けた7月23日にいきなり逮捕され、大きなショックを受けて絶望し、当時の記憶は全くない。検察が巨大な権力を持つように見えて、気持ちが委縮した。
b(a) 翌24日、私は、大鶴検事から「平成4年に受け取った政治献金を一覧表にして出してください。」と言われたので、ゼネコンからもらった政治献金を対象とする一覧表を作成したが、政治献金については、見返りを期待しないで受け取る金のことであり、法律に触れるものではないと理解していた。私には、a建設やe建設から政治献金をもらった記憶はなかったが、事前に焼却していた手帳に「a建設県庁新庁舎」との記載があったため、a建設から頼まれていたことは間違いなく、金をもらう可能性が絶無ではないと思い込んでいた。さらに、大鶴検事からは「うそを付いたら徹底的にやりますよ。」と言われたので、私は、大鶴検事の心証を損なわないようにする「安全サイド」から、a建設やe建設からも金をもらったように書いておいた。大鶴検事から、うそを付いていると思われると、身に覚えがないことまで疑いを掛けられるのではないかと心配だった。
(b) この一覧表を書いた後、大鶴検事から「何の見返りもないのに金を持ってくる業者がいるか。」と独り言のように言われて、検事が賄賂と思っていると感じ、大きなショックを受けた。被告人Y1から現金をもらったとの記載のある同日付け調書(乙物42)は、このショックと逮捕によるショックがダブって、頭が大分混乱して作成されたものではないかと思う。
(c) 私は、7月24日から、連日のように長時間の取調べが続いて、血圧の高い状態が続き、頭がぼんやりした状況で取調べに対応していた。被告人Y1の名前が出たのも、そのような体調が原因しているのかもしれない。
(イ) 検討
a Zの上記公判供述は、要するに、突然の逮捕に伴う衝撃の中、長時間の取調べによる体調不良もあって、大鶴検事の心証を損なわないように、「安全サイド」から、県庁舎新築工事について頼まれた記憶のあるa建設からも現金をもらったと供述しておいたとするものである。
b(a) しかしながら、現金収受の有無すら記憶のはっきりしないものまで現金収受を認めることは、本件において正に現実化したとおり、自らを窮地に追い込むものであり、Zが述べるような「安全サイド」とは全く相いれないものである。
(b) また、Zは、前認定のとおり、東京帝国大学法学部を卒業後、長らく建設省に勤務し、人事課長、都市局長等の枢要なポストを歴任した後、参議院議員に転身して、昭和50年からは5期連続して茨城県知事を務めており、逮捕された当時も、現役の県知事として、茨城県を統轄し、これを代表し、同県の事務を管理するとともにこれを執行し、同県職員を指揮監督するなど、日々極めて多忙な職務をこなしていた者である。しかも、Zは、前認定のとおり、検察官から取調べを受けるのに先だって、弁護士2名や知人らから、逮捕や検察官の取調べに臨む心構えや対処方法等について、繰り返しアドバイスを受けることによって、取調べに臨む方針を固めるなど、予想される逮捕や検察官の取調べに対する十分な準備をしていたのである。したがって、Zとしても、大鶴検事がどのような意図をもってゼネコンからの現金収受の一覧表を書くように求めているのか当然に理解していたはずであるし、検察庁や大鶴検事が政治献金であるという弁解を認めるかどうかについても相当に悲観的な認識を有していたことがうかがわれる。にもかかわらず、そのような状況の下で、「安全サイド」から上記のようなゼネコン数社からの現金収受を認める供述をしたとするZの公判供述は、極めて不合理というべきである。
(c) また、面談当日は、当初の取調べからわずか約7か月前のことである。しかも、前記のような事前準備の状況等からは、Zとしても、検察庁及び大鶴検事がf組からの収賄の嫌疑を抱いており、ゼネコン各社からの収賄にも強い関心のあることを、当然認識していたはずであるし、取調べを受けるに当たっての自らの最大の関心事にもなっていたはずである。さらに、上記のようなZの学歴や経歴ないし現職、取調べに先立つ十分な準備をも考慮すると、取調べ時点から遡って比較的近い時期の、しかも、重大な関心事であるはずのゼネコンからの現金収受という出来事を聞かれているというのに、Zが、現金収受の日時や場所、金額、会話の内容等の詳細ならともかく、1000万円にも及ぶ多額の現金収受の有無すらはっきりしないというのは、理解し難いことである。
(d) ところが、Zは、そのように現金を受け取った具体的な記憶もないというのに、その可能性が絶無ではなく、後から現金を受け取ったことが明らかになると、大鶴検事からうそ付きと思われ、別の件でも不利益に取り扱われることが懸念され、そのようなことにはなりたくないとして、大鶴検事に対して現金の収受を認めたというのであるが、そのような弁解自体、不可解至極というべきである。
(e) さらに、ゼネコン各社から現金を受け取った事実を具体的に供述した理由について、Zは、eルートの第48回公判期日における裁判長からの補充質問に対し、e建設とa建設からはもらっていないかもしれないが、上記両社も含めて明らかにもらっていないという記憶の会社はないとし、金額を特定して記載した理由については「よく分からない。」、e建設の担当者を「多分建築担当の責任者」と記載した経緯については「極端に言えば当てずっぽうに言ったんだと思う。」と答えていた(甲書126)。
しかし、Zは、本件公判では、a建設から受け取った金額については、a建設の会社の格、平成元年9月ころの参議院補欠選挙でa建設から1000万円を援助してもらったこと、平成4年4月の参議院補欠選挙でa建設がZの名前で献金してくれており、Z個人あての献金もあり得ることから、1000万円と特定する一方、ゼネコンの担当者については、eルートで「当てずっぽう」と言ったのは間違いで、書く以上は偉い人を書かなければいけないと思っており、a建設については、大鶴検事から、被告人Y1が談合の元締めであると盛んに言われたために、被告人Y1にしたなどと述べている。
このように、Zの公判供述は、いずれにしても、あいまいかつ不可解な内容で、しかも、大きく変遷しており、Zは、具体的な供述をした理由について何ら納得のいく説明をすることができないのである。
(ウ) まとめ
以上のとおり、捜査段階当初の自白に関するZの公判供述は、あいまいで大きく変遷しており、その内容も、極めて不自然、不合理なものというほかなく、到底信用することができない。したがって、これに依拠するところの弁護人の前記主張も採用できない。
(2) 供述の一貫性と多数回にわたる弁護人との接見
ア 初期自白後の供述経過等
(ア) 供述の一貫性
a Zは、捜査段階では、平成4年12月のa建設からの現金収受に関し、7月24日に、被告人Y1から1000万円を受け取ったことを初めて認めて以降、後にみるとおり、一時的な否認や一部の変遷はみられるものの、本件による起訴の日まで4か月近くにもわたりほぼ一貫して認めていた。
b(a) もっとも、前認定のとおり、Zは、8月20日付け検察官調書(乙物68)において、被告人Y1からの現金収受を否認している。
(b) また、Zの捜査段階の供述には、以下のように、その一部に変遷もみられる。すなわち、
i 現金授受の日時
7月24日付け検察官調書(乙物42)では「平成4年」、同月25、6日ころ作成の一覧表(乙物43)では「平成4年ころ」、同月27日付け検察官調書(乙物1)添付の一覧表では再び「平成4年」とされていたが、8月16日付け上申書(乙物65)では「平成4年12月下旬ころ」となり、翌17日付け検察官調書(乙物8)からは「平成4年12月22日」と特定されている。
ii 現金授受の場所
7月24日付け検察官調書(乙物42)では「茨城県東京事務所」とされていた。ところが、同月25、6日ころに作成された上申書(乙物43)では場所の欄が空欄とされ、同月27日付け検察官調書(乙物1)添付の一覧表では「分からない」とされたが、8月16日付け上申書(乙物65)では、「都道府県会館本館2階にある茨城県東京事務所の1階上に当たる別館2階にある知事談話室」とされて、縦長の会議室の最も奥の席にZが着席した図面が添付された。翌17日付け検察官調書(乙物8)でも、同様の図面が添付されるとともに、部屋の名称がMノートにある「知事会談話室」ではなく「知事談話室」であるとされ、それ以降、10月17日付け検察官調書(甲書134・乙物83)まで引き続き「知事談話室」とされていた。しかし、同月25日付け検察官調書(乙物14)以降は、その名称が「知事会談話室」と訂正されているほか、11月5日付け検察官調書(乙物15)では、従前の各図面は勘違いして都道府県会館本館3階の「知事会役員室」を記載したものである旨訂正されている。
iii 現金授受の相手方
7月27日付け検察官調書(乙物1)添付の一覧表で「多分Y1副社長」とされている以外は、その前後を通じて、すべて「Y1副社長」で統一されている。
iv 受け取った金額
7月24日付け検察官調書(乙物42)では「1000万円」、同月25、6日ころ作成の一覧表(乙物43)及び同月27日付け検察官調書(乙物1)添付の一覧表では「500万-1000万円」、8月15日付け上申書(乙物64)では「1000万円ぐらいから2000万円ぐらい」、同月16日付け上申書(乙物65)及び同月17日付け検察官調書(乙物8)では「1000万円か2000万円」とされており、同月21日付け検察官調書(乙物71)ではいったん「2000万円」と特定されたが、9月8日付け検察官調書(乙物9)では「2000万円くらい」となり、同月20日付け検察官調書(乙物11、77)で再び「2000万円」と特定されて、その後は2000万円で統一されている。
v 同行者の有無
8月17日付け(乙物8)、同月20日付け(乙物69)及び同月21日付け(乙物71)各検察官調書では同行者がなかったとされたが、9月20日付け検察官調書(乙物11)では「ひょっとすると最初のうちは随行者一、二名がおり、現金をいただく前に随行者が席を外して先に部屋から退出していたものであったかもしれません」として、随行者がいた可能性を初めて認めるに至り、10月25日付け検察官調書(乙物14)以降も同旨の供述をしている(甲書136・乙物18)。
vi 現金授受の趣旨
7月24日付け検察官調書(乙物42)では「県庁舎新築工事の受注」のお願い、同月27日付け検察官調書(乙物1)添付の一覧表では「おそらく県庁新築への希望を含む」とされ、8月15日付け上申書(乙物64)では「諸工事受注のお礼、県庁舎新築工事のお願い」、同月16日付け上申書(乙物65)では上記のほか「県立医療大学建築」依頼と次第に拡張し、同月17日付け検察官調書(乙物8)以降は、県発注の諸工事受注のお礼と県庁舎・県立医療大学各新築工事受注の依頼とされて、10月25日付け検察官調書(乙物14)では諸工事受注のお礼のほか「県庁舎新築工事と県立医療大学新築工事を始めとする県の工事の受注」の依頼とされていた。しかし、11月11日付け検察官調書(乙物16)からは、小山ダム建設工事の受注依頼も加わり、同月12日付け検察官調書(甲書136・乙物18)でも、小山ダム建設工事、県庁舎及び県立医療大学各新築工事の受注依頼とされている。
(c) しかし、後に検討するように、このような一時的な否認や供述の一部の変遷については、それぞれに合理的な説明が可能であるから、この否認や供述の変遷は、Zの供述全体の信用性に疑問の生じさせるものではないということができる。
(イ) 弁護人との接見状況
a 関係証拠(甲書94)によれば、Zは、fルートにより逮捕された7月23日から本件により起訴された11月15日までの4か月足らずの間に、合計78回もの多数回にわたり弁護人と接見しており、その内訳をみても、7月は24日(5分)、25日(15分)、26日(20分)、28日(20分)、30日(20分)の5回、8月はfルートで起訴された12日までに5回(各10分ないし20分)の接見があり、同月15日に本件を含む余罪の取調べが再開されて以降は、同月16日から同月20日まで、同月23日から同月27日まで及び同月30日から9月3日までの各連日おおむね1時間前後の接見が、さらに、弁護人が現在の弁護人に交替した同月8日以降は、eルートで起訴された10月11日までに23回、本件で起訴された11月15日までには更に27回とほぼ連日のように、基本的に1時間前後の接見が繰り返されたことが認められる。
b(a) この点、弁護人は、当初の弁護人によるZとの接見は、回数、時間ともに極めて不十分なものであり、9月8日に現在の弁護人に交替した時点では、Zは弁護人の助言に耳を傾けて自らを弁護できるような精神状態にはなかった旨主張する。そして確かに、fルートによる起訴前の勾留期間中の接見は、長くて20分間と比較的短時間であったことが認められる。
(b) しかしながら、本件を含む余罪の取調べが再開された8月15日以降をみると、9月8日に弁護人が現在の弁護人に交替した後はもとより、それ以前においても、ほぼ連日のようにおおむね1時間前後に及ぶ接見が繰り返されており、接見の頻度や時間が不十分であったなどとは到底いえない状況にあった。
(c) しかも、ZノートNo.1によれば、Zは、fルートによる勾留期間中も、「26日小P19弁護士に言った」(9頁)、「伊藤弁に聞く」(10頁)、「弁に話す」(12頁)などの記載があって、検察官に対する自己の供述内容等を当時の弁護人に報告していたことがうかがわれる上、「供述が一貫していると固められる」、「一貫している供述を調書に取らせるな」、「供述を変遷させろ」、「本人だけしか分からない秘密を暴露すること」との記載もあって(40頁)、当時の弁護人から、こうした記載に関連するようなアドバイスを受けて、これを書き留めていたことすら認められるのであり、Zも、公判段階において、これらは8月11日より以前に記載したものであることを認めている。
なお、Zは、eルートの公判において、弁護人から「供述を変遷させろ」とのアドバイスを受けたことはなく、弁護人から受けたアドバイスは「供述を変遷させるな」であった旨供述する(甲書128)が、ZノートNo.1の上記のようなその前後の記載内容や文脈等からして明らかに不合理であって到底信用できない。
(d) さらに、水谷高司弁護士(以下「水谷弁護士」という。)の公判証言から、10月9日前後の接見の後に記載されたと認められるZノートNo.1には、「(水谷さん)」との記載の下に、「と思うを必ずつける。必ず思う。断ると怒る 怒らせる 怒られたことを弁に言う 種にする 証拠能力なしとなる」旨の記載があり(93頁)、同弁護士の意図はともかく、Z自身の認識としては、取調べ検事を挑発して怒らせるようにという趣旨のアドバイスを受けたものと理解していたと認められるのである。
c これらの点に徴すれば、Zは、fルートによる逮捕後も、弁護人との接見の際に、弁護人に対し、取調べの状況や取調べに臨む方針等について随時相談して、弁護人から、その都度アドバイスを受けるなど、弁護人からは随時必要な法的アドバイスを受けられる状態にあり、そのアドバイスを踏まえつつ取調べに臨んでいたことは明らかである。
(ウ) まとめ
以上のように、Zは、逮捕勾留中も、弁護人から、その都度アドバイスを受けるなど、弁護人から必要な法的アドバイスを受けられる状態にあり、そのアドバイスを踏まえつつ取調べに臨んでいたというのに、逮捕の翌日に自白して以来、本件による起訴の日まで4か月近くもの長きにわたり、面談当日に被告人Y1から多額の現金を収受したことを、ほぼ一貫して認めていたのであり、Zのこのような供述態度は、その間のZの供述の任意性及び特信性を裏付けるとともに、Zの自白が真意に基づくものであることを強く推認させる事情ということができる。
イ 弁護人の主張について
弁護人は、上記のとおり、Zの捜査段階の供述が基本的に一貫しつつも一部に変遷している点について、Zの公判供述を踏まえつつ、Zには被告人Y1から現金を受け取ったという記憶が全くなかったのに、逮捕による衝撃の中で、心ならずも検察官に迎合して、記憶にない話をしたところ、検察官から、脅されだまされ惑わされるなど翻弄されて、自白を撤回できないまま、捜査の進展に伴った検察官からの強引な誘導に従って、このように変遷した旨主張しているので、以下、捜査段階の供述の各段階ごとに逐次検討することとする。
(ア) fルートによる起訴(8月12日)までの供述状況について
a Zの公判供述
Zは、7月24日に初めて被告人Y1からの現金収受を認めて以降、これを否認することができず、大鶴検事の言いなりの調書に署名指印せざるを得なくなった理由として、以下のような事情があった旨供述している。すなわち、
(a) 私が「記憶にない」と言うと、大鶴検事から「あなたはうそを付いている。正直に言わないと全部起訴する。取調べを引き延ばす。ずっと拘置所に置いておいて、最後は刑務所に送り込んでやる。」とか、「正直に話せば全部は起訴しない。必ず線引きするから安心しなさい。」と言われ、検事の言いなりになるしかなかった。
(b) 女性関係についても根掘り葉掘り聞かれて、正直に答えると、大鶴検事から「あなたはうそを付いている。うそを付いたら、女のこともばらすぞ。」と言われた。私としては、そのような辱めを受けることは耐え難かった。
(c) 資産についても、大鶴検事から「たとえ収賄にならないにしても、国税に話して全部取り上げる。罰金まで入れると全部取り上げることになる。」と言われたので、絶望感がますます深くなってきた。
(d) 大鶴検事は、「県庁職員もやる。」とも言い、県庁職員を洗いざらい調べるような雰囲気だった。これも大きな心配となり、私が記憶にないとは言い続けられない大きな理由となった。
(e) 大鶴検事から「調べた結果はこうなってる。」と何度も言われるうちに、だんだん検事の言っていることはすべて本当で、自分が覚えていないだけなのかもしれないと思い、自分の記憶に対する自信が失われていった。
(f) 大鶴検事特有の記憶論に惑わされた面もあった。大鶴検事は、「ある人の顔を見て、どこかで見たような気がするというのは、どこでいつ見たか分からなくても、その人の顔を見た記憶があるということと同様に、金をもらったような気がするというのは、どこでいつもらったか分からなくても、金をもらった記憶がある、金をもらったということだ。だから『ような気がする』という供述は許さない。必ず何々した記憶があると話しなさい。」と言われた。その結果、すべての事件について断定的な調書になった。また、a建設関係も、大鶴検事に「金をもらった記憶はないが、一応一覧表に載せたと説明した」が、同様の理屈で、「もらったような気がするということは、もらった記憶があるということだ。今更弁解してももう遅い。」と言われた。
b 検討
(a) Zの供述経過との矛盾
i しかしながら、前認定のZの供述経過をみると、7月24日には、平成4年に被告人Y1から茨城県東京事務所で現金1000万円をもらった旨供述していたのに(乙物42)、同月25、6日ころ作成のメモ(乙物43)には、a建設関係の時期について「平4」の記載の右横に「平3」と書いて消した上「頃」を挿入し、相手の氏名について「Y1副社長」、金額について「500万-1000万」と記載して、場所は空欄とし、さらに、同月27日には、担当者を「多分Y1副社長」、金額を「500万-1000万」、工事名を「おそらく県庁新設の希望を含む」と記載し、現金授受の場所については「分からない」と記載している(乙物1添付の一覧表)。
ii そして、このように、Zが供述をあいまいな方向に変遷させていっていることは、Zが述べるところの「安全サイド」から検察官に迎合して、全く記憶にない事実まで認め、その後も、大鶴検事の脅しなどに屈して供述を翻すことができなかった者の供述態度としては、いかにもそぐわないものであり、かえって、Zには、a建設から現金を受け取ったという具体的な記憶があり、そのため、当初はそれに沿った自白をしたものの、様々な思惑から、供述内容を殊更にあいまいに変遷させていったことを強くうかがわせるものである。
iii この点、Zは、被告人Y1に会った時期については、はっきりしたものがなかったので「頃」を入れた、どう考えても、被告人Y1から金をもらったことが思い出せないので担当者の「Y1副社長」の前に「多分」を付けた、金額については、安全サイドのほか、大鶴検事が検察官調書(乙物42)に1000万円と書いたことへの配慮などから、「500万-1000万」であったと自分で創作したなどと供述している。しかし、現金を受け取った具体的な記憶がないのであれば、献金を受けたこと自体を否定すれば足りることである。また、大鶴検事の脅迫等により、自白を覆すことができなかったというのであれば、それでは何故にその内容についてはあいまいに変更することができたのかを疑問とせざるを得ないのである。
(b) 脅迫ないし利益誘導に関する供述について
i Zは、大鶴検事から、前記のように、「あなたはうそを付いている。正直に言わないと全部起訴する。取調べを引き延ばす。ずっと拘置所に置いておいて、最後は刑務所に送り込んでやる。」、「正直に話せば全部は起訴しない。必ず線引きするから安心しなさい。」、「うそを付いたら、女のこともばらすぞ。」、「たとえ収賄にならないにしても、国税に話して全部取り上げる。罰金まで入れると全部取り上げることになる。」、「県庁職員もやる。」と脅され利益誘導された旨供述する。
iiα しかしながら、Zノートを精査しても、fルートによる起訴までの箇所に、Zが供述するような脅迫ないし利益誘導を大鶴検事から受けたことをうかがわせるような記載は全く見当たらない。
β 他方、大鶴検事は、〈1〉「全容を説明してもらえなければ、小さな事件でも起訴せざるを得なくなるかもしれない。」ということは言った、〈2〉Zがある女性と一緒に過ごしたという供述をした際に、Zから、そのような話も法廷に出るのかと聞かれ、「公判部には、できる限り明らかにしないように引継ぎはします。しかし、その一連の流れの中で、当時のZ知事の行動全部の立証が必要になってきたときには、その限度で、あなたがいつどこで何をしていたかを明らかにせざるを得なくなるかもしれません。」という話もした、〈3〉検察庁がZ所有の割引債券と多額の現金を押収したころ、Zから、その割引債券や現金は没収されるのかという趣旨の質問されたため、押収と没収とは異なる旨説明した上、「収賄罪で起訴されて有罪判決が確定すれば、その賄賂金額については追徴されます。また、たくさんの資産が形成されているから、場合によっては、脱税として、追徴しろということになるかもしれません。」という話をしたこともあるが、〈4〉「県庁職員をやる。」という話をしたことはないなどと具体的に証言している(154回)。
γ そして、大鶴検事の上記証言内容には、特に不自然な点は見当たらず、その証言態度は、誠実なものであったということができ、前掲のZ供述と対比して、大鶴検事の公判証言の信用性は高いということができる。ちなみに、前認定のとおり、Zはfルートによる逮捕の当初から頻繁に弁護人との接見を重ねていたところ、その事実を知らないはずがない大鶴検事が、Zの供述するような脅迫や利益誘導を繰り返して、自白の任意性に疑問を生じさせるような事態を自ら招くようなことは考えにくい。しかも、大鶴検事が、Zの弁護人から取調べの方法について抗議を受けたのは、Zが10月26日に本件で再々逮捕された後が初めてであったとうかがわれること(大鶴154回、猪狩112回、弁書152)は、大鶴検事の公判証言の信用性を客観的に裏付けるものといえるのである。
δ さらに、起訴・不起訴の点についてみれば、Zも、自白の見返りに特定の事件を不起訴にするような約束があったとは述べていないのであり、この点に関するやり取りは、大鶴検事が、起訴・不起訴の基準や見通し等に関する一般的な説示を行ったにとどまり、それを超えて自白を獲得する手段として違法・不当な利益誘導を行ったものとは認められない。
しかも、Zは、その述べるところによると、本件やfルート事件を自白する見返りとして不問に付してもらうことを期待していた具体的事件があったわけではなく、その保有する割引債券や現金に関して政治資金規正法違反や脱税容疑で立件される不安を抱いていたにすぎないというのであるが、このように収賄事件に比べれば非難の度合いが弱く、未だ捜査にも着手していない事件の立件を免れるために、現に取調べ中の本件やfルート事件のような重大事件について、記憶もないのに自白することなど、あり得ないことというべきである。したがって、大鶴検事の利益誘導により虚偽の自白をさせられた旨のZの公判供述は、信用するに足りないというほかない。
iii そうすると、大鶴検事による脅迫ないし利益誘導の点に関するZの供述は、これを信用することが困難である。
(c) 記憶論に関する供述について
i Zは、大鶴検事の「(金を)もらったような気がするということは、もらった記憶があるということだ。」という独自の記憶論に惑わされたとも供述する。
ii しかしながら、大鶴検事は、この点、Zが「具体的な情景が思い出せないからよく分からない。」という言い方をしたので、「例えば、この人の顔を見た記憶があるという場合、どこでいつ会ったか分からなくても、見たという記憶がなくなるわけではないんじゃないですか。ですから、具体的な情景が思い出せないということであれば、去年特定のゼネコンから多額のお金をもらったかどうかということを思い出してみたらどうですか。あるんだったら、具体的な情景を思い出せないからといって、ある事実が消えてなくなるわけではないんじゃないですか。」と問いただして、Zの記憶喚起を促したにすぎない旨証言している(154回)。
そして、ZノートNo.1の41頁(前後の内容等から8月11日ころ記載したものと認められる。)には、「ある男の顔をどこかで見たようなという感覚だけ。いつどこで会ったか分からなくても『その男の顔は知っている』といえる。記憶もそれと同じ。潜在的な記憶が潜んでいるかもしれぬ。『この年もらったようだ』というのは『もらった記憶がある』ということではないのか。」という、大鶴検事の公判証言に正に符合する記載があることに照らすと、大鶴検事の上記公判証言は信用性が高いというべきである。
そして、Zの上記公判供述に、大鶴検事の上記証言内容を加味して認められるところの、大鶴検事がZに対して自白を促す説得方法は、道理に適い経験則にも裏打ちされたものであって、何ら不当、不合理な点はなく、自白を強要したり虚偽自白を誘発するようなものでなかったことも明らかである。したがって、大鶴検事の独自の記憶論によって記憶にない虚偽の自白をさせられたとするZの上記公判供述を信用することも困難である。
(d) 供述を変遷させた理由
i Zは、前にみたとおり、7月24日、平成4年に茨城県東京事務所でa建設副社長の被告人Y1から1000万円を受け取ったことを認めたが、その後、同月27日にかけて、現金授受の場所、相手方、受け取った金額をあいまいにする方向に供述を変遷させているところ、このような供述の変遷状況は、前判示のように、Zには、a建設から現金を受け取ったという具体的な記憶があって、そのため、当初はそれに治った自白をしたものの、様々な思惑から、供述を殊更にあいまいに変遷させたことを強くうかがわせるものである。
ii この点、大鶴検事は、その公判証言の中で、当時のZの供述態度について、Zは、a建設からの現金収受に関して、当初から、政治献金という言葉を使い、7月25、6日ころから、その金額を少な目に、その時期もあいまいに話し始めたが、このような供述態度は、Zが、賄賂という言い方をはばかるとともに、内容を余り明確に供述すると、fルートの場合と同様に事件化されてしまうことを心配して、少しずつあいまいに言い出しているものと受け止めていた旨供述している。そして、関係各証拠によれば、Zは、a建設からの現金収受だけでなく、e建設からの現金収受に関しても、7月24日時点では、平成3年に建築担当のトップに近い責任者から確か県公館か県庁知事室で1000万円を受け取った旨明確に供述していた(乙物42)のに、同月27日には、平成4年に多分建築担当の責任者から500ないし1000万円を受け取ったが、場所は分からないと述べるなど(乙物1添付の一覧表)、a建設関係と全く同様に、その供述を変遷させていることが認められるのであり、大鶴検事の上記公判証言は、Zのこのような供述経過に沿うものとして、高い信用性を認めることができる。
iii しかも、Z及び大鶴検事の各公判供述に加えて、ZノートNo.1(3頁、5頁)や伊藤弁護士作成の回答書(弁物156。以下「伊藤回答書」という。)の記載内容からも、7月24日から同月27日までの間は、Zが、fルート事件のうち、平成4年にP11から3000万円を受け取ったとされる被疑事実について、記憶がない旨供述して、大鶴検事との間で厳しいせめぎ合いが続いていたことが認められる。
iv 加えて、前認定のように、Zの初期供述が、Zにとっては、逮捕による衝撃に伴って不用意にも記憶内容を思わず吐露してしまったものであることも考慮すると、7月24日から同月27日にかけての本件に関する供述の変遷は、Zが、本件についても、いったんは記憶に従って認めてしまったものの、逮捕に伴う衝撃が抜けるに従い、早期にfルート以外の余罪の多くについてまで自白してしまったことを後悔して、検察庁で未だ裏付けが取られていない余罪について、殊更に供述内容をあいまいにし、立件される事件をできるだけ限られたものにしようとする意図の下に、供述を変遷させたものと強くうかがわれるのである。
(e) まとめ
そうすると、fルートによる起訴までの供述状況に関するZの公判供述は、信用することができず、その間の本件に関する供述の変遷は、Zが殊更に供述内容をあいまいにし、立件される事件をできるだけ限られたものにしようとして、意図的に行ったものと認められるのである。したがって、Zの上記公判供述に基づき、Zの供述の任意性、特信性を争う趣旨の弁護人の主張は、採用できない。
(イ) 8月17日までの供述状況について
a Zの公判供述
(a) 8月13日、私は、fルート事件によって起訴されたが、その起訴後の勾留質問で、公訴事実の一部について記憶がないと答弁すると、翌14日の取調べで、大鶴検事が烈火のごとく怒り、「あなたのことはもう絶対に許さない。私だけではない。あなたのことは、本部の者も皆、うそ付きだと言って怒っている。総長もあなたのことをうそ付きだと言って怒っている。もうこれからは、どんな小さな罪でも、あなたの罪は徹底的にやる。女のこともばらす。」と非常に強い口調で狂ったように怒鳴った。私は、恐怖で震え上がり、何としてでも検事の怒りを静めようと思って、頭を机にぴったりと付けて、平謝りに謝った。すると、大鶴検事は、上申書の作成を求め、検事の言うとおり、「裁判官殿、私が記憶にないと言ったのは、その情景について具体的にはっきりとした記憶がないことを言ったのであります」という趣旨の上申書(乙物92)を書かされた。
(b) 8月15日、私はa建設等から金をもらっただろうと責められた。初めは「記憶にありません」と答えていたが、大鶴検事が「うそ付き」と怒鳴り、「a社のY1は業界の談合の元締めだ。けしからん。」などと言った。私は、これ以上頑張っていて検事の心証を悪くすると、自分の身が持たなくなってしまうのではないか、何としてでも検事の怒りを静めなければならないと思い、そのためには、自分に記憶がなくても検事の言うがままに業者から金をもらったと言うしか道がないとか、その会社から絶対に金はもらっていないという記憶がはっきりしているもの以外は、金をもらった可能性が絶無ではないので、金をもらったと話しておく方が無難だろうという気持ちになった。その後は、大鶴検事が私の生殺与奪の権を握っているように見えて、検事さえ怒らせなければ、毎日の責めから免れることができるという目先のことにしか頭が回らなくなり、検事の言うがままにしていた。
b 検討
(a) 8月14日の取調べについて
i 確かに、8月13日に行われたfルートの起訴後の勾留質問の中で、Zが、公訴事実のうち平成4年の3000万円収賄については記憶にない旨供述し、翌14日に、大鶴検事から、勾留質問における上記供述について問いただされて、「裁判官殿 1.はっきりした記憶がないと言ったのは、そのとき情景について具体的にはっきりした記憶がないということを言ったのであります。 2.供述調書と矛盾することを言ったのではありません。」と記載した上申書(乙物92)を作成したことは、前認定のとおりである。
ii さらに、Z及び大鶴検事の各公判供述によると、Zは、上記の起訴前には、fルートで起訴された4つの公訴事実のいずれも認める旨の検察官調書ないし上申書の作成に応じていたことがうかがわれるのであって、このような当時の状況に照らすと、大鶴検事が、Zの勾留質問における供述内容を知って、Zを厳しく問いただした結果、上記のような上申書が作成されたことが推認される。
iii しかし、Zの公判供述によっても、Zは、8月15日の取調べにおいて、当初は、7月段階の自白を翻してまで、本件について記憶にない旨供述したというのであり、勾留質問でのZの否認を巡る厳しい取調べがZの供述態度に影響を与えた様子はうかがわれない。
(b) 8月15日の取調べ状況について
i 8月15日の取調べ状況についてみても、Zの公判供述のうち、絶対に金はもらっていないという記憶がはっきりしているもの以外は、金をもらった可能性が絶無ではないので、金をもらったと話しておく方が無難だろうという気持ちになったとする点は、前記「安全サイド」と同旨であるところ、このような弁解が極めて不合理であることは、前に詳しく判示したとおりである。
ii また、Zの接見記録(甲書94)によると、Zは、8月16日朝に1時間4分、翌17日午前にも53分、当時の弁護人と接見していると認められるところ、伊藤回答書によっても、その接見の際に、Zは、大鶴検事から、同月12日の取調べで、「裁判官の前で何を言っても自由だが、言うこといかんによっては大変なことになるよ。」と言われ、同月14日の取調べでは、「検察庁に対する挑戦だ。そういう態度なら、県庁移転工事のことで、金をもらった事件を徹底的にやる。地元の業者の分も暴く。」と言われたと訴えたことまではうかがわれるが、同月15日の取調べで脅されたと訴えた形跡はなく、かえって「間の件は認めるから、他は不問にしてもらえないか。」と訴えていたというのである。
iii さらに、Zは、8月15日に、前認定のとおり、上申書を8通も作成して、このうちa建設関係の上申書(乙物64)には、本件の概要のみならず、同社からの過去の現金収受状況、被告人Y1との接触状況、本件後の同社側からの受注辞退の申入れ等についてまで記載しており、eルート関係でも、同様の上申書(乙物63)を作成している。また、Zは、翌16日には、前認定のとおり、a建設関係で2通の上申書を作成し、そのうち1通(乙物65)では、本件現金授受の状況について、詳細に説明するとともに、被告人Y1と会った部屋の図面も作成し、他の1通(乙物66)では、本件面談後の受注辞退の申入れの時期や方法について訂正をしている。
そして、ZノートNo.1(44頁、46~47頁)及び伊藤回答書の各記載によると、Zは、同月15日、a建設及びe建設関係の上申書以外にも、ゼネコン数社からの合計数千万円に及ぶ現金収受について、同様の上申書を個別に作成していたことがうかがわれるのであり、そのうちの1件にすぎない本件について、Zが、その述べるような厳しい取調べを受けた結果、その意に反して各上申書を作成したものとは考えにくいのである。
しかも、その内容をみても、a建設関係の上記各上申書はいずれも、7月段階の検察官調書や上申書と比較して、非常に詳細になっており、とりわけ、本件後の同社側からの受注辞退の申入れの事実は、検察庁として当時は全く把握していない事項であったことがうかがわれるのであり、このような上申書の作成状況は、これらの上申書がZの自発的な意思で作成されたことをうかがわせるものである。
iv そうすると、これらの上申書に基づき作成されたことがうかがわれる8月17日付け検察官調書(乙物8)についても、その任意性を優に認めることができる。
(c) まとめ
以上のとおり、8月17日までの供述状況に関するZの公判供述は、信用できないから、Zの上記公判供述に基づき、Zの供述の任意性、特信性を争う趣旨の弁護人の主張も、採用できない。
(ウ) 収受した現金の金額及びその使途に関する供述状況について
a Zの公判供述
(a) 8月17日、被告人Y1から受け取った現金が2000万円であるとし、その使途にも触れた同日付け調書(乙物8)が作成された後、私は、房に帰ってから、面談当日の平成4年12月22日にb建設のQ及びc工業のLから各200ないし300万円、d工業のT10からは1200ないし1300万円もらい、その金で同月24日にワリコーの新規購入や買い増しをしたことを思い出した。
(b) そこで、翌18日の取調べで、そのことについて話すとともに、大鶴検事に対する遠慮から、割引債券の新規購入等の原資の金額を合わせようとして、a建設からも200ないし300万円もらったと話した。すると、大鶴検事から、興銀で割引債券の新規購入等をしたのはすべて平成4年12月24日の午前中であったことを前提に、「何を言っているんだ。LさんやT10さんにあなたが会ったのは24日の昼過ぎだよ。」と言われ、愕然とした。頭が混乱し、検事の言うことだから確かな証拠があるんだろうと思って、私の考えはぺしゃんこにつぶれ、異議申立てどころではなくなった。
(c) 9月20日、私が興銀本店に行った時期を平成4年12月24日午前から同日午後に訂正する調書(乙物77)が作成されたが、これも、私が供述したものではなく、大鶴検事が勝手に作成したものである。8月17日に「債券の買い増しと新規購入が午前中に行われた」と言われてから、興銀本店の新規購入が午後であったとは一度も言われていない。大鶴検事は、私が興銀本店に行ったのが午後であったことを早くから知っていたのに、私に午前であると錯覚させて供述させたものと思う。検事のやり方は誠に卑怯だと思う。
b 検討
(a)i 確かに、関係各証拠によれば、Zは、平成4年12月24日の午前中に興銀日本橋支店で割引債券の買い増しのために191万円を、同日午後2時15分以降に興銀本店で割引債券の新規購入のために1707万円を、それぞれ支払ったことは明らかである。
ii また、8月17日に、Zが被告人Y1から受け取ったのは2000万円であり、これを興銀での合計1897万円(日本橋支店での支払を190万円としているため、実際より1万円少ない。)の支払に充てた旨の検察官調書(乙物8)が作成されていたが、Zが、翌18日、上記2000万円の使途に関して取調べを受けた際、上記12月24日にはL及びT10から合計1400ないし1600万円をもらったので、被告人Y1からもらったのは200ないし300万円だったのではないかと思う旨の弁解を始めたこと(乙物67)は、前認定のとおりである。
iii そして、大鶴検事及びZの各公判供述によると、8月18日に、大鶴検事が、Zに対して、前日に説明してメモさせていたMノートの上記12月24日の欄の記載に基づき再考を促したこと、なお、大鶴検事が前日にZに説明したのは、上記12月24日欄の2頁のうち午後2時10分までの日程が記載された1頁目のみであり、そこには、同日午前に興銀日本橋支店に行った旨の記載はあるものの、同日午後2時15分以降に行った興銀本店に関する記載がなかったこと、そのため、Zは、L及びT10からもらった資金で割引債券の新規購入等をすることはあり得ないものと誤解し、その旨を明言して上記弁解を撤回したことが認められる。
iv しかも、大鶴検事は、その公判証言によっても、8月下旬ころには、東京地検の本庁から、Mノートには、Zが平成4年12月24日午後にも興銀に行っているとの記載があるので、同日午前中に割引債券の新規購入等をすべて行ったとは断定できないという指摘を受けていたというのに、そのことをZに伝えたのは、その点に関する検察官調書(乙物77)を作成した9月20日が初めてであったというのであって、取調べの在り方としては、その公正さに疑問の残る取調べ方法というべきである。
(b)i しかしながら、大鶴検事は、上記のような取調べ状況やこれに伴うZの供述経過を検察官調書としてその都度記録しており(乙物67、77)、大鶴検事において意図的にZを騙そうとしたような状況はなかったものと認められる。
ii また、8月18日時点におけるZの弁解は、Zも認めるとおり、被告人Y1からもらった現金が200ないし300万円であったという、Zの記憶にもない全くの虚偽内容であり、Zは、上記のような誤解に基づき、この虚偽内容の弁解を撤回せざるを得なくなったにすぎない。
iii さらに、Zは、9月20日に、大鶴検事から、L及びT10と会った後に興銀本店に行っていることを聞かされながら、被告人Y1からもらった現金は2000万円に間違いないと供述した上、これらの事実を前提として、平成4年12月24日の行動及び金の出入りについて詳しく供述し(乙物77)、これを踏まえて、その時点での本件に関するまとめの調書も作成されている(乙物11)。
iv しかも、ZノートNo.1中の9月20日の欄(72~73頁)には、上記検察官調書の内容の概要や従前の調書との内容の違いに関する記載があるにとどまり、L及びT10からもらった金で割引債券の新規購入等をしたことをうかがわせたり、大鶴検事から予想外のことを言われたとか、うそを付かれたことを憤るような記載は全く見られないばかりでなく、同月21日、22日、24日と連日のようにZと接見していた猪狩弁護士も、その間にZからそのような訴えがあったとは証言していないのである。
v そうすると、大鶴検事は、意図的にZを騙そうとして平成4年12月24日のZの行動についての誤った事実を前提とした取調べを行ったわけではなく、その証言するように、手元にあったMノートの写しの同日欄のうち1頁目を見て、軽率にもその日のZの日程に関する記載が同頁のみであると早合点して、これを前提に取調べを行ったものであることがうかがわれる。しかも、Zは、そのような取調べによって、被告人Y1からの現金収受の有無に関する誤った認識を植え付けられ、これに基づき虚偽の供述をしたものではなく、自らの虚偽内容の弁解を撤回せざるを得なくなったにすぎないのである。したがって、大鶴検事のこのような取調べ方法は、客観的事実に反する誤った前提に基づく点において、誤導のおそれのある危険なものであり、大鶴検事がその誤りに気付きながら直ちに是正しようとしなかった点において、公正さに疑問を残すものではあるが、意図的にZを欺罔しようとしたものではなく、それによって虚偽供述を誘発したわけでもないから、それ自体、違法な取調べ方法であるとも、Zの供述の任意性に疑問を生じさせるものともいえない。
vi かえって、Zが、9月20日に、大鶴検事から、L及びT10と会った後に興銀本店に行っていることを聞かされながら、被告人Y1からもらった現金は2000万円に間違いないと供述していることは、8月17日に、大鶴検事から、興銀で合計1900万円近い支払をしていることを指摘され、被告人Y1から受け取った金額が2000万円であることを明確に思い出したために、1707万円を使った興銀本店に行く前にL及びT10と会っていたことを教えられても、その記憶が動揺しなかったことをうかがわせるものである。
c まとめ
以上のとおり、被告人Y1から収受した現金の使途等の供述状況に関するZの公判供述をそのまま信用することはできず、したがって、Zの上記公判供述に基づき、大鶴検事の取調べ方法が違法であるとしてZの供述の任意性、特信性を争う趣旨の弁護人の主張も、採用することはできない。
(エ) 8月20日の一時的な否認供述について
a Zの公判供述
(a) 私は、8月19日午前に当時の弁護人である伊藤弁護士と接見し、同弁護士から、「a社側は、Y1副社長とY2支店長、P2茨城営業所副所長が面談して、『この人にきく』という本の入った袋を贈呈したが、金は渡していないと言っている」と聞いた。これを聞いて、本をもらったことを思い出した。
(b) そこで、翌20日、私が「大型封筒に入っていたのは金ではなく本と思われる。金をもらったことはどうしても思い出せないのでもらっていないのではないか。」と話すと、大鶴検事は、「それじゃ、債券を買った金はどこから出たんだ。」と反論してきた。私が「分かりません。」と答えると、「本の標題まで覚えているのに債券を買った金が思い出せないとは何てこった。金をもらったことを覚えているか覚えていないか分からないというのは何てことだ。ふざけるんじゃない。」と怒鳴られ、一遍にしゅんとなった。その後に、被告人Y1から金をもらったという調書(乙物69)が作成された。
b 検討
(a)i 確かに、8月20日付けで、Zが、伊藤弁護士と接見した際、面談当日に被告人Y1から受け取った大型封筒の中身は、同被告人の対談集である書籍1冊であったことを思い出した、したがって、大型封筒に1000万円か2000万円が入っていたという記憶もなくなった旨記載された検察官調書(乙物68)と、「先ほど、私は検事にうそを付いていました。」とした上で、伊藤弁護士から、a建設側が、面談当日、被告人Y1は対談集1冊を大型封筒に入れて渡しただけで、お金は一切渡していないと話していることを聞いて、同弁護士に、本をもらっていることを話すと、同弁護士から、「それならば、検事に、Y1副社長からもらった大型封筒にはその本が入っていたと言いなさい。お金については記憶にないと言いなさい。」などと言われたので、この助言に従った旨記載された検察官調書(乙物69)があることは、前認定のとおりである。
ii また、8月20日の一時的な否認は、前認定のような同日付け(乙物68、69)及び同月21日付け(乙物70、71)各検察官調書並びにZノートNo.1(50~51頁)及び伊藤回答書の各記載、更にはZ自身の公判供述からも、Zが、同月19日に接見した伊藤弁護士から、「a建設の話では、Y1副社長が、年末のあいさつも兼ねて、Y2新支店長、P2茨城営業所副所長と共に、支店長就任のあいさつをし、その際、『この人にきく』という本の入った袋は贈呈したが、金の授受は絶対にないと言っている。」と聞かされたことによるものと認められる。
(b)i しかしながら、Zは、上記一時的否認の直後に否認供述を撤回した上、翌日にかけて、否認するに至った経緯やZの意図等についての3通もの検察官調書(乙物69~71)の作成に応じている。
ii しかも、押収してある『この人にきく第III集』と題する書籍(弁物102)によれば、面談当日に被告人Y1がZに手渡したとされる同一表題の書籍は、大きさが縦約21.6cm、横約15.7cm、幅約2.3cm、重さが約576gであると認められるのに対し、検証の結果(弁人25)によれば、2000万円の現金(1万円札100枚の札束20個)は、重さが約2150gあり(Hの捜査段階の供述(甲書140)に従い、A4版の書類が入るマチ付きで鳩目の付いた大型茶封筒と同種と思われる大型茶封筒に入れたもの)、Hが11月6日付け検察官調書(甲物70)で供述する方法で並べると、縦約31.9~32.5cm、横約23cm、高さ約4.8cmの大きさになることが認められ、Zが被告人Y1から受け取ったとされる書籍と2000万円の現金との間には、大きさ及び重さのいずれについても大きな違いがあるということができる。したがって、ゼネコン等から1000万円単位の現金を受け取った豊富な経験のあることを自認しているZが、この書籍と2000万円の現金とを記憶の中で取り違えたり、8月20日付け検察官調書(乙物68)にあるように、伊藤弁護士から、自分が受け取った大型封筒の中身がこの書籍であったという話を聞いて、書籍が入っていたことを思い出し、その封筒の中に1000万円か2000万円が入っていたという記憶がなくなるということは、想定し難いことというべきである。
iii さらに、伊藤回答書によれば、Zは、8月15日にf組以外のゼネコンからの収賄についての取調べが再開されるや、当時の弁護人に対し、これらの余罪については不問にしてもらいたい旨繰り返し訴えていたことが認められる。
(c) そうすると、8月20日時点での一時的な否認供述は、余罪についての刑事責任の追及を免れようとして、Z自身の検察官調書(乙物69~71)にあるように、伊藤弁護士から、前記のようなa建設側からの話を聞いたことから、これを奇貨として、口裏を合わせようとして記憶に反する供述をしたものの、大鶴検事から、様々に追及され説得されて、再び自らの記憶に合致した自白をするに至ったことが認められる。したがって、これに反する趣旨のZの公判供述は、信用することができず、Zの上記公判供述に基づき、Zの供述の任意性、特信性を争う趣旨の弁護人の主張も、採用することはできない。
(オ) 弁護人の交替について
a Zの公判供述
(a) 9月6日、私は、大鶴検事から「今のようにあなたが接見で話したことが次から次と出てしまうようだと、政治的圧力によって起訴をやめたと言われるおそれがあるので、検察としても起訴せざるを得なくなる。そうすると、一番損するのはZさんの方ですよ。」と言われた。私は、伊藤弁護士がマスコミに情報を流していることに検察が強い不快感を示していると思い、検事が捜査を打ち切ろうとしていたものまで起訴されるようになっては大変だと心配になった。
(b) さらに、9月7日にも、大鶴検事から「伊藤弁護人がしゃべりすぎる。マスコミへの発表がひどすぎる。特捜始まって以来のひどさだ。やり方が検察庁の怒りを買っている。今やZ対検察ではなく、伊藤対検察になっている。発表されたゼネコンは全部徹底的にやるということに決まった。検察の内部には、伊藤さんはZさんと結託してやってると言って疑ってる者もいる。」、「伊藤弁護人を辞めさせる手続はあるが、あなたが解任するのが一番簡単ですよ」と言われた。私は、伊藤弁護士のために検事の機嫌を悪くすると、捜査は厳しくなるし、線引きもされなくなり、どんな小さなことも全部起訴され、囚われたまま死ななければならないと大変不安になった。そのため、大鶴検事の勧めに従い、伊藤弁護士を解任することを決意して、その日のうちに伊藤弁護士ら3人の弁護人を解任した。
b 検討
(a) 確かに、ZノートNo.1の記載(61頁)に照らしても、9月6日及び7日の取調べにおいて、大鶴検事が、伊藤弁護士によるマスコミに対する捜査の進展状況の細かな公表に強い不満を示したために、それが直接の契機となって、Zが伊藤弁護士らを解任したことがうかがわれる。
(b)i しかしながら、伊藤弁護士を解任したことについて、ZノートNo.1には、大鶴検事がその解任を勧めた旨の記載は皆無である。しかも、猪狩弁護士の公判証言によると、Zは、猪狩弁護士に対し、伊藤弁護士解任の理由について、マスコミへの公表をやめるよう何度かお願いしたが、伊藤弁護士がやめてくれないし、伊藤弁護士自身の接見の回数が少なく、自分の意を十分伝えることができない不満があったためであると説明していたことが認められる。
ii また、猪狩弁護士を後任の弁護人として選任したことについても、ZノートNo.1には、大鶴検事からの働きかけがあったことをうかがわせる記載は全く見当たらない。かえって、同ノート中の「後藤田、仁平警視総監(刑事畑)」という記載(61頁)及び猪狩弁護士の公判証言からすると、Zは、刑事畑の知り合いの弁護士が猪狩弁護士と石原元検事長しかいなかったために、猪狩弁護士に連絡して、後任の弁護人を依頼したことがうかがわれる。
(c) そうすると、大鶴検事が伊藤弁護士の解任を勧めた旨のZの公判供述は、信用することができず、これに依拠するなどして、上記の弁護人の交替が検察庁の思惑に基づくものである旨の弁護人の主張も、採用できない。
(カ) 9月12日及び同月13日の取調べ状況について
a Zの公判供述
(a) 9月12日、私は、大鶴検事から、平成3年10月にj建設株式会社(以下「j建設」という。)副社長のP5(以下「P5」という。)から金をもらったのではないかと追及を受けた際に、黙っていると、怒った大鶴検事から「全部起訴する。求刑は極刑にする。」と怒鳴られた。翌13日にも、大鶴検事から「途中からもらっていないと言っても、それはうそ付きだ。どこまでももらってないと言い張るなら、全部ばらしちゃう。」、「山本主任(本件の捜査主任であった山本修三検事。以下「山本主任検事」という。)がすごく怒ってる。」とものすごい剣幕で怒鳴られた。これを聞いて、私は、獄死しなきゃならないという恐怖感に襲われた。
(b) そこで、私が、平成2年か3年にj建設から1000万円もらったといううその供述をすると、大鶴検事から、「どうして最初からもらったと言わなかったのか。」と追及された。私が、苦し紛れに「具体的な記憶がありませんでしたから。」と答えると、大鶴検事は、突然狂ったように怒り出し、「それなら最初から、もらったけれども具体的状況は記憶がないと言えばいいじゃないか。うそ付き、帰れ。」と言って私を房に戻した。
(c) 1時間くらいして取調室に呼び出されると、大鶴検事から、非常に恐ろしい顔をしてにらみつけられ、「あなたの言うことはしょっちゅう変わるので信用できない。あなたの体中を錐で刺してやりたいような気持ちだ。」と言われて、私は、大変なショックを受けた。
b 検討
(a) そこで検討するに、前記(ア)ないし(オ)で検討してきたとおり、Zの公判供述には、あたかも大鶴検事による違法不当な取調べが続けられたため、事実に反する自白を強要されたかのように、事実を作出又は誇張して述べた部分が多く、全般的に信用性に乏しいものというべきである。したがって、9月12日及び同月13日の取調べ状況に関する供述部分も、Zノートの記載等の客観的裏付けのないものは、これを信用することが困難である。
(b)i そのような観点から、まず、ZノートNo.1の9月12日の欄の「求刑は極刑になる」、「すべて起訴する」との記載(65頁)についてみるに、大鶴検事が、前認定のように自己の弁護人と頻繁に接見しているZに対し、収賄事件で死刑を意味する極刑を求刑するなどといった荒唐無稽の脅迫をあえてするとは考えにくいし、前認定のように収賄罪の法定刑を知っていたはずのZがこれをまともに受け取ることも考えられない。
ii この点、猪狩弁護士は、9月13日の接見では、Zから、前日の取調べについて、j建設からの収賄の事実を追及され、大鶴検事から「具体的に供述しなさい。そうしないのはうそを付いているからだ。あなたは、もらっていないと言うことがうそだと判ったら腹を切ると言ったが、j建設の件で腹を切れるか。」、「この件が証拠上はっきりして起訴した場合には、極刑に処する、それ以外のどんな小さなものも起訴する。」などと脅されたと訴えられた旨証言している。
iii このような猪狩弁護士の上記公判証言に照らすと、同公判証言にある「腹を切る」という言葉は、責任を取るという程度の意味にとどまることがうかがわれるのであり、それと同様に、Zノートにある、9月12日の取調べにおける大鶴検事の言葉も、Zの供述態度次第では、求刑が法律で定められた最高の刑になるかもしれないし、証拠上裏付けられた事件を全部起訴せざるを得なくなるかもしれないという趣旨にとどまるものと考えられる。したがって、このような取調べが違法不当ということはできない。
(c) 次に、ZノートNo.1の9月13日の欄の「身体中をキリで刺してやりたいという気持ちだ」との記載(66頁)について検討する。
iα 猪狩弁護士の公判証言によれば、Zは、同月14日の接見で、同弁護士に対し、前日の取調べについて、「j建設から金をもらった記憶がない。」と言ったところ、大鶴検事から「徹底的に調べる。どんな細かいことでも起訴する。捜査を長引かせて拘束も長引かせる。女性のことも調べる。」などと脅され、「j建設から金をもらった。」と供述すると、さらに大鶴検事から「あなたの言うことは全く信用できない。錐かナイフで体中を刺してやりたいような気持ちだ。」などと脅されて、検事から言われるままに、「本当はもらった記憶があったのに、もらっていないと言い張った」という内容の上申書を書いたと訴えていたことが認められる。
β また、ZノートNo.1の記載(64~66頁)等によれば、9月12日と同月13日の2日間、j建設からの収賄についての取調べがあり、Zが、逮捕された翌日の7月24日以降、同社からの現金収受を認めていること(乙物51)、同社のP5とも頻繁に会っていることなどを根拠に、大鶴検事がZを様々に追及したところ、Zは、「記憶がない」と言い、「もらったかもらってないか」を聞かれると、「じゃもらっていない」と答えていたが、同月13日夜になって、「平成2年か3年に1000万円ぐらいもらった」と言い出し、大鶴検事から、なぜそのように供述しなかったのかと聞かれて、「具体的情況について記憶がなかったから」などとあいまいな供述を続けたため、大鶴検事が怒り出し、Zをいったん房に戻してから、午後11時45分まで取り調べたことがうかがわれる。
γ そして、大鶴検事も、「あなたの体中を錐で刺してやりたいような気持ちだ。」と言ったことはないが、Zが、具体的な情景を思い出せないとよく言っていたので、「そうやって鎧甲で自分の身を固めたところで、検察としては、槍をどんどん突き刺していって、事実を解明していきますよ。」と言ったとして、取調べの中で、槍で突き刺すような発言をしたことを認める証言をしている。
δ このような証拠関係からは、j建設からの現金収受に関するZの供述があいまいに終始したため、9月13日の夜の取調べでは、大鶴検事がかなり感情的になって、Zに対し、「錐で刺す」とか「槍で刺す」などという言葉を使ったり、「徹底的に調べる。どんな細かいことでも起訴する。」などと威嚇的な態度で取調べを行ったことがうかがわれるのであり、取調べの方法として穏当さを欠くものとして、被疑者の供述状況次第では、その供述の任意性に疑問を生じさせ得るものというべきである。
iiα しかしながら、Zの公判供述及びZノートNo.1の記載(64~66頁)を検討しても、9月12日及び同月13日の取調べでは、「お金をもらったという感じがしていたのに、小山ダム以来もらったかもらってないかと言われた時に、もらってないと言ってしまった」旨の上申書が作成されたのみで、現金授受に関する具体的な内容を録取した供述調書が作成された形跡は認められない。
β また、ZノートNo.1の記載(64~67頁)によれば、9月14日の夜には、Zが平成3年5月ころj建設のP5から現金1000万円を受け取った旨の供述調書が作成されたが、j建設関係と併行して取調べが行われていたa建設関係では、同日においても、Zは、平成2年12月10日に被告人Y1から金をもらった感じがしないなどと述べて否認供述を貫いていたことが認められる。
γ さらに、Zの接見記録(甲書94)によると、Zが9月14日午後1時4分から3時までの2時間近くにわたり猪狩弁護士と接見していることが認められることも考慮すると、仮に前日の取調べによってZが衝撃を受けていたとしても、翌14日にはそれから既に脱却していたことがうかがわれるのである。
δ したがって、前認定のように、9月13日夜の取調べ方法は、穏当さを欠くものであったとはいえ、その影響は、少なくともa建設関係の事件に関する限り、翌14日以降のZの供述には及ばなかったことがうかがわれる。
(d) そうすると、9月12日及び13日の取調べの影響によりZの供述の任意性ないし信用性が欠けるに至った旨の弁護人の主張は、a建設関係の事件に関する限り、理由がないというべきである。
(キ) 9月下旬以降の取調べ状況について
a Zの公判供述
Zは、その後も引き続き、大鶴検事から繰り返し脅されたり圧力を掛けられた旨供述している。すなわち、
(a) 9月21日、私は、e建設幹部からの収賄容疑で再逮捕されたが、翌22日に、a建設からの平成2年12月10日の収賄容疑で取調べを受けた。その際、私が「金をもらった記憶も実感もない。」と答えると、大鶴検事から「後でもらったことが判ったときに、あのときは思い出せなかったんだという弁解は許さない。うそを付いたことにする。」と言われて、怖くなり、「Y1さんが手ぶらで来られるはずはないと思います。」と言って、その場を取り繕った。
(b) 9月27日にも、再び同じ件で被告人Y1から金をもらっていないか聞かれたが、その際、大鶴検事から「正直に話しなさい。全部話せば全部は起訴しないが、全部話さないと全部起訴するぞ。」と言って脅された。
(c) 10月18日、大鶴検事から、「裁判で争うと保釈にならないよ。いったん線引きをして起訴しないと決まったものの中にも、起訴しようと思えば起訴できるものがあるんだし。」と言われ、裁判で争わないよう圧力を掛けられたと感じた。
(d) 同月23日の取調べで、私が、ゼネコンの東京本社から来る人が何も持ってこないこともあると答えると、大鶴検事は、「うそを付いている。刑が重くなると思ってうそを付いているんだ。金をもらった記憶がないというのは思い出してないんだ。」と激しい口調で怒鳴られにらみつけられたので、私は、下を向いて黙るしかなかった。
(e) 同月25日、大鶴検事から、被告人Y1が、本件で逮捕され、否認していることを知らされた。a建設関係者が真相を明らかにしてくれると期待を持ったが、私は、気持ちが完全に萎縮してしまっており、とても今までの供述を変えることはできなかった。
(f) 同月26日、本件で逮捕され、同日の弁解録取でも、同月27日の勾留質問でも、容疑事実を認めた。勾留質問で認めたのは、大鶴検事の指示どおりにしないと、検事がものすごく怒るためである。fルートの件で懲りていた。
(g) 本件による逮捕後も、大鶴検事からは、繰り返し脅されるなどして、供述を覆すことはできなかった。すなわち、
i 同月31日、大鶴検事から「背広生地をもらわなかったか。」、「昭和60年ころに被告人Y1らと会っていないか。」と聞かれ、「覚えていない。」と答えると、大鶴検事が急に怒り出し、「記憶にない記憶にないということばかり言っていると、残っている事件は全部やるぞ。そうすると、しばらくは拘置所から出られない。来年の夏になっちやう。保釈もずっと先になる。」と言ってきた。そのため、私は検事の話にできるだけ合わせる供述をした。
ii 11月6日夜の取調べで、私が「金をもらったのかもらってないのか悩みました。」と言うと、大鶴検事から「そんなことはないはずだ。悩んだのは金をもらったかもらってないかではなく、1000万円か2000万円かということで悩んだんだろう。具体的な状況についての記憶がないので悩んだんだろう。逮捕の翌日に、あなたは、『a建設からもらった、多分Y1から』と言ってるんだし、8月15日、16日にも『a建設のY1から金をもらった』と言っている。」などと荒々しい声で言われた。私は、更に「金をもらった記憶があって、金をもらったことにしたのではない。」とも言ったが、大鶴検事は、何を今更という感じで、私の話を聞こうとしなかったが、検事の機嫌を悪くするのを恐れてあきらめ、それ以上は強く訴えなかった。
iii 11月7日夜の取調べで、大鶴検事から「Y1のことなら何でも知っていることを話してくれ。裁判になっても取調べが行われることがあるよ。仙台の市長がそうだ。検察と対立すると保釈にならないよ。」と言われ、脅しと感じた。当時は、寝汗が続き、肋骨の辺りが痛いなど、体調も悪く、かなり参っており、1日も早く保釈になって精密検査を受けたいと思っていた。
b 検討
(a) そして、このようなZの公判供述に対応する証拠としては、以下のようなものがある。すなわち、
i ZノートNo.1の9月22日の欄(74頁)には、「『実感がないということで、どうしても実感がないなら、もらっていないのだ』と言うから、『もらっていないのでしょう』と言ってしまったが、『後で判ったときは、思い出せないということは許さない。うそを付いたことにする。』などと脅した」との記載がある。
ii 水谷弁護士は、9月29日の接見の際、Zは、前日の取調べ状況として、大鶴検事から、「知っていることは全部話しなさい。正直に話せば全部起訴することはない。もし隠していると、全部起訴することになる。」と言われたと話し、記憶にないと答えても許してもらえないということで、どのように対処したらいいのか大変悩んでいるようだったと証言している。
iii ZノートNo.2の10月18日の欄(32頁)には、「とことん頑張って長引かせる戦術を採ると、保釈にならないかもしれない。」、「早く裁判を切り上げ刑務所に入り服役すれば、刑期の6~7割で仮釈放になるだろう。勾留期間も裁量だけど見てくれる。その方がいいのではないか。線引き外で起訴できるものがあるし。」などの記載がある。
iv 水谷弁護士は、a建設関係の勾留質問に先だって、Zから、「間の件の勾留質問で否認したとき、検事からさんざん怒鳴られたので、今回もまた記憶にないと言うと、検事からきつい取調べを受けることになるだろうが、それには耐えられないので、認めていいか。」という話があったので、弁護団としてもやむを得ないという話になったと証言している。
v ZノートNo.2の10月31日の欄(71頁)には、「記憶がない記憶がないと言っていると、後残っている奴も全部やるようになる。-(山本の脅しか?) そうするとここからはしばらく出られない。」との記載がある。
vi ZノートNo.2の11月7日の欄(77頁)には、大鶴検事の発言として、「Y1さんについて何でも知っている(思い出)ことはないか?」、「◎対決していると保釈されない」との記載がある。
(b)i しかしながら、前認定のとおり、10月9日前後の接見の後に記載されたZノートNo.1には、「(水谷さん)」との記載の下に、「と思うを必ずつける。必ず思う。断ると怒る 怒らせる 怒られたことを弁に言う 種にする 証拠能力なしとなる」旨の記載があるところ(93頁)、同弁護士の意図はともかくとして、Z自身は、取調べ検事を挑発して怒らせるようにという趣旨のアドバイスを受けたと理解していたのであり、Zにとっては、このようなアドバイスが、自己の供述調書の証拠能力を否定するために、大鶴検事を挑発して、それに対する大鶴検事の対応を記録するとともに、弁護人にも訴えようとする積極的な動機付けになったこともうかがわれるのである。したがって、Zノートの記載及び弁護人との接見時のZの発言内容の信用性については、慎重な検討を要する、
ii そして、Zノートの記載内容にZ及び大鶴検事の各公判供述を総合すると、9月下旬以降の取調べにおいて、大鶴検事が厳しくZを追及したのは、主として平成2年12月10日の現金授受等の余罪に関するものであるところ、それらの取調べにおける大鶴検事の言動も、それ自体、Zの供述の任意性ないし信用性に疑いを生じさせるものとまではいえないし、Zは最後まで余罪についての否認を貫いたことが認められる。
iii また、Zの公判供述によっても、8月20日以降は、Zが一貫して本件現金授受の存在を前提とする供述をしていたため、大鶴検事は、その有無について厳しく取調べをしたことがなく、Zが公判段階で否認することを牽制するにとどまっていたことがうかがわれる。
iv さらに、その間の大鶴検事による取調べの中で、仮にZの公判供述にあるように、取調べを受ける側から見て威圧的と感じられるような言動があったとしても、前認定のように、本件捜査段階で転機となるようなZの供述、すなわち、本件現金授受を認め、その詳細まで述べた供述はすべて、そのような言動に先立ち、かつ、これらとは全く関係なくしてZから任意に語られたものであることが認められるのである。
(c) なお、9月下旬以降におけるZの供述中には、一部に前判示のような変遷がみられるので、その理由についても検討しておく。
iα まず、現金授受の場所について、10月17日付け検察官調書(甲書134・乙物83)までは都道府県会館別館2階にある「知事談話室」とされていたが、同月25日付け検察官調書(乙物14)以降は、その名称が「知事会談話室」と訂正され、さらに、11月5日付け検察官調書(乙物15)では、従前の図面は勘違いして都道府県会館本館3階の「知事会役員室」を記載したものである旨訂正されている。
β しかし、このような変遷は、現金授受の湯所についてのZの思い違いが、後に裏付け捜査によって面談の場所が明らかとなり、これに基づき是正されていった過程として、自然なものということができる。
iiα 次に、同行者の有無について、8月21日付け検察官調書(乙物71)までは、同行者がなかったとされていたが、9月20日付け検察官調書(乙物11)において、「ひょっとすると最初のうちは随行者一、二名がおり、現金をいただく前に随行者が席を外して先に部屋から退出していたものであったかもしれません」と供述して、随行者がいた可能性を初めて認めるに至り、10月25日付け検察官調書(乙物14)以降も同旨の供述をしている(甲書136・乙物18)。
β しかし、このような変遷は、9月20日付け検察官調書(乙物11)にあるように、Zとしては、被告人Y1が1人で部屋に入ってきたように思っていたものの、それは、現金を授受する場面が頭に残っているからであり、現金を受け取る前に随行者が退出していたとすれば、その記憶と矛盾するものではなく、後にa建設に対する裏付け捜査により随行者のいたことが判明したことにより、訂正されたことがうかがわれるのである。
iiiα 最後に、現金授受の趣旨について、10月25日付け検察官調書(乙物14)までは含まれていなかった小山ダム建設工事の受注依頼が、11月11日付け検察官調書(乙物16)以降、新たに加わえられ、同日付け検察官調書(甲書135・乙物17)において、小山ダム建設工事の進捗状況、その受注を求めるゼネコン各社からの陳情状況等が録取されている。
β しかし、Zは、前認定のとおり、8月15日付け上申書(乙物64)以降、本件現金授受の後に、a建設側から小山ダムの受注希望を放棄する旨の意思表示があったことを認めていた。しかも、Zの公判供述によると、Zは、小山ダムについて、その後も繰り返し大鶴検事から事情を聴かれており、10月23日の取調べでは、本件面談の際に、Zが、県庁舎と医療大学の話は出たと思うが、小山ダムの話は出なかったと思うと供述すると、大鶴検事が不満そうな顔をしたというのである。加えて、被告人Y1は、後にみるとおり、同月31日に本件現金授受を初めて自白して以降、その趣旨について、小山ダム建設工事の受注依頼であったと明確に供述していた。
γ したがって、Zには、面談当日に被告人Y1から小山ダム建設工事の受注依頼を受けた記憶まではなかったものの、大鶴検事が同工事についても受注依頼があったという嫌疑を抱いて取調べを進めているうち、被告人Y1がその趣旨を含むことを明言するに至ったため、これを踏まえて更にZを取り調べた結果、上記のような供述の変遷に至ったことを合理的に推認することができる。
iv このように、上記の各供述の変遷は、それぞれにZの供述過程として自然かつ合理的なものであり、Z供述の任意性ないし信用性に特段疑問を生じさせるものとはいえない。
(d) 加えて、9月下旬以降も、前認定のように、Zがその弁護人と頻繁かつ長時間にわたり接見していたことも考慮すると、その間の取調べの影響によりZの供述の任意性ないし信用性が欠けるに至ったとする弁護人の主張は、採用することができない。
(ク) まとめ
以上のとおり、Zの捜査段階の供述については、弁護人指摘の諸点を踏まえて検討しても、任意性ないし信用性に疑いを生じさせるまでの事情は存しないと認められるから、この点に関する弁護人の主張はすべて理由がないことに帰する。
(3) Zの各検察官調書の証拠能力についての結論
以上のとおり、Zの捜査段階における供述は、全般的に、任意性はもとより、その公判供述と対比しても、これより信用すべき特別の情況があったと優に認められるから、検察官請求に係るZの検察官調書9通(甲書129~137)はいずれも証拠能力を有することが明らかであって、これを否定する趣旨の弁護人の主張はすべて採用できない。
第3  a建設関係者の各検察官調書の証拠能力
1  被告人Y1の各検察官調書の証拠能力
(1) 問題の所在等
ア 問題の所在
(ア) 検察官は、被告人Y1の検察官調書のうち6通(乙書12~16、27)について、刑訴法322条1項又は321条1項2号後段に基づき取調べを請求した。
(イ) これに対し、弁護人は、3月21日付け検察官調書(乙書27)については、被告人Y1に対する政治資金規正法違反の嫌疑を持っていた検察官が、警戒心を起こさせないためにあえて参考人として供述拒否権を告げずに取り調べるという違法な手段によって獲得した違法収集証拠である上、特信性も欠いており、また、その余の検察官調書5通(乙書12~16)についても、本件で被告人Y1の取調べを担当した東京地検特捜部所属の内尾武博検事(以下「内尾検事」という。)から、「得意先をリベートで徹底的に調査する。」、「P19の吉野さんは得意先6社をやられて勘弁してくれと言った。fのP12さんも3社で手を挙げた。」、「今得意先をなくしてa社がとんでもないことになったら、a社中興の祖はK、a社衰退の元凶はY1ということになるぞ。」などと言って脅迫され、あるいは「Hの手帳の面談当日の欄に『2,000』と書いて消した跡がある。」、「a社の顧問弁護士が、特捜部長を訪れたり、山本主任検事に電話をかけて、接見時に容疑を認めたことを伝えたY1を怒鳴ったことを謝罪し、a建設にもY1本人にも善処させると言っていた」と告げられるなど偽計を用いて獲得された任意性のないものである上、特信性も欠いているとして、いずれも証拠能力がない旨主張する。
(ウ) そこで、以下、被告人Y1の前記検察官調書6通(乙書12~16、27)の任意性及び特信性の有無について検討することとする。
イ 任意性・特信性の判断資料として請求された被告人Y1の検察官調書等の証拠能力
(ア) 検察官は、被告人Y1の上記検察官調書6通(乙書12~16、27)の任意性・特信性立証のために、上記検察官調書6通を含む被告人Y1の捜査段階における一連の検察官調書23通(乙物93、96~117。ただし、乙書12は乙物104と、乙書13は乙物116と、乙書14は乙物114と、乙書15は乙物115と、乙書16は乙物117と、乙書27は乙物93とそれぞれ同一である。)、弁解録取書1通(乙物94)及び勾留質問調書1通(乙物95)の取調べを請求し、弁護人は、前記第2の1(2)イ(ア)と同様の理由により、上記検察官調書等はいずれも非供述証拠としても証拠能力がない旨主張する。
(イ) しかしながら、弁護人の上記主張が理由のないことは、同(イ)で判示したとおりである。
(2) 被告人Y1の供述経過等
関係各証拠によれば、被告人Y1の捜査段階の供述経過等として、次のような事実が認められる。すなわち、
ア 被告人Y1は、3月21日、P14元衆議院議員(以下「P14元議員」という。)の所得税法違反被疑事件(以下「P14脱税事件」という。)に関連して、山本主任検事から、P14元議員に対する裏献金問題(以下「P14献金問題」という。)について取調べを受け、その際、被告人Y1が、a建設の9名いる副社長の中の筆頭副社長であり、昭和59年8月にQ忠次相談役が亡くなってからは、政治家等に対する資金提供の仕事を引き継いでいたこと、政治家等に対する資金提供には、政治資金規正法に基づいて経理処理をするものと同法によらないいわゆる裏献金とがあり、前者は本社管理部が担当していたが、後者は被告人Y1が自ら行っていたこと、P14元議員に対する裏献金を行った時期は、昭和61年の盆から平成4年の盆までの毎年盆暮れの2回であり、金額は1回当たり500万円ないし1000万円であったこと、献金をする際は、昭和63年10月より前は土木本部経理部長に、同月以降は関東支店経理部長に指示して自室に持って来させた上、被告人Y1自身がP14元議員の元に直接届けたことなどを内容とする検察官調書(乙書27・乙物93)に署名指印した。
イ(ア) Zは、前認定のとおり、7月23日、f組からの収賄容疑で逮捕されたが、同月24日、平成4年中に被告人Y1から現金をもらったことを認める供述を始め、その後の取調べにおいて、面談当日に都道府県会館で被告人Y1と面談した際、同人から現金2000万円をもらった旨の供述をした。
(イ) 被告人Y1は、7月23日の数日後、a建設の顧問弁護士で、後に本件の主任弁護人となる早川晴雄弁護士(以下「早川弁護士」という。)から電話を受け、Zが上記のような現金供与の事実を自白した旨の連絡を受けたが、即座にこれを否定し、さらに、後日、a建設会長の秘書役が同席する中で、被告人Y2らと共に早川弁護士から事情聴取を受けた時も、本件の容疑事実を強く否定した。被告人Y1は、その後も、早川弁護士やa建設関係者に対して本件贈賄事実を否定し続けており、朝日新聞が9月6日付け朝刊で本件贈賄容疑について報道した際には、早川弁護士に依頼して、a建設及び被告人Y1個人として、抗議の文書を同新聞社に送付するなどしている(弁物167、169)。
(ウ) そのような状況の中、内尾検事は、10月21日から同月25日までの間、東京都内のホテルで、本件贈賄容疑につき在宅で被告人Y1を取り調べた。被告人Y1は、早川弁護士と随時連絡を取りながらこの取調べに応じたが、面談当日に都道府県会館で、被告人Y2やa建設茨城営業所副所長のP2と共にZに面会したことは認めたものの、あくまで現金は渡していない旨供述した。
ウ 被告人Y1は、同月26日、本件贈賄容疑で逮捕されたが、弁解録取の際、「私は、面談当日ころ、Z知事に会ったことは事実であるが、現金を渡したことはないし、県立植物園の工事や県庁舎の工事については全く知りませんでした。」と述べ(乙物94)、同月27日の勾留質問においても、「面談当日、Z知事と面会したことはあるが、会った趣旨は、自分がしばらくZ知事と会っていなかったためと新任の関東支店長である被告人Y2の紹介のためである。会う段取りはP2が付けた。植物園や県庁舎の工事の話は知らないし、2000万円を渡したこともない。」旨述べて(乙物95)、現金供与の事実を否認していた。
エ 被告人Y1は、同月27日の午前と午後に各20分間、同月29日の午後に20分間、それぞれ自らの弁護人らと接見していたが、同月31日、以下のように、Zに対する現金2000万円の供与を認める供述を始めた。すなわち、これまで家族やa建設のことを思って否認をしてきたが、検事から証拠上明らかな事実について否認をしていると、a建設にとって決して良い方向には向かわないと告げられ、事実を認める決心をした、しかし、これまで会長や社長、マスコミに対しても事実を否定してきたことから、事件の詳しい内容については、弁護士と会って私の心境を社内の者に伝える手続を取ってもらってから話すつもりであるなどとする検察官調書(乙物96)に署名指印した。
オ 11月1日には、本件贈賄事実を認める内容の4通の検察官調書が作成され、いずれも被告人Y1が署名指印している(乙物97~100)。そして、これらの調書には、被告人Y1とZ及びP2との従前の交際状況のほか、次のような記載がある。すなわち、
(ア) 私がZ知事に現金2000万円を供与した理由は、当時バブル経済がはじけて民間発注の工事が激減したことから、業績の落ち込みを食い止めるためには公共工事の受注に力を注がなければならず、金額の大きな工事を確実に受注したいと考えたからである。(乙物97)
