【選挙から学ぶ判例】crps 裁判例 lgbt 裁判例 nda 裁判例 nhk 裁判例 nhk 受信料 裁判例 pl法 裁判例 pta 裁判例 ptsd 裁判例 アメリカ 裁判例 検索 オーバーローン 財産分与 裁判例 クレーマー 裁判例 クレプトマニア 裁判例 サブリース 裁判例 ストーカー 裁判例 セクシャルハラスメント 裁判例 せクハラ 裁判例 タイムカード 裁判例 タイムスタンプ 裁判例 ドライブレコーダー 裁判例 ノンオペレーションチャージ 裁判例 ハーグ条約 裁判例 バイトテロ 裁判例 パタハラ 裁判例 パブリシティ権 裁判例 ハラスメント 裁判例 パワーハラスメント 裁判例 パワハラ 裁判例 ファクタリング 裁判例 プライバシー 裁判例 プライバシーの侵害 裁判例 プライバシー権 裁判例 ブラックバイト 裁判例 ベネッセ 裁判例 ベルシステム24 裁判例 マタニティハラスメント 裁判例 マタハラ 裁判例 マンション 騒音 裁判例 メンタルヘルス 裁判例 モラハラ 裁判例 モラルハラスメント 裁判例 リストラ 裁判例 リツイート 名誉毀損 裁判例 リフォーム 裁判例 遺言 解釈 裁判例 遺言 裁判例 遺言書 裁判例 遺言能力 裁判例 引き抜き 裁判例 営業秘密 裁判例 応召義務 裁判例 応用美術 裁判例 横浜地裁 裁判例 過失割合 裁判例 過労死 裁判例 介護事故 裁判例 会社法 裁判例 解雇 裁判例 外国人労働者 裁判例 学校 裁判例 学校教育法施行規則第48条 裁判例 学校事故 裁判例 環境権 裁判例 管理監督者 裁判例 器物損壊 裁判例 基本的人権 裁判例 寄与分 裁判例 偽装請負 裁判例 逆パワハラ 裁判例 休業損害 裁判例 休憩時間 裁判例 競業避止義務 裁判例 教育を受ける権利 裁判例 脅迫 裁判例 業務上横領 裁判例 近隣トラブル 裁判例 契約締結上の過失 裁判例 原状回復 裁判例 固定残業代 裁判例 雇い止め 裁判例 雇止め 裁判例 交通事故 過失割合 裁判例 交通事故 裁判例 交通事故 裁判例 検索 公共の福祉 裁判例 公序良俗違反 裁判例 公図 裁判例 厚生労働省 パワハラ 裁判例 行政訴訟 裁判例 行政法 裁判例 降格 裁判例 合併 裁判例 婚約破棄 裁判例 裁判員制度 裁判例 裁判所 知的財産 裁判例 裁判例 データ 裁判例 データベース 裁判例 データベース 無料 裁判例 とは 裁判例 とは 判例 裁判例 ニュース 裁判例 レポート 裁判例 安全配慮義務 裁判例 意味 裁判例 引用 裁判例 引用の仕方 裁判例 引用方法 裁判例 英語 裁判例 英語で 裁判例 英訳 裁判例 閲覧 裁判例 学説にみる交通事故物的損害 2-1 全損編 裁判例 共有物分割 裁判例 刑事事件 裁判例 刑法 裁判例 憲法 裁判例 検査 裁判例 検索 裁判例 検索方法 裁判例 公開 裁判例 公知の事実 裁判例 広島 裁判例 国際私法 裁判例 最高裁 裁判例 最高裁判所 裁判例 最新 裁判例 裁判所 裁判例 雑誌 裁判例 事件番号 裁判例 射程 裁判例 書き方 裁判例 書籍 裁判例 商標 裁判例 消費税 裁判例 証拠説明書 裁判例 証拠提出 裁判例 情報 裁判例 全文 裁判例 速報 裁判例 探し方 裁判例 知財 裁判例 調べ方 裁判例 調査 裁判例 定義 裁判例 東京地裁 裁判例 同一労働同一賃金 裁判例 特許 裁判例 読み方 裁判例 入手方法 裁判例 判決 違い 裁判例 判決文 裁判例 判例 裁判例 判例 違い 裁判例 百選 裁判例 表記 裁判例 別紙 裁判例 本 裁判例 面白い 裁判例 労働 裁判例・学説にみる交通事故物的損害 2-1 全損編 裁判例・審判例からみた 特別受益・寄与分 裁判例からみる消費税法 裁判例とは 裁量労働制 裁判例 財産分与 裁判例 産業医 裁判例 残業代未払い 裁判例 試用期間 解雇 裁判例 持ち帰り残業 裁判例 自己決定権 裁判例 自転車事故 裁判例 自由権 裁判例 手待ち時間 裁判例 受動喫煙 裁判例 重過失 裁判例 商法512条 裁判例 証拠説明書 記載例 裁判例 証拠説明書 裁判例 引用 情報公開 裁判例 職員会議 裁判例 振り込め詐欺 裁判例 身元保証 裁判例 人権侵害 裁判例 人種差別撤廃条約 裁判例 整理解雇 裁判例 生活保護 裁判例 生存権 裁判例 生命保険 裁判例 盛岡地裁 裁判例 製造物責任 裁判例 製造物責任法 裁判例 請負 裁判例 税務大学校 裁判例 接見交通権 裁判例 先使用権 裁判例 租税 裁判例 租税法 裁判例 相続 裁判例 相続税 裁判例 相続放棄 裁判例 騒音 裁判例 尊厳死 裁判例 損害賠償請求 裁判例 体罰 裁判例 退職勧奨 違法 裁判例 退職勧奨 裁判例 退職強要 裁判例 退職金 裁判例 大阪高裁 裁判例 大阪地裁 裁判例 大阪地方裁判所 裁判例 大麻 裁判例 第一法規 裁判例 男女差別 裁判例 男女差别 裁判例 知財高裁 裁判例 知的財産 裁判例 知的財産権 裁判例 中絶 慰謝料 裁判例 著作権 裁判例 長時間労働 裁判例 追突 裁判例 通勤災害 裁判例 通信の秘密 裁判例 貞操権 慰謝料 裁判例 転勤 裁判例 転籍 裁判例 電子契約 裁判例 電子署名 裁判例 同性婚 裁判例 独占禁止法 裁判例 内縁 裁判例 内定取り消し 裁判例 内定取消 裁判例 内部統制システム 裁判例 二次創作 裁判例 日本郵便 裁判例 熱中症 裁判例 能力不足 解雇 裁判例 脳死 裁判例 脳脊髄液減少症 裁判例 派遣 裁判例 判決 裁判例 違い 判決 判例 裁判例 判例 と 裁判例 判例 裁判例 とは 判例 裁判例 違い 秘密保持契約 裁判例 秘密録音 裁判例 非接触事故 裁判例 美容整形 裁判例 表現の自由 裁判例 表明保証 裁判例 評価損 裁判例 不正競争防止法 営業秘密 裁判例 不正競争防止法 裁判例 不貞 慰謝料 裁判例 不貞行為 慰謝料 裁判例 不貞行為 裁判例 不当解雇 裁判例 不動産 裁判例 浮気 慰謝料 裁判例 副業 裁判例 副業禁止 裁判例 分掌変更 裁判例 文書提出命令 裁判例 平和的生存権 裁判例 別居期間 裁判例 変形労働時間制 裁判例 弁護士会照会 裁判例 法の下の平等 裁判例 法人格否認の法理 裁判例 法務省 裁判例 忘れられる権利 裁判例 枕営業 裁判例 未払い残業代 裁判例 民事事件 裁判例 民事信託 裁判例 民事訴訟 裁判例 民泊 裁判例 民法 裁判例 無期転換 裁判例 無断欠勤 解雇 裁判例 名ばかり管理職 裁判例 名義株 裁判例 名古屋高裁 裁判例 名誉棄損 裁判例 名誉毀損 裁判例 免責不許可 裁判例 面会交流 裁判例 約款 裁判例 有給休暇 裁判例 有責配偶者 裁判例 予防接種 裁判例 離婚 裁判例 立ち退き料 裁判例 立退料 裁判例 類推解釈 裁判例 類推解釈の禁止 裁判例 礼金 裁判例 労災 裁判例 労災事故 裁判例 労働基準法 裁判例 労働基準法違反 裁判例 労働契約法20条 裁判例 労働裁判 裁判例 労働時間 裁判例 労働者性 裁判例 労働法 裁判例 和解 裁判例

「選挙 ビラ チラシ」に関する裁判例(12)平成18年 4月14日  名古屋地裁  平16(ワ)695号・平16(ワ)1458号・平16(ワ)2632号・平16(ワ)4887号・平17(ワ)2956号 自衛隊のイラク派兵差止等請求事件

「選挙 ビラ チラシ」に関する裁判例(12)平成18年 4月14日  名古屋地裁  平16(ワ)695号・平16(ワ)1458号・平16(ワ)2632号・平16(ワ)4887号・平17(ワ)2956号 自衛隊のイラク派兵差止等請求事件

裁判年月日  平成18年 4月14日  裁判所名  名古屋地裁  裁判区分  判決
事件番号  平16(ワ)695号・平16(ワ)1458号・平16(ワ)2632号・平16(ワ)4887号・平17(ワ)2956号
事件名  自衛隊のイラク派兵差止等請求事件
裁判結果  一部却下、一部棄却  文献番号  2006WLJPCA04149003

要旨
◆イラク人道復興支援特措法による自衛隊派遣が争われた事例。当該派遣は行政上の権限で公権力の行使を本質的内容とするものであるから、私法上の差止請求権は生じない。また本件差止請求のごとき訴訟を許容する法令は存在せず、民衆訴訟としても不適法である。当該派遣の違憲確認請求は、当事者間の具体的権利義務に関する紛争でないため、裁判所法三条一項の法律上の争訟に当たらない。さらに平和的生存権は具体的権利といい得ず、また当該派遣に伴う精神的苦痛は、間接民主制の下における政策批判等によって回復されるべきか、又は受任されるべきものであり、具体的権利ないし法的保護に値する利益といえないため、国家賠償請求は認められない。

裁判経過
控訴審 平成20年 4月17日 名古屋高裁 判決 平18(ネ)499号 自衛隊のイラク派兵差止等請求控訴事件

出典
裁判所ウェブサイト

参照条文
国際連合憲章前文前文
国際連合憲章2条3項
国際連合憲章2条4項
国際連合憲章42条
日本国憲法前文前文
日本国憲法9条
日本国憲法13条
日本国憲法32条
行政事件訴訟法2条
行政事件訴訟法5条
行政事件訴訟法42条
裁判所法3条1項
イラク特措法
国家賠償法1条1項

裁判年月日  平成18年 4月14日  裁判所名  名古屋地裁  裁判区分  判決
事件番号  平16(ワ)695号・平16(ワ)1458号・平16(ワ)2632号・平16(ワ)4887号・平17(ワ)2956号
事件名  自衛隊のイラク派兵差止等請求事件
裁判結果  一部却下、一部棄却  文献番号  2006WLJPCA04149003

主文
1  別紙原告目録6に記載の原告らの本件訴えのうち損害賠償請求に係る部分を除く訴えをいずれも却下する。
2  前項の原告らのその余の請求及びその余の原告らの請求をいずれも棄却する。
3  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由
第1  請求
1  別紙原告目録6に記載の原告ら(以下「原告A1ら」という。)の請求
(1)  被告は,「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」により,自衛隊をイラク及びその周辺地域並びに周辺海域に派遣してはならない。
(2)  被告が「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」により,自衛隊をイラク及びその周辺地域に派遣したことは,違憲であることを確認する。
2  原告ら全員の請求
被告は,原告らそれぞれに対し,各1万円を支払え。
第2  事案の概要
本件は,被告が「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」(以下「イラク人道復興支援特措法」という。)に基づきイラク及びその周辺地域に自衛隊を派遣したこと(以下「本件派遣」という。また,以下,イラク及びその周辺地域のことを単に「イラク」ということがある。)は違憲であるとする原告らが,本件派遣によって平和的生存権ないしその一内容としての「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」等(以下,一括して「平和的生存権等」ということがある。)を侵害されたとして,国家賠償法1条1項に基づき,各自それぞれ1万円の損害賠償を請求するとともに(以下「本件国家賠償請求」という。),原告A1らにおいて,本件派遣をしてはならないこと(以下「本件差止請求」という。)及び本件派遣が憲法9条に反し違憲であることの確認(以下「本件違憲確認請求」という。)を求めた事案である。
1  前提事実(当裁判所に顕著な事実等)
平成15年7月26日,第156回国会において,イラク人道復興支援特措法が可決され,同年8月1日,公布,施行された。
被告は,イラク人道復興支援特措法に基づき,同法に基づく人道復興支援活動又は安全確保支援活動(以下「対応措置」という。)に関する基本計画を閣議決定し,航空自衛隊,陸上自衛隊及び海上自衛隊にその準備命令を発し,航空自衛隊先遣隊をクウェート,カタールに派遣し,陸上自衛隊本隊をイラク南部サマワに派遣するなど,航空自衛隊,陸上自衛隊及び海上自衛隊を順次イラクへ派遣した。
2  原告らの主張(ただし,本件差止請求及び本件違憲確認請求のみに関する主張は,原告A1らの主張である。)
(1)  イラク戦争について
ア 開戦前のイラク
(ア) イラクは,その全人口の半数を15歳以下の子供たちが占めており,子供がとてもたくさんいる国という側面を有するが,湾岸戦争後の経済制裁により,この10年余りの間に多くの子供たちが命を落としてきた。
(イ) また,湾岸戦争の際,アメリカによってイラク全土に500トンから800トンもの劣化ウラン弾が投下され,その放射能汚染によって多くの市民が被曝し,数え切れない子供たちが死んでいった。
劣化ウランとは,ウランの濃縮過程で生じる放射性廃棄物であるが,鉛や鉄と比較して比重が大きく貫通力や殺傷力が高い上,廃棄物という性質上極めて安価であることから軍事兵器として利用されている。劣化ウランの放射線量は天然ウラン60パーセントに相当し,小さな粒子として体内に入ると,癌,白血病,リンパ腫,先天性障害等様々な疾病,障害を伴う極めて深刻な体内被曝を引き起こす。そして,その半減期は約45億年といわれ,半永久的にイラクの土地及びイラクで暮らす人々に放射線をあびせ続ける。
イラクでは湾岸戦争から12年がたった今日,先天性障害を持って生まれる子供の数は約7倍に増加し,南部バスラでは,癌発症数が約10倍,癌による死亡者数が約20倍,15歳以下の子供の発癌率は約3倍強,白血病の発症数は約2倍に増加している。
イラク戦争では,10年以上にわたり経済制裁や劣化ウラン弾等の被害により苦しんできたイラクの国民の上に,再び大量の爆弾が投下され,銃口が向けられたのである。
イ イラク戦争の実態と占領下のイラク
(ア) イラク戦争は,平成15年3月20日,イラクの首都バグダッドへの空爆によって始められた。イギリスの非政府組織(NGO。以下「NGO」という。)であるイラク・ボディ・カウントの発表によれば,イラク兵士の死傷者数は,戦闘終結後の段階で1万人以上,戦後2か月の段階ではイラク人民間人の被害が最低でも5000人と推計されている。
イラク戦争では,劣化ウラン弾をはじめ,クラスター爆弾,バンカーバスター,デージーカッター等,様々な大量破壊兵器が用いられ,多くのイラク市民が犠牲になった。特に,劣化ウラン弾については,アメリカが公式に認めているだけでも500トン,実際は1100トンから2200トンにまで及ぶともいわれており,湾岸戦争をはるかに上回る量が使用された。湾岸戦争後の放射能汚染だけでも既に甚大な被害をもたらしているのに,米英軍は,さらに大規模かつ半永久的な放射能汚染をイラクの地に生じさせたのである。
(イ) そもそも,米英がこのイラク戦争開戦に踏み切った理由は,イラクが大量破壊兵器を保有しているということにあった。
しかし,平成16年7月9日のアメリカ上院情報特別委員会報告書,同年7月14日のイギリス独立調査委員会報告書,同年10月6日のアメリカの「イラクの大量破壊兵器に関する調査団」最終報告,平成17年3月31日のアメリカ独立調査委員会最終報告書のいずれにおいても,開戦当時,イラクに大量破壊兵器はなかった,若しくは,あったとする米英情報機関の情報は極めて疑わしいとの調査結果が出されている。また,アメリカ国内でもイラク戦争に対する批判が高まり,平成17年12月14日,ブッシュ大統領はついに「イラク開戦に当たってのイラクの大量破壊兵器に関する機密情報が誤っていた。」ことを認めた。
今や,イラクが平成15年3月時点で大量破壊兵器を保有していた可能性は全くない。米英によるイラク攻撃が,大義無き侵略戦争そのものであったことは明白な事実である。
(ウ) 平成15年5月1日,アメリカのブッシュ大統領は,主要な戦闘の終結を宣言したが,米英軍は,その後もイラクを占領し続けている。
戦闘終結宣言後,復興人道支援局(ORHA。以下「ORHA」という。)がイラクを統治した後,連合国暫定施政当局(CPA。以下「CPA」という。)がこれを引き継ぐとともに,米英軍を中心とする第7連合統合任務軍(CJTF7。以下「占領軍」という。)がイラク全土で活動を続けた。CPAの主導権は米英が握っており,イラク人の自治はもちろん,国連の関与も及んでいない。
また,イラク復興事業は,米国際開発局(USAID)が取り仕切り,米国政権と極めてつながりの強い米企業等に復興事業を独占させるとともに,米軍はイラク占領を開始した当初から,イラクの石油省を警備し,石油利権を独占した。このCPAの占領政策は,イラク市民のために行われたものではなく,アメリカによるイラクの植民地化の過程であった。
(エ) 平成16年6月1日,イラク暫定政府が正式に発足した。そして,同月28日,CPAから暫定政府に対して主権移譲が行われた。
暫定政府に対しては,これまでの米英の直接統治ではなく,イラク人による統治となったことから,これを支持する声もあった。しかし,暫定政府閣僚は大統領,首相でさえも,イラク人が自ら選挙によって選んだ人物ではなく,CPA下に設置されたイラクの政治統治機関である統治評議会が選んだ人物であった。そのため,暫定政府の官僚には,首相となったアラウィをはじめ,イラク戦争以前にアメリカに協力して亡命したイラク人が多く起用されていた。
そして,イラクの主権がCPAからイラク暫定政府へ移譲された後も,米英は,国連安全保障理事会決議1546号により多国籍軍を発足させ,米英軍をはじめとする占領軍はイラクへの駐留を続けた。
(オ) イラクでは,占領が長期化するにつれ,占領軍・多国籍軍等と武装グループ等との衝突が増え,民間人及び占領軍・多国籍軍などが大勢死亡している。イラク全土は,今なお戦闘状態にあるのである。
占領軍・多国籍軍,特に米軍は,イラクの都市に対する武力勢力掃討作戦,理由のない身柄拘束や家宅捜索を行っている。武装勢力掃討作戦は,ファルージャ市,マハムディヤ地域,サーマッラ,中部ラマディ,モスル,バグダッド等において度々行われており,武装勢力とは全く無縁の市民が生活の本拠としている都市を包囲し,空爆を行い,ライフライン,医療支援を遮断し,多数のイラク人の命を奪っている。特に,バグダッドの西方約60キロメートルに位置する人口約30万人の都市であるファルージャ市においては,平成16年4月及び11月の2度にわたり掃討作戦が実施された。11月の掃討作戦では,市全体が徹底的に包囲され,多くの住民が殺害され,あるいは傷の手当てを受けることができないまま死亡し,市街地も破壊され,両作戦においては,明らかになっているだけでも,6000人以上の市民が米軍に虐殺された。
他方,武装グループも,占領軍,多国籍軍に対してだけでなく,イラク警察・イラク治安部隊,イラク暫定政府,多国籍軍の駐留に協力する民間業者,ジャーナリスト,モスクなどにその襲撃対象を広げている。
報道等によれば,開戦後の米軍死者数は,平成18年1月上旬までに2200人を超えたとされ,また,多国籍軍についても多数の死傷者が確認されている。警備会社従業員などの非軍人も多数犠牲になっているが,これをも含めた死傷者数は正確に把握されておらず,現在のイラクがどれだけ危険な状態なのか誰も把握することはできない。
また,開戦後,多数の民間人が犠牲となっており,イラク・ボディ・カウントの発表によれば,報道による死者は2万7387人から3万892人に上るが,報道されていない死者も多数存在するとされており,戦闘に巻き込まれた市民の被害は甚大である。
以上のように,今なお,イラク全土が戦闘状態にあることは明らかである。そして,サマワだけがイラク全土の中で例外的に「非戦闘地域」であるとする根拠はどこにもない。
(2)  本件派遣について
ア 自衛隊の派遣
日本政府は,平成15年12月26日,航空自衛隊から約50人の先遣隊をクウェート及びカタールへ派遣し,その後を追うように平成16年1月9日,陸上自衛隊から約30人の先遣隊をイラク南部サマワへ派遣した。また,同年2月20日には海上自衛隊からも輸送艦1隻と護送艦1隻をクウェートへ派遣した。
本件派遣は,まさに,CPAと占領軍の占領下にあるイラク,そしてそのイラクで占領軍が行動するために必要不可欠な近隣諸国(クウェート・カタール)に対して行われたのであり,その後,自衛隊は,国連安全保障理事会決議1546号によって発足した多国籍軍にも参加した。
イ 占領軍・多国籍軍における自衛隊の位置付け
(ア) 自衛隊は,占領軍の一員であったし,国運安全保障理事会決議1546号に基づく多国籍軍の一員である。
占領軍においては,平成16年2月20日発行の占領軍機関誌「シミタール」に,日本人が初めて連合軍に参加することが一面トップに記載されたほか,現在もイラクで活動を続けている多国籍軍は,そのホームページにおいて「27か国が,イラクにおいて進行中の治安維持活動に貢献している」として,日本の名前と国旗を紹介している。
(イ) 自衛隊は,多国籍軍,占領軍の一員としてその指揮下にある。
日本政府は,国会答弁において,多国籍軍の自衛隊に対する指揮権について,イラクに派遣された自衛隊の部隊は,イラク多国籍軍の中で,統合された司令部の下にあって,統合された司令部との間で連絡・調整を行うものの,その指揮下に入るわけではなく,我が国の主体的な判断の下に,我が国の指揮に従い,イラク人道復興支援特措法に規定する基本計画に基づき活動を実施するとして,自衛隊は多国籍軍の支配下にはないかのような答弁をしている。
しかし,軍隊における指揮とは,指揮下にある部隊の人事,管理,後方支援等を含めたすべてについての権限と責任を有するものとされているところ,多国籍軍の指揮権は,多国籍軍の作戦全体に及び,そこには物資輸送も含まれている。日本政府が自ら認めているように多国籍軍司令部と「連絡・調整を行う」ということは,とりもなおさずその指揮下に入ることにほかならないのである。
ウ 自衛隊の活動実態とその意味
(ア) 航空自衛隊の物資輸送
航空自衛隊は,占領軍・多国籍軍の武装兵士及び物資を輸送する役割を担っている。日本政府は,航空自衛隊は武器・弾薬を輸送しないとの方針を示しているが,米軍から託される搭載品にはラッピングが施され,自衛隊員が内容物を確認することはできず,航空自衛隊が武器・弾薬を輸送している可能性は否定できない。
このような航空自衛隊の役割は,いわゆる後方支援に当たる。
後方支援は,作戦に対して,基盤と可能性を付与するものであり,とりわけ,補給及び輸送の所要が極めて膨大である現代戦にとって不可欠である。特に,輸送は,作戦上に必要な部隊及び補給品等を適時適所に移動させることで,作戦そのものを左右する。
航空自衛隊は,人道復興支援ではなく,主に安全確保支援を行ってきたというべきであり,航空自衛隊が果たしている役割は,まさに占領軍・多国籍軍がイラクの人々に対して「武力行使」をするに当たって欠くことのできないものであり,占領軍・多国籍軍の指揮下で共に行動していると評価すべきである。
(イ) 陸上自衛隊の駐留
陸上自衛隊は,ムサンナ州の州都サマワに宿営地を設営し,平成16年2月27日,陸上自衛隊本体がサマワに入って以来,約550人の要員が順次交替しながら駐留を続けている。陸上自衛隊の宿営地は,約800メートル四方の土地を鉄条網で二重に囲み,堀や壕を掘り,施設の内外に赤外線センサーや監視カメラを設置するなど,軍隊の駐屯地そのものである。
日本政府は,本件派遣の目的を「人道復興支援活動」と主張しているが,そもそも自衛隊は,軍備を備えた自己完結的な組織であり,雇用をつくり出したり,医療支援を行うための組織ではなく,イラク市民のニーズである高い失業率の解消,医療体制の根本的復旧,劣化ウラン弾の除去と被爆治療などに応えることはできない。陸上自衛隊は,給水支援活動,道路の舗装,学校の補修を行ったとするが,例えば,陸上自衛隊が砂利舗装を行った道路をさらに外務省の資金援助により地元の業者がアスファルト舗装を行うなど,上記活動は,外務省からの資金援助でも十分に行うことができる。自衛隊が迷彩服を着て銃を片手に警戒しながら「復興支援」と称して活動している中身は全く空虚である。
他方,イラクに派遣される自衛隊員は,銃の水平射撃訓練,無反動砲など大型装備を用いた訓練を受けているほか,その装備も,防弾処置が強化された軽装甲機動車が持ち込まれ,同車両に搭載する機関銃は低空飛行機に対する対空砲としての役割を果たすなど,戦闘があることを前提とした装備が配備されている。
そして,平成16年4月から平成17年3月までの1年間に,明らかに陸上自衛隊の宿営地を狙った攻撃で報道されたものは10回に及ぶほか,日本において報道されていない攻撃,サマワ市内ないし近郊において多国籍軍を狙った攻撃も多数回に及んでいる。特に,平成17年1月11日の攻撃では,2回の攻撃のうちの1回は宿営地内に信管付きのロケット弾が着弾したもので,自衛隊を占領軍と名指しするサマワのサドル師派支持者が自ら実行したと表明した。
結局,陸上自衛隊がサマワに駐留を続けているのは,「土地に張り付く」ことそれ自体が多国籍軍としての役割を果たしているからにほかならない。すなわち,陸上戦力の本質的役割の第一は,「人間の支配」であり,またその手段としての「陸地の支配」であって,人間を支配するには,生活基盤を占領し,資源の使用を統制・支配して居住住民を権力下に入れなければならない。陸上戦力こそ「土地に張り付く」こと,すなわち占領及び確保が可能な戦力なのである。
陸上自衛隊が,イラクの民間人に直接銃を向けたことがないとしても,サマワに宿営地を築き,1年半以上にわたって駐留を続けていること自体が,占領軍・多国籍軍のサマワにおける存在を示すことであって重要なのである。この駐留の重要性は,たとえ陸上自衛隊が給水支援活動を行おうと,公共施設の補修を行おうと失われるものではない。陸上自衛隊は,駐留を継続することによって,占領軍・多国籍軍に参加し,その一員としての役割を果たしている。
(ウ) 本件派遣は,アメリカの同盟国であるための派兵である。
