政治と選挙Q&A「国政政党 地域政党 二連(三連)ポスター」に関する裁判例(71)平成21年 6月30日 東京地裁 平20(行ウ)421号 難民の認定をしない処分取消請求事件
政治と選挙Q&A「国政政党 地域政党 二連(三連)ポスター」に関する裁判例(71)平成21年 6月30日 東京地裁 平20(行ウ)421号 難民の認定をしない処分取消請求事件
裁判年月日 平成21年 6月30日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平20(行ウ)421号
事件名 難民の認定をしない処分取消請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2009WLJPCA06308011
要旨
◆ミャンマー連邦国籍の原告が、難民不認定処分を受けたところ、その取消しを求めた事案において、仮に原告がバラサに参加していたとしても政治活動をしていたとは認められず、また、仮に母国政府により原告ら教師に33の質問がなされ、原告がそれらに回答したにしても、尋問等の追及の形跡がないことからすれば、それらによって迫害を受けるおそれは認められず、また、原告は市役所爆破事件に関連して刑を受けた親族と同居していたと供述するが、それを認めるに足る的確な証拠はなく、そして、本邦での原告の活動は、いずれも本件不認定処分後のもので、本邦への入国目的も観光又は就労目的だと推認できること等から、訴えを棄却とした事例
参照条文
難民の地位に関する条約1条
難民の地位に関する議定書1条
裁判年月日 平成21年 6月30日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平20(行ウ)421号
事件名 難民の認定をしない処分取消請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2009WLJPCA06308011
東京都新宿区〈以下省略〉
原告 X
訴訟代理人弁護士 戸嶋洋一
東京都千代田区〈以下省略〉
被告 国
代表者兼処分行政庁 法務大臣森英介
指定代理人 福光洋子
同 荒井直樹
同 壽茂
同 幸英男
同 江田明典
同 権田佳子
同 家村義和
同 中嶋一哉
同 岡本充弘
同 髙﨑純
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は,原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
法務大臣が平成18年7月20日付けで原告に対してした難民の認定をしない処分を取り消す。
第2 事案の概要
本件は,ミャンマー連邦(以下「ミャンマー」という。)の国籍を有する原告が,法務大臣から,出入国管理及び難民認定法(平成16年法律第73号による改正後のもの。以下「入管法」という。)61条の2第2項に基づく難民の認定をしない処分(以下「本件不認定処分」という。)を受けたところ,本件不認定処分は原告が難民であることを看過した違法なものであると主張して,その取消しを求めている事案である。
1 前提事実(争いのない事実,顕著な事実並びに掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
(1) 当事者
原告は,○○○○年(昭和○年)○月○日,ミャンマーにおいて出生したミャンマー国籍を有する外国人女性である。(乙2)
(2) 原告の入国及び在留の状況
ア 原告は,1997年(平成9年)5月中旬,ミャンマーのヤンゴン空港から出国し,シンガポール共和国(以下「シンガポール」という。)に入国して1週間滞在した後,同月24日,シンガポール国際空港からシンガポール航空998便で新東京国際空港(現在の成田国際空港。以下「成田空港」という。)に到着し,東京入国管理局(以下「東京入管」という。)成田空港支局入国審査官に対し,外国人入国記録の渡航目的の欄に「TO STUDY RELIGION(1語判読不能)」(宗教を勉強するため),日本滞在予定期間の欄に「ONE MONTH」(1か月)と記載して上陸申請を行い,同入国審査官から,入管法別表第一に規定する在留資格「短期滞在」で,在留期間「90日」とする上陸許可の証印を受け,本邦に上陸したが,同年8月22日の在留期限を越えて,本邦に不法残留している。(乙1,3,6,10)
イ 原告は,平成9年7月3日,東京都新宿区長に対し,居住地を同区〈以下省略〉として,外国人登録法(以下「外登法」という。)3条に基づく新規登録申請を行い,外国人登録証明書(以下「外登証」という。)の交付を受けた。(乙1)
ウ 原告は,平成14年12月16日,平成16年1月9日,平成17年2月4日,平成18年7月21日,平成19年8月15日,東京都新宿区長から,それぞれ外登法11条に基づく外登証の切替交付を受けた。(乙1)
(3) 原告に係る退去強制手続
ア 原告は,平成18年5月13日,警視庁目黒警察署警察官に入管法違反(不法残留)被疑事実により現行犯逮捕された。(乙1,5)
イ 東京入管入国警備官は,平成18年5月23日,原告が入管法24条4号ロ(不法残留)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,東京入管主任審査官から収容令書の発付を受け,同月24日,これを執行し,原告を東京入管収容場に収容した。(乙1,6)
ウ 東京入管入国審査官は,平成18年6月5日,原告が入管法24条4号ロ(不法残留)に該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨の認定をし,原告にこれを通知したところ,原告は,同日,東京入管特別審理官による口頭審理を請求した。(乙10,11)
エ 東京入管特別審理官は,平成18年6月28日,原告について口頭審理を行い,その結果,同日,東京入管入国審査官の上記ウの認定は誤りがない旨の判定をし,原告にこれを通知したところ,原告は,同日,法務大臣に対し,異議の申出をした。(乙12ないし14)
オ 東京入管主任審査官は,平成18年7月21日,原告を仮放免した。(乙15)
カ 入管法69条の2に基づき権限の委任を受けた東京入国管理局長は,平成19年12月28日,原告の上記エの異議の申出は理由がない旨の裁決をし,同裁決の通知を受けた東京入管主任審査官は,平成20年1月8日,原告に対し,同裁決を通知するとともに,退去強制令書を発付し,東京入管入国警備官は,同日,同令書を執行した。(乙16ないし19)
キ 東京入管主任審査官は,平成20年1月8日,原告を仮放免した。(乙20)
(4) 原告に係る難民認定申請手続
ア 原告は,平成18年6月2日,東京入管において,難民認定申請(以下「本件難民認定申請」という。)をした。(乙21)
イ 東京入管難民調査官は,平成18年6月6日及び同月7日,原告から事情を聴取するなどの調査をした。(乙22,23)
ウ 東京入国管理局長は,平成18年6月8日,難民認定申請に係る仮滞在を許可しない処分をし,同日,原告に通知した。(乙24)
エ 法務大臣は,平成18年7月20日,本件難民認定申請について,要旨,①1988年(昭和63年)に原告が参加したデモにおける活動態様は,殊更に本国政府から注視される態様であったとは認められないこと,②教師を辞職させられた経緯に関する原告の供述は信憑性に疑義が認められること,③自己名義の旅券の発給を受け,同旅券を行使して本国の出国を許可されていること,④本邦に入国後,合理的な理由もなく9年間も難民認定申請をせず,継続的に就労していたこと,⑤本邦に入国した理由は,日本人から来日の招待を受けたためであり,本邦への入国前にシンガポールで約1週間観光をしていること,⑥原告の甥2名が逮捕・投獄されたことに関する原告の供述は信憑性に疑義が認められること,⑦在日本ミャンマー大使館に自ら赴き,自己名義の旅券を取得していること,⑧本邦において反政府活動組織に所属せず,何らの反政府活動も行っていないことの各理由に基づき,原告に対し本件不認定処分をし,同日,原告にこれを通知したところ,同月25日,原告は同処分に対し異議申立てをした。(乙25,27)
オ 入管法69条の2に基づき権限の委任を受けた東京入国管理局長は,平成18年7月20日,入管法61条の2の2第2項の規定により,原告について,在留を特別に許可しない旨の決定をし,同日,原告にその旨を通知した。(乙26)
カ 東京入管難民調査官は,平成19年9月5日,原告に対する審尋等を実施した。(乙29)
キ 法務大臣は,平成19年12月12日,上記エの異議申立てについて,要旨,①原告は,本国において,政治組織に加入することなく,教員のデモに数回参加し,デモの先頭でシュプレヒコールをしたにすぎないこと,②原告は,ミャンマー政府が原告ら教師に対してした33の質問(以下「33の質問」という。)への回答を理由として教師を辞職させられたとするが,33の質問に回答した時期から辞職まで約4年が経過していることは不自然であること,③甥らが逮捕された件に関する原告の供述は変遷しており,信憑性が認められないこと,④原告は,日本人からの本邦での稼働などの勧めに応じて来日した旨供述しており,本邦への入国前にシンガポール共和国を観光していること,⑤在日本ミャンマー大使館に自ら赴き,2冊目の旅券を取得していること,⑥本邦に入国後,約9年間にわたり不法就労を継続し,逮捕・収容後に難民認定申請をしていること,⑦本件不認定処分後に民主化団体であるNLD-LA日本支部等に加入しているが,その活動は多数の中の一員としての活動にすぎないことの各理由に基づき,原告に対し,異議の申立ては理由がない旨の決定をし,平成20年1月8日,これを原告に通知した。(乙30)
ク 東京入管主任審査官は,平成20年1月8日,原告を仮放免し,原告は現在も仮放免中である。(乙20,争いのない事実)
(5) 本件訴えの提起
原告は,平成20年7月8日,本件訴えを提起した。(顕著な事実)
2 争点
本件不認定処分の取消事由の有無(原告の難民該当性の有無)
3 争点に関する当事者の主張
(1) 原告の主張の要旨
以下の各事情から,原告は,原告の「政治的意見」及び「特定の社会的集団の構成員であること」を理由としてミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるといえ,入管法2条3号の2に規定する「難民」に当たるから,本件不認定処分は違法である。
ア バラサでの活動について
原告は,1982年(昭和57年),政治的組織である中央青年組織(バラサ。以下「バラサ」という。)に参加して政治活動を開始し,以後,継続してミャンマーの民主化を求める政治活動を続けている。
イ 教師への33の質問とその回答について
原告は,大学を卒業後,1982年(昭和57年)から教師として稼働を始めたが,1993年(平成5年),33の質問のうちいくつかの質問について,ミャンマー政府の意向に沿わない回答をしてしまったため,ミャンマー政府から反政府活動家として認識され,その回答を理由として教師を辞職させられた。
ウ 1988年(昭和63年)のデモにおける活動について
原告は,1988年(昭和63年)9月4日にミャンマー全土で行われた民主化運動の際,民主化を求める大学の卒業生グループのデモに参加したところ,デモに参加して活動中の原告の写真が新聞に掲載されたため,ミャンマー政府に,原告が民主化運動をしていることを把握された。
エ 市役所爆破事件の被告人との関係について
原告と同居していた従兄弟の息子であるA及び甥であるBが,1989年(平成元年)7月10日に発生したヤンゴン市役所の爆破事件(以下「市役所爆破事件」という。)に関し,自宅に武器爆弾を保管していたとして,同年10月18日にAが死刑,Bが懲役15年の判決を受けた。