(イ) 昭和60年ころ、g建設株式会社(以下「g建設」という。)のP25会長(以下「P25」という。)、Z知事、代議士秘書の森茂と私の4人で東京の料亭で会った際、小山ダムについて、g建設がスポンサー、a建設がサブのジョイントベンチャー(共同企業体。以下「JV」という。)に受注させるという話があり、私はこれを了承した。(乙物98)
(ウ) その後、私は、2回ほどZ知事に会ったが、しばらく御無沙汰していたところ、面談当日の少し前、P2から電話で、Z知事に会って小山ダムの件を頼んでほしいと言われ、これを承諾し、これまでZ知事に会ったことがなかった被告人Y2を同行させることにした。また、2000万円の現金は、関東支店経理部長のHに命じて持って来させた。(乙物98、99)
(エ) 面談当日の午前中、P2がZ知事に洋服の生地を渡したいと電話で言ってきたが、私は、「そんな大きな物を持っていくやつがあるか」と言って叱りつけた。Z知事との面会の前に、私は、ホテル「ニューオータニ」(以下「ニューオータニ」という。)のガーデンコートクラブという会員制のサウナ(以下「ガーデンコートクラブ」という。)に行っていたが、Hに用意させた2000万円の現金は運転手のP15(以下「P15」という。)に保管させており、P15をa建設本社に帰らせて被告人Y2とP2を迎えに行かせ、ガーデンコートクラブ地下出口の前で合流し、3人でP15運転の自動車に乗り込んでZ知事との面会場所に向かった。(乙物99)
(オ) 面会の際、私は、Z知事に対して、茨城県が発注する予定の金額の大きな工事にa建設を指名業者に入れてほしいとお願いした上で、現金2000万円を渡したほか、土工協広報委員会委員長として各界の名士と対談したときの様子をまとめた「この人にきく第III集」という本をZ知事に手渡したが、お金だけを渡すより渡しやすいし、カモフラージュになると考えたからである。しかし、小山ダムのことを頼むのを忘れたため、後でP2に文句を言われた(乙物97~99)。
(カ) 現金2000万円について、Hが、私とは直接にやり取りをしておらず、支店長の被告人Y2経由だったと供述しているのなら、そのとおりだったかもしれない。(乙物100)
カ 被告人Y1は、11月2日午前の20分間、早川弁護士、女婿の薄金孝太郎弁護士(以下「薄金弁護士」という。)及び山崎惠美子弁護士(以下「山崎弁護士」という。)と接見した後、検察官に対し、本件2000万円の現金供与を否認するに至ったが、同月4日午後の20分間、早川・薄金両弁護士と接見した後の取調べでは、再び本件現金供与を認める供述を始めるとともに、Zと面会し、現金2000万円を渡して、今後茨城県が発注する予定の金額の大きな工事について、a建設が指名されるようお願いをしたなどと、本件贈賄の際の具体的な状況について記載された検察官調書(乙物102)に署名指印している。
キ その後、被告人Y1は、11月8日、12日及び13日に各20分間、前記弁護士らと接見しているが、同月15日に本件で起訴されるまでの間、本件贈賄事実を一貫して認めて、15通の検察官調書(乙書12~16を含む乙物103~117)に署名押印している。そして、その内容は、以下に指摘する点が付加される以外は、おおむね同月1日付け各検察官調書の内容として前に要約したところと同旨である。すなわち、
(ア) 同月8日付け調書(乙物109)には、3月下旬に、P14脱税事件に関連して、大鶴検事から取調べを受けた際、a建設の元関東支店長が平成元年にZに対し現金1000万円を贈っていた事実を追及されたことから、被告人Y1が、本件贈賄事実まで発覚することを恐れて、被告人Y2と協議した上、その後の5月27日に被告人Y2がZに面会して、小山ダムの受注断念を申し入れた状況などが記載されている。
(イ) 11月10日付け調書(乙物112)には、3月19日ころ、関東支店の前経理部長であるI(以下「I」という。)の保管する裏金に関する帳簿が検察庁に押収されたことを聞いて、被告人Y1が、本社主計部担当部長のP16に対し、「そんな帳簿があったのか。それは大変だな。」という趣旨のことは言ったが、自分としては、帳簿の廃棄を指示する意思ではなかった、しかし、P16がそれを帳簿廃棄の指示と受け取ったのであれば、P16自身の内心の問題であることなどが記載されている。
(ウ) また、11月14日付け調書(乙書16・物117)には、否認から自白に至るまでの被告人Y1の一連の心境として、Zが逮捕された後、早川弁護士から事情を聞かれた際に、本件贈賄は絶対にやっていないとうそを言い、その場にいた被告人Y2とP2も話を合わせたことから、その後の早川弁護士やマスコミからの質問に対してもうそを言い、認めたら私の社会的生命が終わるし、会社に莫大な損害が掛かると思って事実を否認してきたが、検事から、証拠上明らかな事実について何を言っても通らない、否認を通しているとa建設のためにならないなどと説得され、検察庁を敵に回すとa建設にとって大きな損害になると感じたことから、私自身の社会的な生命が終わろうとも、a建設が多少指名停止を受けようとも、真実のことを認めるしかないと腹をくくり、事実を認める気持ちになったことなどが記載されている。
ク もっとも、同月5日以降の検察官調書には、細部においてそれまでの供述とは異なる部分もみられる。すなわち、
(ア)a まず、被告人Y1が現金2000万円の用意を指示した相手について、同月6日付け調書(乙物105)には、これまで被告人Y2をかばってうそを付いていたが、私が指示した相手は、Hではなく被告人Y2であった旨の記載があり、現金2000万円を受け取った相手についても、同月8日付け調書(乙物108)には、面談当日ガーデンコートクラブの出口で被告人Y2から受け取った旨の記載がある。
b そして、面談当日、被告人Y1が被告人Y2及びP2と合流し、被告人Y2から現金2000万円を受け取った場所について、同月13日付け調書(乙書15・乙物115)には、私としてはガーデンコートクラブ地下1階の出口であったような気がするが、明確な記憶があるわけではないので、あるいは地上で会ったのかもしれないなどと記載されている。
(イ)a また、現金2000万円をZに贈った趣旨について、同月9日付け調書(乙物110)には、小山ダム建設工事の受注依頼が主眼であったが、それ以外にも、a建設が茨城県から潮来の橋梁工事等の種々の工事を受注させてもらったことに対するお礼と今後茨城県から発注される予定の常陸那珂湊の火力発電所建設に関連する土木工事等の種々の大型工事についてa建設を指名業者に入れるなど種々の便宜を図ってもらうためのお礼であるなどと記載されている。
b そして、同月10日付け調書(乙物113)にも、面談当日、私は、主に土木工事を念頭において、Zに「小山ダムを始め、今後いろいろ大型の工事が出る予定だと伺っておりますが、a建設をよろしくお願いします」などと言ったが、Zは、茨城県が発注する予定の大型工事を私よりよく知っているので、私の言葉を県庁舎移転新築工事や県立医療大学新築工事などと結びつけて考えてくれたのであれば、副社長として、それはそれでありがたいことであったと記載されている。
(3) 3月21日付け検察官調書(乙書27)の証拠能力
ア 任意性ないし特信性
(ア) そこでまず、3月21日付け検察官調書(乙書27)の任意性ないし特信性について検討するに、この調書は、前認定のとおり、被告人Y1が、在宅で、しかも、P14脱税事件に関連して、参考人として取り調べられた内容を録取したものであるところ、被告人Y1は、当公判廷においても、同調書は、自分が自発的に供述した内容がそのとおり録取されており、検事の取調べ態度も、逮捕後に比べると、全然柔らかくてソフトであった旨供述している(130回、134回)。したがって、被告人Y1の同調書における供述の任意性に疑問を差し挟む余地はなく、その供述の信用性に問題となり得る外部的情況の存在も全くうかがわれない。
(イ) 他方、被告人Y1は、本件訴訟の当初から、相被告人らと共に、全面無罪を主張しており、その主張は、a建設の利益にも沿うものであるところ、関係各証拠によると、被告人Y1は、本件が起訴された平成5年11月に代表取締役副社長を辞任した後も現在に至るまで、同社から顧問待遇を受け、訴訟の準備に関して様々な支援を受け続けていることが認められる。しかも、被告人Y1は、公判廷では、同社関係の傍聴人や主張を同じくするZ及び被告人Y2の面前で供述しているのであるから、捜査段階における供述時と比較して、その主張に反するような供述をしにくい外部的情況にあることは否定できないというべきである。
(ウ) 以上によると、被告人Y1の上記検察官調書中の供述は、任意性はもとより、その公判供述よりも信用すべき特別の情況があったことが認められる。
イ 違法収集証拠の主張について
(ア) 弁護人は、前記検察官調書について、取調べの目的や内容等からみて、検察官は、被告人Y1の行為が政治資金規正法に該当するとの認識を持っていたことが明らかでありながら、被告人Y1に警戒心を起こさせないために、あえて参考人として、供述拒否権を告げずに取調べをしたのであって、このような取調べは違法であり、同調書は違法収集証拠として証拠能力を有しない旨主張する。
(イ) しかしながら、前記のような同調書の内容からすると、検察官は、P14脱税事件に関連して、その所得たるa建設からの現金贈与を裏付ける目的で被告人Y1を取り調べ、実際に複数回現金を贈与した旨の供述を得たことが明らかであり、被告人Y1の政治資金規正法違反事件の捜査目的による取調べであった形跡は全く認められないから、弁護人の主張はその前提を欠くものというほかない。
ウ よって、前記検察官調書(乙書27)に証拠能力があることは明らかである。
(4) 捜査段階の供述の任意性ないし特信性
そこで、前記のような被告人Y1の供述経過等を踏まえつつ、被告人Y1のその余の検察官調書5通(乙書12~16)における供述の任意性ないし特信性について検討することとする。
ア 自白の任意性・特信性を担保する外部的情況
(ア) 被告人Y1の経歴や地位ないし立場
a 被告人Y1は、前認定のとおり、東京帝国大学工学部を卒業後、昭和22年にa建設に入社し、その後土木畑を歩み、順調に出世して、昭和60年に代表取締役副社長となり、面談当日や本件取調べ当時も、a建設の経営陣の一翼を担うとともに、社外においても、経済同友会幹事、土工協広報委員会委員長等の経済界や建設業界における要職を歴任していた者である。
b このような被告人Y1の経歴や本件当時の地位ないし立場からすると、被告人Y1は、豊富な学識、経験に裏付けられた強い意志力及び高度で的確な状況認識ないし判断能力を有していたことがうかがわれるのであり、このような被告人Y1において、本件贈賄事実を認めることがどのような意味を有し、自己やa建設にどのような影響を及ぼすかについて理解していなかったはずはない。
(イ) 弁護人との接見ないし打合せの下での比較的早期で一貫した自白
a(a) 被告人Y1は、前認定のとおり、本件逮捕の約3か月前から、本件贈賄の嫌疑が掛けられていることを認識して、a建設顧問弁護士の早川弁護士と何回も打合せをし、あるいは連絡を取っており、逮捕された後も、10月27日に2回、同月29日に1回それぞれ自己の弁護人らと接見して法的な助言を受けていたが、逮捕から6日目、弁護人らとの最後の接見からは2日後である同月31日に、本件贈賄事実を自白している。
(b) その後、被告人Y1は、11月2日の弁護人らとの接見後にいったん否認に転じたが、同月4日の早川・薄金両弁護士との接見の直後から、再び本件贈賄事実を認める供述を始め、その後も、同月8日、12日及び13日にそれぞれ弁護人らの接見を受けながら、本件起訴日である同月15日まで一貫して本件贈賄事実を認める供述を続けて、多数の自白調書に署名指印している。
(c) このような接見ないし打合せ状況の下での被告人Y1の供述経過は、本件贈賄事実を認めることがどのような意味を有し、自己やa建設にどのような影響を及ぼすかについて十分理解していた被告人Y1が、弁護人らからの様々な助言に耳を傾けながらも、最終的には自らの意思で本件贈賄事実を認める決断をし、同月4日以降本件起訴に至るまで、その意思を変えることなく自白を維持したことを示すものであって、被告人Y1の捜査段階における供述の任意性ないし信用性を強く推認させる事情ということができる。
b もっとも、被告人Y1は、前認定のとおり、11月2日にいったんは否認に転じ、また、同月4日に再度自白した後も、前記の諸点について、当初の自白調書とは異なる内容の供述をしていることから、これらの変遷が被告人Y1の自白の任意性及び信用性に影響を及ぼすかについても検討しておく。
(a) 11月2日の否認について
i 被告人Y1は、前認定のとおり、逮捕後5日間、本件贈賄事実を否認した後に、内尾検事の説得に従って自白したものであるが、前認定のようなその立場や捜査の経過等に照らすと、10月31日に自白した後もしばらくは、気持ちの整理が付かず、できれば自己の責任を回避したいという思いが残っていたことも、当然あり得るところと考えられる。
ii 他方、早川弁護士を中心とする弁護人らは、前認定のように、被告人Y1らから、本件贈賄事実がない旨繰り返し聞かされていたところ、後にみるとおり、Hが本件贈賄原資の準備への関与を認める供述を始めたのは、11月1日である。そして、接見記録(甲書138)によれば、弁護人らは、10月31日及び11月1日は接見せず、翌2日、被告人Y1と接見した後、Hと接見したことが認められるから、その日の被告人Y1との接見の際、弁護人らは、本件贈賄事実を認めているのは収賄側のZのみであり、被告人Y1は、Zの供述によって巻き込まれたものにすぎず、これを裏付けるべき証拠は薄いものと認識していたことがうかがわれる。そのため、弁護人らは、被告人Y1及び山崎弁護士の各公判供述にあるように、被告人Y1から、自白したことを聞かされて驚き、被告人Y1に強く翻意を促したものと認められる。
iii そうすると、11月2日の否認は、未だ気持ちの整理の付いていない被告人Y1が、弁護人らから強く翻意を促されて否認に転じたものと考えられるのであり、その後、前認定のように、弁護人らと接見した直後に再び自白に転じていることも考慮すると、このような一時的な否認は、被告人Y1の自白の任意性ないし信用性に疑問を生じさせるものとはいえない。
(b) 被告人Y2の関与に関する供述の変遷について
i まず、被告人Y1が、再度の自白供述において初めて、被告人Y2の関与に触れている点についてみるに、関係各証拠によれば、被告人Y1は、被告人Y2に目を掛けて同人を取締役に推薦した者であることが認められる一方、被告人Y1の最終的な自白供述によれば、被告人Y2に指示して本件贈賄資金を準備させ、本件面談に同行させたということになる。したがって、被告人Y1が、本件贈賄事件に巻き込んだ被告人Y2に負い目を感じるのも、当然の情として理解できるところであり、11月1日の時点では、自らは自白していたとはいえ、Hにおいて、本件贈賄原資を準備して被告人Y2に手渡したと供述していることを知らなかったのであるから、何とか被告人Y2をかばおうとして、直接にHに命じ本件贈賄資金を準備させた旨供述していたものと考えられる。
ii ところが、11月1日付け検察官調書(乙物100。被告人Y1の公判供述からも同日の最終調書と認められる(136回)。)によれば、被告人Y1は、同調書が作成された時点で、内尾検事から、Hが、被告人Y1とは直接現金のやり取りをしておらず、被告人Y2経由でやり取りしている旨供述していることを聞かされて、「Hがそのように言っているのならそのとおりだったかもしれない」と供述したことが認められる。さらに、被告人Y1は、翌2日に、被告人Y2が逮捕されたことを知って以降は、被告人Y2の関与を詳細に供述するようになったのであり、このような供述の変遷は、もはや被告人Y2をかばうことが不可能になったと認識したためであると推認することができる。
iii ちなみに、同月6日付け検察官調書(乙物105)には、被告人Y1の被告人Y2に対するそのような心情が記載されており、内尾検事も、被告人Y1は同月1日付け上記調書に署名した後、「これでY2も逮捕されるんでしょうね。」と言ってかなり落ち込んだ様子が見られたと証言している(161回)。
iv そうすると、被告人Y1の自白供述が被告人Y2の関与の有無に関して変遷しているのは、被告人Y1の被告人Y2をかばおうとする心情に基づくものと認められるのである。
(c) まとめ
以上の諸点に加え、被告人Y2らと合流して被告人Y2から本件贈賄資金を受け取った場所、請託の際に「小山ダム」と具体的に言ったかどうか、本件贈賄の趣旨が小山ダムに限定されるかどうかなどに関する供述の変遷も、被告人Y1が、一連の取調べを通じて、内尾検事から、事件関係者の供述を聞かせられるなどして次第に記憶を喚起ないし捕正していったものとして、いずれも自然なものということができる。そうすると、前認定のような被告人Y1の自白供述の変遷には、それぞれに合理的な理由があると認められるのであり、いずれも被告人Y1の自白供述の任意性及び信用性に影響を及ぼすものとはいえないのである。
(ウ) 自白に至った経緯ないし理由
a 被告人Y1が自白に至った経緯ないし理由について、10月31日付け(乙物96)及び11月14日付け(乙書16・乙物117)各検察官調書には、要するに、被告人Y1が、内尾検事から、本件は証拠上明白な事件であり、否認を続けていると、a建設のためにならないと説得されて、検察庁を敵に回してしまうと、同社が大きな損害を受けることになりかねないと感じたことから、自分の社会的生命が終わり、同社が多少の指名停止を受けようとも、真実を認めるしかないと腹をくくり、事実を認める気持ちになったためであると記載されている。
b また、内尾検事は、当公判廷において、10月26日から30日にかけて、本件は証拠上明白な事案である、東京地検特捜部は徹底的に捜査を尽くして事案の真相を明らかにする決意である、このような明白な事案について否認をすることがa建設のために利益になるのかよく考えてほしいなどと被告人Y1に告げて説得した結果、同月31日に自白を得た、その後、被告人Y1が否認に転じたことから、同様の説得を続けるとともに、いったん認めると言ったのにそれを覆すような卑怯なことをすれば、特捜部は燃えること、関東支店の裏金から本件贈賄資金を捻出したことの裏付けとして、関東支店の得意先、支店内の営業所、下請企業を調べざるを得ないことなどを告げて説得し、同月4日に再度自白を得たなどと証言しており(161回)、その内容は、上記調書の内容を敷衍するものとなっている。
c そして、この内尾検事の公判証言は、具体的かつ明確であるほか、後に検討するとおり、見方によっては被疑者に自白を迫る追及的で不当な取調べであるとの指摘を受けかねないような点についてまで積極的に供述しており、その供述態度は率直なものと認められる。また、被告人Y1は、その経歴や立場からすれば、a建設に対して強い愛着を持っていたことがうかがわれるところ、検察官から否認を続けると同社のためにならないと説得され、自ら否認を続けることと自白することとの利害得失について検討した結果、本件を自白するに至ったというのは、極めて自然な経過ということができる。
d したがって、被告人Y1の前記調書及び内尾検事の上記公判証言はいずれも高い信用性が認められるところ、上記調書にあるような自白に至った経緯ないし理由は、後に検討するような内尾検事の取調べ方法を考慮に入れても、a建設の経営陣において枢要な立場にいた者の判断理由として十分納得のいくものである。
e さらに、被告人Y1がいったん否認に転じた後は、内尾検事の取調べがより厳しいものになったであろうことは容易に推察されるものの、被告人Y1の供述と対比しながら検討しても、取調べの方法において、初期自白の段階と基本的に違いはないことがうかがわれる。しかも、被告人Y1が、前認定のように、弁護人らと接見した直後に再自白し、その後、接見を重ねながらも、自白を一貫して維持していたという事実は、a建設に対して強い愛着を持つ被告人Y1が、弁護人らの様々な法的助言や説得を踏まえながらも、自ら否認を続けることと自白することとの利害得失について慎重に検討して、自らの冷静な判断の下に再自白に踏み切ったことを推認させるものである。
f したがって、被告人Y1が初期自白、そして再自白に至る経緯ないし理由もまた、a建設の経営上責任ある立場にいた者の判断として十分納得のいくものであり、被告人Y1の捜査段階の自白の任意性や信用性を支える事情ということができる。
(エ) 弁護人の対応
関係各証拠によれば、被告人Y1の弁護人らは、被告人Y1の逮捕後、前認定のとおり接見を重ね、11月1日には、内尾検事の取調べ方法を非難するとともに、被告人Y1の健康状態と人権に配慮した捜査をするよう要望する内容の書面(弁書173)を東京地検検事正あてに発送し、同月2日ころには、東京地検の特捜部長や山本主任検事に対して、内尾検事の取調べ方法について抗議したと認められるのに、同月4日に被告人Y1が再自白した後は、前認定のように被告人Y1との接見を重ねていながら、東京地検特捜部に対して、何らかの抗議や要望等をした形跡が全くうかがわれない。このような事情も、被告人Y1が再自白した際やその後の取調べに関して、内尾検事の取調べ方法に抗議を要するような違法、不当な点がなかったことをうかがわせるものであり、被告人Y1の捜査段階の自白の任意性を裏付けるものといえる。
(オ) まとめ
以上のように、豊富な学識、経験に裏付けられた強い意志力及び高度で的確な状況認識ないし判断能力を有していた被告人Y1が、事前に、弁護人らから法的助言を様々に受けていたにもかかわらず、逮捕から6日目、弁護人らとの接見からは2日後に、自己ばかりでなく、a建設にも重大な不利益を及ぼすところの、本件贈賄事実を認める供述を始めて、その翌日には詳細な自白調書の作成に応じ、その後、いったん否認に転じたものの、弁護人らとの接見直後に再び自白を始め、本件起訴に至るまで自白を一貫して維持しているのであり、しかも、被告人Y1が自白するに至った理由は、同社の経営陣で枢要な立場にいた者の判断として十分に納得のいくものである。したがって、このような被告人Y1の自白に至る経緯は、その供述の任意性ないし信用性に疑問を生じさせるものではなく、かえって、上記のとおり高い精神能力を有し責任ある立場にある者の判断として、その内容の信用性を裏付けるものということができる。
イ 弁護人の主張について
(ア) 弁護人の主張
a 被告人Y1は、公判段階では、
(a) 初期自白をした理由について、内尾検事から、〈1〉事実を認めないとa建設の各支店や得意先等のリベートを徹底的に捜査するぞ、a社をつぶしてもいいのか、〈2〉否認を続けると証拠隠滅とか他の事件を次々と立件してa社を指名停止にしてやるなどと脅され、さらに、〈3〉逮捕の時点で起訴することは決まっていると告げられたために、東京地検特捜部の捜査が得意先に波及することにより、得意先がa建設から離れてしまうことを恐れて、捜査を収束させるためとともに、幾ら弁解をしてもしようがないという気持ちになって、虚偽の自白をした、
(b) また、再自白をした理由については、〈4〉11月1日にHの手帳の面談当日の欄に2000万円と書いて消した跡があるとか、〈5〉早川弁護士が同月2日の接見後に東京地検特捜部長を訪ねたり、山本主任検事に電話をかけたりして、接見の際に容疑を認めた被告人Y1を怒鳴ったことを謝罪し、被告人Y1に善処させる旨言明したなどという虚偽の事実を告げられ、弁護士やa建設首脳の対応に不信感を抱いて、自分は会社の犠牲になるしかないものと考えて虚偽の自白をした旨供述している。
b そして、弁護人は、被告人Y1の上記公判供述を前提に、被告人Y1の自白には、任意性も信用性もない旨主張するので、以下、この主張の当否について検討を加える。
(イ) 検討
a 被告人Y1の公判供述の信用性に疑問を生じさせる外部的情況
(a) まず、前記(3)ア(イ)で認定したような被告人Y1における相被告人との主張の共通性やa建設との利害の共通性、起訴後も同社から継続して受けている手厚い待遇や訴訟準備上の支援からすると、同社関係の傍聴人や主張を同じくするZや被告人Y2の面前で供述している公判廷では、捜査段階と比較すると、相被告人や同社の主張に反するような供述をしにくい外部的情況にあったといえる。
(b) また、前認定のとおり、被告人Y1は、強い意志力と的確な判断能力を持ち、弁護人らから法的助言を何度も受けていたのであり、たとえ内尾検事からその主張するような脅迫等を受けたとしても、逮捕後比較的短期間で虚偽の自白をするなど通常は考えにくいところである。
(c)i さらに、被告人Y1は、公判段階では本件贈賄事実を否認した理由について、捜査段階の自白が真実ではないことのほか、私はa建設のために虚偽自白をして社会的生命を失ったが、恩のある土木のために死にたいと考えて、本件贈賄の趣旨に建築工事を入れることに抵抗したところ、内尾検事も、私の気持ちを理解して、「上司に報告する」と言ってくれたのに、起訴状には贈賄の趣旨として建築工事も記載されていることに怒りを覚え、検察に対する不信感が生じて、裁判では真実を述べることにしたと供述している(137回)。
ii しかしながら、被告人Y1は、前認定のとおり、本件贈賄の趣旨には建築工事も含まれることを認める検察官調書(乙物113)に署名指印しているのであり、その際の取調べにおいて、東京地検特捜部が、本件贈賄の趣旨につき、土木工事だけでなく、建築工事も含むものと考えていることは、容易に察しが付いたはずである。ところが、被告人Y1は、起訴状の記載を見て怒りを覚えたとか、虚偽自白をすることでa建設を救おうという一大決心をしていたはずなのに、この程度のことで決心が揺らいでしまったというのも、いかにも不自然である。
(d) 加えて、被告人Y1が前記のような脅迫や偽計による取調べを受けておれば、弁護人らの11月2日ころまでの前記の対応からすると、東京地検特捜部に対して抗議や要望等の行動を起こすことが当然に予想されるのに、同月4日の再自白以降、弁護人らは、全くこのような行動をとった形跡がないのであるから、再自白に至る過程においても脅迫、偽計による取調べが行われたとするY1の公判供述は、このような弁護人らの行動に沿わないものというべきである。
(e) そうすると、被告人Y1の公判供述は、その外部的情況からしても、信用性に疑問が残るのである。
b 脅迫について
(a) 被告人Y1が供述する脅迫の点について、内尾検事は、当公判廷において、被告人Y1に対し、「事実を否認していると、本件贈賄資金の裏付け捜査として、関東支店の裏金がどのようにして作られたのかを解明するため、営業所、下請企業、得意先のリベート等の金の流れについて調べざるを得ない。」ということは言ったし、「あなただって、ほかにも心当たりがあるでしょう。それで捜査が長引いてもいいんですか。徹底的にやりますよ。1つぐらいは認めなさい。」という趣旨のことは言った旨、一部被告人Y1の前記公判供述と符合する供述をしており、表現方法の違いはともかく、内尾検事がa建設の各部署や得意先に対する捜査が拡大し長期化することにまで言及して、同社のために真実を述べるようにという趣旨の説得をしたことが認められる。
(b)i そして確かに、このような取調べ方法は、自白しないと、強制捜査の範囲を拡大して会社に大きな損害を与えるかもしれないと言って強く自白を迫るものであり、被告人Y1のように会社経営陣にいる者には大きなインパクトを与えるものであって、捜査の進展状況や供述者の立場、供述状況次第では、自白の任意性にも影響を与えかねないものである。また、11月1日以降は、被告人Y1のみならず、Hも、関東支店の裏金を使って2000万円を用意した旨供述しているのであり、2000万円の原資を解明するための捜査をする必要性は薄らいでいたということもできる。したがって、内尾検事が、同月2日に被告人Y1がいったん否認に転じた後も、捜査の拡大や長期化を引き続き強調して取り調べることには、疑問の余地もある。
ii しかしながら、当時の状況としては、Zが、前認定のように、早期に本件収賄事実の自白を始めて、その後長期間にわたって一貫して認めており、他方、a建設では、後に認定するように、3月の時点で、本件贈賄資金の裏付けとなるべき関東支店の裏金に関する裏帳簿が廃棄されて、その後も完全には復元されないなど、不明朗で捜査に対する非協力的な動きがあり、しかも、本件贈賄資金の原資に関する物的証拠は何も確保されていなかったのである。したがって、捜査機関としては、被告人Y1を始めとする同社関係者の本件贈賄に関する供述態度如何によっては、その贈賄原資を解明するために、営業所、下請企業、得意先のリベート等の金の流れに関しても捜査を尽くす必要が生じることも、引き続き予想される状況にあり、更には、余罪が発覚して捜査が長期化することも、あり得ない事態ではなかった。
そうすると、内尾検事は、このような状況の中で、捜査が拡大し長期化することのないように、本件事案の真相を明らかにするよう説得したといえるのであって、このような取調べ方法が違法、不当であるとまではいえない。
iii しかも、被告人Y1の公判供述に従うとすれば、自白するかどうかは、a建設にとって、捜査の拡大や長期化による不利益と虚偽内容の贈賄を認めることによる社会的信用の失墜や各自治体等の指名停止等の不利益とを比較衡量するという極めて高度の経営的判断を要する事項となるはずである。ところが、被告人Y1は、その公判供述や山崎弁護士の公判証言に照らしても、自白するに当たり、弁護人らを介するなどして、a建設の最高首脳の了解を求めたり、その意向を確認しようとした形跡は全くうかがえないのであって、そのことは、自白内容が虚偽であるとする被告人Y1の公判供述自体に、重大な疑念を生じさせるものである。
(c) したがって、内尾検事の脅迫により虚偽内容の自白をした旨の被告人Y1の公判供述を信用することは、困難というほかない。
c 起訴は決まっている旨の言辞について
(a) 被告人Y1が供述する上記言辞について、内尾検事は、当公判廷において、自分には起訴する権限がないので起訴することが決まっていたとは言っていないが、本件は証拠上明白な事件であり、被告人Y1が贈賄をしたことは間違いないと確信していたので、被告人Y1にも、本件は証拠上明白であると言って説得をしたし、本件贈賄を否認する被告人Y1の供述は真実ではないと考えていたので、否認調書は作成しなかったと供述している。
(b) そして確かに、本件を起訴するかどうかは山本主任検事が決めるべきことであり、被告人Y1らa建設関係者の取調べ前から本件を起訴することが決まっていたというのは通常あり得ないことであって、このような話を信じたという被告人Y1の供述は、信用性に乏しいものといえる。
(c) もっとも、内尾検事は、その公判証言によっても、被告人Y1を取り調べる前から心証を固めていたために、同人の否認供述には真摯に耳を傾けなかったことがうかがわれるのであり、その点において、内尾検事の取調べに臨む姿勢には疑問があるというべきである。しかし、このような取調べ方法は、被告人Y1に自白を迫る威力からするとそれほど強力なものとはいえないし、被告人Y1も、これが虚偽自白をした主たる理由とは述べていないのである。
(d) したがって、内尾検事の上記のような取調べ方法も、被告人Y1の自白の任意性や信用性に影響を与えるものとはいえないのである。
d 偽計について
(a) Hの手帳に関する偽計
i 前記〈4〉のHの手帳に関する偽計の点について、内尾検事は、被告人Y1に対し、Hの手帳を見て何か消した跡があったので、被告人Y1に対し、「消した跡が有るよ。何か都合が悪いことが書いてあったんでしょう。」とは言ったかもしれないが、2000万円と書いて消した跡があるとは言っていない旨、このような偽計を否定する供述をする(162回)のに対し、山崎弁護士は、当公判廷において、11月2日の接見時に、被告人Y1から、Hの手帳の面談当日の欄に「2000」と書いて消した跡があると内尾検事から言われたと説明を受けた旨被告人Y1の供述に沿う証言をしている(168回)。
iiα そこで検討するに、Hから押収した平成4年度の手帳(物22)の面談当日の欄には、何か書いて消した跡はあるものの、その文字は判別できないことが客観的に明らかであるところ(職50)、このように明らかな虚偽の事実を告げて自白を得たとしても、後に問題となるのは必至であるから、内尾検事があえてこのような違法な取調べをしたとは考えにくい。
β また、前認定のように、被告人Y1は、それまで、早川弁護士らに対して、本件贈賄は事実無根であると繰り返し強調してきたところであり、弁護人らも、山崎弁護士の公判証言にあるとおり、被告人Y1が否認を貫いていると考えていたことがうかがわれる。さらに、前認定のように、被告人Y1は、自白はしたものの、未だ気持ちの整理の付かない状態にあったことがうかがわれるほか、本件贈賄事実を認めることは、a建設に対しても重大な悪影響を及ぼすものである。したがって、被告人Y1としては、弁護人らに対し、自白したことを伝えるに当たり、本件贈賄が真実であり、それまでうそを付いてきたと説明することには心理的抵抗感のあったことがうかがえるのであり、そのため、自白した理由として、あたかも脅迫や偽計も交えた不当な内尾検事の取調べを受けて、自白せざるを得なかったと説明することも、十分あり得るところと考えられる。したがって、山崎弁護士の上記公判証言が被告人Y1の公判供述の信用性を裏付けるものとはいえないのである。
iii したがって、Hの手帳に関する偽計についての被告人Y1の公判供述をそのまま信用することは困難である。
(b) 早川弁護士の謝罪等に関する偽計
i 前記〈5〉の早川弁護士の謝罪に関する偽計の点について、内尾検事は、11月2日に、早川弁護士が特捜部長を訪ねたり、山本主任検事に電話をかけてきたことはあり、そのことを被告人Y1に告げたことはあったと思うが、早川弁護士は抗議したものと認識していたので、被告人Y1に対しても、早川弁護士が謝罪に来たとか、被告人Y1に善処させると言っていたとか告げたことはない旨供述する(162回、163回)。
iiα そこで検討するに、被告人Y1は、同日の接見において、早川弁護士から「真実を述べろ。」と言われて否認に転じたというのであるから、弁護人らやa建設首脳の本件贈賄事件に関する方針は十分に承知していたはずであるのに、その翌日に、内尾検事から、早川弁護士が検察幹部に謝罪したと言われただけで、弁護人らに確認することもなく、弁護人らの方針が百八十度変更されたと盲信したというのは、いかにも不自然である。しかも、被告人Y1は、その述べるところによっても、同月4日の接見において、早川弁護士に確かめたところ、同弁護士からは、検察幹部に贈賄を認めるようなことを言うわけがないなどと言って、全面的に否定されたというのに(136回)、弁護人らに対する疑いを払拭できなかったというのも理解し難いところである。
β また、被告人Y1が、その際、その公判供述にあるように、弁護人らに対して、内尾検事から言われたとされる前記のような早川弁護士の言動の真偽について確認したのであれば、弁護人らとしても、被告人Y1のそのような疑いを払拭するために接見の機会を増やすなどする一方、このような不当な取調べを行った内尾検事に対しても、それまでも行ってきたように何らかの方法で抗議の意思を表すはずであるのに、弁護人らがこのような活動をした形跡は全く認められないのである。
iii そうすると、被告人Y1のこの点に関する供述は、いかにも不自然なものというほかなく、何らの裏付けをも欠くものであって、信用することは困難である。
e まとめ
以上みてきたとおり、内尾検事から違法、不当な取調べを受けた旨の被告人Y1の公判供述は、そのまま信用することができないだけでなく、関係各証拠から認められる内尾検事の取調べ方法は、相当に強引なものであったとはいえ、違法、不当なものとまでは認められず、また、被告人Y1の供述の任意性ないし信用性に影響を及ぼすものともいえないから、この点に関する弁護人の主張は理由がない。
(5) 被告人Y1の各検察官調書の証拠能力についての結論
以上のとおり、被告人Y1の捜査段階における供述は、任意性が認められる上、その公判供述と対比しても、これより信用すべき特別の情況があったと優に認められるから、検察官請求に係る被告人Y1の検察官調書6通(乙書12~16、27)はいずれも証拠能力を有することが明らかであって、これを否定する弁護人の主張はすべて採用することができない。
2  被告人Y2の各検察官調書の証拠能力
(1) 問題の所在等
ア 問題の所在
(ア) 検察官は、被告人Y2の検察官調書5通(乙書19~23)について、刑訴法322条1項又は321条1項2号後段に基づき取調べを請求した。
(イ) これに対し、弁護人は、これらの検察官調書はいずれも、本件で被告人Y2の取調べを担当した東京地検特捜部所属の長野哲生検事(以下「長野検事」という。)から、連日長時間にわたり厳しい取調べを受け、体調不良の中、「会社をつぶす。」、「得意先を徹底的にやる。」など多数の脅迫文言を言われて獲得された任意性のないものである上、特信性も欠いているので、証拠能力がない旨主張する。
(ウ) そこで、以下、被告人Y2の前記検察官調書5通(乙書19~23)の任意性及び特信性の有無について検討することとする。
イ 任意性・特信性の判断資料として請求された被告人Y2の検察官調書等の証拠能力
(ア) 検察官は、被告人Y2の上記検察官調書5通(乙書19~23)の任意性・特信性立証のために、上記検察官調書5通を含む被告人Y2の捜査段階における一連の検察官調書20通(乙物119、120、122~139。ただし、乙書19は乙物134、乙書20は乙物135、乙書21は乙物139、乙書22は乙物131、乙書23は乙物138とそれぞれ同一である。)、弁解録取書1通(乙物118)及び勾留質問調書1通(乙物121)の取調べを請求し、弁護人は、前記第2の1(2)イ(ア)と同様の理由により、上記検察官調書等はいずれも非供述証拠としても証拠能力がない旨主張する。
(イ) しかしながら、弁護人の上記主張が理由のないことは、同(イ)で判示したとおりである。
(2) 被告人Y2の供述経過等
関係各証拠によれば、被告人Y2の捜査段階の供述経過等として、次のような事実が認められる。すなわち、
ア(ア) Zがfルート事件で逮捕されてから数日後に、被告人Y2は、a建設会長の秘書役が同席する中で、被告人Y1、P2らと共に、早川弁護士から事情聴取を受けたが、その際、面談当日に被告人Y1及びP2と共にZと面会したことはあるものの、Zに現金を渡したことはない旨説明した。
(イ) また、朝日新聞が9月6日付け朝刊で本件贈賄容疑に関する報道したことについて、a建設及び被告人Y1が抗議の文書を同新聞社に送付するなどした際にも、被告人Y1と共に早川弁護士からその報告を聞いている。
イ(ア) そのような中、10月20日ころから東京地検特捜部によるa建設関係者に対する任意の取調べが開始されて、被告人Y2も、同月21日に呼出しを受け、早川弁護士、a建設関係者らと共にホテル「イースト21」(以下「イースト21」という。)に集まった後、東京地方検察庁に行って飯倉立也検事(以下「飯倉検事」という。)から取調べを受けた。その後も、ほぼ連日のように飯倉検事から取調べを受けたが、被告人Y2は、面談当日に被告人Y1及びP2と共にZと面会した事実はあるが、Zに現金を渡したことはない旨供述し、同月28日から被告人Y2の取調べを担当することになった長野検事の取調べに対しても、同様の供述を繰り返した。
(イ) なお、被告人Y1は、前認定のように、同月26日に本件贈賄の容疑で逮捕され、当初は、被告人Y2と同様の供述をしていたが、同月31日に事実を認める供述を始め、11月1日に詳細な自白調書4通に署名指印した(乙物97~100)。
(ウ) また、Hは、後に認定するように、10月28日に証拠隠滅の容疑で逮捕され、11月1日には、被告人Y2の指示で現金2000万円を用意し、面談当日に、ニューオータニの駐車場か車回りの所で、被告人Y2にその現金を渡した旨記載された調書に署名指印している(甲物61)。
ウ(ア) 被告人Y2は、11月2日本件贈賄の容疑で逮捕されたが、その日の弁解録取及び同月4日の勾留質問では、前同様、面談当日に被告人Y1及びP2と共にZと面会したが、その趣旨は表敬訪問であって、現金は渡していないなどと述べている(乙物118、121)。
(イ) また、同月2日に、身上経歴に関する検察官調書(乙物119)のほか、a建設には、ありもしない事実をあると言って、部下が上司に責任を押し付けたり、上司が部下に責任を押し付けたりするような役員や社員は、過去において私の知る限りいない旨記載された検察官調書(乙物120)も作成されている。
(ウ) なお、被告人Y2は、同月4日、早川弁護士及び薄金弁護士を弁護人として選任し、勾留質問を挟んで合計30分間弁護人らと接見している。
エ(ア) 被告人Y2は、同月5日に、私は、多分いつまでもZ知事にお金を差し上げた事実はないと述べるつもりはない、否認しても罪を認めても、いずれにしても私も罪に問われる状況になっていることは、昨日弁護人と会って分かった旨記載された検察官調書(乙物122)、次いで、H経理部長は、ニューオータニのアスレチッククラブの車寄せの辺りで私にお金を渡したと話しているそうだが、私の現在の記憶では、そのような場面は浮かんでこないので、H経理部長には、私がY1副社長の部屋でお金を受け取ったとか、HがY1副社長の秘書に預けていたお金を受け取ったなどと話している旨ぶつけてほしい、それでH経理部長の話が変わるのであれば、Hは間違った事実を話していることになると思うなどと記載された検察官調書(乙物123)にそれぞれ署名指印した。
(イ) 他方、Hは、後に認定するとおり、同日、Y2支店長は、現金2000万円を私から本社の被告人Y1の副社長室(以下「Y1副社長室」という。)で受け取ったとか、その現金をY1副社長の女性秘書を介して受け取ったなどと述べ、その旨私に質問してほしいと供述しているそうだが、そのような事実はいずれもない、私がY2支店長にこの現金を渡した場所は、車のあるところであるが、それがどこなのかは現在思い出せない旨記載された検察官調書(甲物67)に署名指印している。
オ(ア) 被告人Y2は、同月7日、明日、弁護人を通じて社長に関東支店長の職を辞任すると伝えてから、今回の事件について、すっきりした気持ちですべてお話しする、私が逮捕された事件について否認するつもりはない旨記載された検察官調書(乙物124)に署名指印した。
(イ) そして、被告人Y2は、同月8日午前に20分間、薄金・山崎両弁護士と接見して、関東支店長の職を辞する旨伝えた後、取調べにおいて、本件贈賄事実を認め、以下のような記載のある検察官調書(乙物125)に署名指印した。すなわち、
a 今回の事件を切っ掛けに、建設業界全体や官界、政界を浄化したいという心境になり、また、Y1副社長が事実を正直に話している以上、私もきちんと事実を正直に話さなければならないという心境になった。
b 今回Z知事に差し上げた2000万円は、私が、Y1副社長から指示されて、H経理部長に準備させたものであり、面談当日に、ガーデンコートの車寄せの所で、私がHから受け取ってY1副社長に手渡し、Y1副社長が都道府県会館の知事談話室でZ知事に手渡した。
c 茨城県では、小山ダム建設工事を始め、県庁舎新築工事、県立医療大学新築工事等の工事がいろいろ計画されており、a建設では、植物園温室新築工事等の工事を受注していたことから、諸々の工事受注に便宜を図ってもらうために2000万円をZ知事に差し上げた。
カ(ア) その後、被告人Y2は、同月12日、16日、19日に各20分間、前記弁護人らと接見しているが、同月22日に本件で起訴されるまでの間、本件贈賄事実を一貫して認め、14通の検察官調書(乙物126~139)に署名押印している。
(イ) そのうち同月9日付け検察官調書(乙物126)には、Z知事に差し上げた2000万円については、当時から賄賂と認識していたこと、面談当日の前の週辺りに、Y1副社長から電話があり、当日の午後4時半にZ知事に会うことになっているので同行するように言われ、その際に2000万円を持っていくので支店の方で用意するよう指示されてこれを了承したこと、その後、H経理部長を支店長室に呼んで、Y1副社長から言われたのでウラキン(裏金)で2000万円を用意するよう命じ、さらに、本件面談の前日に2000万円を支店長室に持参してきたHに対して、面談当日の午後4時までにY1副社長の所に届けておくよう指示したことなどが記載されている。
(ウ)a また、同月10日付け検察官調書は2通あり、うち1通(乙物127)には、面談当日の面談までの行動について、午前中に茨城県守谷町の役場等に行き、午後1時ころ関東支店に戻ったこと、午後2時から開催された総合幹部会議に出席してあいさつしてから、午後3時10分ころ支店長車で関東支店を出発し、午後3時50分ころa建設本社に着いてY1副社長室に行ったこと、すると、Y1副社長のおそらく辰巳秘書から、出先に来るようにとの指示が伝えられたので、その場にいたP2と共に、ガーデンコートに行ったこと、ガーデンコート1階車寄せに副社長車と支店長車をとめ、P2が建物の中に入っていき、私が、支店長車のそばに立っていると、H経理部長が寄ってきて、待っていたというので、Hから現金2000万円の入った手提げ付き紙袋を受け取ったこと、しばらくすると、Y1副社長とP2が建物から出てきたので、Y1副社長に歩み寄って現金の入った紙袋を渡すと、すぐにP2が、自分が持つと言ってこれを受け取ったこと、それから、3人で都道府県会館に向かったが、そのとき、私が副社長車に乗ったのか支店長車に乗ったのかは記憶が必ずしも明確ではないことなどが記載されている。
b もう1通の検察官調書(乙物128)には、都道府県会館に到着後、部屋に通されてZ知事と面会したこと、Y1副社長は、Z知事にあいさつしてから、私を知事の大学の後輩として紹介し、私は、Z知事と名刺交換をしたこと、その後、Y1副社長は、用意していた対談集を取り出してZ知事としばらく雑談してから、立ち上がり、「来年もいろいろあるようですからよろしくお願いします。」などと言い、出入口の方に歩き始めようとしたZ知事のそばにすり寄り、「これはお土産です。」と言って現金の入った紙袋を手渡すと、Z知事は、「あっ、そう。」と言ってこれを持って部屋から出ていったこと、その後、Y1副社長とP2は副社長車で、私は支店長車に乗って都道府県会館を出たことなどが記載されている。
(エ) 同月11日付け検察官調書(乙物129)には、Y1副社長がZ知事に2000万円を差し上げた理由は、本人からは直接聞いてはいないものの、小山ダムが来年発注になるので、受注を確実にするためであろうと察していたこと、小山ダムは関東支店が担当している茨城県の発注工事であるから、その工事の受注に必要な金である2000万円は、関東支店が負担するのが常識であり、当然の仕事としてH経理部長に用意させたものであることなどが記載されている。
(オ) 同月12日付け検察官調書(乙物130)には、当初本件贈賄事実を否認した理由として、自分が助かりたいという気持ちがなかったわけではないものの、会社にとって大変な不名誉となり、指名停止などの処分を受けて経済的にも大変な損害となるので、会社を何としても救いたかったというのが自分の気持ちであったことなどが記載されている。
(カ) 同月14日付け検察官調書(乙書22・乙物131)には、被告人Y1からZへの面会に同行するように指示されてから本件贈賄後に都道府県会館を出るまでの経緯についてそれまでと同様の記載があるほか、2000万円をZ知事に贈った背景事情として、当時バブル経済が崩壊して、関東支店にとどまらずa建設全体の受注が落ち込んでいたために、公共事業をできるだけ多く受注して経営の安定につなげる必要があったこと、面談当日、ガーデンコートに向かうためY1副社長室から出てエレベーターに乗っているとき、P2が縦長の手提げの付いた紙袋を持っていたので、尋ねると、Z知事への土産に洋服の生地を持ってきたなどと言っていた記憶があること、しかし、P2は、都道府県会館に入ったときはこれを持っていなかったので、副社長車の中に置いてきたと思ったこと、Y1副社長は、Z知事に対するあいさつの中で、来年出件が確実視されていた小山ダムの名を挙げてお願いしたかもしれないことなどが記載されている。
(キ)a 同月15日付け検察官調書は2通あり、うち1通(乙物132)には、P2は面談当日にZ知事に現金2000万円を差し上げた事実はないと話しているそうだが、紙袋の中に現金が入っていたことは知らないのではないかと思う、しかし、P2も、Y1副社長がZ知事に紙袋を渡したことは当然認識しているはずであり、P2には、私もきちんと話すように言っていると伝えても構わないなどと記載されており、
b もう1通(乙物133)には、Z知事逮捕直後に早川弁護士から事情聴取があった日に、事情聴取に先立ち、副社長室でY1副社長と2人で話をした際、Y1副社長から、「社内的には単なる表敬訪問に行ったことになっているので、お金のことは伏せて話せ。」と言われたので、「分かりました。」と答えたこと、その後、応接間で、Y1副社長、私、P2、P16主計部担当部長らが集まって早川弁護士から事情聴取を受けたが、Y1副社長が中心になって、Z知事とは会ったが金は渡していないと説明したこと、9月の終わりごろ、今回の事件が朝日新聞に報道された後の重役会において、Y1副社長は、役員らに対し、「新聞報道の事実はないから安心してください。」などと言って釈明し、私もこれに同調したことなどが記載されている。
(ク) 同月16日付け検察官調書は2通あり、うち1通(乙書19・乙物134)には、a建設の沿革、役員構成、組織の概要等が記載され、もう1通(乙書20・乙物135)には、関東支店の概要、被告人Y2が関東支店長に就任したときの事務引継ぎの内容、特に関東支店における裏金の管理状況等が記載されている。
(ケ)a 同月17日付け検察官調書は2通あり、うち1通(乙物136)には、P2が否認を維持していることについて、P2は、私やY1副社長が事実を話していると検事から聞いても信用していないのではないかと思う、P2は頑固な人物でもあることから、正直な話はしないかもしれないなどと記載されている。
b もう1通(乙物137)には、面談当日にY1副社長室に行ったとき、私に「Y1副社長は例の所に行って汗を流している。」などと告げた人物は、辰巳秘書ではないかと思っていたが、辰巳秘書が当日出張していた可能性があると聞き、改めて考えてみたが、女性秘書からこのような話を聞いたという記憶はないので、もしかしたらP2からY1副社長の行き先を聞いたのかも知れないなどと記載されている。
(コ) 同月18日付け検察官調書(乙書23・乙物138)には、7月下旬ころに早川弁護士に虚偽の事情説明をした際の詳しい状況とその際早川弁護士から取調べの際の心構えを聞いたこと、P2が現在でも現金を渡していないと言い張っているのは、検事の話を信用しておらず、そのときの口裏合わせにこだわっているほか、自分が計画したZ知事への表敬訪問がこのような事態になったことに責任を感じているためであると思うこと、自分がH経理部長に口止めしなかったのは、口が堅くて裏帳簿の破棄までしたHが事実をしゃべるはずがないと確信していたからであること、今回検事から、私にお金を渡した場所についてのHの供述が変わらないと聞いたときは、一縷の望みも絶たれたと思ったことなどが記載されている。
(サ) 同月21日付け検察官調書(乙書21・乙物139)には、関東支店の受注高の推移、茨城県からの受注実績に関する資料を基に、平成4年度には民間工事の受注高が激減しており、経営の安定を図るためには公共工事の受注拡大に力を注ぐ必要があったこと、茨城県には小山ダムの工事を始め、県庁舎新築工事、常陸那珂港埠頭埋立造成工事、県立医療大学新築工事など今後発注予定の工事が多く、茨城営業所がそれらの受注を目指して活動していることを私も承知しており、Y1副社長がZ知事に2000万円を差し上げたのは、小山ダムの工事を確実に受注したいという理由であり、私においてはそれに加えて茨城営業所の営業活動が有利に展開できたらという気持ちもあったことなどが記載されている。
(3) 被告人Y2の捜査段階の供述の任意性ないし特信性
そこで、以上のような被告人Y2の供述経過等を踏まえつつ、被告人Y2の検察官調書5通(乙書19~23)における供述の任意性ないし特信性について検討することとする。
ア 自白の任意性・特信性を担保する外部的情況
(ア) 被告人Y2の経歴や地位ないし立場、弁護人との接見ないし打合せ
a(a) 被告人Y2は、前認定のとおり、東京大学工学部を卒業後、昭和27年にa建設に入社して、主に土木部門の職務に従事し、取締役土木技術本部副本部長、常務取締役建設総事業本部土木技術本部長等を経て、平成4年6月に常務取締役建設総事業本部関東支店長に就任し、本件面談当時も、その職にあり、平成5年6月には専務取締役建設総事業本部関東支店長に昇進し、本件取調べ中も、その職にあった者である。
(b) このような被告人Y2の経歴や当時の地位ないし立場からすると、被告人Y2は、被告人Y1と同様、豊富な学識、経験に裏付けられた強い意志力及び高度で的確な状況認識ないし判断能力を有していたことがうかがわれるのであり、このような被告人Y2においても、本件贈賄を認めることがどのような意味を有し、自己やa建設にどのような影響を及ぼすかについて理解していなかったはずはない。
b(a) また、被告人Y2は、前認定のとおり、本件逮捕の約3か月前から、本件贈賄の嫌疑が掛けられていることを知り、被告人Y1らと共に、早川弁護士から事情聴取を受け、在宅で取調べを受けた初日の10月21日にも、早川弁護士と会っていたのであり、これらの機会に取調べの際の心構え等について助言を受けていたことがうかがわれる。さらに、被告人Y2は、11月2日に逮捕された後も、同月4日及び8日に自己の弁護人らと接見して法的助言を受けていた。
(b) ところが、被告人Y2は、逮捕から7日目の同月8日に本件贈賄事実を自白しているばかりか、その日は、接見の際に、弁護人らから「本当にやっていないのなら頑張りなさい。」などと激励を受けたにもかかわらず(被告人Y2150回、山崎168回)、弁護人らに対して関東支店長を辞任する旨伝えた上、その直後の取調べにおいて本件贈賄事実を認める供述を始め、以後、同月12日、16日及び19日にそれぞれ弁護人らの接見を受けながらも、本件起訴日である同月22日まで一貫して本件贈賄事実を認める供述を続けて、多数の自白調書に署名指印しているのである。
c 以上のように、被告人Y2は、本件贈賄事実を認めることがどのような意味を有し、自己やa建設にどのような影響を及ぼすかについて十分理解しながら、上記のような接見ないし打合せ状況の下で、詳細な自白に至ったのであり、このような供述経過は、被告人Y2が、弁護人らからの様々な助言に耳を傾けながらも、最終的には自らの意思で本件贈賄事実を認める決断をし、同月8日以降本件起訴に至るまで、その意思を変えることなく自白を維持したことを示すものであって、被告人Y2の捜査段階における供述の任意性ないし信用性を強く推認させる事情ということができる。
(イ) 自白に至った経緯ないし理由
a(a) 前認定のように、被告人Y1は、10月31日に本件贈賄事実を認める供述を始め、11月1日に詳細な自白調書の作成に応じたが、翌2日の弁護人らとの接見後に、否認に転じており、また、後に認定するように、Hは、同月1日に、被告人Y2から指示されて、面談当日に現金2000万円を被告人Y2に届けた旨の供述を始め、その後、一貫してこの供述を維持していた。
(b) そして、長野検事(165回)及び被告人Y2(145回、150回)の各公判供述によれば、長野検事は、被告人Y2に対し、被告人Y1及びHの上記各自白内容を告げて、正直に事実を話すよう説得したところ、被告人Y2は、長野検事の話を当初は信用しなかったものの、11月4日の接見において、弁護人らから、被告人Y1やHが上記のような自白供述をしていることを聞いたことが認められる。
(c) さらに、前認定のように、被告人Y1は、同日の接見において、弁護人らに再度自白する決意を伝えた後、再び自白に転じているところ、関係証拠(甲書138)によると、弁護人らのその日の被告人Y2に対する接見は午前中に、被告人Y1に対する接見は午後に行われたことが認められるから、弁護人らは、被告人Y2とのその日の接見の時点では、被告人Y1の上記の決意までは知らず、同月2日の接見の際の態度から、被告人Y1は再び否認に転じているとの認識を有しており、被告人Y2に対しても、そのような認識を前提に、否認を貫くよう激励したことがうかがわれる。
b(a) また、被告人Y2の供述経過等をみても、前認定のように、被告人Y2は、同月2日に、a建設には、ありもしない事実をあると言って、部下が上司に責任を押し付けたり、上司が部下に責任を押し付けたりするような役員や社員は、過去において私の知る限りいない旨記載された検察官調書(乙物120)に、同月5日には、私は、多分いつまでもZにお金を差し上げた事実はないと述べるつもりはない、否認しても罪を認めても、いずれにしても私も罪に問われる状況になっていることは、昨日弁護人と会って分かった旨記載された検察官調書(乙物122)、Hはニューオータニのアスレチッククラブの車寄せの辺りで私にお金を渡したと話しているそうだが、私の現在の記憶では、そのような場面は浮かんでこないので、Hには、私が被告人Y1の部屋でお金を受け取ったとか、Hが被告人Y1の秘書に預けていたお金を受け取ったなどと話している旨ぶつけてほしい、それでHの話が変わるのであれば、Hは間違った事実を話していることになると思うなどと記載された検察官調書(乙物123)にそれぞれ署名指印している。
(b) ところが、Hは、同月5日に、被告人Y2は、現金2000万円を私から本社の副社長室で受け取ったとか、その現金を被告人Y1の女性秘書を介して受け取ったなどと述べ、その旨私に質問してほしいと供述しているそうだが、そのような事実はいずれもない旨記載された検察官調書(甲物67)に署名指印している。
(c) そして、被告人Y2は、同月7日、明日、弁護人を通じて社長に関東支店長の職を辞任すると伝えてから、今回の事件について、すっきりした気持ちですべてお話しする、私が逮捕された事件について否認するつもりはない旨記載された検察官調書(乙物124)に署名指印しているのである。
c このような関係者らの供述状況、長野検事の取調べ状況、弁護人らとの接見状況に加え、被告人Y2の供述経過も併せ考慮すると、被告人Y2は、11月2日の時点で、被告人Y1が自白し、Hも本件贈賄資金準備の事実を認めて、自分が罪に問われかねない状況に置かれたことは認識したものの、被告人Y1は既に否認に転じており、Hの前記供述を動揺させることができれば、状況は好転するかもしれないと考えて、同月5日、長野検事に対し、Hが自分に現金を渡した場所はY1副社長室であるなどという虚構の事実を述べて、Hに伝えさせ、Hも否認に転ずることを期待したものの、長野検事から、これらの事実をぶつけても、Hの供述が変わらなかったと教えられ、しかも、同月8日の接見では、弁護人らから、被告人Y1が再度自白に転じたことを告げられたことにより、もはや罪から逃れるすべはないものと観念して、その接見の直後に本件贈賄事実を自白するに至ったことが、優に推認できるのである。
d そして、以上のような被告人Y2が本件を自白するに至った経緯ないし理由は誠に自然かつ合理的なものであって十分納得できるものであり、そこには任意性を疑わせる事情を見出すことはできないというべきである。
(ウ) 供述の一貫性ないし独自性
a 前認定のとおり、被告人Y2の供述は、11月8日に自白して以降は、細部を含めてほぼ一貫しており、長野検事から、面談当日に同行していたP2が現金の授受を否認する供述を続けていると聞いても、その供述に動揺や変遷は全くみられない。
b また、面談当日における被告人Y1と被告人Y2らの合流地点について、前認定の供述経過に、被告人Y2(143回)及び長野検事(165回)の各公判供述を総合すると、被告人Y2は、在宅段階の11月1日ころ、長野検事と共に、ニューオータニに隣接する東京都千代田区紀尾井町所在のガーデンコートビル(以下「ガーデンコートビル」という。)付近に赴いた際に、一階の車寄せ付近であったと供述し、以後も同様の供述をしていることが認められるが、被告人Y1は、ほぼ一貫して、同ビルの地下1階であったと供述し(乙物99、103)、Hの供述も、当初は明確でなかったから(甲物61、83、67)、被告人Y2のこの点に関する供述は、独自のもので、固有の記憶に基づく自発的なものであったことがうかがわれる。
c さらに、被告人Y2は、7月下旬ころ、早川弁護士から事情聴取を受ける前に、Y1副社長室で被告人Y1と2人きりになり、被告人Y1から本件について口止めをされたと供述している(乙物133、乙書23・乙物138)が、この供述は、本件に関する罪証隠滅工作として重要な意義を有するものであるところ、この点については、被告人Y1が全く供述しておらず、長野検事が誘導することも困難というべきであるから、被告人Y2独自の供述ということができる。
d しかも、本件面談の際に被告人Y1がZに依頼した内容について、Zは、ほぼ一貫して、県庁舎や県立医療大学の新築工事についてお願いをされた旨供述し(乙物14等)、被告人Y1は、11月10日以降は、「小山ダムを始め今後いろいろ大型の工事が出る予定と伺っていますが、よろしくお願いします。」旨お願いしたと供述する(乙物113等)一方、被告人Y2は、当初は、具体的な工事名を挙げておらず(乙物128)、同月14日の時点においても、翌年の出件が確実視されていた小山ダムの名を挙げてお願いしたかもしれないと供述するにとどまっているのであって(乙書22・乙物131)、長野検事は、かかる重要な点においても、被告人Y2に供述を押し付けていないことがうかがわれる。
e 以上のとおり、被告人Y2の捜査段階の自白供述は、一貫しており、かつ、関係者らの供述からは独自性を有するものであるから、これらの事情も、同供述の任意性ないし信用性を担保する事情といえる。
(エ) 弁護人の対応について
被告人Y2の弁護人は、被告人Y1の弁護人と全く共通するところ、弁護人らは、被告人Y1に関しては、前認定のように、11月1日、内尾検事の取調べ方法を非難するとともに、被告人Y1の健康状態と人権に配慮した捜査をするよう要望する内容の書面(弁書173)を東京地検検事正あてに発送し、同月2日ころには、東京地検の特捜部長や山本主任検事に対して、内尾検事の取調べ方法について抗議している。ところが、弁護人らは、前認定のように被告人Y2との接見を重ねながらも、東京地検特捜部に対して、何らかの抗議や要望等をした形跡が全くうかがわれないのであって、このことは、被告人Y2に対する長野検事の取調べ方法に違法、不当な点がなかったことをうかがわせるものであり、被告人Y2の捜査段階の自白の任意性ないし信用性を裏付けるものである。
イ 弁護人の主張について
(ア) 弁護人の主張
a 被告人Y2は、公判段階では、自白するに至った経緯ないし理由について、11月2日に逮捕されて以降、長野検事から、〈1〉連日のように長時間の厳しい取調べを受けて、身体的に限界に達していたところ、〈2〉黙っているのは検察に挑戦するつもりか、検察はやると言ったらとことんやるんだ、関東支店以外の支店の手入れを準備しているんだ、片っ端から摘発してやる、得意先も徹底的に調べてやる、P19は6社で音を上げたんだ、a社は10社リストアップしてある、もう若手を待機させてあるんだ、会長、社長だって引っ張ってやる、会社をつぶしてやるなどと脅迫され、被告人Y1も同様の脅迫を受けて会社を守るために自分を殺して虚偽の自白をしたと弁護人らから聞いたことから、その意思を無にするわけにはいかないと思い、自分も会社を守るために虚偽の自白をした、〈3〉あなたの奥さんは、がんで亡くなったんじゃなくて自殺じゃないか、このことを公表してやろうか、自殺幇助で調べることだってできるんだなどと脅されたこともあった旨供述している。
b そして、弁護人は、被告人Y2の上記公判供述を前提に、被告人Y2には高血圧症等の持病があり、連日の長時間にわたる厳しい取調べによってかなりの体調不良を来していたところ、長野検事から上記のような執ような脅迫を加えられたことにより虚偽の自白に追い込まれたものであるから、被告人Y2の自白には任意性も信用性もない旨主張するので、以下、この主張の当否について検討する。
(イ) 検討
a 被告人Y2の公判供述の信用性に疑問を生じさせる外部的情況
(a) まず、被告人Y2は、被告人Y1と同様に、本件訴訟の当初から、相被告人らと共に、全面無罪を主張しており、その主張は、a建設の利益にも沿うものであるところ、関係各証拠によると、被告人Y2は、本件が起訴された平成5年11月に専務取締役関東支店長の職を辞任し、平成7年6月に取締役を退任した後も現在に至るまで、同社から顧問待遇を受け、同社から訴訟の準備に関して様々な支援を受け続けていることが認められる。しかも、被告人Y2は、公判廷では、同社関係の傍聴人や主張を同じくするZ及び元上司でもある被告人Y1の面前で供述しているのであるから、捜査段階における供述時と比較して、その主張に反するような供述をしにくい外部的情況にあったというべきである。
(b) また、被告人Y2が前記のような脅迫による取調べを受けたり、体調不良を起こしていたとすれば、同じ弁護人らの被告人Y1に関する対応をみると、東京地検特捜部に対して抗議や要望等の行動があってしかるべきなのに、弁護人らは、被告人Y2に関しては全くこのような行動をとっていないのであるから、長野検事から前記のような脅迫等の不当な取調べが行われたとする被告人Y2の公判供述は、このような弁護人らの行動に沿わないものというべきである。
(c)i さらに、被告人Y2は、公判段階において、捜査段階では、面談当日の被告人Y1との合流地点はガーテンコートビル1階の車寄せであったこと、Y1副社長室から同ビルに向かうのに支店長車を利用したこと、同ビルから都道府県会館までの間、支店長車に乗ったのか副社長車に乗ったのかは覚えていないことを、いずれも自ら供述したことを認めながら、保釈後の平成6年8月ころ、被告人Y1、P2、弁護人らと当時の状況について話し合い、ガーデンコートビル等の現場に行って面談当日の行動を再現してみたところ、合流地点は同ビル地下1階であり、本社のY1副社長室から同ビルを経て都道府県会館に至るまでいずれも副社長車に同乗していたことを思い出した旨供述している(143回、145回)。
ii しかしながら、被告人Y2は、その述べるところによっても、任意の取調べを受けていた11月1日ころ、長野検事と共にガーデンコートビルに行って記憶を喚起する機会を与えられた際、同ビルの地上1階で被告人Y1らと合流したことを認めるような供述をし、その後、上記のような内容の検察官調書が作成されたというのである。したがって、更に約9か月間も経過してから再び現場を見て、取調べ当時の記憶が変わったというのは、余りにも不自然である。しかも、上記行動再現の際は、被告人Y1の説明に基づく経路に沿って行動再現をしたというのであり、被告人Y1らの供述に強く影響されたことがうかがわれる。
iii この点、被告人Y2は、面談当日、被告人Y1と合流する前に、被告人Y1はアスレチッククラブに行っている旨聞かされていたところ、ガーデンコートビルの並びにニューオータニのアスレチッククラブがあることも知っていたので、長野検事と現地を見た際に、自分が合流した場所とは全く違った印象であり、半信半疑だったが、同検事から、確信ありげに、「あそこにガーデンコートビルと書いてある。ここだ、ここだ。」と言われたことから、「この辺りかな。」と言って、それ以上は反論できなかった旨供述する。しかし、被告人Y2は、平成4年6月にもガーデンコートビルに行った経験のあることを自認している。しかも、長野検事と現地を見たのは、あくまで在宅で任意の取調べ段階であり、印象が全く違うというのに、反論できなかったばかりか、そこが合流場所であったことを認める供述をしたというのは、いかにも不可解である。
iv したがって、被告人Y1らとの合流場所に関する被告人Y2の公判供述は、いかにも不自然なものというほかなく、これもまた、自らの供述状況に関する公判供述の信用性に疑問を生じさせる外部的情況ということができる。
b 取調べ時間及び健康状態について
(a) 前記〈1〉の取調べ時間及び健康状態について、関係証拠(弁178)によると、被告人Y2が逮捕された翌日の11月3日から最初に自白した同月8日までの取調べのための出房時刻は、裁判所における勾留質問があった同月4日を除き、午前9時台ないし10時台であるが、逮捕当日の同月2日から同月8日までの帰房時刻は、同月6日の午後9時26分、同月7日の午後6時58分を除き、いずれも午後10時を超えており、特に同月2日と5日は午後11時を超えていることが認められるのであり、被告人Y2の取調べがかなりの長時間に及んだことは否定できない。
(b) また、被告人Y2が本件贈賄事実を否認している間は、長野検事の取調べが相当に厳しいものであったことは、同検事の公判証言からもうかがわれるところ、被告人Y2の公判供述(150回)によれば、被告人Y2は、逮捕される20年くらい前から高血圧症の治療を受け、逮捕直前に受けた人間ドックで心臓冠動脈肥大の診断を受けて、定期的検査の必要性を指摘されていたというのであるから、被告人Y2の体調が上記のような厳しく連日長時間に及ぶ取調べによって一時的に不良に陥っていたこともうかがわれる。
(c) しかしながら、被告人Y2が自白供述を始めた日の前日は、上記のとおり、午後6時58分とかなり早い時間に帰房している。また、被告人Y2及び長野検事の各公判供述によると、被告人Y2は、逮捕翌日である同月3日から降圧剤を処方され、同月5日には別の種類の降圧剤も追加処方されて、高血圧状態は改善したのであり、また、長野検事は、取調べを開始する前に、その日の血圧と体調を聞いてから取調べを行っており、体調不良を理由に取調べを中断したり、被告人Y2から体調不良を理由に取調べの中断を求めたりすることはなかったと認められる(被告人Y2145回、長野165回)。さらに、前認定のように、弁護人らからは、長野検事の取調べ方法に対する抗議や要望等が全く出されていない。しかも、自白を始めた理由について、被告人Y2自身も、連日長時間の厳しい取調べや体調不良を主たる理由とはしておらず、また、前判示のとおり、被告人Y2が、被告人Y1とHの各自白供述により、もはや罪から逃れるすべはないと観念したことによるものと合理的に推認できるのである。
(d) そうすると、被告人Y2の供述の任意性ないし信用性に悪影響を及ぼすほどの不当な取調べ方法は採られなかったものと認められる。
c 脅迫について
(a) 捜査の拡大や長期化に関する脅迫について
i 前記〈2〉の捜査の拡大や長期化に関する脅迫について、長野検事は、当公判廷において、在宅取調べの段階で、本件贈賄資金の原資を解明するために関東支店の得意先を捜査する必要があったから、被告人Y2に対して、その旨を説明した上、得意先を調査しても構わないという趣旨の文章を書面に書くよう指示したことはあるが、逮捕後の取調べでは、被告人Y2が述べるようなことは一切言っていない旨証言している(167回)。
ii そこで、長野検事の上記公判証言の信用性について検討するに、被告人Y2が逮捕された11月2日の時点では、既にHが関東支店の裏金を使って2000万円を用意した旨供述し、被告人Y1の自白調書も作成されており、2000万円の原資を解明するための捜査をする必要性は薄らいでいたといえるから、逮捕後はそのようなことを言っていない旨の長野検事の公判証言は、当時の捜査の進展状況に沿う自然なものといえる。また、長野検事は、被告人Y2に対し、得意先を調査しても構わない旨の上記書面の作成を求めたことのほか、被告人Y1やHの供述を伝えて説得した際に、「a社では上司は部下にうそは言いません。部下は上司にうそは言いません。」という趣旨の内容の書面を書くよう指示したことなど、一見すると強引とも受け取られかねない取調べ手法を行ったことまで率直に認めており(167回)、その供述態度は真摯なものということができる。そうすると、被告人Y2の取調べ方法に関する長野検事の公判証言は、全体として信用性が高いものと認められる。
iii 他方、被告人Y2の公判供述に従うとすれば、被告人Y1の場合と同様に、本件贈賄事実を自白するかどうかは、a建設にとっても、捜査の拡大や長期化による不利益と虚偽内容の贈賄を認めることによる社会的信用の失墜や各自治体等の指名停止等による不利益とを比較衡量するという極めて高度の経営判断を要する事項であり、一専務取締役にすぎない被告人Y2がその一存で決定できることではなく、弁護人らを通じてa建設の最高首脳の意向を確認してからでないと決定できない事柄であるはずである。ところが、被告人Y2及び山崎弁護士の各公判供述によっても、11月8日の接見に際し、被告人Y2と弁護人らとの間でこのようなやりとりがあったことは全くうかがわれないばかりか、弁護人らが、真実に反する自白はしないように被告人Y2をいさめたというのに、被告人Y2は、弁護人らの制止を振り切って、接見直後の取調べにおいて、本件贈賄事実を自白したと認められるのであって、被告人Y2の公判供述は、この点から、いかにも不自然、不合理というほかなく、これを信用することは困難である。
(b) 被告人Y2の妻の死因に関する脅迫について
i 前記〈3〉の被告人Y2の妻の死因に関する脅迫について、長野検事は、当公判廷において、被告人Y2の夫人が自殺したということは知っていたし、被告人Y2と夫人のことを話題にしたことはあるが、自殺の事実をマスコミに公表するとか自殺幇助で調べるなどとは言っていない旨証言している(167回)。
ii そこで検討するに、被告人Y2の述べるところによっても、その妻が亡くなったのは昭和63年5月と本件取調べ時から5年以上も前のことであることに加え、当時がんを患っていてマンションから飛び降りたものであり、それに関して監察医が作成した書類もあったというのであるから(153回)、被告人Y2に自殺幇助の疑いが生ずる余地はなく、検察官が贈賄の被疑者をあえてそのような嫌疑で調べるというのは、通常はあり得ない話というほかない。しかも、長野検事がこのような発言をしたとすれば、被告人Y2にとっては重大な脅威であるとともに、同人の最も触れてほしくないプライバシーを利用しようとする極めて卑劣な取調べ方法として激しい怒りを感じると思われるのであり、被告人Y2自身も、「Y2家の名誉が汚されて耐えられないと思った。私を犯罪者に仕立て上げようとする冷酷非道な検事の姿に怖くなった。」と供述している(153回)。ところが、被告人Y2は、自白に至った最大の理由としては前記〈2〉の脅迫の点を挙げており(150回、153回)、この点は従たるものとして述べているにすぎず、弁護人らに訴えて、検察庁に抗議しようとした形跡も全くないのであって、このような被告人Y2の供述態度や行動状況は、その供述内容に照らし不自然というべきである。
iii 以上に照らすと、この点に関しても、長野検事の公判証言は信用できるのに対し、被告人Y2の公判供述をそのまま信用することは困難である。
d まとめ
以上みてきたとおり、長野検事から違法、不当な取調べを受けた旨の被告人Y2の公判供述は、信用することができないものであり、取調べ時間の長さや厳しさも、被告人Y2の供述の任意性ないし信用性に影響を及ぼすものとはいえないから、この点に関する弁護人の主張も理由がない。
(4) 被告人Y2の各検察官調書の証拠能力についての結論
以上のとおり、被告人Y2の捜査段階における供述は、任意性が認められる上、その公判供述と対比しても、これより信用すべき特別の情況があったと優に認められるから、検察官請求に係る被告人Y2の検察官調書5通(乙書19~23)はいずれも証拠能力を有することが明らかであって、これを否定する弁護人の主張はすべて採用することができない。
3  Hの各検察官調書の証拠能力
(1) 問題の所在等
ア 問題の所在
(ア) 検察官は、Hの検察官調書2通(甲書140、141)について、刑訴法321条1項2号後段に基づき取調べを請求した。
(イ) これに対し、弁護人は、Hが、本件贈賄資金を準備して被告人Y2に届けたほか、その原資に関する関東支店の裏金出納帳(以下「裏金出納帳」という。)を廃棄したことなどを認める上記検察官調書2通の作成に応じたのは、本件でHの取調べを担当した東京地検特捜部所属の牧野忠検事(以下「牧野検事」という。)から、「捜査会議の総意として、a社の対応は検察に対する宣戦布告としか取れない。真実を明らかにして納まるところに納まらなければ、全支店、業者、得意先を徹底的にやる。これによって結果としてa社がどうなろうと、一私企業の問題だ。」、「捜索は今度は名古屋支店かもしれないよ。得意先、下請にも徹底的に調査を入れる。みんなZ知事への2000万円の出所は関東支店であるということをしゃべっている。貴方はそんなに一人頑張っていいのか。」などと脅迫され押し付けられるなどした任意性、特信性のないものであり、いずれも証拠能力がない旨主張する。
(ウ) そこで、以下、Hの前記検察官調書2通(甲書140、141)の任意性、特信性の有無について検討する。
イ 特信性の判断資料として請求されたHの検察官調書等の証拠能力
(ア) 検察官は、Hの上記検察官調書2通(甲書140、141)の特信性立証のために、上記検察官調書2通を含むHの捜査段階における一連の検察官調書24通(甲物55~57、60~77、83、88、89。ただし、甲書140は甲物73、甲書141は甲物74とそれぞれ同一である。)、弁解録取書1通(甲物58)及び勾留質問調書1通(甲物59)の取調べを請求し、弁護人は、前記第2の1(2)イ(ア)と同様の理由により、上記検察官調書等はいずれも非供述証拠としても証拠能力がない旨主張する。
(イ) しかしながら、弁護人の上記主張が理由のないことは、同(イ)で判示したとおりである。
(2) Hの供述経過等
関係各証拠によれば、Hの捜査段階の供述経過等として、次のような事実が認められる。すなわち、
ア Hは、まず在宅により、3月には大鶴検事から21日、22日、26日の3回、9月には内尾検事から16日、17日、20日の3回、さらに、10月20日ころからは、同月28日に証拠隠滅の容疑で逮捕された前後を通じて、11月17日に釈放されるまでの間、ほぼ連日のように牧野検事の取調べを受けて、以下の各検察官調書に署名指印している。