小泉首相は,本件派遣について,国際社会から信頼を得るためというが,当初,イラク戦争を支持していた国は,国連加盟国191か国のうち,わずか49か国であり,自衛隊を含め何らかの形でイラクに兵士を派遣した国は,37か国である。そして,最大1432人の兵士を派遣していたスぺイン,約1400人の兵士を派遣し,陸上自衛隊宿営地のあるサマワを含むムサンナ州の治安維持任務を担ってきたオランダを含む12か国が,既にイラクから撤退したほか,約3000人の兵士を派遣しているイタリアを含む6か国がイラクからの撤退を検討しており,イラクへ派兵を続ける国は世界の中でますます少数になっている。
国際社会に本当に信頼されたいのであれば,自衛隊の派遣などではなく,イラクの人々をはじめ,より多くの国々に支持を得られる形の支援をすべきである。
小泉首相は,「日米同盟,信頼関係を構築していくことは,これからも極めて重要なこと」などと述べており,本件派遣の実質が,まさにアメリカの同盟国として,イラクの占領に直接加担するものであることを自認している。
(エ) イラク戦争では,新たにたくさんのアメリカに対する「憎悪」が生まれた。その「憎悪」が,新たな暴力を生み,暴力の連鎖が生じたとき,もはやこれを止めることは困難である。自衛隊がイラクを「暴力」で支配している占領軍・多国籍軍の一員である以上,いくら「国際貢献」と取り繕ってみてもイラクでの新たな「憎悪」を生み出すことは必至である。
日本は,第二次世界大戦でアジア諸国を「暴力」で支配しようとし,多くの「憎悪」を生み,そして,アジア諸国と日本の人々に多大な犠牲を生じさせた。このようなことを二度と起こさぬよう,日本は「暴力」で他国を支配することを放棄し,非戦の誓いを立てた。私たちが,今まで非戦の誓いである憲法9条をまがりなりにも維持してきたのは,「暴力による支配」では何も解決しないことを,学んだ結果である。
本件派遣は,まさに,憲法9条を放棄し,再び「暴力による支配」を肯定し,それに直接加担することにほかならず,新たな憎悪の火種をつくりに行くだけである。
(3)  本件派遣の違憲性・違法性
ア 憲法9条の意義
(ア) 憲法は「国民」ではなく「国家」を規制する「法」である。
すなわち,歴史上,国家は,しばしば国民の自由を奪ってきたことへの反省から,国家の暴走によって国民の自由や基本権を侵害することがないように,国家を規制する目的で設けられたのが憲法であり,憲法は「国家」を暴走させない「安全装置」としての大事な役割を有する。
したがって,政府が憲法に反する行為をしているということは,国家が暴走しているということであって,まさに国民の自由や基本権が奪われ始めているということにほかならない。
(イ) 憲法9条は,日本がかつて「国益」と「自衛」を理由にアジア諸国を侵略し,世界中を戦渦に巻き込んだ反省から,二度と武力によって人々の命を奪うことのないよう設けられた。
すなわち,日本は,20世紀初め,無謀な戦争により2000万人に及ぶアジアの人々を殺し,300万人に上る日本の人々を犠牲にした。他国を武力で支配しようとしたために,他国のみならず自国の大勢の人の命と尊厳を奪った。この反省から,二度と武力の行使によって人々の命を奪わないことを誓ったのである。
そして,戦後の日本は二度と加害者にならないという誓いのとおり,一度も武力によって他国の人を殺したことのない歴史を刻んできた。
しかし,日本政府は,本件派遣により,二度と加害者にならないという誓いを放棄しようとし,日本国民は,再び人を殺し,殺されることを強いられようとしている。
イ 本件派遣の憲法9条違反
(ア) 憲法9条は,憲法制定当時の国会答弁等から明らかなように,立法者としても,憲法制定当時の日本政府としても,自衛戦争を含めて一切の戦争を放棄したものであると解釈され,自衛のための戦争及び陸海空軍に匹敵するような実力を保持することは,憲法9条に反すると考えられていた。そして,今もなお,上記解釈こそが本来的解釈であり,多数の国民によって支持されている。
この立場からは,自衛隊を持つことが既に憲法違反である以上,自衛隊を海外に派遣するイラク人道復興支援特措法が憲法に違反することは明らかである。
そして,イラク人道復興支援措置法は,その17条において自衛隊の武器の使用を認めている点において,憲法9条1項が禁止する「武力による威嚇」に該当するし,その3条3項において安全確保支援活動として「医療,輸送,保管(備蓄を含む。),通信,建設,修理若しくは整備,補給又は消毒」を実施するとしている点において,米英軍と一体となって軍事行動たる兵站活動を行うものとして憲法9条1項の禁止する「武力の行使」に該当する。また,憲法9条2項が否認する「交戦権」には,相手国領土の占領及び占領行政も含むところ,イラク人道復興支援特措法に基づく占領軍の指揮下における自衛隊の活動は「交戦権」の行使に該当する。
以上のように,イラク人道復興支援特措法は,違憲の自衛隊を実施主体とするという違憲性に加えて,憲法9条1項の「武力行使の禁止」及び「武力による威嚇の禁止」並びに同条2項の「交戦権の否認」に違反するという極めて重大な違憲性を持つのである。
憲法9条の本来的な解釈は,以上のとおりであるが,日本政府は,憲法制定後,今日に至るまでの間,その解釈を時代情勢に応じて変遷させてきた。しかし,憲法9条をいかに緩やかに解釈したとしても,海外において,他国を占領する軍隊と一体化した行動を自衛隊が行うことは明らかに違憲である。
(イ) 政府の憲法9条の解釈の変遷
a 憲法9条2項の「戦力」について,日本政府は,憲法制定当初,名目のいかんによらず一切の「戦力」を否定していたが,警察予備隊,保安隊の創設を受けて,「『戦力』は近代戦争遂行に役立つ程度の装備・編成をそなえるもの」であるとして,また,自衛隊創設後,「自衛のために必要最小限度」の実力の保持は禁止されていないとして,いずれも合憲であるとの立場をとり,自衛権として認められる範囲を拡大する方向で解釈を変遷させてきた。
また,昭和29年,参議院において「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」が採択されるなど,憲法制定後の政府解釈は,海外へ出動する実力部隊は「戦力」に該当し,憲法上認められないというものであったが,昭和55年,自衛隊が海外出動する場合について,「武力行使の目的」を持つ海外派兵か,「武力行使の目的」を持たない海外出動かによって区別し,後者を合憲とする解釈に変遷した。かかる解釈に基づき,日本政府は,国連PKO活動に対する自衛隊の派遣,あるいは周辺事態法などについて「武力行使の目的」を持たないことを理由に憲法に抵触しないと解してきた。
もっとも,「自衛」目的以外で自衛隊を海外へ派遣することを肯定するこの政府解釈は,「自衛のため」であることを理由に自衛隊の存在を肯定してきたそれまでの政府解釈と齟齬するものであり,自衛隊の存在を肯定する政府解釈によっても本来認められないはずの解釈であった。
b 憲法9条1項の「武力行使」について,日本政府は一貫して他国による武力行使と一体化する行為は許されないが,武力行使と一体化しなければ許されるという,いわゆる一体化論を採用している。
そして,今回のイラク派遣についても日本政府はこの一体化論によって「自衛隊をイラクへ送ってもそれは海外派遣であるし,他国による武力行使とは一体化しないので違憲ではない。」と解釈している。
c 憲法9条2項の「交戦権」については,憲法制定当時から,国際法に従い「交戦国が国際法上有する種々の権利の総称」と解されてきた。
そして,国際法上,「交戦権」には,相手国の領土の占領及びそこにおける占領行政を行うことも含まれ,政府見解にも変遷はない。
(ウ) 政府の解釈による本件派遣の違憲性
以上のような変遷をたどってきた政府解釈によっても,本件派遣は,憲法9条に反し,違憲である。
a 憲法9条2項の「戦力」について,イラク人道復興支援特措法の目的は,「イラク特別事態を受けて,国家の速やかな再建を図るためにイラクにおいて行われている国民生活の安定と向上,民主的な手段による統治組織の設立等に向けたイラクの国民による自主的な努力を支援し,及び促進しようとする国際社会の取組に関し,我が国がこれに主体的かつ積極的に寄与」し,「我が国を含む国際社会の平和及び安全の確保に資することを目的」とし(同法1条),自衛隊がその実施主体となることを想定している(同法8条)。
そうすると,同法によって自衛隊が海外出動する目的は,日本の「自衛」に全く無関係であり,同法は,「自衛のための最小限度」であることを理由に自衛隊が憲法9条2項で保持を禁止された「戦力」に当たらないという政府解釈に反し,また,「自衛」のためではない実力部隊たる「戦力」の保持を認めている点で,憲法9条2項に反する。
b 憲法9条1項の「武力行使」について,イラク人道復興支援特措法は,「他国による武力行使との一体化」を避けるべく,①「対応措置の実施は,武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない」(同法2条2項),②「対応措置については,我が国領域及び現に戦闘行為が行われておらず,かつ,そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域において実施する」(同条3項)という制約を設けている。
しかし,同法が成立した平成15年7月26日,既にイラクは,米英をはじめとする占領軍の占領下にあった。そうすると,そのようなイラクに実力部隊としての自衛隊を送ること(陸上自衛隊による駐留),及び自衛隊が「安全確保支援活動」と称して「イラクの国内における安全及び安定を回復する活動を支援する」(同法3条1項2号)ために「医療,輸送,保管(備蓄を含む。),通信,建設,修理もしくは整備,補給又は消毒」(同条2項5号)を実施すること(主に航空自衛隊による輸送等)は,それ自体が占領軍・多国籍軍の軍事作戦上,「他国による武力行使との一体化」を免れ得ない行為である。
したがって,同法は,自衛隊の活動が「他国による武力行使と一体化」し,憲法9条1項の禁止する「武力行使」に該当する形態での海外派遣を前提としている点において,同条に反する。
また,イラク人道復興支援特措法が設けた上記制約(同法2条2項,3項)を憲法9条1項に適合するように厳格に解釈をしたとしても,イラクに派遣された自衛隊が占領軍・多国籍軍の一員となっていること,航空自衛隊が米軍等の兵士及び物資を輸送し,占領軍・多国籍軍の後方支援活動の役割を担っていること,陸上自衛隊がイラクを占領・確保すべくイラク全土に駐留する占領軍・多国籍軍の一員としてサマワに駐留を続けていること,サマワに駐留する陸上自衛隊を狙った攻撃がなされていることからすれば(以上,前記第2,2(2)イ及びウ参照),同法が設けた上記制約は全く破られており,本件派遣は,憲法9条に適合するように厳格に解釈されたイラク人道復興支援特措法にも違反し,結局,憲法9条1項に反する。
c 憲法9条2項の「交戦権」について,そこには,相手国の領土の占領及びそこにおける占領行政を行うことも含まれる以上,これに加担することは,「交戦権」の行使となり,憲法9条2項に反する。
イラクへ派遣された自衛隊は,占領軍の指揮下に入り,現在は多国籍軍の一員として占領行政の一翼を現実に担っている。航空自衛隊による米軍等の兵士及び物資の輸送,陸上自衛隊によるサマワでの駐留を通じ,多国籍軍の一員としてイラクの実効的支配を実践しており,これはまぎれもなく占領行政であり,国際法上「交戦権」の行使に当たることは明らかであり,本件派遣は,憲法9条2項に反する。
ウ 本件派遣の国際法違反
(ア) イラク戦争開始の国際法違反
非戦の誓いをうたっているのは,日本国憲法だけではない。
国際法においては,古代ローマ以来,国際社会の動向を踏まえて戦争違法化の流れを遂げてきたが,二度にわたる世界大戦の未曾有の凄惨な被害を前にした国際社会は,昭和20年10月,国際連合(以下「国連」という。)を発足させた。
その目的及び原則を掲げた国際連合憲章(以下「国連憲章」という。)では,「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救う」という決意を鮮明に宣言し(国連憲章前文),加盟国に対し,国際紛争の平和的解決義務を課すとともに,すべての武力の行使を原則として禁止している(国連憲章2条3項,4項)。
この武力行使禁止原則には二つの例外があり,その一つは,国連安全保障理事会が,国際の平和と安全を維持するために国連憲章第7章の下で軍事的な措置をとることを決定した場合(国連憲章42条),もうひとつは,個別国家が自衛権の行使として武力を用いる場合(国連憲章51条)である。
この点,本件派遣では,米英によるイラク攻撃についての安全保障理事会の決定はないから,国連憲章42条に基づくものではなく,また,米英に対するイラクの武力攻撃はなく,国連憲章51条の「自衛権の行使」には,将来の武力行使に対する先制的自衛は含まれないと解されるから,同条に基づく自衛権の行使にも当たらない。
その他,いかなる理由によっても,米英のイラク攻撃は,国際法上全く正当化できず,明らかな国際法違反行為である。
(イ) イラク占領の国際法違反
上記のように戦争が違法化された現代国際法の下では,軍事占領も正当化されない。米英によるイラク攻撃が国際法上違法なものである以上,攻撃後のORHA,CPAによる占領も違法である。
また,CPA等による占領を国連安全保障理事会決議によって正当化しようとする主張もあるが,同決議1411号,1511号及び1483号は,現に他国領土を占領している以上,占領地の治安を維持し,住民の生活と福祉を尊重,保護するように義務づけるものであり,既に行われていた占領統治を合法化するものではない。
(ウ) イラク戦争遂行の国際法違反
イラク戦争において,米英とイラクの双方は,国際武力紛争に適用される人道法の諸原則に拘束される。そして,米英,イラクとも,ジュネーブ諸条約の締約国である。
そうすると,まず,米英軍の空爆は,非軍事物の破壊(損傷)禁止の原則,言い換えれば軍事目標主義(ハーグ陸戦法規25,27条,第1追加議定書52条)に違反する。
また,米軍が使用した武器には,クラスター爆弾,デージーカッター及び劣化ウラン弾があり,これらの使用は「不必要な苦痛を与える害敵手段の禁止」原則(ハーグ陸戦法規23条ホ,第1追加議定書35条,36条,特定通常兵器使用禁止制限条約前文,対人地雷禁止条約前文)の違反であることは間違いない。
さらに,アブグレイプにおける拷問があり,女性に対するレイプを含む数々の拷問が行われたことが明らかになっており,これは重大な国際人道法違反である(ジュネーブ第4条約32条,同第3条約17条4項,同第4条約27条2項)。
また,平成16年4月及び11月に行われたファルージャ市の武力勢力掃討作戦では,明らかになっているだけでも,6000人以上の市民が米軍に虐殺された。これは明らかに,軍事目標主義に違反するものであり(ハーグ規則25条,第1追加議定書48条),ジェノサイドにさえ該当し得るものであると考える。
(エ) 本件派遣の国際法違反
a まず,米英軍の攻撃とは別に,本件派遣は,国際法に違反する侵略行為であり,イラク市民の自決権を侵害する行為である。すなわち,自衛隊のような国際法上軍隊として取り扱われる集団が,他国領域に同意なく派遣することは,武力行使禁止原則に違反する(国連憲章2条4項)。この点,イラク暫定政府は,本件派遣を歓迎する意向を示したが,同政府には他国の軍隊に対して自国への派遣を同意するような主権を行使する権限は認められず,これを正当化するものではないし,自衛隊の目的が人道支援であるとか,自衛隊の活動地域が「非戦闘地域」に限られるといったことで左右されるものではない。
b また,国家責任条文第16条は,「他の国の国際違法行為の実行を支援し又は援助する国は,次の場合に支援又は援助につき国際責任を負う」とし,次の場合として「その国が国際違法行為の事情を了知して支援又は援助を行い,かつ,その国がその行為を行ったとすれば当該行為が国際的に違法となる場合」をあげている。
この点,イラク戦争においては,その開始原因,遂行手段ともに,国際法に違反することは,上記(ア)ないし(ウ)のとおりであり,これを日本が行ったとしても国際違法行為となることは明らかである。そして,この事実は広く知られている以上,本件派遣等様々な支援又は援助行為は,上記国家責任条文16条に該当する。
日本は,国際責任の解除としての原状回復をしなければならず,それは,イラクからの自衛隊の撤退であり,裁判所による本件派遣の差止めである。そして,国家責任の解除それ自体も国際法上の義務である以上,本訴訟において裁判所が本件派遣を差し止める判決をしなければ,それ自体が国際違法行為となる。
憲法9条を高く掲げ,米英のイラク占領に加担しない多くの国々と同じ立場に立ち,「暴力による支配」の過ちを訴えていくことこそ,日本が真の国際貢献と国際社会の平和の創造のためにすべきことである。
(4)  平和的生存権の権利性
ア 平和的生存権の保障
日本国憲法は,その前文において,「日本国民は…われらとわれらの子孫のために,諸国民との協和による成果と,わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し,政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」,「日本国民は恒久の平和を念願し,人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって,平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは,平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思う。われらは,全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と規定する。
これは,日本国憲法が「平和のうちに生存する権利」が基本的な人権であることを確認したものであり,我が国の国民は,その具体的内容として「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」を有すると考える。
イ 平和的生存権の成り立ち
20世紀は戦争の世紀と呼ばれており,人類は,二度にわたる世界大戦によって,兵士のみならず,多くの一般市民の尊い人命を失った。
しかし一方で,前記第2,2(3)ウでも見たとおり,20世紀は,国際社会が戦争の悲劇を防ぐために戦争を違法化する努力を重ねた世紀でもあった。
国際連盟規約,不戦条約,国際連合憲章,国際人権規約等はこうした努力の表れであり,国際人権規約A規約・B規約がその前文において「国際連合憲章において宣明された原則によれば,人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認めることが世界における自由,正義及び平和の基礎をなすものであることを考慮し,これらの権利が人間の固有の尊厳に由来することを認め,世界人権宣言によれば,自由な人間は恐怖及び欠乏からの自由を享受するものであるとの理想は,すべての者がその市民的及び政治的権利とともに経済的,社会的及び文化的権利を享有することのできる条件がつくり出される場合に初めて達成されることになる」とするように,国際社会は「平和と人権の密接不可分性」の認識を共有するに至った。
すなわち,近代憲法の下では,平和は代表民主制の領域に属する政治問題であり,人権の問題ではなかった。しかし,憲法がどのように格調高い言葉で人権をうたおうとも,戦争になれば人権は紙くず同然に踏みにじられる。平和は人権確立の最大不可欠の基礎的条件なのである。
日本国憲法の平和的生存権の規定は,こうした国際動向の中で成立したものであり,日本国憲法の平和主義原理全体がそうであるように,立憲主義の発達史を継承し,普遍的な性格を有するのである。
ウ 平和的生存権の具体的権利性
(ア) 被告は,平和的生存権の規定が抽象的で漠然としていることを理由に,平和的生存権は具体的な権利ではないとする。
しかし,この見解は,日本国憲法が平和を代表民主制の問題とする伝統的概念を大きく前進させ,平和を人権の問題としてとらえようとしていることの意味を全く理解しないものである。確かに,「平和」という言葉は,一般的用法として抽象的・多義的な概念であるとしても,それは自由や平等という言葉についても同様にあてはまることであるし,そもそも憲法の人権規定自体も多かれ少なかれ理念的色合いを有するが,それをもって具体的な権利ではないということにはならない。むしろ,問題は,日本国憲法の解釈を通じて,そこに定める「平和」に具体的意味内容を見いだし得るかどうかということにある。
(イ) この点,日本国憲法が,その前文において,上記のとおり,平和へのまことに強烈な決意を示し,戦争と戦力を全面的に放棄する徹底した平和主義の姿勢を示した上で,伝統的には統治機構の一部である「戦争の放棄」を第2章として9条に定め,人権と統治機構に先行させているところにも示されているように,戦争の放棄を人権と民主主義の前提条件と位置づける構造を有していることを重視しなければならない。
そこで,「憲法前文の平和的生存権規定」,「憲法9条」,そして「憲法13条を主要とする第3章の人権規定」が複合的に平和的生存権の根拠をなしていると解すべきである。
すなわち,憲法9条は,それだけでは客観的制度規定としての意味しか有しないが,主観的権利としての平和的生存権と結びつくことによって,憲法9条に違反して政府が行った行為について,それを裁判上,具体的な平和的生存権侵害であると主張し得ると解すべきである。
同時に,平和的生存権は,憲法第3章の個別の人権規定とも結合して理解すべきであり,例えば,平和的生存権が憲法18条に結びつく場合には「徴兵からの自由」が,憲法19条と結びつく場合には「良心的兵役拒否の自由」が,憲法25条と結びつく場合には「軍事徴用を受けない自由」が導かれる。
さらに,平和的生存権が憲法第3章の個別の人権規定と結びつかない場合,つまり,憲法9条違反の国家行為がありながら,憲法第3章の個別の人権侵害は惹起されていない場合でも,一定の条件が充足されるなら,平和的生存権のみを単独で主張し得ると解すべきである。
以上のように理解すれば,平和的生存権の内容は,①狭義には,戦争や軍隊によって自己の生命を奪われない権利と併せて戦争や軍隊によって他者の生命を奪うことに加担させられない権利,②広義には,戦争の脅威と軍隊の強制から免れて平和のうちに生活し,行動することができ,他国の民衆への軍事的手段による加害行為と関わることなく平穏な生活を享受できる権利を意味するものとなる。
エ 平和的生存権の内容
平和的生存権の権利構造,享有主体,成立要件,法律効果は,以下のとおりであり,いずれの側面においても権利としての具体性に欠けるところはない。そして,本訴訟においては,いずれの要件も充足している。
(ア) 権利構造
平和的生存権は,政治的規範と法的規範からなり,その周辺部分に当たる前者は,政治的・立法的指針を示すものであり,その核心部分に当たる後者は,4つの層に整理できる。そこには,第一層として,憲法本文の各条文及び下位の関係法令の解釈基準となり,また具体化法令を立法する際の基準となる部分,第二層として,集団的なジェノサイドや核兵器使用を裁く法規となる部分,第三層として,他の個別の人権と結合し得る部分,第四層として,他の人権の結びつき得ない領域において独自で主張され得る部分がある。
そして,この第四層についても,平和的生存権の侵害の危険性が重大かつ根本的である場合には,平和的生存権を単独で裁判規範とすることができ,当該個人が政府の行為により直接かつ具体的に平和的生存権の侵害を現実に被っていることが出訴要件とされるものと解される。
(イ) 享有主体
憲法は,「人権としての平和」という捉え方に立って,平和的生存権を政府に対して主張される基本的人権として位置づけたものであることから,平和的生存権の主体は,個々の国民であり,この権利は国民の基本的人権そのものである。
(ウ) 成立要件
平和的生存権は,長い歴史の中で各種の国際条約や国連憲章,各国の憲法において徐々に生成発展し,確立してきたもので,日本国憲法成立後に採択された国連決議等でも確認されている権利であり,その成立を疑うことはできない。
そして,平和的生存権の侵害は,憲法9条に反する国家行為がなされたときに発生する。
(エ) 法的効果
まず,平和的生存権の複合的性格に関して,自衛隊を海外に派遣し,外国軍と一体となって戦争遂行に加わる国家行為は,憲法9条に明白に違反し,個人の平和的生存権を重大かつ根本的に侵害するものであるから,当該国家行為の違憲無効確認の訴えも承認され,当該国家行為が完結する以前の時点であれば,その差止めの請求をすることもできる。そして,当該個人が当該国家行為によって憲法の基本理念である平和主義を侵害されたことで,自己の種々の自由や権利を侵害されたり,精神的苦痛を被ったといえる場合には,侵害行為の違法性及び被侵害利益のいずれも明白であって,国家賠償請求権も認められる。
また,平和的生存権の射程範囲に関して,前記のとおり,平和的生存権は,憲法9条によって内容が確定された「平和」を人権としてとらえたものであり,それが憲法第3章の個別の人権と結合しうる場合には,それら個別の人権に平和的生存権の内容を付加ないし充填させることになる。また,平和的生存権と結合しうる憲法第3章の個別の人権がない場合であっても,ある国家行為が憲法9条違反であると構成できる限り,平和的生存権を単独で主張できる。
(5)  原告らの平和的生存権の侵害
ア 平和的生存権侵害が蔓延する我が国の現状
我が国の国民は,現在,本件派遣と同時並行的に行われている軍事国家化によって,イラクの自衛隊の活動に関する報道統制による知る権利の侵害,反戦ビラの配布者などを逮捕することによる表現の自由の侵害,国内外への居住移転の自由や海外旅行の自由の侵害,テロリズム対策と称して主要駅頭など国内の至る所に警官が立ち国民を監視することによるプライバシー権の侵害など,多くの平和的生存権侵害の事態にさらされている。
これらは,我が国を,憲法上の制約を無視して戦争のできる国へ作り替えようとする動きにほかならない。