ミャンマー政府は,市役所爆破事件後,原告がA及びBと原告の自宅で同居していたことから,原告の自宅をたびたび捜索した上,原告に対し,原告が反政府組織であるカレン民族同盟(KNU。以下「KNU」という。)の指導者と連絡を取っているとの疑いをかけた。原告は,ミャンマー政府からの迫害を免れるため,教師を辞職させられた後,出家して本名であるCから尼僧名である原告名に改名し,4年間にわたって山や洞に潜伏するなどの過酷な逃亡生活をすることを強いられた。
オ 入国の目的について
原告は,上記エの4年にわたる逃亡生活の末,1997年(平成8年)5月17日,ミャンマー政府による迫害から免れる目的で本国を出国し,本邦に入国した。
カ 本邦入国後の活動について
(ア) 原告は,平成18年8月8日,在日ビルマ市民労働組合(FWUBC。以下「FWUBC」という。)に加盟し,その女性担当役員に就任した。FWUBCは,平成14年(2002年)に組織された団体であり,ミャンマーの民主化を労働者の立場から推進していく団体である。
ミャンマー政府は,FWUBCの関連組織であるFTUBを反政府組織であると宣言しているから,FWUBCについても同様に反政府組織であると認識しているといえ,その構成員は迫害を受けるおそれがあるる。
(イ) 原告は,平成18年8月20日,ビルマ民主連合(DFB。以下「DFB」という。)日本支部に入会した。
DFBは,平成元年(1989年)2月27日にモーティーズンが本国において設立した団体である。同人は,ミャンマー政府から弾圧を受けたことから,タイ国境付近に逃れ,自らが副議長となって全ビルマ学生民主化前線(ABSDF)を設立したが,タイ王国(以下「タイ」という。)で服役し,アメリカ合衆国へ亡命した。DFB日本支部は,平成17年(2005年)6月12日,同人が議長となって設立したものである。ミャンマー政府は,平成18年(2006年)4月14日,DFB日本支部に関連する組織であるABSDFを反政府組織として宣言しているから,DFB日本支部についても同様に反政府組織であると認識しているといえる。
原告は,現在,ミャンマー政府から反政府組織と認識されているDFB日本支部において役員を務めている上,DFB代表者であるモーティーズンから,同年10月29日,政治会談に協力した功績を称えられて感謝状を贈呈され,DFB日本支部代表者から,平成19年4月22日,ビルマ水掛祭りでの基金販売支援活動への協力に対して感謝状を贈呈されているから,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがある。
(ウ) 原告は,国民民主連盟(解放区)(NLD-LA。以下「NLD-LA」という。)議長から,平成18年(2006年)9月18日,原告に対し難民の地位を与えるべきである旨の推薦を受け,その旨の推薦状が同議長名義で発せられた。
(エ) 在日本ミャンマー大使館は,本邦においてデモに参加した者をビデオ撮影してその映像等を本国に送付し,ミャンマー政府は,その映像等をもとにヤンゴン空港でその者らの身柄を拘束しているところ,原告は,平成18年(2006年)10月29日ころから本邦において極めて精力的に反政府デモ活動を行っており,在日本ミャンマー大使館はその様子をビデオ撮影して,その映像等を本国に送付している。
(オ) 原告は,平成19年(2007年)3月に,セルフ・ファンデイング・コミッティー・インターナショナル(Self-Funding Committee International。以下「SCI」という。)という団体を立ち上げて,ミャンマーの民主化のための活動を行っている。
(カ) 原告は,平成19年(2007年)4月8日から,アハラという雑誌で,ミャンマー政府を批判する詩を継続的に掲載している。アハラとは,諸外国にいるミャンマー人らが,平成14年ころから,ミャンマー政府を批判するために作成し,諸外国に向けて冊子や電子メールにより発行している雑誌である。
(キ) 原告の家族は,自宅を出て放浪するかのごとき生活を強いられているが,これは原告の反政府活動の結果,ミャンマー政府が原告の家族に対し迫害を加えるおそれがあるからである。
(2) 被告の主張の要旨
以下のとおり,ミャンマー政府が原告を迫害するおそれは認められないから,原告は「難民」に当たらず,本件不認定処分は適法である。
ア バラサでの活動について
原告が,バラサに参加して活動していたことを裏付ける客観的証拠はない上,原告の主張と同旨の供述は信用することができず,原告の主張を裏付ける証拠はない。
イ 教師への33の質問とその回答について
原告主張の教師への33の質問がされたことを裏付ける客観的証拠はなく,また,原告が教師を辞職させられたとしても,その原因が上記33の質問に対する原告の回答内容にあることを裏付ける客観的証拠はない上,原告の主張と同旨の供述は信用することができず,原告の主張を裏付ける証拠はない。
ウ 1988年(昭和63年)のデモにおける活動について
原告が上記デモに参加したことを裏付ける客観的証拠はない上,原告の主張と同旨の供述は信用することができず,原告の主張を裏付ける証拠はない。
仮に,原告が上記デモに参加していたとしても,原告の供述によれば,その活動内容は一般のデモ参加者としての活動にとどまるものといえるところ,当時のミャンマーにおいては,数百人ないし数万人規模のデモが頻繁に実施されていたのであり,新聞に掲載されたデモ活動中の原告の写真は原告を特定して撮影した写真でもなく,記事の内容も原告の活動に触れるものではないから,ミャンマー政府が,殊更に原告に関心を抱き,原告に対して迫害を加えるおそれがあるとはいえない。
エ 市役所爆破事件の被告人との関係について
原告が疑いをかけられ,たびたび自宅の捜索を受けたこと,原告がA及びBと同居していたこと並びに原告とA及びBとの血縁関係を示す客観的証拠はない上,原告は,市役所爆破事件に関する供述を合理的な理由なく変遷させており,原告の主張と同旨の供述は信用することができず,他に原告の主張を裏付ける証拠はない。
仮にA及びBが市役所爆破事件に関して逮捕されたとしても,そのことをもって,ミャンマー政府が原告を反政府活動家として関心を抱いたりすることはない。
オ 入国の目的について
原告は,観光目的で本邦に入国し,入国後は就職し,専ら稼働して多額の金を稼いでいたのであって,原告は,難民として庇護を求める目的で本邦に入国したのではない。
カ 本邦入国後の活動について
原告は,本邦において,本件難民認定申請をした時まで反政府組織に所属したことはなく,デモなどの反政府活動にも一度も参加したことはなかったのであり,原告がした本邦における反政府活動はいずれも本件不認定処分後のものであるから,そのような反政府活動が,本件不認定処分の適法性に影響を及ぼすものではない。
また,原告がした反政府活動は,在日本ミャンマー大使館前でのデモや反政府組織の会議に参加するという程度のものであるから,多数の参加者の一員としての活動にすぎず,ミャンマー政府が殊更に関心を抱くようなものとはいえない。
キ 旅券について
ミャンマー政府は,反政府活動家に対する旅券発給審査を相当厳格に実施しているから,反政府活動家として把握している人物に対して旅券を発給することはない。原告が,ミャンマー政府から正規の手続により旅券の発給を受け,在日本ミャンマー大使館において,旅券の切替えをしている事実は,ミャンマー政府が原告を反政府活動家として把握していないことを示している。
また,旅券の発給を求めることによって本国政府に自発的に保護を求め,かつ,これを享受しようとする原告の態度は,少なくとも原告が本国での反政府活動を理由にミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあることを認識していなかったことを示すものであり,したがって,原告がミャンマー政府から迫害を受けるおそれがないことを示すものである。
ク 出国手続について
ミャンマー政府は,反政府活動家に対する出国手続を厳格に実施しており,積極的な反政府活動家や民主化運動家として把握したり関心を抱いている者に対して正規の出国許可はされない。
原告は,平成9年(1997年)5月17日に正規に出国を許可されていることからすれば,ミャンマー政府は原告を積極的な反政府活動家として把握したり関心を抱いていなかったといえる。
ケ 難民認定申請について
原告が,入管法違反の疑いで逮捕された後である平成18年6月2日まで難民として庇護を求めようとしなかった理由は,そもそも難民認定申請をする意思を有していなかったためであり,原告は,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれを認識していなかったといえる。
第3 当裁判所の判断
1 難民の意義
入管法2条3号の2は,同法における「難民」の意義について,難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条の規定又は難民の地位に関する議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうと規定している。したがって,入管法にいう「難民」とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」をいう。そして,上記の「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するものと解するのが相当であり,また,上記にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解される。
なお,難民の認定における立証責任の帰属については,入管法61条の2第1項の文理のほか,難民認定処分が授益処分であることなどにかんがみれば,その立証責任は原告にあるものと解すべきである。
2 原告の難民該当性に関する事情
前提事実,掲記の証拠及び弁論の全趣旨を総合すると,原告の難民該当性に関し,ミャンマーの一般情勢及び原告に係る個別事情として,次の事実が認められる(なお,以下,外国で生じた事由については,西暦及び年号の双方を記載する。)。
(1) ミャンマーの一般情勢
ア ミャンマーでは,1962年(昭和37年),ネウィン将軍がクーデターにより社会主義政権を設立し,軍部が政権を掌握したが,1988年(昭和63年)3月以降,全国的に多数の学生・市民が参加してデモ・集会等を行う大規模な民主化運動が次第に拡大し,同年8月8日,その全国的・大規模な民主化運動が同政権を崩壊させた。しかし,同年9月18日,軍事クーデターにより,軍が組織する国家法秩序回復評議会(SLORC。その後,改称により略称はSPDCとなる。以下,改称の前後を区別せず「SLORC」という。)が全権を新たに掌握し,SLORCによる軍事政権が成立した。(乙39,弁論の全趣旨)
イ SLORCが全権を把握するミャンマー政府は,アウンサンスーチーを代表者としてミャンマーの民主化を目指す政治組織である国民民主連盟(NLD。以下「NLD」という。)を政党として登録することを認めたものの,1989年(平成元年),アウンサンスーチーを自宅に軟禁した。SLORCは,1990年(平成2年)に実施された総選挙の結果において,NLDが約8割の議席を獲得したにもかかわらず,民政移管のためには堅固な憲法が必要であるとして,議会を開き政権をNLDに委譲することを拒否した。(乙39,弁論の全趣旨)
ウ アウンサンスーチーは,1995年(平成7年)7月,一時自宅軟禁から解放されたものの,同人の国内遊説は,2003年(平成15年)まで禁止され,同年5月30日,国内遊説中に身柄を拘束され(ディペイン事件),再度自宅軟禁され,本件口頭弁論終結時まで自宅軟禁が続いていた。(乙38,39)