イ このうち、3月26日付け調書(甲物55)には、Hが、〈1〉前任の関東支店経理部長であり、当時の建設総事業本部経理部長であるIから、関東支店の約1億1000万円の裏金及び資産負債残高表、営業先行投資立替金といった資料の引継ぎを受けて以降、裏金出納帳を新たに付けていたこと、〈2〉その後、毎年盆暮れには作るようにとのIの指示に基づき、平成4年7月及び12月に各1000万円の裏金を造成して、前者はIに渡したが、後者はIから連絡がなく関東支店で保管していたこと、〈3〉P14献金問題に関して検察庁からa建設に捜査への協力要請のあった3月19日に、被告人Y1、I、P16らと話をした際、IかP16から、上記7月造成分がP14献金の資金であることを聞かされ、P16からは、上記12月造成分を他の裏金とは別に保管するよう指示を受けたこと、〈4〉3月21日の取調べ終了後、P16から、裏金出納帳の廃棄を指示されて、翌22日にシュレッダーにかけて廃棄したが、a建設の顧問弁護士である早川弁護士からの助言もあり、できるだけ再現した裏金出納帳を作成して同月26日に提出したこと(弁物39。以下「再製出納帳」といい、その内容は、別紙a建設関東支店裏金出納帳対比一覧表(以下「対比一覧表」という。)の「再製出納帳」欄記載のとおりである。)、〈5〉関東支店の裏金は、上記12月造成分を含む1041万円のほか、1億3974万円余を保管していることなどが記載されている。
ウ 次に、9月16日付け検察官調書(甲物56)には、HがP16から廃棄の指示を受けたのは「裏金の帳面とか裏金に関するもの」であり、廃棄したのは「裏金の出納帳、社内領収証、メモ、Iから引継ぎを受けた裏金に関する書類すべて」であったとする以外は、上記3月26日付け検察官調書とほぼ同旨の記載があるほか、Iから引継ぎを受けた状況、裏金の造成方法、裏金出納帳や社内領収証等の作成方法や保管方法等が記載されている。
エ 9月20日付け検察官調書(甲物57)には、Hが、I手持ちの資料を示されて、Iから引継ぎを受けた裏金出納帳上の残高が、実際には再製出納帳の金額よりも109万円余多かったことを認めたほか、添付された再製出納帳の記入漏れ分についてのみ記載した出納帳(弁物43。以下「復元出納帳(記入漏れ分)」又は「記入漏れ分」といい、その内容は、対比一覧表の「記入漏れ分」欄記載のとおりである。)の写しに基づき、記入漏れ分についての説明が記載されている。
この記入漏れ分は、Hが、関東支店から本社主計部に税務申告用の資料として提出していた、使途を明らかにせず経費性を自己否認する自己否認用の裏金に関する一覧表に基づき、合計420万円余の裏金の支出を新たに認めるとともに、それに対応する裏金の収入として、下請業者であるk建設から吸い上げた708万円を新たに認めたものである。
オ(ア) Hは、逮捕後の10月28日、検察官に対する弁解録取において、裏金出納帳等の隠滅をP16と相談したことは事実だが、最終的に決めたのは自分の判断であった旨供述し(甲物58)、翌日の勾留質問では、P16と相談して裏金出納帳等を細断したことは事実だが、証拠隠滅という意識はなかった旨供述している(甲物59)。
(イ) なお、同月29日付け検察官調書(甲物60・弁書205)には、Hが妻に指示して平成4年の自己の手帳を預かってもらっていることを認める旨の記載がある。
カ 11月1日付け検察官調書(甲物61・弁書206)は、Hが本件贈賄原資の準備を認めた最初の調書であり、これには、〈1〉面談当日の前日か前の週に、被告人Y2から、「Y1さんの所に持っていくから2000万円用意してくれ。」と命じられ、裏金を保管してあるキャビネットから現金2000万円を取り出し準備して、裏金出納帳にも記載したが、この現金はいつもどおり社名の入っていない大型封筒に入れたと思うこと、〈2〉面談当日に、この現金を被告人Y2から指示されたニューオータニに持っていったが、建物の中に入った記憶がなく、周囲に車があったという記憶なので、ホテルの駐車場か車回りの所と思うこと、ニューオータニから赤坂方向に向かって歩いて帰ったという記憶があるので、交通手段は、地下鉄を利用したと思うこと、〈3〉その場には、被告人Y2とP2がおり、被告人Y1の姿も見たような気がすること、〈4〉その場で、被告人Y2に「御苦労様。」と言って2000万円の入った封筒を渡し、すぐにその場から立ち去ったことなどが記載されている。
キ 同月2日付け調書は4通あり、そのうち、〈1〉甲物62(弁書209)には、HがIから引継ぎを受けた裏金は、裏金出納帳の残高欄にあった金額よりも更に千二、三百万円多く、一億二千三、四百万円であったことが、〈2〉甲物63(弁書208)には、自分の手帳には裏金のことも鉛筆で書いていたが、ある程度時間が経つと消しゴムで消しており、本件贈賄資金について書いたかどうか分からないが、書いておれば、消していると思うことが、〈3〉甲物64(弁書210)には、裏金出納帳には、目付として「12 21」か「12 22」と記載したと思うこと、このうち「21」というのは準備のために現金をキャビネットから出した日のことであり、摘要欄には「経理部 Y2扱 Y1副社長渡し」と記載していると思うこと、2000万円支出後の残高は1億円前後になっており、後に茨城営業所からの埋め合わせはなかったことが、〈4〉甲物88(弁書207)には、被告人Y2に2000万円を届けに行った際の状況等として、場所はニューオータニの駐車場か車回りかはっきりしないが車のある所であり、被告人Y2から指示された経緯ははっきりしないこと、ニューオータニで被告人Y2を待っていると、被告人Y2のほか、P2と被告人Y1も連れ立って建物の方から歩いてきたこと、P2を見て、「P2さんが何でこんな所にいるのだろう。」という印象を持ったこと、被告人Y2はコートを着ないで黒っぽい服装、P2はいつも濃紺の服であり、普段と違う印象がなく、被告人Y1はコートを着ておらず、手に白っぽい色合いの大学ノートくらいの大きさで、持つ指の力でやや湾曲したような格好になった物を持っていたように思うこと、被告人Y2に手渡した2000万円は、無地の大型茶封筒に入れてあったが、封筒が1つか2つかどちらとも言えず、いずれにしても手提げの付いた紙袋に入れたと思うこと、その紙袋は関東支店の女性にもらったと思うこと、支店長車の高橋運転手とは顔を合わせたので、覚えているかもしれないこと、被告人両名及びP2は副社長車に乗ったと思うこと、副社長車が先発し、支店長車が追いかけたことなどがそれぞれ記載されている。
ク 同月3日付け検察官調書は2通あり、そのうち、〈1〉甲物65(弁書211)には、Iから引継ぎを受けた現金は、裏金出納帳の残高よりも千二、三百万円多いか、もっと多かったかもしれないが、一致させようとはしなかったこと、9月20日に提出した記入漏れ分にも記載していない裏金の収入が別に500万円あり、その造成にa建設の子会社であるa社道路株式会社(以下「a社道路」という。)を使ったために、捜査の対象とはしたくなくて記載しなかったことが、〈2〉甲物66(弁書212)には、Hが被告人Y2の逮捕について聞かされた心境が記載されている。
ケ 11月4日付け検察官調書(甲物83・弁書213)には、Hが、〈1〉面談当日、関東支店から赤坂の本社の関東支店分室に行ったと思うが、Y2支店長がいなかったので、支店長の行き先に2000万円を持っていったと思うこと、〈2〉ニューオータニの車のある所で、支店長車の高橋運転手の顔を見たので、しばらく待つうち、被告人Y2、被告人Y1、P2が現れたこと、〈3〉被告人Y2に現金を渡した後、2台の車が右の方に曲がっていったと思うことなどが記載されて、H作成の図面が添付されている。
コ 同月5日付け検察官調書は2通ある。
(ア) このうち甲物67(弁書214)には、現金2000万円を被告人Y2に渡した場所について、牧野検事から、被告人Y2の依頼に基づくとして、本社の副社長室や被告人Y1の女性秘書を介してではないかとの質問を受けたのに対し、Hが、これを否定した上、授受の場所は車のある所で、そこがどこかははっきりと思い出せないと供述した旨の記載がある。
(イ) また、甲物68(弁書215)には、再製出納帳の内容に、前記記入漏れ分並びに前記11月3日付け調書(甲物65)指摘の500万円の造成及び本件賄賂金2000万円の支出を新たに加えて作成した出納帳(甲物68添付資料。以下「修正出納帳」といい、その内容は、対比一覧表の「修正出納帳」欄記載のとおりである。)に基づき、3月29日時点で、裏金出納帳の残高は1億3486万円余、簿外の現金を加えた裏金総額は1億4686万円余ないし1億4786万円余あって、その時点で大鶴検事が確認した現金1億3974万円余との差額である710万円ないし810万円は、実際は現金を支出しているのに、再製出納帳等にその支出を記載していないためではないかなどの記載がある。
サ 11月6日付け検察官調書も2通あり、そのうち、〈1〉甲物70(弁書217)には、現金2000万円を入れた封筒やそれを入れた手提げ付き紙袋の形状等のほか、Hが、本件面談の前日午後に支店長室に現金を届けた後、被告人Y2から呼ばれて、「明日、ほかに回る用事ができたので、○○時までに分室に持ってきてくれ。」と言われたため、現金入り手提げ付き紙袋を経理部の金庫室の金庫に一時置いておき、面談当日の午後、本社の関東支店分室に持っていったところ、Y2支店長が別の場所にいるというので、その指定された場所まで持っていき、被告人Y2に手渡した旨の記載があり、〈2〉甲物69(弁書216)には、面談当日は、午前に平河町のh社ビルに行き、午後2時ころまでに関東支店に戻ったが、往復は支店の車を使っており、現金は持ち歩いていない、午後2時から5時まで関東支店の大会議室で開催予定の総合幹部会には最初から出席せず、関東支店経理部担当部長のJ(以下「J」という。)が代わりに出席していると思う旨の記載がある。
シ その後の同月11日付け検察官調書(甲物89・弁書219)には、〈1〉被告人Y2の指示について、「22日午後4時ころまでに本社にいる自分に裏金を届けてくれ。」という趣旨だったが、その場所が本社にある関東支店の分室かY1副社長室かはどうしてもはっきりしないこと、〈2〉当日は関東支店の分室には女性秘書が詰めていなかったので、被告人Y2の所在を教えてくれたのは、被告人Y1の女性秘書だろうと思うこと、〈3〉女性秘書からは、「ニューオータニのガーデンコートの玄関で、4時10分に副社長と会うことになっていて、もう出られました。すぐに来てほしいとのことです。」と教えられたと思うが、当時はガーデンコートと聞いてもピンと来なかったと思うので、女性秘書から、「弁慶橋を渡ってすぐの左側のビル」という程度のことを教わって本社を出たことなどの記載がある。
ス なお、Hは、同月9日には、面談当日にh株式会社(以下「h社」という。)に行った交通手段を支店の車からタクシー又は地下鉄に訂正し(甲物71・弁書218)、同月12日には、h社やi電気株式会社(以下、同社を含むi商事株式会社(以下「i商事」という。)が統括する企業グループを「iグループ」という。)関係の工事代金の未収金問題について供述している(甲物72・弁書220)。
セ そして、同月13日付け検察官調書(甲書140・甲物73・弁書221)には、〈1〉関東支店における裏金の保管、被告人Y2からの2000万円準備の指示、その準備、被告人Y2への最初の手渡しの各状況、〈2〉その後、Hが、被告人Y2から呼ばれて、「明日、ほかに回る用事ができたので、午後4時ごろまでに、本社のY1副社長の所にいるから、お金を届けてくれ。」と指示されて2000万円を受け取り、経理部の金庫室の金庫に一時的に置いたこと、〈3〉面談当日は、午前11時にh社ビルを関東支店のO経理部次長兼経理課長(以下「O」という。)及びP17営業部長(以下「P17」という。)と訪問し、その際、2000万円も持参したこと、〈4〉h社で昼食を御馳走になり、その後、本社に行って、交渉の結果報告や対応策の検討のためIに会うなど、本社経理部で時間を過ごして、午後4時少し前にY1副社長室に現金を届けるために行ったこと、〈5〉すると、女性秘書から、「いったん来られたY2支店長が、Y1副社長と会うため外に出掛けた。」、「支店長からの言付けが入っています。4時10分までにニューオータニのガーデンコートの玄関に行ってくださいとのことです。」のように言われたので、ガーデンコートの場所を教わり、すぐに現金を持って本社を出たこと、〈6〉ガーデンコートの出入口付近に行き、支店長車のそばに行くと、車外にいた被告人Y2が近づいてきたので、現金の入った手提げ付き紙袋を「御苦労様です。」と言いながら渡したこと、〈7〉そのころ、被告人Y1とP2が建物の方から現れて、別の黒っぽい車の方に歩いていって乗り込み、被告人Y2もその車の方に行ったこと、〈8〉被告人Y1は右手に何か白っぽい色合いの大学ノートのような物を持っていたこと、〈9〉その後、車が2台発進して右手の方に曲がっていったことなどが記載されている。
ソ 同月15日付け検察官調書(甲書141・甲物74・弁書222)には、Hが3月22日午前8時前に関東支店の裏金出納帳、証憑類のファイル、リベートに関する得意先別ファイル等を支店経理部にあるシュレッダーにかけて細断したとして、それに至る経緯、復元の状況等について次のような記載がある。すなわち、
(ア) 3月19日の昼休みに関東支店の会議室でP14献金問題に関連する話合いがあり、その席で、被告人Y1から「P14先生に闇献金をしていた。闇献金をしないと、工事の受注ができなくなってしまう。闇献金のお金は、亡くなったP17経理部長時代から関東支店の裏金で出してもらい、盆暮れに継続的にやっていた。」との説明があった。その話合いで、前記12月造成分の1000万円を隠し通すことは無理であり、これをほかと区別して保管しておくことを考えなければならないという話も出ていたように思う。
(イ) その日の夜に開かれた東京地検からの呼出しに対する対策会議で、P16から「金の出所が問題になるので、出所に関する伝票や補助元帳を準備し、元帳に付せんを貼って用意しておいた方がいい。明日、私が伝票類の整理ができたかどうか確認に行くから、Hさんは、これから支店に行って用意してください。」と指示があり、誰かから「身辺を整理しておくように」という指示があったかもしれない。裏金出納帳等は、関東支店の電算室のキャビネットに裏金と一緒にしまってあったので、見付かることはないだろうと思っていた。
(ウ) 翌20日午前10時過ぎころ、P16が関東支店に来て、裏金の伝票類や補助元帳を点検したり、裏金出納帳を見たりしたが、本件2000万円については、プール金の中から出したので、伝票類も補助元帳の記載もなく、裏金出納帳さえ見付からなければ何ら心配はなかったし、裏金出納帳には「支店長扱い Y1副社長渡し」としか書かれていないので、誰に渡したかは分からない。そのためか、P16からは、これについての話は出ず、前記12月造成分の1000万円を裏金の中から分離して保管しておくようにと指示された。そこで、電算室のキャビネットから1000万円だけを取り出し、Hの扱いで毎月支出していた現金のうち残った41万円を入れていた私専用のキャビネットの中に入れた。
(エ) 3月21日午前、検察庁の係官が来て、机の中身を点検され、私のノートと共に私専用のキャビネットに保管してあった1041万円や伝票類、補助元帳が押収され、夕方に台東区検に行き、検事の取調べを受けた。Iからの引継ぎはなく、裏金は1041万円だけで、裏金出納帳はないと言い張った。
(オ) 同日夜遅く、イースト21の被告人Y1の部屋に呼ばれて行くと、被告人Y1とP16がおり、後からIも来た。被告人Y1は、「P14先生に闇献金をしていた事実を検事に認めた。」と話し、Iが「検事は、何かファックスを見ながら、具体的な名前を出して追及してきたので、裏資料を押さえられているみたいだ。」と報告すると、被告人Y1は、裏金出納帳を付けていたことについて、「そんなもの付けていたのか。」と驚き、「そんなものはいらないだろう。」と言っていた。P16が「廃棄処分の命令者を検察庁で聞かれても、Y1副社長に指示されたとは言えないから、自分の判断でやった、と答えなさい。どうしても頑張りきれなかったら、P16の名前を出してもやむを得ない。」のような打合せはなかったように思う。
(カ) その後、同ホテルのHの部屋で、P16と証拠隠滅について相談し、P16から、「廃棄した方がいいな。シュレッダーにかけておいた方がいい。ボクが責任持つから。」と指示された。翌22日早朝、P16に、「Y1副社長の言うとおり、裏金出納帳等を処分してしまって、本当にいいのだろうか。」と再確認の話をしたかどうか覚えていない。
タ 11月16日付け検察官調書は3通あり、そのうち、〈1〉甲物75(弁書225)には、被告人Y2に現金を渡した場所を供述した経緯として、検事から、「赤坂のホテルで何か思い出すことはないか。」と言われ、Hが、車があって、被告人Y1、P2、被告人Y2がいる情景を思い出した旨の、〈2〉甲物76(弁書224)には、面談当日は被告人Y2から現金を届けるよう指示を受けていたため、午後2時から関東支店で開催が予定されていた総合幹部会に欠席せざるを得なくなった旨の、〈3〉甲物77(弁書223)には、裏金出納帳の復元状況等についての記載がある。
(3) Hの捜査段階の供述の任意性ないし特信性を担保する外部的情況
以上のようなHの供述経過等を踏まえて、Hの捜査段階の供述の任意性ないし特信性を担保する外部的情況について検討する。
ア 供述の独自性ないし一貫性
(ア) 被告人Y2の指示、被告人Y2に現金を届けた事実に関する供述
a Hは、本件贈賄事実を認める趣旨の被告人Y1の検察官調書(乙物96)が作成された翌日である11月1日に、面談当日、被告人Y2から指示されて現金2000万円を準備した上、ニューオータニにいた被告人Y2に届けたところ、その場に被告人Y1もいたことを認める検察官調書(甲物61)に署名指印しており、これは、被告人Y1の供述態度に追随したことをうかがわせるものである。
b しかし、被告人Y1の上記調書は、本件贈賄事実のみを認める極めて概括的なものであり、同人の同日付け調書(乙物99)も、本件贈賄原資の準備については、同人がHに直接指示したかのような記載があって、被告人Y2の関与には全く触れられていない。
c しかも、本件贈賄原資の準備に被告人Y2が関与している点、現金2000万円を被告人Y2に届けた状況は、Hが供述するまで、被告人Y1はもとより、他の関係者についても、供述していた形跡が全く見当たらないところから、Hは、被告人Y1の供述や他の関係者の供述等からは独自に、これらの点について自ら供述したことがうかがわれる。
(イ) 現金受渡しの場所や相手方に関する供述
a Hは、11月1日以降一貫して、現金を渡した相手は被告人Y2である旨の検察官調書(甲物61、67等)に、また、被告人Y2と落ち合って現金を受渡しした場所についても、後にみるとおり、一部に変遷はみられるものの、ほぼ一貫して、ニューオータニ付近の地上の周囲に車のある所である旨の検察官調書(甲物61、83、73)に署名指印している。
b ところが、被告人Y1は、同月1日、被告人Y2と落ち合った湯所について、ガーデンコートクラブ地下出口の前と明確に供述し(乙物99)、その供述は、同月5日(乙物102、103)まで維持されている。
c また、被告人Y2がHから本件贈賄原資を受け取ったことを認めるような検察官調書(乙物123)に署名指印したのは、同月5日以降であり、しかも、Hは、その日に、取調べの牧野検事から、被告人Y2が本社の被告人Y1の部屋で現金を受け取ったとか、被告人Y1の秘書を介して現金を受け取ったと供述している旨告げられたのに、これらをいずれも否定して、現金受渡しの場所は車のある所である旨の検察官調書(甲物67)に署名指印している。
d このように、Hは、現金受渡しの場所や相手方について、被告人両名がそれぞれ異なる供述をした後も、これらのいずれとも食い違う供述を維持している。そして、H自身、公判段階において、同月5日の取調べでは、牧野検事から、「Y2は、現金の受渡しの場所について、支店でも本社でもないという供述を始めた模様だから、あなた自身の記憶に自信を持ちなさいよ。」と言われた旨供述しており(45回)、これは、Hが牧野検事に対しては自分の記憶として現金の受渡しの場所を供述していたことを如実に示すものである。
(ウ) 裏金出納帳等の廃棄に関する被告人Y1及びP16の指示に関する供述
a P16は、裏金出納帳等について、〈1〉10月31日、被告人Y1から、3月21日にP14脱税事件の捜査への対応策が検討された際、「そういう物は処分しなさい。」と言われ、その翌日の協議の際にも、「何でそんなものを取っておくんだ。要らない物なら、支店の責任で処分しろ。」という趣旨のことを言われて、廃棄処分にするよう指示されたこと、そこで、P16がHに「処分したらおそらく誰の指示でやったのかと検察庁の取調べで聞かれるだろう。そのときY1副社長から指示されたとは言えませんよ。だから、自分の判断で処分したと言ってください。それでも、どうしても頑張りきれなかったら、僕から指示されたと言ってもやむを得ませんよ。」と話したことなどが記載された検察官調書(甲書120)に署名指印し、〈2〉11月13日にも、3月21日に被告人Y1から「そんな物は廃棄しなさい。」と指示されたこと、そこで、P16がHに上記と同旨の話をしたところ、これを聞いて、被告人Y1が「そうだな。やっぱり、おれが言ったというのはまずいから、支店の責任でやってくれ。」と言ったことなどが記載された検察官調書(甲書124)に署名指印している(なお、P16の上記各調書の証拠能力については、後に検討する。)。
b 他方、被告人Y1は、11月10日、裏金出納帳等に関して、3月21日に、P16に対し、「そんな出納帳があったのか。それは大変だな。」と言ったことはあるが、自分は裏金出納帳とはいえ出納帳の廃棄を指示できる立場にはなく、廃棄を指示する趣旨ではなかった旨の検察官調書(乙物112)に署名指印している。
c ところが、Hは、その後の11月15日に、3月21日夜、裏金出納帳の存在を知った被告人Y1が、「そんなもの付けていたのか。」と驚き、「そんなものは要らないだろう。」と言ったこと、しかし、被告人Y1から、「裏金出納帳のような物、廃棄しろ。」、「各支店の責任で裏金出納帳等の廃棄処分をしろ。」のように具体的で明確な指示であったかはよく覚えていないこと、P16が「廃棄処分の命令者を検察庁で聞かれても、Y1副社長に指示されたとは言えないから、自分の判断でやったと答えなさい。どうしても頑張りきれなかったら、P16の名前を出してもやむを得ない。」と言うような打合せはなかったように思うことなどが記載された検察官調書(甲物74)に署名指印している。
d このように、Hは、裏金出納帳等の廃棄に関する被告人Y1及びP16の指示についても、先行する被告人Y1の供述ともP16の供述とも食い違う供述をしているのである。
(エ) 弁護人との接見状況
a Hが在宅の取調べ当時から随時弁護人らに取調べの状況等を報告し助言を受けていたことは、H自身も認めているところであり(38回)、関係証拠によれば、Hは、逮捕後も、10月29日に2回合計25分、11月2日に15分、8日に20分、11日に20分、16日に20分、それぞれ弁護人らと接見していることが認められる(甲書138)。
b このように、Hは、逮捕後も、6回にわたり弁護人らと接見してその助言を得る機会を有しながら、11月1日に本件贈賄の原資準備への関与を認めて以降は一貫して、被告人Y2から現金の準備を指示されて面談当日に被告人Y2に届けた旨の検察官調書に署名指印しているのである。
(オ) まとめ
以上のように、Hは、被告人Y1の自白調書が作成された後ではあるものの、その内容を大きく超えて、本件贈賄原資の準備が被告人Y2からの指示に基づくものであり、現金2000万円を面談当日に被告人Y2に届けたことまで認めるに至り、現金受渡しの場所や相手については上司である被告人両名と、裏金出納帳等の廃棄に関する被告人Y1及びP16の指示については被告人Y1及びP16とも、あくまで食い違う供述をしている。しかも、Hは、その間も、弁護人らと接見を重ねており、取調べ検事から自分とは異なる内容の被告人Y2の供述を告げられても、本件贈賄原資の準備に関与するなどしたという自らの供述を貫いていることがうかがわれるのである。そして、このようなH供述の独自性ないし一貫性は、検察官の押し付けや他の関係者の供述による影響とは相いれないH供述の任意性ないし自発性を裏付けるものということができる。
イ 供述過程の合理性ないし自然性
(ア) 本件贈賄原資の準備への関与を認める供述に至る経緯
a Hは、前認定のとおり、本件面談当時から捜査段階、証言段階を通じて、a建設関東支店経理部長の職にあったところ、関係各証拠によれば、9月6日、本件贈賄の嫌疑について、a建設の広報室長が事実無根であるとの談話を発表した旨の新聞報道があり(弁物55)、被告人Y1も、当時、テレビ番組等のインタビューで本件贈賄の事実を明確に否定し、Hも、当時からそれらの事情を認識していたこと(H43回)が認められる。そうすると、Zが知事を務める茨城県を管轄する関東支店の経理部長であったHとしては、牧野検事の取調べを受けた当時においても、a建設にとって大きなダメージとなることが容易に予想される本件贈賄事実を認めることが極めて困難な状況にあったと考えられる。
ちなみに、Hの平成4年の手帳の面談当日の欄に消された痕跡のあることは、同手帳(物22)及び鑑定結果(職50)によって明らかであるところ、Hも、10月29日付け検察官調書(甲物60)にあるとおり、逮捕される前に、同手帳が押収時に発見されることのないよう妻にその隠匿を指示したことを認めているのである(38回、44回)。
b そして、上記検察官調書に、牧野検事の公判証言(69回、70回)を総合すると、Hは、牧野検事の取調べに対して、同手帳は処分して存在しない旨供述していたが、妻が検察庁職員の助言によって保釈保証金詐欺の被害を免れたことを聞き知るや、態度を軟化させて、同手帳の所在を明らかにし、同月30日に妻を介して同手帳が任意提出されたことが認められる。
c しかも、同月31日に、本件贈賄事実を認める趣旨の被告人Y1の検察官調書(乙物96)が作成されていることをも考慮すると、Hが、最初に本件贈賄原資の準備を認める11月1日付け検察官調書(甲物61)の作成に応じたのは、その妻が検察庁職員に助けられたことを聞き知って、検察庁に対する態度を軟化させていた中、牧野検事から、本件贈賄の最高責任者である被告人Y1がその事実を認めたと告げられて、本件贈賄への関与を否認する必要性が乏しくなったと判断したことによるものと、合理的に推認することができる。
(イ) 供述の変遷
a もっとも、Hの検察官調書の内容は、前にみたとおり、当初はかなりあいまいなものであり、その一部には変遷もみられる。すなわち、
(a) まず、面談当日のHの行動に関し、〈1〉Hが関東支店からh社に赴くのに用いた交通手段が、支店の車(11月6日付け・甲物69。以下、このaの項では「11月」の表記を省略し、また、調書の特定は同一日付の調書が複数ある場合に限り証拠番号を付記することとする。)から、タクシーか地下鉄(9日付け)、さらに地下鉄(13日付け)に、〈2〉その際の現金2000万円持参の有無が、持参していない(6日付け・前同)から、持参した(13日付け)に、〈3〉h社訪問後の行動が、関東支店に戻る(6日付け・前同)から、本社経理部で時間を過ごす(13日付け)に、〈4〉本社で現金を最初に持参した場所が、関東支店分室(4日付け、6日付け・甲物69)から、Y1副社長室(11日付け、13日付け)にそれぞれ変遷している。
(b) また、被告人Y2への現金2000万円の交付に関しても、〈1〉交付場所が、ニューオータニの駐車場か車回りの所(1日付け、2日付け)ないし車のある所(4日付け、5日付け・甲物67)から、ガーデンコートビルの玄関(11日付け)ないし出入口付近(13日付け)に、〈2〉その際の建物側縁石と副社長車及び支店長車との位置関係が、縁石から車長1台ないし1台半分離れた位置に両車両が縁石に向けてハの字形に並んで停車している図面(4日付け)から、ほぼ2車線の通路状の車寄せに副社長車が縁石に沿い、支店長車が車長1台分くらいその右後方に各停車している図面(13日付け)にそれぞれ変遷している。
b(a) これらの変遷について、弁護人は、牧野検事が捜査の変転に応じてHに供述を押し付けた結果によるものである旨主張し、Hも、公判段階では、その主張に沿う供述をしている。
(b) そして確かに、Hが、面談当日に、上司の被告人Y2の指示に従って関東支店の裏金から現金2000万円を用意し、自らガーデンコートビルまでこの大金を届けて、その場に副社長の被告人Y1もいたような状況を実際に体験していたのであれば、Hにとっては、それ自体非常に印象深いことであり、しかも、それからわずか9か月足らず後の9月上旬には、前認定のような本件贈賄の嫌疑に関する新聞報道等があったのであるから、日時や金額の一致によって、上記現金がその贈賄原資であることは当然に分かったはずである。さらに、同月中旬には、内尾検事から関東支店の裏金について取調べを受けたのであるから、牧野検事の取調べを受ける10月後半までには、その記憶を繰り返し喚起していたことが容易に想定される。したがって、Hとしては、上記aの諸点についても、面談当日からわずか11か月足らず後の上記取調べ時点において、実感を伴ったかなり具体的な記憶を保持しあるいは喚起していたものと考えられるのに、これらの事項について、当初の検察官調書の内容が相当あいまいなものにとどまり、それが大きく変遷しているのは、いかにも不可解というべきである。
c(a) しかしながら、前記a(b)の供述の変遷に関してみると、被告人Y1が面談当日の午後にガーデンコートクラブに出掛けていたことは、関係各証拠から明らかであり、被告人Y1は、11月1日には、被告人Y2と落ち合った場所が同クラブ地下出口の前であった旨供述し、その供述は、同月5日まで維持されている。しかも、検証結果(人25・弁人17)によれば、ガーデンコートビルの1階及び地下1階の各出入口前付近には、Hが同月4日に作成した図面のような状況では2台の車をとめるスペースの存在しないことが認められる。そして、牧野検事の公判証言によれば、内尾検事から、10月28日ころ、被告人Y1がZに会う直前まで同クラブにいたことを、同月31日には、被告人Y1が本件贈賄について自白したことをそれぞれ聞かされていたというのであり(69回、71回)、被告人Y1の上記のような供述状況についてもその都度聞き知っていたと考えられる。したがって、牧野検事が、被告人Y1の供述する合流場所の状況とは全く矛盾するような図面の作成をHに強要することなどあり得ないことというべきである。ちなみに、Hも、11月1日時点から、牧野検事が同ビルの地下駐車場で会ったのではないかと何度も言っていたと証言しているのである(44回)。
(b) また、前記a(a)の供述の変遷に関しても、〈1〉の点は、Hの公判証言(45回)及び同月9日付け検察官調書(甲物71)から、検察庁で捜査した結果、面談当日、支店の車でHらを乗せたもののないことが判明したことによるものと認められる。また、〈2〉ないし〈4〉の点も、牧野検事が、弁護人主張のように、客観的裏付けのないまま自分の想定した筋書を被疑者に押し付けることなど、後の捜査でこれと矛盾する証拠が出てきた場合に自家撞着に陥ることが容易に想定されるから、取調べの在り方としては考えにくいところである。
d(a) 他方、関係各証拠によると、H及び被告人Y1の弁護人らとの接見状況等として、次の事実が認められる。すなわち、
α 被告人Y1は、11月2日午前、弁護人の早川、山崎及び薄金の各弁護士と接見して、その際、弁護人らに対し、本件贈賄についての自白調書を取られた旨話すと、早川弁護士から、「どうして君はありもしないことを認めたんだ。本当にやってないんだったら、今からでも遅くないから、その供述をまたひっくり返して、絶対否認しなきゃだめだ。」、「しっかりなさい。」としかられたため、その後、否認に転じた。(甲書138、山崎168回、169回)
β Hは、同日午後、早川弁護士と接見して、その際、同弁護士に対し、被告人Y2はどうなっているのかを確認した。(甲書138、H38回、45回)
γ Hは、同月8日午前、早川弁護士と接見し、その際、同弁護士から、自己の手帳の件を問いただされたのに対して、手帳の消した跡に2000という数字を書いたことはないはずだと話した。(甲書138、山崎168回)
δ それに引き続き、早川弁護士らが、被告人Y1と接見したところ、同人から、早川弁護人を通じて被告人Y2とHの供述を被告人Y1のそれに合わせるように内尾検事から話があったと聞いて、とても怒り、「自分にそんな罪証隠滅するような口裏合わせをさせる気か。はっきり断ったということを検事に伝えてほしい。」と言った。(甲書138、山崎168回)
(b) 以上認定のような早川弁護士の姿勢を考慮すると、早川弁護士は、Hに対し、同月2日の接見の際には、安易な供述を諫めるとともに、被告人Y1も自白を翻す見通しであることを伝えて激励し、同月8日の接見の際にも、繰り返し安易な供述を諫めるとともに激励したことがうかがわれる。
e 以上みてきたようなHの供述経過、弁護士との接見状況、捜査の進捗状況、関係者の供述状況等に照らすと、前記aで指摘したようなH供述の当初のあいまいさや変遷の状況は、次のような供述心理によるものと合理的に説明することができる。すなわち、
(a) Hは、前認定のとおり、10月末ころには検察庁への態度を軟化させていたところ、11月1日に、牧野検事から、本件贈賄の最高責任者である被告人Y1がその事実を認めたと告げられて、これへの関与を否認する必要性が乏しくなったと判断し、自らの本件贈賄原資の準備への関与を認める供述を始めたものの、自らの供述が直属の上司で自分に直接指示を下した被告人Y2、更にはa建設副社長の被告人Y1の責任を決定的に裏付けるものとなることから、当初は、すべてを記憶のとおり供述することができず、あいまいな供述にとどめていた。
(b) 次いで、Hは、同月2日午後、早川弁護士と接見した際、同弁護士から、安易な供述を諫められるとともに、被告人Y1も自白を翻す見通しであることを聞かされて激励され、さらに、同月8日の接見の際にも、繰り返し安易な供述を諫められるとともに激励されて、心理的に動揺した。そのため、Hは、一気に供述を翻し本件贈賄原資の準備への関与まで否認することはできなかったものの、一部に記憶に反する供述をも交えて供述するようになった。
(c) しかし、Hは、同月5日に、被告人Y2から、牧野検事を介して、自分の供述を試すような言付けをされ、その後、牧野検事から、被告人Y2も同月8日に本件贈賄事実を認めたと聞かされ、さらに、同月9日、自己の虚偽供述の一部が検察庁の捜査により覆されるに至ったことから、本件贈賄に関してはすべて記憶に基づいて正直に供述するに至ったものである。
f そして、以上のようなHの供述心理は、Hが本件贈賄原資の準備等への関与を認めるに至る経緯ないしその際のHの供述態度等に関する牧野検事の公判証言ともよく符合するものであり、これによっても更に裏付けられているのである。
g したがって、H供述の当初のあいまいさやその後の一部の変遷について、牧野検事が捜査の変転に応じてHに供述を押し付けた結果によるとする弁護人の主張は、採用することができない。
(ウ) そして、以上みてきたような、Hが白白するに至った経緯ないし理由、あるいは、当初はあいまいな供述をしたり供述を一部変遷させるなどした供述心理は、関東支店経理部長として同支店の裏金を管理し、本件贈賄資金をその裏金から準備したというHの立場に照らし、誠に自然かつ合理的なものであるから、これもまた、H供述の信用性を裏付けるものということができる。
(4) 取調べ状況等に関するHの公判証言の信用性
ところで、Hは、本件贈賄原資の準備への関与等を認める趣旨の前記各検察官調書に署名指印した理由について、公判段階では、後にみるとおり、前記(1)ア(イ)記載の弁護人の主張に沿った証言をしているので、以下、取調べ状況等に関するHの公判証言の信用性について検討する。
ア Hの立場ないし捜査や裁判に対する姿勢等
(ア) Hは、前認定のとおり、証言段階においても引き続き関東支店経理部長の職にあったものであるところ、本件面談当時、被告人Y2は、直属の上司に当たる関東支店長の、被告人Y1は、その更に上位の上司に当たる副社長の各職にあったばかりでなく、共にHの証言当時もa建設から顧問待遇を受けていた者である。しかも、Hは、その述べるところによっても、被告人Y2については、公明正大で、進取の気性、積極さ、そして人との交わりに心遣いがあり、被告人Y1についても、人物のスケールが大きく、心遣いも大変きめ細かく、良い印象を持っており、いずれも尊敬しているというのである。したがって、Hとしては、その証言当時、被告人両名の面前においては、被告人両名にとって不利益な事実を供述することが困難な状態にあったということができる。
(イ)a また、Hの捜査ないし検察庁に対する姿勢を示す一連の対応として、次の事実を指摘することができる。すなわち、
(a) まず、Hは、関東支店経理部長に就任した後、同支店の裏金を管理して、これを裏金出納帳等と共に関東支店の電算室にあるダイヤル付きキャビネットの中に保管していたが、P14献金問題が表面化した後の3月20日、P16の指示で、前記12月造成分の1000万円を分けて上記キャビネットから取り出し、手元にあった41万円を合わせて経理部にある自分専用のキャビネットに移し替えた。そのため、翌21日、検察庁の係官が関東支店に来た際、裏金については、Hのキャビネット内にあった1041万円のみが押収された。
(b) 次いで、Hは、翌22日早朝、P16の指示に基づき、裏金出納帳等の自分が管理している裏金に関する資料をすべてシュレッダーにかけて廃棄し、その日の夜の取調べにおいては、あくまで前任のIから裏金や裏金出納帳を引き継いでいない旨虚偽内容の供述した。
(c) しかし、Hは、早川弁護士から、裏金出納帳を速やかに再製するようにと指示されたため、再製出納帳を作成して、同月26日に検察庁に提出したが、その再製に際しては、意図的に、裏金の収入から、検察庁に見られては具合の悪い下請のk建設に造成させた2口合計1499万円を除外したほか、a社道路に造成させた500万円も記載しなかった。
(d) Hは、9月16日から内尾検事の取調べを受けたが、その際、Iからの引継ぎ資料を示され、裏金の現金残高と再製出納帳の残高との差を縮めるよう求められるなどしたため、関東支店から本社主計部に税務申告用の資料として提出していた自己否認用の一覧表に基づき、新たに合計420万円余の裏金の支出を認めたほか、k建設造成の708万円を記入漏れ分として追加した。
(e) Hは、11月3日の取調べにおいて、本件贈賄原資の2000万円のほか、a社道路に造成させた500万円を更に認めるに至り、同月5日に、これらを加えて修正した修正出納帳を作成提出したが、これも、多くの意図的な記入漏れのあるものであった。
(f) さらに、Hは、10月28日の逮捕前に、妻に電話して、面談当日の欄に消した痕跡のある平成4年分の自分の手帳を預かっておくようにと指示して隠匿し、自宅に対する捜索の際に押収を免れている。
(g) 加えて、Hは、その公判証言において、その真偽はともかくとして、裏金の処理について次のような工作をしていたと供述している。
α Hは、裏金出納帳を再製中の3月23日に、裏金のうち検察庁に見られては具合の悪い2900万円を分離して自宅に持ち帰り、その後自宅で保管していた。
β 次いで、Hは、内尾検事の取調べを受けて記入漏れ分を作成中の9月18日に、いずれ検察庁に発覚することが見込まれるk建設造成分のうち791万円を裏金本体に戻し、残りの2109万円を当時の関東支店経理部のT4経理課長代理(以下「T4」という。)に自宅で保管するよう指示した。
b 以上のように、Hは、捜査や検察官の取調べに対しては、真実を明らかにしようとするのではなく、会社のためならば、あえて、虚偽内容の供述をしたり、出納帳等の会計帳簿や証憑類を廃棄したり、多額の現金を会社から持ち出して自宅等に隠匿したり、会社の顧問弁護士の指示に反してでも内容虚偽の裏金出納帳を作成することすらいとわない姿勢をとっていることが明らかである。
(ウ)a 次に、Hの裁判に対する姿勢を示す対応としても、次の事実を指摘することができる。すなわち、
(a) Hは、その述べるところによると、部下のT4に自宅で保管させていたという前記の裏金2109万円について、平成6年3月末に本社主計部の指示により関東支店の裏金を表の会計に繰り入れた際にも、そのうち9万円のみを現金の不足分に充当しただけで、残りの2100万円は、証人尋問続行中の平成8年4月30日に至って弁護人ら立会いの下に確認し、同年5月8日付けで本会計に繰り入れるまで、T4に引き続き自宅で隠匿させていたというのである。
(b) また、Hは、その公判証言において、牧野検事の取調べ状況や調書の作成状況等について、逮捕勾留中に記載していたというノートの記載に基づき供述していることがうかがわれるのに、その内容についての検察官からの質問には、「ノートの内容については、すべて公にしたくないというのが一貫した気持ちである。」などと述べて、頑なに供述を拒んでいる(51回等)。
b このように、Hは、公判段階においても、真実をすべて明らかにしようとする姿勢に乏しいとみるほかはない。
(エ) 以上みてきたような、Hのa建設における地位や立場、被告人両名との関係、本件捜査や裁判に対する姿勢等からすると、Hの公判証言の信用性については、慎重な検討を要するというべきである。
イ Hの証言内容の不自然さ、不合理さ
(ア) Hの公判証言の内容には、根幹部分に限っても、次のように数多くの疑問点があり、他の証拠関係に照らしても、これらの疑問を払拭することは困難である。
a Hは、前任者であるIからの引継ぎの際に、P14献金用として盆暮れに1000万円を造成しておいた方がよいとの指示があり、平成4年7月に1000万円を造成して、同年12月当時もそれが手元にあったというのに、Iから特段の指示もなく、かつ、Iにその必要性を問い合わせることもないまま、なぜか、その月にも1000万円を新たに追加して造成したとしている。
b Hは、再製出納帳を作成するに当たり、各営業所の裏金担当者を招集して、各営業所から原資料に基づく報告をさせているというのに、関東支店で裏金の月次の収支表や原価計上内訳表の集計表を作成するなど、同支店の裏金の管理においてHの補助的役割を果たしていたJには、なぜか、協力を求めることなく作業を進めて、そのため、Jが保管していたという後出のバインダー資料(弁物46)を参照する機会を失したとしている。
c(a) Hは、本件贈賄の相手方とされるZが知事を務める茨城県を管轄する関東支店の経理部長であるところ、(平成5年)3月に、同支店の裏金について捜査を受け、9月上旬には、本件贈賄の嫌疑が広く報道されて、被告人Y1がこれを明確に否定していた。しかも、Hは、10月20日ころからの牧野検事による在宅取調べの時点から、2000万円を関東支店が準備していたのではないかという取調べを受けていたというのであるから、その当時から、本件贈賄原資の不存在をいかにして明らかにするかについては、強い関心があったはずである。
(b) そして、仮に、関東支店の裏金の出納状況が、Hの証言するようなものであったのであれば、Hは、9月あるいは遅くとも10月の取調べの時点において、裏金出納帳を完全に再製することによって、本件贈賄原資の不存在を簡単に説明できたはずである。また、仮に、Hが証言するように、平成4年7月造成分の1000万円について検察官に供述することに問題があったとしても、副社長である被告人Y1による本件贈賄の嫌疑というa建設にとっての危急の事態に直面していたのであるから、少なくとも直属の上司である被告人Y2、あるいは裏金の管理について常々指示を仰いでいた本社主計部のP16や前任者のIらに相談するなり了解を求める必要性が高かったと考えられる。
(c) ところが、Hは、なぜか、上司や関係者に相談したり了解を求めることもなく全くの独断で、検察官に対し、本件贈賄原資の不存在について説明することを放棄して、あくまで裏金に関する虚偽供述を維持発展させたとしている。
d(a) Hは、面談当日の午後の行動については、牧野検事から在宅で取調べを受けた当時から、面談当日かその前日に2000万円を誰かに渡していないか取調べを受けており、勾留後には、自分の手帳を見るなどして、h社の訪問、関東支店の総合幹部会、夜の懇親会、更には、h社からの帰路に本社であいさつ回りをしたことまで記憶を喚起している。しかも、Hは、i商事については、牧野検事から、関東支店の未収金の関係で現に取調べを受けている。
(b) 他方、Hは、面談当日午後のi商事との折衝について、釈放された後に、関東支店経理部次長のP26(以下「P26」という。)から「iの件、行ったでしょう。」などと言われて簡単に思い出したと証言しており、また、i商事との折衝は、自らの発言が予定されていた関東支店の総合幹部会を欠席してまで出向いたとされるものである。
(c) このように面談当日午後のi商事との折衝という重要かつ特徴的な出来事、しかも、本件贈賄原資の準備の嫌疑に対する決定的なアリバイとなり得る出来事について、Hが捜査段階において全く思い出さないようなことは考えにくい。
(d) ところが、Hは、i商事との折衝については、なぜか、捜査段階では全く思い出さなかったと証言するのみならず、思い出してからは、JR秋葉原駅の改札を入って階段を上るときにP26に「今晩懇親会に出るんだろうね。」と声を掛けたこと、その後、支店の懇親会に出て、二次会に流れたこと、それにはたまたま営業所の人間が混じっていたことといった流れについて大変しっかり記憶が戻っているとまで証言しているのである(47回)。
e(a) Hは、本件贈賄原資の準備等への関与を認める検察官調書の作成に応じた理由について、要するに、a建設の危機を救おうとする被告人Y1の意向に従ったものであると述べている。そうであれば、被告人Y1が明確に否認しているというのに、Hが被告人Y1による裏金出納帳の廃棄の指示まで認める理由は見出し難いことになる。
(b)α この点、Hは、牧野検事から、「このままではP16さんがいわゆる証拠隠滅の罪をすべて被ってしまう。塀の向こうに落ちるよ。それでいいのかね、君。」、「P16さんを救えるのはあなただけなんだよ。証拠隠滅の罪は重いよ。同僚としてそれでいいのか。冷たいな。」、「破棄してしまえという意味に受け取れることを入れたい。Hさんには酷だけども、二、三のんでもらわなくちゃ困るよ。」などと言われたことが理由であった旨証言する(45回)。
β しかし、Hの当時の立場からすれば、この公判証言は、いかにも不可解である。すなわち、被告人Y1による指示を認めて、証拠隠滅の犯罪に副社長の被告人Y1まで巻き込むことになれば、a建設の会社ぐるみの犯罪であることを認めることになってしまい、Hが自ら強調するところの、同社の危機を救おうとするという被告人Y1の意図はもとより、それに同調しようとするというHの意図にも真っ向から反することになるのである。
(イ) 以上のように、Hの公判証言には、その核心部分について、払拭できない多くの基本的な疑問が残るのであり、その内容は、全体的に不自然かつ不合理なものというほかない。
ウ 取調べ状況に関するHの公判証言の信用性
(ア) Hの公判証言の概要
Hは、その公判証言において、牧野検事による取調べ状況、とりわけ本件贈賄原資の準備への関与を認めた検察官調書の作成に応じるに至った経緯等について、おおむね次のように供述している(44回、45回等)。すなわち、
a 牧野検事は、取調べの当初から、「400万円を横領している。そうじゃなければZ知事への2000万円の一部として使ったんじゃないのか。」などと言い、ストーリーを勝手に決めて、それを認めろと繰り返した。
b 10月26日ころ、牧野検事から、「昨晩の特捜部の捜査会議の総意を伝えるから、これを会社のトップ(「上司」かもしれない。)又は弁護士に伝えるように。真実を明らかにして納まるところに納まらなければ、a社の得意先、下請を徹底的に調査する。それによってa社がどうなろうと、それは一私企業の問題だ。」と脅され、非常に恐怖感を感じた。その後、本社、関東支店、東京支店、横浜支店、大阪支店と相次いで家宅捜索が展開されたと聞いた。
c 同月30日、2000万円の準備を否認すると、牧野検事から、「そんなことを言っていると、どんどん捜査が拡大するぞ。得意先にも捜査を入れる。P19は第一不動産とか第一ホテル、6社である。a社は東京電力、東武鉄道、それから下請にも捜査を入れるぞ。」と脅された。下請との長年にわたる強固な協力関係、信頼関係が壊れることは絶対に避けなければならないと大きな不安を持った。
d その後、牧野検事から、「みんなZ知事への2000万円の出所は関東支店としゃべっているよ。あなたはそんな一人頑張っていいの。」と言われ、被告人Y1の判断にかかわらず自分が頑張ったら、会社が致命的な打撃を被るというのは、自分の責任ではないかという考えが響いて、訳が分からなくなった。
e(a) 11月1日、牧野検事は、「今度は名古屋支店かもしれない。支店はむろんだけれども、得意先、下請にも徹底的に調査を入れるぞ。」、「平成4年12月22日にY2と個別に会ったことがあるんじゃないか。どこかで個別に会っただろう。」、「その日以外で会ったことはないのか。」と聞き、「思い出せませんね。」と答えると、「それじゃ、赤坂の東急、それからプリンス、ニューオータニのどこかでY2と会ったことはないか。」と聞いてきた。
(b) 私が、「赤坂東急は仕事で行った記憶が全くない。プリンスは安全大会や懇親会でしか行ったことがない。この2つについては、Y2支店長に個別に会っていないことは間違いない。むろんニューオータニについても思い出せませんが。」と言って、何の用事で行ったか思い出していると、牧野検事から、「ニューオータニで会ったんじゃないのか。」と言われた。そこで、以前に旧館の正面玄関に行き、その前の駐車場が大変広いという印象がある旨話した。
(c) すると、牧野検事は、「そこでY2と12月22日に会ったんだろう。Y1もいただろう。茨城のP2副所長もいたらしいよ。」と決め付け、「4人が車の近くにいる図を書け。」と突然言ってきた。私は「書きようがないですよ。」と言ったが、牧野検事から、「ただ思ったように書けばいいんだよ。」と言われ、いろいろ仕向けられて図を書かされた。
(d) その後、牧野検事は、ニューオータニで被告人Y2に金を渡したという調書を作って、「それに署名しろ。」と言ってきた。それを見て、いったいどうなっているんだろうと心臓がどきどきし、被告人Y1に話を合わせなければという思いもあって、迷いながら署名した。検事の怖さから、金縛り、操り人形になってしまった。その日の調書に署名したのは、〈1〉被告人Y1の決断に合わせなければいけないという気持ちと、〈2〉検事が怖く、検事の金縛り、操り人形になったためである。
f 同月2日に、牧野検事から、被告人Y1が贈賄を認める供述を始めた模様だという報道があったことを聞かされた。その出所は関東支店と言われたので、会社の大変な状況を救わなければならないと身を挺して会社を守ろうとしている被告人Y1の判断を感じた。牧野検事からは、「あなた一人が乗り遅れている。」、「Y1さんが、『関東支店から出たとしても、Hには責任がないから、しゃべるように。』、『Hが扱ったからといって、会社はHを見捨てないし、そのことはY1自身が保証するから。Hには大変迷惑を掛けることになるがな。』と言ってる。」と言われた。被告人Y1の判断の邪魔者になっては大変な責任になると強く感じた。
(イ) Hの公判証言の信用性
そこで、以上のような取調べ状況に関するHの公判証言の信用性について検討する。
a(a) まず、Hが10月26日の取調べ終了後に上司に報告するために提出したとされる書面(弁物50添付のメモ)には、「a社の対応は検察に対する宣戦布告としか取れない。真実を明らかにして納まるところに納まらなければ、全支店、業者、得意先に徹底的にやる。これによって、結果としてa社がどうなろうと、一私企業の問題だ。担当検事から今日呼ばれている人たちに同じことが伝達されることになっている。」との記載があって、牧野検事からHに対し、これに類する発言のあったことがうかがわれる。
(b) また、牧野検事の公判証言によっても、Hは、同月28日の逮捕後も同月31日の午後までは、本件贈賄原資の準備等への関与を否認していたというのであり、牧野検事がHを相当に厳しく取り調べていたことも当然あり得ることと考えられる。
b しかしながら、牧野検事は、Hに対し、Hの証言するような脅迫をしたことを明確に否定している。しかも、前にもみたとおり、牧野検事の証言に係る、Hが本件贈賄原資の準備等への関与を認めるに至る経緯やその際のHの供述態度等は、Hの供述経過、弁護士との接見状況、捜査の進捗状況、関係者の供述状況等からうかがわれるHの供述心理とよく符合するものである。
c 他方、牧野検事の脅迫に屈して本件贈賄原資の準備等への関与を認める検察官調書の作成に応じたなどとするHの公判証言の内容には、それ自体、次のような疑問とすべき点が認められる。すなわち、
(a) 10月26日の牧野検事の発言は、その内容に照らし、a建設の上層部に対するものと考えられるのであり、その報告を受けた会社側では、直ちに弁護士を含めて、対応策が検討され、その方針は、同月28日にHが逮捕されるまでに、Hにも伝達されていたことがうかがわれる。そうすると、牧野検事から、Hが証言するような一連の発言があったとしても、それは、同月26日に言われたとされる内容を超えるものではなく、それに対する対応策は既に決まっていたはずであるから、検事に対する恐怖心から、金縛りになって、検事の操り人形のようになるようなことは、考えにくいところである。
(b) また、検事に対する恐怖心から、金縛りになって、検事の操り人形のようになったというのに、Hは、前記(3)ア及びイで指摘したように、本件贈賄原資の準備等への関与を認め始めた当初から、これに先行する被告人Y1の自白の内容とは食い違い、かつ、より詳細な内容の供述をし、その後も、被告人両名の各供述とも食い違う供述をしているのであって、このようなHの供述状況は、Hの証言する当時の心理状態とは、相いれないものである。
(c) さらに、Hは、捜査段階では、一度として、被告人Y2に対して現金2000万円を届けたなどとは供述しておらず、牧野検事が勝手に作成した調書に署名指印させられただけであると証言しているのに、被告人Y2らと落ち合って被告人Y2に現金を渡した際の位置関係等について、前記(3)イで指摘したように、被告人両名の各供述とは食い違う内容の11月4日付け図面(甲物83添付のもの)を自ら作成しているのである。
d このように、Hの公判証言のうち、牧野検事の脅迫に屈して本件贈賄原資の準備等への関与を認めるに至ったとする部分は、他の関係者の供述やHの検察官調書の作成状況等に照らして、誠に不自然なものというほかなく、牧野検事の公判証言と対比しても到底信用することができない。
(ウ) そうすると、Hが本件贈賄原資の準備等への関与を認めるに至ったのは、前記(3)イ(イ)eで指摘したように、主として、牧野検事から、被告人Y1が本件贈賄事実を認めたと告げられて、これへの関与を否認する必要性が乏しくなったことによるものと認めるのが相当である。ちなみに、Hも、本件贈賄原資の準備等への関与を認めるに至った理由の1つとして、被告人Y1の決断に合わせなければいけないという気持ちを挙げているのである。
(5) Hの各検察官調書の証拠能力についての結論
以上のとおり、Hの捜査段階における供述はいずれも、任意性はもとより、その公判証言と対比しても、これより信用すべき特別の情況があったと優に認められるから、検察官請求に係るHの検察官調書2通(甲書140、141)はいずれも証拠能力を有することが明らかであって、これを否定する趣旨の弁護人の主張はすべて採用することができない。
第4  本件の背景事情等
次に、本件贈賄の準備及び実行に関する事件関係者の各供述の信用性を検討する前提として、本件の背景事情等について検討しておくこととする。
1  茨城県における公共工事の指名業者選定及び受注業者決定の実情等並びにこれらの点に関するa建設関係者の認識
(1) 茨城県における公共工事の指名業者選定及び受注業者決定の実情等
ア 関係各証拠によれば、茨城県における公共工事の指名業者選定及び受注業者決定の実情等、とりわけ、Zの指名業者選定に対する介入ないし受注業者決定への影響等について、次のような事実が認められる。すなわち、
(ア) 茨城県では、本件当時、県が発注する公共工事の受注業者を決定するに際し、原則として、県が入札参加者を指名する指名競争入札の方法が採用されており、上記入札に参加する業者は、あらかじめ、土木部長を委員長とする資格審査会において参加資格を認められた者の中から、前記第1の1(2)イ(イ)認定のとおり、土木部内に設置された部委員会、三課合同委員会、課委員会等において選定することとされていた。このうち、本件当時には、発注予定金額が5000万円以上の工事は、部委員会の所管とされていたところ(C17回)、部委員会で指名業者を選定する場合、その内規により、当該工事の主管課が原案として指名推薦書を作成して部委員会に提出し、部委員会では、上記主管課の推薦に基づき審議して指名業者を決定することとされていたが、ほとんどの場合、上記主管課の推薦案どおりに指名されていた。
なお、共同企業体については、平成4年9月ころから、あらかじめ業者に自由に共同企業体を結成させた上、これを指名の対象にする方法が採られていた。
(イ) Zは、本件よりかなり以前から、上記指名業者選定の過程で、特定の工事について、部委員会の委員長である土木部長、あるいは各選定委員会の委員長ないし構成員を務め、部委員会に対して指名業者を推薦する権限を有する当該工事の所管課長らに対し、自らが陳情を受けるなどして当該工事を受注させたいと考える特定の業者を入札参加者として指名するよう指示することにより、上記業者が当該工事を受注するいわゆる本命業者であることを示唆する、いわゆる「天の声」を出すことが数多くあり、これを受けた土木部の部課長らは、上記指示に従って、各選定委員会において、上記特定の業者を入札参加業者(指名業者)として選定するとともに、土木部に営業に来る他の業者の担当者らに対し、上記特定の業者が本命業者であることを示唆することにより、知事であるZの意向を伝えていた。
(ウ) 他方、茨城県の建設業界では、従前から、指名競争入札制度が形骸化し、しばしば、入札前に指名業者間で話し合って、あらかじめ当該工事を受注する業者を決め、入札価格を打合せするなどして、上記業者が確実に落札できるよう取り計らうなどの受注調整が行われていたところ、本件当時、既に5期連続して知事を務めていたZの意向は、上記業者間の受注調整にも絶大な影響力を有しており、上記(イ)認定のような県担当者らの言動等から特定の業者についてZから「天の声」が出されたことを察知した指名業者らは、自らZの意向に沿った受注調整を行い、その結果として、上記特定の業者がほぼ確実に当該工事を落札、受注していた。
(エ) このように、本件当時、茨城県においては、県発注の公共工事の受注業者の決定について、Zの意向が絶大な影響力を有していたことから、大手ゼネコン等の建設業者らは、受注を狙う特定の工事について、指名業者選定の担当部署である土木部の部課長ら関係職員の下に営業に訪れるだけでなく、Zの「天の声」を得ようとして、しばしばZに直接面会するなどして、同人に対し、当該工事の受注の陳情をしていた。
イ(ア) 上記アの(イ)ないし(エ)の認定は、主として、P10の公判証言(4回、5回)及びeルートにおける証言(甲書48、49)並びにP4(甲書3、6)、G(甲書7)、C(甲書4、8、14、53)、A(甲書11)及びB(甲書12)の各検察官調書に基づくものである。
(イ)a そして、上記の茨城県関係者らの各供述内容は、Zが茨城県土木部の部課長らに対して特定の業者を指名するよう指示していたこと、上記指示が本命業者を示唆するものであったこと、指名された業者間で受注調整や談合が行われることにより、上記Zの意向に沿った本命業者が落札するものと認識していたことなどについて、互いによく符合しており、具体的な指示の方法等についても、各人の体験に基づくとうかがわせる区々の説明をしているのである。なお、同人らの各供述には、県職員の関与やZの指示の妥当性等について、慎重かつ控え目な供述態度をうかがわせる部分も散見されるが、前記第1の1(2)ウ認定のような各人の経歴や立場等に照らせば、ごく自然な態度といえるし、むしろその一方で、上記のような核心部分について一様に互いに符合する供述をしていることは、上記核心部分に関する各供述の信用性が高いことを端的に裏付けるものである。
b 加えて、同人らの各供述はいずれも、Zの意向が受注業者の決定に絶大な影響力を有していたとする点において、茨城県が指名競争入札手続が形骸化しており、同人らがそれぞれ県土木部幹部職員としてこれに関与していた事実を認めるものであって、同人らの経歴や立場等にかんがみれば、このように自己や茨城県関係者にとって著しく不名誉かつ不利益となる虚偽の事実をあえて述べることは考え難いのである。
c そうすると、同人らの上記各供述は十分信用できるというべきである。とりわけ、P10は、eルート及び本件における証言段階を通じて、未だ茨城県職員として現職の地位にありながら、捜査段階の供述を翻して本件を全面的に争っているZの面前において、Zのみならず自己にとっても不利益な事実を詳細かつ明確に証言しているのであって、P10証言の信用性が極めて高いことは明らかである。
(ウ)a なお、Cは、前掲各検察官調書では、Zから、茨城県が発注を予定していたダム工事や建築工事について、いずれも特定の業者の名前を挙げて指名に入れるよう指示され、本命業者とするよう示唆されたなどと、前認定に沿う供述をしていたが、公判段階では、小山ダム建設工事についてはZから直接話があったが指名の指示とは受け取らなかった、ダム工事以外についてZから特定の業者のことを言われたことはなかったなどと述べたり、部委員会で知事の意向に従って指名業者を決めたということはなかった、部下が特定の業者を落札させようとして各業者に何らかの働きかけをしているということは聞いたことがないなどと述べるなど、上記認定事実に反する証言をしている。
b(a) そこで、Cの上記各供述の信用性について検討するに、Cは、公判証言において、検察官から暴言等を浴びせられて耐えられなくなったので、平成5年8月11日付け検察官調書(甲書4)に署名した、同年10月14日付け検察官調書(甲書14)も、当日出頭すると調書が作成されており、不満な点について6時間にわたり押し問答をして疲れてきたため妥協して署名したなどと供述しているほか、同年8月26日付け検察官調書(甲書8)には主張したことと相反することが書かれており、署名した調書は上記調書より枚数が少なかったと思うなどと調書が改ざんされたものである旨の主張をしている。
(b)i しかしながら、まず、Cが改ざんを主張する上記8月26日付け調書には、改ざんの不可能なCの署名がある上、その署名のある丁には、Zが業者について指示してきた旨及び小山ダム建設工事に関してZが特定の業者に受注させる意向を示していた旨の、Cが公判証言で否定している内容の記載があるのであって、この点に関するC証言は、到底信用することができない。
ii 次に、Cの証言する検察官の暴言等については、Cが取調べの都度その内容等を記載していたとするメモ(弁2)に同様の記載が認められるが、上記メモには、Cがメモを作成する契機になったとする初めて作成された調書の作成日に誤記があることに照らすと、作成経緯についてのC証言はそのまま信用することは困難であって、上記メモの記載内容の信憑性にも疑問が残るといわざるを得ない。
iiiα もっとも、Cは、取調べ段階においても殊更あいまいな供述をして事実を明らかにしないよう努めていたことがうかがわれるのであり、Cの証言するような検察官の暴言等はおくとしても、Cが一時体調不良になるような相当厳しい取調べが行われたことは否定できない。
β しかし、Cは、公判証言においても、建築工事についてのZからの指示があったことを認める内容の9月18日付け調書(甲書53)には、特段の不服申立てをしなかったことを認めている。また、上記8月11日付け調書には、Zが指示してくる業者が「本命に違いありませんでした」というのを「本命に違いないと思いました」などと表現の細かい点に関する3カ所の訂正申立てが調書末尾に記載されており、上記10月14日付け調書には、Cが公判証言で否定するところの建築工事に関するZからの指示につき、訂正を申し立てるなど、なるべくあいまいな表現にしようとして、相当程度その申立てに近い記載になったことがうかがわれる。
γ さらに、Cが署名した前記各調書には、ZやC自身を初めとする土木部職員にとって刑事責任をも追及されかねない著しく不名誉ないし不利益な内容が記載されていたのであるから、仮にその内容が全くの虚偽であれば、Cが上記のような調書に納得しないまま署名するような事態は想定し難いことである。
iv 以上検討のとおり、Cの検察官調書作成経緯等に関する公判証言には、不自然な点が多く、これをそのまま信用することができないだけでなく、調書の内容等に照らせば、Cが上記各調書にはそれなりに納得して署名したものと推認することができる。
(c) しかも、Cの各検察官調書の内容は、全体的に、前判示のように、P10、P4、G、A及びBといった茨城県関係者、とりわけCの前任者であるP4やG、元部下のP10の各供述とよく符合するのに対し、Cの公判証言は、同県における指名業者選定及び受注業者決定の実情について、P4、G、P10らの各供述とは大きく食い違った内容となっている。そのうえ、C証言には、小山ダム建設工事についてZから直接話があった際の認識等について、Zの意図を推測することはなかったと証言する一方、Zから「小山ダムの件、G君から聞いてるな。」と言われて、前任者のGから引継ぎを受けた業者に関する話と理解し、小山ダムの発注時期が来れば、再度Zに確認しようと思い、さらに、その在任中は引継ぎを受けた業者名を記憶していて、後任者に引き継いだなどと、前後矛盾するような趣旨の証言をしていて、不自然である。加えて、Cには、同県における指名競争入札手続の実体を明らかにすることを殊更はばかるような回避的な証言態度もうかがえるのである。
(d) そうすると、C証言は、全般的に不自然、不合理で、信用することが困難であるのに対し、これとの対比において、Cの前記各検察官調書の信用性に疑いを入れる余地はないというべきである。
ウ 次いで、茨城県における公共工事の指名業者選定及び受注業者決定の実情等に関するZ供述の信用性について検討する。
(ア)a Zの検察官調書(甲書131)には、この点について、「私は、業者から県発注工事につき指名の陳情を受けると、担当の課で原案を作って指名委員会に諮る前に、担当部課長らに対し、度々その業者を指名に入れるように指示を出していた。これがいわゆる『天の声』である。そして、その業者が、他の指名業者に天の声が出たことを明らかにして工事を譲ってもらい、いわゆる本命業者に決まる、つまり、いわゆる談合によって、入札前からあらかじめ落札業者が決まるというのが業界の実情であることも、建設省に勤めていたころからよく分かっていた。したがって、担当部課長らに対し指名の指示をすることは、実質的には、その業者が受注できるようにしてやってほしいというに等しい意味合いを持っていた。このような指示を出した場合は、ほぼ例外なく当該業者が落札していたが、これは、自分の下にその業者がお礼を言いに来ることなどから分かっていた。」などと、Zが部下に対して指名業者の選定で指示を与えていたこと、その指示が工事受注の本命業者を示唆するものであったこと、その指示の受注業者決定に対する影響等についての供述が録取されている。
b(a) そして、上記検察官調書の内容は、前記ア認定のような本件当時の茨城県における公共工事の指名業者選定及び受注業者決定の実情等といった客観的状況によく符合しており、指示どおりに受注業者が決定されていたことについて認識していた理由についても具体的かつ合理的な理由が述べられており、特に不自然な点は認められない。さらに、関係各証拠によれば、Zは、f組からの収賄容疑で逮捕された4日後である平成5年7月27日には、大鶴検事から求められ、指名業者選定手続の概要を図示した上、「まず(指名業者の)原案を担当部課で作る。この段階で担当部課長が特に重要と思う工事については知事の了解を求める。ものによってはいずれを指名するのか知事の判断を求める。」などと記載した書面を自ら作成しているのであり(乙物56)、Zにおいて、捜査段階の早期から、既に、自らの指名業者選定手続への介入状況を自認していたことが認められるのであって、上記のような供述経過に照らしても、Zの上記検察官調書は、十分に信用できるものというべきである。
(b) なお、Zは、eルートにおける被告人質問では、上記検察官調書が作成された経緯について、「検事が自分の考えを押し付けてどんどん書いていった」旨供述する(乙物25)が、Zの取調べ状況に関する公判供述が到底信用し難いものであり、かつ、Zの捜査段階の供述について一般的に任意性、特信性が十分是認できることは、前記第2の3で詳細に説示したとおりであるから、Zの上記弁解は到底信用することができない。
(イ)a これに対し、Zは、公判段階ではほぼ一貫して、部下に対し、業者から陳情のあったことを伝えてはいたが、決して指示ではなかったし、談合につながるとは思っていなかったなどと弁解している。
b しかしながら、上記弁解は、茨城県関係者であるP4及びCの各検察官調書並びにP10の公判証言等と明らかに食い違っている。例えば、P4は、その検察官調書(甲書3)において、Zが「そこは指名に入れておくだけでいい」と指示した業者は指名に入れたものの結局落札しなかった旨供述している。また、Cは、その検察官調書(甲書8)において、担当課長からZが本命と言った業者2社が指名停止期間中なので、その期間を過ぎてから指名手続をする旨言われ、これを承諾したことがあると供述しているところ、同工事は、その後、Zが本命と言った業者2社がそれぞれJVを組んだ共同企業体等により落札されていることが認められるのである(物47)。しかも、指示の点に関するZの上記弁解は、県教育庁文化課長からZにあてた「自然博物館の館内展示工事施工業者の選定について」と題する文書(物46)中の、Zに施工業者選定について指導、指示を仰ぐ旨の記載内容と矛盾するものである。加えて、Zは、eルートの被告人質問(甲書128)の際に、検察官から、ZノートNo.1(弁物147)中に、茨城県発注の流域下水道終末処理場の焼却炉設置工事について、特定人から頼まれて特定の鉄工業者を本命業者とするよう部下に指示した旨の記載があること(25頁)を指摘されて、上記記載どおりに部下に指示した事実があったことを自認してもいるのである。
c 以上の点に照らすと、前記ア認定の茨城県における公共工事の指名業者選定及び受注業者決定の実情等に反する趣旨のZの公判供述は、信用できないことが明らかである。
(2) a建設関係者の認識
ア(ア) 前記(1)ア認定の、Zの茨城県における公共工事の指名業者選定に対する介入及び受注業者決定への影響力をどのように認識していたかについて、被告人両名、P2及びEは、捜査段階においてそれぞれ次のように供述している。すなわち、
a 被告人Y1は、その検察官調書(乙書14)において、「私は、Z知事が茨城県の長として、どこでどのような工事を出すかということを決めたり、その工事についてどの業者を指名するか決めたり、場合によっては、入札の前にいわゆる天の声を出してどの業者に受注させるかを決めたり、工事請負業者と契約を締結したりする権限を持っているということは、長く業界にいたので分かっていた。」旨供述し、
b Eは、その検察官調書(甲書25、54)において、「『茨土会』という大手ゼネコンが中心になって結成した茨城県内の土木工事について、業者間の談合を行う業務担当者の集まりがあり、昭和54年から昭和59年3月までの間、私が初代会長を務めた。茨土会では、同県内の土木工事の受注業者を談合によって決めて受注調整していたが、工事金額が数億円を超える土木工事や数十億円になるダム工事等、超大型工事については、知事等発注者側の「天の声」や議員の意向が明確に出されていることが多く、出件前に本命業者が決まっていた。Z知事の意向は、県の工事担当者から、『この工事についてはどこそこの業者が一番熱心に営業しているようですよ。』という形で業者間に伝えられていた。このようにしてZ知事の天の声が流れることにより、その工事を狙っていた他の業者も、公共工事の入札業者の指名権限を持つ知事の意向に背くと、その工事について指名業者から外されるだけでなく、今後の工事の指名にも関わってくるので、知事の意向には背くわけにはいかず、受注調整も容易になる。Z知事は、指名業者の決定権限を背景に受注調整に対しても影響力を持っていたので、受注を望む業者は、天の声を出してもらい、業者間の受注調整を有利にしようとして、こぞってZ知事に工事の受注を陳情に行っていた。」旨供述しており、
c(a) 被告人Y2は、その検察官調書(乙書22)において、「私も、茨城県からこれまで常陸那珂湊の下水道工事や植物園温室新築工事などの工事をいただいていましたし、今後も小山ダムを始め諸々の工事が目白押しでしたので、発注権限などの絶対的な権限を持っているZ知事に2000万円を差し上げておけば今後有利に営業活動ができると思いました。」旨述べ、
(b) P2は、その検察官調書(甲書35)において、「中央の業者間の話合いによって、a建設が、小山ダムの工事が取れるとされているといっても、実際に本件ダム工事の発注権限を有する茨城県知事や、同県土木部幹部等の心証を悪くして、万一、a建設が指名に入れてもらえなくなれば、実際の工事の受注はできなくなるわけです。」、「私は、小山ダムの平成5年中の発注が確実になり、いよいよ着工が近づいたことから、暮れのあいさつを兼ねて、Y1副社長とY2支店長をZ知事に会わせて、同知事のa建設に対する印象を良くし、Y1副社長らに、小山ダムの工事について、同社が確実に受注できるようにZ知事に対して念押しをしてもらおうと、トップ営業を計画したのです。」旨述べて、
d それぞれに、茨城県発注の大型土木工事である小山ダムの受注業者選定に関して、県知事であるZが影響力を行使するとの認識を有していたことを認めているのである。
(イ) そこで、以上の各a建設関係者の各検察官調書における各供述の信用性について検討する。
a(a) まず、関係各証拠によれば、上記各関係者及びその余の茨城営業所関係者のa建設における地位や立場、茨城県やZとの関係等として、次のような事実が認められる。すなわち、
i 被告人Y1は、その述べるところによっても、同社の代表取締役副社長等として、公共工事の受注調整やP14元議員との関係を担当していたところ、Zとは、昭和60年ころに、小山ダムの受注調整に関して、g建設のP25らも交えて話合いをしたほか、その後も、Zを料亭で接待したこともあるというのである。
ii 被告人Y2は、本件面談の約半年前である平成4年6月に、茨城営業所を管轄する関東支店の支店長に就任した者であり、その担当する6県の1つである茨城県の土木・建築工事の受注状況についても大きな関心を抱いていたことは明らかである。そして、被告人Y2は、関東支店長就任の際に、前任のP27(以下「P27」という。)及び各担当部長等から詳細な業務引継ぎを受け、同年7月の茨城県庁へのあいさつ回りに先立ち、訪問した茨城営業所において、「茨城県の主要プロジェクト」と題する冊子(物18)を示されるなどして受注目標工事の概要や受注状況等の説明を受け、営業所員との懇談会も行うなどしていたほか、関東支店で毎週開催される朝会(幹部会)や毎月開催される総合幹部会には毎回、毎月開催される県別営業会議にも時々出席し、その都度同営業所から送られてくる週報や各種資料等にも目を通すなど、様々な機会を通じて、同営業所の営業状況についても随時報告を受けていたのであり、さらに、Zと初めて会うという本件面談に際しても、その立場に照らし、a建設における茨城県からの受注実績や今後受注目標とする発注予定の工事について、あらかじめ調べるなどしていたことがうかがわれる。
iii P2は、昭和60年4月に茨城土木営業所(平成元年4月以降は茨城営業所)次長に就任し、昭和61年4月に同副所長に昇進して、本件当時もその職にあり、同営業所における土木工事の営業を統括し、茨城県が発注する土木工事の営業を直接に担当していた者であるが、昭和59年5月から、大手ゼネコンで構成し、同県における土木工事の受注調整を行っていた「茨土会」の正会員となり、埼玉土曜会による談合事件が発覚して同会が解散する平成3年7月まで、その地位にあった。
iv P1は、昭和60年から茨城建築営業所副所長、同所長を歴任し、平成元年4月から関東支店営業部長兼茨城営業所統括副所長に昇進して、本件当時もその職にあり、同営業所における建築工事の営業を統括し、茨城県が発注する建築工事の営業を直接に担当していたが、昭和62年、茨土会と同様、大手ゼネコンで構成し、同県における土木工事の受注調整を行っていた「双和会」の会員となり、翌年には副会長に就任して、埼玉土曜会による談合事件が発覚して同会が解散する平成3年7月までその地位にあった者である。
v Dは、昭和49年から茨城土木営業所(平成元年4月以降は茨城営業所)に勤務し、昭和59年に同所長に昇進して、本件当時もその職にあり、茨城営業所の営業等を統括していた者である。
vi Eは、昭和50年ころから昭和58年12月まで茨城土木営業所副所長を務め、その後、土木本部営業部長兼茨城土木営業所参与を経て、昭和63年10月から平成4年3月まで関東支店営業部長の職にあり、その間、終始、茨城営業所の営業に深く携わってきた者であるが、昭和54年から昭和59年3月までは、茨土会の会長を務めていた。
(b) 以上のとおり、前記(ア)記載のa建設関係者の各検察官調書における各供述は、上記(a)認定の各人のZとの関係や同社における立場、茨城県や業者間の受注調整に対する関与や経験の程度等に応じて、それぞれの認識内容を映し出したものということができるのであり、その各供述内容に特に不自然、不合理な点は見受けられない。
b また、被告人Y1及びEの各検察官調書の内容をみると、Zが茨城県発注工事の受注業者決定に強い影響力を持つ理由やそれを知るに至った経緯について、被告人Y1は、a建設の本社幹部として自らZに対する営業活動あるいは受注調整に関与した経験に基づき、Eも、長年の茨土会会長として同県で営業活動や受注調整に関与した経験に基づき、それぞれの立場から、具体的に固有の表現を用いて説明しているのであって、各取調べ検事からの誘導をうかがわせる状況は存在しない。しかも、県の担当者がZの意向を業者に伝える方法について、Eが供述するところは、茨城県関係者であるP10の供述(甲書48)によって裏付けられているのである。
c(a) さらに、被告人両名の各検察官調書の作成経緯に関する各公判供述がいずれも信用できないことは、前記第3の1及び2の各該当箇所で詳細に説示したとおりであり、P2の検察官調書の作成経緯に関する公判証言が信用できないことは、後記第5の4(3)イ(イ)で詳細に説示するとおりである。
