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「選挙 公報 広報 ポスター ビラ」に関する裁判例(60)平成16年 3月29日  神戸地裁姫路支部  平10(ワ)686号 新日本製鐵思想差別損害賠償請求事件

「選挙 公報 広報 ポスター ビラ」に関する裁判例(60)平成16年 3月29日  神戸地裁姫路支部  平10(ワ)686号 新日本製鐵思想差別損害賠償請求事件

裁判年月日  平成16年 3月29日  裁判所名  神戸地裁姫路支部  裁判区分  判決
事件番号  平10(ワ)686号
事件名  新日本製鐵思想差別損害賠償請求事件
裁判結果  一部認容  文献番号  2004WLJPCA03299001

要旨
◆被告鉄鋼会社の従業員あるいは元従業員である原告らが共産党員であることを理由として職務遂行能力を低く評価され昇給面で差別的処遇を受けてきたことを推認して各損害賠償請求の一部を認容した事例
◆原告らの昇格格差には合理性があり反共差別意思に基づくものと推定することはできないとする一方、賃金格差は査定に基づく昇給格差によっても生じうることから、昇給格差の合理性を各人毎に検討した上、被告において原告ら各人の職務遂行能力が最低レベルであったことの立証ができていないことを理由に格差の合理性を否定した事例
◆原告らの損害額につき、差額賃金については同期同学歴者である標準者賃金との差額によるべきとする原告らの主張を、昇格格差に合理性のあるところから排斥し、慰謝料の算定において斟酌するものとした事例

出典
裁判所ウェブサイト
労判 877号93頁(要旨)

参照条文
民法709条
民法710条

裁判年月日  平成16年 3月29日  裁判所名  神戸地裁姫路支部  裁判区分  判決
事件番号  平10(ワ)686号
事件名  新日本製鐵思想差別損害賠償請求事件
裁判結果  一部認容  文献番号  2004WLJPCA03299001

主文
1  被告は,各原告に対し,別紙1「債権目録」の各原告に対応する「認容額」欄記載の金員及び各金員に対する各対応の「遅延損害金起算日」欄記載の日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3  訴訟費用は,これを5分し,その1を被告の負担とし,その余を原告らの負担とする。
4  この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由
第1  請求
被告は,各原告に対し,別紙1「債権目録」の各原告に対応する「請求額」欄記載の金員及び各金員に対する各対応の「遅延損害金起算日」欄記載の日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2  事案の概要
本件は,被告の従業員ないし元従業員である原告らが,その在職中,日本共産党員であることを理由に,昇給昇格において差別を受け,また,隔離職場に隔離されるなどの差別的取扱いを受けたものと主張して,被告に対し,不法行為に基づき,同期同学歴者の平均賃金との差額賃金及び慰謝料の支払を求めている事案である。
1  前提となる事実
以下の事実は,当事者間に争いがないか,以下の括弧内に表示する証拠及び弁論の全趣旨により認めることができる。
(1) 原告ら
原告P1,原告P2,原告P3,原告P4,及び原告P5は,被告の従業員ないし元従業員であり,その在職中,日本共産党員として組合活動歴等を有する者らである。
(2) 被告及び広畑製鐵所の概要
ア 被告の概要(甲102,乙2の1,76)
(ア) 被告は,昭和9年2月1日に官営八幡製鉄所を母体として製鉄合同により設立された日本製鐵株式会社(以下「日本製鐵」という。)が,昭和25年4月1日に過度経済力集中排除法によって八幡製鐵株式会社,富士製鐵株式会社(以下「富士製鐵」という。)等数社に分割され,昭和45年3月31日に再びこれらが合併して発足した会社である。
(イ) 事業内容は,製鉄業としての鉄鋼製品の製造・販売事業を中核に,エンジニアリング事業,都市開発事業,エレクトロニクス・情報通信事業,新素材事業,シリコンウェーハ事業,化学・セメント事業,電力事業等である。
(ウ) 現在の資本金は約4195億円であり,東京の本社及び東京製造所のほか,室蘭,釜石,君津,名古屋,堺,広畑,光,八幡及び大分の9つの製鉄所(以下,被告の製鉄所を「製鐵所」と表記し,あるいは「所」ということもある。)を有している。従業員数は,ピーク時の昭和46年には約8万4600名,昭和62年4月には6万4266名であったが,平成12年3月には約2万7700名まで減少し,ピーク時の約3分の1となっている。
イ 広畑製鐵所の概要(甲102,乙3の1・2,5)
(ア) 広畑製鐵所は,日本製鐵の一製鉄所として昭和14年10月15日に操業を開始し,昭和21年7月26日からは戦争により全面的に操業を休止していたが,昭和25年3月28日に操業を再開し,同年4月1日には富士製鐵の一製鉄所となり,昭和45年3月31日から被告の一製鐵所となった。
(イ) 広畑製鐵所は,高炉で銑鉄を作る製銑工程から,転炉で鋼を作って連続鋳造により鋼片を作る製鋼工程,各種圧延工程までのすべての工程を持った鉄鋼一貫製鐵所であったが,平成5年6月27日に唯一稼働していた第4高炉が休止した後は,新たな冷鉄源溶解設備(SMP)が稼働することになり,その製鋼工程と各種圧延工程を有する圧延を中心とした製鐵所となった。
(ウ) 広畑製鐵所の従業員数は,ピーク時の昭和38年には約1万2600名,昭和62年4月には6300名強であったが,平成7年には2840名,平成13年3月には1444名にまで減少し,ピーク時の約9分の1となっている。
(3) 被告及び広畑製鐵所の合理化計画(甲1,102,103,乙7,8,10ないし15,28,30ないし32,34,37,39,40,42,76〈以上,枝番を含む。〉,証人P6)
ア 第1次合理化計画
第1次合理化計画は,昭和53年から昭和56年までの3年間で実施された。
(ア) 計画内容
当時,被告は,4700万トン程度の年間粗鋼生産能力を有していたが,昭和48年の第1次オイルショック等による大幅な需要の減退から,年間粗鋼生産量を3600万トンに圧縮する方針に基づいて主要な設備を休止した。
広畑製鐵所においても,昭和54年7月に電気炉,同年8月に厚板工場と第2コークス炉,昭和56年9月にペレット工場がそれぞれ休止された。
(イ) 人員対策
被告は,全社で320名の所間転勤を実施した。広畑製鐵所からは,105名が他の製鐵所に所間転勤したほか,488名が所内配転(室・工場を越えて職場が変わることをいう。掛が代わったケースは配置換えという。)となっており,うち合計132名は,特定整備課と安全衛生課に異動している。また,雇用安定資金制度の訓練調整給付金の適用を受け,教育訓練を実施したり,他の会社に社員を派遣するなどの人員対策も実施した。
なお,特定整備課とは,広畑製鐵所においては,昭和54年4月,余力人員対策の一環として,設備部門の専門技能を習得し,その活用を図ることを目的として発足したものであるが,昭和57年7月には発展的に解消され,中央整備部門に吸収されている。
イ 第2次合理化計画
第2次合理化計画は,昭和57年から昭和58年までの2年間で実施された。
(ア) 計画内容
被告は,昭和55年から昭和56年にかけて発生した第2次オイルショックによる大幅な需要の減退から,年間粗鋼生産量を更に落として2700万トンから2800万トン規模にするため,急遽,主要設備を休止した。
広畑製鐵所においても,昭和57年11月に第3高炉,昭和58年12月に第1製鋼工場と第2分塊工場がそれぞれ休止された。
(イ) 人員対策
広畑製鐵所においては,第3高炉の休止に伴い約100名の余力人員が発生したほか,第1製鋼工場及び第2分塊工場の休止に伴い,付帯部門も含めて約80名の余力人員が発生し,教育訓練,所間転勤等の人員措置が取られた。
ウ 第3次合理化計画
第3次合理化計画は,昭和59年から昭和61年までの3年間で実施された。
(ア) 計画内容
第2次合理化計画は,緊急対応で実施したものであるが,当時は中長期的に見ても需要が増加しないということから,被告は,年間粗鋼生産量を2700万トンから2800万トン規模と想定し,これに見合った形にするため,主要設備を休止していった。
広畑製鐵所においては,昭和59年11月に連続熱延工場,昭和60年3月に大形工場,昭和62年2月に第1コークス炉がそれぞれ休止された。
(イ) 人員対策
昭和58年11月から2年間余りの間に,被告は,978名の所間転勤を実施した。
広畑製鐵所においては,連続熱延工場の休止で約140名の余力人員が発生したほか,大形工場の休止で約360名の余力人員が発生し,昭和58年11月から2年余りの間に,合計141名が所間転勤となり,ほぼ全室・工場において所内配転が実施され,合計474名が所内配転とされたほか,40名が所外応援とされた。
また,合理化の対象となる室蘭,釜石,堺,広畑,光の5つの製鐵所においては,被告の本社の指示の下に,各種設備の休止に伴う余力人員の人材活用策を検討する人材活用策検討グループが設置され,同グループにおける検討の結果,大形工場の休止に伴う人員活用策の一環として,昭和60年1月には機械設備の解体・撤去作業を主業務とする設備班解体グループが28名で,同年7月には設備の寿命延長ときれいな職場作りを主業務とする設備班塗装グループが26名でそれぞれ発足した。
エ 中期総合計画
中期総合計画は,昭和60年度から平成2年度までに実施された。
(ア) 計画内容
わが国の鉄鋼業界においては,昭和60年9月のプラザ合意以降,大幅かつ急激な円高の進行により大きな打撃を受け,国際競争力が失われて輸出が激減し,国内においても,鉄の需要が減退したことに加えて,販売価格も低落して経営危機に陥り,粗鋼生産量は,昭和61年度には更に2500万トン台にまで落ち込んだ。
被告は,平成2年度には全国の粗鋼生産規模が年間9000万トン程度になるという見通しの下に,被告の年間粗鋼生産量を2400万トン規模と予測し,これに見合った生産設備体制へ移行するべく,諸設備を休止・集約し,要員の合理化や経費削減等を実施する計画を立てた。
具体的には,当時稼働していた13基の高炉のうち,室蘭,釜石,広畑(第4高炉),堺の4か所の高炉及び八幡製鐵所にある2基の高炉のうち1基を休止するというものであったが,焼結工場,コークス工場,鉄鋼関係の関連工場等も休止することとなり,全社で約7000人の要員を削減するとともに,更に各種の合理化や効率化を図り,平成2年度末までには合計約1万9000人の要員削減を図ろうとするものであった。
また,製鉄事業の抜本的な体質強化を図り,製鉄事業以外の複合経営事業を積極的に展開し,多角化を図ることもその施策の一つとされた。
なお,第4高炉は,昭和64年度上期に休止する予定であったが,昭和63年度後半からのバブル景気の影響を受けて需要回復が見られたため,実際に第4高炉が休止されたのは平成5年6月27日であった。
(イ) 人員対策
広畑製鐵所においては,高炉及び関連工場等の休止により,2000名を超える余力人員が発生することになり,他の製鐵所への所間転勤,臨時休業,外部企業への出向等が実施された。
その結果,広畑製鐵所においては,昭和62年度以降,平成7年11月までの間に,374名が所間転勤になったほか,2143名が他社に出向,561名が所内配転となった。他社に出向した者のうち,広畑製鐵所の中で安全や衛生管理に関する活動を行う広畑安全衛生協力会の会員会社(広畑製鐵所に隣接した地域で製鐵所に関わる業務を行っている会社)に出向した者が1476名であった。
(ウ) 労働組合との協議
被告は,昭和62年2月13日,新日鐵労働組合連合会(新日鐵労連)及び新日本製鐵広畑労働組合(広畑労組)に対し,中期総合計画の内容を提示したところ,組合側は強く反発したが,本社と新日鐵労連との間における臨時経営審議会や,広畑製鐵所と広畑労組との労使協議を経て,同年5月20日には新日鐵労連が提案を基本的に了解し,広畑労組もまた,同月21日にこれを了承した。
オ その後の合理化計画
被告においては,中期総合計画の後を受け,各種構造改革を実施して製鉄事業の競争力を強化するとともに,複合経営の本格的推進を柱として,新中期総合経営計画(平成3年度から平成5年度まで),第3次中期経営計画(平成6年度から平成8年度まで),中期経営方針(平成9年度から平成11年度まで),中期連結経営計画(平成12年度から平成14年度まで)が策定され,実施された。
(4) 第4クラフト設立の概要(甲1,13,乙37,42ないし44)
ア 新設備班の再編成
昭和60年1月に機械設備の解体・撤去作業を主業務とする設備班解体グループが発足したこと,同年7月に設備の寿命延長ときれいな職場作りを主業務とする設備班塗装グループが発足したことは前記のとおりであるが,昭和63年4月,中期総合計画に基づき,組織簡素化の一環として,工作関係の業務を行っていた設備部機械整備室の工作掛が廃止されたことから,それにより生じた技能者の人材活用と設備班の一層の充実を目的として,上記2グループを一体化し,新設備班が再編成された。
イ クラフトセンターの設立
(ア) 昭和63年4月に再編成された新設備班は,設備部機械工事室の中の特定プロジェクトであり,組織上はあくまで製鉄事業の一部門として位置づけられていたが,実際には,製鉄事業とは関わりのない新規事業に属する業務を相当部分行っていたため,新規事業をいわゆる製鉄事業から完全に切り離し,新規事業対応の体制を明確化すること,高炉関係の設備が休止する予定があり,大量の余剰人員に対する受皿職場として体制を整備することなどを目的として,新設備班を独立した組織に改編し,独立採算で管理運営を進めるため,昭和63年11月,クラフトセンターが発足した。
平成元年4月には,電気計装クラフト班が設けられ,電気及び計装技術に関するクラフト業務にも対応できる体制が整えられた。
(イ) クラフトセンターの理念
a クラフトセンターという名にふさわしい技を磨き,活力ある技能集団を育成し,価値ある業務の実行と成果の発揮
b 技能・効率を最大限発揮し,市場性あるコスト競争力の向上
c 技能向上教育システムの確立と実行
多能工化志向,構外で売れる技能,資格の育成,職種転換教育,素人の短期戦力化技能教育システム
d 中期総合計画実行及び定着化のため余力受入の基盤作りを推進する。
(ウ) 業務内容
a 機械整備固有の技術・技能を新規事業(エンジニアリングセンター業務を含む。)に活用しやすい体制とし,一層の事業拡大と業務効率向上を図る。
b 中期総合計画の実行及び定着化のため,余力人員受入れの基礎作りを推進し,部内における余力人員活用策の円滑な実行を促進する。
c 室内における生産設備の整備機能と新規事業対応関係を切り離し,上記目的を効率的に遂行する。
(エ) 構成(平成元年4月当時)
a 第1クラフト(16人)
消防設備や高圧ガス施設の点検・検査,建築営繕,広畑エンジニアリングセンターで受注した物件等の処理
b 第2クラフト(28人)
鋼材等の加工組立てによる製缶品製造,もえ炉(家庭用焼却炉)の製作
c 第3クラフト(30人)
構内の遊休設備の解体をする仕事,構内の建屋・設備の塗装(もえ炉の塗装を含む。)
d 電気計装クラフト(5人)
電気・計装工事,診断,企画
(オ) なお,クラフトセンターの設立と前後して,エンジニアリングセンターとFAシステムセンターが発足した。エンジニアリングセンターは昭和62年7月に設置され,各種工事,修理等の業務の営業活動や契約活動を行った。
また,FAシステムセンターは,当時成長著しかった制御用計算機関係の事業を積極的に展開するため,昭和63年11月に発足した。
ウ 第4クラフトの設置
平成元年7月,クラフトセンター内の役割分担を見直し,第2クラフト及び第3クラフトから製缶品製作,もえ炉製作,塗装の各業務を集約し,第4クラフトが設けられ,同年1月からクラフトセンターにおいて研修を受けていた原告P2,原告P3及び原告P4を含む15名が配置された。
なお,第4クラフトの発足に当たり,被告ないし広畑製鐵所が事前に労働組合や従業員に何らかの説明をしたことはなかった。
エ 電気計装クラフトの解消,業務移管
平成2年12月,電気計装クラフトが第1クラフトに統合されたほか,第1クラフトが行っていた建築営繕は,第3クラフトへ移管された(なお,電気計装関係の業務は,平成4年に広畑エンジニアリングセンターに移管された。)。平成4年2月13日の時点における各班の業務内容は,次のとおりである。
(ア) 第1クラフト(9名)
消防用設備点検,地下タンク漏洩検査,各種非破壊検査,各種電気工事,電気設備のメンテナンス
(イ) 第2クラフト(24名)
各種製缶品製作,CAD,機械加工
(ウ) 第3クラフト
a 解体グループ(12名)
解体,定修工事応援(2回/月)
b 塗装グループ(19名)
塗装,建築・営繕
(エ) 第4クラフト(29名)
製缶品製作,もえ炉製作,塗装
オ 第1クラフトの解消,業務移管
平成8年3月には,第1クラフトが行っていた保安検査業務が関連会社のニッテツ・ビジネスプロモート関西に移管され,第1クラフトは解消された。
カ 第4クラフトの解消,解体業務の移管,クラフトセンターの再編成
平成9年4月1日には,第3クラフトが行っていた業務のうち,解体作業が関連会社の太平工業に移管され,第2,第3及び第4クラフトも解消されたので,クラフトセンターに残された製缶業務と塗装(建築営繕を含む。)について,職場の再編成を行い,残った人員を職務別に分けて,製缶グループと塗装グループの2つに再編成した。
キ 人員の推移
クラフトセンターの人員は,昭和63年4月に再編成された新設備班から移行してスタートした時点では71名であったが,昭和63年に29名,平成元年に20名,平成2年に2名,平成3年に原告P5を含めて10名,平成4年に原告P1を含めて5名,平成5年に25名の合計91名がクラフトセンターに所内配転された。
(5) 広畑製鐵所の労働組合
ア 労働組合の組織(甲102,乙6の1・2)
被告の労働組合は,各製鐵所ごとの労働組合(単組)から成り,連合体として新日鐵労働組合連合会(新日鐵労連)を組織しているが,新日鐵労連は,鉄鋼労連に加盟し,日本労働組合総連合会(連合)の傘下にある。新日本製鐵広畑労働組合(広畑労組)は,新日鐵労連の一労働組合(単組)である。
広畑労組には,それぞれの部・工場に対応して,各職場単位で組織された支部が10支部(平成7年11月1日当時は14支部)あり,支部の下には更に分会という組織が置かれている。
イ 被告が認識する広畑製鐵所の労働組合の歴史として,「広畑製鐵所三十年史」(甲27)には以下のとおり記載されている。
「(ア) 組合結成から再開まで(昭和20年から昭和25年)
わが国の労働組合は,終戦と同時に連合軍の組合政策のもとで誕生したが,当所においても昭和20年12月15日に当時の工員を対象として広畑製鐵労働組合が発足し,翌22年1月12日には職員を対象に広畑製鐵勤労組合が結成され,組合運動がスタートした。
この時期における当所の組合運動は,共産党の指導下で次第に過激化していった労働運動をよそに,良識的な組合幹部の指導のもとに穏健な運動が行われた。なお,昭和22年12月10日労働組合と勤労組合が一体化して今日の組合に至っている。
(イ) ようらん期(昭和25年から昭和32年)
昭和25年4月1日,日本製鐵の解体に伴い当所労働組合は富士製鐵労働組合連合会の一単組として新しくスタートし,次第にその組織体制を固め組合運動はようらん期に入った。
当時は朝鮮動乱発生(昭和25年6月)後1年目で,日本経済は特需ブームを契機に活況を呈していた。しかし,朝鮮動乱ブームも長くは続かず,昭和26年6月の休戦成立によって次第に退潮し日本経済は昭和28年ころから反動不況へと進み,組合運動にも大きな影響を与えた。すなわち昭和31年の賃上げ闘争で当所労働組合は4波・延べ13日のストライキを実施した。また,昭和32年秋の賃上げ闘争では鉄鋼労連の統一闘争の中で闘いを進めていったが,鉄鋼不況などもあって他組合と同様好回答は得られず,全面8波・19日の長期ストを実施したが,結局ゼロ回答のまま終わらざるを得なかった。昭和33年1月に執行部は役員選挙においてこの責任を追及される形となり,三役全員が不信任となった。
(ウ) 49日ストとその後(昭和33年から昭和41年)
昭和33年4月に三役全員不信任のあとを受けて新執行部が誕生した。この時期は,再開後採用された戦後派の新しい組合員層を代表する新役員が,旧日鐵時代の役員に代わって組合運営の主導権をとりはじめた時期であった。それだけに,なかには一部過激分子が含まれているなど新執行部は必ずしも意思統一されたものとはいえなかった。こうした新旧世代の交代の混乱期に起こったのが,広畑労働組合史上最大の不祥事である昭和34年の49日ストである。
この年,鉄鋼労連ははじめて春闘に参加し統一闘争をかまえたが,当初から鉄鋼労連内部に足並みの乱れが生じ,住友金属と神戸製鋼のスト権委譲不成立という事態の中で進めざるをえなかった。更に途中から八幡製鐵の脱落などもあって,昭和34年春の闘争は実質的には当社と日本鋼管の2社のみによる長期ストとなった。しかし,49日にわたって続けられた長期ストもその効果なく4月20日解除されたが,この失敗は「長期ストは決して労使双方に利益をもたらすものではなく大きな傷あとのみを残すものだ」という貴重な教訓を残した。
この後,8月の役員改選で,長期ストの一因となった過激分子を排除した執行部が誕生し同時にこれを支援するための戦後派活動家による新しい組合内グループ(後に同志会と名のる)を結成し,次第にその勢力を拡大していった。しかしこのグループは当時安保問題と三池争議などを機に更に政治色を強めた。総評の路線に次第に近づくようになり「職場に組合を」を合いことばに昭和36年に総点検運動,昭和37年に一点闘争等と職場闘争を推し進めていった。また会社の提案した要員問題,職務給新設(昭和37年7月),作業長制度(昭和39年3月),新勤務制度(昭和39年5月)などに対しても,合理化反対を唱えて力を背景にした抵抗闘争の姿勢をかまえ,更に昭和40年春には「広畑単独スト方針」を打ち出すなど次第に過激化していった。一方鉄鋼労連内においても,社党協組織にのる当所労働組合幹部は大手各労働組合との協調を欠いて孤立化していった。この間,大手各労働組合が穏健化したことから春闘は大きな波乱はなく,昭和36年,昭和38年,昭和40年にそれぞれ24時間ストが行われたにとどまったが,この中でも当所労働組合の高姿勢がめだった。このころからこのような組合の方針に対する批判の声が出はじめ,各職場に良識活動家が台頭してきた。
(エ) 組合運動の転換(昭和41年から現在)
これまで政府の高度経済成長政策のもとで,著しい発展を遂げてきた日本経済も,昭和30年代後半から現在にかけて,貿易と資本の自由化という新しい事態に直面し,きびしい国際競争の中に立たされることになった。こうした状況下で体質改善を迫られることになった日本経済は,技術革新,企業の合理化,再編成などを積極的に進めていった。
この新しい情勢の変化は労働運動にも大きな影響を与え,組合員の意識構造の変化なども相まって,従来の階級対立観に基づく総評流の考え方は次第にいきづまりをみせはじめた。
当所においても,これらの事情を反映して,組合刷新運動が良識層グループを中心に活発となった。こうした情勢下で昭和41年の役員選挙が行われ,同志会は良識層グループと組んで社共連合を破って主導権を維持し,当面の事態の転換を図ったが基本的な組合の体質改善にはならかった。
そこで以後も刷新運動は続行され,昭和43年の役員選挙における労働組合主義者グループの同志会に対する圧倒的勝利をもって,はじめて当所労働組合の体質改善が図られたのである。新しく誕生した執行部は団体交渉を重視し,労使双方の平和的な話し合いによって労働条件の向上を図っていくことを基本方針として打ち出し,新しい組合運動を展開していこうとしている。」
(6) 原告ら共産党員及びその同調者の活動(甲A1,B1,C1,D1,E1)
ア 職務給・職能給の導入,新勤務制度の確立等への反対
原告ら共産党員及びその同調者は,昭和37年から昭和42年にかけて導入された職務給・職能給,作業長制度,新勤務制度等の合理化案について,問題点を指摘し,反対の門前ビラを配布するなどの活動を行った(甲60)。
イ 昇格制度(予備試験)に対する批判活動
(ア) 共産党員であるP7は,昭和47年の第25期組合役員選挙において本部執行委員に立候補し,選挙広報において,部・課・工場の予備試験をやめさせ,対象者全員に所内試験を受けさせることを提案した(甲52)。
(イ) 原告らの所属する日本共産党広畑製鐵所委員会は,「民報ひろはた日曜版」において,人事制度について,賃金制度と密接な関係がある人事制度は,会社が組合員を差別し分裂支配するための道具であると主張し,①思想・信条・性別・職業・職務区分による差別の禁止,②資格昇格に最年長滞留年数を設置すること,③昇格試験は推薦制度を廃止して厳正公正なものとし,有資格者全員が受験できるようにすること,④ペーパーテストの比重を軽くし,知識・熟練を基準とし,回答については正解を本人に知らせること,⑤昇格の時期は1月とすること,⑥試験の内容は労働問題,思想調査のような内容はさせないこと,⑦昇給・一時金の資格区分間の格差をなくすことを提案している(甲133)。
(ウ) 原告P5,P8,P9ら共産党員は,昭和52年ころ,「資格制度の公正妥当な運用のために-私たちの提案」と題するビラを配布し,資格制度及び主事昇格のための広畑製鐵所の試験の問題点を指摘したほか,主事昇格のための予備試験が協約にないものであり,その結果が本人に正確に返されないために,昇格見送りの会社の口実に使われていることから,これをやめさせるべきである旨を提案した(甲35)。
ウ 設備休止に対する反対運動
原告ら共産党員及びその同調者は,昭和53年10月に提案された広畑製鐵所の厚板工場を始めとする8設備の休止とそれに伴う人員対策や,昭和60年の大形工場休止の提案に反対し,門前ビラや職場新聞を配布するなどの反対運動を行った(甲60)。
エ 安全闘争
(ア) 原告ら共産党員及びその同調者は,昭和43年11月,広畑製鐵所で働くP10が,小捲作業中,小捲の過捲防止装置(リミットスイッチ=安全装置)が作動せず,ワイヤーロープの切断により滑車が落下し,下にいた労働者を死亡させたものとして略式起訴されたが,正式裁判で無罪を主張した事件について,「P10守る会」を結成して裁判闘争を支援した(甲53)。
(イ) 原告らは,昭和55年12月,溶鋼スラグV・S・C吸引テスト中に8名が重軽傷を負った爆発事故について,職場新聞「溶鋼」において,被告の安全管理のあり方を問題とし,予防策等を提言した(甲E31ないしE42)。
(ウ) 広畑製鐵所の従業員であり,共産党員であるP7は,昭和63年11月24日に発生した製鋼工場連鋳掛における死亡災害に関し,労働基準監督署に対し,広畑製鐵所に対する指導を要請する申入れをした(甲23)。
(エ) 原告らは,平成2年10月14日付けの職場新聞「明日の高炉」において,同月9日に広畑製鐵所の製鋼工場転炉掛で起こった死亡災害について報じるとともに,広畑製鐵所の労務安全対策を批判した(甲49)。
オ 「中期総合計画」への反対運動
(ア) 昭和61年12月25日に被告が広畑製鐵所を含む高炉の休止を計画していることが明らかになると,姫路市内においても高炉存続を求める各種運動が展開され,姫路市議会本会議においても「高炉存続を求める決議」が全会一致で採決された。
原告らもまた,「高炉存続を求める市民の会」や「雇用と人権を守る交流集会実行委員会」などの団体を結成し,原告P2は同委員会の委員長に就任した。同委員会は,昭和62年2月13日には反対集会を開き,「新日鐵の合理化計画を撤回させるため,団結しよう」との趣旨の決議とアピールを採択した(甲122ないし126,B6)。
(イ) 原告ら共産党員及びその同調者は,平成5年2月12日には,被告ないし広畑製鐵所に対し,第4高炉の存続と未利用地の活用等を求める申入れをしたほか,同年6月30日には,高炉休止を容認した姫路市長に対する抗議を申し入れている(甲24ないし26,83)。
カ 機関誌活動
原告ら共産党員は,昭和43年ころから,「ハンマー」,「鉄のなかま」,「かがり火」,「明日の高炉」,「溶鋼」などの職場新聞を通じて,春闘,一時金闘争,合理化問題,賃金制度問題,要員問題,労働災害問題等,職場の問題を取り上げ,その主張を訴える宣伝活動をしており,原告P5は「明日の高炉」の編集委員をしていた(甲16,20,41ないし51,60,83,94,E43,E44)。
キ 門前ビラの配布,春闘時のアンケート調査の実施
原告ら共産党員は,日本共産党の政党ビラを門前で配布していたほか,その同調者らとともに,資格制度に関する提案,職場に組合をつくるための提案,春闘勝利と組合民主主義を確立するための提案をする門前ビラを配布したり,組合員に対するアンケートを実施するなどの活動を行っていた。
(7) 原告らの職歴
ア 原告P1(甲A1,A12ないしA14,原告P1)
(ア) 経歴
原告P1は,昭和34年富士製鐵広畑製鐵所に日々雇用現業員として入社し,昭和35年2月に正規の作業員に採用された者であるが,その経歴は以下のとおりである。
昭和34年10月  富士製鐵広畑製鐵所に日々雇用現業員として入社
昭和35年2月  正規の作業員(本工)に採用
熱延部鋼片課機械運転掛起重機職場(起重機運転士)
昭和49年1月  熱延部鋼片工場精整掛東浜職場(検査工)
昭和50年4月1日  主担当に昇格
昭和58年6月  熱延部鋼片工場精整掛2精整職場(検査工)
昭和59年1月  製鋼部製鋼工場精整掛東浜職場(検査工)
昭和59年6月  製鋼部製鋼工場精整掛第1スラブ精整職場(検査工)
昭和60年3月  製鋼部製鋼工場精整掛第2スラブ精整東浜職場(検査工)
昭和63年10月  製鋼部製鋼工場連続鋳造掛精整CCヤード職場(検査工)
平成元年3月  製鋼部製鋼工場連続鋳造掛精整東浜ヤード職場(検査工)
平成元年12月  製鋼部製鋼工場連続鋳造掛カッター職場(オペレーター)
平成4年6月1日  設備部クラフトセンター第4クラフト職場(塗装工)
平成9年4月1日  設備部クラフトセンター塗装グループ
平成13年3月  年満退職
(イ) 教育受講歴,表彰歴,資格取得歴
a 社内教育
(a) 中級専門講座「電気制御」(昭和47年9月から同年12月)
(b) 専門講座「機械の基礎」(昭和48年3月から同年6月)
(c) 「なぜなぜコース」(昭和51年10月から同年11月)
(d) 「IE・QCの基礎」(昭和55年5月から同年10月)
(e) 専門技術講座「銑鋼一貫工程」(昭和56年7月から同年11月)
(f) システム設計講座「№1コンピューター入門コース」(昭和58年5月から昭和59年2月)
b 通信教育
(a) 「連続鋳造法」(平成2年11月から平成3年3月)
(b) 「シーケンス制御の実際」(平成3年6月から同年10月)
c 特別安全衛生教育
(a) 「粉じん作業」(平成4年11月25日)
(b) 「低圧充電路の開閉器・操作」(平成4年12月8日)
(c) 「酸素欠乏危険作業」(平成7年2月2日)
(d) 「振動工具の取扱い」(平成7年2月14日)
d 表彰歴
(a) 改善提案で部長表彰(昭和48年4月20日)
(b) 多数提案累積点300点で表彰(昭和56年5月1日)
(c) 多数提案累積点600点で表彰(昭和56年9月1日)
(d) 多数提案累積点1000点で表彰(昭和57年2月1日)
e 資格取得歴
(a) 天井走行クレーン運転免許取得(昭和35年7月)
(b) 原動機付自転車運転免許取得(昭和45年4月28日)
(c) 危険物取扱主任者免許乙種第4類取得(昭和45年5月27日)
(d) ガス溶接許可証交付(昭和46年11月19日)
(e) 普通自動車運転免許取得(昭和47年4月6日)
(f) アーク溶接許可証交付(昭和49年8月1日)
(g) 高所作業車運転技能講習修了証交付(平成11年1月26日)
イ 原告P2(甲B1,B2,B7,B8,原告P2)
(ア) 経歴
原告P2は,昭和31年10月2日,富士製鐵広畑製鐵所に入社した者であるが,その経歴は以下のとおりである。
昭和31年10月2日  富士製鐵広畑製鐵所に入社
冷延部冷延課機械運転掛ロール整備職場
昭和49年4月1日  主担当に昇格
昭和64年1月1日  設備部クラフトセンター
平成元年7月1日  設備部クラフトセンター第4クラフト職場(製缶工)
平成9年4月1日  設備部クラフトセンター塗装グループ
平成9年9月  年満退職
なお,冷延部冷延課は,昭和57年4月1日に冷延電磁部冷延工場に,昭和58年11月1日には冷延電磁部錫メッキ工場に,昭和60年6月28日には薄板部錫メッキ工場に組織変更されている。
(イ) 教育受講歴,表彰歴,資格取得歴
a 基礎学科講座
高校数学(昭和56年4月)
b 特別安全衛生教育
(a) 「粉じん作業」修了(平成3年9月)
(b) 「低圧充電路の開閉器・操作」修了(平成3年9月)
(c) 「酸素欠乏危険作業」修了(平成4年7月)
(d) 「振動工具の取扱い」修了(平成7年2月)
(e) 「巻上機運転」修了(平成8年10月)
c 表彰歴
多数提案累積点300点で表彰(昭和56年12月)
d 資格取得歴
(a) 起重機運転士免許取得(昭和36年7月)
(b) 危険物取扱主任者免許乙種第4類取得(昭和46年5月)
(c) ガス溶接技能講習修了証交付(昭和50年7月)
(d) 自動研削砥石の取替・機動装置の運転特別安全教育認定証交付(昭和51年6月)
(e) アーク溶接作業特別安全衛生研修証交付(平成元年2月)
ウ 原告P3(甲C1ないしC3,原告P3)
(ア) 経歴
原告P3は,昭和37年10月10日,富士製鐵広畑製鐵所に入社した者であるが,その経歴は以下のとおりである。
昭和37年10月10日  富士製鐵広畑製鐵所に入社
冷延部冷延課機械運転掛ロール整備職場
昭和52年4月1日  主担当に昇格
冷延電磁部冷延工場機械運転掛クレーン職場
昭和64年1月1日   設備部クラフトセンター
平成元年7月1日  設備部クラフトセンター第4クラフト職場(製缶工)
平成9年4月1日  設備部クラフトセンター製缶グループ
(イ) 教育受講歴,表彰歴,資格取得歴
a 社内教育
(a) 「IE・QCの基礎」
(b) 「電気の基礎」
b 特別安全衛生教育
(a) 「自動研削砥石取扱い」
(b) 「軌道装置運転」
(c) 「粉じん作業」
(d) 「酸素欠乏危険作業」
(e) 「振動工具の取扱い」
(f) 「巻上機運転」
(g) 「有機溶剤取扱い」
(h) 「低圧充電路の開閉器・操作」
c 表彰歴
(a) 所内救急法競技会で最優秀チーム(優勝)賞を受けた冷延工場チームの代表選手のキャプテンを務めた(昭和48年)。
(b) 広畑製鐵所創立40周年安全標語募集の応募作品が佳作に選ばれ,表彰を受けた(昭和55年)。
d 資格取得歴
(a) 普通自動車運転免許取得(昭和39年)
(b) クレーン運転免許取得(昭和45年)
(c) ガス溶接技能講習修了証交付(昭和45年)
(d) 救急法指導員資格(昭和48年)
(e) フォークリフト運転技能講習修了証交付(昭和54年)
エ 原告P4(甲D1,原告P4)
(ア) 経歴
原告P4は,昭和34年2月25日,富士製鐵広畑製鐵所に入社した者であるが,その経歴は以下のとおりである。
昭和34年2月25日  富士製鐵広畑製鐵所入社
熱延部連続熱延課機械運転掛ロール整備職場
昭和50年4月1日  主担当に昇格
昭和59年12月1日  熱延部連続熱延工場精整掛厚板シャー職場
昭和64年1月1日  設備部クラフトセンター
平成元年7月1日  設備部クラフトセンター第4クラフト職場(塗装工)
平成9年4月1日  設備部クラフトセンター塗装グループ
平成12年7月1日  年満退職
(イ) 教育受講歴,表彰歴,資格取得歴
a 特別安全衛生教育
(a) 「巻上機運転」(昭和57年6月15日)
(b) 「自動研削砥石取扱い」(昭和58年11月7日)
(c) 「アーク溶接作業」(平成元年2月27日)
(d) 「5トン未満クレーンの運転」(平成2年12月13日)
(e) 「酸素欠乏危険作業」(平成3年4月27日)
(f) 「粉じん作業」(平成3年6月8日)
(g) 「低圧充電路の開閉器・操作」(平成4年1月24日)
(h) 「ゴンドラ取扱い」(平成4年12月7日)
(i) 「振動工具の取扱い」(平成7年2月14日)
b 表彰歴
(a) 球技を通じ青少年の健全育成に貢献したものとして財団法人網干隆善会より表彰(昭和63年5月17日)
(b) 勤続30年で被告より表彰(平成元年4月1日)
(c) 15年にわたりスポーツ少年団の指導育成に尽力,社会体育の普及に貢献したものとして,姫路市教育委員会より表彰(平成7年10月29日)
(d) 多年にわたり青少年の健全育成とスポーツ少年団の発展に尽力したものとして,同少年団から表彰(平成6年3月27日)
(e) 多年にわたり子供会や地域の活動に尽力したものとして,財団法人姫路揚善会より表彰(平成10年11月17日)
(f) 20年にわたり姫路リトルソフトの発展に尽力したものとして姫路リトルソフト連盟より表彰(平成11年3月7日)
c 資格取得歴
(a) 普通自動車運転免許・大型自動2輪運転免許取得(昭和37年11月12日)
(b) 玉掛技能講習修了証交付(昭和45年8月1日)
(c) 危険物取扱主任者免許乙種第4類取得(昭和46年4月24日)
(d) 大型第2種免許取得(昭和49年2月4日)
(e) ガス溶接技能講習修了証交付(昭和52年12月10日)
(f) 高所作業車運転技能講習修了証交付(平成4年9月10日)
オ 原告P5(甲E1,原告P5)
(ア) 経歴
原告P5は,昭和35年6月,富士製鐵広畑製作所に入社した者であるが,その経歴は以下のとおりである。
昭和35年6月  富士製鐵広畑製鐵所に入社
昭和35年7月  製鋼部造塊課造塊掛鍋整備職場(造塊工)
昭和35年10月  製鋼部転炉課造塊掛注入職場(造塊工)
昭和42年12月  製鋼部第1製鋼工場造塊掛鍋整備職場(造塊工)
昭和50年4月1日  主担当に昇格
昭和50年ころ  製鋼部第1製鋼工場造塊掛注入職場(造塊工)
昭和58年12月  製鋼部造塊課造塊掛インゴットケース職場(造塊工)
昭和60年ころ  製鋼部製鋼工場造塊掛鍋整備職場(造塊工)
平成2年9月  製鋼部製鋼工場レードル精錬掛第一次精錬混銑炉職場(転炉工)
平成3年4月1日  設備部クラフトセンター第4クラフト職場(塗装工)
平成9年4月1日  設備部クラフトセンター塗装グループ
平成12年7月1日  年満退職
なお,レードル精錬掛は昭和63年7月の組織改正により転炉掛に統合された。
(イ) 教育受講歴,表彰歴,資格取得歴
a 特別安全衛生教育
(a) 「5トン未満クレーン運転」(昭和50年11月)
(b) 「低圧充電路の開閉器・操作」(昭和51年11月)
(c) 「充電電路の点検修理」(昭和51年11月)
(d) 「酸素欠乏危険作業」(昭和52年1月)
(e) 「粉じん作業」(平成3年9月)
b 資格取得歴
(a) 普通自動車運転免許取得(昭和45年11月)
(b) 玉掛技能講習修了証交付(昭和46年5月)
(c) アーク溶接許可証交付(平成3年8月)
(8) 原告らの組合活動歴等
ア 原告P1(甲A1,原告P1)
(ア) 原告P1は,ユニオンショップ協定により,本工として採用された昭和35年2月に自動的に組合員となったが,その後,起重機職場において組合活動の中心にいたP9の影響を受け,組合活動に興味を持つようになった。
(イ) 昭和38年ころから2年間は,組合の青年婦人部の起重機職場支部の幹事や掛代表幹事を務め,組合の学習会や職場間あるいは他社の労働組合との交流集会を開催するなどした。
(ウ) 昭和40年10月には日本民主青年同盟(以下「民青」という。)に加盟した。
(エ) 昭和40年から昭和43年8月までは,3期にわたり,鉄鋼労連広畑製鐵労働組合鋼片支部起重機職場の職場評議員を務め,3名の要員増を労働組合本部に要求したり,組合の共済組織が確立されるのを契機にして掛長を会長とする「親交会」という組織を脱退したほか,工場側が組合支部との合意を守らなかった場合には工場側に合意違反を追及して改善を約束させたこともあった。なお,昭和43年9月には,起重機職場の役員選挙に立候補したが,落選した。
(オ) 昭和44年11月には,日本共産党(以下「共産党」ともいう。)に入党した。
(カ) 昭和62年に第4高炉の休止を含む中期総合計画が提案された際の掛長単位の懇談会においては,工場長の発言に反論したこともあった。
イ 原告P2(甲95,B1,原告P2)
(ア) 原告P2は,昭和34年に行われた49日スト以降,組合活動とともに政治活動にも興味を持つようになり,昭和35年1月に日本共産党に入党した。
(イ) 昭和36年及び昭和37年には,組合の冷延支部で中央委員に立候補して当選し,賃金引上げ闘争や職場の合理化反対闘争に取り組んだり,作業長制度や新勤務体制,職能制度等の諸制度の導入に反対する意見を述べたりビラを配布するなどの活動を行っていた。
(ウ) 昭和45年,昭和47年,昭和49年,昭和51年,昭和53年,昭和55年,昭和57年には本部執行委員に,昭和59年には本部副組合長に,昭和61年には本部組合長に立候補し,いずれも落選した。
(エ) 昭和50年の姫路市議会選挙において,49日ストを指導したP8が日本共産党から立候補した際には,社宅や門前で思想信条,投票の自由を守ろうというビラを配布したり,同年3月11日には,広畑製鐵所に対して企業ぐるみの選挙をやめるよう公開質問状を提出したり,同年4月23日には,姫路市選挙管理委員会に対して選挙の公正についての申入れをするなど,企業ぐるみの選挙を批判する活動を行った(甲B3ないしB5)。
(オ) 平成5年5月30日に原告P1が第4クラフトへの配転を不服として兵庫県地方労働委員会に不当労働行為救済の申立てをした際には,「新日鐵広畑不当差別をなくす会」を結成し,学習会やビラ宣伝,署名活動等を行った。
ウ 原告P3(甲C1,原告P3)
(ア) 原告P3は,昭和37年11月5日,民青に加盟したほか,昭和38年2月8日には,日本共産党に入党した。
(イ) 昭和38年度には冷延支部の青年婦人部職場幹事,昭和39年度から昭和41年度までは本部幹事及びロール整備職場の職場評議員に選出された。また,昭和47年には支部委員補欠選挙に,昭和53年,昭和55年及び昭和57年には中央委員選挙に,昭和59年,昭和61年,昭和63年,平成2年及び平成4年には本部執行委員選挙に,平成6年及び平成8年には本部副組合長選挙にそれぞれ立候補したが,いずれも落選した。
(ウ) 昭和58年3月には,日本共産党公認で兵庫県議会議員選挙に飾磨郡選挙区から立候補したが,落選した。
エ 原告P4(甲D1,原告P4)
(ア) 原告P4は,昭和37年にロール整備職場の職場評議員に選出された。
(イ) 昭和37年9月には,日本共産党に入党した。
(ウ) 昭和53年,昭和63年,平成元年,平成5年,平成7年に本部中央委員に立候補したが,いずれも落選した。
オ 原告P5(甲E1,原告P5)
(ア) 原告P5は,ユニオンショップ協定により,入社と同時に自動的に組合員となった。
(イ) 昭和36年10月には,同郷の社内の友人に誘われて民青に加盟し,昭和37年2月には,日本共産党に入党した。
(ウ) 昭和37年からは,4期連続で注入職場の職場評議員に選出された。
(エ) 昭和37年から昭和39年,昭和41年から昭和43年,昭和47年,昭和57年,昭和59年,平成4年には,中央委員選挙にそれぞれ立候補したが,いずれも落選した。
(オ) 昭和50年9月には,日本共産党公認にてα町議会議員選挙に立候補したが,落選した。
(9) 原告らのクラフトセンターへの配転(甲103,乙72ないし75,証人P11,証人P12)
ア 原告P1(甲82,106,乙A2,証人P13)
原告P1は平成4年4月当時,製鋼部製鋼工場連続鋳造掛に所属し,カッター職場においてオペレーターとして稼働していたところ,同年6月1日にクラフトセンターに配転されているが,当時,連続鋳造掛からの配転が行われた経緯は,次のとおりである。
(ア) 広畑製鐵所は,平成4年4月ころ,同年6月1日付けで製鋼工場から2名,錫メッキ工場から1名,コークス工場から2名の合計5名をクラフトセンターに所内配転する方針を決めたが,当時,製鋼工場においては,協力会社である飯塚鉄鋼とケミプロ化成から同日付けで各1名の出向の要請を受けており,同日付けで合計4名を異動させる必要があった。
(イ) 製鋼工場の工場長及び3名の掛長によって構成される業務連絡会において検討した結果,同年4月下旬ころの時点において,転炉掛が1名,機械運転掛が1名,連続鋳造掛が4名の余力人員を抱えていたこと,連続鋳造掛においては,カッター職場及び操業床職場の合理化により,更に8名の要員削減が予定されていたことから,連続鋳造掛から合計4名を異動させることとなった。
(ウ) 連続鋳造掛の掛長であったP13掛長は,同年6月1日以降,合理化により,操業床職場で5名,カッター職場で6名,精整職場で1名の余力人員が発生する見込みであったことを考慮し,操業床職場から1名,カッター職場から2名,精製職場から1名を異動させることを決めた。
これにより,カッター職場及び精整職場から各1名が協力会社に出向し,操業床職場から1名が,カッター職場からは原告P1がそれぞれクラフトセンターに所内配転された。
イ 原告P2及び原告P3(甲95,96,乙B1,C1,証人P14)
原告P2及び原告P3は,昭和63年10月当時,ともに薄板部錫メッキ工場機械運転掛に所属し,原告P2はロール整備職場で,原告P3はクレーン職場で業務に従事していたところ,昭和64年1月1日にクラフトセンターに配転されているが,当時,上記両職場からの配転が行われた経緯は,次のとおりである。
(ア) 昭和63年当時,広畑製鐵所においては,中期総合計画の実施により薄板部門の体質強化を図ることが課題とされ,錫メッキ工場においても,合理化の一環として外注化が進められた。
ロール整備職場においては,直接生産・品質レベルに影響を及ぼす業務を直営が担当し,付随的な業務を外部の専門業者に委ねて効率化を図るため,従前機械運転掛で対応していた冷延ロール整備業務を株式会社吉川工業(以下「吉川工業」という。)に外注し,既に同社に外注されていた熱延ロール整備業務と一元管理を行うこととした。
クレーン職場においても,従前株式会社広畑鋼板工業(以下「広畑鋼板」という。)が対応していた切板運搬等のクレーン運転業務,ラムトラック・フォークトラック運転業務との間で要員の機動的運用(プール化)を行い,運搬におけるピーク対応力を強化するとともに設備管理の効率化を図るため,昭和64年1月,機械運転掛が対応していたクレーン運転業務を広畑鋼板に外注した。
(イ) これに伴い,ロール整備職場においては,55名中37名が吉川工業に,1名が他社にそれぞれ出向したほか,12名が工場内配転,原告P2を含む3名がクラフトセンターに所内配転,2名が退職となった。
また,クレーン職場においては,33名中15名が広畑鋼板に,5名が吉川工業に,1名が他社にそれぞれ出向したほか,8名が工場内配転,原告P3を含む3名がクラフトセンターに所内配転,1名が退職となった。
ウ 原告P4(甲119,120,乙D1,証人P15)
原告P4は,昭和63年12月当時,熱延部連続熱延工場精整掛厚板シャー職場に所属し,昭和64年1月1日にクラフトセンターに配転されているが,当時,精整掛からの配転が行われた経緯は,次のとおりである。
(ア) 昭和63年当時,広畑製鐵所においては,薄板部門の体質を強化することが課題とされ,熱延工場精整掛においても,抜本的な体質改善により競争力を強化するため,スリッター職場の外注化,中板シャーラインのシフトダウンと厚板シャーラインとの交互稼働による要員のプール化等を行い,段階的に職場の再編及び要員改訂を行った。
(イ) これに伴い,精整掛においては,昭和63年8月1日から昭和64年1月1日までに39名中30名が他社へ出向,2名が工場内配転(熱延掛への応援戻り),1名は事業開発推進部に,原告P4を含む4名がクラフトセンターにそれぞれ所内配転となったほか,2名が退職となった。
エ 原告P5(乙E1,証人P16)
原告P5は,平成3年3月当時,製鋼工場転炉掛混銑炉職場に所属し,同年4月1日にクラフトセンターに配転されているが,当時,混銑炉職場からの配転が行われた経緯は,次のとおりである。
(ア) 製鋼工場は,中期総合計画において予定された第4高炉の休止に伴い,休止の対象とされていたものであるが,各職場とも抜本的なコスト削減が求められ,組織の再編,統合及び人員削減措置が段階的に進められた結果,昭和62年4月当時393名であった製鋼工場の人員は,昭和63年7月には275名に,平成6年7月には119名に減少した。
転炉掛においても,平成2年2月1日当時の人員は90名であったが,平成4年9月30日には62名に減少した。そのうち混銑炉職場は,高炉が休止されるまでの間,継続稼働が予定されていたが,平成2年11月に炉内を点検,調査したところ,耐火物の損傷により,継続稼働させるには相当の費用を投じて補修をする必要があることが判明した。そこで,平成3年3月31日に混銑炉を休止し,溶銑移替指示業務についても,既に協力会社である産業振興に外注されていた溶銑準備業務との効率化を図るため,同社に外注することとし,混銑炉職場は廃止となった。
(イ) これに伴い,混銑炉職場に所属していた8名のうち工長3名が産業振興に出向,原告P5を含む5名がクラフトセンターに配転となった。
(10) 被告の人事制度の概要
ア 平成9年4月の改訂前の人事制度(甲137,乙61,63,77,79)
広畑製鐵所においては,昭和42年10月に資格制度を骨格とする社員人事制度が制定されているところ,平成9年4月の改訂前の人事制度の概要は,次のとおりである。
(ア) 社員人事制度制定の趣旨及び主な内容
a 全社員共通の資格区分を設けることによって,社員一体感の醸成を図る。
b 職務と職務遂行能力に基づく能力主義によって,社員の公正な処遇を図るとともに,社員に期待される能力を明確にして努力目標を与える。また,会社業務に精励恪勤する者については,その貢献度を処遇に反映させる。
c 社員の採用,配置,昇進,教育,給与等の人事管理上の必要性から,長期的予定配置区分として系列区分(技術職社員,主務職社員及び医務職社員)を設ける。
(イ) 資格区分
a 資格区分は職務層区分を基礎に設定する。
b 職務層区分は生産関連職務及びその他職務ごとにそれぞれ3区分設けるものとする。その基準は次のとおりである。
C分類 掛長から包括的に指示された業務処理方針に従い,単独で,又は下位者を指導もしくは統括しながら,高度かつ広範な専門的知識又は多年にわたる実務経験に基づき判断し企画し又は折衝することを必要とする複雑かつ困難な職務
B分類 掛長又は上位者から,やや具体的に指示された業務処理方法又は業務処理基準に従い,単独で,又は下位者を指導しながら,かなり高度な専門的知識又はかなり長い実務経験に基づき判断し企画し又は折衝することを必要とする職務
A分類 掛長又は上位者から具体的に指示された業務処理方法又は業務処理基準に従い通常の知識・経験に基づく判断を行う職務
c 職務層区分と資格区分の対応関係は次のとおりである。

職務層区分  資格区分  要件
生産関連職  作業長職務
作業長職務  C分類職務  統括主事  作業長又はC分類の職務を遂行するのに必要な経験・能力を有する者
工長職務  B分類職務  主事  工長又はB分類の職務を遂行するのに必要な経験・能力を有する者
一般職務  A分類職務  主担当  一般又はA分類の職務を優秀に遂行するに必要な経験・能力を有する者
担当  一般又はA分類の職務を標準的に遂行するに必要な経験・能力を有する者
担当補  一般又はA分類の職務を標準的に遂行するには経験・能力が十分でない者

(ウ) 初任資格
新規採用者の初任資格は,次のとおりとする。
a 定期採用者(学校卒業後直ちに所定の選考を経て採用された者)
(a) 大学(4年制)卒業者  主担当
(b) 高専卒業者  担当
(c) 高校卒業者  担当補
b 中途採用者
本人の経験,能力などを勘案の上,その都度定める。
(エ) 資格昇格
a 資格昇格は,毎年定期に4月1日付けで実施され,従事する職務,本人の経験,知識,技能,勤務成績,会社業務への貢献度等を総合勘案して所属長が推薦した者について,各資格区分の要件に従って,所定の選考を経た上で決定される。
なお,昇格は,本人の従事する職務に対応する資格区分の1段階上位の資格区分までの範囲内で運用する。
b 各資格区分への昇格の類型及び通常の者の経過年数は,次のとおりであるが,主担当から主事への昇格に関し,長期間職務に精励し会社業務に対する貢献度の高い者については,工長などの役職に就かなくても年満時までには主事以上への昇格の途が開けるよう配慮するものとされている。
区分 主事から統括主事への昇格
類型
①作業長又はC分類職務に従事し,その職務を標準的に遂行するに必要な経験・能力を有すると認められる者
②工長又はB分類職務に従事しているが,作業長又はC分類職務を遂行するに必要な経験・能力を有すると認められる者
③工長又はB分類職務に従事し,会社業務に来する貢献度が極めて高いと認められる者
区分 主担当から主事への昇格
類型
①工長又はB分類職務に従事し,その職務を標準的に遂行するに必要な経験・能力を有すると認められる者
②一般職務従事者のうち,工長次席(これに準ずる者を含む。)又はA分類職務従事者で,工長又はB分類職務を遂行するに必要な経験・能力を有すると認められる者
通常の者の経過年数 主担当として10年程度
③一般又はA分類職務に従事し,勤続25年以上で会社業務に対する貢献度が高いと認められる者
区分 担当から主担当への昇格
類型
①一般又はA分類職務に従事し,その職務を優秀に遂行するに必要な経験・能力を有すると認められる者
通常の者の経過年数 担当として7年程度
②一般又はA分類職務に従事し,担当として11年経過した者(ただし,主担当としての職務遂行に耐えないと認められる者を除く。)
区分 担当補から担当への昇格
類型
①一般又はA分類職務に従事し,その職務を標準的に遂行するに必要な経験・能力を有すると認められる者
通常の者の経過年数 担当補として2年程度
②一般又はA分類職務に従事し,担当補として5年経過した者(ただし,担当としての職務遂行に耐えないと認められる者を除く。)
c 選考は,所属長から推薦を受けた者について,上位資格区分の要件を満たすか否かを判定するために系列区分ごとに行う。選考は,各資格区分ごとに次のとおり行うが,担当から主担当への昇格及び担当補から担当への昇格における面接は,所属する部又は室(工場)で行うことがある。

