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政治と選挙Q&A「政治資金規正法 ポスター貼り(掲示交渉)代行」に関する裁判例(118)平成15年 5月20日 東京地裁 平13(刑わ)710号 各受託収賄被告事件 〔KSD関連元労働大臣収賄事件判決〕

政治と選挙Q&A「政治資金規正法 ポスター貼り(掲示交渉)代行」に関する裁判例(118)平成15年 5月20日 東京地裁 平13(刑わ)710号 各受託収賄被告事件 〔KSD関連元労働大臣収賄事件判決〕

裁判年月日  平成15年 5月20日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平13(刑わ)710号
事件名  各受託収賄被告事件 〔KSD関連元労働大臣収賄事件判決〕
裁判結果  有罪  上訴等  控訴  文献番号  2003WLJPCA05200002

要旨
◆元労働大臣である参議院議員が、参議院本会議の内閣総理大臣に対する代表質問においていわゆる職人大学設置のため有利な取り計らいを求める質問をされたい旨、及び他の国会議員に対し国会審議の場において職人大学設置を支援する活動を行うよう勧誘説得されたい旨の各請託を受け、その報酬として現金等を収受した事案について、各請託と議員の職務との関連性について判断し、受託収賄罪が成立するとされた事例
◆元労働大臣である参議院議員が、筆頭秘書と共謀の上、中小企業経営者の災害補償事業等を行う財団法人ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団(通称KSD)の理事長から、いわゆる職人大学設置構想の推進を図る代表質問及び他の国会議員への勧誘説得に関する各請託を受けて、現金合計七二八八万円を収受した事案について、元労働大臣が懲役二年二月の実刑に、筆頭秘書が懲役一年六月、三年間執行猶予に処せられた事例

裁判経過
上告審 平成20年 3月27日 最高裁第三小法廷 決定 平18(あ)348号 受託収賄被告事件 〔KSD事件〕
控訴審 平成17年12月19日 東京高裁 判決 平15(う)1892号 受託収賄被告事件 〔KSD事件・控訴審〕

出典
判時 1832号39頁

評釈
中村芳生・警察公論 59巻4号65頁

参照条文
刑法197条1項
裁判官
中谷雄二郎 (ナカタニユウジロウ) 第30期 現所属 定年退官
平成27年11月28日 ~ 定年退官
平成25年3月2日 ~ 大阪高等裁判所(部総括)
~ 平成25年3月1日 大分地方裁判所(所長)、大分家庭裁判所(所長)
平成22年4月1日 ~ 東京高等裁判所
平成17年2月15日 ~ 平成22年3月31日 さいたま地方裁判所(部総括)、さいたま家庭裁判所(部総括)
平成12年1月4日 ~ 平成17年2月14日 東京地方裁判所(部総括)
平成10年4月1日 ~ 平成12年1月3日 東京高等裁判所
平成6年4月1日 ~ 平成10年3月31日 最高裁判所調査官
平成3年4月1日 ~ 平成6年3月31日 大阪地方裁判所
~ 平成3年3月31日 東京地方裁判所

横山泰造 (ヨコヤマタイゾウ) 第46期 現所属 さいたま地方裁判所川越支部、さいたま家庭裁判所川越支部
平成29年1月7日 ~ さいたま地方裁判所川越支部、さいたま家庭裁判所川越支部
平成26年4月1日 ~ さいたま地方裁判所、さいたま家庭裁判所
平成23年4月1日 ~ 松江地方裁判所(部総括)、松江家庭裁判所(部総括)
平成22年4月1日 ~ 平成23年3月31日 東京地方裁判所
平成19年4月1日 ~ 平成22年3月31日 東京高等裁判所
平成16年4月1日 ~ 平成19年3月31日 盛岡地方裁判所一関支部、盛岡家庭裁判所一関支部
平成13年8月1日 ~ 平成16年3月31日 東京地方裁判所
平成11年4月1日 ~ 平成13年7月31日 釧路地方裁判所帯広支部、釧路家庭裁判所帯広支部
平成8年4月1日 ~ 平成11年3月31日 福井地方裁判所、福井家庭裁判所
平成6年4月13日 ~ 平成8年3月31日 大阪地方裁判所

蛯原意 (エビハラモトイ) 第53期 現所属 司法研究所教官
平成28年8月1日 ~ 司法研究所教官
平成27年4月1日 ~ 千葉地方裁判所、千葉家庭裁判所
平成24年4月1日 ~ 大阪地方裁判所
~ 平成24年3月31日 東京地方裁判所
平成18年7月1日 ~ 盛岡家庭裁判所、盛岡地方裁判所
平成16年7月19日 ~ 依願退官(退官後、衆議院法制局に出向)
平成12年10月18日 ~ 平成16年7月18日 東京地方裁判所

関連判例
平成14年 3月26日 東京地裁 判決 平12(刑わ)3744号・平12(刑わ)4023号・平13(刑わ)472号・平13(刑わ)710号 業務上横領、背任、贈賄被告事件 〔中小企業の災害補償共済事業等を行う財団法人理事長等による参議院議員等への贈賄等事件判決〕
平成14年 3月 1日 東京地裁 判決 平13(刑わ)472号・平13(刑わ)710号 贈賄被告事件 〔中小企業の災害補償共済事業等を行う財団法人理事長等による参議院議員等への贈賄等事件判決〕
平成 9年10月 1日 東京地裁 判決 平6(刑わ)509号・平6(刑わ)571号 斡旋贈収賄被告事件 〔ゼネコン汚職政界ルート事件・第一審〕
平成 9年 3月24日 東京高裁 判決 平7(う)705号 受託収賄被告事件 〔リクルート事件政界ルート藤波元内閣官房長官関係・控訴審〕
平成元年11月 6日 東京地裁 判決 昭61(刑わ)1041号・昭61(刑わ)1042号 受託収賄、収賄被告事件 〔撚糸工連汚職事件・第一審〕
昭和63年 4月11日 最高裁第三小法廷 決定 昭58(あ)770号 贈賄被告事件 〔大阪タクシー汚職事件・上告審〕
昭和60年 6月11日 最高裁第一小法廷 決定 昭58(あ)194号 受託収賄被告事件
昭和31年 2月 7日 東京高裁 判決 昭28(う)2138号 収賄被告事件

Westlaw作成目次

主文
理由
(罪となるべき事実)
第一 被告人Aは、平成八年一月一〇…
第二 被告人Aは、前記第一記載の各…
(事実認定の補足説明)
第一 本件の争点
一 弁護人は、次のように主張して…
二 そこで、以下、当裁判所が判示…
第二 判断の前提となるべき事実関係
一 被告人両名の経歴等
二 KSD等関連団体の概要並びに…
三 KSD等と被告人Aとの関わり
四 職人大学の設置に至る経緯
第三 本件代表質問に関する請託の有…
一 問題の所在
二 本件代表質問前後の状況
三 Mの公判供述の信用性
四 弁護人の主張に対する判断
五 総括
第四 他の国会議員に対する勧誘説得…
一 問題の所在
二 本件訴因と勧誘説得請託との関係
三 勧誘説得請託に関するM供述の…
四 弁護人の主張に対する判断
五 まとめ
六 勧誘説得請託と参議院議員の職…
第五 罪となるべき事実第一の事実に…
一 問題の所在
二 本件家賃提供に至る経緯、提供…
三 本件家賃提供の趣旨
四 被告人両名の本件家賃提供の趣…
五 総括
第六 罪となるべき事実第二の事実に…
一 問題の所在
二 本件現金授受に関するM供述及…
三 本件資金提供の申入れに関する…
四 本件資金提供の趣旨に関するM…
五 総括
第七 結論
(法令の適用等)
一 法令の適用
(1) 被告人Aについて、罪となるべ…
(2) 被告人Bについて、罪となるべ…
(3) 被告人両名に対し、同法二一条…
(4) 罪となるべき事実第一の犯行に…
(5) 訴訟費用のうち、証人C、同D…
二 追徴の可否について
(1) 弁護人は、罪となるべき事実第…
(2) しかし、前認定のとおり、被告…
(3) したがって、弁護人の前記主張…
(量刑の理由)
一 本件は、参議院議員であった被…
二 (1) ところで、代表質問は…
(1) ところで、代表質問は、内閣総…
(2) さらに、国会議員は、いうまで…
(3) そうすると、本件各請託の内容…
三 (1) 犯行の態様についてみ…
(1) 犯行の態様についてみても、罪…
(2) 犯行の結果も、前記のように、…
(3) さらに、被告人両名は、本件各…
四 他方、被告人両名のために酌む…
(1) 本件各犯行はいずれも贈賄側か…
(2) 被告人Aが職人大学の設置を積…
(3) さらに、被告人Aは、犯行の発…
五 次に、被告人Aの個別情状につ…
(1) 被告人Aは、罪となるべき事実…
(2) 他方、被告人Aは、二〇年以上…
(3) しかし、本件犯行の悪質さ、収…
六 最後に、被告人Bの個別情状に…
(1) 被告人Bは、被告人Aの筆頭秘…
(2) 他方、被告人Bについても、本…
(3) そして、以上にみたような被告…

裁判年月日  平成15年 5月20日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平13(刑わ)710号
事件名  各受託収賄被告事件 〔KSD関連元労働大臣収賄事件判決〕
裁判結果  有罪  上訴等  控訴  文献番号  2003WLJPCA05200002

本籍 《省略》
住居 《省略》
職業 無職(元参議院議員) A
昭和七年八月二一日生
本籍 《省略》
住居 《省略》
職業 無職(元政策担当秘書) B
昭和二一年一一月二七日生

上記の者らに対する各受託収賄被告事件について、当裁判所は、検察官中井國緒、同竹中理比古及び同小出幹並びに弁護人小林英明(主任)、同鈴木祐一、同田治之佳、同佐々木貴教、同角谷裕史、同押久保公人及び同佐内俊之(いずれも被告人両名関係)各出席の上審理し、次のとおり判決する。

 

 

主文

被告人Aを懲役二年二月に、被告人Bを懲役一年六月にそれぞれ処する。
被告人両名に対し、未決勾留日数中各七〇日をそれぞれその刑に算入する。
被告人Bに対し、この裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予する。
被告人Aから金七二八八万円を追徴する。
訴訟費用のうち、証人C、同D及び同Eに関する分は被告人Aの負担とし、証人F、同G子、同H、同I、同J、同K及び同Lに関する分は被告人両名の連帯負担とする。

 

 

