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政治と選挙Q&A「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 公報 広報」に関する裁判例(37)平成24年 1月17日 東京地裁 平21(行ウ)600号 難民の認定をしない処分取消等請求事件

政治と選挙Q&A「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 公報 広報」に関する裁判例(37)平成24年 1月17日 東京地裁 平21(行ウ)600号 難民の認定をしない処分取消等請求事件

裁判年月日  平成24年 1月17日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平21(行ウ)600号
事件名  難民の認定をしない処分取消等請求事件
裁判結果  請求棄却  文献番号  2012WLJPCA01178010

要旨
◆不法残留の退去強制事由に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとされ、入管収容場に収容されたトーゴ共和国国籍を有する原告が、難民不認定処分を受け、また、入管法49条1項に基づく異議の申出には理由がない旨の裁決及び退去強制令書発付処分を受けたため、自らの難民該当性を主張して、これらの取消しを求めた事案において、認定事実によれば、本件難民不認定処分当時、原告は、政治的意見等を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために国籍国の外にいる者とはいえず、難民に該当するものではなかったとして、難民不認定処分を適法とした上で、原告には不法入国及び不法残留の退去強制事由が認められるから、本件裁決は適法であり、また、同裁決に引き続いてされた本件退令処分も適法であるとして、請求を棄却した事例

参照条文
行政事件訴訟法3条2項
行政事件訴訟法3条3項
行政事件訴訟法30条
出入国管理及び難民認定法2条3号の2
出入国管理及び難民認定法24条(平21法79改正前)
出入国管理及び難民認定法49条
出入国管理及び難民認定法61条の2
出入国管理及び難民認定法61条の2の2
出入国管理及び難民認定法61条の2の6

裁判年月日  平成24年 1月17日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平21(行ウ)600号
事件名  難民の認定をしない処分取消等請求事件
裁判結果  請求棄却  文献番号  2012WLJPCA01178010

埼玉県蕨市〈以下省略〉
Aこと
原告 X
同訴訟代理人弁護士 池田里江
東京都千代田区〈以下省略〉
被告 国
同代表者兼処分行政庁 法務大臣 B
裁決行政庁 東京入国管理局長 C
処分行政庁 東京入国管理局主任審査官 D
同指定代理人 折原崇文
加藤寛輝
白寄禎
山本裕美
小田切弘明
幸英男
小西敦子
髙橋一弘
鈴木功祐

 

 

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。
2  訴訟費用は原告の負担とする。

 

事実及び理由

第1  請求
1  法務大臣が原告に対し平成21年6月12日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
2  東京入国管理局長が原告に対し平成21年6月22日付けでした異議の申出には理由がない旨の裁決を取り消す。
3  東京入国管理局主任審査官が原告に対し平成21年6月29日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。
第2  事案の概要
本件は,トーゴ共和国(以下「トーゴ」という。)の国籍を有する外国人男性である原告が,① 平成21年法律第79号による改正前の出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)24条4号ロ(不法残留)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして東京入国管理局(以下「東京入管」という。)収容場に収容されたことから,入管法61条の2第1項の規定に基づく難民認定の申請をしたところ,法務大臣から平成21年6月12日付けで難民の認定をしない処分(以下「本件難民不認定処分」という。)を受け,また,② 入管法47条3項,48条8項の規定に基づき,退去強制対象者に該当しかつ出国命令対象者に該当しない旨の認定及びこの認定に誤りがない旨の判定を受けたことから,入管法49条1項の規定に基づく異議の申出をしたところ,法務大臣から権限の委任を受けた東京入国管理局長(以下「東京入管局長」という。)から平成21年6月22日付けで異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)を受け,さらに,東京入国管理局主任審査官(以下「東京入管主任審査官」という。)から同月29日付けで退去強制令書(以下「本件退令書」という。)の発付処分(以下「本件退令処分」という。)を受けたことから,自らの難民該当性を主張して,本件難民不認定処分,本件裁決及び本件退令処分の取消しを求める事案である(なお,原告がした難民認定の申請は,平成16年法律第73号による入管法61条の2の6第4項の改正が施行される前にされたものであるが,同改正の附則6条により同施行後にされた申請とみなされる。)。
1  前提事実(顕著な事実,争いのない事実並びに掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実。なお,号証番号の枝番は,特に必要がない限り省略する。以下同じ。)
(1)原告は,トーゴにおいて出生したトーゴ国籍を有する外国人男性である。
(2)原告の入国及び在留の状況
ア 原告は,トーゴ政府が発給したA(1960年(昭和35年)○月○日生)名義の旅券を所持してトーゴを出国し,平成元年4月24日,新東京国際空港(現在の成田国際空港)に到着し,東京入管成田支局(現在の成田空港支局)入国審査官に対し,渡航目的を「観光」,日本滞在予定期間を「2週間」として上陸申請をし,在留資格を「4-1-4」(「短期滞在」の在留資格に相当),在留期間を「90日」とする上陸許可の証印を受けて,本邦に上陸した。(甲5,乙1,2,4)
イ 原告は,平成元年5月8日,板橋区長に対し,氏名を「A」,生年月日を「1960年以下不詳」,居住地を「東京都板橋区〈以下省略〉」として,外国人登録法の規定に基づく新規登録の申請をし,その旨の登録を受け,また,外国人登録証明書の交付を受けた。(甲5,乙1,2)
ウ 原告は,在留期間の更新等を受けることなく,前記アの上陸許可に係る在留期限である平成元年7月23日を超えて本邦に不法残留した。(甲5,乙1,2)
エ 原告は,平成19年9月4日,川口市長に対し,居住地を「埼玉県川口市〈以下省略〉」として,外国人登録法の規定に基づく居住地変更の登録の申請をし,その旨の登録を受けた。(乙1,3)
(3)原告の退去強制手続
ア 埼玉県警察川口警察署警察官は,平成17年1月30日,原告を入管法24条4号ロ(不法残留)違反の容疑で逮捕した。(乙5)
イ さいたま地方検察庁検察官は,平成17年2月18日,原告について不起訴処分(起訴猶予)をした。(乙5)
ウ 東京入管入国警備官は,原告が入管法24条4号ロに該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,平成17年2月16日,東京入管主任審査官から収容令書の発付を受け,同月18日,同収容令書を執行し,原告を東京入管収容場に収容した。(乙6)
エ 東京入管入国警備官は,平成17年2月18日,原告に係る違反調査を行い,原告を入管法24条4号ロ該当容疑者として東京入管入国審査官に引き渡した。(乙5,7)
オ 東京入管入国審査官は,平成17年2月22日及び同年3月1日,原告に係る違反審査の結果,原告が入管法24条4号ロに該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨の認定をし,原告に通知したところ,原告は,同日,特別審理官による口頭審理の請求をした。(乙8ないし10)
カ 東京入管特別審理官は,平成17年3月18日及び同月29日,原告に係る口頭審理の結果,前記オの認定に誤りがない旨の判定をし,原告に通知したところ,原告は,同日,法務大臣に対し,異議の申出をした。(乙11ないし14)
キ 東京入管主任審査官は,平成17年4月15日,原告に対し,仮放免の許可をし,原告は,同日,東京入管収容場を出所した。(乙15)
ク 法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長は,平成21年6月22日,前記カの異議の申出には理由がない旨の裁決(本件裁決)をし,東京入管主任審査官に通知した。(乙16,17)
ケ 東京入管主任審査官は,前記クの通知を受け,平成21年6月29日,原告にその旨を通知するとともに,本件退令書の発付処分(本件退令処分)をした。東京入管入国警備官は,同日,本件退令書を執行し,原告を東京入管収容場に収容した。(甲2,乙18,19)
コ 原告は,平成21年10月23日,入国者収容所東日本入国管理センターに移収された。同センター所長は,平成22年2月12日,原告に対し,仮放免の許可をし,原告は,同日,同センターを出所した。(乙19,29)
(4)原告の難民認定手続
ア 原告は,平成17年2月28日,法務大臣に対し,難民認定の申請をした。(乙20,21,24)
イ 東京入管難民調査官は,平成17年3月30日,同年4月25日及び平成21年4月14日,原告に係る難民調査を行った。(乙22ないし24)
ウ 法務大臣は,平成21年6月12日,前記アの難民認定の申請につき難民の認定をしない処分(本件難民不認定処分)をし,同月29日,原告に通知した。(甲1,乙26)
エ 東京入管局長は,平成21年6月17日,原告に対し,入管法61条の2の2第2項の規定による在留特別許可をしない処分をし,同月29日,原告に通知した。(乙27)
オ 原告は,平成21年6月30日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分についての異議の申立てをした。(乙1)
2  争点