昇格段階  考課  面接  筆記試験  論文審査
主事から統括主事への昇格 ○ ○   ○
主担当から主事への昇格 ○ ○ ○
担当から主担当への昇格 ○ ○
担当補から担当への昇格 ○ ○

※ ただし,担当から主担当への昇格に当たり,必要ある場合には作文を課することがある。
d また,選考は,日常の職務遂行を中心とする考課を主体とするが,各項目について,その内容を具体的に説明すると次のとおりである。
(a) 考課
日常の職務遂行の成果を通じて上位資格に対応する職務遂行能力を有するか否かを所属長が評価することにより行う。
(b) 筆記試験
職務に関する知識,鉄鋼業に関する知識,一般常識などについて行い,工長又はB分類の職務を遂行するに必要な能力を有するか否かを判定する。
(c) 論文審査
本人の職務に関する課題について,一定期間内にレポートを提出させ審査する。
(d) 面接
経験,能力や人物,識見などについて総合的に判定する。
e 主事への資格昇格試験
(a) 主事選考の筆記試験の課目は,社会常識(国語,社会,鉄鋼業及び作文),業務知識(労使関係,服務給与,安全管理及び環境管理),専門知識(課・工場単位で作成する専門的職務知識),職務基礎知識(IE・QCの基礎,鉄鋼一般を必須科目とし,機械の基礎,電気の基礎,計装の基礎のうち2科目を選択)であり,職務基礎知識に関しては,専門技術研修Ⅰ部(IE・QCの基礎,機械の基礎,電気の基礎,計測の基礎)を修了している者について免除する(教育修了科目については満点とする。)こととしていた。
(b) 主事への資格昇格は,広畑製鐵所として実施される資格昇格試験による選考を経てなされる。広畑製鐵所として実施される資格昇格試験は,所属長の推薦を得た者が受験するものとされていたが,所属長の推薦は,各室・各工場単位で実施される予備選考(予備試験)の結果に基づき行われることとなっており,予備選考を経なければ所の資格昇格試験を受験することはできなかった。
なお,原告らはいずれも主事昇格試験に合格したことがないが,予備試験に合格して所属長の推薦を得た者もいない。また,原告らはいずれも予備試験の受験について掛推薦を受けたことがなく,原告P3を除く原告らは,予備試験を受験したこともない。
イ 平成9年4月の改訂後の人事制度(甲135,138,190,乙62,64)
(ア) 社員人事制度の趣旨
a 社員一体の下での能力・活力の向上とその最大発揮を支援するとともに,個々人の処遇に的確に反映することを基本理念とする。
b 全社員共通の資格区分を設けることによって,社員に期待される能力を明確にして,努力目標を与える。
c 職務遂行能力・成果を基軸として社員の公正な処遇を図るとともに,会社業務に精励恪勤する者については,その貢献度を処遇に反映させる。
(イ) 資格区分
a 資格区分は職務層区分を基礎に設定する。
b 職務層区分は,社員に期待される職務遂行能力の段階を職務の類型として定めるものとし,専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力に応じ,次の3区分とする。
職務層区分  統括職務
定義  上司又は上位者から包括的に指示された業務処理方針に従い,職務遂行に必要な高度かつ広範な専門知識及び豊富な実務経験に基づき自ら業務課題を設定し,単独で又は下位者を指導・統括しながら,判断・折衝・実行することを必要とする職務
組織長  係長(改訂前の作業長)
職務層区分  基幹職務
定義  上司又は上位者から指示された業務課題に関する包括的な処理基準に従い,高度な専門知識及び実務経験に基づき具体的実行方案を企画するとともに,単独で又は下位者を指導しながら,判断・折衝・実行することを必要とする職務
組織長  主任(改訂前の工長)
職務層区分  一般職務
定義  上司又は上位者から指示された具体的実行方案に従い,通常の知識・経験に基づき判断・折衝・実行する職務
c 資格区分及び要件は,次のとおりとする。
資格区分  要件
統括主事  統括職務を遂行するに必要な専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力を有する者
基幹主事  基幹職務を優秀に遂行するに必要な専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力を有する者
主事  基幹職務を標準的に遂行するに必要な専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力を有する者
主担当  一般職務を優秀に遂行するに必要な知識,経験,判断力,折衝力,実行力を有する者
担当  一般職務を標準的に遂行するに必要な知識,経験,判断力,折衝力,実行力を有する者
担当補  一般職務を標準的に遂行するには知識,経験,判断力,折衝力,実行力が十分でない者
(ウ) 資格昇格
a 資格昇格は,毎年定期に4月1日付けで実施され,本人の従事する職務,各職務層の定義・各資格区分の要件と本人の専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力等を総合勘案の上,所属長が推薦した者について,所定の選考を経た上で決定する。
なお,昇格は,本人の従事する職務に対応する資格区分の1段階上位の資格区分までの範囲内で運用する。
b 各資格区分への昇格の類型及び通常の者の経過年数は,次のとおりである。
区分 基幹主事から統括主事への昇格
類型
①所定の選考・研修を経て係長職務に従事する者
②基幹職務を優秀に遂行する者のうち,統括職務を遂行するに必要な専門知識・実務経験・企画力・指導力・折衝力・実行力を有すると認められる者
③基幹職務を優秀に遂行する者のうち,会社業務への貢献度が著しく高く,上記に準ずると認められる者
区分 主事から基幹主事への昇格
類型
①基幹職務に従事し,その職務を優秀に遂行するに必要な専門知識・実務経験・企画力・指導力・判断力・折衝力・実行力を有すると認められる者
②基幹職務に従事し,会社業務への貢献度が著しく高く,上記に準ずると認められる者
区分 主担当から主事への昇格
類型
①所定の選考・研修を経て主任職務に従事する者
②一般職務を優秀に遂行する者(主任次席及びこれに準ずる者を含む。)のうち,基幹職務を遂行するに必要な専門知識・実務経験・企画力・指導力・判断力・折衝力・実行力を有すると認められる者
通常の者の経過年数 主担当として10年程度
③一般職務に従事し,勤続25年以上で会社業務への貢献度が高く,上記に準ずると認められる者
区分 担当から主担当への昇格
①一般職務に従事し,その職務を優秀に遂行するに必要な知識・経験・判断力・折衝力・実行力を有すると認められる者
通常の者の経過年数 担当として7年程度
②一般職務に従事し,担当として11年経過した者(ただし,主担当としての職務遂行に耐えないと認められる者を除く。)
区分 担当補から担当への昇格
①一般職務に従事し,その職務を標準的に遂行するに必要な知識・経験・判断力・折衝力・実行力を有すると認められる者
通常の者の経過年数 担当補として2年程度
②一般職務に従事し,担当補として5年経過した者(ただし,担当としての職務遂行に耐えないと認められる者を除く。)
c 選考は,所属長から推薦を受けた者について,上位資格区分の要件を満たすか否かを判定するために行う。選考は,各資格区分ごとに次のとおり行う。ただし,主事から基幹主事への昇格,担当から主担当への昇格及び担当補から担当への昇格における面接は,所属する部,工場又はグループ(室)で行うことがある。

昇格段階  考課  面接  筆記試験  論文審査
基幹主事から統括主事への昇格 ○ ○   ○
主事から基幹主事への昇格 ○ ○
主担当から主事への昇格  ○ ○ ○
担当から主担当への昇格 ○ ○ ○
担当補から担当への昇格 ○ ○

※ ただし,主事から基幹主事への昇格に当たり,必要ある場合には論文審査を行うことがある。
d 主事への資格昇格試験
主事選考の筆記試験の課目は,業務知識(労使関係,服務給与,安全管理及び環境管理。主事昇格用試験テキストから出題),作文,専門知識(課・工場単位で作成する専門的職務知識),職務基礎知識(IE・QCを必須科目とし,機械,電気,計装のうち2科目を選択)であり,職務基礎知識に関しては,専門技術研修Ⅰ部を修了している者について免除する(教育修了科目については満点とする。)こととしていた。
所属長の推薦が,予備選考の結果に基づき行われ,予備選考を経なければ所の資格昇格試験を受験することはできないという運用は,改訂前と同様である。
ウ 人事制度の改善要求等(甲30,乙80ないし82)
(ア) 広畑製鐵所は,昭和48年11月2日,広畑労組から貢献度基準の明確化を求められ,「勤続年数の重視,善行や功績,技術面の寄与等」と回答した。
(イ) 新日鐵労連は,昭和49年6月24日の労使委員会において,被告に対し,社員人事制度の改善を求める要求書を提出した。
主事昇格に関しては,勤続25年又は年齢50歳に達した者を主事に昇格させることを基準として,各資格区分ごとに最長経過年数を設定すること,主事への資格昇格選考に当たっての各所属長の推薦は,制度の趣旨に鑑みて行い,予備選考的な筆記試験等は廃止することなどを内容とするものであった。
(ウ) 被告は,昭和49年9月20日の労使委員会において,最長経過年数に関し,「もともと主事という資格区分は,一般又はA分類職務層区分に対応する主担当以下の資格区分とは異なり,工長又はB分類職務層区分に対応し,その職務を遂行するに必要な経験,能力を有する者,又は勤続25年以上で被告会社業務に対する貢献度が高いと認められる者が該当する。したがって主事は職務,職務遂行能力及び貢献度から見て高いレベルにあり,一般又はA分類職務層区分に対応する能力層内での主担当,又は担当の昇格とは異なり,本来,一律的な最長経過年数の考え方には馴染まない性格のものである。」と回答した。
また,貢献度に関しては,「貢献度を処遇に反映させるという意味は,単に勤続の長さを評価しようというのではなく,その間における業績の積み重ねを評価しようとするものである。したがって各人の地道な努力も,それが業績の積み重ねとなって表れるなら,結果として評価することになるわけである。会社としては,単に勤続年数のみを評価することは,人事制度の能力主義的人事管理という基本的な考え方から見て,妥当でないと考える。」と回答した。
更に,年満時の主事以上資格に関する組合の質問に対しては,「年満時において現行主事以上となる者の比率(約2/3)が,更に高くなるような目安で運用する」こと,「従来の運用目安,つまり工長以上の役職について年満を迎える者の数の2倍程度より高くなるだろう」と回答した。
(エ) 被告は,昭和49年10月14日の労使委員会において,最終回答として,主事昇格に関しては,「社員の能力の伸張具合から見通して,あえて数字でいうならば,おそらく技術職社員全体の80%程度の人は,主事以上で年満退職を迎えることになるものと推定している。もちろん,この比率は逐年段階的に達成されるものであって,来年すぐこうなるというものではないことは理解しておいてほしい」と回答したほか,達成の目安について,「少なくとも3年は見てもらいたい」と回答した。
また,予備試験に関しては,筆記試験の必要性を肯定した上で,「昇格にあたっては,従事する職務,本人の経験,知識,技能,勤務成績,会社業務への貢献度等を総合勘案して推薦するわけであるが,これらの要素について管理者が判断する一つの方法として必要である」と回答した。
(オ) 上記のとおり,昭和49年の社員人事制度の交渉において,年満時の主事以上比率が現行の60%程度から80%へと拡大され,3年かけ段階的に移行していくこととなったが,これを達成するには,単純に社員全体の主事以上比率を拡大するだけでは足りず,勤続年数の長い者,すなわち年満退職までの期間が短い者をまず優先的に主事へと資格昇格させることが必要であった。
そこで,昭和50年度から昭和52年度にかけては,「勤続25年以上で貢献度が高いと認められる者」を優先して主事昇格試験を運用し,目標割合を達成した。なお,昭和52年度の貢献度基準による推薦人員は123名であったが,筆記試験及び面接試験で各2名が不合格となっている。
エ 平成14年の資格昇格試験の運用見直し(甲190,乙79)
平成14年度には,将来にわたる磐石な人材基盤の構築に向けた所員の更にモラルアップ及び人材育成・技能継承の加速を目指し,資格昇格試験の運用見直しが行われた。従来の資格昇格試験との変更点は,以下のとおりである。
(ア) 公示時期の早期化
従来,広畑製鐵所の資格昇格試験は,10月に公示し,11月から12月にかけて実施するというスケジュールであったが,平成14年度は,5月30日に公示し,資格昇格に向けたモラルアップ期間を長期化した。
(イ) 目標管理と資格昇格試験への反映
従来,年に1回個人面談を実施していたが,平成13年度より個人面談を年に2回実施し,資格昇格選考と直結する目標管理の仕組みとして位置づけることとした。
(ウ) テーマ作文の実施
資格昇格への応募者には,各部門の職場の重要課題をテーマに作文を提出することを義務付けた。
(エ) 主事筆記試験科目の削減
従来,製鐵所の主事昇格試験の内容は,服務・給与・安全等の一般的な業務知識を問う業務知識試験,各部門における職務の専門性を問う専門職務知識試験,専門技術研修Ⅰ部の受講により免除のあった職務基礎知識試験及び作文であったが,業務知識と作文に重点を置き,専門職務知識に関しては部門選考段階で必要に応じて試験等を行うことし,職務基礎知識に関しては推薦前に専門技術研修Ⅰ部を修了することを必須とした。
(11) 被告の賃金制度の概要(甲14,138,147,149ないし154,159,乙65ないし70)
ア 平成9年4月の改訂前の賃金制度
(ア) 主な賃金の種類及びその財源比率は,基本給40%(基本給本給60%,基本給加給40%),仕事給60%(職務給60%,職務考課給40%)である。
(イ) 基本給
a 基本給本給は,学歴別の初任基本給本給に昇給金額を加算した累積給である。
b 基本給加給は,世代別の生計費傾向を反映した年齢別定額給であり,毎年3月31日現在の満年齢に応じて,原則として毎年4月1日に更改される。
c 昇給は,原則として毎年4月1日に行われる。昇給額は,労働組合との間で団体交渉・妥結された資格区分別の基準額に対して,上下100%までの査定を加味して算出されるが,資格区分別に設定された上限額の範囲内において行うものとされている。
(ウ) 職務給
a 職務給は,技術職社員に対して支給され,従事する職務の職務価値に応じた賃金である。
b 技術職社員の職務を評価し,その職務価値に応じ職務区分としてAからGの7区分を設定する。なお,その職務評価は,職務遂行上の難易度,職務遂行に伴う職務負担度を基準として,aからgまでの7ランクに格付けして行う。
c 役割区分として,工長,統括及び一般の3区分を設定する。それぞれの役割は,次のとおりである。
(a) 工長 配置職務を遂行するとともに,操業・作業管理,安全管理,職場管理等,工長単位内全業務について指揮・総括する。
(b) 統括 工長の指揮の下,配置職務を遂行するとともに,一般者中の第一人者として,管理・改善業務,非定常時・トラブル時の作業対応,他の一般者の指揮・育成等の中心となり,工長を補佐する。
(c) 一般 工長の指揮の下,配置職務を遂行する。
d 職務給月給の算定方法は,次のとおりである。
職務給月給=単価×役割区分別の職務区分別職務点又は技能区分別技能点
(エ) 職務考課給
a 職務考課給は,配分単位ごとの同一職務層の財源を,査定に応じて配分するものであり,原則として,毎年4月1日及び10月1日に更改される。
b 配分単位は,原則として各工場(室)とする。
職務考課給の財源は,配分単位ごとの職務層区分別に次のとおり算定する。
配分単位の職務層区分別職務考課給財源=配分単位の職務層区分別職務給月額総額×職務考課給支給率+職務考課給定額×配分単位の職務層区分別人員
c 各人の職務考課給月額は,配分単位の職務層区分別の平均職務考課給金額を下に,次のとおり算定する。
職務考課給月額=配分単位の職務層区分別職務考課給財源÷配分単位の職務層区分別人員×考課給係数
d 考課給係数は,配分単位の職務層区分別の平均職務考課給金額を1.00とし,各人の職務遂行とその成果に基づき,上限1.50,下限0.50の範囲内で更改する。
その考課要素は,配置職務の遂行・成果,多能工化度合,新技術・作業改善等への対応力,管理業務の遂行・成果,執務態度・意欲,指導・統率力(工長のみ)である。
イ 平成9年4月の改訂後の賃金制度
(ア) 主な賃金の種類及びその財源比率は,基本給40%(基本給本給60%,基本給加給40%),仕事給60%(業績給70%,業務給25%,役職手当5%)である。
(イ) 業績給
a 業績給は,資格区分別評価給であり,原則として,毎年基本給本給昇級時に各人の職務遂行能力・成果を勘案の上,資格別基準額の上下50%の範囲内で更改される。
b 業績給は,各更改時期の前1年間における各人の職務遂行とその成果について,各職務階層区分の定義と評価要素を勘案の上資格別に評価し,更改するものであり,その評価要素及びそれぞれにおける重点評価項目は,以下のとおりである。
(a) 業務遂行・成果
担当業務のスパン及び責任度合と遂行状況
業務遂行上必要な専門知識・実務経験
上司・部下・関係部門との連携
応用力,判断力,折衝力,実行力
(b) 業務改善・創意工夫
問題把握力
企画(創意工夫)力
生産性向上・付加価値増大に向けた取組み
(c) 指導・統率力
下位者の指導・育成に向けた取組み,リーダーシップ
(d) 執務態度・意欲
勤務実績と業務への取組み姿勢
(ウ) 業務給
業務給は,職務層区分別ランク別定額給であり,職務層区分及びランクは,原則として毎年4月1日における資格区分との対応関係に基づき適用する。
ウ 一時金
(ア) 一時金(賞与)は,原則として,前年10月1日から当年3月31日までを調査期間とする夏期(6月)の中元賞与と,当年4月1日から9月30日までを調査期間とする冬期(12月)の年末賞与の年2回支給される。
(イ) その個人支給額は,率部分と額部分に分かれ,率部分は,①基本給本給に資格区分別基本給本給支給率を乗じた基本給本給連動部分,②基本給加給に基本給加給支給率を乗じた基本給加給連動部分の合計額であり,額部分は,資格区分別部分基準額に上下50%の査定を加味した資格区分別査定部分である。
エ 退職金
年満退職者の退職金は,基本給本給に支給率合計を乗じて算出される。
支給率は,勤続30年以下か否かによって定められる基礎部分支給率と,勤続期間及び主事への昇格時期に応じた主事加算支給率を合計して算出する。
オ 賃金の査定方法
(ア) 査定を行う単位
査定は,室(センター)・工場単位で行われ,それぞれの長が決定した後,人事部門に集約し,最終的には総務部長が決裁する。もっとも,工場においては,査定の対象となる在籍者の数が多いため,工場の下部組織である課(改定前の掛)単位で査定原案が策定される。
(イ) 査定原案の策定者
査定原案は,日々現場と接する機会の多い係長(改訂前の作業長)と課を統括する課長もしくは室(センター)の労務担当マネージャー(改訂前の係長)が中心となり,必要に応じて主任(改訂前の工長)の意見を聴取して策定される。
(ウ) 査定方式と手順
査定は,査定単位内の資格別ないし職務層区分別に相対評価を行って決定する。なお,各室(センター)・工場における査定ランクは,基準値を1.0とし,平均値が概ね1.0となるよう管理されている。
査定の手順としては,まず,係長が各人ごとの日常の職場での職務遂行状況を評価し,これをたたき台として,課内の全係長と課長(もしくは労務担当マネージャー)が協議の上で査定原案を策定することとされている。
最終的には,工場長(もしくは室長あるいはセンター長)が各課ごとの原案の報告を受けて決定する。
(エ) 被告においては,各社員について個人調査表が作成され,配置,昇進,昇格,査定等における検討のベースとされている。
個人調査表は,平成9年度以降,被告が定めた個人調査表のひな形に基づいて,年1回,各社員と上司が対話を行って作成することとなった。
個人調査表における標準的な評価項目は,定常作業の遂行・成果,非定常時における対応,主任単位を越えた職務遂行・成果,企画・改善・創意工夫,管理業務の遂行,勤務態度・意欲,リーダーシップ,自己研鑽・その他となっているが,各課は,人事部門と協議の上,業務内容に応じて評価項目を取捨選択,ブレイクダウン,重み付けをすることができる。
そして,各社員及びその上司である係長・課長は,これに基づいて当該社員の過去1年間の職務遂行・成果の評価と今後1年間の目標設定を行い,面談により今後の業務における取組みや各人の能力開発の方向付けを行うこととされている。
この個人調査表における評価は,各賃金項目等の査定における個人評価のベースとして活用されており,個人調査表の作成時期から査定時期までの職務内容や評価の変化を折り込み,常に更新されている。
(オ) 各賃金項目における査定内容
a 昇給(基本給本給)における査定と資格昇格管理
昇給(基本給本給)における昇給成績は,各人の職務遂行能力の歩み及び各資格内の序列を位置づける指標となっており,資格昇格試験の推薦者を選考するに当たっての検討のベースとなるなど,被告における処遇の基本的条件である資格の管理に活用されている。
昇給成績は,現資格・職務において実際に発揮された職務遂行・成果に反映されている各人の専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力等,顕在化した要素のみならず,上位資格・職務について対応可能であるかどうかという潜在的な要素についても評価することにより総合的に査定される。また,職務遂行・成果の評価は,職務考課給ないし業績給における職務遂行・成果の評価がベースとなる。
b 職務考課給における査定内容
職務考課給は,前年度の働きぶりに応じて当該年度の賃金額を変動させる賃金であり,同一職務層区分内における相対評価によって,考課給係数を決める形で査定される。
そして,考課給係数は,職務考課給が現職務層区分,現職務における具体的な職務遂行とその成果を賃金に反映するものであることから,各人の潜在能力ではなく,顕在化した職務遂行・成果を評価して決定される。具体的な評価項目は,配置職務の遂行・成果(定常作業及び非定常作業の遂行・成果),多能工化度合,新技術・作業改善等への対応力,管理業務の遂行・成果,執務態度・意欲,指導・統率力(リーダーシップ)の発揮度合,部下の指導育成)である。
c 業績給における査定内容
業績給は,前年度の働きぶりに応じて当該年度の賃金額を変動させる賃金であり,同一の資格区分内における相対的な評価によって,ランクを決める形で査定される。
業績給のランクは,現資格,現職務において実際に発揮された職務遂行・成果について,配置職務の遂行・成果,業務改善・創意工夫,指導・統率力,執務態度・意欲を評価項目として決定される。
d 一時金(賞与)の査定内容
一時金は,それぞれの調査期間において各人が上げた成果に従って支給されるものであり,同一資格内における相対的な評価によって成績ランクを決める形で査定される。
成績ランクは,現資格・現職務において実際に発揮された調査期間ごとの職務遂行・成果について,職務考課給あるいは業績給における職務遂行・成果に関する評価項目をベースにしつつ,単発的・短期的な成果をより重視して決定される。
(12) 原告らと同期同学歴者の主事昇格率
平成8年4月1日の時点で被告に在籍していた原告らと同期同学歴者の勤続19年経過時点,勤続25年経過時点,勤続30年経過時点における主事昇格率は次のとおりである。

原告P1  原告P2  原告P3  原告P4
原告P5
19年経過時点  70%  62%  76%  70%
25年経過時点  86%  81%  86%  86%
30年経過時点  88%  81%  91%  86%