ミャンマー政府は,2000年(平成12年)ころから,NLDとの対話を始め,国民的和解を目指す動きも出てきたが,そのような動きは3年ほど続いて頓挫した。このような状況の下で,ミャンマー政府は,主要なNLD指導者に合法的な政治的地位を認めることを拒んでおり,治安維持上の手法等を通じてこれらの者の活動を厳しく制限するなど,国内の政治的自由の制限は引き続き行われている。(乙39,弁論の全趣旨)
エ ミャンマー国外でミャンマーの民主化運動・反政府活動を行っているミャンマー人の活動家によれば,現在,同国外で自分の名前を明らかにしてミャンマーの民主化運動・反政府活動をしているミャンマー人は,タイにおいて少なくとも1万人,ミャンマー及びタイを除く国々で少なくとも1万人の多数にのぼり,その大半は各人の滞在国で仕事をするかたわら空いた時間に政治活動をするというレベルにすぎず,ミャンマーの民主化を目指して活動を行う同国外の団体(民主化団体)も,団体の数が多すぎて運動の統合に支障を生ずるほど,著しく多数にのぼるとされている。(乙39ないし41)
なお,NLD-LAは,1991年(平成3年)2月14日に,セインウインを議長として設立され(現在の議長はウインケッである。),タイのミャンマーとの国境付近に本部を置き,タイ等の国外を活動地域とする民主化団体であり,NLDを支持する団体の1つではあるが,アウンサンスーチーを中心とした国内で政党として登録された政治組織であるNLDとは異なる別個の国外の民主化団体であって,名称は類似しているがNLDと組織の関連はなく,国内で政党として登録されたものでもない。NLD-LA日本支部は,かかるNLD-LAの日本における支部として,在日ミャンマー人らによって設立されたものである。(乙39,40,弁論の全趣旨)
(2) 原告に係る個別事情
ア 原告は,1994年(平成6年)ころ,日本人のコンピューターエンジニアであるDと称する男と知り合った。同人は,4,5回ほどミャンマーに観光のため入国し,原告の家にホームステイをしていた。Dは,原告に対し,日本に観光に来るように誘い,1997年(平成9年),招待状と日程表を送付したので,原告は,ブローカーに対して旅券の申請書,写真,国民登録証明書及び手数料10万チャットを渡し,原告の真正な身分事項が記載された自己名義の旅券を取得した。また,原告は,旅券取得後,自ら在ミャンマー日本大使館へ出頭し,旅券,申請書,Dからの招待状,観光スケジュール等を提出して観光の査証を取得した。(乙2,10,22,原告本人)
イ 原告は,1997年(平成9年)5月中旬,ヤンゴン空港から出国してシンガポールに入国し,1週間滞在して観光をした後,同月24日,シンガポールを出国して成田空港から本邦に入国した。原告は,成田空港にDが迎えに来ていたことから,神奈川県厚木市の同人の自宅に直接向かい,2か月ほど同人の自宅に友人として滞在し,その間の生活費はすべてDが負担した。(前提事実,乙10)
ウ 原告は,平成9年8月ころ,日本で知り合ったミャンマー人Eから仕事の紹介を受けて,新潟県所在のホテル「アカクラ」において掃除やホールの仕事等を始め,月額18万円の収入を得た。また,原告は,平成11年8月ころ,原告の肩書地の住所に転居し,東京都豊島区池袋所在のホテル「サンドート」及び同所在のホテル「カステル」で4年余の間清掃の仕事をし,平成16年5月ころから平成18年2月ころまで東京都渋谷区所在の弁当屋「ハナゼン」で弁当詰めの仕事をして,それぞれ月額9万円の収入を得ていたが,その後体調を崩したことから同年2月ころ仕事を辞めた。原告は,上記稼働中に,約40万円ないし50万円を本国の親族に送金し,自己名義の銀行口座に約200万円の預金をし,同年5月に逮捕されるまでは預金を払い戻して生活していた。(乙10,12,22)
エ 原告は,平成16年3月,自ら在日本ミャンマー大使館に出頭し,真正な身分事項が記載されている2冊目の旅券の発給を受けた。(乙2,22)
オ 原告は,平成9年5月24日に本邦に入国後,平成18年5月以降の逮捕・収容及び本件難民認定申請を経て同年8月8日にFWUBCに加入するまで,本邦において反政府活動を行ったことはなく,反政府活動組織のメンバーになったこともない。(乙10,22,23)
3 原告の難民該当性に関する検討
(1) バラサでの活動について
原告は,本国において,1982年(昭和57年),政治的組織であるバラサに参加し,政治活動を開始した旨主張し,同旨の供述(甲27,原告本人)をしている。
ア しかし,原告が,バラサに所属し政治活動をしていたことを示す客観的証拠はなく,原告の供述を直ちに採用することはできない。
原告は,原告が写っているとされる写真(甲26)が,原告がバラサに参加していたことの証拠であるとするが,仮に同写真に写っている人物に原告が含まれているとしても,同写真は整列している少女らが撮影された記念写真様の写真にすぎず,かつ,その撮影時期も1968年(昭和43年)1月2日であって,原告がバラサに所属したと供述する時期より10年以上も前に撮影されたものであるから,同写真は,原告がバラサにおいて政治活動をしていたことを裏付けるものとはいえない。
したがって,原告の上記主張を認めるに足りる証拠はないといわざるを得ない。
イ また,仮に原告がバラサに所属していたとしても,原告は,バラサについて,ミャンマーの少年・若者達が組織したグループであること,若者達が精神的・体力的に向上するような活動をしており,具体的にはバンドや空手の勉強をしていたこと,1988年(昭和63年)に行われた民主化運動の際には,バラサのメンバーは「ソーシャルダンシング」をしていた旨供述している(原告本人)。
かかる原告の供述を前提とすれば,バラサが政治活動をする団体であるとは考え難く,原告がバラサにおいて政治活動をしていたとは認められず,原告のバラサにおける活動が,ミャンマー政府から殊更に関心を寄せられ注視されて迫害を受けるおそれがあるようなものであったと認めることはできない。
ウ 以上のことから,原告の上記主張を採用することはできない。
(2) 教師への33の質問とその回答について
原告は,ミャンマー政府が原告ら教師に対してした33の質問に対して,ミャンマー政府の意向に沿わない回答をしたため,ミャンマー政府から反政府活動家と認識され,教師を辞職させられた旨主張し,これに沿う供述(乙12,22,23,29)をしている。
ア しかし,そもそも,ミャンマー政府による教師に対する33の質問が実施されたことや,同政府によって原告が教師を辞職させられたことを裏付ける客観的証拠はない。
また,原告は,東京入管難民調査官に対し,平成18年6月6日及び7日,33の質問に対する回答を1988年(昭和63年)の翌年(民主化運動による学校の1年間の閉鎖後の再開時)に行い,1993年(平成5年)に教師を辞職させられたと供述しているが(乙22,23),回答の内容が理由であるのに回答の約4年後に辞職させられるというのは,それ自体が不自然である上,そのことを本件訴訟において被告から指摘されるや,平成21年2月27日に実施された原告本人尋問の際には,33の質問に対する回答を平成4年(1992年)ころに行ったと供述し(原告本人),教師を辞職した原因に係る重要な事実である自らの回答の時期について大幅に供述を変遷させており,かつ,その変遷の理由について合理的な説明を欠いており,原告の上記供述はにわかに採用することができない。
したがって,原告の上記主張を認めるに足りる証拠はないといわざるを得ない。
イ なお,仮に,33の質問及びこれに対する原告の回答がされたとしても,①東京入管難民調査官に対する当初の供述を前提とすれば,原告がその回答をした時期は1989年(平成元年)となるが,原告が教師を辞職した時期は1993年(平成5年)であるというのであり,その間,約4年の期間が経過していることからすれば,33の質問に対する原告の回答と,原告が教師を辞職したこととの間に因果関係があるとは認め難く(原告本人尋問の結果中,33の質問に回答した時期が平成4年(1992年)ころであるとする部分は,上記アのとおり,本件訴訟において被告から上記年数の経過の点を指摘された後,合理的な理由の説明なく大幅にその時期に係る供述を変遷させたものであり,それ自体,到底採用の余地はない。),また,②原告の回答の具体的な内容を証するに足りる的確な証拠はなく(「外国人と結婚している者を国家の指導者としたいか。」との質問に対し「その人が本当に国を愛しているなら認める。」と回答し,「どのような体制を望むか。」との質問に対し「民主主義」と回答した旨の原告の平成19年9月5日の難民調査官に対する供述(乙29)は,客観的な裏付けを欠く上,平成18年5月24日以降の数次の東京入管での供述及び提出書面中に同様の具体的な言及は一切ないこと,原告がその回答についてミャンマー政府から尋問等の追及を受けた形跡がないこと,上記アの供述内容の不自然さ及び不合理な変遷等に照らし,にわかに採用し難い。),原告がその回答についてミャンマー政府から尋問等の追及を受けた形跡がないことも併せ考慮すれば,教師への質問に対する原告の回答によって,原告がミャンマー政府から積極的な反攻府活動家として殊更に関心を寄せられ注視され続け,迫害を受けるおそれがあると認めることはできない。
ウ 以上のことから,原告の上記主張を採用することはできない。
(3) 1988年(昭和63年)のデモにおける活動について
原告は,1988年(昭和63年)のミャンマーにおける民主化運動の際,民主化を求めるデモにリーダーとして参加したこと,デモに参加している原告の顔写真が新聞に掲載されたことから,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがある旨主張している。
ア 1988年(昭和63年)に行われたデモに関し,原告は,①勤務していた高等学校の校長からデモへの参加を呼びかけられたため,デモに参加したこと,②教師として3回,居住していたサンジャウン区の住民として3回,元大学生組織のメンバーとして1回の合計7回,デモに参加したこと,③教師として参加したデモにおいては,各学校ごとの参加者をまとめるリーダーとして参加したものの,原告より上位の区をまとめるリーダーのほか,更に地位の高い者がおり,原告の役割は,区のリーダーと更に上位の者が話し合って決めたシュプレヒコールを,デモ隊の先頭において先導することであったこと,④参加した他のデモにおいては,デモの参加者の1人として参加したこと,⑤規模の大きなデモばかりに参加しており,具体的な人数は分からないものの,最も大きなデモには1万人以上の人が参加していたこと,⑥デモに関係するスピーチ,自宅での会議の開催及び様々な書類の配布をしたことを供述している(乙22,23,原告本人)。
しかしながら,原告のかかる供述を前提としても,サンジャウン区の住民及び元大学生組織として参加したデモにおいてはもちろんのこと,教師として参加したデモについても,原告は民主化運動及びデモの指導的立場にあったとはいえず,原告のデモにおける活動内容及び地位は,デモの多数の一般参加者のそれと別段異ならないものといえ,1万人以上の参加者がいたデモを含む規模の大きなデモにおいて,原告がそのような活動をしたことがあったとしても,それによって,ミャンマー政府が原告を個別的に把握して殊更に関心を寄せて注視し続けるとは考え難く,原告が迫害を受けるおそれがあるとはいえない。
イ 原告は,原告がデモに参加している姿が,写真で撮影され,新聞に掲載されたことから,ミャンマー政府が原告を迫害するおそれがあると供述(乙28)し,1988年(昭和63年)9月5日付けキェモン新聞(甲3。以下「キェモン新聞」という。)が上記写真が掲載された新聞であると主張する。