イ 自らの生命や身体の安全が脅かされず生活する権利の侵害
(ア) 日本人外交官やジャーナリストの死,人質事件やBの死は,本件派遣によって,日本国民であるだけで現に生命や身体の安全が脅かされていることを示している。本件派遣は,日本国内にいる日本人にさえ,米英軍の侵略と大量虐殺に加担した日本に対する報復としての生命,身体に対する危険性を飛躍的に大きくさせた。特に,海外において人道的な援助活動に参加してきた原告A2らNGO活動家は,本件派遣によって生命の危険が飛躍的に高まった。
(イ) この点,原告A2は,10年余りにわたり,アフガニスタンにおいて,NGOであるa会の一員として,難民の医療活動,飲料水確保のための井戸の造成,農業用の用水路建設などの活動を行ってきた。原告A2の活動の大前提は,その国の文化や宗教を尊重し,現地の要望と実情に合ったやり方で支援するというものであり,これにより,現地の人々から厚い理解と信頼を得てきた。
しかし,本件派遣以後,アフガニスタンの人々が敵意を持って日本人を見るようになり,NGOの活動に多くの制約と危険が生じている。多大な時間と労力をかけて築き上げた信頼があっという間に崩れたのである。これにより,原告A2は,自由にアフガニスタンに渡航し,国内で自由に行動してNGO活動することが阻害され,自己の考える人道支援に対する核心が踏みにじられた。
その権利侵害を具体的に述べれば,まず,米英軍のイラク攻撃とその後の本件派遣は,アフガニスタンの人々の日本及び日本人に対する見方を大きく変えた。例えば,以前,パキスタンやアフガニスタンでは,日本人は親しみを持たれ,陽気に話しかけられ,ヒロシマ・ナガサキの原爆からの復興をよく知り,褒めたたえるという風であったが,それらについて全く話さなくなるどころか必要以外の会話はしなくなってしまった。そして,「日本はイラクに自衛隊を派遣した国」と鋭い目を原告A2に対して向けてくる。バザールには,日本人が単独では行けなくなり,現地スタッフと同行しなければならなくなったし,それでも危険で行くことのできないバザールもある。銃撃される恐れが出てきたために,車で移動するときには,悪路でも時速100キロメートル程度のスピードで走らなければならなくなり,夜の移動もせざるを得なくなった。団体の車両に書かれた日章旗と「JAPAN」の文字も消さざるを得なくなった。
また,平成15年11月2日,原告A2が所属するa会が,用水路建設のために爆薬による破砕作業を行っていた際,米軍ヘリから爆撃を受けた。いつまた誤射されるか分からず,そのような中で作業を続けなければいけない恐怖感は想像を絶するものがある。
さらに,原告A2は,アフガニスタンにおいて,医師や技術者を育成しているが,日本の政府開発援助(ODA)により多大な金員が闇雲に投入されることにより,現地の物価や賃金が高騰し,せっかく育てた医師や技術者らが給料のよいカブールの病院に移籍するなど,その活動が阻害されている。イラクにおいても,戦後復興と称して同様に日本などから多額の金員が投入されている。
a会では,内戦中でも武装等せず,水源確保等の作業も現地の人と一緒に汗を流しながら行い,その工法も現地の人が自力で修理できるよう,井戸を手掘りで行うなど原始的な方法を採用している。多額の金員と最新の技術を使って援助しても,それは見栄えがいいだけであって決して現地の人に対する支援にはならない。
イラクでは「人道支援活動」と称して,武器を持った自衛隊が,現地の人をほとんど雇わず,宿営地に立てこもり,最新の技術を使って給水活動をしている。これでは現地の人の反感を買うのは明らかである。自衛隊が「人道復興支援活動」という名前を使って活動すればするほど,真の支援活動が阻害されてしまうのである。
ウ 戦争に加担させられない権利の侵害
原告らすべてに共通する権利侵害が,「戦争や軍隊によって自己の生命を奪われない権利と併せて戦争や軍隊によって他者の生命を奪うことに加担させられない権利」,換言すれば「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利の侵害である。仮に,これらの権利侵害を憲法上の利益と呼ばないとしても,法律上保護に値する「利益」に当たることはいうまでもない。
以下,詳述するように,原告らは,その年齢や体験してきた出来事もそれぞれであるが,いずれも「戦争は,庶民の命を奪い,生活を破壊し,貧困を招き,人間性を破壊するものである。」ことを感じ取り,「国家によって自分あるいは自分の家族が人殺しをさせられることがないようにしたい。」と心から願っている。そして,憲法9条の下で国家が戦争や武力による威嚇等の行動をとらないことを信じ,平和的確信を形成してきた。
そのような原告らにとって,日本国憲法,そして平和主義は,単なる国家に対する法規範であるにとどまらず,生き方の指針であり,人格の核心を占めている。原告らは,日々報じられるイラク戦争の実情,被害者である子供やそこで殺されていく人々の姿から,いずれも深く自らの人格を傷つけられ,極めて深刻な精神的苦痛を被っている。
そして,自己の生命,身体に迫る危険だけではなく,他人の生命,身体に迫る危険を目撃すること等によって,人が深刻な精神症状を起こし得ることは,今日の精神医学において広く承認されている。それは,直接被害者と対面する場合にのみ起こるものではなく,メディアを媒介にした映像や情報伝達を受けることによっても発生することも明らかになっている。これを,「単なる不快感,不安感」として切り捨てることはできない。
以下,原告らの具体的な権利侵害の事実を詳述する。
(ア) 原告A3,同A4,同A5,同A6について
この4名の原告らは,いずれも先の太平洋戦争を経験してきた者であり,戦後,それぞれの立場で戦争体験を踏まえながら生活を続けてきた結果,いずれも現在の日本の状況がかつての状況に似ているとの思いに至った。
a 原告A3
原告A3は,いわゆる皇国教育で,天皇の御真影を守るために校庭に奉安殿が造られ,登下校の際は敬礼をすることを躾られた時代に育った。このような原告A3の経験は,皇国教育によるいわば洗脳の結果であった。
現在の状況を見ると,日本政府は,戦争や戦力の保持を禁止した憲法を公然と無視し,日の丸・君が代を徐々に義務化に向かわせるとともに,愛国者教育を進めている。起こされている戦争や教えられている教育の名前が違うだけで,実際には原告A3がかつて経験してきた「戦時」と変わりない状況になりつつある。
原告A3にとって,戦争を起こさない日本の国民であり続けることは,銃後(戦争の後方や直接戦争に加わっていない国民)の生活を経験したことによって形成された人格の核心部分である。この核心を侵され,日本が再び戦争を起こすこと,すなわち,日本が戦火に見舞われて庶民が犠牲を負うこと,日本がイラクの人々を殺す行為に加担することに,原告A3は著しい精神的苦痛を感じている。
b 原告A4
原告A4は,日中戦争・太平洋戦争の激化する中,聖戦を信じ,戦争に全面協力の優良教員だった。昭和20年の敗戦は,この優良教員を直撃した。そのショックは大きく,日を追って戦争の実態が明らかになり,その加害責任の端に連なっていたことを自覚した。
原告A4は,このような思いから,戦後に生まれた教職員組合の活動や日中友好運動に積極的に参加した。原告A4にとって,「教え子を再び戦場に送らない」との思いは,戦時中の教員としての苦い経験を心から後悔し,戦後の日本国憲法に裏付けを得て信念となった人格の核心である。本件派遣は,原告A4にとって人格の核心部分に対する破壊行為そのものであり,耐え難い精神的苦痛である。
c 原告A5
原告A5は,昭和16年,b大学を卒業し,陸軍等での調査活動に従事した。戦後は,通訳として日本軍の降伏交渉を助けるためにスラウェシ島に派遣され,約8か月間捕虜生活を経験し,復員後,ほぼ一貫して民主主義の歴史としての社会思想史を教育し研究するとともに,いくつかの市民運動に参加してきた。その基本的立場は,民主主義,平和主義,環境保全にあるが,中でも平和主義は,太平洋戦争の中で,何人かの親友,従兄,妹の婚約者を失った者としての平和への思いから築かれたものであり,まさに原告A5の人格的核心そのものである。
太平洋戦争当時の言論界は,言論弾圧によって窒息させられていた。公然たる言論弾圧は,人々の口を閉ざさせ,考える能力を失わせ,また,世論の中で孤立させ,思考力そのものを萎えさせる。
現在の状況をみると,例えばイラクで拘束された人たちに対して「自己責任」論なる非難が浴びせかけられるなど,世論の中での孤立化が見られる。また,日米同盟が最重要課題であること,政教分離訴訟における習俗論など,説明なしに事実をつくり,動かせない事実として承認させることで,支配権力は世論を支配している。世論の中の孤立化を進め,国民の思考力を奪っていく点において,太平洋戦争当時と現在の日本は相違がない。暴力による直接的な言論弾圧についても,例えばビラ入れ等に対する住居侵入罪による逮捕事件やC都政下における日の丸・君が代強制事件のように,犯罪行為に対してではなく,特定の思想に対する弾圧が現に行われている。
原告A5は,戦争経験者として,社会思想研究家として,市民活動家として,平和主義をまさに人格的核心として活動してきた。本件派遣をはじめとする日本政府による一連の行為が,平和主義を全く否定する侵害行為であることは明らかであり,これによって,原告A5は,著しい精神的苦痛を被っている。
d 原告A6
原告A6は,昭和18年,b大学在学中に学徒出陣で船舶砲兵部隊に入隊し,敗戦まで第一戦での軍隊生活を経験した。戦後,復学して卒業した後,今日まで憲法の研究を続けている。
原告A6は,憲法研究者として,平和的生存権の裁判規範性を肯定した上でこれに基づいて本訴訟の原告となり,自衛隊の違憲性を明確に結論づけている。
そして,自衛隊の創設・増強及び憲法9条改正の動きなどから明らかなとおり,現在の日本は,日本国憲法のよって立つ平和主義を否定する方向に進み,明治憲法下と変わりない状況になろうとしている。
原告A6は,先の戦争で経験してきたことをバックボーンに,憲法学者として長年にわたって研究してきた結果,日本国憲法下に生きる者として,日本国民が具体的権利である平和的生存権を有すると確信した。被告による本件派遣をはじめとした平和主義を否定する行為は,原告A6の平和的確信を否定することにほかならず,耐え難い精神的苦痛を与えるものである。
(イ) 原告A7の在日コリアンとしてのアイデンティティーの侵害について
原告A7の母方の祖父は第二次大戦中に,父方の祖父は朝鮮戦争中に,それぞれ日本に移住したが,いずれも日本の侵略戦争と植民地政策の結果,日本への移住を余儀なくされたコリアンである。在日コリアンにとって,自己の「在日」としての存在が,日本政府の侵略戦争と植民地政策によって生じたことは自明である。
多くの在日コリアンが,「在日コリアン」を生み出した日本政府の侵略戦争と植民地政策を絶対に受け入れられないこと,アメリカのイラク侵略を無批判に,どこの国よりも早く支持した小泉政権の政策や姿勢に対して,日本政府は未だに侵略戦争と植民地政策に対して反省をしていないととらえること,本件派遣によって自分の存在を否定される思いを持ち,暴行や嫌がらせなどによって生命や身体が脅かされるという具体的な不安を強くしていることは,当然の帰結である。
そして,原告A7も,本件派遣により不安感が確実に限界を超え,「戦争の危険」を肌で実感し,同時に自己の在日としての過去を否定されるという耐え難い精神的苦痛を感じている。
また,米軍は,アブグレイプなどで性虐待の限りを尽くしていることは,既に周知の事実である。この情報にコミットした原告A7は,アメリカ人兵士が,イラク人捕虜に対して,太平洋戦争中,従軍慰安婦に行われていたような「性暴力」が行われていることに加担する本件派遣を許すことができない。
本件派遣は,日本の過去についてまともに向き合う機会を持ってこなかった日本人とは異なる原告A7自身の人格そのものを踏みにじる行為にほかならない。
(ウ) 原告A8について
原告A8は,戦時中軍医だった祖父の結核が感染したことが原因で,結核性髄膜炎の高熱により,生後10か月で失明し,その後の人生を全盲として生きることを強いられた。
障害を持つ人生の過程で,様々な困難があったことは想像に難くないが,原告A8は,その明るさと強さで人生を切り開き,障害を持つ地域の生活者として,市民として,常に地域あるいは社会に深く関わりを持ちながら生き抜いてきた。その活動は,c会の事務局長として愛知県の視覚障害者運動の中心を担うほか,平和であって自己の生存がある,障害者を生み出す側に立たされたくないとの思いから,イラク戦争反対運動にも積極的に取り組むなどさまざまである。
そのような活動を通じ,また,戦争が障害者を「役立たず」,「足手まとい」とし,障害者の人としての尊厳を根こそぎ奪ってしまうことへの恐れ,一人の息子を持つ母として息子を戦争の加害者にも被害者にもさせたくないという思いから形成された平和を希求する思いは,原告A8の人格の核心である。
本件派遣によって,原告A8は,まさに障害を生み出す加害者の側に立たされ,その人格の核心は侵害された。福祉が切り捨てられ,障害者などの弱者を排除する空気が色濃くなり,戦争への道を肌で実感できるこの状況において,原告A8が「本当に恐ろしい。」と感じる思いは,同人にとってまさに具体的な恐怖であり,耐え難い精神的苦痛なのである。
(エ) 原告A1について
a 原告A1は,大学卒業後,d,eを経て,NGOであるf会に従事し,アジアを中心とした開発途上国で,民衆の視点に立った参加型地域開発,そのための指導者養成・研修,政策提言などの活動を行ってきた。
原告A1は,フィリピンに在住中,フィリピン人から,「1942年(昭和17年)から45年の間,あなたのお父さんはどこにいましたか。」という質問をそれぞれ異なる場所で3回受けた。
フィリピンは,昭和16年12月8日の開戦と同時に日本軍の侵略受け,その全土を支配下に置かれ,昭和20年8月までの間,日本軍による圧制のみならず,婦女子の凌辱,物資の掠奪,残忍なゲリラ狩りなど住民の怒りと怨恨を買う蛮行が行われ,その犠牲者は9万人を超えるものだった。
原告A1は,その質問を受けたとき,「もう二度と日本を戦争する国にはしない,させない。」,「いかなる状況であっても,武力・軍事力による力の支配の加担者にはならない。」,「これは日本人としての私の責任であり,義務である。」と心に誓い,その後も,インドネシア,マレーシア等での類似体験によってアジア諸国民に対する戦争加害責任をより強く自覚し,その平和的確信を確固たるものとした。
b また,原告A1は,eの活動に際して知り合った韓国人から,「なぜあなたは韓国を助けるのか。」との質問を受けた。その背景には,日本の韓国・朝鮮に対する一方的な侵略と抑圧という過去の日韓の歴史があり,親族を日本兵に殺されたその韓国人の心の中には,日本の植民地支配という長い歴史の中で培われた言葉で言い表すことのできない深い怒りや悲しみがある。
その質問に対して,原告A1は「通常の国際援助・協力活動は,豊かな者(国)から貧しい者(国)へという上下関係で考えられている。しかし,私は違う。過去の日韓の歴史の中で,侵略した国と侵略された国という関係を前提にしている。いくら償っても償いきれない過去の日本の過ちを詫び,決して再び起こることがない努力と関係づくりをしていきたいと思っている。」などと答えた。その話し合いは夜遅くまで続き,一通り話し終えると,二人は酒を飲み交わし,固く握手を交わした。
原告A1にとってNGOの国際協力活動は,そのような「和解の業」への参画であり,その平和的確信をベースにした具体的実践の一つであり,自身の生き方の重要な柱である。
c 原告A1は,キリスト教信仰に基づく平和主義を自らの信条とし,これまで様々な取組をしてきた。
まず,戦後50年を迎えた平成7年,市民及びNGOの視点から「謝罪」と「不戦」の決意を表明し,日本政府及び広く社会に提言することを目的として,有志とともに「NGO戦後50年声明」を出した。
また,平成15年2月,愛知県知事選に出馬し,「愛知県を平和の発信拠点にしよう」を七つの選挙公約の一つにあげた。戦争への加担は県民の生活を脅かし,地方自治を破壊する最たるもので,過去の歴史から学び,憲法第9条を盾として「戦争しない国」,「戦争に加担しない国」づくりに向けて,愛知県をそのための拠点にしようと呼びかけた。
そして,平成16年3月には,非暴力,平和の真の意味を問い,平和と人権を脅かすもの,それにどう立ち向かうか,市民・NGOとして何ができるかなどについて詳細にとりまとめて編集し,「平和・人権・NGO~~すべての人が安心して生きるために」(新評論)を出版した。
d 本件派遣は,以上のような原告A1の生き方を真っ向から否定するものである。これにより同人の「戦争や軍隊によって他者の生命を奪うことに加担させられない権利」,「他国の民衆への軍事的手段による加害行為と関わることなく,自らの平和的確信に基づいて平和のうちに生きる権利」,「信仰に基づいて平和を希求し,すべての人の幸福を追求し,そのために非戦・非暴力・平和主義に立って生きる権利」が侵害され,精神的苦痛を受けている。
(オ) 原告A9について
原告A9は,15年戦争に日本兵として参戦した亡父から,他界直前,その戦争体験を聞いた。それは,食糧確保の責任者であった父が,ある空爆の後,死んだ馬や牛を食料とするため,工事用ミキサーで骨肉を砕き,ペースト状にして火を通して,兵士に分配し,自身もそれを食べていたところ,食器代わりに使用した鉄兜の底に,日頃父になついていた現地の少年がいつも腕にはめていた真ちゅうの腕輪が沈んでいたというものであった。
この話を聞いた原告A9は,戦争がいかに非情なものか,若い命をいかに犠牲にしたかを実感するとともに,父が家族にも話せない戦争の体験,罪の意識を半世紀近くも胸に秘めてきたことに大きな衝撃を受け,「戦争だけはしてはならない。」と強く思うようになった。
また,原告A9は,写真家のDの写真集を通じて,湾岸戦争以後,劣化ウラン弾が原因と疑われるイラクの子供たちに発生している異変について知り,分娩台の上で自然死を待つ無脳症の子の写真に衝撃を受けた。そして,原告A9は,劣化ウラン弾による被害にあった子供たちの医療支援を目的とするoの運動に参加し,そこで5歳になるイラク人のIの病気治療と二人のイラク人若手医師の研修のプロジェクトに携わり,二人の医師の日本における日常生活の援助を担当した。原告A9にとって,二人の医師もIもかわいい自分の子供のように,深い愛情を持って日々接していた。
Iと二人の医師がイラクに帰国した今,原告A9にとって,イラクは他国ではなく,まさに自分の子供たちが生活する深いつながりのある場所なのである。
原告A9は,日本に招いた二人の医師から「日本人はなぜ反対しないのか。」と問いかけられたことから,米英軍に加担する本件派遣を許している以上,日本人である自分自身も米英軍によるイラク占領に直接加担しているという思いを新たにした。
被告による本件派遣は,「戦争だけはしてはならない。」という原告A9の平和的確信の中核を侵害するものであり,同人は,これにより耐え難い精神的苦痛を被っている。
(カ) 原告A10について
原告A10は,フリーランスのアナウンサー,中国の中学・高校での日本語教師,フリートーキングの会「g塾」の主宰,チェルノブイリ原発事故の被災地の視察,h日本語部勤務などを経験してきた。
原告A10は,平成16年に侵略の先兵として中国に駐屯した父の手記を「私は戦争から生きて帰った」と題して出版した。父の手記には,ごく普通の人間が,国家によって鬼にされていく過程が描かれており,原告A10は現実の戦争の恐ろしさを実感し,自らが侵略・戦争等の被害者のみならず,加害者にもなってはいけないという平和への思いを強くした。
また,原告A10は,平成2年,ウクライナのチェルノブイリ原発事故の被災地の救援活動に参加した経験を通じて,放射能には色も臭いもなく,情報や補償がない限り,一般の人々はそこで暮らし続けるしかないことを知り,反核の思いを強くした。
さらに,平成4年,アメリカのルイジアナ州において留学生が訪問する家を間違えて家主にマグナム銃で射殺された事件があった。その留学生は,原告A10の友人の息子だった。同人は,安全・安心な子供たちの未来のためには,武器を持ってはいけないこと,世界の紛争を解決していくには,地道な草の根異文化交流こそ最良の道だと考え,その友人とともに,アメリカから留学生を招くなどの活動を続けている。
原告A10は,本件派遣により,上記のような平和への思い,反核への思い,非武装への思いを,いずれも踏みにじられ,多大な精神的苦痛を受けた。
(キ) 原告A11について
原告A11は,現在まで,在日韓国人政治犯の救援運動を通じて,平和や人権の問題に関心を持ち,様々な平和活動に関わってきた。特に湾岸戦争で日本がペルシャ湾に掃海艇を派遣したり,110億ドルの戦費支出を行ったことに危機感を覚えて以来,裁判や街頭での宣伝活動など平和運動を中心に取り組むようになった。
原告A11は,在日韓国人政治犯の救援運動を通じ,朝鮮半島の植民地支配や,戦後の冷戦構造の中でアメリカとそれに支えられた軍事独裁政権下で国家の暴力により多くの民衆が殺されたという事態を知るとともに,その原因が冷戦下でのアメリカの反共政策と軍事独裁政権を一貫して支持してきた日本の姿勢にあることを学んだ。
原告A11は,そのような朝鮮半島の戦後史を通じて,アメリカによるイラク攻撃と占領支配は,戦後アジアをはじめ世界各地で行われてきた「国家テロリズム」の延長にあること,イラクに自衛隊を派遣している日本もこれに深く関わり,イラク市民の虐殺に責任があることを痛感し,深い精神的苦痛を受けた。
本件派遣は,原告A11が,これまでの平和を願う活動や子供を持つ母として将来を担う子供たちに平和な社会を引き継ぎたいとの願いなどから形成してきた人格の核心部分を破壊するものであり,その結果,同人は,耐え難い精神的苦痛を被っている。
(ク) 原告A12について
原告A12は,4人の子供の母親であり,すべての子供たちが安心して生きられるような社会をつくるため,持続可能な地球をつくろうと考え,環境活動に取り組んできた。
しかし,原告A12は,いわゆる9・11同時多発テロをきっかけに,戦争が起こってしまうのではないか,そもそも自分たちが地球上で生存を続けていくことができなくなるのではないか,という切実な危機感を抱くようになり,自分の大事な子供,友人,その他の見知らぬ人々,そして地球とそこで暮らす生命すべてを守るため,何としても戦争を防がなければならないと考え,アメリカが報復戦争をすることを防ぐための活動に取り組んだ。
まず,原告A12は,アメリカの新聞に平和の意見広告を掲載するグローバルピースキャンペーンに取り組んだ。この取組に対して,アメリカ,日本を含む16か国2200人に及ぶ人々がカンパを寄せ,たった2週間で広告費用として必要だった1500万円が集まった。この活動を通じ,原告A12は,世界中の多くの人々は戦争を望んでおらず,平和を望んでいることを確信した。その後も,「グローバルピースキャンペーン」というNGOを立ち上げ,ワシントンポストとニューヨークタイムズに劣化ウラン弾による子供たちの健康被害を伝える意見広告を掲載するなど,アメリカにこれ以上の戦争を止めさせるための働きかけを続けた。
また,原告A12は,軍事産業に頼らなければ経済さえ立ちゆかなくなるほどに戦争に依存せざるを得ないアメリカの問題点を鋭く指摘した「戦争中毒」という書籍に出会い,翻訳や公告掲載を通じて同書がアメリカで出版されることを支援し,また,i大学において,アメリカのいう「正義」の戦争がどれほど罪のない人の命を奪っているかなどについて講義した際で,当初,敵意をむき出しにしていた米軍退役軍人が,講義を通じて原告A12のメッセージを理解し,共感するという経験もした。
以上のような活動から,原告A12は,58年間にわたり戦死者を一人も出さず,他国の人を一人も武力で殺していない平和憲法を持つ日本の一人であることに誇りを持ち,自らの平和的確信を形成してきた。
ところが,米軍は,日本が占領に加担しているイラクにおいて,ファルージャにおける武装勢力掃討作戦を行い,多くの子供を含む,何の罪もない人々を殺した。原告A12は,アラブのニュースから配信されてくる傷ついた子供たち,大人たちの映像を見ながら,イラク人の命がこれほどまでに軽視されていることに深く傷ついた。
イラクでは,子供が戦争で殺され,劣化ウランによる死産・流産・先天的障害・小児白血病・小児癌が激増しており,原告A12は,イラクで殺された子供や劣化ウランで病に倒れた子供たちの写真を見るたびに,自分の所属する国,日本が違法な戦争を支持し,原告自身もこの違法な戦争,違法な加害行為に加担させられていることに,自らの人格を否定される強い精神的苦痛を味わっている。
原告A12は,自らの子供を思う気持ちを通して,イラク人の子供を殺された母や父の強い精神的苦痛を自らの苦しみとして感じ,傷つき,そして,その子供を殺す側に自らが加担させられることに極めて強い苦痛を感じている。
(ケ) 原告A13について
原告A13は,自らと同じように生きているイラクの子供が殺されることを耐えきれない思いに駆られ,できることから始めようという気持ちから,イラクの子供の笑顔の写真を常時胸に掲げている。
また,A13は,本件派遣が継続されることによって,日常生活の中で自ら感じた苦痛や痛みが麻痺していくことに耐え難い良心の痛み,苦しみを感じている。この良心は,まさに日々たくさんの人が映像を見させられている中で,同人の中で育ってきた人格の核心部分に根ざす人としての良心そのものであり,本件派遣は,この良心を正面から踏みにじったのである。
(コ) 出征等に基づく絶対的非戦
原告らのうち先の戦争に自ら出征したり軍国少年・軍国少女として戦争に協力した体験を持つ者は,戦争が命と生活を奪うだけでなく,人間性を破壊するものであることを身をもって体験し,その犠牲と反省の上に立ち,二度と戦争を起こさないことを誓って生きてきた。