(b)i なお、Eは、公判段階において、平成5年11月6日付け検察官調書(甲書25)について、検察官から、暴言を言われ、供述を押し付けられて、人の話を聞くつもりがないようだったので、いい加減嫌になり署名した、署名の意味は調書の内容を読んでもらったという意味だと思っていたなどと供述する。
ii しかしながら、Eは、Zの天の声や茨土会の活動について上記調書よりも詳しい平成6年1月21日付け検察官調書(甲書54)にも署名しているところ、E証言によっても、この調書作成のための取調べに任意性を疑わせるような事情は全く認められない。この点、Eは、同調書の読み聞けのときは、後の予定が気になってよく聞いていなかった旨弁解するが、調書の内容が、正にEの否定している天の声を認めるものであることからすれば、これに全く気付かないというのもいかにも不自然である。
また、Eが署名した上記11月6日付け調書には、前記のように、被告人両名を始めとするa建設関係者にとって不利益な内容が記載されているところ、Eは、その調書作成時に既に同社を退社していたとはいえ、35年以上にわたり同社に勤務していた経歴を持ち、取調べにおいても、当初はZの天の声について強硬に否定していたとうかがわれるEが、その述べるような軽はずみな理由から調書に署名することなど考え難いことである。
iii そうすると、上記各検察官調書作成に至る経緯に関するE証言は信用することが困難であり、上記各調書にはEが納得の上署名したものと認められる。
d 加えて、これらa建設関係者らの各供述は、前記(1)ア認定の同県における公共工事の指名業者選定及び受注業者決定の実情等の内容とよく符合することをも考慮すると、いずれも高い信用性が認められる。
イ(ア) これに対し、公判段階において、被告人両名、P2及びEのみならず、本件当時の茨城営業所長であるDや建築担当副所長のP1も、異口同音に、茨城県における県発注工事の受注業者決定についてZの意向が強い影響力を有しているとの認識はなかった旨供述している。
(イ)a そこで、被告人両名の認識内容を検討する前提として、E、D、P2及びP1の上記各公判証言の信用性について検討する。
(a) まずもって、これらa建設関係者はいずれも、同社において茨城県発注の公共工事に関する営業活動を直接に担当していた者であり、そのための情報収集を日ごろから精力的に行っていたはずであるところ、同県における公共工事の指名業者選定及び受注業者決定の実情、とりわけZが天の声を発していたという実情が前認定のようなものであったというのに、同社のしかも直接の担当者の誰もがその実情を全く知らなかったというのは、余りにも不自然である。
(b)i 個別にみても、Eは、公判段階において、Zによる天の声に対する認識を否定しながら、それと同時に、業者間での受注調整がうまくいかないときに、ある業者から、天の声が出ているから確認してほしいと言われて、確認をとろうとしたことが数回あったとか、そのうち1件は、自民党茨城県連幹事長から確認がとれなかったので、県土木部長にも確認した、他の1件は、市長から確認がとれなかったので、助役にも確認したと供述しているのであり、その公判証言は、前後矛盾する不自然なものというべきである。しかも、Eが、茨城県内で大手ゼネコン間の受注調整を行う茨土会の会長を長らく務めていたことも考慮すると、Zの影響力に関するEの公判証言は、到底信用することができない。したがって、Eは、捜査段階で述べるように、Zの茨城県における公共工事の指名業者選定に対する介入及び受注業者決定への影響力について熟知しており、それを前提に茨土会会長として業者間の受注調整を行っていたことは明らかである。
ii 次に、P2は、前認定のように、茨城県が発注する土木工事の営業を直接に担当していたほか、公判段階においても、Eから茨土会の正会員の地位を引き継ぎ、茨土会において受注調整に関与し、茨土会解散後も業者間で受注調整を行っていた旨証言している。そして、前認定のように、茨城県における公共工事の指名業者選定及び受注業者決定に対しては、Zが強い影響力を保持し、前記のような方法で県の担当者らに自らの意向を伝えるなどして積極的に介入しており、P2の前任者であるEも、そのことを熟知し、それを前提に茨土会会長として業者間の受注調整を行っていたのであるから、Eから、茨土会におけるa建設の代表としての正会員の地位を引き継いだP2も、Eから詳細な事務引継ぎを受けるとともに、その後も自ら、同県内で土木工事の営業を担当し、県の関係部課等にあいさつ回りするなどして、Eと同様の認識を有していたことは、優に推認することができる。
しかも、P2がEから茨土会の正会員の地位を引き継いだころに、同県における公共工事の指名業者選定及び受注業者決定の実情や茨土会で行われる受注調整の方法等がそれまでとは異なるものになったことをうかがわせる事情も全く存在しない以上、上記推認に反する趣旨のP2の公判証言を信用することは困難である。
iii また、P1は、前認定のように、茨城県が発注する建築工事の営業を直接に担当していたほか、公判段階においても、双和会において受注調整に関与し、双和会解散後も業者間で受注調整を行っていた旨証言している。このように、P1は、建築部門において、P2と全く同様の地位にあり、同様の受注調整への関与をしていた者であるから、P2に関する上記推認と同様の推認をすることができる。そして、この推認に反する趣旨のP1の公判証言が信用できないことは、P2に関して説示したところと同様である。
iv さらに、Dは、前認定のように、茨城営業所長として、同営業所の営業等を統括していた者であり、P2やP1から、同営業所の茨城県に対する営業状況等について随時報告を受けていたものとうかがわれる。しかも、Dは、公判段階においても、少なくとも土木工事に関しては、営業所の営業会議に出席して、目標工事の一覧表である出件予定工事一覧表の作成に関与しているほか、出件予定工事一覧表を基に、関東支店幹部に各工事に対する営業活動の状況を報告したり、関東支店幹部から営業活動に関して指示を受ける県別営業会議に出席していたなどと供述している。さらに、関係各証拠によると、Dは、平成3年12月16日付け関東支店への稟議書において、同県から依頼のあったところの100万円の寄付を伴うZの海外友好使節団への同行について、営業対策上応諾やむを得ないものと思われるなどと記載している(物14、15)ほか、平成4年2月20日付け関東支店への稟議書においても、同県から依頼のあった合計400万円の寄付について、同様の記載をしているのである(物16)。したがって、Dについても、P2に関する前記推認と同様の推薦をすることができるのであり、この推認に反する趣旨のDの公判証言が信用できない理由は、上記各稟議書の趣旨に反するものであることのほか、P2に関して説示したところと同様である。
b 以上の判断を前提に、被告人Y1の認識について更に検討を加える。
(a)i 被告人Y1は、公判段階においても、本件よりかなり以前に自ら業者間の受注調整に関与していたことは認めながらも、公正取引委員会事務局が昭和59年2月21日に「公共工事に係る建設業における事業者団体の諸活動に関する独占禁止法上の指針」(弁物159)を出した後は、これに沿った受注調整しか行われず、業者間の受注調整により受注業者が決定されることはなかったことを強調するほか、副社長になった後は受注調整には関与していなかった旨供述している。
ii しかしながら、a建設の部内資料である「土木営業部の現況」と題する書面(甲書111)には、主要官庁工事の受注形態として、「A.官・業界調整型⇒工事出件前に『官』と『業界』の調整により決定ex.建設省(ダム)等」、「B.官意向型⇒工事出件時における『官』からの「声」で決定ex.地方公共団体工事(ダム等の大工事を除く。)」との記載があるところ、上記書面には、被告人Y1について「副社長」との肩書きで記載されていることから、被告人Y1が副社長に就任した昭和60年以降の現況に関する書面であることは明らかである。
そして、この書面の記載内容からすると、被告人が土木営業部を統括する立場にあったことが認められるほか、このような立場にある被告人Y1が、建設業界において、上記指針が出された後も、官公庁等と業者間で受注業者までを決定する受注調整が行われたり、官公庁等から受注業者を示唆する天の声が出ることがあることを当然熟知していたことも、合理的に推認することができる。
iii また、被告人Y1が、業者間により受注業者までを決定する受注調整に関与していたことは、被告人Y1自ら、公共工事を請け負うためにはP14元議員の力が必要であるとして、同元議員に政治資金規正法によらない裏献金をしていたという後に認定する事実のほか、j建設の元副社長のP5が、大手ゼネコン各社において政治家等との窓口を担当する副社長以上の集まりであり、被告人Y1も参加していた経営懇話会において、受注調整が行われる場合のあること、中でも有力政治家と太いパイプを持っていたg建設元会長のP25の発言力が大きかったことなどを供述していること(甲書16)ともよく符合するものである。
iv そうすると、被告人Y1の業者間の受注調整への関与を否定する趣旨の上記供述を信用することは困難であり、被告人Y1は、上記のような受注調整及びこれに官公庁や政治家等の意向が影響することを熟知していたものと認められる。
(b)i そこで、被告人Y1のこのような認識を前提に、受注業者決定へのZの影響力に関する被告人Y1の認識について検討するに、後に認定するとおり、被告人Y1は、小山ダム建設工事について、g建設のP25との間で受注調整を行うとともに、この受注調整を前提に、Zが実際に天の声を出したことを熟知していたのである。
ii しかも、被告人Y1は、捜査段階では、P2から、茨土会の会長がEからj建設の担当者に代わってから、j建設が主導権を握り、受注調整の場で太刀打ちできない旨聞いていたと述べているところ(乙書14)、当時の茨土会内の力関係の変動を生々しく語るものとして、誠に自然な内容であり、P2が周囲の者にそのような受注調整の実情を話していたことは、Eの供述(甲書25)によっても裏付けられていることからも、高い信用性を認めることができる。この点、被告人Y1及びP2は共に、公判段階において、このようなやり取りをしたことを否定しているが、別に判示するように、検察官調書の作成経緯に関する両名の各公判供述がいずれも信用できないことに照らしても、上記やり取りに関する両名の各公判供述を信用することは困難である。
iii 以上のように、被告人Y1は、茨城県内における受注調整の状況について、P2から相談ないし報告を受けていたほか、自ら小山ダムの受注調整に関与し、Zがこの受注調整を前提とする天の声を出したことを熟知していたのである。しかも、被告人Y1は、自らZに何度も面談して営業活動を行っており、本件面談も、P2の申入れに基づくとはいえ、被告人Y1の発意に基づくものであったと認められるから、受注業者決定へのZの影響力の認識に関する被告人Y1の公判供述は、上記のような同人の体験や知識、Zに対する営業実績に反する不自然、不合理なものであり、到底信用することはできない。したがって、被告人Y1は、捜査段階で供述するとおり、Zが同県における受注業者決定について極めて大きな影響力を有すると認識していたことを認定することができる。
c 次いで、被告人Y2の認識について検討する。
(a) 被告人Y2は、公判段階において、前認定のような、Zの茨城県における公共工事の指名業者選定に対する介入及び受注業者決定への影響力について、全く知らなかったかのような供述をしている。
(b) しかしながら、前認定のような被告人Y2の関東支店長という地位、就任時に受けた前任者や担当部長、茨城営業所関係者らからの詳細な引継ぎや報告、その後も同営業所の営業状況等に関して随時様々な機会に報告を受けていたことに照らすと、被告人Y2の上記公判供述の内容は、不可解至極というべきである。しかも、関係証拠によると、被告人Y2の前任者であるP27は、平成4年5月に、a建設社長及び人事部長あてに、茨城県関連工事及びZ知事がイニシアティブを持つ常陸那珂湊開発関連工事等の大型工事の出件が見込まれており、更なる営業推進のために必要であるとして、Zの親戚の同社への入社の上申を行ったことが認められるのであり(物13)、このような前任者の認識と対比すると、被告人Y2の公判供述が信用できないことは明らかである。
(c) そして、以上のような被告人Y2の地位や前任者等からの業務引継ぎ状況、茨城営業所から営業状況について随時報告を受けていたことに加え、上記のような前任者の認識、更には、前認定のような同営業所関係者の認識内容等からすると、被告人Y2は、捜査段階で述べるように、Zが茨城県における受注業者決定について極めて大きな影響力を有すると認識していたことを優に推認することができる。
2  Zに対するゼネコン等からの資金提供の実情等及びこれらの点に関するa建設関係者の認識
(1) Zに対するゼネコン等からの資金提供の実情等
ア Zは、その検察官調書(甲書131)において、「私は、指名競争入札の指名陳情に来る業者の大半から、陳情の際や落札できたとき、あるいは中元歳暮や選挙陳中見舞いの名目で、陳情に関して資金提供を受けていた。これは、私から担当部課長への『天の声』を出してほしいからであることは十二分に分かっていた。業者から陳情されたからというだけで陳情どおりに部局長らに指示を出し、工事受注の謝礼や受注のために持参してくれた現金をためらいもせずに頂くなど、今振り返ってみると、誠に恥じ入るべきことを日常的に続けていたものだと深く反省している。」などと供述している。
イ(ア) Zの上記供述は、その内容に不自然、不合理な点は見当たらず、Zがその心情を率直に吐露している様子がうかがえる。
しかも、Zは、eルートの公判や本件公判においても、「政治献金の趣旨である」旨弁解しながら、ゼネコン等からしばしば政治資金規正法に違反する多額の現金を受け取っていたことを認め、「陳情する業者の中には金を持ってくる者もあった」、「陳情絡みの献金もあった」などと、実際に受注陳情の際に現金供与を受けた事実も自認しており、また、平成5年7月25、6日ころ及び同月27日に作成した「政治献金一覧表」(乙物43、57)について質問を受ける中で、「ゼネコン幹部と会うなどして陳情を受けた場合、会社名と案件名を備忘のために手帳に記載していた。逮捕前に焼却処分した平成4年の手帳に、a建設から県庁新庁舎について陳情があった旨の記載があったため、a建設から金はもらっていないことが絶無だとは言い切れない。もらったのに記憶がないだけかと不安に感じ、a建設の名前を挙げた。」(79回)、「同手帳には、a建設を含め、県庁新庁舎に関する陳情があったゼネコン4社の名前が記載されていたが、そのうち1社については、金をもらっていないことがはっきりしていたので名前を挙げなかった。」(99回)などと供述しているのであり、これらの公判供述は、陳情してくる業者の大半から現金供与を受けていた旨の上記検察官調書の内容を裏付けるものである。
さらに、関係各証拠によれば、Zは、逮捕当時、約1億円の現金や総額6億円以上に上る割引債券等といった県知事や参議院議員としての正規の収入からは到底蓄財し得ないような多額の資産を有してこれを隠匿していたほか、付き合っていた女性に多額の現金を贈与するなどしていたことが認められるのであり、このような資産の保有状況や金員の費消状況も、上記検察官調書の内容を客観的に裏付けるものである。
(イ) なお、Zは、公判段階において、上記検察官調書の内容を検事に供述したことを否定するが、Zの取調べ状況に関する公判供述が到底信用し難いものであり、かつ、Zの捜査段階の供述について一般的に任意性、特信性が十分是認できることは、前記第2の3で詳細に説示したとおりであるから、Zの上記弁解は到底信用することができない。
(ウ) したがって、Zの上記検察官調書は十分信用することができるのであり、これに反する趣旨のZの公判供述を信用することは困難である。
ウ そして、高い信用性の認められるZの前記検察官調書によれば、本件当時、ゼネコン等の建設業者が、茨城県発注に係る公共工事の受注陳情に絡み、しばしばZに対して多額の資金提供をしていた事実を認定することができる。
(2) a建設関係者の認識
ア 次いで、前記(1)ウ認定の、Zに対するゼネコン等からの資金提供の実情について、被告人両名及びP2はいずれも、公判段階において、そのような認識がなかった旨供述するので、各人のこの点に関する認識の有無について、以下検討することとする。
イ(ア) まず、P2についてみるに、前記のとおり信用できるEの検察官調書(甲書54)によれば、Eは、a建設がより多くの工事を受注できるようにするための営業活動の一環として、Zに対して、昭和58年ころに1000万円を、昭和61年か62年ころに1000万円を、平成元年9月下旬ころに1000万をそれぞれ献金していた旨供述している。そして、前認定のとおり、Eは、茨城県発注の公共工事の受注業者の決定についてZの意向が大きな影響力を有していたと認識していたのであるから、EのZに対する上記献金は、同県発注の公共工事の受注陳情に絡んだものであることは明らかである。
この点、Zは、公判段階においても、a建設からは、昭和50年終わりころから平成4年にかけて、選挙の応援等様々な名目で、数回にわたり、合計数千万円の資金提供を受けた旨供述しているところ、献金の名目はともかくとして、献金の事実についてはEの供述を裏付けるものといえる。
(イ) そして、P2も、前認定のように、茨城営業所におけるEの後任者で、Eから茨土会の正会員の地位も引き継いでいたのであり、しかも、県発注工事の受注業者の決定についてZの意向が大きな影響力を有することを認識していたのであるから、上記のように、Eが公共工事の受注陳情に絡みZに繰り返し多額の献金をしていたことについて、Eから引継ぎを受けていないはずがない。
さらに、P2は、同営業所において、茨城県が発注する土木工事の営業を直接に担当していたものであり、必要な情報を収集していたことがうかがわれるほか、前認定のとおり、茨土会の会長交替に伴い、j建設が受注調整の場での主導権を握ったために、同社に太刀打ちできないという認識も併せ有していたのであるから、そのような認識を抱いていたP2が、j建設からもZへの多額の資金提供が行われているのではないかと考えるのは、その立場からすると、至極自然なことといえる。
(ウ) 以上の検討からすれば、P2においては、ゼネコン等の建設業者が、茨城県発注工事の受注陳情に絡み、Zからいわゆる「天の声」を得るために、Zに対し、相応の資金提供をしているものと認識していたことが認められる。
ウ 次に、被告人Y1の認識について検討する。
(ア)a まず、被告人Y1は、捜査段階において、P14元議員に対し、昭和61年の盆から平成4年の盆まで、盆暮れの2回、政治資金規正法に基づかない定期的な裏献金を行っており、その理由は、P14元議員が建設族の超ボスであり、建設土木業界において、公共工事を請け負ったり、その事業を遂行するには、P14元議員の力が必要であり、にらまれたら大変だという気持ちがあったからである、裏献金の原資は、P14元議員にお世話になる工事がほとんど土木関係であったことから、当初は本社土木本部から支出し、関東支店発足後は、P14元議員の出身地盤が山梨だったので、山梨県を管轄する関東支店から支出した、などと供述している(乙書27)。
b(a) この点、被告人Y1は、公判段階では、P14元議員に対する裏献金に関して、原資がどこから出ているのか、献金当時は知らなかった、裏献金の目的は建設業界に対する発言力あるいは建設省その他に対する発言力が他の人たちとは違ったからであるなどと供述している(124回)。
(b) しかしながら、被告人Y1が、上記のようなあいまいな目的で、自らあえて多額の裏献金を定期的に行っていたというのは、いかにも不自然である。
(c) また、被告人Y1は、副社長になってすぐのころ、山梨県の塩川ダムの件で、当時の土木本部長から頼まれて、P14元議員の所に1000万円を持参した、その際に、土木本部長から、P14元議員に塩川ダムのことを頼んであるからと言われたが、その趣旨についてよく分からないと供述している(134回)。しかし、前認定のように、受注調整に深く関与して、政治家等の天の声についても熟知し、P14元議員の建設業界に対する発言力等についても十分認識していた被告人Y1が、上記裏献金が塩川ダムの受注陳情に関連したものであることを理解していなかったはずがなく、極めて不合理な供述というべきである。
(d) したがって、P14元議員への裏献金に関する被告人Y1の公判供述を信用することは困難である。
c そうすると、被告人Y1は、捜査段階で供述するとおり、公共工事の受注等に絡んでP14元議員に定期的に多額の裏献金をし、しかも、前認定のように、受注調整に深く関与して、政治家や官公庁側から天の声が出ることも熟知していたのであるから、他の大手ゼネコンもまた、a建設と同様に、受注調整に絡んで官公庁における工事の発注権者や政治家等に対して資金提供を行っているであろうことを当然認識していたものと推認することができる。
(イ) そこで、上記認定を前提に、大手ゼネコン等が工事の受注陳情に絡んでZに多額の資金提供をしていることに関する被告人Y1の認識について検討する。
a(a) まず、被告人Y1は、前認定のように、茨城県における受注調整の実情やZの受注業者決定への影響力の大きさについて十分な認識を有しており、しかも、その述べるところによっても、EやP2といった茨城県内の公共工事等の受注調整に関与していた茨城営業所の幹部社員から直接に連絡を受け、営業を頼まれるなどしていたことからすれば、被告人Y1は、EのZへの前記献金はもとより、同業他社によるZへの多額の資金提供に関しても、報告ないし相談を受けていたことを推認することができる。
(b) ちなみに、被告人Y1は、その検察官調書(乙書14)では、P2が本件面談を依頼してきたことについて、同業他社も、Zへの食い込みを狙って、なりふり構わず金を贈っているのだろうと考えた旨供述しているところである。
(c) これに対し、被告人Y1は、公判段階では、EがZに対して資金提供をしていたことは聞いたことがなく、関東支店からその原資が出ていることも知らなかった旨供述しているが、上記(a)で指摘した諸事情に照らすと、誠に不自然な供述であって、これを信用することは困難である。
エ 最後に、被告人Y2の認識について検討する。
(ア) 前認定のように、被告人Y2は、茨城県における受注調整の実情やZの受注業者決定への影響力の大きさについて十分な認識を有していたほか、関東支店長として、その管轄する茨城営業所の幹部社員から受注目標工事や営業状況等の報告を随時受けて、指導ないし援助をしていたのであるから、EのZへの前記献金、更には同業他社によるZへの多額の資金提供の実情等についても、P2らから報告ないし相談等を受けるなどして、認識していたものと合理的に推認することができる。
(イ) そして、被告人Y2は、その検察官調書(乙書22)において、当時の建設業界には、発注者側に賄賂を贈るという悪弊があり、業界では官庁から仕事をもらう上では必要悪ともされていた旨、一般論としてではあるが、公共工事の受注に際して、発注者等に対して資金提供がされる慣行があったことを認める供述をしているのであり、このような供述も、被告人Y2の上記認識を裏付けるものである。
(ウ) なお、被告人Y2は、公判段階において、受注調整等に関わったことはなく、引継ぎにより、関東支店で過去に受注調整のあったことは知っていたが、関東支店長就任後は、受注調整が行われたことはないし、Zにa建設から献金していることも知らなかった旨供述しているが、前認定のように、茨城営業所関係者はもちろん、被告人Y1においても、Zに対するa建設を含むゼネコン等からの資金提供の実情等を認識していたというのに、同営業所を管轄する関東支店の長である被告人Y2がその点について全く認識せず、全く関与していないというのも、極めて不自然というほかなく、上記公判供述を信用することは困難である。
オ 以上検討のとおり、被告人両名及びP2はいずれも、ゼネコン等の建設業者が、茨城県発注に係る公共工事の受注陳情に絡み、Zからいわゆる「天の声」を得るために、Zに対し、相応の資金提供をしているものと認識していたことが認められる。
3  a建設の本件当時の経営環境、経営方針ないし茨城県からの受注状況等及びこれらの点に関するa建設関係者の認識
(1) a建設の本件当時の経営環境、経営方針等について
ア a建設の本件当時の経営環境、経営方針等
関係各証拠によれば、a建設の本件当時の経営環境、経営方針等として、次のような事実が認められる。すなわち、
(ア) a建設は、創業以来、鉄道建設、電源開発等の土木工事を中心に施工してきたが、その後建築部門も拡充強化して一流総合建設業者としての地位を確立し、受注高の約7割を建築工事が占めるようになっていたところ、いわゆるバブル期には、民間の設備投資の急激な増大等によって、平成2年度まで受注高等を飛躍的に上昇させて業績を伸ばし、同年度には過去最高の受注高約2兆3159億円の実績を上げ、翌年度も受注高2兆3054億円を維持していた。
(イ) ところが、バブル経済崩壊後の民間設備投資の低迷により、工事需要が大きく減少すると、建設業界全体の業績が大幅に低迷するようになり、a建設もその影響を受けて、平成4年10月14日開催の建設総事業本部期央経営総合会議(以下「本社期央経営総合会議」という。)及び同年11月19日開催の特別重役会で報告された各種資料によると、平成4年度上半期(同年4月1日から同年9月30日まで)の総受注高が前年同期比で約21%減、約2700億円も下回り、平成4年度通期の見込みも、目標額を3611億円下回り、前年度比でも約14%減と予想され、その結果、昭和63年以降、同社が維持していた総受注高におけるゼネコン業界第2位からの転落も懸念されていたのであり、その理由については、民間受注の大幅な減少にあるとされていた(物121)。また、同社では、工事代金の未収や債務保証等に伴う問題も厳しい状況にあったほか、海外進出の失敗に伴って、同年12月時点で、いずれは数億円規模の特別損失を計上しなければならない状況にもあった。
(ウ) このような深刻な不況により、民間工事の需要低迷が続き、受注競争の激化が見込まれる中、経営の安定化のために、政府の経済対策としての公共投資により増加傾向にあって、代金不払いの問題が生じない公共工事受注の必要性が高まった。そのため、a建設でも、平成4年度の重点施策として、公共事業の発注動向を踏まえた営業戦略の推進と新しい契約方式への対応強化が掲げられ、地方自治体等の官公庁からの受注の強化が強調されたほか、前記本社期央経営総合会議では、緊急営業対策と実施上の課題として、地方自治体からの受注強化が指摘されるなどして、公共工事の受注の確保、拡大が社内各層に周知徹底されていた。(物123)
(エ) 関東支店においても、平成3年度の総受注高が前年度より約862億円、約31%減少するなど、業績が悪化したため、平成4年度の重点施策として、公共工事の受注拡大が掲げられ、同年度を初年とする同支店3か年計画の基本方針においても、その狙いとして、公共工事の営業強化等による受注の量と質の安定的確保が挙げられていた。ところが、関東支店では、前記本社期央経営総合会議の時点において、同年度通期の総受注高が、目標値を約874億円、前年度からも約304億円下回る見通しになったために、業績の低迷に対する緊急営業対策の1つとして、主要目標工事の確実な受注を掲げ、具体的には、ダム工事や県庁舎等の県発注大規模工事の確実な受注を目指し、本社や関係部署に対しても、時宜を得たトップ営業の実施を要望していた。(物123中の「会議資料その2」関東支店の支店別緊急営業対策と題する書面、乙書21添付資料〈1〉、弁物194)
イ a建設関係者の認識
(ア) 被告人両名はいずれもa建設の幹部役員として前記本社期央経営総合会議や特別役員会に出席していた者であり、D、P2及びP1も茨城営業所幹部社員として後記支店期央経営総合会議に出席していた者であって、それぞれにこれらの会議への出席等を通じて、上記ア認定のような同社の本件当時における経営環境、経営方針等を十分認識していたことは明らかである。
(イ)a ちなみに、捜査段階において、被告人Y1は、本件当時のa建設の経営環境について、前記ア認定に沿う事情を説明した上、特に不況時には、経営を安定させるために公共工事を受注することが不可欠であり、自身を含む同社経営陣が各種会議の席で公共工事の受注拡大を強調して訓示するなどしていた旨供述し(乙書14)、被告人Y2も、関東支店の受注高の急激な減少に言及した上、「各種会合の席でも厳しい経済環境の中では公共工事の受注拡大に力を注ぐことが重要であると言われていたし、私もそのように考えていた」旨供述している(乙書21)。
そして、被告人両名の上記各供述はいずれも、前認定のような当時の客観的な経済情勢に沿う自然かつ合理的なものであり、同社の第96期(平成4年度)の有価証券報告書(物127)の記載内容や内部資料(物120~124、弁物194)によっても客観的に裏付けられていて、十分信用することができる。
b さらに、関係証拠によると、平成4年10月26日に開催された関東支店期央経営総合会議(以下「支店期央経営総合会議」という。)において、被告人Y2が、同支店の平成4年度受注見込みが4年前の受注実績に戻るほど落ち込んでおり、同年度上半期の受注実績も極めて不振であるとして、〈1〉本店との連携強化と責任者の明確化、〈2〉県・市町村営業の強化等の下半期受注拡大対策を強調していることが認められるのであり(乙書21添付資料〈2〉)、被告人Y2自身はもとより、同会議に出席していたD、P2及びP1も同様の認識を有していたことが客観的に裏付けられるのである。
(ウ)a ところが、公判段階において、被告人Y1は、副社長になってからは、官庁工事と業界の仕事に重点を置いていたので、バブル経済の崩壊等本件当時の経済状況について実感がない、本件当時のa建設の土木部門の受注高は前年度と比較して並行か少し減ったという認識だったが、建築部門の受注高には、余り関心がなかったので、会議等の資料も見ていなかった(124回)、不況時になると公共工事の受注を目指して、建設会社各社が受注競争にしのぎを削るという認識もなかった(131回)などと述べ、被告人Y2も、関東支店の受注目標等を下回るということで厳しい状況にあったが、バブルの前の時期よりもはるかに業績が良いので、それほど悲観した問題ではなかった(140回)、前記支店期央経営総合会議での業績が落ち込んでいる旨の発言をしたのは、枕詞のようなもので、部下を鼓舞するためであり、それほど大変な状況にはなかった(141回)などと述べて、関東支店の業績の悪化について危機感がなかった旨強調している。
b(a) しかしながら、これらの公判供述はいずれも、その内容自体、前記ア認定の本件当時にa建設の置かれた経営環境や経営状況に照らし不自然、不合理であり、上記(イ)a及びb掲記の関係各証拠とも明らかに矛盾するものであって、到底信用することができない。
(b) なお、被告人Y2は、本件当時におけるa建設の業績の良さを強調するところ、確かに、前記特別役員会で報告された資料(物121)によると、同社の平成4年度上半期の経営成績として、前年同期比で、売上高が約25%、営業利益が約20%増加していると認められるのであり、その限りで業績が上がっていたことは否定し難いものの、これは、バブル期における好調な受注に基づくものであり、本件当時における受注高の大幅な減少は、将来における売上高や営業利益、経常利益等に深刻な悪影響を与えるものであるから、業績の好調を理由に、被告人Y2の公判供述が合理化されるものではない。
(2) a建設の本件当時の茨城県からの受注状況等について
ア a建設の本件当時の茨城県からの受注状況等
関係各証拠によれば、a建設の本件当時の茨城県からの受注状況等として、建築工事に関しては、平成4年5月に工事金額9億3500万円の県立植物園温室新築工事を受注したものの、同工事を受注する前の約8年間は受注がなく、土木工事に関しても、昭和63年4月以降、工事金額3000万円以上5億円以下の上下水道工事や橋梁工事等を10件、工事金額合計19億6800万円を受注している程度だったことが認められる(乙書21添付資料〈4〉、〈5〉)。
イ a建設関係者の認識
(ア) a建設の茨城県担当者らの認識
a(a) まず、茨城営業所長のD、同副所長のP2及びP1については、前認定のように、いずれも長らく茨城県内で営業を直接に担当していた者であり、それぞれの職務分担が土木担当、建築担当と分かれていることを考慮しても、当然上記のような受注状況を認識していたものと推認される。
(b) また、前記(1)イで認定したとおり、D、P2及びP1は本件当時のa建設及び関東支店の経営状況等について十分な認識を有していた。しかも、D作成名義の「1992年度営業所経営方針」と題する書面(甲書31添付資料〈2〉)では、営業所重点施策の1つに、受注水準低下傾向への歯止め及び市場変化への対応として、公共工事の受注拡大が挙げられており、同じ作成名義の「92年度下半期経営方針実施上の問題点・要望事項」と題する書面(甲書31添付資料〈3〉)では、具体的施策として、県・市・町・村営業初期情報の収集に加え、県・市・町・村受注対策として多数の主要受注目標工事が掲げられているほか、同じ作成名義の「96期最重点施策期央の見直し」と題する書面(甲書31添付資料〈3〉)では、「最重点施策実施状況」欄で、受注水準低下傾向への歯止め及び市場変化への対応として、公共工事の受注拡大を挙げて、合計30億1000万円の受注を確保したとされており、「今後の対策」欄では、民間中央大手の設備投資削減に対応し、官公庁工事・地場工事の入手拡大を図るとされているのである。したがって、上記各書面の作成者であるDはもとより、その原案の作成に関与したとうかがわれるP2及びP1においても、本件当時、茨城県からの工事の受注が上記ア程度では十分ではなく、更に受注を確保する必要があるとの認識を有していたことが合理的に推認できるのである。
b これに対し、D、P2及びP1は、公判段階において、それぞれに上記推認と相反する供述をするので、以下、その信用性について検討する。
(a)i まず、上記3名は、公判段階において、それぞれの立場から、民間工事の施工が忙しく、県発注工事を受注するまでの余裕がなかった、そのため、大規模工事については、ほとんど指名業者に入っていたが、積極的には受注しなかった、下水道工事等の工区が多くに分かれる工事は、各業者が順番に受注していたなどと供述し、上記「96期最重点施策期央の見直し」と題する書面によれば、平成4年度の総受注金額について、上半期の目標額234億円に対して見込み額240億円、通期の目標額525億円に対して見込み額526億円であって、いずれも茨城営業所における受注目標を達成できる見込みが持たれていたことが認められる。
ii しかしながら、前記a(b)記載のD作成名義の各書面によれば、茨城営業所においても、民間工事の減少を前提に、公共工事の受注拡大を目標とする営業方針が採られていたことは明らかである。しかも、平成5年4月5日開催の関東支店期首経営総合会議で報告された資料(物19)中の「部署別1992年度経営目標達成状況」と題する書面によれば、同営業所の総受注高の目標金額は645億円に設定されていたのに、受注高見込みは365億円にすぎないことが認められることからすれば、本件当時には、既に受注実績の極めて不振な状況が明らかになっていたことがうかがわれる。
iii したがって、Dらの前記各公判証言は、このような茨城営業所の営業方針や公共工事の受注確保の必要性と矛盾するものであって、いずれも信用することができない。
(b) また、P2は、公判段階で、平成4年当時、茨城営業所の土木の受注高は170億円か180億円あり、その77%が民間、23%が官庁工事で、茨城県からの受注はその4%にすぎない、バブルの影響は、まだ受けておらず、公共工事ではなく民間工事に力を入れていたとも供述するが、これもまた、前認定のような茨城営業所の営業方針や公共工事の受注確保の必要性とは全く相いれないものであり、到底信用することができない。
(c)i 他方、P1は、公判段階において、「支店長業務引継書」(弁物194)中の手持ち工事現況表によれば、関東支店の手持工事高は3380億円余、そのうち茨城営業所分は998億円余であるのに対し、「大手五社業績比較」と題する書面(乙書30添付資料〈1〉)では、昭和61年のa建設全体の総受注高が9820億円であることを指摘して、茨城営業所の繁忙ぶりを強調する。
ii しかしながら、a建設としても、大幅な総受注高の増加傾向に対応して、人件費の点のみをみても、現業部門の人員数は、昭和60年度から平成3年度までの間に約2000人増加している(物123。会議資料その1の4頁)のであって、その後に受注高が大幅に減少すれば、利益を出すことさえおぼつかなくなることは自明の理である。そして、本件当時、総受注高の減少傾向が、とりわけ建築工事において顕著であることは、関東支店においても茨城営業所においても明らかであったこと(甲書30添付資料〈2〉、〈6〉、乙書21添付資料〈1〉、物19)からすれば、総受注高の減少を食い止める必要があることは明らかである。
iii したがって、P1の上記指摘も、茨城営業所において公共工事の受注の必要性が高まっていたことを否定する理由とはなり得ないものである。
(d)i さらに、P1は、公判段階では、県立植物園温室新築工事について、赤字工事であったことを強調するとともに、他社が希望しておらず、官公庁工事において応札が不調になることは基本的にあり得ないため、業界の体面から受注したなどとして、あたかもやむなく受注したかのような供述をしている。
ii しかしながら、仮にP1が述べるように、上記工事が赤字覚悟の受注であったとしても、a建設、特に茨城営業所としては、多数の公共工事を発注していた茨城県との関係を良好なものに維持継続して、次の受注に結びつける必要性があったのであり、しかも、P1も述べるように、同工事が高い建築技術を必要とするものであれば、a建設の高い技術水準をアピールする機会にもなるものであった。さらに、P1は、同じ公判証言で、同工事が出件される地区付近では、受注を予定していた民間工事が1年間延期になったために、社員が空いていたとも述べているほか、出件予定工事一覧表に同工事が記載されていること(甲物20)、支店長業務引継書(弁物194)には、同工事について「県発注の大型工事ということで赤字覚悟で応札し、受注になった」旨記載があること、Dも、同工事受注のため、営業担当者と共に担当課長の所にあいさつ回りをしたと供述していることなどからすれば、同工事もまた、茨城営業所が積極的に営業活動をした結果、受注したものと認められる。
c 以上検討してきたとおり、a建設の本件当時の茨城県からの受注状況等に関するD、P2及びP1の各公判証言はいずれも信用することができないのであり、前記a記載の各推認に合理的な疑いを入れるものではない。したがって、上記3名はいずれも、茨城営業所における茨城県発注工事の受注実績を認識した上、本件当時の経営環境等からして、更に県発注工事の受注確保が必要であると考えていたものと認められる。
(イ) 被告人Y1及びY2の認識
a(a) まず、a建設の本件当時の茨城県からの受注状況等に関する被告人Y1の認識について検討するに、被告人Y1は、捜査段階において、同県から受注していた工事を把握していたわけではなく、土木工事、建築工事を問わず、そこそこの工事を受注させてもらっているとは思っていた旨供述しているところ(乙書15)、本件当時、同社副社長としてその経営の一翼を担っていたという被告人Y1の地位ないし立場、前認定のような同社の同県からの受注状況等からすると、極めて自然な内容であり、その信用性に疑問の余地はない。
(b) そして、被告人Y1は、前記(1)イ(ア)で認定したように、バブル崩壊後の深刻な不況の中で、a建設が全社的に公共工事の受注の確保、拡大を目指す経営方針を採っていたことを十分認識していたところ、茨城営業所もその例外となり得ないことは明らかである。しかも、被告人Y1は、関東支店における前記支店期央経営総合会議にも出席し、営業の必要性を強調していること(乙書21添付資料〈2〉)をも考慮すると、捜査段階における上記供述のように、同営業所における茨城県発注工事の受注状況について個々具体的にまでは認識していなかったとしても、前認定のようなその地位や立場、認識内容等に照らすと、同営業所においても、県発注工事をそれなりに受注しており、更にその受注を確保、拡大する必要性が高いとの認識を有していたことは明らかである。
b(a) 次に、被告人Y2のこの点に関する認識について検討するに、被告人Y2は、前認定のように、関東支店長として、その管轄する茨城営業所の幹部社員から受注目標工事や営業状況等の報告を随時受け、指導ないし援助をしていたのであるから、詳細についての認識まではなかったにしても、D、P2及びP1といった同営業所の幹部社員とほぼ同様の認識を有していたことは、優に推認できる。したがって、被告人Y2が、捜査段階において、関東支店の所管である茨城県発注の工事を受注して、支店の実績の落ち込みを食い止めたいと思った旨供述していること(乙書22)は、上記推認に沿うものであり、高い信用性を認めることができる。
(b)i もっとも、被告人Y2は、公判段階では、茨城県に対する強い受注意欲を否定し、県立植物園温室新築工事も、支店長引継ぎの際、支店長業務引継書(弁物194)に基づき、単に赤字工事であるという説明を受けただけで、大型工事なので受注したとの説明はなかった旨供述している(141回、145回)。
ii しかしながら、被告人Y2は、その述べるところによっても、関東支店長就任後に茨城営業所を訪問した際、P1から県立植物園温室新築工事は技術的に難しい工事であると聞いていたというのであり、この工事が、単なる赤字工事ではなく、a建設の技術力を示して実績を残し、今後の県発注工事の受注に結びつくものと認識していたこともうかがわれるのである。
iii さらに、茨城県に対する強い受注意欲を否定する趣旨の公判供述は、前認定のような本件当時のa建設を取り巻く経営環境や同社及び関東支店の経営方針、更にはこれらの点に対する被告人Y2の認識には全くそぐわない不自然、不合理なものであって、到底信用することができない。
c 以上のとおり、茨城営業所の受注状況について、被告人Y1はその詳細までは認識しておらず、被告人Y2もその概略を認識していた程度にとどまるとはいえ、被告人両名の本件当時における地位や立場、a建設の経営環境や経営方針等に対する認識等からすると、茨城県発注工事の受注を確保し拡大する必要性が高いものと認識していたことは明らかである。
4  小山ダム建設工事の進捗状況、受注調整状況等及びこれらの点に関するa建設関係者の認識ないし受注意欲等
(1) 小山ダム建設工事の進捗状況等
ア 関係各証拠によると、本件当時までの小山ダム建設工事事業の進捗状況等として、次のような事実が認められる。すなわち、
(ア) 茨城県では、昭和46年から、大北川をせき止め、洪水調節や都市用水確保等を目的とする多目的ダムを建設する小山ダム建設工事計画の予備調査を、昭和52年度からは実施計画調査を開始して、昭和58年度に建設事業に着手し、用地買収のための地権者との交渉を進めるとともに、昭和63年度から工事用の道路工事を開始した。
(イ) この過程において、同県では、建設省の指摘もあって、昭和58年ころから、コンクリートの骨材となる砂利等を調達するための原石山を確保するかどうか、また、原石山を確保するとしてダム本体工事と一括発注するか分割発注するかを検討していたが、最終的に、原石山を確保し、本体工事と原石山工事を分割して発注することが決定された。しかし、用地買収の遅延により、ダム本体工事等の発注が遅れて、平成4年8月に小山ダム建設事業全体計画書に対する建設大臣の認可が下り、同年10月にダム本体工事の設計を発注するに至った。
(ウ) 本件当時、小山ダム建設工事は、全体事業費約380億円、うち本体工事費約200億円、原石山工事費約50ないし60億円が見込まれ、本体工事の発注は平成5年秋ころの予定であった。
イ さらに、前認定事実に、関係各証拠を総合すると、小山ダム建設工事に関しては、業者間による受注調整が行われるとともに、Zが本命業者を示唆する天の声を出したことが認められる。すなわち、
(ア) 小山ダム建設工事については、昭和60年前後から、j建設、a建設、g建設等が、その受注を目指して営業活動を行っていた。
(イ) そのような中、昭和61年ころ、被告人Y1は、Z、g建設のP25、代議士秘書の森茂らと都内の料亭で会談し、その席上、森が「小山ダム建設工事については、g建設とa建設とが有力である。」と発言した。さらに、その帰り、被告人Y1は、P25から「あの線でいいですね。」と言われて、小山ダム建設工事について、g建設とa建設とのJVで受注した上、g建設がそのスポンサーを取ることへの了解を求められて、これを承諾したことから、上記内容による両社間の受注調整が成立した。
(ウ) 他方、Zは、昭和61年ころ、P14元議員から、小山ダム建設工事をg建設とa建設とに受注させてほしい旨の依頼があり、さらに、上記のような両社間の受注調整の成立をも踏まえて、昭和61年から翌62年にかけて、当時のj建設副社長のP5に対して、同工事をg建設とa建設に譲るよう数回にわたり説得を重ねた結果、g建設とa建設とが本体工事を受注する代わり、j建設が原石山工事を受注するという調整を行った。
(エ) そこで、Zは、そのころ以降、歴代の茨城県土木部長に対して、小山ダム建設工事の指名では、本体工事についてg建設とa建設とのJV、原石山工事についてj建設を本命業者とし、これらの業者を指名するよう指示するいわゆる天の声を出し、歴代の土木部長も、転任の際にその都度、この点に関する引継ぎ等を行っていた。
(2) a建設関係者の認識ないし受注意欲等
ア a建設の茨城県担当者の認識ないし受注意欲等
a(a) まず、関係各証拠によれば、昭和62年9月21日付けの「重要目標工事月報」と題する書面(物21)には、他社の動向として「j建設がP10平副社長を介し、県への働きかけがあった。」、営業上の問題点として「j建設封じの方策を考える必要がある。」との記載があるほか、同年8月28日EがZに面会した旨の記載があること、小山ダム本体工事は、平成4年7月ころ作成された「茨城県の主要プロジェクト」と題する冊子(物18)に掲載され、また、茨城営業所作成の「92年度下半期経営方針実施上の問題点・要望事項」と題する書面(甲書31添付資料〈3〉)の具体的施策「県・市・町・村受注対策」の欄では、主要受注目標工事の1つとして掲げられているほか、その記載内容から平成4年度下半期ころに作成されたとうかがわれる「営業所重要問題点」と題する書面(甲物17)にも、「営業所受注量の生命線となるため、受注確率100%が目標」として挙げられていること、「92.11月営業打合会資料(土木系)」と題する書面(甲書35添付資料)にも、大北川総合開発事業小山ダムとして挙げられており、「本体 g建設、a建設、l建設、m建設」等の書き込みもされていることが認められる。
(b)i また、小山ダム建設工事の営業活動について、同工事の直接の営業担当でもあったP2は、その検察官調書(甲書35)において、業者間の受注調整がされていたとしても、実際に同工事の発注権限を有するZや県土木部幹部等の心証を悪くして指名から外れれば、受注することができないので、営業所としては、間違いなく指名に入れてもらって確実に受注するために、県の担当部署に対する営業活動が当然ながら欠かせなかった、自分と県庁OBのP9(以下「P9」という。)が中心となり、県土木部長、技監、土木部次長、ダム砂防課長、同課長補佐及び久慈水系ダム建設事務所等を回って名刺を配ったり、a建設の技術をアピールするためのパンフレット等を渡すなどの営業活動をしていた、平均すると月に一度くらいは県庁を訪れて営業していた、茨城営業所では、同工事に重点目標を置いていた、昭和63年ころには同工事の設計を受注していたコンサルタント業者に技術協力を申し出たものの断られたなどと供述している。
ii 茨城営業所長のDも、その検察官調書(甲書26、32)において、P2とP9があいさつ回りなどの営業活動を行っていた、自分もP2らと一緒にダム砂防課長の所や、課内の係員などに名刺を置いて、同工事の指名が得られるよう何回かあいさつ回りをした、新聞報道等がある都度、関東支店に対し、県別営業会議等を利用して逐次その情報の報告をしていたなどと供述している。
(c)i このように、上記(a)の各種資料における小山ダム建設工事に関する記載は、茨城営業所において、同工事を主要な受注目標工事として積極的な営業活動の対象としていたことをうかがわせるものであるところ、上記(b)のようなP2及びDの各供述は、このような各種資料の記載のみならず、前記1認定のような茨城県における公共工事の指名業者選定及び受注業者決定の実情等、同3認定のようなa建設の本件当時の経営環境、経営方針ないし茨城県からの受注状況等並びにこれらの点に関するP2及びDの各認識とも符合するものであるから、両名の上記各供述も高い信用性が認められる。
ii そして、これらの事情に加え、両名の上記各供述を総合すると、両名は共に、本件当時も、同工事の茨城営業所による受注を強く意欲しており、同工事の確実な受注に向けて積極的な営業活動を行っていたことが優に認定できるのであり、P2が、その一環として、同工事の発注を翌年に控えた平成4年12月において本件面談を立案したことは、このことを裏付けるものということができる。
(d) また、P2は、茨城営業所の土木担当の副所長として同工事の営業を担当していたことからすれば、前任のEから引継ぎを受けるなどして、同工事については業者間の受注調整が行われ、Zからも天の声が出ていることを、当然に知悉していたものと合理的に推認することができる。
b(a) もっとも、P2は、公判段階では、捜査段階とは異なり、同工事の受注に向けて積極的な営業活動をしていなかった趣旨の供述をしている。
(b) しかしながら、P2の上記公判証言は、上記a(a)でみた各種資料の記載と明らかに矛盾しており、同(c)で指摘した各認定事実とも相いれない不自然なものである。しかも、P2の公判証言は、同工事に関する前任者のEからの引継ぎの内容、受注調整の内容を知るに至った経緯、コンサルタント業者に技術協力を断られた理由等の点に不自然、不合理な点が散見されるのである。したがって、この点に関するP2の公判証言を信用することはできない。
(c) なお、弁護人は、P2が、前記検察官調書(甲書35)において、小山ダム建設工事のJV比率から、a建設が総受注額200億円の40%に当たる80億円は受注できるのではないかと思っていたが、実際にそれだけ取れなかった場合に備えて、出件予定工事一覧表では控え目に見込額を63億円とした旨供述しているのは不自然であり、信用性がない旨主張するところ、後に検討するように、上記検察官調書のこの部分は、取調べ検察官が被告人Y1の供述に基づき誘導したものであることがうかがわれ、そのまま信用することはできないものである。
しかし、P2は、公判段階において、この部分はさほど重要ではないと思っていたとも述べているのであり、本件の罪体立証との関連性も希薄な部分であるから、この部分が信用できないからといって、上記のように全体的に不自然、不合理な点の多い公判証言と比べれば、上記検察官調書のその余の部分の信用性は肯定できるというべきである。
c(a) また、P2は、Zが小山ダム建設工事の本命業者を指示する天の声を出していたことについて、捜査段階では供述せず、公判段階においてもこれを否定する趣旨の供述をしている。
(b) しかしながら、P2は、その公判証言によっても、平成元年ころ、当時のG土木部長から、「小山ダムは、a社、飛島、鈴縫だと思ったら、飛島、a社、鈴縫なんだってね。」などと言われたというのである。そして、P2は、前認定のように、茨城営業所の土木担当副所長として、茨城県の関係部署にあいさつ回りをしていたほか、同県内の土木工事に関して業者間の受注調整を行う茨土会の会員であったのであり、しかも、茨城県における公共工事の指名業者選定及び受注業者決定の実情や、前任者であるEがZに対して営業活動の一環として資金提供をしていたことについても認識していたほか、後に詳しく検討するように、平成5年5月に、被告人Y2がZに対して同工事の受注辞退を申し入れた際には、これに同行しているのである。
(c) そうすると、P2は、遅くとも、G土木部長から上記のように言われた時点において、Zが同工事に関して天の声を出したことを認識したものと合理的に推認できるのであり、これに反するP2の上記公判証言は、上記のような事情に沿わない不自然なものであって、これを信用することは困難である。
d(a) さらに、D、P2及びP1は、公判段階においてそれぞれに、〈1〉県の関係部署へのあいさつ回りに際して、受注を希望している工事について工事名を挙げることはなく、あいさつして名刺を置いてくるだけであるとか、〈2〉茨城営業所から関東支店に送る週報は、営業の中で一番若い社員が新聞情報等を集めて送っているだけであるとか、〈3〉出件予定工事一覧表は、受注目標工事の一覧表ではなく、あくまで出件予定工事の一覧表であるなどと述べて、殊更に小山ダム建設工事等の県発注の大型工事に対する受注意欲を否定するような供述をしている。
(b) しかし、上記〈1〉の点は、あいさつして名刺を置いてくるだけであれば、受注意欲をアピールしたり、情報収集することもできないことから、有効な営業活動になり得ないことは、明らかというべきである。また、〈2〉の点も、前認定のように、週報は、関東支店で支店長も出席して毎週開かれる会議で報告されるものであり、営業上の必要がない事項についてまで記載して関東支店に情報提供することなど、考えられないことである。さらに、〈3〉の点も、P1の捜査段階の供述(甲書30)によれば、出件予定工事一覧表は、月1回の土木・建築別に開かれる営業所会議で情報を更新したり新件を追加するなどし、関東支店で土木・建築別に開かれる県別営業会議で、これに基づき支店側に説明や報告をし、支店側から質問を受けるというのである。そうすると、出件予定工事一覧表は、営業所において受注目標とする工事を一覧表にしたものとみるほかはない。
(c) したがって、D、P2及びP1の前記各公判証言はいずれも、信用することが困難である。
イ 被告人両名の認識、受注意欲等
(ア) まず、被告人Y1の小山ダム建設工事についての認識、受注意欲等について検討する。
a 被告人Y1は、前認定のとおり、小山ダム建設工事に関する業者間の受注調整に自ら直接関与していた者であり、しかも、被告人Y1(乙書14)及びP2(甲書35)の捜査段階の各供述によれば、被告人Y1は、本件面談を依頼される前の平成4年中に、P2に対して同工事の進捗状況等について尋ねて、平成5年に出件すると聞いていたことが認められる。さらに、被告人Y1が、同工事の発注を翌年に控えた面談当日、年末の忙しい時期であるにもかかわらず、Zとわざわざ面談していることも考慮すると、本件当時においても、被告人Y1が同工事の受注に強い意欲を有していたことは明らかというべきである。
b(a) また、小山ダム建設工事に関し、業者間で受注調整が成立していたとしても、発注するのはあくまで茨城県であり、受注調整の内容を実現するには、同県にその受注調整に沿った指名業者の選定及び受注業者の決定をさせる必要がある。しかも、被告人Y1は、前認定のように、同県での指名業者選定及び受注業者決定の実情、とりわけ、Zが積極的に介入して強い影響力を行使していたことを認識していたのである。さらに、被告人Y1が、公判段階でも、上記受注調整によって、a建設が同工事の本体工事をg建設とのJVで受注できると考えていたことを認めているほか、前認定のように、上記受注調整の際に、Zが同席していたことも併せ考慮すると、被告人Y1としても、同工事に関して、Zが上記受注調整に沿った天の声を出しているとの認識を有していたことを優に認定することができる。
(b) そして、被告人Y1は、その公判供述によっても、昭和59年から本件面談までに3回、Zと面談しており、また、前認定のように、昭和58年から平成元年にかけて、EがZに対し営業活動の一環として3回にわたり合計3000万円の資金提供をし、そのことを被告人Y1も認識していたところ、この面談ないし資金提供の時期は、同工事に関する各業者の営業活動が活発になり、業者間の受注調整が行われ、Zの同工事に関する天の声が出された前後であると認められる。したがって、このような度重なる面談や多額の資金提供は、同工事を受注するための営業活動であったことを強くうかがわせるものであり、被告人Y1の受注意欲を裏付けるものといえるのである。
(イ) 次に、被告人Y2の小山ダム建設工事についての認識、受注意欲等について検討する。
a(a) まず、関係各証拠によれば、小山ダム建設工事は、被告人Y2が引継ぎを受けた際に作成された支店長業務引継書(弁物194)中の中長期主要出件見込工事一覧表に、「大北川総合開発事業小山ダム」としてJV総額180億円、a社金額63億円という受注見込み金額と共に記載されていること、前記支店期央経営総合会議における資料中の「支店別緊急営業対策」と題する書面(物123中の「会議資料その2」)には、関東支店の緊急営業対策として、主要目標工事の確実な受注が掲げられ、具体的には、ダム工事や県庁舎等の県発注大規模工事の確実な受注を目指して、本社や関係部署に対しても、時宜を得たトップ営業の実施を要望するとされていたことが認められる。
このような各種資料の記載によっても、関東支店では、小山ダム建設工事が主要な受注目標工事として積極的な営業の対象とされていたことがうかがわれる。
(b) そして、前記3(1)及び(2)で認定したように、関東支店では、平成4年10月の時点で、同年度通期における総受注高の大幅な落ち込みが見込まれていたほか、茨城営業所では、茨城県発注の大規模土木工事の受注が昭和63年4月以降はない状態が続いており、これらの事情は、被告人Y2も概括的には認識していたところ、茨城営業所を管轄する関東支店の責任者である被告人Y2としては、同支店の業績の落ち込みを食い止めるために、小山ダム建設工事の受注に強い意欲を有していたことは、当然のことであり、これを殊更否定する趣旨の被告人Y2の公判供述は、本件当時における同人の立場や関東支店及び茨城営業所の置かれた状況に照らし、極めて不自然であって、到底信用できないものである。
b(a) また、被告人Y2は、公判段階において、関東支店長の引継ぎの際、小山ダム建設工事については、業者間の受注調整により、g建設がスポンサー、a建設がサブのJVで受注できるということを聞いていた旨供述するところ、被告人Y2が、茨城県での指名業者選定及び受注業者決定の実情、とりわけ、Zが積極的に介入して強い影響力を行使していたと認識していたことは、前認定のとおりである。しかも、被告人Y2は、その公判供述によると、会社の規模や技術力においてa建設より格下のg建設がスポンサーであることに不満を持っていたというのであるから、そのような不満の残る受注調整になった理由についても、関東支店長として、支店幹部や茨城営業所の担当者らに対し、具体的な説明を求めないことなど、想定し難いところである。加えて、後に詳しく検討するように、被告人Y2は、平成5年5月に、Zに対して直接に、同工事の受注辞退を申し入れているのである。したがって、被告人Y2も、同工事に関して、支店幹部や茨城営業所の担当者らから説明を受けるなどして、Zが上記受注調整に沿った天の声を出しているとの認識を有していたことを優に認定することができる。
(b) もっとも、被告人Y2は、公判段階において、同工事に関し、Zが天の声を出したとの認識はなかった旨供述するが、上記のような事情、とりわけ、被告人Y2が自らZに対して同工事の受注辞退を申し入れているという事実に沿わない不自然なものであるから、到底信用することができない。
c さらに、関係証拠によれば、被告人Y2は、面談当日に開催された総合幹部会において、「営業等で、本社の支援を仰ぐことは重要であり、副社長以上をどんどん引っ張り出して、関係得意先を回ってもらい、その辺から戦線を拡大していきたい。特に、全国的な広がりを持つ公共工事については、各支店が必死になって役員に頼んでおり、頻度の多いところに顔を向けるのが人情なので、前々から予定を組んで熱意で役員の足を向けさせてほしい。」と発言したことが認められるのであるから(物23)、被告人Y2が、小山ダム建設工事の確実な受注のためには、本社役員等によるトップ営業の必要があるとの認識を持っていたことも、明らかというべきである。
5  県庁舎及び県立医療大学各新築工事の進捗状況等並びにこれらの点に関するa建設関係者の認識ないし受注意欲等
(1) 県庁舎及び県立医療大学各新築工事の進捗状況等
関係各証拠によると、県庁舎及び県立医療大学各新築工事の進捗状況等として、次のような事実が認められる。すなわち、
ア(ア) 茨城県では、昭和60年ころから、Zの指導の下に、水戸市三の丸所在の県庁舎の建て替えが計画され、同一敷地内に建て替える案と移転案の両案並立のまま検討が重ねられていたが、平成2年10月、林野庁に対し、同市笠原町所在の関東林木育種場(平成3年10月に「林木育種センター」に名称変更)用地の払下げを打診したところ、平成3年12月、同庁から積極的回答を得た。そこで、同月、上記用地の払下げに関する知事名の要望書を正式に提出し、その後、平成4年8月に国有林野管理審議会が上記用地の売払い承認の答申、同年11月13日に県が上記用地の国有財産買受けの申請、同月25日までに国側が上記用地売払いの承認、そして、本件面談の4日前である同年12月18日に、県議会が県庁の位置を決める条例案を可決して、上記用地への県庁舎の移転が正式に決定されるなど、本件面談当時には、県庁舎新築工事計画は、移転先の土地問題が解決して、具体的に進展し始めていた。
(イ) 本件当時、県庁舎新築工事は、概算工事費として約700億円が見込まれ、平成7年度の工事発注が予測されていた。そのため、大手ゼネコン各社は、茨城県随一の規模となる同工事の受注を目指し、上記のような県庁舎新築計画の進捗状況に合わせて、本社役員らがZの下に直接陳情に訪れるなど、受注に向けた活発な営業活動を展開していた。
イ(ア) また、同県では、平成3年1月ころから、理学療法士等の養成施設の設立が検討されていたが、同年度中には、同県稲敷郡阿見町に医療従事者の養成等を目的とする4年制の県立大学を建設する基本構想案が策定され、平成4年4月には、衛生部に県立医療大学設置準備局が設置されるなど、同大学新築計画が急速に具体化した。そして、同年6月30日に、同大学設置に関する基本計画が完成した後は、建築関係事務を担当する土木部営繕課において、同年7月6日、設計業者に基本設計を発注し、同年11月30日、上記基本設計を完成させ、同年12月14日には平成5年3月15日を履行期とする実施設計を発注するなど、本件面談当時、同大学新築工事計画は順調に進められていた。
(イ) 本件当時、同大学新築工事は、本体工事費だけで163億円余が見込まれ、平成5年度上期中の発注が予定されており、その受注を目指す大手ゼネコン各社は、上記のような同大学新築計画の進捗状況に合わせ、県庁担当部署等への営業を活発に行っていた。
(2) a建設関係者の認識ないし受注意欲等
ア a建設の茨城県担当者の認識ないし受注意欲等
(ア) 県庁舎新築工事について
iα 前認定のように、県庁舎新築工事は、概算工事費が約700億円も見込まれる大規模工事であり、茨城県のシンボルでもあるところ、関係各証拠によれば、茨城営業所では、平成4年8月28日付け、同年11月13日付け、同月20日付けの各週報(物112)において、同工事に関する進捗状況等を関東支店に対して報告しているほか、「92年度下半期経営方針実施上の問題点・要望事項」と題する書面(甲書31添付資料〈3〉)においても、県・市・町・村受注対策として、同工事を主要受注目標工事に掲げていることが認められる。
β また、同営業所における建築工事営業の責任者であったP1は、同工事の受注について、現在地での建て替えであれば旧庁舎を施工した業者が有利になるが、移転になれば必ずしも有利にはならないと述べているところ、本件当時までに、移転案の採用が決定されていたのであるから、同工事は、a建設にとり、大きなビジネスチャンスが期待できる状況にあったということができる。
γ そのような中、P1も、同営業所の営業担当者が県庁舎建設準備局等に名刺置き等のあいさつ回りをしていたことは認めているほか、茨城県の代表的工事である同工事を受注することにより宣伝効果のあることは認めているのである。
δ そうすると、茨城営業所においては、県庁舎新築工事の受注を強く意欲しており、P1を中心として、同工事の受注に向けて積極的な営業活動をしていたことを優に推認することができる。
iiα これに対し、P1は、公判証言において、自らは、県庁舎新築工事に関して関係部署に対する名刺置き等をしていなかったし、営業活動をするのは時期尚早だと思っていたとして、茨城営業所では積極的な営業活動をしていなかったかのような供述をしている。
β しかしながら、上記iで認定した各種事情に加え、Zを中心とする茨城県関係者らが認めるように、大手ゼネコン各社は、同工事の受注を目指して、本社役員らがZの下に直接陳情に訪れるなど、受注に向けた活発な営業活動を展開していた状況に照らせば、同工事に対する受注意欲及び活発な営業活動を殊更否定する趣旨のP1の公判証言は、極めて不自然なものというほかなく、到底信用することができない。
(イ) 県立医療大学新築工事について
i 前認定のように、県立医療大学新築工事も、本体工事費だけで163億円余が見込まれる大規模工事であるところ、関係各証拠によれば、茨城営業所では、平成4年5月ころまでに同工事の情報を入手し(甲書30添付資料〈5〉)、同年11月下旬には、同工事の発注時期等を関東支店に報告する週報を送付していた(物112)ことが認められる。しかも、P1は、同営業所の営業担当者が県立医療大学設置準備局や県土木部営繕課等の関係部署にあいさつ回りをしており、同人も、同工事の基本設計を受注した設計会社にあいさつに行ったことは認めているのである。
ii また、関係各証拠によれば、本件面談後のこととはいえ、同工事について、平成5年3月30日現在の出件予定工事一覧表に記載されており(物20)、「1993年度営業所(出張所)経営方針」と題する書面(甲書30添付資料〈4〉)では、「目標大型プロジェクトに対する受注戦略の強化」として掲げられ、「受注量確保のため、本支店の支援の下に確実に入手を図る」とされているほか、同年6月25日付け週報(甲書30添付資料〈5〉)では、「県立医療大学は、当営業所がかねてより営業を進めてきた物件であり、書類提出に当たり、遺漏のないよう注意する所存であります。」と記載されていることが認められる。
iii さらに、同工事は、工区を6つに分けて発注されることになっていたところ、P1の公判証言によれば、発注金額の最も大きな第4工区の受注は、茨城営業所だけでなく、e建設も目指していたというのである。
iv そうすると、茨城営業所においては、県庁舎新築工事と同様に、県立医療大学新築工事の受注をも強く意欲しており、P1を中心として、同工事の受注に向けて積極的な営業活動をしていたことを優に推認できるのであり、これに反する趣旨のP1の公判証言は、県庁舎新築工事に関してと同様に極めて不自然なものであるから、到底信用することはできない。
イ 被告人両名の認識ないし受注意欲等
(ア) 被告人Y2の認識ないし受注意欲等
次に、被告人Y2の県庁舎及び県立医療大学各新築工事についての認識ないし受注意欲等について検討する。
a(a) まず、関係証拠により、「1993年度関東支店期首経営総合会議資料」(物19)において、県庁舎新築工事が「支店・営業所が一体となり本社の協力を得て計画的な受注を図る」工事として挙げられ、県立医療大学新築工事が「目標工事の確実な入手」との欄に掲げられていることが認められるほか、P1も、平成4年8月ころの関東支店で開かれた県別営業会議において、関東支店の建築営業統括部長の大野宏司から、県庁舎新築工事についてどのようなスタンスを取っているのか聞かれるとともに、同工事に関する新聞記事の切り抜きをもらったと供述している(甲書30)。さらに、関係各証拠によれば、両工事共に、その進捗状況等が週報により茨城営業所から関東支店に報告されていたところ、この週報は、毎週月曜日に支店の部長以上が出席し、被告人Y2も出席する朝会(幹部会)で報告された後、回覧されて、その情報が支店幹部にも共有されていたことが認められる。しかも、前認定のような同営業所における営業活動の状況等からすれば、関東支店においても、両工事を受注目標工事とし、その受注に向けて積極的な営業を行う必要のある工事と認識していたことが優に認められる。
(b) この点、被告人Y2は、公判供述においても、関東支店の営業担当者が民間工事の関係で茨城県に出向いた際には、県庁にも、県庁舎新築工事や県立医療大学新築工事を含めた趣旨で、名刺置きのあいさつ回りをしていたことを認めており、これも、上記認定を裏付けるものといえる。
(c) このように、茨城営業所はもとより、関東支店においても、県庁舎及び県立医療大学各新築工事について、積極的な営業活動を行う必要性を認識し、現に営業活動を行っていたほか、前認定のように、同営業所では、両工事の受注を強く意欲しており、同営業所における建築工事の営業責任者であったP1を中心として、両工事の各受注に向けた積極的な営業活動をしていたのである。そのうえ、前記3認定のようなa建設の本件当時の経営環境、経営方針ないし茨城県からの受注状況等、これらの点に関する被告人Y2の認識、更には、被告人Y2の関東支店長という立場からすれば、被告人Y2においても、両工事が関東支店の受注目標工事であり、その受注に向けて積極的な営業を行う必要がある工事であると認識し、強い受注意欲を有していたことは、合理的に推認できるというべきである。
(d) そして、被告人Y2は、前記4(2)イ(イ)cで認定したように、小山ダム建設工事等の公共工事の確実な受注のためには、本社役員等によるトップ営業の必要があるとの認識を有していたのであり、県庁舎及び県立医療大学各新築工事についても同様の認識であったことも明らかである。
b(a) これに対し、被告人Y2は、公判段階においては、上記認定に反して、〈1〉県庁舎新築工事は、群馬、栃木両県の県庁舎新築工事に力を注いでいたので、それほど重きを置いていなかった、県立医療大学新築工事は、小さな工事という認識であり、営業所が主体的に営業していたのではないか、〈2〉自分は土木畑出身であり、建築工事について余り関心がなかったなどと、あたかも両工事に対する関東支店や被告人Y2自身の受注意欲はそれほど強くなかったかのような供述をしている。
(b) しかしながら、こうした被告人Y2の公判供述は、上記aで指摘したようなa建設、特に関東支店や茨城営業所を取り巻く状況、県庁舎及び県立医療大学各新築工事受注の重要性、同支店や同営業所による積極的な営業活動、同人の関東支店長という立場、その認識内容に加えて、前認定のように、同人が小山ダム建設工事の受注に強い意欲を有していたことにも照らすと、著しく不自然・不合理というべきであり、到底信用することができない。
(c)i なお、P1は、公判段階において、県庁舎新築工事に関して、何かの営業の打ち合わせをした際に、被告人Y2が、「これらを3つ取るのは大変だよ。茨城が一番不利だ。」という話をしたとし、被告人Y2も、これを受けて、P1に対し、茨城県庁舎新築工事については営業活動を余りしないように指示していたかのような供述をしている。
ii しかしながら、被告人Y2及びP1が供述するように、群馬、栃木両県の各県庁舎新築工事についてのa建設の受注が見込まれるような状況にあったとする根拠は、全く明らかにされていない。しかも、前認定のような本件当時のバブル崩壊後の厳しい経済情勢等に照らすと、これらの工事に関する同業他社による営業活動も、非常に活発化していたことがうかがわれるのであり、そのような状況下において、県が発注するこれら大型工事についてa建設が確実に受注できるなどといえないことはいうまでもない。そして、関東支店及び茨城営業所は、本件当時、前記3認定のように厳しい状況にあり、関係各証拠によれば、とりわけ建築部門の受注高の落ち込みは著しいものがあったと認められる(甲書30添付資料〈2〉、〈6〉、乙書21添付資料〈1〉、物19)。加えて、前記ア(ア)認定のように、茨城県庁舎新築工事については、茨城営業所が、その受注を強く意欲し、P1を中心に積極的に営業活動をしており、関東支店でも、これを受注目標工事としていたことも勘案すれば、同営業所の建築工事の営業責任者であるP1、更には、同営業所を管轄する同支店の長である被告人Y2において、同工事の受注を意欲しないようなことはあり得るはずがなく、これに反する趣旨の被告人Y2及びP1の各公判供述はいずれも到底信用することができない。
(イ) 被告人Y1の認識ないし受注意欲等
次いで、被告人Y1の県庁舎及び県立医療大学各新築工事についての認識ないし受注意欲等について検討する。
a(a) この点、被告人Y1は、捜査段階では、自分は土木担当の副社長であったから、土木工事に目が向いてしまうことは否定できず、茨城県が発注する建築工事については個々具体的には把握していなかった(乙書15)とか、各種会議において配布される資料を見たり、担当者の報告は聞いていたが、特に大きな工事、技術的に問題のある工事、自ら営業した工事など特別な理由がない限り、個々の目標工事については頭に残らなかったのが実情であった(乙書14)などと供述する一方、Zが知事になってから、つくば科学万博等種々のプロジェクトを手がけていることは知っており、本件面談当時も、同県が大型の工事を含む種々の工事の発注を予定していることは分かっていた(乙書14)、普段から建築工事のことを全く考えていないというわけではなく、建築工事の受注についてサポートなりフォローをしたいという気持ちは持っていた(乙書15)などとも供述しているのである。
(b) そして、被告人Y1は、前に認定したとおり、a建設では長らく土木部門の職務に従事してきた者であり、関係証拠からは、本件当時も、土木部門の最高責任者の地位にあったことが認められるものの、後にみるような被告人Y1の同社における地位や役割等に照らすと、その職務範囲は、決して土木部門に限られることなく、全社的見地から、営業現場を指導し支援すべき立場にあったことは明らかである。したがって、被告人Y1の上記供述は、上記のような被告人Y1の社内的立場に沿うものといえるであり、高い信用性を認めることができる。
(c) そして、被告人Y1の上記供述にあるような認識ないし意識に、その社内における立場も考え併せると、被告人Y1は、Zとの本件面談に際し、その述べるように、県庁舎新築工事や県立医療大学新築工事についての具体的・個別的な認識に乏しかったとしても、建築工事も含む茨城県発注の公共工事一般について受注の意欲を有したことは合理的に推認できるのである。
b(a) これに対し、被告人Y1のほか、被告人Y2、P2等のa建設関係者らはいずれも、公判段階において、土木担当の副社長である被告人Y1が建築工事の営業をすることはないことを強調し、弁護人も、同社では土木職、建築職及び事務職が明確に区分されているなどとして、同旨の主張をするので、以下、被告人Y1の職務権限ないし社内における地位について検討する。
(b)i この点、被告人Y1が、本件当時、a建設において、代表取締役副社長の地位にあり、広く公共工事の業者間の受注調整に関与するとともに、公共工事の発注に強い影響力を有するP14元議員等の政治家らに対する政治資金規正法によらない裏献金を担当していたことは、前認定のとおりである。
ii また、関係各証拠によると、被告人Y1は、平成5年6月当時、10名いたa建設代表取締役副社長の中では最もその経歴が古く(物127)、同社総務部長作成名義の「役員の序列について(お知らせ)」と題する書面(物117)によれば、対外役員序列は代表取締役会長、代表取締役副会長、代表取締役社長に次ぐ4番目、対内役員序列は名誉会長、会長、副会長、社長に次ぐ5番目の序列とされ、対内的には、a社家出身の副会長を除き、同社生え抜きの役員のトップの地位にあった者であり(物127)、上記書面は、本社ばかりでなく、全国各支店にも配布されて、全社的に周知されていた(甲書110、物117)ことが認められる。
iii そして、以上のようなa建設での地位や経歴、役割等に照らすと、被告人Y1は、その行うべき営業活動も、土木工事に限られるはずがなく、全社的な見地から必要があれば、当然に建築工事の営業も含むものであったと考えられるのであり、そのことは、建築担当の役員やその余の役員らも期待していたものと容易に推認できるというべきである。
(c)i また、被告人Y1は、公判段階において、トップ営業について説明する中で、地方自治体の首長に対して営業に行く場合にも、「御無沙汰しています。よろしく。」などと言うだけであり、建築工事についてお願いしますという趣旨はない旨供述する。
ii しかし、被告人Y1は、同時に、地方自治体の首長に対する営業の際に具体的工事名さえ挙げないのは、どの工事をa建設として希望しているかは、営業所等出先機関が既に伝達しているからであるとも供述しているところ、その出先機関が建築工事の営業活動をしていることも当然想定されるのであり、土木工事の具体的工事名を挙げなければ、建築工事に対する営業の趣旨も含むことは明らかである。したがって、被告人Y1の上記供述は、それ自体、不自然・不合理であって、到底信用することができない。
(d) その他、被告人Y1は、建築工事関係の得意先はない旨強調する際に、a建設では、官公庁や民間企業について営業担当者を決めていないとも供述するが、同社営業第2本部作成名義の平成4年12月付け営業担当者名簿(物118)が現に存在しているのであり、その中で多数の営業先を指定されている被告人Y1がその存在を知らないということは考えられないから、被告人Y1の上記供述も客観証拠に明らかに反するものというほかない。
(e) 以上のとおり、被告人Y1の自らの営業活動に関する公判供述は、不自然・不合理な点を多く含むものであり、全般的に信用することが困難であるから、これを前提とする弁護人の前記主張も採用できない。
6  本件面談の目的