本件の争点は,① 本件難民不認定処分の適否,具体的には,本件難民不認定処分の当時,原告は難民に該当するものであったか否か(争点1),② 本件裁決の適否(争点2),③ 本件退令処分の適否(争点3)である。
3  当事者の主張の要旨
(1)本件難民不認定処分の適否(争点1)について
(原告)
原告は,本件難民不認定処分の当時,難民に該当するものであった。法務大臣が原告の難民該当性を否定してした本件難民不認定処分は,違法な処分であるから,取り消されるべきである。
ア トーゴの一般的情勢
トーゴは19世紀末にドイツの保護領とされ,植民地化したが,第一次世界大戦後,イギリスとフランスによって分割統治されるようになり,フランス領部分が1960年に独立して現在のトーゴになった。初代大統領であるシルバナス・○○は,トーゴ南部のエウェという民族グループに属するミナ族出身の者であったが,1963年1月,トーゴ北部のカビエ族出身のエヤデマ ニシャンベが率いる軍のクーデタによって暗殺された。エヤデマ ニシャンベは,1967年1月にトーゴの大統領に就任し,軍の力を背景に反対勢力を弾圧して独裁体制を固めた。エヤデマ大統領は,2005年に死亡したが,その子であるフォール ニシャンベが大統領に就任した。カビエ族は,トーゴの人口の23%を構成する少数民族にすぎないが,軍の将校,兵士の80%を占めており,その独裁体制が継続している。
原告が出国した頃のトーゴ政府は,検閲を行うなどして反政府思想を取り締まっており,反政府思想を有するとみられた者は,逮捕され,公正な裁判を受けることなく刑務所に収容され,拷問を受けていた。公務員の採用,大学の奨学金等においてカビエ族が優遇されるという民族差別もあり,反政府思想を有する者は,カビエ族を脅かすものとして,徹底した迫害を加えられていた。
イ 原告の身分事項
原告の真実の氏名及び生年月日は○○・X,1965年(昭和40年)○月○日生まれである。
(ア)原告は,1965年○月○日,トーゴ南部のロメ市において,父○○・Eと母○○・Fとの間の長男として出生した。Eは,ベニン大学(現在のロメ大学)の数学の教授であり,シルバナス・○○の甥,トーゴの野党UFCの党首であるギルクリスト・○○の従兄弟である。
(イ)原告は,平成17年2月28日にした難民認定の申請の際に提出した書面には,自らの真実の氏名を記載していないが,家族の名前は全て「○○某」と記載している。原告は,同年3月1日の違反審査では真実の氏名を名乗っている。
(ウ)原告は,平成17年3月30日の難民調査において,ギルクリストのことを知らないと述べているが,原告は,トーゴにいた際に所属していた組織のルールで反政府活動をしている者の氏名を出すことを禁じられており,その当時,ギルクリストは亡命中であると思っていたことから(原告は,平成17年当時,パーソナルコンピューターを所持しておらず,インターネットにアクセスすることができなかったため,ギルクリストの近況を知らなかった。),ギルクリストのことを知らないと述べたものである。
ウ 原告が迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有していること
原告は,次の事情によりトーゴ政府から迫害を受けるおそれがあったことから,A名義の旅券を使用してトーゴを出国したものである。原告は,トーゴに送還されればトーゴ政府によって人種及び政治的意見を理由に逮捕され拷問を加えられる蓋然性が高く,迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しているのであって,難民に該当する。
(ア)原告は,1985年にベニン大学に進学してジャーナリズムを専攻し,1987年には○○・Gと婚姻し,長男Hをもうけたところ,大学に入学した後,バサル族出身のIと共に反政府活動をするようになった。
(イ)原告は,ロメ市にある国営ラジオ放送局を占拠して反政府的なメッセージを流すことを計画し,1988年4月4日,I,Jと共にベニン大学の学生約200名を連れて国営ラジオ放送局を占拠し,Iが10分,原告が5分ほど反政府的なメッセージを流したため,放送局内に突入した軍によって逮捕され,公開法廷における裁判を受けることなく懲役1年の刑に処せられた。なお,この事件は,その当時,トーゴ政府による情報管制が行われていたことから,報道等がされることはなかった。
(ウ)原告は,刑務所において,狭い独房に入れられ,家族や弁護士との面会を禁止された上,手足や陰部に火のついたたばこを押し付ける,電気ショックを与えるといった拷問を受けた(I及びJは刑務所内で死亡した。)。原告は,約6か月後に釈放されたが,父E及び妻Gは,収容中に死亡していた。原告は,釈放から数日後,ベニン大学で行われたパーティーに参加したところ,このパーティーに出席していたフォール ニシャンベが女性を強引に連れて行こうとしたことから,同人との間で言い争いになり,同人を殴ってしまったため,直ちに逮捕され,数日間投獄された。
(エ)原告は,トーゴ政府から厳しく監視されるようになったことから,トーゴから出国することを考え,原告の母が用意したA名義の旅券を使用して,1989年4月22日,ナイジェリア連邦共和国のラゴス空港を出発し,イタリア共和国を経由して,新東京国際空港に到着し,本邦に上陸した。
原告が所持しているA名義の旅券は偽名の旅券であるから,原告が正規に旅券の発給を受けていることや,正規の出入国手続によって出入国をしていたことから,原告がトーゴ政府から迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いていなかったことがうかがわれるということはできない。
(オ)原告は,平成17年まで難民認定の申請をしていないが,これは,本邦に上陸した後,板橋のゲストハウスに滞在していた際に知り合ったエチオピア人から,日本は難民をほとんど受け入れておらず,難民認定の申請をしても強制送還されてしまうことを教えられ,東京入管にアクセスすることをおそれるようになったためである。なお,原告は,上陸後,直ちに東京入管に電話を架けたが,当時,英語,フランス語及びアフリカ語しかできなかったため,職員に対し,自分の意思を伝えることができなかった。原告が不法残留の容疑で逮捕された後に難民認定の申請をしたのは,難民認定の申請をしても強制送還されてしまうことをおそれる必要がなくなったためであり,何ら不自然ではない。
(被告)
原告は難民に該当するものではなく,法務大臣が原告の難民該当性を否定してした本件難民不認定処分は適法な処分である。
ア 難民の意義
入管法にいう難民とは,難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条の規定又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいう(入管法2条3号の2)ところ,これらの規定によれば,難民とは,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するために国籍国の保護を受けることを望まないものをいい,ここにいう迫害とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味し,また,迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要である(東京高裁平成2年3月26日判決・行裁集41巻3号757頁,東京高裁平成15年5月22日判決・判例時報1830号33頁参照)。
そして,上記のような客観的事情が存在しているというためには,ある国の政府によって民族浄化が図られていることが明らかであるような場合はともかく,そうでなければ,当該政府が特に当該人を迫害の対象としていることが明らかになるような個別的で具体的な事情があることを要するものと解されるから,迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖とは,単に迫害を受けるおそれがあるという抽象的な可能性が存するにすぎないといった事情では足りず,当該申請者について迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような個別かつ具体的な事情が存することが必要である。
イ 本件難民不認定処分の適法性
原告は,迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しているものではなく,難民に該当するものではない。
(ア)原告の身分事項について
原告は,トーゴの初代大統領であるシルバナス・○○,野党UFCの党首であるギルクリスト・○○を輩出した○○一族の者であると主張し,原告の供述の中には,これに沿う部分があるが,これらの主張及び供述を裏付ける客観的証拠はない。かえって,原告は,平成17年3月30日の難民調査においては,ギルクリストのことを知らないと述べている。また,原告は,近親者であるはずのシルバナス・○○(SYLVANUS・○○)の綴りを「SILVESTER・○○」(乙21)のように誤っているのであって,不自然である。
(イ)原告のトーゴでの活動について
原告は,1988年4月4日,I,Jと共にベニン大学の学生約200名を連れて国営ラジオ放送局を占拠し,反政府的なメッセージを流したために逮捕され,懲役1年の刑に処せられたと主張し,原告の供述の中には,これに沿う部分があるが,これらの主張及び供述を裏付ける客観的証拠はない。原告は,この事件はトーゴ政府による情報管制が行われていたことにより報道等がされることがなかったと主張するが,1986年9月23日から同月25日にかけてロメ市内の要所が占領され一時戦闘状態になった事件については,同時期に我が国で刊行された書籍にも掲載されているのであって,原告が主張する国営ラジオ放送局の占拠事件も,真にそのような事件が発生していたのであれば,その情報が外国に漏れなかったはずがない。また,原告本人の供述と証人Kの証言は,同事件に関する報道がされたか否かという重要な点について食い違っているし,原告の供述は,同事件を起こした日にち,その具体的状況等について看過し難い変遷を示しているのであって,いずれも信用することができない。
原告は,釈放から数日後,ベニン大学で行われたパーティーにおいて,フォール ニシャンベとの間で言い争いになり,同人を殴ってしまったため,直ちに逮捕され,数日間投獄されたと主張し,原告の供述の中には,これに沿う部分があるが,これらの主張及び供述を裏付ける客観的証拠はない。原告は,トーゴを出国した事情について,当初は,刑務所を仮釈放になった後にガーナ共和国に逃げた旨述べるだけで,フォール ニシャンベを殴打したことについては一切触れていなかったし,原告の供述は,同事件の具体的状況等について変遷をしているのであって,信用することができない。また,仮に原告がフォール ニシャンベを殴打したとしても,他人への殴打行為はトーゴにおいても犯罪を構成すると解されるから,トーゴ政府がこれを理由として原告に不利益を加えたとしても,適正な刑罰権の行使ということができるのであって,迫害には当たらない。