原告A14は,中国戦線に従軍し,偶然にも傷痍軍人として一足先に日本へ帰還したため,命を長らえたが,同僚のほとんどを戦死により失った経験を持つ。原告A14にとって反戦平和運動は,生涯の義務であり,戦後,高校の教壇に立ち,「教え子を再び戦場に送るな」の反戦平和教育に徹し,定年停職後も反核平和運動に参加してきた。また,原告A14にとって日本国憲法は,国内外の多くの犠牲の上に立って生まれたものであって,何としても守らなければならないものであり,その絶対的非戦を破ることは,自らの従軍経験に基づいて人間らしく生きようとした覚悟を否定されることであり,戦後の人生を否定されることである。
原告A15は,中国戦線に従軍した。原告A15がマラリアに罹患して高熱を発し演習を休んだとき,同じ初年兵たちは上官から,スパイ容疑でつれてこられた中国の農民二人を銃剣でかわるがわる突いて殺すことを命じられた。原告A15は,その晩の初年兵たちが,殺戮のゲームに参加した後,食事のときも食事の後も無口であったことをよく覚えている。しかし,その後,原告A15が戦線で見たのは,純情だった兵士が次第に人間の心を失っていく姿であった。原告A15はそれが戦争の恐ろしさであると考える。そのような恐ろしい戦争を二度と繰り返さないことは,戦争の恐ろしさを身をもって知った原告A15の生涯の誓いである。
原告A16は,大正14年に生まれ,一兵卒として旧満州でソ連兵と戦った経験がある。戦争には人道などというものは感傷的な言葉にすぎない,殺すか殺されるかの世界であり,まさに野獣の世界であることを体験した原告A16にとって,戦争の惨禍を再び繰り返すことは到底容認できない。原告A16は,敗戦という惨禍と引き替えに受け取った平和憲法のありがたさを,子孫のために何としても守り抜きたいと,切実に願っている。戦争を体験した者として,戦争を再び起こさせないことは原告A16の生き方そのものである。
原告A17は,陸軍特別幹部候補生として陸軍航空通信学校加古川教育隊に入隊し,通信兵として台北の軍司令部で沖縄とのモールス通信を担当した。同じ教育隊出身兵が沖縄で原告A17との通信を担当しており,原告も親近感を抱いて通信してきたところ,昭和20年6月20日,「これより通信機破壊す。武運長久を祈る。」との打電を受け取り,級友たちが突撃し玉砕することを読み取って大きなショックを受けた。戦争の現実を知った原告A17は,戦後,浄土真宗の教えに傾倒し,「不殺生,兵戈無用」の信念で生きてきた。原告A17は「日本国憲法は仏教徒の規範になるものである。」との信念を持っている。
原告A18は,昭和20年の敗戦時17歳の学生であった。徴兵期を待たず志願兵として軍隊に入隊する級友を尻目に,体の弱かった原告は志願兵を名乗り出ることができず,軍隊経験を持っていない。しかし当時の原告A18は戦場で戦うことを避けている自分に,うしろめたさを強く感じながら生活することを強いられていた。その体験から,原告A18は,戦争がどれほど人間性を否定し,人類社会に損害を与えるかを骨身にしみて知り,「もう戦争は嫌だ」という気持ちを強く持った。その気持ちを,戦後原告A18は,労働運動,平和運動,社会保障運動などに関わることで果たしてきた。二度と戦争に向かわせないということが,原告A18の生き方である。
原告A19は,出征した経験はないが,広島で原子爆弾を受けた被爆者である。原告A19は,自衛隊員が劣化ウラン弾を受けてその子孫にまで影響が及ばないか心配でならない。新たな放射線被曝による被害者を出すことは,被爆者である原告A19の人生をかけた願いを踏みにじるものである。
出征した体験ではないが,原告A20は,学徒動員の対象となった世代である。原告A20は,多くの学友を戦争によって失う悲しみを経験し,学徒動員として太平洋戦争に参加したことを悔いて,日本が戦争を起こしたことと自らが戦争に参加したことを誤りと感じている。その誤りを二度と繰り返さないことがいったん誤りを犯してしまった原告A20の心の支えである。
やはり,出征した経験ではないが,原告A21は,少女期を戦時中に過ごした。子供向けのラジオ放送はもとより,幼稚園に通ったときも,小学生のときも,歌唱指導は軍歌調の歌を強制され,学校では毎朝運動場で「鬼畜米英」と号令をかけて,コブシを前に突き出すことを強要され,宮城遙拝と東に向かって礼拝をさせられた自らの体験から,戦争を遂行していくために不可欠な国家の戦意高揚策は大人だけでなく子供に対しても容赦されないこと,戦時体制が子供を被害者とするばかりでなく,加害者としての小国民に育てていくことを痛感した。戦中・戦後の生活苦も経験した原告A21は,自らの体験から二度と戦争に向かわないことを自分の生きる道としてきた。長じて教師の職を選んだのも,再び子供たちを戦場に送らないためである。戦争への道を進まないことは,原告A21の生き方そのものである。
(サ) 空襲の下を逃げ惑った経験に基づく絶対的非戦
原告らの中には,先の戦争で,米軍機による空襲あるいは機銃掃射の中,命の危険を感じながら生き延びた経験をもとに,二度と同じような悲劇を繰り返さないと絶対的非戦を誓った者もいる。
原告A22は,昭和20年3月,アメリカ軍による神戸空襲を経験した。滞在していた姉の家の真向かいの小学校がB29の爆撃対象となって爆撃を受けた。そのとき原告A22は,B29の下部の爆弾投下口が開き,「ザー」というこれまでに間いたことがない恐ろしい爆弾等の落下音を聞き,それが小学校に着弾して一瞬に燃え上がる様をつぶさに目撃した。避難途中にも,赤ん坊を抱いたまま黒こげになっている母親の死体や,他にも黒こげの死体を多数目撃した。原告A22は,長い間「ザー」という爆弾音や黒こげ死体が出てくる夢にうなされ,苦しめられた。その原告A22にとって,日本が日本国憲法を定め,もう戦争はしない国になったと誓ったことは何より感激する出来事であった。原告A22にとって,二度と「ザー」という爆弾音や黒こげ死体を思い出さないように,そのような被害が二度と生じないように,戦争をしないことが生き方の中心である。しかし,アメリカによるイラク侵攻と日本政府による本件派遣は原告A22に再び「ザー」という爆弾音を思い出させ,苦しめている。
原告A23は,昭和19年,国民学校2年生であったが,疎開先で祖母と小川で洗濯の最中に上空からいきなり米軍グラマン機による機銃掃射を受けた。周囲には外に人影はなく,機銃掃射は明らかに二人を標的としたものであった。無辜の民衆を機銃掃射で驚かし殺すことは逃げ惑うおもちゃの人形を追いかけるようにさぞ面白いゲームだっただろうと考えると,原告A23は戦争を憎んでも憎みきれない。
原告A24は,学齢に達する前に太平洋戦争が始まり,米軍機による空襲を避けて疎開した。疎開先から真っ赤に燃える名古屋の空を見ながら子供心に強烈な恐怖心を感じ,その印象からずっと被害者としての意識から戦争をとらえてきた。しかし,戦後になって,実は日本がアジアの人々に対して加害者として振る舞い続けた歴史の中で起こったということを知り,慄然とした。その経験から,原告A24は,二度とあのような恐怖を味わわないためにも,二度と加害者として振る舞わないことを誓って生きてきた。
原告A25は,先の戦争中,神戸で2度,米軍機による空襲に遭った。焼夷弾の降りしきる中を逃げ惑い,多くの人々が焼夷弾を被弾し焼け死ぬ様を目撃し,中には首だけになってしまった遺体も目撃し,大変な恐怖と悲惨さを味わった。今もなお,原告A25からそのときの恐怖と悲惨さは消えることがない。原告A25は,その経験から,同じような恐怖や悲惨さを二度と誰も感じなくてもすむことを切実に願っており,現在,米軍によって都市を包囲されて空襲されるなどイラクの人々が直面しているであろう恐怖と悲惨さを無視することはとてもできない。
原告A26は,旧制中学1年生のときに名古屋大空襲の戦火に遭い,家が焼けた経験を持つ。空襲で家が焼けたときの猛火の記憶は非常に恐ろしく,70歳を超えた現在でも記憶にとどまっている。また,終戦直前に原告A26が乗っていた汽車が米軍の艦載機によって攻撃されたときの心臓が止まるほどの恐ろしさも忘れることができない。原告A26は,自らの戦争経験から,戦争で悲しむのは戦争に巻き込まれた一般人であり,絶対に戦争をすべきではないと心に決めている。
原告A27は,国民学校5年生のとき,東京大空襲を目撃した。そして敗戦直後には疎開先で弟と一緒に河原を歩いていたときに米軍グラマン戦闘機による機銃掃射の標的にされ,原告A27の目の前に未舗装の道に等間隔で着弾があり,土煙が上がるという経験をした。原告A27は,そのときの恐怖もさることながら,偵察飛行であるのに地上に動くものがあれば攻撃するような行動は,戦争が人を狂気にさせる典型的な例であると感じている。原告A27は,その後,安保闘争を機に反戦反核運動に参加したほか,ドイツ文学を専攻し,ドイツでのヒットラー・ナチス政権の成立事情と第二次大戦後の「過去の克服」を研究課題とし,大学での平和講座の素材ともしてきた。原告A27は,その戦争体験,研究学習と平和活動を通じて「軍事力は平和を創造しない。武力によらない安全保障は可能である。」との信念を有するに至った。原告A27の信念は,その人生に根ざした,まさに人格の中核に位置するものである。
原告A28は,東京大空襲を経験した。翌朝,東京を歩いたとき,防空壕の中に座位で焼け死んでいる人,家族が並んで座ったまま骸骨になっていた光景を目撃し,大変なショックを受けた。原告A28の小学校の同級生の中には神風特攻隊として沖縄で戦死した者がおり,教会で顔を合わせていた友人は学徒出陣で戦争にかり出されて戦死した。原告A28は,自ら目撃した東京大空襲の惨劇と友人たちの戦死から,戦争は国民の生活を破壊し,青年の心や家族関係を歪め,子供たちの心に深い傷を負わせることを実感した。そして,若くして戦争で死んだ同世代の人たちへの鎮魂の意味も込めて,二度と戦争をさせないことを決意している。
原告A29は,昭和13年に生まれ,育った長崎でよく空襲にあった。60代半ばを迎えた今でも飛行機の音が聞こえると,役場のサイレンを聞いて,たこつぼに避難した6歳のころのことを鮮明に思い出す。原告A29は,イラクで今,子供たちが自分と同じような空爆と空腹の恐怖に怯えているかと思うと,いてもたってもいられない。悲惨な戦争体験から再び武器は持たない使わないと誓った日本国憲法を戦争体験者として守り,他国の子供たちに対して日本が武器を向けることがないよう切に願っている。
原告A30は,小学校1年生のとき,近所を米軍のグラマン戦闘機に機銃掃射され,知り合いが何人か亡くなった経験を持つ。また,長崎に原子爆弾が投下されたときにも海を隔ててその様子をはっきり見ていた。中学校の数学の教師は長崎の被爆者であり,原告A30は,その教師から長崎の惨状を聞いた。原告A30は,自らの体験や教師の被爆体験を通じて,「絶対に武器を所持して人を殺し合う行為,行動はしてはならない。」と子供心に自然に思うようになり,それは自身の生き方の指針となっている。
原告A31は,4歳のとき空襲を経験した。家族の夕食時,突然機銃掃射を受け,母のすぐ脇を銃弾が横切ったこと,高台にあった家を狙って焼夷弾が落とされた経験と急いで防空壕へ飛び込んだときの死の恐怖を忘れることはできない。原告A31は,自らの経験に基づいて,二度と戦争しないということを誓って生きてきた。今,イラクの人々が突然の銃撃や,捜索と称して住居へ不法侵入してくる被害を受けていることについて,原告A31は,到底人事として看過することはできない。
原告A32は,4歳のとき母から「離ればなれになったらこの炒り豆を食べて生きていくんだよ。」と告げられ,空襲に遭ったら親であっても子供を守ることができない現実を感じ取った。原告A32は,二度とほかの親にも子供にも,親が子供を守ることができないような辛い思いはさせたくないと考え,そのために戦争を起こさせないことがその生き方となった。
原告A33は,国民学校4年生のときに敗戦を迎えた。それまでいつも灯火管制のため暗くして生活していたところ,その必要がもうなくなり暗やみに覆われていた世界に光が差し込んできたように感じられた。いつも「欲しがりません,勝つまでは。」といわれ我慢を強いられ自由を制限されていた生活からも解放され,原告A33は,戦争のない平和な時代が生命を取り戻させてくれたと感じた。さらに,日本国憲法の公布により,日本の国が二度と戦争をしない新しい国へと生まれ変わっていくことの喜びと誇りを抱くことができた。重苦しい雰囲気の中で自由を制限される戦争体験をした原告A33は,平和憲法こそは日本の国の拠り所であり,また世界にも誇り得るすばらしい財産であると考え,生きてきた。
このように空襲や機銃掃射によって直接命を狙われる危険を経験し,その経験に基づき,二度と同じような悲劇を繰り返さないと誓った原告は大勢いる。
(シ) 戦争によって家族を失った経験に基づく絶対的非戦
原告らのうち幼かりしころに戦争により親を失い,あるいは兄弟など身近な家族を失った者は,戦争がどれだけ庶民の生活を破壊するかという被害の甚大さを身をもって感じてきた。自分の子供たちにはもちろん,世界中のどの子供たちにも,自分のような悲しい思いを二度とさせたくない,させないというのが,同原告らが自ら経験した苦しみから生まれた生き方である。日本国憲法が戦争を二度としないと誓ったことは同原告らにとっては父や母,兄弟の死と引き替えに手にした誇りである。
原告A34は,父を戦争で亡くし,母を戦後の混乱の中,過労により亡くした。原告A34は,兄弟4人,ばらばらに親戚に引き取られて育てられたが,「親のない子」という差別に長い間苦しめられた。結婚に当たっては「親のない子は三文足らない。」と言われ,両親を失っていたことが大きな壁になった。原告A34は,戦後,自分のような戦争孤児たちがどれだけの苦労を強いられたかを考え,戦争は大量殺人にほかならないということを悟った。そして,戦争狐児として苦労を強いられた経験から,多くの被害者の家族を出す戦争を認めるわけにはいかないと決意して生きてきた。原告A34にとっては自分が納めた税金を使って戦争に加担することも,自分の生い立ちの苦労を否定することであり,どんな事情があっても認められないことである。
原告A35は,満州に生まれた。昭和20年5月に招集された父は今現在に至るまでその行方が不明であり,政府の方針で死亡扱いとされている。原告A35の母は,戦後満州から引き上げ,原告を含む3人の子供たちを苦労しながら育てた。原告A35自身も戦争によって父を奪われただけでなく,長じた後まで「片親の子は採用しない。」等の差別に苦しめられてきた。原告A35は,世界中の子供にも,もう自分のような苦しい思いをさせたくない。しかしながら,日本政府が支持したイラク戦争によって,今もなお,多くの子供たちが傷つけられ,生涯にわたる苦しみを背負わされていることに対し,いたたまれない。
原告A36は,空襲で母を失い,その後間もなく幼い妹も失った。運良く生き延びた原告A36は,戦後の小学校で「日本は二度と再び軍隊を持たず,戦争をしない平和国家になった。もうあのような怖く悲しい思いをしなくてもいいのだ。」と教えられた。原告A36は,戦争で母と妹を失った者として,二度と再び,日本人も他国の国民も戦争によって犠牲者を出すことがないよう,平和な日本と世界であってほしいと切に願っている。この切実な願いは,日本国憲法が定めているところとまさに合致している。母と妹を失うという悲しい体験に基づく,平和な日本と世界であってほしいという原告A36の願いは,極めて重いものである。
原告A37は,戦争で父を徴兵にとられた。父は原告A37が小学校1年生のときに帰還したが間もなくマラリアに罹り,精神を病んで生涯を終えた。父は,原告A37に戦地のビルマのパゴダの絵などを描いてくれたが,戦争については一切語らなかった。原告A37は,父を亡くしたことだけでなく,父が最後に精神を病んだために,社会的にさらに大変大きなプレッシャーを受けてきたが,長じてから父が従軍していたインパール戦について読み,その戦争の実態は優しい父には語ることさえできないほど凄惨なものであったこと,戦争によって優しい心を傷つけられ耐えられない思いをさせられたことに父が向き合うことはとてもできず逃げるよりほかなかったのだと理解できるようになった。原告A37は,父の戦争経験を通じ,普通の人を殺し,人殺しを強いるのが戦争であることを痛感し,二度と戦争を繰り返す国になってはならないと決意した。原告A37は憲法9条を絶対に支持する。
原告A38は,先の戦争で父を亡くし,60年たった現在でも戦争の映像を正視することができない。父の生きたかった人生を国家の間違った判断の戦争で奪われたこと,父を亡くした家族が犠牲を背負ってきたことは,日本が再び戦争をしないと誓ったことで,償われたと感じようとしてきた。しかし,再び日本が他国に武器を持って憲法まで,曲げて行く現実に対し,原告A38は「それが答えだった!なんて非情な国と思います。どんどん戦争に向かっているようで,怖い!」と感じ,その不安と怖さで眠れないときがあるほどに達している。
原告A39は,先の戦争で疎開した際,疎開先で日常の面倒を見てくれた祖母を米軍機による列車銃撃で失い,戦争は軍人だけが犠牲になるものではなく,何も知らない幼子や,それを守るために必死で生きていた老人の命までも奪うことを痛切に感じ,戦争のない平和を希求するようになった。そして,戦後定められた日本国憲法は,こんな悲惨な戦争は二度としないと高らかにうたい上げた自己の心にぴったりくるものであり,幼いころの苦しみを押し付けた大人たちの身勝手は決して許されないという気持ちで,この憲法の下,国民一人一人が主人公であると胸を張って生きるすばらしさを誇りに思ってきた。原告A39にとっては,戦争での理不尽な辛い惨劇を二度と繰り返さないと誓った日本国憲法こそが,祖母を失い平和な幼少期を失ったことの尊い代償であり,生きる支えなのである。
原告A40は,兄をソ連軍の銃弾により失い,敗戦の年に父を病死により失った。原告A40は,戦後の食糧難の中,空腹に耐えかねて近くの畑で空豆を生のまま食べたこともある。そのような苦しい生活を強いられ,原告A40は,戦争の被害を身をもって体験した。原告A40にとって日本国憲法の放つ光は格別であった。15歳のときに日本国憲法が公布され「もう戦争をしないで,世界の人たちと信頼し合い,平和な世界を自分たちで作り上げていけばいいんだ。」と思ったとき,大変苦しい生活を強いられていたにもかかわらず,原告A40は,日本に生まれたことを誇りに思った。原告A40にとって,二度と戦争をしないと誓った日本国憲法は,戦後の生活を支えてきた柱である。
原告A41は,出生前,父を沖縄戦で亡くしたため,父を全く知らない。わが子の顔を見ることもできずに戦死した27歳の父の無念,夫を亡くした若い母,一人息子を亡くした祖母の深い悲しみを思うとき,こんな悲しい思いはもう自分たちだけで十分だと考える。二度と自分のような戦争遺児を出さないでほしいというのが,戦争遺児である原告A41の悲壮な願いである。
原告A42は,兄を22歳の若さで戦死により失った。原告A42は,それから60年が経過した現在でも,兄を祀る仏壇の前にひれ伏して号泣したときのことを鮮明に覚えている。原告A42にとって,兄を戦死で失ったことは大きな悲しみであり,二度と殺し殺される戦争は起こさず,参加もしないという日本国憲法の決意は,兄の死と引き替えに手にした日本人としての義務である。
原告A43は,8歳のとき,米軍機による無差別爆撃のために2回家を焼かれ,戦争による心労と栄養不足により母を昭和20年に,父を昭和26年に失った。原告A43を含む幼い6人の子供たちは,筆舌に尽くし難い苦労をして生きてきた。原告A43は,自らの人生をかけて「戦争というものは,絶対に二度と起こしてはならない。」との強固な信念を抱いて生きてきた。原告A43は,戦争に苦しんだ者として,二度と戦争をしないと誓った日本国憲法9条を踏みにじる本件派遣を絶対に許すことができない。
原告A44は,徴兵にとられ行方不明になったまま,昭和20年8月15日を命日とされた父を持つ。残された母と原告A44ら子供たちは飢餓との戦いに必死の毎日を送ってきた。原告A44は,長い間,戦争の犠牲者だと思っていたが,その戦争が日本による侵略戦争であったと知ってから二度と再び加害者になりたくないとの思いを強くした。原告A44にとって,本件派遣は,自らの被害体験を踏まえ,二度と戦争の加害者にならないという信条に反することである。
原告A45は,中国戦線へ徴兵にとられて野戦病院で死亡した父を持つ。母は父の戦死を受け入れ難く,毎晩のように風が戸を叩く音に父が帰ってきたのではないかと目を覚まし,確認していた。原告A45は,母の悲しみと苦労を間近で見て,そして陽気で周りの人たちから愛されていた父が中国で行軍中に戦闘に加わり罪のない中国人を殺したかもしれないこと,父が戦病死した苦しみを想像し,戦争が罪のない多くの人間を傷つけることを実感した。そのため,原告A45は「戦争をしてはいけない。」と心に決めて生きてきた。戦争を再び行おうとする者を,原告A45は許すことができない。
(ス) 近親者の戦争体験を目の当たりにしたことに基づく絶対的非戦
原告A46は,21歳で徴兵され中国戦線へ送られた兄の一生を痛切な戦争体験として持っている。原告A46の兄は身体が丈夫でなかったのに兵隊不足のために戦争の終盤で徴兵され,戦地に入って間もなく肺結核を患い病院へ隔離された。帰国した後も,戦禍のため栄養のある食べ物も薬も不足し,体の回復もままならず,定職に就くこともできず,妻帯もせずにその一生を終えた。原告A46は,日本が戦争さえしていなければ,兄が中国へ出兵しなくてもすんだのであれば,兄にはもっと別の人生があったはずであると考えた。そして,自分の3人の男の子と孫たちにはこのような一生を決して送らせないために,「日本を再び侵略国にさせない。」と固く誓っている。
原告A47は,父の従軍体験とそれに根ざした平和への願いを受け止めて生きてきた。原告A47の父は,6年間日本陸軍の一兵卒として中国戦線・南方戦線へ従軍し,罪のない多くのアジア人に対して銃を向け,多くの戦友を失った。その父は戦後,天皇・上官の命令とはいえ自分が銃の引き金を引いたことを生涯の悔いとして生き,その身体に砲弾の破片とマラリアの病魔を抱えて「戦争だけはいけない。」と平和を願い続けた。二度と加害者にも被害者にもならないために「平和のうちに生存する権利」を全世界の人々に保障し,戦争放棄と戦力不保持を誓った日本国憲法は,原告A47の父の願いにまさに合致する。
原告A48には,中国戦線に学徒出陣によって送られた伯父がいる。伯父は,新兵訓練の一環として中国人捕虜を刺すよう命じられた際,その命令を拒否した。原告A48は,伯父の行為は人間の良心に従った正しい判断であると考え,伯父の行為を誇りに思っている。人間の良心に従った伯父の生き方は,原告A48の生き方にも大きな影響を与え,その良心には人を殺す行為に加担しないことが刻みつけられている。
原告A49は,伯父を戦争で失った。学徒動員により戦場へかり出された姉の知人が,戦争から59年たっても人を殺した苦しみから逃れることができずに飛び降り自殺をした。原告A49は,その自殺された知人がまじめで心優しい人だったと聞き,戦争がどれだけ人間性を損なうものであるかを実感した。原告A49は,戦争の犠牲になったあらゆる人たちのため,そして将来を担う孫たちのために,何としても戦争を二度と繰り返してはならないと考えている。
原告A50は,二人の息子の命を戦争に奪われた祖母の姿に戦争がどれだけ民を傷つけるかを見てきた。それでも祖母は,戦時中,気丈に国防婦人会で戦争協力の旗振りをしていたが,戦後,いつも仏壇の前で「国に殺された。」とうめくように悲しんでいた。原告A50は,祖母の悲しみを目の当たりにする一方,戦後の平和や民主主義,男女平等など日本国憲法に沿った教育を受けて育ち,「もう戦争はないのだ。」という安心感を得てきた。原告A50にとって,戦争は息子を失った祖母の悲しみであり,二度と戦争をしないと誓った日本国憲法は祖母のような悲しみを二度と繰り返さないことを保障してくれる大きな安心だった。
原告A50は,2人の息子の親となり,改めて「この子供たちを二度と戦場に送ってはならない。それが大人の責任なのだ。」と自らに対し絶対的非戦の誓いを新たにした。
原告A51は,旧満州,沖縄で,従兄や知人が戦死し,年をとるごとに当時では分からなかった親の悲しみ,祖父母の嘆きが痛いほど分かるようになり,戦争ほどこの世の悪はないと考えている。原告A51は,戦争の悲惨さを経験してもう二度とこんなことはしたくないと決めた。原告A51は,二度と戦争をしないと誓った日本国憲法をその精神のとおりに守っていきたいと願っている。
原告A52は,日露戦で片目を失明した祖父,3回の徴兵で人生が狂わされた父を持つ。しかし,祖父も父も孫や子供に対して,自分たちが召集された戦争が侵略戦争であったことは一切語らず,原告A52は,言論統制の凄まじさを感じてきた。祖父と父が徴兵によって人生を狂わされた経験から,原告A52は,戦争で儲かる人たちは戦死する側にはいないことを痛感し,孫や子供たちには,戦争によって人生を狂わせられず,かつ,戦争遂行のための言論統制もない社会を残したいと願って生きてきた。より多くの命を大切にすることを基準にした社会にしていくことが,原告A52の心からの願いである。
原告A53は,戦時中におそらく思想犯として検挙され,転向させられた後に旧満州へ役人として派遣されて現地で餓死した父方の叔父と,戦争末期に30歳を過ぎて召集され,おそらく被爆直後の広島市内の救護活動に動員された際に被爆し,その影響で夭逝した母方の叔父を持つ。そして,原告A53自身は,かつての小国民・軍国少女だった。その経験と叔父たちの経験を通じ,軍隊教育がいかに人間を非人間化するかを痛烈に感じ取ったと同時に,国民の福祉を切り捨て,「お国」の論理を国民の生活に優先させる昨今の風潮にも,先の戦争を遂行したときの日本の雰囲気を感じ取っている。原告A53は,自身の戦争経験から,「子供たちや孫たちを,殺し殺される時代に巻き込ませたくない。」という一心で戦争につながる一切のものに反対し,自らの生き方にしてきた。