(13) 原告ら共産党員と同期同学歴者との賃金格差(甲180ないし187,222,223)
原告ら及び原告らと同期同学歴の共産党員の平成8年度から平成12年度までの年間基本賃金は,別紙2記載のとおりであるところ,原告ら共産党員と同期同学歴者の比較は,別紙3ないし6(枝番を含む。)記載のとおりである。
2  争点及び当事者の主張
(1) 被告の反共労務政策
(原告らの主張)
広畑製鐵所が昭和34年の49日スト以降,反共労務政策を実施しなければならなかった動機及びかかる動機に基づいて現実に露骨な反共労務政策を実施してきた事実は明らかである。
ア 広畑製鐵所が反共労務政策を徹底するようになった動機
広畑製鐵所が共産党と一線を画する姿勢を持っていたことは昭和25年にレッドパージの嵐が吹いた際,富士製鐵全体で113名,うち広畑製鐵所で7名の労働者が解雇(特別整理)されたことからも明らかであるが,特に共産党員指導部が主導した昭和34年の49日ストによって大きなダメージを受けた広畑製鐵所においては,合理化の実施を目前に控え,2度と同じ事態を起こさせないようにするために,反共労務政策を徹底し,広畑労組を階級的・戦闘的組合から労使協調組合へと変節させなければならない大きな理由があり,広畑製鐵所が49日ストの反省によって知りえた労使の進むべき道とは「労使協調」の道であり,反共労務政策を徹底して共産党員を組合執行部から排除することにより労使協調組合を確立することが49日ストの教訓とされた。
(ア) 昭和34年の49日ストの前後(共産党時代)
昭和34年のストライキが「49日スト」と命名されるまでに長期化した原因は,広畑製鐵所がゼロ回答に固執した点にあり,また憲法28条が争議権を保障している以上,当時の広畑労組も憲法上の権利を行使しただけのことで,これを非難されるいわれはないが,「広畑製鐵所三十年史」(甲27)は,この49日ストを「広畑労働組合史上最大の不祥事」と評価し,ストを主導した執行部を「過激分子」と名付け,「不祥事」の原因をすべて当時の組合執行部に押しつけている。
49日ストを決行した組合の第16期執行部の中で特に49日ストに積極的であったのは,P8,P17,P18及びP19の各執行委員であり,「広畑製鐵所三十年史」が「過激分子」とレッテル貼りしているのもこの4人の執行委員のことである。また,「広畑製鐵所三十年史」には,49日ストの後の「役員選挙で,長期ストの一因となった過激分子を排除した執行部が誕生」と記載されているが,第17期執行部からP17,P18及びP19の3名が消えており,「排除された過激分子」というのはこの3名のことを指している。
そして,残ったP8も次の第18期執行部からは外れており,第18期執行部以降,被告側がいう「過激分子」が組合の執行部に名を連ねることはなくなっているが,P8は共産党員で,後に日本共産党の公認候補として姫路市議を6期務めた人物であって,「過激分子」が共産党員を指していることは明白である。
(イ) 同志会時代(昭和43年まで)
被告がいう「過激分子」が組合執行部から排除されて以降,組合執行部の多数派を握ったのは同志会グループである。
同志会は当時の総評路線に近い立場のグループであったが,同志会主導の組合は,労使協調組合へと変節したわけではなく,まだ戦闘的な側面を有していた。
また,この当時,P8ら共産党員は執行部から外れていたが,共産党員及びその同調者らと同志会グループは,お互いに一致できる点については積極的に連携するとの方針を有していたものであり,「広畑製鐵所三十年史」は,こうした組合の姿勢が「過激化した」と評価しているのである。
(ウ) 労働組合主義運動の時代
その後,こうした同志会グループに対する批判グループが組合内に台頭するようになり,ついに昭和43年の役員選挙で批判グループが同志会グループに圧倒的な勝利を収めた。「広畑製鐵所三十年史」は,こうした批判グループを「良識活動家」と持ち上げ,「良識活動家」を「労働組合主義者グループ」と呼んでいる。
昭和43年の役員選挙において組合指導層を独占するようになった労働組合主義者グループは,昭和43年9月15日の広畑労組第39回定期大会において,会社の合理化にも基本的には賛成するという姿勢を鮮明に示しており,同志会グループが安保闘争にも一定の取組みをしていたことと比較しても,その路線が労使協調に転換したことは明らかであるが,広畑製鐵所においては,かかる労働組合主義者グループの主導する労使協調路線が以後も維持され,現在に至っている。
イ 組合変節への広畑製鐵所の関与
広畑労組は,昭和43年に階級的戦闘的組合から労使協調組合へと変節したが,広畑製鐵所は,2度と49日ストのような長期ストを実行させないために,広畑労組が労使協調組合へ変わることを望んでいた。また,殊に近い将来(昭和39年),新勤務体制導入による合理化を予定している広畑製鐵所にとっては,合理化をスムーズに実施し,長期ストにより打撃を受けることは何が何でも回避しなければならない事態であった。広畑労組の変節は,単に広畑製鐵所が待ち望んでいたところ組合の方が勝手に変節をしたというのではなく,広畑労組との労使関係を善意と信頼にみちた良好なものに近づけたいという切実な願望を現実のものとするため,広畑製鐵所の積極的な関与によってもたらされたものであり,広畑労組の変節自体がまさに,広畑製鐵所が49日ストの経験を踏まえて反共労務政策を徹底化させたことによって意図的に実現されたものである。
(ア) 昭和43年以前の選挙介入
広畑製鐵所は,49日スト以降,昭和43年の労使協調組合の確立までの間,事前に候補者の思想的傾向を調査した上で選挙に介入していたこと,当時のその目的が「過激分子」である共産党系候補者を落選させることにあったことは明白である。
(イ) インフォーマル組織正労会の誕生
被告は,インフォーマル組織である広畑労働組合主義研究会(以下「広労研」という。)が平成7年6月に再作成したマル秘資料「広労研新入会員教育資料」において,広畑労組を労使協調組合に変節させるために反共労務政策を強力に推し進める旨を端的に表明している。
また,昭和41年に結成された正労会は,同志会批判・協力グループとして広畑製鐵所により育成強化された広労研の前身であるが,正労会の活動の基本は,職場における左翼(共産党員)の動向をチェックし,この者らの意向が組合に反映されることを阻止する点にあり,そうしたインフォーマル組織,反共組織が広畑製鐵所の積極的関与の下に結成されたのである。
ウ 思想教育(反共教育)の徹底
広畑製鐵所が行ってきた職場闘争を否定する思想教育は,大きく①社会主義,共産主義を誹謗中傷し,資本主義を是とする政治観についての介入,②階級的戦闘的組合を誹謗中傷し,労使協調組合を是とする組合観についての介入に分類することが可能であるが,これらは無関係に行われたものではなく,社会主義・共産主義=階級的戦闘的組合,資本主義=労使協調組合との図式の下に,前者が誤っており,後者が正しいとの考えを職制や従業員に植え付けるために行われたものであった。
(ア) 伍長教育資料「人間関係」(甲6)は,昭和40年8月20日に広畑製鐵所が作成したものであるが,広畑製鐵所は49日ストの反省から組長,伍長に対する役付者教育を徹底し,特に一般労働者の直属の上司である伍長に対しては,テキストを使用した教育を行うことによって,既に民青,日本共産党に加入している者に対しては,入党の原因,過去及び現在の生活環境,家庭状況や性格等を調べること,共産主義が企業と相容れないものであり党員であることが将来の人生においてどれほど大きいマイナスであるかを繰り返し説得すること,他の一般の人々に影響を及ぼさないように監視すること等を,そして,民青,日本共産党に加入しそうな部下に対しては,そうなる前に部下を導くこと,作業長に連絡をとり指導方法の打合せを行うこと等を命じていた。
(イ) テキスト「労使関係」(甲54ないし56)は,いずれも,労働組合のあり方について,マルクス主義に基礎を置く階級主義による労働運動を是とする立場と労使関係を協調関係とみる組合主義の立場があることを紹介しているが,単に労働組合に二つの立場があると紹介するに止まらず,労使協調型の労働組合主義の立場が正しい旨を断言していることは問題であり,不当労働行為(支配介入)を構成する。
広畑製鐵所においては,こうした不当労働行為によって,職制を通じて組合を労使協調へと体質転換させ,その後もこれを維持するための努力を継続しているのであり,このような教育を受けた職制らは,広畑製鐵所の意を受けて,組合役員選挙における干渉,部下の思想調査等,様々な不当労働行為を行い,労働組合主義者グループ主導の組合の確立,維持の大きな原動力となってきたのである。
(ウ) 城山研修所における合宿制教育
広畑製鐵所は,昭和38年6月,城山研修所を開設し,全所員を参加させることを目標に各種研修会を頻繁に開催してきた。当時,広畑製鐵所では,社員に対する技術教育は別に行われており,城山研修所で行われるのは社員に対する精神教育であった。
城山研修所への研修参加者は会社が選定しており,原告ら共産党員及びその同調者が参加を求められることは余りなかったが,原告P3や原告らの同調者であるP20が昭和40年ころに城山研修所での研修に参加した際には,京都のβの和尚が講師として「マルクス主義は憎しみの哲学である。妥協のない教義である。またソ連は条約を破って進攻してきた」などという具体例を出して,「社会主義は憎しみの哲学である」という話をしたり,京都大学のP21教授が講師として「全学連の指導は共産党が行っている」などとして,トロツキストや中核や革マルと共産党が本質的に同一の団体であるかのような誤った講義をした。
城山研修所が開設された昭和38年当時の広畑労組は,同志会グループが主導権を握っていたが,同志会グループが未だ戦闘性を備えており,春闘に際しては常にスト権を確立し,職務給や新勤務制度の導入といった合理化案には激しい「是正闘争」で臨んでいたものであって,城山研修所で行われている教育は単なる労使問題についての教育に止まらず,反共的なものであった。
(エ) 「広畑ニュース」による思想教育
広畑製鐵所においては,被告が定期的に発行する「広畑ニュース」(甲167ないし178)が全従業員に個別に配布されていたが,昭和34年49日ストの後,労働組合主義者グループが勝利して組合が労使協調路線となる昭和43年までの間に発行された「広畑ニュース」には,資本主義=労使協調組合を是とし,共産主義,社会主義=階級的・戦闘的組合を中傷誹謗する記事が多数散見される。
これも,広畑製鐵所が,労働組合が労使協調組合へと転換することを熱望し,そのために会社の発行するニュースによって,従業員の思想教育を行ってきたことを端的に示すものであるが,かかる思想教育は,使用者に許された言論の自由を逸脱するものとして,組合との関係では不当労働行為(支配介入)を構成し,一般従業員との関係では思想の自由を侵害する不法行為を構成するものである。
(オ) 広畑製鐵所の行った思想教育の違法性
a まず,労使協調組合を是とする労働組合観に関する思想教育については,労働組合運動に階級的戦闘的組合,労使協調組合の二つの潮流があるとしても,憲法28条の保障下において,いずれの路線を是として選択するのかについての自主的決定権が労働組合に保障されていることは明白であり,この点にまで会社が干渉するのは明らかに使用者に許された言論の自由を逸脱したものであって,それ自体不当労働行為(支配介入)を構成する。
b そして,資本主義を是とする政治観についての思想教育も,これが資本主義=労使協調組合というように,労働組合観についての思想教育と密接に関係していること,すなわち,労使協調組合を是とする考えを植え付けるために資本主義万能,社会主義,共産主義駄目論が振りかざされていることを考慮すれば,労働組合観についての思想教育が違法の評価を帯びる以上,政治観に関する思想教育も当然に違法の評価を帯びることになるというだけでなく,世界観,人生観,思想体系,政治的意見などのように人格形成に役立つ内心の活動が憲法19条の「思想良心」に含まれ,労働基準法3条の「信条」が,宗教的信念のほかに特定の政治的思想を含むと解されている以上,政治観に関する思想教育が,それが単にいくつかの政治観を紹介するに止まらず,特定の政治観を是とするような場合に公序良俗(民法90条)や労基法3条に違反した違法行為となることも論をまたない。
エ インフォーマル組織「作業長会」「工長会」
作業長会,工長会は,表向きは親睦等を目的とした自主組織であるが,その実態は,職場における共産党員の活動を封じ込め,労働組合の役員選挙において労働組合主義グループに圧倒的勝利を収めさせ,確固たる労使協調組合を維持するために奔走する広畑製鐵所の積極的関与によって組織されたインフォーマル組織にほかならない。
(ア) 職場における共産党員の把握とその監視
広畑製鐵所が作業長に期待していることは,部下の指導を徹底した上での職場規律の維持である。作業長制度の導入が,昭和34年の49日ストの反省に基づくものである以上,作業長らに期待されている職場規律を維持するための部下の指導が,安定的な労使関係の形成に役立つ部下の育成指導であることは明らかであって,それは,必然的に作業長に部下の監視の任務(特に職場における共産党員の把握とその監視)を負わせるものであった。現に,作業長や工長の把握した職場の共産党員の氏名は,作業長会や工長会を通じて,工場や室の全作業長,工長に情報提供され,作業長会や工長会ではこうした共産党員対策が議論されている。
(イ) 組合役員選挙対策
a 作業長,工長の重要な任務の一つに組合役員選挙対策があり,労働組合主義者グループの主導する労使協調組合を維持していくための方策が作業長会,工長会で議論されている。作業長,工長らは,組合役員選挙においては,作業長会,工長会で建てた方針に基づいて,票読み,従業員の一本釣り,共産党系候補者の抱負表明の封じ込み等,自由かつ公正な選挙を妨害するためのありとあらゆる妨害を講じている。
b 昭和57年8月に作成されたマル秘資料である鋼片工場作業長会の「支部本部選に伴う対策と結果」と題する書面(甲115)には,「特にP22の31票は心外と言わざるを得ない」と記載されているところ,「P22」とは,共産党員で,後に原告P2,同P3,同P4と同時期に第4クラフトに隔離されるP22のことである。そして「5人の人物の封じ込みは形式だけでゆくものではない」の「5人」が共産党員であるP9,P23,原告P1,P22,P24を指すことは,昭和57年1月の作業長会研修会に用いられた「想定される鋼片工場の現状と将来」と題する書面(甲114)に,「現共産党員,P9,P23,P1,P22,P24」と記載されていることから明白であり,職場における共産党員の動向の監視は組合役員選挙対策が主眼であることが示されている。
c また,対立候補者の活動収集と抱負表明の封じ込みは,共産党系候補者が選挙運動のために休憩所等を訪問しようとしている際に,事前にその旨をサイレン等を合図にして休憩所にいる組合員に連絡し,休憩所をもぬけの殻にしてしまう等の方法によって行われている(この方法は「散れ散れ作戦」と呼ばれている。)。
更に,作業長,工長らが行っていることは,票読み,部下の一本釣り,共産党系候補者の抱負表明の封じ込みだけではない。投票日には,組合員を必ず二人一組で投票所へ行かせ,互いに相手が誰に投票したかをチェックさせている。組合主義者グループ以外の者に投票しようとしていた者は事前に工長らから説得工作を受けているわけであるから,この方法がとられると組合員が自主的な投票を行うことなどおよそ困難である(この方法は「ペアペア作戦」と呼ばれている。)。
d そして,作業長会,工長会による上記に述べたような組合役員選挙対策,原告ら共産党員候補者の選挙活動の妨害は,昭和57年のみならず,その前後においても継続的になされてきた。
また,組合役員選挙における「散れ散れ作戦」「ペアペア作戦」といった露骨極まりない原告ら共産党員候補者に対する選挙妨害は現在も継続されており,原告らは,選挙管理委員会に対し,昭和61年,昭和63年,平成7年の組合役員選挙に際して,職制の選挙介入の根絶,散れ散れ作戦,ペアペア作戦阻止のための厳重なる監督を訴えている。
(ウ) 工長会等の共産党員排除の画策
昭和62年には,工長会や工長研修会等で,従業員の日本共産党の機関紙「赤旗」購読に圧力をかけ,原告ら共産党員が行う門前ビラの受取拒否決議を行うように画策したり,レードル精錬職場のB組安全会議で,P25作業長が「共産党がいろいろ反対するのでやりにくい」と発言し,これを受けて職場の各小集団会議で,工長を中心に排除の具体的方法を決めようとすることまでがなされ,日本共産党の姫路市会議員であるP7が製鋼工場長に「抗議と謝罪,是正措置を求める申入れ」を行ったことがあった。
オ インフォーマル組織「広労研」
広畑製鐵所内に組織された正労会は,同志会主導の広畑労組を労使協調路線に転換するために広畑製鐵所の積極的関与のもとに組織されたインフォーマル組織であるが,現在では広畑労働組合主義研究会(広労研)に名称を変えている。
(ア) 広労研の基本的活動
広労研は,基本的には正労会と同一路線を踏襲するインフォーマル組織であるが,その基本的な活動は,左翼対策の強化,すなわち,広畑労組からの共産党員及びその同調者の徹底的排除にある。
(イ) 広労研の行う選挙妨害
広労研が左翼対策を基本活動とする主眼も,労使協調組合に変質した広畑労組の維持にあり,広労研も組合役員選挙に積極的に取り組んでいるところ,作業長会や工長会と連携し,あるいは選対組織を確立してまでなされる広労研の活動(特に職場巡回)が,一般従業員に対する締めつけ,共産党系候補者の選挙活動の徹底的な妨害であることも論を俟たない。
(ウ) 選挙管理委員会と作業長会,広労研との連携
広畑労組選挙管理委員会は,こうした自由かつ公正な選挙を妨害する行為を,原告ら共産党員及びその同調者らが再三にわたって抗議しているにもかかわらず,放置し続けている。
昭和47年の第25期組合役員改選時の選挙公報には,原告P2を初め,共産党系,同志会系の立候補者の氏名はすべて漢字で記載されているが,労働組合主義者グループの立候補者は氏は漢字であるものの,名前は片仮名で記載されている。組合員は,選挙公報を見れば,誰に投票すれば会社や職制に睨まれないで済むかをすぐに認識することができ,これも組合主義者グループが執行部を独占できる大きな原因となっている。また,投票場所においても,選挙管理委員の席が投票場所のすぐ近くに置かれたり,複数用意されている投票用紙への記載場所の間の衝立が低くされたりするなどの様々な工作がなされており,投票する者は常に誰かに監視されて投票せざるを得ないのであって,およそ自由に投票できる雰囲気はない。
これらはすべて作業長会,工長会,広労研の連携によって画策され,選挙管理委員会がこれを放置した結果,継続されているものにほかならない。
また,そもそも,本部選挙の場合も支部選挙の場合も,選挙管理委員の大多数は広労研の会員であり,選挙管理委員会自体が広労研の出先機関にほかならない。
カ インフォーマル組織の育成強化についての広畑製鐵所の関与
作業長会,工長会,広労研が広畑製鐵所の積極的な関与の下に育成強化されたインフォーマル組織であり,原告ら共産党員に対する攻撃を,単なる職制や広畑労組組合員である一般従業員との間の軋轢であるとか,組合内部の対立などと評価することは到底できないのであって,それらはまさに広畑製鐵所の反共労務政策の具現にほかならない。
(ア) 作業長会,工長会についての広畑製鐵所の関与
被告の労働人事室所属の証人P6は,作業長会,工長会について,これらはあくまでも自主的な組織であって,会社とは一切関係がない,結成,運営に会社が関与したことはない旨を証言するが,作業長会,工長会が広畑製鐵所のインフォーマル組織であることは否定しようのない事実である。
(イ) 広労研についての広畑製鐵所の関与
証人P6は,広労研についても,基本的には組合員をベースにした組織であって会社と関係のない組織であると証言するが,虚偽の証言である。
a 左翼対策を基本活動に据えた広労研は,その前身である正労会が広畑製鐵所によって育成された組織であるだけでなく,広労研に発展解消してから現在に至るまで,広畑製鐵所に積極的に意見を述べ,これを広畑製鐵所の諸施策に反映させるなど,広畑製鐵所と密接な関係にある。
そもそも,被告では,広畑だけでなく,八幡,室蘭,釜石,光,名古屋,堺,君津,大分の各製鐵所に広労研と同じようなインフォーマル組織が組織されているが,このようなことは各製鉄所の従業員の自発的意思に基づいてなし得るところではなく,広労研の育成に新日鐵本社が深く関与していることは明白である。
また,広労研は,正労会が結成されたのは昭和41年であるのに,昭和21年から平成3年までの広畑製鐵所従業員中の共産党員数の推移を正確に把握しているが,これは,広畑製鐵所が職制や後述するP26のようなスパイを使用して従業員の中で誰が共産党員なのかということを日常的に把握しており,その情報を正労会や広労研に流していることを端的に示している。
b また,広労研は「左翼対策」を使命とすることを自認した組織であるというだけでなく,インフォーマルグループである工長会と連携する組織(インフォーマル組織)であることを自認している組織であるが,その設立運営には広畑製鐵所の深い関与がある。
c 更に,広畑製鐵所は,広労研の学習会等にも積極的に講師を派遣してその便宜を図っているほか,作業長会,工長会のみならず広労研の担当者もすべて広畑製鐵所が決めているのであって,メンバー自体が広畑製鐵所によって決められる作業長会,工長会,広労研が会社の息のかかった組織であることが明白となっている。
(被告の主張)
ア 思想教育について
(ア) 伍長教育資料「人間関係」について
原告らは,伍長教育資料「人間関係」というテキスト(甲6)を基に,広畑製鐵所が49日ストの反省から組長,伍長に対する役付者教育を徹底し,特に一般労働者の直属の上司である伍長に対して,上記テキストを使用した思想教育を行った旨主張するが,被告の役付者教育において,上記テキストを使用した教育が行われた事実はないし,伍長に対して原告ら主張のごとく命じた事実もない。
(イ) テキスト「労使関係」について
原告らは,テキスト「労使関係」(甲54ないし56)についても,被告が労働組合のあり方について,労使協調型の労働組合主義の立場が正しい旨を断言していることは問題であり,不当労働行為を構成すると主張しているが,そのような事実は一切存しない。上記テキストは,労使関係は安定していることが望ましいとの立場から一つの意見を述べているものにすぎない。
(ウ) 城山研修所における合宿制教育について
被告が城山研修所を開設した目的は,昭和36年4月1日付け社長達「社員教育について」(甲29)の内容を実践に移すためであり,そこにおける教育は,日本鉄鋼業の現状と将来,労使関係などの講義及び職場生活のあり方についてのグループ討議を主な内容とするものであり,これが原告らの主張する精神教育でないことは明らかである。
また,城山研修所における研修は,3年間に全所員を参加させることを目標になされたものであり,あくまで全所員の参加が目標であって,原告らの主張する共産党員及びその同調者を排除するなどといった目的は何ら存しない。
(エ) 「広畑ニュース」による思想教育について
「広畑ニュース」(甲167ないし178)は,原告らの主張するような思想教育を目的に発行されていたものではない。また,発行当時から「百万坪」を始めとする様々なコラムがあったが,最後にイニシャルが記載されているものもたくさん見受けられ,内容的にも,投稿の原稿をそのまま載せたと思われるものが多くあった。
イ 「インフォーマル組織」なるものについて
(ア) 工長(主任)会,作業長(係長)会について
a 工長(主任)会は,部や室・工場単位で工長(主任)同士がお互いの意思疎通や親睦,更に自己研鋳を目的として組織しているもので,部や室・工場単位で独自に組織しているものであり,職場によってその形態や組織された時期もまちまちで,職場によっては,役職ではなく,資格区分の主事以上で主事会という名称で組織している職場もある。
この工長(主任)会は被告の組織でもなく,広畑製鐵所横断の組織というものでもない。
b 作業長(係長)会については,広畑製鐵所を横断し組織する作業長(係長)連合会というものがあるが,これも工長(主任)会と同様に,あくまで作業長(係長)自らが組織するもので被告の組織ではない。
また,作業長(係長)連合会も,お互いの意思疎通や親睦,更に自己研錯を図ることがその目的とされている。
(イ) 職場における共産党員の把握とその監視について
原告らは,被告が作業長に部下の指導を徹底した上での「職場秩序の維持」を期待していると主張するが,作業長らに期待されている部下の指導が,安定的な労使関係の形成に役立つ部下の育成指導であることが明らかであるとはいえないし,これが必然的に作業長に部下の監視(職場内における共産党員の把握)の任務を負わせるものであるということはできないのであって,原告の主張は,独断的で事実に反するものである。
(ウ) 組合役員選挙対策
組合員資格に関して,被告は新日鐵労連とユニオンショップ協定を締結している。職制としては,まず,係長(平成9年以前は作業長)という役職があり,その上にマネジャー,課長(平成9年以前は掛長),グループリーダー,室長,工場長,部長という役職がある。被告では,一般的に係長以上を管理職と呼んでおり,原則係長以上は非組合員となる。技能系社員(平成9年以前は技術職社員)は,ほぼ全員が組合員になっており,スタッフ系社員(平成9年以前は主務職社員)については,職務等の関係で非組合員にするという特別例外措置を除いて組合員となっている。
ところで,原告らは,被告が組合の役員選挙の人選に介入したとか,投票行為に関して指示を出したなどと主張しているが,そのような事実は存しない。被告と組合との間には,便宜供与ということで,組合役員選挙期間中に組合役員選挙に立候補している候補者が被告の中に入る入退門に関する便宜や,選挙活動で各職場に出向いて挨拶するときに休憩時間中の各職場の会議室や詰所等の場所を使用する便宜などを図っている。また,候補者には運動員も付き,決められた運動員が同行することについての便宜も図っている。この便宜供与は,当然,被告と組合との間で協約を結んだ上のことであり,特定の候補者に特別な便宜を与えるというようなことは一切なく,すべての候補者に対して公平平等共通に行われていたものである。
その中で,原告らは,作業長,工長の重要な任務の一つに組合役員選挙対策があり,作業長,工長らは,組合役員選挙において,作業長会,工長会で建てた方針に基づいて,票読み,従業員の一本釣り,共産党系候補者の封じ込み等,自由かつ公正な選挙を妨害するためのありとあらゆる妨害を講じていると主張するが,そのような事実は一切存しない。
また,原告らの言う「散れ散れ作戦」や「ペアペア作戦」なるものは,事実を歪曲した憶測による主張である。
以上のように,工長(主任)会や作業長(係長)会は,あくまで意思疎通や親睦,更に自己研鑽を目的として自主的に組織されたもので,当然,被告の組織ではなく,原告らの主張は,一方的な憶測に基づいて事実を歪曲するものである。
ウ 広労研について
被告の労働組合を支援する広労研なる組織が存在すること自体は否定しないものの,被告と広労研が密接な関係にあったということはない。被告の調べたところ,広労研は鉄鋼労連をリードしていたP27代議士が唱えた労働組合主義に基づいて発足した組合のいわゆる一派閥というべき組織であり,被告とは全く関係のない組織である。広労研の資料である文書(甲111ないし113,129)には,被告は一切関知しておらず,広労研の研修を前提に講師を派遣したことも一切ない。被告が労働組合から講師を頼まれて講師を派遣することはあるが,その中に広労研のメンバーがいたかどうかは被告としては知るすべもなく,この記載内容を基に被告と広労研の関係が密接であるとする主張は,飛躍しすぎている。
更に,業務分担表(甲130)には広労研の記載があるが,この業務分担表には明らかに業務ではない文体・ヘルスや親睦会といった記載もあり,単に誰がどういったものを担当しているかを一覧表にしただけのものである。調査したところによると,業務分担表はどの職場にも存在するが,多岐にわたる項目まで記載した業務分担表は製鋼工場以外に例はなく,これを唯一の根拠として被告と広労研が密接な関係があったとする主張は,全く合理性がない。
原告らの主張は,原告らと考えを異にする組織の広労研と被告との関係を密接であるかのごとく決めつけ,あたかも被告が広労研を通じて嫌がらせを行っていたという牽強付会以外の何物でもない。
(2) 被告の原告らに対する差別的行為の有無
(原告らの主張)
原告ら共産党員及びその同調者らは,昭和43年以前はもちろん,広畑労組が労使協調路線をとるようになった昭和43年以降も,労働者の利益を擁護し,資本から独立した労働組合を階級的な立場で再構築することを目指して様々な活動を展開してきたが,そうした活動は,「過激分子」が主導した昭和34年の49日ストという「苦い経験」を踏まえて,徹底した反共労務政策の下で組合の体質改善を図り,以降も労使協調組合の維持に奔走している広畑製鐵所からすれば,到底,容認できないものであり,それゆえ,原告ら共産党員及びその同調者らは,様々な攻撃や差別を受けてきた。
ア スパイP26の摘発
P26は,広畑製鐵所の土建課に勤務し,日本共産党のγ地区委員に就任していたが,昭和39年4月4日に発行されたγ党報(甲165)は,P26が会社の手先であった旨を報じている。
地区委員であるP26が広畑製鐵所における入党者に関する情報をすべて把握していたことは言うまでもなく,原告P2などは入党の推薦者がP26であったが,当時,原告らの同調者の中には,日本共産党に入党した翌日に職制から「入党したのか」と問い質された者も少なくなかった。そのような事態も,広畑製鐵所がP26を通じて入党者に関する情報収集をしていたことを前提にすれば容易に理解できることであって,広畑製鐵所が,P26の除名後に入党した原告P1以外の原告らが日本共産党に入党した事実を,その入党直後から把握していたことは,スパイP26が摘発された事実から明白である。
被告は,P26をスパイとして共産党の情報を得ていたという事実は一切存しないと反論するところ,確かにスパイP28及びP26の除名を報じる上記γ党報(甲165)は,難解で読み辛い文書であり,P26が被告のスパイであったことを明記はしていないが,この文書から,広畑製鐵所の土建課に勤務し,日本共産党のγ地区委員に就任していたP26がスパイとして除名されたことは明らかになっている。何よりも,例えばP26の推薦を受けて日本共産党に入党した原告P2など,少なくない入党者が入党の翌日には職制に入党の事実を把握されていたのも,P26が被告のスパイであったことを前提にしなければ理解できないことであるといわなければならない。
イ P29の原告P1に対するスパイ強要
(ア) 原告P1は,昭和45年11月6日から実に足かけ3年,被告の保安課員であるP29からスパイを強要されてきた。
P29の手口は,帰宅途中を尾行や待ち伏せをしたり,電話で呼び出すなどして喫茶店で話をするというもので,当初,労務課のP30という偽名を用いていた。P29は,世間話だと言いながら,「私もつかむことはつかんでいる」と誰と誰が党員であるかを指摘したり,「職場のことを教えてほしいんですわ」,「協力してくれれば,P1さんは不活発になったと職場の方へ報告し,ある時期になったら完全にやめたと報告します。報告すればリストから消えますよ」,「あなたには絶対迷惑をかけない」「定期的に1か月に1回位会ってほしい」などと話してきた。
その後,原告P1が労務課にP30という人間がいないということを調べ,昭和46年8月3日に,その旨を指摘すると,P29は免許証を示して本名を明らかにして偽名を使っていたことを詫び,「1週間に1回は会いたい」,「文書がほしいんですわ。あなたにとっては取るに足らんものやろうけど」,「差し当たり兵庫民報を入れてもらえませんか」などと言ってきた。
また,昭和46年9月7日には,「とりあえずどんな資料でもいいからもらえませんか」,「動かん人からは情報が入らん。12条なんかの人に情報をくれと言っても無理な話」,「1%とか新聞代はこちらで見させてもらう」,「人がいなかったら土下座してでも頼みたい」,「私もこうやっている以上,ある程度の仕事をしなければならないので,助けると思って」などと必死に情報を求め,原告P1がこれを断ると「とにかく,もう一度考えてみて下さい」などと言ってきた。
原告P1は,当初から,スパイを強要されていることを日本共産党に報告していたものの,相手の出方を見るため,P29が会いたいと言ってきたときには,断ることを基本にしながらも,断固拒否するという態度はとらずにP29と接触してきたが,P29が余りにも執拗であるため,これ以上放置できないとして,日本共産党を通じて広畑製鐵所にこの問題の抗議をしてもらった。
(イ) 被告は,原告らの主張するような事実経過があったとしても,被告とは全く関わりのない別の次元の問題としか考えられないと主張するが,一保安課員が個人的に共産党の資料をほしがって,2年以上もの間,執拗に接触してくることなど通常考えられない。むしろ,原告P1に話してきた,党費が収入の「1%」であるとか,当時,党費を払わない党員,活動に参加しない党員を総称して「12条」と呼んでいたことは,共産党員でなければ通常知るはずもないこと,P29の「私もこうやっている以上,ある程度の仕事をしなければならないので,助けると思って」という言葉も,誰かの指示によって接触していることを如実に示していること,そしてそういう指示ができるのは広畑製鐵所以外になく,P29の原告P1に対するスパイ強要が会社の指示によって行われたものであることは明白である。
この件について,証人P6は「会社と全くかかわりのない別の事件のことかと思います」などと証言するが,同証人はP29に対する事情聴取はおろか,労働人事室の先輩に事実確認をしたことさえないのであって,上記証言には全く根拠がない。
また,被告は,原告P1と従前全く面識のない者を使って接触を図るということ自体極めて不自然なことであり,常識からしてあり得ないことであると主張するが,原告P1の身近にスパイを頼めるような者がいなければ,原告P1と全く面識のない者を使わざるを得ないことはやむを得ないところである。また,そもそも広畑製鐵所は,保安課員の中にフクロウ部隊と呼ばれる諜報部隊のようなものを育成しており,P29が,「一時金や差額(差別待遇の)はこちらでなんとかしますから」とか「除々に評価はよくなっているでしょう」と査定や評価のことに言及していることからしても,同人が被告の意を受けて原告P1にスパイを強要したことは疑いの余地がない。
ウ 原告らに対する賃金差別の開始時期
広畑製鐵所に入社した当時の給与及び一時金は誰もが平均以下であり,ここから毎年昇給していくことになるが,原告らは,入社以降,勤続年数を経るに従って給与及び一時金が除々に平均に近づいていったものの,民青や日本共産党に加盟ないし入党した後は,昇給率が年々下げられるようになったものであり,民青及び日本共産党に加盟ないし入党する以前から極端に低い査定を受けていた者は誰もいない。このこと自体,広畑製鐵所が原告らの民青や日本共産党への加盟ないし入党の事実を直後から把握しており,その加盟ないし入党を理由に賃金差別を開始していることを端的に示している。
(ア) 原告P1について
原告P1の給与の昇給率は,入社以降年々アップし,昭和40年7月にもほぼ平均に達していたが,民青に加盟した昭和41年以降の昇給率は80パーセント台まで下げられた。また,一時金の支給率も,入社以降年々平均に近づいていたが,民青に加盟した直後の昭和41年夏季の支給率は昭和40年冬季の支給率よりも悪くなり,昭和41年冬季の支給率は平均よりも10日分も少なくなるというように,極端に切り下げられるようになった。
(イ) 原告P2について
原告P2に対する賃金差別は昭和38年8月ころから始まっている。
日本共産党に入党した昭和35年直後から差別が始まっていないのは,原告P2が昭和36年8月から2年間,広畑労組の中央委員を務めており,そのような者を露骨に差別することを広畑製鐵所において躊躇したためと考えられるが,中央委員に落選した昭和38年8月からは昇給も異常に低く切り下げられるようになっている。
(ウ) 原告P3について
原告P3は,日本共産党に入党した翌年の昭和39年から,同期・同学歴者と比較して成績点が低く査定されるようになった。
(エ) 原告P4について
原告P4は,日本共産党に入党した翌年の昭和38年までは同期同学歴者と同じように昇給していたが,昭和39年ころから定期昇給で差がつけられるようになり,以降,その差が拡大していった。
(オ) 原告P5について
原告P5は,日本共産党に入党した翌年の昭和38年までは平均の定期昇給を受けていたが,昭和39年から昇給率が極端に低く切り下げられるようになり,一時金の支給率も,昭和38年冬期が昭和37年夏期よりも悪くなり,昭和40年以降,極端に低くなっている。
(カ) 低査定についての原告らの抗議と上司の対応
原告らは,こうした低査定について何回も直属の上司に理由を問い質したが,具体的かつまともな答えをした上司はおらず,共産党員であることが理由である旨を示唆するような回答をされたことも少なくなかった。
a 原告P1は,昭和41年1月から昭和48年4月にかけて,数回,組合に苦情申立てを行うとともに,上司に低査定の理由を問い質したが,「仕事の面ではよく協力してくれており,良いポイントを見つけてやってくれている」,「特に悪いところはないし,人並みにはやってくれている」と低査定に結びつかない説明を受けたことさえあり,そうでない場合は「あんたの胸に聞いてもらえばわかる」,「(悪いところは)現場の方で指摘されているでしょう」,「とにかく努力してほしいということですよ」,「(こういう仕事ぶりの人は基準ですよといった基準は)ない」などという答えが返ってくるだけであった。
b 原告P2は,昭和39年から昭和45年にかけて数回,低査定の理由をP31作業長,P32作業長に問い質したが,どの時も「緊急時の対応が悪い」,「積極性がない」と言われるだけで,緊急時が日常頻繁に起こるわけでもないし,積極性がないと言われても理解できないため,「これからのこともあるので具体的に指摘してほしい」と述べたものの答えはなかった。
c 原告P3は,昭和39年から昭和45年にかけて,低査定の理由について,P33作業長,P34掛長らから「会社の方針とかけ離れた考え方を持っている」,「組合の職場集会では発言するのに,職場の会議では余り発言しない」,「君の成績点は労働からくる」という説明を受けた。
d 原告P4は,昭和39年ころ,「なぜ,同期の人より昇給や一時金が少ないのですか。私は他の人より特別何でもできるとは言わないけど,負けないだけのことはしているので納得できない。どこを,どう改めればいいのですか」と尋ねたが,P35,P36両工長は「金がなぜ少ないのか判っているやろ。自分の胸に手をあてて考えてみろ」と暗に共産党員であることが理由である旨を匂わせる言い回しに終始した。
e 原告P5は,まず直属の伍長に低査定の理由を問い質したが「それは組長に聞いてくれ」と言われ,組長のところに行くと「掛長のところに行ってくれ」と言われたため,仕方なく掛長のところに行くと「積極性がない」と言われた。そこで原告P5が「どのように積極性がないのか,今後のためにも聞かせてほしい」と尋ねても「とにかく積極性がない」の一点張りであった。工長の中には原告P5の成績点が悪いのに驚き「ワシが作業長と掛長にかけあっていい話にしてくる」と言ってくれた者もいたが,結果は「お前のことは,ワシの力ではどうにもならん。悪いけどな」と言われた。その後も原告P5は作業長,掛長が代わるたびに異議を述べ,中には「私もP5君のことは気の毒に思っている」と述べてくれた掛長もいたが,低査定が是正されることはなかった。
エ 自由かつ公正な組合役員選挙の妨害
原告ら共産党員及びその同調者は,労働組合を階級的な立場で再構築するために,広畑労組の本部支部の役員選挙に積極的に立候補しているが,広畑製鐵所においては,古くは労働情勢を通じて,そして現在でもインフォーマル組織である作業長会,工長会,あるいは広労研を通じて,職制による票読み,労働組合主義グループに属するものを一目で従業員に分からせるような選挙広報の工作,従業員の自由な意思に基づく投票を防ぐための「ペアペア作戦」,原告らの選挙運動を封ずるための「散れ散れ作戦」によって,自由かつ公正な組合役員選挙の実現を妨害されている。
共産党員及びその同調者は,昭和37年に原告P2が本部中央委員に当選したのを最後にすべての本部役員選挙において落選し,原告P3が昭和41年にロール整備職場の職場評議員を務めたころを最後に,支部役員にも就任したことはないが,その原因は,共産党員及びその同調者の主張が一般組合員に共感を得られないことよりも,被告の意を受けた職制あるいは広労研の会員によって昭和39年ころに始まった役員選挙への不当極まりない介入,干渉が一層露骨になっているからである。
オ 「P10守る会」結成に対する報復(東浜への隔離)
共産党員ないしその同調者であるP37,P38,P39,P40及びP10の5名は,昭和42年,製鋼工場における合理化の中で,所間配転や所内配転によって余剰人員が吸収されていたにもかかわらず,いきなり土木職場という生産ライン外への配転を打診され,これを拒絶すると,強制的に東浜に隔離され,工長の監視の下,今まで外部業者にやらせていたテトラポットの製作業務に従事させられた。このテトラポット製作への隔離は,P10が裁判闘争に立ち上がった時期であり,これを快く思わなかった広畑製鐵所が,P10やその裁判闘争を積極的に支援している者を見せしめ的に隔離したのは明らかである。
カ 思想転向の説得
原告ら同調者の中には,上司や職制の意を受けた先輩労働者から,労使協調への思想の転向を説得された者が少なくない。原告らがこのような説得に応じることはなかったが,説得を受けた者の中には,原告ら共産党員及びその同調者から離れていった者も少なくない。
(ア) 原告P4は,昭和37,8年ころ,P13掛長から「(共産党員である)P41君,P42君と仲良くしているようだが,付き合うのはやめるように。急には止められないだろうから5回を3回に,3回を1回にして彼らと縁を切って野球に専念するように」と言われ,昭和42年夏には野球部の監督であったP43工長から「共産党を止めた方が後々得するぞ」と言われたことがある。
(イ) 原告P1も,スパイ強要事件の前である昭和39年ころ,職場の先輩から「(共産党員である)P9と付き合うな,付き合うとお前の将来がないぞ」と何回か言われたことがある。
(ウ) 原告P5は,昭和37年の組合役員選挙において中央委員に立候補した直後,当時のP44作業長に自宅に招かれ,酒食のもてなしを受けた上,「P5,民青や共産党をやめられないか」との懐柔を受けた。
(エ) また,昭和62年には,コークス工場では慣例となっている作業長の出向餞別金を共産党員にのみ突き返したり,「彼を除いたらコークス工場の卓球チームは成り立たない」と言われていた共産党員のP45を選手から除外する等の攻撃が加えられていたところ,同年5月,コークス工場長がP45の自宅を訪れ,「餞別は効いたか。もっときついことを考えとったけど『やめとけ』と言われたから止めた」,「共産党をやめよとは言わないが,何もできぬようにしてやる」と述べ,その4日後には勤務中に呼び出し「変わろうとする意志があれば全面的に協力しよう」と述べた。
そして,これと同時期にコークス工場長は共産党員であるP46を呼び出し「君らが家に来て,思想的な話をするので,正常な思想が邪魔されて,作業に支障を来す」,「改心する人がおれば喜んで話にのる」と述べた。
日本共産党の広畑製鐵党委員会は,P45,P46に対する上記変節攻撃が思想信条に対する侵害行為であるとして,広畑製鐵所長に「抗議と謝罪の申入れ」を行うとともに,事実を広く広畑製鐵所の労働者に知ってもらおうと,上記「抗議と謝罪の申入れ」を掲載した「明日の高炉」と「赤旗」を全労働者宅に郵送したところ,広畑製鐵所は,職制を通じて,これを回収するという明らかに「通信の秘密」(憲法21条2項)を犯す露骨な違法行為に出た。
キ 日本共産党を離党した者たちの例外なき昇格
上記のような説得を受けて日本共産党を離党した者たちは,例外なく離党後に主事に昇格している。広畑製鐵所が,上司らの説得を容れずに日本共産党を離れようとしない者に様々な攻撃,差別といった鞭を与え,説得を受け入れて離党していった者には昇格といった飴を与えることを,確固たる方針としていたことは明白である。
ク 教育受講上の差別
(ア) 原告P4について
昭和55年3月ころ,連続熱延工場ロール整備職場においては,従業員に対しクレーンの免許を取得するための便宜が図られており,多くの従業員が順次クレーンの免許を取得していったが,原告P4は,免許取得の意思を再三にわたって当時のP36工長に表明していたにもかかわらず,免許取得の機会が与えられなかった。
(イ) 原告P5について
原告P5が,造塊工として鍋整備職場に配属されていた当時,本工・下請を含めた作業者は,順次,試験を受けてフォークリフトの免許を取得しており,原告P5も何度も免許を取得させてもらうように上司に訴えてきたが,遂に免許取得の機会が与えられることはなかった。また,作業長が変わるたびに電気やガスの溶断溶接の教育についても受講を希望してきたが,受講の機会が与えられることはなかった。
ケ 職場における共産党員排除の画策
(ア) 昭和62年ころには,工長会や工長研修会等において,日本共産党の機関紙「赤旗」の購読に圧力をかけたこと,原告ら共産党員が行う門前ビラの受取拒否決議を行うよう画策したこと,レードル精錬職場のB組安全会議で,P25作業長が「共産党がいろいろ反対するのでやりにくい」と発言し,これを受けて職場の各小集団会議で,工長を中心に排除の具体的方法を決めようとしたことなどについて,日本共産党の姫路市会議員であるP7が製鋼工場長に「抗議と謝罪,是正措置を求める申入れ」を行った。
(イ) 広畑製鐵所では昭和41年からZD活動(後のJK活動)が導入された。これは,従業員を職場ごとに何人かのグループに分け,グループごとに安全活動,作業改善,設備改善等についての取組みを行うものであるが,原告P1は,当初メンバーから外され,労働組合が取り上げて問題化すると加入が認められるようになったものの,昭和63年ころ以降,再びメンバーから外されるようになった。また,原告P4に至っては,ZD活動の発足当初からメンバーから外され続けてきた。ZD活動では合理化に結びつくような作業改善や設備改善についての提案をさせており,共産党員がこうした提案に反対することは明らかであるから,少なくとも鋼片工場,製鋼工場,第4クラフトでは,共産党員の影響が他の従業員に及ぶことを回避するために,共産党員をZD活動から排除していた。
コ 門前ビラの配布等に対する妨害活動
原告ら共産党員は果敢に日本共産党の政党ビラ等を門前配布しているが,これに対しては,昭和62年ころ,工長会等で受取拒否が画策されただけでなく,同時期に職制が製鋼総合休憩所の風呂場からビラを受け取る労働者を望遠鏡でチェックしていることが判明した。このような監視は日常的に行われていたもので,ビラを受け取った者は,上司から個別に呼び出され「転勤のリストに載せるぞ」と恫喝されていた。
サ 各種スポーツ大会からの排除
原告ら共産党員は職場における各種スポーツ大会からも排除されてきた。
(ア) 尚和会主催のスポーツ大会からの排除
共産党員であるP47は,製鋼工場に配属されていたが,非常にスポーツが万能で,尚和会主催の職場大会のソフトボール大会やバレーボール大会では職場の主力選手であったのに,昭和62年ころから,こうしたスポーツ大会の選手に選ばれないようになった。P47が初めて選手から除外されたとき,上司であるP13掛長は「共産党員が入ってまで勝たんでいいじゃないか」という趣旨の発言をしている。
また,原告P4は,南宇和高校時代,野球部に所属し,夏の甲子園の愛媛県予選でベスト4に進出した際,捕手で5番を打っていた経歴の持ち主で,入社後,熱延工場に配属されてからも職場の野球チーム・熱延コンドルの捕手で4番バッターであり,昭和44年に開催された第13回高松宮杯全国大会にも出場し,昭和42年及び昭和44年に尚和会主催の部対抗野球大会で優勝した際にも攻守の要として活躍したが,昭和50年ころ,監督のP43から,突然「お前の力は必要だが上から外せと言われている。退部してくれないとお前を外して新チームを結成しないといかんことになる。悪いが身を引いてくれ」と言われ,退部を余儀なくされた。
被告は,監督や選手の選出には一切関与していないと主張するが,原告P4を退部させたP43の上記発言をみれば,共産党員及びその同調者の各種スポーツ大会からの排除が会社の主導によって行われていることは明白である。選手を選考するのは各職場の監督であっても,この監督はすべて直接会社から指名されており,監督自身が会社の息のかかった人間である以上,原告らの各種スポーツ大会からの排除に広畑製鐵所が関与していることも明らかである。
(イ) 職場単位の競技大会からの排除
広畑製鐵所では職場単位で対抗戦形式による水泳競技大会なども定期的に実施されている。この職場対抗戦は,親睦を主眼に全員参加で実施されるもので,原告P1も昭和61年までは,この水泳大会に選手として参加してきたが,昭和62年には,原告P1を選手から外して競技会を開催しようとしたところ,原告P1が事前に開催の情報を得て,選手になっていても出たくない年配の人の代わりに出場し,工長や掛長を苦り切らせた。しかしながら,昭和63年は原告P1が昼番のときに競技会を開催し,以降は大会開催の案内も一切来ないようになった。
シ 新年会,忘年会,激励会からの排除
広畑製鐵所内では,隔離職場である第4クラフト以外においては,職場ごとに新年会や忘年会が開かれていたが,昭和62年以降,共産党員やその同調者には全く声がかからず,日程自体が黙って決められるようになったため,共産党員や同調者は参加のしようがなくなった。こうした日程を調整するのは工長の仕事であり,忘年会や新年会からの排除も,会社主催の各種教育の下で会社の意を受けた工長が組織的にやっているものにほかならない。
ス P48の葬儀への対応
平成3年11月,製鋼工場に勤務していた共産党員のP48が癌で死亡したが,このとき,作業長,工場長は別にして,共産党員及び同調者以外の同僚は誰一人,通夜にも葬式にも来ていなかったのであって,このような異常な対応は,会社の意向を抜きにしてはあり得ない。
セ P48に対する草むしり作業の強制
また,P48は,生前,入退院を繰り返しながら癌と闘っている最中,会社に出勤したときには草むしりをやらされていた。これもP48が共産党員であったが故になされた嫌がらせであり,いじめである。
被告のような大企業において,入退院を繰り返して癌と闘病中で,医師からも就業制限を受け,特に筋的作業は不適とされている従業員を真夏の炎天下で草むしりに従事させること自体,異常極まりない措置である。P48が共産党員でなければ,草刈りのような室外作業に従事させられることなど絶対になかったはずである。
ソ 親族に対する差別
攻撃,差別を受けてきたのは共産党員である原告ら従業員だけではない。
原告P5の妻は,昭和41年か42年ころ,職安の紹介で広畑製鐵所の構内に支店を持つ日本通運への就職がほぼ決まっていたが,その2,3時間後に支店長から就職を取り消された。原告P5の妻は,「主人が共産党員だからですか」と尋ねたが,支店長は「申し訳ない」と平謝りするだけであった。
また,原告P5の妻は,昭和43年か44年ころ,広畑製鐵所の構内食堂で半年程働いていたところ,突然「明日からすぐにやめて欲しい。あなたはよく頑張っているんだが申し訳ないがやめていただきたい」と言われて辞めさせられたこともあったが,これも原告P5が共産党員であったこと以外に理由は考えられない。
共産党員に対しては,本人だけでなく,その家族に対しても陰湿な差別,嫌がらせが行われていた。
タ 第4クラフトへの隔離と人権侵害
被告の徹底した反共労務政策の下,原告ら共産党員及びその同調者に対して加えられてきた様々な攻撃,人権侵害の最たるものが,隔離職場である第4クラフトを設置し,原告らを含む多くの共産党員及びその同調者を配転して隔離し,ここでもまた様々な嫌がらせを加えてきたことである。原告らの第4クラフトへの配転は,業務上の必要性が認められないだけでなく,まさに原告ら共産党員を隔離するという不当な動機・目的に基づくものである。
(ア) 第4クラフトの設立理由についての被告の説明の矛盾
a 新たな部署を設置する必要性(第4クラフトの業務)
第4クラフトの業務内容は,製缶品製作,もえ炉製作,塗装であるが,昭和63年の名称改変当時から第4クラフトの設置後も,製缶品製作は第2クラフトの業務とされ,塗装業務もまた第3クラフトの業務とされ続けているのであるから,製缶品製作や塗装を担当させるために新たな専門部署を発足させる必要は全くない。
また,もえ炉製作についても,当初は第2クラフトが製作を,第3クラフトが塗装を担当することになっていたのであるから,わざわざ新たな部署を発足させて第2クラフトから製作業務を外す必要も存しない。
したがって,第4クラフトは,新規事業の展開を目的とするものではないどころか,その担当業務は,すべて第2クラフト及び第3クラフトで賄えるものであった。
b 突然に素人集団を集めた部署を設置する必要性
被告は,新設備班の時代から第2クラフトと第3クラフトの業務に高度の知識,技能を要する業務と基礎技能で対応できる業務が混在していることによる支障が生じていたものと主張するが,昭和63年11月当時,クラフトセンターにおいては,中でも製鋼やコークスなどの職場から大量の余剰人員を受け入れることが予測されていたところ,第1クラフトの業務と関連する電気整備以外には,第2クラフトや第3クラフトの業務と関連する技能を持った者が働いている職場は,機械整備,設備管理,土建及びUBのみであって,製缶,塗装及び解体について何ら技能を有しない素人を大量に受け入れなければならないことは当初から予測されていた。新設備班の時代から何らかの支障が生じていたのであれば,クラフトセンターと改称し,組織を独立させる昭和63年11月の時点で当然にその見直しがなされているはずであり,平成元年7月になって突然に班編成の見直しをするということ自体が不合理極まりない。
c 売上目標を突然に倍にしたという説明の信用性
被告は,昭和63年12月末には,クラフトセンターの売上目標を前年度の年間2億円から4億円と倍増する設備部の方針が示され,この目標を達成するために第4クラフトを設置して技能集団と素人集団を別々の部署に配属する必要が生じたものと主張するが,余剰人員の受皿職場で,素人が大量に投入されることが予定されており,教育中心の運営方針を固めたばかりのクラフトセンターが,独立後わずか1か月で売上目標を倍にするということ自体が信じ難い。
また,被告の主張によれば,売上目標が倍増されたのは昭和63年12月末であるが,その3か月後である平成元年4月5日に発行された「労泉ニュース」には,クラフトセンターの位置づけ及び事業展開方法に関し「人員投入に当たっては,当該部門の技能者と配転者を組み合わせ,作業品質を維持しつつ,早期立ち上げを図っていく所存である」と説明されており,第4クラフトの設置の真の理由が売上目標を倍増したことと関係ないことは明らかである。
d 技能的アマを第4クラフトに配属しなかったことの矛盾
被告が,真実,業務の効率化,売上の倍増を目指して技能集団と素人集団を別々の部署に配属する必要があれば,従前からクラフトセンターに配属されていた者の中でアマやセミプロに分類された者は当然に第4クラフトに配属換えされて然るべきであり,昭和64年1月1日付けでクラフトセンターに配属された者の中でも6か月の研修で一定の技能を身に付けた者は第2,第3クラフトのいずれかに配転されるべきである。
しかるに昭和64年1月1日付けでクラフトセンターに配転された14名は,全員,研修後に第4クラフトに配属され,第1クラフトから第3クラフトに従前から所属していた者の中で第4クラフトに配属換えとなった者は一人もいない。
e 平成5年7月に分散配置をしたこととの矛盾
平成5年上半期にクラフトセンターに配転された25名の大半は,製缶,塗装,解体の素人である。クラフトセンターが技能集団と素人集団を別々の部署に配属させる方針を有していたのなら,当然その全員が第4クラフトに配属されることになるはずであるが,この25名はすべて第2及び第3クラフトに分散配置され,第4クラフトに配属された者はない。また,この25名の中に共産党員及びその同調者は一人もいない。
被告は,上記25名を第4クラフトないし第5クラフトに配属すると,既に一定の技能水準に達していた第4クラフトの生産効率を低下させるものと主張するが,そこが教育中心となって効率が落ちることになるのであれば,素人集団を集めた第4クラフト自体が教育中心となって効率が落ちることを覚悟で設置された部署ということになり,業務の効率化,売上増を目的として第4クラフトを設置したという被告の説明自体が虚偽ということになる。
また,第4クラフトが担当する業務はもえ炉の製作,塗装であるが,平成5年当時においても技能的な素人が一定の研修を受けてもえ炉の製作に従事することは可能であった。もえ炉の年間生産個数が550台にまで激減するのは平成7年であって,25名が分散配置された平成5年当時,これらの者に従事させるもえ炉製作の仕事は十分にあった。塗装についても,数年置きに周期的に同じ場所の塗装をし直す必要があるところ,広大な広畑製鐵所内において塗装が必要な場所は平成5年当時にもいくらでもあり,平成元年と違って基礎技能で対応している仕事が減っていたという事実も存しない。しかも,平成4年6月時点ではもえ炉の製作は好調であり,外部支出の抑制を果たすために,環境整備や修繕の事業を従前以上にクラフトセンターで処理していくことが決まっていた。
(イ) 第4クラフトに配属された共産党員及びその同調者の比率
平成6年7月1日までに第4クラフトに配属された者のうち,昭和64年1月1日付けでクラフトセンターへ配転された14名は全員が研修終了後の平成元年7月から第4クラフトに配属されているが,原告P2,同P3,同P4を含む6名が共産党員及びその同調者である。
第4クラフトにはその後も数次にわたって生産ラインから余剰人員の受入れを行っており,平成4年6月1日付けで原告P1が第4クラフト配属となった時点では,作業長を除く28名のうち12名が共産党員及びその同調者である。
その後の平成5年7月1日に第4クラフトに配属になった者の中に共産党員及びその同調者はいないが,これは原告P1が地労委に不当労働行為救済の申立てを行ったことと無関係ではない。平成6年7月1日の時点を見ても,31名のうち12名が共産党員ないしその同調者である。
このころの広畑製鐵所の従業員数は約2500名であるが,その中で共産党員及びその同調者は,過去の会社からの様々な攻撃もあってわずか約50名であり,全体の2%にすぎない。一つの職場の約4割を共産党員及びその同調者が占めるというのはその数字だけを見ても異常であり,他にそのような職場はどこにもない。
なお,第4クラフトに配属された共産党員及びその同調者が,全従業員の5割を超えたことは一度もないが,これは5割を超えると,共産党員及びその同調者が第4クラフトの多数派となり,朝礼やJK活動においてもイニシアティブを握られ,また後述するような人権侵害を加えることも困難となるだけでなく,何よりも第4クラフトから選挙で選出される職場評議委員が原告ら共産党員及びその同調者から選出されることになり,組合の意思決定に原告らの意向が反映されることになってしまうからである。
(ウ) 第4クラフトの詰所の場所
平成元年7月の第4クラフトの発足当初,第1ないし第3クラフトの詰所は同じ建物内にあったが,第4クラフトの詰所はその建物から遠く離れた別の建物に置かれた。平成4年1月には,第1ないし第3クラフトの詰所は第4クラフトの詰所の近くに移転されたが,やはり第4クラフトの詰所とは別の建物であった。また,第4クラフトの詰所が木造の古びた建物であるのに対し,第1ないし第3クラフトの詰所は鉄筋造りの建物であり,移転に際して,第1ないし第4クラフトまでの詰所が一つの建物内に置かれることもなく,第4クラフトの詰所もまた第1ないし第3クラフトから隔離されていた。
被告は,第1ないし第3クラフト及び電気計装クラフトの詰所に新たにクラフトセンターに配属された人員を収容するスペースがなかったものと主張するが,平成3年6月以降,第2,第4クラフトの合同作業が行われているのであるから,1つの詰所に集めることが不可能であるなら,作業効率という観点から,第2クラフトに所属する者と第4クラフトで製缶作業に従事する者を第4クラフトの詰所に集め,その余の者を新しい詰所に集めるのが効率的であるが,これを検討した節は全くない。そもそも,平成元年上半期のクラフトセンターの人員はピークで102名であり,わざわざ第4クラフトの詰所だけを別に設ける必要など全くなかった。
(エ) 原告らをクラフトセンターに配転する業務上の必要性,人選の合理性
a 原告P1
(a) 被告は,平成4年6月1日付けのクラフトセンターへの所内配転は,クラフトセンターからの要望によるものであると主張するが,余剰人員の受入れ職場であるクラフトセンターから積極的に人員の配置を求めるということ自体が一般的に理解できない。
また,第1ないし第4クラフトは,基本的にそれぞれ別の業務を担当しているので,どのクラフトの人員が足りないのかが事前に明確になっているはずであるが,その検討はされていない。
しかも,平成4年4月ころには,クラフトセンターから11名もの人員を日鐵建材工業に出向させる旨が労働人事室に打診され,この出向が同年7月1日付けで実現されている。クラフトセンターから11名が出向すれば,5名の配転を受けてもマイナス6名となるが,クラフトセンターへの配転は,高炉休止に伴い25名が配転される平成5年7月までの1年間全く実施されておらず,日鐵建材工業への大量の出向を実施した直後に人員を補充した形跡はない。クラフトセンターの人員には余剰があり,日鐵建材工業への出向を6名に止めれば所内配転を実施する必要もなかった。
(b) 原告P1は,面接に際し,生産ラインに残りたいと述べて出向及び配転を拒否していたのに対し,同じカッター職場に所属するP49,P50,P51は,出向及び所内配転に前向きな意向を示していたにもかかわらず,結局,連続鋳造掛の精整職場に配置換えとなっているが,上記3名は,いずれもクラフトセンターの業務をこなしていくだけの適正を有していたのであるから,配転は上記3名の中から人選すべきであった。
(c) 原告P1に対する面接は,平成4年5月の18日,19日,20日,25日と4回実施されているが,このとき,4回も面接が行われた者は原告P1以外にいない。特に2回目と3回目の面接はいずれも午後10時30分ころから深夜0時まで及んだほか,3回目の面接まではP13掛長のほか作業長3名が原告P1を取り囲むようにして行い,メモを取ることを許さないなど異常な雰囲気の中で行われた。
また,P13掛長は,2回目の面接の冒頭において「P1さんにはクラフトセンターへ行ってもらうことになりました」と告げ,同月30日には,原告P1の名前の載っていない連続鋳造掛の新編成表を職場に張り出しており,原告P1のクラフトセンターへの配転は,面接終了前に決定されていたのである。
b 原告P2
原告P2に対する面接は昭和63年10月に2回行われ,面接を担当したのはいずれもP14作業長とP52掛長であったが,原告P2は2回とも「同じ仕事をしたいので吉川工業に出向します」「長年働いた職場に残りたい」旨を明確に述べたが,同年12月,ロール整備職場の詰所に呼ばれ,P52掛長から「クラフトに行ってもらう。決定した」と言われ,昭和64年1月4日,辞令を渡された。
中期総合計画,新中期総合計画に基づく被告の合理化は,大量の従業員を転勤,出向させることによって実現されてきたもので,従前,出向希望を有する者を所内配転した例などない。原告P2は,出向希望を有していたものであって,出向させることなく,クラフトセンターへ配転させられなければならない理由は皆無である。
c 原告P3
原告P3に対する面接は昭和63年10月から11月にかけて3回行われたが,原告P3は,1回目の面接においてP14作業長から大分転勤を打診され「嫌だ。生産ラインに残してほしい」と答えたが「ラインの仕事は若い者じゃないと持たない」と言われたため「ラインへの配転が無理なら今の仕事と同じ仕事をしたいから,出向する」旨を答えたところ,P14作業長から「それなら広畑鋼板に聞いてみる」との回答を得た。ところが,2回目の面接では,P14作業長から「広畑鋼板から『自分の方にも選ぶ権利がある』と言われて出向は断られた。所内配転で考える」と言われ,3回目の面接で「クラフトセンターに行ってもらう」と告げられた。
しかしながら,クラフトセンター以外の生産ライン等に所内配転となった者の半分以上が原告P3より年配であるほか,広畑鋼板へ出向となった者13名のうち原告P3より若い者はわずかに1名しかいない。広畑鋼板から断られた理由は,原告P3が共産党員であることをおいて他に考えられないが,かかる事実は被告が教えない限り広畑鋼板の知り得る情報でないだけでないし,広畑鋼板は被告の関連子会社であって,被告の意向を拒絶できる立場にはないから,それはまさに被告が欲した結果である。
また,当時,機械運転掛に所属する共産党員及びその同調者は,原告P2,原告P3とP53の3名であったが,この3名はすべてクラフトセンターへ配転させられており,原告P2及び原告P3に対するクラフトセンターへの配転が共産党員及びその同調者を狙い撃ちした配転であることは明らかである。
d 原告P4
原告P4は昭和63年12月にP15作業長から2回にわたって面接を受けた。1回目の面接では「クラフトセンターに行ってくれ。嫌なら転勤,出向でもよいか」と打診され,原告P4が「どちらも嫌だ。精整掛に残してほしい」と答えると,「他の者を聞いてから判断する」と答えたが,2回目の面接では「精整には役付以外の者は若い人を残す。クラフトセンターに行って,解体,塗装,溶接といった新しい仕事を覚えてくれ。定年になっても役に立つだろう」と言われ,不本意ながらこれに応じたものであるが,「若い人を残す」というP15作業長の説明は全くの虚偽であった。
なお,原告P4は,P15作業長の説明を信用し,また,当時,第4クラフトが存在せず,まさか自分が配転になる職場が差別職場だとは考えてもいなかったことから配転に特段の異議は述べていない。
また,このときクラフトセンターへ配転となった者は,原告P4,P54,P55,P41の4名であるが,精整掛における共産党員及びその同調者は,原告P4とP41だけであったところ,両名とも,第4クラフトへ配属となっている。
e 原告P5
(a) 原告P5は,平成2年9月ころ,鍋整備職場から混銑炉職場に配置換えになったが,その際,P16掛長から,混銑炉職場への配置換えが一時的なものであると説明を受け,研修の実が上がれば元の職場へ復帰できると考えて混銑炉職場への配置換えに同意した。なお,ほぼ同時期に鍋整備職場から混銑炉職場に配置換えとなったP56,P57及びP47の3名も共産党員であり,原告P5と同様の説明を受けて配置換えに従った。これにより,混銑炉職場8名のうち,役付でない者4名はすべて共産党員となった。
(b) ところが,平成3年3月ころ,P16掛長は,原告P5,P56,P57及びP47を順次呼び出して面接を行い,「混銑炉職場が間もなく業務移管という形でなくなるのでクラフトに行って下さい」と述べ,原告P5らの抗議にも耳を貸さず,クラフトセンターへの配転を強行した。
(c) 上記のとおり,原告P5に対するクラフトセンターへの配転は,混銑炉職場への配置換え当時の約束を反故にしたものであるが,被告は,原告P5らを混銑炉職場に配置するに際し,近い将来,高炉休止により混銑炉職場が廃止されたときには,同人らを生産ラインから放逐することを狙いとしていたことは明白である。
なお,原告P5,P56,P57及びP47は,4名とも第4クラフトに配属されているが,共産党員4名のみが偶然に研修の名のもとに廃止が予定されていた職場に配置換えされ,最終的に第4クラフトに配属されることなどあり得るはずがない。上記4名の配置換えと第4クラフトへの配転は,鍋整備職場における共産党員を狙い撃ちした措置であることは明白である。
(オ) 第4クラフトにおける人権侵害
原告らは,単に隔離されただけでなく,第4クラフトに在籍中,第4クラフトの他の従業員から,以下のとおり,様々な嫌がらせを受け,職場での孤立化を余儀なくされてきた。
a 呼捨て
第4クラフトに配属された従業員は相対的に勤続年数も長いベテラン揃いであるが,原告ら共産党員及びその同調者たちは,他の従業員から呼び捨てにされ続け,原告らがこれに抗議すると,すべての従業員間で全員が呼捨てにされるようになった。これは,会社(職制)の主導の下に,原告ら共産党員に対する嫌がらせとして行われたものである。
b 入浴
第4クラフトの従業員は,作業終了後,詰所にある風呂に入浴するが,共産党員及び同調者以外の者は,仕事以外では決して原告ら共産党員及びその同調者と口を利かない方針を取っており,一緒に入浴すれば,原告らから話しかけられた場合に口を開かざるを得ないため,決して原告ら共産党員及びその同調者とは一緒に入浴をしなかった。
c コーヒー会からの排除
第4クラフトには原告ら共産党員及び同調者以外の者の中には,互いに金を出し合ってコーヒーや砂糖等を買い,朝の作業時間前や休憩時間内にコーヒーを入れて飲んでいるグループがあったが,原告ら共産党員及び同調者はこのグループに入れてもらえず,個人でコーヒー等を用意して飲まざるを得なかった。
d 歓送迎会,忘年会,新年会
第4クラフトにおいて歓送迎会が開かれたことは一切なく,職場として忘年会,新年会が開かれたことも一度もなかったが,歓迎会や送別会等の名称を付さずに「気の合う者同士」という名目で,原告ら共産党員を排除した飲み会が行われている。
e 香典,見舞い
第4クラフトにおいては,平成2年1月に共産党員のP22の実母が亡くなった際,職場から香典が出されることはなく,原告ら同調者以外の者は個人的に香典をすることもなかった。その後,P58作業長から,職場から香典等をしない旨の方針が出されたが,作業長がこのような提案をすること自体,異常極まりなく,第4クラフトを殺伐とした職場にすることを企図していたとしか考えられず,これが会社の主導で作り上げられたものであることを端的に示唆している。
f ミスの過大視
第4クラフトでは,共産党員及びその同調者のミスが過大視されてきた。原告P3が溶接機の接続を間違えた際は,何回も全従業員を集めて対策会議が開かれ,原告P3を吊るし上げるようにミスの重大性が強調されたが,平成5年9月7日,P58作業長の指示で行われた作業でヒヤリ災害が発生した際は,これが隠されてしまった。また,P59工長がクレーンの運転事故を起こした際,部分的な塗装班だけの対策会議が開かれたのみで,全体の対策会議は開かれなかった。
なお,被告は,原告P3が始末書を提出したと主張するが,これはP60作業長が,原告P3の提出した書面に「始末書」というタイトルを書き加え,P3の印鑑を押したものであり,懲戒処分をでっち上げたものである。
g 退職時の仕打ち
原告P3を除く原告らは,既に広畑製鐵所を年満退職しているが,第4クラフトにおいては,送別会さえ開催されず,原告ら共産党員のみが,退職者が同僚の面前で最後の挨拶を行うことさえ妨害されている。
(カ) 第4クラフトを設置した真の目的