(ウ)旅券の発給並びにトーゴからの出国及びトーゴへの入国について
原告は,A名義の旅券を所持しているところ,そこに記載された身分事項は事実と異なるとするものの,同旅券がトーゴ政府によって正規に発給されたものであることは認めている。このことは,原告がトーゴ政府から迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いていなかったことを示すものである。
また,原告は,1988年12月に正規の出国手続によりトーゴを出国しているが,その際に特段の事情が生じたという供述はしていないのであって,トーゴ政府が原告を特定の人物として把握していなかったことがうかがわれる。
さらに,原告は,1988年12月から1989年3月までの間に,正規の出入国手続によってトーゴへの入国を繰り返しており,トーゴ政府から迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いている者の行動として,極めて不自然である。
(エ)原告が長期間にわたり難民認定の申請をしていないことについて
原告は,本邦に入国するまでの間に,ガーナ共和国,ベナン共和国,ナイジェリア連邦共和国,イタリア共和国,香港に滞在又は寄港しているが,そのいずれにおいても難民認定の申請をしておらず,本邦に入国した後も,約15年10月にわたり,難民認定の申請をしていないだけでなく,我が国に所在するUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に対する庇護をも求めていない。原告が難民認定の申請をしたのは,不法残留の容疑で逮捕された後である。このことは,原告がトーゴ政府から迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いていなかったことを示すものである。
(2)本件裁決の適否(争点2)について
(原告)
異議の申出には理由がない旨の裁決がされれば,退去強制令書が発付されることとなる(入管法49条6項)ところ,前記(1)ウのとおり,原告は,トーゴに送還されればトーゴ政府から迫害を受けるおそれがあるのであるから,東京入管局長は,ノンルフールマン原則を遵守するために,原告に対し,入管法61条の2の2第2項の規定による在留特別許可を付与しなければならず,原告の異議の申出については裁決をしない義務を負っていたものであって,この義務に違反してされた本件裁決は,ノンルフールマン原則を定める難民条約33条1項,拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(以下「拷問等禁止条約」という。)3条1項,入管法61条の2の6第1項に違反する違法な裁決であるから,取り消されるべきである。
(被告)
原告は,平成元年4月24日に上陸許可を受けた後,在留期限である同年7月23日を超えて本邦に不法残留する者であって,入管法24条4号ロに該当し,かつ,出国命令対象者に該当しないから,原告が法務大臣に対してした異議の申出に理由がないことは明らかであり,本件裁決は適法な裁決である。
(3)本件退令処分の適否(争点3)について
(原告)
原告の送還先をトーゴとする本件退令処分は,難民条約33条1項,拷問等禁止条約3条1項,入管法53条3項1号,61条の2の6第1項に違反する違法な処分であるから,取り消されるべきである。
(被告)
法務大臣等から異議の申出に理由がない旨の裁決をした旨の通知を受けた主任審査官は,速やかに退去強制令書を発付しなければならず,退去強制令書の発付について裁量権を有しないのであるから,本件裁決が適法である以上,本件退令処分も適法な処分である。
第3  当裁判所の判断
1  本件難民不認定処分の適否(争点1)について
(1)難民の意義等
入管法2条3号の2は,入管法における「難民」の意義について,難民条約1条の規定又は難民議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうと規定している。したがって,入管法にいう「難民」とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」をいう。そして,上記の「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するものと解するのが相当であり(これに匹敵する基本的な自由の重大な侵害等も含まれ得るが,本件では問題とならない。),また,上記にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解される。
なお,難民認定における立証責任の帰属については,入管法61条の2第1項の文理のほか,難民認定処分が授益処分であることなどに鑑みれば,その立証責任は原告にあると解すべきである。
以上の見地から,トーゴの一般的情勢及び原告の個別的事情を踏まえて,原告の難民該当性について検討する。
(2)トーゴの一般的情勢
ア 証拠(甲14,15,乙28,30の2)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる(なお,以下の認定に反する原告の主張は,いずれも客観的な証拠等の裏付けを欠くものであって,採用することができない。)。
(ア)トーゴは,西アフリカにある,西をガーナ共和国,北をブルキナファソ共和国,東をベナン共和国,南をギニア湾に囲まれた人口約680万人の共和国であり,その首都は,ギニア湾沿岸部のロメ市(人口約100万人)である。
(イ)エウェ族とカビエ族
トーゴには多くの部族が存在し,そのうちの主要なものとしてはエウェ族とカビエ族がある。エウェ族(全人口の約21%)の居住地である南部はドイツ及びフランスによる植民地統治又は委任統治の時代に社会的経済・生産基盤の整備が進み,公務員,知的職業人,商人として活動している者にはエウェ族が多い。他方,カビエ族(全人口の約12%)の居住地である北部は開発が進んでおらず,カビエ族の多くは,南部へと出稼ぎに赴き,軍人や警察官になっている。
(ウ)トーゴの政情
トーゴは,1960年4月にフランスの信託統治から独立し,シルバナス・○○が初代大統領に就任したが,シルバナス大統領は,1963年1月に軍により殺害され,1967年1月のクーデタにより実権を握ったエヤデマ ニシャンベが大統領に就任した。その後,トーゴの政情は安定していたが,1990年頃,エウェ族を中心として民主化を求める動きが高まり,1991年3月にはロメ市で流血を伴う大衆デモが発生した。そして,1993年2月には軍の民衆への発砲をきっかけにロメ市民の3分の1ないし2分の1が国内外に退避するという事態が発生したが,1994年2月には国民議会選挙が行われて,民主化のプロセスが開始された。2005年2月にはエヤデマ大統領が死亡し,同年4月の大統領選挙によりその子であるフォール ニシャンベが大統領となったが,同年6月には穏健派野党の党首を首相とし全閣僚の半数を野党系が占める国民和解内閣が成立し,2006年8月には連立に加わらない野党も含めた政党間の対話の結果,包括的な政治合意が実現し,2007年10月には国民議会選挙が民主的に実施された。現在では,シルバナス大統領の子であるギルクリフト・○○も亡命先から帰国し,野党UFC(Union des Forces de Changement)の党首となっている。
イ トーゴの一般的情勢についての検討
前記アのとおりであることによれば,トーゴにおいては,過去の軍事独裁政権の下や近年の民主化のプロセスの中で,エウェ族がカビエ族によって指導された政府からその権利の実現を求める動きを実力行使を含む手段をもって抑圧されてきた経緯がある一方で,上記民主化の進展により,部族間の対立が国民議会選挙という非暴力的手段によって解決され得る状況が実現されつつあることが認められる。そして,このような一般的情勢の下においては,なお紆余曲折を生ずるおそれがあることは否定することができないものの,本件難民不認定処分がされた平成21年6月当時,エウェ族に属する者がエウェ族に属することそれ自体又はそのことに基因する政治的意見のみを理由にトーゴ政府から迫害を受けるおそれがあったと認めることはできないのであって,原告について,トーゴの一般的情勢のみから直ちに,通常人が原告の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していたと認めることはできず,原告が難民に該当するか否かは,上記トーゴの一般的情勢を踏まえつつ原告の具体的な反政府活動の有無・内容・程度等の個別的事情を斟酌して検討すべきであることになる。
(3)原告の個別的事情
前記前提事実に加えて,証拠(甲13,乙5,8,9,11,12,20ないし24,証人Kの証言及び原告本人尋問の結果)並びに弁論の全趣旨によれば,次の事実を認めることができる。
ア 原告の入国の状況
原告が平成元年4月24日に本邦への上陸申請をするに際して所持していたA名義の旅券はトーゴ政府が正規に発給したものである。(乙12,21)
イ 原告の在留の状況
原告は,在留期間の更新等を受けることなく,在留期限である平成元年7月23日を超えて本邦に不法残留した。原告は,同年5月頃,板橋区にあるクリーニング店で稼働した後,川口市や鳩ヶ谷市にある水道管の部品を製造する会社で工員として稼働するようになり,当初は月額約15万円の,その後は月額約25万円の給与の支払を受けていた。原告は,職場の同僚と飲食店に行き,慰安旅行にも参加するなどの交友関係を有していたほか,ピースボートに所属する外国人や日本人とも交友関係を有しており,結婚したいと思っている日本人女性もいる。原告は,本邦への上陸から後記ウの逮捕までの間に,難民認定の申請をするための具体的な行動に出たことがない。(甲13,乙9,11,12,22,24)
ウ 入管法違反の捜査における原告の供述
原告は,平成17年1月30日,入管法24条4号ロ(不法残留)違反の容疑で逮捕されたところ,その際,司法警察職員に対しては,本邦に上陸した目的について稼働目的と説明しており,自らの難民性を主張していなかった。(乙12,22)
エ 違反調査における原告の供述