(1)ア 被告人Y1(乙書13~15)、被告人Y2(乙書21、22)及びP2(甲書35)はいずれも、その各検察官調書では、本件面談について、Zに対する単なる表敬訪問や平成4年7月に関東支店長に就任した被告人Y2をZへ紹介する目的だったのではなく、Zをして、県発注工事の受注業者選定に対する影響力を行使して、a建設が小山ダム建設工事等(被告人Y2においては更に県庁舎及び県立医療大学各新築工事を含む。)を受注できるよう取り計らってもらうことを目的としていた旨供述している。
イ(ア) そして、被告人Y1らの捜査段階における上記各供述はいずれも、前記1認定のような茨城県における公共工事の指名業者選定及び受注業者決定の実情等、同3認定のようなa建設の本件当時の経営環境、経営方針ないし茨城県からの受注状況等、同4認定のような小山ダム建設工事の進捗状況等、同5認定のような県庁舎及び県立医療大学各新築工事の進捗状況等、並びに以上の点に関するa建設関係者の認識ないし受注意欲等によく合致するものである。とりわけ、本件面談は、小山ダム建設工事発注を翌年に控え、県庁舎及び県立医療大学各新築工事計画がそれぞれに具体的に進展し始めて、大手ゼネコン各社が活発な営業活動を行っていた時期に当たることを指摘することができる。
(イ) また、被告人Y1は、関係証拠から明らかなとおり、平成4年10月開催の前記支店期央経営総合会議において、被告人Y2を含む関東支店の幹部らに対し、「皆さんを全面的にバックアップしていく必要があるのでどんどん使ってもらい」たいと述べるなど、本社の役員以上によるトップ営業についての意欲をみせており(乙書21添付資料〈2〉)、公判供述においても、可能な限り現場からのトップ営業の要請に応じていたことを認めていることも、被告人Y1らの前記各供述の信用性を裏付けるものである。
(ウ) さらに、本件面談は、a建設副社長の被告人Y1においても茨城県知事であったZにおいても多忙を極める12月22日という年末の時期に、茨城営業所副所長のP2がわざわざ面会の予約を取り付け、関東支店長である被告人Y2をも同道して、予算陳情等のために東京出張中のZに面会していることも考慮すると、被告人両名及びP2の捜査段階における前記各供述には、いずれも高い信用性を認めることができる。
(2) これに対して、被告人両名はいずれも、公判段階では、本件面談は、被告人Y1がしばらくZに会っていなかったことから、その表敬訪問を目的としたものであり、また、被告人Y2が関東支店長就任後にZにあいさつをしていなかったことから、被告人Y1が被告人Y2をZに紹介する目的もあったなどと、Zに小山ダム建設工事等の受注についてa建設に有利に取り計らってもらう趣旨はなかった旨供述しているので、以下、この点に関する被告人両名の各公判供述の信用性について検討する。
ア(ア) まず、P2は、公判段階においても、本件面談を依頼したのは、被告人Y1がZにはしばらく会っておらず、小山ダム建設工事が近くなってきたためである、小山ダム建設工事は確実に取れるものと思っていたが、だからと言ってしばらく会っていないのは失礼に当たると思った、被告人Y1に本件面談を依頼する際、「小山ダムも近いですよ。」と言うほかに、「できたらお願いしてください。」とも言った旨供述し、非常に控え目な表現ではあるものの、小山ダム建設工事についてお願いする趣旨を含むことを認めているのであり、被告人両名の上記各公判供述は、P2のこの公判証言とも食い違うものである。
(イ)a もっとも、P2は、被告人Y1に「小山ダムも近いですよ。」、「できたらお願いしてください。」と言った趣旨について、被告人Y1がZと面談した際、小山ダム建設工事の出件が近いという話が出て、これを被告人Y1が知らなければ気まずい思いをすると思ったからであると供述している。
b(a) しかし、前認定のように、本件面談を依頼する前の平成4年中に、P2が被告人Y1から小山ダム建設工事の進捗状況等を尋ねられ、平成5年には出件する旨回答していたことからすると、その依頼を受けた当時には、被告人Y1が同工事の出件時期を認識していただけでなく、自ら受注調整に関与した同工事の受注に関心を持っていたことが明らかであり、そのことは、被告人Y1との上記やり取りから、P2も当然に認識していたものとうかがわれる。したがって、被告人Y1がその出件時期も知らなかったことを前提とするP2の上記供述は、この点において、他の証拠関係に沿わないものというべきである。
(b) また、その内容も、小山ダム建設工事の受注が確実であるとの認識を有していながら、被告人Y1に同工事の出件が近いことを知らせるという目的で、「できたらお願いしてください。」と言ったとしたり、Zに対する礼を失したとしても、取れる工事が取れなくなると心配したことはない、本件面談以外に、Zに対する暮れのあいさつはしていなかったとしながら、同工事の出件が翌年に迫っているというこの時期に、被告人Y1及びZ双方共に多忙を極める年末に、あえて被告人Y1に本件面談を依頼するなど、不自然・不合理というほかない。
(c) したがって、この点に関するP2の上記公判証言は、信用することができない。
イ また、被告人Y1は、公判供述においても、トップ営業を積極的に活用するよう部下に言っており、可能な限り現場からのトップ営業の要請に応じていたこと、P2からは、「平成5年に小山ダム建設工事の出件がされるから、この辺で1回あいさつしてください。」と言われて本件面談が設定されたことは認めているのである。そうすると、被告人Y1においても本件面談がトップ営業として依頼されたものであると当然に認識していたはずであるから、本件面談は儀礼的なあいさつにすぎなかったとする被告人Y1の公判供述は、自らの公判供述との関係でも極めて不自然というほかない。
ウ さらに、関係各証拠によれば、被告人Y2は、関東支店長就任後の平成4年7月に茨城県庁にあいさつ回りを行い、Zと会えなかったとはいえ、名刺置きのあいさつをしているというのに、面談当日午後に予定されていた総合幹部会を途中退席してまで被告人Y1に同行したこと、その総合幹部会では、被告人Y2が、公共工事に関してトップ営業の重要性を訴えていること(物23)が認められるほか、前認定のように、被告人Y2においても、被告人Y1が、小山ダム建設工事の受注調整に関与するなどして、同工事の受注に関心を持っていることを認識しており、被告人Y2自身においても、同工事の受注を確実にしたいと考えていたのである。そうすると、本件面談は儀礼的なあいさつにすぎなかったとする被告人Y2の公判供述は、同人の認識内容や言動等に沿わない極めて不自然なものというべきである。
エ 以上のとおり、本件面談の目的に関する被告人両名の各公判供述はいずれも、信用することが困難である。
(3)ア ところで、被告人Y1は、捜査段階においても、本件面談の目的に関し、県庁舎及び県立医療大学各新築工事についての認識がないか極めて乏しかったように供述している。
イ しかしながら、被告人Y1は、捜査段階では、小山ダム建設工事のみを念頭に置いていたわけではない旨供述している。しかも、前認定のような被告人Y1の全社的見地から広範な営業活動が期待されていたという立場等にもかんがみれば、被告人Y1が、県庁舎及び県立医療大学各新築工事を具体的に想定していたか否かは別として、両工事等の建築工事も含めた茨城県発注の大型工事一般についても、その依頼の対象としていたものと容易に推認できるところである。
(4) 以上みてきたとおり、高い信用性の認められる被告人両名及びP2の前記各検察官調書に、上記(3)で検討したところを総合すれば、本件面談の目的は、被告人両名及びP2において、Zに対し、小山ダム建設工事のみならず、県庁舎及び県立医療大学各新築工事等の建築工事をも含む茨城県発注の大型工事について、a建設を指名業者として選定してもらうとともに、Zをして、県発注工事の受注業者選定に対する影響力を行使して、これらの大型工事を受注できるよう取り計らってもらうことにあったと優に認定できるのである。
第5  本件贈賄について
1  問題の所在
弁護人は、本件面談の事実は認めながらも、その際、被告人Y1がZに対して現金を手渡した事実はなく、したがって、被告人両名を含むa建設関係者が本件贈賄を謀議し準備し実行した事実もなく、これらの事実の存在を認める趣旨の事件関係者の捜査段階における各供述はすべて信用できない旨主張し、被告人両名、H及びZは、公判段階において、いずれも弁護人の上記主張に沿う供述をしている。そして、本件では、事件関係者の捜査段階の上記各供述を除いては、本件贈賄事実を直接に裏付ける客観的証拠が存在しないのである。
2  事件関係者の捜査段階の各供述の信用性を裏付けるべき客観的状況
そこで、以下において、本件贈賄を謀議し準備し実行したことないしその賄賂を収受したことを認める趣旨の被告人両名、H及びZの捜査段階における各供述の信用性について検討するに、まず、これらの各供述の信用性を裏付けるべき客観的状況として、以下の事情が存在する。
(1) 本件の背景事情等
ア 前記第4の1ないし5で認定したとおり、本件の背景事情等として、次の事実が認められる。すなわち、
(ア)a 茨城県では、県知事であるZが、本件よりかなり以前から、県の発注工事の指名業者選定の過程で、土木部の部課長らに対し、自らが陳情を受けるなどした特定の業者に受注させるよう示唆する「天の声」を出すことが数多くあり、これを受けた土木部の部課長らは、上記指示に従って、上記特定の業者を指名業者として選定するとともに、他の業者の担当者らに対しZの意向を示唆していたが、このようなZの意向は、県の建設業界の業者間の受注調整にも絶大な影響力を有しており、上記のように県担当者らから示唆されると、これを察知した指名業者らは、自らZの意向に沿った受注調整を行い、その結果として、上記特定の業者がほぼ確実に当該工事を落札、受注していた。このように、本件当時、茨城県では県発注の公共工事の受注業者決定について、Zの意向が絶大な影響力を有していたことから、大手ゼネコン等の建設業者は、受注を狙う特定工事について、指名業者選定の担当部署である土木部の部課長ら関係職員の下に営業に訪れるだけでなく、Zの「天の声」を得ようとして、しばしばZに直接面会するなどして、Zに対し、当該工事の受注の陳情をしていた。
b 上記のようなZの茨城県における指名業者選定に対する介入及び受注業者決定への影響等について、本件当時、茨城営業所のD、P2及びP1(以下「Dら」という。)はもとより、被告人両名も共に、Zが県発注の公共工事の受注業者の決定について極めて大きな影響力を持っていることを認識していた。
(イ) しかも、本件当時、ゼネコン等の建設業者が、上記のような茨城県発注工事の受注陳情に絡み、Zから天の声を得るために、しばしばZに対し多額の資金提供をしており、本件当時、Dらはもとより、被告人両名においても、詳細はともかくとして、上記のような状況を認識していた。
(ウ) 他方、a建設は、バブル経済崩壊の影響を受けて業績が落ち込み、公共工事受注の必要性が高まって、平成4年度には、公共工事の受注拡大ないし確保が経営方針の1つとして掲げられることになり、また、関東支店では、これに先駆けて平成3年度の時点で業績が悪化し、平成4年度の重点施策の1つとして公共工事の受注拡大を掲げていたところ、被告人両名及びDらは、それぞれの立場に応じて上記のようなa建設の本件当時の経営環境、経営方針等を十分認識していた。
(エ)a また、a建設は、茨城県発注工事について、建築工事に関しては、平成4年5月に県立植物園温室新築工事を受注する前の約8年間は受注がなく、土木工事に関しても、昭和63年4月以降、工事金額3000万円以上5億円以下の下水道工事や橋梁工事を10件受注している程度であった。
b Dらは、そのような茨城県発注工事の受注状況を前提にして、更に県発注工事の受注を確保する必要があると認識しており、被告人Y2も、同様の認識を有していた。また、被告人Y1は、茨城営業所が県発注工事をそれなりに受注しており、更にその受注を確保、拡大する必要性が高いと認識していた。
(オ)a 茨城県では、昭和58年度から小山ダム建設事業に着手し、用地買収の遅延のため工事発注が遅れていたが、平成4年8月にその全体計画書に対する建設大臣の認可が下り、同年10月にダム本体工事の設計が発注された。本件当時、小山ダム建設工事は、全体事業費約380億円、うち本体工事費約200億円、原石山工事費約50億円ないし60億円が見込まれ、本体工事の発注は平成5年秋ころと予定されていた。
b 小山ダム建設工事については、昭和60年前後から、j建設、a建設、g建設が営業活動を行っていたが、昭和61年ころ、被告人Y1とg建設のP25との間で、g建設をスポンサー、a建設をサブとするJVにより受注するとの業者間の受注調整が成立する一方、Zは、P14元議員より、同工事をg建設とa建設に受注させてほしい旨の依頼があったため、j建設のP5を説得して、同工事の本体工事をg建設とa建設のJVが、原石山工事をj建設が受注するとの調整を行った。その後、Zは、歴代の土木部長に対し、上記調整のとおりの業者を指名するように指示し、歴代の土木部長も、転任の際にその都度、この点に関する引継ぎを行っていた。
c(a) a建設茨城営業所では、小山ダム建設工事を受注目標工事として、強い受注意欲に基づき、積極的に営業活動に取り組んでいたほか、同工事の営業責任者であったP2は、上記受注調整及びZの同工事に関する天の声について、遅くとも平成元年ころまでには認識していた。
(b) また、被告人Y1は、上記のとおり同工事の受注調整に直接関与し、Zが天の声を出す前後ころには繰り返しZと面会し、平成4年中にはP2に同工事の進捗状況等を尋ねるなど、同工事の受注に意欲を示すとともに、Zの上記受注調整に沿った天の声を出しているとの認識も有していた。
(c) 被告人Y2においても、関東支店長就任後、関東支店幹部や茨城営業所の担当者らから説明を受けるなどして、同工事に関する業者間の受注調整の具体的状況やZがその受注調整に沿った天の声を出しているとの認識を有するとともに、同工事の受注に強い意欲を持っていた。
(d) そして、被告人両名及びP2はいずれも、上記のような認識ないし意欲を前提に、同工事を確実に受注するためには、トップ営業を含めた積極的な営業活動が必要であるとの認識を有していた。
(カ)a 茨城県では、Zの指導の下に、県庁舎の建て替えが計画され、平成4年11月に移転先の土地問題が解決して、本件面談当時、県庁舎新築計画が具体的に進展し始めていたが、同工事は、概算工事費として約700億円が見込まれ、平成7年度の工事発注が予測されたため、大手ゼネコン各社は、茨城県随一の規模となる同工事の受注を目指し、計画の進捗状況に合わせて、県庁担当部署へ営業に訪れるほか、本社役員らがZの下に直接陳情に訪れるなど、受注に向けた活発な営業活動を展開していた。
b また、同県では、平成3年から平成4年にかけて、県立医療大学新築計画が急速に具体化し、本件面談当時も、上記計画は順調に進められていたが、同工事は、本体工事費として163億円余が見込まれ、平成5年度上期中の発注が予定されており、その受注を目指す大手ゼネコン各社は、上記計画の進捗状況に合わせ、県庁担当部署等への営業を活発に行っていた。
c(a) a建設茨城営業所では、県庁舎及び県立医療大学各新築工事をいずれも受注目標工事として、強い受注意欲に基づき、積極的に営業活動に取り組んでいたほか、週報や県別営業会議等において、P1等の営業担当者らが、両工事の進捗状況及びこれに対する営業活動について関東支店幹部へ報告するなどしていた。
(b) また、被告人Y2は、関東支店長として、両工事が関東支店の受注目標工事であり、その受注に向けて積極的な営業を行う必要がある工事であると認識し、強い受注意欲を有しており、その受注のためには、両工事についてもトップ営業を含む積極的な営業活動が必要であるとの認識を有していた。
(c) 他方、被告人Y1は、本件面談当時、県庁舎及び県立医療大学各新築工事についての具体的・個別的な認識に乏しかったとしても、建築工事を含む茨城県発注の公共工事一般について受注の意欲を有していた。
イ(ア) そして、本件面談は、以上認定のような、Zの茨城県における指名業者選定に対する介入及び受注業者決定への影響等、Zに対するゼネコン等からの資金提供の実情等、a建設の本件当時の経営環境、経営方針ないし同県からの受注状況等、小山ダム建設工事計画並びに県庁舎及び県立医療大学各新築工事計画の進捗状況等といった背景事情の下に、以上認定のような、上記諸事情に関する認識や小山ダム建設工事等の同県発注工事に対して受注意欲等を有する同社茨城営業所副所長のP2が提案し、準備して実現したものである。
(イ)a しかも、被告人Y1は、本件当時、a建設の代表取締役副社長として、経営の一翼を担う者であり、上記背景事情等について、前認定のような認識ないし小山ダム建設工事の受注調整を行うなどの受注意欲等を有していたところ、Zとは、同工事について各業者の営業活動が活発になり、業者間の受注調整が行われ、Zの同工事に関する天の声が出された前後の昭和59年から昭和63年にかけて、3回面談した以外は、本件面談時まで面談したことがなく、特段の個人的な親交もなかったにもかかわらず、茨城営業所副所長のP2の依頼に応じて、12月22日という年末で多忙を極める時期に、被告人Y2及びP2を同行してZと面談したのである。
b さらに、前記第4の6認定のとおり、本件面談の目的は、被告人両名及びP2において、Zに対し、小山ダム建設工事のみならず、県庁舎及び県立医療大学各新築工事等の建築工事をも含む茨城県発注の大型工事について、a建設を指名業者として選定してもらうとともに、Zをして、県発注工事の受注業者選定に対する影響力を行使して、これらの大型工事を受注できるよう取り計らってもらうことにあったのである。
ウ(ア) 以上認定のような事実関係、とりわけ、厳しい経営環境及び受注実績の下で、a建設においても、公共工事受注の必要性が高まる中、小山ダム建設工事の出件を翌年に控えた年末という時期に、上記のような目的の面談があえて行われたことからすれば、被告人Y1らが、本件面談に際して、Zに期待するところの県発注工事の受注業者選定に対する影響力の行使に対し、相応の見返りとなるような金品を持参したであろうことが、合理的に推認できるというべきである。
(イ) なお、後にみるように、P2は、面談当日、50万円相当の仕立て券付き背広生地を用意していたことが認められるものの、これが、Zの県発注工事の受注業者選定に対する影響力への見返りとなるようなものではないことも明らかというべきである。
(2) Zからの茨城県関係者に対する指示
ア また、本件面談後に、Zが、次のように、茨城県関係者に対して、特定の工事名を挙げて、a建設を指名に入れるよう指示した事実も認められる。
(ア)a まず、関係各証拠によれば、Zは、面談当日の夜に、都内の料亭で催された県幹部職員との懇親会の一次会会場から二次会会場へ移動する自動車内において、県土木部長として県立医療大学新築工事の指名競争入札事務を所管していたCに対し、「医療大学の工事は、a社を頼むよ。」などと言って、a建設を同工事の指名に入れるよう指示したことが認められる。
b この事実は、前記第4の1(1)イで判示したように高い信用性の認められるCの検察官調書(甲書14)及びこれに符合する内容のZの検察官調書(甲書133、136)によって認定することができる。
c(a) この点、弁護人は、〈1〉ZとCが乗った自動車には、Zの随行秘書であるMも同乗していたところ、Mは、上記のような会話を聞いていない旨証言している(74回)、〈2〉Zが、土木部長退任を間近に控えたCに対して上記のような指示をするのは不自然である、〈3〉Cが、Zの上記指示を後任のP28(以下「P28」という。)ないし部下のP10営繕課長に伝えた事実はないなどの点を指摘して、上記指示はなかった旨主張するので以下検討する。
(b) まず、〈1〉の点についてみるに、Mは、Zの建設省時代の話とCが退任する話は覚えているが、それ以外の会話がなかったとは断言できないとも証言していることからすれば、その証言は、Cの前記供述と矛盾するものではない。
(c) また、〈2〉の点に関して、Zは、本件面談後、この件を忘れないうちにCに伝えておこう、Cは間もなく退任するが、Cに指示しておけば、部下に伝えるなどしてくれるだろうと思ったと述べており(甲書136)、特段疑問とすべき点はない。
(d) さらに、〈3〉の点に関して、Cは、a建設がその施工能力からして指名業者に入ることは間違いないし、担当のP10らがどこかで知事の意向を聞くだろうと思っていたことなどからP10に告げなかった(甲書14)、e建設の指名に関する指示については、P10からその旨告げられた、同工事は前任者からの引継ぎ事項ではないので、後任のP28にも引き継がなかった(甲書53)と供述しているのであり、Zの思惑とCの思惑とが食い違っているにすぎないのであって、不自然ということはできない。
(e) したがって、弁護人の上記主張はすべて理由がない。
(イ) また、その信用性に疑問とすべき点のないZの検察官調書(甲書136)によれば、Zが、平成5年初めにCの後任として茨城県土木部長として着任したP28に対し、P28が指名競争入札事務を所管する小山ダム建設工事に関して、「本体工事はg建設とa建設にやらせ、原石山工事はj建設にやらせるようにしてくれ。」と言って、各業者を同工事の指名に入れるよう指示したことが認められる。
イ このように、Zが、本件面談直後、県発注工事の事務を所管する土木部長に県立医療大学新築工事に関し、また、翌年初めころには、その後任の土木部長に小山ダム建設工事に関して、それぞれa建設を本命業者とするよう指示していることは、被告人Y1らによる本件面談の目覚ましい成果といえるのであり、このような本件面談後の状況は、その面談に際し、Zをして受注業者としてa建設を選択することを動機付けるような出来事があったことをうかがわせるものであり、これも、前記(1)ウ(ア)の推認を裏付けるものである。
3  Zの供述の信用性
(1) Zの供述の全体的な信用性
ア まず、Zの捜査段階における供述の全体的な信用性について検討するに、Zが、その検察官調書(甲書131)で述べているところは、前記第4の1(1)で認定した茨城県における公共工事の指名業者選定及び受注業者決定の実情等及び同2(1)で認定したZに対するゼネコン等からの資金提供の実情等と、同じく検察官調書2通(甲書135、136)で述べているところは、同4(1)で認定した小山ダム建設工事の進捗状況等と、同じく検察官調書2通(甲書132、133)で述べているところは、同5(1)で認定した県庁舎及び県立医療大学各新築工事の進捗状況等と、それぞれの内容がよく合致しており、上記各検察官調書の信用性はそれぞれに、これらの本件の背景事情等によって裏付けられているのに対し、これらの本件の背景事情等をいずれも否定する趣旨のZの公判供述は、前掲の多くの客観的証拠に抵触する不自然、不合理なものというほかない。
イ したがって、Zの捜査段階における供述は、全体として信用性が高いのに対し、Zの公判供述は、全体的にそのまま信用することが困難というべきである。
(2) Zの本件収賄についての自白供述の信用性
上記(1)でみたように、Zの捜査段階における供述は、全体として高い信用性が認められるものであるところ、これを前提として、Zの本件収賄についての自白供述の信用性について検討することとする。
ア Zの供述経過等による裏付け
(ア) 前記第2で詳細に判示したように、Zの供述経過等として、次のような点を指摘することができる。
a(a) Zは、逮捕の翌日、平成4年に茨城県東京事務所で被告人Y1から1000万円を受け取った旨供述した。
(b) そして、このような初期供述は、前記第2の3(1)で詳論したとおり、Zが、検察官から取調べを受けるのに先だって、弁護士2名や知人らから、建設関係者からの具体的な現金収受の事実を念頭に置きながら、逮捕や検察官の取調べに臨む心構えや対処方法等について、繰り返しアドバイスを受けて、取調べ等に臨む方針を自ら固めるなど、予想される逮捕や検察官の取調べに対する十分な準備をしていたというのに、大鶴検事から、特段の追及的な取調べや誘導的な取調べもない段階で、独自に述べるに至り、平成4年に茨城県東京事務所のある都道府県会館で被告人Y1に面談したことは、後に客観的に裏付けられているのである。しかも、初期供述が自己の記憶に基づかないものであった旨のZの公判供述は、あいまいで大きく変遷しており、その内容も、極めて不自然、不合理なものであって、到底信用することができない。
b(a) Zは、その後も本件起訴に至るまでの間、面談当日に被告人Y1から多額の現金を収受したことを、ほぼ一貫して認めていた。
(b) そして、このような初期供述後の供述経過は、前記第2の3(2)で詳論したとおり、Zが、逮捕後も、弁護人との多数回にわたる接見の際に、弁護人に対し、取調べの状況や取調べに臨む方針等について随時相談して、弁護人から、その都度アドバイスを受けるなど、弁護人からは随時必要な法的アドバイスを受けられる状態にあり、そのアドバイスを踏まえて取調べに臨んでいたというのに、一時的な否認や一部の変遷はみられるものの、本件起訴までの4か月近くにもわたりほぼ一貫して、面談当日に被告人Y1から多額の現金を収受したことを認める供述を続けているのである。しかも、この一時的な否認や一部の変遷も、Zが、逮捕直後から、余罪を含め多数の収賄の事実を認めてしまったために、その後は、様々な思惑から、一時的に否認したり、供述内容を殊更に変遷させるなど、それぞれに合理的な説明が可能なものである。
さらに、大鶴検事による取調べは、相当に厳しいものであり、一部に公正さに疑問の残ったり穏当さに欠ける取調べがあったこともうかがわれるものの、このような問題のある取調べ方法が、本件に関するZの供述について、虚偽供述を誘発するなど不当な影響を与えたとは認められない。その他、初期供述後のZの供述が、大鶴検事による脅迫、欺罔、利益誘導等による記憶に基づかないものであった旨のZの公判供述は、自らの供述経過やZノート等の記載内容にも沿わず、その内容も、不自然、不合理なものであって、信用することが困難である。
(イ) 以上のように、Zの捜査段階における供述経過等は、その自白が自発的で真意に基づくことを強くうかがわせるものであり、虚偽供述を誘発するような状況の存在も全く認められないから、自白の内容の真実性、すなわち、Zの捜査段階における供述の信用性を裏付けるのに対し、捜査段階の自白の任意性ないし真実性を否定する趣旨のZの公判供述は、上記のような供述経過等に沿わないだけでなく、前記第2の3で詳細に説示したように、供述経過等について信用できない部分を多く含むものである。
イ 本件の背景事情等に基づく推認との符合
Zは、その検察官調書3通(甲書134、136、137)において、面談当日に、被告人Y1から、a建設が茨城県発注の諸工事を受注したお礼及び今後発注が予定されている小山ダム建設工事、県庁舎・県立医療大学各新築工事等の受注を依頼する趣旨で、現金2000万円を受け取ったなどと述べて、本件収賄の事実を自白しているところ、このようなZの捜査段階における自白供述は、前記2で判示したところの本件の背景事情等及びZの本件面談後の行動に基づいて推認できる事実とよく符合するものであって、この推認により客観的に裏付けられている。
ウ 面談当日前後におけるZの現金収支等との関係
(ア) 証拠上明らかなZの現金収支等
次いで、Zの捜査段階における供述と面談当日前後におけるZの現金収支等との整合性について検討するに、関係各証拠によれば、次の事実が認められる。すなわち、
a Zは、平成4年12月22日朝、Mと共に上京し、同日午後2時過ぎころ、b建設副社長のQから現金200万円を受け取った。
b Zは、同日午後4時30分ころ、被告人Y1らと面談した後、同日午後5時過ぎころ、ホテルオークラ(以下、この(2)の項では単に「ホテル」という。)にチェックインして、その際、貸金庫を借りた。
c Zは、同月24日午前9時過ぎころ、上記貸金庫を解約してから、公用車でホテルを出発し、貸金庫を借りている株式会社住友銀行(以下「住友銀行」という。)虎ノ門支店に寄って、興銀及び農林中金発行の割引債券を貸金庫から取り出した後、興銀日本橋支店に出向き、同支店で、現金191万円を使って興銀発行の上記割引債券について買い増しを行い、次いで、農林中金本店に赴き、同本店で、農林中金発行の上記割引債券について乗り換えを行ったが、その際は現金の収支はなかった。
d その後、Zは、運輸省に陳情をした後、ホテルに戻り、その客室で、同日午後0時30分ころc工業顧問のLから現金200万円を、同日午後1時ころd工業会長のT10から現金1400万円をそれぞれ受け取った。
e Zは、公用車で再びホテルを出発して、当時の通産大臣に陳情し、都道府県会館の茨城県東京事務所に寄ってから、公用車で興銀本店に向かい、同本店で、現金1707万円を使って興銀発行の割引債券を新規購入した後、住友銀行虎ノ門支店で、その日に新規購入ないし買い増しした割引債券を貸金庫に収納した。その後、Zは、赤坂の料亭で開かれた懇親会に出席して、現金5万円を支払っている。
f Zは、翌25日朝、公用車でホテルを出発して、午前に厚生省、防衛庁、自民党本部、午後に建設省、大蔵省を回るなどした後、上野駅から特急電車に乗って水戸に帰った。その後、公用車で、鍼灸院に寄ってから、県庁に登庁して執務を行った後、地元の料亭で開かれた懇親会に出席し、終了後に、タクシーで知事公舎に帰宅した。
(イ) ホテルでの貸金庫の利用状況との符合
a 上記認定のように、Zは、ホテルの貸金庫を、同月22日午後5時過ぎに借りて、同月24日午前9時過ぎに解約しているところ、このようなホテルの貸金庫の利用状況は、Zが、同月22日午後4時30分ころの本件面談で、被告人Y1から2000万円を受け取り、同月24日午前から興銀日本橋支店や本店、更には農林中金本店を回って合計1898万円もの現金を使って割引債券の新規購入ないし買い増しをしたというZの捜査段階の供述に沿うものということができる。
b(a) しかも、前認定のように、1万円札100枚の札束20個の現金2000万円を、Hの捜査段階の供述(甲書140、甲物70)に従い、マチ付きで鳩目の付いた大型茶封筒に入れると、縦約31.9~32.5cm、横約23cm、高さ約4.8cmの大きさになるところ、Zの検察官調書(甲書137)及び検証の結果(弁人35)によれば、Zが借りた貸金庫の内径は、底面部が幅約24.5cm、奥行き約37.8cm、開口部が幅約23.5cm、奥行き約24.9cmで、高さが側面の張り出しの下まで約5.8cmであることが認められるのであり、このような貸金庫の内径は、上記の現金2000万円入り大型茶封筒の大きさよりも若干大きなものということができる。
(b) そうすると、Zが、検察官調書(甲書134)において、「私は、この2000万円の入った封筒を貸金庫の中のケースに封筒を折ったりせずにそのまま差し入れるように収納しました。その封筒は、無理に押し込んだりすることなくそのケースに入りましたが、そうかと言って、封筒を入れたときにそのケースにかなり隙間ができてしまうほどでもなく、少しだけ隙間が残るというくらいのものでした。」と述べているのは、上記のような現金2000万円入りの大型茶封筒の大きさと貸金庫の大きさとの関係によく合致するものといえる。
c 以上のように、Zのホテルの貸金庫を利用した時期及び貸金庫の大きさは共に、Zの捜査段階の供述とよく符合するものであって、その信用性を裏付けるものということができる。
(ウ) Zの公判供述について
a Zは、公判段階において、面談当日前後における現金収支等として、次のように、捜査段階とは大きく異なる供述をしている。すなわち、
(a) 私は、平成4年12月22日に上京する際に、住友銀行虎ノ門支店の貸金庫に入れるために額面合計540万円の割引債券5枚、割引債券の買い増しや職員の慰労に使う現金約200万円を持参した。
(b) 同日夕方にホテルの貸金庫を借りたのは、水戸から持ってきた上記割引債券及び現金150万円のほか、Qからその日に受け取った現金200万円を入れるためである。なお、ホテルの客室にも金庫はあるが、以前利用した際に、開かなくなってホテル従業員を呼んだが、非常に時間が掛かって懲りたことから、今回は利用しなかった。
(c) 同月24日朝は、ホテルの貸金庫から、割引債券及び現金350万円を取り出し、興銀日本橋支店では、その350万円の中から191万円を割引債券の買い増しに使った。
(d) その後、L及びT10から現金合計1600万円を受け取ったことから、興銀本店では、手持ちの現金107万円を加え、現金合計1707万円で割引債券の新規購入をした。
b しかしながら、このようなZの公判供述には、以下のように多くの疑問点を指摘せざるを得ない。すなわち、
(a) まず、Zが面談当日に上京する際、割引債券を持参したことを裏付ける証拠は存在しない。また、Zは、同じ公判供述で、ワリノー(農林中金発行の割引債券)については、捜査段階でも記憶が間違いなくあり、隠すはずもないから、大鶴検事に話していると述べる一方、水戸からの持参品について詳しく供述している平成5年10月28日付け検察官調書(乙物86)に記載されていない理由は分からないと述べている(100回)。しかも、Zの公判供述によっても、この割引債券は、面談当日から半年以上も先の平成5年6月25日を償還期限とするものであり、その供述からも、頻繁に上京していたことがうかがわれるZが、あえてこの時期の出張に際して持参する必要性も見出し難い。
(b) Zは、その公判供述によっても、上京当日の午後2時過ぎにはQと面談することが予定されており、Qからは相当額の現金をもらえると予想し、実際に現金200万円を受け取ることができたというのに、水戸から約200万円もの現金を持参する理由についての合理的な説明はされていない。
(c)i Zの検察官調書(甲書137)及び検証の結果(弁人35)によれば、Zが宿泊した客室内の金庫は、テンキーで暗証番号を入力する方式のもので、内径は、底面部が幅約30.5cm、奥行き約21.7cm、開口部が幅約30.5cm、奥行き約19.7cmで、高さが約10.2cmであることが認められるのであり、この金庫は、前認定のような大きさの現金2000万円入り大型茶封筒を入れるには、小さすぎるものではあるが、Zが水戸から持参したとする現金約200万円及び割引債券5枚は十分なゆとりをもって収納可能なものである。このように客室内に金庫がありながら、現金150万円及び割引債券5枚を入れるためだけに、わざわざ別の貸金庫を借りるというのも不自然である。
ii この点、Zは、前記のように、以前利用した際に、開かなくなってホテル従業員を呼んだが、非常に時間が掛かって懲りたために、面談当日には利用しなかった旨供述するが、上記検証の結果からも明らかなとおり、上記客室内の金庫は、テンキーで暗証番号を入力するだけで開け閉めのできる操作が容易なものであり、その利用方法については、金庫上面のすぐ脇に説明書が置かれていたから、県知事として豊富な社会経験を有するZが、その利用をためらうようなことは考え難い。しかも、ホテル宿泊部フロント課課長の指示説明によれば、客が操作を誤って金庫が開かなくなっても、アシスタントマネージャーがマスターキーを持っているため、すぐに開けられるというのである。さらに、宿泊客から金庫の不具合に関するクレームが付いたのにホテル側が直ちにこれに対応しないようなことは考え難いから、Zの公判供述の不自然さはより際立つというべきである。
(d)i Zの公判供述によると、Zは、Q、L及びT10から受け取った現金合計1800万円のみならず、水戸から持参したという現金のうち98万円についても割引債券の新規購入のために費消し、料亭での支払の5万円のほか、女性との買い物や食事にもある程度の金額を費消したとうかがわれるから、水戸に帰る際には、上京時より100万円以上も少ない90万円台の現金しか持ち帰らなかったことになる。
ii しかし、Zは、Q、L、T10らから年末に現金を定期的にもらっていたことを認めており、こうした年末の現金収入が、Zの蓄財だけでなく、政治献金としても、重要な財源であったことがうかがわれるのに、Zは、Q、L、T10らから受け取った現金以上の金をすべて割引債券の購入、すなわち、自らの蓄財に充てたというのも、いかにも不自然である(なお、乙物90参照)。
c(a) これに対し、弁護人は、Zの捜査段階における自白供述の方が不自然、不合理であるとして、次の点を指摘している。すなわち、Zの捜査段階の供述によれば、〈1〉Zは、平成4年12月24日朝に、その日はLとT10から多額の現金をもらう見込みがあったのに、ホテルオークラの貸金庫を解約した上、被告人Y1から受け取ったとされる本件2000万円を含む合計2200万円の現金を持って同ホテルから出掛けている、〈2〉ところが、Zは、最初に行った興銀日本橋支店では191万円しか使っていない、〈3〉Zは、その日、割引債券の新規購入や買い増しで現金合計1903万円を費消したものの、L及びT10から現金合計1600万円を受け取ったため、1897万円もの多額の現金を同ホテルに再び持ち帰ったのに、その夜は同ホテルの貸金庫を借りていない、〈4〉しかも、Zは、翌朝、この多額の現金を持って予算の陳情のための省庁回りをした後、水戸まで持ち帰り、夜は料亭での宴会に出席してから公舎に持ち帰っている、このような行動は不自然、不合理であり、Zの捜査段階の自白供述は信用できないというのである。
(b) しかしながら、弁護人指摘のZの行動については、それぞれにZ自身が捜査段階で説明しているか合理的に説明することが可能なものである。すなわち、
iα まず、〈1〉の点について、Zは、同月22日から23日までの間、ホテルの貸金庫を借りたのは、2000万円もの大金を被告人Y1との面談後に科学技術庁事務次官への陳情や県幹部との懇親会に持ち歩くのは不用心であり、同月23日には日中に外出することを予定していたので、客室に置いておくのも不用心と考えたためである、同月24日に本件2000万円を持ち出したのは、同日に割引債券の乗り換え手続をし、その際にこの2000万円を使って新規購入をしようと考えたためであると説明している(甲書136)。
β しかも、T10の公判証言によると、T10が盆暮れにZに手渡していた現金は、多いときも少ないときもあったというのであり(72回)、Lの公判証言によると、Lは、暮れにはZに現金を渡すこともあれば酒や菓子を渡すこともあったというのである(72回)から、Zとしては、L及びT10から受け取る金額は確定的には予想できなかったはずである。したがって、同月24日に割引債券の新規購入や買い増しに多額の現金を使うことを予定していたZとしては、L及びT10から受け取る金額が少ないことも考えられるから、被告人Y1から受け取った本件2000万円を持ち出しても、決して不自然とはいえない。
ii 〈2〉の点について、Zは、同日午前中に本件2000万円をすべて使わなかったのは、興銀日本橋支店では、何度も乗り換えの手続をしていたので、行員や守衛らに顔を覚えられているかもしれないと思い、同支店で本件2000万円全額を使い新規購入をすると、捜査されることになったときに発覚しやすくなって不都合であると考えたためであると供述している(甲書136)。そして、このようなZの供述は、被告人Y1から本件2000万円を受け取ったことに対する後ろめたさを感じている者の心境として、ごく自然なものということができる。しかも、Zとしては、前記のように、同日午前中には、L及びT10から受け取る金額は確定的には予想できなかったのであるから、割引債券の新規購入や買い増しに使う金額も未定であったと考えられるのであり、本件2000万円の一部のみを使うということも十分考えられるところである。
iii 〈3〉の点は、同日夜の時点では、被告人Y1から受け取った大型茶封筒入りの本件2000万円は、ほとんど費消していたのであり、残りの1900万円前後の現金は、1つの封筒にまとまるような形ではなかったことがうかがわれる。そうすると、前認定のようなホテル客室内の金庫の大きさに照らすと、この程度の現金であれば、その金庫に十分収納することが可能であるといえる(乙物89参照)。したがって、それとは別に貸金庫を借りる必要は認められないから、その夜にホテルの貸金庫を借りなくても不自然とはいえない。
ivα 〈4〉の点は、確かに、Zは、多額の現金をかなり不用心とも思われるほど大胆かつ無造作に持ち歩いており、一般人の感覚からすると、奇異な印象を与えるものである。
β しかしながら、Zは、その公判供述によっても、ゼネコン等から1000万円単位もの多額の現金を多数回にわたり受け取ってきており、しかも、知事公舎では、段ボール箱に約1億円もの現金を入れていたというのである。加えて、大型茶封筒入りの2000万円の現金は、前認定のように、重さが約2150g、大きさが縦約31.9~32.5cm、横約23cm、高さ約4.8cm程度にとどまり、検証の結果(弁人25)によれば、A4版の書類が入るような小振りの横長の手提げ付き紙袋に入れて、それほど目立つことなく容易に持ち歩くことができると認められるから、上記のような金銭感覚のZが、2000万円前後の現金を無造作に持ち歩いたとしても、あながち不自然とはいえない。
(c) したがって、弁護人の前記主張は採用できない。
エ 本件2000万円に関するMの目撃供述
(ア)a Zの秘書であったMは、公判段階において、面談当日には、被告人Y1らの面談を終えて知事会談話室から出てきた際、Zが何か持っていたという記憶はないが、その2日後の平成4年12月24日の朝には、水戸から上京した際に持っていた物とは異なる、A4版の書類を横にして入れるくらいの大きさの黒っぽい虎屋の羊羹のような感じの紙袋を持っていた旨証言している(74回)。
b そして、本件2000万円を入れた紙袋は、Hの検察官調書(甲書140)によれば、手提げ部分のしっかりした黒っぽい色合いの手提げ付き紙袋であったというのであり、被告人Y2の検察官調書(乙書22)によれば、虎屋の羊羹を入れるような横長の手提げ付き紙袋で、横幅が約35cm、高さが約30cm、幅が約10cmくらいだったというのである。また、検証の結果(弁人25)によれば、H及びMの上記各供述に従って、2000万円の現金をマチ付きで鳩目の付いた大型茶封筒に入れたところ、羊羹等を入れる和菓子店「虎屋」のA4版程度の大きさで横長の手提げ付き紙袋に十分に収まるものと認められる。
c そうすると、上記M供述は、面談当日の2日後の朝のこととはいえ、Hが供述するとおりの本件2000万円の入った手提げ付き紙袋を、Zが持っているところを目撃したというものであるから、被告人Y1から本件2000万円を受け取ったとするZの捜査段階の供述を直接的に裏付けるものということができる。
(イ)a もっとも、Mは、前記のとおり、面談当日、被告人Y1らの面談を終えて知事会談話室から出てきた際、Zが何か持っていたという記憶はない旨供述するとともに、Zがゼネコン関係者と会う際には、政治献金を渡されるのではないかということで、Zが何を持っているかに比較的関心を持って見ていたとも証言している(74回)。
b しかし、Mは、Zが黒っぽい紙袋を持っていた可能性については否定せず、あくまで持っていたか否か記憶にないと述べるにとどまっている。しかも、Mは、面談から2日後の朝に、Zが水戸から上京時に持っていなかった黒っぽい手提げ付き紙袋を持っていたことについては、特段記憶に残るべき強い印象を受けた根拠も特にないというのに、明確に供述し、弁護人からの詳細な尋問にも全く動揺していない。
c さらに、Mが面談当日の前後を通じて随行秘書としてZとは密接な関係にあったことも考慮すると、このようなMの供述態度は、Mを取り調べた内尾検事が指摘するように(161回、162回、164回)、本件面談直後における現金の入った紙袋の目撃という、Zの有罪を決定づけるような供述は回避しながらも、完全に口をつぐむことには良心の呵責を覚えて、2日後の目撃状況について供述したものと、合理的に推認することができる。
d したがって、上記のような面談当日の目撃状況に関するMの証言が、その2日後の目撃状況に関する証言の信用性を左右するものとはいえない。
(ウ)a 他方、Zは、Mが目撃した紙袋について、Zは、同月24日朝に乗り換えをする債券証書を入れる用意のために、ショルダーバッグに折り畳んで入れていた手提げ付き紙袋を脇に置いたのかもしれない旨供述する(102回)。
b ところが、Zは、公判段階において、その紙袋を車内で出したのであれば、折り畳んだままであったと思うとも供述している(102回)。しかも、同日朝に、MがZを住友銀行虎ノ門支店に送り届けた時点でZと別れたことは、関係各証拠から明らかであるから、Zの供述を前提とすれば、Mが見たのは、折り畳まれた状態の空の紙袋であったことになる。しかし、Mは、紙袋がそうした状態であったとは証言していないし、折り畳まれた紙袋を持っていただけで、その紙袋の特徴の詳細についてまで記憶に残るというのも、いかにも不自然である。
c したがって、Mが目撃した紙袋は、中に物の入った状態であったと考えるほかはなく、Zの上記供述は到底信用できない。
(エ)a さらに、Zの運転手であったT5(以下「T5」という。)は、公判段階において、同月24日の朝からZの乗車する公用車を運転した際、多分、いつもと同じように、黒いショルダーバッグと取っ手の付いた縦長の紙袋を特っていたと思う旨証言している(108回、109回)。
b しかし、T5は、平成元年4月1日からZが逮捕される平成5年7月まで、Z専属の公用車の運転手を務めていたところ、平成4年12月24日に、Zが具体的にそのような荷物を持っていたという記憶はなく、Zが持っていた手提げ付き紙袋の形や色についての記憶もない、Zは紙袋を2つ持っていることもある、知事とは一線を画するように心掛けていたので、Zの持ち物については、はっきり分からないとも証言している。
c したがって、その日のZの持ち物に関するT5の証言は、具体的な記憶に基づくものでないことが明らかであり、Mの前記証言と矛盾するものとはいえないのである。
オ Zノートの記載
(ア)a ZノートNo.1(弁物147)71頁には、平成5年9月19日の取調べの際の大鶴検事とのやり取りとして、「Y1副社長から平4.12.22もらったのは、記憶の上で実感の上で(割興を買ったことを捨象して考えて)、1000万か2000万か。談話室でもらったとき(急いでオークラへ行き、チェックインして貸金庫を借り、お金を入れ、24日朝貸金庫からお金を出している)、Boxに入れたとき、Boxから出したとき。又、P19より多いという実感があったか。」旨の質問に続き、「Boxから取り出すとき、2000万円あったという実感はありますが、割興を買ったことは間違いない事実ですので、捨象したと言われても、どう考えていいか分からない。」という答えの記載がある。
b また、同72頁には、同月20日の取調べ状況及びZの認識内容として、「検事から、Y1さんからのは2000万円かと聞かれたが、元々言っているように、大型封筒の厚さから言っても重さから言っても、開けたときのぞいたときの様子からしても、2000万円間違いないと思う。」旨の記載がある。
c さらに、ZノートNo.2(弁物148)28頁には、同年10月7日のやり取りとして、「もらった実感の一番強いのはどれか Y1か、吉のか・・・強い順番で言うとどうか?」旨の質問に続いて、「Y1も吉のも実感は100%ありますと言っています」旨の答えの記載があった上、そのうち「実感は100%ありますと言っています」の部分を横線で抹消した後、「もらいましたと調書では言っているではないか」との記入があり、次いで、「今はどうか?」という質問の記載に続いて、「実感はありますよ。どちらも。」という答えが記載されているのである。
(イ) このようなZノートの記載は、Zが、大鶴検事の取調べ状況をメモする中で、被告人Y1から現金を受け取った実感があるという自己に不利益な事実を、思わず吐露したものとして、高い信用性が認められるのであり、これもまた、Zの本件収賄についての自白供述の信用性を裏付けるものである。
カ(ア) 以上検討してきたとおり、Zの本件収賄についての自白供述は、前記(1)で判示したように、Zの捜査段階の供述が全体的に信用性が高いことに加えて、前記アないしオで判示したように、その供述経過等からは、自発的な真意に基づくことを強くうかがわせるものであり、虚偽供述を誘発するような状況の存在も全く認められない。しかも、その内容も、本件背景事情等に基づく推認と符合し、Zがホテルの貸金庫を利用した時期やその大きさとも符合しており、面談当日前後におけるZの現金収支等とも矛盾しないものであって、本件2000万円に関するMの目撃供述及びZノートの記載によっても、客観的に裏付けられているほか、前認定のような本件背景事情等に照らしても、自然な流れに沿う合理的なものということができるから、高い信用性を認めることができる。
(イ) これに対し、本件収賄を否認する趣旨のZの公判供述は、前記(1)で判示したように、全体的にそのまま信用することができないだけでなく、前記アないしオでみたような供述経過等はもとより、多くの客観的事情や証拠関係にも沿わない不自然・不合理なものであって、これを信用することは困難である。
4  本件贈賄の謀議、準備及び実行に関するa建設関係者の各供述の信用性
(1) a建設関係者の供述の概要
ア 本件贈賄の謀議及び本件贈賄資金の準備について
(ア) 被告人Y1(乙書14)及びP2(甲書35)は、その各検察官調書において、P2は、平成4年12月初めころ、被告人Y1に電話して、小山ダム建設工事の発注が近いことなどを理由に、Zに対するトップ営業を依頼した、すると、被告人Y1は、これを承諾するとともに、P2に対し、Zとの面会の約束を取り付けるとともに、P2も同行するように指示した、これを受けて、P2は、茨城県知事公室秘書課と連絡を取り、面談当日の午後4時30分に都道府県会館で被告人Y1がZに面会できる旨の約束を取り付けた旨それぞれの立場から供述している。
(イ) 被告人Y1(乙書15)及び被告人Y2(乙書22)は、その各検察官調書において、被告人Y1は、その後、被告人Y2に電話をして、本件面談に同行することを指示するとともに、2000万円を用意することも併せて指示し、被告人Y2は、これを承諾した旨それぞれの立場から供述している。
(ウ) 被告人Y2(乙書22)及びH(甲書140)は、その各検察官調書において、被告人Y2は、同月中旬ころ、Hを呼んで、「Y1副社長の所に持っていくから、裏金で2000万円用意してくれ。」と指示し、Hは、これを承諾した、そこで、Hは、関東支店の裏金から現金2000万円を用意した上、面談当日の午後4時過ぎころ、ガーデンコートビル1階車寄せ付近に赴いて、同所付近で被告人Y1と待ち合わせをしていた被告人Y2に対し、上記現金2000万円を届けた旨それぞれの立場から供述している。
イ 本件贈賄の状況について
(ア) 被告人Y1(乙書15)及び被告人Y2(乙書22)は、その各検察官調書において、被告人Y2は、Hから現金2000万円入りの手提げ付き紙袋を受け取った後、間もなく同所付近に現れた被告人Y1に対し、「例の物を持ってきました。」と言って、上記紙袋を手渡した、その後、被告人両名及びP2は、自動車でZとの面談場所である都道府県会館に向かった旨それぞれの立場から供述している。
(イ) 被告人Y1(乙書15)及び被告人Y2(乙書22)は、その各検察官調書において、被告人両名及びP2は、都道府県会館に到着後、同会館内の知事会談話室に案内されて待っていたところ、Zが現れたので、被告人Y1が、「いつもいろいろお世話になりましてありがとうございます。」とあいさつし、a建設の茨城県からの公共工事受注についてお礼を述べた後、被告人Y2を紹介し、雑談してから、「今後、県からは、小山ダムを始め、いろいろと大型工事が出ると伺っておりますが、a建設をよろしくお願いします。」と述べた上、現金2000万円入りの手提げ付き紙袋をZに差し出したところ、Zは、これを受け取った旨それぞれの立場から供述している。
(2) a建設関係者の供述の全体的な信用性
ア 被告人両名及びP2の捜査段階における各供述の全体的な信用性について検討するに、被告人Y1(乙書14)、被告人Y2(乙書22)及びP2(甲書35)が、その各検察官調書で述べているところは、前記第4の1(1)で認定した茨城県における公共工事の指名業者選定及び受注業者決定の実情等並びに同1(2)で認定したこの点に関するa建設関係者の認識と、被告人Y1(乙書14)及び被告人Y2(乙書22)が、その各検察官調書で述べているところは、同2(1)で認定したZに対するゼネコン等からの資金提供の実情等及び同2(2)で認定したこの点に関する被告人両名の認識並びに同3(1)ア及び同(2)アで認定したa建設の本件当時の経営環境、経営方針ないし茨城県からの受注状況等並びに同3(1)イ及び同(2)イで認定したこれらの点に関する被告人両名の認識と、被告人Y1(乙書14)及びP2(甲書35)が、その各検察官調書で述べているところは、同4(1)で認定した小山ダム建設工事の進捗状況等及び同4(2)で認定したこの点に関するa建設関係者の認識ないし受注意欲等と、被告人Y1が、その検察官調書2通(乙書14、15)で述べているところは、同5(1)で認定した県庁舎及び県立医療大学各新築工事の進捗状況等並びに同5(2)で認定したこの点に関する被告人Y1の認識ないし受注意欲等と、被告人Y1(乙書13~15)、被告人Y2(乙書21、22)及びP2(甲書35)が、その各検察官調書で述べているところは、同6で認定した本件面談の目的と、それぞれの内容がよく合致しており、上記各検察官調書の信用性はそれぞれに、これら本件の背景事情等によって裏付けられているのに対し、これらの本件の背景事情等をいずれも否定する趣旨の被告人両名及びP2ら茨城営業所関係者の各公判供述はいずれも、前掲の多くの客観的証拠に抵触する不自然、不合理なものというほかない。
イ したがって、被告人両名及びP2ら茨城営業所関係者の捜査段階における各供述は、全体として信用性が高いのに対し、これらの者の各公判供述は、全体的にそのまま信用することが困難というべきである。
(3) 本件贈賄に関する被告人両名及びHの各供述の信用性
上記(2)でみたように、被告人両名の捜査段階における各供述はいずれも、全体として高い信用性が認められるものであるところ、これを前提として、被告人両名及びHの本件贈賄の謀議、準備及び実行状況に関する捜査段階の各供述の信用性について検討することとする。
ア 被告人両名及びHの供述経過等による裏付け
(ア) 被告人Y1の供述経過等
前記第3の1で詳細に判示したように、被告人Y1の供述経過等として、次のような点を指摘することができる。
a(a) 被告人Y1は、その経歴や本件当時の地位ないし立場からすると、豊富な学識、経験に裏付けられた強い意志力及び高度で的確な状況認識ないし判断能力を有しており、本件贈賄事実を認めることがどのような意味を有し、自己やa建設にどのような影響を及ぼすかについて理解していたはずであるところ、逮捕後も、自己の弁護人らと接見して法的な助言を受けていたが、逮捕から6日目、弁護人らとの最後の接見からは2日後である平成5年10月31日に、本件贈賄事実を自白し、その後、同年11月2日の弁護人らとの接見後にいったん否認に転じたが、同月4日の早川・薄金両弁護士との接見の直後から、再び本件贈賄事実を認める供述を始め、その後も、弁護人らの接見を受けながら、本件起訴日である同月15日まで一貫して本件贈賄事実を認める供述を続け、多数の自白調書に署名指印している。
(b) そして、このような接見ないし打合せ状況の下での被告人Y1の供述経過は、前記第3の1(4)ア(ア)及び(イ)で詳論したとおり、本件贈賄事実を認めることがどのような意味を有し、自己やa建設にどのような影響を及ぼすかについて十分理解していた被告人Y1が、弁護人らからの様々な助言に耳を傾けながらも、最終的には自らの意思で本件贈賄事実を認める決断をし、同月4日以降本件起訴に至るまで、その意思を変えることなく自白を維持したことを示すものであり、その間の一時的な否認や被告人Y2の関与に関する供述の変遷も、それぞれに合理的な理由が認められるのであって、被告人Y1の捜査段階における供述の信用性を強く裏付ける事情ということができる。
b(a) 被告人Y1は、このように本件贈賄事実を自白するに至った経緯ないし理由について、捜査段階では、内尾検事から、本件は証拠上明白な事件であり、否認を続けていると、a建設のためにならないと説得されて、検察庁を敵に回してしまうと、同社が大きな損害を受けることになりかねないと感じたことから、自分の社会的生命が終わり、同社が多少の指名停止を受けようとも、真実を認めるしかないと腹をくくり、事実を認める気持ちになったためであると説明している。
(b) そして、前記第3の1(4)ア(ウ)で詳論したとおり、このような自白に至った経緯ないし理由は、内尾検事の厳しい取調べ方法を考慮に入れても、a建設の経営陣において枢要な立場にいた者の判断理由として十分納得のいくものである。しかも、被告人Y1が、弁護人らと接見した直後に再自白し、その後、接見を重ねながらも、自白を一貫して維持していたという事実は、a建設に対して強い愛着を持つ被告人Y1が、弁護人らの様々な法的助言や説得を踏まえながらも、自ら否認を続けることと自白することとの利害得失について慎重に検討して、自らの冷静な判断の下に再自白に踏み切ったことを推認させるものである。したがって、被告人Y1が初期自白、そして再自白に至る理由もまた、その自白の信用性を支える事情ということができる。
(イ) 被告人Y2の供述経過等
前記第3の2で詳細に判示したように、被告人Y2の供述経過等として、次のような点を指摘することができる。
a(a) 被告人Y2は、被告人Y1と同様、豊富な学識、経験に裏付けられた強い意志力及び高度で的確な状況認識ないし判断能力を有しており、本件贈賄事実を認めることがどのような意味を有し、自己やa建設にどのような影響を及ぼすかについて理解していたはずであるところ、逮捕後も、自己の弁護人らと接見して法的な助言を受けていたが、逮捕から7日目の平成5年11月8日に本件贈賄事実を自白しているばかりか、その日は、接見の際に、弁護人らから「本当にやっていないのなら頑張りなさい。」などと激励を受けたのに、弁護人らに対して関東支店長を辞任する旨伝えた上、その直後の取調べにおいて本件贈賄事実を認める供述を始め、その後も繰り返し弁護人らの接見を受けながらも、本件起訴日である同月22日まで一貫して本件贈賄事実を認める供述を続けて、多数の自白調書に署名指印している。
(b) そして、このような接見ないし打合せ状況の下での被告人Y2の供述経過は、第3の2(3)ア(ア)で詳論したとおり、被告人Y2が、弁護人らからの様々な助言に耳を傾けながらも、最終的には自らの意思で本件贈賄事実を認める決断をし、同月8日以降本件起訴に至るまで、その意思を変えることなく自白を維持したことを示すものであって、被告人Y2の捜査段階における供述の信用性を強く推認させる事情ということができる。
b(a) また、被告人Y2がこのように本件贈賄事実を自白するに至った経緯ないし理由は、前記第3の2(3)ア(イ)で詳論したとおり、被告人Y2が、同月2日の時点で、被告人Y1が自白し、Hも本件贈賄資金準備の事実を認めて、自分が罪に問われかねない状況に置かれたことは認識したものの、被告人Y1は既に否認に転じており、Hの前記供述を動揺させることができれば、状況は好転するかもしれないと考えて、同月5日、長野検事に対し、Hが自分に現金を渡した場所はY1副社長室であるなどという虚構の事実を述べて、Hに伝えさせ、Hも否認に転ずることを期待したものの、長野検事から、これらの事実をぶつけても、Hの供述が変わらなかったと教えられ、しかも、同月8日の接見では、弁護人らから、被告人Y1が再度自白に転じたことを告げられたことにより、もはや罪から逃れるすべはないものと観念して、その接見の直後に本件贈賄事実を自白するに至ったものと推認することができる。
(b) そして、このような被告人Y2が本件を自白するに至った経緯ないし理由は、誠に自然かつ合理的なものであって十分納得できるものであり、そこには任意性を疑わせる事情を見出すことはできない。
c(a) 被告人Y2の供述は、前記第3の2(3)ア(ウ)で詳論したとおり、同月8日に自白して以降は、細部を含めてほぼ一貫しており、長野検事から、面談当日に同行していたP2が現金の授受を否認する供述を続けていると聞いても、その供述に動揺や変遷は全くみられない。また、面談当日における被告人Y1との合流地点や本件後の被告人Y1からの口止め工作に関する被告人Y2の供述は、独自のもので、固有の記憶に基づく自発的なものであったことがうかがわれる。
(b) このように、被告人Y2の捜査段階の自白供述は、一貫しており、かつ、関係者らの供述からは独自性を有するものであるから、これらの事情も、同供述の信用性を担保する事情といえる。
(ウ) Hの供述経過等
前記第3の3で詳細に判示したように、Hの供述経過等として、次のような点を指摘することができる。
a(a) Hは、前記第3の3(3)アで詳論したとおり、被告人Y1の自白調書が作成された後ではあるものの、その内容を大きく超えて、本件贈賄原資の準備が被告人Y2からの指示に基づくものであり、現金2000万円を面談当日に被告人Y2に届けたことまで認めるに至り、現金受渡しの場所や相手については上司である被告人両名と、裏金出納帳等の廃棄に関する被告人Y1及びP16の指示については被告人Y1及びP16とも、あくまで食い違う供述をしている。しかも、Hは、その間も、弁護人らと接見を重ねており、取調べ検事から自分とは異なる内容の被告人Y2の供述を告げられても、本件贈賄原資の準備に関与するなどしたという自らの供述を貫いているのである。
(b) そして、このようなH供述の独自性ないし一貫性は、検察官の押し付けや他の関係者の供述による影響とは相いれないH供述の自発性を裏付けるものということができる。
b(a) また、このように本件贈賄事実を自白するに至った経緯ないし理由、あるいは、H供述の当初のあいまいさや変遷の状況は、前記第3の3(3)イで詳論したとおり、Hが、同年10月末ころには検察庁への態度を軟化させていたところ、同年11月1日に、牧野検事から、本件贈賄の最高責任者である被告人Y1がその事実を認めたと告げられて、これへの関与を否認する必要性が乏しくなったと判断し、自らの本件贈賄原資の準備への関与を認める供述を始めたものの、自らの供述が直属の上司で自分に直接指示を下した被告人Y2、更にはa建設副社長の被告人Y1の責任を決定的に裏付けるものとなることから、当初は、すべてを記憶のとおり供述することができず、あいまいな供述にとどめていた、Hは、同月2日午後、早川弁護士と接見した際、同弁護士から、安易な供述を諫められるとともに、被告人Y1も自白を翻す見通しであることを聞かされて激励され、さらに、同月8日の接見の際にも、繰り返し安易な供述を諫められるとともに激励されて、心理的に動揺したため、一気に供述を翻し本件贈賄原資の準備への関与まで否認することはできなかったものの、一部に記憶に反する供述をも交えて供述するようになった、しかし、Hは、同月5日に、被告人Y2から、牧野検事を介して、自分の供述を試すような言付けをされ、その後、牧野検事から、被告人Y2も同月8日に本件贈賄事実を認めたと聞かされ、さらに、同月9日、自己の虚偽供述の一部が検察庁の捜査により覆されるに至ったことから、本件贈賄に関してはすべて記憶に基づいて正直に供述するに至ったものである。
(b) そして、以上のようなHが自白するに至った経緯ないし理由、あるいは、当初はあいまいな供述をしたり一部変遷させるなどした供述心理は、関東支店経理部長として同支店の裏金を管理していたHの立場に照らし、誠に自然かつ合理的なものであるから、これもまた、H供述の信用性を裏付けるものということができる。
(エ) 以上みてきたように、被告人両名及びHの捜査段階における各供述経過等は、それぞれに、各人の本件贈賄の謀議、準備及び実行への関与を認める趣旨の各供述(以下、Hの供述も含めて「自白供述」という。)がいずれも自発的で真意に基づくことを強くうかがわせるものであり、虚偽供述を誘発するような状況の存在も全く認められないから、上記各供述の内容の真実性、すなわち、被告人両名及びHの捜査段階における各供述の信用性を裏付けるのに対し、各人の捜査段階の供述を否定する趣旨の被告人両名及びHの各公判供述は、それぞれに上記のような供述経過等に沿わないだけでなく、前記第3の1(4)、2(3)及び3(4)でそれぞれ詳細に説示したように、供述経過等について信用できない部分を多く含むものである。
イ 各供述相互及びZの自白供述との符合
(ア) 被告人両名及びHの各自白供述の符合
a まず、被告人両名及びHの各自白供述は、本件贈賄の謀議、準備及び実行に関して、各人が直接体験した事実及びそこから察知した事実についてそれぞれの立場から述べたものとして、後に検討する点を除けば、互いにおおむね符合しており、有機的に関連し合い補完し合って、全体として統一性のある供述となっているところから、相互に信用性を強く補強し合う関係に立つというべきである。
b(a) また、被告人両名及びHの各自白供述は、前記3で詳細に判示したように、高い信用性の認められるZの自白供述ともよく符合している。
(b)i もっとも、本件贈賄の趣旨ないしその認識について、被告人両名とZとの各自白供述の間には、若干の食い違いがみられる。すなわち、
α 被告人Y1は、これまで茨城県から潮来の方の橋梁工事等種々の工事を受注させてもらったお礼と、今後同県が発注する予定の小山ダム建設工事、常陸那珂湊の火力発電所関連の土木工事等種々の大型工事について、Zにa建設のための便宜供与を依頼する趣旨であった、小山ダムとか常陸那珂湊の火力発電所関連の土木工事等のほかに今後同県が発注する予定の大型工事については逐一把握していなかったものの、主として土木工事を念頭に置いていたなどとして、小山ダム建設工事等の大型土木工事の受注が主眼であった旨供述している(乙書13~15)。
β 被告人Y2は、小山ダム本体工事の確実な受注が中心的な理由であるほか、茨城営業所の営業活動が有利に展開できたらという気持ちもあった、茨城県からは過去にも常陸那珂湊の下水道工事や県立植物園温室新築工事等を受注しており、今後も小山ダム建設工事を始め、常陸那珂湊の開発工事、県庁舎新築工事等の大型工事が目白押しであったことから、特に小山ダムに関してZに便宜を図ってもらうために現金2000万円を贈ったなどとして、小山ダム本体工事の確実な受注が中心であった旨供述している(乙書21、22)。
γ 一方、Zは、a建設には流域下水道工事を始めとする茨城県の土木建築工事を発注しているお礼と、小山ダム建設工事のほか県庁舎新築工事や県立医療大学新築工事等の発注を依頼するためのものとして現金2000万円を受け取ったなどと供述している(甲書133、136)。
ii このように、被告人両名及びZの各自白供述には、本件贈賄の趣旨ないしその点の認識に関して若干の食い違いがみられる。しかし、前認定のように、本件当時、被告人Y1は、a建設の副社長であって、個々の営業所の営業対象まで精通しているとは考え難いほか、小山ダム建設工事については自ら受注調整に関与していた者であり、被告人Y2は、関東支店長として、茨城営業所の営業にも重大な関心を払い、特に翌年発注予定の小山ダム建設工事には注目していたことがうかがわれるのに対し、Zは、茨城県知事として、同県発注工事の計画の進捗状況を熟知していた者である。したがって、上記指摘のような若干の食い違いは、このような3名の経歴や本件当時の立場に応じて、それぞれの予備知識や関心の重点事項の違いに基づくものといえるのである。
(c) また、被告人両名及びZは、本件面談状況のうち、会話の内容・順序や現金入り手提げ紙袋の受け渡す際の様子等について、必ずしもすべて一致した供述をしているわけではないが、その違いはいずれも些細なものであって、上記各供述の信用性に影響を与えるものではなく、むしろ各人がそれぞれの固有の記憶に基づき供述した結果というべきである。
(イ) P2の供述について
もっとも、本件面談を計画し同行もしたP2は、捜査・公判を通じて、一貫して本件贈賄を否定する趣旨の供述をしており、その意味で、本件贈収賄事件に関与した者全員の供述が一致しているということはできない。そこで、P2の本件贈賄を否定する旨の供述の信用性及び他の事件関係者の各自白供述の信用性への影響等について検討することとする。
a P2の公判証言の信用性
(a) まず、P2の公判証言につき検討するに、前認定のとおり、本件面談当時、被告人Y1はa建設副社長、被告人Y2は関東支店長、P2は茨城営業所副所長の地位にあり、公判証言当時も、被告人両名は共に同社顧問、P2は関東支店次長の地位にあって、いずれの時点においても、被告人両名はP2にとって事実上の上司の地位にあった。また、P2は、その公判証言によっても、被告人Y1に結婚式の媒酌人を依頼し、被告人Y1が茨城県にゴルフに来たときなどに会っていたというのであり、しかも、本件面談を直接に被告人Y1に依頼していることも考慮すると、被告人Y1とは相当に緊密な関係があることがうかがわれる。さらに、P2は、トップ営業を被告人Y1に進言して本件面談を実現させた者であり、仮に本件贈賄事実を知っていても、被告人両名に本件贈賄の嫌疑が掛かったことに責任を感じる立場にあったということができる。しかも、P2は、公判証言の際には、同社関係者や被告人両名の面前で供述しているのであるから、捜査段階の供述と比較して、被告人両名、更にはa建設全体に不利益となるような事実を率直に供述しにくい外部的情況があったというべきである。
(b) そして、P2の公判証言の内容は、前記第4の本件の背景事情等、後記オの被告人Y2によるZへの小山ダム受注辞退申入れ、後記(4)ウのガーデンコートビル1階玄関での被告人Y1との合流、同オの仕立券付き背広生地の準備・持参等といった本件贈賄の有無を判断する上で重要な間接事実について、当裁判所の認定に沿わない不自然、不合理なものであるから、その公判証言の信用性は低いといわざるを得ない。
b P2の各検察官調書の証拠能力及び信用性
(a) 問題の所在
i 検察官は、P2の平成5年12月6日(以下、このbの項では「平成5年」の表記を省略する。)付け検察官調書(甲書35)を刑訴法321条1項2号後段に基づき、同月22日付け検察官調書(甲物108)を同法328条に基づきそれぞれ取調べを請求した。
ii これに対し、弁護人は、後にみるようなP2の取調べ状況等に関する公判証言を踏まえて、上記各検察官調書はいずれも任意性を欠き、証拠能力を欠くのみならず、同月6日付け検察官調書は信用性もない旨主張するので、以下この点について検討する。
(b) P2の供述経過等
i 取調べの経過等
関係各証拠によれば、P2は、10月22日から同月31日までの間、初日は参考人として、翌日以降は本件贈賄の被疑者として、いずれも在宅で小川某検事(以下「小川検事」という。)の取調べを受けたが、同月31日の取調べ終了後、帰宅途中に体調不良となり、千葉県我孫子市内に所在する我孫子東邦病院に入院したこと、その後、P2は、平成6年3月4日まで入院していたが、その間に同病院において、多数回にわたり小川検事ないし土持敏裕検事(以下「土持検事」という。)の取調べを受けたこと、12月6日の取調べは、同病院医師藤尾幸司立会いの下に行われ、同月22日の取調べは、同病院総婦長角O摩耶立会いの下に行われたことが認められる。
ii 前記各検察官調書の内容
P2の前記各検察官調書には、それぞれ次のような記載がある。すなわち、
α 12月6日付け検察官調書(甲書35)
〈ア〉 私は、昭和61年ころ、前任の茨城土木営業所副所長のEから、「小山ダムの本体工事はa社、飛島、鈴縫の3社が、原石山の工事はj建設が取ることになっている。」と聞いた覚えがある。その後、本社土木本部の人間から、g建設がスポンサーで、a建設はサブという話を聞き、被告人Y1に文句を言ったところ、「P25さんとの約束だから仕方がないんだ。飛島、j建設を飛島、a社に変えただけでも意味があるんだ。ダムは茨城だけではないんだ。」などと言われた。
〈イ〉 昭和63年ころ、小山ダムの設計を受託していたコンサルタント会社に技術協力を申し出たが、県の意向が示されない限り受けられないなどとして断られた。このような経緯から、P25と被告人Y1との間で業者間の受注調整ができていると思った。しかし、発注権限を有する知事等の心証を悪くして指名に入れてもらえないと受注できないので、営業所としては、確実に受注するために県担当部署に対する営業活動は欠かせなかった。「92・11月営業打合会資料(土木系)」と題する書面には、小山ダム建設工事の総工事金額が200億円、a建設の取り分の工事金額が63億円と記載されているが、これは、工事総額200億円の40%の80億円は受注できると思っていたが、取れなかったときに備えて控え目に63億円としたものである。
〈ウ〉 平成4年に、被告人Y1から、「小山ダムの件はどうなっているんだ。」と聞かれたことがあり、被告人Y1も確実に受注できるか関心を持っていたはずである。小山ダムの平成5年中の発注が確実になり、また、被告人Y1はZと長い間会っておらず、被告人Y2も支店長就任以来一度もZに会っていなかったので、私は、平成4年12月初めころ、トップ営業を計画し、被告人Y1に電話して、「副社長、もう随分Z知事に会っていないんで、ここらで一度会ってもらえないでしょうか。その際、小山ダムの発注が近づいてきていますので、小山ダムくらいは頼んでくださいよ。」などと頼み、了承してもらった。
〈エ〉 面談当日、私は、都道府県会館に向かう自動車内でも、被告人Y1に対して、「小山ダムくらいは頼んでくださいよ。」と頼んだ記憶がある。また、Zに会うのに手ぶらでは失礼だと思い、私一人の判断で、手土産として50万円相当の仕立券付き背広生地を用意したが、被告人Y1に、「そんな大きな目立つものを持っていくものではない。それは後にしろ。」などと言われたので、12月26日ころ、私が1人で知事公舎に持参してZに手渡し、その際、Zに「小山ダムも近いので、これまでどおりよろしくお願いします。」とお願いした。
β 12月22日付け検察官調書(甲物108)
私は、本件面談時に、被告人Y2が何か持って知事会談話室に入ったかどうかについてはよく覚えていない。面談終了後に、Zと私たちのいずれが先に談話室を出たか、私たち3人の部屋を出た順番についてもよく覚えていない。本件面談時に、被告人Y1がZに対談集以外の物を渡したという場面を思い出すことはできないが、被告人両名が、現金入り紙袋をZに渡したと言っているなら、私の気付かないうちに渡したのだと思う。面談時の状況については、他の人の行動の一部始終を見てすべて記憶しているわけではないので、被告人両名やZらの話していることが事実ではないと主張するつもりはない。
iii P2作成の上申書の内容
また、上記取調べ期間中に、P2が作成した上申書2通(弁物83、84)には、次のような記載がある。すなわち、
α 薄金弁護士あて10月26日付け上申書(弁物83)には、本件面談時の状況等について、仕立券付き背広生地の点が触れられていないこと、談話室に入ってきたとき、Zは手ぶらではなく何か入っている紙袋を持ってきたような記憶があるとの点を除き、おおむねその公判証言と同様の内容が記載されている。なお、この上申書には、同月28日の確定日付がある。
β 11月7日付け上申書(弁物84)には、10月22日から連続して10日間、ほとんど午前10時から午後10時までぶっ続けで取調べを受けた、その取調べでは、検事から「うそ付け。」、「あほだ。」、「顔洗ってこい。」などとすごい剣幕で怒鳴られた、「おまえのおかげでa建設はつぶれるぞ。」、「おまえが本当のことを言わなければ、捕まるぞ。」などと脅された、しかし、本件贈賄事実はない、今入院しており、口がきけなくなる、倒れる、死ぬとなった際にも、証拠になるために真実を述べておきたいと思うなどとの記載がある。なお、この上申書には、11月9日の確定日付がある。
(c) 取調べ状況等に関するP2の公判証言
P2は、取調べ状況等に関して大要次のような証言をしている。すなわち、
iα 10月22日から31日までの10日間は、連続して毎日午前10時から午後11時かそれよりも遅くまで、小川検事から取り調べられた。初日は、参考人として土木部の営業等について調べられ、この時、本件面談には被告人両名に同行したと言っても信じてもらえなかった。
β しかし、翌日、同行していたことが事実と判ると、本件贈賄の共犯者として厳しい取調べに変わった。小川検事から、テーブルはたたくは、「顔洗ってこい。はいずり回れ。」などとあらゆる罵倒を受けた。検事は、顔を紫色にして、ものすごい怒鳴り方で脅迫的なことを言っていた。「もう会社をつぶすぞ。」とか「Y1はもう駄目なんだから、おまえも駄目だ。連行するぞ。」などと脅されたし、さらに、県の下水道課長の自殺やe建設経理部長の自殺未遂の話を出して、「a建設はこれだけの大きな事件を起こしながら、犠牲者は何で出ないんだ。」などと、私に自殺しろというような脅し方もされた。検事から、「年末に何も持っていっていないのはおかしいじゃないか。b建設も200万円持っていっている。」などと厳しく追及されたため、私の一存で50万円の仕立て券付き背広生地を用意して持っていこうとしたが、実際には持っていっていないなどと述べ、その旨の上申書も書いた。
ii 10月31日の取調べが終わり、帰宅途中に体調が悪くなり、我孫子東邦病院に緊急入院した。病名は、狭心症、高血圧症、糖尿病及び不安神経症で、前3者は持病だが軽いものであり、不安神経症は取調べが原因だと思う。入院中の状態は、面会謝絶で絶対安静だったが、その間、11月5日、9日には小川検事の、同月12日、15日、17日、19日、23日、26日、12月1日、6日、13日、22日、平成6年1月21日には土持検事の取調べをそれぞれ受けた。なお、11月17日には、土持検事と共に長野検事も取調べに来た。土持検事の取調べは、入院中だったので長くても2時間くらいで、それほど脅迫したような取調べはなかったが、「Y1はこう言っているんだ。Y2はこう言っているんだ。Hはこう言っているんだ。何でおまえだけうそを言うんだ。」というような押し付け的な取調べばかりだった。また、検事からは、「おまえが本当のことを言わないと、Y1もY2も釈放されないぞ。おまえも良くなったら強制連行する。」などとも言われた。
iiiα 12月6日付け調書のうち、間違いなく指名に入れてもらうために営業したという部分、被告人Y1らに確実に受注できるよう知事に念押しをしてもらおうとしたという部分の「間違いなく」、「確実に」、「念押しした」などの点について訂正を申し入れたが、「同じようなものじゃないか。」などと言われて、しょうがないのかなと思って署名押印したものである。また、昭和61年ころにEからj建設が原石山工事を取るなどと聞かされたとする点、小山ダム建設工事のa建設の取り分が80億円であるとされている点、被告人Y2を私が本件面談に誘ったとする点は、検事に供述したことはない。