以上に述べた第4クラフト設置の経緯,特に被告の説明する第4クラフトの設置理由が矛盾に満ちていることに加え,第4クラフトに配属された共産党員及びその同調者の比率,第4クラフトの詰所の場所,原告らをクラフトセンターに配属させる業務上の必要性,人選の合理性の欠如,そして,平成9年4月1日に突然に第4クラフトを解体させたことなどに鑑みれば,第4クラフトが,原告ら共産党員及びその同調者の影響が他の従業員に及ぶことを阻止するために,共産党員及びその同調者を隔離するために設置されたものであることは明白である。
昭和61年以降,高炉存続を求める各種運動が大きな盛り上がりを見せる中,被告としては,高炉休止をスムーズに実現するために,従業員の高炉存続,雇用の確保を求める声を押さえる必要があり,そのために,広畑製鐵所における共産党員及びその同調者の影響が他の従業員に及ばないよう,これを隔離する必要があった。クラフトセンター,特に第4クラフトはまさに,そのような動機に基づいて設置された「隔離職場」にほかならず,その後,高炉休止が延期される最中,原告ら共産党員及びその同調者は,第4クラフトに次々と隔離されていったのである。
(キ) 嫌がらせ,人権侵害の主体
本件において,原告らに嫌がらせ,人権侵害を行っている者は,単なる一般従業員ではなく,広労研の会員である。
第4クラフトには,機械整備室に所属する広労研の会員17名のうち11名が配属されている。被告は,意識的に左翼対策の使命を帯びた広労研の会員を第4クラフトに集め,様々な嫌がらせをやらせているのであり,これらの一連の行為は,被告の方針としてなされたものである。
(被告の主張)
ア スパイP26の摘発について
原告らは,γ党報(甲165)を基に,P26が被告のスパイであり,同人から誰が共産党員であったのかの情報を得ていた旨を主張しているところ,原告らがP26を被告のスパイと決めつけている根拠は,P26が昼間の会議に出席する時でも必ず一度被告に出社していたことや,職場の中で印刷まで平気でしていたというところにあるが,この点をもって被告のスパイであったという主張は余りに飛躍しすぎており,牽強付会以外の何物でもない。被告がP26をスパイとして共産党の情報を得ていたという事実は一切存しないし,原告らの立証も一切ない。
イ 原告P1に対するスパイ強要について
原告らは,原告P1が従前全く面識のない保安課の者からしつこくスパイを強要されたものと主張するが,従前全く面識のない者を使って接触を図ること自体極めて不自然なことであり,常識からしてあり得ないことである。被告が関与してスパイを強要したなどという事実は一切存しない。もし原告らの主張するような事実経過があったとしても,被告とは全く関わりのない別の次元の問題としか考えられない。
ウ 原告らに対する賃金差別の開始時期について
原告らは,日本共産党への入党直後に入党の事実を広畑製鐵所に把握されていたと主張するが,被告が原告らが共産党員であることを認識したのは,地労委において原告P1が共産党員及びその同調者を明らかにした以降である。
また,原告らは,民青や日本共産党に加盟ないし入党した後から昇給率が年々下げられるようになったものと主張するところ,原告P1及び原告P5については,その陳述書等に昇給率等の数値が記載されているが,原告P2,原告P3及び原告P4については,上記のような数値はおろか,同期・同学歴との比較について具体的な立証は一切されておらず,その主張には何の根拠もない。
(ア) 原告らは,被告が原告らの入党した直後に原告らが共産党員である旨の認識を持ち,賃金差別を開始したものと主張しているが,原告らの主張する賃金差別の時期は,原告P1は民青加盟直後,原告P3及び原告P5は,民青加盟後ではなく日本共産党入党後,原告P2は日本共産党入党の3年後,原告P5は日本共産党入党の2年後というように個々人によって差が生じている。被告が思想信条を理由に賃金差別をするのであれば,このような時期に差が生じるはずがない。この点から見ても,原告らの主張は事実をねじ曲げた一方的な解釈にすぎず,何ら合理性を有するものではない。
なお,原告P2は,昭和36年8月から2年間は組合役員をしていたため,賃金差別が遅れたものと主張するが,その一方で,原告P1は,評議員に当選したことから昇給率が低下し,差別が開始されたとして正反対の主張をしており,原告らの主張には一貫性がなく,それぞれの信憑性には大きな疑問がある。
(イ) 原告P1及び原告P5は,その陳述書等において,昭和30年代後半から昭和40年代前半の昇給及び一時金の数値を示し,賃金差別が開始された時期を陳述しているが,当時の給与制度からしてそれが誤りであることは明らかである。
昭和42年10月に職能制度が導入されるまでは,各人の日給額に応じた昇給区分ごとに平均昇給金額が決定されていた。
前年より昇給区分が上がれば,その昇給区分における平均昇給額より昇給額が低くなるのは当然のことであり,このことは,現行制度においても,昇給昇格した直後から昇給後の資格における昇給額の平均額とならないことと同じである。しかるに,原告P1及び原告P5は,こういった昇給区分の変化には触れず,平均昇給額に対する比較のみをもって賃金差別が開始されたものと主張している。いくら同じ昇給区分の中で平均を上回る評価を受けていた者であっても,昇給区分が上昇することで平均以下となり,その後,能力の伸張に応じて賃金が上昇していくということは明らかであることからしても,原告らの主張は事実を曲解した一方的な主張である。
エ 職場における共産党排除の画策について
原告らは,ZD(後のJK活動)からも排除されたと主張しているが,ZD活動はあくまで自主的な活動であって,職場全員に対して強制的にZD活動をさせたり,そのメンバーを被告が直接指定することもない。
また,原告らは,原告P1及び原告P4がZD活動から排除されたと主張しているが,原稿P1と同じ製鋼工場であった原告P5はそのような主張を一切しておらず,また,原告P2及び原告P3に至っては,ZD活動をしていたことに加えて,そのリーダーをしたことがあるとも主張している。被告が思想信条を理由とする差別の道具としてZD活動から共産党員を排除していたのであれば,原告ごとに異なる対応を執るはずもないから,原告らの主張は事実を曲解した一方的な主張である。
オ 各種スポーツ大会からの排除について
スポーツ大会への参加者は,基本的には参加するチームで決めるが,それぞれの大会の実施要項等を踏まえて,職場の中で選手を決めていくことになる。各職場の公平感を担保するため,年齢制限や役職制限等の制限選手という条件は付けるが,被告は監督や選手の選出には一切関与していない。原告らは,選手としてスポーツ大会に出場できないことが差別であるかのような主張をしているが,原告らも若いときは選手として出場していたわけで,一般的に年齢とともに選手としての出場機会が少なくなるのは当然のことであり,スポーツ大会から排除されたとの原告らの主張は失当である。
原告らは,原告P4が熱延コンドルという軟式野球のチームから退部を余儀なくされたものと主張するが,この熱延コンドルというチームは,単なる職場の野球好きの者同士が作る軟式野球の同好会であって,尚和会に所属するチームではないから,監督や選手の人選,ましてや部の運営に至るまで,被告が関与する余地など一切あり得ない。
また,原告らは,原告P1についても,昭和63年は原告P1が昼番のときに競技会を開催し,以降は大会開催の案内も一切来ないようになったと主張するが,そもそも職場単位で行われる水泳大会は,尚和会主催の工場対抗競技の選手選考のために開催されるものであり,しかも,原告P1のように3交替勤務の場合,必ず業務の都合上参加できない者もおり,たまたま昭和63年の開催が勤務日であるということからスポーツ大会から排除されたという主張は被害妄想以外の何物でもない。大会開催の案内が来ていないというのも,平成元年を最後に,尚和会が主催する水泳大会が廃止されたのに伴って,製鋼工場においても水泳大会を開催していないだけのことであって,このことを基にスポーツ大会から排除されたという主張は失当である。
原告らの同調者であるP47もまた,昭和62年ころからスポーツ大会から排除されたと主張するが,原告P4は,昭和50年当時からスポーツ大会から排除されていたと主張している。仮に被告の関与により原告らをスポーツ大会から排除したのであれば,対象者ごとにこのような時期のずれが生じるはずもなく,原告らは,偶々選手から外れた事実を曲解して差別と主張しているにすぎない。
カ 新年会,忘年会,歓送迎会について
原告らは,忘年会や新年会,送別会等についても差別があると主張しているが,忘年会や新年会を被告主催で実施することは一切ない。また,最近ではマイカー通勤が大半であることに加え,個人主義的な考え方も多く,所内全般を見渡しても,職場を上げて忘年会や新年会などの行事を実施することは少なくなっている。
また,歓送迎会については,定年退職や転籍で退職者を対象にした会社主催の年満退社式・慰労会があるところ,原告P5は,当日都合が悪いということで欠席したものの,原告P2,原告P4及び原告P1は,いずれもこれに出席していた。それとは別に,各職場で歓送迎会を実施しているところもあるが,被告が関与することは一切なく,事実どういう形で実施されているのかは知る余地もない。
以上のように,個人の都合による出欠は別として,原告らも被告会社主催で実施する行事には出席しており,各職場ごとの事情で忘年会や新年会,歓送迎会が当然のごとく実施されていると決めつけ,実施されないことを差別と主張する原告らの主張は失当である。
キ P48の葬儀への対応
原告らは,P48が死亡した際,共産党員及び同調者以外の同僚は誰一人通夜にも葬式にも来ていなかったと主張するが,そのような事実はない。
葬儀への参列は,被告が強制するものでもなく,あくまで個人の判断で行うべきものであり,葬儀への参列を被告が強制することこそ問題である。P48の葬儀に共産党員以外の同僚が誰一人出席しないことをもって被告が関与しているかのごとく述べる原告らの主張は,余りにも飛躍しすぎている。
被告の対応は,P48についても,生花・香料に加え,退職手当の支給,遺児育英年金の支給,更に遺族厚生年金の手続の手伝い等,他の死亡退職者と何ら変わらないものであって,原告らの主張は,事実を歪曲した一方的なものと言わざるを得ない。
ク P48に対する草むしり作業の強制について
原告らは,P48が就業制限を受けた際,草むしりを含む軽作業を行ったことについて,共産党員が故の差別であると主張しているが,就業制限に基づいてP48が元の職場を離れたのは,平成2年7月23日から同年8月23日までのわずか1か月間のことである。広畑製鐵所では,就業制限によって本来の業務ができない場合には,同様の軽作業に就かせるケースが多く,P48にだけそのような作業をさせたものではない。また,当然ノルマもなく,体調と相談してできる範囲でやればよいとしていたものであり,あたかも強制的に作業させられていたという主張は誤りである。
ケ 第4クラフトへの隔離と人権侵害について
(ア) 第4クラフトの設立理由について
a 昭和63年11月当時,第2クラフトは,主に機械整備室工作掛に所属していた者で編成され,製缶品やもえ炉の製作業務を主に担当していた。また,第3クラフトは,主に機械設備班の塗装グループ及び解体グループに所属していた者で編成され,塗装作業,もえ炉塗装作業,解体作業などを主に担当していた。
ところが,第2クラフト及び第3クラフトの業務には,高度の知識,技能を要する業務から基礎技能で対応し得る業務までが混在していたため,第2クラフト及び第3クラフトに所属した者は,長年の経験やその間に培った高い知識,技能を有していたにもかかわらず,基礎技能で対処し得る業務にまで対応せざるを得なかった。また,もえ炉についても,製作は第2クラフトが当たり,塗装は第3クラフトが,しかも第2クラフトの作業場にまで出向いて行って塗装に当たるという工程上のロスを生じていた。
このような状況の中で,昭和63年12月末,設備部から,クラフトセンターの売上目標を前年度の年間2億円から4億円に倍増する方針が示されたが,この目標を達成するためには,高度の知識,技能を有する人材を最大限にかつ効率的に活用することが必須の条件であった。そこで,昭和64年(平成元年)1月以降,種々の検討を重ねた結果,高度の知識,技能を有する人材をできる限り付加価値の高い業務に特化すべく,クラフトセンター内の役割分担を見直し,第2クラフト,第3クラフトの従前の業務のうち,小物製缶品製作,環境美化塗装など基礎技能で対処し得るものについては,これを分離,集約して新たに設ける第4クラフトで担当することとし,これにより,第2クラフトは大型製缶品,高付加価値製品などを中心に取り組むこととなり,第3クラフトも複雑構造物,高度の塗装品質を求められる物件など高度の知識,技能を要する業務を中心に取り組むこととなった。また,これに伴い,もえ炉については第4クラフトで製作から塗装まで一貫して担当することとなった。
b 原告らの主張に対する反論
(a) 売上目標を突然に倍にしたという説明の信用性について
原告らは,売上目標が倍増された3か月後である平成元年4月5日に発行された「労泉ニュース」の記載を問題にしているが,かかる記載は,クラフトセンターにおいて未だ第4クラフトの設置が決定されていない時期のものであり,設備部が売上目標を年間4億円に倍増する目標を掲げたことは,「昭和64年設備部方針」に明記されているとおり,紛れもない事実である。
(b) 技能的アマを第4クラフトに配属しなかったことの矛盾について
原告らは,真実,業務の効率化,売上の倍増を目指すために技能集団と素人集団を別々の部署に配属する必要があれば,アマやセミプロに分類された者は当然に第4クラフトに配属換えされるべきであるし,昭和64年1月1日付けでクラフトセンターに配属された者の中でも,6か月の研修で一定の技能を身に付けた者は第2クラフト,第3クラフトのいずれかに配転されるべきであると主張するが,「クラフトセンター運営方針」においてアマに分類されている6名は,第4クラフトが設けられた平成元年7月1日の時点では,既に1年の経験を積み,それぞれのグループの中で一定の役割を果たしていたことから,昭和64年1月1日付けの異動者(全くの未経験者)とは一緒にせず,既存のグループの中で活用したものである。また,セミプロに分類された者は,当然のことながら上記6名より経験,能力が高く,全くの未経験者と同じレベルで論じることができないのは言うまでもない。
(c) 平成5年7月に分散配置したこととの矛盾について
原告らは,平成5年7月にクラフトセンターに配転された25名がすべて第1クラフトないし第4クラフトに分散配置されたことを捉えて,被告の主張は矛盾を来しているものと主張するが(なお,原告らは,上記25名中第4クラフトに配属された者は誰もいない旨主張するが,上記25名中4名は第4クラフトに配属されている。),原告らの上記主張は何ら理由のないものである。
平成5年7月にクラフトセンターに配属された上記25名は,いずれも製缶あるいは塗装の業務については経験を有しない者であったが,クラフトセンターでは,その配属先に関し,①25名を第4クラフトに配属し,既に第4クラフトの中で一定の技術を身に付けている者を第2クラフト,第3クラフトに玉突き配転する,②新たに素人のみを集めた第5クラフトを設置し,ここに配属する,③第2クラフトないし第4クラフトに分散配置するという3つのパターンが検討された。しかしながら,素人集団のみで第5クラフトを設ける②の方法は,第4クラフトが設けられた平成元年当時のバブル期と異なり,平成5年ころには基礎技能のみで対応できる業務が減少し,25名が従事するに足る業務量を確保することが困難な状況にあったことから,断念せざるを得なかった。また,上記25名を第4クラフトに配属して,玉突き配転を行う①の方法も,既に一定の技能水準に達していた第4クラフトの生産効率を著しく低下させること,及び上記配属により再び素人集団化する第4クラフトには,上記のとおり基礎技能のみで対応し得る業務量を確保することが困難な状況にあったことから,やはり断念せざるを得ず,上記25名については,最終的に第1クラフトないし第4クラフトに分散配置する方法が取られることになったものである。
また,原告らは,「もえ炉」の業務量が低下していなかった旨主張するが,「もえ炉」は製缶業務の一部であり,投入工数はクラフトセンター全体の5ないし6%程度にすぎず,その業務量が低下していなかったからといって,基礎技能のみで対応できる業務量が確保できていたとは到底言えない。
(イ) 第4クラフトに配属された共産党員及び同調者の比率について
原告らは,第4クラフトに配属された者のうち共産党員及びその同調者の占める割合が他の職場に比して異常に高い旨主張する。
しかしながら,原告らが上記主張の根拠としているのは原告P1が作成したという甲第63号証及び同原告の証言にすぎない。また,原告らの主張が成り立つためには,被告側が各職場における共産党員や同調者の顔ぶれ等を正確に把握していたことが前提となるが,もとよりそのような事実は存在しないし,そのような立証も何らされていない。被告としては原告側が主張するような「共産党員及びその同調者の比率」などということについては全く関知しないものであって,原告らの上記主張はいわれなきものである。
(ウ) 第4クラフトの詰所の場所について
原告らは,第4クラフトの詰所が第1ないし第3クラフトから隔離されていたものと主張するが,第4クラフトの詰所がかつての機械整備室機械工事掛の休憩所に設けられたのは,第1ないし第3クラフト及び電気計装クラフトの詰所には,新たにクラフトセンターに配属された人員を収容するスペースが存在せず,また,将来高炉が休止したときには更に多数の者がクラフトセンターに配属される見通しであったためである。
しかして,第1ないし第3クラフトの詰所は,平成4年には,第4クラフトの詰所の近くに移転しており,第4クラフトの詰所が隔離された旨の原告らの主張は事実を著しくねじ曲げるものである。
被告に第4クラフトの詰所を隔離する意図などなかったことは,上記のとおり,その後第4クラフトと第1クラフトないし第3クラフトの詰所が近接した位置に設けられていることからも明らかである。また,第4クラフトに配属された者は,その後経験を積み,製缶や塗装の技術が次第に向上するにつれて第2クラフトや第3クラフトの者と混在して合同作業に従事しており,被告に第4クラフトの社員を隔離する方針があれば,かかる作業の進め方は考えられないところであり,この点からしても原告らの主張するような「隔離」などといった意図,目的など存在しないことは明らかである。
(エ) 原告らをクラフトセンターに配転する必要性,人選の合理性について
a 原告P1
(a) 広畑製鐵所は,平成4年4月ころ,同年6月1日付けで製鋼工場から2名,錫メッキ工場から1名,コークス工場から2名の合計5名をクラフトセンターに所内配転する方針を決めているが,この所内配転は,当時,年満退職者が3名見込まれ,製缶・塗装とも受注が堅調で多忙であったクラフトセンターからの要望によるものである。
原告らは,平成4年4月ころには,クラフトセンターから11名もの人員を日鐵建材工業に出向させる旨が労働人事室に打診されていることなどから,クラフトセンターの人員には余剰があり,日鐵建材工業への出向を6名に止めれば所内配転を実施する必要もなかったものと主張するが,クラフトセンターは,余剰人員の受皿職場の性格も併せ持っているところ,上記出向は,被告の雇用確保の一策である企業誘致施策の一環として実施されたものであり,被告の重要課題の1つであった余力人員活用策のより積極的な推進策として行われたものであり,原告らの主張はこのような被告の状況を全く理解しないものであって,およそ理由のないものである。
(b) 製鋼工場においては,クラフトセンターへの配転者2名及び協力会社への出向者2名,合計4名を連続鋳造掛から異動させ,原告P1の所属するカッター職場からは2名を異動させることになった。
当時,カッター職場の構成員は10名であったが,要員合理化により工長のみの4人構成となることが見込まれ,工長4名を除く6名から上記2名の異動者を人選した。
連続鋳造掛においては,当時55名の在籍人員のうち,51歳の者が工長を除いて8名もおり,いびつな年齢構成となっていた。そこで,なるべくこの8名の中から人選することを基本方針とした。
カッター職場においては,工長を除く6名のうち,原告P1及びP61が当時51歳であったこと,P50は57歳,P51は56歳,P62は55歳であり,年齢的に見て,新しい職場で新しい技術を身に付けるのは困難と考えられたこと,最も年齢の低いP49は年齢構成面及び自動化後のカッターのトラブル対応の面から,連続鋳造掛に必要と考えられたことから,原告P1及びP61が人選された。
P61は出向についても前向きであったが,原告P1は出向に難色を示していたことから,P61を他社に出向させ,原告P1をクラフトセンターに所内配転したものである。
(c) 原告らは,原告P1に対する面接が多数回にわたり,多人数で,しかも深夜にわたって行われたもので,異常であったと主張するが,面接が行われたのは勤務時間内であり,何ら不自然なことではないし,面接回数についても,4回という回数は特異なものではない。また,面接は原則として4名で行っており,このことは原告に限ったことではない。
b 原告P2
ロール整備職場では,原告P2と同様にほとんどの者が外注先への出向を希望したが,同社への出向者は数が限られており,同社の希望もあって,現行ロール整備職場における技術,技能に加え,同社が既に行っている熱延ロール整備業務とのプール化も踏まえ,基本的には統括(棒心)以上の者,若しくはその経験者を中心に人選が行われた。
原告P2については,統括(棒心)の経験もないこと,同職場において経験した業務範囲も限られており,最も能力を必要とするロール研磨の経験もほとんどないなど能力的に難点があり,意欲の点でも欠けていると言わざるを得なかった。
また,原告P2は,面談の際,第1に出向,第2に所内配転,第3に工場内配転,第4に転勤という希望順位を述べ,転勤については強い拒否反応を示したものの,所内配転,工場内配転であればやむを得ないとの意向を示した。原告P2は,出向の対象者から外れたため,第2希望の所内配転となったものである。
c 原告P3
クレーン職場では,原告P2と同様にほとんどの者が外注先への出向を希望したが,同社への出向者は数が限られており,全員が出向できる状況にはなかった。出向者の人選に当たっては,従前のクレーン職場における技術・技能に加え,広畑鋼板のクレーン業務やフォークトラック業務とのプール化を前提とした技術・技能習得への対応力も踏まえ,年齢構成についても考慮して人選することになり,基本的に統括(棒心)以上の者もしくはその経験者から優先して人選が行われた。
原告P3については,統括(棒心)の経験もなく,ビジネスコンピューター端末が搭載されていない3クレーンの運転しか対応することができず,広畑鋼板に出向しても,対応できるクレーンはH型クレーンのみであった。また,原告P3は,補修技能も不十分であり,ラムトラックやフォークトラック業務についても経験がないため,広畑鋼板が即戦力として求める技能を欠いていた。更に,同じ職場に同年齢の者が多く,年齢構成の均等化という点でも出向者として人選されにくい状況にあった。
また,原告P3は,面談の際,第1希望として出向,第2希望として所内配転を挙げた。原告P3は,出向の対象者から外れたため,第2希望であった所内配転となったものである。
d 原告P4
精整係では,昭和63年8月から昭和64年1月までに43名が転出することになったが,その人選に当たっては,中板シャーと厚板シャーにおいて対応可能なポジションの数が多く,かつ技能の高い者を基本的に同掛に残すこととし,新技能の修得など新業務への対応力,年齢などを総合的に勘案して人選を進めた。
原告P4は,厚板シャー職場に所属していたが,中板シャー職場の経験が全くないことに加え,厚板シャー職場の経験も短いため,対応可能なポジションも少なく,高度な技能を要する検査業務などに対応することができず,合理化後の同掛に残して配置するのは不適と判断された。
また原告P4は,他の者と同様,精整掛に残ることを希望したが,転勤,出向については強く拒否したものの,工場内配転,所内転勤についてはやむを得ない旨の意向を示した。
e 原告P5
平成3年3月1日,混銑炉の休止により混銑炉職場の要員がゼロとなると,原告P5は,混銑炉職場の前に所属していたレードルセンター職場への異動を希望したが,製鋼工場の縮小化の下,レードルセンター職場もまた余力基調であったこと,同職場では二次精錬職場への応援作業を行っており,二次精錬の技術,技能が必要とされていたが,原告P5にはかかる技術,技能がなかったことなどから,同職場への異動は困難であった。
また,原告P5は,転勤,出向については強く拒否したものの,所内配転についてはやむを得ないとの意向を示していた。
(オ) 第4クラフトにおける人権侵害について
a 呼捨て
原告らは,第4クラフトにおいて互いに敬称略で呼び合うならわしを問題にしているが,これは,第4クラフトが様々な職場から集まった寄合い所帯の職場であり,また,同じような年代の集まりであることから,ざっくばらんに付き合おうという職場の声により,敬称略が定着していったものである。もとより,一部の者のみを敬称略にした事実はないし,被告がそのようなやり方を強制したり指導した事実もない。
b 入浴
原告らは,第4クラフトでは原告らと一緒に入浴する者がいないというが,入浴するかしないか,いつ入浴するかは各人の自由に任されており,全員一緒に入浴するなどということはむしろあり得ないことである。
もとより,特定の者と一緒に入浴しないなどということを取り決めたり,指導している事実もない。
c コーヒー会からの排除
原告らは,朝の作業時間前や休憩時間内にコーヒーを入れて飲んでいるグループに入れてもらえないと主張するが,被告とは関わりのない全くプライベートなことであり,原告らを殊更排除している事実はない。
d 歓送迎会,忘年会,新年会
原告らは,第4クラフトにおいて歓送迎会等を職場として実施していないことを問題視しているが,プライベートではなく,職場単位で全員参加の忘年会等を行い,一部の者のみを参加させないということはない。職場の付き合いがいわば半強制的に行われていた一昔前とは異なり,昨今では,マイカー通勤の普及や個人主義的な考え方が一般に広がっていることもあって,広畑製鐵所全体においても次第に職場単位の新年会や忘年会等の会合は減っている傾向にある。
e 香典,見舞い
原告らは,第4クラフトにおいて,共産党員やその同調者だけが香典や見舞金のやり取りにおいて別異の取扱いを受けていたものと主張するが,事実に反する。当初は,虚礼廃止の考えから,香典のやり取りを止めていたが,現在では,あくまで個人の判断において行われており,職場として一部の者について香典や見舞金を出し,一部の者については出さないということを行っていた事実はない。
f ミスの過大視
原告らは,第4クラフトにおいて,特定の者の仕事上のミスを殊更過大視しているものと主張するが,そのような事実はない。
原告P3のミスは,アース線の繋ぎ方を間違えたもので,感電という重大な事態を招きかねない極めて危険なものであって,原告P3からは,反省と2度と繰り返さないという決意を込めた始末書が提出されているが,災害に繋がりかねないミスについては,原告P3に限らず,すべて同様に対策会議を開き,再発の防止を図っている。
原告らは,P58作業長の指示で行われた作業でヒヤリ災害が発生したものと主張するが,P58作業長が特段の事故を発生させた事実はない。
g 退職時の仕打ち
原告らは,第4クラフトにおいて送別会が開催されず,年満の挨拶を妨害されているものと主張するが,共産党員やその同調者についてのみ送別会や年満の挨拶が行われていないという事実はない。
(3) 昇給昇格格差の合理性
(原告らの主張)
ア 昇給昇格格差の存在
(ア) 昇給格差の存在
広畑製鐵所の人事制度及び賃金制度は,社員を主担当に据え置いたまま主事に昇格させないで日常の考課においても低査定を行えば,二重の差別が可能となるような人事制度及び賃金制度になっているが,原告らに対しては,共産党員であることのみを理由として,上記二重の差別が継続されてきた結果,原告ら共産党員は,同期同学歴の平均と比較しても極めて低位の賃金しか受領できていない。
a 原告P1及び原告P5について
別紙3の1ないし5記載のとおり,原告P1及び原告P5並びに同原告らと同期同学歴の共産党員であるP63,P57,P56及びP64の4名は,平成8年度から平成12年度までの年間基本賃金において,最下位のランクと下から2番目のランクを独占しており,共産党員以外の者で,原告P1及び原告P5より低い年間基本賃金を受けている者は一時期として誰もいない。
なお,原告P1及び原告P5と同期同学歴者の中で常に最下位の年間基本賃金を受けている者はP64であるが,同人は胃の手術を数回受けて会社を長期欠勤したことがあり,共産党員の中でも特に低い査定を受けている。
b 原告P2と同期同学歴者について
別紙4記載のとおり,原告P2は,平成8年度の年間基本賃金において,最下位に位置しており,共産党員のみが突出して低い査定を受け,原告らの同調者であるP65も,共産党員ほどではないものの,低い査定を受けている。
c 原告P3について
別紙5の1ないし5記載のとおり,原告P3は,平成8年度から平成12年度までの年間基本賃金において,最下位のランクに位置しており,原告P3と同期同学歴の共産党員であるP22及びP53も,その全年度において下から2番目の位置にランクしているにすぎない。
なお,平成8年度から平成10年度には,原告P3のほかM氏が最下位のランクに位置しているところ,病気のために長期間まともに仕事ができず,関連会社に在籍出向となって雑用に従事していたM氏が主担当に据え置かれたまま主事に昇格させられることなく,日常の考課においても低く査定されていたことについてはやむを得ない面もあるが,原告P3は,健康面において何ら問題がないにもかかわらず,健康面において問題を抱えていたM氏と同様に,突出して低い賃金しか受けられていない。
d 原告P4について
別紙6の1ないし4記載のとおり,原告P4は,平成8年度から平成11年度までの年間基本賃金において,ただ一人常に最下位のランクに位置しており,どの時期を見ても,同ランクの者すらいない。
e 共産党員全員に存する著しい格差
上記のとおり,原告らだけでなく,原告らと同期同学歴の共産党員であるP63,P57,P56,P64,P22,P53らの全員が,例外なしに最下位かせいぜい下から2番目の団塊に位置している。
また,共産党員であるP45やP7について見ても,P45の平成8年度の平均賃金は420万円程度と推測され,P7に至っては平成8年度から平成11年度までの年間基本賃金は毎年400万円に達していないのであって,上記両名もやはり最低というべき査定を受けている。
(イ) 昇格格差の存在
原告らの同期同学歴者の大多数は主事に昇格しているが,少数ながら主事に昇格していない者もいるのであるから,M氏のように病気休職等の特別の事情のある者を除き,同期同学歴者の中で共産党員より低い賃金を受けている者が誰もいないという事実は,共産党員が主担当としても平均以下の低い査定を受けていることを端的に示しているが,原告ら共産党員と同期同学歴者の著しい賃金格差は,低査定を受けていることよりも,原告ら共産党員が主担当に据え置かれたままであるのに,大多数の同期同学歴者が主事に昇格していることによって生じている部分が占める比重が大きい。
(ウ) 広畑製鐵所の反共差別意思
a 広畑製鐵所においては,人事制度自体が「会社業務に精励恪勤し,貢献度のある者については,それ相応の資格への昇格」を一つの柱とし,主事の昇格についても,長期間職務に精励し会社業務に対する貢献度の高い者については,工長などの役職に就かなくても年満時までには主事以上への昇格の途が開けるよう配慮するという独立の基準(貢献度基準)が設けられ,一般の者も主事に昇格する途が開かれているから,被告においては,高卒で入社した者であっても,平均的な勤務態度,職務遂行能力を有する者は,通常の者の経過年数を経て,どんなに遅くとも25年を経過すれば,自ら昇格の意思を放棄したと見られるような特殊な場合を除き,多くの者が主事に昇格することができる。
貢献度基準は,勤続年数の長い者の中で主事に昇格できていないが職務遂行能力の高いもの,会社貢献度の高い者に対する救済措置ではなく,職務遂行能力や会社に対する貢献度を問わず,勤続年数の長い者を年齢,勤続年数のゆえに救済する措置である。
b このように,広畑製鐵所においては,勤続年数を重視した貢献度基準によって,勤続25年以上で80%以上,勤続30年経過時点で90%前後の大多数の者が主事に昇格していること,逆に少なからぬ共産党員の中で過去,現在において主事に昇格した者が1人もいないこと,原告らが把握する限りでも,主事に昇格していないのは,原告P1と同期入社で自ら昇格の意思を放棄したP66,原告らの同調者であるP65,病気休職をしていたM氏等であり,結局,自ら昇格の意思を放棄したか,健康上の問題等を抱えている等の理由がないのに主事に昇格できていないのは共産党員及びその同調者だけといっても過言ではないこと,上記の諸点から,原告らが主担当に据え置かれたまま主事に昇格できない原因は原告らが共産党員であることによるという広畑製鐵所の反共差別意思が推定され,既に広畑製鐵所が反共労務政策を労務政策の基本とし,原告ら共産党員に対しても様々な攻撃,差別を加えてきたことも併せて考慮すれば,原告らを主事へ昇格させることなく主担当に据え置いたままにしたことの原因が,専ら広畑製鐵所の反共差別意思に基づくものであると推定することには十分な合理性がある。
イ 被告の反共労務政策と昇給昇格格差との因果関係
広畑製鐵所が49日ストの苦い経験を踏まえ,反共労務政策を貫徹してきたこと,原告ら共産党員が主担当に据え置かれたまま,同期同学歴入社者と比較しても著しく低位な賃金しか受け得ていないところ,被告の反共労務政策と主担当への据え置き,著しい賃金格差との間に因果関係が肯定されれば,原告らに対する昇給昇格差別は違法の評価を帯びることになる。
しかるところ,被告は上記因果関係を否定する事情として,①原告らの勤務態度が劣悪で,その職務遂行能力も著しく劣っていること,②原告らが誰も主事に昇格していないことの2点を主張している。
確かに,原告らの勤務態度が劣悪で,その職務遂行能力が同期同学歴者と比較して著しく劣っていれば,原告らの賃金が低く押さえ込まれていることには合理的理由が存することになるし,主事昇格に際しては,予備試験を突破しなければ,そもそも主事昇格のための広畑製鐵所の試験を受験できないシステムになっており,予備試験が全従業員に門戸を開かれた公平,公正な試験であれば,予備試験を突破していない原告らが主担当に据え置かれたまま低賃金に甘んじていることには正当な理由が存することになろう。
しかしながら,原告らの勤務態度,職務遂行能力が同期同学歴者と比較して標準者以下であるという事実は存しないし,予備試験は原告ら共産党員が絶対に突破できないシステムを持った不公平,不公正な試験であって,原告らの勤務態度,職務遂行能力や原告らが予備試験を突破していないことを理由に,原告らが主担当に据え置かれたまま低賃金しか受け得ていないことを合理化することはできない。
(ア) 勤務態度,職務遂行能力の劣悪性についての立証責任
原告らの勤務態度が劣悪で,その職務遂行能力が同期同学歴者と比較して著しく劣っていれば,原告らが低い査定しか受けていないこと,予備試験について受験の機会を与えられなかったことには合理的な理由があり,広畑製鐵所の反共差別意思と昇給昇格差別との因果関係が否定されるが,原告らにおいて自らの勤務態度,職務遂行能力が平均を上回ることを立証する必要はなく,被告において原告らの勤務態度,職務遂行能力の劣悪性を示す具体的事実を立証しなければ,反共差別意思と昇給昇格差別の因果関係は否定されない。
a 大量観察方式の妥当性
本件において,被告は,運用面で約80パーセントの者が年満までに主事へ昇格している旨を回答しており,原告らと同期同学歴者の主事昇格率も半分を大幅に上回っている。また,年満までに主事に昇格できなかった者は,長期病欠者や自ら昇格の意思を放棄した者を除けば,共産党員及びその同調者以外に誰もいないのであって,大量観察方式の手法を採用する障害は何ら存しない。
広畑製鐵所において,経過年数が長くなるにつれ主事昇格率が高くなるのは,まさに,長期間勤務に精励し会社業務に対する貢献度の高い者については,工長などの役職に就かなくても年満時までには主事以上への昇格の途が開けるよう配慮するという主事昇格の貢献度基準において,勤続年数が重視されている結果であり,原告P1,原告P5,原告P4及び原告P3の同期同学歴者の勤続年数30年経過時点の主事昇格率は実に約90%となっているのであるから,本件は,年功的処遇のなされていることが立証された事案であり,主事に昇格できない理由は共産党員であると推認することが許される事案である。
b 標準的労働者の定義
大量観察方式を前提にしても,当該労働者の能力が平均的労働者のそれよりも著しく低いのであれば,低賃金,低査定が反共差別意思に基づくものということはできないが,この場合,労働者側で自分が平均的労働者,標準的労働者であることを立証する必要はなく,立証責任が転換され,使用者側で当該労働者の能力が標準的労働者より劣ることを立証することになるのが大量観察方式の帰結である。
そして,当該労働者の能力・業績が平均的,標準的労働者といえるかどうかを判断するに際し,標準的労働者としていかなる労働者を措定するかが問題となるが,標準的労働者像とは,本来,同期同学歴者の能力との比較において明らかにされるべきものであって,同期同学歴者間の能力を把握する資料を持たない原告らとしては,自分の把握し得る限りにおいてその能力,勤務成績が劣悪とは言えないことを具体的根拠を挙げて述べれば足り,被告において,同期同学歴者間での比較検討を前提として原告らの能力を攻撃すべきである。
被告は,広畑製鐵所における標準的労働者がいかなる能力・業績を有しているのかを具体的には一切明らかにしていないが,被告において立証すべきことは,原告らが理想的労働者でないことではなく,標準的労働者以下であることである。標準的労働者が理想的労働者であるというのであれば,被告においてその旨の具体的立証を行うべきであり,それが行われない限り,標準的労働者と理想的労働者を峻別し,あくまでも標準的労働者との比較において原告らの能力・業績が検討されなければならない。
(イ) 昇給昇格試験の違法性について
また,原告ら共産党員に対する著しい賃金差別は,日常の低査定によってのみ招来されているのではなく,日常の査定を低く押さえ込み,一方で資格を主担当に据え置いたまま主事に昇格させないことによっても招来されており,本件においては,査定の合理性とともに,原告らが主事昇格の際の予備試験を突破していないことの評価も問題となるが,日常の低位な査定がなければ昇格試験合格の可能性が認められる場合,またそのような可能性が直ちに認められなくとも,昇格試験の運用,実施,採点に不合理,不公正,不公平の認められる場合には,使用者の不当労働行為意思(反共差別意思)と不合格,不昇格との間に因果関係が認められる場合がある。
ウ 原告らの勤務態度,職務遂行能力
原告5名及び原告と同期同学歴の共産党員の賃金が例外なく他の同期同学歴者と比較して著しく低位に押し止められていることが証拠上明白となっている本件においては,大量観察方式の手法が採用されてよいこと,この場合,労働者側で自分が平均的労働者,標準的労働者であることを立証する必要はなく,立証責任が転換され,使用者側で当該労働者の能力が標準的労働者より劣ることを立証すべきことになるのが大量観察方式の帰結であること,標準者的労働者と理想的労働者は峻別されるべきであり,本訴で被告において立証すべきことは,原告らが理想的労働者ではないということではなく,標準的労働者以下であるということである。
そして,原告らは,自らの把握できる限りではあるが,自分たちが少なくとも標準的労働者と同等の能力を有していることを優に立証している。すなわち,原告らはどの職場においても自らの仕事に誠心誠意取り組んできたものであり,在職中に何らかの懲戒処分を受けたようなことはもちろんないのであって,かかる原告らの勤務態度,職務遂行能力が,広畑製鐵所における平均的,標準的労働者を上回っていることは明らかであり,少なくとも平均的,標準的労働者を下回るようなことは絶対にない。
(ア) 原告P1
原告P1は,本工となって以降に限定しても,配置転換で退職するまでの間に起重機運転士,検査工,オペレーター,塗装工という4つの全く異なった職種を経験したことになるが,どの職場でも仕事については全力をあげて取り組んできた。
a 機械運転掛起重機職場において
原告P1は,約14年間,起重機運転士として仕事に励んできたが,仕事振りについては,上司に評価されていたと自負している。
起重機運転の業務は,単に経験が長いだけでは駄目で,視力,聴力,勘に裏打ちされた運転技術が物を言う世界であるが,原告P1は,運転作業の中で一番難しいとされていたスラブ反転作業を得意としており,運転技術が平均以上であったことは間違いない。
また,点検・保守の分野でも,起重機の電気図面を理解したり,故障箇所の発見や補修等には,他の新規採用者より一日の長があったと自負しているし,昭和40年10月に民青に加盟して昭和41年7月ころに差別が始まるまでは,同期入社の同僚よりも評価は上であった。
b 鋼片(製鋼)工場精整掛において
原告P1は東浜職場の2ヤード担当に配置されたが,最初から1人作業の職場に配置されたため,4組3交替の他の番の2ヤード担当者が居残り,早出をして教えてくれた。原告P1は,必死にメモを取りながら仕事を覚え,実質10日程の指導で一本立ちすることになったが,検査という仕事は,後工程の品質保証を左右する責任の重い仕事であり,後工程からクレームが付くとすべての責任を負わなければならないほか,更に2ヤードの業務は,検査や指示をテキパキ進めないと下請会社の作業の手待ち時間が長くなり,ノルマに影響するため,原告P1は,熱いスラブの上を脂汗を流しながら検査で這いずり回っていた。
原告P1は,東浜職場に配置換えになってから4か月後,心身共に疲弊して盲腸炎を起こし,医者の誤診が重なって腹膜炎を併発し,47日間病欠せざるを得なかった。病欠後は,1か月常昼勤務の後,3交替勤務の通常の作業に戻ったが,常昼勤務ではラインを離れ,余剰の形で後工程からのクレームや前工程からの要請等の処理,様々な帳票類の記入や整理,余裕のあるときは第2ヤードへ行って疵検査の応援をするといった作業をしていた。原告P1は,この常昼勤務を経て,起重機職場におけるのと同じように自信を持って仕事ができるようになり,一人前として本当に一人立ちできたと感じるようになった。
このように東浜職場への配置換えは,経験もないのにいきなり1人作業に従事させられるなど,厳しい試練を受けての職種転換であったが,原告P1は,どうすれば仕事を早く覚えられるか,どうすれば正確に責任の持てる仕事ができるかに創意工夫しながら日々奮闘してきた。
以降16年間,原告P1は,転々と6回も配置換えとなったが,どの職場もスラブ疵検査が主体の仕事であり,自信を持って作業ができたし,コンピューターのオンライン化で職場に端末機が設置された時期にも,複雑な端末機操作の練習も苦にならず,むしろ得意とする分野として苦労を乗り越えて頑張った。そして,このような頑張りが評価され,検査工としての一時期,工長が年休等で休んだとき,原告P1がその仕事を代行することもあった。
c 連続鋳造掛カッター職場において
原告P1は,西カッター詰所において,P51という担当者に指導を受けながら見習いを始めたが,連鋳機は鋳造途中でラインをストップすることができず,何かのトラブルで鋳造をストップさせると遙か彼方の前工程である高炉にまで影響が出て,場合によっては何千万円もの損害を出すこともあるという話などを聞かされ,一人作業の責任の重大さに足の震える思いがし,わからないことは納得のいくまで担当者に聞き,忘れないよう必ずメモを取り,整理しながら必死に操作の練習をしてきた。
3か月の見習いを経て,平成2年3月1日付けで西カッター担当として一人作業に入った。ラインやカッターなどのハードやソフトも表面しかわからないままの一人立ちで,何か異常があればお手上げであり,頭の中が真っ白になったことも何度か経験したが,そういう経験や定期修繕でラインが止まったとき,機器の点検・給油・補修などで設備に触れたり,自分や他の同僚がした多くの失敗や設備の故障を経験していく中で,次第にオペレーターとしての自信をつけていった。
d 第4クラフトにおいて
塗装の仕事には,塗装作業のほか,ケレン(塗る面の錆を落としたりゴミやほこりを除去する作業)や足場の組立てなどの作業があるが,重労働が多く,その上,環境の良くない場合が多く,冬でも汗をかくことが稀ではないし,5月から10月ころまでは毎日大量の汗の連続を覚悟しなければならない仕事である。若い時から叩き上げた職人ならいざ知らず,50歳を越えてから新たにこの仕事を始めるのはかなりの苦痛を伴い,原告P1も手や腕の筋肉痛等で断続的に医者通いをしながら,塗装の仕事に従事してきた。殊に,原告P1は,第4クラフトへの配転について,被告を相手方として地労委に不当労働行為救済の申立てをしていたときだけに,ミスはしないよう,また,差別に腹を立てて投げやりな仕事をしないよう,常に心掛けて仕事に取り組んできた。
もっとも,原告P1は,特別に手先が器用な方ではないが,好奇心が強く,何事にも積極的に取り組む方であり,塗装の仕事も嫌な仕事ではなかった。クラフトの塗装もやるからにはこれまでの日曜大工ではなく,プロとして恥ずかしくない仕事をしようという心意気で頑張ってきた。
(イ) 原告P2
a 機械運転掛ロール整備職場において
原告P2は,入社以降,昭和64年1月に設備部に配属になるまでの31年間,一貫してロール整備職場で勤務し,ワーク・ロール整備作業,ロール研磨作業及びモーゴイルベアリング整備作業に従事してきた。
入社当時は3組3交替制で,各番1週間交替であり,3週間に1度は通して15時間勤務となる連勤日があった。連勤日はとてもつらい1日であり,夜勤の時は睡眠が十分とれず疲れが残ったまま出勤する日も度々あった。
職場では,入社当時は地下足袋を履いて仕事をしていたが,チョックやロールに付着している圧延油やグリス等で作業場内は油汚れがひどく2週間もすると変形してしまう状態であった。
また,ロールの運搬にはワイヤーを使うが,ロールの種類で重量が異なり,大きいロールで10トン,普通のロールでも3トン程度あり,ワイヤーを掛け間違うと重大な事故が発生する危険があるため,気を緩めることができない作業であった。
それでも原告P2は,1日でも早く一人前になるように先輩の指導の下で一生懸命働いた。
ロールの運搬には26ミリのワイヤーを使用していたが,ロールの運搬回数が多く,傷みも早いため,職場で使用するワイヤーを整備加工(ワイヤー刺し作業)して使用した。1巻で入荷したワイヤーを使用寸法に切断し,蛇口(クレーンのフックに掛けるために作られた輪)を作るが,1つ間違うと吊り荷が落下し大事故になるので熟練が必要な作業であった。そして,原告P2は,3年程努力した後,当時の伍長からロールを運搬するワイヤー刺しは大丈夫と言われるようになった。その後,運搬用ワイヤーは業者からの納入に変わるが,不足した時など経験を活かし,2,3トン位の小物吊り用ワイヤー等は職場で作ったこともあり,当時の工長から器用だと言われたこともあった。
また,クレーンが昭和52年に無線化されて遠隔操作になってからは,ロール整備職場の人間もクレーンの遠隔操作を行わなければならなくなったが,機上運転では操作のしやすいフードブレーキがあるものの,遠隔操作ではブレーキ操作が難しく,慣れるまではクレーンが暴走する夢を見るなど緊張の連続であった。
昭和36年に起重機運転士免許を取得して以来,職場の門型クレーン運転やモーゴイルベアリング整備作業でのクレーンの運転をしてきたが,この間,ミスや労働者に怪我をさせることもなく,クレーンの運転には自信を持っている。
資格や免許の取得については,会社の指示で取得したものもあるが,兵庫県知事が認定する危険物取扱者免状乙種第4類は自分で受験し合格したもので,このとき学んだ知識が油を多く使うモーゴイルベアリング点検では大変役に立った。
b 第4クラフトにおいて
原告P2は,第4クラフトにおいても真面目に業務に取り組んできた。
(a) 塗装作業
第4クラフトの担当作業は製缶と塗装作業であるが,原告P2は,初めは塗装作業に従事していた。
室内の塗装作業では,作業条件の良い場所もあるが,工場内の機械周辺では炉等から出る熱や蒸気で蒸し暑く,冬でも汗をかくこともあるし,場所によっては室内でも圧縮ポンプを使用するので,噴霧した塗料で顔まで塗料だらけになり大変な作業であった。
屋外の作業は,事務所の外壁やタンク,パイプ等の構造物の塗装を行うが,高い構造物になると,作業床を繋ぎ合わせたり上に積み上げて必要な長さと高さの足場を作り,床面には幅50センチ,長さ1・8メートル位の鉄製の板を敷きつめていくが,板の重量は約10キログラムであり,これを1日に100枚以上も下から上へ手渡しする。このような上下作業は,落下させると大変な事故になるため互いに確認しながらの作業は大変な重労働であり,筋肉痛や腰痛にも悩まされた。真冬の雪のちらつく屋外作業も体には堪える。また,真夏の午後2時から3時ころの太陽は,体に日光が当たると暑いより痛い感じで汗でびしょ濡れになりながらの辛い時間帯である。しかし,塗装する場所は錆びついているか汚れている場所であるため,完成すると見違えるようになり,発注者からの「綺麗になりましたね」との一言が大きな激励になった。
原告P2は,最初の2年間塗装作業に従事し,塗装の基本は錆や汚れはできるだけ取り除くこと,2層,3層に塗るときは1層目(下塗り)を丁寧にすると最後まで綺麗に仕上がることを覚え,このころから塗装工としても一人前になったと自覚した。
(c) 製缶作業
原告P2は,その後1年半ほど製缶を経験した。
作られる製品の多くは,会社の構内で使われる物で,完成品は図面寸法でミリ単位の精度で,最初は簡単な溶接作業や材料の切断作業であったが,材料の寸法もミリ単位の計測(物差し,巻き尺を使用)になる。当時は老眼が進行していたときで,雨や曇りの日,夕暮れの早い時期には照明があっても寸法など見にくく,理由を述べて仕事を変えてもらい,その後は,退職するまで塗装作業に従事した。
(ウ) 原告P3
原告P3も,入社以降,昭和64年1月1日付けで設備部(クラフトセンター)に配転されるまで,冷延課機械運転掛で勤務してきたが,クラフトセンター時代を含め,仕事の遂行については全力で取り組み,同僚には決して引けを取らなかった。
a 機械運転掛ロール整備職場において
原告P3は,ワーク整備作業,モーゴイル整備作業,ロール研磨作業を順次担当したが,ロール研磨作業は,研磨の出来次第にでは直接製品に影響が出てくる作業であるため,ロール整備職場においても特に高い技能を持っている者が配置されていた。原告P3は,このロール研磨作業に,昭和48年4月から昭和52年3月まで従事し,すべてのロールを研磨することができるようになり,職場での評価も受けるようになった。
b 機械運転掛クレーン職場において
原告P3は,昭和52年4月,クレーン職場の3クレーンの担当に配置され,バッチ焼鈍のH型クレーン,OCAクレーン,電清クレーンを運転したが,H型クレーンは磁石を使用し,冷間圧延で巻き取ったコイルを重ねるというもので,運転技術で作業に大きく影響が出るため,技術向上に努力した。原告P3は,運転技術を磨き,玉掛者から信頼されるように努力した結果,同じ組の作業者だけでなく,残業や早出のときには他の組の者からも,原告P3がクレーンを運転するのなら安心だと言われるまでになった。
c 第4クラフトにおいて
原告P3は,もえ炉の製作のための材料の切断や加工を担当し,コイルパレットと呼ばれるコイルを運搬するための架台を製作するための材料の切断と溶接の作業などを担当するようになった。コイルパレット製作が終了後は,無人搬送装置(AGV)のコイル受台の製作作業を担当し,第4クラフトが解体された後は,クラフトセンターの製缶グループに属して,製缶作業を担当するかたわら,ダミーバーヘッドと呼ばれる装置の補修加工を専属的に担当しているが,この間,慣れない作業であっても慎重に作業を進め,ガス切断では第2クラフトの先輩からも良い評価を得るまでになった。
(エ) 原告P4
原告P4は,クラフトセンター(第4クラフト)に配転されるまでの間,熱延部連続熱延課に配属され,機械運転掛ロール整備職場,精整掛厚板シャー職場で稼働してきたが,どの職場においても全力で職務に取り組んできた。
a 機械運転掛ロール整備職場において
(a) 入社後,ロール整備職場に配属された原告P4は,大きな研磨機,44トンもあるロール,直径が1メートルもあるベアリングなど圧倒されるような設備を前にし,早く仕事を覚え,1日も早く一人前の製鉄マンになりたいという夢と希望に燃えて仕事に取り組むこととなり,特技の野球を活かして職場の親睦にも努めながら,全力で仕事を覚えるために頑張った。
(b) その結果,仕事にも慣れ,昭和40ころ,ベアリング点検等に責任を持って作業をする点検者に指名された。ベアリング点検では,原告P4の判定で異常を発見し,トラブルを未然に防いだことが何回もある。また,油洩れ点検では,バランスパイプの緩みによる油洩れやプランジャーのパッキン破損による油洩れなどを何度も発見して圧延職場に連絡を取って処置し,大量の油の流出を未然に防いだこともある。原告P4のこのような仕事の取組みに対し,上司のP67工長や同僚のP68からは「P4君はきっちり仕事をするので安心して任せられる」と何度も評価された。
(c) ロール整備職場は,ロールの分解,組立て作業などで重量物を扱う作業が多くあり,体力を必要とする重労働の職場であった。原告P4は,体力に自信があったので,率先してこのような作業に取り組み,周囲からも感謝され頼りにされた。また,ロール整備職場は,共同作業が多く,前述のように重量物を扱うことも多いので危険を伴う職場でもあったが,原告P4は,危険な作業のときには特に共同作業者と声を掛け合い,連携に気を付けるようにして安全な作業を心掛けた。この結果,25年間の勤務の中で一度もこのような事故を起こさずに作業に従事することができた。始末書はもちろん,事故報告書を作成することもなかった。このことだけを見ても,原告P4が少なくとも平均以上の作業を遂行できる従業員であったことは明らかである。
b 精整掛厚板シャー職場において
(a) 原告P4は,まず板の波を矯正するコールドレベラーのポジションで作業するようになり,戸惑うことも多かったが,何回か作業を経験するうちに,両波と中波の見分けもできるようになっていった。しかし,経験と勘が製品の出来,不出来に直ちに反映する職場であり,板の波を取るのにも,命令書どおりに圧下を掛けても矯正できず,苦労をした。昼食休憩中にも,職場のベテランに仕事のコツを聞き教えを乞うて,早く一人前になれるように努力した。その甲斐があって,作業の要領が分かるようになり,余裕を持って仕事に従事できるようになっていった。
(b) 次に,板を矯正して平坦にするヘビーレベラーの仕事を覚えるように言われ,ポジションを変わった。ヘビーレベラーでは,仕上げ作業となり,分割した板の長さが短いもので1500ミリメートルぐらいの製品になるので,2枚が重なって通板しないかを大変に気を遣う作業となった。やはり,集中して仕事を覚え,作業に従事するように努力した結果,検査マンのP69やP70からも「案外,早く運転するようになったな」と言われるまでになった。
c 第4クラフトにおいて
(a) 塗装作業のうち足場組立ては大変に重労働であり,工場内の加熱炉やラインの近くなど,機械や製品から熱を放出する場所が多く,作業環境の悪い所が多かった。原告P4は,配転になった夏には体重が6キログラム減量になった。
(b) 殊に,足場組立てをしての作業は共同作業となり,危険を伴う作業も多くなるので,特に共同作業者との連携に気を配り,安全な作業に心掛けてきた。互いに声を掛け合いながらの作業に努めたり,体調不良の者がいれば,無理をさせないように危険な場所での作業や重労働となる作業は交替して作業するようにもしてきた。
(c) また,仕事についてもキッチリとした丁寧な作業を心掛けてきた。第3クラフトとの合同作業の時に,第3クラフトのP71やP72から「あんたは,仕事をきちっとする人やと偉いさんから聞いている」と言われたこともある。
(d) 平成7年には,自分の家の塗装をしたが,家族や友人に「これぐらい上手に塗装できたら,銭が取れるで」といわれるほどの技術を身に付けるまでになった。勤務態度や仕事の出来栄えとしても,従業員の中でも平均以上の仕事をしていたことに相違はない。
(オ) 原告P5
a 造塊掛において
原告P5は,昭和35年6月に製鉄工場に配属され,以後30年余り造塊工として鋼造りに精進してきたが,原告P5の仕事振りは真面目で,堅実で,職場内での協調性・積極性も十分あり,職務遂行能力としても,造塊工として標準以上であったことはもとより,高い熟練の域に達していた。原告P5は,造塊工として,持ち場の作業標準を注意深く堅実に遵守し,日々また常時継続しつつ,製造職場の日常作業に積極性を発揮してきた。
(a) 注入職場において
原告P5は,注入コントロール作業においては,日々やり甲斐を感じて十二分に熟達し,月間の統計でも優良な成績を修めており,工長から後輩の指導育成を任せられることもあった。また,リムド鋼脱酸作業は,造塊工として熟練を求められる作業であったが,原告P5は,熟練工としてその作業に存分に能力を発揮して職場に貢献し,早期から熟練の域に達していた。
(b) 鍋整備職場において
真面目と懸命を信条とする原告P5の職務態度は,職場に大きく貢献し,ストッパーの作動不能による開放注入を減らし,なくすことに大いなる意気込みで取り組んだ。また,スライディングノズルが開発された後は,自然開口の失敗をなくすことにも懸命に取り組んでおり,同僚や工長の評価も高かった。
b 第4クラフトにおいて
原告P5の真面目と懸命という信条は,第4クラフトでの塗装作業においても遺憾なく発揮された。原告P5は,塗装工として持ち場の作業標準を注意深く日々堅実に遵守しつつ,塗装の日常作業に積極性を発揮してきた。原告P5は,第4クラフトに配転されてからの9年間,人権,人格の尊厳を幾度となく傷つけられながらも,日常の作業で投げやりになったり,手抜きをするようなことは一切しなかった。
エ 予備試験の違法性
広畑製鐵所における主事昇格の選考において一番重視されるのは日常の考課であるが,原告ら共産党員は共産党員であることのみを理由として日常の考課において著しい差別を受けているのであるから,例え予備試験自体が公正なものであったとしても,予備試験は全体として差別的なものと判断されるだけでなく,そもそも予備試験自体が,共産党員を主事に昇格させないためのふるい分けの道具として利用されているのであり,原告らは予備試験を受験しなかったのではなく,予備試験の受験の機会すら与えられず,例外的に受験が認められた場合にも絶対に答えられないような出題がなされていたのであって,予備試験のシステムそのものが差別的である。
(ア) 広畑製鐵所における予備試験の実態
原告らは,第4クラフトに配転させられて以降,予備試験を受験する機会さえ与えられてこなかった。
特に原告P1は,クラフトセンターに配転させられるまで製鋼部製鋼工場に配属となっていたが,製鋼工場においては,広畑製鐵所の試験の日程が毎年職場に掲示されていたものの,掲示される書面には予備試験の日程はおろか,予備試験を行う旨さえ全く記載されておらず,第4クラフトへの配転前から予備試験を受験する機会さえ与えられていなかった。
もっとも,原告P2及び原告P3が勤務していた冷延部冷延課機械運転掛のように事前に全員に予備試験の日程が明らかにされていた職場もあったが,ここでも予備試験に合格できるのは,事前に作業長,工長から「今度の予備試験を受けてみるように」と声がかかって,その推薦を受けられた者たちであり,作業長,工長から事前に声もかからないのに自薦で予備試験を受けて合格した者など誰もいないところ,原告P2及び原告P5に予備試験受験の声がかかることは一度たりともなかった。
原告P4の職場でも,受験の順番は年功序列式で作業長か工長の指名によって決められていたところ,昭和51年,原告P4より若いP73が予備試験を受験したため,原告P4において予備試験の受験を申し出たが,結局,受験の機会は与えられなかったし,共産党員であったP74も昭和53年,54年に作業長に予備試験の受験を申し出たが,理由も明かされないまま受験の機会が与えられなかった。
原告P3は,昭和55年に一度だけ予備試験を受験することができたが,当時のクレーン職場の予備試験は面接だけであったところ,他の受験者には職場の効率化を進める上での考えやJK活動の取組と今後の進め方,安全問題等,原告P3にも十分答えられる問題が出題されたのに対し,原告P3に対しては,同人が圧延やメッキの作業に従事したことがないにもかかわらず,タンデムと呼ばれる圧延機の仕組みや圧下率,メッキの種類等,圧延やメッキの作業に従事した者でなければ回答できるはずのない問題が出題されて不合格となった。
なお,共産党員で予備面接を受けた者にP47がいるが,同人は,昇格試験の学科が免除される対象者であったにもかかわらず,職場の予備面接では,難解な専門用語や横文字(英語)が矢継ぎ早に飛び出し,質問の意味すら理解できないまま不合格となっている。
(イ) 予備試験の差別性
広畑製鐵所における予備試験の実態に鑑みたとき,少なくとも平成13年以前の予備試験の実施,採点が不合理,不公正,不公平であったことは明らかである。
a 日程の非周知性
一部の者にしか試験日等が知らされない試験に,合理性,公正性,公平性を認めることなどおよそ不可能であるが,広畑製鐵所は,原告P2及び原告P3が勤務していた冷延部冷延課機械運転掛のように事前に予備試験の日程等を従業員に周知する職場もあったが,原告P1が配属されていた製鋼部製鋼工場や原告ら全員が配転された第4クラフトでは,広畑製鐵所の試験日程は毎年職場に掲示されていたものの,予備試験の日程が職場に掲示されることは一切なかった。
また,広畑製鐵所の試験の日程等は公示されるのに,予備試験の日程等は公示されないのは,広畑製鐵所の試験が文字通り合理性,客観性を持った試験であるのに,予備試験は,工長,作業長,掛長といった所属長が気に入った者だけにそうした広畑製鐵所の試験を受験させるためのふるい分けの道具であるからにほかならず,自薦で予備試験を受けてこれを突破した者など誰もいない。
b 問題の不統一性
試験の中で一番高度の公正性,客観性を担保できるのは筆記試験であり,それは同じ時間帯に同じ条件で同じ問題を解かせるからである。面接試験はそれ自体,採点に恣意の入りやすい試験で,筆記試験に比し客観性で劣ることは否定できないが,それゆえ,面接試験において客観性,公正性を担保しようと思えば受験者に対する出題を同一にすることが最低限必要となる。もちろん試験日が異なる受験者間の問題まで同一にするわけにはいかないであろうが,受験者ごとに出題が変わる面接試験に客観性,公正性,公平性を認めることはできない。
しかるに,広畑製鐵所では受験者ごとに問題が変えられ,原告ら共産党員が受験できるようになった時には,共産党員だけには絶対に答えられない出題がされてきた。このように広畑製鐵所においては,予備試験の日程等を事前に全員に公示する職場においても,共産党員が受験してきた場合には,共産党員に対しては絶対に回答できない出題をすることにより共産党員を所の試験に進ませない手筈が整えられていた。
c 採点基準の不透明性
およそ試験というからには客観的な採点基準の下で採点を行い,採点結果に基づいて受験者全体の順位付けをし,基本的には上位から合格者を決定しなければならない。採点基準のない試験など,そもそも試験と呼ぶに値するものではなく,少なくともそのような試験に客観性,公正さを認めることなどおよそ不可能であるが,広畑製鐵所の予備試験については明確な採点基準なるものがそもそも存在しない。
また,主事昇格の予備試験は筆記ではなく,面接によって行われていたが,面接のみによるというシステム自体,出題,採点に恣意の入りやすい客観性のないシステムであり,殊に予備試験において問われているのは高度な職務知識や専門性ではなく,積極性,活発性等の情意的要素であり,明確な採点基準など存しない極めて恣意の入りやすい試験であった。
実際にも,昭和52年1月25日に実施された鋼片工場の予備試験についてみると,面接委員の採点は,基本的に◎,○,△,×によって行われているにすぎず,かかる採点基準自体が,採点が面接委員の印象によって行われ,細かな採点基準など存しないことの表れである。また,採点表のメモ欄の記載を見ると,予備試験で高度な業務知識や専門知識が問われているとは到底思われず,面接委員が求めているのも知識ではなく,積極性,活発性,やる気といった情意の評価要素を重視していることが明らかである。そのような面接試験が,恣意の入り込む余地のない,公正・公平さが損なわれる余地のない客観性を有した試験であるなどとは言えない。
(ウ) 掛推薦を受けない者が予備試験を突破する可能性
予備試験は全従業員に門戸を開いた試験などではなく,所属長の推薦を得られた者だけが本来的な対象者とされた試験である上,所属長が推薦する者は年度の早い段階,場合によっては新年度になる前に決定され,その者たちについては予備試験実施までの約1年間,作業長,工長らが総がかりで系統的な予備試験対策としての特別の教育が行われる試験である。
まさにこのようなシステムの下では,所属長の推薦が得られず,したがって,1年間を通しての系統立った教育を受けていない者が,仮に予備試験前に名乗りを挙げて予備試験を受験できたからといって合格の可能性のないことなど余りにも明らかであり,原告P1らは,そうした予備試験のシステムを熟知していたがゆえに,日常の考課で差別を受けているというだけでなく,所属長の推薦を得られない以上,受験しても合格の見込みはないと考えて受験しなかったにすぎないのであって,自ら受験の機会を放棄したものではない。
(エ) 能力を問わない貢献度基準の存在
広畑製鐵所においては,長年勤続していながら主事に昇格できなかった者に対しては,その者の能力を重視することなく,貢献度基準を適用して,主事昇格の途を開いていた。
広畑製鐵所においては,人事制度自体が「会社業務に精励恪勤し,貢献度のある者については,それ相応の資格への昇格」を一つの柱とし,主事の昇格についても,長期間職務に精励し会社業務に対する貢献度の高い者については,工長などの役職に就かなくても年満時までには主事以上への昇格の途が開けるよう配慮するという独立の基準(貢献度基準)が設けられ,一般の者も主事に昇格する途が開かれており,その運用状況に鑑みれば,被告においては,高卒で入社した者であっても,平均的な勤務態度,職務遂行能力を有する者は,通常の者の経過年数を経て,どんなに遅くとも25年を経過すれば,自ら昇格の意思を放棄したと見られるような特殊な場合を除き,多くの者が主事に昇格することができる。
また,貢献度基準は,勤続年数の長い者の中で主事に昇格できていないが職務遂行能力の高いもの,会社貢献度の高い者に対する救済措置ではなく,職務遂行能力や会社に対する貢献度を問わず,勤続年数の長い者を年齢,勤続年数のゆえに救済する措置である。
a 貢献度基準の存在
昭和52年1月25日に実施された鋼片工場の主事昇格の予備試験を掛推薦を受けて受験資格を得た者のうち,スラブ精整職場においては,A氏,B氏,C氏の3名が貢献度基準という特別枠によって掛推薦を得た者である。
b A氏,B氏,C氏らの能力
スラブ精整掛の学科研修結果によれば,A氏,C氏が職務遂行能力が高いとか会社に対して特別の貢献をしたなどとは到底考えられず,むしろ能力が劣るが故に勤続25年を過ぎても主事に昇格できなかったこと,それでも勤続25年経過後に貢献度基準によって主事昇格の機会が与えられたことが明白である。
また,昭和52年1月25日に実施された鋼片工場の予備試験を貢献度基準によって受験できたA氏,B氏,C氏,D氏,E氏,F氏,G氏の合計7名の点数を見ると,下から3名はA氏,D氏及びG氏であり,貢献度基準枠による受験者が独占しているところ,A氏やG氏の点数は平均点の半分以下でしかないほか,貢献度基準によって受験できた者の中で一番点数がよいのは,E氏,F氏の312点であるが,これとても平均を大きく下回った点数でしかない。
このように,貢献度基準によって予備試験を受験できた者たちが優秀であるとか職務遂行能力が高いなどと推測することはおよそ不可能であり,貢献度基準が,一定の勤続年数を経たのに主事になれていない者のうち,職務遂行能力の高い者を救済する制度ではなく,職務遂行能力と無関係に,むしろ職務遂行能力において劣ると判断されていたがゆえに,勤続年数が長いのに主事になれていない者を救済する制度であることは明らかである。
c 原告らに貢献度基準が適用されなかったことの評価
予備試験は全従業員に門戸の開かれた試験ではなく,基本的には所属長の推薦を得た者を対象とする試験,推薦を得ないで合格することなどあり得ない試験であり,推薦者は工長らが決定するもので,自薦によるものではないが,客観的に能力において劣っていると考えざるを得ないA氏,C氏,D氏,G氏らでさえ,貢献度基準という特別枠によって所属長の推薦を受けて予備試験を受験し,主事となる機会が与えられたのである。
しかるに,原告ら共産党員は退職するまでの間,誰も一度も貢献度基準に基づいて所属長の推薦を受けることができなかったのであり,貢献度基準が職務遂行能力を問わないものである以上,原告らの職務遂行能力を問うまでもなく,原告らが一度たりとも貢献度基準に基づく所属長の推薦を得られなかったのは,原告らが共産党員であることをおいてほかに理由はない。
d 予備試験受験の資格要件
貢献度基準によって受験が認められたB氏,C氏,D氏,G氏は,職務基礎知識(専門技術研修Ⅰ部)を1科目も修了していなかったのであるから,貢献度基準によって受験が認められる者は,職務基礎知識(専門技術研修Ⅰ部)を1科目も修了していなくとも構わなかった。
確かに,予備試験受験者の中には,専門技術研修Ⅰ部を全科目修了した者も少なくないが,4名の者は一部免除であり,全科目修了していないのに予備試験の受験が認められているのであって,原告P1や原告P3が貢献度基準によらずとも予備試験を受験できる要件を備えていたことは明らかである。
e 主事昇格率と貢献度基準の関係
広畑製鐵所における従業員の賃金は50歳前ころから下がり始めるが,これは50歳ころから能力に進展が見られないことを前提にしている。主事昇格が能力的要素を重視して決められるのであれば,勤続30年の主事昇格率が勤続25年の昇格率を上回ることなどあり得ないのであり,勤続30年の主事昇格率が勤続25年の主事昇格率を上回るのは,「貢献度基準」の運用に際し,年功(勤続年数)が最重要視されていることの証左である。
(オ) 平成13年の予備試験の実施要綱の変更
本訴提起後,原告P3を除く原告らが既に退職した後の平成13年,予備試験の募集の仕方が公募制に変更されているが,原告らが予備試験が抱える問題を指摘してから突然に予備試験が公募になったのは,従前の予備試験の問題を被告自らが認めざるを得なかったことの証左である。
(カ) 実施要綱変更後の原告P3の態度