理由

(罪となるべき事実)
被告人Aは、昭和五五年七月八日から平成一三年二月二六日まで参議院議員を務め、同院の本会議や常任委員会等において議題等につき国務大臣等に対して質疑し、討論を行い、表決に加わるなどの職務を行っていた者、被告人Bは、平成七年一〇月二五日から平成一三年二月二六日まで被告人Aの政策担当秘書を務めていた者である。
第一  被告人Aは、平成八年一月一〇日、東京都千代田区永田町《番地省略》所在の参議院議員会館(以下「議員会館」という。)七三一号室において、また、同月二二日にも、同都墨田区向島《番地省略》所在の料亭「A野」において、いずれも、いわゆる職人を育成するための大学(以下「職人大学」ともいう。)の設置を目指してその準備を進めていた財団法人国際技能振興財団(以下、略称を用いて「KGS」という。)の会長理事としてKGSの業務全般を統括するとともに、中小企業の社会的・経済的な発展向上を図るために必要な政治活動を行うことを目的としていた政治団体である豊明会中小企業政治連盟(以下「豊政連」という。)を実質的に主宰していたMから、同月二五日に開かれる参議院本会議において、被告人Aが内閣総理大臣の演説に対して質疑するに当たり、国策として上記のような大学の設置を支援するよう提案するなど職人大学設置のため有利な取り計らいを求める質問をされたい旨の請託をそれぞれ受けた。
さらに、被告人Aは、同年六月上旬ころ、上記議員会館七三一号室又は同都千代田区永田町《番地省略》所在の参議院内にある自由民主党幹事長室(以下「幹事長室」という。)において、他の参議院議員を含む国会議員に対しその所属する委員会等における国会審議の場において国務大臣等に職人大学設置のため有利な取り計らいを求める質疑等の職人大学設置を支援する活動を行うよう勧誘説得されたい旨の請託を受けた。
そして、被告人Aは、これらの請託を受けたことなどの報酬として供与されるものであることを知りながら、また、被告人Bは、被告人Aが上記のように他の国会議員に対し国会審議の場において職人大学設置を支援する活動を行うよう勧誘説得されたい旨の請託を受け、その報酬として供与されるものであることを知りながら、被告人両名は、共謀の上、同月中旬ころ、被告人Bが、豊政連事務総長としてMの意を受けて被告人Aとの折衝に当たっていたNとの間で、被告人Aが実質的に賃借している同区永田町《番地省略》所在のB山ビル七〇一号室及び七〇二号室の賃料相当額として、月額八八万円の供与を受けることを合意した上、この合意に基づき、同月二五日から同年一一月二五日までの間、別紙一覧表番号一ないし六記載のとおり、前後六回にわたり、M及びNの指示を受けた豊政連会計責任者Fから、議員会館内の当時の株式会社大和銀行参議院支店に開設された「C川会B」名義の普通預金口座に合計五二八万円の振込送金を受け、さらに、同年一二月二五日ころから平成一〇年七月二九日ころまでの間、別紙一覧表番号七ないし二六記載のとおり、前後二〇回にわたり、B山ビル七〇一号室外一箇所において、被告人Bが、Nから現金合計一七六〇万円の交付を受け、もって、被告人Aの前記職務に関し、請託を受けて賄賂を収受した。
第二  被告人Aは、前記第一記載の各請託を受け、これらの請託を受けたことなどの報酬として供与されるものであることを知りながら、平成八年一〇月二日ころ、前記議員会館七三一号室において、Mから、現金五〇〇〇万円の交付を受け、もって、自己の前記職務に関し、請託を受けて賄賂を収受した。
(証拠の標目)《省略》
(事実認定の補足説明)
第一  本件の争点
一  弁護人は、次のように主張して、罪となるべき事実すべてにつき被告人両名は共に無罪である旨主張し、被告人両名はいずれも、捜査公判を通じて、おおむね弁護人の主張に沿った供述をしている。すなわち、
(1) 被告人Aについて
ア 被告人Aが判示の各請託を受けた事実はいずれもないし、仮にこのような請託があったとしても、被告人Aの職務権限に属するものではない。
イ 罪となるべき事実第一について、M及びNから判示の月額八八万円の金員の提供を受けていた事実は争わないが、被告人Aは、このような金員提供の事実を知らなかったし、その収受について被告人Bと共謀したこともない。また、この金員収受の趣旨は、判示の各請託を受けたことの報酬ではなかったし、仮に被告人Aがこの金員収受を認識していたと認定されたとしても、賄賂であるとの認識はなかった。
ウ 同第二について、被告人Aが現金五〇〇〇万円の供与を受けた事実はなく、仮に被告人Aが五〇〇〇万円の供与を受けたと認定されたとしても、その趣旨は判示の各請託を受けたことの報酬ではなく、被告人Aには賄賂であるとの認識がなかった。
(2) 被告人Bについて
被告人Bは、罪となるべき事実第一について、判示の金員提供を受けるに当たって被告人Aと共謀をしておらず、その金員提供の趣旨は判示の各請託を受けたことの報酬ではなかった。
二  そこで、以下、当裁判所が判示の各罪となるべき事実をいずれも認めた理由について、弁護人の前記主張に即しつつ、補足して説明する。
第二  判断の前提となるべき事実関係
関係各証拠によると、以下の事実を認めることができる。
一  被告人両名の経歴等
(1) 被告人Aは、参議院議員の公設秘書を務めるなどした後、昭和五五年七月施行の参議院議員通常選挙(以下「参議院議員選挙」という。)の全国区に自由民主党(以下「自民党」という。)の候補者として立候補して初当選し、それ以降、昭和六一年、平成四年、平成一〇年の各参議院議員選挙において比例代表区で連続当選した。また、被告人Aは、平成四年一二月から平成五年八月まで労働大臣を、平成七年三月から平成一〇年七月まで参議院自由民主党(以下「参議院自民党」という。)幹事長をそれぞれ務め、平成一一年七月に参議院自民党会長に就任したが、平成一三年二月二六日、本件の疑惑が出たことを契機として参議院議員を辞職した。(甲一〇六、乙一)
(2) 被告人Bは、被告人Aと同郷の出身であり、かつ、大学の後輩に当たり、さらに、被告人Aの妻の実弟でもあるところ、昭和五五年に被告人Aが初当選を果たしたことから、それまでの勤務先を退職して、被告人Aの公設秘書になり、平成七年一〇月、政策担当秘書の資格を得たが、被告人Aの議員辞職に伴い、平成一三年二月二六日、失職した。(甲一〇六、乙一六、被告人B一八回)
(3) 被告人Aは、本件当時、参議院自民党幹事長として、主として参議院内にある幹事長室で執務していたが、参議院議員として割り当てられた前記議員会館七三一号室(以下「議員会館事務所」という。)を事務所として使用していたほか、平成二年一月三一日以降、B山ビル七〇一号室及び七〇二号室(以下、この二室を「B山事務所」という。)を賃借して事務所として使用するようになり、それぞれに秘書を配置していた。そして、当初は、被告人Aの公設第一秘書又は政策担当秘書を務めていたOに他の秘書を統括させて事務を処理させ、平成七年七月にOが参議院議員選挙に立候補して初当選した後は、政策担当秘書となった被告人BをB山事務所で勤務させて、他の秘書を統括させていた。(甲六一、六五、六八、乙八、一八、二七、M四回、被告人B一八回、被告人A二〇回)
二  KSD等関連団体の概要並びにM及びNの経歴
(1) Mは、昭和四〇年に共済制度による中小企業経営者の災害補償事業を始め、昭和四四年には、財団法人中小企業経営者災害補償事業団を設立して、福利厚生等にも事業を拡張した。同財団は、昭和五六年に主務官庁が労働省(当時。以下同じ)となり、その後、首都圏に事業地域を拡張し、金融機関との提携も契機となって会員数が急激に増加した。Mは、昭和六〇年に同財団の理事長に就任し、平成六年に同財団の名称を「財団法人ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団」に変更した(以下、名称変更の前後を問わず、略称を用いて「KSD」という。)。KSDは、その後も事業地域を拡大して全国的規模で事業を営むようになり、平成一二年三月末時点で、会員事業所数約六二万件、加入者数約一〇七万人に上っていた。(甲二四、二五、一一七)
(2) Mは、昭和五八年、KSDの会員である中小企業経営者の福利厚生事業の充実を図るため、任意団体であるKSD豊明会(以下「豊明会」という。)を組織し、その後、その会長に就任した。さらに、Mは、平成二年九月、中小企業全体の社会的・経済的な発展向上を図るために必要な政治活動を行うことを目的として、豊明会を母体に、政治資金規正法上の届出をした政治団体である豊政連(豊明会中小企業政治連盟)を設立した。(甲二五、四五、M四回)
(3) 豊政連は、規約上は、総裁が代表者とされ、会員の会費等によって運営することとされていたが、その会員はすべて豊明会会員であり、収入のほぼ全額を年間数十億円にも上る豊明会からの補助金に依存しており、顧問の立場にあったMが実質的に主宰していた。また、豊明会も、収入の大半をKSDからの補助金に依存していたところ、豊明会及び豊政連は、Mが日ごろ勤務していたKSD理事長室(以下「理事長室」という。)のあるKSDビルから歩いて数分以内の距離にある同じビルの同じフロアにいずれも事務所が設けられていた。(甲三六、四五、F八回、C八回)
(4) さらに、Mは、平成三年一二月に、外国人技能実習生の受入機関として「財団法人中小企業国際人材育成事業団」(以下、略称を用いて「アイム・ジャパン」という。)を、平成八年三月にKGS(財団法人国際技能振興財団)をそれぞれ設立して、いずれも代表者に就任していた(以下、KSD及びその傘下の豊明会、豊政連、アイム・ジャパン、KGS等を総称して「KSD等」ということがある。)。(甲二四、一一五)
(5) Nは、昭和五六年から平成三年まで国会議員の秘書を務め、同年二月に、Mの誘いを受けて豊政連の事務総長兼幹事長に就任した者であるが、本件当時、KSD等に関する政治活動についてのMの相談相手になるとともに、国会議員に対する連絡や陳情等を行い、豊政連の政治的なイベントについても、中心となってその準備をしていた。(甲三四、三五、N三回、M四回)
三  KSD等と被告人Aとの関わり
(1) Mは、平成二年九月、豊政連を設立してKSDの会員である中小企業の利益のために精力的に政治活動をしていたところ、そのころ、被告人Aの公設秘書であったOと知り合い、KSDが有力な支援団体になり得ると考えたOから、被告人Aを紹介されたことから、被告人Aと面識を持つに至った。そして、被告人Aも、中小企業の問題に関心を有していたことから、MやNから具体的に報告や相談を受けるなどして、Mらが希望する政策の実現に協力するようになった。(乙三、二〇、M四回、被告人B一九回、被告人A二〇回)
(2) 平成三年四月、被告人Aも発起人の一人となって、中小企業が抱えている様々な問題の解決を目的として中小企業経営問題議員連盟(以下、国会議員の議員連盟を一般的に「議連」ということがある。)が結成され、被告人Aが同議連の幹事長に就任した。その後、平成七年に、被告人Aが会長、参議院議員となったOが事務局長にそれぞれ就任したが、同議連は、KSD関係者や同議連所属の国会議員らの間では「豊明議連」と呼ばれることもあった(以下、同議連を「豊明議連」ということがある。)。
Mらは、豊明議連結成当時、中小企業の労働力確保等の観点から、中小企業において外国人を技能実習生として受け入れることを企図しており、平成三年一二月、そのための受入機関としてアイム・ジャパンを設立していたところ、被告人Aは、同議連の中心人物として熱心にMらに協力し、同議連に所属する他の国会議員らと共に関係省庁に働きかけるなどしたほか、国会審議の場でも、平成四年初頭、内閣総理大臣に対する質問において、研修制度を根幹とした外国人労働者の受入体制を確立しなければならない旨訴えるなどした。そうしたところ、平成五年四月、新たに「外国人技能実習制度」が設けられるとともに、アイム・ジャパンにおいて外国人技能実習生の受入事業を開始することになった。(甲二〇、三六、弁四〇、乙三、N二、三回、M四回、P六回、K一四、一五回、被告人A二〇、二一回)
(3) Mらは、平成六年三月、被告人Aを招き「中小企業総決起大会」という集会を開催して、国会に中小企業対策を審議するための特別委員会の設置を求める約五七万人の請願を採択し、被告人Aがこれらの請願の紹介議員となったこともあって、同年九月には、参議院に「中小企業対策特別委員会」が設置された。Mは、同委員会設立以降、折に触れ、同委員会における発言の機会が得られるように被告人Aに依頼していたところ、平成七年六月一三日、参考人として発言する機会を得て、後記の職人大学設置構想のほか、中小企業の劣悪な労働環境や中小企業のための規制緩和について意見を述べた。
また、Mは、平成六年一一月中旬ころや平成一〇年二月ころなどに、東京ドーム等において、「KSD三〇周年記念大会」や「中小企業総決起大会」等の名称で数万人規模の会員等を集めて集会を開催したほか、平成七年六月には、豊明会及び豊政連も主催者となって、被告人Aの参議院自民党幹事長就任等を祝う会を開催するなどしたが、被告人Aは、他の国会議員らと共にこれらの集会に来賓として招かれて挨拶をし、あるいは、KSD等の機関誌等に頻繁に挨拶文を掲載するなどしていた。(甲三、二六、乙三、弁四二、N三回、M四、五回、被告人A二一回)
(4) また、被告人Aは、参議院労働委員会及び自民党の労働部会には所属していなかったものの、元労働大臣として労働行政に深い理解を示していた上、平成七年三月以降は参議院自民党幹事長という要職にあったため、労働省では、労働大臣退任後も、同省が実質的に作成した法案や予算案を国会に提案する際、官房長か担当の局長が被告人Aに対して案件の説明を行い、国会審議における協力を求めるなどしていた。そして、労働省幹部の中には、被告人Aを介してMと面識を有するに至った者もおり、平成七、八年当時、Mと被告人Aが親しく付き合っていることは、労働省内においても広く知られていた。(甲三、七、乙一四)
(5)ア MやNらは、前記のような被告人Aの支援に対し一貫して感謝の念を抱いており、殊にMは、平成八年二月に衆議院予算委員会における参考人としての意見陳述の機会を得た際、これも被告人Aの働きかけによるものと理解して、更に感謝の念を深め、全面的に被告人Aを支援していた。
すなわち、平成四年七月の参議院議員選挙において、自民党では、立候補者が集めた後援会員の署名数や推薦党員の数が、参議院比例代表区の候補者名簿の登載順位を決める要素の一つとされたため、Mらは、KSDを中心に一〇〇万人近い後援会員の署名及び約七万人の推薦党員を確保し、被告人Aは、自民党の名簿の三位に登載されて当選を果たした。また、平成七年七月の参議院議員選挙に、Oが比例区から立候補したところ、Mらは、Oのためにも後援会員の署名及び推薦党員を集め、Oは、名簿の一二位に登載されて初当選を果たし、さらに、平成一〇年七月の参議院議員選挙でも、Mらは、被告人Aのために約二〇万人の後援会員及び約九万人の推薦党員を確保し、被告人Aは、名簿の二位に登載されて改選を果たした。
さらに、豊政連では、被告人Aの政治資金パーティーについても、Nが被告人Bと相談の上、パーティー券を購入したり、会場費を負担するなどの資金的な支援を行っており、その額は、一回当たり数千万円にも上っていた。また、豊政連では、自民党に対する影響力を強めるために、KSD会員の内部に多くの自民党党員を確保しようとして、平成三年から平成一一年までの間、自民党豊明支部の構成員とされたKSD会員の党費を立て替えて支払っており、その額は年間約一億七、八千万円に上っていた。(乙三、N二回、F八回、M五、一六回、被告人B一八回)
イ Mは、このように被告人Aとの親交を深めて、平成八年ころには、KSD等の会議の席において、更には部外者に対しても、「役人は政治家に弱い。」、「A先生は、参議院の実力者で、非常に押しの強い人だから、A先生に頼めば、いろいろやってもらえる。」、「日本の政治は、これまで農業には手厚かったが中小企業には冷たかった。だからKSDとして支援しているA先生に頼んでこの委員会を作ったんですよ。」などと自己の政治力を誇示したり、中小企業対策特別委員会を自分の力で作らせたかのような言動をしばしばしていた。(甲一六、二〇、二二、I一〇回、被告人B一八、一九回、被告人A二〇回)
ウ この点、被告人両名は、当公判廷において、自民党では、平成七年以降、比例代表区の名簿の登載順位に関して、後援会の署名や推薦党員の数は一定限度しか考慮されない扱いになっていたところ、被告人Aは、KSD以外にも全国的規模の支援団体を多く有していたため、必要な署名数及び党員数はKSD抜きでも優に確保することができたし、平成四年の選挙の際、KSDが集めた後援会の署名は、その中身のほとんどが党に提出できるようなものではなかったなどと述べて、Mは決して重要な支援者ではなかったかのような供述をしている。(弁四三~四六、被告人B一八、一九回、被告人A二一回)
しかしながら、前認定のとおり、KSD等が平成四年以降に参議院議員選挙の都度集めた後援会の署名や推薦党員は、膨大な数に上り、継続的に行われた資金的支援も、巨額に及ぶ一方、被告人Aも、KSD等の期待に沿った政策の実現に一貫して取り組み、その集会等に頻繁に出席していたのである。そして、このような被告人AとKSD等との関係に照らすと、被告人Aにとって、KSD等を統括していたMが極めて重要な支援者であったことは明らかであり、Mと緊密に連絡を取り合い、相互に依存し協力し合う関係にあったことも優に認定することができる。
四  職人大学の設置に至る経緯
(1) Mが職人大学設置構想を支援し被告人Aに陳情するに至った経緯
ア 建築現場の足場製造会社を経営しているQは、かねてより建設現場等の職人の地位が冷遇されていることを憂いて、職人にも高度な教育を実施する機関が必要である旨考えていたところ、大学教授や建設関係の専門工事業の経営者等の賛同者らと共に、平成二年一一月、職人の地位向上や職人のための大学の設置を目的としてサイト・スペシャルズ・フォーラム(以下、略称を用いて「SSF」という。)という任意団体を設立した。SSFでは、平成三年一〇月ころから、部内に準備委員会を設置するなどして職人大学の設置に具体的に取り組むようになり、平成五年ころより、新潟県佐渡島や新潟市、宮崎県綾町等で、職人大学の設置に向け参加者を集めて講義や実習を行うスクーリングを実施するなどしていた。そして、Qらは、平成四年一一月ころ、佐渡島出身の衆議院議員で当時内閣官房副長官を務めていたRと知り合い、Rの支援を得て、首相経験者や建設省の官僚に陳情したり、Rも自ら他の国会議員に対して職人大学設置構想を話すなどしていた。
しかし、平成六年二月、Rが急逝したため、SSFは政官界への後ろ盾を失うことになった。また、同構想については、大手ゼネコン等が非協力的であったため、設置基金も十分集まらず、バブル崩壊後の建設不況も重なって、建設関係の中小企業を会員としていたSSFの活動自体も先細りの傾向にあった。(甲一三、一四、一六、Q一〇回、S一四、一五回)
イ 他方、アイム・ジャパンの理事であったHは、平成五年ころ、アイム・ジャパンの会員募集のためにQの経営する会社を訪れ、その社員からSSFの活動や職人大学設置構想を聞いて、同構想がKSD等の会員数増加にもつながるものと考え、SSFのメンバーの大学教授から更に詳しく話を聞いた上、同教授をMと引き合わせた。Mは、かねてより中小企業の後継者確保の観点から、事業承継を容易にするための相続税制度の改正を求めるなどの取組みをしていたところ、同構想が中小企業経営者の後継者不足の対策になり、ひいてはKSD等の会員の増加にもつながるものとして関心を抱き、平成六年一〇月、SSF事務局長であったIらSSFのメンバーと面談した。その結果、Mは、建設業もKSDの会員が多い製造業も職人の後継者難という意味では全く同じであるとして、製造業も対象とすることを条件に、KSDとしても同構想を支援することを約束した。
また、Mは、同構想について、将来的には、職人大学出身者を主な対象とする国家資格制度を創設し、一定の職種については、この資格がなければ事業を行うことができないことにするなどして、職人の社会的地位を直接向上させることも必要であると考えた。(甲一三~一六、二〇、二六、M四回)
ウ Mは、平成六年一一月初旬、SSFのスクーリング最終日に開かれた「職人大学設立推進新潟大会」に来賓として参加し、「世の中に出てすぐに役立つ大学は少ない。もっと専門的な学校を作った方がいい。職人さんの状況も、このまま放っておくと、将来、建物が建てられなくなる。一方、これからは外国からの労働者にも入ってもらわないと日本の産業は立ち行かない。そのためには、彼らの技術を教える人材も必要となってくる。そういうことを考えていくと、『職人大学』構想はどんぴしゃりの企画だ。日本の中小企業のためにも、国際的な問題を解決するためにも、『職人大学』を一日も早く成功に導いていただきたい。」などと挨拶した。その際、Mは、Qとも知り合ったことから、同月中旬に東京ドームで開催された前記「KSD三〇周年記念大会」にQを来賓として招待し、被告人Aを始め、多くの国会議員が列席しているのを目の当たりにさせた。
さらに、Mは、同月末、SSFの理事らの会議に参加して、KSDがSSFと共に職人大学設置構想を推進する母体となる意向があることを明らかにするとともに、平成七年二月にKSDが主催する横浜での会合に被告人Aを招待するので、その機会に職人大学について陳情するよう強く勧めた。これを受けて、SSF側も、SSFがソフトを担当し、KSDが財源や経営の中心となるとの方針の下に、KSDが同構想に関与することを了承し、陳情についても、Mの勧めに応じて、職人大学設置等を訴える要望書を作成し、被告人Aに手渡すこととした。
なお、Mは、SSF関係者に対し、様々な機会に、「大学を作るような大きな事業をする場合、政治家のバックアップが必要不可欠です。私がこれまでにお世話になっている政治家の先生を御紹介しましょう。」、「役人は自分の立場を守ることを第一に考えている。だから、自分の仕事を増やしたり、リスクを負うようなことはしたがらないが、逆に政治家に上からがつんと命令されればすぐ動くものだ。」、「KSDで支援している参議院議員のA先生に頼んで、参議院に中小企業対策特別委員会を作ったので、A先生に頼んで、その委員会で職人大学の問題も取り上げてもらうようにします。」、「うちには豊明議連というものがあります。御存じと思いますが、元労働大臣で参議院の実力者であるA先生に議連の幹事長をやってもらっております。A先生ら議連の先生に後押ししてもらって、何とか職人大学まで持っていきましょう。」などと述べ、職人大学の設置を推進するに当たり、被告人A等の国会議員に依頼して関係各省庁に対する働きかけを行うなどの意向を明らかにしていた。(甲一三~一六、二〇、二六、三六、M四回、Q一〇回)
エ Mは、平成七年一月中旬ころ、同年二月に横浜で開催予定の参議院中小企業対策特別委員会の委員長就任を祝う会に、被告人Aを招待する際、被告人Aに対し、SSF及び職人大学設置構想について説明した上、その会合の機会にSSF側から陳情を受けることの了解を得た。そこで、Nは、HやIをして、同構想に関わった国会議員や官僚の氏名、それまでの経緯等をまとめた説明資料を作成させた上、陳情の直前に被告人Aに交付して、その内容を説明した。
当日、QらSSFのメンバーは、職人大学の設置候補地とされていた佐渡島の市町村関係者らと共に陳情を行ったが、その際、被告人Aに対し、ドイツの職人に対する資格制度であるマイスター制度やSSFの活動状況等を説明した上、職人の技能育成や地位向上を図ることは、国にとって非常に重要な問題であるとして、職人大学設置を国がもっと積極的に支援すべきであり、被告人Aからも関係省庁に働きかけてほしいと訴えるとともに、その旨の要望書を手渡した。この陳情の場には、中小企業対策特別委員会の委員長や同年中に実施される参議院議員選挙への立候補が決まっていたOも同席していたところ、被告人Aは、「職人大学のことはMさんから聞いている。」、「職人の技能やステイタスを高めるために職人大学を作るという構想は大変良いことだ。」、「非常に素晴らしいことなので是非頑張ってください。」などと答えて、同構想を支援する姿勢を明らかにした。(甲一三、一四、一八、二〇、二六、三六、乙二一、N二回、M四、五回、I一〇、一一回、Q一〇、一一回、被告人B一八回、被告人A二〇回)
(2) KGSの設置構想及び被告人Aによる代表質問前の進捗状況
ア その後、Mは、職人大学設置のために財団法人(後のKGS。以下、財団法人を「財団」という。)を設立して、それを母体に職人大学設置のための寄付金集めや設置準備を行うとの構想を明らかにし、SSF側も、この構想に同意した。
もっとも、SSF内部では、その監督官庁について、労働省及び大学を所轄する文部省(当時。以下同じ)の共管にすべきであるとの意見が大勢を占めていた。しかし、Mは、「最近、公益法人は統合・縮小の傾向にあって設立が非常に難しくなっています。議員の先生に応援してもらわないととてもできないですよ。」、「職人の地位向上を図る財団なのだから、所管は労働省一本にするのが一番ですよ。」、「公益法人の設立には時間がかかり、普通なら申請をしても認可が下りるのに二年くらいかかります。これについては、豊政連の議員の先生に頼めば、もっと早く認可が得られるはずです。また、財団の基本財産は普通なら最低でも二億円くらいかかりますが、これも議員の先生に頼んで一億円くらいにしてもらいましょう。」などと述べて、KSD等や被告人Aと関係の深い労働省のみを監督官庁とするように説得し、さらに、財団の設立に当たっては、国会議員に依頼して同省に圧力を掛ける意向であることを明らかにして、その結果、SSF側も、同省のみを監督官庁とすることに同意するに至った。(甲一三、一四、一八、二〇、二六)
イ(ア) ところで、私立大学の設置には、大学の設置及びその運営主体である学校法人の設立の双方について、文部大臣の認可が必要とされていたところ、平成七年当時、文部省は、少子化の傾向等から、既に十分な数の大学があるとして、大学新設を抑制する方針を一貫して採っており、特段の事情のない限り、新規の大学設置申請には消極姿勢で臨んでいた。また、私立大学の設置に当たって、国が設置資金を補助することは極めてまれであり、昭和五三年以降は全く例がなかった。
さらに、公益法人についても、国からの補助金や官僚の天下り等が問題とされていたため、その設立については、各省庁とも原則として厳しい姿勢で臨んでいた。(甲二、三、五、九、一〇)
(イ) MやQらSSF関係者は、平成七年四月二五日に労働省を訪れて、財団の設立に向けて陳情を行った。労働省では、Mが関わっていたことから、被告人Aも関与してくるのではないかと予想して、同省の当時の官房長であるTが直接陳情を受けた。しかし、その際、Mらが、職人大学を設置するためにまず労働省所管の財団を設立する指導をお願いするなどと陳情したのに対し、Tは、担当の部署に話は通しておく、労働省にも類似の教育機関があるなどと述べるにとどまったため、QやIらは、労働省は職人大学構想に対して消極的であるとの印象を受けた。
他方、Tは、陳情を受けた後、公共職業能力開発施設等を所轄する部署である職業能力開発局(以下「職業能力開発局」という。)の職員に対し、今後も同様の陳情があるかもしれないが、メンバーにMがいて、被告人Aなどの政治家が取り上げることになるかもしれないから、対応を検討しておいた方がいいなどと連絡していた。(甲三、一〇、一三、一四、一八、二〇、二一、二六、三七)
ウ(ア) Mは、同年六月一三日、参議院中小企業対策特別委員会に参考人として出席し、「専門職の、技能職の大学というものを是非一つ考えていただければあり難い。」などと述べて職人大学の設置の必要性を訴えるとともに、同年七月一〇日、財団の設立準備を本格化させるため、KSDビルの中に財団設立準備室を設置した上、Hを事務局長に任命して、財団設立に向けた事務に専従させることにした。(甲一三、一八、二〇、二六、H八回)
(イ)a ところで、Mは、SSF側から、労働省は財団設立に消極的であるとの説明を受けたこともあって、同年七月ころ、SSF側との会議において、「労働省に対しては何か手を打つ必要がある。これについてもA先生の力添えを頼まなければいけないな。」などと発言し、他の機会にも、しばしば同様の発言をしていた。
そうした中、同年六月二一日に職業能力開発局長に就任したTは、被告人Aから、「KSDのMさんが進めている職人のための大学の関係で、財団設立の話がいくと思うが、話を聞いてやってくれ。」などと電話で要請を受けて、同年七月末ころ、再び陳情に来たQらSSFのメンバーと直接会って話を聞いたが、その際、Qらは、職人の地位向上のために学位の取得できる大学の設置が必要であり、このような大学設置を推進するための財団を設立したい、この大学設置のために、KSDからも資金援助してもらうことになっているし、被告人Aも応援してくれているなどと述べた。(甲三、一三、一八、二〇、二一、三七、I一一回、H八回)
b なお、「KSDのMさんが進めている職人のための大学の関係で、財団設立の話がいくと思うが、話を聞いてやってくれ。」という被告人Aの発言は、Tの供述(甲三)により認定したものであるが、弁護人は、当時、Mは職人大学設置に積極的ではなかったから、上記供述は単なる推測に基づくものであって信用できない旨主張する。
しかしながら、KGSの設立がMの発案によるものであり、かつ、Mが中心となって進めていたものであることは、証拠上明らかな事実であり、弁護人の主張は、その前提を欠くものである。しかも、上記T供述は、その前後の状況とも合致する具体的なものであって、十分信用することができる。
(ウ) このように、被告人Aが働きかけを行ってきたことから、同年八月一日、職業能力開発局では、財団の設立について意見の取りまとめが行われた。その際、当初は、いきなり職人の訓練・育成に学位を与えるような構想は現実的でなく、文部省との関係でも問題があるとして、財団の設立についても慎重論が多数であったが、T局長が、「A先生も関心を持っていて、結論を先延ばしにはできない。職人大学の設置は文部省の絡みもあって問題だが、職人の育成・訓練といった事項に絞れば、行政目的にも合致するのだから、財団設立は認めてもよいのではないか。職人大学設置は、あくまでも財団側の努力に任せて、労働省としての関与はしないことにしてはどうか。」という認識を示したところ、大勢の納得を得るに至った。その結果、労働省としては、同省専管の財団の設立までは協力するが、職人大学の設置については関与せず、財団の努力次第とする方針で臨むことが決まった。(甲三、一〇)
(エ) そこで、同月三日、労働省は、Mらに対し、同省専管の財団としてKGSの設立を許可する方向で指導する旨正式に回答し、それ以降、HやIと労働省の担当者との間で財団設立に向けての折衝が行われるようになった。
もっとも、労働省は、同年九月、KSDが提出したKGSの寄付行為の原案が、目的を「大学の設立に向けて事業を行う」とするなど、大学設置を全面に押し出す内容になっていたことから、その項全体を削除させ、国からの委託や補助金は期待せず、自前収入でできる範囲で事業を行うように指導し、同年一二月には、HにKGSの会員獲得状況を報告させるなどして、あくまでも財団の設立と職人大学の設置を切り離す姿勢を崩さなかった。(甲三、一四、一八~二一)
(オ) また、Mは、同年一一月ころ、それまでの財団設立準備室を国際技能工芸大学設立準備室(以後「大学設立準備室」という。)に改編して、KSDビルとは別の建物に事務所を移転し、同年一一月二二日、KGSの発起人会及び第一回理事会を開催して、役員の候補者を決め、自らが会長に就任することを内定した。さらに、Mは、同月、参議院労働委員会に所属していたOに依頼して、同委員会において、職人大学設置の必要性を労働省に訴えるとともに、技術者育成の支援態勢の整備について労働省の姿勢をただす趣旨の質問をしてもらい、同省のT職業能力開発局長から、高度熟練技能承継のための支援態勢の整備について検討を急ぎたい旨の前向きの答弁を得た。
その後、Mは、HやQから、同年一二月に労働省に財団設立申請書の原案を提出したものの、同省はKGSの設立を許可する方針ではあるが、職人大学の設置等には消極的であり、KGSを設立しても職人大学設置まで行き着けるのか不透明な状況にある旨の報告を受けた。
なお、労働省では、同省所管の公益法人が設立される場合、設立後の運営に関与する必要から、理事等に同省のOBを送ることが多かったが、KGSについては、平成八年一月八日の財団設立に関する一回目の審査の際に、職人大学が実現するかどうかは不確定であり、同省のお抱え財団のようにみなされて、大学の設置までバックアップせざるを得ない事態は回避すべきであるとして、その設置直後から人を送ることはしない方針を決めていた。(甲三、一〇、一三、一四、一八、二〇、二六)
エ 以上のように、Mは、職人大学設置構想について支援に乗り出したものの、大学設置に要する極めて多額の経費等をKSDが全面的に財政的援助をすることについては慎重な姿勢を示し、国から財政的援助を受けるべきである旨主張していた。すなわち、Mは、平成六年一一月の前記スクーリングの際には、「このような事業は国の事業として行うべきものだから、国から財政支援を受けるべきだ。」と述べ、また、平成七年五月のスクーリングでも、「職人大学やそれを推進する団体については、中小企業対策の中で本来、国がやるべきことであって、支援する団体を国の予算で作れ、ということを中小企業対策特別委員会で議論してもらい、設立については国に面倒をみてもらうのが筋。」などと発言し、その後も同様に、「職人大学の設置は国がやるべき事業であり、国が金を出すのが当然。」などと繰り返し発言していた。(甲一九、二〇)
(3) 被告人Aの代表質問とその影響
ア(ア) 参議院では、常会の開会式の後、内閣総理大臣は施政方針に関し、国務大臣は必要に応じて外交、財政、経済に関し、それぞれ演説を行い、これらの演説に対し、各会派を代表して一人ないし三人から質問(以下「代表質問」という。)が行われるのが慣例とされており、特に与党の代表質問は、実際に政府が実施する各種政策に直結するものとして、官僚から重要視されていた。
そして、平成八年一月二二日開会の第一三六回国会においても、開会当日、当時の橋本龍太郎総理大臣(以下「橋本総理大臣」という。)の施政方針演説が行われたが、自民党においては、執行部会等に諮った上、平成七年一二月中には、被告人Aが参議院における自民党の代表質問を行うことが決まっていた。(甲一、三~五、五八、六〇、六二、六三、七九、乙二二、二三、被告人A二〇回)
(イ) 被告人Aは、平成八年一月二五日、代表質問を行い、その中で、中小企業の問題に触れ、橋本総理大臣に対し、「日本の伝統的な技術、工芸を守ってきた様々な分野での後継者がいなくなっているという問題が生じております。これは地場産業衰退のみならず、日本文化、工芸の伝承という面からも由々しい問題であり、後継者の育成確保のため、例えば、職人大学の設置等を進め、ドイツのマイスター制度のように、職人の技能を養成し資格を与える特別の施策を早急に打ち出すべきであると提案いたしますが、総理大臣のお考えはどうでしょうか。」などと述べて、国策として職人大学の設置等を支援すべきであるとする趣旨の質問を行った(以下「本件代表質問」という。)。
これに対し、橋本総理大臣は、「技能の後継者の育成という視点から、御提言を含めた御質問がございました。物作りの大切さというのは、今更ここで申し上げるまでもありません。御指摘のように、我が国の産業あるいは文化伝承の基盤となる技能の後継者を育成確保していくことは、文化伝承という上ばかりではなく、我が国の今後の経済社会の発展にとっても極めて重要なことだと思います。そのため、政府としては、技能検定、表彰等を通じて、技能者の育成、社会的地位の向上にも努めてまいりました。また、伝統的な工芸分野の熟練した従事者の認定等、その確保育成等にも努めてまいり、『わざ』が尊重される社会に向けて努力をしてきたつもりであります。そうした観点から、議員御提案になりました職人大学といった構想については、興味を持って勉強させていただきたいと思います。」と答え、職人大学実現について前向きとも取れる答弁を行った。(甲一、三~六、一〇、一三、二六、三八、五七、五八、六三、六四、乙二四、二五)
(ウ) 一方、労働省では、被告人Aが、代表質問において、日本の伝統的な技術、工芸を守ってきた様々な分野での後継者の育成確保のために、ドイツのマイスター制度のように職人の技能を養成し資格を与える特別の施策を早急に打ち出すことを提案することを、事前に知らされており、職業能力開発局において総理大臣の答弁案の作成等を行っていたが、職人大学について質問するとの情報は事前には得ていなかった。そして、当時は、職人大学設置構想自体が一般には知られていなかったため、被告人Aが職人大学を代表質問で取り上げたことについては、同省の内部においても、極めて異例なこととして受け止められた。
そのため、N職業能力開発局長は、このような被告人Aの代表質問を、職人大学を労働行政の一部にきちんと置くようにとの労働省に対するアピールであると理解するとともに、総理大臣の答弁の中に職人大学という固有の事項が前向きと受け取られる形で取り上げられたことから、職人大学の問題を、国の労働行政の視野の一部として取り上げていかなければならないテーマになったものと考えて、職人大学設置をあくまでもKGS側の努力に委ねる従前の方針が維持できるかについて危惧を抱くようになった。実際に、同省では、その後のKGS設立に関する省内の審査に際し、上記代表質問に対する総理大臣の答弁内容を調査して臨むなどしていた。(甲三~六)
イ(ア) Mは、同年二月二二日、衆議院予算委員会で参考人として意見陳述を行い、職人大学の設置やそのための財団設立に対する政治的な支援を要請した。また、Mは、Oに対しても、職人大学に関する質問をするように依頼していたところ、同年三月中旬ころ、Oは、参議院中小企業対策特別委員会において、職業安定局に対し、職人大学設置を提案する質問を行い、同局から職人大学の設置を検討している旨の答弁を得た。(甲二〇、二七、M五回)
(イ) ところで、平成七年四月一日から平成八年三月三一日までの間に設立に至った労働省所管の公益法人は他になかったにもかかわらず、KGSに関しては、T職業能力開発局長から、設立を許可する方針が早期に示されていたこともあって、平成八年二月一五日に同省内部の審査が終了し、同月二八日、正式にMからKGSの設立許可申請書が提出され、同年三月七日、その設立が正式に許可されて、Mが会長、Qが副会長兼理事、Iが総務部長にそれぞれ就任した。
もっとも、KGSの設立と職人大学の設置を分離するという労働省の前記方針の下に、KGSの目的の中の職人大学設置に関連する事業は、「国際的視点に立った技能者の教育訓練並びに教育訓練施設の設備及び運営に対する助成事業」とされるにとどまっていた。(甲三、六、一〇、一三、一四、一九、二〇、二七、一一五)
(ウ) Mは、同年四月六日、日比谷公会堂において、被告人Aのほか、当時のU労働大臣やT職業能力開発局長等を来賓として招待し、KGSの設立を記念する「職人の地位と保障を訴える総決起大会」を開催した。同集会は、Mが職人大学構想を大々的にアピールするため同年一月から企画していたもので、参加者の多くは「職人大学を実現しよう」などと書いたたすきを掛けており、Mは、その席で、KGSが中心となって職人大学の設置を推進していくことを強調するとともに、列席していた国会議員や労働省側に対しては職人大学設置に向けての支援を要請するなどした。また、U労働大臣がスピーチを行い、「A議員の功績によりKGSの設立が許可された。」と披露したほか、被告人Aも、「職人大学の設立を目指して私も協力するので頑張ろう。亡くなられたR先生の遺志を継いで、佐渡に職人のための大学を設立しよう。」などと演説して、職人大学の設置を強く訴えた。
なお、KGSは、この集会終了後の記者会見で、職人大学の建設資金の三分の一を国に負担してもらうことを計画している旨発表したが、労働省側から、大学設置について補助金を出すなどという話は一切していない旨の注意を受け、Hが同省側に謝罪文を提出するということもあった。(甲三、六、九、一三、一九、二〇、二七)
(エ) このように、KGSの設立と職人大学の設置を分離する労働省の方針が、Mらによって無視されていく中、T職業能力開発局長は、同年五月ころ、被告人Aに対し、すぐに大学を設置するのではなく、職業訓練校のようなものでスタートしてはどうかなどと意見を述べたが、被告人Aの同意を得られなかった。
また、KGSの設立財産は、KSD側の出資した五〇〇〇万円とSSF側の出資した五〇〇〇万円を合わせた一億円であったが、設立後は、活動資金のほとんどをKSDが負担するようになったこともあり、KGSの運営においても、Mを始めとするKSD等出身の理事が中心となる反面、QらSSF出身の理事の発言力は極めて弱いものとなっていった。(甲三、一三、一四、一八、二〇)
(4) 大学設立推進議連の結成及び労働省の方針の転換
ア(ア) 一方、国会では、被告人Aを中心に、国際技能工芸大学設立推進議員連盟(以下「大学設立推進議連」という。)の結成が計画されていたが、被告人Aが呼び掛け人となって、同年六月一二日に発起人大会が、同月一八日に設立総会がそれぞれ開催され、被告人Aが会長に就任して、同議連が正式に発足した。同議連は、元首相等の大物政治家が多数参加し、自民党の国会議員一〇〇名以上が参加する大規模な議連であった。(甲三、五、六、九、一三、一九、二〇、二七、三〇、三八、四一、乙四、六、二六、M四回、S一四、一五回、被告人A二〇、二一回)
(イ) Nは、趣意書や議連規約の作成などの事務を行うことで、大学設立推進議連の結成に協力しており、同年五月二七日にKSD等の幹部を集めて開催されたKSD及び関連企業幹部合同会議(以下「合同会議」という。)の席で、被告人Aを発起人として同議連が結成されることを報告した。
また、Mは、同議連の前記発起人大会などにも出席していたが、KSD関係者らに会合の席などで、「A先生には議連を作ってもらったが、国会議員の先生に発破を掛けて、国会審議の場で職人大学設置のことを取り上げてもらうようお願いしている。」などとしばしば話していたほか、平成九年二月一日付けの豊政連機関誌には、「一〇〇余名の衆・参両議員からなる議員連盟の設立により、職人大学の実現化確実に」という見出しの記事が掲載された。(甲二七、三〇、三八、四一、弁一五)
イ(ア) 平成八年七月一二日、職業能力開発局長がTからVに交替したが、その際、TからVに対し、KGSでいきなり大学を設置することは無理としながらも、被告人Aが中心となって大学設立推進議連が結成され、職人大学設置構想も政治的なテーマとなりつつある、被告人Aや議連の国会議員からいろいろな要請が来る可能性があるので、十分検討して対応してほしい旨の引継ぎがあった。V新局長は、当時のW事務次官も、被告人Aがかなり力を入れているので、労働省としてもそれなりの対応をしていかなければならないなどと話していることを聞き、従前の方針を変更し、同構想の実現に向けて具体的な検討をしなくてはならないと考えるようになった。そこで、V局長は、担当者に対し、労働省で職人大学の設置を支援・助成できる可能性がないのか検討するように指示したほか、労働省としても、同構想が参議院で取り上げられる都度、前向きの答弁を行っていた。(甲三、五、九)
(イ) 同年九月、Mが提案して、被告人Aを始め大学設立推進議連に参加している国会議員数名によって、約二週間にわたるドイツのマイスター制度等の視察旅行が行われた。この視察旅行には、MやN、被告人B、Qに加え、被告人Aの意向を受けてV職業能力開発局長も参加していた。旅行の最中、被告人Aは、V局長に対し、「ドイツのマイスター制度は大変素晴らしい。職人大学も立派に作らないといけない。労働省の方でも、良く検討してみてくれ。」などと繰り返し発言していた。(甲五、六、一三、一九、二〇、三〇、四一、一〇七、乙四、二九、N二回)
(ウ) また、同年一〇月施行された衆議院議員総選挙(以下「衆議院議員総選挙」という。)において、自民党は、党内の関係機関の決定を経た上、「国際技能工芸大学(仮称)の設立」が、「中小企業活性化のため高度な熟練した工芸・職人の養成」とともに、党の公約として掲げられるに至った。(弁三九、被告人B一八回、被告人A二一回)
(エ) このような大学設立推進議連の結成などの職人大学設置構想の実現に向けた一連の政治的な動きを受けて、V職業能力開発局長は、職人大学の設置について財政的な支援の可否等を具体的に検討することとし、同年一〇月三日、職人大学に関するプロジェクトチームを発足させた。(甲五、八、九)
ウ(ア) このように、労働省が職人大学の設置への支援についても積極的姿勢に転換する中、Mは、同年一一月一七日、滋賀県八日市市で開催された職人大学のスクーリングの開講記念式典において、KGSが主体となって職人大学の設置を進めていることをアピールするとともに、被告人Aの誘いを受けて出席した当時のX労働省官房長(以下「X官房長」という。)や来賓として出席したX労働大臣に対し、職人大学設置に向けた協力を要請し、その他の機会にも、労働省に対する陳情を繰り返していた。(甲六、一三)
(イ) また、同年一二月一〇日、大学設立推進議連所属の参議院議員Zが、予算委員会において、Y労働大臣に対し、質の高い労働力の再開発のためにも職人大学を導入する決意があるかと質問を行い、これに対し、Y労働大臣は、文部省とも相談して、日本版職人大学はどうあるべきかを検討しているところである旨述べて設置に積極的な答弁をし、A1文部大臣も、他の省庁と連携を取って一層の職業教育の充実に努めたい旨答弁した。(甲五、一〇四)
(ウ) このような国会における前向きな答弁等は、労働省内の前記職人大学プロジェクトチームにおける検討にも影響を与え、同チームは、平成九年一月下旬、それまでの検討の中間取りまとめとして、同省としては、学校教育法によらない行政機関所管の大学校ではなく、本来の「大学」としての設置への協力という立場で関与を行うことが適当であるとして、財政援助を含めて積極的な支援を行うとの方向性を確認した。(甲五、九)
(エ) さらに、被告人Aも、同年二月二七日、大学設立推進議連の議員一〇名と共に、労働省、文部省、自治省、農林水産省等の担当者を招集して、職人大学設置に向けた会議を行い、労働省から、四年制大学を前提に財政支援を含めて支援していく方向である旨聴取した上、同年四月までに大学設置に向けた構想案を省内でまとめ、文部省と折衝するように指示し、他の関係各省に対しても協力を要請するなどした。その後も、同議連の所属議員が関係省庁を集めて数度にわたり会議を開いたが、被告人Aはいずれの会議にも出席していた。(甲五、六、八、九、乙七)
エ(ア) 労働省の前記プロジェクトチームは、同年三月三一日、最終の取りまとめを行い、私立大学に公的資金を投入した前例等を参考にして、職人大学の設置運営に公的資金を投入できないとする理由はないとした上、その財源としては、職人大学の学生が新卒者及び在職者を想定していることからすれば一般会計及び雇用保険特別会計を併せて要求することが適当であるとした上、その具体的方法についても検討の対象として明記した。さらに、この取りまとめでは、KGSが、職人大学の建設費総額一五〇億円のうち、五〇億円程度の補助を要求していることが記された上、平成一三年開学を前提とするのであれば、KGSへの委託事業費等について、平成一〇年度から予算計上しなくてはならないとされていた。
労働省では、このような取りまとめを受けて、平成九年四月ころ、省令を改正して、KGSに対して補助金を交付する法的な枠組を整備した。(甲五、九)
(イ) 被告人Aは、平成九年四月ころ、労働省に対し、KGSではいよいよ本格的に大学設置準備に取りかかるので、大学のカリキュラム作りなどができる専門家を出してほしい旨依頼し、その結果、同省OBのB1がKGSの理事に就任することになり、その後、文部省等からもKGSにOBが派遣されるようになった。KGSでは、同年五月ころ大学設立準備本部を設けて職人大学の設置事務を本格化させたが、上記B1は、その本部長に就任し、その中心となって設置事務を進めることになった。(甲五、六、九、一四、一九、二〇)
(5) 職人大学の設置
ア 労働省では、平成九年四月ころ、被告人Aらの意向を受けて、文部省と職人大学の設置に向けた折衝を開始し、同年七月ころには、平成一三年度の開校を目指して、平成一〇年度予算の概算要求の中で、大学関連予算としてKGSへの補助金の財源に四億九〇〇〇万円余を請求し、その後の折衝を経て、平成一〇年度予算に四億七〇〇〇万円余が計上されるに至った。また、職人大学の建設予定地も、被告人Aの紹介を受けて、労働省幹部が折衝を行った結果、同年九月ころ埼玉県行田市に内定した。
なお、労働省幹部は、概算要求の方針や大学の建設予定地について、被告人Aに対し、逐一報告してその了承を得ていたが、建設予定地については、大学設立推進議連の他の国会議員の誘致活動等もあったため、同年一二月に開催された同議連の総会の了承を得て、正式に行田市に決定した。(甲五、六、九、乙七)
イ Mは、平成一〇年二月ころにも「中小企業総決起大会」なる集会を開催し、その席で、被告人Aを含む多数の国会議員に対し、当時設置されていなかった参議院中小企業対策特別委員会の復活等に加え、職人大学の早期設置を請願した。
一方、被告人Aも、同年八月に労働省や文部省等関係各省庁の官房長やOをホテルに集めて、職人大学の設置に向けて改めて協力を要請し、その後も繰り返して同様の会合を持ったほか、当時は民間からの職人大学設置のための寄付金集めが難航していたこともあって、労働省に対し、職人大学関係の予算を増額するように要請するなどした。
このような働きかけを受けて、職人大学設置の事業費は、大学の建設予定地が決まった平成九年未ころに総額一八〇億円を国、地元自治体、民間でそれぞれ六〇億円ずつ負担するものと予定されていたのが、国の負担分が更に二五億円増額されるに至った。(甲二、九、乙三、七)
ウ Mは、平成一一年一月二五日、文部省に対し、寄付金や補助金の受入窓口となる財団法人国際技能工芸大学設立準備財団の設立許可申請を行い、同年二月一七日、文部大臣からその設立許可を受け、さらに、同年九月三〇日、大学の名称を「ものつくり大学」として、その設置及びこれを運営する学校法人の設立の各許可申請を行った。
文部大臣は、平成一二年一二月二六日、社会人、留学生及び帰国生徒の受入れに積極的に対応するという理由で私立大学の新規設置抑制の例外に当たるとした上、ものつくり大学の設置及びこれを運営する学校法人国際技能振興機構の設立をそれぞれ許可し、同大学は、平成一三年四月開学した。(甲二、九、一一六、一一九、乙七)
第三  本件代表質問に関する請託の有無について
一  問題の所在
(1)ア 検察官は、被告人Aが、①平成八年一月一〇日ころ、議員会館事務所において、②同月二二日ころ、判示の料亭「A野」(以下「料亭A野」という。)において、それぞれMから、同月二五日に予定されている代表質問においては、国策として職人大学の設置を支援するよう提案するなど、職人大学設置のため有利な取り計らいを求める質問をされたい旨の請託を受けた(以下、①及び②を併せて「代表質問請託」という。)旨主張する。
イ そして、Mは、当公判廷において、以下のように、上記のような検察官の主張に沿った、代表質問請託を認める趣旨の供述をしており(M四、一六回)、捜査段階においても、ほぼ同旨の供述をしている(甲二六、三一。以下、Mの公判段階の供述を「Mの公判供述」、捜査公判を通じた一連の供述を「M供述」ということがある。)。すなわち、
(ア) 私は、同月一〇日ころ、代表質問を頼みに行くためにアポを取った上、幹事長室又は議員会館事務所に被告人Aを訪問して、被告人Aに対し、「このたび、国会で代表質問をされるというお話を伺いましたので、その際、是非職人大学の設置について、特段に質問の中に入れていただきますようお願い申し上げます。」とはっきりと申し上げた。これに対して、被告人Aは、「ああ、ああ、ああ、今原稿作っている最中だから。」などと答えて、これを了承してくれた。このとき、当時の政治の状況など余計な話はしていない。
(イ) 同月二二日ころ、私は、料亭A野での新年会において、職人大学の件の念押しをしておこうと思い、宴会の様子を見て、被告人Aの近くに寄って世間話をした上、「例の代表質問で大学の問題については一つよろしくお願いします。」と言った。宴席だから、余り難しい政治的な話をするのは慎まなければならないと思い、簡単に申し上げた。それ以上はもう一言も話をしなかった。被告人Aは、「ああ、分かってる。今検討中だ。」という返事だった。このとき、私とAがどういう位置関係で、どういう行動を取った後、こういう話をしたかははっきりと覚えていない。一言、お願いしたことだけははっきりしている。
(2) これに対し、弁護人は、被告人AがMから代表質問請託を受けたことはない旨主張し、被告人Aも、捜査公判を通じて、弁護人の主張に沿う供述をしている。
(3) そこで以下、まず、代表質問請託に関するM供述の信用性、そして、代表質問請託の有無について検討する。
二  本件代表質問前後の状況
関係各証拠によれば、本件代表質問前後の状況として、以下の事実が認められる。すなわち、
(1) Mは、平成八年一月一〇日、年始の挨拶のため、議員会館事務所を訪問し、被告人Aと面談した。(M五回、弁一、三一、被告人B一八、一九回、被告人A二〇回)
(2)ア 一方、被告人Aは、平成七年一二月末から、過去の代表質問の原稿や要旨を取り寄せるなどして代表質問の準備を始め、平成八年一月に入って、雑誌編集者であるL、放送関係者であるC1ら自己のブレーンや参議院自民党の政策審議部に対し、宗教と政治、外交・安全保障問題、子供の問題、住専(住宅金融専門会社)・不良債権問題等のテーマごとに、代表質問の草稿の作成を依頼した。(甲五七~六〇、六二、六三、七九、八〇、乙五、二三、被告人A二〇回)
イ(ア) 被告人Aは、平成八年一月二〇日から、都内のホテルの一室を借り切って、前記自己のブレーンや参議院自民党の政策審議部の部長等の職員、Oらを集め、討論を経ながら具体的に代表質問の草稿の作成作業に入った。
この段階では、中小企業問題に関する原稿は作成されていなかったが、参加者の中から、当時、公的資金投入の是非が問題となっていた住専問題について、中小企業等国民の目線に立った質問を入れるべきであるとの提案があり、それを契機として、中小企業と雇用不安の問題についても一項を立てて質問すべきであるとの話になった。
すると、被告人Aが、中小企業問題に関連させて、伝統工芸技能の後継者不足の問題に触れた上、職人大学を設置すべきであるとの質問を加えることを提案したため、中小企業問題については、上記政策審議部が草稿を作成することとなった。(甲五七~六〇、六四、八〇、九一、乙五、二三、D1六回、E1六回、L一三回、F1一三回、被告人A二〇回)
(イ) なお、被告人Aの秘書が当日の模様を録音したテープ(以下「録音テープ」ともいう。)によると、その際の被告人Aの発言は、「それとね、この中にね、やっぱり日本の伝統的手工業があるんだよね。例えば、朝のNHKの番組でやってる人形作りなんかね、博多人形だとかね。それからこの前、何か、岐阜の魚釣りのびくの何か、やってたよ。こういうやっぱり日本の、本当に固有のそういう伝統的な手工業の後継者がいなくなってるわけね。これをどこかでね、これは今あそこで、KSDでこれをやろうとして、僕はやれと言っているんだけどね。これもやっぱり、こういう技術を一つのところへ集約、集約というより一つのところでちゃんと後継者作りができるような、そういうあれを、機構、機関というか機構というか。うん、作るべきだよ。だからその一つとして職業大学…」というものであった。(弁九、D1六回、E1六回、弁二六)
ウ 被告人Aらは、翌二一日にも、前日の打ち合わせを踏まえて手直しした草稿を持ち寄り、作成作業を続けたが、この時点では既に職人大学の設置を提案する部分が草稿に含まれていた。なお、この草稿は、質問時間内に到底収まらない大部の物であったため、これを圧縮する必要があり、同月二二日夜には、被告人Aの秘書と前記政策審議部長とがホテルに泊まり込んで草稿の圧縮作業を行っていた。(甲五七~六〇、八〇、九一、乙二三、D1六回、L一三、一五回、F1一三回、被告人A二〇回)
(3)ア 同月二二日、Mは、被告人A、知人の芸能プロダクション代表者や歌手らと共に、料亭A野において新年会を行った。この時、会場となった部屋(雪の間)は、同料亭一階にある、長辺が約四・三メートル、短辺が約三・二メートルの一〇畳ほどの広さの小部屋であり、通常は二、三人程度の客を入れるための部屋であったが、この時は、M及び被告人Aら総勢五名の客のほか、バンドや芸者数名が入室していた。
この席に被告人Aが遅れて参加したころには、宴席は、歌が出るなど相当盛り上がっていたが、被告人Aは、しばらくその席に加わった後、他の出席者よりも早く席を立って、別の会合に向かった。(甲二六、一二九、M四回、G1一三回、J子一三、一五回、H1一三回、弁一八、二八、三六、被告人A二〇回)
イ 翌二三日、被告人Aは、参議院自民党の執行部に対して代表質問の内容を説明することになっていたため、その朝に、再度前記ブレーンらと代表質問の草稿の読み合わせをするなどした。その際、被告人Aは、自ら職人大学に関する質問について、ドイツで職人や技術者に与えられる称号ないし資格制度のことを質問内容に入れることを提案した。その際、被告人Aは、その場にいた者に同制度について説明する中で、「昨日Mさんに言ったら喜んでいた、これ。」と発言した。
なお、被告人Aは、その制度の名称を失念していたため、秘書に指示してNに電話を架けさせて、「マイスター制度」であることを確認した上、これを草稿に入れさせている。(甲三八、三九、五七、六四、八〇、九一、一二四・弁九、N二、三回、弁二六、被告人A二〇回)
(4) 被告人Bは、本件代表質問の数日前に、「参議院代表質問のお知らせ」との表題で、被告人Aが代表質問を行うことやテレビ中継の予定などを記した葉書を、KSDを含む支援者に送付しており、SSFやアイム・ジャパンにも、KSDや豊政連から上記葉書のコピー等がファックスで送信されるなどして、事前にその内容が連絡されていた。(甲一三、一九、二〇、二三、N二、三回、D1六回、E1六回、I一〇回、被告人B一八回)
(5) 同月二五日、前記のとおり、被告人Aは、本件代表質問を行い、その中で職人大学の設置に対する支援を訴えた。Nは、その質疑をテレビ中継で見ており、当日、被告人Bに電話を架けて上記質問について謝礼の言葉を述べた上、その後、被告人Bに依頼して代表質問の議事速報を入手し、Mに見せている。
M及びNは共に、被告人Aがこのような代表質問をしてくれたことから、被告人Aに対する感謝の念を深めて、Mは、その後に職人大学に関するPRビデオを作成した際には、被告人Aの代表質問の様子を挿入するように直接指示するなどしていた。(甲一九、二〇、三八、乙二五、N二回)
三  Mの公判供述の信用性