β また、同月22日付け調書は、私が供述したことではなく、検事が、被告人両名及びZが本件贈賄事実を認めているのだから、おまえが見ていないならおまえの知らないところで渡したんだろうというふうに理詰めで押し付けてきて出来上がった調書である。
(d) P2の検察官調書の証拠能力
そこで、まず、P2の前記各検察官調書の証拠能力について検討する。
i 検察官による取調べ状況
α まず、検察官による取調べ状況についてみるに、前認定のように、P2は、10月22日から同月31日までは連日取調べを受け、その影響もあって、同日入院しており、その後も、13回の取調べを受けている。しかも、P2が、本件面談に同行しながら、一貫して本件贈賄事実を否認していたことも考慮すると、前記11月7日付け上申書に記載されたほどのものであったかはともかくとして、小川検事から相当に厳しい取調べが行われたことが容易に推認できる。
β しかし、P2の公判証言によっても、11月12日以降の土持検事による取調べは、医師、看護婦長ないし事務長の立会いの下に行われ、P2はベッドに横になって血圧測定器を付けたままの状態で取調べを受け、医師等のほか検察官や検察事務官も随時血圧を確認しており、取調べ時間は長くて2時間程度であったというのである。
γ したがって、土持検事の取調べについて任意性を疑わせるような事情が皆無であることはもとより、仮にこれに先行する小川検事の取調べに行き過ぎがあったとしても、少なくとも前記12月6日付け検察官調書が作成されるまでには、その影響から脱していたものと考えられるから、いずれにしても、P2の前記検察官調書の任意性に疑問の余地はない。
ii P2の検察官調書の疑問点
α もっとも、P2の前記12月6日付け検察官調書には、関係各証拠に沿わない点のあることが認められる。すなわち、
〈1〉 小山ダム建設工事のa建設の取り分が80億円であるとする点は、前記「92・11月営業打合会資料(土木系)」と題する書面(甲書35添付資料)及び支店長業務引継書(弁物194)において、受注金額が63億円とされていることと矛盾している。
〈2〉P2が被告人Y2を本件面談に誘ったとする点は、被告人Y1が被告人Y2を誘った旨の被告人Y1(乙書15)及び被告人Y2(乙書22)の各検察官調書と矛盾している。
β〈ア〉 そこで、〈1〉の点について検討するに、P2は、小山ダム建設工事におけるa建設の受注金額について、公判証言では、小山ダムのボリュームは約53万m3であり、1m3当たり4万円で概算すると工事全体で約210億円になるが、うち本体工事は約75%、原石山工事が約25%であり、本体工事で予測されるa建設の取り分は40%であるから、210億円に75%と40%を乗じた結果、a建設の取り分として63億円という数字を出した旨供述している。そして、この説明は、上記の各客観証拠に沿うものであり、検察官調書記載の80億円を63億円と控え目に書いたとの説明より合理的ということができるほか、P2が、取調べにおいて、公判証言と同様の説明ができない特段の事情はうかがえず、あえて検察官調書記載のような説明をしなければならない理由も認められない。
他方、上記検察官調書の作成に先行して、小山ダム建設工事の本体工事の価格が200億円と聞いていたので、a建設の持ち分が40%となるとして、a建設の受注金額が80億円強になると思ったとする被告人Y1の11月12日付け検察官調書(乙書14)が存在することも考慮すると、土持検事が、この点について被告人Y1の供述に沿う内容のP2の供述を得ることに固執していたこともうかがえるのである。
〈イ〉 しかしながら、その内容は、本件贈賄の嫌疑の有無とは無関係の周辺事項に関するものであり、P2自身、特別問題になるとは思っていなかったと証言している。したがって、P2がこの点について記憶に反する調書の作成に応じたとしても、それは、本件贈賄事実につきあくまで否認を通しつつ、他の周辺事情等について、取調べ検事の追及に一部迎合したものとうかがうことができる。ちなみに、P2自身、本件贈賄については、あくまで現金を持っていっていないという事実を述べていたが、それ以外は大して重要でないと思い、多少ルーズなところがあり、検事の追及が変わればという気持ちやどうでもいいという気持ちなどから、「確実に受注できるように」などとされている点については迎合した旨の供述をしており、その取調べに臨む態度の一端を示しているものといえる。
〈ウ〉 このように、上記〈1〉の点は、土持検事に押し付けられた疑いはあるものの、P2の捜査段階における供述の任意性に疑問を生じさせるものとはいえない。
γ 他方、〈2〉の点は、被告人両名の各供述とは食い違うものであり、土持検事として、あえてこのような供述をP2に押し付けることは考えられず、P2が自らそのような供述をしたものといえるのである。
iii まとめ
以上のとおり、P2の前記各検察官調書については、いずれも証拠能力を優に認めることができる。
(e) P2の検察官調書の信用性
i 次いで、前記12月6日付け検察官調書の信用性についてみるに、上記(d)iiでみたように一部に客観証拠と一致しない点も見受けられるが、それ以外の茨城営業所における営業活動の状況及び本件面談を計画した理由に関しては、前記第4の本件の背景事情等と、本件面談時に仕立券付き洋服生地を準備した状況に関しては、後記(4)オの仕立券付き背広生地の準備・持参といった当裁判所の認定した間接事実によく沿うものであり、茨城営業所の土木担当の副所長として本件面談を計画したというP2の立場に照らしても、極めて合理的な内容といえることからすると、前記aで判示したとおり信用することが困難なP2の前記公判証言と比較すると、信用性が高いことは明白である。
iiα もっとも、P2の上記検察官調書は、前記12月22日付け検察官調書と照らし合わせると、P2が、自ら直接目撃したはずの本件面談の状況について、極めてあいまいな供述に終始して、あたかも本件贈賄を裏付けるような供述を殊更回避する姿勢をうかがわせるだけでなく、Zの天の声やこれを前提とする県関係者の活動等についても、供述をあくまで回避していることからすると、こうした部分についてはその供述をそのまま信用することは困難である。
β しかし、P2本人、被告人両名、そしてa建設にとって不利益であり、かつ、前記第4で認定した本件の背景事情等に沿う供述部分、すなわち、小山ダム建設工事について受注調整が行われたが、営業活動は欠かせなかったこと、被告人Y1が同工事の出件に関心を持ち、P2に問い合わせていたこと、本件面談は、同工事の受注を確実にするためのトップ営業であったことなどについては、信用性を十分認めることができるのである。
iiiα なお、前記10月26日付け上申書に記載されたP2の捜査段階の主張内容は、おおむねその公判証言と同様のものであり、その限りで、本件贈賄の有無に関するP2の供述は、一貫性があるとみることもできる。
β しかしながら、上記上申書には、談話室に入ってきた時に、Zが手ぶらではなく何か入っている紙袋を持ってきたような記憶があると記載されているところ、P2は、この点、公判証言において、検事からの取調べで、本件面談でZがa建設から紙袋入りの2000万円をもらい、都道府県会館から紙袋を持って出たと言われたが、Zに2000万円を渡したことはなく、Zが紙袋を持っていたのかなという気がしたので、上記のように書いたという、自らの記憶にもない不自然な説明しかできないのである。そして、このことは、P2が、被告人Y1からZに現金2000万円入りの手提げ付き紙袋を手渡したことをごまかすために、Zが当初から紙袋を持っていたという虚構の事実を作出しようとしたことをうかがわせるものである。したがって、上記上申書の存在は、P2の公判証言の信用性を補強するものではないし、まして、上記検察官調書の供述内容の信用性を減殺するものでもないというべきである。
c 小括
以上検討してきたとおり、P2の前記各検察官調書はいずれも証拠能力が認められるところ、同人の公判証言は、全般的に、捜査段階における供述は、本件贈賄事実を否定するなど被告人両名の主張に沿う部分について、信用性に乏しいというべきであるから、P2の供述は、被告人両名、Z及びHの捜査段階における前記各供述の信用性を左右するものでないということができる。
ウ 本件の背景事情等に基づく推認との符合
被告人両名及びHの各自白供述はいずれも、具体的かつ詳細で、内容的に特に不自然、不合理な点はなく、前記2で判示したところの本件の背景事情等及びZの本件面談後の行動に基づいて推認できる事実とよく符合するものであって、これらの推認により客観的に裏付けられているのである。
エ 被告人Y1による裏金出納帳廃棄の指示
(ア) 問題の所在
a 検察官は、P16(甲書120、121、124)及びH(甲書141)の各検察官調書に基づき、平成5年3月21日深夜、P14献金問題の裏付け捜査の関係で取調べを受けた被告人Y1、I及びHが、P16と共に、被告人Y1の宿泊していたホテルの一室に集まり、取調べの内容を報告し合った際に、Iから、「裏金関係資料を検察庁に押収されたようだ。」などの発言が、Hからも、「取調べで、Iから裏金出納帳を引き継いでいるだろうと聞かれた。」という発言があり、これを聞いた被告人Y1が、「そういう物は処分しなさい。」などと言って裏金出納帳廃棄を指示した旨主張する。
b これに対して、弁護人は、そのような事実はない旨主張し、被告人Y1も、捜査段階から一貫して、こうした指示を否定する趣旨の供述をし(乙物112、130回、131回、134回)、P16(104回~106回)及びH(37回、42回)も、公判段階では、そのような指示を受けたことを否定する供述をしている。
c そこで、以下、被告人Y1による裏金出納帳廃棄の指示があったかどうかについて検討するが、これに先立ち、まず、P16の各検察官調書の証拠能力について検討することとする。
(イ) P16の各検察官調書の証拠能力
a 弁護人の主張
弁護人は、P16の検察官調書5通(甲書120~124)の証拠能力について、P16が、取調べ検事から、非常に厳しい取調べを受ける中で、「みんな言わないともっとa社をいじめるぞ。」、「支店にどんどんガサかけるぞ。」、「P17会長を逮捕する。」などと言われたことや、恩義のあるP18副社長(以下「P18」という。)の名前を出せず、かといって裏金出納帳の廃棄について自らがそのすべての責任を負う覚悟ができなかったため、検察官からの、裏金出納帳廃棄の指示をしたのは被告人Y1だろうという追及に迎合して、その旨の記載のある検察官調書に署名指印したものであり、特信性を欠き、いずれも証拠能力がない旨主張する。
b P16の供述経過等
そこで、以下、P16の上記検察官調書5通の特信性の有無について検討するに、関係各証拠によれば、P16の捜査段階における供述経過等として、次のような事実が認められる。すなわち、
(a) P16は、まず在宅により、平成5年9月16日から同年10月28日(以下、この(イ)の項では、「平成5年」の表記を省略する。)までの間は吉田統宏検事の取調べを、同日に逮捕されて以降は飯倉検事の取調べを、いずれも裏金出納帳の廃棄を被疑事実とする証拠隠滅の被疑者として受けて、以下の各検察官調書に署名指印している。
(b) このうち、10月31日付け検察官調書(甲書120)には、被告人Y1から、3月21日及び22日に、それぞれ次のような裏金出納帳廃棄に関する指示を受けた旨の記載がある。すなわち、
i 3月21日、被告人Y1、I、H及び私の4人が、ホテルの一室に集まり、私を除く3人が取調べの内容等を報告した。その際、Iが、裏金に関するメモ等を検察庁に押収されたかもしれない旨発言し、Hも、裏金出納帳の引継ぎについて聞かれた旨発言した。すると、被告人Y1が、「経理はそんなものを付けているのか。」、「何が書いてあったんだ。」などと尋ねたので、Iが、「裏の収支が書いてあります。」と答えたところ、被告人Y1は、「そういう物は処分しなさい。」と裏金出納帳の廃棄を指示した。確かこのときも「各支店の責任でやりなさい。」と言っていたように思う、そこで、私は、Hに、「処分したらおそらく、誰の指示でやったのかと検察庁の取調べで聞かれるだろう。そのとき、Y1副社長から指示されたとは言えませんよ。だから、自分の判断で処分したと言ってください。それでも、どうしても頑張りきれなかったら、僕から指示されたと言ってもやむを得ませんよ。」と話し、Hは、「分かりました。自分の責任でやったと言います。」と答えた、翌22日、私かHのホテルの客室で、Hから、裏金出納帳廃棄について再確認を受けた。
ii 同月22日、被告人Y1らに対する事情聴取の後、本社の被告人Y1の部屋に、被告人Y2、片野某本社管理部長、私、Iらが集まった。その際、Iが、裏金出納帳を検察庁に押収された旨発言すると、被告人Y1が、「そんなもの、どこに置いてあったんだ。」、「経理はそんな帳簿を付けているのか。」、「それは要る帳簿か、要らない帳簿か。」と言ったので、私が、企業会計上必ずしも必要ではない旨答えたところ、被告人Y1が、「それならなくてもいい帳簿か。要らない帳簿なんだな。何でそんなものを取っておくんだ。要らないものなら支店の責任で処分しろ。」ないし「廃棄しろ。」などと再度裏金出納帳の廃棄を指示した。
(c) 11月3日付け検察官調書(甲書121)には、3月21日と翌22日に被告人Y1から裏金出納帳廃棄の指示があったので、支店から送られてきていた原価表等もこれに該当すると考え、自らがシュレッダーにかけて細断処分したなどとの記載がある。
(d) 11月4日付け検察官調書(甲書122)には、「裏金に関する帳簿類は処分しろ。」との被告人Y1の指示があったので、保管していた原価表等をシュレッダーにかけて処分したなどとの記載がある。
(e) 同月12日付け検察官調書(甲書123)には、3月19日昼休み、関東支店会議室において、被告人Y1、P18、I、H、私、山梨営業所長らが出席して、P14元議員に対する献金や山梨県建設業協会の談合問題に関する事実関係の確認などを行った、その後、被告人Y1、P18、I、H及び私が残り、被告人Y1からP14元議員への献金について、「P14さんへの献金は、実は自分が持って行った。金を持っていかないと、工事の受注を邪魔されるから仕方がない。ほかの業者もやっていることだ。」、「以前は既に亡くなったP17経理部長からもらっていたが、彼が亡くなってからは、Iからもらっていた。去年の7月までは持っていったが、12月は持っていっていない。」などと発言し、I及びHから、P14元議員への献金は関東支店の裏金から出していた旨の発言があった、私は、P14献金に関連する裏金を国税当局に公表せざるを得ないことから、Hに、関東支店の裏金出納帳を確認させた上、12月にP14元議員の所に持っていく予定だった1000万円についてはほかの裏金と区別して保管しておくように指示した、この会議の後の午後3時30分ころか4時ころ、被告人Y1が検察庁から呼出しを受けたので、すぐ被告人Y1の部屋まで戻るようにとの連絡を受け、被告人Y1、P18、被告人Y2、I、私、Hらが集まって対応を協議して、P14元議員に対する献金分については明らかにすること、金の出所に関する伝票や元帳に付せんを張っておくことなどが確認された、さらに、被告人Y1かP18かよく覚えていないが、「当然ガサ入れがあるだろうから、身辺整理はしておくように。」という注意があったなどとの記載がある。
(f) 最後に、11月13日付け検察官調書(甲書124)には、3月19日からの経緯について説明した上、同月21日夜、被告人Y1が宿泊するホテルの一室に、被告人Y1、I、H及び私が集まり、私を除く3名が検察庁での取調べの内容を報告したが、その際、Iが、裏金に関するメモか出納帳のようなものを検察庁に押収されているかもしれない旨発言し、Hが、取調べ検事から、裏金出納帳を引き継いだだろうなどと言われた旨発言した、すると、被告人Y1が、「経理はそんなものを付けているのか。それには何が書いてあるんだ。」などと言ったので、私たちが、裏金の出入りが全部書いているなどと答えると、被告人Y1は、「そんな大事なものを取られたのか。そんなものを取られていたら、そりゃ大変だぞ。」などと言った、Hが、検事から裏金出納帳を引き継いだだろうと責められているが、どうすればいいかなどと言ったところ、被告人Y1が、「そんなものは廃棄しなさい。」と命令した、そこで、私は、Hに対し、「裏帳簿を処分したら、検察庁での取調べの際、おそらく誰の指示でやったのかと聞かれるだろう。そのときに、代表取締役であるY1副社長から指示されたということは言えませんよ。だから、あくまで裏帳簿に関する支店の責任者として、自分の判断で処分したと言ってください。それでも、どうしても頑張りきれなかったら、僕から指示されたと言ってもやむを得ませんよ。」と話した、すると、被告人Y1は、「そうだな。やっぱり、おれが言ったというのはまずいから、支店の責任でやってくれ。」と言い、Hは、支店の責任でやったと言う旨答えていた、翌22日、私かHの部屋でHから裏金出納帳の処分について確認を求められ、更にどのように廃棄すればよいか聞かれたので、例えばシュレッダーにかけるという方法もあるなどと、裏金出納帳の廃棄を指示した、同日も、被告人Y1らの取調べが終わった後、被告人Y1のホテルの部屋に、被告人Y1、I、H及び私が集まり、その際、Hが、「裏帳簿はシュレッダーにかけて処分しました。取調べのときは、今日も『裏帳簿などはない。』と言って頑張りました。」と報告していたなどとの記載がある。
c P16の捜査段階の供述の特信性を担保する外部的情況
以上のようなP16の供述経過等を踏まえて、P16の捜査段階の供述の特信性を担保する外部的情況について検討する。
(a) 供述の独自性
P16は、逮捕4日後の10月31日に、被告人Y1の裏金出納帳廃棄の指示を認める検察官調書(甲書120)に署名しているところ、被告人Y1は、捜査段階を通じてこのような指示をしたことを否認しており、Hが被告人Y1の上記指示を認めた供述をしたのは11月15日であって(甲書141)、他の者がそれより以前に、被告人Y1の上記指示について供述した証跡は全く認められないから、P16は、被告人Y1の供述やHら関係者の供述等からは独自に、詳細な供述をしたことが認められる。
(b) 取調べ検事による供述の押し付けの不存在
P16は、その公判証言によっても、取調べ検事から、裏金出納帳廃棄の指示をしたのが、土木部門のトップである被告人Y1であるというのはおかしく、経理部門のトップである財務担当副社長のP18からの指示だったのではないかとの追及を受けたというのであり、取調べ検事がP16に対して被告人Y1の指示に関する供述を押し付けるような状況があったとはうかがわれない。
(c) 弁護人と接見する中での供述の一貫性
i そして、P16は、関係証拠によれば、逮捕後、10月29日に2回合計25分、11月2日に14分、同月8日、11日及び16日に各20分ずつの合計6回にもわたって弁護人と接見しているものと認められ(甲書138)、その助言を得る機会が何度もありながら、10月31日に、被告人Y1による裏金出納帳廃棄の指示を認める検察官調書に署名指印して以降、一貫して同旨の記載のある検察官調書に署名指印しているのである。
iiα もっとも、P16の検察官調書の内容は、被告人Y1から裏金出納帳廃棄の指示を受けた日時について、当初の3月21日及び翌22日の2回であったとする供述(甲書120、121)から、同月21日に被告人Y1から指示があり、翌22日には、Hが被告人Y1に対して関東支店の裏金出納帳を廃棄したことを報告した旨の供述(甲書124)に変遷している。
β しかしながら、P16は、その公判証言においても、取調べの際には、3月21日から23日くらいまでの事実を混同していた旨供述しているのであり、その間の被告人Y1からの裏金出納帳廃棄の指示について、記憶に混乱があったとしても、あながち不自然とはいえない。
γ また、P16の当初の供述は、被告人Y1が、3月21日と翌22日の2回も、裏金出納帳の存在について確認したとするなど、いささか不自然であるのに対し、変遷後の供述は、同月21日に被告人Y1から指示があり、翌22日には、Hがその結果報告をしたという自然な内容となっている。
δ さらに、P16は、その公判証言によっても、取調べ検事から、被告人Y1から2回にわたり指示があるのは不自然なのではないかとの追及を受けたというのであるから、上記のような供述の変遷は、そのような取調べを受ける中で、記憶喚起に努めることにより、当時の記憶が喚起されたものと合理的に推認できるのである。
η したがって、上記のような供述の変遷が、P16の供述全体の信用性に影響を及ぼすことはないというべきである。
(d) そうすると、被告人Y1による裏金出納帳廃棄の指示に関するP16の供述は、取調べ検事による押し付けではなく、P16が、被告人Y1の供述やHら関係者の供述等からは独自に、詳細に供述したものであり、しかも、弁護人と繰り返し接見して助言を得る機会を得ながら、逮捕から4日後に初めて供述して以降、一貫して供述していると認められるのであり、このようなP16の供述経過等は、P16の上記供述が、自発的に固有の記憶に基づいてされたことをうかがわせるものということができる。
d 取調べ状況等に関するP16の公判証言の信用性
ところで、P16は、被告人Y1による裏金出納帳廃棄の指示等を認める趣旨の前記各検察官調書に署名指印した理由について、当公判廷では、後にみるとおり、前記a記載の弁護人の主張に沿った証言をしているので、以下、取調べ状況等に関するP16の公判証言の信用性について検討する。
(a) P16の公判証言の全体的な信用性
i 裏金出納帳廃棄への被告人Y1の関与に関する供述の不自然な変遷
α P16は、被告人Y1による裏金出納帳廃棄の指示の有無について、検察官の主尋問に対しては、被告人Y1からの指示はなかったが、被告人Y1の面前で、自分がHに裏金出納帳廃棄の指示をした旨証言していたのに、弁護人の反対尋問に対しては、Hに裏金出納帳の廃棄を指示したのは、被告人Y1の面前ではなく、Hが取っていたホテルの部屋だったなどと証言するに至っている。
β そして、このように証言を変遷させた理由について、P16は、弁護人との打ち合わせでHの証言内容等を聞かされたり、Hに事実確認をするなどしたことによって記憶を喚起したというものである。しかし、前記のとおり、裏金出納帳の廃棄からわずか約7か月後の捜査段階でも3月21日から23日くらいまでの事実について混同していたというP16が、それから更に約6年9か月も経過した時点で、他の関係者の証言内容等を聞くことによって、自らの記憶を喚起できたというのも容易に想定し難いところであり、上記証言の変遷は、他の関係者の証言内容に影響を受けたことによるものとうかがわれる。
γ さらに、P16のこの点に関する供述内容は、捜査段階における検察官調書、主尋問に対する証言、反対尋問に対する証言の順に、次第に被告人Y1による裏金出納帳廃棄に関する関与の程度が低くなっているのであり、被告人Y1の公判供述の内容等をも併せ考慮すると、このような供述の変遷状況は、P16が、当初の公判証言において、検察官調書の内容から後退させた供述をしたものの、被告人Y1の主張には沿わない不都合な内容であったため、更にこれを変遷させたことをうかがわせるものである。
ii P14献金問題に関する供述の不自然な変遷
α また、P16は、P14元議員に対する裏献金(以下「P14献金」という。)の原資に関し、第102回公判期日には、検察官の主尋問に対して、P18から「P14献金の財源を探せ。」と指示され、全支店の使途不明金を調査した結果、関東支店の管理部門で雑費として原価処理した使途不明金しかないと思い、P18に報告した、3月19日昼、被告人Y1、P18、HらとP14献金の件を話し合った際、被告人Y1が「関東支店の使途不明金がP14献金の原資である。」と発言した旨証言していたのに、第104回公判期日には、弁護人の反対尋問に対して、P18の指示は「P14献金の本当の財源は出せないからそれにすり替わる別の財源を探せ。」という趣旨と理解していた、関東支店の使途不明金が金額等でP14献金に一番合致しているためである、被告人Y1の上記発言の趣旨は「P14献金の財源は関東支店の使途不明金だったことにする。」という意味だったなどと証言するに至っている。
β この点、P16は、当初の証言は、自分の検察官調書を読んで、そうだったかなということで証言したが、その後に、その検察官調書に間違いが非常にたくさんあったことに気付いたなどと証言するが、P16が証言するように、捜査段階では、検察官から事実と異なる供述を押し付けられて虚偽供述をしたというのであれば、そのことも記憶に鮮明に残るはずであるのに、検察官調書を読んでその内容に特段の疑問も持たずにその内容と同旨の証言をすることなど、考え難いところである。
γ また、P16は、P18の指示や被告人Y1の発言を上記のように理解した理由について、P18はP14献金の真の財源を知っていると思っていたからであるとか、被告人Y1が自分の報告した関東支店の使途不明金が財源であると発言したからであるなどと述べるのみで、何ら合理的な説明をしていない。しかも、P16は、全支店の経費性を自己否認した使途不明金を調査し、関東支店の管理部門で雑費として処理した使途不明金しかないと思って、P18に報告したというのであり、そのような調査の経緯、特に、徹底的な調査を行ったにもかかわらず、他にP14献金に見合う使途不明金を発見できなかったという事実に照らすと、P16の上記証言も信用することが困難である。
iii まとめ
以上のとおり、P16の公判証言は、その根幹部分において不自然に変遷しているところ、このような供述の変遷状況は、P16がその記憶に基づくことなく、様々な思惑から供述していることをうかがわせるものである。そして、前認定のとおり、P16の公判証言当時、P16は専務取締役財務本部長としてa建設の経営の一翼を担う立場にあり、被告人両名は共にa建設の顧問の地位にあったことも考慮すると、P16は、公判証言当時、被告人Y1の面前においては、被告人Y1、ひいてはa建設にとって不利益な事実を供述することが困難な状態にあったことがうかがわれるのであり、P16の公判証言は、全体的に信用性に乏しいものというほかない。
(b) 取調べ状況等に関する公判証言の信用性
i そこで、最後に、P16の取調べ状況に関する公判証言について検討するに、P16は、この点、次のとおり証言している。すなわち、
α 海外出張中の9月15日、P18から至急帰ってくるように言われ、翌16日帰国すると、検察庁から出頭するよう連絡が入っていた。同日午後出頭して取調べを受け、その後、逮捕される同年10月28日の前日までに30日くらい取調べを受けた。
β 同月28日逮捕されて勾留され、大変ショックを受けて動揺した。逮捕勾留中は、ほぼ毎日非常に厳しい取調べがあり、取調べ検事から「みんな言わないともっとa社をいじめるぞ。」、「支店にどんどんガサかけるぞ。」、「P17会長を逮捕する。」などと言われた。「a社をつぶすぞ。」とまで言われたかどうかは分からないが、それに近いことは言われた。
γ 自分の判断でHに関東支店の裏金出納帳の廃棄を指示した旨供述していたが、取調べ検事から「Y1の指示だろう。」と追及を受け、一人で罪を全部かぶってしまう覚悟もできず、かといって、P18には大恩がある上、P18が身体を害しており、その名前を出せなかったため、これに迎合してしまった。
iiα しかしながら、P16の公判証言が全体的に信用性に乏しいものであることは、前記(a)でみたとおりである。
β また、P18をかばうために虚偽の供述をしたとする部分については、前記c(b)でみたとおり、P16の公判証言によっても、取調べ検事から、土木担当の被告人Y1が裏金出納帳廃棄の指示をするのは不自然であり、財務担当副社長のP18からの指示があったのではないかという追及も受けていたというのであるから、取調べ検事が、被告人Y1からの指示があったことを前提に取調べを行ったような状況はうかがわれない。しかも、仮にP18をかばおうとしたからといって、a建設主計部担当部長であったP16が、検事から追及されて、同社の代表取締役副社長である被告人Y1につき、同人が実際には裏金出納帳の廃棄に全く関与していないにもかかわらず、同人を罪に陥れるような虚偽の供述をあえてするようなことは考え難いところである。
γ さらに、取調べ検事による脅迫的言辞に関する公判証言についても、P16は、検察官から、その正確な文言を確認されると、「とにかく、とことんやるぞということは言われた。」、「何とか支店、何とか支店にガサ入れした。ここにも行ったというようなことで、ちゃんと全部言わないと、というようなことで非常に厳しかったと思っている。」と述べるにとどまっているのである。
δ したがって、P16の取調べ状況等に関する上記公判証言は信用できないから、それを前提とする弁護人の主張も採用の限りでない。
e P16の各検察官調書の証拠能力についての結論
以上のとおり、P16の捜査段階における供述はいずれも、その公判証言よりも信用すべき特別の情況があったと認められるから、検察官請求に係るP16の検察官調書5通(甲書120~124)はいずれも証拠能力を有することが明らかであって、これを否定する趣旨の弁護人の主張はすべて採用することができない。
(ウ) 被告人Y1による裏金出納帳廃棄の指示の有無
そこで、被告人Y1による裏金出納帳廃棄の指示の有無について検討する。
a P16及びHの捜査段階における各供述
P16及びHは、捜査段階において、それぞれ次のように被告人Y1による裏金出納帳廃棄指示の存在を裏付けるべき供述をしている。すなわち、
(a) まず、P16は、その検察官調書(甲書124)において、被告人Y1が、Iから、関東支店経理部が裏金出納帳を作成していると聞き、Hから、「私は、検事から、『裏帳簿を引き継いだだろう』と責められていますが、どうすればいいんでしょうか。」と尋ねられて、「そんなものは廃棄しなさい。」と指示した旨供述している。
(b) また、Hは、その検察官調書(甲書141)において、被告人Y1が、Iの報告を聞いて、「そんなもの付けていたのか。」というような表現で驚き、それが検察庁に押収されたことを聞いて、「そんなものは要らないだろう。」というようなことを言っていた、この言葉は、「処分しろ。」という意味に受け取れたが、そのように具体的で明確な言い方であったかよく覚えていない旨供述している。
b P16及びHの各供述の信用性
(a) 供述相互の符合
i このように被告人Y1が裏金出納帳の廃棄を指示したことについては、P16及びHが異口同音に供述するところである。しかも、この点について、P16は、前認定のように、独自に供述しており、他方、Hは、P16の上記供述を踏まえた取調べに対しても、指示の文言についてはP16と異なる供述をし、被告人Y1から「P18副社長と相談して対処しろ。」と言われたことは記憶になく、P16から「廃棄処分の命令者を検察庁で聞かれても、Y1副社長に指示されたとは言えないから、自分の判断でやったと答えなさい。どうしても頑張りきれなかったら、P16の名前を出してもやむを得ない。」と言われたことは否定しているのであり、互いに影響されたような状況は存在しないのである。したがって、P16及びHの上記各供述は、相互に信用性を補強し合う関係に立つということができる。
iiα もっとも、被告人Y1による裏金出納帳廃棄の指示に関して、Hの供述は、前記のとおり、P16の供述と比べると、相当にあいまいなものとなっている。
β しかし、前記第3の3(3)イ(イ)eで判示したようなHの供述心理に照らせば、被告人Y1による裏金出納帳廃棄の指示に関して供述した当時、Hは、裏金出納帳の廃棄を被疑事実とする罪証隠滅の被疑者として逮捕勾留されていたのであり、被告人Y1による上記指示を認めることは、この件に関しても、被告人Y1の責任を決定的に裏付けるものとなる供述をすることになるため、躊躇を覚えたものの、検事から示されたP16の供述が、具体的であることから、全面的に否定することは困難と考え、あいまいな供述にとどめたものとうかがわれるのである。
γ したがって、Hの供述があいまいであることは、その信用性に影響を与えるものではなく、むしろP16の供述の信用性を補強するものというべきである。
(b) 客観的状況との合致
i 次いで、平成5年3月当時の状況をみると、関係各証拠によれば、当時、P14脱税事件がマスコミ等で大きく取り上げられていたところ、同月19日には、被告人Y1、P18、P16、I及びHらがP14献金問題に関して対応を協議し、同月21日には、P14脱税事件の裏付け捜査として、a建設本社及び関東支店に対する捜索差押えが行われるとともに、関東支店における裏金の管理、入出金等に関与していたI及びH、P14元議員に裏献金を行っていた被告人Y1が検察庁による取調べを受けたこと、その取調べ終了後の同日深夜、被告人Y1が宿泊していたホテルの一室に、被告人Y1、I、Hらのほか、本社主計部担当部長としてa建設の全支店の裏金の収支等を把握する立場にあったP16が集まって、被告人Y1ら3人が取調べ内容を報告し合い、その中で、Iから、裏金関係資料を検察庁に押収されたようだとの発言が、Hからも、取調べでIから裏金出納帳を引き継いでいるだろうと聞かれたとの発言があったことが認められる。
ii このように、同月21日当時は、検察庁によるP14脱税事件の裏付け捜査に伴い、a建設の裏金も捜査の対象となり、同社関係者に対する取調べにおいて、裏金の使途や裏金出納帳に関しても聴取され、検察庁に裏金関係資料の一部も押収されて、その内容次第では、同社の裏金の使途等についての捜査が進められる可能性も否定できない状況にあったところ、更に裏金の収支がすべて記載されている裏金出納帳を押収されるようなことがあれば、民間得意先に対するリベートのほか、政治家等に対する他の裏献金の事実も明らかとなって、贈賄や政治資金規正法違反の嫌疑をかけられるおそれが生じていたものと認められる。
iii そして、P16、H及びIのa建設における立場からすれば、このようなおそれを当然認識していたはずである。また、被告人Y1も、IやHの上記発言から、関東支店の裏金出納帳の存在について認識するに至ったものであるところ、前認定のように、被告人Y1が同社で政治家等に対する資金提供の仕事を担当しており、その実態についても最も知り得る立場にいたことからすると、裏金出納帳が検察庁に押収されるようなことがあれば、自らも捜査の対象となり、ひいては同社が重大なダメージを受けるおそれのあることを当然に懸念したはずである。
iv そうすると、被告人Y1が、本来は土木担当の副社長であり、経理関係では直接に指示する立場になかったとしても、裏金出納帳が検察庁に押収されることによって、自分ばかりでなくa建設が被るおそれのある不利益の大きさを強く懸念したことがうかがわれるのであり、また、P16らとしても、裏金出納帳をどうするか早急に決めなければならない立場にあったから、裏金と密接な関係を有する政治家等に対する資金提供を担当しており、同社の筆頭副社長でもある被告人Y1から指示があれば、当然にそれに従ったものと考えられる。すなわち、当時は、被告人Y1が、裏金出納帳を管理するHらに対して、裏金出納帳を廃棄するよう指示し、Hらも、この指示に従うべき客観的状況にあったといえるのであり、このような客観的状況の存在も、P16及びHの前記各供述の信用性を裏付けるものといえる。
(c) まとめ
以上のように、P16及びHの前記各供述は、相互に信用性を補強し合う関係に立つとともに、当時の客観的状況によっても裏付けられており、共に高い信用性を認めることができる。
c P16、H及びIの各公判証言の信用性
もっとも、P16及びHはいずれも、捜査段階の供述を翻して、公判段階では、被告人Y1からの裏金出納帳廃棄の指示はなかった旨証言し、Iも、同趣旨の公判証言をするので、その信用性について検討する。
(a) P16の公判証言について
i P16は、公判段階では、裏金出納帳廃棄の指示はP18からされたものである旨証言する。
ii しかしながら、P16が証言するところのP18による指示とは、P16が、P18から、P14脱税事件に対する検察庁の捜査がa建設に及んだ場合の社内の連絡調整役を依頼された際、P18に、裏金関係のメモ等をどうするか尋ねたところ、P18から、「まあ、しかし、経理は、しかしなあ、なかなか、ああ。」、「これは処分をした方がいいんだろうけれども、まあ、そこら辺はなあ、うーん。」と言われたというにすぎないのであり、これをもって裏金出納帳廃棄の指示とみることは困難である。
iii しかも、裏金の管理は、政治家や得意先等との関係に深く関わるという性質にかんがみ、a建設の経営上も、重要な事項に当たるとみられるのであり、その裏金の出納を記録し管理するための裏金出納帳について、上記のような趣旨不明の指示のみで、再度の意思確認をすることもなく廃棄することなど、あり得ないことというべきである。
iv さらに、P16の公判証言は、前判示のように、全体的に信用性に乏しいものであり、上記指示があったとされる日時等に関する供述も、極めてあいまいであることからすると、裏金出納帳廃棄の指示に関するP16の公判証言もまた、信用することは困難である。
(b) Hの公判証言について
i 次に、Hは、公判段階では、被告人Y1は、「そんな資料があったのか。」などと言っていたが、「そんなもの要らないだろう。」などとは言っておらず、P16から強く指示された旨証言している(37回、42回)。
ii しかしながら、Hの公判証言が全体的に信用できないことは、前記第3の3(4)でみたとおりである。また、上記(a)iiiで指摘したように、a建設の経営上も重要な事項と考えられる裏金を管理する裏金出納帳を、本社主計部担当部長にすぎないP16の指示のみで廃棄するというのは、いかにも不自然である。
iii また、Hは、自らも裏金出納帳を廃棄しようと考えた理由について、民間得意先に大変な迷惑をかけることになると思ったからであり、贈賄や政治資金規正法違反等の事実が問題になるとまでは考えなかった旨証言するが、当時は、前認定のとおりP14脱税事件の裏付け捜査を受けている状況にあったことからすれば、殊更に民間得意先関係のみを強調するこの証言内容も不自然である。
iv したがって、裏金出納帳廃棄の指示に関するHの公判証言も、信用することができない。
(c) Iの公判証言について
i Iは、公判段階において、自分の机の中から裏金関係の資料が押収されたようだと報告したが、被告人Y1は、土木系で、帳簿類のことについては素人なので、余りぴんと来ているような感じはなかった、裏金関係の資料を処分するように指示したこともなかったと思う旨証言している(62回)。
ii しかしながら、前認定のような、被告人Y1のa建設代表取締役副社長という地位や政治家等に対する資金提供を担当していたという役割に照らすと、裏金関係の資料が押収されたとするIの報告を聞いて、被告人Y1が驚かなかったはずはなく、Iの上記公判証言は、P16やHの捜査段階における各供述を待つまでもなく、極めて不自然なものであって、信用の限りではない。
d 被告人Y1の公判供述の信用性
(a) 被告人Y1は、公判段階において、自分は土木担当の副社長であり、経理関係は担当でないことを強調して、裏金出納帳の廃棄を指示したことを否認する趣旨の供述をしている(130回、131回、134回)。
(b)i しかしながら、被告人Y1が経理関係を担当していないからといって、それが裏金出納帳廃棄の指示をしなかったことの理由となるものでないことは、前記b(b)で指摘したとおりである。また、被告人Y1は、公判段階において、裏金の存在やその使途等に関して極めてあいまいで回避的な供述に終始しているところ、前記のような被告人Y1のa建設における地位や立場、役割等に照らすと、これらの点について具体的な認識がなかったかのような供述も、不自然なものといわざるを得ないのであり、裏金に関連する被告人Y1の供述は全般的に信用するに足りないというほかない。
ii なお、被告人Y1は、捜査段階では、本件贈賄事実を認めた後においても、裏金出納帳廃棄の指示については否認していたものの(乙物112)、「そんな帳簿があったのか。それは大変だな。」と発言をしたこと、さらに、P16がその言葉を裏金出納帳廃棄の指示と受け取る可能性は認めており、公判供述とは趣旨を大きく異にするものである。しかも、被告人Y1にとっては、裏金出納帳廃棄の指示を認めることは、本件贈賄事実を裏付けるとともに、その情状にも重大な影響を与えるだけでなく、新たに罪証隠滅の刑責も問われかねない事態を招くことになるのである。したがって、被告人Y1が否認を通したからといって、その公判供述の信用性を基礎付けるものとはいえない。
(c) したがって、裏金出納帳廃棄の指示を否認する被告人Y1の公判供述も信用することはできない。
e 以上のとおり、裏金出納帳廃棄の指示に関するP16の捜査段階の前記供述は、高い信用性が認められるのであり、これによれば、被告人Y1が明確に裏金出納帳廃棄の指示をしたものと認定することができる。
(エ) まとめ
以上検討してきたとおり、被告人Y1が、平成5年3月21日に、その担当していた政治家等に対する裏献金等の発覚を恐れて、Hらに対し、裏金出納帳の廃棄を指示した事実が認められる。そして、P16が捜査段階で供述するように、被告人Y1は、その指示を明確かつ強い口調で行ったというのであり、具体的な裏金支出、とりわけ、比較的近い時期のものを念頭に置いていたことがうかがわれるのである。そうすると、上記指示の事実は、その約3か月前の事件とされる本件贈賄事実を認める趣旨の被告人両名の捜査段階の各供述の信用性を裏付けるべき事実ということができる。
オ 被告人Y2による小山ダム建設工事の受注辞退申入れ
(ア) 問題の所在
a 検察官は、Z(甲書135)及び被告人Y1(乙書16)の各検察官調書に基づき、平成5年5月27日、被告人Y2が、被告人Y1の代理としてZと面談し、その際、小山ダム建設工事の受注辞退を申し入れた旨主張する。
b これに対し、弁護人は、被告人Y2がZに申し入れたのは、g建設とのJV解消であって、小山ダム建設工事の受注辞退を申し入れたことはない旨主張し、Z(120回)、被告人Y1(130回、133回)及び被告人Y2(144回、148回)も、公判段階では、同旨の供述をしている。
c そこで、以下、被告人Y2による小山ダム建設工事の受注辞退の申入れがあったかどうかについて検討する。
(イ) Z及び被告人Y1の捜査段階における各供述の信用性
a Zの供述の信用性
(a) 被告人Y2による小山ダム建設工事の受注辞退の申入れについて、Z及び被告人Y1は、捜査段階では、異口同音にこれを認める供述をしている。
(b)i しかも、Zの捜査段階における供述が全体的に信用性が高いのに対し、その公判供述が信用できないことは、前記第2、第4及び第5の3で詳細に判示したとおりである。そして、Zは、公判段階においても当初は、被告人Y2が申し入れてきたのは受注辞退だったとし、受注辞退の理由は分からない、あるいは理由は言われたがはっきりしなかったなどと、捜査段階の上記供述と同趣旨の供述をしていたのである(89回、91回、107回)。
iiα もっとも、Zは、その後、ZノートNo.2の平成5年11月1日の欄(72頁)に「カジマ 小山ダムをやめたいというのは本当。向こう(カジマの方)から水戸へY1の代理の人が来て、今まで新しい入札方式になるから、飛島の親のもとではやりたくないと云っていたが、それはウソであった。危ない状勢だから受注したら危なくなるという理由。」との記載を示されて、被告人Y2の申入れは新しい入札方式になるので、g建設のスポンサーではやりたくないことを理由としたJVの解消だったと供述を変遷させている(120回)。
β この点、Zは、ZノートNo.2の上記記載について、大鶴検事からa建設関係者の話として告げられたところを記載したものである旨述べているところ(84回、120回)、P2の公判証言(57回)に照らせば、上記a建設関係者とはP2であり、同人の話は、g建設とのJV解消の申入れであったという趣旨であったことがうかがわれる。さらに、前記のようなZの公判段階の当初の供述をも勘案すると、ZノートNo.2の上記記載は、大鶴検事から、被告人Y2は「新しい入札方式になるから、飛島の親の下ではやりたくない」と申し入れた旨のP2の供述を聞かされたZが、それでも、被告人Y2の申入れは受注辞退の趣旨であったとの認識に変わりのないことを記載したものと解されるのである。
γ したがって、被告人Y2の申入れはg建設とのJV解消の趣旨にすぎなかったとするZの公判供述は、信用することが困難である。
(c) そうすると、Zの捜査段階における前記供述は、高い信用性を認めることができる。
b 客観的状況との合致
(a) 被告人Y2が、被告人Y1と相談の上、被告人Y1の名前でZとの面会の約束を取り付け、平成5年5月27日、被告人Y1の代理として、P2を伴って水戸市内の茨城県公館にまでわざわざ出向き、Zと面会したことは、関係各証拠から明らかである。
(b)i また、関係各証拠によれば、これに先立つ同年3月下旬から、東京地検特捜部によるP14脱税事件の裏付け捜査として、a建設関東支店が管理する裏金の金額を確認されるとともに、平成元年9月22日の欄に、「摘要」として「P17茨城県知事」、「支払金額」として「10000000」などと記載のある現金出納帳用紙(物27)や、「工事名」欄に「茨城」、「支出済額」欄に「20,000,000」、「支出内容・工事出件時期等」欄に「Z知事〈s〉」などと記載のある「営業先行投資立替金(工事未出件分)、関東支店」と題する書面(物43)等が押収されたこと、平成5年3月22日には、Hが、被告人Y1の指示に基づき、同支店の裏金出納帳を廃棄し、その後、これを再製して東京地検特捜部に提出したこと、そして、そのころには、被告人Y1も、国会議員に対する献金等について取調べを受けるとともに、Zに対する平成元年の支出に関しても取調べを受けたことが認められる。
ii このように、同月下旬以降、P14脱税事件の裏付け捜査を契機として、a建設関東支店の裏金の使途に関する捜査が行われたことは明らかである。
(c) さらに、小山ダム建設工事に関しては、被告人Y1とg建設のP25との業者間で受注調整が行われ、これを受けて、Zが、その本体工事をg建設とa建設等とのJVが、原石山工事をj建設が、それぞれ受注するとの受注調整を行った上、その旨を歴代の茨城県土木部長に指示する天の声を出しており、そのことは、被告人両名も認識していたこと、本件面談の主目的が、Zに、県発注工事の受注業者選定に対する影響力を行使して、a建設が同工事の本体工事を受注できるよう取り計らってもらうことにあったことは、いずれも前認定のとおりである。
(d) 以上認定の各種事情を総合するならば、被告人両名としては、平成5年5月当時、東京地検特捜部において、小山ダム建設工事に関するa建設の受注見込みとZに対する同社関東支店の裏金の支出状況を関連付け、その裏金が同工事の受注陳情に絡んで供与されたとの疑いから捜査を進めて、本件面談にも、同工事の受注陳情に関連するものとして捜査が及ぶのではないかと懸念し、これを回避するためには、同工事の受注を断念し、Zに対して受注辞退の申入れをすることもやむを得ないと判断することも、当然あり得るような客観的状況にあったということができる。
(e) そうすると、このような客観的状況の存在も、Z及び被告人Y1の前記各供述の信用性を裏付けるものということができる。
c まとめ
以上のとおり、被告人Y2による小山ダム建設工事の受注辞退の申入れに関するZ及び被告人Y1の捜査段階における各供述はいずれも、高い信用性を認めることができる。
(ウ) 被告人両名及びP2の各公判供述の信用性
a これに対して、被告人Y1(130回、133回)、被告人Y2(144回、148回)及びP2(57回、58回)はいずれも、公判段階において、Zが、小山ダム建設工事をa建設とg建設等とのJVで受注するという業者間の受注調整を知っていたことから、Zに対して、g建設とのJVを解消したいと申し入れた旨供述している。
b(a) しかし、Zの捜査段階の前記供述によれば、Zは、被告人Y2と面会した当時から、同人の申入れが小山ダム建設工事受注辞退の趣旨であることを理解していたものと認められる。
(b) また、被告人両名及びP2はいずれも、公判段階では、前記第4の4(2)のとおり、Zが小山ダム建設工事に関する業者間の受注調整の事実を知っているとは思ったが、Zが天の声を出したことまでは知らなかった旨供述しているところ、各該当箇所で判示したように、上記各供述がいずれも信用できないことはもとより、その各供述を前提とすれば、受注調整により決まったJVの解消は、Zとは全く無関係の事柄であって、Zに対しあえて申入れをしなければならないような理由も見出し難いことになる。ちなみに、その理由について、被告人Y2は、一応礼儀として申し入れたと供述し、P2は、知らせておいた方が親切かと思ったと供述するにとどまり、到底納得のいかない説明しかしていないのである。
c さらに、JVを解消しようとしたとする理由も不可解である。すなわち、
(a) 被告人両名は、〈1〉小山ダム建設工事をg建設とa建設とのJVで受注するという噂が業界内に浸透し、平成5年3月ころから下請け業者が被告人Y2の所などへ来てg建設への口利きを依頼することが頻繁にあったところ、a建設が平成4年の埼玉土曜会による談合問題で公正取引委員会に摘発されたことから、同工事についても談合を疑われるのではないかとの不安があったこと、〈2〉同社内には、以前からg建設がスポンサーであることに不満があったところ、入札方法が変更になるという情報があり、同じAランクに属するa建設とg建設がJVを組むことが難しくなる可能性もあったことから、a建設がスポンサーとなったJVを組んで受注したいと考えたことを挙げている。
(b)i しかしながら、上記〈1〉の理由からJVを解消するのであれば、g建設に事前にその理由を告げてJVの解消の協議をしても何ら不都合はないはずであり、被告人両名は共に、そのための時間的余裕があったことは認めつつ、Zに対するJV解消の申入れの前にg建設と事前の協議をしなかったと述べているのである。この点、被告人両名はそれぞれに、g建設の経営状況の悪化やP25の業界内での影響力の低下を指摘するほか、被告人Y1は、後に談合を取りざたされる状況であった旨説明すればP25に了解してもらえると思ったなどと供述するが、g建設との無用の紛議を招くようなことを、被告人両名、とりわけ受注調整に長く携わってきた被告人Y1がするとは考えられない。
ii むしろ、g建設との事前協議をしなかったという事実は、この申入れがa建設側の固有の事情に基づくことをうかがわせるものであり、その限りで、被告人Y1の捜査段階の供述の信用性を裏付けるものといえる。
(c)i 次に、上記〈2〉の理由に関して、関係各証拠によると、a建設社内では、g建設がJVのスポンサーであることに対する不満があったこと(甲書35、E26回)、平成5年3月ないし5月当時、建設省等において公共工事の新入札制度等の検討が行われていたこと(弁書161)、茨城県においても、同年5月には入札方法に関して内部的に検討していたこと(甲書19)が認められる。
ii しかしながら、被告人両名の各供述によっても、同年5月の時点において、小山ダム建設工事についてどのような入札方法になるのかは決まっておらず、被告人両名も同じAランクに属する業者がJVを組むことができなくなる可能性もあるという程度の認識しかなかったというのである。そうすると、それ以上の見通しが立たないその時点において、サブとはいえ受注調整により受注が見込まれていたというのに、その見込みさえ捨ててJVを一方的に解消する理由としては、上記〈2〉も十分なものとはいえない。
iii この点、P2は、同年3月ないし4月ころに、県庁のOBから、小山ダム建設工事の発注方式が変わり、同じAランクの業者のJVではなく、Aランク、Bランク、Cランクの業者による自発的な組み合わせが求められると理解したのでJVの解消が必要だと考えた旨証言しているが(57回)、被告人Y2は、同年4月末か5月上旬ころまで、JVの解消については、茨城営業所と連絡を取っていなかった、P2にJVの解消を告げると、P2は不満そうに言っていたと供述しており(144回)、不自然に食い違っていて、これらの各供述を信用することは困難である。
d(a) さらに、被告人Y2及びP2の各公判供述によれば、両名はいずれも、捜査段階から一貫して、入札方式の変更を理由としてg建設とのJV解消を申し入れた旨供述していたことがうかがわれる。
(b) しかし、これらの各供述も、Zや被告人Y1の捜査段階における各供述と食い違うばかりでなく、前判示のように、捜査段階で、取調べ検事から、P2の供述を聞かされても、被告人Y2の申入れが小山ダム建設工事の受注辞退にあったという、Zの記憶が全く動揺していないことに照らしても、供述の一貫性から、被告人Y2及びP2の上記各供述の信用性を認めることはできない。
e そうすると、被告人Y2による小山ダム建設工事の受注辞退申入れに関する被告人両名及びP2の各公判供述はいずれも、信用することが困難である。
(エ) 小括
以上検討したとおり、高い信用性の認められるZ及び被告人Y1の捜査段階における各供述によれば、面談当日から約5か月後、a建設関東支店の裏金に対する捜査が開始されてから約2か月後の平成5年5月27日に、被告人Y2が、Zに対し、その具体的な言葉はともかく、小山ダム建設工事の受注を辞退する趣旨の申入れをしたものと認められるのであり、この事実もまた、本件贈賄を認める趣旨の被告人両名の捜査段階の各供述を裏付けるべき事実といえる。
カ 被告人両名及びP2の口裏合わせ
(ア) 問題の所在
a まず、関係各証拠によれば、平成5年7月下旬ないし8月上旬ころ(以下、このカの項では「平成5年」の表記を省略する。)、被告人両名、P2、早川弁護士ほか数名が出席した会合があり、その会合で、早川弁護士が、7月23日にfルート事件で逮捕されていたZの当時の弁護人から、Zが被告人Y1から多額の現金を受け取った旨供述していると聞き及んだとして、各人に事実確認を行い、その際、本件面談に参加した被告人両名及びP2がいずれも、Zに現金2000万円を渡したことはなく、本件面談は表敬訪問であったと答えたことが認められる。
b そして、検察官は、被告人Y2(乙書23)の検察官調書に基づき、上記会合の前に、被告人Y1が、自室において、被告人Y2に対し、「本件面談は、社内的には単なる表敬訪問ということになっているので、お金のことを伏せて、表敬訪問のことだけを話せ。」と言って本件贈賄について口止めし、被告人Y2も、これを了解した旨主張する。
c これに対し、弁護人は、そのような事実はなかった旨主張し、被告人両名は共に、公判段階では、このような口裏合わせがあったことを否定する趣旨の供述をしている。
d そこで、以下、被告人両名による口裏合わせがあったかどうかについて検討することとする。
(イ) 被告人両名の各公判供述の信用性
a そこで、まず、被告人両名の各公判供述について検討するに、被告人両名は共に、上記会合においては、面談当日、Zに対して2000万円を渡したことはない旨概括的に答えただけで終わった、8月下旬、再度被告人両名、P2、早川弁護士らで集まり、早川弁護士に対して、本件面談に至る経緯や被告人Y1が本件面談時にZに「この人にきく」という本を渡したことなど詳しく説明したと供述している。
b しかしながら、前認定のように、Zは、同月19日に当時の弁護人である伊藤弁護士と接見した際、同弁護士から、a建設側が、本件面談時には、「この人にきく」という本を渡したが、現金は渡していないと話している旨聞かされて、翌20日の取調べでは、大鶴検事に対して、受け取った大型封筒に入っていたのは現金ではなく本であったと供述するに至ったのである。そうすると、早川弁護士が、本件面談時に被告人Y1がZに上記本を渡した事実を知ったのは、遅くとも同月19日以前ということになるはずであり、同月下旬に被告人Y1らから初めて説明を受けたとする被告人両名の各公判供述とは明らかに矛盾することになる。しかも、P2は、公判段階でも、同月下旬の再度の説明に関しては証言しておらず、7月下旬ないし8月上旬ころの前記会合において、Zに渡した本の話が出ていたと証言しているのである(57回、58回)。
c 以上のとおり、被告人両名のこの点に関する各公判供述は、他の関係各証拠と矛盾するものであって、信用することは困難である。
(ウ) 被告人両名の捜査段階の各供述の信用性
次に、被告人両名の捜査段階の各供述の信用性について検討する。
a まず、被告人両名の捜査段階における供述経過は、次のようなものである。すなわち、
(a) 11月14日、被告人Y1が、前記会合の席で、早川弁護士に対し、P2が、「あの時、副社長は本を裸で持っていった。」、「副社長はZ知事に何も仕事のことは頼まなかった。小山ダムの件を頼んでくれなかった。」と言い、被告人Y2も、「副社長は私のことを東大の後輩だと知事に紹介してくれましたよね。」と言っただけだったので、自分も、「そういえば、あの時は、『この人にきく第III集』を持っていったな。本だけ持っていったことにしよう。仕事のことは頼んでおらず、単なる表敬訪問だったことにしよう。」と考えて、暗黙のうちに口裏を合わせたと供述している(乙書16)。
(b) 次いで、同月18日に、被告人Y2が、7月下旬ころ、Y1副社長室で、被告人Y1から直接に、「例の知事に渡したお金は、社内的には単なる表敬訪問に行ったことになっているので、何かあったら、お金のことは伏せて、表敬訪問のことだけを話せ。」と口止めされ、自分も、「分かってますよ。」と言ってこれを了承した、その後開かれた前記会合において、被告人Y1が、「表敬訪問の状況を説明します。」と言い出した、その際、早川弁護士から、「本当にお金を持っていってないんだろうね。」と聞かれて、被告人Y1も自分もこれを明確に否定するなどして、被告人Y1のみならず、P2との口裏合わせも暗黙のうちに成立したなどと供述しているのである(乙書23。なお、11月15日付け検察官調書(乙物133)にもほぼ同旨の供述が録取されている。)。
(c) このように、被告人両名の捜査段階の各供述は、本件贈賄について口裏合わせをした点及びP2との口裏合わせの状況についてはほぼ同趣旨であるものの、被告人両名間の口裏合わせの方法や態様については大きく異なっており、それぞれに独自に供述したものであることがうかがわれる。しかも、被告人Y1の供述が先行しているところから、被告人Y2は、長野検事から、被告人Y1の上記供述を指摘されて取調べを受けたと考えられるのに、その供述とは大きく異なり、被告人Y1から口止めの指示を受けた事実を明確に供述している。したがって、被告人Y2の上記供述は、被告人Y1の供述に影響されたのではなく、被告人Y2固有の記憶に基づくことを強くうかがわせるものである。
(d) この点、被告人Y2は、公判段階では、被告人Y1の意向に従い、本件贈賄を認める調書の作成に応じることにした以上、その後は検察官の創作に委ねていた旨供述する。しかし、そうであれば、被告人Y1の供述よりも同人に不利益な内容の供述調書が作成されることなどあり得ないはずなのに、被告人Y1による口止めに関する被告人Y2の上記供述は、被告人Y1の情状に関して、その供述よりも、不利益な内容となっているのである。したがって、被告人Y2の上記公判供述は、不合理であって、到底信用することができない。
(e)i もっとも、被告人両名の各供述は、被告人両名の間の口裏合わせの方法や態様については前記のように大きく食い違っている。
ii この点、被告人Y1は、前認定のように、事前に早川弁護士から電話で問い合わせを受けた際に、明確に現金の授受を否認していたのであり、本件贈賄を自白した以上、大鶴検事から、事前の口裏合わせについて追及されて、これを認めざるを得なくなったことがうかがわれる。しかし、被告人Y1としては、被告人Y2が供述するように、明確な口止めをしたことを供述して、自ら積極的に罪証隠滅工作をしたことまで認めることには、抵抗感があったことから、その供述するように、上記会合の席で、P2、被告人Y2が、相次いで、本件面談の趣旨が表敬訪問にすぎなかったことを強調する発言をしたために、これに同調したように供述したことが、合理的に推認できる。
iii 他方、被告人Y2は、長野検事から、被告人Y1が口裏合わせを認めたことを聞かされて、この点につき隠しておく必要がなくなったものと考え、その記憶に従って、被告人Y1の口止めについて明確に供述したものと考えられるのである。
iv したがって、被告人両名の各供述の前記のような食い違いは、その各供述の信用性を損なうものとはいえない。
b さらに、前記オで認定したように、被告人両名は、5月当時、東京地検特捜部が、同社関東支店の裏金の支出状況についても捜査を進めて、本件面談にも捜査が及ぶのではないかと懸念し、これを回避するためには、小山ダム建設工事の受注を断念して、Zに対して受注辞退の申入れをしたのであり、P2も、本件面談及び上記申入れのいずれにも同行していることからして、被告人両名と同様の認識を有していたことがうかがわれる。したがって、被告人両名及びP2としては、Zが被告人Y1から2000万円を受け取った旨供述しているという状況の下において、顧問弁護士との上記会合の際それぞれに、本件面談時にZに2000万円を渡したと認めることがいかなる事態を招くかを思い描いて、本件贈賄事実を絶対に認めることはできないと考えることも当然にあり得る状況にあったということができる。
c そうすると、被告人両名の各供述経過に加え、上記認定のような客観的状況からも、被告人両名の捜査段階における各供述は、被告人Y1が一部話していない点を除いては、いずれも高い信用性が認められる。
d なお、P2は、捜査・公判を通じて、前記会合で口裏合わせを行ったことを認めていないが、同人は、捜査段階においても、その前提となる本件贈賄事実を否認しているのであるから、このような同人の供述は、被告人両名の捜査段階における各供述の信用性に影響を及ぼすものではない。
(エ) 以上のとおり、高い信用性の認められる被告人両名の捜査段階における各供述を総合すると、前記(ア)aの会合に先立ち、被告人Y1が、被告人Y2に対して、本件面談時にZに対して2000万円を渡した事実はなく、表敬訪問であったと口止めし、さらに、上記会合において、被告人両名とP2との間でも暗黙のうちに同内容の口裏合わせが成立したことは、十分認定することができる。そして、このような口裏合わせの事実も、本件贈賄事実を認める被告人両名の捜査段階における各供述の信用性を裏付ける事実といえるのである。
キ 総括
(ア) 以上検討してきたとおり、本件贈賄の謀議、準備及び実行に関する被告人両名及びHの捜査段階における各供述は、被告人両名の捜査段階における各供述が共に、全体として高い信用性が認められ、前記第3で判示したように、任意性はもとよりその各公判供述と対比してもこれらより信用すべき特別の情況があったと認められるほか、前記アで判示したような3名の各供述経過等、同イで判示したような各供述相互及びZの自白供述との符合、同ウで判示したような本件の背景事情等に基づく推認との符合、同エで判示したような被告人Y1による裏金出納帳廃棄の指示、同オで判示したような被告人Y2による小山ダム建設工事の受注辞退申入れ、同カで判示したような被告人両名及びP2の口裏合わせの各事実により、客観的に裏付けられているのであって、いずれも高い信用性を認めることができる。
(イ) 他方、本件贈賄の謀議、準備及び実行への関与を否定する趣旨の被告人両名及びHの各公判供述は、前記第3で判示したように、取調べ状況について真実を語るものとは到底認められず、Zの自白供述及び本件の背景事情等に基づく推認に合致せず、被告人Y1による裏金出納帳廃棄の指示、被告人Y2による小山ダム建設工事の受注辞退申入れ、被告人両名及びP2の口裏合わせの各事実にも沿わない不自然・不合理なものであり、いずれも信用することが困難である。
(4) 弁護人の主張について
弁護人は、本件贈賄の事実はなく、被告人両名は共に無罪である旨主張しているところ、その主要な論拠として後記アないしオの各事実を主張するので、以下これらの点について逐次検討することとする。
ア 被告人Y2の守谷町長訪問予定期日変更の経緯について
(ア) 問題の所在等
a Hは、捜査段階において、本件面談の前日に当たる平成4年12月21日(以下、このアの項では「平成4年」の表記を省略する。)午後、あらかじめ被告人Y2から準備を指示された現金2000万円を手提げ付き紙袋に入れ、支店長室に持参して被告人Y2にいったん手渡したが、その後、呼ばれて支店長室に行くと、被告人Y2から、「明日、ほかに回る用事ができたので、午後4時ころまでに、本社の被告人Y1の所にいるから、お金を届けてくれ。」などと言われて、現金2000万円入りの上記手提げ付き紙袋を戻された旨供述している(甲書140)。
b この点に関して、弁護人は、関係各証拠によれば、被告人Y2が面談当日に守谷町長を訪問した事実があるが、その日程は、前日の午後には既に決まっていたもので、Hが被告人Y2に現金2000万円を持参した後に、その日程が急きょ決まったことはないから、Hの上記供述は、検察官が創作したものである旨主張している。
c そこで、以下、被告人Y2の守谷町長訪問の日程変更の経緯について検討した上、Hの上記供述の信用性について検討することとする。
(イ) 被告人Y2の守谷町長訪問の日程変更の経緯
a 客観証拠から明らかな事実
(a) まず、被告人Y2が、面談当日午前8時45分ころ茨城県守谷町長を訪問しており、その前日に守谷町に出向いた事実のないことは、いずれも関係各証拠から明らかである。
(b)i 守谷町の庁中日誌(物111)には、12月21日の欄3行目の「時間」、「場所」、「会議内容」の各欄にそれぞれ「13:00」、「庁議室」、「土地開発公社理事会」と記載された上、その上に一本の横線が引かれているところ、庁中日誌の鑑定結果(甲書102)によれば、上記記載部分には、同月22日の欄の3行目の各欄に現にある「8:45」、「町長室」及び「a建設関東支店長来庁」という記載と同様に記載された後、消しゴムで消されていることが認められるのであり、被告人Y2の守谷町長訪問が同月21日から同月22日に変更されたことが認められる。
ii そして、上記庁中日誌及び「平成4年度守谷町土地開発公社決算について」と題する書面(弁物192)によれば、土地開発公社理事会は、当初同月21日開催の予定が変更されて、同月18日に開催されたことが認められる。そして、この予定変更は、被告人Y2の守谷町長訪問の予定変更よりも後であったことが明らかであるから、上記守谷町長訪問は同月18日以前に変更されたものと認められる。
(c) また、茨城営業所作成の同月18日付け週報(物112)には、同月21日に、被告人Y2が守谷町長にあいさつする予定が記載され、この週報が同月18日午前10時59分に関東支店にファックス送信されていることが認められる。
b 茨城営業所関係者の各供述
(a) 各供述の概要
次に、被告人Y2の守谷町長訪問について、本件当時の守谷工事事務所長のP19(以下「P19」という。)、茨城営業所長のD、大晃石岡カントリークラブ工事事務所長のR(以下「R」という。)及び同営業所土木課長のP29(以下「P29」という。)は、それぞれ次のように供述している。すなわち、
i P19の公判証言(96回)
私が被告人Y2にお願いして守谷町長にあいさつに来てもらった。私が町長側に面会のアポイントを取ったと思う。Dにも、被告人Y2に同行してもらうために来てもらった。当初の予定は、12月21日だったが、被告人Y2か守谷町長の都合で22日に変更になった。日程変更の連絡が、関東支店から直接聞いたのか茨城営業所を通して聞いたのかは記憶にないが、関東支店から直接連絡を受けたのであれば、茨城営業所にその旨連絡を入れたはずである。この日程変更の連絡は、18日又はそれ以前にあったと思う。21日の朝、守谷工事事務所に行ったら、Rが被告人Y2に相談したいことがあるなどと言って来ていたが、予定が変更になっていたので、Rに、「今日じゃないぞ。」などと言った記憶がある。21日に、DやP29も来ていたかは記憶にない。
ii Rの公判証言(97回)
私は、12月21日は、守谷工事事務所に行っていない。22日昼ころ、守谷工事事務所に行ったが、その目的は、Dに、大晃石岡カントリークラブ工事の見積もりについて相談するためで、被告人Y2に相談をするためではなかった。21日夕方か、22日午前に茨城営業所に電話をして、所員から22日昼ころ守谷工事事務所に行けばDに会えると言われた。
iii Dの供述
α Dは、捜査段階では、「当初は、12月21日に、被告人Y2が守谷町長を訪問する予定だったが、私、R、P29がそろって守谷工事事務所に行ったところ、被告人Y2か守谷町長のいずれかの都合が悪くなり、22日に来るということだった。Rが来たのは、大晃石岡カントリークラブの工事の見積もりの関係について、被告人Y2と相談するためだった。私は、22日も守谷工事事務所に行き、P19と共に被告人Y2の守谷町長訪問に同行した。Rは、22日にも来ていたと思うが、この日も、被告人Y2に上記工事の相談をできず、後日関東支店で相談したように記憶している。」旨供述していた(甲書119)。
β ところが、Dは、公判段階では、「被告人Y2の守谷町長訪問の日程は、当初から22日で変更がなかったように記憶しているが、21日に被告人Y2が守谷町長を訪問する旨記載のある週報からすれば、日程の変更があったのだろうとも思う。日程の設定等の事務的な作業は、茨城営業所を通さずに、工事事務所と関東支店との間で連絡を取り合って行うこともある。21日に守谷工事事務所に行ったとすれば、P19が22日を21日と間違えて伝えたからだと思う。」旨証言している(95回)。
iv P29の公判証言(168、169回)
私は、守谷工事事務所に12月21日には行っておらず、22日に行った。このことは、私有自動車業務上使用精算書(弁物200)に添付された領収書により裏付けられている。守谷工事事務所に行った目的は、被告人Y2の守谷町長訪問の同行ではなく、工事現場の安全管理に主眼を置いた巡回だった。また、22日には、時間が合えば、D及びRと大晃石岡カントリークラブ工事の見積もりについて相談する予定であった。なお、DやRのような立場の者が関東支店の土木部長を通さずに関東支店長の被告人Y2に相談することはあり得ないことだと思うが、Dがそのように考えていたのであれば、Dの言うとおりなのだろうと思う。
(b) 各供述の信用性
i そこで、茨城営業所関係者の上記各供述の信用性について検討するに、まず、P19の証言は、被告人Y2の守谷町長訪問の日程変更について厳しく争われている本件訴訟の段階において、日程変更があったことを明確に証言しており、しかも、日程変更の有無だけでなく、その時期も、後に客観的に裏付けられているのである。さらに、P19の真摯な証言態度、その証言内容が自然な流れに沿う合理的なものであり、弁護人からの詳細な反対尋問にも全く動揺していないことに加え、証言当時は、a建設を退職してから1年半近くも経過した後であることも考慮すると、その証言の一部がP19の検察官調書の内容と食い違っているとしても、P19の証言は、その信用性に疑問とすべき点は見出し難い。
ii 次に、Rの証言の信用性を検討するに、Rは、7年以上も前の、しかも、その証言に従う限り特に印象の残ることもないような出来事について証言しているところ、捜査段階で本件に関して取調べを受けたことはなく、当時の出来事を思い出した理由について、弁護人からいろいろ問い合わせがあり、また、年末の非常に忙しい時期だったことは覚えているとしか述べていない。しかも、Rの証言は、Rが12月21日に守谷工事事務所に来ていたかどうかについては、P19の証言と、Rが同事務所を訪れた目的については、P19及びDの各供述と、それぞれ食い違っているのであり、これを信用することは困難である。
iiiα さらに、Dの供述の信用性について検討するに、まず、その公判証言は、日程変更の有無や、D自身が12月21日に守谷工事事務所に行ったのかどうかなどの点について、供述内容が極めてあいまいであり、D自身も記憶があいまいであることを認めていることからすれば、その信用性は乏しいというべきである。
β 他方、Dは、捜査段階では、12月21日に守谷工事事務所に行ったことを明確に供述している。しかし、P29が、その日は守谷工事事務所に行っていないと証言していることに加え、守谷工事事務所長のP19が事前に日程変更を知らされていたのに、その上司である茨城営業所長のDが事前に聞かされていないようなことは想定し難いことであるから、Dの捜査段階の供述もにわかには信用し難いものである。
iv 最後に、P29の証言の信用性について検討するに、その証言は、10年以上も前の出来事に関する供述であるものの、私有自動車業務上使用精算書という客観証拠により裏付けられているほか、内容的にも、特に不自然な点はなく、他の関係者の各供述とも矛盾しないことから、その信用性を否定すべき事情は認められない。
v 以上の検討から、P19の証言は、高い信用性を認めることができる。
c そして、前記a認定の事実及びP19の前記証言に、被告人Y2が12月21日に守谷町に行った形跡のないことをも併せ考慮すると、次の事実が合理的に推認できる。すなわち、
(a) 被告人Y2の守谷町長訪問の日程は、当初12月21日の予定であったが、その後に翌22日に変更され、この変更は、遅くとも同月18日までに行われた。
(b) そして、上記日程変更について、茨城営業所は、同月18日付け週報を関東支店へファックス送信する時点では、認識していなかったが、同月18日中には、その旨関東支店に報告ないし連絡されて、被告人Y2も、当初の日程が変更されたことを認識するに至った。
d(a) これに対し、本件当時、a建設関東支店支店長室秘書の職にあったP(以下「P」という。)は、公判段階において、被告人Y2の守谷町長訪問の日程は、当初から12月22日であり、21日から22日に変更になったことはない旨証言し(91~93回、169回、170回)、被告人Y2も、同旨の供述をしている。
そして、Pは、その根拠として、本件当時の被告人Y2のスケジュール表(弁物123。以下「スケジュール表」という。)及びその鑑定結果(職51)から、スケジュール表の12月21日の欄の「幹部会」と記載された部分の下の痕跡は「守谷」と記載されたものとは思われないこと、同じ日の欄の「山梨P20所長」の記載の右斜め上の余白に「8」及び「30」ないし「00」と記載された痕跡が、同じく右斜め下の余白には「16」と記載された痕跡が、それぞれ認められるが、これらはいずれも被告人Y2と山梨営業所のP20所長との面談時間の候補を記載したものであって、被告人Y2の守谷町長訪問の日程を記載したものではないことを指摘している(169、170回)。
(b)i しかしながら、Pは、当初、肉眼で観察して、スケジュール表の12月21日の欄には、記載されていたものを消したような痕跡はない旨明確に証言していたのに(91回)、その後、検察官の求めに応じてルーペを用いて観察し、同日の欄の「幹部会」との記載の「幹」の字と「部」の字の辺りに左上から右下に下がるような斜めの2ミリくらいの線があるが、何を書いたか分からない旨供述し(93回)、さらに、スケジュール表の鑑定結果(職51)を前提に、上記のような証言をするに至ったのである。
ii この点、スケジュール表の12月21日の欄の上記痕跡は、肉眼でも容易に確認できるものであり、しかも、Pは、スケジュール表の記載について、一部の記載を除きすべて自分が記載しており、訂正する場合にも自分だけが訂正していた旨証言しているというのに、当初、同日の欄に記載されたものを消したような痕跡がない旨断言しているのであり、このような証言内容は、訂正の事実を殊更に糊塗しようとする態度をうかがわせるものである。
iii また、スケジュール表の同月21日の欄に記載された「山梨P20所長」の右余白に認められる痕跡についても、その痕跡が、当初の証言段階では明確に問題にされていなかったことを考慮にいれても、本件当時から約11年半も経過した後の第169回公判期日においていきなり、前記のような極めて具体的かつ詳細な証言をしていることも不自然といわざるを得ない。
iv そして、上記鑑定結果によると、スケジュール表の同月21日の欄には、現に消された痕跡があるほか、消された痕跡の存在が一部確認できても、その全体像を明らかにして、元の文字を復元することが不可能な場合も多いことが認められるから、スケジュール表の記載ないしその痕跡の状況は、日程変更がなかったとするPの上記証言を裏付けるものとはいえない。
v さらに、Pは、その公判証言によっても、平成5年10月下旬ころ、在宅で検察庁の取調べを受けていた被告人Y2から、取調べに必要であると言われて、スケジュール表等に基づき、面談当日の被告人Y2の行動について伝えていたところ、関東支店の職員から、近々同支店への検察庁の捜索差押えが行われると聞き及び、スケジュール表を持っていかれると、支店長もスケジュール表を管理している自分も日程が分からなくなり困るだろうと思って、自宅に持ち帰って保管していたにもかかわらず、自身が検察官の取調べを受けた際には、意図的に、被告人Y2のスケジュール表は既に廃棄したなどと虚偽内容の供述をしたというのである。このように、Pは、スケジュール表を自ら隠匿したものであり、その目的は、被告人Y2の面談当日ないしその前後の行動日程に関する証拠を隠滅することにあったことは明らかである。
(c)i 以上のとおり、スケジュール表の記載ないしその痕跡に関するPの上記証言を信用することは困難であり、したがって、この証言を前提とした被告人Y2の守谷町長訪問の日程変更がなかった旨の証言も、信用できないというべきである。さらに、被告人Y2のこれと同旨の公判供述も、前記cの推認に反するだけでなく、特段の具体的な根拠があるわけでもないことからすれば、Pの上記供述と同様、信用できるものではない。
ii そうすると、これらの各供述は、上記推認、すなわち、被告人Y2の守谷町長訪問の日程について、当初の12月21日から翌22日に変更されたが、そのことは、12月18日の時点までに、関東支店に報告ないし連絡されて、被告人Y2を含む関東支店側が認識していたとの推認に対し合理的な疑いを入れるものではないということができる。
(ウ) H供述の信用性
そこで、以上認定のような被告人Y2の守谷町長訪問の日程の変更ないし被告人Y2の認識状況を前提に、Hの前記供述の信用性について検討する。