平成13年の実施要綱の変更後,原告P3は,昇格試験に応募したものの,主事昇格に際して新たに必須要件となった専門技術研修Ⅰ部の受講を申し込みながら修了することはなかったが,原告P3は平成16年3月には年満退職となるのであって,平成14年ないし平成15年に主事に昇格できたとしても主事として仕事ができるのはわずか1,2年にすぎず,この時期に主事に昇格してもほとんどメリットはないのみならず,これまで長年にわたって重大な査定差別を受け続け,主事昇格の予備試験を受験した際にも自分だけ答えられないような問題を出題され辛酸をなめた経験を有していることから,受験したところでまた差別されるのではないかと考え,受験に消極的な気持ちになってしまった心情は十分に理解できるところである。
そもそも本件で問題にされなければならないのは,19年,どんなに遅くても25年で主事に昇格できていれば,昭和56年ないし昭和62年までに主事に昇格して然るべきであった原告P3が,主担当に据え置かれ続けてきたという事実であって,この点が共産党員であることを理由とする差別であったと認定できるのであれば,かかる原告P3の態度はさして重要視すべき事情ではない。
(キ) 以上のとおり,原告らは,共産党員であるがゆえに,一度も所属長の推薦を受けられず,一度は受験できた原告P3やP47を含め,誰も作業長や工長らから系統立った予備試験に向けての教育を受けたこともなく,実質的には受験の機会を奪われていた。のみならず,広畑製鐵所においては,勤続年数が長いのに主事に昇格できない者に対しては,永年勤続の功に報いるために,その者の能力を重視することなく,貢献度基準に基づいて主事昇格の途が開かれており,それゆえ,年満までに80%以上もの者が主事に昇格できていたのである。
原告ら共産党員は,退職まで誰一人として主事昇格の予備試験に際し所属長の推薦を受けたことがないのであって,その理由は原告らが共産党員であること以外にない。
(被告の主張)
原告らは,原告らと同期同学歴者の賃金の間に著しい格差があり,その格差が生じた主な理由は原告らが共産党員であるという理由で主担当に据え置かれ主事昇格が認められなかったことにあるとし,補充的に,原告らが主担当としても低い査定を受けていることから同期同学歴者の主担当の中でも低い賃金を受けていると主張する。
しかし,主事昇格は,製鐵所として行う主事昇格試験に合格することが要件であるが,原告らはいずれもこの主事昇格試験に合格していない。にもかかわらず,主事昇格していて当然だと主張することは,制度の仕組みを無視するものであり,主張自体失当である。原告らが主担当に留まり,その意味で低い賃金しか受け得ないことは当然のことである。
また,原告らの職務遂行振りの実情からすれば,主担当として低い評価を受けていたとしても当然のことである。
ア 原告らの職務遂行等の実情とこれに対する評価
原告らは,原告らが「標準的・平均的労働者」であったのに,被告により共産党員であることを理由に低査定を受け,賃金面でも昇格面でも差別されたと主張している。そして,原告らは,原告らが「標準的・平均的労働者」であったことを基礎づける具体的事実として,懲戒処分を受けたことがないことと原告らが職務に誠心誠意取り組んだことを挙げている。
しかし,原告らが懲戒処分を受けたことがないことは事実であるものの,懲戒処分を受けたことがないからといって,直ちに,その職務遂行が「標準的・平均的」であったなどということはできない。
また,原告らが職務に誠心誠意取り組んだというのは,原告らの主観的評価にすぎず,これを裏付ける客観的事実は何ら存しない。更に,仮に原告らが職務に誠心誠意取り組んでいたとしても,そのことは,直ちに原告らの職務遂行振りが「標準的・平均的」であったことを意味するものではない。職務に誠心誠意取り組むことは,使用者と雇用契約を締結した労働者として当然のことであり,誰しもが職務に誠心誠意取り組んでいる。そこで,「標準的・平均的」労働者であるというならば,かかる取組によって上げた成果こそが問題とされなければならない。
更に,原告らは,本件における立証責任に関連して,原告らとしては,「自分の把握し得る限りにおいてその能力,勤務成績が劣悪とは言えないことを具体的根拠を挙げて述べれば足り」ると主張しているが,懲戒処分を受けたことがないという事実と誠心誠意職務に取り組んだという事実だけでは,未だ「その能力,勤務成績が劣悪とは言えないこと」は何ら具体的に立証されているとは言えない。
原告らの職務遂行の実情とこれに対する評価は以下のとおりであり,原告らは,職務遂行において「標準的・平均的」な成果を上げていない。もちろん,原告らに対し不当な評価がなされた事実は全く存しない。
なお,総論的に述べれば,原告らは,いずれも,当該職場において,一般者の業務のうち難易度の低い業務を長年遂行していたに止まり,よりレベルの高い業務にステップアップしていくことがなかった。そして,このことは,原告らの職務遂行の実情,すなわち,原告らが「標準的・平均的」な能力を有さず,また,「標準的・平均的な」成果を上げることがなかったことを如実に物語っている。仮に原告らの職務遂行が「標準的・平均的」なものであったならば,原告らが難易度の低い業務の遂行に長年止まっているということはあり得ないからである。ちなみに,原告らは,業務の配置において不当な点があったとの主張を一切行っていないが,この点をも併せ勘案すれば,原告らに対し不当な低評価がなされたとの原告らの主張は,全く根拠がない。
(ア) 原告P1
a 賃金査定に関わる評価
(a) 機械運転掛起重機職場において
この間の原告P1の職務遂行については,原告P1の陳述ないし供述によっても定かではない。
(b) 鋼片(製鋼)工場精整掛において
東浜職場においては,2ヤードの担当を手始めに1ヤードの担当,野積みの担当と次第に難易度の高い業務の担当にステップアップするのが通常であるが,原告P1は,業務として簡単な2ヤードの担当に終始しており,一般の熟練者が担当する1ヤードの担当に就くこともできなかった。原告P1が一貫して配置されていた2ヤードは,ベルトコンベアー的な作業を担当するポジションであり,新人が配属された際のエントリージョブと位置づけられているものであって,一般者が担当する職務として最も平易なポジションであり,原告P1はこのポジションに15年も止まっていたが,原告P1の陳述ないし供述においては,他のポジションを担当する意欲について全く触れられておらず,2ヤード担当に自ら甘んじていたことが明らかである。
以上からすると,原告P1の専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力等が優れていれば,他のポジションへ異動することもあったはずであるが,原告P1は,これらの点に問題があり,上位職務に対応できなかったため,2ヤード担当に終始していたものであるから,昇給成績の査定において低い評価を受けたとしても当然である。また,原告P1は,2ヤード担当の単能工で他のポジションに対応することができなかったものであり,更に管理業務に就くこともなかったのであるから,職務考課給の査定において低い評価を受けたとしても当然である。
(c) 連続鋳造掛カッター職場において
原告P1は,技能習熟の速度が遅く,ミスによるトラブルや事故も多く,業務について前向きな姿勢にも欠けていたため,定常作業にしか対応することができず,他の業務の遂行を委ねることができなかったものであり,原告P1は,オペレーター以外の業務を遂行することのできない単能工であった。また,原告P1は,従前,連続鋳造に関わる職場にはいなかっただけに,業務知識を深める意味でも連続鋳造の通信教育を終えることが強く期待されていたが,原告P1は,この通信教育を途中で投げ出した。
以上からすると,専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力及び上位職務への対応力が問題となる昇給成績において,原告P1が低い査定を受けたのも当然である。また,原告P1は,定常作業に甘んじる単能工であっただけでなく,ミスを多発させ,職務に対する意欲も欠いていたものであるから,職務考課給の査定において低い評価を受けたとしても当然である。
(d) 第4クラフトにおいて
原告P1は,仕事が遅い上に基本的な作業において同僚よりも劣っており,業務におけるアウトプットは他の者の6割程度であった。また,極めて初歩的なミスを発生させるなど低技能者であり,職務に対する意欲ないし姿勢を疑わざるを得ない。また,業務時間開始後に殊更トイレに行く,安全意識が低い,身勝手な年休取得を行うなど,職場の信頼感を損なう行動も取っていた。
以上からすると,専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力及び上位職務への対応力が問題となる昇給成績において,原告P1が低い査定を受けたのも当然である。また,原告P1は,初歩的ミスを多発させ,職務に対する意欲も欠いていたものであるから,原告P1が職務考課給の査定において低い評価を受けたとしても当然である。
(e) なお,原告らの主張は,いずれも原告P1の感想,主観的評価を述べるものにすぎず,これをもって原告P1の職務遂行の有り様が「標準的・平均的」であったなどと認定することはできない。
b 主事昇格に関わる評価
原告P1は,いずれの職場においても,工長職務ないし主任職務に従事したことがなく,また,一般職務を優秀に遂行した事実もない。また,原告P1は,簡易な一般職務にのみ従事していたものであり,しかも,その職務遂行は劣悪であったから,主事昇格の実体的要件を欠いていたことは明らかである。
更に,原告P1は,専門技術研修Ⅰ部も終えておらず,予備試験を受けようともしなかったものであり,そもそも主事昇格の意思すらなかったものと言わざるを得ない。
(イ) 原告P2
a 賃金査定に関わる評価
(a) 機械運転掛ロール整備職場において
原告P2は,ロール整備職場において,繰返し作業が多く高度な技能の不要なロール整備業務,中でもロールの分解や組立て作業に主として従事していたものであって,高度な技術が必要とされる研磨業務にはほとんど就くことがなく,職場全体の統括的な役割を果たしている調製業務,更にロール管理業務にも就くことはなかった。
以上からすると,専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力及び上位職務への対応力が問題となる昇給成績において,原告P2が低い査定を受けたのも当然である。また,原告P2は,単能工で,研磨等の難易度の高い職務へ対応ができず,また,管理的業務にも就くことができなかったものであるから,原告P2が職務考課給の査定において低い評価を受けたとしても当然である。
(b) 第4クラフトにおいて
原告P2の第4クラフトにおける職務遂行は,塗装作業が雑で荒くスピードも遅い,養生作業においてもコーナー部や凹凸分になるとうまくできなかったなどといった劣悪なものであった。しかも,原告P2は,業務時間中に隠れてたばこを吸う,講習中居眠りをする,塗装の際に使っていた歩板を上から放り投げるなど,職務に対する意識・姿勢を疑わしめるような行動を繰り返していた。
以上からすると,専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力及び上位職務への対応力が問題となる昇給成績において,原告P2が低い査定を受けたのも当然である。また,配置職務の遂行・成果,業務改善・創意工夫,指導・統率力,執務態度・意欲が問題となる業績給の評価においても,低い査定を受けて当然である。
b 主事昇格に関わる評価
原告P2は,いずれの職場においても,工長職務ないし主任職務に従事したことがなく,また,一般職務を優秀に遂行した事実もない。また,原告P2は,簡易な一般職務にのみ従事していたものであり,しかも,その職務遂行は劣悪であったから,主事昇格の実体的要件を欠いていたことは明らかである。
更に,原告P2は,専門技術研修Ⅰ部も終えておらず,予備試験を受けようともしなかったものであり,そもそも主事昇格の意思すらなかったものと言わざるを得ない。
(ウ) 原告P3
a 賃金査定に関わる評価
(a) 機械運転掛クレーン職場において
原告P3は,10年以上の在籍期間中,クレーン職場において最も簡単で新人配置職場とされていた3クレーンの業務にのみ就くことができたものであり,しかも,10年以上この職場にいながら,最後まで点検・整備に十分な対応することができず,主任の補助を受けてようやく支障なく業務が遂行されるというレベルに止まっていた。
以上のとおりであるから,実際に発揮された職務遂行・成果に反映されている各人の専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力と上位職務についての対応可能性が問題となる昇給成績における査定で原告P3が低い評価を受けたのも当然である。また,配置職務の遂行・成果(定常作業の遂行・成果),多能工度合,新技術・作業改善への対応力,管理業務の遂行・成果,執務態度・意欲,指導力・統率力が問われる職務考課給の査定において低い査定を受けたのも当然である。
(b) 第4クラフトにおいて
原告P3は,第4クラフトにおいて,材料切断の際に寸法を間違える,材料穴開けの位置を間違えるなど初歩的なミスを繰り返し,更に,配線ミスという重大な事故を発生させており,技能が最低レベルであったのみならず,安全面で問題のある行動を起こしていた。
以上からすると,各人の専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力及び上位職務への対応可能性が問われる昇給成績の査定において低い評価を受けたことは当然である。また,配置職務の遂行・成果,業務改善・創意工夫,指導・統率力,執務態度・意欲が問題となる業績給における査定が低いことも当然のことである。
b 主事昇格に関わる評価
原告P3は,いずれの職場においても,工長職務ないし主任職務に従事したことがなく,また,一般職務を優秀に遂行した事実もない。また,原告P3は,簡易な一般職務にのみ従事していたものであり,しかも,その職務遂行は劣悪であったから,主事昇格の実体的要件を欠いていたことは明らかである。
更に,原告P3は,専門技術研修Ⅰ部も終えておらず,予備試験を受けたもののたった1回限りのことであり,そもそも主事昇格の意思すらなかったものと言わざるを得ない。
(エ) 原告P4
a 賃金査定に関わる評価
(a) 機械運転掛ロール整備職場において
原告P4は,ロール整備職場において,繰返し作業が多く高度な技能の不要であるロール整備業務に主として従事しており,高度な技術が必要とされる研磨業務にはほとんど就くことがなく,職場全体の統括的な役割を果たしている調製業務,更にロール管理業務にも就くことはなかった。
以上からすると,専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力及び上位職務への対応力が問題となる昇給成績において,原告P4が低い査定を受けたのも当然である。また,原告P4は,単能工で,研磨等の難易度の高い職務へ対応ができず,また,管理的業務にも就くことができなかったのであるから,原告P2が職務考課給の査定において低い評価を受けたとしても,当然である。
(b) 精整掛厚板シャー職場において
原告P4は,多能工化が推進されている厚板シャー職場において,約4年間の在籍中,業務として簡易なコールドレベラーとヘビーレベラーの2ポジションの習熟に止まり,新しいポジションの習熟にも消極的であったため,職場が目指した多能工化にはついていけなかった。しかも,担当ポジションにおいても,設備のメンテナンスや異常時の処置等において十分ではなかった。
以上のとおりであるから,専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力と上位職務への対応可能性が問題となる昇給成績の査定において原告P4が低い評価を受けたのは当然である。また,原告P4は,単能工であり,他のポジションに意欲を示すことも対応することもできなかったし,管理的業務にも就くことができなかったのであるから,職務考課給の査定において低い評価を受けたとしても当然である。
(c) 第4クラフトにおいて
原告P4の第4クラフトにおける職務遂行は,塗装技術がないだけでなく,とにかく作業を早く終わらせようと雑な作業に終始したものであり,また,そのライフスタイル自体,職務の遂行よりも少年野球を優先させるというもので,不意の残業にも対応することがなかった。
以上のとおりであるから,専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力と上位職務への対応可能性が問題となる昇給成績の査定において原告P4が低い評価を受けたのは当然である。また,原告P4が職務考課給の査定において低い評価を受けたのも当然である。
b 主事昇格に関わる評価
原告P4は,いずれの職場においても,工長職務ないし主任職務に従事したことがなく,一般職務を優秀に遂行した事実もない。また,原告P4は,簡易な一般職務にのみ従事していたものであり,しかも,その職務遂行は劣悪であったものであるから,主事昇格の実体的要件を欠くことは明らかである。
更に,原告P4は,専門技術研修Ⅰ部も終えておらず,予備試験を受けようともしなかったものであり,そもそも主事昇格の意思すらなかったものと言わざるを得ない。
(オ) 原告P5
a 賃金査定に関わる評価
(a) 造塊掛において
原告P5は,取鍋整備のみの単能工で,二次精錬職場への作業応援にも対応できなかった。また,その業務遂行は,上司の指示を待って行うというレベルであった。原告P5が熱心に取り組んだという業務は,いずれも昭和50年以前のものであって,かかる点からすると,原告P5が新技術への意欲や対応力に欠けていたことは明らかである。
以上からすると,専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力や上位職務への対応力等が問われる昇給成績の査定において原告P5が低い評価を受けたのも当然である。また,配置職務の遂行・成果(定常作業の遂行・成果),多能工度合,新技術・作業改善への対応力,管理業務の遂行・成果,執務態度・意欲,指導力・統率力が問題となる職務考課給の査定において低い査定であったのも当然である。
(b) 第4クラフトにおいて
第4クラフトにおける原告P5の職務遂行の実情は,手は早いが仕事が雑で大事な部分は任せられないといったものであり,専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力と上位職務への対応可能性が問題となる昇給成績の査定において原告P5が低い評価を受けたのは当然である。また,原告P5が職務考課給の査定において低い評価を受けたのも当然である。
b 主事昇格に関わる評価
原告P5は,いずれの職場においても,工長職務ないし主任職務に従事したことがなく,一般職務を優秀に遂行した事実もない。また,原告P5は,簡易な一般職務にのみ従事していたものであり,しかも,その職務遂行は劣悪であったものであるから,主事昇格の実体的要件を欠くことは明らかである。
更に,原告P5は,専門技術研修Ⅰ部も終えておらず,予備試験を受けようともしなかったものであり,そもそも主事昇格の意思すらなかったものと言わざるを得ない。
イ 予備試験の違法性について
(ア) 反共差別意思に基づく主事昇格からの排除
a 原告らは,被告ないし広畑製鐵所に反共差別意思が存するとし,かかる意思に基づいて原告らが主事昇格から排除されてきたと主張するが,被告ないし広畑製鐵所に反共差別意思など存しないことは,先に述べたとおりである。現に,新日鐵堺製鐵所事件においては,堺製鐵所には共産党員であっても主事昇格した者が存し,主事昇格に関し共産党員にも受験の機会が公平に与えられていたとされ,更に,共産党員についても受験の準備の際に援助がなされていたとの事実が認められている。かかる点からも,反共差別意思に基づき,共産党員であると言うだけで主事昇格から排除されることなどあり得ないことは明らかである。
被告の人事制度は,会社として設計され,運用されているものであって,同じ会社内で,広畑製鐵所には反共差別意思に基づく取扱いが存し,堺製鐵所には反共差別意思に基づく取扱いが存しないなどということがあり得るはずもない。
したがって,堺製鐵所において共産党員が主事昇格から排除されていないとの事実は,広畑製鐵所における主事昇格ないし原告らについての主事昇格において反共差別意思に基づく取扱いなどなかったことの端的な証拠と言うべきである。
b 原告らは,主事昇格の意思を有していたにもかかわらず主事昇格から排除されたと主張するが,原告らに主事昇格の意思が存しなかったことは,原告P3以外の原告が予備試験を受けようともしなかったことから明らかである。
予備試験は,これに合格しないと製鐵所の主事昇格試験を受けることができない試験であり,主事昇格を望むのであれば,当然受験しなければならないものである。そして,予備試験は,誰もが受験することのできた試験なのであって,この試験を受験しようともしない者に主事昇格の意思があったと認めることなどできない。
更に,主事昇格においては,職務基礎知識が試験科目であるところ,職務基礎知識については,専門技術研修Ⅰ部を終えることによって試験科目から免除されるという有利な取扱いがされており,この研修は,個人の希望により誰でも受講できるものであったため,主事に昇格した者のうちほとんどの者は,専門技術研修Ⅰ部を終えていた。しかるに,原告らはいずれも専門技術研修Ⅰ部を終えておらず,原告P2,原告P4及び原告P5は,そもそもこれを全く受講していない。かかる点からすると,原告らにはそもそも主事昇格の意思が存しなかったと言わざるを得ない。
なお,原告P3については,過去に予備試験を受験した事実が存し,また,平成14年の資格昇格試験の運用見直しの後必須とされた専門技術研修Ⅰ部の受講を申し出た事実も存するが,予備試験の受験は一度限りのことであって翌年度以降受験していないし,専門技術研修Ⅰ部の受講を申し出たとはいってもその後中途半端な対応をして受講をしなかったのであるから,他の原告と同様,主事昇格の意思が存したと認めることはできない。
c 製鐵所の主事昇格試験を受験するためには,予備試験に合格し所属長の推薦を得ることが必要であるところ,原告らはいずれも予備試験に合格しておらず,そもそも主事昇格の要件を欠くものであり,また,原告らはいずれも日常の職務遂行の実情からして,そもそも主事昇格試験への受験が問題となるような者ではなかったため,原告らの上司は,原告らに対し,主事昇格試験の予備試験受験を積極的に勧めなかった。
もっとも,予備試験は,誰でも受験できる試験であり,原告P3は予備試験を受験したものの,その試験成績が悪かったことから予備試験に合格せず,所属長の推薦を得ることができなかったのであるが,その余の原告らについては,そもそも予備試験を受けようともしなかったのであるから,所属長の推薦が問題となる余地は全く存しない。
(イ) 予備試験の実態,差別性について
a 日程の非周知性について
(a) 原告らは,予備試験の日程が周知されなかった職場があることを殊更強調し,予備試験は,所属長が気に入った者だけに所の試験を受けさせるためのふるい分けの道具であり,日程が周知されていなかったことから,予備試験を受験する機会さえ与えられなかったと主張する。
しかし,原告P2や原告P3が勤務していた冷延部冷延課機械運転掛等,職場によっては予備試験の日程が明らかにされていたことを認めている以上,予備試験そのものについて,所属長が気に入った者だけに所の試験を受けさせるためのふるい分けの道具などと単純に結論づけることはできない。
そもそも,原告らの主張は,被告が反共差別意思に基づき,共産党員である原告らを主事昇格から排除したというものであり,これとの関係で予備試験の日程が周知されていないことを問題とするものであるが,原告らの主張によっても,共産党員がいる職場においてすら予備試験の日程が明らかにされていたというのであるから,被告が予備試験の日程を明らかにしないことによって共産党員を主事昇格から排除しようとしたとの原告らの主張が成り立たないものであることは明らかである。被告が共産党員を主事昇格から排除しようとし,それゆえ予備試験の日程を明らかにしないというのであれば,共産党員のいるすべての職場ですべからく日程が明らかにされないはずだからである。
また,予備試験の日程が明らかにされていなかったから予備試験を受験する機会さえ与えられなかったという原告らの主張も,論理が飛躍しており失当である。予備試験受験の意思が存するのであれば,予備試験の実施の「お知らせ」が掲示された時点で,その日程を上司に尋ねるなどすればよく,また,「お知らせ」が仮に存しなくとも,所の主事昇格試験の日程は例年同じであり,予備試験もその前に実施されるのであるから,予備試験の具体的な日程を上司に尋ねれば足りる。
更に,原告P1は,製鋼部製鋼工場においては予備試験を実施することさえ明らかとされていなかったのであるから,受験する機会が与えられなかったと主張するが,製鐵所が行う主事昇格試験に先駆けて各職場において予備試験が実施されており,予備試験に合格せずして製鐵所が行う主事昇格試験を受験できないことは周知の事実である。かかる点について原告P1が全く認識を欠いていたのであれば,それは予備試験についての関心が全くなかったことの現れであり,また,原告P1が認識をしつつ何ら問合せをしなかったというのであれば,それは原告P1に予備試験受験の意思が存しなかったことの現れであり,受験の機会さえ与えられなかったということにはならない。
原告P1は,上司から声がかからなかったから受験しなかったと供述するが,受験の意思が存したのであれば,申し出て受験すれば足りたのであって,かかる主張は,受験をしなかったことについての単なる言い訳にすぎない。
(b) また,原告らは,予備試験は受験するよう上司から声がかかった者だけが合格する試験であり,自薦の受験者に合格者がいないとして,この点を問題視するが,予備試験は誰でも受験できることとなっており,現に原告P3あるいはP47は,上司から声がかからなくても自ら受験を申し出て予備試験を受験している以上,被告が反共差別意思に基づき共産党員を予備試験の受験そのものから排除していたという事実は認められない。また,上司が特定の者にのみ予備試験受験を勧めていたという事実は,そもそも何ら具体的に立証されていないが,仮にそうであったとしても,それは,次のような事情に基づくものと思われる。
すなわち,製鐵所の主事昇格試験は,所属長からの推薦を受けた者のみが受験することのできる試験であるため,所属長は,日常の職務遂行に対する考課に基づき,製鐵所の主事昇格試験への推薦を検討するに値する者,すなわち,主事としての能力等が存すると認められる者の中から,予備試験の結果を踏まえて,所属長として製鐵所の主事昇格試験へ推薦する者を最終的に判断・決定する。仮に所属長が特定の者に対し予備試験への受験を勧めているとすれば,それは,かかる流れの中においてのことであり,所属長としては,そもそも製鐵所の主事昇格試験への推薦が問題とならない者,すなわち,日常の職務遂行に対する考課によって主事としての能力等がおよそ認め得ない者については,積極的に予備試験受験を勧めることなどしていなかったものと考えられる。
このように,仮に上司が予備試験受験を特定の者に勧めることがあったとしても,それは,製鐵所が行う主事昇格試験への受験資格が所属長の推薦によるものであるためであって,特段問題とすべき事柄ではない。この点において,原告らが主事不昇格の違法を主張するのであれば,原告らにおいて,原告らに主事としての能力等が存したこと,にもかかわらず反共差別意思に基づき共産党員を排除するために積極的に予備試験受験を勧められることがなかったことを具体的に立証すべきであるが,原告らは,何らその立証を行っていない。
また,上司から予備試験受験を勧められた者のみが予備試験に合格しているという点について,原告らは何ら具体的に立証しておらず,事実と認めることはできないが,仮に原告らの主張のとおりであったとしても,それは単なる結果論にすぎない。
なお,日常の職務遂行に対する考課に基づき,製鐵所の主事昇格試験への推薦を検討するに値する者,すなわち主事としての能力等が認められる者に対し所属長が予備試験の受験を勧めることは考え得るところであり,受験を勧められない者は,日常の考課からしてそもそも主事昇格が問題となり得ない者となるから,自薦により予備試験を受験した者が予備試験に合格し得ないのは,日常の職務遂行に対する考課が適正なものであれば当然であり,被告の反共差別意思に基づくものではない。
b 問題の不統一性について
原告らは,共産党員である原告P3及びP47について,予備試験は受験し得たものの,殊更難しい出題がなされたことから質問に答えられず,予備試験に合格することができなかったと主張するが,原告P3は,同時期に受験した者全員に質問の内容を聞いたものでもなく,かつ質問内容についても細かく聞いたものではないから,他の者との比較をすることには意味がない。ちなみに,原告P3は,自身に対する質問についても,タンデム圧延機の圧化率やメッキの種類等の質問があって全く答えられなかったとするものの,その内容自体具体的ではなく,また,他にどのような質問があったかにも触れていないのであって,この点においても,他の者との比較は意味がない。
また,原告P3に対し,タンデム圧延機の圧化率やメッキの種類の質問等の質問がなされたという点については,そもそも主事昇格試験の場合,担当業務以外に工場内の業務についても一定の知識が必要とされており,原告P3については担当業務がクレーン運転であったもののクレーン業務に密接な関係にある設備等について聞かれたにすぎないのであって,質問が妥当性を欠くことにはならない。
更に,原告らは,P47に対して難解な専門用語や英語が矢継ぎ早に飛び出し,P47は質問の意味すら理解できなかったものと主張するが,原告P3は,どのような質問であったかも,他の予備選考の受験者にも同様の質問があったのかどうかも確認していない。
結局,原告P3やP47が質問に答えられなかった理由が,原告P3やP47の能力に起因するのか,質問内容に起因するものか判然としないし,他の受験者に対する質問内容の詳細も明らかとはされていない以上,共産党員に対してのみ殊更難しい出題がなされたということはできない。
なお,原告らは,原告P3やP47に対する出題が不当であると主張するが,当時,原告P3やP47から,その旨の抗議があったとの事実は一切なく,かかる点からも,共産党員であるがゆえに殊更難しい出題がなされたとの事実が存しないことは明らかである。
更に,原告らは,予備試験の面接においては,受験者により異なった問題が出題されており,客観性,公正性,公平性に欠けるとも主張するが,受験者により異なった問題が出題されているからといって,それだけをもって直ちに,予備試験の面接が客観性,公正性,公平性に欠けるということにはならない。予備試験受験者全員に対し全く同じ質問をするということはそもそも不可能である。また,担当業務以外の安全やJKといった内容に関しては,ある意味共通の質問が可能であるが,全員全く同じ質問にすると面接試験の順番によっては後から受験する者が質問内容を知ることができ,面接の順番によって有利・不利という問題が生じるため,これらの点に関する質問は,「同じ傾向の同じレベルの質問」にならざるを得ない。
なお,原告らは,予備試験における出題が恣意的であると主張するが,恣意的な出題を行って合格する実力のない者を予備試験に合格させても,その者は製鐵所が行う主事昇格試験に合格できないのであるから,全く無意味なことである。また,予備試験は形式的に実施されるものではなく,受験した者が不合格となるケースも多々存したのであるから,出題に対し充分な回答ができなかった原告P3やP47が予備試験に不合格になったのは,かかる予備試験の実態からして当然である。
c 採点基準の不透明性について
原告らは,採点表(甲202)を根拠に,予備試験では採点基準が存しないとか,予備試験では情意の評価要素が重視されており,高度な業務知識や専門知識が問われることがないと主張する。
しかし,採点は◎,○,△及び×と4段階で行われていたのであるから,厳正な評価がなされており,予備試験が試験を受ければ合格するというようなものではなかったことが明らかである。また,採点が4段階で行われていたという事実自体,一定の基準に基づき採点がなされていたことがうかがえるのであって,あたかも採点が恣意的であったかのごとく主張する原告らの主張は,全く根拠がない。
また,上記採点表によれば,確かに情意的な点も評価の要素となっていたことがうかがえるが,面接試験であれば当然のことである。また,業務に関し,幅広く,かつ相当に突っ込んだ質問がなされていることもうかがえるのであって,原告らの主張は,全く根拠がない。
更に,原告らは,上記採点表のメモの部分と採点部分の記載を比較し,知識や専門性が重視されていないとも主張するが,予備試験では積極性や改善意欲等も問われ,これらを総合的に評価することとなっており,面接試験に加えて知識等を問う筆記試験も別途実施されているのであるから,上記記載のみを単純に比較することは無意味である。また,上記採点表は,工場の予備試験の最終的な合否を記載するものではないから,その記載のみから,予備試験では知識や専門性が重視されていないことが明白であるなどとすることは,明らかな誤りである。
(ウ) 掛推薦を受けない者が予備試験を突破する可能性について
原告らは,予備試験が掛推薦を受けた者のみを本来的な対象としてきたこと,掛推薦を受けられる者は早期に決定されその者に対して教育が実施されてきたとし,かかる点から,掛推薦を受けていない者が予備試験に合格することなどあり得ないと主張する。仮に原告らの主張を前提にするとしても,この点において原告らの主事不昇格の違法をいうのであれば,原告らにおいて,原告らが掛推薦を受けられるはずであるのに反共差別意思に基づき共産党員であるという理由だけで掛推薦を受けられなかったことを具体的に立証すべきであるが,原告らは,この点につき,何ら立証をしていない。
a 予備試験の対象者について
原告らは,工場の予備試験受験者が「掛推薦を受けた者」とされていることから,予備試験が全従業員に門戸を解放された試験でなく,予め所属長の推薦を受けた者のみを対象にしたものであると主張するが,原告P3やP47の例に明らかなとおり,予備試験は推薦を受けた者以外でも受験することができたのであって,原告らの主張には理由がない。
また,昭和52年当時,工場の予備試験の受験者が「掛推薦を受けた者」とされているのは,当時,従業員の数が多く,資格昇格の対象者も多かったことから,部・工場の予備試験を行う前に掛単位で予備試験を行い,掛の予備試験の選考結果を以て部・工場の予備試験に推薦する者を決定していたからである。この掛の予備試験は誰もが受験し得ることとなっていたため,原告P3及びP47は,上司から受験を勧められなかったにもかかわらず予備試験を受験することができたのである。
b 所属長の推薦を受けた者に対する特別の教育について
原告らは,推薦を受ける者が早期に決定され,決定された者に対し教育が実施されていたとし,そのことを問題視するようであるが,工場の予備試験受験者を掛として推薦した以上,掛として推薦した者の予備試験合格を期することは当然のことであり,掛として推薦した者を対象に教育が行われていたことは何ら不当視されるべきではない。もちろん,自薦により掛の予備試験を受験した者であっても,掛の予備試験に合格さえすれば,当然,かかる教育の対象になったものである。
なお,このような教育が実施されていた事実は,掛推薦を受けただけでは当然に工場の予備試験ないし製鐵所の主事昇格試験に合格し得るものではないこと,逆にいえばこれらの試験が厳正に実施されていることを示している。
また,掛推薦の者が早期に決定されていたのは,工場の予備試験が厳正に実施されていたことから,これに合格させるために相応の期間をかけて教育する必要性が存したからにほかならない。
(エ) 能力を問わない貢献度基準の存在について
原告らは,A氏,B氏及びC氏の学科研修の点数が低いにもかかわらず予備試験を受験する機会が与えられていることから,貢献度基準によって予備試験を受験できた者たちが優秀であるとか職務遂行能力が高いなどと推測することはおよそ不可能であり,貢献度基準が,一定の勤続年数を経たのに主事になれていない者のうち,職務遂行能力の高い者を救済する制度ではなく,職務遂行能力とは無関係に,むしろ職務遂行能力において劣ると判断されていたがゆえに,勤続年数が長いのに主事になれていない者を救済する制度であることは明らかであると主張するが,原告らの主張は全くの誤りである。
a まず,原告らは,貢献度基準は,職務遂行能力や会社に対する貢献度を問わず,勤続年数の長い者を年齢,勤続年数のゆえに救済する措置であるとし,あたかも勤続年数25年以上であれば当然主事への昇格が認められるかのごとく主張する。
しかしながら,貢献度基準は,「一般職務に従事し,勤続25年以上で会社業務への貢献度が高く,上記に準ずると認められる者」というものであるから,勤続25年以上であるからといって当然に貢献度基準による昇格が認められるものではなく,これに加えて,「会社業務に対する貢献度が高い」,「上記に準ずると認められる者」という要件が必要である。
そもそも,主事という資格は,工長職務という極めて職責の重い職務を遂行するに必要な経験・能力を有する者に対し与えられるものである。工長は,現場作業の第一線において何人かの部下を率いて指揮・監督するとともに,自らも作業に従事するまさに現場作業の要となる役職である。しかして,この工長職務を遂行し得る経験・能力を有するか否かは個人差が大きいのであって,そうであるからこそ,工長あるいは工長次席の職務に従事する者であっても,それだけでは主事となり得ず,厳正な選考を経て主事としての能力が存することの認定が行われているのであって,原告らが主張するように,一般職務に従事する者が単に勤続25年を経過したからといって当然のごとく主事に昇格することはあり得ない。
勤続年数のみで主事への昇格が認められないことは,そのような運用を行うとそもそも主事という資格を設けた意義を失わせること,貢献度基準による昇格においても選考が要件とされていること,貢献度基準による昇格が問題となる時期以前に選考に合格して主事となった者との均衡を失することにもなりかねないこと等からも明らかである。
結局,貢献度基準は,主事という資格が工長職務という極めて職責の重い職務を遂行するに必要な経験・能力を有する者に対し与えられるものであることを考慮するものにほかならず,昇格の選考方法においても,職務遂行能力は何よりも重視されている。貢献度基準は,工長職務を遂行するに必要な経験・能力を有しながら,職場の昇格枠,あるいは「試験に弱い」,「試験が苦手」といった事情から主事昇格を果たし得ない者について,一種の救済措置を設けたものにほかならない。
b また,貢献度昇格の趣旨が上記のようなものである以上,学科試験の結果と貢献度による予備試験の受験とは,何ら関係がない。原告らは,学科試験の結果イコール職務遂行能力であると主張するが,学科試験の結果と職務遂行能力は必ずしも一致しないし,むしろ,一致しないからこそ,貢献度昇格の制度が設けられ,工長職務を遂行するに必要な経験・能力を有しながら,「試験に弱い」,「試験が苦手」といった事情から主事昇格を果たし得ない者について,一種の救済措置として主事昇格が認められたのである。
したがって,原告らが前記のとおり主張するのであれば,A氏,B氏及びC氏について,学科試験の結果が悪いということではなく,これらの者の職務遂行能力が劣り,工長職務を遂行するだけの経験・能力を有していないにもかかわらず,予備試験受験の機会が与えられていたということを立証すべきであるが,原告らはかかる立証を一切行っていない。
なお,昭和50年度から昭和52年度にかけては,貢献度昇格について,「厚めの運用」がなされた時期であるが,この時期においてすら,所属長から推薦された者のうち貢献度昇格が問題になる者の全員が主事となり得たものではないから,貢献度昇格が職務遂行能力とは無関係に勤続年数が長いのに主事になれていない者を救済する制度であるとはいえない。
(4) 原告らの損害額
(原告らの主張)
ア 標準者との差額賃金
原告らは,同期同学歴者の賃金等の平均額(標準者賃金)と原告らが現実に受領した賃金等との差額に相当する損害を被った。
(ア) 平成8年度度以降の差額賃金
原告らが当該年度の中途で退職することなく,当該年度全月にわたって稼働していた場合の標準者賃金は,被告が明らかにした年間基本賃金分布の真中の者が属する分布の中間の賃金とすべきである。
また,年度途中で退職した原告P2,原告P4及び原告P5の退職年度の標準者賃金は,被告が明らかにした月例基本賃金の分布の真中の者が属する分布の中間の賃金とすべきである。
(イ) 平成7年10月から平成8年3月までの賃金,一時金及び退職金の差額
被告は,平成7年度の年間基本賃金,月例基本賃金及び退職金につき,同期同学歴者の分布表を提出しないから,平成7年度の賃金,一時金及び退職金(ただし,未だ被告を退職していない原告P3を除く。)の差額は,原告らが現実に受領した給与及び一時金の額から標準者賃金を逆算して算定すべきである。
(ウ) 以上の方法で算出した標準者賃金と原告らが実際に受領した賃金,一時金及び退職金の差額は,別紙7の1ないし5記載のとおりである。
イ 賃金差別についての慰謝料
原告らは,被告から長年にわたって賃金差別を受け続けてきたことにより,差別賃金相当額の損害賠償のみによっては回復し難い精神的苦痛を被っており,これを慰謝するために,差別賃金相当額とは別途,原告P2については100万円,その余の原告らについては各自200万円の慰謝料を認めるのが相当である。
ウ 第4クラフトへの隔離と差別に対する慰謝料
原告らは,被告の反共労務政策のもとで,被告から隔離職場である第4クラフトに不当配転され,第4クラフトにおいて職制や広労研のメンバーから様々な嫌がらせを受けてきたところ,隔離職場への配転は,原告らの「職場における自由な人間関係を形成する自由」を侵害し,ひいては原告らの人格的利益を侵害するものであり,また隔離職場において様々な嫌がらせを受けることによっても,原告らはいいようのない屈辱感を味わい,人間としての名誉感情も著しく侵害された。
そして,こうした不法行為が専ら原告らが共産党員であることを原因とするもので,憲法によって保障された思想良心の自由を侵害するものであること,特に,隔離職場に配転して原告らの「職場における自由な人間関係を形成する自由」を侵害すること,すなわち,第4クラフトへの配転が,原告らが生産ラインで働く多くの労働者と日常的に接触することを不可能ないし著しく困難とするもので,階級的立場を擁護する労働組合の再構築の必要性を訴えて様々な活動を展開してきた原告らに極めて深刻な打撃を与えるものであることを考慮すれば,かかる不法行為によって原告らが被った精神的損害は,原告ら各自につきそれぞれ金100万円を下らないというべきである。
なお,原告らに対する第4クラフトへの配転は平成元年7月1日から順次実施されているが,第4クラフトへ配転して隔離し,そこで多くの広労研会員を中心に上述した様々な嫌がらせを行わせてきたという被告の不法行為は一体のものとして把握されるべきもので,かかる不法行為は第4クラフトが解体される平成9年4月1日まで継続されてきたのであるから,第4クラフトに隔離され,そこで様々や嫌がらせを受けてきたことについての固有の損害賠償請求権は時効によっては消滅していない。
エ 弁護士費用
原告らは,本件訴訟の追行を原告ら訴訟代理人に委任したので,原告P1につき金160万円,原告P2につき金80万円,原告P3につき金100万円,原告P4につき金140万円,原告P5につき金130万円の各弁護士費用を被告に負担させるのが相当である。
オ 以上によれば,原告らの損害額は,別紙8記載のとおりである。
カ よって,原告らは,被告に対し,第1「請求」に記載のとおりの各支払を求める。
なお,上記遅延損害金の起算日は,原告P3を除く原告らについては,被告の不法行為が完結した後である各人が退職した月の翌月1日とし,原告P3については,原告P3が差額賃金の支払を求める最後の月である平成13年3月の翌月である同年4月1日とする。
(被告の主張)
ア 標準者との差額賃金について
(ア) 原告らは,同期同学歴者の賃金等の平均額と原告らが現実に受領した賃金等との差額に相当する損害を被ったものと主張するが,平均を下回る査定を受ける者は当然のことながら多数存在し,基本給本給の昇給について言えば主担当の約4割の者は平均を下回る査定を受けているのであるから,原告らがそれらの者を飛び越して平均的な査定を受けて然るべきであるという以上,原告ら一人一人について平均的な査定を受けた者と同等の勤務成績,能力であったことを具体的に主張,立証する責任がある。
しかるに,原告らは,要するに,原告らが懲戒処分を受けたことがないことと,職務に誠心誠意取り組んできたことの2点を主張するに止まり,それ以上の具体的な主張及び立証を何ら行っていないのであって,かかる点からすると,平均的な査定を受けて然るべきであったとの原告らの主張は,認めることができない。
(イ) また,原告らの主張は,勤続25年の年功のみによって主事に昇格する規定があるかのごとく主張した上,原告らは貢献度基準により主事に昇格して然るべきであり,かつ,その昇格後も基準額(平均的な考課を受けた者に支払われる金額)の支給を受けて然るべきというものであるが,貢献度基準による昇格は,勤続25年以上であれば誰でも認められるものではなく,原告らが主事に昇格するには主事昇格要件を満たしていることが必要であるところ,原告らはいずれも主事昇格要件を満たさず,主事に昇格することがなかった。
(ウ) 更に原告らの主張は,主事昇格後も基準額の支給を受けて然るべきであった,すなわち平均的な考課を受けて然るべきであったというものであるが,基本給本給の昇給について見ると,主事のうち平均を下回る査定を受けている者は全体の約4割であるが,主事に昇格するまでに勤続25年以上を要した者では実に約85%の者が平均を下回る査定を受けており,主事昇格までに年数を要した者は主事昇格後も主事全体の中では低く位置づけられているのが実態であり,これはあくまで各人の勤務成績,能力の然らしめるところと言わざるを得ない。
また,勤続年数に関わりなく主事昇格後当初の数年間は大多数の者が平均を下回る査定を受けており,基本給本給の昇給についてみると,昇格後5年目までの者のうち約85%は平均を下回る査定を受けている。これは,資格間で求められている職務遂行能力に差が大きく,仮に主担当において優秀な評価を受けたとしても,1ランク上の主事において求められる能力を身につけるためには,自分の技能を更に研き,より高度な作業経験を積み,部下を育成指導する等といった勉強なり経験なりが不可欠なためであり,それ相応の期間を要するためである。
したがって,主事昇格後も平均的な考課を受けて然るべきであったとする原告らの主張は,右のような実態を全く無視するものである。
イ 原告らの損害額に関するその余の主張は,すべて争う。
第3  当裁判所の判断
1  被告の反共労務政策について
(1) 広畑製鐵所が反共労務政策を徹底するようになった動機について
原告らは,昭和34年の49日ストによって大きなダメージを受けた広畑製鐵所においては,合理化の実施を目前に控え,2度と同じ事態を起こさせないようにするために,反共労務政策を徹底し,広畑労組を階級的・戦闘的組合から労使協調組合へと変節させなければならない大きな理由があり,広畑製鐵所が49日ストの反省によって知り得た労使の進むべき道とは「労使協調」の道であり,反共労務政策を徹底して共産党員を組合執行部から排除することにより労使協調組合を確立することが49日ストの教訓とされたものと主張する。
前提となる事実(5)イ(ウ)のとおり,被告は,昭和34年の49日ストを「広畑労働組合史上最大の不祥事」と評価し,ストを主導した執行部を「過激分子」と名付け,新執行部を支援する同志会グループについても,同グループが政治色を強めて職場闘争を推し進め,会社の提案に対しても合理化反対を唱えて力を背景にした抵抗闘争の姿勢を構えるようになると,これを「過激化し」たものと評価し,このような組合の方針を批判する者を良識活動家,良識層グループないし労働組合主義者グループと名付け,これらの同志会に対する圧倒的勝利をもって労働組合の体質改善が図られたものとし,労使協調主義を基本方針とする組合運動を是として労使協調主義への組合活動の変節を支持し,これを望んでいたことに鑑みると,昭和34年の49日ストは,広畑製鐵所が反共労務政策を採用する動機となり得るものであったというべきである。
(2) 組合変節への広畑製鐵所の関与について
原告らは,広畑労組の変節は,広畑製鐵所の積極的な関与によってもたらされたものであり,広畑労組の変節自体がまさに,広畑製鐵所が49日ストの経験を踏まえて反共労務政策を徹底化させたことによって意図的に実現されたものであると主張する。
ア 昭和43年以前の選挙介入について
(ア) 事実認定(甲31ないし33)
a 広畑製鐵所の労働課は,昭和39年8月の組合執行委員の立候補者について,同志会,社青同系,共産党系など,その政治的傾向を問題にし,各グループ別の人数を把握し,これを労働情勢速報と題する書面にして伍長代行者以上に配布していた。
b 鉄鋼労連広畑製鐵労働組合選挙管理委員会の作成した「みんなの役員みんなで選出 棄権なく投票しよう」と題する書面(甲32)や,「外部団体の選挙介入に対し厳重に抗議するとともに全組合員に訴える」と題する書面(甲33)には,昭和41年の組合役員選挙に対し,会社の労働情勢や「組合民主主義を守る会」といった外部の悪質な選挙干渉がされている旨,会社の労働情勢速報や現場職制による選挙介入について,中央委員会や選挙管理委員会で訴えられている旨の記載があるが,その選挙干渉や選挙介入を裏付ける的確な証拠はない。
(イ) 上記認定事実によれば,昭和39年ころ,広畑製鐵所が組合執行委員の候補者の思想的傾向に関心を持っていたことは認められるが,かかる事実をもって直ちに,被告が共産党系候補者を落選させるために積極的に選挙に介入したと認めることはできない。
イ インフォーマル組織正労会の誕生について
(ア) 事実認定(甲111)
平成7年6月に広労研が再作成した「広労研新入会員教育資料」と題する書面(甲111)には,以下の記載がある。
「a 広畑労働組合運動の変革と特徴
昭和30年から昭和37年までは力による組合運動(共産党時代)の時代であり,賃上げのための長期ストが続出した。共産党の活動は,革命が狙いであり,大企業つぶし(敵対),破防法が適用されている。党の命令で動く。
b 会派の誕生と背景について
(a) 同志会の労働運動の間違いは,職場に組合を作るをスローガンに総点検職場闘争,一点闘争を掲げ,総評の指導を受けて社会党左派(社党協)の連携を取り,闘争至上主義を実践して組合員を煽動したことであり,昭和33年の厚板工場操業開始,昭和39年の新勤務体制導入等の会社の体質改善の合理化計画について,広畑労組の存在が大きな障害となった。
(b) 会社の対応は,①組合要求には極力応じない,②職制によって総点検を行い,問題を事前に解決する,③職場闘争を否定する思想教育を徹底する,④同志会批判,協力グループの育成強化を図ることである。
(c) 正労会は,組合運動から政治色を弱め,経済闘争重視の活動に変換するため,同志会支配の組合活動に危機感を持った一部良識派が勉強会を始め,昭和41年に結成されたものである。
(d) 広労研は,労使関係の安定基調,活動のマンネリ化に加え,管理部門,補助部門中心の会員構成からくるライン部門への影響の弱さ等の問題が表面化したことから,昭和53年の正労会の発展的解消を受けて,全組織的な活動の展開を行うため誕生した組織である。
c 会派の存在意義と課題について
会派の存在とは,労政を通じて,所,工場長,掛長及び作業長の労務管理に対するチェック,援助を行うとともに,組合,支部の組合活動に関するチェック,援助,職場実態を踏まえた組合の対処方法を念頭に置いた対応を行うためにある。
会派の日常活動は,①主要闘争時における職場動向の日常把握と対処方針の検討,②執行部・支部活動に関するチェック,③左翼動向の把握・対策等であり,その具体的なアプローチ方法は,分会,ブロック活動の運営を充実するほか,労政・労組との情報交換を充実させることである。」
(イ) 上記認定事実によれば,正労会は,昭和41年,労政を通じて所,工場長,掛長及び作業長の労務管理に対するチェック,援助を行うとともに,組合活動への対応を行うことを存在意義として,同志会支配の組合活動に危機感を持ったいわゆる良識派により結成されたものであり,その目的は,昭和33年以降,広畑製鐵所において,同志会の影響を受けた広畑労組の組合活動が合理化計画の大きな障害となり,組合運動から政治色を弱め,経済闘争重視の活動に変換するために,職場闘争を否定する思想教育を徹底して同志会批判,協力グループの育成強化を図るところにあるところ,かかる事実をもって直ちに,広畑労組の変節が広畑製鐵所の積極的な関与によってもたらされたものであると認めることはできないが,正労会が広畑製鐵所の意を受けて結成されたものであることは否定できない。
(3) 思想教育(反共教育)の徹底について
原告らは,広畑製鐵所が行ってきた職場闘争を否定する思想教育は,社会主義・共産主義=階級的戦闘的組合,資本主義=労使協調組合との図式の下に,前者が誤っており,後者が正しいとの考えを職制や従業員に植え付けるために行われたものであったと主張する。
ア 伍長教育資料「人間関係」について
(ア) 事実認定(甲6,B15)
a 伍長とは,昭和42年9月末まで使われていた役職名であり,昭和42年10月以降は「工長」に,平成9年4月以降は「主任」に名称変更されているが,一般労働者の作業遂行上の監督者であり,ライン部門の指揮命令系統は,課長(工場長),掛長(監督技術員),組長(作業長),伍長(工長),一般労働者の順になる。
b 広畑製鐵所の作成した昭和40年8月20日付けの伍長教育資料「人間関係」と題する書面(甲6)には,思想問題についての「次のような部下を指導する場合はどのようにすればよいか。」という質問に対し,以下の回答が記載されている。
「(a) 民青又は共産党に加入している部下の場合
① 一般に民青員や共産党員を短期間に転向させることは,非常に困難な事であるから,無理をせず時期を待つこと。
次のような理由で動揺をきたす時期がある。
ⅰ 理論的に共産主義に矛盾を感ずる。
ⅱ 活動面で矛盾を感ずる。鉄の規則で党活動が私生活に優先させられいろいろの活動が義務づけられ,私生活を犠牲にしなければならない。
ⅲ 経済的に行詰まる。党費の納入,機関紙代の納入や,行事,選挙の際の資金カンパが強制される。
ⅳ 私生活上でショックを受ける(親から強く反対される,兄弟,姉妹が本人の影響で不幸となる,本人の結婚話が破談になる,結婚して家庭生活に党活動の影響が出る)。
等といったことがある。
② 一般の人達と同様につき合いその間に相手の入党の原因,過去及び現在の生活環境,家庭状況や性格等を調べると共にお互いに話し合いやすい人間関係をつくりあげる。
③ 相手が精神的に動揺し,転向しそうな気配が見えた時には,親身になって相談にのり,共産主義が企業と相容れないものであり党員である事が将来の人生に於いてどれほど大きい『マイナス』であるかを繰り返し説得する。
④ 日常伍長として次の事に注意し実行すること。
ⅰ 仕事の面ではみっちり仕込み,余計な暇を与えない様にする。
ⅱ 他の一般の人々に影響を及ぼさない様に監視する。
ⅲ 会社の方針や規則に違反した場合は断固として注意を行い,どうしても守らない場合は,その年月日及び注意事項及び相手の態度を資料として記録し,上司に報告する。
ⅳ 出来るだけ共産主義理論の欠点について勉強する。
ⅴ 相手が思想問題で議論をもちかけて来た時,自分の能力の範囲内で応じ,判らないことは『判らない』と表明すること。無理して相手のペースにまきこまれない様にすること。政治論争なり経済論争なら云いたいだけ云わせてみること。彼等の言動は必ず「一方的」であるから,極く常識的な庶民の生活感情で対処する。むづかしい言葉に驚かないこと。本人自身,それ程正確には理解していないから。
ⅵ 役付相互間の連絡を密にして,自分だけが当らず触らずのよい子にならないで,誰もが厳然とした同じ態度で同人に接する必要がある。
(b) 民青又は共産党に入りかけている部下の場合
① 質問の様な傾向の人は殆ど不満や悩みをもっている。その様な不安定な状態の時に党員等が初めは個人的に親密な接触を保ち,次第に彼等の方向へ引きこんでいるのが殆どの場合である。一度共産主義的な考えを信じこむと,余程のことがない限り,その考え方からぬけ出せない。従ってその様になる前に伍長は自分の部下を導かねばならない。
② 部下に上記のような傾向の人を見い出した時は,次のような方法をとり気長に立直らせるよう(上司との連絡は緊密にとる)。
ⅰ 直ちに作業長に連絡をとり指導法等の打合わせを行う。又以後も連絡をとりながら指導にあたる。
ⅱ 特別に親しく接触し,相手が不満や悩み等を率直に打明ける様な関係及び雰囲気が出来る様努力する。相手が打明けた時には親身になって相談相手になってやり,過去,現在の会社の状況又は自分の経験等を織りまぜて,率直に話し合い,一歩一歩正常な方向に立直らせる。
ⅲ 積極的に仕事を与え,仕事に対して興味を持たせる様にする。うまく行った時には大いに誉めてやる。また,不必要な暇は与えない様によく監督する。
ⅳ 信頼のおける同年輩の部下を友人としてつけ,話し相手になる様配慮する。
ⅴ 特に新入社員,寮生活をしている若い人に対してはすすんで相談相手になってやる。」
c 被告は,昭和48年以降,「労使関係」,「人間関係」と題する工長講座を行っていた。
(イ) 上記認定事実によれば,広畑製鐵所においては,昭和40年ころ,一般労働者に指揮命令を下す作業遂行上の監督者である伍長に対し,民青や共産党に加入している者については,入党の原因等を調べるとともに,話し合いやすい人間関係を作り上げ,時機を見計らって民青や共産党からの転向を説得すること,また,民青や共産党に入りかけている者については,上司との連絡を緊密にして,これらに加入させないようにするための具体的な指導方法についての教育が行われていたことが認められる。
被告は,上記伍長教育資料「人間関係」を使用した教育が行われた事実はなく,伍長に対して原告ら主張のごとく命じた事実もないと主張し,証人P6は,上記資料は少なくとも能力開発部門が作成したものではなく,地労委において初めて接した文書であったなどとその主張に沿う証言をするが,上記資料の記載内容からして被告の関与なくして作成されたものとは考えられないから,被告の主張には理由がない。
イ テキスト「労使関係」について
(ア) 事実認定(甲54ないし56)
テキスト「労使関係」とは,昭和42年6月以降,広畑製鐵所の労働課が編集し,整員課が発行し,工長候補者に配付したもの(甲54),同年10月以降,広畑製鐵所の能力開発課が発行し,作業長候補者に配付したもの(甲55)及び広畑製鐵所の整員課が参考資料として作成したもの(甲56)があるほか,昭和50年代までは毎年ないし隔年に改訂,増刷されていたものであり,以下のような記載がある。
「a 階級対立関係とみる考え方
労使関係に重要な影響を持つものの考え方にマルクス主義があります。日本の労働運動はマルクス主義の影響を強く受けており,マルクス主義的考え方をすることが進歩的であり,戦斗的であり,真の労働組合のあり方であると考える傾向が見られます。
この考え方に立つと,労働者の生活は資本家階級を打倒し,労働者階級が権力を握らないかぎり向上しないし,労働条件の改善もあり得ないことであります。したがって,労働組合の究極の目的は現在の資本主義社会を潰して社会主義社会を建設することにあることとなり,労働条件を向上させるという労働組合本来の目的を飛び越えて,社会体制変革の運動を進めようとする,政党的性格を強く持つものになります。そうすると,具体的な労働条件の向上を実現することよりも,資本家の恣意のままに動かされ,労働者を搾取していると考える会社に対して,不断の抵抗斗争を組織し,会社に対する不信感を植え付け,その力を弱め,不安定なものとし,ひいては資本家階級全体を弱化させることを目指すことになります。
したがって,こういう考え方に立つ場合,労働組合が使用者と話し合って妥協したり協力することは,倒すべき敵との間にそういう関係を持つことになり,階級に対する裏切り行為となります。とにかく事の内容は別にして,使用者と徹底的に斗うことが労働組合の使命ということなのです。現実に起こる具体的な問題についても,弊害を起こさずに処理するよりも,抵抗斗争のエネルギーを高め,会社を圧迫することによって打開しようと考えるのです。
こうした労使関係のあり方は,会社の存在が無視される結果,組合がすべて力によって問題の解決を図ろうとして争議が繰り返される不安定なものとなり,労使双方の安定的発展は望めないことになります。
b 協調関係とみる考え方
階級対立関係と見る考え方に対置されるものとして協調関係と見る考え方があります。労使関係を協調関係と見る組合は労働組合主義に立った組合です。
労働組合主義というのは,西欧の労働運動の主流を占めているトレード・ユニオズムに源流を持つものですが,日本においては,マルクス主義の克服という基本理念に立ち,労働組合の階級性を否定し,現在の社会体制の中で労働条件を向上させ,労働者の経済的地位を高めていくことを目的としています。そして,その目的を追求する結果として国民全体の幸福が得られるよう,福祉国家の建設に努力するという考え方にまで進んできています。
この考え方に立てば企業経営者は敵ではなく,共通の基盤に立って同じ目的に向かって努力する協力者となりますし,社会の繁栄をもたらす技術革新,生産性の向上は,企業体質の強化,資金の原資の増大のためにも必要なものであると考えますから,技術革新による企業の合理化については,反対するよりはむしろ積極的に協力していく方向を取り,成果の配分については話合いを通じて,組合の主張を会社に理解させていく活動に重点を置くことになります。この考えを一歩進めると,産業全体のあり方,企業の発展については,経営者だけでなく労働組合も一半の責任をもっており,産業体制の整備と企業基盤の強化について組合は積極的に努力しなければならないという考え方になります。
c 以上のように労働組合運動のあり方については大きくいって二つの考え方がありますが,労働組合の目標とする労働条件の向上や生活福祉の充実は何よりも経済社会の発展成長が前提であり,産業の繁栄,企業の業績向上によって初めて実現できることから考えれば,どちらが正しいあり方であるかは自ずから明らかでしょう。
現在,日本の労働組合運動の主流はこの労働組合主義となっており,その成果は今日の日本の経済的発展,ひいては国民一人一人の生活向上という形で現実の姿となっています。」
(イ) 上記認定事実によれば,被告は,昭和42年ころから,作業長や工長等の候補者に対し,労使関係を階級対立関係と見る考え方を批判し,労働条件の向上や生活福祉の充実は何よりも経済社会の発展成長が前提であるとして,労使関係を協調関係と見る労働組合主義の考え方を正しいあり方とする教育をしていたことが認められる。
ウ 城山研修所における合宿制教育について
(ア) 事実認定(甲29)
被告の作成した「炎とともに/富士製鐵株式會社史」(甲29)には,「良識ある企業人の育成と職場の意思疎通の円滑化を図るための合宿制教育」と題して,以下のような記載がある。
「a 広畑製鐵所では教育部の発足を機に,昭和38年度を初年度とする社員教育第1次3カ年計画を立て,その中で特に大きなウエイトを占めていたのが,①モラールの高揚と健全な社会常識の涵養,②意思疎通の円滑化と一体感の醸成を主な狙いとする合宿制教育であった。
b これには次のような背景があった。
(a) 昭和34年の49日スト以降,過激分子に代わって新しく台頭した指導層は鉄鋼労連内部でも他の労組との協調を欠くようになり,これに影響された組合員が増加する傾向にあったことから,健全な労使関係の確立を図る必要があった。
(b) 生産規模の拡大に伴う社員の大量採用によって人員が急増し,また次々に新職場が編成されたことから職場内の意思疎通を円滑にすることが特に重要であった。
c 昭和38年6月に城山研修会場を開設し,若手作業員,中堅作業員,伍長,掛長等に対する合宿制教育を進めた。
d これらの合宿制教育は,日本鉄鋼業の現状と将来,労使関係,当社の製品と用途別の講義及び職場生活のあり方についてのグループ討議を主な内容として,3年間に全所員を参加させることを目標に,年間の教育実施可能日を文字通りフル回転して急ピッチで進めた。所幹部(副所長・労働部長・教育部長等)及び職場各管理者がこれらの研修会の講師,コメンテーター等として毎回出席し,積極的に受講者に語りかけ,対話を行った。受講者は所幹部の広い視野からの講話や率直な対話に感銘を受け,課長・工場長や教育担当者との夜遅くまでの話合いに共感を抱き,次第に良識のある考え方が現場に浸透していった。
e これらの合宿制教育の多くは,各層研修会の追指導も加えて第2次3カ年計画へと引き継がれたが,ここで醸成された話し合いによる相互理解の体験は,その後の職場教育活発化の大きな要因となった。
f また城山での合宿研修と並行して,若手作業員のうち,職場で核となる者を選抜して追指導を行った。この追指導では集団の一員としての自覚を涵養するため,呉・江田島の海上自衛隊教育隊等に派遣して,漕艇等の団体訓練を実施した。」
(イ) 上記認定事実によれば,広畑製鐵所においては,昭和34年の49日スト以降,過激分子に代わって台頭した指導層が他の労働組合との協調を欠くようになり,これに影響された組合員が増加する傾向にあったことから,健全な労使関係の確立を図ることを目的の一つとして,昭和38年6月に城山研修所が開設され,若手作業員,中堅作業員,伍長,掛長等に対する合宿制教育が行われたことが認められるところ,原告らは,城山研修所で行われている教育は単なる労使問題についての教育に止まらず,反共的なものであったと主張するが,これを認めるに足りる的確な証拠はない。
また,原告らは,城山研究所の研修においては,マルクス主義や社会主義を批判したり,トロツキストや中核や革マルと日本共産党が本質的に同一の団体であるかのような講義が行われたものと主張するが,これを裏付ける的確な証拠はない。
エ 「広畑ニュース」による思想教育について
(ア) 事実認定
a 「広畑ニュース」とは,広畑製鐵所の労働部・労働課が定期的に発行し,全従業員に配布していた文書であるが,昭和40年2月17日発行の「広畑ニュース」185号(甲167)のコラム「百万坪」には,「闘争至上主義」と題し,以下のような記載がある。
「(a) 労働運動に関連して,闘争至上主義という一つの概念がある。労使の間を闘争という関係でのみ律しようとする考え方である。
(b) このような経済的な条件を無視して,戦いあるのみだという考え方は,現代社会を労働者と資本家の不倶戴天的な階級対立の場と見て,労働者階級による革命の必然性を信じる階級闘争的なイデオロギーを背景としている。そこでは現在の社会秩序を破壊する階級闘争が労働運動の直接の目的とされ,本来労働者の経済的な地位の向上を目的として発足した労働組合運動の姿が歪められたものになっている。
誤解があるといけないので触れておくが,ここでは労働条件の向上に労働組合が貢献していないといっているのではない。今や労働組合が与える社会的な影響力は極めて大きい。それ故にこそ,労働運動が法律で認められていなかったときのような時代遅れの闘争至上主義と訣別して,技術革新の時代に相応しい進歩的で建設的な,生産性向上に前向きの姿勢を示す勇気が望まれるのである。」
b 昭和41年1月10日発行の「広畑ニュース」217号(甲169)のコラム「みんなで考えよう」には,「外野席」と題し,以下のような記載がある。
「会社と組合の問題にしても,広畑の従業員には,外野席が多いのではないでしょうか。
労使関係は,会社と組合の妥協の上に成り立っているものであり,会社・組合が相互にその存在を認めることから出発しています。その会社というものは,現実の資本主義経済の中で,自由な私企業として,世界の鉄鋼メーカーと激しい販売競争をやって生きています。労働条件の維持向上にしても,こういう営利企業としての会社との間の妥協の中で,達成されていくものです。
そのために,現実の姿としては,組合としても,時には大胆な妥協や,弾力的な態度が必要になるのではないでしょうか。ところが,その妥協を,『会社に負けた』というふうに,勝ち負けの基準でしか考えないという傾向が強いのです。」
c 昭和41年2月17日発行の「広畑ニュース」221号(甲170)のコラム「みんなで考えよう」には,「続労働組合と政党」と題し,以下のような記載がある。
「(a) 共産党と労働組合
共産党は労働組合を党員のプール,すなわち党員の供給源として考えており,組合内で積極的に党を宣伝し,党員の拡大を図り,党活動を活発に行って組合役員を党員で独占し私物化してしまいます。その結果,労働組合の方針や実際の運動は,共産党の政策と何ら変わらないものとなります。
本来,共産党は,『労働組合を組織するのは,労働者階級が権力を握るのであるというそれを目標にして労働組合を組織,指導し,争議も必ず我々が政治権力を握るというところに目標を置いて,あらゆる闘争をそれに結びつけて組織し,指導されなければならない』と言っており,労働組合の運動をすべて政権に対する権力闘争とするべく考えております。
(b) 組合より党優先
また共産党には,鉄の規律といわれる党規約があって,党員は党活動をすべてに優先して行わねばならない義務があります。昭和39年の春闘時において,共産党は公労協の予定した4月17日のストに対し,『春闘のストよりは日韓会談阻止の政治闘争をやるべきだ』として反対態度を出しました。このため,公労協内の共産党員は組合指令に服さず,積極的にスト反対の動きをして混乱を起こしました。この後,国労・全電通・全逓の各組合では,指令に反した者を除名を含む統制処分に付しましたが,これなど労働組合への政党の干渉を示すもので,正しい組合運動にとって大きな妨害になるものと言わねばなりません。
現在では産別も解消し,共産党の影響を受ける労働組合はほとんどなくなっておりますが,それだけに再び労働組合の主導権を回復しようとする,組合内での党員拡大の党活動が盛んに行われているのが実情です。」
d 昭和41年5月27日発行の「広畑ニュース」231号(甲171)のコラム「百万坪」には,「組合結成20周年を祝う」と題し,以下のような記載がある。「ここに組合結成20周年を心から祝うとともに,更に一層の発展を期待して一言申し述べたい。
思えば,広畑労組のこの20年の歴史は,そのまま新生日本の歩みであったと同時に,広畑製鐵所そのものの歩みでもあった。広畑の労使の結びつきの中で,我々は数えきれぬほど多くの経験を重ねてきたが,特に忘れ得ぬこととして脈々と現在に生き続けている思い出が二つある。
その一つは,昭和25年3月の広畑再開にかけた労使の情熱と協力である。広畑再開問題は,今はもう昔語りの感もあろう。だが,会社と言わず組合と言わず,文字通りの協力一致の下に再開運動に心血を注いだ当時の人々の苦労と栄光は,広畑の歴史ある限り永久に忘れ去られるべきではないであろう。何故ならそれは,労使協力の一つの大きな勝利だったからである。
あと一つは,昭和34年春闘時における49日ストの苦い経験である。単独に近い形でこの長期ストの後に残ったものは,当社に対する需要家の信用失墜と,他社の進出による当社シェアーの大きな後退であった。当社労使の存立基盤を危うくするのみで,何一つとして労使双方に利益をもたらせなかった不幸な出来事であったが,率直かつ謙虚な反省の中から,我々富士・広畑の労使の進むべき道を知りえたことは,せめてもの救いであり教訓であった。