そこで、以上認定してきた事実関係を踏まえながら、代表質問請託に関するMの公判供述について検討を加える。
(1) Mの公判供述の信用性を裏付けるべき事情
代表質問請託に関するMの公判供述の信用性を裏付けるべき事情として、以下の諸事情を指摘することができる。
ア Mの捜査段階の供述との合致等
(ア) Mの公判供述は、代表質問請託に関しても、その捜査段階の供述とおおむね合致しており、弁護人からの詳細な反対尋問にもほとんど動揺していない。
(イ)a もっとも、Mの検察官調書(甲二六)には、平成八年一月一〇日の請託の状況について、Mが、「先生、先生が代表質問なさるとお聞きしましたが、職人大学の設置については、先生のお陰で財団設立は目途が立ってきましたが、是非とも、ここで代表質問の中で、職人大学の早期設立を訴えていただけませんか。国として、それに積極的に取り組むべきだとおっしゃっていただけませんか。また、できれば、職人の地位向上のための資格制度の創設も必要だと訴えていただけませんか。何とかよろしくお願いします。」と述べて、資格制度の創設も含めて請託したところ、被告人Aから、「分かりました。代表質問の時には、職人大学の設立を積極的に推進すべしと提案してあげましょう。」と言われたと記載されている。
これに対し、Mは、当公判廷では、職人大学を作ることが先決であるから、同日の時点では、資格制度の創設については述べていないと思うし、被告人Aは、いつも余りぐじゅぐじゅした対応はしないので、「分かった。」というような極めて短い返事だったと思うなどと供述している(M四回)。
b(a) このように、Mの捜査段階の供述は、全般的に説明調にすぎる嫌いがないではなく、特に、被告人AやN等との会話等については、その傾向が顕著であり、その文言どおりの会話があったとするにはやや不自然と思われる部分も散見される。
この点、M自身、当公判廷において、検察官から資料を見せられた場合には、よく記憶を整理して話をしたが、検察官に言われたことに対しては、大したことじゃないからそれでもいいかという形で、その当時の記憶がはっきりしないまま調書にした部分もある旨供述している。したがって、M供述のうち具体的なやり取りの文言や細部にわたる事項等については、捜査段階の供述どおりに認定することには慎重にならざるを得ない。
(b) しかしながら、代表質問請託に関するM供述は、その請託を行った時期や場所、やり取りの趣旨等の大枠については、捜査公判を通じておおむね一貫しているのであって、捜査段階の供述は、少なくとも前記一(1)イ記載の公判供述と合致する限りにおいてその信用性を補強するものということができる。
イ 職人大学ないし本件代表質問をめぐる状況や事態の推移等
代表質問請託に関するM供述は、前記第二の四及び第三の二において認定したような職人大学ないし本件代表質問をめぐる当時の状況や事態の推移、とりわけ、Mが職人大学の設置に向けて積極的に活動を続ける一方、被告人Aが政治的にこれを支援していく過程の中で、当初は職人大学設置に消極的姿勢を堅持していた労働省が次第に軟化して、KGSの設立を支援する態度を採るに至ったこと、それでも、労働省が、KGSの設立と職人大学の設置とを区別し、職人大学の設置には関与しない方針を堅持し、Mが、このような労働省の姿勢に懸念を抱いたこと、そのような中で、Mが、SSF関係者らに対し、官僚に圧力を掛ける手段として被告人A等の国会議員に働きかけを行わせる旨の言動を繰り返し、現に、平成七年一一月ころに、参議院議員のOに対し、労働委員会における職人大学についての質問を依頼していること、そして、被告人Aにより本件代表質問が行われ、それに引き続いて被告人Aらにより大学設立推進議連が結成されたのを受けて、労働省が積極的方向に大きく方針を転換したことといった一連の経過に沿うものであり、これらによって客観的に強く裏付けられている。
しかも、このM供述は、平成八年一月におけるMと被告人Aとの面会状況とも矛盾しておらず、その内容にも、特に不自然・不合理な点は認められない。
ウ MとNとの請託に関する合意の存在
(ア) M及びNは共に、おおむね以下のように供述して(甲二六、三八、N二回、M四、五回)、NがMに被告人Aへの請託を依頼して、Mがこれを了解したという、代表質問に関する請託の合意が成立したことを認めている。すなわち、
a Nは、日ごろから頻繁にB山事務所を訪れて、被告人Bと面談していたところ、平成七年一二月ころ、被告人Bから、被告人Aが平成八年一月に開会される国会において代表質問を行うことを聞いた。
b Nは、被告人Aの代表質問において、国に対して職人大学設置推進を訴えてもらえるならば、職人大学設置に向けた大きな励みになると考え、平成七年一二月末又は平成八年一月初めころ、KSDの理事長室を訪れ、Mに対し、被告人Aが代表質問を行うことを告げたところ、Mとの間で、この際、せっかくの機会であるから、被告人Aにお願いして、職人大学設置に関する質問を入れていただこうという話になった。
(イ)a このようなM及びNの各供述は、相互によく合致していて、信用性を補強し合う関係に立つとともに、これらの供述に反する証拠は存在しない。しかも、前記イで指摘したような職人大学ないし本件代表質問をめぐる当時の状況や事態の推移に沿った自然な内容であるから、いずれも高い信用性を認めることができる。
b この点、弁護人は、仮にNが供述するようなやり取りがMとの間であったとしても、Mが被告人Aと会う約束を自ら取ったり、Nに取るように指示したことはないし、Nは、公判段階において、Mが被告人Aに対し代表質問請託をしたことを知らなかった旨供述していることに照らすと、Mは、Nの話に単に相づちを打っただけで、自ら請託しようと決めて賛意を表したものではないから、代表質問請託に関する合意が成立したとはいえない旨主張する。
しかしながら、Mのスケジュールを管理していたダイアリー(弁一)及びKSD秘書課長をしていたEのスケジュール帳(弁三一)には、平成八年一月一〇日午後一時から二時の間に、Mが被告人Aを訪問することが明記されているのであって、この訪問は、あらかじめ予定されていたものであることがうかがわれる。もっとも、Mの手帳(弁三五)には、この点に関する記載がないが、その記載内容をみると、一日に一、二項目程度の記載しかないものであるから、この手帳は、Mのすべての予定を記載したものとは考えられない。したがって、同日のMによる被告人A訪問は、当初から予定されていたもの、すなわち、事前にM側から約束を取り付けていたものであることが認められるのである。
なお、Nは、公判段階では、事件当時は、Mが被告人Aに代表質問請託をしたとは知らなかった旨供述する(N二回)が、捜査段階では、前記やり取りの際、Mから「そうだな、一度頼んでみよう。」との返事があり、Nとしては、その後、Mが被告人Aに請託をしたと思っていた旨供述しており(甲三八)、Nが供述するようなMとのやり取り、NがMと同様に職人大学設置や本件代表質問に重大な関心を抱いていたことなどに照らすと、Nの上記公判供述を信用することは困難である。
そうすると、弁護人の上記主張は、その前提を欠くものというほかない。
(ウ) そして、前記のように高い信用性の認められるM及びNの各供述により、MとNとの間に代表質問に関する請託の合意が成立したと認められるところ、その合意のあった平成七年一二月末ないし平成八年一月初めころから本件代表質問のあった同月二五日までの間に、Mが被告人Aと面会したのは、同月一〇日及び二二日の二回であったことが関係各証拠から明らかである。したがって、上記の合意が成立していたことは、Mがこのような面会の機会に被告人Aに対し代表質問に関する請託をしたことをうかがわせるものであり、その意味から、代表質問請託に関するM供述の信用性を裏付けるものといえる。
エ 代表質問草稿作成時の被告人Aの発言内容
(ア) 前認定のとおり、録音テープ(甲一二四・弁九、二六)等によると、被告人Aは、料亭A野でMと会った翌日の平成八年一月二三日に、代表質問の草稿のチェックを行った際、職人大学に関する質問に「マイスター制度」という言葉を取り入れるに当たり、その制度の内容について説明する発言の中で、「昨日Mさんに言ったら喜んでた、これ。」と述べたことが明らかである。
(イ) この発言の趣旨について、被告人Aは、当公判廷において、料亭A野での会合の時点では、Mが職人大学設置に消極的であり、熱心にこの問題に取り組んでいた私としては、Mが支援してくれれば財政的に助かるとの思いがあったため、遅れて参加した新年会の席で、Mら一同に向かって挨拶し、代表質問をすること、その中で中小企業問題にも職人大学設置問題にも触れることを伝えたところ、Mが手をたたいて「頑張ってやってくださいよ。」などと発言し、非常に反応が良かったので、その翌朝、上記のように話した旨供述している(被告人A二〇、二一回)。
しかしながら、前認定のように、Mは、同月当時、既にKGSの会長に内定しており、それまでにも、労働省や政治家らに強く働きかけ、大学設立準備室を発足させるなどして、KGSの設立、ひいては職人大学の設置に向けて熱心に活動していたのであって、被告人Aの上記供述は、このようなMの活動状況に明らかに反するものである。しかも、被告人Aが述べるように、Mがそれまで職人大学設置に消極的であったのであれば、特段の事情変更もなく、しかも、職人大学設置に当たり、KSDとしては多額の資金負担を期待されていたというのに、手をたたいて「頑張ってやってくださいよ。」と発言することなど考え難いことである。また、仮にMがそのような意外な反応を示したとしても、そのことを、被告人Aが、Mの姿勢の変化として自ら喜ぶのならともかく、Mが「喜んでいた。」と表現するのは、いささか不可解である。したがって、被告人Aの上記供述をそのまま信用することは困難である。
(ウ) これに対し、Mは、当公判廷において、前にみたとおり、職人大学の件の念押しをしておこうと思い、被告人Aに、「例の代表質問で大学の問題については一つよろしくお願いします。」と言うと、被告人Aが、「ああ、分かってる。今検討中だ。」と答えたと述べている。このような被告人Aの返答は、正にMの期待に沿うものであるから、これを聞いたMが喜ぶのは当然である。したがって、被告人Aの「昨日Mさんに言ったら喜んでた、これ。」という前記発言も、Mの上記供述の信用性を裏付けるものといえる。
ちなみに、Mは、捜査段階では、被告人Aに対し、「例の職人大学の件、どうかよろしくお願いします。」と言うと、被告人Aが、「ああ、分かってますよ。今、代表質問の原稿を練り上げている最中だから。」と再度約束してくれたので、大変うれしく感じるとともに安心した旨供述しているのである(甲二六)。
オ Nの代表質問請託を認める発言
(ア) SSF事務局長のIは、捜査段階において、平成八年一月中旬ころ、大学設立準備室を訪れた際、Nから「今度国会で職人大学の話が出るよ。A先生に職人大学のことを質問してくれるように頼んだんだ。」などと聞いた旨述べて、Nが本件代表質問の前に代表質問請託について関係者に漏らしていたという趣旨の供述をしている(甲一九。以下「I供述」という。)。
(イ) そして、I供述の信用性を裏付けるべき事情として、以下の点を指摘することができる。すなわち、
a Iは、捜査段階において、Nから前記のような話があった後に、SSFの事務局に送られてきた被告人Aの代表質問に関するファックスを見て、Nの言っていた国会質問というのはこのことだと思ったなどとも述べており(甲一九)、その供述は、前後の経緯も含めて具体的なものである。
b Iは、当公判廷では、アイム・ジャパン理事のHかNかのどちらか、あるいは双方から、職人大学の実現について被告人Aが質問をすると聞いたと思う、代表質問が行われるという情報だけだった可能性も否定できないなどと、あいまいになっているものの、被告人Aが職人大学に関して代表質問をすることは事前に聞き及んでいた旨供述しており、しかも、検察官に対してはできるだけ誠実に正確に話をし、中身を確認して署名指印したとも供述している(I一〇、一一回)。
c(a) Hは、Iから、「Nさんが来られて、今度、A先生にお願いして、国会の代表質問で職人大学設立に関する質問をしてもらうことになったと言われました。」などと聞いた旨(甲二〇)、SSF副理事長のQも、Iからだったと思うが、事前に、被告人Aが代表質問で職人大学設立の件を取り上げるという連絡を受けた旨(甲一三)、それぞれ捜査段階では供述していた。
(b) このように、これらの各供述は、内容がおおむね合致していて相互に信用性を補強し合う関係にある上、被告人Aと直接の利害関係のないIやHが殊更虚偽の事実を述べるべき理由も見出し難い。
(ウ) 次に、I供述の問題点について検討を加える。
a(a) 弁護人は、Iが、当公判廷では、①弁護人の質問に答えて、平成八年一月当時、ほとんどNとは会っていなかったと述べたり、②本件代表質問のテレビ中継を見ておらず、その様子をビデオにも録画していないとか、本件代表質問の内容を確認したのも、約一週間が経過してから、KSDからビデオを持ってきて見たのが始めてであるとも供述しているから、I供述は信用できない旨主張する。
(b) しかしながら、①の点は、Iが、検察官からの反対尋問に答えて、NがKGSの大学設立準備室を尋ねてきたときにHが留守であれば、自分がNと話をすることもあった旨供述しているところに照らすと、①の供述がI供述の信用性を減殺するものとは認め難い。
また、②の点に関し、Qは、前記のとおり、捜査段階では、Iから代表質問について知らされたと思う旨供述している(このQの供述の信用性については、後に検討する。)。また、本件代表質問当時、QないしIといったSSF関係者と被告人Aとの関わりは、KSD又はMを通してのみであり、Iが専心していたKGSの設立自体は、当時ほぼ確実な状況にあったことからも、Iの本件代表質問に対する関心は、限られたものであったことがうかがわれる。しかも、関係各証拠によれば、五〇分以上にも及ぶ本件代表質問の中で職人大学に触れられるのは、ごくわずかな時間であると認められるから、Iが、本件代表質問の当日はテレビ中継を見ておらず、後日にKSDからビデオを借りて確認したとしても、I供述の信用性を減殺するものとはいえない。
したがって、I供述の信用性に関する弁護人の主張は採用できない。
b(a) Hは、当公判廷において、事前にIから、Nの話として、被告人Aが代表質問することは聞いたと思うが、その内容までははっきりしない、ファックスは本件代表質問の後に見た記憶であるなどと、捜査段階の供述と比較して、あいまいになったり一部食い違う供述をしている(H八回)。
(b) しかしながら、Hは、証言当時六七歳と比較的高齢である上、捜査段階の取調べ以降に、同人自身や妻の健康状態が思わしくなかったとも供述しており(H八回)、その間に幾分記憶の減退があってもやむを得ない状況があったといえる。しかも、H自身、捜査段階の供述については、できる限り思い出して、その当時の記憶として間違いないことを確認して署名・押印した旨供述している(H八回)ことも考慮すると、上記のような公判供述が、その捜査段階の供述の信用性を減殺するものとも認められない。
c(a) Qは、当公判廷において、事前に被告人Aが代表質問を行うことは全く知らなかった、検察官に対し前記のように述べた事実はないが、取調べの冒頭で、検察官から事業所等の所在地を聞かれた上、指先一つでどこへでも行くと言われ、強制捜査を受けて社会的に抹殺されるかもしれないと感じて、事実と異なる検察官調書(甲一三)に署名指印した、この調書を作成した平成一三年三月一四日夜に、自分に嘘を付いていることが許せなくて「忘備録」(弁八)を作成したなどと供述している。(Q一〇、一一回)
そして、この「忘備録」には、「検察官が『今までの経緯の中でM氏がA議員に国会質問に入れてくれるように頼んだと思う。』と記載したので、それは違うと訂正をお願いしたが、横浜での陳情の流れを受けているのだからこれでいいのではないかと、訂正してくれなかった。」などと記載されているほか、欄外に「国会質問が行われることさえ知らなかったので何とも言えません、と言ったが、周囲の人たちは頼んだと言ってるよ、あなたはどう思うか。」などと記載されている。
(b) しかしながら、関係各証拠からは、SSFの事務局に対しても、ファックス送信等により、被告人Aが代表質問を行うことが事前に連絡されていたことは明らかである。そして、Qは、当時、SSF副理事長として、職人大学の設置に向けて直接に被告人Aや労働省に繰り返し陳情するなど、熱心に活動していたのであり、被告人Aや労働省の動静については重大な関心を持っていたと考えられる。したがって、Qが、被告人Aの代表質問について、事前に、SSFに送られてきたファックスを目にしたり、Iら他のSSF関係者から知らされることもなく、全く了知していなかったというのは、ファックス文書自体に職人大学の記載がないことを考慮しても、にわかに信じ難いところである。
また、Qは、当公判廷において、本件代表質問以降に、被告人Aが職人大学設置について代表質問したことを知った旨供述するところ、Qの公判供述を前提にしても、Qにとっては喜ばしい感動的な出来事であったはずなのに、その時期や場所等について、「(本件代表質問の後の)一週間くらいには……分かったと思う。」などと極めてあいまいな供述をするにとどまり(Q一〇回)、大学設立推進議連が結成されたことについても、それが何のためにあるのかも分からず、何も思わなかったなどと、誠に不自然な供述に終始しているのである。
そして、Qは、その述べるところから明らかなとおり、平成八年半ばころから、被告人Aとは、月一、二回ゴルフに行き、子息の結婚式にも主賓として招くなど親しく付き合っていたというのであり(Q一一回)、このような被告人Aとの関係も考慮すると、Qの上記公判供述は、職人大学設置に向けてKGSの母体となったKSDやSSFの関係者らが被告人Aに対して繰り返し働きかけをしていた一連の経緯について、被告人Aに不利益な供述をすることを避けようとする余り、殊更不自然な供述をしていることがうかがわれるのである。
さらに、Iは、Qに対して職人大学についての代表質問がある旨告げたとは供述していないから、Qの捜査段階の前記供述が他の者の供述内容を押し付けられたものとは認め難いことも考慮すると、上記「忘備録」(弁八)の存在等を考慮しても、Qの捜査段階の上記供述を検察官の創作と考えることは困難である。
したがって、事前に被告人Aの本件代表質問について知っていたとするQの捜査段階の上記供述は、少なくともI及びHの捜査段階の前記各供述の信用性を裏付けるという意味においては、その信用性を肯定することができる。
d なお、Nは、当公判廷において、被告人Aの本件代表質問について事前にIに対し話をしたことはない旨供述している(N三回)が、Nの上記供述は、I及びHの捜査段階の前記各供述との対比において、信用性に乏しいものといわなければならない。
e 以上のとおり、信用性が高いと認められるI及びHの捜査段階の前記各供述によれば、Nが、平成八年一月中旬ころ、Iに対して、被告人Aに職人大学について質問してくれるように頼んだ旨述べた事実を認めることができる。そして、前認定のようなNとMとのKSDの活動における密接な関係をも考慮すると、このような事情は、同月一〇日の面会時に、Mが被告人Aに対して代表質問に関する請託を行ったことをうかがわせるものといえるのである。
カ Mの合同会議における発言
(ア)a 検察官は、M供述を裏付けるべき事情として、Mが、本件代表質問に先立ち、KSD等の内部の会議において、被告人Aに職人大学に関する代表質問をしてもらう旨発言したとも主張する。
b そして、アイム・ジャパンの専務理事であるPは、捜査公判を通じて、平成八年一月二二日に開催された合同会議の席上、Mが、出席者に対し、「今、KGSの設立の手続をしているが、労働省との調整が付いて、間もなく許可される見通しが付いた。今度、A先生にお願いして、国会の代表質問で、職人大学設立に関する質問をしてもらうことになった。」などと話をしたのを聞いたとか、同じ時か別の合同会議の席であったかについては記憶がはっきりしないものの、Mが、「A先生に職人大学設立に向けて議連を結成してもらい、関係各省庁への働きかけを活発に行ってもらう。」と話すのを聞いた旨供述し(甲二二、P六回)、Mも、捜査段階において、同じ会議で出席者に対し、「私からA先生にお願いして、代表質問で職人大学のことを質問していただけることになった。」などと発言した旨供述している(甲二八)。
(イ)a この捜査段階の供述について、Mは、当公判廷では、検察官から前記合同会議の議事録を見せられ、これに自分がそのように発言したことが記載されていたので思い出した旨供述している(M四回)が、当該議事録(弁六)には、そのような記載は見当たらない。しかも、Mは、その後、本件代表質問について合同会議で事後に報告した記憶は明確であるが、事前に話したという記憶ははっきりしない、検察官に見せられた議事録が代表質問前後のどちらのものかは分からない、被告人Aにお願いしたなどと代表質問の前に他人の前で述べるのは軽率なので発言していないと思うなどと供述を変遷させている(M五回)。
b しかも、この合同会議に出席した者の中で、P以外に代表質問以前に職人大学に関する質問があると聞いたと明言するものはいない(N二回、C八回、I1一〇回)。また、Pは、Mから会議の席などで、被告人Aの代表質問の話は何回も聞いており、代表質問の話は大学設立推進議連の話があったときと同じかもしれないなどとも供述している(P六回)。さらに、関係証拠によれば、大学設立推進議連については同年五月の合同会議で報告されていることが認められるから、弁護人の主張するその余の事情を考慮するまでもなく、Pの供述には、時期の正確性についての疑問を払拭することができない。
c そうすると、同年一月二二日の合同会議の議事録が、逐語的なものではなく項目ごとに要領をまとめたものであること、同年二月一九日の合同会議の議事録でも、職人大学については触れられていないことを考慮しても(弁六)、Mが、代表質問に先立って、KSD関係者らに対し、被告人Aに職人大学に関する質問をしてもらう旨発言したと認定することには合理的な疑いが残るのである。
(2) Mの公判供述の信用性に関する問題点
ア 問題点
Mの公判供述の信用性を検討する上で、それ自体に以下のような問題点のあることが指摘できる。
(ア) 代表質問請託に関するMの公判供述は、以下のように、それ自体あいまいであったり変遷している部分や客観的な事実経過とは異なる部分も認められる。
a Mは、平成八年一月一〇日の請託について、当初は、同月上旬ころと述べていたが、その後、同月一一日に新しい内閣が発足しているから、それより後に、新年の挨拶とは別個の機会にうかがった旨述べるようになり(M四回)、さらに、同月一〇日に新年の挨拶と一緒にお願いしたと供述するに至っており、その場所についても、幹事長室か議員会館事務所か判然としない旨供述している(M五回)。
b 同月二二日の料亭A野の請託についても、合同会議と同じ日に開催されたことが明らかであるのに、これと違う日であったように記憶している旨供述したり、新年会を行った部屋についても、一階の狭い部屋でなかったことは記憶が鮮明であるなどとして、他の客観的証拠に明らかに反する供述もしている(M四、一六回)。
c さらに、同じ日の合同会議において代表質問に関する被告人Aへの請託について発言した旨の供述内容が信用し難いことも、前にみたとおりである。
(イ) また、Mの公判供述の全体的な信用性に関しては、以下の点を指摘することができる。
a Mは、証人尋問当時、既に八〇歳ないし八一歳の高齢である上、本件で起訴されている事実はそれからおおむね五年以上も前の出来事であって、それをどの程度正確に記憶しているのかには疑問を残す余地がある。
b その供述内容にも、具体性や迫真性に欠ける部分が認められる。
c Mの当公判廷における供述態度をみても、自己の常々の習慣ややり方から推測して答えたり、実際の記憶以上に断定的に答えているのではないかと疑われる部分も目に付くのである。
(ウ) さらに、弁護人は、M供述が信用できない理由として、以下の点も主張している。
a Mは、KSDの資金を横領していた事件の余罪として本件の取調べを受けており、M自身の保釈や求刑において検察官の歓心を買うために検察官に迎合した可能性がある。
b Mは、第四、五回公判期日(以下、公判期日の回数を「第○回公判」と略称する。)における証人尋問の際に、弁護人から、平成一〇年四月に被告人Aに対し現金五〇〇〇万円を供与しようとして断られたことはないかとの質問を受けて、そのようなことは知らないと断言しながら、第一六、七回公判における再度の証人尋問の際には、そのような事実があったことを認めた上、前回の証人尋問でこれを否定したのは、自己に刑事責任が及ぶことを恐れたからである旨供述していて、自己の刑事責任を免れるために明らかに事実に反する証言を行っている。
c Mは、これら以外にも、被告人A以外の政治家に対する政治献金の状況等の自己の刑事責任が更に追及されかねない事柄については殊更あいまいな供述をしている。
イ 検討
そこで、以上のようなM供述自体の問題点について検討する。
(ア)a まず、Mの前記のような年齢に加えて、当時、Mが議員会館事務所や幹事長室あるいは会合等で被告人Aとしばしば会っていたことなどからすると、Mが被告人Aと面会している日時や場所、その際の会話の内容等といった細部について、ある程度記憶の混乱があったとしてもやむを得ないものといえる。そして、Mが被告人Aを訪ねた日を最終的に平成八年一月一〇日と特定したのは、当時のダイアリー(弁一)を見て記憶を喚起したというのであって、客観的な裏付けを伴っているということができる。
b また、Mは、当公判廷において、当時、料亭A野を毎日のように利用していたとも供述するところ(M四回)、同月二二日の新年会は参加者が五人であって、通常は一階の部屋を用いることのない人数であることも併せ考慮すると、場所について記憶の混乱が生ずることも不自然とまではいえない。
c 他方、職人大学について請託を行ったかどうかということについては、殊更虚偽を述べない限り、勘違いや記憶の混乱が考えられない事柄と考えられる。
(イ)a 次に、Mの公判供述に、結論は断定的に述べながら、その経緯や具体的状況についてあいまいな供述に終始する部分の多いことは、弁護人指摘のとおりであるが、このような供述状況は、Mの年齢や思い込みのやや激しい性格等からも説明することは可能であって、その供述態度のみから、Mが殊更記憶にない事実を述べているとまで推認することはできない。
b そして、Mの当公判廷における供述態度をみると、双方当事者からの質問に対して、しばしばその質問の趣旨を逸脱しても自分の言いたいことをすべて答えようとする姿勢が顕著に見受けられるのであり、弁護人に対してはもとより、検察官に対しても、その質問の意図を汲み取ってそれに迎合するような態度をうかがうことはできない。
(ウ)a もっとも、弁護人が指摘するように、平成一〇年四月の現金提供の点について、Mが、当初、これを否定するという事実に反する供述をしており、その理由について、Mは、当初の証人尋問でこの現金提供の事実について供述しなかったのは、自己の刑事責任追及を恐れてのことであり、その後、自分の弁護士と相談して供述する気持ちになった旨述べている。
b しかしながら、上記現金提供の事実は、Mが、本件の五〇〇〇万円の現金授受が行われたとされる平成八年一〇月より後に、この五〇〇〇万円の授受と同様の形で資金提供を行おうとしたとみる余地もあり、被告人Aにとって一概に有利な事実と評価することはできない。したがって、平成一〇年四月の現金授受の点について当初供述しなかったのは、自己の刑事責任の追及を恐れたためであり、その後、弁護士と相談して供述する気持ちになったとするMの公判供述は、十分納得のいくものであり、Mにおいて殊更被告人Aを害したり不利益を与えようとする意図があったとまでは認められない。
c かえって、Mは、罪となるべき事実第一に関しては、贈賄罪で起訴されて審理を受けていた者であるところ、本件各贈賄の事実のいずれについても、捜査段階及び当公判廷の証人尋問を通じて、犯罪事実を含め、自己に不利益な事実も率直に供述していると認められる。そして、本件各贈賄の事実はいずれも、Mの刑事責任の追及や社会的地位の喪失に直結するような極めて不利益な事実であることも考慮すると、Mが、平成一〇年四月の現金提供の事実について、当初、自己の刑事責任を免れるために虚偽の供述をしたからといって、そのことから、Mが本件各贈賄の事実についても殊更に虚偽の事実を述べているとまではいえない。
d そうすると、弁護人指摘の事情は、M供述のうち、記憶違いが考えにくく、Mにとって不利益な事実を自認している核心的部分、あるいは客観的な事実関係や他の関係者の供述によって裏付けられている部分についてまで、その信用性を大きく傷つけるものとはいい難いのである。
(3) まとめ
ア 以上みてきたように、Mの公判供述は、細部にわたり正確なものとまでは認められないし、その供述態度からすると、そのすべてを無条件に信用することは到底できないものである。
イ しかしながら、Mが殊更に虚偽の事実や被告人Aにとり不利益な事実を供述しているような状況は存在しない。しかも、その内容は、多くの部分で客観的な事実関係や他の関係者の供述によって裏付けられており、特に不自然・不合理な点も認められない。したがって、Mの公判供述のうちの、記憶違いが考えにくく、Mにとって不利益な事実を自認している核心的部分、あるいは客観的な事実関係や他の関係者の供述によって裏付けられている部分についてまで、その信用性に疑問を生じさせる事情は見出し得ないのである。
ウ そして、前記一(1)イ記載のような代表質問請託に関するMの公判供述は、同三(1)アないしオで指摘したように、Mの供述状況、多くの客観的な事実関係や他の関係者の供述によって裏付けられているのである。すなわち、
(ア) このMの公判供述は、その請託を行った時期や場所、やり取りの趣旨等の大枠については、捜査公判を通じておおむね一貫しており、捜査段階の供述によってその信用性が補強されている。
(イ) 代表質問請託に関するM供述は、Mが職人大学の設置に向けて積極的に活動を続ける一方、被告人Aが政治的にこれを支援していたところ、Mが、KGSの設立と職人大学の設置とを区別し、職人大学の設置には関与しない方針を堅持している労働省の姿勢に懸念を抱き、官僚に圧力を掛けようと被告人A等の国会議員に働きかけを強める状況の中で、被告人Aにより本件代表質問が行われ、更には被告人Aらにより大学設立推進議連が結成されたのを受けて、労働省が積極的方向に大きく方針を転換したといった職人大学ないし本件代表質問をめぐる当時の状況や事態の推移によく沿うものである。
(ウ) 代表質問請託があったとされる平成八年一月一〇日の直前の平成七年一二月末か平成八年一月初めころ、MとNとの間で、代表質問において職人大学設置に関する質問を入れるよう被告人Aに請託する旨の合意が成立した事実は、Mが同月一〇日と二二日に被告人Aと面談しているとの事実と相まって、代表質問請託の存在をうかがわせるものである。
(エ) 料亭A野での新年会の翌日、被告人Aが、代表質問の草稿をチェックした際、職人大学に関する質問を作成する過程で、「昨日Mさんに言ったら喜んでた、これ。」と発言したことは、M供述のうち、料亭A野で被告人Aに対し、代表質問に職人大学の質問を入れるよう請託したところ、被告人Aが約束してくれたので、Mが非常に喜び安心したとする部分によく沿うものである。
(オ) 同月中旬ころ、NがSSF事務局長のIに「今度国会で職人大学の話が出るよ。A先生に職人大学のことを質問してくれるように頼んだんだ。」という話をしたのは、代表質問請託の存在を直接裏付けるものである。
エ そうすると、代表質問請託に関するMの公判供述は、高い信用性を認めることができる。
四  弁護人の主張に対する判断
弁護人は、様々な事情を指摘して代表質問請託に関するM供述の信用性を争うので、以下、主要な論点について検討することとする。
(1) 期間延長問題について
ア(ア) 弁護人は、平成八年一月一〇日、Mが議員会館事務所を訪れて被告人Aと面会した用件は、当時、Mらが熱心に取り組んでいた外国人技能実習生の滞在期間の延長(以下「期間延長問題」という。)について関係省庁への働きかけを依頼する一環として、「技能実習制度の改正について(お願い)」と題するメモ(弁一〇。以下「期間延長要請メモ」という。)を被告人Aに手渡すことにあったから、本件代表質問に対する請託はなかった旨主張している。
(イ) そして、関係各証拠によると、以下のように、その当時は、期間延長問題が法務省の反対にあって難航していた時期であり、Mとしては被告人Aの法務省に対する働きかけを期待する状況であったことが認められる。すなわち、
a Mは、平成五年に外国人技能実習制度が導入された後、アイム・ジャパンにおいて、外国人技能実習生の受入事業を行っていた。しかし、外国人技能実習生の滞在期間が二年とされていたため、技術を習得したり実際の生産活動に従事できる期間が短いとして、受入先の中小企業や実習生らの不満が大きかった。そのため、Mや豊政連は、滞在期間を三年に延長することを目指して活動するようになったが、法務省や労働省は、当初はこれに反対していた(M四回、P六回、被告人A二〇回)。
b そこで、Mは、被告人Aに対して、法務省や労働省への働きかけを依頼しており、被告人Aは、平成七年一月にMらと共にインドネシアを訪問した際、インドネシアの労働大臣から、滞在期間の延長を求められて、その実現に努力する旨約束するとともに、同席していた労働省の当時の事務次官に対しても、国際貢献の観点からその方向で検討できないかなどと述べている(M四回、P六回、被告人A二〇回)。
c このような動きを受けて、同年夏ころ、労働省は、滞在期間の延長に前向きの姿勢を示すようになったが、法務省は、不法在留の増加等を恐れて消極的な姿勢を変えようとはしなかった(M四回、P六回、被告人A二〇、二二回)。
d そこで、Mは、同年一〇月下旬ないし一一月初旬ころ、アイム・ジャパン理事のPと話し合い、被告人Aに法務省に対する働きかけを依頼することとし、前記インドネシア労働大臣の発言内容や労働省の担当部局では具体的検討を終わっていることなどを記載した上、法務省官房長に対して労働省との協議に同意するよう同省入国管理局長に指示することを求めるメモ(A議員発言用メモ(弁一一))を作成し、被告人Aに交付した(M四回、P六回、被告人A二〇回)。
e その後、法務省としても業種を限定して滞在期間の延長を認める方針であることが明らかになったことから、Pは、Mと相談した上、アイム・ジャパンとして期間延長を求める職種をまとめたメモ(期間延長要請メモ)を作成し、平成八年一月ころ、被告人Aに交付した。
さらに、Mは、平成七年一一月ころや平成八年三月ころに、Oに対し、参議院労働委員会や中小企業特別委員会において、労働省に対して滞在期間の延長を求める質問をすることを依頼するなどしていた(M四回、被告人A二〇回)。
f そうしたところ、法務省は、平成八年九月になって、外国人技能実習生の滞在期間の延長について了解するに至った(M四回、弁一三)。
(ウ)a そして、期間延長要請メモには、手書きで「八・一・一〇 A大臣から法務省官房長へ」と記載されているところ、被告人Aは、当公判廷において、私をA大臣と呼ぶのは労働省の官僚であるから、この記載は労働省の官僚によって書かれたものである、私は、支援者等から直接相談を受けた場合、相手の目の前で、電話を架けるなどして直ちに処理するのが日ごろの流儀であるから、Mからこの書面を受け取り、その説明を受けた際に、その場で労働省の官僚に電話を入れて、この書類を取りに来させたはずである、また、その日は、新年の年始客で混み合っていたので、Mらと話をしたのは五、六分か長くても一〇分以内であるから、職人大学の話は出ていないなどと供述している(被告人A二〇~二二回)。
イ そこでまず、期間延長要請メモの存在や記載内容等が、Mによる代表質問請託を否定する事情になるかについて検討する。
(ア)a 関係各証拠によれば、被告人Aの事務所は、毎年一月四日が仕事始めであり(甲七九、被告人B一八回)、Pが、平成八年一月は五日と九日の二回、議員会館の被告人Aを訪れていること(甲一三三)が認められる。
そして、Pは、当公判廷において、期間延長要請メモを、被告人Aに対し、単独かMと一緒かははっきりしないが、直接届けて説明したような記憶がある、捜査段階には、Mから一人で届けに行けと言われて被告人Aの下に持参した旨述べたかもしれないと供述している(P六回)。
b 一方、Mは、当公判廷において、期間延長問題と職人大学の問題は中身が異なり、一緒だと大変なので区分しようと思っていた、同月一〇日に被告人Aと会った際は、当時の政治の状況だとか期間延長の問題とか、別の話はしていない、期間延長要請メモを作成させたことも記憶していないし、私が持っていったかどうかも定かではないなどと述べて(M四回)、その日に期間延長問題について被告人Aに依頼した記憶がない旨供述している。
この点、Nも、当公判廷において、確かに、当時、期間延長問題は頭にあったが、この問題をAに依頼しようとまでは思っていなかった旨供述しており(N三回)、しかも、Mが、期間延長の問題を請託しながら、あえて職人大学の問題を請託したなどと虚偽の事実を述べる理由は考え難いことであるから、Mの上記公判供述の信用性はそれなりに肯定することができる。
c これに対し、被告人Aの前記供述は、自己の日ごろのやり方に照らすと、期間延長要請メモについても、メモを受け取ったその日、すなわち、同月一〇日に法務省官房長に電話を入れていると思うというものであり、上記メモを受け取った日時について具体的な記憶に基づき供述するものでないことが認められる。
d そうすると、期間延長要請メモは、同月五日又は九日に、Pが被告人Aに手渡した可能性が強いというべきである。
(イ)a もっとも、Mは、当公判廷において、Pに対し、被告人Aのところに行って書面を渡して来いなどと指示した記憶は余りない旨供述し(M四回)、被告人Aも、Pとは格の違いがあるので、特にMに頼まれたりしない限り、その依頼を官僚に対して取り次いだりはしない旨供述している(被告人A二〇回)。
b しかしながら、Mの上記供述は、あいまいなものであるし、Mは、それと同時に、Pに指示して、被告人Aから法務省に言ってもらいたいことを書面に作成させたことは、当然したんだろうと思う、被告人AのところにPと一緒に行ったことはまずないんじゃないか、Pを一人で行かせることは、彼の行動だから分からないとも供述している。
また、被告人Aも、PがMの指示を受けて書類を持ってくる可能性までは否定していない。
そして、前認定のように、同月五日及び九日の二回、Pが現に議員会館事務所を訪れていること、期間延長要請メモの「八・一・一〇 A大臣から法務省官房長へ」という部分は、その記載状況から、メモ本文が作成された後に手書きで書き入れられたものとうかがわれること、上記メモの内容は、Mが滞在期間の延長を求める職種を羅列したものにすぎず、それをそのまま法務省等に渡すような事務的連絡事項に属することがうかがわれることに照らすと、上記のようなM及び被告人Aの公判供述から、Xが同月五日又は九日に上記メモを持参した可能性を否定することはできない。
(ウ)a この点、弁護人は、Pが同月五日又は九日に被告人Aに対して期間延長要請メモを渡していたとしても、その内容については、Mが改めて説明しなければならないはずであり、PがMと同月八日及び一〇日に面会していることからも、同月一〇日の用件は期間延長問題にほかならない旨主張する。
そして、Mのスケジュールを管理していたダイアリー(弁一)によると、同月八日及び一〇日の朝にも、MがPと面会していることが認められる。
b しかしながら、期間延長要請メモの内容は一見して明らかであり、しかも、メモに記載された、被告人Aが口頭で説明を受けた内容とおぼしき事項の記載を見ても、このメモの授受の際の説明は事務的かつ短時間の説明で済むものであったことがうかがわれる。
そうすると、Mが、このメモだけを先に届けさせた上、別の機会にその内容を説明するような迂遠なことをするとは考えにくく、弁護人の主張は根拠の乏しいものというほかない。
(エ)a また、Mは、当公判廷において、平成八年一月以降、被告人Aに会った際には、期間延長問題に関する話があったと思うが、特段そのために被告人Aに会いに行くというようなことは、まず、なかったんじゃないかとも述べており(M四回)、これは、Mが、そのころ、被告人Aと会う機会があれば、期間延長問題についても何らかの話をしていたことをうかがわせるものである。
b しかしながら、Mの代表質問請託に関する前記供述からは、職人大学の請託に要した時間はごく短時間であったことがうかがわれる。また、期間延長要請メモの記載からは、その内容は専ら事務的なもので、被告人Aが口頭で受けた説明を手書きしたとされる内容も、ごく簡単なものにとどまるのであり、説明にさほど長時間を要したものとは認められない。そうすると、仮に、同月一〇日に、Mが被告人Aに対し期間延長問題について上記メモに関する説明をして法務省への働きかけを依頼するようなことがあったとしても、そのことから、代表質問に関する請託がなかったことになるものではない。
(オ) そうすると、前に判示したとおり、同月一〇日に本件代表質問に関する請託を行った旨のM供述が十分な裏付けを伴っていることと対比するとき、期間延長要請メモが存在し、それに前記のような記載があるからといって、その日の用件が期間延長問題のみであって本件代表質問に関する請託はなかったとする合理的な疑いは生じないのである。
ウ(ア) なお、弁護人は、平成八年一月当時、職人大学については、労働省によるKGSの設立許可が事実上決定される一方、期間延長問題は難航していたから、期間延長問題ではなく職人大学に関して請託を行ったとするM供述は、不自然で信用できない旨主張する。
(イ) しかしながら、前認定のとおり、当時、労働省は、KGSの設立と職人大学の設置とを切り離す立場を堅持しており、KGSが設立されても職人大学の設置に向けた国のバックアップが期待できない状況にあったから、職人大学の設置について被告人Aの働きかけを必要とする事情があったといえる。
他方、期間延長問題についても、Mは、被告人Aに会った際には、その問題に関する話があったと思う旨供述していて、被告人Aと会う機会に期間延長問題についても話していたことがうかがわれる。
しかも、職人大学の設置は、新たな形式の大学を設けるという大学制度の在り方の根幹に関わる問題であるのに対し、外国人技能実習生の滞在期間の延長は、既に存在している制度を一部手直しする問題にとどまるのであり、内閣総理大臣の施政方針に対する代表質問に取り入れる内容としては、職人大学の設置問題がよりふさわしいものともいえる。
そうすると、Mが被告人Aに対して代表質問に取り入れるよう請託する内容として、期間延長問題ではなく職人大学設置を選択したとしても、決して不自然なこととはいえないのである。
エ 以上のとおり、期間延長問題に関する弁護人の前記主張は、すべて採用することができない。
(2) 平成八年一月一〇日の議員会館事務所の状況について
ア(ア) 弁護人は、平成八年一月一〇日当日は、議員会館事務所に非常に多くの年始の挨拶客が来訪しており、客観的に見て職人大学に関する請託ができるような状況ではなかった旨主張する。
(イ) そして、被告人Bは、当公判廷において、議員会館事務所では、例年相当多くの人が年始の挨拶に来ており、特に平成八年は、一月五日に内閣が総辞職したこともあって、月曜日である同月八日以降、挨拶に来る人が特に多くなり、一人当たり一、二分くらいの時間しかなく、ゆっくりと被告人Aと話ができる状況ではなかったなどと供述し(被告人B一八、一九回)、Nも、当公判廷において、その年の年始の挨拶の時は、被告人Aのところは三組か四組必ず人が集まっていて、新年の挨拶以外にいろいろと話をする余裕はなく、立ち話だったと思うなどと述べて(N一六回)、いずれも弁護人の上記主張に沿う供述をしている。
イ しかしながら、立ち話しかできないような混雑状況が一日中続くというのも通常想定し難いことである。また、被告人Aは、当公判廷において、平成八年は政権が交替して役人や団体の客が例年よりも多かった旨述べる一方、Mとの面談時間は五、六分か長くて一〇分程度であった、先方から話があれば、年賀だけにしてくださいというわけにはいかないから、自然体でお話を受けていた旨供述している(被告人A二〇、二一回)。さらに、Mは、当公判廷において、この時の会話は一分とか二分とかで、余り前置きを置かず、余計な話をすることなく、単刀直入に用件を述べた旨供述しており(M四回)、その際のやり取りはごく短時間のうちに済んだことがうかがわれる。
ウ そうすると、平成八年一月一〇日当日に、議員会館事務所に多くの年始客が訪れていたことを前提としても、Mが代表質問請託を行うような状況でなかったとまでは認められないから、この点に関する弁護人の主張も採用できない。
(3) Nの公判供述について
ア(ア) Nは、当公判廷において、平成八年当時、Mが国会議員に会うときは必ず自分が同行しており、同年一月一〇日は被告人Aの下に一緒に新年の挨拶に赴いたと思うが、Mが被告人Aに対し、代表質問について何かを依頼した現場に立ち会ったことはない旨供述し(N一六回)、弁護人は、このようなN供述を根拠として、代表質問請託に関するM供述は信用できない旨主張する。
(イ) そして、被告人A及び被告人Bは共に、当公判廷において、その日は、NがMと一緒に新年の挨拶に来たことを記憶している旨供述している(被告人A二〇回、被告人B一九回)。
(ウ) これに対し、Mは、当公判廷において、被告人Aと会うときは大体Nと二人で行く、同月一〇日も、おそらく控室までは一緒だったと思うが定かでない、普通の場合は、Nは控室で待っており、その日も遠慮していたかもしれないが、はっきりした記憶がないと供述している(M一六回)。
イ そこで、同月一〇日のMと被告人Aとの面談状況に関するN供述の信用性について検討する。
(ア)a Nは、捜査段階では、Mとの間の代表質問請託に関する合意について述べた上、その後、Mが被告人Aに対して代表質問の中で職人大学設置の件を取り上げて政府に支援を求めていくようにお願いしたものと思っていたとのみ供述していて(甲三八)、Mが被告人Aに対する年始の挨拶に行くのに同行したとの供述はしていなかったことがうかがわれる。
しかも、Nは、第二、三回公判の証人尋問においても、この同行の有無については一切供述していなかったのに、第一六回公判の再度の証人尋問の際に初めて前記供述をするに至ったものである。
b(a) この点、弁護人は、Nの捜査段階の供述調書に同月一〇日の同行に関する記載がないのは、Nが、捜査段階から、Mが請託したことを見聞きしていない旨供述していたので、検察官として、同月一〇日の同行の有無につきNを追及すると、請託がなかったことが明らかになってしまうと考えて、あえて追及しなかったか、請託を否定する調書を作成しなかったためであり、また、第二、三回公判でNが供述しなかったのは、その時点で弁護人に開示されていた証拠には、Nが同月一〇日にMに同行したことをうかがわせるものがなかったため、あえて弁護人からは質問せず、検察官からの質問もなかったためにすぎない旨主張する。
(b) しかしながら、前認定のように、Nは、豊政連事務総長として、KSD等の政治活動につきMの相談相手となり、KSD等から国会議員に対する連絡や陳情等を担当していた者であるところ、本件代表質問前にMが被告人Aと面談して代表質問請託を行った可能性があるのは、同月一〇日と同月二二日のみであり、特に同月一〇日は、Mが被告人Aに新年の挨拶をした日であった。したがって、検察官としては、その新年の挨拶にNが同行していないか、同行したとすれば、その際のMと被告人Aとのやり取りはどのようなものであったかについて重大な関心を抱くはずであり、これらの点についてNに対する詳細な取調べをしないようなことは想定し難いところである。
また、Nは、後にみるように、当公判廷では、多くの点で捜査段階の供述とは異なる供述をしているところ、弁護人主張のように、捜査段階において、検察官と取引するなどして虚偽の供述をしていたのであれば、検察官の取調べに対して、前記のように、Mが被告人Aに代表質問請託をしたと思っていた旨の供述調書(甲三八)の作成に応じ、かつ、同月一〇日にMに同行したことは認めながら、その際に請託はなかった旨の供述をするようなことは考えにくい。しかも、仮に、Nが請託はなかった旨供述しているのに、検察官がその旨の供述調書を作成しなかったとすれば、Nにとっては、特に印象深い出来事であったはずであるから、第二、三回公判に、代表質問請託に関する合意の有無や認識の有無等について詳しく供述した際に、Nがこの点に全く触れなかったというのも不可解である。
c そうすると、前記a記載のような供述経過は、それ自体、同月一〇日の面談状況に関するNの前記公判供述の信用性に相当の疑問を抱かせるものである。
(イ)a また、Nは、当公判廷では、捜査段階の供述と対比して、Mとの共謀やMによる罪となるべき事実第二の現金五〇〇〇万円の準備といったMの刑事責任を裏付けるべき事項については検察官の主張に沿う供述を維持する一方、同第一の家賃相当額の支払方法の変更などを被告人Aに報告した状況、同第二の現金五〇〇〇万円の授受やそれに至る被告人Aとの連絡状況等といった被告人Aの刑事責任に直結する事柄については、ほとんどすべての事項について供述を翻している。
b(a) ところが、Nは、このように捜査段階の供述を翻した理由については、多くの場合、特に明らかにしていない。
(b) しかも、Nは、Mについて、捜査段階では、平成九年後半ころより関係が悪化して、平成一〇年夏ころには修復できなくなり、平成一一年六月に豊政連から現在の会社に左遷されたなどと供述し(甲三四)、当公判廷においても、Mは、被告人Aと疎遠になったため、被告人Aにかわいがわれている自分も憎くなったのだと思うなどと述べて(N一六回)、Mに対する敵意をうかがわせている。
(c) 他方、Nは、被告人Aについては、糖尿で入院したら、すぐにお見舞いに駆けつけていただいた、外国にも連れて行ってくれたなどと供述した上、現在でも、大変尊敬できる方と思っており、感謝の気持ちを持ち続けているなどと供述している(N二、三回)。
c このように、Nは、当公判廷においては、できるだけ被告人Aに不利益な供述を回避しようとする態度がうかがわれるのである。
(ウ)a さらに、Nは、当公判廷において、Mが罪となるべき事実第二の現金五〇〇〇万円を供与したとされる平成八年一〇月二日には、被告人AとMが面談する場面に立ち会わなかったし、Mが被告人Aから現金五〇〇〇万円の返還を受けたとされる同年一二月一〇日には、議員会館事務所までMに同行しなかった旨供述しており、この供述に反する証拠はない。したがって、Mが被告人Aと面談する際に、Nが例外なく立ち会っていたものでないことが認められる。ちなみに、同年四月から被告人Aの秘書として議員会館事務所及び幹事長室で勤務していたJ1は、当公判廷において、Mが被告人Aを訪ねてきたことが四、五回あるが、いずれもEという秘書のみが同行し、Mが被告人Aと面談する際は秘書が外で待っていた旨供述しているのである(J1六回)。
b(a) そして、Nのスケジュール帳(弁三四)によると、同年一月一〇日の午後の欄は空欄であることが認められる。
(b) この点、Nは、当公判廷において、Mが政治家を訪問することは日常のことであったので特に記載していない旨供述する(N一六回)。
しかしながら、Mの秘書が作成していたダイアリー(弁一)及びMと行動を共にしていたKSD秘書課長のE作成のスケジュール帳(弁三一)には、Mが議員会館事務所に被告人Aを訪問することが明記されていて、この訪問時刻はあらかじめ定められていたことがうかがわれるのに、Nのスケジュール帳にのみ記載がないというのは、Nにはその日に被告人Aを訪問する予定がなかったことをうかがわせるものである。
(c)α なお、弁護人は、Eの上記スケジュール帳の同月一〇日の欄に「P1~1:30A先生」、「2~大蔵省(K1B)(NS)」との記載があること、Nが、当時、KSDは大蔵省関係の懸案事項を有しており、同日には、大蔵省にもM及びKSDのK1部長と共に年始の挨拶に行ったはずである旨供述していること(N一六回)を根拠として、議員会館事務所にもMに同行した旨のNの前記供述は、自然な内容である旨主張する。
β しかしながら、上記スケジュール帳の記載状況からすると、Mが同日午後二時以降に大蔵省を訪問した際、Nが同行していたことはうかがわれるが、その前に、被告人Aを議員会館事務所を訪れた際にも、Nが同行していたことまでは認め難いのである。
この点、弁護人は、「P1~1:30A先生」、「2~大蔵省」との各記載の左側が大括弧でくくられ、「(K1B)」、「(NS)」との各記載が右側の大括弧でくくられているから、被告人Aの下にもNが同行したことは間違いない旨主張するが、右側の大括弧は「P1~1:30A先生」にまではかかっていないものと認められる。
c そうすると、同月一〇日の面談状況に関するNの前記公判供述は、客観的な裏付けを欠くものというほかはない。
(エ) 以上のとおり、前記(ア)a記載のような供述経過は、それ自体、同月一〇日の面談状況に関するNの前記公判供述の信用性に相当の疑問を抱かせるものであるし、Nは、当公判廷においては、できるだけ被告人Aに不利益な供述を回避しようとする態度が十分うかがわれるのであり、しかも、上記公判供述は、それ自体、客観的な裏付けを欠くものである。したがって、Nの上記公判供述の信用性には疑問が残る以上、この供述が、前にみたとおり、多くの客観的裏付けを伴って高い信用性が認められるMの公判供述の信用性を動揺させるに足りるものとはいえないから、この点に関する弁護人の主張も採用できない。
(4) 平成八年一月二二日の料亭A野における請託について
ア 弁護人は、以下のような事情を指摘して、料亭A野における請託に関するMの公判供述は、不自然極まりないもので、信用できない旨主張する。
① Mは、当公判廷において、料亭A野の新年会では、長方形をした机の長辺の中心に主賓である被告人Aが着席し、Mが机を挟んでこれと対面している図を書いた上、私は机を回り込んで被告人Aに近づき、代表質問についての念押しをした旨供述しているが(M四回)、宴会場である料亭A野一階の狭い部屋では、机を回り込んで請託を行うというのは不自然である。
② 被告人Aがこの新年会に参加した当時は、被告人Aが供述するように、歌手が入り芸者も喜んで一緒になって騒いでいる状態だったのであり(被告人A二〇回)、この会に参加していたHが供述するように(H1一三回)、すぐ側にいたH1も、Mの被告人Aに対する請託を聞いていないことからすると、その場でMの供述するような請託が行われたとは考え難い。
③ Mは、本件代表質問について請託を行った際、被告人Aから「代表質問の原稿を練り上げている最中だから。」、「今、検討中だ。」と言われた旨供述しているが、当時、職人大学に関係する部分を含めて既に原稿の草稿はでき上がっていたのであるから、このような返事をすることは不自然である。
イ(ア) そこで検討するに、まず①及び②の点は、確かに、料亭A野の一階の部屋の狭さに加えて、当時は、客だけでも五名が着席し、芸者やバンドも入っていて、相当に窮屈な状況であったことがうかがわれるところ、このような状況の中で、周りの者に不信感を抱かせることなく他の者の後ろを回り込んで移動するようなことが相当に困難であったとはいえる(弁二八、G1一三回)。
しかしながら、Mが供述する着席位置が、Mの確かな記憶に基づくものではなく、推測にすぎないことは、その供述内容からも明らかである。そして、当時、同席していたH1は、着席位置について、被告人Aは部屋の一番奥に座っており、Mはその間に芸者が入っているものの、被告人Aと机の角を挟んで座っていた旨供述する(H1一三回)ところ、当日撮影されたポラロイド写真(甲一二八)によると、H1の供述どおりに、被告人Aが部屋の一番奥に座っていることが認められるから、当日は被告人A及びMがH1の供述するとおりの位置に着席していたものと認められる。
そして、このような当時の着席状況からすると、いかに宴会が盛り上がった状況にあったとしても、芸者が席を外すなどした際に、Mが、間を詰めて被告人Aに近づき、その供述するようにごく短時間の請託を行うことも十分可能な状況にあったといえるのである。
また、H1は、自分は他の出席者らと冗談話をしていたので、被告人AやMに関心を寄せる余地もなかったなどと供述しているのであって、H1がMによる請託に気付かないことも、当然あり得ることと考えられる。
(イ) 次に、③の点については、その日は、前認定のように、被告人Aの秘書らが代表質問の原稿を校正(圧縮)している段階であり、その内容については未確定であったのであるから、被告人AがM供述にあるような返答をしても、決して不自然なこととはいえないのである。
(ウ) したがって、料亭A野における請託に関する弁護人の主張も採用できない。
(5) 本件代表質問の作成状況等について
ア 被告人Aの職人大学設置に対する姿勢
(ア)a 弁護人は、被告人Aは従前より中小企業問題に強い関心を持っており、その政治理念に基づいて職人大学を代表質問に入れたものである旨主張する。
b この点、被告人Aが、その政治姿勢として、社会的弱者や中小企業の問題に強い関心を示しており、職人大学設置構想にも自ら積極的に取り組んでいたことは、関係者が揃って供述するところである。すなわち、
(a) 参議院議員であるSは、公判廷において、Rから職人大学設置構想を聞き、被告人Aに対してこの構想について話をしたところ、職人を主人公とする司馬遼太郎の「花神」という小説を紹介された、代表質問の直前の平成八年一月二三日、被告人Aがやって来て、「職人の後継者不足が言われておるときだから、そのことを含めて、職人の育成という日本の文化や工芸の伝承する人材を育成する職人大学を作ることを代表質問の中に織り込みたいと思うが、君の意見は何かあるか。」と尋ねられた旨供述している(S一四、一五回)。
(b) 被告人Aも、捜査段階において、平成七年夏か秋ころ、職人大学実現に向けて行動を起こし、職業能力開発局長に労働省としての見解を聞くとともに、平成七年暮れころから平成八年初めころにかけて、自民党の大物衆議院議員二名に協力を求め、さらに、経団連の専務理事にも、職人大学設置のための寄付金集めについて財界としての協力を求めるなどした旨供述している(乙四、被告人A二〇回)。
c そして、被告人Aが積極的に職人大学設置構想に取り組んでいたことは、前記第二の四で認定した職人大学設置に至る経緯からも明らかであり、同構想が、被告人Aの政治信念に適うものであることから、被告人Aが同構想を積極的に支援し、代表質問にまで取り上げたことについては、特に疑問を差し挟むべき事情は認められない。(L一三、一五回、L1一四、一五回、S一四、一五回、被告人A二〇回、二一回)