しかしながら,キェモン新聞の上記写真中の人物が原告であるか否かは明らかでなく,当該写真に関する記事も,「高校,中学と小学校の数々の先生たち,大学と高校学校の元学生たち,工場,労働組合,民主化のシステムのためにたたかってある組合と会員たち,郡区のすべての国民たちが参加しました。」(甲3の訳文)というものであって,多数の教師・住民らが参加したことを紹介するにとどまり,特に原告に関する記事が掲載されているわけではなく,また,上記アのとおり,原告のデモにおける活動内容及び地位は,デモの多数の一般参加者のそれと別段異ならないものといえること,原告はデモに参加したことを理由として身柄を拘束されたことはないと供述していること(乙23)からすれば,仮に上記写真のデモ参加者の中に原告が含まれていたとしても,それによって,ミャンマー政府が原告を殊更に関心を寄せて注視し続けるとは考え難く,原告が迫害を受けるおそれがあるとはいえない。
ウ 以上のことから,原告の上記主張を採用することはできない。
(4) 市役所爆破事件の被告人との関係について
ア 原告は,市役所爆破事件後,従兄弟の息子であるA及び甥であるBと原告が自宅において同居していたことから,ミャンマー政府から原告の自宅がたびたび捜索され,原告がKNUの指導者と連絡を取っているとの嫌疑をかけられたため,出家して過酷な逃亡生活を4年間にわたり強いられたと主張し,このことから原告が迫害を受けるおそれがあると主張する。
イ 原告の市役所爆破事件等に関する供述等の内容は,以下のとおりである。
(ア) 原告は,平成18年6月2日付け難民認定申請書(乙21)に,A及びBの続柄を原告の甥と記載し,「軍事独裁者組織」が「顔,頭の部分,体を殴りました。」,「ひとつの家に同居していた二人も逮捕監禁処罰されました。」と記載している。
なお,原告は,同月6日の第1回の難民調査では,自分が難民であると考える理由の中で,両名との関係及び市役所爆破事件との関係について言及していなかった(乙22)。
(イ) 原告は,第2回の難民調査において,同月7日,サンジャウンの家で一緒に住んでいた兄の息子2人が,政府に抵抗する活動を扇動し,勧誘したミンコーナインと接触をしたとの理由で,1999年(平成11年)に逮捕され,1人は死刑を,1人は無期懲役を言い渡されたこと,僧侶の力により2人は減刑され死刑は免れたこと,原告の自宅から,内容は分からないもののA及びBに関係する文書が見つかったので,帰国すれば自分も捕まると思うと供述している(乙23)。
(ウ) 原告は,東京入管特別審理官に対し,平成18年6月28日,同居していた2人の甥が逮捕・投獄されたと供述している(乙12)。
(エ) 原告は,本件不認定処分に対する平成18年10月4日付け異議申立てに係る申述書(乙28)において,Aは原告の従兄弟の息子,Bは原告の兄の息子(甥)で,原告は両名と同居していたところ,両名は市役所爆破事件に関与したとしてそれぞれ死刑と懲役15年の判決を受け,原告の家で爆発物が発見されたと新聞に公表された旨記載している(なお,同申述書では,両名を原告の2人の甥とも記載しており,原告は従兄弟の子と甥を区別していないことがうかがわれる。)。
(オ) 原告は,平成19年9月5日の東京入管難民調査官に対する口頭意見陳述(乙29)において,「甥のAとBの2人がヤンゴン区役所爆発事件に関与したとしてそれぞれ死刑と懲役15年の判決をくだされました。(中略)また,私の家で爆発物や武器が発見されたと新聞に公表されました。」と陳述している。
(カ) 原告は,平成21年1月15日付け陳述書(甲27)に,「若かりし頃から,従兄弟のAらと同居していました」,「1982年の大学卒業時には,甥であるBと記念撮影をしました」,「1989年7月10日ヤンゴン市庁舎爆破事件において,自宅に武器爆弾を保管した等として,同年10月18日,Aに死刑・Bに懲役15年の有罪判決が下されました」と記載している。
ウ 原告は,市役所爆破事件の当時,A及びBと同居していた旨供述するが,これを裏付ける客観的証拠はない。
原告は,教員訓練記録カード(甲5)に記載された原告の住所と,ミャンマーの新聞であるザ・ワーキング・ピープル・デイリー紙(甲4)で報じられたA及びBの住所が同じであること,原告とA及びBが一緒に写真に写っていること(甲1,2)が,原告と同居していたことを示すものであるとする。
しかし,①教員訓練記録カードに記載された原告の住所は,1979年(昭和54年)から1980年(昭和55年)までのものであるのに対し,市役所爆破事件の発生は1989年(平成元年)であること,②教員訓練記録カードには「現在の住所」欄に記載された住所と「住所」欄に記載された住所の2つの住所が記載されているところ,A及びBの住所と同じであるのは「住所」欄に記載されたものであって,原告の当時の「現在の住所」欄記載の住所とは異なることからすれば,教員訓練記録カードに記載された原告の住所と,上記新聞で報じられたA及びBの住所が同じであることは,市役所爆破事件の発生当時に原告とA及びBが同居していたことを裏付けるものとはいえない。
また,写真(甲1,2)に写っている人物の中にA及びBがいることを裏付ける証拠はなく,仮に同写真に写っている人物の中にA及びBがいるとしても,Aと原告が写っているとされる写真(甲1)は市役所爆破事件の2年前,Bと原告が写っているとされる写真(甲2)は同事件の7年前に撮影された写真であること,原告とA又はBが一緒に写っている写真が存在することが,必ずしも原告とA及びBとの同居の事実を示すものではないことからすれば,同写真は,市役所爆破事件の発生当時に原告と両名が同居していたことを裏付けるものとはいえない。
したがって,市役所爆破事件の発生当時に原告とA及びBが同居していたとの原告の主張を認めるに足りる的確な証拠はないといわざるを得ない。
エ また,原告は,Aが従兄弟の息子であり,Bが兄の息子(甥)である旨主張するが,①その親族関係を裏付ける客観的証拠はない上,②原告は,上記イ(イ)の供述では両名をいずれも兄の息子と述べ,同(カ)の陳述書ではAを従兄弟と述べるなど,両名の親族関係につき,原告の供述相互の間には齟齬・変遷がみられ,③両名の刑罰の根拠とされた嫌疑につき,上記イ(イ)では政府に抵抗する活動の扇動及びミンコーナインとの接触,同(エ)ないし(カ)では市役所爆破事件と述べ,Bの受けた刑罰についても,上記イ(イ)では無期懲役,同(エ)ないし(カ)では懲役15年と述べ,供述の齟齬・変遷がみられるところ,A及びBが真に同居していた従兄弟の息子及び兄の息子(甥)であるならば,両名の親族関係(続柄)及び刑罰の嫌疑・内容に関する供述内容にこのような齟齬・変遷が生ずることは考え難いこと,④上記イ(ア)のとおり原告は第1回の難民調査の時点では自らの難民該当性の理由として両名及び市役所爆破事件との関係に言及していなかったことを併せ考えると,A及びBが原告の従兄弟の息子及び兄の息子(甥)であるとする原告の供述はにわかに採用することができない。
この点,原告は,20年以上も前の出来事であるから原告の記憶違いであったと主張するが,20年以上も前の出来事とはいえ,同居する親族が,ヤンゴン市役所の爆破の容疑で重罪の刑罰の宣告を受けたという重大事件に関し,両名の親族関係(続柄)及び刑罰の嫌疑・内容のような基本的な事柄について供述に齟齬・変遷を来す記憶違いをするとは考え難い。
したがって,A及びBが原告の従兄弟の息子及び兄の息子(甥)であるとの原告の主張を認めるに足りる的確な証拠はないといわざるを得ない。また,上記ウのとおり,市役所爆破事件の発生当時に原告が両名と同居していたとの原告の主張もこれを認めるに足りる的確な証拠がなく,これらの原告の主張に沿う原告の供述がいずれも採用できない以上,これらの主張・供述を前提として,原告の家が捜索の対象となり,原告の家で爆発物が発見され,原告自身も同事件との関係(KNUとの関係を含む。)の嫌疑をかけられた旨の原告の主張・供述も,その前提及び裏付けとなる的確な証拠を欠き,原告自身が第1回の難民調査の時点では自らの難民該当性の理由として同事件との関係に言及していなかったことに照らしても,にわかに採用することができないといわざるを得ない。
オ 原告は,市役所爆破事件後,同事件との関係の嫌疑や33の質問に対する回答を理由としてミャンマー政府から原告も追及を受けたことから,出家して尼僧として4年にわたる逃亡生活を強いられた旨主張し,原告はこれに沿う供述をし(甲6,27,原告本人),原告を撮影した写真(甲7)がこれを裏付けるものとする。
しかし,原告は出家後の行動に関して,「ミャンマー各地のお寺を転々として修行していた」(乙10),「各地の瞑想センターで瞑想し…各地の瞑想センターを転々としていた」(乙22)と供述し,これらの供述の中では逃亡の理由として市役所爆破事件や33の質問に対する回答のことは言及されていないところ,かかる供述を前提としても,原告の供述から原告が上記事件や上記回答の関係で具体的にミャンマー政府から追及を受けていた形跡はうかがえず,また,上記写真(甲7)はいずれも寺院,船上等で撮影されたものであるが,かかる写真からも,原告が,ミャンマー政府から追及を受けて逃亡している形跡はうかがえない。
むしろ,原告は,市役所爆破事件後に原告は同事件につき警察の取調べを受けたことはないと供述している(原告本人)ところ,かかる供述を前提とすれば,原告が同事件の関係でミャンマー政府から4年もの間追及を受けていたとは考え難いし,前記(2)のとおり,そもそも33の質問が実施されたことを裏付ける客観的証拠はなく,仮に33の質問が実施されていたとしても,その回答を理由に原告がミャンマー政府から4年もの間追及を受けなければならないような事情の存在は認め難い。
したがって,原告の上記主張を認めるに足りる的確な証拠はないといわざるを得ない。
カ 以上のことから,原告の上記アの主張を採用することはできない。
(5) 本国におけるその他の事情に関する原告の供述について
原告の主張はないものの,原告は,自己の難民該当性を基礎付ける事情として,以下の供述をしているので,検討する。
ア 原告は,1988年(昭和63年)のデモへの参加以外に,本国においてした反政府活動について,ミャンマー政府に敵対する組織に所属していたことはなかったものの,学校の先生や学生等に会うたびに,ミャンマー政府の卑怯さを話していた旨供述している(乙21)。かかる原告の供述は,原告が教師を辞職させられたとする1993年(平成5年)以前の原告が教師として在職中の言動に関するものと解されるが,かかる原告の供述を前提としても,1988年(昭和63年)の大規模な民主化運動の後,1990年(平成2年)にはNLDが約8割の議席を獲得するほど国民の民主化への意識が高揚していた情勢の下で,教師や学生の間では軍事政権を批判する発言が相応に交わされていたことは想像に難くなく,原告の発言がミャンマー政府に個別的に把握されたことをうかがわせる証拠はない以上,上記の言動をもって,原告がミャンマー政府から積極的な反政府活動家として殊更に関心を寄せられ注視されたとは考えられず,それによって原告がミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるとはいえない。
イ 原告は,本国において,ミャンマー政府の者から尾行されていた旨供述する(甲6,原告本人)。
しかしながら,①前記(1)ないし(4)のとおり,原告の主張に係る本国での活動のいずれについても,ミャンマー政府から積極的な反政府活動家として殊更に関心を寄せられ注視され続けるような尾行の必要性を基礎付ける事実の存在は認められず,現に政府関係者による尾行の事実を裏付ける客観的証拠はない上,②原告は,原告本人尋問の際には,1988年(昭和63年)から1997年(平成9年)に本国を出国するまで,ミャンマー政府の者に尾行されていた旨供述しているのに対し,平成20年10月7日付けで原告代理人に提出した文書(甲6)には,原告が出家してから尾行が開始された旨記載しており,原告の供述(原告本人)を前提とすれば,原告が出家した時期は原告が教師を辞職した1993年(平成5年)であるから,原告の上記各供述には,尾行が開始された時期について約5年もの齟齬があり,③さらに,原告の尾行者に関する供述はあいまいで,尾行の態様に関する供述は具体性を欠くことを併せ考えると,原告の上記供述をにわかに採用することはできず,他に上記供述に係る事実を認めるに足りる証拠はない。