原告は,平成17年2月18日,さいたま地方検察庁で不起訴処分(起訴猶予)を受けるとともに,東京入管収容場に収容され,東京入管入国警備官の違反調査を受けたところ,同調査において次のとおり供述していた。(乙5)
(ア)「私は,トーゴで軍事政権に反対する学生運動に参加していましたが,警察に捕まり,1年間刑務所に入りました。その後,私は,身の危険を感じて,ガーナへ出国しましたが,ガーナはトーゴの隣りの国なので,もっと遠くの国に逃げようと思い,早くビザのとれた日本に行くことにしたのです。」
(イ)「入国後難民申請をしようと考えましたが,日本で難民申請をするのが難しいと聞き,言葉も通じないので,このままオーバーステイして,トーゴの政府が交代したら,帰国しようと考えたのです。」
オ 違反審査における原告の供述
原告は,入管法24条4号ロ(不法残留)該当容疑者として東京入管入国審査官に引き渡され,平成17年2月22日及び同年3月1日,東京入管入国審査官の違反審査を受けたところ,同審査において次のとおり供述していた。(乙8,9)
(ア)平成17年2月22日の違反審査(乙8)
「私は退去強制事由に該当することは分かりますが,トーゴの軍事政権に反対する運動をしていたので,帰国すると身の危険があり,トーゴへの帰国を希望しません。」
(イ)平成17年3月1日の違反審査(乙9)
a 「私の本当の氏名と生年月日はX・○○,1965年○月○日です。」
b 「(板橋のゲストハウスで知り合った)エチオピア人の話だと『日本では難民申請が認められるのは難しいし,入管に行くと捕まってしまう。』と聞き,こわくなって入管には行きませんでした。私は,トーゴの軍事政権が変わるまで日本で待っていようと思い,待っているうちに不法残留してしまいました。」
c 「私の家族は,父E・○○,母F・○○,姉L・○○です。」
d 「私は,ベニン大学で英語とドイツ語を勉強し,ポリティカル・サイエンスを専攻していましたが,3年の時に学生運動をして捕まってしまい,その後は大学に行けませんでした。」
e 「1960年にトーゴが独立した時の大統領である○○大統領が私の祖父でした。」
f 「私は,軍事政権に反対する学生運動をやっていましたが,1988年に仲間6人と一緒に放送局に入り,『エヤデマ大統領は辞任すべきだ』という放送を流したところ,軍隊が来て,捕まり,刑務所内で1年間過ごしました。その後,仮釈放となったので学生運動の仲間に用意してもらったパスポートでガーナに逃げました。」
g 「私は,トーゴでは軍隊に捕まった以外に,エヤデマ大統領の息子とけんかをして1か月警察にいたことがあります。」
カ 口頭審理における原告の供述
原告は,前記オの違反審査の結果,入管法24条4号ロ(不法残留)に該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨の認定を受けた。原告は,特別審理官による口頭審理の請求をし,平成17年3月18日及び同月29日,東京入管特別審理官の口頭審理を受けたところ,同審理において次のとおり供述していた。(乙11,12)
(ア)平成17年3月18日の口頭審理(乙11)
a 「私は,政府を批判する学生運動に参加しており,ある日放送局で,大統領を非難する放送をしたところ,逮捕され,…1年間,刑務所に服役しました。服役中,電気棒で性器に対しショックを与えられたり,タバコの火を足に付けられたこともありました。」
b 「私は,刑務所から仮釈放された後,今後反政府運動に参加しない旨の書面に強制的に署名をさせられました。私の出所はあくまでも臨時的なもので,私は3日おきに警察署に出頭しなければならなくなりました。この頃から私は自分の生命に危険を感じるようになりました。」
c 「私たちが独立記念日の2日前に当たる1988年4月25日に放送局を占拠し,反政府メッセージを放送したことで,私は逮捕されました。」
(イ)平成17年3月29日の口頭審理(乙12)
a 「私は,1989年2月3日に,いよいよ命の危険を感じ,トーゴを脱出することを決めて,ガーナとの国境に近いアフラオという反政府活動を行っている学生達の集まる場所に行きました。」
b 「警察には,早く釈放してもらうために稼働目的で日本に来たとお話ししました。もし私が警察に難民であることや私のパスポートについて話をすると,長く拘留されると思ったのです。」
c 「私が12歳の頃,父から,父方祖父で前大統領のSILVESTRE・○○は私が2歳の時に暗殺されたと聞きました。」
キ 難民認定手続における原告の供述等
原告は,平成17年2月28日,法務大臣に対し,難民認定の申請をし,同年3月30日,同年4月25日及び平成21年4月14日,東京入管難民調査官の難民調査を受けたところ,上記申請に係る平成17年2月28日付け申請書及び同月27日付け申立書並びに上記調査において次のとおり記載又は供述していた。(乙20ないし23)
(ア)申請書(乙20)
a 「本国に戻れば政治的意見を理由に迫害を受ける。」
b 「私の祖父は民主的に選ばれたトーゴの初代大統領で,その後,現大統領エヤデマ ニシャンベの軍事クーデタによって1967年に失脚させられました。祖父は裁判なしで投獄されました。」
c 「キャンパスで現大統領の息子であるフォール ニシャンベを殴ったため逮捕されたことがあります。」
d 「我々の学生組織が国営放送局に乱入し,エヤデマ大統領の退陣を宣言したことがあります。」
(イ)申立書(乙21)
a 「私の祖父(SILVESTER・○○)は,1960年にフランスによる植民地支配から独立した後に最初に民主的に選出されたトーゴの大統領でした。祖父は,1967年に自身をトーゴ大統領であると宣言したエヤデマ ニシャンベの率いる軍によるクーデタで,その後失脚させられました。」
b 「独立28周年の2日後,我々は国営放送に突入し,エヤデマ ニシャンベ大統領の打倒を宣言し,早急な選挙を要求しました。我々は直ちに国家軍警察によって鎮圧されました。一部は殺され,一部は逮捕され,私は逮捕された者の一人です。私は投獄され,裁判にかけられることなく1年間収監されました。仮釈放後,仲間によってガーナに入国しましたが,軍当局による指名手配者としてリストされました。」
(ウ)平成17年3月30日の難民調査(乙22)
a 「1988年4月,私はベニン大学在学中に所属していた学生組織のメンバーとともに,国営放送局を占拠し,当時のエヤデマ政権打倒を宣言し,早急に民主的な選挙を行うことを要求したことにより,軍国家警察に逮捕され,1年の刑を受け,9か月間刑務所に入り,仮釈放されました。」
b 「その後,私は3日毎に軍国家警察に出頭し,二度と反政府活動をしないという署名をさせられましたが,出頭する度に,担当官から政治活動の仲間の情報をばらすように強要されました。最後には仲間のことを話さないともう1回刑務所に入れるぞと脅かされたので,私は国外に出ることを決意しました。」
c 「私の祖父○○・SILVESTERはフランスによる植民地支配から独立した後に最初に民主的に選出されたトーゴの初代大統領でした。1967年に,祖父は,エヤデマ ニシャンベが率いる軍のクーデタにより失脚させられました。」
d 「独立28周年記念日の2日前の1988年4月25日に,私たち学生組織のメンバーは国営放送局を占拠する計画を立てました。当日の午後3時頃に,私たち学生組織の活動家約40人はトカインの秘密の場所に集合しました。警備担当の6人のメンバーが先に国営放送局に入り,最も人が少ない時を見計らって,私たちにOKの合図を出しました。…次に,私とリーダーのIが放送局に突入し,エヤデマ政権打倒を宣言し,早急に民主的な選挙を行うことを要求しました。他のメンバーは放送局の周りにいました。まず,私がスピーチをしました。…その後,リーダーのIが35分間スピーチをしました。外が騒々しくなり,シャンダルメという軍国家警察が入ってきて,私とリーダー,そして警備のメンバー6人が逮捕されました。なお,外にいた私たち学生組織の仲間4人は軍国家警察が入ってくる際に銃で撃たれ亡くなりました。」
e 「祖父には,8人の子供がおり,そのうちの6人が3人の正式な妻との間に生まれた子供です。…3番目の夫人がFという人で,私の祖母に当たりますが,私の父を含め2人の子供がいます。」
f 「1967年のエヤデマによるクーデタが起きた後に,私たち○○ファミリーの多くが逮捕されたり,また,逮捕されそうになったためにフランスやドイツなど国外に逃れました。…私の父はベニン大学の教授を務めていましたが,政府からの圧力があったにもかかわらず,ここは自分の国であると主張して,逃げようとせずにトーゴにとどまりました。」
g 「私がベニン大学在学中にエヤデマ大統領の息子との間で起きた事件について,お話しします。私はベニン大学1学年の当時,エヤデマ大統領の息子フォール エヤデマが私たちのグループの女性にちょっかいを出したので,彼を殴ったので,彼のボディーガードが出てきて,私を捕まえ,警察に引き渡しました。私は警察で4日間ほど留置されました。」
h 「(あなたは○○・ギルクリストという祖父の息子でトーゴの野党のリーダーを知っていますかという問いに対し)私はそのような人物を知りません。私が本国にいたときに,そのような人が○○ファミリーの中にいませんでした。」
i 「(あなたは他の国の政府や国連などに難民認定申請をしたことはありますかという問いに対し)入管に収容されて難民認定申請を提出して5日後に,UNHCRに連絡をとったところ,そちらにインタビューに出向くことはできないので,難民申請に関する陳述書を作成して送るように言われましたので,これから作成し,送るつもりです。また,アムネスティやJAR(難民支援協会)とも連絡をとっています。」
j なお,原告は,平成17年3月30日の難民調査の際,通訳人の英語を介して調書の読み聞けを受け,トーゴの家族の状況を知るために2度手紙を出した時の状況についての記載を追加するよう求め,その点に関する記載を付け加えさせた上で,そのほかに付け加えることも訂正することもないと述べている。
(エ)平成17年4月25日の難民調査(乙23)
a 「この事件(1988年4月に国営ラジオ放送局を占拠した事件)についてはマスコミに報道されていませんが,私は国営放送局を占拠し,自分が5分~10分間行った反政府的な内容の演説を実際に放映しました。リーダーの演説も放映しました。…当時はテレビもラジオもすべて政府の傘下にあり,何の発表もしていません。」
b 「(仮釈放後にトーゴを出国した後の経過について)最初に私は隣国ガーナに出国し,その日の夜にトーゴに帰国し,その日のうちにトーゴを通過し,隣国のベニンに1週間ほど滞在した後,夜に再びトーゴに帰国しました。トーゴを通過し,ガーナに再び入国し,その日の夜に再びトーゴに帰国し,通過し,ベニンに4~5日滞在した後にナイジェリアに入国しました。その後もベニンやガーナと本国との間を何度も行き来しました。最終的には,仲間が資金を持ってきてくれ,再びナイジェリアに入国し,日本大使館で入国ビザを取得し,日本に来たわけです。」