原告A54は,敗戦時15歳であった。敗戦を迎えた疎開先で,大阪から集団で学童疎開してきていた小学生たちについて,大阪空襲のために親が亡くなってしまい,誰も迎えに来ない子供たちの姿を見た。同級生にはその父母が次々と迎えに来る中,誰も迎えに来ず,寺の本堂の片隅で肩寄せ合って泣いている姿,悲しそうな顔と慟哭の声を原告A54は忘れることができない。この経験から,原告A54は,戦争とは年端もいかない子供たちが一方的に残酷な仕打ちを受けるものだということを感じ,二度と戦争を起こさせないと決意した。原告A54は,今なお祖国が戦場となってしまったイラクで,親を失った子供たちが,かつて自分が見た学童疎開の子供たちのように慟哭の声をあげていると思うと,到底耐えられない。
原告A55は,40人足らずの小学校の同級生のうち11人を中国戦線・南方戦線・沖縄戦で戦死により失った。原告A55は,共に学んだ同級生たちが従軍し,日本軍としてどんなに残虐な行為に及んだかを,やはり共に学び命長らえて帰還した友人から聞き,戦争は,人を人間ではなく,鬼にすると感じている。原告A55は,かつての戦争で鬼にさせられて戦死していった級友のような犠牲者を二度と出させないため,戦争をしないと誓った憲法9条は「日本の宝」であると考えている。
原告A56は,戦時中の勤労動員中,学友が米軍機の銃弾を受けて命を落とした体験を持つ。戦争が終わったことがとにかく原告A56には嬉しかった。原告A56は,戦争をなくすためには戦争放棄しか道はないと確信している。
原告A57は,小学校の同級生が16歳の若さで特攻隊員となり戦死した経験,小学校の友人が広島の原爆で被爆して両親と兄弟5人を失ったという経験,友人が長崎の原爆で家族を失ったという経験,小学校時代隣家に住んでいたおじさんがグアム島で指揮官を務めていたところ,無実の罪で刑死したという経験,自身が勤労動員として一緒にボール盤で作業していたときに友人が機械に頭をえぐられて目の前で即死したという経験から,戦争というものは戦って命を落とした本人だけでなく父母,妻子,兄弟家族全員の悲劇をもたらし,一般市民も巻き添えになることを実感し,自らの悲惨な経験を二度と繰り返さないことを誓って生きてきた。
原告A58の父は,アメリカで生まれた。原告A58は,第二次世界大戦勃発時,アメリカに残っていた叔母たちが日本人収容所に入れられて大変辛い思いをしたこと,アメリカの従弟がベトナム戦争に従軍し,戦場で神経を麻痺させるために使いたい放題だった麻薬の中毒になって帰還したことなどを父から聞きながら育った。原告A58は,父から聞いた話をもとに平和のありがたみ,戦争の怖さを常に考えながら生きてきた。そして,憲法9条を何度も感動を持ちながら読んできた。原告A58にとって,世界の平和と日本国憲法を実現することが生き方の核になっているのである。
原告A59の父は,先の戦時中,中国戦線に出征し,軍事訓練と称して中国の人々を殺害した。原告A59は,父の体験を知り,自分は決して加害者になりたくない,私の子供たちにもどんな理由であれ人間を殺させたくないと考え,願ってきた。
このような思いで平和憲法を尊重してきた原告らは,他にも多数いる。
(セ) 戦中・戦後の困難を経験したことに基づく絶対的非戦
原告らのうち自分自身が出征しなくても,様々な形で戦争がもたらす困難・被害・加害を経験してきた者は,それぞれの経験に基づき戦争を二度としないことを誓って生きてきた。
原告A60は,戦前の職業軍人の家庭に育ち,満州で幼少期を過ごした。父はシベリアに抑留され,母は命からがら引き上げ,妹を中国軍の流れ弾によって失った。昭和23年になってようやく家族そろって生活することができるようになったが,戦争がいかに悲惨なものかを身をもって経験した。そして,原告A60は,過去,日本が軍事大国に進んできたことを反省し,二度と戦争をしないことを誓った日本国憲法を信条として生きてきた。その原告A60にとって,日本政府が人道支援と理屈をつけて明らかに憲法に反し,本件派遣を行っていることは耐えられない苦痛である。
原告A61は,1歳のとき旧満州へ渡り,敗戦までを過ごした。終戦直後には父が中国人の暴民に襲われたこともあり,また引き上げ途中で妹を麻疹により亡くした。原告A61は,自らの体験から日本が再び戦争をして他国民を傷つけたり,日本人も傷つくことのないよう切に願っている。その原告A61にとって,本件派遣は,日本が再び殺し殺される関係になることであり,堪え難い。
原告A62は,昭和13年に生まれ,学業短縮,勤労動員,学徒出陣などによって「生死の問題」を日々突きつけられる毎日を送ってきた。敗戦直前には,対戦車肉弾攻撃の訓練をさせられ,敗戦がもう少し遅ければ戦車の爆破のため爆弾もろとも爆死する運命にも置かれていた。原告A62にとって,戦争は「生死の問題」であり,敗戦後の深刻な反省に基づいて生まれた日本国憲法の眼目は,戦争を二度としないと誓った9条にある。原告A62は,特攻隊員として命を落とした級友たちのためにも,戦争を二度としないと誓った憲法を守っていく決意である。
原告A63は,戦争の悲惨さ,戦後の悲惨・不条理を子供時代に嫌というほど耳にし,読み,見た,悲劇的な世代の一人である。父を戦死で失った同級生や,街で道行く人に慈悲を請う傷痍軍人の姿,生死が分からずラジオの「尋ね人」番組で探されている状態に,「戦争で庶民は国家により都合よく使い捨てられて顧みられることはない。」と実感した。「もう,こういうことが二度と繰り返されてはいけない。世界はこの時代,戦争など起きたら破滅してしまう。」と感じ,戦争をしないことが日本人としての原告A63の誇りである。
原告A64は,敗戦直後に生まれた。幼いころ,東京の繁華街で手や足を失った傷病兵の姿を正視することができなかった。人をそれほどにまで痛めつける戦争を,心底残酷で恐ろしいと感じ,また「お国」のために戦うことの虚しさも同時に感じた。そして,原告A64は,幼心に「戦争は絶対に嫌だ。」と言う感覚を植え付けられたのである。その原告A64にとって,戦争の悲惨さと平和の尊さを訴え,世界の国々に先駆けて戦争放棄をうたった日本国憲法は誇りであり,大きな安心感をもたらしてくれるものである。戦争をしない国である日本に住んでいることは,アメリカで8年半生活した経験を持つ原告A64にとって大きな拠り所である。
原告A65は,敗戦時16歳であった。正義の名のもとに起こした戦争は,破壊と殺戮と荒廃と悲惨しか生まなかった。そして,原告A65も,戦争をしない,させない,紛争解決に武力を用いない,そんな世界を切ないほど望み,憲法9条を当時の日本人としてはまぶしいほどの希望と理想の表微として受け入れた。原告A65にとって,憲法9条は,その精神の根っこを形作るものである。現在,原告A65は,戦争も敗戦も貧乏も知らない世代が多数を占めるようになった今,戦争を経験した世代の責任として,戦争に手を貸すことを拒否し,日本が平和憲法の初心に返って行動することを強く求めなければならないと痛感している。
原告A66は,昭和18年に生まれ,戦争の悲惨さ,軍国主義の愚かさ,平和の大切さを心に刻みつけて生きてきた。原告A66にとって,日本国憲法は,戦争に関わらなくても良い生活を保障してくれる大切な存在である。
原告A67は,国民学校4年生のときに戦争が終わった。覆いをとった電灯の灯りを見たとき,もう明日から爆弾を落とされる恐怖は味わわなくて良いという,腹の底からこみ上げてくる喜びで胸がいっぱいになった。この喜びは,一生のうちで最大の喜びである。一方で原告A67は,戦争で父を失うという大きな悲しみも経験した。原告A67は,悲しみを踏まえてできた日本国憲法,特に9条は,これからの日本のいく道を示す平和で理想的な安心できる憲法だ,と心から確信し,この憲法があれば戦争のために誰も殺されることなく,誰も殺すことなく生きていけると確信している。
多くの原告らが戦後の食糧難等を経験し,そこから絶対戦争を繰り返さないとの思いを強くして生きてきた。
(ソ) 過去の戦争経験を学んだことに基づく絶対的非戦
原告らの中には直接戦争を体験していなくても,近親者あるいは知人から過去の戦争について教えられ,二度と加害者にならないこと,二度と被害者にならないことを誓って生きてきた者も多数いる。
原告A68は,沖縄の祖母が沖縄戦の体験を話すのを泣きながら聞いて育ってきた。祖母は「当時中学生だった次男が伝令を伝えるために壕から出たところを撃たれて死んださ。後になって骨を受け取りに行くと,後頭部がない頭蓋骨を渡された。私はそれを見て,ああ,即死だねえ,よかったって思ったさ。」と何度も原告A68に語った。祖母は,本州で戦後と呼ばれている時代にも肥えた農地をすべて没収され,家や家族を失い,毎日,j村で耳をつんざくような米軍ジェット機の騒音の中で,戦争の影響を受け続ける生活を送ってきた。原告A68は,祖母の話を聞き,戦争がどれだけ祖母を傷つけているかをまざまざと感じ,「おばあが二度と悲しい思いをしないですむ世界がつくりたい。」と心から願ってきた。同時に自分も子を持つ母となり,後頭部の吹き飛んだ我が子の頭蓋骨を抱く日なんて絶対にこないでほしいと思って生きてきた。原告A68にとって,祖母が戦争で強いられた辛い体験を二度と繰り返さないこと,自分の子供たちが銃を構えることなく過ごしてほしいということが生きていく上での何よりの願いである。
原告A69は,昭和12年に日本が植民地支配していた朝鮮半島の京城(現在のソウル)で生まれた。原告A69は,昭和20年8月15日,玉音放送が流れた時刻に,オモニたちが家々から飛び出して集まり街角で歌い踊るところを見た。そのときから,原告A69ら日本人はこれまでにしてきた仕打ちの酷さから暴動を恐れ,防空壕に隠れるなどして怯えて過ごした。原告A69が見た戦争は,侵略戦争であった。原告A69の父は,原告A69が生まれて間もなく召集され,中国戦線に出征したが,傷病兵となって他の部隊から隔離され,行方不明になり,戦死扱いとなっている。原告A69は,父は命を失ったが,父は命じられて人を殺したということも知っている。原告A69は,自らを「人殺しの子供」であると認識し,父に殺された人の家族,子供たちが今どうしているかを思っても償うことができない苦しみを背負って生きてきた。原告A69は,せめて同じ侵略を二度と繰り返さないことが,自分にできることだと考え,それは人格の中心をなしている。
原告A70の亡父は,中国戦線へ従軍した経験を持つ。同人は生前,自分が侵略者であるとは語らなかったが,亡くなる前に「中国へ行ってその国がどうなっているか見てみたい。」と語るようになった。他方,原告A70は,中国から日本へ強制連行されて奴隷のような待遇を受けた強制連行の生存者がいることを知った。原告A70は父が亡くなる直前まで従軍経験を忘れることなく家族にも語らず胸に秘めて過ごしてきことと,中国で強制連行の生存者がいることを重ね合わせ,武器や武力で平和がもたらされることは決してなく,そのトラウマは何十年も続くことを実感した。原告A70は,亡父及び中国の強制連行の生存者のために,二度と日本が同じ戦争の過ちを犯さぬようにしたいと考えてきた。
原告A71は,昭和2年に生まれ,戦中・戦後の苦労の中,被害者の視点で戦争をとらえてきた。平成7年夏に留学先のアメリカでメソジスト教会のキャンプに参加し,同じく参加していたフィリピン人女性から,日本兵に銃剣で刺された傷跡を見せられながら恐ろしい体験談を聞かされた。原告A71は,これまで被害者の視点からとらえてきた戦争において,自分が加害者であったという事実を具体的に生々しくとらえなおし,大変なショックを受けた。このような経験の中で,原告A71は,平和憲法の9条と,内心の自由を保障した19条と20条を大きな支えとして生きてきた。
原告A72は,長期の兵役を務めた父が,戦争が早く終わってほしいとの願いを記していた日記を読み,「体験しなければ分からないことも多いが,体験してからでは遅いことも多くあり,そのことは大きな犠牲を伴うと考え,いつの時代であってもどこの国であっても戦争は許される行為ではない。そんな戦争に参加する国には決してなってはならない。これが父が私に残したメッセージだ。」と考え生きている。
原告A73は,学生時代,在日1世,2世,3世の女性たちが日本語を学ぶ日本語教室で識字のボランティアとして活動してきた。参加するオモニたちから,日本の15年戦争の歴史とともに激甚化していった植民地支配のために,今なお疼き続け癒えることのない自身の体験を聞き,歴史的現実を教えられた。それ以来,原告A73は,日本が行った暴力(戦争)の加害責任と向き合おうとしてきたが,その一方で日本は,一貫してその加害責任を否認し続けている。原告A73は,過去の加害責任を蔑ろにしたまま日本が再び戦争の道へ歩むことは,自分に歴史と向き合うことを教えてくれたオモニたちへの取り返しのつかない裏切りになると考え,それを何とか食い止めたいと考えている。
原告A74は,両親の戦争体験を聞かされて育ち,「二度と戦争はごめんだ。」という両親の強烈な思いをひしひしと感じると同時に,両親と同じ願いを持つ国民の願いを体現した者として憲法9条があると理解してきた。原告A74は,今,イラクヘ派遣されている自衛隊員にも,次代を担う子供たちにも,両親から聞いたような戦争体験をさせたくないとの思いから,大人として行動しなければならないと決意している。
原告A75は,両親から戦争中の話を聞かされ,「平和だったらどんなことでも耐えられる。平和な今は貧しいけれど大丈夫,平和な時代が来たと思ったから安心してあなたたちを産んだ。希望のようにあなたたちを育てた。」と言われて育ってきた。原告A75は,母から託された「平和でなければ生きていけない。」という思いを子供たちに引き継ぐ義務を感じている。なし崩し的に戦争へ向かうことを許すことは決してできない。
原告A76は,旧満州からの引揚者である母の体験談や祖父母の苦労,義父の軍隊での理不尽な生活,幼子を抱えて夫の帰りを待っていた義母の話を聞き,戦争の悲劇は「私の夫やわが子たちには決して経験してほしくない。私には銃後の守りは耐えられない。」と感じた。原告A76は,母や義父母から聞いた戦争体験に根ざし,日本だけでなく世界中から戦場をなくしたい,と願っている。
原告A77は,昭和17年に生まれ,焼夷弾の音を最初の記憶として持っている。直接的に戦争によって傷つけられることはなかったが,あの戦争さえなければもっと豊かな子供時代を送ることができたのではないか,と考えている。あわせて,原告A77は,戦後50年以上たってから中国・韓国を旅して,日本が与えた戦争の被害が現在になお忘れ去られることなく残っていることを知った。原告A77は,被害者としての戦争の記憶だけでなく,かつての加害者としての戦争の記憶からも,新たな戦争の原因をつくることにつながるほんの少しの行為をも許してはならないと考え,自らに誓っている。
原告A78は,神戸で「k会」を結成し,過去に日本軍が犯した過ちの跡をたどり,明らかにする活動を続けている。それは,過去の過ちを繰り返さないため,そして,これから来るべき子供たちにつけを回さないために努力しなければならないと考えているからである。その努力をすることは,原告A78が生きていく意味の一つをなしている。
原告A79は,出生時に父が出征中であったことから「A79」と名づけられた。最初,原告A79は「A79」という名前が戦争に深く関わっていることから,とても嫌だったが,大人になり,この名前には「反戦」の想いが込められているのだと自ら読み替えた。自分の出生と不可分であった戦争が二度と繰り返されないことが,原告A79が自らの名前を「反戦」と読み替えて生きるに当たっての中核をなすことである。
原告A80は,中学生のときEの「人間の条件」という日中戦争を題材として戦争に疑問を持つ主人公を取り上げた長編小説を読んだ。そして,「戦争は人を狂気にする。でも私は人間として理性を持って生きたい。戦争はいったん始まったら一人の人間の努力で止めることはできない。だから戦争は始まる前に絶対止めよう。」と決意して生きてきた。
原告A81は,敗戦後,農林省の中央研究機関に所属し,昭和47年の沖縄復帰後6年間をウリミバエ根絶実験主任として沖縄で過ごした。そのとき,原告A81は,沖縄での戦争の酷さと軍隊がいかに民衆を犠牲にしたかを,集団自決の場で生き返った人や,防空壕の中で生まれ,兵隊から「赤ん坊の泣き声で敵に見つかる。出ていけ。」と言われて母に抱かれて戦場をさまよった同僚から直接話を聞いた。その経験から,原告A81は,国家による戦争の被害と国家による戦争に対する憎しみが今なお終わっていないことを痛感し,二度と国家による戦争を起こさせないことが何より重要だと考えた。
原告A82は,戦争を直接体験していないが,映像で知った戦争の場面に自分の子供たちを投げ入れてみれば絶対に許せない,と感じ,戦争のない世界を夢見て生きてきた。
原告A83は,20歳で終戦を迎えた父を持つ。父は生前,戦争を取り上げたテレビ番組を見る際,必ず「戦争は二度としてはいけないんだぞ。」と原告A83に言い聞かせてきた。原告A83は戦争を二度としないことを父の遺言と思い,生きている。
原告A84は,終戦直後に生まれ,家族から空襲の恐怖や戦争の恐ろしさを聞いて育った。そのため,飛行機の爆音を聞くと,防空壕に入らなくてはと思うほどであった。原告A84は,家族から聞いた戦争体験に根ざし平和憲法を誇りに思って生きてきた。イラクで今多くの民間人が殺傷されていることは,原告A84にとって甚大な苦痛である。
原告A85は,戦争を経験していない世代であるが,広島の平和記念資料館を2度訪れて二度と戦争をしてはならないと実感した。
原告A86は,旧満州で生まれ育ち戦争の悲惨さを体験した親から戦争の体験を聞きながら育ち,戦争を体験した世代が,二度と戦争はしないと理想にもえて受け入れた日本国憲法を大事にしたいと考えている。
原告A87は,小学生のころ,親や大人たちに「どうして,戦争に反対しなかったの。」と尋ねた。大人たちは「どうして言うて,とても反対できるような雰囲気やなかった。」と答えた。原告A87は,今度は自分が子供や孫たちから「おじいちゃんは,どうしてあのとき反対しなかったの。」と問い質されないために,平和を守るために自分にできることを精一杯やっておこうと考えている。
原告A88は,旧満州からの引揚者である父から,引き揚げの際の苦労を聞かされて育ってきた。原告A88は,高校生のころ,父に「なぜ戦争に反対しなかったの。」と尋ね,「そんなことを口に出せる時代ではなかった。」と答えられた経験を持つ。父から戦争の悲惨さを聞いて育った原告A88は,自分は平和憲法を持つ国の国民として,戦争につながる動きに対して声をあげようと決めて生きてきた。
原告A89も母に「なぜ戦争に反対しなかったのか。」と聞き,「反対などできなかった。知らないうちに戦争になっていた。」と言われた経験を持つ。原告A89は,母との会話により,平和的生存権は私たちが声をあげ主張しなければ気が付かないうちに侵害されて最初からなかったものとなってしまうもろいものだ,と気付き,自ら守るために行動することを誓った。
原告A90も戦争体験を持つ父母から戦前・戦中の話を聞いて育った。そこでは,「なぜ戦争に反対しなかったのか。」との質問に対し「私ら庶民には何もできなかった。」という答えが返ってくるのが常であった。原告A90は,父母らの当惑を理解するからこそ,日本が戦争に再び参加する国になっていくことに対し,断固として声をあげなければならないと心に決めている。
原告A91は,祖父母が戦争を体験した世代である。戦争を直接体験していない世代の者として,戦争体験者は被害者でもあったが,一方では加担者でもあったという事実を認識し,「自覚なき戦争加担者」になってしまうことがないよう,自問しながら生きている。いつか自分の子供から「どうして戦争に反対しなかったの。」と問いかけられないように,戦争につながる道は何としても防ぎたいと考えている。
ここに具体的にあげた原告ら以外にも,多数の原告らが同じように戦争に二度と向かわないことを誓っている。それぞれの原告にとっては,戦争をしないことが,単に国家に対する行為規範(憲法9条)というだけでなく,人間らしく生きるための条件として,犠牲になった方たちへの報いとして,次世代の子供たちへの責務として,それぞれの生き方を決している。
(タ) 日本の再軍備・自衛隊の海外派遣を食い止めようとする活動に参加してきた経験に根ざした絶対的非戦
原告らの中には,日本の再軍備・自衛隊の海外派遣を食い止めようとする活動に参加し,よりいっそう戦争をしないという決意を強くして生きてきた者も多数いる。
原告A92は,中学校教師を30年間務め,その間,様々な住民運動,市民運動,学校での教育内容・勤務条件改善のための活動に取り組んできた。昭和63年に名古屋の市民グループが企画した中国・南京の旅行に参加し,交流会で出会った中国人女性から「当時の中国・中国人が日本に何をしましたか。」と間われて日本の中国侵略の事実を思い知った。それ以来,原告A92は,日本は二度と戦争を起こしてはならない,そうならないように自分のできることをすべきであると決意し,「l会」を結成し,その事務局として毎年中国から日本へ招いて証言集会を企画しているほか,湾岸戦争に対する戦費支出を糾弾する通称「市民平和訴訟」やPKO法により陸上自衛隊がカンボジアヘ派遣されることを糾弾する通称「PKO訴訟」に原告として参加するなど,日本が二度と戦争を起こさないための活動に取り組んできた。原告A92にとっては,日本国憲法の平和主義を実現することがそのまま自分の生き方になっている。
原告A93は,40年間にわたって反核・平和運動に参加し,多くの国際会議に出席・発言したほか,戦争や核による被害を受けた土地を訪れ,被害者と交流を続けてきた。その都度,原告A93があたたかく受け入れてもらい,多くの人々と対話することができたのは,何より日本が憲法9条により「戦争をしない国」であることを知っているからこそであると感じている。原告A93にとって,その信頼を失うことは自らの反核・平和運動の否定にもつながることであり,耐えられないことである。
原告A32は,その半生を労働運動及び反戦平和活動に参加して生きてきた。前の戦争を記憶するおそらく最後の世代として,原告A32は,二度と戦争を起こさせないための労働運動及び反戦平和活動に参加してきたことを誇りに感じている。原告A32にとっては,再び戦争への道を開くことを容認することは,自らの半生の否定につながることであり,到底耐えられない。
原告A94は,勤務していた中部電力において昭和35年ころから継続した思想信条を理由とする人権侵害・思想差別に耐え,昭和50年,名古屋地方裁判所へ「職場に憲法を!」と訴えて提訴した。原告A94は,既に定年退職しているが,これまでの,今の,そしてこれからの原告A94の人生にとって憲法が大きな拠り所であり,あり続ける。原告A94は,その気持ちから,平和でまじめに働く人の幸せを追求するために,集会や講演会などに参加してきた。二度と戦争をしないという憲法の誓いを守ることは,原告A94の生き方である。
原告A95は,約10年前,地方議会に女性議員があまりに少ないことに憤り,仲間とともに「女性を議会に!みんなと政治をつなぐ会」を結成し,活動してきた。有事法制整備への動きが始まったころから,会としても平和の問題を最重要関心事として取り組んできた。毎週街頭でチラシを配り,署名活動を続け,学習会や写真展を開いたり,講演会をしたりしてきた。原告A95がこれらの活動を続けてきたのは,日本が再び戦前のような国に戻ってほしくないという願い,息子や娘や孫の世代に悔いを残したくない,という願いからである。原告A95は,高松港に横付けされた護衛艦の側でイラク派兵反対アピールをしていたとき,自衛官の一人に仲間が「すみませんね。お気を悪くしないでくださいね。」と話しかけたところ,自衛官から「いえ,私たちも決して戦争になんか行きたくはありません。どうぞ,気にしないでこういうことをどんどんやってください。」と言われた経験に基づき,戦争に行きたいと望んでいる人なんていないこと,戦争することを決めるのはいつだって戦争に行かなくてもいい人たちなのだということを再認識し,改めて戦争をさせないために行動することの大切さを感じた。情報を知りながら,自分で判断し行動して責任を引き受けようとしないのは明らかな罪であると感じている。
原告A96は,地元で「m会」を結成し,戦争に加担・協力しないための活動を行っている。原告A96は,親たちが戦争を体験した世代であり,出征した父たちによって殺された人たちがいるということにいたたまれない気持ちでこれまで過ごしてきた。父たちが過去の戦争で殺した人たちに対する償いとして,反戦は日本人の義務であると感じて生きてきた。これからも原告A96は,日本人の一人として諦めず,二度と戦争に協力せず,平和を取り戻す活動に努力していきたいと決意している。
原告A97は,敗戦のとき,村の国民学校の分教場で代用教員をしていた。昭和20年8月15日の聞き取りづらいラジオ放送により,とにかく戦争が終わったことを知り,ほっとした安堵感で一杯になった。二度と戦争はしてはならない,再び空襲の悲惨な思いを繰り返してはならないということを実感として強い決意となった。その後,原告A97は,村の青年団・郡の連合青年団・高知県連合青年団の結成に携わり,村の青年たちを激励し「文化国家」の建設に向けて一心不乱に運動してきた。原告A97にとっては戦争しないことが生き方の指針である。
原告A98は,「n」の代表者として地域からの平和創造のため,微力ながら活動を続けている。平和憲法を享受しながら,教員として生徒たちにその大切さを伝えてきた者として,国民に戦争の加害者になることを強制してくる政府の施策を,絶対に認めることはできない。
(チ) 自衛隊基地・米軍基地の側で生活する中で培われた絶対的非戦
原告らの中には,自衛隊基地あるいは米軍基地の側で生活することで,平和憲法を持つ日本にあって日々の暮らしを軍事によって脅かされる中で軍事では平和な生活をつくれないことを実感し,武力を許容しないことを決めて生きてきた者もいる。
原告A99は,厚木基地のある神奈川県大和市に居住している。子供のころは,飛行機の墜落事故があり未だに,騒音や墜落の恐怖から解放されない生活を強いられている。住宅密集地の上を飛ぶことの理不尽さはアメリカには通じないと感じ,戦争の犠牲になるのは民間人だということを日々の暮らしを通じて痛感している。原告A99は,軍事力に頼らない平和政策をとらなければ,軍事力の犠牲になる民間人はなくならないし,自分の日常生活にも平穏が訪れることはないと考えている。