(6) 本邦入国後の活動について
原告は,①平成18年8月8日に反政府組織であるFWUBC,同月20日に反政府組織であるFDBに加入し,いずれにおいても役員等を務めて活動したこと,②NLD-LA議長から,原告に対し,同年9月18日,難民の地位を与えるべき旨の推薦を受けていること,③同年10月29日ころから本邦においてデモ活動に参加し始めたこと,④平成19年3月にはSCIを設立して民主化のための活動を開始したこと,⑤平成19年4月8日からアハラという雑誌で反政府的な詩を継続的に掲載していることを主張し,これらの活動により,ミャンマー政府から迫害のおそれがあると主張している。
ア しかし,上記①ないし⑤の原告の活動等は,いずれも,本件不認定処分がされた平成18年7月20日以後の事情であり,本件不認定処分の適法性に影響を与え得る事情であるとはいえない。
また,この点を措くとしても,以下のとおり,上記①ないし⑤の原告の活動等は,原告の難民該当性を基礎付ける事情であるということはできない。
イ FWUBCについて
(ア) 原告がFWUBC(在日ビルマ市民労働組合(前記第2の3(1)カ(ア)))の女性担当役員であったとしても,本件全証拠によっても,FWUBCにおける女性担当役員の職務内容は明らかでなく,原告が,FWUBCにおいて,ミャンマー政府から殊更に関心を寄せられ注視され,迫害を受けるおそれを生じさせるような活動をしていた事実を認めるに足りる証拠はない。
また,原告は,FWUBCの活動内容について,本邦において稼働しているミャンマー人の労働問題の解決の助けをしたり,ミャンマーが台風の被害を受けたときに,支援のための送金をするというものであると供述(原告本人)しているところ,かかる供述を前提としても,原告のFWUBCにおける活動は,ミャンマー政府から殊更に関心を寄せられて注視され続け,迫害を受けるおそれがあるようなものであるということはできない。
したがって,原告がFWUBCの女性担当役員として活動していたことをもって,ミャンマー政府から迫害のおそれがあるとすることはできない。
(イ) 原告は,FWUBCの関連組織であるFTUBが,ミャンマー政府から反政府組織であると宣言されているから,FWUBCの役員である原告も迫害されるおそれがあると主張するが,FWUBCとFTUBの具体的な関係を示す客観的な証拠はない上,原告が供述する原告のFWUBCにおける活動内容(上記(ア))に加えて,2005年(平成17年)2月12日にタイのバンコクで将来のミャンマーの民主化運動の在り方などの基本原則を定める会議(基本原則セミナー)が開催され,ミャンマー国外でミャンマーの民主化運動をしている主要な団体である42の団体がこの会議に参加して上記の基本原則を採択したが,FWUBCはこのミャンマーの民主化運動を進める主要な42の団体に含まれていないこと(乙40)に照らせば,ミャンマー政府が,原告のFWUBCにおける活動に殊更に関心を抱いて注視し,原告に対して迫害を加えるおそれがあるとは認め難く,原告の上記主張は採用することができない。
ウ DFB日本支部について
原告は,DFB(ビルマ民主連合(前記第2の3(1)カ(イ)))日本支部はミャンマー政府から反政府組織として宣告されたABSDFを設立したモーティーズンが設立した組織であって,DFB日本支部の役員を務める原告は迫害を受けるおそれがある旨主張する。
(ア) 証拠(甲22)によれば,DFB日本支部は,ミャンマーの民主化運動を目的とする団体であると認められるものの,本件全証拠によってもその具体的な活動内容及びABSDFとの関係並びに原告の「役員」としての団体内の実質的な役割等は明らかでない上,DFB日本支部が上記イ(イ)のミャンマーの民主化運動を進める主要な42の団体に含まれていないことも併せて考慮すれば,原告がDFB日本支部の「役員」の肩書きを有するとしても,そのことのみをもって,直ちに原告がミャンマー政府から積極的な反政府活動家として殊更に関心を寄せられ注視され,迫害を受けるおそれがあると認めることはできない。
(イ) 原告はDFB日本支部における原告の活動として,デモ活動,スピーチ,ワークショップ,受刑者の支援,国境付近の民主化活動家の支援等をしたと供述する(原告本人)が,かかる供述を裏付ける証拠はない上,かかる供述を前提としても,原告の活動内容は,多数の者による活動に参加者の1人として参加したものとどまるものといえる。また,原告は,原告のDFB日本支部における活動に対するモーティーズンからの感謝状(甲13)やDFB日本支部代表者からの感謝状(甲16)を証拠として提出するが,それら感謝状の記載内容を前提としても,原告がした活動は,反政府活動のための政治会談に貢献したこと又はビルマ水掛祭りでの基金販売支援活動に協力したことにすぎないところ,現在,ミャンマー国外において自らの名前を明らかにして反政府活動をしている者だけでも2万人を超えているとされている(上記2(1)エ)のであるから,原告が上記各活動をしたとしても,それによって原告がミャンマー政府から殊更に関心を寄せられ注視され,迫害を受けるおそれが生ずるものとはいえない。
(ウ) したがって,原告が,DFB日本支部の「役員」の肩書きで上記(イ)の程度の活動をしたとしても,そのことをもって,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるとすることはできない。
エ NLD-LA議長からの推薦状について
原告は,NLD-LA議長から,原告を難民として認定すべきとする推薦を受けていると主張し,これに沿う証拠として推薦状(甲11)を提出するが,同推薦状には原告の活動・役割に関する具体的な記述は一切なく,原告を難民として認定するよう推薦する理由は不明であって,これをもって原告の難民該当性を基礎付ける資料となり得るものとはいえない。
したがって,原告がNLD-LA議長から難民として認定すべきとの推薦を受けていたとしても,原告が「難民」に当たることを基礎付ける事情であるとすることはできない。
オ デモへの参加について
原告は,平成18年10月29日ころから本邦においてデモに参加し始めたが,ミャンマー政府は,本邦において行われたデモをビデオ撮影し,その映像を本国に送付して,デモの参加者が帰国した際に空港でその身柄を拘束していると主張し,原告は同旨の供述(甲27)をしている。
(ア) しかし,デモにおける原告の様子を撮影した写真(甲12)によれば,原告のデモへの参加態様は,一般参加者としての参加の態様を超えるものとは認め難く,現在,ミャンマー国外において自らの名前を明らかにして反政府活動をしている者だけでも2万人を超えているとされていること(上記2(1)エ)も併せて考慮すれば,そのデモへの参加をもって,ミャンマー政府が原告を殊更に関心を抱いて注視し,迫害をするおそれがあるとはいえない。
(イ) 原告は,ミャンマー政府が,本邦で行われたデモをビデオ撮影し,本国に送付して,デモの参加者が帰国した際にその身柄を拘束していると供述するが,これを裏付ける客観的証拠はなく,原告の上記供述をにわかに採用することはできない。原告は,「ビルマの民主的声:ビルマニュース」と題するウェブサイト(甲18)にその旨の情報が掲載されていたとするが,当該ウェブサイトに掲載された情報の取材源は「ヤンゴン空港の責任者」,「チェックされた人」等とされているところ,これらの取材源及び情報の内容の信用性を基礎付ける資料は何ら存在しない以上,そのウェブサイトに掲載された情報を直ちに採用することはできない。
したがって,原告の上記主張を認めるに足りる証拠はないものといわざるを得ない。
(ウ) なお,仮にミャンマー政府がデモをビデオ撮影した上,その映像を本国に送付していたとしても,上記(ア)で認定した原告のデモへの参加態様に照らせば,ミャンマー政府が,原告を殊更に関心を抱いて注視し,迫害するおそれがあるとは考え難い。
(エ) 以上のことから,原告の標記主張は採用することはできない。
カ SCIについて
原告は,原告が民主化運動のための団体であるSCI(Self-Funding Committee International(直訳すると「国際自己融資委員会」)(前記第2の3(1)カ(オ)))を設立し,民主化のための活動を行っていると主張する。
証拠(甲14)によれば,SCIの名称で,ミャンマーの民主化を目指し,ミャンマー人のために資金の提供を呼びかける文書が作成されていることがうかがえるものの,本件全証拠によっても,SCIが実際にどの程度の活動の実体及び参加者があり,資金の使途がどのようなものであるのかは明らかでなく,現在,ミャンマー国外において自らの名前を明らかにして反政府活動をしている者だけでも2万人を超え,民主化団体の数も著しく多数にのぼるとされていること(上記2(1)エ),SCIは上記イ(イ)のミャンマーの民主化運動を進める主要な42の団体に含まれていないこと(乙40)も併せて考慮すれば,SCIに係る活動をもって,原告がミャンマー政府から殊更に関心を寄せられて注視され,迫害を受けるおそれがあるとは認められない。
キ アハラに掲載された詩について
原告は,アハラとは,ミャンマー人らが本国の軍事政権を批判するために作成し,日本においては冊子で,諸外国に向けては電子メールで出版している雑誌であり,原告はこれにミャンマー政府を批判する詩を掲載していると主張し,原告は同旨の説明を陳述書に記載している(甲15の1ないし5,同19,27)。
証拠(甲15の1ないし5)によれば,アハラに掲載された原告の詩の内容は,①民主主義を光に喩えて,光を与える太陽,月,星を愛しているとし,ミャンマー政府による支配を闇に喩えて,闇は一晩で必ず終わるとして,本国の民主化を求めることを示すもの(甲15の1),②ミャンマー政府の指導者を,金銭を欲し武器で国民を抑圧する王に喩えて批判するもの(甲15の2),③ミャンマーの民主化のためには,ミャンマー国民が手を取り合って民主化に向けて前進する必要があるから,民主化のために頑張るよう呼びかけるもの(甲15の3),④ミャンマーが,サイクロンによる被害を受け,国民が水や食料を求めているにもかかわらず,ミャンマー政府がこれを無視し,諸外国からの被災者に対する支援を自己のものとしているとして,本国のサイクロンの被災者を救済しないことを批判するもの(甲15の4),⑤ミャンマー政府は,政治犯の逮捕・拘束に力を入れるばかりで,治安の維持に興味がないため,強盗や窃盗の数が増え,ミャンマー国民が安心して暮らせないこと,少数民族がミャンマー政府により弾圧されていること,人権を守ることを要求する反政府活動家を無実の罪で逮捕・起訴していること,治安が悪化しているのに,軍や警察は治安改善のための行動をしないことなどを批判するもの(甲15の5)であると認められる。上記認定の各詩の内容は,いずれも原告個人のミャンマー政府に対する批判の意思を示すものにすぎず,具体的な反政府活動の組織化等につながるものではないこと,上記冊子の本邦内の発行部数は400で諸外国への電子メールの送信先も100余と限られていること(甲19),ミャンマー国外において自らの名前を明らかにして反政府活動をしている者だけでも2万人を超えているとされているところ(上記2(1)エ),上記各詩の作者の氏名が「F」と大半はイニシャルで表記され,必ずしも容易に原告を特定し得るものとはいい難いこと等を併せて考慮すれば,上記各詩がアハラに掲載されたことをもって,原告がミャンマー政府から殊更に関心を寄せられ注視され続け,迫害を受けるおそれを生じさせるものとは認め難い。