(イ) しかしながら、このような被告人Aの政治姿勢や、被告人Aが職人大学設置構想に積極的に取り組んでいたことと、同じく職人大学設置に向けて積極的に活動していたMから代表質問に関する請託を受けることとは、何ら排斥し合う関係に立つものではない。
イ 被告人Aが本件代表質問を提案するに至った経緯
(ア) 弁護人は、代表質問請託に関するMの公判供述は、以下のとおり、本件代表質問の原稿作成経過と矛盾して、内容的に不自然であるから、信用できない旨主張する。
① Mは、平成八年一月一〇日に被告人Aから「今、原稿作っている最中だから。」と言われた旨供述するが、当時はまだ原稿を作っている段階ではなかった。
② 被告人Aは、同月一二日、放送関係者であるC1ら自己のブレーンと会合を開き、代表質問の中に組み入れるテーマを抽出して分担を決め(甲五七)、さらに、同月一七日には、同じブレーンである雑誌編集者のLと代表質問の原稿について打ち合わせをしているが(甲五八)、これらの際には、職人大学についてC1やLと話をしていない。
③ 録音テープ(弁九、二六)によると、同月二〇日の代表質問作成当時、被告人Aは冒頭に代表質問に入れるべき項目を列挙しているのに、その中には職人大学の件が入っていない。
(イ)a そこで検討するに、まず①の点は、被告人Aは、その供述によっても、前年一二月末から過去の代表質問を取り寄せるなどして準備を開始していると認められるから、平成八年一月一〇日時点で「今、原稿作っている最中だから。」と述べたとしても、特に不自然なこととはいえない。
b また、②及び③の点は、職人大学設置構想は、中小企業の後継者対策の一環という側面はあるにせよ、当時は決して広く世間に知られたテーマではなく、かつ、被告人Aが代表質問で取り上げた宗教と政治、外交・安全保障問題、子供の問題、住専・不良債権問題等と比べると、中小企業問題の一部を占める比較的小さな問題ともいえるのであって、このような事柄の性質からすると、代表質問の大きなテーマを作成する段階において殊更提案しなくても決して不自然なことではない。
さらに、③の点に関しては、録音テープによると、同月二〇日の、被告人Aが「以上私の希望を申し上げておきました。」との発言の前の部分は、自己の政治信条に基づく問題意識を総論的に述べたものであることが明らかであって、その中で、個別具体的な職人大学設置構想の話が出ていないとしても、その時点でその構想に関する質問をする意図がなかったものと認めることはできないのである。
c したがって、この点に関する弁護人の主張も採用しない。
ウ 被告人Aが本件代表質問を提案した具体的状況
(ア)a 弁護人は、本件代表質問がMの請託を受けてのものでなかったことは、以下のようなこれが提案された状況からも明らかである旨主張する。
① 職人大学は、極めて自然な会話の流れの中で代表質問に取り入れられている。
② 本件代表質問が提案された当日、代表質問の原稿の作成に関わっていたのは、日ごろから被告人Aと何でもお互いに言い合える関係にある者で、他の政治家の悪口や内輪話を口にするなど、非常にフランクな雰囲気で作業をしており、もし、被告人Aが、その前にMから請託を受けていたのであれば、率直にその旨言わないはずはないが、Mからの請託に関する発言は存在しない。
③ ちなみに、代表質問に支援者から依頼された事項を盛り込むこと自体に違法性はなく、録音テープによると、被告人Aが、別の件に関し他の者から代表質問について請託を受けたことについても、その場の者に話しているのである。
b そして、被告人Aも、当公判廷において、自分の性格からすると、Mから代表質問について頼まれているのであればこの場で言わないはずはない旨供述している。
(イ)a そこでまず、①及び②の点についてみるに、録音テープによれば、前認定のように、代表質問の原稿作成の当初の段階では、中小企業問題についての原稿ができていなかったが、平成八年一月二〇日、住専問題に関する質問を入れる提案があって、中小企業と雇用不安の問題も質問すべきであるとの話になり、それを受けて、被告人Aが、中小企業問題に関して、後継者問題に触れた後に、職人大学設置構想に関する質問を入れることを提案しているのである。
そして、被告人Aからすると、代表質問請託は、それまで多額の資金援助等を受けているMからの請託であり、この請託に応じた場合には、Mからその見返りとしての資金提供も期待できるものである。したがって、被告人Aとしては、このような請託に応じる形で代表質問の原稿を作成することは、当然に後ろめたさを感じるであろう事柄と考えられる。
しかも、被告人の前記ブレーンらは、いずれも被告人Aの政治理念に共鳴して代表質問の作成作業に加担し協力していたものであるから、被告人Aとしては、質問内容自体は自己の政治信念に沿うものであっても、そのブレーンらに対して、Mから請託を受けていることを口にすることにためらいを覚えるであろうことも容易に想定できるのである。
さらに、代表質問の原稿の作成状況は、ブレーンらとの間で実質的な政策の中身にわたる討論を行い、被告人A自身の意見であっても、ブレーンが反対した場合には撤回するなどして進められていて、被告人Aが一方的に質問内容を指示して作成するような状況にはなく、職人大学設置に関する質問を盛り込むのであれば、中小企業対策など大きな政策に関連付けて、ブレーンらを説得する必要のある状況にあったことがうかがわれる。
そうすると、前記のような本件代表質問提案の経緯は、被告人Aが、住専問題から中小企業問題等に話が進展した機会に、それと絡めて、職人大学設置に関する質問を加える提案をしているともみられるのであって、代表質問請託の存在と何ら矛盾するものとはいえない。
b なお、③の点も、弁護人が、録音テープ中、他の者からの請託につき話していると主張する被告人Aの発言箇所は、録音テープ自体からは、その趣旨が判然としないものである。
また仮に、これらの発言箇所が、弁護人主張のように、「こども図書館」の問題や音楽著作権の問題に関してそれぞれに代表質問に入れてほしい旨の請託を受けたという趣旨の発言であったとしても、その各請託者個人ないしその所属する団体と被告人Aあるいはこれらの問題との関係、とりわけこれらの請託に応じた場合に、被告人Aとしてその見返りが期待できるような関係にあるのかどうかが全く明らかでない。そうすると、このような発言があったからといって、前にみたとおり、口にすることにためらいを覚えさせるようなMからの請託と同視することはできないのである。
c したがって、本件代表質問の提案状況に関する弁護人の主張も採用しない。
(6) Mの職人大学設置構想に対する姿勢について
ア 弁護人の主張等
(ア) 弁護人は、職人大学設置構想からMが利益を得るような関係にはなく、かつ、Mは職人大学設置に消極的な姿勢をとっていたから、Mが同年一月の時点で本件代表質問に関する請託に及ぶというのは不自然である旨主張し、そのようなMの姿勢をうかがわせるものとして後にみる諸事情を指摘している。
(イ) そして、Mの姿勢について、被告人Aは、当公判廷において、Mは、KGSが設立されて大学設立推進議連ができた平成八年六月ころからは職人大学設置に熱が入ってきたが、KGSができる以前は、財政面を抱えなければならないと考えたためと思うが、職人大学設置に余り積極的ではなかった旨供述している(被告人A二〇、二一回)。
イ 職人大学設置構想のもたらす利益
(ア)a そこでまず、職人大学設置構想がMやKSDにもたらす利益とMの職人大学設置構想に対する姿勢との関係について検討するに、職人大学の設置は、職人等の地位の向上につながり、後継者対策の一助となるという意味において、その設置構想は、将来的には中小企業、ひいてはKSDの会員である中小企業経営者の利益となるものであるから、Mがそのような構想の推進に熱心に取り組むことは、KSDの会員の期待に応え、会員数の確保ないし増大に資するものともいえる。
b また、Mは、捜査段階において、職人大学と共にドイツのマイスター制度のような資格制度を創設して、KSD又はその関連団体で資格の認定のための試験を実施することで利益を上げようと思っていたとも供述している(甲二六、二九)。
もっとも、その述べるところによっても、そのような資格制度の創設は職人大学設置の後とされており、職人大学の設置とは別に資格制度の創設に向けた具体的な活動が行われたり、その具体的な構想が検討された形跡はないのである。
c したがって、職人大学が設置されても、それがMやKSDに直ちに直接的な利益をもたらすものではないから、Mは、職人大学設置や資格制度創設に伴う近い将来の利益獲得を目的として職人大学設置構想に関与したものとは認め難い。
(イ) 他方、KGSの設立は、Mの発案になるものであるところ、当時のSSFの財政状態等をも考慮すれば、Mは、KGSを設立すれば、KSDとして多額の資金負担を免れないことを承知していたことがうかがわれる。ところが、Mは、それでも平成七年当時からKGS設立の方針を固め、その供述によると、その後、職人大学の設置のためにKSDから三〇億円近くを支出したというのである。
このように、Mが、近い将来の利益獲得が期待できないのに、あえてKGSの設立に踏み切り、多額の資金の拠出を行ったということ自体、Mの職人大学設置構想に対する積極的な姿勢を強くうかがわせる事情といえる。
この点、職人大学として設置された現在の「ものつくり大学」の理事であるKは、当公判廷において、職人大学の設置は、利権が生ずるといった性格の事業ではなく、Mは、事業欲というか信念というか、技能者のステイタスの向上なり中小企業の後継者作りというか、そういったことを非常に強く思い込んでやっているように見えた旨供述している(K一四回)。
(ウ) そうすると、弁護人の主張するように、MやKSDが職人大学設置から近い将来利益を受ける関係にないとしても、Mが職人大学設置に熱心でなかったことには結び付かないのである。
ウ Mの職人大学設置構想に対する姿勢
(ア)a 次に、Mの職人大学設置構想に対する姿勢について検討するに、まず、Mは、上記のとおり、KGSを設立すれば、KSDとして多額の資金負担を免れないことを承知しながら、平成七年当時からKGS設立の方針を固め、その後、職人大学の設置のためにKSDから三〇億円近くを支出している。
また、KGS設立の過程に限っても、Mは、前認定のように、QらSSFのメンバーが被告人Aや労働省のメンバーに陳情する機会を設定して、自らも立ち会っている。次いで、Mは、自らKGSの設立を提案して、そのための事務局をKSDビルに置いた上、KSDの関連団体の職員をKGSの設立に専従させ、平成七年中には、自分がその理事長になることを内定している。さらに、Mは、同年六月一三日、参議院中小企業対策特別委員会において、自ら職人大学設置を訴えている上、〇に対しても、参議院労働委員会における職人大学設置に関する質問を依頼しているのである。
したがって、代表質問請託があったとされる平成八年一月当時も、Mが職人大学設置構想に対する積極的姿勢を示していたことは疑いをいれない。
そして、録音テープから明らかなとおり、被告人Aが、同月二〇日の代表質問の作成作業において、職人大学について「これは今あそこで、KSDでこれをやろうとして、僕はやれと言っているんだけどね。」とか、「うん、…作るべきだよ。だからその一つとして職業大学…」と供述していることからも裏付けられるのである。
b(a) この点、弁護人は、まず、上記委員会におけるMの発言について、その内容を仔細に検討すると、Mは職人大学ではなく専ら中小企業の資金繰りの点に興味を寄せていることが明らかであり、委員から中小企業の後継者確保について質問を受けた際、事業承継時の相続税の問題及びマル経資金について、「この二点だけを先生方、皆様方よろしく御賢察の上、御検討賜りたく」と述べていることは、その証左にほかならない旨主張する。
(b) しかしながら、上記M発言の内容を検討すると、Mは、技能者養成の必要性に触れた上、その締めくくりとして、「私共も何としてでも支援してまいりたいと思っていますが」と述べて、職人大学設置構想を提案しているのであって、弁護人主張のように、専ら中小企業の資金繰りに重点を置いたものとは認められない。
また、Mが、事業承継時の相続税の問題及びマル経資金を挙げて、「この二点だけを先生方、皆様方よろしく御賢察の上、御検討賜りたく」と述べているのは、「例えばもっと具体的に、いやおれたちはこういうアイデアを持っているんだよ、こうしてくれればぐっと盛り上がるんだよとか、そういうお考え、アイデアがありましたら是非お聞かせ願いたい。」という質問に答えたものである。そして、この質問は、短期的で即効性のある施策を問う趣旨と解されるから、Mの上記発言も、その限りにとどまるもの、すなわち、長期に及ぶ施策であり、即効性までは期待できない職人大学設置構想についてはあえて外したものと解されるのである。
そうすると、上記のようなMの発言から、Mが同構想に消極的であったと認められないことは明らかであり、かえって、Mが別の部分で職人大学について何としてでも支援していきたいと言及しているのは、その当時も、Mが積極的に同構想に取り組んでいたことの証左というべきである。
c(a) また、弁護人は、平成七年二月、横浜でQらSSF関係者が被告人Aに陳情を行った際に、Mが同席しておらず、同年七月ころ、Qらが労働省職業能力開発局長を陳情に訪れた際にも、Mが同行していなかったとして、これらはMの職人大学設置構想に対する消極的な姿勢の現れである旨主張する。
(b) このうち、横浜の陳情について、M及びNは共に、捜査段階において、Mはずっと同席しており、最後に、Mから口添えがあった旨供述し(甲二六、三六)、そのことは、Mが被告人Aらと共に座って陳情を受けている写真の存在(甲一二二添付の「SSFニュース一〇号」)やMはずっと同席していた旨のIの公判供述(I一一回)によって客観的に裏付けられていて、十分信用することができる。
また、同年七月の陳情に関しても、前認定のとおり、Mは、その陳情のころ、二回にわたり、財団設立に向けてSSFと会議を行い、労働省に対して何らかの働きかけをする必要がある旨発言したほか、KSDビルの中に財団設立準備室を設置して、Hをその事務局長に任命し、KGS設立に向けた事務に専従させることにしているのである。したがって、Mがこの陳情に同行していなくても、職人大学設置構想に熱心でなかったなどといえないことは明らかである。
d(a) さらに、録音テープ(弁九、二六)に録音されている「これは今あそこで、KSDでこれをやろうとして、僕はやれと言っているんだけどね。」との発言部分について、被告人Aは、当公判廷において、この発言は、自分の方からMに積極的に職人大学に取り組むように要請していたことを言おうとしたものである旨、さらに、その後の「だからその一つとして職人大学…」という発言で録音テープが終わっている点については、その後に続けて自分がMに対して国家的視点から協力を求めていることを話している部分が録音されているはずなのに、テープがここで切断されているのは、非常に不思議に思った旨それぞれ供述している(被告人A二〇、二一回)。
そして、弁護人は、この被告人Aの供述を前提として、原稿作成状況を録音した五本のテープのうち、上記テープのみが協議の途中で終わっていること、テープの残り時間が八分あり、続きを録音したテープと内容が連続していないことなどを指摘して、被告人Aに有利な発言部分が消去された可能性がある旨主張している。
(b) しかしながら、被告人Aの「これは今あそこで、KSDでこれをやろうとして、僕はやれと言っているんだけどね。」との前記発言は、その内容からすると、KSD、すなわち、Mが、職人大学の設置を推進する方向で取り組んでおり、被告人Aも、これを促しているという趣旨に解される。したがって、被告人Aのこの発言は、前認定のような当時のMの職人大学設置構想に対する積極的姿勢とよく合致する一方、この発言について自分の方からMに要請していたことを言おうとしたものとする被告人Aの公判供述は、それ自体、不自然というほかない。
さらに、前記テープの録音部分やその終了後の部分を再生しても、上から重ねて録音されたことをうかがわせるような不自然な点は全く認められないし、そもそも、録音が途切れた後に、被告人AがMに協力を求めているような発言をしていたとしても、Mの職人大学に対する姿勢は他の証拠から明らかであり、検察官が、このような発言をあえて消去しなくてはならないような理由も見出し難い。
したがって、録音テープに関する被告人Aの前記供述は、裏付けを欠くものというほかなく、そこに録音されている前記発言内容は、やはり、Mが職人大学設置に積極的に取り組んでいたことをうかがわせるものといえるのである。
(イ)a また、弁護人は、Mが職人大学設置構想に消極的であったことの根拠として、代表質問の当日、Mがそのテレビ中継を見ようとしていないことを指摘している。
b しかしながら、Mが被告人Aによる代表質問を重要視していたことは、前認定のように、Nが代表質問後に被告人Bから議事速報を取り寄せてMに見せていることや、M自身が職人大学に関するPRビデオにその様子を挿入するよう指示していたことなどから明らかである。また、関係各証拠によれば、Mは、当時、KSDの代表者等の要職を兼務して多忙な生活を送っており、代表質問の当日も、仕事のほかに、白内障の治療で眼科の定期検診を受けるなどのスケジュールをこなしていたことが認められる。さらに、Mは、当公判廷において、代表質問が決まった時から、そのビデオ録画を指示し、代表質問の翌日にそのビデオを見た旨供述するところ(M四回)、KSDで被告人Aの代表質問をビデオ録画していたことは関係各証拠から明らかであるから、Mとしては、いつでもその内容を確認できたのである。以上に加えて、代表質問は五〇分以上にも及ぶのに対し、職人大学に関連する部分は、そのごく一部にすぎないことも併せ考慮するならば、爾後にいつでもその内容を確認することができたMが、代表質問の当日にテレビ中継を見ていなかったからといって、そのことがMの職人大学設置構想に対する消極的な姿勢を示すものとはいえない。
c(a) この点、弁護人は、Mが、当公判廷において、弁護人から、被告人Aの代表質問を知ったのはいつかと聞かれて、直ちに、その夜ニュースで聞き、翌日ビデオで見た旨供述していることについて、Mが捜査段階ではビデオを見たとは供述していないことに照らすと、弁護人にテレビを見ていないことの不自然さを追及されて場当たり的に虚偽を述べたものである旨主張する。
そして確かに、Mは、捜査段階では、被告人Aが代表質問でどのようにして職人大学の設置を訴えてくれたのか早く知りたいと思っていたところ、Nが被告人Aの事務所から質問内容や答弁内容の記載された資料を取り寄せてくれ、質問内容を教えてもらった旨供述しており(甲二六)、Mが代表質問のビデオを見たという供述調書は作成されていないのである。
(b)α しかしながら、代表質問のビデオを見た旨のMの上記供述は、その前後の尋問の経緯に照らし、弁護人にテレビを見ていない不自然さを追及された結果として出てきた供述とは認め難いものである。
β また、弁護人は、Mの公判供述の不自然さとして、Mが、当公判廷において、取調べでは代表質問のビデオを見た話も検察官にしている旨供述しているのに、Mの検察官調書にはそのような記載がないとも主張する。
しかし、弁護人の指摘するMの供述部分は、弁護人から、上記のような検察官調書の内容を示された上、Nから報告を受けた時に最初に本件代表質問について知ったという内容になっているが、このようなことを検察官に言った記憶はあるかと確認されたのに対し、「それは最初だということじゃないですよ。N総長から、こういうふうに聞きました、ということです。報告書を持ってきたよ、ということです。」と答え、さらに、弁護人から、「その話は当初から言っていたんですか。」と聞かれて、「それは話してあると思いますよ。」と答えたものであって(M四回)、ビデオを見たことについて検察官に話したという趣旨まで含むものとはいえないのである。
γ しかも、Mは、捜査段階でも、代表質問の当日はテレビの国会中継を見ることができなかった旨供述しており、KSDでビデオを撮っていたかどうか、翌日以降にビデオを見たかどうかについては供述していない(甲二六)。そして、Nは、本件代表質問のテレビ中継を見て、被告人Bに依頼し、その日のうちに本件代表質問の原稿を、その翌日には議事速報をそれぞれもらって、Mにはこの議事速報を持って報告した旨供述しているところ(N二回)、Mの捜査段階の供述は、この議事速報による報告の点についてのみ供述したものともみられるのである。
δ 加えて、このように、NがMに早急に本件代表質問の内容を報告しようとしたことは、本件代表質問の内容が、正にM及びNに共通の重大な関心事であったことを強くうかがわせるものである。
ε したがって、代表質問の翌日にそのビデオを見た旨のMの公判供述はこれを信用することができる。
エ まとめ
以上のとおり、Mの職人大学設置構想に対する姿勢についての弁護人の主張も、すべて採用することができないのである。
五  総括
(1) 以上認定の本件代表質問前後の状況に、高い信用性の認められるM供述を総合すると、判示のとおり、被告人Aが、①平成八年一月一〇日、議員会館事務所において、②同月二二日、料亭A野において、それぞれMから、同月二五日に予定されている代表質問においては、国策として職人大学の設置を支援するよう提案するなど、職人大学設置のため有利な取り計らいを求める質問をされたい旨の請託、すなわち、代表質問請託を受けたことを、優に認めることができる。
そして、それぞれの請託の内容が全くの同趣旨であり、同月二二日の請託は同月一〇日の請託を踏まえた上の念押しのためのものであったと認められるから、両方の請託、すなわち、代表質問請託は一体のものと認めるのが相当である。
(2)ア なお、弁護人は、参議院における代表質問には明文の根拠規定がない上、国会法六一条の質疑や同法七四条の質問にも該当せず、国会の自律権によって政党の代表者に許されている演説にすぎないから、その性質としては外国要人の演説等と変わりがないなどとして、代表質問は参議院議員の職務権限には属しないなどと主張する。
イ しかしながら、憲法五一条は、国会議員が議院において質疑、討論を行うことを当然の前提とし、国会法は、質疑、討論、質問の範囲に特に限定を加えていない(同法六一条、七四条)。しかも、代表質問は、国会議員がその所属する会派を代表して内閣総理大臣等に質問するものであるから、国会議員の行うべき職務に属していることはもとより、その職務権限に属することも明らかというべきである。
(3) したがって、Mが、被告人Aに対し、その職務権限に関して、判示のとおり本件代表質問を請託した事実を優に認めることができる。
第四  他の国会議員に対する勧誘説得の請託について
一  問題の所在
(1)ア 本件公訴事実のうち請託の内容等に関する部分は、「(被告人Aが)内閣総理大臣の演説に対して質疑するに当たり、国策として(職人大学)の設置を支援するよう提案するなど同大学設置のため有利な取り計らいを求める質問をされたい旨の請託を受け、その請託を受けたことなどの報酬として供与されるものであることを知りながら」というものであるところ、検察官は、このうち上記「など」とは、平成八年六月上旬ころ、議員会館事務所又は幹事長室において、他の参議院議員を含む国会議員に対し、その所属する委員会等において国務大臣等に職人大学設置のため有利な取り計らいを求める質疑等をするよう勧誘説得されたい旨の請託(以下「勧誘説得請託」という。)を受けたことを含む趣旨である旨釈明している(第一〇回及び第一一回公判)。
イ そして、Mは、捜査段階では、同年六月上旬ころ、議員会館事務所か幹事長室において、被告人Aに対し、「先生、議連ができましたら、議連の先生方に対し、国際技能工芸大学の早期設置を国会審議の場で積極的に訴えてくれるよう発破を掛けてください。お願いします。」と言って、大学設立推進議連の会合等の場で被告人Aから他の議員に積極的に働きかけてもらうことをお願いしたところ、被告人Aも、「分かってるよ。」と言ってくれた、被告人Aの言葉を聞き、今後とも被告人A自身が国会で質問に立ったときに職人大学の設置推進を訴えてくれることはもちろん、同議連の場を利用して、他の国会議員に対し、積極的に国会審議の場で、職人大学設置の推進を図るべきだと訴えてくれるよう働きかけてくれ、労働省など行政側も、職人大学設置を積極的に支援するようになるものと確信した旨供述し(甲二七、二九。ただし、甲二七では、時期を「同年六月上旬か下旬ころ」としている。)、公判段階でも、この捜査段階の供述を確認する趣旨の供述をしているほか、被告人Aに対し、「議連の先生方に職人大学の早期設立を国会審議の場で積極的に訴えてくれるように発破を掛けてください。」などと述べて、被告人Aの力で、同議連所属の国会議員に話をして、労働委員会とか特別委員会とか、いろいろなところで発破を掛けるように依頼したとも供述している(M四回)。
(2) これに対し、弁護人は、①本件公訴事実のうち請託の内容等に関する部分の前記「など」に勧誘説得請託が含まれていると理解することはできず、本件訴因は、勧誘説得請託を含むものとしては不特定であるから、訴因変更を経ることなくこれを認定することは許されない、②被告人AがMから勧誘説得請託を受けたことはないなどと主張し、被告人Aも、当公判廷において、上記②の主張に沿う供述をしている。
(3) そこでまず、本件訴因と勧誘説得請託との関係、次いで、勧誘説得請託に関するM供述の信用性、そして、勧誘説得請託の有無について検討を進めることとする。
二  本件訴因と勧誘説得請託との関係
(1) まず、訴因の特定の有無について検討するに、代表質問請託及び勧誘説得請託はいずれも、一個の収賄における請託として主張されているものであるから、その一部を明示しなくても、受託収賄罪の訴因の特定に欠けることにはならない。しかも、本件公訴事実中の前記「など」は、その前後の記載内容からすると、代表質問請託以外の請託の存在を示すものであると解釈することも十分可能であるから、本件訴因の特定に欠けるところはないといえる。
(2)ア 訴因変更の要否についてみても、検察官は、その冒頭陳述において、「第四 被告人Aの職務権限」の「二 自己の所属しない常任委員会に所属する参議院議員への働きかけについて」の項で、勧誘説得請託に対応する職務権限について主張しているほか、「第六 本件犯行状況」の「一 請託状況及びそれに基づく便宜供与等」の項では、代表質問請託に関する主張と並べて、平成八年四月ころ、Mが被告人Aに対し、他の参議院議員を含む国会議員に対し委員会での質疑などの機会に同大学の設置を後押しするよう働きかけてもらいたい旨の要請をしたなどと、勧誘説得請託に関する主張をしている(第一回公判)。
イ そして、第一回公判で同意書証として取り調べられた検察官調書(甲二七、二九)には、Mが前記のように勧誘説得請託を認める供述をした旨の記載があり、Mは、第四回公判においても、弁護人から、自分の検察官調書の上記部分を指摘され、その真偽を確認されたのに対し、その内容を認める趣旨の供述をしている。
ウ このような状況の中で、弁護人から、第九回公判で、前記「など」には勧誘説得請託を含む趣旨か、また、第一〇回公判では、その請託は受託収賄罪の構成要件である「請託」に当たるのかなどについて釈明を求められて、検察官は、前記のように釈明したものである。
エ 以上のような審理経過に照らすと、弁護人においても、勧誘説得請託が本件公訴事実に含まれることを十分念頭に置きながら、Mを尋問するなどして、この点に関する防御を尽くしたものといえるから、勧誘説得請託を認定する上で、訴因変更手続を経る必要はないということができる。
(3) したがって、弁護人の本件訴因に関する前記主張は採用できない。
三  勧誘説得請託に関するM供述の信用性
(1) M供述の信用性を裏付けるべき事情
勧誘説得請託に関するM供述の信用性を裏付けるべき事情として、以下の諸事情を指摘することができる。
ア Mの大学設立推進議連に関する言動等
(ア)a Mが、前認定のように、大学設立推進議連の結成後、KSD関係者らに対し、「A先生には議連を作ってもらったが、国会議員の先生に発破を掛けて、国会審議の場で職人大学設置のことを取り上げてもらうようお願いしている。」などとしばしば話していたことは、勧誘説得請託の存在を直接裏付けるものである。
b なお、Nは、捜査段階では上記のように供述していたのに(甲四一)、当公判廷では、Mが自分にそのようなことを言ったことはない旨供述するが、この点について供述を変遷させた理由については特段の説明をしていない。しかも、Nの公判供述のうち、被告人Aに有利な方向に捜査段階の供述を変更した部分は、別に判示するとおり、ことごとく信用できないことも考慮すると、Mの発言を否定する趣旨の上記公判供述を信用することもまた困難である。
(イ) また、Mは、前認定のように、Oに対しては、職人大学に関する質問を行うよう依頼して、平成七年一一月の労働委員会及び平成八年三月の中小企業対策特別委員会において労働省から前向きの答弁を引き出しているほか、被告人Aに対しても、中小企業対策特別委員会において参考人として招致してもらえるように依頼して、その機会を得ている。
しかも、Mが、当公判廷において、外国人技能実習制度の実現については豊明議連の力添えがあった旨供述していることも考慮すると、Mは、議連の官僚に与える影響力を高く評価しており、政策を実現する手段として、国会審議の場を利用することを有効な手段と考えていたことがうかがわれるのであり、これらも、Mが勧誘説得請託を行う動機の存在を裏付けるものである。
イ 大学設立推進議連の結成や活動の影響
(ア) 勧誘説得請託前後の大学設立推進議連及び労働省の動向等は、前認定のように、次のようなものであった。すなわち、
a 平成八年三月にKGSが設立された後、同年六月一八日には元首相等の大物政治家が多数参加し、自民党の国会議員一〇〇名以上が参加する大学設立推進議連が結成され、被告人Aが会長に就任した。
b これを受けて、同年七月、労働省の担当局長は、前任者から、職人大学設置構想が政治的なテーマとなりつつある、被告人Aや大学設立推進議連の国会議員からいろいろな要請が来る可能性があるので、十分検討して対応してほしい旨の引継ぎを受け、また、事務次官からも、被告人Aが力を入れているので、労働省としてもそれなりの対応をしていかなければならないと言われ、同構想の実現に向けて具体的な検討をしなければならないと考えるようになり、同構想が国会で取り上げられた際には、前向きの答弁をしていた。
c さらに、同年一二月、大学設立推進議連所属の参議院議員が、予算委員会で、職人大学設置構想に関する質問を行い、労働大臣や文部大臣から、設置に積極的な答弁を引き出し、このような国会における前向きの答弁等が労働省内のプロジェクトチームの検討にも影響を与えて、同構想への積極的な支援の方向性が確認された。
d なお、職人大学の建設予定地は、平成九年一二月に大学設立推進議連の総会の了承を得て決定されている。
(イ) このように、主務官庁である労働省では、大学設立推進議連の存在自体が、職人大学設置に向けた大きな政治的圧力と受け止められて、その方針変更に大きな影響を及ぼしており、また、国会審議の場で同議連の議員の質問等により労働省等から前向きの答弁が引き出されたことも、労働省の職人大学設置構想に対する積極的支援の方向性を固めるのに寄与したほか、同議連の意向は、職人大学の建設予定地の決定にも強い影響力を及ぼしたのである。
そして、こうした同議連の存在や活動が労働省の職人大学設置構想に対する方針の変更に強い影響力を及ぼしたことは、同構想を推進していたMが正に期待するところであったから、同議連が結成される直前に被告人Aに対し勧誘説得請託を行った旨のM供述は、当時の客観的状況に沿うものといえるのである。
ウ 被告人Aの活動状況
(ア) 被告人Aは、前認定のとおり、大学設立推進議連については、自ら呼び掛け人、発起人となって初代会長に就任し、平成八年九月のドイツへの視察旅行には、同議連所属の国会議員数名のほか、労働省の担当局長も同行させて、職人大学設置の必要性を強く訴えており、平成九年二月以降は、同議連所属の国会議員と共に、関係省庁を集めて職人大学の実現に向けた会議を繰り返し開いているのである。
(イ) したがって、被告人Aは、平成八年六月当時、結成が間近い大学設立推進議連を利用して職人大学設置に向けた活動を展開する意図であったことは明らかであり、これも、勧誘説得請託に関するM供述に沿うものということができる。
(2) M供述の信用性
ア(ア) 勧誘説得請託に関するM供述は、前記のとおり、捜査段階から公判段階に至るまでほぼ一貫しており、その内容も、前記(1)で摘示した諸事情により客観的に裏付けられており、当時のMの立場や思惑、活動状況等に照らしても誠に自然なものといえる。
(イ) また、Mは、勧誘説得請託後の状況についても、平成八年七月ころ、被告人Aから罪となるべき事実第一の家賃相当額の金員の供与について謝礼の言葉を述べられた際、「先生に代表質問の中で職人大学のことを取り上げていただき、その上、大学関係の議連まで作っていただいて後押ししていただいておりますので、それくらいはおやすい御用です。前からお願いしているとおり、大学設置が早期に実現するよう、先生から議連の先生方に対して、力になるように発破を掛けてください。」旨話した(甲二九)とか、大学設立推進議連のメンバーが、国会の委員会等において職人大学について質問しているか、何人ぐらい質問しているか、どういう質問をしているかについて、Nに対し、聞いておくようにぐらいのことは当然に言っているはずだと思う(M一六回)などと、一貫性のある供述をしている。
(ウ) さらに、後に認定するとおり、Nは、被告人Bに対し、代表質問や大学設立推進議連結成への尽力に対する謝礼のほか、他の国会議員への働きかけの依頼を含めた趣旨でB山事務所の家賃提供を持ちかけているのである。
イ そうすると、Mが、被告人Aに対しては、具体的にある議員に、今度の何々委員会で大学設置推進について質問してくれるように頼んでくれなどと頼んだことはない旨供述し(M四回)、被告人Aが、MやNから、議連のメンバーが委員会等で職人大学について質問したことがあるのかなどと問い合わせを受けたことはないなどと供述していること(被告人A二〇回)を考慮しても、勧誘説得請託に関するM供述は、その趣旨どおり、すなわち、具体的方法までは特定せず、大学設立推進議連所属の他の国会議員に対し、国会審議の場で職人大学設置を支援する活動を行うように勧誘説得されたい旨の請託をし、被告人Aから、「それは分かっている。」などと了解を得たという限度において、高い信用性を認めることができる。
四  弁護人の主張に対する判断
弁護人は、様々な事情を指摘して勧誘説得請託に関するM供述の信用性を争うので、以下、その主要な論点について検討することとする。
(1) 大学設立推進議連結成の経緯
ア(ア) 弁護人は、大学設立推進議連はMの依頼で作られたものではなかったし、被告人Aが、同議連所属の他の議員に対し、職人大学設置構想に関して委員会等で質問するよう働きかけをしたことはないから、Mが勧誘説得請託に及んだとは認められない旨主張する。
(イ) そして確かに、Sの公判供述(一四、一五回)やZの検察官調書(甲一〇四)等の関係各証拠によると、大学設立推進議連については、被告人AやS等が話し合いをもった上、設立するに至ったことがうかがわれる。また、被告人Aが他の議員に対して委員会等で質問するように具体的に働きかけをしたことをうかがわせるような証拠は存在しない。
イ(ア) しかしながら、平成八年五月二七日開催の合同会議の議事録(弁一五)によれば、Nは、Mも出席した同会議において、「職人大学を作るに当たり、職人大学設立推進議員連盟を結成させる。発起人としてA参議院議員。五〇人くらいから始めて、最終的には、一五〇人くらいを集める。」と報告したと認められるのであり、M供述をまつまでもなく、Mを含むKSD関係者の間では、被告人Aに依頼して大学設立推進議連を結成してもらったという認識であったことは明らかである。
(イ) また、後にみるとおり、国会審議の場における質問が政策形成において必ずしも大きな効果を伴うとは限らないとうかがわれることも考慮すると、被告人Aとしては、国会審議の場においていかなる手段を採るのが職人大学設置構想を推進するために最も有効かという観点から、委員会における質問を他の議員に依頼することはあえて避けたことも十分あり得るところと考えられる。
そして、M供述によれば、Mは、被告人Aに対しては、個別具体的に特定の議員に対する質問等を依頼したことはなく、被告人Aに依頼したのは、発破を掛けてほしいという程度であり、具体的な方策は被告人Aに委ねていたというのである。
ウ そうすると、弁護人が指摘するような前記諸事情は、勧誘説得請託に関するM供述と矛盾抵触するものとはいえないから、この点についての弁護人の主張は採用できない。
(2) 大学設立推進議連の性格等
ア 弁護人は、議連は全くの任意団体であり、このような議連の性格や自民党内の政策決定のプロセスからは、被告人Aが、勧誘説得請託に応じることはあり得ない旨主張する。
イ(ア) そこで検討するに、関係各証拠によれば、議院は、議連の結成手続には全く関知しておらず監督も行っていないことが認められるほか(弁二三)、国会には極めて多くの議連が存在しており、被告人Aが参議院議員在職中、自民党が会費の徴収の関係で把握しているものだけでも六五二を数え、被告人Aも八〇近くの議連に加盟するような時期のあったこともうかがわれる(被告人B一八回)。
(イ) そして、議連の在り方等について、元国会議員のL1は、当公判廷において、次のような供述をしている(L1一四、一五回。以下「L1供述」という。)。すなわち、
(a) 議連は、極めて緩やかな任意団体である。ある分野の政策を勉強した結果、質問者が自分の信念として考えるということがあっても、議連の指示に従ってとか、議連の要請に基づいて質問をするということは、まずあり得ないし、議連が、所属する議員の委員会における活動についていろいろ注文を付けたり制約をしたりということは、私が知っている限りではない。
(b) 自民党の国会における質問は、若手を起用するケースが多く、支援者との関係でこういう分野で質問したと身の証を立てるため、すなわち、国会の場を使って、地元の問題に非常に関心及び問題意識を持って活動しているということの証としてメッセージを発信するために質問するということはあっても、ある種の政策実現をするために国会の場を使うということは極めてまれなことである。
(c) 政策を実現しようとする場合、自民党においては、党の内部で発言して政策に影響を与える方が実現性が高いと思うし、役所の方と行き会う機会も多いので、国会の場を使うということは、政策実現の動機としては働いてこないというのが一般的だと思う。自民党では、党内の段階を踏んでいかないと政策として取り上げてもらえない。物事を実現するために必要かどうかという観点から見れば、国会の質問とかは余り必要でない問題だと思う。
(ウ) このようなL1供述は、それ自体として、特に不自然・不合理な点は認められないし、Sも、当公判廷において、議連は全く私的な団体であり、議連とその所属するメンバーの国会審議、委員会での質問等は関係ない旨供述しており(S一四回。以下「S供述」という。)、議連の性格や政策実現の方法は、一般的には、L1供述やS供述にあるようなものであることがうかがわれる。
ウ(ア) しかしながら、政策実現の方法について、L1も、役所は、国民の代表である国会議員が質問をするということはそれなりの社会的背景があってのことだろうということを多分想像すると思うなどと供述しており一(L1一五回)、国会での質問が政策実現に果たす役割を否定するものではない。
また、参議院予算委員会で職人大学等について質問を行ったZは、それに先立って自民党執行部会の了承を得た旨供述し(甲一〇四)、被告人Aも、本件代表質問に先立って、その内容につき執行部会の了承を得た旨供述している(被告人A二〇四)ように、国会で質問をするには党内のコンセンサスを得ておく必要のあることがうかがわれる。すなわち、国会で質問を行うこと自体、党内のコンセンサスを得ているという意味において、重要な意義を持つものと考えられるのである。
そして、職人大学設置構想に関しては、前認定のように、現に、本件代表質問によって内閣総理大臣から、また、国会の委員会での質問によって労働省や文部省の大臣や担当局長からそれぞれ前向きの答弁を引き出すことによって、その政策実現の推進が強力に図られているのであって、L1供述やS供述にあるような一般論は当てはまらないというべきである。
(イ) 他方、議連の役割について、L1は、その所属する国会議員の活動を組織的に規制するようなことはない旨供述するにとどまり、国会議員同士が個人的に国会の活動内容等について話し合うことは十分にあり得るとも供述している(L1一五回)。したがって、本件当時、被告人Aが大学設立推進議連の会長で、参議院自民党幹事長という立場にもあったことを考慮すると、Mが、被告人Aに対し、同議連所属の他の国会議員に対し国会で職人大学について質問するように働きかけてくれると期待することも、また、被告人Aが、このようなMの期待を認識した上、これを応諾することも決して不自然なこととはいえない。
ちなみに、被告人Aは、前認定のように、同議連所属の国会議員らを、Mが提案したドイツへの視察旅行に同行したり、関係省庁との会議に同席させるなどして、その影響力を行使したことがうかがわれるのである。
エ そうすると、L1供述やS供述にあるような議連の性格や自民党内における政策実現の方法に関する一般論を踏まえて検討しても、Mが、被告人Aの大学設立推進議連所属の他の国会議員への影響力に期待して、国会審議の場で職人大学設置を支援する活動を行うように勧誘説得されたい旨の請託をし、被告人Aがこれを応諾することが特に不自然なこととはいえないから、この点に関する弁護人の主張も採用しない。
五  まとめ
以上のとおり、高い信用性の認められるM供述によれば、Mが、平成八年六月上旬ころ、被告人Aに対し、議員会館事務所又は幹事長室において、判示のような勧誘説得請託、すなわち、大学設立推進議連所属の国会議員に対しその所属する委員会等の国会審議の場において国務大臣等に職人大学設置のため有利な取り計らいを求める質疑等職人大学設置を支援する活動を行うよう勧誘説得されたい旨の請託を行ったという事実を認めることができる。
六  勧誘説得請託と参議院議員の職務との関連性
(1) 弁護人の主張
弁護人は、仮に勧誘説得請託が認められるとしても、その請託の内容とされる同僚議員に対する勧誘説得行為は、国会議員の職務に密接に関連する行為とはいえないとして、次のように主張する。
ア 最高裁昭和六三年四月一一日第三小法廷決定(刑集四二巻四号四一九頁)が判示するように、国会議員が同僚議員に勧誘説得する行為が職務に密接に関連する行為に当たるのは、現に国会で審議中の法律案の成否又は修正に関わるか、具体的にその審議が将来的に予想される場合に限られるのであり、本件は、そのような場合に該当しない。
イ また、勧誘説得請託の内容とされる行為のように、職人大学設置構想を推進しようとして委員会の外で自民党の同僚議員に対し勧誘説得する行為は、政党政治の下においては広く党内の空気を醸成する政党活動にすぎないものである。
(2) 検討
ア そこで検討するに、まず、参議院議員の国会審議の場における質疑、意見陳述等に関する職務権限は、参議院規則によると、次のようなものである。すなわち、
(ア) 参議院議員は、本会議では、発議又は提出された各種案件について、質疑、討論、修正の動議及び表決をする権限を有しており(九一条、九三条、一〇八条、一一三条、一二五条、一三五条等)、自己の所属しない委員会の審査又は調査の結果についても、質疑、討論、修正の動議及び表決をすることができる。
(イ) 参議院議員は、自己の所属する委員会では、議題についての質疑、意見陳述、討論、議案の修正案提出及び表決をする権限を有するが(四二条、四六条~四九条)、審査又は調査を行うに当たっては、委員会として、国務大臣、政府参考人等の出席を求め、その説明を聴くことができる(四二条の二、四二条の三)。
(ウ) 参議院議員は、自己の所属しない委員会においても、その求めに応じて意見を述べ、あるいは許可を得て発言することができる(四四条)。
イ このように、参議院議員の国会審議の場における質疑、意見陳述等に関する職務権限は、決して法律案等の議案の審議に関するものに限られるわけではなく、委員会においては、より広い議題の審議全般にも及び、しかも、その審査又は調査に当たっては、必要に応じ、国務大臣、政府参考人等の出席を求めて、その説明を聴くこともできるとされている。したがって、その職務権限に属する質疑、意見陳述等は、弁護人主張のように、現に審議中又は審議が将来的に予想される法律案等の議案の成否や修正に関わるものに限られるものではなく、個々の議員が推進しようとする施策の実現に向けて、国務大臣や政府参考人等から前向きの答弁を引き出すような質疑も当然に含まれるものといえる。
また、参議院議員は、本会議で、自己の所属しない委員会の審査又は調査の結果について質疑、討論等をし、自己の所属しない委員会でも、意見を述べ、発言することができるから、本会議や自己の所属しない委員会において、自ら推進しようとする施策の実現に向けて質疑や意見陳述等を行うことも、その職務権限に属するものと解されるのである。
さらに、参議院議員が、議場外において、本会議や委員会における議案や議題となるべき政治課題について相互に協議し勧誘説得し合うことは、上記のような議員の有する権限を行使する上での当然の前提であると解される。しかも、本会議又は委員会における議事に自己の政治信条を十分に反映させるためには同僚議員に対し事前に勧誘説得をしておくことが不可欠であるともいえるから、このような議場外における勧誘説得行為は、議場における自らの職務権限の行使を補完する準備行為とみることができる。
そうすると、参議院議員が、本会議や委員会で自ら推進しようとする施策の実現に向けて質疑や意見陳述等を行うというその職務権限に属する行為について、自ら行うのではなく、その地位や立場を利用して同僚議員に行うよう勧誘説得することは、参議院議員の職務に密接に関連する行為と解することができる。したがって、勧誘説得請託の対象とされた被告人Aの行為、すなわち、被告人Aがその参議院議員又は大学設立推進議連会長の地位や立場を利用して、同議連所属の同僚議員に対し、その所属する委員会等の国会審議の場で国務大臣等に職人大学設置のため有利な取り計らいを求める質疑等職人大学設置を支援する活動を行うよう勧誘説得する行為は、被告人Aの参議院議員としての職務に密接に関連する行為と認めるのが相当である。
ウ(ア) なお、弁護人指摘の最高裁判例が、弁護人主張のような趣旨まで含むものでないことは、その判文に照らし明らかである。
(イ) また、前認定のように、被告人Aが本会議において代表質問を、また、大学設立推進議連所属の議員らが参議院の委員会で質疑をそれぞれ行うことにより、現に内閣総理大臣、労働大臣や労働省の担当局長等から、職人大学設置構想への協力に前向きの答弁を引き出している経緯をも考慮すれば、勧誘説得請託の対象とされた上記のような被告人Aの行為は、党内の空気を醸成する政党活動にとどまるようなものではなく、労働省に圧力を掛けて、労働大臣や労働省の担当局長等から前向きの答弁を引き出すことまで想定する国会審議の場を利用した議員活動であったことも明らかである。
エ したがって、勧誘説得請託と被告人Aの職務権限との関連性についての弁護人の主張はいずれも理由がない。
第五  罪となるべき事実第一の事実について
一  問題の所在
(1) 罪となるべき事実第一のように、被告人Bが、豊政連事務総長のNとの間で、B山事務所の賃料相当額として、月額八八万円の供与を受けることを合意した上、この合意に基づき、M及びNの指示を受けた豊政連会計責任者のFから合計五二八万円の振込送金を受け、さらに、Nから現金合計一七六〇万円の交付を受けたこと(以下「本件家賃提供」という。)は、関係各証拠に照らし明らかである。
(2) そして、検察官は、本件家賃提供の趣旨について、前記のような代表質問請託及び勧誘説得請託を受けたことの報酬である旨主張し、Mは、捜査公判を通じて、Nは、捜査段階において、それぞれ検察官の上記主張に沿う供述をしている。
(3) また、検察官は、状況証拠を総合すると、被告人両名が請託の点を含め罪となるべき事実第一の犯行について共謀を遂げていることは明らかである旨主張するのに対し、被告人両名は、捜査公判を通じて、本件家賃提供を受けることについて共謀したことを否認している。
(4) そこで、以下、本件家賃提供の趣旨、本件家賃提供を受けることに関する共謀の有無の順に検討を進めることとする。
二  本件家賃提供に至る経緯、提供の状況等
(1) 認定事実
関係各証拠によれば、本件家賃提供に至る経緯、提供の状況等として、以下の事実を認めることができる。
ア B山事務所の使用状況等
(ア) 被告人Aは、平成二年一月末、被告人Aの後援会であり、政治資金規正法上の届出をした政治団体であるC川会名義でB山事務所を賃借し、以後、選挙の準備、被告人Aの支援団体や後援会に対する各種事務、陳情の受付等に用いていた。B山事務所は、七〇一号室と七〇二号室との二室で構成され、主に、七〇一号室は応接室として、七〇二号室は秘書が常駐する事務室として使用されていた。(甲六一、六五、六八、七〇、八一、八八、九四、一一四、乙八、一八、二七、被告人B一八回)
(イ) 平成八年当時、B山事務所では、被告人Bが、Oの後任の政策担当秘書として、他の秘書を統括するとともに事務所全体の会計責任者を務めていたほか、D1(公設第一秘書)、E1、G子らが秘書として勤務し、さらに、平成九年八月ころからは、M1子が正式に秘書となって勤務するようになった(甲六三、七〇~七三、八八、九四、一〇六、乙二、M1子六回、E1六回、D1六回、被告人B一八回)。
(ウ) B山事務所の家賃及び管理費は、平成八年当時は最大で合計月額八八万円程度であった。なお、B山事務所では、同年七月以降、政治資金規正法との関係で、うち一室を自民党参議院比例区第三九支部とし、後援会であるC川会とは区別して家賃を支払うようにしたが、その使用状況は従前と全く変化なく、一体のものとして被告人Aの私的な事務所として用いられていた(甲六一、六五、七三、八一、八八、九四、一一四、乙二七、被告人B一八回)。
イ 本件家賃提供に至る経緯
(ア) Nは、平成八年六月ころ、Mの了解を得た上、B山事務所の家賃提供について被告人Bと折衝した結果、本件家賃提供が決まった。(甲二九、四〇、乙三五、N二、三回、M四回、被告人B一八回、一九回)
(イ) その後、Nは、豊明会経理部長で豊政連の経理担当責任者でもあったFに対し、被告人Aには職人大学等で世話になっているからなどと理由を説明した上、B山事務所の家賃を負担することになったのでよろしく頼むと言って、豊政連からその資金を支出するように指示した。しかし、Fは、このような資金提供は違法ではないかと感じたため、Mに、これを了承しているのか確認したところ、Mからも、同様の指示を受けたので、豊政連から毎月八八万円を支出することにした(甲二九、四〇、四六、F八、九回)。
ウ 本件家賃提供の状況
そこで、Fは、平成八年六月から同年一一月までは、豊政連の口座から毎月八八万円を出金した上、別紙一覧表番号一ないし六記載のとおり、「C川会B」名義の銀行預金口座に月額八八万円を振込送金した。なお、この口座は、事務所経費の支払口座として、被告人Bが管理し、G子が通帳を保管していた。
また、Fは、同年一二月から平成一〇年七月までは、豊政連の口座から、毎月八八万円を出金してNに交付し、Nが、別紙一覧表番号七ないし二七記載のとおり、B山事務所又は議員会館事務所において、被告人Bに対し、現金八八万円を直接手渡ししていたが、Nは、その都度、被告人Bから、現金八八万円を領収した旨記載された名刺を領収書代わりに受け取り、Fに交付していた。
その後、被告人Bは、直接又はD1を介して、受領した八八万円をG子に交付し、G子は、これを「C川会B」名義の銀行預金口座に振り込んでいた(甲四〇、四六、四七、八一、八二、九四~九六、一〇八、一〇九、乙二八、N二、三回)。
エ 本件家賃提供の会計処理等
(ア) 豊明会では、KSDから、毎月のように一億円以上の補助金の交付を受ける都度、すぐに豊政連に対し、調査研究費等の名目で数百万円を送金していた。Fは、この送金を受けた後、同日中又は数日以内に、まとめて数百万円引き出して、その中から本件家賃提供の八八万円を捻出していたが、平成一〇年二月分については、豊政連の口座に残っていた資金を充てている。
このように、本件家賃提供は、豊明会の会計帳簿や豊政連の銀行通帳を参照しても、その存否がすぐには明らかにならないように処理されており、Fは、豊政連内部においても、豊政連の出先事務所としてのB山事務所の家賃をC川会に支払っている旨会計帳簿等に記載するという会計処理をしていた。(甲四六、四七)
(イ) また、本件家賃提供当時、政治資金規正法では、同法による届出をしている政治団体が支援者等から年間五万円を超える寄付を受けた場合、収支報告書に記載して自治大臣(当時)に提出することが義務付けられていた。
ところが、被告人Bは、本件家賃提供については、C川会の収支報告書に載せないこととし、その旨、収支報告書を作成していた経理担当のD1に指示したため、D1は、本件家賃提供を収入から除外した収支報告書を作成して、自治大臣に提出していた(甲八一、九七、被告人B一九回)。
オ 本件家賃提供の方法変更、打ち切り等
(ア) 平成八年一一月一八日付け朝日新聞夕刊に、「業界団体、自民支部に『変身』」という見出しの下、政治資金規正法の改正で資金集めが禁止された業界の政治団体が自民党支部の看板を掲げて政治献金の窓口となっているとの記事が掲載された。その記事では、前年末に豊政連が母体となって設立した「自民党東京都豊明支部」が合計八五〇〇万円余の支持団体の寄付金を受け付け、同支部を窓口に豊政連に合計七七四〇万円もの資金が流れて、豊政連から平成七年の参議院議員選挙の自民党の候補者らに陣中見舞いが支出されたことなどが具体的に指摘されていた(以下「本件報道」という。)。
そのため、豊政連では、NやFらが話し合い、本件報道によってマスコミや世間の目が豊政連に集まった場合、振込の方法では本件家賃提供が発覚してしまうおそれがあるとして、同年一二月分より、本件家賃提供の方法を振込から手渡しに変更することになった。
なお、Nは、毎月の家賃相当額を被告人Bに手渡す際には、B山事務所のうち、他の秘書のいる七〇二号室ではなく、応接室である七〇一号室を使用していた。(甲三二、四〇、四四、四六、弁五、N二、三回、F八、九回)
(イ) 平成一〇年七月実施の衆議院議員総選挙で、自民党が大敗したため、被告人Aは、その責任を取って、同年八月、参議院自民党幹事長等のすべての役職を退いた。その後、被告人Bが、Nに対し、被告人Aの意向として本件家賃提供を辞退したい旨申し入れたところ、Mが、Fに対し、被告人Aの意向ならばもう支払わなくてもいい旨指示した結果、本件家賃提供は打ち切られた(甲二九、四〇、四六、N二回、M四回、被告人B一八、一九回)。
(ウ) 豊明会は、平成一二年一二月末に解散し、清算手続に入ったが、毎日のようにいわゆるKSD問題が新聞報道されていた平成一三年二月一三日に、被告人Bは、本件家賃提供の合計額に等しい二二八八万円を豊明会の口座に振り込んだ上、豊明会清算事務局を訪れ、その職員に対し、平成八年六月から平成一〇年七月まで豊明会から事務所経費補助として寄付を受けた二二八八万円を返還する旨記載した清算人あての書面を交付した(甲一〇五)。
(2) 上記認定に反する証拠の信用性
ア これに対し、Nは、前記(1)イ(イ)認定のFとのやり取りについて、当公判廷において、Fには、B山事務所を大学設立推進議連のサロンとする代わりに家賃をみると説明した旨供述している。(N三回)
しかしながら、Fは、当公判廷において、Nからは、職人大学などのお世話になるから家賃を負担するんだという話を聞いた、最初にNから話を聞いた時には議連のサロンという話はなかった旨供述しているところ(F八回)、職人大学設置構想やB山事務所の使用状況とは直接の利害関係のないFが、この点についてあえて被告人両名に不利益な虚偽供述をする理由は考え難い。また、Nも、Fに対し、サロンという話に関連してではあるが、被告人Aには、職人大学設置の後押しをお願いしており、今後もいろいろ力になってもらいたいなどと話したとも供述している(N三回)。さらに、Nの本件家賃提供の趣旨に関する公判供述には、後に詳細に検討するとおり、様々に不自然な点が認められる。
そうすると、上記NとFとのやり取りについては、Fの公判供述との対比において、Nの公判供述を信用することは困難である。
イ また、Mは、前記(1)イ(イ)認定のFとのやり取りについて、当公判廷では、本件家賃提供を開始する時点で、Fから相談を受けていない旨供述している(M四回)。
しかしながら、M自身、捜査段階では、Fから問い合わせを受けて、「その件は、Nから聞いて了解した。A先生には、職人大学のことで、いろいろお骨折り願っているし、これからも頑張ってもらわないといけないので、豊政連の方でA先生の事務所の家賃の面倒をみてやってくれ。」と言って指示した旨供述している(甲二九)。また、Fも、捜査公判を通じて、一貫してMに相談した旨供述しているのであり(甲四六、F八回)、Fが、本件家賃提供の開始に当たり、Mの意向を確認したことを優に認定することができる。
もっとも、Fは、当公判廷においては、その際のやり取りとして、「(Mからは)よろしく、程度ぐらいですね。」と供述しているところ、Fが殊更に虚偽の事実を述べる理由は見出し難い。また、MやFの捜査段階における上記各供述はいずれも、説明調のものであり、Mがこれらの各供述にあるとおりの発言をしたかについては疑問も残る。しかし、Fが違法の疑いを感じてMに承諾の有無を確認した旨の、Fが一貫して供述する部分については、その信用性に疑問の生ずる余地はない。
ウ なお、Nは、当公判廷において、前記(1)オ(ア)認定の本件家賃提供の方法を変更した理由として、本件家賃提供が犯罪になるようなものとは思っていなかったが、振込をしていて豊政連の収支報告書に被告人Aの名前が挙がった場合、他の議員から大学設立推進議連の会長だけがいい思いをしていると思われると困るためであるなどと述べている(N二、三回)。
しかし、Nは、捜査段階では、前記(1)オ(ア)の認定に沿う供述しており(甲四〇)、Fも、捜査公判を通じて、同旨の供述をしている(甲四六、F八、九回)。さらに、国会議員がわざわざ豊政連の収支報告書を見るなどということは、想定し難いことである。したがって、Nの上記公判供述を信用することは困難であり、このような不自然な供述をすること自体、本件家賃提供の方法を変更した真の理由を隠ぺいしようとしている姿勢をうかがわせるものである。