原告A100は,岩手県一本木自衛隊駐屯地に隣接して暮らしている。機関銃のような音,ときに大地震と間違えるほどの轟音,子供たちが「きれい。」と言う照明弾など,自衛隊の訓練と隣り合わせに生きてきた。これまでは,人間に対してこれらの訓練が実際に使われることはないと思い,慣れて過ごしてきた。しかし,実際に今イラクで人々が実弾の入った大砲を向けられて右往左往しているところへ,自衛隊員が出かけて行くと思うと,自衛隊員がイラクの人々を傷つける側に立っていることを痛感し,いたたまれない。
(ツ) 世界各地の紛争の実態を目の当たりにし,自己を紛争の現場に投影することによって得られた絶対的非戦
戦争を直接経験しない世代の原告らにも,同時代に世界各地で起こっている紛争の映像等により戦争の実態を知り,傍観者としてただ見過ごすことができず,戦争に加担しないことを決めた者もいる。その決意が本件派遣によって侵され,大きな苦痛を感じている。
原告A101は,これまで世界各地での戦争の悲惨を目にするたびに胸を痛めてきた。しかし,そのときたった一つの救いは,自分はそのような悲惨をつくり出すのに手を貸していないと言い切れることであり,原告A101は,戦争しないことを決めた日本の憲法と戦争しない日本を誇りにしてきた。
原告A102は,ベトナム戦争でナパーム弾で焼かれる人間の写真を見た。日本の米軍基地から戦車が運ばれ,傷ついた兵隊が日本に運び込まれる経験に,戦争に加担しないための連帯を強めて生きてきた。原告A102は,戦争をしない国と誓った日本国憲法を,孫たちに引き継いでいく責務を感じている。
原告A103は,戦後間もなく生まれ,ベトナム戦争をはじめ世界の各地での戦争や紛争で罪もない子供たちが惨禍に巻き込まれていることに心を痛めてきたと同時に,再び戦争はしないという日本国憲法を持っている以上,日本は紛争から子供たちを救う側に立つことはあっても,紛争の一方当事者になることはないと考えてきた。その原告A103にとって,今度は日本から自衛隊がイラクヘ出かけて行き,罪もない子供たちを惨禍に巻き込む側になったことは,とてもショックで,到底容認できるものではない。
原告A104は,戦争を知らない世代であるが,報道等を通じて戦争の悲惨さや恐怖を想像することにより,殺されることは恐怖であり,人を殺すことはもっと恐ろしいことであり,絶対に避けたいと考えて生きてきた。原告A104にとって,納めた税金を使って自衛隊をイラクヘ派還することは,自らの信条に反することであり,決して容認できない。
(テ) イラク戦争及びその後のイラク占領の状況を知ったことをきっかけとする絶対的非戦
原告らは,アメリカのイラク攻撃により,イラクの人々が命と生活を奪われている現状を座視できないと考えている。憲法において戦争をしないと誓った日本が戦争に関わることはないという安心が根底から覆され,原告らは真剣に,戦争に加わらないことを望んで行動するようになっている。
原告A105は,高度経済成長時代に生まれ,戦争といえば受験戦争しか知らずに育ってきた。しかし,本件派遣により戦争を身近に感じ,このまま容認していけば息子や娘が戦場に行くことをも許すことにつながってしまうという恐れを感じた。原告A105は,自分が幸せになるには,自分以外の人たちが幸せになることが,必要だと感じ,そのために戦争につながる本件派遣を容認しないと決意している。
原告A106は,戦争は必ず弱い者たちを傷つけ殺し,その後には深い悲しみと激しい憎悪のみが残されることから,この世に「正義の戦争」などないと考え,すべての戦争に反対である。原告A106は,あらゆる戦争に対して反対する気持ちから,アメリカがイラクヘ攻撃を始めそうなときに「イラク戦争反対署名」を行い,「イラク戦争反対デモ」にも加わり,イラク攻撃を止めようと努力してきた。原告A106にとって,アメリカが始めたイラク戦争に対して日本政府が自衛隊を派遣していることは到底容認できないことである。
原告A107は,イラク戦争の映像などを見て,人は生まれて死ぬまでの間に色々な経験をするけれど,戦争などが頻繁に起こっている国は,一瞬のうちに人となる前に葬られてしまう悲しさは,あまりにも惨いと感じている。そして,当初は,本訴訟をしても,たぶん何も変わらないのではないかと思ったが,どんな小さな力でもそれがたくさん集まれば,できないと思っていたことを動かせる力になるかもしれないと思い,本訴訟に加わった。原告A107にとっては,本訴訟に加わることが自らの平和を願う心の発露である。
原告A108は,子を持つ母として映像で見るイラクの子供たちを正視することができない。原告A108は,平和憲法に守られた戦争放棄の国に生まれたことを誇りに思ってきたが,戦争を二度としない国を子供や孫たちにずっと永遠に受け継がせることを真剣に考え,行動することを決意した。
原告A109は,武力による平和などありえないと考え,戦争は嫌だと感じている。とりわけ,イラクのことを報道した新聞を読み,この戦争で誰も心の安らぎを得ていないのではないかと感じ,苦痛を与えるだけの戦争によって平和がもたらされることはないと確信している。
原告A110は,ベトナム戦争に従軍した元米兵のFの著作「Fさん,あなたは人を殺しましたか?」を読み,戦争が人間性を破壊するものであることを知った。ファルージャにおける米軍の無差別攻撃や旧アブグレイプ刑務所での虐待・拷問の生き地獄の様を見聞きするだけでも苦痛を感じている。原告A110は,「文をもって武に報いる」ことが日本国憲法の精神であり,そのことが平和をもたらすために何より大事であると確信している。
原告A111は,幼い子を持つ母である。自分が子供と過ごす幸せな時間とイラクで母親たちが直面している現実との差,イラクの母親たちの思いを想像して胸がしめつけられる思いに耐えられない。
原告A112は,「o」の活動を知り,今イラクの子供たちがどのような状況に置かれているかを知った。子育て中の原告A112にとって,自分の子供さえ安全なら遠い他国の子供はどうでもいいなどと考えることはとてもできない。また,親として子供を失って泣き叫ぶイラク人をテレビで見るたび,胸が苦しくなる。原告A112は,自分の子供が殺されたくないのと同様に,イラクの子供たちを殺す側の人間にもなりたくない。親としての原告A112の生き方である。
原告A113は,イラクヘ自衛隊が送られて以後,ニュース・新聞で「イラク」,「自衛隊」の文字を見るたび,自衛隊員が襲われて死者が出るのではないか,自衛隊員がイラクの人を殺してしまうのではないか,という不安を感じている。原告A113にとってこの不安はこれまで感じることのなかった戦争の不安である。
原告A114は,富む者が貧しき者たちに1トン爆弾やクラスター爆弾を投げつけていることに対し,人間らしい怒りを覚えている。
イラクで罪もない人々が殺されている現状に対し,日本政府がアメリカのイラク攻撃を支持し自衛隊を派遣するという関与の仕方をしていることについて,同じように耐えられない思いをしている原告は他にも多数いる。イラクで現在人々が殺されている実情は,日本政府が戦後のどの紛争に対してよりも直接的な関与をしていることにより,原告らにとって自分の生き方を直接脅かすものになっている。原告らにとっては,イラク戦争はこれまでと世界・社会の在り方を変えた出来事である。
(ト) 子供を持つ親としての素朴な願いから生まれた絶対的非戦
子供を持つ親として,子供たちの命を傷つけたくないという素朴な思いから戦争に加わらない社会を残したいと願い行動する原告らも大勢いる。
原告A115は,4人の子供を持つ母として,「日本が再び戦争に加担することがないように,大事な大事な子供たちが戦場へかり出されることがないように,世界のどこであっても戦争が起こらないように。」との願いから,小学校5年生・6年生の子供たちに絵本の読み聞かせを通じて,「二度と戦争にしない。」ことの大切さとそのために行動することの大切さを訴えている。
原告A53は,子供たちや孫たちを,殺し殺される時代に巻き込ませたくないという思いから,再び戦争への道を開くあらゆる出来事に対して反対してきた。産後間もない息子を抱えて60年安保反対の集会に出かけ,有事法制定に異議を唱えて国会に座り込みをし,「お国」の論理を個人に優先させる介護保険制度改悪に対して要望書を書くことにより反対の意思表示をしている。子供たちのために戦争を二度と起こさせないことが,原告A53の人生を貫いている。
原告A116は,高校生と中学生になる子供たちに,物心ついたときから第一に「何があっても,どんな状況でも,他人を傷つけてはいけない。」と教えてきた。それは人を傷つけ殺すこと(人を傷つけ殺すことに加担すること)を絶対的に避けたいという思いからであった。現在,日本政府が自衛隊をイラクヘ派遣し何の罪もない人たちの前で銃を構えていることは,原告A116が子供たちにこれまで教えてきたことと相反する事柄であり,原告A116はこの事態を看過することは到底できない。
原告A117は,自衛隊がイラクヘ派遣されると聞いて,嫌な時代になったと感じた。このままでは,いつか日本が昔たどった道をまた歩くことになるような気がしてならないからである。そして,原告A117は,自分の子供,そして自分以外の誰かの子供がそういう世界に生きるのは絶対に嫌だと考え,子供が戦争のない世界で安全に暮らすことができることを切実に願っている。
原告A118は,PKO法案が成立する国会の様子をテレビ中継で見ながら,子供たちが「ねえ,お母さん。何やってるの,どうしたの。」と体をゆさぶって聞いてきたとき,この子供たちが戦争に出かけることがあるかもしれないと心が震え凍る思いをした。これが原告A118の非戦の原点であり,子供たちに非戦の世界を残したいと切実に願っている。
原告A119は,小学生の子供を持つ父として,二度と戦争の加害者にも被害者にもならないという非戦の誓いを立てた恒久の平和を念願する崇高な理想を持つ国として日本を愛し,引き継いでいってほしいと考えている。
原告A120は,年頃の息子二人を持つ主婦である。「この大切な子供をもし戦争に」と思うと黙っていることができない。そのために,平和で戦争のない世界を心から願って生きている。
原告A121は,生まれたばかりの息子を持つ母である。絶対に大切な息子を戦争に向かわせたくないという思いから,この訴訟に加わった。原告A121には,海上自衛隊に勤務する義弟がいる。原告A121は自衛隊を否定するものではないが,戦地イラクヘ自衛隊を派遣することは誤りであると感じ,この訴訟に参加した。子供たちに明るく平和な未来を与えることが原告A121の心からの願いである。
原告A122は,過去日本が行った侵略の歴史を踏まえ,戦争にはどんな理由があろうと絶対反対である。これまで原告A122は,日本は,過去の歴史を踏まえて戦争を二度と行うことはないと思って生きてきたが,本件派遣によって,日本も外国から攻撃されるかもしれない恐怖を感じるようになった。特に,二人の娘が首都東京に下宿していることで,娘たちがテロリズムの標的になってしまうのではないかと心配する日々を強いられている。
原告A123は,日本には日本国憲法があるからもう二度と戦争には巻き込まれない,とこれまで安心して生きてきた。しかし,イラクの罪もない人々を殺しているアメリカに日本が協力・加担している現実に際し,原告A123は3人の成人した子供たちの今後の安心が奪われるのではないか,と心配でたまらない。
原告A124は,世界で一番大切なものは「平和」であると考えて生きてきた。小学生の息子を持つ母として,原告A124は自分の子供に人を殺させてはならないし,人に殺されてもならないと考えている。そして,殺人には重い罰が科されるのに戦場では殺人がまかり通ってしまうという戦争の実態を考え,何としても戦争につながる動きを許してはならないと考えている。
原告A125は,21歳の娘と18歳の息子の母である。自分が経験したことのない戦争を子供たちの世代に経験させてはならないと,何としても「不戦」,「平和」の日本を残したいと決意している。
原告A126は,イラクの子供たちが今実際に死の恐怖を味わっているのだと思うと胸が苦しくなる。そして,最近では自分の子供が危険な目にあう夢をよく見るようになった。大国の論理による大義の無い戦争で殺される命の報いが,いつか日本にもくるのではないかと不安の日々を送っている。
原告A127は,小さいころから戦争の悲惨を母から,映画から,本から教えられてきた。幼い二人の子供たちの将来が,戦争の駒として使われることのないよう,戦争を起こさない国・戦争に参加しない国にすることが大人の責務だと感じている。
以上において個別にあげたほか,多くの原告らが同様の気持ちを抱えている。
(ナ) 障害者として生きていく上での切実な絶対的非戦
原告らの中には何らかの形で戦争の影響により障害を負い,生涯を障害者として生きている者がいる。同原告らにとって戦争しないことは生きていく上での切実な要求であり,日本国憲法は生きていく上での誇りである。
原告A128は,敗戦直前に旧満州で生まれた。原告A128は,重度の身体障害者として生きてきたが,自らの障害は日本が仕掛けた侵略戦争と植民地支配の当然の帰結ではないかと考えて生きてきた。原告A128は,障害者が戦争中,戦争の役に立たない「ごくつぶし」とののしられ,一切の権利を奪われてきたことを,同じ障害者として決して忘れることはできない。戦争は「障害者を生み出す最大の暴力」であり,平和と民主主義の中でこそ,障害者の幸せは実現できると実感している。原告A128は,自らの人生をかけて人間の尊厳を侵す戦争には断固として反対する。
原告A129は,脳性小児麻痺児として生まれた。母は常々「戦争がなかったら食料不足にならずに,栄養もしっかりとって元気な子供に産んでやったのに。」と悔いながら原告A129を育てた。原告A129は,小学校6年生のとき,「あなたたちは憲法があるからこそ,こうして教育が受けられるし,障害者であっても平等に生きていけるんだ。」と教えられ,弱い人たちの味方をする憲法を生きる核心として,その後の偏見や差別に抗して生きてきた。結婚するときにも「憲法があるから生きていけるさ。」とプロポーズした。原告A129は,再び戦争を許したら自分を苦労して産んでくれた母を裏切ることになると思い,また,戦争する国で社会保障が削られ生存権・基本的人権をも奪われる状況に追い込まれるという事実,イラクで戦闘により日々障害者がつくり出されている事実に対し,自らの生きてきた道筋から,憲法を否定して戦争へ向かうことを許すことはできない。
(ニ) 教師としての活動から形成された絶対的非戦
原告A130は,戦時中,本土空襲が続くようになっても「天皇は現人神」と仰ぎ,神風を信じて「欲しがりません勝つまでは!」とお国の必勝を信じる皇国・軍国少女であった。原告A130は,戦後,平和と民主主義が謳歌される中で自由に電灯をつけることのできる自由な生活を大変喜び,初めて学ぶ喜びを知り,戦争は大量殺人であり,地球汚染の最たるものと認識できるようになった。ところが間もなく,朝鮮戦争が始められ,レッド・パージが行われるようになると,戦争へ再び向かう流れを敏感に感じ取った。原告A130は,微々たる力でも戦争を回避する運動についていこうと決意して教職の道を選び,教職員組合に加入し,過去の戦争に協力して教え子を戦場で死なせた人やシベリア抑留者など多様な経験を有する職場の先輩たちとともに,過ちを二度と起こさないため,教え子を再び戦場に送らないため,安全な地球を子孫に譲りたいと願って活動し続けてきた。原告A130にとっては,戦争の過ちを二度と繰り返さないことが,教職という職業を選ぶことにつながったのであり,その後の教職員としての人生も戦争の過ちを二度と繰り返さないために捧げてきた。戦争を二度と起こさせないことは,原告A130の人生の中核をなすことである。
幼少期に戦争による苦難を経験した原告A21は「再び子供たちを戦場に送らない」ことを胸に教師になった。原告A21は,教え子たちと同世代の若者がイラクヘ派遣されていることを,かつて自分が受けた苦難のように政府が国民に苦痛を強いて大義のためとして多くの人たちの命を奪ったことと同じ道と見ざるを得ない。本件派遣は,原告A21の人生を否定することそのものである。
原告A131は,昭和18年に生まれた。幼いころ,あるいは学校に上がってからの記憶として,同級生の中に父を戦争で失った友がたくさんいたことを覚えている。当時原告A131は,父を失った友人たちが上級学校への進学を諦めている様子に同情し,自分は運が良いと思っていた。ところが戦争について学び,原告A131の父と祖父が戦争を進める側におり,安全についての情報を入手することができたからこそ,家族全員が無事に過ごすことができたのであり,自分の進学希望がかなったのは単なる幸運ではなく必然の結果だと知るようになった。かつての自分を恥じ,二度と級友たちのような思いを子供たちの世代にさせないため,原告A131は,憲法9条を支えに,教員として「教え子を再び戦場に送るな。」という理念の実践に努めてきた。原告A131にとって,平和憲法を持ち,戦争をしないと誓ったことは生きる拠り所であり,人生の指針である。
原告A132は,広島県の教職員である。原告A132は,昭和20年8月6日に原子爆弾が投下された街の教職員として,ヒロシマはすべての戦争を排除するために戦争に対する怒りを世界に訴えてきたのだと考え,その先人たちの努力と平和への願いを無駄にするようなことは絶対にしたくないと考えている。原告A132にとっては,教え子たちに二度と戦争をしないことを伝えていくことが,教員としての使命である。
原告A133は,昭和21年5月,一面空襲の焼け野原となった浜松市で生まれ,高校の教員を職業として選んだ。教員として,原告A133は,生徒たちに「平和な社会をつくっていってほしい。」と願い,意識して憲法,特に前文と9条について生徒たちに話すようにしてきた。また,読書感想文などで「なぜ戦争が起こるのか。」と生徒たちから問いかけられる疑問に答えるべく,原告A133自身も様々な戦争体験の本を読んできた。本を読む中で,原告A133は,その場その場をまじめに生きている人たちが結果として侵略のための一歯車にさせられてきたという事実に直面した。原告A133は,自分の国の過去をしっかり見つめ,再び戦争の惨禍がないようにすることを決意している。
原告A48は,県立高校の教員である。民主的で文化的な国家を建設して,世界の平和と人類の福祉に貢献できる力を養っていく手伝いをすることが教員の務めであると考え,日本国憲法と教育基本法を遵守尊重して日々の教育に当たってきた。
教師という職を通じて,現在の世情の方向が再び戦争の方向へ向かおうとしていることを感じ取り,苦痛に覚えている原告もいる。原告A134は,君が代の斉唱が教職員に押し付けられるような世情の中,自衛隊派兵を理解し支持するよう教えることが職務命令とされたならば,自分はどうしたらよいのだろうか,良心と信念に従って行動したら職務命令違反に問われ,免職ということになってしまう,そう考えて眠れないときがある。現在の社会状況を考え,本件派遣が既成事実になることを何より恐れている。
原告A135は,父が赤紙1枚で戦場にかり出され,ビルマで戦死した経験から,「国体」とか「お国」とか「全体」が大手を振ってまかりとおるとき,人の命は紙切れ1枚になってしまうことを痛感した。戦場での死を紙切れ1枚の犬死にであることを自覚しないまま一生を閉じてしまった父のためにも,その父も虐殺に加わったアジアの人たちのためにも,二度と戦前の悲劇を繰り返してはならないと心に決めて生きてきた。そして,教師となって以来,原告A135は,高校の社会科教諭として「戦場に再び教え子を送ってはならない。」という信念を抱き,日本国憲法の尊い理念を生徒たちと共有できることを誇りに感じて生きてきた。
原告A136は,広島の原爆資料館で知った凄惨な被害を二度と繰り返さない,中国・朝鮮での加害の悲惨を二度と繰り返さない,という思いから,再び戦争の惨禍を繰り返さない社会を築いていきたいと考え,社会科の教員になった。再び戦争を繰り返さないと誓った日本国憲法は原告A136にとって誇りである。
教師として,戦争を再び繰り返さないことを心に決めた原告は他にも多数存在する。
(ヌ) 船員としての世界体験から形成された絶対的非戦
半世紀にわたり船乗組員として働き,イラン・イラク戦争下の海を航海した経験を持つ原告A137は,冷戦下の代理戦争や武器荷役の実態をつぶさに見てきた。原告A137は,武器の生産こそ,世界的に止めなければならないと痛感している。戦力不保持を誓い,戦争放棄を誓った日本国憲法は,兵器産業や「死の商人」を政治から排除する仕組みを本来的には有している。
また,原告A137は,エスペラント創始者であるGの「人類人主義」,すなわち,個々の人間はいずれかの国家・民族に属するものだという常識の枠を超えて,まず,人類の一員であるべきだという精神に感銘し,戦争に協力しない点で日本国憲法の絶対的な平和主義の精神は「人類人主義」に一致するものと考え,日本国憲法を堅持し,どのような名目にせよ,戦争に協力するようなことのないように望んでいる。
(ネ) 語学教師としての矜持に基づく絶対的非戦
原告A68は,幼い子供たちに英語を教えている。それは,地球人として,国境を越えて友情を育む手段として必要だからである。子供たちも世界中に友達をつくることを夢見,国益のために戦争を容認することはできないことを知っており,みんな大好きだったら話し合って地球が壊れないように共に生きていこうと努力することを知っている。原告A68は,子供たちの願いが達成され,子供たちが銃を持って国際貢献することのない世の中になることを心から望んでいる。子供たちと原告A68の願いは,戦争放棄並びに諸国民の公正と信義に信頼して生存を保持することを決意した日本国憲法前文,9条にまさに合致することである。
原告A138は,ベトナム語の教師である。外国語を学ぶとき,新しい知識と友人を得ることが喜びの源となり,平和に交流することこそが新たな平和な関係を築くと信じている。しかしながら,原告A138は,自衛隊がイラクヘ派遣されるときに現地の言葉を多少学んだとの新聞報道に接し,語学を教えることが武器を携えて友人のもとを訪れる行為につながると感じ,自分は決して武器を持って外国へ出かけるために語学を教えたくないと感じた。平和をもたらす交流のためにこそ,語学を教えたいというのが原告A138の語学教師としての矜持である。
(ノ) 社会福祉に携わる者としての絶対的非戦
原告A139は,児童養護施設・児童自立支援施設で働き,傷を負った子供たちの苦しみに関わってきた。原告A139が関わってきた子供たちには,日本の社会の歪みを背負い,親がいなかったり親から愛情を受けられず苦しんでいる子供がたくさんいた。夜になると「お父さん,お母さんと一緒にいたい。」と決まって泣く子供もいた。しかしながら,子供たちの親代わりとなるべき職員は,6人の子供に対してたったの一人しかなく,子供たちに与えられる場所は寝るにも勉強するにも子供一人3.3平方メートルのスペースしかない。日本政府が軍事費に使っている予算を傷つき苦しんだ子供たちに向ければ,もっと子供たちを大事にすることができる,という確信と「あなたたちの人権は保障されるんだ,生きる権利があるんだ,大人がその環境をつくっていくのだから。」という子供たちに対する大人としての責任から,原告A139は,福祉を貧困にする戦争に反対する。同時に,子供たちの成長に関わっている原告A139には,日本の子供たちだけでなく,イラクの子供たちに対して生涯にわたる苦しみを与える行為を支持することは,到底できないことである。
原告A140は,幼稚園の教諭である。原告A140は,子供たちの笑顔は,平和であるからこそ生まれる私たちの宝物であると日々感じている。そして,子供たちには「君たちの生まれてきた世界は人を殺したり戦ったりしなくても人間の知恵と愛で安心して暮らせるんだよ。」と教えたいと願っている。この原告A140の願いは,まさに戦争を二度としないと誓い,全世界の人々の平和的生存権を尊重することを誓った日本国憲法の精神に合致するものである。
(ハ) 医師としての矜持に基づく絶対的非戦
原告A141は,医師として毎日診療所で診療に従事している。原告A141は,戦後生まれであり,街で傷痍軍人の姿を見たり,新しい憲法を学んだりする中で,戦争は恐ろしいもの,人間の理性を狂わし,とてつもない不幸をもたらすものと認識してきた。原告A141が医師を職業に選んだのは,何より人の命の大切さを考え,その命を生かすことに携わる医師の仕事はすばらしいと考えたためである。医師となった後も,医療生活協同組合に就職し,地域住民とともに健康を守り,平和を求める運動に関わってきた。原告A141にとって,戦争を二度としないという誓いと日本国憲法は,人生の職業を含めた生き方を大きく規定する存在である。
原告A142は,歯科医師であり,診療室では患者と協同の営みである診察と治療に時間と労力を費やし,おいしく食べ,楽しく会話し続けることができるよう歯の健康を守っている。歯の健康を通じ命を守ることを生業とする原告A142とって,一瞬にして命を奪い去る軍事行動に加担することは,歯科医師としての矜持を否定されることであり,到底容認することはできない。
(ヒ) 文化活動に携わる者としての絶対的非戦
原告A143は,児童劇を専門に日本全国を回り,ときには海外でも講演活動を行っている。芝居は人間が生存していくための第一条件ではないかもしれないが,現在の自分と社会を取り巻く状況を批判し,生きることに勇気や希望を与え,未来を築く生きる力の元になるものであり,人間らしく生きることにつながるものである。しかし,原告A143は,海外公演で世界各地を回る中で,芝居は平和の中でなければ楽しむことができないということを痛感した。すべての人にとって当然であるべき生存ばかりでなく,人間らしく生きるために必要な社会活動・文化活動までも踏みにじる戦争を,原告A143は決して認めることはできない。
(フ) 宗教者としての信念に基づく絶対的非戦
宗教者として信じる教義に従い,戦争に加わらないことを生き方としている原告も多数いる。