ク 原告の従兄弟らの生活について
原告は,原告の従兄弟らが,本件事件や原告のこれまでの反政府活動の結果,自宅を出て放浪する逃亡生活を強いられていると主張し,これに沿う供述をするとともに,原告がした反政府活動をミャンマー政府が把握していたこと及び原告が出国する際に保証人となった僧侶がミャンマー政府から取調べを受け,その後に死亡していたことを本国にいる従兄弟から聞いたと供述している(甲28,原告本人)。
しかし,原告の上記供述を裏付ける客観的証拠はない上,原告の家族が逃亡生活をしている原因を問う質問に対する供述は「私がここ(注・本邦)で活動をしているので,向こう(注・ミャンマー)で逮捕されたりとか,取調べを受けることとかは,あり得ます。」,「そういうふうに思います。」(原告本人)というものであるところ,かかる供述は,原告が,自己の反政府活動が原因で従兄弟らが自宅を出て逃亡生活していると推測しているにすぎないものといえる。また,上記供述の中では,原告の保証人となった僧侶が死亡した原因,放浪生活中の従兄弟らが当該僧侶の動向に関する情報やミャンマー政府が原告の政治活動を把握しているとの情報を得ることができた理由,ミャンマー政府が把握していたとする原告の政治活動の具体的内容等,重要な事項に関する具体的な言及は一切存しない。したがって,原告の上記供述を直ちに採用することはできず,原告の上記主張を認めるに足りる的確な証拠はないといわざるを得ない。
ケ 以上に検討したことから,原告の本邦における政治活動は,いずれにしても,本件不認定処分の適法性に影響を与える事情とはいえない。
(7) 原告の難民該当性を否定する方向に作用する事情
ア 入国の目的について
(ア) 上記2(2)で認定した原告の入国の経緯に係る事実,すなわち,原告が,①Dが原告を日本への観光に誘ったことを契機として,原告が旅券を取得していること(同ア),②本邦に入国する前に1週間,シンガポールに滞在して観光をしていること(同イ),③Dの家に2か月滞在した後,稼働を開始し,入国後9年余の間,不法残留の摘発を受けるまで反政府活動を一切していないこと(同ウ及び同オ)の各事情に照らすと,原告の本邦への入国の目的は,観光目的ないし就労目的であったと推認することができる。したがって,原告が,ミャンマー政府から迫害を受ける危険を理由として本国を出国したものとは認められず,このことは,ミャンマー政府が原告に対する迫害をするおそれがあることを否定する方向に作用する事情であるということができる。
(イ) これに対し,原告は,ミャンマー政府からの迫害を免れる目的で出国し,Dはそのことを理解し,原告を助けるために本邦に招待したかのような供述をする(乙28,原告本人)。
しかし,かかる原告の供述を裏付ける客観的証拠はない上,原告の平成18年5月24日の入国警備官に対する「日本には,観光の目的で来て遊んでいました。」との供述(乙7の2)及び平成18年6月5日の入国審査官に対する「私は,観光をしているうち,日本で生活しようと思い,生活のためには働かなければならなくなり,そのまま不法残留しました。」との供述(乙10)と矛盾するものである。
また,原告は,本人尋問において,Dが原告が置かれている状況を理解していたか否かに関し,「彼が理解していたのは,私は困っていると,そういうふうに私は思います。」,「(注・Dが,原告が政治的に迫害を受けている可能性があることを知っていたか否かを問う質問に対し)それは知っているか知らないかは私は知りません。」などと一貫しない供述をしている。
そして,以上に述べたとおり,原告の本国における活動は,いずれも,ミャンマー政府が殊更に関心を抱いて注視するようなものであったとはいえない。
以上のことを総合すれば,原告の上記各供述は,いずれも直ちに採用することができず,上記(ア)の判断を左右するものとはいえない。
(ウ) 原告は,本邦への入国後9年余の間,不法残留の摘発を受けるまで本邦で反政府活動に参加しなかった理由を,NLD-LAと連絡が取れなかったためであり,NLD-LAのメンバーになっている友人から入会を勧誘されたこともあったが,NLD-LAの活動を調べてから入会しようと考えているうちに,逮捕されたと供述している(乙23)。
しかし,原告が,NLD-LAに加入して民主化活動をする意思があったにもかかわらず,本邦に入国してから9年余にわたってNLD-LAと連絡が取れず,あるいはNLD-LAのメンバーから勧誘を受けながら思案中であったとする原告の供述は明らかに不自然である。むしろ,原告が,平成18年6月2日に本件難民認定申請をし,その直後にNLD-LA代表者に推薦状(甲11)の発行を依頼し,同年9月18日には推薦状の発行を受けていることからすれば,原告は,容易にNLD-LAに連絡を取ることができたものと推認される。そうすると,原告の上記供述は,原告は本邦で不法残留の摘発を受けずに就労を続けられる限り,NLD-LAと連絡を取る意思がなかったか,あるいは真摯にNLD-LAに加入して民主化活動を行う意思を有していなかったことを推認させるものといえる。したがって,原告の上記供述はにわかに採用することができず,上記(ア)の判断を左右するものとはいえない。
イ 旅券について
(ア) 上記2(2)エで認定のとおり,原告は,自ら在日本ミャンマー大使館に出頭して旅券の再発給を申請してこれを受けている。
旅券は,本国の政府がこれを所持する自国民の身分を証明するとともに外国官憲に対して保護を依頼する文書であるところ,原告が,本邦に入国後,自ら在日本ミャンマー大使館に出頭し,ミャンマー政府による庇護を受けるべく,かかる旅券の再発給を申請して発給を受けている事実は,原告が,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあると認識していなかったことを推認させる事実であるといえ,したがって,ミャンマー政府が原告を迫害するおそれがあることを否定する方向に作用する事情であるということができる。
(イ) 原告は,生きていくために仕事をする上で旅券が必要であったところ,旧旅券を水に濡らしてしまい,使えなくなってしまったことから,やむを得ず旅券の再発給を受けたものであると供述する(乙29)。しかし,旅券を水に濡らしてしまったからといって,当該旅券が直ちに身分証明書として使用できなくなるものではない(原告の旧旅券が身分証明書として使用に堪え得るものであったことは,原告が旅券の再発給を受けるに当たり支障があった形跡がないことからもうかがうことができる。)上,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれを感じて出国した者が,旅券の再発給を受けるため,ミャンマー政府が管理する在日本ミャンマー大使館に自ら出頭することは考え難く,かかる原告の供述は不自然であって採用することができない。
ウ 難民認定申請について
(ア) 原告は,平成18年4月に行われた水掛祭りにおいて配布されていたビラを読んで,難民認定申請ができることを初めて知り,そのときはそのようなチャンスがあるのだなと考えたものの,その後は何も考えず,警察に逮捕されて東京入管に収容されたことから難民認定申請をすることとした旨供述している(乙10,12)。
かかる原告の供述を前提とすれば,原告は,本邦において難民認定申請ができることを知った後においても,不法残留の容疑で逮捕・収容されるまでその申請をすることを検討すらしないで本邦での生活を続けていたということができ,したがって,原告が,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれを感じていたとは認め難く,むしろ,不法残留を理由として逮捕・収容されたことから,本邦から退去強制させられることを避けるために本件難民認定申請をすることを思い至ったものとみるのが自然であるといわざるを得ない。
(イ) したがって,原告が,本邦において難民認定申請ができることを知った後においても,不法残留の容疑で逮捕・収容されるまでその申請をすることを検討すらしないで本邦での生活を続けていたことは,原告がミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあったことを否定する方向に作用する事情であるということができる。
エ 以上の検討のとおり,原告の入国の目的が観光目的ないし就労目的と推認できること,本邦入国後に自ら在日本ミャンマー大使館に出頭して旅券の再発給を受けていること,原告が難民認定申請ができることを知った後も逮捕されるまで難民認定申請をすることを検討していないことの各事情は,原告がミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあることを否定する方向に作用する事情であるということができる。
4 小括
以上に検討したところを総合すれば,本件不認定処分の当時,原告が,ミャンマー政府から,積極的な反政府活動家として殊更に関心を寄せられ注視されていたとは認め難く,前記2(1)のミャンマーの一般情勢を勘案しても,原告が,ミャンマーに帰国した場合に,通常人が原告の立場に置かれた場合にも,その政治的意見又は特定の社会的集団の構成員であることを理由に,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するというべき客観的事情の存在を認めることはできない。したがって,本件不認定処分の当時において,原告が「難民」に該当するものと認めることはできない。
5 結論
よって,原告の請求は,理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担について,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岩井伸晃 裁判官 須賀康太郎 裁判官 松長一太)
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政治と選挙の裁判例「国政政党 地域政党 二連(三連)ポスター」に関する裁判例一覧
(1)平成22年11月30日 金沢地裁 平21(行ウ)3号 公金支出差止請求事件
(2)平成22年11月19日 盛岡地裁 平18(行ウ)11号 政務調査費返還請求事件
(3)平成22年11月17日 東京高裁 平22(行ケ)16号 選挙無効請求事件 〔参院選定数訴訟(合憲)・東京高裁〕
(4)平成22年11月17日 東京高裁 平22(行ケ)15号 選挙無効請求事件 〔参院選定数訴訟(合憲)・東京高裁〕
(5)平成22年11月12日 東京地裁 平21(行ウ)126号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(6)平成22年11月 9日 東京地裁 平21(行ウ)542号 政務調査費返還(住民訴訟)請求事件
(7)平成22年11月 9日 東京地裁 平21(行ウ)251号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(8)平成22年11月 2日 東京高裁 平22(行ケ)14号 選挙無効請求事件 〔参院選定数訴訟(合憲)・東京高裁〕
(9)平成22年10月29日 東京地裁 平19(ワ)31252号 損害賠償等請求事件
