無所属でガンガン勝つ!(無所属クラブ(倶楽部)ドットウィン!)
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■無所属クラブ
無所属クラブ(むしょぞくクラブ)は、日本の国会や地方議会において特定の政党に所属しない議員が質問時間の確保等を目的として結成する会派名の全部または一部に使用される用語。
とくに国会は一人会派を結成できないため無所属議員が政党所属議員とともに結成する場合が多いです。
例えば、無所属議員が○○党議員と統一会派を組んだ場合に「○○党・無所属クラブ」という会派名を使うことがあります。
この場合、あくまで「○○党・無所属クラブ」で1つの会派であって「○○党」と「無所属クラブ」という2つの会派が合同しているという意味ではありません。
同様に使用される用語として「無所属」、「無所属会」、「無所属の会」が存します。
■国会
■衆議院
2021年11月10日現在、衆議院において「無所属クラブ」を会派名の一部に冠している会派は「国民民主党・無所属クラブ」があります。
上記は、2000年6月30日に民主党が中田宏・三村申吾と統一会派「民主党・無所属クラブ」を結成したものを源流とします。
以降、民主党は無党籍議員の会派参加の有無に関わらず、慣例的に会派名の一部に「無所属クラブ」を冠しており、民主党の後身である民進党および(旧)国民民主党、民進党と強い関係があった希望の党、(旧)国民民主党の一部議員で結成され綱領を受け継ぐ(新)国民民主党でも継承されています。
ただし、2019年10月から2020年10月までは、国民民主党は立憲民主党などと統一会派(「立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム」、2020年9月に「立憲民主・国民・社民・無所属」と名称変更)を組み、無所属クラブを名称に含んでいませんでした。
なお、2020年9月には、(旧)立憲民主党と(旧)国民民主党は解党し、(新)立憲民主党や(新)国民民主党が結成されたが、その後も1月間は会派名の変更のみで同じ会派に所属していました。
■参議院
2019年10月5日現在、参議院には「無所属クラブ」を称した会派はありません。
過去に「無所属クラブ」を称した会派
過去に「無所属クラブ」を称した会派には以下のものがあります。
どの会派も共通するのは名称のみであり、組織・構成員・政策等いずれの面からも全く無関係です。
■衆議院
1946年の第22回総選挙に当選した無所属議員が一時的に結成していた会派。
田中伊三次らが所属。
翌1947年に協同民主党・国民党と合同し、国民協同党となりました。
1995年5月から1996年1月まで日本社会党を離党した岡崎宏美・小森龍邦と北海道知事選挙で反党行為を行ったとして除名処分となっていた金田誠一の3名が結成していた会派。
1996年1月10日に結成された「新社会党・平和連合」の前身となりますが、金田は平和・市民及び新党さきがけを経て民主党(第1次)に参加しています。
1995年に新党さきがけを離党し無所属となっていた佐藤謙一郎と無所属の大矢卓史が1996年1月16日に結成した会派。
2月7日に大矢が心不全で急逝し、自然消滅となりました。
1997年9月24日に伊藤達也・鴨下一郎と上田清司・樽床伸二の4名が結成、翌9月25日に民主改革連合の北橋健治が参加した会派。
12月に鴨下は自民党へ入党、上田と樽床はフロム・ファイブを結成。
翌1998年1月、伊藤が民政党結成に参加(この際にフロム・ファイブと合流)したことに伴い会派消滅。
なお、民政党と民主改革連合は民主党との統一会派「民主友愛太陽国民連合」を組み、その後4月27日に民主党へ合流しましたが、この際に伊藤は民主党に参加せず、後に自民党に入党しました。
■参議院
1947年の第1回参院選に当選した旧貴族院議員らが中心になり結成された院内会派・緑風会は結成当初の仮称を「無所属クラブ」としていました。
1953年5月に結成。
市川房枝ら無所属の議員4名が使用していた会派名。この無所属クラブは1962年に一部の議員が公明会(後の公明党)に移籍後、残った議員は参議院同志会(緑風会より改称)と合同し、第二院クラブとなっています。
2014年12月18日に、解党した旧みんなの党の参議院会派に属していた水野賢一、中西健治、渡辺美知太郎、薬師寺道代の4名が「無所属クラブ」に会派名称変更を届け出ました。
2019年2月には無所属クラブ所属議員は薬師寺と平山佐知子の2名であったが、2019年7月の第25回参議院議員通常選挙の後に解散しています。
■地方議会
無所属で当選した1名以上の議員が便宜上の会派名として使用することが多いです。
また、他の政党に近い政治姿勢を取る無所属議員が多数派形成のために政党公認の議員と統一会派を組み「○○党・無所属クラブ」のような会派名を名乗る事例も見受けられます。
■無所属倶楽部
無所属倶楽部(むしょぞくくらぶ)は、帝国議会の会派。
貴族院と衆議院の双方に存在しました。
■貴族院の無所属倶楽部
1941年(昭和16年)4月30日より1947年(昭和22年)5月3日の日本国憲法公布まで存在していた貴族院の院内会派。
滝正雄・小山松吉両名を世話人として、後藤文夫・広田弘毅・松本烝治・安井英二・吉田茂(内務官僚)・千石興太郎ら23名によって結成されます。
政党色の希薄な官僚出身の勅選議員が中心となった会派であったが、広田による東郷茂徳・石黒忠篤の勧誘や小林一三・鮎川義介などの財界人の入会もあって1945年頃には31名にまで膨らみました。
しかし、戦後主要メンバーの多くがA級戦犯容疑者とされたり、公職追放の対象とされたために大打撃を蒙ります。
南原繁・佐々木惣一・我妻栄らの補充議員の加入はあったものの、22名の小会派のまま貴族院の廃止とともに消滅しました。
■衆議院の無所属倶楽部
1945年(昭和20年)11月26日より存在した衆議院の院内会派。
第二次世界大戦終結後の政党復活に伴い、戦前は非合法政党だった日本共産党が合法政党として再建され、合法無産政党に所属していた議員により日本社会党が、同交会に所属していた議員や1942年(昭和17年)の翼賛選挙で非推薦候補として当選した議員によって日本自由党が、大日本政治会に所属していた議員によって日本進歩党の各政党が結党されましたが、これらのいずれにも入党することを快しとせず、「敗戦に伴う日本の政治家が自らの政治責任を明らかにしない中で政党の再建に進むことは妥当ではない、寧ろ衆議院議員は敗戦の責任を負って総辞職すべきである」との考えを持った92名の議員によって結成されます。
中谷武世・赤城宗徳・船田中・小山亮・今井新造・中原謹司・池崎忠孝・池田正之輔・井野碩哉・永山忠則・鈴木正吾・橋本欣五郎・浜田尚友・有馬英治・高岡大輔ら旧護国同志会の議員、蠟山政道・稲葉圭亮ら旧翼壮議員同志会の議員、中島知久平・菅野和太郎・永野護ら旧大日本政治会の議員、肥田琢司・岡田忠彦・津雲国利・西村茂生・東条貞・松浦伊平ら旧立憲政友会正統派久原房之助系の議員が中心となり、尾崎行雄・三木武夫・川島正次郎・黒澤酉蔵らが加わって1945年(昭和20年)11月26日付けで会派の結成を衆議院事務局に届け出ました。
同年12月に、旧護国同志会系の議員や黒澤らが日本協同党を結党しましたが、協同党の結党に参加した議員は院内では独自の会派を結成せず協同党の結党以前同様無所属倶楽部に所属していました。
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