三  本件家賃提供の趣旨
(1) 検察官主張に沿うM及びNの各供述の信用性を裏付けるべき事情
ア 本件家賃提供の違法性についての認識をうかがわせる事情
(ア) 具体的事情
a 前認定のように、Fは、本件家賃提供についてNから指示を受けるや、違法ではないかと感じて、Mに、これを了承しているのか確認した上、豊明会の裏金としてその資金を捻出し、豊明会や豊政連の会計帳簿等にも、本件家賃提供について記載しない取扱いをしており、豊政連に関する本件報道を契機に、本件家賃提供が発覚することを恐れて、その方法を振込から手渡しに変更している。
b また、被告人Bは、本件家賃提供につき、政治資金規正法に違反してまで、被告人Aの後援会であるC川会の収支報告書には記載しない取扱いをしており、また、頻繁にKSD問題が新聞報道されていた平成一三年二月には、C川会名義で、本件家賃提供の合計金額を豊明会の清算人に返還している。
c さらに、Nは、毎月の家賃相当額を被告人Bに手渡す際には、B山事務所のうち、他の秘書のいる七〇二号室ではなく、応接室である七〇一号室を使用していた。
d そして、これらの事情は、KSD側のみならず、被告人B側においても、本件家賃提供が表沙汰にできない違法な金員の提供という認識を有していたことを強くうかがわせるものである。
(イ) 弁護人の主張について
a(a) 弁護人は、①被告人Aの事務所では、本来は収支報告書に記載すべきものの多くが収支報告書に記載されておらず、本件家賃提供についても、Nから豊政連の収支報告書に記載しない旨言われたので、被告人Bとしても記載しないことにしたにすぎないのであり、また、②被告人Bは、Nから、本件家賃提供の方法を変更した理由を聞かされていないから、これらの事情によって、被告人Bが本件家賃提供を違法であると認識していたとはいえない旨主張する。
(b) そこで検討するに、豊政連はC川会と同様に政治資金規正法上の政治団体であるところ、被告人Bは、Nから、豊政連では収支報告書に記載しないと言われたので、これに合わせてC川会でも記載しないことにした旨供述している(被告人B一九回)。しかも、国会議員の事務所の家賃をその支援者が丸抱えするという本件家賃提供の態様に加え、提供の方法を手渡しに変更した後も、被告人Bが、正式な領収書は出さず、自己の名刺の裏に一筆書いて領収書代わりにしていたことも併せて考慮すると、被告人Bとしても、本件家賃提供が豊政連としても表沙汰にはできない性質のものであり、豊政連内部では裏金として支出されるものであることは、当然に理解できたものというべきである。
(c) また、本件家賃提供の方法変更の点について、被告人Bは、Nから、一方的に通告されたものであり、その理由の説明はなかった旨供述するが(被告人B一八、一九回)、このように振込から手渡しに変更した場合、B山事務所としては秘書が銀行に現金を預け入れるという作業量が増えるにもかかわらず、その際、被告人Bが何らかの疑義を述べたりとまどいを示した様子は全くうかがわれない。
しかも、Nは、捜査公判を通じて、被告人Aに対しても、本件報道があったので本件家賃提供の方法を変更したと告げた旨供述し(甲四〇、N二回)、被告人両名は、捜査段階では、平成八年一一月当時、本件報道を認識していた旨供述しているところ(乙一一、三二)、後に検討するとおり、いずれもその信用性が肯定できるものである。そして、これらの供述に、被告人Bが被告人Aの秘書として本件家賃提供に関する事務処理をすべて統括していたことも勘案すると、被告人Bは、Nから直接あるいは被告人Aを介するなどして、本件家賃提供の方法変更の理由についてもその説明を受けて認識していたことがうかがわれるのである。
(d) したがって、弁護人の前記主張はいずれもその前提を欠くというべきである。
b(a) 弁護人は、①被告人Bらに違法なものとの認識があれば、本件家賃提供を振込で受けるはずはないし、②本件家賃提供の方法が変更された後も、G子が、豊政連から提供を受けた現金を振り込む都度、通帳に豊政連等と明記していたことは、被告人Bが本件家賃提供をやましいものとは思っていなかったことを裏付けるものである旨主張している。
そして、G子の検察官調書(甲九六)によると、G子が、C川会名義の預金口座の通帳において、豊政連から資金提供された八八万円入金欄の横に「豊政連」等と付記していたことが認められる。
(b) しかしながら、①の点に関して、前認定のように、Nが本件報道後直ちに本件家賃提供の方法を変更して、被告人Bもこれに応じていることに照らすと、当初に振込の方法を採用したことが、Nや被告人Bにやましい思いがなかったことを裏付けるものとはいえない。
(c) また、②の点に関して、C川会の収支報告書は、その関係者が口を揃えて認めるように、ずさんな内容であったというのであるから、その基礎資料となるべきC川会名義の預金通帳についても、被告人BやG子らにおいて、それが外部の者の目に触れる事態を想定するような状況にはなかったというべきである。しかも、G子は、その資金の出所を明らかにするため、鉛筆で「豊政連」、「KSD」、「豊明会」などと思いつくままに記載したというのであり(甲九六)、単なる内部的なメモにすぎなかったものと認められる。
(d) したがって、弁護人の前記主張もその前提を欠くというほかない。
c(a) 弁護人は、本件家賃提供相当額の返還については、KSD事件としてマスコミで騒がれたので、政治的責任として、その後KSDとの関係を断ち切るために返還したにすぎない旨主張する。
(b) しかしながら、豊明会清算事務局長であったN1の検察官調書(甲一〇五)によれば、その返還の状況について、被告人Bが、豊明会清算事務局を訪れて、N1に対して何ら具体的な説明をすることなく、一方的に封筒を押し付けてその場を辞去しており、その封筒には、C川会会計責任者としての被告人Bの名義で、事務所経費補助として受け取った寄付を返還する旨記載された書面と、振込依頼書の写しのようなものが同封されていただけで、返還の理由には一言も触れられていないことが認められる。そして、このような被告人Bの挙動は、弁護人の主張とは異なり、被告人Bとして、本件家賃提供が合理的な説明の困難な事柄であると認識していたことをうかがわせる事情というべきである。
d 以上のとおり、この点に関する弁護人の主張はすべて採用できない。
イ M及びNの被告人Aに対する感謝ないし期待をうかがわせる事情
M及びNは共に、被告人Aが、代表質問で職人大学設置構想を取り上げて内閣総理大臣から前向きの答弁を引き出し、あるいは大学設立推進議連の結成に尽力したことなどについて、多大な感謝の念を抱いた旨一貫して供述している。しかも、前認定のとおり、平成八年三月に、KGSの設立がスムーズに認められ、同年六月には、同議連が結成されており、これと相前後して開始された本件家賃提供当時は、正に同構想が具体化していこうとしていた時期に当たるのである。このような当時の状況に照らすと、M及びNは、職人大学設置に向けた被告人Aの働きに対して一層感謝を深めるとともに、その後も被告人Aの更なる活動を期待する状況にあったといえる。
そうすると、MやNの供述をまつまでもなく、本件家賃提供が被告人Aに対する感謝の念、すなわち、代表質問請託や勧誘説得請託に応じてくれた感謝の気持ちの現れであったことが強くうかがわれるのである。
(2) M及びNの各供述並びにその信用性
ア M供述
(ア) Mは、Nと本件家賃提供につき合意した理由や経緯について、当公判廷では、以下のように供述している(M四、五回)。すなわち、
a(a) 平成八年六月ころ、私は、理事長室に来たNから、B山事務所を大学設立推進議連の幹部のサロンとして使うという名目で家賃の負担を考えてほしい旨の申入れを受けた。その時、Nから、被告人Aには代表質問の件でお世話になったとか、同議連の先生方を被告人Aに積極的に引っ張ってもらう必要があるという話が出たかもしれない。
(b) 当時、私は、被告人Aの事務所の家賃が経費の中でウェイトがかかっているということを、Nからも聞いていたので、被告人Aには、代表質問や大学設立推進議連の問題等いろいろとお世話になっており、物事が終わってからもすぐ物を持っていったりするのは失礼だとは思っていたが、何かのときにお役に立てるようなことは、感謝の意味でしたいなと考えていた。
(c) Nの話を聞いて、私は、事務所の家賃相当額を提供することは、当然にこれらの感謝の意味を込めて差し上げることになるが、大学設立推進議連がサロンとして使う、それも期限付きだということであれば、大義名分も立っているから、そういった意味では出しやすいなと思った。
(d) なお、B山事務所は議員会館の真下なので、大学設立推進議連の幹部がB山事務所を使う頻度もかなりあるとは思ったが、実際どの程度使うかは分からなかった。また、同議連の幹部がどのように打ち合わせするかなどは分からないが、サロンが必要だという話はそのとおりだと思い、サロンとして使うのであれば、豊政連が家賃を負担してもおかしいことではなく、同議連でサロンとして使うという理由にすれば、KSDで家賃を負担する立派な大義名分になると思った。
b その後、Nから、月八八万円という話があり、その程度であればそう無理はないと感じた。
(イ)a そこで、このようなMの公判供述の信用性について検討する。
(a) Mの公判供述は、まず、前記(1)ア及びイで指摘した事情によって客観的に裏付けられているほか、その内容は、Mの捜査段階の供述(甲二九)と、文言の細部等はともかく、趣旨としては合致しており、特に不自然・不合理な点は認められない。さらに、Mの公判供述は、Nから、職人大学などでお世話になっているので家賃を負担する旨説明を受けたとするFの供述(甲四六、F八回)、更には、次に検討の対象とするNの捜査段階の供述とも、内容が符合して相互に信用性を補強し合っているのである。
(b) もっとも、Mは、捜査段階では、①平成一一年四月ころに職人大学を開校する目標であったので、仮に三年間負担するとして三〇〇〇万円、一年間延びたとしても四〇〇〇万円余りを負担すればよいと思っていたとか、②職人のための国家資格制度が創設され、資格認定にKSDが関与できるようになれば、KSDの利益が得られるので、家賃負担はやむを得ないと考えていたと供述していたのに(甲二九)、当公判廷では、そのように考えたことはない旨供述している。
しかし、①の点について、Mは、当公判廷において、私は月いくらで考えていたが、検察官から、計算するとそうなると言われたので、「ああ、そりゃそうですね。」と同意したなどと、供述の変遷について、それなりに納得できる理由を示している。また、②の点について、Mは、本件家賃提供を了承した理由としては、捜査段階でも、被告人Aへの感謝の念をまず挙げており、資格制度の創設が実現できなくても、職人大学の設置がKSDの会員勧誘にとって大きな目玉となり、KSDにとっても十分なメリットになるとも供述しているのであり(甲二九)、資格制度の創設が主たる理由とは述べていないのである。したがって、この点に関する供述の食い違いは、あくまで細部にとどまるということができ、M供述全体の信用性に影響を与えるものとはいえない。
b(a) これに対し、弁護人は、M供述について、大学設立推進議連のサロンとすることが名目にすぎないのかどうか不明確であって、検察官の質問に迎合する姿勢が顕著であるから、信用できない旨主張する。
(b) しかしながら、Mは、弁護人の主尋問に対する供述をみても、本件家賃提供は、当然感謝の意味を込めて差し上げるけれども、大学設立推進議連がサロンとして使う、それも期限付きだということで大義名分が立っているから、そういった意味で出しやすいなどと述べて、同議連のサロンというのは名目にすぎず、主として感謝の気持ちから本件家賃提供を決意するに至った旨供述しているのであり、その趣旨が不明確であるとはいえないし、検察官に迎合しているような状況もうかがわれないのである。
c(a) 以上によると、Mの公判供述は、基本的に高い信用性が認められる。
(b) なお、Mは、本件家賃提供を被告人Aが大学設立推進議連の会長をしている間に限る点について、捜査段階では、Nから家賃負担の提案を初めて聞いた際ではなく、八八万円という具体的な金額を聞いた際に言われたと供述していたのに(甲二九)、当公判廷では、Nから初めて提案された際にこの話をされたように思う旨供述している。
しかし、Nは、捜査公判を通じて、Mから了解を取り付けた後に、被告人Bから「議連の会長である間だけ甘えることにするか。」と言われた旨供述しているから(甲四〇、N二回)、この点に関しては、Nの供述と符合する捜査段階の供述が信用できるものと認められる。
イ Nの捜査段階の供述
(ア) Nは、Mとの間で本件家賃提供について合意し、被告人Bを説得した経緯について、捜査段階では、以下のとおり供述している(甲四〇)。すなわち、
a 平成八年六月中旬か下旬ころ、B山事務所に行った際、被告人Bから、「議連もできたことだし、今後は、議連の先生方と協力して積極的に動かないといけないと議員も言っていました。」と言われた。私は、被告人Aには、代表質問や大学設立推進議連の結成にも骨折りいただき、今後は、積極的に同議連の先生方を引っ張って後押ししていただきたいと考えており、こうした被告人Aの尽力に報いてお礼をしたいと常々思っていた。また、自分の秘書としての経歴から、国会議員の必要経費の中で大きなウェイトを占あているのが、秘書の人件費と事務所の家賃や維持費であることをよく知っていた。そのため、同議連が結成された機会に、今後も被告人Aに他の議員を引っ張って職人大学設置を後押ししてもらうために、B山事務所に同議連の議員が集まって職人大学設置支援の打ち合わせをしていただくということにして、その家賃をKSDで負担するのが良いと思った。
b そこで、私は、被告人Bに対し、「A先生には、代表質問や議連結成の件で御尽力いただいたお陰で、大学設置に向けて動き出しましたし、今後も、大学設立に向けて、議連の中心となって他の先生方を引っ張っていただきたいので、この際、A事務所を議連の先生方が集まる場所ということにして、こちらでA事務所の家賃を負担するよう理事長に話してみましょうか。」と申し入れた。すると、被告人Bが遠慮するようなことを言ったので、私は、「A先生には、大学設立の件で本当にお世話になりましたし、今後、A先生には他の先生方を引っ張っていっていただきたいのです。ですから、先生方の集まる場所ということで、事務所の家賃は負担させてください。その線で理事長には話してみます。」と重ねて申し入れた。
c 私は、同日ころ、理事長室でMに対し、「A先生には、国会の代表質問の件や議連の結成の件でも非常にお世話になったことですし、今後、会長として議連を引っ張っていっていただかなくてはならないわけですから、A事務所を議連の先生方が自由に集まる場所にするということにして、家賃はこちらで負担してあげたらいかがでしょうか。」と進言したところ、Mは、これを了承してくれた。
(イ)a そこで、このようなNの捜査段階の供述の信用性について検討する。
(a) Nの捜査段階の供述は、M供述と同様に、前記(1)ア及びイで指摘した事情によって客観的に裏付けられているほか、その内容に、特に不自然・不合理な点は認められない。さらに、前にみたとおり、Mの捜査公判を通じた供述やFの供述の内容と符合していて相互に信用性を補強し合っているのである。
(b) このN供述について、弁護人は、①本件家賃提供をすることにした理由を被告人Bに対して細かく説明しているとする点が、恩着せがましく不自然である、②約五箇月も前の本件代表質問について言及するというのは不自然であり、検察官が勝手に付け足した疑いが強いなどと主張する。
しかしながら、①の点は、本来、B山事務所の家賃をKSD側で負担すべき理由は全くないのであるから、その資金提供を申し入れる以上、Nが被告人Bにその理由を誤解のないように詳しく説明するのは、むしろ当然ともいえる。
また、②の点も、本件代表質問について、Nが、その直後から強い感謝の念を抱き、その後もその思いを保持し続けていたことは、Nが捜査公判を通じて自認するところであり、本件家賃提供の申入れに際して、本件代表質問に触れても何ら不自然とはいえないのである。
この点、Nは、当公判廷では、本件家賃提供を申し入れた際に、被告人Bに対し、本件代表質問について殊更言ったことはない旨供述する(N二回)が、後に検討するとおり、本件家賃提供の趣旨に関するNの公判供述は、到底信用できないものであり、これと同様の理由から、被告人Bに対する説明内容に関する供述部分を信用することも困難である。
したがって、弁護人の指摘する事情がNの捜査段階の供述の信用性を減殺するものとは認められないのである。
c そうすると、前記(ア)記載のようなNの捜査段階の供述についても、高い信用性を認めることができる。
ウ 本件家賃提供の趣旨
(ア) Nが、代表質問請託に先立って、Mとの間で代表質問に関する請託をする旨合意していたことは、前認定のとおりであるから、Nは、Mが現に代表質問請託に及んだことを当然に予期していたものである。
また、前認定のように、Mが、KSD関係者らに対し、会合の席などで、「A先生には議連を作ってもらったが、国会議員の先生に発破を掛けて、国会審議の場で職人大学設置のことを取り上げてもらうようお願いしている。」などとしばしば話していたことに加え、職人大学設置構想の実現等に向けて緊密に連携を取り合っていたというMとNとの関係に照らすと、Nは、Mが勧誘説得請託に及んでいることを認識した上で本件家賃提供を提案するに及んだものと認められるのである。
(イ) そして、これらの事情に、高い信用性の認められる前記のようなMの公判供述及びNの捜査段階の供述から認められるところの、MとNとが本件家賃提供につき合意するに至った経緯等を総合すると、Nは、Mが既に被告人Aに対して代表質問請託及び勧誘説得請託に及んでいることを認識しながら、Mに対し、本件代表質問や大学設立推進議連結成への尽力の謝礼とともに、他の国会議員に国会審議の場で職人大学設置のために働きかけてもらいたいとの依頼の趣旨から、本件家賃提供を提案し、Mも、その趣旨を十分理解した上、Nの提案を了承した結果、Nは、このようなMとの共通の意図ないし認識の下に、被告人Bに対して本件家賃提供を提案したことが、優に認められるのである。
(3) 弁護人の主張に対する判断
弁護人は、様々な事情を指摘して本件家賃提供の趣旨を争うので、以下、主要な論点について検討することとする。
ア 大学設立推進議連のサロンとしての対価性について
(ア) 弁護人の主張等
a 弁護人は、N及び被告人Bの各公判供述を根拠として、本件家賃提供の趣旨は、B山事務所を大学設立推進議連のサロンとすることの対価であって、代表質問請託や勧誘説得請託を受けたことなどの報酬ではなかった旨主張する。
b そして、この点、Nは、当公判廷においては、以下のとおり供述している(N二回)。すなわち、
(a) 平成八年六月中旬から下旬ころ、私は、被告人Bから、被告人Aが「議連もできたし、他の先生方と協力もして職人大学設置の推進を進めていかなくてはいけないね。」と言っていると聞いた。被告人Aには、大学設立推進議連の会長にもなっていただいていたので、同議連の先生が集まりやすいサロン的なものが必要だなと思ったが、国会周辺の平河町辺りで、同議連の先生方が集まりやすいところを別に借りて、接待のために人も置くということになると、概算しても月額一〇〇万円以上必要だろうと思った。被告人Aが同議連の会長でもあるので、たまたま応接室と事務室に分かれているB山事務所をサロン的に使わせてもらうということを考えた。
(b) そこで、私は、Mに対し、「議連もできて先生方が集まれる場所を作らなくちゃいけないんだけど、すごいお金が必要なので、A先生の事務所の応接室をサロン的に使わせてもらうようにお願いしたらどうだろうか。」ということを話したところ、Mは、割と二つ返事で、「そうしてもらうとあり難いね。」ということだった。そのときに、国会の代表質問のことを殊更に言ったという記憶はない。
c また、被告人Bは、当公判廷において、以下のように供述して、Nの上記公判供述に沿う供述をしている(被告人B一八回)。すなわち、
(a) 一般に、議連メンバーの情報交換については、議連の会長の部屋に集まることが多いので、議連の会長に就任する場合には、自分の事務所がそのような情報交換の場になることをある程度想定するケースが多い。
(b) B山事務所の家賃負担については、大学設立推進議連ができる前かそのころ、Nから、同議連の先生方が集まるサロンのようなものが欲しいので、B山事務所の七〇一号室を使わせてくれないかという話があった。しかも、七〇一号室をサロンとして使わせていただくと、先生方にお茶を出したりすることで、七〇二号室にいる事務所の皆にも迷惑を掛けるということで、両室の家賃を負担したいということだった。Nは、永田町に自分のオフィス等を持っていなかったので、B山事務所を自分の政治活動の拠点の一つにしたいという印象も受けた。Nとの間では、被告人Aが代表質問で職人大学の件に触れてくれたことで感謝しているという話は出なかった。
(c) 先生方が来られると煩わしいと感じたので、四、五回は断ったが、Nから、しつこく熱心に言われ、日ごろNに世話になっていることも多いので、お貸しすることを決めた。
(イ) N及び被告人Bの各公判供述の信用性
そこで、上記N及び被告人Bの各公判供述の信用性を検討する。
a まず、本件家賃提供を開始したころに、B山事務所を大学設立推進議連のサロンとして用いるという話があったことについては、前記N及び被告人Bの各公判供述以外にも、前記M供述やNの捜査段階の供述、更にはB山事務所で勤務していたE1の公判供述(E1六回)中にも、これに沿う部分がある。
また、一般に、議連の会長の事務所に議連のメンバーが集まって打ち合わせ等を行うということも当然考えられるし、被告人Aは、当公判廷において、他の国会議員五、六名から「B山事務所にお邪魔していますよ。」と言われたこともある旨供述している(被告人A二〇~二二回)。
そうすると、B山事務所を同議連のサロンとして用いることが、本件家賃提供を行う動機の一つであった可能性まで否定できるものではない。
b しかし、前記M供述及びNの捜査段階の供述によれば、M及びNが本件家賃提供をするに至った最大の要因は、被告人Aによる本件代表質問や大学設立推進議連結成への尽力に対する謝礼とともに、他の国会議員に国会審議の場で職人大学設置のために働きかけてもらいたいとの依頼の趣旨であったというのであるから、仮に両名が、B山事務所に同議連のメンバーが集まって打ち合わせを行うなどしてサロン化することを予想していたとしても、そのことのために本件家賃提供に至ったものではなく、B山事務所を同議連のサロンとするというのは、本件家賃提供を正当化するための口実にすぎなかったものと認められる。
c これに対し、前記N及び被告人Bの各公判供述は、本件家賃提供の趣旨が大学設立推進議連のサロンとする対価のみであった旨主張するものである。
(a) しかしながら、前認定のような職人大学設置に向けた被告人Aの活動や、MやNがこのような被告人Aの活動に対して一貫して感謝の念を抱いていた旨供述していることに照らすと、本件家賃提供には被告人Aに対する謝礼の趣旨が全く含まれていないとする供述自体、誠に不自然である。
この点、Nは、本件家賃提供の事実について自らも贈賄として訴追されているところ、自身の裁判では、罪状認否の際に、本件代表質問に対するお礼という気持ちも含む旨陳述していたことがうかがわれるのである(N三回)。
(b) また、Nは、大学設立推進議連の議員がサロン的に集まることは職人大学設置構想の推進にとって重要であると述べる一方、同議連の議員が、B山事務所をどの程度利用しているのかを把握はしていない、同議連の結成当初はともかく、その後は余り利用されていないと思っていたとも供述している(N三回)。
しかし、本件家賃提供に伴う資金負担が年間一千万円以上にも及ぶというのに、同議連のサロンとすることのみを目的として、このような高額の金員の提供に至るということ、また、このような高額の金員を提供しているにもかかわらず、サロンとしてどのように利用されているのかほとんど把握せず、しかも、余り利用されなくなったというのに、被告人Bに問い合わせたり、本件家賃提供自体の見直しをしないというのも、余りにも不自然である。
この点、Nは、捜査段階では、同議連の先生方が集まると言っても、A事務所をそのままの状態で使用しながら、同議連の会合に時々使うという程度であり、実態が変わるわけではないので、KSD側でB山事務所の家賃を負担するのは、本来であれば筋の通らない話である旨供述しているのである(甲四〇)。
(c) さらに、被告人Bは、NがB山事務所を自己の政治活動の拠点の一つにするという意図であったと思うとも供述する。
しかし、Nは、そのような意図をうかがわせる供述を全くしていないし、有力な国会議員であった被告人Aが現に使用している事務所を自身の活動拠点として使いたいなどと要請すること自体、不自然というほかない。
d 次いで、Nや被告人両名の供述状況をみても、不自然な変遷が認められる。すなわち、
(a) Nの供述が捜査段階と公判段階とで大きく変遷していたことは、前にみたとおりである。そして、Nは、その理由について、検察官に本件代表質問の感謝の気持ちはなかったのかと問い詰められ、そのようなことはない、感謝の気持ちはずっと持ち続けていた旨述べたところ、それではそれも入るではないかと言われて、そのように言われるならば仕方がないと思い、被告人Bに対し、本件代表質問の謝礼の趣旨であることを言った旨の検察官調書(甲四〇)の作成に応じた旨供述している(N二回)。
しかし、感謝の気持ちを持ち続けていたことを認めただけで、被告人Bに対し、本件代表質問の謝礼の趣旨であることを具体的に言った旨の供述調書が作成されるというのも不自然であるし、そのような供述調書になっているというのに、仕方がないとして署名指印に応じるというのも不可解である。
したがって、Nの前記公判供述は、捜査段階から不自然に変遷したものといわざるを得ない。
(b)α 被告人Bの供述も、大きく変遷している。すなわち、被告人Bは、捜査段階では、Nから、平成一〇年七月の選挙の準備等でいろいろ費用がかさむだろうから、選挙応援の意味から、B山事務所の家賃を豊政連で負担する旨持ちかけられた、Nから、大学設立推進議連の議員が集まる場所という名目で負担する旨言われたかもしれないが、よく覚えていない旨供述していたのである(甲三五)。
β このような供述調書が作成された理由について、被告人Bは、当公判廷において、捜査段階でも、同議連のサロンとして使う話であった旨述べていたが、検察官に認めてもらえず、選挙が近づいてきたとき、家賃分をこのまま出してもらえると助かると思っていた旨述べたところ、選挙のための応援と決め付けられた、それは違うと言ったが、大声で怒鳴られたり、他の汚職事件の国会議員やその秘書の話をされて脅されるなどしたので、やむなく署名した旨供述する(被告人B二三回)。
γ しかし、被告人Bが当公判廷で述べるような、二年後の選挙協力のために家賃を負担するというのは、それ自体不自然である。また、このようにNやMの各供述とも大きく食い違う供述を、検察官が押し付けるようなことは考え難い。さらに、上記検察官調書(乙三五)では、検察官から「B山ビルの家賃を豊政連が負担することが、何故に選挙応援になるのか。しかも、Nの申出は、選挙の二年前ではないか。」、「本当は、Nから職人大学設立のために議員連盟が結成されて、議員連盟の議員が集まる場所という名目で、B山ビルの家賃を負担しましょうかと言われたのではないのか。」などとの問いに対して被告人Bが上記のように供述した旨問答形式で記載されているのであり、被告人Bが選挙応援の趣旨と述べたのに対し、検察官が疑問点を追及していることが、検察官調書自体の体裁からも、明らかである。
δ したがって、被告人Bの供述も、不自然に変遷しているというほかない。
(c)α さらに、被告人Aの供述も大きく変遷している。すなわち、被告人Aは、捜査段階では、被告人Bと同様、選挙応援のための資金提供と聞いていた旨の検察官調書(乙三六)が作成されているのに、当公判廷では、平成一三年になって本件家賃提供の事実を知ったが、その際、被告人Bからは、B山事務所を議連のサロンにするという話であったとの報告を受けた旨供述するに至っている。
β そして、被告人Aは、上記検察官調書の作成に応じた理由について、当公判廷では、検察官から、終始「選挙の資金の一端として受けたんじゃないの。」と言われ、「こんなことでいちいち時間を取らせておれを怒らせるの、あなた、自民党のことも少し考えたらどうだ。」などと責められ、さらに、「こんなこと末梢的なことだよ、サインしなさいよ。」と言われたので、署名に応じた旨供述している(被告人A二一、二二回)。
γ しかしながら、上記検察官調書は、問答形式を用いて、被告人Aが選挙応援の趣旨であった旨報告を受けたと供述したのに対し、検察官が疑問点を追及している記載となっており、被告人Aが供述するような状況の下で作成されたものとは認め難い。この点、弁護人は、このような問答形式は、供述者が不合理な答えをし、殊更に犯罪を否認しているかのように見せるために、取調官のよく行う手法にほかならない旨主張するが、同調書は、九項にわたって詳細な問答が録取されていて、弁護人の主張にはそぐわないものである。
δ したがって、被告人Aの供述も、不自然に変遷しているというべきである。
e 以上によると、本件家賃提供の趣旨に関する前記N及び被告人Bの各供述はいずれも、信用するに足りるものではないから、これらの供述を前提として本件家賃提供の趣旨を争う弁護人の主張も採用できない。
イ 期間延長問題について
弁護人は、本件家賃提供の趣旨について、期間延長問題に対する謝礼であった旨主張する。そして、前認定のとおり、本件家賃提供の開始当時、期間延長問題について、労働省は積極的な姿勢に転換したものの、法務省の反対にあって暗礁に乗り上げた状況にあったのであるから、M及びNは、被告人Aに対し、労働省の姿勢が転換したことについて、感謝の念を抱くとともに、法務省に対する一層の働きかけを期待する状況であったこともうかがわれる。
しかしながら、このようなM及びNの期間延長問題に関する感謝や期待は、本件代表質問や大学設立推進議連結成への尽力等に対する感謝の念等とは何ら排斥し合うものではない上、M及びNは、捜査公判を通じて、本件家賃提供の趣旨が期間延長問題に対する謝礼であったなどとは全く述べていないのである。
したがって、期間延長問題に関する弁護人の上記主張は、その根拠を欠くものというほかないのである。
ウ 本件家賃提供の打ち切り時期について
(ア) 弁護人は、本件家賃提供が打ち切られた平成一〇年八月ころ、被告人Aは、職人大学設置に向けた予算及び寄付金の増額に向けて、Mと共に関係省庁の官僚に対する要請を行うなどしていたのであり、このような重要な時期に本件家賃提供が打ち切られていることは、その趣旨が職人大学と無関係のものであることを示すものである旨主張する。
(イ) しかしながら、本件家賃提供の打ち切りは、被告人Aが参議院自民党幹事長を辞任したことを理由に、被告人BからNに申し入れ、Mも了解して決まったものであることは、関係者の供述が一致している(甲二九、四〇、被告人B一八回)。また、前認定のような本件家賃提供の趣旨に照らせば、被告人A側が辞退すると言っているのに、Mらが無理強いしてまで続けるようなものとは考えられない。
そうすると、被告人Aがなお職人大学設置に向けて尽力していた時期に、本件家賃提供が打ち切られたとしても、そのことから、本件家賃提供の趣旨が職人大学と無関係であったとはいえないから、この点に関する弁護人の主張は採用できない。
(4) まとめ
以上のとおりであって、M及びNは、Mが既に被告人Aに代表質問請託及び勧誘説得請託に及んでいることを前提に、被告人Aによる本件代表質問や大学設立推進議連結成への尽力の謝礼とともに、他の国会議員に国会審議の場で職人大学設置のために働きかけてもらいたいとの依頼の趣旨、すなわち、被告人Aが代表質問請託及び勧誘説得請託を受けたことに対する報酬として、本件家賃提供に及ぶことについて合意し、その趣旨の下に被告人Bに対して本件家賃提供を提案したことが優に認められるのである。
四  被告人両名の本件家賃提供の趣旨についての認識及び共謀の有無
(1) 被告人両名の認識及び共謀の存在を裏付けるべき事情
ア 本件家賃提供の性質等
前認定のとおり、本件家賃提供は、KSD側及び被告人B側の双方において、表には出せない違法なものとして取り扱われていたのであり、このような資金提供を受けていることが発覚した場合には、政治家にとっては収賄として命取りとなる危険があるものといえる。また、Oが、被告人Aの事務所の経常的な経費について、平成六年当時は一箇月三〇〇万円程度であった旨供述しているところ(甲六八)、本件家賃提供の金額は、月額八八万円、年間で一〇〇〇万円を超えるものであり、事務所経費総額の三分の一近くに及ぶほど多額である。
このような本件家賃提供の性質や金額からすると、本件家賃提供について、被告人Bが被告人Aに相談したり許可を得ることなく無断で処理するようなことは考え難いのであり、こうした客観的事情からも、本件家賃提供の受領や打ち切り等については、事前に被告人両名の間で意思の疎通のあったことが強くうかがわれる。
イ Nが被告人Bから本件家賃提供の了承を得た経緯
(ア) Nは、被告人Bから本件家賃提供の了承を得た経緯について、捜査段階では、以下のように供述している(甲四〇)。
すなわち、
a 私が、被告人Bに対し、「A先生には、代表質問や議連結成の件で御尽力いただいたお陰で、大学設立に向けて動き出しましたし、今後も、大学設立に向けて、議連の中心となって他の先生方を引っ張っていただきたいので、この際、A事務所を議連の先生方が集まる場所ということにして、こちらでA事務所の家賃を負担するよう理事長に話してみましょうか。」と申し入れた。すると、被告人Bが、遠慮するようなことを言ったので、「A先生には、大学設立の件で本当にお世話になりましたし、今後、A先生には他の先生方を引っ張っていっていただきたいのです。ですから、先生方の集まる場所ということで、事務所の家賃は負担させてください。その線で理事長には話してみます。」と重ねて申し入れたところ、被告人Bからは、「私の一存では返事できませんから、議員に話してみます。」と言われた。
b そこで、Mの了解を得た後、電話で、被告人Bに対し、「家賃の件は理事長も、是非そうさせてくださいと申しております。」と言ったところ、被告人Bからは、「議員に話したところ、議員は、『有り難いお話だ。しかし、いつまでもというわけにもいかないので、議連の会長でいる間だけは甘えさせてもらう。』と言っていました。よろしくお願いします。」ということであった。私は、議連の会長でいる間ということは、要するに、職人大学が設立されるまでの間と理解し、被告人Aは、私が代表質問等についての感謝の趣旨で家賃負担を申し入れていることを理解した上、職人大学設立に向けて尽力できる期間だけ家賃を負担してもらおうと考えたものと受け取った。
(イ)a このようなNの捜査段階の供述の信用性について検討するに、前にみたような本件家賃提供の性質や金額、被告人両名の関係からは、被告人Bが、即答を避けて、被告人Aと相談する旨述べたことは、極めて自然な対応といえる。
そして、Mは、捜査公判を通じて、本件家賃提供について、大学設立推進議連の会長である間と期間が限定されたものであった旨明確に供述している(甲二九、M四回)。また、Nも、捜査公判を通じて、被告人Bから、「自分の一存では判断できない。」旨言われた後、最終的に、被告人A側の意向として「議連の会長をしている間甘えることにする。」という趣旨のことを言われた旨供述している。
もっとも、Nは、当公判廷では、被告人Bから「議員に話してみます。」などと言われたと捜査段階で供述した点について、被告人Bが家賃提供の申入れを断り続けていたので、被告人Aに相談しないと判断できないんだろうと推測して供述したものであるなど述べている(N二回)。しかし、その意味するところは必ずしも明らかではないし、この点に関する公判供述は、尋問される都度動揺しているのであって、これをそのまま信用することは困難である。
さらに、本件家賃提供を持ちかけられた被告人Bが、その最終期限を独断で一方的に決めるというのは、いかにも不自然であることも考慮すると、前記Nの捜査段階の供述は高い信用性が認められる。
b この点、被告人Bは、当公判廷において、Nに対しては、議連の会長をしている間という期限について述べたことはない旨供述する(被告人B一八回)が、前記のとおりM及びNが捜査公判を通じて一致して供述するところとの対比において、到底信用することはできない。
また、弁護人は、議連の会長は任期制ではないから、会長を替わることを前提とするようなNの供述は不自然である旨主張するが、職人大学が設置されて目的が達成された場合はもとより、選挙の結果等様々な事情で会長が交替することは当然に考えられるし、前認定のように、豊明議連では、被告人Aが途中から会長に就任しているのである。したがって、議連の会長をしている間という期限を付すことが特に不自然ということもできない。
(ウ) そうすると、高い信用性の認められる前記Nの捜査段階の供述に沿う事実が認められるのであり、これによると、被告人Aが被告人Bから本件家賃提供につき相談を受けて、これを許可していたこと、被告人Bは、Nの話を聞いて、本件家賃提供の趣旨が本件代表質問の謝礼や大学設立推進議連所属の他の国会議員に対する働きかけを期待する趣旨である旨認識したこと、さらに、Mから直接に請託を受けていた被告人Aも、その趣旨が代表質問請託や勧誘説得請託を受けたことに対する報酬である旨認識したことが強くうかがわれるのである。
ウ 被告人AからM及びNに対する謝礼
(ア)a M及びNは、捜査段階では、平成八年七月下旬ころ、連れ立って幹事長室を訪ねた際、被告人AがMに対し、「家賃の件では、御負担を掛けて悪いね。」と謝辞を述べたことがあり、Mも、代表質問等のお礼を述べた上、職人大学が早期に実現するように重ねて依頼した旨一致して供述している(甲二九、四〇)。
b また、Mは、当公判廷では、幹事長室か議員会館事務所かで、被告人Aから、「B山の件でいろいろありがとう。」と言われたことがあり、自分は、「いえいえ、いつも、お世話になっておりますから。」などと述べて、代表質問や大学設立推進議連の問題ぐらいは話をしたかもしれない、被告人Aといろいろな話をしている中からひょいと一回という記憶であるなどと供述する一方、その際の状況として、家賃という言葉が出た記憶はない、職人大学や代表質問について話したとする点についても確かな記憶かと言われると困る、被告人Aと一対一のときに言われたという記憶であり、Nが一緒にいたかは定かでない、などとかなりあいまいな供述に終始している(M四、五、一六回)。
c これに対し、被告人Aは、Mにそのような謝礼を述べたことはない旨供述し(被告人A二〇、二一回)、Nも、当公判廷では、被告人Aから本件家賃提供についてお礼を言われた記憶はない旨供述している(N二回)。
(イ) そこで、これら関係者の供述の信用性について検討する。
a まず、M及びNの捜査段階の各供述は、相互に合致していて、互いに信用性を補強する関係にある。また、Mが平成八年七月二九日に被告人Aを訪問したことは、Mのスケジュール帳(弁二四)によって裏付けられており、その時期に、同年六月から始められた本件家賃提供についての謝礼が述べられたとすると、自然な流れに沿うものといえる。さらに、Mは、捜査公判を通じて、被告人Aからは一回本件家賃提供についてのお礼を言われた旨供述しているのである。
もっとも、Mの公判供述は、前記のように、かなりあいまいなものであり、被告人Aが謝礼の中で「家賃」という言葉を使ったかどうかなどについては、捜査段階の供述と食い違っている。また、Mは、N及びN1と三人で幹事長室に行ったことはない旨、後にみるN1の供述と食い違う供述もしている(M四回)。しかし、同年七月二九日にMがN及びN1と共に幹事長室に被告人Aを訪問したことは、N1の公判供述(N1六、七回)及びMのスケジュール帳(弁二四)から認められ、この点に関するMの公判供述は、N1を同行したことの単なる記憶の欠落と考えられる。しかも、Mの年齢に加え、捜査段階の取調べから証言までに半年余りが経過していることも考慮すると、このような記憶の欠落、供述の揺れやあいまいさが、被告人Aから本件家賃提供に関するお礼を言われたことがある旨の供述の根幹部分の信用性に影響を与えるものとはいえない。
b 他方、Nは、当公判廷において、捜査段階から供述を変遷させた理由について何も説明していないだけでなく、Mと共に被告人Aを訪問したこと自体も、あったかもしれない、何のために行ったか記憶がないと述べており、MやN1の公判段階での記憶の保持状況、あるいは他の事項に関するNの公判供述の状況にもかんがみると、この点に関して、Nは、供述を回避しようとする姿勢が顕著というほかない。
c なお、N1は、当公判廷において、Mの前記スケジュール帳の記載を踏まえて、自分は、平成八年の暑い季節に一回だけ、M及びNと幹事長室に被告人Aを訪ねた記憶があるが、被告人AがMに対し、家賃がどうのこうのという話をしたのを聞いた記憶はない旨供述している(N1六、七回)。
しかし、N1は、それと同時に、MとNが幹事長室に入った後、自分はその手前の会議室のようなところで待たされ、しばらくしてから、入ってこいという話になった、待っている間にMとNが被告人Aと何を話していたかは聞いた覚えがないとも供述しているから(N1七回)、このN1供述は、被告人Aが謝礼を述べたことを否定する趣旨まで含むものとはいえない。
d したがって、前記のようなM供述及びNの捜査段階の供述は、少なくとも両名が被告人Aから本件家賃提供に関する謝礼を言われたとする限りで、高い信用性を認めることができる。
(ウ)a 弁護人は、M及びNの各供述の信用性について、両名の各検察官調書には、N1が同行した事実が記載されていないから、信用できない旨主張する。
しかし、M及びNは共に、当公判廷でも、N1の同行については供述していない。また、N1の供述によっても、N1は、被告人AとM及びNとの会見に途中から呼び込まれ、被告人Aに対し、期間延長問題について話をしたというのである(N1六、七回)。したがって、M及びNにおいて、N1が同行した記憶がないか、本件家賃提供とは無関係であるとして検察官に供述しなかったとも考えられるから、この点が、M及びNの各検察官調書の信用性を左右するものとはいえない。
b また、弁護人は、平成八年七月には、Mが宴会等で被告人Aと度々面談していたにもかかわらず、同月二九日まで謝礼がなかったというのは不自然である旨主張し、Mのスケジュール帳等によると、同月二日、九日、二一日、二四日の宴会等において、Mが被告人Aと会っていたことが認められる。
しかし、前にみたような本件家賃提供の性質に照らすと、被告人Aが、誰に聞かれるかもしれない宴席等で謝礼を述べなくても特に不自然ではないし、Mも、当公判廷において、宴席とか大勢の場で(被告人Aが)お礼を言うようなことはないとも述べているのである(M一七回)。したがって、弁護人の指摘する上記事情がMやNの前記各供述の信用性を減殺するものとはいえないのである。
c さらに、弁護人は、平成一〇年九月ころ、B山ビル七〇五号室を新たに賃借した際、Mから事務所開きのお祝いとして馬の絵画(弁三八)を贈ってもらったので、次にMに会ったときにそのお礼を述べたとする被告人Aの供述(被告人二〇回)に基づき、被告人Aが「B山の件でいろいろありがとう。」と述べたのはこの時のやり取りである可能性があるとも主張する。
確かに、Mは、当公判廷において、被告人Aから謝礼を言われた時期は分からないとか、家賃という言葉はなかったとも供述する(M四回)が、Mの公判供述を検討しても、Mが平成八年七月の本件家賃提供に関する謝礼と平成一〇年九月ころの絵画の贈答に関する謝礼とを混同しているような様子は全くうかがわれないのである。
d したがって、M及びNの各供述の信用性に関する弁護人の主張はすべて採用することができない。
(エ) そうすると、M及びNの各供述のうちの高い信用性の認められる部分に限っても、両名が被告人Aから本件家賃提供に関する謝礼を言われたことが認められるのであり、この事実は、被告人Aが、遅くとも平成八年七月二九日当時、本件家賃提供の事実を知っていたことを強くうかがわせるものである。
エ 本件家賃提供の方法変更の際の被告人Aの言動
(ア)a Nは、捜査段階では、本件報道を契機として本件家賃提供の方法を変更したころ、被告人Aに会った際に、「これまで、家賃は振込送金しておりましたが、マスコミ報道もあったことですので、今後は、その都度、私が現金で持参するようにしました。」と言ったところ、被告人Aは、「家賃を振込送金していたのか。」と少し驚いた上、「君のところ、大丈夫か。ちゃんとやっているのか。」と言った、振込送金すれば、跡が残るので、外部にその事実が漏れる可能性も少なくないし、KSD側がB山事務所の家賃を負担していた事実が公になれば、被告人AとKSD側の癒着として、スキャンダルになるかもしれないと考えて、KSD側の経理手続、事務手続に不信感を抱いたのだと思った旨供述している(甲四〇、四三、四四)。
b ところが、Nは、当公判廷では、廊下で歩きながら話をしている際、被告人Aに対し、「銀行振込をしていたようですから、これはまずいので、現金でBさんのところにお持ちするようにします。」と申し上げたが、被告人Aからは、私の話したことには触れないで、「君のところは経理的には大丈夫か。」という趣旨のことを言われた、私の話したことに対する返事ではなかったので、被告人Aには聞こえていないかもしれないと思っていたが、非常に忙しい先生で繰り返し話をするような状況ではなかったので、言ったことは言ったということで理解していた、この時に、被告人Aから「家賃を振込にしていたのか。」と言われた記憶はないなどと、異なる趣旨の供述をしている(N二、三回)。
c さらに、被告人Aは、当公判廷において、Nから、本件家賃提供の方法を変更した旨報告を受けたことはない、Nに対し「君のところ、大丈夫か、ちゃんとやっているか。」と述べたことはあるが、それは、時期ははっきりしないものの、Nと労働省の官僚とゴルフに行った際、労働省の人から、豊政連が自治省や選挙管理委員会に届け出ている報告書にはゴルフや宴会の記載が非常に多いという話を聞き、その場にいたNに対してそのように述べたことがあったのと、平成九年にKSDの迎賓館を見学した際、大広間にMの家紋の入った仏壇があるのを見て、公私混同も甚だしいと思い、Nに対し、「Mに注意しておきなさい。豊政連はこんな公私混同はしていないだろうね。大丈夫かね。」と述べただけである旨供述している(被告人A二〇~二二回)。
(イ) そこで、これら関係者の供述の信用性について検討する。
a まず、Nの捜査段階の供述は、本件報道を契機に、本件家賃提供の露見を恐れてその方法が変更された経緯や、本件家賃提供が豊明会の裏金として拠出され、被告人A側でも収支報告書に記載しない取扱いにしていたことなど、前認定の当時の客観的状況に沿うものである上、内容としても自然かつ具体的なものである。さらに、Nは、当公判廷でも、被告人Aに対し、本件家賃提供の方法変更の話をした際、被告人Aから「君のところ、大丈夫か。ちゃんとやっているのか。」と言われた点については、捜査段階の供述をおおむね維持している。しかも、被告人Aは、Nに対し、「君のところ、大丈夫か、ちゃんとやっているか。」と注意したことは認めているのである。
b 他方、Nの公判供述は、自身がわざわざ報告した内容につき、被告人Aが正確に理解していない疑いを持ちながら、再度言い直したりすることなく、そのまま放置したというのであり、それ自体、不自然な内容である。また、Nが当公判廷で述べるように、その際の会話の詳細まで記憶していたのであれば、捜査段階でも注意して供述したはずなのに、Nは、当公判廷において、捜査段階で異なる供述をした理由について、何ら合理的な説明をしていない。さらに、前にみてきたとおり、Nが、当公判廷において、殊更に被告人Aに不利益な供述をすることを回避しようとする姿勢をとっていることも考慮すると、Nの公判供述のうち、被告人Aが、Nの報告を十分認識しないまま豊政連の経理状態について質問したかのように述べる点を信用することはできない。
c また、被告人Aの公判供述は、Nに対し「君のところ、大丈夫か、ちゃんとやっているか。」と注意した状況について、Nの捜査段階の供述はもとより、その公判供述とも明らかに食い違っている。しかも、Nが、被告人Aの述べるような状況と記憶を取り違えて、前記のような供述をしたとも考え難いのである。したがって、このような被告人Aの公判供述も、信用することは困難である。
d そうすると、前記のようなNの捜査段階の供述は、基本的には高い信用性を認めることができる。
(ウ)a 弁護人は、Nの捜査段階の供述について、本件家賃提供は平成八年一一月の家賃分まで振込で行われており、Nがその方法を変更したのは、同年一二月下旬と推測されるから、本件報道から期間が空きすぎて不自然である旨主張する。
しかしながら、Fは、本件報道があってから最初にNと顔を合わせた際に、善後策を協議し、最初に資金の流れを、一、二週間してから本件家賃提供の方法について検討を重ねた結果、おそらく同年一一月二五日以降になって変更が決定された旨供述しており(F八、九回)、そのような経過に照らせば、本件家賃提供の方法変更が本件報道から不自然に遅れてされたとはいえない。
b また、弁護人は、Nの捜査段階の供述を前提とすると、本件報道とN・被告人A間の前記やり取りとの間に、罪となるべき事実第二の五〇〇〇万円が被告人AからMに返還されたことになるのに、本件家賃提供の方法変更の理由を、その五〇〇〇万円返還ではなく、それに先立つ本件報道とするのは不自然である旨主張する。
しかし、Nが本件報道を契機に本件家賃提供の方法を変更したのは、Nの捜査公判に一貫した供述であるだけでなく、Fの供述からも明らかな事実であって、弁護人の主張に理由のないことは明らかである。
(エ) 以上のとおり、高い信用性の認められるNの捜査段階の供述により、前記(ア)aのような事実を認めることができるのであり、これも、被告人Aが当初から本件家賃提供の事実を知っていたことを強くうかがわせるものである。
オ 被告人両名の連絡ないし意思疎通状況
(ア) 被告人両名の供述内容、変遷状況等
a 被告人Aとその秘書、とりわけ政策担当秘書である被告人Bとの連絡ないし意思疎通状況について検討するに、関係各証拠によれば、被告人Aの事務所では、平成八年当時、被告人Bが他の秘書らを統括しており、B山事務所で勤務する秘書の中では、被告人Bのみが被告人Aに対して報告をし相談をする立場にあり、他の秘書らは被告人Bを通じてのみ被告人Aに報告等をする状況にあったことが明らかである。
b そして、被告人Bは、被告人Aとの連絡ないし意思疎通状況等について、捜査段階では、おおむね以下のとおり供述している(乙一七~一九、三〇)。すなわち、
(a) 被告人Aは、朝に議員会館事務所に立ち寄ることが多かったので、私は、その時間に合わせて、車を駐車場に置く機会に同事務所に立ち寄って、被告人Aと打ち合わせをするようにしていた。朝に打ち合わせができなければ、電話を架け、あるいは被告人Aが同事務所に戻った時間に合わせて、議員会館事務所を訪れるなどして、毎日少なくとも一回は打ち合わせをしていた。
(b) 被告人Aからは、秘書になったころから、何度となく事務所であったことは漏らさず報告するようにと指導を受けており、次の点は励行していた。
① B山事務所に来た支援者や国会議員の冠婚葬祭については、被告人Aの出席の有無や香典等の金額を、被告人Aに対し、直接又は議員会館事務所の秘書を通して確認していた。
② 国会議員のパーティーの案内状は、ほとんど議員会館事務所に届けられており、同事務所の秘書が被告人Aのスケジュールを確認した上、被告人Aに対して、本人が出席するかどうかを確認し、本人が出席しない場合は、被告人Aから、B山事務所に秘書の代理出席を命じてもらっていた。祝儀は、通常は被告人Aの政治資金パーティーに来てくれた議員が前にいくら包んだかを控えているものが同事務所にあり、確認してから、同じ金額を包むようにしていた。党の役職者や関係が深い人については、いくら包むのかを被告人Aに確認していた。
③ 被告人Aのパーティー等については、招待者等の原案を私の方で作成した上、被告人Aの了解を得ており、講師についてもリストにして被告人Aに決定してもらっていた。
④ B山事務所に来た陳情については、ナンセンスなものや被告人Aの手を煩わせる必要のないものは自分たちで処理していたが、それ以外は被告人Aの指示を仰いで処理していた。
⑤ 寄付や陣中見舞いや大口のパーティー券の購入先については、数万円を超えないようなものはともかく、それ以上は、一覧表にまとめるなり個別に報告するなりして、被告人Aに報告していた。
c これに対し、被告人Bは、当公判廷では、これと大きく異なる供述をしている(被告人一八、一九回)。すなわち、
(a) 私は、毎日朝に議員会館事務所に寄り、被告人Aも同所に設置された神棚を拝むために毎朝五分ぐらい寄っていたが、被告人Aと会う約束をしていたわけではなく、週に一、二回は一日会わないことがあった。私と被告人Aは、立って報告するのがほとんどであり、被告人Aが部屋を出ていって、エレベーターまで追いかけて話をすることもよくあった。報告のため同事務所の秘書から連絡を受けて被告人Aに会いに赴いた際も、私が行くまでの間に、被告人Aが同事務所から出てしまうこともしばしばあった。
(b) 被告人Aからは、選挙の期間中はともかく、事務所であったことは漏らさず報告をしてくれという指導を受けたことはない。私が、被告人Aから報告するように言われていたのは、国会議員の人事の陳情や冠婚葬祭、地方議員の選挙、国会議員からの講演依頼、支援団体の紹介等の議員間の事柄についてであって、事務所運営については報告しておらず、収支報告書や政治資金報告書も被告人Aには見せていなかった。
(c) 捜査段階で被告人Aから指示を受けていたとされた事項のうち、前記①の冠婚葬祭についても、自分で判断できるものは被告人Aに報告せずに自分で判断して電報を打ち、香典や祝儀の額を決めていた。同②のパーティーは、地方議員のパーティーについては、B山事務所に案内が来て、自分の方で判断できるものは判断しており、国会議員のパーティーについても、被告人Aが懇意にしている人等を除いては、被告人Aのパーティーでもらった金額を返していた。同⑤の政治資金については、国会議員からいただいたものに限って報告していた。寄付や陣中見舞いも、国会議員からもらったものについては一覧表を作るなどして被告人Aに報告していたが、支援者からもらった寄付や陣中見舞いについては自分の方で処理して報告していない。
(d) 国会議員の関係以外でも、支援者の中で、地方の市長や大学の関係者、被告人Aの秘書時代の付き合いの人など、被告人Aと懇意な人については報告していた。しかし、Mは新しい付き合いなので懇意だとは思っていなかった。
d 他方、被告人Aは、捜査段階では、Oや被告人Bに対して、事務所であったことについては漏らさず報告してくれとか、報告、連絡、確認が重要という指導をしていたが、すべて実行されていたわけではなかったと供述していた(乙三七)。
e しかし、被告人Aは、当公判廷では、以下のとおり、おおむね被告人Bの前記公判供述に沿うような供述をしている(被告人A二〇、二一回)。すなわち、
(a) 平成八年当時、朝はほとんど会合が入っていたが、週に二、三回、午前一〇時前後の空いた時間に神棚にお参りするために議員会館事務所に行っていた。そうした際に、被告人Bが来ていて、ちょっと相談や報告というようなことはあった。また、用件がある場合、確認の電話を入れた上、同事務所に被告人Bが報告等に来ることもあったが、その場合でも、私はせっかちなので、到着する前にエレベーターに乗ってしまい、事務所の一階の車寄せ辺りで立ち話をする程度であった。
(b) Oや被告人Bに対して、事務所であったことを漏らさず報告してくれという指導をしたことはない。被告人Bからは、議員間の事柄以外については報告を受けておらず、B山事務所の運営だとか一般的な陳情だとかはほとんど被告人Bのところで処理していた。事務所資金の管理や事務所の経理、B山事務所で受け取った政治資金、寄付金、陣中見舞いについても、相談を受けていなかった。冠婚葬祭も、じっこんの間柄にある人たち以外は、被告人Bが判断していた。中元や歳暮も、国会議員については一覧表を届けてもらって判断していたが、それ以外は被告人Bが判断していた。私の政治資金パーティーについても、講師は私が決めていたが、企画立案や議員以外の招待者の決定、パーティー券の売却等はすべて被告人Bに任せていた。
(イ) 被告人Bの捜査段階の供述の信用性
そこでまず、被告人Bの捜査段階の供述の信用性について検討する。
a 被告人Bの前任者であるKは、被告人Aの秘書をしていた当時の状況について、被告人Aから、事務所であったことは細大漏らさず報告するようにと指導を受けていた、前記③の被告人Aのパーティー等についても、時期、場所、規模、テーマ、講師、招待者等に関する案を考えては、被告人Aと相談し、終了後は、事業の収支を書面にして、パーティー券の購入者の名前、購入枚数及び合計金額、事業経費、余剰金等が一目で分かるような書面を作成して被告人Aに報告していた、同⑤の支持者から寄付金を預かったときは、収支報告書に計上するしないに関わりなく、被告人Aが外でその支持者に会ったときに寄付金に対する礼を言うことができずに恥をかかせるようなことがないように、五〇〇〇円程度の少額の現金が書留で送られてきたような場合はともかく、少なくとも数万円を超えるような金額の寄付であれば、必ず被告人Aに報告をしていたなどと述べて(甲六六、六七)、被告人Aに対しては、その指示により、事務所での出来事等について詳細に報告し相談していた旨供述している。
b また、議員会館事務所で勤務していた秘書らは、同事務所での被告人両名の打ち合わせ状況について、捜査段階ではそれぞれに、被告人Bは、被告人Aが朝に同事務所に立ち寄る場合は、その時を見計らって同事務所に寄り、被告人Aが会合等のために立ち寄らない場合にも、電話や個別に同事務所に出向くなどして被告人Aと打ち合わせをしていた、被告人Bは、少なくとも週に二、三回は同事務所で被告人Aと会って話をしていたなどと、その回数等の細部はともかく、被告人両名が頻繁に同事務所で打ち合わせをしていた状況を供述している(甲七四、八六、八九、九八、一〇〇、一〇二)。