(10)平成22年10月29日 東京地裁 平19(行ウ)472号・平19(行ウ)493号・平19(行ウ)494号・平19(行ウ)495号・平19(行ウ)496号・平19(行ウ)497号・平19(行ウ)498号・平19(行ウ)715号・平19(行ウ)785号・平20(行ウ)55号・平20(行ウ)132号・平20(行ウ)133号・平20(行ウ)404号・平20(行ウ)405号・平20(行ウ)406号・平20(行ウ)407号・平20(行ウ)408号・平20(行ウ)686号・平20(行ウ)756号・平21(行ウ)367号・平18(行ウ)472号 難民の認定をしない処分取消等請求事件、在留特別許可をしない処分取消請求事件
(11)平成22年10月28日 東京地裁 平19(ワ)31393号 損害賠償請求事件
(12)平成22年10月27日 仙台高裁 平21(行コ)28号 違法公金支出による損害賠償履行請求控訴事件
(13)平成22年10月22日 東京高裁 平22(行ス)76号
(14)平成22年10月 1日 東京地裁 平21(行ウ)132号 難民不認定処分取消等請求事件
(15)平成22年 9月30日 東京地裁 平21(行ウ)231号 報酬支出差止請求事件
(16)平成22年 9月17日 東京地裁 平21(行ウ)226号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(17)平成22年 9月14日 最高裁第三小法廷 平22(ク)760号・平22(許)24号 仮処分命令申立却下決定に対する抗告棄却決定に対する抗告事件
(18)平成22年 7月30日 東京地裁 平21(行ウ)281号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(19)平成22年 7月30日 東京地裁 平20(行ウ)605号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(20)平成22年 6月24日 東京地裁 平21(行ウ)15号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(21)平成22年 6月17日 名古屋高裁 平22(ラ)137号 仮処分命令申立却下決定に対する即時抗告事件
(22)平成22年 6月16日 東京地裁 平22(ワ)221号 損害賠償請求事件
(23)平成22年 6月 8日 東京地裁 平21(行ウ)144号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(24)平成22年 5月31日 東京地裁 平20(ワ)16947号 損害賠償請求事件
(25)平成22年 5月20日 東京地裁 平21(行ウ)99号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(26)平成22年 5月13日 東京高裁 平20(う)2470号 国家公務員法違反被告事件
(27)平成22年 4月28日 東京地裁 平20(行ウ)642号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(28)平成22年 4月27日 札幌高裁 平21(行ケ)1号 衆議院議員選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・札幌高裁・第一審〕
(29)平成22年 4月13日 東京地裁 平20(ワ)34451号 貸金等請求事件
(30)平成22年 3月31日 東京地裁 平21(行ウ)259号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(31)平成22年 3月30日 大阪高裁 平19(ネ)2853号 損害賠償請求控訴事件
(32)平成22年 3月30日 東京地裁 平21(行ウ)256号 医薬品ネット販売の権利確認等請求事件
(33)平成22年 3月29日 東京高裁 平18(う)2351号 国家公務員法違反被告事件
(34)平成22年 3月29日 金沢地裁 平19(行ウ)5号 公金違法支出損害賠償請求事件
(35)平成22年 3月26日 熊本地裁 平19(行ウ)11号 政務調査費返還履行請求事件
(36)平成22年 3月25日 岐阜地裁大垣支部 平20(ワ)253号 損害賠償請求事件
(37)平成22年 3月12日 福岡高裁 平21(行ケ)1号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・福岡高裁・第一審〕
(38)平成22年 3月11日 東京高裁 平21(行ケ)36号 選挙無効請求事件
(39)平成22年 3月11日 東京高裁 平21(行ケ)35号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・東京高裁・第一審〕
(40)平成22年 3月 8日 福岡地裁 平19(行ウ)8号 難民不認定処分取消等請求事件
(41)平成22年 3月 3日 東京地裁 平20(行ウ)412号・平20(行ウ)425号・平20(行ウ)426号・平21(行ウ)79号 退去強制令書発付処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(42)平成22年 2月26日 東京地裁 平20(行ウ)486号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(43)平成22年 2月24日 東京高裁 平21(行ケ)20号・平21(行ケ)21号・平21(行ケ)22号・平21(行ケ)23号・平21(行ケ)24号・平21(行ケ)25号・平21(行ケ)26号・平21(行ケ)27号 各選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・東京高裁・第一審〕
(44)平成22年 2月24日 東京高裁 平21(行ケ)19号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・東京高裁・第一審〕
(45)平成22年 2月 5日 東京地裁 平20(行ウ)713号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(46)平成22年 2月 3日 東京高裁 平21(行ケ)30号 選挙無効請求事件
(47)平成22年 1月29日 東京地裁 平20(行ウ)261号・平20(行ウ)273号・平20(行ウ)274号 難民の認定をしない処分取消等請求事件(第1事件・第2事件)、退去強制令書発付処分取消等請求事件(第3事件)
(48)平成22年 1月27日 東京地裁 平20(ワ)14157号 損害賠償等請求事件
(49)平成22年 1月25日 広島高裁 平21(行ケ)1号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・広島高裁・第一審〕
(50)平成22年 1月22日 東京地裁 平21(行ウ)82号 難民の認定をしない処分無効確認等請求事件
(51)平成22年 1月15日 東京地裁 平20(行ウ)626号・平21(行ウ)2号 在留特別許可をしない処分無効確認請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(52)平成21年12月28日 大阪高裁 平21(行ケ)2号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・大阪高裁・第一審〕
(53)平成21年12月 4日 東京地裁 平20(ワ)7435号・平20(ワ)26797号 建物収去土地明渡請求事件、建物退去土地明渡請求事件
(54)平成21年11月30日 最高裁第二小法廷 平20(あ)13号 住居侵入被告事件 〔葛飾政党ビラ配布事件・上告審〕
(55)平成21年11月27日 東京地裁 平14(刑わ)3696号・平14(刑わ)4021号 暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件
(56)平成21年11月26日 東京地裁 平21(行ウ)86号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(57)平成21年11月26日 東京地裁 平20(行ウ)629号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(58)平成21年11月26日 東京地裁 平20(行ウ)436号・平20(行ウ)444号・平20(行ウ)445号・平20(行ウ)446号・平20(行ウ)447号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(59)平成21年10月29日 東京地裁 平18(行ウ)529号・平18(行ウ)564号・平20(行ウ)235号・平20(行ウ)237号 在留を特別に許可しない処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(60)平成21年10月28日 京都地裁 平19(ワ)3986号・平20(ワ)797号・平20(ワ)2263号・平20(ワ)3884号・平21(ワ)1575号 損害賠償請求事件
(61)平成21年10月21日 東京地裁 平21(行ウ)61号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(62)平成21年10月 9日 東京地裁 平19(ワ)9718号 損害賠償等請求事件
(63)平成21年 9月30日 最高裁大法廷 平20(行ツ)209号 選挙無効請求事件
(64)平成21年 9月30日 最高裁大法廷 平20(行ツ)196号 選挙無効請求事件
(65)平成21年 9月29日 東京地裁 平19(行ウ)437号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(66)平成21年 8月28日 東京地裁 平19(行ウ)123号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(67)平成21年 8月27日 東京地裁 平20(行ウ)323号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(68)平成21年 8月25日 東京地裁 平20(ワ)16289号 書籍出版等差止請求事件 〔扶桑社教科書差し止め訴訟〕
(69)平成21年 7月22日 東京地裁 平21(ワ)7588号 慰謝料等請求事件
(70)平成21年 7月16日 東京地裁 平20(行ウ)525号 難民不認定処分無効確認請求事件
(71)平成21年 6月30日 東京地裁 平20(行ウ)421号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(72)平成21年 6月25日 東京地裁 平18(ワ)17391号 損害賠償等請求事件
(73)平成21年 6月23日 東京地裁 平20(行ウ)163号・平20(行ウ)167号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(74)平成21年 6月17日 大阪高裁 平20(行コ)159号 政務調査費返還請求行為請求控訴事件
(75)平成21年 6月12日 東京地裁 平20(ワ)27642号 貸金請求事件
(76)平成21年 5月29日 東京地裁 平20(行ウ)150号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(77)平成21年 5月27日 東京高裁 平20(行コ)333号 不当利得返還(住民訴訟)請求控訴事件
(78)平成21年 5月26日 東京地裁 平21(む)1220号 政治資金規正法被告事件
(79)平成21年 5月25日 大阪地裁 平18(行ウ)128号 懲戒処分取消請求事件 〔国・気象衛星センター(懲戒免職)事件〕