20年という歳月を振り返るとき,我々は,上記のような企業の中の労使関係が,単にそれだけに留まらず広く社会と繋がっており,その結びつきを通じて社会に大きく貢献してきたことを強く感ずるのである。
今や労働組合は,近代産業の押しも押されぬ担い手であり,経済の推進者として,企業と共に社会に果たす役割は非常に大きいものがある。社会への貢献と,組合員自身の生活水準向上のために,その前提となる企業の繁栄を常に念頭に置いて,この20周年行事を契機とする広畑労組の新たな発展を望むとともに,それに対応すべき勇気と英知を示してもらいたいのである。」
e 昭和41年5月27日発行の「広畑ニュース」231号(甲171)のコラム「みんなで考えよう」には,「資本主義と社会主義」と題し,以下のような記載がある。
「資本主義は悪いもの,社会主義でなければだめだというのは,現実から遊離した観念論です。我々の社会は,もはや19世紀にマルクスが見た資本主義社会ではありません。それにもかかわらず,ものの考え方は,マルクスを乗り越えることができないでいます。日本では,社会主義運動や労働組合運動における内部の対立抗争が特に激しいが,それは指導者が現実を見極めずにやたらに観念論を振り回してきたことに一半の責任があります。アメリカの労働組合や,イギリスの労働党が,現実を踏まえた政策によって強固な社会勢力となり得た事実を忘れてはなりません。過去に生きる者と未来に生きる者の差は大きい。」
f 昭和41年6月7日発行の「広畑ニュース」232号(甲172)のコラム「みんなで考えよう」には,「企業の活力」と題し,以下のような記載がある。
「次に,労使関係の基礎となる従業員の会社に対する考え方はどうでしょうか。ともすれば,マルキシズム的観念論から会社を敵視する傾向がありはしないでしょうか。端的にいうと,会社の生産には協力していく,その中で,労働条件上いただくものはがっちりいただく,という積極的な考え方が身についていないのではないでしょうか。そのような考え方がないところには企業の活力が見られないのは当然といえます。
会社を敵と見る考え方が異常と映らないとすれば,広畑としての感覚マヒがあるのではないでしょうか。
以上幾多の問題はありますが,従業員の理解と協力さえあれば,経営施策をより一層充実させることによって解決し得るものであるだけに,将来をにぎるカギは従業員自身の手にあるといえましょう。」
g 昭和41年8月8日発行の広畑ニュース第238号(甲173)のコラム「百万坪」には,「新発足した組合に望む」と題し,以下のような記載がある。
「そもそも会社といい組合といい,すべてその目的を集約すれば,従業員であり同時に組合員である構成メンバーの幸福追求ということになろう。この場合,労使の関係の共通の基盤の上に立っているといえる。すなわち,企業や産業ひいては国民経済の繁栄は,組合の健全な発展と切り離せないのである。
共通の基盤に立つとはいえ,お互いの立場が異なることにより,対立のあることはもちろんで,それが時により大きく表面に出てくる場合がある。そしてこの表面を見る限り,労使の間には対立以外何物もないように見えることも多い。このため一般には,この対立現象だけを捉えて労使関係を理解しようとする傾向が強い。
我々の社会生活が人間関係を中心として営まれている以上,そこから対立を全く拭い去ることは,不可能かと思える。社会を構成する最小の単位で,しかも最も緊密な関係にあるはずの夫婦の間ですら,時折りは対立が不和の形を取って現れることを見ても,このことは頷けよう。
しかしだからといって,労使の関係がすべて対立と闘争により構成されるとする,いわゆるマルクス主義的な見方が,果たして正しいかどうか,よく人の知るところだ。組合運動に対する考え方も,あるべき労使関係の像を見失ったり見誤ると,時として表面的な対立が固定化し,階級闘争的な色彩が強くなり,労使関係を破壊してしまうことになる。
会社は,この広畑の労使関係を,善意と信頼に満ちた良好なものに近づけたいと念じているが,その実現には,各層管理者の心構えはもとより,組合の良識と協力が不可欠である。広畑労組の新たなスタートにあたり,一層の協力を期待するとともに,組合自身の健全な発展を心から望んでやまない。」
h 昭和42年3月7日発行の「広畑ニュース」259号(甲174)のコラム「百万坪」には,「春闘」と題し,以下のような記載がある。
「こういう状況の中で行われる今春闘に際しては,いたずらに目先の利害のみにとらわれない,今まで以上に長期的な展望に立った,労使双方の慎重な態度と解決への努力が是非とも要求されるのである。
私たちは,富士製鐵という一私企業に生活の基盤を求めているということ,日本という国家の中で生存しているということを決して忘れてはなるまい。富士製鐵の繁栄と日本の発展の中にこそ,私たちの生活の繁栄があるということは,理屈抜きの厳正な事実である。富士が危機的状況に置かれても,誰も助けてはくれないのである。
今こそ,富士の長期的繁栄の足がかりとすべき時であり,一致協力の体制が強く要請される時である。その為にも今春闘においては,一人一人の分別ある行動が最も強く要請されるのである。49日闘争の悲劇は絶対に繰り返してはならない。」
i 昭和43年5月20日発行の「広畑ニュース」300号(甲176)のコラム「百万坪」には,「ことしの春闘」と題し,以下のような記載がある。
「さらに,生活基盤の変化は,一般の労働組合員の意識の中に大きな変質をおこし,階級対立的な考え方の退潮と,平和な話合いを通じて労使間の諸問題の解決を求める傾向を,強めたことは無視できない。
階級主義に基づく運動理念の現実との矛盾,組合員大衆の意識の変化は,今後の労働運動の将来を占うカギと見られるが,その方向が日本経済の発展を左右するものであるだけに,一人一人が冷静に考えてみるべき問題を含んでいよう。
そのような点から考えれば,俗にいう『春闘相場』といったものに影響されて,経営の実態に即していない賃金水準を決めていくことは,労使双方が強く反省しなければならない点である。組合員の意識構造の変化を十分見極め,労使の自主的な判断による,企業の実態にマッチした話合いによる解決こそ,今後の取るべき道であると思われる。」
j 昭和43年8月12日発行の「広畑ニュース」308号(甲178)のコラム「百万坪」には,「新執行部に望む」と題し,以下のような記載がある。
「今後の執行部の特色は,第一に運動の進め方として,『新しい組合づくり』を主張していることが挙げられよう。それは,先の役員選挙で一般組合員の支持を得た次の3つのスローガンに,くっきり表れている。
(a) 生産性向上は組合員の福祉の向上につながる。
(b) 組合に話合の能力をつける。
(c) 一般組合員と執行部の意志疎通を図る。
特色の第二は,執行部の顔ぶれが15名のうち12名までが新人であり,しかも平均年齢30才と若返ったことである。この『若さ』という利点を生かし,従来の行きがかりに囚われない新鮮な活動を期待したいものだ。
ところで6月から7月にかけ,鉄連の各単組で役員選挙が行われたが,それぞれの選挙に共通した傾向として言えるのは,労働組合主義を主張するグループが圧勝したことである。
八幡では三役,執行委員とも,社会党・共産党系の候補者と,労働組合主義者グループの全面対決となったが後者が完勝,社会党はこれまで持っていた副組合長と書記次長のポストを失った。
富士の他組合でも,共産党系の候補者が書記長に立候補したが,いずれも組合員の支持を受けることができず,大差で落選している。特に室蘭では,今まで共産党系が確保してきた2つの執行委員のポストを失った。
戦後20年,日本の労働運動は総評が指導してきたが,昭和35年ごろから日本経済の高度成長という新たな局面を迎え,総評の観念的で政治的色彩の濃い指導方針に批判が生まれ,組合員の中に新しい運動を望む声が強まってきた。
最近の総評の指導力の低下や,第三勢力としてIMF・JCが注目を集めている事実は,労働運動が一つの曲り角に差し掛かったことを端的に示している。
今回の各組合の役員改選で,労働組合主義を主張する人たちに投ぜられた票には,一般組合員の大きな期待が込められていることを忘れてはならないだろう。
むろん一口に新しい組合運動といっても,執行部が代わったからといって,直ちに生まれるものではあるまい。それは一つ一つの問題処理を通じ,地道に努力を重ねて,初めて実現されるものである。
新執行部の下に,支部役員,一般組合員が集結し,一日も早く安定した組合体制の築かれることが願われるのである。」
(イ) 上記認定事実によれば,広畑製鐵所は,昭和40年2月ころから昭和43年8月ころにかけて,広畑ニュースを通じて,労働運動における闘争至上主義やマルクス主義,共産党の考え方を批判し,49日ストは労使双方に利益をもたらさなかった不幸な出来事であり,絶対に繰り返してはならない悲劇であるなどとして労働組合に妥協を求め,労使協調主義ないし労働組合主義を支持する旨を明らかにしていたことが認められる。
上記認定の事実に関し,証人P6は,「広畑ニュース」の「百万坪」等のコラムは,従業員の中からランダムに意見を出してもらい,その原稿をそのまま掲載したものであるなどと証言するが,「当社」,「会社」を主体とする表現が見られるなど,その記載内容からしても,被告の意向を表したものであることは否定できず,上記証言は採用することができない。
オ 以上によれば,広畑製鐵所は,昭和40年2月ころから昭和43年8月ころにかけて,広畑ニュースを通じ,闘争至上主義や共産党の考え方を批判し,労働組合に妥協を求め,労使協調主義ないし労働組合主義を支持する旨を明らかにした上,伍長に対しては,昭和40年ころから,民青や共産党からの転向を説得したり,これらに加入させないようにするための具体的な指導方法を教育していたほか,作業長や工長等の候補者に対しては,昭和42年ころから,労働組合主義の考え方を正しいあり方とする教育をするなど,従業員や職制等に対し,闘争至上主義や共産党の考え方を否定し,労使協調主義を是とする教育を行ってきたことが認められる。
(4) インフォーマル組織「作業長会」,「工長会」について
原告らは,作業長会や工長会の実態は,職場における共産党員の活動を封じ込め,労働組合の役員選挙において確固たる労使協調組合を維持するために奔走する広畑製鐵所の積極的関与によって組織されたインフォーマル組織であると主張する。
ア 職場における共産党員の把握とその監視について
(ア) 事実認定(甲114)
昭和57年2月6日付けの「労政問題について」と題する書面(甲114)の「支部改選,信任率93%以上確保にむけて」の項には,組合支部役員選挙に関連して,現共産党員がP9,P23,P1,P22及びP24の5名である旨,不満者の内訳として共鳴者,合理化,応援者,昇格,賞与,個人の好嫌い及び作業長の好嫌いとの記載がある。なお,上記書面には,作業長会熱延部会の報告内容や職場生産委員会に作業長が出席することの是非等が記載されていることからして,作業長会において用いられた資料と認められる。
(イ) 上記認定事実によれば,作業長会は,昭和57年ころ,組合支部役員選挙に際し,共産党員5名の氏名を把握していたことが認められる。
原告らは,作業長らに期待される部下の指導は,安定的な労使関係の形成に役立つ部下の育成指導であり,それは必然的に作業長に職場における共産党員の把握と監視の任務を負わせるものであったと主張するところ,作業長らが職場における共産党員の情報を把握していた事実は否定できないが,上記認定の事実をもって直ちに,被告が作業長らに対し,任務として共産党員の把握と監視をさせていたと認めることはできない。
イ 組合役員選挙対策について
(ア) 事実認定(甲114,115)
a 昭和57年8月に鋼片工場作業長会が作成した「本部・支部選に伴なう対応と結果」と題する書面(甲115)には,以下のような記載がある。
「(a) はじめに
今期,役選に対し前回を上回る信任率を目標に取り組んだ結果,初期の目標は達成したが,その本質を見極めるとき,手放しで評価はできない。人間的な思想・信条から不満・無関心層に加え,鋼片工場のかげりと現実的に2分塊ラインのシフトダウン等,本選挙期間の背景は厳しいものであった。しかし,工長会,主事会が率先し,良識ある行動で頑張ってくれた。
(b) 結果
① 本部
執行委員について,当支部のP75は最高点の信任を得たが,本人,当支部役員の力もあるが,投票用紙の位置の寄与大。
② 支部
ⅰ 対立候補無しでは94%~97%を得たが,個人バラツキは各個人が生きている証拠である。
ⅱ 対立候補有の場合,88%~89%と12%弱が対立に回った。特にP22(共産党員)の31票は心外と言わざるを得ない。
(c) 取組概要
昭和57年7月 票読み,工長会2回,作業長,主事会各1回,工長研修(各組ごと工場長,掛長,作業長参加)
8月 票読み,工長会3回,作業長1回,作業長対評議員懇談会ほか
(d) 選挙運動期間
① 対立候補者の活動収集と抱負の封じ込み
② 作業長,工長ペアによる個人評価と一本釣り
③ 投票所の環境改善他
④ 作業長会のスローガン(やったらよいと思うものはやる。但し,結果は反省しない。)
※ 対立候補者より予想以上に職制の介入は厳しいと選挙管委員会に申入れ有り,選管各位に大変苦労をかけた。
(e) 残る課題
無関心層とか同調者対応は当然であるが,5人の人物の封じ込みは形式だけでゆくものではない。」
b 作業長会において用いられた資料である昭和57年2月6日付けの「労政問題について」と題する書面(甲114)の「支部改選,信任率93%以上確保にむけて」の項には,昭和55年度(前回)の支部役選結果と幹事会としての反省報告として,①組合員数の減少,②合理化計画5月提案,③地方選挙,④JK自主運営管理組織が変わることが悪材料である旨の記載がある。
c 原告ら及びP63の陳述書(地労委における証言記録を含む。甲60,94,B1,B9ないし13,C1,D1,D4)には,原告らの主張する「散れ散れ作戦」,「ペアペア作戦」についての記載があるほか,原告らが発行した機関誌「鉄のなかま」(甲42),「鉄鋼労働通信」(甲7)等にも,職制による選挙介入を報じる記載があるが,これを裏付ける客観的な証拠はない。
(イ) 上記認定事実によれば,鋼片工場の作業長会は,昭和57年の組合役員選挙に際し,P22を初めとする共産党員を対立候補者と位置づけ,工長会や主事会とともに,票読み,対立候補者の活動収集,抱負表明の封じ込み等,作業長会等の支持する候補者の信任率を上げるための選挙対策を講じていたことが認められる。
ウ 工長会等の共産党員排除の画策について
原告らは,工長会や工長研修会等において,共産党員排除の画策がなされた旨主張し,原告P1が作成した「抗議と謝罪,是正措置を求める申し入れ」と題する文書(甲9)や「溶鋼」と題する文書(甲E43)にはこれに沿う内容の記載もあるが,これを具体的に裏付ける客観的な証拠はない。
エ 以上によれば,作業長会は,昭和57年ころ,組合支部役員選挙に際し,共産党員の氏名を把握していたほか,共産党員を対立候補者と位置づけ,工長会や主事会とともに,その支持する候補者の信任率を上げるための選挙対策を講じていたものであって,被告が,昭和40年ころから,伍長(工長)に対し,民青や共産党からの転向を説得する具体的な指導方法等を教育していたことに鑑みても,作業長会や工長会は,組合役員選挙に際し,組合役員から共産党員を排除するための活動を行っていたものと認められる。
(5) インフォーマル組織「広労研」について
原告らは,正労会(広労研)は,同志会主導の広畑労組を労使協調路線に転換するために広畑製鐵所の積極的関与の下に組織されたインフォーマル組織であると主張する。
ア 広労研誕生の背景及びその基本的活動について
(ア) 事実認定(甲111ないし113)
a 広労研は,昭和53年の正労会の発展的解消を受けて誕生した組織であり,基本的には正労会と同一路線を踏襲する組織であるが,友愛と信義を基調とし,会の目的達成の趣旨に賛同するいずれの政党にも所属しない広畑製鐵所労働組合の組合員をもって組織される。
b 平成6年10月27日に開催された広労研第26回総会の議案書(甲112)には,以下の記載がある。
「(a) 左翼対策の強化を図ることは,1994年度の年間の活動計画における具体的な活動の一つである。
(b) 1995年度の活動を進めるに当たって重要な事は,現在の広畑が置かれた環境変化を十分に理解した上で,『将来に夢と希望』が持てる製鐵所づくりに全員が力を合わせていくことであると言えます。
そのためには,従来にない厳しさの中で,労働組合主義のもと,労働基盤の確保と雇用の安定の実質総合生活の維持向上に真剣に取り組む,労働組合を裏からしっかりと支え,職場からの声なき声や,職場実態を十分に把握し,会社・労働組合に意見具申する必要が会派に求められます。
また,左翼勢力は,この機会をとらまえ,非現実的な言動や,職場・出向者等への切り崩しをおこない,会社・労働組合に揺さぶりをかけてくるものと想定出来ます。会派人として,彼らの動きを把握しながら職場や出向者に対して,情報を正しく伝え,動揺や混乱を招かないよう啓蒙する必要があります。
(c) 左翼対策については,これまで同様,敵対する存在として,的確な対応をはかることに重点を置いた活動を強化する。
(d) 広労研は,16年の活動の中で,『左翼対策』との対決により,健全な組合運動の確立を日常の職場活動として定着させるなど成果を収めてきた。
最近では,冷戦構造の終結に危機感を持った左翼勢力が結束する手段として,具体方策を持ち行動を起こしている。
基盤強化を始めとした会社の諸施策,雇用の確保等に,大きな課題を持ち,人を大切にする運動に努力を続けている労働組合主義を主張する組合に対し,相手は,何らの具体方策もなく,ただ単に組合・会社を中傷し,批判することにより,組織の攪乱を図ろうとしてくることは必至である。
この課題に対して,推測の域をでないが,職場の不平・不満を狙いとし,また,出向組合員の切り崩しもするであろう。この様な情勢下では,会派が一つに纏まらなければならないし,常に,相手の動きを把握し,必要であれば具体的に対応する必要がある。」
(イ) 上記認定事実によれば,広労研は,昭和53年の正労会の発展的解消を受けて誕生した組織であり,基本的には正労会と同一路線を踏襲し,左翼を敵対する存在と位置づけ,その対策を講じることを基本的な活動の一つとしていることが認められる。
イ 広労研の行う選挙妨害について
(ア) 事実認定(甲112,113)
a 平成6年10月27日に開催された広労研第26回総会の議案書(甲112)には,第36期組合役員選挙の総括として,工長会等を中心に選対組織を確立したが,事前の研修会の効果もあり,積極的な選挙活動を展開することができた旨の記載がある。
b 平成8年11月1日に行われた広労研第29回総会の議案書(甲113)には,第37期組合選挙の総括として,以下の記載がある。
「(a) 具体的な選挙戦
① 職場巡回についてはマスタープランに基づき,支部代表者との連携を取りつつ有効かつ効率的な面着活動を行った。
② 支部代表者を基軸に,各職場隅々まで浸透作戦を展開し,職場巡回で面着出来なかった職場組合員・出向組合員には,集会所において面着を図った。
③ インフォーマルグループとの連携で着実な選挙活動をする事が出来た。
(b) 第37期役員選挙の結果
① 取り巻く環境は厳しいものがあったが,告示から終盤にかけ従来にない盛り上がりをみせ,高投票率を果たすことができた。
② 成り行きによっては広畑の将来を左右しかねないと言う危機意識を感じ,会員・組合員諸兄の絶大なる支持・協力によって,本部・支部揃って高率で新体制を誕生させることができた。」
(イ) 上記認定事実によれば,広労研が,平成6年から平成8年ころにかけて,工長会等と連携して選挙対策組織を確立し,職場巡回や集会所における面着活動等,積極的な選挙活動を行っていたことが認められる。
ウ 選挙管理委員会と作業長会,広労研との連携について
(ア) 事実認定(甲52)
広畑労組選挙管理委員会の作成した昭和47年7月3日付けの第25期組合役員改選時の選挙公報(甲52)には,原告P2を初め,共産党系,同志会系の立候補者の氏名はすべて漢字で記載されているのに対し,労働組合主義者グループの立候補者の氏は漢字であるが,名前は片仮名で記載されている。
(イ) 上記認定事実によれば,選挙管理委員会は,労働組合主義者グループの立候補者が共産党系及び同志会系の立候補者と一目で区別できるように片仮名で表記することを許していたことが認められる。
原告らは,投票所の配置等に様々な工作がなされており,投票する者は常に誰かに監視されて投票せざるを得ないのであって,およそ自由に投票できる雰囲気はなく,また,これらはすべて作業長会,工長会及び広労研の連携によって面策され,選挙管理委員会がこれを放置した結果,継続されているものにほかならないと主張するが,これを裏付ける的確な証拠はない。
エ 以上によれば,広労研は,基本的には正労会と同一路線を踏襲し,左翼を敵対する存在と位置づけ,その対策を講じることを基本的な活動の一つとしており,平成6年から平成8年ころにかけては,工長会等と連携して選挙対策組織を確立し,積極的な選挙活動を行っていたものと認められる。
(6) インフォーマル組織の育成強化についての広畑製鐵所の関与について
原告らは,作業長会,工長会及び広労研が広畑製鐵所の積極的な関与の下に育成強化されたインフォーマル組織であり,原告ら共産党員に対する攻撃を,単なる職制や広畑労組組合員である一般従業員との間の軋轢であるとか,組合内部の対立などと評価することは到底できないのであって,それらはまさに広畑製鐵所の反共労務政策の具現にほかならないものと主張する。
ア 作業長会や工長会についての広畑製鐵所の関与について
(ア) 事実認定(甲130,189,証人P6)
a 広畑製鐵所の労働人事室は,作業長会に講師派遣をしている。
b 製鋼工場の主任会(従来の工長会)の事務所は製鋼工場に置かれている。
c 平成6年12月22日付けの製鋼工場の業務分担表(甲130)には,安全小集団や広報,親睦などの会社の正式な委員会と並んで,作業長会,工長会及び広労研の担当者名が明記され,同表の右上には,当時の職制であったP76,P77の職印が押されている。
(イ) 上記認定事実によれば,被告が作業長会に講師派遣をしたり,工長会に事務所の場所を提供するなどの協力をしていること,作業長会や工長会の業務分担を会社の正式な委員会の業務分担と同列に位置づけている職場もあることが認められるが,かかる事実をもって直ちに,これらの組織が広畑製鐵所の積極的な関与の下に育成強化されたものとは認められない。
しかしながら,作業長会や工長会は,組合役員選挙に際し,組合役員から共産党員を排除するための活動を行っていたものであって,かかる活動は,従業員や職制等に対し,闘争至上主義や共産党の考え方を否定し,労使協調主義を是とする教育を行ってきた広畑製鐵所の意に沿うものであることに鑑みれば,作業長会や工長会の活動は,被告ないし広畑製鐵所の意を受けて行われたものというべきである。
イ 広労研についての広畑製鐵所の関与について
(ア) 事実認定(甲102,111,112,129)
a 平成6年10月27日に開催された広労研第26回総会の議案書(甲112)には,以下の記載がある。
「(a) 今年度の活動目標
広労研としては,労働組合を裏でしっかりと支えた組織づくりのために,自ら活性化し,分会,ブロック活動を,これまで以上に強化充実し,日常的に職場の生の声を把握しながら,組合の諸活動・諸施策及び,会社の諸施策に積極的に反映させ,よりよい職場づくりに取り組むこととする。
(b) 具体的活動の展開
① 職場にうず巻いている諸問題をキャッチし,生の声を,速やかに,幹事・ブロック長が把握し,組合・会社等へ意見具申し,諸活動,諸施策に反映させていくことが最も重要である。
② 定例開催を実施する中で,報告書の提出は,分会・ブロック間で大きな偏りが出来ており,リーダーとしての役割や,会派人の意識に負うところが大きい。
報告書は,三役はその内容を整理し,会社・労組に意見具申するとしているが,その内容の充実度についてはまだまだ反省すべきところがある。」
b 平成7年6月に広労研が再作成した「広労研新入会員教育資料」と題する書面(甲111)には,会派の組織として,鉄鋼連絡会,新日鐵連協の下に,八幡組協,室蘭組協,釜石労研,広労研,光組協,名労研,堺組協,君津組協,大分労組研,東京組研,本社組協,化学組協といった組織があり,組合員数4万0175名(平成6年9月現在)のうち1万0240名(平成6年11月現在)がこれらの組織の会員となっている(会員数/組合員数25.5%)旨の記載がある。
c 平成6年3月15日には,広労研の全体学習会において,労働人事室,掛長による研修会が実施されたほか,平成7年1月26日にも,広労研のブロック長,幹事,専門部合同研修会において,労働人事室の講師による「鉄鋼業の現状と将来について」の講義が行われた。
(イ) 上記認定事実によれば,広労研は,広畑製鐵所に積極的に意見を述べ,これを広畑製鐵所の諸施策に反映させている一方,労働人事室等,会社もまた,広労研に講師を派遣して研修会等を行うなど,互いに協力関係にあることが認められるが,かかる事実をもって直ちに,広労研が広畑製鐵所の積極的な関与の下に育成強化されたものとは認められない。
しかしながら,広労研は,広畑製鐵所の意を受けて結成された正労会と同一路線を踏襲し,左翼対策を基本的な活動の一つとし,工長会等と連携して積極的な選挙活動を行っていたものであるが,かかる活動は広畑製鐵所の意に沿うものであったこと,広畑製鐵所だけでなく,被告の全国の各製鐵所に広労研と類似の組織が存在することなどに鑑みると,かかる組織が専ら自発的に組織・運営されたものとは認め難いから,広労研の活動もまた,被告ないし広畑製鐵所の意を受けて行われたものというべきである。
原告らは,広労研は,正労会が結成されたのは昭和41年であるのに,昭和21年から平成3年までの広畑製鐵所従業員中の共産党員数の推移を正確に把握しているが,これは,広畑製鐵所が職制や後述するP26のようなスパイを使用して従業員の中で誰が共産党員なのかということを日常的に把握しており,その情報を正労会や広労研に流していることを端的に示しているものと主張するところ,広労研が平成7年6月に再作成した「広労研新入会員教育資料」と題する書面(甲111)には,昭和21年から平成3年までの広畑製鐵所従業員中の共産党員数の推移が記載されており,スタート時に各100名,平成7年現在で243名にすぎない正労会ないし広労研の会員が,多数の従業員の中から共産党員の数を把握することは極めて困難ではあると認められるが,かかる事実をもって直ちに,広畑製鐵所がスパイを使用するなどして正労会や広労研に情報を流していたと認めることはできない。
(7) 以上総合すると,広畑製鐵所は,昭和34年の49日ストを受けて,昭和40年ころから,闘争至上主義や共産党の考え方を批判し,労働組合に妥協を求め,労使協調主義ないし労働組合主義を支持する旨を明らかにし,従業員や職制等に対してその旨の教育を行い,作業長会や工長会,広労研などの組織を通じて,組合役員から共産党員を排除するための活動等を行うなどして,共産党員を排除するための施策を行ってきたものと認められる。
2  被告の原告らに対する差別的行為の有無
(1) スパイP26の摘発について
原告らは,広畑製鐵所がP26を通じて共産党入党者に関する情報収集をしていたものと主張する。
ア 事実認定(甲B1,C1,D1,E1,原告P2,原告P4)
(ア) 原告P3は,昭和37年10月ころ,P78組長代行から「P2,P79等は共産党だからあまり付き合わない方がよい」と言われたほか,民青に加盟した翌日である同年11月6日,P80伍長から「民青に入ったらしいが君の将来のためによくない」と言われたことがある。
(イ) 原告P4は,昭和37年ないし38年ころ,コンドルの監督であるP43から「共産党をやめた方が後々得をするぞ」と言われたことがある。
(ウ) 原告P5は,昭和37年8月の組合役員選挙の後しばらくして,P44組長から「民青や共産党はやめられないか」と言われたことがある。
(エ) 日本共産党γ地区委員会が昭和39年4月4日に発行したγ党報(甲165)には,同年3月27日,P28及びP26の除名を満場一致で決定した旨,P26が昼間の会議に出席するときでも,必ず一度出社し,成績点の面でも優遇されていたほか,厳しい職場の中で印刷まで平気でやっていた旨,まさに権力の犬となり下がった彼らにして初めてなし得た行為である旨の記載があるほか,原告P4の陳述書(甲D1)には,P26が,日本共産党γ地区委員会が行った調査委員会の席において,昭和37年ないし38年ころ,会社のスパイとして活動していたことを自ら明らかにした旨の記載がある。
イ 上記認定事実によれば,原告P2については昭和37年10月ころ,原告P3については同年11月6日ころ,原告P4については昭和37年ないし38年ころ,原告P5については昭和37年8月ころ,職制が各人の共産党入党や民青加盟を前提とする発言をしており,当時,広畑製鐵所が同原告らの共産党への入党や民青への加盟の事実を把握していたことが認められるが,P26が被告のスパイとして活動していたことを裏付ける具体的な証拠はなく,上記認定事実をもって広畑製鐵所がP26を通じて入党者に関する情報収集をしていたと認めることはできない。
(2) P29の原告P1に対するスパイ強要について
原告らは,広畑製鐵所の保安課員であるP29が被告の意を受けて原告P1にスパイを強要したものと主張する。
ア 事実認定(甲A1,A6の1・2,44,81,原告P1)
P29は,昭和45年11月6日,原告P1を自宅付近において呼び止め,喫茶店において,「職場のことを教えてほしい,私も掴むことは掴んでいる,職場の方へはだんだん不活発になってある時期になったら完全にやめたということで報告したら,リストから消えることになる,一時金や給料の差額はこちらでなんとかする,あなたには絶対迷惑をかけない,定期的に1か月に1回位会ってほしい」などと述べた。
また,その後も,昭和47年7月ころまでの間,P29が,原告P1との接触を試み,「1週間に1回は会いたい,兵庫民報か党報を入れてほしい,12条の人(1年以上党の活動に参加せず党費も納めないなどの不活発者)に情報をくれと言っても無理な話である,新聞代はこちらで見させてもらう,人がいなかったら土下座してでも頼みたい,私もこうやっている以上,ある程度の仕事をしなければならないので助けると思って」などと述べて,共産党に関する情報提供を求めた。
イ 上記認定事実によれば,P29は,昭和45年11月ころから昭和47年7月ころまでの間,原告P1に対し,執拗に共産党に関する情報提供を求めていたものであるが,その際,P29が一時金や給料の差額について便宜を図る旨の発言をしていることに鑑みると,P29は,被告ないし広畑製鐵所の意を受けて,原告P1に対し,共産党に関する情報提供を求めていたものと認められる。
(3) 原告らに対する賃金差別の開始時期について
原告らは,民青や共産党に加盟ないし入党した後は,昇給率が年々下げられるようになり,民青及び共産党に加盟ないし入党する以前から極端に低い査定を受けていた者は誰もいないことから,広畑製鐵所が原告らの民青や共産党への加盟ないし入党の事実を直後から把握しており,その加盟ないし入党を理由に賃金差別を開始していることを端的に示しているものと主張する。
ア 原告P1について
(ア) 事実認定(甲A1,原告P1)
原告P1の定期昇給額を平均昇給額で割った昇給率及び一時金の支給率と平均支給額との差額は,概ね以下のとおりである。
a 昇給率
昭和36年7月  97.5%
昭和37年7月  100.0%
昭和38年7月  100.9%
昭和39年7月  102.2%
昭和40年7月  98.2%
昭和41年7月  82.8%
昭和42年4月  85.4%
昭和43年4月  88.9%
b 一時金の差額
昭和35年冬期  12.950日分
昭和36年夏期  8.555日分
同年冬期  7.275日分
昭和37年夏期  4.870日分
同年冬期  3.446日分
昭和38年夏期  3.090日分
同年冬期  2.790日分
昭和39年夏期  2.547日分
同年冬期  2.500日分
昭和40年夏期  2.646日分
同年冬期  2.260日分
昭和41年夏期  3.580日分
同年冬期  10.000日分
(イ) 上記認定事実によれば,原告P1の給与の昇給率は,昭和40年7月ころまではほぼ平均に達していたが,民青に加盟した昭和41年以降の昇給率は80パーセント台まで下がっていること,一時金の支給率も,入社以降年々平均に近づいていたが,昭和41年冬季の支給率が平均よりも10日分も少なくなっていることが認められるが,上記期間内における昇給率及び支給率の推移のみをもって直ちに,広畑製鐵所が原告P1の民青や共産党への加盟ないし入党の事実を直後から把握し,その加盟ないし入党を理由に賃金差別を開始したものということはできない。
イ 原告P2について
原告P2は,昇給や一時金の成績点が不当に低いと思うようになったのは,組合の中央委員に落選した昭和38年8月ころからであり,昭和39年ないし昭和40年ころ,一時金について1割程度の格差が生じていたものと証言する(甲B1の陳述書を含む。)が,これを裏付ける具体的な証拠はないから,かかる証言をもって直ちに,広畑製鐵所が原告P2の民青や共産党への加盟ないし入党の事実を直後から把握し,その加盟ないし入党を理由に賃金差別を開始したものということはできない。
ウ 原告P3について
原告P3は,共産党入党後である昭和39年の成績点を同期同学歴者と比較すると,他の人は大体0.81から0.83であったのが,原告P3は0.76しかなく,このころから,昇給や一時金の成績点が不当に低いと思ったものと証言する(甲C1の陳述書を含む。)が,これを裏付ける具体的な証拠はないから,かかる陳述書の記載をもって直ちに,広畑製鐵所が原告P3の民青や共産党への加盟ないし入党の事実を直後から把握し,その加盟ないし入党を理由に賃金差別を開始したものということはできない。
エ 原告P4について
原告P4は,共産党に入党した翌年の昭和38年ころまでは,同期同学歴者と同様の昇給,一時金の支給があったが,昭和39年ころからは,昇給で10銭,一時金で200円くらいの差がつき,その後,この差が拡大していったものと証言する(甲D1の陳述書を含む。)が,これを裏付ける具体的な証拠はないから,かかる陳述書の記載をもって直ちに,広畑製鐵所が原告P4の民青や共産党への加盟ないし入党の事実を直後から把握し,その加盟ないし入党を理由に賃金差別を開始したものということはできない。
オ 原告P5について
(ア) 事実認定(甲E1,原告P5)
原告P5の定期昇給額と平均昇給額との差額及び一時金の支給率は,概ね以下のとおりである。
a 定期昇給額と平均昇給額との差額
昭和37年度  -20銭
昭和38年度  0円
昭和39年度  -2円10銭
昭和40年度  -2円10銭
昭和41年度  -1円40銭
b 一時金の支給率
昭和36年12月  90.8%
昭和37年12月  91.2%
昭和38年7月  92.6%
同年12月  92.3%
昭和39年12月  92.8%
昭和40年7月  88.6%
同年12月  89.8%
昭和41年7月  91.7%
同年12月  86.1%
(イ) 上記認定事実によれば,原告P5は,共産党に入党した翌年の昭和38年までは平均の定期昇給額を受けていたものの,昭和39年から昇給率が大幅に引き下げられていることが認められるが,上記期間内における昇給率及び支給率の推移のみをもって直ちに,広畑製鐵所が原告P5の民青や共産党への加盟ないし入党の事実を直後から把握し,その加盟ないし入党を理由に賃金差別を開始したものということはできない。
カ 低査定についての原告らの抗議と上司の対応について
原告らは,自らに対する査定が低いことについて,何回も直属の上司に理由を問い質したが,具体的かつまともな答えをした上司はおらず,共産党員であることが理由である旨を示唆するような回答をされたことも少なくなかったと主張する。
(ア) 事実認定
a 原告P1(甲A1ないしA5,原告P1)
(a) 原告P1は,昭和41年12月9日,一時金に対する査定内容について,伍長から「職場を離れる時に責任者に言っていない。待機時間中に組合ビラを書くのを遠慮してもらいたい」,「仕事の面ではよく協力してくれており,良いポイントを見つけてやってくれている」と言われたことがある。
(b) 同年12月15日には,作業長から「伍長に協力してもらいたい,伍長の仕事のしやすいようにやってもらいたい。他には何もない」と言われた。原告P1が,「具体性がないからもっとわかりやすく言ってほしい」と言うと,作業長から「それはあんたの胸に聞いてもらえばわかりますがね」と言われたことがある。
(c) 昭和47年5月22日には,作業長から「作業上も勤務上も問題のあるところはない」,「問題点があれば,立場上,当然指摘しなければならないが,問題点がないから指摘しなかった」と言われたほか,作業長及び掛長からは「評価間違いであったというほかない」,「今回はどうにもできないが,次回からは評価を上げるように努力したい」,「すっきりせんだろうし,納得いかんだろうが,今回は辛抱してほしい」と言われたことがある。
(d) 昭和47年12月28日には,原告P1が「どこが悪いのですか」と尋ねたところ,掛長から「それは現場の方で指摘されているでしょう」と言われたほか,作業長から「特に悪いところはないし,人並みにはやってくれている」と言われたことがある。
(e) 同月29日には,掛長に対し,悪いところがあれば理由を示して筋の通った話をすべきではないですかと言うと,「とにかく努力してほしいということですよ」と言われたことがある。
(f) 昭和48年3月29日には,掛長に対し,「こういう仕事ぶりの人は平均ですよというような基準があるのでしょう」と尋ねたところ,「いいや,そんなものはない」と言われたことがある。
b 原告P2(甲B1,原告P2)
原告P2は,昭和39年から昭和45年にかけて数回,査定の理由をP31作業長,P32作業長に問い質したところ「緊急時の対応が悪い」,「積極性がない」と言われたことがある。
c 原告P3(甲C1,原告P3)
原告P3は,昭和39年ころ,昇給や一時金の成績点が低い理由について,当時の直属の上司であったP81から「会社の方針とかけ離れた考え方を持っている」と言われたことがあるほか,昭和42年には,P33作業長から「組合の職場集会では発言するのに,職場の会議では余り発言しない」と言われたことがある。また,昭和45年には,P34掛長から「君の成績点は労働からくる」と言われたこともある。
d 原告P4(甲D1,原告P4)
原告P4は,昭和39年ころ,P82,P36工長に対し,「なぜ,同期の人より昇給や一時金が少ないのですか。私は他の人より特別何でもできるとは言わないけど,負けないだけのことはしているので納得できない。どこをどう改めればいいのですか」と尋ねたところ,両工長から「おまえ,金がなぜ少ないのか判っているやろ。自分の胸に手を当てて考えてみろ」と言われたことがある。
e 原告P5(甲E1,原告P5)
原告P5は,低査定の理由を尋ねたところ,伍長から,「それは組長に聞いてくれ」と言われ,組長からは「掛長のところに行ってくれ」と言われ,掛長からは「積極性がない」と言われたため,どのように積極性がないのか,今後のためにも聞かせてほしいと尋ねても,「とにかく積極性がない」と言われたことがある。
また,原告P5の成績点が悪いことについて,「ワシが作業長と掛長にかけ合っていい話にしてくる」と言ってくれた工長もいたが,結果的には,「お前のことは,ワシの力ではどうにもならん。悪いけどな」と言われたことがあるほか,掛長から「私もP5君のことは気の毒に思っている」と言われたこともある。
(イ) 上記認定事実について,原告らは,自らに対する査定が低いことについて,何回も直属の上司に理由を問い質したが,具体的かつまともな答えをした上司はおらず,共産党員であることが理由である旨を示唆するような回答をされたことも少なくなかったものと主張するが,原告らに対する上記の発言は,いずれも,共産党員であることが低査定の理由であることを示唆する趣旨のものとまでは認められない。
(4) 自由かつ公正な組合役員選挙の妨害について
原告らは,原告ら共産党員及びその同調者が,広畑製鐵所において,古くは労働情勢を通じて,そして現在でも作業長会,工長会あるいは広労研を通じて,自由かつ公正な組合役員選挙の実現を妨害されているものと主張するところ,作業長会や工長会が,昭和57年ころ,組合役員選挙に際し,組合役員から共産党員を排除するための活動を行っていたこと,広労研もまた,平成6年ころから平成8年ころにかけて,工長会等と連携して選挙対策組織を確立し,積極的な選挙活動を行っていたことは前記のとおりである。
(5) 「P10守る会」結成に対する報復(東浜への隔離)について
原告らは,共産党員ないしその同調者5名が強制的に東浜に隔離されてテトラポットの製作業務に従事させられたのは,P10が死亡事故を起こしたものとして略式起訴されたが正式裁判において無罪を主張した事件について,裁判闘争を積極的に支援した者を見せしめ的に隔離したものであると主張するところ,原告ら共産党員及びその同調者によって結成された「P10守る会」が発行した「広畑140屯事件」と題する書面(甲53)には,職場から3キロメートルも離れた東浜において,今まで業者にやらせていたテトラポットづくりをやらせるためにP10らを追いやった旨の記載があるが,これが裁判闘争を支援した者に対する見せしめであることを認めるに足りる証拠はない。
(6) 思想転向の説得について
ア 事実認定(甲98,A1,D1,E1,原告P1,原告P4,原告P5)
(ア) 原告P4は,昭和37,8年ころ,P13掛長から「君は,一生懸命に野球をしていたら悪いようにはせん。頑張れよ。ところで君はP41君,P42君(いずれも共産党員)と仲良くしているようだが,付き合うのはやめるように。急にはやめられないだろうから5回を3回に,3回を1回にして彼らと縁を切って野球に専念するように」と言われたほか,野球部の監督であるP43から「共産党をやめた方が後々得するぞ」と言われたことがある。
(イ) 原告P1は,昭和39年ころ,職場の先輩から「P9(共産党員)と付き合うな,付き合うと自分の将来がないぞ」と言われたことが何回かある。
(ウ) 原告P5は,昭和37年8月の組合支部中央委員選挙に立候補して落選したが,その後,当時のP44作業長の自宅に招かれて酒食のもてなしを受け,「P5,民青や共産党をやめられないか」と言われたことがある。
(エ) 昭和61年6月に発行された「溶鋼」(甲E43)には,同年1月下旬,コークス工場において,職場で慣例となっている作業長の出向餞別金を共産党員や活動家のみ突き返された旨,同年2月上旬には,「彼を除いたらコークス工場の卓球チームは成り立たない」と言われるP45(共産党員)を選手から除外した旨,同年5月10日には,工場長がウイスキーを持参してP45の自宅を訪れ,「餞別は効いたか。もっとキツイこと考えとったんやけど『やめとけ』といわれたから,やめた」「共産党をやめよ,とは言わないが,何も出来ぬようにしてやる」と述べた旨,同月12日には,勤務中のP46(共産党員)を事務所に呼び,「君らが家に『来て』思想的な話をするので,正常な思想が邪魔されて,作業に支障をきたす苦情も来ている」「改心する人がおれば喜んで話にのる」と述べた旨,同月14日には,勤務中のP45を呼び「変わろうとする意志があれば全面的に協力しよう」と述べた旨,共産党の広畑製鐵党委員会は,P45及びP46に対する工場長の言動が同人の思想,信条に対する侵害行為であるとして,広畑製鐵所長に対して「抗議と謝罪の申入れ」を行った旨,上記「抗議と謝罪の申入れ」を掲載した「明日の高炉」と「赤旗」を全労働者宅に郵送したところ,これが回収された旨の記載があるが,これらを裏付ける的確な証拠は存しない。
イ 上記認定事実によれば,原告P4は昭和37,8年ころ,原告P1は昭和39年ころ,原告P5は昭和37年ころ,職場の先輩や上司等から,共産党員との交際をやめるよう,また,民青や共産党から転向するよう勧められていたことが認められる。
(7) 共産党を離党した者たちの例外なき昇格について
原告らは,思想転向の説得を受けて共産党を離党した者たちは,例外なく離党後に主事に昇格していると主張し,原告P5の陳述書(甲E62)には,かつて共産党員であったP40及びP83が離党後に主事に昇格し,工長を務めている旨の記載があるが,他に共産党を離党した者が主事に昇格していることを認めるに足りる証拠はない。
(8) 教育受講上の差別について
ア 事実認定(甲D1,E1,原告P4)
(ア) 原告P4について
原告P4の所属していた連続熱延課においては,昭和55年3月ころから,クレーン運転マンと職場操業マンとの業務統合を図り,上下一体化(多能工化)を進めるため,手待ち時間を利用してクレーンの運転練習をするよう工長の指示があり,原告P4の所属する組のうち起重機職場から配置換えされた3名を除く7名中,3名が順次免許を取得したが,原告P4はその機会を与えられなかった。
(イ) 原告P5について
原告P5が造塊工として鍋整備職場に配属されていた当時,スライディングノズルのカセットの脱着作業はフォークリフトを使用して行っており,本工・下請を含めた作業者が順次,試験を受けてフォークリフトの免許を取得していたが,原告P5はその機会を与えられなかった。また,その他の電気やガスの溶断溶接の教育を受ける機会も与えられなかった。
イ 上記認定事実によれば,原告P4及び原告P5は,クレーンやフォークリフトの免許取得の機会を与えられなかったことが認められる。
(9) 職場における共産党員排除の画策について
ア 事実認定(甲9)
日本共産党広畑製鐵党委員会は,昭和62年8月24日,広畑製鐵所の製鋼工場長に対し,工長会や工長研修会等で共産党機関紙「赤旗」の購読に圧力をかけたこと,共産党の門前ビラの受取拒否決議を行うよう画策したこと,同月1日にレードル精錬職場のB組安全会議で,P25作業長が「共産党がいろいろ反対するのでやりにくい」と発言し,これを受けて,各小集団会議では,工長を中心に排除の具体的方法を決めようとしたことを理由として,「抗議と謝罪,是正措置を求める申し入れ」を行った。
イ 原告らは,職場における共産党員排除の画策を裏付けるものとして,上記申入れの事実を主張するが,上記申入れの理由とされた具体的事実を裏付ける的確な証拠は存しない。
また,原告らは,少なくとも鋼片工場,製鋼工場及び第4クラフトでは,共産党員の影響が他の従業員に及ぶことを回避するために,共産党員をZD活動ないしJK活動から排除していたものと主張し,原告P1及び原告P4はこれに沿う証言をする(甲A1及びD1の陳述書を含む。)が,これを裏付ける的確な証拠はなく,かえって,弁論の全趣旨によれば,原告P2及び原告P3がJK活動に参加し,そのリーダーを務めていたことが認められることからしても,原告らの主張するように,共産党員をZD活動ないしJK活動から排除していたと認めることはできない。
(10) 門前ビラの配布等に対する妨害活動について
ア 事実認定(甲E1)
昭和62年ころ,原告P5は,職制が,東門で早朝の門前ビラを配っている共産党員とビラを受け取る製鋼の労働者を当時東門近くにあった製鋼総合休憩所の風呂場から望遠鏡でのぞき見,チェックしているのではないかと疑い,上司のP84作業長に対し「あんたも風呂場からビラを受け取る人をチェックしているというがホンマか」と尋ねると,P84作業長が「ワシはクリーンに言うけどP5,やったのは一回だけやぞ」と答えたので,重ねて「覗きも作業長の職務か」と尋ねると「ワシはもう,してへん」と答えたことがあった。
イ 上記認定事実によれば,昭和62年ころ,P84作業長が,製鋼総合休憩所の風呂場から,東門で門前ビラを配っている共産党員とビラを受け取る従業員をチェックしていたことがあったという事実が認められるところ,原告らは,このような監視は日常的に行われていたもので,ビラを受け取った者は,上司から個別に呼び出され「転勤のリストに載せるぞ」といった恫喝が加えられていたものと主張するが,これを裏付ける的確な証拠は存しない。
(11) 各種スポーツ大会からの排除について
ア 事実認定(甲9,D1,D3,原告P4)
(ア) 尚和会とは,製鐵所の従業員もしくは製鐵所に関係する関連会社,協力会社の従業員で構成するスポーツ関係ないし文化関係のクラブを運営する親睦会であり,広畑製鐵所においては,尚和会主催による部対抗,室・工場対抗の各種スポーツ大会が開催されている。
(イ) 日本共産党広畑製鐵党委員会は,P13掛長が,共産党員であるP47が尚和会主催のスポーツ大会の選手に選ばれなかったことに関し,「共産党員が入ってまで勝たんでいいじゃないか」と発言して共産党員を各種スポーツ大会から排除したものとして,昭和62年8月24日,広畑製鐵所製鋼部製鋼工場長に対し,「抗議と謝罪,是正措置を求める申入れ」をしているが,上記発言を裏付ける的確な証拠は存しない。
(ウ) 原告P4は,熱延コンドルという職場の軟式野球チームに所属しており,昭和44年に同チームが近畿大会を制して全国大会に出場した際も,四番として出場していたが,昭和46年ないし47年ころ,監督であるP43から,「お前の力は必要だが,上から外せと言われている。退部してくれないならお前を外して新チームを結成しないといかんことになる。悪いが身を引いてくれ」と言われ,チームから退部した。
イ 上記認定事実によれば,昭和46年ないし昭和47年ころ,P43が上司の指示を受けて,原告P4に対し,熱延コンドルを退部するよう要請したことが認められる。
原告らは,広畑製鐵所は,昭和62年に原告P1を職場対抗戦の選手から外して競技会を開催しようとした旨,昭和63年には原告P1が昼番のときに競技会を開催し,以降は大会開催の案内もしていない旨を主張し,原告P1の陳述書(甲A1,83)にもこの内容に沿う記載があるが,かかる事実を裏付ける的確な証拠は存しない。なお,被告の主張によれば,平成2年以降は,尚和会主催の水泳大会が廃止されたのに伴って,製鋼工場における水泳大会もなくなったとのことである。
(12) 新年会,忘年会,激励会からの排除について
ア 事実認定(甲83,A1)
原告P1は,昭和62年に職場の棒心が岡村製作所に社外応援に出ることになった際,工長に「激励会は開かないのか」と尋ねたところ,工長は本人のいる前で「この人は酒を飲まんから」と答えたが,ある同僚から同年9月14日午後4時半にα会館で激励会を開くという情報を入手したため,同日午後4時ころから同会館の正面玄関前のバス停のベンチに座っていたところ,同会館を訪れた同僚らと顔を合わせた。
イ 上記認定事実によれば,原告P1が,昭和62年9月14日に職場の棒心の激励会が開かれることを知らされておらず,工長もまたこれを容認していたことが認められる。
(13) P48の葬儀への対応について
ア 事実認定(甲60,218,E1,E62)
平成3年11月2日,製鋼工場に勤務していた共産党員のP48が癌で死亡した際,作業長や工場長を除いて,通夜や葬式に参列した職場の同僚は,共産党員とP85だけであった。
イ 原告らは,P48の通夜や葬式に参列した職場の同僚が,共産党員とP85だけであったことをもって,このような異常な対応は,会社の意向を抜きにしてはあり得ないものと主張するが,共産党員ら以外の同僚が通夜や葬式に参列しなかったことをもって直ちに,これが被告の意向によるものと認めることはできない。
(14) P48に対する草むしり作業の強制について
ア 事実認定(甲E1,乙78)
P48は,平成3年11月2日に肺癌で亡くなったが,その前約1年間は,入退院を繰り返しており,就業制限(筋的作業不適)を受けていたため,会社に出勤した際は,草むしり等の本来業務ではない軽作業に従事していた。
イ 原告らは,P48が草むしりをやらされていたのは,P48が共産党員であったがゆえになされた嫌がらせであり,P48が共産党員でなければ,同人が草刈りのような室外作業に従事させられることなど絶対になかったはずであると主張するが,被告ないし広畑製鐵所のかかる意図を裏付ける的確な証拠は存しない。
(15) 親族に対する差別について
ア 事実認定(甲E62)
原告P5の妻は,昭和41年か42年ころ,職安の紹介を受けて広畑製鐵所の構内に支店を持つ日本通運に赴き,面接を受けたところ,同人が調理師の免許を持っていたため,日本通運の支店長から「それでは簡単な食事も昼時に作ってもらえるので大変ありがたい」,「明日から来てほしい」と言われた。なお,その際,原告P5の妻は,原告P5の職場が広畑製鐵所の転炉掛であることを告げているが,その2,3時間後には,支店長から「就職については申し訳ないが取り消させてほしい」と言われ,就職を取り消された。
また,原告P5の妻は,昭和43年か44年ころ,広畑製鐵所の構内食堂に勤務していたが,半年程働いていた後,「明日からすぐにやめてほしい。あなたはよく頑張っているんだが申し訳ないがやめていただきたい」と言われ,仕事を辞めさせられたことがあった。
イ 原告らは,原告P5の妻が就職を取り消されたり,仕事を辞めさせられたのは,原告P5が共産党員であったこと以外に理由が考えられないものと主張するが,これが被告の指示ないし意向によるものと認めるに足りる的確な証拠は存しない。
(16) 第4クラフトへの隔離と人権侵害について
ア 第4クラフトの設立理由
(ア) 事実認定(甲103ないし105,乙43,48の1,72,74,76,証人P6,証人P11)
a わが国の鉄鋼業界においては,昭和60年9月のプラザ合意以降,大幅かつ急激な円高の進行により,全国の粗鋼生産量が大幅に減少したことから,被告は,昭和60年度から実施された中期総合計画において,諸設備を休止・集約し,要員の合理化や経費削減等を実施する計画を立て,昭和64年度上期には,広畑製鐵所の第4高炉を休止することが予定された。
b クラフトセンターは,第4高炉及び関連工場の休止に伴って大量に発生する余剰人員の受皿職場として,昭和63年11月に発足したものであり,当時,第2クラフトは,主に機械整備室工作掛に所属していた技能者によって編成され,製缶品やもえ炉の製作業務を主に担当していた。また,第3クラフトは,主に機械設備班の塗装グループ及び解体グループに所属していた者で編成され,塗装作業,もえ炉塗装作業,解体作業などを主に担当していた。
c 昭和63年後半からは,バブル景気の影響を受けて需要が回復し,昭和64年度上期に予定されていた第4高炉の休止も延期されたが,第2クラフト及び第3クラフトの業務には,高度の知識,技能を要する業務から基礎技能で対応し得る業務までが混在していたため,第2クラフト及び第3クラフトに所属した者は,長年の経験やその間に培った高い知識,技能を有していたにもかかわらず,基礎技能で対処し得る業務にまで対応せざるを得なかった。また,もえ炉についても,製作は第2クラフトが当たり,塗装は第3クラフトが,しかも第2クラフトの作業場にまで出向いて行って塗装に当たるという工程上のロスを生じていた。
d このような状況の中で,設備部は,昭和63年12月末,クラフトセンターの事業の充実,拡大のため,売上目標を前年度の年間2億円から4億円に倍増すること,装備力の強化,技能の短期育成,解体工事の企画・実行,電気クラフトの設置等を具体的内容とする方針を示した。
これを受けて,昭和64年(平成元年)1月以降,クラフトセンター内で検討が重ねられ,上記目標を達成するために,高度の知識,技能を有する人材を最大限にかつ効率的に活用する必要があるとされた。
そこで,高度の知識,技能を有する人材をできる限り付加価値の高い業務に特化するべく,平成元年4月ころ,クラフトセンター内の役割分担を見直し,第2及び第3クラフトの従前の業務のうち,小物製缶品製作,環境美化塗装など基礎技能で対処し得るものについては,これを分離,集約して新たに設ける第4クラフトで担当することとした。これにより,第2クラフトは大型製缶品,高付加価値製品などを中心に,第3クラフトは複雑構造物,高度の塗装品質を求められる物件など高度の知識,技能を要する業務を中心に取り組むこととなった。また,これに伴い,もえ炉については第4クラフトで製作から塗装まで一貫して担当することとなった。
(イ) 原告らの主張について
a 新たな部署を設置する必要性について
原告らは,第4クラフトが新規事業の展開を目的とするものではなく,その担当業務はすべて第2クラフト及び第3クラフトで賄えるものであったと主張するが,第4クラフトは,クラフトセンター内の役割分担を見直して高度の知識,技能を有する人材を最大限かつ効率的に活用するために設置されたものであるから,これが新規事業の展開を目的とするものでないという理由から直ちに,第4クラフトを設置する必要がなかったとまではいえない。
b 突然に素人集団を集めた部署を設置する必要性について
原告らは,新設備班の時代から第2クラフトと第3クラフトの業務に高度の知識,技能を要する業務と基礎技能で対応できる業務が混在していることによる何らかの支障が生じていたのであれば,クラフトセンターと改称し,組織を独立させる昭和63年11月の時点で当然にその見直しがなされているはずであり,平成元年7月になって突然に班編成の見直しをするということ自体が不合理極まりないと主張するが,第4クラフトは,昭和63年12月末ころ,翌年度以降のクラフトセンターの売上目標を倍増するという設備部の方針を受けて,昭和64年(平成元年)1月以降,検討を重ねた結果,班編制の見直しにより設置されたものであるから,平成元年7月に班編制の見直しがされたこと自体が直ちに不合理であるとはいうことはできない。
c 売上目標を突然に倍にしたという説明の信用性について
原告らは,売上目標が倍増された3か月後である平成元年4月5日に発行された「労泉ニュース」の記載を問題にし,第4クラフトの設置の真の理由は売上目標を倍増したこととは関係がないものと主張するところ,証拠(甲18)によれば,広畑製鐵所は,平成元年4月3日の労使委員会が開催された時点においては,クラフトセンターの人員投入に当たり,当該部門の技能者と配転者を組み合わせ,作業品質を維持しつつ,早期立上げを図っていく旨の方針を明らかにしており,当時は未だ第4クラフトの設置を予定していなかったことが認められるが,そのことから直ちに,第4クラフト設置の真の理由が売上目標を倍増したことと関係がないということはできない。
d 技能的アマを第4クラフトに配属しなかったこととの矛盾について
昭和63年8月9日に機械整備室が作成した「クラフトセンター運営方針」(乙43)には,昭和63年7月当時のクラフトセンターの人員が合計70名であり,そのうちプロが44名,セミプロが20名,アマが6名である旨の記載があるほか,現状の問題点として,①技能的プロが少ない,②高齢者が多く全体的にモラールが低い旨の記載がある。
原告らは,真実,業務の効率化,売上の倍増を目指すために技能集団と素人集団を別々の部署に配属する必要があれば,アマやセミプロに分類された者は当然に第4クラフトに配属換えされるべきであるし,昭和64年1月1日付けでクラフトセンターに配属されて6か月の研修で一定の技能を身に付けた者は第2クラフト,第3クラフトのいずれかに配転されるべきであると主張するが,昭和63年7月の時点においてアマないしセミプロと分類された者も,第4クラフトが設立された平成元年7月の時点においては,その後1年間の経験を積んでいるのであるから,これを当然に素人と評価して第4クラフトに配属換えすべきであるということはできない。
また,昭和64年1月1日付けでクラフトセンターに配属された者が6か月の研修で一定の技能を身に付けているからといって,これを直ちに技能者と評価し,第2クラフトないし第3クラフトのいずれかに配転しなければならないともいうこともできない。
e 平成5年7月に分散配置をしたこととの矛盾について
原告らは,クラフトセンターが技能集団と素人集団を別々の部署に配属させる方針を有していたのなら,当然,平成5年7月にクラフトセンターに配転になった者は第4クラフトに配属されることになるはずであると主張するところ,証拠(甲104,105,108ないし110)によれば,平成5年上半期には,第4高炉の休止による余剰人員の受入れとして,製銑職場から6名,機械整備職場から4名,コークス職場から15名,合計25名の者がクラフトセンターに配転され,第1クラフトから第4クラフトに分散して配置されたこと,その配置については,その大半が製缶,塗装,解体の素人であったが,掛長連絡会議等において,①第4クラフトに配属し,既に第4クラフトの中で一定の技術を身に付けている者を第2,第3クラフトに配置換えする方法,②新たに素人のみを集めた第5クラフトを設置して配属する方法,③第1ないし第4クラフトに分散配置する方法が検討されたこと,平成5年当時は,バブル経済が崩壊しており,新規事業の開拓も困難な状況にあったため,基礎技能のみで対応できる業務が減少しており,第5クラフトを設置しても,25名が従事するに足る業務量を確保することが困難であると考えられたこと,第4クラフトの中で一定の技術を身に付けている者を第2,第3クラフトに配置換えしても,平成5年当時,既に一定の技能水準に達していた第4クラフトの生産効率を著しく低下させ,しかも,第4クラフトが再び素人集団化し,基礎技能のみで対応し得る業務量を確保することが困難になると考えられたこと,これらの検討の結果,③の方法を取り,上記25名を分散配置したこと,以上の各事実が認められる。
これらの事実によれば,平成5年当時のクラフトセンターを取り巻く状況は,第4クラフトが設置された平成元年7月当時とは異なり,技能集団と素人集団を別々の部署に配属させる方針を貫くことが困難な状況にあったものというべきであり,クラフトセンターが,平成元年7月当時は,技能集団と素人集団を別々の部署に配属させる方針を有していたからといって,当然に,平成5年7月にクラフトセンターに配転になった者が第4クラフトに配属されることになるはずであるということはできない。
また,原告らは,平成5年当時,分散配置された25名に従事させるもえ炉製作や塗装業務が十分にあったものと主張するところ,証拠(甲83,104,109)によれば,平成4年6月1日の時点においては,もえ炉の製作が好調であり,製缶・塗装の仕事量も横這いで推移する見通しにあったが,もえ炉の製作業務がクラフトセンター全体の投入コースにおいて占める割合は5,6%にすぎず,売上はもっと少ないこと,平成5年には少し陰りが見え始めていたこと,平成元年当時と比較して,もえ炉の製品の品質要求が厳しくなっていたこと,塗装業務についても,平成元年当時は,工場の建屋や事務所の構内における塗装作業など,基礎技能のみで対応できる業務が多くあったが,これらの業務がほぼ終了していたことなどが認められ,平成5年当時,もえ炉製作や塗装業務などの基礎技能のみで対応できる業務量が十分確保できていたということはできない。
(ウ) 上記認定事実によれば,第4クラフトは,平成元年度以降のクラフトセンターの売上目標を倍増するという設備部の方針を受け,高度の知識,技能を有する人材を最大限にかつ効率的に活用するために,クラフトセンター内の役割分担を見直し,基礎技能で対処し得る業務と高度の知識,技能を要する業務とを分離,集約して担当させるために設置されたものと認められる。
イ 第4クラフトに配属された共産党員及びその同調者の比率
原告P1が作成した第4クラフトの名簿(甲63)には,平成6年7月1日までに第4クラフトに配属された者38名のうち,共産党員ないしその同調者は13名であるところ,昭和64年1月1日に配属された者12名のうち,共産党員ないし同調者は原告P2,原告P3及び原告P4を含む6名,平成3年4月1日に配属された者10名のうち共産党員ないし同調者は原告P5を含む4名,平成4年6月1日に配属された5名のうち共産党員ないし同調者は原告P1を含む2名である旨の記載がある。
上記名簿の記載は原告P1の認識に基づくものであり,必ずしもすべてが正確なものとまではいえないが,共産党員ないしその同調者の占める割合は概ね30%を下回らないものと認められる。
これに対し,証拠(甲111)によれば,広畑製鐵所における共産党員の数は,昭和41年の210名をピークに,昭和57年には59名,平成3年には約40名にまで減少していることが認められ,広畑製鐵所の従業員数が昭和38年の約1万2600名をピークに,昭和62年4月には6300名,平成7年には2840名にまで減少していることと対比すれば,広畑製鐵所の全従業員数のうち共産党員の比率は,概ね1%前後であると推測される。
このような共産党員の比率を対比すれば,第4クラフトに配属された共産党員及びその同調者の比率は,極めて高いものと認められる。
ウ 第4クラフトの詰所の場所について
(ア) 事実認定(甲64,95,108,乙43,44,56,57,72,原告P2,証人P11)
a 第4クラフトが発足した平成元年7月当時,第1ないし第3クラフト及び電気計装クラフトの詰所並びにクラフトセンターの事務所は,いずれもかつての大形加工工場(現在の日鐵建材工業株式会社の工場)の敷地内に置かれていたが,第4クラフトの詰所は,そこからおよそ1キロメートルほど離れたかつての機械整備室機械工事掛の休憩所に設けられた。
なお,第4クラフトが発足する前のクラフトセンターの詰所の定員は,概ね170名程度であると見込まれていたが,平成元年上期のクラフトセンターの人員は最大102名であった。
b 平成4年1月,企業誘致に伴って第1ないし第3クラフトの詰所を明け渡すことになり,第1ないし第3クラフトの詰所は,第4クラフトの詰所から約100メートルほど離れたところに移転された。新しい第1ないし第3クラフトの詰所は,もともと広畑築炉が使っていた場所であったが,当時,第1ないし第3クラフトの人員は約60名,第4クラフトの人員が約30名であり,この全員を新しい詰所に収容することは困難であった。
c 詰所には,食卓,更衣室,浴場,炊事場,会議室,ロッカー,トイレなどが設けられており,第4クラフトの詰所は,更衣室にクーラーが設置されていないなど,第1ないし第3クラフトの詰所とは異なる点も見受けられるが,それ以外にはその設備に特段の差異はない。
(イ) 上記認定事実によれば,第4クラフトが発足した平成元年7月当時,その詰所は,第1ないし第3クラフトの詰所とは離れた場所に設けられていたが,当時のクラフトセンターの人員は,当時の詰所の定員を大きく下回っていたのであるから,将来的に第4高炉の休止に伴う大量の余剰人員の受入れが予測されていたことを考慮しても,当時,第4クラフトの詰所を第1ないし第3クラフトの詰所と離れた場所に設ける必要性が高かったとは認め難い。
エ 原告らをクラフトセンターに配転する必要性,人選の合理性について
(ア) 原告P1
a 事実認定(甲105ないし110,乙A2,原告P1,証人P13)
(a) 広畑製鐵所の人事部門は,平成4年4月ころ,同年6月1日付けで製鋼工場から2名をクラフトセンターに所内配転する方針を決め,製鋼工場の業務連絡会において,当時の各掛の余力人員や,連続鋳造掛における合理化計画に鑑み,クラフトセンターへの配転者2名及び協力会社への出向者2名の合計4名を連続鋳造掛から異動させることを決めた。
(b) 連続鋳造掛のP13掛長は,各職場の余力人員に鑑み,原告P1の所属するカッター職場から2名を異動させることを決めたが,カッター職場においては,要員合理化により,工長のみの4人構成となることが見込まれていたため,工長4名を除く6名から2名の異動者を人選することとなった。
連続鋳造掛においては,異動者の人選に先立ち,P13掛長及び作業長3名により,掛の全員について意向聴取の面談が行われ,ほとんどの者が現在の職場に残ることを希望した。原告P1は,所内配転以外の選択肢を否定し,所内でメインラインのオペレーター業務を続けたいとの意向を表明した。
(c) 当時,連続鋳造掛55名のうち,工長を除いて51歳の者が8名もおり,年齢構成に偏りが見られた。P13掛長は,上記カッター職場の6名のうち,原告P1及びP61が当時51歳であったこと,3名は55歳ないし57歳であり,新しい職場で新しい技術を身に付けるには高齢であること,残る1名は最も年齢が低く,連続鋳造掛に必要な人材であることを理由に,原告P1及びP61を異動者として人選し,所内配転以外の選択肢を明確に否定していた原告P1をクラフトセンターに所内配転した。
b 上記認定事実によれば,P13掛長は,連続鋳造掛及びカッター職場の余力人員や合理化計画,原告P1の意向等を理由に,原告P1をクラフトセンターに所内配転したことが認められる。
被告は,平成4年6月1日付けのクラフトセンターへの所内配転は,クラフトセンターからの要望によるものであると主張するが,そもそも,クラフトセンターは,余剰人員の受皿職場として設立されたものであること,同年7月1日には11名がクラフトセンターから出向しているが,その後,高炉休止に伴い25名が配転される平成5年7月までの1年間は,クラフトセンターへの配転が行われていないことなどからして,平成4年6月1日当時,クラフトセンターに5名を所内配転すべき業務上の必要性が高かったとは認め難い。
(イ) 原告P2
a 事実認定(甲95,B1,乙B1,原告P2,証人P14)
(a) 原告P2の所属していたロール整備職場においては,昭和63年10月ころ,業務の外注化に伴う人員措置に先立ち,職場の全員について意向聴取の面談が行われた。原告P2は,P14作業長及びP52掛長と面談し,吉川工業への出向が第1希望,所内配転が第2希望,工場内配転が第3希望,転勤が第4希望であると述べた。原告P2は,転勤を強く拒否していたが,所内配転ないし工場内配転についてはやむを得ないとの意向を示した。
(b) ロール整備職場においては,ほとんどの者が吉川工業への出向を希望したが,同社への出向者は37名と人数が限られていた。また,現行ロール整備職場における技術,技能に加え,熱延ロール整備業務とのプール化に備えて,基本的には統括(棒心)以上の者若しくはその経験者の出向が希望されていた。
(c) P14作業長は,原告P2に統括(棒心)の経験がないこと,ロール研磨の経験が短かいこと,積極性が認められないことなどを理由に,原告P2を出向の対象者から外し,クラフトセンターに所内配転した。
b 上記認定事実によれば,原告P2は,ロール整備業務の外注化に伴う人員措置として,クラフトセンターに所内配転されたものであるが,P14作業長は,出向先の受入体制や意向,原告P2の経験等を理由に原告P2を出向の対象から外したことが認められる。
(ウ) 原告P3
a 事実認定(甲C1,乙C1,原告P3,証人P14)
(a) 原告P3の所属していたクレーン職場においても,昭和63年10月ころ,業務の外注化に伴う人員措置に先立ち,職場の全員について意向聴取の面談が行われた。原告P3は,P14作業長及びP86作業長と面談し,工場内配転,出向,所内配転の順に希望を述べた。また,常昼職場であれば望ましいとも述べた。
(b) クレーン職場においても,ほとんどの者が広畑鋼板への出向を希望したが,同社への出向者は15名と人数が限られていた。また,従前のクレーン職場における技術・技能に加え,広畑鋼板のクレーン業務やフォークトラック業務とのプール化に備えて,基本的に統括(棒心)以上の者もしくはその経験者の出向が希望されていた。
また,当時,錫メッキ工場においては,どこの職場も余力基調であり,新たな人員の受入れは困難であったため,工場内配転は,特に優れた技能を有する者等に限られていた。
(c) P14作業長は,原告P3に統括(棒心)の経験がないこと,原告P3が出向して対応できるクレーンはH型クレーンのみであり,フォークトラックやラムトラック業務の経験もないことを理由に,原告P3を出向及び工場内配転の対象から外し,クラフトセンターに所内配転した。