c 「1967年のエヤデマによるクーデタが起きた後に,私たち○○一族の多くが逮捕されそうになったためにフランスやドイツなど国外に逃れましたが,私たち家族は本国に残りました。私は,父から私たち○○一族は誰かに尾行されていたということは聞きましたが,逮捕されたことはないと聞いています。」
d 「なお,前回のインタビューでトーゴの初代大統領○○の息子と言われた○○・ギルクリストは外国へ逃れており,トーゴに1年以上居住していないので大統領選挙に立候補できません。」
ク 原告の陳述書の記載
原告は,平成22年8月25日付け陳述書に次のとおり記載している。(甲13)
(ア)「父は,シルバナスの正妻以外の妻であるMとシルバナスの間に生まれました。アフリカでは一夫多妻制は普通なのですが,欧米ではキリスト教の影響により一夫一婦制が通常であり,○○一族はカトリックであるため,シルバナスに正妻以外に大勢の妻がいたことは公にされていませんでした。ですから,私も,父がシルバナスの内妻の子であることは,父の死後,母から聞いて知りました。」
(イ)「私の父や○○家の人は,シルバナスのことをシルバナスとは呼ばないで,シルヴェスタと呼んでいました。これは,シルバナスという名前は,奴隷時代の名前で,先祖が奴隷となったことを思い起こさせるから,我々は使いたくなかったのです。」
(ウ)「突入の日付は,昔のことでよく覚えていませんが,おそらく1988年4月4日頃だったと思います。学生100人くらいを引き連れて,I,私,J,他3人の合計6人が,協力者の手引きで放送局の中に入りました。…まず,Iがスピーチをして,続いて私がスピーチをしました。…私が話している最中に,我々は拳銃や鞭を持った兵に逮捕されました。」
(エ)「釈放されて数日後,…私たちがパーティーを楽しんでいると,エヤデマの息子,現大統領であるフォール ニシャンベがボディーガードを引き連れ,パーティーに乱入してきました。…私は,フォールが私への当てつけでその女性を慰みものにするのをわかっていましたので,…フォールのボディーガードの顔を殴ってしまいました。」
(オ)「私が刑務所で服役中に,私の家族と仲間たちは,私を国外に逃がすために,A名義の偽造パスポートを作成する手配をしてくれました。母などから聞いた話では,偽造パスポートの作成には,警察が管轄するパスポート発行所のコトコリ族のKが協力してくれたそうです。」
ケ 当審で行われた尋問における供述
原告本人及び証人Kは,当審で平成23年2月18日(原告本人)及び同年5月16日(証人K)に行われた尋問において,次のとおり供述している。
(ア)原告本人
a 「(刑務所から出た後に,フォール ニシャンベのボディーガードを殴りましたよねという問いに対し)はい,そのとおりです。」
b 「私の父は,内妻の子供ということで,正式な結婚の妻ということではありません。ですから,ほかの○○の家族と関係があるというようなことはなかったんです。で,政治的な意味からも,そういったことは発表されておりません。」
c 「(1988年4月に国営ラジオ放送局に突入した際の状況について)メンバーの総数は200で,そのうちラジオ局のほうまで来たのが40人で,ラジオ局の中に入ったのは6人です。」
d 「(あなた自身は,その放送局の襲撃の日については,トーゴの独立記念日である4月27日の2日前の4月25日であるというふうに話していませんでしたかという問いに対し)私,説明はしたんですけれども,具体的な日にちまでは思い出せないと。ただ,その行ったのは,独立をした月というふうに申し上げたかと思います。で,ドイツのNのほうからの情報では,4月4日というように言われたかと思います。」,「(あなた自身は,その独立記念日の何日か前,何日か後というような話をしたことはないということなんですねという問いに対し)そういうふうに言ったのかもしれませんけど,それはミスです。」
e 「(あなた自身も,あなたの代理人に対してフォール ニシャンベ本人を殴ったという話をした記憶がないと,そういうことなんですかという問いに対し)そんなこと言ってません。」
(イ)証人K
a 「(原告がトーゴで逮捕されたんですけれども,その理由を何か知っていますかという問いに対し)彼はラジオ局に乗り込んでいって,人質を取って,自分たちの声明を出したからです。」
b 「(原告がラジオ局に突入したというのは,ニュースとか新聞で報道されましたかという問いに対し)私たちの国のテレビですとか,ラジオ,マスコミというのは,独裁国家のものですから,学生たちがラジオ局に押し入って人質を取ったというものではなくて,テロリストが侵入してきたという伝え方をしました。」
c 「(原告がトーゴを出国しなければいけなかったのはどうしてなんですかという問いに対し)私の知り合いの公安の人物から,彼が暗殺される人物のリストに載っていたのを知りました。…それで出国しなければならなかったのです。」
d 「(偽造のパスポートのことをあなたが頼まれたのは,原告本人から直接頼まれたんですかという問いに対し)彼と一緒に,3人の人が一緒に来ました。『Kさん,○○です。』と。『彼は今こういう問題を持っています。ですから,どうにか解決してあげなくてはいけません。』と,引き合わされました。」
(4)原告の難民該当性
ア 原告は,自らの真実の氏名及び生年月日は○○・X,1965年○月○日生まれであり,トーゴの初代大統領であるシルバナス・○○の親族であるために,トーゴ政府から迫害を受けるおそれがあることから,A名義の旅券を使用してトーゴを出国したものであって,トーゴに送還されればトーゴ政府によって人種及び政治的意見を理由に逮捕され拷問を加えられる蓋然性が高く,迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有していると主張する。そこで,原告が難民に該当するか否かを,前記(2)のトーゴの一般的情勢を踏まえつつ前記(3)の原告の個別的事情を斟酌して検討する。
イ 原告の身分事項
前記(3)オ(イ)aのとおり,原告は,平成17年3月1日の違反審査において,自らの真実の氏名及び生年月日は○○・X,1965年○月○日生まれである旨申し立てたものであるところ,前記(3)オ(イ)cのとおり,原告は,同違反審査において,自らの父母兄弟のファミリーネームは○○であるとしており,乙第20号証(同年2月28日付け難民認定申請書)及び乙第21号証(上記難民認定申請書に添付された同月27日付け申立書)にもこれと同趣旨の記載があることによれば,原告の真実のファミリーネームは○○であることがうかがわれるということもできる。しかし,① 原告本人尋問の結果によれば,エウェ族の中にはファミリーネームを○○とする者が非常に多く存在すると認められること,② 前記(3)キ(ウ)f,(エ)cのとおり,原告は,平成17年3月30日及び同年4月25日の難民調査において,「1967年のエヤデマによるクーデタが起きた後に,私たち○○ファミリーの多くが逮捕されたり,また,逮捕されそうになったためにフランスやドイツなど国外に逃れ」たが,「私たち家族は本国に残りました。私は,父から私たち○○一族は誰かに尾行されていたということは聞きましたが,逮捕されたことはないと聞いています」と供述しているが,他の親族が生命身体の安全を確保するために国外に脱出する中で(弁論の全趣旨によれば,ギルクリフト・○○は20年以上にわたり国外にいたと認めることができる。),原告の父のみが国内にとどまり,それでいて具体的な被害又は不利益を受けることがなかったことについて,合理的な説明がされているということはできないこと,③ 原告は,自らの父について,前記(3)キ(ウ)eのとおり,平成17年3月30日の難民調査においては,シルバナス・○○とその「正式な妻」の一人との間に生まれた子であるとする一方で,前記(3)ク(ア),ケ(ア)bのとおり,平成22年8月25日付け陳述書及び当審で行われた尋問においては,シルバナス・○○とその「正妻以外の妻」又は「内妻」との間に生まれた子であるとしており,自らの祖母の身分法上の地位についての説明に変遷がみられること,④ シルバナス・○○は1963年1月に軍により殺害されたものであるにもかかわらず,原告は,前記(3)キ(ア)b,(イ)a,(ウ)cのとおり,平成17年2月28日付け難民認定申請書,これに添付された同月27日付け申立書及び同年3月30日の難民調査において,シルバナス・○○は1967年にエヤデマ ニシャンベが率いる軍のクーデタにより失脚させられたとしているほか,前記(3)カ(イ)cのとおり,平成17年3月29日の口頭審理において,自らが2歳の時(原告がその主張のとおり1965年生まれであるとすれば1967年)に暗殺されたと聞いた旨述べており,客観的な事実との間に食い違いがみられることに加えて,⑤ 前記(3)キ(イ)aのとおり,原告は,難民認定申請書に添付された平成17年2月27日付け申立書において,祖父の名である「シルバナス」を‘SILVESTER’と誤って綴っていること(原告は,前記(3)ク(イ)のとおり,平成22年8月25日付け陳述書において,「シルバナスという名前は,奴隷時代の名前で,先祖が奴隷となったことを思い起こさせるから」,原告の父や○○家の人はシルバナスのことをシルバナスとは呼ばないでシルヴェスタと呼んでいたとするが,自らとシルバナス・○○との間の親族関係が認められるか否かが重要な問題になる手続において,行政庁にとってにわかに了解し難い親族間での呼称を何の説明もなく使用すれば,自らに対する疑いが生じ又は増すこととなるのであるから,そのような呼称は使用しないか又は断りを入れた上で使用するのが通常なのであって,上記のような弁解は不合理なものであり,採用することができない。),⑥ 前記(3)キ(ウ)hのとおり,原告は,平成17年3月30日の難民調査において,シルバナス・○○の子であるギルクリスト・○○について,「私はそのような人物を知りません。私が本国にいたときに,そのような人が○○ファミリーの中にいませんでした」と供述していること(原告は,上記難民調査において,ギルクリストのことを知らないと述べたことについて,トーゴにいた際に所属していた組織のルールで反政府活動をしている者の氏名を出すことを禁じられており,その当時,ギルクリストは亡命中であると思っていたことから,そのように述べたものであると主張するが,前記(3)キ(エ)dのとおり,原告は,上記難民調査の数週間後に行われた平成17年4月25日の難民調査においては,外国へ逃れているギルクリストの氏名を出しているのであって,原告の上記主張は採用することができない。)をも併せて考慮すると,原告の真実の氏名及び生年月日が○○・X,1965年○月○日生まれであるか否かはともかく,原告の祖父はトーゴの初代大統領であるシルバナス・○○である旨いう前記(3)オ(イ)e,キ(ア)b,(イ)a,(ウ)c等の原告の供述又は記載はいずれもたやすく措信することができず,原告がシルバナス・○○の近しい親族である事実は,本件全証拠によってもこれを認めるに足りない。