a(a) まず、前認定のように、被告人Y2は、12月21日の午後の時点では、既に翌日午前中に守谷町長を訪問する予定があったことを認識していたのであり、Hからいったん現金を受け取った後に、同月22日の予定が急きょ入ったような状況にはなかったのである。したがって、Hの供述のうち、被告人Y2が「明日、ほかに回る用事ができたので」と言ったというのは、このような状況にはいささかそぐわないもののようにも思われる。
(b) しかしながら、Hの前記供述を前提とすると、被告人Y2は、当初、Hに現金2000万円を準備するよう指示した時点では、守谷町長訪問は日程変更前の12月21日の予定であり、翌22日には本件面談以外に関東支店から外出する予定はなかったため、同月21日にHから現金を受け取り本件面談まで自ら保管しておこうと考えて、同日に現金を持参するように指示し、その指示どおりにHが現金を持参してきた時点では、特段の問題意識もなくいったんこれを受け取ったものの、その後、上記日程変更によって、翌日朝に守谷町への出張が入ったことを思い出し、そのまま2000万円という多額の現金を自ら保管しておくことに不安を覚えたため、Hに引き続き現金を保管させて、面談当日に被告人Y1まで直接届けさせることを思い立ち、Hを呼んで、その旨指示をして現金を手渡したことがうかがわれるのであり、そのような状況の中で、被告人Y2が、「明日、ほかに回る用事ができたので」と言って指示の理由を説明するのは、誠に自然な成り行きということができる。
(c) したがって、Hの前記供述のうち、被告人Y2が「明日、ほかに回る用事ができたので」と言って説明したとする部分は、決して不自然、不合理ではない。
b(a) また、被告人Y2は、捜査段階において、Hに現金2000万円の準備を指示し、本件面談の前日くらいに、Hが現金を持参してきたことは認めるものの、その際、Hが準備した現金をしばらくの間でも預かったということはない旨供述している(乙書22)。
(b) しかしながら、被告人Y2は、その供述によっても、Hを呼んで、現金を用意するよう命じた上、本件面談の前日に現金を持参してきたHに対して、面談当日の午後4時までに被告人Y1まで届けておくよう指示することにより、現金を被告人Y1に届けることまですべてHに委ねていたというのであり、他方、Hは、被告人Y2のこの指示に基づき、面談当日に被告人Y1まで現金を届ける義務を負うことになったのである。そうすると、被告人Y2は、Hに比べれば、上記指示に関する出来事についての印象が薄いこともあり得るところであるから、この点に関する記憶を鮮明に保持しておらず、一時的に現金を手元に置いたことを失念したとしても、あながち不自然とはいえない。
(c) したがって、H及び被告人Y2の各供述が上記の点で一部食い違っても、Hの供述の信用性が減殺されることはないというべきである。
c その他関係各証拠を子細に検討しても、Hの前記供述について、その信用性に合理的な疑いを生じさせる事情は見出し得ない。
(エ) 以上のとおり、被告人Y2の守谷町長訪問予定期日変更の経緯に照らしても、Hの前記供述の信用性に合理的な疑いが生じない以上、この点に関する弁護人の主張は採用できない。
イ 面談当日のHの行動について
(ア) 問題の所在
a Hは、面談当日の自らの行動について、捜査段階では、午前11時にh社ビルを関東支店のO及びP17と訪問し、その際、現金2000万円も持参した、h社で昼食を御馳走になり、その後、本社に行って、交渉の結果報告や対応策の検討のためIに会うなど、本社経理部で時間を過ごして、午後4時少し前に被告人Y1に現金を届けるためにY1副社長室に行った、すると、女性秘書から、「いったん来られたY2支店長が、Y1副社長と会うため、外に出掛けた。」、「支店長からの言付けが入っています。4時10分までにニューオータニのガーデンコートの玄関に行ってくださいとのことです。」のように言われたので、ガーデンコートの場所を教わり、すぐに現金を持って本社を出た、ガーデンコートの出入口付近に行き、支店長車のそばに行くと、車外にいた被告人Y2が近づいてきたので、現金の入った手提げ付き紙袋を「御苦労様です。」と言いながら渡した、そのころ、被告人Y1とP2が建物の方から現れて、別の黒っぽい車の方に歩いていって乗り込み、被告人Y2もその車の方に行ったなどと供述している(甲書140)。
b これに対し、弁護人は、〈1〉Hがh社に現金2000万円を持参したことはない、〈2〉Hには面談当日の午後4時ころにアリバイがあるとして、Hの上記供述は信用できない旨主張する。
c そこで、以下、上記各論点別に検討することとする。
(イ) h社等への現金2000万円持参の有無
a 弁護人の主張
弁護人は、〈ア〉現金2000万円を持って得意先回りすることは、a建設の「現金・小切手・手形・有価証券等の取扱いに関する事故防止について」と題する通達(弁物24)に違反するものであること、〈イ〉h社まで同行したOは、Hが封筒や紙袋は持っていなかったと思うと証言していることなどを理由に、Hがh社に現金2000万円入りの手提げ付き紙袋を持参したことはない旨主張する。
b a建設の通達との関係について
(a) そこでまず、〈ア〉の主張について検討するに、確かに、上記通達には、多額の現金を取り扱う場合は、徒歩運搬を避け、会社所有の車両を利用するとともに、原則として2名以上の社員によるなどとする定めのあることが認められる。
(b)i この点、Hは、現金を持ち歩いた理由について、面談当日の午前、取引先のh社に工事代金の未収金交渉に訪れることになっていたが、当日の日程では、その後の本社への報告等を考えると、関東支店にいったん戻って、午後4時までにa建設本社まで被告人Y2に指示された現金2000万円を届けるのは大変なので、h社へ向かう時から、現金2000万円が入った手提げ紙袋を持参した旨供述している(甲書140)。
ii そして、Hがh社まで持参したとされる現金2000万円は、関東支店の裏金であるとともに犯罪行為である贈賄の資金であり、しかも、被告人Y2の指示により、面談当日に被告人Y1に届けなければならなかったものである。また、Hとしても、被告人Y2から、使途についての説明もなく、いきなり裏金から2000万円もの大金を準備して、被告人Y1に届けることを指示されたのであり、前認定のように、被告人Y1がa建設において政治家等への裏献金を担当していたことも併せ考慮すると、贈賄や政治資金規正法違反等の何らかの犯罪行為に使用される可能性を容易に推察できたものといえる。
iii このように、関東支店の裏金管理の責任者であるHは、関東支店長の被告人Y2の指示に基づき、時間を指定されて副社長の被告人Y1に2000万円もの大金を届けなければならない立場にあり、しかも、その金が何らかの犯罪行為に使用される可能性を察知していたのである。したがって、現金2000万円を持ち歩いた理由に関するHの上記供述は、上記通達の存在を前提としても、Hがこのような当時置かれていた状況ないし認識内容に照らすと、誠に自然な内容ということができる。したがって、上記通達の存在は、Hの供述とは何ら抵触するものではないというべきである。
c Oの公判証言について
(a) 次に、〈イ〉の主張について検討するに、Oは、公判段階において、h社を訪ねた当時、Hは荷物を持っていなかった記憶である、Hは、常日ごろ、かばんとかそういう物を持たず、持っていてもせいぜい図面を入れるA4サイズの薄い封筒ぐらいであり、虎屋の袋のような手提げ付き紙袋を持っていれば、気付くし、印象に残るはずなので、そのようなものは持っていなかったと思う旨証言している(89回、90回)。
(b)i しかしながら、刑訴法328条に基づき取り調べられたOの平成5年11月15日付け検察官調書(甲書109)には、「12月22日に、Hが、何か荷物を持っていたか否かについては、現在記憶としては残っていない。荷物を持っていたとも、持っていなかったとも、いずれの記憶もない。ただ、Hは真面目な人柄で、多分自宅に持って帰って目を通すつもりであると思うが、会社の書類らしき物が入った大型の封筒などを持って外出することも多く、同日に、例えば大型の封筒、あるいは手提げ紙袋などを持っていたとしても、私としては、いわば見慣れた光景であったため、記憶に残っていないという可能性は強いと思う。」などと、Oの上記公判証言と矛盾するような内容の記載がある。
ii この点、弁護人は、Oの上記検察官調書の任意性に疑いがある旨主張するが、Oが、公判段階においても、100%自分が供述したとおりではなく、若干ニュアンスが違うと思って訂正を申し立てたものの、訂正してもらえなかったが、調書の内容にトータル的に納得して署名指印した旨供述していることからすれば、その任意性に関して疑問とする余地はない。
iii また、弁護人は、検察官が、Oの証人尋問終了後に、初めてOの上記調書を開示して刑訴法328条に基づき請求したため、Oに対する取調べ状況等に関する十分な尋問ができなかったなどとして、検察官の上記証拠請求は弁護人の証人尋問権を侵害した違法があると主張する。しかし、Oは弁護人請求の証人であったのであり、弁護人としては、上記調書が開示された後に、Oに対する再度の証人尋問を請求することも容易であったはずであるから、検察官の上記証拠請求が違法であるとはいえない。
iv そうすると、Oの前記公判証言は、その検察官調書の記載とは矛盾するものであり、しかも、上記公判証言が面談当日から7年近く後にされたものであることも併せ考慮すれば、これをそのまま信用することは困難である。
d 以上のとおり、h社等への現金2000万円持参の有無に関する弁護人の主張〈1〉は理由がない。
(ウ) Hのアリバイの成否
a H及びP26の各公判証言
(a) Hは、公判段階では、面談当日の自らの行動について次のとおり証言して、自分には本件2000万円を被告人Y2に届けたとされることについてアリバイがある旨主張している(34回、40回)。すなわち、
i 私は、午前11時にh社に未収金回収の交渉に行き、昼食後、Oと一緒に本社建設総事業本部の経理部に行ったが、Iには会えず、h社での話の内容を伝えられなかった。午後2時前に、Oと別れ、午後3時半ころまで、本社主計部、資金部、監査部、総務部を回った。その後、新橋経由で秋葉原に向かい、午後4時ころ、JR秋葉原駅高架下の喫茶店で関東支店経理部次長のP26と待ち合わせて、午後4時半のアポイントどおりi商事本社を訪問した。
ii i商事とは未収金回収の交渉を続けており、その日が支払条件変更の覚書を交わす日だった。i商事側は、P30常務取締役(以下「P30」という。)とP31業務部長(以下「P31」という。)の2人であり、文案について了承を得られたので、午後5時ころ退出し、タクシーで関東支店に戻り、経理部の自席でたまった書類を整理した後、午後5時45分ころから、総合幹部会の懇親会に遅れて参加した。なお、総合幹部会には、未収金関係の交渉のために欠席した。他に重要な用件があったわけではない。
(b) また、P26も、公判段階において、次のようにHの上記証言に沿う証言をしている(46回、53回)。すなわち、
i 面談当日、未収金回収の交渉のため、Hとi商事に行き、午後4時半から午後5時ころまでP30及びP31と打ち合わせをした。午後4時半のアポにしたのは、当日、本社で経理部と監査部の定例会議が予定されていたためである。当日は、午後1時15分ころにT4と共に関東支店を出て、午後2時ころに本社の喫茶室でOと落ち合った。経理部の他支店との会議が長引いていたため、先に監査部の会議に出ることになったが、監査部の会議が終わった時点で午後3時40分になってしまった。本来、経理部の会議にも出ることになっていたが、午後4時半にはi商事とのアポが入っていたので、経理部の会議はOとT4にお願いして、自分は、赤坂見附から銀座線で新橋に行き、JRに乗り換えて秋葉原に向かった。午後4時ちょっと過ぎには秋葉原に着いたと思う。その後の記憶がはっきりしないが、Hとその付近で一緒になって2人でi商事に行ったことは間違いない。
ii i商事に行き、P30及びP31と最終的な合意に達し、午後5時ころi商事を出て、秋葉原駅に戻った。秋葉原駅の階段を上るときにHが立ち止まり、「今日の関東支店の忘年会には出席するのか。」と言われ、「今日の業務を整理してから忘年会に出席します。」と答えた。電車で錦糸町駅まで行き、錦糸町からタクシーで関東支店に戻り、それからあらかじめ起案してあったi商事との合意にかかる稟議書の起案日を12月22日にするよう女子事務員に指示して日付を入れさせた上、Hの判をもらい、その後、午後5時40分ころから、Hと共に忘年会に参加した。
(c) そして、H及びP26は、i商事との交渉経過について、次のとおり、面談当日に覚書の最終合意に至った旨証言している(H34、40回、P2646、53回)。すなわち、
i a建設は、iグループに属する株式会社サザンヤードカントリークラブ(以下「サザンヤード」という。)から、クラブハウス建設工事及びその追加工事を請け負ったが(弁物57~59)、平成3年10月1日時点で、その工事代金のうち7億760万円が未回収となっていた。そのため、同日、a建設は、サザンヤード及びiグループを統括するi商事との間で、支払期限を平成4年9月30日(以下、この(ウ)の項では「平成4年」の表記を省略する。)とし、i商事がサザンヤードの上記工事代金債務を連帯保証するとともに、上記支払期限までに債務を弁済できなかった場合には、iグループが所有する不動産(以下「本件不動産」という。)に抵当権を設定することなどを内容とする覚書を締結した(弁物60)。
ii しかし、9月30日時点においてもなお、上記工事代金債務のうち5億760万円が未払いであったため、H及びP26は、P30及びP31を交渉相手として上記未収金回収交渉を行い、10月20日、i商事本社において、P30らに対し、上記覚書に基づき、本件不動産への抵当権設定を求めるとともに、支払期限を再延長した覚書の締結を求めて、覚書案(弁物61。同種の覚書案が複数存在するので、以下、「弁物○覚書案」として特定する。)を提示したところ、P30らは、本件不動産への抵当権設定は新たな覚書締結時点で履行することを希望した。
iii Hらは、前記覚書に基づき、本件不動産への抵当権設定を先行させることを強く求めたため(弁物62参照)、P30らはこれを了承した。そこで、Hらは、11月16日、P30らから本件不動産の権利書を預かり、同月19日、本件不動産にa建設の抵当権が設定された(物25参照。なお、弁物63、64は物25の一部)。
iv さらに、Hらは、支払期限を再延長する覚書の締結交渉を進めて、12月3日、i商事本社を訪れ、本件不動産の権利書をP30らに返還するとともに、弁物65覚書案を提示したところ、P30らから、本件不動産による代物弁済等を内容とする弁物67覚書案を示された。
v P26は、その日の交渉経過を本社に報告し、本社との間で、P30らから提案の本件不動産による代物弁済については拒絶することで交渉方針を再確認したが、その際、本社から、iグループ側と新たに取り交わす覚書には期限の利益喪失条項を加えるようにとの指示があった。そこで、H及びP26は、期限の利益喪失条項を盛り込んだ弁物68覚書案を作成した上、12月18日、i商事本社を訪れて、これをP30らに提示したところ、P30らから、期限の利益喪失条項のうち「本契約による債務の一部でも履行を遅滞したとき」は期限の利益を喪失する旨の条項(7条4号)が厳しすぎるとして、その削除を求められ、その日も合意に至らなかった。
vi そのため、P26が、上記条項の削除について、本社の同意を取り付け、同条項を削除した弁物69覚書案を作成した上、H及びP26は、面談当日、i商事本社を訪れて、P30らにこれを提示し、同覚書案どおりに合意するに至った。
b a建設とi商事との交渉の経緯
そこでまず、Hが面談当日のアリバイの最大の根拠とするa建設とi商事との交渉の経緯について検討する。
(a) 覚書案作成の経緯について
iα まず、関係各証拠によれば、本件不動産には、a建設を抵当権者とする抵当権が11月19日付けで設定されており、その被担保債権の利率が年5.5%であること(物25)、長期プライムレートの利率は、9月1日の時点で、年6.1%から年5.7%に引き下げられ、11月2日には年5.5%に引き下げられていること(甲書79)が認められる。
β 他方、10月20日の交渉内容を記載したメモ(弁物62)によれば、P30らは、前記a(c)iの覚書の利息は、長期プライムレート年7.5%を固定したもので高すぎるので、今回は、短期プライムレート年4.75%に年0.25%を上乗せした年5%としてほしい旨主張したのに対し、Hらは、前回の利息は約定どおりの支払を求めるとともに、今回の利息は長期プライムレートの年5.7%の変動相場制を主張し、折衝の結果、短期プライムレート年4.75%に年0.75%を上乗せした年5.5%で合意していることが認められるほか、同月23日の電話による交渉内容を記載したメモ(P2653回速記録末尾添付資料6)によっても、利息年5.5%とすることの確認がされたことが認められるのである。
γ なお、その後にP30らが提示した弁物67覚書案、さらに、Hらが提示した弁物68及び69各覚書案ではいずれも、利息が「年5.5%(長期プライムレートの変動利率による)」とされているが、これらは、上記認定のように、年5.5%の利息で合意した後、長期プライムレートの利息が年5.5%になったことから、Hらの主張していた長期プライムレートの変動相場制を採用したものと解されるのであって、利息の合意に至る経緯ないし算出方法についての上記認定に疑問を生じさせるものとはいえない。
δ そして、上記認定のような交渉経緯や長期プライムレートの変動経過に加え、弁物65覚書案3条には「利息 年5.7%(長期プライムレートと同率)」と記載されていることからすると、同覚書案がHらからP30らに提示されたのは、12月3日ではなく、利息について短期プライムレートをベースとする旨の合意が成立した10月20日ないしそれ以前であったことが合理的に推認できるというべきである。
iiα 次に、関係各証拠からすると、弁物68覚書案は、弁物65覚書案の次にHらからP30らに提示されたものと認められるところ、弁物68覚書案の末尾余白には、「◎会員権 平日1250×20口(a社工事代金充当) ◎代物弁済 ○7条(4)×」との書き込みがあり、Hの手帳(物22)の週間予定表の12月3日欄には、同日の交渉時にP30らから会員権による代物弁済を認めるよう求められたことをうかがわせる「会員権買収要求→覚書」との記載がある。さらに、関係各証拠によれば、HらとP30らとの交渉は、同日までに、本件不動産に抵当権が設定され、新たな覚書を締結するだけになっていたと認められることからすれば、弁物68覚書案は、同月18日ではなく、本件不動産に抵当権を設定した後の最初の交渉である同月3日に提示されたものと合理的に推認できる。
β そして、弁物68覚書案には、期限の利益喪失条項の7条4号の記載に横線が引かれ、その冒頭に×印が付けられているところ、その記載状態からすると、この点も、12月3日の交渉で主張されたと考えるのが自然である。
iii さらに、関係各証拠によると、弁物69覚書案は、弁物68覚書案の次にHらがP30らに提示したものであるところ、同覚書案では、P30らの要求に従い、期限の利益喪失条項の7条4号が削除されて、この覚書案により双方の同意が成立し、その後、これと同内容の覚書に関係者が記名押印したことが認められる(弁物70。以下「最終覚書」という。)。そして、弁物68覚書案から弁物69覚書案の作成までに、Hらの方で検討を要する事項としては、P30らが提案した上記iiαの代物弁済のほかは、期限の利益喪失条項のうち7条4号の削除にしぼられていたところ、代物弁済に関しては、それまでの交渉でもHらが強い難色を示していたところであるから(弁物62)、主に検討を要するのは、上記条項の削除であったことがうかがわれる。しかも、この点を検討するのであれば、12月3日から同月18日までの期間で十分と考えられることに加え、P30らにおいては、弁物68覚書案の内容について、上記条項削除以外に特段の異議申立てをしていないのである。
iv そうすると、P30らは、この点に関する要望が認められれば覚書案に同意したであろうことがうかがわれるから、弁物69覚書案は、12月3日の次の交渉期日である同月18日の期日にHらからP30らに提示され、同日にP30らがその覚書案に同意したものと考えるのが最も自然かつ合理的というべきである。
(b) Hの手帳の記載について
i Hの手帳(物22)の年間カレンダー中の面談当日の欄には「ご返事」との記載が認められるところ、Hは、この記載について、i商事側に対して前記のような期限の利益喪失条項の一部削除に関する返答をする予定を記載したものである旨証言している(47回)。
ii しかしながら、「ご返事」は丁寧語であるから、a建設側からの返事ではなく、得意先からの返事を記載したものとみられる。そして、Hの証言によれば、面談当日に訪問したh社側から返済計画書の提示がある予定であったというのであるから(47回)、上記記載はこのh社側からの返済計画書について記載したものとうかがわれる。したがって、上記手帳の記載がHのi商事との交渉経緯に関する公判証言を裏付けるものとはいえない。
(c) 稟議書等の作成経緯に関するP26の証言について
i P26は、i商事との交渉結果に関する本店提出用稟議書(P2653回速記録末尾添付資料1)及び支店用稟議書(同2)について、12月2日付けで稟議書を起案し、回覧文書等を管理している女性職員にワープロで清書してもらった、そのうち本店提出用稟議書は、その女性職員に保管してもらい、支店用稟議書は、Hらの決裁印をもらった後、私が保管していた、同月22日の交渉で双方合意に至ったので、帰社後、本店提出用稟議書については上記女性職員に、支店用稟議書については私が、それぞれ作成日を同月2日から同月22日に訂正し、同月22日、私が本店提出用の稟議書にHの決裁印をもらった、回覧文書発信簿(同3)に、i商事との交渉に関する稟議書の発信日が同月2日となっているのは、上記女性職員が回覧文書を受け付けた時点の日付が発信日として記載されているからであるなどと証言して(53回)、上記稟議書の作成経緯がa建設とi商事との交渉経緯に関する自己の証言内容を裏付けるかのように主張している。
ii しかし、P26の証言のとおり、P26が稟議書を12月2日に起案していたとしても、その後、同月18日の交渉で合意に至り、それについて同月22日付けでHの決裁を受けるなどして稟議に回したことも十分考えられるのであり、P26が指摘する稟議書ないし回覧文書発信簿の存在が、上記交渉経緯に関するP26の証言を裏付けるものともいえない。
(d) 最終覚書の調印時期に関するP30の公判証言について
i なお、P30は、最終覚書の調印時期に関して、11月19日付けで抵当権設定登記がされている以上、その前に覚書に捺印したことは間違いない、捺印がないものについて抵当権設定登記をするはずがない、したがって、損害金を負けてほしいという交渉も、同日までには終わっていると思う旨証言している(85回、86回)。
ii しかしながら、本件不動産への抵当権の設定は、前記a(c)iの覚書に基づきされたものであり、支払期限を更に1年間延長する内容の新たな覚書の締結とは、全く関連性のない事項であるし、a建設側が上記抵当権の設定を優先させる意向で交渉を進めていたことは、Hらの公判証言等から明らかである。また、P30の公判証言によれば、同人の手帳(P3085回速記録末尾添付資料I)にも記載のある12月3日の交渉の内容が不明となるほか、P30の交渉経緯に関する公判証言自体、かなりあいまいで、具体的な記憶を十分保持しているとはうかがわれないことなどからすれば、P30の上記公判証言は、にわかに信用できず、これを交渉経緯認定の前提とすることはできない。
(e) まとめ
以上のとおり、a建設とi商事との未収金回収に関する客観的資料からは、12月18日の時点で、弁物69覚書案で双方合意に達したものと合理的に推認することができる。そして、これに反する趣旨のH及びP26の各公判証言はいずれも、上記客観的資料を十分に説明できていない点が散見されるものであって、これらを信用することは困難である。
c アリバイに関するH及びP26の各公判証言の信用性
(a) Hの供述経過等について
i まず、Hが面談当日にi商事に行ったことを思い出した経緯に関するHの公判証言が、極めて不自然で信用できないことは、前記第3の3(4)イ(ア)dで指摘したとおりである。
ii また、Hの手帳(物22)には、i商事に関して、10月6日、同月20日及び12月3日の各交渉については月別予定表の該当日の各欄に、12月18日の交渉については週別予定表の同日の欄にそれぞれ記載され、月別予定表の面談当日の欄に、「総合幹部会14.00~17.00」と「幹部懇親会17:30」との記載の間に「h社11時」との記載が挿入されているのに、その日のi商事との交渉に関する記載は、月別予定表にも選別予定表にも全く記載されておらず、これらの記載状況は、Hが面談当日にはi商事本社に行っていないことをうかがわせるものである。
(b) i商事関係者の供述状況について
i i商事側交渉責任者であった同社常務取締役のP30は、公判段階において、面談当日に、Hらが来たことは覚えていないし、自分の手帳にも、その旨の記載はなく、また、共に交渉に立ち会っていたiグループの丸正産業株式会社の業務部長だったP31(平成9年10月死亡)が作成したメモにも、その旨の記載はなかった、そのため、平成5年11月ころP26から面談当日の訪問について問い合わせがあった際、よく分からないと回答した旨証言している(85、86回)。
ii この点、P26も、同年11月10日から12日までころに、i商事に電話して、自分とHが面談当日にi商事を訪問していないかを確認したところ、P31の回答は、「12月3日と18日は確かに来ているが、22日については記載されていない。」あるいは「記憶してない。」ということだった、翌日、再度P31に電話をかけて確認したが、P31の手帳にも、面談当日にP26とHが訪問したとの記載はない旨言われた、同月16日ころ、T4がi商事に行ったところ、「12月22日は来ていないよ。」と言われたとのことだった、その後、同年12月15日に、T4と一緒にi商事に利息の請求に行った際に、P31に、折衝経緯に関する書類を綴ったファイルが見付かったか聞いたところ、「見付からない。」という返事だった旨証言し(46回)、T4も、i商事のP31から、「私の手帳の12月22日の欄には、HさんやP26さんが来たという記載はないよ。」と言われた旨証言しているのである(107回)。
iii このように、i商事側の交渉担当者であるP30及びP31は共に、Hらが面談当日に同社本社に交渉に来たという記憶がなく、同社側にはその記録がないというのであって、これらの証拠もまた、Hらが面談当日にはi商事本社に行っていないことを裏付けるものということができる。
(c) P26の公判証言について
iα P26の前記公判証言は、i商事から関東支店に戻る際に、タクシーを利用して、1000円ちょっとかかったというのに、関係証拠(甲書78)によれば、その交通費の精算書が存在しないことが認められるなど、Hの公判証言と同様に客観的裏付けを欠くものである。
β また、P26は、Hのアリバイに関する明確な記憶があり、i商事側に問い合わせることまでしたというのに、Hが釈放された後の平成5年11月24日ないし26日のいずれの日かに、Hに対して、面談当日は行動を共にしていた旨言っただけで、平成6年6月13日に、早川弁護士に詳しく説明するまでは、a建設関係者に話をしていないと証言している。しかし、Hのアリバイの成否は、同社にとっては極めて重要な事項であることが明らかであるにもかかわらず、P26の上記のような対応は、いかにも不可解といわざるを得ない。
γ しかも、P26の前記公判証言は、面談当日に秋葉原駅付近でHと落ち合った場所や方法について極めてあいまいなまま終始しており、その余の部分の記憶の明確さと対比すると、この点も不自然というほかない。
iiα なお、O(89、90回)及びT4(106、107回)はいずれも、面談当日午後、T4がP26と共に本社に行き、午後2時ころ経理部でOと落ち合ってから、喫茶店で待機した後、午後2時50分ころから監査部に報告に行き、午後3時40分くらいまで報告し、その後、P26が別件の用事で出掛けたので、経理部への報告は、OとT4が行った旨、P26の公判証言に沿う証言をしている。
β そして、本件当時の建設総事業本部監査部次長のT2(以下「T2」という。)は、面談当日の業務日誌(弁物188はそのファックスコピー)の記載からすれば、関東支店からの月例報告にはP26、O及びT4の3名が出席していた旨(100回)、同じく経理部資金課担当者のT1(以下「T1」という。)は、同日の関東支店との資金会議の際に作成した査定結果表(弁物122はそのファックスコピー)の記載からすれば、関東支店からはO及びT4のみが出席し、P26は出席していなかった旨(99回)、それぞれに公判段階で上記P26、O及びT4の各公判証言を裏付けるかのような証言をしている。
γ しかしながら、仮に、P26が面談当日午後にO及びT4とは別れて別の用事で出掛けたとしても、それがi商事の用件であったと確定できない以上、P26の前記公判証言を裏付けることにはならない。そして、P26は、自己の手帳を焼却したとして、その裏付け証拠を自ら廃棄したことを認めているのである(46回)。
δ その点はさておき、上記各証拠について検討しても、上記業務日誌については、面談当日の来部者欄のうち、関東支店からの来部者につき、監査部の女性社員が「O課長」とのみ記載したため、記載漏れに気付いたT2が、「T4代理」及び「P26次長」との記載を書き加えたというのであり、前日の来部者欄には「横尾課長他」との記載もあって、記載の厳密さには疑問が残る。また、上記査定結果表の記載についても、関東支店側の出席者は、T1が自ら記載した旨証言するものの、その支店名・出席者名欄の上に記載された「12/22」との記載は、T1が記載したものではなく、いつ記載されたのかも分からないというのである。
そして、上記業務日誌及び査定結果表のいずれも、P26の求めに応じて、平成6年6月13日に関東支店にファックス送信されたものであるところ、P26は、同日、早川弁護士に対し、Hの面談当日午後の行動について詳しく説明したというのであるから、これに関連した資料としてP26が取り寄せたものであることは明らかである。にもかかわらず、いずれの原本についても、保存の措置がとられることなく、その後廃棄されているというのである。しかも、関係者の供述によっても、いずれの書面も加除訂正が容易な鉛筆により記載されていたものと認められ、かつ、上記のとおり現に追加記載もされていたのである。したがって、P26はもとより、Hら他のa建設関係の事件関係者にとっても、両書面共に、Hの面談当日の行動を間接的にでも裏付ける証拠として重要なものと思われ、その原本を保存して疑義の生じないようにする必要性が非常に高いと考えられるのに、これがいずれも廃棄されたということは、極めて不自然であり、上記業務日誌の来部者欄及び査定結果表の出席者欄の各記載をそのまま信用することは困難といわざるを得ない。
η このように、上記O、T4、T2及びT1の各公判証言並びに上記業務日誌及び査定結果表の存在及び記載内容等から、P26が面談当日i商事へ出向いたことを裏付けられることはないというべきである。
iii そうすると、P26の前記公判証言は、客観的裏付けを欠いており、内容的にも不自然というべきであるから、これを信用することは困難である。
(d) まとめ
以上のとおり、関係各証拠を総合すると、12月18日の交渉でa建設とi商事との合意が成立したものと合理的に推認できるから、面談当日にHらがi商事本社を訪れる理由は何ら存在しないことになる。しかも、面談当日の午後にi商事本社に交渉のために出向いたとするHの前記公判証言は、客観的裏付けを欠くだけでなく、i商事関係者の各供述にも反するとともに、その供述経過、内容共に不自然極まるものであるから、到底信用することができない。
d 以上検討してきたとおり、関係各証拠を子細に検討しても、Hが面談当日の午後にi商事本社には出向いていないことが認められるから、Hのアリバイに関する弁護人の主張〈2〉も採用できない。
ウ ガーデンコートビル1階での合流の可否について
(ア) 問題の所在
a(a) 被告人Y2(乙書22)及びH(甲書140)は、面談当日午後4時ころ、被告人Y1と被告人Y2及びP2がガーデンコートビルの1階玄関車寄せ付近で合流したが、これに先立って、同所において、被告人Y2がHから現金2000万円入りの手提げ付き紙袋を受け取った旨それぞれに供述している。
(b) 被告人Y1も、ほぼ同旨の供述をするものの、被告人Y2らとの合流場所については、ガーデンコートビルの地下1階玄関付近で合流したような気がするが、明確な記憶があるわけではなく、地上で被告人Y2らと合流したかもしれない旨供述している(乙書15)。
(c) そして、Hは、被告人Y2に現金入り手提げ付き紙袋を手渡した際の状況について、ほぼ2車線の通路状の車寄せに、副社長車が縁石に沿い、支店長車が車長1台分くらいその右後方に各停車している図面(甲書140添付資料)を作成しているのである。
b これに対し、弁護人は、〈1〉ガーデンコートビル1階玄関付近でH作成の上記図面のように停車することは、後続車の進路妨害になってしまうため不可能である、〈2〉被告人両名及びP2の各公判供述のみならず、ガーデンコートクラブ支配人の公判証言や顧客台帳によっても、被告人Y1が被告人Y2らと合流したのは同ビル地下1階玄関と認められる、〈3〉Hが被告人Y2に現金を受け渡す予定の場所が、当初のY1副社長室から同ビル1階玄関付近に変更になった経緯が不明であるとして、被告人両名及びHの捜査段階における各供述はいずれも信用できない旨主張する。
c そこで、以下、各論点ごとに検討することとする。
(イ) Hの供述どおり停車することの可否について
a 検証の結果(人25・弁人17)によれば、ガーデンコートビル1階玄関付近の状況は、おおむね次のようなものであると認められる。すなわち、
(a) 同所付近は、紀尾井町通りに面し、赤坂見附寄りに同ビル玄関が、麹町寄りにタワー玄関が並んでいる。同所の車寄せは、幅約5.38mの通路状になって、上記各玄関に順次面しており、道路からは、幅約5.97mの入口から進入した上、右折して上記車寄せに至ることになる。また、上記車寄せは、建物側約3.00m、道路側約2.08mの2車線に仕切られており、建物側は、自動車の走行車線であるとともに、客が自動車に乗降する場所、道路側は、ゼブラ・マークが引かれて、客待ちのタクシーなどが停車することのできる場所となっている。
(b) 検証日である平成12年12月22日(金)の午後3時50分から午後4時10分までの間、同ビル1階玄関付近の状況を撮影したところ、上記車寄せでは、建物側車線でも、タクシーを降車する際に要する時間程度の停車は頻繁に行われていること、道路側車線には、タクシー以外にも、人待ちのために数分間程度停車する自動車も見られるが、ドアマンから特段の注意を受けていないこと、建物側及び道路側の各車線に共に自動車が停車しても、それが並列ではなくある程度ずれているときは、別の自動車が停車中の自動車の間をすり抜けるように現に通過していること、道路側車線には上記入口の直近付近にも自動車が停車することがあることが認められる。
b また、本件当時、ニューオータニでドアマンの業務に従事していたT3(以下「T3」という。)の公判証言(101回)は、要するに、上記車寄せは狭いが、運転手から人を迎えに来たと言われれば、担当のドアマンが状況を判断して、少し寄せた場所に駐車させる場合もある、その構造上、客が出てくるのを待つために自動車をとめられる場所は4か所あり、それ以外の場所は、他の自動車の邪魔になるので駐停車させないが、時間帯によっては、玄関の縁石に沿って、ほんの短い時間とめさせることもないわけではなく、そのときのドアマンが状況を判断して、後続の自動車が入って来られないことのないようにしている、12月22日午後4時ころといえば、一般的にいって忙しい時期、時間帯に当たり、道路側車線に空車タクシーがいた可能性はあるが、夜ではないので、たくさんいたかどうかは分からないなどというものである。
c そうすると、上記検証結果及びT3の公判証言に照らしても、ガーデンコートビル1階玄関付近の車寄せにおいて、H作成の図面のような状況で自動車2台をとめて被告人Y1を待つことも、短時間であれば十分に可能であると認められる。したがって、弁護人の主張〈1〉が理由がないばかりでなく、この点に関するHの捜査段階の供述は、このような現場の状況によっても裏付けられるのであり、その信用性は高いものと認められる。
(ウ) 被告人Y1と被告人Y2らとの合流場所について
a 弁護人は、前記主張〈2〉の根拠として、被告人Y1(128回、135回)、被告人Y2(143回、145回、147回)、P2(57回~59回)及び本件当時ガーデンコートクラブの支配人であった朝倉義彦(以下「朝倉」という。63回、64回)の各公判供述並びにガーデンコートクラブの顧客台帳(甲書82、弁物95。以下「顧客台帳」という。)を指摘している。
b そこでまず、顧客台帳及び朝倉証言について検討する。
(a)i 顧客台帳のうち面談当日の該当部分によれば、その左上に「LUNCH」と書かれた面には、「NAME」欄に「a建設Y1様」、「IN」欄に「14:55」、「OUT」欄に「16:10」、その右横の「NAME」欄に「16:10 OUT予定」、更にその右横の備考欄に「P1→1台 16:10迄に到着予定」との記載のあることが認められる。
ii そして、朝倉は、このような顧客台帳の記載について、次のように証言している。すなわち、
α ガーデンコートビル29階のガーデンコートクラブ受付で作成している顧客台帳によれば、被告人Y1が、面談当日は、14時55分に来店し、16時10分に帰ったことが分かる。「NAME」欄の「16:10 OUT予定」との記載は、被告人Y1が、来店した際、受付の者にその時間に帰ると告げたことを意味する。備考欄の「16:10迄に到着予定」との記載は、地下駐車場の専用のドアマンが、16時10分までに自動車が迎えに来るということを聞いて受付の者に連絡したか、被告人Y1が受付の者にその旨伝えたことを意味する。備考欄の「P1→1台」との記載は、地下駐車場に自動車が到着したことを地下のドアマンが受付の者に連絡したことを意味する。
β もっとも、「16:10到着予定」と「P1→1台」の記載を同時に書いた可能性も否定できないが、筆跡が異なるので、別の機会に記載したものと思われる。自動車が地下駐車場でずっと待っている場合には、「P1に1台」と記載する。迎えの自動車がない場合には、備考欄に「なし」と記載し、同ビル1階玄関に自動車が待機している場合には、備考欄に「1Fに1台」と記載する。
(b)i そこで検討するに、顧客台帳の備考欄には、「P1→1台」の右横に若干の空白を空けて、「16:10迄に到着予定」と記載されているから、これを素直に読めば、「P1→1台」と記載された後に、「16:10迄に到着予定」と記載されたこと、すなわち、両者が一体として、16時10分までに地下1階に迎えの自動車が1台来るとの予定を記載したものとみるのが自然である。ちなみに、顧客台帳の備考欄は、全般的に左詰めで記載されているのである。
ii この点、朝倉は、「16:10迄に到着予定」との記載のみによって、通常は、地下駐車場に迎えが来ることと、迎えの車の台数は、客が1名であれば一般的には1台であることを理解できる旨証言するが、担当者が複数いることからすれば、そのような理解が全員に共通のものかについては疑問の余地がある。また、朝倉の指摘する筆跡の違いも顕著なものではなく、同一人が書いたか別人が書いたか不明というべきである。
iii ちなみに、顧客台帳(甲書82)の12月3日の裏面の備考欄には、「P21副社長→19:30到着予定」との記載の隣に「〈着〉」との記載のみがあること、同月7日の表面の備考欄には、「P22様P1→1台 18:00着予定」との記載から下に矢印が引かれ、「17:00到着しました。」との記載があること、同月11日の裏面の備考欄には、「先方手配日交ハイヤー2台 20:30着予定」との記載の隣に「〈着〉」との記載のみがあることなどからすれば、迎えの自動車が到着して、その連絡がクラブ受付に入った場合には、その旨適宜記載される扱いになっていることが合理的に推認できるのである。
iv そうすると、顧客台帳中の上記「P1→1台 16:10迄に到着予定」との記載は、あくまで当初の予定の記載であると合理的に推認できるから、「P1→1台」との記載が、地下駐車場に自動車が到着したことを意味するとの朝倉証言は採用できない。
(c) さらに、朝倉は、被告人Y1の面談当日の離店状況について、自らの記憶に基づかず、顧客台帳の記載からの推測を証言したにすぎないことは、その証言内容から明らかである。そして、前認定のように、顧客台帳の記載は当初の予定を記載したものと推認できることからすれば、来店時には、ガーデンコートビル地下1階玄関を利用する予定だった被告人Y1が、その後予定を変更して同ビル1階玄関を利用することにした可能性を否定するものではないというべきである。
(d) したがって、朝倉の公判証言及び顧客台帳の記載からは、被告人Y1が、面談当日に同ビルの1階玄関を利用せず、地下1階玄関を利用したと認めることはできない。
(e)i なお、以上検討したとおり、顧客台帳中の上記「P1→1台 16:10迄に到着予定」との記載は、同ビル地下1階玄関に迎えの車1台が午後4時10分に到着予定であるという趣旨と合理的に推認できるところ、被告人Y1の説明した内容がそのまま記載されておれば、上記記載から、被告人Y1の当初の予定として、被告人Y2らとは同ビル地下1階玄関で合流する心積もりであったことがうかがわれる。
iiα しかし、被告人Y1が、当初、同ビル地下1階玄関の合流を予定していたとしても、当日は、被告人Y2らとの合流が予定されており、被告人Y2は支店長車で来ることが予想されたから、同車の運転手が同ビルの状況に不案内であることに配慮して、合流場所の予定を公道に面して分かりやすい同ビル1階玄関に変更し、その旨を自分の秘書に連絡することにより、合流予定の被告人Y2及びP2に伝えさせたほか、Y1副社長室に来たHにも伝えられたことによって、これらの関係者が同ビル地上1階玄関付近で合流することができたものと考えられる。
β ちなみに、被告人Y1のスケジュール表(物114)の12月22日の欄の横には斜め方向に走り書きで「16:10Y2玄関」との記載があり、S(旧姓S。以下「S」という。)の公判証言(98回)によれば、このようなメモは、3名いた被告人Y1の秘書のうちのP32(以下「P32」という。)作成のスケジュール表にしか記載がないと認められることからすると、Sが証言するように、P32が、被告人Y1から、被告人Y2との連絡場所について急ぎの連絡を受け、直ちに対処するなどして、すぐにその用件が終わったことがうかがわれるのである。
iii したがって、顧客台帳中の前記「P1→1台 16:10迄に到着予定」の記載と前記(ア)a記載の各証拠とは何ら矛盾するものではないということができる。
c 次に、被告人Y2の公判供述について検討する。
(a)i 被告人Y2は、被告人Y1と合流した状況について、捜査段階では、a建設本社から自分の支店長車に乗ってガーデンコートビルに行き、その地上1階で被告人Y1らと合流した後、引き続き支店長車に乗って都道府県会館に向かったと供述していたのに(乙書22)、公判段階では、Y1副社長室に行くと、被告人Y1の女性秘書から、被告人Y1は現在ガーデンコートクラブのサウナにいるので、午後4時10分にガーデンコートビルの地下駐車場の玄関で待ち合わせることに変更した旨の被告人Y1の伝言を聞くとともに、被告人Y1の専用車で現地に行くよう教えられたので、P2と共に、Y1副社長専用車に乗り込んで、ガーデンコートビル地下1階駐車場内にあるガーデンコートクラブの専用玄関前に行き、そこで被告人Y1と落ち合ったなどと詳細に供述している(143回、147回)。
ii このように捜査段階とは異なる詳細な供述をしたことについて、被告人Y2は、捜査段階では、a建設本社からガーデンコートビルを経由して都道府県会館に行った状況の記憶が明確ではなかったが、保釈後の平成6年8月ころに、被告人Y1、P2及び弁護人らと共に、ガーデンコートビル及び都道府県会館に現場確認に行き、記憶を喚起することができた旨供述する。
(b) しかしながら、被告人Y1と合流した状況について集中的に取り調べられたはずの捜査段階に、しかも、長野検事と共にガーデンコートビル周辺まで確認をしに行き、地上1階付近で「この辺りかな。」という話までしたというのに(143回)、本件面談から約1年8か月も経過してから、地下1階であったと明確に記憶を喚起するというのは、いかにも不自然である。そして、被告人Y2は、その述べるところによっても、保釈された後、被告人Y1やP2らと本件について話し合いを行った上、被告人Y1らに同行して現場の確認をして、その記憶を喚起したというのであり、その公判供述は、被告人Y2に固有の記憶に基づくものというよりは、被告人Y1の主張の影響を強く疑わせるものというべきである。
(c)i また、被告人Y2は、公判段階においては、逮捕の前日、長野検事と共に、ガーデンコートビル1階付近に行った際、同検事から、確信ありげに、「あそこにガーデンコートビルと書いてある。ここだ、ここだ。」と言われたことから、「この辺りかな。」と言って、それ以上は反論できず、その後はそれを前提に供述調書を作成された旨供述している(143回、149回)。
ii しかし、被告人Y2及びHの捜査段階の各供述経過をみると、被告人Y2は、同月8日には、ガーデンコートの車寄せの所と供述していたのに(乙物125)、Hは、同月4日の時点では、ニューオータニの車のある所とのみ供述し(甲物83)、同月11日になって、ガーデンコートの玄関と供述するに至っている(甲物89)。このように、合流場所をガーデンコートビル付近と特定する供述は、被告人Y2が先行しているのであり、長野検事が被告人Y2に対し供述を誘導したり押し付けられるような状況はうかがわれないから、取調べ状況に関する被告人Y2の上記公判供述は、このような供述経過に沿わないものである。
iii しかも、被告人Y2は、公判段階では、長野検事の取調べの中で、地上ではなく地下だったと申し立てたことはないとも供述しているのである(143回)。
(d) したがって、被告人Y2の合流場所に関する公判供述を信用することは困難である。
d 次いで、P2の公判証言について検討するに、P2は、公判段階では、合流場所について、被告人両名の各公判供述と同旨の証言をしているところ(57回~59回)、その根拠としては、ちょっと薄暗かった、周りに景色が見えなかった、地下から地上に出たと記憶していることを指摘するのみである。しかも、P2は、地下駐車場のゲートを通過したり、運転手がチケットを受け取ったという記憶はなく、地上に出る経路も、すぐだったということ以外、覚えていないというのであり、検証の結果(人25・弁人17)から認められるニューオータニ地下駐車場の状況にはそぐわないものである。さらに、P2の上記公判供述には、具体的な裏付けがあるわけではなく、しかも、P2も、被告人両名らと共に現場確認をしていることからすれば、被告人Y1の主張の影響があったという疑いが残るのであって、これを信用することも困難である。
e 最後に、被告人Y1の公判供述について検討する。
(a) 被告人Y1は、その供述経過からしても、捜査段階から一貫して、合流場所をガーデンコートビル地下1階玄関付近と供述していたことが認められる。
(b)i しかしながら、被告人Y1のこうした一連の供述は、合流場所を同ビル地上1階玄関付近であるとする被告人Y2及びHの捜査段階の各供述とは全く相反するものである。
ii このように、被告人Y1の供述と被告人Y2及びHとの各供述とが大きく食い違っていることから、それぞれの取調べ検事が、この点に関する確認を行ったとうかがわれるところ、Hは、合流場所について、若干の変遷はあるものの、平成5年11月1日以降、一貫してニューオータニ付近の地上であった旨供述しており、同月5日には、牧野検事から、本社の副社長室や被告人Y1の女性秘書を介してではないかという被告人Y2の供述に基づく質問を受けても、全く動揺していない(甲物67・弁書214)。さらに、合流場所に関する供述の若干の変遷も、前記第3の3(3)イ(イ)eで指摘したように、その供述心理が合理的に説明できるものである。
iii また、被告人Y2は、その公判供述によっても、逮捕前日の同月1日ころに、ガーデンコートビル地上1階付近で「この辺りかな。」という話をして、その後、捜査段階では一貫して同旨の供述調書が作成されたにもかかわらず、これには反論していないというのである(143回)。
iv 他方、被告人Y1は、捜査段階から一貫して、同ビル地下1階玄関であった旨供述しているものの、同月13日には、合流湯所について、私としてはガーデンコートクラブ地下1階の出口であったような気がするが、明確な記憶があるわけではないので、あるいは地上で会ったのかもしれないと記載された検察官調書(乙書15・乙物115)の作成に応じているのである。
(c) さらに、被告人Y1は、ガーデンコートクラブを週2回くらい利用していた、地上1階の玄関を利用して同クラブに行ったことはない、同クラブから出るときも、一、二回歩いて帰る際に1階玄関を利用したことはあるが、それ以外は、地下1階玄関を利用していた旨供述している。このような被告人Y1の公判供述からすると、被告人Y1は、極めて頻繁かつ多数回にわたり同クラブを利用していたことがうかがわれるのであり、個々の出入りの状況について明確かつ詳細には記憶していないことも、十分あり得るところと考えられる。したがって、被告人Y1の捜査段階における供述は、そのような記憶の状態を表すものとして、納得のいくものである。
(d) なお、被告人Y1は、公判段階において、ガーデンコートクラブに行くことに決めた後、自分の秘書にその旨連絡したと供述し(128回)、現にそのような連絡があったことは、前認定のように、被告人Y1のスケジュール表(物114)の12月22日の欄の横に「16:10Y2玄関」と記載があることからも認められる。
しかし、この「玄関」がどこを指すのかは、これを記載したP32の供述(甲書36)によっても明らかではなく、この点からも、被告人Y1が地下1階で合流しようとしていたことは裏付けられないというべきである。
(e) そうすると、合流場所に関する被告人Y1の一連の供述もまた、その信用性に疑問があるといわざるを得ないのである。
f 以上のとおり、合流場所に関する弁護人の前記主張は、すべて理由がなく、したがって、被告人Y2及びHの捜査段階における各供述のとおり、被告人Y1と被告人Y2及びP2がガーデンコートビルの1階玄関車寄せ付近で合流するとともに、これに先立ち、同所において、被告人Y2がHと合流することが十分に可能であったと認められる。
(エ) Hが被告人Y2に現金を受け渡す場所変更の経緯について
a(a) 弁護人は、前記のように、Hが被告人Y2に現金を受け渡す予定の場所が、当初のY1副社長室からガーデンコートビル1階玄関付近に変更になった経緯が不明である旨主張する。
(b) しかし、この点は、前記(ウ)b(e)iiで判示したとおり、被告人Y1が、当初、同ビル地下1階玄関の合流を予定しながらも、支店長車の運転手が同ビルの状況に不案内であることに配慮して、合流場所の予定を公道に面して分かりやすい同ビル1階玄関に変更し、その旨を自分の秘書であるP32に連絡することによって、合流予定の被告人Y2及びP2に伝えさせたほか、Y1副社長室に来たHにも伝えられたことによって、これらの関係者が同ビル地上1階玄関付近で合流することができたものとして、説明が付くのである。
b(a) もっとも、上記場所変更の経緯に関して、被告人Y2とHの捜査段階における各供述は、一部食い違っている。
i まず、被告人Y2の捜査段階の供述は、次のようなものである(乙書22)。すなわち、私が支店長車から降りて助手席側に立っていると、Hが私のそばに来た、私は、Hが既にY1副社長に2000万円を届けているだろうと思っており、どうしてHがいるのだろうと思って、Hに「どうしたんだい。」と声を掛けると、Hは、「Y1副社長の所に例の物を届けに行ったら、Y1副社長がこちらにみえていると聞きましたので、こちらで渡そうと思って待っていたところです。」と説明した、私は、「じゃあ、おれから渡すから。」と言って現金2000万円入り手提げ紙袋を受け取った、というのである。
ii これに対し、Hの捜査段階の供述は、次のようなものである(甲書140)。すなわち、面談当日の午後、私が、Y1副社長室へ行って、女性秘書に、「関東支店のHですが、支店長はおじゃましていますか。」と言ったところ、いったん来た被告人Y2が、Y1副社長と会うため外出したということで、「支店長からの言付けが入っています。4時10分までに、ニューオータニのガーデンコートの玄関に行ってくださいとのことです。」というように言われたと思う。そこで、歩いてガーデンコートまで行き、ガーデンコートの出入口付近で支店長車の高橋運転手を見付けてそのそばに行き、被告人Y2と会うことができた、というのである。
iii このように、Hと合流する前の被告人Y2の認識として、被告人Y2は、現金2000万円が既に被告人Y1に手渡されたと思っていた旨供述するのに対し、Hは、被告人Y2においても、現金2000万円が被告人Y1にまだ手渡されていないことを知っていたとの前提で供述しており、その間に明白な食い違いがみられる。
(b)i しかしながら、このような供述の食い違いは、被告人Y2とHとの間の認識の違いに起因するものとして説明することができる。すなわち、被告人Y2は、前記検察官調書において、本件面談の前日、Hに対して、現金2000万円を「22日の4時までにY1さんの所に届けておいてくれよ。おれも4時ころには行くことになっているから。」などと指示したと供述していることから、被告人Y2としては、Hに対し、被告人Y1に現金2000万円を直接届けるよう指示したものと認識していたことがうかがわれる。他方、Hは、前記検察官調書において、被告人Y2から、「午後4時ころまでに、本社のY1副社長の所にいるから、お金を届けてくれ。」という言い方で指示されて、被告人Y2に届けようとしていたと記憶しているが、「Y1副社長の所に届けてくれ。」という指示だったかもしれない旨供述していて、Hとしては、被告人Y2に届けることを指示されたと認識していたものと認められる。したがって、被告人Y1に直接届ける趣旨の被告人Y2の指示を、Hが、被告人Y1の所にいる被告人Y2に届けるように指示されたと取り違えたものにすぎないと考えられるのである。
ii そして、被告人Y2及びHの捜査段階における各供述を総合すると、両名が合流するに至るまでの事実経過として、次のような事実が推認できる。すなわち、被告人Y2は、Y1副社長室に行った時点で、Hが既に被告人Y1に現金2000万円を手渡したものと思っていたが、被告人Y1の秘書から、Hが来たことの確認が取れなかったため、Hが来た場合に備えて念のため、被告人Y1の秘書に、Hが来た場合には、ガーデンコートビルの1階玄関に来るように言付けをして、同ビルに向かった、その後、Y1副社長室を訪れたHは、被告人Y1の秘書から、上記のような被告人Y2の言付けを聞き、同ビル1階玄関に向かった、被告人Y2は、同ビル1階玄関にHが来たので、どうしたのかと思って声を掛けたところ、現金2000万円が被告人Y1に手渡されていなかったことを知り、Hからこれを受け取った、以上のように認められる。
iii このように、被告人Y2とHとの前記のような認識の違いを前提にしても、両者の捜査段階における各供述は、以上のような事実経過についてそれぞれに認識した内容を述べたものとして、矛盾はないということができる。
c(a) さらに、本件当時に被告人Y1の秘書だったSは、面談当日、Hが被告人Y1を訪ねてきたことはないし、取調べまでに、Hには一度も会ったことがなかった旨証言する(98回)。
(b) しかしながら、Sの上記公判証言は、客観的裏付けが伴うものではなく、Hが面談当日にY1副社長室を訪ねてきていないとする根拠は、Hと会ったという記憶がないことに尽きるといえる。そして、Sは、その公判証言によると、面談当日に、被告人Y1がガーデンコートクラブに行ったこと、P32が被告人Y1から電話連絡を受けたこと、被告人Y2やP2が被告人Y1を訪ねてきたことについては、捜査段階でも記憶がなかったというのである。しかも、前認定のように、被告人Y1から、合流場所の変更についての急ぎの電話連絡を受けたのは、P32であり、すぐに用件が終わったということから、被告人Y2やP2、更にはHが訪ねてきても、被告人Y1の指示を直接に受けたP32が対応したことが強くうかがわれる。したがって、SにはHに対する記憶がないからといって、Hが訪ねてきていないとはいえないのである。
d そうすると、Hが被告人Y2に現金を受け渡す場所変更の経緯に関する弁護人の主張〈3〉も採用することができない。
(オ) まとめ
以上のとおり、被告人Y1と被告人Y2及びP2との合流及びHから被告人Y2に対する現金受渡しの状況に関する被告人Y2及びHの捜査段階における各供述はいずれも、弁護人の前記主張にかんがみ慎重に検討しても、その信用性に疑問とすべき点は見出し難い。
エ 贈賄資金の原資及び裏帳簿の廃棄について
(ア) 問題の所在
弁護人は、関東支店経理部担当部長であったJが保管していたという収支表等を綴ったバインダー式の書類綴(弁物46。以下「バインダー資料」という。)及びH作成の平成8年4月12日付け「再製出納簿(最も正しいもの)」と題する裏金出納帳(弁物48。以下「最終出納帳」という。)を証拠として提出した上、最終出納帳の平成4年12月末時点の裏金残高は、バインダー資料中の96期収支表の12月の次月繰越金額と一致し、かつ、平成5年10月8日時点での関東支店の裏金現金残高ともほぼ一致していることなどから、最終出納帳の記載は信用するに足りるものであるとして、最終出納帳及びバインダー資料に基づき、平成4年12月に、本件贈賄の原資とされる現金2000万円が支出されていないことは明らかである旨主張するので、以下、贈賄資金の原資及び裏帳簿の廃棄について検討することとする。
(イ) 最終出納帳の信用性
a 裏金残高の整合性
(a) まず、関東支店の裏金残高の整合性について検討するに、Hの公判証言によれば、平成5年3月末の時点で、関東支店の裏金の総額は、検察庁が同月21日に押収した1041万円、Hが同月23日に自宅に持ち帰ったとする簿外の裏金400万円を含めた2900万円、及び大鶴検事が同月26日に確認した1億3974万8585円の合計1億7915万8585円であったことになる。
(b) しかしながら、この金額は、上記簿外の裏金が計上されていない最終出納帳の同時点における残高1億7924万8585円に、上記簿外の裏金400万円を加えた合計1億8324万8585円と比べると、409万円も少ないものである。そして、このことは、Hの公判証言のみならず、最終出納帳の信用性にも疑問を生じさせるものである。
(c) なお、この点、Hは、同時点における関東支店の裏金総額と最終出納帳の残高との差額は9万円である旨証言している(43回)。しかしながら、最終出納帳の平成4年6月末時点における残高は1億1109万6285円とされていて、修正出納帳のそれと同額である。そして、修正出納帳は、Hの公判証言によっても、簿外の裏金を計上していないことが明らかであるから、最終出納帳もまた、簿外の裏金を除外したものと解するほかはない。したがって、上記証言は、その前提を誤ったものとして、信用することができない。
b 最終出納帳作成の経緯
(a) また、最終出納帳作成の経緯についてみるに、Hの公判証言に、その検察官調書(甲物55、57、68)の存在及び記載内容を総合すると、Hは、平成5年3月22日朝、裏金出納帳を廃棄し、同日夜、早川弁護士にこれを報告したところ、再製するよう指示されたため、裏帳簿を再製したとして、同月26日に検察庁に再製出納帳(弁物39)を提出したものの、同年9月20日の取調べで、再製出納帳に記載漏れがあったことを認めて、復元出納帳(記入漏れ分)(弁物43)を提出し、さらに、逮捕後の同年11月5日に、本件贈賄原資が関東支店から支出されたことを認める内容の修正出納帳(甲物68添付資料)を作成していたが、自己に対する証人尋問の続行中で、しかも、検察官からの公判期日にして8回にも及ぶ主尋問が終了し、弁護人からの反対尋問が始まった後の平成8年4月12日になって、ようやく最終出納帳を作成したことが認められる。
(b) ところが、Hは、その公判証言にあるように、関東支店から本件贈賄原資を支出していないのであれば、本件贈賄の嫌疑が明らかになった平成5年9月ないし10月の時点で、正に文字どおり「最も正しい」裏金出納帳を完全に復元することによって、被告人Y1らに嫌疑のないことを明らかにすることも可能であったはずであり、その機会も再三あったにもかかわらず、このような行動に出ないばかりか、自ら意図的に隠していた現金収支を小出しにするという不可解な行動をとっているのである。しかも、最終出納帳の内容は、対比一覧表記載のとおり、Hが本件贈賄への関与を認めた後に作成された修正出納帳はもとより、同年3月下旬に再製した再製出納帳、更には、同年9月20日ころに作成した復元出納帳(記入漏れ分)とも、大きく食い違うものである。
c 平成4年7月のP14元議員への献金の原資問題
(a) 問題の所在
i Hが作成した再製出納帳では、その支出欄中の平成4年7月17日の欄に、「H扱い」として1000万円を造成するとともに、「H扱い・I渡し」として本社建設総事業本部経理部長のIに交付した旨の、また、その収入欄中の同年12月11日の欄に、「H扱い」として1000万円を造成した旨の各記載があるが、Hは、その検察官調書(甲物55、甲書141)において、同年7月17日の裏金の収支は、Iの指示によるもので、後にP14元議員への裏献金に使われたことを知った旨、また、同年12月11日の裏金の造成は、Iから、毎年盆暮れに作ると教えられていたため造成したものであり、その後、Iからは何の連絡もなかったので、他の裏金と一緒に保管しておいた旨供述している。
ii これに対し、最終出納帳では、上記同年7月17日付けによる1000万円の支出がないほか、Hは、公判段階において、同旨の証言をするとともに、再製出納帳で1000万円を支出した旨記載したのは、同年7月分のP14献金について、平成5年3月19日に、被告人Y1らから、関東支店から出したことにする旨の指示を受けて、これに従ったものであり、実際には、上記1000万円は手付かずのまま残っており、同月下旬の検察庁からの捜索が入る前に、この1000万円を含む2900万円を自宅に持ち帰った旨証言している。
iii このように、Hは、捜査段階とは異なり、平成4年7月の1000万円の支出はなかった旨証言し、その主張に基づき最終出納帳を作成しているところ、この1000万円支出の不存在が最終出納帳の信用性の前提となることから、以下、この点について検討を加える。
(b) 関係者の各公判供述
iα 被告人Y1、P16、H及びIはいずれも、公判段階では、P14献金は関東支店の裏金から支出されたものではない旨供述する。
β この点、Iは、関東支店では、盆暮れに500万円ないし1000万円の裏金を造成していたが、この裏金は、何か特定の目的に使うから作るという性質のものではなく、不慮の支出があったときに備えて残高を維持しておくためのものであり、Hに引き継いだ際も、何の目的で作るかについては説明していないと証言し、Hも、P14献金用に作るとは聞いていなかったとして、上記Iの公判証言に沿う証言をしている。
iiα しかしながら、Hは、公判証言の当初は、P14献金用に造成していた旨証言していたものである(32、33回)。
β また、Hは、その公判証言によると、平成4年7月に造成した1000万円を支出していないとしながら、同年12月にも現に1000万円を造成しているというのであり、しかも、毎月100万円の裏金も造成していたというのである。ところが、関東支店の裏金には、後記(エ)でみるとおり、多額の簿外の裏金も存在しており、しかも、Hの公判証言によると、同年7月造成の1000万円は手付かずのまま残っていたというのである。にもかかわらず、同年12月にも1000万円をあえて造成した理由について、HもIも何ら合理的な説明をしていない。
γ さらに、P16及びHの各公判証言によっても、平成5年3月の時点では、P14脱税事件の裏付け捜査を受けた際に、関東支店では、過去数年分にわたるP14元議員に対する裏献金の原資として、同支店の上記盆暮れの造成資料に付せんを貼って検察庁に提出していることが明らかである。ところが、このように検察庁に対して虚偽内容の資料を提出せざるを得なかった理由についても、被告人Y1、P16、Hらはいずれも、十分合理的な説明をしていないのである。
δ そもそも、関東支店の裏金がP14献金の原資でないことを説明するためには、その実際の原資が何かを明らかにすれば足りるのに、被告人Y1ら関係者のいずれもがその具体的な説明をせず、P14献金が関東支店以外から支出させたことをうかがわせる客観証拠も存在しないのである。
η そうすると、P14献金は関東支店の裏金から支出されたものではないとする被告人Y1、P16、H及びIの各公判供述はいずれも、不自然、不合理なものとして信用することは困難である。
(c) 関係者の捜査段階における各供述
i 他方、被告人Y1(乙書27)、H(甲書141)及びP16(甲書123)はいずれも、その各検察官調書において、P14献金は関東支店の裏金から支出されていたことを認めており、これらの供述に任意性及び特信性が認められることは前判示のとおりである。
ii しかも、関係各証拠によれば、P14元議員は、山梨県選出の国会議員であり、P14献金が行われた当時、同県の建築関係は横浜支店が管轄していたものの、土木関係については関東支店が管轄していたことが認められる。そして、被告人Y1は、捜査段階において、P14元議員に対し、盆暮れの2回定期的な裏献金を行っており、その理由は、P14元議員が建設族の超ボスであり、建設土木業界において、公共工事を請け負ったり、その事業を遂行するには、P14元議員の力が必要であり、にらまれたら大変だという気持ちがあったからである、裏献金の原資は、P14元議員にお世話になる工事がほとんど土木関係であったことから、当初は本社土木本部から支出し、関東支店発足後は、P14元議員の出身地盤が山梨だったので、山梨県を管轄する関東支店から支出した旨供述しているところ(乙書27)、この供述は、前記第4の2(2)ウ(ア)で判示したとおり、その公判供述と対比して高い信用性が認められるのである。
iii したがって、被告人Y1らの捜査段階における各供述に基づき、P14献金は関東支店の裏金から支出されていたものと優に認定できる。
(d) 弁護人の主張について
i この点、弁護人は、昭和58年4月15日から昭和60年9月12日まで、平成元年7月15日から平成2年4月17日まで及び平成2年4月1日から平成4年6月30日までの各現金出納帳用紙(物26、27、29)にはいずれも、P14元議員への献金の記載がないことを根拠に、P14献金の原資が関東支店の裏金ではない旨主張する。
ii しかしながら、関東支店の裏金には、後記(エ)でみるとおり、多額の簿外の裏金も存在しており、上記現金出納帳用紙の記載にないからといって、P14献金の支出がなったとはいえない。しかも、IのP14献金に関する公判証言が上記のとおり不自然であることからすれば、Iが関東支店の裏金の管理を引き継いでからは正確に記載している旨の同人の公判証言もにわかに信用し難いというべきである。
iii したがって、上記現金出納帳用紙の存在がP14献金の原資に関する前記認定に合理的な疑いを入れるものともいえないから、この点に関する弁護人の主張は、理由がない。
(e) 以上のとおり、平成4年7月の1000万円の支出はなかったとするHの公判証言は信用することができず、したがって、このHの主張を前提とする最終出納帳の信用性にも致命的な疑問が生ずるのである。
d まとめ
以上指摘した点に加え、次項でみるように、その基礎資料とされるバインダー資料の内容の真実性ないし証拠価値に重大な疑問のあることも併せ考慮すれば、最終出納帳の記載を信用することは困難である。
(ウ) バインダー資料の内容の真実性ないし証拠価値
a バインダー資料の内容の真実性
(a) 一方、バインダー資料は、関東支店経理部や各営業所で作成された収支表、原価計上内訳表やその各集計表等の関東支店の裏金の収支に関する資料が綴られたものである。そして、最終出納帳は、Hがバインダー資料を基に作成したものであり、バインダー資料中にある第96期収支表では、平成4年12月末の次月繰越金額が1億4878万6585円とされていて、最終出納帳の同時点の裏金残高と合致するように、バインダー資料の信用性は最終出納帳と表裏をなすものであり、上記のとおり最終出納帳の信用性に疑問があることからすれば、バインダー資料の内容の真実性にも疑問が生じるというべきである。
(b)i また、バインダー資料は、その写しに平成6年1月11日付けの確定日付が付されているところ、Jは、バインダー資料の存在が明らかにされた経緯等について、次のように証言している。すなわち、
α 平成5年3月22日、本社から、裏金関係の書類はすべて廃棄する旨の命令があったが、バインダー資料を廃棄すると、担当業務に支障が生じるので、独断で保管した。Hが、早川弁護士から、廃棄した裏金出納帳の再製を命じられたことは知っていたが、各営業所の協力があれば再製可能であると判断して、バインダー資料の存在は告げなかった。
β 同年10月ころ、本件贈賄の容疑で被告人Y1らが検察庁の取調べを受けていることを知って、バインダー資料を確認したが、その贈賄原資に該当する支出は見当たらなかった。その後の同年10月23日、自分も検察庁に呼ばれ、本件贈賄原資に該当する支出が関東支店にないか質問されたが、これを否定する供述をした。もっとも、この時点では、誰も逮捕されておらず、Hの再製出納帳で十分証明できると思っていたことなどから、検事に対しても、バインダー資料の存在を告げなかった。
γ しかし、同月26日に被告人Y1が、同月28日にHが、同年11月2日には被告人Y2がそれぞれ逮捕されて、一大事だと思い、同月3日の翌日か翌々日に、早川弁護士にバインダー資料を届けた。早川弁護士からは、「バインダー資料を届けたことを口外するな。」と言われていたので、Hに対する証人尋問続行中には、Hに話していない。
ii しかしながら、Jの証言する以上のような経緯は、上司であるHが顧問弁護士の指示により裏金出納帳の再製を命じられており、そのことを熟知しているというのに、その直属の部下であるJが、裏金の収支が網羅的に記載されているというバインダー資料をその再製の資料としてあえて提供しなかったとか、Jは、平成5年10月の時点で、バインダー資料が、被告人Y1らに対する本件贈賄の嫌疑を容易に晴らすことのできる決定的証拠になり得るものであることを、十分認識しながら、被告人Y1らが逮捕されるまで、誰にもその存在を告げなかったとか、その存在を顧問弁護士に告げた後にも、顧問弁護士の指示があったとして、Hが裏金の出入りに関し極めて詳細な証人尋問を受けているというのに、その続行中に、Hにもその存在を話さなかったという不可解な行動をとっており、しかも、それぞれの理由について納得できる説明をしていない。加えて、Jが被告人Y2の逮捕直後にバインダー資料の存在を顧問弁護士の早川弁護士に告げたのであれば、これは、被告人両名の起訴を阻止するのに最も有効な客観資料となり得たはずであるから、同弁護士あるいは被告人両名の弁護団としては、直ちに検察庁にその存在を伝え、あるいは少なくとも確定日付をとるなどして証拠保全することが考えられるのに、そのような動きがあったことをうかがわせる証拠は全く存在しないのである。したがって、Jの上記証言は、内容的に極めて不自然、不合理なものというほかなく、このことも、バインダー資料の内容の真実性に疑問を生じさせる事情ということができる。
(c)i これに対し、弁護人は、各営業所等から提出された月度収支表等には、各営業所の所長及び裏金担当者の印鑑が押されており、その中には退職者や転勤者も含まれているから、バインダー資料の改ざんは不可能である旨主張する。
ii しかしながら、バインダー資料は、平成4年12月分までしか証拠化されておらず、本件贈賄は、同月22日の出来事とされているから、贈賄原資を支出した痕跡を払拭しようとすれば、同月分に関してのみ手を加えれば足りるのであって、改ざんすることも決して困難なことではない。すなわち、H及びJのみが作成に関与するとされる関東支店の月度収支表及び原価計上内訳表並びに各営業所を含む各集計表の同月分のみを改ざんすれば足りるのである。
iii したがって、弁護人指摘の点を考慮に入れても、バインダー資料、特に平成4年12月分の改ざんが不可能となるわけではないから、弁護人の上記主張は採用できない。
(d) そして、以上みてきたような最終出納帳の信用性及びバインダー資料の内容の真実性に対する数多くの疑問からすると、関東支店の平成4年12月分月度収支表及び原価計上内訳表並びにこれらの集計表の内容の真実性には重大な疑問が残るといわざるを得ない。
b バインダー資料の証拠価値
(a) Jは、バインダー資料中の月度収支表の集計表における次月繰越額と実際にある裏金現金との確認作業をしておらず、Hが作成していた裏金出納帳の内容も確認したことがないと証言している(67回)。したがって、各時点におけるバインダー資料中の月度収支表の集計表上の次月繰越額、裏金出納帳上の裏金残高、裏金現金という3つの金額の関係を知り、その整合性を確認することができるのは、Hをおいて他にはいないということになる。そして、後にみるように、裏金に関するHの公判証言が全般的に信用できないことに照らせば、各集計表が仮に正確に記載されていても、これが実際の裏金残高を正確に示すものとはいえないのである。
(b)i また、Hは、捜査段階では、本件贈賄原資について、プール金の中から出したので、伝票類も補助元帳の記載もなく、裏金出納帳さえ見付からなければ何ら心配はなかった旨供述するところ(甲書141)、Iは、その公判証言において、関東支店の裏金について、政治家等に対する献金を支出する目的でためていたわけではないとはしながらも、関東支店のプール金から国会議員に対する裏献金を支出したことは認めており(61回)、関東支店には、使途を定めないプール金としての裏金が存在したものと認められる。
ii そうすると、Hが述べるように、本件贈賄原資を関東支店の裏金のプール金から支出したとしても、平成5年1月以降にこれを回収するための裏金の造成を行っておれば、バインダー資料中の平成4年12月分の関東支店の月度収支表及び原価計上内訳表並びに各営業所を含む各集計表のみを改ざんすれば足りるのである。したがって、バインダー資料は、同月分の関東支店の月度収支表及び原価計上内訳表並びに各集計表を除いては、本件贈賄原資が関東支店から支出されていないことの証明に資するものとはいえない。
c まとめ
以上検討のとおり、バインダー資料中の平成4年12月分の関東支店の月度収支表及び原価計上内訳表並びに各集計表の内容の真実性には重大な疑問が残り、その余の部分は独立しては証拠価値のないものである。さらに、後記(エ)でみるように、関東支店には、簿外で多額の裏金が存在したこともうかがわれる以上、バインダー資料は、関東支店の裏金から本件贈賄原資が支出されていないことの裏付けとなるものではないというべきである。
(エ) 簿外の裏金の存在
a 問題の所在
(a) 以上検討してきたように、最終出納帳の信用性及びバインダー資料の内容の真実性ないし証拠価値には、いずれも重大な疑問が残るといわざるを得ない。
(b) しかも、簿外の裏金の金額を調整すれば、裏金出納帳と手持ち現金との帳尻を合わせることはいくらでも可能であるから、関東支店の裏金の全容を解明しようとすれば、裏金出納帳に記帳された裏金にとどまらず、簿外の裏金の動きまで解明することが不可欠というべきである。すなわち、Hが証言するように、平成5年3月末時点における手持ちの現金総額が1億7915万8585円であったとしても、簿外の裏金が4428万9800円あれば、修正出納帳の同時点の残高1億3486万8785円と帳尻が合うことになるのである。
b 検討
(a)i そこで、関東支店における簿外の裏金について検討するに、その金額を確定するに足りる客観証拠は存在せず、わずかに何ら客観証拠に基づかないI及びHの各公判証言が、IからHに関東支店の裏金を引き継ぐ際の簿外の裏金は400万円であったと一致しているのみである。
ii しかしながら、Hは、捜査段階では、Iから引継ぎを受けた簿外の裏金は千二、三百万円だったなどとして、公判段階とは異なる供述をしている(甲物62、68)。しかも、Hの捜査段階の供述及び公判証言のいずれも、各供述時点においてH自身の作成した裏金出納帳と裏金金額との合計が検察庁に把握されていた裏金の総額とほぼ合致するような内容となっており、共に強い作為性をうかがわせるものである。
(b)i また、Iは、簿外の裏金が400万円になった経緯について、「P18常務報告」と題する書面(物28。以下「I報告書」という。)について説明する中で、前任者から関東支店の裏金管理を引き継いだ際には、簿外の裏金が3816万4690円であったところ、P18と相談して調整を加え、1682万5690円に減額し、さらに、平成4年7月ころ、P18に対してそのうち1282万5690円を渡したことから、簿外の裏金が400万円になった旨証言する(60回)。
ii しかしながら、Iの上記公判証言のうち、平成4年7月ころ、P18に簿外の裏金から1282万5690円を渡したとする部分は、これを裏付けるべき客観証拠が存在しない。
iii さらに、Iの公判証言によれば、I報告書は、Iが、前任者が急死した後、平成2年4月19日現在における関東支店の裏金の状況について、経理担当の常務取締役であったP18に報告するために作成した書面であり、「P17会長報告(P18常務から)」と題する書面(物30。以下「P18報告書」という。)は、その翌日にP18がP17六郎a建設会長(以下「P17会長」という。)に上記裏金の状況について報告するために作成された書面であると認められるところ、簿外の裏金について、I報告書では1682万5690円、P18報告書では36万3578円とされていて、その間には1646万円余もの差が存在している。そして、Iは、その理由につき説明することができないのであり、このような顕著な金額の差からは、P17会長には明らかにしないP18限りの簿外の裏金があったことが強くうかがわれる。したがって、それと同様に、P18に明らかにしない関東支店限りの裏金の存在も考えられるのであり、I報告書が関東支店の裏金の全貌を記載したものであるかについても、疑問が残るのである。