(d) なお,当時,機械運転掛に所属する共産党員及びその同調者は,原告P2,原告P3及びP53の3名であったが,この3名はすべてクラフトセンターへ配転させられている。
b 上記認定事実によれば,原告P3は,クレーン運転業務の外注化に伴う人員措置として,クラフトセンターに所内配転されたものであるが,P14作業長は,出向先の受入体制や意向,原告P3の経験等を理由に原告P3を出向の対象から外したことが認められるほか,当時,機械運転掛に所属していた共産党員及びその同調者3名がすべてクラフトセンターへ所内配転されたことが認められる。
(エ) 原告P4
a 事実認定(甲D1,乙D1,原告P4,証人P15)
(a) 原告P4の所属していた熱延課精整掛においても,昭和63年当時,段階的に職場の再編及び要員改訂が行われたが,同年12月ころ,人員措置に先立ち,掛の全員について意向聴取の面談が行われた。原告P4は,P15作業長と面談し,精整掛への残留が第1希望,所内配転が第2希望である旨を述べたが,転勤,出向は拒否した。
(b) 精整掛においても,ほとんどの者が同掛への残留を希望したが,合理化の後は,中板シャー職場と厚板シャー職場の要員のプール化が計画されていたことから,両職場において対応可能なポジションの数が多く,かつ技能の高い者を優先して精整掛に残すこととした。
(c) P15作業長は,原告P4に中板シャー職場の経験がないことや,厚板シャー職場の経験も短く,対応可能なポジションも少ないことなどを理由に,原告P4をクラフトセンターに所内配転した。
(d) なお,当時,精整掛に所属していた共産党員及びその同調者は,原告P4及びP41の2名であったが,この2名はいずれもクラフトセンターに配転されている。
b 上記認定事実によれば,原告P4は,精整掛の合理化に伴う人員措置として,クラフトセンターに所内配転されたものであるが,P15作業長は,合理化後の精整掛の業務内容,原告P4の経験等を理由に原告P4を精整掛に残さなかったことが認められるほか,当時,精整掛に所属していた共産党員及びその同調者2名がいずれもクラフトセンターへ配転されたことが認められる。
(オ) 原告P5
a 事実認定(甲E1,乙E1,原告P5,証人P16)
(a) 原告P5は,平成2年8月当時,製鋼工場造塊掛鍋整備職場に所属していたが,混銑炉職場の1名が出向,3名が退職したことから,同年9月,その後任として,共産党員であるP56,P57及びP47とともに,鍋整備職場から混銑炉職場に配置換えされた。これにより,混銑炉職場8名は,工長4名及び共産党員4名となった。
(b) 平成3年3月31日,混銑炉職場の廃止に伴い,同職場に所属していた8名全員の人員措置が必要となり,これに先立ち,職場の全員について意向聴取の面談が行われた。原告P5は,P16掛長と面談し,以前所属していた鍋整備職場への異動を希望したが,製鋼工場全体が余剰人員を抱えていた。また,鍋整備職場においては,二次精錬職場への作業応援を行っており,その技術,技能が必要であったほか,出向先の産業振興は,その業務内容に鑑み,転炉炉前の経験のある者の出向を希望していた。
(c) P16掛長は,製鋼工場全体が余力基調にあり,工場内配転が困難であること,原告P5に転炉炉前職場の経験がないことを理由に,P56,P57及びP47とともに原告P5をクラフトセンターに所内配転した。
b 上記認定事実によれば,原告P5は,平成2年9月,共産党員3名とともに混銑炉職場に配置換えされた後,混銑炉職場の廃止に伴う人員措置として,上記共産党員3名とともにクラフトセンターに所内配転されたものであるが,P16掛長は,工場内配転が困難であること,原告P5の経験等を理由に,原告P5を工場内配転ないし出向させなかったことが認められる。
オ 第4クラフトにおける人権侵害について
(ア) 事実認定(甲83,95,96,99,108,A1,B1,C1,D1,E1,E62,乙59,証人P11,証人P12,原告P1,原告P2,原告P3,原告P4,原告P5)
a 呼捨てについて
第4クラフトに配属された従業員の間では,年齢を問わず,互いに敬称をつけずに呼捨てをしていたが,原告らはこれに異を唱え,安全上問題があるので呼捨てをやめてほしい旨を訴えていた。
b 入浴について
第4クラフトの従業員は,その日の作業や片付けを終えた午後5時以降,詰所と棟続きになった浴場で入浴してから帰宅していたが,その際,原告ら及びその同調者とそれ以外の従業員は一緒に入浴することが少なかった。
c コーヒー会からの排除について
第4クラフトにおいては,互いに金を出し合ってコーヒーや砂糖等を買い,これを詰所にある個人のロッカーに保管して,朝の作業時間前や休憩時間内に自分たちでコーヒーを入れて飲んでいるグループがあるが,原告らはこのグループに誘われず,各自でコーヒーを入れて飲んでいた。
d 歓送迎会,忘年会,新年会について
第4クラフトにおいては,新たな配転者を迎えたり,年満退職者や出向者を送り出す際,職場で歓送迎会が開かれたことがない。また,忘年会や新年会が開かれたこともない。
e 香典,見舞いについて
第4クラフトにおいては,平成2年1月に共産党員のP22の実母が亡くなった際,職場からの香典はなく,共産党員及びその同調者以外の者からの個人的な香典もなかった。
また,同年9月ころ,P58作業長は,今後職場として香典をやめようと発言し,以後,P87やP54の親族が亡くなった際も,職場からの香典はなかったほか,原告らがP54に香典を持参しても,職場の者からは香典を受け取っていないことを理由に受領を拒まれた。
原告P1や原告P5の実母が死亡した際にも,センター長からの弔電は送られてきたが,共産党員及びその同調者以外の同僚や上司の弔問や香典はなかった。
f ミスの過大視について
原告P3は,平成5年7月,第4クラフトにおいて,アース線の結線ミスを犯したが,このミスにより作業員が感電して死亡事故に至る可能性もあったことから,第4クラフトの全員による対策会議が3回開かれたほか,原告P3は,後日,P88工長の指示により反省文を作成した。なお,反省文に「始末書」というタイトルを書き入れたのはP60作業長である。
また,P59工長がクレーンのフックで足場を引っかける事故を起こした際は,第4クラフトの塗装グループによる対策会議が1回開かれただけであったが,他のミスや事故について,いかなる対策が講じられたかは明らかでない。
g 退職時の仕打ちについて
原告P3を除く原告らは,既に広畑製鐵所を年満退職しているところ,退職の際,所の主催する退所式と慰労会には招待されたが,職場で送別会が開催されることはなかった。
また,退職に際し,原告P1が,作業長に一言挨拶をさせてほしいと申し出たが,何の対応も取ってもらえなかったほか,原告P2が,P37工長に対し,最後のお礼の挨拶をしたいと申し出た際も,P89作業長から,今までに例がないので困ると言ってこれを断られた。
(イ) 上記認定事実によれば,第4クラフトにおいては,従業員が年齢を問わず互いに呼捨てをしていたこと,職場で歓送迎会,忘年会,新年会が開かれていなかったこと,職場内では香典をしないことなど,やや特殊な点があったことが認められるが,共産党員ないしその同調者のみが別異に取り扱われていたことを認めるに足りる的確な証拠はない。
原告P3のミスについても,P59工長の事故の件以外に,ミスや事故についていかなる対策が講じられたかも明らかでなく,原告P3のミスだけが過大視されたものとは認め難い。
しかしながら,原告ら及びその同調者とそれ以外の従業員が一緒に入浴することが少なかったこと,原告らがコーヒーを飲んでいるグループに誘われなかったこと,退職の際,職場で挨拶をしたいという申出を断られていることなど,原告らが,第4クラフトにおいて,差別的ともいえる取扱いを受けていたことも否定できない。
カ 第4クラフトを設置した真の目的について
原告らは,クラフトセンター,特に第4クラフトは,昭和61年以降,高炉存続を求める各種運動が大きな盛り上がりを見せる中,高炉休止をスムーズに実現するために,従業員の高炉存続や雇用の確保を求める声を抑える必要があり,そのために,共産党員及びその同調者の影響が他の従業員に及ばないよう,これを隔離する必要があったものと主張するところ,前提となる事実(6)オ記載のとおり,原告らが,昭和61年12月25日,被告が広畑製鐵所を含む高炉の休止を計画していることが明らかになると,各種団体を結成して反対集会を開くなどし,平成5年6月27日に第4高炉が休止された後もなお,姫路市長に抗議を申し入れるなど,高炉休止に対する反対運動を継続していたものであるが,原告らが第4クラフトに配転されたのは,かかる反対運動が行われていた昭和64年1月1日から平成4年6月1日までの間であることに鑑みると,原告ら及びその同調者が行っていた高炉休止に対する反対運動は,高炉休止をスムーズに実現するために,原告ら共産党員及びその同調者を他の従業員から隔離する動機となり得るものであったというべきである。
キ 以上によれば,第4クラフトは,平成元年度のクラフトセンターの売上目標が倍増されたのを受けて,クラフトセンター内の役割分担を見直し,基礎技能で対処し得る業務と高度の知識,技能を要する業務とを分離,集約して担当させるために設置されたものであり,その設置の必要性自体は一応認められるが,原告ら及びその同調者が行っていた高炉休止に対する反対運動は,高炉休止をスムーズに実現するために,原告ら共産党員及びその同調者を他の従業員から隔離する動機となり得るものであったこと,第4クラフトに配属された共産党員及びその同調者の比率が極めて高いこと,第4クラフトの発足当時,その詰所を第1ないし第3クラフトの詰所と離れた場所に設ける必要性が高かったとは認め難いこと,平成4年6月1日当時,クラフトセンターに5名の人員を所内配転すべき業務上の必要性が高かったとは認め難いこと,その他,第4クラフトにおいては,呼捨てなどのやや特殊な点があり,原告らが,入浴や退職の挨拶等の際,差別的ともいえる取扱いを受けていたこと,以上の事情を考え併せると,被告ないし広畑製鐵所は,共産党員である原告らを第4クラフトに配転することにより,他の従業員から隔離したものというべきである。
(17) 以上のとおり,原告らは,昭和37年以降,職場の上司等から,民青や共産党からの転向を勧められたり,野球チームからの退部を要請されたり,職場の棒心の激励会が開かれることを秘匿されたり,クレーンやフォークリフトの免許取得の機会を与えられないなどの差別的な取扱いを受けてきたほか,第4クラフトへの配転により他の従業員から隔離され,差別的ともいえる取扱いを受けてきたものであるが,広畑製鐵所が,昭和34年の49日ストを受けて,昭和40年ころから,共産党員を排除するための施策を行ってきたこと,当時,広畑製鐵所が原告らが民青や共産党に入党した事実を把握していたことに鑑みると,かかる取扱いは,いずれも,原告らが共産党員であることを理由とする差別的な取扱いであると推認することができる。
3  昇給昇格格差の合理性
(1) 昇給昇格格差の存在について
ア 昇給格差の存在について(甲186,187,原告P3)
(ア) 原告P1及び原告P5
原告P1及び原告P5と同期同学歴の共産党員は,P63,P56,P57及びP64の4名である。
原告P1及び原告P5と同期同学歴者の平成8年度から平成12年度までの年間基本賃金において,最も多数の者が位置しているのは550万円から600万円のランクであるが,原告P1及び原告P5並びに他の共産党員は,全年度において350万円から500万円のランクに位置しており,その差は50万円以上である。また,共産党員以外の者で,原告P1及び原告P5より年間基本賃金の低い者はいない。
(イ) 原告P2について
原告P2と同期同学歴者の平成8年度の年間基本賃金において,最も多数の者が位置しているのは,500万円から550万円のランク及び550万円から600万円のランクであるが,原告P2は,最下位の400万円から450万円のランクに位置しており,その差は50万円以上である。また,原告P2より年間基本賃金の低い者はいない。
なお,原告P2と同じく400万円から450万円のランクにはP65が位置しているが,同人は共産党員ではないものの,共産党の機関紙「赤旗」の購読者であり,原告らの同調者である。
(ウ) 原告P3について
原告P3と同期同学歴の共産党員は,P22及びP53の2名である。
原告P3と同期同学歴者の平成8年度から平成12年度までの年間基本賃金において,最も多数の者が位置しているのは,平成8年度は600万円から650万円のランク,平成9年度ないし平成11年度は550万円から600万円のランクであるが,原告P3は,M氏とともに最下位の400万円から450万円のランクに位置しており,その差は100万円以上である。また,P22及びP53は下から2番目の450万円から500万円のランクに位置しており,その差は50万円以上である。
なお,M氏は,昭和48年ころ,製鋼工場においてバルブ操作を誤って大きな生産障害を起こし,上司から叱責されたことが原因でノイローゼとなって神経科に長期通院しており,出勤はしていたものの,生産ラインからは外され,その後,広畑製鐵所の風呂,便所の掃除等,雑用を主な業務とする関連会社に在籍出向(平成11年度からは転籍扱い)した者であり,在職中,主事に昇格することもなく,日常の考課において低査定を受けてもやむを得ないと認められる明らかな事情が存した。また,M氏以外に原告P3より年間基本賃金の低い者はいない。
(エ) 原告P4について
原告P4と同期同学歴者の平成8年度から平成11年度までの年間基本賃金において,最も多数の者が位置しているのは,550万円から600万円のランクであるが,原告P4は,最下位の400万円から450万円のランクに位置しており,その差は100万円以上である。また,原告P4より年間基本賃金の低い者はいない。’
(オ) 以上によれば,平成8年度以降の原告らの年間基本賃金は,同期同学歴者の中で常に最下位ないし最下位から2番目のランクに位置しており,同期同学歴者のうち最も多数の者の位置する年間基本賃金との間には著しい格差が存在しているほか,原告ら及び他の共産党員より年間基本賃金の低い者はM氏のみであり,同人には上記認定のとおり日常の考課において低査定を受けてもやむを得ないと認められる明らかな事情が存したのであるから,原告らは,他の共産党員とともに,昇給面において最低レベルの処遇を受けてきたものと認められる。
イ 昇格格差の存在について(甲A1,111,原告P1)
(ア) 原告P3を除く原告らは広畑製鐵所を年満で退職したものの,退職まで主事に昇格することはなかった。また,平成16年3月に年満退職を迎える原告P3も主担当のままであり,主事には昇格していない。
(イ) 平成8年4月1日の時点で被告に在籍していた原告らと同期同学歴者の主事昇格率は,勤続25年以上で81%ないし86%,勤続30年経過時点で86%ないし91%に上る。ただし,同期同学歴者の数は,勤続年数を経るにつれて退職等により減少しているものと推測され,各時点における在籍者の数及び主事昇格者の数は明らかでない。
(ウ) 広畑製鐵所に勤務する共産党員の数は,昭和57年で約59名,平成3年で約40名であったが,そのうち主事に昇格した者は1人もいない。また,原告らと同期同学歴者のうち,共産党員以外で主事に昇格していないのは,主事昇格試験を受験して不合格となって以降,推薦を受けても自ら受験を断っていたP66,原告らの同調者であるP65,M氏の3名がいる程度である。
(エ) 以上によれば,原告らと同期同学歴者のうち大多数が主事に昇格しているものと推測されるのに対し,原告ら及び他の共産党員は主担当に留まっており,昇格面においても低い処遇を受けてきたものと認められる。
(2) 昇格格差の合理性について
原告らは,原告ら共産党員と同期同学歴者の著しい賃金格差は,低査定を受けていること,及び原告らが主担当に据え置かれ,昇格面においても低い処遇を受けてきたことにより生じており,特に主担当に据え置かれたことによる格差の比重が大きく,かかる昇格格差について広畑製鐵所の反共差別意思が推定されるものと主張するのに対し,被告は,原告らがいずれも主事昇格試験に合格していないことから,原告らが主担当に留まり,その意味で低い賃金しか受け得ないことは当然のことであると主張する。
広畑製鐵所において主事昇格試験を受験するためには,予備試験に合格して所属長の推薦を得る必要があるが,原告らはいずれも予備試験に合格しておらず,予備試験の受験について掛推薦を受けたこともない。また,原告P3を除く原告らは,予備試験を受験したこともない。
しかしながら,原告らが主事昇格のための予備試験において,受験を妨げられるなどの差別的な取扱いを受けていた場合には,原告らが主事昇格試験に合格していないことをもって直ちに,かかる昇格格差の合理性を認めることはできないものと解される。
そこで,以下,原告らが予備試験において差別的な取扱いを受けていたか否かにつき検討する。
ア 予備試験の差別性について
(ア) 日程の非周知性について
a 事実認定(甲155,A1,原告P1,証人P6,証人P13,証人P12)
(a) 原告P2及び原告P3が勤務していた冷延部冷延課機械運転掛においては,予備試験の具体的な日程が従業員に周知されていた。
(b) 平成13年度以前のクラフトセンターにおいては,資格昇格の推薦時期になると,詰所の掲示板に資格昇格選考の日程を知らせる「お知らせ」が掲示された。上記「お知らせ」には,各資格昇格試験の時期,場所,推薦対象者については当該マネージャー(又は係長)よりそれぞれ連絡をする旨,上記についての問合せ先が当該マネージャーである旨,必要に応じて予備選考を行う旨及び予備試験の時期等が記載されていたが,試験の日程は,受験者の仕事の段取りを考慮して決定されるため,上記「お知らせ」には記載されていなかった。
(c) 原告P1がクラフトセンターに配転される前に勤務していた製鋼部製鋼工場においても,主事昇格試験の日程は毎年職場に掲示されていたが,予備試験の具体的な日程は掲示されていなかった。
b 上記認定事実によれば,予備試験の日程の周知方法は職場によって様々であり,事前に予備試験の日程等を従業員に周知する職場もあれば,具体的な日程を推薦対象者に個別に連絡する職場もあったことが認められる。
(イ) 問題の不統一性について
a 事実認定(甲C1,E1,原告P3,証人P6,証人P90,証人P14)
(a) 予備試験の面接試験の問題は,受験者の担当する職務の内容によっても異なるため,全く同じ質問にはならないこともある。
(b) 原告P3は,昭和55年に受験した予備試験の面接において,安全上の注意点やJK活動に関する質問のほか,担当業務以外で原告P3の所属する錫メッキ工場の製造ラインの一つであるタンデム(冷間圧延機)の仕組みや圧下率,メッキの種類などについて質問を受けたが,これまでに圧延やメッキの作業に従事したことがなかったため,意味の理解できない質問が多く,回答することができなかった。
なお,原告P3と同じ日に面接試験を受けたP91に対する質問には,職場の効率化問題,安全問題,JK活動の進め方等に関する問題が含まれていたが,それ以外の質問の内容は明らかでない。
(c) 共産党員のP47は,原告P3と同じころ,製鋼工場の予備試験を受験した。同人は,主事昇格の学科試験が免除されるのに必要な講座を修了していたが,質問中の横文字の専門用語を理解することができなかった。
b 上記認定事実によれば,予備試験の面接試験の問題は,受験者の担当する職務の内容によっても異なる場合があり,必ずしも統一されていたものではないこと,原告P3が自分の従事したことのない作業内容についての質問に答えられなかったこと,共産党員のP47が横文字の専門用語を理解することができなかったことが認められる。
原告らは,広畑製鐵所では受験者ごとに問題が変えられ,原告P3やP47などの共産党員にだけは絶対に答えられない出題がされたと主張するが,同時に予備試験を受験した者に対する質問の全容は明らかでなく,原告P3らに対する質問のみが特別に難易度の高いものであったことを裏付ける証拠もない。
(ウ) 採点基準の不透明性について
a 事実認定(甲202,203,証人P6,証人P13)
(a) 主事昇格のための予備試験においては,面接だけを実施する職場もあったが,熱延工場や設備部関係等のように作文や筆記試験を実施する職場もあった。また,製鋼工場においては,面接と学科試験を行っていた時期もあった。
(b) 面接試験の採点基準について統一されたものはなく,特に採点基準を設けていない職場もあった。
(c) 昭和52年1月25日に実施された鋼片工場の予備試験の採点表(甲202)には,受験者ごとに筆記試験の点数,面接者3名ごとの評価(◎,○,△,×)が記載されていたほか,メモ欄には以下の記載がある。
「① 元気よく発表し明瞭で気持ちよく聞ける。
② 一生懸命にやっている気持が表れている。かなり職務についても勉強している。
③ 大体そつなく答えられる。職場ではかなり作業にも自信を持っている様子がみえる。数字的にもかなり覚えている。
④ 大抵の事は理解できる姿勢である。自信が身についている。多少過剰気味あり,元気あって良い。
⑤ 態度が気持ちよい。職場のリーダーとしての経験が発言にも出ている。職務内容に精通している。
⑥ 若干上り気味であるが,一生懸命にやっている姿が好感が持てる。経験の割に数値でも答えられる。
⑦ 重要問題など細かな値は知っているが基本姿勢ではもう少し厳しい面がほしい,真面目さは出ている。
⑧ 関連する業務,職務にも精通していて答えとしても明確である。
⑨ 相手職場のこともよく研究している。物事に熱心である。職務を知っている強みが出ている。
⑩ ハキハキして非常によい。力一杯やっている様子である。
⑪ がん固,真面目一筋がよく出ていて気持が良い。
⑫ よくやっている。人柄も良さそうである。数値に強くなるように更に勉強すること。」
b 上記認定事実によれば,昭和52年1月25日に実施された鋼片工場の予備試験の採点は,筆記試験の点数,面接者の4段階による評価,面接時の応答内容からうかがわれる職務知識・能力,積極性,活発性等を考慮して行われていたが,その実施方法は各職場に委ねられており,統一された採点基準も設けられていなかったことが認められる。
(エ) 以上によれば,主事昇格のための予備試験の日程の周知方法,実施方法及び採点基準は,これを実施する各職場に委ねられていたほか,面接試験の問題も受験者ごとに異なる場合があり,必ずしも統一されていなかったものと認められる。
原告らは,面接のみによるという予備試験のシステム自体,出題,採点に恣意の入りやすい客観性のないシステムであり,殊に予備試験において問われているのは高度な職務知識や専門性ではなく,積極性,活発性等の情意的要素であり,明確な採点基準など存しない極めて恣意の入りやすい試験であると主張するが,面接試験は,本来的に客観的な採点基準に馴染みにくい性格を有する試験であり,明確かつ客観的な採点基準が存しないからといって,面接のみによるという予備試験のシステム自体が不合理,不公正,不公平なものということはできない。
イ 掛推薦の実態について
(ア) 事実認定(甲198,200,201,207ないし209)
a 鋼片工場において昭和52年1月21日に作成された「主事昇格工場面接実施について」と題する書面(甲198)には,予備試験が同月25日にα研修所において実施される旨,対象は現在,資格が主担当で掛推薦を受けた者である旨の記載がある。
b スラブ精整掛において同月13日に作成された「主事,掛推薦候補者の特別教育計画」と題する書面(甲200)には,同月17日に作業長らが講師となって特別教育を実施する旨の記載があるほか,同月20日に作成された「主事候補者特別教育通知」と題する書面(甲201)には,同月24日,工場面接を翌日にして最後の研修を行う旨,職場の基本的な数値など必ず覚えておくことなどの記載がある。
c 昭和53年3月26日付けのP92作業長の職印の押された「掛教育計画について,2月役付連絡会決定事項と進捗状況」と題する書面(甲208)には,次期主事候補予定者として,センター職場,受入職場,精整職場,東浜職場の各工長から推薦された合計12名の名前が記載されているほか,以下の記載がある。
「(a) 3月中に各組別に(作業長・工長-本人)導入教育(意識付け)を行う。
(b) 4月に問題集を配布して自宅勉強をさせる。
(c) 4月中にテキストの整備
(d) 教育問題集の作成のため特別チーム編成
(e) 集合教育(組別) 講師は作業長,工長が輪番で当たる。
(f) 日常の指導 工長が当たる。」
d 同年6月2日に作成された「役付連絡会資料」と題する書面(甲207)には,「将来の主事候補育成研修の経過」として,各職場4組責任者によって推薦された人(12名)について実施中である旨,特に対象者の上長は本人との対話を続けて下さいとの記載がある。
e スラブ精整掛において昭和54年4月20日に作成された「次期主事候補者の教育計画について●」と題する書面(甲209)には,以下の記載がある。
「(a) 来期主事候補予定者の推薦について
① 現主担当以下全員を対象に工長が面談し,年間を通じて勉強しようとする意志のある者を選出する。
② 選出 4月30日までに人選し,各職場工長から各組作業長経由で掛担当まで報告の事。
③ 選出された者への動機付けは,各作業長が個別面談の上,4月中に実施する。
(b) 学習方式
① 問題集による自主学習
② 極力マンツーマン方式をとる
(c) 教育チームの編成
① 問題集の作成を主たる作業とし,直近の経験者をこれに当てる。又選出された人との見合いで,個人別指導員を配置する。
② リーダーP93工長,A組P94,B組P95,C組P96,D組P97」
(イ) 上記認定事実によれば,昭和52年に鋼片工場で行われた予備試験の対象者が掛推薦を受けた者とされていたこと,スラブ精整掛においては,予備試験の直前まで作業長らが講師となって試験対策のための特別教育が行われていたこと,昭和53年2月には,工長や作業長によって構成される役付連絡会において,各工長から次期主事候補予定者として推薦される者が具体的に決定され,以後,作業長や工長による集合教育及び個人指導が行われていたこと,スラブ精整掛においては,昭和54年4月には工長により次期主事候補予定者が選出され,以後,選出された者への動機付けを含め,工長等による教育体制が整えられていたことが認められる。
被告は,予備試験は誰もが受験することのできた試験であり,現に原告P3やP47が上司から声がかからなくても自ら受験を申し出て予備試験を受験していると主張する。
確かに,広畑製鐵所においては,原告P3やP47のように掛推薦を受けずに予備試験を受験した者もあり,掛推薦を受けなければ予備試験を受験できないとまではいえないが,掛推薦を受けずに予備試験を受験した者でも予備試験に合格したという事実を認めるに足りる証拠はなく,上記認定のように,掛推薦を受けた者に対する特別教育の体制が整えられていた職場もあることに鑑みると,広畑製鐵所においては,掛推薦を受けた者に予備試験の受験資格を与える運用が原則的であったものと認められる。
ウ 貢献度基準の適用の実態について
(ア) 事実認定(甲198,199,202ないし206,A1,B1,C1,D1,E1,原告P3)
a 昭和52年1月25日に実施された鋼片工場の主事昇格の予備試験を受験した33名のうち,A氏(51歳,勤続32年),B氏(50歳,勤続29年),C氏(54歳,勤続32年),D氏,E氏,F氏及びG氏の7名は,いずれも「一般又はA分類職務に従事し,勤続25年以上で会社業務に対する貢献度が高いと認められる者」として掛推薦を受けた者である。
b 昭和51年11月にスラブ精整掛において行われた学科研修の結果は,以下のとおりである。
(a) A氏 1回目 292点(32名中18番)
2回目  89点(23人中22番)
(b) C氏 1回目 155点(32名中28番)
2回目 107点(23名中21番)
c また,上記7名の上記予備試験の学科試験の点数(540点満点)は,以下のとおりである。なお,点数が明記されていない2名を除く31名の平均点は365点である。
(a) A氏 175点(30位)
(b) B氏 記載なし
(c) C氏 記載なし
(d) D氏 203点(29位)
(e) E氏 312点
(f) F氏 312点
(g) G氏 173点(31位)
d なお,上記7名のうちA氏,B氏,C氏,D氏及びG氏の5名は,専門技術研修Ⅰ部を1科目も履修していなかったため,職務基礎知識の学科試験の全科目を受験しており,E氏及びF氏は,専門技術研修Ⅰ部のうち2科目を履修していたため,学科試験の一部につき免除を受けているが,33名中17名は,学科試験の全科目につき免除を受けている。
(イ) 上記認定事実によれば,昭和52年度の鋼片工場の主事昇格の予備試験を受験した33名のうち,貢献度基準により掛推薦を受けた者は7名いるが,7名とも学科試験の点数が平均点を下回っているほか,うち3名は下から3番目ないし5番目に位置しているなど,成績優秀とはいえないこと,専門技術研修Ⅰ部の履修により学科試験(職務基礎知識)の全科目の受験を免除された者はなく,2科目の受験を免除された者が2名いるなど,専門技術研修Ⅰ部の履修についても積極的であったとはいえないことが認められる。
原告らは,貢献度基準は,一定の勤続年数を経たのに主事になれていない者のうち,職務遂行能力と無関係に,むしろ職務遂行能力において劣ると判断されていたがゆえに勤続年数が長いのに主事になれていない者を救済する制度であると主張するところ,上記認定のとおり,昭和52年度の鋼片工場の主事昇格の予備試験において,貢献度基準により掛推薦を受けた7名の学科試験の成績が優秀とはいえず,また,専門技術研修Ⅰ部の履修についても積極的であったとはいえないが,前提となる事実(10)ウ(オ)のとおり,昭和50年度から昭和52年度にかけては,「勤続25年以上で貢献度が高いと認められる者」を優先して主事昇格試験が運用され,年満時の主事以上の比率を80%に拡大する目標が達成されていることも考え併せると,昭和52年度の鋼片工場の予備試験受験者の成績等をもって直ちに,貢献度基準が,職務遂行能力とは無関係に,むしろ職務遂行能力において劣ると判断されていたがゆえに勤続年数が長いのに主事になれていない者を救済する制度として用いられていたものと認めることはできない。
エ 主事昇格の意思の有無について
(ア) 事実認定(原告P1,原告P2,原告P3,原告P4,原告P5,証人P13,証人P6)
a 原告P1は,上司の推薦がなければ,日頃の考課の悪い共産党員が予備試験に合格することはないと考えていたため,上司に推薦を求めたり,自ら受験を申し出たこともない。
b 原告P2は,主担当の中でも定期昇給の成績評価が余りにも低いので,貢献度を重視して選考決定するという主事の試験にはどう見ても推薦されないし,推薦をされていないのに合格するはずもないと考えていたため,予備試験の受験を申し出たこともなかった。
c 原告P3は,昭和55年,ミーティングにおいて,P98作業長から,「職場面接を受けたい者は申し出るように」と言われ,「面接を受けたい」と申し出たところ,「職場としては推薦できない」と言われたが,「誰でも受けられる試験ではないのか。推薦するしないは面接の結果で決まるもので,受けてもいないのに推薦できないとは組合との協定にも違反する。始めから党員は推薦しないということか」と抗議し,一度だけ予備試験を受験したことがあるが,面接の内容と態度が悪かったため推薦できないと言われ,不合格であった。なお,P14作業長からは,党活動をやめればいつでも推薦すると言われたことがある。
また,原告P3は,予備試験の実施要領が変更された後の平成13年6月ころ,専門技術研修Ⅰ部のうち1科目が未履修であったため,P99掛長を通じて未履修であった計測の基礎の受講を申し込んだが,同年9月上旬ころ,P99掛長と面談をした際,専門技術研修Ⅰ部を履修していないので今年は主事に推薦することができないと言われ,次年度に推薦を受けても平成15年度以降でなければ主事には昇格できず,定年まで1年間しかないことから主事昇格試験の受験をあきらめた。
d 原告P4は,昭和50年ころ,同人より若いP73が予備試験を受験したため,P36工長に対して予備試験の受験を申し出たが,P36工長から「わしを困らせるのか,なぜ推薦しないか分かっているやろ」と言われたため,「共産党をやめないと主事の試験は受けられないのやな」と尋ねたところ,「自分でよく考えろ」と言われたことがあった。また,予備試験は上司の推薦がなければ受験できないと思っており,共産党をやめない限り推薦はしてもらえないと思っていた。
e 原告P5は,上司の推薦を受けない限り,予備試験に合格するはずがないと考えていたため,自ら予備試験の受験を申し出たこともない。
また,主担当になって間もない昭和52年ころ,主事に昇格したいので必要な講座があれば受けたいと作業長に申し出たが,推薦を受ければ必要な講座の教育もされるので,主事に昇格するためだけにその講座を受ける必要はない,推薦を受けてからでも遅くないと言われ,専門技術研修Ⅰ部も履修していない。
(イ) 上記認定事実によれば,原告P1,原告P2及び原告P5は,上司の推薦がなければ予備試験に合格することはないと考え,予備試験を受験しなかったが,原告P3は,昭和55年,上司の推薦のないまま予備試験を受験して不合格となり,以後,平成13年までは予備試験を受験しようとしなかったこと,P14作業長から党活動をやめれば推薦すると言われたこと,原告P4もまた,工長に予備試験の受験を申し出たが推薦を受けられなかったため,上司の推薦がなければ予備試験の受験はできないと考えていたことが認められ,広畑製鐵所において掛推薦を受けた者に予備試験の受験資格を与える運用が原則的であったことからしても,原告らに主事昇格の意思が全くなかったとまではいえない。
また,専門技術研修Ⅰ部の修了は,主事昇格試験における学科試験の一部が免除されるための要件であって,主事昇格試験ないし予備試験を受験するための必須要件となっていたものではないから,原告らが専門技術研修Ⅰ部を修了していないからといって,主事昇格の意思が全くなかったとまではいえない。
オ 以上によれば,予備試験の日程の非周知性,問題の不統一性,採点基準の不透明性等から,予備試験のシステム自体を不合理,不公正,不公平なものということはできないほか,原告らの主張するように,貢献度基準が,職務遂行能力とは無関係に,むしろ職務遂行能力において劣ると判断されていたがゆえに勤続年数が長いのに主事になれていない者を救済する制度であったということもできない。
また,広畑製鐵所においては,原則として,掛推薦を受けた者に予備試験の受験資格を与える運用が行われていたという実態はあるが,原告らに主事昇格の意思が全くなかったとまではいえないものの,原告P3やP47のように,掛推薦を受けていない者が自ら申し出て予備試験を受験することも不可能ではなかったこと,原告P3は昭和55年以降,その余の原告らは在職中を通じて,予備試験の受験を一度も申し出たことがないことからして,原告らが予備試験の受験を妨げられていたとまでは認められない。
したがって,原告らが予備試験の受験を妨げられていたとまではいえないにもかかわらず,原告P3が昭和55年に一度受験した以外,原告らが予備試験を受験していないこと,予備試験が受験すれば必ず合格する試験であると認めるに足りる証拠もないことからすれば,原告らが予備試験において差別的な取扱いを受けていなければ予備試験に合格していたとまで推定することはできず,原告らが主事昇格試験に合格していないことによる昇格格差には合理性があるので,原告らが主担当に留まっていることを広畑製作所の反共差別意思に基づくものと推定することはできない。
よって,原告らと同期同学歴者の著しい賃金格差が反共差別意思に基づく昇格格差によって生じたものとは認められない。もっとも,賃金格差は査定に基づく昇給格差によっても生じるものであるから,次に,昇給格差の合理性について検討する。
(3) 昇給格差の合理性について
原告らは,昇給面において最低レベルの処遇を受けてきたものであるが,賃金査定は資格別ないし職務層区分別に従業員の職務遂行能力を相対評価して行われるものであり,広畑製鐵所が共産党員を排除するための種々の施策を行ってきたこと,原告らもまた共産党員であることを理由として種々の差別的な取扱いを受けてきたことに鑑みると,原告らが共産党員であることを理由として職務遂行能力を低く評価されていたものと推認することができるから,被告において,原告らの職務遂行能力が昇給面の処遇に見合った最低レベルであったことを立証しなければ,かかる昇給格差の合理性を認めることはできないものと解される。
被告は,原告らの職務遂行能力が昇給面の処遇に見合った劣ったものであった旨主張するので,以下,被告の主張に照らし,原告らの職務遂行能力が昇給面での処遇に見合った最低レベルであったか否かについて検討する。
ア 原告P1
(ア) 機械運転掛起重機職場において
被告は,この間の原告P1の職務遂行については,原告P1の陳述ないし供述によっても定かではないと主張するのみであり,その職務遂行能力が最低レベルであったことを認めるに足りる証拠はない。
(イ) 鋼片(製鋼)工場精整掛において
a 事実認定(甲204,205,乙A1,証人P90)
(a) 原告P1は,精整掛の東浜第2スラブヤードにおいて,スラブの検査や手入れを行う精整作業に従事していたが,2ヤード担当の業務は,東浜職場における他のポジションと比較して最も平易であり,新入社員や配転者が最初に配置されるポジションであった。
(b) 東浜職場に配置された者は,2ヤードの担当を手始めに,1ヤードの担当,野積みの担当と次第に難易度の高い業務の担当にステップアップするのが通常であったが,原告P1は,15年以上もの間,2ヤードを担当していた。
(c) 原告P1は,昭和51年10月から昭和59年2月にかけて,社内教育として「なぜなぜコース」,「IE・QCの基礎」,専門技術講座「銑鋼一貫工程」,システム設計講座「№1コンピューター入門コース」を受講しており,また,昭和56年5月1日に多数提案累積点300点で,昭和57年2月1日に多数提案累積点600点で,昭和56年9月1日に多数提案累積点1000点でそれぞれ所長より表彰を受けているほか,昭和49年8月1日にはアーク溶接の許可証の交付を受けている。
(d) 原告P1は,昭和51年11月のスラブ精整掛の学科研修結果は32名中10位の成績であった。
(e) 昭和57年4月から翌年まで原告P1の上司であったP90作業長は,原告P1の作業について,決められたことや言われたことはしっかりやるが,それ以上のことは自分から進んではしないという印象であった,共同作業が苦手という印象であったなどと証言している。
b 被告は,原告P1の専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力等に問題があり,上位職務に対応できなかったため,2ヤード担当に終始していたものと主張する。
しかしながら,原告P1の専門知識,実務経験,企画力,指導力,判断力,折衝力,実行力等に問題があり,上位職場に対応できなかった旨の被告の主張は極めて抽象的である上,原告P1は,上記のような社内教育等を受講し,学科研修の成績も上位3分の1に属しているほか,連続して多数累積点の表彰を受けており,さらには,決められたことや言われたことはしっかりとやると評価されていたのであるから,原告P1が2ヤード担当に終始し,P90作業長が前記のような評価をしていたとしても,これをもって原告P1の職務遂行能力が最低レベルであったと認めることはできない。
(ウ) 連続鋳造掛カッター職場において
a 事実認定(甲A12ないしA14,乙A2,原告P1,証人P13,証人P15)
(a) 原告P1の配置されていた連続鋳造掛のカッター職場における業務は,製鋼工場で精錬された溶鋼が冷やされ,連続的に押し出されてきたところを,下工程の長さに合わせてガス溶断し,スラブにするというものであったが,原告P1の従事していた業務は,指示書に従ってスラブの長さをインプットし,切断の指示をするオペレーター業務であり,通常の業務自体は比較的単純な業務であったが,原告P1はこれ以外の業務には従事していなかった。
(b) 連続鋳造掛に異動した者の多くは,通信教育の「連続鋳造」という講座を受講しており,原告P1も,従前連続鋳造に関わる職場にいなかったため,これを平成2年11月から平成3年3月まで受講したが,レポートの提出期限を徒過し,これを修了することができなかった。
しかし,平成3年6月から同年10月までに受講した「シーケンス制御の実際」については成績優秀ということで表彰を受けている。
(c) 不注意によりスラブを次のラインに送ることができず,スラブを詰まらせてしまったことがある。
(d) 原告P1は,事故やトラブルを起こした際,その日のうちに事故報告書を書き終えずに帰宅したことがあったが,翌日には事故報告書を作成し,提出している。なお,事故報告書は,後々の安全対策のための重要な資料として,些細なことでも提出するよう被告から指導されていたものである。
(e) 平成元年9月から平成4年10月まで原告P1の上司であったP13掛長は,原告P1について,技能習熟の速度が遅く,トラブルや事故も多かったこと,前向きな姿勢に欠けていたため,定常作業にしか対応することができず,他の業務の遂行を委ねることができなかったと評価している。
b 上記認定事実によれば,原告P1には,通信教育のレポート期限を徒過したこと,不注意によりスラブを詰まらせる事故を起こしたこと,事故当日に報告書を作成しなかったことなどの問題点があったことが認められる。
確かに,原告P1が通信教育の「連続鋳造」という講座を受講しながら,レポートを提出しなかった点については,原告P1の評価を低からしめるものではあるが,「連続鋳造」の受講が義務付けられていたことを認めるに足りる証拠はない上,その直後に受講した「シーケンス制御の実際」については成績優秀ということで表彰を受けていることからしても,「連続鋳造」の講座を殊更放棄したとも認められない。
また,事故報告書を当日に提出しなかったことも,評価を低からしめるものではあるが,事故報告書は,後々の安全対策のための重要な資料として,些細なことでも提出するよう被告から指導されていたものであって,必ずしも当日提出すべきことが義務付けられていたものとは認められない。
さらに,被告は,原告P1の技能習熟の速度が遅く,トラブルや事故も多かった,前向きな姿勢に欠けていたため,定常作業にしか対応することができず,他の業務の遂行を委ねることができなかったとも主張し,P13掛長もこれに沿う証言をするが,被告の評価としても,原告P1は定常作業に対応することができると認めている上,平均的な従業員がトラブルや事故を起こさないとまではいえず,原告P1のトラブルや事故の回数が平均的な従業員に比べてどの程度多いかについては明らかではないから,これをもって原告P1の職務遂行能力が最低レベルであったと認めることはできない。
(エ) 第4クラフトにおいて
a 事実認定(甲108,乙73,75,証人P11,証人P12)
(a) 原告P1は,第4クラフトにおいて一貫して塗装業務に従事していたが,平成8年11月ころ,広畑製鐵所の社宅であるδアパートの塗装作業の際,養生が十分でなかったため,原告P1と原告P4が塗装前に行うケレン(塗装面の洗浄作業)用の水でアパートの住民の新聞受けに入っていた新聞を濡らしてしまったことがあった。
(b) 原告P1は,平成9年ころ,休み時間の間にトイレに行かず,業務時間開始とともにトイレに行っていたことがしばしばある。
(c) 原告P1は,同年ころ,本来サッシを塗るべきところに壁色を塗ったり,フタル酸D色という塗料を塗るべきところを塩ゴムD色という塗料を塗ったり,支柱だけ塗るべきところを支柱が支えている蒸気配管まで塗ったことがあった。
また,階段の裏側を塗装していたとき,美観上出しては行けない塗りこぼれを表側に出して注意を受けたり,工具箱を取り出そうとして格納庫のドアを破損したこともある。
(d) 原告P1は,同年10月から11月にかけて,防毒マスクを忘れて現場に出たり,飛来防止メガネをかけずに作業をしていたことがあったほか,同僚と足場板の積重ね作業を行っている際,原告P1が同僚に声をかけずに板から手を離し,抗議を受けたことがあった。
また,原告P1は,クラフトセンターにおいて時間外に自主参加で行われていた安全小集団会議等の会議に参加しないことがあった。
(e) 原告P1は,平成9年4月,製鐵所の東門でタクシーと接触事故を起こしたことがあるほか,平成12年6月,スカイマスター(高所作業車)による作業中に窒素配管を曲損させる事故を起こしたことがあるが,平成12年ころ,原告P1以外にも,スカイマスターによる作業中に車の天井や倉庫の屋根を毀損する事故を起こした者がいる。
(f) 原告P1は,平成4年11月からから平成7年2月にかけて,特別安全衛生教育として「粉じん作業」,「低圧充電路の開閉器・操作」,「酸素欠乏危険作業」,「振動工具の取扱い」を受講したほか,平成11年1月26日に高所作業車運転技能講習の修了証の交付を受けている。
(g) 平成8年3月まで原告P1の上司であったP11掛長及び平成6年以降クラフトセンター長であったP12センター長は,原告P1が仕事が遅い上に基本的な作業において同僚よりも劣っており,業務におけるアウトプットが他の者の6割程度であった,極めて初歩的なミスを発生させる低技能者であった,職務に対する意欲を欠いていたなどと評価しているほか,P11掛長は,原告P1は指示された仕事をやっておけばいいという考え方であり,作業の効率性やコストへの配慮に乏しく,塗装においても塗残しや刷毛目が残っていたなどと証言する。
(h) もっとも,P11掛長は,原告P1の研修中の働きぶりについて,地労委では,大変真剣に,真面目に取り組んでおり,大変意欲的な姿勢が感じられた旨証言している。
b 上記認定事実によれば,原告P1には,ケレン用の水でアパートの住民の新聞を濡らしたこと,業務時間開始とともにトイレに行っていたこと,塗料や塗装の場所の誤り,格納庫のドアの破損,防毒マスク等を忘れたこと,安全小集団会議等の会議に参加しなかったこと,スカイマスターで事故を起こしたことなどの問題点があったことが認められる。
しかしながら,原告P1が新聞を濡らした点については,確かに,原告P1に不注意はあったものの,養生が十分でなかったことがそもそもの原因であるところ,養生は原告P1の担当する業務とは認められないから,これを原告P1だけのミスと解することはできない。
また,スカイマスターで事故を起こした点については,原告P1以外にもスカイマスターによる作業中に事故を起こした者がいることからして,職務遂行能力が最低レベルの者でなければ起こすことのない事故と評価することもできない。
その余の問題点については,原告P1自身が自認しているものもあり,原告P1に対する評価を低からしめるものではあるが,これらの問題点によって,原告P1が理想的な従業員であったとはいえないとしても,被告が平均的な従業員像を明らかにしないので,原告P1の職務遂行能力を平均的な従業員との比較において評価することができない上,原告P1が上記のような特別安全衛生教育を受講したり,上司が原告P1の研修中の働きぶりを高く評価していたこともあることからすれば,これをもって原告P1の職務遂行能力が最低レベルであったとまでは認めることはできない。
イ 原告P2
(ア) 機械運転掛ロール整備職場において
a 事実認定(乙B1,原告P2,証人P14)
(a) 原告P2は,入社以降,昭和64年1月に設備部に配属になるまでの31年間,一貫して,圧延ラインで使用されたロールを分解して研磨し,再使用できる状態にするロール整備職場に配置され,ロールの表面を研磨するロール研磨作業や,軸受け部分のベアリング点検と整備を担当するモーゴイル作業に従事していた時期もあったが,ほとんどの期間は,ロールの分解,組立て及び搬出入等を行うロール整備作業に従事していた。
(b) ロール研磨作業は,高い仕上げ精度が要求されるため,高度な技能と経験が必要な作業であったほか,モーゴイル作業のうち軸受け部分の点検や整備には経験や技能が必要とされたが,ロールの分解及び組立て作業は繰返しが多く,高度な技能を要しない作業であった。
(c) 原告P2は,昭和36年7月から昭和51年6月にかけて,起重機運転士免許及び危険物取扱者免許乙種第4類を取得し,ガス溶接技能講習を修了したほか,自由研削砥石の取替・機動装置の運転特別安全教育認定証の交付を受けている。また,昭和56年4月に基礎学科講座の高校数学を修了しており,同年12月には多数提案累積点300点で所長表彰を受けている。
(d) 昭和63年3月から12月までの9か月間,P2の上司であったP14作業長は,原告P2のロール整備作業の業務の遂行について,ロールの分解や組立て作業しか任せられないレベルでしかなかった,どちらかといえば言われた仕事をミスしないようにさえすればいいといった姿勢で,仕事に対する意欲は余り感じられなかったと証言している。
もっとも,P14作業長は,原告P2の担当していたロール整備作業(A分類)の職務遂行能力について,優秀ではないが標準的であると評価しており,前任の作業長からも,原告P2は指示されたことはできる従業員であった旨,引継を受けている。
b 被告は,原告P2がロールの分解や組立て作業に主として従事していおり,研磨業務にはほとんど就くことがなく,調製業務やロール管理業務にも就くことはなかったことなどから,昇給成績及び職務考課給の査定において低い評価を受けたのも当然であると主張するが,P14作業長は,原告P2の担当していたロール整備作業の職務遂行能力が標準的であると評価していたほか,前任の作業長からも,指示されたことはできる従業員であったと評価されており,原告P2が起重機運転士免許等の資格を取得したり,ガス溶接技能講習を修了するなどしていることに鑑みても,その職務遂行能力が最低レベルであったと認めることはできない。
(イ) 第4クラフトにおいて
a 事実認定(乙72ないし75,証人P11,証人P12)
(a) P11掛長は,原告P2が,塗装作業の足場を解体する際,歩み板を上から放り投げたことがあったことを聞き及んだ。また,原告P2は,刷毛塗りの際,塗残しがあったり,下塗りが透けて見えたり,塗った跡に刷毛目が残っていたことがあった。また,コーナー部や凹凸部の養生作業がうまくできなかったこともあった。
(b) 原告P2は,平成元年2月から平成8年10月にかけて,「粉じん作業」,「低圧充電電路の開閉器・操作」,「酸素欠乏危険作業」,「振動工具の取扱い」,「巻上機運転」の特別安全衛生教育を受講し修了したほか,アーク溶接作業特別安全衛生研修証の交付を受けている。
(c) P11掛長は,原告P2の業務遂行能力について,塗装作業は雑で荒く,その上にスピードが非常に遅いという最低のレベルであった旨,また,P12センター長は,戦力としてカウントできない状況であった旨証言ないし陳述している。
b 上記認定事実によれば,原告P2は,歩み板を上から放り投げたことがあったこと,刷毛塗りの際,塗残し等の不手際があったことが認められる。
しかしながら,原告P2が足場の解体に際し歩み板を上から放り投げたのがいつのことか定かではない上,解体に際して常時このようなことをしていたことを認めるに足りる証拠はない。また,刷毛塗りの際に塗残し等の不手際があったとしても,これをどのように指導し,なお改善されなかったかについては,これを認めるに足りる証拠もない。
また,被告は,原告P2の職務遂行が劣悪であり,職務に対する意識・姿勢を疑わしめるような行動を繰り返していたとも主張し,P11掛長及びP12センター長もこれに沿う証言をするが,同証人らの証言も伝聞にわたることが多く,必ずしも自ら見聞したことではないし,原告P2が理想的な従業員であったとはいえないとしても,これを平均的な従業員との比較において評価することができない上,原告P2がクラフトセンターに異動してからも上記のような種々の特別安全衛生教育を修了していることからしても,同証人らの証言をもって原告P2の職務遂行能力が最低レベルであったと認めることはできない。
ウ 原告P3
(ア) ロール整備職場において
被告は,この間の原告P3の職務遂行については,何ら主張しないが,証拠(甲C1,証人P14)によれば,原告P3は,ロール整備職場では,ワーク整備作業,モーゴイル整備作業,ロール研磨作業を順次担当したが,特に高い技能を持っている者が配置されていたロール研磨作業に昭和48年4月から昭和52年3月まで従事していたことが認められることからして,原告P3が最低レベルであったとは認められない。
(イ) 機械運転掛クレーン職場において
a 事実認定(乙C1,証人P14)
原告P3は,クレーン職場において,電気清浄ラインと焼鈍ラインにおけるクレーン業務を担当する3クレーン班に所属し,ECLクレーン,OCAクレーン及びH型クレーンの3つのクレーンを運転する技能を有していたが,点検・整備においては,電気配線の接触器の接触子の取替えや手入れができる程度であり,何かトラブルが起きたときに,電気図面と照らし合わせながら不具合個所を特定し,小修理であれば自分自身で対応してクレーン停止時間を短くするといった統括レベルの機動的な対応はできなかった。
b 被告は,原告P3が就くことができた業務が3クレーンの業務のみであり,最後まで点検・整備に十分な対応することができず,主任の補助を受けてようやく支障なく業務が遂行されるというレベルに止まっていたものと主張し,昭和61年4月から昭和63年2月までの9か月間,原告P3の上司であったP14作業長もこれに沿う証言をする。
しかしながら,P14作業長は,3クレーンには1クレーンと2クレーンのようにビジネスコンピューターの端末を操作しながら自分自身で微妙な位置修正を行うといった高度な技能は不要であるとしながらも,コンピューター端末は運ぶ対象であるコイルを探索するための装置であり,クレーンの運転技能とは無関係であると証言しており,原告P3の3クレーンの操作そのものについては特に低い評価をしていないことからすれば,これをもって原告P3の職務遂行能力が最低レベルであったと認めることはできない。
(ウ) 第4クラフトにおいて
a 事実認定(乙58,59,73,75,原告P3,証人P11,証人P12)
(a) 原告P3は,もえ炉の煙突の陣笠を斜めに溶接してクレームを受けたり,もえ炉の落とし蓋の取付位置を間違えたことがある。
(b) 原告P3は,平成5年7月,1本のキャプタイヤー(管)の中に入っていた4本の配線のうち,溶接機のアース線と配電盤の電気配線を同じ圧着端子に接続し,感電による死亡災害につながるミスを犯したが,発見が遅れそのまま溶接機を使用すれば作業者が感電死するおそれがあったことから,第4クラフトの全員で3回にわたり対策会議が開かれたほか,原告P3は,後日,P88工長の指示により反省文を作成した。
(c) 製缶職場では,始業点検や安全点検の際,点検表の項目のないところにチェックの○を入れるということを繰り返していた。
(d) 原告P3は,平成9年9月にH型鋼への穴開け50個を担当した際,穴の位置がずれていたため,再度溶接をして穴を開け直したことがあった。また,平成11年10月には,P100主任と共同で角パイプの切断作業に従事した際,パイプの切断寸法を間違えたことがあった。
b 上記認定事実によれば,原告P3には,もえ炉の溶接方法やH型鋼の穴開け位置,パイプの切断寸法等を誤ったり,点検表の記載に不備があったり,死亡災害につながる重大なミスを犯すなどの問題点があったことが認められる。
しかしながら,もえ炉の煙突の陣笠の溶接については,時期が必ずしも判然としない上,P11掛長の証言によれば,溶接作業の後,各作業担当者の点検を受け,機能的には問題がないとして出荷されていたものと認められ,そのすべてを原告P3の責任ということはできないし,もえ炉の落とし蓋の取付位置の間違いについては,いついかなる時期になぜ5台のみ間違ったのか定かではない上,それによってどのような被害あるいは損失が生じたのかが明らかではない。また,H型鋼への穴開け位置の間違いについては,穴の位置が一見してばらばらであり,その機能及び美観上問題があって,会社の信用問題に発展するものであれば,原告P3の評価を低からしめるものではあるが,H型鋼の使用目的も明らかでなく,必ずしもこれが原告P3の評価を低からしめるものであるとは認められないし,材料裁断の寸法間違いの件も,原告P3はP100主任と共同で作業中に誤差を生じさせたものであるから,そのすべてを原告P3の責任ということはできない。さらに,点検表の項目のないところにチェックの○を入れることを繰り返していることについては,ミスというより意欲の問題であると解することができるが,このことから直ちに原告P3が安全面で問題のある行動を起こしていたとまでは認められない。
また,結線ミスについては,確かに,発見が遅れ,そのまま溶接機を使用すれば,作業者が感電死するおそれがあったから,第4クラフトの全員で対策会議が何回も開かれたとしても当然であるが,原告P3がP88工長の指示に従い作成した反省文(乙59)からは,ミスの原因が必ずしも明らかではない上,対策会議においてどのようなことが議論され,対策が検討されたかも明らかではない。
被告は,原告P3の技能が最低レベルであったこと,原告P3が安全面で問題のある行動を起こしていたとも主張し,P11掛長及びP12センター長もこれに沿う証言をするところ,確かに,原告P3は,重大ミスのほか種々のミスを犯していることが認められ,原告P3が理想的な従業員であったとはいえないとしても,これを平均的な従業員との比較において評価することができない上,被告の主張するミスは原告P3が第4クラフトセンターないしその後のクラフトセンターに勤務する14,5年間のうちに犯したものであり,これ以外に同種事犯はないことからしても,これをもって原告P3の職務遂行能力が最低レベルであったとまでは認めることはできない。
エ 原告P4
(ア) 機械運転掛ロール整備職場において
被告は,原告P4がロール整備業務に主として従事しており,研磨業務にはほとんど就くことがなく,調製業務やロール管理業務にも就くことはなかったことなどから,昇給成績及び職務考課給の査定において低い評価を受けたとしても当然であると主張するが,その職務遂行能力が最低レベルであったことを認めるに足りる証拠はない。
(イ) 精整掛厚板シャー職場において
a 事実認定(乙D1,D2,証人P15)
(a) 原告P4は,主に建機・造船向けの熱延コイルを切り板に加工する厚板シャー職場において,コイル時の巻き癖を取って平坦化するコールドレベラー,さらにその平坦度を向上させるヘビーレベラーの工程をそれぞれ2年ずつ担当した。これらはいずれも比較的操業の容易なポジションであったが,原告P4は,厚板シャー職場における約4年間の在籍中,これ以外の工程は担当していない。
(b) 厚板シャー職場においては,8ポジションのうち4ポジション程度に習熟するとベテランと呼ばれるようになり,複数ポジションをこなせるようになると他の工程にも配慮しながら操業ができるようになることから,新たに入ったメンバーには早急に複数ポジションを覚えて一人前の精整マンになってもらうように多能工化を進めていた。
早い者では1年間に4ポジションの操業もできるようになる者もいれば,4年間もいれば,3ないし4ポジション習熟は可能である。
(c) P15作業長は,原告P4は新しいことに取り組むとかやり方を変えるという場面では,大きなプレッシャーを感じて能力を発揮できないタイプであり,4年間精整掛にいながら業務として簡単なコールドレベラー及びヘビーレベラーの2ポジションの習熟に止まり,技術的もベテランと言えるようなレベルには達しなかった,コールドレベラーについても,操業は一応できるものの,板のつっかけや板重ねなどのミスが多かったと評価している。
b 被告は,原告P4が,約4年間の在籍中,業務として簡易な2ポジションの習熟に止まり,新しいポジションの習熟にも消極的であったため,職場が目指した多能工化にはついていけなかった,担当ポジションにおいても,設備のメンテナンスや異常時の処置等において十分ではなかったなどと主張する。
しかしながら,原告P4は,4年間のうちに2ポジションの操業ができるようになったのであり,P15作業長の証言によれば,1年間に4ポジションの操業もできるようになる者もいるものの,これは例外的であり,また,4年間もいれば3ないし4ポジション習熟できることも可能性があるというにすぎないのであり,原告P4の2ポジションの操業技術の程度がベテランと言えるほどではないとしても,これが最低のレベルであったとは認められない。
また,ミスが多いという点についても,原告P4が始末書を提出しなければならないほどの重大なミスを犯したことを認めるに足りる証拠はないし,他にどのようなミスが発生していたのか定かではないから,P15作業長が前記のような評価をしていたとしても,これをもって原告P4の職務遂行能力が最低レベルであったと認めることはできない。
(ウ) 第4クラフトにおいて
a 事実認定(乙73,75,証人P11,証人P12)
(a) 原告P4は,第4クラフトにおいて一貫して塗装業務に従事していたが,平成8年11月ころ,広畑製鐵所の社宅であるδアパートの塗装作業の際,養生が十分でなかったため,原告P1と原告P4が塗装前に行うケレン(塗装面の洗浄作業)用の水でアパートの住民の新聞受けに入っていた新聞を濡らしてしまったことがあった。
(b) 原告P4は,地域でソフトボールの監督をしていたため,代わりの者がいないなど,どうしても都合の付かなかったときには,時間外に行われている類似災害防止検討会への参加や残業をせずに帰宅することがあった。
(c) 原告P4は,平成元年2月から平成7年2月にかけて,特別安全衛生教育として,「5トン未満クレーンの運転」,「酸素欠乏危険作業」,「粉じん作業」,「低圧充電路の開閉器・操作」,「ゴンドラ取扱い」,「振動工具の取扱い」を受講したほか,平成4年9月10日には,高所作業車運転技能講習の修了証の交付を受けている。
b 上記認定事実によれば,原告P4には,ケレン用の水でアパートの住民の新聞を濡らしたこと,類似災害防止検討会等に参加しなかったことなどの問題点があったことが認められるが,新聞を濡らした点については,前記のとおり,原告P4や原告P1だけのミスと解することはできないこと,また,類似災害防止検討会等に参加しなかった点については,積極性に欠けると評価できなくもないが,これらが行われたのが時間外であることからすれば,これをもって直ちに原告P4を低く評価することはできない。
また,被告は,原告P4の第4クラフトにおける職務遂行は,塗装技術がないだけでなく,とにかく作業を早く終わらせようと雑な作業に終始したものであり,そのライフスタイル自体,職務の遂行よりも少年野球を優先させるというもので,不意の残業にも対応することがなかったなどと主張し,P11掛長は,原告P4が指示された仕事をすればいいという考えでそれ以外のことは全くしない,周囲のアドバイスを素直に聞き入れようとせず協調性に欠ける,横断歩道を渡る時に指差呼称をしていないことを注意されても無視した,風呂場で洗濯しているのを注意されても開き直っていたなどと証言するほか,P12センター長は,原告P4が職場全体の取決めで自粛していたオートバイ通勤をなかなかやめなかったなど,これに沿う証言をするが,仮にこれらの事実があったしても,原告P4が理想的な従業員であったとはいえないとしても,これを平均的な従業員との比較において評価することができない上,上記のような特別安全衛生教育等を受講していることからすれば,これをもって原告P4の職務遂行能力が最低レベルであったと認めることはできない。
オ 原告P5
(ア) 造塊掛において
a 事実認定(甲E62,乙E1,証人P16)
(a) 原告P5は,昭和35年から平成2年までの間,造塊工として鋼づくりに従事していた者であって,転炉で精整された溶鋼を受ける取鍋を再使用できる状態に整備する鍋整備職場と,溶鋼をインゴットケースに注入する注入職場に配属されていた。
(b) 原告P5は,インゴットケース時代には,注入誤差や開放注入を減らすべく努力し,また,第1製鋼工場が昭和44年5月30日に「3分の2基稼働で143チャージ」という日産世界記録を樹立した際には,乙番(15時から22時までの勤務)に属していた。
(c) また,原告P5は,平成2年9月からは高炉から受け入れた溶銑の成分を均質に調整して保温,在庫する混銑炉職場にも配属されていたが,その業務は,余り難しい部分のない定型作業であった。
(d) 原告P5は,昭和50年11月から昭和52年1月にかけて,特別安全衛生教育として,「5トン未満クレーン運転」,「低圧充電路の開閉器・操作」,「充電電路の点検修理」,「酸素欠乏危険作業」を受講したほか,昭和46年5月には,玉掛技能講習の修了証の交付を受けている。
(e) 平成2年2月から平成3年4月までの間,原告P5の上司であったP16掛長は,原告P5が意気に感じていると述べている仕事ぶりについては古い話であり,高い技能を必要とする作業ではなかったとするほか,原告P5について,指示を受けた仕事は一生懸命するが,自分から進んで仕事を段取りして人を動かすといったリーダーシップに欠け,自然開孔率の向上に向けて新しい提案をしたり業務改善成果を上げたことはないと評価している。
b 被告は,原告P5が取鍋整備のみの単能工で,二次精錬職場への作業応援にも対応できなかったこと,その業務遂行は上司の指示を待って行うというレベルであること,新技術への意欲や対応力に欠けていたなどと主張し,P16掛長もまたこれに沿う証言をする。
しかしながら,P16証人が原告P5の上司であったのは平成2年の2月から平成3年4月までの1年2か月でしかなく,しかも,その間に原告P5は鍋整備職場から混銑職場に配属換えになっており,それぞれの職場における原告P5の働きぶりについて観察する期間が短いこと,その評価の基礎となっているP16証人の造塊についての技術的知識も必ずしも経験に基づくものではないし,自らが経験したことのない事実を基に証言ないし陳述しているところもある。また,原告P5が上記のような特別安全衛生教育等を受講したり,指示を受けた仕事は一生懸命すると評価されていたことからすれば,これをもって原告P5の職務遂行能力が最低レベルであったと認めることはできない。
(イ) 第4クラフトにおいて
a 事実認定(乙73,75,証人P11,証人P12)
(a) P11掛長は,原告P5は言われたことしかしない,積極的な仕事ぶりは見受けられない,養生作業・塗装作業においても先を読んで動いたり向上心を持って挑戦する姿勢に欠けており,一作業者に徹している,塗装の刷毛塗りでは塗りムラや死に膜の見落としがあった,安全認識度テストで最低点を取ったと証言ないし陳述している。
(b) P12センター長も,原告P5は塗装作業の速さは人並みであるが,品質の面では丁寧さにかける部分があって,評価も今一歩であると陳述している。
(c) 原告P5は,平成3年9月に特別安全衛生教育として「粉じん作業」を受講しているほか,同年8月には,アーク溶接許可証の交付を受けている。
b 被告は,原告P5は手は早いが仕事が雑で大事な部分は任せられないと主張し,P11掛長及びP12センター長もこれに沿う証言をするところ,塗装の刷毛塗りで塗りムラがないことは必要ではあるが,通常の塗装においてこれを全くなくすことが可能かは定かではない上,原告P5の塗装作業について他人に塗り直しをしてもらったことを認めるに足りる証拠はなく,原告P5が理想的な従業員であったとはいえないとしても,これを平均的な従業員との比較において評価することはできない上,上記のような特別安全衛生教育等を受講していることからすれば,これをもって原告P5の能力が最低レベルであったと認めることはできない。
カ 以上によれば,いずれの原告についても,その職務遂行能力が最低レベルであったことの立証はなく,昇給格差の合理性を認めることはできないから,原告らは,共産党員であることを理由として職務遂行能力を低く評価されたため,昇給面において最低レベルの処遇を受けてきたことが推認される。
4  原告らの損害額
(1) 差額賃金
以上のとおり,原告らは,共産党員であることを理由として職務遂行能力を低く評価され,昇給面において最低レベルの処遇を受けてきたことが推認されるところ,原告らは,その損害額について,原告らの同期同学歴者の賃金等の平均額(標準者賃金)と原告らが現実に受領した賃金等との差額に相当する損害を被ったものと主張する。
確かに,原告らが差別的取扱いを受けなければ,原告らが実際に支給された賃金額を上回る賃金を得られた蓋然性は高いが,原告らの同期同学歴者の大多数は主事に昇格しているのに対し,原告ら及び他の共産党員は主担当に留まっているところ,原告らが主担当に留まっているのは,主事昇格試験に合格していないためであって,かかる昇格格差には合理性があり,これを広畑製鐵所の反共差別意思に基づくものと推定することはできないのは前記のとおりであるから,原告らが主事昇格者を含めた同期同学歴者の標準者と同等の能力を有することを前提として,原告らが差別的取扱いを受けなければ,その標準者と同等の賃金を支給された蓋然性が高いと認めることはできない。そして,原告らの同期同学歴者のうち主事に昇格していない者の人数やその賃金額は必ずしも明らかでなく,主担当に留まっていることを前提として,昇給面において最低レベルの処遇を受けてきたことによる賃金の差額を具体的に算定することは困難であるから,原告らが共産党員であることを理由として職務遂行能力を低く評価され,昇給面において最低レベルの処遇を受けてきたことによる損害は慰謝料の算定において斟酌するのが相当である。
(2) 慰謝料
前認定のとおり,原告らは,共産党員であることを理由として,昭和37年以降,職場の上司等から,民青や共産党からの転向を勧められたり,野球チームからの退部を要請されたり,職場の棒心の激励会が開かれることを秘匿されたり,クレーンやフォークリフトの免許取得の機会を与えられないなどの差別的な取扱いを受け,さらに,第4クラフトへの配転により他の従業員から隔離され,差別的ともいえる取扱いを受けてきたのみならず,昇給面においても職務遂行能力を低く評価され,最低レベルの処遇を受けてきたものであって,証拠(甲A1,B1,C1,D1,E1,原告P1,原告P2,原告P3,原告P4,原告P5)及び弁論の全趣旨によれば,原告らは,かかる差別的取扱いにより精神的苦痛を被っていることが認められる。そして,原告らの受けた差別的取扱いの内容,期間,その他本件に表れた一切の事情を総合考慮すると,その精神的苦痛を慰謝するに足りる金員は,原告P2について200万円,その余の原告らについて各300万円が相当である。
(3) 弁護士費用
前認定の損害額や本件訴訟の経過,難易度等を総合考慮すると,原告らが本件と相当因果関係を有する弁護士費用として被告に賠償を求め得るのは,原告P2について20万円,その余の原告らについて各30万円が相当である。
(4) 以上によれば,被告は,原告らに対し,不法行為に基づく損害賠償として,別紙1債権目録の各原告に対応する認容額欄記載の金員及び各金員に対する各対応の遅延損害金起算日欄記載の日(原告らが不法行為の後の日として特定する日)から各支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を賠償すべきである。
第4  よって,原告らの請求は,上記の限度で理由があるからこれを認容し,その余の請求をいずれも棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 島田清次郎 裁判官 池上尚子 裁判官 平城恭子)