原告A144は,浄土真宗の僧侶である。仏教には「殺すな,殺させるな,殺すのを容認もするな。」という教えがあり,仏教を拠り所として生きる人は,常に非戦の立場で生きることを生活の中で実践している。
そして,憲法9条は,それと同じことを国レベルで宣言しているものである。原告A144は,イラク戦争において自らの友人であるジャーナリストのHがバグダッド市内のホテルで死の危険にさらされ,大切な友人が死ぬかもしれないという恐怖を身をもって体験し,そのとき初めて,戦争の怖さを知った。原告A144は,仏教者として戦争を容認することは「殺すな,殺させるな,殺すのを容認もするな。」という仏教の教えに直接背くことになることを実感したのである。戦争を容認しないことは,仏教者としての原告A144の生き方である。原告A144にとっては,イラクの多くの市民を殺すことに加担させられることが仏教者としての教えに背くことであり,大きな苦痛となっている。
原告A145は,真宗大谷派に属する寺の住職である。真宗大谷派は戦争中,教義に背き国家の戦争に協力してきたことを悔い,宗派としての不戦決議を誓っている。そして,原告A145は,真宗大谷派大垣教区で「別院平和展」に取り組み,近現代の歴史を学び,教団の戦争責任を掘り起こす中で,国家の戦争に大義を与え,国民を動員する宗教の問題は,過去の問題ではなく,まさに現在の問題として自分に突きつけられていることを痛感してきた。原告A145は,あらゆる戦争に対し宗教者として反対していく決意である。
原告A17は,従軍体験から浄土真宗に深く帰依するようになった。原告A17は,日本国憲法が仏教徒の規範になるものであると確信し,侵略を進める拠点となった靖国神社を中曽根元首相及び小泉首相がそれぞれ総理大臣として参拝したことに対して,それぞれ訴訟を提起し,原告となって争ってきた。原告A17にとっては,憲法9条を守っていくことは仏教徒の信心そのものであり,人格の中核をなすことである。
原告A146は,真宗大谷派住職である。「国豊かに民し。兵戈用いることなし。」という浄土真宗宗祖親鸞聖人の教えは,戦争放棄を気高く宣言し一切の武器を否定し,武力を収めさせる日本国憲法の精神と合致するものである。「兵戈」があることに疑問を抱かないようになり,それを外国へ向かって派遣することは,原告A146にとって自ら信じる仏教の教えに背くものであり,同時に日本国憲法を否定することにつながるものであって,到底耐えられない。
原告A147にとっても,「兵隊はいらない。」と説いた釈迦の説法精神は日本国憲法9条の精神と全く合致するものである。
原告A148は,日本キリスト改革派に属する牧師である。原告A148は,戦前・戦中の国家神道体制が復活する気配を感じ取り,盛岡教会牧師在任中に岩手靖国訴訟に原告団長として加わった。「暴力による支配」につながる行為,「加害者」として加担することにつながる行為を許すことは,宗教者としての原告A148には到底できないことである。
原告A149は,聖書により「力のない弱い者,病める者,希望をなくした者こそ優先的に手を差し伸べなさい。」と教えられてきた。その原告A149にとって,今回のアメリカによるイラク侵攻と日本政府による自衛隊派遣の実態が明らかになるたび,聖書の教えに背くことが明らかとなり苦痛を感じている。
原告A150は,沖縄への切り込み隊を送り出した一兵士として,沖縄の戦中・戦後の苦しみに対し,ずっと責任を感じ申し訳ないという気持ちを抱いて生きてきた。一キリスト者として,原告A150は,今こそ命がけで平和を守る覚悟を決めている。
(ヘ) NGO活動を通じて得た絶対的非戦
NGO活動などに関わる中で,戦争に加わらないという決意を強くした原告もいる。
原告A151は,アジアの人々と共に貧困をなくすための活動に関わってきた。その中で原告A151は,貧困の原因の一つが,今なお終わることのない戦争であることを知った。原告A151にとっては,もし自分が,日本が再び「戦争する,戦争を助ける国」になっていこうとしていることに対して何も行動しなければ,それは自分が貧困の種に水をやることにつながり,自分が出会ってきたアジアの人たちを裏切ることになる。そのような事態は,原告A151の生き方を否定することである。だからこそ,原告A151は戦争に断固として反対する。
原告A152は,日本の国連NGO国内婦人委員会参加団体の代表として中東(カイロ・アンマン)を尋ね,「女性と平和」をテーマに現地の女性たちと意見を交換した。そのとき,中東の女性たちから「日本は,なぜそんなにアメリカの言いなりになるのか。」と問いつめられ,本件派遣に当たって大義名分として持ち出される「国益」の意味を考えさせられた。原告A152には,初めての赤ちゃんを授かったばかりの若い自衛官が知り合いにいる。原告A152は「もし,彼が戦場のイラクに送られ,命を落とすようなことがあったら。」と考えるといても立ってもいられない気持ちになる。そのため,原告A152は,自衛官たちが対米追従外交の犠牲となり,イラクにおいて自衛官たちの命が危険にさらされるだけでなく,自衛官たちにイラクの人々を殺させることにもなりかねないことに,いても立ってもいられない気持ちである。
NGOではないが,原告A153は,青年海外協力隊の隊員として国際協力専門家として,国際協力援助の現場で任に当たった経験を持ち,そのことを誇りにしている。原告A153にとっては,「戦闘のプロ」にすぎない自衛隊が原告ら文民の,官民問わない地道な努力によって積み重ねた信頼を踏みにじることは,侮辱であり,許すことができない。
(ホ) 日本国憲法の平和主義理念に基づく絶対的非戦
原告らは,様々な形で日本国憲法の平和主義理念と出会った。戦時中,軍国主義を徹底的にたたき込まれ,多くの被害を受けて敗戦を迎え,新しく戦争を二度としないという日本国憲法を学ぶ中で,これこそがこれからの自分の生き方だと確信を抱いた原告もいる。人殺しに加担させられる戦争は嫌だという願いは,日本国憲法によって保障された願いであり,この人間としての当然の願いを保障している日本国憲法は,原告らにとっての誇りである。
原告A154は,学校で出征体験のある教師に日本国憲法を教わった。その教師は,学徒出陣で幹部候補生として陸軍に入り,幹部になる前の兵隊であったころに中国で八路軍の容疑をかけて捕らえた農民を,命令により銃剣で突き殺した経験を持っていた。教師は,今でも銃剣を突き刺したときの農民の怒りと恨みのこもった顔,悲鳴が耳について離れないと原告A154らに語るとともに,「憲法9条は人類の理想だ。君たちは幸せだ。もう他国へ行って人を殺すことはないし,殺せと命ずることも,殺されることもない。やがて時が流れて,戦争による犠牲を多くの人が忘れたころには,この憲法9条は非現実的だという声も出るだろうが,君たちは,この憲法が日本による戦争で殺された人や死んだ人たちの遺言だと思って守ってほしい。」と教えた。原告A154は,何十年も前のこの教えに大変感激し,今なおはっきりと胸に刻んで生きている。この教師の教えとしても,かつて日本が侵略した東・東南アジアに対する約束としても,原告A154は,自衛隊員に他国民を殺させてはならないし,自衛隊員を死なせてもならないと心に決めている。
原告A155は,新制中学校で副読本であった「あたらしい憲法のはなし」を使って日本国憲法を学んだ。それまで軍国少年としての教育を受けてきた原告A155にとって,その前文や9条は特に鮮烈で新鮮であった。悲壮ともいえる崇高な精神を尊く,誇らしく思って生きてきた。
原告A156も敗戦当時は一人前の軍国・愛国少年に育てられていたが,日本国憲法により価値観が大きく転換させられた者である。原告A156は,憲法9条を教わって目が覚め,以来「戦争の愚かしさ,平和の尊さ」を信念として年を重ねてきた。
原告A157は,11歳のとき敗戦を迎えた。両親,校長,担任をはじめとして,周りの大人たちが,それまでの軍国主義をころっと脱ぎ捨てる中,国際紛争を解決する手段として戦争をしないと誓った日本国憲法は,原告A157が人として生きていく上での支えとなった。
原告A158は,軍歌を空で歌えるほどの徹底した軍国主義教育を受けた。敗戦後,あの戦争は侵略戦争だったと教えられ,「あたらしい憲法のはなし」という副読本で日本国憲法を学び,主権在民,人権尊重,平和主義こそが新しい日本と自分たちの進む道である,と固く信じて生きてきた。原告A158は,君が代・日の丸が礼賛され,侵略戦争に突き進んでいった過去を振り返り,現在の君が代・日の丸の強制などの動きに,再び戦争へと向かう危険を強く感じ,孫たちを戦場へ送らないためにも,自衛隊の派遣を差し止めたいと願っている。
原告A159は,両親から戦争の記憶を聞くことにより,「戦争とは,頭の上から恐ろしいものが降ってくる中を逃げ惑うもの」というイメージが刻み込まれ,「戦争は怖いもの,嫌なもの」という絶対的な感覚を得た。そして,中学校2年生のとき試験勉強のために日本国憲法を初めて読んだとき,ほかならぬ自分の国の憲法が,これほどはっきりと「もう戦争はしない」と約束していることに大変驚いた。同時に,こんなすばらしい憲法が自分のものだということを知り,頼もしく,また誇らしく嬉しく思い,日本国憲法は,原告A159の日本人としての生き方の基礎の一つになっている。
原告A160は,20代であり,直に戦争を目にしたことはない。しかし,幼いときから戦争について語った本,漫画,集会などを通じて,戦争の恐ろしさを教わってきた。戦争の恐ろしさを知るたび,原告A160は「もし,今,日本が戦争になったらどうしよう。お父さんが兵隊にとられたらどうしよう。」と不安に思ってきた。原告A160にとって,戦争の不安は,身近な家族の命が奪われることであり,戦争は嫌だと思って生活してきた。そして,その不安は,これまでマスコミで「遠い国の戦争」が伝えられても,日本が実際の戦争に巻き込まれることはなく,現実化することはなかったが,今回の日本政府によるイラク戦争支持及び本件派遣により,現実的な日常の不安となってしまった。原告A160は「自分の弟が兵隊にとられてしまったらどうしよう。」と不安でたまらない毎日を送っている。
原告A161は,生き方の基本に「命の尊厳を侵さない。」ということを据えている。この原告A161の生き方は,まさに日本国憲法の精神に合致するものである。
原告A162は,戦争が嫌だと強く感じている。戦争は人殺しであり,人殺しには正しい人殺しなどあり得ないためである。原告A162は,かつて日本が多くの戦争犠牲者を出したので,その過ちを二度と繰り返さないために平和憲法が定められたことの意義を強く感じている。
原告A163も両親から人を殺さないよう教わって育ち,直接にでも間接にでも殺人に手を染めたくないと望んでいる。
原告A164も,この世に正しい戦争などあり得ないと感じ,二度と戦争をしないことが先の戦争で犠牲になった数多くの人々の思いに沿うものだと考えている。
原告A165も,戦争は人殺しだから嫌である。原告A165にとって,どこの国の人であろうとも,家族を殺されることは耐えられない。そして,日本国憲法9条は,そんな原告A165の気持ちを反映したものであり,原告A165は,これから生まれてくる子供たちのためにも憲法9条は必要なものであると考えている。
原告A166も,子供のころから書物,映像,演劇,教育,体験談などを通じ,正義のための戦争などあり得ないことを学び,戦争は絶対してはならないものであると心に刻んできた。
原告A167は,小学校で「日本は戦争をしない。日本国憲法でそう定められている。」と教えられたときから,日本で生活する限り,テレビ・映画・小説で描かれている恐ろしい戦争には巻き込まれる心配はないと思って生きてきた。同時に,日本人が戦争によって外国の人々に対して,戦争の被害を与えることも決してないと思ってきた。原告A167にとって,日本国憲法は,心の平穏をもたらす存在である。しかし,原告A167は,本件派遣により戦争へとつながる危険性を感じ,「戦争がくる。」と背筋が寒くなるような感覚を覚えた。戦争への道を進むことは,原告A167にとって決して許すことはできない。
原告A168は,戦争は人類が犯す最悪の行為であり,国家間が戦い,見ず知らずの人間同士が殺し合うのみならず,自然環境を破壊し,地球上のすべての生物の命を奪うものと考え,そのような戦争をしないことを誓った日本国憲法を誇りに思って生きてきた。原告A168は,本件派遣が平和憲法と平和を愛する国民の心を踏みにじるものだと受け止めている。
原告A169は,日本が日本国憲法を定めたことにより,日本は武力によらない平和実現の道を選んだと考え,それを信じてきた。しかし,本件派遣が行われ,北富士演習場ではサマワ宿営地を再現した中に戦闘訓練が予定されている実態を知り,日本が武力行使の道を選択したために,今度は日本が武力(テロリズム)の不安に怯えて生活しなければならなくなってしまったと感じている。原告A169にとって,日本政府が日本国憲法に背き,武力行使の道を選択したことは,平和実現のための政治を行う国に住む権利が害されることであり,テロリズムの脅威や戦争に巻き込まれる不安から解放されて心穏やかな生活を送る権利が侵害されることである。
原告A170は,人類も自然も破壊してしまう戦争に協力しないことを決意し,自転車やバイクの前かごに「自衛隊すみやかにイラクから撤退を」,「憲法9条守れ」というカードを取り付けている。原告A170にとって,戦争に協力しないという憲法9条の精神は生活の基礎にあるものである。
原告A171は,終戦間際に生まれ,戦後の厳しい社会経済情勢の中で成長し,結婚して二人の子供を育ててきた。原告A171は,半世紀余りの人生において台風や地震などの自然災害に見舞われ,不景気にも遭遇したが,何とか無事に生きてこれたのは日本が戦乱に巻き込まれなかったためであり,それは日本国憲法のおかげであると痛感している。
原告A172は,日本が平和であるためには日本国憲法を守っていくことが必要だと確信し,一人の母として,一人の小児科医として日本の平和を希求している。
原告A173は,自衛隊員だった義弟を持つ。戦争放棄を世界に高らかに宣言した憲法を持っている国の自衛隊員として,海外派兵をしないことを約束していたにもかかわらず,突然海外派兵を命じられ,しかも断ることが困難な自衛隊員の立場を考えると,原告A173は本件派遣によって戦争が身近なところまで近づいてきていると感じざるを得ない。戦争を放棄した日本国憲法が,本件派遣によって歪められていることについて,原告A173は誇りを傷つけられている。
原告A174は,学生時代,世界各地の旅行先で出会った若者と議論する際,日本に対して「エコノミックアニマル」などの悪感情を抱いている若者に対して,日本には戦争しないと誓った日本国憲法があること,それが経済成長を支えていること,この日本国憲法を誇りに思っていることを訴えてきた。話を聞いた他国の若者が「おまえが言うことはもったもだ。戦争で儲けるのは国のほんの一部だけだ。」と賛同してくれたこともあった。原告A174は,戦争をしないと誓った日本国憲法を誇りに考えているが,それだけでなく,若かりしころに議論した他国の若者に対する信義としても,憲法の平和主義を守りたいと強く願っている。
この他に多数の原告らが日本国憲法の平和主義を大事に考えて生きている。
エ 自衛隊員(第三者)の権利を原告が援用する可能性
憲法訴訟の当事者は,違憲であると主張する国家行為によって不利益を受けている他人(第三者)の権利についての判断を裁判所に求めることができる場合がある。
本訴訟においては第三者であるが,国家行為の名宛人として派遣を余儀なくされ,イラクに派遣された自衛隊員は,憲法上の重要な権利に対する深刻な侵害を受けておりながら,その救済を自己の訴訟で図る実際上の可能性は無いか,無いに等しい。こうしたケースにおいてこそ,原告らがこれを代位して主張することが肯定されてよい。けだし,憲法訴訟は各自の主観的な権利の救済を主眼としつつ,それを通路にして客観的な憲法秩序の回復を図ることを任務とするものであるから,本件のような場合,他人の憲法上の権利を援用・代位することは,手続上の要件を具備している限りむしろ積極的に認めることが望ましい。
(6)  原告らの請求
ア 本件差止請求
これまで述べてきたように,自衛隊を海外に派遣し,外国軍と一体となって戦争遂行に加わる本件派遣は,憲法9条に明白に違反し,平和的生存権の一内容である原告A1らの「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」を重大かつ根本的に侵害する場合に当たる。
もし,ひとたび「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」が侵害された場合,その侵害行為を排除することができなければ,この権利を回復することは不可能である。この権利侵害の救済に当たっては,人格権侵害の排除の場合と同様に,侵害行為の差止めが認められるべきである。
したがって,原告A1らは,「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」の侵害を根拠に,民事訴訟上の請求として,今後,順次なされる自衛隊のイラクへの派兵の差止めを求める。
イ 本件違憲確認請求
これまで述べてきたように,本件派遣が,憲法9条等に反することは明らかである。
したがって,原告A1らは,民事訴訟上の請求として,本件派遣が違憲であることの確認を求める。
ウ 本件国家賠償請求
これまで述べてきたように,原告らは,自衛隊を海外に派遣し,外国軍と一体となって戦争遂行に加わる本件派遣という国家行為によって憲法の基本理念である平和主義を侵害されたことで,自らの種々の自由や権利を侵害され,精神的苦痛を被ったのであるから,侵害行為の違法性,被侵害利益のいずれも明白である。
国家賠償法1条1項の要件との関係で敷衍すれば,イラク人道復興支援特措法の立法を行った国会議員並びに本件派遣を行っている小泉首相及び内閣の構成員は,憲法尊重擁護義務に違反しているのみならず,小泉首相及び内閣の構成員は,イラク人道復興支援特措法にも反した処分行為を,それが違憲違法であることを認識しながら行っている。
そして,原告らは,日本政府が本件派遣を強行していることで,「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」を既に侵害されており,今後も,日本政府が自衛隊のイラク派兵を続けることにより,イラク市民を武力で抑圧する「加害者」となることを強いられ続け,これにより原告らは耐え難い精神的苦痛を受ける。この精神的苦痛を金銭に換算することはできないが,敢えて換算した場合,1万円を下回ることは決してない。
したがって,原告らが受ける精神的苦痛の一部として原告一人につき,1万円の慰謝料を請求する。
(7)  被告の主張に対する反論
被告は,本件差止請求及び本件違憲確認請求は,法律上の争訟性を欠くなどとして不適法であるなどと主張する。しかし,以下のように被告の主張は失当である。
ア まず,被告は,平和的生存権は具体的権利ではないから法律上の争訟性を欠くと主張するが,平和的生存権が憲法上明確に権利として認められ,その具体的権利性を否定することはできないのは,前記第2,2(4)のとおりである。
また,本件においては,まず,平和的生存権の権利性とともに,侵害行為である本件派遣の不法性を検討すべきである。
すなわち,社会に存在する利益は,その種類によって尊重,保護すべき程度に差があり,強い権利に対する侵害行為は,弱い権利の侵害行為と比べて強い違法性を帯びるし,その侵害行為の態様も様々である。したがって,侵害行為の違法性の有無は,被侵害利益の種類と侵害行為の態様を相関的に考慮して判断すべきである。そして,相関関係の検討に際しては,まず,侵害行為の不法性の程度について検討した上で被侵害利益の射程範囲を検討すべきである。
これを本件にあてはめれば,平和的生存権が憲法上の権利として認められているかどうかという問題とともに,本件派遣の違憲・違法性を検討すべきであり,これなくして原告らの請求を却下することはできない。そして,これまで述べてきたとおり,本件派遣は,憲法9条に反し,違法・違憲であることは明白であるばかりか,本件のように侵害行為の強度の不法性が推認される場合は,被侵害利益についての判断は柔軟になされるべきである。
イ 被告は,憲法上の司法権の行使には,具体的事件性が必要であるとして,憲法上の司法権(憲法76条1項)の範囲と裁判所法3条の「法律上の争訟」を同視して議論を展開している。
しかし,現行訴訟法上は,客観訴訟のような裁判所法3条の「法律上の争訟」に該当しない訴訟形態も認めており,通説もこれを違憲とは考えていない。そもそも裁判所法3条の「法律上の争訟」と憲法上の司法権の範囲が同一であるならば,裁判所法3条が定める「法律で特に定める場合」に該当する客観訴訟は,司法権の範囲を超えることになるはずである。仮に,これらの訴訟が憲法上の司法権の範囲を超えないとするならば,被告の「本件訴訟は,民衆訴訟であり,現行訴訟法上これらの訴訟を認める法律がないから不適法な訴訟である」という主張は,法律レベルでは成り立っても,憲法レベルでは成り立たなくなる。
要するに,憲法レベルでの司法権の概念に内在する要件である具体的事件性とは,現行法上は客観訴訟とされる訴訟をも許容するものであり,本訴訟も裁判所法3条の「法律上の争訟」に入らなくとも憲法上の司法権の行使としては許されると理解すべきである。
ウ さらに進んで,日本国憲法制定以来,裁判所の司法審査は,人権が侵害された場面でも,既存の訴訟法の訴訟要件や訴訟類型にあてはまるものだけが救済の対象とされ,これにあてはまらないものは全く救済されない事態が続いてきた。すなわち,現行訴訟法の認める範囲でしか憲法典に定められた人権は保障されていないのである。
しかし,憲法が人権保障のために,基本的人権侵害に対しては,たとえそれが立法による侵害であっても,司法的救済が与えられるべきであるという考えから日本国憲法の下での司法審査制が設けられたことに鑑みれば,憲法上の基本的人権は,単に司法審査の物差しとしての裁判規範性を有するだけではなく,自らの基本的人権を侵害され,あるいは侵害されようとしている者が積極的に憲法訴訟を提起し,実効性ある判決を求めることも憲法が保障していると考えるべきである。その意味で,憲法32条の「裁判を受ける権利」は,日本国憲法の基本的人権全体に訴権性を付与することによって実体的請求権たらしめる手続的基本権であると理解されるべきである。
よって,基本的人権を侵害する行為があり,それを救済するために必要があるならば,裁判所が新たな訴訟類型や救済方法を創設すべきなのである(基本権訴訟)。
これは,議員定数不均衡訴訟最高裁判決(最高裁昭和51年4月14日大法廷判決・民集30巻3号223頁)において,選挙権の平等に対する侵害を選挙無効の訴えで争えることを確認し,さらに救済方法として,事情判決の法理という独特の方法が認められたように,人権が侵害される場合に新たな訴訟類型や救済方法を創設することも裁判所の任務として最高裁自身が認めている。
3  被告の主張
(1)  本件差止請求について
ア 原告A1らは,本件派遣の差止めを求め,それを本件派遣という違憲違法の行為により原告A1らの有する平和的生存権等が侵害されていることによる民事上の請求であると位置づけている。
イ(ア) ところで,裁判所法3条は,「裁判所は,…一切の法律上の争訟を裁判」すると規定している。すなわち,裁判所の審判の対象は「法律上の争訟」でなければならず,「法律上の争訟」といえるためには,①当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であること,②それが法令の適用により終局的に解決することのできるものであることの二つの要件を満たすことが必要であるとするのが確定した判例である(最高裁昭和27年10月8日大法廷判決・民集6巻9号783頁,最高裁平成元年9月8日第二小法廷判決・民集43巻8号889頁)。
(イ) この点,原告らは,本件派遣は平和的生存権を侵害すると主張し,平和的生存権の具体的内容ないし核心部分として,「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」があるという。
しかしながら,平和的生存権の具体的権利性については,最高裁判所平成元年6月20日第三小法廷判決(民集43巻6号385頁)が,「上告人らが平和主義ないし平和的生存権として主張する平和とは,理念ないし目的としての抽象的概念であって,それ自体が独立して,具体的訴訟において私法上の行為の効力の判断基準になるものとはいえ」ないと判示し,同様の判断は,多数の裁判例によって繰り返し明確にされており,判例理論として確定しているものといえる。
実質的に検討しても,権利には極めて抽象的,一般的なものから,具体的,個別的なものまで各種,各段階のものがあるが,そのうち裁判上の救済が得られるのは具体的,個別的な権利に限られる。しかし,平和的生存権は,その概念そのものが抽象的かつ不明確であるばかりでなく,具体的な権利内容,根拠規定,主体,成立要件,法律効果等のどの点をとってみても,一義性に欠け,その外延を画することさえできない極めてあいまいなものであり,そのような平和的生存権に具体的権利性を認めることはできない。憲法前文2項で確認されている「平和のうちに生存する権利」は,平和主義を人々の生存に結びつけて説明するものであり,これをもって直ちに基本的人権の一つとはいえず,裁判上の救済が得られる具体的権利性を有するものと認めることはできない。
(ウ) よって,原告らが主張する平和的生存権は,国民個々人に保障された具体的権利ということはできないし,「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」も平和的生存権を言い換えたものにすぎず実質的に同内容のものであるから,被告との間で具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争が起こり得ないことは明らかである。