ウ 迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖の有無
原告は,前記(3)キ(ア)aのとおり,平成17年2月28日付け難民認定申請書に,「本国に戻れば政治的意見を理由に迫害を受ける」と記載しており,前記(3)エ(ア),オ(ア),(イ)d,f,g,カ(ア)aないしc,キ(ア)c,d,(イ)b,(ウ)a,d,g,(エ)a,ク(ウ),(エ),ケ(ア)a,cのとおり,退去強制手続中の違反調査,違反審査,口頭審理,難民認定手続のために提出した書面,同手続中の難民調査及び当審において,本国では反政府活動を行っており,1988年4月には,国営ラジオ放送局を一時占拠し,エヤデマ大統領の辞任を求める反政府的なメッセージを放送する事件を起こしたことから,軍によって逮捕された上,刑務所に収容され,さらに,仮釈放後には,エヤデマ大統領の子で現大統領であるフォール ニシャンベとけんかをして,警察に捕まったという経緯があるために,本国に戻れば,逮捕された上,拷問を受けるなどの迫害を受けるおそれがあると供述し又は記載している。しかし,① 原告は,国営ラジオ放送局の占拠という事件が発生した日にちについて,前記(3)カ(ア)c,キ(ウ)dのとおり,平成17年3月18日の口頭審理及び同月30日の難民調査においては,「独立記念日の2日前に当たる1988年4月25日」とする一方で,前記(3)キ(イ)bのとおり,難民認定申請書に添付された平成17年2月27日付け申立書においては,「独立28周年の2日後」としており,さらに,前記(3)ク(ウ)のとおり,平成22年8月25日付け陳述書においては,「おそらく1988年4月4日頃」としている(原告は,前記(3)ケ(ア)dのとおり,当審で行われた尋問においては,「あなた自身は,その独立記念日の何日か前,何日か後というような話をしたことはないということなんですね」という問いに対し,「そういうふうに言ったのかもしれませんけど,それはミスです」と述べている。)ところ,国営ラジオ放送局の占拠という事件は,それが真に発生したのであれば,原告にとって印象的な忘れ難いものであるはずであり,独立記念日の2日前又は2日後という日にちにも,強い記銘力があるはずであると考えられるのであって,この日にちに変遷がみられることは,原告の上記供述及び記載の信用性を評価する上で重大な消極要素になるというべきである(前記(3)キ(ウ)dとク(ウ),ケ(ア)cとの間には,このほかに,同行した学生の人数,放送局の中に突入した人数,事件の経過(原告とIの演説の順序等)についても,変遷がみられる。なお,原告は,国営ラジオ放送局を一時占拠した事件は,その当時,トーゴ政府による情報管制が行われていたことから,報道等がされることはなかったと主張するが,前記(3)オ(イ)f,キ(エ)aのとおり,原告は,エヤデマ大統領の辞任を求める反政府的な内容の演説を実際に放送したとしているのであって,それが真実であるならば,少なくともトーゴの首都であるロメ市やその周辺地域に居住する数千人ないし数万人以上の不特定多数の者の聴くところなったはずであり,トーゴ政府がいかに規制しようとしても隠し通すことはできないはずである。前記(3)キ(エ)aのとおり,原告は,平成17年4月25日の難民調査において,「この事件(1988年4月に国営ラジオ放送局を占拠した事件)についてはマスコミに報道されていません…当時はテレビもラジオもすべて政府の傘下にあり,何の発表もしていません」としているが,他方で,前記(3)ケ(イ)bのとおり,証人Kは,当審で行われた尋問において,「私たちの国のテレビですとか,ラジオ,マスコミというのは,独裁国家のものですから,学生たちがラジオ局に押し入って人質を取ったというものではなくて,テロリストが侵入してきたという伝え方をしました」としており,国営ラジオ放送局を占拠した事件についての報道があったこと自体は否定していない。そのほかにも,前記(3)ク(オ)のとおり,原告は,平成22年8月25日付け陳述書において,「母などから聞いた話では,偽造パスポートの作成には,警察が管轄するパスポート発行所のコトコリ族のKが協力してくれたそうです」と証人Kと直接対面していないことを前提とする記載をしているが,他方で,前記(3)ケ(イ)dのとおり,同証人は,当審で行われた尋問において,「(原告と)引き合わされました」としており,原告の供述等は,自らが申請した証人の供述とも食い違っている。)。そして,このことに加えて,② 原告は,フォール ニシャンベとのけんかの時期について,前記(3)キ(ウ)gのとおり,平成17年3月30日の難民調査においては,原告がベニン大学1学年の当時(乙第22号証によれば1985年)の話として供述しているのであって,国営ラジオ放送局を一時占拠する事件を起こして収容されていた刑務所を仮釈放により出所した後とする他の供述又は記載との間で食い違いがみられる上,フォール ニシャンベとのけんかの際に殴打した相手についても,前記(3)キ(ア)c,(ウ)gのとおり,難民認定申請書に添付された平成17年2月28日付け申立書及び同年3月30日の難民調査においては,「フォール ニシャンベを殴った」とする一方で,前記(3)ク(エ),ケ(ア)a,eのとおり,平成22年8月25日付け陳述書及び当審で行われた尋問においては,「フォールのボディーガードの顔を殴ってしまいました」としており,その点でも変遷がみられることをも併せて考慮すると,原告の上記各供述又は記載はいずれもたやすく措信することができないのであって,本件難民不認定処分の当時,原告がトーゴに帰国したとして,通常人が原告の立場に置かれた場合に迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在したことは,本件全証拠によってもこれを認めるに足りない(なお,トーゴ政府が,原告によるフォール ニシャンベないしそのボディーガードに対する暴行行為の捜査及び訴追のために必要かつ相当な範囲で,相当な根拠に基づいて原告に対する取調べを行い,法令の手続に従って,逮捕等の身柄拘束及び尋問を行い,起訴及び裁判を経て刑罰権を行使することは,刑罰法令に違反する行為から市民を守るための国家の責務として遂行される正当な所為であるから,原告に対する迫害(前記(1)参照)を構成するものではないと解される。)。
また,前記(3)カ(イ)a,キ(エ)bに加えて,乙第2号証(原告が本邦に上陸するに際して所持していたA名義の旅券)によれば,原告は,1989年2月にトーゴを出国してから同年4月に我が国に向けて出発するまでの間,頻繁にトーゴへの入国と出国を繰り返していたと認めることができるが,このような行動は,真実トーゴ政府から迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いている者であれば通常とることのない行動であるということができるのであって(原告は,原告が所持しているA名義の旅券は偽名の旅券であるから,原告が正規に旅券の発給を受けていることや,正規の出入国手続によって出入国をしていたことから,原告がトーゴ政府から迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いていなかったことがうかがわれるということはできないと主張するが,前記(3)カ(ア)b,キ(ウ)bのとおり,原告は,刑務所から仮釈放されるに際し3日おきに警察署に出頭しなければならないものとされていたというのであるから,国営ラジオ放送局を一時占拠し反政府的なメッセージを放送した原告が上記出頭の義務を果たさなくなったというのであれば,極めて厳重な手配が行われていたはずであると考えられる。),原告がトーゴに帰国すればトーゴ政府から迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いていたと認めることもできない。
さらに,① 原告は,平成17年1月30日,入管法24条4号ロ(不法残留)違反の容疑で逮捕されたところ,前記(3)イのとおり,原告が,本邦への上陸から上記逮捕までの間に,難民認定の申請をするための具体的な行動に出たことはなく,また,前記(3)キ(ウ)iによれば,UNHCR等の国際機関や他の国の在外公館に連絡をとったこともなかったと認めることができること(前記(3)エ(イ),オ(イ)bのとおり,原告は,平成17年2月18日の違反調査及び同年3月1日の違反審査において,「入国後難民申請をしようと考えましたが,日本で難民申請をするのが難しいと聞き,言葉も通じないので,このままオーバーステイして,トーゴの政府が交代したら,帰国しようと考えたのです」,「『日本では難民申請が認められるのは難しいし,入管に行くと捕まってしまう』と聞き,こわくなって入管には行きませんでした」と供述しているが,前記(3)イのとおり,原告は,工員として稼働して一定の収入を得ていたほか,ピースボートに所属する外国人や日本人とも交友関係を有し,その援助をも受け得る状況にあったのであるから,原告が真にトーゴ政府から迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いており,難民認定を受けることを希望していたのであれば,なお何らかの具体的行動に出ることは可能であったというべきであり,上記供述は,UNHCR等の国際機関や他の国の在外公館等に連絡をとったことさえもないことを合理的に説明するものではない。),② 前記(3)ウのとおり,原告は,入管法24条4号ロ(不法残留)違反の容疑で逮捕された際,司法警察職員に対しては,本邦に上陸した目的について稼働目的と説明しており,自らの難民性を主張していなかったことによれば,原告は,稼働目的で本邦に上陸し,長期間にわたり不法残留をしていたが,入管法違反の容疑で逮捕され,退去強制手続の対象とされたことから,自らの難民該当性を主張して,難民認定の申請をしているものとみられてもやむを得ないというべきである(なお,前記(3)カ(イ)bのとおり,原告は,平成17年3月29日の口頭審理において,「警察には,早く釈放してもらうために稼働目的で日本に来たとお話ししました。もし私が警察に難民であることや私のパスポートについて話をすると,長く拘留されると思ったのです」と供述しているが,合理的な説明ということはできない。)。