別紙1  債権目録

請求額 認容額 遅延損害金起算日
原告P1  1829万3421円  330万円  平成13年4月1日
原告P2   897万1313円  220万円  平成9年10月1日
原告P3  1148万7288円  330万円  平成12年4月1日
原告P4  1550万5255円  330万円  平成12年7月1日
原告P5  1466万0856円  330万円  平成12年7月1日


「選挙 公報 広報 ポスター ビラ」に関する裁判例一覧
(1)令和元年 5月24日  東京地裁  平28(ワ)17007号 選挙供託金制度違憲国家賠償請求事件
(2)平成30年 7月25日  東京高裁  平30(行ケ)8号 裁決取消請求事件
(3)平成30年 7月20日  福岡地裁久留米支部  平28(ワ)69号 損害賠償請求事件
(4)平成30年 7月18日  大阪地裁  平28(ワ)3174号 懲戒処分無効確認請求事件
(5)平成30年 4月11日  知財高裁  平29(行ケ)10161号 審決取消請求事件
(6)平成29年12月22日  東京地裁  平27(行ウ)706号・平28(行ウ)585号 各公文書非公開処分取消等請求事件
(7)平成29年10月11日  東京地裁  平28(ワ)38184号 損害賠償請求事件
(8)平成29年 8月29日  知財高裁  平28(行ケ)10271号 審決取消請求事件
(9)平成29年 7月12日  広島高裁松江支部  平28(行コ)4号 市庁舎建築に関する公金支出等差止請求控訴事件
(10)平成29年 4月21日  東京地裁  平26(ワ)29244号 損害賠償請求事件
(11)平成28年 9月16日  福岡高裁那覇支部  平28(行ケ)3号 地方自治法251条の7第1項の規定に基づく不作為の違法確認請求事件
(12)平成28年 8月29日  徳島地裁  平27(ワ)138号 損害賠償等請求事件
(13)平成28年 5月17日  広島高裁  平28(行ケ)1号 裁決取消請求事件
(14)平成27年12月22日  東京高裁  平26(ネ)5388号 損害賠償請求控訴事件
(15)平成27年 3月31日  東京地裁  平26(行ウ)299号 投票効力無効取消等請求事件
(16)平成26年 9月25日  東京地裁  平21(ワ)46404号・平22(ワ)16316号 損害賠償(株主代表訴訟)請求事件(第2事件)、損害賠償(株主代表訴訟)請求事件(第3事件)
(17)平成26年 9月11日  知財高裁  平26(行ケ)10092号 審決取消請求事件
(18)平成26年 5月16日  東京地裁  平24(行ウ)667号 損害賠償履行請求事件(住民訴訟)
(19)平成26年 3月11日  東京地裁  平25(ワ)11889号 損害賠償等請求事件
(20)平成26年 3月 4日  東京地裁  平25(行ウ)9号 公文書不開示処分取消等請求事件
(21)平成25年11月29日  東京地裁  平25(ワ)18098号 被選挙権侵害による損害賠償請求事件
(22)平成25年10月16日  東京地裁  平23(行ウ)292号 報酬返還請求事件
(23)平成25年 9月27日  大阪高裁  平25(行コ)45号 選挙権剥奪違法確認等請求控訴事件
(24)平成25年 8月 5日  東京地裁  平25(ワ)8154号 発信者情報開示請求事件
(25)平成25年 3月14日  東京地裁  平23(行ウ)63号 選挙権確認請求事件 〔成年被後見人選挙件確認訴訟・第一審〕
(26)平成24年12月 6日  東京地裁  平23(行ウ)241号 過料処分取消請求事件
(27)平成24年 8月10日  東京地裁  平24(ワ)17088号 損害賠償請求事件
(28)平成24年 7月19日  東京地裁  平24(行ウ)8号 個人情報非開示決定処分取消請求事件
(29)平成24年 7月10日  東京地裁  平23(ワ)8138号 損害賠償請求事件
(30)平成24年 7月10日  東京地裁  平23(ワ)30770号 損害賠償請求事件
(31)平成24年 2月29日  東京地裁  平21(行ウ)585号 公金支出差止請求事件
(32)平成23年 5月11日  神戸地裁  平21(行ウ)4号 政務調査費違法支出返還請求事件
(33)平成23年 4月26日  東京地裁  平22(行ウ)162号・平22(行ウ)448号・平22(行ウ)453号 在外日本人国民審査権確認等請求事件(甲事件)、在外日本人国民審査権確認等請求事件(乙事件)、在外日本人国民審査権確認等請求事件(丙事件)
(34)平成22年11月30日  京都地裁  平20(行ウ)28号・平20(行ウ)46号 債務不存在確認等請求本訴、政務調査費返還請求反訴事件
(35)平成22年11月29日  東京高裁  平22(行ケ)26号 裁決取消、選挙無効確認請求事件
(36)平成22年11月24日  岐阜地裁  平22(行ウ)2号 個人情報非開示決定処分取消及び個人情報開示処分義務付け請求事件
(37)平成22年11月24日  岐阜地裁  平22(行ウ)1号 行政文書非公開決定処分取消及び行政文書公開処分義務付け請求事件
(38)平成22年11月 9日  東京地裁  平21(行ウ)542号 政務調査費返還(住民訴訟)請求事件
(39)平成22年 9月14日  神戸地裁  平21(行ウ)20号 公文書非公開定取消請求事件 〔兵庫県体罰情報公開訴訟・第一審〕
(40)平成22年 5月26日  東京地裁  平21(ワ)27218号 損害賠償請求事件
(41)平成22年 3月31日  東京地裁  平21(行ウ)259号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(42)平成22年 2月 3日  東京高裁  平21(行ケ)30号 選挙無効請求事件
(43)平成20年11月28日  東京地裁  平20(行ウ)114号 政務調査費返還命令処分取消請求事件
(44)平成20年11月17日  知財高裁  平19(行ケ)10433号 審決取消請求事件
(45)平成20年11月11日  仙台高裁  平20(行コ)13号 政務調査費返還代位請求控訴事件
(46)平成20年 3月14日  和歌山地裁田辺支部  平18(ワ)167号 債務不存在確認等請求事件
(47)平成19年11月22日  仙台高裁  平19(行ケ)2号 裁決取消等請求事件
(48)平成19年 9月 7日  福岡高裁  平18(う)116号 公職選挙法違反被告事件
(49)平成19年 7月26日  東京地裁  平19(行ウ)55号 公文書非開示決定処分取消請求事件
(50)平成19年 3月13日  静岡地裁沼津支部  平17(ワ)21号 損害賠償請求事件
(51)平成18年12月13日  名古屋高裁  平18(行ケ)4号 選挙の効力に関する裁決取消請求事件
(52)平成18年11月 6日  高松高裁  平18(行ケ)2号 裁決取消請求事件
(53)平成18年 8月10日  大阪地裁  平18(行ウ)75号 行政文書不開示決定処分取消請求事件
(54)平成18年 6月20日  京都地裁  平16(行ウ)40号 地労委任命処分取消等請求事件
(55)平成18年 1月20日  大阪地裁  平13(行ウ)47号・平13(行ウ)53号・平13(行ウ)54号・平13(行ウ)55号・平13(行ウ)56号・平13(行ウ)57号・平13(行ウ)58号・平13(行ウ)59号・平13(行ウ)60号・平13(行ウ)61号 障害基礎年金不支給決定取消等請求事件 〔学生無年金障害者訴訟〕
(56)平成17年 9月14日  最高裁大法廷  平13(行ヒ)77号・平13(行ツ)83号・平13(行ツ)82号・平13(行ヒ)76号 在外日本人選挙権剥奪違法確認等請求事件 〔在外選挙権最高裁大法廷判決〕
(57)平成17年 8月31日  東京地裁  平17(行ウ)78号 供託金返還等請求事件
(58)平成17年 7月 6日  大阪地裁  平15(ワ)13831号 損害賠償請求事件 〔中国残留孤児国賠訴訟〕
(59)平成17年 1月27日  名古屋地裁  平16(行ウ)26号 調整手当支給差止請求事件
(60)平成16年 3月29日  神戸地裁姫路支部  平10(ワ)686号 新日本製鐵思想差別損害賠償請求事件
(61)平成16年 1月16日  東京地裁  平14(ワ)15520号 損害賠償請求事件
(62)平成15年12月15日  大津地裁  平14(行ウ)8号 損害賠償請求事件
(63)平成15年12月 4日  福岡高裁  平15(行ケ)6号 佐賀市議会議員選挙無効裁決取消請求事件 〔党派名誤記市議会議員選挙無効裁決取消請求事件〕
(64)平成15年10月28日  東京高裁  平15(行ケ)1号 商標登録取消決定取消請求事件
(65)平成15年10月28日  東京高裁  平14(行ケ)615号 商標登録取消決定取消請求事件
(66)平成15年10月28日  東京高裁  平14(行ケ)614号 商標登録取消決定取消請求事件 〔刀剣と歴史事件〕
(67)平成15年10月16日  東京高裁  平15(行ケ)349号 審決取消請求事件 〔「フォルッアジャパン/がんばれ日本」不使用取消事件〕
(68)平成15年 9月30日  札幌地裁  平15(わ)701号 公職選挙法違反被告事件
(69)平成15年 7月 1日  東京高裁  平14(行ケ)3号 審決取消請求事件 〔ゲーム、パチンコなどのネットワーク伝送システム装置事件〕
(70)平成15年 6月18日  大阪地裁堺支部  平12(ワ)377号 損害賠償請求事件 〔大阪いずみ市民生協(内部告発)事件〕
(71)平成15年 3月28日  名古屋地裁  平7(ワ)3237号 出向無効確認請求事件 〔住友軽金属工業(スミケイ梱包出向)事件〕
(72)平成15年 3月26日  宇都宮地裁  平12(行ウ)8号 文書非開示決定処分取消請求事件
(73)平成15年 2月10日  大阪地裁  平12(ワ)6589号 損害賠償請求事件 〔不安神経症患者による選挙権訴訟・第一審〕
(74)平成15年 1月31日  名古屋地裁  平12(行ウ)59号 名古屋市公金違法支出金返還請求事件 〔市政調査研究費返還請求住民訴訟事件〕
(75)平成14年 8月27日  東京地裁  平9(ワ)16684号・平11(ワ)27579号 損害賠償等請求事件 〔旧日本軍の細菌兵器使用事件・第一審〕
(76)平成14年 7月30日  最高裁第一小法廷  平14(行ヒ)95号 選挙無効確認請求事件
(77)平成14年 5月10日  静岡地裁  平12(行ウ)13号 労働者委員任命処分取消等請求事件
(78)平成14年 4月26日  東京地裁  平14(ワ)1865号 慰謝料請求事件
(79)平成14年 4月22日  大津地裁  平12(行ウ)7号・平13(行ウ)1号 各損害賠償請求事件
(80)平成14年 3月26日  東京地裁  平12(行ウ)256号・平12(行ウ)261号・平12(行ウ)262号・平12(行ウ)263号・平12(行ウ)264号・平12(行ウ)265号・平12(行ウ)266号・平12(行ウ)267号・平12(行ウ)268号・平12(行ウ)269号・平12(行ウ)270号・平12(行ウ)271号・平12(行ウ)272号・平12(行ウ)273号・平12(行ウ)274号・平12(行ウ)275号・平12(行ウ)276号・平12(行ウ)277号・平12(行ウ)278号・平12(行ウ)279号・平12(行ウ)280号 東京都外形標準課税条例無効確認等請求事件
(81)平成13年12月19日  神戸地裁  平9(行ウ)46号 公金違法支出による損害賠償請求事件
(82)平成13年12月18日  最高裁第三小法廷  平13(行ツ)233号 選挙無効請求事件
(83)平成13年 4月25日  東京高裁  平12(行ケ)272号 選挙無効請求事件
(84)平成13年 3月15日  静岡地裁  平9(行ウ)6号 公費違法支出差止等請求事件
(85)平成12年10月 4日  東京地裁  平9(ワ)24号 損害賠償請求事件
(86)平成12年 9月 5日  福島地裁  平10(行ウ)9号 損害賠償代位請求事件
(87)平成12年 3月 8日  福井地裁  平7(行ウ)4号 仮換地指定処分取消請求事件
(88)平成11年 5月19日  青森地裁  平10(ワ)307号・平9(ワ)312号 定時総会決議無効確認請求、損害賠償請求事件
(89)平成11年 5月12日  名古屋地裁  平2(行ウ)7号 労働者委員任命取消等請求事件
(90)平成10年10月 9日  東京高裁  平8(行ケ)296号 選挙無効請求事件 〔衆議院小選挙区比例代表並立制選挙制度違憲訴訟・第一審〕
(91)平成10年 9月21日  東京高裁  平10(行ケ)121号 選挙無効請求事件
(92)平成10年 5月14日  津地裁  平5(ワ)82号 謝罪広告等請求事件
(93)平成10年 4月22日  名古屋地裁豊橋支部  平8(ワ)142号 損害賠償請求事件
(94)平成10年 3月26日  名古屋地裁  平3(ワ)1419号・平2(ワ)1496号・平3(ワ)3792号 損害賠償請求事件 〔青春を返せ名古屋訴訟判決〕
(95)平成10年 1月27日  横浜地裁  平7(行ウ)29号 分限免職処分取消等請求 〔神奈川県教委(県立外語短大)事件・第一審〕
(96)平成 9年 3月18日  大阪高裁  平8(行コ)35号 供託金返還請求控訴事件
(97)平成 8年11月22日  東京地裁  平4(行ウ)79号・平4(行ウ)75号・平4(行ウ)15号・平3(行ウ)253号 強制徴兵徴用者等に対する補償請求等事件
(98)平成 8年 8月 7日  神戸地裁  平7(行ウ)41号 選挙供託による供託金返還請求事件
(99)平成 8年 3月25日  東京地裁  平6(行ウ)348号 損害賠償請求事件
(100)平成 7年 2月22日  東京地裁  昭49(ワ)4723号 損害賠償請求事件 〔全税関東京損害賠償事件〕


■選挙の種類一覧
選挙①【衆議院議員総選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙②【参議院議員通常選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙③【一般選挙(地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙④【特別選挙(国政選挙|地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)


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(1)政治活動/選挙運動ポスター貼り ☆祝!勝つ!広報活動・事前街頭(単独/二連)選挙ポスター!
勝つ!選挙広報支援事前ポスター 政治選挙新規掲示ポスター貼付! 1枚から貼る事前選挙ポスター!
「政治活動・選挙運動ポスターを貼りたい!」という選挙立候補(予定)者のための、選挙広報支援プロ集団「選挙.WIN!」の事前街頭ポスター新規掲示プランです。

(2)圧倒的に政界No.1を誇る実績! 政治ポスター(演説会告知|政党|個人|二連三連)掲示交渉実績!
地獄のポスター貼りやります! ドブ板選挙ポスタリストが貼る! ポスター掲示交渉実績を大公開!
政治ポスター貼りドットウィン!「ドブ板選挙を戦い抜く覚悟のあなたをぜひ応援したい!」事前街頭PRおよび選挙広報支援コンサルティング実績!

(3)今すぐ無料でお見積りのご相談 ☆大至急スピード無料見積もり!選挙広報支援プランご提案
ポスター掲示難易度ランク調査 ご希望のエリア/貼付箇所/貼付枚数 ☏03-3981-2990✉info@senkyo.win
「政治活動用のポスター貼り代行」や「選挙広報支援プラン」の概算お見積りがほしいというお客様に、選挙ドットウィンの公職選挙法に抵触しない広報支援プランのご提案が可能です。

(4)政界初!世界発!「ワッポン」 選挙管理委員会の認証確認済みPR型「ウィン!ワッポン」
完全無料使い放題でご提供可能! 外壁街頭ポスター掲示貼付ツール 1枚から対応/大至急/一斉貼付け!
「ガンガン注目される訴求型PRポスターを貼りたい!」というお客様に、選挙ドットウィンの「ウィン!ワッポン」を完全無料使い放題でご提供する、究極の広報支援ポスター新規掲示プランです。

(5)選べるドブ板選挙広報支援一覧 選挙.WIN!豊富な選挙立候補(予定)者広報支援プラン一覧!
政治家/選挙立候補予定者広報支援 祝!当選!選挙広報支援プロ集団 世のため人のため「SENKYO.WIN」
アポイントメント獲得代行/後援会イベントセミナー集客代行/組織構築支援/党員募集獲得代行(所属党本部要請案件)/演説コンサルティング/候補者ブランディング/敵対陣営/ネガティブキャンペーン(対策/対応)

(6)握手代行/戸別訪問/ご挨拶回り 御用聞きによる戸別訪問型ご挨拶回り代行をいたします!
ポスター掲示交渉×戸別訪問ご挨拶 100%のリーチ率で攻める御用聞き 1軒でも行くご挨拶訪問交渉支援
ご指定の地域(ターゲットエリア)の個人宅(有権者)を1軒1軒ご訪問し、ビラ・チラシの配布およびアンケート解答用紙の配布収集等の戸別訪問型ポスター新規掲示依頼プランです。

(7)地域密着型ポスターPR広告貼り 地域密着型ポスターPR広告(街頭外壁掲示許可交渉代行)
街頭外壁掲示許可交渉代行/全業種 期間限定!貴社(貴店)ポスター貼り サイズ/枚数/全国エリア対応可能!
【対応可能な業種リスト|名称一覧】地域密着型ポスターPR広告(街頭外壁掲示許可交渉代行)貼り「ガンガン注目される訴求型PRポスターを貼りたい!」街頭外壁掲示ポスター新規掲示プランです。

(8)貼る専門!ポスター新規掲示! ☆貼!勝つ!広報活動・事前街頭(単独/二連)選挙ポスター!
政治活動/選挙運動ポスター貼り 勝つ!選挙広報支援事前ポスター 1枚から貼る事前選挙ポスター!
「政治活動・選挙運動ポスターを貼りたい!」という選挙立候補(予定)者のための、選挙広報支援プロ集団「選挙.WIN!」の事前街頭ポスター新規掲示プランです。

(9)選挙立札看板設置/証票申請代行 絶対ここに設置したい!選挙立札看板(選挙事務所/後援会連絡所)
選挙事務所/後援会連絡所届出代行 公職選挙法の上限/立て札看板設置 1台から可能な選挙立札看板設置
最強の立札看板設置代行/広報(公報)支援/選挙立候補者後援会立札看板/選挙立候補者連絡所立札看板/政治活動用事務所に掲示する立て札・看板/証票申請代行/ガンガン独占設置!


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