c さらに、B山事務所で勤務していた者も含めて、被告人Aの秘書らは、捜査段階ではそれぞれに、前記①の冠婚葬祭の出欠や香典等の要否、金額、政治家のパーティーの出席の有無は、B山事務所に来たものは被告人Bを通し、議員会館事務所に来たものは直接、いずれもAの指示又は決裁を経ていた、同③の被告人Aの政治資金パーティーについては、招待者や司会、勉強会の講師について、被告人BやD1が原案を作成した上、被告人Aが決裁をしていた、同⑤の支援者からの寄付については、少なくとも多額のものは、後日被告人Aがその支持者と会ったときにお礼の言葉を掛けることができず被告人Aの顔を潰すことがないように、被告人Bを経由するなどして、必ず報告するようにしていた、加えて、被告人Aは礼儀を重んじ、気配りが行き届いている人間であるとして、国会議員や重要な支援者に対する中元歳暮やその中身についても、国会議員のリストや前回の贈答先リストを参照して、被告人Aが自ら決定していたなどと、被告人Bが被告人Aに対し細かく報告し指示や決裁を仰いでいた旨供述しているのである(甲七四~七八、八六、八九、九〇、一〇一~一〇三)。
d このように、被告人Bの捜査段階の供述は、以上のような被告人Aの秘書やその経験者らの供述によって全般的に裏付けられており、被告人Aの基本的方針については、被告人A自身の捜査段階の供述と合致するものである。しかも、被告人Bのこの供述は、それ自体、相当に具体的で、内容的に特に不自然・不合理な点は認められないのであり、その信用性に疑問とすべき点は見当たらない。
(ウ) 被告人Bの公判供述の信用性
a 次に、被告人Bの公判供述の信用性について検討するに、これは、被告人Aの公判供述と合致するだけでなく、被告人Aの秘書らの当公判廷における供述中に、これに沿う部分も認められる。すなわち、
(a) 議員会館事務所で勤務していたO1子は、被告人Bが毎日同事務所に顔を見せており、被告人両名が朝に同事務所で会うこともあったが、ただ挨拶ぐらいの時も多かった、被告人Aは被告人Bが報告してもすぐエレベーターに向かったりしていて、余り聞いていない感じだったなどと供述し(O1子六、七回)、主にB山事務所で勤務していたG子は、被告人Bが被告人Aをどこで捕まえられるかをいつも探しているような感じだったなどと供述している(G子八回)。
(b) 秘書らは、被告人Aについて、国会議員に関する事柄には非常に細やかな配慮をしていたが、経理等事務所の運営には大雑把であり、被告人Bに委任していた部分が多かった旨一致して供述した上、被告人Bが、⑥秘書の採用及び給料等を実質的に決定していたこと、⑦被告人Aに相談することなく、事務所の車を購入していたこと、⑧被告人Aの支援者から乗用車の寄贈を受け、被告人Aの名前を用いて仕事を行っていたこと、⑨被告人Aの政治資金パーティーについて、講師やパーティー券の大口の購入先の国会議員や挨拶をする政治家は被告人Aにリストを用意するなどして相談するが、その他の招待者、パーティーの会場や規模については秘書らで決定していたことなどを供述している(D1六、七回、J1六、七回、E1六回、O1子六、七回、M1六、七回)。
b そして、前認定のように、B山事務所の事務に関する被告人Aとの連絡は専ら被告人Bが行っていたことのほか、秘書らの供述から認められるように、被告人Aは、ほとんどB山事務所を訪れることはなく、被告人A名義のものも含め、多数の銀行預金通帳等を被告人Bに保管させていたこと(甲七二)も考慮すると、前記のような秘書らの公判供述のうち、被告人Aが事務所の運営の細部についてそれほど細かく口出ししていなかったとする点は、本件証拠上、おおむね首肯することができる。
また、前記⑥の秘書の採否等を被告人Bが実質的に決定していたこと、被告人Bが被告人Aに断りなく同⑦及び⑧の事柄を行っていたことについては、これを排斥すべき事情は見当たらない。
さらに、同⑨の被告人Aの政治資金パーティーに関しては、秘書らの供述からは、その原案を秘書らが作っていたものと認められるところ、パーティーに先立つ勉強会の講師やパーティーで挨拶をする政治家等の人選を除いては、被告人Bがどの程度の内容を被告人Aに報告し了解を得ているのか、被告人B以外の秘書らは具体的に認識していなかったことがうかがわれるのであり、同⑨の点に関する供述は、被告人Aが、国会議員以外の招待客やパーティーの会場、規模等について、秘書らが作成した原案に異議を唱えるなどしたことはないという限度で信用することができる。
そうすると、上記秘書らの供述によって、被告人Bが、B山事務所の管理運営に関する事項について、相当程度、被告人Aの意向を確認することなく処理していた部分のあることがうかがわれ、その限りで、被告人Bの公判供述を裏付けるものといえる。しかし、同⑥の秘書の採用については、被告人B自身、採用を内定した後は、引き合わせとして被告人Aに報告していたことを認めており、同⑧は、その性質上、被告人Aに報告できない事柄であるともいえるから、秘書らの供述は、被告人Bの公判供述の信用性を上記限度を超えてまで裏付けるものとはいえない。
c また、被告人Bの公判供述は、全般的に、自らの捜査段階の供述のみならず、Oや秘書らの捜査段階の供述にも明らかに反するものである。
そして、被告人Bが被告人Aの支援者を含めて国会議員間の事柄以外は原則として被告人Aに報告しないなどということは、常に自己の選挙や政治資金について配慮せざるを得ない被告人Aの政治家としての立場を考慮すれば、到底あり得ないことと考えられる。ちなみに、被告人A自身、当公判廷において、Mから、B山ビルの七〇五号室に馬の絵画をもらった時はちゃんとお礼の言葉を述べたし、物をもらえば、民間人であろうと政治家であろうと、お礼を言うのは人間としての道であると述べており(被告人A二二回)、秘書らも、被告人Aの顔を潰すことがないように、支援者から寄付金等を頂いた場合は被告人Aに報告していたと供述しているのである。
なお、被告人Bは、地方の市長や大学の関係者、被告人Aの秘書時代の付き合いのある人など被告人Aと懇意な人については例外的に報告していたとも述べているが(被告人B一九回)、そうであるならば、有力な支援者も、当然に報告の対象となるはずである。また、被告人Bは、Mについて、被告人Aと懇意な間柄ではなかった旨供述するが(被告人B一九回)、前認定のような被告人AとMとの関係に照らせば、当時、Mは、被告人Aにとって極めて重要な支援者であり、かつ、親しく付き合っていたものであることも明らかである。そして、被告人B自身も、Mが議員会館事務所を訪問した場合、そのことを同事務所の秘書から報告されていた旨供述しているのである(被告人B一九回)。したがって、これらの点からも、被告人Bの供述は誠に不自然というほかない。
d さらに、被告人Bは、前にみたとおり、NからB山事務所を大学設立推進議連のサロンにする目的で本件家賃提供を受けた旨供述しているところ、当公判廷において、いったんは、B山事務所に国会議員が来たら議員間の事柄だから被告人Aに報告していたと供述しながら、その後、議連の会長の部屋にいろんな先生方が集まることは一般的な常識だから、B山事務所を同議連のサロンとして使わせることや同議連の先生方が来られたことは、被告人Aには報告していなかった旨述べるに至っている(被告人B一九回)。
このように、被告人Bの上記公判供述は、前後矛盾することが明らかである。また、一般論としても、議連の会長として、その所属議員による自己の事務所の使用状況を把握しておくことは、議連の運営や当該議員との付き合い、更には事務所を管理する上でも重要と考えられるのに、このような事項についても被告人Aに報告すべき議員間の事柄に当たらないと強弁する被告人Bの供述もまた、不自然というべきであり、本件家賃提供について被告人Aに報告していないことを強調しようとする余り、自家撞着に陥っているとみるほかはない。
e(a) ところで、被告人Bは、当公判廷において、前記のように捜査段階から供述を変遷させた理由について、以下のとおり供述している(被告人B一八、一九回)。すなわち、
α 捜査段階で、私は、本件家賃提供を被告人Aには報告していない旨供述し続けたが、そうしたところ、興奮した検察官から、机を蹴飛ばされたり、怒鳴られたり、机をたたかれたりした。私は、平成一二年三月に心筋梗塞で倒れ、同年四月に心臓のバイパス手術を受けていたが、このような取調べを受けて体調が悪くなり、食べたものを戻したり、血圧が異常に高い数値を示したりすることがあった。
β 検察官からは、他の収賄事件の政治家の秘書を引き合いに出されて、ちゃんと供述すれば不起訴にするが、家賃について報告していないと言い張るのであれば、一生ここにいなきゃいけない、余罪を付けて出さないようにするなどと脅された。
γ このような取調べを受けて、被告人Aに一日一回報告するという点(乙一七、三〇)や事務所であったことを残らず報告しろと指導されていた点(乙一九)、秘書の採用に関する点(乙一八)、寄付金や陣中見舞いについて逐一被告人Aに報告していた点(乙一九)などについては重要でないと考えて、供述調書に署名した。
(b) しかしながら、被告人Bの捜査段階の供述は、他の秘書らの供述とも細部において異なる部分が多くあり、検察官による強引な押し付けがあった様子はうかがわれない。かえって、被告人Bは、本件家賃提供に関する点に限っても、これについて被告人Aに報告したことなど、被疑事実の核心部分については、否認し続けたのであり、このような供述状況からすると、その供述の任意性にも疑問とすべき点はないといえる。
また、被告人Bが本件家賃提供について被告人Aに報告していたかどうかを判断するに当たり、被告人Aが一般に被告人Bからどのような事項につきどのような方法で報告を受けていたかが重要な事実であることは、見やすい道理であるから、このような事柄についてまで重要でないと考えて安易に署名したとする被告人Bの公判供述は、信用するに足りないものである。むしろ、被告人Bは、前認定のように、被告人Aの義弟である上、昭和五五年以降、被告人Aの秘書を務めているものであり、Oが、被告人Bについて、被告人Aとの間の極めて強力な人間関係の絆に基づき誠心誠意秘書の仕事に取り組んでいた旨供述しているように(甲六九)、できる限り被告人Aに不利益な供述を避けようとする心情にあることも容易に看取できるのである。
c そうすると、原則として議員間の事柄についてのみ被告人Aに報告していたなどとする被告人Bの公判供述は、信用することが困難である。
(エ) 被告人Aの供述の信用性
a 次いで、被告人Aの供述の信用性について検討するに、被告人Aの捜査段階の前記供述は、被告人Bを含む被告人Aの秘書らの捜査段階の供述やOの供述に沿うものであり、被告人Bの捜査段階の供述について説示したところと同様の理由からも、その信用性に疑問とすべき点はないといえる。
b(a) これに対し、被告人Aの公判供述は、被告人Bの公判供述と同様に、議員間の事柄以外は支援者からの寄付金等を含めて一切報告を受けていないとするものであるが、そのこと自体、不自然とのそしりを免れないだけでなく、被告人Bを含む被告人Aの秘書らの捜査段階の供述及びOの供述と明らかに矛盾するものである。
(b)α また、被告人Aは、その検察官調書(乙三七)について、当公判廷では、検察官との雑談の中で、「選挙に勝つためにはどういうことを心掛ければいいかね。」という質問があったので、「票を読み切った事務所が勝利に結び付く。一票を読み切るために報告、連絡、確認というのが大事だ。」と述べたところ、その翌日には、上記調書になっており、「これは選挙の話である。」と訂正を申し入れたが、「裁判で使うつもりもないし、公式なものでもないから気軽に署名したらどうだ。」と言われ、さらに、「署名を拒むと自民党を潰してやる。」などとどう喝されたので、やむを得ず署名した旨供述している(被告人A二一、二二回)。
β しかしながら、被告人Aは、捜査段階では、一貫して被疑事実を否認している上、その検察官調書には細部について訂正を申し入れているものも三通認められるのであり(乙三、七、一〇)、被告人Aの明白な意思に反してまで検察官調書が作成されたとは考えにくい。また、前記調書(乙三七)には、自分の指示は必ずすべてが実行されていたわけではなかったとも記載されていることからすると、その内容は、決して被告人Aの意思に反するものでなかったことがうかがわれるのである。
γ この点、弁護人は、上記訂正部分について、公訴事実と関連性の薄い事項につき、必要のない訂正内容を記載して、あたかも取調べの際、被疑者の訂正申立てをすべて受け入れたかのように見せるという取調官のよく使う手法であって、このことは、パソコンで調書が作成されているのに、あえて手書きで訂正していることからも明らかである旨主張する。
しかし、乙第三号証では、参議院議員選挙の比例区の名簿登載順位について、後援会員の署名数や推薦党員の数だけで決まるのではないとする訂正がされており、これは、被告人AとKSDとの関係を考えるに当たってそれなりに重要な事実ということができる。また、調書をプリントアウトした後の読み聞けに対して訂正の申入れがあった場合に、再度プリントアウトし直すのではなく、その場で手書きで訂正することも、当然あり得るところであるし、一般の事件でもよく行われていることは、当裁判所に顕著な事実であるから、弁護人の上記主張は採用できない。
(c) したがって、被告人Aの前記公判供述を信用することは困難である。
(オ) 被告人両名の連絡ないし意思疎通状況
a 以上のとおり、被告人両名の連絡ないし意思疎通状況に関する捜査段階の各供述は、その余の秘書らの捜査段階の各供述と共に、高い信用性を認めることができるのに対し、被告人両名の各公判供述はいずれも、信用することが困難である。
そして、このような被告人両名の捜査段階の各供述を中心とする関係各証拠によれば、被告人Bは、支援者の冠婚葬祭や支援者からの寄付、陣中見舞い等に関しても、特に金額が多額であるなど重要なものについては、被告人Aに報告していたことが認められる。
b もっとも、被告人両名の各公判供述中には、被告人Bが被告人Aに無断で秘書の給料を支援者に負担してもらっていたとする部分があり(被告人B一八、一九、二三回、被告人A二〇、二一回)、J1(六、七回)及びO1子(六、七回)の各公判供述中にも、これに沿う部分がある。
しかし、これらの各供述はいずれも、被告人Aが本件家賃提供についての認識がなかった旨の供述と対をなすものである。そして、被告人Bの公判供述を前提としても、秘書の給料負担は、秘書一人当たり少なくとも年間約三〇〇万円もの多額の資金を継続的に要するものであるから、支援者からのそうした多額の資金援助について、被告人Bが被告人Aに報告しないというのはいかにも不自然である。
また、被告人Bは、捜査公判を通じて、G子の給料を民間企業に負担してもらっていたことは被告人Aにも報告していた旨供述しているが(乙一八、被告人B一八、一九回)、被告人Aは、この負担についても知らなかった旨供述しているように(被告人A二〇、二一回)、被告人両名の供述は食い違っている。
さらに、被告人Bは、G子と他の秘書とを区別した理由として、この民間企業による給料負担が、当初は被告人A自身かOの依頼に基づく可能性があったためである旨供述するが、そのように被告人Aの立場に配慮するのであれば、他の秘書の給料負担についてのみ自らの独断で依頼するというのも不可解である。
したがって、被告人Bが被告人Aに秘書の給料負担について報告していなかった旨の上記各供述をそのまま信用することは困難である。
(カ) まとめ
そうすると、被告人両名の捜査段階の各供述にあるような被告人両名の連絡ないし意思疎通状況に、前認定のような、本件家賃提供の年間一〇〇〇万円を超えるという金額の大きさ、被告人Bがこれを表沙汰にできない違法な金員の提供として取り扱っていたこと、さらに、当時のMによる被告人Aへの支援状況やMと被告人Aとの関係などを併せ考慮すると、被告人Bが、KSD側から本件家賃提供を受けるに当たり、被告人Aに対し、事前に、Nからの提案の内容を報告してその承諾を得ないなどということは想定し難いことというべきである。
カ 被告人BのD1に対する発言
(ア)a D1は、本件家賃提供の領収証の要否について質問した際の被告人Bの発言について、捜査段階では、平成八年七月ころ、被告人Bから、本件家賃提供を受けると聞き、「領収書は要らない。」と言われた、裏の金として豊政連から提供される意味合いの金であると思い、これが明るみに出ると被告人Aの議員生命に関わると思ったので、「領収証は本当に要らないんですね。そのことは、A先生も承知されているのですね。」などと言って確認したところ、被告人Bから、「当たり前だろう。先生も承知されているから、それでいいんだ。」などと言われた旨供述していた(甲八一)。
b これに対し、被告人Bは、こうした発言をしたことを明確に否定している(被告人B一八回)。
c また、D1も、当公判廷では、被告人Bのこの発言を否定するとともに、検察官調書の作成状況等について、以下のように供述している(D1六、七回)。すなわち、
(a) 私が、被告人Bに対し、「領収書は要らないのか。」と確認したところ、「まあ、そうだ。」という感じの答があったが、被告人Aも承知しているのかと聞いたことや被告人Bから「被告人Aも承知しているからいいんだ。」などと言われた事実はない。
(b) 私は、取調べの際、検察官から、自宅から押収された家計簿を示された上、そこに記載されていた被告人Aからもらった小遣い等について確定申告の有無を尋ねられて、「奥様は先生ですよね。教育委員会はこういうこと嫌うんですよね。」などと言われた。私は、小学校の教諭をしている家内の職が危ないと思い、非常なショックを受け、その晩眠れないくらい悔しい思いをした。
(c) 私が話したことが全然無視されて、検察官のシナリオに埋め込んでいくような悪意的な形で調書の原稿が出てきた。違うと言っても訂正してもらえず、早口で調書を読まれたので、何が書いてあるのかよく分からなかった点もあった。
(d) 被告人Bの前記発言についても、私が述べたことはないし、調書の内容も分からないまま署名した。
(イ) そこで、これら関係者の供述の信用性について検討する。
a まず、D1の捜査段階の供述は、前認定のように、被告人Aの事務所でも、本件家賃提供が収支報告書等に記載されず、表沙汰にできない後ろ暗い資金提供として取り扱われた経緯に沿う自然な内容である。また、D1は、被告人Bとの前記のようなやり取りを記憶している理由として、それまで八八万円のような半端な金額の資金提供を受けたことがなかったので、その数字が強く印象に残っており、今でもはっきりとこの当時のやり取りを記憶しているとか、その後、E1にも、自分の愚痴話の一環として、「Bさんから、A先生も承知していると聞いているけど、領収証は要らないと言うので出していないし、僕としても、こういうのは嫌なんだ。」などと話したとも供述しており(甲八一)、十分納得のいくものである。
そして、E1は、当公判廷において、D1から、「Bさんに対して『領収証が要るんじゃないか。』と言ったら、『いや、要らない。通帳に入れてくれ。』というふうに言われたんで、自分は、『変だな、おかしいな、これでいいのかな。』と思ったんだ。」と聞かされた旨供述しており、その限りで、D1の上記供述を裏付けているのである(E1六回)。
b これに対し、D1は、当公判廷では、自分の認識どおりの調書は一通もない旨供述するが、D1の検察官調書には、D1本人の経歴(甲七〇)やB山事務所の賃借状況(甲七三)等といった本人が自発的に供述しなければ録取できないものや、検察官が殊更に事実や表現を歪曲するとは考え難いものも多く含まれている。しかも、D1は、被告人Bとの前記やり取り以外の不本意な点について質問されて、Oからホウレンソウという指示を受けたとする点について確かな記憶がないのに調書に記載されたことを指摘するのみであることも考慮すると(D1七回)、その公判供述にはかなり誇張が含まれているといわざるを得ない。
また、D1は、検察官に対して取調べの様子をインターネットで流すなどと抗議したとか、被告人Bとの上記やり取りについて、検察官調書が前記のような記載になっていることすら署名時には分からなかったとも供述しているのであり、その公判供述は、税金の申告漏れを指摘され心理的に威迫されたために上記調書の作成に応じたという趣旨まで含むものとは解せられない。
さらに、D1は、検察官から調書を読み聞かせられたこと自体は認めているのであり、仮にその読み聞かせが若干早口であったとしても、その内容が全く分からないまま署名するというのも、取調べの方法について検察官に抗議したというD1の態度にはそぐわないもので、いかにも不可解である。
したがって、D1の上記のような公判供述を信用することは困難である。
c そうすると、被告人Bの前記発言に関するD1の捜査段階の供述は、信用性に疑問のあるその公判供述、更にはできる限り被告人Aに不利益な供述を避けようとする姿勢が顕著な被告人Bの公判供述との対比において、十分信用できるといえるのである。
(ウ) そして、このように十分信用できるD1の捜査段階の供述によれば、被告人Bが、本件家賃提供が開始された早々に、D1に対し、被告人Aもこれを承知している旨発言していたと認められるのである。
(2) 弁護人の指摘する被告人Aの認識を否定すべき事情
ア 平成八年四月のパーティーの費用負担変更の経緯
(ア)a D1は、当公判廷において、平成八年四月に実施された被告人Aの政治資金パーティーに関して、当初、豊政連が約二三〇〇万円を超えるパーティー会場費用全額を負担する約束であったが、自分がC川会の収支報告書にパーティー会場費用の記載が全くないのは不審に思われる旨述べて反対したために、豊政連の負担は約一三〇〇万円にとどまったということがある、本件家賃提供は、その時期や金額からすると、結局このパーティー会場費用のうち豊政連に支払ってもらわなかった分の穴埋めと思う、このパーティー会場費用の負担変更は、被告人Bが、自分と口論する中でその場で決めたことであり、その後も被告人Aから何の連絡もなかったので、被告人Aはこの費用負担変更については全く知らなかったはずであり、本件家賃提供も知らなかったと思う旨供述している(D1六、七回)。
b そして、弁護人は、被告人Aが本件家賃提供について知らなかった根拠の一つとして、このようなD1の公判供述も指摘する。
c この点、前記政治資金パーティーの会場となったホテルがその会場代金を約一〇〇〇万円と約一三〇〇万円とに分割して請求書を作成していることは、関係各証拠(弁二~四)から明らかである。
d また、被告人Bは、当公判廷において、上記パーティー会場費用の負担を変更した経緯について、D1の上記公判供述と同様の供述をした上、この費用負担は被告人Aに報告していない旨供述し(被告人B一八回)、被告人Aも、自分のパーティーにKSD等がどのような協力をしているかとか、その会場費用を豊政連に負担してもらっていたことは知らなかった旨供述している(被告人A二〇回)。
(イ)a しかしながら、M及びNはもとより、被告人Bも、本件家賃提供の趣旨が前記パーティーの会場費用負担減額の代替案であったとは一言も述べていない。また、本件家賃提供は、被告人Aが大学設立推進議連の会長である間という約束の下に開始された継続的なものであり、一時的な負担金とは性質を異にし、金額的にも約一〇〇〇万円を大きく上回ることが予想されるものであるから、D1の前記供述のうち、本件家賃提供の趣旨が前記パーティーの会場費用負担減額の代替案であったとする部分は、到底信用することができない。
b しかも、その余の点についてD1の前記公判供述に沿うような事実があったとしても、豊政連の負担としては減額ということになるから、仮に、被告人Bが独断でこれを決めたとしても、そのことが、被告人Bが本件家賃提供についても被告人Aに報告しなかったと推認させる事情にならないことは明らかである。
(ウ) したがって、平成八年四月のパーティーの費用負担変更の経緯に関する弁護人の主張は採用できない。
イ Nが被告人Aに本件家賃提供について初めて話した時期
(ア) 弁護人は、本件家賃提供の方法を変更する前に、Nが、被告人Aの下を頻繁に訪れながら、被告人Aと本件家賃提供について話をしたとは認められないから、このことは、被告人Aが本件家賃提供を認識していなかった証左にほかならない旨主張する。
(イ) しかしながら、Nは、本件家賃提供をする側であり、被告人Aとの間で殊更にこれを話題にするようなことは、相手に恩着せがましい印象を与えるものであるから、Nの方から話題にするようなことは考え難いところである。しかも、前認定のとおり、被告人Aは、平成八年七月末になって、Nも立ち会う席で、Mに対し本件家賃提供について謝礼の言葉を述べていたのであり、Nとしては、その後も、特別の必要が生じない限り、本件家賃提供について被告人Aに話をする理由はないのである。したがって、弁護人の指摘する上記事情は、被告人Aが本件家賃提供を知らなかったことをうかがわせるものとはいえない。
ウ 本件家賃提供が打ち切られた際のMの対応
(ア) 弁護人は、平成一〇年七月、本件家賃提供を打ち切られた際に、被告人AとMとの間でこの点に関するやり取りがないことは、被告人Aが本件家賃提供を知らなかったことをうかがわせるものである旨主張する。すなわち、本件家賃提供の打ち切りは、Nが捜査公判を通じて供述するように、Mが「A先生の時代は終わった。」などと悪口を言ったのが契機となったものであるところ、被告人Bが当公判廷で供述するように、Mが被告人Aの悪口を言っているとNから聞かされて、被告人Bが被告人Aに相談することなく本件家賃提供を断ることを決めたというのが真相であり、そのことは、被告人B及びNの各供述に加え、Mと被告人Aとの関係が上記打ち切りの前後で変化がなかったことからも推認される、というのである。
(イ)a しかしながら、前にもみたとおり、本件家賃提供は、表沙汰にできない違法なものであり、露見した場合、被告人Aの政治生命をも脅かしかねないものであるから、被告人AがMにその受領を断る理由を説明したり、被告人Aから受領を断られて、Mがその理由を問いただすような性質のものでないことは明らかである。したがって、本件家賃提供を打ち切られた際に、被告人AとMとの間で特段のやり取りがなくても、そのことから、被告人Aが本件家賃提供を知らなかったということはできない。ちなみに、後に認定するとおり、Mは、罪となるべき事実第二の五〇〇〇万円をMから返還された際にも、被告人Aに対しその理由等を尋ねていないのである。
b また、後に認定するとおり、被告人Aは、同年四月、Mが料亭での会合の際に五〇〇〇万円の資金提供を申し入れたのを断り、その後、Nに対し、「おまえ、注意しておけよ。料亭に持ってくるんだぜ。」と言っており、これに前認定のような本件家賃提供の方法が変更された経緯や本件報道の存在等も併せ考慮すると、本件家賃提供が打ち切られた当時は、被告人Aが、その発覚を恐れて、その受領拒絶を決断しても決しておかしくない状況にあったということができる。
c さらに、弁護人も指摘するとおり、被告人AとMは、前認定のように、本件家賃提供の打ち切り後も、職人大学の設置に向けて緊密な関係を維持していたのであり、そのことからすると、被告人Aの秘書である被告人Bが、Nから、Mが被告人Aの悪口を言っていると聞いて、その独断で本件家賃提供を断ったという供述自体、誠に不自然というほかない。
(ウ) そうすると、弁護人の指摘する上記事情もまた、被告人Aが本件家賃提供を知らなかったことをうかがわせるものとはいえないのである。
エ まとめ
以上のとおり、被告人Aの本件家賃提供に対する認識を争う趣旨の弁護人の主張はいずれも採用することができない。
(3) 被告人Bの本件家賃提供の趣旨に関する認識
ア 以上認定してきたところを前提に、まず、被告人Bの本件家賃提供の趣旨に関する認識の有無について検討する。
(ア) 前認定のように、被告人Bは、Nから、本件家賃提供の提案を受けて、「議員に話したところ、議員は、『有り難いお話だ。しかし、いつまでもというわけにもいかないので、議連の会長でいる間だけは甘えさせてもらう。』と言っていました。よろしくお願いします。」と述べてこれを承諾しており、その後、被告人Aが、本件家賃提供についてMらに謝礼を述べているのであるから、被告人両名のこのような言動によっても、本件家賃提供を受けるに当たり、被告人Bが被告人Aと事前に相談していたことは明らかである。
(イ) しかも、被告人Bは、Nから、「A先生には、代表質問や議連結成の件で御尽力いただいたお陰で、大学設立に向けて動き出しましたし、今後も、大学設立に向けて、議連の中心となって他の先生方を引っ張っていただきたいので、この際、A事務所を議連の先生方が集まる場所ということにして、こちらでA事務所の家賃を負担するよう理事長に話してみましょうか。」と言われて、本件家賃提供の提案を受け、これに対する回答の中で、被告人Aの意向として、「議連の会長である間」という限定を付しているのであるから、被告人BがNから告げられた上記のような本件家賃提供の趣旨を被告人Aに伝えて相談したことも、優に推認することができる。
(ウ) そして、以上のような本件家賃提供の提案及び受諾におけるN及び被告人Bの言葉に加え、前認定のような、MがKSDの会合等で「国会議員の先生に発破を掛けて、国会審議の場で職人大学設立のことを取り上げてもらうようお願いしている。」などと公言していたこと、被告人AとMとの緊密な協力関係などにもかんがみると、被告人Bにおいても、被告人Aから聞かされるなどして、被告人AがMから勧誘説得請託を受けていることを認識していたことはもとより、本件家賃提供がこのような請託を受けたことの報酬の趣旨を含むものであると認識していたこともまた、優に推認できるのである。
イ(ア) さらに、被告人両名の密接な関係等に照らすと、被告人Bにおいても、被告人Aが本件代表質問について請託を受けていたことを認識していた可能性も一概には否定できない。そして、Nは、捜査段階では、本件代表質問の後、被告人Bに対して電話でお礼を述べ、その際、「理事長のお願いどおりにA先生に代表質問の中で職人大学の設立を推進するように訴えていただき、ありがとうございました。」と述べた旨供述しており(甲三八)、この供述からは、被告人Bが、本件代表質問について被告人Aが請託を受けていたことを認識していたと推認する余地もある。
(イ) しかしながら、Nは、当公判廷では、被告人Bにお礼の電話を架けた際、上記のような発言をしたことを否定している(N二回)。また、Nを含む関係者の供述を検討しても、NがMと代表質問について被告人Aに依頼することを話し合ったことまでは認められるものの、本件代表質問当時、Nが代表質問請託が行われた時期や場所、方法等の詳細まで認識していたと認めるに足りる証拠は存在しない。しかも、前認定のように、Mが被告人Aに行った代表質問請託について、Nが、被告人Bも本件代表質問前から認識していると考えていたことをうかがわせるような事情も認められない。
したがって、Nが、被告人Bに対して、いきなり「理事長のお願いどおりにA先生に代表質問の中で職人大学の設立を推進するように訴えていただき」などと発言するというのは、いささか唐突で不自然というべきである。さらに、前にもみたとおり、Nの捜査段階の供述が過度に説明調のものであることも考慮すると、Nがそのとおりに供述したものとは認め難く、他に、被告人Bが代表質問請託の存在を認識していたと認めるに足りる証拠は見当たらない。
(ウ) そうすると、被告人Bが、Nから本件家賃提供を提案された時点において、被告人Aが代表質問請託を受けたことについてまで認識していたと認定することには、合理的な疑いが残るのである。
(4) 被告人Aの本件家賃提供の趣旨に関する認識
ア 次に、被告人Aの本件家賃提供の趣旨に関する認識の有無について検討するに、前認定のような、本件家賃提供の提案及び受諾に関する被告人BとNとの間のやり取り、その後の被告人AのM及びNに対する謝礼の言葉、更には、Nから、本件家賃提供が銀行振込で行われていることを聞いた際に、被告人Aが少し驚いた様子で「君のところ、大丈夫か。ちゃんとやっているのか。」と言った状況などからすると、被告人Aが本件家賃提供を受けるに当たり、被告人Bから相談を受け、これを了承したことを優に推認することができる。
イ そして、被告人Bが、本件家賃提供の提案に対する回答の中で、前認定のように、Nに対し、被告人Aの意向として、本件家賃提供を受ける期間を大学設立推進議連の会長在任中と限定していることに照らすと、被告人Aにおいても、本件家賃提供が職人大学設置に向けた被告人Aの取り組みに対するMらの感謝の念等に基づくものであると認識したことが強くうかがわれる。
ウ さらに、前認定のように、被告人Aが自ら直接Mから代表質問請託及び勧誘説得請託を受けていたこと、本件代表質問が労働省に大きな影響を与えたこと、Mが大学設立推進議連に対して大きな期待を寄せており、そのことは、被告人Aも、十分承知していたことなどの事情も併せ考慮すると、被告人Aにおいて、本件家賃提供が自ら上記各請託を受けたことに対する報酬の趣旨を含むものであることを十分認識しながらこれを受領していたことも優に推認できるのである。
(5) 被告人両名の本件家賃提供を受けることに関する共謀
ア 以上検討してきたとおり、被告人両名は、本件家賃提供を受けるに当たり、被告人Bが、Nから、被告人Aの本件代表質問や大学設立推進議連の結成への尽力にお礼を言われ、被告人Aによる同議連のメンバーに対する働きかけについても触れられた上、本件家賃提供の提案を受けたのに対して、被告人Aと相談した結果として、同議連の会長に在任中と期限を切って受諾したのである。そして、前認定のような被告人両名の本件家賃提供の趣旨に関するそれぞれの認識内容をも総合すると、被告人両名においては、本件家賃提供が被告人Aにおいて勧誘説得請託を受けた報酬の趣旨を含むものであることを共に認識し、被告人Aにおいては、更に自己が代表質問請託を受けた報酬の趣旨をも含むことを認識しながら、これを収受する旨の共謀を遂げたものと認められるのである。
イ なお、被告人Bについては、本件家賃提供が代表質問請託を受けた報酬の趣旨を含むとの認識があったとまでは認められないから、この点について、被告人Aとの間に認識の食い違いが認められる。しかし、これは、一個の賄賂の趣旨に関する認識の一部の食い違いにとどまるから、被告人両名の間の共謀の成立を妨げるものではなく、本件家賃提供の収受全体について共謀が成立し、それぞれが認識した範囲において受託収賄罪が成立すると認めるのが相当である。
五  総括
(1) 以上判示してきたとおり、本件家賃提供に関しては、罪となるべき事実第一の限度で認定することができるのである。
(2) なお、弁護人は、国会議員がその広い職務権限や国政全般について広く国民から陳情を受けるという立場の特殊性を強調して、本件家賃提供の賄賂性を争う旨様々に主張する。
しかしながら、本件家賃提供は代表質問請託及び勧誘説得請託という具体的請託を受けたことに対する報酬として供与されたものであると認められる以上、それと同時に、弁護人が主張するように、Mにおいて、政治的な立場を共にし様々な支援を通して密接な協力関係にあった被告人Aの政治的大成を願い、その支援をしようとする趣旨が含まれていたとしても、本件家賃提供の賄賂性が否定されるいわれのないことは明らかであり(最高裁昭和二三年一〇月二三日第二小法廷決定・刑集二巻一一号一三八六頁参照)、この点に関する弁護人の主張も採用できない。
第六  罪となるべき事実第二の事実について
一  問題の所在
(1) 検察官は、罪となるべき事実第二のとおり、被告人Aが、平成八年一〇月二日、議員会館事務所において、Mから、代表質問請託及び勧誘説得請託を受けたことの報酬として現金五〇〇〇万円を収受した(以下、検察官主張の現金の受渡しを「本件現金授受」という。)旨主張する。
(2)ア そして、Mは、捜査公判を通じて、本件現金授受の事実を認め、その際の状況について、当公判廷では、以下のように供述し(M五回)、捜査段階でも、おおむね同旨の供述をしている(甲三一)。すなわち、
(ア) 私は、その日、Cらに用意させた現金五〇〇〇万円の入った紙袋と現金一〇〇〇万円の入った茶封筒を理事長室から車に運び込んだ後、Eと運転手の三人で議員会館に向かい、その玄関でNと落ち合った上、Nと共に、議員会館事務所に向かった。
(イ) 議員会館事務所は、議員室と秘書室の二部屋からなり、出入口ドア側に秘書室が、間仕切りを挟んで奥に議員室があるが、私一人が現金五〇〇〇万円の入った紙袋を持って議員室に入り、応接セットの被告人Aのすぐ近くに座って、紙袋をテーブルの下の床の上に置いた。そして、私は、被告人Aに対し、「大変いつもお世話になります。」とお礼を述べ、さらに、本件代表質問や大学設立推進議連の件についても「ありがとうございました。」とお礼を述べると、被告人Aは、「いやいや。」と答えた。さらに、私は、職人大学の予算化の問題も含めて、「これからも一つよろしくお願いします。」と言った。
(ウ) その際、私は、被告人Aの方に少しその紙袋を押して、現金五〇〇〇万円を供与したところ、被告人Aは、「おう、おう。」と言っていた。
イ また、Nは、捜査段階では、本件現金授受の事実を認めて、被告人Aに現金五〇〇〇万円の提供(以下「本件資金提供」という。)を申し入れた状況や本件現金授受の席に同行した際の状況として、以下のように供述している(甲四二)。すなわち、
(ア) 私は、いきなり五〇〇〇万円という大金が持ち込まれては驚かれると思ったので、あらかじめ被告人Aに伝えておいた方がいいと思い、同年九月下旬ころ、幹事長室か議員会館事務所において、被告人Aに対し、「職人大学の件は、先生のお力で代表質問にもお取り上げいただき、議連も設立していただいて、進み始めました。誠にありがとうございました。今後とも、議連の先生方をまとめていただき、大学設立の推進に向けてお力添えをよろしくお願い申し上げます。」とお礼を言った後、「つきましては、衆議院議員選挙の際には、先生に五〇〇〇万円を支援させていただきたいと理事長が申しておりました。」と伝えたところ、被告人Aは、「そうか、悪いな。議連もできたし、これから皆をまとめていかないとな。」と言って、五〇〇〇万円の受領を承知した。
(イ) 同年一〇月二日、KSD本部から先発した私が議員会館の玄関で待っていると、Mの車が玄関前に止まった。私は、Mから現金五〇〇〇万円入りの紙袋を受け取った上、Mと共に、議員会館に入り、被告人Aの部屋に赴いた。私は、Mが被告人Aの部屋に入る際、この紙袋をMに手渡してから、秘書の執務室で待機していた。Mが、一〇分間程度で被告人Aの部屋から出てきたが、その時、紙袋も何も持っていなかったので、被告人Aに対し現金五〇〇〇万円を差し上げたことが分かった。
(3)ア これに対し、被告人Aは、Mが当日に議員会館に尋ねてきたかどうかも記憶にないが、支援者が現金を持ってきて受け取ったのであれば、記憶に残るはずであるなどと述べて、本件現金授受の事実を否認するとともに、Nから選挙資金を提供したいと申し入れてきたことはないなどと述べて、本件資金提供の申入れを受けた事実も否認している(被告人A二〇、二二回)。
イ また、Nも、当公判廷では、Mが、被告人Aの部屋から出てきた時、紙袋を持っていたので、被告人Aが受け取らなかったと思ったなどと、本件現金授受を否定する趣旨の供述をするほか、被告人Aと事前に現金五〇〇〇万円の提供に関する話をしたことはないとして、本件資金提供の申入れをしたことも否定する供述をしている(N二、三回)。
(4) そこで、以下、これらの供述の信用性、そして本件現金授受及び本件資金提供の申入れの有無を中心として、検討することとする。
二  本件現金授受に関するM供述及びNの捜査段階の供述の信用性
(1) 本件現金授受の存在を裏付けるべき事情
ア 被告人Aの資金需要及び資金調達状況
(ア) 関係各証拠(甲四二、八三、九二、乙一〇、N二、三回、被告人A二〇回)によれば、本件現金授受当時の被告人Aの資金需要及び資金調達状況として、以下の事実が認められる。すなわち、
a 平成八年九月二七日、衆議院が解散され、同年一〇月二〇日、衆議院議員総選挙が施行された。
b この総選挙は、小選挙区制度が導入された最初の選挙であった上、自民党にとっては過半数の議席の奪回が懸かった大事な選挙であったところ、被告人Aは、参議院自民党幹事長として、その公示前から、多くの選挙区の候補者から応援要請を受けており、同月三日以降、Nを同行し、全国各地の選挙区を回って応援演説や集会での挨拶等を行っていた。
c その際、被告人Aは、相当多額の現金を陣中見舞いとして持参し、候補者に交付しており、この選挙だけで、合計一億円前後を支出した。
(イ) 以上のとおり、同年一〇月当時は、参議院自民党幹事長であった被告人Aとしては、同月二〇日施行の総選挙応援のため多額の選挙資金を必要とする時期に当たり、そのころ現に約一億円もの選挙資金を調達し費消していたのであるから、このような当時の被告人Aの資金需要及び資金調達状況は、Mから現金五〇〇〇万円の供与を受けたという本件現金授受の事実に沿うものということができる。
イ MとNとの本件資金提供に関する合意の存在
(ア) M及びNの各供述
a Mは、捜査公判を通じ、Nとの間で本件資金提供に関する合意をした状況について、おおむね以下のとおり供述している(甲三一、M四、五、一六、一七回)。すなわち
(a) 平成八年九月下旬ころ、理事長室において、Nから、被告人Aについて、「今度総選挙があるが、大変だから応援してやってくれないか。」、「日ごろ、大変お世話になっているので、こういったときにこそお役に立ちたいのでどうでしょうか。」と言われ、具体的に本件代表質問や大学設立推進議連の話をされて、五〇〇〇万円という金額も提案された。
(b) 私は、一瞬高いとも思ったが、本件代表質問や大学設立推進議連の問題など、あれだけのことをやっていただいたことだし、そのほかにもいろいろとお力添えを頂だいしているのだから、こういったときにこそ感謝の気持ちをもってお応えしなければいけないと思って了承した。
(c) この五〇〇〇万円は、ちょうど総選挙の時期であったので、その際に入り用なのかなと考えたが、用途を決めて渡したものではなかった。もっとも、Nとの間では、陣中見舞いなどという言葉が出たと思うし、大学設立推進議連等の先生方にも、被告人Aの立場上、陣中見舞いをするんじゃないかという話も出た。
b また、Nも、捜査公判を通じて、同年九月の衆議院解散後、Mに対し、「大学設立推進議連の先生の陣中見舞いにお願いしたらいかがでしょう。」、「三〇〇〇万円から五〇〇〇万円ぐらいでしょう。」と提案し、現金五〇〇〇万円を供与することが決まった旨供述している(甲四二、N二回)。
(イ) M及びNの各供述の信用性
a このように、本件資金提供の合意については、M及びNが共に、捜査公判を通じて一貫して供述しているところであり、その合意の存在を否定すべき事情は全く存在しない。
b しかも、この合意があったとされる平成八年九月下旬当時は、前認定のとおり、同年六月に大学設立推進議連が発足した後、同年九月には被告人Aを含めてドイツ等にマイスター制度の視察旅行が実施され、労働省が、省内にプロジェクトチームを設けるなど、職人大学設置構想自体についても積極的姿勢に転換しようとするように、被告人Aの支援を得て、同構想に対する政治的な関心が次第に高まり、正に具体化しようとしていた時期に当たることがうかがわれる。
さらに、前認定のように、本件代表質問が労働省に対する大きな圧力となって、KGSの早期設立等に影響を与えていたのであり、MやNが、上記合意当時も、引き続き被告人Aに対する多大な感謝の念を抱く状況にあったのである。
加えて、後に認定するように、その後KSD内部では直ちにMの指示に基づき現金五〇〇〇万円が用意されているのである。
c したがって、M及びNの前記各供述は、互いに信用性を補強する関係に立つとともに、上記のような当時の客観的状況に沿う誠に自然かつ合理的なものであって、いずれも高い信用性が認められる。そうすると、これら各供述によって、同年九月下旬にMとNとの間で本件資金提供に関する合意が成立したものと認められるのである。
(ウ) まとめ
このような本件資金提供に関する合意の存在は、本件現金授受の事実の存在を強くうかがわせるだけでなく、MとNとの間の贈賄に関する共謀の事実を直接的に裏付けるものである。
ウ KDSにおける出金状況、Mによる被告人Aの訪問状況等
(ア) 関係各証拠によれば、KSDにおける出金状況、Mによる被告人Aの訪問状況等として、以下の事実を認めることができる。すなわち、
a 平成八年一〇月一日、Mは、KSDの総務経理担当常務理事であったCを理事長室に呼び、「近いうちに選挙があるが、先生方も物入りだからな。」と言って、翌日までにKSDの会計から現金で一億円を用意するよう指示するとともに、被告人Aに五〇〇〇万円を届けるので、取りあえず翌日一〇時半までに六〇〇〇万円を準備するよう指示した。(甲三一、四八、四九、C八、九回)
b Cは、銀行に現金の手配を依頼した上、同月二日午前九時ころ、KSD経理部長のDと共に株式会社東海銀行神田支店及び株式会社第一勧業銀行神田支店に赴いて、KSD名義の定期預金をそれぞれ解約して現金合計四五〇〇万円を払い戻した。
また、Cの依頼を受けて、同日午前一〇時ころまでに、株式会社富士銀行神田支店の係員が、KSD名義の定期預金を解約して、現金四〇〇〇万円をKSDビル内のCの部屋に持参し、翌三日にも、株式会社北陸銀行上野支店の係員が、KSD名義の定期預金を解約して、現金一五〇〇万円をCの部屋に持参した。
そして、Cは、同月二日午前一〇時一五分ころ、このうち現金六〇〇〇万円を五〇〇〇万円と一〇〇〇万円とに分けて別の紙袋に入れた上、理事長室に持参してMに手渡し、残りの四〇〇〇万円も、同日からその翌日にかけてすべてMに手渡した。(甲四八、五〇、五二、五三、C八、九回、D九回)
c Mは、同月二日午前一〇時三〇分ころ、KSD秘書課長のEと共に車で議員会館に向かい、同会館前でNと落ち合った上、Nと二人で議員会館事務所を訪れて被告人Aと面会した。(甲三一、四二、E一四回)
d 一億円の前記支出に際しては、仮払いの名目でKSDの支出決議書が作成され、Mの決裁を受けているところ、Cは、一億円の補てんの見込み等が全く知らされていなかったため、使途不明金になった場合に同人の責任とされることを恐れて、上記支出決議書のコピーを作成して保管したほか、Nに対し、Mの指示で一億円を支出したことを説明し、一億円が他に渡ったことの裏付けとなる領収書を作成するよう求めた結果、自民党東京都豊明支部発行KSDあての金額一億円の領収書を入手した。
なお、KSDでは、支出決議書に基づき支出が実行された場合、振替伝票が起票されることになっていたが、上記一億円については一切起票されず、KSDの帳簿上は支出自体がないものとされていた。Dは、同年一一月ころ、Cに対し、一億円の会計処理について相談したが、当面留保するようにとの指示を受けた。(甲四八、四九、五二、F八、九回、C八、九回。D九、一〇回。なお、N三回)
(イ)a 以上のとおり、Mは、同年九月下旬ころ、Nとの間で、被告人Aに対する本件資金提供について合意した上、その直後の同年一〇月一日には、Cに対して、被告人Aに持参する金であることを明らかにしながら、現金一億円の用意を指示し、翌二日に、そのうち現金六〇〇〇万円を理事長室に運び込ませた上、直ちに議員会館事務所に被告人Aを訪れており、しかも、この資金調達は、KSD内部で、内容虚偽の領収証が作成され、振替伝票が作成されないなど、裏金として処理されたのである。
b そして、このような事情は、Mの供述をまつまでもなく、本件現金授受の事実の存在を強くうかがわせるものである。
エ KSDに現金五〇〇〇万円が戻った状況等
(ア) 認定事実
関係各証拠によれば、KSDに現金五〇〇〇万円が戻った状況等として、以下の事実を認めることができる。
a KSDに現金五〇〇〇万円が戻った状況等
(a) 平成八年一二月五日、Mは、被告人Aから、「すぐ来てほしい。」との電話を受け、同日午後一時又は二時ころ、Eと共に議員会館事務所を訪れて、被告人Aと面会した。(甲三二、五五)
(b) Mは、その後の同日午後二時以降、C及びNを理事長室に呼び、五〇〇〇万円が戻ってきた旨告げた上、Cに対し、紙袋に入った現金五〇〇〇万円を手渡した。そこで、Cは、翌六日、Dに指示して、この現金五〇〇〇万円と別途Nから手渡された現金五〇〇万円を併せて、富士銀行神田支店及び北陸銀行上野支店にKSD名義の定期預金として入金した。
なお、残りの四五〇〇万円は、結局返金されないまま平成九年三月の決算期を迎えたため、Cらは、架空経費を計上して帳尻を合わせることにし、業務委託費として四五〇〇万円を支出したこととする会計処理を行った。(甲四八、五〇、五二、五三、五五、C八、九回。D九、一〇回)
(c) 他方、平成八年一二月五日、被告人Aは、自ら払戻請求書を作成した上、当時、自身で通帳と届出印を保管していた自己名義の銀行口座から五〇〇〇万円を払い戻している。(甲一一〇、乙一二、一三、三一、被告人A二〇回)
b KSDに関する苦情ないし被告人Aに対する報告等
(a) 前認定のように、同年一一月一八日に豊政連に関する本件報道があったほか、KSDについても、同年夏ころから、電話や投書により、Mが自民党に政治献金しているのではないか、KSDの資金がMの自宅の建設費用に流用されているのではないかという苦情が度々労働省に寄せられるようになった。そこで、労働省では、同年八月、KSDのI1総務部長を呼び出して事情を聴取したり、苦情に誠実に対応するよう指導したほか、同年一一月下旬には、Cに対し、同省への歳暮等は今後行わないよう要請し、I1にも、同省に寄せられた苦情内容を書面で伝えて、豊明会の経理内容を明確にするよう指導するなどし、同年一二月二日ころにも、Cに対し、KSDと豊明会の役割を明確に区別し、経理処理も適切に行うよう指導していた。(甲一一、一二、五一、五六、C八回、I1一〇回)
(b)α 折から、労働省では、同年一二月三日、雑誌記者を名乗る者から、KSDに対する国からの補助金の有無やその経理内容について電話で取材を受けたため、同月四日、マスコミからの取材に備えて、それまでのKSDに対する苦情やそれに対する同省の対応の経過を書面にまとめて、T局長、X官房長及び事務次官に対し順次報告をし、上記記者の所属会社を調べるなどしたほか、X官房長が、上記報告の当日か翌日ころに被告人Aと会った際、KSDに関する苦情や投書が相次いでいること、雑誌記者の取材があったことを伝え、「マスコミの取材があるかもしれないので気を付けた方がいい。」などと言った。(甲七、一一)
β この点、弁護人は、労働省でKSDの監督を担当する労働基準局庶務課課長補佐であったP1の供述(甲一一)によれば、Xは、同月四日に労働基準局にその雑誌記者の調査を指示して、翌五日その報告を受けたというのであるから、Xが被告人Aに報告したのは同月六日以降である旨主張する。
しかし、Xは、被告人Aに報告したのは、KSDに関する苦情や投書について労働基準局から報告を受けた同月四日の当日か翌日ころと述べているところ(甲七)、マスコミが取材に動いているという事柄の性質上、労働省の官房長としては、雑誌記者の身元が判明していなくても、元労働大臣で同省との結び付きが深い被告人Aに対し、可及的速やかに連絡する方がいいと判断することも十分あり得るところと考えられる。したがって、弁護人指摘の事情を考慮しても、同月四日か五日に被告人Aに報告した旨のXの供述に疑問の生ずる余地はない。
(イ) 現金五〇〇〇万円の返還に関するM供述の信用性
a Mは、平成八年一二月五日にCに手渡した現金五〇〇〇万円について、捜査公判を通じて、以下のように供述している(甲三二、M四、五回)。すなわち、同月上旬ころ、被告人Aの事務所からKSDの秘書室に電話があり、「すぐ来てくれ。」ということなので、その日のうちにEと共に議員会館事務所に赴いた、すると、被告人Aから、「これは預かったけれども、必要なくなったからお返しするよ。」と言われて、紙袋に入った現金五〇〇〇万円を渡された、せっかく返すというのをお断りするのも大変無礼なことであるし、理由をお聞きするのも失礼なので、「ああ、そうですか、頂だいいたします。ありがとうございました。」と言って持ち帰った、その後、Cに対し、被告人Aから返してもらったと言って、そのままそっくり手渡した、というのである。
b(a) このM供述は、前記(ア)aで認定したように、被告人Aが自ら預金から現金五〇〇〇万円を払い戻した当日、Mが被告人Aと会った後に、Cに対し、戻ってきた旨告げて現金五〇〇〇万円を手渡したという事実によって客観的に裏付けられている。しかも、Mが被告人Aと会った際に同行したEも、捜査段階には、同日、Mと共に議員会館に行き、議員会館事務所に向かったMを車の中で待っていたところ、手ぶらだったMが重そうな物の入った様子の紙袋を手にして戻ってきたと供述しており(甲五五)、これも、M供述の信用性を直接的に裏付けるものである。
(b)α なお、Eは、当公判廷では、その日、Mと共に議員会館に行ったが、Mが被告人Aと会った後に荷物を持ってきたかは分からないとか、なかったような気がすると供述している(E一四回)。
β しかしながら、Eの公判供述は、それ自体、上記のように極めてあいまいなものである。また、同人は、当公判廷で証言する際、現在、脳梗塞を患っており、ストレスがたまるようなことをやると、すぐ血圧が上がって再発するおそれがあると医者から言われているため、なるべく何もあんまり考えないようにしている旨供述し(E一四回)、証言中にも、疲労を訴えて休憩を求めるなどしているのであって、証言時点の記憶の正確性自体に疑問が残る。しかも、同人は、Mが外出する際には大体同行していたというのであり、他の訪問の時と記憶を混同している可能性も否定できない。したがって、このようなEの公判供述が、その捜査段階の供述の信用性に影響を与えるものとはいえない。
c(a) もっとも、M供述のうち、被告人Aが現金五〇〇〇万円を返還してきた理由に関する部分は、変遷している。すなわち、
α Mは、捜査段階では、本件報道を契機に、マスコミや世間がKSDと政治家の関係に注目したり、取材活動したりする可能性もあると思い、このような状況を踏まえて、金額が大きくて言い逃れできない五〇〇〇万円については返却してきたと思った旨供述し、さらに、KSDに戻った後、Cに五〇〇〇万円を渡した際、同席していたNからも、「そうですか。豊政連のことがマスコミに出たりしたので、先生も心配されたのでしょう。」と言われた旨供述していた(甲三二、三三)。
β ところが、Mは、当公判廷では、自分は本件報道自体記憶にないので、マスコミが騒いでいるから被告人Aが返してきたとは考えなかった、本件報道は取調べ時に初めて見せられて認識したものであり、捜査段階の供述は、検察官から本件報道を示されて、「こういうことじゃないの。」と言われたから、「ああ、じゃあ、そうかも分かりませんね。」と述べたものであるなどと供述している(M五回)。
(b) このように、M供述の一部に変遷があり、Mの認識内容に関する供述の信用性に疑問を生じさせるものではあるが、被告人Aから現金五〇〇〇万円を手渡されたという核心部分は、一貫しており、他の客観証拠により裏付けられている。しかも、Nは、捜査公判を通じて、被告人Aが現金五〇〇〇万円を返還した理由について、本件報道を契機とするものと理解した旨供述しているから(甲四三、四四、N二回)、当時、Nと緊密に連絡を取り合っていたMが同様の認識を有したことも十分あり得るところである。さらに、前にみたようなMの年齢や取調べから証人尋問までの期間も併せ考慮すると、上記のような供述の変遷から、M供述全体の信用性に疑問の生ずることにはならないというべきである。
d(a) なお、被告人Aは、当公判廷において、平成八年一二月五日に自ら現金五〇〇〇万円を払い戻したことは認めながらも、その時期や金額からは年末に国会議員に配るいわゆる「もち代」ではないかと思う、Mが、その日に議員会館事務所に来たことは覚えていないし、五〇〇〇万円を渡したことはない旨供述しており(被告人A二〇、二二回)、被告人A名義の預金通帳(乙三一添付)には、平成一〇年一二月にも合計五五〇〇万円が払い戻された旨の記帳がある。
(b) しかしながら、この被告人Aの供述は、直接の裏付けを欠くものである。しかも、平成一〇年の出金は、一二月二日に三〇〇〇万円、同月一〇日に二〇〇〇万円、同月二八日に五〇〇万円と三回に分けて下ろされている上、被告人Bは、平成九年春ころ以降、自分がこの通帳を保管していたと供述しているから(乙三一)、この通帳の上記記帳の存在が、被告人Aの上記供述を裏付けるものともいえない。
(c) したがって、被告人Aの上記供述は、前記M供述の信用性を何ら減殺するものとはいえないのである。
e(a) また、Eは、当公判廷において、平成八年暮れころMと共に議員会館事務所に行ったことはあるが、Mが荷物を持って戻ってきたという記憶はない旨、このM供述に反するような供述をしている(E一四回)。
(b) しかし、Eは、捜査段階では、その際、Mが同年一〇月に被告人Aに持っていった紙袋より薄手の紙で作られた紙袋をぶら下げてきたので、私が手を差し伸べてこれを受け取ろうとすると、Mは、「手を出すな。自分で持つから。」というようなことを言って、これを拒んだ旨明確に供述している(甲五五)。しかも、Mがその際に現金五〇〇〇万円を持ち帰ったことは、前にみたとおり、他の証拠関係から明らかであるから、Eの上記公判供述も、M供述の信用性に影響を及ぼすものでないことも明らかである。
f 以上によると、平成八年一二月上旬ころに被告人Aから現金五〇〇〇万円を返還された旨のMの前記供述は、高い信用性を認めることができる。
(ウ) 弁護人の主張に対する判断
a 現金を返還する動機の不存在
(a) 弁護人の主張
弁護人は、このM供述の信用性について、当時、被告人両名は本件報道の存在を認識しておらず、また、KSDについて取材を行った雑誌記者は被告人Aの友人であり、その取材を恐れる理由はないから、被告人Aが、現金五〇〇〇万円を返さなくてはならないような事情は存在しない旨主張する。
(b) 関係者の供述状況
α しかしながら、被告人両名は共に、捜査段階では、平成八年一一月中旬ころに本件報道を見た旨供述している(乙一一、三二)。
β もっとも、被告人Aは、当公判廷では、以下のように供述して、捜査段階の供述を覆している(被告人A二〇、二二回)。すなわち、
ⅰ 私は、当時は、朝日新聞を購読していたが、朝に大見出しを斜め読みする程度であり、夕刊は購読しておらず、豊政連に関する新聞記事を見た記憶はない。
ⅱ 平成一三年一月ころ、本件報道が出たから金を返したのだろうというささやきが随分あったので、被告人Bに調べさせて本件報道のコピーを取らせたが、初めて見る記事で、しかも、不動産業界の宅建の話であって、自分には何も関わることではないと思い、その後は読まないまま、被告人Bに、「何で、おれがこんなもの読んで、何かやばいからなんて思わなきゃならないんだ。」などと言った。
ⅲ 平成八年一二月に労働省の官房長から、雑誌記者が取材に来たと聞いたが、その記者は親しくしている友人なので、何かあれば自分に直接忠告してくれるだろうなどと思った。