(80)平成21年 5月22日 東京地裁 平19(行ウ)309号・平20(行ウ)518号 在留特別許可をしない処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(81)平成21年 5月11日 京都地裁 平21(む)843号 証拠開示命令請求事件
(82)平成21年 4月23日 仙台地裁 平19(ワ)1560号 不当解雇損害賠償等請求事件 〔京電工論旨解雇事件〕
(83)平成21年 4月21日 東京地裁 平20(行ウ)142号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(84)平成21年 3月31日 大阪地裁 平19(行ウ)34号・平19(行ウ)63号・平19(行ウ)77号・平20(行ウ)82号 国際放送実施命令取消等請求(甲~丙事件)、国際放送実施要請違法無効確認等請求(丁事件)事件
(85)平成21年 3月27日 東京地裁 平19(行ウ)178号・平20(行ウ)21号・平20(行ウ)146号 退去強制令書発付処分取消等請求事件、難民の認定をしない処分取消請求事件
(86)平成21年 3月27日 東京地裁 平18(行ウ)520号・平18(行ウ)524号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(87)平成21年 3月26日 東京地裁 平20(行ウ)134号・平20(行ウ)177号 難民の認定をしない処分取消等請求事件、追加的併合事件
(88)平成21年 3月26日 東京地裁 平19(行ウ)580号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(89)平成21年 3月24日 東京地裁 平19(ワ)23257号 損害賠償請求事件
(90)平成21年 3月23日 名古屋地裁 平18(行ウ)64号 政務調査費返還代位請求事件
(91)平成21年 3月18日 東京地裁 平19(行ウ)305号・平20(行ウ)501号 在留特別許可をしない処分取消請求事件、難民の認定をしない処分取消等請求事件
(92)平成21年 2月27日 東京地裁 平18(行ウ)497号 遺族補償給付等不支給処分取消請求事件
(93)平成21年 2月27日 東京地裁 平18(ワ)26458号・平18(ワ)24160号 謝罪広告等請求事件、損害賠償請求事件 〔特高警察関係資料集成事件〕
(94)平成21年 2月25日 東京地裁 平19(行ウ)325号 損害賠償(住民訴訟)請求事件
(95)平成21年 2月25日 東京地裁 平18(行ウ)374号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(96)平成21年 2月16日 東京地裁 平20(ワ)16317号 損害賠償請求事件
(97)平成21年 2月13日 東京地裁 平20(行ウ)144号 難民の認定をしない処分無効確認等請求事件
(98)平成21年 1月29日 東京地裁 平19(行ウ)741号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(99)平成21年 1月27日 横浜地裁川崎支部 平15(ワ)200号 差止等請求事件
(100)平成21年 1月22日 大津地裁 平19(行ウ)10号 公金支出差止め請求事件
■「選挙 コンサルタント」に関する裁判例一覧【1-101】
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■「選挙 立候補」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政治活動 選挙運動」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「公職選挙法 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「選挙 ビラ チラシ」に関する裁判例一覧【1~49】
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■「政務活動費 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「演説会 告知 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「公職選挙法 ポスター 掲示交渉」に関する裁判例一覧【101~210】
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■「政治ポスター貼り 公職選挙法 解釈」に関する裁判例一覧【211~327】
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■「公職選挙法」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「選挙 公報 広報 ポスター ビラ」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「選挙妨害」に関する裁判例一覧【1~90】
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■「二連(三連)ポスター 政党 公認 候補者」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「個人(単独)ポスター 政党 公認 候補者」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 公認 候補者 公募 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 議員 政治家」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 公報 広報」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「国政政党 地域政党 二連(三連)ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「国政政党 地域政党 個人(単独)ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「公認 候補者 公募 ポスター 国政政党 地域政党」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政治団体 公認 候補者 告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政治団体 後援会 選挙事務所 候補者 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 衆議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 参議院議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 地方議員 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 代議士 ポスター」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 ポスター貼り ボランティア」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政党 党員 入党 入会 獲得 募集 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「政治団体 党員 入党 入会 獲得 募集 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
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■「後援会 入会 募集 獲得 代行」に関する裁判例一覧【1~100】
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■選挙の種類一覧
選挙①【衆議院議員総選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙②【参議院議員通常選挙】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙③【一般選挙(地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
選挙④【特別選挙(国政選挙|地方選挙)】に向けた、政治活動ポスター貼り(掲示交渉代行)
(1)政治活動/選挙運動ポスター貼り ☆祝!勝つ!広報活動・事前街頭(単独/二連)選挙ポスター!
勝つ!選挙広報支援事前ポスター 政治選挙新規掲示ポスター貼付! 1枚から貼る事前選挙ポスター!
「政治活動・選挙運動ポスターを貼りたい!」という選挙立候補(予定)者のための、選挙広報支援プロ集団「選挙.WIN!」の事前街頭ポスター新規掲示プランです。
(2)圧倒的に政界No.1を誇る実績! 政治ポスター(演説会告知|政党|個人|二連三連)掲示交渉実績!
地獄のポスター貼りやります! ドブ板選挙ポスタリストが貼る! ポスター掲示交渉実績を大公開!
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(5)選べるドブ板選挙広報支援一覧 選挙.WIN!豊富な選挙立候補(予定)者広報支援プラン一覧!
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(6)握手代行/戸別訪問/ご挨拶回り 御用聞きによる戸別訪問型ご挨拶回り代行をいたします!
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ご指定の地域(ターゲットエリア)の個人宅(有権者)を1軒1軒ご訪問し、ビラ・チラシの配布およびアンケート解答用紙の配布収集等の戸別訪問型ポスター新規掲示依頼プランです。
(7)地域密着型ポスターPR広告貼り 地域密着型ポスターPR広告(街頭外壁掲示許可交渉代行)
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【対応可能な業種リスト|名称一覧】地域密着型ポスターPR広告(街頭外壁掲示許可交渉代行)貼り「ガンガン注目される訴求型PRポスターを貼りたい!」街頭外壁掲示ポスター新規掲示プランです。
(8)貼る専門!ポスター新規掲示! ☆貼!勝つ!広報活動・事前街頭(単独/二連)選挙ポスター!
政治活動/選挙運動ポスター貼り 勝つ!選挙広報支援事前ポスター 1枚から貼る事前選挙ポスター!
「政治活動・選挙運動ポスターを貼りたい!」という選挙立候補(予定)者のための、選挙広報支援プロ集団「選挙.WIN!」の事前街頭ポスター新規掲示プランです。
(9)選挙立札看板設置/証票申請代行 絶対ここに設置したい!選挙立札看板(選挙事務所/後援会連絡所)
選挙事務所/後援会連絡所届出代行 公職選挙法の上限/立て札看板設置 1台から可能な選挙立札看板設置
最強の立札看板設置代行/広報(公報)支援/選挙立候補者後援会立札看板/選挙立候補者連絡所立札看板/政治活動用事務所に掲示する立て札・看板/証票申請代行/ガンガン独占設置!
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