エ 以上のとおり,本件難民不認定処分がされた平成21年6月当時,原告がトーゴに帰国したとして,通常人が原告の立場に置かれた場合に迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在したと認めることはできず,また,原告がトーゴに帰国すればトーゴ政府から迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いていたと認めることもできないのであって,本件難民不認定処分の当時,原告は,政治的意見等を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者ではなく,難民に該当するものではなかったというべきである。
オ なお,原告は,退去強制手続及び難民認定手続における通訳人の通訳に問題があった旨主張するが,弁論の全趣旨によれば,原告は,日本語の会話に習熟していると認めることができるところ,前記(3)キ(ウ)jのとおり,原告は,平成17年3月30日の難民調査の際,通訳人の英語を介して調書の読み聞けを受け,トーゴの家族の状況を知るために2度手紙を出した時の状況についての記載を追加するよう求め,その点に関する記載を付け加えさせた上で,そのほかに付け加えることも訂正することもないと述べているのであって,通訳人の通訳の適否を判断し,それが不適切と考える場合にはその訂正を求めることができたと認めることができるのに,他の調書では付加訂正を求めていないことからすると,原告の上記主張は採用することができない。
また,証人Kの証言のうち,前記認定事実に反する部分は,客観的な裏付けを欠くものである。
さらに,甲第16号証(原告代理人が平成22年9月11日に撮影した原告の両脚及び両腕の写真)によれば,原告の両脚及び両腕には,火のついたタバコを押しつけられたことによってできたものとも見える痕跡があることが認められるが,それがトーゴ政府による拷問によってできたものであることを認めるに足りる証拠はない。
(5)以上によれば,法務大臣が原告の難民該当性を否定してした本件難民不認定処分は適法な処分である。
2  本件裁決の適否(争点2)について
入管法上,難民認定の申請をした在留資格未取得外国人については,その在留資格に係る許否は,在留特別許可の許否を含め,難民認定手続の中で判断され(入管法61条の2の2),上記の在留資格未取得外国人で仮滞在の許可を受けていないものの退去強制の手続については入管法50条1項の適用はない(入管法61条の2の6第4項,3項)ところ,前記前提事実によれば,原告は上記の者に該当するから,その退去強制手続に入管法50条1項の適用はなく,入管法49条1項の規定に基づく異議の申出に対する裁決において在留特別許可の許否についての判断はされない。そして,前記前提事実によれば,原告には入管法24条4号ロ又は1号所定の退去強制事由が認められるから,原告の入管法49条1項の規定による異議の申出に理由がないとした本件裁決は適法な裁決である。
原告は,自らがトーゴに送還されればトーゴ政府から迫害を受けるおそれがあることからすると,東京入管局長としてはノンルフールマン原則を遵守するために原告に対し入管法61条の2の2第2項の規定による在留特別許可を付与しなければならなかったという前提に立ち,東京入管局長は原告の異議の申出については裁決をしない義務を負っていたものであって,この義務に違反してされた本件裁決は違法であると主張するが,前記1で判示したところによれば,原告がトーゴに送還されたとしてもトーゴ政府から迫害を受けるおそれがあると認めることはできないのであって,原告の上記主張は,その前提を欠くものであり,失当である。
3  本件退令処分の適否(争点3)について
主任審査官は,法務大臣等から異議の申出には理由がない旨の裁決をした旨の通知を受けたときは,速やかに当該容疑者に対し,その旨を知らせるとともに,入管法51条の規定による退去強制令書を発付しなければならない(入管法49条6項)ところ,前記2のとおり,本件裁決は適法な裁決であって,東京入管主任審査官としては,東京入管局長から本件裁決の通知を受けた以上,その通知に従って退去強制令書を発付するほかなく,これを発付するか否かについての裁量権を有するものではないのであるから,本件退令処分は適法な処分である。
原告は,原告の送還先をトーゴとする本件退令処分は難民条約33条1項,拷問等禁止条約3条1項,入管法53条3項1号に違反する違法な処分であると主張するところ,難民は,その生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある国へ送還してはならず(難民条約33条1項,入管法53条3項),難民と認められない者であっても,その者に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある国へ送還してはならない(拷問等禁止条約3条1項)とされており,これらはノンルフールマン原則と称されている。しかし,前記1のとおり,原告が難民に該当するということはできず,原告がトーゴに帰国した場合に,トーゴ政府により原告に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があるとも認められないから,本件においては上記原則違反の問題は生じないというべきであり,原告の上記主張は失当である。
第4  結論
よって,原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 川神裕 裁判官 内野俊夫 裁判官 日暮直子)


政治と選挙の裁判例「告示(公示)日 公営(公設)掲示板ポスター 政党 公報 広報」に関する裁判例一覧
(1)昭和26年 3月 7日 大阪高裁 昭25(う)2385号 選挙運動の文書図画等の特例に関する法律違反被告事件
(2)昭和26年 3月 3日 金沢地裁 昭25(行)2号 県議会議長辞職許可決議無効事件
(3)昭和26年 2月26日 仙台高裁 昭25(う)1081号 昭和二二年勅令第一号違反事件
(4)昭和26年 2月19日 新潟地裁 昭25(行)14号 休職処分取消請求事件
(5)昭和26年 2月 2日 最高裁第二小法廷 昭25(れ)1505号 公務執行妨害教唆各被告事件
(6)昭和25年12月28日 岐阜地裁 昭25(モ)12号 仮処分異議申立事件 〔電産特別指令確認事件〕
(7)昭和25年12月20日 最高裁大法廷 昭25(れ)1021号 昭和二二年勅令第一号違反被告事件
(8)昭和25年12月20日 高松高裁 昭25(う)794号
(9)昭和25年12月19日 東京地裁 昭25(ワ)2251号 解雇無効確認請求事件 〔東京都職員免職事件〕
(10)昭和25年12月16日 東京地裁八王子支部 昭25(モ)165号 仮処分異義申立事件 〔富士工業工場閉鎖事件〕
(11)昭和25年12月14日 大阪地裁 昭25(ヨ)43号 仮処分申請事件 〔新家工業組合除名事件〕
(12)昭和25年12月13日 東京高裁 昭25(行ナ)12号 商標登録願拒絶査定不服抗告審決取消請求事件
(13)昭和25年12月 8日 最高裁第二小法廷 昭25(あ)2863号 公職選挙法違反・昭和二二年勅令第一号違反被告事件
(14)昭和25年12月 6日 高松高裁 事件番号不詳
(15)昭和25年11月22日 最高裁大法廷 昭25(れ)280号 賭場開張図利被告事件
(16)昭和25年11月10日 岡山地裁 昭24(ワ)107号 組合員除名決議無効確認等請求事件 〔倉敷レーヨン組合除名事件〕
(17)昭和25年10月27日 福岡高裁 事件番号不詳 解職処分無効確認等請求控訴事件 〔熊本電気鉄道事件・控訴審〕
(18)昭和25年10月18日 京都地裁 昭25(行)10号 議会議員除名決議取消請求事件
(19)昭和25年10月 4日 広島高裁 昭25(う)649号 公職選挙法違反・昭和二二年勅令第一号違反被告事件
(20)昭和25年10月 3日 秋田地裁 昭25(行)19号 休職ならびに懲戒免職処分取消請求事件 〔秋田県教員懲戒免職事件〕
(21)平成24年 4月13日 東京地裁 平23(行ウ)73号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(22)平成24年 4月12日 東京地裁 平23(行ウ)48号 難民の認定をしない処分等無効確認請求事件
(23)平成24年 4月10日 東京地裁 平23(行ウ)128号 難民の認定をしない処分等取消請求事件
(24)平成24年 3月27日 和歌山地裁 平19(行ウ)8号 政務調査費返還代位請求事件
(25)平成24年 3月26日 仙台地裁 平19(ワ)1648号・平20(ワ)430号・平20(ワ)1915号・平21(ワ)355号・平21(ワ)896号・平21(ワ)1398号 監視活動停止等請求事件
(26)平成24年 3月23日 東京地裁 平22(行ウ)368号 難民不認定処分取消請求事件
(27)平成24年 3月16日 東京地裁 平21(行ウ)311号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(28)平成24年 2月29日 東京地裁 平21(行ウ)585号 公金支出差止請求事件
(29)平成24年 2月23日 大阪地裁 平21(行ウ)154号 退去強制令書発付処分無効確認等請求事件
(30)平成24年 2月22日 東京地裁 平22(行ウ)445号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(31)平成24年 2月14日 東京地裁 平22(行ウ)323号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(32)平成24年 2月 3日 青森地裁 平20(行ウ)4号 政務調査費返還代位請求事件
(33)平成24年 1月31日 大阪高裁 平23(行コ)96号 政務調査費違法支出損害賠償命令控訴事件
(34)平成24年 1月31日 福岡高裁 平23(行コ)13号 大分県政務調査費返還等請求事件
(35)平成24年 1月27日 東京地裁 平22(ワ)5552号 地位確認等請求事件 〔学校法人尚美学園事件〕
(36)平成24年 1月18日 横浜地裁 平19(行ウ)105号 政務調査費返還履行等代位請求事件