ⅳ 前記検察官調書を取られた日は体調が非常に悪かったが、検察官が「早く休んだ方がいい。」と言うので、「そうしていただきたい。」と言ったところ、「サインして早く終わりにしよう。」と言うので、内容をよく確認せずに調書にサインした。しかし、房に戻って横になっていたところ、初めて作った調書だったので非常に気になり、その内容を思い出して真実でないことに気が付き、その夜のうちに、検察官に面会を求めて訂正を求めた。しかし、検察官から、「あしたやろう。」と言われ、その翌日も、「また総括的にやるときがあるから、そのときにすればいい。末梢的なことである。」と言われて、訂正に応じてもらえなかった。
γ また、被告人Bも、当公判廷では、その供述を覆して、以下のとおり、被告人Aの公判供述に沿う供述をしている(被告人B一八、一九回)。すなわち、
ⅰ 本件報道が出た当時にそれを見た記憶はない。
ⅱ 被告人Aに関する新聞記事は、B山事務所でスクラップにしていた。平成一三年一月ころ、被告人Aから、本件報道について調べるよう指示されたが、本件報道はスクラップブックになかったので、E1が国会図書館に調べに行った。
ⅲ 自分の検察官調書は、検察官から、「毎日新聞は見ているんだから、見ていないというのはおかしい。」と言われ、重要じゃないと思ってサインはしたが、その当時見ていないことははっきり言った。
δ さらに、D1及びE1は、平成一三年一月ころ、被告人Bに言われて本件報道を探しに行ったと供述しており(甲九三、D1六回、E1六回)。J1は、被告人Aの新聞の読み方について、見出しだけパッと目を通して終わりという感じだったと供述している(J1六、七回)。
(c) 検討
αⅰ そこで、このような本件報道に対する認識を否定する趣旨の被告人両名の各供述の信用性について検討するに、まず、被告人Aは、捜査段階も一貫して、本件各公訴事実を否認しており、取調べの際には検察官調書の訂正も三回行われているのであって、被告人Aが検察官調書の内容について慎重に見極めようとする姿勢をとっていたことがうかがわれる。しかも、本件報道に関する前記検察官調書(乙一一)は、本文がわずか一頁の簡単な調書である上、被告人Aの述べるところによっても、その当日最初に作成された調書であったというのである。したがって、被告人Aがいかに体調不良であったとしても、内容を十分確認しないまま署名したというのは、にわかに信じ難いところである。
また、被告人Bも、同様に否認を貫いていたのであり、漫然と取調べに臨んでいたとは考え難い。また、本件報道に関する前記検察官調書(乙三二)には、「私自身、この新聞記事には見覚えがあります。」と記載されているのであって、これも被告人Bの公判供述にはそぐわないものである。
ⅱ そして、本件報道(弁五)は、全国紙の夕刊の社会面において、写真入り、六段組みと大きく取り扱われており、うっかり読み飛ばすような記事とはいえない。しかも、本件記事では、「業界団体、自民党支部に『変身』―献金集めのトンネル役―都選管報告書」という見出しの下に、豊政連が自民党支部としての献金集めの具体例として指摘されているほか、豊政連が平成七年の参議院議員選挙で自民党候補者らに陣中見舞いを出したことなどにも言及されているのであって、参議院自民党幹事長という要職にあった被告人Aが、一読して自分とは関係のない記事と信じたなどとは到底考え難いのである。
ⅲ さらに、被告人B自身、当公判廷でも、本件報道は気が付けば当然被告人Aの事務所でスクラップにしておくべき被告人Aに関連する新聞記事に当たることを認めており(被告人B一八回)、そのように重要な記事を被告人Aだけでなく、被告人Bやその余の秘書らが誰も気付かないということも、想定し難いことである。
また、被告人Aが平成一三年一月ころ本件報道に関する記事のコピーを新たに入手させたとしても、そのことは、その当時被告人Aの手元にその記事のコピーがなかったことを示すにとどまり、被告人Aが平成八年一一月当時に本件報道を知らなかったことを直接裏付けるものとはいえない。
この点、弁護人は、この記事がスクラップされていないこと自体、被告人両名や秘書らが本件報道に気付かなかったことの証左である旨主張するが、被告人Aの事務所でスクラップされていなくても、それは、同事務所で新聞記事のスクラップを担当していたとされるE1らが見落としたことをうかがわせるにすぎない。
ⅳ そして、被告人Aが、本件報道の直後ころに、Nから、本件家賃提供の方法が変更されたことについて報告を受けた際、「君のところ、大丈夫か。」などと述べて懸念を示したことは、前に認定したとおりである。
ⅴ したがって、本件報道に対する認識を否定する趣旨の被告人両名の各供述はいずれも、信用することが困難である。
β 次に、被告人Aが、当公判廷において、友人である雑誌記者からの取材を恐れる理由はないと述べている点(被告人A二〇回)について検討するに、被告人Aが、平成八年一二月四日か五日ころ、労働省のX官房長から、KSD関連の苦情が相次ぎ、雑誌記者が取材していると聞かされた上、「マスコミの取材があるかもしれないので気を付けた方がいい。」と忠告されていたことは、前認定のとおりである。しかも、その苦情の内容には自民党への政治献金等に関わるものも含まれているというのであるから、被告人Aとしては、自らのKSDやMとの関係に懸念を抱くような状況にあったというべきであり、そのことは、被告人Aが述べるように、その雑誌記者が友人であるからといって何ら変わるものではない。
γ 以上のとおり、同月五日当時、被告人Aにおいて、KSD側から資金提供を受けていることがマスコミ等に発覚することを憂慮せざるを得ないような状況にあったといえるから、被告人Aに現金五〇〇〇万円を返還すべき動機がなかったとはいえないのであり、この点に関する弁護人の主張は採用できない。
b 本件家賃提供の継続との関係
(a) 弁護人は、平成八年一二月以降も、本件家賃提供は継続されていたから、その時点で現金五〇〇〇万円のみ返還されたという検察官の主張は不自然・不合理である旨主張する。
(b) しかしながら、本件家賃提供について、ほぼ同時期の同年一二月分からその提供方法が振込から手渡しに変更されていることは、前認定のとおりである。
しかも、本件家賃提供は、被告人Aがほとんど足を運ばないB山事務所内で、月額八八万円を秘書に交付していたのに対し、本件現金授受は、議員会館事務所内で、被告人Aが自ら現金を受け取ったものであって、その供与の態様からも、賄賂でないと弁解することが困難なものというべきである。
さらに、本件家賃提供は、本件現金授受よりも一回の金額はかなり小さいから、被告人Aら関係者において、発覚の危険が小さいと考え、その時点では打ち切らなかったとしても、何ら不自然ではない。この点、M及びNは共に、捜査段階において、本件家賃提供は金額も小さいので、発覚しても大した問題にはならないと思った旨供述しているのである(甲三三、四四)。
(c) そうすると、現金五〇〇〇万円のみ返還して、本件家賃提供は継続したからといって、不自然・不合理ということはできないから、弁護人の前記主張も採用できない。
c CがMから受け取った金額
(a) 弁護人は、CがDに手渡した現金はその後に定期預金された五五〇〇万円であって、この金額からすると、被告人Aが引き出した五〇〇〇万円とは異なるものである旨主張する。そして、Dは、捜査段階の当初、Cから現金五五〇〇万円を渡された旨供述し(甲五二)、Nは、当公判廷では、Cに五〇〇万円を渡したことはない旨供述している(N三回)。
(b) しかしながら、Cは、捜査公判を通じて、五〇〇万円はMから渡された五〇〇〇万円とは別口でNから渡されたものである旨供述している(甲四八、C八、九回)。また、Dは、その後、五〇〇万円は五〇〇〇万円とは別に金庫の中に入っているものを渡された旨供述するに至っているところ(甲五三)、Dの手帳には、平成八年一二月五日の欄に「50M(紙袋)+5M(金庫)」との記載があるのであり、Dの上記供述はこの手帳の記載によって裏付けられている。しかも、CやDがこのような五〇〇万円の出所について、殊更虚偽の供述をすべき理由も想定し難いから、C及びDの上記各供述は、いずれも信用性が高く、Nの上記供述は、これらとの対比において信用することが困難である。
(c) したがって、CがMから受け取りDに手渡した現金が五〇〇〇万円であったことは疑いをいれないので、この点に関する弁護人の主張も失当である。
d 帯封に関する認識の欠如
(a) 弁護人は、被告人Aが自身の銀行口座から払い戻した現金五〇〇〇万円であれば、大和銀行参議院支店の帯封があるはずなのに、C及びDがこの帯封を確認した供述をしていないことは、MがCに手渡した現金五〇〇〇万円が被告人Aの交付したものでないことを示すものである旨主張する。
(b) しかしながら、MがCに手渡した現金五〇〇〇万円を直接に扱ったDは、一〇〇〇万円の束になっていたんではないかと、帯封があったような供述をしている(D九回)。また、C及びDは共に、帯封があったかどうかには特に気を払っていなかった趣旨の供述をしているのであって(C九回、D九回)、単なる会計担当者という両名の立場も併せ考慮すると、五〇〇〇万円の出所、帯封の有無、帯封に記された銀行名にそれほど関心がなかったとしても、殊更不自然とも思われないし、もし、帯封を目にしたとしても、必ず銀行名が印象に残っているということもできない。
(c) したがって、帯封に関する弁護人の主張も理由がない。
(エ) まとめ
前記M供述に前記(ア)認定の事実を総合すると、平成八年一一月一八日に本件報道があった後、被告人Aは、前認定のように、Nから、本件家賃提供の方法を振込から手渡しに変更した旨の報告を受けて、「家賃を振込送金していたのか。」、「君のところ、大丈夫か。ちゃんとやっているのか。」と発言したほか、同年一二月四日か五日ころには、労働省のX官房長から、KSDに関する苦情や投書が相次ぎ、雑誌記者の取材もあったことを知らされ、気を付けた方がいいなどと言われており、被告人Aは、その直後に、Mに対し現金五〇〇〇万円を返還していると認められる。そして、このような被告人Aの行動は、被告人Aが、KSD及びMの会計処理に対する不信感を募らせ、本件現金授受の発覚を恐れて、現金五〇〇〇万円の返金に及んだことを強くうかがわせるものである。
(2) 本件現金授受に関するM供述自体の問題点
ア 本件現金授受に関するM供述にも、弁護人が指摘するように、その信用性に対する影響を検討すべき以下のような問題点が認められる。
(ア) まず、M供述は、本件現金授受の際の被告人Aとのやり取りについて、変遷している。すなわち、
a Mは、捜査段階では、「先生には、代表質問で、職人大学の設置を推進するよう総理に訴えていただいて、総理から前向きに検討すると言っていただいたことが良い切っ掛けになりましたし、大学の関係の議連を作って後押ししていただいているお陰で、最近では労働省も積極的な態度に変わってきました。どうもありがとうございます。これはNを通してお話しさせていただいているものですが、どうかお使いください。」と言って五〇〇〇万円を渡し、さらに、その場でも、「先生、これからも先生自身、質問にお立ちになることもあるでしょうから、そんなときには、また大学の設立に積極的に取り組むように言っていただけますか。また、他の先生方が委員会などで質問するときには、大学が早期に実現する方向で後押しするようによく言ってください。」などとお願いした旨供述している(甲三一)。
b ところが、Mは、当公判廷では、自分はストレートかつ簡単に話をしたし、被告人Aもぐじゅぐじゅ言うことはしないので、前記一(2)ア記載の程度しか話していないのであり、検察官調書に「Nを通してお話しさせていただいているものですが。」とあるのは、検察官にはそのように話したかもしれないが、本当は言っていないと思うなどと供述している(M五回)。
(イ) M供述は、本件現金授受の状況についても変遷している。すなわち、Mは、捜査段階では、被告人Aの向かいに座って現金を渡し、その後、Nと議員会館の出口まで一緒に降りた旨供述していたのに(甲三一)、当公判廷では、被告人Aの右斜め前に座った状態で現金を渡した、Nがどこまで自分と同行したかは定かでなく、被告人Aの部屋から出た後にNと会った記憶はないなどと供述している(M五回)。
(ウ) その他、M供述は、現金五〇〇〇万円が入った紙袋に手提げが付いていたかどうかについて、CやDらの供述とは異なり、抱えていったので手提げはなかった旨供述し、議員会館事務所まで紙袋を運んだのが誰であるかなど、あいまいな部分も決して少なくない。
イ このように、M供述は、細部において一貫性がなく、他の証拠と矛盾する点やあいまいな部分も少なくない。しかし、Mの年齢に加え、捜査段階の取調べから証言までに半年余りが経過していること、さらに、捜査段階の供述が、全般的に説明調にすぎるものであることも考慮すると、このような細部における記憶の欠落、供述の揺れやあいまいさがあったとしても、M供述全体の信用性を左右するものとはいえない。そして、Mは、当公判廷においても、被告人Aの部屋に入った後、現金入りの紙袋をテーブルの下に置いて渡した状況については鮮明に覚えている旨供述している。しかも、M供述のうち、本件現金授受の事実、本件代表質問や大学設立推進議連結成への尽力等について被告人Aにお礼を述べたことについては終始一貫しており、客観的に裏付ける事実関係も認められるのであって、このような供述の核心部分は、十分信用できるといえるのである。
ウ なお、弁護人は、Mが、当公判廷では、本件現金授受に際し、期間延長や中小企業全般の様々な問題を話した旨供述しているとして、職人大学についてのみ話したとする捜査段階の供述と矛盾する旨主張するが、弁護人の指摘する供述部分(M五回四四頁)は、Mが被告人Aと会ったとき一般的にどのような話をしているかという質問に答えたものと認められるのであって、この点について供述の変遷があるとはいえない。
(3) 弁護人の主張に対する判断
ア Nの公判供述について
(ア) Nは、当公判廷において、以下のとおり、本件現金授受を否定する趣旨の供述をしており(N二、三回)、弁護人は、このNの公判供述を本件現金授受の事実を争う根拠の一つとして指摘している。
a 平成八年一〇月二日、私は、議員会館の前でMと落ち合い、Mから現金五〇〇〇万円の入っていた紙袋を手渡され、Eも入れた三人で議員会館事務所に向かった。Eを廊下に残して同事務所に入った後、秘書室で、Mから「君はいいよ。」と言われたので、紙袋を手渡したところ、Mが一人で奥の議員室に入っていった。
b 五、六分して、Mが、議員室から出てきたが、持参した紙袋を手に持ったままであった。私は、再度Mから紙袋を預かり、議員会館の玄関まで持って降りてMの車に積み込んだ上、Mと別れた。場所が悪かったのだと思ったが、Mとの間で、被告人Aが受け取らなかった理由等について話をしたことはないし、被告人AとMの間でどういう話になったのかも聞いていない。
c 私は、その翌日以降、被告人Aが選挙の応援に回るのに同行していたが、五〇〇〇万円は被告人Aには渡っていないと思っていた。もっとも、何か問題があれば、Mもその旨言うはずなので、決裂というものではなく、誰がどのように工面したかは全く分からなかったが、問題のない状況になったと思った。
d その後、一二月になって、Mから五〇〇〇万円が返ってきたと言われ、やはり渡していたのかと思った。しかし、Mには、その点の確認はしていない。
(イ)a そこで、このNの公判供述の信用性について検討するに、まずもって、Nは、捜査段階では、Mが被告人Aの部屋を出てきた際、紙袋も何も持っていなかったので、被告人Aに現金五〇〇〇万円を差し上げたことが分かった旨明確に供述していたのである(甲四二)。
b(a) もっとも、Nは、この検察官調書に署名した理由について、当公判廷では、現金五〇〇〇万円は被告人Aに行っていると思っていた、行っていることは間違いないので、行っていることまで否定したくなかった、検事が一生懸命取り調べていたので、日時や場所がはっきりすれば書き換えるという約束で署名したとか(N三回)、検事に対し、Mがその足でB山事務所に行って被告人Bに渡したとしか考えられない、被告人Bに聞いてほしいと言ったら、検事が、被告人Bに聞いてはっきりしたら書き換えましょうと言うので、はっきりしたら書き換えることをお願いして署名に応じたなどと供述している(N一六回)。
(b) しかし、被告人Aに多大の感謝の念を抱いていたというNが、この程度の理由によって、被告人Aの政治生命を完全に奪い去るような供述調書の作成に安易に応じるとは考え難い。しかも、Nの公判供述に従えば、真実と異なる検察官調書が作成されたままになったというのに、Nが検察官に対して抗議したり、訂正や撤回の申入れをした形跡は全く見当たらないから、この点に関するNの公判供述は、到底信用し難いものというほかない。
c また、本件現金授受がなかったとする点は、M供述と真っ向から食い違うものである。しかも、その内容に照らしても、Nは、豊政連の事務総長としてMと被告人Aとの交渉の窓口になっていた者であり、本件資金提供については、自ら提案していったんはMから現実に提供したというのに、その後、被告人Aの選挙応援に同行しながら、被告人Aが受領しなかった理由やその後のてん末について、M及び被告人Aに何も確認していないというのは、それ自体不自然というほかない。
d さらに、本件現金授受に関するNの捜査段階の供述の任意性ないし信用性について、他に疑問を生じさせるような事情は全く見出し得ないのである。
(ウ) そうすると、本件現金授受を否定する趣旨のNの前記公判供述は、Mの一連の供述はもとより、自らの検察官調書にも反するものとして、これを信用することは困難であるから、この点に関する弁護人の主張は理由がない。
イ 議員会館事務所のドアの状況について
(ア)a 弁護人は、議員会館事務所では、ドアが常に開け放たれていたから、とても贈賄に至るような環境ではなかった旨主張する。
b そして、被告人Aは、同事務所では、秘書室と議員室の間のドア及び事務所と廊下の間のドアの双方を常にストッパーを掛けて開きっ放しにしていた旨供述し(被告人A二〇、二一回)、被告人Bや議員会館事務所の秘書、更にはNも、これに合致する供述をしている(J1六回、O1子六回、被告人B一八回)。
(イ)a しかしながら、M供述によると、本件現金授受は、Mが被告人Aのごく近くに座り、ごく短時間のうちに現金五〇〇〇万円入りの紙袋を床の上をすべらせて手渡したというのであり、その際の発言も、その公判供述によると、「これは、Nを通じてお話しさせていただいているものですが、どうかお使いください。」という程度のものであったというのである(甲三一、M五回)。
b しかも、議員会館事務所の議員室は、秘書室の更に奥に位置する上、事務所の入口ドアから議員室のドアまでの距離が約三・六四メートル、議員室の奥行も約四・三七メートルあり(甲一一一)、部外者がいきなり入ってくるような事態は考えにくいし、秘書室と議員室とは独立していて、両室の間のドアと議員室の応接セットとの間にもそれなりの距離のあったことがうかがわれる。そして、被告人A自身、当公判廷において、議員会館事務所では、支援者から収支報告書に記載しないような現金を受け取ることもあった旨供述しているのである(被告人A二一回)。
c そうすると、Mが声を若干ひそめれば、仮にドアが開いていても、外部に気付かれないまま現金を授受することが十分可能な状況にあったといえるから、この点に関する弁護人の主張も採用できない。
ウ 平成一〇年四月の資金提供について
(ア)a 弁護人は、平成一〇年四月、Mから現金五〇〇〇万円の提供を申し入れられた際、被告人Aが受領を拒絶したため、最終的に国民政治協会に寄付するに至ったという経緯は、被告人Aが本件資金提供も受けていないことをうかがわせるものである旨主張する。
b そして、被告人Aは、当公判廷において、平成一〇年四月の資金提供を断った理由として、職人大学等についてMに財政的な迷惑を掛けているという思いが常々あったので、他の面では余り負担を掛けてはいけないと思ってお断りした旨供述している(被告人A二〇回)。
(イ)a しかしながら、これらの資金提供以外にも、Mらからパーティー費用等多額の資金援助を受けていたことは、被告人A自身も認めるところである。
b しかも、平成一〇年四月の資金提供申入れは、M、N及び被告人両名の各公判供述にあるように(N一六、一七回、M一六回、被告人B一八、一九回、被告人A二〇、二二回)、他の国会議員も同席している料亭での宴席でされており、Nは、被告人Aから「おまえ、注意しておけよ。料亭に持ってくるんだぜ。」と言われた旨供述し、Mも、被告人Aから「今日はまずい。」と言われた旨述べているのである。したがって、被告人Aが資金提供を断った理由は、その場の状況から人目を気にしたものであることもうかがわれるのである。
(ウ) したがって、被告人Aがこの資金提供を断ったからといって、本件現金授受がなかったことをうかがわせることにはならないから、この点に関する弁護人の主張も採用できない。
エ 現金五〇〇〇万円が他に費消された可能性について
(ア) 弁護人は、KSDで出金した五〇〇〇万円について、①MはKSDの多額の金員を横領しているから、この現金も個人目的で費消した可能性がある、②再度被告人Aに渡すために一時保管していた可能性がある、③平成八年一〇月二日に訪問した他の国会議員に渡した可能性があるなどとも主張する。
(イ)a しかしながら、弁護人の主張はいずれも裏付けを欠くものである。
b そして、本件五〇〇〇万円を含む一億円の出金について、Dは、何の経理処理もしないで一億円も出金するのはこの時だけであるし、結局穴埋めのなかった四五〇〇万円については、不正が発覚するのではと心配した旨供述し(D九、一〇回)、Cも、KSDから出金することに抵抗したというのであって(C八、九回)、KSDにとっても極めて異例な出金であったと認められる。そうすると、Mが他にKSDの資金を横領していたとしても、この五〇〇〇万円について横領した可能性が高いとはいえない。
c また、前認定のように、被告人Aは、Mの訪問を受けた翌日から長期間にわたり選挙応援のために全国を遊説し、その際陣中見舞い等として多額の資金が必要であったというのに、その間、Mが本件五〇〇〇万円を一時保管しておくというのもいかにも不自然である。さらに、Mが、五〇〇〇万円という多額の現金について、被告人Aから受取を拒絶された直後に、他の国会議員に提供するというのも、想定し難いところである。
d そうすると、現金五〇〇〇万円が他に費消された可能性をいう弁護人の主張はすべて、根拠に乏しいものとして採用することができない。
(4) 小括
ア 以上検討してきたとおり、本件現金授受に関するM供述及びNの捜査段階の供述は共に、その当時における被告人Aの旺盛な資金需要及び多額の資金調達状況、MとNとの間の被告人Aに対する本件資金提供の合意の存在、引き続くKSDにおける現金五〇〇〇万円の出金、その直後のMの被告人A訪問、本件報道等でKSDや豊明会に対する批判が高まる中での被告人AからMへの現金五〇〇〇万円の交付といった客観的状況によって十分裏付けられており、その信用性に疑問とすべき点は見出し難い。
イ これに対し、被告人Aは、前にみたとおり、本件現金授受を否認する趣旨の供述をするが(被告人A二〇、二二回)、この供述が、確たる根拠があったり確かな記憶に基づくものでないことは、その供述自体からも明らかであるから、この供述の存在が本件現金授受を認める趣旨のM及びNの各供述の信用性に消長を来すものでないことも明らかである。
三  本件資金提供の申入れに関するNの捜査段階の供述の信用性
(1) Nの供述の信用性
ア(ア) Nの捜査段階の供述(甲四二)のうち、本件資金提供の申入れに関する前記供述部分は、本件現金授受に関する供述部分と一体をなすものであるところ、後者が高い信用性を有することは、前に判示したとおりである。
(イ) 他方、Nの公判供述のうち、本件資金提供の申入れに関する前記供述部分も、本件現金授受に関する供述部分と一体をなすものであるが、後者が信用できないことも、前に判示したとおりである。
イ(ア) そして、Nは、当公判廷では、被告人Aから事前の了解を得たという記憶はなく、被告人Aのアポイントを取ったときに、被告人Aは自分でお金を触るような先生ではないので、受け取ってくれるかどうか不安な気持ちがあった、前記捜査段階の供述は、被告人Aが逮捕されたので動揺していたと思うが、このような調書(甲四二)に署名押印した記憶がない旨供述している(N二、三回)。
(イ)a このように、Nは、被告人Aに受け取ってもらえるのか不安があったというのに、受け取ってもらえるのか事前に確認したり、Mに対して、そのような事前の打診を進言したりはしなかったとも供述しているのであって、NがMと政治家との連絡役であったことからすると、不自然な対応というほかない。
b また、Nの検察官調書(甲四二)にある本件資金提供の申入れは、被告人AとNしか知らないはずのことであり、Nが供述しなければ録取されることは考えにくいものであるところ、その内容が相当に具体的かつ詳細なものであることも考慮すると、このような調書の内容に気付かないまま署名指印するということはおよそ考え難いことである。
しかも、この検察官調書は、本件現金授受の状況等が録取された罪体そのものに関する極めて重要な調書であるというのに、いくら動揺していたからといって漫然と署名指印に応じるというのも誠に不自然である。
加えて、被告人Aが逮捕されたのは平成一三年三月一日であるところ、この検察官調書は、それから二週間以上経った後の同月一七日に作成されており、本件で請求されているだけでも、Nの検察官調書は、同じ日に更に二通の調書が作成され、それに先立つ同月一三日にも調書が一通作成されているというのに、Nは、その他の調書については、上記のような主張を一切していないのである。
c そうすると、検察官調書の作成状況に関するNの公判供述は信用することが困難である。
ウ 他方、被告人Aは、当公判廷において、Nから本件資金提供の申入れを受けたことを否定する供述をするが、これまた、確たる根拠を欠くものであって、この点に関するNの捜査段階の供述の信用性に影響を及ぼすものとはいえない。
エ そして、本件資金提供の申入れに関するNの捜査段階の供述は、前認定のようなMとの間で本件資金提供について合意した後、本件現金授受に至る経過、NとM及び被告人Aとの関係、更には、当時の職人大学設置構想の進展状況といった客観的状況に沿った誠に自然な内容であり、その信用性に疑問とすべき点は見出し難いことも併せ考慮すると、高い信用性が認められるのである。
(2) 弁護人の主張に対する判断
ア 弁護人は、Nが事前に被告人Aに対して本件資金提供の申入れをしたとは考えられない旨主張し、その根拠として、①Nがそのような申入れをするのであれば、Mに告げるはずなのに、そのような事実が認められないこと、②本件現金授受の際に、MがNを同席させておらず、現金五〇〇〇万円返還の際にも、被告人AがNに何の連絡もしていないし、Nも被告人Bに何の連絡もしていないこと、③平成八年一〇月当時、その八箇月も前の本件代表質問や四箇月も前の大学設立推進議連の結成について触れるというのも不自然であることなどを指摘している。
イ(ア) このうち前記①の点について、Mは、当公判廷において、Nには、被告人Aに対し事前に五〇〇〇万円を持っていく旨連絡するように指示したこともないし、その旨報告を受けたこともない旨供述している(M五回)。
しかし、Mは、同時に、本件現金授受の際には、事前にNから被告人Aに対し、五〇〇〇万円を持っていくという話は当然されていると考えていた旨供述し(M五回)、捜査段階においても、被告人Aに対して、「これはNを通じてお話しさせていただいているものですが。」などと、そのような認識を有していたことを前提とする供述をしている(甲三一)。そして、NとMの密接な関係からは、Mが、Nから報告を受けるなどして、本件現金授受の時点までに、そのような認識をもつに至ったとしても何ら不自然ではない。この点、Mは、当公判廷では、被告人Aに対して「これはNを通じてお話しさせていただいているものですが。」とは言わなかったかもしれない旨供述するが、その直前に、弁護人の質問に答えて、Nから当然話が通っているものと思っていた旨供述しているのである。
そうすると、N及びMにおいて、Nが本件資金提供の申入れについてMに報告した旨供述していないとしても、本件資金提供の申入れに関するN供述の信用性を左右するものとはいえない。
(イ) また、前記②の点は、賄賂である現金を直接交付するという本件現金授受の性質やMとNとの立場の違いに照らすと、Mが本件現金授受の現場にNを立ち会わせなかったとしても何ら不自然ではないし、このような本件現金授受の状況からすると、五〇〇〇万円の返還の際に、被告人Aが直接Mに連絡したり、Nが被告人Bに何も告げなくても、殊更異とするに足りない。
(ウ) さらに、前記③の点も、前認定のような本件資金提供に関するMとNとの話し合いの状況や本件現金授受の状況に関するMの供述内容に照らすと、Nが被告人Aに対して、しばらく前の本件代表質問や大学設立推進議連の結成への尽力について触れてから、本件資金提供を申し入れても、特に不自然とも認められない。
(エ) そうすると、弁護人の主張する点はいずれも、Nの前記供述の信用性を左右するものとは認められないのである。
四  本件資金提供の趣旨に関するM及びNの各供述の信用性
(1) M及びNの各供述内容
ア(ア) Mは、本件資金提供の趣旨について、捜査段階では、被告人Aの本件代表質問、大学設立推進議連の結成等の職人大学設置構想の推進への尽力に対するお礼と、将来においても、被告人A自らあるいは他の議員に働きかけるなどして国会審議で同構想を後押しする質問等をすることを期待したものである旨供述している(甲三一)。
(イ) また、Mは、当公判廷でも、以下のように述べていて、おおむね捜査段階と同旨の供述とみることができる(M四、五、一七回)。すなわち、
a 被告人Aに差し上げた現金は、総選挙の時期だったので、主に陣中見舞いに使われるとは思っていたが、使い道をどうこう言うものではないし、KSDから陣中見舞いを渡していただこうという趣旨で差し上げたものでもない。
b Nから、「選挙に向けて候補者を応援してあげないといけないことから、何かと資金が必要なようです。A先生には、代表質問でもお世話になっておりますし、議員連盟を作ってもらって後押ししてもらっていますから、五〇〇〇万円ほど差し上げてはいかがでしょうか。」、「日ごろ大変先生にはお世話になっているから、こういうときにお役に立ちたい。どうでしょうか。」などと言ってきたので、私は、五〇〇〇万円という金額は一瞬高いなと思ったが、本件代表質問や大学設立推進議連の問題などであれだけのことをやっていただき、そのほかいろいろ今日までお力添えいただいたので、こういったときこそ感謝の気持ちでお応えしなければいけないと思い、了解した。
イ(ア) 他方、Nは、捜査段階では、上記M供述とほぼ同旨の供述をしていた(甲四二)。
(イ) これに対し、Nは、当公判廷では、以下のように述べて、何かのお礼という気持ちはなく、他の国会議員に陣中見舞いを配ってもらうために供与した旨供述するに至っている(N二、三回)。すなわち、
a 平成八年一〇月の衆議院議員総選挙の際、私は、被告人Bから、被告人Aが多くの選挙区に応援に行くと聞いたが、当時、豊明議連と大学設立推進議連に加盟している衆議院議員が一一〇名以上いたので、被告人Aの手からこれらの議連に所属している候補者に対して、被告人A自身の陣中見舞いとは別にKSDからの陣中見舞いを配ってもらおうと思った。そこで、私は、Mに対し「議連の先生の陣中見舞いにA先生にお願いしたらいかがでしょうか。」と進言して了解を得た。この時に代表質問のお礼や職人大学設立推進のお礼という言葉が出たことはない。
b 私は、被告人Aと共に三、四十名の候補者の応援に回ったが、被告人Aは、KSDから預かった分については、その旨告げて、候補者に渡しているものと思う。このときの五〇〇〇万円は、衆議院の候補者に陣中見舞いを持っていってもらうために預けるものであるから、もとより犯罪になるとは思っていなかった。
(2) M及びNの各供述の信用性
ア そこで、これらの供述の信用性について検討するに、本件資金提供の趣旨に関するM供述は、捜査公判を通じて一貫するものであるし、Nの捜査段階の供述もこれと合致するものであって、これらの各供述は互いにその信用性を補強し合う関係に立つ。しかも、これらの供述にある本件資金提供の趣旨は、前認定のような職人大学設置構想の進展状況、被告人Aが本件代表質問、大学設立推進議連の結成等を通じて同構想の推進に果たした役割、本件資金提供当時も被告人Aらによる同構想に対する支援が必要であった状況という当時の客観的状況に沿うものである。その他、これらの供述の信用性に疑問を生じさせる事情は見当たらない。
イ 他方、Nの公判供述は、要するに、KSDから豊明議連又は大学設立推進議連に所属する候補者に配る陣中見舞いを被告人Aに託したというものであるが、Nは、その公判供述によっても、被告人Aと同行して選挙の応援に回っていたというのであって、各候補者に対して自ら直接陣中見舞いを手渡すことに何の障害も認められない。しかも、Nは、被告人Aについて、KSDにとっての恩人と感謝していたというのであるから、その被告人AをKSDの使者として使い、しかも、その現金を事前に全額手渡しておいて、選挙応援先まで被告人Aに持参させるようなことは、いかにも不自然というほかない。
また、Nは、当公判廷では、同時に、選挙応援先を最終的に決めるのは被告人Aであり、誰にいくら渡すかは被告人Aに任せていたし、余ったら返してもらうということも言っていないなどと、前後矛盾するような供述もしている。
ウ そうすると、本件資金提供の趣旨に関するM供述及びNの捜査段階の供述はいずれも高い信用性が認められるのに対し、Nの公判供述を信用することは困難である。
(3) 弁護人の主張に対する判断
ア 一般的政治献金の主張について
(ア) 弁護人は、Mが同じ衆議院議員総選挙に当たって他の国会議員にも資金提供しており、また、参議院議員選挙前の平成一〇年四月にも、被告人Aに現金五〇〇〇万円を提供しようとしているから、本件資金提供は選挙の際の一般的政治献金である旨主張する。
(イ) しかしながら、選挙の際の政治献金であることと賄賂であることとは、当然のことながら、何ら互いに排斥し合う関係に立つものではない。
(ウ) また、本件資金提供と同じ日に他の国会議員にも資金提供されている点は、Mの公判供述によれば、Mは、Oに対しても現金二〇〇〇万円を交付しており、その趣旨は、職人大学設置構想や期間延長問題への尽力に対するお礼であったというのであるから(M五回)、これもまた賄賂性がうかがわれるものである。そして、その余の国会議員については、提供先及び趣旨が共に全く明らかにされていないから、本件資金提供と同じ日に他の国会議員に資金提供されていても、そのことが本件資金提供の賄賂性を否定する理由となるものではない。
(エ)a 次に、Mが平成一〇年四月の参議院議員選挙の際にも現金五〇〇〇万円を提供しようとしている点について検討するに、関係各証拠(N一六、一七回、M一六回、弁二〇、三六)によると、そのころ都内の料亭「D原」で開催された被告人Aその他の大学設立推進議連所属の国会議員との会合の席で、Mが、Nの進言を受けて、被告人Aに対し、現金五〇〇〇万円を手渡そうとしたが、被告人Aがこれを拒んだため、KSDに現金を持ち帰り、その後、Nが国民政治協会に同年五月中に同額を会費という名目で寄付したことが認められる。
b(a) しかしながら、Mは、その資金提供の理由について、本件代表質問に対する感謝の気持ちのほか、職人大学の予算の問題、平成九年度に設置が見送られた中小企業対策特別委員会を常任委員会に昇格することのお願いなどであった旨供述していて(M一七回)、この資金提供も賄賂性を有することを認めているのである。
(b)α なお、弁護人は、このMの公判供述について、Mが中小企業対策特別委員会が最初に設置された平成六年の時点では何もお礼をしていないし、平成一〇年の資金提供は、Nから選挙のための資金提供をしてはどうかと提案されたものである旨供述しているから、不合理である旨主張する。
β しかし、選挙資金の提供とその賄賂性が排斥し合うものでないことは、いうまでもない。また、Mの公判供述からは、Mは、それなりに名目の立つ場合に限って資金を提供していることもうかがわれるのであり、平成六年に何らのお礼をしていないとしても、参議院議員選挙を控えた平成一〇年四月に賄賂性のある資金提供に及んだことが不合理であるなどとはいえない。さらに、Mが、当初の証人尋問において、その資金提供について否定したのは、正にそれが後ろめたい資金提供であったことをうかがわせるものである。
γⅰ もっとも、平成一〇年四月の資金提供については、前認定のように、後にNが国民政治協会に寄付するに至っている。
ⅱ しかし、Mは、被告人Bから、被告人Aが五〇〇〇万円を自民党に入れてくれと言っている旨聞いて、被告人Aの指示であったからこそ、国民政治協会に寄付したのであり、そうでなかったら国民政治協会に持っていく義理はない旨供述し(M一六回)、Nも、同旨の供述をしている(N一六回)。したがって、このように寄付するに至ったのも、あくまで被告人Aの意向を踏まえた結果であることがうかがわれるから、このような事情から、Mらが、被告人Aに対する一般的な政治献金あるいは自民党に対する政治資金として、被告人Aらに資金提供していたということもできない。
ⅲ この点、被告人Bは、国民政治協会に寄付するに至った経緯として、Nから被告人Aに「もう一度話をしてほしい。」という話はあったが、被告人Aが断ったことを聞いていたので取り次がなかった、すると、Nが、KSD内で出金手続が終わっていると言って非常に困った様子だったので、被告人Aには無断で自民党の有力者と相談したところ、国民政治協会に入れていただけると有り難いという話だったので、それをNに伝えた結果、この寄付に至った旨供述している(被告人B一八、一九回)。
しかし、被告人Aの秘書である被告人Bが、被告人Aに相談したり了解を得ることもなく、自民党の有力者に相談し、被告人Aの支援者であるMからの五〇〇〇万円という多額の資金の提供先を決めることなど、あり得ないことというべきであり、このような被告人Bの公判供述は、到底信用することができない。
δ したがって、弁護人指摘の前記各事情が平成一〇年四月の資金提供の趣旨に関するMの公判供述の信用性を左右するようなものでないことも明らかである。
イ 期間延長問題に関する主張について
(ア)a 弁護人は、本件資金提供について、職人大学設置構想ではなく、期間延長問題が解決したことに対する感謝の趣旨であった旨主張する。
b そして、平成八年九月に期間延長問題について法務省が了承したことは、前認定のとおりである。また、Mは、同年一〇月二日、被告人Aに加え、被告人Aと同様に職人大学設置構想や期間延長問題に尽力していたOに対しても現金二〇〇〇万円を供与した旨供述しているところ(M五回)、その供述によれば、Mは、捜査段階では、Oに対し、期間延長問題についてのお礼だけを述べた旨供述していたこともうかがわれる。
(イ)a しかし、Mは、それと同時に、Oに現金を供与した際の状況について、以前は期間延長のみのお礼を言ったような記憶が強かったときもあったが、現在の記憶としては、大学設置の問題、技能研修生の期間延長の問題など大変お力を頂だいしておりますんで、ありがとうございました、これはそのお礼の気持ちで差し上げる旨申し上げたなどと述べて、Oに対する資金提供にも職人大学設置へのOの働きに対する感謝の念が含まれていた旨供述している(M五回)。
b さらに、Mは、期間延長問題については、同年九月末に法務省が了承した後に被告人Aに会ったときお礼を言ったと思う、同年一〇月二日に五〇〇〇万円を提供した際、この問題について話をしていないという断言はできないが、当時は職人大学の設置が最重点であった旨供述しているのである(M五回)。
c この点、弁護人は、同年九月二三日から同年一〇月二日までは、被告人AとMが面談していないから、本件資金提供当日の用件は、期間延長問題に対する謝礼のはずである旨主張する。
しかし、弁護人が根拠とするMのダイアリー(弁五〇に添付のもの)にも、同年九月二六日の欄には「A先生、通産省懇親会(Q1)」との記載があって、Mが被告人Aにお礼を言う機会が同年一〇月二日以前になかったとは認め難いし、一応決着した期間延長問題については、選挙終了後改めてお礼を述べたとしても、特に不自然とはいえない。さらに、Mは、同月二日当日に期間延長問題についてのお礼を述べたことを否定しているわけではないし、仮にその際期間延長問題についてお礼を言ったからといって、職人大学問題についてはお礼を言わなかったことにならないことはいうまでもない。
(ウ) そうすると、本件資金提供の趣旨として、期間延長問題に対する感謝の趣旨が含まれていないとまでは認定できないものの、Mが供述するように、本件代表質問や大学設立推進議連の結成に対する感謝の趣旨、更には同議連所属の他の国会議員に対する働きかけを期待する趣旨が含まれていたことについては、合理的な疑いをいれる余地がないというべきであるから、この点についての弁護人の主張も採用できない。
五  総括
(1) 以上詳細に検討してきたとおり、高い信用性の認められるM供述及びNの捜査段階の供述を中心とする関係各証拠を総合すると、Mが、被告人Aによる本件代表質問や大学設立推進議連結成への尽力等に対するお礼とともに、同議連に所属する他の国会議員に国会審議の場において職人大学設置を推進するよう勧誘説得してもらうことを期待して、Nとの間で、被告人Aに対し現金五〇〇〇万円を提供すると決めたこと、その後、Nが、被告人Aに対し、本件代表質問や同議連の結成についてお礼の言葉を述べるとともに、今後とも同議連の国会議員をまとめていただき職人大学設置推進に向けて力添えをお願いする旨述べて、現金五〇〇〇万円の提供を申し入れ、被告人Aも、これを承諾したこと、そして、平成八年一〇月二日、議員会館事務所において、Mが、被告人Aに対し、本件代表質問や同議連結成への尽力に関してお礼の言葉を述べた上、現金五〇〇〇万円を供与したことを認めることができる。
そして、このような本件資金提供に関する合意、被告人Aに対する申入れ及び本件現金授受の事実に加え、これらに先立って、前認定のように、Mが被告人Aに対して代表質問請託及び勧誘説得請託をしていたことも併せ考慮すると、本件資金提供についても、被告人Aがこれらの請託を受けたことに対する報酬の趣旨が含まれていたことは明らかである。
(2) さらに、被告人Aは、本件現金授受に当たり、Mから、本件代表質問や大学設立推進議連結成についてお礼を述べられ、「これからも一つよろしくお願いします。」と告げられて現金五〇〇〇万円の供与を受けたものであり、しかも、これに先立って、Nからも、本件代表質問や同議連の結成についてお礼を言われた上、「今後とも、議連の先生方をまとめていただき大学設立の推進に向けてお力添えをよろしくお願い申し上げます。」などと言われて本件資金提供の申入れを受け、これに対して「議連もできたし、これから、皆をまとめていかないとな。」などと言って承諾したものである。したがって、被告人Aにおいても、本件資金提供が、Mから前記各請託を受けたことの報酬の趣旨を含むものであることを認識した上、これを収受したものと認められる。
(3) そうすると、罪となるべき事実第二の事実についてもこれを優に認定できるのである。
第七  結論
以上の次第で、関係各証拠を総合すると、罪となるべき事実第一及び第二記載の各事実をいずれも合理的な疑いをいれる余地なく認めることができるのであり、これに反する弁護人の主張はすべて採用することができない。
(法令の適用等)
一  法令の適用
(1)  被告人Aについて、罪となるべき事実第一の所為は包括して刑法六〇条、一九七条一項後段に、同第二の所為は同法一九七条一項後段にそれぞれ該当するところ、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い罪となるべき事実第二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人Aを懲役二年二月に処する。
(2)  被告人Bについて、罪となるべき事実第一の所為は包括して同法六五条一項、六〇条、一九七条一項後段に該当するところ、その所定刑期の範囲内で被告人Bを懲役一年六月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予する。
(3)  被告人両名に対し、同法二一条を適用して、未決勾留日数中各七〇日をそれぞれその刑に算入する。
(4)  罪となるべき事実第一の犯行により収受された賄賂はすべてC川会B名義の普通預金口座に入金されているところ、C川会は被告人Aを代表者とする政治団体であり、上記口座の金員はすべて被告人Aの政治活動等のために用いられるものと認めることができるから、この賄賂についても、全額被告人Aが収受したものと認めるのが相当である。そして、被告人Aが判示各犯行により収受した賄賂はいずれも没収することができないので、同法一九七条の五後段によりその合計価額金七二八八万円を被告人Aから追徴する。
(5)  訴訟費用のうち、証人C、同D及び同Eに関する分は刑訴法一八一条一項本文によりこれを被告人Aの負担とし、証人F、同G子、同H、同I、同J子、同K及び同Lに関する分は同法一八一条一項本文、一八二条により被告人両名に連帯して負担させることとする。
二  追徴の可否について
(1)  弁護人は、罪となるべき事実第二の犯行により被告人Aが収受した五〇〇〇万円は、金融機関に預金しても、その同額を払い戻して贈賄側に返還している以上、収受した金員と返還した金員の同一性は失われないのであり、結局そのまま平成八年一二月五日にMに返還されたことになるから、同額を被告人Aから追徴することは許されない旨主張する。
(2)  しかし、前認定のとおり、被告人Aは、自己の銀行預金口座から五〇〇〇万円を払い戻した上、これをMに返還しているのであるから、同年一〇月二日にMから収受した現金五〇〇〇万円と同年一二月五日にMに返還した現金五〇〇〇万円とが同一性の認められないことは明らかである(最高裁昭和三二年一二月二〇日第二小法廷判決・刑集一一巻一四号三三三一頁参照)。また、Mは、当公判廷において、被告人Aから、「これは預かったけれども、必要がなくなったからお返しするよ。」と言われて現金五〇〇〇万円の返還を受けた旨供述しているが(M五回)、仮にそのような事実があるとしても、これらの現金が同一性の認められないことに変わりはないのである。かえって、前認定のように、被告人Aは、本件現金授受の直後から選挙応援に出向き、約一億円もの多額の資金を費消していることからすると、被告人Aは、Mから収受した現金五〇〇〇万円を、その後Mのために保管するような状況にはなく、選挙応援における陣中見舞い等により費消したことがうかがわれるのである。
(3)  したがって、弁護人の前記主張は採用することができない。
(量刑の理由)
一  本件は、参議院議員であった被告人Aが、いわゆる職人大学の設置に熱心に取り組んでいた有力な支援者から、参議院本会議において代表質問を行うに当たり、職人大学設置のため有利な質問をされたい旨の請託を受け、さらに、職人大学設置を目的とする議員連盟が発足した際、他の国会議員に対して国会審議の場において職人大学設置を支援する活動を行うよう勧誘説得されたい旨の請託を受けて、これらの請託を受けたことに対する報酬等として供与されるものであることを認識しながら、①この勧誘説得の請託に関し同様の認識を有する政策担当秘書の被告人Bと共謀の上、平成八年六月から平成一〇年七月までの間、前後二六回にわたり、事務所家賃相当額である合計二二八八万円を収受し(罪となるべき事実第一の犯行)、さらに、②単独で現金五〇〇〇万円を収受した(同第二の犯行)という各受託収賄の事案である。
二(1)  ところで、代表質問は、内閣総理大臣の施政方針演説等に対し、国会議員がその所属政党を代表して質疑を行うものであり、国政全般にわたり議論を闘わせその基本方針を形成する上で重要な役割を果たすものとして、正に政党政治の根幹をなすものといえる。とりわけ、被告人Aは、本件各犯行当時、政権与党である自由民主党の参議院幹事長という要職にあり、同党を代表して代表質問を行ったものである。そして、このような与党による代表質問は、事前に執行部会の了承を得ているなど、与党内のコンセンサスを背景とするものであるから、政府や関係省庁への影響力も大きく、具体的な施策の実現にも結び付き得るものであって、現に、被告人Aの代表質問は、職人大学設置に対する労働省の姿勢を大きく転換させるのに、多大の影響を与えている。
また、国会議員が、自ら推進しようとする施策の実現に向けて、議院内で様々に活動する一環として、本会議や委員会において、自ら質疑や意見陳述等を行うことはもとより、その地位や立場を利用して同僚議員にそのような質疑や意見陳述等を行うよう勧誘説得することは、その職務に密接に関連する重要な行為ということができる。そして、被告人Aは、当時、自由民主党の参議院幹事長であり、かつ、同党内の職人大学設置を推進する有力な議員連盟の会長でもあったのであり、被告人A個人の活動はもとより、同議員連盟に所属する国会議員の活動もまた、職人大学設置の推進に大きな影響を及ぼしたのである。
このように、本件各犯行は、国権の最高機関たる国会を担う参議院議員が、その職務の中核に関して賄賂を収受したものというべきである。
(2)  さらに、国会議員は、いうまでもなく、特定の団体や階層の利害の代弁人ではなく、正に全国民の代表として国家意思の形成に携わるべき地位にあるのであり、高度の倫理性と廉潔性が求められている。
ところが、被告人Aが、代表質問で職人大学設置構想を推進すべきであるとの意見を述べ、あるいはその構想を推進しようと議員連盟を結成するなど、その構想の実現に向けて行った一連の政治活動は、被告人A自身の意図はともかくとして、特定の支援者から受けた本件各請託、そして、その特定の個人や団体の意向に合致するものであった。しかも、被告人Aは、本件各請託を受けたことに対する報酬として、罪となるべき事実第一の犯行では合計二二八八万円、同第二の犯行でも五〇〇〇万円もの多額の賄賂を収受しているのである。
それだけに、職人大学の設置が被告人A個人の政治信念に基づくものであったことを考慮しても、本件各犯行は、国会議員として求められる倫理性や廉潔性に背き、その職務の公正さに対する国民の信頼を大きく損ない、国会の威信をも失墜させかねないものとして厳しい非難を免れない。また、被告人Aが与党内の要職を務めていたことや元労働大臣として労働行政に少なからぬ影響力を有していたことにも照らすとき、本件各犯行は、現行の政党政治の在り方、更には行政をも含めた国政全般に対する国民の不信感を一層深刻にするものであった。
(3)  そうすると、本件各請託の内容自体は違法なものと認められないこと、本件賄賂のために被告人Aの国会議員としての判断や政治活動が具体的に左右されたとまでは認められないことを考慮しても、本件各犯行は、悪質にして重大な収賄事犯というべきである。
三(1)  犯行の態様についてみても、罪となるべき事実第一の犯行は、被告人Aの事務所家賃相当額を丸抱えさせるという大胆なものである上、贈賄側と緊密に連絡を取り合いながら、二年余りの長期間、合計二六回の多数回にわたり金員の収受を重ね、その結果、収受された賄賂総額が二二八八万円にも上るなど、計画的で、反覆累行性が認められ、賄賂金額も多額に及んでいる。しかもその間、贈賄側の不明朗な経理処理が新聞報道されるなど、犯行を中止すべき契機もあったというのに、その収受の方法を振込からより露見しにくい手渡しに変更して継続しているのであって、誠に悪質というほかない。
同第二の犯行も、議員会館内で現金を直接収受している上、その金額も五〇〇〇万円と極めて多額であって、これまた大胆かつ悪質なものである。
(2)  犯行の結果も、前記のように、国会議員の職務の公正さに対する信頼が大きく傷つけられるなど、重大である。しかも、本件各犯行は、与党である自由民主党実力者の疑惑事件として新聞等で大きく報道されるなど、社会に大きな衝撃を与え、国民の政治不信を深めたばかりか、公益法人であるKSDやKGS等関係諸団体の信用を著しくおとしめ、平成一三年四月に開学したばかりの「ものつくり大学」の門出にぬぐい難い汚点を残している。このように、被告人両名は、長年にわたって被告人Aを支えてきた多くの支援者、職人大学の実現に夢を抱いて尽力してきた多くの人々の期待をも裏切ったのであって、本件各犯行は、社会的影響においても重大というべきである。
(3)  さらに、被告人両名は、本件各犯行の前から、贈賄側と密接な関係を築いて、相互に便宜を図り合い、多額の資金提供を繰り返し受けており、このような不明朗な関係を背景として、さしたる心理的な抵抗を感じることもなく本件各犯行に及んだものと認められる。
四  他方、被告人両名のために酌むべき事情も認められる。すなわち、
(1)  本件各犯行はいずれも贈賄側から提案されたものであり、被告人両名が積極的に賄賂を要求したことはなく、また、本件各請託を受けた時点において、被告人Aに何らかの見返りを期待する意図があったことも認められない。また、請託の内容は、当時の政治的課題にほかならず、それ自体特に不当なものではなく、贈賄者に直接的な利益をもたらすようなものとも認められない。
(2)  被告人Aが職人大学の設置を積極的に推進するに至ったのは、単に贈賄側の意向に応えようとしたものではなく、後にみるような自らの生い立ちや育った環境から、職人や技能者らの社会的地位の確立、向上を実現しようとしたものと認められる。しかも、被告人Aは、収受した賄賂をすべて事務所経費や選挙資金として費消しており、個人的な用途に費消したものではない。
(3)  さらに、被告人Aは、犯行の発覚防止のためとはいえ、罪となるべき事実第二の賄賂は、約二箇月後に同額の五〇〇〇万円を、同第一の賄賂も、平成一三年三月に被告人Bを介して収受した金員の総額と同額をそれぞれ贈賄側に返還している。
五  次に、被告人Aの個別情状について検討する。
(1)  被告人Aは、罪となるべき事実第一の犯行について、直接関与するところが少ないとはいえ、政策担当秘書である被告人Bから報告を受け、自らの判断に基づき賄賂の収受を決定し、自己の計算において収受したものと認められるから、自ら直接現金五〇〇〇万円を収受した同第二の犯行と同様に、主犯としての責任を免れない。
そして、被告人Aは、本件各犯行当時、参議院自由民主党幹事長として同党の参議院議員の最高実力者の地位にあって、代表質問という重責を委ねられており、他の国会議員の模範となるべき高い倫理性が求められていたというのに、贈賄側からの賄賂の申込みに対して何ら逡巡した形跡は認められない。
もっとも、被告人Aは、鳶職人の子供として生まれ、幼少のころより炭坑で働きながら苦学して大学を卒業した経歴を有しており、職人大学の設置を積極的に推進するに至ったのは、このような経歴に裏打ちされた社会的弱者に対する自身の政治信念を背景とするものであったと認められる。
しかし、被告人Aの職人大学設置に取り組む姿勢がいかに真摯なものであろうとも、贈賄側から請託を受け、それに関して賄賂を収受した以上、職務の公正さに対する信頼が大きく損なわれることは当然の帰結であって、被告人Aは、自己の社会的責任やその立場にも、余りに無自覚かつ無反省であったといわざるを得ない。また、本件各犯行によって被告人Aの職人大学設置にかける真摯さ自体が疑われることにもなるのであり、本件各犯行の社会的な影響にも照らすと、軽率の極みというほかない。
しかも、被告人Aは、ものつくり大学の関係者等に多大な迷惑を掛け、政治不信を招いたことについて、自らを恥じ万死に値するなどと述べる一方、捜査公判を通じて本件各犯行を全面的に否認し、既にみたとおり、不自然・不合理というほかない弁解を種々に重ねて、受託収賄なる行為は一切行っていない旨強弁しているのであって、このような姿勢は、自己の犯した犯行の意味やその結果の重大さを真摯に直視していないとの非難を免れないのである。
したがって、被告人Aの刑事責任は重いというべきである。
(2)  他方、被告人Aは、二〇年以上にわたり参議院議員として国政に参画し、その間、労働大臣等の内閣の要職、さらに自由民主党の要職を歴任して重要な成果を残していることがうかがわれる。また、被告人Aは、本件各犯行の疑惑が出たことを契機に、参議院議員を辞職して、当公判廷では、今後政界に復帰することはない旨供述するに至っており、本件各犯行が広くマスコミに報道され、本件により相当期間身柄が拘束されるなど、既に相応の社会的制裁を受けている。さらに、被告人Aには前科前歴がなく、現在七〇歳と高齢である。その他被告人Aのために酌むべき事情も認められる。
(3)  しかし、本件犯行の悪質さ、収受した賄賂の多額さ、社会的悪影響の重大さ、犯行後の情状等に照らすと、以上の被告人Aのために酌むべき事情を最大限考慮しても、罪となるべき事実第一の犯行に加え、同第二の犯行をも相前後して敢行した被告人Aについて、その刑の執行を猶予するのは相当でなく、以上の諸事情を総合考慮すると、懲役二年二月の実刑に処するのが相当である。
六  最後に、被告人Bの個別情状について検討する。
(1)  被告人Bは、被告人Aの筆頭秘書として、事務所の運営を実質的に任されていた者であるが、贈賄側から家賃相当額の資金提供の申込みを受けるや、被告人Aにこれを取り次いでその承諾を得た上、贈賄側との窓口となって緊密に連絡をとり、その発覚を免れるために収受の方法を変更するなどしながら、長期間にわたり賄賂金員を収受し管理していた。したがって、被告人Bは、罪となるべき事実第一の犯行を主体的に実現したものと認められ、必要かつ不可欠な役割を積極的に果たしたものである。
しかも、被告人Bは、捜査公判を通じ、家賃相当額の資金提供の事実については被告人Aと相談していないなどと述べて犯行を否認し、不自然・不合理な弁解に終始している。被告人Bが、義兄であり長年にわたって苦楽を共にした被告人Aをかばおうとする心情を考慮しても、本件犯行の重大さや社会的責任に目を背けるその姿勢は、被告人Aと同様に厳しい非難を免れない。
そうすると、被告人Aとの関係では従属的な立場にあったことを考慮しても、被告人Bの刑事責任も決して軽くない。
(2)  他方、被告人Bについても、本件による被告人Aの辞職に伴って失職し、相当期間身柄が拘束されるなど、相応の社会的制裁を受けていること、罰金前科しか認められず、心臓に持病を抱えていて、健康に配慮を要する状態にあること、その他被告人Bのために酌むべき事情も認められる。
(3)  そして、以上にみたような被告人Aとの刑事責任や立場の相違にも照らすと、被告人Bについては懲役一年六月に処した上、特に今回に限りその刑の執行を猶予するのが相当である。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中谷雄二郎 裁判官 横山泰造 裁判官 蛯原意)