そもそも,本件派遣は,原告らに向けられたものではないし,原告らの具体的な権利義務ないし法律関係に対し,何らの影響を及ぼすものではない。
結局のところ,原告らは,自身の主観的利益に直接関わらない事柄に関し,国民としての一般的な資格・地位をもって上記請求をするものであり,本件を民事訴訟として維持するため,一見,具体的な争訟事件のごとき形式をとってはいるものの,その実質は,私人としての原告らと,被告との間に,利害の対立紛争が現存し,その司法的解決のために本件を提起したものではなく,本訴訟の目的が,国民の一人として日本国政府に政策の転換を迫る点にあることは明らかである。
そうすると,このような訴えは,①当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であることとの要件を欠き,裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」に当たらないから,不適法である。
(エ) これに対して,原告らは,平和的生存権の憲法上の根拠について,前文,9条,そして13条を主要なものとした第3章の人権規定が複合的に平和的生存権の根拠をなしている旨主張し,いわば,憲法9条に違反した行為が平和的生存権を侵害する行為であるととらえている。しかし,内容面については憲法9条から借用し,主観的権利性については平和的生存権から借用して自らに都合よく切り貼りしたものにすぎず,独自の主張として法解釈論として成立していない。
また,原告らは,平和的生存権は,政治的規範と法的規範からなり,前者は,政治的・立法的指針を示すものであり,後者は,4つの層に分類でき,その核心部分として他の人権の結びつき得ない領域において独自に主張される第四層があり,「その侵害の危険性が重大かつ根本的である場合」に平和的生存権を単独で裁判規範とすることができる旨主張する。しかし,このような主張では,裁判規範性を有する場合の平和的生存権の内容は依然として全く特定されておらず,また,具体的権利性を有するための要件である「その侵害の危険性が重大かつ根本的である場合」とはいかなる意味を有するのか不明であるし,そもそも,権利侵害の危険性の程度によって,裁判規範性を有しなかったりするということはあり得ず,この点においても理論が破綻している。
加えて,原告らは,実定訴訟法上認められていない訴訟類型であっても,憲法32条により,基本的人権の権利性が付与される旨主張する(基本権訴訟)。しかし,憲法32条は,不適法な訴えについてまで本案の裁判を受ける権利を保障したものではないし,他方,憲法は,訴訟類型・訴訟要件など訴えの適否に関する規定は置かず,憲法81条の規定するところを除いてはこれをすべて立法の適宜に定めるところに委ねているものと解され(最高裁昭和35年12月7日大法廷判決,最高裁平成13年2月13日第三小法廷判決参照),上記原告らの主張は,憲法の解釈を誤った独自の見解であり,明らかに失当である。
(オ) よって,本件差止請求は不適法であるから,却下されるべきである。
ウ 仮に,本件差止請求の適法性の問題を措くとしても,かかる請求が成り立ち得るためには,原告A1らが当該行為を差し止め得る私法上の権利を有していることが不可欠である。
ところが,上記のとおり,原告A1らが差止請求権の法的根拠として主張する平和的生存権等は,いずれも国民個々人に保障された具体的な権利といえないことは明らかである。
よって,本件差止請求は,主張自体失当である。
(2)  本件違憲確認請求について
ア 原告A1らは,本件派遣により原告A1らの平和的生存権が侵害されていることを根拠として,本件派遣が憲法違反であることの確認を求めている。
イ しかし,上記のとおり,原告A1らがその根拠とする平和的生存権等が国民個々人に保障された具体的な権利とはいえない以上,本件派遣は,原告A1らの具体的な権利義務ないし法律関係に直接関わらないものである。本件違憲確認請求は,原告A1らが国民(主権者)としての一般的な資格,地位に基づき,日本国政府に政策の転換を迫るため,本件派遣について,抽象的に憲法適合性の判断を求めるものにほかならず,民衆訴訟の実質を有するものというべきであるから,裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」に当たらず,不適法というほかない。
ウ また,確認の訴えは,原告の有する法律的地位に危険又は不安が存在し,これを除去するため被告に対して確認判決を得ることが必要かつ適切な場合に限り許されるものである(最高裁昭和30年12月26日第三小法廷判決・民集9巻14号2082頁)。
ところで,原告A1らが,本件違憲確認請求の根拠として主張する平和的生存権等は,上記のとおり,国民個々人に保障された具体的な権利とはいえないから,原告A1らの有する法律的地位に何らの影響を及ぼすものではない。
また,原告A1らが,本件派遣により何らかの具体的な権利侵害を被ったというのであれば,原告A1らは,それを理由として損害賠償請求を求めれば足りるのであり,現に,本件国家賠償請求をも提起しているのであるから,これとは別個に本件派遣の違憲確認判決を求める利益はない。
エ よって,本件違憲確認請求は,不適法であるから,却下されるべきである。
(3)  本件国家賠償請求について
ア 原告らは,本件派遣により原告らの平和的生存権等が侵害され精神的苦痛を被ったとして,被告に対し,国家賠償法1条1項に基づき,慰謝料を請求している。
イ しかしながら,上記のとおり,原告らが被侵害利益として主張する平和的生存権等は,いずれも国民個々人に保障された具体的な法的権利とは認められず,いずれも国家賠償法上保護された利益とも認められない。
ウ この点,原告らは,違法性は,被侵害利益の種類と侵害行為の態様を相関的に考慮して判断するべきであり,まず侵害行為の不法性の程度について検討した上で,被侵害利益の射程範囲を検討すべきであるなどと主張する。しかし,他人の法益を侵害すること自体がおよそ許されない私人間と異なり,公権力の行使は,刑罰など法の定める一定の要件と手続の下では国民の法益を侵害することが許容されているから,法益の侵害があることをもって公権力の行使を直ちに違法とすることができないのはもちろん,侵害の程度によって違法性の有無が左右されるとすることも不合理である。したがって,国家賠償法上の違法性の判断基準として,上記原告らの主張を採用することはできない。国家賠償法上の違法性は,法益侵害があることを前提として,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が,個別の国民に対して負う職務上の義務に違背したか否かによって決するのが相当であって,法益侵害が認められない場合には,国家賠償法上の違法性を認める余地はないというべきである。
エ よって,本件損害賠償請求は,棄却されるべきである。
第3  当裁判所の判断
1  本件差止請求について
(1)  原告A1らは,私法上の請求として,イラク人道復興支援特措法に基づく本件派遣の実施主体たる被告に対し,平和的生存権等に基づき本件派遣の差止めを求めているので,以下,その適否につき検討する。
(2)ア  イラク人道復興支援特措法は,同法に基づくイラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関し,以下のとおり規定する。
(ア) 内閣総理大臣は対応措置のいずれかを実施することが必要であると認めるときは,当該対応措置を実施すること及び当該対応措置に関する基本計画の案につき閣議決定を求めなければならない(同法4条1項)。基本計画の変更の場合も同様である(同条3項)。基本計画に定める事項は,①対応措置に関する基本方針,②対応措置を実施する場合における当該対応措置に係る基本的事項,当該対応措置の種類及び内容,当該対応措置を実施する区域の範囲及び当該区域の指定に関する事項,当該対応措置を自衛隊が外国の領域で実施する場合には,当該対応措置を外国の領域で実施する自衛隊の部隊等の規模及び構成並びに装備並びに派遣期間等,③対応措置の実施のための関係行政機関の連絡調整に関する事項である(同条2項)。
(イ) 内閣総理大臣は,基本計画の決定又は変更があった場合にはその内容を,基本計画に定める対応措置が終了したときはその結果を,遅滞なく国会に報告しなければならず(同法5条),基本計画に定められた自衛隊の部隊等が実施する対応措置については,当該対応措置を開始した日から20日以内に国会に付議して,当該対応措置の実施につき国会の承認を求めなければならない(同法6条1項)。
(ウ) 防衛庁長官は,基本計画に従い,対応措置として実施される業務としての自衛隊による役務の提供について実施要領を定め,これについて内閣総理大臣の承認を得て,自衛隊の部隊等にその実施を命ずる(同法8条2項)。実施要領の変更の場合も同様である(同条9項)。
イ  上記規定によれば,本件派遣は,イラク人道復興支援特措法の規定に基づき防衛庁長官に付与された行政上の権限で公権力の行使を本質的内容とするものと解されるから,その差止めを求める本件差止請求は,不可避的に,防衛庁長官の上記行政権の行使の取消変更又はその発動を求める請求を包含するものといわなければならない。そうすると,私法上,本件差止めにかかる請求権が発生する余地はおよそないというべきであるから,本件差止請求は,不適法であるというほかない(最高裁昭和56年12月16日大法廷判決・民集35巻10号1369頁参照)。
また,本件派遣の性質を以上のように解すると,本件差止請求は,国の機関の法規に適合しない行為の是正を求める訴訟で,選挙人たる資格その他自己の法律上の利益に関わらない資格で提起されたものとして行政事件訴訟の民衆訴訟(行政事件訴訟法2条,5条)と理解する余地がある。
しかし,民衆訴訟は,法律に定める場合において,法律に定める者に限り,提起することができるものであるところ(同法42条),本件差止請求のごとき訴訟を許容する法令は存在しないから,本件差止請求は,行政事件訴訟としても不適法というほかない。
この点,原告A1らは,自らの基本的人権を侵害され,あるいは侵害されようとしている者が,積極的に憲法訴訟を提起し,実効性ある判決を求めることも憲法32条によって保障されていると主張する。しかし,同条は,訴訟の当事者が訴訟の目的たる権利関係につき裁判所の判断を求める法律上の利益を有することを前提として,かかる訴訟につき本案の裁判を受ける権利を保障したものであって,常に本案につき裁判を受ける権利を保障したものではないと解すべきであるから,かかる主張は当裁判所の採用するところではない(最高裁昭和35年12月7日大法廷判決・民集14巻13号2964頁参照)。
(3)  したがって,本件差止請求は,その余の点につき判断するまでもなく不適法であるからこれを却下すべきである。
2  本件違憲確認請求について
(1)  原告A1らは,私法上の請求として,イラク人道復興支援特措法に基づく本件派遣が,憲法9条等に反し違憲であることの確認を求めているので,以下,その適否につき検討する。
本件派遣は,自衛隊員ではない原告A1らに対して何らかの直接的な義務を課したり効果を及ぼしたりする性質のものではない。
そうすると,本件違憲確認請求は,原告A1らの法律上の利益に関わらない資格で具体的な事件を離れて,抽象的に本件派遣という政府の行為について司法審査を求める訴えであると解されるところ,そのような訴えは,当事者間の具体的権利義務に関する紛争ではなく,結局,裁判所法3条1項の法律上の争訟に当たらないと解するのが相当である。
(2)  また,民事訴訟制度は,当事者間の現在の権利又は法律関係をめぐる紛争を解決することを目的とするものであるから,確認の対象は,現在の権利又は法律関係でなければならない。しかし,本件違憲確認請求は,ある事実行為が抽象的に違法であることの確認を求めるものであって,およそ現在の権利又は法律関係に関するものということはできないから,この点においても同請求は,確認の利益を欠き,不適法というべきである。
(3)  したがって,本件違憲確認請求は,その余の点につき判断するまでもなく不適法であるからこれを却下すべきである。
3  本件国家賠償請求について
(1)  原告らは,本件派遣により,その平和的生存権等が侵害され精神的苦痛を受けたと主張し,国家賠償法1条1項に基づき損害の賠償を求めているので,以下検討する。
(2)  まず,原告らの主張する平和的生存権等が具体的権利といいうるか否かにつき検討する。
憲法前文は,恒久の平和を念願し,全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有することを確認する旨うたい,憲法9条は,国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使を放棄し,戦力を保持せず,国の交戦権を認めない旨規定している。しかしながら,憲法前文は,憲法の基本的精神や理念を表明したものであって,それ自体が国民の具体的権利を定めたものとは理解し難い。また,憲法9条は,国家の統治機構ないし統治活動についての規範を定めたものであって,国民の私法上の権利を直接保障したものということはできない。そもそも,「平和」とは,理念ないし目的としての抽象的概念であって,その到達点及び達成する手段・方法も多岐多様であるから,原告らが主張する平和的生存権等の内包は不明瞭で,その外延はあいまいであって,到底,権利として一義的かつ具体的な内容を有するものとは認め難く,これを根拠として,各個人に対し,具体的権利が保障されているということはできない(最高裁平成元年6月20日第三小法廷判決・民集43巻6号385頁参照)。
このことは,原告らが「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」,「戦争や軍隊によって他者の生命を奪うことに加担させられない権利」,「他国の民衆への軍事的手段による加害行為と関わることなく,自らの平和的確信に基づいて平和のうちに生きる権利」,「信仰に基づいて平和を希求し,すべての人の幸福を追求し,そのために非戦・非暴力・平和主義に立って生きる権利」など,表現を異にして主張する権利についても同様である。
したがって,原告らの主張する平和的生存権等は具体的権利といい得ないものである。
(3)  次に,本件派遣により,原告らに具体的権利ないし法的保護に値する利益の侵害があったか否かにつき検討する。
原告らは,本件派遣により,日本国内の日本人にさえ米英軍の侵略と大量虐殺に加担した日本に対する報復として,生命,身体に対する危険を飛躍的に大きくさせ,特に,NGO活動家である原告A2は,生命の危険が飛躍的に高まるとともに,その活動が阻害された旨主張する。
しかし,原告らのいう日本国内の日本人一般に対する生命,身体の危険はあまりに抽象的であって具体的,現実的なものではない。また,本件派遣は,NGO活動家である原告A2の生命,身体やNGOとしての諸活動との関係で,原告A2に直接的な義務を課したり効果を及ぼしたりする性質のものではないから,本件派遣によってNGO活動家である原告A2の生命,身体に危険が生じたり,NGOとしての諸活動が阻害されたということもできない。
また,原告らは,日々報じられるイラク戦争の実情,被害者である子供やそこで殺されていく人々の姿,そしてこれに加担する本件派遣により,憲法9条の下で形成してきた原告らの人格的核心としての平和的確信が侵害され,精神的苦痛を被った旨主張する。
確かに,原告らは,イラク戦争について,自己の信条,信念やその前提となる過去の経験に思いを致し,怒り,憤り,恐れ,不安,悲しみ又は嫌悪感等の感情を抱くとともに,本件派遣をこれに加担するものととらえることで,本件派遣に対してもそのような感情を抱いていることは容易に推測でき,これを精神的苦痛と表現することができないわけではない。
しかし,それは間接民主制の下において決定,実施された国家の措置,施策が自らの信条,信念,憲法解釈等に反することによる個人としての義憤の情,不快感,焦燥感,挫折感等の感情の領域の問題というべきであり,そのような精神的苦痛は,多数決原理を基礎とする決定に不可避的に伴うものである。そして,本件派遣が自衛隊員でない原告らに対しおよそ何らかの直接的な義務を課したり効果を及ぼしたりする性質のものではないことにかんがみると,本件派遣によって原告らに生じた精神的な苦痛は,間接民主制の下における政策批判や原告らの見解の正当性を広めるための活動等によって回復されるべきか,又は,間接民主制の下において不可避的に発生するものとして受忍されるべきものである。したがって,本件派遣によって原告らの感じた精神的な苦痛が原告ら個々にとって主観的にはいかに深刻であろうとも,こうした個人の内心的感情が具体的権利ないし法的保護に値する利益であるとする余地はない。
この点,原告らは,侵害行為の違法性の有無は,被侵害利益の種類と侵害行為の態様を相関的に考慮して判断すべきであり,そこではまず,侵害行為の不法性の程度について検討した上で被侵害利益の射程範囲を検討すべきであるから,本件においても,本件派遣の違憲・違法性を検討すべきであるなどと主張する。しかし,以上に述べてきたとおり,原告らの主張する精神的苦痛をして具体的権利ないし法的保護に値する利益の侵害と認める余地はないのであるから,原告らが侵害行為と主張する本件派遣の違憲・違法性につき審査すべきものとは到底解されない。
さらに,原告らは,原告らとの関係で第三者である本件派遣によりイラクに派遣されている自衛隊員の権利を援用するとも主張するが,仮に同自衛隊員の権利の侵害があったとして,何故に原告らがそれを理由として損害賠償請求できるのか不可解というほかなく,かかる主張は当裁判所の採用するところではない。
(4)  以上によれば,原告らが本件派遣によって具体的権利ないし法的保護に値する利益を侵害されたとは認められない。
したがって,本件国家賠償請求は,その余の点につき判断するまでもなく理由がないからこれを棄却すべきである。
4  結論
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 内田計一 裁判官 安田大二郎 裁判官 高橋貞幹)


「選挙 ビラ チラシ」に関する裁判例一覧

(1)平成23年 1月18日  東京地裁  平22(行ウ)287号 政務調査費交付額確定処分取消請求事件
(2)平成22年 6月 8日  東京地裁  平21(行ウ)144号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(3)平成21年 2月17日  東京地裁  平20(行ウ)307号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(4)平成21年 1月28日  東京地裁  平17(ワ)9248号 損害賠償等請求事件
(5)平成20年11月28日  東京地裁  平19(行ウ)435号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(6)平成20年 9月19日  東京地裁  平17(特わ)5633号 国家公務員法被告事件
(7)平成20年 7月25日  東京地裁  平19(行ウ)654号 政務調査費返還命令取消請求事件
(8)平成20年 4月11日  最高裁第二小法廷  平17(あ)2652号 住居侵入被告事件 〔立川反戦ビラ事件・上告審〕
(9)平成20年 3月25日  東京地裁  平19(行ウ)14号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(10)平成19年 6月14日  宇都宮地裁  平15(ワ)407号 損害賠償請求事件
(11)平成18年12月 7日  東京高裁  平17(ネ)4922号 損害賠償等請求控訴事件 〔スズキ事件・控訴審〕
(12)平成18年 4月14日  名古屋地裁  平16(ワ)695号・平16(ワ)1458号・平16(ワ)2632号・平16(ワ)4887号・平17(ワ)2956号 自衛隊のイラク派兵差止等請求事件
(13)平成17年 9月 5日  静岡地裁浜松支部  平12(ワ)274号・平13(ワ)384号 損害賠償請求事件、損害賠償等請求事件 〔スズキ事件・第一審〕
(14)平成17年 5月19日  東京地裁  平12(行ウ)319号・平12(行ウ)327号・平12(行ウ)315号・平12(行ウ)313号・平12(行ウ)317号・平12(行ウ)323号・平12(行ウ)321号・平12(行ウ)325号・平12(行ウ)329号・平12(行ウ)311号 固定資産税賦課徴収懈怠違法確認請求、損害賠償(住民訴訟)請求事件
(15)平成16年11月29日  東京高裁  平15(ネ)1464号 損害賠償等請求控訴事件 〔創価学会写真ビラ事件・控訴審〕
(16)平成16年10月 1日  東京地裁  平14(行ウ)53号・平14(行ウ)218号 退去強制令書発付処分取消等請求、退去強制令書発付処分無効確認等請求事件
(17)平成16年 4月15日  名古屋地裁  平14(行ウ)49号 難民不認定処分取消等請求事件
(18)平成15年 4月24日  神戸地裁  平11(わ)433号 公職選挙法違反被告事件
(19)平成15年 2月26日  さいたま地裁  平12(ワ)2782号 損害賠償請求事件 〔桶川女子大生刺殺事件国賠訴訟・第一審〕
(20)平成14年12月20日  東京地裁  平10(ワ)3147号 損害賠償請求事件
(21)平成14年 1月25日  福岡高裁宮崎支部  平13(行ケ)4号 当選無効及び立候補禁止請求事件
(22)平成13年12月26日  東京高裁  平13(ネ)1786号 謝罪広告等請求控訴事件
(23)平成12年10月25日  東京高裁  平12(ネ)1759号 損害賠償請求控訴事件
(24)平成12年 8月 7日  名古屋地裁  平10(ワ)2510号 損害賠償請求事件
(25)平成12年 6月26日  東京地裁  平8(ワ)15300号・平9(ワ)16055号 損害賠償等請求事件
(26)平成12年 2月24日  東京地裁八王子支部  平8(ワ)815号・平6(ワ)2029号 損害賠償請求事件
(27)平成11年 4月15日  東京地裁  平6(行ウ)277号 懲戒戒告処分裁決取消請求事件 〔人事院(全日本国立医療労組)事件〕
(28)平成 6年 3月31日  長野地裁  昭51(ワ)216号 損害賠償等請求事件 〔長野東電訴訟〕
(29)平成 5年12月22日  甲府地裁  昭51(ワ)289号 損害賠償請求事件 〔山梨東電訴訟〕
(30)平成 4年 7月16日  東京地裁  昭60(ワ)10866号・昭60(ワ)10864号・昭60(ワ)10867号・昭60(ワ)10865号・平2(ワ)10447号・昭60(ワ)10868号 立替金請求併合事件 〔全逓信労働組合事件〕
(31)平成 2年 6月29日  水戸地裁  昭63(ワ)264号 市立コミュニティセンターの使用許可を取消されたことによる損害賠償請求事件
(32)昭和63年 4月28日  宮崎地裁  昭47(行ウ)3号 行政処分取消請求事件 〔宮崎県立大宮第二高校事件〕
(33)昭和57年 4月30日  東京地裁  昭56(行ク)118号 緊急命令申立事件 〔学習研究社緊急命令事件〕
(34)昭和56年 9月28日  大阪地裁  昭48(ワ)6008号 謝罪文交付等請求事件 〔全電通大阪東支部事件〕
(35)昭和55年 9月26日  長崎地裁  昭50(ワ)412号 未払給与請求事件 〔福江市未払給与請求事件〕
(36)昭和54年 7月30日  大阪高裁  昭53(行コ)24号 助成金交付申請却下処分無効確認等請求控訴事件
(37)昭和53年 5月12日  新潟地裁  昭48(ワ)375号・昭45(ワ)583号 懲戒処分無効確認等、損害賠償金請求事件 〔新潟放送出勤停止事件〕
(38)昭和52年 7月13日  東京地裁  昭49(ワ)6408号 反論文掲載請求訴訟 〔サンケイ新聞意見広告に対する反論文掲載請求事件・第一審〕
(39)昭和50年 4月30日  大阪高裁  昭45(ネ)860号 損害賠償ならびに謝罪文交付請求控訴事件
(40)昭和47年 3月29日  東京地裁  昭47(行ク)8号 緊急命令申立事件 〔五所川原市緊急命令申立事件〕
(41)昭和46年 4月14日  広島高裁  昭46(行ス)2号 行政処分執行停止決定に対する即時抗告申立事件 〔天皇来広糾弾広島県民集会事件〕
(42)昭和46年 4月12日  広島地裁  昭46(行ク)5号 行政処分執行停止申立事件
(43)昭和45年 4月 9日  青森地裁  昭43(ヨ)143号 仮処分申請事件 〔青森銀行懲戒解雇事件〕
(44)昭和37年 4月18日  東京高裁  昭35(ナ)15号 選挙無効確認請求事件
(45)昭和36年 6月 6日  東京高裁  昭35(う)2624号 公職選挙法違反被告事件
(46)昭和35年 6月18日  東京高裁  昭34(ナ)12号 選挙無効請求事件
(47)昭和29年 8月 3日  名古屋高裁  昭29(う)487号 公職選挙法違反事件
(48)昭和27年 3月19日  仙台高裁  昭26(ナ)7号 当選無効請求事件
(49)平成30年 7月20日  福岡地裁久留米支部  平28(ワ)69号 損害賠償請求事件


■選挙の種類一覧
選挙①【衆議院議員総選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙②【参議院議員通常選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙③【一般選挙(地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙④【特別選挙(国政選挙|地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)


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