(37)平成24年 1月17日 東京地裁 平21(行ウ)600号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(38)平成24年 1月13日 東京地裁 平23(ワ)4292号 損害賠償等請求事件
(39)平成24年 1月12日 東京地裁 平22(行ウ)251号・平22(行ウ)256号・平22(行ウ)257号・平22(行ウ)258号・平22(行ウ)259号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(40)平成23年12月21日 東京地裁 平21(行ウ)636号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(41)平成23年12月 9日 徳島地裁 平19(行ウ)17号 政務調査費違法支出不当利得返還命令請求事件
(42)平成23年12月 8日 東京地裁 平21(行ウ)341号 観察処分期間更新処分取消請求事件
(43)平成23年12月 6日 東京地裁 平22(行ウ)215号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(44)平成23年11月30日 東京地裁 平22(行ウ)37号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(45)平成23年11月25日 東京地裁 平21(ワ)3923号・平21(ワ)20801号 損害賠償等請求事件、損害賠償請求事件
(46)平成23年10月27日 東京地裁 平20(行ウ)497号・平20(行ウ)530号・平20(行ウ)531号・平20(行ウ)532号・平20(行ウ)533号・平20(行ウ)487号・平20(行ウ)557号・平20(行ウ)690号 難民の認定をしない処分取消等請求事件、在留特別許可をしない処分無効確認請求事件、退去強制令書発付処分取消等請求事件
(47)平成23年10月25日 東京地裁 平21(行ウ)373号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(48)平成23年 9月30日 仙台高裁 平22(行コ)20号 政務調査費返還請求控訴事件
(49)平成23年 9月29日 東京地裁 平22(行ウ)460号 退去強制令書発付処分無効確認請求事件
(50)平成23年 9月16日 東京高裁 平21(ネ)2622号 各損害賠償請求控訴事件
(51)平成23年 9月 2日 東京地裁 平22(行ウ)36号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(52)平成23年 7月25日 東京地裁 平19(行ウ)591号 懲戒処分取消等請求事件
(53)平成23年 7月22日 東京地裁 平22(行ウ)555号・平23(行ウ)61号・平23(行ウ)171号 難民の認定をしない処分取消請求事件、追加的併合申立事件
(54)平成23年 7月19日 東京地裁 平21(行ウ)582号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(55)平成23年 7月12日 東京地裁 平20(行ウ)682号・平21(行ウ)537号・平22(行ウ)48号 退去強制令書発付処分取消等請求事件(第1事件)、在留特別許可をしない処分無効確認請求事件(第2事件)、難民の認定をしない処分取消請求事件(第3事件)
(56)平成23年 7月 8日 東京地裁 平22(行ウ)197号・平22(行ウ)210号・平22(行ウ)211号・平22(行ウ)212号・平22(行ウ)213号 在留特別許可をしない処分取消等請求事件
(57)平成23年 7月 6日 東京地裁 平22(ワ)15626号 除名処分無効確認等請求事件
(58)平成23年 6月29日 東京地裁 平21(ワ)40345号・平22(ワ)36010号 損害賠償等請求事件、不当利得返還請求事件
(59)平成23年 5月26日 神戸地裁 平21(ワ)913号 国家賠償請求事件 〔レッドパージ訴訟〕
(60)平成23年 5月25日 東京地裁 平22(行ウ)156号 難民の認定をしない処分取消請求事件
(61)平成23年 5月20日 仙台高裁 平22(行コ)8号 政府調査費返還代位請求控訴事件
(62)平成23年 5月18日 東京高裁 平22(行ケ)30号 裁決取消等請求事件
(63)平成23年 5月17日 東京地裁 平21(行ウ)17号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(64)平成23年 5月11日 神戸地裁 平21(行ウ)4号 政務調査費違法支出返還請求事件
(65)平成23年 4月26日 東京地裁 平22(行ウ)162号・平22(行ウ)448号・平22(行ウ)453号 在外日本人国民審査権確認等請求事件(甲事件)、在外日本人国民審査権確認等請求事件(乙事件)、在外日本人国民審査権確認等請求事件(丙事件)
(66)平成23年 4月 6日 大阪地裁 平20(ワ)14355号 損害賠償請求事件 〔目的外支出政務調査費損害賠償請求事件〕
(67)平成23年 3月24日 東京地裁 平20(ワ)17676号 損害賠償等請求事件
(68)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)303号 衆議院議員選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(69)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)268号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(70)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)257号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(71)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)256号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(72)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)235号 選挙無効請求事件
(73)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)234号 選挙無効請求事件
(74)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)207号 選挙無効請求事件
(75)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)206号 選挙無効請求事件
(76)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)203号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(77)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)201号 選挙無効請求事件
(78)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)200号 選挙無効請求事件
(79)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)199号 選挙無効請求事件 〔衆院選定数訴訟・上告審〕
(80)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)189号 選挙無効請求事件
(81)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)188号 選挙無効請求事件
(82)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)130号 選挙無効請求事件
(83)平成23年 3月23日 最高裁大法廷 平22(行ツ)129号 選挙無効請求事件
(84)平成23年 3月17日 名古屋高裁 平22(ネ)496号 損害賠償請求控訴事件
(85)平成23年 3月10日 東京高裁 平21(行コ)181号 懲戒処分取消等請求控訴事件
(86)平成23年 3月 8日 釧路地裁 平20(行ウ)5号 不当利得金返還請求事件
(87)平成23年 3月 8日 釧路地裁 平20(行ウ)1号 損害賠償請求事件
(88)平成23年 3月 4日 東京地裁 平21(行ウ)1号・平21(行ウ)7号 退去強制令書発付処分取消等請求事件
(89)平成23年 2月24日 大分地裁 平19(行ウ)9号 大分県政務調査費返還等請求事件
(90)平成23年 2月18日 東京地裁 平21(行ウ)513号 難民の認定をしない処分取消等請求事件
(91)平成23年 1月31日 東京高裁 平22(行コ)91号 損害賠償請求住民訴訟控訴事件
(92)平成23年 1月28日 福岡高裁宮崎支部 平22(行ケ)1号 選挙無効請求事件 〔参院選定数訴訟(違憲状態)・福岡高裁宮崎支部〕
(93)平成23年 1月26日 広島高裁松江支部 平22(行ケ)1号 選挙無効請求事件 〔参院選定数訴訟(違憲状態)・広島高裁松江支部〕
(94)平成23年 1月21日 福岡地裁 平21(行ウ)28号 政務調査費返還請求事件
(95)平成23年 1月20日 東京地裁 平20(ワ)13385号 損害賠償等請求事件
(96)平成23年 1月19日 宇都宮地裁 平20(行ウ)13号 政務調査費不当利得返還請求事件
(97)平成23年 1月14日 東京地裁 平21(行ウ)279号 在留特別許可をしない処分取消請求事件
(98)平成22年12月16日 東京高裁 平22(行ケ)24号 選挙無効請求事件 〔参院選定数訴訟(違憲状態)・東京高裁〕
(99)平成22年12月16日 広島高裁岡山支部 平22(行ケ)1号 選挙無効請求事件 〔参院選定数訴訟(違憲状態)・広島高裁岡山支部〕
(100)平成22年12月 1日 東京地裁 平21(行ウ)374号 退去強制令書発付処分取消等請求事件


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