(c) したがって、関東支店における簿外の裏金金額を確定することはできないが、I報告書やIの公判証言によっても、Iが引き継いだ際には3800万円を超える簿外の裏金があったというのであるから、本件当時においても、相当多額の簿外の裏金があったことが推認されるというべきである。
(オ) Hの一連の不可解な行動等の意図ないし趣旨
最後に、Hの裏金に関する一連の不可解な行動等の意図ないし趣旨について検討することとする。
a 裏金の隠匿状況
(a) まず、その前提として、関東支店の裏金を隠匿していた状況について、H及びT4はそれぞれに、Hが、関東支店の裏金から現金2900万円を平成5年3月23日に持ち帰って保管していたが、同年9月18日、そのうち2109万円をT4に預けていたところ、平成6年3月末ころ、その中から9万円の返還を受け、さらに、平成8年4月30日、弁護人立会いの下、T4の保管していた2100万円を確認した上、T4が、同年5月に、その金額を表の会計に計上した旨各証言している(H42回、43回、50回、T4106回、107回)。
(b) そして、上記各公判証言のうち、2100万円が上記日時に関東支店の表の会計に計上されたことは、客観証拠(弁物98~100)により裏付けられており、その余の部分も、その信用性を覆すに足りる証拠が存在しない以上、関東支店の裏金の一部について、上記公判証言にあるような隠匿が行われたものと認められる。
(c)i なお、自宅に隠匿した2900万円の内訳について、Hは、簿外の裏金400万円、平成4年7月に造成した1000万円、平成5年1月及び3月のk建設造成分の708万円及び791万円に、端数合わせとしての1万円を加えた金額である旨証言している。
ii しかしながら、前記(イ)cで判示したとおり、平成4年7月に造成した1000万円が使用されなかったとするHの公判証言は、信用できないものである。また、k建設造成分の裏金に相当する現金合計1499万円を隠したことについて、Hは、下請けに迷惑がかかるとか、下請けを利用した裏金の造成が1つあれば他にもあるだろうと追及されると思ったなどと証言するが(34回、37回)、同年8月に同じ下請けのa社道路を使って造成したとされる500万円については隠匿していないというのであり、十分な説明とはなっていないのである。したがって、Hの公判証言のうち上記部分は、信用することが困難である。
b Hの行動等の意図ないし趣旨
そして、以上みてきたようなHの一連の不可解な行動ないし供述状況については、その意図ないし趣旨が、それぞれ次のように合理的に説明することができる。すなわち、
(a) 関東支店の簿外の裏金は、平成5年3月時点で約3000万円あったところ、Hは、検察庁に押収されることを免れるために、そのうちの2900万円を分離して、自宅に持ち帰って隠匿保管を始めた。
(b) また、Hは、同月下旬に再製出納帳を作成するに当たっては、発覚してはまずいと考えられる本件贈賄の原資2000万円の支出を除外するとともに、それに見合う収入として、k建設造成分の2口合計1499万円及びa社道路造成分の500万円を除外することにより、再製出納帳の残高1億4590万円と検察庁に押収された1041万円及び検察庁に明らかにする1億3974万8585円の合計1億5015万8585円との帳尻をおおむね合わせた。
(c) ところが、同年9月に内尾検事から取調べを受けて、Iからの引継ぎ資料を突きつけられるなどして追及され、同年3月末現在の現金残高と再製出納帳の残高との整合性を高めるよう求められたことから、検察庁にいずれ発覚するおそれのある税務申告のための自己否認用の一覧表に記載のある合計420万円余の支出を認めるとともに、k建設造成分のうち708万円を新たに認め、同年3月末時点の出納帳の残高を1億4986万8785円に増やして、帳尻を合わせた。
(d) それと同時に、Hは、同じk建設造成分の791万円についても、山梨営業所を捜査されていずれ発覚するおそれが生じたことから、自宅に隠匿保管していた2900万円のうち791万円を裏金本体に戻すとともに、自分への贈賄原資準備の嫌疑を察知し、残りの2109万円を部下のT4に指示してその自宅に隠匿保管させた。
(e) その後、Hは、逮捕されて、本件贈賄原資を関東支店の裏金から支出したことを認めるに至ったが、あくまで簿外の裏金2109万円の発覚を免れるため、a社道路造成分の500万円を新たに認めることにより、同年3月末時点の出納帳の残高を1億3486万8785円にするとともに、千二、三百万円の簿外の裏金の存在を認めることにより、再び帳尻を合わせようとした。
(f) そのため、Hは、釈放後、Jからバインダー資料の存在を知らされても、裏金の実態すべてを明らかにすることができず、再び帳尻を合わせるために、平成4年7月造成分の1000万円を支出しなかったことにし、J作成のバインダー資料中の集計表における平成4年12月末の残高を、最終出納帳の帳尻に合わせるなど、様々な工作を施した上で、ようやくT4に隠匿保管させていた2100万円を表会計に戻した。
(g)i しかし、簿外の400万円との調整を忘れたために、平成5年3月末現在の現金残高1億7915万8585円が、最終出納帳の残高1億7924万8585円及び簿外の裏金400万円の合計1億8324万8585円よりも409万円も少なくなってしまったものである。
ii この点、Hは、この409万円の差について、同年1月から3月までの分の収支に計上漏れがあるためでないかと弁解する(43回)が、同年3月の裏金出納帳の再製段階において、その直前の期間について409万円もの計上漏れが生ずることなど考え難いことであるし、他方、Hが意図的に収支に計上していないものがあるのであれば、最終出納帳作成までの段階で何らかの手当てをしていたはずであるから、上記弁解は信用できない。
c 以上のとおり、Hの不可解とも思われる一連の行動等は、その意図ないし趣旨がすべて合理的に説明することが可能なものであり、このことは、Hの公判証言が信用できないとした上記判断の正しさを裏付けるものということができる。
(カ) 小括
以上要するに、最終出納帳の信用性、バインダー資料、とりわけ、平成4年12月分の関東支店の収支表及び原価計上内訳表並びに各集計表の内容の真実性には疑問があり、Hの公判証言の信用性にも重大な疑問が残るほか、仮に裏金出納帳が正確に再製されたとしても、簿外の裏金の金額まで確定できない以上は、関東支店の裏金から本件贈賄原資が支出されなかったとはいえないのである。したがって、この点に関する弁護人の主張もすべて理由がない。
オ 仕立券付き背広生地の準備・持参等について
(ア) 問題の所在
弁護人は、被告人Y1(128回、131回、135回)、被告人Y2(142回、144回、147回)及びP2(57回)並びに本件当時被告人Y2の秘書を務めていたP24(以下「P24」という。)(63回)の公判段階における各供述に基づき、被告人両名は、Zに対する手土産として、関東支店を通じ、仕立券付き背広生地を準備しており、現金2000万円を準備したことはなく、これに反する趣旨の被告人両名及びP2の捜査段階における各供述はいずれも信用できない旨主張するので、以下、この点について検討する。
(イ) 関係者の各公判供述の概要
被告人両名、P2及びP24が公判段階でそれぞれ供述する仕立券付き背広生地の準備・持参等についての経緯は、大要以下のようなものである。すなわち、
a 被告人Y1は、Zとの本件面談が決まった後の平成4年12月14、5日(以下、このオの項では「平成4年」の表記を省略する。)ころ、被告人Y2に電話をかけ、被告人Y2も本件面談に同行することになった。その際、被告人Y1は、被告人Y2が関東支店就任後にZにあいさつしたことがないことを理由に、被告人Y2に、手土産として背広を準備するよう指示した。
b(a) 被告人Y2は、被告人Y1との電話の後、P24を呼んで、「12月22日に、Zにあいさつすることになったから、手土産にするのに英國屋の50万円の洋服を用意してくれ。」と指示した。このとき、被告人Y2は、ギフトカードを想定して「洋服」又は「背広」と言ったが、指示を受けたP24は、仕立券付き背広生地を準備するものと考えて、株式会社英國屋(以下「英國屋」という。)大宮店に注文を入れた。
(b) 仕立券付き背広生地は、同月16日ころ、関東支店に届き、P24は、これをロッカーに保管した上、そのころ、被告人Y2に対し、準備ができた旨報告した。また、P24は、英國屋の仕立券付き背広生地の経理処理についてHに相談したところ、その代金は茨城営業所の負担になるので、請求書を30万円と20万円の2通に分けるよう言われたため、英國屋に請求書を2通に分けて発行するよう依頼し、その請求書は、同月17日ころに届いた。
c(a) 被告人Y2は、同月21日、被告人Y1に電話して、本件面談のための集合時間を確認するとともに、英國屋の背広を準備したと伝えたところ、被告人Y1から、英國屋より株式会社壹番館洋服店(以下「壹番館」という。)のほうが良いのではないかと言われたため、壹番館の背広を用意する旨答えた上、P24に対し、壹番館の背広を用意するように指示した。
(b) そこで、P24は、直ちに、壹番館に注文したところ、翌22日(面談当日)昼ころ、その仕立券付き背広生地が関東支店に届けられたため、これが準備できたことを被告人Y2に報告することなく、同日午後1時から2時の間に、支店長車の高橋運転手に、壹番館の仕立券付き背広生地入りの手提げ付き紙袋を預けた。
(c) なお、P24は、壹番館に対しても、請求書を30万円と20万円の2通に分けて発行するよう依頼し、壹番館から依頼どおりの請求書が発行された。
d(a) 被告人Y2は、同日午後3時10分過ぎころ、本社のY1副支店長室に向かうため、支店長車に乗ったところ、高橋運転手から、大きな包みの入った紙袋を示されて預かっている旨言われたことから、P24がギフトカードではなく、仕立券付き背広生地を用意したことに気付いた。
(b) そこで、被告人Y2は、P24に電話をして、「ギフトカードじゃないのか。こんな大きなもの持っていけないじゃないか。」と文句を言った。すると、P24は、「壹番館には、ギフトカードがないんです。」と答えたことから、被告人Y2は、それならしようがないと思い、また、被告人Y1に釈明するにも仕立券付き背広生地を持参した方が良いと考えて、これを持っていくことにした。
(c) その後、被告人Y2は、Y1副社長室でP2と合流し、被告人Y1がいるガーデンコートビルに向かうことになったが、その際、P2が被告人Y2の持参していた仕立券付き背広生地入り紙袋を被告人Y2に代わって持つことになった。
e(a) 被告人Y2及びP2は、ガーデンコートビル付近で被告人Y1と合流し、被告人Y1の副社長車で都道府県会館に向かったが、その際、P2が、助手席に仕立券付き背広生地が入った手提げ付き紙袋を抱えて乗り込んだ。
(b) これを見た被告人Y1は、「それは何だ。」とP2に聞くと、P2が「Z知事への手土産です。」と答えたので、「そんな大きなものを持っていったら、Z知事に迷惑だ。」と言った。これに対し、被告人Y2は、「壹番館にはギフトカードがなかったんです。」と弁解したが、被告人Y1は、「とにかくそんな大きな物をZ知事に渡したら迷惑だから、今日は持っていくのはやめよう。」と言い、P2に後で水戸のほうに届けておくように指示するとともに、「代わりに、この本を持っていこう。」と言って、「この人にきく」という本をZへの手土産代わりにすることにした。
f なお、被告人Y1は、Zとの面談の際に、洋服生地を用意したが後日水戸の方に届ける旨話しており、同月26日には、P2が、Zを知事公舎に訪ねて、仕立券付き背広生地を手渡した。
(ウ) 関係者の捜査段階における各供述
他方、被告人両名及びP2はいずれも、捜査段階では、各公判供述と異なり、それぞれ次のように供述している。すなわち、
a P2は、その検察官調書(甲書35)において、年末の忙しい時期にZがわざわざ私たちに会ってくれる上、小山ダム等について、私たちのお願いを聞いてもらうのであるから、手ぶらでは失礼だと思い、私一人の判断で、Zにお土産として50万円相当の仕立券付き背広生地を用意して、都道府県会館に持っていこうとした、しかし、その後、被告人Y1から、「そんな大きな目立つものを持っていくものではない。それは後にしろ。」などとしかられたので、私一人で、12月26日ころ、仕立券付き背広生地を知事公舎に持参して、Zに手渡した、私は、このときも改めてZに対し、「小山ダムも近いので、これまでどおりよろしくお願いします。」とお願いした旨供述している。
b また、被告人Y1は、その検察官調書(乙書15)において、面談当日の午前中だったと思うが、P2から、「今日、Zに会う際、洋服生地を渡したいと思い、用意しました。」との電話を受け、Zに2000万円を渡すことを知らないP2が気を利かせたのだと思ったが、洋服生地は人目に付き、せっかくこっそりZに現金を渡そうとしていることが台無しになると思い、P2に対して、「そんな目立つ物持っていくやつがいるか。」と洋服生地を本件面談に持って来ないように言った旨供述している。
c さらに、被告人Y2も、その検察官調書(乙書22)において、面談当日、P2とY1副社長室で合流した際に、P2が縦長の手提げの付いた紙袋を持っているのに気付き、「何持ってんだ。」と聞くと、P2は、「知事へのお土産に洋服の生地を持ってきました。」と答えた旨供述している。
(エ) 関係者の各公判供述の信用性
そこで、前記(イ)のような被告人両名、P2及びP24の各公判供述の信用性について検討する。
a 英國屋及び壹番館の請求書等
(a) 請求書等の存在
弁護人は、被告人両名らの各公判供述の信用性を裏付ける証拠として、以下の各請求書等を提出している。すなわち、
i 英國屋経理部長作成名義の確認書(弁書91)には、英國屋大宮店作成名義(係名小針)でa建設あての12月17日付け納品書1通、納品請求確認書1通及び請求書2通の各写しが添付され、いずれにも年月日が同月16日、品名が御仕立券付紳士服地、数量が1と記載されており、金額については、納品書及び納品請求確認書並びに請求書1通には20万円(消費税込み20万6000円)、他の請求書1通には30万円(消費税込み30万9000円)と記載されている。
ii また、壹番館取締役副社長作成名義の確認書(弁書92)には、a建設あての同月22日付け請求書2通の各写しが添付され、いずれにも品名が御贈答用仕立券付生地、数量が1と記載されており、金額については、1通に30万円(消費税込み30万9000円)、他の1通には20万円(消費税込み20万6000円)と記載されている。
(b) 英國屋との取引について
i まず、英國屋関係についてみるに、上記請求書等の印刷部分から、英國屋は、東京都中央区銀座2丁目に本店のあることが明らかであるところ、被告人両名らの各公判供述によっても、Zには都内の都道府県会館で手渡す予定であったというのに、英國屋との上記取引は、埼玉県大宮市(現在の埼玉県さいたま市)内に所在する英國屋大宮店との間で行われているのであり、極めて不可解である。
iiα この点、P24は、英國屋大宮店の小針某が、都内の支店にいるころから、定期的に関東支店の支店長秘書室に営業に来ており、秘書室では英國屋を頼むときは常に小針に連絡しており、本件当時、大宮支店以外の英國屋との取引はなかった旨証言している。
β しかし、P24は、同時に、秘書室から英國屋に注文することも多少あったが、全くない年もあり、当時はだんだん少なくなっていて、余りなかったと思うとか、紳士服については、英國屋以外の複数の業者との取引もあったと思うとも証言しているのである。
γ そして、被告人両名らが供述するように、その注文内容が急きょ変更になるなど、臨機応変の対応が必要になることも予想されることを考慮すると、P24が証言するような理由は、このように取引の少ない、しかも、都内から遠く離れた大宮店にわざわざ注文するものとして、到底納得し難いものであり、P24の上記証言を信用することは困難である。
iii したがって、英國屋大宮店作成名義の上記請求書等は、本件とは無関係の、例えば埼玉営業所関係の取引に関するものとの疑いが濃いというほかなく、これらの存在が被告人両名らの各公判供述の信用性を裏付けるものとはいえない。
(c) 壹番館との取引について
また、壹番館関係についてみても、壹番館作成名義の前記請求書には、あて名として「a建設(株)」としか記載されておらず、茨城営業所が注文した可能性を否定するものではないから、この請求書の存在をもって、直ちに仕立券付き背広生地が関東支店で準備されたことを裏付けるものとはいえない。
(d) まとめ
以上のとおり、英國屋及び壹番館各作成名義の上記請求書等の存在が、被告人両名らの各公判供述の信用性、すなわち、仕立券付き背広生地が関東支店で準備されたことを裏付けるものということができないばかりか、かえって、英國屋大宮店作成名義の上記請求書等は、本件とは無関係の取引に関するものとの疑いが濃いのに、あたかも本件と関連する証拠として提出されていることは、被告人両名らの各公判供述が事実に反することをうかがわせるものということができる。
b 関係者の各公判供述の不自然さ
(a) 被告人Y2及びP24はいずれも、被告人Y2のP24に対する指示は、当初の英國屋の際も、その後、壹番館に変更した際も、50万円相当の背広ないし洋服と言っただけであり、この指示の趣旨について、被告人Y2はギフトカードを、P24はお仕立券付き背広生地をそれぞれ想像していた旨供述している。
(b) しかしながら、これらの供述は、以下のように、内容的に誠に不自然なものといわざるを得ない。すなわち、
i 被告人Y2がP24に準備を指示した贈り物は50万円もの高額な商品であり、しかも、被告人Y2がP24に指示を与えあるいはP24が被告人Y2に何度も報告したのに、被告人Y2から、一度もギフトカードか仕立券付き背広生地かということを明示せず、かつ、P24においても、一度も確認しないことなど、考え難いことである。
ii 被告人Y2は、上司である被告人Y1の指示により、関東支店にとって非常に大切な存在であり、かつ、水戸からわざわざ上京してきていたZに対する贈り物を準備したというのに、その現物を事前に1度も確認していないのである。
iii P24は、ギフトカードだと体裁が余り良くなく、生地が付いていると相手に対する思いやりが伝わると考えたとか、当時の秘書室の考え方では、仕立券付き背広生地の方が丁寧と考えていたなどと供述するが、水戸に持ち帰るZの立場や人目があるのに目立つ贈り物を都道府県会館に持ち込まざるを得ない被告人両名の立場に全く配慮しないものであり、関東支店長の被告人Y2の秘書としては、考えにくい対応である。
c 関係者の各公判供述の食い違い
また、関係者の各公判供述には、看過できない食い違いが認められる。すなわち、
(a) P2は、本件面談が決まった後、被告人Y2から、Zとの本件面談には自分も同行することになった、手土産として背広ないしギフトカードを用意したからというような話があった旨供述するが、被告人Y2は、そのような電話をP2にしたことはない旨供述している。
(b) 被告人Y2は、本件面談の前日、集合時間を聞くために被告人Y1に電話をし、そのついでに英國屋の背広を用意したことも伝えた旨供述するが、被告人Y1は、被告人Y2からの電話は、Zへの手土産の準備ができたことの報告であり、そのついでに話したことは全くない旨供述している。
(c) 結局Zに贈らなかった英國屋の仕立券付き背広生地について、被告人Y2は、東京支店に回したということを大分後になってから聞いた旨供述するが、P24は、関東支店において、平成5年2月か3月ころ、他の得意先に対して用立てた旨供述している。
d 捜査段階の供述に関する説明
(a) 被告人両名及びP2の各公判供述
被告人両名及びP2は、捜査段階で公判供述と異なる供述をした理由について、それぞれ次のように供述している。すなわち、
i P2は、検事の取調べで「2000万円持っていっただろう。」と非常に厳しい追及があり、これを否定しても、「何も用意しないのはおかしいじゃないか。」と言われるなどしたので、自分の方から仕立券付き背広生地を準備したことを供述した、その際、自分がアポイントを取ったことが発端となり、被告人両名に本件贈賄の嫌疑が掛けられることになったことに、非常に責任を感じていたので、被告人両名に迷惑をかけてはいけないと思い、自分の一存で準備したなどと説明した旨供述している。
ii 被告人Y2は、在宅段階の取調べで、検事から、「P2が、仕立券付き背広生地は自分が用意したと言っているが、どうなんだ。」と聞かれ、それが事実に反することは分かったが、P2が検事に怒鳴られるだけでなく、土下座させられたり、壁に向かって立たされたり、ひどい取調べを受けていると功刀総務部長から聞いており、私が、P2の言っていることは事実に反すると言うと、P2がますますひどい取調べを受けるだろうと思ったので、P2をかばう意味でその供述に併せて事実に反する供述をした旨供述している。
iii 被告人Y1は、仕立券付き背広生地は面談当日にZに渡したわけではなく、言う必要がなかったので、言わなかったなどと供述している。
(b) 検討
i しかしながら、被告人両名及びP2はいずれも、被告人両名が本件贈賄の嫌疑について取調べを受けてこれを否認していたのであるから、被告人両名が相談して仕立券付き背広生地を準備したことを明らかにし、歳暮として仕立券付き背広生地を持っていったと主張すれば、更に2000万円も準備する必要があったのかという疑問を生じさせることも可能であり、それなりに有力な反論になり得るものである。しかも、このようなことは、被告人両名及びP2においても容易に考えつくはずのものと考えられる。
ii ところが、被告人Y1は、前認定の供述経過等から明らかなとおり、取調べで本件面談に至る経緯等についても詳細に取調べを受けていたというのに、上記のように、言う必要がなかったから言わなかったと供述するのみで、捜査段階で供述しなかったことについて何ら合理的な説明をしていない。
iii 次に、被告人Y2は、P2をかばうためだった旨主張するが、仕立券付き背広生地の準備を明らかにすることは、自らの嫌疑に対する有力な反論となり得るのみならず、P2への厳しい取調べを終わらせる契機にもなり得るものである。したがって、被告人Y2の上記主張は、それ自体失当である。
ivα また、被告人Y2は、平成5年8月下旬に、2度目に被告人両名、P2、早川弁護士らが集まり、早川弁護士から、本件面談に関する事情を聞かれた際に、仕立券付き背広生地の話が出たものの、早川弁護士か被告人Y1かはっきり覚えていないが、誰かから、「仕立券付き背広生地は、本件当日Zに渡していなかったので、取調べを受けても話す必要はない。」と言われて、そういう話になった旨供述している。
β しかし、被告人両名が仕立券付き背広生地の準備について捜査機関に明らかにしても、前記のように被告人両名の嫌疑への有効な反論となることはあっても、被告人両名にとって特段不利益になるとは考えにくいから、被告人Y2の上記公判供述も信用することは困難である。
vα さらに、P2は、被告人両名に迷惑が掛からないようにするため、独断で仕立券付き背広生地を準備したと述べていたと供述している。
β しかし、P2は、50万円相当の仕立券付き背広生地をZに贈ることが贈賄に当たると考えていた形跡が全く認められないことからすれば、事実をありのまま供述することで被告人両名に迷惑が掛かると考えること自体、あり得ないことというべきである。
vi そうすると、被告人両名及びP2が、捜査段階において、仕立券付き背広生地につき虚偽の供述をしなければならないような合理的な理由は全く認められず、したがって、公判段階において捜査段階の供述を変遷させたことについても、本件贈賄事実を隠蔽する以外、何ら合理的な理由が見出せないのである。
e まとめ
以上みてきたとおり、被告人両名らの仕立券付き背広生地に関する各公判供述は、客観的な裏付けがなく、内容的にも不自然なものであり、相互に看過できない食い違いがあるほか、公判段階において捜査段階の供述を変遷させたことについても、本件贈賄事実を隠蔽する以外、何ら合理的な理由が見出せないのである。しかも、本件とは無関係の疑いが濃い英國屋大宮店作成名義の前記請求書等が、本件と関連する証拠として提出されていることは、正に、被告人両名、P2及びP24の各公判供述がいずれも事実に反することをうかがわせるものであって、これらを信用することは困難である。
(オ) 関係者の捜査段階における各供述の信用性
a 他方、被告人両名及びP2の捜査段階における各供述は、前記のとおり、各供述がそれぞれに食い違っているかのようにみえるが、これらの供述を総合すると、次のような事実経過を推認することができる。すなわち、
(a) P2は、被告人両名が、本件面談時に、Zに2000万円を贈る計画を知らなかったため、独断で、Zへの手土産として仕立券付き背広生地を贈ることを考えた。そこで、P2は、壹番館で仕立券付き背広生地を購入することとして事前に注文を入れておき、面談当日、上京した際にこれを受け取って、そのまま本件面談に同行しようと考えた。
(b) ところが、P2が、被告人Y1に、本件面談時に、Zへ仕立券付き背広生地を贈ることの了解を得ようと、面談当日に電話で連絡を取ったところ、被告人Y1から、洋服生地のような目立つものを持っていかないように言われたことから、本件面談時に、Zへ仕立券付き背広生地を贈ることをあきらめて、後日Zの所に持参するほかないと考えたものの、その時点では、既に壹番館に仕立券付き背広生地を注文していたため、茨城に持って帰るために、本件面談前に壹番館で仕立券付き背広生地を受け取ることにした。そして、その際、P2は、茨城営業所での経理処理の都合から、請求書は30万円と20万円に分けて発行してもらった。
(c) その後、P2は、Y1副社長室に向かったが、このときには被告人Y1に準備したものを報告する趣旨から仕立券付き背広生地を持参していたため、被告人Y2がそれに気付いた。その後、P2は、被告人Y2と共に、被告人Y1と合流するため、ガーデンコートビル1階玄関に向かったが、被告人Y1から、洋服生地のような目立つものを持ってこないように言われていたため、被告人両名及びP2が乗車する被告人Y1の副支店長車にはこれを運び込まず、茨城営業所の自動車ないし被告人Y2の支店長車に積み込み、被告人Y1の秘書に預け、あるいはその他適当な場所に保管するなどしておき、水戸に帰る際に持ち帰ることにした。
b(a) 以上のように、被告人両名及びP2の上記捜査段階の各供述は、整合性のある一貫した事実をそれぞれの立揚から認識した限度で供述したものとして矛盾なく説明することができる。しかも、被告人両名及びP2がいずれも、捜査段階において、ガーデンコートビルから都道府県会館へ向かう被告人Y1の副社長車内に仕立券付き背広生地の入った紙袋があったとは供述していないこととも符合することになる。さらに、12月22日付けのa建設に対する壹番館の30万9000円及び20万6000円の請求書各1通が存在することとも矛盾しない。
(b)i なお、被告人Y1の当時の秘書であったSないしP32は共に、P2から紙袋を預かったとは供述していないが、Sは、主に、面談当日にHが被告人Y1を訪ねて来なかったかについて尋問を受けたものであり(98回)、P32は、主に、被告人Y1のスケジュール管理及び被告人Y1のスケジュール表の当日の記載に関して供述しているから(甲書36)、これらの供述が上記推認に矛盾するものとはいえない。
ii また、P2は、面談当日、P23運転手が運転する茨城営業所の自動車で上京した、Y1副社長室に行く前に、伊藤忠商事に赴いたので、その報告のため高木副本部長の所に午後3時30分ころに行った旨証言している(58回)が、これも上記推認に矛盾するものではない。
c そして、前記(エ)で検討したように、仕立券付き背広生地の準備等に関する被告人両名、P2及びP24の各公判供述がいずれも信用できないことに照らせば、上記推認に合理的疑いが生じるものではない。
(カ) 小括
よって、P2が12月26日にZに渡した仕立券付き背広生地は、関東支店ではなく、P2が茨城営業所として準備したものと認められるから、この点に関する弁護人の主張も理由がない。
カ 総括
以上検討してきたとおり、弁護人の主張はいずれも理由がないから、採用の限りではなく、本件贈賄事実を認める被告人両名らの捜査段階における各供述の信用性に何ら合理的な疑いを入れるものではない。
5  結論
(1) 以上説示してきたとおり、被告人両名、Z及びHの捜査段階における各供述はいずれも高い信用性が認められるところ、これらの各供述によれば、前記4(1)掲記のような本件贈賄の謀議、準備及び実行の状況に沿う各事実をすべて認定することができるから、この点に関する弁護人の主張は、すべて理由がないことに帰する。
(2) なお、本件贈賄の趣旨及びその認識については、前記4(3)イで説示したように、被告人両名及びZの各自白供述の内容には若干の食い違いがみられ、被告人両名は共に、小山ダム建設工事の受注依頼を主眼に置いていたことがうかがわれるものの、本件面談の際に、被告人Y1がZに対し「いつもいろいろお世話になりましてありがとうございます。」、「今後、県からは、小山ダムを始め、いろいろと大型工事が出ると伺っておりますが、a建設をよろしくお願いします。」と述べていることからも、茨城営業所が過去に茨城県から各種の工事を受注したことに対するお礼及び同営業所が営業目標とするその余の同県発注予定工事の受注依頼をも含むことがうかがわれるのであり、そのことは、被告人両名もそれぞれの自白供述の中で認めるところである。そして、前記第4の3(2)で認定したa建設の本件当時の同県からの受注状況、同4及び5で認定した小山ダム建設工事、県庁舎新築工事及び県立医療大学新築工事の各進捗状況並びにこれらの点に関する同社関係者の認識ないし受注意欲等、同6で認定した本件面談の目的を総合すると、本件贈賄の趣旨は、判示したとおり、同県が発注した県立植物園温室新築工事等を同社が受注するに際し、指名競争入札の入札参加者に指名されるなどの好意ある取り計らいを受けたことに対する謝礼の趣旨及び将来同県が発注する予定の小山ダム建設工事、県庁舎新築工事、県立医療大学新築工事等について指名競争入札の入札参加者に指名されるなどの好意ある取り計らいを受けたいとの趣旨であったと認めるのが相当である。
(確定裁判)
被告人Y1は、平成9年10月1日東京地方裁判所で斡旋贈賄罪により懲役1年6月、4年間執行猶予に処せられ、その裁判は平成15年1月27日付け上告棄却決定に対する異議申立て棄却決定の送達をもって確定したものであり、この事実は判決書謄本2通(乙28、29)及び決定書謄本2通(乙30、31)により認める。
(法令の適用)
被告人両名の判示所為はいずれも平成7年法律第91号附則2条1項本文により同法による改正前の刑法60条、198条(197条1項前段)に該当するところ、被告人Y1について、これは前記確定裁判があった斡旋贈賄罪と同法45条後段の併合罪であるから、同法50条によりまだ確定裁判を経ていない判示贈賄罪について更に処断することとし、被告人両名について、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人両名をそれぞれ懲役1年6月に処し、被告人両名に対し、いずれも同法21条を適用して、未決勾留日数中、被告人Y1に対しては70日、被告人Y2に対しては140日、それぞれその刑に算入し、被告人両名に対し、いずれも情状により同法25条1項を適用して、この裁判確定の日から、被告人Y1に対しては5年間、被告人Y2に対しては4年間、それぞれその刑の執行を猶予することとし、訴訟費用のうち、証人A、同B、同C、同D、同E、同F、同G、同H、同I、同J、同牧野忠、同L、同M、同N、同O、同P、同Q、同R、同S、同T1、同T2、同T3、同T4、同T5、同内尾武博及び同長野哲生並びに鑑定人T8に関する分は、刑訴法181条1項本文、182条により、すべて被告人両名に連帯して負担させることとする。
(量刑の理由)
1  事案の概要
本件は、大手ゼネコンであるa建設の代表取締役副社長であった被告人Y1及び同社常務取締役関東支店長であった被告人Y2の両名が、共謀の上、当時の茨城県知事であったZに対し、同社が県発注の県立植物園温室新築工事等を受注できたことに対する謝礼の趣旨及び将来発注予定の小山ダム建設工事、県庁舎新築工事、県立医療大学新築工事等について指名競争入札の入札参加者に指名されるなど好意ある取り計らいを受けたいとの趣旨の下に、現金2000万円を供与したという贈賄の事案である。
2  被告人両名の刑事責任を基礎付ける共通情状
(1) 公共工事における指名競争入札は、その入札参加者に適格があるとして指名された業者間で公正な価格競争を行わせることにより、適正な価格による公共工事の確実な施工を実現し、ひいては予算執行の適正化を図ろうとする制度であるところ、被告人両名は、金の力により、このような指名競争入札制度の実効性を失わせて公共工事を強引に受注しようとしたものであり、本件は、反社会性の高い犯罪である。しかも、a建設は、本件当時も、受注高が平成3年度約2兆3054億円、平成4年度約1兆8038億円に及び、従業員数約1万4000人を擁するなど、業界の模範ともなるべき日本有数の大企業であったのに、その幹部であった被告人両名は、自社の利益を追及しようとする余り、法を無視し、その社会的責任を放棄して、ためらう姿勢を全く示すことなく、組織的に本件贈賄を計画し準備し実行しており、極めて悪質な犯行である。
(2) もっとも、a建設は、本件当時までの約8年間において、工事金額約10億円弱の建築工事1件のほかは、茨城県発注の大型工事を受注していなかったところ、バブル景気の崩壊に伴い民間からの工事の発注が激減して、同社においても、全社的に公共工事の受注確保・拡大の必要性が強調される状況にあったものであるが、同県では、本件以前から、県発注工事の指名競争入札が形骸化して、知事であるZの意向によって事実上受注業者が決定されるという実態があり、これらの点が本件の背景事情となったことは否定し難いところである。しかし、被告人両名は、こうした同県の悪しき実態に付け込み、金の力でZの歓心を買い、自社の利益のみを追及しようとしたのであって、上記のような背景事情があるからといって、本件の動機ないし経緯に酌量すべき点があるとはいえない。
(3) さらに、本件の結果、茨城県知事の職務行為が買収され、その公正さや廉潔性が著しく害されて、県民を始めとする国民一般の信頼が大きく損ねられたのはもとより、指名業者選定や入札の前から、Zが県職員に違法な指示をするなどしたことにより、指名競争入札制度を骨抜きにする不正な契約が締結されるおそれが現実化しており、その社会的な悪影響は重大である。そして、平成5年当時、本件を含む一連のゼネコン汚職事件が次々と摘発され、地方自治体の首長やゼネコン業界の幹部が次々と起訴されたことにより、社会に与えた衝撃は甚大であるとともに、公共工事発注の在り方やゼネコン業界の談合ないし金権体質に対して国民が抱くに至った拭い難い不信感は深刻であり、10年余りが経過した今日においてもなお、被告人両名の行為が厳しく非難されるべきことはいうまでもない。
(4) 加えて、後に個別の情状としてもみるとおり、被告人両名は、捜査段階の途中から、事実関係を認めて反省の弁を述べるなどしていたにもかかわらず、公判段階では、いずれもその供述を翻し、本件贈賄事実ないしその原資に関する事実等を始め、種々の点で、不自然、不合理な主張ないし弁解を強弁し、a建設の社員等多数の関係者をも巻き込んで、正に会社ぐるみで罪証隠滅まで重ねるに至っているのである。
3  被告人両名の刑事責任を基礎付ける個別情状
(1) 被告人Y1関係
ア 次に、各被告人の個別情状についてみると、被告人Y1は、a建設では、代表取締役筆頭副社長として、a社家出身の副会長を除いては、同社生え抜きの役員のトップという枢要な地位ないし立場にありながら、部下である茨城営業所副所長のP2から、Zへのトップ営業を依頼されてこれを了承するや、受注調整に関与していた小山ダム建設工事という茨城県発注の大型工事の受注を確実にするとともに、その余の同県からの受注拡大をも図るために、本件面談に際してZへ多額の贈賄をすることを計画し、部下の被告人Y2に贈賄資金を準備させた上、本件面談時には、Zに直接現金を手渡すなど、本件犯行の首謀者としての役割を果たしている。
イ また、被告人Y1は、代表取締役筆頭副社長等として、長年にわたりa建設の経営の一翼を担っていただけでなく、業界団体の要職を歴任していたのであるから、建設業界の代表として、自ら模範となって自社及び業界全体を指導し、業界内の悪弊も率先して改善除去すべき立場にあったにもかかわらず、その立場を忘れ、自社の利益のみを追及して本件犯行に及んだという態度は、厳しい非難に値するのみならず、結果的に、a建設の企業としての信用を著しく喪失させ、同社を混乱に陥れており、企業経営の一翼を担う者として軽率のそしりも免れない。
ウ しかも、被告人Y1は、社団法人日本土木工業協会(土工協)の契約制度研究委員会委員長ないし広報委員会委員長として、公共工事標準請負契約約款の検討、調査を行うとともに官民懇談会等を通じて請負契約の明確化と片務性の是正を目指していたというのに、他方において、小山ダム建設工事に関しては、旧態依然とした業者間の受注調整に関与したほか、平素から政治家に対する多額の裏献金等を担当していたものであり、本件もその一貫をなすものである。また、被告人Y1は、本件犯行の約1年前に敢行した国会議員に対する斡旋贈賄罪により前記確定裁判記載のとおりの有罪判決を受けているのであり、この種事犯の累行性もうかがわれることからすれば、その犯情は悪質である。
エ さらに、被告人Y1は、本件贈賄の犯行が発覚することを恐れて、自ら裏金出納帳の廃棄を指示し、被告人Y2及びP2と口裏合わせを行い、被告人Y2をしてZに小山ダム建設工事の受注辞退を申し入れさせるなどの罪証隠滅工作をし、捜査段階では全面的に自白して反省の態度を示していたのに、公判段階に至るや、不自然、不合理な弁解に終始して、本件贈賄はえん罪である、真昼の暗黒だとまで強弁して、a建設の利益を擁護するとともに、自らの保身を図ろうとしたのみならず、本件で起訴された後も、長きにわたり同社から顧問待遇を受けるなど同社に対する自らの影響力を維持することにより、同社及びゼネコン業界全体の体質改善の絶好の機会を自ら封じており、犯行後の情状も誠に劣悪というほかない。
オ そうすると、被告人Y1の刑事責任は相当に重いというべきである。
(2) 被告人Y2関係
ア 被告人Y2は、被告人Y1から本件贈賄の計画を打ち明けられて贈賄資金の準備をするよう指示されるや、これを奇貨とし、a建設関東支店長として、関東支店や所管の茨城営業所の受注増を図ろうと考え、自らも本件贈賄の必要性を認めて、同支店の裏金から贈賄資金を拠出するよう部下に指示するなど、本件贈賄の準備を行い、本件面談にも同行しているのであって、本件犯行において重要かつ不可欠な役割を果たしている。
イ しかも、被告人Y2も、本件犯行後、被告人Y1及びP2と口裏を合わせたり、Zに対する小山ダム受注辞退の申入れに出向くなど、罪証隠滅工作に関与しているほか、捜査段階では犯行を認めて反省の弁を述べていたのに、公判段階に至るや、被告人Y1に同調して不自然、不合理な弁解に終始しているのであって、犯行後の情状も悪いというべきである。
ウ したがって、被告人Y2の刑事責任にも重いものがある。
4  被告人両名のために酌むべき事情
ア  しかし他方、本件の背景には、前にみたとおり、茨城県における公共工事の指名競争入札制度が形骸化して、知事であるZの意向により事実上受注業者が決定され、Zに金を贈るなどしてその歓心を買わなければ、大型工事の受注が困難とされるような状況があったのであり、本件贈収賄事件の最大の責任は、このような状況を作り上げたZにあり、被告人両名の責任はこれに次ぐものということができる。
イ  また、被告人両名はいずれも、a建設において長年にわたり職務に励み、同社の発展にそれぞれの立場から寄与してきた者であり、とりわけ、被告人Y1は、土木工事技術等の面から同社の発展に尽力したのみならず、土工協広報委員会委員長として、建設業に対する社会的理解の促進を図るため種々の活動を行うなど数々の業界団体の役員を務め、業界内外にわたり多大の貢献をしてきたのであり、我が国の建設業界に残した業績は高く評価することができる。
ウ  そして、本件犯行の動機も、あくまでa建設の営業成績の向上を図ろうとしたものであり、私利私欲に基づくものではなく、被告人両名は、本件審理のために7か月余りにわたり身柄を拘束されるとともに、本件が大々的にマスコミに報道されるなどして、既に相応の社会的制裁を受けている。
エ  その他、被告人Y1は、前記確定裁判記載のとおり、本件と併合罪関係にある別罪について、本件と別個に、懲役1年6月、4年間執行猶予に処せられていること、被告人Y2には前科前歴のないこと、現在、被告人Y1は78歳、被告人Y2は76歳とそれぞれ高齢であること、その他被告人両名のために酌むべき事情も少なからず認められる。
5  結論
そこで、以上の諸事情を総合考慮すると、被告人両名に対しては、それぞれ懲役1年6月に処した上、上記にみたような被告人両名の各刑事責任の軽重及び被告人両名のために酌むべき事情を総合考慮して、特に今回に限り、被告人Y1に対しては5年間、被告人Y2に対しては4年間それぞれその刑の執行を猶予するのが相当である。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中谷雄二郎 裁判官 杉山慎治 裁判官 田岡薫征)

 

a建設関東支店裏金出納帳対比一覧表 〈省略〉

判決目次
主文
理由
(犯罪事実)
(証拠の標目)
(事実認定の補足説明)
第1  本件の争点等
1 関係各証拠から明らかな事実
(1) a建設関係者等について
(2) 茨城県関係者等について
(3) 本件面談の概要
2 本件の争点
第2  Zの各検察官調書等の証拠能力
1 問題の所在等
(1) 問題の所在
(2) 特信性の判断資料として請求されたZの検察官調書等の証拠能力
2 Zの供述経過等
3 捜査段階の供述の任意性ないし特信性
(1) 早期の独自で自発的かつ客観的事実に沿う自白
ア 初期自白の任意性・特信性
イ 弁護人の主張について
(2) 供述の一貫性と多数回にわたる弁護人との接見
ア 初期自白後の供述経過等
イ 弁護人の主張について
(3) Zの各検察官調書の証拠能力についての結論
第3  a建設関係者の各検察官調書の証拠能力
1 被告人Y1の各検察官調書の証拠能力
(1) 問題の所在等
(2) 被告人Y1の供述経過等
(3) 3月21日付け検察官調書(乙書27)の証拠能力
ア 任意性ないし特信性
イ 違法収集証拠の主張について
(4) 捜査段階の供述の任意性ないし特信性
ア 自白の任意性・特信性を担保する外部的情況
イ 弁護人の主張について
(5) 被告人Y1の各検察官調書の証拠能力についての結論
2 被告人Y2の各検察官調書の証拠能力
(1) 問題の所在等
(2) 被告人Y2の供述経過等
(3) 被告人Y2の捜査段階の供述の任意性ないし特信性
ア 自白の任意性・特信性を担保する外部的情況
イ 弁護人の主張について
(4) 被告人Y2の各検察官調書の証拠能力についての結論
3 Hの各検察官調書の証拠能力
(1) 問題の所在等
(2) Hの供述経過等
(3) Hの捜査段階の供述の任意性ないし特信性を担保する外部的情況
ア 供述の独自性ないし一貫性
イ 供述過程の合理性ないし自然性
(4) 取調べ状況等に関するHの公判証言の信用性
ア Hの立場ないし捜査や裁判に対する姿勢等
イ Hの証言内容の不自然さ、不合理さ
ウ 取調べ状況に関するHの公判証言の信用性
(5) Hの各検察官調書の証拠能力についての結論
第4  本件の背景事情等
1 茨城県における公共工事の指名業者選定及び受注業者決定の実情等並びにこれらの点に関するa建設関係者の認識
(1) 茨城県における公共工事の指名業者選定及び受注業者決定の実情等
(2) a建設関係者の認識
2 Zに対するゼネコン等からの資金提供の実情等及びこれらの点に関するa建設関係者の認識
(1) Zに対するゼネコン等からの資金提供の実情等
(2) a建設関係者の認識
3 a建設の本件当時の経営環境、経営方針ないし茨城県からの受注状況等及びこれらの点に関するa建設関係者の認識
(1) a建設の本件当時の経営環境、経営方針等について
ア a建設の本件当時の経営環境、経営方針等
イ a建設関係者の認識
(2) a建設の本件当時の茨城県からの受注状況等について
ア a建設の本件当時の茨城県からの受注状況等
イ a建設関係者の認識
4 小山ダム建設工事の進捗状況、受注調整状況等及びこれらの点に関するa建設関係者の認識ないし受注意欲等
(1) 小山ダム建設工事の進捗状況等
(2) a建設関係者の認識ないし受注意欲等
5 県庁舎及び県立医療大学各新築工事の進捗状況等並びにこれらの点に関するa建設関係者の認識ないし受注意欲等
(1) 県庁舎及び県立医療大学各新築工事の進捗状況等
(2) a建設関係者の認識ないし受注意欲等
6 本件面談の目的
第5  本件贈賄について
1 問題の所在
2 事件関係者の捜査段階の各供述の信用性を裏付けるべき客観的状況
(1) 本件の背景事情等
(2) Zからの茨城県関係者に対する指示
3 Zの供述の信用性
(1) Zの供述の全体的な信用性
(2) Zの本件収賄についての自白供述の信用性
4 本件贈賄の謀議、準備及び実行に関するa建設関係者の各供述の信用性
(1) a建設関係者の供述の概要
(2) a建設関係者の供述の全体的な信用性
(3) 本件贈賄に関する被告人両名及びHの各供述の信用性
ア 被告人両名及びHの供述経過等による裏付け
イ 各供述相互及びZの自白供述との符合
(ア) 被告人両名及びHの各自白供述の符合
(イ) P2の供述について
ウ 本件の背景事情等に基づく推認との符合
エ 被告人Y1による裏金出納帳廃棄の指示
(ア) 問題の所在
(イ) P16の各検察官調書の証拠能力
(ウ) 被告人Y1による裏金出納帳廃棄の指示の有無
(エ) まとめ
オ 被告人Y2による小山ダム建設工事の受注辞退申入れ
(ア) 問題の所在
(イ) Z及び被告人Y1の捜査段階における各供述の信用性
(ウ) 被告人両名及びP2の各公判供述の信用性
(エ) 小括
カ 被告人両名及びP2の口裏合わせ
(ア) 問題の所在
(イ) 被告人両名の各公判供述の信用性
(ウ) 被告人両名の捜査段階の各供述の信用性
キ 総括
(4) 弁護人の主張について
ア 被告人Y2の守谷町長訪問予定期日変更の経緯について
(ア) 問題の所在等
(イ) 被告人Y2の守谷町長訪問の日程変更の経緯
(ウ) H供述の信用性
イ 面談当日のHの行動について
(ア) 問題の所在
(イ) h社等への現金2000万円持参の有無
(ウ) Hのアリバイの成否
ウ ガーデンコートビル1階での合流の可否について
(ア) 問題の所在
(イ) Hの供述どおり停車することの可否について
(ウ) 被告人Y1と被告人Y2らとの合流場所について
(エ) Hが被告人Y2に現金を受け渡す場所変更の経緯について
(オ) まとめ
エ 贈賄資金の原資及び裏帳簿の廃棄について
(ア) 問題の所在
(イ) 最終出納帳の信用性
(ウ) バインダー資料の内容の真実性ないし証拠価値
(エ) 簿外の裏金の存在
(オ) Hの一連の不可解な行動等の意図ないし趣旨
(カ) 小括
オ 仕立券付き背広生地の準備・持参等について
(ア) 問題の所在
(イ) 関係者の各公判供述の概要
(ウ) 関係者の捜査段階における各供述
(エ) 関係者の各公判供述の信用性
(オ) 関係者の捜査段階における各供述の信用性
(カ) 小括
カ 総括
5 結論
(確定裁判)
(法令の適用)
(量刑の理由)
別紙

 

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政治と選挙Q&A「政治資金規正法 ポスター貼り(掲示交渉)代行」に関する裁判例一覧
(1)平成30年10月11日 東京高裁 平30(う)441号 政治資金規正法違反被告事件
(2)平成30年 6月27日 東京地裁 平27(特わ)2148号 各政治資金規正法違反被告事件
(3)平成30年 4月18日 東京高裁 平29(行コ)302号 埼玉県議会政務調査費返還請求控訴事件
(4)平成30年 3月30日 東京地裁 平27(ワ)37147号 損害賠償請求事件
(5)平成30年 3月20日 大阪高裁 平29(行コ)60号 補助金不交付処分取消等請求控訴事件
(6)平成30年 1月22日 東京地裁 平27(特わ)2148号 政治資金規正法違反被告事件
(7)平成29年12月14日 札幌高裁 平29(ネ)259号 損害賠償等請求控訴事件
(8)平成29年12月 8日 札幌地裁 平24(行ウ)3号 政務調査費返還履行請求事件
(9)平成29年 7月18日 奈良地裁 平29(わ)82号 虚偽有印公文書作成・同行使、詐欺、有印私文書偽造・同行使、政治資金規正法違反被告事件
(10)平成29年 3月28日 東京地裁 平25(ワ)28292号 謝罪広告等請求事件
(11)平成29年 3月28日 仙台地裁 平28(ワ)254号 損害賠償請求事件
(12)平成29年 3月15日 東京地裁 平27(行ウ)403号 地位確認等請求事件
(13)平成29年 1月26日 大阪地裁 平24(行ウ)197号・平26(行ウ)163号 補助金不交付処分取消等請求事件
(14)平成28年12月27日 奈良地裁 平27(行ウ)15号 奈良県議会会派並びに同議会議員に係る不当利得返還請求事件
(15)平成28年10月12日 大阪高裁 平28(ネ)1060号 損害賠償等請求控訴事件
(16)平成28年10月12日 東京地裁 平25(刑わ)2945号 業務上横領被告事件
(17)平成28年10月 6日 大阪高裁 平27(行コ)162号 不開示決定処分取消等請求控訴事件
(18)平成28年 9月13日 札幌高裁 平28(う)91号 事前収賄被告事件
(19)平成28年 8月31日 東京地裁 平25(ワ)13065号 損害賠償請求事件
(20)平成28年 7月26日 東京地裁 平27(ワ)22544号 損害賠償請求事件
(21)平成28年 7月19日 東京高裁 平27(ネ)3610号 株主代表訴訟控訴事件
(22)平成28年 7月 4日 東京地裁 平27(レ)413号 損害賠償請求控訴事件
(23)平成28年 4月26日 東京地裁 平27(ワ)11311号 精神的慰謝料及び損害賠償請求事件
(24)平成28年 2月24日 大阪高裁 平25(行コ)2号 行政文書不開示決定処分取消請求控訴事件
(25)平成28年 2月24日 大阪高裁 平24(行コ)77号 不開示決定処分取消請求控訴事件
(26)平成27年10月27日 岡山地裁 平24(行ウ)15号 不当利得返還請求事件
(27)平成27年10月22日 大阪地裁 平26(行ウ)186号 不開示決定処分取消等請求事件
(28)平成27年10月 9日 東京地裁 平27(特わ)853号 政治資金規正法違反被告事件
(29)平成27年 6月17日 大阪地裁 平26(行ウ)117号 公金支出金返還請求事件
(30)平成27年 5月28日 東京地裁 平23(ワ)21209号 株主代表訴訟事件
(31)平成27年 3月24日 東京地裁 平26(ワ)9407号 損害賠償等請求事件
(32)平成27年 2月26日 東京地裁 平26(行ウ)209号 政務調査費返還請求事件
(33)平成27年 2月 3日 東京地裁 平25(ワ)15071号 損害賠償等請求事件
(34)平成26年12月24日 横浜地裁 平26(行ウ)15号 損害賠償請求事件(住民訴訟)
(35)平成26年 9月25日 東京地裁 平21(ワ)46404号・平22(ワ)16316号 損害賠償(株主代表訴訟)請求事件(第2事件)、損害賠償(株主代表訴訟)請求事件(第3事件)
(36)平成26年 9月17日 知財高裁 平26(行ケ)10090号 審決取消請求事件
(37)平成26年 9月11日 知財高裁 平26(行ケ)10092号 審決取消請求事件
(38)平成26年 9月 3日 東京地裁 平25(行ウ)184号 政務調査費返還請求事件
(39)平成26年 4月 9日 東京地裁 平24(ワ)33978号 損害賠償請求事件
(40)平成26年 2月21日 宮崎地裁 平25(ワ)276号 謝罪放送等請求事件
(41)平成25年 7月19日 東京地裁 平22(ワ)37754号 謝罪広告等請求事件
(42)平成25年 6月19日 横浜地裁 平20(行ウ)19号 政務調査費返還履行等代位請求事件
(43)平成25年 3月28日 京都地裁 平20(行ウ)10号 不当利得返還等請求行為請求事件
(44)平成25年 2月28日 東京地裁 平22(ワ)47235号 業務委託料請求事件
(45)平成25年 1月23日 東京地裁 平23(ワ)39861号 損害賠償請求事件
(46)平成24年12月26日 東京地裁 平23(ワ)24047号 謝罪広告等請求事件
(47)平成24年11月12日 東京高裁 平24(う)988号 政治資金規正法違反被告事件
(48)平成24年 8月29日 東京地裁 平22(ワ)38734号 損害賠償請求事件
(49)平成24年 6月26日 仙台地裁 平21(行ウ)16号 公金支出差止請求事件
(50)平成24年 4月26日 東京地裁 平23(特わ)111号 政治資金規正法違反被告事件 〔陸山会事件・控訴審〕
(51)平成24年 2月29日 東京地裁 平21(行ウ)585号 公金支出差止請求事件
(52)平成24年 2月14日 東京地裁 平22(行ウ)323号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(53)平成24年 2月13日 東京地裁 平23(ワ)23522号 街頭宣伝行為等禁止請求事件
(54)平成24年 1月18日 横浜地裁 平19(行ウ)105号 政務調査費返還履行等代位請求事件
(55)平成23年11月16日 東京地裁 平21(ワ)38850号 損害賠償等請求事件
(56)平成23年 9月29日 東京地裁 平20(行ウ)745号 退会命令無効確認等請求事件
(57)平成23年 7月25日 大阪地裁 平19(ワ)286号・平19(ワ)2853号 損害賠償請求事件
(58)平成23年 4月26日 東京地裁 平22(行ウ)162号・平22(行ウ)448号・平22(行ウ)453号 在外日本人国民審査権確認等請求事件(甲事件)、在外日本人国民審査権確認等請求事件(乙事件)、在外日本人国民審査権確認等請求事件(丙事件)
(59)平成23年 4月14日 東京地裁 平22(ワ)20007号 損害賠償等請求事件
(60)平成23年 1月31日 東京高裁 平22(行コ)91号 損害賠償請求住民訴訟控訴事件
(61)平成23年 1月21日 福岡地裁 平21(行ウ)28号 政務調査費返還請求事件
(62)平成22年11月 9日 東京地裁 平21(行ウ)542号 政務調査費返還(住民訴訟)請求事件
(63)平成22年10月18日 東京地裁 平22(行ク)276号
(64)平成22年 9月30日 東京地裁 平21(行ウ)231号 報酬支出差止請求事件
(65)平成22年 9月 7日 最高裁第一小法廷 決定 平20(あ)738号 あっせん収賄、受託収賄、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律違反、政治資金規正法違反被告事件 〔鈴木宗男事件・上告審〕
(66)平成22年 4月13日 東京地裁 平20(ワ)34451号 貸金等請求事件
(67)平成22年 3月31日 東京地裁 平21(行ウ)259号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(68)平成22年 3月15日 東京地裁 平20(ワ)38604号 損害賠償請求事件
(69)平成22年 1月28日 名古屋地裁 平20(ワ)3188号 応援妨害予防等請求事件
(70)平成21年 6月17日 大阪高裁 平20(行コ)159号 政務調査費返還請求行為請求控訴事件
(71)平成21年 5月26日 東京地裁 平21(む)1220号 政治資金規正法被告事件
(72)平成21年 5月13日 東京地裁 平19(ワ)20791号 業務委託料請求事件
(73)平成21年 4月28日 大阪地裁 平19(わ)3456号 談合、収賄被告事件
(74)平成21年 2月25日 東京地裁 平19(行ウ)325号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(75)平成21年 1月28日 東京地裁 平17(ワ)9248号 損害賠償等請求事件
(76)平成20年12月 9日 東京地裁 平19(ワ)24563号 謝罪広告等請求事件
(77)平成20年11月12日 大阪高裁 平20(ネ)1189号・平20(ネ)1764号 債務不存在確認等請求控訴、会費請求反訴事件
(78)平成20年 9月 9日 東京地裁 平18(ワ)18306号 損害賠償等請求事件
(79)平成20年 8月 8日 東京地裁 平18(刑わ)3785号・平18(刑わ)4225号 収賄、競売入札妨害被告事件〔福島県談合汚職事件〕
(80)平成20年 7月14日 最高裁第一小法廷 平19(あ)1112号 政治資金規正法違反被告事件
(81)平成20年 3月27日 最高裁第三小法廷 平18(あ)348号 受託収賄被告事件 〔KSD事件〕
(82)平成20年 3月14日 和歌山地裁田辺支部 平18(ワ)167号 債務不存在確認等請求事件
(83)平成20年 2月26日 東京高裁 平16(う)3226号
(84)平成20年 1月18日 東京地裁 平18(ワ)28649号 損害賠償請求事件
(85)平成19年 8月30日 東京地裁 平17(ワ)21062号 地位確認等請求事件
(86)平成19年 8月30日 大阪地裁 平19(行ウ)83号 行政文書不開示決定処分取消等請求事件
(87)平成19年 8月10日 東京地裁 平18(ワ)19755号 謝罪広告等請求事件
(88)平成19年 8月10日 大阪地裁 平19(行ク)47号 仮の義務付け申立て事件
(89)平成19年 7月17日 神戸地裁尼崎支部 平17(ワ)1227号 総会決議一部無効確認等請求事件
(90)平成19年 5月10日 東京高裁 平18(う)2029号 政治資金規正法違反被告事件 〔いわゆる1億円ヤミ献金事件・控訴審〕
(91)平成19年 4月 3日 大阪地裁 平19(行ク)27号 執行停止申立て事件
(92)平成19年 3月28日 大阪地裁 平19(行ク)24号 仮の差止め申立て事件
(93)平成19年 2月20日 大阪地裁 平19(行ク)7号 執行停止申立て事件
(94)平成19年 2月 7日 新潟地裁長岡支部 平16(ワ)143号・平18(ワ)109号 損害賠償請求事件
(95)平成19年 2月 5日 東京地裁 平16(ワ)26484号 不当利得返還請求事件
(96)平成19年 1月31日 大阪地裁 平15(ワ)12141号・平15(ワ)13033号 権利停止処分等無効確認請求事件、除名処分無効確認請求事件 〔全日本建設運輸連帯労組近畿地本(支部役員統制処分等)事件〕
(97)平成18年11月14日 最高裁第三小法廷 平18(オ)597号・平18(受)726号 〔熊谷組株主代表訴訟事件・上告審〕
(98)平成18年 9月29日 大阪高裁 平18(ネ)1204号 地位不存在確認請求控訴事件
(99)平成18年 9月11日 東京地裁 平15(刑わ)4146号 各詐欺被告事件 〔偽有栖川詐欺事件〕
(100)平成18年 8月10日 大阪地裁 平18(行ウ)75号 行政文書不開示決定処分取消請求事件
(101)平成18年 3月30日 東京地裁 平16(特わ)5359号 政治資金規正法違反被告事件〔いわゆる1億円ヤミ献金事件・第一審〕
(102)平成18年 3月30日 京都地裁 平17(ワ)1776号・平17(ワ)3127号 地位不存在確認請求事件
(103)平成18年 1月11日 名古屋高裁金沢支部 平15(ネ)63号 熊谷組株主代表訴訟控訴事件 〔熊谷組政治献金事件・控訴審〕
(104)平成17年11月30日 大阪高裁 平17(ネ)1286号 損害賠償請求控訴事件
(105)平成17年 8月25日 大阪地裁 平17(行ウ)91号 行政文書不開示決定処分取消請求事件
(106)平成17年 5月31日 東京地裁 平16(刑わ)1835号・平16(刑わ)2219号・平16(刑わ)3329号・平16(特わ)5239号 贈賄、業務上横領、政治資金規正法違反被告事件 〔日本歯科医師会事件〕
(107)平成17年 4月27日 仙台高裁 平17(行ケ)1号 当選無効及び立候補禁止請求事件
(108)平成16年12月24日 東京地裁 平15(特わ)1313号・平15(刑わ)1202号・平15(特わ)1422号 政治資金規正法違反、詐欺被告事件 〔衆議院議員秘書給与詐取事件〕
(109)平成16年12月22日 東京地裁 平15(ワ)26644号 損害賠償等請求事件
(110)平成16年11月 5日 東京地裁 平14(刑わ)2384号・平14(特わ)4259号・平14(刑わ)2931号 あっせん収賄、受託収賄、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律違反、政治資金規正法違反被告事件 〔鈴木宗男事件・第一審〕
(111)平成16年 5月28日 東京地裁 平5(刑わ)2335号・平5(刑わ)2271号 贈賄被告事件 〔ゼネコン汚職事件〕
(112)平成16年 2月27日 東京地裁 平7(合わ)141号・平8(合わ)31号・平7(合わ)282号・平8(合わ)75号・平7(合わ)380号・平7(合わ)187号・平7(合わ)417号・平7(合わ)443号・平7(合わ)329号・平7(合わ)254号 殺人、殺人未遂、死体損壊、逮捕監禁致死、武器等製造法違反、殺人予備被告事件 〔オウム真理教代表者に対する地下鉄サリン事件等判決〕
(113)平成16年 2月26日 津地裁 平11(行ウ)1号 損害賠償請求住民訴訟事件
(114)平成16年 2月25日 東京地裁 平14(ワ)6504号 損害賠償請求事件
(115)平成15年12月 8日 福岡地裁小倉支部 平15(わ)427号・平15(わ)542号・平15(わ)725号 被告人Aに対する政治資金規正法違反、公職選挙法違反被告事件、被告人B及び同Cに対する政治資金規正法違反被告事件
(116)平成15年10月16日 大津地裁 平13(ワ)570号 会員地位不存在確認等請求事件
(117)平成15年10月 1日 さいたま地裁 平14(行ウ)50号 損害賠償代位請求事件
(118)平成15年 5月20日 東京地裁 平13(刑わ)710号 各受託収賄被告事件 〔KSD関連元労働大臣収賄事件判決〕
(119)平成15年 3月19日 横浜地裁 平12(行ウ)16号 損害賠償等請求事件
(120)平成15年 3月 4日 東京地裁 平元(刑わ)1047号・平元(刑わ)632号・平元(刑わ)1048号・平元(特わ)361号・平元(特わ)259号・平元(刑わ)753号 日本電信電話株式会社法違反、贈賄被告事件 〔リクルート事件(政界・労働省ルート)社長室次長関係判決〕
(121)平成15年 2月12日 福井地裁 平13(ワ)144号・平13(ワ)262号 各熊谷組株主代表訴訟事件 〔熊谷組政治献金事件・第一審〕
(122)平成15年 1月20日 釧路地裁帯広支部 平13(わ)15号 収賄被告事件
(123)平成15年 1月16日 東京地裁 平13(行ウ)84号 損害賠償請求事件 〔区長交際費支出損害賠償請求住民訴訟事件〕
(124)平成14年 4月22日 東京地裁 平12(ワ)21560号 損害賠償等請求事件
(125)平成14年 4月11日 大阪高裁 平13(ネ)2757号 社員代表訴訟等控訴事件 〔住友生命政治献金事件・控訴審〕
(126)平成14年 2月25日 東京地裁 平9(刑わ)270号 詐欺被告事件
(127)平成13年12月17日 東京地裁 平13(行ウ)85号 住民票不受理処分取消等請求事件
(128)平成13年10月25日 東京地裁 平12(ワ)448号 損害賠償請求事件
(129)平成13年10月11日 横浜地裁 平12(ワ)2369号 謝罪広告等請求事件 〔鎌倉市長名誉毀損垂れ幕訴訟判決〕
(130)平成13年 9月26日 東京高裁 平13(行コ)90号 公文書非公開処分取消請求控訴事件
(131)平成13年 7月18日 大阪地裁 平12(ワ)4693号 社員代表訴訟等事件 〔住友生命政治献金事件・第一審〕
(132)平成13年 7月18日 大阪地裁 平12(ワ)4692号・平12(ワ)13927号 社員代表訴訟等、共同訴訟参加事件 〔日本生命政治献金社員代表訴訟事件〕
(133)平成13年 5月29日 東京地裁 平9(ワ)7838号・平9(ワ)12555号 損害賠償請求事件
(134)平成13年 4月25日 東京高裁 平10(う)360号 斡旋贈収賄被告事件 〔ゼネコン汚職政界ルート事件・控訴審〕
(135)平成13年 3月28日 東京地裁 平9(ワ)27738号 損害賠償請求事件
(136)平成13年 3月 7日 横浜地裁 平11(行ウ)45号 公文書非公開処分取消請求事件
(137)平成13年 2月28日 東京地裁 平12(刑わ)3020号 詐欺、政治資金規正法違反被告事件
(138)平成13年 2月16日 東京地裁 平12(行ク)112号 住民票消除処分執行停止申立事件
(139)平成12年11月27日 最高裁第三小法廷 平9(あ)821号 政治資金規正法違反被告事件
(140)平成12年 9月28日 東京高裁 平11(う)1703号 公職選挙法違反、政党助成法違反、政治資金規正法違反、受託収賄、詐欺被告事件 〔元代議士受託収賄等・控訴審〕
(141)平成11年 7月14日 東京地裁 平10(特わ)3935号・平10(刑わ)3503号・平10(特わ)4230号 公職選挙法違反、政党助成法違反、政治資金規正法違反、受託収賄、詐欺被告事件 〔元代議士受託収賄等・第一審〕
(142)平成10年 6月26日 東京地裁 平8(行ウ)109号 課税処分取消請求事件 〔野呂栄太郎記念塩沢学習館事件〕
(143)平成10年 5月25日 大阪高裁 平9(行ケ)4号 当選無効及び立候補禁止請求事件 〔衆議院議員選挙候補者連座訴訟・第一審〕
(144)平成10年 4月27日 東京地裁 平10(ワ)1858号 損害賠償請求事件
(145)平成 9年10月 1日 東京地裁 平6(刑わ)571号・平6(刑わ)509号 斡旋贈収賄被告事件 〔ゼネコン汚職政界ルート事件・第一審〕
(146)平成 9年 7月 3日 最高裁第二小法廷 平6(あ)403号 所得税法違反被告事件
(147)平成 9年 5月21日 大阪高裁 平8(う)944号 政治資金規正法違反被告事件
(148)平成 9年 4月28日 東京地裁 平6(ワ)21652号 損害賠償等請求事件
(149)平成 9年 2月20日 大阪地裁 平7(行ウ)60号・平7(行ウ)70号 政党助成法に基づく政党交付金交付差止等請求事件
(150)平成 8年 9月 4日 大阪地裁 平7(わ)534号 政治資金規正法違反被告事件
(151)平成 8年 3月29日 東京地裁 平5(特わ)546号・平5(特わ)682号 所得税法違反被告事件
(152)平成 8年 3月27日 大阪高裁 平6(ネ)3497号 損害賠償請求控訴事件
(153)平成 8年 3月25日 東京高裁 平6(う)1237号 受託収賄被告事件 〔共和汚職事件・控訴審〕
(154)平成 8年 3月19日 最高裁第三小法廷 平4(オ)1796号 選挙権被選挙権停止処分無効確認等請求事件 〔南九州税理士会政治献金徴収拒否訴訟・上告審〕
(155)平成 8年 2月20日 名古屋高裁 平7(う)200号 政治資金規正法違反、所得税違反被告事件
(156)平成 7年11月30日 名古屋高裁 平7(う)111号 政治資金規正法違反、所得税法違反被告事件
(157)平成 7年10月25日 東京地裁 平5(ワ)9489号・平5(ワ)16740号・平6(ワ)565号 債務不存在確認請求(本訴)事件、謝罪広告請求(反訴)事件、不作為命令請求(本訴と併合)事件
(158)平成 7年 8月 8日 名古屋高裁 平7(う)35号 政治資金規正法違反、所得税法違反被告事件
(159)平成 7年 4月26日 名古屋地裁 平6(わ)116号 政治資金規正法違反、所得税法違反被告事件
(160)平成 7年 3月30日 名古屋地裁 平6(わ)1706号 政治資金規正法違反、所得税法違反被告事件
(161)平成 7年 3月20日 宮崎地裁 平6(ワ)169号 損害賠償請求事件
(162)平成 7年 2月24日 最高裁第二小法廷 平5(行ツ)56号 公文書非公開決定処分取消請求事件 〔政治資金収支報告書コピー拒否事件〕
(163)平成 7年 2月13日 大阪地裁 平6(わ)3556号 政治資金規正法違反被告事件 〔大阪府知事後援会ヤミ献金事件〕
(164)平成 7年 2月 1日 名古屋地裁 平6(わ)116号 所得税法違反被告事件
(165)平成 7年 1月26日 東京地裁 平5(行ウ)353号 損害賠償請求事件
(166)平成 6年12月22日 東京地裁 平5(ワ)18447号 損害賠償請求事件 〔ハザマ株主代表訴訟〕
(167)平成 6年12月 9日 大阪地裁 平5(ワ)1384号 損害賠償請求事件
(168)平成 6年11月21日 名古屋地裁 平5(わ)1697号・平6(わ)117号 政治資金規正法違反、所得税法違反被告事件
(169)平成 6年10月25日 新潟地裁 平4(わ)223号 政治資金規正法違反被告事件 〔佐川急便新潟県知事事件〕
(170)平成 6年 7月27日 東京地裁 平5(ワ)398号 謝罪広告等請求事件
(171)平成 6年 4月19日 横浜地裁 平5(わ)1946号 政治資金規正法違反・所得税法違反事件
(172)平成 6年 3月 4日 東京高裁 平4(う)166号 所得税法違反被告事件 〔元環境庁長官脱税事件・控訴審〕
(173)平成 6年 2月 1日 横浜地裁 平2(ワ)775号 損害賠償請求事件
(174)平成 5年12月17日 横浜地裁 平5(わ)1842号 所得税法違反等被告事件
(175)平成 5年11月29日 横浜地裁 平5(わ)1687号 所得税法違反等被告事件
(176)平成 5年 9月21日 横浜地裁 平5(わ)291号・平5(わ)182号・平5(わ)286号 政治資金規正法違反、所得税法違反、有印私文書偽造・同行使、税理士法違反被告事件
(177)平成 5年 7月15日 福岡高裁那覇支部 平4(行ケ)1号 当選無効等請求事件
(178)平成 5年 5月28日 徳島地裁 昭63(行ウ)12号 徳島県議会県政調査研究費交付金返還等請求事件
(179)平成 5年 5月27日 最高裁第一小法廷 平元(オ)1605号 会費一部返還請求事件 〔大阪合同税理士会会費返還請求事件・上告審〕
(180)平成 4年12月18日 大阪高裁 平3(行コ)49号 公文書非公開決定処分取消請求控訴事件 〔大阪府公文書公開等条例事件・控訴審〕
(181)平成 4年10月26日 東京地裁 平4(む)615号 準抗告申立事件 〔自民党前副総裁刑事確定訴訟記録閲覧請求事件〕
(182)平成 4年 4月24日 福岡高裁 昭62(ネ)551号・昭61(ネ)106号 選挙権被選挙権停止処分無効確認等請求控訴、附帯控訴事件 〔南九州税理士会政治献金徴収拒否訴訟・控訴審〕
(183)平成 4年 2月25日 大阪地裁 昭62(わ)4573号・昭62(わ)4183号・昭63(わ)238号 砂利船汚職事件判決
(184)平成 3年12月25日 大阪地裁 平2(行ウ)6号 公文書非公開決定処分取消請求事件 〔府公文書公開条例事件〕
(185)平成 3年11月29日 東京地裁 平2(特わ)2104号 所得税法違反被告事件 〔元環境庁長官脱税事件・第一審〕
(186)平成 2年11月20日 東京高裁 昭63(ネ)665号 損害賠償等請求控訴事件
(187)平成元年 8月30日 大阪高裁 昭61(ネ)1802号 会費一部返還請求控訴事件 〔大阪合同税理士会会費返還請求訴訟・控訴審〕
(188)昭和63年 4月11日 最高裁第三小法廷 昭58(あ)770号 贈賄被告事件 〔大阪タクシー汚職事件・上告審〕
(189)昭和62年 7月29日 東京高裁 昭59(う)263号 受託収賄、外国為替及び外国貿易管理法違反、贈賄、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律違反被告事件 〔ロッキード事件丸紅ルート・控訴審〕
(190)昭和61年 8月21日 大阪地裁 昭55(ワ)869号 会費一部返還請求事件 〔大阪合同税理士会会費返還請求事件・第一審〕
(191)昭和61年 5月16日 東京高裁 昭57(う)1978号 ロツキード事件・全日空ルート〈橋本関係〉受託収賄被告事件 〔ロッキード事件(全日空ルート)・控訴審〕
(192)昭和61年 5月14日 東京高裁 昭57(う)1978号 受託収賄被告事件 〔ロッキード事件(全日空ルート)・控訴審〕
(193)昭和61年 2月13日 熊本地裁 昭55(ワ)55号 選挙権被選挙権停止処分無効確認等請求事件 〔南九州税理士会政治献金徴収拒否訴訟・第一審〕
(194)昭和59年 7月 3日 神戸地裁 昭59(わ)59号 所得税法違反被告事件
(195)昭和59年 3月 7日 神戸地裁 昭57(行ウ)24号 市議会各会派に対する市会調査研究費等支出差止住民訴訟事件
(196)昭和57年 7月 6日 大阪簡裁 昭56(ハ)5528号 売掛金代金請求事件
(197)昭和57年 6月 8日 東京地裁 昭51(刑わ)4312号・昭51(刑わ)4311号 受託収賄事件 〔ロッキード事件(全日空ルート)(橋本・佐藤関係)〕
(198)昭和57年 5月28日 岡山地裁 昭54(わ)566号 公職選挙法違反被告事件
(199)昭和56年 3月 3日 東京高裁 昭54(う)2209号・昭54(う)2210号 地方自治法違反被告事件
(200)昭和55年 3月10日 東京地裁 昭53(特わ)1013号・昭53(特わ)920号 法人税法違反被告事件
(201)昭和54年 9月20日 大阪地裁 昭43(わ)121号 贈賄、収賄事件 〔大阪タクシー汚職事件・第一審〕
(202)昭和54年 5月29日 水戸地裁 昭46(わ)198号 地方自治法違反被告事件
(203)昭和53年11月20日 名古屋地裁 決定 昭52(ヨ)1908号・昭52(ヨ)1658号・昭52(ヨ)1657号 仮処分申請事件 〔日本共産党員除名処分事件〕
(204)昭和53年 8月29日 最高裁第三小法廷 昭51(行ツ)76号 損害賠償請求事件
(205)昭和51年 4月28日 名古屋高裁 昭45(行コ)14号 損害賠償請求控訴事件
(206)昭和50年10月21日 那覇地裁 昭49(ワ)111号 損害賠償請求事件
(207)昭和48年 2月24日 東京地裁 昭40(ワ)7597号 謝罪広告請求事件
(208)昭和47年 3月 7日 最高裁第三小法廷 昭45(あ)2464号 政治資金規制法違反
(209)昭和46年 9月20日 東京地裁 昭43(刑わ)2238号・昭43(刑わ)3482号・昭43(刑わ)3031号・昭43(刑わ)3027号・昭43(刑わ)2002号・昭43(刑わ)3022号 業務上横領、斡旋贈賄、贈賄、斡旋収賄、受託収賄各被告事件 〔いわゆる日通事件・第一審〕
(210)昭和45年11月14日 札幌地裁 昭38(わ)450号 公職選挙法違反・政治資金規正法違反被告事件
(211)昭和45年11月13日 高松高裁 昭44(う)119号 政治資金規正法違反被告事件
(212)昭和45年 7月11日 名古屋地裁 昭42(行ウ)28号 損害賠償請求事件
(213)昭和45年 3月 2日 長野地裁 昭40(行ウ)14号 入場税等賦課決定取消請求事件
(214)昭和43年11月12日 福井地裁 昭41(わ)291号 収賄・贈賄被告事件
(215)昭和42年 7月11日 東京地裁 昭42(行ク)28号 行政処分執行停止申立事件
(216)昭和42年 7月10日 東京地裁 昭42(行ク)28号 行政処分執行停止申立事件
(217)昭和41年10月24日 東京高裁 昭38(ナ)6号・昭38(ナ)7号・昭38(ナ)5号・昭38(ナ)11号・昭38(ナ)10号 裁決取消、選挙無効確認併合事件 〔東京都知事選ニセ証紙事件・第二審〕
(218)昭和41年 1月31日 東京高裁 昭38(ネ)791号 取締役の責任追及請求事件 〔八幡製鉄政治献金事件・控訴審〕
(219)昭和40年11月26日 東京高裁 昭39(う)642号 公職選挙法違反被告事件
(220)昭和39年12月15日 東京地裁 昭38(刑わ)2385号 公職選挙法違反、公記号偽造、公記号偽造行使等事件
(221)昭和39年 3月11日 東京高裁 昭38(う)2547号 公職選挙法違反被告事件
(222)昭和38年 4月 5日 東京地裁 昭36(ワ)2825号 取締役の責任追求事件 〔八幡製鉄政治献金事件・第一審〕
(223)昭和37年12月25日 東京地裁 昭30(ワ)1306号 損害賠償請求事件
(224)昭和37年 8月22日 東京高裁 昭36(う)1737号
(225)昭和37年 8月16日 名古屋高裁金沢支部 昭36(う)169号 公職選挙法違反事件
(226)昭和37年 4月18日 東京高裁 昭35(ナ)15号 選挙無効確認請求事件
(227)昭和35年 9月19日 東京高裁 昭34(ナ)2号 選挙無効確認請求事件
(228)昭和35年 3月 2日 札幌地裁 昭32(わ)412号 受託収賄事件
(229)昭和34年 8月 5日 東京地裁 昭34(行)27号 政党名削除制限抹消の越権不法指示通牒取消確認請求事件
(230)昭和32年10月 9日 最高裁大法廷 昭29(あ)499号 国家公務員法違反被告事件
(231)昭和29年 5月20日 仙台高裁 昭29(う)2号 公職選挙法違反事件
(232)昭和29年 4月17日 札幌高裁 昭28(う)684号・昭28(う)681号・昭28(う)685号・昭28(う)682号・昭28(う)683号 政治資金規