 

〈以下省略〉

 

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政治と選挙Q&A「政治資金規正法 ポスター貼り(掲示交渉)代行」に関する裁判例一覧
(1)平成30年10月11日 東京高裁 平30(う)441号 政治資金規正法違反被告事件
(2)平成30年 6月27日 東京地裁 平27(特わ)2148号 各政治資金規正法違反被告事件
(3)平成30年 4月18日 東京高裁 平29(行コ)302号 埼玉県議会政務調査費返還請求控訴事件
(4)平成30年 3月30日 東京地裁 平27(ワ)37147号 損害賠償請求事件
(5)平成30年 3月20日 大阪高裁 平29(行コ)60号 補助金不交付処分取消等請求控訴事件
(6)平成30年 1月22日 東京地裁 平27(特わ)2148号 政治資金規正法違反被告事件
(7)平成29年12月14日 札幌高裁 平29(ネ)259号 損害賠償等請求控訴事件
(8)平成29年12月 8日 札幌地裁 平24(行ウ)3号 政務調査費返還履行請求事件
(9)平成29年 7月18日 奈良地裁 平29(わ)82号 虚偽有印公文書作成・同行使、詐欺、有印私文書偽造・同行使、政治資金規正法違反被告事件
(10)平成29年 3月28日 東京地裁 平25(ワ)28292号 謝罪広告等請求事件
(11)平成29年 3月28日 仙台地裁 平28(ワ)254号 損害賠償請求事件
(12)平成29年 3月15日 東京地裁 平27(行ウ)403号 地位確認等請求事件
(13)平成29年 1月26日 大阪地裁 平24(行ウ)197号・平26(行ウ)163号 補助金不交付処分取消等請求事件
(14)平成28年12月27日 奈良地裁 平27(行ウ)15号 奈良県議会会派並びに同議会議員に係る不当利得返還請求事件
(15)平成28年10月12日 大阪高裁 平28(ネ)1060号 損害賠償等請求控訴事件
(16)平成28年10月12日 東京地裁 平25(刑わ)2945号 業務上横領被告事件
(17)平成28年10月 6日 大阪高裁 平27(行コ)162号 不開示決定処分取消等請求控訴事件
(18)平成28年 9月13日 札幌高裁 平28(う)91号 事前収賄被告事件
(19)平成28年 8月31日 東京地裁 平25(ワ)13065号 損害賠償請求事件
(20)平成28年 7月26日 東京地裁 平27(ワ)22544号 損害賠償請求事件
(21)平成28年 7月19日 東京高裁 平27(ネ)3610号 株主代表訴訟控訴事件
(22)平成28年 7月 4日 東京地裁 平27(レ)413号 損害賠償請求控訴事件
(23)平成28年 4月26日 東京地裁 平27(ワ)11311号 精神的慰謝料及び損害賠償請求事件
(24)平成28年 2月24日 大阪高裁 平25(行コ)2号 行政文書不開示決定処分取消請求控訴事件
(25)平成28年 2月24日 大阪高裁 平24(行コ)77号 不開示決定処分取消請求控訴事件
(26)平成27年10月27日 岡山地裁 平24(行ウ)15号 不当利得返還請求事件
(27)平成27年10月22日 大阪地裁 平26(行ウ)186号 不開示決定処分取消等請求事件
(28)平成27年10月 9日 東京地裁 平27(特わ)853号 政治資金規正法違反被告事件
(29)平成27年 6月17日 大阪地裁 平26(行ウ)117号 公金支出金返還請求事件
(30)平成27年 5月28日 東京地裁 平23(ワ)21209号 株主代表訴訟事件
(31)平成27年 3月24日 東京地裁 平26(ワ)9407号 損害賠償等請求事件
(32)平成27年 2月26日 東京地裁 平26(行ウ)209号 政務調査費返還請求事件
(33)平成27年 2月 3日 東京地裁 平25(ワ)15071号 損害賠償等請求事件
(34)平成26年12月24日 横浜地裁 平26(行ウ)15号 損害賠償請求事件(住民訴訟)
(35)平成26年 9月25日 東京地裁 平21(ワ)46404号・平22(ワ)16316号 損害賠償(株主代表訴訟)請求事件(第2事件)、損害賠償(株主代表訴訟)請求事件(第3事件)
(36)平成26年 9月17日 知財高裁 平26(行ケ)10090号 審決取消請求事件
(37)平成26年 9月11日 知財高裁 平26(行ケ)10092号 審決取消請求事件
(38)平成26年 9月 3日 東京地裁 平25(行ウ)184号 政務調査費返還請求事件
(39)平成26年 4月 9日 東京地裁 平24(ワ)33978号 損害賠償請求事件
(40)平成26年 2月21日 宮崎地裁 平25(ワ)276号 謝罪放送等請求事件
(41)平成25年 7月19日 東京地裁 平22(ワ)37754号 謝罪広告等請求事件
(42)平成25年 6月19日 横浜地裁 平20(行ウ)19号 政務調査費返還履行等代位請求事件
(43)平成25年 3月28日 京都地裁 平20(行ウ)10号 不当利得返還等請求行為請求事件
(44)平成25年 2月28日 東京地裁 平22(ワ)47235号 業務委託料請求事件
(45)平成25年 1月23日 東京地裁 平23(ワ)39861号 損害賠償請求事件
(46)平成24年12月26日 東京地裁 平23(ワ)24047号 謝罪広告等請求事件
(47)平成24年11月12日 東京高裁 平24(う)988号 政治資金規正法違反被告事件
(48)平成24年 8月29日 東京地裁 平22(ワ)38734号 損害賠償請求事件
(49)平成24年 6月26日 仙台地裁 平21(行ウ)16号 公金支出差止請求事件
(50)平成24年 4月26日 東京地裁 平23(特わ)111号 政治資金規正法違反被告事件 〔陸山会事件・控訴審〕
(51)平成24年 2月29日 東京地裁 平21(行ウ)585号 公金支出差止請求事件
(52)平成24年 2月14日 東京地裁 平22(行ウ)323号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(53)平成24年 2月13日 東京地裁 平23(ワ)23522号 街頭宣伝行為等禁止請求事件
(54)平成24年 1月18日 横浜地裁 平19(行ウ)105号 政務調査費返還履行等代位請求事件
(55)平成23年11月16日 東京地裁 平21(ワ)38850号 損害賠償等請求事件
(56)平成23年 9月29日 東京地裁 平20(行ウ)745号 退会命令無効確認等請求事件
(57)平成23年 7月25日 大阪地裁 平19(ワ)286号・平19(ワ)2853号 損害賠償請求事件
(58)平成23年 4月26日 東京地裁 平22(行ウ)162号・平22(行ウ)448号・平22(行ウ)453号 在外日本人国民審査権確認等請求事件(甲事件)、在外日本人国民審査権確認等請求事件(乙事件)、在外日本人国民審査権確認等請求事件(丙事件)
(59)平成23年 4月14日 東京地裁 平22(ワ)20007号 損害賠償等請求事件
(60)平成23年 1月31日 東京高裁 平22(行コ)91号 損害賠償請求住民訴訟控訴事件
(61)平成23年 1月21日 福岡地裁 平21(行ウ)28号 政務調査費返還請求事件
(62)平成22年11月 9日 東京地裁 平21(行ウ)542号 政務調査費返還(住民訴訟)請求事件
(63)平成22年10月18日 東京地裁 平22(行ク)276号
(64)平成22年 9月30日 東京地裁 平21(行ウ)231号 報酬支出差止請求事件
(65)平成22年 9月 7日 最高裁第一小法廷 決定 平20(あ)738号 あっせん収賄、受託収賄、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律違反、政治資金規正法違反被告事件 〔鈴木宗男事件・上告審〕
(66)平成22年 4月13日 東京地裁 平20(ワ)34451号 貸金等請求事件
(67)平成22年 3月31日 東京地裁 平21(行ウ)259号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(68)平成22年 3月15日 東京地裁 平20(ワ)38604号 損害賠償請求事件
(69)平成22年 1月28日 名古屋地裁 平20(ワ)3188号 応援妨害予防等請求事件
(70)平成21年 6月17日 大阪高裁 平20(行コ)159号 政務調査費返還請求行為請求控訴事件
(71)平成21年 5月26日 東京地裁 平21(む)1220号 政治資金規正法被告事件
(72)平成21年 5月13日 東京地裁 平19(ワ)20791号 業務委託料請求事件
(73)平成21年 4月28日 大阪地裁 平19(わ)3456号 談合、収賄被告事件
(74)平成21年 2月25日 東京地裁 平19(行ウ)325号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(75)平成21年 1月28日 東京地裁 平17(ワ)9248号 損害賠償等請求事件
(76)平成20年12月 9日 東京地裁 平19(ワ)24563号 謝罪広告等請求事件
(77)平成20年11月12日 大阪高裁 平20(ネ)1189号・平20(ネ)1764号 債務不存在確認等請求控訴、会費請求反訴事件
(78)平成20年 9月 9日 東京地裁 平18(ワ)18306号 損害賠償等請求事件
(79)平成20年 8月 8日 東京地裁 平18(刑わ)3785号・平18(刑わ)4225号 収賄、競売入札妨害被告事件〔福島県談合汚職事件〕
(80)平成20年 7月14日 最高裁第一小法廷 平19(あ)1112号 政治資金規正法違反被告事件
(81)平成20年 3月27日 最高裁第三小法廷 平18(あ)348号 受託収賄被告事件 〔KSD事件〕
(82)平成20年 3月14日 和歌山地裁田辺支部 平18(ワ)167号 債務不存在確認等請求事件
(83)平成20年 2月26日 東京高裁 平16(う)3226号
(84)平成20年 1月18日 東京地裁 平18(ワ)28649号 損害賠償請求事件
(85)平成19年 8月30日 東京地裁 平17(ワ)21062号 地位確認等請求事件
(86)平成19年 8月30日 大阪地裁 平19(行ウ)83号 行政文書不開示決定処分取消等請求事件
(87)平成19年 8月10日 東京地裁 平18(ワ)19755号 謝罪広告等請求事件
(88)平成19年 8月10日 大阪地裁 平19(行ク)47号 仮の義務付け申立て事件
(89)平成19年 7月17日 神戸地裁尼崎支部 平17(ワ)1227号 総会決議一部無効確認等請求事件
(90)平成19年 5月10日 東京高裁 平18(う)2029号 政治資金規正法違反被告事件 〔いわゆる1億円ヤミ献金事件・控訴審〕
(91)平成19年 4月 3日 大阪地裁 平19(行ク)27号 執行停止申立て事件
(92)平成19年 3月28日 大阪地裁 平19(行ク)24号 仮の差止め申立て事件
(93)平成19年 2月20日 大阪地裁 平19(行ク)7号 執行停止申立て事件
(94)平成19年 2月 7日 新潟地裁長岡支部 平16(ワ)143号・平18(ワ)109号 損害賠償請求事件
(95)平成19年 2月 5日 東京地裁 平16(ワ)26484号 不当利得返還請求事件
(96)平成19年 1月31日 大阪地裁 平15(ワ)12141号・平15(ワ)13033号 権利停止処分等無効確認請求事件、除名処分無効確認請求事件 〔全日本建設運輸連帯労組近畿地本(支部役員統制処分等)事件〕
(97)平成18年11月14日 最高裁第三小法廷 平18(オ)597号・平18(受)726号 〔熊谷組株主代表訴訟事件・上告審〕
(98)平成18年 9月29日 大阪高裁 平18(ネ)1204号 地位不存在確認請求控訴事件
(99)平成18年 9月11日 東京地裁 平15(刑わ)4146号 各詐欺被告事件 〔偽有栖川詐欺事件〕
(100)平成18年 8月10日 大阪地裁 平18(行ウ)75号 行政文書不開示決定処分取消請求事件
(101)平成18年 3月30日 東京地裁 平16(特わ)5359号 政治資金規正法違反被告事件〔いわゆる1億円ヤミ献金事件・第一審〕
(102)平成18年 3月30日 京都地裁 平17(ワ)1776号・平17(ワ)3127号 地位不存在確認請求事件
(103)平成18年 1月11日 名古屋高裁金沢支部 平15(ネ)63号 熊谷組株主代表訴訟控訴事件 〔熊谷組政治献金事件・控訴審〕
(104)平成17年11月30日 大阪高裁 平17(ネ)1286号 損害賠償請求控訴事件
(105)平成17年 8月25日 大阪地裁 平17(行ウ)91号 行政文書不開示決定処分取消請求事件
(106)平成17年 5月31日 東京地裁 平16(刑わ)1835号・平16(刑わ)2219号・平16(刑わ)3329号・平16(特わ)5239号 贈賄、業務上横領、政治資金規正法違反被告事件 〔日本歯科医師会事件〕
(107)平成17年 4月27日 仙台高裁 平17(行ケ)1号 当選無効及び立候補禁止請求事件
(108)平成16年12月24日 東京地裁 平15(特わ)1313号・平15(刑わ)1202号・平15(特わ)1422号 政治資金規正法違反、詐欺被告事件 〔衆議院議員秘書給与詐取事件〕
(109)平成16年12月22日 東京地裁 平15(ワ)26644号 損害賠償等請求事件
(110)平成16年11月 5日 東京地裁 平14(刑わ)2384号・平14(特わ)4259号・平14(刑わ)2931号 あっせん収賄、受託収賄、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律違反、政治資金規正法違反被告事件 〔鈴木宗男事件・第一審〕
(111)平成16年 5月28日 東京地裁 平5(刑わ)2335号・平5(刑わ)2271号 贈賄被告事件 〔ゼネコン汚職事件〕
(112)平成16年 2月27日 東京地裁 平7(合わ)141号・平8(合わ)31号・平7(合わ)282号・平8(合わ)75号・平7(合わ)380号・平7(合わ)187号・平7(合わ)417号・平7(合わ)443号・平7(合わ)329号・平7(合わ)254号 殺人、殺人未遂、死体損壊、逮捕監禁致死、武器等製造法違反、殺人予備被告事件 〔オウム真理教代表者に対する地下鉄サリン事件等判決〕
(113)平成16年 2月26日 津地裁 平11(行ウ)1号 損害賠償請求住民訴訟事件
(114)平成16年 2月25日 東京地裁 平14(ワ)6504号 損害賠償請求事件
(115)平成15年12月 8日 福岡地裁小倉支部 平15(わ)427号・平15(わ)542号・平15(わ)725号 被告人Aに対する政治資金規正法違反、公職選挙法違反被告事件、被告人B及び同Cに対する政治資金規正法違反被告事件
(116)平成15年10月16日 大津地裁 平13(ワ)570号 会員地位不存在確認等請求事件
(117)平成15年10月 1日 さいたま地裁 平14(行ウ)50号 損害賠償代位請求事件
(118)平成15年 5月20日 東京地裁 平13(刑わ)710号 各受託収賄被告事件 〔KSD関連元労働大臣収賄事件判決〕
(119)平成15年 3月19日 横浜地裁 平12(行ウ)16号 損害賠償等請求事件
(120)平成15年 3月 4日 東京地裁 平元(刑わ)1047号・平元(刑わ)632号・平元(刑わ)1048号・平元(特わ)361号・平元(特わ)259号・平元(刑わ)753号 日本電信電話株式会社法違反、贈賄被告事件 〔リクルート事件(政界・労働省ルート)社長室次長関係判決〕
(121)平成15年 2月12日 福井地裁 平13(ワ)144号・平13(ワ)262号 各熊谷組株主代表訴訟事件 〔熊谷組政治献金事件・第一審〕
(122)平成15年 1月20日 釧路地裁帯広支部 平13(わ)15号 収賄被告事件
(123)平成15年 1月16日 東京地裁 平13(行ウ)84号 損害賠償請求事件 〔区長交際費支出損害賠償請求住民訴訟事件〕
(124)平成14年 4月22日 東京地裁 平12(ワ)21560号 損害賠償等請求事件
(125)平成14年 4月11日 大阪高裁 平13(ネ)2757号 社員代表訴訟等控訴事件 〔住友生命政治献金事件・控訴審〕
(126)平成14年 2月25日 東京地裁 平9(刑わ)270号 詐欺被告事件
(127)平成13年12月17日 東京地裁 平13(行ウ)85号 住民票不受理処分取消等請求事件
(128)平成13年10月25日 東京地裁 平12(ワ)448号 損害賠償請求事件
(129)平成13年10月11日 横浜地裁 平12(ワ)2369号 謝罪広告等請求事件 〔鎌倉市長名誉毀損垂れ幕訴訟判決〕
(130)平成13年 9月26日 東京高裁 平13(行コ)90号 公文書非公開処分取消請求控訴事件
(131)平成13年 7月18日 大阪地裁 平12(ワ)4693号 社員代表訴訟等事件 〔住友生命政治献金事件・第一審〕
(132)平成13年 7月18日 大阪地裁 平12(ワ)4692号・平12(ワ)13927号 社員代表訴訟等、共同訴訟参加事件 〔日本生命政治献金社員代表訴訟事件〕
(133)平成13年 5月29日 東京地裁 平9(ワ)7838号・平9(ワ)12555号 損害賠償請求事件
(134)平成13年 4月25日 東京高裁 平10(う)360号 斡旋贈収賄被告事件 〔ゼネコン汚職政界ルート事件・控訴審〕
(135)平成13年 3月28日 東京地裁 平9(ワ)27738号 損害賠償請求事件
(136)平成13年 3月 7日 横浜地裁 平11(行ウ)45号 公文書非公開処分取消請求事件
(137)平成13年 2月28日 東京地裁 平12(刑わ)3020号 詐欺、政治資金規正法違反被告事件
(138)平成13年 2月16日 東京地裁 平12(行ク)112号 住民票消除処分執行停止申立事件
(139)平成12年11月27日 最高裁第三小法廷 平9(あ)821号 政治資金規正法違反被告事件
(140)平成12年 9月28日 東京高裁 平11(う)1703号 公職選挙法違反、政党助成法違反、政治資金規正法違反、受託収賄、詐欺被告事件 〔元代議士受託収賄等・控訴審〕
(141)平成11年 7月14日 東京地裁 平10(特わ)3935号・平10(刑わ)3503号・平10(特わ)4230号 公職選挙法違反、政党助成法違反、政治資金規正法違反、受託収賄、詐欺被告事件 〔元代議士受託収賄等・第一審〕
(142)平成10年 6月26日 東京地裁 平8(行ウ)109号 課税処分取消請求事件 〔野呂栄太郎記念塩沢学習館事件〕
(143)平成10年 5月25日 大阪高裁 平9(行ケ)4号 当選無効及び立候補禁止請求事件 〔衆議院議員選挙候補者連座訴訟・第一審〕
(144)平成10年 4月27日 東京地裁 平10(ワ)1858号 損害賠償請求事件
(145)平成 9年10月 1日 東京地裁 平6(刑わ)571号・平6(刑わ)509号 斡旋贈収賄被告事件 〔ゼネコン汚職政界ルート事件・第一審〕
(146)平成 9年 7月 3日 最高裁第二小法廷 平6(あ)403号 所得税法違反被告事件
(147)平成 9年 5月21日 大阪高裁 平8(う)944号 政治資金規正法違反被告事件
(148)平成 9年 4月28日 東京地裁 平6(ワ)21652号 損害賠償等請求事件
(149)平成 9年 2月20日 大阪地裁 平7(行ウ)60号・平7(行ウ)70号 政党助成法に基づく政党交付金交付差止等請求事件
(150)平成 8年 9月 4日 大阪地裁 平7(わ)534号 政治資金規正法違反被告事件
(151)平成 8年 3月29日 東京地裁 平5(特わ)546号・平5(特わ)682号 所得税法違反被告事件
(152)平成 8年 3月27日 大阪高裁 平6(ネ)3497号 損害賠償請求控訴事件
(153)平成 8年 3月25日 東京高裁 平6(う)1237号 受託収賄被告事件 〔共和汚職事件・控訴審〕
(154)平成 8年 3月19日 最高裁第三小法廷 平4(オ)1796号 選挙権被選挙権停止処分無効確認等請求事件 〔南九州税理士会政治献金徴収拒否訴訟・上告審〕
(155)平成 8年 2月20日 名古屋高裁 平7(う)200号 政治資金規正法違反、所得税違反被告事件
(156)平成 7年11月30日 名古屋高裁 平7(う)111号 政治資金規正法違反、所得税法違反被告事件
(157)平成 7年10月25日 東京地裁 平5(ワ)9489号・平5(ワ)16740号・平6(ワ)565号 債務不存在確認請求(本訴)事件、謝罪広告請求(反訴)事件、不作為命令請求(本訴と併合)事件
(158)平成 7年 8月 8日 名古屋高裁 平7(う)35号 政治資金規正法違反、所得税法違反被告事件
(159)平成 7年 4月26日 名古屋地裁 平6(わ)116号 政治資金規正法違反、所得税法違反被告事件
(160)平成 7年 3月30日 名古屋地裁 平6(わ)1706号 政治資金規正法違反、所得税法違反被告事件
(161)平成 7年 3月20日 宮崎地裁 平6(ワ)169号 損害賠償請求事件
(162)平成 7年 2月24日 最高裁第二小法廷 平5(行ツ)56号 公文書非公開決定処分取消請求事件 〔政治資金収支報告書コピー拒否事件〕
(163)平成 7年 2月13日 大阪地裁 平6(わ)3556号 政治資金規正法違反被告事件 〔大阪府知事後援会ヤミ献金事件〕
(164)平成 7年 2月 1日 名古屋地裁 平6(わ)116号 所得税法違反被告事件
(165)平成 7年 1月26日 東京地裁 平5(行ウ)353号 損害賠償請求事件
(166)平成 6年12月22日 東京地裁 平5(ワ)18447号 損害賠償請求事件 〔ハザマ株主代表訴訟〕
(167)平成 6年12月 9日 大阪地裁 平5(ワ)1384号 損害賠償請求事件
(168)平成 6年11月21日 名古屋地裁 平5(わ)1697号・平6(わ)117号 政治資金規正法違反、所得税法違反被告事件
(169)平成 6年10月25日 新潟地裁 平4(わ)223号 政治資金規正法違反被告事件 〔佐川急便新潟県知事事件〕
(170)平成 6年 7月27日 東京地裁 平5(ワ)398号 謝罪広告等請求事件
(171)平成 6年 4月19日 横浜地裁 平5(わ)1946号 政治資金規正法違反・所得税法違反事件
(172)平成 6年 3月 4日 東京高裁 平4(う)166号 所得税法違反被告事件 〔元環境庁長官脱税事件・控訴審〕
(173)平成 6年 2月 1日 横浜地裁 平2(ワ)775号 損害賠償請求事件
(174)平成 5年12月17日 横浜地裁 平5(わ)1842号 所得税法違反等被告事件
(175)平成 5年11月29日 横浜地裁 平5(わ)1687号 所得税法違反等被告事件
(176)平成 5年 9月21日 横浜地裁 平5(わ)291号・平5(わ)182号・平5(わ)286号 政治資金規正法違反、所得税法違反、有印私文書偽造・同行使、税理士法違反被告事件
(177)平成 5年 7月15日 福岡高裁那覇支部 平4(行ケ)1号 当選無効等請求事件
(178)平成 5年 5月28日 徳島地裁 昭63(行ウ)12号 徳島県議会県政調査研究費交付金返還等請求事件
(179)平成 5年 5月27日 最高裁第一小法廷 平元(オ)1605号 会費一部返還請求事件 〔大阪合同税理士会会費返還請求事件・上告審〕
(180)平成 4年12月18日 大阪高裁 平3(行コ)49号 公文書非公開決定処分取消請求控訴事件 〔大阪府公文書公開等条例事件・控訴審〕
(181)平成 4年10月26日 東京地裁 平4(む)615号 準抗告申立事件 〔自民党前副総裁刑事確定訴訟記録閲覧請求事件〕
(182)平成 4年 4月24日 福岡高裁 昭62(ネ)551号・昭61(ネ)106号 選挙権被選挙権停止処分無効確認等請求控訴、附帯控訴事件 〔南九州税理士会政治献金徴収拒否訴訟・控訴審〕
(183)平成 4年 2月25日 大阪地裁 昭62(わ)4573号・昭62(わ)4183号・昭63(わ)238号 砂利船汚職事件判決
(184)平成 3年12月25日 大阪地裁 平2(行ウ)6号 公文書非公開決定処分取消請求事件 〔府公文書公開条例事件〕
(185)平成 3年11月29日 東京地裁 平2(特わ)2104号 所得税法違反被告事件 〔元環境庁長官脱税事件・第一審〕
(186)平成 2年11月20日 東京高裁 昭63(ネ)665号 損害賠償等請求控訴事件
(187)平成元年 8月30日 大阪高裁 昭61(ネ)1802号 会費一部返還請求控訴事件 〔大阪合同税理士会会費返還請求訴訟・控訴審〕
(188)昭和63年 4月11日 最高裁第三小法廷 昭58(あ)770号 贈賄被告事件 〔大阪タクシー汚職事件・上告審〕
(189)昭和62年 7月29日 東京高裁 昭59(う)263号 受託収賄、外国為替及び外国貿易管理法違反、贈賄、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律違反被告事件 〔ロッキード事件丸紅ルート・控訴審〕
(190)昭和61年 8月21日 大阪地裁 昭55(ワ)869号 会費一部返還請求事件 〔大阪合同税理士会会費返還請求事件・第一審〕
(191)昭和61年 5月16日 東京高裁 昭57(う)1978号 ロツキード事件・全日空ルート〈橋本関係〉受託収賄被告事件 〔ロッキード事件(全日空ルート)・控訴審〕
(192)昭和61年 5月14日 東京高裁 昭57(う)1978号 受託収賄被告事件 〔ロッキード事件(全日空ルート)・控訴審〕
(193)昭和61年 2月13日 熊本地裁 昭55(ワ)55号 選挙権被選挙権停止処分無効確認等請求事件 〔南九州税理士会政治献金徴収拒否訴訟・第一審〕
(194)昭和59年 7月 3日 神戸地裁 昭59(わ)59号 所得税法違反被告事件
(195)昭和59年 3月 7日 神戸地裁 昭57(行ウ)24号 市議会各会派に対する市会調査研究費等支出差止住民訴訟事件
(196)昭和57年 7月 6日 大阪簡裁 昭56(ハ)5528号 売掛金代金請求事件
(197)昭和57年 6月 8日 東京地裁 昭51(刑わ)4312号・昭51(刑わ)4311号 受託収賄事件 〔ロッキード事件(全日空ルート)(橋本・佐藤関係)〕
(198)昭和57年 5月28日 岡山地裁 昭54(わ)566号 公職選挙法違反被告事件
(199)昭和56年 3月 3日 東京高裁 昭54(う)2209号・昭54(う)2210号 地方自治法違反被告事件
(200)昭和55年 3月10日 東京地裁 昭53(特わ)1013号・昭53(特わ)920号 法人税法違反被告事件
(201)昭和54年 9月20日 大阪地裁 昭43(わ)121号 贈賄、収賄事件 〔大阪タクシー汚職事件・第一審〕
(202)昭和54年 5月29日 水戸地裁 昭46(わ)198号 地方自治法違反被告事件
(203)昭和53年11月20日 名古屋地裁 決定 昭52(ヨ)1908号・昭52(ヨ)1658号・昭52(ヨ)1657号 仮処分申請事件 〔日本共産党員除名処分事件〕
(204)昭和53年 8月29日 最高裁第三小法廷 昭51(行ツ)76号 損害賠償請求事件
(205)昭和51年 4月28日 名古屋高裁 昭45(行コ)14号 損害賠償請求控訴事件
(206)昭和50年10月21日 那覇地裁 昭49(ワ)111号 損害賠償請求事件
(207)昭和48年 2月24日 東京地裁 昭40(ワ)7597号 謝罪広告請求事件
(208)昭和47年 3月 7日 最高裁第三小法廷 昭45(あ)2464号 政治資金規制法違反
(209)昭和46年 9月20日 東京地裁 昭43(刑わ)2238号・昭43(刑わ)3482号・昭43(刑わ)3031号・昭43(刑わ)3027号・昭43(刑わ)2002号・昭43(刑わ)3022号 業務上横領、斡旋贈賄、贈賄、斡旋収賄、受託収賄各被告事件 〔いわゆる日通事件・第一審〕
(210)昭和45年11月14日 札幌地裁 昭38(わ)450号 公職選挙法違反・政治資金規正法違反被告事件
(211)昭和45年11月13日 高松高裁 昭44(う)119号 政治資金規正法違反被告事件
(212)昭和45年 7月11日 名古屋地裁 昭42(行ウ)28号 損害賠償請求事件
(213)昭和45年 3月 2日 長野地裁 昭40(行ウ)14号 入場税等賦課決定取消請求事件
(214)昭和43年11月12日 福井地裁 昭41(わ)291号 収賄・贈賄被告事件
(215)昭和42年 7月11日 東京地裁 昭42(行ク)28号 行政処分執行停止申立事件
(216)昭和42年 7月10日 東京地裁 昭42(行ク)28号 行政処分執行停止申立事件
(217)昭和41年10月24日 東京高裁 昭38(ナ)6号・昭38(ナ)7号・昭38(ナ)5号・昭38(ナ)11号・昭38(ナ)10号 裁決取消、選挙無効確認併合事件 〔東京都知事選ニセ証紙事件・第二審〕
(218)昭和41年 1月31日 東京高裁 昭38(ネ)791号 取締役の責任追及請求事件 〔八幡製鉄政治献金事件・控訴審〕
(219)昭和40年11月26日 東京高裁 昭39(う)642号 公職選挙法違反被告事件
(220)昭和39年12月15日 東京地裁 昭38(刑わ)2385号 公職選挙法違反、公記号偽造、公記号偽造行使等事件
(221)昭和39年 3月11日 東京高裁 昭38(う)2547号 公職選挙法違反被告事件
(222)昭和38年 4月 5日 東京地裁 昭36(ワ)2825号 取締役の責任追求事件 〔八幡製鉄政治献金事件・第一審〕
(223)昭和37年12月25日 東京地裁 昭30(ワ)1306号 損害賠償請求事件
(224)昭和37年 8月22日 東京高裁 昭36(う)1737号
(225)昭和37年 8月16日 名古屋高裁金沢支部 昭36(う)169号 公職選挙法違反事件
(226)昭和37年 4月18日 東京高裁 昭35(ナ)15号 選挙無効確認請求事件
(227)昭和35年 9月19日 東京高裁 昭34(ナ)2号 選挙無効確認請求事件
(228)昭和35年 3月 2日 札幌地裁 昭32(わ)412号 受託収賄事件
(229)昭和34年 8月 5日 東京地裁 昭34(行)27号 政党名削除制限抹消の越権不法指示通牒取消確認請求事件
(230)昭和32年10月 9日 最高裁大法廷 昭29(あ)499号 国家公務員法違反被告事件
(231)昭和29年 5月20日 仙台高裁 昭29(う)2号 公職選挙法違反事件
(232)昭和29年 4月17日 札幌高裁 昭28(う)684号・昭28(う)681号・昭28(う)685号・昭28(う)682号・昭28(う)683号 政治資金規正法違反被告事件
(233)昭和29年 2月 4日 名古屋高裁金沢支部 昭28(う)442号 公職選挙法違反被告事件
(234)昭和27年 8月12日 福島地裁若松支部 事件番号不詳 地方税法違反被告事件
(235)昭和26年10月24日 広島高裁松江支部 昭26(う)54号 収賄被告事件
(236)昭和26年 9月27日 最高裁第一小法廷 昭26(あ)1189号 衆議院議員選挙法違反・政治資金規正法違反
(237)昭和26年 5月31日 最高裁第一小法廷 昭25(あ)1747号 衆議院議員選挙法違反・政治資金規正法違反等
(238)昭和25年 7月12日 札幌高裁 昭25(う)277号・昭25(う)280号
(239)昭和25年 7月10日 札幌高裁 昭25(う)277号・昭25(う)278号・昭25(う)279号・昭25(う)280号 衆議院議員選挙法違反被告事件
(240)昭和25年 7月10日 札幌高裁 昭25(う)275号 衆議院議員選挙法違反被告事件
(241)昭和24年10月13日 名古屋高裁 事件番号不詳
(242)昭和24年 6月13日 最高裁大法廷 昭23(れ)1862号 昭和二二年勅令第一号違反被告事件
(243)昭和24年 6月 3日 東京高裁 昭24(ナ)9号 衆議院議員選挙無効請求事件

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